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線ケイ代数 「線形代数」と書かれた教科書と「線型代数」と書かれた教科書が存在する。 「linear algebra」の意味に近いのは「線型」(linear type)であって「線形」(linear shape)ではない。 よって、本来は「線型代数」が正しい。 しかし、戦後に実施された漢字の簡易化(函数→関数、共軛→共役、など)の影響で、 旧文部省発行の『学術用語集』において「線型代数」が「線形代数」と改訂された。 これををきっかけに、線形代数という表記が一気に広まってしまった。 京大でも昔は「線型代数学」だったが、現在のシラバスでは「線形代数学」(一般教養科目)になっている。 (理学部科目には「線型代数学演習」というのがあるらしい。数学科のこだわりを感じる。) 余談 旧文部省は「線型→線形」計画が成功したので、 調子に乗って『学術用語集』において「同型」を「同形」に改訂した。 しかし、流石に数学者からの反対意見が多く、結局「同型」に戻った。 (この影響として、『岩波数学辞典』が第三版だけ「同形」になっている) (posted at 2010.5.30)
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【作品名】奴の名はMARIA 【ジャンル】漫画 【名前】四方堂麻里亜 【属性】文部省認定超教師 【大きさ】成人女性並 【攻撃力】超強化防弾ガラスをパンチで破壊する。 一瞬で13発相手の腹を殴れる。 コンクリートの塀をかかと落としで破壊できる。 【防御力】達人並 【素早さ】10階建てぐらいのマンションの屋上から落ちる人間を 墜落する前にマンションの壁を駆け降り途中でキャッチできる 【長所】文部省認定超教師 【短所】にコンピューターミスでなった 2スレ目 68 :格無しさん:2007/07/19(木) 19 14 14 ペプシマンは久里武志には勝てるだろう バットで殴られても大して効かんし突進で勝てる 高原は四方堂とペプシマンにスピード負けしてて 防御力もそれほどではないから2人には負けるんじゃないだろうか 四方堂麻里亜>ペプシマン>高原日勝>久里武志 前田も 63入れれば久里武志には勝てるかも 1スレ目 355 :格無しさん:2007/07/15(日) 00 14 20 四方堂は高原日勝の下かな
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【妄想属性】わからん 【名前】見たら死ぬ 【属性】成人男性 【攻防速】成人男性並 【特殊能力】このキャラを見た者は死ぬ 【長所】特殊能力 【短所】盲目やロボットには無力 316◆n0qGxROT0Q 2022/08/21(日) 20 44 16.99ID rrol2/E0 見たら死ぬ考察 性能的にトキポナの下位互換なので下がる △トキポナ 互いに死ぬ △くとぅるふ 互いに死ぬ ×誘惑の落とし穴 穴に視覚はない 〇サキュバスの姫君 即死勝ち ×飛翔天=碧珠天 意思は認識を視覚に頼ったりはしないだろう。 精神攻撃で負け。 △早良道将 即死と常時高熱相打ち △ケンシロウ 相打ち △ヴェルギリアス 相打ち ×超古代ry) 植物に視覚はないだろう 〇全盛期のRX 相手のほうが反応上、即死勝ち ×思考の落とし穴 穴に視覚はない ×文部省 互いに見られて即死、盲目の東郷が生き残る 〇アーニス=感覚1兆倍マン ショック死する前に相手が死ぬ ×おっぱい おっぱいに視覚はない 〇*7 ビューティー~福沢祐巳 即死勝ち 文部省文化庁魔導師公館専任係官>見たら死ぬ>アーニス=感覚1兆倍マン
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雑記:文或と近代もろもろ、172 11月13日めも。 リアルタイムは2020年10月25日、というか、2019年のキャラ言及のこと(えっと今回は5枚め49人まで終了していて、あと16人で雑記2枚かな、リストアップだけはもうしてある)をすっぱり忘れておりまして、特に無理もなく間に合う範囲の時期に思い出せて良かったよ…。 50日分であっても、1日1枚2枚って感じで進んでるからな…。 復活してから一番出来が良かったのは昨日の学制に関してのような気がするー、目的意識が希薄で詰め込んだ時のほうがマシなのなんでかしらね、性格かしら。 ところで今日も特になにを書くのかということを考えておらないわけですが。 てか、一応あれ、「学制」ってのが法令(太政官からの布告)の類だってのは昨日初めて知ったんですけども、どうもこう、つらつら見ているとどうも文部省と関係があるような気がしない、文部省は「廃藩置県」と同時に出されておりまして明治4年発足なので関係してないということもないとは思うんだけど。 で、過去のメモを引っ張り出してみたんですよ、ありました、えーと、明治5年3月神祇省が分離して教部省ってのが出来てまして、どうもこっちのような気がする。 (一応書いておくとその前年の明治4年8月に神祇官が神祇省になっていて、どうもこの辺から話は開始してるぽいです、さらにその前に太政官職制の発布ってあるんだよ、その1か月後に神祇官の改編かな…。) 教部省ってのは「国民の教導を任務とする」とある感じ、寺院も担当って書いてあるのもなんか気になるんだけども、寺子屋のことを指すのかしら(どの本から抜き出したのかは覚えてないけど、基本メディア系の間接的な本なので情報はここ止まり)。 11月14日めも。 で、明治5年に「三条の教憲」が発布されて、みたいな順序か。 いや、戯曲者がこれによって教職の地位を得ていたんで、教部省の話と連動しているという認識がなかったんですが、ここに学制をぶっ込むと完成するような気がする。 あ、俳優や講談師も採用されてる。 というか全く関係がないというわけではないものの、廃藩置県によって教育機関を管理する機能を国に移譲し、これが文部省(明治4年)。 そしてここが大学周りの(帝大ではない、「大学」ってのは国の機関)を担当しつつ、1年ほど遅れて教部省が発足、こちらが義務教育から作り上げてった、と見ると多分辻褄が遭うんだけどこれで合ってるかなぁ? 寺子屋、戯作者、俳優、講談師などから小学校を作り上げてったのかな。 これが「教導職」と呼ばれるようなんですが、明治17年に廃止されているので、そこまでに教育による教師が生まれるようになったという理解でいいのかな…。 そういやなんか、戯作者らってしばらく作品とか書いてなかった時期あるよね。 教職に着いていたってのは個人の本読んでると出てくるんですが、そういや、最初期にまとまった教師なんか手に入るわきゃねぇよな!! てか、上のラインナップつらつら眺めていて漫談師どうしたん? とはちょっと思ったんだけど、この人たちは特に風紀を乱すとは見做されなかったとか、お仕事に特に困らなかったとかそういうこともあったのかしら? (講談師ってのは漫談の一部で歴史ネタやってる。) それとも彼らに関しては教えるだけの能力なかったかどっちかかな。 11月15日めも。 んー、んで、学制(明治5年)に関しては明治12年の「教育令」で廃止になってるんですが…確かこれの第2次の時に中学校を作ってるんじゃなかったっけ、ここで尋常中学校と高等中学校とに別れていてこの高等中学校がのちの高等学校、ナンバースクール、帝大予備教育機関。 この時点で「大学」側との接続がされたったことでいいのかな。 どう見ても教育令の成り立ちからでは「大学予備門(これも後の高等学校、専門教育を受けるために必要となる教養課程)」って呼ばれてるような気がしないんだよね、この概念がここで合体したってことじゃないのかなぁ。 なんか中等学校って呼ばれてた時点から高等中学校って呼ばれるに至った辺りの歴史がもにゃもにゃっとしていたんだけど、両者の歩み寄りの結果となるとわかるような気もしないでもない。 私のメモ、大学に関しての年表が全くないんだよね。 おかげで比べようと思うと面倒臭くて出来ないんだよな、時々まとまった情報があるのが次見掛けたら写真撮っとくなりなんとかしよう…団子なんだよなあれ。 ただ、明治4年8月の時点で工部省が作られていてそこに作られた工学寮ってのが最初の専門教育機関だってのは知ってる、作ってるのは役人ですけどねー。 初期の頃はそうやって省庁なんかに付属してたみたいなのですよなんか。 まあ私は工学寮のことしかちゃんと読んでないけど、ざっくり言うと「鉄道を作るための技師」みたいな感じです、お雇い外国人と船乗りとで初期作ってはいたものの、鉄道の父に大丈夫、君らなら自作出来るからって言われて学校作ってた。 11月16日めも。 で、詳細はいまいちわからないんだけど(読んだことはあるの、単純に理解出来なかったというか覚えられなかった)、この工部省の工学寮からぼこっと「工部美術学校」てのが生まれたみたいです、明治9年。 多分この美術学校、見たことないんじゃないかと思います。 私も美術関係の本読んでたらたまたま見掛けた感じだし、どう見ても「工部」のほうに比重が置かれてるし、なんというか、大きめなものを作る省庁なんだよ、今思い出せるの灯台と鉄道だけだけどいやこれは一時は覚えてたんだけど単に忘れた。 確かデザイン(多分なし崩し的に設計も)を担当してたんじゃなかったか。 この辺の学校とか機関とか専門教育を受けた人たちなんかは、政府にも残ってるけど(長州ファイブって言うと知ってるかも、あれ系の人たちが作る側だった)、民間にも流出していきまして、財閥への払い下げってのがだいたいこれです。 もうちょっと前に外国借款で作ってた工場なんてのもあったね。 いずれにしろ、元気でいろよな! とか、いいことだいいことだみたいで、払い下げに対しての悪い印象は全くないですな、どうせ経営出来ないし政府…技術力は付いて来たんだけどね。 てか、学校作るのにここの学校のノウハウが流用されてるんじゃないかと思うんだけどもどうなんだろう、見たことないんだよね。 鉄道のほうから辿るとそんなに難しい案件じゃないので結構本あるのに。 学校がないものはないのでしょうがないですね、発足が文部省の1か月後だし。 11月17日めも。 ここまで書いて来てるのはまあ仮説っちゃあ仮説ですが、仮説部分には「これかも」って書いてあってあとは単純にメモを並べてるだけです、教部省(神祇官から改編してってたやつ)が学制を担当してるんじゃないかってのは完全に根拠ないけどね。 文部省がないならともかく、文部省はもうあるしな。 で、明治12年の教育令のあとくらいから文部省に徐々に置き換わっていったのかなぁ、どこで教師育ててるのかよくわからないけども、大学とか大学予備門しかないし、ねぇ、小学校と中等学校(のちの高等学校)しかないのに本当に入学出来るの、本当に出来るのこれ?! みたいな気持ちになるけど。 その辺は語学学校とか私塾とかで補ってたんだろうな。 というか、藩校どうなったの藩校、役人になるための士族学校、あったよね、再利用しないと勿体ないよね! とあらぬことが気になります。 あと、大学まで出た人を小学校で働かせるのは明らかにオーバースペックだよね、その人たち他言語の講義受けてたんだよね? となるけどどうなんだ、大学で習った人たちはやっぱり文部省に入っていたのか、どこで育ててたんだ小学校教師! ととても心配になります。 てか、これだけだらだら書き連ねてると「大学」が新聞の検閲をやっていましたのです、ってのがあんまり違和感なくなってきた、特に工部省工学寮からスタートして考えるとあくまでも省庁の一部だ、大学(政府機関の名前です、結構古い)。役人だ教師。 というか昨日見たけど、「高等中学校」こそがカレッジって呼ばれてたもん、最高学府、今の大学相当、あとは役人養成教育だったんだな、それが大学。 11月18日めも。 んでこのあと、大学が帝国大学になるわけじゃないですか、他所の省庁が持ってた専門教育機関を頂きまして(医者の養成機関は確か大学南校か東校だった気がする、なんでその二方向なのかは聞かないで下さい)、出来上がりました「帝国大学」。 でもこれ、基本が役人の教育機関じゃんか! みたいな感じ。 確かにあれです、欧州の最高学府の水準にも届く的なこと言われてたけど、要するにあれじゃん、お雇い外国人の代替を育てるためだからわりと自明の理だな? だがしかし、初期の必要数を超えると別にそんなにはいらないので、段階を経て最高学府へと成長してったような気もする。 あとあれ、早稲田が大学昇格を望みます的な申し出をしていたところ、むしろ帝大より上じゃん、事実上の大学だよ、みたいな感じのやり取りがされていたんですが(どこっていうか世間的に)、あれも役人育てるのに特化してたのが理由なのかもなぁ、普通の会社で採用するのに二の足を踏んでいたのもわからんでもないような気もする。 そこからの学校改革ですよ、普通の社会に溶け込みましょう! みたいな。 一高の学長に新渡戸さんとか呼んでいた時点で(札幌農学校出身、倫理観で言うと日本の中では桁外れ集団、ぶっちゃけ欧米より理想が激しくぶち込まれてる)、揉めることもわかっていただろうし、国は本気だって気もします。 学習院にも乃木さんとか呼んでたね、評判良い軍人て東郷さん乃木さんで打ち止めみたいなところがあるからな…軍人として立派というより武士寄り(学習院の一部生徒には蛇蝎のように嫌われたらしいけど、そうね、聖職者相当の役目の人と考えるとそうなるだろうね)。 この辺は全て妄想ですのでお含み下さい、役人候補は余ってたとは思うけど。 11月19日めも。 てか、こうやってつらつらと書き連ねてて思うんですが、この手の「教部省(神祇官関係組織)」の本を教育や学制関係の本で読んだことは一度もありません、教職に着いていたってのもあれはあくまでもメディアの本とかで読んでるんだよね。 例えば仮名垣魯文なんかの事情として書いてあるんですよね。 そういや、東京…なんだっけ、えーと、福地源一郎で検索、あああれ『東京日日新聞』とかその系列の小新聞とかによく俳優とか講談師とかいましたっけ、そういや落語家の人もいましたよね、あれ、えーと、四谷怪談の作者、で、三遊亭園朝さん。 ほら、福地さんにフランス由来の元ネタ貰ってたりした方とか、仮名垣魯文もこの括りだったよな、結構彼はあちこち流れてるけど。 ひょっとして教導職が廃止になるよりも前に身元引受けでもしてたのかしら。 いやまあ、この辺だとかなり人気がある人たちなので切られる前に自力で見切りを付けたとかもありそうだけど(あと落語家に関しては教導職の中で挙げられてなかったし、そもそも確か福地さんとはもともとの知り合いだから、どうかな?)。 ただ、福地さんはもともと政府高官の翻訳として随行していたりなど、元勲の知り合いも普通に多く盟友に数えられていることもあるので(御用新聞って言われてたけど、ここまでちゃんとした付き合いだとなんかしっくり来ない呼び方…)、そういう意味で教導職からの引き受けであってもそんなには違和感ないなー。 が、見たことはないです、あくまでも新聞とか、戯作が一時期全く新作が出なかった事情として神道の道徳に悪い文化への抑制として語られてるだけです。 教部省が彼らを教師にしたことは語られているのに学校に関わった記述がない状態。 11月20日めも。 これ教部省が文部省に対して「教師を送り込んでいたよー」的に書かれていたらそれはそれで全く問題はありません、文部省が小学校教師を集めていたような節は、例えば寺子屋などを気に掛けていたような記述は全く見たことがない。 いつの間にか小学校が地から生えていて、中学校がそこから派生したみたいな感じにふわふわふわふわ現象として語られてる感じです。 私が「学制」を見た時に文部省じゃあないんじゃないかなぁ? とか言い出していたのもそれ、文部省の歴史の中に出てそうなものじゃない、反面、明治12年に出された教育令に関しては一部に見覚えがあり、でもやっはり文部省側では直接触れてないんだよね、てか、学制学制って呼んでてなんのことか初めて知った! とか私が叫んでる段階でなにかがおかしいんだよなー。 ただこれ、私が見てる範囲でそうなっているというだけで、教部省から辿ってる人なんかにとっては文部省との接続も丸見えで「はい、ここで交流どーん!!」みたいな感じに超物理的にわっかりやすく語ってくれているような気もするんですよね…。 そういう本があるからこそ、戯作なんかに触れる人はこれが彼らにとっての節目の法令ねー、と一部だけ抜き出して語っていたんだろうしね…。 ただこれが正しかった場合、国家神道が日本の小学校を作る中心だったの?! みたいな気持ちになるんですが、どう、なんだ、どうなんだこれ。 とりあえず小学校教師集めてるのは確定です確認取れる、大学とか大学予備門に送り込んでも多分生徒にもなれないからねごめんねさすがになれないよね! だがやっぱり、あまりにつながってなさすぎてちょっと怖いし、宗教がその役目ってどうなんだ…? 11月21日めも。 とか諸々書きながら「教部省」で検索してみましたが、やっぱり教師を集めてたことと娯楽に規制掛けてたこととそのあと分裂解体したことだけが書いてあって他のことがなんにもない。 これ、寺子屋視点から見てみたり、各地方の事情なんかを調べてみたりするとさくっと出て来たりするものなのかしら。 何分にも教導職が明治17年、教部省が明治10年に解体だと彼らが持ってた資料が…どこ行くんだろう、この場合は内務省かな(その他担当)。 あとあれ、よくよく考えてみたら「教育勅語」も宗教色がもともと強かったところを天皇に置き換えて道徳的な指針にしようとしてたのってのも、教部省スタートだとしたらそれはそんなに突飛なことでもないんじゃないかしら…。 教部省が小学校作ってること自体にはどうかな、とは思うけど、そこが道徳方針を打ち立てようとしたものとしてはかっ飛んでるとは思わないなぁ、理性を感じる。 てか、そういやよく考えてみたら天皇の側に侍ってた「儒教担当の人」って何者だかどこから来たんだったか全くわからなくて、本読んでてももごもごだったよね。あと、儒教と日本学ってのがどこでどう復活したんだか、わかんないんだけど! と暴れてたのもひょっとして教部省を通して考えればつながる可能性があるのかな。 よくよく考えてみたらこの国の最初の大学、医学部と洋学部門だけ残して「大学本校」が消滅してたし、こいつらどこ行ったんだよ一体、と思っていたあれが、ひょっとしてあの、教部省に行ったのかな?! ていうか行きますよね、小学校なら教えられるだろうしな、全く無関係でも数年間が経ってても自然な進路って見ていいよな多分? 11月22日めも。 とりあえず教部省(神祇官由来)が小学校作るのはちょっともやもや、てことに関しては「消滅した大学本校」からの人材が流れ込んでいたのは多分かなりの高確率でありそうなので気にしないことにします、なんでその辺の資料がなくなったのかというと、省庁が消滅した時にさすがにもともとの片割れである儀式担当の宮内省に資料を持ってくのもジャンル違い過ぎるし、文部省も大学メインで作っていた頃だろうと思うので内務省(まだなかったらごめん)辺りに最終的に流れ着き。 戦後に燃やされたのかもしれないな、とさっぱりしておきます。 てか、宗教が国の根幹に関わるってところによってはタブーだしなぁ…。 娯楽担当の中や寺子屋を改編して権力闘争の末に倒れた大学本校から人を引き受け、小学校をこまこま作ってたってこと自体は別に誰にも恥じるようなことでもないような、気もするんだけどね、教師も校舎(時期が早すぎて建築家がおらず、大きな建物が作れない、だってそのために工部省作ってたんだし…)も手探りから始めてるんだろうしなぁ、寺子屋関係や校舎作った人などの関係からなら辿れるかなー? 探すところがわかっていて、内容の方向性がわかってれば可能かしら。 ただ、さすがにこの域になると研究者のお仕事かなって思います、そもそもなんで私が学制に関して調べ始めたかというと、なんでだっけ、いろんな分野でちまちまちまちま出てくるのでいっそつなげたろ! と思ったのが文学ジャンルに来てからみたいな長年の蓄積ですね、なのでまあ、そもそも頭の中にある程度入ってるし、個人読んでて勝手に出てきたりもするんだけども。 こっから先はさすがにちょっと手に余るかな、まあおいおい考えよう。 (文或と近代もろもろ、172) 雑記:文或と近代もろもろ、212 雑記:文或と近代もろもろ、210 雑記:文或と近代もろもろ、208 雑記:文或と近代もろもろ、207 雑記:文或と近代もろもろ、206 雑記:文或と近代もろもろ、205 雑記:文或と近代もろもろ、204 雑記:文或と近代もろもろ、203 雑記:文或と近代もろもろ、202 雑記:文或と近代もろもろ、201 雑記:文或と近代もろもろ、200 雑記:文或と近代もろもろ、199 雑記:文或と近代もろもろ、198 雑記:文或と近代もろもろ、196 雑記:文或と近代もろもろ、194 雑記:文或と近代もろもろ、192 雑記:文或と近代もろもろ、189 雑記:文或と近代もろもろ、188 雑記:文或と近代もろもろ、187 雑記:文或と近代もろもろ、185 雑記:文或と近代もろもろ、184 雑記:文或と近代もろもろ、183 雑記:文或と近代もろもろ、182 雑記:文或と近代もろもろ、180 雑記:文或と近代もろもろ、179 雑記:文或と近代もろもろ、178 雑記:文或と近代もろもろ、176 雑記:文或と近代もろもろ、175 雑記:文或と近代もろもろ、174 雑記:文或と近代もろもろ、173 雑記:文或と近代もろもろ、172 雑記:文或と近代もろもろ、171 雑記:文或と近代もろもろ、170 雑記:文或と近代もろもろ、169 雑記:文或と近代もろもろ、168 雑記:文或と近代もろもろ、167 雑記:文或と近代もろもろ、166 雑記:文或と近代もろもろ、165 雑記:文或と近代もろもろ、164 雑記:文或と近代もろもろ、163 雑記:文或と近代もろもろ、162 雑記:文或と近代もろもろ、161 雑記:文或と近代もろもろ、160 雑記:文或と近代もろもろ、159 雑記:文或と近代もろもろ、158 雑記:文或と近代もろもろ、157 雑記:文或と近代もろもろ、156 雑記:文或と近代もろもろ、155 雑記:文或と近代もろもろ、154 雑記:文或と近代もろもろ、153 雑記:文或と近代もろもろ、152 雑記:文或と近代もろもろ、151 雑記:文或と近代もろもろ、150 雑記:文或と近代もろもろ、149 雑記:文或と近代もろもろ、148 雑記:文或と近代もろもろ、147 雑記:文或と近代もろもろ、146 雑記:文或と近代もろもろ、145 雑記:文或と近代もろもろ、144 雑記:文或と近代もろもろ、143 雑記:文或と近代もろもろ、142 雑記:文或と近代もろもろ、141 雑記:文或と近代もろもろ、140 雑学:近代有力め新聞社10社、181 雑学:近代小説掲載雑誌覚え書、186 雑学:明治の歌舞伎事情、195 雑学:明治の新聞発展事情、177 雑学:文士経営者寄り10人、190 雑学:お江戸の歌舞伎事情。197 文芸:文アル登場作家、その4。211 文芸:文アル登場作家、その3。209 文芸:文アル登場作家、その2。193
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このページでは、学生団体の活動や、様々な取り組みについて紹介するためのページです。 このページは自由に編集することができ、さらに1行だけ、簡単な説明を書くことができます。 新しいページの作成や編集についてはこちらをご覧下さい。 教育に関する団体 リアル熟議@広島の開催について 当事者が集い、“熟慮して議論する”。文部省が積極的に奨励しているワークショップです。 地域連携に関する団体 リアル熟議@広島の開催について 当事者が集い、“熟慮して議論する”。文部省が積極的に奨励しているワークショップです。 国際協力に関する団体 Peace Capsule Hiroshima (PeaCH) 国際協力ってなんだろう?PeaCHはそんな方々が参加する「場」を開拓し、提供することを目的として設立されました。 社会経済に関する団体 ものづくりに関する団体 自然環境に関する団体 その他団体 ゆいまーるin広島 夢を夢で終わらせることなく、実際に形に変えて行くサークルです。 ※複数のカテゴリに属すと判断される団体は、3つまで選択することができます。 それ以上に渡って広範な活動を行っている団体は、「その他団体」に登録して下さい。 ※新しいカテゴリの設置依頼は、jyukugi_hu@yahoo.co.jp(管理者)までご連絡下さい。
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省名 委員会.庁名 設置根拠 内閣官房 安全保障会議 内閣法安全保障会議法 法制局 内閣法法制局設置法 内閣人事院 内閣法人事法 内閣府 国家公安委員会 内閣府設置法公安法 警察庁(↑の所属) 内閣府設置法警察法 王室庁 王室庁法 公正取引委員会 独占禁止法 証券取引監視委員会 証券法 国防省 参謀庁 国防省法 陸軍庁 国防省法 海軍庁 国防省法 空軍庁 国防省法 兵器開発委員会 国防省法 財務省 金融庁 財務省設置法金融法 国税庁 財務省設置法 地方財政対策委員会 財務省設置法地方財政法 総務省 消防庁 財務省設置法消防法 郵便事業庁 郵便事業法 外務省 外務省設置法 建設省 建設省設置法 鉄道省 国有鉄道法 文部省 文化庁 文部省設置法文化庁法 教科書委員会 教科書法 科学省 科学庁 科学省設置法 ロボット研究委員会 科学省設置法 厚生省 労働委員会 厚生省設置法労働改善法 保険庁 社会保険法 年金庁 社会保険法 衛生庁 国家衛生管理法 労働組合委員会 厚生省設置法労働改善法 産業省 水産庁 産業省設置法水産法 林野庁 産業省設置法林野法 農業対策委員会 産業省設置法農業法 通商産業省 産業庁 通商産業省設置法 通商庁 通産産業省設置法 産業技術委員会 通産産業省設置法 原油対策委員会 エネルギー法 鉱石対策委員会 エネルギー法 原子力委員会 エネルギー法 特許庁 通産省設置法特許法 運輸省 海上保安庁 運輸省設置法 道路庁 運輸省設置法 海難審判庁 運輸省設置法 気象庁 運輸省設置法 地学庁 運輸省設置法 政治に戻る トップページに戻る
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概要 2002年発売、2枚組アルバム。この時のテーマは『吟遊詩人』。今までの歌手生活をテーマに表し、これまでに各地で出会い、そして広めてきた歌の数々を収録。 曲名 Disc 1 番号 曲名 作詞 作曲 編曲 1 吟遊詩人 岡田冨美子 三木たかし ダークダックス 服部隆之 2 島原の子守唄 宮崎康平 宮崎康平 白石哲也 3 城ケ島の雨 北原白秋 梁田 貞 ダークダックス 4 夕陽 なかにし礼 小林亜星 白石哲也 5 芭蕉布 吉川安一 普久原恒勇 白石哲也 6 夏の思い出 江間章子 中田喜直 ダークダックス 7 雪の降る街を 内村直也 中田喜直 山中紀昌 8 ちいさい秋みつけた サトウハチロー 中田喜直 ダークダックス 9 絆 藤公之介 森田公一 山中紀昌 10 赤蜻蛉 三木露風 山田耕筰 小野崎孝輔 11 かなりや 西條八十 成田為三 小野崎孝輔 12 十五夜お月さん 野口雨情 本居長世 ダークダックス 13 砂山 北原白秋 中原晋平 小野崎孝輔 14 ペチカ 北原白秋 山田耕筰 中村五郎 15 みかんの花咲く丘 加藤省吾 海沼 実 小野崎孝輔 16 揺籃のうた 北原白秋 草川 信 ダークダックス 17 夕焼小焼 中村雨虹 草川 信 ダークダックス 太字は新録音 Disc 2 番号 曲名 作詞・訳詞 作曲 編曲 1 あおげば尊し 不詳 不詳 小野崎孝輔 2 故郷を離るる歌 吉丸一昌 ドイツ民謡 小野崎孝輔 3 埴生の宿 里見 義 ビショップ 小野崎孝輔 4 冬景色 文部省唱歌 文部省唱歌 小野崎孝輔 5 冬の夜 文部省唱歌 文部省唱歌 小野崎孝輔 6 星の界 杉谷代水 コンヴァース ダークダックス 7 牧場の朝 杉村楚人冠 船橋栄吉 小野崎孝輔 8 紅葉 高野辰之 岡野貞一 小野崎孝輔 9 旅愁 犬童球渓 オードウェイ 小野崎孝輔 10 いつかある日 ロジェ・デュプラ 深田久弥 西前四郎 11 エーデルワイス O・ハマーシュタインⅡ R・ロジャース 山中紀昌 12 しゃれこうべと大砲 東大音感合唱団 シシリー島民謡 白石哲也 13 山のロザリア 丘灯至夫 ロシア民謡 白石哲也 14 雪山に消えたあいつ 沢の井千江児 上條たけし 白石哲也 15 一日の終わり(星影冴やかに) 不詳 フランス民謡 白石哲也 16 北上川讃歌 三好京三 小林亜星 白石哲也 17 WE LOVE ZAMA! 岡田冨美子 三木たかし 白石幸一郎 18 蓮の故郷 小林亜星 小林亜星 白石哲也 太字は新録音 解説 『吟遊詩人』の編曲は、ダークダックスと親交の深い服部克久氏の子息、服部隆之氏が担当している。また、『WE LOVE ZAMA!』の編曲者の白石幸一郎氏も白石哲也氏の息子とみられる。 収録されているほとんどの曲が、『抒情歌シリーズ』のものである。 新曲『吟遊詩人』〜《吟遊詩人》とは?〜 中世の南フランスより、ヨーロッパ中に広まった所謂ストリート・ミュージシャンである。小さな竪琴(ハープ)を手に街角で抒情を歌い、叙事詩を語る者とされている。それだけに限らず、各地の優れた歌を自身のレパートリーとし、それを歌い歩いてきたという。 『吟遊詩人』は、ダークダックスにも当てはまる所が多くある。岩手で出会った『北上夜曲』、群馬のファンより教わった『山男の歌』など、各地で出会った歌をレパートリーに、歌でそれを広めてきた。ダークダックスはまさに、半世紀の吟遊詩人生活を送ってきたのだ。 『WE LOVE ZAMA!』 2002年は座間市市制30周年にあたり、それに伴って岡田冨美子作詞・三木たかし作曲のもと制作された。テーマは『希望・愛・融和』。同年10月28日、ハーモーホール座間にて市長を初めとする市民が参加する中披露された。 『蓮の故郷』 2000年7月、メンバーのゲタが古代蓮の里に訪れた際、行田蓮の美しさに感動し親交のある小林亜星に作詞作曲を依頼した。2003年7月7日にはその古代蓮の里内の公園で歌碑の除幕式が行われた。また、現在も時報代わりにこの曲が流れている。
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工部省(明治3年) 明治3年閏10月にエドモンド・モレル(英)の建策にて設置。 (当時はまだ旧暦なので「閏月」というものがあります。) 他の説もあったようですが、こっちのがそもそも旧来説だよね。 ここの沿革史が大蔵省から出てるんだけど、なんか複雑な事情があるらしく…。 正直複雑すぎて知らん!! 内務省のほうがあとに作られてるんですが、内務省の指揮下にあるんじゃないのかなぁ、多分。 (しかし内務省の土木寮も大蔵省から内務省に移されたらしいしもうわからん。) 重工業が工部省、軽工業が内務省のそれぞれ産業新興って分担していたらしいです、微妙に曖昧だけどねこの辺。 港湾や道路なんかに関しては内務省が作ってますね実際。 どちらかというと明治初期の頃に数少なかった建設がわかる専門家を一時的に一箇所に集中させておく必要があったって認識すべきなんじゃないかなと。ただ、初期の頃はやっぱりレベル高くないかも。 で、どうも鉄道建設がメインだったようです。 えーと、まず明治3年(1870年)3月1日に民部・大蔵両省に鉄道掛を設置。 (事務局は東京築地の旧尾張藩邸だって、なんか書いてあってね? なんでだろね。) そういや、大蔵省が民部省食っちゃったのいつだっけ…。 この鉄道掛が工部省の発足と前後して移管。 翌年明治4年8月に鉄道寮へと改称されて初代鉄道頭として井上勝が任命されたそうです。 明治10年1月11日には鉄道局へ、この流れは基本的に昇格って考えて良さそうですね。 この間に一回鉄道寮の移転に伴っての井上勝の下野とその後の復帰があったはず。 (京浜間路線を作ったのち、京都と大阪に東・西鉄道寮を一つずつ置いたのだとか。) 明治18年には工部省が廃止されて、主に逓信省と農商務省に分割されたってあるよ(Wiki先生とこに)。 ていうかやってることが実務に近いので結構あちこちと管轄がぶつかるっぽい。 鉄道寮、鉱山寮、灯台寮、電信寮、造船寮、だったかな? 確か5寮あるんだよね。 大蔵省の造幣局もここに属するって話があったようですがこっちは取り止め。 政治的な問題で語られてますが、少なくともあっちは技術的な意味で自前でやってけたって前提はあると思うよ。 鉄道以外の分野については基本的に民営化していったようです、時々明治政府で聞く払い下げがこの辺ですね。 鉄道に関しては逓信省へと引き継がれたようですが。 民営資本の導入ということは基本的に行われてますね、鉄道院の発足の辺りで鉄道建設資金がやっと公債(借金)と決定したんですが、それまでの間だいぶ迷走しています。 (明治8年にも京浜間鉄道の華族への払い下げ計画があったらしいんだけどね。) この工部省では明治4年に工部大学校が作られてこれは現在も東京大学工学部として残ってるみたい。 んーと、明治4年に技術見習生の制度を決め、同年9月に工学寮を作り、翌年明治5年に工学校を設立。 工学校は大学が明治6年8月に開校。 大学に入るための予備講義を行う前提の小学校が明治5年2月に開校(明治8年6月に廃校)。 これはどっちかというと別の教育機関がそのあとを負ったんでしょうね。 大学は就学6年間で、土木、機械、造家、電信、化学、治金、鉱山の7科。 明治8年1月工学寮廃止によって工部大学校と改称、そこからさらに「帝国工科大学」となったようで。 これが文部省に引き取られた時の状態だろうな、工学寮とは両立してた時期もあったのか。 あと、大蔵省と民部省の権限争いみたいなところから、とりあえず技術部門は独立させておこうみたいなのもあったっぽい。 独立前後には長州派vs薩摩派って認識していいのかなぁ…。 このあとくらいから、結構ごたごた関係が錯綜してくからわかりにくくなります。 で、この工部省もどっち派とも関わるし、案外どっちとも揉める時は揉める。 創設時点では長州寄りではあるみたい。まあ開明派って呼ばれてたのがそっちみたいだしね。
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人物 / 前川喜平 【前川喜平】 ■ 寺脇研「前川喜平は優しい人!弱い人を助ける」・長嶋一茂「天下り斡旋した人で、信じられない!」 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2017.5.27)」より / 寺脇研 「前川喜平は、本当に優しい人だ!『弱い人を助けなきゃ!』っていう気持ちが強い人だ!弱い人を助けるために力をつけて文科事務次官になった」 長嶋一茂 「だったら前川さんの天下り斡旋は、公正公平じゃないじゃないか?! それが唯一残念だったことなのか? 前川さんの人格者的なところ(人格者アピール)を皆さんは言っているが、まだ僕は信じていない!」 (※mono....中略、詳細はブログ記事で) / 寺脇研は、元文科省の官僚で、「ゆとり教育」を推進した中心人物(旗振り役)であり、今もなお「ゆとり教育」を正当化し続け、更に「コリア国際学園」の理事を務め、「朝鮮学校の無償化」を主張している反日国賊野郎だ! 「朝鮮学校を無償化しろ」というい主張は、前文部科学事務次官の前川喜平と完全に一致しているハニトラ売国奴だ! https //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E8%84%87%E7%A0%94 寺脇 研(てらわき けん、1952年7月13日 - )は元文部省官僚。 官僚時代にはゆとり教育の広報を担った。 文部省・文部科学省在任中は、初等中等教育政策に深く関わったことから、教育に関する著作が数多い。また、在任時には、いわゆる「ゆとり教育」「脱偏差値」「学校週5日制」「総合的な学習の時間」「生涯教育」などを推進したため、「ミスター文部省」と呼ばれた[2]。 そのため、「ゆとり教育」を中心としたこれら一連の政策への批判が高まるとともに、個人としても批判を受けることが多くなった。元産経新聞論説委員の高山正之からは、小尾乕雄・鳩山邦夫と並んで、日本の教育を崩壊させた戦犯だと批判されている[11]。 2002年の文化庁への異動は、文部科学省が批判をかわすため[12]であったが、文化庁への異動後も「ゆとり教育」肯定の立場から発言[13]を続けた。 文部科学省退官直前には、「今後も教育や文化について、民間の立場から取り組んでいく」[8]と述べ、その後も「ゆとり教育」推進の立場からの発言や著作を続けるほか、NPOカタリバが主宰する高校生支援・キャリア学習プログラム「カタリバ大学」の学長を務める。 また2007年には、在日コリアンの子弟を主な対象とするインターナショナル・スクールコリア国際学園の設立準備委員に就任し[14]、開校後は理事を務めている。ちなみにこの学校は、3ヶ国語の育成や大手進学塾との提携をしている。 また、朝鮮学校の高等学校等就学支援金対象除外に反対する「無償化連絡会大阪」の賛同人も務めている[15]。 (※mono....以下は主に「前川喜平」関連記事につき略、詳細はブログ記事で) .
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武原仁&メイゼル 長谷敏司 グレン・アザレイ 文部省