約 252,624 件
https://w.atwiki.jp/zensize/pages/66.html
ジョセフ・ジョースターwithドイツ軍の戦闘機 【作品名】ジョジョの奇妙な冒険 第二部 【ジャンル】漫画 【名前】ジョセフ・ジョースターwithドイツ軍の戦闘機 【属性】波紋使い 【大きさ】ドイツ軍(当時1939年)の戦闘機並み、本人は身長195cm 【長所】機転が利く 【短所】すぐに墜落する 【備考】カーズ戦の戦闘機に乗った状態で参戦。一応操縦している。 【備考2】第二次世界大戦のドイツ空軍の代名詞メッサーシュミットは当時のは幅9.92M。 参戦 vol.1
https://w.atwiki.jp/ifjpnvictory/pages/91.html
☆ドイツ空軍、爆撃・攻撃機(戦後) ●Me2107 1955年登場。P.1100/Ⅳ計画を基に開発された攻撃機 ●Me2124 1970年登場。可変後退翼の戦術爆撃・攻撃機。電子戦機などのバリエーションもある ●Ar343《≒He343》 1945年登場。Ar234の発展型である戦術爆撃機。戦後も幅広く生産・使用される ●Ar4018 西側のベストセラーとなった輸送機 ●Ar4038 対潜哨戒機 ●Ju490 Ju390の改良型。北米戦争でジェット化の必要性を認識しジェット化。Ju590となる ●Ju595 1951年登場。Ju590の再設計型。機関を換装し長距離哨戒機などに今日も多数が使用されている ●Ju3322-Ⅱ 1969年登場。航続距離の問題から少数生産に終わったJu3322-Ⅰを再設計したも超高速爆撃・攻撃機 ●Ju3360 1981年登場。Ju595に代わる本格的な爆撃機として開発。第三帝国崩壊により少数生産で終わる ●He1528 1962年登場。He1525に似た迎撃・爆撃機。ただし、実際には練習・偵察・電子戦機として使用される ●ミラージュ爆撃機 詳細不明。リピッシュ社製作の三角翼機
https://w.atwiki.jp/army2ch/pages/328.html
WW2の独軍は1日休暇を取ってどこかに遊びに行くなんてこともないですよね? 騎士十字章は何をしたら貰えた物なのでしょうか ナチスドイツのヒトラーユーゲントの訓練について知りたいのですが、 WW2ドイツ空軍で「赤いチューリップ」をつけていたのは誰でしたっけ? 第二次大戦の各国のエースの撃墜数 ドイツだけが異常に多いんですがどういった背景があるのでしょう 大戦頃のドイツ軍て、戦車とか自走砲の背中に見張りを乗せる事ってあったんですか? 装甲擲弾兵がどのように運用されたのか、良くイメージが沸きません。 ドイツ海軍の編制を教えて下さい。 ドイツ軍はマルタとかスターリングラードで大量に輸送機を失っていますが、簡単に補充が効いたんでしょうか? ゲーリングが降下猟兵に固執していた理由はなんでしょうか ドイツの砲兵戦力はどの程度だったのでしょうか? ドイツが何故空母を持とうとしたのか、どう使うつもりだったかなどが知りたいのですが ドイツ軍は元帥がやたら目に付きます。ヒトラーの政策でたくさん任命されたんでしょうか WW2時のドイツ海軍の艦名の命名基準ってどうなっていたのですか? ドイツ海軍の旗が鍵十字入りのものに変わった正確な年月日を教えて下さい。 ロンメルが兵站に対してまったくの無知であったと書かれているのですが、これは事実なのでしょうか? スラブ系のドイツ軍人は「優秀なゲルマン・劣等のスラブ」が喧伝されてたヒトラー時代に差別されたりしなかったの? ドイツ空軍の少年航空兵について教えて下さい。 WW2の独軍は1日休暇を取ってどこかに遊びに行くなんてこともないですよね? えと、独空軍のエクスペルテン(撃墜王たちね)の自伝/伝記類が多量に翻訳、出版されておりますので それをお読みになるとよいかと 半年に1回、1週間から2週間程度の休暇があるのが通例で実家に帰ったり友人を訪ねたり、いろんなことに 活用しています 陸軍とか海軍の軍人の伝記では、なぜか休暇に触れてあるものがなかったような(探せばあるかも) (52 23) 部隊単位には違いないけど、師団ほど巨大な戦略単位を後方に下げる機会はそうそうあるものではないですね。 大損害を受けたり新兵器受領して再編される機会に後方に下がることはありますが。 マーケットガーデン作戦のとき、そういう休養部隊だった武装SSによって、 降下した英軍がひどい目にあったこともあります。 普通は小隊とか中隊とかのレベルで交替です。 (52 44) 騎士十字章は何をしたら貰えた物なのでしょうか あと鉄十字章とは違うものなのでしょうか 軍功をたてればいいのだが、判りやすいものはどうしても 戦闘機を何機、戦車を何両と言うことになりがち。 どこどこに支援砲撃した、と言うのは評価されにくい。 (54 864) 鉄十字章と騎士十字章の違いについて……。 騎士十字章のほうが見た目が若干大きいのですが、それ以外の見分け方は佩用の仕方です。 騎士十字章は周知のとおり首からリボンを使ってぶら下げます。このため、 リボン用の大きなループを小さなリングで止めてあります。 これに対して鉄十字章ですが、まず一級鉄十字章は左胸に縫いつけて佩用するため、 小さなループが合計8個勲章の裏に取り付けられており、表からは見えません。 二級鉄十字章は左胸にリボンで取り付けられるよう(実際は略綬かリボンだけを着用する) リボン用リングが取り付けられています。 実際デザイン的にはまったく違いがないので、戦場で佩用する場合二級鉄十字章を改造して 騎士十字章として佩用することもあったそうです。 (54 名無し軍曹 ナチスドイツのヒトラーユーゲントの訓練について知りたいのですが、 特にナチス的に優勢な少年少女を集めて訓練を行うにあたり男女を丸裸ですごさせたというのが、ガセネタなのか本当なのか。 「自然に変える運動」と称して、素っ裸でキャンプとか に連れて行った話は聞いた事がある。 実際は、「優秀なドイツ民族の確保」が目的だったとか。 (55 社 聖 ◆DASH/8Egy6) WW2ドイツ空軍で「赤いチューリップ」をつけていたのは誰でしたっけ? Messerschmitt Bf109K-4 (CED48085) JG52のもので、誰かはちょっと 資料を掘り出さないと不明です。 (57 眠い人 ◆gQikaJHtf2) エーリッヒ・ハルトマン (57 一等自営業 ◆JYO8gZHKO.) 第二次大戦の各国のエースの撃墜数 ドイツだけが異常に多いんですがどういった背景があるのでしょう 1 大戦後半では十分なローテーションを取る暇もなく 連続出撃を行った。 2 敵がやたら多かった。 負けが込んでくるほど一握りのエースを輩出する傾向が強い。 (57 616) 一番の原因は人使いが荒かったこと、戦域が比較的狭いということでしょう。 連合軍の場合、ある程度優秀なパイロットは後方に引き下げて、教育部隊に 配属されることが結構ありましたが、ドイツはとにかく前線で使い続けました。 また、戦域が太平洋などと比べて狭く(陸地でもありますし)、そのことも日本 や米海軍・海兵隊のパイロットの撃墜数と比べても多い原因だと思われます。 余談ですが、西部戦線の米軍のパイロットのなかに、上官のやっかみをかって しまい、死なせることを目的にしょっちゅう出撃させられたパイロットが、エース になってしまったという話もあるそうです。 (57 617) 大戦頃のドイツ軍て、戦車とか自走砲の背中に見張りを乗せる事ってあったんですか? 移動や連絡のために擲弾兵を乗せることはありましたが、見張り専用の人員を 立たせるという事はありません。 (野砲や迫撃砲の破片でぶっ飛ばされますがな。) (58 624) 装甲擲弾兵がどのように運用されたのか、良くイメージが沸きません。 装甲擲弾兵に特別なイメージを抱かれているようですが、 装甲擲弾兵は1943年以降、戦意高揚の為に歩兵(Infanterie)を プロイセン時代の擲弾兵(Grenadier)に改名した際、 自動車化歩兵(Motorisierte-Infanterie)を装甲擲弾兵(Panzergrenadier)と改名したものです。 1.比率というのがわかりませんが、参考までに言えば 戦車師団は戦車連隊1個・装甲擲弾兵2個その他の兵科 装甲擲弾兵師団は装甲擲弾兵連隊2個、戦車大隊1個にその他の兵科 (一部は装甲擲弾兵連隊2個、戦車連隊1個)で編成されていました。 2.自動車化歩兵と変わりはありません。 3.状況により変わります。 4.ドイツ軍が諸兵連合を戦争前から採用し、また戦中連合軍がそれを参考としたように 戦車の単独運用は死角の多い戦車には危険な運用です。 単独運用の例としては、ノルマンディー戦の折、ソード橋頭堡に対し第22戦車連隊が 単独の攻撃を行っていますが、カナダ軍の対戦車砲により大損害を蒙っています。 (61 335) 戦車単独で陣地攻撃するのは相当困難。 塹壕に潜り込んだ敵兵を追い出すにはやっぱり味方の歩兵がいないとヤバイ。 あとは・・・敵兵が戦車に接近するのを防ぐとか。 (61 354) ドイツ海軍の編制を教えて下さい。 国防軍総司令官 | +→ 海軍総司令官(海軍司令長官) | +→ 海軍総司令部(総務局、防衛局、管理局、作戦局、装備局、艦船局) | +→ 東部管区 +→ 北海管区 +→ 東海管区 +→ 潜水艦部隊(Kiel) +→ 偵察部隊(Kiel) | | | +→ 魚雷艇部隊(シュヴィーネミュンデ) | | | | | +→ 防備部隊 | | | | +→ 掃海艇部隊(クックスハーフェン) +→艦隊(Kiel) | | | +→大海艦隊 | | +→装甲艦部隊(ヴィルヘルムスハーフェン) +→ドナウ舟艇隊(ドナウ川) 続き ●大海艦隊 戦艦(個艦行動) 巡洋戦艦(個艦行動) 巡洋艦部隊(個艦行動) 駆逐艦部隊(第1~第8/うち、第1~3は1940年まで、4は1940年までと42年から、5以降は1940年から編成) 水雷艇部隊 (第1~第10/うち、第1は1941年まで、第3は1941年から、第4は43~44年、第6は41年までと43年~44年、第7は40年のみ、 第9は43~44年、第10は44~45年で第8は欠番) 魚雷艇部隊 (第1~11、21~24/うち、第1、3、7、21、22、24は1943年以降、23は欠番) 特設巡洋艦(個艦行動) 補給艦(個艦行動) ●防備部隊(略歴は以下省略) 掃海艇部隊(第1~34、36、38、40、42、44、46、52、54、56、70掃海隊/うち20は戦後編成) 機動掃海艇部隊(第1~17、21、25、30艇隊/うち、25は戦後編成) 特設掃海艇部隊(第1~6、8艇隊) 沿岸防備艇部隊 哨戒艇部隊(第1~20、51、53、55、57、59、61、63~68艇隊) 監視艇部隊(第1~6、8~16艇隊) 駆潜艇部隊(第1~3、11、12、14、17、21~23艇隊) 護衛艇部隊(第1~5、第30~31護衛隊) ●潜水艦部隊 潜水艦部隊(第1~14、18~27、29~33潜水隊/うち、19~27、31、32は練習潜水艦部隊) (133 眠い人 ◆gQikaJHtf2 ) ドイツ軍はマルタとかスターリングラードで大量に輸送機を失っていますが、簡単に補充が効いたんでしょうか? ルフトヴァッフェは、スターリングラードへの空輸作戦のために集められる あらゆる輸送機をかき集め、その総数は850機に達しました。 不足する機体やパイロットを補うために、訓練学校から人員・機材を引き抜くことまで 行っています。 しかし、厳しい寒さや悪天候、未整備の滑走路やソ連側の対空砲火などに阻まれて損耗は激しくなり、 1943年2月の第6軍の降伏までに488機が失われてしまいました。 この損失を埋める生産をドイツでは終戦までついに行うことが出来ず、さらに教官や生徒を 失ったことで輸送機乗員の養成が滞ることになってしまいました。 (148 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) ゲーリングが降下猟兵に固執していた理由はなんでしょうか 自らの権限の拡大と保持のため。 ナチスってのは、ヒトラーの独裁政権であると同時に、 非常に上層幹部の封建領主的な性格が強い。 ゲーリングの空軍&航空産業やヒムラーの親衛隊のように、 案外にヒトラーが執拗に介入してこずに、自らの「王国」のように 振舞える領域があったわけです。 彼らにしてみればその「王国」を拡張したい。 特に、ゲーリングは戦前は国防大臣になるのを渇望していたように、 国防軍(陸軍)もその傘下に収めたがってました。 (その当時の国防大臣ブロンベルクに陸軍関連の経験や知識を半可通呼ばわりされて、 一蹴されてしまいましたが) そこで、新兵種たる落下傘降下兵(降下猟兵)が設立されたときに、 あの手この手で、自らの「王国」である空軍の管轄にしちゃったわけです。 で、一度、手に入れた権限は絶対に離そうとしない。 むしろ、そこから空軍管轄の陸上兵力を拡大するという行為におよび、 空軍野戦師団やら、ヘルマン・ゲーリング装甲師団やらも生まれてくるわけです。 (260 448) ドイツの砲兵戦力はどの程度だったのでしょうか? 第二次世界大戦当時のドイツ軍の師団砲兵は、軽大隊三個と重大隊一個で、 それぞれ10.5cm軽榴弾砲と15cm重榴弾砲で編成されていました。 また、歩兵大隊に所属する二個砲兵中隊が7.5cm軽歩兵砲6門と15cm重歩兵砲2門を 装備していました。 ところが対ソ戦が始まってみると、主力野砲だった10.5cm leFH18と15cm sFH18は ソ連砲兵の主力装備である107mmカノン/152mm重榴/152mmカノンに完全に アウトレンジされてしまいました。 そこで改良型である10.5cm leFH18Mを投入したり、自走化によって射程の短さを補ったりしました。 後継砲の開発にも踏み切っていますが、終戦までに完成しませんでした。 さらに生産量の不足が拍車をかけ、多くの歩兵師団では鹵獲した野砲が支給されていたりしました。 カノン砲(重砲類)と榴弾砲を一緒に師団レベルで運用していたのはドイツだけだったと聞いたのですが、 カノン砲と榴弾砲を一緒に師団レベルで運用していたのは帝政ドイツの時からです。 当時は野砲として7.5cmFk16カノンと10.5cm leFH16軽榴弾砲を運用していました。 再軍備後の国防軍では軽野砲の口径を10.5cmに定めたため、新型カノン砲として 10cm sK18重カノン砲(52口径10.5cm砲)を1933年から生産しました。 しかし、重榴とほぼ同じ重量(5.6t)や威力の低さから次第に第一線から退いて 沿岸警備用にまわされています。 諸外国でも威力が半端なのか10cmクラスのカノン砲はあまり用いられていないようです。 (242 名無し軍曹 ◆Sgt/Z4fqbE) ドイツが何故空母を持とうとしたのか、どう使うつもりだったかなどが知りたいのですが 1933年のヒトラーによる政権奪取後、海軍は軍備拡張を考えますが、そのときに "Carrier Gap"について憂慮しており、その頃から空母に対する基礎研究を行って いました。 1933~34年に掛けて最初のデザインが作られます。 このときは22,000tで35Kts、50機の航空機を搭載するものでした。 ただ、ドイツはVersailles Treatyによってこういった兵器の開発を制限されていました ので、基本設計というかスケッチ程度で終わっています。 1935年に、英国との間で英独海軍条約が結ばれますが、このときに英国の空母の総トン数の 35%である、19,250tを空母用に確保しました。 これを元に、再び設計が行われます。 このときの設計方針は、水上艦の支援として通商破壊戦に乗り出す関係上、水上戦も行える べく、重巡洋艦並の装甲を持ち、夜戦では駆逐艦に対抗可能なように、軽巡洋艦並の砲を持つ と言うものでした。 ただ、この砲力重視という点は、航空機の運用が空軍に任さざるを得ない点があり、しかも、 空母の運用をしたことがないため、仕方ない面もありました。 Z計画全般については、色々な艦船系の雑誌などでしばしば取り上げられています。 25年くらい前の世界の艦船にあったドイツ海軍特集には結構まとまった記事がありましたね。 (163 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ドイツ軍は元帥がやたら目に付きます。ヒトラーの政策でたくさん任命されたんでしょうか ドイツの陸海空元帥一覧 http //www5e.biglobe.ne.jp/~reserch/Dienstgrade/generalfeldmarschall_chart.htm ドイツ陸軍は開戦前元帥は国防軍最高司令官だったブロンベルク一人だった。 開戦後、ポーランド戦役における功労を讃えるということで一気に9人の上級大将を元帥に叙任。 以後どんどん元帥を増やしていった。 陸軍に対する懐柔と、元帥という地位を相対的に低下させようという目的があったとも言われている。 なお元帥になると終身年金、副官と当番兵、個人事務所、地位の象徴である元帥杖が与えられた。 どちらかというと名誉称号的な意味合いが強い。 ゲーリングの国家元帥という称号は彼一人の為に作られた。 (229 423) WW2時のドイツ海軍の艦名の命名基準ってどうなっていたのですか? 戦艦、空母、重巡洋艦は、政治家もしくは軍人の名前(例外はGraf Zeppelin)、 軽巡洋艦は都市の名前、駆逐艦は、国家社会主義労働者党の関係者の名前が多かったのですが、 途中で、Z+連番に変わりました。 水雷艇は、猛禽類や猛獣の名前ですが、途中からT+連番に変わっています。 残りのものは練習艦を除き、英数字+連番になっています。 (229 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ドイツ海軍の旗が鍵十字入りのものに変わった正確な年月日を教えて下さい。 1933年にHitlerが政権を掌握すると、黒赤金の組み合わせは廃止され、黒白赤の旧国旗が復活します。 黒赤金の組み合わせは大統領旗に僅かに残りますが、それも、Hindenburgの死去により、1934年に廃止されます。 1935年、国家社会主義労働者党の党旗を掲げたドイツ船が、米国内のユダヤ人圧迫政策に反対する集団に襲われ、 党旗を毀損したことがきっかけで(この時、米国政府は、この旗は「党旗」であって「国旗」にあらず、と判定して、襲撃者 を起訴しませんでした。 このことも一つのきっかけとなって、1935年9月15日の党大会で、独裁権を手にしたHitlerは、その法令第一号で、国家 社会主義労働者労働党旗をドイツ唯一の官用・公民旗となりました。 (202 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ロンメルが兵站に対してまったくの無知であったと書かれているのですが、これは事実なのでしょうか? 「ロンメルは最高の中隊長であったが、最低の師団長であった」とは戦後の証言でよく言われること。 ロンメル元帥が優秀な指揮官であった事は間違いない。 だが、それは最前線で部隊を率いる「前線指揮官」としての優秀さであって、高位の指揮官に要求 される、「組織を運営する能力」がロンメルには不足していた。 なんというか、「この地形で敵部隊の後方に廻り込むにはどうすればよいのか?」といった事を発想 するのは得意だったが、「一万人の兵士を一週間行動させるには最低でも21万食の食料が必要で、それ を輸送するには*台のトラックもしくは貨車が必要で・・・」といった事を考えたり想像したりする能 力が乏しい人だったようだ>ロンメル元帥 もっとも、その辺を司令官に替わって考えて計画を立てるのが参謀の仕事な訳で,ロンメルの幕僚だっ た人間が戦後その事でロンメルを批判するのは、ちょっと間違ってるような気はする。 「補給戦」の中にそのものズバリ「ロンメルは名将だったか」という章がある。 中身としては、北アフリカ軍団が補給不足で悩んだ原因として一般的に言われる イタリア海軍の努力不足や本国の支援不足といった問題は不当なものであり、 補給不足の主要な原因は 1.ヒトラーおよびOKHからの再三にわたる制止を振り切り 長距離進攻を行ったロンメル(OKHでは「あの基地外」呼ばわり) 2.1の結果として生じた港湾不足および荷揚げ能力の不足 3.1の結果として生じた余りにも長大な陸上輸送距離(主な輸送手段は燃料食いのトラック) であるということを具体的な事例と数値を出して示している。 ざっくり要約しており、見逃してる点があるかもしれないので是非元の本を 確認して欲しぃ。 (206 881-891) スラブ系のドイツ軍人は「優秀なゲルマン・劣等のスラブ」が喧伝されてたヒトラー時代に差別されたりしなかったの? ドイツ国防軍とその母体になったプロイセン軍の将校はスラブ系のユンカー(地主小貴族)が多い。 彼らは主にプロイセンの拡張期に帰化したポーランド人の子孫だけど、自分たちはドイツ人であるという 意識が強く軍や祖国に対する忠誠心も強い。 軍の中核層だから排除なんかできないし、彼らもポーランドやソ連の侵攻時に相手に手心を加えたりはしていない。 またオーストリアも帝国時代は多民族国家だったのでスラブ系やハンガリー系の姓を持つ軍人が多くいる。 もっとも親衛隊だとスラブ系姓ではさしさわりがあるのでフォン・デム・バッハ=ツェレウスキーのように 後半分をとってフォン・デム・バッハと改姓した人もいるけど。 ちなみにドイツに侵攻されたポーランド軍にはドイツ系の軍人が多く、その中にはロンメルの遠い親戚(とも言われる) 同姓のユリウス・ロンメルという将軍もいる。 (724 581) ドイツ空軍の少年航空兵について教えて下さい。 年齢/14歳:68% 15歳:32% 親の職業/一般労働者:28.8%、専門職工:15%、手芸職人:25.1%、会社員:16.1%、官吏:11.8%、無職:3.7% 農業労働体験者:1.9% 兄弟姉妹数/一人っ子:18.2%、1人:29.1%、2人:21.6%、3人以上:31.1% 両親の有無/片親:8.4%、孤児:1.3% (しょうもない知識を披露するスレ11 眠い人 ◆gQikaJHtf2)
https://w.atwiki.jp/rudel/
無料オンラインゲーム「大戦略WEB」その中でスタンダード21と呼ばれる一つの世界。 このwikiは、その世界で活動する連合「ドイツ第三帝国」の記録です。 連合長「ハンス・U・ルーデル」に待つのは栄光か破滅か。伝説が今、始まる・・・・・かも? ハンス・U・ルーデル (1916年7月2日 – 1982年12月18日) 第2次世界大戦のドイツ空軍将校(最終階級大佐)で、ドイツ第三帝国の最高位勲章受勲者。 急降下爆撃機「Ju87」に乗り、東部戦線で奮戦した。 片足を吹き飛ばされても戦い続け、戦後はアンデスも征した伝説の男。 出撃回数2530回(被撃墜回数30回) 破壊した戦車519両 破壊した装甲車・トラック800台以上 破壊した火砲150門以上(100mm口径以上限定) 破壊した装甲列車4両 戦闘不能にした軍艦3隻(戦艦、嚮導駆逐艦、駆逐艦) 沈めた上陸用舟艇70隻以上 落とした航空機9機(戦闘機2機、爆撃機5機、その他2機) 詳しくはアンサイクロペディアを参照されたい 中の人の事 かつてスタンダード9で「ルーデル閣下」としてドイツ第三帝国を建国。 超課金集団にトタンにされるも、不屈の闘志で立ち向かい続けた無課金プレーヤー。 最終的にはガミラス帝国の崩壊と共に姿を消した。 だが、数年の時を経てスタンダード21にて祖国の復興を決意。 新たなる戦いが今、始まる。 同志メーター 合計: - 今日: - 昨日: - トップページの合計: -
https://w.atwiki.jp/mazyugaku/pages/34.html
データ 名前 ハンス・ウルリッヒ・ルーデル 階級 中将、第2戦闘攻撃飛行隊隊長 所属 海軍空母シベリア、よろず屋しべりあ 戦歴 2010年12月22日 アムール連隊との戦闘 敵機と交戦、味方と共に制空権確保 対地上攻撃を行い、特殊部隊を援護 備考 旧ドイツ空軍の爆撃王。なぜか現代に蘇った。 元々探偵事務所に所属していたが、アムール軍との戦闘前に空母に臨時で勤務し始めた。戦闘後は空母に常勤している。 使用機体はJu-87 G-2、Su-33。 元々、地上攻撃機のため空戦は不得手なのだが機体の改良に伴って空戦でも戦えるようになった。 ハンブルクにある航空会社に旧ドイツ空軍の機体をいくらかレストアしてもらっている。 外見は某政治麻雀漫画に出てくる同名のキャラとほぼ同じ(そのキャラより表情は豊か)。義足は特殊部隊のサクヤ軍医が製作したもので、たまにルーデルはサクヤ軍医のもとにメンテナンスしてもらいに行っている。 相棒のガーデルマンもルーデルと共に空母で勤務している。 つい最近将官へ昇格を果たした。 私物 ルガーP-08将校仕様 旧ドイツ空軍制服 パイロットスーツ 携帯電話(doc○mo) 勲章類(一番のお気に入りはダイヤモンド剣付黄金柏葉騎士鉄十字章) フライトジャケット
https://w.atwiki.jp/hoi4_theneworder/pages/57.html
マダガスカル条約委員会 (*1) 略称: マダガスカル軍事政府 首都: タナナリヴ 大統領: マダガスカル条約委員会 与党: マダガスカル問題条約委員会 イデオロギー: 国家社会主義 経済体制: 軍事経済 建国: 1973年 概要 現状 指導者説明マダガスカル条約委員会 エアハルト・ミルヒ ゆっくりと、ぼろぼろと、しかし自分の肺で国家は呼吸する 補足 エアハルト・ミルヒの出自について 概要 ドイツの適切な支援と大日本帝国とアメリカ合衆国のミスによって、マダガスカル軍事政府はマダガスカル内戦に勝利した。この島の果実を得るのは誰だろうか?エアハルト・ミルヒはエミール・モーリスを追い出してこの島における自らの地位を確固たるものにした。ゲームではドイツの政情が安定するとエアハルト・ミルヒへと元首が移り変わる。しかし石油危機でしっかりとした対応(*2)がとれなかったらこの島の反乱軍の残党(*3)がとってかわることすら考えられるだろう 現状 指導者説明 マダガスカル条約委員会 説明 + ... マダガスカル条約委員会 ドイツはフランス統治という仮面を脱ぎ捨て、マダガスカル島を自国領とした。エミール・モーリスが無気力な支配 者を務めた後、マダガスカルに存在するライヒの2本の腕が島を支配するようになった。ドイツの文民行政はドイツ軍守備隊と手を結び、これまで以上に大規模な条約委員会を結成してマダガスカルの元同盟国領の統治を任されることとなったのだ。 条約委員会は現在、大まかな評議会を頂点とする疑似的な二頭政治を形成している。 片方のマダガスカル軍事委員会は、条約委員会のために領土を確保するため、征服軍へと変化したかつてのドイツ駐屯軍だ。もう片方のマダガスカル問題担当総局は島の文民行政を担当し、物資の手配や公共事業を監督している。戦時中には、小型塹壕や要塞、 大量の墓を用意する手段となる。 現在、条約委員会には指導者がいない。その状況を解決するため、評議会が動いている。エアハルト・ミルヒという 有力候補が現れたが、彼の就任は紛争に明け暮れるライヒの確認を受けていない。それでも、条約委員会は何をする べきか分かっている。島全土にドイツ支配を確立するのだ。血まみれの脱穀機は、新たな操縦者を待ちながらマダガ スカル中を走り回っている。 エアハルト・ミルヒ 説明 + ... エアハルト・ミルヒ ドイツ空軍の設計者の一人であるエアハルト・ミルヒ元帥は、現在、マダガスカル島のドイツ軍の事実上の指導者となっている。かつてゲーリング大将の最も近い支持者の一人であった彼にとって、これは驚くべき転落である。1933年にナチスが政権を奪取すると、ミルヒはドイツ航空省長官となり、発足したばかりのドイツ空軍のために新しい航空機の開発を監督し、1939年にはドイツ空軍総監の役職を与えられた。 戦争中、ミルヒは1941年11月のエルンスト・ウーデット(*4)の自殺に伴い、ドイツ空軍の航空機生産と兵站を担当する統括空令担当大臣の役職を追加し、さらに1942年4月にはゲーリングから新設の中央計画委員会に指名された。ミルヒは、アルベルト・シュペーアとともに中央計画委員会の存続期間中、品質を多少犠牲にしながらもドイツの航空機総生産量を増やすことに成功し、1940年代の終わりから1950年代の初めにかけて、ほとんど問題なくその地位を維持し続けた。しかし、1950年代半ばにドイツ空軍の戦力が停滞すると、ゲーリングとの間に対立が生じ、ゲーリングはミルヒの役職を剥奪する。ミルヒがドイツ空軍に残ったのは 戦時中のシュペーアとのつながりがあったからで、彼はヒトラーの側近として総統に説得し、任務や権限はないものの、陸軍元帥に留まることに成功した。 ゲーリングは、かつての部下が対立する政治派閥と結託し彼を追い落とそうとしたり、出し抜こうとしたりすることを望まず、ミルヒをインド洋におけるドイツ空軍の核爆撃機の組織と保守を主に担当するマダガスカル軍事委員会の長という準重要の地位に任命することに成功する。この地位は、失脚した陸軍元帥には少し強すぎると思う人もい るだろうが、それでもミルヒをドイツから遠ざけるという点では、その役割を果たした。 マダガスカル反乱の勃発によりマダガスカル軍事委員会が植民地時代の名残を残す政府を完全に掌握したため、ミルヒは島で最高位の軍人として、気弱なエミール・モーリスの名目上の支配下で反乱への対応を調整する役割を担うことになったが、そのモーリスはヒトラーの死により事実上の軟禁状態に置かれることになった。そして今、反乱が新たな段階へと進む中、ミルヒはライヒにもう1つの勝利をもたらし、事実上の亡命先から政府との良好な関係を保ち、引退して余生を穏やかに過ごすことを望んでいる。 ゆっくりと、ぼろぼろと、しかし自分の肺で国家は呼吸する AREMAのマダガスカルの未来を確認する 補足 エアハルト・ミルヒの出自について ゲーム中では「君の血に質問したことはまだ覚えている。失敗するなよ、さもなくば、私自身が質問を開始する。」(*5)といった一文がある。実はエアハルト・ミルヒの父はキリスト教に改宗したユダヤ人なのだ。実際にミルヒがニュルンベルク法に定めるところの「ユダヤ人との混血」であるか否かは、現在も歴史研究の対象となっている。おそらく「血に質問したこと」はこのことを指しているのだろう。ちなみに本人は「自分は母の婚外児(*6)である」と主張している。
https://w.atwiki.jp/bjkurobutasaba/pages/343.html
フォッケウルフ Fw190は、第二次世界大戦時のドイツ空軍の戦闘機。メッサーシュミットBf109とともに主力を担った。 ナチス・ドイツ政権の大軍拡政策によって、ドイツ空軍は戦闘機の近代化を強力に推し進めた。ところが、主力戦闘機メッサーシュミットBf109は高性能ではあったものの、操縦が難しかったため着陸事故が急増していた。また搭載エンジンであるDB601は生産性に難があり供給数量に限界があった。その事故率の高さと生産性の問題に不安を感じたドイツ空軍上層部は、1938年になって、フォッケウルフ(フォッケ・ヴルフ)社に対し、バックアップ戦闘機の開発を依頼した。フォッケウルフ社ではこれを受けて、クルト・タンク技師を中心にわずか12人のチームで開発を進め、1939年6月1日に初飛行に成功した。 タンク技師はFw190開発に当たって、メッサーシュミットBf109のような「速いだけが取り柄のひ弱なサラブレッド」ではなく「騎兵の馬(ディーンストプフェーアト"Dienstpferd")」をコンセプトとして開発を進めた。完成したFw190は、空戦性能のみならず、パイロットには操縦しやすく、最前線でも容易に修理が可能、さらに大量生産しやすい構造という、まさに理想的な兵器であった。 第2次大戦後、Fw190の性能を調査したアメリカ軍は、「第2次世界大戦におけるドイツ最良の戦闘機」という評価を与えている。
https://w.atwiki.jp/strike_witches/pages/545.html
GRETE M GOLLOB フルネームはグレーテ・マクシミリアーネ・ゴロプ(Grete Maxmiliane Gollob)等であると推測される。 所属 オストマルク空軍 階級 少佐 誕生日 6月16日 使用機材メッサーシャルフ Bf110 メッサーシャルフ Bf109 その他オストマルク中央に近いグラーツに生まれる。幼少時からウィッチとしての力が発現していた為、兵学校生徒としてオストマルク空軍へ入学。優秀な成績で飛行訓練を完了し、少尉任官の上、教育中隊の指導官となった。 優秀だが尊大かつ冷酷で、ユーモアを理解しない面白みのない人物だと評価されていたが、その教育中隊ではスパルタ教育で多くのウィッチが飛び方を学び、また戦場における生き延び方を身につけたと言われている。 中尉昇進と共にカールスラントから供与されたをBf110を使用する駆逐隊に配備され、オストマルク国境防衛の任に就く。防衛戦の中でBf109に機種転換。 ネウロイ襲撃時から多くのスコアを稼ぎ、リヴォフ方面での防衛の要となった。 ダキアの戦況悪化に伴い、トランシルヴァニア南方の都市アルトラントの防衛任務に就く。防衛の要地でもあるこの地で次々と撃墜数を増やしていった。戦況の悪化に伴い首都ブカレストが陥落、次いでオストマルク南方の要地である鉄門を突破され、ネウロイがオストマルク国内に侵入するが、部下の多くの撤退進言を退け防衛を続行。 この働きによって結果的にトランシルヴァニアはオストマルク、ダキア、モエシア陥落後に最後に残された人類の版図となるが、補給が無い状況での部隊や難民の維持は困難であり、苦渋の決断の末撤退を決断。 ネウロイの主力がいる西方への撤退は困難であり、逆にネウロイの根拠地である黒海方面へ撤退する計画で、これが後に「最も長い撤退戦」と呼ばれる激戦の始まりであった。 イメージモデル ゴードン・ゴロプ (1912-1987)フルネーム ゴードン・マックス・ゴロプ 撃墜数 150(ドイツ空軍24位) その他ドイツ空軍初(=人類初)の150機撃墜を達成した大戦初中期のエース。 メルダース、ガランドに続く、全軍で3人目の宝剣付き柏葉騎士鉄十字章授章者。 オーストリアのウィーン出身。グラーツで機械工学を学んだ後、砲兵としてウィーナー・ノイシュタットの士官学校に入校。卒業後は初め少尉でオーストリア空軍に配属され教官を務めていたが、ドイツによるオーストリア併合に伴いドイツ空軍に中尉で転籍、3/ZG76に配属された。乗機はBf110。 ポーランド空軍との戦闘で初撃墜を記録、以後バトル・オブ・ブリテン、バルバロッサ作戦等でスコアを伸ばす。 1942年8月29日、史上初となる150機撃墜を達成。柏葉騎士鉄十字章を授与されると、以降は飛行任務を禁止され本国に召還、様々な要職を歴任。大戦末期には罷免されたアドルフ・ガランドを継いで最後の戦闘機隊総監となる。 ユーモアを解さない堅物で、競争心強く尊大。ガランドとは対立しており、ドイツ空軍には少なかったナチストでもあった為に同僚や部下からの人望に乏しかった。 中世の騎士的な人気のあるルフトヴァッフェのエースの中でも、ヘルマン・グラーフと並び、珍しく悪役・憎まれ役的な印象の強い人物。 出典 第五〇一統合戦闘航空団全記録弐 第四集
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/5952.html
523: ホワイトベアー :2019/10/27(日) 16 31 04 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp ドイツ帝国空軍の主力戦闘機の考察ができたのでとりあえず投下させていただきます。 Ta186 「フッケバイン」 乗員:2名 全長:11.68m 全幅:11.10m 全高:3.86 m エンジン:ハインケル BMW 005ターボジェットエンジン(24,93kN):1基 :ハインケル HeS 011ターボジェットエンジン(26.3kN(C型以降)) 実用上昇限度:実用上昇限度 12,000m 最大速度 :1,060km/h :1,105km/h(C型以降) 航続距離 :920km :1,690km(C型以降) 武装 MK 108 30mm機関砲×2 IR60短距離空対空ミサイル×4 爆弾:最大900kg 524: ホワイトベアー :2019/10/27(日) 16 31 57 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp Ta186 フッケバインはドイツ帝国の航空機メーカーであるメッサーシュミット社が開発を担当し、1945年のドイツ帝国空軍への正式採用を皮切りにイタリア空軍やスペイン空軍、北欧諸国など欧州連合各国にも採用された亜音速ジェット戦闘機である。 本機の開発の源流は第一次世界大戦末期まで遡る事ができる。 この大戦で日米が実施した《迎撃できない高高度》からの戦略爆撃と言う戦術は、同戦術によって主要な国内インフラを破壊されたドイツ帝国に大きな衝撃や恐怖、屈辱感を与えた。 ヴルサイユ条約が結ばれ、戦争が終結したあともこの感情はしこりの様にドイツ国民の心に残り、彼らに高高度で作戦行動が可能な戦闘機の開発を決意させた。 高性能で迎撃が極めて困難な高高度爆撃機の存在はドイツを革新的な戦闘機の新規開発を余儀なくし、同じく日本の戦略爆撃の脅威にさらされたソビエト連邦と協力してベルサイユ条約によって禁止されていた戦闘機の研究および開発を開始していく。幸いな事にソビエト連邦がロシア帝国から接収した日本製航空機が少なくない数存在しており、研究は順調に進んでいった。そして、1924年にドイツ初のターボジェット機であるMe112の飛行実験に成功すると高速ジェット機の将来性に確信を抱いたドイツ軍はレシプロ機の開発と同時平行でだが次世代の技術としてジェットの開発にも注力していく。この頃には日本軍やアメリカ軍が次々とジェット戦闘機を実用化していった事もドイツ空軍の判断に影響していた。 1935年にドイツ帝国が再軍備を宣言するのと同時期にジェット戦闘機の開発がドイツ帝国本土でも開始される。 設計を担当したのはMe112の開発および製造をおこなった事により、ドイツで唯一ジェット機のノウハウをゆうしいているメッサーシュミット社である。 本機の特徴は徹底した軽量化と40度の後退翼を装備し、機首に空気取り入れ口があり、高推進ジェットエンジンを胴体後部に収納していることが挙げられる。 こうした先進的な構造をとった事により機体の運動性はエンジン配置が双発レシプロ戦闘機と同様の古めかしいスタイルであったMe210を上回る結果となり、そこに新型のジェットエンジンであるハインケル BMW 005ターボジェットエンジンの強力な推力が合わさり、それまで配備されていたMe210とは比べものにならないほどの高い性能と運動性を発揮した。 もう1つの特徴がその量産性である。本機はドイツ製としては極めて異例な事に大量量産を前提としたシンプルな設計となっており、機体には複雑な機構を用いず簡素なもの採用している。 武装としてはドイツ空軍の主要な迎撃戦闘機に搭載されているラインメタル・ボルジッヒ社のMK108 30mm機関砲を固定武装として搭載している他に有線誘導式の空対空ミサイルであるIR60を4発もしくは最大で800kgまで爆弾やロケット弾を搭載することができる。 1945年からHe180の後継機としてドイツ帝国空軍への正式採用を皮切りにイタリア空軍やスペイン空軍、北欧諸国など欧州連合各国にも早期にライセンス生産が認められたことから、超音速ジェット戦闘機であるBf140やダッソー・ミステールなどが登場するまではジェットエンジンの換装などの逐次改良を施されながら欧州主力戦闘機の座にとどまり続けた 525: ホワイトベアー :2019/10/27(日) 16 35 14 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 以上になります。 一応モデルはフランスのミステールとアルゼンチンのFMA I.Ae. 33 プルキー IIで考えましたけど、初心者なんで数値におかしいところがある可能性が大きいです。なのでつっこみどころがありましたら是非教えてください。 526: 名無しさん :2019/10/27(日) 19 46 59 HOST p1278072-ipngn201003fukuokachu.fukuoka.ocn.ne.jp 523 乙。 設計を担当したのはHe112の開発および製造をおこなった事により、ドイツで唯一ジェット機のノウハウをゆうしいているメッサーシュミット社である。 この部Heてことはハインケルではないのか?Meの間違い?どっちだ。 533: ホワイトベアー :2019/10/28(月) 12 15 32 HOST 157-14-225-220.tokyo.fdn.vectant.ne.jp 826 あ、本当ですね。 HeじゃなくてMeが正解です
https://w.atwiki.jp/linkris/pages/44.html
瑞穂皇国 皇国海軍 皇国陸軍 高遠造船 瑞穂国有鉄道 ドイツ帝国 ドイツ海軍 ドイツ陸軍 ドイツ空軍 ドイツ鉄道 シーメンス 大英帝国 英国海軍 英国陸軍 英国空軍 英国国有鉄道 異世界 LSN 3C