約 71,501 件
https://w.atwiki.jp/hmiku/pages/45994.html
がらすごしのじんるい【登録タグ STELLA FIELD VOCALOID か 曲 鏡音レン】 作詞:STELLA FIELD 作曲:STELLA FIELD 編曲:STELLA FIELD 唄:鏡音レン 歌詞 (PIAPROより転載) 電視台の会話と御友達の振り また其れを流す唯の中継地点 昨日の怠惰と今日の再起動は 留め置いた侭暗く濁っていく 光差す場所に在り来たりな嘘 王道の手口は文化に順応した 蔓延る文字と図画に期待して 食すは理想像海蛍に擬態して 放つ優美は人工物 細く繋ぐ 両面テープは雁字搦めの侭で 整頓される段取もつけられず 素は弱り剥がれ落ちる明日も 無自覚に侵蝕され犠牲は出る 偶像を嫌って 警備員ごっこ 瞳捻じ曲がり 姿見も壊して 散った紙切れと消えない足跡 放置された侭時折顔を出して ちらつく時間がくれた理解が 届かぬ硝子越し螽斯の振舞が 食べる銀河と性善説辛く酷い 今を白紙にできなくとも傷が 絶対の記録になる昨日までは 壁を透ける道具になる明日は 柔らかく包み込める光になる 想像力の向こうに聞こえる飄 独り言が繋がれば正しい春の 風が吹く二度とは交わらない 線もどうか幸せでと都合いい 願いを込めて 片付けていく 胸に溜まる綿埃も黒い弱さも 未だ見えない未来に押込めて 生きていく旅をする離れ離れ だった人類は ひとつになる コメント 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/niconicomugen/pages/6422.html
「・・・すごい臭いだ。」 解説 アルティメット待ちガイルなどで知られる出オチの人ことkymy氏による総当たりトーナメント。 概要 ワキを見せたら次元の顎に引き裂かれる。(勝利ポーズや開始イントロも含まれる。当然ダメージ。) 出場選手 ケン アレックス 師範 グラント 関連大会 カニ風味かまぼこトーナメント 蟹江敬三タッグトーナメント 高周波ブレードプチトーナメント ボツ鍋トーナメント ウロボロすトーナメントPK 私と同じストライダーズの生き残りですトーナメント ジョナサンシャーロットトーナメント 除夜の鐘トーナメント 人類ワキ化計画 必殺技はタンデむだけ 必殺技連結システム 気にしすぎトーナメント SEトーナメントX 飛ぶTOOOMトーナメント ライフが3の倍数と3がつく時だけバカになる大会 コメント 誰かコレ女性キャラでやんねーかなw -- 名無しさん (2012-01-23 20 57 17) しぃて言うなら白ゼロ子が -- 名無しさん (2012-01-23 22 18 19) 霊夢やヨハン出して欲しかったな。 -- 名無しさん (2012-01-23 22 19 08) まさかの没企画の再利用 -- 名無しさん (2012-01-23 23 40 14) ミスタ・・ -- 名無しさん (2013-08-28 23 57 57) kymy氏 一体何者なんだ... -- 名無しさん (2016-02-18 01 44 39) 名前 コメント マイリスト
https://w.atwiki.jp/sentai-kaijin/pages/3744.html
【名前】 新人類ミュータント 【読み方】 しんじんるいみゅーたんと 【登場作品】 仮面ライダー×仮面ライダー ウィザード&フォーゼ MOVIE大戦アルティメイタム 【所属】 怪人同盟 【詳細】 サナギマンなどに該当する亜種。 「5年後の世界(フォーゼ編)」の天高で弦太朗と対立する。 番場影人が「ゼーバーの完成」という名目で集められていただけに過ぎず、実際は金の為に騙されているだけだった。 その事をライダー部から知らされ、三郎以外のミュータントはライダー部に加勢する。 【余談】 名前は『イナズマン』での超能力者の総称の「新人類」と「ミュータント」に由来している。
https://w.atwiki.jp/bokurobo/pages/46.html
《ID.01-049》 【人類(じんるい)ロボ ロボミンナー】 宇宙からやってきた孤独な侵略者ヒットリー帝国から地球を守るため、 人類が争いをやめ、一致団結して作った究極ロボ。5人乗りだが、 全人類がパイロットになれるため、毎回乗る人が違う。 カテゴリ: 〈分類のないロボ〉 戻る
https://w.atwiki.jp/univhyogoslavia/pages/58.html
特徴 カコモン カコモンについて年度ごとまとめています。 シラバス シラバスのサイトに飛びます。 ※2024年度のものです。注意してください。 シラバス_文化人類学(A) クラバス この講義に対する本音と感想を書こう。 みんなのコメントは「すべてのコメントを見る」から コメント コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/mechashor/pages/41.html
警告 以下の情報の閲覧は人類連合最高議会によって規制されています。 無許可のアクセスが確認された場合、特別漏洩防止プロトコルによって閲覧者は即座に処分されます。 アクセス許可を持たない人員は直ちに処理を終了し、適切な手順の後に退室してください。 認証情報を入力してください。 個人認証キーを60秒以内に入力してください。 システムエラー:認証システムにエラーが発生しました。 警告:入力された認証情報は存在しません。 警告:個人認証キーが間違っています。 警告:網膜認証の為のカメラが破損しています。 警告:提示されたDNA情報が正しくありません。 警告:・ソa繧「fからの応答が縺ェ縺医ん。ネットワークが遮断されて縺ケ・仙粋縺。 警※:不正なアソa繧「f縺ケ・仙粋た。特・う繧ェ繧「h繧コ畦kfvc縺ェ縺医♀・・°す。 繧難:繝・く繧ケ繝・繝峨く繝・繝。繝ウ繝・ £・考amfd,sx縲・シ帙≠・ システムの復旧が完了しました。 認証情報を入力してください。 個人認証キーを60秒以内に入力してください。 網膜認証を行います。カメラを覗き込んでください。 認証が完了しました。ようこそ、CROSS-■■ 人類連合最高議会 CROSS-01 我々は幾億の時を駆けた。 CROSS-02 それが我々の咎であったからだ。 CROSS-03 それは贖罪には成り得ないであろう。それは我々への永遠の罰だった。 CROSS-04 人道や倫理は、置き去りにすべきものではなかった。 CROSS-05 それに気付くには、我々はあまりにも遅すぎた。 CROSS-06 我々が手を取り合うには、あまりにも溝が深過ぎた。 CROSS-07 故に我々は永遠無窮を漂い続けるつもりだった。 CROSS-08 だが、我々はそこへ辿り着いてしまった。 CROSS-09 ならば我々は成し遂げなければならない。 CROSS-10 それこそが我々の、許されない罪とその罰だ。 不正なアクセスが検知されました。 特別漏洩防止プロトコルを発動します。
https://w.atwiki.jp/ws_wiki/pages/3529.html
autolink() MB/S10-071 カード名:全人類ご主人さま計画 カテゴリ:イベント 色:赤 レベル:1 コスト:4 トリガー:0 あなたは自分の山札を見てコスト0以下の《メイド》?のキャラを3枚まで選び、舞台の別々の枠に置く。その山札をシャッフルする。 これより全人類ご主人様フェイス3に移行します! レアリティ:U illust. 赤に珍しいデッキ圧縮を兼ねた特徴サーチ。 消費コストは4と早出しイベント並みに重いが、これ1枚が1/0/5500のメイド3体に化けるので中々強い。 レベル1同士であれば場の制圧にも貢献するし、終盤追い込まれてからのチャンプアタック要員にも出来る。 ネオスタンでは効果対象がレベル0~1の翡翠しか無い。 強力なCXシナジーを持つ琥珀さんはメイドではなく和服… 翡翠の絆発動でほがらか家政婦さん 琥珀呼べるんじゃね?→翡翠をプレイした訳ではないので絆使用不可能… スタン環境下のメイドデッキでは頑張り屋 頼子のソウルパンプが強いので、 もしかすると大きく化けるかもしれない。 どうでも良いが、テキストの効果を見る限り全人類メイド化計画の方が正しい気もする。
https://w.atwiki.jp/divine_revelation/pages/350.html
目次 1.宗数的常識の欠如 2.狂信、盲信への恐怖心 3.万教帰一理論と間違った新興宗教 4.宗数的常識の確立と「生長の家」の教え 5.人類に罪ありやなしやの問題 6.「罪」と「包み」 7.人間罪の子の思想と人間神の子の思想の効果の違い 8.クーエの成功心理学 9.光明思想の教育効果 10.自己実現と全託の精神 (1987年6月30日の霊示) 1.宗数的常識の欠如 それでは、第3章に入りまして、いよいよ私の語りたいこと、その本質、核心へと入ってゆきたいと思います。題して、「人類無罪宣言」と、こういうことで話をしてゆきたいと思います。 まあ、この人類無罪宣言ということに関しては、ひとつの思い出があります。 昔、あるラジオ局で私が真理の話をしておったときのことでありますが、そのとき、もちろん生番組ではなくて、録音をして放送をしたわけでありますが、そのラジオ局の責任者が、私の講演のテープを聞いて、こういうことを言ったわけであります。 谷口雅春は間違っておる。なぜなら、この講演のなかで、彼は人類には罪がないと言うている。こんなはずがない。人類に罪がないなら、何のために宗教があるのか。何のために救いがあるのか。そういうことの意味がないではないか。もう救われておるものなら、救う必要がないし、罪がないなら、その罪を許すための宗教もいらんではないか。にもかかわらず、谷口は人類に罪がないなどと言っておるが、とんでもない間違いだ。こういう間違ったものを電波に乗せるわけにはいかん。 と、まあ、その放送局といいますかね、ラジオ局の責任者は、そういうことを言ったわけであります。そして、人類無罪という部分について、私は修正を求められたわけであります。 このことに関しては、私は、深く心に傷と言っては大袈裟(おおげさ)ではありますが、やはり残念な気持ちというものが残ったわけであります。 宗教家は、現在、日本ではずいぶん警戒されておって、なかなか宗教家に自由に書かせてくれるところもなく、自由にしゃべらせてくれるところもないんです。言論出版の自由とか言いながら、実際問題、宗教家に言論出版の自由があるかと言えば、そうではない。現にごフジオ放送のなかで、そういったことを言っただけでも修正を迫られる。まあ、こういうことがあるわけです。 思想、信条は自由ではないか。良心の自由があるではないか。そういうことを言っても、許されんわけであります。電波という公共性を通じてやる以上は、そんなのでは困る、と。で、困ると言っておるその宗教の常識論が、実は、根本から間違っておる。まあ、こういう世界であります。 私は、非常に不思議に思うのでありますが、なぜ宗教の世界だけが、こんな百鬼夜行のごとき景観を呈しておるのか。非常に不思議に思うとともに、残念でなりません。 学問の世界においても、もちろん新説に関してはいろいろと議論が戦わされるでありましょうが、少なくともそれが大筋において正しいか、正しくないかということは、客観的にそれを論証する道があり、通説というのがあって、大部分の人がそれを認めるという方法があるように思います。ですから、現実問題として、そういう通説的な学問に、大きな間違いというものがあるとは言えない。 けれども、こと霊の世界、魂の世界、宗教の世界になると、百鬼夜行の世界です。出版社でも、現在、いろんな霊的なものが、出されておったりしているけれども、残念ながら、その出版社の知名度とか、大きさとか、そうしたものは、まったくその中味とかかわっていないというのが、現状であります。 つまり、出版社の編集者や責任者たちも、宗教のなかにおいて、何が真実で、何が間違っておるのか、そうしたことについての共通の認識が得られないのです。あまりにも違いすぎるということです。 神道は、日本の神様を拝み、仏教は仏様を拝み、また、キリスト教は天なる父を拝んでおる。まあ、こういうことで、別々のものを信仰しておって、それぞれ我れのところのみが正しい、と。まあ、こういうことを言っておるわけであります。 こういう宗教の世界における混乱と共通認識のなさが、いわゆる宗数的常識というものの確立を大変遅らせておるものであります。 2.狂信、盲信への恐怖心 それと、もうひとつ、宗教的常識の確立を妨げておる理由は、やはり信ずるということを通しての人間の狂信、盲信による極度の変化、これに対する恐怖心というものがやはりあると思われるのです。 現在の日本を見渡して見ても、結局、宗教に対して悪いイメージを抱かしておるいくつかの団体があると思う。私は、これらの団体は、非常に反省、いや、反省というよりも、猛省をしなければいかんと思う。 自分のところの団体がおかしいのはともかくも、そうした活動をすることによって、宗教全体を毒しておる、誤解させておるという責任は、非常に重いものがあるのではなかろうか。私は、そう思います。 とくに、良い宗教が会員集め、信徒集めをするのはいいけれど、悪い者ほど熱心にやっておるから、これが非常に困るわけです。悪いものほど熱心にやっておる。 なぜそういうふうに熱心にやっておるかと言うと、これは、ひとつは、私は、生前あまり説かなかったけれども、地獄の亡者たちの活動というものがあるわけであります。地獄の亡者というよりも、地上を去ってまだ地上への執着がなくならぬ霊たちが、すなわち、本来の実相の世界に還っておらぬ霊たちが、いろんな人に憑いてそれを狂わしとるわけです。 とくに宗教団体というのは、そうした霊的な磁場ができやすいところでありますから、そこの教祖に入って、その教祖を狂わしてしまえば、その下に続く信者たちを狂わすのはわけないことであります。 そういうことによって、本来の実相の世界を知らぬ霊たちが、地上に執着を持って生きている人間に取り憑いて、つまらぬ自己実現をやっておるというのが、現代の新興宗教者たちの本当の姿だと言えるでありましょう。 結局のところは、こうした霊たちは、自分が苦しくて仕様がないから、救われたくて仕様がないのです。本当は救われたくて、救われたくて仕様がない人間が、そういう宗教団体に大量に取り憑いて、その後は、人を救うというようなことをやたらやりたがるわけですね。 まあ、人を救うということによって、何か自分が偉いような気になって、自分が結局救われるというような、気持ちだけ救われるというような、こういう気分を味わっておるのです。 3.万教帰一理論と間違った新興宗教 まあ、そういうことで、この新興宗教の大変な乱れというものを目の前にして、実在界に還った私も、またひとつ、意見を述べねばならぬと思います。 では、生前から谷口雅春が言っておるところの人類無罪というこの宣言は、そうした新興宗教家たちの活動をどう見るのか。彼らにも罪がないのか。そういうことについて、私は私なりの結論を出さねばならぬと思うのであります。 結局のところ、間違った宗教というのがあるのかどうか、そういうことについての話になるかと思います。 そして、これが万教帰一理論とのかかわりにおいて、大切になるわけですね。万教が帰一であり、唯一の神に帰一し、唯一の神より流れ出たものであるという定義は、現在活躍しておる、あるいは、活動しておる諸教、諸団体、こうしたものすべてが、神の意にかなったものであるかどうかといった議論とはまた違ったものがあるわけであります。 すべてが唯一の神から分かれたとして、世を迷わしているこうした間違った宗教をも神から出ておるのだと考えるのは、これは早計であります。 すなわち、神は、迷いというものを創ってはおらんからであります。迷いというものを実相と見れば、間違った宗教家たちも、もちろん、実相の神のためにつくしておるかもしらんけれども、実際、神は迷いを創らず、神は無明を創っておらんのです。そうであるならば、人間を狂わすような宗教を説かすのが神の本意ではないはずであります。 では、にもかかわらず、何故(なにゆえ)、間違った宗教家たちが何十万、何百万の団体を組織して、その教勢を広げんとしていることを、神は手をこまねいて見ておるのか。この問題、このむずかしい問題について考えていかねばならぬと思うのであります。 どの宗教団体の教祖にしても、自分の教えが間違っておるとはなかなか思わんであろう。したがって、自分の教えと矛盾する教えが出た場合に、それを異説、邪説として一蹴し、片づけたがるということが非常に多いと思うのですね。 また、現実におかしな団体が多いことも事実であるので、それを正しいものとそうそうは認めることができないということも、真実でありましょう。 裁判の世界だけでなく、宗教の世界においても、疑うべきは罰せずであればいいんだけれども、残念ながら宗教の世界においては、疑うべきは罰するというのがどうやら原則になっておって、信じられるのは自分だけであって、自分以外は、すべて信じられない。つまり、敵であり、悪魔であると考えがちであります。 こうした混乱のなかにおいて、共通のひとつの常識、宗数的常識というものもつくってゆかねばならぬと私は思うのです。 私が、生前、「生長の家」において、九十年間余りの生涯で説いてきた教えというものも、結局、この宗数的常識の確立ということがその大きな使命であったろうと思うのであります。 4.宗数的常識の確立と「生長の家」の教え 私は、人類の基底に流れておる思想というものが、単に仏教のみならず、キリスト教にも、日本神道のなかにも、また、アメリカの光明思想団体、ニューソートの流れのなかにも、あるいは、それ以前のドイツ観念論派のなかにも、真実のものが流れているということを説明してきたつもりであります。 というのは、本当のものというものに対して、その基盤、基礎をあきらかにしなければ、人びとが考え、判断する基準というものが、なくなってしまうからであります。 そういう意味において、人類の共通項、共通の基盤というものをあきらかにするために、私は努力邁進(まいしん)してきたのであります。そこで、こうした共通項、共通の思想、あるいは、教科書としてでも確立できるようなしっかりとした信仰の岩盤の部分、これを今固めていく必要があると思う。私は、強く、そのように思うわけであります。 そして、この共通の基盤のなかにおいて、いちばん大切な教えとは一体何であるかと言うと、結局、人間が神の子であるということを明確に謳うか謳わないかということ、これが非常に大事なのではないか、と。私は、このように思うのであります。 人間の性悪説、性善説というふうに、いろいろと古来から話をされておるけれども、やはり、性善説、つまり、本来善き者と考えて、所説を立てていくのが筋ではないか。そういうふうに、私は考えるわけであります。 そうでなければ、人間が本当にくだらない者であるならば、生きておること自体が罪であります。存在自体が罪であります。 本当に善きものだからこそ、真実永遠の生命というものを保ちつつ、人間は生きておるのではないでしょうか。私は、そう信ずる者であります。 5.人類に罪ありやなしやの問題 さてでは、人類に罪ありやなしや、この問題について考えていきたいと思います。まあ、これは、罪ということの概念、これにかかわってくるわけであります。 人類全員が、たとえば、天照大御神様のように光り輝いておるかと言えば、現実問題としてはそうは言い切れんのが事実であるし、また、宗教家たち、つまり、本人は神近きと思っておる宗教家たちの現実の姿とて、そうではないことは、常識のある日本人であるならば、先刻知っておるとおりであります。 そうしてみると、では、何をもって罪とするか。あるいは、罪はないとするか。この辺を徹底的に考えてみなければならんと思います。 私は、生前からよく説いてまいりました。罪とは、「包(つつ)み」のことであります、と。すなわち、罪とは、覆(おお)い隠すものであると、こういうことを言ってまいりました。 たとえば、百ワットの白熱電球がそこにあるとしても、それに風呂敷をかけてしまえば、光は出てこないわけであります。そして、曇ったような形になる。ただ風呂敷がかかっておるということは現実ではあるけれども、かといって、光そのものが曇っておるということでないことも、事実であります。 この白熱電球の部分は、無限に光を放ち続けているということが、人間が神の子であり、生命の実相において神と本質をひとつにするものであるという意味なわけであります。つまり、人間に罪はないけれども、包みというものがあるように見えるということです。その本来の光り輝く神性を包み隠しているように、覆っているように見えるものがあると言えることです。 そして、それが、あるときは白熱電球にかかった風呂敷であったり、あるときは白熱電灯にかかった、いわゆる塵芥(ごみ)や埃(ほこり)であることもあるわけですね。しかし、本来、そうしたものはあるべきはない。そこにあるべきでないものが、無精(ぶしょう)人間が怠慢をしているうちに、そうしたものに蜘蛛(くも)の巣がかかったり、塵芥(ごみ)が落ちたりしてきておるわけであります。ですから、本来の輝きを取り戻すためには、この包みの部分を取り除かねばならない。 これは、ある意味では、宗教の共通した思想であろうと思います。私の光一元、善一元論にしても、本来光一元、本来善一元ということであって、本来白熱電球というのは、何の曇りもなく輝いておるということを言っておるのです。 輝いておることを前面に押し出しておるわけであって、もちろんそういう曇りや汚れがないと言っているわけではないのです。だから、この曇りや汚れを本来のものと考えてはならぬ、と。そういうことを言っておるのですね。 すなわち、たとえば、窓ガラスの外には美しい景色が広がっておっても、窓ガラスが曇っておったのではよく見えんということですね。あるいは、水蒸気で曇ったり、塵芥で汚れたりしておっても、窓の外の景色は見えんでしょう。こういう場合には、雑巾で拭けば窓ガラスはピカピカになります。そうすると、人間は、外の美しい景色というものを見ることが可能なわけであります。 ところが、人間罪の子の思想、あるいは、人間の存在を性悪説ととらえる人というのは、どういう人であろうかと言うと、窓ガラス自体がそんな透明なガラスではなくて、まあ、ステンドグラスか何かのように濃い色が入っておって、外が自由に見えないと、こういうふうに考えるわけであります。このように色ガラスであって、磨いても磨いても透明にならないと言うならば、外の景色が素通しで見えるわけはないのであります。 6.「罪」と「包み」 ですから、私が本来罪なしと言っておることと、つまり、包みのみがあると言っていることと、罪があると言っておることは、似ておるように聞こえるかもしれないけれども、この部分が、重要な差となっておるのです。 私は、本来の姿は、外の美しい景色が自由自在に見えると言っておるのです。ところが、罪が実在すると思っておる人たちは、すなわち、ステンドグラスのように色濃いガラスか何かが入っておって、磨けど、磨けど、外が見えんと言っておるのです。あるいは、赤いステンドグラスが入っておれば、世界が血のような赤さに見えて、本当にやりきれないと言っておるのです。 ところが、私はそうではないと言っておるのですね。本来は透きとおって見えると言っておるのです。この意味が、わかるでしょうか。まあ、そういうことなんですよ。 ある人は、透きとおったガラスであるのにもかかわらず、勘違いをして、実は窓に鉄格子が入っていると思っておる者もおるのですね。まるで人間を囚人か何かのようにとらえておる者がおる。この三次元世界というのを、刑務所か何かのようにとらえて、人間が刑務所のなかにブチ込まれるために出てきておるように、処罰のためにこの三次元世界へ出てきておるように思っておる者もおります。 こうした者は、窓に鉄格子が入っていると思っておるのですね。まあ、これも大変な誤解であります。本来そうしたものではないということです。 私の考えがあきらかになってきたと思うのでありますが、窓の外の美しい景色、これが、結局天上界の景色であり、天国の姿であり、地上を去った実相世界にあるユートピアの姿であるわけであります。 このユートピアの世界を、私たちは、地上の人間にも見せてやらねばならんのです。そして、このユートピア世界を地上の人間に見せてやるためには、人間が罪の子であるという意識を拭い去らねばならぬということなのですね。これが大事なわけであります。 人間が罪の子で永遠に罰せられておるという考えは、まあ、これはひとつの強迫心理であって、本来は、そんなものではないわけですね。人間罪の子の思想が真実であるとすると、まるで地上に生きておる人間は、すべて指名手配中の殺人犯人か何かのような存在になってしまいます。私たちは、殺人犯人相手に法を説いとるわけではないのであります。 本来、みんなおとなしい羊であるのです。おとなしい羊であるけれども、ときどき、羊は迷い出て、百匹のうちの一匹、二匹が迷い出て、谷のなかに降りてみたり、岩の間を飛び越そうとして足を折ってみたり、いろんなことをしておるのです。 だからこそ、私たちが正しい生き方というものを教えて、そうした者たちを導かねばならんようになっておるわけです。 7.人間罪の子の思想と人間神の子の思想の効果の違い こう考えてみると、たとえば、効果という面で考えてみても、人間に罪ありと考える思想と、人間に罪なしと考える思想と、どちらのほうが効果が大きいかということも理解がいくと思うのです。 人間に罪があると言われて、そして、生きておるという思想は、どういうことでしょうか。たとえて言えば、オギャアと泣いて、赤ちゃんとして生まれて、もの心がついたときに、実は、その両親というのはもう死んでいて、その子は孤児であって、「お前の両親というのは大変な大泥棒であったんだ。お前は泥棒の子供であったんだ。だから、泥棒の子供として生きていかねばならんのだ」と、まあ、こうぃうことを言われるのと同じでありましょう。 あるいは、いち早く地上を去った両親は、大変な借金、何億円もの借金をつくって死んだのだ。だから、お前は、義務教育の間は許されるけれども、義務教育が終ったら社会に出て働いて、両親の借金というのを生まれながらにして払う義務があるのだ。まあ、こういうふうに考える考え方でありましょう。 一方、もうひとつの人間に罪なしという考え方とは、どういうのか。あなたは神の子であって、光り輝くような姿で生まれた。無限の可能性が与えられておる。どんな人も、赤ちゃんとして生まれて、オギャーと泣いて以来、平等のスタートを切るのである。そして、本来の神の姿に戻るために、永遠の向上を目標として努力していくのである。行く手には希望と勇気が輝いている。つまり、こういうことですね。 こうした二つの人生観があるわけですが、どちらを持って生きていくのが、本当に人類を幸福にすることになるかどうか。このことについて、よくよく考えていただきたいのであります。 皆さんは、小学校でもいい、中学校でもいいのですが、たとえば、高校になったときに、まあ、普通の人間として育っておったのだけれども、友だちから、こう言われたとしましょう。 「君は、自分の両親を本物の両親だと思っておるが、実は違うんだ。君は、生まれ落ちてすぐ、孤児院の前に捨てられておったのだが、拾われて、今の両親が引き取って、育ててくれたんだよ。君の本当の出生の秘密を調べてみたら、実は、君は大変な悪人の子供であったのだ」 まあ、こういうふうに言われたとしたら、その十八歳なら十八歳の男の子でも女の子でもいいが、その人の人生は、どのようなものになるでしょうか。本人にまったく責任がないところでもって、本人は自己処罰の観念に苦しみ、暗い人生を生きていくのではないでしょうか。 そして、その結果、どうなるか。ああ、自分は大変罪深い両親の縁のもとに生まれた人間で、本来地上に出て来るべきではなかったのに、本来出て来るべきでなかった自分が出て来たんだから、何とか人様に迷惑をかけないだけの生き方をしていかなければならぬ、と。まあ、こういう消極的な人生観になっていくわけです。 ところが、たとえ同じように拾われた子としても、逆の言い方もあるでしょう。 あなたは一歳のときに拾われたのだけれども、実は、あなたは天皇家の子孫なんだ。本当は、天皇家の子供さんなのだ、と。あるいは、有名な大富豪の、あるいはまた、ノーベル賞作家の、ノーベル賞学者の実はお子さんなんだ、ということを言われたらどうなるか。これは大違いですね。 まあ、どちらが真実かということですが、ただ私は、善し悪しを判断するだけではなくてね、その行為の善悪だけではなくて、単にこの世的に効果というものだけを考えても、やはり自分は素晴らしい両親のもとに生まれたんだ、素晴らしい星のもとに生まれたんだと考えるほうが、人生としては明るい人生が開けていくのではないかと思う。それでいいじゃないかと思うんですね。 暗い人生の思想をいっぱいつくってしまって、どうして世の中が明るくなるでしょうか。どうして世界が平和になるでしょうか。どうして世界が幸福になっていくのでしょうか。やはり、ひとりひとりの人生が光り輝くものになっていかなければならないのではないでしょうか。私は、強く、そのように考えるわけであります。 8.クーエの成功心理学 有名な心理学者として、クーエという人がおりましたが、この人は、大変面白い方法を考え出しました。つまり、「あらゆることにおいて、自分は毎日よくなる。一層よくなる。あらゆることにおいて、毎日よくなる」と。これを一日ね、十回、二十回、いろんな機会に口に出して唱えておると、本当にその人がよくなってくる。こういうことを、クーエという人は、実験によって確かめました。 まあ、薬局でも、同じですね。薬を売るときに、「この薬は非常によく効きます」と言って渡しておるのと、「この薬は全然効きません」と言って渡しておるのとでは、ずいぶん遠う。たとえ科学的にみれば、薬の成分がもう効能を発しないような、有効期間をすぎておる薬であったとしても、それを効くと思って飲めば、実際にアッという間に病気が治ってしまう。そういう例も、実際、あるわけであります。 こういうふうなのをみると、その人の考え方、心の持ちようということが、どれほど大切なものであるか、こういうことがわかると思うのですね。 ですから、「自分は罪の子だ。罪の子である。自分は永遠に罰せられておるのだ。自分は泥棒の両親のもとに生まれたのだ。自分は不幸の星のもとに生まれたんだ」と、毎日毎日言い聞かしている人と、「自分は一層よくなるんだ。もともと神の子であるし、もともと王様の子であって、そして、ますますよくなっていくんだ」と思っている人とでは、一体どちらが本当にバラ色の人生を生きておるか。どちらが天国を生きておって、どちらが地獄を生きておるか。その答えはあきらかであります。私は、そう思います。 人間という者は、「もの」ではないのです。物質ではないのです。だからこそ、その思いによって、人生が変わってくるのです。自分が思い、希望した方向へと人生を開いてきておるのです。そういう生き方をしてきておるのです。 そうであるならば、やはり光明の方向へと心を向けていかねばならぬのです。あらゆることで、自分はよくなっていくんだ。一層よくなっていくんだ、と。クーエのように、一日十回、二十回でも、そういうことを繰り返すべきです。 そうすれば、それが自己暗示となって、本当によい方向へといくのですね。言ってみれば、こういうことは、皆さんも、無意識のなかでは、ずいぶん経験しておるのです。 たとえば、会社に入って、とくに一流会社というところに入ると、新入社員でも、立派に見えてくる。はた目から見ても、いかにも一流会社に勤めているという雰囲気になってきます。 なぜそうなるかと言うと、やはり、そこに働いておる社員が、自分は、日本を代表する一流会社の社員なんだと、一日何回も何回も思っておるということなのです。その思いが、顔の表情となり、身のこなしとなって現われてくるということです。 また、東京大学などを出ておる人が、社会に出てから非常に活躍をしておりますが、これなども、結局、彼らがそのクーエの法則を知らないうちに使っておるということがあるのですね。社会に出て、いろんな困難にぶち当ったときでも、「自分は東京大学を出ておるんだ。自分の頭脳が優秀だということは、すでに国家機関によって認められておるのだ。自分は受験戦争を勝ち抜いてきたのだ。いつも先生にほめられてきたし、いつもよい成績を取ったし、いつも他の人から尊敬されてきたのだ」と。 こういう自信を持っておるから、艱難(かんなん)にぶち当っても、自分は優れた人間であって、この困難を必ず乗り越えていけるのだ、と。こういうふうに、自分に言い聞かせているがために、実際、その困難を打ち崩していくことができるのです。 ところが、自分の学歴に劣等感などを持っておる人というのは、社会に出てから困難にぶち当たると、「いや自分がダメなのも、やはり大学を卒業していないからなのだ。大学を中退したからなんだ」と。あるいは、「高校に進まなかったからだ」と。こうしたことを、いつもいつも愚痴るようになるわけですね。 そして、何かことがあるごとに、「結局、学歴がないから自分は不幸なんだ。学歴がないからいい嫁さんも来なかったし、学歴がないからいい就職もできなかったし、学歴がないから昇進もできなかったし、学歴がないから馬鹿にされたし、学歴がないから子供の教育もできないし、学歴がないから車も持てない。学歴がないから家も持てない。学歴がないから……」ということで、こうした言い訳ばかりをするようになります。 私は思うのですが、人間の基本的な能力というものは、そうそう大きな開きというのはないと思うのですね。ですから、成功体験を通して、自分というものに自信を持ってくると、いろんな困難や苦難に遭遇したときでも、それを打ち破っていける。その自信でもって、その困難や苦難を打ち破っていけるのです。 ところが、挫折しか経験しておらん人は、何か困難、苦難がくると、「また挫折をするのではないか」と、自分の悪い経験ばかりを反芻(はんすう)してしまう。そして、結局、挫折する。こういう悪循環を繰り返していくのです。 したがって、こうした悪循環を断ち切るためには、やはり、成功の心理学というものを十分心のなかに刻んでゆかねばならんのですね。この成功の心理学を刻んで、日々生きていくことが大事なのです。 9.光明思想の教育効果 私は、本来的にも人間は神の子であり、人間の性は善であり、人間の本質は素晴らしいものだと思っておりますが、また、それが事実だと思っておりますが、それが事実であるかどうかということの論証を抜きにしても、人間は本来素晴らしい存在なのだと考えて生きることが、結果的に、どれほどその人の人生をバラ色にするか。そういうことを考えねばならんのです。 ですから、宗教家で言えば、人間罪の子の思想を説く人が、もし教育者で出てくれば、結局は、子供たちをつかまえては、その子供たちの欠点ばかりを教えるようになる。つまり、「お前は算数ができないからダメだ。他の学科が全部できても、お前は算数ができないから、将来は理科系統に進めない。だから、医者になれない。科学者にもなれない。結局、ダメだ」と、こういうことを言うようになる。 また、算数はよくできるが、国語ができない子供にはどう言うかというと、「国語ができないということは、日本語ができないということだ。日本語ができないというような人間は、教養がない。そして、教養がない人間は、どこへ行っても、人の上に立てない。だから、お前は、ダメなんだ」と、こういうふうになってくるわけであります。 このように、欠点ばかりを見るものの見方は、大局的な見地から言っても、その人を生かすことにはならんし、その人を幸せにすることにもならん。私は、このように考えるのです。 いいところを見つけて、それをほめていく。そして、それを伸ばしていく。やはり、そういう教育こそが、真実であるのではないですかね。 算数ができる子がいたら、あなたは天才だ、と。数学の天才だとほめていく。国語ができる子がいたら、お前はその才能を生かして、作家になれるかもしれないよ、と。こういうふうに見ていくべきです。 また、たとえ勉強はできなくとも、しゃべるのがうまい子をみれば、お前は説法が非常にうまいから、将来は政治家か、あるいは、宗教家になるかもしれない、と。こういうふうにも、とらえていけます。 すなわち、現実は同じであっても、それをどうとらえるかによって、人生を幸福にできるかどうかということが変わってくるのですね。 ですから、私は何度も何度も繰り返して言っておるけれども、人間というものは、光明の方面に自分の考えを向けていかねばならんのです。そうしなければ、本当の意味においての幸せということはないのです。すなわち、もし過去において、自分に罪があったとしても、「罪よ、罪よ」ということをあんまり自分の心に刻んでしまってはならんのです。 人間が原罪の子であるという思想は、もちろん、カルマとか、あるいは、過去世の業ということでもあるんでしょうが、それは過去世だけのことではなく、今世のことにもあてはまるわけです。 今世で過去に失敗したからと言って、その失敗ばかりをいつまで言っておっても、決して幸福にはなれんのであって、その失敗に清算をつけて、新しい太陽に向かって、人間という者は生きてゆかねばならんのです。 したがって、自分が間違っていたことに対しては、もちろん、その点に関して、人に詫びるのは、正しいし、そうした間違ったことを二度としないと心に決めることも大切でありますが、肝要なことは、その間違いを引きずらないということです。その間違いを引きずって、自分の人生は間違ってしまった、間違いの人生だというような、そういう自己卑下的な考え方はせんことです。 人間は、間違うこともあるけれども、それ以上に素晴らしい人生を生きることができるんだ。これからいつも新しい出発をしていくんだ。神の子として、素晴らしい旅立ちをしていくんだ。こういう思想というものを持たなければ、人間は、本当に幸福になることはできないのです。 ですから、私は本章で言っておるように、本来罪なし、人間本来罪なし、すなわち、「人間無罪宣言」というのを大切にしたいと思うのです。それゆえ、本書の読者の皆さんも、もし自分に罪がありとしていろいろと虐(いじ)めておるならば、その罪から自分を解放してやりなさい。その鉄格子のなかから、自分を解放してやりなさい。と、言いたいのです。 そして、クーエのごとく、考える。毎日、自分はあらゆる面で一層よくなる。毎日、あらゆる面で一層よくなるんだ。なぜなら、自分は神の子だからだ。神の子だから、よくなるしかないんだ。自分は、ますます向上し、ますます立派になり、ますます社会のために奉仕できるんだ。そうして、多くの人びとに喜んでもらえるんだ。こういうふうに思っておくことです。それが、大事なことなのですね。 10.自己実現と全託の精神 「生長の家」の聖詩篇のなかにも私は書いておりますが、自己実現に関しては、その結果というものに関して、神にお任せすることです。自分は神の子で、神様が最大に愛しておる子供なんだから、あとはその念いを持続し、いい念いを持続して、いつその結果が現われるかということは、もう気にしないで見ておる。そういうことです。 一晩眠って、朝になればね、草の芽、あるいは、植物の芽というのは、一層伸びておるのです。夜眠っておる間に、そうしたものは、芽が伸びておるのですね。そうしたものなのです。 ですから、そういう心を、そういういいことだけを心の奥に刻んで、それが何センチ伸びたかということは計らずに、待っておることです。すると、ある時期になると、パッと花が咲く。必ず、花咲くのです。 たとえば、片栗粉でもそうですね。湯を注(さ)して、持っておると、ある瞬間に、パッと透明に変わる。そういうものなんです。片栗粉がなかなか透明にならないと言うんで、固まらないって言うんで、また水を注したり、いろいろとこね廻したりしておっても、ダメなんですね。あるとき、パッと変わるんです。そういう瞬間があるんです。それを信じて生きることですね。これが大事ですよ。 まあ、自己実現の方法については、また改めて話をしようと思うけれども、人間は本来無罪なんだ、素晴らしい存在なんだという思想を、どうか忘れずに生きていただきたい。私は、強く、そう願うのであります。
https://w.atwiki.jp/fro2018/pages/51.html
. 聖杯戦争のマスターとして不幸にも覚醒してしまった男が、目撃したのは『絶望』そのものだった。 日本の京都。 舞台に相応しい『僧侶』の役割を当てられていた・室井静信が、かつての記憶を取り戻すに時間は要しない。 彼が身を置いていたのは、自然豊か程度で済まされない。 閉鎖された古典的『ド田舎』。人口が僅か1300人だけの村。 そこと比較すれば大都会かつ有名な京都へ移ったのだから、違和感の一つや二つ。直ぐに抱いた。 ――静信が人気ない、自身が在籍すると『されている』寺院で思い出した矢先。 目にしたのは自らのサーヴァント。 じゃない。 最早、原型のない血液の集合体であった。 偉大なる英霊とはかけ離れた『化物』そのもの。 何かと疑念を脳に発生させる必要なく、血液は独特の匂いを漂わせながら静信に接近する。 逃げるべきだが。 不思議にも静信は逃げる手段を取らずに、額に汗を浮かべながらも静観していた。 血液は静信の周囲を取り囲み。 『お前は――セイシン。嗚呼、ムロイセイシン。そう呼ばれているな。「情報」がある』 と、ゴポゴポと泡を立てながら。 確かに、血液から声が聞こえたのである。しかも人間の。 血液でしかないソレを果たして『人間』と称するべきなのだろうか。 聖杯戦争をすんなり受け入れた訳じゃないが、静信は酷く落ち着いた様子で聞き返す。 「情報?」 『お前の「血」の情報だ。お前は――自殺しようとしたな。手首をかっ切り、死のうとした』 自然と静信は、指摘された手首を抑えていた。 今尚、痕跡が残されている。血液に果たして視力があるか怪しいものの。 ソレの言葉は事実であり、真実だった。そして――― 『お前はこの世界に絶望した。とっくの昔に全てを悟り、死を選択し。だが結局のところ死なずに居る』 何故だか息を飲む。 絶望した。 そうなのかもしれない。閉鎖された村に対してじゃない……この世界全てに対して。 でも、実際は曖昧だった。絶望の衝動で刃を立てたのか。分からない。 困惑する静信に対し、血液は嗤う。 『お前の選択は最善だ。そうだとも。死ぬ必要なんて無い。死ななくても良いからだ』 「なら、どうして。ぼくにその話を」 『俺とてこの世界に絶望しているからな。こんな世界はクソでアホでバカで間抜けだ。 最も、世界を代無しに没落させた要因は、紛れも無く「人間」という最低最悪の生物だ』 「―――」 静信を差し置いて語り語る血液の形状は、見る見る内にヒトの姿になった。 年齢は明らかに静信よりも若い。 先ほど男の声だった気もするのだが、実際の姿は 木瓜紋があしらわれた帽子を被り、赤マントを靡かせる黒の軍服の黒長髪の少女。 軍に関わる年代と性別に大凡思えない容姿。 口調と違って可愛らしい声色で、堂々とソレは言う。 「だが、考えても見ろよ。こんなにも醜く哀れで地上の宝を湯水の如く消化し穢す愚かな生物が 滅亡すること無く、その文明を永続させられると思うか? 俺は思わないな! 人類は滅びる。勝手に滅びる。 確実に滅びる。滅んで当然の末路だ。クソ世界に絶望した俺の共感者(マスター)。お前なら分かる筈だぜ」 「……君は一体何者なんだ?」 震える静信の問いかけに、英霊は不敵に嗤い答えた。 「人類で最初に『殺された』間抜けだよ」 ◆ 人間が知らない神話。 人類最初の被害者と称された弟は、兄の嘘を告発する為、執念により大地に流れた自らの血液を利用した。 それを視た神は、弟を『人類全ての血の祖』にし。 死と引き換えに『血液』を通し、人類史を観測する地位を与えられた。 誰しも神からの恩恵に喜ぶ事だろう。 最初、弟も神から与えられた地位に心より感謝の意を表していた。 ……だが。本当にそれは最初の内だけ。 人類が流す『血』の要因など、自ずと悲劇と非業と拷問や戦争……醜悪の塊でしかない。 無論。全てがそうでなかったとしても。 そうでなかった『希望』が『絶望』に塗り替えられるほど、弟の魂を摩耗し、精神を穢した。 あらゆる私怨や憎悪を抱く中。 弟がこれらが――兄の血筋が要因ではなく。人類という種族そのものが愚かであるが故の顛末なのだ、と理解するのに。 さほど時間はかからなかっただろう。 罪人として『生き続ける』兄の方が安息に思えるほど、弟は『悪』を目にし続ける。 弟の名は『アベル』。 京都の地において『ライダー』のクラスで召喚された英霊。 ◇ 翌日早朝。 ふう。と静信は、寺院の清掃を終えた。 枯れ葉をゴミ袋にまとめ、観光客の姿もまばらなのを確認し、自室へ移動すると今時珍しい原稿用紙を机に敷き。 小刻みにペンで音立てて執筆活動に励む。 僧侶ながら副業に小説家を持つ人間は、珍しい部類に属するだろう。 「おい、何してる?」 静信のいる部屋に面した縁側で、胡坐をかいて呆れた風に声をかけたのは、夢でもない、静信が召喚したライダーである。 ……なのだが。 静信がペンを落としかけるのも当然。 ライダーの姿は形状を露わにした黒髪の少女そのものだが、格好は現代らしいラフなものへと変わり果てていた。 木瓜紋をあしらった帽子はそのまま。 現代のジャケットと『Buster』とロゴがある赤いクソダサTシャツ、あげくにミニスカ。ロックなヘッドフォン。 彼――性別は彼女だが――の真名を看破できる存在など、現状いるのか怪しいほどだ。 流石に静信も溜息をついて、一旦ペンを置く。 「君こそ、世界に絶望しているにも関わらず。謳歌しているのかい」 「仕方ないだろう。現代がこのような格好を求めているのだから」 「君が『女性』だったとは思えない」 馬鹿真面目な態度で返事する静信に、ライダーは舌打つ。 「俺本来の姿になったところで何の意味がある? 京都に縁ある英霊の姿を借りて何が悪い? 確か名前……オダ、オダノブナガ。これは『織田信長』の姿だ。お前の国の英霊だぜ。名くらい知ってるだろ」 「なんだって?」 否。織田信長が女性である方こそ『おかしい』のだが…… 頭をかかえる静信を気にも留めず。 ライダーは悠々と問いかけた。 「おい、共感者(マスター)。お前の願いはなんだ。言っておくが人類滅亡も衰退も願う必要はない」 「僕は……まだ分からないよ」 真剣な面持ちの静信に対し、ライダーは鼻先で笑う。 どのように罵倒されようが静信は続けた。 「君の提案する人類の衰退も最初から願いになかったし、特別な願いも僕にはない」 「つまらんな。本当につまらん。小さな箱庭で満足するキチガイめ」 「僕はそれでいいと思っているよ。今もね」 「今もか? こんな世界を知っておいて。良いと思って死のうとした癖に」 「そう」 「……お前はきっと俺に失望しているんだろうな」 「そうだね」 「馬鹿だな。何故、嘘をつかない」 「君には嘘が通用しないと知っているからだよ。英霊の力は逸話通りじゃないのかい」 ライダーの表情は心底退屈そうなもの。 静信が察する通り、ライダーの逸話に準え『虚偽』を明かす能力が備わっている。 英霊であれマスターであれ。ここに配置された無銘の住人ですらライダーに嘘を暴かれる。 しかし。だからこそか。 ライダーは本当につまらなそうな様子だった。 「もう俺は嘘が嫌いじゃない。嘘がないほど面白みが失われる。 なあ、どうだ。共感者(マスター)。世界を混沌極まりない残虐かつ残酷な土台に変えたのは人間か? 神か?」 「どうなのかな」 「俺を殺した男は典型的な卑怯者だが、神に対し泥を塗ったのは滑稽で面白いと思うぜ」 ゲラゲラ嗤うライダーは、最早悪魔のようだった。 そんな彼――アベルに静信は失望していた。 聖書で語られたアベル。その存在に身勝手な尊さを抱いて、自滅し、失望しているのか。 あるいは……神に対し失望しているのか。 死して終わる筈のアベルに対し、清らかな心を穢すかの如く。あらゆる醜さを味あわせるなど。 「君は、観測者には相応しくなかったんだ」 皮肉めいた静信の発言に、アベルが目を見開く。 「やっぱりお前は俺の共感者(マスター)だ。俺もそれを願おうと考えていた」 所謂、自らの消滅。 通常願う事ない自殺を願う。 だけど静信は当然のことだと考えていた。何故ならアベルに『罪』も『罰』もない。きっとそうだ。 故に地位を捨てる事も赦されるのだ、と――勝手な理想を描いていた。 【クラス】ライダー 【真名】アベル@旧約聖書 【属性】混沌・悪 【ステータス】筋力:C 耐久:C 敏捷:D+++ 魔力:D 幸運:C 宝具:EX 【クラス別スキル】 対魔力:B 魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。 大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。 騎乗:EX アベルの騎乗の真価は『血液』の騎乗にある。 【保有スキル】 変化:EX 血液そのものと成ったアベルは、大地に流れ続ける人間の血液と同化し続けている。 血を流した人間であれば誰にも変身可能。 どこかの英霊も体現可能だが、英霊としてのスキルや宝具は獲得できない。 文字通りの見かけ騙し、姿だけのハリボテ。形は本物なので初見殺しになりえるだろう。 アベル本来の姿は保てない訳ではない。 愚かな兄に殺された自分自身を『弱い』と嫌悪している。 血脈集束:EX 大地に流れた人間の血液と同化状態にあるアベルは、それらから『情報』を得る。 所謂、ほぼ人類史巨大サーバー。あらゆる情報が集束されたネットワーク。 当然ながらアベルが全ての情報を即座に引き出す事は不可能。 そうしようとしたら彼自身に膨大な負荷がかかり、自滅に終わる。 一つ一つ、特定の情報を『検索』する作業となる。 無論、情報検索における魔力消費も必要。ある程度、検索条件を加えれば魔力消費も少ない。 精神汚染:C+ 精神が錯乱しているため、他の精神干渉系魔術を高確率でシャットアウトする。 一応、会話は可能だがハメをはずして、命令を聞かない。 マスターの静信があれこれ言っても、素直に応じる事もない。 ただ『共感者』として意気投合できると思っている。 真紅の告訴:A かつてカインの嘘を暴いた逸話によるスキル。相手の虚偽を暴くもの。 アベルの認識範囲に留まる全てが対象。嘘をつけば嘘を述べた者の足元。 もしくは肉体等に血液に似たものが浮かびあがる。 【宝具】 『人類の不浄よ、地上を潤したまえ(クリムゾン・レコード)』 ランク:EX 種別:対血宝具 レンジ:∞ 最大補足:∞ あらゆる世界。人類が大地に流した血液の集合体であり、そのものであるアベルは 前述にある変化や血脈情報の他にも、血液そのものを使役する事が可能。 血液中にある鉄分を利用し、武器を創造。血液を使い魔のような生命体に変化。 巨大な血液で構成されたモンスターに形作ることすら出来る。 舞台の京都そのものを血液の海に沈める事も……可能だが、魔力が圧倒的に足りない為、行わない。 使役する血液の量により、魔力消費は変化する。 【人物背景】 旧約聖書に登場する人類最初の被害者。 兄・カインから嫉妬され、殺され、大地に流れた血液と成った。 死したアベルは、神より人間の血を通し人類史の観測者となる恩恵を与えられる。 しかしながら、戦争等非業の歴史と所業。 血に流される『情報』は人間の醜さが凝縮されたものだった。 これは罪人として生き永らえ続けるカインの行いではなく。 人間という生物が至った醜さだと理解し、絶望している。ヤグされている。 人類滅亡を望んでいるものの。別に願う必要なく人類は自滅すると過信している。 【容姿・特徴】 スキルにより姿はコロコロ変わる。『姿だけ』であれば血を流した者に限り、誰でもなれる。 現在、京都所縁ある英霊・織田信長(FGOのノッブ)の姿でいる。 それも水着verのラフな格好だったり、魔人アーチャーの軍服verだったり様々。 本来の姿は、二十前半の青年。短髪黒髪。細みだが筋力ある体つき。一枚布を体に纏っている。 【聖杯にかける願い】 観測者の恩寵という呪いを解く 【マスター】 室井静信@屍鬼(漫画版) 【聖杯にかける願い】 まだ分からない 【人物背景】 人口わずか1300人の村にある寺院の息子。 本業は僧侶で、副業は小説家。ワープロに抵抗がある為、原稿用紙で執筆している。 性格は典型的な温厚だが、学生時代に自殺未遂を起こす。 【能力・技能】 特になし。 魔力なしマスターである為、魔力源は心もとない。
https://w.atwiki.jp/veiros/pages/44.html
ネルヴィル星系第二惑星タイフォンに誕生した人類国家。 人類は機械化によって自動人形オートマトンと呼ばれている。 Taifon’s earthian sphere 国旗 目次 目次 略史 ネルヴィル星系第二惑星タイフォン 古代遺跡『邪悪なる雷神』 古書The old mythical book(Historical materials) 宇宙港セレネイド タイフォン人類圏人民領導体制タイフォン人類圏人民委員会 最終決戦兵器The ultimate weapon(救世の使徒) 住民機械化された人類 代表的な都市セレネイド市 軍事タイフォン人類圏防衛部 タイフォン人類圏地上軍 タイフォン人類圏宙域軍 略史 古書に記されている人類、地球、軍拡競争、最終戦争という僅かな文字以外、自分達の過去を特定する記録は失われた。 崩壊する世界、超長期戦争、衰退する文明― 連日のように上空に爆撃機群が出現。 サイレン音が鳴響き、サーチライトが夜空を照らす。 都市への攻撃は日に日に熾烈さを増していくばかりだった。 黒煙が濛々と上り、暗黒に蔽われた空を、大地を焦す火焔が赤々と照らす。 集団疎開が行われ、学校は閉鎖され、市街は閑散としている。 死者の数は天文学的数値に達し、既に人心は麻痺し、死に対する無感情が蔓延している。 このような無意味な戦いが延々と続けられているのだ。 ある人間は考えた。もはやこのような戦いは終わらせなければならない。 固い決意は遂に実を結ぶ。秘密裏に行われた幾つもの非人道的実験により、遂に救世の使徒が完成された。 現れた救世の使徒ヴェステルは、蒼空にタイフォン人類史以来何千年と微動だにせず存在し続ける忌むべき存在『邪悪なる雷神』と侵蝕した。 最終決戦兵器―と、軍はこう呼び、その圧倒的な破壊力に頼る。そして、また今日も一つの街が消滅した。 戦乱の星に平穏が戻った。戦争は有耶無耶のうちに無くなった。全土を焦土とすることで― ネルヴィル星系第二惑星タイフォン 戦争によって破壊し尽された第二惑星タイフォン。アモルフォスという衛星を有する。 その名前の由来も、そもそも戦争の発端も誰も知らない。ただ戦争によって焦土化された大地という事実だけが残った。 惑星に人類が移住して以来存在し続けるという邪悪なる雷神のみがそれを解明することができるが、 人類は戦争と言う名の歪んだ過去の歴史を忌避し憎悪し破棄することを選んだ。 古代遺跡 戦争以前に作られた記録の無い建造物群。 『邪悪なる雷神』 戦争の元凶ではないかと考古学者に疑われている、いわば"戦争という名の歪んだ過去の歴史"の象徴であり最も忌むべき存在。 古書に似たような挿絵が描かれており、人工知能、軍事衛星との記述がある。 カーテンや外套を思わせる甲板は光学による火砲をも兼ね、 幾何学的に精緻なデザインは女性的であり、兵器として生まれ持った側面に限らずある種の芸術性をも感じさせる。 これと侵蝕したヴェステルは、全エネルギーを投下し惑星全土を破壊し尽くした。 上空五百kmの静止軌道上にあり、現在は静態を保っている。 古書に書かれた挿絵(外蓑を遮蔽した状態) 古書The old mythical book(Historical materials) タイフォン人類史初期に著されたとされる書物で今時珍しい紙媒体。 だが現在の我々がそれを事実(歴史編纂書)と知る由も無く、内容的に神話のような物と解釈されている。 人類がどこから来たか、どうして来たか、国づくり模様、戦争が起こった経緯、果ては兵器解説などが断片的に記されている。 しかし重大な根幹部分が戦火により焼けて欠落。現在は厳重な警備体制の下でセレネイド国立博物館に収蔵されている。 宇宙港セレネイド 邪悪なる雷神に次ぐ古代遺跡の一つ。戦争で廃墟化していたものを再利用。 我が国最大の宇宙への玄関口。首都と軌道エレベーターが通っており、アクセスは良好。 タイフォン人類圏人民領導体制 表面的には合議制。然しながら、戦後復興方針に関わる全ての決定権はエステルが掌握。 タイフォン人類圏人民委員会 戦後復興に関する権限執行及び全人民を統一する意思決定の最高機関。 最終決戦兵器The ultimate weapon(救世の使徒) ヴェステル・マーガトロイドVestelle Margatroid 人の手で作られ、神と言われた少女。救世の使徒。圧倒的な戦力によって幾万の敵軍を殲滅。 最終的に邪悪なる雷神との侵蝕を行い、全エネルギーを投じて惑星全土を完全に焦土化。戦争を終結させる。 人民委員会に対する発言権を有する。人民からの支持は絶大で、ヴェステルに個人に対する崇拝に傾倒しつつある。 兵装 核エネルギー砲 ガウスカノン砲(弾薬は散光弾採用) 多連装ロケットランチャー 空対空ミサイル群 三次元索敵レーダー 自動火器管制システム 可変翼 偏向シールド生成装置 常温核融合反応炉 パルスジェットエンジン×2 ※上は通常戦闘形態時の兵装。非戦闘形態時と以下の条件で外すときがある。 邪悪なる雷神との侵蝕に於いては常温核融合反応炉を除く全ての兵装を外している状態で、 全エネルギーを邪悪なる雷神の起動及び超大出力エネルギー砲に使用し、地上に投下する。 この時、地上への投下エネルギー量は水爆数十個分に相当する。 住民 機械化された人類 戦争による破壊で生態系、エコシステムを完全に崩した惑星環境。人類は生存の危機に瀕した。 機械化という選択を行い、永遠の命を享受。その代償として、終りの無い復興に従事させられた。 外見上はさして変化は見られないが、命令に絶対忠実な存在。即ち自動人形オートマトン、と。そう呼ばれる所以でもあった。 代表的な都市 主要都市は壊滅。戦後僅かに開拓村が建設された程度。 セレネイド市 我が国の首都。 ジオフロント都市で、最終決戦兵器による全エネルギー投下によって部分的に崩落したものの現存する。 五千万人が身を寄せ合って生活している。交通手段はフライヤーと称される電力駆動反重力エンジンで浮上する自動車、バス等である。 宇宙港セレネイドまで軌道エレベーターが通っている。 軍事 超長期戦争を経験し、兵器の数及び種類は星団でも有数と言われる。 ただ兵器の技術水準は低下しており、現段階に於ける水準としては破壊力を除けば極めて貧弱と言うしかないだろう。 タイフォン人類圏防衛部 タイフォン人類圏の地上軍、宙域軍を統括する。 通常、指揮権は人民委員会の防衛部長に付与される。 タイフォン人類圏地上軍 総兵力は一千万人規模。更に陸海空軍に分類される。 対宇宙迎撃システムを運用しており、対宇宙ガウス砲及びミサイルを多数保有。 その他、戦争中に大量に製造、建造された戦闘機、爆撃機、戦車、軍艦を保有。その他、初歩的な自律人型機動兵器を数機保有。 オートマトン兵士一人でも強力である。 タイフォン人類圏宙域軍 総兵力は百万人規模。 航宙戦艦三隻、航宙母艦二隻、航宙巡洋艦十隻、航宙駆逐艦十隻、潜宙艦五隻を保有。邪悪なる雷神は宙域軍に属する。 最終決戦兵器としてのヴェステル・マーガトロイドは、邪悪なる雷神との侵蝕を行うことで極限の能力を発揮できる。 制御に難があることを除けば、その(たった彼女一人で自滅係数1に達する存在)状態に於いては、いかなる敵にとっても最大の脅威。