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むぁ!? んく……ひょっ、ひょっと待ってれ……もきゅむきゅ……ごっくん 次弾装填よろしく次に頬張るつもりで手にしていた焼き菓子と、どうやらこの部屋へ質問に訪れたらしき生徒の顔とを交互に見やってから、しおしおと応接机に据え付けのクッキージャーに焼き菓子をしまい、ニコリと笑いかける。 「どしたの?とりあえず廊下は暑いから中に入んなさいな」 手招きすると、女生徒は少し困ったような顔で部屋の中のあたしに「はぁ」と告げると扉に打ちつけられた黄銅板のネームプレートを指さす。 「あの、ステラ師……ここミリアム師のお部屋……ですよね」 「そうよ」 なにをモジモジしているのだろう。 開かれたままとなったミリアムの執務室の扉から初夏の蒸すような熱気が滑り込んでくる。 腰掛けていたソファからぴょんと飛び下りると、毛足の長い絨毯を横切って扉で立ち往生している女生徒二人組に歩み寄る。 確か片方は触媒教室の生徒でそれなりの帝国貴族の娘だったかしらんと記憶を辿る。 「あの、私たちミリアム師に各地の婚姻についてちょっとお訊ねしたいことがあったんですけど、お留守のようなので……また」 曖昧に微笑んで扉を閉めようとする女生徒が引き始めるのと、扉と柱の隙間に疾風と化したアタシのつま先が挟み込まれるのとは、ほぼ同時だった。 「折角来たんだし中で待ってればいーじゃない。それに簡単なことならアタシでもわかるかもよ」 ドアノブを握った女生徒の手首をがっしと掴み、にこにこと笑みを向ける。 育ちが良いのか、引っ込み思案なのか、やけに謙虚な娘たちだ。 「せ、せんせいっ、つま先の使い方が完全に内外逆です!いえ、その……さすがにお留守のお部屋に上がり込むのはちょっとどおかなーなんて思いまして……あ、あはは……」 「あら、そんなの気にすること無いのよ?ミリアムだってしょっちゅうアタシの部屋に上がり込むし、こないだなんて画像記録の魔晶を隠して設置したりしてたんだから、お互い深く気を許しあう中なのよ?」 何が何でも引きずり込みたいわけでも無かったのだけれど、恐らく引かれれば引き返したくなる性分がむくむくと湧き上がって、身を捻って抵抗する娘を掴んで離さない。 「ホントに出直しますしっ!ていうかさっきなんか後半聞きたくないこと聞かされて既に私はっっ!!ってドコいくのっ!?」 良家の子女にしては元気の良い娘が、何事か喚いてますます身を捩るのを見て、背後に控えたもう一人の女生徒がそろりと身を翻そうとするや、ドア越しにあたしに手首を掴まれたままの娘は見事としか言いようの無い稲妻のような動きで背後の生徒の肩をガッシと掴むさまは、さながら猛禽類が得物を捕えるかのようだった。 たっぷり五分近く続いた攻防に終止符を打ったのは、丁度戻ってきたミリアムだった。 部屋の主に招かれては、そもそも彼女に質問にやってきた生徒二人が断る理由もなく、ほっとしたようにしておずおずと執務室に入り、薦められるままにソファに腰を下ろす。 ミリアムがお茶を沸かすのを待ちつつ、再びクッキージャー殲滅の任務に当たりながら生徒たちの質問に耳を傾ける。 あぁそうそう、婚姻を司る神殿の話だっけ? 婚姻を司ると言われている新教の、つまり現在一般的な若き神々は法と契約の神リヴルムね。 律法・契約・商売なんかを司ってて、婚姻も一種の契約って考え方ね。 でも別に法と契約の神殿で式を挙げなきゃ夫婦になれないってわけじゃないわ。 一般的には土地によって別の神殿がそういった式を取り持つところもあるし、神殿を介さずに集落主催で行われる場合も多いわね。 ま、一神教義を国教としてるアインジード聖教国なんかは一の神の祭壇前で夫婦になるものは互いに宣誓するらしいけれどね。 特に帝国は元々はいくつもの国が集まったものだからね、結婚式なんかは土地土地でその方法は様々なのよ。 婚姻する双方の出身が大きく異なって、風習も違う場合はそれなりにすり合わせもあるみたいだけど、当事者にとってはそれもまた楽しい準備の一つなんでしょうね。 あーでも、帝国・郡国の王侯貴族の場合は法と契約の神殿を借りるか、然るべき契約神の大司祭を招いて結婚式を大々的に行うけれど、それは宗教上の理由というよりは権威的な問題ね。 政治と神殿権力を分離した帝国としては、せめて儀礼に関する部分で聖臨山に本拠を置く新教派の機嫌も取らないといけないわけよ、まぁアンタも貴族だし気持ちはわからないでもないけど、そう嫌そうな顔をすることはないわ。 たとえ権威的なものでも式を幸せにするかどうかなんてのは当人たち次第なんだから。 そうやって式を挙げたからって、新教徒にならないといけないわけでも、リヴルムに帰依しなきゃいけない、なんてこともないしね。 帝国の場合、婚姻の認定は式ではなくて、それが正式であるか否かの判断基準は戸籍への登録よ。 一方が帝国籍を持たない場合は持ってる側にその記載を行って証にすることも出来るし、無記載で事実婚によって済ませる場合もあるけど、共有資産がある場合には、これは稀ね。 獣人や有翼人、妖精族なんかは帝国では望めば個人籍を取ることもできるけど、彼らの集落地で暮らすほとんどは部族として登録されていて個人籍を持たないわ。彼らの集落に人が混じって暮らすことはほぼないので種族間婚の場合は、大抵彼らが人の世界で暮らすことになるわね。 前に使い魔と結婚できるかって質問した子にも言ったけれど、人の世界で言う婚姻の対象の中に幻獣や精霊は含まれないから書類に記すことはできないけれど、当人同士がそう望めば、それは二人にとって婚姻なんじゃないかなぁ。 へ?アタシ?……あたしはあまり実感ないな。 でも誰かの幸せを祝うのは大好きだよ。昔も今も
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浮遊力を失い、ゆっくりと大地へと降下していく方舟、その制御核の残骸。 無数に並べられた琥珀金の棺、一つ一つから伸び上がる光。自らを複製して造られた娘たちの命の輝きを引き連れて、彼女自身もまた一際輝く光となって天空へと翔け上がっていくその背中を、痛いほど拳を握り締めながら見送った。 空を引き裂いて、圧しかかるように重なるように割り入ろうとする、こことは異なる"世界"を締め出すように、黒い空の裂け目を螺旋を描いて縫い閉じながら飛翔する幾条もの緑の光糸。 今まさに頭上で起きているこの光景、この世に飽いた者たちが異なる世界でこの大地を染め変える。それを引き起こす為だけに造られたものが、それをさせじと世界を縫い止めていく。 在るべき世界は在るべき場所へ 有るべき命もまた還るべき場所へ 世界はこの世界を生きる子供たちへと伝えるために 空の--世界の裂け目を縫い閉じた光の糸は、一瞬強く、優しくまたたき……弾け飛んで幾つもの光の粒が遥か上空で舞い散った。 その日--世界には淡く仄かな緑に輝く触れるとじんわりと温かな雪がしんしんと降り注ぎ、人々は一様に立ち止まって空を振り仰いだ。 ひらひらと舞い落ちた輝きは、まるで大地に抱擁されるかのように溶け、そして消えた。 「……古い古い昔話じゃな。我ら人狼や、かつて半竜と呼ばれた竜人、人馬たちがこの世界の住人として認められるきっかけとなった旧ウィスタリア帝国の【冥魔族権利憲章】が発布されるよりも、まだもう少しだけ昔の物語じゃよ」 藤編みの敷物に半円を描いて腰をおろす里の仔狼たちを見回しながら一息つけば、一人の仔狼が立ち上がって口を開く。 「大婆さま、その緑の冥魔ってリリスのことじゃないの?ぼく聞いたことがあるよ、すごい力をもった冥魔の王さまがいたって。どうして世界を守ったのに緑の冥魔なんて言うのサ。どうしてちゃんと名前でお話ししてあげないの?」 くりくりとした瞳をなぜか悲しそうな色に染めた仔狼に微笑んで手招きをすると、揺り椅子に寄ったその柔らかな髪を撫で梳く。 「そうじゃの、じゃがなルークや。名前というのはお前の言うとおり、その持ち主をあらわす大切なものじゃ。ゆえにこそ、我らは彼女をその名では伝えなんだ」 にこりと皺だらけとなった口許で笑いかければ、なぞなぞをかけられたかのように、むぅと皺を寄せてしまう仔狼を抱き上げてショールを敷いた膝の上へと招きあげる。 「……じゃあ本当の名前はリリスじゃないの?」 もうすっかり重くなったその身体を愛しく抱きしめながら、その耳元に口を寄せてそうじゃと優しく応じれば、周囲の仔狼たちも耳をひょこひょこと動かしながらそばだてる。 「彼女がこの世界で"生き"、得た名前はの……」 期待に満ちた眼差しで見つめてくる幾つもの澄んだ眼を見回すと、ちょうど開け放った窓から夏の訪れを告げる風が吹き込んで、ふと窓枠へと視線を向ける。 板打ちされた壁を切り取って覗く景色、緑に広がる山裾に咲く白い花群れを背に立つ人影が……風に踊る緑の髪を押さえるようにしながらふわりと笑ったように見えて……。 「大婆さまっ!ねぇ早くっ!」 膝に抱えたルークに揺さぶられ、同じように口にする可愛らしき仔狼たちの声にハッとして室内へと目を向け、もう一度窓枠の外を見れば人影の幻は無く、ただ風に凪ぐ白い花と緑の絨毯だけがそこに広がっている。 ……なんじゃ、わらわが一度もそなたをそう呼ばなんだゆえ笑いに参ったかや? くすりと胸中で微笑みながら、焦れる仔狼たちに向き直る。 「そうじゃった、すまぬすまぬ。我らが彼女を伝える名はの……」 わらわとて……。 かなうものなら、その名でそなたを呼び、語らいたかったのじゃぞ。 まぁ、今となって懐かしく思わば……じゃがの。 今は見えないけれど、たしかにそこにいた人影に向かって胸中呟く。 間ものう、わらわも……。 遠く遥かなあの日、炎に沈む都をそなたとともに見下ろしたハラカラの最後たるわらわの刻も、ようやっと尽きる時がすぐそこまで来たようじゃ。 ……したらば、あの日変わり果てたヌシとの再開、そのやり直しにその名で呼び、ヌシが信じた子らを疑うたことも、気の済むまで詫びようほどに……。 もうしばし……あとしばしだけ待ちや……。 そなたが願うた世界を見ておれば退屈はせぬであろう? のう、我が女王にして我が友……"ステラ"よ。 ~遥かな日~
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ん?帝国が住籍の作成を行ってるのは、別に民の生活を抑圧する為じゃないわよ。 確かに、有事における各領地の夫役や軍役拠出の根拠にはなるけれど、本来は国民が無体な領主の元で苛刑や課税に晒されたり、飢えたりする事が無いように作られたものね。 カージナル大公国が独立した際の乱と、それに続く帝国内乱の後、義倉の整備や、荒れた農地の回復までの食糧援助、退役負傷兵や戦災孤児、戦火で働き手を失った民たちを支えることを目的として整備が始まったものよ。 一口でいえば帝国籍は個人を把握する為に出生時に帝国民として申請・登録されるもののことで、住籍とは居住地を把握する為のものよ。 住籍があるから国は民の増減を把握・管理しつつ義倉の増設を指示したり、領地経営が帝国法に反する苛烈な徴税や夫役によって、民から安心して過ごせる生活と、その生命を奪ったりしていないかを監視することができるわけ。 領地運営に問題があって領民に大量の餓死者や、予想された天災に手を打たなかった領主などはよくて俸禄・爵位剥奪、場合によっては流刑・獄刑に処されるし、大規模な住民の蜂起なんかがあれば、施法院の査察に遭うわね。 まぁ、だからといって住民側が権利を履き違えて、不満があるからって好き勝手するのが許されるわけじゃないけどね。 もちろん外国籍を持って帝国に滞在という形で住む事も、望んで戸籍を得ないことも可能ではあるけれど、その場合は前者の滞在申請を行っていなければ住居を得ることができないから、それなりに課税された借家を借りる形になるみたいね。 ちなみにうちの学院では、外国籍もちや国籍を有しなくても『学生』の身分であれば、学院領預かりとして学院領の滞在籍と身分証明票が発行されるわ。 つまりは書類上は学生の間だけ、ここの住人ということになって、他領に出掛けたければ郡国や関の通過時に提示して越境許可が受けられるし、色んな公共機関を帝国民と同様の費用負担で利用できるわね。 万が一何かトラブルに見舞われても護法官や軍に保護を求めることも可能だし、義倉からの配給を受けることだってできるわ。 そうねぇ……確かにアンタのお国とは何かと制度が違うし戸惑いもあるだろうけど、それは外国籍であろうと学生を受け入れたいって願いと、受け入れるからには気持ちよくここでの生活を送って貰いたくて用意したものなんだから、あんまり難しく考えずに堂々と使えばイイのよ。 休みに他領を見てくるのもいいんじゃないかな。 いずれ故郷に戻ったときに活かせるかもしれないものは学院領の外にだって沢山あるはずよ。きっと善い部分も、そうでない部分も。 それを見極める為にも、外国籍であることを引け目に思ったりすること無いわ。 今のアンタは学院領が身分を証立てする立派な生徒なんだから。 そうそう、ソレ見せれば学生免除……いわゆる学割が効く施設だってあるんだから、使わなきゃ損ソン♪ ガンガン出かけて、ばんばんアタシにお土産持って返ってきてくれればいいのよ、ネ。 自らの故郷に枯渇した力を取り戻す為、この国に存在すると伝わるある『物』を持ち帰るよう言い含められ、送り出されたこの身。 故郷を救いたい気持ちに変わりは無いけれど、今は命じられたソレとは違う何かを持ち帰りたくて、でもそれが何かはまだ掴めなくて…… 時折、鬱々となりながらも考えたり悩んだり……残された時間を思っては焦る日々。 けれど掴めたものだってあるんだ。 溜め息が出そうな日に、背中を温かく撫でさすって笑ってくれる友人たち。 それに…… 休日を利用して足を延ばした、学院領から南に下った港町。 東から内海を経由して運ばれてくる荷が、途中どのような国や島で需要があり、再び何に変わってこの帝国まで運ばれてくるのかをこの目で見聞きする。 すぐに答えは出ないけれど、それを知っているということも、きっと何かの役に立つはずだと……今は信じている。 西の水平線へと近付いていく太陽を、船着場を見下ろす石壁に腰掛けて眺める。 しつこい質問にも笑いながら答えてくれた、親切な航路船の乗組員がくれたオレンジをナイフで半分に割ると、傍らに同じく腰掛ける少女の姿を纏った小さな幼馴染みに手渡せば、カサリと懐から木片を削った札が膝へと零れ落ちる。 「……おっと……いけない」 失くしちゃ大変だ。 慌てて拾い上げ、懐の奥へとしまおうとして、ソレ--学院領の生徒であり、仮の帝国民として、正規の民と同等の待遇を約束する手形にふと視線を留める。 隣で、どうしたのかと小首を傾げて見上げてくる少女がオレンジを抱える小さな手と、自ら手にした札をちらと見比べれば、なんだろう……この胸をよぎる違和感は。 ガンガン出かけて必要だと思うことを見てくればいいのよ、ネ…… 友人たちと同じように、この背を叩いてくれた小さな手と、でも大きく感じる声…… あれは誰だったっけ、なんか記憶がごっちゃになってるのかな。 「なぁ、俺なにか忘れてることがあるような気がするんだけど……そっか、お前もかぁ。あぁー……なんだかほんの数日なのに、早く帰りたくなってきたな」 不思議な違和感と一緒に懐の奥へと大切にしまった手形の札。 コクリと頷いた少女の後頭部をふわと軽く撫で、半分以上沈んでしまった金色の夕日に視線を転じる。 「明日もっかい港の市場に行こうな。みんなにお土産、二人で選ばなきゃな」
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竜腹内海の南西、南洋諸島群の最西端であるアスワ島とキシュフォルド島を隔てるパルマ・デ・デュラゴ海峡から北西を臨めば、天高く突き出す断崖絶壁の端からちょこんと生え建つ尖塔が見える。 外洋と内海からの海流がぶつかる難所として名高い海峡の安全を守る灯台でもあり、物見台としても機能するその塔は、同時に西部キシュフォルド王城の離れでもあるのだが、東側から見上げただけでは、その事実に気づくことはない。 荒波と渦潮にうねる船乗り泣かせのパルマ・デ・デュラゴ海峡を抜け、外洋に出た船の舳先が西を向いてしばらくすると、先ほどの断崖が切れ、右舷後方に西部キシュフォルド王都エスカシエロを眺めることができる。 東海岸に向けて背を向けるようにして湾曲していた断崖の反対側にはゆるやかな勾配の丘陵が続き、丘の中腹に西部キシュフォルド王城が構えられている。 明るみを帯びた城壁と、オレンジの焼き瓦に彩られた城館がさながら翼のように左右に広がり、胴に見立てた中央門から勾配にそって続く城の中核は緩やかな逆三角形を描いて伸び、やがて一筋の城壁が丘の最頂部へと続いた先に先ほどの尖塔が屹立している。 尖塔を頭部、中央城門から丘陵下の海岸まで放射状に広がった市街地を尾羽根に見立てると、なるほど巨大な鳥が空へと駆け上がっていくさまに見てとれる。 元は海賊の根城として歴史に現れるエスカシエロ城であるが、現在では西回り航路の中継地としてあらゆる海上貿易の集積地として発展し、莫大な貿易利潤によってなった、その瀟洒な街並みは西海岸における観光名所の一つとして名高い。 先年、大陸魔道協会本部“賢者の塔”在籍の一部魔導師による賢者の塔占拠に端を発し、大規模魔術の暴走事故の未遂というなんとも締まらぬ結末によって一応の解決をみたハイラル事件によって、魔道協会をはじめ大陸中央部に位置するウィスタリア帝国、東部列強連盟はその都市部に大規模な損害を蒙ったことで、いまもってその事後処理に追われており大陸中央はさながら戦後のような有様だというが、中央から遠く離れたここキシュフォルドでは数カ月前のあの異様な黒い空のことも、天空を翔けた緑の光条と、大陸全土に降り注いだあの緑に輝く光雪のことも、すっかり忘れたかのように生来の陽気な国民性を発揮して往時の喧騒を取り戻していた。 大陸中央部を揺るがせた魔道事故の直接的被害から幸いにして逃れることのできたキシュフォルドであるが、一人まことに面白くないといった表情で口元をむっすりと、への字に歪める人物がいた。 王都エスカシエロの最頂部に屹立する尖塔は、そもそもの立地からして最上階に灯台機能を設ける必要が無いため、中層を灯台としており、さらにその上に設けた望楼には欄干が張り出す。欄干と望楼内部とを隔てる二重窓を大きく開け放ち、吹き込む潮風に赤銅色に日焼けした髪を逆立てながら、仏頂面で眼下に広がる竜腹内海の青色を睨みつけている大男、当代の西部キシュフォルド王にして、6年前直系の途絶えた東部キシュフォルド王国の継承者である子女の後見人として二重国家の王位を預かるキシュフォルド二重王国国王、ビクトリアノ・サラス・キシュフォルドⅠ世その人である。 「……面白くない」 短く刈り込んだ髪と同色の顎髭を憮然とした面持ちで撫でさすると、そう呟いたキシュフォルド王は、踵を返すと望楼内に置かれた一人がけのソファにどっかと身を沈めると、ソファともども名のある作に違いないこれまた豪奢なビストロテーブルに振り上げた丸太のような脚をゴトリと乗せ、不貞腐れたような渋面で傍らのチェストからひっつかんだ酒瓶を煽る。 高い度数の酒に喉が焼ける感覚にわずかばかり溜飲を下げたキシュフォルド王ビクトリアノ――ビクトールは、雫に濡れた顎髭を肩口でぐいと拭くと、ほぉと酒臭い息を吐いた。 大陸中央部を震撼させたハイラル事件。 身内から国際問題に発展する破戒行為を実践した魔導師を出し、協会の権威の象徴と貴重な研究の保管所でもあった塔を失い、今や権威を失墜させた大陸魔道協会。 事件の中枢に位置し、あろうことか再稼働不可とされていた太古の遺産兵器、魔道甲冑の起動により、帝都レンシエラを始めとする主要都市に壊滅的打撃を受けたウィスタリア帝国。 同様になぜか事件の首謀者である魔導師ハイラルに標的とされ、三日にして灰燼に帰した東部列強三強の一角ヴェルツヴァイン王国。 首謀者ハイラルへの技術供与の暗躍が噂される大陸随一の魔道事業財閥であるファルージュ家には近々査察が行われるという。 これほどの好機だというのに……いまは動けぬ我が身を嘆いている。 中央部での異変をいち早く察したビクトールは、どさくさに紛れてウィスタリア帝国と領有を巡っていた領海を越えて南洋諸島の数島に保護という名目で軍を進駐させることには成功したものの、足元を固めて次は事あらば内陸への食指を蠢かしたのも束の間、ウィスタリア・東部列強ともに中核に打撃を受け、争乱は長期化するであろうと見ていた矢先、不可思議なまでに突然の終結を見た一連の事件に中央部の民は胸を撫で下ろしたであろうが、キシュフォルド王ただ一人は地団駄を踏んで悔しがった。 「絶好の機会がとうとう訪れたと思ったのだが……あの導師め、中央の体制と協会の穏健思想に不満があるのだとばかり見ていたが、まさか世界ごと覆そうとするとは……」 一度だけ相対した、どこか捉えどころのない糸目の魔導師を思い浮かべて嘆くように首を振りつつ、これではせっかくの投資が元も取れぬと一人ごちる。 人を見る目はある方だと自負している。確かにあの魔導師の張り付いたような笑みを形づくる糸目の奥には、暗い炎がぎらぎらと燃え立つのを感じた。 コイツは危ない、そう思うのと同じくらい、コイツは実際に“何かやる”……大陸中央に波乱を望む自分自身にとって有用足りえる、そう見込んだがゆえの投資であったのだがと、再び苦いものを飲んだように、ひとり顔を顰めた。 「……乱が足らぬ」 一度は諦めかけた内陸への夢。 閉塞した世界に吹きかけた風を感じてしまったからには、もはや諦めきれない。 ぼそりと呟いた声が望楼の中に響いて溶け消える。 - 乱を待つ王 -(1) (2)へ 昨夜で書ききれなかったので、てかまだ書ききれてないですね(笑) 妄想のお供にでも^^
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逃亡犯越境追跡部隊 【猟犬の顎門(あぎと)】 帝国直轄領における市中警邏・治安維持活動と犯罪者の確保を主任務とする護法官であるが、市外における治安維持は軍部の管轄となる為、犯罪者確保時における例外事項が幾つか制定されている。 確保時に犯罪者が逃亡し、市外へと逃れた場合の護法官の管轄外活動に関してはこれを許可する。 市外にて逃亡・潜伏している犯罪者の確保は原則軍部の管轄とするが、緊急を要する場合は護法省から担当軍部への事後報告を認める。 手配逃亡犯を偶然市外で発見した場合、確保権限を認める。 等々……。 追跡部隊は犯罪者が該当市中から脱し、逃亡犯となった場合、直轄領市外のみならず郡国領及びその集落内にまで越境して逃亡犯の痕跡追尾・情報収集といった継続した捜査活動、確保と直轄領までの護送といった活動を行う権限を認められた部隊。 猟犬の横顔を象った銀色の図案を部隊章としている。 帝国正規軍による郡国越境は何かと問題があるため、組織上は法執行機関である施法院 護法省に配備されるが実態は軍部の特務部隊に近い。 但しその活動は、帝国直轄領の市中で罪を犯し手配逃亡犯として指名された対象に限られ、郡国領内で発生した犯罪に対する関与権限は持たない。但し郡国における法執行機関からの要請があり、護法省の許可が認められた場合はこの限りではない。 軍部の特殊部隊に匹敵する身体能力を有する隊員の他、魔術士、学士号を有する者など部隊員の経歴は様々で、通常4~6名編成の小隊として組織行動を行う。
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魔法使いと、そうでない人との違い?? ふむん、さすがは最年少で導師課程に進んだだけあって質問内容も深いわね。 ま、アタシはこないだのルリマダラオオクワガタムシの生態についての話も楽しかったけどね♪ って、ああゴメンゴメン、そうねぇ……種族的に特別に二者を隔てるものがあるわけじゃないわ。 いわゆる魔法使いとそうでない人間に確執があったのは、もうずっと昔の話よ。 今は世代を重ねることで、ほとんどの人間に魔力は多かれ少なかれ宿っていると思っていいわ。 魔法使いか、そうでないかを分ける一つの指標は、その力を制御する必要があるか否かってことかしら。 魔力を身に宿していても、その量が極少なら日常生活に支障は無いけれど、一定量以上の魔力を常に体内で練成する体質を有する場合が問題ね。 無意識にでも魔力が『力』として発露するから、制御法を身に着けなきゃいけないわ。 でなきゃ、漏れ出して抑えられない力は周囲の大切な人のみならず、自分自身をも傷つけることになってしまうから……ね。 魔力を制御するだけの量を持たない人に対して、制御を要する能力を身に宿す人のことを『魔法使い』そう呼ぶわけ。 現代でいう『魔法使い』とは魔力の制御法を身につけた者、つまり『魔術士』を表す言葉で、人種や国籍、身分や社会を隔てるものじゃないわ。 確かにまだ魔法が世界にとって珍しかった時代には、互いに傷つけ憎みあう時代もあったけれど、少しずつ時間をかけて両者は理解を深めたのよ♪ 『魔法使い』だけれど、人として人と共に生きて行きたいって願いや、魔法使いではないけれど、魔法に対して真摯な理解を示して歩み寄ろうとした人たちが長い長い時間をかけて築いてきた成果よ。 そう、あなたのお父様のような方たちがね♪ だから……ね。 両者が寄り添って育んだ、あなたのような子や、血や種族を越えて愛情や、信頼や、友情を育てる子供達に逢えるのが、あたしは本当に嬉しいのよ。 もう、それだけでね、とっても満足なんだよ♪ あら、なんだか嬉しそうね? ……そっか、もやもやが解けてスッキリできたのか。 うんうん、勉強も大事だけど全力で遊ぶことも大事よ、導師の卵とはいえ、まだ子供だもの。 もう少し……そうね、少なくともあたしより頭一つまるまる追い越すくらいに背が伸びるまでは……ね♪ 行ってらっしゃい、マダラクワガタ見つけたらあたしにも見せてね。 あ……ジュカにニール……。 聞いてたんだ? ケールに、魔術士に対する確執が現代ではもう無いのかって訊ねられて、まだ辺境の一部地域や古い習慣を持つ部族の間にはその名残があるって話はしなかったんだけど、今はまだいいよね? もしいつか、あの子がそれを知って思い悩む日が来たら、見守っていてあげてね。 きっとそれはアタシには出来ないことだから。 「僕たちも先輩方が重ねてきた想いや努力を裏切らないように、後に続くものとして恥ずかしくないよう自覚しなきゃ……ですね」 うん、本当にそうね。 あたしはそれがわかるまでに時間をかけすぎちゃったし、もう取り返しのつかないことも一杯だけれど、あなた達の世界はこれからだものね。 この先、理解の仕方が異なって誰かと道を分かつことになっても、今のその気持ちがあれば再び同じ場所に立てるはずよ、きっと。 さ、あんた達もケールが木から落っこちないように、ルリマダラオオクワガタ探しに行ってらっしゃいな♪ (……ルクス、セレス。ここは本当に宝石箱みたいな場所だよ、眩しくって泣けるくらいに。いつまで眺めていられるかなぁ……)
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わたしは、よく泣く娘だった。 王家に連なる古い血筋と、広大な封地をおよそ三百年に渡り代々伝えてきた家の長女として生まれたわたしは、その他のものと同じように受け継がれてきた慣習に従って、赤子の時分から世話係の手によって養育された。 なに不自由なく育ちはしたが、およそ親子の触れあいという意味においては、わたしは父とも母とも疎遠だった。 父公爵は山を隔てた都で国王の補宰として勤めることが常であったし、同じ屋敷に起居してはいても母と会えるのは、いつも昼下がりのお茶の時間と夕食の大広間に限られた。 疎遠ではあったが、父母は子供に対する愛情が薄かったというわけではなく、厳格ながらも善良な人たちであった。 時おり屋敷へと戻る父は、いつも手土産として都で流行りの菓子や、よその国から取り寄せた人形などを手ずから贈ってくれた。そうして、やはりいつもその大きな手でわたしを抱き上げて顎鬚の相好を崩して笑った。 毎夕、勉学の励み具合を問われ、応じれば微笑みと共に少しの賞賛とさらなる期待を寄せられるのが母とのくすぐったくも嬉しいひと時だった。 けれど、それだけ。 物心ついた頃から自室を与えられ、夜には身の回りを世話する者もわたしを夜着へと着替えさせ、髪を梳き終わると部屋を出て行く。再び朝の日が昇るまで、幼な子には広すぎる部屋で一人きりで眠らなければならなかったわたしは、大抵の子供がきっとそうであるように夜の闇が恐ろしく、大抵の子供がきっとそうされるように母から『だいじょうぶよ』と抱きしめられて眠りに落ちたことが無かった。 バルコニーへと続く硝子戸から星明かりも差し込まぬ暗い夜は恐ろしさもひとしおで、昼間に怪物や狼が現れるような物語を読んで聞かせた世話係と、せがんだ己を恨みながら夜具に潜り込んで丸くなり、風が戸を叩く音に怯えてはすすり泣いたものだった。 そんな夜を何度繰り返しても、わたしは闇に慣れることがなく、夜が嫌いだった。 ところで、わたしには四つ年の離れた兄がいた。 父に似て少しくすんだ銀色の髪を受け継いだわたしとは違って、母譲りの眩いような金色の髪と、貴かんらん石のように緑がかった金の瞳をした兄は、嫡子として、またいずれ家を継ぐ者として、わたし以上に父母の期待を背負って厳しい傅育を受けていた。 食事の時間以外は家庭教師が張り付いての勉学に追われていた兄は、妹であるわたしと兄妹らしく過ごすような時間を日中に持つことも無く、最も近しい年齢の存在でありながら共に遊ぶことはおろか、言葉を交わす機会も自然少なかった。 けれど時折、食器の鳴る音以外には静か過ぎる食事の席で目が合うと、その宝石のような金の瞳をきゅっと緩めて見せてくれるのがわたしは好きだった。 そうされるとなんだか、静まる食卓の居心地の悪さに共感されて笑いかけられたような気がして、ほとんど口をきく機会もない兄を存外茶目っ気のある人物だと、そんな風にわたしは勝手に空想し、彼を身近に感じていた。 その日は昼から黒い雲が遠く山の上にかかり、生暖かな風が何かの前触れのように屋敷の木々を揺らしたので、母はお茶の時間をお気に入りの庭を眺めることのできたテラスではなく、自室で過ごした。 一方わたしと兄も、世話係と家庭教師がそれぞれについてはいたものの、珍しく日中を同じ部屋の中で過ごすことになった。 夕刻が迫ると、空は真っ黒に蔭り、生暖かかった風はぐっしょりと不快な湿り気を帯びて窓枠を越えて吹き込んだ。 いつもより刻限は早かったが、明かりを灯す必要を感じた世話係たちが部屋を離れていたとき、突然空が閃いたかと思うとお腹の底をぎゅっとさせる轟音が天も裂けよと鳴り響いて、わたしは悲鳴を上げて椅子から滑り落ちると膝を抱えてうずくまった。 部屋の対角に置かれた別の机から何事か聞こえたような気がしたけれど、雷に怯え世話係の名を呼んで泣き叫ぶわたしにはよく聞きとることができなかった。 やがて降り出した大粒の雨が、屋根と窓とを叩く音で雷の音は幾分まぎれるようになり、燭台に灯された明かりと世話係の背を撫でる手に落ち着きを取り戻した私は、ふと兄が何か声をかけていてくれたような記憶を手繰って視線をやってみたけれど、既に兄は再び家庭教師の背の向こうで何事か書き取りを行わされていて、視線すら交わすことができなくなっていた。 夕食時、縦長の食卓の遥か上座に腰掛けた母から、雷に怯えなかなか泣き止まなかったことについて、やんわりとだが叱責を受けた。 母は物静かで温和な人だったが、不在がちな父に代わって家長であらねばならず、使用人を用いる立場である自分たちが取り乱したり、毅然とした態度を保てないようなことをひどく嫌った。 表情を読み取ることもできないほど遠くに座る母の声音は穏やかではあったが、それは雷に怯えた娘に『怖かったわね』と労うものではなく、立場ある者として己を律しなさいと嗜めるもので、わたしはとても悲しい気持ちで匙の中ですっかりぬるくなったスープを口に運んだ。 わたしの向かいで、母との中間の位置に腰掛けるはずの兄の顔は見なかった。きっと出来の悪い妹にがっかりする顔をしているのだろうと思ったから。母の声に含まれた硬質的で冷ややかな響きと同じように。 寝室に下がる刻限になっても相変わらず雨音は強く、時折激しい風が硝子を嵌めた窓枠を強く打ってガタガタと嫌な音を響かせていた。 寝台へと横たわると、燭台に覆いをかけて灯りを弱めた世話係に、もうしばらく部屋にいてくれとせがんでみたが、彼女は申し訳なさそうに少し表情を曇らせ、謝罪の言葉と共に一つ礼をすると、いつもと同じように寝室を出て行ってしまった。 恐らくは、わたしがそのようにねだるであろうと察した母から止められていたのであろうが、当時のわたしにはそのような事情も、心苦しかったであろう彼女の心中など思いもよらず、世話係の薄情さにひどく傷ついたことをよく覚えている。 不気味な風雨の音から逃れるように、頭まで夜具へと潜り込んでみたが、柔らかな羽毛が詰まった上掛けは暖かくはあっても音までは遮ってはくれず、不規則にガタガタと鳴り、あちこちで悲鳴のように軋む屋敷が立てる音が恐ろしくて、わたしは一人夜具の中ですすり泣いていた。 やがて再び雷が轟きだした。夜具の中だったので夜空を裂く閃光は見ずに済んだものの、閃きの後にやってくる、あのつんざくような轟音に身構えることも出来ずに、ドーンっというあの音が響くたびに私の身体は強張り、なんだかお腹まで痛むような気がして、わたしは心細さに震えていた。 どれくらい身体を丸めていただろうか。 いつ止むとも知れぬ風雨と雷に眠ることなどできず、ただただ夜明けだけを心待ちにしていたわたしだったが、また大きな雷がばりばりと轟音を立てた直後、寝室とテラスを挟む硝子戸が一際大きくガタンと鳴ったかと思うと、寝室にびゅおっと風が吹き込み、私は夜具の中で悲鳴を上げた。 「だいじょうぶだよ。扉はもう閉めたから静かに」 再び硝子戸の鳴る音がしたかと思うと、一瞬吹き込んだ風はすぐに止み、押し殺したような声が夜具越しに聞こえて、わたしはぎょっと身を固くした。 「僕だよ、わかる?」 再び夜具越しに届いた声音はまだ幼い少年のもので、そう……それは、聞きなれたものではなかったけれど、確かに兄の声だった。 深夜の珍客に、嵐への恐怖を一瞬忘れた私は身じろぎ、恐る恐る夜具から顔を出してみると、そこにはやはり兄が裸足に夜着と髪をずぶ濡れにした姿で立っていて、わたしは幻でも見ているのかと瞳をぱちくりと瞬いた。 「……おにい……さま?どうして」 兄の寝室はさらに上の階にあり、深夜の……ましてやこの嵐の中をどうやってわたしの寝室の外のバルコニーに降り立ったのだろう。いや、それよりもなぜ、ろくに口をきいた事もない兄が、こんな真夜中にわたしの部屋に、ずぶ濡れの格好で立っているのかが分からなくて、わたしは問いかけの続きも口に出来ずに、ただただ濡れ鼠の兄を呆けたように見つめた。 「うん、ちょっと……秘密の方法があってね。昼間ずいぶん怖がっていたから、眠れないんじゃないかと気になって……あぁ、でも僕がここに来たのは内緒だよ」 朝までに乾くといいけれど、そう言いながら兄は濡れそぼった髪を絞り、自分から染み移った水気に逆立った絨毯を気にするように足元を所在なげにするのを、わたしはやはり瞳をぱちぱちと瞬いて見つめていた。 その時は気付いていなかったが、突然の珍客の訪問によって、わたしの意識は不気味な嵐が立てる音の恐怖から解き放たれていた。 兄の言葉で、母から叱責された昼間の失態を思い出して恥ずかしくなったわたしは俯いたが、兄の声音は今までわたしが想像の中で思い描いていたものよりずっと柔らかく、ずっと気安いものだった。 「母上のお言葉は気にしなくていいんだよ。あの人は使用人の手前、ああいう風に言わなければいけないだけだから。こんな嵐は僕だって初めてだし、ステラがびっくりしたって何もおかしくはないよ」 兄の言葉にわたしは驚きっぱなしだった。 兄が母を「あの人」と呼んだこともそうだったが、兄がわたしを気遣ってくれたこと、何よりわたしの名前をまるでいつもそう呼び倣わしているかのような気安さで呼んだことが。 それと同時に、昼間に聞こえたような気がした声は、やはり兄のもので、それは雷に怯えるわたしを叱責するものではなく、気遣ってくれたものだったのだと、今更ながらに気付いた。 「そっち、座ってもいい?」 寝台の隣に置かれた椅子を兄が指差すのにコクリと肯くだけで応じてしまったわたしは、寝台から兄を立たせたまま椅子を勧めることも失念していた己の無作法にまた恥ずかしくなったが、兄は別段気にする風でもなく裸足の足でぺたぺたと絨毯の上を進むと椅子に腰を降ろすや、座面に両足ごと引き上げて胡坐をかいてみせた。 母が目にしたら、綺麗に整った眉を逆立てて怒りそうな不調法だったが、兄は慣れた様子でいて、またそれが不思議と絵になっていた。 寝台脇に陣取った兄は、次々とわたしに話しかけてくれた。 本当はもっと前に訪れたかったこと。 けれど、なかなかそんな機会もきっかけもなかったこと。 そもそもなぜ兄妹なのに日中一緒に遊ぶこともできないのかだとか、自分の家庭教師の授業がひどく退屈だ、などと愚痴めいたものまで披露するのを、わたしは新鮮な驚きに包まれながら耳を傾けた。 兄の印象はまるでわたしの想像とは異なっていたが、わたしを気遣い、どのようにしてか、この嵐の中をずぶ濡れになりながら訪れてくれた目の前の兄の姿は、むしろわたしにとって好ましいものに感じられた。 そんな兄の話に耳を傾け、まだ言葉少なに肯くことで意思疎通をしながら会話を成立させていたわたしは、すっかり嵐のことを忘れかけていたが、再び一際大きく窓の外が閃いた。 寸毫置かずに鳴り響いた轟音に、ヒっと声を上げ肩をビクリと震わせたわたしは、思わずぎゅっと瞑った目を恐る恐る開くと、兄は穏やかに笑いかけていた。 それはなんだか「仕方ないなぁ」と苦笑するような感じで、兄という人についての印象をすこしずつ上書きし始めていたわたしは、そこに気恥ずかしさよりも、安心するような気持ちを覚え始めていた。 「ステラは雷が苦手みたいだね」 つんざく轟音など一向に介さぬ様子で笑った兄に、ほんの少し不公平なものを感じながらもわたしは小さく肯いた。 「あの音がするとお腹がきゅっとなるから……それにあの光も、お化けのような怖い影を作るし、音の前触れだから嫌いです」 小さく呟くと、兄は湿り気を帯び夜目にも輝く金の髪を掻きながら、ウーンと少し唸りをあげた。 「音は確かにびっくりはするね。……でも屋敷の中にいれば怖いことなんかないよ。それに光の方はよく見てるとすごく綺麗だよ。僕は夜の景色が一瞬照らされるとことか好きだけど」 あの恐ろしい雷光を綺麗だと言う兄を、まるで不思議なものを見るような目で見てしまっていたのか、少しバツが悪そうに笑った兄だったが、一瞬何事か考えるように瞳を閉じ、再び開いたそこには何やら悪戯めいた輝きが灯されていた。 「……誰にも内緒だよ」 兄は片目を瞑ると、両手を差し出してまるで大き目の鞠を捧げ持つようにわたしの前に掲げてみせた。 何をするつもりなのかと小首を傾げ瞳を瞬かせていると、両手の間に見えない何かが在るかのように視線を送る兄が、ほんの少し瞳を細め、掲げた指先を僅かに震わせたかと思った次の瞬間、わたしは驚きに声を失った。 兄の掲げた両手の間、その中央に爆ぜるように輝く小さな球体が現れ、そこから時折四方八方へと紫に輝く小さな稲妻が出現していたのだ。 紫電は小さくバチバチと唸りを上げて中心の球体から縦横無尽に走っては消え、再び現われを繰り返しながら、兄とわたしを照らし出していた。 「わぁ……綺麗」 「触っちゃダメだよ。ね、綺麗だろう」 思わず手を伸ばしかけたわたしを素早く制止した兄だったけれど、すぐにまた先程までの柔らかな声音で両手を少し高く、わたしによく見えるように掲げて見せてくれた。 「これはなんですか? あの雷と同じものなのですか?」 「うん。小さいけれど同じものだよ、だから触ると危ないけどね。……ね、そんなに怖いだけのものじゃないだろう?」 魅入られるように兄の手の内の不思議を見つめるわたしに、兄がそう応えて、わたしはコクリと肯いた。 どうやってこんなものを兄は作り出したのだろう。もしかしたらあの家庭教師から教わったのだろうか。もしそうなら、もう少ししたらわたしにも同じことが出来るようになったりするのだろうか。 続けざまに問いを投げたわたしに、兄は少し困ったように笑っただけで小さく首を横に振った。 「僕にもよくは分からないけれど、僕はこういう他の人がしない、ちょっと変わった事ができるみたいなんだ。でも誰にも言わないで」 二人だけの内緒だよ。 そう言ってまた片目を瞑ってみせた兄に、なぜ内緒なのかと問いたい気もしたけれど、なんだか『二人だけの秘密』という言葉の方に魅力を感じたわたしは、藤色に輝く光越しに兄に大きく肯いたのだった。 それ以来、わたしは雷をあまり恐ろしく思わなくなり、その夜を境に兄は頻繁にわたしが一人になった寝室を訪れてくれるようになったことで、夜は私にとって楽しみな時間へと変わり、もう怖いとは感じなくなった。 わたしは色んな兄を知るようになり、紫の雷光以外にも兄が不思議な力をいくつも持っていることを、そしてそれが他の人たちが普通に持っているものとは大きく異なるものだということに気付いた。 けれど、わたしにとって兄は他の人と異なってはいても、他の誰も夜を恐れるわたしに言ってはくれなかった「だいじょうぶ」をくれた唯一の人であったから、誰よりも兄を近しく慕った。 兄の持つ異能は、むしろわたしと兄とを結ぶ二人だけの秘密であったから、わたしはそれを好ましいものと捉えていた。 その力が二人だけの秘密ではなくなり、兄がわたしから遠く離れていってしまう原因となる、その日までは。
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ウィスタリア帝国魔道大家 一般にファルージュ、ノエイン、ウォルブランの三家を指す。 【ファルージュ家】優れた結界術士を輩出する一門であり、祖は帝国軍人の家系であったが中央における役職からは長らく離れている。現在は魔道流派としてよりも、独自の多角魔道産業によって財を成しファルージュ財閥として一般に広く名を知られる。城砦配備の大規模結界術機構から家庭の防犯までを売り文句に始めた魔晶利用産業は今や応用結界術に留まらず、あらゆる分野の魔道商品を扱う一大企業グループとして大陸中にその名を轟かせる。宗家直系の者にのみ伝えられる空間圧縮術式が存在し、この亜流である術式を流用した圧縮配送便は大陸の物流・商流に大きな変革を与えることとなったベストセラー商品である。 魔道・魔技術の恩恵を一般社会へ還元し、魔術士の社会的立場の向上という点において多大な貢献を果たしたファルージュであるが、一方では魔術の兵器転用・戦場運用にも熱心であり魔道戦術研究所を抱え戦術級魔術式や魔道兵器の開発と軍部への供与等に余念がなく、総領家はあくまで帝国臣下の立場を取りつつも、グループ傘下末端の企業からは他国と魔武具や魔道兵器の取引をも行う等、死の商人としての一面をも有する。 過去に事故として処理された大規模な魔術暴発事故の幾つかや、それに起因した紛争などの裏にファルージュの暗躍があったといった噂が絶えない。 【ノエイン家】大陸魔道協会創設メンバーの一員として大陸魔道史に記されるのを皮切りに、多数の魔道協会理事メンバーを排出する一門にして現代元素魔術の基本術式の開発と体系化を図った一族でもある。国家に所属しない組織である魔道協会の歴代理事に一門を送り込む一方で、総領家はウィスタリア帝国筆頭宰相や宮廷魔道師長を輩出する帝国譜代の重臣にして政治家でもある。 ウィスタリア帝国に名高い魔道学院の創始者にして魔術士の聖人として奉られるリュミエール卿の直弟子をその祖とし、往時の魔力制御は師をも上回ったといわれる初代の名に恥じぬ大魔導師を幾人も血統より輩出し続けていることから大家三家の中では最も魔術士一族としての色合いが濃い。 【ウォルブラン家】 かつてウィスタリア帝国と干戈を交えた国家に用いられていた傭兵団を率いた人物をその祖としており、他のニ家と異なり帝国譜代の家柄ではない。優れた魔術士を多数直系より輩出もしているが、その真価は配下に抱えた独自の攻城魔術部隊にある。攻城魔術(戦術級大規模魔術)は統律者(コンダクター)以下、個別の役割を担った複数の魔術士によってその発動・制御が行われるために魔術小隊としての練度がその正確性・威力を大きく左右するが、ウォルブラン家臣団を中心とした攻城魔術隊の練度は他のそれの追随を許さぬ域にまで研鑽されており、その打撃力は他国にとって脅威の的である。然しながら、ウォルブラン家の名声は破壊力ではなく、大出力でありながら針を通すと称される制御力とともにあり、他国の戦術級魔術の迎撃相殺や城砦の鉄門のみを撃ち貫いた強力にして鮮やかなる正確無比な技を戦史に多数刻んでいる。 帝国の魔道技術を背景に、さらなる国土拡張を主張するファルージュに対して、ウォルブラン家はあくまで大規模戦術級魔術は自国へと向けられた暴威に対する対抗策にして抑止力・攻城戦の死傷者を最小限とする為の技術であって殺戮兵器に非ずという態度を貫き、魔術の力を律することを家訓としている。 ファルージュの家紋が盾、ウォルブランが戦槌をその意匠としていることから、ニ家の対立は『盾にして凶槌、槌でありながら大盾』などといわれている。
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「……分らないよ、今だって自分が生きているのかすら分らないんだ、ジュカ」 結局答えを見つけられなかった彼の問いに、届かぬを幸い、一度も呼んだ事の無い彼の愛称と共に、言い訳がましくノブに掛けた手もそのままポツリと呟く。 でも、と。 愚かで穢れきったこんな自分にも大切なものがあった。 妹に、家族に、隣人だった子供たちに、"明日"を許して欲しかった。そして、髪を撫でてくれた日の大きくてまだ温かかった手を差し伸べてくれたあの悲しい魔導師と、彼の妻にも。 間違いだらけの道を選んできた自分に断罪者の権利などないことはとうに分かっている。 それでも、この"どうして"と、己と誰かに対して訴えて鳴る恨みの声が、今もこの俺を動かしている。 それだけがきっと…… -俺が生を許された理由 この扉の向こうにその答えがある。 だから、それももう終わりとなるかもしれない。 侵入の為の手は打ったが、脱出のそれについては考えなかった。火薬壷による騒動が魔力探知を掻い潜る為の陽動でしかないと気付けば、警備は侵入者の目的が館の反対であるこの場所であると容易に気付くだろう。侵入路の限られたこの離れに人が押し寄せれば、脱出は適うまい。 ノブを握った手を覆う黒い革手袋へと視線を落とす。 殺さないことは、殺すことの何倍も難しいことを知ってしまったから。自分の中で無意識とも思える殺意が沸くたびに、革のうちに潜むあぎとに肉を噛まれるたび、いかに自分が容易なものを選んできたのかを知ってしまったから。 だから、わかる。 この扉の先に進めばきっと、あの穏やかなブドウ畑を臨む赤い屋根の家にはもう…… 『お前は今でも"死にたがり"のままなのか?』また彼の声が聞こえる。 この先に、死人たる自分が生を長らえることを許された意味がある。 全てを知ること、その上でこの手袋の獣が自分を噛むならば、最後に一度だけ、その警告に自分は背き、願うままに文字通り血塗れた手を再び振るうだろう。その瞬間、自分は生きたと言えるのではないだろうか……。 そして、生きたのならその後は…… 崩れ落ちる塔への連絡橋、伸ばされた手を拒み、その残骸と共に落下する自分を見つめたあの瞳と、『簡単に死ぬなんて許さない』そう叫ばれたあの日の声がこだまする。 あの領主の友人たる、お人好しの青年。泣けない泣き虫が怒ったように向けてきたあの瞳はきっとまた怒るのだろうな。ふとそんな気がした。 「もう、違うよ……でも、きっと帰れない……」 逡巡を断ち切るように呟いて、そのノブを回した。 押し開いた扉の中は薄暗く、絡みつくように澱んだ空気と、すえた臭気が立ち込めていた。 部屋に漂うその臭い、気配は自分には馴染んだものだった……まだかろうじて生きているものだけが放つ独特の死臭だ。 当主の間が、私室と寝室を兼ねているだろうことは想像していたが、思っていたものとは些か違った光景。 部屋の中には薄布で間仕切られた大型の寝台が一つ置かれたきりで、側面に置かれた大掛かりな装置から放たれた仄かに青い魔晶の輝きが、寝台に垂れた薄布をぼんやりと映し出す。 腰の後ろから音も無く抜き放った刃が、室内の青い光を吸い込んでまるで氷柱のように切っ先を閃かせる。 廊下同様に深い絨毯を敷き詰めた部屋の中央、部屋の主を横たえた寝台へと近づくごとに濃くなる澱んだ臭いをものともせず、無感情に歩を進め寝台の足もとへと辿りついて、立ち尽くす。 -……なんだ……コレは あらゆるおぞましい光景を作り出し、茫洋と眺めてきたこの身ですら、その異様さに後ずさりかけて踏みとどまる。 薄布越しに横たわったソレは……まるで、生きた屍だった。 全身から削げ落ちた肉の代わりに痩せ細った骨の輪郭を浮き出す、たわんだ皮膚を被せたかのような痩身の至るところには差し込まれた針。針と繋がった管は無数に伸び、寝台の傍らで静かに唸りを上げる設備と繋がった、老人……その肉体、あるいはそのなれの果て。 設備を稼動させているのであろう魔晶が灯す青い光を布越しに受ける胸には、胸当てのように別の何かが埋め込まれ、朽ちた全身と不釣合いなほどに骨の浮き出た胸を測ったように規則正しく上下させている。 老人の胸を押し上げるごとにどこからか空気の抜けるような規則正しい音だけが室内に響く。 全身至るところに埋め込まれた設備、あらゆる肢体に突き刺さる無数の針と管、自らの意思ではなく、設備によって促されて上下する胸と脈動する皮下に透けた血管……。 かつてどんな凄惨な光景にも眉を潜めたことすらなかった身体が怖気を催して粟立ちと共に、言いようの無い吐き気にも似た不快感を伝えてくるのがわかる。 一体コレはなんなのだ、ここに居るのはファルージュ財閥の宗家当主アルベルト=ファルージュその人ではないのか。 いや、ファルージュの当主は数十年前一度代替わりしたものの、新当主は数年にして死亡し、前当主アルベルトが再びその座に就いたはず。それ以降、代替わりはなされておらず、とすればアルベルトは齢100を遥かに越えていても不思議はない。 けれど……けれど本当にこんな老人が……いまや自ら呼吸すらできないこの人物が、自分の故郷を焼かせた張本人なのか。たとえ当時が齢90前後だったとしても、そんな老人が一体何を求めてあのように残忍なことを命じ、今もおめおめと生き続けていられるのだ。……そもそも、こんな姿を生きているといえるのか。 喉元に切っ先を突きつけ、なぜ故郷を焼かねばならなかったのか、その理由を知りたいと思った。 ここに辿り付くことさえできれば、それは造作も無く、その理由に納得がいこうがいくまいが、城砦都市カルーナから唯一生き残った者として、ただ、ただ思い知らせたかった。 お前が言葉一つ、指先一つで"明日"を奪った者たちがどんなに……どんなにありふれて、穏やかな一日を過ごしてその夜、眠りに就いたかを。 お前と同じように、"明日"が来ることを願うまでも無く、それが本当は無いことなど知る由も無く、みな明日という一日を……仕事を、目的を、約束を思って眠りに就いたのだ……俺が考えることを放棄し、盲目のまま奪ってきた全ての命と同じように。 そう、俺とお前とは同類だ。だから、だから俺もお前もここで……終わるのだ、と。 なのに……。 なのに、なんだこれは。この、魔道器によって息を継がされる、かろうじて人の形をしたものは。 短刀を握り締めた手の内が痛いほど締まり、ギリ……と知らず奥歯が鳴った。 手袋の内に牙が突き立つような痛みが迸るのも構わず、カッと何かが弾けるように視界が赤く染まって寝台から伸びた無数の管を左手で束掴む。 「……フェルナン……か」 どこかヒュウと空気の漏れるような音にも似た、しゃがれた声だった。 持ち上がった管の振動が針から伝わったものか、薄布の向こうで横たわったソレが身じろぎもせずにうっすらと開いた瞳は、何をも映してはいなかった。白く濁った眼球がそこにあるだけ。 けれど……生きていた。 呟いた名には聞き覚えがあった。ファルージュの過去を調べる中で知った前当主の息子、つまりアルベルトの孫にしてファルージュ宗家の血を引くその人物は家を出奔し、長らく消息不明となっていたが、あの賢者の塔崩落から数ヵ月後、事件の首謀者として名を挙げられたあの人に加担していた嫌疑によって帝国から査察を受け、幾つかの業務に対して操業停止を通達されて零落したファルージュ一族の元に突如として舞い戻った人物。右往左往しながらも保身に余念の無い一族を横目に、査察の余波によって蜥蜴の尻尾のように真っ先に切り捨てられた末端の従業員へ、宗家の私財を投じて保障を行っているという噂もあった。その孫の名だ。 「……こんな……ところで何をして……おる。稼がんか……一刻と無駄にする……な。わしは……わしはまだ死なんぞ……ハイラルめ……とんだ食わせ者じゃった……ヴェルツヴァインは惜しいことを……したが、まだ……連邦がある。何でもくれてやれ……わしの命を繋がせるのじゃ……」 意識は混濁しているのか、相変わらずヒョォと漏れ出る空気のような音に挟まれて、老人が虚ろな瞳で呟き繰り返す言葉の意味は判らないが、それは命乞いのようにも聞こえなくもなかった。 ハイラル……老人があの人の名を口にするのを聞いて、ますます手の中の痛みが増す。いまやぐっしょりと血を吸った革の内から染み出た滴りが、掴んだ透明の管を紅に染めていく。 「お前が……お前があの人を追い込んだ。お前が……。答えろ、なぜだ」 なぜカルーナを焼かせたのだ、なぜ敵国であるはずのヴェルツヴァインの為に。 なぜカルーナだったのだ。 なぜ……あの人の愛した人と、俺の家族を焼いた。なぜ俺と妹に四葉のクローバーを探す明日を許してはくれなかったのだ。なぜ俺はあの日、草叢を次から次へと掻き分ける妹に、四葉を見つけてはやれなかった。 教えてくれ、なぜだ……。 管を掴んだ手に思わず力がこもり、内部を流動する液体が詰まりでもしたのか、傍らの設備が異常を知らせるように赤く光る点を明滅させ始めるのを見て慌てて力を緩めた。 苦しげに喘ぎ始めた老人を見下ろして、自らもわずかに荒くなった息を整えるように一つ吐き出す。 まだだ、まだ答えを聞いていない。 「答えろ……」 見えているのかはわからないが、掴んだ管の束を一層持ち上げて、熱に浮かされたように自らの命を継げと呟き続ける老人に、今は自分に生殺与奪の権があることを主張した時だった。 やにわに部屋の外、廊下の向こうから喧騒の音が近づくのに気付き、身を乗り出してもう一度低く、けれどはっきりと問うた。 「答えろ。なぜ城砦都市カルーナを焼かせた」 もう時間が無い。喧騒はいまや扉のすぐ向こうにまで迫っていた。 なんとしても答えを聞かなくてはならない。それは、この老人と自分の終わりを告げるであろう喧騒だったから。