約 1,638,851 件
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1707.html
改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください 日本国憲法に正統性があるのか無いのか?という問いに関して、そもそも「正統性」とは何か?に遡って検討してみたい。 <目次> ■1.「正統性」の用語定義 ■2.「国体の支配」とは何か ■3.結論 ■4.ハートの「究極の認定(承認)のルール」との整合性 ■5.ご意見、情報提供 ■1.「正統性」の用語定義 せいとうせい【正統性】legitimacy 日本語版ブリタニカ (1) ある政治権力の支配が倫理的に正しいとされる根拠。 (2) 権力を持つ君主の由来の正しさ。 (3) ある権力者の支配が被支配者から承認される根拠ないしは服従動機。 政治学においては、歴史的概念として例えばウィーン会議がフランス革命前の支配者を正統とした事例を正統主義(※注釈:legitimism)原則という用語で記述することもあるが、主として(3)の意味で用いられる。M.ウェーバーはこの意味での正統性を①合法的支配、②伝統的支配、③カリスマ的支配、の3つに分類して分析している。 ※なお広辞苑には「正統性」の項目なし。「正当性」という項目があるが意味がズレるので省略する。 ※次に和英辞典で「正統性」をチェックすると、①orthodoxy と ②legitimacy の2つの単語が記載されている。 正統性 研究社和英辞典 orthodoxy; legitimacy, orthodoxy リーダーズ英和辞典 正説たること, 正統性; 正統信仰[主義], 正統的な慣行; [O-]東方正教, 正統派ユダヤ教 legitimacy リーダーズ英和辞典 合法性, 適法性, 正当性, 嫡出(性), 正統性 ※上記のとおり、「正統性」には実は、2つの概念があり、おのおの ① orthodoxy は、 教説的・教義的な意味での正統性 (→丸山眞男のいう「O正統」) ② legitimacy は、 (本来的には)血統的な意味での正統性 (→丸山眞男のいう「L正統」) を表す。 さらに厳密に言うと、共和制からアウグストゥスの即位を経て五賢帝期にいたる古代ローマや、18世紀後期以降に市民革命を経験した西欧諸国では、②の血統的な意味でのL正統が失われてしまったために、それに代替するものとして、民衆の喝采(applause)を得た者を正統とみなす、という慣行が生じており、これが現代の「デモクラシー」に繋がっているので、②をさらに ②-(1) legitimacy by blood (血統によるL正統 → 略して、L正統B) ②-(2) legitimacy by applause (喝采によるL正統 → 略して、L正統A) と2分割する必要がある。(つまり「正統性」概念を①orthodoxy(O正統、すなわち正説たること)と併せて3分類して考察する必要が、まずある) 例えば、旧ソ連邦や、イラン・イスラム共和国は、マルクス・レーニン主義あるいはシーア派イスラム教学といった①orthodoxy概念(O正統)によって基本的に統治された国家、ということになる。 これに対して、古代ローマを模範として建国されたアメリカ(※『The Federalist』参照)などは、②-(2) legitimacy by applause(L正統A)によって基本的に統治されている国家とみなせる。 日本や英国の場合は、現代では、②-(1)と(2)が絶妙のバランスで混合した形で、国家が成り立っている、と一般にみなしてよいと考える。(天皇を戴くデモクラシー国家という意味で) ■2.「国体の支配」とは何か さて、ここで「国体の支配」というものがあると想定した場合、それは上記の3分類のうち、どのタイプの正統性に該当することになるのだろうか? 「国体論」ないし「国体観念」とは、一つの教学・教説に相当するものであるから、①orthodoxy概念(O正統)と考えるほかない。 すなわち「国体の支配」を主張する者は、日本は、「国体」という①orthodoxy概念(O正統)によって統治されている国家と考えている、という結論になる。 そうなると、次は、我が国の「国体」に、旧ソ連のマルクス・レーニン主義や、イスラム教のコーラン・シャリーアに該当する確たる教義・教説が存在するのか?ということが問題になってくる。 結論から言えば、我が国の「国体」に関しては、戦前の喧々諤々の論争の末に昭和12年(1937年)になってようやく文部省から『国体の本義』と題した公式見解が出版された程度であり、しかもその内容は、これまでの多種多様な国体解釈を皇室護持の一点を守れば基本的に容認する、という価値多元的なものでしかなかった。 つまり、「国体」には固定的な教義・教説が確立されておらず、その解釈は国民各自に基本的に委ねられている、すなわち、「国体の支配」を唱える者が思い描く「国体」の内容そのものは実は、基本的には個人の独自な価値観に過ぎないのである。 但し、それでは、ある事柄が国体に合致しているか否かを決定せざるを得ない決定的な瞬間に対処できないので、そのような場合には、「国体の判定権者」による決定が必要となる。 それを保持しているのが、天皇であるのは言うまでもない。(2.26事件やポツダム宣言受諾を想起せよ) ■3.結論 日本は「国体の支配」すなわち、「国体」という①orthodoxy概念(O正統)に基づいて統治されている国家である、と考えるとしても、そのO正統自体は、その内容が不分明で自律不可能であるがゆえに、②-(1) 「皇統」というlegitimacy(L正統B)による「正統化」を絶対的に必要とする、という関係になっている、と考えるのが妥当である。 つまり、我が国においては、例え「国体の支配」を認めるとしても、L正統Bが、絶対的にO正統に優位する。 憲法問題に関しても、このような観点をきちんと押さえた上で色々と検討すると、より妥当な結論が得られるのではないかと考える。 我々が何よりも戒めるべきは、自分独自の「国体論」を振り回して、自分が①orthodoxy(O正統)の判定権者であるかのような錯覚を持たないことだろう。 それは単なる個人の「価値観」に過ぎないのだ。 ■4.ハートの「究極の認定(承認)のルール」との整合性 以上の理解は、20世紀後半以降の法概念論の世界的パラダイムとなっているハートの「究極の認定(承認)のルール」 論(法=社会的ルール説)とも整合的である。 すなわち、 イギリスにおける「究極の認定(承認)のルール」が (たとえ形式的なものであっても)「議会における女王(国王)の制定するものが法であるというルール」であるように、 日本における「究極の認定(承認)のルール」は (やはり形式的なものであっても)「天皇の裁可(ないし御名御璽による認証)を受けたものが法として発効するというルール」ないしは「天皇の認定(任命)した権力者が正式に政治を行い法を制定するというルール」であって、 こうしたルールはまさに日本人の長年に亘る事実的慣行として受容され遂行され続けている。 ⇒ つまり、イギリスや日本では、L正統Bが法規範に究極の根拠を与えている。 ■5.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/33716.html
ひかりこうがい【登録タグ ひ プリュ 曲 鏡音リン】 作詞:プリュ 作曲:プリュ 編曲:プリュ 唄:鏡音リン 曲紹介 「併せて。」 プリュ氏の11作目 歌詞 (PIAPROより転載) 雨空の暗いネオンサイン真下 血色星それぞれ名札投げて 光騙し その首刺してくれ 電流見せない偽者何を描く? とりあえず「愛」と言う嘘見つけた どっちも言えない目付き探し、どうだい? 希望壊し ブラックアウト中で 涙描いて 無邪気な夢を包んだ ノイズだけの世界、一人隠れん坊 くだらない生流す彼は死んだ つまんない空をつまり隠して 空を汚す光を 曖昧世界 その暗いノイズを 落書きみたいライトで殺してよ 空想中で実忘れた体 切り取るこの電流と合わせてよ 雨空の暗いネオンサイン真下 血色星汚し合う地下世界 光壊し 言葉だけの信頼で 信じれない笑顔名前言ってくれ とりあえず「恋」と言う嘘見つけた どっちも言えない目付き探し、どうだい? 希望騙し ブラックアウト中で 涙描いて どこにも無い心を見た 公害世界 汚されたノイズを 誰にも見えない答えと合わせてよ 機械音で踊った狂った心 併せて聞こえた電流と消してよ ノイズだけの心、彼は甘えん坊 難しい感情もそれなり偽って つまんない空をつまり隠して 空を殺す光を 曖昧世界 その暗いノイズを 落書きみたいライトで殺してよ 空想中で実忘れた体 切り取るこの電流と合わせてよ コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/kbt16s/pages/99.html
日本国憲法に正統性があるのか無いのか?という問いに関して、そもそも「正統性」とは何か?に遡って検討してみたい。 <目次> ■1.「正統性」の用語定義 ■2.「国体の支配」とは何か ■3.結論 ■4.ハートの「究極の認定(承認)のルール」との整合性 ■5.ご意見、情報提供 ■1.「正統性」の用語定義 せいとうせい【正統性】legitimacy 日本語版ブリタニカ (1) ある政治権力の支配が倫理的に正しいとされる根拠。 (2) 権力を持つ君主の由来の正しさ。 (3) ある権力者の支配が被支配者から承認される根拠ないしは服従動機。 政治学においては、歴史的概念として例えばウィーン会議がフランス革命前の支配者を正統とした事例を正統主義(※注釈:legitimism)原則という用語で記述することもあるが、主として(3)の意味で用いられる。M.ウェーバーはこの意味での正統性を①合法的支配、②伝統的支配、③カリスマ的支配、の3つに分類して分析している。 ※なお広辞苑には「正統性」の項目なし。「正当性」という項目があるが意味がズレるので省略する。 ※次に和英辞典で「正統性」をチェックすると、①orthodoxy と ②legitimacy の2つの単語が記載されている。 正統性 研究社和英辞典 orthodoxy; legitimacy, orthodoxy リーダーズ英和辞典 正説たること, 正統性; 正統信仰[主義], 正統的な慣行; [O-]東方正教, 正統派ユダヤ教 legitimacy リーダーズ英和辞典 合法性, 適法性, 正当性, 嫡出(性), 正統性 ※上記のとおり、「正統性」には実は、2つの概念があり、おのおの ① orthodoxy は、 教説的・教義的な意味での正統性 (→丸山眞男のいう「O正統」) ② legitimacy は、 (本来的には)血統的な意味での正統性 (→丸山眞男のいう「L正統」) を表す。 さらに厳密に言うと、共和制からアウグストゥスの即位を経て五賢帝期にいたる古代ローマや、18世紀後期以降に市民革命を経験した西欧諸国では、②の血統的な意味でのL正統が失われてしまったために、それに代替するものとして、民衆の喝采(applause)を得た者を正統とみなす、という慣行が生じており、これが現代の「デモクラシー」に繋がっているので、②をさらに ②-(1) legitimacy by blood (血統によるL正統 → 略して、L正統B) ②-(2) legitimacy by applause (喝采によるL正統 → 略して、L正統A) と2分割する必要がある。(つまり「正統性」概念を①orthodoxy(O正統、すなわち正説たること)と併せて3分類して考察する必要が、まずある) 例えば、旧ソ連邦や、イラン・イスラム共和国は、マルクス・レーニン主義あるいはシーア派イスラム教学といった①orthodoxy概念(O正統)によって基本的に統治された国家、ということになる。 これに対して、古代ローマを模範として建国されたアメリカ(※『The Federalist』参照)などは、②-(2) legitimacy by applause(L正統A)によって基本的に統治されている国家とみなせる。 日本や英国の場合は、現代では、②-(1)と(2)が絶妙のバランスで混合した形で、国家が成り立っている、と一般にみなしてよいと考える。(天皇を戴くデモクラシー国家という意味で) ■2.「国体の支配」とは何か さて、ここで「国体の支配」というものがあると想定した場合、それは上記の3分類のうち、どのタイプの正統性に該当することになるのだろうか? 「国体論」ないし「国体観念」とは、一つの教学・教説に相当するものであるから、①orthodoxy概念(O正統)と考えるほかない。 すなわち「国体の支配」を主張する者は、日本は、「国体」という①orthodoxy概念(O正統)によって統治されている国家と考えている、という結論になる。 そうなると、次は、我が国の「国体」に、旧ソ連のマルクス・レーニン主義や、イスラム教のコーラン・シャリーアに該当する確たる教義・教説が存在するのか?ということが問題になってくる。 結論から言えば、我が国の「国体」に関しては、戦前の喧々諤々の論争の末に昭和12年(1937年)になってようやく文部省から『国体の本義』と題した公式見解が出版された程度であり、しかもその内容は、これまでの多種多様な国体解釈を皇室護持の一点を守れば基本的に容認する、という価値多元的なものでしかなかった。 つまり、「国体」には固定的な教義・教説が確立されておらず、その解釈は国民各自に基本的に委ねられている、すなわち、「国体の支配」を唱える者が思い描く「国体」の内容そのものは実は、基本的には個人の独自な価値観に過ぎないのである。 但し、それでは、ある事柄が国体に合致しているか否かを決定せざるを得ない決定的な瞬間に対処できないので、そのような場合には、「国体の判定権者」による決定が必要となる。 それを保持しているのが、天皇であるのは言うまでもない。(2.26事件やポツダム宣言受諾を想起せよ) ■3.結論 日本は「国体の支配」すなわち、「国体」という①orthodoxy概念(O正統)に基づいて統治されている国家である、と考えるとしても、そのO正統自体は、その内容が不分明で自律不可能であるがゆえに、②-(1) 「皇統」というlegitimacy(L正統B)による「正統化」を絶対的に必要とする、という関係になっている、と考えるのが妥当である。 つまり、我が国においては、例え「国体の支配」を認めるとしても、L正統Bが、絶対的にO正統に優位する。 憲法問題に関しても、このような観点をきちんと押さえた上で色々と検討すると、より妥当な結論が得られるのではないかと考える。 我々が何よりも戒めるべきは、自分独自の「国体論」を振り回して、自分が①orthodoxy(O正統)の判定権者であるかのような錯覚を持たないことだろう。 それは単なる個人の「価値観」に過ぎないのだ。 ■4.ハートの「究極の認定(承認)のルール」との整合性 以上の理解は、20世紀後半以降の法概念論の世界的パラダイムとなっているハートの「究極の認定(承認)のルール」論(法=社会的ルール説)とも整合的である。 すなわち、 イギリスにおける「究極の認定(承認)のルール」が (たとえ形式的なものであっても)「議会における女王(国王)の制定するものが法であるというルール」であるように、 日本における「究極の認定(承認)のルール」は (やはり形式的なものであっても)「天皇の裁可(ないし御名御璽による認証)を受けたものが法として発効するというルール」ないしは「天皇の認定(任命)した権力者が正式に政治を行い法を制定するというルール」であって、 こうしたルールはまさに日本人の長年に亘る事実的慣行として受容され遂行され続けている。 ⇒ つまり、イギリスや日本では、L正統Bが法規範に究極の根拠を与えている。 ■5.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
https://w.atwiki.jp/sundayrowa/pages/196.html
流と耕助 ◆c8fjjCyRkM 植木耕助は、歩き続けていた。 溢れる涙によって視界がにじみ、足元さえかすんで見える。 いかに十つ星天界人といえど、前が見えなければ足取りは覚束なくなってしまう。 だというのに、植木は涙を拭こうともしなかった。 それをするためには、抱えているものを手放さねばならないからだ。 少しずつ冷たくなっていく老人、ナゾナゾ博士をもう放置することはできない。 植木が彼を置いて行った為に、彼は死んでしまったのだ。 もう二度と仲間から目を離さないと、植木は誓った。 ほとんど霞がかった視界のまま、ひたすら歩く。 「そこの緑髪ボウズ」 不意に声を浴びせられ、植木はそちらを振り向いた。 ぼんやりと見えたのは、人影が二つ。 一人は短い茶髪で、もう一人は長い金髪。 体型からしてどちらも大人のようだ。 その程度しか、植木には分からなかった。 返事をしようとして、声をかけてきた茶髪の方が続ける。 声から察するに、声の主は男性らしい。 「なんつうもんを背負ってんだ。その爺さん、死んじまってるぜ」 「知ってる。分かってるよ……」 「ならどうして背負ってんだよ。死んだってのに、まだ引き連れられてくなんて可哀想だろ。いい加減に休ませてやるのが道理ってもんだぜ。……それとも、死体を使って何かやろうと企んでやがんのか?」 「……ち、違えよっ!」 思わぬ容疑をかけられ、植木は咄嗟に否定した。 すると、それまで飄々としていた声色が、急に低くなる。 曖昧な視界であったが、相手の目付きまでも鋭くなったような感覚があった。 「だったら、何考えてんだ」 言って、男は何か輝く物を取り出した。おそらくは武器だ。 答え次第では、これを振り下ろすことになる。 動作だけで、雄弁に語っていた。 なので、植木は慌てて答える。 「ナゾナゾ博士は、俺のせいで殺されちまったんだ! 俺が、安全な場所に避難させたつもりで戦ってたから! そのせいで! だから、もう置いてけねえよ!」 怒鳴るような口調に最も驚いたのは、他ならぬ植木自身であった。 落ち着いて説明せねばならないはずなのに、不思議と声を張り上げていた。 「だが死んでる」 「さっきから分かってるって言ってんだろ! もう放っておいてくれよ!」 「いや、放っちゃおけねえな」 「なんで……! いちいち何なんだよ、あんたは!」 「なんでっつわれてもなぁ、こっちも分かんねーんだけどよ。お前みたいなガキ見てると、ついちょっかいかけたくなっちまうんだよ。俺ってのは」 相手の考えがまったく分からず、黙り込む植木。 どう返すか迷っているうちに、男は武器を仕舞って歩み寄ってくる。 まるで子どもに言い聞かせるかのように、耳元で口を開いた。 「お前が悪い奴じゃねえってのはよぅく分かったし、言ってることだって別に間違ってるってわけじゃない。けどな、やっぱ死体背負うなんざやめとけ」 「だから」 「いいから聞けよ。その爺さんだって、お前がそんだけ気にするってことは良い人だったんだろ。殺し合えって言われても、すんなり言うこと聞いたりしねえような」 「ナゾナゾ博士は、こっから皆で脱出する方法を探してた」 「やっぱな。話したことねえ俺でさえ想像ついたんだぜ。一緒にいたお前なら分かんだろ、そんな爺さんがお前に後悔して欲しいなんて思ってるわけねえって」 「……」 「皆で逃げる方法探してたんだろ? なのに、死んじまった自分をずっと引きずってる仲間なんて、見たいわけねえよ。出会ったのが俺たちだからよかったけど、人殺しだったら死んじまってたぜ? 両手塞がってちゃあよ」 「だけど、俺のせいで」 「お前の考えなしで死んだってのは否定しねえよ、当事者が言うんならそうなんだろうよ。だけど、悔やむばっかじゃダメだってんだよ。後悔してるからって隙だらけの状態で歩いてておっ死んじまったら、それこそ爺さんが無駄死にじゃねえか。そうじゃねえだろ」 植木は、はっと目を見開いた。 男は一度息を吐いてから、強い口調で言い切る。 「爺さんのことを悔やむんなら、死体なんてひきずってんじゃねえ。そんな重てえもん背負ってふらふらしてる間に、人は殺されてくぜ。爺さんの目指してた皆で脱出から、どんどん離れてく。それくらい分かんだろ。体じゃねえ、持ってくべきなのは意思だ」 落ち着いてきていた植木の涙腺が、再び刺激された。 涙が溢れ出して、顔中を伝っていく。 ほのかに塩味を感じながら、植木は前に倒れ込んだ。 その体は地面に激突することなく、男の手に受け止められた。 ナゾナゾ博士と合わせて二人分の体重がかかっているというのに、男はびくともしない。 ようやく手で涙を拭って、植木は顔を上げた。 男の顔が、今になって初めて明らかになった。 短い茶髪を後ろに流した太眉の彼は、植木の顔を見てにやりと笑っていた。 「納得したんなら、いろいろ聞かせてもらうぜ。まずは名前からだ。俺は秋葉流ってのよ。お前は?」 ◇ ◆ ◇ ◆ 「じゃあユーゴー、耕助を頼むぜ」 秋葉流は植木耕助を親指で差して、同行者のユーゴー・ギルバートに笑いかけた。 平静を取り戻した植木によれば、ナゾナゾ博士を殺した男がはたしてどうなったのかは確認していないという。 ぶっ飛ばしたとは聞いたし、それに使った神器という技の一つ『鉄』の威力を見せてもらったが、流は安心することはできなかった。 植木の口から告げられた言葉によれば、殺人者は人の悲鳴を好むという外道である。 そんなものがぶっ飛ばされた程度で、改心などするはずがない。生きていれば、また人を殺すだろう。 ゆえに、流は確認しに向かうことにした。 ことのついでに、どうやっても穴一つ開かなかったという結界についても調べてくるつもりである。 「でも流さん、一人で大丈夫ですか」 「日本番長の時と一緒で、危なくなったら逃げるさ」 微笑みながらの返答にも、ユーゴーは暗い表情のままだ。 これは、流のことが心配だからではない。 テレパシストであるユーゴーには、流の胸中に吹く風が見えてしまっている。 だからこそ彼を引き留めたいのだが、上手くいかなかった。 テレパシストであると明かしてしまえば止まってくれるだろうが、そんなことをすればもう終わりだ。 思考を読まれたと知れば、流は口封じを行うだろう。 そうなってしまえば、もはや流の考えを知るものが一人もいなくなってしまう。 それだけは、避けねばならない。 かといって、流に同行するわけにもいかないのだ。 「ま、心配しなさんな。逃げを選べる俺より、耕助の奴が一人で走り出さねえか見といてやってくれ」 流が視線を向けた植木耕助。 今は落ち着いており、民家から持ってきたスコップでナゾナゾ博士を埋葬する穴を掘っている。 しかし、放送の時刻は近い。 また、先ほどのように抱え込んでしまいかねない。 そうなったときにいち早く異変に勘付けるのは、テレパシストであるユーゴーだけなのだ。 「……分かりました。任せてください」 こくりと頷く以外、ユーゴーに選択肢はなかった。 【A-5 東部/一日目 早朝】 【植木耕介】 [時間軸]:十ツ星神器・魔王習得後 [状態]:健康 [装備]:防弾チョッキ@現実 [道具]:基本支給品一式、ブルーの車椅子@ARMS、ビニール一杯のゴミ@現実 [基本方針]:協力者を探して首輪を外すというナゾナゾ博士の考えを無碍にしない。ナゾナゾ博士を埋葬し、流を待つ。 【ユーゴー・ギルバート】 [時間軸]:カリヨンタワーのキース・シルバー戦直後 [状態]:健康 [装備]:無し [道具]:カマキリジョーの着ぐるみ@金色のガッシュ、ヒーローババーンの着ぐるみ@うしおととら、基本支給品一式 [基本方針]:殺し合いを止める。どうにかして秋葉流を説得する。うえきとともに、流を待つ。 ※制限によりテレパシー能力は相手の所在が分かる場合のみにしか発動できません 【秋葉流】 [時間軸]:SC28巻、守谷の車を襲撃する直前 [状態]:健康 [装備]:鋼金暗器@烈火の炎、金属片いくつか@現実 [道具]:ランダム支給品0~1、基本支給品一式 [基本方針]:本気を出せるような強者と戦う。そのための武器を探す。木蓮を確認しに向かう。 投下順で読む 前へ:モーニングティーを飲みに行こう 戻る 次へ:ドクター・カオスとオリンピア 時系列順で読む 前へ:モーニングティーを飲みに行こう 戻る 次へ:ドクター・カオスとオリンピア キャラを追って読む 037:ヘルダイバー 秋葉流 074:鉄風鋭くなって ユーゴー・ギルバート 079:不止 065:最強候補の一角、植木耕介 植木耕助 ▲
https://w.atwiki.jp/midnightcorner/pages/21.html
「量とは何か」 銀林浩「量と数学教育」「数学教育現代化の基礎1「量と構造」」(遠山啓・銀林浩編,国土社)所収(1971)より抜粋。 注)仮名漢字表記や句読法は原文に忠実ではない。 量とはいったい何であろうか?物理学的に,また哲学的にはいろいろの解釈がありうる。物理学者では,ガリレオ,ヘルムホルツ,アインシュタインなど多くの学者が量の理論を提出しているし,哲学者では,アリストテレス,カント,ヘーゲルなどがその側からの理論を提出している。しかし,ここでは,数学教育との関連において,もっとも扱いやすい規定を考えれば十分である。 そこで,量とはものの1側面であると考える。ものにはいろいろな側面があろう。質的(qualitive)な側面もあれば量的(quantitative)な側面もある。長さ・重さ・密度・価格などは,この量的な側面である。しかし「美しい」とか「おこりっぽい」とかいうのは,少なくとも現在までのところ量的な側面とはいえない。それらは,質的な性質といわなくてはならない。 時間ははたしてものの側面といえるか,というような疑問も生じるが,これもものの一様な運動に付随する経過量と考えれば,この規定に準じて扱うことができよう。じつは数学教育における時間概念のむずかしさは,ここに1つの原因があるといえる。 数学的にいえば,もの,つまり集合Aにその側面 m(A)を対応させる写像を考えるわけである m:A → m(A) 数学では,このような写像を集合函数(集合を変数とする函数)という。のちに述べるように,量が数値化されれば,函数値 m(A)は整数あるいは実数となる。この数値 m(A)が集合 Aの上に《乗っている》,あるいは《分布している》と考えれば,それは一様に分布していなければならない。だから,量は,集合の一様化(等質化)によって得られるといってもよい。 しかし,これだけでは,まだ量を質から区別したことにならないから,不十分である。もう少し精密な規定が必要である。そのために2つの規準を設けよう。 [a] 比較可能性(comparability)すなわち,《ものの1側面》が単なる質ではなく量であるためには,相互に比較ができなくてはならない。すなわち,2つのもの A1, A2 をもってきたときに,m(A1) と m(A2) の間に, m(A1)≦m(A2) のような関係が成り立ち(つまり直接比較の原理である)値 m(A) について (1)a≦a (反射律) (2)a≦b, b≦a ならば a=b (反対称律) (3)a≦b, b≦c ならば a≦c (推移律) が成り立つ。いいかえれば,量mは全順序集合を作る。 ここから,いかなる場合にも(内包量においても)比較(大きい小さい,長い短い,広い,狭い,重い,軽い,速い,遅い,濃い,薄い,など)こそが量指導の第一歩でなければならないことがわかる。また,(3)の推移律が間接比較の論理にほかならない。 しかし,比較ができるだけではまだ十分ではない。比較可能性だけでは,量 m が単なる全順序集合をなすというだけで,数直線上に目盛れる,すなわち,実数の連続体( R の部分集合)をなすことは保証されないからである。 数直線をなすためには,一様につまり等間隔に量 m(A) が配列されなければならない。そのために [b] 差異の相等化または差の等化。いいかえると,a と b をくらべたときの差 b―a と c と d をくらべたときの差 d―c を等置できる: b―a=d―c … (1) ということである。もっと標語的にいえば,差の比較可能性である。 以上の2つの限定をつけた1側面m(A)を量(quantity)とよぶことにする。 差異の相等化を定式化した式 (1) において,とくに a=0 とおくと(空集合のになう量 m(φ)=0 とする) b=d―c … (2) すなわち, c+b=d … (3) が得られる。いいかえれば,差異の相等化は加法の可能性 (3) と減法の可能性 (2) に導く。ただ,加法といっても,もともとの差異の相等化 (1) が,差の等しいことを主張しているので,減法 (2) は求差であり,加法 (3) は添加を意味していることに注意しなければならない。 ところで,(3)において,b=x+y であったとすると,図1-2から見てとれるように,(3)の関係は, c + (x+y)=(c+x) + y … (4) と書き直せる。すなわち,加法 (3) は結合律をみたすことが導かれる。 図1-2(省略) こうして量 m(A)は全順序集合をなすとともに,加減の可能性によって群をなすことになる。そこでつぎは,この群算法の添加が大小の順序関係と両立するかどうか,つまり x<y ならば a+x<a+y (添加の単調性) がなりたつかどうかであるが,x<y なら,(3)によって,z なる量があって x+z=y, したがって a+(x+z)=a+y 結合律によって (a+x)+z = a+y したがって a+x<a+y で両立性はたしかに成り立つ。だから量 m(A) の全体Gは1つの全順序群をなす。 さて,2つの分量 a, b を間接比較する際(間接比較自身は,推移律の適用である)第3の媒介項 c が a と b の間にあれば, a<c, c<b ならば a<b が導かれて比較は完了する。ところが,この第三者 c が a や b より小さいときは,差の比較可能性によって c を取り除いた差 a―c と b―c を比較する。添加の単調性によって,a―c と b―c の比較から a と b の比較が従う(a―c<b―c なら,c+(a―c)<c+(b―c),すなわち a<b となる)。さらに c がこの2つの差よりまだ小さいときには,また c を取り除いた a―2c と b―2c を比較する。こうして,もし a<nc, nc<b … (4) なる自然数 n が存在すれば,比較は完了する。この c が個別単位にほかならない。cを標準化すれば普遍単位となる。 しかし,(4) が可能なためには,任意の量 c をいくつか添加すれば(つなげれば),与えられた量 a をしのぐという,アルキメデスの公理: [c] 与えられた2つの量 a, c に対して, a<nc をみたす自然数 n が存在することが前提となる。(「塵も積もれば山となる」の理) こうして,[a] 比較可能性,[b] 差異の相等化,[c] アルキメデスの公理を仮定すると,量 m(A) の全体 G はアルキメデス的全順序群をなし,ブルバキの定理(ブルバキ「位相3」東京図書§3演習1p18参照)によって,実数の加法群 R の部分群に同型になる。 この同型によって,量 m(A) は数値化され,G は離散群に同型になるか,あるいは実数 R の部分集合に同型になる。 引用者注)同型でも G は其れと同一ではない。つまり G には積(量同士の積)は定義されていない。
https://w.atwiki.jp/kiridroid2/pages/16.html
kirikiroid2とは kirikiroido2(以下アプリとする)は吉理吉理というエンジンを利用して作成されたADV及び18禁エロゲーのスマートフォンエミュレーターである。 基本的にはPCでの動作を目的とされているエロゲにパッチを当てることによりスマートフォン上でも動作することが可能となっている
https://w.atwiki.jp/eb22/pages/19.html
電流循環の促進概念 アドミタンスに因る回路特性換算[S] 複素/アドミタンス/インピーダンスの逆数 並列アドミタンスに因る電気的特性換算電流 合成アドミタンス RLC並列回路のアドミタンスインピーダンスに因る電流換算 アドミタンスに因る電流換算 アドミタンス絶対値G[S]コンダクタンス アドミタンス実部 B[S]サセプタンス アドミタンス虚部 アドミタンス偏角 アドミタンス回路特性容量性 虚部が正における回路特性 誘導性 虚部が負における回路特性 実/虚部換算 アドミタンス/インピーダンス換算
https://w.atwiki.jp/naianakikaku/pages/2594.html
「コオリ、今日はだれといっしょなの?」 「きょうは、はくちょうさんといっしょなの」 コオリは、いつもぬいぐるみさんといっしょなの。 今日は、はくちょうさんといっしょなんだって。 「こんぺいとうのおねえちゃんは、なにをよんでいるの?」 「お星さまの本、読んでるの」 『としょかん』っていう、本がたくさんあるところで、借りてきたの。 いろんなお星さまのお話が書いてあるの。とても、お勉強になる。 「見て見て。はくちょうさんのお星さまもあるよ」 「これ、はくちょうさんのおほしさまなの?」 「うん」 「はくちょうさんのかたちじゃないのね。ふしぎ」 はくちょうさんのお星さまと、ふたつのお星さま。 みっついっしょで「なつのだいさんかく」って言うんだって。 アオ、このふたつのお星さまも知ってるよ。 「こっちのお星さまがおりひめさまで、こっちのお星さまがひこぼしさまなの」 「おりひめさまと、ひこぼしさまなの?」 「そうなの」 「おりひめさまとひこぼしさま、たなばたさまのおひめさまとおうじさまよね」 「うん」 そういえば、もうすぐたなばたさまね。 おりひめさまとひこぼしさまが、会える日。 「たなばたさまは、ささをかざるのよね」 「コオリ、しってるよ。おねがいごとをかいて、ささにかざるの」 「たくさんかざるの、きっときれいね」 「きれいなのよ」 「見たいね」 「みたいね」 「「…………」」 「たなばたさま、作ろう」 「うん、つくるの」 「お願いごと、書いてもらわないとね」 「たくさんのひとに、かいてもらうのよ」 コオリといっしょにクレヨンで「たなばたさま」をかいたの。 緑色のささに、お願いごとが書いてある紙がたくさん。 これ、アオとコオリの『もくひょう』。 これをめざして、がんばるの。 折り紙をはさみで切って、たなばたさまのお願いごとを書く紙がたくさんできたの。 なくさないようにきちんと集めて、お願いごとを書くペンもよういしたの。 これで、じゅんびは大丈夫。 「だれに書いてもらおうかしら」 「たくさんのひとにたくさんかいてもらうのよ」 「うん。色んな人にお願いしよう」 「たなばたさま、できるといいね」 「できるといいね」 「じゃあ、たなばたさまのお願いごとを集めに」 「「しゅっぱーつ」」 ホウオウグループの人にも、がっこうの人にも。 知ってる人にも、知らない人にも。 いろんないろんな人に、お願いごと書いてもらうの。 たなばたさまも、きっと『よろこぶ』してくれるから。 白い二人のたなばたさま~おねがいごとは何ですか~ 「おにいさん、おねえさん」 「おじさん、おばさん」 「「たなばたさまに、おねがいごとしませんか」」
https://w.atwiki.jp/memeplex/pages/13.html
我らがshi3zとはmemeplexの創設者であり、偉大なる漢である 「大衆が簡単にAIに触れる機会を作る」を理念に、実費で大量のPC,GPUを購入しサーバーを建立。 翻訳機能まで付けてmemeplexを単独で自らプログラム。 stable diffusionを誰でもワンボタンで利用できるようにしたまさに偉大な業績であった。 今も稼働しているmemeplexはどうやらshi3z氏のnoteの収益から運営している。要は実費でやってるのだ。 この間にも毎日バグと戦いながらプログラミングをし、バグ報告や質問に対応しつつ、毎日noteを更新し、 さらには毎日youtubeを編集し更新しながら、昨日はabemaTVにも出演していた。 バケモンである
https://w.atwiki.jp/kameyama2011/pages/95.html
●世間と社会society、共同体communityは、どのように使い分けられるのだろうか? →長幼の序、贈与・互酬関係は世間の主要な要素であるが、共同体のそれとどこが違うのか? 【世間の特徴・「宮崎勤事件」】 事件とは何の関係もないにもかかわらず、彼の姉妹は婚約を解消され、彼の父親は自殺した。 【世間の特徴・不正を犯した?政治家の発言】 「(自分は無実だが)世間をお騒がせしてもうしわけない」 →社会、共同体における暗黙のルール、不特定多数の共通了解が「世間」と言われているのか? ただ凝集している群衆massに効率的な機能を与えるにはフレームが必要だが、「世間」というフレームにおいては、構成員たちの暗黙の共通了解がその役割を果たす。その一方で共同体におけるフレームとは、構成員たちが最低限守らなければならない契約である。 ←共同体は、ルールを自己創造していく。その一方で、「世間」はトップダウン式に統治するための枠組みとして、ルールを付与するのではないか。(ex.江戸時代における五人組制度のような連帯責任が「世間」) ←法制度と「世間」はどのように異なるのか? 法律から外れることと「世間」から外れることの違い。(ex.『破戒』) ●なぜ「世間」は特権的なことばなのか? +「世間」が特権的、とは、ほかの要素よりも「世間」が(例えば判断において)優先される、という意味 欧米人は日本人のことを権威主義的であるとしばしばいう。権威主義的とは威張っているということではない。自分以外の権威に依存して生きているということをいうのである。その権威が世間なのです。たとえば皆と共に行動するとき、私達はできるだけ皆と合わせようとする。それはその限りでは協調的な行動なのであるが、時にはそれが没個性的で、権威主義的に見えるのである。何らかの意見を聞かれたとき、自分の意見をきちんということが大切であるが、他の人の意見を聞きながら自分の意見をそれに合わせたりすることも権威主義的と呼ばれるのである。(p.24) →「世間」は脅威として感じられる。 →私達のルールを規定する。その強制力が権威的であるように感じられるのではないか。 →太平洋戦争末期に日本占領のための文化理解として書かれた『菊と刀』において、ルース・ベネディクトは日本の“恥”が行動原理となっていると考察している。日本人は恩と義理のバランスシート(貸借関係表)になぞらえて人間関係を精密な地図のように把握し、社会のなかで自分にふさわしい位置で生きる。 ●共同体内における動的な均衡が「世間」なのではないか? 「この人はこう感じるに違いない」「この人はこう動くに違いない」という、共通了解に基づいたウラ読みができなくなる状況が、「世間を騒がせる」ということではないか。(ex.政治家の不正は「政治家は○○するはずだ」というウラが読めなくなる。それが「世間」を騒がせるということ。) 『吾輩は猫である』、『坊っちゃん』に出てくる登場人物の多くは、彼らの次の行動が読めないために世間からずれているのではないか。 ●ドイツの社会学者テンニースのゲゼルシャフトGesellschaftとゲマインシャフトGemeinschaftは「世間」の枠組みとどのように異なると言えるのか? Gesellschaft…ある目的をもって取り結ぶ人間関係。――観念的・作為的な選択意思(Kürwille) Gemeinschaft…地縁・血縁関係。――実在的・自然的な本質意思(Wesenwille) 「世間」は地縁・血縁関係が働くが(ex.宮崎勤事件)、「世間」とは幾つもの異なる位相の「世間」としてある。グループの構成員としての承認が得られないこともある。 +テンニース、って誰? Ferdinand Tönnies (1855- 1936)はドイツの社会学者。テンニースは、あらゆる社会的相互作用や集団を人間の思考と意思とがつくったものとして考え、そのなかで実在的・自然的な本質意思(Wesenwille)と観念的・作為的な選択意思(Kürwille)とを区別し,前者にゲマインシャフト、後者にゲゼルシャフトという集団類型をたてた。その区別は形式的類型にとどまらず、彼の歴史的発展構想においてゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと定式化されることになった。(wikipediaより、そのまま抜粋) テンニースは、あらゆる社会的相互作用や集団を人間の思考と意思とがつくったものとして考え、そのなかで実在的・自然的な本質意思(Wesenwille)と観念的・作為的な選択意思(Kürwille)とを区別し,前者にゲマインシャフト、後者にゲゼルシャフトという集団類型をたてた。その区別は形式的類型にとどまらず、彼の歴史的発展構想においてゲマインシャフトからゲゼルシャフトへと定式化されることになった。 ★課題★ 「世間」と他のフレームとのあいだの人間関係の特徴を比較すること。