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水: 強さ関係: > > 名前:弁財天(べんざいてん, Benzaiten) コスト:3.0 カード:R 日本神話・伝承 戦闘スキル:金光明経 - 15秒間、対象のアクションエナジーの動きを止める(敵1体) 支援スキル:賢いお金の遣い方 - 10%の確率で軽いカウンター攻撃(味方全体) 名前:蜃(しん, Shin) コスト:2.5 カード:UC 日本神話・伝承 戦闘スキル:濁流砲 - 通常攻撃の0.8倍の水属性ダメージ(敵全体) 支援スキル:影楼 - 受けるダメージを3%減らす(味方全体) 名前:媽祖(まそ, Mazu) コスト:2.0 カード:UC 中国神話・伝承 戦闘スキル:宋江 - 15秒間、ATKを10%下げる(敵1体) 支援スキル:海元珠 - クリティカル率を5%上げる(味方全体) 名前:スクルド(Skuld) コスト:2.0 カード:UC 北欧神話・伝承 戦闘スキル:未来の理 - 15秒間、SPDを10%下げる(敵全体) 支援スキル:時には未来の話を - SPDを10%上げる(味方全体) 名前:両面宿儺(りょうめんすくな, Ryomen Sukuna) コスト:1.5 カード:C 日本神話・伝承 戦闘スキル:八咫鏡 - 最大4回、10%の確率で強力なカウンター攻撃(味方1体) 支援スキル:なし 名前:河童(かっぱ, Kappa) コスト:1.5 カード:C 日本神話・伝承 戦闘スキル:川腹海背 - 400の固定ダメージ(敵1体) 支援スキル:なし 名前:シービショップ(Sea Bishop) コスト:1.5 カード:C ヨーロッパの伝承 戦闘スキル:水神への信心 - 5秒間、水属性のスピリッツのSPDを80%上げる(味方全体) 支援スキル:なし 名前:雨降小僧(あめふりこぞう, Amefurikozo) コスト:1.0 カード:C 日本神話・伝承 戦闘スキル:五月雨 - 通常攻撃の1.1倍の水属性ダメージ(敵1体) 支援スキル:通り雨 - SPDを5%上げる(味方全体) 名前:蛤女房(はまぐりにょうぼう, Hamaguri-nyobo) コスト:1.0 カード:C 日本神話・伝承 戦闘スキル:ボンゴレ・ロッソ - 15秒間、SPDを20%下げる(敵1体) 支援スキル:なし
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現在の日本の民族は大和民族、アイヌ、琉球約3族言われたが厳密には15族がこの日本に残る。純血とハーフで区別されている。日本で混血は一応、基本的にはタブー視されている。日本人の神道に基づきではなく科学的な分類をされた人種である。 純血 日本に元々いた人種で狡猾で残忍、残酷な性格が多い。中国の民族よりも下手したら危険性が高いので相手をしないようにしよう。日本刀や日本槍、薙刀、和弓などを扱うのを得意とする一方で短気で気性難な性格。銃は日本製のしか扱えない。 アイヌ民族 常総東夷族 関東夷氏族 関東大和民族 関西大和民族 北越北戎民族 赤穂蚕胡族 広島蚩尤戦闘民族 高陽黒殺暗殺民族 南海威雄民族 薩摩隼人民族 下関霜驪民族 東北胡類民族 函館麓武民族 沖縄琉球民族 ハーフ(混血) いわゆる現在の混血系日本人である。木村 昴氏や大阪 なおみ選手、滝沢カレン氏などが日本ではこちらに分類されている。なお、差別ではなく1977年には帝国会議で決められていたもよう。 グリテンシュ民族 東アウロラ民族 西アウロラ民族 シュノームーファ民族 アメリカンアスジョット民族 ブリタニア民族 シーノス峰趙族 日系朝鮮民族 ヴァレンタインブラッド族 アースアライラ民族 クロムヘル民族 ミナカ冦甲族
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人名 人物 元ネタ 風早 地名 アシュヴィン インド神話に登場するスーリヤの息子の双子神。別名ナーサティヤ サザキ 鳥の名前(鷦鷯(ミソサザイ))または仁徳天皇の別名(大鷦鷯尊・おおさざきのみこと) 那岐 日本神話に登場する男神イザナギ(伊邪那岐) 布都彦 日本神話に登場する霊剣、布都御魂 柊 植物の柊。鬼門を守る魔除けとして表鬼門に植えると良いとされる。鬼が柊の刺を嫌うことから節分に鰯の頭と共に門口に立てられる。または、ヤマトタケルが東国征伐に行くときに授けられた、比比羅木之(杠谷樹)八尋矛 葛城忍人 豪族の葛城氏・天津神の天忍人命?(葛城に天忍人命を祀る神社がある) 羽張彦 日本神話に登場する霊剣、天之尾羽張 岩長姫 日本神話に登場する女神(石長比売/磐長姫) カリガネ 鳥の名前(雁金) 大伴道臣 大伴連の祖である道臣命。神武東征で後の神武天皇に仕える 狭井君 三輪山にある狭井神社。大物主神の荒御霊を祭っている 足往 日本神話に登場する犬 ナーサティヤ インド神話に登場するスーリヤの息子の双子神。別名アシュヴィン シャニ インド神話に登場するスーリヤの息子。土星を守護する神。 スーリヤ インド神話に登場する太陽神 レヴァンタ インド神話に登場するスーリヤの息子 リブ インド神話に登場する工芸に優れた3神 ムドガラ インドの聖仙。全く欲がない ヴィシュヴァカルマン インド神話に登場する工匠神。スーリヤの舅。 地名 地名 元ネタ 高千穂 日本神話の天孫降臨の地。現在の宮崎にある 阿蘇 現在の熊本にある 筑紫 現在の福岡にある 出雲 現在の島根にある 熊野 現在の和歌山にある 橿原 神武帝が即位した地。現在の奈良にある 天磐盾 現在の熊野速玉大社御神体 用語 用語 元ネタ 葦原中つ国 日本神話で高天原と黄泉の国の間にあるとされる国。日本 八雷 黄泉の国で腐ったイザナミの体にたかっていた雷神 四道将軍 日本神話に登場する崇神天皇に仕えた4人の将軍 天鳥船 国譲りでアマテラス大神が地上に神建御雷神とともに遣わした 日向 日向国(古代ではひむかと読む)は現在の宮崎県と鹿児島県の一部 狗奴 邪馬台国と対立していた狗奴国 葛城 即位前の神武天皇が高尾張邑に土蜘蛛という身体が小さく手足の長い者がいたので、葛網の罠を作って捕らえて殺した。これに因んで、この地を葛城と称した 生太刀 大國主が須佐之男のもとから須佐之男の娘須勢理姫と逃げる際持ち出した刀。生太刀(いくたち)の他、生弓矢(いくゆみや)、天の詔琴(あめののりごと)の3つを奪って逃げた。気がついた須佐之男は「その太刀と弓矢で国を平定して娘を正妻にしろ」と告げた 八咫烏 神武天皇を導いたとされる三本足のカラス。太陽とも関係が深い 土蜘蛛 古文献に登場する、天皇への恭順を表明しない「まつろわぬ民」 死返玉 十種神宝のひとつ(沖津鏡・辺津鏡・八握剣・生玉・死返玉・足玉・道返玉・蛇比礼・蜂比礼・品物之比礼) 物語 用語 元ネタ 葦舟 葦舟で子供を流すのは日本神話に登場する水蛭子(ひるこ)の話 天岩戸 スサノオの乱暴に怒ったアマテラスが天岩戸に引きこもる一連の話 神武東征 アマテラスの子孫である神武が日向を出立し橿原宮で即位する話。筑紫を出て熊野を経由(出雲には行かない)八咫烏の案内で熊野を抜け橿原に入る 妻問い 神武帝は笹百合に由来する狭井河の地へ赴き皇后となる伊須気余理比売に妻問いした 額に辰砂 インドのシンドゥール。結婚したヒンドゥ教徒の女性が額の生え際中央から分け目のラインにつける(眉間の赤い点ではない)。結婚式で新郎が新婦に初めて塗り、以後夫が死ぬまで毎朝塗る memo 日向は作中だと地名じゃなくない? (2008-07-05 12 58 11) ムドガラはインドの聖仙。全く欲がない (2008-07-06 12 11 52) 阿蘇は熊本の阿蘇?高千穂なら宮崎なので九州としては地理的に少し遠いと思いましたが。 (2008-07-06 17 49 23) 柊は「比比羅木之八尋矛」(ヒイラギノヤヒロボコ)? ヤマトタケルが東国征伐に行くときに授けられた矛 (2008-08-06 12 31 51) アカシャはくわしくいうと、「アカシックレコード」 (2009-02-15 20 45 00) コメント
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軍閥系 日本の軍隊、憲兵組織などである。傭兵は旧暴力団に当たる。 大日本帝国軍 自衛隊・自衛軍 警察庁 海上保安庁 検察庁 傭兵 財閥系 日本には現状、財閥が解体されてもなお、今でも拡散企業として根強く残る。なお、所属企業は財閥によって異なる。()は創業者。 三菱財閥グループ(岩崎 弥太郎) 住友財閥(住友政友) 桜田財閥(櫻田 武) 三井財閥(三井高利) 浅野財閥(浅野 総一郎) 鴻池財閥(鴻池 新六) 佐川財閥(佐川 清) 安田財閥(安田 善次郎) 古河財閥(古河 市兵衛) 市川財閥(市川 浩一) 松下財閥(松下 幸之助) 大倉財閥(大倉 喜八郎) 鈴木財閥(鈴木 岩治郎) 中島財閥(中島 知久平) 鮎川財閥(鮎川 義介) 金子財閥(金子 晴友) 大田財閥(大田 幸雄) 野村財閥(野村 徳七) 上野財閥(上野 弘行) 柴崎財閥(柴崎 幸三郎) 徳永財閥(徳永 吉兵衛) 國締財閥(梶谷 楠正) 渋沢財閥(渋沢 栄一) 日本の政党 日本の政党は昭和から変わらず帝国主義の保守派と革新派の2つだけである。 昭和 立憲政友会 東方会 立憲帝政党 東洋自由党 帝国党 革新党 大政翼賛会 浦和戦友会 平成 立憲帝国党 政戦傑勇党 覇煌英民党 黒羽一成会 皇成日本党 凱日聖鳳党 令和 立憲帝国皇道党 皇政臣民宣道党 暁月鳳日真光党 国民斬傑勇新党 幕府 鎌倉幕府 室町幕府 徳川幕府 広島幕府
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火: 強さ関係: > > 名前:ヒノカグツチ(Hinokagutsuchi) コスト:3.0 カード:R 日本神話・伝承 戦闘スキル:黄金の霧 - 15秒間、属性を金属性に変える(敵全体) 支援スキル:宝物のかけら - 金属性のスピリッツ1体につき、SPDを10%上げる(味方全体) 名前:仁王 阿行(におう あぎょう, Nio Agyo) コスト:2.5 カード:R 日本神話・伝承 戦闘スキル:開闘 - アクションエナジーを50%上げる(味方全体) 支援スキル:金剛力 - ATKを10%上げる(味方全体) 名前:カンフーマスター(Kung Fu Master) コスト:2.0 カード:UC 中国神話・伝承 戦闘スキル:デスゲーム - 15秒間、与えるダメージを20%増やす(敵1体) 支援スキル:バーニングフィスト - 火属性のスピリッツ1体につき、SPDを5%上げる(味方全体) 名前:輪入道(わにゅうどう, Wanyudo) コスト:1.5 カード:UC 日本神話・伝承 戦闘スキル:高速の星 - 15秒間、SPDを100%上げる(味方1体) 支援スキル:黒い夜 - 火属性スピリッツのSPDを30%上げる(味方全体) 名前:波山(ばさん, Basan) コスト:1.5 カード:C 日本神話・伝承 戦闘スキル:紅花山 - 5秒間、火属性のスピリッツのSPDを80%上げる(味方全体) 支援スキル:なし 名前:妖狐(ようこ, Yoko) コスト:1.5 カード:C 日本神話・伝承 戦闘スキル:幡狐播 - HPが15%以下のときSPDを50%上げる(味方1体) 支援スキル:なし 名前:マンティコア(Manticore) コスト:1.5 カード:C 東南アジア神話・伝承 戦闘スキル:石化の瞳 - 5秒間、対象のアクソンエナジーの動きを止める(敵1体) 支援スキル:なし 名前:狐火(きつねび, Kitsunebi) コスト:1.0 カード:C 日本神話・伝承 戦闘スキル:蒼火 - 400の固定ダメージ(敵1体) 支援スキル:なし 名前:火鼠(かそ, Kaso) コスト:1.0 カード:C 中国神話・伝承 戦闘スキル:火浣布 - 15秒間、受けるダメージを減らす(味方1体) 支援スキル:なし 名前:ニーズヘッグ(Nidhogg) コスト:1.0 カード:C 北欧神話・伝承 戦闘スキル:ファイアスノート - 通常攻撃の0.8倍の火属性ダメージ(敵1体) 支援スキル:なし
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目次 1.一念三千論について 2.人間はすべて十階建てのビルの住人 3.関係の論理と実践の論理 4.摩訶止観とは 5.一念三千は関係の論理、実践の論理は勉学、努力 6.地上への転生は進化の早道 7.光の天使の活動エネルギーは霊太陽 8.地獄霊の活動エネルギーは地上界から出る悪想念 9.フワン・シン・フワイ・シンフォーとは私のこと 8.地獄霊の活動エネルギーは地上界から出る悪想念 善川 その場合に、地下の地獄霊が活動するエネルギーというのは、何処から彼らは抽出しているのでしょうか。 天台 先程も言いましたように、生命力自体というものは、既に与えられており、これは決して不増ということであります。まずこれが一点であります。――第二点でありますけれども、これも既にあなた方、ご承知であると思いますけれども、゛想念゛であります。゛想念エネルギー゛であります。これを吸収しております。 善川 そのエネルギーによって、彼らは地球上の地域如何を問わず、自分達の欲する場所へ現われるのでしょうか。 天台 その活動力は若干意味が違うのであります。それは世界観の違いであります。 善川 彼らがこの地上界に悪影響をおよぼしておりますが、これらはその悪想念を食してエネルギー源としているのでありましょうか。 天台 まあ、そういうことであります。 善川 たとえば、いろんな神社信仰とか、仏閣信仰とかによって大勢の人間がこの世的な、主として物欲的な念願を込め祈願をしていますが、そのほかギャンブル、詐欺、誑(たぶら)かしなどが醸(かも)し出す悪想念、これを悪霊といわれろ未進化の霊、あなたの申される迷える霊たちはこの人間の物欲的悪想念を、自己の活動のエネルギー源として吸収して、日々自我中心の欲望生活を続けているのでありましょうか。 天台 この地上界、一階に住んでいる人間の念いというものは、既に現実実相の世界にもあるものであります。この世界で明るい太陽を念う心は実相の世界にもあるものであります。 悪を念う心、恨み、つらみ、妬み、怒り、このような心もまたある世界であります。その世界のエネルギーになるのは、そのマイナスの考えといいますか、想念といいますか、磁場と申しますか、こういう怒りなら怒り、恨みなら恨みという想念も一つのエネルギーなのです。このようなものが彼らの活動源になっているのです。その意味においてそのようなものを無くしていかねばならないのであります。 9.フワン・シン・フワイ・シンフォーとは私のこと 善川 もし、お教え願えるならば、先般私どものこのような会にお出になられた、天台宗系の僧と名乗られた「フワン・シン・フワイ・シンフォー」という方は、実在人物でしょうか? 天台 フワン・シン・フワイ・シンフォーとは、そのような名前を使って出てきているのでありますが、実際にはその人ではありません。 善川 何んというお方でしょうか? 天台 天台智顗であります。 善川 ――ああ、あなた様でありましたか。 天台 私であります。当初、高橋信次さんのところに現われたときに、私は、フワン・シン・フワイ・シンフォーという名前を名乗って現われたのであります。天台智顗、と名乗って現われてもびっくりしますから信用しません。だからそういう名を使って現われたのであります。天台智顗、私であります。 富山 ただ、そうしますと、高橋先生の本では、フワン・シン・フワイ・シンフォーという方は、イエス様の分身で、天台智顗様はお釈迦様の分身だと書いてあるんですが? 天台 かなり混乱はあるでしょう。 善川 先般私どものところにもお出で下さって「天国と地獄論」をお説き下さったフワン・シン・フワイ・シンフォーという方も、あなた様であったのですか、……それともあなた様の分身の方であられたのですか――。 天台 私であります。 富山 私、思うに、高橋先生のその仏教のとらえ方、或はキリスト教のとらえ方については、ひじょうにその、天台的、日蓮糸的な色彩が強いんじゃないかと思うんですが、それはその指導霊の方の個性に基因することが多いのでしょうか。 天台 あります。 善川 高橋先生は、いまはもうご他界されているわけですが、現在そちらではどの階に上っておられますか。 天台 私たちの上の階におられます。 善川 やはりまた主の座についておられるのでしょうか。 天台 何んとも申せません。 富山 一つだけお伺いしたいのですが、地上に出ているものに「実相」の世界すべてが明かされるのでしょうか。 天台 どういうことでしょうか、すべてとは、如何なることでしょうか。 富山 つまり「実相、神理」の全体像が……。 天台 そのために、われわれがこうやって協力しているのです。 富山 ただ私が思いますのに、私たちがそれぞれ出て来た目的というか、それには時代背景というものがあると思うのです。その状況に限定されたことしか教えてもらえないのではないかという気がするのですが。 天台 というか、あなた方の理解を超えたことについては、私たちには語ることはできないのです。 富山 その理解というのは、時代背景にひじょうに制約されているのでは……。 天台 時代背景だけではないのです。一階に居て、十階を語ることはひじょうにむつかしいことであります。行ったことのない、頭の中に浮べることのむつかしいことを、一生懸命に説いているわけです。いまも十階建ての建物の話をしました。エレベーターの話をしました。これはみな比喩であります。こういう比喩を使わなければわれわれの世界、われらの考えを述べることができないからです。比喩であります。十階建ての建物、エレベーターの話も、この三次元世界にあるものをもって来て、われわれは語っているのであります。実際には、こうではないのであります。しかしあなた方の感覚に訴えかけて、理解できる方法でしか語ることができないのです。限界があります。 富山 つまり、釈迦、イエス、その他の聖賢が説かれた真理というのは、一階から十階すべてを眺めた真理ですね。 天台 そうです。 富山 一階から眺めた真理ですね……。 天台 一階からではないんです。われわれも協力しておりましたから、八階、九階のいろんな住人が来て協力しておったのですが、それを理解できるような比喩でしか語れなかったということであります。 富山 つまり一階に翻訳した形での゛神理゛ですね。 天台 そうです。一階の人間に分るように語っただけです。――われわれが、たとえば八階に住んでいる人間が、七階の人間に語るようには語っていないのです。一階に住む人間に対して語っているのです。 善川 そのことは分りましたが、今後わたしたちは、それぞれの立場で、正法、神理を述べ伝えねばならぬということですが、そこで問題なのは、各自の現在の社会生活とのかかわり合いですが、現在の社会生活、即ち職業を持ちながら、一方において法を伝え広めるという作業は、ひじょうに困難であると思うのですが、或は一切の社会生活を放擲して、この伝道の道に専心すべきでしょうか……。 天台 ゛神゛にお任せなさい。あなた方個人の力だと思っているから困難に見えるのです。神が道を拓いて下さるのであります。個人の力でどうこうなるからと思っているからこそ、そのような悩みとなるのです。神の命であります。神の指命であります。道は開けてくるのであります。困難な現象が起きるならそれも神のみ旨であります。起きないなら神のみ旨であります。如何なることが起ろうと、あなた方は、あなた方の使命を果たさなければならないのです。この世的に、楽な繁栄、幸せになるようなことは、この際忘れ去りなさい。何故なら、あなた方は「実相」の世界の住人だからであります。あなた方が還ってくるところは、もう明らかになっているのであります。残り数十年、この一階の世界をどのようにしていくかということであります。あなた方はみんな還ってくるのです。遅かれ、早かれ還ってくるのです。われらの世界に帰ってくるのです。困難はないのであります。何も心配はないのであります。 善川 天台様、それではまことに長時間、どうもありがとうございました――。 富山 天台様、もしそちらに「不空三蔵」様がおいでになられましたら、ちょっとあなたとお替わり願えますでしょうか。 天台 わかりました――。
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目次 1.美を司る神々の働き 2.すべての作品は霊的バイブレーションとそのレベルを持つ 3.色にはその 色 の生命がある 4.私は霊的な眼で絵画を追究した 5.キュービズムとは一念三千の世界 6.創造の源泉はすでに霊天上界に在る 7.絵画は感性を通して思想を伝えてきた 8.絵は神の御心、真・善・美を描き残すもの 9.新たな宗教絵画の時代は二十一世紀に訪れる 10.絵画のキュービズムは、神理における多次元概念の表現 11.伝道には大胆な色彩とタッチが必要 12.魂の懐古 13.私は指導霊からインスピレーションを受けていた 14.光沢ある芸術的人生こそ神の慈悲 15.ゆとりのある多彩な人生を 16.今後の「芸術編」編集について 9.新たな宗教絵画の時代は二十一世紀に訪れる ―― ところで、先生の同時代に出られた、ブラックなどと言われる方も、だいたい傾向としては、やはり光の天使として出られ、描いておられたわけでしょうか。 ピカソ ま、光の天使という意味を、簡単に使ってしまってはいけないでしょう。さまざまな派が出てきましたが、それぞれの段階によって中心的な方々は、やはりそうであることが多いです。印象派の方々も、光の天使である場合も多いですし――。 ―― ミロ、それから、シャガール、こういう方もやはり何かの表現をされた――。 ピカソ シャガールは、大変霊的な感応力の強い方でありました。彼の指導霊たちが、ずいぶん指導しています。 シャガールは、ある意味においては、本人は知ってか知らずか、幽体離脱の経験などもしていたのです。彼は、空を飛ぶ絵をずいぶん描いています。あれは、彼が実際に体験したことなのです。 本人は、夢を観ているぐらいにしか思っていないかも知れない。けれども、睡眠中に霊体が脱けだして、本当に空を飛んでいるのですね。そういうことを、覚えている人もいます。たいていの人は忘れています。けれども、彼の場合は、空を飛んでいたことがその記憶のなかに残っていたのです。それで、ああいった絵をずいぶん描いたのです。魂の記録です。 ただ、私は言っておきますが、やはり、「真・善・美」のなかではね、神理を述べる人が一番です。私たち芸術家というものは、ある意味では宮大工(みやだいく)なのです。神殿を建てるための宮大工にしか過ぎません。中味を創る人がいるのです。いくら神殿だけ立派でも、なかに何もなければ意味がありません。 ですから、いろんな宗教、正法(しょうほう)が説かれた時に、宗教美術、文化というものが生まれてきましたし、さまざまな宗教にはその個性がありますけれども、美術的にも個性がずいぶんあると思います。キリスト教の美術にもあるし、仏教美術もあります。そうしたものは、やはり、その美術を担当する光の指導霊たちが、そうしたものを指導しているということです。 この地上に降りた時には、ピカソとして絵を描くこともあります。けれども、天上界に在っては、そうした宗数的な美術の指導をしているわけです。 ―― 先生は、近年ではピカソとしてお生まれになった以外に、あまり出られたことはないのでしょうか。 ピカソ 以前に、私は、やはり生まれたことがあります。 ―― やっぱり、絵の関係ですか。 ピカソ 絵ではないです。 ―― そうですか。 ピカソ ギリシャです。 ―― ああ、ギリシャ時代にね、建築関係の――。 ピカソ そうです。パルテノン神殿、ああしたものができていますけれども、ああいったものも私が当時に、設計などをしていたのです。 ―― ああ、そうですか。まあ、美術では私たちが承知している範囲では、少し時代が古いですけれども、ラファエルロとか、それからもう一人――。 ピカソ ミケランジェロですか。 ―― ミケランジェロとか――。 ピカソ ラファエルロ、レオナルド・ダ・ビンチ――。 ―― こういう方々は、やはり光の指導霊、光の天使として出られたというふうに聞いておりますが――。 ピカソ そうです。 ―― 近年におきましては、そういう有名な方は出られておりますか。 ピカソ 出ておられます。ただ、七大天使にあたるような方というのは、そう簡単に出るものではありません。それはそうです。現代は、美術界に七大天使のような方を出すよりは、むしろ、もっと直接的に宗教界に出す方が早道です。 ―― マチスあたりは、また違うんですか、系統は。 ピカソ マチスも、もちろん偉大な方です。ただ、偉大といってもいろいろと、ま、種類が違うわけです。 ―― ミロという方も、新しい傾向をもってやられた方と思うのですが――。 ピカソ もちろん、偉大な方ですけれども、ただ、こうして呼び出して、話をするだけの魂としての器があるかどうかは、別の問題です。 ―― ま、いろいろあるのですけれど、カンディンスキーだとか、いろんな有名な方が出ておられますけれども――。 ピカソ ただ、絵もね、画家だからすべてがいいわけではないのです。音楽にもいろんな音楽がありますね。静かな音楽もあば、騒がしい喧騒のような、都会の喧騒のような音楽もある。それぞれの音楽に、霊的な段階というものがあるのです。 同じように、絵にも霊的な段階というものがあります。それは、あなた方にはなかなかわからないかも知れない。 ―― まあ最近、シュールリアリズムというようなものから、このスーパーリアリズムというものまで、いろんなこういった新しい傾向のものが出ておりますけれども―― ピカソ そうしたものはある意味においては、一つの破壊にしかすぎないのです。 それはね、あなた方も決して美しいものとは感じないでしょう。どちらかと言うと、現世における混乱を象徴しているのです。世紀末的な芸術であります。混乱を表しているのです。 この後(あと)に、また、落ち着きのあるものが出てきます。それは、新しいかたちでの宗教画のようなものになってくるのでありましょう。そうしたものが、今後出てくるはずです。 ―― いろいろこう一見グロテスクのような感じのする、こういう表現をされたものが、出ておりますけれども。 ピカソ だから、個人も、時代の波動というものを、ずいぶん受けるのです。やがて、二十一世紀には、新たな宗教絵画の時代が訪れると、私は信じております。 ―― またその時には、やはり偉大な指導霊の方が、絵の方面にも出られるわけですね。 ピカソ 出るだろうと思っております。 天上界の計画というものも、いつも順序があって、まず、法を説くための核にあたる方が出られます。そして、優れたお弟子さんたちが出て来られる。しばらくすると、哲学者のような方が出て来られて、教典をまとめ上げたりされる。そうするうちに、美術関係の方々とか、いろんな方々が出てきて、文化というものを創っていくのです。そういうふうにいつもなっています。 キリスト教にしてもそうでしょう。あれだけ建物とか、建築だけではなくて、ステンドグラスとか、さまざまな美術的なものがあるから、また人を引き寄せている面も、ずいぶん多いと思うのです。 その点、日本の神道においては、あまり進歩がないと思うのです。千年前も今も同じです。芸術的な面においての進歩がなかったと思うのです。もっと人を引き寄せるようなものを工夫すべきであったと、私は思うのですが、その面に欠けるところがあったと思います。 ―― そうですか……。ミロのこの絵などは、どういうことを象徴しているのでしょうか。 ピカソ 彼は、どちらかというと、霊界にもさまざまな世界があるのですが、「幻想(げんそう)」、「ファンタジーの世界」というのがあり、さまざまなお伽噺(とぎばなし)の世界ですね、お伽噺の国のようなものも、やはり霊界にはあるのです、そうしたものを、表現しているものだと私は思います。実際にあるのです。 ―― ああ、そうですか。なるほど、そういう意味合いのものを、表現されているわけですね。 ピカソ ですから、あなた方はいろんな霊たちを呼んで、天上界のさまざまな世界のことをこの地上にお伝えしようとしておられますが、美術家たち、芸術家たちは、彼ら独特の霊感、直観によって、彼らが感じた世界を写しているんです。 ―― ゴッホのような人は、これは悲劇の生涯で終わったわけですが――。 ピカソ ゴッホは偉大な魂ではあったのですけれども、個人的な生き方において、さまざまな問題点もあり、現在は反省中です。 ―― ああ、そうですか。 ピカソ ただ、芸術家には、いろいろと夭折(ようせつ)される方とか、いろんな死に方をされる方も多いのですけれども、ま、必ずしも死に方自体を見て、その人の全人生を裁(さば)くのが正しいことではありません。 芸術家というのは、まあ、私のような長命の人間もいるわけですけれども、短命の早死にの天才という者も多いのです。それは、彼らの魂があまりにも、この地上に住むには慣れていないからです。彼らは、もっと住みよい世界のことを求めているのです。本人が、短命を欲しているんです。やるべき仕事をしたら、さっさと還りたいと思っている方々も多いのです。そういった人にとっては、病死だとか、事故死だとか、さまざまなかたちで、天命が尽きることになっているのです。 その絵なんかは、あなたが観ておられる、その左の絵ですね、これなんかは、もう霊界の世界そのものです。(注、ピカソがここで指摘している絵は、グリス作のピカソ像、1912年のアンデパンダン展に「ピカソ讃」と題して出品されたもので、同国スペインの先輩ピカソヘの尊敬をキュービズムの手法で表したもの。) ―― これですね。あなたの画像ですね。これは一応、ピカソ先生の――。 ピカソ この背後に広がっているものを、その世界を観て下さい。霊人としての姿そのものです。 ―― あなたは、非常に肉体的にも恵まれておられて、長命であられたが――。 ピカソ 私の場合は、経済的にも恵まれました。 ―― そうですね。まあ、まず芸術家としてはめずらしい生涯を――。 ピカソ 私は長命でした。そして、また人間関係にも結構恵まれましたし、また、資金といいますか、富にも恵まれました。そういう意味では、幸福な生涯であったと思っております。 10.絵画のキュービズムは、神理における多次元概念の表現 ―― 私も、上野の美術館で先生の絵画展を拝見したのですが、こういう本や写真で観るのとまた違いまして、実物を観る時には、その何と言いますか、非常な気迫を画面から受けて感銘したものです。とても並の者では描(えが)けるような絵ではないという昂奮を覚えたものです。 ピカソ その色彩とか、デザインの大胆さをいろいろ考えていただきたいのです。それが人間としての判断で描けるかどうか――。思いきって描いているはずです。 なぜ、そこまで思いきることができるか。これを美だと断定できる何かを、私は持っているからです。それを感じるからです。 いいですか、美の世界においても、そのような転生輪廻(てんしょうりんね)とはいいませんが、変遷(へんせん)があるのです。さまざまな時代にさまざまな美があり、美も移ろっていくものです。それぞれの時代において、美しさというものがあるのです。同じように、あなた方の神理というものも移ろっていくものです。それぞれの時代に神理があります。時代の特色があります。 私が《キュービズム》を見出(みいだ)したように、あなた方もある意味においては、今はですよ、神理において、《キュービズム》を発明しようとしているのです。この意味がわかるでしょうか。今までの神道にしても、仏教にしても、キリスト教にしても、三次元におけるやはり正法であったのです。三次元と、神の世界しかなかったのです。 ところが、あなた方は三次元以外に、四次元、五次元、六次元、七次元、八次元、九次元という、こういう多次元的な世界、多次元の世界というものを今、神理のなかに導入しようとしています。これは、正法における、神理伝道における《キュービズム》なんです。立体主義なんです。いいですか。そういうことをあなた方は、二次元のキャンバスに私が描いたように、二次元のキャンバスに三次元、四次元以降を描いたように、あなたも三次元という、この地上世界というキャンバスに、多次元世界を描こうとしているのです。ですから、あなた方もまた、別な意味の《キュービズム》だということです。 ですから、今後さまざまなことが言われるでしょう。あなた方の活動を理解する方もいらっしゃれば、あるいは、インチキ宗教、オカルト宗教と、言われることもあるでありましょう。それは、私の絵が、これはインチキな絵だ、駄作だと言われていたのとまったく同じです。わかる人にはわかる、わからない人にはわからないのです。新たな次元概念を用いるということは、それだけ難しいということです。 ちょうど、あなた方の正法というのは、その絵のようなものなのです。観る人が観れば美しく見えるが、違う人が観れば、何だこれは、ということです。こんなことよりは、もっと写実的に描いた方がいいじゃないかと。 宗教の世界において写実的というのは、たとえば病気直しでもした方がいいじゃないか、というのと一緒のことなのです。いいですか、写実主義というのは、宗教の世界におけば、たとえば病を治すとか、そういうことなのです。八次元、九次元のこと言ったってわからないと。それは、《キュービズム》の絵を観るのと同(おんな)じだ、というようなことなのです。 11.伝道には大胆な色彩とタッチが必要 ―― 私たちも、こういう方面の人びとに対する、問いかけという意味もありまして、今回、先生をお招きして、本当の芸術というものがどういうものであるかということを、お聴きしたわけなのです。さらに、たとえば文学の世界だとか、あるいは彫刻の世界とか、そういう方面の光の指導霊の方々から何かこの時代、これからの時代に対してのご意見を受け賜りたいと思うのですが、誰かご紹介いただけるような方がございましょうか。 ピカソ もちろん、いろんな方がいらっしゃいます。待っておられる方もいらっしゃるでしょう。 ただね、私が、そのような一枚の絵を描いたように、ここに赤を使い、青を使い、白を使ったように、いいですか、あなた方も一生を使ってですよ、一つのキャンバスに絵を描いているのと同じです。どこに青色を使って、どこに赤い絵の具を使って、どこに緑を使って、どこに輪郭の線を入れて、そうしたことを一歩一歩確実に、大きな絵を描いていくつもりで、やっていかねばなりませんよ。 ―― 構想ですね。 ピカソ そうです。大切なことです。 ―― プロットといいますか、そういうものを立てていかねばならんということですね。 ピカソ そのような大胆な赤の色が、あなた方に使えるかどうかです。いいですか。赤は大胆を表す色なんです。これは絵ですけれども、ただあなた方の正法流布、神法流布の生涯において、私が使ったような、大胆な赤の色を使えるかどうかです。臆病な人には、その赤は使えないのです。その赤の色が使えるかどうかです。勇気と自信がなければ、赤色は使えないのです。 どうか、水彩画のような人生ですね、水彩画や墨絵(すみえ)のような人生ばかり描(えが)かずに、大胆な色も使っていただきたいと思うのです。あなたも、ともすれば、墨絵のような世界に篭(こも)る傾向があります。 墨絵だけでいいのではないのです。やはり、色彩鮮やかな絵を、現代の人びとは求めているのです。墨絵だけでは飽(あ)きてしまいます。水彩画だけでは物足りません。そういう意味において、現代的な絵を描いていかねばなりません。そうした多次元のような絵を描かねばならないのです。極端な色彩美と、そして、その構図、こうしたものが必要です。 ですから、あなた方のこれを、神理の流布にたとえてみるならば、その強烈な色彩というのが、伝道の方法ということでありましょう。そのやり方ということでありましょう。そして、その構図、立体的な構図というものに当たるものが、正(まさ)しくあなた方の思想の内容でありましょう。 やはり、新しいものを生み出すのでなければ、何のためにこの世に生を受けたのか、わかりません。過去世の人が美としたものを、同じく美として描いているだけでは、この世に生まれた画家としての使命は果たせないのです。同じように、釈迦の時代に、キリストの時代に、是(よ)しとしたことを、今の時代に同じように説いたところで、それは何の意味もないのです。 あなた方の何年か前に、あなた方の先達(せんだつ)として地上に降りた偉大な方を私は知っております。その方は、釈迦の残された仏教というものの露払いをされたはずです。それを私は知っております。ただ、そんなものであっていいわけではないのです。 時代はどんどん変化していくのです。救世の作業というものも、新しさが求められているのです。過去世のものを掘り起こしただけでは足りないのです。そのためのあなた方であるということなのです。 あなた方にとっての、これだけの大胆な立体主義に当たるものは何かということを、考えていただきたいと思います。 これだけの大胆なものを出すには、まず、人の批判を恐れないということです。断じて、信じたものを貫くということです。勇気をもって、表現するということです。それが、私の青であり、赤であったということです。あなたも、大胆な原色の青や赤を使って下さい。 12.魂の懐古 ピカソ それと、善川さん、あなたに言っておきますが、私とあなたは初めて会ったように、あなたは思っておられるかも知れないけれども、天上界においては、私とあなたは友達なのです。 ―― ああ、そうですか。 ピカソ あなたは初めて会ったようなつもりでいるけれども、私たちは友達なのですよ。ずいぶん親しい仲なんです。 ―― ああ、一向に存じませんでした。そうでしたか。 ピカソ あなたのなかにある芸術的な関心、美術的な関心というものは、過去世において、天上界において、私と仲良く遊んでいた時の思い出なんです。 ―― ああ、そうですか。とにかくこの美術に対しましては、もう無上の懐かしさというものを、感じるのですけれども。 ピカソ それはそうです。私も、あなたの親友の一人だからです。 ―― ああ、そうでしたか。 ピカソ 私たちもね、いろんな魂の傾向を持っている方々と付き合っているのです。たとえば、私からは芸術的な、美術的なものをあなたは学ぶことがあるし、私はあなた方からね、また仏法だとか、さまざまな神法の流布の仕事の勉強をね、学んでいるのです。そのように、いろんな役割があるんです。 あるいは、あなたのお友達で、木戸孝允(きどこういん)さんという方もいらっしゃいましたね。そうした方は、政治のプロですね、政治家として。そうした方からは、この政治、人の動かし方とか、国の治め方というようなものを、私たちは学ぶこともあるんです。 そういうふうに、いろんな特徴を持った方がいらっしゃって、それで勉強になるのです。天台智覬(てんだいちぎ)様とか、木戸孝允様とか、あるいはあなたとか私とか、こういった人は、みんな友達なのです。 ―― 日蓮さんなどもご承知なのですか。 ピカソ そうです。 ―― そうすると、まあ日本の方々は、現在、あるいは最近日本に生まれた人びとはご承知な方々が多いわけですね。 ピカソ そうです。というのは、日本に生まれたからどうだということではなくて、過去世において、もう何千年、何万年とね、一緒に暮らしてきた方々なのです。 ―― ああ、そうですか。国境はないのですね。 ピカソ 国境はありません。 ―― 空海さんとは少し、また傾向が違うのでしょうか。 ピカソ いや、空海さんともお会いすることもあります。彼もまた、芸術にも造詣(ぞうけい)の深い方です。 ―― 私もかつて、密教関係の仕事をしたことがあるらしいのですが、そういうことで、曼陀羅(まんだら)の絵なども、かつては描いたようでありましたが。 ピカソ その通りです。描いておられます。 また、「書」もずいぶん勉強されました。書道の「書」ですね。これも昔、ずいぶん勉強されたことがあります。 ですから、キリスト教系において、キリスト教的な宗教画の世界がありましたけれども、仏教にあっても、たとえば「書」というものにおいて、その書の美しさですね、これがまた、人を惹(ひ)きつける一つの方法でもあったわけです。空海さんにしても、まあ偉い方ですけれども、彼のまた、その書体、書がですね、当時素晴らしいものであったために、世の人々に伝わった面もあるのです。 13.私は指導霊からインスピレーションを受けていた ―― あなたは、ピカソとしてお生まれになった時には、このような天上界からのインスピレーションと申しますか、ご指導は受けられましたか。 ピカソ ま、直接的なものではありません。ただ、あなた方が洞察力とか、インスピレーションとか言われているようなものは、当然受けておりました。 ただ、このような、明確な霊的な能力ではありませんが、私自身、たぶん霊能者であっただろうと、自分でも思っておりました。 ―― そうでなければ、あれだけのものは、ちょっと人間技ではとても描けませんね、やっぱり。 ピカソ あなた方だって、こうして私たちと話していて、こういった世界、この一つの世界を持っておられるけれども、これを余人に説くのは無理でありましょう。私には、私の霊的な美的な世界がありました。こういう美はこういうふうなところから来た美なんだよ、ということを、人に語ってわかるわけはないのです。天来の美なんです。なぜ、ここに赤を使わなければならないのか、これを人に語ってもわからないのです。非常に高いところから、天下って来る概念なんです。 ですから、私は神様に常々感謝しています。神様は私たちのために、さまざまな才能を授けて下さっています。あるいは、シェークスピアのように小説、戯曲を書かしていただいたり、あるいはゲーテのように詩を書いたり、小説を書いたり、あるいは私のように絵を描いたり、あなた方のように書を書いたり、お経を書いたり、さまざまな才能を与えてくれています。本当にありがたいことだと思います。あるいは、坂本龍馬さんたちですか、彼らの場合には剣がたつとか、そういうその時代その時代に必要な才能というものを、彼ら天使たちに与えておられます。 ―― 失礼ですけれども、今、仰(おっしゃ)られたお言葉の数々は、これはあなたはどこで、こういうことを知られたのですか。 ピカソ それは、ま、最近亡くなった霊と言えば最近亡くなった霊でありますけれども、私の魂の兄弟のなかには、あなた方の直接の指導霊がいるということです。 ―― 日蓮さんですか。 ピカソ ではありません。 ―― 魂の兄弟と言われる方ですか。 ピカソ そうです。 ―― イエス様ですか。 ピカソ そうではありません。 ―― ではやっぱり、天台さんとか、そういう関係の方面の方ですか。 ピカソ そうです。 ―― ではそうすると、たとえば、さっき仰られてましたけれども、坂本龍馬さんとか、何とかの話の模様をあなたが仰られた……。 ピカソ それはね、私が呼ばれるということが、もうわかっているんですね。もうわかっているんです。あなた方が私たちを呼ぶというのは、もう去年から十分考えていたことなのです。ですから、もう順番待ちを去年からしてたのです。 ―― それでまあ、注目されていたという……。 ピカソ そうです。もうね、あなた方が、病院に行かれて待ち合い室で待っておられるように、私たちもね、待ち合い室で待っているようなものなのです。お呼びがかかるのを、待っているのです。ですからね、私の後に出て来る人たちも、もう待っているのです。 ―― ああ、そうですか。同じように非常にありがたいと思います。 ピカソ 龍馬さんがしゃべっている頃には、私たちも、もう見ていたんです。 ―― それは非常にありがたいことです。 14.光沢ある芸術的人生こそ神の慈悲 ―― それでは、せっかくのお出ましでございますので、何か、後世に残したい、もちろんそれを私たちも残したいのですが、美なり、芸術なりの方面に関しまして、特にこれから、こういうことは言っておきたいというようなことがございましたら、受け賜りたいのですけれども、いかがでしょうか。 ピカソ 直接には、今のあなた方の使命ではありませんので、それで美がどうか、芸術がどうかということを、敢(あ)えて言う必要はないと思います。 ただ、あなた方の教えのなかにですよ、骨格は別ですけれども、そうしたものをも受け入れるような、余地を残しておく必要があるということです。よいですか。人生論、難しい教え、ああしなければいけない、こうしなければいけないというようなね、教えももちろん大事です。それは大事なのですが、ただ人生というのはね、さまざまな彩(いろど)りが与えられていると思うのです。これを潤(うるお)いといいます。ともすれば、あなた方の教えのなかには、潤いが欠けることがあります。私が観ていてそう思います。 ―― そうですね。四角四面になりがちですけど。 ピカソ それは、人生を真剣に歩もうとする、あなた方の姿そのものでもあるのですけれども、必ずしも、すべての人間がその通りにはついていけないのです。万人がね、余念なく、一度も踏み外(はず)すこともなく、遊ぶこともなく、迷うこともなく、あなた方の教えについていくわけにはいかないのです。 あなたは、人生を真実一路に生きられた方だと私は存じておりますけれども、ただ、すべての人に同じような生き方をしろと、言っても無理です。人間、道草をしたくなるのです。道草という言葉は悪いかも知れません。人生には、潤いも大切だということです。 その意味において、美術も、音楽も芸術も、すべてが与えられているということです。そういう意味においては、芸術、あるいは美術というものは、神が人間たちに与えられた、大いなる慈悲だということなのです。 人間は、砂漠を歩く人の群れのようなものです。オアシスを求めて、歩き続けているのです。よいですか。あなた方というのは、あなた方の教えというものは、たとえて言えば、砂漠のなかのオアシスみたいなものなんです。旅人たちは喉(のど)が乾いています。彼らの喉を潤すために、あなた方は水を提供しようとしているのです。 けれどもね、水を提供するオアシスのほとりに、椰子(やし)の木陰があった方がいいではないですか。涼しい樹陰(じゅいん)があった方が、緑陰(りょくいん)があった方がいいではないですか。これが美であり、芸術なんです。よろしいですか。ですから、あなた方のオアシスのほとりに緑陰があって欲しい。その緑陰こそが、美なんです。芸術なんです。 ですから、私は一般的なこととして、今、話をしましたけれども、あなた方個人について言うならばですよ、まっしぐらに人生を歩まれるのも結構です。ただ、そのなかにおいて、やはり一時(ひととき)の余裕、潤いというものも持っていただきたいと思うのです。あなた方が、一生懸命に神理の流布に励んでおられることは、大切なことですし、本当に感謝の念に堪えません。けれども、その途次(とじ)においてね、一編の小説なり、一幅(ぷく)の絵なりをですね、味わうだけの余裕もまた、持っていただきたいものだと思っています。そうでなければ、普通の人間は肩が凝(こ)ってしまって、とてもついていけません。そういうことです。 ―― この美術なり芸術なりというものは、人生のなかの一つの大きな潤いとして、神から与えられた膨(ふくら)みといいますか、人生の輝き、豊かさというものを味わっていくべきだということですね。 ピカソ 別な言葉で言うとするならば、「人生の光沢」と言ってもいいです。つやであり、輝き、光であります。 まっしぐらにね、目的に向かって走るだけでは、光沢は出てこないのです。ですから、何か一つのことをね、人生の偉業を為し遂げることは大事ですけれども、その途次において、自らを光らせることが大事です。それが、潤いではないでしょうか。 ですから、あなたは今、活字をね、次々と世に送るために原稿を書いておられますけれども、そのあなたが、また芸術を楽しむ心を持っているということが、どこかにおいてあなたの光沢になっているのです。他の若い方々に対しても、私は言っておきたいと思う。光沢のある人生を送りなさい。余裕のある時に、何か清涼感のあるような、一幅の絵のような、そのような人生の瞬間というものを持ちなさい、ということです。 ですから、あなた方も今後、仕事が忙しくなります。さまざまな人の相談も受けるでしょう。そのなかにおいて、悩みや苦しみと毎日直面することになるでしょう。 ある意味においては、あなた方はお医者さんのようなものです。お医者さんは毎日患者ばかり診ています。病人ばかり診ています。けれども、そうした病気の想念ばかりと闘っていたのでは、あなた方も不健康になってしまいます。あなた方も十分に、息を抜くところは抜き、また、あなた方自身、楽しむところは楽しみなさい。いいですか。 宗教家たちはともすれば、何もかもなげうって、一身を捧げて、自分のことを省みず、人のために尽くそうとします。それは尊いことであります。ただ、あなた方にも、光沢を身につけていただきたいと思います。 ですから、人のために尽くすと共に、そのなかの残り少ない、残された時間のなかにおいて、自分たちの心を潤すもの、潤いとなるものを探し求めることも、また、人間に課せられた使命ではないでしょうか。人生は潤いも大切です。潤いとしての芸術を、忘れないでいただきたいと思います。 あなた方には、読者から沢山の手紙が来ています。その手紙を読んで、あなたが感じられることに、一つには、あまりにも神経質に、真剣に考え過ぎているということもあるのです。肩が凝り過ぎているのです。もう少し、人生に潤いを持ってはいかがですか。あるいは、深刻すぎる人には、もう少し楽しみを持ってもらってもいいんじゃないでしょうか。そうしたことも、私は申し上げたいと思います。 神様、仏様を信じておられる方には、もう一途(いちず)になって、そればかりをやっておられる方もいらっしゃるのです。ただ、それだけではいけないということです。誰もが禅僧みたいに、一日中座禅をして座っているわけにはいかないのです。別の言葉で言えば「彩(いろど)り」です。人生には「彩り」が必要なのです。それも大切にして下さい。 15.ゆとりのある多彩な人生を ピカソ 何か、他に私にお聞きになりたいことは、おありでしょうか。 ―― いや、先生には、私もくわしい事情を存じあげなかったものですから、絵のことについてのみお尋ねしようと思っておりましたけれども、意外にもかつて私とお知り合いであったということからして、非常に貴重なお話までも伺うことができたことは、ありがたいことです。 ピカソ それは、今だけではなくて、何百年も前から私があなたと会っては、ま、あなたに注意されることもあるのだけれども、私があなたによく注意してきたことなのです。 あなたは以前、私も観ていたのですけれども、『坂本龍馬の霊言』の次に出されたご本のなかで、ある方に叱られたことがあったと思うのです。それは、何百巻、何千巻のお経を、巻物を背中に積んで、山を登っていくようなあなたの姿、そのことを批判されたことがあると思うのですが、私もよくそれは言っていたのです。あなたは、あまりにも真剣すぎると。真剣一途にやり過ぎると。いつも人生は、険(けわ)しい山をお経を背負って歩いているようなもの、そういうような人生観をあなたは、ともすれば持ちたがる、――ですから私が袖(そで)を引っ張って、「ちょっとここらで休んで、絵でも描こうじゃないか」と言っても、「いや、俺はまだ先が忙しいから、先を急いでいるから」と、よくあなたはそう言ったものなんです。 ―― まあしかし、そういうものの一方においては、ご承知のような吉田松陰というような方からは――。 ピカソ そういう極端な方もいらっしゃいます。 ―― 「いささかの余興があってもならん」ということを、「一瞬一刻たりとも怠け心は許さん」という、厳しいそのお言葉を受けたようなわけで……。 ピカソ ま、そういう方も、また、先生としては大事です。厳しい先生も大事ですが、ただ、師となる人のなかにある人間的な弱点、弱みみたいなところ、あるいは普通の人と同じようなところがあって、初めて人間は救われるのではないでしょうか。 近寄り難い方ばかりが光の天使であったならば、一般の人たちは救われません。私たちと同じようなところがあるなと思えて、初めてほっと一安心するのではないのでしょうか。 ですから、あなた方に対して、悩むな、苦しむな、と言われる方もいるでしょう。けれども、あなた方が悩んだり苦しんだりしている人間的なところを見て、初めて胸をなでおろす人たちも、また数多いことは確かです。 また、こちらの世界に還って来られたら、一緒に絵を描こうじゃあないですか。たまたま同じ時代に生まれたものだから、話もまた合うことも多いかと思います。 ―― そうですね。いや、私はね、今もなお、時がもし与えられるなら、絵を描きたいという気持は、十分持っているわけなんですけれど。 ピカソ 絵は私が代わりに描いてあげたから、あなたはいいですから、いいからあなたは本を出しなさい。 ―― (笑い)それはもちろん、それが私の天職だから、やらなければならんけれども、しかし、実に絵はよろしいですな。 ピカソ ま、よろしいのですが、絵には余裕が必要でね、あなたのように、余裕がない人にはなかなか入っていけるもんじゃないんです。 ―― そうですね。ま、しかし人間的なところでは、趣味程度で過ごしていかなければならんと思いますけれども、とても、その絵の神髄を描くということは、もうこの世においては無理だと思いますけれども。 ピカソ ま、それはわからないですよ。あなたが描いた何枚かの絵が、後世に残らないとも限らないですから。 ―― ああ、いやいや、お恥ずかしい。とても絵のうちには入らないわけなんですけれど。 ピカソ 絵に値打ちがなくても、名前に値打ちがあったりすることもあるわけです。私は、イエス・キリスト様は絵がうまいかどうかは知りません。けれども、もし、彼が描かれた絵が残っていたとしたら、それは世界一の、国宝どころではない、世界のやはり宝だろうと思います。 ―― まあ、そういうことですね。 ま、特に私のみならず、ここにおります〇〇〇〇に対しまして、何かアドバイスがいただけましたら――。 ピカソ まあ、あなたはまだまだこれからの人で、長い人生があるのを、私の目から見れば気の毒にも思うけれども、また、別の意味においてはね、何十年もの人生があるということは、また、楽しみがあるということです。 私は今、光沢のある人生を送りなさいと言いましたが、これは善川さんだけに言っているのではなくて、〇〇さんにももちろん言っているのです。あなたの人生の目標というのは決まっています。そういうふうに目標が与えられると、ともすればあなた方は、まっしぐらに走りたがります。それは大事なことです。いちばん大切なことを、まっしぐらにやることは大事です。ただ、それだけでは、人間としての深みがなくなるということなんです、いいですか。 身近な例でも、そういう人がいらっしゃるはずです。ある団体でね、まだ、大した経験もないのに、人を教え導こうとして種が尽きて困った方もいらっしゃるはずです。同じなのです。あなた方も人間としてね、人間の人生を多角化していく必要があるのです。複線化と言ってもいいのです。幾つかの溝をつくっておくということですね。それが大事なことです。 ですから、あと何十年かの人生がありますが、真実一路の人生であると共に、やはり自分も、せっかくこの地上に生まれて来たのですから、その間にいろんな経験をしていただきたいと思っていますし、今まで自分の魂のなかになかったようなものも、何か身につけていっていただきたいものだと思います。 ―― ありがとうございました。 ピカソ 画家にしては、どうもしゃべり過ぎたようですが。 ―― ああ、いや、なかなかしかし、普通の画家では語れないお話を承って、非常にまあ感銘を深くしているわけです。一応芸術論ということで、またあと何名かの方をお招きしまして、ここに収録したものを一冊の本として出したいと、このような計画を持っているわけなのです。その時には、先生のお言葉をぜひ掲載させていただきたいと思います。 ピカソ わかりました。
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土: 強さ関係: > > 名前:陰陽師(おんみょうじ, Onmyoji) コスト:2.0 カード:R 日本神話・伝承 戦闘スキル:式神 - 400の固定ダメージ(敵全体) 支援スキル:占事略決 - 火属性のスピリッツ1体につき、SPDを5%上げる(味方全体) 名前:ダイダラボッチ(Daidarabotchi) コスト:2.5 カード:UC 日本神話・伝承 戦闘スキル:巨人の足跡 - 通常攻撃の0.8倍の土属性ダメージ 支援スキル:なし 名前:キョンシー(Jiangshi) コスト:2.0 カード:UC 中国神話・伝承 戦闘スキル:暗器術・大盤振舞 - 通常攻撃と同じ土属性ダメージ(敵1体) 支援スキル:幽玄十硬 - 受けるダメージを5%減らす(味方全体) 名前:長壁姫(おさかべひめ, Osakabe-hime) コスト:1.5 カード:C 日本神話・伝承 戦闘スキル:吾妻鏡 - 5秒間、土属性のスピリッツのSPDを80%上げる(味方全体) 支援スキル:なし 名前:スコーピオン(Scorpion) コスト:1.5 カード:UC 世界各地の伝承 戦闘スキル:硬質化 - 15秒間、受けるダメージを20%減らす 支援スキル:なし 名前:狢(むじな, Mujina) コスト:1.0 カード:C 日本神話・伝承 戦闘スキル:寅の穴 - 5秒間、土属性のスピリッツのSPDを80%上げる(味方全体) 支援スキル:なし 名前:土蜘蛛(つちぐも, Tsuchigumo) コスト:1.0 カード:C 日本神話・伝承 戦闘スキル:羅登呂鬼神 - 15秒間、与えるダメージを10%増やす(敵1体) 支援スキル:なし 名前:獏(ばく, Baku) コスト:1.0 カード:C 中国神話・伝承 戦闘スキル:夢喰い - 30秒間、受けるダメージを8%減らす(味方全体) 支援スキル:なし
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目次 1.悟りの奥行き 2.観自在力への三次元的な歯止め 3.悟りの道標 4.何のために三次元世界で悟りを求めるのか 5.悟りの武者修行 6.人類の叡智に対する敬意 7.宗数的対立を超えて、今 8.新しい時代の新しい悟りの方法――真説・八正道 9.「正見・正語」の深まりのある人 10.「ピンの発見」と「正見」 11.自分のピン・他人のピン 12.阿羅漢の心 13.阿羅漢・不退転そして如心 14.如心と観自在力 15.ネガ・フイルムによる三次元世界の未来予知 16.霊速度とのギャップ 17.神通力 18.如来界の如心(一即多、多即一) 19.如来界の悟りとは 20.「宇宙即我」の悟りへ向かう霊的進化 21.釈迦の悟りについて 22.神理学習の時代へ向けて 23.九次元の悟りの三つの条件 24.超能力信仰と読心力 25.九次元霊を順番に出す意味 19.如来界の悟りとは さらに上のほうになってきますと、これがはっきりしてまいります。自由自在になってくるわけなのです。このようになりますと、すごい仕事ができるのはみなさんもおわかりだと思います。如来界には五百名弱しかいないといいますが、このようなタイプの人がいれば、それはすごいのです。その下に何十億人いても、ものすごい量の仕事をこなすことができるのがわかるはずです。 もしこのような存在形態でなければ、たとえば如来というより九次元如来になりますが、イエス様などもあのような仕事をこなせるはずがありません。十億人もいるクリスチャンが、毎日イエス様の名前を呼んでいるのです。そしてさらに霊言集を見れば「わが名を呼べ」などと言われているくらいですから、普通の人にはとうていできるはずがありません。 ですから、こういうかたちの仕事に熟達しているのです。中心から放射された糸のように、いくらでもダーツと分かれて仕事ができるのです。そしてシューッと戻って意識が統一できているのです。これができなければ、そうしたことが成り立つはずはありません。 では、このようなところまで行くためには、どうすればよいかということです。そうして考えてみますと、まず経験の量ということではそうとうな幅と量の経験がなければまず無理でしょう。たとえば一つのことしかできないようなタイプ、いわゆる神界にいる学者肌で、一つの専門分野だけの専門家ではこのようなことができるはずがありません。やはりオールマイティなものが要求されています。ですからスペシャリストではだめなのです。スペシャリストは如来にはなれないのです。ここは大切なところですので、記憶にとどめておいてください。スペシャリストは途中で行きづまってしまうのです。 六次元ではスペシャリストが多いのですが、だいたい七次元の菩薩界に行くにしたがって鍛えられるのです。いろいろな実務をやらされ、一生懸命働かされて、働く能力が増えてくるのです。そしてここでしごかれて、ゼネラリストになってきた人がだいたい如来に入ってゆくのです。ですから如来になりますと、いろいろな仕事ができて、才能も多方面になってきます。レオナルド・ダ・ヴィンチのように何にでも才能を発揮するような人がたくさんいるのです。 何でもできるというのは、けっきょく身体でいえば前述のタコやクラゲではないけれども、手足が何本もあってできるのと同じことです。いろいろな仕事のできるタイプの人というのはそういうことです。それだけ才能があるということは、それだけの魂修行が同時にできるということになってきます。ですから、幅広い経験が必要ですし、それと神理知識としてもそうとうな広範囲にわたっての神理知識の結集が必要です。それから行動力においても無限です。無限の行動力を持っていることがいえます。そしてエネルギーの供給においても、無限のエネルギーを受けられるような器をつくっていかなければならないわけです。 このような感じと思っていただければいいのです。こうしたところに、将来の目標を置きますと、まだまだ向上の余地があることはみなさんもわかると思います。どうでしょうか。今のところ、このようになれる自信がありましょうか。日々の仕事に追われ、わずかのレジャーを楽しむくらいが精一杯という方も多いのではないでしょうか。なかなかそれ以上はいかないのですが、やはり自己認識としてそのような認識ができるようになるまでに、そうとう時間がかかるのです。如来になるとそのような認識がだんだんできてくるようになるということです。 『太陽の法』の一節にもそうしたことが書いてあります。「一万人としてわかれ出ても、それを一人として認識し統一する意識があるということでもあるのです。」このような統一意識、認識力が出れば、そうとう境地としては高いということです。 20.「宇宙即我」の悟りへ向かう霊的進化 太陽界の悟りについて説明してみたいと思います。太陽界といっても狭義の太陽界のことですがここは、如来界よりもう少し高いところにあります。狭い意味での太陽界とは八次元の上段階の世界のことを指します。そこには、ソクラテスであるとかプラトン、アポロン、老子や墨子、このような方がいらっしゃいます。キリスト教系ではミカエルのような人もいらっしゃいます。 こうした狭義の太陽界に行きますと、第一段階の宇宙即我の体験ができるのです。はるか上空から地上や自分を見下ろす体験ができるようになってまいります。 さらにその上の九次元の悟りに入りますと、第二段階の宇宙即我です。別名、「銀河即我」というような境地があることが言われています。そしてその上の段階になりますと、ほんとうの「宇宙即我」あるいは宇宙のなかの自分といいますか、全宇宙の意識と自分とが一致するぐらいのところまでいく第三段階があります。さらに踏み込めば、「神即我」の境地までいく段階があるわけです。このような悟りの段階があるといえます。 これについては、みなさんの勉強が進めばそれなりのものをどんどん出していくつもりです。ある程度はわかるのです。わかるのは自分の力ではなくて、もちろん他力でありますが、他力の力としてある程度わかってきます。そうした考え方があります。 少し戻りますが、如来界をさらにこまかしく分解して説明してみたいと思います。もちろん如来界のなかでも悟りのレベルがあるのです。ただ、その区別を厳密に語ってもそれほどわかるものでもないので、大まかにつかんでいただきたいと思います。梵天如来は、自分が複数化して現われたりするので、多少戸惑っている段階でありますが、それと「宇宙即我」の狭義の太陽界の段階までの間には、だいぶ差があることはおわかりと思います。その途中で自己の認識能力と、仕事能力に多少の段階の差があると思っていただいてけっこうです。 ですから高くなればなるほど縦横無尽、融通無碍(ゆうずうむげ)で、ほんとうに自由自在な活動をするようになってくるのです。その意味で、霊的進化はおもしろくてたまらないのです。孫悟空の世界のようになってきて、思ったとおり、自由自在に自分の力を発揮しながら仕事ができるのです。究極の自己実現とは何かと言いますと、このような如来の世界に入っていくような経験をするとするならば、やはりそういうことになるでしょう。自分の限界がなくなってくるわけですから、これほどおもしろいことはありません。仕事の能力限界がなくなるのです。量においても限界がなくなってくる。これほどおもしろいことはないのです。 だからこそ、みんな競って進化といいますか、悟りを得たがるわけなのです。悟りを得ればそれだけのことができるようになってくるのです。実におもしろいことです。そのような意味では全智全能の神様になるのがいちぱんおもしろいのでありますが、そう簡単にはなれないというところがあるわけです。 21.釈迦の悟りについて さて、釈迦の悟りについて述べてみたいと思います。まず菩提樹下の悟りがありましょう。これについては『釈迦の本心』の第一章で多少ふれていました。釈迦の悟りがどのようなものであったのか、この全貌をやがて明らかにしたいと思っています。 高橋信次先生の『人間・釈迦』という本も四巻出ておりまして、物語としてはひじょうにおもしろいのですが、やはり釈迦の風景といいますか、釈迦と釈迦の弟子たちのストーリーを中心に追っているようです。釈迦の思想や考え方自体は凝縮しますと一、二章分しかないようです。ずいぶん間延びしているわけで、やはり背景の描写がものすごく多いのです。 ですから、私としては同じことを繰り返していってもあまり意味がないので、できれば釈迦の思想がどのような内容を持ち、どのような段階があって、それぞれ説いていく段階で、どのような内容のふくらみがあったのかということを明らかにしたいと考えています。現在は時間がなく、まだ肉体を持っていて霊のように分化ができないものですから余裕がないのです。歴史のなかで派生していった何万巻あるいは、何百万巻といわれる経典などは無視して、釈迦の思想としてどのようなものがあったのか、これの全体を出してみたいと思っています。 『釈迦の本心』にもその一部が出ておりますけれども、さらにさらに奥があります。そのあたりをやがて出したいと思っています。そして『釈迦の本心』を出したあとには『ヘルメスの本心』や、『トスの本心』、『ラ・ムーの本心』というように出しはじめると、きりがないのですが、出してみればやはりおもしろいと思います。過去に生きた人がどのような思想を持っていたのか、この全貌を明らかにすると、ものすごくおもしろいのです。意外な考え方がたくさんあって、大きな発見があります。 ですから、自分で悟るのもよいのですが、やはり現にある他の方が経験された悟りを学ぷことによって、そうとう時間を圧縮することができます。進化速度が早くなりますから、学べるものは学んでおくに限ると思います。 また、中道の考え方としても、あとでまたもう少しくわしい思想を出していくつもりです。まだ簡単に左右の両極端を去って中道に入れという言い方をしておりますし、『心の探究』第2章にあります「心と悩み」の章などでも、まだ中道の思想には発展の考え方が欠けているというようなことを述べております。もちろん釈迦時代で言えばそうしたことになるのです。たしかにそれまでの中道の思垠には発展の考え方か抜けているので、「中道からの発展」ということを一つの課題としてもう少し説いてみたいと思っています。 今回の目的は、いわゆる「中道からの発展」にもあるわけなのです。反省の教えを説いてみたり、発展を説いてみたりして、両方の教えがあってどうなるのかということですが、それを統一する理念はこの「中道からの発展」という概念にあるわけです。 さて、次に釈迦の入寂のときの悟りについてでありますが、そのときに出ていた釈迦の弟子も、多少は現在、私の近くにおります。釈迦が亡くなるときに教団も五千人の大教団となり、そしてその教えを信奉する者は何十万人いるかしれないということでありました。 22.神理学習の時代へ向けて やはりサンガーをつくりたいと考えております。といいますのは、やはりこれがいちばん力を発揮できるからです。仕事の片手間で神理の探究・学習・伝道をしていただいてもよいのですが、そればかりでは勢いよく広がりませんし、ほんとうの救世運動に発展してゆかないのです。ですからほんとうの救世運動を起こしていこうと思うならば、やはりプロになっていただくしかないのです。プロを数多くつくらなければ地上天国・ユートピアはできないということなのです。 私自身も会社づとめをしながらやろうと思ったこともありましたが、やめてこの道に入って二年間、やはり勤めながらやって十年かかってもできないくらいの仕事をしたと考えています。時間というものはものすごく貴重です。ですから、現代的にもやはり、ある程度のサンガーをつくったほうが、ほんとうの力になると考えています。 その運営のためにはどうするかということを考えているわけでありますが、布施や献金というものではやりたくないという気持ちがあります。「中道からの発展」という考えに沿って、できればこれからは神理学習の時代と申しますか、神理を知らなければもう人間としては恥ずかしくていられないという時代が来ると私は思っていますし、むしろ積極的にそのような時代にしていかなければならないということです。 講師は、やはりプロとして教えてほしいのです。塾や予備校などでも教えているくらいです。受験技術などというようなものはほんとうは二の次でもよいのです。ですから心の教えを説いていける方が、やはりプロで生活していけるぐらいの、そういった時代風潮をつくってゆきたいし、その意味でやはり、何千人かのプロ集団をつくることが先決であると思っています。何千人かの専門講師がいれば、日本中がそうとう変わります。ぜひともそうしたいと思っています。 23.九次元の悟りの三つの条件 「九次元の悟り」についての条件を三つあげてみましょう。一番目は、どのような人にも対機説法ができるような、縦横無尽な法を悟っていること。これが大切です。菩薩の段階ではやはりこれが難しいのです。菩薩ではなかなか縦横無尽な法を説くことができないのです。そのために、どうしてもよりどころがいります。それにそって、法の解説をし、伝道をする。これはやはり菩薩の基本スタイルなのです。 縦横無尽な法が説けるためには、やはり法そのものの全容をつかんでいなければ説くことができないのです。それゆえにこれが九次元の悟りの条件にもなるのです。 また、二番目は創世記についでの悟り、宇宙の成り立ち、地球の歴史についても悟っていることがあげられます。これはいちばんわかりやすい基準の一つです。如来界あたりでもそうとう偉い方がたくさんいらっしゃいます。教えを霊言集などで読んでみるだけでは、この九次元の大如来と八次元の如来とではどちらがどちらであるかわからないというところがあります。どこに違いがあるのかと申しますと、八次元の如来では、この創世記以来の歴史、というものは語ることができないのです。 語ることができないのは知らないからではなく、知っていても、許可されていないということです。そのような免許が出ていないのです。そこについて語ることが許されていないのです。この部分なのです。これがあるのです。ですから、九次元界に入りますと急に天地創造の話や、大宇宙の構造、あるいは歴史や神の心など、このようなことを縦横無尽に語りはじめます。このあたりにイニシエーションがあるのです。一つの秘儀が与えられているわけです。ここが八次元と九次元の違いです。 八次元の上段階の如来でも、力量的には九次元の如来とあまり変わらない人がたくさんいるのです。けれどもこの大宇宙の秘密、地球の歴史、魂の歴史、神の計画を語ることが許されているかいないか、ここに差があるのです。この秘儀を与えられた場合に、九次元如来となることができるのです。こうした許可あるいは免許皆伝です。これがやはり降りてくるのです。したがって、これはめったに降りることではありませんが、そのときはひじょうなお祝いになるわけです。 三番目には四次元以降の多次元世界の法則について悟っていることがあげられます。この多次元世界の法則ということもだいじです。特に次元別のあり方、法則の違いについて、ここまで九次元の人は悟っていなければいけないということがあります。 24.超能力信仰と読心力 釈迦自身は、六大神通力がもちろん備わっていましたし、九次元的な三世を見通す能力があったのですが、弟子たちが超能力信仰に陥る危険性をいち早く見抜いて、その盲信を戒めるために読心力以外の霊能力をあまり使いませんでした。すなわちこれは、「私にはあなたの考えていることが手にとるようによくわかる、今、お前が考えていることはこういうことだ。そうだろう?」ということで、「だからよく私の言うことを聞き従って修行の道に励みなさい。」と、こういったたぐいの教え方に用いたのです。この能力は危険性が少なくて、そして相手にある程度納得されます。「あ、そうなんだ。」と、帰依させる気持ちを起こすということで、いちばん危険性の少ない部分であったので、これをよく使ったわけです。 高橋信次先生もよくこれを使っておられたように思います。初対面の人に「あなたはこういうことがあったね。」などとよく読心力を使われていたようです。「何年何月にこうなったね。」というように、これはその人の性格にもよりますが、たびたび使われていたようです。 私はプライバシーに触れるのはあまり好きでないので、そこまではやりませんが、そうしたこともやろうと思えばできるのです。それはその人の守護霊に聞くことも可能でありますし、その人の意識を読み取ろうと思えばできるのでありますが、これはやはり紳士としての自己チエックの問題があると思うのです。これがなくて「あなたは三年前に別れましたね。」などということを指摘したりすれば、やはり問題が出てくると思います。やはりエレガントな雰囲気がただよっていますから、それなりにせまっていきたいと思っています。 25.九次元霊を順番に出す意味 さて、九次元には十人がおられて、それぞれが役割を持たれ、その範囲での問題を中心にとりあつかっておられるのはよくご存じだと思います。ニュートンについては本年初頭から三月にかけて霊言を収録しました(一九八九年五月発行『ニュートン霊示集』)。あとは、マヌ、マイトレーヤー、ゼウス、ソロアスターの四人が残っていますが、このあたりも順次出していきたいと思っています。九次元の法でこのあたりの人のものを出しますと、実を言えばまたそうとう感覚が違うものが出てきますので、みなさんの頭に入りにくいことがあります。ですから順番よくやっていかないといけないわけです。全然違うようなことをまた説きはじめますから、読者の頭のなかで分裂が起きてしまいます。脳細胞の数を増やしておいていただかないと理解ができなくなる危険性があるのです。そういうわけで時間をおきながら、少しずつ、まだ出していない九次元霊の霊言なども出してゆきたいと思っています。 『太陽の法』が出版されたときでも、まったくはじめてという斬新な感じで、今までの霊言集が少しかすんで見えたという印象を持たれた方がいらっしゃるのではないかと思います。これを読んだあと、霊言集が読めなくなったという感じさえ持たれたかもしれません。『太陽の法』の第4章の「悟りの極致」にしても、これを読んで驚嘆したけれども、さらに新しく出版された『観自在力』を読んでみれば、内容がもっと進んでいて、こんどは『太陽の法』のほうが初歩に見えてくるということもあるわけです。そのようなものなのです。この次にまた新しいものを出せば、それがまたかすんで初歩に見えてくるのです。ただ、確実に過程をふんで初歩の基本書に見えてくるためには多少の時間が必要になるのです。それでみなさんが学習をして納得してわかるところまでに時間がかかるので、多少はそのような時間的流れをおいて、次の法へと進んでいるわけです。 ですからいちばん読者のみなさん方に要求される奇跡とは、頭がよくなることです。金粉などもよく降っているそうでありますが、頭がよくならなければ、法を全部理解することができませんし、私としても次の段階の法が説けないということがあるのです。 かくいう私自身も、いつどこで説いたかわからなくなりつつあって、法の整理がつきかねている部分もあります。講師陣にそのうち教えてもらおうと思っています。もちろん初期に説かれたもので、基本の法については講師陣に理解を深めてもらいたいという意味があります。 やがてもう少し時間がたって、この九次元霊をすべてお出しすれば、ようするに九次元の法といいますか、神のプリズムの根源のところの基本的な考え方がいったい何かということが全部わかるようになるわけです。そして、次に進むのは十次元の意識の考えです。その中身を引っぱり出すところにまでいくわけなのです。このように法が進んでいくということです。 ですからみなさんも学びということを投げ出さないで、ずっとがんばってついてきてくださることを祈っております。
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目次 1.「歎異抄」は親鸞聖人のすべての教えではなかった 2.唯円上人たちは悪のどん底から「回心」して救われる道を説いた 3.大強盗スター・デリーの回心 4.死刑囚が天国へ、政府高官が地獄へ、ということもある 5.「念仏」は免罪符ではない、要は、回心の深さによる 6.唯円上人の過去世は、十二弟子の一人マタイだった 7.現代の「悪人」病患者はインテリ層 8.純粋な信仰論に立ち返れば、各教、各宗派の小さな垣根は取り外すべきだ 9.今後の信仰の対象は、人格神ではなく、宇宙の「英知」への信仰となる 10.現代の「歎異抄」の 悪人 はインテリ層 11.現代の「異端」物質至上主義、霊は物質を生み、また消せる 12.他力門はキリスト教系の人びとの転生、阿弥陀仏はイエスの過去名 13.天上界の「総霊言」は二度とでない 10.現代の「歎異抄」の"悪人"はインテリ層 ―― 本日は、とくに「回心(えしん)」の対象はインテリ層になるのだということのお話であったということで……。 唯円 もちろん、それ以外の人もおりますよ。ただね、昔の"悪人"というのを現代にあてはめたらだれになるかというと、その辺ですよ、と。その辺の人たちにね、念仏ではない「宇宙の英知」を知ることによって救われるのだという原理を教えてあげねばいけませんよということです。 ですから、今、「歎異抄」を言うならね、田舎の爺さま、婆さまでも極楽往生できるのだから、ましてや論理的な教養を身につけた知識人たちは当然であるということになりましょうかね。 ―― これは非常によいお話であったと思います。現代の「歎異抄」というものをたとえれば、こういう人たちが当たるんだと、これが本当の「悪人正機説」に該当するんだということですね。 唯円 ですからまあ、「歎異抄」の原理でいけば、こうなります。すなわち、今、善人というのは、要するに素朴な信仰を持って生きている人たち、お百姓さんとか、田舎に住んでいる人たち、こういうのが善人です。そして、こういう素朴な人たちでさえ救われるのですから、ましてや、インテリの皆さんが、"悪人"の典型であるインテリの皆さんが救われないわけはありません、と。 神仏を認めようとしない"悪人"ではありますけれども、インテリということで、ずいぶん頭がいいから、きっかけさえつかめば、きっと救われるでしょう。田舎の人でも極楽往生するのです。単純な信仰心を持っている善人でさえ救われるのだから、ましてね、非常に知識のある、頭のいいインテリの皆さんですから、このことに気がつけば、当然救われるのは間違いなしです。地獄へは行きません。極楽往生、間違いなしです。 そこで、インテリの人たちに、これさえ気がつけばというきっかけですな、"契機"をあなた方が与えてあげねばいけない。こういうことですな……。インテリの人たちは、頭がいいのだから、極楽往生できることは間違いありません。ただし、これだけは知っておきなさいよとね。その点を伝える。「唯円」の霊言さえ読んでおけば、極楽往生間違いなしだと、こういうことをあなた方は言わなくてはいかんわけです。 理論としては、あっているでしょう。知識人は「悪人」、田舎の爺ちゃん、婆ちゃんは「善人」です。あんな何にも知らないね、この世の中を全然知らない、英語も知らない人でも、掌を合わせているなかで、極楽往生できる。ましてや、悪人の典型である知識人たちは、頭がいいのだから、いったん気がつけばすぐ救われますよ、と。極楽往生間違いなしとね……。こういうことです。 ですから、その「阿弥陀如来信仰」ね、『南無阿弥陀仏』が一体何にあたるのか、これをね、現代の南無阿弥陀仏を、あなた方は発見しなければいけない。あなた方の「霊言集」を読んで、気づくかもしれない。知識人たちは何百、何千冊もの本を読むわけですが、そんなに読まなくてけっこう、この本一冊読んで極楽往生してくださいと、これでもいいですよ。 すなわち、「霊言集」一冊が、昔の南無阿弥陀仏の念仏かもしれない。そういうことですね。ただ、知識人たちは、自分を悪人だとは思っていないから、彼らこそ「悪人」だということをもうちょっとわからせてやる必要があります。 まあ、真理を晦(くら)ましている人たちなのですから、これは悪人ですよ。神の目からみれば、神理を晦ましているのだから。一方田舎の人たちはね、お天道様(てんとうさま)のおかげですと、掌を合わせているのだから、こういう人たちが天国へ行くことは確実ですよ。ところが、何十年も学問やってた人たちが、「神様などあるもんか」と言っているのだから、これは馬鹿になるために学問したのと一緒です。ただ、そういう頭のいい人たちはね、きっかけさえ与えられれば、それを悟るのは早いはずです。 どうですか、他に現代の「異端」について、何か意見がありますか。あれば、私も言いますが……。 11.現代の「異端(いたん)」物質至上主義、霊は物質を生み、また消せる ―― 「異端」については、現在の科学者、あるいは一般知識人、こういう人たちのほとんどは、根元的な実在である「神」という宇宙の「大英知」の存在を信じておりません。「物質」がすべての根元なりとする"唯物論"を信じているということですね。それと、現代人のものごとの「価値基準」が、心とかその精神とかいう前に、金銭、あるいは物量の多寡ということが基準になるということですね。事業家はもとより、政治家になるのにも金、また芸術家の作品もその価格で価値が決められるということになってきています。 唯円 まあそれは、宗教を説く人にも金銭は関係しますのでね。これがないと三度の飯が食べられない。現代では、なかなか布教もできない。お布施だけで生きていくわけにはいかないのでね。現代では、宗教法人などでも、金銭と無縁でないことは周知のことです。ですから、この辺はむずかしい。非常にむずかしいところだと思います。ただ、物質というものだけをとってみるならば、あなた方の理論によって。 "物質"というものは、実は霊的な存在であるということです。霊的な想いの念が物質化することは、あなた方は理論としてすでに説いているはずです。こういうことは、物質万能主義者たちに対して、一つの衝撃であり、一喝になるであろうと思います。物質、物質と言っているようなものは、実はそうじゃないんだぞ、と。まあ、奇跡の原理ですね。 ですから、本当の法則からいえば、この地上に現われているものは、一瞬にして蒸発したように消すことができるのです。この世に現われているもの、石ころ一つ、空中に消してしまうことは簡単にできるのです。そして、空中からですね、パンの一個ぐらいだすのは簡単なことなのです。自由自在にできます。本来はね。ただ、そうすると、世の中が混乱するために、私たちはそういうことをしないことにしているのです。しかし、本来は、自由自在なのです。 そして、昔の世界は、天上界の霊たちが物質化して、肉体を持って地上にでて来たこともけっこうあったのです。昔はね。ですから、自分たちを物質化することぐらいは簡単なのです。別に男女、父母の縁ででて来なくとも、一時期物質化してでて来て、地上を歩き廻ることぐらいは簡単なのです。私たちは、幽霊よりももっとしっかりした体をつくれるのです。昔は、よくありました。ただ、それはやっぱり世の中を混乱させるので、やらなくなったのです。 昔はよくあったでしょう、天狗様が来て、人をさらって行ったという話が。あるいは、神隠しに遭(あ)ったとか。ああいうことは、実際にあった話なのです。"天狗"というのは、まあ、あの世の霊人ですが、そういうのが、物質化して肉体を持って現われ、この世の人を攫(さら)う。つまり、霊力でもって、この世の人を、あの世へ連れて行ってしまうのです。肉体を、物質を分解してしまうのです。実際、そういうことができるのです。しかし、そういうことをしていると、世の中が混乱する。だから、近代になってからは、そんなことはしないようにとの"禁止令"がでています。 12.他力門はキリスト教系の人びとの転生、阿弥陀仏はイエスの過去名 ―― ありがとうございました。お説の趣旨がわかったような気がいたします。なお、お説をとりまとめ、編集させていただき、「唯円上人の霊訓」として掲載させていただきたいと思います。 唯円 まあ、唯円は、どちらかというとマタイよりは少し知名度が落ちるようですから、内心、若干忸怩(じくじ)たるものが私にはあるのです。まあ、あなたにもあるでしょうが、私にも内心忸怩たるものがあるので、少し気は引けるのですけれども……。 ―― 霊訓者紹介の欄には、マタイ様のお名前も入れさせていただこうと思います。 唯円 それはけっこうです。事実、そのとおりなのですから。実は、鎌倉時代の他力信仰、他力門はね、キリスト教系の人たちの「転生」によって、一つの計画のもとに行なわれたのです。これは、天上界の秘密でもあるのですが、これは一つ知らしておく必要があるし、あなた方にとっても初めての発見であったと思うのです。 自力門と他力門とあるけれども、結局、他力門は、キリスト教系から多くきていたのです。話を聞いていても、喩え話のなかにキリスト教の話ばかりでてくるからどうもおかしいと思ったかもしれません。しかし、それもそのはずです。「阿弥陀如来信仰」というのは、すなわち、イエス・キリスト信仰なのです。 ―― しかし、唯円様たちも、ご在世中には、そのことに気がつかなかった……。 唯円 ま、それはそうです。ただね、信仰というのは魂の根深いところにありますから、なかなか抜けてこないですね。「阿弥陀如来」というのは、イエス様のまあ過去世、過去世の姿ですね。それへの信仰ですね。ですから、「釈迦」の時代にもね、「阿弥陀如来」という方が西方浄土にいらっしゃるということが言われていたのです。「阿弥陀如来」というのは、漢訳されていますけれども、に"阿弥陀"とは、「アミーダ」という西洋に生まれた光の大指導霊のことなのです。それは、すなわち、イエス様の過去世のことを言っておったということですね。 ―― まあ、そういう背景をもとに、ここに親鸞様、唯円様、それから、一遍様、蓮如様という方がたが……。 唯円 四人が四人頭を並べて、枕を並べて、日本のこの時代にでて来て、何をどうしたかは、皆様のご判断にまかせますけれどもね。ま、一つの大きな使命だったということです。ですから、昔はイエス様のような大きな方がでられたのですが、そうじゃなくてね、親鸞様あたりを頭にして、みんなでて来たわけです。 ―― いわゆる他力門の歴史的な背景というものが、この本によってあきらかに分かるということになりますね……。 唯円 そうですね、ですから、「真宗」系統の方が多いのでしょうが、一つキリスト教へも目を開いていただきたいと思います。そして、「親鸞聖人霊示集」を読んだら、「キリストの霊言」を続いて読んで、思想を深めていただきたいと、こう思います。一緒なんです。これしかないというものではないのです。 13.天上界の「総霊言」は二度とでない 唯円 あなた方も、これから大変ご苦労ですけども、一つ頑張っていただきたい。まだまだこういうのも、一つの神理の発見なのです。どういう人が、どういう考えを持っているというのも、一つの神理の発見でして、大変ご苦労ですけれども、天上界の皆様のお声を地上に伝えていくという仕事を続けていただきたいのです。そうしているうちに、いろんな問題点に気がついて、あなた方独自のものもでてくると思います。ただ、あなた方独自のものをだすにあたっては、そう焦る必要はありません。天上界の皆様の意見をご紹介するだけでも、一つの大きな力ですから。 今後、大いなる指導者がでても、こういうふうな「法」の集大成ということは、ちょっとむずかしいだろうと思います。あまりないと思います。まあ、こういう日がくるために、キリストの弟子であった私たちがまた日本に生まれて、そういう種を蒔いているし、そういう日本という国を、将来仏国土にするために、さまざまな霊がでて、日本という国を浄めるために、先触れとしてでてきたのです。 どうかこういう話を通じて、宗教は一つなんだと、すべて一つの神からでてきているのだということを教えていただきたいと思います。一つなのです。争いは間違っているよ、と。日本人と外国人が戦争するのも間違っているけれども、宗教同士で戦争するのも間違っています。ましてや同じ宗門のなかでね、派を争うのは大変な間違いですよ、と。これをしっかり知っていただいきたいと思います。 ―― はい、どうも大変ありがとうございました。