約 148,918 件
https://w.atwiki.jp/battleconductor/pages/100.html
お散歩 概要 アップデート履歴 コメント お散歩 他の神姫(他のマスターやCOM)に気を遣わずに自分の神姫と遊ぶ事が出来ます。 カメラを自由に動かしてフォト撮影で遊んでみよう! 概要 ■1人でお散歩 オフラインでプレイヤー1人の手持ち神姫3人を自由に操作し、撮影する事が出来る。 操作時の挙動を検証したり、出したいバトルエモーションや技を試したり、バトル時の台詞を聞いたり。 神姫自身の操作や撮影については、通常時と同様。カメラアングルの操作はオートモード時に準じる。 神姫の交代は神姫のアイコンをタッチする事で行われる。交代は読み込んだスロットの順(1→2→3→1→)にしか交代できない。 撮影可能枚数は現行の3枚のままで特に増えたりはしない。画像は古い順から上書きされる。 バトルしたくない時や神友カードを読み込みたいだけの時やキャンペーンのポイントをさっさと貯めたい時に……といった使い道もできる。 ■持ち時間について 240秒。ただし、左上の「お散歩終了」で任意に終わらせる事が出来る。 ■フィールドについて 各種バトルに準拠。現在は「マスタールーム」 ■報酬について 時間切れ時にリザルトが表示され、Rネジ5個が手に入る上、親密度もほんの少しだがアップする。 ■COMについて このモードでは出てこない。 破壊不可能のポッドは出てくるので、攻撃力の検証に良い。 ■アクティブスキルについて このモード限定の仕様としてスキルゲージが時間経過で増加する。アクティブスキルを使用しても一定時間で再度使用出来る。スキル自体を検証するのには使えるが、スキルゲージの上昇量が何を基準にしているのか不明(レアリティや被弾時・撃破時などすべて込みで計算されている模様)なため、ゲージ上昇量の変化の検証にはあまり役に立たない。 アップデート履歴 日時:2021.12.06 内容:新規実装 日時:2023.01.24 内容:名称が「1人でお散歩」に変更 ダンスパフォーマンスと共に「レクリエーション」のアイコンへと纏められる コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/37.html
ソウル~イ・ナムギョの日本語源流散歩15(機械翻訳) 韓国のすべての都市は漢字で表記することができるのに,唯一修道人ソウルだけはハングルでだけ表記するだけ漢字語はない。 それで漢字圏国家の東南アジアや日本,中国などでソウルを表記する時あい路が多い。 国際郵便を送る時もソウルだけは英語で Seoul と表記する他に別に方法がない。 ソウル オリンピックが決定された時もソウルを セウル と発音するのを見て,日本の人々が ソウル (ソウル)というのを叱ってばかりはいられないと感じた。 それなら ソウル はどこからきた話なのか漢字語がないことであろうか? ソウルは本来 首都 を意味する言葉として,その語源は新羅時代の首都 慶州(競走,傾注) を 徐羅伐(ソラボル) といったところで出発したという。 もう少し詳しく話せば, 徐羅伐(ソラボル) (徐羅伐)の ラ (羅)は 国 ,すなわち国土を意味して ハチ (伐)は故大魚で 広い野原 ,すなわち首都をいったことで, での国の首都 という意味なのに,この言葉が後で 徐伐 (徐伐)になって,また ソウル に変わったという。 ところで日本にもこのソウルが変わった名前の指名がとても多い。 古代カヤ族が日本へ渡ってきて一番最初席を占めたという所が福岡市西側のマエバル(前原)時なのに,こちらは古代の伊都国でその背後にある山が 歳後リ産(山) (背振山)だ。 この 歳後リ (背振)という話やはり 徐伐 で来たもので ソウル という(のは)話だ。またマエバル市には カヤ山 (可也山)もあるのに,これもやはりカヤグクの 行ってこそ からきた話であり,この地域の カニが (芥屋)という知名度 行ってこそ という言葉が変わったものだ。また福岡市サワラグ(早良区)という知名度 買ってこい (早良),すなわち ソウル という(のは)話で由来したのだ。 旧摩耗も(能本)県にある 阿蘇山 (阿蘇山)は活火山で,火口に火と水が共存していて見る人々に自然の神秘だということを感じさせるのに,古代人らはこの山を 瑞山(ソサン) と呼んだ。これが歳月と一緒に 所産 で変わって,ここに 偉大な という(のは)意味の接頭語 ア がついて 阿蘇山 になったが,これも 偉大なソウル産(山) という意味から出た言葉だ。 ところで阿蘇山の高さが1,592mで壬辰倭乱が起きた年と全く同じで,我が国の人々は一度聞けば忘れようとしてこそ忘れることはできない妙な山だ。そして我が国檀君神話のように日本の建国神話に出てくる 践祚代わりに すなわち アマテラス五大上 (天照大神)の名前を セオリツヒメ (瀬織津比羊神)というのに,ここで 数えてくるだろう とは 数えてくる すなわち, ソウル という(のは)話で, ス とは ウイ , ヒメ とは 王女 という言葉で, セオリツヒメ は古代の慶州(競走,傾注)を指し示す ソウルの王女 という話だ。 そして二シーンを仕える新宮を 伊勢神宮 というのに,この 伊勢神宮 もやはり本来は 西宮 として前に接頭語 これ がついて で になって,これが 二世 (伊勢)で変わったものだ。したがって伊勢神宮は ソウルの王女がおられる西宮 すなわち ソウル宮 という意味だ。 そのように見れば ソウル という(のは)話は韓国では国家の 首都 で,日本では日本建国神話の 国調神(靴) で,二つともとても大切に両国国民から愛されていることだ。 韓日両国に妙な縁を持っている ソウル という(のは)話の意味を新たに再確認してみる。 [2009/04/15] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-15]ソウル http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=16858 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/15.html
日本人が「ネ」を多用する理由は渡来人に頭が上がらなかったから~イ・ナムギョの日本語源流散歩39 韓国語「ネ(네)」を日本語に直訳すれば「ハイ(はい)」という意になる。ところで本来、日本語の 「ネ(ね)」は「ハイ」という意味ではなく、相手の同意を求める補充語で韓国語の「ウン(응)」と同じ用 途で使われる。例えば「それが良いね。ウン」を日本語では「ソレガ イイ、ネ」と言い、ここで「ネ」 は「ウン」と同じ意味だ。 (訳注:韓国語で「ネ(ー)」は目上の相手に返事するときの肯定の言葉で「はい」「イエス」の意味。「ウン」は同様に肯定だが、同年輩や目下の人に答える時や答えを求める時に使う。) 日本で生活して日本人がこの「ネ」を意外にたくさん使うのを見ると、初めはそうなのかと思うだけ だが、しだいにこれが日本人たちの「重要な意識構造」であることを発見するようになる。我が国 の人々はそのまま言いたい話を思い出し次第とことんするが、日本の人々は全く違う。 少し話して相手が相槌の「ネ」を言ってこなければ必ず相手の顔色を見て「そうなの」と同意を求め るこの「ネ」を使ってみることだ。これは次の話をさらに続けても良いかどうかを確認する言葉だ。 この時、相手方が「ネ」とトーンを少し上げれば「そうだ、ね、話が合う」という意味で「続けて」という 意味になるが、何の反応もなければそのままそこであいまいに終わってしまう。 もちろん私たちもこの「ネ」と同じ意味の「ウン」という同調語を使うが、あまり頻繁に使えば子供の ように見え、また軽い人のように感じられるから時々特別な場面だけで相槌をうつのに使われる。 それではどうして日本はずる賢いほどこのように「ネ」を連発するのだろうか? はなはだしくは女同士が会えばすぐに「ネ、ネ」というだけで高低だけ調節して話の前後左右を省 略して対話を続ける。そばで聞くと、いったい何の話なのかは分からないが、二人には話さなくて もすべて分かる以心伝心で通じているのだ。 それではこの「ネ、ネ」はどこからきた言葉であろうか?この言葉は弥生時代からの古代言語で渡 来農耕文化を習った原住民らの習性から始まったものだ。農作物の種をまいてから収穫するまで の一連の過程を習い、その度ごとに「このようにするのがよいですか、ネ」「 そうです、ネ」と同意を 求めた言葉で、これが前の言葉が省略されて「ネ」といったのが徐々に固定化されたのだ。 万事自分の意見より相手の意見を伺い、見回すこの習慣は支配者に対する被支配者の日常生 活習慣から始まったものと見られるが、それではどうして同じ意味の「ウン」という韓国語を使わず に、この「ネ(はい)」という言葉をその用途の代わりに使ったのだろうか?その答えは簡単だ。 それは「ウン」という言葉は同じ同調語であっても、相手が自分より低かったりまたは同じである時 に使う言葉で、当時、原住民らが渡来人らに「ウン」と言える立場ではなかったために尊敬語の 「ネ」で代替されたものと見られる。 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/cul/20090929_153114000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-39] ウン が はい(ね) で http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=42741 yy=2009
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/55.html
火葬した灰をばらまく日本と土葬の韓国、韓日葬儀文化の違い~イ・ナムギョの日本語源流散歩42 韓国の葬儀文化はまだ古代から伝わる土葬の慣習のため、社会的にも国家的にも大きな悩みの 種だ。国土は限定されているので山ごとに墓地を作るから林野管理はもちろん、このままいけば 100年も経たないうちに使えそうな山は丸ごと墓地が占め、生きた人間が使う土地より死んだ人が 占める土地がさらに多くなるだろうと嘆く人々が多い。最近は少しずつ火葬が増えているが、国家 的にも格別な対策が必要だ。マスメディアや政府もこれに対する問題を切実に感じているけれど、 誰もこれの改善のために強力な主張や対策をたてる人がない。なぜなら、そのような話をすれば 「それではあなたはそうするのか?」と聞かれることが恐ろしいからだ。実際に偉い人から自分の 今日の成功は「ご先祖様のおかげ」と信じて、出世すればするほどより一層、墓地をさらによく面 倒をみて世話をするのが「子としてのつとめ」と考えるためだ。 ところで日本の場合、天皇家以外は土葬がなくて丸ごと火葬にする。これも明治維新の時に変え た習慣で今は日本の高官といっても例外なく全部火葬にする。桜の花が散るようなさわやかな葬 儀文化だ。 葬儀文化もよく見れば韓国と日本ではっきりと違う。日本の葬式はたいてい仏教式で、式典には 必ず黒い礼服を着るべきで、香典は過度でなく古いお札で準備しなければならない。万一新しい お札で出したり多額を出せば、「よく死んだ」というお祝いの意志表示になるが、私は韓国ではこう した話を一度も聞いたことがない。そのように見れば日本人たちは生まれる時は神社に行って一 生の幸福を神に祈り、結婚する時はホテルの中にある教会に行って神父様に誓約し、死ねば僧 侶を呼んで極楽浄土に行くように念仏する、こういう分離した信仰は本当に「日本人らしい合理的 な(?)考え方」に違いない。 ところで本当に申し訳ない話だが、私は今でも私たちの先祖に対する祭祀(チェサ)を何台まで行 い、またいつまで行わなければならないかよく知らない。私が3男であるためもあるだろうが、家ご とに風俗が違って祭祀法が違うからどれが正式なのか全く理解できない。ところで日本は死んだ 初年度は49日、100逸材を過ごして、1周忌、2周忌、3周忌をつとめた後は7年、13年、17年、 23年、25年、27年、33年の命日に祭祀を行い、50年を最後に成仏したといって納骨堂の中の灰 まで丸ごと取り出して周辺にばら撒いて完全になくす。 そのようにして次の人が入る席を作るのだ。だから家族の納骨堂一つだけあれば家族が代々引 き続き使うことができる。こういう葬儀文化は国土の効率性のためにも私たちも一度、汎国民的に やってみてはどうだろうか? 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/cul/20091020_151741000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-42]韓日の葬儀文化 http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=45708 yy=2009 (編集者注) 「納骨堂の中の灰まで丸ごと取り出して周辺にばら撒いて完全になくす。」とは「散骨」のことだと思われます。 参考・・・散骨 - Wikipedia
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/52.html
※注意 この記事は、時系列的に26番目の記事ですが、元サイトで25と記載されています。 「万の神」のヨロズもカミも、カムナビも韓国語由来~李南教の日本語源流散歩25 神といえば韓国の人々は全知全能な唯一神を考える。 しかし日本の神はそうではない。全国に数十万もある神社に祭られる 神々はその領域により各々違う役割を果たしている。勉強ができるように する学問の神、配偶者を求める縁結びの神、お金が儲かるようにする七福神、 火災予防の神、航路の守護神、豊作にする神、等とても多いが、このため、 日本人らはこれを「ヨロズノカミ」すなわち「多くの神々(マヌン シンドル)」という。 「ヨロズ(万)」という言葉を辞書でひいてみれば、「マン(万)の子供式表現」と なっており、「ヨロズヤ(万屋)」といえば、「よろず屋(マンムルサン)」という意味だ。 「ヨロズ」という言葉は韓国語の「ヨロッ(多数)」という言葉に由来したもので、 「多数(ヨロッ)」すなわち「多い(マンダ)」という意味だ。 とにかく日本の神々は人間世界の職業ほど細分化されていて、その役割もまた 多様だ。ところで、この神々の中にも大王神がいる。その神を「スサノオノミコト」 (素盞鳴尊)といって、新羅からきたとされるため「シンラシン(新羅神)」とも言う。 島根県の出雲大社がその神を祭ったところで、陰暦10月には日本全国の神々が ここに集まって会議をするという。そのため、日本は陰暦10月を「カンナズキ」 (無神月)すなわち、「神のいない月」という。したがって陰暦10月に神社に行って 祈る人は何も分からない馬鹿(村八部)として扱われる 史書を見れば「毎年陰暦10月には日本の神々が新羅神らを招へいして、 会議や歌舞を楽しんだ」とあり、毎年陰暦10月になれば偏西風が吹き、 新羅から船を出して1週間ほどでこちらの島根県近海に到着したという。 それで日本の神々は刈りいれが終わったこの時期に韓国の神々を招請して、 共に楽しんで交流したのではないかと言える。そして「神(シン)」を「カミ」と いうのは、これは私たちの神話の「熊(コム)」に由来したもので 「コム⇒カム⇒カミ」に変化したのだ。 韓国では古代から神木を「カムナム」といって、昔は田舎に行けばカムナムに 縄を縛り付けて蒸し餅を入れて祈る風景がしばしば見られたが、このカムナムが 移転したのが日本の「カムナビ」(神奈備)で、これは「神霊が宿った山や森」を 示す言葉だ。 私は日本の神社の神々を調査してみてびっくりしたことは、これらはすべて 家系図を持っていて、彼らの故郷が伽揶、新羅、百済、高句麗と全部古代韓国 だという。どうして日本人たちは私たちの先祖を自分たちの神として祭っておいて、 祭祀を行って担ぐのだろうか?この点は次の機会に詳しく説明したい。 写真:慶一大総長・李南教(イ・ナムギョ) ソース:(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩25]カミサマ(神様) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=29420 yy=2009 http //takeshima.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1246538386/
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/17.html
「手柄を建てる」は「大伽揶(テガヤ)を再建しよう」というスローガン~イ・ナムギョの日本語源流散歩37 人が誰でも切実に望むものがあるとすれば、それは愛されて尊敬を受けることではないだろうか? 誰かに愛されてまた認められることがどれくらい幸せなことかはあえて説明する必要がない。 産業社会の時には愛する心を伝達する重要な手段が手紙であった。最近はすぐ電話してさらに早 ければ直接会って言葉と行動で表現する。 考えて悩んで月を眺めてしのぶ、そのような感動とロ マンの時代は科学の発達速度と同じくらい早く消えていった。 とにかく上の人に認められ愛されることは昔も今も同じように大きな幸福に違いない。上の人に認め られること。それは上の人が最も好むのをすることであり、これを一言で言えば「殊勲をたてる」ことだ。 「殊勲をたてる」を日本語でいえば「テガラヲ タテル(手柄を建てる)」であるが、ここで「テガラ」は 「殊勲」を意味する。これをもう少し詳しく説明すれば「テガラ」という言葉は昔、韓国南部にあった 古代伽揶王国「テガヤ(大伽揶)」を示す言葉で、「テガラを建てよ」とは言うまでもなく「失われた祖 国、大伽揶を再建せよ」という言葉で、これは古代の日本だった大和時代を生きた彼らの至上命題 だったのだ。 「手柄を建てろ」という言葉が「殊勲」という言葉に変わるほど、当時の大和政権が「大 伽揶」再建をどれほど気にかけたかを確認させる言葉だ。 古代日本に渡った大伽揶の人々にとって、奪われた祖国「大伽揶を再建せよ」という言葉が彼らの スローガンであったことを見て、そこに潜む「言魂」に背筋が寒くなるよう感じる。 そのように見れば1970年代、我が国のスローガンは「良い暮らしをしよう」であった。 村ごとに新し い村(セマウル)運動を起こして国民の顔には汗を流す喜びがあった。都市も農村もみな引き受け た場所で熱心に仕事をし、その結果が今日の繁栄韓国を作ったのだ。「良い暮らしをしよう。良い 暮らしをしよう、私たちも一度良い暮らしをしよう」というのが民族の念願であったし、私たちみんな の夢だった。「私たちも一生懸命がんばれば、マイカーにも乗れるのだ」という夢でみんなの胸の中 には新しい希望があふれたし、汗を流す喜びがあった。 第二次大戦の当事、米国を一つに団結させたスローガンは「リメンバー・パール・ハーバー」すなわ ち「真珠湾を忘れるな」であり、日本を近代国家に脱皮させた明治維新のスローガンは「ソンノー・ト バク(尊皇土幕)」すなわち「幕府を倒して天皇国家を作ろう」であった。このようにどの時代のどの 民族、どの国家でもこのようなスローガンが歴史を変えてきた。それならこれから我が国のスローガ ンは何といえば良いだろうか? 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/cul/20090915_151324000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩37] http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=40597 yy=2009
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/41.html
ほんね たてまえ ~イ・ナムギョの日本語源流散歩11(機械翻訳) 日本に勤める時私はいつからか韓国と日本の国民性を比較するクセができたし, なぜそうか? とする疑問もいつも頭どの隅にあった。例えば,汽車に乗ってソウルから釜山(プサン)まで旅行をするといおう。韓国人らならばソウルで汽車に乗って,水原(スウォン)もまだ行く前に焼酎にイカ橋(脚)を薦めて,そばに座った人と話を始める。 "どこまで行って下さい"で始まる話は20分も過ぎる前にこの人はどこに住む誰で,職業は何であり,家族はどうであれ,するなどの身上明細を広々と知って,別れる時ぐらいなれば10年もつきあったように親しくなる。 ところで,反対に日本の汽車旅行はそれこそ孤独と思索と読書の 私一人で旅行 ということができる。本を見て疲れれば寝て,腹がへれば エキベン (逆弁当)に ワン鼻ふうっと (ウォンカップ・清酒一杯)と,そのように言葉なしに数時間の旅行を一人で静かに送るのが一般だ。 どうしてこのように違っているか? 日本語には ほんね (本音)と たてまえ (建前)という話がある。ところで, ほんね (本音)は 本心,みた心 を指す言葉だが, たてまえ は何か? 韓国語と解釈すれば必ずこれだとつねって備える言葉はないが,無理に翻訳するならば 表面心 というか? ’型食積の例の と言うか? とにかく韓国ではこうした話を考えさえしてみたことがなくてこれを適切に駆使する日本語にはただ慌てるだけだ。しかし,私は時々この たてまえ がとても良いことだということを感じる。たとえ,気持ちがちょっと悪くても相手方に気分が悪い表情をしなくて,親切に愛嬌を帯びて応対するデパートの店員等を見るときは,どれくらい気持ち良いことなのか! 共に生きる世の中,自分の気持ちだけでは生きることはできないのではないか? もしかしたら人を配慮するこの たてまえ こそ現代人が整えなければならない最も重要な 神社(紳士)の徳性 かも知れない。他人に弱点を捕えられるのを嫌いな日本人の気質が作り出した賢くてすばらしい話,それが たてまえ (建前)だ。 そして 楽しい という話は日本語で みな遊ばれ (楽しい)というのに,この話(言葉)は韓国の 端午 が語源だ。端午は陰暦5月5日で,田舎女性らにあっては1年中最も大きい楽しい日であったのに,この日は菖蒲物で髪を洗ってリボン編んで全村の人々が一緒に集まって近い山に行って川漁をしながら食べて飲んで楽しい一日を送ったが,今は農村でもこういう風習をなかなか探してみるのが難しくなった。 [2009/03/18] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-11] ほんね たてまえ http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=12182 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/58.html
ひとつ、ふたつ、みっつ~イ・ナムギョの日本語源流散歩45(機械翻訳) 慶尚道に人々は何をくれとする時 も と言う. でもちょっと度 すれば 私にもちょっと与える という言葉でみたいな韓国語でも初めには通訳が必要な位だ. こんなに くれ と言う言葉を も ラギもしかし, 時には 株 とも言う. ところで日本語の数字世紀は一から十まで皆 ドル と言うこの も や 株 という言葉が付く. 古代大和言語を研究した言語学者朴屏息さんはこの数字世紀を面白い発想で解いた. オリン子供達が最初 一つ, ふたつ, 三つ を俳優はのはお母さん胸の中にアンギョソなのに 一から十まで 世紀のこの言葉は実は ヒフミです, 吏務ナナなのゴゴナも と言う男女間の親しい話を誰かが初めにはいたずらっ気を持つ一字ずつをいじめで ドル と言う言葉をブッヨで作ったはずだする. ここで ヒフミ は子供名前で 吏務ナナなの は この痛い , ゴゴナも は 証拠羅州(それ私に与える) という意味だ. これを再びプール魚譜なら ヒフミですこの痛いそれ私に与える と言う言葉でこれを一字ずついじめでくれと言った言葉が日本語の 一つ, ふたつ, 三つ… になったと言うのに次のようだ. ヒドツ(一つ), フダツ(二つ), ミッツ(三つ), ヨッツ(四つ), イツツ(五つ), ムッツ(六つ), ナナツ(七つ), ヤッツ(八つ), ゴゴノ-ツ(九つ), 度(十) でこれを再び古代語で読んで見れば ヒドズ, フダズ, 味到株, 尿道株, 利刀株, 武道株, ナナ株, 夜盗株, 考古羅州, 度 になる. とにかくリフレーンのように付けた も や 株 はこのような朴屏息さんの理論が全然グンゴオブヌンの話はいやというのをよくタジョボなら充分に納得するに値する. そしてこの言葉は日本列島に彌生文化を持って来た洛東江上流伽揶族の言葉, すなわち古代慶尚道方言から始まったことだする. このようにした字ずつポブアネで作った ヒドツ, フダツ, ミッツ…度 は日本語の縦書き取りとも脈を一緒にするのにこんな縦書き取りは日本のすべての教科書や, 新聞, 小説などで使われるありこれは平等よりは垂直概念を持つようにする心理的教育法で日本人たちが政府権力に何でも柔順による国民性を持つようにすることと深い連関がある. 今日ハングルや英語は全部横書きなのに比べてまだ日本は縦書き取りを楽しんで行うあり時々横書きするのを言った日本語も見るがこういう時には英語や韓国語のように左側で右側に使うのではない, 逆に右側で左にソナガンダ. とにかく日本文化は分かれば分かるほどミステリーが多いことを感じる. [2009/11/11] ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-45]ひとつ、ふたつ、みっつ http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=48717 yy=2009 ※この記事はexciteの機械翻訳で生成した記事です。内容が不正確な場合がありますので、ご了承ください。
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/13.html
正月が変わった言葉オセチ、変化の途中で止まった「化石韓国語」ドロボウ~イ・ナムギョの日本語源流散歩41 韓国もそうだが日本も名節といえば正月と秋夕(チュソク)だ。正月は1月1日で秋夕は8月15日 と同じだが日本は陽暦で韓国は陰暦であるから実際は1ヶ月以上違いが生じる。日本も昔は陰暦 であったが明治維新の時、全てを太陽暦に変えて名節もこれに合わせて変えたという。私たちも 朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が1972年10月維新の時、名節を陽暦に変えたが古代から伝わる 民族の習慣だからなかなか変えられず、1990年にまた元の位置で戻ってしまった。事実、正月や 秋夕の最も重要な目的は先祖を祀って墓まいりすることだから、国家としてもむやみに強制はで きない。 「正月」は遠い古代から続いてきた先祖に対する感謝と新しい一年を祈る法事の日で、日本はこ の日に「オセチ(節)」料理というものを食べる。ところで、日本のオセチは韓国の‘正月’が変わった 言葉で、「オ」は接頭語、「セチ」とは「ソル(正月)」のことだ。 正月には私たちがトックッ(雑煮)を食べるように日本も「オジョニ(お雑煮)」というトックッに類 似したものを食べるが、これを「オセチヨリ」すなわち「ソリョリ」という。ところでお節料理は前日か らあらかじめ準備するからだろうが、全部冷たいものばかりだ。だから正月に日本人の家に招待さ れたらすべての食べ物が冷たくてお腹の中まで震えなければならないから、しっかりした越冬装 備が必要だ。 幼かった頃は正月といえば新しい服、新しい靴、お年玉をもらう楽しみがあり、正月が来るのを 「一日一日(ハルハル)」と指折り数えたが、この「一日一日」が日本に渡って「ハルバル(はるばる)」 となり「とても遠く」という意味になる。 名節はある人にとっては楽しい日だが、ない人には反対に心配事で特に年末に泥棒が多くなるの もこのためだ。ところで、私たちは 「泥棒」を他人の家を荒らす(トンダ)といって古代には「トルダ ボ」や「トルボ」であったが、日本に渡って連音化し、「トロボ(どろぼう)」になったのだ。韓国語で睡 眠が多い人は‘チャムボ’、かしこい人は‘クェボ’、よく泣く人は‘ウルボ’というように、「~ボ」とい う言葉は若干の愛称が込められた言葉だから、韓国語ではトルボが消えて盗むという泥棒(トドゥ ク)に変わった。 とにかく「トロボ」は古代韓国語が変化の途中に停止したまま残っている「化石韓国語」だと言える。 かなり以前にあるテレビドラマで使われた日本語が流行して韓国で広がったことがあるが、その言 葉は「ミンナ ドロボデス(みんなどろぼうです)」という言葉だった。古代に渡っていった韓国語「トル ダボ」が海に出て成長したサケのように故国に戻ってきたことになるが、多くの言葉の中でよりに よってなぜ「トロボ」が帰ってきたのだろうか? 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/column/20091014_104405000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-41]正月が変わった言葉、オセチ http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=44865 yy=2009
https://w.atwiki.jp/inamugyo/pages/14.html
日本人が気分の良いとき発する「コリャコリャ、チョイナチョイナ」は古代韓国語~イ・ナムギョの日本語源流散歩40 韓国の人々、中でも特に慶尚道(キョンサンド)の人々は話の途中で二の句が告げなかったり、考 えがうまく出せない時、間をつなぐ言葉として「マ-」や「ネー」をよく使うが、演説する際に言葉を 間違う人々の特徴の一つがこの「マ-」や「ネー」が好きだということだ。例をあげれば「ところで、 マー」、「それで、ネー」等で古代にも渡来人が栽培法を熱心に教える途中、通じない時にこの「マ ー、ネー」を連発したはずで、この時よく真似れば「そうだ、あってるよ(マンネ)」といいながら称賛 兼激励もしただろう。この時の「マンネ」が日本語の「マネ(まね)」という意味に変わったが、栽培を まねるのは単なる真似ではなく、人生の貴重な知識を習う勉強だから、この「マネ」から派生した 言葉が「マナブ(学ぶ)」という言葉になったのは前に紹介した。 狩猟生活をしていた彼らが農作業を習って豊作になり、米がいっぱいなら食べ物の心配をせずに 冬には幸せな季節がくる。それで冬はゆっくり休んで遊ぼうの「ゆっくり(プク)」が「フユ(冬)」になっ た。そしてこのような豊かさに感謝するため、村の人々が一緒に集まって氏神に祭事を行い、酒と モチを作って一杯飲んで楽しむとき、昔も今も歌の調べがひとりでに出てきて興を加える。古代渡 来人もこのように気分が良ければ「チョクナ・チョクナ(良いな・良いな)」と大声を出した。 そばで聞いていた原住民は、気持ち良かったら「チョイナ・チョイナ」と言い、この時、誰かがそばで 何か話して「クリャ・クリャ」(訳注:「そうそう」「そうだそうだ」を表すクレクレの方言表現か?)といっ たのを、この言葉もそのまま「コリャ・コリャ」と聞いた。それで今でも日本人たちは興がわいて気分 が良いときは「コリャコリャ、チョイナチョイナ」と調子を合わせて楽しむ。こうした言葉は彼らの気持 ちが最高潮に達したことを表す。ところで現代日本人にその言葉がどういう意味かとたずねれば 「分からないです」という答えが帰ってくる。それもそのはず…とても古い「古代韓国語」だから。 レストランで日本人が食事するのを見れば出てくるおかずを一つずつみな食べた次に、最後にご 飯は水をかけてタクアン二切れで片づける。私たちのように食卓にキムチ、カクテキ、コチュジャン、 汁物などをいっぱいならべてあれこれ混ぜて食べる方法をよく知らない。私たちはキムチがあれ ば誰でもご飯と一緒に食べると考えるのが基本常識だが、日本人たちは「キムチ、オイシイ」とキ ムチだけ先に食べてご飯は後ほど水をかけてずるずると飲み干してしまう。私たちは「ご飯だけ食 べたらまずい」と思い、味もそっけもない人を「ご飯の味」というが、こういう日本人たちを見て日本 人たちはご飯をどういう味で食べているのかが分からない。 とにかく韓国語が日本に渡っていきさえすれば品格が高く深くなるのに、この「味(マッ)」という言 葉だけは「マズイ(不味い)」という意味になった理由が分かるようだ。 慶一大総長・イ・ナムギョ http //www.imaeil.com/news_img/2009/cul/20091006_151413000.jpg ソース:韓国毎日新聞(韓国語) [イ・ナムギョの日本語源流散歩-40]チョイナ・チョイナ(良いな・良いな) http //www.imaeil.com/sub_news/sub_news_view.php?news_id=43629 yy=2009