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登録日:2015/03/07 (土) 15 39 39 更新日:2024/01/03 Wed 22 14 06NEW! 所要時間:約 6 分で読めます ▽タグ一覧 He111 どうしてこうなった ドイツ軍 ナチス ネタ機 爆撃機 第二次世界大戦 ドイツを代表する爆撃機。果たしてその内容は He111とは、1935年から運用が開始されたナチス・ドイツの双発爆撃機である。 ◆本機の開発 第二次世界大戦が始まる前のドイツでのお話。 当時、ヴェルサイユ条約の影響で軍事兵器の開発がほとんど出来なかった。しかし、政権を握ったナチ党により下積みという形で再軍備が行われた。 戦車が農業用トラクターという名前で開発されていたように、軍用機もまた民間機として開発が始まった。 そして、ハインケル社は民間輸送機名目で爆撃機の開発を決行。こうして開発されたのがHe111である。 世間からは民間機に見えるように、先に輸送型のC型が作られたのである。 1935年2月24日に初飛行した機体は、貨物輸送にフル活用され、世間は物資を運んで飛び続けるHe111を輸送機と見るようになった。 その後、爆撃機タイプであるA型が開発され、裏でこそこそと飛行研究を始めた。 が、輸送機より重量が増加したため巡航速度が遅くなる始末。これでは敵機に捕捉されれば逃げ切れず、「爆撃機を高速で飛ばせ。戦闘機を振り切れ!」というドイツ空軍の要求を満たせない。 そこで新たに開発されたB型にはダイムラーベンツ社が新開発した1000馬力級のDB600Aエンジンが搭載され、優秀な成績を収めるとどうにか軍に正式採用されたのである。 ◆ドイツ空軍の爆撃機事情 ドイツ空軍の要求通りにHe111は当時の爆撃機としては非常に速く、空軍の要求を満たした双発(エンジンが二つ)爆撃機である。しかししばしば、以下のような批判を浴びる。 なぜドイツ空軍は主力爆撃機を大型の4発機にしなかったのか。 しかし、まずHe 111が初飛行した直後は、双発機でもなんら問題視されていなかった。 翌年1936年には、ドルニエ社が大型爆撃機開発計画である「ウラル爆撃機計画」に則ったDo19が初飛行を済ませ、その翌年には競合機のJu89やFw 200コンドルが完成しており、既に4発機の枠は埋められていたのだ。 He 111はこれらの後に続く形で爆撃を行う予定だったのであり、無茶な使われ方などされるはずがなかったのだ。 ……その予定だったのだが、ドイツの事情はソレを許さなかった。 例えばDo19やFw200が採用したエンジンは出力800馬力のBf132。つまりDB600Aの8割程度の出力しかない。 これじゃいかん、とFw200は途中から1000馬力級のブラモ323(*1)に採用したのだがコレがまた燃費の悪さで知られていたり……と、とにかく(He111も没にしかけた)ドイツ製エンジンの非力さは、4発爆撃機開発にあたり大きな制約であったのだ。 また当時のドイツにとって最大の脅威とされたポーランドやフランス相手ならば、4発機よりも安価で数を揃えやすく、一機当たりの資材も少なく済む双発機の数を揃えたほうがよい、と考えられた。 おまけにドイツ空軍ははどっちかといえば「地上軍を援護するための『戦術空軍』」としての能力を整えるように求められ、「爆撃機が長距離疾駆し敵の拠点や都市を爆撃する『戦略空軍』」としての能力に特化することが出来なかった。 なにしろドイツは平地続きで陸軍の展開はた易い。たとえ相手の都市をフルボッコにしても、その効果が出る前に敵陸軍がドイツ国内を荒らしまわってしまっては意味が無い。ついでにウーデットとかいう急降下爆撃機バカもいたし。 そして止めとばかりに大型爆撃機に熱心であったヴァルター・ヴェーファー将軍の事故死によってウラル爆撃機計画は棚上げされ、後についたアルベルト・ケッセルリンクは双発戦術爆撃機の量産化が優先、この様な大型機は製造されなくなったのである。 Fw200もそんな具合だったので空軍からの反応は芳しくなく、戦争が始まってから慌てて軍用機へ転用される始末であった。 そんなこんなで、He111は双発のまま戦力化されてしまい、この様な遠くまで飛べない機体をもってドイツは戦争を始めることとなる。 ◆初陣 早速、このHe111は1937年のスペイン内戦で初めて投入された。 この戦いは西班牙人同士の内乱であるが、共和国側と反政府側に分かれており、それぞれの陣営を前者がソビエトやメキシコが、後者をイタリア、ドイツ、ポルトガルが支援しており第二次大戦の前哨戦ともいえる状況だった。 しかし、支援する側は新兵器の実験場という色合いが濃く、ドイツ側はHe111と共にBf109、Ju87も進出させている。これらの軍用機で構成された軍団は「コンドル」と呼ばれた。He111は、優れた運動性と速度で共和国側を一掃したのである。 まあ、反政府側に対して迎撃に上がってきた機体と言えば、I-15やI-16、I-153といったそんなに強力な武装を持っていない機体であり、特に穴だらけになっても墜落した機体は少なかったという。更に、Bf109が本気を出して一撃離脱戦法を実施したため共和国側の航空戦力はすり減らされていった。 こうして、地上での支援により共和国側はどんどん戦意を落としていき反政府側は勝利を収めたのである。 ◆第二次世界大戦 そして、第二次世界大戦を迎えたのである。 当初よりポーランド軍を駆逐するために電撃戦の一環として投入された。主な任務は地上軍を支援することである。その身軽な機体であることを利用して敵の迎撃をしのいだり相手の陣地を爆撃するのに用いられた。まあ相手がそんな高性能な機体を持っていなかったのが不幸中の幸いでしたけどね。 その後、返す刀でフランスにも勝利し、いよいよ1940年にイギリスへと照準を合わせたのである。これを「バトル・オブ・ブリテン」と呼ぶ。 しかし、ここでHe111は双発機ゆえの限界を露呈する 敵地を叩くHe111の爆弾の搭載量は最大でも2.5t。これはドイツ本土への爆撃に使用される連合軍のB-17の3.6tやアヴロ ランカスターの6.4tよりも少ないのである。 よって、敵陣を完全に叩くには複数の機体で何十回も攻撃を繰り返さなければならないのである。当然、出撃回数が増えれば機体の損失も搭乗員の疲弊も計り知れない。最大の売りである高速飛行も時期と共に大型化し重くなる爆弾によって殺された状態になった。 一応、前述のFw200はこの地点でもあるにはあったが、バトル・オブ・ブリテンの地点でも生産数は50機に満たなかった。 護衛するBf109にしても、燃料搭載量が少なく、引き返す分の燃料を考えれば護衛するための滞空時間が短くなる。護衛機ならBf110双発爆撃機もあるじゃなかって?加速性能も旋回性もお察しな時点でどうしろと。 こうしてHe111は長距離飛行を何十回も続けねばならなくなったのだ。人にたとえるなら、短距離走の選手が、長い距離でシャトルランをやらされるようなものである。 最初の内は、ドーバー海峡沿岸部の基地を叩くために用いられており、護衛に必要なBf109の航続距離も問題視されなかった。 が、次第にイギリス軍も迎撃態勢を整えると損害が急増。さすがに後のワンショットライターほどではないが、防護銃座の死角を狙うスピットファイアによって次々と撃墜され火達磨に。特に、Bf109が離れた隙を突いてスピットファイアが乱闘するようになり、さすがのHe111も1~3機は撃墜できても多数機で迫るスピットファイアには対処のしようがなかったのだ。 そして、He111は遂に重大なことをやらかしたのである。ドイツ空軍による搭乗員のことを無視した連続した攻撃にイギリス空軍も引き始めていた頃、1機のHe111が航法ミスによりロンドン市内を誤爆してしまう。 よってイギリス側は仕返しに爆撃隊を出動させ夜間にベルリンを空爆。突然首都を爆撃されたことにより戦争の指揮官であるヒトラーも空軍司令官であるゲーリングも顔面蒼白に。 そして我に返るやいなやブチ切れたヒトラーの手で爆撃目標は敵の基地から市街地に切り替えられてしまった。 これによって連日のドイツ空軍によるフルボッコで麻痺していたイギリス空軍に回復の時間を与えてしまい、以後の戦局に重大な影を落とすようになった。 まあ、なぜここまでドイツ空軍が苦悩したかと言えば、勢いと和平の失敗でイギリスを叩きのめそうとしたヒトラーとドーバー海峡という幅の狭い海域に制空権を見いだそうとした上層部にあるんですけどね。 ◆その後 イギリスを空爆した後、ドイツ軍はその兵力をソビエト連邦に向けた。これが独ソ戦の始まりである。 開戦直後のソ連空軍は練度も低ければ機体をカムフラージュしていないというのが当たり前だったので好き放題に攻撃できた。よって、バトル・オブ・ブリテンのような損害は少なく済んだのである。 42年のスターリングラード攻防戦では友軍への空中補給任務を行っている。が、ユンカースが開発したJu88が戦績を伸ばすようになり、He111は次第に夜間爆撃やミサイル母機、偵察や雷撃といった方向に使われるようになる。これは東部戦線も同じで1943年から任務を夜間爆撃に切り替えたという。 ◆余談 対艦ミサイルを発射したり魚雷を投下したりする型など、主力機だけあって様々な派生型が存在するが、その中でMe321とよばれるグライダーを牽引するための「Z型」がある。これは、2機の機体を中央主翼で横に繋ぎ合わせて5発のエンジンを装備する機体にしたというもの。まあ言うまでもないが、その姿を遠くから見た連合軍のパイロットは、見たこともない機影だったこともあって恐怖のあまり逃げ回ったという。しかし、そのグライダーが動力を持った以後は引っ張る必要がなくなったため、地味な存在になってしまった。 まあ4発機で爆撃できなかったけどこの地点で面目は保たれたかな・・・・。 また、本機は一度Ju87に続いて、日本に輸出される可能性があった。 ちょうど日本は支那事変を迎えており、重爆撃機として九三式を保有していたが、これは旧式化しており配備が遅れている九七式重爆までの埋め合わせとして、He111の購入をドイツに打信していたが、なんとドイツ軍側から購入を拒否されてしまった。結局この空白はイタリアのイ式重爆で賄われることになる。 He111の後継機はHe117であるが、こちらは稼働率が低くHe111が終戦まで使われ続けるようになった。その結果、本機は最高7,603機という生産量を記録している。 ◆戦後 終戦後も海外でライセンス生産されたものが配備された。これがCASA 2.111と呼ばれる型式で、バトル・オブ・ブリテンを題材にした映画「空軍大戦略」にも出演している。今でもドイツ空軍の中枢であり、その中で本国が東西に分裂したり第三次大戦の危機があったりと波乱の人生を送ったが、今でも元気な彼らが国を守り続けている。まあJu88やJu390より機数は少ないでしょうけどね。 追記・修正は4発機にしてからお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] なんかわかってるようでわかってない。He111が四発だったら電撃戦は成立してないぞ。当時のドイツに四発重爆は不要どころか有害なんだよ。 -- 名無しさん (2015-03-07 18 58 37) 四発機なんてそれこそ持てる国じゃないと満足に扱えない。稼働率や生産性のハードルが高い -- 名無しさん (2015-03-07 21 04 35) 戦中日本は四発機を作ったが試作段階で終了。ドイツは確かにFw200を投入したが、生産数は200機程度、他の機体も大して造られず、ソ連も似たり寄ったり。米英、特に米は四発機を多数作ったが、これは技術と生産力が十分にあったから。四発重爆は他の戦闘機等を作りながら作れるだけの工業力が必要。だから日独は四発機は無理 -- 名無しさん (2015-03-08 01 17 02) He111の4発機化をしなかったことを失策のように書いてるけど、4発機が欲しいならDo19の開発を続けるだけでよくね?その場合ポーランドとフランスがどうなるかは知らんけど -- 名無しさん (2016-04-07 23 52 49) 流石に4発贔屓だったので前半を中心に弄ってみた。とりあえずこんな感じでどうだろ…… -- 名無しさん (2016-04-26 20 36 37) 名前 コメント
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初めに 〇ドイツ軍 〇日本軍 初めに このページは各種陸海空軍のサンプルへのリンクページです。 各ページにサンプルがありますので、目的のページに移動してください。 〇ドイツ軍 マスコンバット・ドイツ陸軍サンプル マスコンバット・ドイツ海軍サンプル マスコンバット・ドイツ空軍サンプル 〇日本軍 マスコンバット・日本陸軍サンプル マスコンバット・日本海軍サンプル
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GUNDULA RALL 所属カールスラント空軍第52戦闘航空団第8中隊(時期不明) カールスラント空軍第52戦闘航空団第3飛行隊司令(1944年末) 階級中尉(JG52所属時) 大尉(1944年末) 少佐(1944年末の第502統合戦闘航空団所属時) 身長 169cm 年齢 18歳 誕生日 3月10日 使い魔 狼 使用機材メッサーシャルフ Bf109G-2(黒の13号機) メッサーシャルフ Bf109K-4 使用武器MG42 その他優れた統率力と技量を持ち、ハルトマン、バルクホルンに次ぐカールスラント空軍第三位(=人類三位)撃墜記録を持つグレートエース。250機撃墜を達成したのはこの2人よりも早く、全世界で2番目である。 空戦においては見越し射撃の名手で、芸術的な空戦技能を持つ。 カールスラント撤退戦において、撃破したネウロイの破片で視界を遮られるという不運から被弾し脊髄骨折の重傷を負う。再び空を飛ぶのは不可能と言われたが、治療ウィッチの手を借りた懸命の治療と不屈の闘志によるリハビリで、9ヶ月後原隊に復帰。 この入院期間中、後に第31統合戦闘飛行隊「アフリカ」隊長となる加東圭子の取材を受けている。(アフリカの魔女) 完治したとはいえ空戦時のGは身体に堪える為、古傷を保護するように魔法繊維で編まれたコルセットを着用している。 復帰時、原隊はバルバロッサ作戦に参加してペテルブルグ方面で戦闘を続けていたが、そこで他のエースに負けないよう出撃を繰り返し、撃墜数を急速に伸ばしていった。 同作戦の中止後、同地に第502統合戦闘航空団が設立される際に、優れた指揮能力を買われて司令に任命された。現場指揮は戦闘隊長のポクルイーシキン大尉に丸投げしており、責任は自分が取るが、行動は部下の意見を尊重するという方針を明確にしている。 鋭い人物観察眼を持つ。問題児扱いされていたマルセイユの才能を逸早く見抜いた。 第502統合戦闘航空団結成にあたり、クルピンスキー、管野直枝、カタヤイネンの「クラッシャー3人組」を招聘。 性格はさばさばした姉御肌で、どんなに厳しい状況でも笑みを忘れずに周囲を安心させる豪胆さを持っている。 声優 佐藤利奈 イメージモデル ギュンター・ラル (1918-2009)撃墜数 275(ドイツ空軍第三位) その他見越し射撃の名手。 空戦で2度の重傷を負い、それぞれ長期の入院生活を強いられ、その間前線からの離脱を余儀なくされた。そして、これらの負傷の影響により第一線の戦闘機パイロットとしての寿命を縮めた。なお、1度目の重傷で背骨を3ヶ所も折る怪我を負った際に治療してくれた医師が後の妻のヘルタ。 戦後は再結成されたドイツ空軍に入隊して中将まで昇進。ドイツ空軍総監も務めた。 出典 アフリカの星/第五〇一統合戦闘航空団全記録 第六集/next world witches/第五〇一統合戦闘航空団要略増補記録集/第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第六集/TVアニメ『ブレイブウィッチーズ』(2016年)
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BF1918の航空兵器 目次 戦闘機 爆撃機 飛行艇・水上機 飛行船 その他 戦闘機 ニューポール 11 ベベ Nieuport 11 "Bébé" スパッド S.VIISPAD S.VII エアコー DH.2Airco DH.2 ロイヤル・エアクラフト・ファクトリー S.E.5aRoyal Aircraft Factory S.E.5a ソッピース キャメル F.1Sopwith Camel F.1 ソッピース キャメル F.1イギリス空軍 アーサー・ロイ・ブラウン搭乗機仕様Sopwith Camel F.1 (Arthur Roy Brown) アルバトロス D.VAlbatros D.V ハルバーシュタット D.VHalberstadt D.V フォッカー Dr.IFokker Dr.I フォッカー Dr.Iドイツ空軍 マンフレート・アルブレヒト・フォン・リヒトホーフェン "レッド・バロン" 搭乗機仕様Fokker Dr.I (Manfred Albrecht Freiherr von Richthofen "Red Baron") フォッカー Dr.Iドイツ空軍 フリッツ・ケンプ搭乗機仕様Fokker Dr.I (Fritz Kempf) フォッカー D.VIIFokker D.VII 爆撃機 ブレゲー 14B.2Breguet 14B.2 エアコー DH.4Airco DH.4 アルバトロス C.IIIAlbatros C.III コードロン G.4Caudron G.4 ハンドレ・ページ O/100Handley Page O/100 ゴータ G.IVGotha G.IV 飛行艇・水上機 フェリックストー F.2AFelixstowe F.2A ハンザ・ブランデンブルク W.29Hansa-Brandenburg W.29 飛行船 ルボーディ ラ・レピュブリックLebaudy La République ツェッペリン L30Zeppelin L 30 その他 エトリッヒ タウベEtrich Taube 観測気球Observation Balloons
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登録日:2010/04/30 (金) 21 11 58 更新日:2020/10/07 Wed 23 43 05 所要時間:約 2 分で読めます ▽タグ一覧 Ju88 ドイツ ルフトヴァッフェ ロンメル 兵器 爆撃機 第二次世界大戦 航空機 軍事 Ju88は、第二次世界大戦前から終戦までドイツ空軍で使用された中型双発爆撃機。 ドイツ空軍の主力爆撃機・主力攻撃機・夜間戦闘機の他、偵察や無人特攻機にも使用された。 ■概要 ドイツ航空省は、1935年に「戦闘機より早い爆撃機を」のコンセプトで、800Kg爆弾を搭載でき、500Km/h以上の速度を出せる爆撃機の開発を航空各社に要請した。 1936年12月に初飛行したJu88は、設計時点から多用途性を考慮されていたため、爆撃・護衛・対地対艦攻撃・偵察・輸送・ミサイル誘導母機等の任務をこなすことになった。 当初製造された4座爆撃機型は、1800Kgの爆弾を搭載できたが、燃料が少なく、航続距離が短かったため、後に燃料タンクを増やす改造が行われている。 大戦初頭から各種任務に従事しており、前線では必ずしも満足いく機体ではなかったが、それなりに優秀な能力があり、ある程度の戦果を上げていたことから、特に大戦中期以降He111が一線を退いてからはその穴を埋める活躍を見せた。 ■機体データ 『Ju88A-4』 全長 14.40m 全高 4.85m 全幅 20.00m 翼面積 54.50㎡ 自重 9860Kg 最高速度 470Km/h 細大重量 14000Kg 上昇限界 8200m 航続距離 2700Km 巡航速度 300Km/h エンジン ユモ211J-1×2 武装 7.92mm機銃×6(爆弾最大2000Kg) 追記・修正は偵察してお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 良い機体だと思うんだが、Ju87に比べると知名度はどうしても下になるかなぁ -- 名無しさん (2014-04-04 23 55 21) 名前 コメント
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メカニック/ソニックダイバー/バッハシュテルツェV-1 Bachstelze V-1 ドイツ空軍から派遣された青灰色のソニックダイバー。 エリーゼの搭乗機。 Bachstelze とはドイツ語で「セキレイ(鳥)」のこと。 日本の技術開発本部の基本設計資料を元に、ドイツ空軍を含む八カ国からなる西ヨーロッパ方面軍の独自の機体としてアンダーシュテルツェの開発が進められていたが、鉱物資源の不足、コストの削減から、汎用性の高い量産機として大幅に設計が見直されたものがバッハシュテルツェである。 基本フレームは日本のGシリーズと同様のものを採用している。 しかし、西ヨーロッパ基地の壊滅により、生産工場も打撃を受け、再建が数年は不可能になったため、制式量産モデルながらたった一機のエリーゼ専用機として扱われることになった。 制式モデルなだけに、試作機(Gシリーズは量産試作機である)よりも完成度は高いらしい。 量産機なだけに、各パイロットに合わせて調整されている試作機よりも汎用的で、調整がしやすい。 武装は標準で腕部に可変出力レーザー砲を装備している。 肩部に補助エンジンを積んでおり、全体の出力不足を補っている。 マニピュレーターは量産型ということもあるが、日本ほど「手」の形にこだわらなかったためシンプルな形状となっている。 日本に到着後、対ワーム実戦運用は遅れたが攻龍内で最終調整、デルタロック戦術システムが搭載され、ソニックダイバー隊はより大きいワームに対抗できる4機によるクアドラロックが可能になった。 日本の試作量産機Gシリーズよりも角張ったフォルム、短い主翼が特徴的である。 国籍マークはドイツ機を表すバルケンクロイツ(棒十字、桁十字)。 通称バッハ。 武装 腕部 可変出力レーザー砲×2 脚部ハードポイント(MVランス・MVソード・アンチマテリアルライフル・ミサイルポッド等) 島田フミカネ氏による説明と非公式設定 http //humikane.asablo.jp/blog/2007/09/07/1779022
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専務 アメリカ合衆国大統領 マイケル・ウィルソン・Jr. 駐日ロシア大使 ザンギエフ 碇シンジ 楼禅蒼星石 海軍憲兵中尉 ドイツ空軍総監 ベルフェクティ 中将 入速出秀吉 瑞雲師匠 球磨川禊 静かなる狼 蛇
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【ジョセフ・ジョースターwithドイツ軍の戦闘機】 【作品名】ジョジョの奇妙な冒険 第2部 【ジャンル】漫画 【名前】ジョセフ・ジョースターwithドイツ軍の戦闘機 【属性】波紋使い 【大きさ】ドイツ軍(当時1939年)の戦闘機並み、本人は身長195cm 【長所】機転が利く 【短所】すぐに墜落する 【備考】カーズ戦の戦闘機に乗った状態で参戦。一応操縦している。 【備考2】第二次世界大戦のドイツ空軍の代名詞メッサーシュミットは当時のは幅9.92M。 参戦 vol.1
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組織・地名 藍沖島 一条艦隊(北方戦爆艦隊) 追浜基地 階級 春日基地 技術開発本部 呉 整備班 ソニックダイバー隊 ソニックダイバーレスキュー隊 第十三航空団 大本営 丹沢 ドイツ空軍 統合人類軍 西ヨーロッパ基地 日本海軍 ビックバイパー隊 横浜基地
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登録日:2011/01/23(日) 22 46 17 更新日:2024/04/05 Fri 19 51 39NEW! 所要時間:約 4 分で読めます ▽タグ一覧 ドイツ ナチス バズ・ボム 兵器 報復兵器1号 空軍 軍事 飛行爆弾 Fi103とは、通称「飛行爆弾」もしくは「バズ・ボム」と呼ばれた、第二次世界大戦中にドイツ空軍が開発したV1飛行爆弾の事である。 ◇開発の経緯 1933年頃、フィゼラー社はドイツ空軍に対し「無人爆撃機」の開発を提案する。 もっともこの時は誘導性能や航続能力等の点から、現実的ではないと、感心を示されなかった。 しかし1942年6月、ドイツ空軍はフィゼラー社に対し「パルスジェット推進による無人飛行爆弾」の開発を命じた。 この理由は、イギリス本土に対する爆撃機の戦果が期待できない問題や、陸軍のA4ロケット(V2ロケット)に対する対抗、ヒトラーの思いつき(*1)、等と言われている。 1942年12月、Fw200により初の投下実験が行われ、同月カールスハルゲン実験場よりバルト海に向け試射された。開発を命じられてから6カ月という早業ではあるが、単純な構造であった事などが理由である。 陸軍のA4ロケット(V2ロケット)と、どちらを採用するかは、新たに設置された長距離攻撃委員会に委ねられる事となったが、この完成によって先行していたFi103が外れることは無いと思われた。 1942年5月26日、委員会はペーネミュンデで発射実験を見学し、討議の末どちらも生産することに決定した。この実験は、低い成功率ながら2回中2回成功したA4ロケットと、2回とも目標以前で墜落したFi103という結果であった。 ◇性能など 誘導装置は、ジャイロスコープによって方向を定め、アネロイド気圧高度計によって高度を設定し、機首先端のプロペラ回転数によって距離を算出し、一定距離でエンジンを停止、落下させ突入すると言うもので、ぶっちゃければゴム動力の飛行機である。 なお、パルスジェットエンジンはアルグス社、誘導装置をジーメンス社、発射台をヴァルター社が担当した。 Fi103の特性と機体データ Fi103は前述の様に、小型機の背中後部に筒状のパルスジェットエンジンを搭載した単なる簡易飛行爆弾で、かつ半木製で非常に安価で量産可能だった。 凄まじい騒音を発しながら飛行し、落下を始めると、どこに落ちるかわからない点から、イギリスや、連合国下のヨーロッパでは非常に恐れられていた。 実際に発射されたのは21770発に上り、失敗とされたのが2448発ある。イギリスの死者及び重傷者は24165人であった。着弾率は28%とされる。 このFi103は、時速が600Km/hとイギリスのスピットファイア戦闘機と比べ非常に鈍く、対空砲や戦闘機の機関砲、果ては主翼で叩くなどの方法で迎撃可能であった為、多数のFi103が撃墜されている。 全長 8.32m 全幅 5.37m 全高 1.42m 発射重量 2150Kg 弾頭重量 850kg 最大速度 600Km/h 最大上昇高度 3000m 航続距離 約250Km 動力 As014 パルスジェットエンジン ◇戦略的な価値 上記のように、撃墜が容易であり、多数のFi103が目的地に到達することがなく、失敗作または技術を先取りしすぎた等と批判される。 しかし発射コストが極めて安価であった事、なまじ撃墜出来るために、当時はまだ数が揃っているとは言えないスピットファイアⅨを駆り出さねばならなかった(*2)事、また運用が容易であり、簡易発射台の使用も可能で移動出来るゲリラ的攻撃が可能である事等から、戦後のイギリスにおいては「ランカスター一機を爆撃に回すより効果的」との評価を得た。 貴方様の携帯に追記・修正というプロパガンダを流し、この項目を刻み付けるのであります! △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 名前 コメント