約 4,199,413 件
https://w.atwiki.jp/kt108stars/pages/6064.html
829 :NPCさん:2011/07/13(水) 17 53 53.80 ID ??? 10年以上前の話だけど、女性参加者は嫌な思いをする場合が多かったよ。 うちの地域だけがおかしかっただけかも知れないけど。 女性PLやGMを格下にみた言動なんかカワイイもんだ。 女性参加者が座る席を指定するので、システムやGMを選べない。 くどいぐらい女性キャラをやるよう言ってくる。 女性参加者に断りなく(参加者の)ミスコンを開催する。 断られても断られても、個人情報を聞き出そうとする。 帰り道につきまといや尾行をする。 うちのサークルは女性参加者オンリーコンベをやってたから、 当時は色々、ハーレムサークルだの言われてたみたい。 もちろん、全てのコンベが酷いわけじゃないし、 酷いゲーマーは一握りだっていう大前提は分かってる。 830 :NPCさん:2011/07/13(水) 17 55 10.34 ID ??? どこもそうだったらしいし気にしないでいいよ 831 :NPCさん:2011/07/13(水) 17 57 46.41 ID ??? 地域って、やっぱり関東圏? 地方じゃ女性オンリーなんて不可能だものなあ スレ277
https://w.atwiki.jp/kt108stars/pages/3577.html
778 名前:NPCさん[sage] 投稿日:2008/07/10(木) 05 54 03 ID ??? 昨日のコンベで隣に座った30くらいの若ハゲオヤジに 「君、ムネ大きいね~」と言われながら指でムネを突っつかれた。 とっさにひっぱたいてそのまま帰った。 暴力はこのスレ的には御法度だが後悔はしていない。 779 名前:778[sage] 投稿日:2008/07/10(木) 05 58 01 ID ??? 778 ごめん寝ぼけてた 昨日の→× この間の→〇 スレ188
https://w.atwiki.jp/harme/
HARMEは解凍されました Atakamo
https://w.atwiki.jp/siomura/pages/17.html
j-cast 塩村文夏都議、過去の「金目当て発言」が話題に フィフィ「違和感ある」や「品格問題」指摘する声も J-CASTニュース http //www.j-cast.com/2014/06/25208745.html?p=all 「セクハラやじ被害」塩村議員、尾行されている? 「大きなバン、セダン、小型車…不気味」 http //www.j-cast.com/2014/06/24208521.html セクハラやじ問題、追及側に「中傷・脅迫ファクス」も 支援都議に「死んで詫びる覚悟できてるんだよな」 http //www.j-cast.com/2014/06/22208363.html 塩村都議「ヤジ議員は決して一人ではない」 名乗り出ない場合に刑事告訴排除せず http //www.j-cast.com/2014/06/24208589.html naver <塩村文夏の噂>有吉と水着写真、三谷英弘と不倫、ニセ乳Dカップ、偽装妊娠で慰謝料、家賃滞納でレクサス http //matome.naver.jp/odai/2140359969354099601
https://w.atwiki.jp/another-legend/pages/223.html
え~みなさま、あけまして おめでとうございます。 新年 早々とギルドメンバーのみ~ちゃんの父さんが、2次転職を迎えられました。 ギルメンが集合し、み~ちゃんの父さんのお祝いに駆けつけまして、 盛大な祝杯を挙げてる模様です。 み~ちゃんの父さん、これからもTSライフを楽しんでください。 そして、みなさま 今年も宜しくお願いします(^-^*)/ by.バサラ 【今までの訪問者】 - 【今 日の訪問者】 - 【昨 日の訪問者】 - 【コメント】 注意:1行繋ぎで、コメントよろしくです。 Enter押すと投稿されます。 みー、二次転職おめでとう^^ -- えんちょ 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/1282.html
彼の名は色丞狂介、ごく普通の刑事です。 彼はごく普通のM属性な刑事を父に持ち、 ごく普通のS属性なSM女王様を母に持ち、 ごく普通に変態的な血を受け継ぎ、 ごく普通に女性物のパンティを被って変態し、 ごく普通に悪人を男性物のパンツの中に放り込んでお仕置きしていました。 でも、彼は、変態仮面だったのです。 『でも』の接続詞の意味がまったくありません。 しばらく天井で回りながら歌っているとルイズが悶絶するように就寝しました。 変態秘奥義の威力はすさまじいのです。 ちなみに今の技はベビーベットと、赤ちゃんの上に吊るして回転させて楽しませるおもちゃにヒントを得て繰り出された技でした。 変態仮面はソレを見届けると、魔法学園の治安を守るために夜の寮内をパトロールに出かけましたのでした。 そう、彼は変態仮面に変態すると、大抵はそのままパトロールに出かけてしまうのです。 どう見てもあなたが一番の不審者です本当にありがとうございました。 さて、そんな風に変態仮面がブラブラと歩いていると、当然ソレを目撃してしまう困ったちゃんが出てきます。 ちなみにここは女子寮ですから。 ◆ ◆ ◆ みんなのロリッ娘タバサは、今、非常に緊急を要する事態に陥っていた。 こんなことになるならイーヴァルディの勇者~鬼隠し編~など読まなければ良かった。 無料配布でラッキーと思っていたが、こんなにコワイコワーイお話とは思わなかった。 ぷにぷにとかわいらしい絵柄に騙された。 序盤の穏やかな雰囲気に騙された。 でも良く考えてみればヒロインが血まみれのナタを持ってる時点で怪しいと思うべきだった。 だが、もう限界だ。このままトイレに行かずに朝を迎えることは出来そうにない。 急がなければ恐るべき事態を引き起こすことになる。 ぺたぺたぺたぺた ぺたぺたぺたぺた、ぺた 今、足音が、一つ多かったような……? ぺたぺたぺたぺた ぺたぺたぺたぺた、ぺたぺた な、なにかいる!? いや気のせい気のせい ぺたぺたぺたぺた ぺたぺたぺたぺた、ジャキィーンシュバッ!フォォォォ! 何かがいるなんてモンじゃない!? 得体が知れないものがいる!! とりあえず私は視界の隅に移る雄たけぶ影に対して不意打ちでエアハンマーを撃ち込んだ。 が、ダメ!その奇怪な人影は仰向けになり倒れこむようにして空気のかたまりを避けると、 ビシッ カランッ 「あ」 後ろから伸びてきたムチのようなものに絡めとられ杖を落としてしまった。 どうやら私の死角を縫うようにしてムチを伸ばし杖を弾き飛ばしたようだ。 変態的に仰向けに回避したのはムチを操る手を見せないためか!? と、私は動揺していた。後日、彼は何をするにも変態的な人だと気づくのに1年近い時間を要した。 なんという強敵!なんという戦闘経験!!! こうなったらシルフィードを呼…… と、思ったところでまたも機先を制された。 「お嬢さん、落としましたよ」 ぬ、とパンツを頭にかぶった猛禽のような目をした男が杖を差し出していた。 しかもなぜかちまきパンツ一丁で、網タイツまで常備していた。 私はあまりの恐怖のあまり声もあげられませんでした。ついでにリミット突破 「む、トイレに行くところだったのか、驚かせて失礼した」 思わぬ反応とアクシンデンツ、それに小さい少女だったことで変態は変態なりに少し気まずそうだった。私の方が気まずいに決まっている。 ◆ ◆ ◆ 「これはベビーパウダーだ。つけるとかぶれずにすむ。 こっちは替えのパンツだ。おわびとしてプレゼントしよう。 いや、正直驚かせてすまなかった。ここは私が誰にも見つからないうちに掃除しておく」 などと言いながら股間のパンツの中から、缶やらパンツやら雑巾やらを取り出していきました。 ロープやムチやロウソクや手錠をうっかり出して仕舞い込んでいたりもしました。 さっさかさっとてきぱきと床をぬぐっていくパンツ男をタバサは魂を半ばまで抜けさせながら見つめていました。 股間からナニを取り出しているの、とかあなたは誰とか、こんなときどんな顔したらいいのかわからないとか、何一つ気の利いたツッコミを入れることができませんでした。 いや、人に出くわしたので気配を消して隠れたら、感づかれてしまったのでつい興が乗ってポージングして雄たけびを上げるもんじゃないな、とか変態仮面は思ってました。 「では、この下着は私が責任を持って洗濯しておこう。さらばだ!」 そういうとパンツ男は一礼してシュッとそのまま窓から飛び出して去っていきました。ちなみにここは4階です。 夢か幻か。 しかし夢でないことはちょっとスースーすることと、いつのまにか湿気ッたパンツを持っていかれたこと、手に渡されたちょっとぬくもってるパンツが教えてくれました。嫌な教え方です。 とりあえず記憶にロックで鍵をかけて布団を被って寝る事にしました。 誰かが仰天してあげる叫び声の合唱も、ベッドの下にいるような気がする誰かも無視して寝ました。 ギーシュ・ド・グラモンは愛しのモンモランシーとの逢引を終え、人目を忍んで男子寮に戻る途中でした。 すると、洗い場の噴水の方で、男が一人パンツを洗っているのを見つけました。 ギーシュの立ち位置は真横からだったのでほとんど裸(ら)に見えて、すわ変態かと驚きました。 どうやら下着を引き伸ばして肩のところで止め、頭からは女のパンツを被っているという独特のファッションセンスをしている男のようでした。 なんだ、全裸の変態じゃないんだ、とギーシュは胸をなでおろし構えていた杖を下ろしました。 モグラを世界一美しい使い魔と自称するギーシュ・ド・グラモン。 彼にとって全裸はエラーですが、パンツ男はセーフラインだったようです。 彼は聞きました。失礼。あなたはどうしてパンツを肩の所でクロスして履いているのですか? すると変態仮面は答えました。身が引き締まるからだ。 彼は悟りました。なるほど、僕も今夜からはそうしよう。そして引き締まった薔薇になろう。と 変態仮面は驚かれなかったことに対して少しさびしそうでした。 ただただ、双つの月が生暖かく見つめていました。それ以外にどうしろというのでしょうか。 さて、変態仮面はパンツを洗い終えると変態的に大回転し、パンツの水気を切ると物干し竿に干しました。 「それにしても月が二つか…… 本当に異世界なのだな」 普通の使い魔なら、ここでなんとか元の世界に戻らねばとか置いて来た家族のことを思って月に誓ったり誓わなかったりするのですが、どっこいコイツは変態仮面。 そんな普通の感性は先ほど服と理性と共にルイズの部屋に置いてきてました。 今、ここにいるのは一匹の変態仮面、往年のジャンプ漫画にその名と姿を轟かせた正義のヒーローなのです。 そんな風に夜空を眺めていると、女子寮の2階の窓から忍び込もうとしている影があることに気づきました。 「む!?痴漢か!」 変態仮面はさっそく気配を消し、音もなく壁に張り付き、レンガのわずかな凹凸を手がかりにしてスルスルと登っていきました。 痴漢の鏡のような男です。 どうやらこのままこっそり忍び寄り、タイミングを見計らって股間を掴ませる→おいなりさんコンボを目論んでいるようです。 しかし、窓の外で出待ちをしていると、どうやら痴漢とかではないことがわかりました。 話を聞いていると、どうも夜の逢引をしていたのだけどトリプルブッキングしてしまったらしい。 女一人と男3人で言い争っています。 「ペリッソンあなたは2時間後に」 「マニカンあなたは4時間後に」 「ギムリ今はアナタのターン」 「なんてこったまるでシフト表みたいな扱いじゃないか」 「それじゃあ僕たちは収まりがつかないよ!!」 「そう思うだろ!あんたも!!」 「そうだな」 いつの間にやらもう1人増えてましたが。 「「「「ウワアァァァアァァァァァァ!!!」」」」 いつの間にか窓の外にパンツ男が!パンツ一丁でしかもパンツまで被ってやる気満々のようです。 それにしてもこの変態仮面ノリノリである。 一体どういう魂胆か、ちまき状の股間を強調するような姿勢で、つまりは股間から部屋に入ってきました。 視覚的にキツイです。 「それにしても、痴漢と思いきや不純異性交遊の真っ最中であったとは。 異世界の性は乱れているな」 よりにもよって変態仮面に乱れてる呼ばわりをされたキュルケは涙目です。 「不純異性交遊は計画的にしたまえ。 さもなくば出来ちゃった婚になり、ブルマを選ぶつもりがうっかりチチを選ぶことになるぞ。 さらば!!」 そう忠告すると彼は窓から飛び出し、ヤモリのように外壁をシャッカシャッカと登っていきました。 そのままポカ~~ンとあっけにとられて見上げてると、見上げたせいでまるだしのケツが見えました最低です。 当然のことながらムードも空気もぶち壊しで、その場はソレでお開きになりました。 学園内を壮絶に引っ掻き回した挙句、変態仮面は女子寮の屋根にまでたどり着きました。 「なるほど……これでこの学園の大まかな地理は把握できた」 女子寮の屋根の上で腕組みをして仁王立ち、標準的なヒーローの立ちポーズです。変態仮面でさえなければ。 「む!悪の気配っ!!とうっ」 変態仮面はその身体に流れる刑事の血のおかげで悪の気配に敏感なのです。 この特技を利用してさまざまな悪人---軽犯罪者から重犯罪者まで---をお仕置きしまくっていました。 謎の正義の味方、変態仮面として恐れられていたのは皆さんご存知のとおり。 股間からもぞもぞとロープを取り出し、向こう側の塔の窓の所のでっぱりに投げつけて引っ掛けます。 「変体秘奥義!地獄のタイトロープ!!」 そしてそのままの勢いでロープをまたぐとそのまま股間でロープを滑って去っていきました。 身体をピシッと気をつけのポーズの状態で。もちろんパンツはピチピチで。 スパイダーマンもビックリして手を滑らせかねないほどの変態的移動方法です。 「オールド・オスマン、これで今日召喚された使い魔の書類は全部です」 「ご苦労、ミス・ロングビル」 「あと、ミス・ヴァリエールが召喚した使い魔の平民ですが・・・ ミスタ・コルベールはルーンの写しを持ったまま書庫に駆け込んだまま出てきません」 「コルベールがのう・・・まああやつが知的好奇心に負けるのはいつものことじゃわい。 使い魔の平民の調査は任せておけばいいじゃろ」 「わかりました。夜食の届けついでに調査状況を聞いておきます」 「なんと!コルベールはロングビルの夜食が食えるんかいの!」 「いえ、厨房で夕食の残りを包んでもらったものです」 ミス・ロングビルもといフーケは露骨にコルベール先生の好感度を稼ごうとしています。 それもそのはず、そうして仲良くなっておけば、宝物庫の情報を聞き出しやすかろうという魂胆です。 正直このセクハラ爺よりは騙しやすそうで口も軽そうですからペラペラと喋ってくれるでしょう。 「ところでオールド・オスマン」 「業務連絡の間中、私のお尻を触っているのはどういう了見でしょうか・・・!」 「いいではないかっいいではないかっ!」 「ちょ!やめてください!!」 「我触る、故に尻有りじゃ」 バシンッ! 「最低っ!!」 「ホッホッホッ眼福眼福。 お尻を撫でれておまけに平手打ちもしてくれるとは!一粒で二度オイシイわい。 これだからこの年になってもセクハラはやめられん」 そんな少しアブノーマルなことをつぶやきつつ、ほっぺたに赤いもみじをつけながら先ほどの感触を反芻していました。 立派なダメ老人です。 「それにしてもええ感触じゃった。この手はまミス・ロングビルの乳を触るまでは洗うまい」 さらに犯罪的で少し不潔なことを呟いています。 この学園の風紀はいったいどうなっているのでしょうか!? ヒュゥゥゥ 風に吹かれてロングビルが持ってきた書類が飛んでいきました。 いつのまにか窓が開いていたようです。 「その感触というのはこんな感じか?」 「そうそう、こんな感じの手触りで、 柔らかくてむちっとしててそしてほんのりあったかく・・・て・・・・・?」 そこにいたのは 女物の下着を被り!網タイツを履き!皮手袋を身につけ! 筋肉ムキムキで変態的にポージングしている肩クロスブリーフ一丁の男が!! そして今現在オスマンが触っているむちっとしているモ…ノ……は………… 「 そ れ は 貴 様 の 秘 書 で は な い 。 私 の 秘 所 だ ! ! ! ! 」 「グッ!!ワァァァァァァァ!!!!!」 深夜のトリステイン学園にオスマン学園長のしわがれた悲鳴が響きました。 その声は噴死寸前の大魔王によく似ていたといい伝えられています。
https://w.atwiki.jp/jiisan/pages/10.html
絶対なんとかしてみせる 翌日、私は仕事を休むことにしました。 まず会社に行き、社長と私の担当の課長に娘の身体の現状を話しました。 私は自営とはいえ、いわゆる下請けで、その会社の仕事だけをしていました。 そして社長には、会社でしている積立金の取りくずしを頼みました。これは退職金代わりということと、仮に何か事故があった時の補償にあてるためもので、本来は会社を辞めるときでないと自由にできる性質のものではないのですが、事情が事情だけに、社長は快く取りくずしに応じてくれました。 お金がないために娘を助けられなかったという後悔だけはしたくなかったのです。 そして課長には、今後さらに仕事を休むことが多くなるであろうことを話しました。なんでもいいから、娘のためにしてあげられることがあればしてあげたいという気持と、そして1秒でも多くの時間を娘の顔を見ておきたいという気持です。課長も喜んで協力を約束してくれました。 私がやるべきことの第一は、お金のことです。 妻には娘の生活面、そして精神面のサポートに全力をそそいでもらわなければならないので、経済的な心配はいっさいさせないことにしました。 今までの生活費は切りつめず、さらに娘の身体のためにお金で買えるものがあったら惜しまずに使うように頼みました。 しかし私の仕事の量は減るので収入はかなり減ることが予想されます。会社の積立金くらいではすぐに足りなくなることでしょう。 その解決策として、私は母親から借金をすることにしました。母は自分の老後のためと、4人の息子に(私は4人兄弟の末っ子です)、自分の死後、少しでもお金を分けてあげたいと、コツコツと、しかしかなりの額の貯金をしていました。兄たちには事後承諾で了解してもらうつもりでした。 とにかく今は1円でも多く、娘のためにお金が必要なのです。あとのことを考えている余裕はないのです。 抗ガンサプリメントとの出会い そして次に私のやるべきことは、娘の病気についての勉強をすることだと考えました。 私はわれながら情けないことに、自分の父親を大腸ガンで亡くし、自分の妻が乳ガンで苦しんでいるにもかかわらず、今までガンのことを勉強しようという気持になったことがありませんでした。 自分の大事な人の命を病院の先生だけに任せていたのです。いきなり難しい専門書を読んでも、素人の私には訳がわかるはずはありません。 そこで、『脳内革命』を買った例の古本屋に行きました。ここで目についた本にまず賭けてみようと、いわゆるゲンを担いでみたのです。 当然のことながら最初に探す本は治療について書かれている本です。 そこには「末期ガンからの生還」とか「ガンを自宅で治した」とか衝撃的なサブタイトルのついた、健康食品関連の本が数冊ありました。 そのなかで私は高濃度アガリクスと水溶性キトサンについて書かれている2冊の本をとりました。 本の内容はどちらも、それを飲んでガンが治ったという人たちの体験談が中心に書かれています。50人の方が、アガリクスを飲んでガンを治したと書いてありました。 問題は何人中の50人なのかということですが、娘がその50人のなかに入らないとも限らないし、少なくとも悪いものではなさそうだという認識でとりあえずこの二つを試してみようと決定しました。 われわれ素人にできる戦略は、とりあえず良いと思われるものを試してみて、それでだめなら次に考えるという方法しかとれません。 しかも娘にはあまり時間の余裕はないのです。あっちのほうがいいかとか、こっちにするかとか迷っている暇はないし、実際検討したところで、正確な判断はできないに決まっています。 そこで私は即断即決、次の日も仕事を休んで、妻と一緒に近所の薬局で水溶性キトサンを購入し、高濃度アガリクスはその本に書かれていた電話番号にかけて、とりあえず1ビン注文しました。 本には1日40から60粒も飲んでいたという人の体験談が多く書かれていましたが、とりあえず娘にはキトサンを1日6粒、アガリクス1日20粒を目安に飲ませることにしました。まず初めに少ない量から始め、効果が薄ければだんだん量を増やそうという戦略を立てたのです。 娘は飲むのを嫌がっていたようです。はっきりした説明もなしにいきなり訳のわからないものをすすんで飲む気にはなれなかったと思いますし、それでなくとも病院から出される飲み薬もいっぱいあるのですから。それでも妻は何とかなだめすかして娘に飲ませていたようです。 一応病院の先生には、この二つの健康食品を見せて了解はもらいました。 「別に構わない、いいと思います。実際、患者さんでお飲みになっている方も多いようですよ」とあまり興味は示されなかったようですが、私は「とにかく、これでガンの勢いが止まってくれたらなあ」と祈るような気持でおりました。 6回目の抗ガン剤治療(3月1日) そして3月1日、6回目の抗ガン剤治療が始まりました。 今度の薬は6時間点滴です。とりあえず治療時間が短くなったことを、娘は喜んでいたようです。 吐き気はあまりひどくなかったようです。娘の身体がだいぶ弱ってきたので、あまり強い薬は使えなくなってきたのかもしれません。が、娘には「アガリクス、キトサンを飲んだから副作用が軽くなった可能性があるよ」と言いました。実際、抗ガン剤の副作用を軽くする効果があると、どちらの本にも書いてありました。 ところが、治療が終わった次の日に40度近い高熱が出てしまいました。 病院の先生も「感染性というわけでもなさそうなので、もしかしたらアガリクスが原因かもしれません」と、一時飲むのを中止するようにとすすめられました。私もそうだろうと考えました。 本には好転反応で一時的に微熱が出ることがあるとは書いてありましたが、40度はいかにも少し高すぎるような気もします。しかし熱が出るということは身体のなかで何かの反応があるという証拠でもあります。 私は悩みましたが、抗ガン剤だけに頼っていては、娘はまず助かりません。抗生物質を打ち、熱がある程度下ったところでまた飲み続けてもらうことにしました。 ある程度積極的な気持でいないと、娘の病気にはとても勝つことはできないだろうと判断しました。 腫瘍が大きくなって増えている(3月12日) 3月11日、CTの検査、その翌日はその結果についての話がありました。 「前回よりもまた腫瘍が大きくなって増えています。このままだと予想より早く、ガンによる症状が現れる可能性もあります。今まだ少しでも元気なうちに、家族でどこか旅行されるのもいいことかもしれません」 前回よりもさらにショッキングな内容でした。もう娘の治療はあきらめたようなニュアンスの発言にかなり反発を感じましたが、この時点の娘の状況からすれば、先生のこの言葉は誤りのないものだったのでしょう。 少なくとも12月の検査の結果は良好だったのです。ということは、わずか2〜3カ月の間に娘のガン細胞は一気に増殖をしてしまったのです。完全に深刻な進行ガンです。でも、これが私の80歳を過ぎた母親に対して言われたなら、「ああそうか。それなら最後に温泉にでも連れて行ってやるか」などと思ったかもしれませんが、なんせまだ13歳の娘です。親としてあきらめられるわけがありません。 私もこのころには少しずつガンに対しての知識も増えてきていました。 ガンには手術、抗ガン剤、放射線療法のいわゆる三大療法の他にも免疫療法、ホルモン療法、温熱療法、そして遺伝子療法などの治療法もあるのです。 その一つ一つについて「娘に対してはどうですか?」と質問をしてみました。特に免疫療法については、同じ大学病院の先生の新しい治療法が新聞にも紹介されていましたので、大いに期待していたのですが、そのすべてに対しあまり良い答えが返ってきませんでした。 親としては可能性のある限り、どんなことでもしてほしいという気持なのですが、どうも消極的な病院の先生の態度に多少不満を持ち始めました。 発熱、それでも続けるべきだ それでも、私も妻も全然絶望的な気持になっていませんでした。 私は仕事の合間をみては本屋に行き、立ち読みをしてはガンに対する知識を増やしていきました。 妻も娘の好物などを作って今までより早めに病院に行き、少しでも栄養をとらせることに最大の努力を払っていてくれました。 それに何より母親が長い時間一緒にいて、自分のためにがんばってくれてるんだということは娘にとって何より最大の精神的なケアになっていたと思われます。 しかし、このころの娘の体重も39㎏あったのが31㎏にまで減り、吐き気もたまにあり、食欲不振で、発熱もしばしばするという最悪の感じでした。 でもまだ娘は元気でした。これほどの悪い状態にもかかわらず、病気に負けることなく生きようとする元気があったように見受けられます。 先生は発熱について、「感染症ではないのだから、アガリクスのせいかもしれません。少し服用を控えた方がいいと思います」と再度おっしゃってまいりました。 私は「発熱があるのは何かの反応がある証拠である。結果はどうあれ、消極的な気持で病気に負けるより、積極的な気持で病気に立ち向かうべきだ」と考え、逆に妻にもうすこし飲む量を増やすことを提案しました。 「とにかく敵(ガン)の勢いを止めることができたらなあ」と第一にそれを目指しました。 この時の「ド素人」の私の判断は、今少し進歩して「素人」になった私から見て、正解だったと思っています。 激ヤセ、歩行困難(3月23日) 3月23日、7回目の抗ガン剤治療が始まりました。 薬はまた変わりました。元のように3日間かけて治療を行うとのことです。一番初めの薬と似ている性格の薬だとの説明がありました。ですが、副作用である吐き気は前の薬に比べると全然軽くすみました。 アガリクス、キトサンの効果の一つに抗ガン剤に対する副作用の軽減というのもあったので、これはもしかしたらという期待がわいてきました。 あいかわらず軽い吐き気と発熱はありますが、娘の様子を見ているとそれほど状態が悪くなったようにも思えません。 ただ体重の減少により足の筋肉が落ちたためか歩行が少し難しくなり、外泊の時などは車椅子の力を借りるようにはなりました。 けれど、娘は依然として元気です。病気にはまだまだ全然負けていません。 ガンの勢い止まる(4月3日) 4月3日、CTの検査をして、その結果についての話がN先生からありました。 「前回とほぼ同様の状態と見受けられます。腫瘍が小さくなっている部分もあるし、大きくなっている部分もある。全体としてみれば、ほぼ平行線といったところです」 「先生それはガンの勢いが少しおさまってきたということですか?」 「そう考えてもらっても差し支えないと思います」 前回よりかなりの進展です。本来なら大きさも数も増えてきてあたりまえのガン細胞が、ほぼ前回の検査と同じだというのです。もちろん抗ガン剤の効果とも考えられますが、ほぼ確実にアガリクス、キトサンによる免疫力強化の効果が出ているものと思いました。 この時点で私は抗ガン剤の副作用の恐ろしさについて書かれた本も読んでいましたので、抗ガン剤治療をやめてもらおうかということまで考えたのですが、やはり完全に健康食品だけに頼るというところまでの勇気はありませんでした。 そこで私は、次の治療の予定を1週間延ばして娘の外泊の日数を増やし、体力を少しでも回復させようという作戦に出ました。先生も「そのくらいならいいでしょう」と了解してくれました。 そのころ、妻の実家の母が「ドクタートロン」という健康機器にはまっていました。 これは、電子を身体に流すことによって血液をきれいにし、血流をよくするものであるということでした。 母はその営業所に毎日通い、30分ほどその機器をかけてもらっているとのことでした。そして盛んに妻にもすすめていたようです。 私はその話を聞いたとき、街でよく見かける、お年寄りを集め「何々健康法」とかいって非常に高価なものを、なかばだますようにして売りつける、少しいかがわしいところを想像していました。 妻も最初はあまり乗り気でなかったようですが、自分の母が盛んにすすめるので、娘の病院に行く前、少し寄り道をして通いだしていたようです。 それがいつのころからか、「何か最近調子いいよ。トロンもしかしたらいいかもしれない。娘にもかけさせてあげたいな」などと私に言うようになりました。 妻の実家は私の家から車で10分ぐらい、比較的近いのですが、歩くのが難しくなった娘を通わせるのはチョット無理があるし、まして病院にいる時はどうにもなりません。だいたい、こういうものが毎日しなければ効果はないものでしょう。私は娘には無理だなと思っていました。 8回目の抗ガン剤治療(4月27日) 8回目の抗ガン剤治療は4月27日からになりました。 前回の治療から約1カ月の間隔をあけてもらいました。その間娘は、各所の検査をし、その合間をぬって、できるだけ外泊の日を多くしてもらい、体力の回復を図るようにしました。 抗ガン剤の副作用のためか、足のしびれ感があり、筋力が落ちていることとあいまって歩行が少し難しくなっていたのと、体重があいかわらず増えず、31㎏の激ヤセ状態であったことを除けば、娘は比較的落ち着いた状態でした。あまり発熱することもなくなり、もどすこともほとんどなくなりました。アガリクス、キトサンを飲むことにも抵抗はなくなっていたようです。 4月17日撮ったCTの結果も前回とだいたい同じ、平行線ということです。ガンの勢いは、今はどうやら止まってくれているようです。とりあえず最悪の状況は脱したようです。 ドクタートロン そして娘が外泊で家にいる4月24日の日曜日、妻が「ねえ、トロン行こうやあ」と言い出しました。 娘は足のしびれから歩くのが少し困難な状態なので大儀そうにしていました。私も1回や2回通ったくらいではそれほどの効果はないだろうと、あまり乗り気ではありませんでした。 ところが妻はまだ娘に「行こうやあ」と言っています。 私はその妻の顔を見て考えが変わりました。妻が「行こうやあ」というような言い方をしたのを見たのは結婚以来初めてです。娘が歩くのも困難で身体も大儀なのを承知の上で、それでも「行こうやあ」と誘っているのです。妻は間違いなくトロンが娘のために良いものだと信じているようです。 私はその妻を信じることにしました。「よし行こう」父も母も行く気となっているので、娘もしぶしぶながら従いました。 トロンの実演販売所は妻の実家から歩いて5分ぐらいのところにありました。 日曜日ということもあるのか、人は多く、お年寄りばかりでなく私たちと同じくらいの年配の方たちも結構いました。なかに入ると、椅子が五つありました。その椅子の上にマットが置いてあり、それがコードでトロンの機械本体に接続されています。そして、そのマットの上に腰かけることによって、トロンから発生されるマイナスの電子を身体に取り入れるということです。 そこにはKさんという販売員の方がおられ、その方の説明を聞きながら、トロンの治療を30分ほど受けるのです。 妻はもうこのKさんと親しくなっていたようで、娘の身体のことも話していたようです。そこで順番を待っている人たちも結構多かったのですが、私たち3人は優先的に治療を受けさせてもらいました。 Kさんはさすがに話がうまく、その話術に誘われてアッという間に30分経過ごしてしまいました。 私は「悪いものではなさそうだが……」と思い、娘もそれほど嫌がる様子でもありませんでした。 寝ているだけでいいのなら 次の日、月曜日の3時ごろまでに娘は病院に戻ることになっていました。そこで私はこの日仕事を休んで、娘と妻を病院に連れて行く途中で、もう一度、トロンに寄ることにしました。 平日なのに今日もかなりの人がいました。少し早めに家を出たので時間的な余裕もあり、昨日よりさらに突っ込んだことをいろいろと教えてくれました。 「1日30分かけるだけでも効果はあるのですが、できればもっと長い時間かけてもらいたいものです」 なるほど、トロンにはタイマーがついていて、そこには5時間の目盛りまでありました。 「夜寝る時、蒲団にセットすれば寝ながらにして5時間もの治療を受けることができるのです」 「ウーム、治療のための努力はいらないわけか。ただ寝ているだけでいいのなら途中で飽きて、やめてしまうようなこともないだろうなあ」 私は頭のなかでそう考えていました。さらにペットボトルなどに水を入れ、それにトロンをかけ、その水を飲み水や料理に使うと非常に身体のために良いということも教えてくれました。これには妻が大いに興味を示していました。値段は50万円ほどするということです。 次の日私は仕事をしながらいろいろと考えていました。確かに50万円はわが家の財政状態からすると簡単な買い物ではありません。しかも娘を通わせるのは無理があることは明らかです。 「今、娘のガンはアガリクス、キトサンのおかげで少し落ち着いた状態にある。ここで娘の身体がトロンにより元気になることがあれば、ガン細胞が減っていくことだってあるかもしれない。よしっ!」 私は買うことを決断しました。もう少し通って様子を見てからとかいう消極的な気持でなく、ぜひ娘の次の外泊までには間に合わせようという積極的な気持で、とにかく普通のことをしていては娘は治る可能性は低いのです。 その晩、病院から帰る車のなかで妻に購入するように言いました。 妻は少し驚いたようで、「大丈夫なん?」とわが家の財政を考えて聞いてきましたが、「どうしても娘にかけさせてあげたかったんだろう? 絶対にいいものだと思ったんだろう? だったら買おう、今すぐに。金のことは心配しなくていい、とにかく娘の身体のことだけに専念してくれればいいから」と私には珍しく、格好の良いことを言ったりしました。 こうして娘の健康のために、また一つ大きな武器が手に入りました。家にいる時は毎日欠かさずかけています。といってもただ寝ていれば良いだけですから、こんな楽なことはありません。 8回目の抗ガン剤治療(4月27日) 4月27日から始まった8回目の抗ガン剤治療も吐き気はあまりなく、無事終了しました。 私は次回の抗ガン剤治療もまた間隔を少しあけてもらおうと考えていました。そしてできるだけ多く外泊できるようにお願いしました。 やはり病院にいるよりわが家にいる方が確実に娘の元気度は上がるはずです。しかも、これからはトロンという強力な味方もあります。 5月は1カ月の内、半分ぐらいは外泊させてもらいました。 しびれていた足の具合も少しずつ良くなっているみたいだし、食欲もあるし、娘は良い方向に向かってきているという思いはありました。ただ、度重なる抗ガン剤の副作用と体重がどうしても増えず31㎏の激ヤセのままというのが不安材料でした。 へー、サメってガンにならないんだぁ ちょうどこのころ、新聞で「サメ軟骨」広告を見ました。商品自体は薬局にキトサンを買いに行く時、だいたい近くにあるものなので名前ぐらいは知っていました。 ところが、その広告の宣伝文句に「ガンにならない唯一の生物、サメの驚異の抗ガンパワー」と書いてありました。 「へー、サメはガンにならないのか。ん?」 1カ月の内、半分ぐらいは外泊できるようになりました。当たり前のことですが、娘が家にいる時は、私は病院に行く必要がありません。仕事ができる時間が少し増えてきました。 ところが例年、私の仕事はこの時期あまり忙しくなくなるのです。時間に少し余裕のできた私は、本屋や図書館に行き、ガンに関連した本をできるだけ読むように心がけました。 当然、少しでも娘の健康のためにと治療に関する本がほとんどでしたが、時おり、生物の本とか細胞の本とか直接ガンの治療には結びつかないけど、ガンとはどういうものかということを考える上で、役に立つような本も少しずつ読むことができました。 もちろん、高度な専門書を読むだけの知識も能力もないので専門家の方が書いてくださる、素人向けの解説書みたいなものばかりです。が、これらの本もたくさん読むことで単なるド素人から素人へ、少し進歩したのではないかと、うぬぼれていました。 9回目の抗ガン剤治療(6月1日) 6月1日、9回目の抗ガン剤治療です。今回も吐き気はあまりなく、娘は治療中もとても落ち着いた状態でした。 このころにはもうアガリクス、キトサンも抵抗なく飲んでくれるようになっていました。自分でも身体の調子がだんだんよくなっている実感があるのでしょう。 病院の薬ではガンが小さくなっても身体の調子がよくなることはありません。直感的にアガリクス、キトサンが自分の身体の健康に役立っていることをわかっていたのでしょう。 治療も終わり、また可能な限り外泊させてもらう戦略にでました。家に帰ればトロンもかけられます。 娘はますます元気になってきたように見受けられました。病院から家へ帰る途中、ペットショップなどに立ち寄ることもできるようになってきました。 それでも体重はどうしても増えずに31㎏のままでした。 私は次の目標は娘の体重を増やして、健康な時の状態に戻すことだと考えました。 そのためには今、娘にしている以外のこともしていかなければならないだろう。それにはどの方法が一番ベストか、それを見つけるために私はまた暇を見つけては本屋で立ち読みをしていました。 幸い今、娘の状態は安定しています。あせることはない、ゆっくり吟味してそれを見つけ出し、必ず娘を元の健康な状態に戻してやろう。私の心に少しゆとりが出てきました。 またガン細胞増える(6月29日) 6月29日、CTの検査があり、その結果について先生から話がありました。 だれの目にも娘は元気になってきているのは明らかです。私は娘のガンは少し小さくなっている、悪くとも平行線の状態は保っているだろうと思い、それほどプレッシャーもなく妻と二人で相談室に行きました。 そこにはS先生がいらっしゃいました。 「ありゃ、この先生の時はどうもあまりいい話であったためしはないが……」 事実、前2回のガンが平行線の時の話はそれぞれ病棟主任のM先生、担当のN先生からの話でした。 S先生は例の感情を押し殺したような声で、CTの写真を見ながら説明を始めました。 「この部分とこの部分、ガンが少し大きくなっているように見えます。肺の下のほうに新たな固まりができているのも確認されます。小さくなっている部分もありますが、全体としてはガンは大きくなっていると判断されます」と、やはりまたショッキングな内容でした。「もしかしたら少し小さくなっているかもしれない」という私の期待は消しとんでしまいました。 なんというガンのしぶとさ、恐ろしさ。そう、娘のガン細胞は非常に活発な細胞だったのです。 何でこんな病気があるんだろう。ん? 私と妻は少なからずショックを受け相談室を出ました。そして、いつかのようにまた妻と二人でサンルームに行きました。 「大丈夫、まだ手はある。心配することはない」 私は妻にそう言いました。 今度は完全なハッタリではなく、ある程度次の手段の見当はついていました。 「明日、仕事を休んでチョット調べてくるよ」 妻と話をしているうちに、私の心はだんだんと落ち着いていきました。 妻も2月に肺転移の事実を知らされた時に比べると全然冷静でした。 これは理屈ではありません。娘は確実に元気になってきているのです。母親の感性で妻はそれに気づいていたに違いありません。なんせ、世界中で娘のことを一番考えているのは、間違いなく妻なのですから。 サンルームから娘の病室に戻る途中、担当のN先生に会いました。 N先生は担当の先生だけに、S先生よりはどちらかというと気楽に話ができます。私はN先生に質問をしてみました。 「先生、娘はだいぶ元気になったように見えますが、なぜガンは大きくなったのでしょう?」 先生は、「身体が元気になると、ガン細胞も元気になることがあるのです」とおっしゃいました。 それを聞いて、私は「なんて厄介な奴なんだ、ガンとは。何でこんな病気があるんだろう。ん?」 時間差療法を知る 翌日、私は仕事を休みました。そして県内でも有数の大きな本屋に行きました。娘のガンに対する次の手段を決定するためです。 そして、阿部博幸先生著の『ガン細胞を殺す!—フコイダン、アガリクス、秋ウコンの時間差攻撃』という本を買いました。 私は現在ガンで苦しんでいらっしゃる方、またそのご家族の方にぜひこの本を読むことを、そしてこの本に書かれていることを実行することをおすすめします。 わが家ではアガリクスはすでに使っています。フコイダンと秋ウコンも購入することに決めました。 この時点で、娘のガンを治すために使っている薬や健康食品を紹介しておきましょう。 まず何より一番大切なことは本人が明るく、前向きに、楽しく生きることです。これなくしてガンに勝つことは不可能でしょう。娘はけなげなほど明るく、前向きに、楽しく生きてくれています。 そして病院で使っている抗ガン剤があります。これはガン細胞が分裂している時に作用して、ガン細胞をアポトーシスさせる効果があります。ですから抗ガン剤を打てば、ガン細胞の数はある程度減ることになります。 ところが抗ガン剤には重大な欠点があります。ガン細胞の分裂だけを阻止すれば良いのですが、すべての分裂する細胞に作用してしまうのです。 ですから身体のなかでもまだ活発に新陳代謝している毛根の細胞や、胃の粘膜の細胞、そして造血細胞などの分裂を阻止してしまうのです。これがいわゆる副作用の原因で、脱毛や激しい吐き気、そして白血球の減少により免疫力の低下がおこります。 ガン細胞は免疫力が低下すると、急激に増加する可能性もあります。ですから、せっかくの抗ガン剤の効果でガン細胞が減っても、免疫力の低下によりまたガン細胞が増えてくることもあります。 しかも副作用はだんだん蓄積するので、本人の体は弱ってきてしまいます。できればあまり使いたくない薬ではあります。 アガリクスとキトサンについて そして2月の終わりから飲み始めたアガリクスとキトサンはともにその免疫力を上げる効果があるものです。 アガリクスはキノコの一種で、そのなかに含まれているベーターグルカンという高分子多糖体が免疫細胞、そのなかでもガン細胞を直接攻撃するNK細胞を活性化させるのだそうです。 キトサンは、カニの殻などから作られる物質で、やはり高分子多糖体です。こちらは全般的な免疫力の向上の効果があるようです。事実、娘は家族のだれかが風邪をひいていてもあまり風邪をひくことはなかったようです。 この二つの健康食品が活性化させる免疫細胞は、白血球のなかでもリンパ球という種類のもので、これが少なくなると人間は病気になったり、またガンも発生しやすくなったりするのだそうです。 このリンパ球は自律神経の副交感神経が支配していて、簡単に言うと楽天的でノンビリしている人はガンにかかりにくいということがいえます。逆にいつもイライラして活発な人は、ガンにかかりやすくなるのは事実のようですが、あまりに無気力にダラダラと生きていては、交感神経が支配する顆粒球が少なくなりすぎて、細菌などの感染に対して抵抗力がなくなってしまいます。(風邪はウイルスです。念のために) やはり人間バランスが一番大切なのです。明るく、前向きに、楽しく生きることが健康の一番の近道なのです。 さらにこの二つの健康食品には共に抗ガン剤の副作用を軽くするという効果があるということです。娘が治療の時の吐き気が軽くなったのは薬を変えたせいもあるでしょうが、このアガリクス、キトサンのおかげであるといっても良いと思います。 ドクタートロンについて そして5月からは家にいる時はドクタートロンを必ず毎日して寝ています。 これは高電圧の電子を身体に流すことにより、血流を良くし、細胞を活性化させ、身体全体を元気にする効果のあるものです。 なぜ電子が身体に良いのか、素人にはよくわかりませんが、そもそも生物が活動するのに必要なエネルギーは、ほとんどが元をただせば太陽エネルギーです。石油などの化石エネルギーも、その昔の生物が太陽エネルギーを形を変え、蓄えてくれていたものです。 太陽エネルギーとは高エネルギーの元です。光は電磁波の一種なのですから、身体に高電圧の電子を流すということは、生物が活動するのに必要なエネルギーを直接取り入れていることになるような気がします。 そのためすべての細胞が活性化し、もちろん血流もよくなり、身体全体が元気になるのだと考えられます。身体が元気になるということは、ガン細胞も元気になる恐れもあるのですが、その功罪は身体が元気となることの方が圧倒的に大きいと思います。 ガン細胞といえば、まるでゴキブリのような、煮ても焼いても死なない非常に生命力の強い細胞だと思われがちですが、どうもそうではなく、とても弱い、どちらかというとできそこないの細胞であると考えられます。 ですから身体が元気になって、ガン細胞も元気になっても正常な細胞、免疫細胞の方が断然強いので、それほど気にすることはないのです。でもこれは私がだいぶ素人になったあとからわかったことで、やはりこの時点ではかなり気にしてしまいました。 秋ウコンとフコイダンについて そこで秋ウコンとフコイダンの登場です。 ウコンはショウガによく似た植物で、お茶にして飲むと二日酔いを防ぐなど肝臓に良いものとして昔から飲まれている、結構有名なものだそうです。もちろん素人の私は知りませんでした。 そしてこのウコンのなかに含まれているクルクミンという成分がガンに対しても有効であるということが、最近になってわかってきたそうです。 このクルクミンという成分を一番多く持っているのが秋ウコンという種類のものだそうです。秋ウコンのガンに対する効果は「抗血管新生」という効果です。そのほかにもまだありますので詳しくは、阿部先生の本をお読みください。 ガン細胞はある程度の大きさになると自分のために血管を作る性質があるのだそうです。細胞が分裂、増殖するためには栄養と酸素が必要です。ガン細胞も小さいうちは、自分のまわりにある栄養と酸素を取り込んで、比較的ゆっくり分裂・増殖するものと思われます。 ところがある程度以上の大きさになると、栄養や酸素が大量にいるため、それを補給する専用の血管を作り出す能力があるのだそうです。これを血管新生といいます。 この血管新生を阻害できれば、ガン細胞に行く栄養分が限られた量になり、ガンがある大きさ以上に成長することはなくなるはずです。 また、ガンは転移をするさいこの血管を通って全身に転移するので、これは転移を防ぐことにもなります。そして娘の身体が元気になってもどうしても体重が増えない原因は、この血管により大量の栄養がガン細胞に行くためで、これが阻害できれば、もしかしたら娘は太ることができるのではないかと考えました。 そしてフコイダンです。これは、コンブ、ワカメ、モズクなどの褐藻類に含まれている高分子多糖体です。 私はこの物質こそが、ガンの特効薬ではないかと思っています。 シャーレ内で培養しているガン細胞にこのフコイダンを加えたところ、ガン細胞が全滅したという実験結果があるそうです。そしてこのフコイダンを正常細胞に加えたら、何の反応もなかったそうです。 つまりフコイダンはガン細胞と接触するとガン細胞を攻撃し、アポトーシスに導く、しかも正常細胞には何ら作用しない、つまり副作用がない、夢の抗ガン剤のような物質なのです。 なぜこのフコイダンがガン細胞だけを攻撃し、正常な細胞には作用しないかはさておき、このような優れた物質こそ、一刻も早く薬として認可し、しかも健康保険が適用できるようにして病院でもガンの治療薬として早く使えるようにするべきです。 もちろんクリアしなければいけない問題も数多くあるでしょうし、海藻なんかでガンが治るものかと思われる方も多いでしょうが、抗生物質の代表選手ともいえるペニシリンはカビです。海藻やキノコがガンに効いても何の不思議もないのではないでしょうか。 時間差療法開始 さらに阿部先生の本では、この秋ウコン、アガリクス、フコイダンの3種類の健康食品を、それぞれ朝、昼、晩と時間差で飲むことをすすめているのです。だから時間差療法なのです。 人間の身体には、日周リズムというものがあります。 朝になれば目が覚めて、昼になれば腹が減り、夜になれば眠くなるというようなものです。 この日周リズムがガン細胞にもあるのだそうです。そしてこの活発に分裂・増殖する夜、ガン細胞の守備力は一番弱まるのだそうです。そこで夜にガンに直接攻撃力のあるフコイダンを飲むようにすすめています。ちなみに抗ガン剤なども、夜打つと効き目も強く、副作用も軽いのだそうです。 そしてガン細胞は朝になると、夜分裂・増殖のために使ったエネルギーを補給する準備として盛んに血管新生するのだそうです。そこで朝、抗血管新生の効果の強い秋ウコンを飲めばよいのだそうです。 そして人間に備わっている免疫力は昼をピークにだんだん能力が落ちて、夜はガクンと弱まるのだそうです。そこで、この免疫力の落ちた夜にガン細胞は盛んに分裂・増殖するのだそうです。ですから、免疫力を活性化させる効果の高いアガリクスを午後に飲めば、免疫力の低下をくい止め、しいてはガン細胞の増殖を阻止する力になる理屈なのです。 この日周リズムを考えた各健康食品の飲み分けは、素人が考えても非常に利にかなった素晴らしい発想だといえ、生命の本質にも通じる合理的な手法と思えます。 その大昔、この地球上に最初に誕生したころの生命体は夜を越すのがとても大変なことであったと思われます。 生物は常にエネルギーが流れていないと死んでしまうものです。生物にとってのエネルギーは元をただせばほとんどすべて太陽エネルギーなので、それの届かない夜を過ごすことは、まさに生命力をかけた大事件であったのです。 現在の生物は細胞のなかにミトコンドリアを持っていて、これがエネルギーを保存してくれるので、夜でも活動できるようになったのです。が、やはり夜は静かに寝ているのが一番で、なるべくエネルギーは使わないことを考えるようです。 当然この時間帯、活動力も落ちるので免疫力も最低になるのでしょう。免疫力が弱ければ逆にガン細胞は元気になるので、夜活発に分裂、増殖するのでしょう。 そして朝日がのぼるころにはエネルギーをより多く効果的に取り入れるための準備をします。これが血管新生にあたるのではないでしょうか? そして昼、太陽エネルギーが大きくなる時、生物は最も活発になりエネルギーや栄養を盛んに取り入れます。そのなかには自分にとって害になるものもあるでしょう。それらから身を守るための免疫機構が昼にピークを迎えるのも、自然のことといえるでしょう。 そして夜はできるだけジーッとしていて、昼に取り込んだエネルギーで細胞を分裂する時間にあてているようです。成長ホルモンも夜分泌され、「寝る子は育つ」というのは本当のことなのだそうです。 体重が増えだす 娘はこれまでアガリクスとキトサンの2種類の健康食品を飲んでいました。このキトサンにも抗血管新生の効果があるので、朝、秋ウコン2粒とキトサン3粒、昼、アガリクス15粒とキトサン3粒、夜、アガリクス15粒とフコイダン6粒、そして寝る前さらにフコイダンを6粒飲むことにしました。 かなりの量になり、飲むのを嫌がるかと心配しましたが、今までのアガリクス、キトサンの効果があるのを感じていたためか、すすんで飲んでくれました。 秋ウコンとフコイダンを飲み始めた次の日に私が病院に行き、娘の顔を見るとある変化があることに気づきました。 「あれ、チョットふっくらしたのじゃない?」次の日、体重測定があり、実際に測ってみると、32㎏あったそうです。あれほど増えなかった体重が、たった1㎏とはいえ増えたのです。もちろんまだなんともいえませんが、良い話であることには間違いありません。このまま体重が増えていってくれれば、娘はもっと元気になるはずなのだが……。 でも、次の抗ガン剤治療が7月6日から始まります。前回少しガン細胞が増えたのでまた薬を変えるそうです。 今度のものは前半が1時間程度で1本の薬を入れ、後半が1週間おいてやはり1時間程度で2本の薬を入れるということで、大人の肺ガンに使われる抗ガン剤であまり娘のような年頃の子には使った例がないとのことです。そんな薬を使って大丈夫だろうかと不安になりましたが、ガン細胞も少し大きくなっていることもあり、お願いすることにしました。 10回目の抗ガン剤治療(7月6日) 7月6日、10回目の抗ガン剤治療です。 せっかく少し体重が増えるきざしが見えてきたのに、ここでまた吐き気をともなう副作用があったら、元の木阿弥だと心配していたのですが、私が7時ごろ病室に行くと娘はまったく普段どおり、夕食もちゃんと食べられたそうです。 治療がすんで6時間ほどたっているのでもう大丈夫かとも思いましたが、一応大事をとって妻は病院に泊まることになりました。私も気になって寝る前に妻にメールで様子を聞きましたが、「なんともないよ」と返事があり、とりあえず吐き気がなかったようだとホッとしました。 次の日私が病院に行ったときも娘は元気でした。それどころか、また少しふっくらしたようにも思えました。体重を測ったら、34㎏になっていました。 私はこれを秋ウコンのせいだと考えました。秋ウコンが血管新生を阻害してくれたため、ガン細胞に大量の栄養が行くことがなくなり、娘の身体に栄養が届き始めたのでしょう。 思ったより早く効果が現れたようです。食欲もかなりあるようですし、娘は確実に良い方向に向かって進みだしたようです。 久しぶりの外食 その週末外泊の許可もおり、夕方家に帰る途中、娘はよほど気分が良いのでしょう、久し振りに外食をしたいと言い出したのです。髪の毛が抜けたこともあり、外で外食するのを嫌がっていた娘が自分から「焼肉食べに行きたい」と言い出したのです。 娘は精神的にも健康を取り戻してきたようです。私はもちろん大賛成で例の『脳内革命』を買った古本屋のすぐ近くにある焼肉屋に娘と妻の3人で行きました。 娘はうれしそうでした。肉を次々と食べ、好物のイカ焼きも1皿全部食べてしまいました。 妻もうれしそうです。生ビールを1杯全部飲んで真っ赤になりながらも、娘にまだ食べたいものはないかと聞いています。本当に生きる喜びに満ちた食事でした。 さらに皆満腹になった帰り、例の古本屋で1時間ぐらいも過ごして帰りました。でも娘は全然元気です。店にいるだれもが、この14歳の女の子が今ガンと闘っていることに気づく人はいなかったことでしょう。本当に娘はイキイキとした普通の14歳の女の子でした。 そして7月13日、10回目の抗ガン剤治療の後半です。 今度は薬を2種類入れます。前半のように軽い副作用ですむとは限りません。この日も妻は病院に泊まることになりました。しかし、やはり娘は吐き気などまるでなく、夕食もいつも通り食べられました。 もうだれの目にも娘が太りだしたのは明らかです。M先生も「素晴らしい」と言って喜んでくれました。 そして、7月22日にCTの検査、その結果はガン細胞じゃ前回とほとんど変わりがなかったようですが、娘は間違いなく健康を取り戻しつつあります。体重も37㎏にまで増えていました。 11回目の抗ガン剤治療(7月27日) 7月27日に11回目の抗ガン剤治療の前半、そして8月3日にその後半、娘はまったく普段と変わりません。 ついに体重も元の39㎏にまでなりました。当然外泊の日数も増えて、週に1日か2日くらいしか病院にいることもなくなりました。 そして8月4日、先生から、「いったん退院して、通院治療に切り替えては」という話が出ました。 もちろん娘は大喜び。院内学級で「七夕」の時、短冊に「夏休み中に退院できればいいな」と願いを書いていたようですが、もっと早く夢が現実のものとなったのです。よかったですね。 ついに退院(8月5日) そして8月5日、ついに退院です。 次の抗ガン剤治療の時はまた入院することになっているので、完全な退院ではありませんが、とにもかくにも約10カ月間におよぶ入院生活にピリオドが打たれました。 いつの間にか娘が一番古株になっていたようです。M先生や看護師さんたちが見送りに出てきてくれました。 妻はお世話になったお礼にと、菓子折りを用意していました。現在ではこういうことは禁止されているようですが、やはり気持です。 皆様本当にありがとうございました。特にM先生には本当にお世話になりました。先生がいらっしゃらなかったら、さすがに娘は精神的にくじけていたかもしれません。本当にありがとうございました。 パージェス動物、なんだこりゃ? 病院からの帰り、近くにある大型スーパーに立ち寄りました。娘の大好きなゲームセンターに行くためです。娘はうれしそうでした。帽子はかぶっていますが、どこからどう見ても普通の14歳の女の子です。 UFOキャッチャーでぬいぐるみが取れたようです。娘は本当にうれしそうでした。妻は百円玉を渡しながら、上ばかり向いていました。私はあくびをしてごまかしました。 次の日曜日、私の仕事が休みの日、3人でかなり遠くの新しくできた大型スーパーに行きました。娘と妻は広い店内を夢中になってショッピングを楽しんでいたようです。私は仲間はずれですので一人で本屋に行き、本を読んでいました。 「パージェス動物、なんだこりゃ?」 さすがに二人とも少し疲れた様子ですが、帰りにはまた例の焼肉屋に寄り、娘はおいしそうに食べていました。 劇的な効果(8月17日) 8月17日、12回目の抗ガン剤治療の前半です。 これは通院で行いました。初めて診療棟の小児科外来に行き、血液検査と約1時間の点滴治療を受けました。 そこにはあのS先生がいらっしゃいました。外来で診療を担当されていたのです。M先生もわざわざ娘の顔を見にきてくださいました。本当に良い先生です。 8月23日、再入院です。 治療は24日なのですが、いちおう1日前にきてくれということでした。部屋は元のところです。3〜4日の予定なので、ゲームもマンガも持ってきていません。元気な娘は退屈しまくっていました。 次の日、抗ガン剤治療を行いました。やはり全然吐き気はなかったようです。 でもいくら吐き気はなくてもいろいろな副作用が心配です。できれば打ってもらいたくない薬ではあります。 その日のうちに「骨シンチ」の検査を行い、その結果を持ってきたM先生が「素晴らしい、素晴らしい」と興奮しています。 「右上腕部にガン細胞の集積は見られません」 難しい言葉でよくわからなかったのですが、どうやら原病巣である右上腕部の骨肉腫は治ったようです! こんなに良くなっているのに(8月24日) 次の日CTの検査があり、その結果を聞きに私と妻は二人で相談室に行きました。 今日は病棟主任のM先生がいらっしゃいました。 先生は開口一番、「すごい! よく効いとる」と少し興奮気味におっしゃいました。腫瘍はかなり小さくなっているし、数も減っているということです。 私は少し自分の成功に酔っていました。原病巣である腕も転移巣である肺も症状は大幅に改善されたのです。 「自分の方針は正しかったんだ。娘は助かる!」心のなかで快哉を叫んでいました。だから次の先生の話に反発してしまったのです。 「次の抗ガン剤治療は2週間後の…」 先生がおっしゃいました。 「チョット待ってください。こんなによくなっているのにまだ抗ガン剤を打たなければならないのですか?」 私は自分の方針どおりにすれば娘は治るという自信がありました。そしてこの時点でガンよりも度重なる抗ガン剤の副作用のほうがこわかったのです。 私は娘に使っている健康食品の説明をしてしまいました。素人が専門家に向かってです。さすがに先生は気分を害されたようです。私もしゃべりながらこれはまずかったなと思いました。病院にはこれまで大変お世話になっているし、これからも力を貸してもらわなければなりません。なにせ最愛の娘のことなのです。万全の上に万全の体制でのぞまなければならないのです。妻もオロオロしています。 結局、一度中間でCTを撮って、その結果を見て考えようということとなりました。 このことで、あとで妻と口論になってしましました。妻は抗ガン剤を打ってもらいたかったというのです。 無理もありません。だれだって素人より病院の先生のほうが正しいと思うでしょう。でも私には自信がありました。もし自分が患者だったら、絶対に抗ガン剤治療は断ります。それに抗ガン剤でガンが小さくなることはあっても、身体が元気になることはないのです。絶対に。 なぜ先生はそのことに興味を持たないのか? 大いに不満で不思議です。 医者は患者の病気を治すのが一番の仕事のはずです。いくら医学的に認められていないことであっても現実に娘は元気になっているのです。素直にこれを認め、すすんで研究し、次の患者さんのために役立てるのが医者としての努めではないでしょうか? ガンに負けなかった(9月6日) 次の日、9月6日再び退院です。 家に帰って夕食を食べ、落ち着いたところで私は娘に話をする必要を感じていました。 抗ガン剤の件で妻と口論になり、そのまま気まずい雰囲気になってしまっていたのです。 敏感な娘がそれを感じとり退院はできたものの、先生の話があまり良い種類のものではなかったのではないかという、誤解をしている可能性があると思ったのです。心配ごとをかかえて生きていくことはガンの治療にとって、もっとも悪いことなのです。実際、話としてはとても良い話だったのですから。 私に呼び出された娘は妻と二人で私の前に座ると、妻の手をしっかり握り締めて激しく泣き出してしまったのです。 間が悪く、ちょうどその時娘が見ていたテレビがガンで死んでいく少女をあつかったドラマだったということもあったのですが、やはり心の奥底では自分の身体のことがさぞ不安だったのでしょう。 娘はここまで本当に明るく生きてきてくれましたが、本当はさぞつらかったのでしょう。苦しかったのでしょう。悲しかったのでしょう。いじらしいほどけなげにがんばって生きてきてくれた娘に私は言いました。 「あなた(本当の名前を呼びました)の病気はほとんど治りました。もう心配することはないでしょう。本当に今までよくがんばりましたね」と私にしては精一杯の笑顔で、そしてまだ妻の手を握ったまま泣いている娘に質問をしてみました。 「あなたの病気がここまでよくなった一番の原因は何だと思いますか?」 娘は見当がつかない様子で考えていました。 そして、「アガリクス?」と自信なげに答えました。 「いいえ」 私は即座に正解を教えてあげました。 「それはあなたが今まで、本当に一生懸命明るく、前向きに、楽しく生きてきたからです。どんなに良い治療を受け、どんなに良い薬を飲んでも、自分自身が明るく、前向きに、楽しく生きていこうと思わなければ効果があるはずがありません。本当によくがんばって生きてきてくれましたね。本当にありがとう」 そして、本当によくがんばったごほうびとして、どこでも好きなところへ連れてってあげる約束をしました。それは思い出作りのための悲しい旅行などではなく、生きることの喜びに満ちた楽しい旅行になるはずです。 本当にありがとう もちろんまだ完全に不安が消えたわけではありません。今後の検査の結果も気になりますし、小さくなったとはいえ、ガン細胞はまだ残っていることでしょう。それに度重なる抗ガン剤治療の副作用から完全に回復できるのかという心配もあります。 先のことは人間だれにもわかりません。しかし娘は今、生きています。健康で元気に生きています。それで十分なのではないでしょうか。いろいろなことでくよくよ悩んで生きるより、一日一日を明るく、前向きに、楽しく生きることが健康への、そして幸福への第一歩だとつくづく娘に教えられた1年でした。 本当にありがとう。 そして妻も、本当にありがとう。 (2003年11月・記) 「はじめに」へもどる>
https://w.atwiki.jp/jiisan/pages/43.html
なぜ、よりによって、私の娘がガンに……。 しかし私はまだ楽観的でした。現代の進んだ医学なら必ず娘を助けてくれるだろうと、信じていました。私は、私にできる限りの、経済的、精神的な支援をすればいい、あとは現代医学にまかせておけば大丈夫だと……。 そしてつらく苦しい治療が始まりました。抗ガン剤治療です。娘はみるみる衰えていきました。あの元気で活発だった娘が、どんどんやせ細っていくのです。 それでもこれは、ガンを治す過程での、避けられない苦しみなのだ。これにくじけず頑張れば、娘は元の元気で活発な姿に戻るのだ。現代医学を信じてさえいれば、悪い結果になるはずはない……。 そして娘はわが子ながら、本当によく頑張っていました。あの壮絶な吐き気のまえでは、すべての思考回路はストップしてしまうでしょう。中学1年の女の子にとって、髪の毛が抜けていくということが、どんなにつらく悲しいことでしょう。 友達は皆元気で学校に行っているのに、なぜ私だけ病院のベッドで寝ていなければならないのだろう。夜一人で寝ている時、泣いたこともあったのではないでしょうか。 でも娘は泣き言一ついいませんでした。笑顔も忘れることはありませんでした。本当にわが子ながら、頭の下がる思いでした……。 それなのに…、信じていた…、唯一の頼みの綱であった…、現代医学から娘は死の宣告をうけたのです。ガンの転移が発見されたのです。あと半年か1年ということでした……。 第1章 娘がガンにおかされました 第1章に書くことはすべて事実です。事実にもとづき、娘のプライバシーに配慮し、あえて実名と商品名はふせてありますが、できるだけ正確に、皆様にお伝えしようと思っています。 悪質な出版社が批判を受けているように、代替医療や抗ガンサプリメントについては、もちろんすべての方が、私の娘と同じ結果になる保障はありません。 しかしこれは、正真正銘事実なのです。 第2章 素人がガンについて考えてみました 第2章は、娘の闘病中に知った抗ガンサプリメントのセールスコピーから、「ガンは病気でなく、“進化”に関連した生物にとって必要なものなのではないか」という思いつきを、素人流にまとめてみました。 第3章 患者側のガン治療 第3章は、もし身体にガンが発見されたとき、ガンへの最高の対応は「ガンを利用すること」、次は「ガンを治すこと」、そして「ガンを抑えること」、最悪なことは「ガンを取り除くこと」、というガンに対する姿勢を考えてみました。 第4章 白血病 白血病は血液のガンとよばれています。 かたまりを作らないこのガンに対しては、症状を抑える治療というのは、非常に難しいようです。 いきおい、この病気を克服するためには、その次の、ガンを治す治療というレベルまで、高める必要があると思うのですが……… それには、生命の本質ともいえる部分にまで、立ち入らなければならないようです。 素人は無謀にも、それに挑戦しようと、考えたのですが……… 第5章 進化のビックバン 今から5~6億年も前に、地球の生物は大変革を起こしています。 一気に多細胞化し、数も種類も劇的に増えています。 この進化のビックバンが、なぜ起きたか? 私は生物の分裂増殖のシステムに、変化が起きたからではないかと考えました。 ヒントは、「たけやぶやけた」、です。 第6章 多細胞生物の生と死 こんどは私が痛風になりました
https://w.atwiki.jp/anozero/pages/473.html
前ページ次ページ蒼炎の使い魔 決闘の数分前 場所は学院長室 そこには一人考え込んでいた者がいた。 とても、真剣に今だけは誰からの言葉も受け付かないようだった。 なにを考えているのかというと、 (今日はどうやってミス・ロングビルの下着を覗こうかの~) まあロクでもない考えだったが。 彼の名はオールド・オスマン。 この学院で一番偉い立場にいる男である。…たぶん。 今日も平和にどうやってセクハラをしようかと考えているところに、 一人の男性が古い本を片手に入ってきた。 「なんじゃね、騒々しいぞ。コルベール」 作戦が決まりかかってきていた時に邪魔をされたのかオスマン氏は顔をしかめていた。 だが、それもかまわずコルベールは血相を変えて報告する。 「伝説が現れました…」 「なんじゃと?」 コルベールは先日ルイズが召喚した使い魔、カイトに刻まれたルーンについて調べていた。 自分が見たこともなく、使い魔についての教科書にも載っていなかったからだ。 彼は気になることは追求するタイプである。 色々な文献を見たが、人を使い魔にした例とそのルーンについては何も分からなかったのだ。 すでにあきらめ半分でひとつの本を手に取り、中を開いた。 それは伝説についての本だった。 そして彼が知りたかったものが見つかることになる。 「彼はガンダールヴです!」 それは始祖の伝説の使い魔の名前だった。 更に詳しく話を聞こうと、コルベールに質問をしていく。 数分立っただろうか。 更に一人の女性が入ってくる。 「ミス・ロングビル、どうしたのかね?」 彼女の名前はミス・ロングビル。二つの顔を持ち、恐らくあらゆる世界で2番目に可哀想な目にあっている女性である。 学院長からの質問に少し息を切らせながらも答える。 「広場で決闘が行われています」 その報告にオスマン氏はあきれたようにため息を吐いた。 「まったく、暇をもてあます貴族ほどタチがわるいわい。ああ『眠りの鐘』なんて使わなくていいぞ」 もったいないからのう、と続けた。 「で、誰と誰が暴れておるんじゃ?」 「はい。ギーシュ・ド・グラモンとミス・ヴァリエールの使い魔です」 オスマン氏にとってはグッドタイミングと言ったところだろうか。 今話していた話題の少年が決闘しているのだから。 そして、もう一人。ギーシュの調子が最近おかしい。 感情をもてあましているというか、切れやすくなっているというか。 性格が歪んでしまったのだと最初は片付けた。しかし、それだけじゃないようだ。 魔法の質が上がっているのだ。それを操る様は悪魔に魂を売った男のような目つきだった。 大方、調子に乗っているのだろう、いつかお灸を据えてやろう。 そう思っていたときにこの報告。 2人ともこの学院で今問題になっているため少しだけ興味を抱いた。 「ミスタ・コルベール、百聞は一見にしかずじゃ。ちょっと覗いてみようかの」 そういって杖を振り広場の様子が見える鏡を作り出した。 広場ではすでに決闘が始まっていた。 ギーシュはゴーレムを召喚し、使い魔の少年--カイトが武器を取り出している。 カイトが何か挑発でもしたのだろうか、ギーシュが怒声を上げながらゴーレムを走らせる。 「ほう…」 最初、オスマン氏は決闘の結果はギーシュの勝利だと思っていた。 しかし、目の前の現実はそれをはるかに凌駕していた。 使い魔の少年のほうが、そこから一歩も動いていないのだ。 数で攻めてくる連撃をいともたやすく片手で受け続けている。 腕を振るったかと思えば、ワルキューレはバラバラになっている。 そして、 『ぎゃあああああああああ!!』 鏡の向こうの少年が悲鳴を上げ倒れた。気絶したらしい。 「オールド・オスマン、彼は…」 その光景を見て震えながらコルベールは声を出した。 「むう…」 オスマン氏も信じられないのだろう。 言葉が出せないでいた。 ミス・ロングビルにいたっては顔が青くなっている。 しばらくするとオスマン氏が口を開いた。 「2人とも、この件については一旦保留じゃ。」 「しかし…」 渋るコルベールに続けて言う。 「分かっておる。あの腕から出した光は危険じゃ。我々は彼のことを知る必要もある」 ルーンのことについてものう。 ミス・ロングビルがいたため、ルーンのことはあえて言わなかった。 だが、彼も察したのだろう。渋々だが学院長の提案に了承した。 2人を退室させ、彼は1人残った部屋でつぶやいた。 「近いうちに、彼と話さなければならんのう」 前ページ次ページ蒼炎の使い魔
https://w.atwiki.jp/opfan/pages/1290.html
クダーラ・マ・クハーラが薫桜ノ皇国での刀工修行で初めに打った太刀。 師からは『なまくらよりマシ』という評価を受けている。 とある冒険者に『出来が悪くても良いから』と懇願され、クハーラは後に打ち直すと約束してこれをその冒険者に譲渡したという。 関連 クダーラ・マ・クハーラ 太刀 目次に戻る