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第三話:泣き面に蜂 あらすじ キャスト スタッフ 原作との比較 裏話 小ネタ 第二話 ・ 第四話 第三話:泣き面に蜂 困っているときに、困ったことが重なって起こることのたとえ。 DVD vol.2 に収録。 あらすじ アイドル・聖辺ルリと、若手俳優・羽島幽平こと平和島幽。絶大な人気を誇る二人だが、その素顔を知る者は少ない。 ある日偶然、幽に己の秘密を知られてしまったルリは、葛藤の中でもがき苦しむ。 それは他人には絶対に知られてはいけない真実だった。 そんな頃、池袋の街ではさまざまな人が出会い、それぞれの事情が交錯し始めていた――。 キャスト 竜ヶ峰帝人:豊永利行 園原杏里:花澤香菜 折原臨也:神谷浩史 平和島静雄:小野大輔 セルティ・ストゥルルソン:沢城みゆき 岸谷新羅:福山潤 黒沼青葉:下野紘 門田京平:中村悠一 遊馬崎ウォーカー:梶裕貴 狩沢絵理華:高垣彩陽 渡草三郎:寺島拓篤 折原九瑠璃:金元寿子 折原舞流:喜多村英梨 平和島幽:岸尾だいすけ 聖辺ルリ:藤田咲 サイモン・ブレジネフ:黒田崇矢 岸谷森厳:大塚明夫 四木春也:大塚芳忠 エゴール:森川智之 デニス:高橋伸也 レポーター:山本兼平 To羅丸:小林直人 To羅丸:三輪隆博 ブルースクウェア:椙山貴夫 ブルースクウェア:堀江一眞 唯我独尊丸:種﨑敦美 スタッフ 脚本:高木 登 絵コンテ:菅沼栄治 演出:菅沼栄治 作画監督:田中織枝・薮野浩二・川添政和・鴨居知世 原作との比較 4巻の4章 裏話 幽平が運転している車は恐らく光岡自動車さんのラ・セード。格好いい車。 意地でも自販機を壊していくスタイル。自販機「あのバーテンダーは俺に親でも殺されたのか」 実は原作で聖辺ルリがメインになったのは4巻が初めてなので、一期でルリが歌ってたのは原作ファンへのサプライズ登場だったりしたのですが、こうして逆に一期のその描写が伏線になるという醍醐味! 謎の多い超人気脇役(調査対象:成田良悟1人)、石榴屋天神さんのビジュアル初公開。作務衣なんだ……!! ……カーミラ才蔵が、もう私の想像を超えてアニメの中でどんどんB級超大作になりつつある……。 ……一期を忘れている人の為に解りやすく言うと、渡草がものすごい勢いで追っかけやってたあのアイドルです。ダフ屋のカズターノ君から最前列のチケット回して貰ったりしてた。 唯我独尊丸はスコティッシュフォールドです。 兄貴の静雄は犬派で弟の幽平は猫派。 江戸切り子の硝子で怪我人に水を差し出す辺りが実に幽平。静雄の場合は恐らく湯呑み。マグカップという選択肢はこの兄弟には多分あまりない。 独尊丸、随分新羅に懐いてる……。新羅は恐らく人間以外には好かれるのでしょう。 セルティはテレビで人間社会を覚えたガチガチのテレビっ子な上にミーハーなので意外と芸能人のサインとか欲しがります。 ぼっちの兆候。 舞流「包帯姿も格好いいよ! ニンジャスレイヤーみたいで!」 エゴール「ワッザ!?」 バメンテンカンホー! 聖辺ルリの名字の『聖辺』は、拙作『ヴぁんぷ!』の何巻かにチョロリと出て来ていますが、まあ、彼女に流れる『血』の秘密についてはお察し頂ければ幸いです。『ヴぁんぷ!』は五巻まで発売中ですよ!(オープンマーケティング) カーミラ才蔵がどんなキャラなのかどんどん解らなくなっていく。 値段をまける状況(アイドルと仲良くなれるチャンスを不意にされていない)。 数日後の記者会見にて幽平本人曰く「あの時は演技以外で初のキスだったから、顔が真っ赤になっていました」 インタビュアー「……いえ、まったく素面の無表情でしたが……」 四木の部下が目を上に逸らしているのは、恐らく今の新羅を直視したら思わず噴き出してしまい四木にぶん殴られるから。 遊馬崎が何を言って狩沢にひっぱたかれたのかは、原作小説4巻にばっちり書いてありますので興味のある方は是非買って頂ければとゲヒヒヒヒヒ(露骨な宣伝) この日の渡草家の朝。渡草「おはよう。……どうした兄貴、なんでTV消した?」 二郎(兄)「ああ、TVとか見ない方がいいんじゃないかな」 渡草「?」 一美(姉)「ヘイ三郎! ルリちゃん彼氏できたってさヒュー! ほら新聞っ!」 二郎「ば、馬鹿!」 渡草「……!?」 悲しみはグラハム数レベルだと……グラハム数がどんなレベルの大きさなのか理解しているのか舞流……!! ちなみに数学苦手な私には理解できていません。というか裏サンデーの寿司虚空編のリンクを貼ろうとしたら寿司虚空編が消えてる!? どういうこと……!? 流石に舞流のワイ●ーコヨーテとロードラ●ナーどうこうの台詞はアニメではカットされました。 あ! 一期に出て来た人だ! 倒れた所を臨也に上でぴょんぴょんジャンプされた人だ! ……たぶん! 新羅もセルティもホイホイと簡単にタダで仕事して! 商売人としてうんたらかんたら以下略。 しかも新羅の方はそのタダにした分を次の客に上乗せしてるんだから余計にタチガ悪いな。闇医者め……。社会の闇め……。 というわけで、謎の描写を遺したまま続きます。果たしてセルティが暴走族に追われながら運ぶ荷物はなんなのか。壁を走っていた謎の首無し鎧とは。そして帝人に絡んだ連中は何者なのか……。怖いですねぇ、恐ろしいですねぇ。それでは皆さん、サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ。 独尊丸の声はエミリアの種崎さんですが、動物繋がりで独尊丸の声=鬼灯の冷徹の芥子ちゃんというイメージが。法螺田「ハっ! 俺は猫より狸の方が好きだぜぇ」 独尊丸「……おのれ狸おのれ狸おのれ狸オノレ狸ぃっ!!」 法螺田「なっ……猫がしゃべっ……ギャアアーーー!!」 小ネタ - 名前 コメント
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冊封(さくほう)とは、中国王朝の皇帝がその周辺諸国の君主と「名目的」な君臣関係を結ぶこと。これによって作られる国際秩序を冊封体制と呼ぶ。 概要 冊封の原義は「冊(文書)を授けて封建する」と言う意味であり、封建とほぼ同義である。 冊封を受けた国の君主は、王や侯といった中国の爵号を授かり、中国皇帝と君臣関係を結ぶ。この冊封によって中国皇帝の(形式的ではあるが)臣下となった君主の国のことを冊封国という。このようにして成立した冊封関係では、一般に冊封国の君主号は一定の土地あるいは民族概念と結びついた「地域名(あるいは民族名)+爵号」という形式をとっており、このことは冊封が封建概念に基づいていることを示しているとともに、これらの君主は冊封された領域内で基本的に自治あるいは自立を認められていたことを示している。したがって冊封関係を結んだからといって冊封国がそのまま中国の領土となったと言う意味ではない。冊封国の君主の臣下たちはあくまで君主の臣下であって、中国皇帝とは関係を持たない。冊封関係はこの意味で外交支配であり、中華帝国を中心に外交秩序を形成するものであった。 冊封国には毎年の朝貢、中国の元号・暦(正朔)を使用することなどが義務付けられ、中国から出兵を命令されることもある。その逆に冊封国が攻撃を受けた場合は中国に対して救援を求めることが出来る。 ただしこれら冊封国の義務は多くが理念的なものであり、これを逐一遵守する方がむしろ例外に属する。例えば朝貢の頻度には冊封国側の事情によってこれが左右される傾向が見られる。正朔に付いても中国向けの外交文書にはこれを遵守するが、国内向けには独自の年号・暦を使うことが多い。またこれら冊封国の違約に付いて中国王朝側もその他に実利的な理由が無い限りはわざわざ咎めるようなことをしないのが通例であった。 冊封が行われる中国側の理由には華夷思想・王化思想が密接に関わっている。華夷思想は中国に住む者を文化の高い華とし、周辺部に住む者を礼を知らない夷狄と蔑み、峻別する思想である。これに対して王化思想はそれら夷狄が中国皇帝の徳を慕い、礼を受け入れるならば、華の一員となることが出来ると言う思想である。つまり夷狄である周辺国は冊封を受けることによって華の一員となり、その数が多いということは皇帝の徳が高い証になるのである。また実利的な理由として、その地方の安定がある。 冊封国側の理由としては、中国からの軍事的圧力を回避できること、中国の権威を背景として周辺に対して有利な地位を築けること、当時朝貢しない外国との貿易は原則認めなかった中国との貿易で莫大な利益を生むことが出来ることなどがあった。また冊封国にとっては冊封国家同士の貿易関係も密にできるという効果もあった。なお朝貢自体は冊封を受けなくとも行うことが出来、この場合は「蕃客」(蕃夷の客)という扱いになる。また時代が下ると朝貢以外の交易である互市も行われるようになり、これら冊封を受けないで交易のみを行う国を互市国と呼ぶようになる。 冊封の最も早い事例としては前漢初期に南越国・衛氏朝鮮がそれぞれ南越王、朝鮮王に冊封されたことが挙げられる。その後、時代によって推移し、清代にはインド以東の国ではムガル帝国と日本を除いて冊封を受けていた。 冊封体制 冊封体制という概念は西嶋定生が「六-八世紀の東アジア」(1962年)にて提唱した。単独の冊封を指したものではなく、冊封によって作られる中国を中心とした国際関係秩序のことである。 当時、前田直典が唐滅亡後の東アジア諸国の大変動 REF name=A 907年、唐滅亡。918年、高麗成立、936年、新羅滅亡。926年、渤海滅亡。契丹の勃興、946年、遼成立。935年、承平天慶の乱。938年、ベトナムの独立。 /REF に目をつけ、東アジア諸国の間に相互連関関係があると提唱していた(「東アジヤに於ける古代の終末」1948年)。 しかしこの前田論に於いては、そういった連関関係を作っている要因に付いては言及されないままであった。それに対して西嶋冊封体制論は冊封に着目することによってこれに一定の回答を与え、「東アジア世界」という「その中で完結した世界」の存在を提唱するに至った。 西嶋は「東アジア世界」を特徴付けるものは漢字・儒教・仏教・律令制の四者であるとし、これらの文化が伝播できたのも冊封体制がある程度の貢献をしていると見ている REF そのため冊封体制論は基本的に政治構造論であるが、文化論の趣きを得ることにもなる。 /REF 。「東アジア世界」の範囲は漢字文化圏にほぼ合致し、含まれる国は現在の区分で言えば、中国・朝鮮・日本・ベトナムであり、「東アジア世界」の中心にかけられる「網」が冊封体制であるとしている。 このように当初は「東アジア世界」を説明するためのものであった冊封体制はその後、唐滅亡後にも拡大され、清代のように明らかに東アジア世界と冊封体制の範囲とが異なる時代にまで一定の言及をしている。 以下、西嶋説を基本としつつ、冊封体制の各時代における展開を記す。 歴史 冊封体制の始まり 周王朝では頂点である王がその下の諸侯に対して一定の封地を分割して与え、その領有を認める封建制が行われていた。その後の春秋戦国時代にはその形態が崩れ、再統一をした秦では封建制を否定する形で皇帝が天下の全ての土地を直接支配し、例外を認めない郡県制が行われた。 全ての土地を直接支配すると言うのはもちろん理念上の話であり、現実には匈奴を始めとして秦の支配に従わない周辺民族が多数存在した。しかしこの理念がある限りはこれら周辺民族に対しては征服するか無視するかのいずれかしか無くなり、国際関係の発生のしようが無かった。 秦に取って代わった漢では郡県支配をする地域と皇族を封建して「国」 REF これを藩国と言う。 /REF を作らせて統治させる地域に分ける郡国制を行った。この郡国制が登場したことにより、周辺民族の「国」もまた中国の内部の「国」として中国の「天下全てを支配する」と言う思想と矛盾無く存在できるようになるのである。 冊封の事例の始めとして、南越国に対するものと衛氏朝鮮に対するものが挙げられる。この二国はそれぞれ漢より「南越王」・「朝鮮王」の冊封を受け、漢の藩国となったのである REF 内部の藩国を内藩国、南越・朝鮮のような外部の藩国を外藩国と呼び、朝廷に直接仕えるものを内臣、冊封を受けた君主を外臣と呼ぶ。 /REF 。 両国は武帝の治世時に滅ぼされ、朝鮮の土地には楽浪郡・玄菟郡・真番郡・臨屯郡が、南越の土地には南海郡・交趾郡などが置かれ、漢の郡県支配の元に服すようになり、冊封体制も一旦は消滅する。 一方、武帝の治世時より儒教の勢力が拡大し始め、前漢末から後漢初期にかけて支配的地位を確立する。この影響により華夷思想・王化思想もまた影響力を強め、冊封が匈奴・高句麗などの周辺国に対して行われるようになり、再び冊封体制が形成され始める。この時期、倭の奴国の王が後漢・光武帝より「漢倭奴国王」の爵号を受けている(57年)。 冊封体制の完成 後漢滅亡後、中国は長い分裂時代を迎える。その一方、日本列島に於いては、239年に邪馬台国の卑弥呼が魏に対して使者を送り親魏倭王の爵号を受け、また朝鮮半島に於いては、4世紀半ばに百済・新羅が興るなど周辺諸国の成熟が進み、冊封体制の完成へと進んでいく。 五胡十六国時代には高句麗が前燕により征服されて冊封を受けるようになり、前燕を滅ぼした前秦に対しても朝貢した。新羅もまた高句麗にしたがって前秦に対して朝貢した。一方、二国への対抗上、百済は東晋に対して朝貢し、冊封を受けている。 南北朝時代に入ると、朝鮮三国は南朝から冊封を受け、倭もいわゆる倭の五王が南朝より冊封を受けた。この時期、百済・新羅は倭の影響下にあり、さらに名目上の支配権をも得ようと南朝の宋から承認を得るため自ら冊封を受けたが、百済・新羅は既に宋の冊封国であり、倭がこれら二国を支配するという承認はなされなかった。高句麗は北朝の北魏に対しても入朝し冊封を受け、百済に対抗する姿勢を見せた。一方百済もまた高句麗に対抗して北魏に朝貢している。 この後、北朝・南朝それぞれを頂点とする二元的な冊封体制が成立し、この時代が東アジア世界および冊封体制の完成期と見られる。 冊封体制の全盛 二元的な冊封体制は、589年に中国を統一した隋によって一元的なものへ纏められた。 高句麗・百済は隋成立の581年すぐに隋の冊封を受けたが、新羅はすぐには冊封を受けず、594年になって初めて隋の冊封を受ける。一方、高句麗は585年からは隋と対立する陳に対して朝貢するようになり、隋が陳を滅ぼした後も隋に対する朝貢を怠り、さらには隋領内に侵入する事件まで起きる。 これに激怒した文帝は高句麗に対する遠征軍を起こす。この軍は苦戦し、撤退を余儀なくされるが、高句麗が謝罪したことで高句麗の罪を赦した。しかし高句麗はなお朝貢を怠り、文帝に代わって煬帝が立った後の607年には突厥と結んで、隋に対抗する姿勢を見せた。煬帝はこれに対して二百万と号する大遠征軍を起こすが、三度とも失敗に終わり、隋滅亡の主要因となった。 他方、倭の五王以来長きに渡り中国王朝との接触を行っていなかった倭国は、隋に対して遣隋使を送るようになる。この際煬帝に対して「Template lang?」(『隋書』Template lang?)で始まる国書を送ったことが知られているが、これは、当時台頭し始めた俀國なりの大国意識に基づく、冊封体制への忌避感の表明と見られている。また、唐使の高表仁が倭国王(中国の史書のうち『旧唐書』は舒明天皇5年1月26日(633年)「Template lang?」とし王子とする)と礼を争い帰国するなどした。ただしこの時期の倭国もまた東アジア世界の一員であり、「冊封体制の外部」にあったとしても、主に政治制度の確立という点で中国王朝からの影響は大きかった。 隋が滅び、唐が成立すると、624年に朝鮮三国は唐の冊封を受けた。しかし高句麗で泉蓋蘇文による権力奪取が起きるとこれを理由として2代太宗は高句麗遠征を開始するが、この遠征は再び失敗に終わる。 その過程で唐と新羅との関係が密になり、660年、唐は百済と戦争中の新羅からの救援要請に応じて兵を送り、百済を滅ぼした。その後も連合は維持され、668年には高句麗を滅ぼした。更に百済遺民の要請を受けて出兵した倭との白村江の戦いにも勝利する。 しかし新羅は二国の旧領が唐の郡県支配に置かれることを不快に思い、これに攻撃を仕掛けて朝鮮半島を統一するに至った。唐は当然これに怒り、新羅の王号を剥奪し討伐軍を送るが失敗に終わり、最終的に新羅が謝罪して入朝するという形式をとることで和解し、拡大した支配領域を維持したまま再び新羅は冊封を受ける。以後、新羅と唐は冊封体制の中でも最も強固な関係となる。 一方、高句麗の遺民たちは北に逃れ、震国を建国した。唐は初めこれに対して討伐軍を送ったものの713年には王の大祚栄を渤海郡王に冊封する。震国はこれにより渤海と呼ばれるようになり、唐の冊封体制に入った。 また白村江の戦いに敗れた倭国では、大宝2年(702年)第8次以降の遣唐使により唐との関係修復を試み、これを朝貢の形式で行っているが冊封を受けることはなかった。 唐の隆盛とともに冊封体制も安定期を迎え、冊封体制を通じて各国に唐文化が伝えられた。各国では唐の制度を模した律令制が採り入れられた。 冊封体制の崩壊と再生 冊封体制の安定も唐の衰退と共に揺らぎを見せ、唐滅亡によって冊封体制のみならず東アジア世界が崩壊することになる REF name=A 907年、唐滅亡。918年、高麗成立、936年、新羅滅亡。926年、渤海滅亡。契丹の勃興、946年、遼成立。935年、承平天慶の乱。938年、ベトナムの独立。 /REF 。 五代十国時代の後、中国を統一した宋(北宋・南宋)では遼や金などに対して弟・臣下としての礼を取らなければならなくなり、冊封体制の中心とは到底なりえなかった。 その一方で宋代・元代を通じて中国を中心とした交易網が飛躍的に発展しており、これが以後の冊封体制の再生に大きな役割を果たす。 洪武帝が元を北に追いやり(北元)、明が成立すると冊封体制と東アジア世界が再生される。朝鮮半島に於いては高麗に代わって李氏朝鮮が興り、明の冊封を受けて朝鮮王とされた。 日本では朝廷が分裂した南北朝時代という特殊な状況もあり、南朝の征西将軍であった懐良親王が、明からの倭寇鎮圧の要請を機に、北朝に対し自勢力の正統性を主張するため日本国王として冊封を受けている。また後に北朝室町幕府3代将軍の足利義満も、明との貿易による利益を得るため、同じく日本国王として冊封を受けている。明は当初、義満の資格について天皇の陪臣に過ぎないとして通行を拒んだものの、国情を脅かす倭冦の鎮圧を、権力基盤を確立した義満に期待して妥協し、最終的には、位階上天皇との封建的関係性が明白な准三后を称する義満と関係を結んだ。以降日明間で勘合貿易が行われることとなったが、これは朝貢の形式をとっていたため、日本の体面を汚すとして4代将軍義持によって中断される。しかし幕府の財政状況の悪化を考慮した6代将軍義教によって再開され、1549年、13代将軍義輝の代まで続けられた。室町幕府の得た利益、即ち明の支出は多大であり、これには倭寇鎮圧の見返りという性格があったと見られている。 なお、南朝・北朝および室町幕府いずれも天皇は冊封を受けていないが、前者は天皇の尊厳を傷付けることなく、国内政治に利用し得る「日本国王」の称号を得るため、後者は、実権を握り、天皇に代替する立場としての「日本国王」になるためという思惑が、それぞれ指摘される。 明滅亡後、清代には冊封体制の範囲は北アジア・東南アジアなどに大きく広がり、インド以東ではムガル帝国と日本のみが冊封体制に入らなかった。 冊封体制の終焉 大きく広がった冊封体制の崩壊が始まるのは、19世紀、西欧列強の進出によってである。 清国はアヘン戦争での敗北により、条約体制に参加せざるを得なくなり、更にはベトナムの阮朝が清仏戦争の結果、フランスの植民地となる。この時点でも、未だに清朝はこれらを冊封国に対する恩恵として認識(あるいは曲解)していた。しかし、1895年、日清戦争で日本に敗北し、日本は下関条約によって清朝最後の冊封国であった朝鮮を独立国と認めさせ、ついに冊封体制が完全に崩壊することとなった。 批判 西嶋冊封体制論に対して、早くも同じ『岩波講座日本歴史』シリーズの5巻に於いて旗田巍が、当時の新羅・渤海・日本を比較することによって当時の東アジア世界に構造的な物は存在しないと結論付けた。 これに対して堀敏一は、旗田説を批判する形で、当時の東アジア世界に構造的な物は存在すると述べた。しかしあたかも唐の国際関係が冊封体制によってどの民族に対しても画一的に存在するかのような西島の論には反対し、突厥・吐蕃のような北・西に対する政策として羈縻政策や和蕃公主の降嫁なども視野に入れて、総合的な唐の異民族対策としてみるべきであると述べた。 脚注 参考文献 西嶋定生 「六-八世紀の東アジア」(改題して「東アジア世界と冊封体制 - 六-八世紀の東アジア」)が収録されているのは以下の四冊。ただし「六-八世紀の東アジア」はその名の通り、六-八世紀の東アジアに限定的な論文であり、それ以外の時代や東アジア世界論に付いては未だ不明瞭である。そのほかの「東アジア世界の形成と展開」・「序説―東アジア世界の形成」なども参照のこと。(前者は4、後者は3に収録) 『岩波講座日本歴史2』(岩波書店、1962年) 『中国古代国家と東アジア世界』(東京大学出版会、1983年 ISBN 4130210440) 『古代東アジア世界と日本』(岩波現代文庫、2000年 ISBN 4006000251) 『西嶋定生東アジア史論集』(岩波書店、2002年 ISBN 400092513X) その他 『岩波講座日本歴史5』(家永三郎ほか、岩波書店、1962年) 『元朝史の研究』(前田直典、1973年、東京大学出版会、ISBN 4130260138) 『中国と古代東アジア世界』(堀敏一、岩波書店、1993年 ISBN 400001367X) 『室町の王権』(今谷明、中公新書、1990年) 関連項目 朝貢 遣隋使 遣唐使 遣明使 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年3月19日 (水) 12 57。
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バッカーノ! 竜ヶ峰帝人が住んでいる部屋の隣に『1930』に登場する「私」らしき人物が住んでいる 複合企業「ネブラ」の存在 ダラーズのサイトにロニーやアイザック、ミリアらしき人物が書き込みを残している 『2002B』でブライドが「結婚」を執り行った教会の貸し出しと死体の始末を依頼した「オリハラ」なる人物は折原臨也と思われる ナイルとの喧嘩に勝利したのが静雄ではないかという説がある(5巻p.41←→2002B p.99) 六条が見たテレビ番組にエスペランサらしき人物のことが取り上げられる チャット内で幽平に雰囲気が似た人物としてシャロンの話題が出る 幽平とルリが所属するJack-o -Lanternはウォーケン姉弟が出演した映画「シャーク・フライト」の配給会社マクダネル・カンパニーと強いパイプを持っている 幽平が主演する予定のハリウッド映画の監督ジョン・ドロックスは「シャーク・フライト」の監督でもある 帝人が使用したHFMはヒューイが作成したもの 電撃学園RPGの特典小説でコラボ。その時の会話でセルティとロニーは以前会ったことがあることが示唆される アニメ:11話のダラーズ集会にアイザックとミリアが登場している アニメ:看板やシネマサンシャインの映像でバッカーノが流れていたのは、最近明るみに出た『フライング・プッシーフット事件』をジョン・ドロックス監督が映画化したため 越佐大橋 一族のほとんどが警官な葛原一族(交機の金之助、交番の銀一郎、中学生の宗司君)←→ 元警察官の葛原宗司 青葉の遊び仲間に「八房」という病弱の少年がいる ←→ 蒼青電波の「八房」 セルティと新羅が越佐大橋建設絡みの事件に巻き込まれたことがある 屍龍のリーダー嬰麗貝はチャイニーズマフィアの嬰家と祖先が同じ。 ヴぁんぷ! 『デュラんぷ!!』『ヴぁララ!!!』の二作において密接にクロスオーバーしている ダラーズのサイトに子爵の書き込みがある クロスワードで「グローワース島出身の芸術家」 『さよなら、帝人先輩』でラティーシャ・G・アズタンドゥーヤが登場している ハッキーマウスと電脳上の縄張り争いしているという同じような存在は、九十九屋真一と思われる 画廊でカルナルド・シュトラスブルクの複製画を売ろうとする場面がある 新羅とセルティが会った巫女は『丹色の祝詞』森若一ノ守の巫女と思われる 格闘家トラウゴット・ガイセンデルファーはこの島の人間 聖辺ルリは、吸血鬼一族「聖辺家」の末裔 森厳が見た報告書にロミー・マーズやワトソンらしき人物の記述がある オツベルと笑う水曜日 『週刊ラストウィーク』の創刊号に首無しライダーの30ページに渉る特集が掲載 『週刊ラストウィーク』に切り裂き魔の記事が載ったこともある 新羅のマンションで流れたニュースの乙野辺尊の裁判の話が語られる 喜佐は楽影ジムに通っていて影次郎に格闘家になることを勧誘されたことがある 芸能担当の狐崎は幽とルリの「密会写真」を撮っていたり幽のファンにガセを掴まされたりした 六条が話題に出していた暴走族の濡井村登場 葛原一族の刑事登場 セルティと新羅が巻き込まれた越佐大橋建設絡みの事件に関わった政治家楢森が登場 楢森のパーティーで游馬崎が氷彫刻の実演パフォーマンスをする場面がある 楢森のパーティーにマックス・サンドシェルトも参加している ルイは東京ウォリアーでアルバイトをしていたことがあり贄川周二と懇意の仲 喜佐が四木の記事のミスの謝罪に粟楠会に行く場面がある デュラんぷ!! 黒胡椒内「もの」にて読むことができる『デュラララ外伝・二人は仲良し』(作:おかゆまさき)の第三回終了直後から始まっている。
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《折原(おりはら)臨也(いざや)/Orihara Izaya》 CV 神谷浩史 アイコン 折原 臨也 性別 男 年齢 一巻時、24歳 誕生日 5月4日 血液型 O型 身長 175cm 体重 58kg 趣味 人間観察 好きなもの 人間、人間、人間 嫌いなもの 平和島静雄、死んだ魚の目 好きな言葉 『人間の事を、あの人は善人だのこの人は悪人だのと区別するなんて馬鹿げた話だ。人間とは、魅力があるか、さもなくば退屈か、そのどちらかなのだから』(オスカー・ワイルドの戯曲より) 「人、ラブ! 俺は人間が好きだ! 愛してる!」 人物 新宿を拠点に活動する有力な情報屋で、本編の多くの事件の黒幕的存在。 眉目秀麗を具現化したような容姿に反し、中身は外道。人間を愛していると公言し、人間を観察するためなら普通は躊躇してしまうようなラインも平気で踏み越える。 フード付きの黒いコートを着ている。頭脳労働専門だが、護身用の折りたたみ式ナイフをコートの隠しポケットに持ち歩いており、プロの格闘家や殺し屋、静雄の攻撃をよける等運動神経はかなりのもの。 原作者によると「臨也は高いところが好き、たとえブロック一段分でも」とのこと。死んだ魚の目が苦手。 「人間」に対して歪んだ愛と哲学を持ち、陰で暗躍することが多い。「(静雄以外の)人間全員を平等に愛しており、人間観察が趣味」と公言する。 現在、セルティの「首」を保有しており、『デュラララ!!』の世界で二番目に物知り。 デュラハン=ヴァルキリーと考えており、池袋で戦争をおこし、セルティの首=ヴァルキリーを利用して死後の世界「ヴァルハラ」へ向かう事を目的として行動していた。 黒幕嗜好で動いているが、謎の情報屋"九十九屋真一"のように彼の情報力を凌駕するものがいたり、ブローカー"澱切陣内"には二度までも敗北していたりと、意外と人間っぽい詰めの甘さは見え隠れしている。 強烈な性格の双子の妹がおり、静雄の次に苦手としている。人間全てを愛しているが唯一例外として、駆け引きや理屈も通じない静雄は嫌悪しており、学生時代から犬猿の仲。 また、セルティや杏里を含め人外に当たる存在も同様に敵視し、痛烈な皮肉や嘲笑を浴びせかけることも多い。 本人は全人類を愛するため、特定の大切な人(家族や友人や恋人やライバルなど)は不要という考えを持っているが、その考えとは裏腹に妹達の危機を未然に防ぐなど、一筋縄ではいかない感情を秘めているようである。 彼の人生において、そのメンタリティに唯一の影響を及ぼした存在が、唯一の友人である岸谷新羅である。 中学時代、ひたすら人外への愛を説き自身を庇って重傷を負った新羅に対し、脅威を抱いたことがきっかけ。 自覚すらないうちに彼を「ライバル」と感じ、それは臨也が他人より「上」の立ち位置である以上に、新羅は「次元が異なる」立ち位置という共通性から見出したものであった。 そのため、唯一の人外のみを愛する新羅に対して嫉妬とライバル心を抱く。この頃から彼は「人間愛」を宣言するようになる。 セルティの首を所持しているおり、またそれを利用しようとしている以上、唯一の友人である新羅との対立が避けられないと悟った際には「何も恐れることはない、今までもずっとそうしてきた」と自問自答して高笑いした後、電柱に拳を叩きつけた(アニメではカット)。 女性を装った「甘楽(かんら)」の名で主要人物の集うチャットを主催。その他、ネット上で複数のハンドルネームを使い分け、「クロム」という名でも情報屋を営んでいる。 ロシア語を話すことができ、パルクールを習得している。 好物は「調理者の個性が見える料理全般」で、缶詰やレトルト食品、ジャンクフードが嫌い。またフレンチトーストを自分で作って食べたりもする。お寿司は大トロが好き。 また健康のために、風呂上がりには体重計にのる習慣がある。 『BACCANO!』ではブライドの取引相手に「新宿のオリハラ」の名前が登場し、臨也本人と思われる。 なお、本人としては「自分の興味、黒幕嗜好」のみで動いているのだが、それが結果的に他人の悪事を破綻させたりすることもある。 カオスドラマでは 基本的に性格や設定などは原作と変わりない。 しかし人間関係は大幅に広がっており、アオを雇ったり槭とその周囲の人物へ接触を図ったり、 East・C・Landへ様々な人、物が集まるよう暗躍しているなど、ほんの一部ではあるが物語の中核に立つことがある。 関連ページ 関連画像 キャラクター紹介へ戻る|キャラクター紹介 【デュラララ!!】へ戻る
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甄神剣後百済????~935統率:C 武力:C 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------第2代後百済王にして最後の王。甄萱の長男。父・甄萱が異母弟の金剛を王位に就けようとしていたため、金剛を殺害して父を追放した。しかし、甄萱に頼られた高麗の王建に破れ、高麗軍に捕らわれて殺害される。こうして後百済も滅亡する。 甄萱(キョン・フォン)後百済(尚州加恩県)????~935統率:B 武力:A 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------南海の防衛に功を立て新羅の将軍となる。国が乱れると叛乱を起こして武珍州を中心に勢力を拡大、自らを百済王と称して後百済を打ち立てる。新羅の都・慶州を陥落させ景哀王を殺した。王位継承問題で息子の甄神剣に王位を追われると高麗の王建を頼り、後百済を滅亡させた。
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350年当時の東アジアを舞台にしたシナリオ。 あらすじ 4世紀の半島に、倭人の戦士たちが姿を現した。 建国以来、順調に勢力拡大を続ける新羅の軍勢と干戈を交えるために。 彼らの目的は、新羅を恐れる弁韓の国々から報酬として与えられる鉄器だ。 その頃、大陸では石虎の帝国が崩壊しつつあった。 繰り返される石氏一族の内訌に終止符を打ったのは、剛勇無双の冉ビン。 だが、天下を治める器量は有していなかった。 東では鮮卑の慕容一族が、西ではテイ族の符氏が台頭する。 簒奪を目指す東晋の桓温も、北伐の機会を窺っていた。 (OPより) 入手先 戦国史旧作シナリオ復興委員会 備考 シナリオ名: 桓温の野望 作者: コルテス 現バージョン: - 最終更新: 2005年5月7日更新 動作環境: SE◎ FE○ 旧× 規模: 東アジア 開始年月: 350年12月 大名家数: 31 城数: 330 武将数: 343 攻略難易度表(難 S ~ F 易) S A B C D E F キャプチャ画像 リプレイサイト 関連項目 以下、加筆求む
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トップページ>歴史>歴史学報 『歴史学報』80、1978.12 論文 金秉模「抹角藻井の性格についての再検討:中国と韓半島に伝播するまでの背景」 洪承基「高麗時代公奴婢の性格」 金稔子「唐代史官の歴史認識:韓愈の史論を中心に」 車河淳「歴史的相対主義と現代史学の展望」 書評 金貞培「韓炳三、李健茂 共著『南城里 石棺墓』国立博物館古蹟調査報告、第10冊、光明印刷公社、1977年」 文明大「姜仁求『百済古墳研究』一志社、1977年」 姜仁求「『昌寧桂城 古墳群 発掘調査報告:慶尚南道 編』釜山市印刷協同組合、1977年」 文明大「『高仙寺址 発掘 調査報告書』文化財管理局 慶州史蹟管理事務所 編、1977年」 文明大「金元龍『韓國美의 探究』悦話堂、1978年」 安輝濬「文明大『韓國美術史學의 理論과 方法』悦話堂、1978年」 金貞培「崔茂蔵『中國의 考古學』電波科学社、1978年」 李基白「李龍範『古代의 滿洲關係』韓国日報社、1976年」 姜信杓「高承済『韓国村落社会史研究』一志社、1977年」 閔賢九「河炫網『高麗地方制度의 研究』韓国研究院、1977年」 李泰鎮「崔承煕『朝鮮初期言官・言論研究』韓国文化研究所、1976年」 金翰奎「韓国教会史研究所編『邪学懲義』弗咸文化社、1977年」 李光麟「Martina Deuchler Seattle『Confucian Gentlemen and Barbarian Envoys The Opening of Korea, 1875~1885』Univ, of Washington Press, 1977」 洪承基「Harold Joyce Noble『Embassy at War』Seattle Univ of Washington Press, 1975」 金稔子「Dwight H. Perkins『China"s Modern Economy in Historical Perspective』Stanford University Press, 1975」 金稔子「『Woman-Work Women and the Party in Revolutionary China』Clarendon Press, 1976」 金鎮京「梁秉祐『아네테 民主政治史』ソウル大学校出版部、1976年」 許勝一「M. Cary and H.H. Scullard『A History of Rome down to the Reign of Constantine』The Macmillan Press, 3rd edition, 1975」 崔善鴻「盧明植『第三共和政研究』探究堂、1976年」 李枉郢「Gabriel Kolko『Main Currents in Modern American History』Harper Row, 1976」 『歴史学報』79、1978.9 論文 金貞培「蘇塗の政治史的意味」 李煕徳「高麗時代五行説についての研究:「高麗史」五行志を中心に」 柳承宙「朝鮮後期貢人に関する一研究(下):三南月課火薬契人の受価製納実態を中心に」 李春蘭「とます・ジェファーソンの「Notes on the State of Virginia」に関する考察」 閔錫泓「ひとつの新しい歴史:アナール学派に関して」 説林 呉星「永川菁堤碑丙辰銘についての再検討」 書評 李基白「李丙燾『国訳 三国史記』乙酉文化社、1977年」 『歴史学報』78、1978.6 論文 崔夢龍「全南地方所在支石墓の型式と分類」 柳承宙「朝鮮後期貢人に関する一研究(中):三南月課火薬契人の受価製納実態を中心に」 李相信「宿命の党派人:ゲルヴィヌス(G.G.Gervinus)の歴史認識」 崔文衡「ロシアのアジア侵略政策に関する研究」 崔泳保「ルドウィッグ・デヒオ(Ludwig Dehio)とヨーロッパ国家体制論」 説林 李基東「新羅官等制度の成立年代問題と赤城碑の発見」 金栄漢「Elisabeth Hansot『Perfection and Progress Two Modes of Utopian Thought』Cambridge, Mass., The MIT Press, 1974」 『歴史学報』77、1978.3 論文 李基白「金大問とその史学」 李基東「羅末麗初近侍機構と文翰機構の拡張:中世的側近政治の志向」 金杜珍「均如の法界観:華厳思想の体系と論理の一端」 韓栄国「朝鮮中葉の奴婢結婚様態(下):1609年の蔚山戸籍に現れた事例を中心に」 呉金成「明末洞庭湖周辺の水利開発と農村社会」 書評 安輝濬「文明大『韓國의 佛畵』悦話堂、1977年」 車河淳「Georg G, Iggers『New Directions in European Historiography』Wesleyan University Press, 1975」 『歴史学報』75・76、1977.12 論文 金元龍「安東郡馬洞古墳群の土器についての考察:新羅土器の編年のための一作業」 金貞培「韓国における騎馬民族問題」 金杜珍「均如の生涯と著述」 鄭杜煕「朝鮮初期三功臣研究:その社会的背景と政治的役割を中心に」 韓栄国「朝鮮中葉の奴婢結婚様態(上):1609年の蔚山戸籍に現れた事例を中心に」 李光麟「兪吉濬の開化思想:西遊見聞を中心に」 金翰奎「西漢の「求賢」と「文学之士」」 李龍範「胡僧襪囉の高麗往復」 申採湜「北宋時代の墾田に関して」 崔善鴻「改革議会の教育改革問題:ベンサム学派を中心に」 座談会 高柄翊、金元龍、閔錫泓、閔賢九、李光麟、李基白、李普珩、李佑成、鄭秉学、千寬宇、呉星「歴史学会創立当時を回顧して」 『歴史学報』74、1977.6 論文 羅鍾一「ジョン・リバーン(John Lilburne)とオリバー・クロムウェル:清教徒革命における理想主義と現実主義」 李柱郢「1912年のアメリカ「新民族主義」運動と自由主義の修正:ルーズベルト(Theodore Roosevelt)とクロリー(Herbert Croly)を中心に」 説林 李基東「新羅骨品制研究の現況とその課題」 書評 李基白「李丙燾『韓国古代史研究』博英社、1976年」 李仁浩「Richard Pipes『Struve(1870-1905) Liberal on the Left』Cambridge, Mass., Harvard Vniv., Press, 1970」 『歴史学報』73、1977.3 論文 文明大「新羅下代仏教彫刻の研究(1):防禦山と実相寺薬師如来像を中心に」 慎鏞廈「朴殷植の儒教求新論・陽明学論・大同思想」 姜哲求「ローレンツ・フォン・シュタインの国家理論とその性格」 説林 金翰奎「高麗時代の薦挙制について」 金稔子「楚文化小考:文崇一『楚文化研究』を紹介しつつ」 書評 閔斗基「山根幸夫『論集近代中国と日本』山川出版社、1976年」 崔文衡「車河淳『西洋史総論』探求堂、1976年」 『歴史学報』72、1976.12 回顧と展望:韓国史 李基白「総説」 李基東「古代」 河炫綱「高麗」 李樹健「朝鮮前期」 李基白「朝鮮後期」 慎鏞廈「近代」 回顧と展望:東洋史 黄元九「総説」 金燁「先秦・秦漢」 李東馥「隋唐宋元」 金鍾圓「明清」 権錫奉「近現代」 西洋史 閔錫泓「総説」 金鎮京「古代」 羅鍾一「中世」 羅鍾一「近世:イギリス史」 李春蘭「近世:アメリカ史」 林采源「近世:ドイツ史」 金鳳鎬「近世:フランス・イタリア史」 盧明植「最近世」 李仁浩「思想史」 車河淳「歴史理論」 考古・美術 鄭永和「旧石器時代」 崔夢龍「新石器・青銅器時代」 姜仁求「古墳」 泰弘燮「美術史(三国・統一新羅)」 安輝濬「美術史(高麗・朝鮮)」 『歴史学報』71、1976.9 論文 柳承宙「朝鮮後期貢人に関する一研究(上):三南月課火薬契人の受価製納実態を中心に」 金鍾圓「初期朝清関係についての一考察:丙子胡乱時の被虜人問題を中心に」 李銀基「新韓末高麗初期の亀趺碑と浮屠研究」 南天祐「亀船構造についての再検討」 書評 車河淳「Boyd C. Shafer, ed.『Historical Study in the West』Appleton-Century-Crofts, New York, 1968」 『歴史学報』70、1976.6 論文 金元龍「斯盧六村と慶州古墳」 蔡連錫「走火と神機箭の研究:韓国初期(1377~1600)のロケットについて」 鄭杜煕「朝鮮初期地理志の編纂(Ⅱ・完)」 金龍徳「茶山の商業観研究」 李春蘭「アメリカ文化の両面態についての一考:南北戦争と再建時代を中心に、1861-1877」 書評 黄元九「李龍範『中世東亜細亜史』亜細亜文化社、1976年」 『歴史学報』69、1976.3 論文 李賢恵「三韓の「国邑」とその成長について」 李基東「新羅花郎徒の起源についての一考察」 鄭杜煕「朝鮮初期地理志の編纂(Ⅰ)」 宋俊浩「朝鮮時代の科挙と両班及び良人(Ⅰ):文科と生員進士試を中心に」 朴容玉「1920年代初抗日婦女団体指導層形成と思想」 書評 崔泰鎬「元裕漢『朝鮮後期貨幣史研究』勧告研究院、1975年」 吉玄謨「閔錫泓『西洋近代史研究』一潮閣、1975年」 『歴史学報』68、1975.12 論文 鄭求福「東国史略についての史学史的考察」 이융조「放射性炭素年代測定と韓国の先史時代編年問題:H.E.Suess理論を中心に」 説林 李敏鎬、金元龍、李基白、宋賛植、姜萬吉、黄元九、尹南漢、車河淳、李敏鎬「韓国西洋史学の反省と方向」 書評 千寬宇「藤塚鄰『清朝文化東伝の研究』国書刊行会、1975年」 金貞培「Chester S. Chard『Northenst Asia in Prehistory』The university of Wisconsin Press. 1974」 『歴史学報』67、1975.9 論文 許興植「高麗時代の国師・王師制度とその機能」 李秉烋「麗末鮮初の科業教育:書斎を中心に」 羅鍾一「ピューリタニズムとオリバー・クロムウェル」 李蘭暎「韓国匙箸の形式分類」 書評 金海宗「金庠基『東方史論叢』ソウル大学校出版部、1974年」 『歴史学報』66、1975.6 論文 李光麟「開化派の改新教観」 崔文衡「アメリカの対中政策についての一考究:門戸解放宣言の成立過程を中心に」 金栄漢「ルネサンス・ヒューマニズムと修辞学」 車河淳「ドルバックの衡平社会論」 書評 金元龍「『楽浪漢墓』第1冊、京都:楽浪漢墓刊行会、1974年」 李基東「井上秀雄『新羅史基礎研究』東出版、1974年」 『歴史学報』65、1975.3 論文 金杜珍「了悟禅師順之の禅思想:彼の三遍成仏論を中心に」 柳永益「甲午更張を囲繞した日本の対韓政策:甲午更張他律論に対する修正的批判」 李泰淑「バーク(E. Burke)の歴史観と保守主義」 安輝濬「「蓮榜同年一時曹司契会図」小考」 書評 千惠鳳「金斗鍾『韓国古印刷技術史』探求堂、1974年」 金元龍「西谷正 編『朝鮮考古学年報』(1970年度)、東京、1973年」 『歴史学報』64、1974.12 論文 李鍾旭「南山新城碑を通じてみた新羅の地方統治体制」 李柱郢「ウッドロー・ウィルソンの「新自由」と自由主義の修正」 説林 金容雲「瞻星台小考」 南天祐「瞻星台に関する諸説の検討:金容雲、李龍範両氏の説を中心に」 書評 文明大「金貞培 他『韓國民族文化의 起源』高大出版部、1973年」 李基東「李庭植『金奎植의 生涯』新丘文化社、1974年」 『歴史学報』63、1974.9 論文 車河淳「ホッブズの「転位」概念について」 洪承基「1-3世紀の「民」の存在形態についての一考察:「下戸」の実態と関連して」 朴敬子「高麗郷吏制度の成立」 金翰奎「賈誼の政治思想:漢帝国秩序確立の思想史的一過程」 文明大「新羅法相宗(瑜伽宗)の成立問題とその美術(下):甘山寺弥勒菩薩像阿弥陀仏像とその銘文を中心に」 書評 李基白「千寬宇『韓國史의 再發見』一潮閣、1974年」 金栄漢「Nancy S.Struever『The Lang-uage of History in the Renaissance Rhetoric and Historical Consciousness in Florentine Humanism』Princeton, 1970」 『歴史学報』62、1974.6 論文 金元龍「百済初期古墳についての再考」 李基東「中国史書に見える百済王牟都について」 李仁淑「古新羅期装身具についての一考察」 文明大「新羅法相宗(瑜伽宗)の成立問題とその美術(上):甘山寺弥勒菩薩像阿弥陀仏像とその銘文を中心に」 崔泳保「「ヨーロッパ時代の終息」とランケ的ヨーロッパ史概念の再考察(下)」 書評 李基白「尹武炳、韓炳三、金基雄『韓國史大系 工 上古』三珍社、1973年」 李基東「李基白『新羅政治社会史研究』一潮閣、1974年」 『歴史学報』61、1974.3 崔泳保「「ヨーロッパ時代の終息」とランケ的ヨーロッパ史概念の再考察(上)」 金鳳鎬「クロース(Croce)と歴史主義:ランケ観を中心に」 申瀅植「新羅兵部令考」 説林 千惠鳳「古文真宝大全について:趙炳舜氏所蔵本を中心に」 書評 車河淳「H. Stuart Hughes『Consciousness and Society - The Reorientation of European Social Thought 1890-1930』Vintage Books 1958」 1-20 21-40 41-60 61-80 81-100 101-120 121-140 141-160 161-180 181-190 191-200 201-210 211-220 221-230 B
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【元ネタ】記紀神話、民間伝承 【CLASS】ライダー 【マスター】 【真名】神功皇后 【性別】女性 【身長・体重】168cm・52kg 【属性】秩序・善 【ステータス】筋力D 耐久D 敏捷C 魔力B 幸運A 宝具A++ 【クラス別スキル】 対魔力:B 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。 騎乗:C+ 騎乗の才能。幻想種を除き、大抵の乗り物を人並み以上に乗りこなせる。 更に船舶を乗りこなす際、有利な補正が掛かる。 【固有スキル】 巫術:B 世界各地で培われた最も原始的な魔術体系の一種。 周囲に存在する霊的存在に対し、依頼という形で働きかけることにより、 様々な奇跡を行使できる。 行使される奇跡の規模に関わらず、 消費する魔力は霊的存在への干渉に要するもののみである。 あくまで依頼であるため、霊的存在が働きかけに応じない場合もある。 神性:C 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。 天照大神や天日矛の傍系であり、死後は住吉神や八幡神の一柱とされた。 神託:B 神の託宣により、その状況での適切な判断ができるようになる。 ランクBの場合、問いかければ大抵効果を発揮する。 神々の加護:A 住吉三神と言った神々の加護。 海上における航海において、航海の安全を守られる。 このランクだと自然現象および、Bランク以下の航海の障害を無効化する。 【宝具】 『天星船(アマノツツフネ)』 ランク:A 種別:対軍宝具 レンジ:2~60 最大捕捉:500人 住吉三神の加護を受けた御座船。 舵や櫂を必要とせず、思考するだけで運行できる。 風や波、海洋生物を支配し、状況に応じて船体を形体変化させることで、 超高速航行や星の海での航海すらも成し遂げる。 星々からも船体を護る強大な守護を始め、神風や荒波を纏っての怒涛の吶喊は 複数対象を飲み込みその全てを破砕する。 『綿月盈乾如意珠(ワタツキミツフルニョイノタマ)』 ランク:A++ 種別:対軍宝具 レンジ:0~99 最大捕捉:1000人 産を遅らせ潮の満ち干を操作した、異界の理を秘める月の宝珠。 『月延石』、『潮盈珠』、『潮乾珠』の三珠本来の形にして真の力。 その本質は重力操作であり、それに付随する時間操作。 宝珠が内包する異界の理が溢れ出し、世界を一時的に侵食する。 月と海とで構成された歪んだ重力と停滞時間を持つ異界の概念の中では、 海神、天空神、月神の加護を持つ者や品を持つ者でしか満足に行動することができない。 【Weapon】 『無銘・斧鉞』 ライダー自らが征夷大将軍となった証である権威の象徴。 元々は軍中の刑罰の道具であり、中国で天子が征伐に行く大将に賜っていたもの。 新羅親征へと赴く全軍を鼓舞する際に用いられた。 【解説】 第14代天皇・仲哀天皇の皇后。息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)。 神託を信じず熊襲討伐の最中急死した仲哀天皇の後を、 住吉大神の神託に従い船団を率いて新羅討伐へと向かう。 新羅の降伏後、帰国して月延石で出産を遅らせていた、のちの応神天皇を出産する。 国内や新羅、百済の反乱を重臣・武内宿禰らを派遣して鎮め、 応神天皇が即位するまでの60数年間摂生を勤めた。 【出演SS】 Fate/MINASABA 23th 00ver
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【元ネタ】記紀神話、民間伝承 【CLASS】ライダー 【マスター】 【真名】神功皇后 【性別】女性 【身長・体重】168cm・52kg 【属性】秩序・善 【ステータス】筋力D 耐久D 敏捷C 魔力B 幸運A 宝具A++ 【クラス別スキル】 対魔力:B 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。 騎乗:C+ 騎乗の才能。幻想種を除き、大抵の乗り物を人並み以上に乗りこなせる。 更に船舶を乗りこなす際、有利な補正が掛かる。 【固有スキル】 巫術:B 世界各地で培われた最も原始的な魔術体系の一種。 周囲に存在する霊的存在に対し、依頼という形で働きかけることにより、 様々な奇跡を行使できる。 行使される奇跡の規模に関わらず、 消費する魔力は霊的存在への干渉に要するもののみである。 あくまで依頼であるため、霊的存在が働きかけに応じない場合もある。 神性:C 神霊適性を持つかどうか。高いほどより物質的な神霊との混血とされる。 天照大神や天日矛の傍系であり、死後は住吉神や八幡神の一柱とされた。 神託:B 神の託宣により、その状況での適切な判断ができるようになる。 ランクBの場合、問いかければ大抵効果を発揮する。 神々の加護:A 住吉三神と言った神々の加護。 海上における航海において、航海の安全を守られる。 このランクだと自然現象および、Bランク以下の航海の障害を無効化する。 【宝具】 『天星船(アマノツツフネ)』 ランク:A 種別:対軍宝具 レンジ:2~60 最大捕捉:500人 住吉三神の加護を受けた御座船。 舵や櫂を必要とせず、思考するだけで運行できる。 風や波、海洋生物を支配し、状況に応じて船体を形体変化させることで、 超高速航行や星の海での航海すらも成し遂げる。 星々からも船体を護る強大な守護を始め、神風や荒波を纏っての怒涛の吶喊は 複数対象を飲み込みその全てを破砕する。 『綿月盈乾如意珠(ワタツキミツフルニョイノタマ)』 ランク:A++ 種別:対軍宝具 レンジ:0~99 最大捕捉:1000人 産を遅らせ潮の満ち干を操作した、異界の理を秘める月の宝珠。 『月延石』、『潮盈珠』、『潮乾珠』の三珠本来の形にして真の力。 その本質は重力操作であり、それに付随する時間操作。 宝珠が内包する異界の理が溢れ出し、世界を一時的に侵食する。 月と海とで構成された歪んだ重力と停滞時間を持つ異界の概念の中では、 海神、天空神、月神の加護を持つ者や品を持つ者でしか満足に行動することができない。 【Weapon】 『無銘・斧鉞』 ライダー自らが征夷大将軍となった証である権威の象徴。 元々は軍中の刑罰の道具であり、中国で天子が征伐に行く大将に賜っていたもの。 新羅親征へと赴く全軍を鼓舞する際に用いられた。 【解説】 第14代天皇・仲哀天皇の皇后。息長帯比売命(おきながたらしひめのみこと)。 神託を信じず熊襲討伐の最中急死した仲哀天皇の後を、 住吉大神の神託に従い船団を率いて新羅討伐へと向かう。 新羅の降伏後、帰国して月延石で出産を遅らせていた、のちの応神天皇を出産する。 国内や新羅、百済の反乱を重臣・武内宿禰らを派遣して鎮め、 応神天皇が即位するまでの60数年間摂生を勤めた。 【出演SS】 Fate/MINASABA 23th 00ver
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関係あると思われるもの 豊聡耳神子(東方求聞口授) 住所 〒540-0003 大阪府大阪市中央区森ノ宮中央1丁目14-2 アクセス JR環状線森ノ宮駅または、長堀鶴見緑地線森ノ宮駅下車すぐ 鵲森宮 用明天皇と穴穂部間人皇后、聖徳太子を神様として祀る数少ない神社です。 物部守屋との戦い時、必勝を祈願された聖徳太子は勝った暁には四天王寺像を造ることを誓われました。 その戦いに勝利され、まずはじめに用明天皇と穴穂部間人皇后を神としてお祀りします。、 その後四体の像を造り、この地に元四天王寺を創建されたとされています。 社名の由来 聖徳太子の命により新羅に行っていた使者が、新羅国から献上されたものとして2匹の鵲を持って帰ってきました。 この地の森に飼い放されたことから鵲の森と呼ばれるようになります。 それが宮の名前になり略して森之宮と呼ばれるようにまりました。 鵲(かささぎ) カラスの1種。お腹が白いのが特徴です。 七夕にも登場し、天の川に橋を架けて二人を繋いでくれると云われています。 名前