約 4,796 件
https://w.atwiki.jp/saikyoumousou5/pages/3115.html
【名前】邪魔だゴッ太郎 【属性】啓蒙漫画 【大きさ】成人男性並み 【攻撃力】成牛を殴って怯ませることができる。少なくとも成人男性並み以上 【防御力】成牛の突進を受けても立ち上がれる。 【素早さ】成人男性並み 【長所】邪魔だ! 【短所】やめろよ卑怯者!! ◆考察記録--------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------- 192◆rrvPPkQ0sA 2019/07/08(月) 21 08 57.33ID WzT5V3hj 邪魔だゴッ太郎 考察 成牛を殴って怯ませることができる。少なくとも成人男性並み以上 https //www.youtube.com/watch?v=F7DV_lSQsbM feature=youtu.be こちらの映像をみていただきたい。自由を奪った状態で成牛をひるませるパンチがどれほどの威力を誇るかわかることだろう。 成牛の突進を受けても立ち上がれる。 成牛の体重を700kg、速度を20km/hとする。ほぼ軽自動車と同じ。ちなみに時速20km程度の交通事故の死亡率は1%程度らしい。 【素早さ】成人男性並み せっかくノーモーション牛殴りおじさんというあだ名があるから書けばよかったのに。 総じて……成人男性と同列では?
https://w.atwiki.jp/thlabyroth2/pages/193.html
21F 神の束縛を破る鎖の間 20Fへ/22Fへ クリア直後から入れるがその段階では光の柱しか存在しない。 それ以外のエリアはB4で布都を倒したあと探索可能になる。 雑魚との戦闘は可能だが、布都撃破前はエンカウント率200%化ボタンが機能しない(マップがプラス仕様で無いためと思われる)。 即死無効はいないので幽々子+文で即死祭りが有効。 ただしエンカウント率200%化が使えない点や即死の安定性の問題があり、こちらがある程度育ってないと20F深部に時間効率で劣る。 モンスター 名前 Lv HP EXP 金 属性 備考 炎 冷 風 然 魔 霊 冥 物 螺旋の風見鶏 199 214000 15800 4120 - - ★ × - - - × 大樹の巨大蜂 203 106000 15088 2922 △ × × - - - - - 珊瑚珠 204 245488 14310 3288 ★ ★ - △ - - △ - 高防御 聖毛玉 206 327700 22532 4388 - - ◎ - × ★ × - 金剛樹の種子 206 64000 19955 5400 △ - - ◎ △ ★ × ◎ 高防御 高精神 天空の牙霊 208 247770 22049 5000 ◯ - ◯ - × ★ × ◯ カラクリ独楽 209 172000 17909 5000 - ◎ ★ × × - ◯ ◯ 敏捷4393で先制可能 天凱の龍宮魚 210 468440 23000 6330 ◯ - ◎ - △ ★ × △ 聖樹の祈祷師 216 296560 18766 9122 △ - - ◎ ◎ ★ × △ 高精神 天使の大輪 218 667850 24398 4088 △ - - ★ - ◎ △ △ 高HP 飲み込む天の大穴 250 551750 66966 16777 - - ◯ - × ★ × - マップ 強烈なネタバレ情報なので、マップを見たい方だけクリックしてください 表示 21F概要 イベント 表示 座標 内容 備考 出現条件 M-10 中継点 第二十一階層 P-10 階段 20Fへ U-10 階段 22Fへ B-13上 非ノイマン型計算機の未来 「非ノイマン型計算機の未来」第12巻入手 B-13下 岩 漆黒のカケラを16個集めれば解放 J-12 こいし N-10左 光の柱1 1~4全てに触れるとラスボスが権限・天叢雲剣になる N-10右 岩 大覚醒の宝石があれば解放 N-11 光の柱2 O-7 光の玉 特定の場所で飛べるようになる O-10上 岩 欲望を喰らう悪魔の撃破で解放 O-10下 岩 すごい鉱石の守護者の撃破で解放 O-11上 岩 第二の太陽の撃破で解放 O-11下 岩 偉大なる「C」の撃破で解放 P-10 光の柱3 P-11 光の柱4 宝箱 21F宝箱 メイン 名前 備考 座標 勇気と幸運の剣 鍵付き宝箱 E-4 フォースブースター J-7 サブ 名前 備考 座標 ランサー・COGアサルトライフル C-6 太陽銃・ムゲンバッテリー(ムゲンバッテリー) 鍵付き宝箱 E-4 D値1/4因子 G-14 亜光速移動着床プログラム G-19 無法者のバンダナ G-20 デストロイ・デコンポーザー(執行機・完全破壊形態) H-10 貝のカセキ H-17 スタミナの種 K-4 ヒラミレモン L-1 キング・アーサー×2 鍵付き宝箱 O-15 素材 名前 備考 座標 聖樹の白玉×3 G-5 パラケルスス・アゾット M-17 特殊 名前 備考 座標 活力の宝珠×2 A-14 修羅の宝珠 C-10 啓蒙の書・回避 鍵付き宝箱 E-4 啓蒙の書・命中 活力の玉 J-9 ゴリゴリ猛勉強さんセット M-21上 「鑑定士」の証 M-21下 その他 名前 備考 座標
https://w.atwiki.jp/pipopipo555jp/pages/1502.html
http //www.nikkei.co.jp/news/shakai/20081031AT1G3100U31102008.html 【日経】言論弾圧の「横浜事件」、再審開始を決定 第4次請求で横浜地裁 戦時中の大規模な言論弾圧事件として知られる「横浜事件」で、治安維持法違反の罪で有罪判決を受けた元改造社編集部員、故小野康人さんの遺族が起こした第4次再審請求について、横浜地裁(大島隆明裁判長)は31日、再審開始を決定した。同地裁は決定理由で、「拷問を受け虚偽の自白をした」とする小野さんの口述書などを「無罪を言い渡すべき新たな明確な証拠」と認定した。 元被告の小野さんは同法違反罪で懲役2年、執行猶予3年の有罪判決を受け、確定している。 弁護人らは、有罪判決が前提としている「(日本共産)党再建準備会」の存在や、雑誌「改造」に掲載された政治評論家の細川嘉六氏の「世界史の動向と日本」と題する論文が「共産主義的啓蒙(けいもう)論文である」とする認定事実に、合理的な疑いを生じさせる新たな証拠を発見したなどと主張。2002年に再審を請求していた。(11 26) 沖縄戦ニュース
https://w.atwiki.jp/edh-commander/pages/97.html
摩耗/Wear (1)(赤) インスタント アーティファクト1つを対象とし、それを破壊する。 融合(あなたはこのカードの片方の半分または両方の半分をあなたの手札から唱えてもよい。) 損耗/Tear (白) インスタント エンチャント1つを対象とし、それを破壊する。 融合(あなたはこのカードの片方の半分または両方の半分をあなたの手札から唱えてもよい。) 引用元 Wisdom Guild 評価 粉砕(Shatter)と啓蒙(Demystify)が一緒になった分割カード。融合まで付いて大変お得。 統率者戦では凶悪なアーティファクトやエンチャントに溢れており、それらへの対策は重視される傾向にある。その中でも特に強力で人気が高い対策カードの1つがこの摩耗+損耗である。 アーティファクトとエンチャントの両方に対応できる柔軟性と、融合しても僅か3マナという軽さ、そしてインスタントという取り回しの良さから赤白を含むデッキでは非常に高い採用率を誇っている。 類似カード 古えの遺恨(Ancient Grudge) - 色や性質は違うものの、摩耗+損耗と同じく1対2交換が取れるアーティファクト対策のインスタント。 外殻貫通(Hull Breach) - 色は違うもののこちらもアーティファクトとエンチャントに同時対応可能な呪文。
https://w.atwiki.jp/hypermarke/pages/11.html
ハイパーマーケティングホールディングス株式会社は、健全な情報社会の発展に情報サービス業者の一員として貢献する役目を果たすと同時に、個人情報の事業活動に伴って入手したものの保護に関しては、細かく注意して、十分に個人情報の大切さを認識し、顧客と社会の信頼に対応してきました。ハイパーマーケティングホールディングス株式会社は、個人情報を今後も適切に管理するため、次にご紹介するように個人情報保護についての方針を定めて、個人情報を保護するために、社員、役員および全員の関係スタッフに周知徹底しています。 個人情報を収集する際は、収集目的をはっきりし、目的外には使用しません。集めた個人情報は、適正な管理をします。情報提供者の了解がある場合以外は、開示を第三者へしません。個人情報についての不正アクセス・漏えい・改ざん・滅失・紛失等について予防措置を行う体制を社内で確立し、問題が万一発生した際は、是正対策を速やかに行います。個人情報についての法令、社会的に認められているガイドライン、およびこれ以外の規範を守ります。全社に個人情報保護を遵守させると同時に、マネジメント・システム・プログラムを作って、必要な啓蒙、教育、監査を行います。個人情報についての相談および苦情への対応に努力します。
https://w.atwiki.jp/welhistorica/pages/6.html
このページはウィキペディア日本語版の史学史 2006年9月14日 (木) 05 13 版を元にKanbunが改訂しています。 史学史(二) マビヨン 文書批判の客観的な方法を確立し、古文書学の祖となった 「史学史(二)」では、古文書学の成立から近代歴史学の展開までを対象とする。それ以前は「史学史(一)」を参照。それ以降は「史学史(三)」を参照。 史学史(しがくし)とは歴史学?の研究史。具体的には歴史?事実研究に関する歴史意識と学説の歴史、また歴史観?の変遷に関する歴史のことである。 歴史的展開古文書学の成立ロレンツォ・ヴァラ ジャン・マビヨン 近代歴史学の成立ニーブール ランケ 近代歴史学の展開プロイセン学派 イギリスとフランス 「歴史の法則性」を巡って 「文化史」という視点 唯物論的歴史学 出典 使用条件など 歴史的展開 近代歴史学との関連性から、ここでは主に西ヨーロッパの歴史記述と記述方法論を中心に概観する。 「史学史(一)」から続く 古文書学の成立 一方で歴史記述とは別個に、史料の批判的研究が着実な発展を遂げていた。それはいわゆる「古文書学?」で、ベネディクト派の学僧マビヨン?によって確立された。ただし古文書の真偽についてはマビヨン以前にすでに先行する研究があり、ここではその代表としてヴァラ?を紹介する[1]。 [1]マビヨンに先行する組織的文献研究としては、17世紀のボランドゥス?を中心としたボランディスト?の古文書研究などがあげられる。(文献18 pp.102-103) ロレンツォ・ヴァラ ヴァラ 文献学的な研究に基づいて、『コンスタンティヌス帝の寄進状』を偽書だと断じた ヴァラは15世紀の人文主義者で、『偽イシドールス法令集』[1]中の『コンスタンティヌス帝の寄進状』という文書が偽作であることを明らかにした。この文書は中世を通じて、教皇領および教皇権に関する重要な典拠とされてきたので、教会は彼を宗教裁判にかけた。このことはこの時代、文書批判が既存の宗教や権威、慣習の批判につながっていたことを示している。事実、宗教改革?の時代になると、文書批判は急速に発展したが、それには新旧両派が文書を武器として互いの正統性を争うという背景があった[2]。 [1] セヴィリアの司教イシドールス?の編とされる教皇法令集。9世紀に成立したとされている。 [2]一方でこの時代に文書批判が進んだもう一つの理由として、古文書がかなり広汎に流出したことが指摘されている。ヘンリ8世?によっておこなわれた修道院?解散やドイツ農民戦争?およびシュマルカルデン戦争?、ユグノー戦争?、フロンドの乱?などの戦乱の影響で各地の修道院や教会に蓄えられていた古文書がかなり市場に放出されたという。(文献18 p.104) ジャン・マビヨン 17世紀フランスのベネディクト派?の一派サン・モール派に属する学僧であったマビヨンは、教団史や聖者伝などの編纂にあたるとともに、古文書の収集や刊行をおこなっていた。彼は1681年に『古文書論』[1]を著し、さまざまな文書を分類し定義づけた上で、インクや書体などを考察した。さらに言語がラテン語?やギリシャ語?などの古典語で書かれているか、それがどの程度まで古典的かなどの度合いで、その文書の時代性を明らかにできると述べた[2]。このことにより、さまざまな文書相互間の関係から客観的に文書の真偽を識別できる方法が確立され、古文書学が成立した[3]。 [1]原題 De re diplomatica、1681年。 [2]西ヨーロッパでは文書はラテン語で書かれるのが一般的であったが、中世になると地方の口語と接近し、「俗ラテン語?」と呼ばれる古典語よりくずれたラテン語が使われ、それらは今日のヨーロッパ言語のもととなった。俗ラテン語に対して、特にキケロ?に代表される典型的な古代のラテン語を「古典ラテン語」もしくは「古典語」という。今日一般的に言うラテン語とはこの古典語のことである。 [3]マルク・ブロックは『歴史のための弁明』(原題 Apologie pour l histoire)の中で古文書学の成立を歴史学における偉大な事業の一つに挙げている。(文献18 p.107)マビヨンに学んだイタリアのムラトリ?はこの時代の歴史学の学問的価値からいえば、後世から大変評価が高い人物で、ギボンは「イタリア史における我が師」と絶賛している。(文献18 pp.109-110、文献21 pp.39-40)ムラトリはライプニッツとも親交があったという。 近代歴史学の成立 ランケ 「特殊から一般へ」と述べて個別的歴史事実の重視を唱え、史料批判を方法論の中心に据えて近代歴史学を確立した 一般に近代歴史学の成立はニーブール?とランケ?の研究を画期としていると考えられている。彼らの歴史研究の特徴は主に以下の3つである。 歴史事実の個別的把握 方法論としての史料批判 個別事実の一般化(世界史の形成) これをいままで概観した近代以前の歴史研究の歴史に当てはめてみると、1.は啓蒙主義?の歴史学に、2.は古文書学に、3.はキリスト教?的な普遍史に求めることができる。この点で近代歴史学は近代以前の歴史学の総合として成り立っていた[1]。 [1]近代歴史学を啓蒙主義・神学的普遍史・史料批判などの前近代的歴史研究の総合と見なす考え方は文献21 pp.36-37。ただし同書によれば近代歴史学の本質は史料批判という方法論におかれる。文献24 p.36も同様に史料批判を重視。一方で文献18 pp.148-149では、史料批判ではなく歴史事実の個別的把握こそがランケの真骨頂であるとする。同書ではランケ史学はニーブールよりも当時の国際法学や政治学に影響を受けているという。普遍史との関連性や宗教的背景を重視するのはマイネッケで、彼はランケの「個性原理」(歴史の個別的把握)を個体の中に固有の運動法則を認め、「一つの生」として歴史的個体を扱うことであるとした。そしてこれは汎神論よりも進んだ「万有在神論」と呼べる彼の宗教観に由来するものであるという。汎神論と万有在神論の相違は、汎神論には普遍的に神が存在するという意味で歴史事実の運動法則を普遍化しようとする傾向があるが、万有在神論は「万物に神が在る」という点から個々の歴史事実に固有の運動法則があるという認識に達する。したがって汎神論に基づく歴史記述では歴史的個体は埋没し一元的に普遍法則を設定していく過程になるのに対し、ランケでは固有の運動法則と普遍法則が論理的には解決されないまま並立しており、二元論的であるという。マイネッケはランケにマキャヴェリズムとの深刻な対立を見出しており、したがって一見道徳を排除しているように見えるランケ史学の深奥に道徳判断が認められるという。したがって彼の「個性原理」は国家行動をその研究の中心に据えながら、マキャヴェリズムに基づく近代政治学原理が歩んだような歴史的個体の普遍化・絶対化、つまり国家行動の全面的容認には至らなかったのだという。(文献22 pp.350-358)継受の面が指摘される一方で、ランケでは前近代的歴史研究が持っていた実践主義的な観点や哲学的な視点は大幅に減じていることも認められる。(文献21 pp.45-47、文献24 p.38)啓蒙主義と近代歴史学は以下の点で大きく対立している。1. 啓蒙主義は一般から個別へと歴史を解釈したが、近代歴史学は個別から一般へと解釈した。2. 啓蒙主義は古代の生活を近代においても空間的には存在しうるもの、たとえば非ヨーロッパ人の生活をヨーロッパ人の前文明的な生活と同質であると解釈することにより、歴史的事実を空間的に扱ったが、近代歴史学はそれを一回性の事実と考えることにより時間的に扱った。ランケにおける個別的歴史事実の尊重と神学的普遍史との関連性については文献22 pp.348-368、啓蒙主義の歴史観については文献23 pp.68-74、文献18 p.122。 ニーブール ニーブール ボーフォールの研究に影響されて、史料批判に基づいた実証的歴史研究をはじめ、ランケ以降の歴史学に影響を与えた ニーブールはボーフォールの伝承批判の精神を継受し、具体的な方法論としては複数の文献相互の整合性を検討する史料批判を用いて『ローマ史』[1]を記述した。このなかでニーブールは「海が流れをとりいれるように、ローマの歴史は、それ以前に地中海周辺の世界で名をあげられていた他の全ての諸民族の歴史を取り入れる」[2]と述べ、世界史のなかにローマ史を位置づけようとする試みが見られる。 [1]原題 Römische Geschichte、1811年-1832年。 [2]文献18 p.133による。同書ではランケも同様の言葉によって世界史の中でのローマ史の位置づけを語っていることも挙げられている。 ランケ ランケはニーブールの『ローマ史』の方法論を近代史(彼から見て)の分野にも活かし、史料批判を通じて15・16世紀のヨーロッパ外交の構造から国家を個別的に把握する方法に考えついた。ランケは国家を一般化して考える啓蒙主義を批判して、国家を個別的に把握すべきと論じ、このような個別的歴史事実の相互関係から世界史を把握すべきことを提唱した。 近代歴史学の展開 ドロイゼン プロイセン学派の重鎮で19世紀後半のドイツ史学界に君臨した。元々は古代史を専門としており、彼の『ヘレニズムの歴史』によってヘレニズムという言葉の今日的な意味が定着したとされている。シュレスヴィヒ・ホルシュタイン問題など民族的な問題に強い関心を示した ランケの歴史研究はドイツにとどまらずヨーロッパ各国に衝撃を与えたが、ランケ以後の歴史学の性格はドイツとイギリス・フランスでは異なる方向へ進んだ。ドイツでは政治色の強いプロイセン学派?が台頭し、ランケの禁欲的な客観主義が批判されたが、イギリス・フランスではそれぞれ功利主義?や進化論?、実証主義?に影響されて、より科学的な方法論を追求する姿勢が現れた。 (詳細は近代の歴史学?を参照) プロイセン学派 ドイツでは、1830年代の後半にダールマン?が登場し、国民主義?や自由主義?の風潮が高まった現実政治の影響を濃厚に受けた歴史叙述を著した。続くドロイゼン?とジーベル?も政治色の強い歴史研究を展開し、彼らは現実政治との関連性が著しいプロイセン学派を形成した。ダールマンとドロイゼンはともにフランクフルト国民議会?に選出された議員で、ジーベルもプロイセン議会の議員であった。プロイセン学派は当時のドイツ国民の熱烈な支持を受け、またドイツ国内の領邦君主とも利害が一致し、ドイツ史学界で支配的な影響力を持った[1]。彼らは個性の重視という意味ではランケを継承していたが、歴史事実の客観的把握と全く逆の視点に立つ歴史研究であったため、今日の歴史学の観点からすると、その評価は概して低く考えられている。 [1]ドロイゼンは小ドイツ主義?を支持してプロイセン中心に民族的なドイツ統一が果たされるべきと主張した。ジーベルは神聖ローマ皇帝のイタリア政策についての論争(いわゆる「皇帝政策論争?」)の口火を切ったが、これも中世ドイツ皇帝権が普遍的であるか民族的であるかという主題の裏側に、小ドイツ主義と大ドイツ主義?のどちらが民族的統一としてふさわしいかという極めて政治的な背景があった。(文献18 pp.154-155) イギリスとフランス バックル 統計学的手法を用い、帰納主義的な科学主義歴史学を展開した この時代のイギリスやフランスで主流となった功利主義・進化論・実証主義の共通する特徴は、内的要因よりも外的要因を重視することであった。具体的には、歴史を人間精神の創造的性格とか人間行動の主体的選択の結果として捉えるのではなく、自然的・物質的環境の影響に人間精神やその行動が、したがって歴史が規定されていると考えるものであった。この実証主義に立つ歴史学者の代表はフランスのテーヌ?とイギリスのバックル?である。特にバックルは統計学?を用いて自然環境や社会状況が歴史に決定的な影響を与えることを実証しようとした[1]。 [1]この論争ではほぼ全ドイツの歴史家がランプレヒトと反対の立場を取り、またランプレヒトもあまりに歴史の法則性にこだわりすぎて、やや正当性に欠ける嫌いがあったので、結局はランプレヒトの不利なうちに決着したと考えられている。 「歴史の法則性」を巡って ドイツ国内でも、歴史学の客観性を巡って歴史過程における法則性を研究の中心に据えようとする主張が現れた。すなわちランプレヒト?は、文化や社会などの類型的把握が可能なものこそ歴史考察において重要なものなのであるという主張した。彼の主張は史料批判に決定的に依存する当時の歴史学の持つ欠陥を適切にとらえたものであり、かつ個性を重視するそれと対立するものであったから、たちまち全ドイツ規模での論争に発展した[1]。 [1]バックルに対しては、ドロイゼンが『歴史を科学の地位に高めること』を著し、倫理や個性の歴史形成における影響力を主張して反駁した。 「文化史」という視点 ブルクハルト 文化史の開拓者にして、すでに完成者としても十分な研究を残したブルクハルトだが、彼の生きた時代に対して独創的なその「文化史」は、直接的な後継者には恵まれず、独立的なものにとどまった 史料批判に依存する個別的な歴史事実の把握に飽きたらず、より広い視野から歴史を総合的に把握しようという動きは「文化史?」の主張という形で現れた。「文化史」は、主に美術史の研究の手法を取り入れ、時代相互の文芸や美術、思想の様式的変化を総合的に比較して、それらの時代ごとの文化的特質を明らかにしようという歴史研究である[1]。この文化史の初期の代表的学者はスイスのブルクハルト?であり、彼の初期の著作『コンスタンティヌス大帝の時代』[2]において、すでに完成した形で「文化史」のスタイルが確立されていた[3]。前述したランプレヒトも文化史を中心に歴史を構成しようとしていた。 ランプレヒトの立場を批判的に継承し、文化史において画期的な業績をあげたのはオランダのホイジンガ?である。彼の代表作『中世の秋』[4]は生活・思想・文化などの諸相から14・15世紀のネーデルラントを複合的・重層的に描いた労作で、従来陰湿で否定的に捉えられてきた西洋中世の文化に「遊び」の精神を見出すものであった。この観点を発展させて遊びの形態とその表現を本格的に研究したのが『ホモ・ルーデンス』[5]で、この著作の視野は歴史学分野に限られず、文化人類学と相互関係にあり、その構想力の豊かさは優れて今日的な価値がある。 [1]文化史の特徴としては従来の歴史研究が政治史を中心として縦断的に歴史事実を明らかにしようとしたのに対し、文化史は同時代のほかの事実および時代的な様式の特徴の関連性を重視して、横断的に歴史事実の背景を明らかにするものであったことが挙げられる。(文献25 pp.535-540) [2]原題 Die Zeit Constantins des Großen、1853年。 [3]今日的な視点で言うと、この著作はデータ的な面で時代遅れであるが、思想・社会・文化を一連の繋がりにおいて記述する、その歴史記述のスタイルは非常に意義深い。当時からこの著作はさまざまな欠陥を指摘されていたが、一時代を総合的に描いたその価値は一部で高く評価された。 [4]原題 Herfsttij der Middeleeuwene、1819年。 [5]原題 Homo ludens、1938年。 唯物論的歴史学 マルクス イギリス古典経済学、ドイツ観念論哲学、フランス実証主義などを批判的に総合して唯物論歴史学を打ち立てた。その歴史学は体系性に優れており、時代の要求に応えるものであった 一方で歴史の体系的把握への試みは、当時近代歴史学と全く対立的な立場にあった哲学からも提示された。ランケの打ち立てた近代歴史学を痛烈に批判したのはヘーゲル?で、『歴史哲学』[1]において理論的関心に乏しい近代歴史学の風潮を批判し、普遍と特殊の総合に向かう理性的法則として歴史を認識すべきと説いた。彼の哲学は客観的な裏付けに乏しく、歴史学的要求に応えることはできないが、ランケがまた彼の歴史哲学をつねに批判の対象としながら、それに変わる体系性を用意することができなかったのも事実であった[2]。 このヘーゲルの歴史哲学を批判的に継承したマルクス?は、ヘーゲルが重視した精神に代わり、生産様式に注目した体系的な歴史哲学を打ち立てた。ヘーゲルの歴史哲学が極めて思弁的・精神的だったのに対し、マルクスは実証主義の外的要因を重視する姿勢を継承して、生産様式が人間の精神活動をも規制すると述べて、物質性を重視する唯物論?歴史学を唱えた。彼は古典経済学?の理論を批判的に継承し、労働を重視したが、労働の疎外によって支配階級による収奪が行われるとして、独自の階級理論を設定した。この階級理論をもとに発展段階的に歴史理論を構築し、時代ごとの生産様式の性格からその時代の文化様式にいたるまでの性格把握が可能であるとし、さらには未来史として階級が消滅した来るべき共産社会を予言した。 このようなマルクス主義?歴史学は従来の歴史学になかった優れた体系性を持つとともに、その理論的な堅牢性が高く評価された。歴史の体系的な把握を可能にした唯物論歴史学の登場は非常に画期的な出来事であったが、同時にこの歴史学は当初からさまざまな批判にさらされ、その理論の検証が着実になされていた。 [1]原題 Gliederung und Zeitenfolge der Weltgeschichte、1830年。 [2]ヘーゲルは事実の客観的把握というものには曖昧性が含まれており、かつどのように凡庸な歴史家でも自らの主観に従って能動的に歴史事実を選択し、それを通じて歴史を眺めているということを的確に指摘している。(文献21 pp.50-51)しかし彼の歴史哲学はその創造的性格のゆえに科学的ではなかったのであり、この点バックルら実証主義の歴史学のランケ批判のほうが正当であるというべきである。(文献21 pp.60-62) 以降「史学史(三)」へ続く 出典 ※参照した文献は、その旨を記す際に煩雑さを避けるため、「文献」のあとに数字を示すこととする。具体的には「文献1」という場合は、下記のイブン・ハルドゥーンの『歴史序説(一)』を指すものとする。 (文献1)イブン・ハルドゥーン?著、森本公誠?訳 『歴史序説(一)』岩波文庫、2001年 (文献2)E・H・カー?著、清水幾太郎?訳 『歴史とは何か』岩波新書、1962年 (文献3)蔀勇造?著 『世界史リブレット57 歴史意識の芽生えと歴史記述の始まり』山川出版社、2004年 (文献4)田中美知太郎?著 『ロゴスとイデア』岩波書店、2003年 (文献5)トゥーキューディデース著、久保正彰?訳 『戦史 上』岩波文庫、1966年 (文献6)トゥーキューディデース著、久保正彰訳 『戦史 中』岩波文庫、1966年 (文献7)堀米庸三?著 『歴史をみる眼』NHKブックス、1964年 (文献8)村川堅太郎?編 『世界の名著5 ヘロドトス トゥキュディデス』中公バックス、1980年 (文献9)溝口雄三?ほか編 『中国思想文化辞典』東京大学出版会、2001年 (文献10)加藤常賢?監修 『中国思想史』東京大学出版会、1952年 (文献11)宮崎市定?著 『史記を語る』岩波文庫、1996年 (文献12)武田泰淳?著 『司馬遷 史記の世界』講談社文芸文庫、1997年 (文献13)貝塚茂樹?著 『史記 中国古代の人びと』岩波新書、1963年 (文献14)増田四郎?著 『大学でいかに学ぶか』講談社現代新書、1966年 (文献15)金谷治?著 『中国思想を考える』中公新書、1993年 (文献16)重澤俊郎?著 『周漢思想研究』大空社、1998年 (文献17)顧頡剛?著、平山武夫?訳 『ある歴史家の生い立ち 古史辨自序』岩波文庫、1987年 (文献18)中村治一?著 『史学概論』学陽書房、1974年 (文献19)福田歓一?著 『政治学史』東京大学出版会、1985年 (文献20)カッシーラー?著、中野好之?訳 『啓蒙主義の哲学 下』ちくま学芸文庫、2003年 (文献21)林健太郎?著 『史学概論(新版)』有斐閣、1970年 (文献22)林健太郎編 『世界の名著65 マイネッケ』中央バックス、1980年 (文献23)弓削尚子?著 『世界史リブレット88 啓蒙の世紀と文明観』山川出版社、2004年 (文献24)太田秀道?著『史学概論』学生社、1965年 (文献25)ブルクハルト?著、新井靖一?訳 『コンスタンティヌス大帝の時代』筑摩書房、2003年 (文献26)ハンナ・アレント?著、志水速雄?訳 『人間の条件』ちくま学芸文庫、1994年 (文献27)アンリ・ピレンヌ?著、中村宏?ほか訳 『ヨーロッパ世界の誕生 マホメットとシャルルマーニュ』創文社、1960年 使用条件など この記事はGFDL文書です。このページに掲載されている画像はウィキコモンズに公開されているものを使用しています。 -
https://w.atwiki.jp/nanaitatrp/pages/251.html
名前:長志 恋也(おさ・れんや) 誕生日:8月7日 年齢:17歳 性別:男 所属:元剣道部 髪の毛の色、長さ:亜麻色・セミロングのオールバック 容姿の特徴・風貌:細身で背が高い、性的、年齢+20歳くらいに見える伊達男 性格:気取り屋 好きなもの:漫画の『BLEACH』・シガレット系のお菓子 嫌いなもの:自分への暴力 特技:想像力豊か 趣味:詩を考える事 自分の恋愛観:――躊躇わず 悔やまず 振り返らず それが愛なのか いいや違う それは愛を知らぬ愚か者共の戯言だ 兎のように臆病に 蛇のように執着して 鷹のように気高く自分を顧みてこそ 愛は育めるのだ 人生のモットー:――信念はいらない 信条も 信仰も 主義主張も必要ない それらはどれも人生を縛る鎖であり 未来を閉ざす鍵に過ぎないのだから 人生を駆け抜けるにはただ 現在進行形の決意だけがあればいい 簡単なキャラ解説: 漫画『BLEACH』のコミックス巻頭とかにあるオシャレな文章に多分な影響を受けている 元々のナルシスト気質と相まって色々と取り返しがつかない感じになっている 驚くほどに貧弱。芸術の啓蒙活動とかなんとかでN2DM部を離れ色んな部活を転々としていたが、 どこも追い出されて結局N2DM部に帰って来た
https://w.atwiki.jp/rowamousou/pages/1891.html
【名前】花取 風月(かとり ふうげつ) 【性別】??? 【職業】天街学園 国語教師(古文専攻) 剣道部顧問 華道部・茶道部・日本舞踊代理顧問 【年齢】花も恥じらう…何歳? 【好き】美しい者、和の心、生徒、日本文化 【嫌い】醜いもの、授業妨害 【特徴】ザ・オカマ!醜の中でも美を見つける事が出来る、相手の本心を見る心眼 【人物関係】 生徒達…自分の美を教える大切な存在 アールケディアス・コールメン…嘗ての同僚、何かしら正体に気がついていた模様 結月刹奈 同僚 瞬天 風島岼 教え子、なにかしら裏があることを嗅ぎ付けている 高校に置いて名物教師として名を馳せる、キング・オブ・オカマ!(年齢不詳)和の心を愛し その美しさを生徒に伝える「ビューティータイム」こそ史上として生徒への啓蒙に務める。 美しい者が好きだが外見でなく内面の美も見出すことも当然としており、彼?に救われた落ちこぼれ生徒も少なくない 【能力】 剣術をたしなんでいるが、強い、何故かやたら強い、無能力者であるがその手の話では「絶対に手を出してはいけない」と 言われるぐらいに異形や妖、能力者を屠ってきた
https://w.atwiki.jp/naniwaarms/pages/695.html
名前:ザッパー神殿(ナニワアームズ商藩国) スケール:5 能力:C 種別:神殿 用途:教育施設、管理施設 HP:0 設定: ザッパー神殿とは、盟約魔法としてのザッパーを管理するためにナニワアームズ商藩国に建てられた神殿である。 政庁などのある行政区マールスに建てられたこの神殿では、ザッパーのカード管理及びザッパー装備の啓蒙活動を行うほか、他国のザッパー神殿と連携し、ザッパー用輸出品の検査確認を行っている。 ナニワの民は西国人であるため盟約魔法ザッパーは扱えないが、ザッパー関連製品を扱うにあたって正しい知識をここで得ることができる。 祀っている神はザッパー装備全体を取りまとめる神としてエースが交渉した黄の黄(おうのおう)というセマ・オーマの長。 詳しい姿や伝説は語られていないが、人々をどこからか見守っているとされる。 庭園の奥の領域には、ご神体として天に向かって突き立てた拳のレリーフが飾られている。 直接見ることは禁止されているが、ザッパー装備を扱う者たちはそれでも遠くから一度は参拝するという。 スケール5 必要日数:759 日 (100 x 1.5^5) 必要成長点:19 点 (10/4 x 1.5^5) 15:ナニワアームズ商藩国:19
https://w.atwiki.jp/81908/pages/117.html
チームワークを大切にします。 倫理観が強く、断固とした信念を持っていますが、多様性を尊重し、民主主義的に方針を決めようとします。 そのために、自分の意見ばかりを主張することはせず、控えめに振る舞うこともあります。 年長者や経験豊かな者を尊敬し、その者から学ぶことができれば幸いに思います。 一方、経験の浅い者に対しては、相手のレベルに合わせて、話しを聞き、意見を言うように努めます。 そうすることによって、必要な気づきを促すことができるのです。 より良い社会、より良い組織のために、人々はどうあるべきか、よく考えはっきりとした意見を持っています。 そのため、社会や組織のリーダー、または啓蒙家、社会活動家など、 人々にとって教師のような役割を担う立場に就くことが多くなります。 社会における多様性に価値を感じながらも、共通した見解を求めます。 なかなか意見がまとまらず苦労することも多いようですが、 人々のモチベーションを上げ、集団を取りまとめることにやりがいを感じます。 指導する立場になると、断固とした主張をし、威厳のある態度を取ることもあります。 改善点を指摘し、協力を求めて、計画的に改革を促します。 すぐに変化が出ることを望みます。