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百詩篇第5巻 19番 原文 Le grand Royal d’or1, d’ærain2 augmenté3, Rompu la pache, par ieune4 ouuerte guerre Peuple affligé par vn chef lamenté, De sang barbare5 sera couuerte6 terre7. 異文 (1) d’or d’Or 1672 (2) d’ærain 1557U 1557B 1568 1588-89 1589PV d’airain T.A.Eds.(sauf d’airin 1627 1644 1653, d’Airain 1672) (3) augmenté augmenré 1665 (4) ieune jéune 1716 (5) barbare Barbare 1589PV (6) couuerte couuert 1649Ca (7) terre de terre 1649Ca, Terre 1672 (注記1)1588-89では、3-4-1-2の順で、II-40に差し換えられており、不収録。 (注記2)1590Roは比較せず 日本語訳 大いなるロワイヤル金貨は青銅 (の比重) が増やされる。 約定は破られ、若者によって戦端が開かれる。 民衆は指導者によって悲しみに暮れ、嘆かされる。 大地はバルバロイの血で覆われるだろう。 訳について 1行目 grand Royal は、名詞+形容詞と理解して「王家の偉人」と訳すことも可能だが、Royal が大文字であることや、直後に d’or (黄金の) とあることから言って、形容詞+名詞と理解すべきだろう。名詞としての Royal は 「王の像を刻んだ14、15世紀のフランス金貨の総称」(*1)として使われ、DFE にも 「約68スーの価値がある古金貨」 という語義が載っている。実際、ピーター・ラメジャラー、ジャン=ポール・クレベールらはそのように理解している。 既存の訳についてコメントしておく。 大乗訳について。 1行目 「金の王宮 銅がふえ」(*2)は、grand を宮殿と訳すのが強引だろう。 2行目 「一致は若い人に破られ戦いがはじまり」 は、確かに par jeune (若者によって)を前半に係らせることは可能である。ただし、前半律は pache までだし、少なくとも初出の句読点の位置が正しいのだとすれば、不自然なことは否定できない。 3行目 「人々は首長を失ってなげき悲しみ」 は、「失って」にあたる単語が原文にない。そのように意訳できる可能性はあるが、反面、2行目にある戦争に突っ込む指導者のせいで、人々が嘆かされるとも読める。 山根訳について。 1行目 「偉大な黄金の王族 銅により勢力を増し」(*3)は、そう訳せないこともないが、前述の理由によって不適切だろうと思われる。 3行目 「人々は悲嘆の王に苦しめられ」 は、単語の位置関係からすれば、そうも訳せる。 信奉者側の見解 テオフィル・ド・ガランシエールは、金銀を豊富に持つ王が、約束を違えた人物との戦争を行う予言と解釈した上で、スウェーデン王グスタフ・アドルフの可能性を検討した(*4)。 その後、20世紀半ばまでこの詩を解釈した者はいないようである。少なくとも、ジャック・ド・ジャン、バルタザール・ギノー、D.D.、テオドール・ブーイ、フランシス・ジロー、ウジェーヌ・バレスト、アナトール・ル・ペルチエ、チャールズ・ウォード、マックス・ド・フォンブリュヌ(未作成)、ロルフ・ボズウェル、アンドレ・ラモン、ジェイムズ・レイヴァーの著書には載っていない。 エリカ・チータムは解読不能としていた(*5)。 セルジュ・ユタンはナポレオンと解釈していた(*6)。 同時代的な視点 1行目は明らかに金貨の改悪を述べている。 ピーター・ラメジャラーは、当時の貨幣改悪の動きと、『ミラビリス・リベル』に描かれた予言とが重ねあわされているのではないかとした(*7)。 コメントらん 以下のコメント欄はコメントの著作権および削除基準を了解の上でご使用ください。なお、当「大事典」としては、以下に投稿されたコメントの信頼性などをなんら担保するものではありません (管理者であるsumaru自身によって投稿されたコメントを除く)。 皇室(黄金)がある日本の兵力(青銅)が増大したが、1945年8月8日、日ソ中立協定を破って、ソ連が満州国に侵攻してきた。しかし、国境付近で多くの日本部隊が全滅して、野蛮な血筋のソ連兵に居留民の多くが殺傷・強姦・略奪された。二行の若者は二・ニ六事件を起こした青年将校を指しているようにも思える。 -- とある信奉者 (2013-03-01 02 16 41) 何故、皇室が“黄金の偉大な王家”と表現されているのかを説明したい。マルコ・ポーロの『東方見聞録』で、我が国は「黄金の国 ジパング」と紹介された。「宮殿も黄金で出来ている」と凄く誇張されて紹介された。加えて、黄金は殆ど腐食しないので、万世一系の皇室を表現するのに最適な表現になる。 -- とある信奉者 (2013-03-04 12 00 02) 名前 コメント
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【関連】 皇室の基礎知識 皇室の本 万世一系 日章旗と君が代 秋篠宮ご一家 世界最強の天皇陛下 <目次> ■かけがえのない御皇室 ■天皇の尊さ■世界最古・最長の君主家 ■世界唯一の皇帝(Emperor) ■「文明開花」の先陣を切った明治天皇 ■米国から見た天皇 ■無礼な朝鮮 ■反権力雑誌に論破された「女系天皇論」 ■天皇家を護るとてつもない守護 ■天皇=日本そのもの ■日本の滅亡は世界の迷惑 ■天皇の役割■独裁を防ぐ ■国民を統合する ■伝統文化の正統を、保存・表現する ■皇室用語の基礎知識 ■かけがえのない御皇室 ものづくりの最先端を行く日本。東京にはビルが立ち並び、その中でポップカルチャーが所狭しとあふれています。そんな日本国でありながらも、2600年以上もの昔から皇胤(こういん)を秘めながら、今もなお御所の深い杜のそのまた深いところで神話が奥ゆかしく息をしています。古(いにしえ)のしきたりと未来を拓く最先端技術が混沌と生きている国。それが世界に誇る神の国日本のあるべき姿です。 ■天皇の尊さ ■世界最古・最長の君主家 我が国の皇室は、紀元前660年に践祚された初代 神武天皇から第125代 今上天皇まで、2669年(平成21年現在)も続いている。これは、世界に現存する世襲の君主家の中で、最古・最長です。 ただ、「紀元前660年に践祚された」という記述を素直に解釈しますと、神武天皇は、127歳で崩御あらせられたことになり、あまりにも長寿である、という指摘があります。これについては、作家の八木荘司 氏が、支那の史書『魏略』の記述を基に、「昔の日本での『一年』は、今でいう『半年』である」と指摘し、「神武天皇の践祚は、西暦181年である」と主張しています(八木荘司 著、角川書店 刊 『角川文庫 古代天皇はなぜ殺されたのか』)。これを考慮しても、1828年(2009年現在)続いている計算になり、やはり世界最古・最長です。 ■世界唯一の皇帝(Emperor) 昔から、支那は、中華思想を持っていました。中華思想とは、自らの国を、世界の中央にあって最も文化の進んでいる国と見なす思想です。そのため、支那は、外国を、「夷狄(いてき)」と呼び、見下してきました。この中華思想に基づき、支那は、「冊封(さくほう)」という体制を、執っていました。冊封とは、支那の皇帝が、異民族の長(おさ)に、国を治める権利を、授けることです。中華思想では、支那だけが“世界の中央にあって最も文化の進んでいる国”なのだから、支那に認めてもらえない国は、彼らにとって、夷狄なのです。 ※( 冊封(wikipedia) ) 西暦607年になると、我が国の第33代推古天皇の摂政であらせられた聖徳太子は、小野妹子を、隋(当時の支那の王朝)へ、お遣わしになりました。このとき、聖徳太子は、隋の第2代皇帝である煬帝に、国書を、宛てられました。 原文  日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや 現代語訳  日が昇るところの天子が、書を、日が沈むところの天子に、届ける。元気か。 中華思想にとって、「天子」とは、支那の皇帝のみを指す言葉でした。しかし、聖徳太子は、国書の中で推古天皇を「天子」とお呼びになることで、「我が国と支那は、対等である」という態度を、示されたのです。これにより、我が国は、冊封から脱し、独立国としての矜持を、持ったのです。 それから現代に至るまでに、様々な皇帝(Emperor)が、洋の東西を問わず現れました。しかし、平成21年現在でも残っているのは、天皇だけです。 このように、我が国の天皇は、時間的には「世界最長・最古の君主家」、空間的には「世界唯一の皇帝(Emperor)」という特長を、有しているのです。それゆえに、天皇は尊いのです。 ■「文明開花」の先陣を切った明治天皇 1871年8月9日、散髪の自由が認められ、それまで長く続いていたチョンマゲの時代が「法律上」終わりを告げました。 よく「ザンギリ頭を叩いて見れば文明開化の音がする」などと言う言葉が有名なので、明治になった途端にみんなが我先にと大喜びでチョンマゲを切ったかと思われがちですが、実は散髪の自由が認められるまではチョンマゲを勝手に切ることは認められていなかったのです。 しかし、この日に認められたからといって物心付いた頃から当たり前と思っていた髪型を変えることには抵抗があったのか、多く出現した西洋床(散髪店)で洋髪(ざんぎり頭)にする人は実に少なかったのです。実態としてはチョンマゲの時代が続いていたのです。 しかし、それから2年後の1873年3月1日についに明治天皇が洋髪にしたために、ようやく多くの人々もそれに従うように散髪をするようになったのです。 参考リンク・ 明治天皇 ( 知泉Wiki 内) ■米国から見た天皇 米国の大統領は燕尾服に白い蝶ネクタイ(ホワイト・タイ)という最もフォーマルな姿で天皇と会います。 昭和天皇が昭和50年(1975)に米国にお出ましになった時の御真影。当時のフォード大統領はホワイト・タイをしめています。 http //www.whitehouse.gov/history/photoessays/crosshalls/06.html http //www.international.ucla.edu/eas/images/hirohito-ford.htm つまり、それほど至尊な権威が天皇陛下にはあらせられるのです。日本国が世界に誇るこの御皇室を廃止することは、日本国の尊厳を大きく損なう虞があります。 ■無礼な朝鮮 北朝鮮と韓国では天皇陛下を「日王」(「日本の王様」という意味。)などと呼称しています。朝鮮人にとって天皇は他民族の君主ではありますが、だからといって他国の君主に対して無礼な態度とっていいわけではないです。断固抗議すべきです。 天皇は国際社会においても「 皇帝(Emperor) 」と承認されており、「王様」などと表現するにはあまりにも恐れ多いです。英語でも、「Emperor」と言われています。そもそも天皇の「皇」は、皇帝の「皇」です。 ■反権力雑誌に論破された「女系天皇論」 「反権力スキャンダル雑誌」を売りにした月刊誌「噂の真相」が、女系天皇論の正統性の無さを指摘しました。「女系天皇」を主張する「民族派」が「天皇制廃止」を主張する「反権力雑誌」に「女系天皇論」を論破されるなど、しゃれにもなりません。 参考資料 噂の真相 90年12月号「神秘のヴェールに覆われた大嘗祭における秘儀の”真相”」 噂の真相 02年2月号 「雅子妃女児誕生フィーバー報道と台頭する女帝論者の歴史改竄の論理」 愛子さまが生まれてから、「『女帝』でもいいじゃないか」「女性天皇は、男女平等社会にふさわしい」という意見がでていますが、男系男子の皇位継承が天皇制の伝統です。 血統という差別を本質とする天皇制に平等という近代の概念を持ち込むこと自体が論理矛盾であることはもちろん、女性天皇の制度化は逆に、宮家の増大という差別構造の拡大再生産を引き起こします。 そもそも、天皇制には女帝では絶対につとまらない宗教的本質が存在するのです。 神道では古来より、死穢、産穢、血穢という3つの穢れがあるとされていたのですが、ある時期から、その3つの穢れのうち、出産の産穢、生理の血穢をもっている女性そのものが『不浄のもの』として、排除されるようになりました。いわば、この国の女性蔑視の伝統の礎ともいえるものです。 今でも、相撲の土俵に女性があがれないとか、トンネル工事に女性が入れないといった形で穢れ思想は生きていますが、その穢れ思想をもっとも厳格に守ってきたのが天皇家の祭祀なのです。 その象徴が、年に一度の新嘗祭、そして即位の際に行なわれる大嘗祭という、2つの宮中祭祀です。5世紀中頃から続いている天皇家でもっとも重要なこの2つの祭祀はいづれも、悠紀殿・主基殿と呼ばれる建物で行なわれるものですが、その内部には「八重畳の寝座」と呼ばれるものがしつらえられています。そして、天皇は「采女」と呼ばれるひとりの女性を引き連れて、夜通しそのベッドのある部屋に引きこもり、この祭祀を執り行ないます。 内部でどんな儀式が行なわれているかは、秋に収穫した穀物を皇祖である天照大神に供え、共に食べるということ意外には詳細は明らかにされていません。 民族学者・折口信夫が昭和3年の9月の講演「大嘗祭の本義」にて 『フンドシを解くことで天皇が性交に向かう』 と説いた廻立殿の小忌の湯の儀のついて、宮内庁は、今上天皇の大嘗祭にかんする記者会見にて、ある新聞記者からの質問に、「お湯を使うということ以外は、いっさい言えない」とつっぱねたといいます。 歴史学者の間では、「大嘗祭」には女性との聖婚儀礼的な意味合いが含まれているというのが有力な説となっています。 大化以前の朝廷では、地方の豪族に服従を誓わせるため、豪族の子女を一夜妻として差し出させるという風習がありました。その子女が「采女」であり、この風習が儀式化されたのが新嘗祭・大嘗祭であるといわれています。 そして、儀式では采女を大地を象徴する神妻とし、天皇はその神妻と一体化することで、五穀豊穣を保証します。別の説では、天照大神、あるいはムスビの神という穀霊と一体化するという説もあります。いずれにしても女性との聖婚儀礼であることは間違いありません。 新嘗祭・大嘗祭は現在も、天皇が天皇であることを証明するもっとも重要な祭祀として受け継がれています。そこに女性との聖婚儀礼的な意味があるとすれば、相手となる天皇の座に女性が就くことができるわけがありません。 「穀霊は、一般に生産する力、生殖する力をそなえた女性の霊格とされるから、新嘗祭の祭司をつとめることをもっとも重要な宗教的機能とする天皇は、終始、男帝を原則とし、女帝は例外的存在にとどまった」歴史学者・村上重良 ほかにも、宮中祭祀の中には、女性皇族が参加を許されていない儀式が多数存在します。たとえば、やはり天皇の即位の際に行なわれる剣璽等承継の儀では出席するのは男性の皇族のみ。女性皇族は一切関わることができないし、女性の参加が許されている儀式でも、女性が生理中、もしくは妊娠中は「マケ」と呼ばれ、一切の儀式への参加出席が許されていません。 女帝の制度化を目論む輩は、天皇制の持つこうした女性排除の宗教的本質を無視し、矛盾だらけの「女帝」を誕生させようとしているのです。 「女帝待望論」に対し、民族派の者が意義を唱えず、抗議行動を起こさないのがフシギです。 ■天皇家を護るとてつもない守護 参考資料 天皇家と日本を守る不思議な力 ( 日本が好きなだけなんだよ 内) 天皇家は、中国の皇帝とは異なり、「易姓革命」によって滅亡しないようになっているようです。 日本は歴史上、世界最古の国家ですが、その根拠は一系の天皇家が建国以来、実権はともかく形式的には頂点に君臨し続けてきたことによります。一系の家系とは、男系継承で続いてきた家系のことで、いわゆる万世一系のことです。女系天皇などというおかしな概念が生まれたせいで、男系継承などという言葉が生まれましたが、一部の例外を除けば、世界共通で家系は父方の血筋を元に記録されています。遺伝子的にはY染色体の受け渡しで継続される家系のことですが、これは男女差別云々以前に、男女の役割の差に過ぎないと思われます。 ■天皇=日本そのもの 日本は、地政学的に見て、歴史的に見て、常に内部侵害といった主権侵害の危機にさらされています。それを踏まえて話を進めます。 皇室は、2700年近くの伝統を持つ尊い存在です。現存する最古にして、最後の皇帝と世界で認識され、敬われています。国際的な場では英国女王も天皇に上座を譲るのです。あのかつて「大英帝国」としてわが世の春を謳った国の女王様がですよ!他にも、簡単な言い方をすれば米国大統領に最敬礼をさせる事が出来るのも、この尊さのほかなりません。我が国は本当に素晴らしい宝物を持っているのです。これはお金に変えられません。外交として天皇来訪は非常に効果的で、両国の緊密さをアピールする事にも繋がります。 そして何よりも天皇陛下は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴なのです(今までもそうでしたが、明文化したのは実は現行憲法が初めてです)。そう! 天皇陛下の存在が地政学にもかかわらず、日本が日本であり続けてきた最大の要素です。 ■日本の滅亡は世界の迷惑 日本が日本でなくなったら、支那に侵略・支配され結果、日本は滅亡します。「日本が日本たる所以」、即ち「国体」です。国体の滅亡こそ日本の滅亡なのであります。日本が滅亡をしたらどうなるのでしょうか? 笑ってすまされる問題ではありません。 また、日本の滅亡は日本という国一国の滅亡では終わりません。いつも日本や我々大和民族の悪口ばかり言っている支那や朝鮮まで含めた世界全体の経済にも多大なる悪影響を与えます。日本の滅亡は世界の経済産業モラルの崩壊を招きます。 第二次世界大戦後の日本は、世界経済産業の要でありつづけています。「とてつもない日本」をご覧になればお分かりいただけますが、このような「カイゼン」・「ノーキ」・秒単位での作業など、またそれに伴う高度なまでの職人的なものづくりは、日本人だからこそ出来るのです。 原子力プラントメーカーに至っては、WH・東芝、GE・日立、アレバ(仏)・三菱重工業、ロスアトム(ロシア)の4グループ体制であり、前三者は日本企業が関わっているため、反日勢力に完全に侵略されれば世界中に大混乱が起こります。 そのため、いくら支那がアメリカと張り合えるほどの経済力を誇ったとしても、その下支えになっているのは、他ならぬ日本です。支那が日本を日本でなくす工作を働くことは、日本社会の崩壊に留まらず、支那経済にとっても自殺行為です。これを「天に唾を吐く」と言います。 天皇陛下を御護りし日本の国体を護持する事、つまり日本が日本であり続けるということは、同時に世界平和のためにもなります。「世界平和」をとなえる皆さんは、そこのところを分かって言っているのでしょうか? 我々日本人は東アジアの諸民族とは身体面では似通っていても、精神文化は全然違います。そこを「同文同種」であると勘違いして朝鮮半島や支那大陸にお節介にものめりこんでいってしまったことが、明治以降から敗戦までの日本の失敗のもとになりました。我々日本は絶対に同じ愚を犯してはなりません。 ■天皇の役割 ■独裁を防ぐ イギリスのジャーナリストであるウォルター=バジョット氏は、「国家には、尊厳的部分と実践的部分が必要である」と述べています。我が国では、“尊厳的部分”を、天皇が、“実践的部分”を、内閣総理大臣が、担っています。天皇は世襲でありますから、内閣総理大臣は、どう頑張っても天皇にはなれません。これにより、内閣総理大臣は、自惚れたり、威張ったり、しなくなります。ゆえに、内閣総理大臣は、独裁者になりにくいのです。 ■国民を統合する 民主制(デモクラシー)は、多数決が原則です。ゆえに、少数派は、自分の意見が通らないために、苦悩を抱えてしまいます。しかし、我が国の法律案は、国会で可決されると、天皇が署名・捺印をなさった上で公布されるので、少数派は、「天皇がお認めになったのだから、仕方がない」と考え、諦めがつきます。これにより、多数派と少数派が対立することを、防ぐのです。 ■伝統文化の正統を、保存・表現する もし我が国が、三島由紀夫 氏が言う「無機質で空っぽな経済大国」になって、国民のほとんどが天皇への興味を失ったとき、良識ある国民が天皇の生活様式から、我が国の伝統文化を学びとることで、再び日本を復活させることができるでありましょう。 また我が国の独自性を、外国に印象付けるために、国旗・国歌があるが、天皇も国旗・国歌と同様の役割を担っています。つまり、天皇が、我が国の正統たる生活様式を、身をもって実践することにより、国家の独自性を、表現しているのです。 ■皇室用語の基礎知識 てん-のう【天皇】 我が国を統治する君主。すめらみこと。みかど。 こう-ごう【皇后】 男性天皇の妻。 こう-たいし【皇太子】 皇位を継承する皇子(天皇の息子)。東宮殿下。 こうたいし-ひ【皇太子妃】 皇太子の妻 しん-のう【親王】 皇子から皇玄孫(天皇の孫の孫)までの皇族男子の呼び名。 ない‐しんのう【内親王】 天皇の正妻の皇女(天皇の娘)、および、天皇の正妻の皇子の正妻の娘の呼び名。 へい-か【陛下】 天皇・皇后の敬称。 でん-か【殿下】 天皇・皇后以外の皇族の敬称。 皇族の一般的な呼び名 天皇陛下 ├───皇太子殿下 皇后陛下├─────┬親王殿下     皇太子妃殿下└内親王殿下 きんじょう-てんのう【今上天皇】 現在の天皇。 たいこう-てんのう【大行天皇】 崩じた天皇に、まだ、諡(おくりな)が無いときの呼び名。 ぎょう-こう【行幸】 天皇が、皇居を出て、よそへ行くこと。 ぎょう-けい【行啓】 皇后が、皇居を出て、よそへ行くこと。 ぎょう-こうけい【行幸啓】 天皇・皇后が、皇居を出て、よそへ行くこと。 せん-そ【践祚】 天皇の祚(くらい)を践(ふ)むこと。天皇の位に就くこと。 ぎょ-めい【御名】 天皇の名前。 ぎょ-じ【御璽】 天皇の印鑑。 ご-しょ【御所】 天皇の住まい。 ご-ふれい【御不例】 天皇が病気になること。御違例・御不予。 ちょく-ご【勅語】 天皇の言葉。 ちょく-し【勅使】 天皇の使い。 みこと-のり【詔・御言宣】 天皇の命令。 しん-ぱい【親拝】 天皇が参拝すること。 ぎょく-ざ【玉座】 天皇の席。 ほ-ひつ【輔弼】 天皇に助言すること。 (※このコーナーは別ページ万世一系を表示したものです。目次より直接それぞれの項目に飛ぶことは出来ませんので、お手数ですがスクロールしてご覧ください。) 【関連】 皇室の基礎知識 皇室の本 天皇陛下について 日章旗と君が代 秋篠宮ご一家 <目次> はじめに 「女系天皇」論の誤り「男系」「女系」とは 「女系天皇」は「天皇」にあらず 「女性天皇」について 皇位継承が安定して行われるために旧皇族の皇籍復帰 側室の復活 公家または華族の復活 もっと噛み砕いて説明・国益的な問題 参考 アンケート ブログランキング応援クリック はじめに 御位(みくらい)の危機は、悠仁親王殿下の御誕生により解決したかに見えましたが、依然として皇位継承者が足りない状況は変わりません。そうした状況への解決策として、いわゆる「女系天皇」を認める皇室典範改正案が提起されています。本稿はそういった「女系天皇」論の誤りを指摘し、望ましい皇位継承のあり方を示すものです。 「女系天皇」論の誤り 「男系」「女系」とは 我が国ではこれまでに125代にわたって天皇陛下を奉戴(ほうたい)申し上げてきました。その125代の全ての天皇の血筋は「男系」です。この場合の「男系」とは、歴代天皇のそれぞれの父、その父(祖父)、そのまた父(曽祖父)……と父をたどってゆくと、最終的に必ず神武天皇(初代)にたどり着くことをいいます。一方、「女系」とは、母をたどってゆく血筋のことをいいます。 「女系天皇」は「天皇」にあらず 『日本書紀』には天照大御神の詔(みことのり)として、こう書かれてあります。「葦原千五百秋瑞穂の国(=日本)は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。」と。ちなみに、神武天皇は天照大御神の玄孫の子であらせられます。つまり、神武天皇の子孫であることがはっきりしている人物に皇位を継承させるべきと『日本書紀』には書かれてあります。これが皇位継承のしきたりです。 125代にわたる全ての天皇は、このしきたりにのっとられて、「男系」の血筋にそって皇位を継がれてこられました。「女系天皇」を認めるということは、このしきたりをやぶることになります。しかも、「女系」の血筋をたどっても神武天皇にはたどり着かないから、その皇位には正当性など無いに等しいです。ということは、「女系天皇」は「自称『天皇』」であり、しきたりに裏付けられた本当の「天皇」ではなくなるから、皇室が廃止になったのと同じことになってしまいます。つまり、「女系天皇」は「皇室廃止」と同じなのです。 「女性天皇」について 「男系」か「女系」のうち、「男系」のみが皇位として正統であるのはこれまでに説明しました。それでは、「男系男子」と「男系女子」の正統性について考えてみましょう。「男系女子天皇」は初代から125代までの天皇のうち、以下の通り、おわしました。 推古天皇 皇極天皇 斉明天皇 持統天皇 元明天皇 元正天皇 孝謙天皇 称徳天皇 明正天皇 後桜町天皇 ※皇極と斉明、孝謙と称徳はそれぞれ同一人物。 いずれの天皇も「多くの皇位継承者がおられるが、そのうち特定の皇子に継がせるべく、暫定的に践祚(せんそ)された」という特徴があります。つまり「男系女子天皇」は「中継ぎ」として践祚されるというのが、しきたりです。その理由は、女性は宮中祭祀を執り行うことができないからです。このしきたりにのっとった正しい「男系女子天皇」への践祚の手順はこうです。 男系男子の儲君(ちょくん。次の次の天皇のこと。)を決める 次に中継ぎの「男系女子天皇」を決める この手順をあべこべにしたり、片方を抜かしたりしてはなりません。 皇位継承が安定して行われるために 旧皇族の皇籍復帰 GHQは昭和22年(1947)に当時の宮家のうち11家51名を臣籍降下させました。臣籍降下とは皇族が皇籍(皇族の籍)から臣下(民間人)へ籍を移されることをいいます。この11家のうち今でもご存命であらせられる男系男子は5家14名おわします。この14名が皇籍復帰してそれぞれ宮家の当主になっていただけると、皇位継承が安定するのです。高崎経済大学の八木秀次教授によりますと「複数の旧皇族に復帰の覚悟があるようだ」ということだそうなので、政治家はすぐに行動に移すべきです。 側室の復活 側室の復活とは、要するに一夫多妻制の復活のことです。子供をお産みになる機会が増えれば、当然男子がお生まれになる確率が上がります。 公家または華族の復活 公家または華族は皇后を輩出するために復活する必要があります。 もっと噛み砕いて説明 ・国益的な問題 実は男子男系でつながってきた天皇は世界三大偉い人の一人 女系になると偉くなくなる 日本なめられる 中国韓国余計増徴して私たちむかつく 系譜的な問題 今までの天皇の父親をたどっていくと全員必ず神武天皇にたどり着く! ここがスゴイです。昔の女性天皇は原則的に男系女子であり、かつ天皇位空席という非常時を回避するための単なる暫定的な代行者(中継ぎ)でしかない存在だったから容認されていました。 前述のように 女性天皇は実質的に正式な天皇ではありません。 政治的な問題 昔、皇室を露骨に壊そうとした人たちがいました。恐らく左翼にとって日本人の愛国心のよりどころである天皇陛下は邪魔以外のなにものでもなかったのだと思います。 当然、それでは全く上手くいかなかったので、そいつらは昨今では方法を転換して「女系天皇容認」→「今の天皇は女系で正統性がない」→「皇室アボーン」という具合に、間接的かつ目立たない形で皇室を壊そうとしています。 ちなみに天皇は格だけで言うとアメリカの大統領より偉いです。 まさに 日本はもとより、世界の切り札。 623 名前:名無しさん@6周年 投稿日:2005/10/26(水) 13 25 55 ID E7ExJbyb0 ↓見て分かった。女系認めると皇室あぼーんだ 母系系譜 皇統 父系系譜 由美子母 昭和天皇 夫の曾祖父 \ │ / 小和田由美子 天皇陛下 夫の祖父 \ │ / 雅子様 皇太子殿下 夫の父 \ / / 愛子様 愛子様の夫 \ / お子様 皇統=神武天皇に繋がる系譜 引用元 皇室の万世一系(男系)による皇位継承という伝統を守ろう! かつて「保守派の論客」といわれた小林よしのりも女系天皇推進派になってしまいました。 「タカ派」だった論客が反日左翼に取り込まれたことで、皇室は今以上に危機的な状況です。 このような危機的状況を脱するためにも、旧宮家や側室の復活は急務と言えよう。 世界史年表 日本SUGEEEEEEEEEEEEEEEE!ってなるコピペくれ 参考 足利簒奪、南朝革命、それでも「万世一系」は成立する ── 男系皇位継承の奇跡(2006.1.15) http //www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/bansei_ikkei.html アンケート 天皇家のありように関するアンケートを 天皇家のありように関するアンケート? にて受け付けております。 ぜひご協力ください。 ブログランキング応援クリック | 真実を国民に知らせるために ブログランキング応援クリックをお願いいたします。(一日一回のみ有効) ⇒#ref error :ご指定のファイルが見つかりません。ファイル名を確認して、再度指定してください。 (人気ブログランキングへ)
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執筆者 森園祐一(F9 糞虫小僧 オケラ) 54歳生活保護無職 神奈川県座間市相武台4-16-12 コーポ信和Ⅱ103号室 【関連】 皇室の基礎知識 皇室の本 万世一系 日章旗と君が代 秋篠宮ご一家 世界最強の天皇陛下 <目次> 執筆者 森園祐一(F9 糞虫小僧 オケラ) 54歳生活保護無職 神奈川県座間市相武台4-16-12 コーポ信和Ⅱ103号室 ■かけがえのない皇室 ■天皇の尊さ■世界最古・最長の君主家 ■世界唯一の皇帝(Emperor) ■「文明開花」の先陣を切った明治天皇 ■米国から見た天皇 ■無礼な朝鮮 ■反権力雑誌に論破された「女系天皇論」 ■天皇家を護るとてつもない守護 ■天皇=日本そのもの ■日本の滅亡は世界の迷惑 ■天皇の役割■独裁を防ぐ ■国民を統合する ■伝統文化の正統を、保存・表現する ■皇室用語の基礎知識 ■かけがえのない皇室 ものづくりの最先端を行く日本。東京にはビルが立ち並び、その中でポップカルチャーが所狭しとあふれています。そんな日本国でありながらも、2600年以上もの昔から皇胤(こういん)を秘めながら、今もなお御所の深い杜のそのまた深いところで神話が奥ゆかしく息をしています。古(いにしえ)のしきたりと未来を拓く最先端技術が混沌と生きている国。それが世界に誇る神の国日本のあるべき姿です。 ■天皇の尊さ ■世界最古・最長の君主家 我が国の皇室は、紀元前660年に践祚された初代 神武天皇から第125代 今上天皇まで、2669年(平成21年現在)も続いている。これは、世界に現存する世襲の君主家の中で、最古・最長です。 ただ、「紀元前660年に践祚された」という記述を素直に解釈しますと、神武天皇は、127歳で崩御あらせられたことになり、あまりにも長寿である、という指摘があります。これについては、作家の八木荘司 氏が、支那の史書『魏略』の記述を基に、「昔の日本での『一年』は、今でいう『半年』である」と指摘し、「神武天皇の践祚は、西暦181年である」と主張しています(八木荘司 著、角川書店 刊 『角川文庫 古代天皇はなぜ殺されたのか』)。これを考慮しても、1828年(2009年現在)続いている計算になり、やはり世界最古・最長です。 ■世界唯一の皇帝(Emperor) 昔から、支那は、中華思想を持っていました。中華思想とは、自らの国を、世界の中央にあって最も文化の進んでいる国と見なす思想です。そのため、支那は、外国を、「夷狄(いてき)」と呼び、見下してきました。この中華思想に基づき、支那は、「冊封(さくほう)」という体制を、執っていました。冊封とは、支那の皇帝が、異民族の長(おさ)に、国を治める権利を、授けることです。中華思想では、支那だけが“世界の中央にあって最も文化の進んでいる国”なのだから、支那に認めてもらえない国は、彼らにとって、夷狄なのです。 ※(冊封(wikipedia)) 西暦607年になると、我が国の第33代推古天皇の摂政であらせられた聖徳太子は、小野妹子を、隋(当時の支那の王朝)へ、お遣わしになりました。このとき、聖徳太子は、隋の第2代皇帝である煬帝に、国書を、宛てられました。 原文  日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無きや 現代語訳  日が昇るところの天子が、書を、日が沈むところの天子に、届ける。元気か。 中華思想にとって、「天子」とは、支那の皇帝のみを指す言葉でした。しかし、聖徳太子は、国書の中で推古天皇を「天子」とお呼びになることで、「我が国と支那は、対等である」という態度を、示されたのです。これにより、我が国は、冊封から脱し、独立国としての矜持を、持ったのです。 それから現代に至るまでに、様々な皇帝(Emperor)が、洋の東西を問わず現れました。しかし、平成21年現在でも残っているのは、天皇だけです。 このように、我が国の天皇は、時間的には「世界最長・最古の君主家」、空間的には「世界唯一の皇帝(Emperor)」という特長を、有しているのです。それゆえに、天皇は尊いのです。 ■「文明開花」の先陣を切った明治天皇 1871年8月9日、散髪の自由が認められ、それまで長く続いていたチョンマゲの時代が「法律上」終わりを告げました。 よく「ザンギリ頭を叩いて見れば文明開化の音がする」などと言う言葉が有名なので、明治になった途端にみんなが我先にと大喜びでチョンマゲを切ったかと思われがちですが、実は散髪の自由が認められるまではチョンマゲを勝手に切ることは認められていなかったのです。 しかし、この日に認められたからといって物心付いた頃から当たり前と思っていた髪型を変えることには抵抗があったのか、多く出現した西洋床(散髪店)で洋髪(ざんぎり頭)にする人は実に少なかったのです。実態としてはチョンマゲの時代が続いていたのです。 しかし、それから2年後の1873年3月1日についに明治天皇が洋髪にしたために、ようやく多くの人々もそれに従うように散髪をするようになったのです。 参考リンク・明治天皇(知泉Wiki内) ■米国から見た天皇 米国の大統領は燕尾服に白い蝶ネクタイ(ホワイト・タイ)という最もフォーマルな姿で天皇と会います。 昭和天皇が昭和50年(1975)に米国にお出ましになった時の御真影。当時のフォード大統領はホワイト・タイをしめています。 http //www.whitehouse.gov/history/photoessays/crosshalls/06.html http //www.international.ucla.edu/eas/images/hirohito-ford.htm つまり、それほど至尊な権威が天皇陛下にはあらせられるのです。日本国が世界に誇るこの皇室を廃止することは、日本国の尊厳を大きく損なう虞があります。 ■無礼な朝鮮 北朝鮮と韓国では天皇陛下を「日王」(「日本の王様」という意味。)などと呼称しています。朝鮮人にとって天皇は他民族の君主ではありますが、だからといって他国の君主に対して無礼な態度とっていいわけではないです。断固抗議すべきです。 天皇は国際社会においても「皇帝(Emperor)」と承認されており、「王様」などと表現するにはあまりにも恐れ多いです。英語でも、「Emperor」と言われています。そもそも天皇の「皇」は、皇帝の「皇」です。 ■反権力雑誌に論破された「女系天皇論」 「反権力スキャンダル雑誌」を売りにした月刊誌「噂の真相」が、女系天皇論の正統性の無さを指摘しました。「女系天皇」を主張する「民族派」が「天皇制廃止」を主張する「反権力雑誌」に「女系天皇論」を論破されるなど、しゃれにもなりません。 参考資料 噂の真相 90年12月号「神秘のヴェールに覆われた大嘗祭における秘儀の”真相”」 噂の真相 02年2月号 「雅子妃女児誕生フィーバー報道と台頭する女帝論者の歴史改竄の論理」 愛子さまが生まれてから、「『女帝』でもいいじゃないか」「女性天皇は、男女平等社会にふさわしい」という意見がでていますが、男系男子の皇位継承が天皇制の伝統です。 血統という差別を本質とする天皇制に平等という近代の概念を持ち込むこと自体が論理矛盾であることはもちろん、女性天皇の制度化は逆に、宮家の増大という差別構造の拡大再生産を引き起こします。 そもそも、天皇制には女帝では絶対につとまらない宗教的本質が存在するのです。 神道では古来より、死穢、産穢、血穢という3つの穢れがあるとされていたのですが、ある時期から、その3つの穢れのうち、出産の産穢、生理の血穢をもっている女性そのものが『不浄のもの』として、排除されるようになりました。いわば、この国の女性蔑視の伝統の礎ともいえるものです。 今でも、相撲の土俵に女性があがれないとか、トンネル工事に女性が入れないといった形で穢れ思想は生きていますが、その穢れ思想をもっとも厳格に守ってきたのが天皇家の祭祀なのです。 その象徴が、年に一度の新嘗祭、そして即位の際に行なわれる大嘗祭という、2つの宮中祭祀です。5世紀中頃から続いている天皇家でもっとも重要なこの2つの祭祀はいづれも、悠紀殿・主基殿と呼ばれる建物で行なわれるものですが、その内部には「八重畳の寝座」と呼ばれるものがしつらえられています。そして、天皇は「采女」と呼ばれるひとりの女性を引き連れて、夜通しそのベッドのある部屋に引きこもり、この祭祀を執り行ないます。 内部でどんな儀式が行なわれているかは、秋に収穫した穀物を皇祖である天照大神に供え、共に食べるということ意外には詳細は明らかにされていません。 民族学者・折口信夫が昭和3年の9月の講演「大嘗祭の本義」にて 『フンドシを解くことで天皇が性交に向かう』 と説いた廻立殿の小忌の湯の儀のついて、宮内庁は、今上天皇の大嘗祭にかんする記者会見にて、ある新聞記者からの質問に、「お湯を使うということ以外は、いっさい言えない」とつっぱねたといいます。 歴史学者の間では、「大嘗祭」には女性との聖婚儀礼的な意味合いが含まれているというのが有力な説となっています。 大化以前の朝廷では、地方の豪族に服従を誓わせるため、豪族の子女を一夜妻として差し出させるという風習がありました。その子女が「采女」であり、この風習が儀式化されたのが新嘗祭・大嘗祭であるといわれています。 そして、儀式では采女を大地を象徴する神妻とし、天皇はその神妻と一体化することで、五穀豊穣を保証します。別の説では、天照大神、あるいはムスビの神という穀霊と一体化するという説もあります。いずれにしても女性との聖婚儀礼であることは間違いありません。 新嘗祭・大嘗祭は現在も、天皇が天皇であることを証明するもっとも重要な祭祀として受け継がれています。そこに女性との聖婚儀礼的な意味があるとすれば、相手となる天皇の座に女性が就くことができるわけがありません。 「穀霊は、一般に生産する力、生殖する力をそなえた女性の霊格とされるから、新嘗祭の祭司をつとめることをもっとも重要な宗教的機能とする天皇は、終始、男帝を原則とし、女帝は例外的存在にとどまった」歴史学者・村上重良 ほかにも、宮中祭祀の中には、女性皇族が参加を許されていない儀式が多数存在します。たとえば、やはり天皇の即位の際に行なわれる剣璽等承継の儀では出席するのは男性の皇族のみ。女性皇族は一切関わることができないし、女性の参加が許されている儀式でも、女性が生理中、もしくは妊娠中は「マケ」と呼ばれ、一切の儀式への参加出席が許されていません。 女帝の制度化を目論む輩は、天皇制の持つこうした女性排除の宗教的本質を無視し、矛盾だらけの「女帝」を誕生させようとしているのです。 「女帝待望論」に対し、民族派の者が意義を唱えず、抗議行動を起こさないのがフシギです。 ■天皇家を護るとてつもない守護 参考資料 天皇家と日本を守る不思議な力(日本が好きなだけなんだよ内) 天皇家は、中国の皇帝とは異なり、「易姓革命」によって滅亡しないようになっているようです。 日本は歴史上、世界最古の国家ですが、その根拠は一系の天皇家が建国以来、実権はともかく形式的には頂点に君臨し続けてきたことによります。一系の家系とは、男系継承で続いてきた家系のことで、いわゆる万世一系のことです。女系天皇などというおかしな概念が生まれたせいで、男系継承などという言葉が生まれましたが、一部の例外を除けば、世界共通で家系は父方の血筋を元に記録されています。遺伝子的にはY染色体の受け渡しで継続される家系のことですが、これは男女差別云々以前に、男女の役割の差に過ぎないと思われます。 ■天皇=日本そのもの 日本は、地政学的に見て、歴史的に見て、常に内部侵害といった主権侵害の危機にさらされています。それを踏まえて話を進めます。 皇室は、2700年近くの伝統を持つ尊い存在です。現存する最古にして、最後の皇帝と世界で認識され、敬われています。国際的な場では英国女王も天皇に上座を譲るのです。あのかつて「大英帝国」としてわが世の春を謳った国の女王様がですよ!他にも、簡単な言い方をすれば米国大統領に最敬礼をさせる事が出来るのも、この尊さのほかなりません。我が国は本当に素晴らしい宝物を持っているのです。これはお金に変えられません。外交として天皇来訪は非常に効果的で、両国の緊密さをアピールする事にも繋がります。 そして何よりも天皇陛下は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴なのです(今までもそうでしたが、明文化したのは実は現行憲法が初めてです)。そう! 天皇陛下の存在が地政学にもかかわらず、日本が日本であり続けてきた最大の要素です。 ■日本の滅亡は世界の迷惑 日本が日本でなくなったら、支那に侵略・支配され結果、日本は滅亡します。「日本が日本たる所以」、即ち「国体」です。国体の滅亡こそ日本の滅亡なのであります。日本が滅亡をしたらどうなるのでしょうか? 笑ってすまされる問題ではありません。 また、日本の滅亡は日本という国一国の滅亡では終わりません。いつも日本や我々大和民族の悪口ばかり言っている支那や朝鮮まで含めた世界全体の経済にも多大なる悪影響を与えます。日本の滅亡は世界の経済産業モラルの崩壊を招きます。 第二次世界大戦後の日本は、世界経済産業の要でありつづけています。「とてつもない日本」をご覧になればお分かりいただけますが、このような「カイゼン」・「ノーキ」・秒単位での作業など、またそれに伴う高度なまでの職人的なものづくりは、日本人だからこそ出来るのです。 原子力プラントメーカーに至っては、WH・東芝、GE・日立、アレバ(仏)・三菱重工業、ロスアトム(ロシア)の4グループ体制であり、前三者は日本企業が関わっているため、反日勢力に完全に侵略されれば世界中に大混乱が起こります。 そのため、いくら支那がアメリカと張り合えるほどの経済力を誇ったとしても、その下支えになっているのは、他ならぬ日本です。支那が日本を日本でなくす工作を働くことは、日本社会の崩壊に留まらず、支那経済にとっても自殺行為です。これを「天に唾を吐く」と言います。 天皇陛下を御護りし日本の国体を護持する事、つまり日本が日本であり続けるということは、同時に世界平和のためにもなります。「世界平和」をとなえる皆さんは、そこのところを分かって言っているのでしょうか? 我々日本人は東アジアの諸民族とは身体面では似通っていても、精神文化は全然違います。そこを「同文同種」であると勘違いして朝鮮半島や支那大陸にお節介にものめりこんでいってしまったことが、明治以降から敗戦までの日本の失敗のもとになりました。我々日本は絶対に同じ愚を犯してはなりません。 ■天皇の役割 ■独裁を防ぐ イギリスのジャーナリストであるウォルター=バジョット氏は、「国家には、尊厳的部分と実践的部分が必要である」と述べています。我が国では、“尊厳的部分”を、天皇が、“実践的部分”を、内閣総理大臣が、担っています。天皇は世襲でありますから、内閣総理大臣は、どう頑張っても天皇にはなれません。これにより、内閣総理大臣は、自惚れたり、威張ったり、しなくなります。ゆえに、内閣総理大臣は、独裁者になりにくいのです。 ■国民を統合する 民主制(デモクラシー)は、多数決が原則です。ゆえに、少数派は、自分の意見が通らないために、苦悩を抱えてしまいます。しかし、我が国の法律案は、国会で可決されると、天皇が署名・捺印をなさった上で公布されるので、少数派は、「天皇がお認めになったのだから、仕方がない」と考え、諦めがつきます。これにより、多数派と少数派が対立することを、防ぐのです。 ■伝統文化の正統を、保存・表現する もし我が国が、三島由紀夫 氏が言う「無機質で空っぽな経済大国」になって、国民のほとんどが天皇への興味を失ったとき、良識ある国民が天皇の生活様式から、我が国の伝統文化を学びとることで、再び日本を復活させることができるでありましょう。 また我が国の独自性を、外国に印象付けるために、国旗・国歌があるが、天皇も国旗・国歌と同様の役割を担っています。つまり、天皇が、我が国の正統たる生活様式を、身をもって実践することにより、国家の独自性を、表現しているのです。 ■皇室用語の基礎知識 てん-のう【天皇】 我が国を統治する君主。すめらみこと。みかど。 こう-ごう【皇后】 男性天皇の妻。 こう-たいし【皇太子】 皇位を継承する皇子(天皇の息子)。東宮殿下。 こうたいし-ひ【皇太子妃】 皇太子の妻 しん-のう【親王】 皇子から皇玄孫(天皇の孫の孫)までの皇族男子の呼び名。 ない‐しんのう【内親王】 天皇の正妻の皇女(天皇の娘)、および、天皇の正妻の皇子の正妻の娘の呼び名。 へい-か【陛下】 天皇・皇后の敬称。 でん-か【殿下】 天皇・皇后以外の皇族の敬称。 皇族の一般的な呼び名 天皇陛下 ├───皇太子殿下 皇后陛下├─────┬親王殿下     皇太子妃殿下└内親王殿下 きんじょう-てんのう【今上天皇】 現在の天皇。 たいこう-てんのう【大行天皇】 崩じた天皇に、まだ、諡(おくりな)が無いときの呼び名。 ぎょう-こう【行幸】 天皇が、皇居を出て、よそへ行くこと。 ぎょう-けい【行啓】 皇后が、皇居を出て、よそへ行くこと。 ぎょう-こうけい【行幸啓】 天皇・皇后が、皇居を出て、よそへ行くこと。 せん-そ【践祚】 天皇の祚(くらい)を践(ふ)むこと。天皇の位に就くこと。 ぎょ-めい【御名】 天皇の名前。 ぎょ-じ【御璽】 天皇の印鑑。 ご-しょ【御所】 天皇の住まい。 ご-ふれい【御不例】 天皇が病気になること。御違例・御不予。 ちょく-ご【勅語】 天皇の言葉。 ちょく-し【勅使】 天皇の使い。 みこと-のり【詔・御言宣】 天皇の命令。 しん-ぱい【親拝】 天皇が参拝すること。 ぎょく-ざ【玉座】 天皇の席。 ほ-ひつ【輔弼】 天皇に助言すること。 (※このコーナーは別ページ万世一系を表示したものです。目次より直接それぞれの項目に飛ぶことは出来ませんので、お手数ですがスクロールしてご覧ください。) 執筆者 森園祐一(F9 糞虫小僧 オケラ) 54歳生活保護無職 神奈川県座間市相武台4-16-12 コーポ信和Ⅱ103号室 【関連】 皇室の基礎知識 皇室の本 天皇陛下について 日章旗と君が代 秋篠宮ご一家 <目次> 執筆者 森園祐一(F9 糞虫小僧 オケラ) 54歳生活保護無職 神奈川県座間市相武台4-16-12 コーポ信和Ⅱ103号室 はじめに 「女系天皇」論の誤り「男系」「女系」とは 「女系天皇」は「天皇」にあらず 「女性天皇」について 皇位継承が安定して行われるために旧皇族の皇籍復帰 側室の復活 公家または華族の復活 もっと噛み砕いて説明・国益的な問題 英連邦 カナダ政府発表の外交上の社交序列 女系天皇を認めたとして、愛子様の子供からみた系譜 参考 当wiki掲示板 はじめに 御位(みくらい)の危機は、悠仁親王殿下の御誕生により解決したかに見えましたが、依然として皇位継承者が足りない状況は変わりません。そうした状況への解決策として、いわゆる「女系天皇」を認める皇室典範改正案が提起されています。本稿はそういった「女系天皇」論の誤りを指摘し、望ましい皇位継承のあり方を示すものです。 「女系天皇」論の誤り 「男系」「女系」とは 我が国ではこれまでに125代にわたって天皇陛下を奉戴(ほうたい)申し上げてきました。その125代の全ての天皇の血筋は「男系」です。この場合の「男系」とは、歴代天皇のそれぞれの父、その父(祖父)、そのまた父(曽祖父)……と父をたどってゆくと、最終的に必ず神武天皇(初代)にたどり着くことをいいます。一方、「女系」とは、母をたどってゆく血筋のことをいいます。 「女系天皇」は「天皇」にあらず 『日本書紀』には天照大御神の詔(みことのり)として、こう書かれてあります。「葦原千五百秋瑞穂の国(=日本)は、是、吾が子孫の王たるべき地なり。」と。ちなみに、神武天皇は天照大御神の玄孫の子であらせられます。つまり、神武天皇の子孫であることがはっきりしている人物に皇位を継承させるべきと『日本書紀』には書かれてあります。これが皇位継承のしきたりです。 125代にわたる全ての天皇は、このしきたりにのっとられて、「男系」の血筋にそって皇位を継がれてこられました。「女系天皇」を認めるということは、このしきたりをやぶることになります。しかも、「女系」の血筋をたどっても神武天皇にはたどり着かないから、その皇位には正当性など無いに等しいです。ということは、「女系天皇」は「自称『天皇』」であり、しきたりに裏付けられた本当の「天皇」ではなくなるから、皇室が廃止になったのと同じことになってしまいます。つまり、「女系天皇」は「皇室廃止」と同じなのです。 「女性天皇」について 「男系」か「女系」のうち、「男系」のみが皇位として正統であるのはこれまでに説明しました。それでは、「男系男子」と「男系女子」の正統性について考えてみましょう。「男系女子天皇」は初代から125代までの天皇のうち、以下の通り、おわしました。 推古天皇 皇極天皇 斉明天皇 持統天皇 元明天皇 元正天皇 孝謙天皇 称徳天皇 明正天皇 後桜町天皇 ※皇極と斉明、孝謙と称徳はそれぞれ同一人物。 いずれの天皇も「多くの皇位継承者がおられるが、そのうち特定の皇子に継がせるべく、暫定的に践祚(せんそ)された」という特徴があります。つまり「男系女子天皇」は「中継ぎ」として践祚されるというのが、しきたりです。その理由は、女性は宮中祭祀を執り行うことができないからです。このしきたりにのっとった正しい「男系女子天皇」への践祚の手順はこうです。 男系男子の儲君(ちょくん。次の次の天皇のこと。)を決める 次に中継ぎの「男系女子天皇」を決める この手順をあべこべにしたり、片方を抜かしたりしてはなりません。 皇位継承が安定して行われるために 旧皇族の皇籍復帰 GHQは昭和22年(1947)に当時の宮家のうち11家51名を臣籍降下させました。臣籍降下とは皇族が皇籍(皇族の籍)から臣下(民間人)へ籍を移されることをいいます。この11家のうち今でもご存命であらせられる男系男子は5家14名おわします。この14名が皇籍復帰してそれぞれ宮家の当主になっていただけると、皇位継承が安定するのです。高崎経済大学の八木秀次教授によりますと「複数の旧皇族に復帰の覚悟があるようだ」ということだそうなので、政治家はすぐに行動に移すべきです。 側室の復活 側室の復活とは、要するに一夫多妻制の復活のことです。子供をお産みになる機会が増えれば、当然男子がお生まれになる確率が上がります。 公家または華族の復活 公家または華族は皇后を輩出するために復活する必要があります。 もっと噛み砕いて説明 ・国益的な問題 実は男子男系でつながってきた天皇は世界三大偉い人の一人 (あえて格を付けるとしたら※天皇≒ローマ法王 イギリス王室 いろんな王室が世界的なスタンダードと言われている。) 女系になると日本の世界的な権威や価値がなくなる 世界的にアジア圏の発言権が弱くなり、現在のパワーバランスが崩れる 系譜的な問題 今までの天皇の父親をたどっていくと全員必ず神武天皇にたどり着く! ここがスゴイです。昔の女性天皇は原則的に男系女子であり、かつ天皇位空席という非常時を回避するための単なる暫定的な代行者(中継ぎ)でしかない存在だったから容認されていました。 前述のように女性天皇は実質的に正式な天皇ではありません。 政治的な問題 昔、皇室を露骨に壊そうとした人たちがいました。恐らく左翼にとって日本人の愛国心のよりどころである天皇陛下は邪魔以外のなにものでもなかったのだと思います。 当然、それでは全く上手くいかなかったので、そいつらは昨今では方法を転換して「女系天皇容認」→「今の天皇は女系で正統性がない」→「皇室アボーン」という具合に、間接的かつ目立たない形で皇室を壊そうとしています。 英連邦 カナダ政府発表の外交上の社交序列 ちなみに天皇は格だけで言うとアメリカの大統領より偉いです。(下記カナダ政府発表を見た通り上に行くほど序列が高い) 英連邦 カナダ政府発表の外交上の社交序列(魚拓⇒※) 対外的に天皇と言えば、日本の天皇陛下以外には使用される事が無い言葉である。⇒天皇wiki 天皇陛下を知れる動画紹介 世界最強の天皇陛下 上記動画説明文に記載されている推奨記事⇒天皇陛下の外交上の権威 まさに日本はもとより、世界の切り札。 女系天皇を認めたとして、愛子様の子供からみた系譜 母系系譜 皇統 父系系譜 皇統=神武天皇に繋がる系譜 引用元 皇室の万世一系(男系)による皇位継承という伝統を守ろう! かつて「保守派の論客」といわれた小林よしのりも女系天皇推進派になってしまいました。 「タカ派」だった論客が反日左翼に取り込まれたことで、皇室は今以上に危機的な状況です。 このような危機的状況を脱するためにも、旧宮家や側室の復活は急務と言えよう。 世界史年表 日本SUGEEEEEEEEEEEEEEEE!ってなるコピペくれ 参考 足利簒奪、南朝革命、それでも「万世一系」は成立する ── 男系皇位継承の奇跡(2006.1.15) http //www004.upp.so-net.ne.jp/teikoku-denmo/html/history/honbun/bansei_ikkei.html 当wiki掲示板 あなたが日本の危機に気が付いたきっかけは? 一言コメント掲示板です。何をきっかけにして危機的状況なのに気が付いたか是非どうぞ。 あなたが受けた反日教育は? 一言掲示板です。今思うと、あれって反日教育だったな?って思う事を情報共有も兼ねて書き込んで下さい。 国民が知らない~wiki避難所 ※外部掲示板です。突っ込んだ議論や情報提供、編集に関する事等なんでも書けるスレッド型掲示板です。
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我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。 ~ 文部省刊『国体の本義』(昭和12年(1937)5月) <目次> ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義◇1.国体の定義 ◇2.国史の真義 ■3.近代日本の国体論の展開 ■4.国体論と「皇国史観」◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 ■5.所謂「国体主権」論について ■6.ご意見、情報提供 ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ※サイズが合わない場合はこちらをクリック ※上図の説明は、国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) へ ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義 『国体の本義』の第一章「第一 大日本国体」は、国体の定義を、また第二章「第二 国史に於ける国体の顕現」は、国史の真義を、それぞれ詳解している。各章の冒頭部分のみ以下に引用する。 ◇1.国体の定義 第一 大日本国体 一、肇国 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国(てうこく)の事實の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。 ◇2.国史の真義 第二 国史に於ける国体の顕現 一、国史を一貫する精神 国史は、肇国の大精神の一途の展開として今日に及んでゐる不退転の歴史である。歴史には、時代の変化推移と共にこれを一貫する精神が存する。我が歴史には、肇国の精神が儼然と存してゐて、それが弥々明らかにせられて行くのであるから、国史の発展は即ち挙国の精神の展開であり、永遠の生命の創造発展となつてゐる。然るに他の国家にあつては、革命や滅亡によつて国家の命脈は断たれ、建国の精神は中断消滅し、別の国家の歴史が発生する。それ故、建国の精神が、歴史を一貫して不朽不滅に存続するが如きことはない。従つて他の国家に於て歴史を貫くものを求める場合には、抽象的な理性の一般法則の如きものを立てるより外に道がない。これ、西洋に於ける歴史観が国家を超越して論ぜられてゐる所以である。我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。それ故我が国に於ては、国史は国体と始終し、国体の自己表現である。 (参考).『国体の本義』全文 http //www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html ※上記のように、日本を天皇を中心とする神の国と捉える歴史観は、主に戦後、マルクス主義歴史学者によって「皇国史観」と呼ばれてきた。 ■3.近代日本の国体論の展開 ※おおよそ、以下の4段階を踏んで現代に至っている。 (1) 政治的「国体」観念の創出 (メルクマール)大日本帝国憲法(1889年 発布、1890年施行)、教育勅語(1890年 煥発) 江戸期には、文化的「国体」観念(天皇は日本という文化的共同体の結晶核であるとする観念)が主流であり、政治的「国体」観念(権威者たる天皇は、権力者たる征夷大将軍の任命、条約勅許、元号制定など政治的意義をも有することの認識)は一般には希薄だった 欧米列強の脅威に反応して興起した後期水戸学(会沢正志斎『新論』(1857年)が代表的)の普及により、政治的「国体」観念が自覚されるようになった 「君権ヲ機軸」として政治体制を整備する必要性→政治的「国体」観念の創出(天皇は文化的共同体に加えて政治的共同体の結晶核としての役割をも期待されるようになる。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス、天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ・・・) 明治維新の性格規定→「一味神水」の「一揆」史観(新田均氏)、近代国民国家の創出の必要性(エトニethnieからネイションnationの創出へ) L正統(Legitimacy 治統)とO正統(Orthodoxy 学統)→西洋はO正統(キリスト教会)の権威からL正統(皇帝権・王権)を創出したが、日本はL正統(皇統)の権威からO正統(政治的「国体」観念)を創出・・・従って日本ではO正統(政治的「国体」観念)はあくまでL正統(皇統)の影であって、正統性の本体はL正統である。(植村和秀氏) 政治的紛糾を呼びやすい思想・哲学的な国体論ではなく、天皇と国民の協働による国家の発展という「国史」に重点を置いた国体論の強調(西洋のような保守思想の発達とは対照的に、日本では「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向・・・100の理屈よりも1つの事実の方が説得力がある。日本は奇跡的に万世一系が続いている国であり、西洋の様に抽象的な理屈・思想で国家の正統性を確保する必要は薄い⇒「保守-思想」ではなく「皇国-史観」が前面に出て皇統と国体を護持) (2) 雑多な国体論の容認 (メルクマール)『国体論史』(1921年 内務省神社局刊) 国民各層の幅広い団結を促す必要性⇒「国体」観念の習合思想化(雑居性) 日本では古来から、国体の雑居性自体が伝統化していた(融通無碍) (3) 国体論の帰一 (メルクマール)『国体の本義』(1937年 文部省刊) マルクス主義は日本史上、ほとんど初めて「国体破壊」を強烈に志向した思想であり、第1次世界大戦中のロシア革命、ドイツ・オーストリアさらにはトルコの4大帝国の崩壊(それ以前の辛亥革命=清朝の崩壊も併せて)に刺激を受けて、共和制や社会主義・共産主義への移行が歴史の必然であると確信する学生・知識人が大量に発生し、コミンテルンが干渉してこの趨勢を助長。 こうした マルクス主義の思想侵略の脅威への対抗思想としての役割が「国体」に期待される⇒『国体の本義』編纂・刊行へ。 日本主義(国体の本義に則って西洋思想を益々醇化摂取し、より一層わが国を発展させるとする「開かれた社会」の思想) (4) 国体論の変容と自壊 (メルクマール)『臣民の道』(1941年 文部省教学局刊) アジア主義(東西文明対抗史観の影響)の追認 総力戦体制 八紘一宇(大東亜共栄圏の根拠づけ) 敗戦後は再び、文化的「国体」観念が主流へ(「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・」) ◎参考図書 ※なお、当サイトの丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 のページも参照。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) PHP研究所 (2003/02刊) ※amazonで一部ページを拝見できます。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 ※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。 目次 [第1部]「現人神」という幻想第1章 通俗的な「現人神」論の崩壊第2章 明治初期から「教育勅語」の発布のころまで第3章 「教育勅語」の発布から第一次世界大戦のころまで第4章 第一次世界大戦から満洲事変のころまで第5章 満洲事変以降第6章 「創られた伝統」としての「現人神」[第2部]「国家神道」という幻想第1章 「国家神道」は如何にして創られたか――「幻想」の系譜をたどる第2章 神社参拝は「法的に」強制されたか?第3章 強制された「事実」とは?第4章 「神社非宗教」論とは何だったのか第5章 「幻想」を必要としているのは誰か第6章 蜃気楼が消えた後には? ★評価豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は異常な絶対主義君主国家・ファシズム国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著。「国体」観念の展開に関しても説得力ある論説が展開されている。 ■4.国体論と「皇国史観」 上記の様に日本では、国家の正統性を国民に訴求する上で、「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向が見られた。 こうした戦前の国史に表れた歴史観を主に戦後「皇国史観」と呼んでいる。 ◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 【皇国史観】こうこく-しかん(広辞苑) 国家神道に基づき、日本歴史を万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国として描く歴史観。十五年戦争期に正統的歴史観として支配的地位を占め、国民の統合・動員に大きな役割を演じた。 ◎補足説明 実際には「皇国史観」には、 ① 大東亜戦争の渦中で、文部省によって、主に高級文官試験用の公定歴史解説書として編纂され、東亜諸地域を包摂する新しい歴史観・国体観を打ち出した『国史概説』(1943-44刊行)及び、その大東亜地域版である『大東亜史概説』(編纂のみで未刊)に代表される「皇国賛美史観(文部省史観)」と、 ② 1930年半ばから、東京帝大国史学教授 平泉澄とその門下によって唱えられた日本一国主義の立場に立つ「皇国護持史観」の二種類があり、また ③ 大川周明の「東西文明対抗史観」は、①と親和性が高い。(※①は、大川周明などアジア主義者の東西文明対抗史観の影響下に現出された東アジアの状況を、総力戦体制下で政府が追認したものと捉えることができる。) 広辞苑の定義は、「十五年戦争」という支那寄りの用語に見るとおり、自虐的・日本断罪的で一方的な左翼史観から書かれているが、近年は同じ左翼陣営でも、より実証的に「皇国史観」や「国体論」の内実を検討した著作が幾つか刊行されている。 『近代日本の国体論―“皇国史観”再考』 昆野 伸幸 (著) ぺりかん社 (2007/12刊) 内容(「BOOK」データベースより)明治以後の植民地政策によって展開された国体論が近代的学知との激しい相剋を見せた昭和十年代に注目し、歴史認識の次元から大川周明・平泉澄を詳細に分析することにより、従来の国家主義的歴史観とは区別される“皇国史観”固有の特質を解明する。 目次 国体論研究の視角第1部 国体論の胎動(大川周明『列聖伝』考/平泉史学と人類学/平泉澄の中世史研究)第2部 国体論の対立(平泉澄の「日本人」観/大川周明の日本歴史観/大川周明『日本二千六百年史』不敬書事件再考)第3部 国体論の行方(「皇国史観」の相剋/大川周明のアジア観/三井甲之の戦後)国体論の帰結 『「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策』 長谷川 亮一 (著) 白澤社 (2008/01刊) 内容(「BOOK」データベースより)戦前の歴史観の代名詞「皇国史観」は、非科学的、独善的、排外的などとして、戦後しりぞけられてきた。しかし、そもそも「皇国史観」とは何であったのか?誰が、何のために提唱し、普及させたのか?本書は、「皇国史観」の成立と流布を、戦中に文部省が行なった修史事業に着目して再検証し、従来のイメージを一新。「皇国史観」の何が、いかに問題であるのかを明らかにする。 目次 第1章 戦後における「皇国史観」をめぐる議論の展開第2章 近代国体論の変容第3章 「皇国史観」の提唱と流布第4章 『国史概説』の歴史像第5章 『大東亜史概説』の歴史像第6章 国史編修事業と国史編修院 ★上記2冊は、あくまで「皇国史観」「国体論」の現状での中心的研究者の認識が分かる図書として紹介している。早くこのような、未だに左翼史観から抜けきれない中途半端な著作物が「先行研究」と呼ばれる日が来ればいいのだが。 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 上記二名の研究者によれば、現実に「皇国史観」という用語を使用していたのは、①大東亜戦争中の文部省の側であり、その意味では「皇国史観=①文部省史観(皇国賛美史観・・・汎アジア主義的史観)」なのだが、本ページ上部の見取り図に示したとおり、大東亜戦争の敗戦によって、①文部省史観や、③大川周明の東西文明対抗史観の成立基盤が消滅してしまったことから、戦後は専ら、②平泉学派の「皇国護持史観」が、「皇国史観」として、マルクス主義者や戦後民主主義者といった左翼から、批判・中傷されることになった。 左は、2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回【天皇と憲法】。「皇室廃止」を狙うNHKを始めとする左翼の本音がたまたま表に出た貴重な番組の動画である。※動画の平泉澄の「皇国護持史観」は、日本一国主義(非アジア主義)的史観であり、その内容を一言で表現すればわが国体こそ、寛容で価値多元的な日本的世界(日本的公共性)のコアである。日本国民はこれを護り続けなければならない。ということに尽きる。これは『国体の本義』の論旨そのものであって、何ら左翼から中傷される云われはない。 チャンネル桜で放送された上記動画の検証番組。国体論とは少し外れるが、NHKなど戦後左翼の欺瞞振りを詳しく確認できる。 丸山眞男と平泉澄 昭和期日本の政治主義 植村 和秀(著) 柏書房 (2004/10)単行本 目次 第1章 政論記者丸山真男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山真男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山真男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義 ★評価丸山眞男といえば、進学校の学生が全共闘世代の教師に「夏休み(冬休み)の課題に『日本の思想』(岩波新書)の中の一章を読んで感想を書け」と言われて、面白くも無いヘンテコで拗けた文書を読まされて難儀するのがオチの“戦後日本を代表する政治思想家”なのだが、そうした丸山の思想に半ば洗脳されていた著者(京産大法学部教授、ドイツ政治思想史専攻)が、京都の古本屋でたまたま、丸山眞男と思想的に対極にある平泉澄の戦前の著作を手に取り、その流麗な文体・精緻な論理構成に打たれて、可能な限りの事実検証・文献検証を重ねて両者の思想的対立の根源に迫った好著。「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」(著者:植村氏)…丸山眞男的あるいは進歩派文化人的な「戦後民主主義」思想にドップリ漬かった人への解毒剤としてお勧め。また昭和初年~昭和40年頃までの日本の思想状況の本当の所を知りたい人にもお勧めしたい。「生きて皇室を守るべし。雑草を食っても生きよ」終戦前後の混乱期における平泉同学の知られざる奮起、まさに大日本帝国の殿(しんがり)としての貢献、阿南惟幾・下村定の陸軍最後の二人の陸相と平泉博士とのエピソードも興味深い。相当にハイレベルだが、“理論派保守”を目指す人は是非挑戦してほしい。amazonブックレビューも参照のこと。 昭和の思想 植村 和秀 (著) 講談社選書メチエ(2010/11)単行本 内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。 目次 第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派第6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価上記『丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義』が内容的にハイレベルすぎて、初心者のみならず中級者でさえ中々に読みこなせないという難点に答えるかのように2010年秋に出版された簡潔な昭和期政治思想の概略本。 ■5.所謂「国体主権」論について 明治憲法体制は、天皇主権でも国民主権でもなく(英米法の「法の支配」に似た)「国体主権」である、と云われることがある。 確かにその論には一理以上のものがある(※佐藤幸治『憲法 第三版』にもそうした記述がある)のだが、「君主といえども神と法(=国体)の下にある」という建前を採るとしても、大東亜戦争の終戦を決定した聖断のケースに見るように、日本においては慣習的にみて「国体の最終判定権者=天皇」でしか有り得ない(神の権威も国体も天皇が代表しているため)のであり、結局は、「国体主権=天皇主権」となると思われる。(西洋的な絶対君主という意味ではなく、「国体の最終判定権者」という意味で) 昭和初期~戦中に、天皇=主権者とされたのは、この意味においてである。 なお、ドイツの代表的政治学者・憲法学者カール.シュミットの定義によれば「例外状況下で決定を下す者を主権者という」とされ、2.26事件やポツダム宣言受諾のケースにおける天皇は、この定義にピタリと該当するほか、実は「議会主権」と云われるイギリスにおいても「議会における女王の制定するものが法である」というルールが同国の法体系の「究極の認定(承認)ルール」とされている(ハートの法概念論⇒詳しくは よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) 参照)。 (※なお、アメリカでは連邦最高裁判所が最終決定権者とされている。) こうした国体の法的把握(=国体法 constitutional law、国制)に関して、詳しくは、日本国憲法改正問題(上級編) を参照。 ■6.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 長年積もり積もった一日本人の思い -- 阿部好孝 (2014-08-22 17 09 32) 以下は最新コメント表示 長年積もり積もった一日本人の思い -- 阿部好孝 (2014-08-22 17 09 32) 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。 ~ 文部省刊『国体の本義』(昭和12年(1937)5月) <目次> ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義◇1.国体の定義 ◇2.国史の真義 ■3.近代日本の国体論の展開 ■4.国体論と「皇国史観」◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 ■5.所謂「国体主権」論について ■6.ご意見、情報提供 ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ※サイズが合わない場合は こちら をクリック ※上図の説明は、国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) へ ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義 『国体の本義』の第一章「第一 大日本国体」は、国体の定義を、また第二章「第二 国史に於ける国体の顕現」は、国史の真義を、それぞれ詳解している。各章の冒頭部分のみ以下に引用する。 ◇1.国体の定義 第一 大日本国体 一、肇国 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国(てうこく)の事實の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。 ◇2.国史の真義 第二 国史に於ける国体の顕現 一、国史を一貫する精神 国史は、肇国の大精神の一途の展開として今日に及んでゐる不退転の歴史である。歴史には、時代の変化推移と共にこれを一貫する精神が存する。我が歴史には、肇国の精神が儼然と存してゐて、それが弥々明らかにせられて行くのであるから、国史の発展は即ち挙国の精神の展開であり、永遠の生命の創造発展となつてゐる。然るに他の国家にあつては、革命や滅亡によつて国家の命脈は断たれ、建国の精神は中断消滅し、別の国家の歴史が発生する。それ故、建国の精神が、歴史を一貫して不朽不滅に存続するが如きことはない。従つて他の国家に於て歴史を貫くものを求める場合には、抽象的な理性の一般法則の如きものを立てるより外に道がない。これ、西洋に於ける歴史観が国家を超越して論ぜられてゐる所以である。我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。それ故我が国に於ては、国史は国体と始終し、国体の自己表現である。 (参考).『国体の本義』全文 http //www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html ※上記のように、日本を天皇を中心とする神の国と捉える歴史観は、主に戦後、マルクス主義歴史学者によって「皇国史観」と呼ばれてきた。 ■3.近代日本の国体論の展開 ※おおよそ、以下の4段階を踏んで現代に至っている。 (1) 政治的「国体」観念の創出 (メルクマール)大日本帝国憲法(1889年 発布、1890年施行)、教育勅語(1890年 煥発) 江戸期には、文化的「国体」観念(天皇は日本という文化的共同体の結晶核であるとする観念)が主流であり、政治的「国体」観念(権威者たる天皇は、権力者たる征夷大将軍の任命、条約勅許、元号制定など政治的意義をも有することの認識)は一般には希薄だった 欧米列強の脅威に反応して興起した後期水戸学(会沢正志斎『新論』(1857年)が代表的)の普及により、政治的「国体」観念が自覚されるようになった 「君権ヲ機軸」として政治体制を整備する必要性→政治的「国体」観念の創出(天皇は文化的共同体に加えて政治的共同体の結晶核としての役割をも期待されるようになる。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス、天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ・・・) 明治維新の性格規定→「一味神水」の「一揆」史観(新田均氏)、近代国民国家の創出の必要性(エトニethnieからネイションnationの創出へ) L正統(Legitimacy 治統)とO正統(Orthodoxy 学統)→西洋はO正統(キリスト教会)の権威からL正統(皇帝権・王権)を創出したが、日本はL正統(皇統)の権威からO正統(政治的「国体」観念)を創出・・・従って日本ではO正統(政治的「国体」観念)はあくまでL正統(皇統)の影であって、正統性の本体はL正統である。(植村和秀氏) 政治的紛糾を呼びやすい思想・哲学的な国体論ではなく、天皇と国民の協働による国家の発展という「国史」に重点を置いた国体論の強調(西洋のような保守思想の発達とは対照的に、日本では「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向・・・100の理屈よりも1つの事実の方が説得力がある。日本は奇跡的に万世一系が続いている国であり、西洋の様に抽象的な理屈・思想で国家の正統性を確保する必要は薄い⇒「保守-思想」ではなく「皇国-史観」が前面に出て皇統と国体を護持) (2) 雑多な国体論の容認 (メルクマール)『国体論史』(1921年 内務省神社局刊) 国民各層の幅広い団結を促す必要性⇒「国体」観念の習合思想化(雑居性) 日本では古来から、国体の雑居性自体が伝統化していた(融通無碍) (3) 国体論の帰一 (メルクマール)『国体の本義』(1937年 文部省刊) マルクス主義は日本史上、ほとんど初めて「国体破壊」を強烈に志向した思想であり、第1次世界大戦中のロシア革命、ドイツ・オーストリアさらにはトルコの4大帝国の崩壊(それ以前の辛亥革命=清朝の崩壊も併せて)に刺激を受けて、共和制や社会主義・共産主義への移行が歴史の必然であると確信する学生・知識人が大量に発生し、コミンテルンが干渉してこの趨勢を助長。 こうした マルクス主義の思想侵略の脅威への対抗思想としての役割が「国体」に期待される⇒『国体の本義』編纂・刊行へ。 日本主義(国体の本義に則って西洋思想を益々醇化摂取し、より一層わが国を発展させるとする「開かれた社会」の思想) (4) 国体論の変容と自壊 (メルクマール)『臣民の道』(1941年 文部省教学局刊) アジア主義(東西文明対抗史観の影響)の追認 総力戦体制 八紘一宇(大東亜共栄圏の根拠づけ) 敗戦後は再び、文化的「国体」観念が主流へ(「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・」) ◎参考図書 ※なお、当サイトの丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 のページも参照。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) PHP研究所 (2003/02刊) ※amazonで一部ページを拝見できます。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 ※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。 目次 [第1部]「現人神」という幻想第1章 通俗的な「現人神」論の崩壊第2章 明治初期から「教育勅語」の発布のころまで第3章 「教育勅語」の発布から第一次世界大戦のころまで第4章 第一次世界大戦から満洲事変のころまで第5章 満洲事変以降第6章 「創られた伝統」としての「現人神」[第2部]「国家神道」という幻想第1章 「国家神道」は如何にして創られたか――「幻想」の系譜をたどる第2章 神社参拝は「法的に」強制されたか?第3章 強制された「事実」とは?第4章 「神社非宗教」論とは何だったのか第5章 「幻想」を必要としているのは誰か第6章 蜃気楼が消えた後には? ★評価豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は異常な絶対主義君主国家・ファシズム国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著。「国体」観念の展開に関しても説得力ある論説が展開されている。 ■4.国体論と「皇国史観」 上記の様に日本では、国家の正統性を国民に訴求する上で、「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向が見られた。 こうした戦前の国史に表れた歴史観を主に戦後「皇国史観」と呼んでいる。 ◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 【皇国史観】こうこく-しかん(広辞苑) 国家神道に基づき、日本歴史を万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国として描く歴史観。十五年戦争期に正統的歴史観として支配的地位を占め、国民の統合・動員に大きな役割を演じた。 ◎補足説明 実際には「皇国史観」には、 ① 大東亜戦争の渦中で、文部省によって、主に高級文官試験用の公定歴史解説書として編纂され、東亜諸地域を包摂する新しい歴史観・国体観を打ち出した『国史概説』(1943-44刊行)及び、その大東亜地域版である『大東亜史概説』(編纂のみで未刊)に代表される「皇国賛美史観(文部省史観)」と、 ② 1930年半ばから、東京帝大国史学教授 平泉澄とその門下によって唱えられた日本一国主義の立場に立つ「皇国護持史観」の二種類があり、また ③ 大川周明の「東西文明対抗史観」は、①と親和性が高い。(※①は、大川周明などアジア主義者の東西文明対抗史観の影響下に現出された東アジアの状況を、総力戦体制下で政府が追認したものと捉えることができる。) 広辞苑の定義は、「十五年戦争」という支那寄りの用語に見るとおり、自虐的・日本断罪的で一方的な左翼史観から書かれているが、近年は同じ左翼陣営でも、より実証的に「皇国史観」や「国体論」の内実を検討した著作が幾つか刊行されている。 『近代日本の国体論―“皇国史観”再考』 昆野 伸幸 (著) ぺりかん社 (2007/12刊) 内容(「BOOK」データベースより)明治以後の植民地政策によって展開された国体論が近代的学知との激しい相剋を見せた昭和十年代に注目し、歴史認識の次元から大川周明・平泉澄を詳細に分析することにより、従来の国家主義的歴史観とは区別される“皇国史観”固有の特質を解明する。 目次 国体論研究の視角第1部 国体論の胎動(大川周明『列聖伝』考/平泉史学と人類学/平泉澄の中世史研究)第2部 国体論の対立(平泉澄の「日本人」観/大川周明の日本歴史観/大川周明『日本二千六百年史』不敬書事件再考)第3部 国体論の行方(「皇国史観」の相剋/大川周明のアジア観/三井甲之の戦後)国体論の帰結 『「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策』 長谷川 亮一 (著) 白澤社 (2008/01刊) 内容(「BOOK」データベースより)戦前の歴史観の代名詞「皇国史観」は、非科学的、独善的、排外的などとして、戦後しりぞけられてきた。しかし、そもそも「皇国史観」とは何であったのか?誰が、何のために提唱し、普及させたのか?本書は、「皇国史観」の成立と流布を、戦中に文部省が行なった修史事業に着目して再検証し、従来のイメージを一新。「皇国史観」の何が、いかに問題であるのかを明らかにする。 目次 第1章 戦後における「皇国史観」をめぐる議論の展開第2章 近代国体論の変容第3章 「皇国史観」の提唱と流布第4章 『国史概説』の歴史像第5章 『大東亜史概説』の歴史像第6章 国史編修事業と国史編修院 ★上記2冊は、あくまで「皇国史観」「国体論」の現状での中心的研究者の認識が分かる図書として紹介している。早くこのような、未だに左翼史観から抜けきれない中途半端な著作物が「先行研究」と呼ばれる日が来ればいいのだが。 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 上記二名の研究者によれば、現実に「皇国史観」という用語を使用していたのは、①大東亜戦争中の文部省の側であり、その意味では「皇国史観=①文部省史観(皇国賛美史観・・・汎アジア主義的史観)」なのだが、本ページ上部の見取り図に示したとおり、大東亜戦争の敗戦によって、①文部省史観や、③大川周明の東西文明対抗史観の成立基盤が消滅してしまったことから、戦後は専ら、②平泉学派の「皇国護持史観」が、「皇国史観」として、マルクス主義者や戦後民主主義者といった左翼から、批判・中傷されることになった。 左は、2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回【天皇と憲法】。「皇室廃止」を狙うNHKを始めとする左翼の本音がたまたま表に出た貴重な番組の動画である。※動画の平泉澄の「皇国護持史観」は、日本一国主義(非アジア主義)的史観であり、その内容を一言で表現すればわが国体こそ、寛容で価値多元的な日本的世界(日本的公共性)のコアである。日本国民はこれを護り続けなければならない。ということに尽きる。これは『国体の本義』の論旨そのものであって、何ら左翼から中傷される云われはない。 チャンネル桜で放送された上記動画の検証番組。国体論とは少し外れるが、NHKなど戦後左翼の欺瞞振りを詳しく確認できる。 丸山眞男と平泉澄 昭和期日本の政治主義 植村 和秀(著) 柏書房 (2004/10)単行本 目次 第1章 政論記者丸山真男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山真男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山真男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義 ★評価丸山眞男といえば、進学校の学生が全共闘世代の教師に「夏休み(冬休み)の課題に 『日本の思想』(岩波新書) の中の一章を読んで感想を書け」と言われて、面白くも無いヘンテコで拗けた文書を読まされて難儀するのがオチの“戦後日本を代表する政治思想家”なのだが、そうした丸山の思想に半ば洗脳されていた著者(京産大法学部教授、ドイツ政治思想史専攻)が、京都の古本屋でたまたま、丸山眞男と思想的に対極にある平泉澄の戦前の著作を手に取り、その流麗な文体・精緻な論理構成に打たれて、可能な限りの事実検証・文献検証を重ねて両者の思想的対立の根源に迫った好著。「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」(著者:植村氏)…丸山眞男的あるいは進歩派文化人的な「戦後民主主義」思想にドップリ漬かった人への解毒剤としてお勧め。また昭和初年~昭和40年頃までの日本の思想状況の本当の所を知りたい人にもお勧めしたい。「生きて皇室を守るべし。雑草を食っても生きよ」終戦前後の混乱期における平泉同学の知られざる奮起、まさに大日本帝国の殿(しんがり)としての貢献、阿南惟幾・下村定の陸軍最後の二人の陸相と平泉博士とのエピソードも興味深い。相当にハイレベルだが、“理論派保守”を目指す人は是非挑戦してほしい。amazonブックレビューも参照のこと。 昭和の思想 植村 和秀 (著) 講談社選書メチエ(2010/11)単行本 内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。 目次 第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派第6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価上記『 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 』が内容的にハイレベルすぎて、初心者のみならず中級者でさえ中々に読みこなせないという難点に答えるかのように2010年秋に出版された簡潔な昭和期政治思想の概略本。 ■5.所謂「国体主権」論について 明治憲法体制は、天皇主権でも国民主権でもなく(英米法の「法の支配」に似た)「国体主権」である、と云われることがある。 確かにその論には一理以上のものがある(※佐藤幸治『憲法 第三版』にもそうした記述がある)のだが、「君主といえども神と法(=国体)の下にある」という建前を採るとしても、大東亜戦争の終戦を決定した聖断のケースに見るように、日本においては慣習的にみて「国体の最終判定権者=天皇」でしか有り得ない(神の権威も国体も天皇が代表しているため)のであり、結局は、「国体主権=天皇主権」となると思われる。(西洋的な絶対君主という意味ではなく、「国体の最終判定権者」という意味で) 昭和初期~戦中に、天皇=主権者とされたのは、この意味においてである。 なお、ドイツの代表的政治学者・憲法学者カール.シュミットの定義によれば「例外状況下で決定を下す者を主権者という」とされ、2.26事件やポツダム宣言受諾のケースにおける天皇は、この定義にピタリと該当するほか、実は「議会主権」と云われるイギリスにおいても「議会における女王の制定するものが法である」というルールが同国の法体系の「究極の認定(承認)ルール」とされている(ハートの法概念論⇒詳しくは よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) 参照)。 (※なお、アメリカでは連邦最高裁判所が最終決定権者とされている。) こうした国体の法的把握(=国体法 constitutional law、国制)に関して、詳しくは、日本国憲法改正問題(上級編) を参照。 ■6.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。 ~ 文部省刊『国体の本義』(昭和12年(1937)5月) <目次> ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義◇1.国体の定義 ◇2.国史の真義 ■3.近代日本の国体論の展開 ■4.国体論と「皇国史観」◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 ■5.所謂「国体主権」論について ■6.ご意見、情報提供 ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ※サイズが合わない場合は こちら をクリック ※上図の説明は、国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) へ ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義 『国体の本義』の第一章「第一 大日本国体」は、国体の定義を、また第二章「第二 国史に於ける国体の顕現」は、国史の真義を、それぞれ詳解している。各章の冒頭部分のみ以下に引用する。 ◇1.国体の定義 第一 大日本国体 一、肇国 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国(てうこく)の事實の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。 ◇2.国史の真義 第二 国史に於ける国体の顕現 一、国史を一貫する精神 国史は、肇国の大精神の一途の展開として今日に及んでゐる不退転の歴史である。歴史には、時代の変化推移と共にこれを一貫する精神が存する。我が歴史には、肇国の精神が儼然と存してゐて、それが弥々明らかにせられて行くのであるから、国史の発展は即ち挙国の精神の展開であり、永遠の生命の創造発展となつてゐる。然るに他の国家にあつては、革命や滅亡によつて国家の命脈は断たれ、建国の精神は中断消滅し、別の国家の歴史が発生する。それ故、建国の精神が、歴史を一貫して不朽不滅に存続するが如きことはない。従つて他の国家に於て歴史を貫くものを求める場合には、抽象的な理性の一般法則の如きものを立てるより外に道がない。これ、西洋に於ける歴史観が国家を超越して論ぜられてゐる所以である。我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。それ故我が国に於ては、国史は国体と始終し、国体の自己表現である。 (参考).『国体の本義』全文 http //www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html ※上記のように、日本を天皇を中心とする神の国と捉える歴史観は、主に戦後、マルクス主義歴史学者によって「皇国史観」と呼ばれてきた。 ■3.近代日本の国体論の展開 ※おおよそ、以下の4段階を踏んで現代に至っている。 (1) 政治的「国体」観念の創出 (メルクマール)大日本帝国憲法(1889年 発布、1890年施行)、教育勅語(1890年 煥発) 江戸期には、文化的「国体」観念(天皇は日本という文化的共同体の結晶核であるとする観念)が主流であり、政治的「国体」観念(権威者たる天皇は、権力者たる征夷大将軍の任命、条約勅許、元号制定など政治的意義をも有することの認識)は一般には希薄だった 欧米列強の脅威に反応して興起した後期水戸学(会沢正志斎『新論』(1857年)が代表的)の普及により、政治的「国体」観念が自覚されるようになった 「君権ヲ機軸」として政治体制を整備する必要性→政治的「国体」観念の創出(天皇は文化的共同体に加えて政治的共同体の結晶核としての役割をも期待されるようになる。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス、天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ・・・) 明治維新の性格規定→「一味神水」の「一揆」史観(新田均氏)、近代国民国家の創出の必要性(エトニethnieからネイションnationの創出へ) L正統(Legitimacy 治統)とO正統(Orthodoxy 学統)→西洋はO正統(キリスト教会)の権威からL正統(皇帝権・王権)を創出したが、日本はL正統(皇統)の権威からO正統(政治的「国体」観念)を創出・・・従って日本ではO正統(政治的「国体」観念)はあくまでL正統(皇統)の影であって、正統性の本体はL正統である。(植村和秀氏) 政治的紛糾を呼びやすい思想・哲学的な国体論ではなく、天皇と国民の協働による国家の発展という「国史」に重点を置いた国体論の強調(西洋のような保守思想の発達とは対照的に、日本では「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向・・・100の理屈よりも1つの事実の方が説得力がある。日本は奇跡的に万世一系が続いている国であり、西洋の様に抽象的な理屈・思想で国家の正統性を確保する必要は薄い⇒「保守-思想」ではなく「皇国-史観」が前面に出て皇統と国体を護持) (2) 雑多な国体論の容認 (メルクマール)『国体論史』(1921年 内務省神社局刊) 国民各層の幅広い団結を促す必要性⇒「国体」観念の習合思想化(雑居性) 日本では古来から、国体の雑居性自体が伝統化していた(融通無碍) (3) 国体論の帰一 (メルクマール)『国体の本義』(1937年 文部省刊) マルクス主義は日本史上、ほとんど初めて「国体破壊」を強烈に志向した思想であり、第1次世界大戦中のロシア革命、ドイツ・オーストリアさらにはトルコの4大帝国の崩壊(それ以前の辛亥革命=清朝の崩壊も併せて)に刺激を受けて、共和制や社会主義・共産主義への移行が歴史の必然であると確信する学生・知識人が大量に発生し、コミンテルンが干渉してこの趨勢を助長。 こうした マルクス主義の思想侵略の脅威への対抗思想としての役割が「国体」に期待される⇒『国体の本義』編纂・刊行へ。 日本主義(国体の本義に則って西洋思想を益々醇化摂取し、より一層わが国を発展させるとする「開かれた社会」の思想) (4) 国体論の変容と自壊 (メルクマール)『臣民の道』(1941年 文部省教学局刊) アジア主義(東西文明対抗史観の影響)の追認 総力戦体制 八紘一宇(大東亜共栄圏の根拠づけ) 敗戦後は再び、文化的「国体」観念が主流へ(「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・」) ◎参考図書 ※なお、当サイトの丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 のページも参照。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) PHP研究所 (2003/02刊) ※amazonで一部ページを拝見できます。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 ※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。 目次 [第1部]「現人神」という幻想第1章 通俗的な「現人神」論の崩壊第2章 明治初期から「教育勅語」の発布のころまで第3章 「教育勅語」の発布から第一次世界大戦のころまで第4章 第一次世界大戦から満洲事変のころまで第5章 満洲事変以降第6章 「創られた伝統」としての「現人神」[第2部]「国家神道」という幻想第1章 「国家神道」は如何にして創られたか――「幻想」の系譜をたどる第2章 神社参拝は「法的に」強制されたか?第3章 強制された「事実」とは?第4章 「神社非宗教」論とは何だったのか第5章 「幻想」を必要としているのは誰か第6章 蜃気楼が消えた後には? ★評価豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は異常な絶対主義君主国家・ファシズム国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著。「国体」観念の展開に関しても説得力ある論説が展開されている。 ■4.国体論と「皇国史観」 上記の様に日本では、国家の正統性を国民に訴求する上で、「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向が見られた。 こうした戦前の国史に表れた歴史観を主に戦後「皇国史観」と呼んでいる。 ◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 【皇国史観】こうこく-しかん(広辞苑) 国家神道に基づき、日本歴史を万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国として描く歴史観。十五年戦争期に正統的歴史観として支配的地位を占め、国民の統合・動員に大きな役割を演じた。 ◎補足説明 実際には「皇国史観」には、 ① 大東亜戦争の渦中で、文部省によって、主に高級文官試験用の公定歴史解説書として編纂され、東亜諸地域を包摂する新しい歴史観・国体観を打ち出した『国史概説』(1943-44刊行)及び、その大東亜地域版である『大東亜史概説』(編纂のみで未刊)に代表される「皇国賛美史観(文部省史観)」と、 ② 1930年半ばから、東京帝大国史学教授 平泉澄とその門下によって唱えられた日本一国主義の立場に立つ「皇国護持史観」の二種類があり、また ③ 大川周明の「東西文明対抗史観」は、①と親和性が高い。(※①は、大川周明などアジア主義者の東西文明対抗史観の影響下に現出された東アジアの状況を、総力戦体制下で政府が追認したものと捉えることができる。) 広辞苑の定義は、「十五年戦争」という支那寄りの用語に見るとおり、自虐的・日本断罪的で一方的な左翼史観から書かれているが、近年は同じ左翼陣営でも、より実証的に「皇国史観」や「国体論」の内実を検討した著作が幾つか刊行されている。 『近代日本の国体論―“皇国史観”再考』 昆野 伸幸 (著) ぺりかん社 (2007/12刊) 内容(「BOOK」データベースより)明治以後の植民地政策によって展開された国体論が近代的学知との激しい相剋を見せた昭和十年代に注目し、歴史認識の次元から大川周明・平泉澄を詳細に分析することにより、従来の国家主義的歴史観とは区別される“皇国史観”固有の特質を解明する。 目次 国体論研究の視角第1部 国体論の胎動(大川周明『列聖伝』考/平泉史学と人類学/平泉澄の中世史研究)第2部 国体論の対立(平泉澄の「日本人」観/大川周明の日本歴史観/大川周明『日本二千六百年史』不敬書事件再考)第3部 国体論の行方(「皇国史観」の相剋/大川周明のアジア観/三井甲之の戦後)国体論の帰結 『「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策』 長谷川 亮一 (著) 白澤社 (2008/01刊) 内容(「BOOK」データベースより)戦前の歴史観の代名詞「皇国史観」は、非科学的、独善的、排外的などとして、戦後しりぞけられてきた。しかし、そもそも「皇国史観」とは何であったのか?誰が、何のために提唱し、普及させたのか?本書は、「皇国史観」の成立と流布を、戦中に文部省が行なった修史事業に着目して再検証し、従来のイメージを一新。「皇国史観」の何が、いかに問題であるのかを明らかにする。 目次 第1章 戦後における「皇国史観」をめぐる議論の展開第2章 近代国体論の変容第3章 「皇国史観」の提唱と流布第4章 『国史概説』の歴史像第5章 『大東亜史概説』の歴史像第6章 国史編修事業と国史編修院 ★上記2冊は、あくまで「皇国史観」「国体論」の現状での中心的研究者の認識が分かる図書として紹介している。早くこのような、未だに左翼史観から抜けきれない中途半端な著作物が「先行研究」と呼ばれる日が来ればいいのだが。 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 上記二名の研究者によれば、現実に「皇国史観」という用語を使用していたのは、①大東亜戦争中の文部省の側であり、その意味では「皇国史観=①文部省史観(皇国賛美史観・・・汎アジア主義的史観)」なのだが、本ページ上部の見取り図に示したとおり、大東亜戦争の敗戦によって、①文部省史観や、③大川周明の東西文明対抗史観の成立基盤が消滅してしまったことから、戦後は専ら、②平泉学派の「皇国護持史観」が、「皇国史観」として、マルクス主義者や戦後民主主義者といった左翼から、批判・中傷されることになった。 左は、2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回【天皇と憲法】。「皇室廃止」を狙うNHKを始めとする左翼の本音がたまたま表に出た貴重な番組の動画である。※動画の平泉澄の「皇国護持史観」は、日本一国主義(非アジア主義)的史観であり、その内容を一言で表現すればわが国体こそ、寛容で価値多元的な日本的世界(日本的公共性)のコアである。日本国民はこれを護り続けなければならない。ということに尽きる。これは『国体の本義』の論旨そのものであって、何ら左翼から中傷される云われはない。 チャンネル桜で放送された上記動画の検証番組。国体論とは少し外れるが、NHKなど戦後左翼の欺瞞振りを詳しく確認できる。 丸山眞男と平泉澄 昭和期日本の政治主義 植村 和秀(著) 柏書房 (2004/10)単行本 目次 第1章 政論記者丸山真男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山真男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山真男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義 ★評価丸山眞男といえば、進学校の学生が全共闘世代の教師に「夏休み(冬休み)の課題に 『日本の思想』(岩波新書) の中の一章を読んで感想を書け」と言われて、面白くも無いヘンテコで拗けた文書を読まされて難儀するのがオチの“戦後日本を代表する政治思想家”なのだが、そうした丸山の思想に半ば洗脳されていた著者(京産大法学部教授、ドイツ政治思想史専攻)が、京都の古本屋でたまたま、丸山眞男と思想的に対極にある平泉澄の戦前の著作を手に取り、その流麗な文体・精緻な論理構成に打たれて、可能な限りの事実検証・文献検証を重ねて両者の思想的対立の根源に迫った好著。「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」(著者:植村氏)…丸山眞男的あるいは進歩派文化人的な「戦後民主主義」思想にドップリ漬かった人への解毒剤としてお勧め。また昭和初年~昭和40年頃までの日本の思想状況の本当の所を知りたい人にもお勧めしたい。「生きて皇室を守るべし。雑草を食っても生きよ」終戦前後の混乱期における平泉同学の知られざる奮起、まさに大日本帝国の殿(しんがり)としての貢献、阿南惟幾・下村定の陸軍最後の二人の陸相と平泉博士とのエピソードも興味深い。相当にハイレベルだが、“理論派保守”を目指す人は是非挑戦してほしい。amazonブックレビューも参照のこと。 昭和の思想 植村 和秀 (著) 講談社選書メチエ(2010/11)単行本 内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。 目次 第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派第6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価上記『 丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 』が内容的にハイレベルすぎて、初心者のみならず中級者でさえ中々に読みこなせないという難点に答えるかのように2010年秋に出版された簡潔な昭和期政治思想の概略本。 ■5.所謂「国体主権」論について 明治憲法体制は、天皇主権でも国民主権でもなく(英米法の「法の支配」に似た)「国体主権」である、と云われることがある。 確かにその論には一理以上のものがある(※佐藤幸治『憲法 第三版』にもそうした記述がある)のだが、「君主といえども神と法(=国体)の下にある」という建前を採るとしても、大東亜戦争の終戦を決定した聖断のケースに見るように、日本においては慣習的にみて「国体の最終判定権者=天皇」でしか有り得ない(神の権威も国体も天皇が代表しているため)のであり、結局は、「国体主権=天皇主権」となると思われる。(西洋的な絶対君主という意味ではなく、「国体の最終判定権者」という意味で) 昭和初期~戦中に、天皇=主権者とされたのは、この意味においてである。 なお、ドイツの代表的政治学者・憲法学者カール.シュミットの定義によれば「例外状況下で決定を下す者を主権者という」とされ、2.26事件やポツダム宣言受諾のケースにおける天皇は、この定義にピタリと該当するほか、実は「議会主権」と云われるイギリスにおいても「議会における女王の制定するものが法である」というルールが同国の法体系の「究極の認定(承認)ルール」とされている(ハートの法概念論⇒詳しくは よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) 参照)。 (※なお、アメリカでは連邦最高裁判所が最終決定権者とされている。) こうした国体の法的把握(=国体法 constitutional law、国制)に関して、詳しくは、日本国憲法改正問題(上級編) を参照。 ■6.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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改行ズレ/画像ヌケ等で読み辛い場合は、ミラーWIKI または図解WIKI をご利用ください 我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。 ~ 文部省刊『国体の本義』(昭和12年(1937)5月) <目次> ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義◇1.国体の定義 ◇2.国史の真義 ■3.近代日本の国体論の展開 ■4.国体論と「皇国史観」◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 ■5.所謂「国体主権」論について ■6.ご意見、情報提供 ■1.国体論を巡る思想・政治状況(見取り図) ※サイズが合わない場合はこちら をクリック ※上図の説明は、国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) へ ■2.「国体」の定義と、「国史」の真義 『国体の本義』の第一章「第一 大日本国体」は、国体の定義を、また第二章「第二 国史に於ける国体の顕現」は、国史の真義を、それぞれ詳解している。各章の冒頭部分のみ以下に引用する。 ◇1.国体の定義 第一 大日本国体 一、肇国 大日本帝国は、万世一系の天皇皇祖の神勅を奉じて永遠にこれを統治し給ふ。これ、我が万古不易の国体である。而してこの大義に基づき、一大家族国家として億兆一心聖旨を奉体して、克く忠孝の美徳を発揮する。これ、我が国体の精華とするところである。この国体は、我が国永遠不変の大本であり、国史を貫いて炳として輝いてゐる。而してそれは、国家の発展と共に弥々鞏く、天壌と共に窮るところがない。我等は先づ我が肇国(てうこく)の事實の中に、この大本が如何に生き輝いてゐるかを知らねばならぬ。 ◇2.国史の真義 第二 国史に於ける国体の顕現 一、国史を一貫する精神 国史は、肇国の大精神の一途の展開として今日に及んでゐる不退転の歴史である。歴史には、時代の変化推移と共にこれを一貫する精神が存する。我が歴史には、肇国の精神が儼然と存してゐて、それが弥々明らかにせられて行くのであるから、国史の発展は即ち挙国の精神の展開であり、永遠の生命の創造発展となつてゐる。然るに他の国家にあつては、革命や滅亡によつて国家の命脈は断たれ、建国の精神は中断消滅し、別の国家の歴史が発生する。それ故、建国の精神が、歴史を一貫して不朽不滅に存続するが如きことはない。従つて他の国家に於て歴史を貫くものを求める場合には、抽象的な理性の一般法則の如きものを立てるより外に道がない。これ、西洋に於ける歴史観が国家を超越して論ぜられてゐる所以である。我が国に於ては、肇国の大精神、連綿たる皇統を基とせずしては歴史は理解せられない。北畠親房は、我が皇統の万邦無比なることを道破して、大日本は神国なり。天祖はじめて基をひらき、日神ながく統を伝へ給ふ。我国のみ此の事あり。異朝には其のたぐひなし。此の故に神国と云ふなり。と神皇正統記の冒頭に述べてゐる。国史に於ては維新を見ることが出来るが、革命は絶対になく、肇国の精神は、国史を貫いて連綿として今日に至り、而して更に明日を起す力となつてゐる。それ故我が国に於ては、国史は国体と始終し、国体の自己表現である。 (参考).『国体の本義』全文 http //www.j-texts.com/showa/kokutaiah.html ※上記のように、日本を天皇を中心とする神の国と捉える歴史観は、主に戦後、マルクス主義歴史学者によって「皇国史観」と呼ばれてきた。 ■3.近代日本の国体論の展開 ※おおよそ、以下の4段階を踏んで現代に至っている。 (1) 政治的「国体」観念の創出 (メルクマール)大日本帝国憲法(1889年 発布、1890年施行)、教育勅語(1890年 煥発) 江戸期には、文化的「国体」観念(天皇は日本という文化的共同体の結晶核であるとする観念)が主流であり、政治的「国体」観念(権威者たる天皇は、権力者たる征夷大将軍の任命、条約勅許、元号制定など政治的意義をも有することの認識)は一般には希薄だった 欧米列強の脅威に反応して興起した後期水戸学(会沢正志斎『新論』(1857年)が代表的)の普及により、政治的「国体」観念が自覚されるようになった 「君権ヲ機軸」として政治体制を整備する必要性→政治的「国体」観念の創出(天皇は文化的共同体に加えて政治的共同体の結晶核としての役割をも期待されるようになる。「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス、天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総覧シ・・・) 明治維新の性格規定→「一味神水」の「一揆」史観(新田均氏)、近代国民国家の創出の必要性(エトニethnieからネイションnationの創出へ) L正統(Legitimacy 治統)とO正統(Orthodoxy 学統)→西洋はO正統(キリスト教会)の権威からL正統(皇帝権・王権)を創出したが、日本はL正統(皇統)の権威からO正統(政治的「国体」観念)を創出・・・従って日本ではO正統(政治的「国体」観念)はあくまでL正統(皇統)の影であって、正統性の本体はL正統である。(植村和秀氏) 政治的紛糾を呼びやすい思想・哲学的な国体論ではなく、天皇と国民の協働による国家の発展という「国史」に重点を置いた国体論の強調(西洋のような保守思想の発達とは対照的に、日本では「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向・・・100の理屈よりも1つの事実の方が説得力がある。日本は奇跡的に万世一系が続いている国であり、西洋の様に抽象的な理屈・思想で国家の正統性を確保する必要は薄い⇒「保守-思想」ではなく「皇国-史観」が前面に出て皇統と国体を護持) (2) 雑多な国体論の容認 (メルクマール)『国体論史』(1921年 内務省神社局刊) 国民各層の幅広い団結を促す必要性⇒「国体」観念の習合思想化(雑居性) 日本では古来から、国体の雑居性自体が伝統化していた(融通無碍) (3) 国体論の帰一 (メルクマール)『国体の本義』(1937年 文部省刊) マルクス主義は日本史上、ほとんど初めて「国体破壊」を強烈に志向した思想であり、第1次世界大戦中のロシア革命、ドイツ・オーストリアさらにはトルコの4大帝国の崩壊(それ以前の辛亥革命=清朝の崩壊も併せて)に刺激を受けて、共和制や社会主義・共産主義への移行が歴史の必然であると確信する学生・知識人が大量に発生し、コミンテルンが干渉してこの趨勢を助長。 こうした マルクス主義の思想侵略の脅威への対抗思想としての役割が「国体」に期待される⇒『国体の本義』編纂・刊行へ。 日本主義(国体の本義に則って西洋思想を益々醇化摂取し、より一層わが国を発展させるとする「開かれた社会」の思想) (4) 国体論の変容と自壊 (メルクマール)『臣民の道』(1941年 文部省教学局刊) アジア主義(東西文明対抗史観の影響)の追認 総力戦体制 八紘一宇(大東亜共栄圏の根拠づけ) 敗戦後は再び、文化的「国体」観念が主流へ(「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって・・・」) ◎参考図書 ※なお、当サイトの丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 のページも参照。 「現人神」「国家神道」という幻想 新田 均 (著) PHP研究所 (2003/02刊) ※amazonで一部ページを拝見できます。「「現人神」「国家神道」とは、日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度である」との嘘八百の言説に異議あり! こういったイメージが幻想に過ぎないことを、実証的歴史研究の成果に照らして明かす。 ※amazonの内容紹介より一部引用「現人神」「国家神道」??これらの言葉から、現代の日本人はどんなイメージを連想するだろうか。おそらく、狂信的な「天皇崇拝思想」と、それを支えた「国教制度」といったとこだろう。そして、この「日本国民を狂信的な戦争へと導いた思想と制度」は「明治政府が日本の近代化のために考え出した」などとされている。だが著者は、「そのような認識は思い込みに基づく幻想にすぎない」と喝破する。それは最近の実証的歴史研究の成果に照らしても明らかなのだが、これが意外と世間では知られておらず、歴史の専門家でさえ、少し分野が違っただけで知らない者が大多数なのだという。世間で知られていないことがそれほど大きな意味を持たないなら、それでもかまわないのかもしれないが、この「幻想」はわが国の首相の靖国神社参拝問題や政教関係訴訟、さらには教科書問題や外交関係にまで影を落としている。“虚像”が誰によって、いかにして創られたかを検証する。 目次 [第1部]「現人神」という幻想第1章 通俗的な「現人神」論の崩壊第2章 明治初期から「教育勅語」の発布のころまで第3章 「教育勅語」の発布から第一次世界大戦のころまで第4章 第一次世界大戦から満洲事変のころまで第5章 満洲事変以降第6章 「創られた伝統」としての「現人神」[第2部]「国家神道」という幻想第1章 「国家神道」は如何にして創られたか――「幻想」の系譜をたどる第2章 神社参拝は「法的に」強制されたか?第3章 強制された「事実」とは?第4章 「神社非宗教」論とは何だったのか第5章 「幻想」を必要としているのは誰か第6章 蜃気楼が消えた後には? ★評価豊富な実証的研究により、「明治以降の日本は異常な絶対主義君主国家・ファシズム国家だった」という立花隆など左翼の大嘘を完全に打ち破る名著。「国体」観念の展開に関しても説得力ある論説が展開されている。 ■4.国体論と「皇国史観」 上記の様に日本では、国家の正統性を国民に訴求する上で、「国史(歴史)」が保守思想を代位する顕著な傾向が見られた。 こうした戦前の国史に表れた歴史観を主に戦後「皇国史観」と呼んでいる。 ◇1.現在流通している「皇国史観」の定義 【皇国史観】こうこく-しかん(広辞苑) 国家神道に基づき、日本歴史を万世一系の現人神(あらひとがみ)である天皇が永遠に君臨する万邦無比の神国として描く歴史観。十五年戦争期に正統的歴史観として支配的地位を占め、国民の統合・動員に大きな役割を演じた。 ◎補足説明 実際には「皇国史観」には、 ① 大東亜戦争の渦中で、文部省によって、主に高級文官試験用の公定歴史解説書として編纂され、東亜諸地域を包摂する新しい歴史観・国体観を打ち出した『国史概説』(1943-44刊行)及び、その大東亜地域版である『大東亜史概説』(編纂のみで未刊)に代表される「皇国賛美史観(文部省史観)」と、 ② 1930年半ばから、東京帝大国史学教授 平泉澄とその門下によって唱えられた日本一国主義の立場に立つ「皇国護持史観」の二種類があり、また ③ 大川周明の「東西文明対抗史観」は、①と親和性が高い。(※①は、大川周明などアジア主義者の東西文明対抗史観の影響下に現出された東アジアの状況を、総力戦体制下で政府が追認したものと捉えることができる。) 広辞苑の定義は、「十五年戦争」という支那寄りの用語に見るとおり、自虐的・日本断罪的で一方的な左翼史観から書かれているが、近年は同じ左翼陣営でも、より実証的に「皇国史観」や「国体論」の内実を検討した著作が幾つか刊行されている。 『近代日本の国体論―“皇国史観”再考』 昆野 伸幸 (著) ぺりかん社 (2007/12刊) 内容(「BOOK」データベースより)明治以後の植民地政策によって展開された国体論が近代的学知との激しい相剋を見せた昭和十年代に注目し、歴史認識の次元から大川周明・平泉澄を詳細に分析することにより、従来の国家主義的歴史観とは区別される“皇国史観”固有の特質を解明する。 目次 国体論研究の視角第1部 国体論の胎動(大川周明『列聖伝』考/平泉史学と人類学/平泉澄の中世史研究)第2部 国体論の対立(平泉澄の「日本人」観/大川周明の日本歴史観/大川周明『日本二千六百年史』不敬書事件再考)第3部 国体論の行方(「皇国史観」の相剋/大川周明のアジア観/三井甲之の戦後)国体論の帰結 『「皇国史観」という問題―十五年戦争期における文部省の修史事業と思想統制政策』 長谷川 亮一 (著) 白澤社 (2008/01刊) 内容(「BOOK」データベースより)戦前の歴史観の代名詞「皇国史観」は、非科学的、独善的、排外的などとして、戦後しりぞけられてきた。しかし、そもそも「皇国史観」とは何であったのか?誰が、何のために提唱し、普及させたのか?本書は、「皇国史観」の成立と流布を、戦中に文部省が行なった修史事業に着目して再検証し、従来のイメージを一新。「皇国史観」の何が、いかに問題であるのかを明らかにする。 目次 第1章 戦後における「皇国史観」をめぐる議論の展開第2章 近代国体論の変容第3章 「皇国史観」の提唱と流布第4章 『国史概説』の歴史像第5章 『大東亜史概説』の歴史像第6章 国史編修事業と国史編修院 ★上記2冊は、あくまで「皇国史観」「国体論」の現状での中心的研究者の認識が分かる図書として紹介している。早くこのような、未だに左翼史観から抜けきれない中途半端な著作物が「先行研究」と呼ばれる日が来ればいいのだが。 ◇2.「皇国史観」に対する左翼の中傷 上記二名の研究者によれば、現実に「皇国史観」という用語を使用していたのは、①大東亜戦争中の文部省の側であり、その意味では「皇国史観=①文部省史観(皇国賛美史観・・・汎アジア主義的史観)」なのだが、本ページ上部の見取り図に示したとおり、大東亜戦争の敗戦によって、①文部省史観や、③大川周明の東西文明対抗史観の成立基盤が消滅してしまったことから、戦後は専ら、②平泉学派の「皇国護持史観」が、「皇国史観」として、マルクス主義者や戦後民主主義者といった左翼から、批判・中傷されることになった。 左は、2009年5月に放映されたNHK特集JAPANデビュー第二回【天皇と憲法】。「皇室廃止」を狙うNHKを始めとする左翼の本音がたまたま表に出た貴重な番組の動画である。※動画の平泉澄の「皇国護持史観」は、日本一国主義(非アジア主義)的史観であり、その内容を一言で表現すればわが国体こそ、寛容で価値多元的な日本的世界(日本的公共性)のコアである。日本国民はこれを護り続けなければならない。ということに尽きる。これは『国体の本義』の論旨そのものであって、何ら左翼から中傷される云われはない。 チャンネル桜で放送された上記動画の検証番組。国体論とは少し外れるが、NHKなど戦後左翼の欺瞞振りを詳しく確認できる。 丸山眞男と平泉澄 昭和期日本の政治主義 植村 和秀(著) 柏書房 (2004/10)単行本 目次 第1章 政論記者丸山真男第2章 歴史神学者平泉澄第3章 正統の争い―平泉澄と丸山真男第4章 平泉澄における忠誠と反逆第5章 丸山真男にとっての忠誠と反逆第6章 昭和期日本の政治主義 ★評価丸山眞男といえば、進学校の学生が全共闘世代の教師に「夏休み(冬休み)の課題に『日本の思想』(岩波新書) の中の一章を読んで感想を書け」と言われて、面白くも無いヘンテコで拗けた文書を読まされて難儀するのがオチの“戦後日本を代表する政治思想家”なのだが、そうした丸山の思想に半ば洗脳されていた著者(京産大法学部教授、ドイツ政治思想史専攻)が、京都の古本屋でたまたま、丸山眞男と思想的に対極にある平泉澄の戦前の著作を手に取り、その流麗な文体・精緻な論理構成に打たれて、可能な限りの事実検証・文献検証を重ねて両者の思想的対立の根源に迫った好著。「筆者には丸山眞男も平泉澄も、その支持者の多くのように、無条件に支持することはできない。丸山には心情的には共感できるが、しかし論理的には納得できない。平泉に論理的には共感できるが、しかし心情的には納得できない。それにもかかわらず、丸山と平泉の思想史的な意義の重さと、人間的な偉大さとは、素直に承認したい。」(著者:植村氏)…丸山眞男的あるいは進歩派文化人的な「戦後民主主義」思想にドップリ漬かった人への解毒剤としてお勧め。また昭和初年~昭和40年頃までの日本の思想状況の本当の所を知りたい人にもお勧めしたい。「生きて皇室を守るべし。雑草を食っても生きよ」終戦前後の混乱期における平泉同学の知られざる奮起、まさに大日本帝国の殿(しんがり)としての貢献、阿南惟幾・下村定の陸軍最後の二人の陸相と平泉博士とのエピソードも興味深い。相当にハイレベルだが、“理論派保守”を目指す人は是非挑戦してほしい。amazonブックレビューも参照のこと。 昭和の思想 植村 和秀 (著) 講談社選書メチエ(2010/11)単行本 内容(「BOOK」データベースより)「戦前=戦後」だけでなく、昭和はつねに「二つの貌」を持っていた。皇国史観から安保・学生運動まで、相反する気分が対立しつつ同居する昭和の奇妙な精神風土の本質を、丸山眞男・平泉澄・西田幾多郎・蓑田胸喜らの思想を元に解読する。 目次 第1章 日本思想は二つ以上ある第2章 思想史からの靖国神社問題―松平永芳・平泉澄第3章 思想史からの安保闘争・学生反乱―丸山眞男第4章 思想史からの終戦と昭和天皇―阿南惟幾・平泉澄第5章 思想史からの世界新秩序構想―西田幾多郎・京都学派第6章 思想史からの言論迫害―蓑田胸喜第7章 二〇世紀思想史としての昭和思想史★評価上記『丸山眞男と平泉澄昭和期日本の政治主義 』が内容的にハイレベルすぎて、初心者のみならず中級者でさえ中々に読みこなせないという難点に答えるかのように2010年秋に出版された簡潔な昭和期政治思想の概略本。 ■5.所謂「国体主権」論について 明治憲法体制は、天皇主権でも国民主権でもなく(英米法の「法の支配」に似た)「国体主権」である、と云われることがある。 確かにその論には一理以上のものがある(※佐藤幸治『憲法 第三版』にもそうした記述がある)のだが、「君主といえども神と法(=国体)の下にある」という建前を採るとしても、大東亜戦争の終戦を決定した聖断のケースに見るように、日本においては慣習的にみて「国体の最終判定権者=天皇」でしか有り得ない(神の権威も国体も天皇が代表しているため)のであり、結局は、「国体主権=天皇主権」となると思われる。(西洋的な絶対君主という意味ではなく、「国体の最終判定権者」という意味で) 昭和初期~戦中に、天皇=主権者とされたのは、この意味においてである。 なお、ドイツの代表的政治学者・憲法学者カール.シュミットの定義によれば「例外状況下で決定を下す者を主権者という」とされ、2.26事件やポツダム宣言受諾のケースにおける天皇は、この定義にピタリと該当するほか、実は「議会主権」と云われるイギリスにおいても「議会における女王の制定するものが法である」というルールが同国の法体系の「究極の認定(承認)ルール」とされている(ハートの法概念論⇒詳しくは よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) 参照)。 (※なお、アメリカでは連邦最高裁判所が最終決定権者とされている。) こうした国体の法的把握(=国体法 constitutional law、国制)に関して、詳しくは、日本国憲法改正問題(上級編) を参照。 ■6.ご意見、情報提供 ↓これまでの全コメントを表示する場合はここをクリック +... 以下は最新コメント表示 名前 ラジオボタン(各コメントの前についている○)をクリックすることで、そのコメントにレスできます。 ■左翼や売国奴を論破する!セットで読む政治理論・解説ページ 政治の基礎知識 政治学の概念整理と、政治思想の対立軸 政治思想(用語集) リベラル・デモクラシー、国民主権、法の支配 デモクラシーと衆愚制 ~ 「民主主義」信仰を打ち破る ※別題「デモクラシーの真実」 リベラリズムと自由主義 ~ 自由の理論の二つの異なった系譜 ※別題「リベラリズムの真実」 保守主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ ナショナリズムとは何か ケインズvs.ハイエクから考える経済政策 国家解体思想(世界政府・地球市民)の正体 左派・左翼とは何か 右派・右翼とは何か 中間派に何を含めるか 「個人主義」と「集産主義」 ~ ハイエク『隷従への道』読解の手引き 最速!理論派保守☆養成プログラム 「皇国史観」と国体論~日本の保守思想を考える 日本主義とは何か ~ 日本型保守主義とナショナリズムの関係を考える 右翼・左翼の歴史 靖國神社と英霊の御心 マルクス主義と天皇制ファシズム論 丸山眞男「天皇制ファシズム論」、村上重良「国家神道論」の検証 国体とは何か① ~ 『国体の本義』と『臣民の道』(2つの公定「国体」解説書) 国体とは何か② ~ その他の論点 国体法(不文憲法)と憲法典(成文憲法) 歴史問題の基礎知識 戦後レジームの正体 「法の支配(rule of law)」とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 立憲主義とは何か ※概念/理念定義、諸説紹介 まとめ 「正義」とは何か ~ 法価値論まとめ+「法の支配」との関係 正統性とは何か ~ legitimacy ・ orthodoxy の区別と、憲法の正統性問題 自然法と人権思想の関係、国体法との区別 「国民の権利・自由」と「人権」の区別 ~ 人権イデオロギー打破のために 日本国憲法改正問題(上級編) ※別題「憲法問題の基礎知識」 学者別《憲法理論-比較表》 政治的スタンス毎の「国民主権」論比較・評価 よくわかる現代左翼の憲法論Ⅰ(芦部信喜・撃墜編) よくわかる現代左翼の憲法論Ⅱ(長谷部恭男・追討編) ブログランキング応援クリックをお願いいたします(一日一回有効)。 人気ブログランキングへ
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【名前】天皇陛下 【大きさ】成人男性並み 【攻撃力】十七条拳法を自在に使いこなす伝承者 冠位十弐拳:濃淡それぞれ紫、蒼、赤、黄、白の貫通力に優れた光線を撃つ 神風拳:突如暴風雨が発生する技であるあらゆる艦隊を壊滅させる恐るべき技 現人神拳:神の血を受け継いだ者にのみ許される技、対峙した者の悪の心を消し去る 天岩戸拳:太陽を隠す、地上には永い冬が到来する。恐竜を絶滅させた技である 出雲拳:全宇宙の神々を呼び寄せ会議を行い最適な道筋を示す 諏訪拳:神湖の力によりあらゆる物を濁流に消し去る、残るのは肥沃な土地である 八咫拳:三種神技の一つ、太陽の持つ絶大なエネルギーを直接照射、炎の雨が降る 八尺拳:三種神技の一つ、八咫拳を月面を介して行う夜間専用 叢雲拳:三種神技の一つ、雲霞のごとく剣を飛ばす、5万の軍勢を瞬く間に殲滅する 天照拳:皇祖の力を借り新たな神を生み出すが詳細は不明である 素戔拳:視界に入るものすべてを破壊する技、神を倒すことのできる唯一の奥義 欠史八代拳:存在を消しさる技、八代にわたる研究により開発されたが・・・ 日ノ本拳:日ノ本一の兵を復活させると言われている、六文銭が三途の川を渡す 大和拳:46cm砲を絶え間なく撃つ。以前この技を真似た最強戦艦が建造された 天孫降臨拳:隕石を落とし攻撃する、メテオストライク 天地開闢拳:歴代の陛下の力を借り戦闘力を125倍に増加させる 万世一系拳:十七条拳法の究極奥義、まばゆい光を伴い歴代の陛下が登場する 【防御力】自身攻撃を全て跳ね返されても影響なし バリア;その攻撃に対して自動で張られるバリア。物理攻撃を無効化してしまう 【素早さ】時間無視行動可能 反応速度と移動速度は超人よりもはるかに凌ぐほど 【特殊能力】時間をも支配しているので任意で時間停止可能 全知全能であり、自分の望んだ世界を自由に創造できる この行為に対して全知全能の神さえも天皇陛下の言われるがままになった よって全能超え 「天皇殺す」と相手が発言した場合 自動勝利 【戦法】物理攻撃が有効なら素戔拳 効かなければ現人神拳 それでも勝てない場合、万世一系拳を使用 【補足】歴代の天皇は天皇陛下を軽く凌駕する存在で天皇陛下でさえも全く攻撃を当てられない
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【講義名】日本政治思想史 【担当者】金井(隆)師 【問題】Ⅰ→予告あり(4題) Ⅱ→予告なし Ⅰ:以下の2問の内、1問選択解答(論述) 1.尊王攘夷運動から戊辰戦争、明治維新に至る経過のなかで天皇が果たした機能について説明せよ 2.明治維新以降の近代的天皇のあり様について、国民国家形成と関連付けて説明せよ Ⅱ:語句説明 1.ウェスタン・インパクト 2.万世一系の皇統 3.朱子学的名分論 4.違勅調印問題 5.東京遷都 【補足】 出席毎回・夏季(必須)、任意(3回)レポート有り