約 16,366 件
https://w.atwiki.jp/hazama/pages/896.html
編集/ 20090718| 20090718/コメントログ| 20090725| 20090725/コメントログ| 20090815| 20090815/コメントログ| 20091024| 20091212| 20100206| 20100206/コメントログ| 20101002| 20110122| 20110416| 20110419/コメントログ| 20120114| 20120114/コメントログ| 20120211| 20120421| 20120616| 20120616-AeoliaSaga| 20120616-AeoliaSaga/コメントログ| 20120616/コメントログ| 20120728| 20120728-AeoliaSaga| 20121006| 20121006-AeoliaSaga| 20130302| 20130413| 20130420| 20130608| キャラクターズ| キャラクターズ/コメントログ| 風歌のガイドライン 風歌 第3話:おやぶんのおんなを追跡。危うく内輪もめで死者が出る所だった。ワイリングワームはキレやすい子。骨かじるといいと思うよ。 【登場人物】行動宣言順 No Player CharactorName Cult Sex Age 責任/敵視/実力 1 KON 赤毛のアン バビゴ F 20 25 / 26 / 85 2 ののの フラッド・モス オディラ M 27 60 / 15 / 41 3 aza スマイル オーランス M 28 51 / 15 / 64 4 和泉屋 ワイリングワーム ガガース M 32 90 / 20 / 84 5 さるきど 古強者ボストーク ストブル M 27 50 / 36 / 96 【ログ】 名声値100を超えるえらいひとの彼女が逃げた。 夜の追跡行が始まる。 焚き火を見つけ、フラッドが偵察に出て戻ってくる。 焚き火のそばには「モロカンス」が2人居るとの事。 アンは「ペントの野蛮人は混沌野郎」的な事をのたまい、ワイリングワームがぶち切れる。 内輪もめ戦闘中に忍び寄ったモロカンスの呪文を受けたワイリングワームは、今度はモロカンスにぶち切れ、直線的に襲撃。 一行はなんとなくモロカンスを追い払い、モロカンスがつかまえていた人間達の救出に成功する。(探しているおなごもいた) 「夜の一人旅はあぶないよー」と口では言いつつ、心の中では「秘密基地がばれたらかなわん。逃げないやつにするか、逃げれないようにしないといかんぜよ」と思うスマイルであった。 【アンから母への書簡3】 【風の旅団システム α2】 これまでのα版はいろいろ問題があり、ディスカッションをして再考しました。 キホン的に「名声値」ルールと同じ事なので、ベースルールは「名声値」にしました。 仕事は沢山ある組織なので、仕事をしすぎても反感値はたまらないそうです。 ただし反感値は命令違反(さぼり)、反抗的態度、強奪等によってメキメキたまるはずです。 反感値が名声値を超えると追放になるらしいです。 ストレスは欲求を満足できない時に発生するとし、欲求が10を超えるごとに1の長期疲労が発生する事になりました。 ただし欲求が無いと勉強したり、異性交遊などのモチベーションが無い、無気力君か仕事人間になってしまいます。 功績ポイントは役職的なものと見る事ができるそうです。 30 バイト君 50 主任 70 課長 90 部長 100超え 役員 この組織における責任貨幣は「BAD」とよぶそうです。 1BADは100ルナー相当の現金と換算できるそうです。 1BADで1スロットさぼることができるそうです。(反感値は増えない) ちなみに1スロットは1反感値でも買えるそうです。(さぼりによる不公平感ですね) ●ステップ 1:キャラクター投入フェーズ (自己紹介のフレームワークが入る) 2:満足度フェーズ 欲求がわく。 d20の部位ロールでどの欲求が増えたかを決める。 通常は3回このロールをします。 名声が高いとロールの回数が増えます。(70=+1、90=+2) これはストレスや上昇志向の概念がミックスしたルール上の表記ととられる事ができます。 (厳密には欲求はわくがここでは処理しないので「不満足フェーズ」が正しい気がする) (ただし、わかりやすくするのであれば「欲求フェーズ」が良い) 3:喪失フェーズ 敵視を技能に見立ててロール。 成功すると100ルナー、もしくは同等の価値の物品を失う。 効果は200、クリティカルは300。 100ルナーは長期疲労10点で取り戻す事ができる。(奪った者を追い回す) 3:日常フェーズ 週単位経験訓練表で、マスターの指定する年月まで日付を進める。 キホン的に毎週「業務」となる。 業務の技能セットは「実力」の算出基準。 欲求がたまっていれば、仕事以外の事もできる。 呪文獲得、訓練などもこのスロット消費でおこなう。 物資到達はスロット利用は不要だが、名声によって1週間で調達できる金額の上限が設定される。 29以下 100ルナー 30 200ルナー 50 300ルナー 70 400ルナー 90 500ルナー 責任30%以下は、物資調達には3スロットが必要。以降は1段階ごとに必要スロットが1減する。(90%はスロット消費なしで誰かを買い物に行かせられるという事) 責任30%以下は、魔法の物品は獲得できない。通常の買い物も3スロットで100ルナーまでに限られる。以降は1段階ごとに100ルナー分高いものを獲得できる。(90%ではスロット消費なしで500ルナー分の買い物ができる) 司祭の神聖呪文回復は1スロットで可能。 貢献点1点は、100ルナー相当として扱う事ができる。 (名声によるノルマ?) (責任によってスロットが埋まるルールは無くなった) 4:強奪フェーズ 実力を技能に見立てて、仲間から必要な物品をぶんどる事ができる。 獲得品を宣言後ロールし、通常成功で100ルナー相当の物品。効果で200、クリティカルで300相当の物品を獲得できる。 ただし成否に限らず恨みを買い、敵視が1点増加する。 5:任務フェーズ 実際のセッションがおこなわれる。 チェックがついた技能は週単位訓練表のその技能へのスロット追加として扱われる。 6:評価フェーズ 今回は実施せず。ルールが変わるらしい。 責任も変わる模様。(70=+1BAD、90=+2BAD、らしいですが) 名声値が高い人にはBADが多めに配分されるそうです。 7:欲求変動フェーズ 特定条件に達すると欲求部位設定が変動する。 頭が悪いと高尚な事は考えられなくなる模様。(くそめんどくせー事はメガネの仕事だぜ) ●欲求タイプ レベル1:睡眠、食事、健康、寒い、熱い ・まとめて1部位として扱う。 ・これがたまっても意味が無い。 ・生きているだけで普通に消えて言ってしまう欲求。 (でもここに欲求がたまらなくなると、普通に生きる事に執着しなくなるのではなかろうか) レベル2:性的欲求、独りになりたい、所属したい ・「性、孤、属」の3種類をそれぞれ部位として扱う。 ・性=たまった欲求は、お金を払う事で充足させることができる。 もしくは「愛」と合わせ技で解消できる欲求。 (ひとり処理は不能なのだろうか) ・孤=独りの時間を獲得するためには、集団を抜け出し、どこか独りになれる場所に逃げる必要がある。 仕事スロットを振り返る事で解消できるため、必然的に仕事はさぼる事になる。 (日曜日はないのかしら。働きすぎはからだには毒です) ・属=仲間と話しをする事で体感できます。 お金を使って誰かとメシを食うという処理になります。 (仲間との関係を買える気がします) レベル3:認められたい、愛したい愛されたい、うさばらしの消費やギャンブル ・「認、愛、費」の3種類をそれぞれ部位として扱う。 ・ レベル4:知りたい、真理の探究、自らを鍛え高みを目指したい ・「知&練」をまとめて1部位として扱う。 1スロットを使うと、一つの部位の欲求を1d6減少できるそうです。 1スロット=1BADなので、1BAD=1d6減少と言う事もできますね。 名声と反感のトレードはできなくなるそうです。 名声上昇はミッション成功時に発生するそうです。 名声が100を超えるとセッションに参加できなくなるルールは撤廃するようです。(名声ルールと同じなら生活レベルが上がり、スキルセットの組み換えができるようになるはず) 神聖呪文回復は1スロットで1つの呪文。(ポイントは関係ない) 欲求によるストレス(長期疲労)がPOWの2倍を超えると、命中部位の組み換えがおこるようです。(うがー状態) 10/24って風歌をやったんじゃなかったでしたっけ? -- (aza) 2009-11-04 21 25 34 おお、そういえば誰もログを上げてない。 とりあえず枠だけ作っといた。 -- (なゆた) 2009-11-05 00 11 41 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/rightnovel/pages/88.html
趣味や嗜好を頂点にまで高める病気。初期症状では抗いがたい欲求を感じるだけで本人次第ではあるが耐えられる。末期状態では手段を問わずに欲求を満たしたくなり、殺人など反社会的行動を行ったとしても欲求を満たそうとする。また、末期患者にはその趣味・嗜好に特化した能力が備わるようになる。 藍坂素敵な症候群
https://w.atwiki.jp/fysl/pages/279.html
教育 「教える」の多くは幼児的欲求?|shinshinohara 「教える」の多くは幼児的欲求?|shinshinohara 「教える」の多くは幼児的欲求?|shinshinohara https //note.com/shinshinohara/n/n431d65d537d3 [B! 教育] 「教える」の多くは幼児的欲求?|shinshinohara https //b.hatena.ne.jp/entry/s/note.com/shinshinohara/n/n431d65d537d3 たしかにいつも幼稚で雑なご高説垂れて人に何か教えた気になってる人の自己紹介としては説得力がある。 - zuiji_zuisho のブックマーク / はてなブックマーク https //b.hatena.ne.jp/entry/4747761288987413455/comment/zuiji_zuisho zuiji_zuishoのブックマーク - はてなブックマーク https //b.hatena.ne.jp/zuiji_zuisho/
https://w.atwiki.jp/hanmemushi/pages/37.html
経済学に登場するワードの中でおそらく最も有名なものであろう、需要と供給について紹介をする。 需要曲線と曲線はなぜあのような形をしているのかなどを数学的な議論も用いつつ取り扱う。 需要と供給 需要曲線 供給曲線 △ 需要と供給 競争市場においては財やサービスの値段は市場で決定される。 市場についての詳しい内容は次章で取り扱うため、ここでは需要と供給についての説明を簡単に行う。 需要というものは消費者、主に家計の「買いたい」という欲求である。 しかし単なる欲求ではなく、資金的な裏付けのある欲求である。 例えばお金をそれほど持っていない人が豪華客船を欲しいと思っても、それを実際買うための資金的な裏付けが存在しない。 したがってこの「欲しい」というものは需要ではなく、単なる欲求であると言うことができる。 この「資金的な裏付けのある買いたい欲求」を初めて提唱したのが経済学者のケインズである。 供給は生産者、つまり企業の「売りたい」という欲求のことだ。 その欲求は財・サービスの生産、販売によって満たされる。 需要曲線 家計がある財を買いたいと思っても、その量がどんな時でも一定であるとは限らない。 その財の値段は市場によって決定され、家計はその価格を受け入れるしかない。 このとき家計はプライステイカー(価格受容者)と呼ばれる。 例えばその財が安いのであればより多く欲しいだろうし、高ければより少ない量を欲しがるだろう。 この関係を横軸に数量、縦軸に価格をとった平面上にグラフとして表したものが需要曲線だ。 このグラフでは縦軸の価格によって横軸の数量が決定される。 普通数学で使うグラフはx軸(横軸)によってy軸(縦軸)が決定されるので反対になっている。 これは最初にこの需要供給曲線を作り出したマーシャルからの慣習である。 下のグラフの通り、需要曲線は右下がりの曲線であり、価格が高いほど需要する数量が少ないことがわかる。 またこの需要曲線が右下がりであるということを数学的に裏付けることもできる。 数学的な手法については経済数学のページで詳しく記述する。 (数学) 供給曲線 供給の場合も同様に考えることができる。 生産者は生産要素を用いて財を生産するが、その財の価格によって生産量を調整する。 財の価格が高ければ高いほど企業は多く売りたいと考え生産量を増やす。 逆に財の価格が低ければ、利益の小さい価格で売りたくないと考え生産量を減らす。 この関係を横軸数量、縦軸価格の平面に描いたものが供給曲線である。 需要曲線とは異なり供給曲線は右上がりのグラフになる。 また供給曲線はのちに紹介する費用曲線と非常に深い関係がある。→利潤と費用 需要曲線と同様に数学的な裏付けを取ることができる。 (数式)
https://w.atwiki.jp/ohmysun/pages/29.html
自分なりの幸福の定義、というか幸福に必要な条件 1.欲求が充足した状態 2.欲求が充足した状態に自分が到達可能であると思える状態 3.自分の欲求を自分で承認できる状態 4.自分の欲求を自分で創造できる状態 この定義でいう限り、人生の目標は幸福になること。 Wikipediaでは 幸福(こうふく、Happiness)とは、自ら満ち足りていると感じており、安心している心理的状態のこと。 Wikiでは「幸福は主観的なもの」「気の持ちよう」という点が強調されている。 たしかに。 仏教では「煩悩のない状態」を幸福とするが、これには同意できない。 それあきらめてるし。 会社にいって言われるままに仕事して箸にも棒にもかからないけど満足している人たちが幸せ? まぁ幸せなんだろうけど、それが人の目指すべき姿とは思えません。 そこには「達成感」がないように思える。 欲がなければ達成することもないわけで。
https://w.atwiki.jp/okamoto16th/pages/91.html
直接喚起型とは、個人がCSR活動することで個人が直接的に動機づけられることである。動機づけのアプローチとしては、個人がCSR活動することで、動機づけられるものである。個人が行動した結果、マズローの欲求段階説でいう「自己実現欲求」が高まり、さらにその欲求を高めるために個人は動機づけられる。 このようにして個人が動機づけられることを、本論文では直接喚起型の動機づけと呼ぶ。
https://w.atwiki.jp/gamification-wiki/pages/17.html
ゲーミフィケーションと心理学 ゲーミフィケーションは、ユーザ心理を刺激するゲームデザイン手法やメカニクスを利用したものである。 そのゲームデザインやメカニクスには、ユーザへの心理学的影響(熱中させる、闘争心を沸き立たせるなど)があると考えられる。 このページでは、ゲーミフィケーションに関連する心理学的要素を説明する。 動機付け 1.達成動機 やりがいのあること(目標)を成し遂げたいという動機のこと。 達成動機の動機の強さは、J.W.アトキンソンは「期待×(動機×誘因)モデル」を提唱している。 (達成動機の強さ= 達成したいという動機 × 主観的成功確率×目標の魅力・誘因) 動機付けにはスモールステップの考えを導入することが望ましい。 2.外発的動機付け 外から、他者によって提供される報酬(お金、アイテム等)によって動機付けられるという考え。 評論家アルフィー・コーン(Alfie Kohn)は、外発的動機付けに関して批判をしている。[1] -報酬は、罰になる(Rewards punish) -報酬は、人間関係を破壊する(Rewards rupture relationships) -報酬は、理由を無視する(Rewards ignore reasons) -報酬は、冒険に水をさす(Rewards discourage risk-taking) -報酬は、興味を損なう(Rewards kill interest) -報酬は、使い出したら簡単に止められない -報酬は、それを得るための手抜き(最短ルート)を選ばせる 3.内発的動機付け 達成感、有能感、楽しみ、自己実現など自分自身から発する報酬(内発的報酬)によって動機付けられるという考え。 達成行動 動機付けられたことを達成しようと行動する行為のこと。その強さは動機の強さに依存するとしている。 また達成意欲や達成不安などのモチベーション要因にも影響する。 目標達成のためのモチベーション理論 マズローの5段階欲求 ポーター ローラーの期待理論 J.W.アトキンソンの「期待×(動機×誘因)モデル」 J.Wブレームの心理的リアクタンス理論 マズローの5段階欲求は、人間の欲求段階は,生理的欲求,安全の欲求,親和の欲求,自我の欲求,自己実現の5つから成り立つとする説。 心理的リアクタンス理論は、自分の態度や行動を自分で自由に選択したいという欲求が脅かされると、自由を取り戻そうと反発し動機づけられる、という考え。 フロー理論 クレアモント大学教授チクセントミハイ氏が提唱した理論。 以下のような状態の時に、自分自身の心理的エネルギーがよどみなく100%発揮される「フロー状態」になる。[2] フロー状態とは、高いレベルの集中力を示し、楽しさ、満足感、状況のコントロール感、自尊感情の高まりなどを経験している状態のこと。 活動の目標が明確であること 成果に対する迅速なフィードバックがあること 機会と能力のバランスが良いこと。適切な難易度であること 十分に集中できる環境にあること。今の問題に集中できること 対象への自己統制感があること。自分がコントロールできている感覚があること ポジティブ心理学 後日更新予定 行動分析学 後日更新予定 参考文献 [1]モティペディア™ 外発的動機づけのマイナス面を考える~過度に頼るのはよくない~ 2012.12.6 閲覧 (外部リンク) [2]salesforce.com 社員を幸せにするゲーミフィケーション 2012.11.15 閲覧(外部リンク)※公開期間は2012.12.11まで 関連項目 スモールステップ 外部リンク blanklink プラグインエラー URLかページ名を入力してください。{salesforce.com 社員を幸せにするゲーミフィケーション
https://w.atwiki.jp/sims2mio/pages/112.html
シムの赤ちゃん シムの赤ちゃんはアクティブで操作することは出来ず、欲求も知ることは出来ません。赤ちゃんのアイコンの背景色が鮮やかな緑であれば欲求はほぼ満たされていますが、黄色になってくると何かしらの欲求を求めています。基本的に赤ちゃんがいる世帯では十代以上の家族が折を見計らってミルクを飲ませるようにしていますので、赤ちゃんが餓死することはまずありません。もし、そのような状況に万が一陥った場合には社会福祉指導員が赤ちゃんを引き取りに来ますので(をぃ)。赤ちゃんの欲求が著しく落ちる原因の第一はおむつが汚れることです。おむつ交換台を買っている場合にはおむつ交換台でおむつを取り替えればそれで赤ちゃんの衛生の欲求は満たされます。資金不足でやむを得ず買えなかった場合には赤ちゃんをクリックしておむつを取り替えるを実行した後にシンクで赤ちゃんを入浴させてあげましょう。 誕生から2日目の18時を経過すると、1日後に赤ちゃんの誕生日が訪れるメッセージが表示され、バースデーケーキまで連れて来るか、3日目の18時になった時点で赤ちゃんから幼児に成長します。ただし、赤ちゃんの欲求が満たされていない場合には成長できない場合がありますので、誕生パーティを開く場合には細心の注意を払ってください。 なお、フリータイムでは本棚の本でしつけを勉強することにより、赤ちゃんの欲求を知ることが出来るようになります。 赤ちゃんの性格の話 ピカソ家(要 フリータイム)のマシュー&ジェシカ夫婦にめでたく第1子(男の子)が誕生しました。……が、再ロードなしでSimPEでデータをチェックしたら結構すごい性格していました。生まれる前にマシューにジェシカのお腹に話しかけさせたり、ルームメイトの老夫婦のおばあさんにも話しかけさせたのですが。 星座:いて座 きれい好き:1 社交:10 活発:9 遊び好き:10 快活:1 うーん……マシューパパがきれい好き1なので、だらしないのは仕方ないとしても、これが噂の新生児クローニング現象でしょうか? ジェシカは快活7ですし、マシューも快活は5なので快活1なんてあり得ないでしょ? 顔に関してはまだ赤ちゃんの段階なので何とも言えませんが、少なくともオットマス家の双子(前にプレイした時は兄弟の中でトミーが一番ましだった)よりはかわいいとは思うのですが。 再ロードするとか、別のシムをダミーで作成するなどをすれば、この現象(第1子がほぼ確実に男の子で、快活が1になってしまう)を回避できるという話もあります。とりあえず私は、性格と持って生まれた趣味の才能だけをSimPEで修正しました。 修正後の性格 きれい好き:1 社交:6 活発:7 遊び好き:6 快活:7 持って生まれた趣味:ゲームから自然に変更 つまり、快活及び持って生まれた趣味はジェシカママに似せ、きれい好き、社交、活発、遊び好きはマシューパパに似せました。
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/209.html
亀山ゼミ 輪読 亀山純生『現代日本の「宗教」を問い直す』大月出版2003 2011/05/23 第3章 現代日本の宗教の人間的意義(P83~) 前章まで:近代的宗教観による日本の宗教的伝統の理解は根本的に虚構であった →本章:あらためて日本の宗教の現代的意義を問い、残されたディレンマを解きほぐす 1.宗教の人間的意義への基本視点 フォイエルバッハ 「宗教の人間的意義は、神と関係または合一することによって、欠如する人間的本質(類的関係)を獲得し、諸個人が受苦と悲惨を克服し人間としての主体的振る舞いを確立する点にある」 マルクス 「生活の受苦と悲惨は現実的関係においては対自然・対社会関係において諸個人が抑圧されていることに由来する」 →新しい“実践としての宗教”観へ、現代日本だからこそ注目すべきポイントを示唆 宗教の人間的意義のポイント(P84~) 1.宗教の人間的意義は諸個人の受苦と悲惨の克服にどれだけ応えるかにある 宗教の“絶対真理”などは各宗教で異なり、世界の客観的解釈の次元では虚構 =近代以降の共通理解 *第5章に詳論 宗教の真理性や正しさは諸個人の受苦と悲惨克服の“確実さ”を担保する機能を担っているにすぎない →宗教の人間的意義は教養や世界観の真理性や正しさにあるのではない 2.宗教の意義は諸個人の生における主体性をどう保障するかにある 自己の生の意味と価値に確信を持つことで受苦などが生きる価値に転化し、現実的条件の改変に向かうことも可能に →生の意味と価値づけによる諸個人の主体性の確保が受苦の解決と不可分であり、その前提 宗教が保障する主体性は主観的次元においてであり、客観的にそうかは二の次(亀山 1985) 3.宗教の意義は、諸個人の自己確証の前提として、 喪失・欠如せる類的関係をどう回復・保障するかという点にある ・類的関係とは、人間が個人として存在する前提的な場をなす人間の社会的関係・共同関係 類的関係に諸個人の能力・ふるまい・思想を規定する文化・歴史が担保 人間は類的関係との関わりの中で人間性を獲得、緊張において主体性を自覚する フォイエルバッハ 「神の信仰という仕方で類的本質(人類的知性・道徳・愛)との関係を回復することで自己の主体性や価値を確保する点に宗教の秘密がある」 ⇔従来は個人主義的な近代的宗教観のなかで、もっぱら個人の主体性という点で宗教の意義が語られており、類的関係に関しては無視されてきた →現代のように、家族関係すら崩壊の危機に陥っている状況では、いっそうこの意義が重要 宗教の意義を見る場合の現代的留意点(P86~) 1.宗教の人間的意義は諸個人の現実的状況により異なり、宗教のタイプは多様 「ただ貧しい人間だけが豊かな神をもつ。神は欠乏の感情から発生する」 (フォイエルバッハ 1964上,100,174頁) →諸個人がどんな宗教を信じるかは、 諸個人にとって何が自己ないし人間の力では満たされない欠如と感じているかに依存 ⇒上述の3つの人間的意義すべてを特定の宗教が担うことはまれ それぞれ諸個人の欠如を埋め合わせるという一点において宗教の価値は同等 2.上の視点は現代日本の宗教現象を、多面的に人間的意義をもつものとして分析可能に 従来の宗教論 ・諸個人のリアルな分析より前に、アプリオリに設定された社会の構造的矛盾から宗教現象を解読・評価 宗教を超歴史的な普遍的人間的事象などと強調し現代的特徴をとらえそこなってきた →近代的宗教観に呪縛されていて、宗教の人間的意義をとらえそこなってきた ⇒それぞれのタイプの宗教が現代人のどんな“欠如(感)”を満たすのかを明らかにし、 宗教現象から現代の人間生活の矛盾をいっそうリアルに分析する視点へ 3.人間生活における欠如を回復するのは非宗教的仕方でも可能であるという視点へ ・宗教のみが自己確証に絶対的に応えうるというのは宗教の独善的傲慢 ・逆に、宗教的自己確証を虚偽とし、非宗教的自己確証を真だとみなすのも短絡的 4.宗教と非宗教双方のタイプの本質的差異は何か *4節以降へ 2.現代における人間の窮迫と宗教の意義 様々な関わり方(信の宗教、術の宗教、たしなみとしての宗教、教養文化的関与) 色々な教団のタイプ(世界観型伝統宗教系、霊術型新宗教系、習俗儀礼宗教系、中間的団体) →これらが相互に錯綜し重なり合いながら全体として3つのポイントを満たしている ⇒宗教ニーズの現代的特長の素描を試みながら、宗教の現代的意義を考える “貧・病・争”の解決と生傷の癒し(P89~) 1980年代の“宗教ブーム”以来 “宗教への動機の特徴は”貧・病・争“から”存在の不安“へ(室生1986) “モノは豊かになったがココロは貧しくなった”という現代人像 →近代の二元論的思考様式や近代的宗教観の呪縛による偏見 “形ある”生活苦からの解決や“貧・病・争”は今依然として宗教への基本的動因 ○現代人における“貧・病・争” 貧:80年代から指摘されていた消費構造における階層分化はいっそう進行 例 教育費、一転豪華主義的消費、ホームレスの日常化、金融犯罪の増加 病:誰もがいつでも病気になる不安をもっており、治療の疎遠さと不信感が拍車をかける 例 “文明病”“生活病の常態化”、ストレス社会、医療事故の蔓延、スパゲッティ症候群 争:現代の人間関係のトラブルは身体的受苦と直結する場合が多い 例 児童虐待、DV、ささいな口論から殺傷事件へ、いじめ、競争の敗北による心の傷 →心身不可分の受苦にどう応答するかは宗教のアルファでありオメガである 自己確証・生の意味づけと自分主義(P92~)/ 存在の希薄さ・人格崩壊と“自分”自体の確保(P95~) 現代の宗教に対しては、“形の見える”生活苦のほかに、 “目に見えない”悩みないしは“存在の不安”“生の空疎感”の解消への期待も大きい →しかし、宗教が自己確証・生の意味づけという意義をもつのは現代に固有ではない 例 悪人正機説を説く日本の中世浄土教、「吉崎の嫁脅し」 ⇒現代の宗教が担保する自己確証の形態と特徴とは何か、が重要 ○自己確証という宗教の人間的意義の現代的特徴 1.個性主義ないし“自分主義”という性格 「自分に忠実に生きる」ことを願う80年代の若者が成長 →“本当の自分”“真の私らしさ”を宗教に求める人も増えている 現代の自分主義は、単に集団に対する個の形式的優位をいう従来の個人主義と位相が異なる ・かつての個人主義は、強固な社会システムに対抗することに力点が置かれ、個人の質は問われなかった=私中心主義、欲望自然主義 ・“豊かさ社会”に突入し、対抗すべき共同体が不在。個性は他者との比較において求められるように=差異性をキーワードとする自分主義へ ⇒功利主義的個人主義から表出的個人主義へ(R.ベラー『心の習慣』) 2.“自分”自体の確保 自分主義・“私探し”:“私がある”という前提のうえで本当の自分を問うている ⇔自分意識自体が希薄化し、 今自分があるということにリアリティをもてない青少年の存在が顕著に 例 家出、自殺、感情的に暴発、感覚言語の氾濫、“引きこもり” →根源的な“存在の不安”“生そのものの空虚さ”が蔓延している事態 ・“高慢な教説”や合理的思想には直ちに向かわない ・不安な存在の“固定”、私感覚の確保さらには不安の解消ややすらぎの場、“心の傷”の回復が何より求められる傾向に→“癒し”が現代のキーワードに ⇒宗教にこの欲求の実現を期待する向きも強まっている 見えない抑圧と存在の不安(P97~) 自分意識の希薄化は青少年だけでなく、すべての現代人に通底する ↑この根底には、現代日本の高度消費社会の構造的問題がある ○高度消費社会の構造的問題のポイント 全面的に商品社会に依存することにより、市場の論理が人間生活の全領域に貫徹し、 人間疎外の事態が全面的に進行し、諸個人の内面まで深く蝕んでいる →カネさえあれば努力なしで何でも手に入る受動的なインスタント志向人間の輩出 人間関係も含めて生活のすべてをモノやカネで片をつける風潮を生む →人間を外見で評価する風潮へ、自分の存在を他人のまなざしの中で確認 =「他者志向性」(リースマン『孤独な群衆』)、“まなざし地獄” 人間のモノ化と他者志向は商品社会に生きる人間にとって宿命 →生涯にわたって自己の商品価値を高める努力が強いられる ⇒自己のアイデンティティは他者への視線への過剰適応による“積分的膨張”か、 “微分的極小化”の果てに無化するか、どちらかに 安心できる他者、親密な共同性の希求(P99~) ○現代日本の度を越えた“まなざし地獄”の原因 高度経済成長時代を通して、前近代的な共同体的関係を徹底的に解体したこと 共同体解体のプロセスが急激だったために新たな共同関係を創出する余裕がなかった →“豊かさ社会”=共同関係なき社会 現代人は丸裸で孤独な個人として、巨大な商品社会システムと対峙せざるを得ない =承認を匿名の他者に委ねざるをえない=“まなざし地獄” ⇒親密な他者や共同関係・共同性そのもの(=等身大の類的関係)が強く希求されている →新たなサービス商品化へ 例 企業による老人介護、観光的な“村おこし” =一時的表面的な類的関係の確保でしかない →宗教に等身大の類的関係の実現を期待する傾向も生まれる 等身大の人間関係の宗教的実現の現代的特徴(P101~) 1.宗教的指導者や宗教施設によって、心の癒し・やすらぎを直接に求める傾向 2.教団や宗教ネットワークに仲間、を求め、宗教に共同関係を求める傾向 3.宗教における伝統文化・習俗儀礼への期待 ・個人とシステムの中間にあるべき共同体の再生・復活への期待の現われ →文化的共同性への憧憬という面と大衆消費社会や国家イデオロギーと一体のものとなっている面をもつ ・「不安定な個人が共同性や家族性を作り出そうとする切ない試み」(石井 1999) 例 初詣や七五三へ積極的に参加する若者たち ・個人が選択可能なスタイルの術の宗教や儀礼宗教の方が好まれる ⇒「過去の閉鎖的な共同体と結びついた伝統儀礼や伝統的宗教の復活ではなく、 過去の記憶を手がかりとして個を基本にすえた共同性・つながりの創出の模索」 3つのポイントの相互媒介性と相互浸透性(P103~) 悩みの種や欲求不満は、個々にはいずれ解決可能で主体的に担えるとしても、生活の不安や自己の不安定さの中ではその苦痛は増幅し、しばしば耐え難いものとなるものになる →宗教的願望へ ⇒宗教の人間的意義の3つのポイント(レジュメP1)は相互に媒介浸透しあっている 自己確証や人間的関係の確保という意義も個別的悩みの解消に媒介されてこそ現実的に →世界観宗教などが自己の確立や超越者との関係自体を抽象的に説いても多くの現代人からは押し付けがましい説教、ないしは深遠な哲学として敬遠されかねない(島薗・石井1996) 人間的欲求の媒介性と宗教的実現の多様性(P106~) 宗教の3つの人間的意義の相互媒介関係は、 それに対応する人間の欲求が本質的に相互媒介関係にあることに由来 フォイエルバッハ あらゆる欲求が人間的性格をもつことを明らかに 感性的欲求は社会的文化的刻印を帯びるとともに自己確証への欲求や共同性欲求と不可分 ↓ マズロウ 欲求の5段階モデルによって、生理的欲求・生存に関わる物質的欲求・安全への欲求・社会的承認や他者の承認・自己実現の欲求が人間に本質的であると提起 ↓ ハーロー 代理母の実験によって、マズロウのいう欲求が相補的関係にあることを明らかに 相補関係のバランスが破壊されたときにはそれぞれの欲求自体が異常をきたす 現代人が宗教に関与するのは複合的意義だけでなく、 個々の悩みや欲求の解消・宗教的実現だけから、という場合も多い →それは、そのような人びとが現代の疎外状況と無縁であることや自己の確保・自己実現や類 的関係へのつながりの欲求を持たないことを決して意味しない =非宗教的な仕方での実現を期待していたり、何らかの意味で“自分”が確保されている ⇒重要なのは、特別に意識される欲求(願望)とは、欠如の意識・感覚を前提とするということ ○欠如感を伴う欲求 実現に特別の相当な努力を必要とするか実現が困難なもの 当の本人にとって“重要”ないし“なくてはならないもの”と意識されるもの ⇒生活・人生の目標となりうる欲求であり、しばしばそうなるような欲求 →宗教的願望もこのレベルのもの 何が真の宗教か、真の生き方かは、欲求論から問うことはできない。 「せいぜい可能なのは、 それで人間的基本欲求は満たされているのか、願望は実現されるのか、と問うこと」
https://w.atwiki.jp/a-taro88/pages/12.html
キャラクター紹介 キャラクター紹介 キャラクター 村の住人達 「そうではないもの」たち 「ベース」…まんが日本昔ばなし 「初夢長者」…鬼ヶ島に流れ着いた。鬼たちは小僧を太らせてから食べようと牢屋へ入れて食べ物を与えた。まるまる太っていよいよ食べられるという時、小僧は死ぬ前に鬼の宝物を見せて欲しいといい、鬼から「千里棒」「聞き耳棒」「生き棒」の三つの宝を受け取る。 キャラクター 村の住人達 主人公 幼馴染(18人目) 村長 「そうではないもの」たち 食欲・生理的欲求… ハラグイ 睡眠欲・安全安心の欲求… メイスゥ 色欲、権力欲・愛情や所属の欲求(集団欲・序列欲)… ママゴト 名誉欲・人から認められたいといった(承認)欲求… ドクミ 金銭欲、物欲・理想とする自分になりたいという自己実現の欲求… カブリモノ&モノモライ 村の住人達 1 主人公 性別…不明 容姿… 一人称… 二人称… 三人称… 自分自身… 望んでいること「」 欲求「」 こだわり「」 詳細…生まれつき口のきけない身体。 ストーリー・人物像のモチーフ 「キジも鳴かずば」… 「そうではないもの」たち 人間ではない、そうではない存在の者ども モノノケ・妖怪・アヤカシなど呼称は様々である 異形の姿を持ち人間にはとうてい計り知れない強者であり、この世界の絶対的捕食者。…と人間達は捉えて相容れないものとされているが、 実際のところ捕食行為をするのはごく一部の、それを必要不可欠とするモノノケのみであり、 彼らの生きる術とは人間の持つ欲求に近いものを昇華・達成することである。 「そうではないものたち」とは、人間が持つ欲求を具現化したといえる、欲望そのものであった。 たとえば、捕食行為を行うモノノケは「食欲」を養分としており、何かを飲食する行為で己の欲求を昇華できるためそれを糧としている。 人間が一番美味しいとされるため人喰いをしていたが、別に人間以外でもその欲求は解消される。ただ、人間が美味しかったから捕食しているだけである。 また、金銭欲は金目のものを手にすることで、色欲は性行為をおこなうことで、睡眠欲は眠るだけで欲が満たされることが、彼らにとっての食事である。 彼らにも死はすぐ隣に存在しており、欲が満たされないことは消滅を意味している。 共通して言えることは、欲求の昇華に対してどこまでも盲目であり、ただ1つの目的・意志に基づいて諦めないことである。 また、彼らは「思念体」に近い存在であり、人間の基準や価値観は通じないものとされる。 思念体たるモノノケどもは、人間のように動物のように、実在する・形あるモノではない。ゆえに彼ら は、そう感じ取ったとまさに思い込むような形で疑似 的な感覚を得ている。実感を得ることはありえないのだ。代わりに、欲求を解消・昇華する行為を介してい ることで得た達成感・幸福・快感を蓄積すること が「食事」となっている。 そういった特徴については人間との間に大きな認識の違いが生じているため、さまざまな逸話が彼らの存在を誤解させている要因である。 ・話が通じない・会話できない→「思念体」であるため言葉による会話は成立せず、人間の思考・いわゆる「心の声」を聞いている。 ・人間が主食→ハラグイのように「食欲」にあたる欲求を解消するモノノケ限定のみ、ちなみに人間限定は少ない また思念体であるがゆえに、彼らは個人としての実体を持たずにおり、なんらかの「依り代」として他の動物達に取付く行為を介してでないと消滅してしまう。 そしてその相手が我の強すぎる、一個人として存在が強烈過ぎる対象である場合、逆に相手の存在に取り込まれるようにして消滅ならず同化の道を辿ることとなる ため、モノノケたちはそういった相手を酷く警戒しているのだ。まさに畏怖の自我、その自我に憧れ敬い羨望のまなざしで敬愛するモノノケも存在する。 このことから、モノノケたちを消滅、または昇華する方法がある。 ひとつ ・ 確固たる意志で自分自身の存在を象徴し、モノノケを自ら取り込むこと ふたつ ・ モノノケの存在を否定し、いなかったものとして強く念じ、忘れること みっつ ・ 彼らの存在意義を問い、肯定する事でその欲求を昇華し、ありえないものではなくありえるものとすること 1 ハラグイ 性別…不明・男性的 容姿…黒毛の大きな熊 一人称…これ 二人称…それ 三人称…あちらども 主人公…うまいもの・人間・名前 望んでいること「美味しいモノを腹いっぱい食べたい」 欲求「食欲・生理的」 こだわり「人間として生きる存在のみ食べること」 詳細…小島に住むモノノケどもの頭領にあたる存在。 彼の欲求が叶えやすく成功率や頻度も高いため、自然と一番存在が大きく力も強くなったのでリーダー格とされている。 しかしながら、思考のすべてを食欲を満たすことにつぎ込むため暴走することは少なくない。安楽を良しとするメイスゥや、集団欲からまとめ役となるママゴトのほうが、実質の頭領役にあたるのは自然の成り行きでしかなかった。 今回、主人公を食することを一番心待ちにしており、先んじて食べてしまう恐れがあった。 →人間の寿命と合わせて100歳にあたる数字、100名の「きれいもの」を食べることで自分が人間になる。と、思っているハラグイ。 「きれいもの」たる主人公を食する事で、ちょうど100人目。…という訳でもないが、「きれいもの」はめったに現れない希少価値であるため、人間に憧れている ハラグイにとっては大変貴重な存在。 序盤のうちは主人公を判断するために、体重を毎日測定し、体調管理にも関わり、食事量が少ないと食べ物を届ける、などする。 ゆえに、主人公が「きれいもの」であると認識される言動をすることで、より深く交流を持つこととなってくる。 彼に「美味しく調理」することの大切さとやらを、ドクミから聞いていた事と、様々な思惑から主人公を食べさせることを先送りして、あわよくば自身の欲求を解消したいと考える他のメンバーの薄らぐらい思惑に気付かず、口車に乗せられるくらいには、けっこう鈍感で馬鹿に素直な性格でもある。 ただ、仲間意識も一番強いため、変な所で感が鋭くあなどれない。 自分が美味いものであると認識すると「きれいもの」と呼ぶ。条件としては、五体不満足であろうが病・呪い持ちであろうとも内面も外見も関係なしに「人間として生きている」存在を指す。つまり本人が、自分が人間であることに誇りを持って人生を謳歌し恥じていないほど「きれいもの」とされる。これは、島に流れ着く人間のほとんどが生け贄・供物として扱われ、他人からも自分自身も「人間」と認識出来なくなっているのが多かったからである。また、生きることに希望を持たずに生命を放棄するものもあてはまる。この点については、ドクミ・カブリモノと似通った思想である。 →彼が「人間として生きる人間」を主食とするのは、そうする事で人間に近づけるかもしれない、という根拠のない希望からである。 それは、ハラグイに味覚がないことが要因となっている。思念体たるモノノケどもは、人間のように動物のように、実在する・形あるモノではない。ゆえに彼ら は、そう感じ取ったとまさに思い込むような形で疑似的な感覚を得ている。実感を得ることはありえないのだ。代わりに、欲求を解消・昇華する行為を介してい ることで得た達成感・幸福・快感を蓄積することが「食事」となっている。ハラグイはその疑似的ではなく、人間のようにあらゆるものを食して「美味しい」と 自分の味覚で感じたい、という希望が密やかに深層心理に刻まれていた。カブリモノと似た願いである。 ストーリー・人物像の題材となるもの 「影ワニ」 「猿とどんびき」…外に出ることが叶った主人公は、島のふもとで”つつじ餅”をみつける。通りがかったカエルに助けを求めると、ハラグイにそれを食わすと言い、と助言を受ける。言うとおり、追いついてきたハラグイを騙そうとするも見破られあわや喰われるところに、あのカエルが割り込みハラグイの口に飛び込んだ。餅を喉に詰まらせ依り代を失ったようで、ハラグイはぴくりともしない。主人公には恩があると、カエルは話しその姿は砂になって消えてゆく。カエルの友人だという亀に乗って主人公は島から抜け出し村へ帰りましたとさ。 「上半分下半分」 2 メイスゥ 性別…女性的 容姿…妖孤ときどき亀 一人称…私 二人称…あなた 三人称…あなたたち 望み「安らかに眠ること」 欲求「睡眠欲・安全安楽」 詳細…常に自分の部屋で睡眠をとり、めったに姿を見せることはない。 その実体は、人間が死の淵にあるときに黄泉の国へ踏み込んだ際、その状態にある人間が感じた体験・感情から生まれるある種の幸福感を糧としている。 それゆえに、別名「ハシワタシ」 ストーリー・人物像になるもの 「カメになった爺さん」…外にある井戸の底に亀が住んでいると、夢の中で知る主人公。その通り井戸を覗くとそこの主だという亀に「西の方から五色の雲がたなびいてくるので、それに乗れば極楽浄土へ行ける」と聞き、お告げ通りに飛び込んでみる。すると雲がたなびいてきて主人公はそれに乗ってどこかへ旅立つのであった。 3 ママゴト 性別…両性 容姿…中性的な人間・蛇・カラス 一人称…こちら 二人称…そちら 三人称…彼ら・彼女達 望み「家庭・自分の子供を持つこと」 欲求「愛情や所属・色欲」 詳細… ストーリー・人物像の題材となるもの (日本昔話モチーフ) 「子投げ潮」 「んばろんの話」 4 ドクミ 性別…男性的 容姿…全身に入れ墨・文様のある肌をした少年 一人称…おれ 二人称…おまえ 三人称…あいつら 主人公…君・人間・名前 望み「誰かから認められたいけれども、不必要として消えること」 欲求「名誉・死」 こだわり「価値があると認識されるもののみ、その存在を認める。思い人がいない・なにごとにも無力・諦めている・無関心な対象には興味をもたない 逆に、世間体の評価・人間の基準とは関係なしに、なににどんなどれくらいの価値があるか思いの強さで決めるという、独特の思想を持つ」 詳細… 島のモノノケの中では、まるで下っ端のごとく甲斐甲斐しく雑用や奉仕をしており、主人公の世話係でもある。 全身に独特の迷彩柄が入れ墨のようにある容姿で、比較的人間の少年と同じ体躯をしている。また、白髪で色素の薄い目をもつ。 その正体は島のモノノケ随一に古い存在であり、かなりの長寿。 自身の欲求が「誰かに必要とされること」であるため、その解消方法として名誉欲の強い人間にとりつき身体を奪い、代わりに他者に奉仕行為を行っている。特に自己概念が確立していなく欲求を制限できない子供が対象で、「大人なだめだ。無垢な子供がちょうど良い」と語り、成人間際の子供を狙っている。同じモノノケに対して行った事でも昇華されるため、彼の幼い人間の殻は、ハラグイの非常食・ママゴトの相手・カブリモノ&モノモライの予備・メイスゥの食事(夢見)のかわりとしての役割も担っているため、頻繁にとりつく人間が変わっていた。しかし、何十年はど前に現在の容姿になってからは、その役割がほとんど果たせなくなっている。 _(どの道、モノノケにとってドクミの存在は「あると便利だが、いなくても困らない」という低い関心であるので、あまり欲求は満たされない。 これは、全てのモノノケ・ドクミ自身にもいえることである。) 昔、島に流れ着いた人間の中に現在のドクミの容姿をした子供がいた。非常に衰弱しておりハラグイが味見したところ、「にがい。なにか塗ってある」と言うので、調べてみれば儀式として島流しにあった子供であり、皮膚に刻まれた文様にはモノノケの天敵ともいえる無欲な存在(坊主・悟りを持った者)の骨が刷り込まれていた。さらに有害な毒もあり、それが原因で死にかけていると分かる。子供の話から、生け贄の自分を憐れんだ肉親が喰われる思いをせず死ねるよう毒をもったのが理由とのこと。他のモノノケは子供への関心はとうになくしたが、ドクミだけ子供が秘めている生への執着・死の切望を感じ取り、それを叶えることで自分の欲求が大きく満たされると考え、今に至る。今までは乗っ取る人間に我関せずといった態度であったが、子供の本当の魂は大事に保管しており、ドクミとだけ交流がある状態で、ドクミと子供の間には不思議な関係がつくられており、奇妙な信頼を寄せている。 → 主人公が牢屋に入って間もなく、壁から声がして誰かとなりにいる様子があった。見えない声はなにかと主人公に助言や交流を計らう。 この正体こそドクミの子供の魂であり、またドクミ自身でもある。 ドクミ・子供に信頼され、また主人公も信頼と誠実さを持って交流することで、主人公の末路はおおきく変化する。 主人公の中に「強い感情」を見い出せば、早い時期から「名前」で読んでくれるようになる。 名前については、元々モノノケたちに固有名詞などありはしないが、ドクミにとっては名前こそ存在を確かにするもの、誰かに認識され覚えてもらう=関心を寄せてくれている証拠でもあり、欲求の昇華のひとつであった。とりついた人間にあわせその都度名前を変更していたが、いい加減ややこしいという仲間からの意見と、子供に名前を尋ねられ(これは経験上初めてのこと)自分自身の名前がないことは寂しい、と指摘されていたことから名前探しを始める。子供の体質から他のモノノケにはまずいものに少し耐性ができ、そういったものを識別できるようになったことから「毒味役」を半ば任されることとなり、そこから自分を「ドクミ」と名乗るようになったので、「きれいもの」を識別できる。 ・関係 ハラグイ… ママゴト…子供役を担ったり「行為」を行える唯一の関係だった。ドクミになってからは一切干渉していない。 自分より先に家族のような存在(子供との関係)を手に入れたと、嫉妬のような屈折した感情を向けられている。 メイスゥ… カブリモノ…人間願望のある彼には、子供から得た知識や人間の生態について情報を提供している。 モノモライ… ・ストーリー・人物像となるもの …「水とめの桃」 5 カブリモノ 性別…男性的 容姿…青年・真黒な影のように薄っぺらい 一人称…僕 二人称…おまえ 三人称…彼ら・彼女達 望み「人間になりたいこと」 欲求「理想の存在になりたい自己実現」 詳細…「影」そのものであるがゆえに、彼だけは他のモノノケたちと違ってその足元には影が存在ない。 島に住まうモノノケたちにも成り切ることができるカブリモノは、主人公の前にも度々違う姿で現れ、見分ける術はその「影」の有無で確認するしかない。 →実は、プロローグの時点でカブリモノは村人に紛れた形で主人公に会っている。影のない人物がそうだ。 人間に近付くため人の生活を模索しているというが、実際は自分のための次の「依り代」を物色しており、また新しい「神子」たる存在について調査するた めでもあった。前者については自身の欲求を解消するため。後者については、島のモノノケたちに品定めを任せられているから。といっても、半ば強引にそ の役目を押し付けられた形であり、カブリモノとしては依り代探し次いでといった具合で引き受けていた。 主人公に対する感想は、「もう少し欲があればいいのに」だ。 ・ストーリー・人物像となるもの 「山姫さまと兄妹」… 「大工と鬼六」…夜の声との会話にて「鬼にも名前はある」と聞く。そのとおり、モノノケには(通り名に近いが)存在を示す絶対的な証として「名前」をもっているのだった。思念体たる身を実在させる一番の手。しかし、島に住まうモノノケたちは自分たちの名前を知らないものがほとんどであった。島にいることであまり存在を人間に周知されていないのが原因である。主人公はカブリモノに「皮をくれれば…」「目をくれれば…」と身体の部位を条件に要求されるも、これを無視して自分で課題を成し遂げてゆく。しだいに、なぜかこのやり取りが楽しい?と感じてゆくカブリモノは、「名前をあてれば」と言う。元より本名などない。主人公は、ふと子守唄を思い出してそこから名づけることにした。名前をもった”彼”の足元に影が出来る。 6 モノモライ 性別…両性 容姿…不明・視覚的に存在しない 一人称…俺 二人称…あんた 三人称…こいつら・みんな 望み「誰かの思い入れの強いモノを手に入れること・思い出に残ること」 欲求「物欲・金銭欲・渇望」 詳細… 「すべて金」… 「旅人馬」…ハラグイは美味しくない主人公をどうするかあぐねいたすえに、モノモライから教わった方法で団子を作り食べさせる、と主人公は馬になってしまう。驚いた隙をついて一目散に外へ逃げ出す主人公。モノモライと取引をして元の自分の姿と引き換えに自由を手に入れることとなる。が、そのまま主人公は馬の姿で島でくらしましたとさ。