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○月×日 23:08 視聴覚室横階段前 「…むぅ、まだ目を覚まさないのかい?」 『はい…打ち所が悪かったのでしょうか?』 いまだ目を覚まさぬバイトちゃん その様子に、流石に心配になってきた様子のザクロ バイトちゃんは、ザクロの背中の上で意識を失ったままだ …と、そこに ぽ~ん、と「13階段」が、何かを放り投げた ぱし、とドクターはそれをキャッチする 「何だい?これは」 「気付け薬だ。魔女の一撃が作った物だから、効くと思うぜ」 「おや、いいのかい?」 あぁ、とぶっきらぼうに答える「13階段」 …「爆発する携帯電話」が、気を失ったままのバイトちゃんを心配そうに見ているものだから、気になって仕方なかったのだろう 「13階段」が気付け薬を持っていたのは、「爆発する携帯電話」が発作で万が一気絶した時に備えてだ 「それでは、ありがたく使わせてもらおうか」 どう言って、ドクターは気付け薬の蓋を開けた そっと、その香りをかがせるようにバイトちゃんの顔に近づけ…… 「----------がはっ!?」 ごろんごろんごろん!!! 瞬時に意識を取り戻したバイトちゃんが、ザクロの背中から落ちて廊下を転がる!! 「え!?ど、どうしたの!?」 「…ふむ、どうやら、気付け薬の匂いが強烈すぎたようだな」 『~~~わ、私の鼻までおかしくなりそうです…』 気付け薬は、意識を失った者の意識を匂いで取り戻させるものだ …少々、強力すぎたようである 「……良かった。こいつに使う機会なくて」 意識は戻ったものの、匂いに悶え苦しむバイトちゃんの様子に ぼそり、「13階段」は呟いたのだった とぅーびー?? 前ページ次ページ連載 - マッドガッサーと愉快な仲間たち
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ネタ集 場面 セリフなど 元ネタ 解説 設定 マークの名前 FE烈火 FE烈火に登場したプレイヤーの分身である軍師のデフォルト名。 設定 パリスの名前 FE蒼炎 FE蒼炎の主人公アイクの開発段階での名前。彼の好物やセリフにはアイクを意識したものが多い。(光るマスの経験値セリフはスマブラXのものだが…) すれ違いカード編集 出身地 歴代FE 「秘密」や実際の都道府県や外国(大陸単位)といった普通の回答の他に、歴代FEの地名が出てくる。というか半分以上FEの地名。 グレゴ-ソワレ支援会話A キミの剣で好きにすればいい 歴代FE 暗黒竜と光の剣、及び紋章の謎1部でシーダがナバールを説得した際の台詞「その剣で私を好きなようにして」。山賊に雇われた傭兵相手に捨て身で説得した姿は印象的だったのか、OVAでもしっかり再現され、また、聖戦の系譜・封印の剣・暁の女神など、後の作品でも似た台詞が使われている。 シンシア-父親支援会話C 意表をついて民家から登場 FE蒼炎 FE蒼炎最凶クラスの敵であり重要人物でもある「漆黒の騎士」(*1)が、序盤のあるマップにおいてなんでもないような民家から登場し、容赦無く仲間をなぎ払う(そしてリセット)。この衝撃的なシーンはすべてのプレイヤーに驚愕をもたらした。嫌らしい事にその民家の近くには説得可能な仲間がいるため、無計画に説得しようとするとしっこくの洗礼を受けることになる。おまけにFEにありがちな「増援のマスにふたをする」作戦も全く効かない。余りにも鬼畜なのでバーボンハウスのコピペを改変して しっこくハウス のネタが生まれた。 ソール-ソワレ支援会話C 古の英雄王に仕えたふたりの騎士"黒豹"と"猛牛"の伝説 FE暗黒竜・紋章 FE暗黒竜・紋章で英雄王マルスに仕えた二人のSナイト、「黒豹のアベル」と「猛牛のカイン」のこと。FEシリーズの伝統として「同兵種」「イメージカラーが赤と緑」「性格が対照的(生真面目とお調子者など)」「能力も対照的(パワー型とスピード型など)」なコンビが存在しており、アベルとカインはその元祖。覚醒ではソールとソワレがこれに該当し、兵種も元祖と同じSナイトである。 ソール-ノノ支援会話B ねぇ、鳥さんの名前なんだけど ヤナフっていうのはどうかな? FE蒼炎・暁 FE蒼炎・暁に登場した鳥翼族ヤナフ。鷹王ティバーンの側近にして幼馴染。 ドニ-オリヴィエ支援会話 黒鴉の王子様と白鷺のお姫様 FE蒼炎・暁 FE蒼炎・暁に登場した鴉王ネサラと白鷺姫リアーネのことである。 ドニ-リズ支援会話 そっちの星はアドニスじゃね、トリフィンヌだべ FE封印 トリフィンヌは封印の剣の竜騎士ミレディの乗る飛竜の名前。ちなみにアドニスは実在する小惑星である。 リヒト-オリヴィエ支援会話C 昔の神話とか伝説をまとめた短編集。今読んでいたのは、ある国の公子が森に住む乙女と恋に落ちるお話だよ。 FE聖戦の系譜 人物の説明とその内容からシグルドとディアドラの事だと思われる。原作のとある条件で発生する会話は必見。 リヒト-ソワレ支援会話S こちらこそお願いするよ。ボクと共に戦い、共に生きてくれるかい? FE暁の女神 FE暁の女神のキャッチコピー「共に戦い、共に生きる」を意識していると思われる。 マイユニット-ノノ支援会話B 鋼の味がしませんように鋼の味がしませんように… FE新紋章 FE新・紋章の謎のマイユニットの設定。料理が苦手で「鋼の味がする」と評されていた。 マイユニット-ベルベット支援会話A その…さっき味見してもらったらみんな口がをそろえて「鋼の味がする」「この世のものとは思えない」って…! マイユニット-ベルベット支援会話B 兎以外の動物に変身するタグエル FE蒼炎・暁 遠い大陸にいる(蒼炎・暁の舞台であるテリウス大陸は、近辺に他の大陸が無く海に囲まれている)、マイユニットとの会話では猫や鳥・リヒトとの会話では狼や獅子になる種族がいる事が分かる、昔は繁栄していた等、蒼炎・暁のラグズの事と思われる。 リヒト-ベルベット支援会話A カラム-セルジュ支援会話B 肩鎧にすごくとがった棘を付ける FE暗黒竜 FE暗黒竜に登場する初代お助けパラディン(今作ではGナイトだがフレデリクが相当)、ジェイガンのネタ。暗黒竜ではイラスト、ゲーム中の顔グラ共に肩鎧に邪魔くさそうなやたらと長い棘が生えており、異様に目立つ。しかし紋章、新・暗黒竜と時代を経るにつれ棘は短くなっていった。 ルキナ-シンシア支援会話A 三位一体の必殺技 歴代FE FEシリーズ恒例のトライアングルアタックのこと。敵を特定のユニット3人で囲んで攻撃することによって必ず必殺の一撃で攻撃できる。会話の三姉妹とはFE暗黒竜のパオラ・カチュア・エストのこと。しかし今作にトライアングルアタックははないようだ。 ノノ みんなの部屋 ノノ、他の竜とお友達になってきたの!名前はね、バヌ、バヌト…なんだっけ。 FE暗黒竜・紋章 おそらくFE暗黒竜・紋章に登場したマムクート「バヌトゥ」のこと。 ヘンリー みんなの部屋 カラスに変身する人 FE蒼炎 FE蒼炎にはラグズという動物に変身する種族がいるが、その内の一部がカラスに変身できる。ただしヘンリーが見た「カラスに変身する人」がラグズかどうかは不明。 サイリ 16章攻略後など いずこにおわす FE新暗黒竜 FE新暗黒竜と光の剣におけるカインの登場時の台詞を意識していると思われる。ただし、サイリの口調的にカインの言うそれとは違いインパクトは小さい。 22章 敵兵の名前 FE聖戦 FE聖戦の終章に登場した強敵、十二魔将と同じ名前でありクラスや所持武器、スキルも原作を意識したものである。彼らの名前は1〜12のドイツ語読みであり、ユニット名のヘルプにもその旨が書かれている。ちなみに彼らの内何人かは(別個体ではあるが)トラキア776にも登場している。配信チーム・ユリウスの編成はこの十二魔将(人数の関係上欠員が3名いる)を意識してると思われる。 16章 マップ名「ミラの大樹」 FE外伝 ヴァルム大陸(バレンシア大陸)を2分した神、南の大地母神ミラ 18章 マップ名「ドーマの臓物」 FE外伝 ヴァルム大陸(バレンシア大陸)を2分した神、北の邪神ドーマ 外伝6 マップ FE外伝 第4章セリカ側終盤のマップ、ドーマの門。位置も同じ 外伝18 マップ FE紋章 第2部1章、グルニア。位置も同じ 外伝20 マップ FE外伝 第1章と3章で皮の盾持ちの傭兵やブライ戦で使用されるマップのリメイク 配信チーム・オグマ 編成 FE暗黒竜 3人いるウォリアーはそれぞれ彼の部下であるサジ・マジ・バーツを意識していると思われる。 配信チーム・ミネルバ 編成 FE暗黒竜 3人いるファルコンナイトは彼女の部下であるパオラ・カチュア・エストの元祖ペガサス3姉妹を意識していると思われる。 配信チーム・ナバール 編成 FE紋章 サンダーソードを持ったトリックスターはダール、大量のアサシンはラーマンシーフを意識していると思われる。 配信チーム・ガーネフ 編成 FE暗黒竜 ガーネフは原作で3体に分身していた(そのうち2体が偽物)。本人含めソーサラーが3人いるのはその際の事を意識していると思われる。 配信チーム・マルス王子 編成 FE暗黒竜 リフを含む初期メンバーを思わせる編成。パラディンはそれぞれ、力+2持ちがカイン、速さ+2がアベル、七色の叫びがジェイガンを意識していると思われる。 配信チーム・ディーン 編成 FE外伝 お供が全て勇者なのは、原作でディーンと戦闘時、彼の部隊が傭兵のみで構成されていたことを意識していると思われる。 配信チーム・ローロー 編成 FE新紋章 メンバーが全員同じ能力、スキル、装備であるが、これはローローは同じ人物がたくさんいるという設定であるため。原作ではローローのみが無限に登場するマップがあり、本物のローローを倒さなければクリアができなかった。 配信チーム・マリス 編成 FE新紋章 戦士はダイス、トリックスターはリカード、剣士はナバール、アーチャーはカシムを意識していると思われる。いずれもBSアカネイア戦記の第3話に登場するキャラクターで、アカネイア戦記自体は新紋章で再録されている。 配信チーム・ラケシス 編成 FE聖戦 3人いるパラディンは聖戦の系譜の2章でラケシスを護衛するために登場した三つ子の聖騎士、イーヴ、エヴァ、アルヴァを意識していると思われる。 配信チーム・シグルド 編成 FE聖戦 序章で仲間になるユニットを思わせる編成。上からアレク、ノイッシュ、アーダン、レックス、アゼル、キュアン、エスリン、フィン、ミデェールだと思われる。 配信チーム・ラクチェ 編成 FE聖戦 勇者の斧を持ったグレートナイトとウォーリアは彼女に惚れているヨハン・ヨハルヴァ兄弟を意識していると思われる。なお出典元の「聖戦の系譜」においては彼らはどちらか一方しか仲間にできない。 配信チーム・ユリウス 編成 FE聖戦 お供のメンバーは原作で彼の配下だった十二魔将を意識していると思われる。残念ながら1チーム10人までのため、一部魔将は除外されてしまった。 配信チーム・セイラム 編成 FEトラキア 1人だけいる待ち伏せと太陽持ちの盗賊は彼の仲間のパーンを意識していると思われる。 配信チーム・オルエン 編成 FEトラキア 1人だけいるパラディンは彼女に仕える近衛騎士フレッドを意識していると思われる。 配信チーム・サイアス 編成 FEトラキア お供が各種殺しスキル満載なのは、原作でサイアスが敵軍にいると敵全体の命中回避に+30%もの補正が加わっていたことを意識していると思われる。 配信チーム・リーフ 編成 FEトラキア 1人だけいるパラディンはリーフに仕え、配信にも登場しているフィンを意識していると思われる。それ以外の大量のバーサーカーは、プレイヤー間でリーフ強盗団等と呼ばれていたことに対するネタだと思われる。 配信チーム・リリーナ 編成 FE封印 バーサーカー2人は原作でリリーナの説得により加入するゴンザレスとガレットをイメージしていると思われる。 配信チーム・ロイ 編成 FE封印 1章と2章で仲間になるキャラを思わせる構成になっている。残念ながらマリナスとエレンは除外されてしまったようだ。 配信チーム・ニノ 編成 FE烈火 お供のメンバーは、ソードマスターがロイド、勇者がライナス、アサシンがジャファルを意識していると思われる。 配信チーム・セーラ 編成 FE烈火 お供のメンバーの内、魔道士はエルク、アーマーナイトはオズイン、盗賊はマシューを意識していると思われる。 配信チーム・リン 編成 FE烈火 リン編で仲間になるキャラを思わせる構成になっている。セーラ、エルク、ニルスは除外された模様。 配信チーム・ネルガル 編成 FE烈火 お供のメンバーは、終章前半のボスモルフ達を意識していると思われる。 配信チーム・ヘクトル 編成 FE烈火 お供のメンバーの内、ジェネラルはオズイン、トリックスターはマシュー(両名ヘクトルの部下)、ファルコンナイト二人はフロリーナとファリナ(両名ヘクトルと支援が組めるペガサスナイト)であると思われる。 配信チーム・エリウッド 編成 FE烈火 エリウッド編11章から13章で仲間になるキャラを思わせる構成になっている。レベッカは残念ながら除外された(モブ女スナイパーのグラがなかったから?) 配信チーム・エイリーク 編成 FE聖魔 1章クリア時までに仲間になるキャラを思わせる編成になっている。 配信チーム・マリカ 編成 FE聖魔 お供のメンバーの内、勇者はジストを意識していると思われる。 配信チーム・ラーチェル 編成 FE聖魔 お供のメンバーはバーサーカーがドズラ、トリックスターがレナックを意識していると思われる。 配信チーム・ミスト 編成 FE蒼炎 お供のメンバーの内、ソシアルナイト、戦士、アーチャーはオスカー、ボーレ、ヨファの三兄弟、魔道士はセネリオを意識していると思われる。 配信チーム・ルキノ 編成 FE蒼炎 お供のメンバーに一人だけいる賢者はユリシーズを意識していると思われる。 配信チーム・アイク 編成 FE蒼炎 お供のメンバーはオスカー、ボーレ、キルロイ、シノン、ガトリー、セネリオ、ヨファ、フォルカ、マーシャを意識していると思われる。アイクからヨファまではグレイル傭兵団の一員で、加入順に並んでいる。 配信チーム・チャップ 編成 FE暁 お供に村人がいるが、これはチャップが農民だからである。 DLC・リーフ クラス FEトラキア リーフのデフォルト職がトリックスターに設定されていることはリーフ盗賊団(リーフ強盗団・リーフ窃盗団・レンスター盗賊団とも)、杖ゲーと言われたトラキア776へのリスペクトだと思われる。また初期スキルの『回復』は原作で彼のみが疲労度システムに関係なく常に出撃できることが元になっていると思われる。 配信キャラ&DLC・ミスト クラス FE蒼炎・暁 ミストは配信チームではシスター、DLCではヴァルキュリアになっている。覚醒では本来シスターからヴァルキュリアへのCCは不可能なのにこのようなことになっているのは、原作でミストはクレリック(シスターのようなクラス)からワルキューレ(ヴァルキュリアのようなクラス)へのCCをするからである。 DLC・アイオテの盾 スキル FE紋章・新暗黒竜/新紋章 マケドニアに伝わる至宝「アイオテの盾」が元ネタ。出典作品ではスキルではなく装備アイテムである。FE紋章では飛行のみならずナイト・アーマー含む全ての特効を無効化するという効果だったが、リメイク版では無効化するのは飛行のみ。 異伝「無限の神器」で手に入る武器の出典 武器名 出典 出典元での扱い・備考 メリクル 暗黒竜と光の剣 アカネイアの三神器 剣 FCではメリクルレイピア、SFCではメリクルソードだった グラディウス 暗黒竜と光の剣 アカネイアの三神器 槍 パルティア 暗黒竜と光の剣 アカネイアの三神器 弓 エクスカリバー 暗黒竜と光の剣など マリクの専用武器。外伝、紋章、聖魔にも登場。「新」では男性専用魔法に オートクレール 新・暗黒竜と光の剣 三神器に匹敵する武器。ミネルバの初期装備 太陽 外伝 隠し槍「たいよう」。効果は全く別。外伝では槍だった 月光 外伝 隠し槍「げっこう」。効果は全く別 流星 外伝 隠し槍「りゅうせい」。効果は全く別。外伝では槍だった ティルフィング 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器 バルムンク 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器 ミストルティン 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器 ゲイボルグ 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器 グングニル 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器 スワンチカ 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器 イチイバル 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器 ファラフレイム 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器 トールハンマー 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器 フォルセティ 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器 聖書ナーガ 聖戦の系譜 十二聖戦士の武器。聖戦では「ナーガ」という名称だったが、魔書ギムレーを意識してか聖書の文字が追加された。 アルマーズ 封印の剣 狂戦士テュルバンの神将器「天雷の斧アルマーズ」。烈火の剣ではヘクトル専用。 ソール・カティ 烈火の剣 リン専用の強力な剣。原作では竜特効があった。対となる剣「マーニ・カティ」は未登場。 ニーズヘッグ 聖魔の光石 フレリアの双聖器「蛇弓ニーズヘッグ」 エクスカリバー 聖魔の光石 ジャハナの双聖器「風刃エクスカリバー」。聖魔で久々にエクスカリバーの名で登場した ラグネル 蒼炎の軌跡 女神の加護を受けた剣。原作では間接攻撃時に衝撃波で攻撃していた。 ボルトアクス 蒼炎の軌跡 ただの武器。神器扱いなのは出展作品での所持者がネタキャラとして愛されていることをISが把握しているのかもしれない。 バルフレチェ 蒼炎の軌跡 強力な弓。蒼炎の軌跡では4マス先にしか攻撃できない武器だったが続編の暁の女神では弓であるにも関わらず近接攻撃も可能な武器になった。 女神の杖 蒼炎の軌跡 強力な杖。続編の暁の女神では2週目以降専用。 アマツ 初登場 「空の」「天上の」を意味する言葉。 ミステルトィン 初登場 ミストルティンの偽物。 ヴォルフベルグ 初登場 ヴァルハルト専用の投げ斧。烈火の剣では「ヴォルフバイル」という類似名の斧が存在していた。 復讐 初登場 ゲーティア 初登場 ラテン語で呪術の意。グリモワール「レメゲトン」の第一部の表題でもある コメント 小ネタページに入りきらなくなったので分割しました -- 名無しさん (2012-09-06 14 04 15) 名前 コメント
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E.ケイシーは、西洋思想より東洋の思想に近いと思われる。 『超能力の秘密』(たま出版)より ケイシーの解釈がその基本線において正しいとするなら、人間のいわゆる「救い」は、人間の身体を通じ、また身体の中に発見されるものであり、肉体の完全な変質によるものだ、ということが分かる。 キリストという名の一人の人間の犠牲によって「救い」が起こるのではなく、私たち一人一人が、内部の自我を、宇宙意識あるいはキリスト意識に犠牲として捧げることによって、真の「救済」は成就するのである。 打ち勝ち、乗り越えるためには、まず「自分は肉体ではない」という自覚を持たなければならない。私たちの内部の「われ」≠「肉体」である。なぜなら、永遠の「われ」である魂は、肉体より偉大なものであり、肉体は魂の部分的客体にしか過ぎないからである。 肉体を完全なものに仕上げるためには、下に向かっては、この「乗り物」の一つ一つの構成部分と意識的な関係を持つようにし、上に向かっては、私たちの「本源」に対しても同じく意識的な関係にはいらなければならない。
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概説 還元説 創発説デイヴィッド・チャーマーズによる解説 汎経験説 諸説への批判 概説 クオリアというものが一体どこから、どのようにして生じているのかは全くの謎である。現代の科学においても、脳の神経細胞の作用に対応して存在していることだけが事実として認められている。言い換えると脳科学が明らかにしたのは、心的現象と脳の作用に因果的な隣接関係が見出せるということのみであり、脳の作用は心的現象を生じさせる十分条件であると論証できないどころか、必要条件の一つであるとも論証できないのである。多数の哲学者や科学者たちを取材したスーザン・ブラックモアは、学者たちの間では旧来の「脳が意識を生み出す」という表現から、「脳と意識は相関する」という表現に変えるのが流行しているという。 歴史的には心的現象は「魂」の作用であるとする二元論的な立場と、心的現象は物質の運動に還元されるとする原子論的な立場に分かれていた。しかしこの二つの立場はともに素朴であり、クオリアの生成を説明するものではない。仮に魂なるものの存在があったとしても、その魂がどのようにして個別のクオリアを生成しているのかと問うことが出来るし、原子論の立場に対しても同様に、原子がどのようにしてクオリアを生成しているのかと問うことが出来る。 現代の心の哲学では、クオリアがどのように生成されているのかという問題については、「還元説」「創発説」「汎経験説」という三つの主要な仮説がある。ただしそれらは、科学的実在論、つまり物質というものが実在していることを前提にして考えられているものであり、現象主義や観念論といった実在論に反対する立場では全く異なったアプローチを取ることになる。 以下は上述の実在論を前提にした三つの仮説について解説する。 還元説 還元説、または還元主義とは、一般的にはクオリアなど心的なものは、存在論的に物質的なものに還元されるという主張である。世界の全ての事物は物理学によって説明できるとする「物理学の完全性」を前提に主張される。心脳同一説は弱い還元主義であり、意識は脳の過程であるとみなす。英語では「Mind is Brain」と、心と脳の同一性を表現する。 具体的には「痛みという心的状態は、ある特定のニューロンの発火である」というように考える。 消去主義的唯物論は強い還元主義であり、認識論的にも還元が可能であると考える。たとえば10キログラムの物体があり、それは1キログラムの部分を10個持っているとする。この場合全体は部分の総和であり、部分は全体に還元でき、また部分の性質から部分の合成物を予測することができる。心的なものはそのような還元ができないと思われているが、それは現在の科学が未熟だからであり、かつて科学的に存在が仮定されていたエーテルやフロギストン理論が消去されたように、「信念」や「欲求」といった心的なものもまた、科学が発展すれば消去可能であり、物理学の用語に還元可能であると考える。 なおダニエル・デネットやケヴィン・オレーガンなど、最も唯物論的傾向が強い立場では、知覚やクオリアも消去可能であると考える。例えば「赤」や「痛み」といったクオリアは、体験を反省した際に見出せる一種の意味論的なものであり、実際には体験していない、とするものである。 創発説 創発(emergence)とは、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が全体として現れることであり、科学と哲学の双方で用いられる重要な用語である。心の哲学においては、物質がある巨視的なレベルで特定の配置を取ったとき、すなわち脳を構築したときに初めて現象的意識やクオリアといった心的なものが創発すると考える。この創発概念を前提とした心身関係論が創発的唯物論、または創発主義である。 創発説は還元主義的な唯物論に対するアンチテーゼとして主張されたものであり、意識という創発特性は物質の性質に還元できないとする。しかし心的因果を認めず、物理領域の因果的閉包性も否定しない。クオリアは脳の作用に随伴して生じるだけのものであると考える。つまり創発説は、全ての事物は物理学に還元可能だとする物理学の完全性を否定しながらも、物理主義的な一元論を擁護しようとする立場から主張される。すなわち創発とは、還元主義と実体二元論の双方を否定する概念である。 創発は、創発物の出現が事物の部分についての知識からは予測できないとされる。局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、個別の要素の振る舞いに還元できないようなシステムが構成されると考える。全体は部分の総和を越えるという考えはアリストテレスにまで遡る。この世界の大半のもの、生物等は多層の階層構造を含んでいるものであり、その階層構造体においては、仮に決定論的かつ機械論的な世界観を前提にしたとしても、下層の要素とその振る舞いの記述をしただけでは、上層の挙動は予測困難だということであり、下層には元々なかった性質が、上層に現れることがあるという考えである。 発現、または付随性は創発に近い概念であり、心的なものは物理的なものを基礎にして、その上に発現すると考える。これは、心的状態はそれに対応する神経生理学的状態に完全に依存しているというものである。この付随性を前提にした心身関係論にドナルド・デイヴィッドソンの非還元的物理主義がある。創発主義との違いは心的因果を認める点である。 デイヴィッド・チャーマーズによる解説 D.チャーマーズによる解説では、「創発」とは陽子や電子などの構成要素から予測できない特性が分子や細胞などの全体に現れることである。創発は弱いものと強いものの二種類に分けられる。「弱い創発」とは物理学では説明できないが化学や生物学で説明できるもの。「強い創発」とは自然科学では説明できないもの、つまり意識であり、この説明には自然科学の拡張を要する。 創発は「下方因果」の問題を含む。つまり陽子や電子など根源的な要素が集まって、それら要素から予測できなかった特性が全体から創発した場合、その創発したものが根源的な要素に因果的に作用するということである。この下方因果の問題も「強い下方因果」と「弱い下方因果」に分けられる。後者の因果作用は最終的には根源的要素に還元可能である。しかし前者の因果作用(心的因果)は還元不可能である。 最も興味深い強い下方因果の問題は、量子力学における観測問題である。二重スリットの実験では観測した場合と観測しなかった場合では粒子の振る舞いが変わることが知られている。この場合、人間の意識が粒子の振る舞いに因果的に作用した可能性があるということである。 https //consc.net/papers/emergence.pdf(チャーマーズの論文) 汎経験説 汎経験説とは中立一元論の一種であり、現象的意識やクオリアといった心的な性質が、脳や神経細胞といったレベルの構成においてはじめて生まれるのでなく、宇宙の根本的レベル、つまりクォークやプランク長といったレベルにおいて原意識という形で存在しているとする説である。自然主義的二元論を提唱するデイヴィッド・チャーマーズ、量子脳理論を提唱するロジャー・ペンローズやスチュワート・ハメロフらがこの立場である。 世界を構成する基本要素として心的な性質が遍く存在しているという考え方は真新しいものではなく、歴史的には汎心論と呼ばれてきた。原始宗教ともいえるアニミズムでは、生物・無機物を問ず、全てのものの中に霊魂や心的な何かが宿っていると考えられていた。近代の哲学者であるスピノザやライプニッツの形而上学においても、そうした世界観が提示されている。 チャーマーズらが原意識を想定する理由は、現象的意識やクオリアがどのように生成しているのかという、意識のハードプロブレムの核心問題が還元主義や創発説では説明困難だからであり、従ってクオリアなど心的性質を物理的ではない何かに還元し、それらの組み合わせによってクオリアなどの生成を説明しようとするものである。 諸説への批判 (以下は管理者の見解) 還元主義は、クオリアなどの心的現象がどのように生じるかの説明を放棄する立場である。心的な用語と科学用語には説明のギャップがある。還元主義では、たとえば「痛みとはニューロンCの発火である」というように心的現象を科学用語に置き換える。しかし「ニューロンCの発火」と「痛み」という言葉は論理的に結合できず、つまり両者を同一のものと論証することはできない。これが哲学的ゾンビが思考可能である理由とされる。ダニエル・デネットは還元主義の説明は失敗しているとみなして「貪欲な還元主義(greedy reductionism)」と批判し、行動主義的な立場からクオリアの説明を試みている。また「ニューロン・グループCの発火」はプロセスを説明することが出来るが、「痛み」の出現はそのプロセスを説明できない。結局、還元主義を主張する学者の多くは、クオリアなどの心的現象は科学の研究対象とすべきではないという立場となる。 創発説は、性質二元論の一部論者から「野蛮な創発(brute emergence)」と批判される。「全体は部分の総和を越える」という主張は意味論的・認識論的には正しくても、存在論的に正しいとはいえない。つまり物理的なあらゆるものは、下層の状態から上層を予測できなくても、「全体」の質量やエネルギー量は一定であり、決して「部分の総和」を超えることはないからだ。これは現象的意識やクオリアなど心的性質にはあてはまらない。そもそも心的現象と物理的現象はカテゴリーとして論理的に異なることが前提とされているため、「物質から精神が生まれる」という主張は、決して「1プラス2は3である」というような論理的整合性を確保できない。このことを端的に指摘しているのがソウル・クリプキによる固定指示子の概念である。彼の概念を援用して創発説の主張をたとえるなら、「1に2をプラスする過程で愛情が生まれる」と言っているようなものであり、これは単純にナンセンスである。 汎経験説は意識についての原子論的還元主義である。この立場ではトースターやサーモスタットにも意識のようなものを認めざるを得ないため、意識に相関した脳活動を前提にした脳科学や神経科学からは批判があり、また組み合わせ問題や意識の境界問題がアポリアとなる。汎経験説の主張をたとえるなら、「赤4つに甘さ3つを加えると愛情になる」というようなものであり、創発説同様の単純なナンセンスである。 参考文献 河村次郎『自我と生命』萌書房 2007年 スーザン・ブラックモア『「意識」を語る』山形浩生 森岡桜 訳 NTT出版 2009年 ティム・クレイン『心の哲学』植原亮 訳 勁草書房 2010年 立木教夫「現代「心-脳理論」の鍵概念である「創発」をめぐる一考察」『モラロジー研究』No.24 1988/03/25 参考サイト 創発 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%B5%E7%99%BA 創発主義 http //en.wikipedia.org/wiki/Emergentism 汎心論 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B1%8E%E5%BF%83%E8%AB%96
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概説 死後生存研究の分野 死後生存研究の歴史・新たな展開 死後生仮説の優位性反死後存続仮説論 概説 死後生存は、死後存続ともいわれ、心霊研究などで用いられる用語であり、人間は肉体が滅んだ後も何らかの形で人格を保ち続けるという思想である。人間(の意識)が生物学的な死後も何らかの形で生存を続けるという考えは、古代エジプト・インダス文明を始め全ての古代及び非西欧文化の宗教や哲学の体系、宇宙論、儀式などにも見ることができ、19世紀、欧米を中心に流行したスピリチュアリズム(心霊主義)では死後も現世と交流することが出来るという思想の体系が作られた。なお、今日ではかなりの人々が「意識は脳の生理学的な働きの産物である」という唯物論的仮説の影響下にあると言え、意識の死後存続研究は唯物論的仮説へのアンチテーゼであり、意識が脳から独立している(または脳より優位である)事を前提としていると言える。 死後生存研究の分野 1984年に死後生存研究が世界的にどの程度、進んでいるかを知らせる事を目的に、世界の第一級の超心理学者による研究論文を信頼のおける医学、心理学、超心理学の雑誌から厳選して『死後の生存の科学』 に収録している笠原敏雄は、世界的に見ても、超常現象の研究者は非常に少ないといい、その中でも、死後生存問題の研究者は非常に限られている事を指摘しており、現在では、臨死体験の研究者を除けば、アメリカのヴァージニア大学知覚研究室の研究グループが中心になっていると指摘している(*1)。また、笠原は、死後生存(存続)研究の分野として以下のようなものを挙げている。 体外離脱体験 臨終時体験 臨死体験 霊媒を介する死者との交信 霊姿 憑依と真性異言 生まれ変わり 臨死体験については、死後生存の裏付けになりそうなものと、死後生存を考えない方がうまく説明がつくものがあると考えられ、臨死体験にしばしば見られる超常的知覚は文化的要因では説明できないと指摘され(*2)、前者に識別され得ると考えられる。 この他、飯田史彦は「死後の生命」や「生まれ変わり」に関する近年の科学的研究成果として、退行催眠によって蘇る過去生記憶を挙げている。また、大門正幸は、意識の死後存続研究は、大きく、意識が死後も存続する可能性に関する研究と、存続した意識が別の肉体に宿る可能性に関する研究に分けられるとしている(*3)。そして、それらはそれぞれ臨死体験と生まれ変わりの研究と結びついていると言える。 死後生存研究の歴史・新たな展開 「魂の不死性」はプラトンを始め、多くの哲学者たちが議論してきたテーマの1つであったが、人間の意識の死後存続の可能性を経験科学的に探究しようという試みは、19世紀後半にイギリスを中心として流行したスピリチュアリズム(心霊主義)を背景として盛んに行われた霊媒現象、1882年に設立された心霊研究協会(Society for Psychical Research)や1884年のアメリカにおける米国心霊研究協会(American Society for Psychical Research)に端を発する。そして、心霊科学研究はESP研究や超心理学研究へと派生していくが、近年、新たな展開を見せている。 イアン・スティーヴンソンは、死後生存の研究史ははっきりとは分けられないとしながら、理論的な問題の扱い方及び、実証的な研究法の違いを基準に三期に区分している(*4)。まず、第一期は、心霊研究協会が設立された1880年代から1930年代までの50年ほどで、この時期の研究では、死者の霊姿体験や、死者からの通信のように思われるそれ以外の偶発的体験を収集、分類し、分析するという方法を主とし、死者からの通信を受けることが可能であるとする霊媒を対象とした科学的研究も開始された。しかし、霊媒を介する死者との交信については、人間がテレパシーや遠隔透視といったサイ能力をもっている事が明らかになるにつれ、本人が知らないはずの情報を入手できるのもサイ能力によって可能になるとも考えられた。そのような事から、第二期に当たる1930年代から1960年頃までの30年間は、殆どの超心理学者が死後生存の可能性を問題とはしなかった。しかし、新しいタイプの実証的研究や理論的な問題を明確にしようとする努力が重ねられ、ある程度の進展が見られた。第三期は、1960年頃から1980年頃までで、死者からの通信のように思われる体験の中から生者のサイ能力であるとする説を排除できるよう工夫された実験も行われた。また、イアン・スティーヴンソンによる生まれ変わりの研究や、長い間西洋の科学では禁忌同然の扱いを受けていた死と臨死という問題が脚光を浴びた。 21世紀に入った後も、霊媒を対象とした研究を行うようにもなっており、暗室に「霊」を呼んだ場合とそうでない場合との光子の量を比べ、「霊」を呼んだ場合に光子の量が大きく増加する事を実証した研究もある。また、生まれ変わりについては、前記のアメリカのヴァージニア大学知覚研究室の研究グループが中心になっていると言え、近年ではイアン・スティーヴンソンの衣鉢を継いだジム・タッカーが強い生まれ変わり信仰をもたないアメリカでの強力な生まれ変わり事例を収録している。日本においては、大門正幸が過去生記憶をもつ子どもの存在を示し、また、過去生記憶だけでなく中間生記憶や胎内記憶をも考慮に入れた包括的な研究の必要性を訴えている。 この他、カリフォルニア大学リバーサイド校で進められている不死プロジェクト(immortality project)や、超心理学と人類学を融合させようとする超人類学(paranthropology)の試み、臨死体験や神秘体験などを霊的変容体験(spiritually transformative experience)として包括的に捉えようとする試みなど、様々な形で研究がなされていると言える。 死後生仮説の優位性 飯田史彦は「死後の生命」や「生まれ変わり」の研究はその科学的真偽とは別の次元で、それらを否定する論者に対する絶対的な優位性をもっていると指摘している(*5)。具体的には、「死後の生命が存在する」という命題については、データを蓄積する事が可能であると言えるが、「死後の世界が存在しない」という命題の場合、存在しないものを確認するのは不可能である。従って、論理的にみた場合、死後生というテーマについては、「認めるだけの決定的証拠がないが否定する方法もないない」か「認めようと判断できるだけの証拠が得られた」かという2つの状態しかない事になる。 反死後存続仮説論 サダスは、確認理論(confirmation theory)を用いてこれまでの哲学的議論を精査し、精緻な分析を通して、死後存続仮説を擁護する議論は破綻していると主張する。そして、デュエム・クワイン・テーゼが述べるように、観察される現象の説明には、主要な仮説に加え、様々な補助仮説が必要になるというが、死後存続論者達がこの点に関して非常に曖昧であると指摘している。そして、次のような補助仮説に目を向けると、死後存続仮説には大きな問題が存在している事が明らかになるという。 A1 意識が死後も存続するとすれば、肉体を持たない状態になった時に意識を保持したままであろう、生者Pが存在する。 A2 意識が死後も存続するとすれば、生前に関する詳細で高度に特定的な記憶を保持したままであろう、生者Pが存在する。 A3 意識が死後も存在するとすれば、生前のPを特徴付けていた人格的特徴や技能の多く、または大部分を、あるいは少なくともその重要な部分を保持したままであろう、生者Pが存在する。 A4 意識が死後も存続するとすれば、その死後、我々の世界で生じた出来事や生者の心の状態に関する知識を有するであろう、生者Pが存在する。 A5 意識が死後も存続するとすれば、その死後、生者と交信しようとする欲求や意図を持つであろう、生者Pが存在する。 A6 意識が死後も存続するとすれば、その死後、生者と交信する能力を有するであろう、生者Pが存在する。 A7 意識が死後も存続するとすれば、超感覚知覚(透視とテレパシー)および念動力という形で効果的な心的機能を示すであろう、生者Pが存在する。 一方、このような補助仮説に関する議論として、補助仮説A1~A6で示されているような意識の強い連続性 (strong continuity of consciousness) が必要だという主張に対し、死後の意識状態が生者の意識状態と変わらない、とする仮定は、もっと広い意味に解釈でき、生者が睡眠状態や痴呆状態にあり正常な交信ができない場合があるのと同様に、死者も正常な交信ができない場合もあるとの仮定もある。そして、死者にも生者同様に様々な意識状態があるとすればサダスが詳細に設定したような補助仮説は不要となる。(*6) また、死後の世界にアクセスする(体験する)方法は、退行催眠によるトランス状態であったり、臨死体験であったりと、非日常的で特殊な状況においてであり、人間の内面にいて主観的に体験されているものであるため、体験を共有する者もおらず、物的証拠も何もないので、その体験がリアルなものだと訴えても、周囲の者からすれば当人の性格や状況からその発言に信憑性を判断せざるを得ないとも考えられる。このような考えに対し、坂井祐円は、死後存続研究の方法論が、相変わらず従来の近代科学主義の唯物論パラダイムに則っており、その範疇を出る事がないからこその必然的な齟齬なのであるとし、死後の世界や霊魂といった存在は、そもそも物質世界には還元できない領域の問題であり、物質科学の方法に準拠して何とかその存在を論証しようと躍起になる事は、論理矛盾でしかないという。(*7) (以下は管理者の見解) 立花隆『臨死体験 下』の中では、ケネス・リングの話として、臨死状態の向こう側にある世界が永遠の世界だったら、存続というような時間を含む概念は意味を持たないことが指摘されているが(*8)、実際、臨死体験は無時間的な永遠の世界を示しているケースが多い。また、死後生存、死後存続は、人格(個人としてのその人)の存続を想定していると言えるが、トランスパーソナル心理学の地平から見れば、直接的に死後の世界を設定しないとはいえ、宇宙規模の壮大なスケールで人間の生死の意味を考え、敢えて言うなら個体を離れた個性とは違う意識への融合と捉えているように思えるし、土井利忠が考える「あの世」の実態なども時間や生死を超越しているという点で死後という表現は妥当ではないと言える。更に、臨死体験が本質的に語り得ないものであると言われる事からも窺えるが、死の彼方が文字通り何もなくなるという意味での無ではなかったとしても、私達の世界とは全く異なった法則に因って統制されている世界であるとしたら、そもそもそのような世界を「存続する」や「在る」として心に描き捉える事自体が困難であるかもしれない。それ故、体外離脱体験など死後生存研究の分野において客観性、測定、実証などといった正統的な基準に当てはめる事で見出される人格(個人としてのその人)の存続という捉え方も(肉体と共に全てが消滅せず何かがあったとして)向こう側にある世界における意識の一側面に過ぎないという事であろう。このような事から、物的なものと心的なものといった風に二元論的に捉え、人格や霊魂の死後存続という形で話を一般化するには壁があると思われ、死後にも何かがあるとすれば「いったい何が存続するのか」や「いかなる種類の意識が存続するのか」、さらに哲学的に言えば、何かが「在る」とはどういう事態か、「現実」とは何か、「経験」とは何か、「存続する」とはどういう事かといったように掘り起こして考えるべき問いは多く出てくると言えるであろう。渡辺恒夫も死後の世界について直接探求するのではなく、まず「私とは何か」を探求すべきであり、「私とは何か」の答えは、「なぜ今、ここにいるのか」という≪今、ここ≫の謎に事に答えられなければならないため、私は脳であるという唯物論も私は肉体とは独立の霊魂であるという心身二元論もともに失格であるという立場である(*9)。また、渡辺は死後存続の科学は科学の方法がつくりあげた科学的世界像追放された心を科学の方法によって立証しようという企てであるから心身二元論と科学的方法の組み合わせは破産しているとも示唆しており、死後生存研究によって蓄積されたデータから心身二元論的に自己や意識の個別性や独立性を認める事が正しいという結論にはならないであろうが、死後生存研究によって蓄積されたデータや永遠の哲学、トランスパーソナルな意識の拡大、超心理学的事実を無意味だとみなすのではなく、それもまた一つの事実として、(渡辺が言うような)真の自己とは何かや「私」とは何かという形而上学的問いを考える際に、視野に入れる事で新たな視点をもたらす可能性があるというのが私(管理者)の考えである。 慎重な超心理学者が指摘しているように、誰もが納得するという点で、死後生存を裏付ける決定的証拠、科学的証拠は得られていないし、それは将来も同じであろう。しかし、死後生存を否定する証拠は、肉体が消滅すれば何もなくなるという常識論以外には存在しないと言える。また、超心理学的には死後生存の可能性を持ち出さなくても本人が知らないはずの情報を入手できるのもサイ能力によって可能になるとも考えられるというが、そのような能力も脳がいわゆる意識の送受信器であるといった脳濾過装置理論的立場から考える事によって合理的に説明できると言える。そのため、サイ能力(ESP)の存在から直接的に死後生存を直接的に証明する事が困難であるとしても、死後生存を否定しているわけではなく、むしろサイ能力によって霊の世界、死後の世界と呼べるような世界へアクセスし情報を得ていると仮定する事もできる。それに加え、死後生存研究によって蓄積されたデータや、永遠の哲学、トランスパーソナルな意識の拡大など少なくとも、意識の全てが脳によって産み出される、または脳の特性に還元されるという唯物論的な見方を否定したり、(向こう側の世界が、臨死体験者が言うように本質的に語りえないものであっても)死んだら「無」であり全ては消滅し終わりであるといった素朴な死生観を否定したりする事に寄与すると考えて問題ないだろう。 参考文献 笠原敏雄『超心理学ハンドブック』ブレーン出版 1989年 飯田史彦「生まれ変わりに関する科学的研究の発展が人生観に与える影響について」『商学論集』第64巻第1号 福島大学 1995年 飯田史彦『生きがいの創造-生まれ変わりの科学-が人生を変える』PHP研究所 1996年 立花隆『臨死体験 下』文藝春秋 1996年 渡辺恒夫『輪廻転生を考える 死生学のかなたへ』講談社現代新書 1996年 渡辺恒夫/中村雅彦『オカルト流行の深層社会心理』ナカニシヤ出版 1998年 坂井祐円「死後の世界を前提とする死生観について」『南山宗教文化研究所 研究所報』第28号 南山宗教文化研究所 2018 年 坂井祐円「死後存続研究が示す「死後の世界」と「心的現実」の問題について」『南山宗教文化研究所 研究所報』第30号 南山宗教文化研究所 2020年 坂井祐円「生まれ変わりをどのように考えるか」『仁愛大学研究紀要人間学部篇』第19号 仁愛大学 2020年 大門正幸「意識の死後存続研究の新たな展開」『人体科学』24巻1号 人体科学会 2015年 大門正幸「魂の不死性に関する哲学的考察 死後存続仮説に関する議論を中心に」『人体科学』28巻1号 人体科学会 人体科学会 2019年 イアン・スティーヴンソン「人間の死後生存の証拠に関する研究ー最近の研究を踏まえた歴史的展望」『死後の生存の科学』叢文社 1984年 所収 イアン・スティーヴンソン/ブルース・グレイソン「臨死体験ー死後生存問題との関連」『死後の生存の科学』叢文社 1984年 所収 Z.リッチモンド/K.リッチモンド『死後生存の証拠』笠原敏雄 訳 技術出版 1990年 ジェフリー・アイバーソン『死後の生』片山陽子 訳 NHK出版 1993年 ゲイリー・ドーア編『死を超えて生きるもの 霊魂の永遠性について』井村宏治・笠原敏雄・菅靖彦・橋村令助・上野圭一・鹿子木大士郎・中村 正明 訳 春秋社 1993年 ジャン=ジャック・シャルボニエ『「あの世」が存在する7つの理由』石田みゆ 訳 サンマーク出版 2013年 参考サイト http //www.02.246.ne.jp/~kasahara/
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Leader Lv3 古明地 こいし Lv1 八雲 紫 3x パターン避け 2x 根性避け 3x 結界「夢と現の呪」 3x 神隠し 2x 表象「夢枕にご先祖総立ち」 2x 表象「弾幕パラノイア」 3x 心符「没我の愛」 3x 無意識「弾幕のロールシャッハ」 3x 復燃「恋の埋火」 3x 「嫌われ者のフィロソフィ」 3x 「サブタレイニアンローズ」 3x スーパーエゴ 2x ハルトマンの妖怪少女 2x 無意識の遺伝子 3x 神出鬼没 いつもニコニコあなたの隣に這いよる無意識、古明地こいしです~☆ ネタならばこいし3妹紅1というものは始まったの後で気付きだった^q^
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【検索用 UntilTheAsh 登録タグ 2018年 U VOCALOID VY1 miso 曲 曲英】 + 目次 目次 曲紹介 歌詞 コメント 作詞:miso 作曲:miso 編曲:割り箸割り子 ギター:割り箸割り子 唄:VY1 曲紹介 曲名:『Until The Ash』 miso氏の5作目。 歌詞 (動画より書き起こし) 命を燃やして 灰になるまで どうせ消えないよ 今を繰り返している 意識は朦朧 夜が明けるまで 死なないように 二度と失わぬように 越える日まで 崩れゆく日常に光が差す 心は未だ灰色 時計の針を止めても朝は来るよ 終われないんだ このままじゃずっと 意味のないこと いつまで続けるのかな 溜め息さえもどこか遠く浮かんで消えた 言葉を殺して 灰になるまで どうせ言えないよ 未だ何者でもない 意識は朦朧 夜が明けるまで 死なないように 二度と失わぬように 薄れゆく意識と記憶の中 見上げた空は灰色 答えなんてどこにもありはしない 止まれないんだ このままじゃずっと 意味のないこと いつまで続けるのかな 吐く言葉さえも目の前から壊れて消えた 命を燃やして 灰になるまで どうせ消えないよ 今を繰り返している 意識は朦朧 夜が明けるまで 死なないように 二度と失わぬように 越える日まで 飽くことなく進め 地の果てまで 心さえ無ければよかったのにな 命を燃やして 灰になるまで どうせ消えないよ 今を繰り返している 意識は朦朧 夜が明けるまで 死なないように 二度と失わぬように 越える日まで ただ命を繰り返している 意識は朦朧 夜が明けるまで 命を燃やして 灰になるまで コメント 名前 コメント コメントを書き込む際の注意 コメント欄は匿名で使用できる性質上、荒れやすいので、 以下の条件に該当するようなコメントは削除されることがあります。 コメントする際は、絶対に目を通してください。 暴力的、または卑猥な表現・差別用語(Wiki利用者に著しく不快感を与えるような表現) 特定の個人・団体の宣伝または批判 (曲紹介ページにおいて)歌詞の独自解釈を展開するコメント、いわゆる“解釈コメ” 長すぎるコメント 『歌ってみた』系動画や、歌い手に関する話題 「カラオケで歌えた」「学校で流れた」などの曲に直接関係しない、本来日記に書くようなコメント カラオケ化、カラオケ配信等の話題 同一人物によると判断される連続・大量コメント Wikiの保守管理は有志によって行われています。 Wikiを気持ちよく利用するためにも、上記の注意事項は守って頂くようにお願いします。
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フェイロン キャラ対策TOP (ストIV時代の情報を土台に追加・更新しています。スパIVで変わった点や、より有効な対策あれば、更新お願いします) 確定反撃: 相手の技 こちらの技 猶予 備考 大足 大烈火 4フレ EX真空竜巻 小烈火 2フレ 1~2段目ガード時のみ 3段目ガード時は不可 被確定反撃: こちらの技 相手の技 猶予 備考 小烈火1段目 昇龍拳 1フレ めり込んだ場合のみ 真空波動拳 1フレ 小烈火2段目 大足 1フレ 中足 1フレ 中足>EX波動はめりこまなければ当たらない 中、強烈火拳の先端の距離を意識しながら歩く。 (烈火拳を振るのはガードされても中足が確定しない間合い) セビが届く間合いになったら、相手の跳びを意識しながら屈中P、SAで差し合い。 ダウンを取ったら詐欺跳び(めくり詐欺)。 近~中距離では中足・大足空振りへの烈火拳、中足波動へのEX烈空脚を常に意識すること。 立ち回りの波動拳に対するEX烈空脚は読まないと当たらないので狙いすぎないこと。 対空は遠めであれば遠大K、近めであれば近大P、熾炎脚で安定する。 また烈火・烈空脚読みの垂直ジャンプも遠大Kで落とせるので意識しておく。
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アドニス とは、【ソーマブリンガー】のキャラクター。 プロフィール 作品別 元ネタ推測 関連キャラクター 関連マシン コメント プロフィール アドニス 種族 【マスターケイジ】? 性別 男 出身 クレモナ 所属 アドニス一派 初登場 【ソーマブリンガー】 【ウンブラス】達を統括する謎の黒衣の男。 ソーマケイジに頼ることなく強力なソーマを行使するだけではなく、ソーマゲートに頼らない空間転移をも可能としている。 古代の遺物アポクリファを求め、自らを【アレーティア】?の依代と名乗り、ウンブラスと共に【イデア】達の行く手を阻む。 人間への憎しみを見せる他、時折不調をきたすことがある。 作品別 【ソーマブリンガー】 物語序盤から【イデア】や第七中隊のメンバーと遭遇、アポクリファを巡り対立する。 中盤頃から彼の謎が明かされていき、【エレオス】が独自の調査でベネスの樹海最深部にアドニスが眠りについていた繭の抜け殻を発見する。 その正体はクレモナが栄えていた時代に意思を象徴する【マスターケイジ】?として造られた高密度の人工ソーマ集積体。総体意思生命体である【アレーティア】?を宿すための肉体を有し、その精神はアレーティアの一部とつながっている。 わざわざ人間を憎むように造ってはいないはずなのにクレモナ人に造られたアドニスが人間を憎むのは、目覚めの時に居合わせた【ラバン・レムエル】の負の意識にあてられ、ラバンが抱くアレーティアへの恐怖心や罪悪感が、そのまま人間達への憎しみへと変質したためである。 【フェデルタ】、【アンビシオン】、【グード】の3人の【ウンブラス】は、目覚めた際にラバンに自身のアポクリファを奪われたことから自己保全機能として自らを守護させる者として無意識の内に選び出して変貌させたものである。時折見せた不調はアポクリファを奪われたことに起因する。 潜在的に刷り込まれていたアレーティアの依代としての機能を活性化し、分断されたアポクリファを再び一つにするため、アドニスは活動を始めるに至った。 終盤はソーマエネルギーを集めて異形の姿へと変貌し、ヴェルト達と激突する。ちなみに人間の姿を取っている時から二刀流で戦う様子を見せていたが、人間体で戦うことはない。 アレーティア戦後は憎しみが抜け、アレーティアと共に宇宙へと昇っていく。 同じマスターケイジのイデアは純真な状態で目覚めるに至ったが、これは【ヴェルト・ノイギーア】が持つオルフェウスの正式な契約者に値する資質や純粋さに感応したためであり、仮に別の誰かと感応した場合イデアもまたアドニスと同じ経緯をたどる可能性もあったと思われる。 もっとも、イデアの意識はアレーティアの意識と異なりリングタワーの発する人々の持つ恐怖心を反映する障壁を通過してもイデアの意識は純粋に保たれていた。このことから、障壁を通過した意識が善き存在となるか悪しき存在となるかは、単に障壁に反映される人々の心の状態だけでなく、通過する意識そのものの状態も深く関係しているものと思われる。 元ネタ推測 ギリシア神話に登場する美少年「アドーニス」から 関連キャラクター 【アレーティア】? 【イデア】 【ラバン・レムエル】 【ウンブラス】 【フェデルタ】 【アンビシオン】 【グード】 【エレオス】 【アンゲルス】 【オルフェウス】? 関連マシン 【エンハンブレ】 コメント 名前 全てのコメントを見る?
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トランスパーソナル心理学の歴史 超心理学との接点 トランスパーソナルとは、ラテン語の「横切る、超えていく」を意味する「trans」と英語の個人を意味する「personal」を組み合わせたもので、個人の間にあると思われている自他の境界を横断し、人間の性格を形作る国籍や文化、人格などを乗り越えていくことによって根本的に全てが繋がりあっている事を示す言葉で、トランスパーソナルという概念には、想像以上に深い意味があると言える。 トランスパーソナル心理学は、個を超えた繋がりを志向する心理学であり、人種、性別、思想信条の違いや過去・現在・未来といった世代を超えた繋がり、大自然との繋がりといった水平次元での繋がりを志向する。さらに、自己の深層無意識やそれを突き抜けた真実の自己との繋がりなどといった垂直次元での繋がりへと自分を開き、個を超えていく事を説く心理学である。トランスパーソナル心理学では、全ての物事は本来、1つでありつながっていると考えるところも重要であり、心理学におけるパーソナルからトランスパーソナルへの転換は、科学の分野では機械論的世界観からホリスティック(統合的・全体的)な世界観への転換と同様の方向にある。なお、トランスパーソナル心理学の人間観は、ジークムント・フロイトやカール・グスタフ・ユングを始めとする様々な西洋心理学の学派の人間観に加えて、これまで西洋や東洋の思想の中で語られてきた多様な人間観、世界の先住民における神話的世界観を組み込みその統合を目指してきたと言え、魂や目に見えない次元の復権を図る心理学であるとも言える。個を超えたもの(生態系、地球、宇宙、ブラフマン、神、空)との一体感の復権を図るという点で、宗教的でありながら、他者により再実験、反論、修正が可能であるという意味では科学的である。しかしながら、トランスパーソナル心理学はある種の神秘体験や超常体験を肯定的に評価し、その受容を通じて人間の精神的成長を目指そうとする性質をもっているため、既存の心理学体系と衝突する側面を孕んでいると言え、それ故、伝統的な科学、心理学の立場から異端視されている点も否めない。(*1) このようにトランスパーソナル心理学が重視する繋がりとして具体的には、より大きな意味に満ちた現実とつながる体験、死後の世界、宇宙との融合感、母胎への回帰や過去生などのイメージといった霊的な次元の経験が含まれている。石井登は、臨死体験による心理的、人格的成長の極限には、自己超越体験があるといったことを指摘しており、このような体験については、変性意識状態が持つ人間成長上の意義を重視するトランスパーソナル心理学という領域での研究によって見えてくる部分があると考えられる。また、トランスパーソナル心理学は臨死体験や前世療法によって見えてくる過去生を主観的な話でも客観的な話でもなく第三の領域「イマジナルな世界」で体験される現象(変性意識における現実の体験)として理解すると言える(*2)。なお、イマジナルな世界とは幻覚や空想の類でも想像力によって拵えた世界でもなく、通常の五感には姿を現さない変性意識状態における領域という事になる。このような捉え方は、意識の新たな側面を提示するとともに臨死体験について脳内現象か現実体験かといった単純な解釈では説明できない側面を捉え得る可能性がある。 神秘体験や臨死体験、過去生記憶などといった非日常的な意識体験は、通常の意識体験と同様の土俵では、その意味を理解することが困難であると言え、その意味を本当に理解するためにはそれぞれの意識状態に応じた領域が必要になると言えるが、宇宙規模の壮大なスケールで人間の生死の意味を考えるトランスパーソナル心理学はそれらの解釈に新たな展望をもたらすと考えられる。一方、個を超えた繋がりを志向するトランスパーソナル心理学は、個的実体としての「私」の意識に執着していないため、直接的に死後の世界を設定し、超心理学に於いてしばしば問題とされるような個としての自分の死後存続、死後生存を問題にしているわけではないと言える。また、個体を離れた個性とは違う意識がトランスパーソナル心理学の地平であり、その地平では生と死の境界が曖昧になるとも考えられる。(*3) トランスパーソナル心理学の歴史 トランスパーソナル心理学が誕生する前、心理学には3つの大きな流れがあった。第1の流れが、行動主義心理学、科学的心理学と言われ、客観的で機械的で実証主義的な心理学である。第2の流れがジークムント・フロイトの精神分析から生まれたグループで、夢や無意識を扱う流れである。そして、第3の流れが、これら2つの流れを否定する形で生まれたもので、人間性心理学と言われる。このグループの形成に影響を及ぼしたのがアブラハム・マズローであり、人間性心理学の発展プロセスの中で心理学第4勢力であるトランスパーソナル心理学が生まれた。ちなみに、各心理学における意識構造の比較を岡野守也は以下のような図で表している。(*4) (岡野守也『トランスパーソナル心理学』p.27より) 自我という概念は、個人の身体という存在を切り離して考える事はできないが、自我の発達と確立を重視した自己実現が人間の成長の最終段階ではなく、自我と呼ばれる領域を超えて成長していく可能性をもっていると考えられる。マズローは、人間の成長が自己実現を越えた自己超越にまで広がることを予感しており、チェコスロバキアで3000以上のLSDの臨床例の研究から同じような結論に達していたスタニスラフ・グロフとの出会いをきっかけに、人間性心理学を越えたトランスパーソナル心理学の設立の必要性を感じ、1960年代後半にマズローとグロフとの話し合いにより新たな心理学の動向に「トランスパーソナル」という名前が付けられた。諸富祥彦は、これをトランスパーソナル心理学の成立と捉えている(*5)。そして、1969年にマズロー、アンソニー・スティッチ、グロフを中心として、メダルト・ボス、ヴィクトール・フランクル、ロベルト・アサジオリ、アーサー・ケストラー、アラン・ワッツなどの賛同を得て、トランスパーソナル心理学会が創設され、スティッチやマイケル・マーフィー、ジェイムズ・フェディマンらが編者となって『トランスパーソナル心理学研究』が創刊、本格的な学術研究が開始された。 なお、トランスパーソナル心理学の成立の土台を用意していた人物として、他にも、トランスパーソナルと訳されるドイツ語を集合的無意識とほぼ同じ意味で用いていたカール・グスタフ・ユングや、ハーバード大学の授業のためにトランスパーソナルという用語を準備していたウィリアム・ジェームズ、さらにイタリアの精神科医でフロイトの弟子でアリス・ベイリーの弟分のロベルト・アサジオリといった人物を挙げることができる。そして、あらゆる民族と文化に共通の真理であるとされる永遠の哲学の新しい表出形態をトランスパーソナル心理学とみなすなら、その起源は近代オカルティズムにも大きく影響を受けていると言え、20世紀後半に現れたヒッピーから、ニューエイジの運動、ニューサイエンスという流れなども重要な背景となっていると言える。 超心理学との接点 超心理学者であり、トランスパーソナル心理学者でもあるチャールズ・タートは両者の密接なる関係を指摘している。超心理学は、歴史的には心霊研究の延長線上に登場したもので、死後存続の可能性を探るという可能性を持っていると言えるが、トランスパーソナル心理学も超心理学も霊性(spirituality)を探求するという点で対話が可能で協調関係を築き得ると言われ、特定の宗教的な信念や信仰に縛られない「開かれた霊性の探求」という問題意識を持つことが重要であると言われる(*6)。また、石川幹人は、超心理学とトランスパーソナル心理学の協働可能性を2つの面から指摘している(*7)。1つは、トランスパーソナル心理学が培った知見の超心理学実験への導入であり、もう1つは様々な体験報告から理論を紡いでいくトランスパーソナル心理学の発展に超心理学の知見を応用する事である。トランスパーソナル心理学の発展に超心理学の知見を応用する事で、体験者の文化的背景や宗教的信奉、願望や畏怖、言語表現の制約などによる副次的影響を取り除き、体験報告から本質を引き出す事に繋がる技術が蓄積されると述べている。 そして、トランスパーソナルの地平から超常現象を語るならば、(ケン・ウィルバーが言うような)人々の自己超越あるいは超意識の段階(状態)に呼応する形で超常現象が発生すると言え、超常現象そのものを客体として突き放して扱おうとする科学的、合理主義的態度では捉えにくくなると言える。中村雅彦は、超常現象は観察者や参加者自身の心理状態が意識的な自我の範囲を超え出て拡張している時に漸く顔を覗かせる性質をもっていると言え、現象を観察する主体である人間の「こころの準備」が整ったときに超常現象は向こうから正体を現してくれるという。(*8) 参考文献 西平直『魂のライフサイクル ユング・ウィルバー・シュタイナー』東京大学出版会 1997年 渡辺恒夫/中村雅彦『オカルト流行の深層社会心理』ナカニシヤ出版 1998年 諸富祥彦『トランスパーソナル心理学入門』講談社現代新書 1999年 岡野守也『トランスパーソナル心理学』青土社 2000年 石井登『臨死体験研究読本 脳内現象説を徹底検証』アルファポリス 2002年 吉福伸逸『トランスパーソナルとは何か 自我の確立から超越へ』新泉社 2005年 石川幹人「超心理学とトランスパーソナル心理学-協働に向けて-」『トランスパーソナル心理学/精神医学』11巻1号 日本トランスパーソナル/精神医学会 2011年