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「……教官……堂上教官……っ、」 ああ、もうすぐ目が覚めると自覚しつつある頃、聞き覚えのある泣き声が聞こえきた。 図体はデカくて、ガサツで短絡的で乱暴者くせに、お前はどうしてそう泣き虫なんだ。 そんな風に泣かれたら、俺が守ってやらなきゃならんと思っちまうだろう が。 ゆっくりと目を開けると、やはりそこには泣きじゃくる郁がいた。 酷い泣き顔を気付かないぐらい動揺しているということなのだろう、そっと頭を撫でてやると郁は驚いたように顔を上げた。 「堂上教官っ!?目が覚めたんですね!!…………よかったぁ」 ほろほろとまた泣き出した郁を抱きしめようと堂上は身体を起こそうとした。 微かにだが全身に打撲のような痛みを感じ、 「笠原。一体、何が起こったんだ?」 思い出そうとしても、何が起こったのか全く思い出せない。 すると郁はばつが悪そうな顔をし、 「ええと、あの……何度呼んでも教官、聞いてくれないから、あたし追いかけようとして……それで、ちょっと弾みがつきすぎたみたいで……」 いつもの紋切り口調からは想像もできない歯切れの悪さで、堂上は訝しげに郁を見つめた。 すると郁は一度言葉を詰まらせた後、 「階段を下りようとした時に踏み外して、そのまま教官に……」 そこまで説明されて、堂上は呆れたように溜息をついた。 ようするに、飛び込んできた郁の重みをかわすことも受け止める余裕もないままに堂上は郁と階段を転げ落ち、案の定、下敷きになったというこ とか。 ふと見渡せば、ここは救護室であるから郁と共に運び込まれたのだろう。 なんたる失態。 皆が笑う顔が目に浮かび、無意識に堂上の表情は険しくなった。 流石の郁も自分のしてしまったことの重大さに気づいているのだろう、先ほどから一言も喋ろうとしなかった。 「お前は怪我をしてないんだな?」 「えっ、はい、無傷です」 「だったら気にしなくていい。元々の原因は俺にある」 己の運の無さを示されたようで面白くないが、郁が無事ならばそれで良かった。 だが郁は違っていたらしく、 「教官のせいじゃありません!あの時だって、あたしが勝手に勘違いして……!」 身を乗り出してきた郁に、思わず堂上は身を引いてしまった。 しかし郁の表情は真剣で、このまま有耶無耶には出来そうにない。 「い、嫌とかじゃなかったんですっ!本当にあたし……!!」 そんな郁の態度に堂上は負けた。 どんなに逃げたところで、この一本気な娘は無かったことになどしてくれるような性格の持ち主ではなかった。 白黒はっきりさせたがるということは自分が傷付く可能性だってあるというのに、それでも郁はそれを望む。 それぐらい長い付き合いで分かっていたつもりなのに、まず逃げてしまう自分に堂上は自嘲するしかない。 「分かった。お前の言葉を信じるから、少し落ち着け」 優しく肩を叩いてやると、郁は安心したように小さく息を吐いた。 そのまま肩に手を置き、郁の頭を胸元に当たるように抱きしめる。 「でも俺も性急すぎた。怖かっただろう?悪かった」 それもまた間違ってはいないはずだ。 そう思う堂上に、郁は思わず顔を上げ、 「ち、違うんです!あの日は勝負下着を付けてこなかったから……!!」 「…………勝負下着?」 郁には不釣合いな言葉に、堂上は思わず反芻してしまった。 郁の表情はみるみる変化し、すぐに口を滑らせたことは分かってしまった。 堂上はそれでも意味を図りかね、無言のまま郁の返事を待っていると、 「だ、だから、そーゆーことをする時は、そーゆー下着じゃないと駄目だって柴崎に言われてて……それで、あの晩、あたし、教官がそーゆーことをしたいのかなと早とちりしちゃって……」 ずるずると芋ずる式に白状する郁を前に、堂上は冷静でいられる自信が持てなくなってきた。 まさか、そんな風に郁が考えていたとは。 正直、あの時の堂上には、その先など考えもしていなかった。 そう言われてしまうと本当に切羽詰っていたのは自分の方だったのではないかと思えてくる。 顔が真っ赤になっていくのを自覚してしまい、堂上は見られたくないとばかりに返事もせずに、そっぽを向いてしまった。 「……教官?」 「分かった。だから、もういい」 その話には触れないでくれ。 それ以上、触れられたら、そんなことで悩んでいた郁を想像して本気で可愛いと思ってしまう。 それでなくとも、こんな風に傍にいるのは久しぶりで、もっと触れたいという気持ちが騒ぎ出しているというのに。 それを気付かれたくないとばかりに強引に郁を抱きしめると、まだ言い足りなそうではあったが、結局は抱きしめられることを選んだようだ。 良かった。 このまま有耶無耶にしてしまおう。 ──そんなことを考えていたバチなのか、堂上はぐいとシャツと掴まれる感覚に気付いた。 反射的に見下ろしてしまうと、腕の中で郁が不満そうにこちらを見ていた。 いきなり視線が合うとは思ってもいなかった堂上は動揺を隠せなかった。 「だったらここでやり直しませんか?その先だって教官がその気なら……あたし、する覚悟はありますから」 反復するように郁の言葉を堂上は心の中で呟いた。 やり直す?何をだ。何を。何を覚悟してるってんだ──、 「バ、バカなことを軽々しく言うなっ!ここを何処だと思っとるんだっ!!」 郁の言いたいことを理解は出来たものの、到底受け入れられるような話ではない。 動揺する堂上を尻目に何故か郁は冷静で、 「でも定時はとっくに過ぎちゃってるし、寮の門限にも間に合わないし、今夜はここに泊まるつもりでいました」 時計を見ればもうすぐ日付が変わろうとしていた。 寮はどうしたのだと訊くと小牧が上手く取り成してくれたと教えてくれた。 気心の知れた友人が楽しそうに笑っている姿を思い出し、堂上は面白くなさそうに顔を顰めたが、それでも有能な小牧のことだ、そちらの心配は無用だろう。 それに郁の様子を見る限り何を言われても堂上の目が覚めるまで付き添うつもりでいたに違いない。 どうせ只の脳震盪だったろうに──自分も心配性だが、郁も似たようなものではないか。 堂上は呆れたように溜息をつくと、 「…………やっぱり堂上教官はあたしとはしたくないんですか?」 その溜息を郁はそう捉えたようだ。 見るからにしょんぼりと様子に、思っていることが手に取るように分かってしまった。 どうせまた胸が小さいとか腹筋が割れているとか女らしくないとか──そんなことを気にしているのだろう。 堂上から見れば、普段の言動があまりに漢らしく相殺以上に割を食っているだけで郁は十分に女の子だった。 髪からはシャンプーのほのかな香りが鼻をくすぐるし、日に焼けた肌は健康的で触れると驚くほど柔らかい。 そして手を握られるだけで緊張しているのが分かってしまうぐらい初々しい反応は女の子以外の何者でもないだろうに。 「そうじゃない。ただ、こんな風に流されて関係を結びたくないだけだ」 「別に流されてはいないと思うんですけど……ちゃんと覚悟はしてきましたし……」 どうやら郁にとっての覚悟とは勝負下着を付けてきたということらしく、胸元に手を当てる郁の姿は妙に微笑ましい。 思わず緩みかかった堂上の自制心を郁は簡単に真っ二つにした。 「それに……あたし、今夜は教官から離れたくないみたいなんです」 きっと頭の打ち所が悪かったのだと堂上は思った。 そうでなければ、こんな風に簡単に流されてしまうなんて、あるはずがない。 なんて頭の悪い言い訳だと自覚しつつも、そうでもしなければ自我を保つ自信すらなくなってしまいそうだった。 膝の上に跨ぐように座らせ、やんわりと唇を奪うと郁は苦しそうに息を漏らした。 その僅かな吐息すらも勿体ないとばかりに堂上は更に深く口付けを求める。 狭い口内を舌で突付き、歯列をなぞる。 ぶるりと震えた郁の身体をしっかりと抱きかかえ下唇を甘噛みし、もう一度口付けを交わすと、今度は舌を吸い上げた。 その一つ一つに初々しく反応する様は堂上の情欲を煽る。 首筋をなぞるように舌を這わせつつ、シャツのボタンを外すと、反射的になのか郁の手が胸元を隠した。 「あ、あの……教官、笑わないって約束、忘れないで下さいね」 そこまで恥かしがることではないだろうに。 ちらりと見えたキャミソールは白地に草花が施されていて確かに女性の下着という感じはするが、堂上には郁がそこまで気にする必要などないように見えた。 とはいえ、この場では郁を安心させることが先決で、堂上が力強く頷くと、郁もゆっくりと両手をシーツの上に置いた。 郁のシャツも追うようにシーツに落とされると、そこには月明かりに照られた下着姿の郁が見えた。 「よく似合ってる」 そう告げると、郁は安心したように安堵の息を漏らした。 実際、本当に困ったぐらいにその下着は郁に似合っていた。 しかも自分の為に着てきてくれたのだから、嬉しくないはずがない。 ──参った、こんな姿を見せ付けられて、最後まで冷静でいられる自信が持てなくなってきた。 「…………堂上教官?」 手が止まってしまったことを心配しているのか、郁の表情は不安の色が見て取れて、堂上は違うと首を横に振った。 「お前があんまりもにも女の子だから、少し驚いただけだ」 「お、おんなのこって……!」 堂上の挑発に簡単にひっかかった郁は反射的に噛み付くように口を開いたものの、肝心の言葉が出ないようで、口をパクパクさせるのが精一杯のようだ。 この様子ならば緊張も幾らかは収まっただろう、詫びるように頬に唇を落とすと郁は一瞬驚いたものの、おずおずと手を伸ばし、堂上のシャツの裾を掴んだ。 仲直りということらしい──堂上は小さく笑いつつ、郁の短かな髪をかき分け、うなじに軽く歯を立てて吸い付いた。 郁は喉を振るわせるように息を漏らしたが拒むようなことはせず、耐えるように堂上の行為を受け入れてるようだった。 キャミソールの上から乳房というには物足りない大きさの胸に手の平を置いてみる。 撫でるように触れていると、郁はくすぐったそうに身を捩じらせた。 「脱がすぞ? いいんだな?」 今更何を確かめているのか。 今ならば戻れるなどと、そんな甘い考えを抱いてしまっているからなのだろうか。 そんな堂上の気持ちとは裏腹に、郁は小さく頷き、堂上の動きを手助けした。 キャミソールを脱がし、ブラジャーも外させる。 反射的に隠そうとする郁の手を掴み、堂上はそのささやかな胸の蕾に吸いついた。 舌でころころと転がしてやると、少しずつ硬さが帯びてくるのがはっきりと分かる。 掴んだ郁の手は自分の肩を置くように教え、空いた手の平で胸を鷲掴みにした。 「あっ、やっ……教官……っ」 初めて知る快楽に郁はふるふると頭を横に振っていたが、身体は驚くほど正直に反応している。 ほんのり上気した肌に、まるで自分の所有物だといわんばかりに赤い跡をつけてしまう自分は、これほど独占欲が強かっただろうか。 それとも相手が郁だからか──偶然出会い、その凛とした背中が未だ忘れられなかった特別な相手だからなのか。 想いの強さなら堂上とて負けはしない。 この手で守り、この手で育み、共に歩みたいと願う気持ちは他の誰よりも強いつもりだ。 「笠原、」 戸惑う郁に口付けてやりながら、堂上の手はするすると郁の下腹部に移動する。 括れた腰のラインを滑り落ち、もどかしそうにパンツスーツのパンツとショーツを腿のあたりまで下ろした。 確かめるようにゆっくりと足の付け根に手を入れると、そこはうっすらとだが湿っていた。 ぴたりと閉ざされた割れ目を中指で何度も擦ってやると、徐々にだが湿り気が増してきたような気がする。 初めてにしては感度が良すぎる郁は目をぎゅっと瞑り堪えているようだった。 安心させるようにと啄む口付けをしてやると、郁もまた自分からそれを求めてきた。 たどたどしい口付けを交わしつつ、堂上は愛液に濡れた指先で厚くなった花びらを開かせるように指を這わせてみた。 郁が驚き反射的に身体を退かせる前に畳み掛けるように堂上は無骨な指を割れ目に差し込んだ。 まずは入り口付近をくすぐるように触ると、想像していた通り異性を知らない郁の中はかなり狭く、指が一本でもきついぐらいだった。 それでも慣らすように時間をかけて内部を解すように指を動かす。 指を二本にしても大丈夫になった頃になると、空いていた手を使い、同時に恥毛に隠れる小さな突起を探し当て、同時に刺激し始めた。 「やっ、堂上教官──っ」 鈍い痛みと同時に、鋭い刺激が交じり、郁は慌てるように身体を強張らせた。 視線は戸惑いを強く滲ませているものだというのに、何処か甘みも注していて、それが酷く艶めいて見えた。 強引に内部を刺激するよりは最も敏感な部分を刺激した方が郁も素直に感じることができるはずだ。 愛液で濡らした指先でくすぐるように突起を撫で、郁が十分に感じてることを確認してから、そっと包皮を剥き、新芽を指の腹で摘んでやった。 効果は覿面だったようで、郁は髪を振り乱し、戦慄いた。 腰から手を回している堂上に支えてもらわなければ、立っていることもできない。 それでも堂上は止めようとはせず、更に手の動きを早めた。 少しずつであるが、郁の弱い場所が分かり始めてきた。 「あっ、あっ、あーーーっ!!」 抑えきれない甘い声を上げ、郁は身体を大きく震わせた。 がくがくとまるで人形のように揺れ、堂上の肩に顔を押し付け、荒々しいままに息を吐いている。 愛液でびしょ濡れになった指を引き抜き、堂上は郁の汗ばんだ背中を落ち着かせるように規則的に優しく叩いてやった。 初めてにしては上出来だろう。 そしてベットの上に乱雑に投げ出されていたシャツを郁に羽織らせてやった。 「堂上教官……?」 「今日はこれで終わりだ」 「終わりって……。でも、まだ、」 「このままする訳にはいかん」 それぐらいの良心は堂上にだって残っている。 無責任な行いで傷付くのは郁の方なのだから。 すると郁は思い出したようにパンツのポケットからハンカチを取り出し、 その中から何かを堂上に差し出した。 差し出された堂上はぎょっとした顔で郁を見つめたが、相手はあっけらかんとしていて、堂上はますます混乱した。 それはどう見てもコンドームだった。 一体どうしてそんなものを郁が持っているのか──普通は持っていないものではないのか。 それとも郁のぐらいの歳ならば持つのは常識なのだろうか。 いや、そんな馬鹿な話があるか。 迷いに迷った挙句、堂上は恐る恐る訊くと、 「柴崎が一つぐらいは持っておきなさいって、くれたんです」 してやったりと微笑む柴崎の表情を思い浮かべ、堂上は頭を抱えたくなった。 これでは筒抜けもいいところだ。 恐るべし柴崎。 可愛い顔をして、性格は小悪魔そのものだ。 興味津々といった様子の郁を前に、堂上の顔は一向に晴れそうになかった 。 このまま柴崎の思惑に乗るのも癪ではあるが、離れる気もない郁を前にここからどう拒めばいいのか。 誰か妙案があったら教えて欲しい。 大金はたいてでも買ってやるから。 「…………続き、したいのか?」 一瞬、郁は言葉に詰まったものの、小さく頷いた。 その仕種が可愛いと思ってしまう自分はかなり毒されているに違いない。 その毒がやっかいなぐらいに心地良いものだから始末が悪い。 そもそも、そんなことを改めて訊いている時点で既に遅いのだ。 態のいい言い訳を探している自分を認め、堂上は郁の背中に腕を回し、ベットに仰向けにさせた。 訳の分からない郁に考える余裕を与える前に、膝あたりまで下ろされていたパンツとショーツを脱がし、身体で足を開かせた。 ぐっと内腿を開かせると、流石に何をされるのか分かったのか郁は恥かしいとばかりに両手で顔を覆った。 その初々しい反応に気を良くするように、堂上は既に張り詰めた自身に避妊具を付け、解れつつある秘部に宛がった。 だが郁は触れられるだけでも怖いのか、身動き一つしようとしない。 まるで固まってしまったような郁に堂上はどうしたものかと、その頭を撫でてやった。 「すまん……痛くしないとは言えんのだ」 「わ、分かってます……あたしが丈夫なのは教官も知ってるじゃありませんか」 「ああ、そのくせ泣き虫なのもよく知ってる」 真っ赤になった耳たぶを甘噛みすると、郁はそれだけで感じてしまうのか、小さく声を漏らしてしまった。 思わず反応してしまった自分に更に赤面する郁の姿は世辞抜きに愛らしく、自身をいっそう滾らせる。 ゴム越しにぬるりとした愛液を擦り付けるように腰を動かしていると、それだけでも十分に気持ちが良かった。 痛みを伴う行為に及ぶよりも、このままで果ててしまった方が郁にとっては良いのではないかとそう思い始めた頃、 「……もう平気です……教官だから大丈夫ですから……」 郁は顔を隠していた手を堂上の背中まで伸ばすと、そこでぎゅっとシャツを握り締めた。 縋られるような、それでいて頼られているのだと分かる郁の態度に、心身がそれだけで満たされるような感覚を覚えた。 ああ、こんなにも自分はこいつに心奪われているのか──今更ながらそれを実感する。 そして同時にただ欲しいと思った。 湧き上がってくる純粋な欲求を僅かな理性で押さえつけ、堂上は自身をゆっくりと秘口に捻じ込んだ。 「やっ、あ、あぁっ──!」 頭では分かっていたのだろうが、実際はそれ以上のものだったのだろう。 郁は思わず悲鳴に似た声を上げ、それを必死に堪えるように唇を噛み締めていた。 郁の内部は堂上を向い入れるどころが排除するように侵入者を締め付けてきて、動くのも間々ならない有様だった。 安心させるように頭を撫でてやったり耳たぶや頬にキスをしてみたが、郁 は分かってると言うように、うんうんと頷くので精一杯のようだ。 やはり早すぎたか──ちらりとそんなことも脳裏を掠めたが、今更やめられるはずもない。 堂上はすまんと一言だけ詫びると、一気に郁を貫いた。 「やっ、あっ、はぁっ……どうして、こんなに熱……っ」 うわ言のように呟く郁に堂上は塞ぐように深い口付けをする。 唾液と唾液が交じり合うほど激しいキスをすると、郁はそれに応えたいの か、堂上の行為を真似をするかのように舌を絡ませてくる。 息苦しさから唇を離すと同時に郁の甘い吐息も漏れた。 惚れた相手が全身を赤く染め、潤んだ瞳で一心に見上げて冷静でいられる男などいるなどこの世にいるのだろうか。 ちりちりとした荒々しい熱情のようなものに背中を押されるように、堂上は動き始めた。 こちらを取り込んでしまうかのような圧迫感に自然と息が漏れる。 もう一度、繋がった感覚を確かめたくて、勢いよく腰を引き、もう一度捻じ込むように腰を押し付ける。 狭い内部を満たすように溢れる愛液が僅かな隙間から零れ落ちると、そこにはうっすらと朱色が交じっていた。 それは郁が誰も受け入れていなかった証であり、初めての相手に堂上を受け入れた証でもある。 無性に愛しさが募った。 奥深い場所で円を描くように襞に先端を押し当てると、郁は堂上の腕の中で身体を大きくしならせた。 その表情は痛みから歪んでいたが、繋がっている場所は馴染むようにねっとりと堂上を締め上げている。 その動きに思わず堂上は息を飲んだ。 うっかりすると、このまま簡単に果ててしまいそうだ。 郁のことを考えれば早く終わらせてやりたいのだが、少しでも繋がっていたのも堂上の本音で、何度も味わうように腰を打ちつけていると、徐々にその速さを抑えきれなくなってきた。 今にも吐き出したいという欲望そのままに、絡みつく襞に押し当てるように溜まっていた精を吐き出した。 開放感と共に言葉に出来ない満足感に満たされ、堂上は苗字ではなく郁の名を呼んだ。 「郁……」 もう一度、搾り出すような声でその名を呼ぶと、郁は嬉しそうに堂上を抱きしめた。 強い日の光に郁は目が覚めた。 そして見慣れぬ天上に、思わず跳ね起きる。 「……いたたた」 変な寝相でもしたせいなのか、腰が痛い。 どうしてと思った瞬間、昨晩のことを思い出した。 あ、あれっ、堂上教官はっ!? よく見れば郁が寝ていたベットは昨日堂上が寝てところの隣で、その堂上の姿は見当たらない。 シャツは着ており、毛布もかけられていた。 きっとこれは堂上がしてくれたのだろう。 ご丁寧に下着の類までベットの隅に整理されているのを見つけ、確かに柴崎の言うとおり肌色のスポーツブラとショーツでは興醒めしていたかもしれないと思った。 「って、そんなことよりも教官は──」 郁がベットから降りようとしたのと同時に救護室のドアが開いた。 「起きたのか?」 相手は堂上で、郁は状況が理解できずにきょとんと見上げてしまった。 すると堂上は困ったように視線を逸らし、 「……身体は平気か?立てるか?」 「はい、大丈夫です。立てます。……ちょっと足の間に何か挟まってるみたいで気持ち悪いんですけど」 郁としては正直に答えただけなのだが、堂上はそっぽを向くと口を手の平で覆ってしまった。 よくよく見ると、顔が赤いような……。 「堂上教官?」 「うるさいっ!いつまでそんな格好でいるつもりなんだ、早く服を着ろっ!!」 「えっ? ──や、やだっ!教官のエッチ!!」 「誰のせいだ、誰の!」 売り言葉に買い言葉で郁も無意識に噛み付いてしまったが、それどころではない。 今の自分は裸にシャツ一枚という姿だったのを堂上に指摘されるまで全く気付かなかった。 気まずそうに堂上が後ろを向いてくれたので、郁は急いで下着を付け、シワになってしまった制服に袖を通した。 着替えたのはいいのだが、今度は話すタイミングが見つからない。 とりあえず当たり障りのないところからと、 「そういえば教官、何処に行ってたんですか?」 「洗濯だ」 何を?とご丁寧に訊くと、堂上の表情はみるみるうちに強張った。 うわっ、これは落雷の一歩手前──反射的に目を瞑ってしまった郁だが、どんなに待っても雷は落ちてはこなかった。 逆に深々と溜息をつかれ、 「流石に汚れたシーツをそのままにはできんだろうが」 一瞬意味が分からなかったが、郁もようやく気付くと、しどろもどろになりつつも頷いた。 「す、すみせんっ。……血って落ち難くくありませんでしたか……?」 「別の布を下に敷いてオキシドールで濡らした布で上から叩けば、大抵のもんは落ちる」 「へぇ……そうなんだぁ……」 今度やってみようかなと純粋に感心していると、堂上は眉を顰め、 「あのな、お前……」 しかし続けようとした言葉を飲み込んでしまった。 珍しいとそんな堂上を郁は楽しげに見上げた。 その視線に気付いたのか、 「何がそんなに嬉しいんだ、お前は」 「だって嬉しいに決まってるじゃありませんか。あたしもこれで一人前の女なのかなーって、あ痛っ!もう、いきなり殴らないで下さいって、いつも言ってるじゃありませんかっ!!」 「何が一人前だ。柴崎に唆されただけだろうが」 「いいじゃないですか、昔から「終わり良ければすべて良し」って言うし」 「全然よくないわっ!」 結局、また拳骨を食らった郁だったが、終始堂上が不機嫌だった理由はすぐに分かった。 出勤時間なると、小牧には 「昨日は大変だったねえ」 などと開口一番に言われ、玄田には「仲直りしたのか」とからかわれ、柴崎にはすぐに感づかれた。 手塚だけは周囲のからかいの声にも全く理解できないのか首を傾げているのが唯一の救いか。 でも、これは誰が見ても針のむしろだわ……。 悪いことしたなぁと今更ながら思い至り、今夜にでも柴崎にまた相談してみようかなと本気で考え始めていた。 それが更に堂上の不機嫌さを増すことになるなど、郁が気付くはずもなかった。
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1スレ目:37-39 17-19 の続き。 放課後の個人授業が1ヶ月になった頃、笠原の様子がおかしくなった。 業務後書庫で待っているくせに、引き寄せようとすると顔を背け、嫌々をする。 理由を聞いても答えないし、嫌なのかと聞いても首を振る。無理に顔を上げさせる と目を潤ませるから無理やり奪う。逃げ腰な舌を捕らえ、絡め、追い詰める。 空いている指で耳を攻め、首を撫ぜ、髪に指を差し入れる。 授業の成果は笠原だけに生まれたものではなくて、この一ヶ月で、堂上は笠原が 後頭部を撫ぜられることに極端に弱いことを知った。 笠原が「教えてください」と言って始まったこの授業は、まるで部活動かなにかの ようだった今までの方が異常で。 ────だから、むしろ、今の方が興奮する。 不毛な関係に、さらに堂上の胃が痛んだ。 「久しぶりに外に呑みに行かない?友人として相談に乗るよー」 週に数度、業務後小牧か堂上どちらかの部屋に集まっては何杯か引っ掛けることが 日課となっていたが、最近は「調子が悪い」と遠慮気味だった。それに、今日は昨 晩の夢見が悪かった所為で一日中気分が悪く早く引きこもりたい気持ちでいっぱい だ。 しかし、おもむろに使われた「相談」という言葉が気になった。 「なんかさ、最近調子悪そうじゃない?」 そんなつもりはなかったのだが、付き合いの長いこの友人には分かるほどには考え 込むことが多かったらしい。 「なんかおかしかったか」 「やー、なんとなく。最近付き合いも悪いしさ。それに、」 笠原さんとなんかあった? 相変わらず、目敏い友人である。 素面では語れないから駆けつけ三杯ならぬ熱燗三合を空け、すきっ腹に染み渡り、 ああこれは酔うな、あまりよくない酒になるな、と他人事のように感じた。 「なんだ、酔ってないと話せないこと?」 軽口も無視して本題に入る。もう限界なのかもしれない。 「キスの練習台にされてる」 「誰が?誰の?」 「俺が、王子様のキスの練習台にされてると言ってるんだ」 誰とは言わなかったものの、王子様という単語で合点が言っただろう。 馬鹿げていると分かっているが、これを言わないと話がすすまないからとりあえず 言ってみる。さて友人はどんな反応を返すのか。また、横隔膜が痙攣するまで笑う のか。 「笠原が言ったんだ、王子様に会いにいくから練習台になってくれ、と。何でキス なのかは俺にはわからんがな」 「…あっきれた。それ、素直に受けたわけ」 こちらの予想を裏切り、小牧は少しも笑わず、心底あきれた顔をしてため息をついた。 こちらはその正論に詰まる。 「しょうがないだろう! 俺は上官だし、」 今となっては何でそんなことを引き受けたか分からないから言い返す先が続かない。 「どう考えても全然筋が通ってないんだけど。普通キスなんて教えないし。 っていうか、分かった。一回断って、その後俺の名前とか引き合いに出されて逆上 したんでしょ、あんた」 付き合いの長さは伊達ではない。そこまで読むかお前は。 がっくりと項垂れる堂上に小牧は優しい追い討ちを掛けた。 「あのね、二人とも意地っ張りなんだからどっちかが折れないとどうにもならないよ? どっちかが折れるっていうなら、堂上が折れてやんなよ。大人なんだから」 「あとさ、普段だったら堂上が一番分かってると思うんだけど、なんか視野狭窄み たいだから言っとく。彼女 好きじゃない人にキス許せる子じゃないと思うんだけど、 違う?」 もし俺の名前出したとしたらさ、それって売り言葉に買い言葉みたいなもんだと思う んだよね。それに…、と続けた言葉は途中で消えたが、改めて問うことはしなかった。 正論好きのこの友人は、言うべき時には言うだろう。 正直一々もっともな友人の言が突き刺さる。しかしいつでも正論が吐けるこの友人 には本当に世話になった。そして今も。 ───よーく考えてみなよ、堂上教官。 酔った頭で考えれば考えるほど、昨夜の夢を思い出す。夢の中で肢体を投げ出す笠原の 身体を頭から追い払うように首を振り、堂上は杯を重ねた。 了
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1スレ目 584-590その1 夢の中で、君は いつもは熟睡をかまして朝まで目覚めることのない郁だったが、その日はなぜかふと夜中に目が覚めてしまった。 寝ぼけていた視界がはっきりするにつれ、見慣れない天井が郁の目に映し出される。 ここはドコだ?と考える間もなく、答えは導き出される。 ――ああ、そうか。 寮じゃないんだ。 その日は、堂上と付き合うようになってから迎えた、何度目かの夜だった。 身体を重ねる際の緊張は薄くなってはいるものの、最近はコトの後に一気に眠気が襲ってくる。 その状態の意味を理解できる身体になったのも、つい最近のことだ。 ああ、あたし、どんどん開発されてるなぁ、と乙女の発想としてはいささか似合わあい感想が頭を過ぎり、次の瞬間に恥ずかしさから頭をブンブンと振る。 その弾みで、隣で眠る堂上の顔が郁の目に飛び込んできた。 う、うわ――――! きょ、教官っ!その寝顔は犯罪です! 郁にしてみれば、声に出さなかっただけでも表彰モノだ。 堂上の寝顔は、この数年間郁が見てきた堂上の顔の中でも、メガトン級の破壊力を持っていた。 たまに見せる笑顔や優しい表情も捨て難いが、この寝顔に勝る顔はないのではなかろうかと思えるくらい、郁には魅力的に映った。 な、なんてか、か、か、可愛い。 こんな寝顔を見られて、ああ、あたし世界一の幸せモンかもしれない……。 30を目前にした男を評するのに「可愛い」はあまり褒められた文言ではないかもしれないが、大袈裟ではなく、本当に心からそう思った。 しかし、その刹那に思い当たる。 ―――あ、あ、あ、あたしは? 当たり前のことだが、自分の寝顔を見たことのある人間など居ない。 だから、自分がどんな顔で寝ているかなんて知らない。 知らないからこそ不安になる。 あ、あたし、マヌケな顔で寝てないよね? いびきとか、かいてないよね? あまつさえ、ヨダレなんか垂らして歯軋りなんてしてないよねぇぇぇー? 考えれば考えるほど、それら全部を寝ているうちにしているような気がして、郁は大声で叫びたい衝動に駆られた。 もし、堂上が今日の郁のように夜中にふと目が覚めて、横で寝ている郁の寝顔を見たりしたら。 そして、それが前述のような寝姿だったりしたら……。 ひゃ、百年の恋も醒めるっちゅーのっ! 自分の知らない顔を愛しい人に見せるワケにはいかない。 郁はその夜、朝を迎えるまで眠ることが出来なかった。 「そんなクマ作るまで、寝かせてもらえなかったわけ?」 翌日帰寮した時に言われた同居人の冷やかしは、半分当たっていて半分外れている。 寝かせてもらえなかったのは、事実だ。 しかしそれは、自分の寝顔を堂上に見られては困るから自発的に眠らなかったのであって、柴崎が期待しているような理由ではなかった。 冷やかした内容が当たっているとすれば、バカ正直な郁は間髪入れずに真っ赤になって噛み付いてくるはずなのだが、そうしてこないところを見るとどうやらクマの正体は違うところにあるらしい。 「なんか凹んでなーい?なんかあったの?」 「……う、ん……」 こんなとき、決まって柴崎は郁が話し出すのを待つことにしている。 せっついて聞くことを憚っているわけではなく、単に郁の考えが纏まるのを待っているだけだ。 「……えと」 一度は開きかけた口が、再度閉じられる。 「……やっぱ、いい……」 いくら柴崎とはいえ、どんな顔して聞けばいいのだ。 自分の寝顔がどんな風なのか、などと。 寝不足がたたっている今なら、速攻で寝ることが出来る。 その寝顔を見ててくれないかなどと、どの口が言えるのだ。 相談することを諦めた郁は、デートの為に多少お洒落した格好のまま、ベッドに潜り込んでしまった。 悩んでいる割にはすぐに寝息を立て始めたところを見ると、本当に寝不足だったことが判る。 「まーた余計な悩み背負い込んできたようねー」 郁がその乙女モード全開が故に抱え込んだ悩みは、これまで枚挙に暇が無い。 しかもそれらは大抵、他人から見ればノロケにしか聴こえないような悩みだったりする。 今回も恐らくそんなところだろう。 しかし、郁から悩みの内容を聞かない限りは、相談に乗ってやることも出来ない。 「早く白状しないと、麻子さんも助言できませんよ」 眠る郁の顔を見ながら、柴崎は小さく呟いた。 「外泊届、今日も無駄になったみたいだね」 同僚の言葉は相変わらずからかい口調ではあるが、少しずつ哀れみが混じってきているのは気のせいだろうか。 「……まったく、何を考えているんだ、アイツは」 いつもならば堂上の部屋に小牧がお邪魔をするという図式なのだが、今晩は堂上が酒を片手に小牧の部屋に愚痴をこぼしに来ていた。 堂上が預かり知らぬ所で郁が悩みを抱えた日から、3ヶ月は経とうとしている。 その間、デートはしているのだが、外泊は一切なかった。 今日はダメな日なんです。 体調が思わしくなくて。 外泊届け、出してきてないんです、柴崎に頼むのもちょっと恥ずかしいっていうか。 いろんな言い訳をされては、はぐらかされてきた。 最初のうちは仕方ないと思ってはいたし、ノリ気じゃない郁を抱くことも憚った。 だから、我慢してきた。 だが、それが3ヶ月ともなろうものなら、堂上としてもいい加減イラつくのも尤もな話だ。 「また何かやらかしたかな、俺」 小さな溜息とともに吐き出される弱音は、堂上が滅多に見せないものだ。 郁がどうして堂上を遠ざけているのかは分からないが、コイツにこんな表情をさせるのはきっと郁だけなんだろう、と小牧は密かに思った。 「笠原さんみたいな恋愛初心者には、いろんなハードルがあるんだろうね」 フォローのつもりで言ったが、小牧の言葉に堂上はうな垂れてこう呟く。 「おかしな要求などしていないはずなんだがな」 実際、郁に対して何か特別なことを望んだわけではないが、もうこうなってはその理由を郁の口から聞くことも難しいだろう。 「デートはしてるわけだから、堂上のことを嫌っているわけじゃあないんだよね」 「そう思いたいが」 苦く笑いながらビールの缶を呷って一気に飲み干し、そのアルミ缶を片手で握り潰す。 その缶はまるで、堂上の胸が潰れていることを代弁しているように見えた。 今日もお泊り断っちゃったな。 寮のベッドに潜り込んで、郁は少なからず反省してみる。 断りの言葉を言ったあとの堂上の落胆した表情は、今は一番見たくないものになっていた。 あの堂上の顔を見るくらいなら、仕事でドジ踏んでこってり叱られるほうが何十倍も楽だ。 でも、教官、ダメなんです。 あたし、まだ断るしかないんです―――。 あれから、自分なりに何か方法は無いものかとインターネットを駆使したり、休憩中に図書館の本をレファレンスしてみたりしたが、「寝顔を可愛くする方法」などという情報は得られなかった。 ―――やっぱり無理なのかな……。 なかなか答えの見つからない問題に頭を捻らせているうち、ふと柴崎のことが気になった。 隣のベッドで寝ている柴崎は、果たしてどんな寝顔なんだろか。 郁は音を立てないように気遣いながら、柴崎のベッドに近づいていきそっと覗いてみてみる。 ――て、天使が居るよ……! 柴崎の寝顔は、堂上に勝るとも劣らないものだった。 堂上の寝顔が「可愛い」と評されるなら、柴崎のそれはまさに「美しい」の一言だ。 「ちょっと!し、柴崎っ!」 郁は反射的に寝ている柴崎を、その大きな声でたたき起こしてしまっていた。 ここに最強の手本が居ると思ったら、居ても立っても居られなかったのだ。 その数週間後、寝ようと支度をしている郁の携帯にメールが着信した。 音だけで分かる、堂上からだ。 『明後日の公休、外に出る。外泊届は忘れずに出しておくように。堂上』 明後日のデートは以前から約束していたものだったので今更驚きはしないが、外泊届を念を押されるとは思っても見なかった。 また断って、堂上のあの表情を見るのは苦痛だったが、こればかりは仕方が無かった。 頼みの綱の柴崎ですら、お手上げな悩みだったのだから。 あの日、眠る柴崎を叩き起こして悩みを打ち明けたものの、けんもほろろに突っぱねられた。 「寝顔を可愛くするぅ!?……アンタそんなこと悩んでたの?!……なんつーバカな悩み……」 「だって、堂上教官の寝顔、めちゃくちゃ可愛いかったんだよ!あたし、自分で言うのもなんだけど、絶対寝顔可愛くない自信あるし」 「そんなトコに自信持たなくてもいい!」 「とにかく、なんかいい方法ないの?」 「あるわけ無いでしょ!……ったく人がいい気分で寝てたのに……」 柴崎はこれ以上付き合っていられないと、再び布団に入ってしまった。 そして結局なんの策も得られないまま、デートの当日を迎えた。 当日の待ち合わせはいつもよりも遅い時間だった。 日が傾きかけるその時間に電車を乗り継ぐと、都心まで足を伸ばした。 堂上が郁の手をつないで歩を進めた先には、最近オープンしたばかりの6ッ星ホテルがあった。 迷うことなくロビーに足を踏み入れる堂上に、手をつながれたままの郁は付いて行くしかない。 え、ちょっと、それは。 うろたえる郁をロビーに残して、堂上はチェックインに向う。 どうしよう、こんなホテルに連れて来られるなんて予想してないし。 カードキーをジャケットにしまいながら戻ってくる堂上に、郁は断る為に口を開こうとした。 が、 「今日はお前のダメな日じゃない。体調も良さそうだ。外泊届はちゃんと出してきたろうな?まあ、出して無くても小牧に電話すれば済むことだ」 先制攻撃は堂上からだった。 いつも使用していた言い訳は通用しない。 「いや、あの」 それでも食い下がろうとする郁の手を、堂上が包んだ。 「先に飯にしよう。ここのイタリアンは絶品らしいぞ」 郁に口を挟ませる余裕を与えずに、堂上はレストランへと向った。
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1スレ目 226-230 酒は飲んでも、飲まれるな。 8月も、終わりに近づいた頃であった。 「一般人に夏休みがあるのに、俺に夏休みがないのはおかしい!」 夏休みがないのは俺らも同じです!という堂上の意見もあっけらかんと無視し、 玄田の宣言は図書特殊部隊の事務室に高らかに響いた。 「今日は飲むぞー!6時にミーティング室に集合っ!!」 その宣言に、堂上が額を押さえため息をついた。 ミーティング室、午後6時。 時間通りきっちりと集まっている図書特殊部隊は、さすがというべきか、律儀というべきか。 そして、図書特殊部隊でない柴崎が当たり前のように、その場にいるのもやはりというべきだろうか。 「酒盛り場がミーティング室っていうのも玄田隊長らしいですよね。」 隣を見れば、郁がチューハイををちびちび飲んでいた。 まだ半分も飲んでいないというのに、すでにうっすらと上気した頬は素直に愛らしい。 つい思ってしまったことに、思わず小さく舌打ちをすると堂上は、郁から目を逸らすように、すでに出来上がり、ドンチャン騒ぎが始まっている玄田たちのほうを見つめた。 「明日も通常業務があるんだから、あまりハメを外して飲みすぎるなよ。」 「あ、はい!…堂上教官は飲まないんですか?お酒。」 「…俺が飲んだら誰があの人を止めるんだ?」 あの人とは玄田を指しており、言わずとも玄田の今の状態でわかってしまうこの後の状況に、郁は堂上に対して同情を覚えた。 しかし、堂上篤の災難は玄田だけではなかった。 ドンチャン騒ぎも絶頂を迎えた頃。 「ぁ、玄田隊長ー。そこにあるお水取って下さい。」 すでにできあがった玄田は、隊長を使うんじゃねェー、年上をもっと敬えー、などの文句を言いながらも、 コップに水を注いで郁に渡す。 「ありがとうございます。」 玄田から受け取った水に口をつけた瞬間、堂上が止めるがすでに遅く、郁は3口ほど飲んだあとであった。 「ばかっ。お前それ日本酒・・・」 郁はストンッとコップを机の上に置いて下を向いたまま動かない。 「笠原?」 不審に思った堂上が、下から顔を覗く。 その距離まさに30cm弱。 「笠原」 もう一度名前を呼んだ瞬間、郁のドアップが堂上の顔の前にある。 何かが唇をかすめた。 「・・・・・・・・」 キスされたのだと理解できるまでに十数秒。 「なっ・・・・・・・・・・」 あまりの衝撃に言葉がでない堂上の隣で、絶叫が上がった。 何事かと思えば、郁が手塚に迫っている。 押しのけようと思えば、女である郁に手塚が負けるはずがないのだが、玄田にがっちりと押さえ込まれている手塚は、 必死の形相で、郁を引き剥がそうとしていた。 「やめろぉぉぉぉぉ!!ていうか、何してくれてんですかっ!玄田隊長!!!」 手塚の絶叫も知らんふりで、玄田は今の状況を楽しんでいる。 その横では、笑い上戸の小牧が腹を抱えて笑っている。 いかにも楽しそうだ。 そして、必死も戦闘をしている手塚と郁の横では、柴崎がカメラを構えていた。 「さーて、この写真はいくらで熟れるかしらねー。」 ウフフと笑いながらシャッターを切る柴崎は、恐ろしいとしか言いようがない。 当の本人は、手塚、チューーーー。などとわけのわからない発言をしている。 後、数10cm程のところで、いくの頭部に堂上の拳骨が落ちた。 そのまま意識を失った郁はパタリと崩れ落ちた。 「柴崎、カメラ。」 「はぁいっ」 柴崎からカメラを受け取った堂上は、気を失った郁をお姫様ダッコして立ち上がる。 「明日も普通に通常業務があるんだ。これで解散にしろ。いいですね、玄田隊長。」 堂上はそれだけ言うと、ミーティング室を後にした。 「あれじゃぁ、正真正銘の」 小牧の発言を柴崎が引き受ける。 「王子様ですよねぇ。」 近くでは、玄田がニヤついていたが、手塚には何がなんだかさっぱりであった。 さすがに女子寮に入るわけにはいかないので、とりあえず医務室のベッドに郁を寝かせる。 ベッドで眠る郁を見つめて、堂上は盛大にため息をついた。 「たく、こいつは・・・」 などと言いながら、郁の頭をなでる。 「・・・俺はお前を他の誰にもやる気はねぇんだよ」 堂上は、郁の額にキスを落とすとそのまま医務室から出て行った。 ───ちょっと、今のセリフ何!?どうゆうことっ!!? ―――し、し、しかも、デデデデコチューーーーーーーーーーーーー!!!? ―――ていうか、あたし何しでかしたのーーーーーーーーーーーーー!!!! 実は途中から意識のあった郁だが、起きるタイミングを見計らっていたらこの結果に辿り着いてしまったのであった。 「どどどどーしよーーー!!明日からどんな顔して堂上教官に会えばいいの!!?」 考えようとしても、気持ちがまとまらない上に気持ち悪い。 そして、頭痛が酷かった。 いくは考えるのを諦めて眠ることにした。 翌日、堂上宛に届いた手紙の最後の1文に堂上はがくりと肩を落とした。 そういえば、この間言い忘れていましたが、娘は大変酒に弱い子です。 1度チューハイ3杯でスゴイことに…。 上司の堂上さんにこのようなお願いをするのは、大変ご迷惑かもしれませんが、 あまり飲み過ぎないように注意していただけたら幸いです。 笠原 克宏 それは紛れもなく、郁の父からの手紙であった。 スゴイこととは、つまりキス魔かッ!!!!! 「そうゆうことは先に言ってくれ・・・」 克宏の忠告も空しく、全ては後の祭りであった。
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1スレ目 621-622 『お風呂にはいろう』 「もうこれはずしてもいいか?」 堂上は目隠しされたタオルを指さした。 白色に濁るお湯、湯気と共に漂う少し甘めの香り。 揺れるお湯と隣に感じる気配で郁がお湯に浸かったのを察して聞いてみた。 少し広めのお風呂でそういう客に好評だ、と隊の飲み会で小耳に挟んでいたところだ。 いつか郁と来てみたい、そう思っていたので念願叶ってうれしいのはいいのだが、この期に及んでガードの固いことだ。 「・・・ど、どうぞ」 タオルを外し隣をみると濁ったお湯に隠れて郁が恥ずかしそうに笑う、赤く見えるのはお湯につかっているから、だけではないだろう。 「びっくりしました、一緒にお風呂に入ろうなんて。」 そっぽをむきながら言う。耳までほんのり赤くなっているのをみると、こうぎゅうっとしたくなるほど可愛い。 俺も男なんだよ、普通に彼女といちゃつきたいって願望くらいあるぞ? 一緒に買い物したい、食事したい、映画にいきたい、遊びに行きたい。 キスしたい、抱きしめたい、触れたい、抱きたい。 お前はどうなんだ? お前は俺とこうなっていろいろしたいって思わなかったか? 自分が郁としたいことを考えるとそれこそ際限ない、何年もまったのだ、お風呂くらいもういいだろう? 内心の欲望を押し込め、恥じらってがちがちの郁の頭に用意しておいたとっておきを乗せてやる。 「な、なんですか?」 「ほら、これで少し機嫌直せ」 そこにあったのは黄色いアヒル、テレビでよく見かけた"アヒル隊長"だ。 「わぁ、かわいい!」 ぱぁぁっと、郁の表情が明るくなる。 かわいい!かわいい!とアヒルのおもちゃを浮かべたりつついたり頬につけたり、さっき恥ずかしそうにすねていたのはどこにいったのかというくらい嬉しそうな表情を見せた。 アヒルの口からお湯を飛ばし、横に堂上がいるのも忘れたように遊んでいる。 これは可愛い・・・郁が。 普段何かをみてはしゃいでいる郁ももちろん可愛い、だがいまここは風呂場だ、濁って見えないとはいえお湯の中は二人とも裸で、そして二人きりだ。 いつもなら二人でベッドにいようものならものすごく緊張してガチガチになっているのに、なんとも無防備で、こっちのほうが平然となんてしていられない気分になってしまう。 お前は本当、めちゃくちゃ可愛い。 今、抱きしめたらお前はどんな表情をみせてくれるんだ? そう、思ったその時だった。 郁の手を滑ったアヒル隊長が堂上のほうに飛んできたのは。 「「あっ!」」 堂上がとっさに手をのばしたのと郁が体を堂上のほうへ傾けたのは同時だった、ふにゃりとした控え目だが柔らかな感触。 「ぎゃっ」 らしいといえばらしい悲鳴をあげてあわてて郁が胸を腕でガードし背を向ける、アヒルに夢中で接近していたことに気がつかなかったのだろうか、あわてて背を向けたその位置もまだ近かった。 こつん・・・背に当たる固い感触。 「え・・・・・」 郁がいけないのだ、そんな真赤になって恥じらうから。 そんな潤んだ瞳で誘うから。 「郁」 熱っぽい吐息のような声で名を呼び、そのまま胸に抱きこむように抱きしめた。 散々可愛いものを見せつけられてもう抑えが利かない。 「教官!ここお風呂ですよ!」 慌てたように抗議の声を上げる郁だが、押しのけようとする腕はびくともしない。 宥めるようにか、そっと背中を滑る唇の感触に肌が粟立ち嬌声のような悲鳴が漏れだした。 「ひゃっ教官だめですってば」 「だめか?」 いいつつも堂上の手も唇も動きを止めない、郁はお湯にのぼせているのか堂上にのぼせているのかもうわからなくなっていた。 あっというまに掌が郁の顔を捉え、そのまま唇が降ってくる。 ちゅっちゅっと音を立て堂上が郁の唇を貪り、腕は郁をきつく抱き締めた。 縋りつくように腕を回して体を預ける郁が愛しい、 ささやかな膨らみにそっと手を伸ばしたり、ゆるりと足の内側をなでたりするたびに、悩ましい表情と声を零すことにいつも以上に興奮する。 明るい風呂場で響く嬌声、いつもよりはっきりと見える融けた表情の郁。 「あぁっ教官、だめですぅ」 差し込んだ指がお湯ではないぬるりとした感触を得たとき、何かの糸が切れた気がした。 余裕もなく、中を指の腹でこすりあげ反応を貪る。 こらえ切れない声があふれだし、涙を浮かべて堂上に何かを訴えているかのようだ。 でも、止まらない。もっと郁の泣き顔が見たい。 酷く嗜虐的な思考に考えが染まりそうになったときに、かこーんと音がして、ハッとその正体を見つめる。 「・・・アヒル隊長」 二人はさっきまでの空気を忘れてしまったかのように吹き出した。 「もう、教官のえっち」 「そういうな、お前が可愛いから悪い」 目を向いて固まる郁に苦笑いを浮かべる。 「続きは風呂からあがってからな」 耳朶に口をつけるような位置で囁くと郁は真っ赤になった。 「は、はい・・・でもあの・・・見ないでくださぃ恥ずかしいですー」 まだタオルで目隠しは必要なようだ、これがいったいいつになったらとれるのやら。 しかし、このまましてしまわなくてよかった、こんな所じゃ避妊具も取りに行けないしと我に帰ってから安堵した堂上であった。 Fin
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1スレ目 388-391その1 何故かその晩の恋人はすこぶる機嫌が悪かった。 その晩は特殊部隊の宴会で、かこつけた理由は先日昇進した隊員を祝うためだという。 郁からすればその理由も単に賑やかな席で酒が飲みたいからではないかとも思うのだが── 何かにつけて宴会したがる隊長とそのノリに付いていく先輩達を見ていると、そうとしか思えない。 とはいえ郁も賑やかな席は嫌いではないし、大半の参加者が食事よりも酒のウエイトが高く、好きなものを存分に食べることが出来るので、それなりに楽しみだったりもする。 惜しむならば、酒を飲み交わす堂上や小牧、手塚達を見ていると自分も飲めればよかったのにと思うこともあるぐらいだろうか。 あの輪に参加できない自分だけ除け者にされたような気がしてしまうからだ。 だから本来部外者である柴崎が参加してくれるのはありがたかった。 先輩達は柴崎の参加を諸手をあげて歓迎するし、郁も一人にならくてすむのだから一石二鳥だ。 ただ唯一問題があるとすれば柴崎は飲み過ぎるとキス魔になってしまうことだろう。 しかし絡む相手は酔っていても選んでいるようなので、それほど心配はしていないのだが、何故か柴崎が郁にキスをしようとすると周囲がどよめく。 キスといっても軽く唇が触れるぐらいものであるし、郁としては大したことではないと思うのだが──、 初めて付き合うことになった五歳年上の恋人は違ったようだ。 「教官、何怒ってるんですかー!?」 酒に弱い郁は一次会でリタイヤするのが常で、以前は直属の上官として、今は恋人として、堂上と基地へ帰る。 いつもは二人きりになれる僅かな時間だからと手をつないでポケットに入れてくれるというのに、柴崎が宴会に参加した晩はそうしてくれる気配すらないことに今晩気づいた。 ふてるようにスタスタと先を歩く堂上に郁はついていくのが精一杯だ。 それでも一人にはしないので、それなりに気遣ってくれてはいるのだが、呼びかけても会話らしい会話にならず郁には訳が分からない。 一体、堂上は何に怒っているというのか、全く分からない。 こちらを拒絶するような背中を見ていると、その背中が不意に歪んだ。 泣いているのだと気づいたのはそれから少ししてからで、泣いているのだと自覚すると途端に悲しさでいっぱいになった。 追いすがるように動かしていた足も気が付けば止まっていた。 堂上の背中がどんどん遠くなる。 もう手を伸ばしてもその背中には届かない、その心には永遠に届かないのかもしれない。 ひっく、としゃくり上げると、堂上は振り返るとぎょっとし、駆け足で近寄ってきた。 「こんなところで泣く奴がいるか、アホウ!」 「だって教官、呼んでもろくに返事もしてくれないし、あたしついていくのがやっとだし、それってあたしのこと嫌いになったってことじゃないんですか?」 すると堂上は酷くきまり悪そうにポケットからハンカチを差し出してくれた。 「──すまん。お前のせいじゃない」 「だったらどうして怒ってるんですか?」 堂上は言葉に詰まったように視線を反らした。 あたしに言えないことなのか、と違う意味でショックを受けると、堂上は違うと声を荒げた。 「違うんだ……ただ、その……今度から酒の席に柴崎は呼ぶな」 「どうしてですか?隊長や先輩達は喜んでるじゃないですか」 どうして堂上の機嫌が悪いことと柴崎が関係しているのか、郁にはさっぱり分からない。 首を傾げる郁に堂上は苛立ち半分諦め半分という表情をし、 「……お前が他の奴とキスしてるところを見せられて、俺が喜ぶとでも思うのか?」 「だって相手は柴崎ですよ?」 「柴崎でもだ」 そもそも郁の中では同性とのキスはノーカンだ。 学生時代から何故か異性よりも同性、しかも後輩から慕われることが多く、キスだって女同士のスキンシップの一つぐらいしか考えていなかった。 しかし堂上から見れば柴崎の郁へのキスは意図的であることはすぐに分かった。 あれは郁を盗られたことへの嫌がらせに違いないのだ。 郁にキスした後、彼女は決まって嬉しそうに堂上を見るのだから。 柴崎がどれほど郁を思っているのかは知らない。 だが他の同期との接し方が違うということは、彼女の中で郁の存在が特別あるということにはならないだろうか。 同性であるからこその友情と、決して異性のような繋がりを持たないことへの嫉妬──こちらを見る柴崎の視線を感じていると、そう思わずにはいられない。 こんな風に指摘されても郁は全く分からないというように首を傾げることも、柴崎は知っているのだろう、きっと。 「それに俺だと未だにガチガチに緊張するのに、柴崎相手だと平気なのが分からん」 「あっ、当たり前じゃないですか!」 さも当然のように反論する郁に堂上は途端に仏頂面になった。 身体を重ねるようになっても未だに自分からキス一つすることも出来ない郁の初心さが可愛いことも事実だが、自分以外の相手に平気な顔をしてキスされているとこを見てしまうと、やはり恋人としては面白くないのも本音だ。 「だって、お、男の人とキスするのは教官が初めてなんですからっ!そ、それに、す、好きな人とするのも……初めてだし……」 泣き顔だった郁の顔はいつの間にか熟れたトマトのように真っ赤になっていた。 結局最後はまともに喋れなくなり口籠ってしまった郁は拗ねるように堂上を見た。 郁からすれば睨んでいるつもりなのかもしれないが、堂上からすれば逆効果だ。 「え、あ、あの、教官、待って──」 「いやだ」 三十路過ぎた男が吐く台詞じゃないなと内心ぼやきつつ、戸惑う郁の唇を塞いだ。 ぐっと舌を強引に押しこんで逃げ惑う舌を絡め取り、吸い上げると、郁は苦しそうに眉を潜めた。 いつもならばこの程度で止めてやれるが、あんな破滅的に可愛い台詞を言われて、この程度のキスで収まりがつくはずがなかった。 狭い口内を蹂躙するように舐めあげて、貪りつくようなキスをこれでもかと味わった。 既にその頃になると郁の身体はがくんと力が抜けてしまい、ずるずると地面に座り込んでしまっていた。 ここが路上でなければ、そのまま仰向けに寝転がせて、更に郁自身を味わうことが出来ただろうに。 ゆっくりと唇を離すと郁の息は上がっており、その瞳は先ほどとは違う涙で潤んでいた。 こんな郁の顔が見れるのは、この世で自分だけだ──それが堂上の苛立っていた気持ちを静めてくれる。 そして求めるように、その唇から名を呼んでくれるのは自分の名であり──それがどうしようもなく堂上の欲情を煽るのを、この手に疎い年下の恋人はまだ気づいていなかった。 「──郁、」 そう名を呼ぶと郁の顔は一層赤くなった。 鈍い郁でも堂上が何を求めているのかは気づいたらしい。 何も言い返さないのは郁にとって了承と同じ意味だ。 地べたに座り込む郁を立ち上がらせると、堂上は今来た道を引き返した。
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1スレ目 369,371-372 これってプロポーズ? 付き合い始めて1年と少しがたったある日の残業のことだった―― 「堂上教官。このファイルはここでいいですか?」 「ああ」 郁はファイル整理、堂上はデスクで書類を作成している。 その時郁の背中の後ろで、パソコンのキーボードを打つ手が止まった。 「郁」 「なんですか?」 付き合い始めてから堂上は笠原のことを“郁”と呼ぶ。 とても自然に。もちろん仕事中は“笠原”で通すし、失敗をすれば拳骨が飛ぶことも昔と変わらない(よく小牧はそれを笑いながらからかう)。 ただ仕事の時間が終わり、2人きりになると(ならなくても)呼び方は“郁”に変わる。 それを郁はどっかにスイッチがあるのかなーなどと少し不思議に思っているのだった。 「お前、俺のことを呼ぶ時、今でも堂上教官なんだな」 一瞬ギクッとした。 前々から 「俺はお前の教官じゃないし、せめて2人でいるときぐらい名前で呼んでくれないか」 と言われている。 「分かりました」 とは言うものの、結局次の日にはまたもや“堂上教官”になってしまうのだ。 でもその打診もここしばらく来ていなかった。 なのになんで今更。 「だ、だって堂上教官は堂上教官ですよ!他に何か呼び方がありますか?」 「お前、俺の下の名前を知らないわけじゃないだろう?」 「篤、ですよね」 「知っているならそう呼べ、アホウ」 振り返った勢いついでで言った言葉は、堂上の冷静なる言葉にそれは打ち砕かれてしまった。 「別に困ることってないじゃないですか。一応言われたとおりベッドの中じゃ教官とは呼びませんし」 「ア、アホかお前は!ここは図書館だぞ。口を慎め」 「すいません」 堂上の頬と耳が一気に赤くなった。 5歳上の男性に対して言うのは憚られるし絶対拳骨が飛んでくるから言えないが、可愛いなと思った。 「第一困ることだってあるだろう」 「例えば?」 振り返ってファイル整理を再開させた。 1番上の棚に堂上の手は届かない。 少し困らせてやろうといういたずら心から、堂上がよく使うファイルをそこに置こうと手を伸ばしたその時だった。 「いずれお前も堂上になるんだぞ。それでもお前は俺を堂上教官と呼ぶのか」 「あ、そうですよね。それは変ですよねー」 そういって笑ったのもつかの間。 「って、え?」 いずれお前も堂上になるんだぞ。 確かにその人はそう言った。 手からファイルが滑り落ちる。 「そ、それって…」 ぎこちなく後ろを振り返ると、横を向き、耳が赤くなっている堂上がいる。 「俺は同じことは2度言わん。後は自分で考えろ」 ともすると不機嫌ともとれるような態度である。 2人の間にかすかな気まずい雰囲気が流れる。 とにかく落ちたファイルを拾い上げた郁は、今の言葉をもう1度頭の中で繰り返した。 『いずれお前も堂上になるんだぞ。』 それはつまり、よく考えても、よく考えなくても、及ぶ先は結婚の言葉である。 つまりこれって…。 改めてそう考えると、またもや郁の胸の鼓動は激しく打たれる。 「帰る」 堂上はその言葉と同時に立ち上がり、足早に歩き始めた。 「あ、待ってください。あのー…返事は?」 「いらん!あれは事故だ。つい口が滑っただけだ。それに」 「それに?」 出て行き様にこう続けた。 「いわゆる給料の3か月分というのをまだ買ってない」 堂上が帰ってもしばらく郁はその場から動けなかった。 考えれば考えるほど頬が紅潮する。顔がにやける。 (ああいうことを恥ずかしげもなく言っちゃう辺り王子様だなー。篤さんは。) 頭の中でそう呟いてみるが、背筋がむずがゆくなる。 やっぱりしばらくは“堂上教官”から抜け出せそうにないなと思った郁であった。
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1スレ目 584-590 その2 『夢の中で、君は』 絶品と言われる食事もあまり喉を通らないまま終了し、部屋へと向う算段になった。 ここまで来てしまってはもう逃げることは許されない。今晩は寝られないけれど仕方ない、郁はそう腹を括った。 ドアを閉めると同時に後ろから抱きしめられた。首筋に堂上の唇が這うのが分かる。 耳朶を軽く噛まれ、郁は思わず小さく声をあげた。 くるんと身体を回転させられて堂上のほうを向かせられる。と、腰と首を引き寄せられて唇を合わせた。 そういえばキスも久しぶりだな、などと思っていたとき、舌が入り込んできた。 優しいけど激しい舌は、郁が応答することを望んでいるように絡めてくる。郁も慣れないながらも反応する。 「……んっ……ふっ」 声を堪えるようとすればするほど唇端から喘ぎに似た吐息が漏れ、絡めあう舌と混ざり合う唾液が淫靡な音を奏でてゆく。 反則とも思える舌使いをされた上に、堂上の右手は郁の胸を揉みしだき始めている。 郁の膝は限界を迎えてガクガクと震え始めた。 それに気付いた堂上は郁を膝から掬って抱き上げると、ベッドまで運んで下ろした。 顔の横に両手を付かれ、真剣な眼差しで見下ろされる。その様子に居た堪れなくなった郁が先に口を開いた。 「ふ、服が皺に」 「すぐ脱ぐから気にするな」 「シャ、シャワーは」 「必要ない」 言い放つと堂上が再び口付けてくる。さっきと同様に荒々しく唇を塞がれ、息をすることすら憚られるような舌で蹂躙される。 「……ぅんっ……くふっ……」 自分の吐息がまるで喘ぎ声のように響き渡る。いや、実際堂上の舌に感じ始めているのは紛れもない事実だ。 キスに飽きた唇が、今度は首にまわる。郁が感じる筋沿いを攻め立てるように、唇と舌が蠢く。 時折、耳を噛まれたり熱い息を吹き掛けられ、郁は気持ちよさから全身を震わせてしまう。 堂上の手は器用に郁の衣服を剥がして行き、あっという間に郁を下着姿に変えた。 「きょ、教官っ……灯り、灯り消してください……」 今はまだ明るい場所で全てを見られたことはなかった。何度も身体を重ねてはいるが、やはりまだ恥ずかしさが先立ってしまう。 郁にとっては、「その行為は暗い場所で」がいまだデフォルトだ。 しかし堂上はそれを聞こえなかったものとしたのか、ベッドサイドにある調光スイッチには目もくれない。 「……教官っ……暗くしてくださ………んんっ」 再度嘆願した声は、途中で封じられた。何度も口づけて郁の喉を殺しにかかる堂上の唇。 ひとしきり郁を味わったあと、いつものように真っ直ぐな視線で堂上が口を開く。 「……お前の頼みは聴かない」 「……でも、まだ恥ずかし」 「全部見せろ」 そのセリフと同時に、郁は上半身から全てを剥がされた。 ささやかな胸を捏ねるように揉まれ、その頂は口に含まれては舌で転がされていく。 明るい部屋で、全てを曝け出されていく恥ずかしさと言ったらなかった。 それでなくても女性としての魅力には程遠い体型の自分なのだ。それが分かっているからこそ、灯りを消してくれるように言ったのに。 なんの羞恥プレイですか、これ。 そんな冗談も脳裏を掠めたが、口に出せるような余裕は郁にはなかった。 執拗に胸を愛撫する堂上の舌と歯と指は、郁の身体の芯までを悦ばせる術を知っていた。乳首を軽く噛んでは甘く吸い上げる。その度に、郁は小さな嬌声をあげるのだ。 「やっ……んっ…きょ…かんっ…」 胸を揉む間にも腰をなぞることを忘れない堂上の手が、郁のショーツに伸びる。 郁のそこが既に濡れそぼっていることは十分承知していた。さっきから、郁が腰をもぞもぞと所在無げに揺り動かしていたから。実際指を這わせると、布の上からでも判るくらいだ。 「――あっ、だめ、きょうか――ー」 郁が咄嗟に止めようとする前に、堂上の指が下着の中へ入り込んだ。くちゅ、といやらしい音を立てて、そこは堂上を招き入れる。 「んんっ」 熱くて柔らかくて艶めかしいその中を指で玩ぶたびに、郁は悦びの声をあげる。 「ここだろ?」 郁の一番いい場所は、指が覚えている。そこを探し当てて指の腹で擦り上げると、 「―――ああっっ」 さっきより一際大きな声で啼く。その声が聞きたかった、と堂上は内心で呟いた。3ヶ月もお預け食らわせられたのだ、このくらいの意地悪は許されるはずだ。 もう片方の手でするりと郁のショーツを取り払うと、堂上は郁の秘部へと顔を寄せた。 そうされた側の郁はもうパニックだった。堂上がこれからしようとしている行為は、郁の限界を超える羞恥の絶頂だ。 必死で抵抗してみるものの、中に収まっている指の動きがそれを許してくれなかった。堂上がそこを擦り上げるたびに、郁の理性が削がれていくのだ。 「―――やあっ……み、見ないでくださ」 郁の声を無視して、愛液で淫靡に光るそこに舌を這わすと、苦くて甘い味が口中に広がる。 堂上は溢れ出る愛液を舌で掬うと、上にある小さな突起へと伸ばした。既に充血して膨らんだその突起を軽く吸うと、郁の身 体がビクンと跳ねる。 「――いや、――んんっ、ダメで……ああああんっ」 突起を吸うたびに、郁の中はキュッと指を締め付ける。適度な強さでその行為を繰り返してやると、郁の膝が戦慄くように震えだした。この予兆は。 堂上はさっきよりもやや強めに指で擦り、突起を吸い出した。 「あああっ―――教官っ、……だめぇっ―――」 ひときわ大きな声で啼くと、郁が一気に脱力したのが分かった。中はその逆に、指をキュンキュンと締めて来る。 蠢く中の余韻に浸っている間もなく指を抜き、堂上は自分の衣服を素早く脱ぎ捨てて、避妊具を自分に被せた。 ぐったりと呼吸を整えている郁に覆いかぶさると、まだ濡れている郁にあてがう。そうされた郁の方は驚いて抵抗を試みた。が、 「――ちょっ、待っ……教官、あたし、まだ」 言い終わらないうちに、勢い良く郁の中へと挿入していく。 「あああんっ」 絶頂の余韻はまだ残っていた。いつもよりキツめの中は、堂上をこれでもかと締め付けてくる。 3ヶ月ぶりの自分としては、どのくらい持たせられるか甚だ自信はなかったが、一度イカせている郁を再度登り詰めさせるのはそんなに困難じゃないだろうと予想は出来た。 いつも通りゆっくりとした動作から始める。さっきまでの激しい愛撫とは対極的な動きが、郁を焦れさせた。 自分から強請るように腰を押し付けてくる様子に、意地悪心がもたげだす。 「どうした?……腰が動いてるぞ」 言葉で攻めてみたことは無かったが、郁が締めて来たところを見るとこれも有効かもしれない。 「う、動いてなんてっ」 反論してみるものの、意思を失った腰が堂上の動きを求めていることは明らかだった。 「激しくしてほしいのか?」 「そ、そんなこと、無いですっ」 郁の反論は既に肯定だ。堂上は腰に力を溜めて郁の奥を一突きした。その途端、郁の身体が震えたのが伝わる。やはり、もう一度イキたがっていることは明白だ。 「もう一度、イクか?」 「やぁっ……堂上教官っ……意地悪っ……」 「意地悪はどっちだ?さんざん焦らされたのは、……俺のほうだと思ってたが?」 「―――そ、それは―――ああっ」 言い訳をしようとした矢先、再度奥を一思いに突かれ、郁の理性は吹っ飛んだ。 「教官っ―――イカせてくださっ―――もう、欲し……」 『欲しい』とは最後まで言えなかった。言葉の途中で、堂上の突き上げが激しくなったからだ。 熱い杭が打ち込まれるような感覚が、郁の身体を支配する。その感覚は堂上の動きが激しさを増す程に郁を虜にしていく。 結合した部分からは、粘着質な音と肌がぶつかる音が響く。いやらしく響く音は、耳を塞ぎたくなるほど恥ずかしいもののはずなのに、郁にはどうすることもできないのだ。その音が、郁が堂上を誰よりも求めている証拠なのだから。 貫かれる度に最奥にもたらされる鈍い痛みにも似た快感が、徐々に頂きへと導き出す。 「あっ――だめ、……きょう、かんっ……あ、たしっ―――」 郁の言葉を聞くやいなや、堂上の動きは更に早まった。そして一気に郁は登り詰める。 「だめっ……ああっ!………――――!!」 先ほどと同様に脱力すると、心地よい疲れが郁を襲ってきた。 だめだ、このままだと眠ってしまう。 この期に及んで寝顔を見られる恥辱と闘おうとした矢先、堂上が一度抜いてから郁の体制をごろんとひっくり返した。 腰を持ち上げられて、立ち膝にさせられる。 ―――え? 声にならない疑問は、次の瞬間に答えになる。 あろうことか堂上は、絶頂を迎えたばかりの郁を後ろから再度貫いたのだ。 「やぁっ!教官っ!あたしっ――――」 「俺はまだだぞ」 「そ、んなっ…だって、無理っ………ああああんんっ!」 それでなくてももう既に2回も迎えている。これ以上は無理だというのに、堂上の動きは容赦がなかった。 「俺はイカせて貰えないのか?」 「だってっ――ああっ!―――これ以上はっ…あたしっ…うううんんっっ!」 ずぶずぶと出し入れされ、さっき打ち抜かれている場所とは違う場所を攻められる。またも襲ってくる、あの波。 ―――ああ、あたしまたイッちゃう――― 絶頂の余韻の最中に、また絶頂を迎えたのは初めてのことだった。 そして、アルコールの力を借りずに意識を失ったことも、初めてのこととなった。 「めちゃくちゃ可愛いんですってね、教官の寝顔」 業務中に話しかけられたと思ったら、柴崎が何かを含んだような表情で近づいてくる。 なんだそりゃ。誰が言ったんだ。 言おうとしたことが顔に出たのか、柴崎は訊く前に悪びれもせずに答える。 「笠原がそう言ってました」 コイツラが普段どんな話をしているのか、想像が出来ない。きっと、俺のような男はからかいの種になっているんだろうと思うと、面白くないのも当たり前だった。 「知るか。自分の寝顔なんて見たことないからな」 不機嫌そうに答えると、柴崎が待ってましたと言わんばかりに堂上の答えを受け取った。 「そう、それなんですよ」 「何がだ」 「今回の笠原の悩みです」 「はぁ?」 自分の寝顔が可愛くないと思い込んでいる、だから寝顔を見られるような環境を作りたくない、故に教官ともお泊りなどできない。これが郁の悩みの種明かしだったことを、柴崎から教えられた。 「大変だったんですよー。すっごくいい夢見てたのに叩き起こされて」 その所為で迷惑を蒙ったことを声高に言う柴崎をよそに、堂上は呆れるのを通り越して落胆している。 「アイツは……どこまでアホウなんだ」 「だから、言ってやってくださいね、あの子の寝顔がすっごく可愛いってこと」 「んなこと、とっくに知っている」 「でしょうねー。でも、毎日拝めるのは今のところ私だけですからね」 「なんだそりゃ」 「同室の特権」 堂上をからかうことに成功したことに満足が行ったのか、見事にウインクを決めたかと思うと柴崎は足早に駆けて行く。その途中でこちらを振り返り、 「今度ご馳走してくださいねー」 と恩を着せることも忘れなかった。 失神してしまった郁に布団をかけてやりながら、堂上は今回の騒動を思い返していた。 寝顔のことを気にするなんてコイツらしいといえばそれまでなのだが、その所為で我慢させられていたのかと思うと、意地悪してやりたくなるのは許容範囲だろう。 流石に失神させてしまったのは悪かったと思うが、帰りたくないと思わせるくらいに疲れさせてやろうと思ったことは否定しない。 郁の寝顔は、無防備でその分とても無邪気だった。 時々眠りながら微笑んでいるときがある。そんな時、自分が夢に出ていればいい、と思う。 「そうだ」 ふと、ひとりごちてズボンのポケットから機種変更したばかりの携帯電話を取り出した。 カメラモードに切り替えて、眠る郁を画面に収めた。 柴崎め。これで俺も毎日拝めるぞ。 初めて郁を被写体にして撮った写真同様に、郁の寝顔は深いフォルダに格納されることとなった。 もちろん、幸せそうに眠っている郁は、まさか堂上が自分の寝顔を撮ったなどとは、夢にも思ってはいない。 了
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1スレ目 584-590 その1 『夢の中で、君は』(別冊I半ば辺りの設定) いつもは熟睡をかまして朝まで目覚めることのない郁だったが、その日はなぜかふと夜中に目が覚めてしまった。 寝ぼけていた視界がはっきりするにつれ、見慣れない天井が郁の目に映し出される。 ここはドコだ?と考える間もなく、答えは導き出される。 ――ああ、そうか。寮じゃないんだ。 その日は、堂上と付き合うようになってから迎えた、何度目かの夜だった。身体を重ねる際の緊張は薄くなってはいるものの、最近はコトの後に一気に眠気が襲ってくる。 その状態の意味を理解できる身体になったのも、つい最近のことだ。 ああ、あたし、どんどん開発されてるなぁ、と乙女の発想としてはいささか似合わない感想が頭を過ぎり、次の瞬間に恥ずかしさから頭をブンブンと振る。 その弾みで、隣で眠る堂上の顔が郁の目に飛び込んできた。 う、うわ――――! きょ、教官っ!その寝顔は犯罪です! 郁にしてみれば、声に出さなかっただけでも表彰モノだ。 堂上の寝顔は、この数年間郁が見てきた堂上の顔の中でも、メガトン級の破壊力を持っていた。 たまに見せる笑顔や優しい表情も捨て難いが、この寝顔に勝る顔はないのではなかろうかと思えるくらい、郁には魅力的に映った。 な、なんてか、か、か、可愛い。こんな寝顔を見られて、ああ、あたし世界一の幸せモンかもしれない……。 30を目前にした男を評するのに「可愛い」はあまり褒められた文言ではないかもしれないが、大袈裟ではなく、本当に心からそう思った。しかし、その刹那に思い当たる。 ―――あ、あ、あ、あたしは? 当たり前のことだが、自分の寝顔を見たことのある人間など居ない。だから、自分がどんな顔で寝ているかなんて知らない。 知らないからこそ不安になる。 あ、あたし、マヌケな顔で寝てないよね?いびきとか、かいてないよね?あまつさえ、ヨダレなんか垂らして歯軋りなんてしてないよねぇぇぇー? 考えれば考えるほど、それら全部を寝ているうちにしているような気がして、郁は大声で叫びたい衝動に駆られた。 もし、堂上が今日の郁のように夜中にふと目が覚めて、横で寝ている郁の寝顔を見たりしたら。そして、それが前述のような寝姿だったりしたら……。 ひゃ、百年の恋も醒めるっちゅーのっ! 自分の知らない顔を愛しい人に見せるワケにはいかない。 郁はその夜、朝を迎えるまで眠ることが出来なかった。 「そんなクマ作るまで、寝かせてもらえなかったわけ?」 翌日帰寮した時に言われた同居人の冷やかしは、半分当たっていて半分外れている。 寝かせてもらえなかったのは、事実だ。しかしそれは、自分の寝顔を堂上に見られては困るから自発的に眠らなかったのであって、柴崎が期待しているような理由ではなかった。 冷やかした内容が当たっているとすれば、バカ正直な郁は間髪入れずに真っ赤になって噛み付いてくるはずなのだが、そうしてこないところを見るとどうやらクマの正体は違うところにあるらしい。 「なんか凹んでなーい?なんかあったの?」 「……う、ん……」 こんなとき、決まって柴崎は郁が話し出すのを待つことにしている。 せっついて聞くことを憚っているわけではなく、単に郁の考えが纏まるのを待っているだけだ。 「……えと」 一度は開きかけた口が、再度閉じられる。 「……やっぱ、いい……」 いくら柴崎とはいえ、どんな顔して聞けばいいのだ。自分の寝顔がどんな風なのか、などと。 寝不足がたたっている今なら、速攻で寝ることが出来る。その寝顔を見ててくれないかなどと、どの口が言えるのだ。 相談することを諦めた郁は、デートの為に多少お洒落した格好のまま、ベッドに潜り込んでしまった。 悩んでいる割にはすぐに寝息を立て始めたところを見ると、本当に寝不足だったことが判る。 「まーた余計な悩み背負い込んできたようねー」 郁がその乙女モード全開が故に抱え込んだ悩みは、これまで枚挙に暇が無い。しかもそれらは大抵、他人から見ればノロケにしか聴こえないような悩みだったりする。 今回も恐らくそんなところだろう。しかし、郁から悩みの内容を聞かない限りは、相談に乗ってやることも出来ない。 「早く白状しないと、麻子さんも助言できませんよ」 眠る郁の顔を見ながら、柴崎は小さく呟いた。 「外泊届、今日も無駄になったみたいだね」 同僚の言葉は相変わらずからかい口調ではあるが、少しずつ哀れみが混じってきているのは気のせいだろうか。 「……まったく、何を考えているんだ、アイツは」 いつもならば堂上の部屋に小牧がお邪魔をするという図式なのだが、今晩は堂上が酒を片手に小牧の部屋に愚痴をこぼしに来ていた。 堂上が預かり知らぬ所で郁が悩みを抱えた日から、3ヶ月は経とうとしている。その間、デートはしているのだが、外泊は一切なかった。 今日はダメな日なんです。 体調が思わしくなくて。 外泊届け、出してきてないんです、柴崎に頼むのもちょっと恥ずかしいっていうか。 いろんな言い訳をされては、はぐらかされてきた。 最初のうちは仕方ないと思ってはいたし、ノリ気じゃない郁を抱くことも憚った。だから、我慢してきた。 だが、それが3ヶ月ともなろうものなら、堂上としてもいい加減イラつくのも尤もな話だ。 「また何かやらかしたかな、俺」 小さな溜息とともに吐き出される弱音は、堂上が滅多に見せないものだ。 郁がどうして堂上を遠ざけているのかは分からないが、コイツにこんな表情をさせるのはきっと郁だけなんだろう、と小牧は密かに思った。 「笠原さんみたいな恋愛初心者には、いろんなハードルがあるんだろうね」 フォローのつもりで言ったが、小牧の言葉に堂上はうな垂れてこう呟く。 「おかしな要求などしていないはずなんだがな」 実際、郁に対して何か特別なことを望んだわけではないが、もうこうなってはその理由を郁の口から聞くことも難しいだろう。 「デートはしてるわけだから、堂上のことを嫌っているわけじゃあないんだよね」 「そう思いたいが」 苦く笑いながらビールの缶を呷って一気に飲み干し、そのアルミ缶を片手で握り潰す。 その缶はまるで、堂上の胸が潰れていることを代弁しているように見えた。 今日もお泊り断っちゃったな。 寮のベッドに潜り込んで、郁は少なからず反省してみる。 断りの言葉を言ったあとの堂上の落胆した表情は、今は一番見たくないものになっていた。 あの堂上の顔を見るくらいなら、仕事でドジ踏んでこってり叱られるほうが何十倍も楽だ。 でも、教官、ダメなんです。あたし、まだ断るしかないんです―――。 あれから、自分なりに何か方法は無いものかとインターネットを駆使したり、休憩中に図書館の本をレファレンスしてみたりしたが、「寝顔を可愛くする方法」などという情報は得られなかった。 ―――やっぱり無理なのかな……。 なかなか答えの見つからない問題に頭を捻らせているうち、ふと柴崎のことが気になった。隣のベッドで寝ている柴崎は、果たしてどんな寝顔なんだろか。 郁は音を立てないように気遣いながら、柴崎のベッドに近づいていきそっと覗いてみてみる。 ――て、天使が居るよ……! 柴崎の寝顔は、堂上に勝るとも劣らないものだった。 堂上の寝顔が「可愛い」と評されるなら、柴崎のそれはまさに「美しい」の一言だ。 「ちょっと!し、柴崎っ!」 郁は反射的に寝ている柴崎を、その大きな声でたたき起こしてしまっていた。 ここに最強の手本が居ると思ったら、居ても立っても居られなかったのだ。 その数週間後、寝ようと支度をしている郁の携帯にメールが着信した。音だけで分かる、堂上からだ。 『明後日の公休、外に出る。外泊届は忘れずに出しておくように。 堂上』 明後日のデートは以前から約束していたものだったので今更驚きはしないが、外泊届を念を押されるとは思っても見なかった。 また断って、堂上のあの表情を見るのは苦痛だったが、こればかりは仕方が無かった。 頼みの綱の柴崎ですら、お手上げな悩みだったのだから。 あの日、眠る柴崎を叩き起こして悩みを打ち明けたものの、けんもほろろに突っぱねられた。 「寝顔を可愛くするぅ!?……アンタそんなこと悩んでたの?!……なんつーバカな悩み……」 「だって、堂上教官の寝顔、めちゃくちゃ可愛いかったんだよ!あたし、自分で言うのもなんだけど、絶対寝顔可愛くない自信あるし」 「そんなトコに自信持たなくてもいい!」 「とにかく、なんかいい方法ないの?」 「あるわけ無いでしょ!……ったく人がいい気分で寝てたのに……」 柴崎はこれ以上付き合っていられないと、再び布団に入ってしまった。 そして結局なんの策も得られないまま、デートの当日を迎えた。 当日の待ち合わせはいつもよりも遅い時間だった。 日が傾きかけるその時間に電車を乗り継ぐと、都心まで足を伸ばした。堂上が郁の手をつないで歩を進めた先には、最近オープンしたばかりの6ッ星ホテルがあった。 迷うことなくロビーに足を踏み入れる堂上に、手をつながれたままの郁は付いて行くしかない。 え、ちょっと、それは。 うろたえる郁をロビーに残して、堂上はチェックインに向う。 どうしよう、こんなホテルに連れて来られるなんて予想してないし。 カードキーをジャケットにしまいながら戻ってくる堂上に、郁は断る為に口を開こうとした。が、 「今日はお前のダメな日じゃない。体調も良さそうだ。外泊届はちゃんと出してきたろうな?まあ、出して無くても小牧に電話すれば済むことだ」 先制攻撃は堂上からだった。いつも使用していた言い訳は通用しない。 「いや、あの」 それでも食い下がろうとする郁の手を、堂上が包んだ。 「先に飯にしよう。ここのイタリアンは絶品らしいぞ」 郁に口を挟ませる余裕を与えずに、堂上はレストランへと向った。
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1スレ目 270 「兄は畜生なんです」 「……実のお兄さんに畜生は言いすぎじゃない?」 「サディストといっていいと思います。そんな兄が笠原と二人っきりになったら──俺、どうやって笠原に謝れば」 ~略~ 「ところで何もされなかったな?」 「……は?ああ、はい。食事していただけです」 「なら、いい」 堂上がどんな想像をしたかは…