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官庁注文書人民命令書 官庁注文書 二経丙第四一八号 貴大学発行の社会主義研究購読致度に付七月一日分より当所宛発送相成度 大正八年六月廿八日 第二師団経理部 印 平民大学 御中 人民命令書(右返事) 甲第一号 社会主義研究七月一日分より販売致度に付代金前払相成度 大正八年六月卅日 平民大学 印 第二師団経理部 御中 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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カード名 カードナンバー/レアリティ カード名:《 》() キャラ名:「 」() LPリミット: キャラクターシンボル: 属性: END:- カードテキスト フレーバーテキスト
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広告記事の取消文 本誌六月号の読者は、欄外にあつた面白い広告文を読んだ。処があの広告文が、日本伯爵の逆鱗に触れ、幹事が呼付けられて大目玉を頂戴したかして、十三日に社会政策実行団幹事の一人、中村太八郎君が来られて、大に私を叱り付けた。続いて幹事の寄合から評議員会の招集となり、会では、土方伯に対する不敬を以て、私を除名する事に衆議は一決したが、幸ひ斡旋する者があつて、私の名誉の為めに、除名は止めて諭旨退官と云ふ事に敗けて呉れた。 そこで今度は諭旨退官の通知と正式の広告記事取消の遣外大使は誰が局に当るかと云ふ問題で随分議論もあつたとの事ですが、先づ当今では、兎に角堺利彦君に如くものなしと云ふ訳か、十五日の朝同君が来られ依願免官の諭旨の外大体左記取消文言の如く、達しがあり且つウンと油を取られた 広告記事取消請求書 拝啓、貴殿御発行の「平民法律」第七年六月号欄外に御掲載有之候、平民法律所広告記事中に、顧問、日本伯爵土方久元と記載有之候へ共、当団に於ては未だ伯爵閣下に顧問を御願致したる事無之のみならず、或一派の人より多少危険人物視せらる米国伯爵と名を列せられ、世に誤解を招く様の事有之候ては、当団として誠に伯爵に対し面目なき次第に付、以後篤と御注意相成度、又私としては顧問となりたる事絶対に無之、名誉推薦顧問の意に有之候なら、堅く御辞退申上度候 右様の次第に付此全文御掲載の上至急前記広告記事全部取消相成度、此段新聞紙法により及請求候也。 大正七年六月十五日 日本伯爵 土方久元 社会政策実行団 右二名代理人 堺利彦 米国伯爵 山崎今朝彌 殿 私があの広告を無断で無料掲載したのは、何も悪意があつた訳ではなく、従兄弟同志の間柄であつて見れば、日本伯爵からソー大した問題も起るまいと天から馬鹿にして懸つたのが悪かつたのでした。然るにコー諸君から、真面目に掛合はれては、誠に一言の申訳をする勇気もなく、只管恐縮して退却するの外ありません、依て茲に恭しく前記広告全部を取消し敢て謹慎の意を表します。併し左の広告は是非御一読を乞ふ。 ------ 平民大学令第八条に依り、左記を本学名誉学員に推薦す。 元帥、議長、公爵 山縣有朋 学長、米国伯爵 山崎今朝彌 元宮内大臣元伯爵 渡邊千秋 実業家男爵 大倉喜八郎 教授、法学博士 上杉慎吉 大正七年七月 平民大学 ------ 右の記事法律講義 土方伯が事実平民法律所の顧問で無いのに無断で顧問として広告したる本件の実際問題に於て、土方伯は如何なる権利があり、発行人は如何なる責任があるかは、中々興味ある法律問題です。が土方伯は(一)新聞紙法の規定に従ひ其取消を求め、応ぜざるときは、其点に付告訴する事が出来る(二)平民法律所又は社会政策実行団と云ふものが泥棒団体と云ふと同一であると、云ふ前提で、名誉毀損の刑事問題又は慰謝料請求の民事訴訟を起す事が出来る。併し此前提は迚も問題にならない又米国伯爵と名を並べたと云ふ点も問題にはならない。要するに前記(二)の権利は到底行はれないと断言するを正当と信ず。 上段文例中の堺利彦君の肩書代理人は、土方伯に対しては複代理人であらふと思ふ。複代理人とは、土方伯を実行団で代理して、実行団から又堺君に代理を頼んだ事である、又実行団が土方伯の為に為す行為は、土方伯から頼まれたかも知れぬが、頼まれもせず、丁度無断広告の如く、勝手にやるのかも知れぬ、法律上前者は有権代理又は単に代理と云ひ後者は無権代理と云ふ、実行団が有権代理であらふと無権代理であらふと、又堺君が代理人であらふと複代理人であらふと、之れを又単に代理人と云ふは法律上敢て差支ない。 最後に、平民大学令第八条に依て平民大学名誉員に推薦された上記諸氏は勿論の事之れを辞退する事が出来る。 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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平澤均治君と磯部尚君と ▽平澤君と磯部君とは似而非なるものなり、両者共に弁護士中有数の美男子にして一見直ちに妻君の容貌を想像せしむるも、一は即ちボツチヤンに類し他は即ちヤンチヤに属す、平澤君の生命は敢て道徳を月並せず頻りにアーメン臭からざるに在り、磯部君の本領は其才の寧ろ軽薄ならざると其気の恰もヅボラざるに存するが如し。 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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第三種郵便物認可申請 抑々『平民法律』は『毎月一回一日』に『政事農事工事商事学術技芸統計等公共の性質を有する事項中、時事に関するものを除く、一切の事項』を報導論議するを発行の目的とし、汎く公衆に発売する新聞紙法上の定期刊行物なれば、認可規則第二条に依り当然受認可の権利を有す。 抑々『発行人』を之が為め新案の『発行所』に『住所』を移転と同時に印刷所を新設し、発行編集印刷は勿論社長持主主幹主筆の外雑務主任に総裁を兼ね、只管雑誌の発展と金儲とに汲々と腐心に苦心を重ぬ。 抑々雑誌の経営たるや、或人問ふて曰く『吾金ありて困る、之れを如何にす可きや』答へて曰く『宜しく雑誌を出すべし、直に無くなつて困らん』と云ふ位なり。 抑々平民法律は最少の費用を以て最多の読者を獲得する為めに、記事を痛快に編集を奇抜に内容を充実に趣味を津々にし、以て読者をして購はずんば止まざらしむ、故に咽喉より手の出る如き金慾を心裡に留保し、恰も代価を論ずる及ばざる振りをなし以て、数号を継続せしむるを営業の大方針とす。 然るに属吏は総てを官僚的に解釈し、発行人三月一日第一号の認可申請を、第二条第四号に該当せざるものとし却下したり、依て発行人は第一号の発行を合計〆て七部に止め、三月十日第二号兼第一号を発行し即日約束郵便の許可を受け大半に付ては、既定の大方針を適用し、残余の少半は発行後未だ十日に垂んとせざるに既に全部を売り尽したり。添付の『見本二部』は友人より貰ひたるものにして雑誌界に於て初めより此止むなき盛況を呈したるは、蓋し世界広しと雖も芝では神武以来平民法律の外無之と信ず。 発行人も一度は癪に障り候故、一生第三種の認可申請は之れを為さず、其代り之れに相当する適法の面当をなし、自ら満足せしめんと思候も、貴庁の掲示板が官庁らしくもなくて気に喰ひ、主任官が官吏にあるまじき親切あると、色々の損害既に三十円に達し今後益々発展するの虞あり、余りに馬鹿々々しきと、泣く子と地頭には勝てぬとに依り茲に本申請に及び候条、別に威厳を損する次第にも無之と存候間、官吏の片意地を廃し何卒御認可相成し被下様偏に奉嘆願候也。 大正六年三月二十六日 東京市芝区桜田町十九番地上告専門所 山崎今朝彌 大日本帝国逓信局長 竹内友治郎 殿 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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解放社発禁争議に就いて 山崎今朝彌 昨日の日曜を利用して詳報を十頁も書かせて貰ふ予定であつたが、無保証ときいては筆が否ペンが動かず罰金出させても御気の毒だから、詳報は「解放」十一月号に譲り感想?二三を左に 一、昨年の解放十月号の禁止に対しては、『忽再版忽禁止忽参版忽解禁』の広告で再版を出した。 二、本年六月の解放群書第三編『プロレ諸大家最近傑作選集』の発禁に対しては、『初版へ(解放新年号)絶対安全、再版(合本)突如禁止、参版発売(不穏箇所切取)但初版を添ふ』の広告。 三、七月号の絶対禁止に対しては八月号で、『不可抗力で幸か不幸か差押前に殆んど売切の盛況、併し流行歌つて曰く、解放潰すにや何んにも入らぬ、禁止の三度も呉れりやよい。』の減らず口。 四、八月号に対しては、左記広告。 解放及解放群書発行所解放社は東京芝区新桜田振替三六九四四 八月号解放読者に謹急合掌 解放由来穏健也 然るに発売禁止六七八 三回連続古来稀 近来検閲頗悪化 全誌壹面忽赤化 秩序紊乱幾十頁 風俗壊乱数百所 断然下る切取命令 何でも無のに過激派極まる 製本済ゆへ只申訳け 本の少々討取切取 危険を冒して本日壹斉 全国同時に配本発売 人感情人生意地 憎いさ余て余たに禁止? 御買損じは一生の後悔 半円投じて即刻即刻 壹刻千金此事也 四六解放創刊号 幸徳秋水文集号 極秘突然一昨真夜中 全国一斉配本済 ○○危険充分也 壹円投じて是亦即刻 南無妙法蓮華経霊注射頂門一針 群書各冊各壹円南無妙法蓮華経 五、九月号の発禁では参つて仕舞い、否無し応無しやる気なし金もなければする事もなしで、所々方々へ厭味の抗議歎願書提出 六、十月号から労資協調官民一致全部内検閲で妥協、其代り優に二十日に発行出来たのが二十九日発行となり、売行頗る悪いならんか、但し政府は勿論損害賠償の責に任ぜず(十月四日朝) <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『複製版文芸市場』(日本近代文学館、1976年)、底本の親本は、『文芸市場』(文芸市場社)大正 15年(1926年)11月1日発行)>
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[某所]富豪の轢逃訴訟 訴状 芝区三光町車力挽子 原告 木村孫次郎 日本[某町]の大富豪 被告 [甲野太郎] 右自動車運転士 被告 [乙川一郎] 損害賠償請求訴訟 目的及申立 被告は各原告に対し九百八拾円を支払ふへし。 請求の原因 原告は九年末十八日百二十貫程の鉄棒を荷車に積み自ら梶棒を取り二人其後押となり日本橋方面より海運橋を向ふに渡り坂本町廿二番地先に差掛り左側を右折するや否や突如 被告[太郎]を乗せたる其所有の自働車は[太郎]の雇人被告[一郎]に操縦されながら警笛も鳴らさず反対方面より疾走し来り猛然原告の挽ける荷車に正面より衝突せしめ 原告は突差の場合無我夢中ながらも運よく荷車より身をすり抜け自働車の前方に飛付きたるも自働車の照明燈と前輪のバネとの間に脚部を挟まれ両脚の膝より下の部分は滅茶々々に打砕れて気絶したり 被告等は原告を間近の柔道場に担ぎ込み応急手当の上之を蘇生せしめ巡査の立会を以て日本橋病院に入院せしめたるが、[太郎]の姿は何時の間にかドロドロと消へて亡くなりたり 負傷の為め原告の右脚には三つの穴が明き皮膚は全部剥げたるも幸ひ骨は折れす、左脚は骨も肉も支離滅烈となり全快迄には壱年間を要するものなるに、[一郎]は規則上警察の命令にて最早病院の治療は許されすと原告を欺き其廿九日原告を連出し其後逃げて恬と寄り付かず 原告は月平均六十円を稼ぎどうかこうか一家の生計を営みたるものなれは此割合による全快迄の損害中八ケ月分の金四百八十円及ひ負傷に対する慰藉料金五百円は民法第七百九十条第七百十五条の規定により被告等に於て負担する義務あり 原告の赤貧は洗ふか如く其負担は山の如けれは治療の如きは思ひも寄らす、只四隣の憐愍により一家纔かに露命をつなき、私かに残忍を以て忽ち一代の名士となりたる被告[太郎]の脅迫傷害事件に於て、遂に無惨の最期を遂げたる瀕死の病人某氏に同情し、徒らに人間を怨むか如く被告等の人間業にあらさる無情冷酷を怨みて今日に至りたるも、天遂に人を助けす負傷も更に撤退せさるに依り止むなく本訴に及びたり 大正十年三月一日 右原告代理人弁護士 山崎今朝彌 東京地方裁判所 御中 <[ ]内仮名、仮地名> <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
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非論時局問題・局面の諸問題 非論時局問題(山崎) 除夜放談 ◇大晦日に於ける恒例の本家放談会の司会は、今年は総同盟、総連合、総連盟の有志から成る二十八日会の諸君中の誰かにやつて貰いたいと思つてる。忙しいので忘れて居つた、明日にもすぐ渉りを付て見る。顧れば--とくれば甚だ感傷的になるが、岩佐作太郎君、徳田球一君、平澤計七君等々と司会者を順次追憶すると転た懐旧の情に堪へない。慥かに僕も年を老つた。と同時に時勢の変遷も考へられる。 ◇山内君が月並だから謹賀新年をオミツトするといふゆへ、僕が云つてヤロウと思つて除夜会を持出して見たが、変にコジれて云ひ損ねたから僕も云はない。 借々又借 ◇随分借りのある処へ、又新年の感想と解放運動名簿とが借りになつた。借りだけで一二ケ月発行出来る。新年の感想は腐り物故二月には必らず出す。解放名簿への材料提供者には特謝す。--十八日会から高評する約束で天下の逸品と称する「全国労働団体一覧」を貰ふたか、総同盟と評議会の外は余り正確でなかつた。広告したくも定価がドコにも書いてない。予告の附録代りに尻絵を附けた。尻絵とは口絵の反対へ僕の付けたテクニカルタームだ。今に問題になつて値が盛んに出る筈だから其れまで保存を乞ふ。 原稿市場 ◇「文芸市場」発明の古原稿売買はヨイ発明だと思ふ。「解放」の原稿も別に異議反対の申出なき限り「文芸市場」へ交渉委託して一月から序に売つて貰いたいと思ふ。だが今日の新聞に出たように其売上高を「文芸市場」の名で他へ寄附する事には反対だ。売上から相当の費用を当然差引き「解放」には関係なく「文芸市場」から直接書主本人へ送つて貰ひたい。右ホントの真面目に執筆者並に「文芸市場」に御願する。 時局混乱 ◇(五八頁よりつづく<後掲>)時局と局面と正面衝突して愈混乱する。 之に反し、因つて喜んで弱つたのが農民組合、しかし農民組合の事は、中々判らない。遣り損つたが、官業の人。馬鹿を見たのが自治会、尤も損して得した点もある。危く助かつたが機械連合。茲を先途と大に馬力をかけるが、アナキストサンジスト、併し一時パツとしても、将師倒れて雑兵続かずの罫が出てる。訓令まだ出ず一時方向に迷ふが日蓮コンミニスト。ドウして此難関を切抜けるだらふ。時を得顔の右傾連盟。右傾連盟で思い出したが、右側の人達は何故日和見主義を標榜して、右傾連盟を高唱しないだらふ。右傾日和見を悪口と辟易する間は、まだ其人達はどうしても日蔭運動者だ。左側の人達も共産主義と云はれては迷惑だと憤る間は駄目。悪口も均一公平なら腹立ぬ。 <58頁> 局面の諸問題 山崎今朝彌 半段の埋草に乗じて刻下の諸問題を詳論する。勢誤迷文たらざるを得まい。無産党禁止理由中、団体加入の不当程理由のない理由はない。当局は団体加入とは其団体の政治無能力者が卒然政治能力を獲得する事だと思つてる。バカの話だ。尤も政府も追々気付いたか段々焦点の転換を試みてる。無産党の存在はどの道現代政府の得にならぬ。禁止に理由が要るものか。ブルジヨア進歩主義者への申訳なら、事実共産党が黒幕か否かで其当否が決せられる。其れにしても執行委員諸君が態々禁党承認の請書を出したは何のザ・・・・・残念だ。政府も余程反動がコワかつたと見へ今頃ヤツと安心したらしい。僕なら忠良の紳士振を見た其時スツカリ安心する。今度の儲け役は評議会一派、原則綱領に基いて最後迄噛り付て其れ禁止に成たらサゾ□ジメであつたらう。何と間が悪かつたは総同盟、僕は強ち策士策を誤つたとは云はない。あの時は行がかり上文殊でも脱退より外仕方がなかつたらふ。(目次の裏へ続く) <以上は、山崎今朝弥氏が著作者である。> <旧仮名遣いはそのままとし、踊り字は修正し、旧漢字は適宜新漢字に直した。> <底本は、『解放』(解放社)第5巻1号目次裏2頁、58頁(大正15年(1926年)1月1日発行)>
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朝鮮問題の問答集 (一) 今、日本が米国に併呑され、米国人が日本及日本人を軽蔑し又は虐待するなら、僕はキツトその時、日本の独立運動に狂奔するに相違ない。印度や愛蘭以上の深刻激烈のものであるに相違ない。さうして、先づ第一に独立運動を国家主義だの愛国主義だのと嘲笑する日本人に向つて、生命がけの戦争を開始するに相違ない。解放運動が有らゆる桎梏から逃れることが目的である以上民族的隷属に基く軽蔑や虐待からも解放さるべく、先づ独立運動を捲き起すのは当然だ。僕は今朝鮮問題を考へて真に『自分を抓つて人の痛さを知れ。』と云ふことをシミジミ日本人として感ずる。 (二) 実に甚だ遺憾ながら、東洋第一の文化を誇る日本内地と雖も、信濃川電化工事に際し鮮人虐殺頻々と起らば、死体陸続信川に浮ぶ位は朝飯前のことと存候。 此の事が東洋第一の日本に起りたること、電化工事に際し起りたること、鮮人に関して起りたること位では遺憾ながら少しも小生に興味も歓喜も起り不申候。切に貴社の憤起を祈る。 (三) 過般の震火災に際し行はれたる鮮人に関する流言蜚語に就ては、実に日本人と云ふ人種はドコの成下りか知らないが、実に馬鹿で臆病で人でなしで、爪のアカほどの大和魂も無い呆れた奴だと思ひました。その後のことは切歯痛憤身震ひがします。 (四) 朝鮮人に参政権を与ふるの必要なきかとのことですが、日韓併合の御趣旨に基き、とうの昔に自治独立を許すべきだといふが私の持論で、数回公表して居ります。況んやです。 選外壱等 吾々は昨年九月の震災を、この一周年に当り如何に記念すべきか、といふ読売新聞の課題に対し、選外壱等に当選さるべきものとして大正十三年八月十日書いた原稿。 (一)朝鮮人の殺された到る処に鮮人塚を建て、永久に悔悟と謝罪の意を表し、以て日鮮融和の道を開くこと。然らざる限り日鮮融和は到底見込みなし。 (二)司令官本部に宗一地蔵を建立し、永遠に無智と無謀と幼児の冥福とを祈り、以て排日問題の根本口実を除去すること。米国排日新聞の日本に対する悪口は悉く之に原因すればなり。 (三)セツテンデー若くは亀戸労働祭を挙行し、亀戸警察で軍隊の手に殺された若い労働者の魂を猛烈に祭ること。日本の労働者だからよいようなものの、噴火口を密閉したのみで安泰だと思つてるは馬鹿の骨頂だ。何時か一時に奮然として爆烈するは当然過ぎるほど当然である。 <山崎今朝弥著、山崎伯爵創作集に収録>
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借金取退治法 僕の一番貧乏したは明治四十年赤坂で「法律文学」を出した頃だ。借金取が来ると真裸体になり四ツ這になって犬の啼く真似をして追返したもんだ。雑誌の前金では四五年後迄詐欺呼ばりをされた。が大正二年には当時の借金は全部探し出して返して仕舞ふた。 <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>