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武将名 すぎもとさいち 不死身の杉元 杉元佐一 統一名称:杉元佐一 生没年:不明「殺してみろッ 俺は不死身の杉元だ」元大日本帝国陸軍第一師団の隊員。日露戦争での鬼神のような戦いぶりから「不死身の杉元」と呼ばれる。除隊後、アイヌの村から奪われた埋蔵金の存在を知り、精強を誇る陸軍第七師団や凶暴な脱獄囚を向こうに争奪戦を繰り広げる。 勢力 緋 時代 特殊 レアリティ SR コスト 2.5 兵種 鉄砲隊 武力 8 知力 6 特技 復活 気合 計略 鬼神の一等卒(ワンマンアーミー) 武力が上がり、兵力が徐々に回復する。ただし射撃ができなくなる 必要士気 5 効果時間 知力時間 Illust. ©野田サトル/集英社・ゴールデンカムイ製作委員会 声優 小林親弘 計略内容 カテゴリ 士気 武力 知力 速度 兵力 効果時間 備考 超絶強化 5 +2 - - +1.5%/0.166秒 9.2c(知力依存0.42c) 計略中射撃不可 (最新Ver.1.6.0B) 調整履歴 修正Ver. 変更点 内容 備考 Ver.1.1.0F 効果時間 10.4c → 8.8c武力上昇値 +3 → +2 ↓ - Ver.1.6.0B 効果時間 8.8c → 9.2c ↑ - 所感 2.5コストの鉄砲隊。 数値は武力8・知力6とやや控えめなバランス型だが、「復活」「気合」の特技2個持ちが特徴。 高武力の気合持ちなので耐久力は高く、もし倒されても復活も早い。後述の計略も含め継戦能力に特化している。 ただ2.5コストの遠距離兵種が頻繁に撤退するようでは困るため、復活は無いよりマシ程度に考えたい。 計略は「鬼神の一等卒(ワンマンアーミー)」。 武力が上がり、兵力が徐々に回復するが射撃ができなくなる単体強化。 特筆すべきは回復速度で、乱戦がなければ兵力ミリで使用しても10秒強でほぼ完全回復するほど。 武力10程度なら2、3部隊同時に乱戦しても兵力が回復していくほどで、その姿はまさに不死身の如し。 特に守城時は驚異的な継戦能力を発揮し、城内の兵力回復も活用すれば大型号令相手でも一定の粘りを見せる。 また攻城時も強力で、一気に倒しきらないと延々と攻城ラインに居座られてしまう。 一方で武力上昇値は控えめなうえに、射撃を行うことができなくなる。(射撃中に計略を発動すると中断される) 武力が低すぎるというものではないが、他の同士気計略と比較すれば殲滅力では明らかに見劣りする。 また兵力回復効果が大きいとはいえ、武力20近い超絶強化や、速度上昇騎兵相手だと回復する間もなく消し飛ばされる事もある。 特に兵力が減った状態で計略を発動した場合は注意が必要で、とにかく敵に倒されないという、しぶとい計略。 攻めを凌ぎ、士気差を作ってカウンターを仕掛けるなど、しぶとさを活かす立ち回りをしたい。 解説 2022/10/19~2022/11/1に開催されたゴールデンカムイ×英傑大戦コラボ大戦スタンプキャンペーン(前半)のスタンプ20個報酬。 ゴールデンカムイの主人公で、日露戦争の帰還兵。名前の由来は作者の曽祖父・杉本佐一氏より。 相棒のアシリパと異なり緋所属なのは恐らく、物語開始時点では除隊しているが元々明治政府(帝国陸軍)の所属のため。 旧陸軍は長州閥が多かったので、長州藩士が所属する緋勢力になったものと思われる。 戦死した親友に託された幼馴染の眼の手術のため(バレンタイン贈り物セリフ)、現在の価値にしておよそ数百万円の大金を求めて金塊争奪戦に加わる。 彼の戦闘能力の高さは、不敗の天才柔道家である牛山辰馬に「こんなに強い奴は初めてだ」と言わせたほど。 ただ、それ以上にとにかくしぶとい。 串団子の串で頬を貫かれても瞬き一つせず、その夜には傷が塞がりかけていたりする。 新年の挨拶セリフで食べていた甘いものがその頬を貫くことになる串団子。 小樽名物で店舗は今も現存しており、購入可能。 絶対不利な状況であっても、致命傷に近い傷を負っても、その度に自分を奮い立たせるように「俺は不死身の杉元だ!」と叫んでは生還するバイタリティが彼の持ち味。 この不死身っぷりは日露ではなく太平洋戦争で戦った人物で同じく不死身と呼ばれるタフネスを誇った舩坂弘軍曹がモデルとの説もある。 その鬼神の如き戦いぶりや躊躇なく殺人を選べる凶暴性が目立つが、当時の日本に根強かったアイヌ民族への差別意識は全くなく、 年下のアシリパ相手にも「さん」付けで話し、アイヌの村を訪れた時も礼を尽くす。 命からがら生き残った直後の軽食程度であっても、食前には「いただきます」と言えるなど、普段の彼は極めて礼儀正しくお人好しな好青年。 なお、今作の彼は鉄砲隊となっているが本人は射撃が下手と言われている。 とはいえ、狙撃兵の尾形や狩りで獲物を狙い慣れているアシリパや谷垣に比較されての評価なので、一般的な兵士以上の技能は十分に持っている。 ちなみにホワイトデーの贈り物セリフは、一部界隈で有名な「ラッコ鍋」回のもの。 よりによってホワイトデーにこのセリフを採用するなんて…。 台詞 \ 台詞 開幕 試してみるかい、俺が不死身かどうか 計略 殺してみろッ、俺は不死身の杉元だ! 兵種アクション うぅおおおおおお!! 撤退 俺は、絶対死なんっ! 復活 やれやれ…また生き残った 伏兵 俺が不死身の杉元だ! 攻城 人間を殺せば地獄行きだと…それなら俺は特等席だ 落城 俺が戦争で学んだ死なない方法はひとつさ。殺されないことだ 贈り物① 日本に帰ってきても元の自分に戻れない奴は……心がずっと戦場にいる。 贈り物② ……相棒の契約更新だ。 贈り物(お正月) 美味い。甘いものは久し振りなんで唾液腺が弾けそうだ。 贈り物(バレンタインデー) 惚れた女のためだ。 贈り物(ホワイトデー) 相撲しようぜ! 贈り物(ハロウィン) 「不死身の杉本ハラキリショー」でこの大都市に俺の名前を轟かすんだ!! 友好度上昇 - 寵臣 英雄…?俺は死に損なっただけだ └特殊 - 情報提供・誤った点に気付いた等、何かありましたら気楽にコメントしてください。 名前 ちな名前のモデルになったお爺さんもベクトルは真逆だが軍隊に所属時の逸話がある - 名無しさん (2023-06-06 02 55 21) 城門に貼りついてからの計略発動は嫌がらせの一言 - 名無しさん (2023-03-14 23 47 18)
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現在開発中 現在開発中 現在開発中 現在開発中 KONA帝国幹部一覧 KONA帝国とは KONA帝国@wikiへようこそ! このWIKIは粉遊びユーザーがふれあい、楽しむためのWIKIです。 予め↓の利用規約を読んでください。 KONA帝国利用規約 このWIKIに参加する! KONA帝国用雑談チャットを開きました! KONA帝国の雑談チャットへ行く ※長らく放置していたため消えています 更新経歴 昨日は - 回 今日は - 回 合計で - 回 このページにアクセスがありました。 皆様、お久しぶりでございます。 コメントのほうですが、年末に近づいたということで削除させていただきました。 自分も受験などで忙しく、あまり顔を出せませんが、 今後とも、KONA帝国をよろしくお願いします! ・・・ついでにKONA帝国開発再開は来年3月末あたりですw -- ジンクス改 (2012-12-23 16 46 24) 名前 コメント
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合衆国陸軍 対 合衆国陸軍
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555. ひゅうが 2011/11/25(金) 08 32 49 ※ リリなのネタを要望する声が聞こえた気がしたのでちょっとだけ書いてみました。 ネタ――「海鳴D事件」 ――西暦199X年 春 日本帝国 海鳴市 「ストップ!」 「ストップだ!」 声が重なったことに双方が驚いたらしかった。 「こちらは帝国神祇院である!神祇公安官(公安職)権限をもって本現場における捜査指揮権を所掌することを宣言する!」 ザザザッという音とともに、それまで影も形もなかった洋装に日本刀をたずさえ、あるいは帝国陸軍制式である90式小銃に長大な銃剣を取り付けた男女たちが「彼女ら」を取り囲んだ。 その周囲では、神社の社殿にいそうな和装の女性たちが指の間にお札のようなものを持ったり、御幣を両手で持ちながらこちらを鋭い視線で見つめている。 「な・・・!」 時空管理局執務官 クロノ・ハラオウンは一瞬の出来事に反応が遅れていた。 「この場より動かないことをお勧めする。公務執行妨害による現行犯逮捕は――」 「フェイト!――ぐっ!な、何する離せ!」 「このようになる。本職は神祇院関東総局 倉木公安官。事情を聞かせていただきたい。」 犬神の類だろうか、と部下の公安官に取り押さえられ、符を貼られている「獣耳の女性」を一瞥しつつ、倉木浩一(旧姓 羽山)は最近はやめていた煙草を吸いたくなっていた。 耳につけたイヤホンからは、東京湾要塞の対宙射撃システムが高度90キロに照準をあわせ、帝都の首相官邸から慌てて閣僚たちが地下の中央指揮所に退避しつつある状況が聞こえてきている。 これは、あの加藤さんが出張ってくるだろうなぁ。面倒なことになる。 本山教授あたりは嬉々として調査に参加するだろうし―― 「ああ、この場にはすでに4重の和洋両用式結界を展開済みだ。逃亡は不可能とは言わないが、かなり難しいことを心得ておいてくれ。」 『待っていただけますか?』 来たか。 倉木公安官は、これまでにも寄せられていた世界中の報告から導き出される結論――異星ないし異世界文明との接触などという大ごとを押しつけた彼の上司に一定の殺意を覚えつつ、にこやかに「空中に出現した画像」に向き直った。 さて――鬼が出るか蛇が出るか。 ――のちに、「海鳴D事件」と称される第2級‐甲種霊的事件における最初の接触は、こうして開始された。
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428: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 39 18 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp 日米枢軸ルート 第12話 改訂版 西暦1901年7月に締結された北京議定書によりひとまず支那大陸での戦乱は終息に向かって行くが、それで日本に平和が訪れたかと言うとそうではなかった。その理由は簡単である。米比戦争をフィリピンで行っていたアメリカ合衆国が日本に援軍を要請したためである。 フィリピンを手にれた当初のアメリカ合衆国はフィリピンを完全に自らの勢力下に置くために、同盟国である日本の仲介や援軍を断り、あくまでも独力でこの戦いに勝利することにこだわっていた。しかし、ゲリラ戦で戦うフィリピン側の激しい抵抗から当初の予想より多い損害だしてしまい、とうとう独力での鎮圧と言う方針を転換してしまったのだ。 さすがの日本もこの要請には本気で頭を抱えたが、同盟国であると言う事からこの要請を無下にできなかったことから、本心では日本はあまり派兵をしたくはなかったものの費用をアメリカが負担することとフィリピンの市場を開放することを条件として、仕方なく1個師団2万人を派兵することを決定する。しかし、派遣が決定したあとも軍内部のゴタゴタによって実際の派兵は遅れることになってしまった。 当初、派兵を行う予定であった海軍海兵隊は義和団事件中から再編成した自慢の自動車化師団をフィリピンに送り込むことを計画しており、その準備も行っていた。しかし、フィリピンのインフラが予想以上に整っておらず、さらに亜熱帯と言うこれにとから自動車化部隊を派遣しても運用が難しいと言う判断が下され、この計画はお蔵入りされることになってしまう。 それどころか、海軍海兵隊が軒並み自動車化師団もしくは機甲師団に改編されていたことで海兵隊が派兵に難色を示し初めてしまい、完全には自動車化が行われていなかった陸軍にお鉢が回っていった。 当然、突然の派兵命令に陸軍省と陸軍参謀本部は驚愕と不満を隠せなかったが、文民統制の名の下に政府の下に置かれている陸軍がそれを拒否できるはずもなく、最終的には陸軍遣比軍の創設と、フィリピンと同じく亜熱帯地域である台湾の防衛を担っていた陸軍第23歩兵師団を遣比軍の実働部隊としてフィリピンに送り込むことを決定する。 この間にアメリカ合衆国ではマッキンリー大統領が無政府主義者に暗殺されると言う事件が発生し、世間を騒がせることになるがそれでも副大統領であったセオドア・ルーズベルトが大統領に昇格することで混乱は最小限に留められ、米比戦争にはとくにこれといった影響は出さずにすんだ。 1901年9月20日には日本軍の第一陣として送り込まれた1個歩兵旅団がマニラに到着し、アーサー・マッカーサー中将(日本陸軍の師団司令官は中将のポストであったため昇進した)率いるアメリカ軍フィリピン駐留軍と合流。その後も順次日本陸軍の援軍が到着していき、1901年9月30日から主にレイテ島を中心にしてアメリカ軍と共同でフィリピン独立派との戦闘を開始していった。 この日本陸軍遣比軍の戦いは公式にセオドア・ルーズベルト大統領が戦争終結を表明する1902年7月4日まで続いていく。 429: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 40 22 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp フィリピンでアメリカ軍と第23歩兵師団が地獄のゲリラ戦を繰り広げていく一方で、アジア唯一の列強である大日本帝国の本土ではフィリピンで現在おきている戦争よりも将来おきるであろうロシア帝国との戦争に備える動きが活発化していた。 米比戦争への参戦から2ヶ月と経たない1902年11月には露土戦争以降、軍事的・経済的な協力関係国であったオスマン帝国とスエズ防衛条約及び日土安全保障条約を締結し、日本帝国海軍地中海艦隊および陸軍中東方面軍を正式に創設。 それまで暫定的な駐留とされていたスエズ運河防衛部隊を陸軍中東方面軍に、ギリット戦隊を地中海艦隊に改編した上で地中海方面に恒常的に駐留させる事を公式に発表した。 同時に、ロシア帝国と開戦した場合に備え、スエズ運河利権の防衛を名目にスエズ運河地帯およびシナイ半島の軍事基地化を推し進めるなど中東におけるプレゼンテーションの向上を図っていく。 事実上のスエズ運河の要塞化を宣言した翌年の1902年8月には、日本政府はロシア帝国による不当な満州占領への制裁措置としてロシア国籍の軍艦のスエズ運河通過を禁止する事を発表する。 これはヨーロッパ側で軍艦建造し、海路で極東まで送っていたロシア海軍の太平洋方面の戦力拡大を思いとどまらせる上で極めて有効な手段であり、実際に回航コストの増大によりロシア帝国海軍太平洋艦隊は当初の計画より規模は縮小することになる。 ロシア海軍のスエズ運河使用を禁止し、アジア方面でのロシアの海上戦力拡大に冷水を浴びせる一方で、日本政府はロシアを外交的に孤立させるためのプロパガンダ工作にも力を注いでいた。 欧州では海軍省情報部や陸軍情報部、統合情報局などのインテリジェンス機関が外務省と協力して欧州各国の知日派や自称先進的知識人、マスコミと接触し、満州でのロシアの過酷な占領政策をさらに誇大化しつつ広めることで欧州における反ロシア感情を成熟させるなど、欧州におけるアンチロシア工作ふぁ開始されていた。 幸いにしてロシアの満州における清国人の扱いは苛烈の1言に尽きるものであり、事実を多少誇張させる程度で十分に反ロシア感情を煽るに足るセンセーショナルな記事をいくらでもかけてしまう。 軍事面では1875年から実施していた両洋艦隊計画が最後の段階を迎えており、日本海軍は来れまで酷使してきた旧式戦艦群を退役させていき、戦艦12隻、巡洋戦艦12隻、空母(及び軽空母)16隻を中心とした新世代の艦艇達が充足しつつあった。 地上戦力としても日本海軍海兵隊は10個師団8個旅団体制まで拡大した上で、完全な自動車化、もしくは機甲師団化を完了していた。 また、機械化率では海兵隊には劣るものの、日本陸軍でも部隊の機械化(自動車化)が精力的に行われており、その戦力の6割の機械化が終了しているなど世界では最も先進的かつ機動的な軍隊にまで成長している。 今だに日本でしか実用化されていない動力付き航空機達もその数、種類ともに効果的に実戦で運用できる状態であり、老朽化しつつあった日本の軍備は完全に近代化を遂げたと言っても過言ではなかった。 余談であるが、こうした新兵器群の開発や生産・配備に関して日本軍は徹底した情報管理を行うこととなる。しかし、いくつもの企業と多くの人間が関わる以上、完全に情報を秘匿し続けることなどできるはずがない。 実際、イギリスは勿論として他の欧州列強の情報機関でも朧気ながら日本の新兵器群の情報を掴んでいた。掴んではいたのだが、日本が行った直近の戦争である朝鮮戦争にすら投入しない徹底した日本側の情報秘匿とダミー情報の類付、さらに新兵器郡の性能やコンセプトがSFじみた内容であったことから、欧州列強の本国でこれらの情報が信じられることはなく、日本の軍備を軽視してしまっていた。 日本がロシアとの戦争を見越して軍拡や外交を行っていた一方、日本に仮想敵国と見なされていたロシア帝国では「日本と戦争になるかだって? 日本がそんな愚かな判断を下さないだろうし、だいたい我が国と日本は20年来からの友好国だろう」と言う意見が大半を占めるなど日露関係を極めて楽観視していた。 ロシアの民衆のみならず、サンクトペテルブルクのロシア帝国中央政府も同様の考えであり、『彼ら視点では』という前書きこそ存在するものの、今後も日露関係が良好であることを願っていた。 遼東半島を勢力圏におくことを画策し、朝鮮との国境近くでロシア軍が軍事訓練を行うなど、日米に対す挑発行為を幾度も行いながらも多くのロシア人達はそう考えていたのだ。 最もロシア帝国極東軍および同極東総督府の考えは国内とは違っており、遼東半島や朝鮮半島、さらには日本本土に対してその野心を隠そうとすらしていなかった。 1902年にはロシア帝国極東総督府はロシア外務省とは別のルートで日本に対して、 朝鮮半島の非武装化および日本・朝鮮市場の全面解放、 日本近海およびスエズ運河の航海の自由、 北方の領土再画定交渉 といった3つの要求を公的に日本政府に提示する。しかも、条件を受諾しなかった場合には、ロシアが保有する日本大陸への潜在的な権利を行使せざるを得なくなるというおまけ付きで。 当然、日本政府はロシア側の要求を全て拒絶。外交常識を何処かにおいてきたかのようなこの要求に日本政府および夢幻会は怒りを通り越して呆れてしまい、アメリカ合衆国政府および日米両国民ではロシア脅威論が台頭していった。 430: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 47 02 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp ロシア極東総督府がここまで強硬な態度を取っていた背景にはロシアが極東に貼り付けていた大軍の存在がある。 この時のロシア帝国は満州に50万人、シベリアに30万人近い兵力を展開させており、さらに新造戦艦8隻、新造巡洋艦16隻を中核とした太平洋艦隊を展開させるなど表向きは強大な戦力を極東に集中させていた。 また、史実とは違いこの時点で既にシベリア鉄道が全線開通しており、さらに満州にいた清国人を動員して敷設した満州鉄道と連結させることにも成功していたため、ヨーロッパより迅速に満州に兵力を送り込むことが可能となっていた。 シベリア鉄道の開通と満州鉄道との連結の成功はロシア極東部と欧州ロシアの距離が従来とは比べ物にならないほど縮まったことを意味しており、もしもの場合が起きたとしても迅速に地上戦力の増強とそれを支える補給線の確率をロシア軍は可能としていた。 こうした大規模な軍事力がロシア極東総督府の強硬路線を支える自信の源の1つであったのだ。 一方のロシア視点から見た日本側の軍事力であるが、地上戦力は数こそ多いが白人たるロシア人に勝るはずがないとナチュラルに考えており、彼らの自慢とする海上戦力も戦艦36隻、装甲巡洋艦42隻と言う文字通りアジア最大の海上戦力を有する海軍であったが、そのうち比較的最近に建造された24隻は朝鮮戦争ですら海に浮かべる以外の活動をしなかった(できなかった)欠陥戦艦と欠陥装甲巡洋艦であると見なされており、事実上の戦力は戦艦24隻、装甲巡洋艦30隻と計算されていた。 そして、これらのうち戦艦6隻と装甲巡洋艦6隻が地中海艦隊に、戦艦6隻と装甲巡洋艦6隻は北米に、装甲巡洋艦2隻は南太平洋に展開している。 すなわち、ロシア側の視点では日本本土に待機する“欠陥品ではない”主力艦は戦艦12隻、装甲巡洋艦16隻のみであったのだ。 しかも、このときのロシアが日本の戦力として数えていた主力艦達はどれも艦齢20年を超えるロートル艦達である。 極東総督府が日本を相手にしたとしても十分勝機があると考えてしまうのも致し方なかった。 無論、実際には日本の軍備はそんな貧弱ではない。 陸軍は大規模な軍拡を行っていないとは言え、元々常備兵力だけでも100万人という兵員を抱えているアジアはもとより世界でも有数の規模を誇っており、さらに上記したように戦車や装甲車、自動車、自走砲などの最先端の兵器やその他の火砲などの従来兵器をこれでもかと用意していた。 海軍はもっと酷い。彼らが欠陥が酷くて戦争に投入できなかったと考えていた戦艦や装甲巡洋艦(巡洋戦艦)24隻のうち16隻が史実88艦隊計画で構想されていた16インチ砲を搭載高速戦艦群であり、残りの8隻も史実伊勢型戦艦と金剛型高速戦艦をモデルに建造された超弩級戦艦といった状態であり、砲撃戦だけであっても余裕でロシア太平洋艦隊を完封できるだけの戦力を本土に待機させている。 さらに、日本軍は当時では世界で唯一飛行船以外の飛行機器を有する航空部隊を抱えている軍隊でもあり、実際の日本軍は文字通り世界最強と言えるだけの戦力を保有していた。 朝鮮戦争でこれらが投入されなかったのは、単に清国がこれらの兵器を投入するほどの敵ではなかったことと、十分な戦力を保有する正解を見せつけて欧州列強の兵器の開発促進や建艦競争を促進したくなかったためでしかなったのだ。 最も、戦争で故意に旧式兵器縛りなんて舐めプを行っていた何て信じろという方が無理であろう。まだ欠陥品で表に出せないといった方が信憑性がある。 日本の思惑と想定と実際の戦力の差をつゆ知らないロシア帝国では、1904年5月にはロシア帝国の御前会議にて 『ロシアの経済的利益は、その利益を保護するため極東において武装の必要を生じた。』 とする覚書が承認されてしまい、 鴨緑江の朝鮮側の河岸で主権を握ること。このため該事業に軍略的色彩をかくさず且つ朝鮮政府よりの利権獲得を具体化せざること。 鴨緑江の支那側沿岸にて利権を獲得せずに主権を握ること。 該事業に外人を参加させないこと。 外人を満州に干渉させないこと。 と言う「寝言は寝て言え」レベルの決議が議決されてしまう。 そして、この決議が公布されるや否やロシア帝国極東総督府の命令のもとロシア帝国軍が無通達にて鴨緑江を渡河し、鴨緑江河口の龍岩浦を軍事的に占領、その近辺の住民(日本国籍やアメリカ合衆国国籍を有している人間)の財産を強制的に徴用し、住民を退去させ軍事拠点を築きはじめると言う暴挙をやらかしてしまう(後にアメリカ人に与えた損害は補填するが)。 431: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 47 36 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp この行動は日米はもとよりイギリスやドイツ、果ては同盟国であったフランスなどの欧州列強が抗議や非難を行うが、悪い意味でロシア的であった極東総督 エヴゲーニイ・イヴァーノヴィチ・アレクセーエフはこれを無視、そのまま龍岩浦を占領し続けた。 当然、このような状況を日本が見過ごす訳がない。 日本側は直ちに陸軍を動かす。具体的には朝鮮防衛の為に駐留させていた第20歩兵師団、第24歩兵師団の2個を出動させると同時に、本土から10個師団を増援として急派した。 それだけではない。さらに1893年より生産を開始していた新型戦闘攻撃機である93式戦闘攻撃機(史実P-47)や主力爆撃機である94式軽爆撃機(A-26)などで編成された航空部隊も派遣する。 海軍も舞鶴にいた第6警備艦隊を緊急出港を行い、さらに再編成が完了していた第3常備艦隊、第4常備艦隊の出撃も命令する。また、海兵隊からも6個師団を朝鮮に送り込むことを決定、さらに海軍も最新鋭爆撃機であった92式戦略爆撃機(史実B-17G)や主力爆撃機であった91式戦略爆撃機(B-24)などの航空戦力を送り込んでいった。 さらに日本本国では動員令が発令、国内の軍需工場はその全てが夜間生産(24時間生産)態勢に突入するなど全面戦争に備えて動き始める。 日本の同盟国であるアメリカ合衆国も日本と協調してロシアの暴挙に対応するために、アジアに展開する部隊の上位組織としてアメリカアジア軍を創設。 その初代司令官としてアーサー・マッカーサー中将を任命する。司令官となったマッカーサー中将は日本との共同歩調をとりやすくするために東京のホテルを1つ丸々借り受け、仮設司令部を設置した。 また、これと同時にフィリピン駐留アメリカ軍から2個師団4万人を抽出し、韓城に司令部をおいている日米連合軍朝鮮方面司令部の指揮下に提供するなど彼らなりにロシアとの戦争の準備を急速に進めていく。 こうして戦争に備えていく一方、戦争反対派であった伊藤博文を代表とした特命全権団をペテルブルグに派遣するなどの日本側も戦争を起こさずに事態の平和的解決を目指す動きも活発に行われた。 しかし、積極的な主戦論を主張していたロシア海軍や関東州総督のエヴゲーニイ・アレクセーエフら強硬派などは朝鮮半島でも増えつつあったロシアの利権を妨害される恐れのある妥協案に興味を示さず、これにニコライ2世やクロパトキンなどのペテルブルグ側も同調するなど、日本の動きは報われることはなかった。 それでも戦争を避けようと伊藤博文はロシア帝国と交渉を続けることを提案し続けていたが、ロシア帝国政府内の戦争反対派であったロシア帝国首相 セルゲイ・ウィッテが更迭されたとの報告を受けると伊藤もとうとう折れ、開戦に同意する。 こうして、アジアでは欧州最大の陸軍国家と太平洋を挟む二大列強連合との争いが始まろうとしていた。 432: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 48 11 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp スエズ防衛条約 正式名称は スエズ運河および運河地帯に関する相互協力および安全保障条約 と言いい、オスマン帝国が日本帝国にたいして自国の領内にあるスエズ運河の防衛に必要な最低限度ではあるがスエズ運河地帯および日本とオスマン帝国両政府が合意した地域の軍事拠点化と軍駐留を認めると言う条約。 この条約によってスエズ運河地帯とシナイ半島、テッサロニカ、ハイファの2港を日本が自由に使えることになり、大日本帝国海軍地中海艦隊や大日本帝国陸軍スエズ方面軍が正式に創設される。 日土安全保障条約 オスマン帝国と大日本帝国の間で締結されている軍事同盟。オスマン帝国が侵略された場合に日本が戦争に参加する事を明記した独立保証条約であり、これによりオスマン帝国は正式に日本の同盟国となった。 433: ホワイトベアー :2022/06/02(木) 19 49 08 HOST sp49-98-154-6.msd.spmode.ne.jp 以上になります。wikiへの転載はOKです。
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Template Infobox 軍人? 梅津 美治郎(うめづ よしじろう、1882年(明治15年)1月4日 - 1949年(昭和24年)1月8日)は、昭和期の陸軍軍人、陸軍大将。通称「無言の将軍」。 東京裁判で終身刑の判決を受け、服役中に獄中死。Template 和暦?に靖国神社に合祀される。 経歴 大分県中津市出身。中学済々黌出身。関東軍総司令官、参謀総長などを務める。 誕生日は軍人勅諭が発布された日である。 陸士、陸大ともトップの成績で卒業した秀才である梅津は、学究肌の軍人と呼ばれ、政治の表舞台に出ることを避け続けていたという。その梅津の生涯で最も歴史に残る有名な事件は、支那駐屯軍司令官時代のTemplate 和暦?6月に日中間で結ばれた「梅津・何応欽協定」である。当時、華北で相次いだ反日テロが国民党の主導によるものとし、その撲滅のため、 河北省内の国民党支部をすべて撤廃 国民党駐河北省の東北軍第51軍、国民党中央軍および憲兵三団の撤退 河北省主席である于学忠の罷免 すべての抗日団体とその活動の取り締まり といった内容の協定を結んだ。この協定の申し入れについては、当初、梅津は全く知らず、駐屯軍の酒井隆参謀長と高橋旦陸軍武官の策謀であったとされている。 その後は寺内寿一陸軍大臣の下に次官に就任、二・二六事件後に陸軍内の粛正を行った。その際に、陸軍省に軍務課を新設し、陸軍の政治への発言力を強めた。だが、「剣に右翼を近づけてはならん」とする態度は、皇道派の反発を招いた。一部の右翼活動家からは「梅津は日本の赤化を企図している」という怪文書を撒かれる結果となった。 関東軍総司令官に就任したのはノモンハン事件の責任を取って植田謙吉大将が退いた後で、再三にわたり中央の統制を破って大事件を起こした関東軍参謀の粛正が求められたが、見事にその任を果たした。太平洋戦争中に関東軍が何の事件も起こさず静謐を保ったのは梅津の功である。後の東京裁判では、事件の直後(1939年)から5年間の間に関東軍の司令官を務めたという経歴が、前述の「梅津・何応欽協定」と共に最もウェートが置かれる事となる。 終戦時の御前会議では陸軍を代表して本土決戦を主張するが、個人的には本土決戦は不可能だと考えていたらしく、天皇に本土決戦の準備が出来ていないことを明示した極秘資料を提示したり、一部将校たちによる本土決戦を求めるクーデターに対しては厳しい態度で臨んでいる。 太平洋戦争の降伏文書調印式全権を依頼されると、徹底抗戦を主張した自分をアメリカの軍艦に行かせるのは死ねというも同然であり、降伏に賛成した米内光政、鈴木貫太郎ら海軍首脳が適役であるとして拒否した。しかし、昭和天皇から直々の願いを受けて重光葵らと共に出席する事となり、その際息子に対して二・二六事件とノモンハン事件の事を指し「今度もまた後始末だよ」とぼやいたという。調印式では、持参した万年筆の調子が悪く、副官のものを借りて署名したといわれている。 東京裁判の法廷では、広田弘毅や重光葵等と同様に、証言台には立たず、沈黙を守り続けた。ただ、東郷茂徳の証言内容に対しては、声を荒げて反論する場面もあった。判決は終身禁固刑が言い渡され、1949年1月8日、服役中に直腸癌により病没した。梅津は、生涯日記も手記も残さず、病床には、「幽窓無暦日」とだけ書いた紙片が残されていたのみだった。 年譜 Template 和暦?11月30日 - 陸軍士官学校卒業(15期首席)。 Template 和暦?2月12日 - 少尉に任官。歩兵第1連隊付。 Template 和暦?6月30日 - 中尉に昇進。 Template 和暦?11月 - 陸軍大学校卒業(23期首席)。 Template 和暦?3月25日 - 大尉に昇進。歩兵第1連隊中隊長。 Template 和暦?6月1日 - 少佐に昇進。 Template 和暦?2月8日 - 中佐に昇進。 Template 和暦?12月15日 - 大佐に昇進。歩兵第3連隊長。 Template 和暦?12月1日 - 参謀本部編制動員課長。 Template 和暦?8月10日 - 陸軍省軍務局軍事課長。 Template 和暦?8月1日 - 陸軍少将に昇進。歩兵第1旅団長。 Template 和暦?8月1日 - 参謀本部総務部長。 Template 和暦?11月1日 - 駐スイス公使館付武官。 Template 和暦?3月5日 - 支那駐屯軍司令官。 8月1日 - 陸軍中将に昇進。 Template 和暦?8月1日 - 第2師団長。 Template 和暦?3月23日 - 陸軍次官。 Template 和暦?5月30日 - 第1軍司令官。 Template 和暦?9月7日 - 関東軍司令官兼特命全権大使。 Template 和暦?8月1日 - 陸軍大将に昇進。 Template 和暦?10月1日 - 関東軍総司令官。 Template 和暦?7月18日 - 参謀総長。 Template 和暦?9月2日 - 大本営全権として降伏文書調印式に出席。 10月15日 - 軍事参議官。 11月30日 - 予備役編入。 登場する小説 『凪の時』 大江志乃夫著(1985年、筑摩書房) 『日輪の遺産』 浅田次郎著 『不毛地帯』 山崎豊子著 関連項目 大分県出身の人物一覧 ベン・ブルース・ブレイクニー 宮田光雄 外部リンク 梅津 美治郎 / クリック 20世紀 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』_2008年11月19日 (水) 15 45。
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12: ひゅうが :2017/11/27(月) 12 28 16 神崎島ネタSS――「主従問答」 ――1937(昭和12)年10月12日 日本帝国 帝都東京 宮城 「激流に落ちた幼い子とその親はどうすると思う?」 「それはもちろん、子を何としても守ろうとしましょう。」 「その通り。だが、禽獣の類は別だそうだよ。」 「『島』からの知恵でございましょうか。しかしそうなると、親はどうするのでしょう?」 「獣の親は、子を足蹴にしてまで自ら助かろうとするそうだよ。」 「あさましい、と申し上げるべきでしょうか?」 内閣総理大臣 廣田弘毅は、目の前で曖昧な表情をするこの帝国の主をみて頭を回転させた。 そして思わず目を見開く。 「わが帝国がかの島に期待するところは、左様なこと、との思し召しでありましたか。」 「そうみられても仕方がない、とは思う。」 当今の帝、歴史上は昭和天皇と諡号されることになる人物は言葉を選びながらいった。 「仕方のないことではあるが、かの島の艦艇を大本営の直率する戦力となすべきであるという意見を彼らはどう思う? まずもって、かの艦艇は人間そのものとしての性質も持つ。 ある意味で他国に自らの子を兵として徴すべしと命じられては愉快ならざることであろう」 「それは理解しますが、兵役の義務は皇国の国民の権利にして義務。 まして外地にして御料となっているとはいえ――」 「わからぬか? かの島の動きをみて。」 廣田は、きた、と思った。 原則論を述べつつ思考を巡らせるのは、外交官たる廣田の癖である。 すでに彼は思考をまとめていた。 資源の破格の供給、技術や資金、さらにはある敗北の詳細な記録の提供。 これにより帝国の戦略環境は激変。 短期的にはどこかの国家、たとえば支那との開戦の必要などはなくなっている。 このできた余裕にあって、いかなる方向へ国家を導くべきかという議論は日夜尽きぬ。 そしてそこに帝国陸海軍だけでなく、それに匹敵する規模の大艦隊をおさえとして用いることはできまいかという言説も非公式ながら出始めていた。 これを受けて陛下はおっしゃられたのだ。 帝国は禽獣なるや?と。 「彼らの動きは、すべてがかの艦艇を人同士の戦争に繰り出さぬために組まれている、そう仰りたいのですね?」 業腹、と思うものもいるかもしれない。と廣田は思った。 帝国陸海軍は、存在することにより周囲を掣肘するという認識がやや弱まってしまっている。 まずもって戦闘的で、使って便利な道具として自他を見がちなのがこれまでの軍隊であった。 それは黒船以来の強迫観念の産物であるのかもしれないし、韓国併合以来実質的な大陸国家ともなってしまったこの帝国の戦略環境がもたらす大陸的な血の気の多さであったのかもしれない。 英仏百年戦争をみるがいい。 大陸領土を守らんとしたアンジュー朝イングランドは泥沼のような戦いに国力を疲弊させてしまったではないか。 百年戦争を戦い抜いたフランスは絶対王政を確立し、対してイングランドは王権が弱いがゆえの議会政治とその後の産業革命への道を驀進した。 ひるがえって現代のわが帝国は? この英明なる主に絶対王政のごとき、かのヒットラ総統のごとき絶対君主制を率いさせるがごとき不忠を遂げるのは廣田はもとより政府文官の本意ではない。 必然的に、英国型の政治統制こそが現状の大日本帝国には必要となろう。 13: ひゅうが :2017/11/27(月) 12 29 08 そうか、と廣田は再び気が付く。 「かの島は、試しているのですな。帝国政府を。武器を握って振るわずにいられるか否か。」 ぞくり、とする微笑を、昭和帝は浮かべられた。 言外にかの帝はいっているのだ。 まだ帝国政府は、禽獣のごとく本能から脱しきっていないと。 陸海軍はすでに敗北の記録という特大の冷水に揉まれて変質を遂げつつある。 だがそれを振るうべき彼ら帝国政府は? 「大本営常設化の晴れの日に、特大の宿題を下さいましたな。陛下。」 「期待しているよ。」 廣田は、深々と頭を下げ、しかるのちに市ヶ谷へと昭和帝を案内すべく席を立った。 これから第一回の大本営御前会合が待っている。 いわゆる「史実」とは違い、勅令により内閣総理大臣が輔弼主宰すると明記されたこの大本営は、実質的な統合幕僚本部的な性格を持っていた。 ならば、帝国政府による軍の完全な文民統制が確立されることになるこの日に浮足立つ文官どもに特大の雷を落とさねばならない。 よろしい。まさに本懐である。 そんなことを考えつつ廣田は微笑した。 14: ひゅうが :2017/11/27(月) 12 30 10 【あとがき】――長くお待たせしました。とりあえず帝国サイドのお話です。 相変わらず島側が出てきません(土下座)
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我々は自由で、平等で、何より精強である ーカルバリン4世 概要 天の川銀河のとある場所にある惑星4つと、地球の中東地域を領土とする立憲君主制の民主主義国家。カルバリンというのは現国王、カルバリン4世の名から取っている。 地球には複数の自治領を設立しており、過去にはこれら自治領とアンカラ条約機構という陣営を作っていたが、従属国しか所属していないことから存在価値に疑問が持たれ解散された。 ロメロ自由人民国というファシズム勢力との内戦を経験しており、国内政治情勢は安定しているとは言えないが、現在は自由民主党が過半数を占めて与党となっている。 軍事 陸軍 陸軍は大カルバリン帝国が最も力を入れている軍隊であり、ロボット歩兵師団が多数を占めるのが特徴である。これは、犠牲者数が増えすぎると厭戦活動が広まり戦局に影響が出るためだとされている。 近年大規模な陸戦が行われたのは先述のロメロ自由人民国反乱のみであり、練度は疑問視されているものの、例年春に開催される大規模演習は国民に人気の一種のショーになっている。 海軍 海軍は惑星国家という性質上、すべての艦艇が宇宙と水上の両方を航行可能になっている。巨大戦艦を保有しており、これは事実上の移動要塞のような用途で使われている。 空軍 空軍も惑星国家である以上360度あらゆる箇所から敵がやってくることを想定し規模が大きくなっている。ヨーク王時代の機体のY型が主力で、あまりに画期的な戦闘機であることから現在もなお使われている。 なお、対空ミサイルなどの地上から空中に発射する兵器は巡航ミサイルを除き陸軍と空軍の共同運用という位置付けであり、陸軍と空軍の連携強化の訓練が日々行われている。 核専門軍 大カルバリン帝国には核専門軍という核兵器とミサイルのみを扱う専用部隊が存在する。これは、陸軍が核戦力を管理するよりも、運用上の理由や秘匿性において優れていると結論付けられたためである。 従属国 バルカン占領地域 中央アラブ自治領 イラン自治領 エジプト自治領
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ベリオン共和国軍 【組織名の現地語】 imageプラグインエラー ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (【エンブレムの画像】)(国章) 創設 Sint. 指揮 首相軍務大臣軍統合司令部総長 兵役制度 徴兵制 適用年齢 AP18歳から 兵役差別 永住権保有者のみ 国内供給者 ベリオン共和国軍(べリオン語 Belion Gzlavoolvulajr )は、ベリオン共和国の軍隊である。 陸軍・海軍・空軍・宇宙軍の3つの軍種から構成されている。 目次 概要 歴史 機構べリオン共和国陸軍 べリオン共和国海軍 べリオン共和国空軍 べリオン共和国宇宙軍 べリオン国家憲兵隊 べリオン民事憲兵隊 駐留地域 戦歴 徴兵制度 批判 概要 ベリオン軍は同国の政治・社会・歴史において中心的な役割を果たしてきた。エルミア革命後から続けられてきた拡張政にはベリオン軍の武力が必要不可欠であり、独立後の政治制度は軍を円滑に運営するために発展してきた。また、特徴的な実質的国民皆兵制度からベリオン国民と軍の距離感は非常に近い。 歴史 機構 べリオン共和国陸軍 べリオン共和国海軍 べリオン共和国空軍 べリオン共和国宇宙軍 べリオン国家憲兵隊 べリオン民事憲兵隊 駐留地域 戦歴 徴兵制度 憲法によりべリオン市民の子息であるベリオン準市民には兵役の義務が課されており、兵役を経験しないと市民権を与えられない。良心的兵役拒否も制度としては存在するものの、兵役を経なかったものは福祉制度などを受けられないため、事実上の罰則に等しい。一方で文民は徴兵されないが、志願すれば審査を経て軍に入隊することができ、この場合も除隊後市民権を与えられる。徴兵による兵役期間は最低22か月であり、職業軍人としての道を選ばなかった場合も除隊後15年間の予備役登録と予備役解除後の国民防衛隊入隊が義務付けられている。 また、軍学校に入学した場合は徴兵なしに始めから職業軍人として入隊することになる。 批判 文民に対し徴兵を利用した差別が行われているとの批判がある。準市民の場合、基本的に病気や身体的・精神的障害を問わず軍に徴兵され、能力に応じた職務を与えられ、除隊した後に市民権を得ることができるが、文民の場合、持病や何らかの障害がある場合は志願しても適正不十分として志願が受理されないケースが多く、結果的に市民権を得る機会が失われ、必要としている福祉サービスが受けられない例が多い。 人権団体[どこ?]はこれを社会構造による種族差別として批判している。
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687 :第三帝国:2016/07/06(水) 23 23 20 艦これ×神崎島ネタSS セリフ集 神崎島は宝島ぞ。 かの島は仏が与えた東亜の光なり。 参謀本部作戦本部長、石原莞爾少将 神崎島が多くの資源を有することを知った時の呟き。(※1) 陸軍の馬鹿がはしゃいでいるのは知ってる。 それに内務省の阿呆もはりきっているという話は俺も聞いている。 確かにあの島は宝島だ、だが連合艦隊以上の規模を有する艦隊相手にどうしろと!(※2) 海軍次官、山本五十六中将。 神崎島に関する懸念を表明した井上成美に対する返答。 女のくせに生意気な! 名無しの内務省官僚。 大淀の反論に対しての罵倒。(※3) 米艦隊を確認。 これより接触に入ります。 提督、心配はいらないわ、皆優秀な子たちですから。 空母「加賀」 フィリピンから出撃した米艦隊を捉える。(※4) うふふ~映像記録じゃなくて、 ガチの米内提督をスケッチできたのはよかったわ~。 これで山本×米内本ができるわ、後で本人に送ってあーげよっと。 駆逐艦「秋雲」 GF長官を主題としたウス=異本の作成に取り掛かる。(※5) そうですか、では陛下に聞いてみます。 軽巡洋艦「大淀」 天皇陛下を持ち出した内務省官僚に対する対応。(※6) ※1:神崎島を世界最終戦争の切り札。 と見做した石原は武力ではなく懐柔することを考えていたが、 悪い意味で彼を模倣する陸軍将校達はそう考えておらず陸軍内部は荒れることになる。 ※2:高性能な金属製の単葉機を取りそろえ、 しかも常識外れの戦艦を多数保有する神崎島に対する海軍の率直な言葉であった。 しかし、国内問題の解決策と見做す内務省官僚と血に酔った陸軍と欲に溺れた財閥はそう考えていなかった。 ※3:神崎島は日本領土と見做していた内務省と、 当初から本国へ帰属を望みつつも独立国との自負を抱いていた神崎島と衝突を繰り返していた。 おまけに官僚からすれば相手が女子供ばかりの島なために悪い意味で官僚の傲慢さを発揮し・・・・。 ※4:帝国海軍が神崎島との接触を図ったように、 フィリピンから出撃し、接触を試みたアメリカ艦隊を空母「加賀」の索敵機が捉えた。 そしてこの出会いが大日本帝国、アメリカ合衆国、神崎島を巡る外交での戦争が火ぶたを切った。 ※5:送られた側のコメントは21世紀になってもなお不明である。 ※6:神崎提督自身が「日本国民」と表明したことを根拠に、 陛下のためにも今後内務省に従うべきと「強く推奨」した事に対し、 軽巡洋艦「大淀」は理論立てて反論した上で陛下の名を利用した官僚に対し、 言葉通りの事を(一連の出来事を記録した映像を提供)実行に移すことになる。 688 :第三帝国:2016/07/06(水) 23 27 54 以上です 楽しんでいただけたら幸いです