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■ドーバー海戦(続・天海提督の決断)背景 侵攻戦力 損害 戦闘経過 エピソード 参考文献 ■ドーバー海戦(続・天海提督の決断) 背景 1944年8月、帝國海軍はアイルランド沖、シェトランド沖、ドーバー海峡の独Uボート艦隊の大規模な掃討作戦を開始。 これに対抗して独海軍は巡洋艦戦隊を派遣してUボート掃討部隊の駆逐戦隊の撃滅を図るが、英国海軍がドーバー海峡防衛の為と称して艦隊を動かさなかったため、これは失敗に終わる。 10月には、独本国寄りの北海を除くドーバー海峡周辺海域駐留の独海軍艦艇は壊滅し、ドーバー海峡の制海権は実質的に日米連合海軍に帰していた。 10月14日、独本国艦隊に対抗するため、帝國海軍遣欧艦隊は艦隊の大規模な再編成を敢行。 10月29日、ドーバーに現れたH級戦艦11隻を基幹とする独本国艦隊への迎撃を開始した。 侵攻戦力 +日本軍 第1機動艦隊(艦隊旗艦戦艦『土佐』 艦隊司令天海春香大将) 空母4(正規空母『翔鶴』『瑞鶴』『飛龍』『蒼龍』) 戦艦6(戦艦『土佐』『讃岐』『播磨』『越後』『大和』『武蔵』) 巡洋艦4(重巡『十勝』『石狩』『天海』『菊池』) 駆逐艦2 航空隊314機 第2機動艦隊(艦隊旗艦戦艦『比叡』 艦隊司令如月千早大将) 空母4(正規空母『蒼鳥』『弥生鳥』『雲龍』『翠龍』) 戦艦8(戦艦『金剛』『榛名』『比叡』『霧島』巡洋戦艦『浅間』『阿蘇』『吾妻』『伊吹』) 巡洋艦4(軽巡『梓』『入間』『宇治』『吉野』 航空隊270機 損害 +... 第1機動艦隊 大破 巡洋艦3(『十勝』『天海』『菊池』) その他不明 第2機動艦隊 詳細不明 戦闘経過 いち早く侵攻して来る独戦艦部隊を発見した第1機動艦隊は、実戦指揮を執った星井美希大将の指示の元、戦艦部隊に向け航空戦と砲撃戦を同時に敢行。 お手本通りの丁字戦法を取りつつ、歴戦艦らしい錬度の砲撃により、独H44級戦艦を1隻ずつ釣瓶撃ちにして行った。 被害を省みない執拗な航空隊の反復攻撃と第1機動艦隊1戦隊の砲撃により、独戦艦部隊は壊滅。 この海戦の結果を受けた英国は密かに日米両国と停戦し、後顧の憂いを無くした日米連合軍は11月4日、『長門』『陸奥』損傷によりドーバー海戦に参加していなかった第3機動艦隊、そして米国機動艦隊の援護の元、ノルマンディーへの上陸作戦を敢行。 日米合わせて170万人と言う巨大兵力を1点に集中させる事によりノルマンディー上陸に成功した日米連合軍はパリ方面への進撃を開始。 これ以後独海軍は急速に弱体化し、1945年2月には本拠地であるバルト海の制海権すら危ういと言う状況に追い込まれた。 エピソード 第1機動艦隊は名目上は遣欧艦隊総司令である天海春香大将が率いていたものの、実際の海戦指揮は『播磨』に座乗していた星井美希大将が執るとあらかじめ取り決められていた。 砲撃戦中、独戦艦の砲撃を受け速力が25ノットまで低下し、独戦艦の追撃が不可能になった重巡『十勝』は、艦長の双海亜美大佐の指揮の下、射程ギリギリの距離で魚雷を発射。見事に独戦艦に61サンチ酸素魚雷を叩き込み、轟沈させてみせた。 参考文献 天海提督の決断 名前 コメント
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■サンディエゴ沖海戦(天海提督の決断)背景 交戦戦力(日本軍の沈没艦は駆逐艦を含めた戦闘艦艇全てを、それ以外の日本軍艦艇は巡洋艦以上を表示) 損害 戦闘経過 エピソード 参考文献 ■サンディエゴ沖海戦(天海提督の決断) 背景 1942年9月20日、帝國海軍はハワイを攻略するものの、補給能力、そして米軍の造船能力から計算して、これ以上戦争を長引かせるのは得策では無いと判断。 新鋭艦戦『零戦52型』新鋭艦攻『天山』、そして新造空母『蒼鳥』『弥生鳥』の配備が完了し次第サンディエゴを強襲し、早期講和を図る米本土西海岸攻撃作戦を発令した。 10月23日、聯合艦隊司令長官天海春香大将は指揮下の第10艦隊に竣工なった『弥生鳥』を編入しハワイへと出港。 11月22日、米本土西海岸攻撃作戦発動。3日後、第1機動艦隊、第2機動艦隊、第5水雷艦隊、第9水雷艦隊はサンディエゴ沖で米軍機動艦隊、ロサンゼルス基地航空隊と交戦に入った。 交戦戦力(日本軍の沈没艦は駆逐艦を含めた戦闘艦艇全てを、それ以外の日本軍艦艇は巡洋艦以上を表示) +日本軍 第1機動艦隊(艦隊旗艦正規空母『蒼鳥』 艦隊司令如月千早中将) 空母7(正規空母『蒼鳥』『弥生鳥』『瑞鶴』『翔鶴』『飛龍』『蒼龍』軽空母『龍驤』) 戦艦6(戦艦『大和』『武蔵』『金剛』『榛名』『比叡』『霧島』) 巡洋艦6(重巡『熊野』『鈴谷』『那智』『足柄』『妙高』『羽黒』) 駆逐艦5 輸送船24 第2機動艦隊(艦隊旗艦戦艦『長門』 艦隊司令三浦あずさ中将) 空母5(正規空母『赤城』『加賀』『隼鷹』『飛鷹』軽空母『鳳翔』) 戦艦4(戦艦『長門』『陸奥』『伊勢』『日向』 巡洋艦5(重巡『利根』『筑摩』『摩耶』『鳥海』軽巡『阿武隈』) 駆逐艦8 輸送船24 航空隊233機 第5水雷艦隊(艦隊旗艦重巡『高雄』 艦隊司令星井美希少将) 巡洋艦7(重巡『高雄』『愛宕』軽巡『大井』『北上』『五十鈴』『夕張』『長良』) 駆逐艦22 輸送船30 第9水雷艦隊(艦隊旗艦重巡『青葉』 艦隊司令菊池真少将) 巡洋艦8(重巡『青葉』『衣笠』『古鷹』『加古』軽巡『木曾』『神通』『川内』『那珂』) 駆逐艦11 +米国軍 空母4 戦艦3 その他詳細不明 損害 +日本軍 沈没 第2機動艦隊 戦艦1(『伊勢』) 損傷(中破以上) 戦艦1(『日向』) 空母3(『加賀』『飛鷹』『鳳翔』) その他詳細不明 +米国軍 詳細不明 戦闘経過 空母4、戦艦3の機動艦隊を発見した第1機動艦隊は直ちに攻撃を開始。 一方、サンディエゴ攻撃に集中した第2機動艦隊を12月27日正午、重爆と雷撃機の混成部隊が空襲。この時偶然敵飛行隊に一番近かった角田覚治少将配下の第2部隊は戦艦『伊勢』『日向』を分離、この2隻で敵機誘引を決断。 『伊勢』『日向』以外の第2機動艦隊所属艦への被害は防がれたものの、空襲がこの2隻のみに集中し『日向』は大破航行不能に。 そして『伊勢』艦橋に爆弾が直撃し、『伊勢』に座乗していた第2機動艦隊副司令角田少将は『伊勢』司令部要員と共に爆死、『伊勢』も沈没した。 この救援のために第2機動艦隊航空隊は手持ちの戦闘機を向かわせたが、各艦の足並みが揃わずに五月雨式に戦力を投入する事になり、各個撃破の憂き目に遭った。 その翌日の航空戦により、第2機動艦隊所属空母『加賀』『飛鷹』『鳳翔』が大破するものの、帝國海軍はロサンゼルスの陸海軍戦力を撃滅する事に成功。 同時にハワイに強襲した米軍機動艦隊を天海大将直卒の第10艦隊が撃滅した事により、米国民の反戦感情が噴出。 同年12月、対米講和が成立した。 エピソード この時、第1機動艦隊旗艦『蒼鳥』のマストにはZ旗が掲げられた。 参考文献 Wikipedia マレー沖海戦 天海提督の決断 名前 コメント
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■十勝級重巡洋艦(天海提督の決断)概要 艦歴 (妄想)性能諸元 エピソード 参考文献 ■十勝級重巡洋艦(天海提督の決断) 概要 鈴谷型を原型に砲撃、雷撃能力は据え置いたが、防御力、対空能力を大幅に強化し、対潜能力まで付加した通称「ゲテモノ」。 最高速力38ノットと駆逐艦にすら劣らない高速能力を武器に万能的な活躍を期待されて設計された次世代重巡洋艦。 しかし、対潜能力については10ノットを越える速力を出すと潜水艦の推進音を聴音不可能になるなどの不具合が目立ち、対米戦終結後は機雷を積まずに行動する事がほとんどだった。 だが、原型となった鈴谷型(最上型)が(書類上は)大型軽巡洋艦として建造された事を考えると、発展型の十勝型に爆雷軌道を搭載するのは当然の事ではないかと推測される。 十勝、石狩、天海、菊池の4艦が建造され、その全てが終戦まで残存した。 艦歴 +十勝 1941年12月1日 起工(艤装員長双海亜美(実際は真美)大佐) 1942年7月 竣工、直ちに慣熟訓練を兼ねた船団護衛任務でトラック環礁へ向かう 7月18日 トラック沖にて米軍第1艦隊の奇襲雷撃を受け被雷。トラック環礁で修理を受ける 9月 第5水雷艦隊所属 11月25日 ロサンゼルス沖海戦参加(ここまで天海提督の決断、次から続天海提督の決断) 1943年1月1日 遣欧第1機動艦隊所属 1月21日 セイロン沖海戦に参加、僚艦損傷によりアッズ環礁へ向かう 3月17日 アラビア海海戦にて損傷、アッズ環礁にて修理を受ける 8月16日 スエズ沖海戦に参加 10月29日 東地中海海戦に参加 1944年1月13日 シチリア沖海戦にて損傷、タラントにて修理を受ける 5月16日 ジブラルタル沖海戦に参加 10月29日 ドーバー沖海戦にて大破、スカパフローにて修理を受ける 1945年3月10日 バルト海海戦に参加 +石狩 1941年12月1日 起工 1942年7月 竣工、直ちに慣熟訓練を兼ねた船団護衛任務でトラック環礁へ向かう 7月18日 トラック沖にて米軍第1艦隊の奇襲雷撃を受ける 9月 第5水雷艦隊所属 11月25日 ロサンゼルス沖海戦参加(ここまで天海提督の決断、次から続天海提督の決断) 1943年1月1日 遣欧第1機動艦隊所属 1月21日 セイロン沖海戦にて損傷、アッズ環礁にて修理を受ける 3月17日 アラビア沖海戦に参加、僚艦損傷によりアッズ環礁に向かう 8月16日 スエズ沖海戦に参加 10月29日 東地中海海戦に参加 1944年1月13日 シチリア沖海戦にて損傷、タラントにて修理を受ける 5月16日 ジブラルタル沖海戦に参加 10月29日 ドーバー沖海戦に参加 1945年3月10日 バルト海海戦に参加 +天海 1942年4月 起工 12月 竣工 1943年1月1日 遣欧第1機動艦隊所属 1月21日 セイロン沖海戦に参加、僚艦損傷によりアッズ環礁に向かう 3月17日 アラビア沖海戦にて中破、アッズ環礁にて修理を受ける 8月16日 スエズ沖海戦に参加 10月29日 東地中海海戦に参加 1944年1月13日 シチリア沖海戦にて損傷、タラントにて修理を受ける 5月16日 ジブラルタル沖海戦にて大破、ジブラルタルにて修理を受ける 10月29日 ドーバー沖海戦にて大破、スカパフローにて修理を受ける 1945年3月10日 バルト海海戦に参加 +菊池 1942年4月 起工 12月 竣工 1943年1月1日 遣欧第1機動艦隊所属 1月21日 セイロン沖海戦に参加、僚艦損傷によりアッズ環礁に向かう 3月17日 アラビア沖海戦に参加、僚艦損傷によりアッズ環礁に向かう 8月16日 スエズ沖海戦に参加 10月29日 東地中海海戦に参加 1944年1月13日 シチリア沖海戦にて損傷、タラントにて修理を受ける 5月16日 ジブラルタル沖海戦に参加 10月29日 ドーバー沖海戦にて大破、スカパフローにて修理を受ける 1945年3月10日 バルト海海戦に参加 (妄想)性能諸元 排水量 15000トン 全長 220m 全幅 水線幅:22m 吃水 6m 機関 ロ号艦本式缶8基、艦本式タービン4基4軸 165,000馬力 速力 38ノット 航続距離 14ノットで8,032カイリ 乗員 1000名 兵装50口径20.3cm連装砲塔5基 40口径12.7cm連装高角砲6基、25mm連装機銃20基、13mm連装機銃10基 61cm3連装魚雷発射管4基 装甲 舷側:180mm 甲板:80mm 航空機 4機(カタパルト2基) +... あくまで鈴谷、蒼鳥型空母鉄鋼使用量と十勝型重巡洋艦鉄鋼使用量より計算した物であり、実際にこの規模であったかどうかは不明 エピソード 第2次世界大戦終結10年後もテロ掃討活動に第1線で従事している。 参考文献 Wikipedia 鈴谷(重巡洋艦) 天海提督の決断 名前 コメント
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■喜望峰海戦(続・天海提督の決断)背景 侵攻戦力 損害 戦闘経過 エピソード 参考文献 ■喜望峰海戦(続・天海提督の決断) 背景 1944年2月3日、歴戦艦『赤城』、そして新鋭空母3隻を含む本格的な機動艦隊として整備された第3機動艦隊、損失艦を新鋭艦で穴埋めした第5水雷艦隊の戦闘訓練が修了したと判断した大本営は喜望峰攻略作戦を発動。 それと同時に遣欧派遣艦隊全司令をそれぞれ1階級ずつ昇進させ、士気の維持を図った。 そして3月20日、補給を済ませた第3機動艦隊、第5機動艦隊は喜望峰へ侵攻を開始した。 侵攻戦力 +日本軍 第3機動艦隊(艦隊旗艦戦艦『長門』 艦隊司令三浦あずさ中将) 空母4(正規空母『赤城』『小鳥』『天城』『葛城』) 戦艦2(戦艦『長門』『陸奥』) 巡洋艦4(重巡『足柄』『妙高』『那智』『羽黒』) 駆逐艦4 航空隊314機 第5水雷艦隊(艦隊旗艦重巡『鳥海』 艦隊司令水瀬伊織少将) 巡洋艦10(重巡『鳥海』『高雄』『摩耶』『愛宕』軽巡『音無瀬』『綾瀬』『厳島』『高島』『高根』『御門』) 駆逐艦5 損害 +... 第3機動艦隊 不明 第5水雷艦隊 大破 巡洋艦2(重巡『摩耶』『高根』) 駆逐艦1(『霞』) 中破 巡洋艦1(重巡『鳥海』) その他不明(多数の艦が損害を受けた) 戦闘経過 索敵範囲内に敵艦隊を発見する事が出来なかったため、第3機動艦隊は敵飛行場への航空撃滅戦を開始。 しかし、敵飛行場が残り1つとなった時点で戦艦最低4隻を含む有力な独艦隊を発見したため、一時反転して距離を稼ぎながら第4次攻撃隊を戦艦攻撃へ回そうとする。 しかし、その時第5水雷艦隊旗艦『鳥海』から「われこれより敵艦隊に対し、攻撃を開始す。3機艦は予定通り飛行場攻撃に向かわれたし」を入電。第3機動艦隊司令三浦あずさ中将は独戦艦部隊への対処は第5水雷艦隊に任せ、飛行場攻撃続行を決断する。 一方第5水雷艦隊は新鋭戦艦H級、そしてシャルンホルスト級巡洋戦艦合わせて6隻を含む戦艦部隊と接敵、交戦に移る。 各艦とも所持魚雷は4斉射分しか無かったものの、嵐の喜望峰沖と言う最悪の天候の中、一糸乱れぬ艦隊機動を展開。 僅か3時間足らずの間に所持魚雷全弾を使い切る勢いでの猛烈な水雷戦により、独戦艦部隊は壊滅、第5水雷艦隊は脱落艦無しと言う一方的な虐殺を成し遂げた。 エピソード 1944年2月3日に秋月律子造船中将が作戦案と昇進を伝えにマダガスカルに高槻やよい大佐操縦の流星で飛んだ際、敵機10機に追われると言う状況に陥ったものの、これを雷装したままの流星で突破。全機振り切ってしまっている。 +... いくら流星72型がカタログスペック上は零戦五二型よりも高速であり、空戦性能も(恐らくは)ほぼ互角な機体であろうとも、雷装した状態ではもちろん速度も空戦性能もガタ落ちする。 しかも久し振りに乗った艦攻で(つまり流星72型への搭乗経験はほぼ無いと推測される)敵機10機の追撃を振り切ったのだから、高槻大佐の空戦の腕は推して知るべしである。 戦闘終了時、重巡『摩耶』は全砲塔が爆砕され魚雷以外の兵装は使用不能、軽巡『高根』、駆逐艦『霞』に至っては上部建造物が大破して艦橋要員が全滅していたにも関わらず一糸乱れぬ戦闘機動を継続していたと言う。 参考文献 天海提督の決断 名前 コメント
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■マダガスカル沖海戦(続・天海提督の決断)背景 侵攻戦力 損害 戦闘経過 エピソード 参考文献 ■マダガスカル沖海戦(続・天海提督の決断) 背景 1943年5月25日、帝國海軍は現時点での攻勢限界点と目されたマダガスカル島攻略を指示。 5月30日、再編なった第2機動艦隊、第5水雷艦隊はマダガスカル島の空襲圏に入った。 侵攻戦力 +日本軍 第2機動艦隊(艦隊旗艦戦艦『比叡』 艦隊司令如月千早中将) 空母4(正規空母『蒼鳥』『弥生鳥』『雲龍』『翠龍』) 戦艦4(戦艦『金剛』『比叡』『霧島』『榛名』) 巡洋艦4(重巡『最上』『三隈』『鈴谷』『熊野』) 駆逐艦4 航空隊270機 第5水雷艦隊(艦隊旗艦重巡『鳥海』 艦隊司令水瀬伊織少将) 巡洋艦7(重巡『鳥海』『高雄』『摩耶』『愛宕』軽巡『音無瀬』『岩瀬』『綾瀬』) 駆逐艦9 損害 +... 第2機動艦隊 大破 駆逐艦1(『撫子』) 小破 戦艦1(『比叡』) 第5水雷艦隊 沈没 駆逐艦5(『岩瀬』『朝潮』『荒潮』『夏雲』『山雲』) 大破 巡洋艦3(重巡『高雄』『愛宕』軽巡『音無瀬』) 中破 巡洋艦2(重巡『鳥海』『摩耶』) 戦闘経過 あいにくの雨により偵察機すら飛ばせない状況に陥った第2機動艦隊は、艦隊司令如月千早中将の命により天候が好転するまで待機を命令する。 一方、第5水雷艦隊司令水瀬伊織少将は巡洋艦、駆逐艦の快速を生かした強行偵察を決断。自ら直卒する主力戦隊でマダガスカル島西部を、艦隊副司令木村昌福少将座乗軽巡『音無瀬』、そして1個駆逐隊でマダガスカル島東部を強行偵察させる。 しかし、雨天の中での艦隊分離は困難を極め、両隊とも突入は大幅に遅延する事となった。 そして、艦隊分離がようやく終わろうとした30日午前8時過ぎ、マダガスカル島東部を北上する英国艦隊を旗艦『鳥海』の水上電探が発見。 第5水雷艦隊は水瀬本隊と木村分隊に分かれたままでこれを迎え撃つ事となった。 水瀬本隊が英国機動艦隊に丁字戦法を取って魚雷を浴びせかけながら右舷側に抜けた直後、その後方を掠めるように抜けた木村分隊は英国機動艦隊左舷から真っ向からの反航戦を挑んだ。 その結果、理想的とも言える挟撃を受けた英国機動艦隊は揚陸船1隻を除いて殲滅される事となった。 しかし、その直後木村分隊はキング・ジョージ5世級を含む有力な戦艦部隊と遭遇。砲撃を受けて木村分隊旗艦『音無瀬』は大破、戦場よりの離脱を開始する。 これを受けた水瀬本隊は『音無瀬』の敵討ちとばかりに熾烈な肉薄砲雷撃戦を開始。 大被害を被るものの戦艦部隊どころかその後方にいた軽空母部隊すら殲滅してしまう。 その後、天候の回復を受けた第2機動艦隊は敵飛行場を撃滅。マダガスカル島を手中に収めた。 エピソード 水瀬本隊と木村分隊が英国機動艦隊に対して成し遂げたギリギリのタイミングで交差しながらの挟撃は、後の戦術教本にすら載せられる程の戦闘機動であった。 参考文献 天海提督の決断 名前 コメント
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■アラビア海海戦(続・天海提督の決断)背景 侵攻戦力 損害 戦闘経過 エピソード 参考文献 ■アラビア海海戦(続・天海提督の決断) 背景 1943年3月15日、独英軍の資源供給地帯である中東への進路を確保するため、第1第3各機動艦隊、そして第4水雷艦隊がインド洋を出港、アラビア海へと進出した。 3月17日、米国海軍作戦本部詰めの天海春香大将は英軍別働機動艦隊が監視網の隙を突いて喜望峰経由でアラビア海に増派された事を察知するが時既に遅く、すでに作戦開始時刻であった。 侵攻戦力 +日本軍 第1機動艦隊(艦隊旗艦戦艦『播磨』 艦隊司令星井美希中将) 空母4(正規空母『瑞鶴』『翔鶴』『飛龍』『蒼龍』) 戦艦4(戦艦『播磨』『越後』『大和』『武蔵』) 巡洋艦4(重巡『十勝』『石狩』『天海』『菊池』) 駆逐艦4 航空隊314機 第2機動艦隊(艦隊旗艦戦艦『長門』 艦隊司令三浦あずさ中将) 空母4(軽空母『千歳』『千代田』『瑞穂』『千早』) 戦艦2(戦艦『長門』『陸奥』) 巡洋艦4(重巡『足柄』『妙高』『那智』『羽黒』) 駆逐艦4 揚陸艦2 航空隊120機 第4水雷艦隊(艦隊旗艦重巡『青葉』 艦隊司令菊池真少将) 巡洋艦4(重巡『青葉』『衣笠』『加古』『古鷹』) 駆逐艦12 損害 +... 第1機動艦隊 大破 空母1(正規空母『翔鶴』) 駆逐艦1(『八重桜』) 中破 空母1(正規空母『蒼龍』) 戦艦2(『播磨』『越後』) 巡洋艦1(重巡『天海』) 小破 戦艦1(『武蔵』) 巡洋艦1(重巡『十勝』) 駆逐艦2(『朝霧』『夕霧』 第3機動艦隊 沈没 駆逐艦2(『夏潮』『黒潮』) 大破 戦艦2(『長門』『陸奥』) 巡洋艦1(重巡『那智』) 中破 空母2(軽空母『千歳』『瑞穂』) 巡洋艦2(重巡『妙高』『羽黒』) 小破 空母1(軽空母『千代田』) 巡洋艦1(重巡『足柄』) 第4水雷艦隊 沈没 駆逐艦4(『磯風』『萩風』『舞風』『時津風』) 大破 巡洋艦3(重巡『青葉』『衣笠』『古鷹』) 駆逐艦1(『秋雲』) 中破 巡洋艦1(重巡『加古』) 戦闘経過 戦闘開始直後に敵戦艦部隊を発見した第1機動艦隊は、航空戦力全てを叩き付け、戦艦2を撃沈する。その隙に急接近した第4水雷艦隊が強襲雷撃戦を仕掛け、残余戦艦2を大破、護衛軽空母を撃沈する。 しかし、英国軽空母部隊を索敵していた索敵機が発艦準備中のインプラカブル級空母4隻を含む機動艦隊を発見。 戦艦部隊への第2次攻撃を中止し、一度第4水雷艦隊と共に南方へと避退しようとするも、第4水雷艦隊が航空隊発艦準備中の軽空母部隊を発見してしまう。 この時、敵機に発見すらされていなかった第3機動艦隊を逃がそうと第1機動艦隊司令星井美希中将は離脱要請を行うも、第3機動艦隊司令三浦あずさ中将はこれを黙殺。 直掩機も無いまま空母部隊の航空攻撃を受けていた第4水雷艦隊救援に向かい、軽空母部隊を撃滅する。 そして、その近海で第1機動艦隊への反復攻撃を繰り返していた英海軍正規空母部隊へ急襲を仕掛けると、これも殲滅した。 エピソード 第3機動艦隊司令三浦あずさ中将はこの時、「仲間を犠牲にして1人だけ逃げるなんて真似、私は二度としたくない」と発言している。 これは、サンディエゴ沖海戦で自らの副官(当時)であった角田覚治大将(死後2階級特進)を失っており、それを繰り返したくないと言う想いが言わせたと考えられる。 参考文献 天海提督の決断 名前 コメント
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■ニューギニア近海海戦(天海提督の決断)背景 交戦戦力(日本軍の沈没艦は駆逐艦を含めた戦闘艦艇全てを、それ以外の日本軍艦艇は巡洋艦以上を表示) 損害 戦闘経過 艦隊戦 交戦戦力(日本軍の沈没艦は駆逐艦を含めた戦闘艦艇全てを、それ以外の日本軍艦艇は巡洋艦以上を表示) 損害 戦闘経過 エピソード 参考文献 ■ニューギニア近海海戦(天海提督の決断) 背景 1月27日、「スラバヤ沖に敵艦隊襲来」との報を受けた帝國海軍大本営は第9水雷艦隊と第1機動艦隊をスラバヤ沖に派遣する事を決定。第9水雷艦隊はブルネイから、第1機動艦隊はトラックから敵艦隊を挟撃する形で行動を開始した。 しかし28日早朝、敵艦隊はスラバヤへの上陸支援をせずにパリックパパン沖に転進。第9水雷艦隊は転進した敵艦隊の追撃に入った。 同日午前、マカッサル基地より発進した偵察機がパリックパパン基地沖合で敵艦隊を発見。それが駆逐艦19、輸送船26と言う弱小艦隊であった事、艦船数が第1次トラック沖海戦の米海軍残存艦隊と全く同数であった事から第1機動艦隊司令部はこれを囮と判断。 時を同じくして、第1機動艦隊偵察機がビアク島沖で戦艦4、巡洋艦6を基幹とする大規模な艦隊を発見。直ちに第1機動艦隊は航空隊を発艦させた。 交戦戦力(日本軍の沈没艦は駆逐艦を含めた戦闘艦艇全てを、それ以外の日本軍艦艇は巡洋艦以上を表示) +日本軍 第1機動艦隊(艦隊旗艦軽空母『瑞鳳』 艦隊司令如月千早中将) 航空隊計326機 +米国軍 第3艦隊(艦隊司令H・E・キンメル大将) 戦艦4 巡洋艦6 駆逐艦21 輸送船31 損害 +日本軍 航空機4機 +米国軍 沈没 戦艦4 巡洋艦4 駆逐艦13 輸送船20 損傷(中破以上) 巡洋艦2 戦闘経過 第1機動艦隊第1次攻撃隊326機が1月28日16時米軍第3艦隊を空襲。航空兵力を持たない第3艦隊は持ちうる限りの対空砲火で対抗したが、片端から艦船を沈められると言う結果になってしまった。 この第1次攻撃で戦艦『テネシー』『カリフォルニア』『アイダホ』巡洋艦2隻 駆逐艦4隻 輸送船8隻が沈められ、旗艦戦艦『ミシシッピ』も大破する。 翌29日早朝、第2次攻撃隊323機が再空襲。戦艦『ミシシッピ』巡洋艦2隻 駆逐艦9隻 輸送船12隻が撃沈され、第3艦隊は大破した巡洋艦2隻 駆逐艦8隻のみになってしまった。 艦隊戦 第3艦隊司令部は撤退を具申するが、第3艦隊司令H・E・キンメル大将は退こうとしても午後、もしくは明朝に第3次攻撃隊が襲来して来て1隻残らず水葬になるだけだとしてこれを却下。第1機動艦隊に突撃を開始する。 翌1月29日、第1機動艦隊はビアク沖で第3艦隊と接敵、砲撃戦を開始した。 交戦戦力(日本軍の沈没艦は駆逐艦を含めた戦闘艦艇全てを、それ以外の日本軍艦艇は巡洋艦以上を表示) +日本軍 第1機動艦隊(艦隊旗艦軽空母『瑞鳳』 艦隊司令如月千早中将) 空母6(正規空母『瑞鶴』『翔鶴』『飛龍』『蒼龍』軽空母『瑞鳳』『龍驤』) 戦艦5(戦艦『大和』『金剛』『榛名』『比叡』『霧島』) 巡洋艦8(重巡『熊野』『鈴谷』『最上』『三隈』『那智』『足柄』『妙高』『羽黒』) 駆逐艦5 輸送船24 +米国軍 第3艦隊(艦隊司令H・E・キンメル大将) 巡洋艦2 駆逐艦8 輸送船11 損害 +日本軍 なし +米国軍 沈没 巡洋艦2 駆逐艦8 輸送船7 戦闘経過 突入して来た米軍第3艦隊に、第1機動艦隊如月千早中将は「初弾観測急斉射トナセ」を下令。僅か数分の砲撃で第3艦隊を雷撃戦位置に占位させる事無く撃滅した。 この海戦において第3艦隊司令キンメル大将は座上した駆逐艦で戦死している。 エピソード 間合いを空ければ十分第3次攻撃隊で撃滅が可能であったのにも関わらず、如月中将がそれを行わず艦隊戦を行った背景には、米軍第3艦隊司令キンメル大将が大鑑巨砲主義者であった事からせめてもの手向けとして『大和』金剛級4隻の一斉砲撃に於いて葬る事を選んだとされている。 参考文献 Wikipedia マレー沖海戦 天海提督の決断 名前 コメント
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■ニューヨーク沖海戦(続・天海提督の決断)背景 侵攻戦力 損害 戦闘経過 エピソード 参考文献 ■ニューヨーク沖海戦(続・天海提督の決断) 背景 1944年7月20日、第3機動艦隊、第5水雷艦隊はニューヨーク沖に突入、同地に駐留する独海軍部隊と戦闘に入った。 侵攻戦力 +日本軍 第3機動艦隊(艦隊旗艦戦艦『長門』 艦隊司令三浦あずさ大将) 空母4(正規空母『赤城』『小鳥』『天城』『葛城』) 戦艦2(戦艦『長門』『武蔵』) 巡洋艦4(重巡『足利』『妙高』『那智』『羽黒』) 駆逐艦6 航空隊289機 第5水雷艦隊(艦隊旗艦重巡『鳥海』 艦隊司令水瀬伊織中将) 巡洋艦11(重巡『鳥海』『高雄』『摩耶』『愛宕』軽巡『綾瀬』『音無瀬』『岩瀬』『厳島』『高島』『高根』『御門』) 駆逐艦5 第11艦隊(艦隊旗艦戦艦『土佐』 艦隊司令天海春香大将) 空母2(軽空母『日進』『龍鳳』) 戦艦2(戦艦『土佐』『讃岐』) 巡洋艦4(軽巡『隅田』『仁淀』『黒部』『大淀』) 駆逐艦4 航空隊62機 損害 +... 第3機動艦隊 沈没 駆逐艦2(『椿』『楓』) 大破 戦艦2(戦艦『長門』『陸奥』) 巡洋艦1(重巡『妙高』) 駆逐艦1(『梨』 中破 その他不明 第5水雷艦隊 詳細不明 第11艦隊 沈没 駆逐艦4(『秋月』『照月』『涼月』『初月』) その他不明 戦闘経過 いち早く独戦艦部隊を発見した第5水雷艦隊は躊躇う事無く突撃。基地航空隊の傘に入る前に叩く事を決断する。 これを受け、第3機動艦隊も独戦艦部隊へ向けて航空隊を出撃させ、戦艦部隊に唯一配備されていた純粋な戦艦、ビスマルク級を撃沈させる。 残されたシャルンホルスト、ドイッチュランド級各巡戦に向け、第5水雷艦隊は頭を押さえつつ丁字戦法での水雷戦を開始、これに第3機動艦隊も追随しつつ砲撃戦を開始する。 この連続攻撃により独戦艦部隊は全艦炎上するが、その隙を突き独巡洋艦部隊が第3機動艦隊に向け奇襲攻撃を開始。 重巡『妙高』、駆逐艦『梨』を大破させた後その砲火を戦艦『長門』『陸奥』に集中。集中攻撃を受けた両艦は機関停止してしまう。 この時、第5水雷艦隊も独基地航空隊への空襲へ対応するのに手一杯であり、救出するために突撃を試みる事すら不可能な状態であった。 これを受け、第3機動艦隊司令三浦あずさ司令は指揮権を副司令である古村啓蔵少将に移譲、満身創痍の『長門』『陸奥』を囮にする事により他の艦を逃がそうと図る。 『長門』『陸奥』を除く第3機動艦隊全艦離脱直後、『長門』『陸奥』にとどめを刺そうと接近して来た独国駆逐艦に謎の砲撃が集中、その駆逐艦は撃沈される。 これは、回航されて来た土佐級戦艦『土佐』『讃岐』を主幹とする第11艦隊からの砲撃であった。 そのまま第11艦隊は急進し、『長門』『陸奥』を襲う独巡洋艦部隊へ猛攻を開始。『長門』『陸奥』は虎口より脱した。 その後、第3機動艦隊空母部隊と合流した第11艦隊は周辺の独軍飛行場へ痛撃を与え、同地の制海権、制空権を確保した。 エピソード この時第11艦隊を率いていたのは米国に駐在武官として滞在していた天海春香大将、宇垣纏少将であった。 参考文献 天海提督の決断 名前 コメント
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■セイロン沖海戦(続・天海提督の決断)背景 侵攻戦力 損害 戦闘経過 エピソード 参考文献 ■セイロン沖海戦(続・天海提督の決断) 背景 1943年1月1日、米軍と対独同盟を結んだ帝國海軍は、大西洋方面は米海軍に任せ、インド回りで独本国へ侵攻する事を決定。 1月18日、新編なった第1第2各機動艦隊、そして第5水雷艦隊がセレターより出撃、1月21日、セイロン島を含むインド洋沿岸の各航空基地を空襲圏に捕らえた。 侵攻戦力 +注意 これから先、独、英艦隊勢力が不明瞭な事が多いので、敵側戦力、損害は書かない事にします。 +日本軍 第1機動艦隊(艦隊旗艦戦艦『播磨』 艦隊司令星井美希中将) 空母4(正規空母『瑞鶴』『翔鶴』『飛龍』『蒼龍』) 戦艦4(戦艦『播磨』『越後』『大和』『武蔵』) 巡洋艦4(重巡『十勝』『石狩』『天海』『菊池』) 駆逐艦4 航空隊314機 第2機動艦隊(艦隊旗艦戦艦『比叡』 艦隊司令如月千早中将) 空母4(正規空母『蒼鳥』『弥生鳥』『雲龍』『翠龍』) 戦艦4(戦艦『比叡』『霧島』『金剛』『榛名』) 巡洋艦4(重巡『最上』『三隈』『鈴谷』『熊野』) 駆逐艦4 航空隊270機 第5水雷艦隊(艦隊旗艦重巡『鳥海』 艦隊司令水瀬伊織少将) 巡洋艦8(重巡『鳥海』『高雄』『摩耶』『愛宕』軽巡『水瀬』『綾瀬』『音無瀬』『岩瀬』) 駆逐艦6 損害 +... 第1機動艦隊 大破 駆逐艦3(『八重桜』『朝霧』『夕霧』) 中破 戦艦1(『播磨』) 小破 戦艦1(『越後』) 巡洋艦1(重巡『石狩』) 第2機動艦隊 沈没 駆逐艦1(『野分』) 大破 空母1(正規空母『翠龍』) 巡洋艦2(重巡『鈴谷』『熊野』) 駆逐艦1(『嵐』) 小破 空母1(正規空母『蒼鳥』) 戦艦3(『比叡』『金剛』『霧島』) 巡洋艦1(重巡『最上』) 第5水雷艦隊 沈没 巡洋艦1(軽巡『水瀬』) 駆逐艦3(『五月雨』『時雨』『村雨』) 大破 巡洋艦4(重巡『鳥海』『高雄』『愛宕』軽巡『音無瀬』) 中破 駆逐艦1(『春雨』) 小破 巡洋艦1(重巡『摩耶』) 戦闘経過 第1機動艦隊が放った偵察機が英軍戦艦部隊と機動部隊を同時に発見。直ちに第1機動艦隊司令星井美希中将は離れた位置にいた戦艦部隊へ向けて航空隊を放ち、近くにいた機動部隊は砲雷撃戦で叩く事を決断する。 位置的に比較的近かった第5水雷艦隊司令水瀬伊織少将は直ちに第1機動艦隊救援に向かい、南方に大きく離れていた第2機動艦隊司令如月千早中将はセイロン島飛行場攻撃に専念した。 奇襲となった近接砲雷撃戦により英軍機動部隊は正規空母を残らず沈められ半壊するが、空襲による戦艦部隊殲滅には失敗。 しかしそこに第5水雷艦隊が殴りかかった事により星井中将は機動部隊撃滅を第5水雷艦隊に任せ、自らは戦艦部隊撃滅に向かった。 戦艦部隊を大和級戦艦4隻の砲撃力、十勝級重巡の雷撃力で叩きのめしつつ、直衛空母を航空隊で撃滅する戦略が功を奏し、戦艦部隊は壊滅。 しかし、直掩機がいない第5水雷艦隊にインド沿岸の基地航空隊が空襲。その後、飛行場撃滅には成功するものの、対潜能力を持つ駆逐艦が減少した所に独軍潜水艦部隊が強襲。 第5水雷艦隊のみで何とか撃滅には成功するものの、駆逐艦3隻を沈められた。 エピソード この時第1機動艦隊司令の星井中将は戦前2航戦の幕僚経験はあったものの、機動艦隊指揮自体は初めてであった。 それが原因か、英国艦隊との砲雷撃戦に集中し、航空隊発艦指示を忘れると言う大きなミスを犯している。(第1機動艦隊副司令五藤在知少将が自らの判断で発艦させたため大事には至らなかった) 海戦終了後、大本営に星井中将が打った電文「この戦力では、ドイツに勝てない」は有名。 参考文献 Wikipedia マレー沖海戦 天海提督の決断 名前 コメント
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■浅間級巡洋戦艦(続・天海提督の決断)概要 艦歴 (妄想)性能諸元 参考文献 ■浅間級巡洋戦艦(続・天海提督の決断) 概要 対独戦に伴い建造された新型巡洋戦艦。物語中『金剛』型以来の巡洋戦艦である。米海軍『アラスカ』型大型巡洋艦の船体に帝国海軍の装備を艤装した「富嶽」と並ぶ共同開発兵器。35.6cm主砲を12門持ち、3万トンを越える船体で最高速度40ノットという驚異的な速力を誇る『金剛』型の後継といえる高速戦艦。 「浅間」の艦名で有名なのは横山信義氏著『激浪の太平洋 巡洋戦艦「浅間」』であるが、同作の「浅間」は、独『シャルンホルスト』型戦艦に日本製の主砲を始めとした火器を載せたものであり、直接のモデルはおそらく『アラスカ』型大型巡洋艦と同時期の計画のみで開発されなかった『超甲巡』と思われる(当初『超甲巡』は35.6cm砲を積む計画があった) 同型艦として旗艦「浅間」以下「阿蘇」「吾妻」「伊吹」があり、4隻とも新設された第九支援艦隊に所属する。 艦歴 +浅間 1943年12月 第9支援艦隊に所属、同艦隊旗艦となる 1944年1月13日 シチリア沖海戦に参加 5月16日 ジブラルタル沖海戦にて中破、ジブラルタルにて修理を受ける 10月14日 遣欧第2機動艦隊所属 10月 シェトランド沖海戦に参加 1945年3月10日 バルト海海戦に参加 +阿蘇 1943年12月 第9支援艦隊に所属 1944年1月13日 シチリア沖海戦に参加 5月16日 ジブラルタル沖海戦に参加 10月14日 遣欧第2機動艦隊所属 10月 シェトランド沖海戦に参加 1945年3月10日 バルト海海戦に参加 +吾妻 1943年12月 第9支援艦隊に所属 1944年1月13日 シチリア沖海戦に参加 5月16日 ジブラルタル沖海戦に参加 10月14日 遣欧第2機動艦隊所属 10月 シェトランド沖海戦に参加 1945年3月10日 バルト海海戦に参加 +伊吹 1943年12月 第9支援艦隊に所属 1944年1月13日 シチリア沖海戦に参加 5月16日 ジブラルタル沖海戦に参加 10月14日 遣欧第2機動艦隊所属 10月 シェトランド沖海戦に参加 1945年3月10日 バルト海海戦に参加 (妄想)性能諸元 排水量 35000トン 全長 246.4m、水線長:241.25m 全幅 27.7m 吃水 9.2m~9.72m 機関 ロ号艦本式缶8基、艦本式タービン4基4軸 165,000馬力 速力 40ノット 航続距離 15ノット/12,000海里(計画時) 燃料 3,710トン 乗員 1,800名 兵装35.6cm45口径3連装砲4基 15.5cm50口径連装砲10基 40口径12.7cm連装高角砲6基、25mm3連装機銃30基、13mm連装機銃15基 装甲 舷側:229mm(主装甲部、10度傾斜) 203mm(水線面下部) 甲板:90mm(主甲板) 25mm(断片防御甲板) 主砲塔:325mm(前盾) 133~152mm(側盾) 150mm(天蓋) 副砲廊 150mm 両用砲:25mm(前盾) 19mm(側盾) 19mm(後盾) 19mm(天蓋) バーベット部:279~330mm 司令塔:269mm(側盾) 127mm(天蓋) 航空機 4機(カタパルト2基) +... 装甲はアラスカ級大型巡洋艦の船体をベースに金剛レベルまで強化したもの(日本の戦艦が対応防御持たないとは考えられないため)だが、武装と同じくこの通りかどうかは不明 参考文献 Wikipedia アラスカ級大型巡洋艦 天海提督の決断 名前 コメント