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重要伝統的建造物群保存地区選定基準 じゅうようでんとうてきけんぞうぶつぐんほぞんちくせんていきじゅん 文部省(現・文部科学省)が定めた、重要伝統的建造物群保存地区を選定するための基準。 昭和50年11月20日文部省告示第157号 伝統的建造物群保存地区を形成している区域のうち次の各号の一に該当するもの (一) 伝統的建造物群が全体として意匠的に優秀なもの (二) 伝統的建造物群及び地割がよく旧態を保持しているもの (三) 伝統的建造物群及びその周囲の環境が地域的特色を顕著に示しているもの 関連項目 川越 タグ 「し」 建築用語
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=しょじゃくかん 自作 設立の翌年である1873年にウィーン万国博覧会の参加のために文部省が併合され浅草文庫と改称され、 1880年に文部省に復帰した際には東京図書館と名称を変更されている、元は図書館自体がこう呼ばれていた1972年に湯島に設立された図書館で、 これが日本初の官立公共図書館であり、後の帝国図書館、国立国会図書館の前身であるのは何? (2016年8月3日 2016年7月のQui2投稿問題まとめ。 ) タグ:社会 雑学・その他 Quizwiki 索引 さ~と
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哲学館事件(てつがくかんじけん・てつがっかんじけん)とは1902年に私立哲学館(現在の東洋大学)で発生した事件である。 明治期の初め、学校の卒業と同時に無試験で教員になることができたのは国立の学校のみで私立にはその権利がなかった。しかし、哲学普及のために教育者を育成することを目標としていた私立哲学館の井上円了は私立学校にも卒業生に対して無資格で教員となることができるよう、1890年から当時の文部省に対して陳情を行っていた。文部省からなかなか良い返事をもらえなかった井上は、慶應義塾(現在の慶應義塾大学)、國學院(現在の國學院大學)、東京専門学校(現在の早稲田大学)と私立学校の連合を組んで再度陳情を行い、1899年に中等学校の教員免許について、卒業と同時に無試験で認可されることとなった。 1902年にはこの4校で最初の卒業生が誕生し、私立学校ではじめての無試験教員が誕生するはずであった。しかし、哲学館の卒業試験を検定した視学官隈本有尚が中島徳蔵の出題した内容を問題視した。この内容はミュアヘッドの書物の一節からとられたもので「動機が善ならば弑逆(親など目上の人を殺すこと)も許されるであろうか」という課題である。これに対して学生が「許される」としたため、哲学館の教育方針は「目上を殺してよいということは天皇も殺してよいということだ。この思想は国体を危うくする恐れがある」という見解をまとめた。その結果、文部省は哲学館の教員免許無試験認可を取り消すこととした。 この事件は私立学校における教育の自由や学問の自由に関する議論となった。当時の新聞紙上では私学の自由を犯すものであるという見解が出る一方で、そもそもこの思想を教授した方法に問題があったのではないかという擁護論も交わされた。こうした状況は帝国議会でも問題となった。ミュアヘッドも文部省の見解に対してイギリスから反論するなど、日英間の国際問題となりかけた。 この後、哲学館は東洋大学となり、1928年に大学令による大学となるが、申請をしたにもかかわらず他の大学に比べて認可が遅れた(早稲田大学や國學院大學などは1920年に認可)のは哲学館事件が尾を引いたからではないかと当時の新聞は論説を書いている。また、公文書の開示結果、1920年に既に認可できる要件は整っていたが、この事件が影響して認可できないという内容が残されていることが判り、東洋大学が遅れた存在ではなかったことが証明された。 哲学館事件は現在でも日本の教育史では大きなトピックとなっており、松本清張の「小説東京帝国大学」(1969年、新潮社)などのように小説や論説の題材として使用されている。 関連項目 東洋大学 井上円了 教育 私立学校 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月20日 (木) 12 06。
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学力テスト 1961(昭和36)年 文部省は部分的に実施していた学力テストを中学2・3年を対象に全国一斉に実施した。しかしながら、文部省と日本教職員組合に対立を生じ、激しい論争と抵抗運動があった。 2007年度から小学6年生と中学3年生の全員を対象として、43年ぶりに全国学力テストを算数(数学)と国語で行う。これは2004年の文部科学相の中山成彬が学力低下の対策として導入したもの。 ほとんどの自治体が参加したものの、愛知県犬山市のみが不参加であった。犬山市が反感を抱く理由として、中山相がこのテストの実施にあたり「競争意識を高める」「競争していく環境づくりが必要」と発言したことにある。 犬山市教育委員会は「勉強することの動機を、『競争』にするべきだろうか。
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捕手/捕 右投げ/右打ち/179cm/80kg 京都/C/COST:9 文部省推薦捕手 球団の歴史に残る名捕手、達川光男から「文部省推薦の捕手」と評価された、完成度の高い捕手。 全ての動きが捕手として洗礼されており、他の捕手の手本になれる模範的な捕手である。 ステータス 期数 打撃 守備 パワ 走力 肩力 更新 1 5 8 5 4 7 up120607 2 up 3 up 4 6 9 7 5 8 up120620 5 up 6 8 10 6 5 8 up121620 7 up 8 up 9 up 10 up 守備適性 1 1 1 1 1 1 1 4 打順適性 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 2 2 2 2 2 4 4 4 4 特性/球種 キャプテンシー 更新日:2012-06-20
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【妄想属性】適当 【作品名】 なんか偏見多いけど、大阪は世界でも屈指の親日国だよ。 日本語で話したら、ちょっと発音は変だけどちゃんと日本語で帰ってくるし、 日本円だって使えるし。 2ちゃんの評判は悪いけど、俺は大阪と仲良くするのは 日本にとって決して悪い事じゃないと思う。 【名前】アーニス 【属性】聖断者 【大きさ】成人女性並み 【攻撃力】ナイフを持った鍛えた女性並み 【防御力】鍛えた女性並み 【素早さ】鍛えた女性並み 【特殊能力】全知。不老不死。精神攻撃無効 アーニスとの戦闘中、対戦相手は特殊能力の発動以外の行動ができない 発動するのに喋ったり体を動かす必要がある特殊能力は当然使えない 【長所】特殊能力以外の行動封じ 【短所】手抜き ◆考察記録--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 213 名前:格無しさん[sage] 投稿日:2010/10/03(日) 17 50 24 ID AzdrRIO6 [1/2] アーニスは思考も心臓脈動も禁止だろうから常時発動あたりか? 216 名前:格無しさん[sage] 投稿日:2010/10/04(月) 22 27 15 ID /hZaU+DM アーニス考察 脳も心臓も動かせない。 常時発動から。 ○ザ・水戸黄門 心臓麻痺勝ち。 ○ナマン 心臓麻痺勝ち。 ○感覚を奪う成人男性 心臓麻痺勝ち。 ×ニコニコ動画「裏」組曲 2 ○福沢祐巳 心臓麻痺勝ち。 ○ビューティ 心臓麻痺勝ち。 ×文部省 こちらは心臓麻痺レベルなので1秒くらいは生存されてしまうがあちらは0秒即死なので無理。 ×早良道将 ほぼ同上。6000度で瞬時に蒸発して負け。 特殊能力を攻撃に転化させても文部省の下位互換だし それが効かなければこのあたりでは絶対に勝てないのでこれ以上は無理。 文部省>アーニス>ビューティ
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公選制 戦前は教育委員会なるものはなかった。戦前、地方の教育行政を司っていたのは、内務省を頂点とする知事部局であり(県知事は、選挙で選ばれるのではなく、内務官僚が派遣されていた。)、文部省は、基本的に、教科書作成を通じて、学校を支配していたのである。 戦後、その反省と、アメリカの指導によって、教育の地方自治が確認され、その制度保障として教育委員会が設置された。アメリカの教育委員会制度は、植民者たちが、最初から子どもたちを教育する施設を作るための地域の意思形成をするために、設立していったものである。つまり、あくまでも、教育委員会は、住民の教育意思形成のために存在しており、形成された意思を実行する人たちは、教育長を頂点とする事務機構に委ねられている。従って、教育長には、資格が存在し、教育委員は選挙で選ばれる。 戦後、アメリカが作ろうとした制度も、これにならったものであった。教育委員会は公選制であり、教育長免許を与える大学として、旧帝大の教育学科が教育学部となり、そこに、教育長教育の場として考えられた。 しかし、実際に専門家としての教育長は、養成されず、免許も法制化されなかった。 また、教育委員の選挙は数回行われたが、文部省がそれを嫌い、結局、知事・市町村長による任命となった。教育委員会について規定する法律も、「教育委員会法」から、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」に変わった。 公選制教育委員会は、現在の教育委員会とは、かなり機能的に異なるものであって、単に選出方法が変わったわけではない。公選制教育委員会は、まず予算の作成権をもっていた。教育には多大な費用がかかるから、教育を計画的に行うためには、当然予算を提案する権限があるかないかで、計画の作成実行性が著しく相違してくる。 公選された教育委員たちであれば、当然、教育に対する重点的な予算を要求するのであり、そのことが、逆に一般行政サイドから多くの不満をもたれる結果ともなった。 また、政府が公選制教育委員会に対する変更を主張した理由は、公表された限りでは、中立が侵されるというものだった。教育委員の選挙であから、政治的な観点ではなく、あくまでも教育的な観点が、当初期待されたのであるが、選挙である以上、組織が大きく関与しがちである。当時、文部省と日教組の対立が激しい時代であるから、日教組をバックとする委員が多数当選し、それを政府が嫌ったという側面もあった。 ただ、教育委員会の実態を調査した研究によると、教育委員としての活動については、そうした組織の背景や政治的な見解は、あまりなく、実際の教育の現場の問題を解決するという点では、かなりの同質性があったと言われている。 任命制 1956年に、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」によって、教育委員会が、公選制から任命制に変わった。その周辺の教育をめぐる事件について、石川達三『人間の壁』が有名である。 変更点は以下にまとめられる。 1 選出が選挙から地方公共団体の長による任命となった。 2 教育長が、都道府県教育長の文部大臣による承認が必要となった。 3 予算の原案作成権がなくなった。 1の結果として、審議機関としての教育委員会は、かなり有名無実化したと言われている。自治体には、選挙で選ばれた議員がおり、議会には文教委員会がかならず存在しているので、教育の方針に関わる論議は、議会で行われるからである。 (ただ、インターネット時代になって、教育委員会のホームページがたくさん作られ、情報公開が進んでおり、教育委員会のあり方も、又変わって来たと言える。) 準公選制 中野区で、しばらく行われた選出方法で、区民がはがきで投票し、その結果を区長が尊重して、議会に委員を提案するというやり方で、しばらく続いた。 俵萌子が当選者として活躍し、教育委員会の実態を世間に広めたことでも、教育委員会の改革に大きな意味をもったが、当初から、文部省の反対にあい、今では存在しないが、いくつかの地域で、準公選を実現する運動がある。 都道府県教育長の許可制度 公選制教育委員会では、文部省と県及び市の教育委員会は相互に、平等な立場であることが明確になっており、上下関係をもたらすシステムは存在しなかったが、任命制に変わるときに、都道府県の教育長は、文部大臣の許可が必要となった。このことによって、文部省の政策が、ほぼ教育委員会で実現することになったのである。 80年代の臨時教育審議会議論以来、政府等の間でも、この制度については批判があり、中教審の答申でも、廃止が建議されている。この制度が直接影響した事件として、長野県の在日韓国人である梁さんの教師採用事件がある。 2001年になって、教育委員会制度は多少の変更の動きがあった。6月29日に成立した「地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律」で以下の点が決まったからである。 教育委員の構成の多様化と保護者登用の推進 教育委員会の会議の原則公開 教職員人事に関する校長の意向の一層の反映 指導が不適切な教員を教員以外の他の職に異動*53)http //www.mext.go.jp/b\_menu/houdou/index.htm\footnote{ 実質的に大きな意味を持つ可能性があるのは、会議の原則公開であろう。これまで教育委員会は、事務局が用意した案をそのまま形式的に追認するだけの審議をしているように批判されてきた。それでは実際の教育現場の問題に、教育委員会としての対応できないわけである。しかし、会議が公開されれば、住民が傍聴できるようになり、そうしたおざなりの会議では済まなくなる。
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捕手/捕 右投げ/右打ち/179cm/80kg 京都/C/COST:9 文部省推薦捕手 球団の歴史に残る名捕手、達川光男から「文部省推薦の捕手」と評価された、完成度の高い捕手。 全ての動きが捕手として洗礼されており、他の捕手の手本になれる模範的な捕手である。 ステータス 期数 打撃 防御 パワ 走力 肩力 更新 1 4 7 3 4 7 up110122 2 5 8 4 5 8 up110201 3 6 8 4 5 8 up110302 4 7 9 5 5 9 up110516 5 8 10 5 5 9 up110130 6 8 10 5 5 9 up110206 7 7 9 5 4 8 up110228 8 6 8 4 5 8 up110507 9 3 5 2 1 4 up111107 10 1 3 1 1 2 up111107 守備適性 1 1 1 1 1 1 1 4 打順適性 1番 2番 3番 4番 5番 6番 7番 8番 9番 1 1 1 1 1 3 3 3 3 特性/球種 キャプテンシー 更新日:2011-11-07
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古い共同体で親を中心とする大人が、子どもたちに習俗や生活技術を教えている時代、そして、豊かな親が子どもに家庭教師を雇って教育を授ける場合には、教育制度は成立していないし、制度についての社会的合意は必要ではない。 しかし、地域社会、あるいは国家が住民や国民に対して制度として学校教育を提供する場合には、どのような制度にするかについて、住民や国民の間のコンセンサスを形成する必要がある。 2001年に起きた教科書採択に関する状況を振り返ってみよう。 10年近く前から、「新自由主義史観」の立場にたつ人々が、日本の歴史教育について大規模な批判活動を展開し、更に自分たちの理念に適う教科書作りをめざし、2002年からの採用をめざして検定にかけた。そして多数の修正を経て合格し、採択のプロセスに入った。いくつかの私立の学校とごく少数の採択区の協議会が採用を決めたが、教育委員会がそれを否決するところが出てきた。そういう中、文部科学省が、教科書採択に不当な圧力があるので、圧力に影響されることのないように採択を決めるようにという異例の通達を出した。 さて、では「圧力」とは何か、実はこの単純な事実自体にも、多くの見解の相違が見られるのである。 誰の目にも明らかな圧力は、中国や韓国から寄せられた。政府からの抗議だけではなく、交流を中止するなどの動きが相次いだ。 また民間の動きも、「新しい歴史教科書」の採択・不採択をめざす両派がそれぞれ集会を行って圧力をかけた。 扶桑社の中学歴史教科書の採択をめぐり、反対運動の重点地域の一つとされる東京都国立市で二十二日、公正な採択を求める市民団体と、不採択を主張する市民団体が、それぞれ街頭で演説、ビラを配るなどした。 国立市民などで構成する「国立の正常化を推進する市民の会」は、JR国立駅南口で街頭演説。採択反対派を「民主主義を言いながら、教科書採択に関しては不当な政治的圧力をかけている」と批判。 また、検定を通った教科書のうち、特定のものだけ採択反対の運動を展開する不公平さを指摘した上で、「圧力に屈せず、公正な採択を」と訴えた。 一方、反対派の「国立市の教科書採択を考える会」は「扶桑社の教科書は悪いことには目をつぶり、個人は国家のいうことを聞け、という教科書」などと演説。ビラを配って反対の署名を集めた。*52)採択めぐって両派街頭活動 東京都国立市(産経新聞)2001.7.23 http //www.sankei.co.jp/databox/kyoiku2/html/13723news02.html このように教育意思といっても、国、自治体、学校、親のレベルがある。そうした集団・組織の意思が複雑に絡み合っていると言える。したがって、どのような意思形成が望ましいのか、十分に考える必要があるのである。国レベルでは、文部省や議員が立案し、国会で決める。選挙された議員によって構成される国会で決めるということで、国民が決めているという制度が、とりあえず実現していることになる。この点については、2で扱う。 しかし、自治体の場合には、多少問題が錯綜している。 行政機構の一部である「教育委員会事務局」が、文部省に相当し、地方議会が国会に相当するという意味で、国レベルと同じであるが、それに加えて、「教育委員会」という行政委員会が存在するのである。 この点については、3で扱う。 学校の教育意思形成については、多様な形態が存在する。 文部省の位置づけでは、文部省-国会という形に対応する意思形成機関は存在しない。学校の意思は、校長が権限を有しており、職員会議は諮問機関である。無理に言えば、職員会議や各種委員会が、文部省等に相当し、校長が国会に相当する。しかし、明らかに校長は、総理大臣にも相当するから、校長は、立法者であり、かつ、行政の長でもあることになる。 また、通常、学校では親の意思は、学校の教育意思形成には関与しない。PTAなどが実質的な意思形成に対する権限をもっていることは、ほとんどない。 しかし、ヨーロッパでは、通常、親や生徒を含む「学校協議会」が意思決定をする場として認められ、機能している。この点については4。 生徒の意思形成は、児童会や生徒会、自治会である。しかし、これも、学校の意思形成だけではなく、生徒の意思形成機能としても、かなり弱いものになっているのが現実であろう。
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線ケイ代数 「線形代数」と書かれた教科書と「線型代数」と書かれた教科書が存在する。 「linear algebra」の意味に近いのは「線型」(linear type)であって「線形」(linear shape)ではない。 よって、本来は「線型代数」が正しい。 しかし、戦後に実施された漢字の簡易化(函数→関数、共軛→共役、など)の影響で、 旧文部省発行の『学術用語集』において「線型代数」が「線形代数」と改訂された。 これををきっかけに、線形代数という表記が一気に広まってしまった。 京大でも昔は「線型代数学」だったが、現在のシラバスでは「線形代数学」(一般教養科目)になっている。 (理学部科目には「線型代数学演習」というのがあるらしい。数学科のこだわりを感じる。) 余談 旧文部省は「線型→線形」計画が成功したので、 調子に乗って『学術用語集』において「同型」を「同形」に改訂した。 しかし、流石に数学者からの反対意見が多く、結局「同型」に戻った。 (この影響として、『岩波数学辞典』が第三版だけ「同形」になっている) (posted at 2010.5.30)