約 28,521 件
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/214.html
阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊) 第Ⅱ部 日本国憲法の基礎理論 第6章 日本国憲法における統治構造の原理 本文 p.148以下 <目次> ■1.権力分立(権限の分割)一. 日本国憲法における権力分立の全体像[98] (1) 日本国憲法における権力分立のタイプ [98続き] (2) 明治憲法との比較 [99] (3) 権力分立に関する通説的理解 [100] (4) 日本国憲法における権力分立 ニ. 二院制[101] (1) 二院制の意義 [101続き] (2) 二院制の組織原理 ■2.選挙と選挙制度一. 選挙制度原則[102] (1) 権力分立における普通選挙制 [103] (2) 日本国憲法における選挙制 ニ. 代表と選挙方法[104] (1) いくつかの選挙方法 [104続き] (2) 比例代表法 三. 選挙と選挙権[105] (1) 選挙権の法的性質 [106] (2) 多元的な政治的選好 [106続き] (3) 立候補の自由 ■用語集、関連ページ ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 ■1.権力分立(権限の分割) 一. 日本国憲法における権力分立の全体像 [98] (1) 日本国憲法における権力分立のタイプ 国家の統治は、複数の国家機関(憲法上の機関)が様々な権限を別々の作用形式のもとで遂行することによって為される。 ある権限が有効に効果を発生させるには、複数機関の作用形式が順序よく組合わさることを要件とする憲法がある。 これが権力分立(権限の分割)である(⇒[52])。 日本国憲法が権力分立構造を採っていることは自明の如くに論じられてきたが、いずれの作用が相互抑制関係に入っているというのか、探すことは容易ではない。 また、一言で、権力分立といっても、それには様々な原型がる(たとえば、合衆国憲法における権力分立構造について、T. ジュファソンは完全分離論に、J. マディソンは相互作用論によった)。 憲法の教科書は、モンテスキュー理論でさえ正確に理解しないままに、権力分立という言葉だけをドグマ化してきた感すらある。 “日本国憲法は、権力分立構造を採用している”という命題は、“日本国憲法は、○○のタイプの権力分立構造を採用している”と言い換えられねばならない。 そうしない限り、権力分立の理論はドグマのまま語り継がれるだろう。 “□□の論点は、権力分立の中核部分を侵害しない限り、国会の権限に属すると解してよい”などとドグマティークに教科書風に解説されても、読者は何の手掛かりすら与えられないのである。 [98続き] (2) 明治憲法との比較 明治憲法は、三権の行使方法を次のように規定した。 「天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ」(5条) 「国務大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」(55条1項) 「司法権ハ天皇ノ名ニ於テ法律ニ依リ裁判所之ヲ行フ」(57条1項) これは、立憲君主制の明示にとどまり、「権力分立」の採用ではない。 “明治憲法は外見的権力分立を採用した”と称せられることがあるのは、天皇の統一的統治権を不動のものとしながらも、立法、行政、司法の権限行使方法に言及した上記規定に、統治権の区別であるかのような外観が与えられたからである。 これに対して、日本国憲法は次のような関連条文をもっている。 「国会は、・・・・・・唯一の立法機関である」(41条) 「行政権は、内閣に属する」(65条) 「すべて司法権は、最高裁判所・・・・・・に属する」(76条1項) この条文のスタイルは、国家作用を区別したうえでそれぞれ独立させてその担当機関を国会・内閣・裁判所に分離して、各機関にそれぞれの作用を独占的に帰属させる「完全分離」であるかのようにみえる(完全分離論については、既に [53] でふれた)。 完全分離論は、明治憲法での外見的立憲主義を克服するのに好都合だった。 [99] (3) 権力分立に関する通説的理解 そのため、我が国の学説には、少なくとも教科書レヴェルにおいては、フランスやアメリカのような「完全分離/相互作用」、「形式的捉え方/作用別捉え方」の論争はみられない。 おそらく、完全分離論が暗黙の了解事項となってきたのだろう。 権力分立に関する通説的な理解を紹介してみよう。 ある論者はこう述べた。 “権力分立とは、国家の作用を、その性質に応じて、立法・行政・司法の3つに区別し、それらを独立の権限として別個の機関に配分するとともに、互いに抑制し、均衡を保たせることによって、国家の権力を緩和し、もって権力の濫用を防ぎ、個人の自由を守るのがその狙いである”(頭点は阪本)。 完全分離論が我が国の通説らしいことは、“立法権は実体的にも手続的にも国会が独占する”という「国会中心立法」、「国会単独立法」が自明であるかのように語られてきたことに表れる(これらの原則については、後の [109] でふれる)。 内閣の法案提出、裁判所による文面違憲の判断と抵触してくるが、そこは“それらは立法作用ではない”との説明で切り抜けられている。説明にあたって“それらは、実質的意味の立法作用ではない”といわれると、人々は実質的に納得した気になってしまうのだ。ところが、そう説明しても、他の国家機関が立法手続に関与していることに違いはない。そこに完全分離説の綻びがくっきりと現れているのだ。 通説のもうひとつの綻びは、「独立の権限として別個の機関に配分」された統治構造のなかでは、それぞれの機関が相互に抑制しようにもしようがないのではないか、という点にも現れた(この欠陥については、既に [53] でふれた)。この欠陥は、「権力の濫用を防ぎ、個人の自由を守る」という誰もが納得する機能に言及することで覆い隠された。 [100] (4) 日本国憲法における権力分立 日本国憲法が権力分立によって「抑制と均衡」を図ろうとしている明文の規定は、二院制(42条)、地方自治(第8章)である(会計検査院による決算検査(90条)は、権力配分に関わらないから、ここに挙げないほうがいいだろう)。 内閣が条約を締結し、国会がこれを承認することも(73条3号)、権力分立の明文の表れである。 また、予算を内閣が編成・提案し、国会がこれを審議し議決することも同様である(86条)。 81条の司法審査制は、そのなかでも特別に重要で、国会が制定した法律を審査するだけでなく、内閣が制定した政令、行政庁による処分までをも、あくまで法の問題として審査し、司法府と他の二権との「抑制と均衡」を図るのである。 抑制と均衡の例としてよく言及される、国会の召集、衆議院の解散については、直接の明文規定はない(7条3号は権力とは関係のない国事行為に関する規定である。解散や召集についての論議は、先の [87] でふれた)。 今日の権力分立において無視できない政党の働きは、日本国憲法において何の言及もない(この点については、先の [57] でふれた)。 さて、権力分立にとって中核部分であるはずの、立法・行政・司法という国家作用は、国会、内閣、裁判所にどのように分配されているのか? 関連の条文は、先に引用したとおりである。 そして通説の理解が、完全分離論に影響されてきたことも、上に論じたとおりである。 完全分離論で説明し切れないことは、次の例でよく理解できるだろう(下にふれる例以外にも多数ある)。 第一は、 法律の制定である。内閣の発案した法律案Aが、衆議院で審議可決された後、参議院に送付され、参議院では異なる議決となったため、参議院から衆議院に返付されたところ、衆議院によって再議決されると(59条2項)、これに主任大臣が署名する(74条)、という一連の流れこそ、「抑制と均衡」の狙いのはずである。 第二は、 法律の執行である。73条1号の文理からすれば、“国会の制定した法律を、内閣が誠実に執行する”と読める。が、内閣は法律を執行する行政機関ではなく、執政の機関であり、行政機関に法律を執行させ、これを監督するのである(⇒[134]。この監督は、内閣法においては「統轄」と称される)。さらに国会が、行政機関を監督する内閣を監督するのだ。国会は、立法の執行段階に対しても一定の権限を持っているわけだ。完全分離論によったとき、国会のこの監督は、何であるといわれるのだろうか?その解が“民主的コントロール”である。“民主的コントロール”という表現は、機能を表すにとどまり、これが権力分立論として有意になるにはコントロールのための権限を摘示するものでなければならない。完全分離論は「立法/執行」が別個独立のものだと捉えたために、両者の抑制関係を権限で表すことが出来ず、機能論で応えたのだろう。 日本国憲法の権力分立構造は、相互作用(権限の分割)論によっている。 もっとも、その相互作用の具体的な姿は、比較憲法的にみて特異である。 まず、立法府と執政府との関係については、日本国憲法は、その二元的対立を避けるためにアメリカ的大統領制(厳格な分離型)によらなかった。 国会と内閣との間に統治方針の一致原則をもたらそうとしたのだ。 これが、議院内閣制の構造の狙いである(⇒[60])。 連携と反発の関係をもつ議院内閣制は、完全分離論ではますます捉え切れないはずである。 “日本国憲法は議院内閣制を採用した”と、これまでよくいわれてきた。 その議院内閣制として念頭に置かれていたのは、イギリス型の「議会中心の統治」のことだった。 このことは、41条が「国会は、国権の最高機関であつて、・・・・・・」としている部分に表れているといわれる。 が、それは、内閣主導の統治を否定する法的意味まで持ってはいないのだろう(だからこそ、後の [108] でふれるように、「最高機関」とは政治的美称だ、といわれるのである)。 ニ. 二院制 [101] (1) 二院制の意義 二院制は、政治的実践のなかで成立したものであったために、これを理論的に正当化することは容易ではなかった。 フランスにあっては、一般意思が単一でなければならない以上、それを代表する議会も単一でなければならないはずだ、という理論のほうが強い影響を持った。 《二院制の存在理由は「議会の専制」を抑制することにあり》という権力分立の観点を説いたのがモンテスキューだった(彼の権力分立論における重要ポイントが二院制にあってことにつては、[52] で既にふれた)。 二院制とは、議会(国会)という機関をふたつの合議体に分割することではない。 二院制とは、組織原理を異にし議事ルールをも異にする、ふたつの独立自足的な審議体が憲法上の機関として存在することをいう。 ふたつの独立機関がそれぞれの議事ルールに従って意思の合致をみたとき、議会(国会)の決定事項とされることが二院制の真の姿なのだ(議会とは、両院が有している立法権を含めた諸権限を共同行使する際に浮かび上がる観念体に過ぎない)。 それぞれの独立機関として重要な権限が、法律制定にあたって審議し可決する権限である。 もっとも、二院制が、相互抑制・均衡のメカニズムを発揮するには、両院が同質の審議可決権限を持たないことが望ましい。 一院が法律案を提案する権限を持ち、他院が審議し可決したとき、一院がそれをそれを阻止する、というように、一院には提案権と拒否権とを与えるにとどめる、という方法こそ、二院制の当初の構想に忠実である。 日本国憲法において、国会の意思は、59条に定められている法律案の議決手続にみられるように、両者の意思の合致をもって成立することを原則とし、例外的に、衆議院が特性の審議事項について優越的な地位に置かれることがる(衆議院の優越)。 これは、二院に同類の審議権限を与えないための工夫である。 [101続き] (2) 二院制の組織原理 それぞれの院が、権限において異なるためには、その組織原理を違えておくことも重要な視点である。 そのためには、 (ア) 一院を直接選挙としながら、他院については、間接選挙型、任命型または貴族型とするが如く、選出方法を変える、 (イ) 一院を全国民代表、他院については、職能代表または連邦制下での州代表とするが如く、選出の母体・利益を変える、 (ウ) 被選挙権資格、任期、選出方法を違える 等々、さまざまに工夫される。 二院制を採用した明治憲法は、衆議院を公選制とし(35条)、貴族院を貴族院令の定めるところにより皇族、華族および勅任議員によって構成させた。 貴族院の存在理由は、“社会の上層の地位の代表機関とすること”にあった。 一院を非公選院とした明治憲法下の二院制は、通常、「保守的二院制」と呼ばれている。 日本国憲法も「国会は、衆議院及び参議院の両議院でこれを構成する」(42条)「法律案は・・・・・・両議院で可決したとき法律となる」(59条1項)と定め、二院制によることを明らかにしている。 現行の二院制は、いずれかの院が国民を代表するのではなく、両院ともに国民を代表し、両者の意思の合致をもって国会の決定事項とする、とするための制度である。 そのことは、「両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する」と定める43条に覗える。 この二院制は、双方ともに公選院であるところから、通常、「民主的ニ院制」と呼ばれる。 議員の任期に関して、日本国憲法は、衆議院4年(45条)、参議院6年(46条)と定め、両議院議員の兼職を禁止する(48条)等、二院制に相応しい条件を幾つか取り入れている。 ■2.選挙と選挙制度 一. 選挙制度原則 [102] (1) 権力分立における普通選挙制 選挙人(有権者)によって代表者を選出する行為を「選挙」という。 選挙制度の選択は、民主制にとってだけでなく、権力分立や二院制にとっても、重要である。 議会(国会)における少なくとも一院が、かつての身分制代表のように出自によって選出されるのではなく、選挙人資格を有する者すべてによる自由で平等な投票によって選出されたとき、議会中心の統治が実現したのである(⇒[64])。 選挙人資格を財産、身分や教養によって制限することのない普通選挙制の実現したことが、権力分立の構造を変容させたことについては既に [56] でふれた。 国民主権または民主制のもとでの権力分立の全体像は、統治部門における抑制・均衡だけをみたのでは把握できないのだ。 統治部門における抑制・均衡は、定期的な選挙(または解散に伴う選挙)の際投票者によって修復されるのである。 選挙制度の全体は法律によって描かれるが、選挙法制が「憲法附属法」とか「実質的意味の憲法」と呼ばれることがあるのは、こうした重要度を示している。 普通選挙制は、選挙人資格について実質的な考慮事項を原則として排除するところに成立した。 制限選挙制のもとでは、国家にどれほど貢献できるか(貢献したか)という実質が要求された。 たとえば、兵役期間、納税額、識字能力のように。 普通選挙制にとって本質的な要素は、国籍と最低年齢だけに限られてきた(最近では、国籍すら本質的要素ではない、という主張すらみられてきている)。 [103] (2) 日本国憲法における選挙制 日本国憲法15条に、成年者による普通選挙制(3項)、秘密投票の保障(4項)の定めがあるものの、44条は、その但書きにおいて「人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によって差別してはならない」という条件のもとで、選挙人資格を法律の定めに委任している。 そればかりでなく、47条は「選挙区、投票の方法その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」と選挙に関する大綱をも法律に委任している。 こうしたやり方は、諸外国の憲法でもよくみられる(たとえば、ドイツ基本法38条は、普通・直接・自由・平等選挙制と秘密の投票保障を(1項)、18歳の選挙権年齢・20歳の被選挙権年齢を(2項)定めるほか、3項において「詳細は連邦律で定める」としている)。 これは、“選挙法の内容形成を議会に委ねている”と表現されることがある。 それだけ選挙法制の技術的・専門的な領域は、大綱を定める憲法の規律領域ではない、と考えられているのである。 平等選挙制は“一人が一票もつ制度だ”といわれ、選挙人に与えられる票数に格差を設けるものは「差等選挙制」と対照されてきた。 が、比例代表制の導入後は、一人一票の定義は微妙となった。 比例代表制のもとでの政党への一票と、選挙区における候補者に対する一票の、二票を各選挙人が持つからだ(公選法36条の但書きを参照すると、そのことがよく分かる)。 選挙人資格の保有者が全員それぞれ同じ票数をもつ制度の論拠は、14条の平等条項であるのか、44条の但書きであるのか、はたまた、両者の合わせ業であるのか、定説はないようだ。 この論点は、14条の平等概念を、形式的平等と捉えるか、それとも、実質的平等と捉えるか(*注1)にかかっている。 もし、14条の平等が、《各人の違いに応じて合理的に処遇せよ》といっているのであれば、資格付与にあたって、実質的な要素を勘案してもよいことになる(※注釈:配分的正義)。 平等選挙制にいう「一人一票」は、これではない。 なぜなら、「一人一票」は、《選挙人有権者の投じた票は、誰のものであれ、一票として数えられる》という形式的な平等概念によっているからだ。 《何人もひとりとして数えられ、それ以上には数えられない》という形式的平等観に最も近いのは、上に引用した44条但書きだろう(※注釈:交換的正義)。 直接選挙制とは、選挙人の投票を以って代表者の選出にとって最終決定とする制度をいう。 選挙人が特定数の中間選挙人を選出し、その中間選挙人の選挙によって公職就任者が選出される制度を「間接選挙制」という。 被選議員によって構成される合議機関が別の議員を選出する制度を「複選制」という。 自由選挙制とは、選挙人の意思決定に対して直接または間接の圧力をかけることのない制度をいう。 自由選挙制を担保するためには、選挙人の投票内容が直接・間接の圧力によって開示されることがあってはならない。 投票内容が第三者には判明しないよう工夫された投票方法を「秘密投票」という。 日本国憲法15条4項は、公私にわたって責任を問われない、と秘密保護の範囲を列挙している。 これを受けて公選法は、「何人も、選挙人の投票した被選挙人の氏名又は政党その他の政治団体の名称若しくは略称を陳述する義務はない」(52条)、「投票用紙には、選挙人の氏名を記載してはならない」(46条4項)と定めている。 (*注1)「形式的平等/実質的平等」について形式的平等や実質的平等が何を指すのか自体について、定見がない。この点については、『憲法2 基本権クラシック』 [40] を参照願う。(※注釈:阪本氏の理解では、①形式的平等→交換的正義(応報的正義、算術的正義)、②実質的平等→配分的正義(幾何学的正義)となっている) ニ. 代表と選挙方法 [104] (1) いくつかの選挙方法 選挙制の原則と並んで、代議制にとって重要なポイントが、“選挙区をどう設定し、そこにおいて誰を当選人とするか”という選択である。 その選択は、議会には多数派の政治的選好を反映させるべきか、それとも、少数者のそれをも反映させるべきか、という代表方法と絡んでいる。 選挙区の多数が票を投じた候補者こそ当選者とされるべきだ、という代表選出方法を「多数代表法」という。 これは、“代表機関は多数者の政治的選好を反映すべきものだ”という思想を基礎にしている。 大選挙区制のもとでの連記投票制や小選挙区制がこれにあたる。 ところが、これによれば多数派が代表機関を独占するおそれが生ずるため、少数派もまた代表を送りこめる方策が模索される。 この“少数者も代表されるべし”という考えのもとでとられる方策を「少数代表法」といい、典型的には、大選挙区制のもとでの単記制がこれにあたる。 もっとも、この方法によっても必ずしも少数派が代表を送り出せるわけではなく、立候補者の数や政党の投票獲得キャンペーン等の外的要素も大きく影響する。 [104続き] (2) 比例代表法 19世紀後半からヨーロッパ各国で実施されてきた比例代表制は、多数派・少数派に各々その勢力に比例した代表数を確保しようとする工夫である。 比例代表法の基本的特徴は、 (ア) 当選に必要な標準票数(当選基数)が一定されること(その方法も様々であって、採用頻度の高いものがドント式である)、 (イ) 当選基数を超える得票が他の候補者に移譲されること、 この二点にある。 比例代表法は、移譲の方式によって、単記移譲式比例代表法と、名簿式比例代表法とに大別される。 単記移譲式比例代表法は、大選挙区制のもとでの単記投票で、当選基数を超えた残余の得票が選挙人の指定する順序に従って移譲される方式をいう。 名簿式比例代表法は、政党の作成した候補者名簿に対して選挙人が投票し、投票の移譲は名簿上の候補者内で為される方法をいう。 この方法には、さらにふたつがある。 ひとつは、政党の決定した候補者名簿の順位が絶対的に優先する厳正拘束名簿式と、他のひとつは、同一名簿上での候補者順位について選挙人の選択の余地を認める単純拘束名簿式である。 我が国の衆議院の比例代表選挙で採用されている方式は、厳正拘束名簿式であり、当選者の決定はドント式によるものとされている(公選法95条の2)。 参議院の比例代表選挙においては非拘束名簿式が採用されている。 多数ある選挙方法のうち、いずれを選択するかは国会の裁量に委ねられている(最大判昭51.4.14民集30巻3号223頁。以来、一貫した最高裁判例の見解)。 三. 選挙と選挙権 [105] (1) 選挙権の法的性質 先の [4] で指摘したように、我が国の憲法学説は、ドイツ流の国家法人説の影響を受けてきた。 国家法人説のもとで、選挙権の法的分析をしたのがG. イェリネックだった(*注2)。 (※注釈 公務説 ) 我が国の通説は、国家を法人だとは捉えない方向を示しているにもかかわらず、選挙に関しては、イェリネックと同じように、“国民が有権者団(選挙人団)という国家機関を作り上げるのだ”と捉えている。この観点からすれば、「選挙権」とは、選挙人団の構成員となるための資格を求める権利(選挙人資格請求権=選挙人名簿への登載を求める権利)だと特徴づけられる。この資格は、国家という法人の構成員であるが故に認められるのであるから、国籍保有者に限定されるのが当然だ、ということにもなる。上の意味での選挙権が主観的権利であるのに対して、選挙権保有者が有権者団として行動する選挙は、国家機関としての活動であるから、公的行為であって権利ではない、と説明される。これは「公務説」と呼ばれることがある。さらに、日常の用語では相互互換的に用いられる「選挙・投票」は、この説に従って厳密にいうなら、同じではなく、《選挙における個々の選挙人が意思を表示する際の方法を、投票という》のである。上の考え方をまとめると、《選挙人団の行為は、国家機関としての公務であるのに対して、選挙人資格請求権という選挙権は、主観的権利である。また、各選挙人が選挙の際に投票箱に用紙を投函する行為を投票という》という図式となる。イェリネックにみられた、〔公務+主観的権利=選挙〕という理解は、「二元説」と呼ばれることがある。もっとも、我が国の通説である「選挙権に関するニ元説」は、《選挙権は選挙人団という機関の公務でるとともに、「参政の権利」としての主観的権利でもある》という主張であることには、留意を要する。 (※注釈 権利説 ) この通説に対して、国家法人説をはっきりと拒絶する有力説は、“選挙権は主観的な権利だ”と一元説にでる。この立場は「権利説」と呼ばれている。権利説のなかにも、様々な分岐がみられ、自然権だというもの、主権者として市民が持つ不可譲の権利だ、というもの等々一定しない。ただ、権利説に共通する狙いは、 (ア) 選挙人資格と国籍とを当然のごとく関連させてきた古典的な発想に反省を迫ろうとする点、 (イ) 選挙権・被選挙権の欠格事由(*注3)を必要最小限に限定しようとする点、 (ウ) 選挙権を個人の自由な処分に委ね、自由選挙制を徹底させようとする点、 等にあるのだろう。確かに、選挙が有権者団の行為であると解すれば、“日本国籍を有する者だけが資格を有する”“選挙または投票は国民の義務である”と説かれ易い(ベルギー憲法62条は、投票は義務である、と述べている)。この点、権利説によれば、“地方自治レヴェルでの選挙においては、日本に定住する外国人も有資格者としてよい”、とか、“棄権も自由だ”と主張しやすい(*注4)。 (*注2)イェリネックの地位の理論について『憲法2 基本権クラシック』 [18] 頁を参照願う。 (*注3)選挙権・被選挙権の欠格事由について公職選挙法11条は、成人被後見人、禁固以上の刑に処せられた者や一定種の選挙犯罪人を「選挙権及び被選挙権を有しない」と定めている。 (*注4)外国人の選挙権について『憲法2 基本権クラシック』 [26] 頁を参照願う。 [106] (2) 多元的な政治的選好 《国民が有権者団となって政治的意思を統一的に形成する》という説明の仕方には、次のような欠陥がある。 第一は、 国民が実在するものと想定している点である。国民が統一的意思をもつはずはないのだ(⇒[37])。統一的意思という言い方はあくまで擬制だと受け容れるとしても、国家法人説的発想自体も擬制である。こうしてみると、上の命題は二重の擬制の上に成立しており、実にリスキーな考えである。 第二は、 選挙区制のもとで実行される選挙が統一的意思を生み出すはずはないという点である。 第三に、 秘密投票制のもとで、投票内容について責任を問われない選挙が、国家機関の公的意思を創り出すとは考え難い。秘密投票のもとで投票者の動機づけは、自己利益を促進することにあるだろう。 選挙人は統一的国家意思の法上の単位ではない。 選挙人は、それぞれの政治的選好をもった、求心性を欠く個別の存在である。 その人物が、個別に投票(通常は秘密投票)した後、有効投票の多数を得た者が、法上の効果として、代表者として扱われるのである。 このことを“主権者による政治的統一意思の表示である”と語ることは、大仰な擬制である。 選挙とは、代表者(リーダー)からみれば選挙人の投票の獲得を目指して競争する過程である。 またこれを投票者からみれば、その競争過程の最終段階において、代表者を選択する行為である(⇒[27])。 これが私の選挙の見方である。 これは、《選挙権とは、統治される者が代表者を選出したりしなかったりするための主観的利益だ》といいたいのである。 [106続き] (3) 立候補の自由 民主制の意義については、先の [27] でふれた際、《選挙における候補者が政治サービスの生産者であり、有権者がそのサービスの消費者である》という見方について私はふれた。 この生産と消費の連鎖が円滑に機能するためには、まず、生産者側の自由がなければならない。 その自由が「立候補の自由(*注5)」である。 もっとも、日本国憲法はこの自由について何も語っていない。 学説は、この自由の憲法上の根拠として、13条の幸福復追求権を挙げるもの、14条1項の政治的関係における平等処遇を挙げるもの等、様々である。 (*注5)連座制と立候補の自由について公職選挙法は、選挙運動総括主宰者等が買収等の選挙犯罪について有罪判決が確定されれば、当選人の当選無効のみならず、判決確定から5年間の立候補を禁止する「連座制」を採用している。この連座制は現在では秘書にまで拡大されている。最高裁は、いずれの連座制も、選挙の公明、適正を実現する合理的な目的を持っており手段として必要かつ合理的である、との合憲判断に出ている。最1小判平8.7.18判時1580号92頁(県会議員選挙)、最3小判平10.11.17判時1662号74頁(衆議院議員選挙)。 ※以上で、この章の本文終了。 ※全体目次は阪本昌成『憲法1 国制クラシック 全訂第三版』(2011年刊)へ。 ■用語集、関連ページ 阪本昌成『憲法理論Ⅰ 第三版』(1999年刊) 第一部 第十章 権限・機関の区別(「権力分立」)論 ■要約・解説・研究ノート ■ご意見、情報提供 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/rekisinidokiri/pages/13.html
概要 藤原道長 藤原道長は平安時代の貴族であり中臣鎌足(藤原鎌足)の子孫。娘を天皇と結婚させ権力を持った。摂政・関白という役職になり天皇を補佐する政治体制摂関政治を行った。 無欠望我こ しけ月がの とたの世世 思る とを へこ ぞば ばと 思 も ふ ドキリ★ソング 貴族の政治とくらし (平安!)貴族 大きな屋敷 (平安!)貴族 ぜいたくなくらし (平安!)貴族 すごい力を持っていた (藤原 藤原 藤原道長)この世の中は 私のモノ (藤原 藤原 藤原道長)満月のように光かがやく 大きな権力(権力を) つかむには(つかむには) 娘を帝と結婚(結婚) 自分と帝は親戚(親戚) 息子を帝の補佐にして(補佐?!) 一族で国を動かした (すごいぜ!道長!) 道長 道長 平安貴族の ナンバーワン!(ナンバーワン!) 年号語呂合わせ 人の輪を広げて(1016)天皇と親戚に 道長摂政となる
https://w.atwiki.jp/utamede/pages/23.html
メガテンのパクリ、ですって? しーっ。言っちゃいけません。 LAW-NEUTRAL ルーンミッドガル王朝:主神の権力の絶対化。 LAW-LIGHT ルーンミッドガル正教会:主神の権力の絶対化。ルーンミッドガル内での覇権強化。 LAW-DARK コルネリオス・ファルツ侯爵:主神の権力の絶対化。自らが覇権を握る。 CHAOS-NEUTRAL マルグレーテ・トリエル公爵:現状維持。自然主義。 CHAOS-LIGHT アガレス達知恵の七柱:古代神穏健派。あらゆる価値観の併存する世界。 CHAOS-DARK フォモール達:古代神強硬派の加護による主神の打倒。 NEUTRAL-NEUTRAL ゲフェン市民議会:ルーンミッドガル全体の力の維持。 NEUTRAL-LIGHT オットー・ザクセン侯爵:現状維持からのゆっくりとした変革。啓蒙君主。 NEUTRAL-DARK ルドルフ・ブランデンブルク辺境伯爵:主神側と邪神側の同士討ちの後、自らの覇権を確立し、独立する。 注釈 どの軸も、所詮「それぞれの立場」を表したものに過ぎず、どれが正しくてどれが間違っているかという価値基準によって判別したものではありません。
https://w.atwiki.jp/asoudetekoiq/pages/352.html
P8・貧困者末端会議 お金がない。 あなたのいま生きているそこが、世界の中心である。 私たちは、このつながりを手放さない。 G8のバカ騒ぎが私たちの上を通過して、あの暑い夏を忘れようとしていたころ、思い出させる事件がおきた。 麻生よ、タコ私服よ、ありがとう。 おかげで、貧乏人であることを、何かあると真っ先に排除される存在であること、かけがいのない仲間がいることを、再び思い出すことが出来た。 あのときに、私たちがなにに動かされていたのかを、何者に監視されていたのかを、何を見つめていたのかを、なによりも権力の感触を、思い出すことができた。 あの日、不当に連行されたもの、それを目撃したもの、それを応援するものは、世界の中心、最前線にいることが、わかる。 権力が、何を恐れているのかはしらないが、権力のマチガイによって、私たちのつながりは、より強固になってゆくことは確かだ。 http //d.hatena.ne.jp/nagoya_p_net/
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/36904.html
【検索用 くやしいのうくやしいのう 登録タグ 2017年 VOCALOID く ほぼ日P 初音ミク 曲 曲か 結月ゆかり】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:ほぼ日P 作曲:ほぼ日P 編曲:ほぼ日P 唄:初音ミク・結月ゆかり 曲紹介 アベ政権の度重なる言論への圧力に憤りを抑えきれなくなったので曲にしてみました。 ヘイトを垂れ流すヤツらを吊せ! 自由な言論を封じようとする権力にNOを! 私たち市民一人ひとりの声が大きなうねりとなって来るべき理想社会への一歩を築き上げるものと信じています。 曲名:『くやしいのう くやしいのう』 ほぼ日Pの第391曲目。 9月19日に菅野完のTwitterアカウント(@noiehoie)が永久凍結されたのが元ネタ(→まとめ)。それに野党のゴタゴタぷりを合わせてネタにしている。 歌詞 (動画より書き起こし) くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう 本当にくやしいのう ×2 ヘイト垂れ流しとか許せないってんで抗議に行ったのよ へぇどこに? ツイッターの日本法人 「NO HATE」ってプラカード持って はぁ 差別ツイートを野放しにするなって 歩道に敷き詰めて 踏んだのか? 踏みつけてやったその結果なぜか 仲間のアカウントが永久凍結 くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう 本当にくやしいのう ×2 発言の機会ごと剥奪しておいて 理由も示されず 聞いてみた? 聞いたけど理由は一切何一つ開示してもらえない はぁ 曲がりなりにも言論プラットフォームとしての自覚はあるのか? ないでしょう 発言に何ら問題はない 言論封殺 忍び寄る軍靴の音 くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう 本当にくやしいのう ×2 権力の横暴と陰謀論 戦争のできる普通の国 聞こえてくるファシズムの足音 全体主義へと引かれたレール 政府の圧力と治安維持 あからさまな言論弾圧 権力者への過剰な忖度 どうなってる? 責任者出て来い モリカケの問題を徹底追求 改憲は許さない どうやって? 権力と戦うヒーロー 籠池や前川を仕立て上げ はぁ お茶の間のヒーローを編集でぐっと掴んで 支持率ダダ下がり してやったり 退陣・解散に追い込めたはずが 閉会中審査 のらりくらり逃げられた くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう 本当にくやしいのう ×2 頼みの綱の野党の体たらく 一気呵成攻めるはずが 機を逃すな ジャンヌ・ダルクは強弁の言い逃れが 辻褄合わなくなって遁走 はぁ 舌鋒鋭い幹事長候補は 「不倫バレたニッポン死ね」 死ね死ね死ね 弱りきったタイミング見計らって大義なき 「どうして解散するんですか?」 くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう 本当にくやしいのう ×2 権力の横暴と陰謀論 戦争のできる普通の国 聞こえてくるファシズムの足音 全体主義へと引かれたレール 政府の圧力と治安維持 あからさまな言論弾圧 権力者への過剰な忖度 どうなってる? 責任者出て来い くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう くやしいのう 本当にくやしいのう ×2 くやしいのう コメント はだしのゲン? -- 名無しさん (2017-11-03 17 04 26) あほくさ -- 名無しさん (2024-07-20 20 41 32) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/asoudetekoiq/pages/478.html
弓削光彦 白昼堂々、警察による暴行拉致監禁にさらされた仲間は、身をもって政府権力の傲慢さを体現しているのだ。この権力 による横暴を、私たちは断固として糾弾しなければならない。 私たちは絶対に許さない。
https://w.atwiki.jp/hymm01/pages/104.html
/ズウィーグ ※アルファ律(EOLIA属) [名詞] 1.権力, 権限 2.1から転じて(権力の)奪い合い, 諍い [EXEC_CHRONICLE_KEY/.] 『Z』の一覧へ
https://w.atwiki.jp/ochiwiki/pages/533.html
採用情報 2010年度採用は終了しました。 ・新卒採用 >事業紹介 口演会・出前落語・美化活動etc. >施設紹介 合宿所 工学部にある共同合宿施設 工部室 設備充実度は校内No.1を自負する自慢の施設。 農部室 最大収容量20人程度の中規模施設。 第三会議室 落語稽古部屋その2。 第五会議室 落語稽古部屋その1。 専用プール 4号館前にある共同プール施設。ほぼ落研で独占使用しています。 >職種紹介 会長 落研最高権力者たる落研の象徴。その権力は絶対。あらゆる最終決定権を持つとされる。 副会長 仕事も権力も全くないお飾り職の異名を持つ。しかし優秀な副会長は会長の代わりを務めることもあるため、ニートから参謀まで幅広い職種をカバーしている。 会計 落研の財務大臣。合宿費用の決定権を持ち、部費等の徴収も行う。滞納者に対してはあらゆる権力の行使が許可されている。時としてそれは直接的な経済制裁へと変貌を遂げ、まれに部員は貧困の余り死亡する。 渉外 落研の外務大臣。部費以外の唯一の収入源である出前を管理・統轄する。優秀な渉外がいる代では出前特需により景気良くなり合宿費が下がる。しかしながら優秀すぎるとブリーフ一丁で人前に出て即席コントを演じさせられる挙句、無料という人間の尊厳を冒涜するような出前まで引き受けてくるまさしく障害に成りかねない。なお出前における演者決定権を持ち、その場合あらゆる権力の行使が許可されているため、部員のプライベートを無条件に差し押さえる。この命令は絶対であり例え親の死に目であろうとも拒否することは許されない。 寄席文字er 落研の修行僧。ただひたすらに寄席文字を書き続けるその姿はまさに現世の生き仏。自然と人々は彼らにお布施と言う名の夜食を届ける。落研人からそのひたむきな姿に無償の尊敬の眼差しが向けられる。あまりの忙しさに本当に仏になってしまう部員が後を絶たない。 工部総務 工学部におけるサ代会の代理人。工部室の存続や大学内での落研の立ち回りを任されている。サ代会への欠席は工部総務の死を意味していると同時に落研工部組の壊滅を意味している。 農部総務 農学部におけるサ代会の代理人。農部室の存続や大学内での落研の立ち回りを任されている。サ代会への欠席は農部総務の死を意味していると同時に落研の廃部を意味している。 部室管理人 部室に常に滞在し、清掃等を行う人の事。学業を放棄している、もしくはそういった概念から解放されている。 >募集要項 Now constracting ・キャリア採用 Now constracting 2010年度の採用活動は終了しました。
https://w.atwiki.jp/intelljp/pages/19.html
トルクメニスタン憲法 第1編 憲法体制の基盤 第3条 トルクメニスタンにおいて、社会及び国家の最高の価値は、人間である。 国家は、各市民の前に責任を負い、個人の自由な発展のための条件の創出を保障し、市民の生命、名誉、尊厳及び自由、身体の不可侵性、自然かつ生得の権利を擁護する。 そして、市民は、憲法及び法律により委任された義務の執行に対して、国家の前に責任を負う。 第7条 トルクメニスタンは、独自の市民権を有する。市民権は、法に従い、取得、保持及び喪失される。 トルクメニスタン市民に対しては、他の国家の市民権は認められない。 何人も、市民権又は市民権を変更する権利を奪われることはない。トルクメニスタン市民は、他の国家に引き渡されるか若しくはトルクメニスタンから追放され、又は祖国に帰国する権利において制限されることはない。 トルクメニスタン市民には、トルクメニスタン領土、並びにその国外において、国家の擁護と庇護が保証される。 第8条 外国市民及び無国籍者は、法に別段の定めがない限り、トルクメニスタン市民の権利と自由を享受する。 トルクメニスタンは、政治、民族又は宗教的信条に対して、自国において迫害される外国市民に庇護の権利を賦与する。 第12条 国家主権と安全の擁護の目的において、トルクメニスタンは、自国軍を有する。 第13条 トルクメニスタンの国語は、トルクメン語である。全ての市民には、母国語の利用の権利が保証される。 第14条 主権国家としてのトルクメニスタンの象徴は、その国旗、国章、国歌である。 国旗、国章、国歌は、法により制定及び保護される。 第15条 トルクメニスタンの首都は、アシハバード市である。 第2編 人間及び市民の基本的権利、自由及び義務 第17条 トルクメニスタンは、民族、出自、財産及び職務上の地位、居住地、言語、宗教関係、政治的信条、政党所属に拘らず、市民の権利と自由の平等、並びに法の前の市民の平等を保証する。 第18条 トルクメニスタンにおける男女は、平等の市民的権利を有する。性別の徴候による同権の侵害は、法により責任を招来する。 第20条 トルクメニスタンにおける人間は、生存権及びその行使の自由を有する。何人も、生存権を奪われることはない。自由な生活に対する各人の権利は、法に基づき、国家が保護する。 死刑は、トルクメニスタンにおいて完全に廃止され、初代トルクメニスタン大統領大サパルムラト・トゥルクメンバシにより永遠に禁止された。 第26条 トルクメニスタン市民は、信条の自由及びその自由な表現、並びに国家、職務又は商業秘密でない限り、情報入手に対する権利を有する。 第27条 法令により定められた秩序において、集会、ミーティング、デモの自由が保証される。 第29条 各市民は、直接、並びにその自由に選出された代表を通して、社会及び国家の問題の統制に参加する権利を有する。 第30条 市民は、国家権力機関の選挙権と被選挙権を有する。 トルクメニスタン市民のみが、その能力、職業訓練に従い、国務へのアクセスに対する平等な権利を有する。 第33条 市民は、国家保健施設網の無償利用を含めて、保健の権利を有する。有償医療及び非在来型医療サービスは、法により定められた事由と秩序において許される。 第36条 トルクメニスタン市民は、芸術、科学及び技術創作の自由に対する権利を有する。科学、技術創作、芸術、文学及び文化活動領域における市民の著作権及び利益は、法により保護される。 国家は、科学、文化、芸術、国民創作、スポーツ及び観光の発展を促進する。 第37条 権利と自由の行使は、市民および人間による社会及び国家の前のその義務の執行と不可分である。 トルクメニスタン領土に居住又は一時滞在する各人は、トルクメニスタン憲法の要求、法律を履行し、民族伝統を尊重する義務を有する。 第38条 トルクメニスタンの防衛は、各人の神聖な責務である。男性たるトルクメニスタン市民に対しては、全国民兵役義務が制定される。 第43条 市民の立場を悪化させる法律は、遡及力を有さない。何人も、その実行時点において法律違反と認められていなかった行為に対して、責任を負うことはできない。 第3編 トルクメニスタンにおける権力及び統制機関制度 第1章 トルクメニスタン・ハルク・マスラハトィ 第45条 トルクメニスタン・ハルク・マスラハトィは、国民権力の常設最高代表機関であり、最高国家権力及び統制の権限を有する。 トルクメニスタン・ハルク・マスラハトィに関する憲法法は、ハルク・マスラハトィ自身により採択され、トルクメニスタン全土において義務的効力を有する。 トルクメニスタンにおける最高国家権力及び統制は、トルクメニスタン大統領、メジリス、内閣、最高カズィエトが行使する。 第2章 トルクメニスタン大統領 第52条 トルクメニスタン大統領は、国家と執行権力の元首、トルクメニスタンの最高責任者であり、トルクメニスタンの国家独立及び中立の地位、領土保全、憲法及び国際協定の遵守の保証人である。 第54条 トルクメニスタン大統領は、5年毎にトルクメニスタン国民により直接選出され、ハルク・マスラハトィの会議における宣誓実施後直ちに就任する。 トルクメニスタン大統領の選出及び就任秩序は、法により定められる。 第56条 トルクメニスタン大統領は、トルクメニスタン全土において強制力を有する命令、決定及び指令を公布する。 第58条 トルクメニスタン大統領は、不逮捕特権を有する。その名誉と尊厳は、法により保護される。 トルクメニスタン大統領及びその家族の保障、サービス及び警護は、国家の負担で実施される。 第3章 トルクメニスタン・メジリス 第61条 メジリス(議会)は、トルクメニスタンの国家立法機関である。 第67条 立法発議権は、トルクメニスタン・ハルク・マスラハトィ議長、トルクメニスタン大統領、メジリス代議員、ハルク・ヴェキレリ、内閣、最高カズィエトに属する。 第4章 トルクメニスタン内閣 第75条 内閣の閣議は、大統領又はその委任により内閣副議長の1人が行う。 内閣は、その管轄内において、決定を採択し、執行が義務的な指令を公布する。 第5章 地方執行権力 第4編 地方自治 第5編 選挙制度、国民投票 第89条 選挙は、直接であり、被選挙人は、市民が直接選出する。 第95条 国民投票は、普通、平等、直接かつ秘密の投票により行われる。 国民投票には、選挙権を有するトルクメニスタン市民が参加する。 第6編 司法権力 第97条 トルクメニスタンにおける司法権力は、カズィエトにのみ属する。 司法権力は、法により保護される市民の権利と自由、国家及び社会の利益を擁護することを使命とする。 第100条 全てのカズィエトのカズィは、任期5年で、トルクメニスタン大統領が任命する。カズィの任免秩序は、法により規定される。カズィは、法において掲げられた事由においてのみ、解任することができる。 第107条 カズィエトの管轄、設置及び活動の秩序は、法により規定される。 第7編 検察庁 第109条 検察庁は、捜査活動の適法性及び刑事その他の事件の捜査に対する監督を実施する。 第8編 雑則
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/341.html
LEC『C-Book 憲法Ⅰ(総論・人権)(第3版)』(2011年刊) p.3~ ※上図は基本的に芦部信喜説(通説)に基づく憲法構造の理解だが、何故13条が根本原理とされるのか根拠不明であり、 芦部説に対する批判 がそのまま当てはまる。 第一編 憲法総論 <目次> ■1.憲法の意義と立憲主義の展開◆1-1 憲法の意義◇一 憲法の意味1 はじめに(1) 憲法の必要性 (2) 憲法の意義 2 憲法と国家 3 立憲的意味の憲法と固有の意味の憲法 4 実質的意味の憲法と形式的意味の憲法 ◇ニ 憲法の法源1 成文法源 2 不文法源 ◇三 憲法の分類 ◇四 憲法規範の特質1 授権規範性 2 制限規範性 3 最高法規性 4 基本価値秩序としての憲法 ◆1-2 憲法の生成と立憲主義の展開 ■2. 憲法の基本原理◆2-1 基本原理 ◆◆2-1-1 根本価値としての個人の尊厳 ◆◆2-1-2 憲法原理◇一 五つの憲法原理の相互関係 ◇ニ 自由主義 ◇三 民主主義 ◇四 平等主義 ◇五 福祉主義 ◇六 平和主義 ◆◆2-2 法の支配◇一 法治主義1.はじめに 2.分類 3.法律の留保 ◇二 法の支配1.はじめに 2.法の支配の内容 3.日本国憲法における法の支配の現れ ◇三 「法の支配」と「法治主義」1.「法の支配」と「法治主義」 2.憲法適合性の判断権者 ■3. 憲法の持続と変動◆3-1 憲法の変動 ◆◆3-1-1 憲法改正◇一 憲法改正1 意義 2 改正の手続 3 形式的効力 4 国民投票無効の訴訟 ◇ニ 憲法改正の限界《問題の所在》 《考え方の筋道》 《アドヴァンス》 《One Point》 ◆◆3-1-2 憲法の変遷◇1 意義 ◇2 憲法の変遷の概念 ◇3 解釈学的意味での憲法の変遷の肯否 ◆3-2 憲法保障 ■4. 日本国憲法の成立過程◆4-1 日本国憲法の制定◇一 憲法制定行為の問題《問題の所在》 《考え方の筋道》 《アドヴァンス》 《One Point》 ◇二 日本国憲法の成立と展開 ◆4-2 日本国憲法の構造 ■5. 国民主権の原理◆5-1 国民主権◇一 主権の意味 ◇ニ 国民主権の意味《問題の所在》 《考え方の筋道》 《アドヴァンス》 《One Point》 《How To》 ◆5-2 天皇制 ■1.憲法の意義と立憲主義の展開 ◆1-1 憲法の意義 ◇一 憲法の意味 1 はじめに (1) 憲法の必要性 なぜ憲法は必要なのか ↓ 権力には常に濫用の危険が伴う ↓ 権力が濫用されると、人の権利や自由を侵害してしまう ↓ そこで 国家権力の濫用を抑制し国民の権利・自由を守る基本法が必要となる ↓ 憲法によって国家権力自体を制限していく (2) 憲法の意義 憲法とは国家権力の濫用を抑制し、国民の権利・自由を守る基本法をいう。近代憲法の本質は「個人の人格」に着目する。すなわち、憲法の考え方は「一人一人の個人の人格を尊重し大切にする」ということを基点として展開する。 → 国家権力に対する個人の自律的領域(近代立憲主義の特徴)の確立のため、国家権力の抑制手段として憲法は生まれた。 2 憲法と国家 国家とは、一定の限定された地域(領土)を基礎として、その地域に定住する人間が、強制力を持つ統治権のもとに法的に組織されるようになった社会をいう。すなわち、国家は、①領土、②二人以上の人、③主権 の三要素によって構成される。 このような三要素によって構成された国家を基礎付ける基本法が憲法である。したがって、古来より、人の集まりである社会(国家)が存在すれば、そこに憲法があるということができる。 3 立憲的意味の憲法と固有の意味の憲法 (1) 立憲的意味の憲法(近代的意味の憲法) 古来より国家あるところ憲法があるが、ここにいう立憲的意味の憲法は、特殊歴史的存在であって、次のような特色を有する憲法である。すなわち、立憲的意味の憲法とは、権力を制限することにより自由を保障しようという考えを基本理念とし、絶対王制における国王の権力を制限し、国民の自由を守ることを目的とする憲法をいう。 ここでの憲法は、 第一に、 自由権の保障を宣言し、 第二に、 権力の制限を可能とする統治機構として権力分立を採用すること を要求された。 かかる意味において、1789年のフランス人権宣言16条が、「権利の保障が確保されず、権力分立が定められていないすべての社会は、憲法をもたない」と規定しているのは、立憲的意味での憲法の観念を典型的に表現したものといえる。 (2) 固有の意味の憲法 固有の意味の憲法とは、国家の統治の基本を定めた法としての憲法である。この意味の憲法はいかなる時代のいかなる国家にも存在する。 4 実質的意味の憲法と形式的意味の憲法 (1) 実質的意味の憲法 実質的意味の憲法とは、憲法がどのような形態をとって存在しているか(成文か不文か、憲法典の形をとっているか)とは関係なく、その内容に着目して理解した場合の憲法概念をいう。上記3で述べた立憲的意味の憲法と固有の意味の憲法の区別は、憲法の内容に着目しており、実質的意味の憲法についての区別である。 (2) 形式的意味の憲法 形式的意味の憲法とは、憲法という「法形式」をとって存在している憲法をいう。憲法の存在「形式」に着目した憲法概念である。 (3) 立憲的意味の憲法と実質的意味の憲法 立憲的意味の憲法は、通常、憲法という法形式で存在する。しかし、実質的意味での憲法に含まれる規範(人権及び権力の基本概念)でありながら、憲法上の法形式として定められていないものもある(選挙法が定める選挙制度に関する諸規定や政党法に関する諸規定)。逆に、憲法上の法形式で定められているが、内容的には憲法(基本的な人権や権力の基本構造)とはいえないような規定も存在する(典型的には、スイス憲法旧25条の2「出血前に麻痺せしめずに動物を殺すことは一切の動物の殺戮方法および一切の種類の家畜について例外なくこれを禁止する」という規定など)。 ◇ニ 憲法の法源 法源(Source of Law)とは、かなり多義的に使われるが、法解釈で使われる法源は法の認識根拠、存立形態をいい、具体的には裁判官が判決理由で援用して裁判の理由と為し得る法形式を意味する。 日本国憲法が明示的に認めている法源としては、憲法改正、条約、法律、議院規則、最高裁判所規則、命令、政令、条例がある。 法源のなかで、憲法規範の存在形式を有するものが憲法の法源である。 憲法の法源とは、実質的意味の憲法の規範が存在する様々な法形式をいう。 1 成文法源 実質的意味の憲法が成文化されるときは、まず、憲法という形式で行われるのが通常であるが、すべてを規定し尽くすということは殆ど不可能なので、憲法典では原則的なことのみを決め、より具体的な定めは他の法形式に委ねるのが通常である。 日本国憲法の成文法源として以下のものが挙げられる。 ① 条約 (平和条約、日米安全保障条約、国際連合憲章、経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約、市民的及び政治的権利に関する国際規約、女子差別撤廃条約、児童の権利に関する条約、等) ② 法律 (皇室典範、皇室経済法、国事行為の臨時代行に関する法律、国籍法、請願法、人身保護法、教育基本法、国会法、公職選挙法、内閣法、国家行政組織法、国家公務員法、裁判所法、検察庁法、恩赦法、財政法、会計法、会計検査院法、等) ③ 議院規則 (衆議院規則、参議院規則) ④ 最高裁判所規則 ⑤ 条例 (公安条例、青少年保護条例、等) 2 不文法源 一般に不文法源としては慣習法と判例が問題となるが、憲法についても憲法慣習(法)と憲法判例が問題となる。 (1) 憲法慣習 イギリスのような不文法国といわれる国では憲法の重要な部分が長い間の慣行を通じて慣習法として形成されてきた。このように慣習法の形で存在する憲法を慣習憲法という。 これに対し、成文法国における実質的意味の憲法は、形式的意味の憲法以下の諸形式で定められているので、慣習憲法は存在しない。しかし、成文法国においても、憲法慣習法が問題となる場合がある。たとえば、具体的な行為を一義に命ずる法規定がないまま特定の具体的な行為が長期に繰り返され、その後の先例や慣行となり、さらにその慣習化した先例・慣行に法的価値を承認する広範な国民の合意が形成された場合、その憲法に関する先例は法的性格を獲得し、憲法慣習(法)となるといわれている。 (2) 憲法判例 憲法判例とは、ある法や行為が合憲か違憲か、また、それは如何なる理由によってかという憲法問題についての判例である。 我が国の違憲審査権は解釈上付随的審査権であるので、憲法判断は原則として判決の主文中にはあらわれず、主文を根拠づける理由中に示されるに過ぎない。憲法判例とは、憲法問題についての判断を内容としている判決理由をいい、合憲・違憲の判断及びその理由からなる。 判例に、法源性、法的性格を認め得るかについて議論があるが、我が国では、判例の先例拘束性は憲法上も法律上も認められていない(ただし、事実上の拘束力を有する)。 ◇三 憲法の分類 1 成文憲法と不文憲法 憲法典が存在するかしないかを基準とする分類。立憲的意味の憲法は、通常、成文憲法として存在するが、イギリスは成文憲法をもたない。(*) もっとも、イギリスの憲法が、すべて慣習法として存在するというのではなく、その多くの部分を成文の法律として定めている。単に成文の憲法典が存在しないというだけである。 2 硬性憲法と軟性憲法 憲法改正の手続が通常の立法手続と同じ(軟性憲法)なのか、それともより困難な手続が定められている(硬性憲法)かを基準とする分類。 3 欽定憲法と民定憲法 憲法の制定主体が誰かによる分類。君主が制定して国民に授けたという形をとっている場合が欽定憲法であり、国民が制定したという形うぃとっている場合が民定憲法である。 4 近代型憲法と現代型憲法 憲法の内容をその依拠する基本思想に着目した分類。近代憲法は近代立憲主義の諸原理を基礎としているのに対し、現代憲法はそれらの諸原理とともに多かれ少なかれそれを修正した原理も基盤としている。 ◇四 憲法規範の特質 1 授権規範性 【国法秩序の段階構造】 (国民) → 憲法 -(授権・制限)→ 法律〔国会〕 -(授権)→ 命令〔内閣〕 -(制限)→ 国民の権利 国民自身が憲法をつくり、国民の権利を制限する作用を下位の法規範に授権する。 ↓ しかし 国家権力を制限できる法としての憲法である以上、全く無制限な授権をするわけにはいかない。 ↓ 権力の濫用を防止し、人権保障を図るべく憲法による枠づけが必要 ↓ そこで 2 制限規範性 ↓ そしてこの制限規範性を実効的なものにするには 3 最高法規性 憲法に反する法律などは効力を有しない(98Ⅰ)なぜ97条が最高法規の章の冒頭に存在するのか ↓ 人権の本質・重要性(97) ↓ 憲法はこの人権を保障している(第三章) ↓ よって 憲法は最高法規である(98Ⅰ) ↓ そのために 国家権力の行使を担当する公務員に憲法尊重擁護義務を課す(99) 4 基本価値秩序としての憲法 憲法は価値に満ちたものである。しかも、その価値は人類の理想と時代の思潮を体現したものである。従って、憲法は価値中立的に統治システムを定めるものではなく、立憲時の政府が実現すべき、あるいは、自らを支える基本価値の選択が宣言されている。たとえば、立憲主義の憲法の基本価値は、「個人の尊厳」であり、権力の分立である。ここにおいて、さまざまな人権保障が具体化され、この人権を保障する手段として権力構造が制度化されている。 ◆1-2 憲法の生成と立憲主義の展開 (省略) ■2. 憲法の基本原理 ◆2-1 基本原理 ◆◆2-1-1 根本価値としての個人の尊厳 近代憲法の本質は「個人」に着目する点にある ↓ 憲法は、「一人ひとりを個人として尊重する」という考え方を基礎にしている(個人の尊厳、13) ◆◆2-1-2 憲法原理 ◇一 五つの憲法原理の相互関係 13条の「個人の尊厳」を出発点とする。国民に自由・平等・福祉の価値を実現することを目的として、そのための手段として民主主義・平和主義を保障する。そして、このような統治体系を制度的に維持・発展させるために「権力分立」・「法の支配」の原理が基底に置かれている。 ◇ニ 自由主義 (省略) ◇三 民主主義 (省略) ◇四 平等主義 (省略) ◇五 福祉主義 (省略) ◇六 平和主義 (省略) ◆◆2-2 法の支配 ◇一 法治主義 1.はじめに 定義:司法は独立した裁判所により法律を適用して行われ、行政は法律に基づき法律を適用して行われるという原則 → 大陸法系の国で発達 → 国民の権利・自由の保障を目的にしているという点では法の支配と共通 2.分類 (1) 本来的意味の法治主義(19世紀のフランス) 国民の権利を奪い、義務を課す場合には法律上の根拠が必要(法律による行政・裁判)→権力分立を前提とする (2) 形式的法治主義(第二次世界大戦前のドイツ・日本) 行政権は法律に基づかなければ国民の権利を制限することはできない=法律によれば国民の権利を自由に制限できる ① 法律の内容は問わない ② 行政が法律に適合しているか否かの判断は行政権の一種である行政裁判所が行う (3) 実質的法治主義(現在のドイツ・フランス) 行政権・司法権のみならず立法権も憲法(最高法規)に拘束される=法律の内容は憲法に違反してはならない(正しいものでなければならない)→内容の適正は裁判所が判断する 3.法律の留保 (1) 本来的意味 行政権は国民代表議会の立法権に基づく法律に基づかなければ国民の権利を制限することはできない (2) 形式的意味 立法権は、法律によりさえすれば国民の権利・自由を制限することができる ◇二 法の支配 1.はじめに 定義:すべての国家権力が正しい法に拘束されるという原則 ← 人の支配 → 正しい法(正義の法)に基く支配(法の内容を問題にする) → 国民の権利、自由を保障することが目的 → 英米法系(イギリス、アメリカ)の国々で発達 2.法の支配の内容 (1) 個人の人権保障 法の支配を採用した目的が国家権力の権限濫用から国民を守り、個人の尊厳を確保することにあるから。 (2) 憲法の最高法規性の承認(憲法は行政権のみならず立法権をも拘束する) ∵(何故ならば)仮に憲法に優先する法が認められるならば憲法による支配を行うことが出来ないから (3) 手続の適正を要求する(適正手続 = due process of law) (4) 裁判所の役割の重視(最高法規性の担保) → 行政が法律に従っているか否かを裁判所がチェック(イギリス・アメリカ) → 議会が正しい法(憲法)に従っているか ① 議会自らがチェック → イギリス ② 裁判所がチェック → アメリカ(法の支配をより徹底している) 3.日本国憲法における法の支配の現れ 「正しい法 = 憲法」によって「法の支配 = 憲法による支配」 (1) 第三章「国民の権利及び義務」 国政における人権の尊重とその強度の保障は、「法の支配」の核心である (a) 国家権力の行使を抑制する機能を持つ個人の自由権を中心におく人権規定の構造は、自由主義を前提とした「法の支配」の理念の存在を示す (b) 人権保障規定は、「法律の留保」を認めず、また立法権をも拘束する(13) (2) 81条(違憲立法審査権)、第十章「最高法規」 (a) 81条(違憲立法審査権) 法の支配の最も徹底した表現。アメリカ判例法の明文化。 (b) 97条(基本的人権の本質) 「法の支配」の核心→人権保障(基本的人権の永久性・不可侵性)の確認→実質的最高法規性。個人の権利と自由が公権力により侵害されたときには憲法の基礎が崩壊することを示す (c) 98条1項(形式的最高法規性) →現行憲法が実質的最高法規であること(97)によって根拠づけられる。憲法に反するすべての国家行為を無効とし、権力作用がすべて憲法に従うべきことを示す→法優位の思想を基礎とする (d) 99条(憲法尊重擁護義務) 「法の支配」の理念の一つ→国家権力の行使者が憲法に従うべき義務をもつこと→法の支配の名宛人は、権力行使者=統治者であることを示す (3) 31条(法定手続保障) (a) 規制が適正な手続のもと行われること、特に司法手続としての刑事手続が適正であること(現代においては行政手続にも適正手続の保障が及ぼされるべきである) (b) 法の規制の実体が適正であるという法の内容の適正も憲法上の要請となる (4) 第六章「司法」 (a) 司法権は、民事・刑事の裁判の他、行政事件を含むあらゆる種類の法律上の争訟を裁判する権限をもつ(76Ⅰ・裁判所3Ⅰ) (b) 特別裁判所の禁止、行政機関による終審裁判の禁止(76Ⅱ) (c) 裁判所の規則制定権(77)、裁判官の懲戒処分に立法・行政機関が関与しない(78)、下級裁判所裁判官の指名権(80Ⅰ) ◇三 「法の支配」と「法治主義」 1.「法の支配」と「法治主義」 【法治主義とその限界】 「法治主義」 本来、国民の権利・自由の保障を目的とする←(自由主義)←法律による行政と、法律による裁判←国民主権(民主主義) ↓しかし、形式化の危険を内包していた。すなわち、法律によって国民の権利・自由を制限する危険性を持つ (原因) ① 法律の内容の適正について議会が自ら判断した ② 民主主義の未成熟→議会は必ずしも国民の意思を正しく反映するものではなかった ↓これに対して 法の支配 ① 立法権も最高法規としての憲法に拘束される ② 法の内容の適正が要求される ③ 内容の適正については裁判所が判断 (*)実質的法治主義は法の支配(現在の日本)と裁判所の位置づけが違うだけである。法の支配においては憲法適合性を通常の司法裁判所が判断し、実質的法治主義においては司法裁判所以外の特別裁判所(憲法裁判所)が判断する 【法治主義と法の支配の違い】 大陸法系(仏・独) イギリス アメリカ 社会的背景 議会への信頼裁判所への不信 議会への信頼裁判所への信頼 議会への不信裁判所への信頼 近代において法は誰を拘束するか 行政権・司法権を拘束=法の内容の適正は不問=形式的法治主義 行政権のみならず議会も拘束=法の内容の適正を要求=法の支配 行政権のみならず議会も拘束=法の内容の適正を要求=法の支配 現代において法の適正性を誰が判断するのか 仏 - 憲法院独 - 憲法裁判所 行政権に対しては→裁判所立法権に対しては→議会自身=法の支配という点ではやや不徹底 行政権に対しては→裁判所立法権に対しては→裁判所=違憲立法審査権(法の支配の徹底) 2.憲法適合性の判断権者 ① 議会中心主義の国々 → 議会が判断 ② アメリカ他現在の多くの国々 → 裁判所が判断 最高法規たる憲法の担い手が裁判所に移ってきた ↓ 裁判所において憲法違反を主張して争えるようになってきた ↓ 憲法が裁判所における裁判の基準(規範)になる ↓すなわち 憲法は「裁判規範性」を原則としてもつようになった 【憲法保障の全体構造】 法律の憲法適合性を問題にするか 問題にしない 近代のフランス・ドイツ 形式的法治主義 問題にする 議会が判断 イギリス 裁判所以外の機関が判断 現在のフランス 裁判所が判断 司法裁判所 アメリカ、日本 ←私権保障型 憲法裁判所(特別裁判所) 現在のドイツ・オーストリア・イタリア ←憲法保障型 ■3. 憲法の持続と変動 ◆3-1 憲法の変動 ◆◆3-1-1 憲法改正 ◇一 憲法改正 1 意義 憲法改正とは、 ① 憲法所定の手続に従い、憲法典中の個別的条項につき、削除・修正・追加を行うことにより、または、 ② 新たなる条項を加えて憲法典を増補することにより、 意識的・形式的に憲法の改変をなすことをいう。 2 改正の手続 (省略) 3 形式的効力 (省略) 4 国民投票無効の訴訟 (省略) ◇ニ 憲法改正の限界 《問題の所在》 憲法改正の手続に従えば、いかなる内容の改正を行うことも法的に許されるか。憲法改正に法理論的に限界があるかが問題となる。なお、改正手続に従いさえすれば、事実上いかなる内容の改正もできるが、それは政治的問題であり、ここでの問題ではない。 《考え方の筋道》 Step① 民主主義に基づく憲法は、国民の憲法制定権力によって制定される ↓ そして Step② 憲法改正権は、かかる制憲権が憲法典のなかに取り込まれ、制度化されたもの ↓ とすれば Step③ 改正権が自己の存立の基盤である制憲権の所在(国民主権)を変更することは理論的に許されないというべき ↓ また Step④ 近代立憲主義憲法は、人権保障という自然権に由来する思想を成文化したものであり、かかる自由の原理は、民主の原理たる国民主権と不可分に結び合っている ↓ したがって Step⑤ 改正権が、そのような憲法のなかの「根本規範」というべき人権宣言の基本原則を改変することは理論的に許されないというべき 《アドヴァンス》 A 無限界説 a-1 法実証主義的無限界説(佐々木、美濃部) 法規は規律する社会の事情を基礎として存在するものである以上、社会的な事情の変動により、法規が変更されるのは当然であると捉える。憲法の価値的序列を認めず、自然法的な規範も他の憲法規範と同列になるため、すべての規定が改正の対象になる。また、たとえ改正禁止条項があったとしても、それ自体を改めることが出来るとする。 a-2 主権全能論的無限界説 改正権を全能の制憲権と同視する立場であり、改正権は、憲法の外に存在し実定法的拘束を受けない制憲権と同じであるから、何らの制約を受けることはないとする。その学説の一つは、制憲権は始源的であり無制約であるが、制度化された制憲権である改正権はそれとは異なり憲法の定める手続に従わなければならないとする。すなわち、改正権は実質上は制憲権、形式上は憲法によって作られた権力であると捉え、改正手続を遵守する限り改正の対象は無限界であるとする。 B 限界説(通説) b-1 法理論的・憲法内在的限界説 改正権は憲法によって作られた権力なので、制憲権の所在(主権規定)やその所産たる基本原理の変更はできないとする立場。 b-2 自然法的限界説 制憲権も改正権も自然法のもとにあり、その拘束を受けるとする立場。 (*)芦部先生は、限界説に立つが、b-1、b-2のいずれかに割り切るわけではない。たとえば、制度化された制憲権たる改正権により、自己の存立の基盤というべき制憲権の所在、すなわち、制憲権が憲法内化された国民主権原理を変更することは、理論的に不可能であるとする。他方で、人権宣言の基本原則については、近代立憲主義憲法が自然権に由来する思想を成文化したものであり、かかる自由の原理は、民主の原理たる国民主権と不可分に結び合っている以上、改変することは理論的に許されないとする。 《One Point》 学説では、限界説が通説です。無限界説に立つ場合、もとの憲法の基本原理を変更することも法的に認められます。一方、限界説に立つ場合、それは法的には許されず、憲法の廃止と新憲法の制定という、法を超えた政治的事件ということになります。なお、改正の限界としては、①国民主権原理(国民主権原理と密接不可分の関係にある憲法改正国民投票制)・②基本的人権尊重の原理・③平和主義が挙げられます。 ◆◆3-1-2 憲法の変遷 ◇1 意義 憲法の変遷とは、一般には、憲法の定める憲法改正の手続を経ることなしに、憲法を改正したのと同じ効果が生じることをいう。 ◇2 憲法の変遷の概念 (1) 社会学的意味での憲法の変遷 憲法成文の規範内容と現実の憲法状態との間に「ずれ」が生じているという客観的事実をいう。 (2) 解釈学的意味での憲法の変遷 憲法成文の規範内容と現実の憲法状態との間の「ずれ」を前提としたうえで、元の規範内容に代わって新しい憲法規範が成立していることを認めることをいう。 ◇3 解釈学的意味での憲法の変遷の肯否 社会学的意味での憲法の変遷という現象が存在することについては争いはないが、解釈学的意味での憲法変遷を認めるかどうかにつき争いがある。 (1) 肯定説(橋本公亘) 一定の要件(継続・反復及び国民の同意等)が満たされた場合には、違憲の憲法現実が法的性格を帯び、憲法規範を改廃する効力をもつと解する。 (理由) ある憲法規範が国民の信頼を失って実際に守られなくなった場合には、それはもはや法とはいえない。 (批判) ①肯定説のうち、実効性が失われた憲法規範はもはや法とはいえないとする立場をとると、如何なる段階で実効性が消滅したと解することができるのか、その時点を適切に捉えることは容易ではない。②実効性が大きく傷つけられ、現実に遵守されていなくとも、法として拘束力の要素は消滅しないと解することは可能であり、将来、国民の意識の変化によって、仮死の状態にあった憲法規範が息を吹き返すことはあり得る。 (2) 否定説(橋口、佐藤(幸)等多数説) (理由) 硬性憲法のもとでは、憲法改正の国民の意思は、憲法改正手続及び、そこでお国民投票によってのみ示されるべきである。 ◆3-2 憲法保障 (省略) ■4. 日本国憲法の成立過程 ◆4-1 日本国憲法の制定 ◇一 憲法制定行為の問題 《問題の所在》 1条は「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」としている。一方、日本国憲法の上諭は「帝国憲法第73条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる」としている。この改正は君主(天皇)主権の憲法を国民主権の憲法に変革するものであり、改正の限界を超えると考えられる(憲法改正限界説)。そこで、この主権者の変更という事態をどのように説明するかが問題となる。 《考え方の筋道》 Step① 主権者の変更はもはや改正の限界を超えており、許されない(憲法改正限界説) ↓ とすると Step② 結局、新旧憲法に連続性がないことになってしまう(同一性なし) ↓ そこで Step③ 法的革命があったと考える(八月革命説) ↓ すなわち Step④ 法的革命によって主権者が変更した → ポツダム宣言を受諾したときに(1945.8.15)、明治憲法の体制は崩れ去り、主権者は天皇から国民に移った。それにもかからわず明治憲法の改正という手続をとったのは革命行為を秩序と平穏のうちに成し遂げるためであった 《アドヴァンス》 A 憲法改正限界説を背景とした説 a-1 無効説 明治憲法73条の憲法改正という形式をとる日本国憲法は、明治憲法の根本建前である天皇主権主義を否定して国民主権主義を採用しているが、これは改正の限界を超えるもので許されない。従って、日本国憲法には正当性の根拠がない。 a-2 有効説 (ア) 八月革命説(宮沢) 国民主権主義をとることを要求しているポツダム宣言を受諾した段階で、明治憲法の天皇主権は否定されるとともに国民主権が成立し、日本の政治体制の根本原理となった。→ ポツダム宣言の受諾によって法的に一種の革命があったと考えて、日本国憲法が明治憲法の改正という形式で明治憲法が容認しない国民主権主義を定めたことの正当性を基礎づける→ 明治憲法73条による改正という手続をとったのは、明治憲法との形式的連続性をもたせることが実際上便宜的であったことによる(秩序と平穏のうちに革命行為を成し遂げるために明治憲法73条が便宜上借用された) (イ) 新憲法制定説(佐藤(幸)) ポツダム宣言受諾により、日本は同宣言の内容を履行すべき法的義務を課された。そして、受諾後も明治憲法秩序は存続しているため、天皇は同宣言を履行する趣旨から憲法所定の手続に従って改正案を帝国議会に提出したのである。その内容は改正の限界を超えるものであったが、審議過程で日本国憲法を制定するという主権者たる国民の意思が議会を通じてあらわれたと考える→ この見解も一定の政治的配慮から明治憲法所定の手続の形式を借用したと考える B 憲法改正無限界説を背景とした説 b-1 有効説(佐々木) 憲法の改正には法的な限界は存在しない。従って、天皇主権から国民主権へと主権の所在を変更する改正も許される。明治憲法73条の改正として制定された日本国憲法は明治憲法との連続性がある。 b-2 無効説 (ア) 押しつけ憲法論 占領軍の威力を背景にマッカーサー元帥によって強要された日本国憲法は、憲法の自律性を認める国際法にも違反し、国民の自由な意思の発動ではなく、無効または占領終結により失効されるべきである。 (批判)当時の政府の指導者には総司令部(GHQ)の態度が単なる警告以上のものとして映ったことは推測されるものの、そうしたことも含めて諸事情を考慮し、日本政府の決断が為されたと解すべき。 (イ) ハーグ陸戦法規43条違反論 日本国憲法の制定は、外国軍の占領下に為されたものであり、占領軍の被占領国の法令の尊重を定めるハーグ陸戦法規43条に違反し、無効である。 (批判)①ハーグ陸戦法規は戦時占領の際のものであるから、ポツダム宣言の受諾により休戦条約が成立している以上、適用されない。②日本国憲法は我が国自身によって制定されたのだから、ハーグ陸戦法規違反を理由い憲法の無効を帰結するのは無理である。 《One Point》 学説では、八月革命説が日本国憲法の生誕における法理上の問題点を無難に説明するものとして評価されています。 ◇二 日本国憲法の成立と展開 (省略) ◆4-2 日本国憲法の構造 (省略) ■5. 国民主権の原理 ◆5-1 国民主権 ◇一 主権の意味 ① 国家の統治権としての主権 統治権としての主権国家権力そのもの(国家の統治権)というときの主権 ex. 「日本国ノ主権ハ、本州、北海道、九州、及ビ四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」(ポツダム宣言8項) ② 最高独立性としての主権 国家への主権の集中(最高独立性)というときの主権 ex. 「政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。」(前文3段) ③ 国政の最終決定権としての主権 国家における主権の所在(国政の最終決定権)というときの主権 国の政治の在り方を最終的に決定する力または権威という意味であり、これが国民に存することを国民主権という。ex. 「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(前文1段) ◇ニ 国民主権の意味 《問題の所在》 日本国憲法は、前文第1段で「主権が国民に存する」、1条で「主権の存する日本国民」と規定し、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用している。それでは、ここにいう「国民」を全国民と考えるべきか、それとも有権者の総体と考えるべきか。国民主権の原理において、国の政治の在り方を最終的に決定する権力を国民自身が行使するという権力的契機と、国家の権力行使を正当づける究極的な権威は国民に存するという正当性の契機をどのように考えるかという点と関連して問題となる。 《考え方の筋道》 Step① 憲法は個人の尊厳を確保するため、政治は国民の自律的意思による政治でなければならず、国政の最終決定権が国民に属するという国民主権原理を採用した(前文1段、1条) ↓ この点 Step② 主権者たる国民を有権者の全体と捉え、「主権」の本質を憲法制定権力であるとして、有権者としての国民が国政の在り方を直接かつ最終的に決定すること(権力的契機)が国民主権であると考える見解もある。 ↓ しかし Step③ それでは、独裁を許す危険があり、また、国民が主権者たる国民とそうでない国民とに二分され、治者と被治者の自同性に反し、妥当でない。 ↓ そこで Step④ 基本的には、国民主権とは、主権者たる国民は一切の自然人である国民の総体と捉え、国民主権とは全国民が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠であると解する。 ↓ ただ Step⑤ 憲法改正権の存在(96条)等から、国民(有権者)が国の政治の在り方を直接かつ最終的に決定するという権力的契機も不可分に結合していると解すべきである(折衷説)。 ↓ Step⑥ 以上のように解すると、原則として国民は直接には権利行使をなしえないから、代表民主制の採用が必然となり、代表者たる議員は「全て」の国民の代表者となる(43条Ⅰ参照)。 《アドヴァンス》 A 有権者主体説 「国民」を有権者の総体と考える見解。 a-1 主権=憲法制定権とすることを根拠とする説(清宮) 主権を憲法制定権(力)、すなわち一定の資格を有する国民(選挙人団)の保持する権力(権能)とする。従って、憲法制定権の主体である国民には天皇を含まず、また権能を行使する能力のない、未成年者も除外されるとする。→権力的契機を重視するが、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示していない (批判)①全国民が主権を有する国民と主権を有しない国民とに二分されることになるが、主権を有しない国民の部分を認めることは民主主義の基本理念に背く。②選挙人の資格は法律で定めることとされているため(44)、国会が技術的その他の理由に基づいて年齢・住所要件・欠格事項等を法律で定めることによって主権を有する国民の範囲を決定することとなり、論理矛盾となる。③代表民主制を国政の原則とする前文の文言と、解釈上必ずしも適合的でない。 a-2 フランスの議論を採り入れる説(杉原) 日本国憲法は、リコール制を認めたと理解しうる15条1項や、95条、96条1項のように人民(プープル)主権に適合する規定もあるが、基本的な性格としては、43条1項や51条に示されているように国民(ナシオン)主権を基礎とする憲法である。しかし、憲法の歴史を踏まえた将来を展望する解釈が必要であるから、日本国憲法の解釈は人民(プープル)主権の論理に基いてなされなければならない。従って、国民の意思と代表者の意思を一致させるために、43条の国民代表の概念や51条の議員の免責特権の再検討が要請される。→権力的契機の重視とともに、そこから導かれる具体的な制度上の帰結を示している。 (批判)上記①から③の批判に加え、フランスの議論は必ずしも全ての国の憲法に法律的意味においてそのまま妥当する議論ではない、という批判がなされている。 B 全国民主体説(宮沢、橋本) 「国民」を、老若男女の区別や選挙権の有無を問わず、一切の自然人たる国民の総体をいうとする見解。→このような国民の総体は、現実に国家機関として活動することは不可能であるから、この説にいう国民主権は、天皇を除く国民全体が国家権力の源泉であり、国家権力の正当性を基礎づける究極の根拠だということを観念的に意味することに過ぎなくなる。 (批判)国民に主権が存するということが、建前に過ぎなくなり、国民主権と代表制とは不可分に結びつくが、憲法改正の国民投票(96)のような、直接民主制の制度について説明が困難になる。 C 折衷説(芦部) 「国民」を、有権者(選挙人団)及び全国民の両者として理解する見解。→「国民」=全国民である限りにおいて、主権は権力の正当性の究極の根拠を示す原理であるが、同時にその原理には、国民自身(≒有権者の総体)が主権の最終的な行使者(憲法改正の決定権者)だという権力的契機が不可分の形で結合しているとする(ただし、あくまでも正当性の契機が本質) 【ナシオン(Nation)主権とプープル(peuple)主権】 フランスの主権論 ナシオン主権 ⇔ プープル主権 憲法 1791年憲法 ⇔ 1793年憲法 主権者 Nation 仏 (= Nation 英 ) ⇔ Peuple 仏 (= People 英 ) 国民 観念的統一体としての国民 →具体的人間の集合体という意味はない ⇔ 具体的に把握しうる諸個人の集合体としての国民 権力行使 授権によってのみその権力を行使しうる →専ら代表制(代表者としての立法府と君主を指定) ⇔ 国民が直接権力行使を行う →直接民主制が徹底した形 授権の内容 代表者意思に先行するナシオン自身の意思なし ⇔ 代表機関の意思のほかにプープル自身の意思あり 契機 国家権力の正当性の根拠が国民に存する ⇔ 主権の権力契機が前面に出て、最高権力を行使するのはプープル 諸制度 制限選挙・自由委任 ⇔ 普通選挙・命令委任 歴史的意義 絶対王政を否定すると同時に市民革命がより貫徹されること抑圧す機能をもつ(現状維持的) ⇔ 市民革命の課題をより貫徹する勢力のシンボルとして機能(現状変革的) 《One Point》 学説では、折衷説が近時の通説であり、全国民主体説はかつての通説、有権者主体説は少数説です。なお、本論点は、憲法が明文で定めた場合(79Ⅱ、95、96)以外に国政において直接民主制の採用(ex. 一定の事項についての国民投票、有権者による衆議院解散請求の制度)が認められるかという論点と関連します。この点に関しては、フランスの議論をとり入れる説に立てば当然に肯定説につながりますが、それ以外の説からは論理必然的に帰結が導かれるものではありません。 《How To》 近時の通説である折衷説に立つのがよいでしょう。なお、折衷説を論じる際、論証が長くなりがちです。直接民主制の採用に関する問題等、本論点が前提として問われた場合には、コンパクトに論じることが必要でしょう。 ◆5-2 天皇制 (省略)