約 134,608 件
https://w.atwiki.jp/syumitowatch/pages/124.html
「在日朝鮮人による密入国の歴史」 http //tokua77.web.infoseek.co.jp/korea.htm 日本への密入国に失敗して強制送還される朝鮮人 在日朝鮮人ー大半は自由意志で渡航 日本に徴用で来日し、日本に残留した朝鮮人の数は245人 在日の99.9%は徴用とは関係が無い 強制連行という言葉は朝鮮総連の活動家によって作られました 終戦直後(1945年)の日本には、朝鮮人が約200万人いましたが、翌年の(1946年)には60万人にまで減っています。 つまり約140万人はすべて帰国 さらに朝鮮総連は、1959年から帰国運動を大々的にやっており、この際に10万人が朝鮮半島に帰国しました。 しかし、朝鮮半島の経済状況が悪かったこともあり、その後の帰国事業は失敗し、在日が日本に居座るための理由が必要になりました。 そのときに作られた言葉が「強制連行」です。善良な朝鮮人を農作業中にトラックに詰め込み日本に拉致したという作り話です。 この言葉は朝鮮総連活動家の朴慶植が書いた本に出てくる話です。 在日は、強制連行がウソであることが知れ渡ると強制連行とは戦時中の徴用のことであるとひそかに定義を変更し、 トラック連行説との違いを曖昧にするために「強制徴用」という言葉を作り上げました。 -------------------------------------------------------------------------------- (朝鮮人による密入国事件一覧) ~強制連行のウソ 「朝鮮人密航」に関する新聞記事・・・ 「密航」の検索結果 1件目から 599件目を表示しています。 ・『鮮人内地密航/発見されて説諭』 大阪朝日 1921/7/15 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・又も帆船で密航した不逞鮮人四名逮捕さる』 大阪朝日 1922/5/20 〔7/4〕 下関・兵庫 【社会】 ・『北鮮から密航の怪鮮人/新羅丸の石炭庫に潜伏/労働者には不似合の所持品が不審』 福岡日日 1922/5/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『鮮人十名密航』 大阪朝日 1922/7/2 夕 〔2/1〕 下関・山口 【社会】 ・『鮮人十名の密航者/京畿丸に潜伏』 京城日報 1922/7/4 〔4/8〕 下関・山口 【渡航】 ・『ブロ-カ-の手で密航する鮮人が多い/大部分は山口福岡両県に上陸/北九州一帯では特に警戒を厳にして居る』 九州日報 1923/4/17 〔1/5〕 ・福岡・山口 【渡航】 ・『密航鮮人発見(遠賀郡芦屋町)』 門司新報 1923/11/7 〔1/5〕 遠賀郡・福岡 【渡航】 ・『内地密航と取締』 大阪朝日 1923/12/6 鮮満 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人の内地密航に警戒の眼が光る/釜山水上署の取締』 京城日報 1923/12/20 〔2/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『発動船で密航/鮮人九名発見』 福岡日日 1924/2/21 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『潜入を企つ/立神丸に忍んで(舞鶴~元山定期航路・立神丸で自称島根県人が密航企図。「不逞鮮人」と連絡ある者と見込み取調中)』 大阪朝日 1924/4/20 京附 〔1/9〕 舞鶴・京都 【警備】 ・『丗名の鮮人欺されて密航/山口特牛港に』 福岡日日 1924/5/2 〔1/3〕 ・山口 【渡航】 ・『五十余名の密航団/難船して露見に及ぶ』 京城日報 1924/5/9 夕 〔2/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人渡来制限撤廃/密航は取締る』 福岡日日 1924/6/7 〔1/7〕 下関・福岡 【渡航】 ・『密航の鮮人』 門司新報 1924/7/11 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『極左傾の不逞鮮人が日本へ密行した/手配が廻つて警視庁活動(青山爆弾事件。在ウラジオストクの活動家が日本に密航した形跡があるという朝鮮総督府の打電により活動開始)』 京都日出 1924/8/15 〔〕 東京・東京 【警備】 ・『巧妙な鮮人の密航/当局も取締りに悩まさる』 京城日報 1925/5/15 〔3/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人労働者を内地へ密航させる/大仕掛な企て暴露』 京城日報 1925/5/21 〔3/6〕 ・朝鮮 【渡航】 ・『四十二名の密航者検挙/第一回の小手調べ/募集人は厳重処分』 京城日報 1925/10/11 夕 〔5/1〕 慶南・朝鮮 【渡航】 ・『労働者釣りの悪玉縮み上る/密航者は次第に減少の傾向がある』 京城日報 1925/10/16 〔6/1〕 慶南・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人丗五六名を乗せた奇怪な密航船来る/白木署に上陸して行衛不明/其筋では頗る重大視(門司市)』 福岡日日 1926/3/12 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『小発動機船で鮮人の密航団/三十名釜山から門司に上陸し行方を晦す』 大阪毎日 1926/3/14 夕 〔2/5〕 門司・福岡 【渡航】 ・『長さ四間の発動機船で/鮮人三十余名密航す/氏名も目的も行先も判らぬ/時節柄厳戒を加ふ』 中国 1926/3/14 〔〕 門司・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人一部発見さる/小倉駅頭にて(小倉市)』 福岡日日 1926/3/14 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『鮮人密航団を発見/同勢三十六名の内/十六名を捕へて送還』 中国 1926/3/23 〔〕 下関・山口 【渡航】 ・『朝鮮から内地へ/内地から朝鮮へ/虻蜂とらずに終った/密航鮮人団三十余名』 大阪朝日 1926/4/7 朝鮮朝日 〔〕 下関・山口 【渡航】 ・『大胆な鮮人団帆船で密航/玄海を横切って鐘崎へ/福岡署に知れて取調らる(宗像郡岬村)』 福岡日日 1926/4/11 夕 〔1/2〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『怪しき汽船に/六十名が潜伏/大規模な密航団が/釜山署の手で逮捕』 大阪朝日 1926/4/13 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航団鮮人取押へらる』 大阪毎日 1926/4/16 〔11/7〕 門司・福岡 【渡航】 ・『七十余名の密航船/下関で発見』 京城日報 1926/4/17 〔3/3〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人の/乗込船が沈没/海上を漂流中救はれ/四国宇和島に上陸』 大阪朝日 1926/4/17 朝鮮朝日 〔〕 宇和島・愛媛 【渡航】 ・『密航者七十余名が/釜山に送還さる/警察で保護を加へ/渡航或は帰郷さす』 大阪朝日 1926/4/20 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人の密航団/又また津屋崎へ上陸す(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 1926/4/21 〔1/5〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『鮮人の密航に/頭を悩ます山口県/悪周旋業者に過られた/哀れな彼らの心情』 大阪朝日 1926/4/24 広島 〔〕 ・山口 【渡航】 ・『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県へ/既に三百名に達した』 大阪朝日 1926/4/29 〔5/9〕 下関・山口 【渡航】 ・『又も鮮人の密航団/山口へ六十名』 福岡日日 1926/4/29 〔1/2〕 山口・山口 【渡航】 ・『六十名の密航団/山口県の北海岸で発見』 京城日報 1926/4/30 夕 〔2/4〕 ・山口 【渡航】 ・『鮮人の密航続出/行啓を控へた山口県三百名(東宮行啓を控え県警察部は漫然渡航者を乗船地で阻止しているが、密航を企てる者も増加。近頃も大津郡深川村に60名上陸)』 京都日出 1926/4/30 〔〕 長門・山口 【渡航】 ・『大密航バレる』 大阪朝日 1926/5/1 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人が帆船で渡っても密航でない、つまらぬ取締りをされては思想上面白くないと朝鮮総督府から横槍』 神戸新聞 1926/5/3 〔6/3〕 釜山・朝鮮 【社会】 ・『又も糸島に密航団/朝鮮から渡航六十余名(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1926/5/4 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】 ・『密航朝鮮人は/既に二百に上る/行啓後に対策を/赤木特高課長の沿岸視察』 大阪朝日 1926/5/5 広島 〔〕 ・山口 【渡航】 ・『生き残った/密航者送還/厳原警察から/釜山に向けて』 大阪朝日 1926/5/20 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『二十余名の密航者団逮捕/下関水陸両署活動/時節柄とて重大視す』 中国 1926/5/26 〔〕 下関・山口 【渡航】 ・『依然と困る密航者/釜山署の大弱』 大阪朝日 1926/5/28 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『怪しい鮮人密航者/夜陰に乗じ門司海岸に上陸/大部分を取押へ取調中』 神戸新聞 1926/5/29 〔8/4〕 門司・福岡 【社会】 ・『大里に又密航団/十九名の鮮人(門司市)』 福岡日日 1926/5/29 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人団逮捕/募集した鮮人男女を/売り飛ばすつもり』 中国 1926/6/6 〔〕 徳山・山口 【渡航】 ・『密航者体裸で泳ぐ/鮮人が陸岸目蒐けて/泳ぎ上つた処を引捕ふ(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1926/6/12 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】 ・『鮮人青年が密航企つ/上海から乗船』 神戸新聞 1926/6/20 〔8/10〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『戦慄を感じる/あぶない密航/産業の過渡期に立ち/生活に悩む下層鮮人』 大阪朝日 1926/8/14 朝鮮朝日 〔〕 ・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人密航の/首魁を逮捕/釜山警察署で』 大阪朝日 1926/8/25 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『さても現金な/密航者が絶える/渡航阻止者に対しては/釜山で就職口を周旋(水電工事にも)』 大阪朝日 1926/10/6 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『渡航鮮人の/素質が向上/密航者の群もだんだんと減少』 大阪朝日 1926/11/17 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『朝鮮から五六十名/御大喪に参列さしたい/不逞団の取締は厳重にする/湯浅総監下関で語る(浦塩或は上海方面から密航、十分警戒)』 大阪毎日 1927/1/15 朝鮮 〔9/2〕 下関・山口 【警備】 ・『警備船で密航者取締』 京城日報 1927/2/24 〔6/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『三名の鮮人怪漢繋留中の発動船を盗み出す/機関長を脅迫して運転を初め舵を操り沖合に逃げ去る(内地密航鮮人の所為と睨み厳重捜査中)』 大阪毎日 1927/3/2 朝鮮 〔9/3〕 釜山・朝鮮 【窃盗】 ・『密航鮮人/八十名/北浦海岸に上陸(豊浦郡川棚村)』 大阪朝日 1927/3/3 朝鮮朝日 〔〕 豊浦・山口 【渡航】 ・『六十名の密航鮮人/下関吉見海岸に上陸(山口県吉見村)』 九州日報 1927/3/7 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『鮮人丗四名内地へ密航途中暴風にあひ対馬に漂着す』 大阪毎日 1927/3/8 朝鮮 〔9/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『怪帆船の中から百名の密航者現はる/下関市外吉見海岸で発見され釜山へ送還さる』 京城日報 1927/3/9 〔7/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航発覚頻々(吉見村)』 大阪毎日 1927/3/11 朝鮮 〔9/8〕 ・山口 【渡航】 ・『密航団また捕はる』 京城日報 1927/4/8 夕 〔6/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『夜陰に乗じ/密航を企つ/鮮人を発見(五十余名)』 大阪朝日 1927/4/9 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航ブロ-カ-鮮人/取押へらる(糸島郡前原町)』 九州日報 1927/4/15 〔1/5〕 前原・福岡 【犯罪】 ・『船底に潜む怪鮮人/密航者と判る』 神戸新聞 1927/4/16 夕 〔2/8〕 敦賀・福井 【社会】 ・『密航鮮人/十余名捕る(田の浦海岸)』 大阪朝日 1927/4/20 朝鮮朝日 〔〕 門司・福岡 【渡航】 ・『七十名を内地へ密航させんとした四人捕はる』 大阪毎日 1927/4/27 朝鮮 〔10/1〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『<慶尚南道>密航幇助で取調べ』 京城日報 1927/5/10 〔4/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人/蘆屋に上陸/目下取調中』 大阪朝日 1927/5/15 朝鮮朝日 〔〕 芦屋・福岡 【渡航】 ・『怪機船/密航鮮人の輸送を企つ』 大阪朝日 1927/5/18 朝鮮朝日 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『検挙された富士丸/三回に亘つて密航/犯行を自白す』 京城日報 1927/5/19 〔4/1〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航団を利用し一儲け志願オヂヤン』 京城日報 1927/5/19 〔7/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人が/積み帰さる』 大阪朝日 1927/5/20 朝鮮朝日 〔〕 芦屋・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人少年を/船中で殺害か/伏木入港の鮮海丸の怪事』 北國 1927/7/8 〔5〕 伏木・富山 【社会】 ・『三人組の密航詐欺/横浜水上署で検挙す』 京城日報 1927/7/20 夕 〔2/8〕 横浜・神奈川 【渡航】 ・『米国の母を尋ねて密航した十四歳の鮮童/新聞売子をして苦学した果/アリゾナ号にて送還さる』 福岡日日 1927/7/30 夕 〔1/2〕 横浜・神奈川 【社会】 ・『密航者送還(支那労働者)』 京城日報 1927/8/2 〔5/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『慶尚南道/女房に化けて内地へ密航/際どい処で発見さる』 京城日報 1928/1/19 〔4/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『三鮮人密航/石炭庫にひそんで』 福岡日日 1928/1/25 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人難破し西戸崎で救はる(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1928/2/19 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『十一名の密航者送還せらる』 大阪毎日 1928/2/21 朝鮮 〔9/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『北日本汽船の「以智丸」が多数の密航鮮人を乗せて神戸に帰る/水上署、厳重取調べの歩を進む』 神戸新聞 1928/3/6 夕 〔2/4〕 神戸・兵庫 【渡航】 ・『船長が首謀で鮮人を密航させる/一人から十一円とった/南鮮航路の以智丸』 大阪毎日 1928/3/6 〔7/9〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『背任罪その他の罪名で三名を司法係りに/以智丸鮮人密航事件』 神戸新聞 1928/3/7 夕 〔2/8〕 神戸・兵庫 【渡航】 ・『密航の鮮人(門司市)』 福岡日日 1928/6/29 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『帆船で内地密航/三十余名の一団で』 京城日報 1928/9/12 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『怪しまれた密航の鮮人/手続不備と判る』 神戸又新日報 1928/9/29 〔5/8〕 神戸・兵庫 【渡航】 ・『鮮人の密航/対州からが多い』 福岡日日 1928/10/12 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『支那人の密航を企つ/発動汽船で準備中を/釜山水上署で検挙』 京城日報 1928/10/25 夕 〔2/1〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航を種に/詐欺を働く』 大阪朝日 1928/11/28 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航料三百円/支那人から捲上げる』 京城日報 1928/11/29 〔5/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『長崎県(対馬)対州にて密航鮮人/五名発見さる』 福岡日日 1929/1/25 夕 〔1/2〕 ・長崎 【渡航】 ・『石炭庫内に密航鮮人/横浜から大阪へ』 大阪毎日 1929/1/29 夕 〔2/4〕 大阪・大阪 【社会】 ・『密航支那人失敗して送還/草梁からぬけ出し福岡で上陸禁止』 京城日報 1929/1/30 〔7/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『怪朝鮮少年/密航成功を申立つ(門司)』 門司新報 1929/3/20 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航して内地見物』 京城日報 1929/3/27 〔4/3〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『二十余名の密航鮮人/西唐津で発見』 福岡日日 1929/4/10 夕 〔1/2〕 唐津・佐賀 【渡航】 ・『内地に密航し/送り還さる』 大阪朝日 1929/4/11 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『内地密航を企つ』 大阪朝日 1929/4/11 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『旱害農民の/生血を吸ふ/内地密航の悪周旋業者』 大阪朝日 1929/5/2 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『朝鮮人四十名山口県へ密航/上陸し捕はる』 大阪朝日 1929/5/2 夕 〔2/9〕 豊浦郡・山口 【密航】 ・『内地へ密航/張本人捕る』 京城日報 1929/5/3 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『<全羅南道>命懸けの内地密航/無人島に集り帆船で』 京城日報 1929/5/10 〔4/13〕 木浦・朝鮮 【渡航】 ・『五十余名内地へ密航/仮泊中捕る』 京城日報 1929/5/13 〔3/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人二十六名内地密航/西戸崎を徘徊(粕屋郡志賀島村)』 門司新報 1929/5/14 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『内地密航者/卅名送還さる』 大阪朝日 1929/5/17 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『釜山から密航した挙動不審の二鮮人、きのふ長城丸で水上署員に発見/同署で引続き取調中』 神戸新聞 1929/5/28 〔5/8〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『密航者と/誤られて/福岡県から釜山へ送還さる』 大阪朝日 1929/5/28 南鮮 〔〕 前原・福岡 【渡航】 ・『内地官憲と/協力し/朝鮮人の密航を極力ふせぐ』 大阪朝日 1929/6/4 朝鮮朝日 〔〕 ・日本 【渡航】 ・『鮮人密航者/十五名上陸/糸島海岸に(糸島郡北崎村)』 九州日報 1929/6/25 〔1/7〕 糸島郡・福岡 【渡航】 ・『姪浜海岸に密航鮮人/十八名上る』 福岡日日 1929/6/29 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航専門の怪発動汽船/船長等遂に捕はる』 京城日報 1929/7/8 〔3/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『石炭庫の中の密航者二名/新舞鶴で検挙(島谷汽船大成丸で木浦から敦賀へ密航企図)』 大阪朝日 1929/7/11 京版 〔9/7〕 舞鶴・京都 【渡航】 ・『密航鮮人廿五名山林に潜伏中を取押へらる(遠賀郡島郷村)』 福岡日日 1929/8/4 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『鮮人廿五名の密航団押へらる/妙齢の婦人や社会主義青年/遠賀郡下の海岸で(遠賀郡島郷村)』 九州日報 1929/8/5 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人十四五名捕はる/姪浜海岸で』 九州日報 1929/8/12 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『鮮人十三名密航して捕はる』 福岡日日 1929/8/12 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航者一杯喰ふ』 京城日報 1929/8/31 〔5/1〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航を/企てた一味/十余名検挙』 大阪朝日 1929/8/31 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『内地に密航鮮人検挙』 大阪毎日 1929/8/31 朝鮮 〔9/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『内地密航の/帆船が/時化に遭ひ/全部救はる』 大阪朝日 1929/9/12 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人多数溺死か/内地への密航中遭難す(対馬比田勝沖)』 大阪毎日 1929/9/13 〔7/9〕 上県郡・長崎 【渡航】 ・『遭難の/密航者/送り還さる』 大阪朝日 1929/9/14 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人(神戸へ送還)』 大阪毎日 1929/9/28 神毎 〔9/7〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『密航常習者/出発間際に逮捕』 京城日報 1929/10/5 〔4/2〕 南海郡・朝鮮 【渡航】 ・『内地密航に/飛行機/利用せんとして取押へらる』 大阪朝日 1929/10/24 西北 〔〕 慶州・朝鮮 【渡航】 ・『強ひて罪人にして鮮人少年を保護さす/複雑な家庭の事情から死出の旅の密航哀話』 大阪朝日 1929/11/21 神版 〔9/6〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『密航鮮人少年/船で使ってくれと哀願す』 大阪毎日 1929/11/21 神毎 〔9/7〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『密航鮮人十数名取押へらる(門司市)』 福岡日日 1929/12/25 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航上陸の十三鮮人/それゞゝに斡旋(門司)』 門司新報 1929/12/26 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人十九名西戸崎に上陸し寒さにふるふ(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1929/12/27 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『関釜連絡船で怪しい鮮人/密航を企て逮捕さる』 大阪毎日 1929/12/29 朝鮮 〔9/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『寒風にふるえて鮮人の密航団/叉もブローカーに騙される/発動船で玄海横断(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/1/7 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『内地渡航を望む鮮人を食物にする不正船員/叉も密航団十二名下関に現る/怪発動船の行方を厳重捜索』 福岡日日 1930/1/8 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航卅八名逆戻り』 京城日報 1930/1/9 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航船の行方捜査』 京城日報 1930/1/10 〔4/2〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『卅二名の密航団送還』 京城日報 1930/1/11 〔4/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『二鮮人の密航』 門司新報 1930/1/12 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『西戸崎に密航鮮人/子供を混つて十数名』 九州日報 1930/2/13 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人団十三名を発見(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/2/13 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人八十八名を逮捕/遠賀郡岡垣村に上陸/炭坑方面に潜入(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1930/3/5 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】 ・『又も鮮人密航/けさ、西公園へ三名』 九州日報 1930/3/19 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『多数の密航鮮人/西公園付近から上陸し三十名は検挙さる』 福岡日日 1930/3/19 夕 〔1/4〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『又も西戸崎鮮人密航(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1930/3/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『姪浜にも密航鮮人(早良郡姪浜町)』 福岡日日 1930/3/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航超特作/マストの先端に隠る』 京城日報 1930/5/2 〔4/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『命がけの密航/関釜連絡船の数十尺の/マストによぢ登り』 大阪朝日 1930/5/2 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『<慶尚南道>生血を吸ふ悪ブローカー/内地密航を種にして近く大々的検挙する』 京城日報 1930/5/3 〔4/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『二十八名を密航させて/手数料を取った/三名遂に捕る』 大阪朝日 1930/5/3 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『雑魚寝の密航鮮人/六名門司老松公園に』 九州日報 1930/5/4 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『鮮人九名密航/発動機船に便乗』 門司新報 1930/5/14 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航支那人送還(朝鮮の草梁海岸から門司に上陸)』 京城日報 1930/5/20 〔4/4〕 北九州市門司区・福岡 【渡航】 ・『密航朝鮮人を/船中で脅迫/所持金を全部巻上ぐ/海賊動揺の密航ブローカー』 大阪朝日 1930/5/21 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『潜航、密航斡旋の首犯原田捕はる/一味の蛭子丸船員も悉く検挙さる』 大阪毎日 1930/5/22 朝鮮 〔9/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人発見』 門司新報 1930/6/5 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航を企て/大時化に逢ふ』 大阪朝日 1930/6/17 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人泣く/飲まず食はずに』 福岡日日 1930/8/25 〔1/7〕 ・佐賀 【渡航】 ・『密航労働者を/脅迫の船長らに/それぞれ懲役を求刑』 大阪朝日 1930/10/16 西北 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航の鮮人/七尾で保護さる』 北國 1930/11/19 夕 〔2〕 七尾市・石川 【渡航】 ・『朝鮮人四十三名/内地密航を企つ/漁業会社の船員と詐称/下関入港発見さる』 大阪朝日 1931/2/27 広島 〔〕 下関・山口 【渡航】 ・『四十二名の鮮人密航団/鮮魚運搬船へ潜伏/下関署に発見さる(川尻町で漁業従業のため雇入れて来たものと訂正あり、三月一日付け記事)』 中国 1931/2/27 〔〕下関・山口 【渡航】 ・『四十三名の鮮人密航/下関入港の機帆船にて』 門司新報 1931/2/27 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『男女三十九名が/密航詐欺にかかる/犯人は姿を晦ます』 大阪朝日 1931/3/12 南鮮 〔〕 対馬・長崎 【渡航】 ・『欺かれた鮮人密航団/四日間玄界灘を漂流し厳原で置き去らる』 大阪朝日 1931/3/19 夕 〔2/7〕 長崎・長崎 【密入国】 ・『石炭庫にかくれていた/密航者発見さる/怪しいトランクを所持』 中国 1931/3/25 〔〕 呉・広島 【渡航】 ・『丗名の密航者又朝鮮から/花見酒宴中の騒ぎ(糸島郡北崎村)』 福岡日日 1931/3/31 〔1/3〕 糸島郡・福岡 【渡航】 ・『四十二名の鮮人密航/中には甘い道行きもある』 門司新報 1931/4/1 〔1/5〕 ・山口 【渡航】 ・『密航の朝鮮女に鮮人土工連が暴行/説得する親方等を負傷さす/女房にすると頑張て』 福岡日日 1931/4/10 〔1/3〕 ・佐賀 【社会】 ・『朝鮮人の密航団/一人あたり十五円の料金で/三十二人山口県へ』 中国 1931/4/30 〔〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人四十名の上陸』 門司新報 1931/5/10 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『丗六名の密航鮮人糸島の北崎海岸に上陸/前原署で取調の上送還(糸島郡北崎村)』 福岡日日 1931/5/17 夕 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】 ・『密航の二鮮人』 大阪朝日 1931/5/27 神版 〔9/7〕 神戸・兵庫 【密入国】 ・『密航発見さる』 大阪毎日 1931/5/27 神毎 〔9/5〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『下関署で/密航鮮人/厳重取締る』 大阪朝日 1931/6/13 南鮮 〔〕 下関・山口 【渡航】 ・『朝鮮を本拠に密航の周旋/不正の戸籍謄本を所持した男の口から暴露す』 神戸新聞 1931/6/22 〔7/5〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『全鮮に網を張る密航の大周旋団/内地居住朝鮮人の謄本を盗用/本拠を仁川に置く』 大阪朝日 1931/6/22 神版 〔9/6〕 神戸・兵庫 【密入国】 ・『西戸崎に密航鮮人(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1931/6/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航朝鮮人領事館へ自首(在神戸)』 大阪朝日 1931/7/4 神版 〔9/7〕 神戸・兵庫 【密入国】 ・『密航鮮人二十三名発見さる(早良郡藤島村)』 福岡日日 1931/7/7 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『廿八名の鮮人若松に密航(若松市)』 福岡日日 1931/8/17 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『夫恋ひしさに鮮人密航(糸島郡北崎村)』 九州日報 1931/8/18 〔1/7〕 ・福岡 【渡航】 ・『鮮人の密航』 福岡日日 1931/8/20 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『三日不飲不食の密航二人鮮人(門司)』 門司新報 1931/11/22 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『朝鮮人二十三名密航/糸島へ上陸(糸島郡芥屋村)』 九州日報 1931/12/4 〔1/7〕 糸島郡・福岡 【渡航】 ・『鮮人内地密航団/釜山に送還さる』 大阪朝日 1932/3/3 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『内地密航団/釜山で検挙』 大阪朝日 1932/3/13 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『五十余名の密航鮮人/北崎と志賀島に』 福岡日日 1932/3/29 夕 〔1/2〕 糸島郡、福岡・福岡 【渡航】 ・『朝鮮から十四名発動船で密航/小倉海岸に上陸す(門司)』 門司新報 1932/3/30 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『神天丸に密航者(大阪摂津汽船)』 大阪朝日 1932/4/2 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『密航鮮人二十五名小戸海岸に上陸/九名は行方不明』 福岡日日 1932/4/3 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『又も廿二名の鮮人密航団(門司市)』 福岡日日 1932/4/8 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『鮮人密航者十五名/門司駅で捕はる(門司)』 門司新報 1932/4/9 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『発動船による/内地への密航/最近またも増加す』 大阪朝日 1932/4/12 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『頓に劇増した鮮人の内地密航/一月以降千名に上らん』 門司新報 1932/4/14 〔1/5〕 ・佐賀 【渡航】 ・『朝鮮人の/内地密航/絶滅計画』 大阪朝日 1932/4/26 南鮮 〔〕 ・朝鮮 【渡航】 ・『又も戸畑に鮮人の密航/内三名を門司水上署で逮捕(門司)』 門司新報 1932/4/26 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『最近非常に多い鮮人の内地密航/発見護送された者の外潜入した者もかなり多数(門司市)』 福岡日日 1932/5/13 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『発動船で密航の鮮人十九名/門司市大久保に上陸(門司)』 門司新報 1932/5/13 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『取締上厄介千万な朝鮮人の内地密航/内鮮協力して研究/池田総督府警務局長語る』 福岡日日 1932/5/14 〔1/4〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人四十名/豊浦郡へ上陸』 門司新報 1932/5/15 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『四十名の密航鮮人』 福岡日日 1932/5/16 〔1/3〕 ・山口 【渡航】 ・『またも密航鮮人/不逞の徒の潜入を警戒し福岡県警察部大緊張(糸島郡福吉村)』 福岡日日 1932/5/25 〔1/3〕 ・福岡 【渡航】 ・『八十五名の密航鮮人/門司水陸両署大活動開始(門司)』 門司新報 1932/5/25 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『大仕掛の/密航ブローカー/釜山で検挙される』 大阪朝日 1932/5/28 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人大検挙/昨朝下関両署が』 門司新報 1932/6/3 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『又も密航鮮人十一名神ノ湊海岸に上陸 東郷署に連行取調べ 首謀者二名も逮捕(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1932/6/4 夕 〔1/2〕 宗像・福岡 【渡航】 ・『五人連の鮮人/丗余名の密航一味と判る(門司市)』 福岡日日 1932/6/5 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『また下関へ鮮人密航/一部は逃走す』 門司新報 1932/6/11 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『不穏文書を持った密航鮮人/新韓会幹部からの重要指令/下関署色めく(山口県川中村)』 九州日報 1932/6/12 〔1/7〕 下関・山口 【共産主義】 ・『密航の検挙から鮮人の陰謀暴露/朝鮮独立運動の不穏文書現れ/下関署異常な緊張』 門司新報 1932/6/12 〔1/5〕 下関・山口 【民族運動】 ・『又々九名の密航鮮人(糸島郡野北村)』 福岡日日 1932/6/14 夕 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】 ・『密航団三十余名/釜山で検挙/ブローカー二名も取押へ』 大阪朝日 1932/8/7 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人密航団又も姿を現はす/昨日門司日野海岸に(門司)』 九州日報 1932/8/30 〔1/4〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『鮮人の密航者/時節柄門水署大活動(門司)』 門司新報 1932/8/30 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『「赤手」防御の陣/但馬海岸を警戒/朝鮮方面の密航者に備ふ/警官十名を増派し』 大阪朝日 1932/10/16 神版 〔1/13〕 城崎郡・兵庫 【警戒】 ・『下関方面に続々鮮人密航す/陸軍大演習を前に/愈よ警戒を固む』 福岡日日 1932/11/1 〔1/3〕 下関・山口 【警備】 ・『大演習を機に鮮人不穏計画/発動機船で密航下関署に挙らる』 九州日報 1932/11/5 〔1/7〕 下関・山口 【警備】 ・『密航鮮人取押表彰(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1932/11/13 〔1/7〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『労働者の/内地密航/を企て一味検挙さる』 大阪朝日 1933/1/20 南鮮 〔〕 馬山・朝鮮 【渡航】 ・『証明書を偽造/鮮人の密航』 門司新報 1933/2/3 〔1/5〕 下関・福岡 【渡航】 ・『大規模な内地密航/釜山で捕はる』 大阪毎日 1933/2/5 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人三名発見送還さる/他の一味を捜査中』 福岡日日 1933/2/10 夕 〔1/2〕 下関・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人の方割れ捕はる/門司水上署員に(門司)』 門司新報 1933/2/10 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『十六名の密航鮮人/五名発見送還される(糸島郡加布里村)』 福岡日日 1933/2/21 夕 〔1/2〕 前原・福岡 【渡航】 ・『神ノ湊に密航鮮人/十九名上陸(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1933/3/16 〔1/3〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『夜雨を衝いて密航鮮人/大捕物の幕』 福岡日日 1933/3/28 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人三十名/又も糸島へ上陸(糸島郡加布里村)』 福岡日日 1933/3/29 夕 〔1/2〕 前原・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人送還(糸島郡前原町)』 九州日報 1933/3/30 〔1/7〕 前原・福岡 【犯罪】 ・『密航者満載の/怪船捕はる/僅か十五トンの小舟に/密航者六十六名潜伏(福岡へ)』 大阪朝日 1933/4/5 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航を企て難破す』 大阪毎日 1933/4/9 朝鮮 〔5/5〕 浦項・朝鮮 【渡航】 ・『警戒網を潜る密航鮮人/門司水上署手配(門司市)』 福岡日日 1933/4/10 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人逮捕』 福岡日日 1933/4/12 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】 ・『子供も交つて十三名が密航/下関署に一網打尽』 門司新報 1933/4/13 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『朝鮮人の密航周旋/二人共謀して手数料をとる』 大阪毎日 1933/4/17 西部 〔7/13〕 宇部・山口 【渡航】 ・『二鮮人密航』 大阪毎日 1933/4/17 西部 〔7/13〕 唐津・佐賀 【渡航】 ・『下関にも密航鮮人現はる(山口県川中村)』 九州日報 1933/4/22 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『またも鮮人の密航/糸島海岸に上陸(糸島郡芥屋村)』 九州日報 1933/4/22 夕 〔1/2〕 糸島郡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1933/4/22 〔1/3〕 糸島郡・福岡 【渡航】 ・『八名の密航/釜山で逮捕』 大阪毎日 1933/4/30 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人十二名』 福岡日日 1933/4/30 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人/十一名中一名逮捕』 福岡日日 1933/5/10 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『廿三名の密航鮮人逮捕』 福岡日日 1933/5/13 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】 ・『またも密航鮮人/けさ西戸崎にて十五名取押へらる(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1933/5/24 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『又復密航鮮人』 福岡日日 1933/5/31 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】 ・『またも密航鮮人(若松市)』 福岡日日 1933/6/7 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『四十余名の大密航/釜山で検挙』 大阪毎日 1933/6/10 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人四名/吉隈坑で逮捕』 大阪毎日 1933/6/11 西部 〔6/6〕 嘉穂郡桂川町・ 【渡航】 ・『鮮人十七名またも密航』 福岡日日 1933/7/11 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『鮮人の密航』 門司新報 1933/7/12 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『六百円を盗んで靴の下にかくして密航』 福岡日日 1933/7/16 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航ブローカー二名検挙さる』 大阪毎日 1933/8/27 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『赤の密航、新潟港で監視』 社会運動通信 1933/9/16 〔2/5〕 新潟・新潟 【治安】 ・『十数名の鮮人密航』 福岡日日 1933/10/4 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】 ・『下関に密航鮮人』 門司新報 1933/11/2 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『釜山から釜山へ/喜劇“内地密航”/一人十五円宛絞られ/馬鹿を見た十一名』 大阪毎日 1933/11/24 朝鮮 〔?/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航団三十一名/ブローカー四名も検挙』 大阪朝日 1933/11/28 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人をつんだ怪発動機船(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1933/12/7 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『炭坑景気を慕ひ/鮮人密航最近相つぐ(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1933/12/22 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『又も密航鮮人』 福岡日日 1933/12/30 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『 「景気」に釣られた鮮人五十名/密航して捕はれすぐさま送還(宗像郡岬村)』 福岡日日 1934/1/16 〔1/3〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人の上陸を厳重監視/前原署の取締(糸島郡芥屋村)』 福岡日日 1934/1/19 〔1/3〕 糸島郡・福岡 【警備】 ・『三十名中の密航鮮人六名/門司で検挙』 福岡日日 1934/1/26 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『鮮人の密航/二十二名補る』 九州日報 1934/3/3 〔1/7〕 ・佐賀 【渡航】 ・『朝鮮人の密航者/各方面へ潜入/済州島で手数料をとり斡旋/中の四名は検挙さる(岩白石粉工場)』 芸備日日 1934/3/4 〔〕 木江・広島 【渡航】 ・『密航珍風景/門司に辿りついた七勇士?』 大阪毎日 1934/3/4 朝鮮 〔5/9〕 北九州市門司区・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人三名/木ノ江町で発見された(岩白石粉工場)』 中国 1934/3/4 〔〕 木江・広島 【渡航】 ・『十円廿円で鮮人に密航周旋/主魁下関署に捕はる』 門司新報 1934/3/20 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『糸島今津海岸に密航鮮人八名(糸島郡今津村)』 福岡日日 1934/3/21 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『警官も舌を巻いた/新手の密航法/ナンセンス偽狂人』 大阪毎日 1934/3/22 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航の青年、朝鮮から二名』 大阪朝日 1934/3/31 神版 〔4/19〕 神戸・兵庫 【密入国】 ・『六十名の密航団/渡航料一人四円づゝ徴収して出帆の間際検挙さる』 大阪毎日 1934/4/1 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『丗余名の鮮人が密航/下関で検挙』 門司新報 1934/4/10 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『宇部に密航鮮人』 九州日報 1934/4/18 〔1/7〕 宇部・山口 【渡航】 ・『間一髪/取押へた密航者百名/赤崎半島から内地へ』 大阪朝日 1934/4/18 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『またも下関へ鮮人が密航す』 門司新報 1934/4/18 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航首謀者/海中に姿を晦す/寸前警官隊に追はれ/密航料を握ったまま』 大阪朝日 1934/4/20 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航ブローカー/検挙が端緒に/釜山署警官不正事件』 大阪朝日 1934/5/10 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『一人十円で朝鮮人の密航/下関に上陸して発見』 門司新報 1934/5/13 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人か/阿品海岸へ発動船/十数名夜陰に上陸』 中国 1934/5/16 〔〕 廿日市・広島 【渡航】 ・『朝鮮の大密航団/広島県特高課と加計署が/検挙に大活動を開始(下山発電所の間組飯場)』 中国 1934/5/18 〔〕 ・広島 【渡航】 ・『五十名の密航者/発見され逃走』 大阪毎日 1934/5/24 朝鮮 〔5/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『またも鮮人が下関に密航』 門司新報 1934/5/24 〔1/5〕 下関・福岡 【渡航】 ・『下関市外に鮮人の密航頻々/六十余名を検挙』 福岡日日 1934/6/2 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『一人十円で密航の斡旋/門司で主魁御用(門司)』 門司新報 1934/6/7 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『着流しの朝鮮人/何と堂々と密航/気狂ひを装ふ手もある/“釜山ケ関”の富樫も顔負け』 大阪毎日 1934/6/21 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『五十名の密航団/部落民の応援で遂に逮捕』 大阪朝日 1934/6/26 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航者を世話し航海中に巻上ぐ/恐ろしいブローカー逮捕さる』 大阪毎日 1934/6/27 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『六十余名の/密航団捕る/漕ぎ寄せた密航船長/ブローカーら四名も』 大阪朝日 1934/6/30 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航ブローカー/またも検挙』 大阪朝日 1934/7/5 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『内地人に化け鮮人が密航』 門司新報 1934/7/10 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人六名検挙さる(門司市)』 福岡日日 1934/7/30 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航の鮮人四十名上陸/広島方面に潜入の形跡/門司では二人を逮捕(門司)』 門司新報 1934/7/30 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人上陸』 門司新報 1934/8/2 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航者泣かせのブローカの一団/一味十名逮捕さる』 大阪毎日 1934/8/3 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人三十名上陸』 門司新報 1934/8/21 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人発見』 門司新報 1934/8/26 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『臭ひ密航(門司)』 門司新報 1934/8/26 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『八幡へ密航鮮人(八幡)』 門司新報 1934/8/30 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『門司和布刈へ鮮人が密航/門司署憲兵隊で十九名逮捕/逃亡者目下捜査中(門司)』 門司新報 1934/9/2 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航者送還(下関の彦島より)』 大阪朝日 1934/9/28 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『慰問金を割き密航料を払ふ/下関で発見された三十二名連絡船で送還さる』 大阪毎日 1934/9/28 朝鮮 〔5/7〕 下関・朝鮮 【渡航】 ・『密航の阻止にブローカー掃蕩/水害罹災者を口車に乗せて絞り取る奸策』 大阪毎日 1934/10/7 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航ブローカー/大征伐に着手/跋扈いよいよ甚だし』 大阪朝日 1934/10/20 南鮮 〔〕 ・朝鮮 【渡航】 ・『卅余名密航談/またも捕る』 大阪朝日 1934/10/24 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『月明の海上で密航船捕り物陣/三十余名を逮捕』 大阪毎日 1934/10/25 朝鮮 〔5/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人の密航/志賀島に二十九名上陸(粕屋郡志賀島村)』 九州日報 1934/11/2 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航船転覆し三十余名溺死/三トンの帆船に六十余名/玄界灘闇夜の風浪で』 大阪朝日 1934/11/21 夕 〔2/5〕 釜山・朝鮮 【密航】 ・『密航の朝鮮人三十余名溺死/遭難曳船中に沈没』 大阪毎日 1934/11/21 夕 〔2/1〕 釜山・朝鮮 【社会】 ・『憧れの内地へ、が生む密航の悲劇/玄海を越える月百名の潜航者/頭を悩ます取締当局』 大阪毎日 1934/11/22 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『広島市を中心に鮮人大量の密航/県特高課、俄然動き/昨夜首魁ら一斉検挙』 芸備日日 1934/11/29 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『無知を利用し/種々な奸策/阻止する当局の眼を逃れて/鮮人密航事件余聞』 芸備日日 1934/11/29 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『朝鮮からの密航者/首魁等百八十名検挙/県特高東西両署特高課/昨夜から今暁への大捕物』 呉日日 1934/11/29 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『首魁遂に捕る/多数を内地に密航させた大掛り鮮人密航団』 神戸又新日報 1934/11/29 〔7/7〕 広島・広島 【渡航】 ・『県下に上陸した/多数の密航朝鮮人/下関で借りた発動機船に/百五十名乗せて玖波港へ(大竹海岸埋立工事や可部鉄道工事場)』 大阪朝日 1934/11/29 広島 〔〕 広島・広島【渡航】 ・『鮮人密航団へ/一斉に大手入れ/広島県警察部が/県下各警察署を督励(大竹海岸埋立工事や可部鉄道工事場)』 中国 1934/11/29 〔〕 広島・広島【渡航】 ・『汽船を傭ひ切って/鮮人の大密航/金を巻きあげ素裸かにし/トラックで工事場へ売る』 中国日報 1934/11/29 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『鮮人を密航させ濡手に粟の儲け/六名が共謀して広島に多数潜入さす』 福岡日日 1934/11/29 〔1/3〕 ・広島 【渡航】 ・『二百名の大量密航/広島県へ鮮人が潜入』 門司新報 1934/11/29 〔1/5〕 ・広島 【渡航】 ・『広島県下密航鮮人/引続き検挙/今後徹底的取締り』 芸備日日 1934/11/30 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『密航者の取調/各飯場を捜査(可部線)』 大阪朝日 1934/11/30 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『本県にも張る/密航警戒網/先づ漁業組合と連絡』 大阪朝日 1934/11/30 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『海上にも怖い目/内地密航者を徹底的に取締る/警察網も大に拡充』 大阪毎日 1934/11/30 朝鮮 〔5/3〕 ソウル(京城)・朝鮮 【渡航】 ・『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1934/11/30 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『見張が厳重で/密航者広島へ転向/福岡山口両県へ見切りをつけて/県当局密航防止に大童は』 呉日日 1934/12/1 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『密航鮮人の第二次検挙/更に十三名を発見/可部署は満員すし詰(可部線)』 芸備日日 1934/12/2 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『またまた密航鮮人/十四名を検挙/安佐郡飯室付近で/なほ数十名もゐる(可部線)』 中国 1934/12/2 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『密航鮮人五十数名を/第一次に送還/警官十数名を乗り込ませ/七日に広島港出帆』 中国 1934/12/4 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『密航鮮人の/第二次検挙/更に十三名を発見(可部線工事場)』 中国日報 1934/12/4 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『モダーン留置場/いよいよ店開き/最初のお客さんは密航鮮人(可部線)』 芸備日日 1934/12/5 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『慌てちゃいけない/便器で洗面/モダン留置場に入れられ/大喜びの密航朝鮮人(可部線)』 大阪朝日 1934/12/5 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『県庁留置場へ/いと賑々しく初のお客様/例の鮮人密航団』 中国 1934/12/5 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『密航鮮人五十名/先づ故国へ送還/更に全面的に検挙』 中国日報 1934/12/5 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『門司雨ヶ窪へ密航鮮人上陸/何れも悪船頭に欺されて(門司)』 門司新報 1934/12/5 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航者送還』 大阪朝日 1934/12/7 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『とてもものものしい/密航鮮人の送還/警護の警察官へは/拳銃も携帯さして』 中国 1934/12/7 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『帰りは大っぴらに/ピストル警官隊に護られて/密航鮮人団の送還』 中国 1934/12/8 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『物々しく警戒/密航鮮人送還/拳銃も携帯さして/船内の暴動化をも』 中国日報 1934/12/8 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『内地密航送還さる/高興の五十七名』 大阪毎日 1934/12/11 朝鮮 〔5/10〕 高興・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人四十名密航/若松に上陸』 九州日報 1934/12/12 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『若松築港へ密航鮮人(若松)』 門司新報 1934/12/12 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『下関市外へ密航鮮人』 門司新報 1934/12/13 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『二度目の密航/香川県の発動船』 大阪朝日 1934/12/16 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『密航鮮人下関市外へ上陸』 門司新報 1934/12/19 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『四十四名の鮮人密航(小倉市)』 福岡日日 1934/12/27 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『貨物船に隠れて/朝鮮青年の密航/吉浦に入港検閲中に発見/身柄を大阪税関に』 中国日報 1935/1/19 〔〕 呉・広島 【渡航】 ・『今津海岸に密航鮮人(糸島郡今津村)』 福岡日日 1935/2/14 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人捕る/頻りに暗躍』 神戸新聞 1935/2/16 〔6/8〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『又も密航/ブローカー捕る』 大阪毎日 1935/2/28 朝鮮 〔7/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人又も密航』 福岡日日 1935/3/1 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人西公園下に上陸』 福岡日日 1935/3/6 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人/三田尻署へ』 中国 1935/3/10 〔〕 三田尻・山口 【渡航】 ・『密航鮮人に/光る鋭い眼/思想的黒幕あるか』 中国日報 1935/3/11 〔〕 広島・広島 【警備】 ・『発動機船満載の/密航団捕はる/釜山水陸両署の活動』 大阪朝日 1935/3/20 南鮮 〔〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『またまた大懸りな/密航鮮人募集計画/検挙に大活動開始』 中国 1935/3/24 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『又も密航鮮人』 福岡日日 1935/3/24 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航の土方(帝国人絹三原工場建設)』 中国 1935/3/25 〔〕 三原・広島 【渡航】 ・『大規模な鮮民の/団体密航計画暴露/危機一髪宇品署に検挙さる』 芸備日日 1935/3/27 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『大規模な鮮民の/団体密航計画暴露/危機一髪宇品署に検挙さる/驚くべきその全貌』 中国日報 1935/3/28 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『性懲りなき密航鮮人』 福岡日日 1935/3/28 夕 〔1/2〕 ・福岡、佐賀、長崎 【渡航】 ・『三日間一食もせず/密航鮮人丗名芦屋で捕はる(遠賀郡芦屋町)』 福岡日日 1935/3/29 夕 〔1/2〕 遠賀郡・福岡 【渡航】 ・『悪ブローカーを厳重に監視/当局の密航者取締』 大阪毎日 1935/4/14 朝鮮 〔5/6〕 ソウル(京城)・朝鮮 【渡航】 ・『姪浜小戸海岸に密航鮮人上陸』 福岡日日 1935/4/21 〔1/3〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人』 中国 1935/4/22 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『海のギャング/十四名を密航させる途中短刀を揮ひ裸にす』 大阪朝日 1935/5/1 〔11/8〕 対馬・長崎 【密航】 ・『出帆後気づく密航者の取締り/警備船新造を申請』 大阪毎日 1935/6/7 朝鮮 〔5/4〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『警察の名で偽電/鮮人が密航企つ(林田)』 大阪毎日 1935/6/13 神版 〔8/13〕 神戸・兵庫 【密入国】 ・『鮮人の密航/門司を徘徊(門司)』 九州日報 1935/6/17 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『映画もどきで密航者を逮捕/豪勢な主謀者』 大阪毎日 1935/7/11 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『六銭で密航』 大阪毎日 1935/7/21 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『糸島海岸に密航鮮人(糸島郡北崎村)』 福岡日日 1935/8/6 〔1/7〕 ・福岡 【渡航】 ・『またゝゝ密航鮮人/ 釜山署から門水署へ手配(門司市)』 福岡日日 1935/8/15 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『他人の戸籍謄本を用ゐて密航/鮮人渡来の裏面に怪しい事情の者が多い』 福岡日日 1935/8/24 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『廿名の密航鮮人/釜山の密航団本部から九州へ 時節柄重大視さる(門司)』 九州日報 1935/9/7 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人四十数名/下水署に捕はる』 門司新報 1935/10/20 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人四十三名/一斉に逮捕(山口県川中村)』 九州日報 1935/10/21 〔1/7〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人五十名』 福岡日日 1935/10/22 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『鮮人の密航』 九州日報 1935/11/5 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『「妻が見たい」/哀号・哀号/密航男還さる』 大阪朝日 1935/12/7 広島 〔〕 尾道・広島 【渡航】 ・『女房恋しさに密航/貨物船に潜伏中発見』 中国 1935/12/7 広島 〔〕 尾道・広島 【渡航】 ・『密航朝鮮人/宇品署の取調べで/大胆な組織判明』 大阪朝日 1936/1/23 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『鮮人密航団発覚/ブローカーが全鮮に散在/宇品署が手配活動』 中国 1936/1/23 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『鮮人の内地密航/又増加の傾向/ブローカーの手で至極巧妙/一名宇品署員に捕る』 呉日日 1936/1/24 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『両県下に潜在する/鮮人の大密航団/陰に踊るブローカーの魔手/宇品署活動を開始』 中国日報 1936/1/24 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『大掛りの密航鮮人/広島県下で発覚』 福岡日日 1936/1/24 夕 〔1/2〕 ・広島 【渡航】 ・『小倉に密航鮮人』 九州日報 1936/3/4 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人/門司で五名逮捕(門司)』 九州日報 1936/3/9 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人捕る/大里松原海岸で/七名逮捕十三名逃亡(門司)』 門司新報 1936/3/9 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『大掛りの鮮人密航/約八十名が上陸四十八名を門司署で補ふ(門司)』 九州日報 1936/3/15 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『四十七名の密航鮮人門司で捕はる』 福岡日日 1936/3/15 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『厳戒を潜り大挙密航鮮人/和布刈に七十名上陸(門司)』 門司新報 1936/3/15 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人と判る』 福岡日日 1936/3/20 〔1/7〕 ・大分 【渡航】 ・『密航朝鮮少年/水上署に保護』 神戸新聞 1936/3/26 〔6/8〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『大久保海岸に密航鮮人/一名だけ捕る(門司)』 門司新報 1936/4/19 〔1/3〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『又も密航鮮人』 福岡日日 1936/4/20 〔1/7〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航者の水先案内/鮮人二名を京で取押ふ(東九条上殿田町、玄海灘の密航船に関与)』 京都日出 1936/4/22 〔〕 京都南区・京都 【渡航】 ・『百余名の密航を企つ/発動船を借つて』 大阪毎日 1936/4/25 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人二十七名』 福岡日日 1936/4/25 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人丗名の内四名だけ捕はる/下関署で厳探開始』 門司新報 1936/4/28 〔1/3〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人(門司市)』 福岡日日 1936/5/5 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人丗名香椎に上陸/二名は門司で取押へらる(粕屋郡香椎村)』 福岡日日 1936/5/31 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『釜山へ巧みに連絡/密航鮮人の媒介/発動機船の両船長が結託/一人十円乃至十五円で』 中国 1936/6/6 〔〕 下関・山口 【渡航】 ・『鮮人密航船/海上で拿捕(門司)』 九州日報 1936/6/7 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『無燈火発動船/果して密航鮮人積載/門司港内で拿捕さる(門司)』 門司新報 1936/6/7 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人取締/関門両水署対策協議』 門司新報 1936/6/9 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『救命ボートに/潜んで密航/はるびん丸の怪青年』 大阪朝日 1936/6/14 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『密航ブローカーは船員の留守宅荒し』 大阪毎日 1936/7/21 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航者検挙』 大阪毎日 1936/7/30 朝鮮 〔5/1〕 釜山(東莱)・朝鮮 【渡航】 ・『半島の密航少年/広島駅前で検挙/他にも数名県下へ潜入』 中国 1936/8/14 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『数年間捜し廻つた密航ブローカー/隠れ家で逮捕さる』 大阪毎日 1936/9/13 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人の一味数名/宇品署へ検挙/思想的背景も追及(錦華人絹工事場)』 中国 1936/9/18 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『数年間に二千人世話し一万数千円を捲あぐ/十人の妾をもち住所を転々/密航ブローカーの巨頭、犯行自白』 大阪毎日 1936/9/26 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人又も志賀島へ(糟屋郡志賀島村)』 福岡日日 1936/9/30 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航ブローカーで二万数千円捲あぐ/釜山水上署が検挙』 大阪毎日 1936/10/23 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人密航ブローカーの一味を捕ふ/思想犯人として手配中の者/宇品署警官に即賞』 芸備日日 1936/10/31 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『朝鮮人密航の/首魁逮捕/宇品署の手柄』 中国 1936/10/31 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『朝鮮から密航』 中国日報 1936/11/1 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『徘徊中の密航鮮人』 門司新報 1936/12/5 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『鮮人の密航周旋発覚』 九州日報 1936/12/18 〔1/7〕 直方・福岡 【渡航】 ・『冷雨を衝いて鮮人六十名密航/彦島田ノ首海岸へ上陸』 門司新報 1936/12/23 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『半島人密航団/宇部に上陸か/下関港では二十名位いが上陸/目下厳重行方捜査中』 芸備日日 1936/12/24 〔〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人逮捕(若松)』 九州日報 1936/12/26 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人十三名を検挙(若松市)』 福岡日日 1936/12/26 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人(遠賀郡遠賀村)』 九州日報 1936/12/27 〔1/7〕 遠賀郡・福岡 【渡航】 ・『下関市外海岸へ/多数の密航鮮人!/正月の手薄に乗じて混れ込み/十二名を逮捕、残る一味厳探』 中国 1937/1/5 〔〕 下関・山口 【渡航】 ・『内地密航団八十名検挙/長崎県下で』 大阪毎日 1937/1/7 朝鮮 〔5/10〕 松浦・長崎 【渡航】 ・『七十余名の鮮人が密航』 福岡日日 1937/1/9 〔1/7〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人の一名/広島で逮捕/盛り場徘徊中宇品署員に』 中国 1937/1/14 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『密航ブローカー一味を検挙/前科数犯の強者のみ』 大阪毎日 1937/1/17 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『門司に密航鮮人(門司)』 九州日報 1937/1/23 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『大量の密航鮮人/和布刈天ヶ窪に上陸(門司)』 門司新報 1937/1/23 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航を企つ/資産家の息子』 大阪毎日 1937/2/6 朝鮮 〔5/10〕 大邱・朝鮮 【渡航】 ・『四十五名の密航鮮人(宗像郡津屋崎村)』 福岡日日 1937/2/24 夕 〔1/2〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『数十名の鮮人を堂々と密航さす/宇部署に十数名引致して極秘裡に取調ぶ』 福岡日日 1937/2/24 〔1/7〕 ・佐賀 【渡航】 ・『佐渡航許可証を偽造/密航鮮人に売る/森永巡査懲戒処分に付さる/佐賀県警察界の不祥事』 福岡日日 1937/2/28 夕 〔1/2〕 ・佐賀 【渡航】 ・『警官に応援の二人帰途袋叩きに逢ふ/彦島本村鮮人飯場の密航鮮人/下水署で厳重取調べ』 門司新報 1937/3/9 〔1/5〕 下関・山口 【喧嘩】 ・『鮮人密航船/門司に上陸(門司)』 九州日報 1937/3/11 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人逮捕/田地を売つてきた農夫たち/田野浦海岸へ上陸(門司)』 門司新報 1937/3/11 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航の半島人/広島で発見/炭鉱生活に耐えず九州から潜入』 中国 1937/3/12 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『密航鮮人捕はる』 福岡日日 1937/3/18 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人(若松市)』 福岡日日 1937/3/24 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航者二名発見』 大阪毎日 1937/3/25 朝鮮 〔5/10〕 上県郡上対馬町・長崎 【渡航】 ・『密航鮮人(京都郡行橋町)』 九州日報 1937/3/26 〔1/7〕 行橋・福岡 【渡航】 ・『密航船検挙』 大阪毎日 1937/3/30 朝鮮 〔5/5〕 釜山(東莱)・朝鮮 【渡航】 ・『深夜の若松へ密航鮮人群上陸/水陸より包囲されその儘逃走(若松)』 門司新報 1937/3/31 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人相手の不良団(門司市)』 福岡日日 1937/4/6 〔1/7〕 北九州・福岡 【社会】 ・『密航の癩病鮮人? 三十八名中二十名を検挙/十八名は上陸逃走(門司)』 門司新報 1937/4/6 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『対馬に密航鮮人ブローカー(門司市)』 福岡日日 1937/4/7 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航団検挙』 大阪毎日 1937/4/8 朝鮮 〔5/10〕 釜山(東莱)・朝鮮 【渡航】 ・『山に逃込んだ密航鮮人/山狩りして引捕ふ(門司市)』 福岡日日 1937/4/21 夕 〔1/2〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『喜多久海岸に密航鮮人三十名/天然痘続発の折柄重大視/逃走者を厳重に捜索(門司)』 門司新報 1937/4/21 〔1/5〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『鮮人密航(門司市)』 福岡日日 1937/4/22 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人(小倉)』 九州日報 1937/5/1 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『入学証を購入/新手密航鮮人』 門司新報 1937/5/12 〔1/5〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航鮮人一網打尽』 福岡日日 1937/5/20 〔1/7〕 ・山口 【渡航】 ・『二組の密航団/一味六十名検挙』 大阪毎日 1937/6/8 朝鮮 〔5/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航(江波町埋立工事人夫)』 中国 1937/7/1 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『六十名の密航鮮人/廿名は行方不明(宗像郡岬村)』 福岡日日 1937/8/31 夕 〔1/2〕 ・福岡 【渡航】 ・『十八名の密航鮮人/東郷署と折尾署で取押へ(宗像郡岬村)』 福岡日日 1937/9/17 〔1/5〕 ・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人博多湾へ/十一名捕はる(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1937/11/2 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人盗む』 福岡日日 1937/11/20 〔1/7〕 福岡・福岡 【社会】 ・『大密航団検挙/ブローカー五名と外に六十六名』 大阪毎日 1937/12/18 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人大量送還』 大阪毎日 1937/12/21 朝鮮 〔3/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『四百廿余名の密航鮮人/内地へ続々と侵入』 福岡日日 1938/1/30 〔1/2〕 ・福岡 【渡航】 ・『鮮人密航団/西戸崎に大挙上陸(粕屋郡志賀島村)』 九州日報 1938/2/17 夕 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『レプラ患者の密航鮮人団/奈多海岸より上陸(粕屋郡和白村)』 福岡日日 1938/2/17 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『鮮人七十二名西戸崎に密航(粕屋郡志賀島村)』 九州日報 1938/3/3 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『福岡沿岸に密航鮮人頻々/ブローカーと連絡/本年に入つて五百名』 福岡日日 1938/3/3 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『また密航鮮人/西戸崎で六十五名逮捕』 福岡日日 1938/3/3 〔1/2〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人百七十/姪濱小戸海岸に上陸』 九州日報 1938/3/15 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航者送還』 大阪毎日 1938/3/17 朝鮮 〔3/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航ブローカー/一味五名を逮捕/風を食つて首魁逃走』 大阪毎日 1938/3/20 朝鮮 〔3/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航団検挙/殺人の前科者ら/ブローカー七名を逮捕』 大阪毎日 1938/3/27 朝鮮 〔5/5〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人四十名西戸崎に上陸(粕屋郡志賀島村)』 福岡日日 1938/3/29 〔1/7〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『密航者に化け密航船を検挙/船上の大活劇』 大阪毎日 1938/4/3 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『四十数名の密航鮮人(粕屋郡和田村)』 九州日報 1938/4/30 夕 〔1/2〕 糟屋郡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人団上陸/トラック運転手の気転で大半は逮捕される(遠賀郡水巻村)』 福岡日日 1938/5/2 〔1/5〕 遠賀郡・福岡 【渡航】 ・『密航者送還』 大阪毎日 1938/5/14 朝鮮 〔?/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『変装して乗込み/密航一味七十一名を逮捕/海中に飛入るものさへあつて/映画さながらの活劇』 大阪毎日 1938/5/18 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人の内地密航あの手この手/驚くべき大胆な玄海突破や九ヶ月苦心の方法』 神戸新聞 1938/5/21 〔7/6〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『半島少年が密航』 大阪毎日 1938/5/21 神版 〔12/13〕 神戸・兵庫 【密入国】 ・『意外、密航船は行方不明中の第二照丸と判明/船長らの悪事暴露』 大阪毎日 1938/5/25 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『半島少年仏国への密航を自白』 神戸新聞 1938/5/29 〔7/11〕 神戸・兵庫 【社会】 ・『密航一味逮捕』 大阪毎日 1938/6/1 朝鮮 〔?/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『警官隊が乗込み密航船内で大格闘/船は沈没、百余名の密航者警備船に救はる』 大阪毎日 1938/6/8 朝鮮 〔5/8〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航ブローカー/大物が殆ど捕はる/大掛りな密航根を断つ?』 大阪毎日 1938/6/10 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『鮮人十五名が小倉へ密航(小倉市)』 福岡日日 1938/7/24 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航団捕る』 大阪毎日 1938/7/30 朝鮮 〔5/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人六十名/八幡署に捕る』 九州日報 1938/8/18 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人団四十二名 悉く逮捕さる(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/8/26 〔1/7〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『・こ奴怪しい・六感的中/果して密航半島人!/海田市署の槍玉へ』 中国 1938/9/1 〔〕 海田・広島 【渡航】 ・『鮮人百名密航(小倉)』 九州日報 1938/9/9 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航団検挙』 大阪毎日 1938/9/22 朝鮮 〔6/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人仲介首魁捕はる/苦心の折尾署に凱歌(門司)』 九州日報 1938/10/14 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人の一味捕はる(門司市)』 福岡日日 1938/10/27 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航船座礁 半島人六十名を乗せた儘/船長は逸早く逃走(若松)』 九州日報 1938/12/5 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人唐津大島に』 福岡日日 1938/12/6 夕 〔1/2〕 唐津・佐賀 【渡航】 ・『又も密航鮮人(小倉)』 九州日報 1938/12/13 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航の半島人』 大阪朝日 1938/12/15 広島 〔〕 広島・広島 【渡航】 ・『神湊に密航半島人(宗像郡神湊町)』 九州日報 1938/12/17 〔1/7〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人丗一名一網打尽に(宗像郡神湊町)』 福岡日日 1938/12/17 〔1/5〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『密航鮮人上陸を企つ(宗像郡津屋崎町)』 九州日報 1938/12/20 夕 〔1/2〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『津屋崎沖に不敵な密航船/鮮人十八名を逮捕す(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1938/12/20 〔1/5〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『又も密航鮮人/怪船行方を晦ます』 福岡日日 1938/12/21 〔1/2〕 ・佐賀 【渡航】 ・『密航船検挙』 大阪毎日 1938/12/3(?) 朝鮮 〔?/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『五百人を密航させ五千円を捲あぐ/密航船坐礁、船長逃走』 大阪毎日 1939/1/21 朝鮮 〔5/9〕 北九州市若松区・福岡 【渡航】 ・『持てあます密航鮮人(南田平海岸に208名上陸)』 大阪毎日 1939/1/22 長崎 〔5/12〕 北松浦郡・長崎 【渡航】 ・『密航料詐取/袋叩きに廿余名を欺く』 大阪毎日 1939/1/25 朝鮮 〔?/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『九十余名の鮮人が密航/五十余名を検挙す(宗像郡岬村)』 福岡日日 1939/2/3 〔1/7〕 ・福岡 【渡航】 ・『密航団検挙』 大阪毎日 1939/2/7 朝鮮 〔?/12〕 釜山(東莱)・朝鮮 【渡航】 ・『海上時余の猛追撃/鈴なりの密航船捕る(103名)』 大阪毎日 1939/2/11 北九州 〔5/10〕 小倉・福岡 【渡航】 ・『五千人を密航さす常習ブローカー(昭和9年ころより5000名)』 大阪毎日 1939/2/11 北九州 〔5/11〕 小倉・福岡 【犯罪】 ・『密航半島人二名/倉橋島村で検挙す/発動機船で二十五名潜入/一味検挙に着手』 呉日日 1939/2/12 〔〕 倉橋・広島 【渡航】 ・『半島から密航船/倉橋島方面へ出現』 芸備日日 1939/2/13 〔〕 倉橋・広島 【渡航】 ・『半島人密航団か/怪機船倉橋島に出没/呉、江田島署が厳重捜査中』 中国日報 1939/2/13 〔〕 倉橋・広島 【渡航】 ・『密航鮮人使役/関係者を調ぶ(戸畑市)』 福岡日日 1939/2/13 〔1/7〕 北九州・福岡 【労働】 ・『密航半島人/戸畑署で取調べ(60名検束)』 大阪毎日 1939/2/13 全九州 〔5/7〕 戸畑・福岡 【渡航】 ・『密航者逮捕』 大阪毎日 1939/3/9 朝鮮 〔5/12〕 釜山(東莱)・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人逮捕(28名)』 大阪毎日 1939/3/15 大分 〔5/12〕 北海部郡・大分 【渡航】 ・『密航半島人を検挙/船長以下廿五名を一網打尽/唐津署で連累者取調べ』 大阪毎日 1939/3/18 佐賀 〔5/7〕 唐津・佐賀 【渡航】 ・『海上活劇演じ密航発動船拿捕/平戸署殊勲の大捕物(今まで一千余名上陸)』 大阪毎日 1939/4/12 長崎 〔5/10〕 北松浦郡・長崎 【渡航】 ・『密航半島人の激増/きのふ五十余名姿を晦す/今春すでに二百五十名(唐津署)』 大阪毎日 1939/4/28 佐賀 〔5/7〕 東松浦郡・佐賀 【渡航】 ・『密航者根絶に/五十余名検挙(唐津署)』 大阪毎日 1939/4/30 佐賀 〔5/12〕 東松浦郡・佐賀 【渡航】 ・『密航の半島人高鍋署に引致(児湯郡木城村小丸川県営電気工事場人夫)』 大阪毎日 1939/5/6 宮崎 〔5/12〕 高鍋・宮崎 【渡航】 ・『密航者丗八名八幡で捕はる(八幡市)』 福岡日日 1939/5/18 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『密航半島人(糸島郡野北村)』 福岡日日 1939/5/20 〔1/5〕 糸島郡・福岡 【渡航】 ・『密航六十名を一人で逮捕/腕きゝの金刑事』 大阪毎日 1939/5/27 朝鮮 〔5/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航を仲介/不届きな船長逮捕さる』 大阪毎日 1939/5/31 山口 〔5/11〕 下関・山口 【犯罪】 ・『密航半島人遠賀へ十九名(遠賀郡岡垣村)』 福岡日日 1939/6/5 〔1/7〕 遠賀郡・福岡 【渡航】 ・『六十名を乗せ密航船漂流/救助、送還さる(比田勝)』 大阪毎日 1939/6/7 朝鮮 〔5/12〕 上県郡対馬町・長崎 【渡航】 ・『密航者百廿名送還』 大阪毎日 1939/6/7 朝鮮 〔5/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人補る(八幡)』 九州日報 1939/6/10 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『お尋ね者をはじめ/密航ブローカー続々検挙/捜査陣に凱歌あがる』 大阪毎日 1939/6/17 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航はしたけれど/途方に暮れる気の毒な鮮人/今度は逆戻り失敗(兵庫)』 神戸又新日報 1939/6/20 夕 〔2/7〕 神戸・兵庫 【渡航】 ・『密航青年を半島へ送還(兵庫協和会)』 大阪毎日 1939/6/20 神版 〔5/13〕 神戸・兵庫 【融和】 ・『密航者送還』 大阪毎日 1939/7/8 朝鮮 〔5/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『(小型世間)密航が判明し(林田)』 大阪毎日 1939/7/11 神版 〔7/12〕 神戸・兵庫 【密入国】 ・『卅五人が密航(宇部市の中原炭坑の労務係から「鮮人稼動者の斡旋を依頼」)』 大阪毎日 1939/7/11 山口 〔5/12〕 宇部・山口 【渡航】 ・『前科六犯を持つ密航ブローカー捕はる/若松市で豪遊中を』 大阪毎日 1939/7/18 北九州 〔5/9〕 若松・福岡 【犯罪】 ・『大格闘の末密航団逮捕/ブローカー九名とともに』 大阪毎日 1939/7/23 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『又も密航(若松)』 九州日報 1939/8/1 〔1/7〕 北九州・福岡 【渡航】 ・『半島人密航/豊西海岸(山口)に』 福岡日日 1939/8/2 〔1/7〕 ・山口 【渡航】 ・『又も密航』 九州日報 1939/8/4 〔1/7〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『密航ブローカー/麗水で逮捕』 大阪毎日 1939/8/13 朝鮮 〔5/11〕 麗水・朝鮮 【渡航】 ・『また密航群』 大阪毎日 1939/9/8 朝鮮 〔5/12〕 馬山・朝鮮 【渡航】 ・『又も密航』 九州日報 1939/9/13 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航(25名)』 大阪毎日 1939/9/15 山口 〔5/12〕 下関・山口 【渡航】 ・『団体密航の失敗/半島人職工を内地人に仕立て/出帆間際に捕はる』 大阪毎日 1939/9/16 朝鮮 〔5/7〕 清津・朝鮮 【渡航】 ・『八十名が密航/四十余名を捕ふ』 大阪毎日 1939/9/23 山口 〔5/11〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航半島人大検挙』 九州日報 1939/10/6 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『釜山署を舞台にした密航ブローカー/見破られて御用』 大阪毎日 1939/10/14 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航ブローカー廿三名検挙/北釜山署の手入れ』 大阪毎日 1939/10/15 朝鮮 〔5/1〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航団検挙』 大阪毎日 1939/10/25 朝鮮 〔5/12〕 釜山(東莱)・朝鮮 【渡航】 ・『大格闘の末/密航親分逮捕』 大阪毎日 1939/10/26 朝鮮 〔5/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航者を乗せ出港直前御用』 大阪毎日 1939/10/12(?) 朝鮮 〔?/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航団検挙』 大阪毎日 1939/11/1 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航(宗像郡津屋崎町)』 福岡日日 1939/11/5 〔1/5〕 宗像郡・福岡 【渡航】 ・『半島人密航五十名』 大阪毎日 1939/11/10 佐賀 〔5/12〕 松浦郡・佐賀 【渡航】 ・『密航半島人』 九州日報 1939/11/14 夕 〔1/2〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航団逮捕』 大阪毎日 1939/11/17 朝鮮 〔5/10〕 釜山(東莱)・朝鮮 【渡航】 ・『全面的検挙は困難/県の密航鮮人狩り/今後は取締りを厳重に』 中国 1939/11/30 〔〕 ・広島 【渡航】 ・『密航団検挙/釜山港口で』 大阪毎日 1939/12/2 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航団検挙』 大阪毎日 1939/12/8 朝鮮 〔5/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航者検挙』 大阪毎日 1939/12/15 朝鮮 〔5/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『釜山の強盗が内地へ密航/福岡県下で逮捕』 大阪毎日 1939/12/20 朝鮮 〔5/12〕 甘木・福岡 【渡航】 ・『博多に密航』 福岡日日 1939/12/27 〔1/5〕 福岡・福岡 【渡航】 ・『百十余名溺死(?)の密航船の正体判明/常習ブローカー阿比留も悪運つく』 大阪毎日 1940/1/8 朝鮮 〔?/1〕 上県郡対馬町・長崎 【渡航】 ・『運命をさとり密航の親分激浪中に大金を投出す/兄弟三人とも溺死』 大阪毎日 1940/1/8 朝鮮 〔?/1〕 上県郡対馬町・長崎 【渡航】 ・『遭難密航船のその後/まだ死体一個も発見されぬ』 大阪毎日 1940/1/9 朝鮮 〔5/10〕 上県郡対馬町・長崎 【渡航】 ・『密航船検挙/神仙台海岸で』 大阪毎日 1940/1/11 朝鮮 〔5/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『内地の夫と連絡し/密航の手引き/大胆な女捕はる』 大阪毎日 1940/1/12 朝鮮 〔5/7〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『手荷物の箱詰め人間/密航?の半島人、小倉で発見さる』 大阪毎日 1940/1/14 夕 〔2/5〕 北九州・福岡 【密入国】 ・『猟奇!箱詰め密航/釜山の山中で荷造り小倉駅止で発送/頼まれた朴の細工』 大阪毎日 1940/1/14 北九州 〔5/1〕 小倉・福岡 【渡航】 ・『猟奇!箱詰め密航/釜山の山中で荷造り/小倉駅止で発送/頼まれた朴の細工』 大阪毎日 1940/1/15 朝鮮 〔5/1〕 小倉・福岡 【渡航】 ・『半島人百廿余名乗る/密航船伊万里へ/上陸してが発覚・検挙』 大阪毎日 1940/1/20 佐賀 〔5/9〕 伊万里・佐賀 【渡航】 ・『鮮人密航の悪ブローカー退治』 大阪毎日 1940/1/21 佐賀 〔5/10〕 唐津・佐賀 【渡航】 ・『箱詰密航結末編/李鶴祚けふ郷里へ』 大阪毎日 1940/1/26 北九州 〔5/10〕 小倉・福岡 【渡航】 ・『密航の半島人一網打尽捕る/船長のみ逃走』 大阪毎日 1940/1/31 山口 〔5/11〕 下関・山口 【渡航】 ・『朝鮮で雇入れた船員密航者として送還/内地に連れ帰って』 大阪毎日 1940/2/2 大分 〔5/10〕 津久見・大分 【渡航】 ・『密航者百余名/一人残らず逮捕/巧みに連絡とつて』 大阪毎日 1940/2/9 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航青年検挙』 中国 1940/2/19 〔〕 ・広島 【渡航】 ・『密航団検挙』 大阪毎日 1940/2/27 朝鮮 〔5/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『行方捜査中の密航ブローカー自宅で御用』 大阪毎日 1940/3/1 朝鮮 〔?/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『約五十回にわたり千名を密航さす/常習の船長ら出帆間際に捕る』 大阪毎日 1940/3/5 朝鮮 〔5/11〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航土工逮捕』 大阪毎日 1940/3/29 長崎 〔5/12〕 佐世保・長崎 【渡航】 ・『密航新戦術二つ/一は帰還勇士に化け/一は内地人の息子に』 大阪毎日 1940/3/12(?) 朝鮮 〔?/11〕 下関・山口 【渡航】 ・『密航者に化けブローカーを逮捕/船頭姿を晦す』 大阪毎日 1940/4/14 朝鮮 〔?/12〕 釜山(東莱)・朝鮮 【渡航】 ・『密航船検挙/お尋ねものも捕はる』 大阪毎日 1940/4/24 朝鮮 〔?/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航船逮捕』 大阪毎日 1940/5/3 朝鮮 〔5/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航防止の新取締/廿トン未満の船舶による旅客輸送を禁止』 大阪毎日 1940/5/19 朝鮮 〔5/7〕 ・朝鮮 【渡航】 ・『密航新取締/最初の違反/人命救助した天神丸』 大阪毎日 1940/5/26 朝鮮 〔5/10〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『公文書を偽造/密航詐欺/四名検挙さる』 大阪毎日 1940/5/30(?) 朝鮮 〔?/12〕 ・朝鮮 【渡航】 ・『一警官の篤行に妾狂ひの父が更生/密航少年に絡る佳話』 大阪毎日 1940/6/1 朝鮮 〔5/6〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航手数料を詐取して豪遊/一味釜山署に御用』 大阪毎日 1940/6/21 朝鮮 〔5/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『密航鮮人脱走/汽車で護送途中(13名中の1名)』 大阪毎日 1940/6/28 山口 〔5/10〕 下松・山口 【渡航】 ・『密航船機関長唐津で捕はる』 大阪毎日 1940/7/2 佐賀 〔5/9〕 唐津・佐賀 【渡航】 ・『密航の悪計発覚』 大阪毎日 1940/10/4 朝鮮 〔5/12〕 釜山・朝鮮 【渡航】 ・『内地密航に失敗』 大阪毎日 1940/11/? 朝鮮 〔?/12〕 木浦・朝鮮 【渡航】 ・『内地密航増加/釜山水上署で厳罰』 大阪毎日 1943/6/15 朝鮮 〔4/9〕 釜山・朝鮮 【渡航】 在日朝鮮人の来日の歴史 (国民徴用令)・・・1944年8月8日、国民徴用令の適用を免除されていた朝鮮人にも実施するとした閣議決定がなされる。 朝鮮人の徴用は1944年9月より実施され、1945年8月の終戦までの11ヶ月間実施される。日本本土への朝鮮人徴用労務者の派遣は1945年3月の下関-釜山間の連絡線の運航が止まるまでの7ヵ月間であった。
https://w.atwiki.jp/yukue/pages/262.html
捨てられたポケモンを見て、俺は舌打ちした。 「またこのパターンか…」 俺も不要のポケモンを捨てているので 心が痛むことはないし、今後もそんなことはないだろう。 俺が捨てたポケモンは全て〆ているので生きているはずが無い。 俺は目の前の草むらに隠れていたポケモンを踏みつけ 高個体値がなかなか生まれない不満を晴らし孵化作業に戻った。 しかし一部始終を見ていた他のトレーナにツーホーされ 俺の孵化作業は強制終了させられた。 俺が捨てた訳じゃないのに!! FIN 作 3代目スレ 285 (同スレ 276-279のパロディにして 282に対するブラックジョーク)
https://w.atwiki.jp/sakura398/pages/1268.html
こ 人名(50音順) ふりがな 資料 左翼度 小池恒 こいけ こう 実業家、オリコン株式会社代表取締役社長。「CDによって、国民から金を搾取するだけ」と述べるなど、オリコンのために儲けることしか考えていない人物。違法コピー・違法ダウンロードは批判するにもかかわらず、中国・韓国のパクリ文化には一切論じようとしない。 S 孔健 こう けん 作家。孔子研究家。SBI大学院大学教授。シナのチベット・ウイグル侵略占領を正当化。シナを徹底的に擁護する発言連発。孔子の子孫ではあるがその有能な血筋を全く活かせていない。 S 鴻上尚史 こうかみ しょうじ 劇作家。演出家。劇団「第三舞台」主宰。日本劇作家協会理事。日本劇団協議会理事。自身はサヨク的な思想の持ち主で、反日言論人である上野千鶴子と対談を行ったこともある。 B 高金素梅 (ガオジン スーメイ) こうきん そばい 台湾の政治家。歌手。女優。親中派。徹底した反日主義。靖国神社を軍国主義の象徴として非難する。また、高砂義勇兵碑が大日本帝国を讃美しているとして反対を押し切り、記念碑以外の関連物を全て撤去する。元義勇兵からの抗議に対して「奴らは日本の奴隷化教育を受けた連中」と発言。反日映画「靖国」に出演。「部落工作隊」、「中国統一聯盟」、「夏潮」など全ての親中左翼団体のバックアップを受ける。 S 神足裕司 こうたり ゆうじ コラムニスト。中国の毒餃子事件に関して、「情報ライブミヤネ屋」で「あの、メディアってのは中国では統制されてるもので、国が好きな情報流すっていう。そういうことのギャップが重なっていくとやっぱり、日本人に悪意があってこういうことをしてるんだなっていうふうに、中国の人、見えてもしょうがないですね。」と中国を擁護。( 「ぼやきくっくり」より )「ミヤネ屋」の特徴なのか、この人物も軽佻浮薄なだけ。 C 河野美代子 こうの みよこ 政治活動家。医師。ボランティア団体「広島エイズ・ダイヤル」代表。フェミニスト。日教組と関係が深い人物。前回の広島市長選で、社会党系の秋葉忠利を応援。評価できる点は性病対策などに取り組んでいること。 S 河野洋平 こうの ようへい 「日本国際貿易促進協会」(支那との貿易を促進する利権団体)会長。元・自民党衆議院議員。元・衆議院議長・第16代自民党総裁・副総理・内閣官房長官・外務大臣・科学技術庁長官。元・新自由クラブ代表。「日本陸上競技連盟」会長。「日本軽種馬協会」会長。媚中派。自虐史観の持ち主。宮澤内閣時代に行った「河野談話」。外務大臣時代に行った、独裁国家・北朝鮮に対する米50万トンの支援や、存在が不確かな支那における旧日本軍の遺棄化学兵器の処理に関する取り決めを中共政府と交わす等、日本の国益を害する言動を数多く行う。「北京オリンピックを支援する議員の会」会長、「日韓議員連盟」顧問を歴任し、「日中友好議員連盟」にも所属していた。最近はTBSの反日極左番組「サンデーモーニング」に出演、反日マスコミと共闘している模様。要注意。 SSS+ 郷原信郎 ごうはら のぶお 弁護士。名城大学教授。元・検察官。「 TBS不二家捏造報道問題 」で活躍した。小沢一郎の秘書が逮捕された件で「私だったら逮捕はしなかった」と公言し、様々な番組で小沢・民主党を徹底的に擁護した人物。 「反日勢力を斬る イザ!」より A 郡山総一郎 こおりやま そういちろう フォトジャーナリスト。2004年4月にイラクで武装勢力に拉致された人物( 「イラク日本人人質事件」 )。護憲派。イラク日本人人質事件解決後、武装勢力やテロリストが潜伏している危険地帯に居ながら、注意を怠り、拉致されてしまったという自分の落ち度を棚にあげ、謝罪しないばかりか、自身を批判する国民を非難し、開き直る。 「JANJAN」より 現在では9条護憲派の講演会に度々出席している。 S 小坂浩彰 こさか ひろゆき 北朝鮮に支援をするという名目の団体「 レインボーブリッヂ 」の代表代行だった人物。偽名疑惑あり( 「國民新聞」より )。創価学会とも関係が深い。2007年に厚生労働科学研究費補助金を騙し取ったとして詐欺罪で逮捕。 S リチャード・コシミズ りちゃーど こしみず 自称ネットジャーナリスト。社民党支持者。自民党、公明党、民主党、共産党、統一教会、創価学会、産経、読売、毎日新聞をユダヤの手先であると断言するなどユダヤに関する様々な陰謀論を吹聴している。しかし一方で中国共産党や韓国に対しては寛容で、中国共産党による一党支配体制、支那国内での人権侵害、チベットウイグル占領、軍事費の肥大化、空母の建設、反日教育、韓国の竹島占領問題、対馬乗っ取り、特定アジア人の民度の低さ、反日思考などについては一切非難しないばかりか、自民党の保守派を忌み嫌っていたり、旧社会党の政治家や朝日新聞を異常に賞賛し擁護するなど奇行が目立つ。また、主権回復を目指す会の西村修平氏を朝鮮人と罵倒したり、在特会の桜井誠氏を似非右翼扱いしており、実は反米反ユダヤの皮を被った中韓ロビーか、下手をすると特定アジアの工作員である可能性も。最近はあまり創価を批判しなくなった。 S+ 小杉健治 こすぎ けんじ 小説家。自虐史観の持ち主。 C 後藤啓二 ごとう けいじ 弁護士。元・警察官僚。売国団体エクパット=矯風会と密接な関係にあり、二次元規制も含めた児童ポルノ法改正案を「アグネス・チャン(左翼有名人リスト(あ行)また左翼有名人リスト(た行))参照」と宮本潤子(左翼有名人リスト(ま行))と共に推進する。過去に「冤罪は関係ない」と発言したこともあり弁護士としての資質を疑う人物。児ポ法の改悪は、人権弾圧や民主主義の崩壊につながり、特に日本コンテンツ産業を破壊する危険性がある。日本全国のオタクと腐女子にとっては最悪の敵であることは間違いない。更に詳しい情報→後藤啓二の正体。前回は反日度SSだったが、今回の判定者が生ぬるいと判断して"論外"に昇格。 SSS+ 後藤謙次 ごとう けんじ ジャーナリスト。TBS「NEWS23」キャスター。元・共同通信社編集局長。自虐史観の持ち主。 A 後藤田正晴 ごとうだ まさはる 元・自由民主党衆議院議員。元・警察庁長官。中曽根内閣にて内閣官房長官、行政管理庁長官、総務庁長官、宮澤内閣にて副総理、法務大臣等を歴任。護憲派。自虐史観の持ち主。2005年に亡くなった人物。氏は親中派である河野洋平を寵愛する反面、新しい歴史教科書をつくる会の歴史教科書の採択には反対の立場を貫く。また、晩年は保守派からの批判に対し「自分が左派扱いされるのは、日本が右傾化し過ぎているのではないのか」と発言している。因みに、中曽根内閣の官房長官時代に、氏が「我が国の行為に責任を有するA級戦犯に対して礼拝したのではないかとの批判を生み、ひいては、我が国が様々な機会に表明してきた過般の戦争への反省とその上に立った平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれるおそれがあるため内閣総理大臣の靖国神社への公式参拝は差し控えることとした」という中曽根総理の靖国参拝中止談話を発表した。 A 小中陽太郎 こなか ようたろう 作家。評論家。翻訳家。日本ペンクラブ専務理事。アジアキリスト教協議会議長。護憲派。自虐史観の持ち主。 A 小西克哉 こにし かつや ジャーナリスト。国際教養大学客員教授、亜細亜大学客員教授。日本BS放送「INsideOUT」水曜日キャスター。TBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」火曜日コメンテーター。元・TBSラジオ「ストリーム」パーソナリティ。保守政治家や保守派言論人を冷笑している自称・国際派。 A 小西誠 こにし まこと 元・自衛官。反戦活動家。出版社「社会批評社」社長。自衛官だった時に通っていた大学で全共闘と交流したことがきっかけで極度に左傾化し、自衛隊への妨害行動を度々行った。現在は自らが社長を務める出版社等から、極左を礼賛し、反日・反国防を是とした書物を世に出し続けている。 S 古怒田健志 こぬた けんじ 脚本家。特撮・アニメを中心に手掛ける。「日本の愛国心を煽る本・特定民族への悪感情を持たせる本(嫌韓流などを始めとする嫌韓・嫌中本を指すと思われる)を取り締まって燃やしたい」などといった、韓国・北朝鮮・中国(支那)擁護の反日的な発言をする。 A ライアン・コネル らいあん こねる 毎日新聞記者。曲がりなりにも日本の三大新聞社である毎日新聞というブランド名を利用し、日本を貶める根拠の無い下劣な変態記事を長年に亘って海外に配信した人物。 S バッキー木場 ばっきー こば ナレーター、DJ。自身の番組において平和ボケ発言が多い。例:日本は平和があたりまえのこと過ぎてそれを忘れてしまう(bayFM「POWER COUNTDOWN JAPAN HOT30」2010年8月14日放送分で発言) B 小林亜星 こばやし あせい 作曲家。作詞家。タレント。護憲派。 B 小林カツ代 こばやし かつよ 料理研究家。護憲派。日本基督教団信徒であると共に、日本共産党の支持者でもある。土井たか子や、福島瑞穂、石坂啓らも参加する「神楽坂女声合唱団」団長も務める。 A 小林久三 こばやし きゅうぞう 小説家。元・脚本家。元・映画プロデューサー。2006年に亡くなった人物。 反日映画リスト に記載されている、「皇帝のいない八月」の原作者。 C 小林節 こばやし せつ 憲法学者。慶応義塾大学教授。弁護士。護憲派。自虐史観の持ち主。元は改憲論者だったが、自衛隊のイラク派兵で改憲論に疑問を感じ、護憲派に転向した人物。田母神論文について「民族派の主張と同じ」とし、日本を侵略国家だったとの立場から厳しく非難した。宗教団体の政治参加には寛容で、公明党・創価学会の機関紙へ寄稿したり、池田大作と食事を共にする等、公明党・創価学会と良好な関係を持つ。また、自身は宗教団体「幸福の科学」が母体である幸福実現党のマニフェストを気に入っていた様である。 A 小林多喜二 こばやし たきじ プロレタリア文学の作家。「蟹工船」の著者。労働運動家。日本共産党員。1933年に亡くなった人物。社会不安等の影響で労働運動に傾倒したり、労働運動家で日本共産党員だった山本懸蔵の選挙応援を行う等、左翼運動を積極的に行っていた。現在は、日本共産党を始めとした様々な左翼勢力が、氏が記した「蟹工船」を利用して勢力拡大を図り、出版を始めとしたマスコミ業界は蟹工船を金儲けや、左翼勢力、自虐史観の喧伝に利用する等、氏と著書「蟹工船」は再び影響力を増している。 A 小林武史 こばやし たけし 音楽プロデューサー。ミュージシャン。「ap bank」設立人。サヨク的な思考の持ち主で、著書全てを熟読するほど宮台真司に傾倒している。 B 小林政広 こばやし まさひろ 映画監督。脚本家。イラク人質事件をモチーフにした映画を製作。人質となった人物達の戦闘地域での思慮に欠いた行動とその後の傲慢な言動ではなく、人質となった人物達への正当な批判を暗に作品の中で揶揄し、人質となった人物達を擁護した。 C 小林正弥 こばやし まさや 政治学者。千葉大学教授。「平和への結集」をめざす市民の風共同代表。公共哲学ネットワーク代表。護憲派。非戦論の提唱者。 B 小林源文 こばやし もとふみ 戦争漫画の第一人者として知られているが、ソ連兵の耳を私怨で削ぎ落としたり、女にだらしない自衛官を描いて自衛隊のイメージ低下に貢献。また、韓国兵を主人公とした漫画を描いており、親韓派である。 A 小松昭夫 こまつ あきお 財団法人・人間自然科学研究所理事長。伊藤博文暗殺犯である安重根の記念館建設費用として100万円を寄付。また、中国の南京大虐殺記念館に度々訪れている。 「黒猫雑感記」より S 小松美帆 こまつ みほ SBC信越放送アナウンサー。北京オリンピックの長野リレーにてチベット解放を訴えた日本人の団体に「勝手にして下さい」と暴言。 C 小宮悦子 こみや えつこ テレ朝「スーパーJチャンネル」キャスター。元・テレビ朝日アナウンサー。 B 小室哲哉 こむろ てつや シンガーソングライター。護憲派。著作権料の詐欺事件で社会的地位を失ったにもかかわらず、エイベックスの肩入れで、すっかり音楽業界に復活している。また、J-POPの商業主義を推進し、今日におけるCDの売上枚数を激減させる要因をつくった。 A+ 小室等 こむろ ひとし フォークシンガー。フォーライフ・レコード(現:フォーライフ・ミュージック・エンタテインメント)初代社長。護憲派。週刊金曜日の編集委員らと非常に親しい。 B 小森政孝 こもり まさたか インターン募集反差別国際運動(IMADR)国際事務局。護憲派で、ウトロ地区の在日韓国・朝鮮人強制立ち退きを阻止するなど、数々の反日的言動を行なう生粋の反日主義者。 SS+ 小森陽一 こもり よういち 文学者。東京大学大学院教授。全国「九条の会」事務局長。数々の反日的な言動を行っている生粋の反日主義者。あるシンポジウムにて、「9・11テロは日本の神風特攻隊から学んだものである」と発言。CS朝日ニュースターの番組で、「靖国神社はカルト」と発言。 SS+ 小山力也 こやま りきや 声優・俳優。ジャック・バウアーの吹き替えを担当するなど硬派な役柄とは裏腹に、護憲派・9条シンパとして知られる。ただでさえ、ノンポリの多い声優業界だけに、氏の発言は要注意だ。 B 是枝裕和 これえだ ひろかず 映画監督。護憲派。フジテレビのドキュメンタリー番組「シリーズ憲法 ~第9条・戦争放棄『忘却』~」を制作する等、サヨク的な思想の持ち主。 A 近藤勝重 こんどう かつしげ 毎日新聞編集委員。TBSラジオ「荒川強啓 デイ・キャッチ!」水曜日コメンテーター。元・「サンデー毎日」編集長。護憲派。 A 近藤光史 こんどう みつふみ フリーアナウンサー。元・毎日放送アナウンサー。愛称はコンちゃん。「2ちゃんねらーは首括れ」という迷言を遺すなど、ネット言論には批判的。自身がパーソナリティを務めるMBSラジオ「こんちわコンちゃんお昼ですよ!」などで、日常的に麻生首相叩きを行う。安倍政権時代は、日常的に安倍氏をコケにしていた。 A+ 近藤正臣 こんどう まさおみ 俳優。護憲派。 B 紺野あさ美 こんの あさみ 歌手。人気アイドルグループ・モーニング娘の元メンバー。「日本の良いところは平和である」と語る(2004年に行われた全国ツアーの特典DVDより)など、"平和ボケ"ともとれる発言を繰り返した。ただし、日本のアニメやマンガをこよなく愛している点は評価。 C コンノケンイチ (本名・今野健一) こんの けんいち 作家。UFO研究家。現代物理学に懐疑的で数々のトンデモ本を執筆。陰謀論やスピリチュアルにも傾倒する。幼少期の戦争の記憶から自虐史観・左翼思考・反権力思考に染まり、靖国神社反対や強制連行・南京事件などを史実とする異常なまでに朝鮮・中国の見解を妄信し、北朝鮮の日本人拉致や東京裁判を肯定するなど反日妄言を吐く。「9・11テロ」をアメリカの陰謀と妄信し反対意見を一切聞き入れないといった事柄が多い程の激しい反米思想の持ち主。 S
https://w.atwiki.jp/1548908-card/pages/1994.html
強制接収(きょうせいせっしゅう):Forced Requisition 永続罠 自分が手札を捨てた時に発動する事ができる。 その後自分が手札を1枚捨てる度に、相手も同じ枚数分手札を捨てる。 解説 「暗黒界」や「魔轟神」等のギミックや専用カードと相性が良い。 ゲーム別収録パック No. DS2009パック:パック:-(P)09:-(P)09 DS2008パック:パック:-(P)08:(P)08 PSPTF3パック:パック:-(P)TF3:(P)TF3? DS2007パック:パック:-(P)07:-(P)07:(P)07 DS SSパック:パック:-(P)SS DS NTパック:パック:-(P)NT PSPTF2パック:パック:-(P)TF2:(P) PSPTF1パック:パック:-(P)TF1:(P) PS2TFEパック:パック:-(P)TFE:(P)
https://w.atwiki.jp/mhp3_cheat/pages/193.html
強制退場 imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 作成者:P・Kさん ダウンロード 改造クエスト@まとめ 改クエ受注方法 改クエ受注方法 コメント 使用です。クエスト作成ツールのクエスト成功条件のところをナルガにして保存したあと開くと亜種に変わってしまうのです。 なので修正版として攻撃力を下げた+亜種変化の強制退場を再うpしました。 早く修正されればいいですね! -- (名無しさん) 2011-08-02 08 43 40 ↑あっ、名無しではありませn。P・Kです -- (P・K) 2011-08-02 08 44 41 がんばってナルガ倒したww -- (ミラアホス) 2011-08-02 16 30 04 倒したけどwww -- (一方通行) 2011-08-02 20 21 13 クリア条件亜種になってるし 防具なしはかなり難しい -- (K) 2011-08-08 18 50 36 ジンオウガこないじゃん…わざわざ原種にしなくても良かったのに…… -- (名無しさん) 2011-08-08 22 06 41 クエストとして成立していませんね ナルガ捕獲しても一向にシナリオ 進まず、リタイアします。 -- (虎) 2011-08-14 21 36 42 ↑そこまで言う必要ありますか? P・Kさんだって頑張って作ったんですよ。 もうちょっと良い言い方できたんじゃないんですか? -- (ゼクリュス) 2011-08-14 23 16 05 頑張って作ったとしても成立してなきゃ 存在価値は0だな -- (名無しさん) 2011-08-14 23 57 52 選ばれるなんて・・・・・ う・・ううう(涙)(笑) いいな やったことありませんが やってみます -- (モンハン太郎) 2011-08-17 20 51 10 ↑2 何で存在価値0なんていうことが出来るんですか? バグがあっても、修正すればちゃんとできる。 P・Kさんに謝っていただきたい。 今までこんな楽しいクエストを作ってくださった、 P・Kさんがあまりに可愛そうです。 -- (さっさん) 2011-08-17 21 20 02 ↑3 文句言うなら自分で作れよww あなたのほうが存在価値z(ry 自分はやる側ですけど、P・Kさんのクエストは、 楽しいし、やりがいがあって大好きです! めげずにがんばってください^^ -- (りっく) 2011-08-22 10 50 20 便乗きめぇ -- (名無しさん) 2011-09-04 18 31 33 糞クエストだな もうやめろよ -- (tkg) 2011-09-09 11 18 21 ↑そうか、わかったから仕事しようねw -- (ちょww) 2011-09-09 16 39 36 あと何このコメント叩き怖い -- (ちょww) 2011-09-09 16 39 59 10月1日まで待てばいいさ。あと3つ上の人そこまで言う必要ないさ。コメは「できない」だけでいいさ。 -- (氷灰) 2011-09-17 13 13 49 ナルガ亜種 雑魚 -- (っっっっっっっj) 2011-10-16 19 08 44 寝たら死にましたww -- (ペッコLOVE) 2011-12-31 16 17 12 私の事情によりもう更新はやめました これからは更新はありませんが今までのクエをやってみてください 今までありがとうございました いままでフリーズするクエもあってすみませんでした 正直動作確認とかめんどかったのでしていませんでした /// -- (ウェルッド) 2012-01-15 00 32 36 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/ad06/pages/22.html
強制振動(forced vibration) とは、ある系に外力が働く場合の振動をいう。 原点Oからの自然長をもつバネを考える。バネ定数をとし、右方向を軸正方向とする。 減衰振動*のときに加え、外力を考え、 の力がかかるとする。ここで、運動方程式 より , が成立する。 定常状態の解 ここでは定常状態の解を求めるために、解を と仮定してに代入すると、 となり、これを解くと、 ------ [1] となる。ここで速度は である。 の場合、 となりスティフネスの項が大きく寄与するため、スティフネス制御であるという。同様に、のときを抵抗制御であるといい、のときを質量制御であるという。 特に、のときを共振といい、このとき最も振幅が大きくなる。このときの最大振幅は である。( ) 参考文献 楽器の物理学 (N.H.フレッチャー/T.D.ロッシング) Vibrations and Waves in Physics (lain G.Main)
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6488.html
758: 陣龍 :2020/10/14(水) 20 33 07 HOST 124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp |д゚) |д゚)…よし、投下とかそう言うの無さそうなのでアルゼンチンやチリらのよもやま話投下します |д゚)…尚何時も通りに南米らとかの情報はwiki便りで時系列も微妙に曖昧ですがまぁ気にしないで下され(迫真) 760: 陣龍 :2020/10/14(水) 20 36 29 HOST 124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp 【南米親日勢力の牙城 アルゼンチンとチリと太平洋沿岸南米各国のよもやま話】 織田家による夜間でも書類仕事をする為の灯りとなる鯨油を求めたハズが、北米の大地にて無数の砂金や広大かつ肥沃の無主の地を発見した事により本来の目的を投げ捨てて【加州】に日本人が大挙して入植に雪崩れ込んだ時代。南米はこの時期何だかんだで未だスペイン黄金期の残滓とも言えたスペインの入植植民地が多数存在していた。そして広大な支配領域を地図の上では持つも時代的な通信・運輸技術レベル、またスペイン政府の根本的な遠隔地への統治能力の限界、加えてプランテーション農業にて生産された富や奴隷労働により採掘される金や銀ら鉱山資源などの資本がスペイン本国に一方的に流れ込み、民衆の困窮と経済の従属化の継続で次第に反乱気運が芽生えつつあるこの頃に、織田家率いる日本幕府軍は南米のスペイン植民地の現地勢力との平和的接触に成功した。 後に借金のカタとしてフィリピンを持って行った事からこの時期から南米のスペイン植民地領に狙いを定めていたと言う陰謀論が有るが、遠く日本大陸本土の統治や開発に加えて加州の開拓の初期段階でとても忙しい織田家にそんな事をする余裕など無く、日本本土から開拓の為の各種材料や食糧を全部持ってくるのでは幾ら何でも非効率的かつ不確実であると言う真っ当な考えから、開発が鉱山に集中していて資本流出が継続しているとは言っても一定の開発と開拓が進められていた南米から調達可能な物資は可能な限り加州近くの交易で賄おうとしただけの話であった。特に北米大陸には馬が何処を探しても存在していないので畜力が遠く日本本土から木造船に乗せて苦労して連れて来る以外では、僅か12頭から大繁殖を遂げていた南米のアルゼンチン等から入手するしか無かった。前者の場合太平洋を長々と押し渡って来るので、余りにも時間がかかり過ぎる上に如何に世界的に見ても頭が良くて力も強い日本馬でも航海途中に病気にかかって死んだり、加州に辿り着く前に海難事故を起こして船ごと海に沈むケースが発生して確実性が無く、手っ取り早く馬を多数手に入れるには南米との交易が不可欠だった。 余談だが、アルゼンチンから輸入した多数の馬の第一団は購入者が特に何も考える事無く日本本土と同じように顔合わせさせた剣虎に度肝を抜かれて殆どが極度の興奮状態に陥り、日本人のみならず剣虎がアワアワしている中多数のアルゼンチン輸入馬が柵を飛び越えたり柵を体当たりで破って脱走し、逃亡した多数の馬が港町のあちこちを縦横無尽に疾走し、時には家屋等に踊り込み、港町のお役人や多数の民間人協力者たちが逃走馬たちを死に物狂いで追いかける大捕り物を繰り広げる一幕があった。後にこの事件を元に、この時代の参勤交代などをネタにする某監督によって映画化もされている。因みにやらかしてしまった購入者達は情状酌量の余地ありと言う事で衆人環視の元一張羅が泥塗れになりつつ馬を捕らえていた役人から説教を喰らって解放された。一世一代の大恥と言う事で腹か首を斬ろうとして役人にぶん殴られた事まで加州の瓦版に書かれた購入者の心情は、残念ながら後世には日記などに書き記されていない。 761: 陣龍 :2020/10/14(水) 20 38 40 HOST 124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp そうして馬等の畜産の輸入から始まり、加州の開拓が加速し人口が増加するに連れて南米に対しても畜産のみならずその他の物珍しい物産を求めるようになる。そして日本人が求める物産に南米で多量 産出され欧州に雪崩れ込んでいた『金』や『銀』は、加州やアラスカの鉱山に加えて日本本土でそれこそ大量に産出されていた為かそれほど含まれていなかった事も有り、自然と太平洋沿岸南米各国では 『売れるモノ』を作る為に各地の開発や開拓に加えて、現地民による工場制手工業が勃興、発達し始める事となる。当然抑圧的植民地統治を行っていたスペイン本国や現地総督府はそれなりに不快感を 抱きはしたが、既に複数回破産を繰り返して日本に対してかなりの借金を抱え込み、東南アジアの生命線たる植民地も日本によって首根っこを丸ごと掴まれていたような状況では、苦言を言う事すら憚られた。 加州の開拓にのめり込んでいて今は欧州人とは全く違う文化ながらに文明人らしく平和的で大人しいものの、過去膨大な兵力と火力で東南アジアを飲み込んで行った日本人の姿をフィリピンと言う特等席で見せつけられていたのである。斜陽の帝国へと突入して行っている状況のスペインが何事かを言えるはずがないだろう。 その後は従来の抑圧的統治を行おうにも多数日本人商人のみならず豊かになった一般の日本人が交易や観光等で入り込む様になり、彼らの目を恐れて抑圧なのか融和なのか中途半端な政治に終始し、長年収奪を続けたスペイン本国からの独立を目論むクリオージョ(現地生まれの白人)等が日本との交易によって少しづつ力を蓄えていく中、世界はアメリカ独立戦争、フランス革命と言った人類史に残る『自由主義』思想の発生と伝播、そしてナポレオン戦争によるスペイン本国のフランスへの屈服と大陸封鎖令によるスペイン本国との連絡断絶を切欠に南米のスペイン植民地では独立運動が各地で勃発、そしてすぐさま独立戦争へと発展した。既にフィリピンの維持が不可能となって日本に売却せざる負えなくなっていたように衰退の一途を辿り、遠隔地の統治能力が失われていたスペインにこの独立戦争を押し留められるだけの国力も兵力も有る筈が無く、そしてスペインを自国勢力圏下に取りこんだフランスがわざわざ南米にまで行く能力や余裕が有る訳も無く、双方と友好的であった日本が仲介する事でアルゼンチンやチリを筆頭とした太平洋沿岸南米各国は独立を勝ち取る事に成功した。 正しラテン系のノリが悪い方向に作用したのか、独立を勝ち取り上昇機運な【気分】そのままに、アルゼンチンがブラジル帝国に併合された州を巡っての戦争で直接の戦局は兎も角内政の混乱の酷さのせいでイギリスの仲介を許し、ウルグアイの独立を認めざる負えなくなると言う戦略的な返り討ちに有ったり、チリでは保守主義者と自由主義者が政策を巡って議会で殴り合いが頻発する内紛を起こしたりと、後に『明治維新』と言う完璧すぎる華麗な近代化を成し遂げた日本とは真逆の、争乱と混乱、苦難と苦渋に満ちた独立となった。ただ、日本が余りにも例外的過ぎるだけで、アルゼンチンやチリも外政で負けて分離独立を許したり内紛が発生したりこそすれど、国内資本を壊滅させかねない内戦だけはギリギリで回避しつつ国内統一を順次進めて成功させているのだから、彼の国々の人々も相当に努力し、相当の成果を命がけでもぎ取った事に関しては疑う余地はない。 後世では所々で日本の関与が多数有ったと言う説も証言も有るが、関係各国からは公式には否定されている。 762: 陣龍 :2020/10/14(水) 20 40 37 HOST 124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp 様々な想定外や分離独立等の騒動こそあれど、何だかんだで念願の独立を果たす事に成功した太平洋沿岸の南米各国だったが、始めは今までの様に加州開拓で極めて豊かになった日本人に様々な物品を売り付けて適度に近隣国といがみ合い競争しあい、国内開発と経済発展に努めて行けば良いと極めて楽観的な考えであったのだが、その『お得意様』であった日本人が北米にてアメリカ合衆国とロッキー山脈近郊で小競り合いするだけに終わらず、南北戦争に介入して南部を分離独立させたが為に合衆国が漆黒に染まり上がった事からその楽観的考えは強制的に改めさせられる事となる。観戦武官として この『シビルウォー』を直接見た南米の軍人達は、機関銃や火中車による火力の猛威が繰り広げる既存の戦争の概念を叩き潰す戦場のみならず、戦争終盤に米合が実行した『多数の弾除け兵による物量戦』と言う想像だにしていなかった外道戦法に恐怖した。偶然派遣された観戦武官の中に絵心に優れた者が居り、自身や同じ観戦武官たちが見た『南北戦争の戦場』を描いた絵と報告書が後世にまで残り、日本の教科書にもその書かれた絵が使われた程度に信頼性の極めて高い第一級資料に認定されているが、それを見た自国の大統領や議員たちが揃って顎を外さんがばかりに驚愕するか精神衛生の為ジョーク扱いにしようとしたかするほどに、自分達の『独立戦争』とは桁違いの『本物の戦争』に、それぞれが恐怖した。 そして恐怖するだけで終われば万々歳だったのだが、漆黒に染まった米合が『人的資源』を求めてカナダや米連にマンハンターを派遣して多数拉致したり、アフリカ大陸に『労働交易船(ワーカーシップ)』を派遣して奴隷を集め、私掠船免状を以て時代錯誤の海賊時代を現世に呼び戻したり、トドメに南米にもその食指を伸ばして自分達が独立後に廃止した奴隷制がマシにしか思えない人畜に堕落した『効率的活用』を広めて米合自らに飲み込もうとする等、過去のスペインの収奪型抑圧的植民地統治を鼻で笑う『合理的』にて『効果的』、だが『人道を踏み外す事甚だしき』内政と外政を大々的に推し進めだした事が、太平洋沿岸の南米各国を、階層の上下問わずに恐怖させた。 外見上の白人や黄色人が混ざっている事が当たり前で人種的偏見が極端に薄い日本人と長年関わっていた為か、そして欧州に行った南米出身の白人が欧州人に常々差別されていた事に対する反発も有ってか、この時期欧州世界一般の白人至上主義がかなり薄かった事も相まって大して根付いていたと言いきれない程度の影響力だった事もあり、黒人や有色人種、そして白人種をも多数『マンハント』して強制連行していくその姿は、先住民系のみならず欧州系白人種も例外無く恐怖した。過去の歴史から溝があった両民族や人種、分離独立等で一部で発生していた近隣国との関係がこの後急速に融和と関係改善をして行ったのは、間違い無く米合に対する恐怖と絶望が原動力だった。尚南米各国の中でブラジルは米合に早くも飲み込まれて割と手遅れであった。 米合とロッキー山脈を挟んで何十年と敵対状態を維持している日本としても、太平洋沿岸に米合の勢力圏に降った国が出て来るのは国家戦略と安全保障上絶対に認められない悪夢であり、アルゼンチンやチリが自ら明確に日本の勢力圏に入る事を申し出て来た時は文字通りに国を挙げて大歓迎した。歓迎式典や相互友好条約(米合を刺激しない為のお題目だが、実質的な安全保障条約に近い)を締結する場に外務大臣や総理大臣どころか天皇陛下すらが臨席する程の歓迎攻勢には、南米側の方が困惑し切りになった程であった。因みに真偽不明の不確かな情報や証言によれば、この喜びの余り友好条約を 結んだ記念として当時世界最新鋭の弩級戦艦や巡洋艦等を廉価で売却する案も一瞬出たそうだが、冷静さを保っていた人間の突っ込みにより無しになっていると言う嘘か真か分からないネタのような話が有ったそうな。尚使節団には軍艦では無く鎌倉時代のモノでも希少な国宝級古刀・名刀が複数贈られている。ある意味軍艦の廉価売却の方が南米使節団の精神衛生上マシだったかもしれない。 763: 陣龍 :2020/10/14(水) 20 42 07 HOST 124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp 独仏戦争とも言われた第一次世界大戦後、日英による全力の空売り砲によって世界経済が日英陣営を除き大混乱に陥り、大西洋側の米合に与した南米国家もそれに巻き込まれて経済的に失墜していく中、早期に日本勢力圏に与した太平洋沿岸の南米各国は、地道に育成されていた民族資本と日本(と一部英国)からの投資、そして日本が誇る希代の財政家たる高橋是清直伝の公共投資術により国内開発の進展と内需の拡大に成功し、カルト教団が跋扈する母国から逃れたフランス人が『あの日のパリは此処に有った』と首都・ブエノスアイレスを一目見て感涙する程に、外資便りでは無く自国資本も確固たる国家になったアルゼンチンの様に、それぞれが相応に経済的成功を収めていた。また連動して各国の軍備拡張も静かながらに始められており、何時か必ず来る『その時』に向けて、日本やイギリスの兵器の購入やライセンス生産を加速させていた。 長年醸成されていた米合陣営への恐怖の為に、各国軍が行った募兵キャンペーンでは想定を上回る志願者が押し寄せた程であった。国民も自然と、『その時』が来ると暗黙の内に分かっていたのかも知れない。 そして、アメリカ合衆国の奇襲攻撃から始まった第二次世界大戦では、ヨーロッパでもソ連による攻撃が開始されたのに続いて、米合に与した太平洋沿岸の国もアルゼンチンやチリを撃破して南米大陸を打通し、一挙太平洋に陸路で乗り込もうと攻勢を開始したが、既にコレを完全に予測していたアルゼンチン軍やチリ軍の猛反撃であっさりと頓挫する。想像以上の激しい戦意と強大な戦力に驚きつつも遅ればせながらに『南米大陸の同胞』同士で争う事の愚を説き、日英陣営からの離脱と米合陣営への加入を、それが無理なら局外中立を要求するも、それに対するアルゼンチンやチリら日英陣営南米軍の回答は、イギリスから輸入した四発大型戦略爆撃機部隊による『敵国首都への猛爆撃』であった。この想定外過ぎる『答え』に唖然として言葉に詰まった米合側であったが、日英陣営側の去り際に放った一言が、米合の『合理的思想』に汚染されていた太平洋側の米合側南米各国をパニック状態に追いやる事となった。 『我らは貴国を同胞と思った事は無く、文明人として貴国の所業を認めた事も無く、そして人を家畜としてしか扱わぬ者どもを『まともな人間』と認めた事等、一度足りとて存在しない』 764: 陣龍 :2020/10/14(水) 20 46 55 HOST 124-241-072-147.pool.fctv.ne.jp 以上投下完了に御座る。アルゼンチンやチリらを日本側に引き込もうとwikiを見てたらアルゼンチンで馬が大繁殖してた記載をwikiに見て、そういや開拓するにも畜獣とか居るけど一々日本から太平洋横断して持ってくる乗って時間浪費やら危険性やらで非効率じゃね?と思い、なら近隣のアルゼンチンとかから輸入するのが自然だよな、となり、その後は流れで地味に太平洋沿岸南米各国が交易で強化されつつ日本陣営入りに 因みに議論の流れ的にブラジルは米合入り不可避っぽかったので米合側で爆散して貰いました(´・ω・`)
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/7707.html
※ 日本国、安倍総理による関連記事は戦後70年談話ページで。 戦後70年談話 / 戦後70年・沖縄 / 中国抗日戦勝軍事パレード +ブログサーチ〔戦後70年〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔戦後70年〕 【プレスリリース】大分県立美術館「2021コレクション展IV 池田栄廣生誕 120 年・吉村益信没後10年 革新と前衛の美術」 開催のお知らせ - Dream News 撲滅60年で記念事業 伊野田で碑建立を - 八重山毎日オンライン 【ドリームニュース】 / プレみや - デジタル夕刊 プレみや 「梅毒」感染爆発に気をつけろ 全国で34%増、東京で60%増(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 本国帰還、「決死の覚悟」で引率-太平洋戦争と細倉鉱山の朝鮮長屋(下) - 河北新報オンライン 論点:開戦80年、平和への思い継承 - 毎日新聞 「世界一歴史ある航空会社」が秘蔵写真ぞくぞく公開 KLM日本就航70年 深~い歴史 (2021年12月9日) - エキサイトニュース 日本の右翼の安全観、国民を再び惑わすことに要警戒_中国網_日本語 - チャイナネット FC東京バレー「活動休止」の背景。チーム存続は困難な状況だったか――。 - HALF TIME 58歳になられた皇后雅子さま お誕生日写真で振り返る10年とファッションの変遷【その2】 (1/1)| 8760 by postseven - 8760 by postseven 情報を掴んでいた英軍がなぜ? チャーチルが生涯悔やんだ「シンガポール陥落」の裏側(PHPオンライン衆知(Voice)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース マレー作戦BC級戦犯の遺族 虐殺現場の村で誓った決意 - 毎日新聞 - 毎日新聞 <次代への遺言~私が見た戦争>堀見智子さん(88) 原爆で負ったやけどの看護で感じた思い(毎日新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 真珠湾80年「かつては日本を恨んだが」…現地で追悼式典(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「鬼滅の刃シャンメリー」好評につき前年比約135%生産 パッケージとラベル刷新して“お楽しみラベル”追加 出荷数量が増加(食品新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース “三原魔術”の源流はメモにあり 智将の正体をたどる/三原脩氏編1(日刊スポーツ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 70代以上の平均と現実「老後の貯蓄がゼロ世帯」は何割か(LIMO) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 松村謙三の訪中逸話語る 同行した元秘書の上埜さん(北日本新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 満蒙開拓団元団員の証言、1冊に 旧富士見村の19人 平和学習に活用 /長野 - 毎日新聞 連載11274回 高齢者大国の現実 |日刊ゲンダイDIGITAL - 日刊ゲンダイ 「売春はどんな場合でもあかんで」解散した“戦後を残す色街”かんなみ新地に「いまも残る人々」とは《現地ルポ》(文春オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「たった1日で月100万円」で話題の文通費を含めた国会議員の「推定年俸4800万円」(坂東太郎) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 機能性高め伝統継承 70年ぶり制服刷新 来年度から、スラックスも導入 千葉女子高(千葉日報オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 銀座で65年愛される老舗ラーメン店 若き三代目の新たなる挑戦(山路力也) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース VW版アルファード? タイプ2の再来?? いよいよ2022年に登場のID.BUZZはどんなクルマ?(ベストカーWeb) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 最強兵器を作れば戦いは起きないのか 穴太衆と国友衆、戦国時代の矛盾 作家・今村翔吾さん『塞王の楯』(夕刊フジ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 94年12月2日「歌姫」中森明菜が棲んでいたあの時代(FRIDAY) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本の隠れた傑作航空機・US-2を世界の海で活躍させよう(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 愛子さまご成年 両陛下のご姿勢間近で 平和への思い受け継がれ - 産経ニュース 昼は子ども、夜は大人が笑顔に 老舗が「駄菓子バー」50種食べ放題(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 初代のスープに2代目の「特製豚肉」…70年の歴史詰まったラーメン 3代目が親子で守る味【長野発】(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 中国が仕掛ける「ハイブリッド戦争」に、日本が抵抗できない理由 - ダイヤモンド・オンライン 70年で1236冊も 沖縄戦関連の書籍がこんなに多いのはなぜ?(琉球新報) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 最後のゼロファイター 本田稔さんが死去(産経新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日本の覚醒剤の3割は、米軍の横流し?北朝鮮から直行便? 驚きの証言(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース “失言”で辿るニッポンの戦後史!?『政治家失言クロニクル』刊行を記念してTVODからコメントが到着(QJWeb クイック・ジャパン ウェブ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 母語は今やサビつかない(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース A級戦犯の処刑報告書、兵士のラッパ、6世紀の古墳…時を越えた「新発見」の裏側を調査(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「いまこそプロレスの進化の時」新日本とノアの全面対決が電撃決定! 棚橋弘至と清宮海斗が希望するカードは?(THE DIGEST) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 戦後の生活支えた「パラシュートスカーフ」 沖縄(RBC琉球放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 東京都美術館「Everyday Life わたしは生まれなおしている」が開幕。丸木スマら6作家を通して考える「日々生きること」(美術手帖) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「親米か反米か」をめぐるイデオロギー対立は終焉を迎えた - Newsweekjapan ホロコースト生存者、ナチス時代の反ユダヤ主義のポスターや絵画など15000点をドイツ歴史博物館に寄贈(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「戦争経験ない日本に戦闘機が造れるか」に自衛隊元トップが回答 - 日経ビジネスオンライン 【寂聴さんの言葉】「なぜ生きてるのかと考えたら、言わなければならないことがあるからだろうと思った。それは、戦争するなということ」 戦後70年シンポ「ともに歩む これからを生きる」【2015年9月12日付掲載】|文化・芸能|徳島ニュース|徳島新聞電子版 - 徳島新聞 イギリス 半数以上の大人が「ホロコーストで何人のユダヤ人が殺害されたか知らない」ユダヤ機関が調査(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 瀬戸内寂聴さん、焼け跡残る東京で「自分がばかだった」…ロングインタビュー「青春は恋と革命よ」 - 東京新聞 特集:神奈川の戦争 忘れない、語り継ぐ | カナロコ by 神奈川新聞 - カナロコ(神奈川新聞) <ユースク> 「新発見」続く戦争史料 - 中日新聞 筆まめだった兵士に何が… 家族に送った400の手紙 孫が沖縄でたどり着いた事実 - 沖縄タイムス 戦後76年:惨禍の記録、次世代へ 「かまいしの昭和20年」 著者遺族が再版 /岩手 - 毎日新聞 戦後76年の終戦の日 感染対策取りながら戦没者追悼の集会開催 - NHK NEWS WEB <戦後76年> 「平和の俳句」特集 - 中日新聞 会社員の平均年収436万円…30年、給料が上がらないという空しい事実(幻冬舎ゴールドオンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース シベリア抑留の証言もとに児童書 札幌の市民団体制作へ - 朝日新聞デジタル 塚本晋也監督「野火」7年目、戦後76年 今夏もアンコール上映決定 - 映画.com 塚本晋也監督『野火』、戦後76年のアンコール上映が今夏も決定! 劇場のスクリーンと音響で戦争の恐怖を体感し、平和について改めて考えてみては - Stereo Sound ONLINE 京都でも爆撃「西陣空襲」、碑に記憶の継承誓う 戦後生まれの住民らが献花し黙とう - 京都新聞 沖縄戦で弾が貫通した足 戦後70年以上も後に切断「戦争の苦しみは生涯続く」 きょう慰霊の日 - 沖縄タイムス <編集部の秀逸>「ノ・ノンブレ」さん | ベストコメント - 毎日新聞 「外交と安全保障」に安倍内閣が残したレガシー - 東洋経済オンライン 戦後70年、世界の科学技術を席巻した米国の歩みを振り返る 『科学技術の現代史』 - J-CASTニュース 戦後70年 - 「しんぶん赤旗」 - しんぶん赤旗 「戦後70年の価値観が揺らいでいる」歴史家の加藤陽子氏、太平洋戦争からTPPとトランプ現象を紐解く - ハフィントンポスト 語りつぐ戦争 とちぎ戦後70年|歴史・文化ガイド|下野新聞 SOON(スーン) - 下野新聞 【戦後70年〜東京裁判とGHQ(5完)】老兵・マッカーサーはなぜ「日本は自衛の戦争だった」と証言したのか… - 産経ニュース 「戦後70年」をテレビはどのように伝えたのか - 東洋経済オンライン 「戦後70年、メディアの取り組み」 大切な記憶の継承から、新たな祈りの発信まで(1) | ウェブ電通報 - 電通報 【正論】戦後70年に思う 外交評価に重み加えた安倍談話 学習院大学学長・井上寿一 - 産経ニュース 安倍首相の「戦後70年談話」に潜む「植民地」への優越感 - ハフィントンポスト 70年談話、海外反応は様々 メディアは厳しい声も - 日本経済新聞 【歴史戦 第12部 戦後70年談話(上)】(1)子や孫のため「謝罪外交に終止符」 安倍首相が肉筆に込めた思い - 産経ニュース タイムリミットは1年しかない!戦後70年の「不都合な真実」とは?――広瀬隆×坪井賢一(ダイヤモンド社論説委員)対談<前篇> - ダイヤモンド・オンライン 安倍首相、「反省」言及も直接謝罪はせず-戦後70年談話 - ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 (全文)首相が「戦後70年談話」で語ったこと - 東洋経済オンライン 【戦後70年】玉音放送へ未明の攻防 1945年8月15日はこんな日だった - ハフィントンポスト 【戦後70年談話】首相談話全文 - 産経ニュース その日、人々は何を思ったか。当時の日記から「終戦の日」を追体験 - ハフィントンポスト 戦後70年 “光と影”と未来への選択 | 公明ニュース(2015/8/14) - 公明新聞 戦後70年 日米和平に尽力した、あるラジオ放送の真実。 - ハフィントンポスト 戦後70年 記憶継承の願い込め 市内でイベントや企画展 | 茅ヶ崎 | タウンニュース - タウンニュース 【戦後70年】「終戦の詔書」発布、一方で抗戦派は... 1945年8月14日はこんな日だった - ハフィントンポスト 【戦後70年】「徹底抗戦」うごめくクーデター派 1945年8月13日はこんな日だった - ハフィントンポスト 【戦後70年】新聞から影を潜めた「本土決戦」 1945年8月12日はこんな日だった - ハフィントンポスト 【戦後70年】日本国内で伏せられた降伏 1945年8月11日はこんな日だった - ハフィントンポスト 【戦後70年】まだソ連に望みを託す日本 1945年8月8日はこんな日だった - ハフィントンポスト 【戦後70年】原爆投下はどう報じられたか 1945年8月7日はこんな日だった - ハフィントンポスト 『ぐりとぐら』中川李枝子さんの戦後70年「終戦で、生まれ変わったの」 - ハフィントンポスト 【戦後70年】空襲は「死傷者極めて少数」? 1945年8月2日はこんな日だった - ハフィントンポスト 【戦後70年】玉音放送をめぐるクーデター? 日本人が意外と知らない、戦争にまつわる7つのこと - ハフィントンポスト 戦後70年、いまだに敗戦国扱いされる日本 - 東洋経済オンライン 沖縄戦 7歳一人ぼっち 戦災孤児の戦後70年 - 沖縄タイムス 長岡と米ホノルル:“因縁”の両都市が戦後70年で追悼・交流事業(下) - nippon.com 長岡と米ホノルル:“因縁”の両都市が戦後70年で追悼・交流事業(上) - nippon.com 戦後70年企画 第2回 「戦後を生き抜くことも闘いだった」 市内在住 御崎稔子さん | 鎌倉 | タウンニュース - タウンニュース 戦後70年の今夏にドキュメンタリー映画「筑波海軍航空隊」公開 - エイガドットコム 戦後70年を迎える日本の動向を注視する - nippon.com 「戦後」はいつ終わるのか?—戦後70年を生きる若者たち - nippon.com 戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず - ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 戦後70年、1人の戦死者も出さず黄金時代を生んだ平和主義を検証する - ダイヤモンド・オンライン +ブログサーチ〔戦後70年 ドイツ〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔戦後70年 ドイツ〕 真珠湾攻撃で「続々ト快報入リ一安心ス」 潜水艦軍医、戦地で日記残す - 東京新聞 「緊張!ロシア軍・ウクライナ国境 米ロ首脳会談とソ連崩壊30年」(時論公論) - nhk.or.jp 【連載】中山淳雄の「推しもオタクもグローバル」 恋愛結婚がオワコンになる時代の「推し」ファンたちの生態 | gamebiz - SocialGameInfo エゴドキュメントから見えるリアルな太平洋戦争 - NHK NEWS WEB 「ポスト・メルケル ドイツ新政権と欧州の行方」(時論公論) - nhk.or.jp 中国包囲に再結集する「アングロサクソン帝国」の賞味期限(Yahoo!ニュース オリジナル THE PAGE) - Yahoo!ニュース コレキヨ:小説 高橋是清 第168話 つかの間の休息=板谷敏彦 | 週刊エコノミスト Online - 週刊エコノミスト Online VW版アルファード? タイプ2の再来?? いよいよ2022年に登場のID.BUZZはどんなクルマ? - ベストカーWeb 「コロナ対策優等生」ドイツが感染爆発を防げなかった理由:熊谷徹 | 記事 - 新潮社 フォーサイト 論点:太平洋戦争開戦80年 - 毎日新聞 ボローニャの“軌跡”が紡ぐハイブリッド第1弾(GOETHE) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【久保田るり子の朝鮮半島ウオッチ】日本が残した資産「帰属財産研究」 韓国学者の執念、反日史観に挑む - 産経ニュース 北斗星(11月27日付)|秋田魁新報電子版 - 秋田魁新報 1942年秋のオランダの悲劇 アウシュビッツでガス殺された2歳のユダヤ人の男の子(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 母語は今やサビつかない(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 人間という生きものとは? 戦争にまつわる映画とわたし 第二回 - https //www.70seeds.jp/ ホロコースト生存者、ナチス時代の反ユダヤ主義のポスターや絵画など15000点をドイツ歴史博物館に寄贈(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「ユダヤ人の私」と辿るオーストリアの歴史/木戸衛一 - シノドス マルグリット・デュラス “小児性愛”を肯定した仏大作家の母によるきょうだい差別【毒家族に生まれて】 - ELLE イギリス 半数以上の大人が「ホロコーストで何人のユダヤ人が殺害されたか知らない」ユダヤ機関が調査(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース コロナ感染者急増のドイツ、在住の日本人ダンサーが語る日常「ロックダウンしても、だから何?みたいな」(よろず~ニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース アンネが隠れ家生活を始めた1942年7月にアウシュビッツでガス殺されたオランダの0歳ユダヤ人赤ちゃん(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース なぜか…ドイツ代表で輝けなかった5人の名手(3)韓国戦後、悪夢の追放…! 世界最高峰の司令塔なのに…(フットボールチャンネル) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ドイツ軍艦爆発事故79年 在日ドイツ大使館が墓前祭継承 根岸外国人墓地に100人参列(カナロコ by 神奈川新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース アウシュビッツのガス室解体1か月前にガス殺されたオランダの4歳のユダヤ人少女(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 独総選挙、少数派に光 デンマーク系政党、70年ぶり国政復帰 最北端の港町地盤に1議席 - 毎日新聞 ソ連で生き、ソ連に果てたドイツ人捕虜 - ロシアNOW 日韓関係だけではない、世界を揺るがす「歴史認識」問題 | オアシスのとんぼ | 澤田克己 - 毎日新聞 真逆の個性が対峙する、ドイツ人美術家・ボイス&パレルモの2人展(Lmaga.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 1943年10月10日にアウシュビッツでガス殺された26歳ユダヤ人画家シャルロッテ・サロモン(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 100歳の元ナチス看守、公判で証言拒否:時事ドットコム - 時事通信 アウシュビッツのガス室で殺されたハンガリーの1歳のユダヤ人赤ちゃん:生きていたら79歳のおじいちゃん(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 私の父は「ユダヤ人の大量虐殺」を指示した“ナチスの幹部”だった | 親族の犯した残虐な過去とどう向き合うのか - courrier.jp 1941年9月29日フランス生まれアウシュビッツのガス室で殺された赤ちゃん 生きてたら80歳の誕生日(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ドイツの連立協議難航とEU「メルケル後」の不安 - 東洋経済オンライン ユダヤ団体「イスラエル在住の高齢のホロコースト生存者をコロナから救え」3回目ワクチン接種を支援(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 子どもの本で平和をつくる 敗戦直後のドイツ、奔走した女性の物語 - 朝日新聞デジタル ギリシャでホロコースト時代にユダヤ人を救った元医者 75年以上の時を経て「諸国民の正義の人」授与(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 陰りみえるドイツの成功パターン 「接近の変化」でも強権化する中露 - 朝日新聞デジタル 連邦議会選挙に向けた主要4党の選挙公約における気候保護政策を比較(ドイツ) | ビジネス短信 - ジェトロ(日本貿易振興機構) ローマ教皇 スロバキアのホロコースト記念碑を歴史的訪問(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 英国の大学「多くの先生がホロコーストの正確な情報を知らない」調査結果(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 論点:講和条約70年 - 毎日新聞 イスラエルのホロコースト博物館「戦前のユダヤ人五輪選手」の写真や動画展示 ほとんどが収容所で殺害(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ゲルト・ミュラーさん死去 サッカー元西ドイツ代表FW―「爆撃機」、W杯得点王 - 時事通信ニュース キャサリン妃撮影のホロコースト生存者の写真 英国博物館で展示「私たちの心の中に永遠に刻まれるべき」(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース アウシュビッツのツイッター 毎日犠牲者の誕生日を紹介:8月7日は97歳でガス室で殺害されたユダヤ人(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 8月2日は「ロマのホロコースト記念日」ナチスによる殺害の正当化と戦後も各地で差別されてきたロマ(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 東京五輪で再燃してしまった反ユダヤ主義とホロコースト否定にNetflixが作品紹介して抵抗をアピール(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ホロコーストで失われた19世紀欧州ユダヤの書物や巻物:米国オークションで発見され持ち主の元へ(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 日英同盟廃棄とチャーチルの悔恨|「新・日英同盟」の行方(4) - Nippon.com アウシュビッツ解放の「英雄」 最後の一人が死去 98歳 - AFPBB News 日本とアメリカ、ここへきて「100年前の世界」と“ヤバい共通点”が出てきた! - 現代ビジネス ドイツ各地で加熱する「ユダヤ排斥デモ」その原因を作ったのは誰か(川口 マーン 惠美) @gendai_biz - 現代ビジネス <編集部の秀逸>「ノ・ノンブレ」さん | ベストコメント - 毎日新聞 フランス ナチスによるユダヤ人検挙から80年:検挙や収容所の貴重な写真を収容されていた体育館で公開(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 戦後を代表するドイツ人芸術家ヨーゼフ・ボイス 偽りだらけの過去 - swissinfo.ch ドイツ、緑の党が支持率首位 二大政党は後退(写真=ロイター) - 日本経済新聞 英国の戦争博物館、第2次大戦とホロコーストのギャラリーを秋に開設:7年間・約47億円かけて制作(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ホロコーストの正しい歴史を知ってもらうためにSNSで訴え「#ItStartedWithWords」(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 少女像はドイツで受け入れられたのか 疑問の先に見えてきたもの | 拝啓 ベルリンより | 念佛明奈 - 毎日新聞 米国社会学者が選ぶホロコーストを知るための5つのサイト(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース イスラエルのNGO、ホロコースト生存者が元気なうちに彼らの記憶や体験談をVRで後世に伝えたい(佐藤仁) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ナチスドイツには「脱走兵」が30万人もいた! 『ヒトラーの脱走兵』 - BOOKウォッチ 【特集】ドイツの若者は慰安婦問題を扱った映画「主戦場」をどう見たか 「歴史を知る」。それは「問い続ける」ということ - 47NEWS 第2次世界大戦終結70年 - 「しんぶん赤旗」 - しんぶん赤旗 安倍談話「謝罪背負わせない」に共感の声 ドイツの名演説との違いは - withnews(ウィズニュース) 時間の経過がもたらしたホロコーストの重層的なとらえ方――ドイツ映画を手掛かりに/齊藤公輔 - シノドス 戦後賠償――ドイツと日本の違いはどこにある?/石田勇治×飯田泰之 - シノドス 【戦後70年】奈良美智さんがドイツで驚いた「敗戦国の歴史認識」 - ハフィントンポスト ナチスの犠牲になった夫婦描く「あの日のように抱きしめて」監督が語る、ドイツの戦後映画 - エイガドットコム 敗戦から70年 日本とドイツの異なる戦後 - ハフィントンポスト ドイツが許されて日本が許されない本当の理由(ビデオニュース・ドットコム) - BLOGOS 【記憶の風景-戦後70年】ドイツ・ベルリン 再統一25年、分割統治語る壁 - 産経ニュース 【戦後70年特別企画】ドイツ人と日本人。同じ敗戦国なのに、なぜ世界の評価がこんなに違うのか(週刊現代) @gendai_biz - 現代ビジネス 対独戦犠牲者を追悼/戦後70年 メルケル首相が訪ロ - しんぶん赤旗 戦後70年を迎える日本の動向を注視する - nippon.com 戦後70年、日本が謝罪しても東アジア情勢は改善せず - ウォール・ストリート・ジャーナル日本版 ■ 戦後70年間戦争をしなかった国は8カ国 「エムズの片割れ(2015.1.24)」より / 今朝の日経「大機小機」にこんな記事があった。 「戦後日本70年の総括」 戦後70年にあたって発表予定の首相談話が注目されている。日本は戦後の荒廃から目覚ましい勢いで立ち直り、最も成長した平和国家である。その発展の教訓を伝えて世界に貢献する希有(けう)な機会である。 戦後70年間戦争をしなかったのは国連加盟193カ国のうち8カ国しかなく、アジアで日本以外はブータンだけである。世界に誇るべき歴史である。戦前も歴史だが、戦後70年は現代に暮らす人間には十分に長く、より重要な歴史である。戦後生まれが総人口の8割にもなり、戦争を望んでいる日本人はいないだろう。何よりも、戦争は引き合わない。 戦後70年の歴史の本質は何か。日本が開戦した契機は領土拡張による石油資源の確保であった。だが、戦後日本が高度成長できた原因は自国内に資源を持たなかった点にこそある。 国内に資源を持たないため、世界中で最も高品質で最も低価格の資源を選んで輸入し、加工することで高い付加価値を生み、さらなる輸入資源の購入原資を得ることができた。加工貿易を糧として生き、付加価値を生む技術や世界に売れる新製品の開発に突き進んだ。資源があれば、環太平洋経済連携協定(TPP)交渉のときの農産物と同じで、国内産業保護のため輸入は制約される。 成長の源泉は領土ではなく、絶えざる技術進歩であり、それを生む人材教育である。日本の教育は、江戸時代に寺子屋が普及し、識字率が当時としては世界最高水準だった。明治以降の急速な近代化もその基礎の上にある。戦後の民主化は社会の自由度を高め、西欧以外では初の先進国となった歴史は途上国の目標でもある。・・・(桃李)」(2015/01/24付「日経新聞」p17より) この記事の中で「戦後70年間戦争をしなかったのは国連加盟193カ国のうち8カ国しかなく、アジアで日本以外はブータンだけである。」という部分を読み、その国はどこだろう?と思った。 Netで見ると、その国は、アイスランド、フィンランド、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク、スイス、ブータン、日本の8カ国“らしい”。(公式なサイト情報は見つからなかった。別の8カ国を紹介したサイトもある。ノルウェー、デンマークが、オーストリア、ジャマイカに入れ替わっている) 誰も思い付くスイスを除くと、北欧の国々ばかり。 この理由は?とNetで検索していたら、こんな記事が見つかった。 (※mono....中略、詳細はブログ記事で) / ん? 戦後、「戦争をしなかった」と評価されている国にも戦死者は居る?? すると、こんな記事があった。 戦後70年、1人の戦死者も出さず 黄金時代を生んだ平和主義を検証する .....だが、大局的に見れば、将来の史家は戦後70年を日本史上の「黄金時代」と呼ぶかもしれない。日本のようにこの70年間戦争をせず、平和を享受してきた国は世界196ヵ国(北朝鮮を含む)の中でも極めて少ない。2011年に米英軍による攻撃で始まったアフガン戦争では、ドイツは最大時5000人を派遣し、死者54人が出た。中立国だったスウェーデンも最大時506人を派遣、死者5人、オーストリアは派遣3人(死者なし)、フィンランドは派遣181人(死者2人)、アイスランドは8人(死者なし)、スイスも密かに32人を出し、軽傷者2人との報道もあった。 (※mono....以下略、詳細はブログ記事で) ■ なでしこ隊 「テレビドラマ」 ■ テラコヤスコラvol.20 終戦70年特別企画 戦争、平和、そして仏教 スペシャルトークライブ 2015/11/05 に公開 テラコヤスコラvol.20 終戦70年特別企画 戦争、平和、そして仏教 スペシャルトークライブ サンマリノ共和国の大使であり、また世界各国の駐日大使の代表「外交団長」でもあるカデロ氏。 元小学館の編集者であり、米従軍カメラマンの記録『トランクの中の日本』を編集した大原氏。 京都佛立ミュージアムの館長であり、仏教的平和を追い求める僧侶、長松師。 それぞれの視点から、戦争、平和、そして仏教について意見を交わします。また、トークライブ終了後には大原氏により、ミュージアムの終戦70 年特別企画展『トランクの中の日本』のギャラリートークも行われます。 +続き 『トランクの中の日本』ジョー・オダネルは長崎・広島で何を見たのか… 軍隊を持たない国、サンマリノ共和国とは… 仏教の平和思想とは… 2015年11月3日(火・祝)文化の日 13:30受付 14:00開演 京都佛立ミュージアム 入場料無料 京都市上京区御前通一条上ル東竪町110 075-288-3344 www.hbsmuseum.jp ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー サンマリノ共和国 駐日特命全権大使外交団長 マンリオ・カデロ氏 イタリアのシエナにて出生。イタリアで高等学校 卒業後、フランス・パリのソルボンヌ大学に留学。 フランス文学、諸外国語、語源学を習得。1975 年に来日、東京に移住し、ジャーナリストとしても 活躍。1989 年に駐日サンマリノ共和国の領事と して任命される。2002 年、駐日サンマリノ共和国 特命全権大使を任命され、2011 年5 月、駐日大 使全体の代表となる「駐日外交団長」に就任。現 在、講演活動など幅広い活躍をしている。イタリア 共和国騎士勲章など多くの勲章を受賞している。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 『トランクの中の日本』編集者 大原哲夫氏 オダネル氏と会談する大原氏(左端) 1947 年生まれ。出版社勤務時代に小学館版『モーツァルト全集』『バッハ全 集』『武満徹全集』『林光の音楽』など全作品CD収録の音楽全集を企画、編集 長を務める。現在も編集・執筆活動の他、コンサートプロデュース等マルチ に活躍している。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 京都佛立ミュージアム館長 由緒寺院長松寺・横浜妙深寺 住職 長松清潤師 1969 年京都生まれ。本門佛立宗 京都由緒寺院 長松寺、横浜妙深寺住職。京都佛立ミュージアム 館長。佛立研究所研究員。(財)佛立生活文化研究 所代表理事。『仏教徒 坂本龍馬』著者。 ■ 旧陸軍士官が語った歴史の真実(2)- 70回目の終戦記念日に向けて - 「(新) 日本の黒い霧(2015.8.15)」より / 本日は平成27年8月15日、70回目の終戦記念日となりました。過去の世界大戦で亡くなられた全ての方々に哀悼の意を表したいと思います。 * * さて、戦争について考える日に相応しく、本タイトル「旧陸軍士官が語った歴史の真実(1)」、の続編を掲載したいと思います。前掲載から久しく時間が経過したので、同記事の要点を再掲します。 「二・二六事件の首謀者たる青年将校は全員処刑されてなどいなかった」 これは、旧陸軍士官T氏の証言ですが、彼らが処刑されなかった本当の理由を私は 「その後の計画戦争(太平洋戦争)に向かわせるための茶番劇」 と推論しました。そして、その茶番を画策したのが日米欧の軍産複合体、私が定義する秘密組織「クロカモ」、もしくはその前身だったのではないかという予想です。 ■原爆投下写真の出自はどこか? 下記の写真は、歴史の教科書などであまりに見慣れてしまった、広島への原爆投下後に発生したキノコ雲の写真です。 (※mono.--写真略) / さて、この写真はいったい誰が撮影したのかみなさんお考えになったことがあるでしょうか?常識的に考えればエノラ・ゲイ号に随行した米国友軍機内の兵士と考えるのが一般的ですし、書籍・ネットでも、「米軍撮影」とキャプションが打ってあるものがほとんどです。これについて、T氏は再び驚くような証言をされます。 T氏「教科書によく掲載されている広島の原爆投下の写真ですが、あれは私が撮影したのですよ。戦後、進駐軍に接収されて米軍のものになってしまいましたが。」 日月土「どうやって撮影されたのですか?敵機が多かったと思いますが?」 T氏「キ○○式(正確な名称は失念しました)という偵察機からです。当時の日本軍機には珍しい機内与圧が可能な偵察機で、敵爆撃機よりも高い高度で航行が可能でした。敵機による新型爆弾の爆撃情報が事前に入ったので、状況を記録するため出撃したのです。私は、敵爆撃機の動きをその更に上空から観察していたのです」 T氏が搭乗していたという偵察機については、その後その存在を調べましたが、既存の年鑑などでは見つけ出すことができませんでした。ただし、ある旧軍機マニアの方から次のような回答を頂いてます。 「その型の存在を知ってるのですか!よほどの軍機マニアしか知らない情報ですよ」 ■原爆を投下したのはエノラ・ゲイ号ではなかった T氏と私の会話は更に続きます。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 橋下徹や福島瑞穂は、「戦争指導者糾弾決議」でも国会に提出したらどうか 「私的憂国の書(2015.8.27)」より / 支那共産党が北京で開く「抗日戦争勝利70年」記念式典への参加国のうち、首脳クラスを北京に派遣する30カ国が判明した。国のクラスに優劣をつけるつもりは全く無いけれど、なんとも華のないリストである。 (※mono.--参加国名はブログ記事を参照。) / 南朝鮮が西側陣営の主要国であるかは別としても、米国と軍事同盟を結んでいるこの国がリストに在るのは、やはり異常に映る。 この式典には、日本からはバッジも付けていない老人が出席するそうである。1995年の談話が認められ、中共からVIPの接遇を受けることとなり、さぞかしご満悦だろう。厳密にいえば南鮮代表ではないが、国連からパンくん(潘基文事務総長)が出席する。パンくんは、「9月3日はとても重要な日だ。過去の歴史から教訓を汲み取り、国連憲章の下で未来の平和のために努力する決意を体現するものだと期待している」と述べたという。ロシアのクリミア併合問題にまったくと言って良いほど介入できず、支那の岩礁埋め立てにも沈黙したままの国連事務総長。潘が言う「未来の平和を決意するイベント」を主催する国は、また、世界一軍拡を進めている国だ。こんな国連、分担金を支払うだけ無駄である。 (※mono.--中略) / 日本は先の大戦を総括していないとよく聞くけれど、私はひとつの総括が、昭和28年8月の国会決議だと思っている。この「戦犯釈放を求める国会決議」は、全会一致で決議された。A、B、C級の区別なく、戦犯として処刑された方々は「法務死であって戦死者とみなす」とされた。この決議を動かした昭和27年の「戦犯の早期釈放を求める署名運動」では、当時約8580万人とされる日本の総人口のうち、約半数の4000万人が署名した。人口には子供も含まれるから、ほぼ、国民の総意と言って差し支えない。後にも先にも、国会で「戦犯」と言われた方々の処遇を決めたのは、この決議だけである。これが日本国民の総括ではないのか。 橋下の論は、この決議とは正反対のものだ。戦争責任を一部に押し付け、国民は罪がないとするのは、ドイツのやり方と同類だが、我が国はそのやり方を取らなかった。取らなかったどころか、戦争指導者を戦犯ではないと国民の総意で決めたのだ。子の総意を覆すつもりなら、福島瑞穂や橋下徹は、「戦争指導者糾弾決議」でも国会に提出したらどうか。 国家間の謝罪とは、金を払うということだ。その金は、すなわち我々の血税である。こういう政治家を為政者側につけたら、国民はたまったものではない。 ■ 戦後70年経った現在、日本人は急激に目覚めるようになった 「ダークネスDUA(2015.8.14)」より / ここ数年で日本が急激に変わってきたと感じる人は多いはずだ。どのように変わったのか。 まず第一に言えることは、もうマスコミを中立だとか信頼できるとか国民の総意だとか思う無邪気な人間がいなくなったということだ。 マスコミは以前から異様なまでに偏向し、重要な事件や出来事をまったく報道しないで情報隠蔽してきた。さらに、特定の意見だけを大々的に報じて、残りの意見を完全封殺するようなことを延々と続けてきた。 そういった胡散臭い報道姿勢に国民が気付き、マスコミはもう信頼できないと思う人の方が増えている。 特にマスコミが偏向するのは中国・韓国が絡むときである。マスコミは常に中国・韓国のプロパガンダのような内容を報道し、日本人の立場から見た意見はまったく報道しない。 日本人はそれに気づき、マスコミを信じなくなった。 (※mono.--以下長文。詳細はブログ記事で) 【バシー海峡の悲劇】 ■ 戦後70年「バシー海峡慰霊祭」に集った人々の涙 「夏炉冬扇(2015.8.2)」より / 本日(8月2日)午前11時15分から、台湾南部の屏東(へいとう)県猫鼻頭にある潮音寺において、「戦後70周年バシー海峡戦没者慰霊祭」がおこなわれた。 バシー海峡と聞いて、すぐに「ああ、あそこか」と思う人は、相当な台湾通であり、戦争通だろう。太平洋戦争(大東亜戦争)末期、台湾とフィリピンの間に横たわるバシー海峡は、米軍が同海峡に敷いた潜水艦の“群狼作戦”によって、南方への日本の輸送船の多くが撃沈されるという悲劇の舞台となった。 それでも、太平洋戦争の日米主力の“決戦の場”となったフィリピンのルソン島、レイテ島への兵力の輸送は必要欠くべからざるものであり、大本営の無謀な輸送作戦は強引に続けられ、犠牲者も膨大な数になっていった。 1944(昭和19)年から1945(昭和20)年にかけて、バシー海峡は大本営によって、 “魔の海峡”“輸送船の墓場”と称されるようになった。 バシー海峡での戦没者の数は今も定かでない。しかし、バシー海峡とその周辺海域で、少なくとも、「10万人」の犠牲者が出たと言われている。私は、昨年10月、この海峡の悲劇を描いた戦争ノンフィクション『慟哭の海峡』を上梓した。 主役の一人は、昭和19年8月、乗っていた輸送船「玉津丸」がバシー海峡で撃沈され、12日間もの地獄の漂流の末に奇跡的に救助された独立歩兵第十三聯隊の通信兵、中嶋秀次上等兵(2013年10月、92歳で死去)である。 中嶋さんは飲み水もない炎熱のバシー海峡を12日間も筏(いかだ)で漂流し、当初50人ほどいた漂流者の中で、たった一人、生還した。 バシー海峡の戦没者は、あくまで輸送途上の「戦死」である。 これまで大規模な慰霊祭がおこなわることもなく、「忘れ去られた戦没者」となっていた。 生き残った中嶋さんは戦後、無念の涙を呑んで死んでいった戦友たちの慰霊と鎮魂のために、半生を捧げた。戦後36年を経た1981(昭和56)年、中嶋さんは、バシー海峡を見下ろす同地に私財と日台の多くの協力者の浄財によって、やっと鎮魂の寺「潮音寺」を建立したのである。 (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) 【日米関係】 ★■ 戦後70年と私】占領政策の真実 間違いに気付いていたマッカーサー ケント・ギルバート氏 「zakzak(2015.8.7)」より / 70年前の終戦直後、日米関係は、お互いが完全な対立軸からスタートした。 米国は、大日本帝国とは、軍国主義の独裁者が神道という宗教を利用して国民を統率する、非民主的国家であり、世界征服をたくらむ野蛮で好戦的な民族の国だと考えていた。 日本の占領政策、言い換えれば「保護観察処分」は、危険な日本を制度面と精神面の両方から矯正する趣旨で始まった。 東京裁判(極東国際軍事裁判)を通じたABC級戦犯の処罰や、戦争の贖罪(しょくざい)意識を植付ける「WGIP(ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム)」、日本国憲法第9条も一貫した趣旨に基づいている。 しかし、朝鮮戦争が起きたころには、GHQ(連合国軍総司令部)最高司令官のマッカーサー元帥は、根本的な間違いに気付いていた。米国が戦うべき敵は日本ではなく最初からソ連であり、日米戦は不必要だったのだ。 強い日本軍が、野蛮で危険なソ連の脅威からアジアの平和を守っていた。米国は間抜けな勘違いのせいで、日本軍を完全に解体してしまった。これが今日まで続く、米軍日本駐留の根本原因である。 最高司令官を解任されて帰国したマッカーサー元帥はワシントンに呼ばれ、1951年5月3日、米国議会上院の軍事外交合同委員会で証言した。 「Their purpose, therefore, in going to war was largely dictated by security(=日本が戦争を始めた目的は、主として安全保障上の必要に迫られてのことだった)」と。 日本が始めた大東亜戦争は侵略戦争ではないという意味だ。戦後体制の大前提を根底から覆す、このマッカーサー証言の存在すら知らない人が日米両国とも圧倒的多数である。 占領下の日本には「プレスコード」(=GHQによる言論統制。『連合国や連合国軍への批判』など禁止事項を厳格に列記した)があったので、このニュースを取り上げることはできなかった。 しかし、終戦70年を目前にした現在も、日本の首相経験者や与野党の要職者が、「安倍晋三首相は70年談話で日本の侵略戦争をわびろ」などと、無知蒙昧(もうまい)ぶりを披露している。 70年間に、日米ともさまざまな機密文書が公開され、過去の多くの常識が、今では非常識になった。 開戦前の日米和平交渉の経過や、当時のルーズベルト大統領が議会承認を得ずに「ハル・ノート」という最後通告を日本に突きつけた事実は、米国人にも隠されていた。 ハル・ノートの草案を書いたハリー・ホワイト財務次官補は、後に「ソ連のスパイ」だとバレて自殺した。日米開戦支持の議会演説を行ったハミルトン・フィッシュ下院議員は、すべての真実を知って大激怒。自分の演説を恥じ、「ルーズベルト大統領を許せない」と死ぬまで言い続けた。 戦後70年の節目を機に、日本人のみなさんには、日米関係のみならず、国際情勢全般について、最新情報へのアップデートをお願いしたい。 ◇ 次回は、政治ジャーナリスト、細川珠生氏 ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。83年、テレビ番組「世界まるごとHOWマッチ」にレギュラー出演し、一躍人気タレントとなる。現在は講演活動や企業経営を行う。自著・共著に『まだGHQの洗脳に縛られている日本人』(PHP研究所)、『素晴らしい国・日本に告ぐ』(青林堂)など。 ■ 日本を叩いたがために、米国はアジア地域の平和に貢献しないといけなくなった。という視点。 「小難しい話をしない、せいじけーざいブログ(2015.8.9)」より (※mono.--前半は大幅に略、詳細はブログ記事で) / 米国のしょーもない誤解から、先の大戦では凄惨な殺し合いをしましたが。 日本がそういう国家じゃないってことは、もう米国も充分に理解していることでしょう。 誤解が解けた今、日本は改めて、アジア地域の平和と安定、そして繁栄に貢献をしないといけません。 勿論それは、中国のような横暴な独裁国家の言いなりではなくて。 それぞれの国がそれぞれ独立独歩の、素晴らしいアジアを目指したいものです。 ■ 岡本行夫氏「日本の負の遺産」論への異論 「鎌倉橋残日録(2015.7.29)」より / 元外交官で外交評論家の岡本行夫氏が「日本は70年前の負の遺産から逃れられない」と題して、第2次大戦時に日本企業が米軍捕虜を強制労働させたことについて今年7月にロサンゼルスで謝罪した、という記事を産経新聞に寄せている(以下の引用は再掲された「頂門の一針」より) (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 記事の結びはこうだ。 <戦争捕虜問題を含めて、日本は70年前の負の遺産から逃れられない。国家は、モラルを失えば漂流する。> このくだりに異論はない。岡本氏が良質の外交官(外交評論家)であることも評価している。しかし、こう問いたい。「70前の負の遺産」を負っているのは日本だけなのか、と。日本人捕虜を虐待したのはロシア(旧ソ連)だけではない。欧米諸国は様々な戦争犯罪を犯してきた。 元朝日新聞記者の長谷川熙氏が2007年に著した「アメリカに問う大東亜戦争の責任」(朝日新書)は次のように書いている。 <(喜多義人日本大学専任講師の論文によれば、ポツダム宣言受諾後)南方各地には合わせて63万3000人の(日本の)陸海軍将兵がいたが、英軍が中心の東南アジア連合軍は、これら日本軍を「日本降伏軍人」という扱いにし、戦時国際法に基づく捕虜の待遇をしないで酷使し、昭和21年7月からは10万6000人が「作業隊」として残され、昭和22年10月に最終的に日本への送還を終えるまで9000人に近い死者が出た。> (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ■ 戦後70年、中韓が建設急ぐ「虚の楼閣」- 世界は武士道が分からぬと心得、正しく丁寧に説明を 「JB press(2015.5.20)」より / 中韓は日本に対して「正しい歴史認識」を求めて圧力をかけてきた。両国は終戦70年の今年を山場にしたいようで、一段と批判を強めると思われる。 南京大虐殺や従軍慰安婦問題の真実は日本に分がある。しかし、中韓にとって史実はどうでもよく、大きい虚言ほど愛国の度合いも大きいとみなす愛国虚言の国である。 福沢諭吉は諸外国に対しては、「智戦」で対処し、優位に立って地位(名誉)を高めるべきだと主張した。首相の米国議会における演説は、従来批判が多かった米国から多くの賛同と称賛を引き出した点で智戦の勝利と言える。 戦後体制からの脱却とは戦後植えつけられた自虐史観、犯罪国家・日本という汚名を智戦で払拭することである。 日本的良心は国際場裏では逆効果 中国は南京攻略戦時の「南京事件」を大虐殺に仕立て、韓国は支那事変時の慰安婦を「強制連行」して「性奴隷」にしたと糾弾し、日本に「正しい歴史認識をもて」と世界を味方につけて圧力をかけてきた。 武士道の影響が多分にあるであろうが、日本は国内だけでなく国際社会でも、問題が発生すれば穏便に解決することを第一として、反論することを極度に避けてきた。「以心伝心」や「済みません」という日本的な解決法が、国際社会でも通用すると勘違いして、益々謝罪の深みに入っていった面もある。 1912年の処女航海で氷山に追突して沈没したタイタニック号には、鉄道事情を視察して米国経由で帰国する日本人の鉄道院官吏が乗船していた(「いつの時代も支那人は」、高山正之著『サダム・フセインは偉かった』所収)。 救命ボートで脱出した英国人教師(男)が「無理やり乗ってきた嫌な日本人」と語り、日本の新聞が教師の証言を掲載すると、「日本人の恥」という手紙が殺到し失職するが、死ぬまでの27年間一言の弁解もしなかったそうである。 ところが、遺品の中から、沈没騒ぎの中でタイタニックのレターヘッドつき便箋に彼が書いた記録が見つかる。 「もう2人乗れる」という乗員の声に従い、左舷の10番ボートに乗る。教師は右舷13番ボートで、無理やり乗ったのは出稼ぎの支那人であった。「TIME」誌が1997年に報じ、85年ぶりに官吏の汚名は雪がれた。 +続き 東条英機は家族に対して100年間は言い訳をするなと遺言した。しかし、日本が言い訳しないことをいいことに、悪意を持つ国は日本を大罪国家に仕向ける画策をしてきた。 個人的な問題ならば官吏同様に我慢し続けたであろう東条家も、ことが国家の「名誉」に及ぶに当って、21世紀を迎えた時点で、孫娘の東条由布子氏の我慢の緒も切れたようだ。 タイタニックの日本人は運よく汚名が晴れたが、戦争に関わった外交官は言い訳で逃げ回り、軍人は沈黙を続けてきた結果、日本の汚名は拡大し続けてきた。 国際場裏では、妥協することなく自国の正当性を繰り返し主張する「智戦」が大切である。 100人の現地従軍記者 南京事件を「大虐殺」にしたのは、蒋介石政権が日本の立場を悪くするために画策した陰謀に発し、その後の中国国内事情によることが明確である。 南京には同盟通信社の記者33人をはじめ、朝日、毎日など各社10人前後の記者が派遣されており、総計約100人の日本人記者がいたと、同盟通信社の記者であった前田雄二氏は『戦争の流れの中に』で書いている。 著者は上海戦に始まり、南京攻略戦から仏印進駐までの戦闘に従軍記者として参加した自負から、戦時中は検閲で報道できなかったことも含めて書き残す使命があると思い、克明な日記をもとに、約40年後の昭和57(1982)年に上梓する。 従って、南京大虐殺が話題になっていることを知ったうえで書かれた著書には、わざわざ「第2部 南京攻略戦」の中に、「南京大虐殺とは」という項目を設け、死体が門を塞ぐように重なっていたことや処刑の場面なども見たままに詳述している。 さらには「皇軍としてあるまじきこと」を叱責する松井石根軍司令官にも触れているが、「のちに海外へ伝えられたいわゆる『南京大虐殺』などのようなものではなかった」と主張する。 南京攻略戦が終わった直後に著者は安全地帯や城内外を巡回しており、同盟の記者ばかりでなく、他社の記者たちと情報交換もしている。 そうした中で、上海発で「占領区内(註:ドイツのジョン・ラーベを委員長に設けた市民を収容する安全地帯で、避難民区や難民区とも呼称)で大規模の掠奪、暴行、放火があったという外電が流れた。これを知って、私たちはキツネにつままれたような思いをした」と述べる。 100人にも上る記者が南京戦のあった現場に居合わせ、南京城内に設けられた安全地帯や城内外を廻っている。それでも、外信が伝える「乱暴狼藉」の状況を誰ひとり見ていない。キツネにつままれた思いは当然であったろう。 現に、入城式前後の朝日グラフやその他のメディアが伝える写真は、子供や市民がにこにこしているものばかりで、大虐殺が行われているような状況を示す写真は1枚もない。その後に出回る写真も大虐殺とは関係ないものを、「日本軍の悪行」にキャップションをつけ替えている。 実際の城内風景 開城から2夜開けた15日、「車で城内をまわる。『避難民区』周辺には警備隊が配置されていた。旧支局が区内にあるので入る。店は閉じたままだが、多くの住民が行き交い、娘たちの笑い合う姿があり、子供たちが戯れていた。生活が生き残り、平和が息を吹き返していた」(要旨)。こうした様子に、戦争で荒れた心が和むのを覚えたと著者は述べる。 入城式の翌18日、「入城式の頃から難民区内外で商店が店を開け始め、同盟班も旧支局に移動していた。区内の治安が回復したからである。支局には、戦前働いていた料理人や下働きが戻ってきた」。 難民区内での日本兵の乱暴狼藉説が上海から伝えられたのは、「その直後、私たちが以前の活気を取り戻した難民区内の支局で、平和な日常活動をはじめた矢先のことである」と、記者は驚きを隠さない。 「市内をマメにまわっている写真(班)や映画(班)の誰一人、治安回復後の暴虐については知らなかった。残敵掃討や区内に逃げ込んで潜伏した中国兵の摘発も、14日には終わっていた。こうした無法行為があったとすれば、同盟(通信社)だけではない、各社百名の報道陣の耳目に入らぬはずはなかった」 これこそは、誰が何を言おうと、「南京大虐殺はなかった」という明らかな証であろう。それでも、日本がつけ込まれたのには日本人的良心からである。 100人もの記者がいろいろな角度から南京を見ていながら、なおかつ自分たちに「死角」があったのではないかという「良心」からの一抹の危惧であろう。そうした心理にうまくつけ込むのが三戦(世論・法律・心理戦)である。 確かに、数万人と言われる捕虜の処刑などはあった。しかし、警備の日本兵が少ないことを見た捕虜たちの反乱が起き、日本軍さえ不足の糧食問題などを抱えていた。 一般に、「虐殺」とは、ドイツのユダヤ人ホロコーストや米国の原爆投下、中国が起こした通州事件など、戦争と直接関係ない女性や子供を含む一般市民の殺戮である。この点から見ても、南京で起きた捕虜の処刑などは戦争に伴う通常の犯罪である。 争点化させる日本人 朝日新聞が宮澤喜一首相の訪韓5日前、1992年1月11日に取り上げた防衛庁(当時)の防研図書館にある「陸支密大日記」は、「30年前から公開されていて、慰安婦関係の書類が含まれていることも、軍が関与していたことも、研究者の間では周知の事実」(秦郁彦著『慰安婦と戦場の性』)であった。 内容的には軍が慰安所の設置などの管理面で関与していたことを示すもので、朝日新聞が報道したように、「歴史から目を逸らしてきた日本」でも、「偽証してきた政府」でもなかったが、そのような印象を与える多数の見出しとリードは、新聞社の意図どうりに大反響を呼ぶことになる。 全国放送のテレビ番組で渡辺美智雄外相が「50年以上前の話ではっきりした証拠はないが、何らかの関与があったことは認めざるを得ない」と発言する。これを紹介した「Japan Times」は、外相発言になかった「何十万人(の慰安婦)」や「強制売春」という用語をつけたして、一段とセンセーショナルな報道に持っていった。 従軍経験のない首相をはじめとする官邸は不意打ちに慌て、不手際を連発する。その最たるものが、関与の「内容」を確認することもなく、出発前の記者会見で「軍の関与」を認め、「お詫び」を重ねたことである。 その後、青瓦台での1時間25分にわたる大統領との首脳会談で、首相は8回謝罪と反省を繰り返したと、大統領首席補佐官が勝ち誇ったように韓国人記者に語っている。 事実を確認するどころか、すっかり雰囲気にのまれた首相(及び政府)は、韓国が何を意図しているかを読むこともなく、相手に有利な言質で謝れば済むと思い込む。 この時までの韓国マスコミの平均的認識は、「日本当局は1937年末の南京攻略戦後、徐州作戦が開始される頃に、朝鮮内の御用女衒たちに指示して、貧乏で売春生活をしていた朝鮮女性を多数中国大陸へ連れて行き、『慰安所』『簡易慰安所』『陸軍娯楽所』などの名称を持った日本軍の施設に配置し、日本軍兵士の慰みものにした・・・日本軍に出入りする御用女衒たちが朝鮮にきて、駐在所や面長を先頭に『らくちんで金もうけ出来る仕事場がある』とだまして連れ去った」(秦前著)というものであった。 こうした韓国の認識を日本軍主導説に変えていくのが朝日新聞であり、『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(83年刊)で詐話話をつづった吉田清治であり、日本人煽動家たちである。92年の朝日記事で一挙に爆発する。 訪日した盧泰愚大統領が、「日本人が争点化した」と、困惑して語った通りである。 米独までが日本批判 吉田が詳述した済州島での慰安婦狩りについて、1989年に地元の新聞記者が現地調査して「出鱈目」と否定した。それでも、朝日が書き続けることをいいことに、韓国では慰安婦像を立て、慰安婦碑を設置していったのである。 そして米国や国連などへも拡大していく。しかも、15歳の少女を含む韓国人女性が20万人も強制連行されたと、慰安婦像や碑に書き続け、日本批判の輪を広げていく。 秦氏の研究からは慰安婦は最大で2万人ほどである。しかも日本人が一番多く、次いで現地人(中国人、満州人、比国人など)、3番目が朝鮮人、最後にその他(台湾人や蘭人など)とし、あえて比率を示せば4:3:2:1であろうと述べる。 この比率からは、韓国人慰安婦は精々4000人位であったということになる。最も多かった日本人慰安婦たちは韓国のような声を上げていない。また多くの場合、韓国人(慰安婦や煽動家たち)が主張するような強制連行でも奴隷状態でもなかったことも分かってきた。 前述のように、朝鮮人女衒に連れ出されたのであり、また少なくない慰安婦が将校や下士官・兵どころか軍司令官よりも経済的には恵まれ、かなりの自由もあったとされる。 総じて性奴隷などではなかったのであり、年齢も募集広告では17歳や18歳以上などと明記されている。 1997年には米国のマイク・ホンダ議員が主導して、下院で「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」をした。しかし、驚くなれ435人の議員のうち、わずか10人しか議場にいなかった「全会一致」の決議で、米国の総意でもなんでもなかった。 また、ナチス・ドイツは日本人が想像できないほど組織的に慰安婦や慰安施設を国家管理していた。そのことを反省することもなく、日本批判に乗り出している。しかも、11・12歳からの女性20万人を慰安婦にし、生き延びたのは30%でしかなかったと根も葉もない批判の決議案を連邦議会に出した(川口マーン恵美論文、『WiLL』2013年8月号所収)。 おわりに マックス・ヴェーバーは、「国民は利益の侵害は許しても、名誉の侵害、中でも説教じみた独善による名誉の侵害だけは断じて許さない」(『職業としての政治』)と述べている。 戦後体制とは自虐史観で名誉の侵害を許してきた体制であった。従って、「戦後体制からの脱却」とは「名誉の侵害を許さないこと」とも言える。 欧米の植民地支配に比べると善政をした日本(参照:ジョージ・アキタ著『日本の「朝鮮統治」を検証する』)は、大陸や半島への進出自体への反省もあって、中韓の批判に対して、ほとんど言い訳をしないできた。 そのことをいいことに、「無かったこと」までが「あったかのよう」に悪意で誇張されてきた。日本を犯罪大国に仕立てて、日本より道徳的に優位に立とうとする魂胆からである。 世界は腹黒いと言われる。外国が自国の罪を軽減するために日本批判を強める前に、日本は智戦で勝利しなければならない。 ★ 9日にロシアで対独戦勝70年式典 欧米首脳は軒並み欠席 ウクライナの溝なお深く 「産経ニュース(2015.5.3)」より / 【モスクワ=遠藤良介】ロシアの首都モスクワで9日、対ドイツ戦勝70周年式典が行われる。第2次大戦でナチス・ドイツを打破した「戦勝国」の地位を内外に誇示し、国際的な発言力の向上と国内の結束を図るのがプーチン露政権の思惑だ。しかし、欧米主要国の首脳は軒並み欠席を決めており、ウクライナ危機や歴史認識をめぐる「溝」が改めて鮮明になっている。 式典はクレムリン前の「赤の広場」で行われ、ソ連崩壊後で最大規模の軍事パレードが予定されている。2005年の60周年式典には米国やフランス、ドイツ、日本など、旧連合国と枢軸国の双方から53カ国の首脳が一堂に会したが、今回の首脳出席者は25人前後にとどまる見通しだ。 事実上の主賓は中国の習近平国家主席で、インドのムカジー大統領やキューバのラウル・カストロ国家評議会議長らも参列する。旧ソ連諸国以外では対独戦(1941~45年)と関係の薄い国が目立ち、ロシアの国際的な立ち位置を如実に示す場となりそうだ。 ロシアは昨年3月、ウクライナ南部クリミア半島を一方的に併合し、その後も同国東部の紛争で親露派武装勢力を支援した。これが欧米主要国の首脳が式典を欠席する最大の理由とみられている。60周年式典が「記憶と和解」を標語に掲げていたのに対し、ロシアと欧米の距離が歴史認識をめぐって広がっていることも背景として指摘される。 第3次プーチン政権は、「旧ソ連が欧州をナチス・ドイツから解放した」とする国定史観の流布に躍起となっている。米ソ冷戦時代の「超大国」から転落したロシアにとって、国連安保理常任理事国に代表される「戦勝国」の地位は、大量の核兵器と並ぶ大国路線のよりどころだ。内政面でも、過去の戦勝以外に国民を束ねうる理念が見当たらない。 だが、独ソ戦を切り抜いて肯定的にとらえる大戦史観には欧州側の反発が強い。独ソが39年、欧州の勢力圏分割を密約し、大戦に道を開いたことにロシアは目を閉ざしているためだ。 ロシアは、冷戦構造の端緒となったヤルタ協定(45年)を「長期の平和がもたらされた」などと評価するが、東欧やバルト諸国にとっては戦後のソ連支配が「新たな占領」にほかならなかった。在露外交筋は「戦勝を強調するロシアの歴史観は、和解を重視してきた欧州の潮流とも相いれない」と話している。 ■ 独首相の呼びかけにフィルターをかける日本の報道 「DEEPLY JAPAN(2015.5.4)」より / 面白いなぁと思った。この話。いや、ドイツの方針は理解できるので別になんにも驚かないんだけど、日本の報道が興味深い。 どこにポイントがあるかというと、ドイツにとっての過去の範囲。 独露外相@スターリングラード でも書いた通り、ドイツ政府は、ユダヤ問題だけでなくロシアとの関係で一定の義理は通そうとしているわけ。ソ連に踏み込んだのは紛れもなくドイツだから。 だから、朝日が書くように、 独首相「歴史に終止符ない」 戦後70年前に呼びかけ http //www.asahi.com/articles/ASH5354F3H53UHBI00N.html (中略) メルケル氏はまた、自身が10日にモスクワを訪れ、ロシアのプーチン大統領と無名戦士の墓に献花すると説明。ウクライナ危機でロシアと対立していても「第2次大戦の多数の犠牲者を追悼することは重要だ」と理解を求めた。 ロシアは9日にモスクワで対独戦勝70周年の式典を行うが、ウクライナ危機を背景に欧米各国の首脳は欠席を表明。メルケル氏も9日の式典は欠席するが、10日に無名戦士の墓を訪れることでバランスを取った。 ユダヤ人問題だけでなく、この決意が重要だと思うわけですよ。アメリカに引きづられて、ロシア批判だけしてここをパスしたら、ドイツ人は過去をどう考えているのかについて半端な話になってしまう。世界強国への道/フリッツ・フィッシャー を今も引きずった存在になってしまう。 だからこそ、そうではないドイツ、生存権をかけて東方に武力侵攻するモチベーションを宿したドイツではないドイツになるためには、ドイツの首脳がモスクワに行ってソ連 or ロシアの首脳と並ぶという儀式が必要なんだと思う。でもってそれが広くスラブ圏、もしくはドイツ・スラブの混在地、すなわち中欧、東欧との関係における信頼の基になるし、それはそれ以東の関係との基にもなるでしょう。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / どうも、メルケルがアメリカラインをキープして、外相と大統領が全力でロシアとの和解を壊さないよう努力する、みたいな感じですかね。 もう完全に冷戦には戻さないという覚悟が見える、というべきか。日本と本当に逆向きになってきた。 でもって、5月9日のビクトリーデーには、欧米諸国の大物国家はみんないかない、ざまーみろー、みたいなことを言う英米を後目に、インド、中国の首脳が行くわけ。ブラジル大統領も行くんじゃいのかな、多分。だからまたBRICS総会みたいな感じか。 ドイツは、この流れに乗る決心なんだろうね。なんか、発表とかありそうな気がしないでもない。 ★ 独首相「歴史に終止符ない」 戦後70年前に呼びかけ 「朝日新聞(2015.5.3)」より / ナチス・ドイツが連合国に降伏してから8日で70周年になるのを前に、メルケル独首相は2日、国民に歴史と向き合うよう呼びかける映像メッセージを政府ホームページに公開した。メルケル氏は「歴史に終止符はない。我々ドイツ人は特に、ナチス時代に行われたことを知り、注意深く敏感に対応する責任がある」と訴えている。 メルケル氏は映像メッセージで、ドイツ国内のユダヤ系の施設を警官が警備している現状を「恥だ」とし、「意見を異にする人々が攻撃されるのは間違っている」と指摘。学校や社会でも歴史の知識を広めていくことの重要性を強調し、戦後ドイツに移り住んだ人々にも「ドイツの過去を共有」するよう求めた。 メルケル氏はまた、自身が10日にモスクワを訪れ、ロシアのプーチン大統領と無名戦士の墓に献花すると説明。ウクライナ危機でロシアと対立していても「第2次大戦の多数の犠牲者を追悼することは重要だ」と理解を求めた。 ロシアは9日にモスクワで対独戦勝70周年の式典を行うが、ウクライナ危機を背景に欧米各国の首脳は欠席を表明。メルケル氏も9日の式典は欠席するが、10日に無名戦士の墓を訪れることでバランスを取った。 メルケル氏は3日、4万人以上が犠牲となった独南部のダッハウ強制収容所の解放70年式典で演説し、「ナチスがこの収容所で犠牲者に与えた底知れない恐怖を、我々は犠牲者のため、我々のため、そして将来の世代のために、決して忘れない」と語った。(ベルリン=玉川透) .
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/4073.html
前ページ次ページ虚無を担う女、文珠を使う男 第9珠 ~霊剣デルフリンガー~ そして、虚無の曜日を迎える。 ルイズと横島は、トリステインの城下町である、ブルドンネ街へ向かう馬上の人となっていた。 馬の足並みこそ揃っていたが、二人の表情はそれはもう対照的だ。 むっつりとしているルイズと、この世の春が来たかというような雰囲気の横島。 こんな事になった原因は、昨日の夕方に届いた手紙にある。 その手紙には、エレオノールの学院到着予定日が「虚無の曜日」(つまり今日の事だ)の夜である事と、「今回の訪問は私的なものである」という事が記されていた。 また、ヴァリエール公爵家の花押が描かれている書類も同封されていた。 学院へ届け出る欠席届けに添える為の書類だ。 アカデミーを長く空けておくわけにもいかないので、授業を休んで付き合うように、との事だった。 アカデミーの研究員として来訪するのでないならば、とりあえずではあるが、横島が強制連行されたり、解剖調査されたりするような事態にはならない。 ようするに、ここ2・3日のルイズの悩みは杞憂であったという事であり、これだけならば、ルイズもこれほど不機嫌になったりはしなかっただろう。 使い魔が人であった事を黙っていた事やら、その使い魔がもうどうしようもない無礼者であるという事やら、問題が全く無いわけではないが… その使い魔の力で自分の妹が良くなるというのであれば、いくらエレオノールであっても多少の事は多目に見てもらえるはず、と思えるからだ。 ただ、その使い魔とは横島のことだ。彼が起こす問題が、多少どころでは無いであろう事は、ルイズには容易に想像できた。 自らの使い魔が起こすであろう問題を思い浮かべ、さらに沈んでいくルイズに横島は声をかける。 「なー ルイズちゃんのお姉さんってくらいだから凄い美人さんなんだろ? でもまだ独身なんだよな? しかも二人とも。 昨日からずっと考えてたんだけど、やっぱり、病気が治らないと結婚できないとか、結婚するのは妹の病気を治してからとか、そんな理由なんか?」 「姉さまは知らないけど、ちい姉さまの方はそうね…」 「そっかー じゃあ… 俺がその病気を治してやれば… 『おお、よくぞ娘の身体を治してくれた。褒美を取らす。何か望みのものはあるかな?』 『お父様! そういう事でしたら、是非私を横島様の妻にしてください』 『おお、そうか。横島とやら、君に娘の事を任せたいと思う。やってくれるかね?』 なんて展開も!? うわ、俺どうしよう?」 ほら、この通り。 昨晩、今回の件の説明をされた横島は、もうほとんどこんな調子だ。 「それはないから安心して頂戴。というか身の程知らずも大概にしなさい。 もう何度も言ってるけど、ヴァリエール家は由緒正しき公爵家なのよ。 いくら何でも、貴族でもないあんたなんかせいぜい掛かりつけの医者が良いところよ」 病気の人はヴァリエール家の娘で、横島を調査に来るのもヴァリエール家の娘。 今回の話の概要を聞いた横島は、病気の治療にいつになく乗り気になっていた。 あんなに消極的だった自らの使い魔が、手のひらを返した事を不思議に思ったルイズが、話を聞いてみると… 「美人の人が困ってるなら、それを助けねーのは男としておわっとる」と真面目な顔で答えられたのだ。 この1週間の行動を見ている限り、それだけの理由でも納得出来るのだったが… 「それにしても、あんたってば節操ないわよね。 ミス・ロングビルのところにも入り浸ってるって聞いたわよ。 というか、あの人もよくあんたなんかと仲良くやれるわよね。 本当、不思議だわ」 「そりゃーもう、分かる人は分かるとか? こう、黙っていても溢れ出す俺のオーラってやつ?」 「あんたの場合、むしろ黙っといた方がマシなんじゃない?」 あんまりにもあんまりなルイズの言いようだったが、全くもって真実だったので、横島は苦笑でごまかす事しか出来なかった。 そんなこんなで3時間。途中で立派な馬車にすれ違った以外は、特に変わった事も無くブルドンネ街へとたどり着いた二人。 馬を預け、ルイズの先導に従って武器屋へ向かう。道中、綺麗な女性を見かける度に声をかける横島を適度にしばいている内に、ルイズの憂鬱な気分も少しは晴れていった。 そして、剣の形をした銅の看板が下がっている店を見つけると、その店へと入っていった。 「旦那。貴族の旦那。うちはまっとうな商売してまさあ。お上に目をつけられるようなことなんか、これっぽっちもありませんや」 店に入ってきた二人を見た、五十がらみの親父が声をかけてきた。おそらく店主だろう。 (大体そんな事を言う奴に限って、何かやってんだよなー) そんな事を思いながら店内を見回してみる横島。 ルイズが「客よ」と言ったり、親父がそれにふざけた調子で返していたりするが、横島は何かに感づいたらしい。 店の一角で乱雑に積み上げられている剣の山へ向かって歩いていった。 「あ、お客様? そっちにあるのはあんまりお勧めできるような代物じゃ…」 親父がそう言うのも構わずに、剣の山の前で立ち止まる横島。 「や、やっぱりかー なーんか霊感に引っかかると思ったが、こりゃ何か憑いてやがんぞ。 親父、ここにある剣のうち何か曰くつきの物とかねーか? 人を何十人も斬っただとか、持った奴が殺人鬼になっちまうだとか」 親父の方へ振り返り、そう問う横島。 「はぁ? あんた一体何言ってるの?」 「そんな曰くつきの物があったら、むしろ目玉にしますぜ」 「おでれーた。坊主、俺の事が分かんのか」 返って来た返事は3つ。 ルイズのバカにしたような声、親父の心外そうな声、そして横島の後ろ、つまり剣の山から聞こえてきた、驚いたかのような声。 「え? 今の声は誰?」 「はぁ… これでこの商談もパーか」 「一般人の目はごまかせても、このGS横島忠夫の目はごまかせん!!」 今度はルイズが驚く番。親父は諦めきったような声を出し、横島は何故か得意そうだ。 「剣なんかについてる霊は、人を斬りたくてしょうがねーっていう危険極まりない奴に決まってんだ。 いわゆる悪霊って奴だな」 「あんた何言ってるのよ。剣がしゃべるくらい、そんなに珍しくはないでしょ? ただのインテリジェンスソードじゃない」 「いやー お客さん中々分かってるね。そいつは確かに呪われてるよ。何せそいつを置くようになってから、ウチの店の売り上げががくんと落ちたからなー」 「俺を悪霊なんかと一緒にするなっつーの。つうかなんだ、てめー良くみれば『使い手』か? 使い手に悪霊呼ばわりされるなんて、六千年生きてきて初めてだね」 しゃべる剣なんか珍しくない、という二人の話に、横島も少し考え直してみたようだ。 悪霊候補である剣のたわごとには耳を貸す気はないようだが。 「へ? 俺の方だとしゃべる剣なんて大概は危険物なんすけど、こっちだとそんな事は全然無いんすか?」 この疑問に、インテリジェンスソードについて説明するルイズ。 売り上げが落ちたーとか笑ってる店主も、ただこの剣の口癖が悪くて商談がパーになったり客足が遠のいたりしているだけだという。別に呪いでも何でもない。 「はぁ。じゃあこの剣って別に魔剣でも妖刀でもなく、ただのしゃべる面白いボロ剣だって事っすか」 「おいこら、坊主! このデルフリンガー様を捕まえて、ただのボロ剣扱いはねーだろ。使い手だからって、言っていい事と悪い事があるんだかんな」 「ほほー てめー剣の癖に生意気な事言ってやがんな。あんま態度悪いと、溶かしちまうぞ?」 剣ごときに楯突かれた横島は、コメカミをぴくつかせるとその手に文珠を作り出し、【溶】の字を込めている。 「使い手の癖に、俺を溶かすっちゅうのか? そんな変な珠っころなんかで溶けるわけねーんだ、やれるもんならやってみろ!」 「い、言ったなこのヤロー! 後悔したってもうおせーかんな」 そう言って歩き出した横島を止めたのは、ルイズだった。 「ちょっとヨコシマ、何勝手な事言ってるのよ。 まだ文珠はそれ1個しか作れてないんでしょ? 万が一には治療に使うんだから、そんな下らない事に使っちゃダメ」 そう言われてしまうと、横島としても諦めるしかない。 生意気な剣に制裁を加える事なんかより、未だ見ぬ美女と仲良くなるほうがずっと大事なわけで。 「けっ。命拾い… 剣だから剣拾いちゅうのか?」 「んな事知らねーよ。まぁいい。おめ、俺を買え。損はさせねー」 じーっとデルフリンガーと名乗ったボロ剣を手に取って観察する横島。 ややあって… 「よく見りゃ、錆びてはいるが頑丈そうだし、なかなかいい剣じゃねーか」 「よく分かってるじゃねーか。いや、使い手っちゃそう言うもんだったか?」 「使い手ってのが何を指してんのか知らねーけど、武器の状態が手に取るように分かるってのは確かだな」 「おめ、手に取るようにっちゅうか、手に取ってるじゃねーか」 「こ、言葉の綾だ! んな事に突っ込むんじゃねー」 「はいはい、剣と漫才なんかしてもしょうがないでしょ。みっともないからやめなさい。 それで、あんたはその剣がいいの? 私の従者として使う剣なんだから、もっとしゃべらなくて綺麗なのがいいんだけど」 「ちょっとしゃべって見た目がボロっちいくらい、別にいいじゃないっすか。 そんな事より、こいつがしっかりした魂を持っていて、十分な霊気を感じられるって事の方がずっと大きいっすよ。 これなら十分使えそうっすからねー」 今度はルイズが諦める番だった。 何せ、本来の目的は横島のハンズ・オブ・グローリー等の使用を節約する為である。 いくら見栄えが良く、頑丈で切れ味も良い物があったとしても、横島がダメだと思うのであれば意味がない。 仕方なくルイズが親父に代金を支払うと、「うるさい時は鞘に収めれば黙りますんで」と鞘も一緒に渡された。 武器屋を後にした二人と一本は、昼食を済ませた後に衣料品店へ寄った。 従者としての格好を横島にさせるためだ。 (ちなみに、昼食はルイズが高級料理店、横島はルイズを送り届けた後に、平民相手の大衆食堂にてとった。 ケチで有名な美神でさえ、仕事先での食事は横島も同じ店であった事を思い出し、今さらながらに平民の扱いの悪さに涙を流していたのは、ほんのささいな事だ) 「今晩には姉さまがやって来るわ。 昨晩も言ったけど、とっても厳しい人なの。 いくら使い魔でも、いいえ、使い魔だからこそ、礼儀がなってなかったら凄く怒るわ」 そう言いながら、店員に横島のサイズを測らせるルイズ。 それと同時に、服が仕上がるまでの間に着せておけるような物が無いかどうかも尋ねている。 多少古くても、今横島が着ている珍妙な格好よりはよっぽどましだろう。 結論から言うと、運良く劇団関係者に知り合いがいるとの事で、当分使う予定の無い衣装を貸してもらえる事になった。 サイズが多少合わないかもしれないが、この際仕方がない。 ルイズ達は、劇場へ立ち寄ってから学院へ帰ったのだった。 学院へ戻ったルイズ達は、自室にて最後の打ち合わせをしていた。 横島はすでに、借りてきた衣装に着替えている。 (ちなみに着替える際は、事情を話した上で衛兵の詰め所を借りている。 自室で横島が着替えるのを、ルイズが嫌がった為だ。 というか横島だってそれは遠慮願いたいと思っている) そうして夕食の時間が迫った頃、エレオノールが到着する、とルイズに知らせが入った。 緊張を隠せないルイズと、美人なお姉さんを期待して顔を輝かせている横島。 出迎えをするのが礼儀であり、二人は寮の玄関へと向かう。 たどり着いた二人に見えたのは、こちらへ向かってゆっくりと進んでくる、二頭立ての立派なブルームスタイルの馬車である。 「金ってあるところにはあるんだなぁ…」 「だからいつも言ってるじゃない。ヴァリエール家は超一流の名門なのよ。 馬車だって、いつでも最高級の物を準備させるわ。 あんたもそれに恥じないように、しゃきっとしなさい。お願いだから」 そんな事を言っても… と横島は思った。何せ、彼がこういう上流階級と付き合う場面は、必ず美神の付き添いであったのだ。 彼一人でボロを出さずに済むかというと… それはとても自信が無い。 だが、自信が無くても、やらなきゃならない。 何せ、もう馬車はすぐそこまで来ているからだ。 馬車がとまり、先に到着していた従者の一人が扉をあけて頭を下げる。 それをぼーっと見ていた横島だったが、横から突っつかれた為、慌ててその従者を見習って頭を下げる。 「姉さま、長旅お疲れ様でした」 「ありがとう、ルイズ。さあ、あなたの部屋へ案内して頂戴」 その間中、横島は顔を下げっぱなしでいた。 わずかな会話や従者達の緊張の度合いから、ルイズの言う以上に厳しい人であると思った事も一因だが… やはり、ロングビルにあって彼女に無いものを見つけてしまったのが最大の原因だろう。 地面に落ちたエレオノールの影を見ただけで、彼女の胸がどちらかと言えば控えめでありそうだと思った横島は… 危険をおかして飛び掛るつもりにはならなかったのだ。 「ヨコシマ。今日は姉さまと一緒に部屋で夕食を食べるわ。 厨房に行って、食事を持って来るように伝えなさい。 あんたも適当に食事を済ませてから戻ってきなさい」 そうルイズから声をかけられて、ようやく顔をあげる横島。 ルイズの隣に立っている、ブロンドの女性も視界に入る。 ルイズにどことなく似た顔立ちで、文句なしに美人判定だ。 ただ、胸は控えめな上に、少々キツめな印象も受ける。 何故か、こちらを睨みつけているような様子でもあり… 横島の中では、即座に「危険度ランク:美神隊長」との分析がなされた。 「返事は?」 「は、はいっ」 慌てて返事をする横島だったが、ルイズの方も心なし慌てているように感じるのは気のせいではないだろう。 何故なら隣でエレオノールが「いかにも不機嫌です」と言わんばかりに顔をしかめつつあったのだ。 「俺、まだ何にも悪い事しちゃいねーよな?」と首をかしげながらも、即座にその場を退散するしかない横島だった。 前ページ次ページ虚無を担う女、文珠を使う男
https://w.atwiki.jp/studykorea/pages/89.html
トップページ>韓国>韓国独立運動史研究 『韓国独立運動史研究』40、2011.12 研究論文 韓詩俊「新興武官学校と韓国独立運動」 金泰国「新興武官学校と西間島韓人社会の支援と役割」 김주용「『新興交友報』を通じて見た新興武官学校」 김종준「国権喪失に対する一進会の認識:文明化論と合邦論の関係を中心に」 주계운「1930年代忠北地域官制青年団研究」 정진아「『学海』を通じて見た日帝末期知性界の断面」 김광재「日帝時期上海高麗人蔘商人の活動」 양지선「天津朝鮮大独立党籌備会の結成と活動」 孫艶紅「1930-40年代中国華北地域韓人社会と帰還:河北省・内蒙古・山西省地域を中心に」 B-randon Palmer「半植民、抗議、暗殺:アメリカ人、韓日関係に直面する」 資料紹介 潘炳律「「国民代表会議出席員署名簿」解題」 書評 廉仁鎬「1980年代意識と感性が照らす中国管内地域韓国独立運動史:김영범『혁명과 의열-한국독립운동사의 내면』」 『韓国独立運動史研究』39、2011.8 研究論文 최규순「1905-1906年西欧式大礼服制度改定に現れた日帝の韓国併呑準備:日本西欧式大礼服制度との比較を通じて」 金京美「統監府の初等学校歴史教育政策と歴史認識」 李明花「日帝強制併合イデオロギーと植民地教育政策」 이재호「尹琦燮の大韓民国臨時議政院参与と活動」 趙栄得「栄州水島邑(ムソムマウル)宣城金氏門中の民族運動」 韓圭茂「五放崔興琮の生涯と民族運動」 呉美一「総動員体制下生活改善キャンペーンと朝鮮人の日常:植民都市仁川の社会的空間性と関連して」 김한종、남정우、이해영「独立運動史教育における史跡地活用方法とその効果:『国内抗日独立運動史跡地調査報告書』活用手法を中心に」 企画調査報告 이정은「アメリカの史跡地調査及び管理政策」 윤소영「日本史跡地政策と歴史文化資源の活用現況」 資料紹介 필규「朝鮮義勇隊発行『戦鼓』第2号」 『韓国独立運動史研究』38、2011.4 研究論文 김수태「安重根と天主教の関係についての批判的検討:独立運動期を中心に」 李東彦「徐一の生涯と抗日武装闘争」 金容達「金益相の生涯と義烈闘争」 전성현「日帝強占期慶南地域の義烈闘争と地域性:1920年代初義烈団の活動を中心に」 오대록「日帝強占期常山金度演の現実認識と民族運動」 朴杰淳「申采浩のアナーキズム受容と東方被圧迫民族連帯論」 조필군「青山里戦役の軍事史学的再照明」 渡部宗助「1910年前後日本の歴史教育:状況、教育課程、教科書」 佐野通夫「1910年代朝鮮総督府学務局の歴史教育」 資料紹介 성주현「『北接大道主』:義菴孫秉煕の近代国家政治論」 『韓国独立運動史研究』37、2010.12 研究論文 権泰檍「日帝の韓国強占論理とその宣伝」 朴敏泳「響山李晩寿の生涯と殉国」 金喜坤「定斎柳致明宗家三代の独立運動」 김승일「3・1独立運動前後孫文の韓国認識研究」 김주용「黃炳吉の生涯と独立運動」 윤덕영「1920年代中盤日本政界の変化と朝鮮総督府自治政策の限界」 金度亨「ハワイ大朝鮮独立団の組織と活動」 강혜경「淑明女高普盟休事件から見た植民地女性教育」 조은경「『東方戦友』を通じて見た李斗山の国際連帯認識と活動」 崔在聖「「創氏改名」と親日朝鮮人の協力」 資料解釈 尹炳奭「安重根の写真」 『韓国独立運動史研究』36、2010.8 企画論文 韓哲昊「津寬寺太極旗の形態とその歴史的意義」 金光植「白初月の抗日運動と津寬寺」 김주현「申采浩の『新大韓』発行と独立運動」 研究論文 朴孟洙「東学農民革命期在朝日本人の戦争協力実態とその性格」 尹慶老「安重根義挙背景と「東洋平和論」の現代史的意義:東アジア平和と未来を展望して」 呉瑛燮「韓末関東学会の結成と活動」 金祥起「瑞山地域3・1運動の展開と性格」 曺圭泰「1920年代在北京韓人革命社の『革命』発刊と革命運動」 崔起栄「金学武の在中独立運動と左派青年グループ」 윤소영「日帝強占初期韓日初等学校教科書の韓国認識」 趙成雲「1930年代植民地朝鮮の近代観光」 資料紹介 장세윤「新興校友団の機関紙『新興校友報』」 『韓国独立運動史研究』35、2010.4 企画論文 金淇周「光州学生運動以前の同盟休学の性格」 尹善子「光州学生運動以後学生運動の変化」 孫科志「光州学生運動に対する中国媒体の報道と認識」 孫科志「光州学生運動に対する中国媒体の報道と認識」(中) 研究論文 金炯睦「忠南地方国債報償運動の展開様相と性格」 朴敏泳「安重根の沿海州義兵闘争研究」 김남석「大湖芝3・1運動の展開と特性」 崔惠珠「近代日本の韓国史観と歴史歪曲」 李明花「日帝皇民化教育と国民学校制の施行」 최영호「戦後日本右翼の動向と自由主義史観の胎動」 韓詩俊「中韓文化協会の成立の活動」 『韓国独立運動史研究』34、2009.12 企画論文 潘炳律「ロシアにおける安重根の抗日独立運動に対する再解釈」 孫艶紅「安重根義挙が中国の反帝民族運動に及ぼした影響」 李圭洙「安重根義挙に対する日本言論界の認識」 尹善子「解放後安重根記念事業の歴史的意義」 研究論文 한동민「大韓帝国期日本浄土宗の浸透の仏教界の対応」 李東彦「金鴻亮の生涯と民族運動」 朴杰淳「沿海州韓人社会の葛藤と鄭淳萬の被殺」 韓圭茂「「光州学生運動」関連名称の用例と意味」 김영범「李陸史の独立運動詩:空間(1926-1933)と義烈団問題:通説の分析的再検討を兼ねて」 資料紹介 洪善杓「『加哇島韓人団合会規定』」 『韓国独立運動史研究』33、2009.8 企画論文 高珽休「重慶時期大韓民国臨時政府の承認外交失敗原因についての検討」 金喜坤「重慶時期大韓民国臨時政府の指導体制」 韓詩俊「重慶時期大韓民国臨時政府の位相と役割」 李賢周「1942年朝鮮民族革命党の臨時議政院参与と路線闘争」 朴敏泳「韓国光復軍印緬戦区工作隊研究」 研究論文 이호룡「李会栄のアナーキスト活動」 정욱재「朝鮮儒道連合会の結成と「皇道儒学」」 윤대원「玄楯に「秘伝」された臨時政府の実態と大韓共和国臨時政府」 황민호「朴東完の国内民族運動」 정을경「日帝強占期朴寅浩の天道教活動と民族運動」 성주현「天道教青年党の指導理念と組織体系」 洪善杓「解放以前大韓人同志会の組織と活動」 『韓国独立運動史研究』32、2009.4 企画論文 金祥起「尹奉吉の上海義挙に対する日本マスコミの報道」 韓詩俊「尹奉吉義士の虹口公園義挙に対する中国新聞の報道」 尹炳奭「安重根の「同義断指会」の補遺」 研究論文 金炯睦「韓末京畿道私立学校設立運動の展開と性格」 金仁鎬「金浦郡3・1運動勃発の経済的基礎」 김주용「1920年代初独立運動団体の軍事金募金活動」 김성민「光州学生運動の全国的様相と理念」 장신「日帝末期金性洙の親日行跡と弁護論批判」 書評 황민호「間島地域韓民に対する日帝の侵略的金融政策に対する深層的接近:김주용『일제의 간도 경제침략과 한인사회』선인、2008年」 『韓国独立運動史研究』31、2008.12 特集論文 金容達「島山の務実力行論とアメリカ韓人の生活倫理」 李明花「島山の教育観と初期アメリカ韓人社会の教育:大韓人国民会の教育運動を中心に」 李賢周「島山と初期アメリカ韓人団体」 研究論文 韓哲昊「我が国最初の国旗(「朴泳孝太極旗」1882)と統理交渉通商事務衙門製作国旗(1884)の原型発見とその歴史的意義」 이계형「1904-1910年大韓帝国官費日本留学生の性格変化」 金度亨「田明雲の生涯とスティーブンソン処断義挙」 呉瑛燮「安重根の政治体制構想」 李東彦「安明根の生涯と独立運動」 김상현「1920年代初盤崔東旿の天道教活動と民族運動」 資料紹介 潘炳律「『洪範図日記』版本検討と争点」 編集部「『洪範図日記』」 『韓国独立運動史研究』30、2008.6 特集論文 朴杰淳「『丹斎申采浩全集』編纂の意義と課題:「歴史編」を中心に」 김주현「丹斎全集観光と文学編の問題点考察」 研究論文 金炯睦「韓末天安地域近代教育運動の性格」 李升煕「韓末義兵弾圧と駐韓日本軍憲兵隊の役割:伊藤博文の韓国治安構想を中心に」 서동일「パリ長書運動の起源と在京儒林」 曺圭泰「1920年代北京地域韓人留学生の民族運動」 성주현「日帝強占期天道教青年党の大衆化運動」 조철행「1920年代前半期高麗中央局の組織過程と運営」 유필규「1930年代延辺地域韓人「集団部落」の設置と統制的生活相」 황민호「1930年代後半在満興亜協会の設立と対日協力論理」 資料紹介 김승태「日帝の堤岩里協会虐殺・放火事件処理に関する小考」 その他 編集部「日本歴史及び教科書問題関連資料目録(1)」 『韓国独立運動史研究』29、2007.12 研究論文 尹炳奭「万国平和会議と韓国特使の歴史的意味」 T. Simbirtseba「1907年ハーグ平和会議の開催過程と性格」 李玟源「光武皇帝とハーグ特使:高宗のハーグ特使派遣論理と構想を中心に」 朴鍾涍「ハーグ特使と韓露関係」 韓哲昊「ハルバートの万国平和会議の活動と韓米関係」 裵敬隆「ハーグ特使事件と日本の対応」 金祥起「高宗のハーグ特使派遣と国内抗日闘争」 李明花「ハーグ特使が国外独立運動に及ぼした影響」 朴敏泳「国恥前後李相卨の沿海州地域独立運動」 呉瑛燮「李瑋鍾の生涯と独立運動」 崔起栄「韓末李儁の政治・啓蒙活動と民族運動」 『韓国独立運動史研究』28、2007.6 研究論文 朴孟洙「教祖伸寃運動期参礼集会についての再検討」 朴杰淳「1894年合徳農民抗争の動因と様相」 金炯睦「大韓帝国期慶北金堤地域啓蒙運動の展開と性格」 신운용「安重根義挙に対する国外韓人社会の認識と反応」 金淳碩「韓龍雲の政教分離論研究」 김주현「『中国革命史略』著者究明と創作意義研究」 趙成雲「1920年代日帝の同化政策と日本視察団」 尹善子「1933年「全北朝共再建及び忠南前衛同盟」の組織と活動」 孫艶紅「日帝の中国華北侵略と北京地域韓人の麻薬問題」 황묘희「侵略戦争時期天津の親日韓人組織研究」 研究ノート 오인환、문충한、공정자「張仁煥義士の足跡を訪ねて:サンフランシスコ地域を中心に」 資料紹介 임명순「柳寬順烈士一審刑量関係「刑事事件簿」」 『韓国独立運動史研究』27、2006.12 研究論文 朴敏泳「韓末対馬島被囚義兵の幽閉生活」 許東賢「統監府時期(1906-1910)をどう見るべきか?」 이정은「慶南咸安郡3・1独立運動」 김권정「1920年代前半キリスト教民族運動に関する研究」 허종「日帝強占期後半大邱師範学校の学生運動」 特集論文:ヨーロッパ地域におけるアジア植民地解放運動 徐行「ヨーロッパにおいて展開された中国民族解放運動:周恩来をはじめとする中国旅欧勤工倹学生の政治活動を中心に」 徐行「ヨーロッパにおいて展開された中国民族解放運動:周恩来をはじめとする中国旅欧勤工倹学生の政治活動を中心に」(中) Hriday Narayan「ヨーロッパにおけるインド独立運動」 Hriday Narayan「ヨーロッパにおけるインド独立運動」(英) TS. Lê Ðình Chỉnh「20世紀初ヨーロッパにおけるベトナム革命家達の独立活動」 TS. Lê Ðình Chỉnh「20世紀初ヨーロッパにおけるベトナム革命家達の独立活動」(越) 이창훈「大韓帝国期ヨーロッパ地域における外交官の救国運動」 洪善杓「1920年代ヨーロッパにおける韓国独立運動」 『韓国独立運動史研究』26、2006.6 特集論文:韓国独立運動の世界史的意義 韓相禱「国際的反帝国主義連帯闘争としての韓国独立運動:中日戦争前後中国地域を中心に」 朴賛勝「植民地朝鮮社会運動の発展と国際的性格:1920年代を中心に」 金喜坤「東アジア独立運動主導組織の性格と大韓民国臨時政府」 鄭秉峻「韓国独立運動と独立国家建設の歴史的意味」 研究論集 홍영기「蔡応彦義兵長の生涯と活動」 류시현「出版物を通じて見た新学問の受容と「近代」の伝播:崔南善の事例を中心に」 황민호「『毎日申報』に現れた3・1運動の展開と朝鮮総督府の対応」 김주용「植民地台湾と趙明河の義烈闘争」 金度亨「中部太平洋パラオ群島韓人の強制動員と帰還」 任松子「四月革命以後労働組織の変化と韓国労総結成過程」 『韓国独立運動史研究』25、2005.12 研究論文 朴敏泳「張志淵の北方疆域認識:『大韓疆域考』の「白頭山定界碑考」を中心に」 呉瑛燮「乙未事変以前李範晋の政治活動」 李明花「クレアモント(Claremont)韓人学生養成所の運営と国語教育」 양성숙「西大門警務署の開署と抗日義兵の投獄実態」 金光植「済州島法井寺抗日運動の再認識」 柳永烈「キリスト教民族社会主義者金昌俊についての考察:『金昌俊回顧録』を中心に」 崔鳳春「朝鮮義勇隊の創設と活動補遺」 尹善子「1940年代戦時体制と済州島天主教会」 洪善杓「1945年サンフランシスコ会議をめぐるアメリカ韓人の対応と活動」 이주환「1945-1949年北韓における文盲退治運動研究」 국성하「韓日会談文化財返還協商研究」 廉仁鎬「中国延辺文化大革命と朱徳海の失脚:北韓特務嫌疑を中心に」 윤정란「4・19関連資料現況」 『韓国独立運動史研究』24、2005.8 研究論文 金炯睦「大韓帝国期江華地域の私立学校設立運動」 홍순권「「乙巳勒約」前後開化知識人の政局認識と対応」 金祥起「剛山金庸源の生涯と独立運動」 金喜坤「尹滋瑛(1894-1938)の生涯と独立運動」 鄭秉峻「イギリス外務省の対日平和条約草案・付属地図の成立(1951.3)と韓国独島領有権の再確認」 Brandon Palmer「ハワイの韓人とアメリカ人間の関係(1903-1945)」 Brandon Palmer「ハワイの韓人とアメリカ人間の関係(1903-1945)」(英) 企画論文:植民社会と親日団体 성주현「1910年代植民地朝鮮の日本組合教会動向」 강혜경「日帝下釜山地域行政と日本人支配」 김주용「1910-1920年代南満州親日朝鮮人団体研究」 황묘희「侵略戦争期上海の親日朝鮮人研究」 黃善翌「日帝強占期台湾地域韓人社会と強制連行」 書評 이덕일「박환저『잊혀진 혁명가 정이형』2004年」 『韓国独立運動史研究』23、2004.12 研究論文 朴孟洙「東学軍遺骨と植民地的実験:日本北海道大学の東学軍遺骨放置事件」 柳永烈「尹致昊の文明開化意識と反清自主意識」 金珍晧「洪城地域の3・1運動」 尹善子「湖南地域槿友会の設立と活動」 金喜坤「李陸史の民族問題認識」 김주용「日帝時期朝鮮銀行の間島浸透と役割:1910-20年代を中心に」 企画論文:天津・北京地域韓人社会 曺圭泰「天津不変団の組織と活動」 김광재「中日戦争以後北京地域の韓人団体研究」 孫艶紅「解放直後北京地域韓人社会と帰還」 特集論文:韓国近代史と高句麗・渤海認識 尹輝鐸「現代中国の高句麗・渤海認識と限界」 박인호「伝統時代の高句麗・渤海認識」 崔惠珠「韓末の高句麗・渤海認識」 朴杰淳「日帝強占期亡命人士の高句麗・渤海認識」 최석영「日帝植民史学者の高句麗・渤海認識」 研究ノート 具良根「『我讐不忘』と『征倭論』の比較研究」 『韓国独立運動史研究』22、2004.8 研究論文 李玟源「日本の侵略と大韓帝国の慶運宮」 이용창「「漢城府民会」の組織過程と活動」 韓圭茂「醒進会の組織と活動についての再検討」 박이준「日帝下地主家の小作慣行研究:金哲鎮家を中心に」 金度亨「太平洋戦争期ハワイ捕虜収容所の韓人戦争捕虜研究」 朴敏泳「解放後満州国軍出身韓人の帰還」 李剛秀「南朝鮮過渡立法議院の親日派粛清法研究」 廉仁鎬「中国国共内戦期の満州朝鮮人部隊に関する研究(1948-1950):中国人民解放軍第4野戦軍独立15師団を中心に」 資料解題 金炯睦「盧伯麟将軍実記」 書評 韓哲昊「盧伯麟研究の新しい指標線を開く:『노백린의 생애와 독립운동』독립기념관 한국독립운동사연구소、2003年」 『韓国独立運動史研究』21、2003.12 研究論文 권대웅「韓末金泉地域の国権回復運動」 韓相権「安重根の国権回復運動と政治思想」 企画主題 崔在聖「1910年植民地金融政策と地方金融組合」 研究論文 金淳碩「統監府時期仏教界の明進学校設立と運営」 윤정란「植民地韓国女性車敬信の民族運動研究」 金明燮「在日朝鮮人アナーキストの労働運動」 金成鎬「「朝鮮人民革命軍」呼称についての再検討」 資料解題 金度勲「日本外務省の欧米韓人動静報告」 1-20 21-40 41-60