約 258,105 件
https://w.atwiki.jp/pekinbbs/pages/12.html
歴史的経緯 http //jpbbs.chinabroadcast.cn/viewtopic.php?p=1320#1320 帝政ロシアは、 1727年にも清国とキャフタ条約を結び、モンゴル地方の国境を確立している。その後、1858年にはアムール川以北をロシア領とした愛琿条約、1860年には沿海州をロシア領とする北京条約を結んだ。(年表から) 日本が、日清戦争後朝鮮半島を併合し、日露戦争後満州に進出、清国滅亡後の中国とも戦端を開いたことは紛れもない事実です。 しかしながら、当時の日本にとって、不凍港を求めて南下する帝政ロシアに対し、清国が沿海州同様、清国の属国であった朝鮮半島を割譲することが、悪夢であったことは、地政学的に地図を見ていただければご理解いただけると思います。 当時の清国が、アジアの盟主として、また、大中華として、白色人種の帝国主義的侵略に断固として勝利していれば、当時の日本がこのような(自衛のための)侵略を行わず、江戸時代同様、鎖国により平和を確保し、対外的に惰眠をむさぼれていたことだけは、歴史の流れとして理解いただければと思います。 軍事的観点から当時の日本が、自由と独立を確保するためには、現在の中国がインドやロシアとの間に緩衝地帯を必要としているように、帝政ロシアとの間に緩衝地帯としての満州と朝鮮半島が必要であったのです。 靖国神社は、明治維新以降、わが国を西欧列強の植民地にしないための戦いに殉じた人々の鎮魂のための施設です。
https://w.atwiki.jp/yakurou/
最新更新 H25.7.27 幕末史研究会(吉祥寺) 平成25年7月例会 「幕末の剣豪 斎藤弥九郎 ~時代を共に歩んだ志士たちとの交流~」 ・当日スライド(PDFファイル)(14M) ・解説音声 (100M) 氷見の歴史民俗講座(平成19年度) 「斎藤弥九郎 ~江川英龍・渡辺崋山らとの交流~」 氷見の歴史民俗講座(平成20年度) 「斎藤弥九郎と幕末の長州藩 ~吉田松陰・桂小五郎らとの交流~」 氷見市職員自主研修報告(平成18年度) 「斎藤弥九郎と江川英龍・渡辺崋山」(田原・韮山・江戸現地研修) 氷見市職員自主研修報告(平成19年度) 「斎藤弥九郎と長州藩」(萩現地研修) 氷見市職員自主研修報告(平成20年度) 「斎藤弥九郎と水戸藩」(水戸市現地研修) 氷見市立博物館年報(平成18年度) 「斎藤弥九郎の弟・三九郎について」 氷見市立博物館年報(平成20年度) 「斎藤新太郎(二代弥九郎)について」 氷見市立博物館年報(平成21年度) 「明治維新後の斎藤篤信斎について」 氷見春秋第62号(平成22年11月発刊) 「斎藤弥九郎と交流した人々~江川太郎左衛門英龍~ ] 氷見春秋第65号(平成24年5月発刊) 「斎藤弥九郎と交流した人々~吉田松陰と桂小五郎(上)~] 北國文華2012年秋号(9月発刊)(第53号) 「幕末屈指の道場開いた斎藤弥九郎~幕府、新政府の能吏として活躍] 斎藤弥九郎や新太郎ら家族に関する情報やお問い合わせは、こちらまでお寄せください。 また斎藤弥九郎に関する講演会を企画して頂ければ、馳せ参じまずので、お気軽にご連絡下さい。(勿論講師料は無料です。)
https://w.atwiki.jp/historictears/pages/70.html
クィリスト教/悔理人教/Quilistan/七十字教 クィリスト教とは、日本連合帝國(と満州国)に於いて信仰される宗教である。概ね神道の一派として日本古来の神に属さない民俗神としての真理愛観音神(≒聖母マリア)、特にそれと同一視される若葉真理愛姫観音神を祀っている、どちらかというと精霊信仰に近い日本神道の一派に近いが、同時に神道、仏教に並ぶ日本三大宗教に列されてもおり、日本連合帝國で広く倫理観・知識教育の一環として生活に溶け込んだ無意識的な信仰を集めている。 概要 クィリスト教は豊臣秀吉及び大坂政府による布教令と貿易令の布告により、日本社会に適合しないキリスト教勢力が日本国内から排除され、日本社会に自ら適合し融合を目指したキリスト教穏健派(ジパニズム派)の実質的な「亡命」により、キリスト教から派生した日本神道の一派である。 その教義は、大雑把に言ってしまえばキリスト教の基本教義から日本社会に適合しない教義を改めるか省いてしまい、登場する人物・人格を日本神話のものに置き換え、万物に神が宿る八百万の神(多神教)信仰(≒精霊信仰)に近い日本神道の宗教観を取り入れ、その日本社会に広く浸透する八百万の神信仰の威光を以て、社会通念上悪行とされる行為を理由を説きながら厳に戒め、信者に倫理観を形成することを促す「だけ」の宗教である。 一応総本山である悔理人神寺(くりひとしんじ)では、葉吹の地を拓き治めてきた谷口氏の祖先である若葉姫を、聖母マリアの生まれ変わりであるとして、若葉真理愛姫観音神(わかばのまりあひめかんのんじん)を主祭神として祭っているが、同時に神道の一派としての地位も保持し、日本の神々も信仰し、同時に他教の神も自教の神の一つに数え得るという性質を持ち、その地位はひどく曖昧である。他教との共存が成立し易いため、(少なくともクィリスト教側からの)宗教的な侵略は発生し難い。 時代を経るにつれて、神道・仏教だけでなく、アニミズム、儒教、シャーマニズム、イスラム教、ユダヤ教などから日本社会にとって都合の良い部分だけを切りだして教義に取り入れてきた。それ故に今日では「いいとこ取り」のごった煮じみた宗教となっている。当然ながら一神教とは相性が悪く、所謂右派勢力或いは極左勢力からは異端視され、その中には異端審問に掛けようとする者もいるとされる。 クィリスト教のシンボルマークは、ラテン十字の縦棒下端が右側へと流された通称「七十字」である。このシンボルマークが描かれた直後である江戸時代にはキリスト教との混同が見られ「切十字」とも言われた。 歴史 大坂冬の陣・夏の陣(1614-1615)により、反大坂政府体制的なキリスト教勢力は殲滅され、布教令・貿易令を遵守し日本社会に自ら適合し融合を図るキリスト教穏健派(ジパニズム派)は、大坂政府の「布教令・貿易令に反せず、日本社会に適合した全く新しいキリスト教を基盤とした宗教」であるなら布教を認めるという条件を受け容れ、紀勢国葉吹へ事実上幽閉される。これにより当時日本中に存在した宣教師と教会、それに追随した多くの信徒らが葉吹へと移動(移民)した。 葉吹の地を長年治めてきた豪族・谷口氏は、そのバックボーンでもあった葉吹神社の後押しや、ヨーロッパ列強と直に国境を接するに至り、異国人・異教徒への無理解から起きる偶発的武力衝突からの全面戦争を避けるため、キリスト教についての比較・知識の教育を必要とした大坂政府の事情もあり、ジパニズム派はキリスト教からの脱却を強める。日本ではキリスト信仰よりもその生母であるマリアの方が受け容れ易い素地が日本神道によって醸成されていたこともあり、マリア信仰へと教義が変質していく。 その中で、谷口氏の祖先である若葉姫(1221年の承久の乱の戦後処理によって葉吹神社に配流された)を、伝説に伝えられる様子から聖母マリアの生まれ変わりとして同一視しするようになり、「若葉真理愛姫観音神」として祀る悔理人神寺が建立され、クィリスト教(当時は悔理人教)として成立した。 蝦夷の役、毬亞南の役、繁利亜進出、国内の飢饉などが起きる度に布教が行われ、現地の宗教を取り込みながら順当に宗教勢力として浸透。基本的に他の宗教に対して無害であり、単なる倫理教育に留まる範囲の教義しか持たないものであることから、戦役・移民の度に勢力を拡大。何時の間にやら自教を日本神道に於ける一派と位置づけ、明治維新後にはロシア正教、ユダヤ教などの亡命勢力の宗教とも結合し、今に至っている。 神職 クィリスト教に於いて神寺(後述)にほぼ常駐し、祭儀・社務・説法を執り行う者を神職者と言う。神職者に男女の別はなく、職に就いたままの結婚も可能であるが、生涯慎ましやかに生きることが義務であり、また夫婦・家族などの一族によって神寺の職を二つ以上独占してはいけない(但し、一族がある一つの特定の職を世襲し続けることに関しては問題がない)。男性の神職者を奉良佐(ぶらざ)、女性の神職者を神守天(しすた)と言う。 神寺 神寺(しんじ)はクィリスト教の祭祀施設。瓦屋根に白壁を基本とした、概ね屋根が和風、それ以外日本の風土に合わせた洋風建築(特にイタリアやスペインの様式)で建てられている。明治維新以前の木造型と、明治維新後の石造またはコンクリート造型に分類される。神寺は祭祀施設であると同時に集会所としても用いられ、仏寺のような説法も度々行われている。 神寺の付属施設 多くの神寺に共通する施設 ・鳥居 - 多くは神明鳥居に、七十字を掘った額束を建てたものが建てられる。 ・参道 ・燈籠 ・拝堂 - 神社の拝殿と幣殿、本殿を一体化したようなもの。キリスト教会堂の聖堂・礼拝堂に相当。 ・説諭堂 - キリスト教会堂の懺悔室に相当。 ・社務所 ・古札所 ・寺庭(庭園・付属公園・神苑) 著名な神寺一覧 以下に著名な神寺を挙げる。 悔理人(くりひと)神寺 紀勢国首都である葉吹市(旧日本帝國東海道紀勢県葉吹市)にあるクィリスト教総本山。葉吹城下、葉吹市街中心部北部の武家屋敷街と葉吹川に挟まれた箇所にあり、1643年当時に建てられた神寺が今も現役で使用されている。葉吹の地を拓き長年治めてきた谷口氏の祖先である若葉姫伝説を元に、慈愛に満ちた心優しき女性であったと伝えられる若葉姫を聖母マリアの生まれ変わりとして同一視し、若葉真理愛姫観音神(わかばのまりあひめかんのんしん)像を祀っている。クリスマスと正月、ヴァレンタイン・デーには参拝客で賑わう。因みに若葉真理愛姫観音神は「無償の愛」「五穀豊穣」「家庭円満」「歌」「恋愛」の神様とされている。江戸時代の建立時の私塾に端を発する学校、私立葦野学園中・高等学校を運営している。 悔理安(くりあん)神寺 日本国関東道江戸県武蔵野市(旧日本帝國関東道東京府武蔵野市)にある東日本のクィリスト教最大の神寺。(特に政略結婚に使われる)武家の娘を教育するための機関として古くから男子禁制の私塾を併設しており、それを母体に明治4年に幼稚舎から大学まで一貫教育を行う私立悔理安女学園を開設。単なる経済力から言えば総本山である悔理人神寺を遥かに上回る。祭っているのは普通の真理愛観音神。 平安神寺 日本連合帝國京都府帝都京都にある西日本のクィリスト教最大の神寺。(特に政略結婚に使われる)貴族の娘を教育するための教育機関として貴族の強い後援により設立された平安学習貴塾院(後の私立学習院学園)の運営のため開かれた。
https://w.atwiki.jp/wiki11_library/pages/478.html
逝きし世の面影 渡辺 京二 かつて日本を満たしていた別の文明 2006.9.13 内容(「BOOK」データベースより) 「私にとって重要なのは在りし日のこの国の文明が、人間の生存をできうる限り気持のよいものにしようとする合意とそれにもとづく工夫によって成り立っていたという事実だ」近代に物された、異邦人によるあまたの文献を渉猟し、それからの日本が失ってきたものの意味を根底から問うた大冊。1999年度和辻哲郎文化賞受賞。 内容(「MARC」データベースより) 昭和を問うなら開国を問え。そのためには開国以前の文明を問え…。幕末から明治に日本を訪れた、異邦人による訪日記を読破。日本近代が失ったものの意味を根本から問い直した超大作。 冒頭で、強引な通商交渉の為に来日していたペリー(ハリスだったかもしれません)が艦上から美しい風景を眺めながら、来日数日にして煩悶に陥ります。目の前で消え去つて行かうとしてゐる美しい文明。ここに西欧を持ち込むことに義はあるのか。 明治維新前後、多くの西洋人が日本に滞在し、様々な文章を残してゐます。其れを縦横に読み解くことによって、当時の日本の姿を浮き彫りにしてゐくと、今の日本とは連続性の無い一つの文明が現れます。 詳細に言及すれば、著者の誤りや偏見、贔屓があるとは思います。然し乍ら、ある文明が確かに其処にあり、今の価値観とは異なった幸せと美しさがあり、惜しまれるべきものを持っていたという著者の主張は正しいと言わざるを得ません。 もう帰って来ない「逝きし世」。当時の幸せと喜び、特に子供達の平明さを誇りに思います。幸あれ。 目次 ある文明の幻影 陽気な人びと 簡素とゆたかさ 親和と礼節 雑多と充溢 労働と身体 自由と身分 裸体と性 女の位相 子どもの楽園 風景とコスモス 生類とコスモス 信仰と祭 心の垣根 平凡社ライブラリー(文庫) (2005/09)
https://w.atwiki.jp/fweo/pages/256.html
京葉の動乱 皆さんは、京葉の動乱をご存知だろうか? 京葉の動乱とは1月27日のあるできごとを発端として起こった1.28事件と1月のクーデターを合わせた物である。今日は、当時の副総理であって剛力巌が解説をしていきます。 1.28事件 1月27日午後23時59分、当時首相の岸川敬之(通称 本田隆弘)が「さて、じゃあ頑張ろう。次の目標は立川、53人。あの国もがた来てるからねさ、頑張りましょじゃ、落ち」と発言。これを時の財務大臣であるTOPI Xが豊川国にて告発した結果、翌日15時頃から炎上し、架空国家界隈全体を巻き込む騒動になった。これを1.28事件と言う。 これを受け、剛力副総理(党副副総裁)は動いた。まずは、自身の派閥である志公会(剛力派)を取りまとめ、その足で京葉民主党のみどりの会(虫眼鏡派)に向かい会長の虫眼鏡氏と会談し協力を要請。党総裁不信任、内閣不信任、党の離党、閣僚職の辞職を申し合わせた。それに便乗する形で京葉民主党の京葉政策研究会(岸川派)や無派閥が参加。京葉維新の会、国進党、京葉の会、国民協同党、京葉共産党が結党。最終的には京葉維新の会(剛力巌)17名、国民協同党(菅田将暉)3名、京葉共産党(渋谷楓)2名の3党が残り剛力内閣の際には連立を組んだ。23時頃岸川首相から、今回の出来事は仕組んだものとの発表があった。 1月のクーデター 1月29日13時頃に岸川首相が辞職を表明し、後継に木村なお氏を指名した。しかし、同日午後9時、岸川前首相が大道臨時総理大臣に対して管理者権限の返還を要求。大道氏はこれに応じて返還した直後、岸川前首相は、皇帝に就任し専制の開始を宣言、専制体制により多くの反対派を次々に追放した。同じ頃、副総理の剛力巌と重鎮の大道要と黒石舞美にによって避難所として京葉国亡命政府や亡命政府と同じ役割を果たす川崎国を建国。京葉国民の多くが移住しはじめた。その後、剛力氏は亡命政府への関与により強制退会を喰らった。その後剛力内閣までは専制と短命内閣が続く。 専制の終結 剛力氏が京葉国復帰を遂げた。最初は参事官を務めたが、首班指名が始まると剛力氏は当選。華々しい復帰を遂げた勢いで岸川元首相との会談を行い、専制の終了と立憲君主制の確立を実行。立憲君主制の国家となった。 その後 立憲君主制に移行の際に、岸川元首相には管理者権限と国家主席という地位を与えた。だが、岸川国家主席はある日退任を発表、管理者権限は首相が有することとなった。そして、憲法可決により専制の完全な終了となった。剛力内閣にはもう一つやるべき課題があっあ。それは、京葉国の国際復帰である。剛力氏は国際復帰を掲げて活動。国連での審議の結果、首相退任後の2022年3月25日に国連復帰が許された。
https://w.atwiki.jp/minsutoumatome/pages/816.html
は行 は行 あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 わ行 その他バイブ 箱妻(はこつま) HSG(はしげ) ハニ垣(はにがき) 蛤(はまぐり) 東2323(ひがしフサフサ) 光の戦士(ひかりのせんし) 髭の隊長(ひげのたいちょう) ブサエ 2323(フサフサ) ぶって 不適切嫁(ふてきせつよめ) プリンセス 平成の屠殺王(へいせいのとさつおう) ぽっぽ(ぽっぽ) ポルナレフ(ぽるなれふ) [自]=自民党 [民]=民主党 [公]=公明党 [社]=社民党 [共]=共産党 [国]=国民新党 [新]=新党日本 [み]=みんなの党 [未]=日本未来の党 [維]=日本維新の会 [他]=その他 [韓]=韓国 [米]=米国 あ行 か行 さ行 た行 な行 は行 ま行 や行 わ行 その他 バイブ [部分編集] [民] 辻元清美氏のこと。 友人のフェミ活動家でアダルトグッズ販売店主の北原みのり主催のイベントでバイブにサインした様子を女性記者を潜入させていた週刊新潮にバラされたエピソードから。 鳩山内閣では国土交通副大臣。連立離脱後の社民に見切りをつけ民主入党。古巣の社民党を怒らせる。 上へ 箱妻(はこつま) [部分編集] [民] 長妻昭氏のこと。 厚労相時代に貨物用エレベータに乗って記者会見から逃亡した事件が、「メタルギア」シリーズの主人公ソリッド・スネークがダンボールを被って隠れている姿を連想させたことから。 上へ HSG(はしげ) [部分編集] [維] 現大阪市長で日本維新の会代表代行の橋下徹氏のこと。元タレント弁護士で、大阪知事から市長に転身。様々に各方面に喧嘩を売りまくりつつ日本維新の会を結成、「たちあがれ日本」などを吸収合併した。 上へ ハニ垣(はにがき) [部分編集] [自] 自民党、谷垣禎一氏のこと。某週刊誌にハニートラップに引っかかったと報道された事が由来。趣味は登山及び自転車、好物は蕎麦、合言葉は「いっしょにやろうぜ」。ハニートラップの報道については事実無根と報道した週刊誌側を訴え勝訴している。 上へ 蛤(はまぐり) [部分編集] [民] 中井洽氏のこと。「洽」の字がなかなか変換候補に出ないためか当て字が広まった。 国家公安委員長時には数々のスキャンダルや暴言で火達磨になったが、他が酷すぎるため無事逃げ切り2012年に引退。 上へ 東2323(ひがしフサフサ) [部分編集] [維] 元タレントそのまんま東の東国原英夫前宮崎県知事のこと。「2323」で彼を限定的に指すときにはこの呼び名。現在は維新の会に合流。 上へ 光の戦士(ひかりのせんし) [部分編集] [民] 原口一博氏のスレにおける通称。 2006年2月26日のテレビ番組『そこまで言って委員会』 でいわゆる永田メール問題やライブドア野口氏の怪死について、日本の政府もグルの「巨大な闇」の存在を主張したためこう呼ばれるようになった。 また氏は事務所がハッキングされファイルが消され、闇の組織は必ず黒い服を着ているとも主張している。 上へ 髭の隊長(ひげのたいちょう) [部分編集] [自] 佐藤正久氏のこと。髭が特徴。元自衛官でイラク派遣でも指揮官として活躍した人物。 2011年8月1日、新藤義孝、稲田朋美両議員と共に鬱陵島を視察するため韓国に行ったが、金浦空港で入国拒否され日本に引き返した。 上へ ブサエ [部分編集] [他] 元大阪府知事太田房江氏の事。日本初の女性知事だが、就任中は赤字隠しや自身の金銭問題等で叩かれ、ある意味橋下徹氏の当選下地を結果的に醸成してしまった人物である。「罰ゲーム」と称される大阪の選挙事情を語るときによく引き合いにされる。 上へ 2323(フサフサ) [部分編集] [他] 前厚生大臣、舛添要一氏のこと。由来は頭から。自民時代はかなりの人気だったが、新党結成後はめっきり影が薄くなった。 また、東国原英夫前宮崎県知事もこう呼ばれることがある。由来はもちろんあ(ry 上へ ぶって [部分編集] [未] 姫井由美子氏のこと。元愛人の男性が週刊誌上で暴露したプレイ中の台詞から。 党を出ようとしてやっぱやめた!と言ってみたり、党内ではお局にいびられたりしたあげく離党するも落選。 上へ 不適切嫁(ふてきせつよめ) [部分編集] [米] アメリカ67代国務長官ヒラリー・クリントン氏のこと。かつて氏の夫である42代米国大統領のビル氏が不倫の釈明で述べた台詞「不適切な関係」より。 主に普天間基地問題で煮え切らない鳩山内閣にピキピキさせられる不憫な人。 上へ プリンセス [部分編集] [民] 応援団として突如現れた漫画家、牧村しのぶ氏が自身のブログで小沢一郎に命名した名。 どうやら腐女子的な観点からの命名らしいが、氏のHPの作風の古臭さと一般的知名度に乏しい活動範囲(嫁姑もののレディースコミック)、あまりの小沢本人とのギャップに多方面に衝撃を与えた。 上へ 平成の屠殺王(へいせいのとさつおう) [部分編集] [民] 赤松広隆氏のこと。 別名:ニヤニヤ赤松 2010年4月頃に宮崎県に口蹄疫が発生した時の農水大臣。 その斜め上を行く対応と、ラ党政権時代に発生したときより被害が拡大した為 別名【赤松口蹄疫】ttp //dic.nicovideo.jp/a/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E5%8F%A3%E8%B9%84%E7%96%AB とも呼ばれる。 上へ ぽっぽ(ぽっぽ) [部分編集] [民] 鳩山由紀夫氏のスレにおける通称。由来は鳩から。 上へ ポルナレフ(ぽるなれふ) [部分編集] [他] 漫画「ジョジョの奇妙な冒険」の登場人物、ジャン・ピエール・ポルナレフのこと。 我が身に起こったことを驚きながらありのままを話すAAでおなじみ。 民主党政権の斜め上ぶりにツッコミを入れるのに多用されたせいで、「過労死した」「労災出してやれよ」「墓場から連れ戻してこい」といったネタがお約束に。 なお、ポポナレフなる偽物もいるらしい。 【ポルナレフAA】 やつを追う前に言っておくッ! おれは今やつのスタンドをほんのちょっぴりだが体験した い…いや…体験したというよりはまったく理解を超えていたのだが…… ,. -‐'''''""¨¨¨ヽ (.___,,,... -ァァフ| あ…ありのまま 今 起こった事を話すぜ! |i i| }! }} //| |l、{ j} /,,ィ//| 『おれは奴の前で階段を登っていたと i| !ヾ、_ノ/ u { }//ヘ 思ったらいつのまにか降りていた』 |リ u' } ,ノ _,!V,ハ | /´fト、_{ル{,ィ'eラ , タ人 な… 何を言ってるのか わからねーと思うが /' ヾ|宀| {´,)⌒`/ | ヽトiゝ おれも何をされたのかわからなかった… ,゙ / )ヽ iLレ u' | | ヾlトハ〉 |/_/ ハ !ニ⊇ '/ } V ヽ 頭がどうにかなりそうだった… // 二二二7'T'' /u' __ / /`ヽ /'´r -―一ァ‐゙T´ '"´ / /-‐ \ 催眠術だとか超スピードだとか / // 广¨´ /' / /´ ̄`ヽ ⌒ヽ そんなチャチなもんじゃあ 断じてねえ ノ ' / ノ `ー-、___/ // ヽ } _/`丶 /  ̄`ー-{ ... イ もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ… 上へ
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/3343.html
[最近のお勧め記事【分類版】 / 道州制〔言葉で検索〕 ● 道州制〔Wikipedia〕 ● 道州制〔総務省〕 / 道州制のページ〔北海道〕 / 道州制について〔神奈川県〕 ● 道州制特別区域推進本部〔首相官邸〕 / 道州制ビジョン懇談会〔内閣官房〕 ーーーーーーーーーー ■ 道州制.com ■ 道州制の正体 ● 道州制推進連盟 ● 地域主権型道州制国民協議会 道州制推進連盟は、 大前研一氏が主宰していた「平成維新の会」の解散後立ち上げられた 「生活者主権の会」の首都圏の仲間が中心になり、 どうしたら「日本の再生」が実現できるか討議と研究を重ね、その結果地域主権の道州制の実現こそ、今後の日本再生の切り札であるとの信念を持つに至り、平成15年(2003年)に賛同するメンバーによって新たに立ち上げられた、 道州制の日本の実現を推進する市民運動組織です。 本会は、変化する世界の情勢や国内情勢に適応し、国益及び世界における日本国の政治的、経済的、文化的地位を維持発展させるために国内の官僚独占ともいえる中央集権的政治及び行政を廃し、区分した道州住民の主権による、地域に適した身近な政治及び行政を実現することにより、豊かで安心できる日本国wじょつくることを目的とします。 【関連報道】はこちら 【Web記事】 ■ 道州制について勉強する・・・自公の議員立法で提出されるらしい 「人力でGO(2013.3.24)」より (※ 前後略) / ■ 道州政府のレベルによってはデメリットが目立つ ■ 道州制の良し悪しは一概には判断出来ません。 将来的に少子高齢化で成長力が低下する日本では、東京などの国際競争力を維持する為には、成長力が低い地方を切り捨てる必要があります。 維新の会などは、露骨にこの路線を推進するでしょう。 一方で、競争力の低い地方の同州は、中央からの資金が減れば当然、成長が鈍化して、生活レベルや行政サービスレベルが低下します。 地方で独自の成長戦略の導入を迫られますが、結局、外資の積極的な受け入れや、移民や外国人労働者受け入れという安易に走る可能性が高くなります。 言うなれば、九州などは中国資本に買占められる可能性が高くなります。 又、東北の都市の中心部をアメリカの銀行が買い占めるなどという事態も生じるかも知れません。 高齢者の保険を維持できずに、外資の保険会社に丸投げする州も現れるかも知れません。 いずれにしても、明治以来続いた強い中央集権が崩れる事で、地方行政のレベル如何によっては、メリットよりもデメリットの方が増えるかも知れません。 ■ 道州制 何が問題なのか 「WJFプロジェクト(2013.2.3)」より (※ 前略、太字はmonosepia) / 90年代以降の日本の問題点は何だったでしょうか。どうしてかつては存在した「瑞穂の国にふさわしい資本主義」が破壊されて、「ウォール街から世間を席巻した、強欲を原動力とするような資本主義」が導入されてしまったのでしょうか。 それは、90年代以降、アメリカの圧力に押され、また、新自由主義という考え方に基づいて、「規制緩和」や「行財政改革」や「金融ビッグバン」や「構造改革」によって、国家の機能や障壁をできるだけ弱め、社会や経済の仕組みを「グローバル化」させてきたことと密接な関係があります。 道州制はTPPと同じく、中央政府の機能を弱めて、国家間の障壁を取り除く「グローバル化」の究極のものです。日本の国をいくつかの州に分けて、州政府を持たせ、それぞれの州が独立国のように振る舞う。日本をアメリカや中国のような連邦国家に変えるのが道州制です。 日本の各地域が州として独立することにより、国際資本や多国籍企業が、各州に直接投資をしたり、経済に参入しやすくなります。つまり各州と国際社会が、国家の障壁を飛び越えて、直接のパイプで結ばれるようになります。しかし、逆の面として、国際資本、つまり「強欲を原動力とするような資本主義」の直接の影響下に各州が置かれるということも意味します。「強欲を原動力とするような資本主義」を規制するのは、本来は中央政府の大切な役割ですが、中央政府の機能は道州制では弱められてしまいますから、道州制の下では、各州は、経済合理性のみに基づいて国際資本によって自在に改造されていくことになります。 (※ 以下略。ブログ本文で。) 【橋下徹】 / 【勝栄二郎】 ■ 橋下徹VS勝栄二郎の戦いは、衆院選における地方分権派VS中央集権派の戦いであり、財務省の権力と中央統制を嫌う地方との戦いなのだ。 「株式日記と経済展望(2012.7.3)」より ■ 地方分権を喜ぶ地方の人は居ない 「実業の世界(2012.2.24)」より ・私は現役時代・・・今でも現役だが・・・・全国津々浦々の都市を回った。 そのため地方に親友、友人が多い。 昔から、彼らと地方自治だの、地方分権だの、道州制などの話をすると、顔が曇る。 そして、言う。 「地方も日本なんですよ」 「都市の繁栄は地方が支えている部分があるのですから、それは違うんじゃないの」 「我々を切り捨てるというの?」 彼らは都市と地方の実態が分かっている。 ■ 「地域主権改革」は住民主権を基礎にした地方自治とは違う (「すくらむ」、「連合通信」、「労働組合ってなにするところ?」から) 「村野瀬玲奈の秘書課広報室」より ● 私は「地方分権」が推進されている裏にある隠れた意図を警戒している 【関連報道】 ★ 自民、道州制基本法案を来年度予算成立後に提出へ 「産経新聞(2013.1.11)」より + 記事 自民党道州制推進本部の今村雅弘本部長は10日、都内で産経新聞社の取材に応じ、昨年まとめた「道州制基本法案」を28日に召集される通常国会に議員立法で提出する方針を明らかにした。公明党や日本維新の会などとの共同提案も視野に入れる。道州制は都道府県を廃止し、全国を10程度の道や州に再編するもの。来週にも政権交代後で初の本部総会を開き、提出に向けた最終調整に着手する。 基本法案では理念や手続きを規定。30人以内の有識者らで構成する「道州制国民会議」を内閣府に設け、3年以内に区割りや市町村の役割などをまとめ、首相に答申する。 .
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/90.html
581. ひゅうが 2011/11/16(水) 17 14 17 稚泊と青函〜北の鉄道網略史〜 1、前史 ――日本という国が北海道と樺太と呼ばれた大地に鉄道の建設をはじめたのは、明治維新の混乱がまだおさまりきっていない1872年のことだった。 新政府に置かれたばかりの北海道・樺太開拓使のもと、官営幌内鉄道と官営泊豊鉄道が建設されたのだ。 幌内炭鉱から産出される石炭を輸送するために設けられた前者はともかく、後者は樺太に土足で上がりこみつつあったロシアへの牽制という意味が込められていた。 ただし、日露和親条約において日露の雑居地とされた樺太であるだけにその運営には多大な配慮がなされ、駅名や案内図などは日本語とロシア語の二つが併記され、流刑を解かれたロシア人のスタッフを雇いいれて運営するなど、そのノウハウは後の満州鉄道に活かされることになる。 ともすれば北海道や一時期占領していた対馬でさえも自国の領土と主張してはばからないロシア内務省をおさえたのは、意外なことに当時のロシア皇太子であったニコライ2世だった。 幕末期以来、一貫して知日派であったニコライは、明治維新後も新政府の手厚い保護の上に成り立っていた公益法人「伊万里焼製造・開発」などに代表される幕末から明治にかけての江戸文化と西洋文化が融合したような美しい陶磁器や加賀友禅などの緻密な生地でできた手工業の精華をこよなく愛しており、それをもって「日露協商」を主張してはばからなかったのだ。ゆえに、樺太に関して日本側の先取権が事実上認められる形になった(開拓使という形で失業武士ら5万人あまりが送り込まれていたことも大きかった)のである。 そんな皇太子に皇帝アレクサンドル3世は一定の配慮を示し、日露合弁での持ち株会社「樺太鉄道」を設立し、実質的な運営は日本側に任せるという決断を下した。 同時に樺太を北緯50度線で南北に分割する代わりに択捉島以北の千島列島を日本側の領土とする「樺太・千島交換条約」が締結されることとなった。 こうして条約が発効した1875年には北方の国境は一応の安定を見、これをもって本格的な北方の開発と建設が実行に移されたのである。 2、発展 樺太開拓使と北海道開拓使が合同され、北方開発省(のちの拓務省)が設けられたのは、早くも1876年のことである。 同時に、同省の長をつとめていた黒田清輝は、進行中だった10年計画を改定し新たに20世紀の開始される1901年までに北方に300万人を移民させるといういわゆる「北方開発25年計画」をぶち上げる。 同時に、当時発見されたばかりの菱刈金山から産出される金でようやく一息ついていた明治政府の財源の15パーセントにも及ぶ巨費を用いて北方開発に投入するという提案まで行った。 さすがにこれは無理であったものの、陸海軍の提案からロシアのウラジオストクを警戒する意味での北方開発は承認され、20年以内に北海道の沿海部を網羅する鉄道を建設し、連絡船をもって大泊へと接続することが認められた。 この方針のもと道庁には「鉄道敷設局」が設けられ、本土においては欧州標準軌と狭軌が混在していた軌道はのちのシベリア鉄道との接続も視野に入れた広軌(1500ミリ)が採用された。 この決定に際して何が影響したのかは分からないが、少なくとも黒田はこれ以後北方専任の政治家としてその辣腕を振るい続け、大久保利通や伊藤博文らに中央における自らの地位を明け渡したとされている。 582. ひゅうが 2011/11/16(水) 17 15 00 1881年、黒田の腹心であった五代友厚のもとで「国営北海道鉄道株式会社(北鉄)」が誕生。 建設が進んでいた函館と札幌間を結ぶ函館本線が函館・小樽間で開業し、同時に青森と函館間を結ぶ青函連絡船の運航も開始された(東北本線との接続も考慮されていた)。 この頃は、札幌から日本海側を北上し、稚内に至る「宗谷本線」(当時は一括して宗谷本線と呼ばれていた)の建設が優先され、室蘭以東の路線については、北鉄が運航する連絡用客船を用いた「代替輸送」に頼っていた。 樺太においては、大泊から敷香までを結ぶ敷香線が建設途上にあり、沿海州沿岸の漁場へアクセスできる泊居との間の路線建設も計画されつつあった。 1894年の日清戦争以後は、ロシアとの緊張状態も手伝い、条約により鉄道警備隊以外の戦力を置いていない樺太に迅速に旭川の第7師団を輸送できるように建設が急がれ、 1896年には宗谷本線が開業。旭川から稚内までが結ばれた。 同時に、日露共用水路とされた宗谷海峡をにらむ形で港湾整備も進められた。 この年、ついに開業した東北本線と函館本線が接続され、また稚内と大泊間での鉄道輸送も開始された。青函連絡船に次ぐ北鉄のドル箱、稚泊連絡船の開業である。 1900年には、ついに念願であった道東部への展開も開始された。 すでに開業していた十勝線と釧路線が接続され、「釧路本線」と「根室本線」が開業したのである。 また、今までは手つかずだった日本海側の留萌以北とオホーツク海側の稚内・紋別・網走間においても鉄道建設が開始される。 これは、日英間で秘密裏の同盟交渉が開始されたこと、そして室蘭港に北海道としてははじめての「海軍警備府」設置と稚内港の「海軍要港部」化といった北方重視政策の一環であったとされる。 一方で、樺太鉄道は泊居と大泊間の連絡は完了したものの、肝心の北緯50度以北においてシベリア鉄道に加えて東清鉄道という鉄道建設が進行中であるためにまったく計画に着手されておらず、足踏み状態が続いていた。 そんな中、極東総督であったエヴゲーニイ・アレクセーエフは独断で北樺太への派兵を強行。 同時に、朝鮮半島北部への進駐を試み、日露戦争の引き金を引いた。 しかし、黒田ら北海道庁が心血を注いで整備していた鉄道網と船舶輸送路を用い、日本軍はロシア側がまったく想定外の速度でカムチャッカ半島を強襲。北樺太にはいきなり1個師団が出現し電撃的にこれを制圧するという成果を達成したのであった。 (なお、この時宗谷海峡の強行突破を図ったウラジオ艦隊は待ち受けていた上村中将率いる第3艦隊に迎撃され、見事な連携機雷戦により文字通り撃滅されることになる。このため、のちのバルチック艦隊は対馬海峡の強行突破を図らざるを得なくなってしまった。) 3、現状 日露戦争後、北方の鉄道網はほぼ北海道全土の沿海部を結び、旭川を拠点とした内陸ルートでの開業もあってほぼ完成の域に達している。 また、樺太鉄道に関しては日本側が賠償金の減額と引き換えに譲渡を受け、北樺太油田群との連絡ルートとしての「樺太本線」が1912年に開業。現在は間宮海峡側を走る間宮線(連絡船で尼港と連結)、そして尾波から神坂(カムチャッカ)の奥茶部(旧オクチャブリスキー)を結ぶ日本最長の鉄道連絡船経路が開業している。 現在は神坂(カムチャッカ)半島の南北を縦貫する「神坂本線」に加えて山岳地帯を横断する「神坂横断線(仮称)」の建設も計画されている。 択捉鉄道などへの連絡を担う鉄道連絡船は、海軍の砕氷艦の相次ぐ就役によって行動の容易さを増しており、自動車による交通網の構築が北方の環境により厳しい以上、今後も整備は継続されるだろう。 北海道の鉄路は、この地が北の要地であり樺太や千島へのターミナルである以上、これからも維持・整備されてゆくことになるだろう。 583. ひゅうが 2011/11/16(水) 17 20 34 【あとがき】――特定地方交通線なんて寝言を抜かすことをなくしてみたくて書いてみました。 あとついでに、広軌を採用した理由を「北海道は広いから狭軌なんていらないよ!」と理由づけ。 また時間犯罪の一環として宗谷海峡で蔚山沖海戦をやらかし、バルチック艦隊の針路を塞いでみましたw 説明文オンリーですが、楽しんでいただければ幸いです。 あと、宗谷本線のルートについてはいろいろ紆余曲折がありますのでその辺は突っ込まないでいただけると有り難く(汗) 584. ひゅうが 2011/11/16(水) 19 10 01 581 あくまでもearth閣下の二次創作である以上、ぼかすべきところはぼかすべきということで、勝手な表記をしたところをお詫びして訂正いたします。 同稿最後より3行目および4行目における修正としまして 「鉄道敷設局が設けられ」以後を「軌間を『広軌』に設定。最終的にはこの広軌が日本全土における標準的な軌間となった。」としたいと思います。
https://w.atwiki.jp/monosepia/pages/7788.html
世界遺産 / 日韓関係 +クチコミ検索〔明治日本の産業革命遺産〕 #bf +ブログサーチ〔明治日本の産業革命遺産〕 #blogsearch +ニュースサーチ〔明治日本の産業革命遺産〕 “日本初”の設備も…当時の「軍艦島」がこんなに“先進的な暮らし”をしていたって知っていますか?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース マリオットホテルが2023年秋に長崎市に開業| - @DIME MBCニュース | 鹿児島市・異人館で機織り体験イベント - 南日本放送 藤井聡太竜王を祝う会@鹿児島・指宿 現地リポート - 読売新聞 長崎、海の街で 「軍艦少年」10日全国公開 まっすぐな心、親子の絆 アクションシーンに迫力 坂本海星役・佐藤寛太 - 毎日新聞 街とキャラ相乗効果?出川哲朗さんに萩市長賞 山口の写真コンテスト - 毎日新聞 - 毎日新聞 軍艦島30号棟「余命半年程度」 国内最古の鉄筋アパート 東大大学院、野口教授が予測(長崎新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「佐渡島の金山」の世界遺産登録推進 韓国政府「動向を注視」(聯合ニュース) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 窓の明かりで「450」 三菱長崎造船所本館ビル 開港450年を記念(長崎新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース [特派員コラム]ユネスコの警告と軍艦島(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 旧グラバー住宅の展示一新 きょうから一般公開 資料を基に寝室も再現(長崎新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 夜の宮原坑跡、熱気球で見学 150人が空中散歩楽しむ 大牟田・旧三池炭鉱 /福岡 - 毎日新聞 大牟田市「光の航路」世界遺産の三池港から見えるこの時期だけの絶景!美しい夕日 - 久留米ファン 姉妹都市輪島市 市長ら萩市訪問 /山口 - 毎日新聞 公立学校でドメインを統一。県の旗振りに自治体が呼応した「オール鹿児島」小中高の教育基盤 - Microsoft 明治期の「産業革命」、ニッチを突いた戦略性の勝利だった 【連載】ビジネスに効く! 世界史最前線(第79回)(1/6) - JBpress 世界遺産「韮山反射炉」が復活、1857年完成当時のレンガ残す - 読売新聞 韓国に二度煮え湯を飲まされた岸田首相が韓国に対してすべきこと 慰安婦問題終結のための「河野談話」が悪用された歴史は繰り返す(1/4) - JBpress 「鉄の都のものがたり」開幕 北九州、釜石両市の資料展示 市立いのちのたび博物館 /福岡 - 毎日新聞 今日は何の日:10月4日(nippon.com) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース <博愛の里から>佐野常民と三重津海軍所跡の歴史館 - 佐賀新聞LiVE ユネスコ世界遺産委決議受け明治産業遺産の展示変更を要請 強制労働や軍事目的の明確化を(週刊金曜日) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 長崎・端島(軍艦島) 島の姿、延命の道 - 毎日新聞 軍艦島は世界文化遺跡になったのに、慰安婦記録物は?(WoW!Korea) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 長崎大学の土木学者が軍艦島3次元映像を更新 老朽化進む姿も - 長崎経済新聞 世界文化遺産・縄文遺跡群(上)増加する観光客 現地ガイド育成急務|秋田魁新報電子版 - 秋田魁新報 (社説)産業革命遺産 約束守り、展示改めよ:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 3つの世界遺産がある鹿児島 奄美・屋久島・明治日本の産業革命遺産 観光業界、周遊活発化に期待高まる - 47NEWS 外務省「誠実に履行している」 軍艦島「遺憾」決議に - 産経ニュース 軍艦島 説明不十分「強い遺憾」決議採択|日テレNEWS24 - 日テレNEWS24 ユネスコ「軍艦島」決議案「これから議論」 加藤官房長官 - 産経ニュース 強制動員被害者の証言映像公開 ソウルの植民地歴史博物館で展示会 - 聯合ニュース 韓国、防衛白書の竹島記述で抗議 ユネスコ決議案を評価 - 時事通信ニュース 三重津海軍所跡が「ふね遺産」に認定されました! - PR TIMES 炭鉱施設、往時の面影残す 福岡県大牟田市の近代化産業遺産 - 日本経済新聞 「悲劇の世界遺産」書評 近代社会の矛盾に対峙する場所|好書好日 - 好書好日 世界遺産、実は〝影〟こそ見どころ 広がるダークツーリズムの視点から - 産経ニュース 佐渡金銀山 「金に焦点」評価 元ユネスコ事務局長松浦さんに聞く - 新潟日報 世界遺産「旧鹿児島紡績所技師館」 展望スペースが完成 鹿児島 /鹿児島 - 毎日新聞 【久保田るり子の朝鮮半島ウォッチ】産業遺産情報センターは韓国の「反日」と闘う情報基地 「軍艦島は地獄島ではない」 - 産経ニュース 三内丸山、世界遺産へ 北海道・北東北の縄文遺跡群、登録勧告 - 河北新報オンライン 旅猫ニャン吉が大牟田の世界遺産を動画で紹介 三池炭鉱専用鉄道敷跡などを巡る3編 - 福岡ふかぼりメディア ささっとー 石炭を掘るためだけに存在した軍艦島が語る未来 - JBpress 明治日本の産業革命遺産と朝鮮人強制労働/高麗博物館で講演 | 朝鮮新報 - 朝鮮新報 【科学この日なんの日】120年前の今日、官営八幡製鉄所が操業を開始しました(ブルーバックス編集部) - 現代ビジネス 明治産業遺産に対する日本の約束無視 韓国政府がSNSなどで広報 - 聯合ニュース 世界遺産「軍艦島」の劣化が加速…近代化を物語る遺構 後世に残すための道筋は - www.fnn.jp 軍艦島の魅力度「100%」 オンラインでPR お笑い芸人・アキラ100% - 47NEWS 300名に聞いた、「行ってみたい日本の世界遺産ランキング」の1位は? - マイナビニュース 「社会史・労働史」が欠落している産業遺産情報センター展示 | 週刊金曜日オンライン - 週刊金曜日 日本人労働者の血と汗、そして産業遺産を考える | オアシスのとんぼ | 澤田克己 - 毎日新聞 強制労働否定する日本政府を国際社会が批判 ソウルで討論会 - 聯合ニュース なぜ「残念」? 産業遺産情報センターに行ってみた | オアシスのとんぼ | 澤田克己 - 毎日新聞 軍艦島センター長が熱弁「韓国メディアの圧力に反論する」 - NEWSポストセブン 韓国が主張する「軍艦島の世界遺産取り消し」日韓対立がこじれたワケ - 現代ビジネス 韓国・文政権が軍艦島の世界遺産登録取り消しを求める「真の狙い」 - ダイヤモンド・オンライン 明治産業遺産 「世界文化遺産としての意味喪失」=韓国担当閣僚 - 聯合ニュース 韓国、世界遺産取り消し検討要請 軍艦島展示でユネスコに書簡 - 産経ニュース 韓国、軍艦島展示で世界遺産取り消し要求 ユネスコに(写真=共同) - 日本経済新聞 軍艦島とは?韓国が世界文化遺産の登録取り消しを求め、再び注目浴びる。ある「展示」も議論に - ハフポスト日本版 韓国が「明治日本の産業革命遺産」取り消し求める書簡を送付へ - 産経ニュース 【歴史戦】「産業遺産情報センター」一般公開 韓国の主張に反論 - 産経ニュース 政府の産業遺産情報センター 軍艦島元島民の証言紹介 15日から一般公開 - SankeiBiz 【外交安保取材】事なかれ外交の脱却を 徴用工の展示めぐり韓国側反発 - 産経ニュース 「明治産業遺産は歴史歪曲」 韓国市民団体が周知活動へ - 聯合ニュース 政府、31日に「産業遺産情報センター」設置 徴用工、差別なし説明 - 産経ニュース 明治日本の産業革命支えた鉱山鉄道、なんとか後世に残せないか - NEWSポストセブン [特派員コラム]「明治産業遺産」の陰 - hani.co.kr 明治日本の産業革命 - Nippon.com 【単刀直言】徴用工資料収集、待遇差なかった 加藤康子元内閣官房参与 - 産経ニュース 福岡県、夏休み期間に「明治日本の産業革命遺産」を巡るスタンプラリー実施。達成者に福岡県産品のカタログギフトなどプレゼント - トラベル Watch 明治日本の産業革命遺産に関するトピックス:朝日新聞デジタル - 朝日新聞デジタル 明治150年 日本の近代化支えた産業革命遺産 100歳超、いまだ現役で活躍 - 産経ニュース 軍艦島など産業革命遺産紹介の「情報センター」を再来年にも設置 東京都内に - 産経ニュース 早くも陰り…九州「産業革命遺産」の課題山積 - 東洋経済オンライン 日本の世界遺産登録問題で「勝負」に出た韓国政府の戦略を読む - nippon.com この夏「世界遺産の達人」になる!国内19件の見どころ早わかりガイド(上) - ダイヤモンド・オンライン 祝!世界遺産登録 JTBサン&サン「明治日本の産業革命遺産への行き方」 - PR TIMES 「明治日本の産業革命遺産」 世界遺産登録の意義と今後の課題 - nippon.com 「明治日本の産業革命遺産」目からうろこの四季報ツアー | 会社四季報オンライン - 会社四季報オンライン 「明治日本の産業革命遺産」山口県“萩の産業化初期の時代の遺産群”世界遺産登録決定!! - PR TIMES 「明治日本の産業革命遺産」、世界遺産に正式決定 - rbbtoday.com 「明治日本の産業革命遺産」のストリートビュー公開、松下村塾の屋根裏部屋までも - INTERNET Watch 三重津海軍所跡(佐賀県)を含む8県23資産 「明治日本の産業革命遺産」世界遺産に正式決定 | 佐賀県庁 - デジタルPRプラットフォーム 世界遺産になった「明治日本の産業革命遺産」、携帯各社のLTEも - ケータイ Watch 軍艦島ほか「明治日本の産業革命遺産」各地でKDDIの4G LTEが利用可能に - - ITmedia 「明治の産業革命」、世界遺産に登録決定 国内19件目(写真=共同) - 日本経済新聞 祝・世界遺産! 国内19番目の「明治日本の産業革命遺産」全23資産を一挙紹介 - マイナビニュース 軍艦島など、世界遺産に決定 「明治日本の産業革命遺産」めぐる日韓対立が終結 - ハフィントンポスト 韓国 世界遺産登録阻止外交 に理はあるか - 東洋経済オンライン 世界遺産登録へユネスコが勧告!九州・山口「明治日本の産業革命」|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 - 株式会社日刊工業新聞社 世界遺産の勧告を受けた「明治日本の産業革命遺産」の魅力・価値とは? - マイナビニュース 「明治日本の産業革命」に貢献した長崎のトーマス・グラバー - Nippon.com 「明治日本の産業革命遺産」世界遺産への登録を勧告 軍艦島や官営八幡製鐵所など23の資産で構成 - - ねとらぼ 世界遺産登録へ!「明治日本の産業革命遺産」(萩市編)大河ドラマもニンマリ?|ニュースイッチ by 日刊工業新聞社 - 株式会社日刊工業新聞社 明治期の産業施設、世界遺産登録へ 韓国は「強制労働」を理由に猛反対 - J-CASTニュース 近代日本の礎、世界遺産へ!明治日本の産業革命遺産 - テレビ朝日 軍艦島・八幡製鉄所などを世界遺産に推薦 - ハフィントンポスト 吉田外務報道官会見記録|外務省 - Ministry of Foreign Affairs of Japan 茂木外務大臣会見記録|外務省 - Ministry of Foreign Affairs of Japan ● 九州・山口の近代化産業遺産群〔Wikipedia〕 ■ 平和の灯を!ヤスクニの闇へキャンドル行動・韓国人が明治維新と靖国神社を冒涜する違法な政治活動 「正しい歴史認識、国益重視の外交、核武装の実現(2017.8.13)」より / <>平和の灯を!ヤスクニの闇へ 2017キャンドル行動 <>「東アジアの視点から『明治維新150年』とヤスクニを問い直す」 毎年8月15日前の週末の夜に韓国人や朝鮮人や反日糞左翼によって行われる【平和の灯を!ヤスクニの闇へ キャンドル行動】が今年も行われてしまった。 今年は、明治維新と靖国神社を冒涜する集会とキャンドルデモが行われた。 「軍艦島」など「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録されて以来、韓国では日本の明治維新を悪い事とするための歴史偽造・歴史捏造が続々と行われている。 / 平成27年(2015年)6月21日の日韓外相会談でお互いに遺産登録に協力し合うことで一致したが、登録直前の同年7月4日に一転、韓国が裏切って反対した! ↓ ↓ ↓ 最悪! 日本政府が、世界の公式の場において「朝鮮人の強制連行や強制労働」(英語で「against their will」や「forced to work」などを使用)を認めて「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録決定! / 佐藤地ユネスコ大使「1940年代に一部の施設で大勢の朝鮮半島の人々などが意に反して厳しい環境下で労働を強いられた」、「この犠牲者のことを忘れないようにする情報センターの設置など、適切な措置を取る用意がある」 最悪! / 岸田文雄外相「誠に喜ばしい」 最悪! / 安倍晋三首相「心からうれしく思う」 最悪! / 石破茂地方創生担当相「大変喜ばしく思う」 最悪! 日本政府が「朝鮮人の強制連行や強制労働」を認めて「軍艦島」など「明治日本の産業革命遺産」が世界遺産に登録された! 最悪! 岸田文雄は「『forced to work』との表現等は、『強制労働』を意味するものではない」などと言って売国行為を誤魔化しそうとしたが、諸外国にも日本国民にも全く通用しなかった。 東京大学大学院教授のロバート・ゲラー(アメリカ人)も、ツイッターで「本件の場合forced to workは強制労働の意味であることが明らかだ。外務省は英語を勉強しろ」と日本政府・外務省を非難した。 / 当然のことながら、韓国メディアは「大勝利一色」となった。 ▼海外の報道(海外の認識)▼ ●英紙ガーディアン http //www.theguardian.com/world/2015/jul/06/japan-sites-get-world-heritage-status-after-forced-labour-acknowledgement Japan sites get world heritage status after forced labour acknowledgement 日本の遺産は、強制労働の事実を認めた後に世界遺産登録を獲得! ●英紙テレグラフ blaqnklink Japan slave labour sites receive world heritage status 日本の奴隷労働者の跡地が世界遺産に登録される! ●米CNN http //ireport.cnn.com/docs/DOC-1244907 Scenes of the atrocities of war crimes - Japan s bid for industrial sites as World Heritage 戦争犯罪である残虐行為が行われた現場!産業遺産を世界遺産とするための日本の入札(推薦遺産) ●米ABC http //abcnews.go.com/International/wireStory/san-antonio-missions-receive-world-heritage-status-32230481 The unanimous vote in favor of Japan s bid was approved only after Tokyo and Seoul resolved a spat over whether to acknowledge the sites history of wartime forced labor, particularly that of Gunkanjima, or Battleship Island. 日本の推薦遺産は、それらの遺産、特に軍艦島での戦時強制労働者(forced labor)の歴史を日本が認めることで日韓が合意の後に、全会一致で承認された。 ●米誌フォーブス http //www.forbes.com/sites/donaldkirk/2015/07/06/japan-agrees-with-korea-on-world-heritage-sites-admitting-forced-labor-an-omen-for-future/ 日本と韓国が合意!日本はユネスコ世界遺産で朝鮮人強制労働を悔い改める! Japan, Korea Breakthrough Japanese Repenting Forced Korean Labor On UNESCO Heritage Sites 日本と韓国が合意!日本はユネスコ世界遺産で朝鮮人強制労働を悔い改める! ●米紙ワシントンポスト http //www.washingtonpost.com/world/europe/san-antonio-missions-receive-world-heritage-status-from-un/2015/07/05/6b968a8a-230c-11e5-b621-b55e495e9b78_story.html Tokyo and Seoul resolved a spat over whether to acknowledge the sites’ history of wartime forced labor, particularly that of Gunkanjima, or Battleship Island. 日本の産業遺産、特に軍艦島における戦時の強制労働の歴史を認めることでとで日韓が合意! (※mono....以下略、詳細はブログ記事で) ■ 売国奴 佐藤地と、無能岸田文雄を許すな!! 【拡散希望】 「BBの覚醒記録(2015.7.10)」より (※mono.--前後略、詳細はブログ記事で) / でも、海外ではいっせいに「劣悪な環境で、労働を強制した」と報道されてししまった後。 それに徴用工をVICIM犠牲者と言ってしまってるの、どうするの。 軍艦島の朝鮮人は、皆ほぼ応募した連中ですよ、徴用ですらなく。 調べました? 朝鮮人への徴用じたいが、1944年からわずか7ヶ月間です。 軍艦島に朝鮮人徴用工はほぼいません。 国際法にひっかからないといっても、forced to workという実態じたいが皆無だったのに佐藤大使も岸田外相も、取り返しのつかないこと言っちゃったんです。 佐藤さんは英語力貧弱、知識も無く、それ以前に相変わらずの外務省の自虐史観の酷さ!! まずそこから反省を。 根本から反省を。 そして、佐藤さんと岸田さん、会見してください。 経緯の説明と国民への謝罪を。 そして、両者罷免。 当然です。 直接のセクションに電話回さなかったり、出なかったり、 国民を舐めるな、愚弄するな!! 電話しても名乗りもせず。 最低外務省。 佐藤地、出て来い!! 国民に事情説明と謝罪せよ!! ーーーーーーーーーー ★■ 世界遺産「韓国の裏切り」報道は大嘘! 難癖をつけたのは日本政府と安倍首相だった 「LITERA(2015.7.8)」より / 日本が推薦した「明治日本の産業革命遺産」が、世界遺産に登録されることが5日の世界遺産会議で決定した。 本サイトでは、その直後、「明治日本の産業革命遺産」世界遺産推薦が、実は安倍首相の閨閥がからんだ政治的ゴリ押しだったことを指摘したが、テレビなどではほとんど報道されず、その代わりにもちきりだったのは、「韓国の裏切り」問題だ。 この「裏切り」というのは、4日の審議で、韓国側が日本の候補である「明治日本の産業革命遺産」で「朝鮮人の強制労働があった」とする主張をしようとしたため、審議がもち越しになったというもの。日韓外相会談では両国が登録に向けて協力することで合意しており、日本は韓国の候補である百済歴史遺産に賛成した、なのに、韓国が手のひら返しで裏切って難癖をつけてきた、とメディアが一斉に報道したのだ。 5日夜に、韓国含め全会一致で「明治の産業遺産」の登録が決まってからも、この問題一色だった。世界遺産決定を報じるニュースやワイドショーも、決定の喜びより、「後味の悪さ」を強調、なかでも「韓国が土壇場で裏切った」経緯の解説に時間をかけられ、韓国のロビー活動の様子などを執拗に報じていた。 5日夜、5日夜、速報で登録決定を報じた『Mr.サンデー』(フジテレビ系)で宮根誠司は「韓国は世論に弱すぎる」と韓国が大衆に迎合して不当な主張をしているかのように批判。さらに翌6日の『情報ライブ ミヤネ屋』(日本テレビ系)でも、解決スミの日韓請求権が蒸し返されるのでは、日韓関係に冷や水、などと韓国側の姿勢を非難した。 『ひるおび!』(TBS系)でも、八代英輝弁護士が、日本側が演説で、被害者を記憶にとどめるため「情報センター」の設置をするとしたことについて、「なぜ日本が韓国のために情報センターを自分たちの費用で作らなければならないのか」「後味の悪いものになった」などと、不満を口にした。 しかし「一度は協力を合意したのに、韓国が裏切って難癖をつけてきた」というのは、明らかに事実とは違う。 そもそも、韓国は明治の産業遺産の世界遺産登録に一切反対はしていない。韓国は逆に賛成の意見陳述をする予定だったのだ。ところが、日本がその陳述の予定稿に「forced labor」(強制労働)という表現があることを問題にし、“演説の表現を変えろ”と韓国に迫ったのだ。 +続き 改めて説明するまでもないが、1939年から1945年の間に70万もの朝鮮人が朝鮮半島から内地に送り込まれた。その多くは暴力を伴う明らかな強制連行で、調査に入った内務省が「拉致同然」という報告書を提出しているほどだった。 そして、今回、世界遺産に登録された炭坑や製鉄所に送り込まれた朝鮮人は劣悪な環境に閉じ込められ、長時間労働を強いられ、多くの死亡者を出した。 日本政府はこれを日本国民に対して行ったのと同じ「徴用」だと言っているが、まったくちがう。日本人には国民徴用令で家族への扶助制度があったが、この扶助制度は1944年まで韓国人には適用されていない。そういう意味では、韓国が「強制労働」の事実があったとするのは当然の主張なのだ。 いや、韓国だけではない。5月には、ユネスコ傘下の国際記念物遺跡会議(イコモス)が、日本に対して否定的な歴史も盛り込むよう勧告している。 また、日本は対象を1850年代から1910年までに限定。朝鮮人徴用とは「時代が違う」と主張しているが、これについても、ポルトガルのユネスコ大使から「遺産群は総体で一つであって、ある時代を切り取ることはできない。全参加国が満足できる結果を待っている」と批判されている。 実際、日韓外相会談では両国が意見陳述を行うこと、審議の場では日本が自主的に強制労働の事実を説明し、その後に韓国が発言することも合意されていた。 それがなぜ、突如、「強制労働」という言葉を使うな、と言い始めたのか。実はここでも、安倍首相のゴリ押しがあったという。 「官邸が突然、外務省の担当者に韓国の陳述内容を確かめろ、と言ってきて、事前協議をすることになったようです。そして、韓国が「forced labor」を使っていることが分かると、官邸はそんな言葉の使用は絶対に許さないの一点張り。現地の岸田外相と佐藤ユネスコ大使は完全に板挟み状態になっていた」 最終的には議長国のドイツが調整に動いて、日本も韓国も意見陳述の際に「forced labor」を「forced to work」表現に言い換えることで妥結したが、この言葉の選択については、審議の行われているドイツから、日本の安倍首相に一字一句相談し決められたという。 しかし、国際社会が官邸のゴリ押しを認めるはずもなく、「labor」(=労働)を「work」(=働く)に言い換えたのみ、「forced」(=強制された)の部分を言い換えることは許されず、意味はほとんど変わらなかった。 また、登録が決まった後、佐藤ユネスコ大使が「意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた多くの朝鮮半島出身者等がいた」というスピーチを行わざるをえなかった。 ところが、スピーチのなかで用いた「forced to work」という表現について、直後岸田外相は「強制労働を意味するものではない」と説明。義偉官房長官も6日午前の記者会見で、登録にあたり、日韓の間で焦点となった「徴用工」をめぐる表現について、「我が国代表団の発言は強制労働を意味するものではまったくない」と説明した。 これはおそらく、例の二枚舌作戦をやろうとしているのだろう。今年4月のワシントンポストのインタビューで、慰安婦について「human trafficking」という表現を使って、対外的には強制連行を認めるポーズをとり、国内向けには「人身売買」と訳して民間の商行為のような印象を与えようとしたのと同じやり方だ。 だが、この言い換えについても、マスコミはまったく真相を伝えていない。たとえば、『ひるおび!』の八代弁護士はこんな風に説明して、安倍政権をアシストしていた。 「検索で「forced labor」と入れると、奴隷のようなものが出てくるが、「forced to work」はブラック企業のようなもので、ニュアンスがまったくちがう」 ブラック企業ならたいしたことないというような言い草も弁護士としてどうかと思うが、試しに「forced labor」「forced to work」を、それぞれ画像検索してみたところ、広い農場や収容所のようなところで大量の人が働かされている画像や、子どもが働かされている画像など、「forced labor」の検索結果と同一の画像が「forced to work」のほうでも、いくつも出てきた。ようするに、彼らは黒を白と言いくるめてでも、安倍政権を守りたいのだろう。 もっとひどいのは、保守系メディアやネトウヨたちだ。「なぜ韓国に配慮するのか」「強制徴用を認めるくらいなら世界遺産なんていらない、席を蹴ってしまえ」「情報センターなんかつくって自虐史観をふりまくつもりか」「国交を断絶しろ」と、この問題でさらに嫌韓をエスカレートさせ、またぞろ強制労働の歴史を否定しにかかっているのだ。 そもそも世界遺産は、各国がそれぞれの国のすばらしいところをアピールするためのものではない。正の面、負の面あわせて世界の歴史に意味のあるものを保存しようという、人類共通の遺産だ。だから、アウシュビッツ強制収容所や、広島の原爆ドームも、また世界文化遺産に登録されている。 産業革命も、産業や経済が発展したという功績がある一方、搾取の構造や悲惨な労働を生んだという負の側面があることは、日本に限らず世界共通の認識だろう。そうした負の側面を認めることは、屈辱でも恥でもない。 国威の発揚や自慢大会しか許容できないというのは、日本がとことん下品で知性のない国になってしまったということだろう。 しかし、その下品で知性のない代表選手こそ、安倍晋三である。先日の記事でも指摘したように、安倍首相はナショナリズムをあおって、戦前の大日本帝国を肯定するために、自分の閨閥に連なる連中とともに、この“戦争犯罪遺産”の世界遺産登録を推し進めてきた。 そう考えると、「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録は実現したものの、安倍首相が国際社会の求める「負の歴史」の説明をきちんと果たすかどうかは極めて怪しい。 前述したように、今回の世界遺産登録にあたっては、情報センターを設立して歴史をきちんと説明することが義務づけられるが、安倍首相は、それを使って歴史修正主義を喧伝しようともくろんでいる可能性も十分あるような気がするのだ。 (野尻民夫) ★ 民主、河野談話と混同させる意図? 安倍首相「強制労働を意味しない」と否定 「産経ニュース(2015.7.10)」より / 安倍晋三首相は10日午前の衆院平和安全法制特別委員会で、世界文化遺産への登録が決まった「明治日本の産業革命遺産」をめぐり、韓国側が一部施設で働いていた朝鮮半島出身者への「強制労働」と主張していることについて「強制労働を意味しない」と否定した。 首相は、世界遺産委員会における日本政府が述べた「forced to work(働かされた)」の意味について「対象者の意思に反して徴用されたこともあったという意味だ」と語り、戦時中に国民徴用令によって行われた朝鮮半島出身者の徴用が国際法上の強制労働には当たらないと主張した。民主党の細野豪志政調会長の質問に答えた。 細野氏は、慰安婦募集の強制性を認めた平成5年の河野洋平官房長官談話の英訳でも「forced」との表現が使われていないと指摘。今回日本側が「forced to work」との表現を使ったことについて「河野談話よりも踏み込んだのは非常に問題だ」と主張した。 これに対し、首相は「明確に違う」と述べ、慰安婦問題と徴用に関する問題は状況が異なると指摘。その上で「河野談話と混同させようという意図を感じる」と反論した ■ 今からでも「明治の産業革命遺産」の世界遺産登録申請を取り下げよ 「私的憂国の書(2015.7.7)」より (※mono.--前半のなでしこジャパン関連記事は略) / 一方、「どの面下げて帰ってくるのか」と言うべき面々もいる。佐藤地ユネスコ全権大使ほか、「明治の産業革命遺産」の世界遺産登録と引き換えに、「強制労役」という言葉を用いて南朝鮮への譲歩を示し、歴史に汚点を残した、ボン派遣組である。 ボン派遣組は、南鮮との妥協のために、「Koreans and others who were brought against their will and forced to work under harsh conditions」(「多くの朝鮮半島の出身者などが、その意思に反して連れて来られ、厳しい環境の下で働かされた」)と、南鮮に全面降伏し、「情報センターの設置など、適切な措置を取る」と公言した。この中の「forced to work」については、岸田外相が「強制労働を意味するものではない」と釈明しているが、この取り繕いが万国に理解されるかどうかは苦しい。forceとは強制を意味する英語の中で、compelやobligeよりも強い意味を持つ。失礼ながら岸田外相はそれほど英語力を備えた人物ではないだろうから、外務省の書いたものだろう。将来、子の言質がどのように利用されるのか、外交のプロであるべき外務官僚が想定していなかった筈はない。 日本側の苦しい釈明とは対照的に、南鮮側は勝利宣言一色だ。「韓国は日本が希望してきた遺産の登録に賛成する代わりに、日本から朝鮮人労働者の「強制動員」を事実上認める発言を引き出した」(ハンギョレ)に代表されるように、日本相手の条件闘争に勝利したことが喧伝される。青瓦台とて例外ではなく、「日本による植民地時代に本人の意思に反して労働させられたことを、日本政府が事実上初めて国際社会で公式に言及したことに大きな意味がある」と評価。それもそのはずだ。「強制労役」(もしくは労働)ということばは、あの河野談話にすら登場しない。このひとつをとっても、外務省は大失態のそしりを免れない。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 地元の方々の切実な想いを無視しようとは思わないが、こんな条件を飲み、将来に禍根を残すくらいなら、「明治の産業革命遺産」の世界遺産登録は、今からでも取り下げてもらいたい。将来に渡って難癖をつけられる余地を与えず、日本人の誇りを維持することができれば、世界遺産登録を増やすことなど国益と呼べない。出直すことは恥ではない。それを証明したのが、安倍総理の再登板ではなかったのか。 ■ “強制性”は徴用の中で-世界遺産登録問題 「璧を完うす(2015.7.6)」より (※mono.--前略) / まず事実として、当時日本人(朝鮮人含む)は戦時徴用され、各地の工場や炭鉱などで働かされた。 賃金は出たがその労働に比して微々たるものだった。 実際日本人ですら、徴用に対する反発があったことを考えると、その待遇が分かろうというものだ。 それを踏まえて、 <>日本は、1940年代にいくつかの施設で多くの韓国人と他の国民が、本人の意思に反して動員され、過酷な条件下で強制的に労働し、第二次世界大戦当時、日本政府も徴用政策を実施したという事実を理解できるようにする措置を取る準備ができています。 この文章「過酷な条件下で強制的に労働し」の部分ばかりが注目されるが、この引用全体で一文である。 つまり、「過酷な条件下で強制的に労働し」たのは、第二次世界大戦当時、日本政府も徴用政策を実施したその徴用政策のためである、ということになる。 当然のことながら徴用政策というのは、国内法に基づき、賃金を支払って行われる政策であるからして、強制的な面はあるにせよ、合法的労働とみなされる。 さらに言えば、日本ばかりでなく世界的にも徴用政策を実施したところがあるでしょう、というニュアンスでもある。 韓国メディアからの報道でこの程度ということは、実際の表現はさらに抑えられているであろうから、さほど心配ない。 強制性の部分が徴用政策に内包される表現である限り、日本政府が今後責任を問われることはありえない。 おそらく韓国との交渉の中で、韓国が強く求める「強制」という言葉を入れる替わりに、「徴用政策」を入れ込んだのだろう。 そしてその日本の意図を、韓国は理解してはいまい。 これからは、言葉を切り取ってのネガティブキャンペーンに気をつけることだ。 徴用の一形態である「徴兵」のことを考えれば、その“強制性”は疑うべくもない。 戦争という緊急事態に対して、国家がとった戦時体制の一部が「徴用」であり、国家の浮沈と個人の尊厳との間でギリギリの措置がとられていたのだ。 強制性や待遇について、平時の価値観で計れものではない。 ただ、奴隷的な使役と、「徴用」は明らかに異なるものだ。 その意味でも徴用政策の中で行われたと、表現する必要があった。 とまれ、この「明治日本の産業革命遺産」は明治期をテーマにしたものだ。 全く関係のない昭和初期の話で、遺産の方向性がぼけてしまったのでは残念だ。 インフォメーションセンターとやらでは、明治期日本の躍進を大きく扱い、徴用の話は申し訳程度に掲載すればいい。 欧米以外で唯一、自力で産業革命を興した明治日本の輝きは、戦争によって翳るものではないのだから。 ■ だから韓国なんて信用するなって言ったんだ! 「依存症の独り言(2015.7.5)」より / 【ボン(ドイツ西部)=工藤武人】国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は4日、韓国政府が推薦した「百済歴史地区」の世界文化遺産への登録を、日本を含む21委員国の全会一致で決定した。 2015年07月04日 22時40分 讀賣新聞 で、韓国は? いったんは協力するとしていた韓国が土壇場で反対に転じた(ANN)―だって(怒) 政府関係者は「韓国の裏切りだと日本人には映るだろう。日韓関係への影響は計り知れない」と懸念している。 時事通信 2015年07月04日 21時13分配信 ほんとうにゲスと言うか、もう狂っていると言うしかないな。 裏切りなんてもんじゃない! 人間失格だよ! 韓国は!! ーーーーーーーーーー ■ 韓国、世界遺産登録で裏切る 「璧を完うす(2015.7.4)」より (※mono.--前略) / 世界遺産登録、日韓協力で一致 「徴用工」記載で調整 朝日新聞 外相同士で合意したというのに、その約束も守れない。 今回、韓国の百済地区と日本の明治日本が同時に審議になって、日本は百済に協力して正式登録になった後、これだからな。 (※mono.--写真略) / お前らは日本を貶めないと死ぬ病気にでもかかってんのか? まあ別に登録されなくてもいいわ。 むしろ、こういうことされた、ということが日本中にしっかりと認識されればいいことだ。 これからの為にはな。 ■ ユネスコ世界遺産委員会、土壇場で再び動いたゴールポスト 「私的憂国の書(2015.7.5)」より / だから南朝鮮など信用できないのだ。 ユネスコ世界遺産委員会で、南鮮が推薦していた「百済の歴史地区」は、日本代表が全面支持を表明したこともあり、世界遺産登録が決定した。しかし、日韓が登録に向けて相互協力するとされていた「明治日本の産業革命遺産」は、南鮮の反対によって工程が一日延期され、本日5日に再度審議されることとなった。日韓が合意できないのが、「戦時徴用」という表現だとされる。 まさにムービング・ゴールポストだ。岸田外相と尹炳世との外相会談では、「ともに協力し、両案件が登録できるよう協力することで一致した」とされていた。南鮮側の「戦時徴用」という主張は、外相会談前から声高に叫ばれていたことだから、それが一転して相互協力に落ち着いたということは、南鮮側が折れたか、日本側が譲歩したかしかない。 (※mono.--中略、詳細はブログ記事で) / 自分たちだけは「百済の歴史地区」世界遺産登録という果実を取り、その登録に協力した日本側の梯子を外すという、南鮮特有の行動様式だ。このような振る舞いは、過去の慰安婦問題と同じ。一度は「もう問題にしない」と約束しておきながら、世論の風向きが変わると、合意などなかったように、その合意を反故にする。 青瓦台は、文化財庁と外交部次官を共同代表とする代表団を現地に派遣し、せっせとロビー活動を展開している。次官級を派遣するということは、委員会等に自国の主張をこれでもかと刷り込むためだろう。少しうがった見方かもしれないが、南鮮としては、この展開は計算ずくだったのではないか。即ち、歩み寄るふりをしておいて日本を油断させ、土壇場で態度を変える ―― 自分たちだけは実を取り、日本の「明治日本の産業革命遺産」の登録を阻止するというシナリオだ。 いかなる理由があろうと、日本側は「強制徴用」の表現で南鮮に譲歩すべきではない。安易な譲歩をすれば、南鮮は間違いなく、それを未来永劫、政治利用するだろう。結果はどう出るか分からない。仮に「明治日本の産業革命遺産」の世界遺産登録が見送られれば、日本の嫌韓は火を吹く。それを受け止められるだけの国力があるなら、思う存分、反日活動をやればよい。その結果が南鮮側にもたらす弊害は、南鮮自身が全ての責任を負わなければならない。(※mono.--太字はmonosepiaによる) 【日韓関係】 ■ 案の定!韓国が約束を反故にして日本の世界遺産登録に反対!韓国人に何度だまされるの! 「なでしこりん(2015.7.4)」より / 韓国で「大和朝廷を作ったのは韓国人ニダ」と教えているの知ってた? 日本を劣等と教え込んでいる韓国人を日本国内に置いてはいけない! なでしこりんです。「韓国人を信用してはいけない」。これは基本ですよね! 日本の外務省の担当者は今頃どんな思いでいるのでしょうか? 岸田外務大臣、大丈夫ですか? 国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会は4日、韓国政府が推薦した「百済歴史地区」の世界文化遺産への登録を、日本を含む21委員国の全会一致で決定した。 (読売新聞) http //news.yahoo.co.jp/pickup/6165912 一転、韓国が反対で、世界遺産正式登録に暗雲(07/04 17 30) 「明治日本の産業革命遺産」のを審議する世界遺産委員会が始まりました。 登録を巡っては、韓国は自国民が強制徴用された施設だとして反対していましたが、先月、外務大臣間で登録に向けて協力することで一致していました。しかし、ここにきて一転。韓国が反対の姿勢を示していることが分かりました。他の委員国も慎重な姿勢に転じていて、世界遺産への登録に暗雲が垂れ込めています。 (テレビ朝日) http //news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000054015.html (※mono.--以下略、詳細はブログ記事で) ーーーーー ★ 審査持ち越しに日本困惑=日韓首脳会談に影響も 「Yahoo!news - 時事通信(2015.7.4)」より / ドイツで開かれている世界遺産委員会で、日本が推薦した「明治日本の産業革命遺産」の審査が持ち越されたのを受け、政府内には戸惑いが広がっている。6月の日韓外相会談で尹炳世韓国外相が登録に協力を約束していただけに、韓国側の強硬な態度は予想外だったようだ。 外務省幹部は4日、「外相同士が協力で一致したのだから、まだその努力を続けている」と言葉少なに語った。 審査持ち越しは、戦時中の強制労働の歴史をめぐる日韓の調整が難航していることが原因とみられる。政府関係者によると、世界遺産委での韓国代表が行う発言内容などに関し、なお両国に隔たりがあるという。話し合いが付かない場合、委員国による投票に持ち込まれ、韓国は反対に回る可能性が高い。 政府は、安倍晋三首相と韓国の朴槿恵大統領による初の首脳会談を今年秋に行うことを目指している。世界遺産委での調整が決裂すれば、首脳会談開催に向けた動きに水を差すのは避けられない。政府関係者は「韓国の裏切りだと日本人には映るだろう。日韓関係への影響は計り知れない」と懸念している ■ 審査持ち越しに日本困惑=日韓首脳会談に影響も・・・ほらな、チョンだろ? 「日々のストレス溜まりまくり(2015.7.5)」より (※mono.--前後略、詳細はブログ記事で) / ほらなw 思った通りのチョンだろ?www あんな奴等を信用なんかしちゃイケネーんだよ 日本政府もまだまだ甘ちゃんだな ┐( ~`;)┌ .
https://w.atwiki.jp/kolia/pages/1261.html
■はじめに ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ■ステップ3■更に深く知るために《1》皇室に関する正しい知識を得る 《2》日本の保守思想の核心に触れる ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き ■はじめに 先日、理論派保守を目指そう!を作成したところ 西洋思想ばかりで肝心の日本の思想がない(西洋カブレだ)というご批判や 逆に日本の保守思想もちゃんと知りたい|というご要望をいただきました。 実のところ、西洋思想は、所詮は外国の思想だという割り切りもあって、大胆に「これだ」という風に提示できる一種の気軽さがあったのですが、日本の保守思想については、私達の幾多の先達が大切に守り育て、私達に伝えられた価値観に関することであり、西洋思想のように躊躇なく論じるのは憚る気持ちが強くあります。 しかしながら、不要な誤解も受けたくなく、かつ、これを参考に知識を増やしていただける方が現れるのならば、という気持ちで、浅薄ながら日本の保守思想について、簡便なまとめページを作成しました。 願わくば、このサイトを訪問される有識者の方々、あるいは同学の士の方々からの有意義なコメントを通じて、このページがより適切かつ充実した内容にならんことを。 ■ステップ1■国史を通して日本の保守思想のアウトラインを掴む 名画にみる國史の歩み 小堀 桂一郎 (監修), 所 功 (編集)昭和8年(1933年)今上陛下ご生誕を記念して当代最高の日本画家達により10年の歳月をかけて製作された国史(日本の歴史)を辿る78点の名画集に、平成11年(1999年)今上陛下ご即位満10年の佳節を期して、小堀桂一郎・平泉隆房・新田均各氏を初めとする現代の一流史学者・研究家による解説を付した名品。amazonでページの一部を拝見できる。 物語日本史(上) (中) (下) 平泉澄(著) 講談社学術文庫『物語日本史』の序文(抜粋)(全文は「人権擁護法案マガジン・ブログ版」物語日本史(平泉澄)を読む 第1回 、第2回 、第3回 )(略)昭和二十七年四月、占領は解除せられ、日本は独立しました。長い間、口を封ぜられ、きびしく監視せられていた私も、ようやく追放解除になりました。一年たって昭和二十八年五月二日、先賢の八十年祭に福井へ参りましたところ、出て来たついでに成和中学校で講話を頼まれました。その中学校を私は知らず、中学生は私を知らず、知らぬ者と知らぬ者とが、予期せざる対面で、いわば遭遇戦でありました。講話は極めて短時間で、要旨は簡単明瞭でありました。「皆さん!皆さんはお気の毒に、長くアメリカの占領下に在って、事実を事実として教えられることが許されていなかった。今や占領は終わった。重要な史実は、正しくこれを知らねばならぬ。」と説き起して、二、三の重要なる歴史事実を説きました。その時の生徒の顔、感動に輝く瞳、それを私は永久に忘れないでしょう。生徒一千、瞳は二千、その二千の瞳は、私が壇上に在れば壇上の私に集中し、話し終って壇を下りれば壇下の私に集中しました。見るというようなものではなく、射るという感じでした。帰ろうとして外へ出た時、生徒は一斉に外へ出て私を取巻き、私がタクシーに乗れば、タクシーを取巻いて、タクシーの屋根の上へまで這い上って釆ました。彼らは黙って何一ついわず、何一つ乱暴はしない。ただ私を見つめ、私から離れまいとするようでした。ようやくにして別れて帰った私は、二、三日後、その生徒たちから、真情流露する手紙を、男の子からも、女の子からも、数通もらいました。私の一生を通じて、最も感動の深い講演でありました。成和中学の感動の忘れがたさに、それより十数年後の昭和四十五年、時事通信社より一貫せる日本歴史を書くよう求められた時、純真なる少年に呼び掛ける形を取りました。当時すでに七十六歳の私は、余命計り知るべからず、これを児孫への最後の贈り物、つまり遺書として書こうとし、したがって学者らしく事実を羅列して博学を誇るがごとき形式を好まず、ただ歴史の精粋を抜いて、誠実に父祖の辛苦と功業とを子孫に伝え、子孫もまたこの精神を継承して進むことを期待しつつ、しみじみと誠実に語ろうとして筆を執ったのでありました。(中略)願わくはこの小さき贈り物を満載せる帆船の行手、風穏やかにして波静かなれ。昭和五十三年十二月十日朝 白山寒林の中にて 平泉 澄----上中下3巻本。著者 故・平泉澄博士は、昭和5-6年(1930-31年)欧州に留学しマイネッケのドイツ歴史哲学とフランス革命の思想及びこれに反対するエドマンド・バークの保守思想等を研究、帰国後に抜擢されて秩父宮殿下(昭和天皇の弟君)の日本政治史の侍講を務め、更に昭和13-20年(1938-45年)に渡って東大国史学科にて国体学講座・日本思想史を教授した一代の碩学であり、終戦直後に辞官、その後GHQにより昭和27年(1952年)春まで公職追放され、追放解除後も、左翼マスコミやマルクス主義学者から「平泉史学=狂信的な皇国史観」として異常な誹謗中傷を受けながらも、戦後長くに渡って在野の国史家として保守陣営において重きを為した。この「物語日本史」は、晩年の平泉博士が、日本の未来を担う少年達のために精魂込めて書き記した名著「少年日本史 」の文庫版である。 ※(参考)千早鍛錬会パンフレット ↑「物語日本史」の事前読破を推薦していることに注目。 ■ステップ2■保守思想を貶める捏造・歪曲を一掃する 《1》歴史分野以上に酷い思想分野でのリベラル左翼の歪曲・捏造 ~丸山眞男の絶大な影響、「皇国史観」の歪曲 戦後日本の政治思想は、“戦後民主主義の代表”、“岩波文化人のエース”と称され、「国民主権を貫徹するために天皇制廃棄・共和制樹立を最大の政治目標とした」“日本を代表する政治学者・思想家”、故・丸山眞男 の絶大な影響下にあり、今も丸山を絶賛する政治学者・思想家たちによって、ほぼ占拠されていることを最初に知っておこう。 丸山眞男の政治思想の中核は、明治以降~戦前・戦中の日本を「天皇制ファシズム」と捉え、昭和20年8月15日をもって、日本の国体は「国民主権」の民主主義国家に変更された、とする所謂「八月革命」論にあり、彼及び彼の信奉者は、この架空の「八月革命」を未来において実現すべく(つまり天皇の廃止による日本の共和国化を究極の目標として)戦後長くプロパガンダ活動を続けてきた。 「理論派保守」を目指す者は、この丸山眞男に代表されるリベラル左翼の思想的欺瞞を正しく見抜き、これを論破する理論的根拠を確立しなければいけない。 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 植村 和秀 (著) 柏書房 (2004/10)単行本この本は、理論派保守を目指そう!でも「西洋の保守思想に留まらず、日本の保守思想の扉を開く貴重な一冊」として紹介したが、丸山眞男の政治思想の欺瞞を打ち破る理論武装のツールとしてやはり最重要である。なお著者 植村和秀氏は、「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。 丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。 それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」と総括しており、厳密な実証的研究を通じて丸山・平泉両者に代表される戦前から戦後にかけての日本の思想対立を対比している為に、返って一層本書の価値が高まっていると思われる。また植村氏が「丸山には心情的には共感できる」「平泉に・・・心情的には納得できない 」としていること自体は、その思想的感化を受けた年代を考慮すれば止むを得ないことである。 (参考)歴史問題の基礎知識 ↑「皇国史観」について正しい認識を得る上で重要 ※一部引用 「皇国史観」(赤旗 )という用語は、「早くても昭和17(1942)年6月頃から、大体は昭和18(1943)年頃から文部省周辺の人々によって使われだしたもの」(昆野伸幸『近代日本の国体論』より引用)であり、戦前/戦中の史学者自身が使った用語ではない(戦後にマルクス主義史家が「レッテル」として普及させた用語である)。 そして、その内容としては、 1.国史学者・平泉澄博士に代表される「あくまで歴史の範囲で思考する」流れと、2.アジア主義者/国家改造運動家・大川周明に代表される「日本を盟主とするアジア解放を主張する」流れ(昆野氏論文 ) の2つがあったが、戦後に史学界を占拠したマルクス主義史家は、皇室や日本国を貶めんがために、日本の伝統的な歴史観/国家観に根ざした1.と、大東亜共栄圏を包摂せんとする新しい思想を示した2.をワザと混用して「戦前/戦中の史学=皇国史観=軍国主義、アジア侵略、全体主義」という刷り込みを行った。 これに関して平泉澄博士門下の田中卓博士は、「一概に皇国史観といってもそれは、・・・1.平泉史学による「皇国護持史観」と、2.戦争末期という時代に迎合して浅薄な国体賛美に努めた「皇国美化史観」と呼ばれるべきもの(の2つ)がある と述べ、平泉博士や自らの史観は、日本の伝統を正しく受け継ぐ「正統史観」であると述べている。 なお、ソ連が崩壊した1991年以降は、史学界(主流は、未だ隠れマルクス主義者と思われる)も、従来のように(彼らの言う)「皇国史観」に対して実証研究もせずレッテルだけ貼って一方的に批判することは許されなくなってきており、リンク先にある赤旗や長谷川氏・昆野氏のように戦前/戦中の資料を実際に読んで「実は皇国史観にも多様な内容があった」「実は皇国史観は1940年代に作られた用語だった」などと軌道修正を図っているが、そんな姑息な事をする位ならば、 1 彼らが戦後一貫して貶めようとしてきた1.平泉博士・田中博士らの史観(皇室や日本国を常に善いものと見る正統史観)は実は全体主義とも侵略思想とも無関係だった、 2 国家改造とアジア解放を唱えた2.は実はマルクス主義(具体的にはコミンテルン)の脅威への対抗イデオロギーとして生まれた(実際に、全体主義であり侵略思想であったのはマルクス主義の方だった)、と素直に認めればよいのである。 《2》「天皇制ファシズム論」の嘘を見破る ~明治維新の歪曲、「現人神」「国家神道」という幻想 「皇国史観」(上記)「現人神」「国家神道」といったキーワードで、戦後にマルクス主義歴史家・思想家によって不当に歪曲された諸概念の実際を知り、自虐史観から完全に脱却する。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) amazonで一部ページを拝見できます。豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は北朝鮮のような異常な絶対主義君主国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」——これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 (参考)右翼・左翼の歴史 ※一部引用 宗教系(仏教系)右翼の登場~右翼思想の過激化 (1) 井上日召(日蓮宗僧侶)と血盟団事件(1932) 群馬県出身の日蓮宗の僧侶。血盟団を組織し、国家革新(昭和維新)実現のため「一人一殺」を合言葉に1932年、井上準之助(前蔵相)・団琢磨(三井財閥重鎮)を暗殺。無期懲役となるが後に特赦を受けた。なお後の日本赤軍のリーダー重信房子の父親は血盟団員であり、井上日召は赤ん坊の重信を膝に抱いたことがあるといわれる。 (2) 田中智学(日蓮宗系新興教団)と「八紘一宇」論 田中は日蓮宗の在家信者組織として国柱会を組織し、日蓮主義と国家主義の統合を目指した。1903年には、日蓮を中心にして「日本國はまさしく宇内を靈的に統一すべき天職を有す」という意味の「八紘一宇」なる新語『日本書紀』巻第三神武天皇の条の「掩八紘而爲宇」の記述から造り、日本は世界を道義的に統一する使命がある、とする思想を唱えた。のちにこの言葉が人口に膾炙して大東亜戦争のスローガンにまでなった。 (3) 加藤玄智(浄土真宗在家信者)と天皇絶対神論・国家的神道論 加藤は新仏教同志会の創立者の一人であり、東京帝国大学で宗教学を教えた浄土真宗の信者であるが、同僚の外国人教授の天皇論に刺激を受けて、1912年に『我が国体思想の本義』を刊行し、古来からある天皇「神裔」論を超えて天皇「現人神」論を提唱して「日本に於いては臣民は天皇に絶対服従する」とする天皇絶対神論を主張した。1925年には更に「国家的神道(State Shinto)」なる新語を造り外国に日本人の信仰の在り方として積極的に紹介したために、欧米諸国に、この天皇絶対神論と国家神道論が日本の宗教の実態だと誤解され、後にGHQによる神道指令と天皇の所謂人間宣言を招き、今に至るまで戦前の宗教的制度についての広範な誤解を招いている。 http //d.hatena.ne.jp/jinkenvip/20070312/1173709974 《3》「保守」と「右翼」を区別し正しい認識を得る ~戦前・戦中(昭和10年代)の「右翼」は実は2種類あることを知る。 「革新右翼(アジア主義を志向し、国家改造を目指した国家社会主義者)」と「観念右翼(アジア問題への介入に慎重または無関心の伝統保守・日本主義者)」を区別する。 日本主義と東京大学―昭和期学生思想運動の系譜 井上 義和 (著) こちらも豊富な資料に基づく実証的研究により、戦後にマルクス主義者やリベラル左翼によって「右翼」と一括して糾弾され貶められてきた保守思想の実際を教えてくれる一冊。※革新右翼と観念右翼の理念型(一部内容を引用)1.革新右翼…国家改造/高度国防国家/解釈改憲/指導者原理/統制経済/親ソ・親独/世界史的な使命/陸軍統制派/革新官僚/無産政党/国家社会主義2.観念右翼…国体明徴/国民精神総動員/護憲(不磨の大典)/臣道実践/資本制擁護/反共・反独裁/日本史的な道統/陸軍皇道派/財界/既成政党(現状維持派)/自由主義者 (参考)日本会議ホームページ ↑「観念右翼(伝統保守)」の代表として上記の本で紹介されている故・小田村寅二郎氏の弟・小田村四郎氏(元拓殖大学学長、日本李登輝友の会会長) が副会長を務めている、日本最大の保守系団体。チャンネル桜と共同で保守活動を行うことも多い。 なお日本会議の前身の一つである「日本を守る会」は、建国記念の日(旧紀元節)実現運動、元号法制化運動、教育正常化運動などに地道に取り組み成果を上げてきた。 このうち建国記念の日を旧紀元節(2月11日)とすることに理論的根拠を与えたのが、平泉澄博士の高弟である田中卓博士である。 ■ステップ3■更に深く知るために 《1》皇室に関する正しい知識を得る 宮中見聞録―昭和天皇にお仕えして 木下 道雄 (著) 皇太子時代から終戦前後、更に戦後にかけて昭和天皇に近侍し、侍従次官を勤めた木下道雄氏による著作。親しみやすく読みやすいだけでなく、皇統無私の伝統の背景や、昭和21年元旦の所謂「人間宣言」の実際の持つ意味まで解説してくれる好著。 《2》日本の保守思想の核心に触れる 先哲を仰ぐ 平泉 澄 (著) 大正15年(1926年)から昭和42年(1967年)までに発表された平泉博士の数多くの著作から15編を抜粋したアンソロジーであり、戦前・戦中・戦後を通じて、平泉博士の思想に全くといっていいほどブレがなく一貫していることに注意したい。昭和7年(1932年)のエドマンド・バーク批評、昭和29年(1954年)に吉田茂(首相)・岸信介(憲法調査会会長)に招聘されて首相官邸で行った「国体と憲法」講義(マッカーサー憲法の廃棄と明治憲法の復活を自由党議員に訴えた内容です)、更に吉田松陰・橋本景岳・真木和泉守・山崎闇斎・山鹿素行など日本史上の重要思想家についての論述を含み、平泉博士の解説を通じて日本の保守思想の最重要部分に触れることができる一冊。※ステップ1の物語日本史の内容を更に詳しく、本格的に説明している。 ■まとめ■日本の保守思想の再評価の動き 以上、日本の保守思想を論じる上は、その本命である平泉澄博士の所謂「皇国史観」(正しくは皇国護持史観)および、その国体論の再評価を避けることは出来ない(ここを避けているような解説は解説の用を成さない)。 マルクス主義者やリベラル左翼が長く主流を占める戦後日本の言論界・教育界においては、一代の碩学である平泉博士の業績は不当に貶められ、また無視されてきたが、ソ連崩壊を経て、西暦2000年代に入って漸く、東大閥の強い関東ではなく、京大閥が主流の関西で主に再評価の動きが顕在化してきた。 またそれと軌を一にして、平泉博士もその一翼を担った戦前・戦中の日本主義者(当時の用語で「観念右翼」と呼ばれた伝統保守)の再評価も始まっている。 上で紹介した植村和秀氏の『丸山眞男と平泉澄』、井上義和氏の『日本主義と東京大学』はその主要な成果である。 しかしながら、こうした再評価に対して、旧来のリベラル左翼やマルクス主義者の側からヒステリックで感情的な反発が噴出しており、日本思想の一般的な解説書は、近刊のものでも相変わらず「皇国史観=軍国主義」という刷り込みに終始しているものが見受けられるので注意したい(例えば日本思想史ハンドブック(苅部直・片岡龍) ・・・苅部氏は丸山眞男の直弟子)。 ※参考:2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回「天皇と憲法」 “神風特攻隊や一億玉砕を扇動した極悪非道な人物”として平泉澄博士を糾弾しているNHK※なお動画に大きく出てくる立花 隆(たちばな たかし、本名:橘 隆志 1940年5月28日 - )は、2002年秋に拉致事件が大きく報道されるまでは「戦前の日本は今の北朝鮮のような異常な国家だった」とする持論を盛んに展開していた代表的な左翼言論人であるが、実は戦前に右翼団体愛郷塾を率いて五・一五事件の襲撃犯となった橘孝三郎を父のいとこに持つ人物である。橘孝三郎は、一家一族のほとんどを率いて兄弟村農場を経営し、愛郷塾という集団農業を実践する社会主義的結社を創設、血盟団の井上日召と思想的に共鳴し、更に大川周明の影響を受けた海軍下士官と組んで、5.15事件では塾生7人を率いて東京の変電所を襲撃 した。→つまり今は左翼言論人の代表格の立花隆のルーツは、戦前の右翼過激派であることに注目。 (詳しくはNHKの正体・上級編へ) いずれにせよその抜群の学問的実績、そして戦前~戦後を通じて保守陣営に対して保持した影響力の大きさから考えて平泉博士の保守思想の一層の再評価は不可避であり、今後に注目したい。 ここでの再評価の進展が、日本の保守思想全体の再評価に直結するはずである。 (参考図書) 『昭和の思想』(植村和秀:著) ★評価2010年11月に出版された好著。戦前から戦後及ぶ昭和期日本の思想状況が、要点を絞って明瞭かつ簡潔にまとめられている。非常にお勧め。(以下amazonより引用)・内容説明昭和の思想を総体的に俯瞰する画期的論考。思想弾圧と戦争の暗さ。世界に挑戦する日本という明るさ。奇妙な時代=戦前昭和期を中心に、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・簑田胸喜の思想から時代の本質を剔る・内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。・目次第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史 『ハンドブック近代日本政治思想史』(長妻三佐雄・植村和秀・昆野伸幸・望月詩史 編著) 【内容説明】西洋の脅威に直面した日本人は、いかなる政治思想を生み出してきたのか。そしてその思想はどのような人々が担ってきたのか。本書では、幕末から昭和にかけての約150年間における思想と思想家について、それぞれの背景、思想、研究動向を詳述し、近代日本政治思想史の全貌を明らかにする。いわゆる「左」だけでなく「右」の政治思想も網羅した有用な一冊。【評価】近代以降の日本思想の概説書。従来型の左派政治思想の概説ではなく、右翼や保守とみなされる人物にも焦点が当たっている良書。 【このページの続き】 日本主義とは何か ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ