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「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」2回目 赤松大尉の暴状 まず、曽野綾子氏の「伝聞情報説」が事実に反することを立証するために、事のいきさつをのべておく。『鉄の暴走』の渡嘉敷島に関する話は、だれから聞いて取材したかと曽野氏に聞かれたとき、私は、はっきり覚えてないと答えたのである。事実、そのときは、確かな記憶がなかったのである。ただ、はっきり覚えていることは、宮平栄治氏と山城安次郎氏が沖縄タイムス社に訪ねてきて、私と会い、渡嘉敷島の赤松大尉の暴状について語り、ぜひ、そのことを戦記に載せてくれとたのんだことである。そのとき、はじめて私は「赤松事件」を知ったのである。 宮平、山城の両氏は、曽野氏が言うように「新聞社がやっと那覇で捕えることのできた証言者」ではなく、向こうからやってきた情報提供者であって、「それでは調べよう」と私は答えたにすぎない。そのとき、私は二人を単なる情報提供者と見ていたのだから、二人から証言を取ろうなどとは考えなかったし、二人も、そのとき、赤松事件について詳しいことは知っていなかった。 〈二人とも、渡嘉敷の話は人から詳しく聞いてはいたが…〉と、『ある神話の背景』のなかに書いてあるのは、曽野氏の勝手な解釈である。それで私は、あのとき、なんのメモもしなかったし、二人はそのことを告げただけで帰ったのである。その後、『鉄の暴風』が出版されるまで、いや、出版後も長く彼らとは会っていない。 宮平氏の復員 宮平氏が沖縄タイムス社に私を訪ねてきたことを、私が特にはっきり覚えているのは、次の事情からである。宮平氏は私の中学の同級だった。そして、宮平氏が、沖縄タイムス社に姿を見せたときは、中学以来はじめての邂逅(かいこう)だったので、とくに印象が強かったのである。 宮平氏(終戦当時、准尉)が復員して、郷里の渡嘉敷島に帰ってみると、集団自決や住民虐殺事件が待っていた。その怒りをもって、宮平氏は、新聞社に私を訪ねてきたのだが私は、その宮平氏から渡嘉敷島の事件について取材したとは、曽野氏に語っていない。だれから取材したかについては、はっきりおぼえていないが、宮平氏から聞いて、はじめて、その事実を知ったことはたしかだ、とあやふやな返事をしたにすぎない。ところが『ある神話の背景』では、宮平・山城の両氏から私が取材したことにされている。 取材に関する事実 曽野氏は、宮平氏当人とも会って、そのことについてたしかめているようだ。『ある神話の背景』では、つぎのようなカッコ付きの説明をしている。(もっとも、宮平氏はそのような取材を受けた記憶はないという)と書いてあるのである。そう書きながら曽野氏は、宮平氏から私が取材しているものと断定している。これは自己どう着である。宮平氏本人が私(太田)から取材をうけたことを否定しているのだから、では、太田は、だれから取材したのかということについて、曽野氏は、疑問をもつべきであり、さらに、取材に関する事実をたしかめるべきである。その疑問を残したまま、私自身もはっきりした記憶がないと答えてあったにもかかわらず、曽野氏は、私が宮平氏から取材したことにしてしまっている。そして、『鉄の暴風』の記述は、直接の体験者でない者からの伝聞証拠による記述だと断定しているのである。この断定のあやまちはどこからきているか。 『ある神話の背景』は、集めた資料や情報から帰納的に結論が導かれたものではなく、あらかじめ予断があって、それを立証するための作業であったようにおもわれる。はじめに赤松元大尉に会って、「悪人とは思えない」との印象をうけた。執筆者の私は、だれから取材したかについてあやふやな返事をした。だが、早とちりにとびついたのが〈伝聞証拠説〉である。そこで、宮平氏の被取材否定の高い障壁もカッコ付き説明で簡単にとびこえてしまったのである。でなければ書けなかった『ある神話の背景』の論理をささえる土台は、その点で、不安定なものとなる。 (太字は原文では傍点表記) 目次へ | 次へ
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ここを編集 ■スプーンおばさん 絵コンテ 35 57 作監 15 16 21 31(山) 35 42 76 99 125 ■キャプテン 絵コンテ 2 7 11 15 ■タッチ 作画監督 14 17 34 ■パーマン 作画監督 225 ■宇宙船サジタリウス 作画監督 10 ■ビックリマン 作画監督 18 24 30 36 47 54 61 68 75 ■新ビックリマン 作画監督 7 13 19 28 34 39 46 53 58 ■スローステップ 作画監督 2 ■わんころべえ 作画監督 3 14 23 ■たまごっち! 作画監督 39A 46A ■メタルファイト ベイブレード 4D 作画監督 107(出・外・伊) ■怪盗ジョーカー 作画監督 2(玉) 8(玉) 12(玉・本) ■おそ松さん 作画監督 7(藤・安) 10(安) 14(和・佐・藤) 17(松・高・谷) 20(山) 23(沼・浅・實・元) 25(鈴・松・浅・沼・佐・安・和) ■ハンドレッド 作画監督 9(田・竹・安・國・小) ■交響詩篇エウレカセブン ハイエボリューション1 デジタル作画協力 ■ANEMONE EUREKA SEVEN HI-EVOLUTION デジタル作画協力 #5 設定協力 ■からかい上手の高木さん3 作画監督 6(福・前・五・小・中・S) ■MIX MEISEI STORY 2ND SEASON ~二度目の夏、空の向こうへ~ #5~12・14~18・23 設定協力 ■関連タイトル タッチ TVシリーズ Blu-ray BOX1 rakuten_design= slide ;rakuten_affiliateId= 053df7e0.7c451bd1.0c852203.190c5695 ;rakuten_items= ctsmatch ;rakuten_genreId=0;rakuten_size= 468x160 ;rakuten_target= _blank ;rakuten_theme= gray ;rakuten_border= on ;rakuten_auto_mode= on ;rakuten_genre_title= off ;rakuten_recommend= on ; 随時更新! pixivFANBOX アニメ@wiki ご支援お待ちしています! ムック本&画集新刊/個人画集新刊/新作Blu-ray単巻/新作Blu-ray DVD-BOX アニメ原画集全リスト スタッフインタビューwebリンク集 最新登録アイテム Switch ゼルダの伝説 Tears of the Kingdom Switch 世界樹の迷宮Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ HD REMASTER Switch ピクミン 4 大友克洋 Animation AKIRA Layouts Key Frames 2 小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女 1 ONE PIECE FILM REDデラックス・リミテッド・エディション 4K ULTRA HD Blu-ray Blu-ray 劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 冥き夕闇のスケルツォ 完全生産限定版 Blu-ray 映画『ゆるキャン△』 Blu-ray 【コレクターズ版】 Blu-ray ウマ娘 プリティーダービー 4th EVENT SPECIAL DREAMERS!! Blu-ray 天地無用!GXP パラダイス始動編 Blu-ray第1巻 特装版 天地無用!魎皇鬼 第伍期 Blu-ray SET 「GS美神」全話いっき見ブルーレイ Blu-ray ソードアート・オンライン -フルダイブ- メーカー特典:「イベントビジュアル使用A3クリアポスター」付 ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 5th Live! 虹が咲く場所 Blu-ray Memorial BOX 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち Blu-ray BOX 特装限定版 地球へ… Blu-ray Disc BOX 完全生産限定版 神風怪盗ジャンヌ Complete Blu-ray BOX HUNTER×HUNTER ハンター試験編・ゾルディック家編Blu-ray BOX BLEACH Blu-ray Disc BOX 破面篇セレクション1+過去篇 完全生産限定版 MAZINGER THE MOVIE 1973-1976 4Kリマスター版 アニメ・ゲームのロゴデザイン シン・仮面ライダー 音楽集 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー 完全版 EPISODE No.1~No.98 MOVIE リスアニ!Vol.50.5 ぼっち・ざ・ろっく!号デラックスエディション ヤマノススメ Next Summit アニメガイド おもいでビヨリ アニメ「魔入りました!入間くん」オフィシャルファンブック 『超時空要塞マクロス』パッケージアート集 CLAMP PREMIUM COLLECTION X 1 トーマの心臓 プレミアムエディション パズル ドラゴンズ 10th Anniversary Art Works はんざわかおり こみっくがーるず画集 ~あばばーさりー!~ あすぱら画集 すいみゃ Art Works trim polka-トリムポルカ- つぐもも裏 超!限界突破イラスト&激!すじ供養漫画集 開田裕治ウルトラマンシリーズ画集 井澤詩織1st写真集 mascotte 鬼頭明里写真集 my pace 内田真礼 1st photobook 「まあやドキ」 進藤あまね1st写真集 翠~Midori~ 声優 宮村優子 対談集 アスカライソジ 三石琴乃 ことのは 亀田祥倫アートワークス 100% 庵野秀明責任編集 仮面ライダー 資料写真集 1971-1973 金子雄司アニメーション背景美術画集 タローマン・クロニクル ラブライブ!サンシャイン!! Find Our 沼津~Aqoursのいる風景~ 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会[復刻版] 梅津泰臣 KISS AND CRY 資料集 安彦良和 マイ・バック・ページズ 『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』編 氷川竜介 日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析 Blu-ray THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 10th Anniversary Celebration Animation ETERNITY MEMORIES Blu-ray おいら宇宙の探鉱夫 ブルーレイ版 Blu-ray 映画 バクテン!! 完全生産限定版 アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~ Blu-ray BOX 初回生産限定版 はたらく細胞 Blu-ray Disc BOX 完全生産限定版 Blu-ray 長靴をはいた猫 3作品収録 Blu-ray わんぱく王子の大蛇退治 Blu-ray 魔道祖師 完結編 完全生産限定版 魔道祖師Q Blu-ray Disc BOX 完全生産限定盤 にじよん あにめーしょん Blu-ray BOX 【特装限定版】 Blu-ray 鋼の錬金術師 完結編 プレミアム・エディション Blu-ray付き やはりゲームでも俺の青春ラブコメはまちがっている。完 限定版【同梱物】オリジナルアニメ Blu-ray「だから、思春期は終わらずに、青春は続いていく。」
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■忍たま乱太郎 (5期) 作画監督 70 ■関連タイトル 忍たま乱太郎 20th アニバーサリーアルバム オープニング エンディング集 }
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「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載7回目 初め壕や洞穴に 米軍上陸と同時に住民は追われるように陣地付近に逃げてきたと『ある神話の背景』では説明する。砲撃と米軍上陸、この事実に直面した住民たちはとっさに、それぞれ安全とおもわれる場所、つまり壕や洞穴にかくれたようだ。それが当然である。いきなり猛攻をうけたときの反射的な初動である。『鉄の暴風』には「住民はいち早く各部落の待避壕に避難し…」と書いたが、実際はあわてふためいた本能的な行動だったと思う。そして、住民たちは各個に孤立し、そこには統一された意思はなかった。軍の意思により駐在巡査がかり集めたというのが真相であろう。その理由は「住民は捕虜になるおそれがある。軍が保護してやる」というのである。 米軍上陸が三月二十六日で、その翌日、赤松隊は西山A高地に陣地を移動している。その陣地の位置がまた問題である。赤松隊長自身、その移動先の陣地の場所を最初は知っていなかったと『ある神話の背景』に書かれている。壕や洞穴に身をひそめていた住民たちが、赤松隊がどこに移動したか知るはずがない。ところが、住民が新陣地である西山A高地の赤松隊の陣地付近に集まってきたのは、赤松隊が陣地をそこに移動したその当日である。住民集結には誘導者がいたのだ。軍の意思が働いていたのだ。 安里巡査が伝達 住民は西山A高地のことは知っていても、そこに赤松隊が移動した事実を知るには、移動の事実の伝達者がいなければならぬ。その伝達者は安里巡査以外には考えられない。彼は軍と住民の連絡の立場にあったからである。赤松隊の説明のように、多くの住民が砲弾に追われて逃げこんだというのは、移動した陣地の所在が住民にとって不明の状態ではありえず、偶然がいくつもかさならなければ起こりえないことである。また、集団自決は、軍の玉砕を信じて決行されたものにちがいない。軍が戦後も生きのびて部隊降伏するとわかっておれば、集団自決は行われなかったはずだ。 住民の自決をうながした自決前日の将校会議についての『鉄の暴風』の記述を曽野氏は、まったくの虚構としてしりぞけている。『ある神話の背景』のなかにつぎの言葉がある。 曽野氏こそ虚構 〈ただ神話として『鉄の暴風』に描かれた将校会議の場面は実に文学的によく書けた情景と言わねばならない。しかし、これは多かれ少なかれどの作家にも共通の問題だと思うが、文章を書く者にとっての苦しみは、現実は常に語り伝えられたり、書き残されたものほど、明確でもなく、劇的でもないということである。言葉を換えていえば、現実が常に歯ぎれわるく、混とんとしているからこそ、創作というものは、そこに架空世界を鮮やかに作る余地があるのである。しかし、そのようなことが許され得るのは、虚構の世界においてだけであろう。歴史にそのように簡単に形をつけてしまうことは、だれにも許されないことである〉。 よくかけた文章とはむしろ曽野氏のこの文章のことで、これでとどめをさしたつもりかも知れないが、あの場面は、決して私が想像で書いたものではなく、渡嘉敷島の生き残りの証言をそのまま記録したにすぎない。将校会議はなかったということを証明するために、それをおこなう場所さえなかったと曽野氏は説明する。将校会議などやろうとおもえばどこでもできる。陣地の設備など問題ではない。 陣地になんの設備もなかったというのもおかしい。通常、陣地の移動は設備のある場所を選ぶ。「西山A高地」は軍隊用語であり、陣地名とおもわれる。渡嘉敷島には赤松隊がくる前に設営隊もおった。西山A高地は要塞の場所らしいが、その場所に、その翌年(前年の間違いでは?)からきていた設営隊や赤松隊は、そこに陣地もつくらずに何をしていたのだろう。しかも、西山A高地を“複廓陣地”とよんでいる。複廓陣地とは高度の防御陣地のことである。 目次へ | 次へ
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「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載8回目 信頼どこにおくか 将校会議があったかなったか、赤松隊の陣地がどうだったかということは、付帯的な問題にすぎない。『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものであり、また、なかには創作的な記述があることを証明するためにそれらは持ち出されたものだが、『鉄の暴風』の記述がすべて実体験者の証言によるものであり、記述者の創作は介入していないことを言明することで答えとしたい。あとは、赤松側の言葉を信用するか、住民側の証言に信頼を置くかの選択が残されるだけである。 ありもしない「赤松神話」を崩すべく、曽野綾子氏は、新しい神話を創造しているにすぎない。そのやり方は手がこんでいる。『鉄の暴風』だけでなく渡嘉敷島に関するほかの戦記もすべて信用できないとする。なぜなら、それらの戦記にも『鉄の暴風』とおなじようなことが書かれているからで、それらすべてを否定しないと、赤松弁護の立論ができないのである。 沖縄側の渡嘉敷戦記の全面否定は、あとで曽野氏がいちばん信用できるとする赤松隊の陣中日誌なるものを持ち出すための伏線となっている。『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記が、伝聞証拠によって書かれたとする判断をふまえて、曽野氏はつぎのように推理する。 曽野氏は、渡嘉敷島に関する三つの記録をあげている。沖縄タイムス社刊『鉄の暴風』、渡嘉敷村遺族会編『慶良間列島・渡嘉敷島の戦闘概要』、渡嘉敷村が出した『渡嘉敷島における戦争の様相』の三つである。そして、この三つの戦記は、そのうちのどれかを模写したような文章の酷似が随所にある、と曽野氏は指摘する。結論を言えば他の二つの戦記は『鉄の暴風』のひき写しであるというのである。 「事実内容」の問題 『鉄の暴風』の文章を、他の二つの戦記がまねたようだという判断から、事実内容までもほとんど『鉄の暴風』の受け売りだとし、『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記が信用できないので、その文章をまねて書かれた他の二つの戦記の事実内容まで疑わしいとする推理だが、この推理はおかしい。渡嘉敷村遺族会編の戦記も渡嘉敷村編の戦記も、直接の体験者たちの証言または編集によってまとめられたものであることは間違いない。直接の体験者たちによってまとめられたものが、いくぶん文章をまねることはともかく、事実内容まで、伝聞証拠によって書かれたとされる『鉄の暴風』の渡嘉敷戦記をまねるということがありうるだろうか。 この三つの資料は、文章の類似点があるとはいえ、事実内容については、大筋において矛盾するところはないのである。それは当然のことで、『鉄の暴風』が伝聞証拠によって書かれたものでないことはもちろん、むしろ、上述の他の戦記資料によって『鉄の暴風』の事実内容の信ぴょう性が立証されたといえるのである。三つの資料は、いずれも直接体験者の証言に基づくものであって、直接体験者でない者からの伝聞証拠によって三つの記録の事実内容が共通性をもたされているのではないことはあきらかである。 私製の「陣中日誌」 曽野氏が最も信用できる資料として赤松弁護の道具に使っている赤松隊の「陣中日誌」なるものは、ほんとの「陣中日誌」ではない。軍隊では、作戦要務令で規定された陣中日誌を「陣中日誌」というのだが、赤松隊の陣中日誌なるものは、戦後まとめられた(記述の年月日がある)もので、「私製陣中日誌」であることがわかった。しかも自画自賛と自己弁護の色合の強いもので、客観的資料として信用しがたいものである。 現地側の戦記資料はすべて否定し、赤松隊のこの「私製陣中日誌」に最大の信を置いて書かれたのが『ある神話の背景』である。赤松隊の「私製陣中日誌」と曽野氏の『ある神話の背景』とは、書かれた意図に似通うものがあり、赤松隊弁護の意図で重なり合っているが、『ある神話の背景』があるていど公平を装っている点だけがちがっている。 目次へ | 次へ
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目次 戻る 通2-020 次へ 通巻 読める控訴審判決「集団自決」 事案及ぴ理由 第2 事案の概要等 第2の3 前提事実及び争点 【原判決の引用】 (原)第3 争点及びこれに対する当事者の主張 (原)4 争点4(真実性の有無)について (1)被控訴人らの主張 第3の4(1)ウ 渡嘉敷島について (原)第3・4(1)ウ(ア) 自決命令を示す文献等 (判決本文p46~) (引用者注)当サイトでは、原審判決に大阪高裁が付加あるいは判断を改めた部分等は, 区別しやすいようにゴシック体で表示し, 削除した部分は薄い色で削除した部分示しました。 (原)第3・4(1)ウ(ア) 自決命令を示す文献等a 「鉄の暴風」(乙2) b 「戦闘概要」(乙10「ドキュメント沖縄闘争 新崎盛睴編」所収)(a) (内容)* (b) (「戦争の様相」との関係)* c 「秘録 沖縄戦史」(乙4) d 「沖縄戦史」(乙5) e 「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」(乙6) f 「秘録 沖縄戦記」(乙7) g 「沖縄県史 第8巻」(乙8) h 「沖縄県史第 10巻」(乙9) i 「家永第3次教科書訴訟第1審 金城重明証言」(乙11「裁かれた沖縄戦 安仁屋政昭編」所収) j 「家永第3次教科書訴訟第1審 安仁屋政昭証言」(乙11『裁かれた沖縄戦 安仁屋政昭編」所収) k 「朝日新聞記事(昭和63年6月16日付けタ刊)」(乙12) l 「渡嘉敷村史」(乙13) m 米軍の慶良間列島作戦報告書 n (小括)* a 「鉄の暴風」(乙2) 「鉄の暴風」には, 第2・2(5)イ記載のとおり, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に集団自決を命じたとする記述がある。 「鉄の暴風」の執筆者である太田良博は, 山城安次郎と宮平栄治以外の直接体義者からも取材しており, 太田良博の取材経過に関する「ある神話の背景」(甲B18)の記述は誤りである。太田良博の「『鉄の暴風』周辺」(乙23)に記載されているとおり, 「鉄の暴風」は, 沖縄タイムス社が体験者を集め, その人たちの話を記録して文章化したものである。 b 「戦闘概要」(乙10「ドキュメント沖縄闘争 新崎盛睴編」所収) (a) (内容)* 「戦闘概要」は, 当時の渡嘉敷村村長や役所職員,防衛隊長らの協力の下, 渡嘉敷村遺族会が編集したものである。 「戦闘概要」には, 第2・2(5)イ記載のとおり, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に集団自決を命じたとする記述がある。 (b) (「戦争の様相」との関係)* 「戦闘概要」と「渡嘉敷島における戦争の様相」(甲B23及び乙3, 以下「戦争の様相」という。)との関係についての原告ら主張は根拠のない憶測にすぎない。 「戦閾概要」と「戦争の様相」の順序については, 伊敷清太郎が詳細に分析しているとおり, 「戦闘概要」には「戦争の様相」の文章の不備(用語, 表現等)を直したと思われる箇所が見受けられること, 当時の村長の姪が「戦争の様相」では旧姓の古波蔵とされているのに対し「戦闘概要」では改姓後の米田とされていることなどから, 「戦争の様相」が先に書かれたものであり, これを補充したものが「戦闘概要」であると考えられる(乙25, 「『ある神話の背景』における『様相』と「概要』の成立順序について」)。 (引用者注)『渡嘉敷島における戦争の様相』と『慶良間列島渡嘉敷島の戦闘概要』の異同参照 したがって, 「戦争の様相」の後に「戦闘概要」が作成されたものであり, 「戦闘概要」に赤松大尉の自決命令が明記されたとみることができる。 c 「秘録 沖縄戦史」(乙4) 「秘録 沖縄戦史」には, 「三月二十七日-『住民は西山の軍陣地北方の盆地に集結せよ』との命令が赤松大尉から駐在巡査安里喜順を通じて発せられた。安全地帯は, もはや軍の壕陣地しかない。盆地に集合することは死線に身をさらすことになる。だが所詮軍命なのだ。」 「西山の軍陣地に辿りついてホッとするいとまもなく赤松大尉から『住民は陣地外に去れ』との命令をうけて三月二十八日午前十時頃, 泣くにも泣けない気持ちで北方の盆地に移動集結したのであった。」 との記述があり, その後には, 第2・2(5)イ記載のとおり, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙4・217,218頁)。 d 「沖縄戦史」(乙5) 「沖縄戦史」には, 「大尉は」「西山A高地に部隊を集結し, さらに住民もそこに集合するよう命令を発した。住民にとって, いまや赤松部隊は唯一無二の頼みであった。部隊の集結場所へ集合を命ぜられた住民はよろこんだ。日本軍が自分たちを守ってくれるものと信じ, 西山A高地へ集合したのである。」 との記述があり, その後には, 第2・2(5)イ記載のとおり, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙5・48頁)。 e 「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」(乙6) 「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」には, 第2・2(5)イ記載のとおり, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある。 f 「秘録 沖縄戦記」(乙7) 「秘録沖縄戦記」には, 第2・2(5)イ記載のとおり, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある。 g 「沖縄県史 第8巻」(乙8) 「沖縄県史 第8巻」には, 「昭和二十年(一九四四ママ:一九四五 )三月二十七日夕刻, 駐在巡査安里喜順を通じ,住民は一人残らず西山の友軍陣地北方の陣地へ集合するよう命じられた。」 「赤松大尉は『住民は陣地外に立ち去れ』と命じアメリカ軍の迫撃砲弾の炸裂する中を,さらに北方盆地に移動集結しなけれぱならなかった。」 との記述があり, その後には, 第2・2(5)イ記載のとおり, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙8・410頁)。 h 「沖縄県史第 10巻」(乙9) 「沖縄県史 第10巻」には, 第2・2(5)イ記載のとおり, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙9・689, 690頁)。 i 「家永第3次教科書訴訟第1審 金城重明証言」(乙11「裁かれた沖縄戦 安仁屋政昭編」所収) 証人金城重明(以下「金城証人」という。)は, 家永第3次教科書訴訟第1審における証言当時, 沖縄キリスト教短期大学学長であり, 戦争当時渡嘉敷島において, 自ら集団自決を体験した者である。 「家永第3次教科書訴訟第1審 金城重明証言」には, 第2・2(5)イ記載のとおり, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙11・286ないし288頁)。 j 「家永第3次教科書訴訟第1審 安仁屋政昭証言」(乙11『裁かれた沖縄戦 安仁屋政昭編」所収) 安仁屋政昭は, 家永第3次教科書訴訟第1審における証言当時は沖縄国際大学の歴史学の教授であり, 沖縄史料編集所に勤務した経歴を持ち, 渡嘉敷村史の編集にも携わった者である。 「家永第3次教科書訴訟第1審 安仁屋政昭証言」には, 第2・2(5)イ記載のとおり, 赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙11・54,55,69頁)。 k 「朝日新聞記事(昭和63年6月16日付けタ刊)」(乙12) 「朝日新聞記事(昭和63年6月16日付け夕刊)」は, 渡嘉敷村役場の富山兵事主任の, 赤松大尉が指揮する日本軍の自決命令があった旨の供述を記載した新聞記事である。それには, 「 『島がやられる二, 三日前だったから, 恐らく三月二十日ごろだったか。青年たちをすぐ集めろ, と近くの国民学校にいた軍から命令が来た』。 自転車も通れない山道を四キロの阿波連(あはれん)には伝えようがない。役場の手回しサイレンで渡嘉敷だけに呼集をかけた。青年, とはいっても十七歳以上は根こそぎ防衛隊へ取られて, 残っているのは十五歳から十七歳未満までの少年だけ。数人の役場職員も加えて二十余人が, 定め通り役場門前に集まる。午前十時ごろだったろうか, と富山さんは回想する。 『中隊にいる, 俗に兵器軍曹と呼ばれる下士官。その人が兵隊二人に手榴(しゅりゅう)弾の木箱を一つずつ担がせて役場へ来たさ』 すでにない旧役場の見取り図を描きながら, 富山さんは話す。確か雨は降っていなかった。門前の幅ニメートルほどの道へ並んだ少年たちへ, 一人二個ずつ手榴弾を配ってから兵器軍曹は命令した。 『いいか, 敵に遭遇したら, 一個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは, 残る一個で自決せよ』。 一兵たりとも捕虜になってはならない, と軍曹はいった。少年たちは民間の非戦闘員だったのに……。富山さんは, 証言をそうしめくくった。三月二十七日, 渡嘉敷島へ米軍上陸。富山さんの記憶では, 谷あいに掘られていた富山さんら数家族の洞穴へ, 島にただ一人いた駐在の比嘉(旧姓安里)喜順巡査(当時三○)が, 日本軍の陣地近くへ集結するよう軍命令を伝えに来た。『命令というより指示だった』とはいうものの, 今も本島に健在の元巡査はその『軍指示』を自分ができる限り伝えて回ったこと, 『指示』は場所を特定せず『日本軍陣地の近く』という形で, 赤松大尉から直接出たことなどを, 認めている。その夜, 豪雨と艦砲射撃下に住民は“軍指示"通り, 食糧, 衣類など洞穴に残し, 日本軍陣地に近い山中へ集まった。今は『玉砕場』と呼ばれるフィジ川という名の渓流ぞいの斜面である。“指示"は当然ながら命令として, 口伝えに阿波連へも届く。『集団自決』は, この渓流わきで, 翌二十八日午前に起きた。生存者の多くの証言によると, 渡嘉敷地区民の輪の中では, 次々に軍配布の手榴弾が爆発した。」 との記述がある。 l 「渡嘉敷村史」(乙13) 「渡嘉敷村史」は, 渡嘉敷村の公式な歴史書として, 平成2年3月31日,渡嘉敷村史編集委員会の編集により渡嘉敷村役場が発行したものである。そして, 「渡嘉敷村史」には, 渡嘉敷村役場の富山兵事主任による供述を主な内容とする次のような記載がある。すなわち, 「すでに米軍上陸前に, 村の兵事主任を通じて自決命令が出されていたのである。住民と軍との関係を知る最も重要な立場にいたのは兵事主任である。兵事主任は徴兵事務を扱う専任の役場職員であり, 戦場においては, 軍の命令を住民に伝える童要な役割を負わされていた。渡嘉敷村の兵事主任であつた新城真腹氏(戦後改姓して富山)は, 日本軍から自決命令が出されていたことを明確に証言している。兵事主任の証言は次の通りである。 (1)一九四五年三月二○日, 赤松隊から伝令が来て兵事主任の新城真順氏に対し, 渡嘉敷部落の住民を役場に集めるように命令した。新城真順氏は, 軍の指示に従って『一七歳未満の少年と役場職員』を役場の前庭に集めた。 (2)そのとき, 兵器軍曹と呼ばれていた下士官が部下に手榴弾を二箱持ってこさせた。兵器軍曹は集まっママ 二十数名の者に手榴弾を二個ずつ配り訓示をした。〈米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら一発は敵に投げ, 捕虜になるおそれのあるときは,残りの一発で自決せよ。〉 (3)三月二七日(米軍が渡嘉敷島に上陸した日), 兵事主任に対して軍の命令が伝えられた。その内容は, 住民を軍の西山陣地近くに集結させよ〉というものであった。駐在の安里喜順巡査も集結命令を住民に伝えてまわった。 (4)三月二八日, 恩納河原の上流フィジガーで, 住民の〈集団死〉事件が起きた。このとき, 防衛隊員が手榴弾を持ちこみ, 住民の自殺を促した事実がある。手榴弾は軍の厳重な管理のもとに置かれた武器である。その武器が, 住民の手に渡るということは, 本来ありえないことである。」 「渡嘉敷島においては, 赤松嘉次大尉が全権限を握り, 村の行政は軍の統制下に置かれていた。軍の命令が貫徹したのである。」(乙1.3・197,198頁)。 m 米軍の慶良間列島作戦報告書 米軍の「慶良間列島作戦報告書」については, 前4(1)イ(ア)i記載のとおりである。 n (小括)* 以上の文献等からも, 渡嘉敷島の集団自決の経緯が次のとおりであることは明らかである。すなわち, 渡嘉敷島においては, 米軍が上陸する直前の昭和20年3月20日, 赤松隊から伝令が来て, 富山兵事主任に対し, 住民を役場に集めるよう命令した。富山兵事主任が軍の指示に従って17歳未満の少年と役場職員を役場の前庭に集めると, 兵器軍曹と呼ぱれていた下士官が, 部下に手榴弾を2箱持ってこさせ, 集まった20数名の住民に対し手榴弾を2個ずつ配り, 「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら1発は敵に投げ, 捕虜になるおそれのあるときは残りの1発で自決せよ。」 と訓示した。 そして, 米軍が渡嘉敷島に上陸した昭和20年3月27日, 赤松大尉から兵事主任に対し 「住民を軍の西山陣地近くに集結させよ。」 との命令が伝えられ, 安里喜順巡査(以下「安里巡査」という。)らにより, 集結命令が住民に伝えられた。さらに, 同日の夜, 住民が命令に従って, 各々の避難場所を出て軍の西山陣地近くに集まり, 同月28日, 村の指導者を通じて住民に軍の自決命令が出たと伝えられ, 軍の正規兵である防衛隊員が手榴弾を持ち込んで住民に配り, 集団自決が行われた。 渡嘉敷島において, 軍を統率する最高責任者は赤松大尉であり, 陣中日誌(甲B19)から明らかなように, 弾薬である手榴弾は, 軍の厳重な管理の下に置かれていた武器である。兵器軍曹が赤松大尉の意思と関係なく, 手榴弾を配布し, 自決命令を発するなどということはあり得ないし, 証人皆本義博(以下「皆本証人」という。)も, 「軍の最高責任者である赤松隊長の了解なしに防衛隊員に手榴弾が交付されるはずはない」 旨証言している(皆本証人調書25頁)。したがって, 手榴弾配布の時点で, あらかじめ赤松大尉による自決命令があったのである。なお, この点について, 原告らは, 小峰園枝の 「義兄が, 防衛隊だつたけど, 隊長の目をぬすんで手榴弾を二個持つてきた」 との供述(甲B39・374頁)を挙げて反論するが, わずか1人の, しかも, 盗んだとされる者とは別の人間の供述にすぎないし, また, 盗んだとされる者は防衛隊員という手榴弾を正式に入手できる立場にあったから, 手榴弾が軍の厳軍な管理の下に置かれていなかったことの根拠とはならない。 赤松大尉が具体的にどのように自決命令を発したかは必ずしも明確でないが, 前記第3・4(1)のとおり, 軍は, 住民に対し, 軍官民共生共死の一体化の方針のもと, いざというときには捕虜となることなく玉砕するようあらかじめ指示していたから, この点からも, 軍の自決命令すなわち赤松大尉の自決命令があったことは明らかである。 目次 戻る 通2-020 次へ 通巻
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ここを編集 ■ROAD TO NINJA ロード・トゥ・ニンジャ NARUTO THE MOVIE 特殊効果(鈴木ようこ、賀澤里美と共同) ■PSYCHO-PASS サイコパス 2 特殊効果(永井留美子と共同) ■映画プリパラ み~んなのあこがれ♪レッツゴー☆プリパリ 特殊効果 ■タイムボカン24 特殊効果 ■タイムボカン 逆襲の三悪人 特殊効果 ■GIBIATE THE ANIMATION 特殊効果 ■月とライカと吸血姫 特効 ■異世界召喚は二度目です 特殊効果 ■関連タイトル Blu-ray ROAD TO NINJA -NARUTO THE MOVIE- 完全生産限定版 rakuten_design= slide ;rakuten_affiliateId= 053df7e0.7c451bd1.0c852203.190c5695 ;rakuten_items= ctsmatch ;rakuten_genreId=0;rakuten_size= 468x160 ;rakuten_target= _blank ;rakuten_theme= gray ;rakuten_border= on ;rakuten_auto_mode= on ;rakuten_genre_title= off ;rakuten_recommend= on ; 随時更新! pixivFANBOX アニメ@wiki ご支援お待ちしています! ムック本&画集新刊/個人画集新刊/新作Blu-ray単巻/新作Blu-ray DVD-BOX アニメ原画集全リスト スタッフインタビューwebリンク集 最新登録アイテム Switch ゼルダの伝説 Tears of the Kingdom Switch 世界樹の迷宮Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ HD REMASTER Switch ピクミン 4 大友克洋 Animation AKIRA Layouts Key Frames 2 小説 機動戦士ガンダム 水星の魔女 1 ONE PIECE FILM REDデラックス・リミテッド・エディション 4K ULTRA HD Blu-ray Blu-ray 劇場版 ソードアート・オンライン -プログレッシブ- 冥き夕闇のスケルツォ 完全生産限定版 Blu-ray 映画『ゆるキャン△』 Blu-ray 【コレクターズ版】 Blu-ray ウマ娘 プリティーダービー 4th EVENT SPECIAL DREAMERS!! Blu-ray 天地無用!GXP パラダイス始動編 Blu-ray第1巻 特装版 天地無用!魎皇鬼 第伍期 Blu-ray SET 「GS美神」全話いっき見ブルーレイ Blu-ray ソードアート・オンライン -フルダイブ- メーカー特典:「イベントビジュアル使用A3クリアポスター」付 ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 5th Live! 虹が咲く場所 Blu-ray Memorial BOX 宇宙戦艦ヤマト2202 愛の戦士たち Blu-ray BOX 特装限定版 地球へ… Blu-ray Disc BOX 完全生産限定版 神風怪盗ジャンヌ Complete Blu-ray BOX HUNTER×HUNTER ハンター試験編・ゾルディック家編Blu-ray BOX BLEACH Blu-ray Disc BOX 破面篇セレクション1+過去篇 完全生産限定版 MAZINGER THE MOVIE 1973-1976 4Kリマスター版 アニメ・ゲームのロゴデザイン シン・仮面ライダー 音楽集 テレビマガジン特別編集 仮面ライダー 完全版 EPISODE No.1~No.98 MOVIE リスアニ!Vol.50.5 ぼっち・ざ・ろっく!号デラックスエディション ヤマノススメ Next Summit アニメガイド おもいでビヨリ アニメ「魔入りました!入間くん」オフィシャルファンブック 『超時空要塞マクロス』パッケージアート集 CLAMP PREMIUM COLLECTION X 1 トーマの心臓 プレミアムエディション パズル ドラゴンズ 10th Anniversary Art Works はんざわかおり こみっくがーるず画集 ~あばばーさりー!~ あすぱら画集 すいみゃ Art Works trim polka-トリムポルカ- つぐもも裏 超!限界突破イラスト&激!すじ供養漫画集 開田裕治ウルトラマンシリーズ画集 井澤詩織1st写真集 mascotte 鬼頭明里写真集 my pace 内田真礼 1st photobook 「まあやドキ」 進藤あまね1st写真集 翠~Midori~ 声優 宮村優子 対談集 アスカライソジ 三石琴乃 ことのは 亀田祥倫アートワークス 100% 庵野秀明責任編集 仮面ライダー 資料写真集 1971-1973 金子雄司アニメーション背景美術画集 タローマン・クロニクル ラブライブ!サンシャイン!! Find Our 沼津~Aqoursのいる風景~ 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 友の会[復刻版] 梅津泰臣 KISS AND CRY 資料集 安彦良和 マイ・バック・ページズ 『機動戦士ガンダム ククルス・ドアンの島』編 氷川竜介 日本アニメの革新 歴史の転換点となった変化の構造分析 Blu-ray THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS 10th Anniversary Celebration Animation ETERNITY MEMORIES Blu-ray おいら宇宙の探鉱夫 ブルーレイ版 Blu-ray 映画 バクテン!! 完全生産限定版 アイカツ! 10th STORY ~未来へのSTARWAY~ Blu-ray BOX 初回生産限定版 はたらく細胞 Blu-ray Disc BOX 完全生産限定版 Blu-ray 長靴をはいた猫 3作品収録 Blu-ray わんぱく王子の大蛇退治 Blu-ray 魔道祖師 完結編 完全生産限定版 魔道祖師Q Blu-ray Disc BOX 完全生産限定盤 にじよん あにめーしょん Blu-ray BOX 【特装限定版】 Blu-ray 鋼の錬金術師 完結編 プレミアム・エディション Blu-ray付き やはりゲームでも俺の青春ラブコメはまちがっている。完 限定版【同梱物】オリジナルアニメ Blu-ray「だから、思春期は終わらずに、青春は続いていく。」
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「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載6回目 赤松大尉の言葉 赤松大尉の命令または暗黙の許可がなければ、手りゅう弾は住民の手に渡らなかったと考えるのが妥当である。それ以外のことは考えられない。 曽野綾子氏は軍隊の組織を知らないから単純に赤松の言葉を信ずるのである。軍の指揮官は、武器の所在と実数を確実に掌握していなければならない。武器の取り扱いについては、指揮官の命令(注:原文傍点)が絶対に必要である。防衛隊員が、指揮官の命令がないのに勝手に武器を処分することは絶対に許されない行為である。それがわかったら、それこそ大変なことになる。敵前歩哨が居眠りをするだけで、死刑、ときめられている陸軍刑法のなかで、軍の生命である武器を指揮官の命令なくして処分することが何を意味するか、容易に理解できることである。防衛隊員を通じて手りゅう弾が住民に渡された事実を、赤松が知らなかったはずはない。「知らなかった」とは白々しい言葉である。 あの状況の中で、住民の手に手りゅう弾が渡ったことは、なにを意味するか。「死」を目前にしての手りゅう弾は、心理的に「死」を誘発する「物」だったのである。それに、手りゅう弾は、住民が求めたものでなく、あたえられた(注:原文傍点)「物」だった。 追加された手榴弾 そして、そのあたえられた数にも問題がある。渡嘉敷島の集団自決者の数は、『鉄の暴風』では三百三十六人、沖縄タイムス社刊の沖縄大百科事典では三百二十九人となっている。だが、曽野氏は、その数を非常に少なく見積もろうとしている。そのため地形を説明したり、わずかの自決者しか目撃しなかったという兵隊の証言を引き合いに出す。二十人や三十人の自決なら手りゅう弾は四発か五発あればよい。何百人も自決したはずがないと曽野氏は疑っているが、住民に渡された手りゅう弾は五十二発である。一発の手りゅう弾が十人の自決用としても、この数は数百人分に当たる。 しかも、手りゅう弾の渡され方にも問題がある。自決用として住民に渡された手りゅう弾は、最初、三十二発だったが、さらに、二十発増加されたという。この「追加」は何を意味するか。最初の三十二発では足らないということで追加されたという。「足りない」と判断したのはだれかということになる。個々の防衛隊員が任意に判断したのか。個々の防衛隊員が勝手に渡すなら、まず、自分用の一個か、多くて二個である。防衛隊員が勝手に渡したのであれば、住民に渡された手りゅう弾全部の実数を個々の防衛隊員が知るはずがない。したがって、三十二発では足りないと判断したのは防衛隊員ではないはずだ。 ある統一した意志 防衛隊員が軍の掌握下から完全に離れておれば、個々任意に渡したとも考えられるが、あのとき防衛隊員は軍の完全な掌握下にあったのである。集団自決の時期は、米軍上陸の直後であり、小さい島では軍の統制から全く離れることはできなかった。防衛隊員は軍に強くひきつけられていたのだ。防衛隊員が勝手に手りゅう弾を住民に渡したなどとは考えられない。また、集団自決直前、住民は、赤松の陣地付近に集合させられている。住民が勝手に集まってきたのだと赤松は説明しているが、当時の状況から考えてありえないことである。十数人の住民が偶然、その陣地付近にやってきたというなら、そういうこともありうるかもしれないが、この場合は、何百人という住民が、それぞれのかくれていた場所から出てきて集合しているのである。任意に集まるはずがない。かり出されたのである。 集団自決の直前に、住民の集結という事実があった。ある統一した意志が働かなければ、あの状況の中で、軍陣地に多くの住民が集結することはおこりえない。集団自決は、この「住民集結」という状況によって準備されたのである。 米軍上陸、赤松隊の陣地への住民の集結、そして手りゅう弾が住民の手に渡り、その直後、集団自決がおこった。これら一連の事実関係は見逃すことができない。 陣地付近への住民集結には、ある強い意志が働いていたと私は判断する。 目次へ | 次へ
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通022 | 戻る | 次へ 沖縄集団自決裁判大阪地裁判決 事実及び理由 第3 争点及びこれに対する当事者の主張 第3・4 争点4(真実性の有無)について 第3・4(1) 被告らの主張 第3・4(1)ウ 渡嘉敷島について 第3・4(1)ウ(ア) 自決命令を示す文献等 第3・4(1)ウ(ア) 自決命令を示す文献等a 「鉄の暴風」(乙2) b 「戦闘概要」(乙10「ドキュメント沖縄闘争 新崎盛睴編」所収)(a) (内容)* (b) (「戦争の様相」との関係)* c 「秘録 沖縄戦史」(乙4) d 「沖縄戦史」(乙5) e 「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」(乙6) f 「秘録 沖縄戦記」(乙7) g 「沖縄県史 第8巻」(乙8) h 「沖縄県史第 10巻」(乙9) i 「家永第3次教科書訴訟第1審 金城重明証言」(乙11「裁かれた沖縄戦 安仁屋政昭編」所収) j 「家永第3次教科書訴訟第1審 安仁屋政昭証言」(乙11『裁かれた沖縄戦 安仁屋政昭編」所収) k 「朝日新聞記事(昭和63年6月16日付けタ刊)」(乙12) l 「渡嘉敷村史」(乙13) m 米軍の慶良間列島作戦報告書 n (小括)* a 「鉄の暴風」(乙2) 「鉄の暴風」には,第2・2(5)イ記載のとおり,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に集団自決を命じたとする記述がある。 「鉄の暴風」の執筆者である太田良博は,山城安次郎と宮平栄治以外の直接体義者からも取材しており,太田良博の取材経過に関する「ある神話の背景」(甲B18)の記述は誤りである。太田良博の「『鉄の暴風』周辺」(乙23)に記載されているとおり,「鉄の暴風」は,沖縄タイムス社が体験者を集め,その人たちの話を記録して文章化したものである。 b 「戦闘概要」(乙10「ドキュメント沖縄闘争 新崎盛睴編」所収) (a) (内容)* 「戦闘概要」は,当時の渡嘉敷村村長や役所職員,防衛隊長らの協力の下,渡嘉敷村遺族会が編集したものである。 「戦闘概要」には,第2・2(5)イ記載のとおり,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に集団自決を命じたとする記述がある。 (b) (「戦争の様相」との関係)* 「戦闘概要」と「渡嘉敷島における戦争の様相」(甲B23及び乙3,以下「戦争の様相」という。)との関係についての原告ら主張は根拠のない憶測にすぎない。 「戦閾概要」と「戦争の様相」の順序については,伊敷清太郎が詳細に分析しているとおり,「戦闘概要」には「戦争の様相」の文章の不備(用語,表現等)を直したと思われる箇所が見受けられること,当時の村長の姪が「戦争の様相」では旧姓の古波蔵とされているのに対し「戦闘概要」では改姓後の米田とされていることなどから,「戦争の様相」が先に書かれたものであり,これを補充したものが「戦闘概要」であると考えられる(乙25,「『ある神話の背景』における『様相』と「概要』の成立順序について」)。 したがって,「戦争の様相」の後に「戦闘概要」が作成されたものであり。「戦闘概要」に赤松大尉の自決命令が明記されたとみることができる。 c 「秘録 沖縄戦史」(乙4) 「秘録 沖縄戦史」には, 「三月二十七日-『住民は西山の軍陣地北方の盆地に集結せよ』との命令が赤松大尉から駐在巡査安里喜順を通じて発せられた。安全地帯は,もはや軍の壕陣地しかない。盆地に集合することは死線に身をさらすことになる。だが所詮軍命なのだ。」 「西山の軍陣地に辿りついてホッとするいとまもなく赤松大尉から『住民は陣地外に去れ』との命令をうけて三月二十八日午前十時頃,泣くにも泣けない気持ちで北方の盆地に移動集結したのであった。」 との記述があり,その後には,第2・2(5)イ記載のとおり,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙4・217,218頁)。 d 「沖縄戦史」(乙5) 「沖縄戦史」には, 「大尉は」「西山A高地に部隊を集結し,さらに住民もそこに集合するよう命令を発した。住民にとって,いまや赤松部隊は唯一無二の頼みであった。部隊の集結場所へ集合を命ぜられた住民はよろこんだ。日本軍が自分たちを守ってくれるものと信じ,西山A高地へ集合したのである。」 との記述があり,その後には,第2・2(5)イ記載のとおり,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙5・48頁)。 e 「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」(乙6) 「悲劇の座間味島 沖縄敗戦秘録」には,第2・2(5)イ記載のとおり,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある。 f 「秘録 沖縄戦記」(乙7) 「秘録沖縄戦記」には,第2・2(5)イ記載のとおり,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある。 g 「沖縄県史 第8巻」(乙8) 「沖縄県史 第8巻」には, 「昭和二十年(一九四四ママ:一九四五 )三月二十七日夕刻,駐在巡査安里喜順を通じ,住民は一人残らず西山の友軍陣地北方の陣地へ集合するよう命じられた。」「赤松大尉は『住民は陣地外に立ち去れ』と命じアメリカ軍の迫撃砲弾の炸裂する中を,さらに北方盆地に移動集結しなけれぱならなかった。」 との記述があり,その後には,第2・2(5)イ記載のとおり,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙8・410頁)。 h 「沖縄県史第 10巻」(乙9) 「沖縄県史 第10巻」には,第2・2(5)イ記載のとおり,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙9・689,690頁)。 i 「家永第3次教科書訴訟第1審 金城重明証言」(乙11「裁かれた沖縄戦 安仁屋政昭編」所収) 証人金城重明(以下「金城証人」という。)は,家永第3次教科書訴訟第1審における証言当時,沖縄キリスト教短期大学学長であり,戦争当時渡嘉敷島において,自ら集団自決を体験した者である。 「家永第3次教科書訴訟第1審 金城重明証言」には,第2・2(5)イ記載のとおり,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙11・286ないし288頁)。 j 「家永第3次教科書訴訟第1審 安仁屋政昭証言」(乙11『裁かれた沖縄戦 安仁屋政昭編」所収) 安仁屋政昭は,家永第3次教科書訴訟第1審における証言当時は沖縄国際大学の歴史学の教授であり,沖縄史料編集所に勤務した経歴を持ち,渡嘉敷村史の編集にも携わった者である。 「家永第3次教科書訴訟第1審 安仁屋政昭証言」には,第2・2(5)イ記載のとおり,赤松大尉が渡嘉敷島の住民に自決命令を発したとする記述がある(乙11・54,55,69頁)。 k 「朝日新聞記事(昭和63年6月16日付けタ刊)」(乙12) 「朝日新聞記事(昭和63年6月16日付け夕刊)」は,渡嘉敷村役場の富山兵事主任の,赤松大尉が指揮する日本軍の自決命令があった旨の供述を記載した新聞記事である。それには, 「『島がやられる二,三日前だったから,恐らく三月二十日ごろだったか。青年たちをすぐ集めろ,と近くの国民学校にいた軍から命令が来た』。自転車も通れない山道を四キロの阿波連(あはれん)には伝えようがない。役場の手回しサイレンで渡嘉敷だけに呼集をかけた。青年,とはいっても十七歳以上は根こそぎ防衛隊へ取られて,残っているのは十五歳から十七歳未満までの少年だけ。数人の役場職員も加えて二十余人が,定め通り役場門前に集まる。午前十時ごろだったろうか,と富山さんは回想する。『中隊にいる,俗に兵器軍曹と呼ばれる下士官。その人が兵隊二人に手榴(しゅりゅう)弾の木箱を一つずつ担がせて役場へ来たさ』すでにない旧役場の見取り図を描きながら,富山さんは話す。確か雨は降っていなかった。門前の幅ニメートルほどの道へ並んだ少年たちへ,一人二個ずつ手榴弾を配ってから兵器軍曹は命令した。『いいか,敵に遭遇したら,一個で攻撃せよ。捕虜となる恐れがあるときは,残る一個で自決せよ』。一兵たりとも捕虜になってはならない,と軍曹はいった。少年たちは民間の非戦闘員だったのに……。富山さんは,証言をそうしめくくった。三月二十七日,渡嘉敷島へ米軍上陸。富山さんの記憶では,谷あいに掘られていた富山さんら数家族の洞穴へ,島にただ一人いた駐在の比嘉(旧姓安里)喜順巡査(当時三○)が,日本軍の陣地近くへ集結するよう軍命令を伝えに来た。『命令というより指示だった』とはいうものの,今も本島に健在の元巡査はその『軍指示』を自分ができる限り伝えて回ったこと,『指示』は場所を特定せず『日本軍陣地の近く』という形で,赤松大尉から直接出たことなどを,認めている。その夜,豪雨と艦砲射撃下に住民は“軍指示"通り,食糧,衣類など洞穴に残し,日本軍陣地に近い山中へ集まった。今は『玉砕場』と呼ばれるフィジ川という名の渓流ぞいの斜面である。“指示"は当然ながら命令として,口伝えに阿波連へも届く。『集団自決』は,この渓流わきで,翌二十八日午前に起きた。生存者の多くの証言によると,渡嘉敷地区民の輪の中では,次々に軍配布の手榴弾が爆発した。」 との記述がある。 l 「渡嘉敷村史」(乙13) 「渡嘉敷村史」は,渡嘉敷村の公式な歴史書として,平成2年3月31日,渡嘉敷村史編集委員会の編集により渡嘉敷村役場が発行したものである。そして,「渡嘉敷村史」には,渡嘉敷村役場の富山兵事主任による供述を主な内容とする次のような記載がある。すなわち, 「すでに米軍上陸前に,村の兵事主任を通じて自決命令が出されていたのである。住民と軍との関係を知る最も重要な立場にいたのは兵事主任である。兵事主任は徴兵事務を扱う専任の役場職員であり,戦場においては,軍の命令を住民に伝える童要な役割を負わされていた。渡嘉敷村の兵事主任であつた新城真腹氏(戦後改姓して富山)は,日本軍から自決命令が出されていたことを明確に証言している。兵事主任の証言は次の通りである。 (1)一九四五年三月二○日,赤松隊から伝令が来て兵事主任の新城真順氏に対し,渡嘉敷部落の住民を役場に集めるように命令した。新城真順氏は,軍の指示に従って『一七歳未満の少年と役場職員』を役場の前庭に集めた。 (2)そのとき,兵器軍曹と呼ばれていた下士官が部下に手榴弾を二箱持ってこさせた。兵器軍曹は集まっママ 二十数名の者に手榴弾を二個ずつ配り訓示をした。〈米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら一発は敵に投げ,捕虜になるおそれのあるときは,残りの一発で自決せよ。〉 (3)三月二七日(米軍が渡嘉敷島に上陸した日),兵事主任に対して軍の命令が伝えられた。その内容は, 住民を軍の西山陣地近くに集結させよ〉というものであった。駐在の安里喜順巡査も集結命令を住民に伝えてまわった。 (4)三月二八日,恩納河原の上流フィジガーで,住民の〈集団死〉事件が起きた。このとき,防衛隊員が手榴弾を持ちこみ,住民の自殺を促した事実がある。手榴弾は軍の厳重な管理のもとに置かれた武器である。その武器が,住民の手こ渡るということは,本来ありえないことである。」 「渡嘉敷島においては,赤松嘉次大尉が全権限を握り,村の行政は軍の統制下に置かれていた。軍の命令が貫徹したのである。」(乙1.3・197,198頁)。 m 米軍の慶良間列島作戦報告書 米軍の「慶良間列島作戦報告書」については,前4(1)イ(ア)i記載のとおりである。 n (小括)* 以上の文献等からも,渡嘉敷島の集団自決の経緯が次のとおりであることは明らかである、すなわち,渡嘉敷島においては,米軍が上陸する直前の昭和20年3月20日,赤松隊から伝令が来て,富山兵事主任に対し,住民を役場に集めるよう命令した。富山兵事主任が軍の指示に従って17歳未満の少年と役場職員を役場の前庭に集めると,兵器軍曹と呼ぱれていた下士官が,部下に手榴弾を2箱持ってこさせ,集まった20数名の住民に対し手榴弾を2個ずつ配り, 「米軍の上陸と渡嘉敷島の玉砕は必至である。敵に遭遇したら1発は敵に投げ,捕虜になるおそれのあるときは残りの1発で自決せよ。」 と訓示した。そして,米軍が渡嘉敷島に上陸した昭和20年3月27日,赤松大尉から兵事主任に対し 「住民を軍の西山陣地近くに集結させよ。」 との命令が伝えられ,安里喜順巡査(以下「安里巡査」という。)らにより,集結命令が住民に伝えられた。さらに,同日の夜,住民が命令に従って,各々の避難場所を出て軍の西山陣地近くに集まり,同月28日,村の指導者を通じて住民に軍の自決命令が出たと伝えられ,軍の正規兵である防衛隊員が手榴弾を持ち込んで住民に配り。集団自決が行われた。 渡嘉敷島において,軍を統率する最高責任者は赤松大尉であり,陣中日誌(甲B19)から明らかなように,弾薬である手榴弾は,軍の厳重な管理の下に置かれていた武器である。兵器軍曹が赤松大尉の意思と関係なく,手榴弾を配布し,自決命令を発するなどということはあり得ないし,証人皆本義博(以下「皆本証人」という。)も, 「軍の最高責任者である赤松隊長の了解なしに防衛隊員に手榴弾が交付されるはずはない」 旨証言している(皆本証人調書25頁)。したがって,手榴弾配布の時点で,あらかじめ赤松大尉による自決命令があったのである。なお,この点について,原告らは,小峰園枝の 「義兄が,防衛隊だつたけど,隊長の目をぬすんで手榴弾を二個持つてきた」 との供述(甲B39・374頁)を挙げて反論するが,わずか1人の,しかも、盗んだとされる者とは別の人間の供述にすぎないし,また,盗んだとされる者は防衛隊員という手榴弾を正式に入手できる立場にあったから,手榴弾が軍の厳軍な管理の下に置かれていなかったことの根拠とはならない。 赤松大尉が具体的にどのように自決命令を発したかは必ずしも明確でないが,前記第3・4(1)のとおり,軍は,住民に対し,軍官民共生共死の一体化の方針のもと,いざというときには捕虜となることなく玉砕するようあらかじめ指示していたから,この点からも,軍の自決命令すなわち赤松大尉の自決命令があったことは明らかである。 戻る | 次へ 読める判決「集団自決」
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「沖縄戦に“神話”はない」(太田良博・沖縄タイムス)」連載3回目。 実は『鉄の暴風』は伝聞証拠によって書かれたものではないのである。それを明らかにする前に一言ことわっておきたいことがある。私は、曽野綾子氏に、取材した相手をはっきりおぼえていないと答えた。事実、そのときは、そうであった。取材相手をおぼえていないというのは、取材者としては、うかつのように聞こえるかもしれないが、それにはそれなりの理由があった。 記録は取材の一部 一つの理由は、『鉄の暴風』を書くに当たっては、あまりにたくさんの人と会ったので、話を聞いた、それらの人たちがいちいちだれであったか、おぼえていないということである。一つの座談会に、多いときは二十人近くも集まる。座談会だけでもいくらやったかわからない。それも沖縄戦全般にわたっての取材で、渡嘉敷島の記録は、そのごく一部である。取材期間三ヵ月、まったく突貫工事である。それに『鉄の暴風』に記録として採用したのは、これまた取材の一部であり、記録されなかった証言者のものもふくめると、いちいちおぼえられないほどの人たちと会っている。 『鉄の暴風』は、証言集ではなく、沖縄戦の全容の概略を伝えようとしたため、証言者の名前を克明に記録するという方法をとらなかった。 立体的証言を信用 もう一つの理由は、取材のやり方である。『鉄の暴風』の執筆者は、牧港篤三記者と私の二人であったが、普通、ルポ・ライターがやるように、あるいは新聞記者が新聞記事を取材するように、私たち執筆者が任意に、あるいは主意的に取材相手を選択して取材したのではなく、話を聞くために人を集めるにあたっては、大体において、新聞社(沖縄タイムス)がお膳立てをしたのである。私たちは、社が集めてくれた人たちの話を記録して、それを文章化する作業につぎつぎと追われていた。 証言者の名をいちいちおぼえていないのは、そういう事情にもよるが、曽野氏から渡嘉敷島に関する取材相手を聞かれたときは、『鉄の暴風』の執筆からすでに二十数年もたっていたのである。 『鉄の暴風』で証言者の名前をいちいち記録しなかったのも、理由はほかにもあるが、そのときの証言者たちの一つの事件に対する複数の立体的証言を私たちが信用していたからである。生死の境をくぐってきたばかりの人たちの証言として重くみたからであり、沖縄戦の体験は、沖縄住民の歴史的な共有財産(注:原文は傍点)であると考えたからである。 渡嘉敷島に関する記録も、社が直接体験者を集めて記録したものである。記録の場所は那覇市内のある旅館の一室であった。その旅館は、現在の国映館の筋向いの奥まった所にあったようにおぼえている。このことを、『ある神話の背景』が出たあと、『鉄の暴風』を読み返していくうちに思い出したのである。 古波蔵氏も出席 新聞社が責任をもって証言者を集める以上、直接体験者でない者の伝聞証拠などを採用するはずがない。あのとき旅館に証言者を集めたのは、沖縄タイムス社の専務だった座安盛徳氏(故人)だった。 当時、座安氏は、糸満に居住していて、その対岸の渡嘉敷島の関係者を集めるのに有利な立場にあった。そのとき、例の旅館に集まった人たちが誰々であったか、確かな記憶はないが、その中に、戦争中の渡嘉敷村長だった古波蔵惟好氏がいたことをようやく思い出した。古波蔵氏は、集団自決の現場にいた人である。 古波蔵氏とは、その後も二回ほど会っている。同氏は、姓を「米田」に改め、那覇の泊港の船舶関係の事務所にいた。その事務所に、私はいくつかの事実を確かめるために訪ねて行ったのである。この再度の訪問で、私が知りえた事実のなかには『鉄の暴風』に記録されなかったものもある。『ある神話の背景』のなかの他の箇所について反ばくできる材料であるが、伝聞証拠説に関する本筋から外れるので、ここでは割愛することにする。 戦後二十数年もたって曽野氏が赤松大尉やその隊員から聞いた話よりも、戦後まもなく、戦争体験者から聞いた話によって書かれた『鉄の暴風』の記録がより確かであると信ずる。 目次へ | 次へ