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社会的正義の先駆者 □ 山崎今朝彌 共鳴とは何ぞや、動機とは何ぞや、抑抑現状打破の思想とは何ぞや、等と小六づかしき理窟はぬきにして、要するに私は矢張り遺伝と性格と境遇と感染とよりコンナ人間になつたと思ひます。先祖代々謀反者ヒネクレ者の血を承け、幼にして既に反逆を好み、稍々長じてはテロリケロリで復讐を続け、強情意地ツ張り小面憎く、生れ乍らにして赤貧素寒貧、農家に育ちて耕すにものなく、工場で稼いで小遣手に入らず、見下げ果てたる浮世のバカ者ウツケ者を見るに付け、不平ウツ憤やる瀬なく、世を詛ひ人を茶化すより外なき処へ、先づ初めて米国で赤羽、幸徳、岩佐君等と相識り、コイツ少々話せるなと思ふたが病付きで、友人が悉く革命家若くは社会運動家と変更し、目は何も知らぬ間に耳は確く其ウン奥を極め其後は之を中外に施して決して誤らず過たず、今は只其死期を待つのみと相成候。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『解放』(大鐙閣)第5巻5号122頁(大正12年(1923年)5月1日発行)>
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色々後記 ▼本号の如く充実した雑誌は恐らく他に類があるまい。書くべき事でも書く余地が少しもない位充実して居る。 ▼本誌は九月号で八月号で七月号である。雑誌でパンフレツトで書籍でもある。 ▼社会主義研究、解放、解放思想、解放文芸、解放法律と色々云つて見たが、愈々単科雑誌を止めて綜合雑誌で小ジンマリ行く事に極めたから、次号(又九月号)から愈々本マニ『社会解放』と名づけ、名実一致で進んで行く。 ▼同人は前号発表より又増へた。広告部はまだ高野松太郎水谷憲風の両氏。 ▼次号は恐らく活目注視に値する。(十日、山崎今朝彌。) <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『解放法律』(解放社)通巻17号、増刊第1号(大正14年(1925年)9月1日発行)>
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『中外』を中心としたる諸家の雑誌観 真面目の野心と妄想的の抱負 山崎今朝彌 私の『中外』に取る点は、編輯や内容等ではない、今年や来年の、編輯や内容が、どうあらうと、斯うあらうと、そんな事の少し位はどうでも構はない。私は過日聞かされた内藤社長の、雑誌に対する真面目の野心と、『中外』に対する妄想的の抱負とを取る者である。之れさへ存在する間は、『中外』は必らず何時か、日本一の世界一雑誌に公認せらるる時の来る虞れが充分ある事と私は確信します。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に修正した。> <底本は、『復刻版中外第7巻』(不二出版、1988年)、底本の親本は『中外』第2巻11号346頁。大正7年(1918年)10月1日発行。>
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忌避から判決まで 判事も検事も警察も一つ穴の狸と思ふてる素人に。予審裁判をした判事は、公判で其事件に関係する事ができない、一審裁判をした判事は、二審で其事件に関係する事ができない、其訳は先入主となる弊害があつて、公平の裁判ができないからだ。と話せば何を?!べら棒な、チヤンチヤラおかしいと笑ふだらうが、玄人はそんな事は当り前の事としてゐる。然るに弁護士判検事の懲戒となると、予審判事のする予審裁判と同じ事を、懲戒開始決定と名を付けて公判々事がやり、其同じ公判々事が又懲戒の裁判をやつてる。刑事々件なら恰ど予審判事と公判々事と、一審判事と二審判事とを一人でやるようなものだ。此不思議の現象はどこかに間違つた処があるにきまつてる。玄人のチヤキチヤキたる判検事弁護士であるから、此事は誰も気が付く筈であるのに、今迄これを問題にした被告のないのは、蓋し被告上黙つていた方が得た利益だと計算したからであらふ。僕としても、大概相場はきまつてる、面倒だバカバカしい、グズグズして居れば暑中休を越す、とも考へたが、裁判長を被告扱ひにして見たいのと、先方の決定書其儘で謹厳痛快の申請書ができるのとにほだされて遂ひテストケースと云ふ気で五月一日に判事全部に対して忌避をした。 西郷判事と遠藤判事とはなぜか評判がよい、僕の友人は皆牧野裁判長一人を忌避して二人を忌避するなと忠告してくれたが、此度こそは乃木大将の敵を取られると評判されてる最中、それでは僕が其を怖れての余り忌避した様に思はれるも厭だから、構はす三人を忌避した。此申請は直ちに予期した通り却下になつた。尾佐竹判事が係りときいたから、太政官の布達でも引きずり出して、裁判に理由でも付けてくれるかと楽んでみたが、それも越中褌に終つた。 バカと狂には逃げるが勝よといふ諺もあるが、裁判は一日も早く片付けたかつた。しかし忌避の裁判は初めより控訴院は眼中になく只大審院が目的でもあり、又調べれば調べる程理由があり、熱心も出てきたから、僕は一方直ちに忌避申請却下に対する即時抗告をすると同時に、他方控訴院に向つて、構はず裁判を進行してくれとの願を出した。当時僕の此挙を以て徹頭徹尾裁判所を曲くり又は之をからかふものとして、僕を非難し、除名又軽きに過くと云ひ触らす者もあつたが、決してさう云ふ訳ではなかつた。僕は忌避申請をした当時より、裁判所は判事を代へて裁判を進め、合法的に忌避の申請を葬るであらふと思ふて居た位だつた。従て上申書や抗告申立書の戦々兢々や大安吉日は、僕としては当然以上の真面目であつた。 大審院で抗告が棄却された時は聊か失望はしたが、もう其時は既に熱が発散し切つていたので憤慨はしなかつた。控訴院の決定も大審院の決定も似たり寄つたりで、兄たり難く弟たり難い理由のないものであつた。僕が忌避申請書や抗告理由書で論ずるように、懲戒裁判の開始決定には懲戒すべき事実だけを書き挙げるだけにして、其理由は説明するな、愈々公判で裁判するときに初めて詳細の理由を書け、だから開始決定の判事も公判の裁判判事も同一人で差支へない。と云ふ事にすれば、法理合理や法律の常識にも、懲戒裁判に忌避を許した精神にも叶ひ、条文の解釈も刑事訴訟法との関係もスラスラスツと皆スムースに行くのに、只それでは、従来のやり方が間違つて居た、気が付かなかつた、ばかだつた低能だつた、と云ふ事になる虞れがあるといふ理由ばかりに、あれは法律が悪いのだ規則の欠点だ、懲戒法の忌避と刑事訴訟法の忌避とは性質が違ふ、この予断は予断でも予断でない、とこじつけようとするのはいつもいつも乍ら悪い癖だ。竪子遂に教ゆべからすの歎、豈独り僕のみならんや。 忌避も愈々確定した、裁判は益々切迫した、今後は既に極まつてる。しかし新聞がまちまちだから友人もいろいろだつた。やれやれと云ふ者によせよせと云ふ者、弁護をと云つてくれた者もあつたし寄附をと云つてくれた者もあつた。 当時僕と同じく弥生会といふ弁護士団体に属してる佐々木藤市郎君が、矢張り僕と同じく岸清一博士と共に懲戒問題を起して居た。一説によれば佐々木君は、僕なんかが年から年中口癖に云ふてる、裁判官はかかしだ石ころだ、との悪口を叩いたが悪いとの事だ、弥生会は佐々木君の為めに屢々会議を開いて其善後策を講じたが、いつも問題になるのは、岸博士のと連合でやれ、いや切離してやれ、岸博士のとは訳が違ふいや同じ事だ、であつたが、どちらにしても皆申訳のない事を仕出かした、困つた、と云ふ点だけは異論がなかつた。佐々木君も亦頗る恐縮して頻りに謹慎していた。其位であつたから況んや僕の事件では皆がこわがつてる風に見え、僕と一所に附いて来る事は到底出来ない相談であつた。そこで僕の事件は僕の自由処分に任かして、其代り僕が出すといふ事件顛末の著書を一人で三十部宛引受けようといふ事になつた。と記憶してる。 自由法曹団でも会議を開いてくれた。僕の既定の方針に対しては、それは遠慮からだらふと心配してくれた者もあつたが、兎に角僕の希望で一審はウツチヤリ置き二審はほんまに弁護して貰ふと云ふ事になつた。尤も一審の判決が軽いからとて控訴しなくてはイケナイ。一人の事でない弁護士全体の事であるからといふ条件付であつた。僕は必らず諸君の顔をつぶす様な事はしないと誓つたが、其時から既に腹の中では、それなら控訴の取下は構はないなと思ふて居た、悪い奴だ。 書記課への抗議 あれ程頼んで置いたのに、当の本人が知らない間に新聞へ発表され、折角の深謀熟慮も悉く画餅に帰し頗る困つた結果、止むなく今日より病気になり色々と新案目論見最中に候。も智嚢も画策も早や尽き果て、甘い考へも出ず大に弱り居り候。条文が無いので書記の忌避も出来ず、マアこんな処で締め置き候。 拝具 六月二日 山崎今朝彌 東京控訴院第三階 深路茂樹 様 控訴状 控訴人 山崎今朝彌 相手人 不明 右当事者間大正十一年(よ)第一号事件に付只今其判決謄本送達ありたるに付控訴す。 控訴理由 判決の罰の量定は高木氏の「小僧判事」に比し決して高からざること、問題の文句は相当不穏当なること、控訴人は為めにする処あり故ら不謹慎の言辞を弄せしことは之を認む。然れ共不穏当不謹慎は必ずしも弁護士の体面を汚すものにあらず、会則に所謂弁護士の体面を汚すとは弁護士会長ともあるものが、公然又は陰険に聞くに堪へざる言辞を以てお互に相手方の人身攻撃を為し合ふが如き事を云ふものにして、弁護士も司法官も味噌も糞も同一と心得殊勝にも幾分遠慮しつつ、円曲に皮肉に、馬鹿を鹿馬と言ひ無能を能無と云ふが如き場合を云ふものにあらず。然るに原判決は全然此点の区別も知らず、遠慮なき言辞を弄せしとの一事を以て直ちに弁護士の体面を汚すものと判断したるものなれば此点大に不服なり。尚控訴人は目下重病中にて詳細の理由書を提出し得ざるを遺憾とするも、其は追て直接之れを控訴裁判所へ提出すべし 大正十一年六月拾三日 山崎今朝彌 口授閲覧 大審院に於ける懲戒裁判所 御中 控訴取下書 東京地方裁判所々属弁護士 山崎今朝彌 右私に係る東京控訴院に於ける懲戒裁判所大正十一年(よ)第一号事件判決に対し大正十一年六月十三日控訴を為したる控訴は病気の都合も有之取下の効力も試験仕度候に付茲に右控訴取下仕候也。 大正十一年六月廿九日 右山崎今朝彌 大審院に於ける懲戒裁判所 御中 日記秘第四五号秘号 東京地方裁判所所属 弁護士 山崎今朝彌 停職四月 右懲戒事件に付東京控訴院に於ける懲戒裁判所に於て頭書の通判決相成大正十一年六月二十九日確定したるに付其期間内職務の執行を停止すべし。 右及通達候也。 大正十一年六月三十日 東京地方裁判所検事正 小原直 <山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
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陪審法と新民訴に対する法曹の声 一、陪審法施行後の感想 二、新民事訴訟法施行の実跡 ○ 東京 山崎今朝彌 一、泥棒にも三分の理あり、バクチでも一回ではアキラメられぬ多少物の解かつた一人の判事を口説き落すにも骨が折れる、況んや素人の多数陪審員を口説くに於てをや、陪審法は読むに及ばず、結局物にはならぬ、と云ふ私の見通しは今も尚変らず候 二、初めの内こそ二三猟奇的の判事があつて矢鱈に八釜敷かつた処もあつたが、今では皆慣れてユツタリ落付き、元と何も変わつた所無くなりました、事件の進行振は、判事の病気書記のサボ相手方の不慣等も相俟つて前の倍も遅れます。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に修正した。踊り字は修正した。> <底本は、日本弁護士協会『法曹公論』第35巻9号、昭和6年(1931年)10月号>
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罰の跋 此書は大部分清俊印刷所で刷りかけ、遅くも九月一日には確実に記念出版出来る筈であつたが、延びにのびて何時出るか今にわからない。由来馬鹿と気違にはかかしらうな、とは先祖代々の言伝へであるのに、俺がとか又はマサカ俺にはとか自惚れて、少からずオセツカイ心を起したのが抑々間違の初まりで、詐欺にはかかる、横領はされる、相手にもなれない挙句の果が、詐欺の詐欺で、漸く出来上りかけて見れば素人も素人驚き切れもしない程の素人で、到底物にはなるまいと思つてる処へ、電気は止まる、差押はくる、検挙はされる、破産にはなるといふ始末、仕方泣く泣くドコをドウしてか漸くマトメて貰ふたのがコレである。僕は祖先の遺言を守らなかつた罰と諦めもするが、前金払込済の読者に対しては如何なる名目で諦めて貰はうか。(十三年十一月十八日珍無類快晴の日) <山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
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思想犯罪弾圧と強盗横行時代の現出 「一、彼等の所謂「党員増加と、無産大衆共鳴の激増驚嘆に価する」思想犯罪を検挙し尽くせると思つて居るのか、二、第一義に検挙しても検挙し尽くせない詐欺、強盗の智能犯、強力犯の検挙を第二義に置いたら、今後は強盗活躍、詐欺横行時代を現出する事になりはしないか、三、その反動的効果は白色テラーの助長を促すのみではないか、との問いに対する回答。 山崎今朝彌 一、彼等は真面目にさう思つて居ります。 二、数学的比例的にさういふ事になります。 三、のみではありません、従つて又赤色テラー黒色テラーを激発助成します。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『布施辰治著作集第14巻』(ゆまに書房、2008年)、底本の親本は『法律戦線』(生活運動社)8巻6号47頁(昭和4年(1929年)6月1日発行)>
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端書回答 一九三二年社会運動の展望・国家社会主義運動の発展性 山崎今朝彌 一、非合法運動は裁判所監獄等安全地帯に展開し一部インテリの大活躍となり合法権獲得運動に転向する。 合法運動は益々右傾し国民的となり、政党運動は多分一年一回の分裂合同を踏襲する。 二、国家社会主義運動には平凡社派と大川、北派との二派あるらしい。 平凡社派は社民派総連合派高畠派の結合を目標としてゐるらしいが満蒙問題がどうなるか、軍閥が買被つてくれるか、本家争や勢力争か甘くいく等色々問題が起つて、結局社民党を民衆社会党或は国民社会党にして幕位のものにあらざるか。 大川社派の六感移度以上は知らず。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に修正した。> <底本は、『復刻版社会運動通信』(不二出版、1984年)、底本の親本は、『社会運動通信』(日本社会運動通信社)昭和7年(1932年)1月1日発行>
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選挙によつて政治の「浄化」は可能か? 「東京市議会議員選挙の結果が旧態依然たる「不浄化」市議会であることは、一、選挙権者の無自覚のためか?、二、選挙によつて「腐敗堕落」した政治を「浄化刷新」することが結局不可能なためではないか?」という問いに対する回答。 山崎今朝彌 一、無論無自覚のためですが、そればかりでは有ません。 二、自覚したからとて選挙で政治を浄化刷新することは初めより到底不可能であります。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『布施辰治著作集第14巻』(ゆまに書房、2008年)、底本の親本は『法律戦線』(生活運動社)8巻5号50頁(昭和4年(1929年)5月1日発行)>
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新労農党樹立提案の批判 その正体を疑ふ 山崎今朝彌 久しぶりで熟読をした。大山君等の新党提議のパンフレツトを熟読した。疑問をつけて消して行つたら、四十の疑問が読み了つた時に十になり、再読して二つになつた。 × 労農派の人達及労農大衆の水谷君の方が一日先に気が付いたと云ふ事に帰するにナゼまだ悪口を云ふかが一つ、社会民主々義でも共産主義でもないなら何主義か、或は表面だけ共産を装ふ左翼民主か(コレなら官許になる)又は表面だけ指導部に共産党員及共産主義者を介入させない共産主義指導理論を指導精神とする共産主義政党か(コレなら官許にならぬ事請負)これが二つ。 <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『布施辰治著作集第15巻』(ゆまに書房、2008年)、底本の親本は『法律戦線』(生活運動社)8巻9号6頁(昭和4年(1929年)9月1日発行)>