約 2,885,025 件
https://w.atwiki.jp/sdvx/pages/8238.html
MAXIMUM 選択肢 投票数 投票 詐称 0 強 4 中 0 弱 0 逆詐称 0
https://w.atwiki.jp/hanakoyuki/pages/59.html
トップページ>仲間たち kai7(BYひっきぃ) 職業:シルバーレンジャー ハザを完成させてやっと活動再開なかいくんであーる あたし(ひっきぃ)の天敵しるれんずの片割れの一員で うちの盟主のレベルに近いするどいツッコミ力を持つ(くやしい・・・) さらにティアちゃんとSSとろーとしたらとびーさんとともにジャマするの図;-; だけどあたしとつるんでいろいろとアホーなことをいっしょにやってくれたりもする あたしにとっては悪友とゆうかまあなんとゆうか・・・うーんのーこめんと しかしなかなかげーむについては研究熱心なのでご質問とかある方は かいくんにきいてみるといいかも♪ 2005年8月19日追加 狩り中にこーんなめにあわされてもやりかえさないあたしって すっごいケナゲだとおもう;-; (いやまじでFPKとかおそれていたりするからだったり><。)
https://w.atwiki.jp/madoqa/pages/45.html
Samuel Gawith http //www.samuelgawith.co.uk/ kick 1(low)-5(high) nicotine 1(low)-5(high) recommend 1(low)-5(high) name grind moist kick nicotine recommend flavor Afterglow Afterglow Apricot Auld Samnick "B" Menthol Banana Bench Bar Black Rappee Blue Crest C.C.C. Carnation Cherry Chocolate Cob Dark Cob Light Dr. Verey s Dr. Verey s Ano Menthol Dr. Verey s Medicated Dr. Verey s Plus Gold Mull Golden Glow Grousemoor Honey Irish D Light Irish D Originall Jockey Club Kendal Brown (KB) (Plain or scented) Kendal Brown Special Latakia Lavender Dark Lavender Light London Brown Mandarin Mastiff McCombie Mellomint Mentholene No.1 High Mill Original Kendal Brown Otterhound Peppermint Dark Peppermint Light Princes Dark Princes Light Raspberry Red Crest Richt Kind S.G. Extra Menthol Sam s Own Medicated Scotch Scotch Black S.P. High Mill Special M Strawberry Wallflower Wild Duck X Blend Yellow Crest Zip Camphorated Menthol
https://w.atwiki.jp/kusamura/pages/16.html
このページはhttp //bb2.atbb.jp/kusamura/topic/65921からの引用です kusamura(叢)フォーラム ログインユーザ登録 メンバーリストグループ設定 トップ»ロロ・メイ著作集3「わが内なる暴力」(1972)» 第十二章 (*結) All times are JST(+900) ロロ・メイ著作集3「わが内なる暴力」(1972) Page1of1 [ 12 posts ] 1 投稿者 メッセージ kusamura 題名 第十二章 (*結) 時間 2009-09-03 19 46 17 no rank Joined Posts 1 イノセンスよさようなら(Ⅰ) もし、われわれが暴力をやわらげたいなら、 それをその問題に釣り合ったレベルで処理しなければならない。 たとえば、テレビは犯罪者(culprit)である、という共通の叫びを取りあげてみよう。この論法のもっとも騒がしい代表は、精神科医のフレデリック・ヴェルトハムである。 彼は、暴力は「社会的に条件づけられ、社会的に防ぎうるもの」 マスメディアこそ暴力の拡がりに責任がある、 (*なぜなら)マスメディアは、子どもたちをして暴力的に思考させ、 人びとをして暴力に慣らさせ、競争的で無感覚な、かつ暴力を生き方として受け容れる 「冷酷な」アメリカ人の世代を創るのに(マスメディアは)役立っているからだ、という。 この論法は、暴力というものは比較的最近アメリカの状景の中に入り込んできたのであって、 五〇年前にマスコミと一緒に生まれたものである、という仮定に立っている。 暴力の問題はアメリカにはずっと存在していた。 ごくわずか残っているインディアンの一人に尋ねてもよし、 辺境開拓者のだれかに尋ねてもわかることである。 ヴェルトハム博士は、ベトナム戦争はもはやテレビでは取材し取り上げられない という意見だろうか。悪いのは、まさにテレビではなくて戦争そのものであり、 マスコミはわれわれに一つの鏡をかざしているのである。 ヴェルトハム博士のような議論をする人たちは、自分たち自身の破壊性について、 仕合わせなことに、イノセンスでおれるように、その鏡を壊してしまうのであろうか。 ヴェルトハムの論法は、もしそれが テレビの持っている「受動的」性格 に向けてなされるなら、説得力のあるものになる。 というのは、 着実に、テレビを見ることが食事のように日常化してしまうことによって、 自分自身がテレビを見ている人間であることを忘れ、 テレビを見る人をさらに傍観する人間を養っているからである。 このようにして、テレビはほんとうにインポテンツの感情を養うかもしれず、 しかもこのインポテンツは十分、暴力を育てるのに役立ちうるのである。 Top リンク kusamura 題名 1 イノセンスよさようなら (Ⅱ) 時間 2009-09-03 20 07 19 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 1 イノセンスよさようなら(Ⅱ) 暴力は一つの症候である。 その病気はさまざまの形をとるが、 それは、無力感であり、無意味感であり、不公正感を抱く ということである ―自分は人間以下であり、私はこの世界に寄るべのない(homeless)という確信である。 好都合なように手短に言うため、私はこの病気をインポテンスと呼んできた。,, この病気にその根底で打撃を加えるには、われわれはインポテンスを扱う必要がある。 理想的には、われわれは、自分もまた重要なのだ、自分は仲間にとって大事な人間なのだ、 自分はどうでもよい汚らしい場所に、人にあらず(non person)として追い出されないと感じうるように、権力を分有し分配する方法を見出さなければならない。 この権力の分配がどのようにして可能か。 どのように暴力を緩和しうるかについて、一つの例をあげたい。1967年オクラホマ大学で新しく学長に任命されたホロマンは、 大学再構成のために23人の委員を設けた。 これには学生も含まれており、それは名ばかりの代表ではなく、 学生も含む委員の意見は、教育プロジェクトの本質部分を構成していた。 ケント州に銃撃沙汰が生じ、カレッジや大学を暴徒が席捲したとき、 オクラホマ大学も大騒ぎを起こしたが、暴力はなにひとつなかった。 学生たちが暴力沙汰に陥らなかったのは、 学生たちを再建のための不可欠な要員に加えたからである。 それは権力の分配であった ―それは温情主義なものではなく、当然の正統なものとして配分されていたのであった。 彼ら学生はインポテンツではなかった。 彼らは大学の方針についての正統な発言権を持っていたのである。 (*正統=訳文ママ) Top kusamura 題名 2 もし私にものが言えたなら (Ⅰ) 時間 2009-09-03 21 03 20 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 2 もし私にものが言えたなら(Ⅰ) 権力はコミュニケーションを成立させるために必要な物である。 無関心な、あるいは敵対するグループの前に立ち自分の言いたいことを言うなり、 あるいは友人に(*対して)深刻な人を傷つけるような真理を正直に語るためには、 自己確信や、自己主張、そしてときには攻撃性さえ必要である。 (私の、長年の精神分析の経験に基づいて言うと)最大限の勇気を必要とする行為は、 心の底を他人へ素朴に(*怒りに駆られることなく) 忠実にコミュニケート(*伝達)することである。 一般にわれわれは、 権力の点で同等なものに対してのみ、 もっとも大ぴらに話し合い、通じ合えるのである。 暴力それ自体、ある種のコミュニケーションである。 彼らは舌で訴えることができないので、暴力に訴えるのである。 しかし、たとえそれが未発達なあるいは原初的なものであるにせよ、 なおある条件下では適切だし、ほかの条件下では必要な言語である。 アフリカの黒人たちが暴力的なのは、 彼らがコミュニケーションに必要な自尊心を持ち合わせていないからである。 植民者とのかかわりあいにおいて、 彼らは、立って自らの感情を述べることができないのである。 事実かれらは自分の感情をコトバに出してはっきり言うことができず、自分たちの実際に感じているものが何であるのか自信がないのである。 植民地白人たちが利益のためにアフリカ人を喰いものにすることから心を離し、 黒人の権利に人間の権利としての関心を持つや否や、 たちまち暴力はやわらげられてゆく。 Top kusamura 題名 時間 2009-09-03 21 36 52 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 2 もし私にものが言えたなら(Ⅱ) ビリー・バッドが、 「もしクラガート(*ビリーの上官)に話すことができたなら、彼を殺してはいなかっただろう」 と船上裁判で言ったとき、何を言うつもりだったのか。 クラガートに口に出して言えなかったコトバとは何であったのか。 明らかに、それは単なる語らい ―即ち、意味のないおしゃべりであり、(*それは) 人びとを恐怖から離すために空虚さを満たすものである。この種の語らいは、慰めの役や力を回復させる働きをする。 精神療法では、 ある関係にいる男とその妻が直面している困難が、どの程度のものであるかは、 お互いにコミュニケートするのにどのくらい困難を感じるか によって測ることができる ことがわかっている。 他人が何について語っているか(あるいは語っていないか)を 理解するのがむずかしいとき、われわれは疎隔感を覚える。 そのとき、その人間は、たんに他人の波長に合っていないのである (あるいは合わせようと欲しないのである)。 知性化することあるいは抽象的に話すということは、同じことがらの一つの症候である ―つまりそれは、自分のほんとうの感情をコミュニケートしたくないという願望であり、 トータル・セルフを阻止することである。 敵意が成長するにつれ、投影もまた増大する。そして主張が多くなり、 隔たりが拡がってくる。これらはすべて敵意の増大を示すものだ。 われわれはほどなく暴力の段階に達するであろうことを知っている。 精神療法は、同じ波長で話しうるようにそのプロセスを逆転させることである。 たとえ二人が離婚を決めるにしても、すくなくとも、両人で一緒に決めることである。 そうすればそのプロセスにははるかに共有する部分が多い。 Top kusamura 題名 時間 2009-09-03 22 37 26 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 2 もし私にものが言えたなら(Ⅲ) コミュニケーション(*相互伝達)は、新しいレベルで、 人間の根源的な「われわれ性」(we-ness)を恢復させてくれる。 真性のコミュニケーション(相互伝達)というものは真性の言語に依存する。 ほんとうの語らいというのは器官的なものである ―話し手はコトバだけでなく身体でも話すのである。 彼は肉体を離れた声として話すのではなく、一個の器官総体として もう一つの他の器官総体に話しかけるのである。 われわれは、他人の価値の認め、相手を語りかける価値ありと考え、 自分の考えをはっきりさせるよう努力する価値ありと考えないなら、 コミュニケートしようとはしないのである。 これは相手を見下すことのない、 恩着せがましいことのないコミュニケーション行為である。 コミュニケーションには、アルフレッド・アドラーが 「社会的関心」(social interest)と呼んだところのものの存在が前提となる。 他人に興味をもつのは、 われわれがその人の言うことに耳を傾ける価値ありと判断するからである。 われわれが他人とかかわりを持つのは、 自分の性欲を受け容れてくれるもの、 あるいは自分自身の孤独をやわらげるために利用できるものとして、 どちらにせよ、一対象としてではなく、 人間として受け容れられるためであることを意味する。 このコミュニケーションからコミュニティが導き出されてくる。 つまりいままで欠けていた、理解、親密さ、相互評価が出てくる。 コミュニティとは、単純に、 そこでは自由な会話の起こりうるグループとして定義されうる。 コミュニティとは、自分の内奥の思考を分かちあい、 自分自身の感情の深みをさらけ出し、それがお互いに相手にわかってもらえるということを 知りうる場所である。 今日、コミュニティは大いに求められている。その理由の一部は、 われわれのコミュニティ体験が蒸発してしまい、われわれは孤独であることによる。 コミュニティは、自分自身の孤独を受け容れることのできる場所であり、さらに 克服できる孤独と免れがたい孤独との間を区別してくれるのである。 私は自分のコミュニティに敵を必要としている。 敵は私をして、油断させず、生気づかせてくれる。 私には敵の批判が必要なのである。 また、コミュニティは、自分を支えてくれる仲間に依存できるグループであって、 それは部分的にはつぎの点で自分の身体的勇気の源である。 つまり、 自分は他人を頼りにすることができることを知った上で、 他人もまた自分に依存できることを私は保証するのである。 コミュニティは、私自身のコミュニティの構成員に対立することから成っている。 私の道徳的勇気は私が対抗している人びとによってさえも支えられるのである。 Top kusamura 題名 3 愛と権力 時間 2009-09-03 23 29 09 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 3 愛と権力 プリシラ(*第一章_腹を立てることができなかった女性)は、 自分の故郷で自殺した男のニュースを聞いて、もし「一人でも彼を知ってる人物がいた」なら彼は自殺をしなかったであろう と、私に語ってくれたことがある。 彼女は、その男には自分を打ち明けられる人がおらず、 彼に注意を払ってくれる人がいなかったことを述べていたのだと思う。 彼には、共感、つまり自尊心の元であるような共感を 持ってくれる人がいなかった、ということである。 彼は、自分を、一掃されることのないほど価値ある者、と考えることが できなかったのである。 彼女はまた、 知るということと愛するということの間に線を引くことはできない、と述べている。 もし私がだれかをよく知っているとすれば、 私は彼に共感を持つようになっていく。 しかも私は相手に対し共感を抱いているなら、相手をよく知ろうと務めるであろう。 これは(*裏返すと)、嫌いな誰かが話しているときに、 その人に耳を傾け、自分の耳にすることを理解し、心の中にわかりやすい構造として 自ら形を整えて行くことが不可能に近い理由である。 その傾向は、自分たちの耳ではないにしても、心を閉ざすことであり、 自分の嫌いな人を阻止することである。 権力の発達は、コミュニケーションのできる前提条件であるとともに、 共感の前提条件でもある。 ,, 共感に必要なことは、われわれが安全保障をもつことであり、 そこから、他人へ関心を払うことのできるある権力、ある立場にたつことである。 自尊心や自己確信が欠けていたのでは、 何かを他人のために取っておく ということはきわめてむずかしい。 個人は、他人に与える前に、呼び水を入れるような何かを (*自分の中に)持たなければならないのである。 共感とは、われわれがお互いに知り合い理解することを基にした、 愛の形態に名付けたものである。「われわれはだれもが孤独なのである ―われわれは孤独であるがために お互いにあわれみ合うことを学んできたのである。 しかも、われわれは 共感以外に発見さるべき何も残っていないということを学んできたのである」 (J・ブロノウスキー)また、共感はわれわれに だれかを当人を非難することなしに判断する基盤を与える。 敵を愛するということには雅量(grace)を必要とするが、 敵に対する共感は、人間にはできることである。 Top kusamura 題名 時間 2009-09-04 20 03 23 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 4 新しい倫理をめざして (Ⅰ) われわれの新しい倫理,,それは意志(intention)の倫理である。 それは、各自が自分自身の行為の「結果」に責任を持つという仮定に基づいている。 ビリーバッドに見られるほんとうの 悲劇的欠陥がなんであったかを今や述べることができる。 即ち、 老水夫ダンスカーがビリーに対し、 クラガートの敵意が燃え立ってきていることを知らせる努力をしたにもかかわらず、 ビリーは、クラガートに対して自分が与えた結果を 自ら認めようとしなかったことである。 ビリーは当人自身のイノセンスを守り通そうとした。 事実彼のイノセンスは、正確にはこの残酷な認識にたいする防御 ――自分の幼児性を養い育てるための盾であった。 この無認識のため、ビリーはクラガートを殺すことになり その結果、自分は絞首刑を余儀なくされたのである。 (*無実な非戦闘員を射殺するよう命ぜられたベトナム戦闘部隊)罪に対する善の勝利は、ミイライにヘリコプターで上陸させられ、 もしカレイ中尉が大虐殺を続けるなら 彼を撃つ身構えで中尉に銃を向けた、例のアメリカ兵のような人の中に示されている。 人類の未来は、 人類連帯の中にいることを意識しながら一個人として生きることのできる、男性ないし女性 とともにある。 今までわれわれは、一方あるいは他方(*連帯または個人)を実践するように教えられてきた。,, 個人主義を誇示する場合には、われわれ自身の完全高潔さによって生きることができる。 連帯性を誇示するときには、われわれの代わりに決断を引き継ぎ、 それ自身のルールに従って決定する集団ないし党とわれわれ自身を同一化することができる。 いずれの道をたどるにせよ、他方を無視するなら、それはわれわれを誤りに導く。 Top kusamura 題名 4 新しい倫理をめざして (Ⅱ) 時間 2009-09-04 20 08 53 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 人間の「無制約な潜勢力」(unlimited potential)(*無限の可能性)というのは、 しばしばわれわれの耳にするコトバである。 しかもわれわれは、できるだけ「それを充足する」よう厳命されるのである。 その間違いは、 潜在力をそれがあたかも全然無制約のものであるかのごとく、 生命過程が絶えず「前進と向上」のものであるかのように 扱っていることにある。 われわれが毎日もうすこしづつ進歩することによって「善」くなってゆく、という幻想は 技術から密造されたドクトリンであり、 適合しないが倫理上のドグマになったものである。現代人は倫理的にソクラテスやギリシア人より優れてはいない。 人間存在がよろこびと悲しみの双方であるということを知覚することは、 人間の意志の効果に対する責任をひきうける前提条件である。 私の意志はときには悪になるだろう。 しかし私は、それをあなたに投影するよりもむしろ、 私自身の一部としてそれを受け容れるために 私は最善をつくさねばならないのである。 成長は倫理の基本にはなりえない。 というのは成長は善であるとともに悪であるからである。 日ごとにわれわれは老衰と死に向かって成長している。,,ガンはひとつの成長である。 Top kusamura 題名 4 新しい倫理をめざして (Ⅲ) 時間 2009-09-04 20 30 17 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 キリスト教倫理は『旧約』の初めにでてくる 「眼には眼を、歯には歯を」という正義の体系から進化したものである。 その後、キリスト教およびヘブライの倫理がその焦点を内面的な態度に移し 愛の倫理は究極的には、理想的な戒め、「汝の敵を愛せ」にまで その規範を拡げてゆくのである。 ,,それは、ラインホルド・ニーバーのコトバを借りれば、「恩寵」にでもよる他は現実の意味では決して実現されない「不可能な可能」である。 ―私にとってヒットラーを愛することは恩寵を求めることである― 目下のところその恩寵を適用したいという気持もない。 恩寵の要素がオミットされてしまうと、汝の敵を愛せという戒めは道学的なものになってしまう。 それは、個人が自分自身の性格に働きかけることによって、達成される状態として、 また道徳的努力の結果として唱道されるのである。 そのとき、われわれはきわめて違った何ものか、つまり過度に単純化された倫理的な見せかけ、という仮定的な形態を持つのである。 それは当人の現実的認識を阻止するとともに、 社会改良に向かって進みうる、実際に向かって進みうる実際に価値ある行為を妨げる あの道徳的な美容体操法(moral calisthenics)へと導く。 宗教上のイノセントな人物や「蛇の智慧」を欠く人は、 それに気づかずかなり有害なことをなしうるのである。 Top kusamura 題名 4 新しい倫理をめざして (Ⅳ) 時間 2009-09-04 20 46 27 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 もう一つのことは、現代のキリスト教倫理は、とりわけ過去五世紀のうちに、ルネッサンスに生まれた個人主義と提携するようになってきたことである。 それは、次第に、自己閉鎖的な誠実さ(self-enclosed integrity)という孤独な状況の中で、勇敢に屹立する孤立せる個人の倫理となってきたのである。 自分自身の確信に対し真実であることが強調された。 それは、とりわけ アメリカのセクト的なプロテスタンティズムについて言えることであり、 フロンティアにおけるわれわれの生活によって養われてきた個人主義に 強力に助けられてきたものである。 その後また、自らの人格的発達が強調された。 この人格向上発展はつねに道徳的内容を持っているように思われる。 ウィルソンはこれを「人をして他人に対し不寛容にする性格」と呼んだ。 倫理と宗教とは多分に日曜のこととなり、平日は金作りにおとしめられた ―われわれはつねに、われわれ自身の性格を欠点のないものにしておく方法によって このことをやったのである。それ以来われわれは、 何千人という雇用者を無意識のうちに搾取する工場を指揮する欠点のない人格者 という奇妙な状況をもつことになった。 面白いことに、人格の個人主義的な習慣をもっとも強調するプロテスタンティズムの 形態である根本主義(fundamentalism)は、 セクトの中ではもっとも愛国主義的であり、かつ戦争好きであり、 どんな形での国際理解にも反対する点でももっとも激烈であった。 この倫理的な発展という考えについての批判の中心は、 いかにも人間的なものである「連帯性」を全然考慮に入れていないことにある。 (*倫理的な発展にとって)いわゆる「群集」というものは、 われわれの道徳的発展にとって対立する対象として、 またそれの影響を受けないように自らを訓練する対抗目標として重要だったのである。 われわれは、自分自身の豊富なものの中から与えること、 つまり*十分の一税を与えることによってのみ 他人を助けることに興味を持った孤立せる被造物として 「われわれ自身の倫理的」業績を購入したのである。 しかも、この「人格発展」は 資本主義体制や金作りに進んでゆく習慣に適合しているので、 われわれは、「幸い薄き人びと」と分ち合うという義務を決して忘れずに、 社会的に立ちあがったのである。 欠けているものは、他人への真正の同情であり、 権力を奪われている人びと―黒人や囚人それに貧しい人々の 悲しみやよろこびとの同一化である。 自己-包括的な中産・上層階級とは対称的に、 プロレタリアートに向けられた連帯性へのマルキスト的関心は、 広範な従道者を生んだ。 マルキストが国際主義、兄弟愛、友愛というものを強調したことが、まさにそうしたものに餓えていた世界の人びとのイマジネーションや感情を とらえたとしても不思議ではない。 Top kusamura 題名 4 新しい倫理をめざして (Ⅴ) 時間 2009-09-04 21 02 24 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 われわれは、個人の完全性(integrity=誠実さ)や 個人尊重への関心を放棄する必要はないし、また放棄してはならない。 ルネッサンス以来、個人主義的生き方によって獲得してきた物は、 新しい連帯性、 つまり男女を問わずわが同朋のために進んで責任を引きうけるという態度 との バランスをとるということを私は提案したい。 こうしたマスコミの時代においては、 仲間の要求に対して気がつかないでいることはできないし、 それを無視することはわれわれの憎悪を表明していることになる。 理想的な愛とは対照に、 おもいやる(理解する)ということは人間には可能なことである ――つまり、わが友だけではなくわが敵へのおもいやりである。 このおもいやりの中に、共感や同情や慈善の萠芽があるのである。 美徳は、単に悪徳を後に押しやることで獲られるもの とわれわれはもはや思っていない。 倫理的に見てのぼりゆくその梯子上の距たりは、 われわれがいままでたどってきたものによっては、限定されないものである。 さもないと、善はもはや善ではなくて、その人自身の 性格上のひとりよがりなプライドとなる。 悪はまたそれが善への能力によってバランスがとれていないならば、 退屈で平凡な生気のない無感動なものになってしまう。 実際、われわれは、毎日、善と悪双方に対してより鋭敏になっている。 しかもこの弁証法は、われわれの創造活動に不可欠なものである。 Top kusamura 題名 4 新しい倫理をめざして (ラスト) 時間 2009-09-04 21 23 17 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 われわれがどれほど悪を許容できるかは、 自分の偽似的イノセンスをつき抜けてどれだけ前進できるかにかかっている。 われわれが一次元的な思考(*悪を排除したクリーンな絶対善)を保存している限り、 われわれは、イノセントを申し立てることによって自分たちの行為をつつみかくすことができるのである。 良心からのこの反-大洪水的逃避(=自分だけ助かるための逃避)は、 もはや可能ではない。 われわれは自分たちの行為の結果に対して責任を持っている。 われわれはまた、こうした結果を認識できるとともに それらを認識する責任がある。 とりわけ精神療法をやっている者にとってむずかしいことは、 善ヘの能力と手をたずさえて進む彼ないし彼女の 悪への能力が次第に拡大してゆくのを、受け容れることである。患者たちは、 ほんとうに無力的であるにせよ,,(*無力でいることが無意識の)必要な戦略であろうと 患者自身の無力性を仮定してかかるのがつねである。 (*自分の)権力を直接意識することは、 彼らの生活上の方向づけにバランスを失わせる。 自分が実際に他の人たちや私を傷つけうるということは、 プリシラ(*腹を立てられない女性-第一章)にとっては考えられないことである。 なぜなら、彼女は絶えず他人に傷つけられのるのをつねとしていたからである。 マーシデス(*第四章-売春経験者)が他人を傷つけることができたのは、 彼女が子どもで喧嘩したりヒステリーになった場合のように ゲットーの街路で狂気になって働いたとき、 あるいは夫に対して正気を失い気が狂ってしまったときだけである。 しかし狂気やヒステリーは、 正確には、自分が何をしているかを意識していない状態 なのである。 自分が、他の人と同様にネガティブな側面を持つということを自覚し、 デーモン的なものが善悪両方への潜在力(*可能性)の中で働くこと、 さらにそれ(*デーモン)を否認することもできず またそれ(*デーモン)なくしてはいきてゆけないということを実感することは、 当人にとってかなり利益になることである。 また 人が自分の業績の多くがこの デーモン的な衝動が生みだすまさにその葛藤と結びついていること を理解することも、同様にためになることである。 それは、人生は善と悪の混合であるという 体験の場であり 「純粋の」善など何もない、 潜在力として悪がそこにないならば善もまたない、 という体験である。 人生とは、悪を離れて善を成就することではなくて、悪あるにも関わらず善をなすことである。 Top リンク Page1of1 [ 12 posts ] 1 新しい記事有り 新しい記事無し 重要トピック 新しい記事有り(人気) 新しい記事無し(人気) 告知トピック 新しい記事有り(ロック) 新しい記事無し(ロック) 新規投稿 不可 返信 不可 自分の記事の編集 不可 自分の記事の削除 不可 投票への参加 不可 Powered by SuwaBB as @BB like phpBB ©2013 atfreaks
https://w.atwiki.jp/samurai8/pages/20.html
( ^ - ^ )地震が大変だけど頑張ろう!( ^ 0 ^ ) ---------------------2011年4月17日(日)----------------------- K・FORMULA 様 6 6 HB ● レモン果汁せんぱあ 様 6 6 HB ○ Lick 様 7 7 CA ● ポニョ給食センター 様 7 7 CA ● ポニョ給食センター 様 8 8 HB ● 友達百人計画 様 7 7 IN ● ---------------------2011年4月16日(土)----------------------- Baskrville 様 7 7 HB ○ Pao-N 様 8 8 HB ● ---------------------2011年4月13日(水)----------------------- EAGLE 様 4 4 IN ○ Q!uail 様 4 4 DS ● ---------------------2011年4月3日(日)----------------------- Liberty 様 3 3 IN ● Ixia 様 4 4 CA ○ terroriste 様 4 4 IN ○ ---------------------2011年4月2日(土)----------------------- BlindChile 様 7 7 DS ○ 葛西工業 様 7 7 HB ○ 葛西工業 様 7 7 IN ○ NewCentury 様 8 8 IN ● ---------------------2011年3月28日(月)----------------------- 心十葉を守ろうの会 様 4 4 IN ○ すごく久しぶりのクラン戦。 Allhips 様 4 4 IN ○
https://w.atwiki.jp/eses/pages/53.html
PSID: Muramasa_Blade 役職: 『裏番町』『最終兵器』 呼び名: むら 誰も逆らうことができない 仕事が忙しいためクラン戦などに参加できないことが代表の悩み C4マニア 元RO(ラグナロクオンライン)廃人 「0キルwwwwwwwうわwwwだっせwwwwだっせwwwww」
https://w.atwiki.jp/englishlanguage/pages/485.html
MUR... Murakami, Madoka. 村上まどか. 2021. 「英語の仮定法倒置の起源は何か」『実践英文学』73 93–111. Muranaka, Ryoko. 1983. "Thou and Ye in Sir Launfal." Attempts (International Christian University Tokyo) 11 51-56. Muranaka, Ryoko. 1982. "Thou and ye in Sir Degrevant." Attempts (International Christian University Tokyo) 10 37-61. Murao, Haruhiko. 村尾治彦. 2018. 「日英語の自他動詞の志向性と2つのNatural Path」 中村芳久教授退職記念論文集刊行会(編)『ことばのパースペクティヴ』pp. 98-110. 東京:開拓社. Murata, Kazuho. 2018. The Structure of Defoe's Phrasal Verbs An Exploration into Defoe's Language of Fiction. Hiroshima Keisuisha. Murata, Kazuyo. 村田和代. 2006. 「高校のオーラル・テキストに見られるFTAの1例:『不同意表現』の扱い」『ポライトネスと英語教育: 言語使用における対人関係の機能』堀素子・津田早苗・大塚容子・村田泰美・重光由加・大谷麻美・村田和代(編) 東京 ひつじ書房. Murata, Kazuyo. 村田和代. 2004. 「やわらかい明瞭さ--アメリカ英語のポライトネスの一側面について」『龍谷紀要』24(1) 39-52. Murch, Herbert Spencer. 1905. "Translation of Cynewulf's Juliana." Journal of English and Germanic Philology 5 303-19. Murphy, M. Lynne. 1998. "Defining People Race and Ethnicity in South African English Dictionaries". International Journal of Lexicography 11(1) 1-33. Murphy, Sean. 2006. "Now I am alone A Corpus-Based Stylistic Approach to Shakespearean Solliloquies". Lancaster University Postgraduate Conference in Linguistics Language Teaching, Vol. 1. Papers from LAEL PG 2006,ed. Costas Gabrielatos, Richard Slessor J.W. Unger, pp. 66-85. Murphy, S. 2019. "Designing a genre classification scheme for Early English Books Online 1560-1640". ICAME Journal 43(1) 59–82. Murray, Michael. 1986. "More on Quaint and Quondum Words". American Speech 61(4) 340-344. Murray, Thomas E. 2002. "A new look at address in American English The rules have changed". Names 50 43-61. Murray, Thomas E. Beth Lee Simon. 1999. "Want + Past Participle in American English". American Speech 74(2) 140-164. Murto, Richard B. 1984. "Non-sexist Language in Business". 『産業界の英語』(産研シリーズ11)1-35.
https://w.atwiki.jp/samuraiboy/pages/4.html
ニュース @wikiのwikiモードでは #news(興味のある単語) と入力することで、あるキーワードに関連するニュース一覧を表示することができます 詳しくはこちらをご覧ください。 =>http //atwiki.jp/guide/17_174_ja.html たとえば、#news(wiki)と入力すると以下のように表示されます。 ウィキペディアを作ったiMacが箱付きで競売に登場。予想落札価格は約96万円!(ギズモード・ジャパン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース メトロイド ドレッド攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) ツムツム攻略Wiki|ゲームエイト - Game8[ゲームエイト] 【グランサガ】リセマラ当たりランキング - グランサガ攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) アイプラ攻略Wiki|アイドリープライド - AppMedia(アップメディア) Among Us攻略Wiki【アマングアス・アモングアス】 - Gamerch(ゲーマチ) マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」:時事ドットコム - 時事通信 マニュアル作成に便利な「画像編集」機能を提供開始! - ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」 - PR TIMES 【Apex Legends】ヴァルキリーの能力と評価【エーペックス】 - Gamerch(ゲーマチ) モンハンライズ攻略Wiki|MHRise - AppMedia(アップメディア) ポケモンBDSP(ダイパリメイク)攻略wiki - AppMedia(アップメディア) SlackからWikiへ!シームレスな文章作成・共有が可能な「GROWIBot」リリース - アットプレス(プレスリリース) 【ウマ娘】チャンピオンズミーティングの攻略まとめ - Gamerch(ゲーマチ) 【ウマ娘】ナリタブライアンの育成論|URAシナリオ - Gamerch(ゲーマチ) 【ウマ娘】ヒシアケボノの育成論|URAシナリオ - Gamerch(ゲーマチ) 【ウマ娘】カレンチャンの育成論|URAシナリオ - Gamerch(ゲーマチ) 【ウマ娘】フジキセキの育成論|URAシナリオ - Gamerch(ゲーマチ) ドラゴンクエストけしケシ攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【スタオケ】カード一覧【金色のコルダスターライトオーケストラ】 - Gamerch(ゲーマチ) 【スマブラSP】ソラのコンボと評価【スマブラスペシャル】 - Gamerch(ゲーマチ) 【ブレフロレゾナ】リセマラ当たりランキング【ブレイブフロンティアレゾナ】 - ブレフロR攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【ポケモンユナイト】サーナイトの評価と性能詳細【UNITE】 - Gamerch(ゲーマチ) 仲村トオル、共演者は事前に“Wiki調べ”(オリコン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【ENDER LILIES】攻略チャートと全体マップ【エンダーリリィズ】 - Gamerch(ゲーマチ) 【ウマ娘】あんしん笹針師の選択肢はどれを選ぶべき? - Gamerch(ゲーマチ) 【ポケモンユナイト】アップデート情報・キャラ調整まとめ - ポケモンユナイト攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【Apex】シーズン11の新要素と最新情報まとめ【エーペックス】 - Gamerch(ゲーマチ) ロストジャッジメント攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【Among us】新マップThe Airship(エアシップ)の解説【アモングアス】 - Gamerch(ゲーマチ) ハーネスについて小児科医の立場から考える(坂本昌彦) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ゼルダ無双攻略Wiki|厄災の黙示録 - AppMedia(アップメディア) 【テイルズオブルミナリア】リセマラ当たりランキング - TOルミナリア攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) ウマ娘攻略Wiki - AppMedia(アップメディア) ゲトメア(ゲートオブナイトメア)攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【白夜極光】リセマラ当たりランキング - 白夜 極光 wiki - Gamerch(ゲーマチ) お蔵入りとなった幻の『スーパーマリオ』 オランダの博物館でプレイ可能?(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」が「ITreview Best Software in Japan 2021」のTOP50に選出 - PR TIMES 真女神転生5攻略Wiki|メガテン5 - AppMedia(アップメディア) 【B4B】近接ビルドデッキにおすすめのカード【back4blood】 - Gamerch(ゲーマチ) ポケモンスナップ攻略wiki - AppMedia(アップメディア) 富野由悠季「ブレンパワード」作り直したい!ファンを前に意欲(シネマトゥデイ) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【ウマ娘】査定効率から見た取るべきスキルとおすすめキャラ【プリティーダービー】 - Gamerch(ゲーマチ) 【スマブラSP】カズヤの評価とコンボ【スマブラスペシャル】 - Gamerch(ゲーマチ) ナレッジ共有・社内wiki「NotePM」が「ITreview Grid Award 2021 Fall」で、チームコラボレーションとマニュアル作成部門において「Leader」を5期連続でW受賞! - PR TIMES メモ・ドキュメント・wiki・プロジェクト管理などオールインワンのワークスペース「Notion」が日本語ベータ版提供開始 - TechCrunch Japan 【ギアジェネ】リセマラ当たりランキング【コードギアス】 - ギアジェネ攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) モンスターファーム2(MF2)攻略wiki|アプリ・Switch移植版 - AppMedia(アップメディア) 【ブラサジ】最強キャラTierランキング【ブラックサージナイト】 - Gamerch(ゲーマチ) 【パワプロ】鬼滅の刃コラボ情報まとめ - Gamerch(ゲーマチ) 【SPAJAM2021】第3回予選大会は「クイズ!WIKIにゃんず!」を開発したチーム「かよちゃんず」が最優秀賞! | gamebiz - SocialGameInfo 検索結果における「ナレッジパネル」の役割とは・・・ウィキメディア財団とDuckDuckGoの共同調査 - Media Innovation ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」が「BOXIL SaaS AWARD 2021 Autumn」にて「コラボレーション部門」を受賞! - PR TIMES Wikipediaが「中国人編集者の身の安全を守るため」に一部の編集者アカウントをBANに - GIGAZINE 【ドッカンバトル】3.5億ダウンロードキャンペーン最新情報 - ドッカンバトル攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) BTS(防弾少年団)のV、8月のWikipedia閲覧数が韓国アーティストで1位!グループでは4ヶ月連続トップ - Kstyle 【イース6オンライン】リセマラ当たりランキング|召喚ガチャの開放条件は? - Gamerch(ゲーマチ) BacklogからNotePMへwiki情報を自動API連携する「Backlog to NotePM」をSaaStainerに掲載開始 - PR TIMES ライザのアトリエ2攻略Wiki - AppMedia(アップメディア) 真女神転生3リマスター攻略Wiki|メガテン3 - AppMedia(アップメディア) タスクも文書もWikiもデータベースもまとめて管理できる「Notion」とは? - ASCII.jp ナレッジ共有・社内wikiツール「NotePM」が、見るだけ専用ユーザー『無料』の新プランを発表! - PR TIMES 【かのぱず】リセマラ当たりランキング【彼女お借りします】 - Gamerch(ゲーマチ) 【乃木フラ】リセマラの必要はある?【乃木坂的フラクタル】 - Gamerch(ゲーマチ) 【パワプロ】生放送まとめ|パワフェス2021 - パワプロ攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【ポケモンユナイト】サーナイトのおすすめビルド(わざ・持ち物) - Gamerch(ゲーマチ) ルーンファクトリー5攻略wiki|ルンファク5 - AppMedia(アップメディア) シャーマンキングふんばりクロニクル攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【絶句】Wikipedia(ウィキペディア)に去年より低い金額を寄付したら…あまりにも酷い仕打ちを受けた - ロケットニュース24 簡単操作で自分専用Wikiを構築できるMarkdownエディタ「Obsidian」のモバイル版を使ってみた - GIGAZINE ディーサイドトロイメライ攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 情報マネジメントツール「Huddler」がwiki機能を刷新 - PR TIMES シェアエコ配送アプリ「DIAq(ダイヤク)」のアンカーアプリで、高層ビル・商業施設の入館方法などお役立ち情報をまとめた「DIAqwiki」を公開 - アットプレス(プレスリリース) 異常熱波のカナダで49.6度、いま北米で起きていること(森さやか) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【ツイステ】マスターシェフの攻略~辛味のふるさと~【料理イベント】 - Gamerch(ゲーマチ) 【ラグナロクオリジン】リセマラは不要?おすすめ職業は?【ラグオリ】 - Gamerch(ゲーマチ) 白夜極光攻略wiki - AppMedia(アップメディア) 【バイオミュータント】2.02アプデ|アップデート1.4情報 - バイオミュータント攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) ニーアレプリカントリメイク攻略wiki|ver.1.22 - AppMedia(アップメディア) 【ウマ娘】ゴルシウィークはいつから?キャンペーン情報まとめ - Gamerch(ゲーマチ) シーズン66 - 【超速GP】ミニ四駆 超速グランプリ攻略まとめwiki - 電撃オンライン 乃木坂的フラクタル攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 「こんなことになるとは…」13年前のエイプリルフールについた“嘘”がネットで… ある男の告白(BuzzFeed Japan) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 整理不要の情報共有ツール(社内Wiki)「Nerve」シードラウンドで総額約3500万円の資金調達を実施 - PR TIMES Nerve - 整理不要の情報共有ツール(社内Wiki) ローンチカスタマー募集開始のお知らせ - PR TIMES パニシンググレイレイヴン(パニグレ)攻略wiki - Gamerch(ゲーマチ) 【ひなこい】最強ひな写ランキング - ひなこい攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) 稲作アクションRPG『天穂のサクナヒメ』における「農林水産省攻略wiki説」は本当なのか? - AUTOMATON スタスマ攻略Wiki【スタースマッシュ】 - Gamerch(ゲーマチ) 無料とは思えない多機能っぷりなWikiインフラ「Wiki.js」レビュー、自前でホスト&外部サービスと連携可能 - GIGAZINE Microsoft Teamsの基本と活用(24) TeamsのWikiを使う - マイナビニュース 『ゲーミングお嬢様』での提起が話題に “企業系wiki”に横たわる問題点とは - リアルサウンド 「エイリアンのたまご」,自動周回機能と公式wikiが登場 - 4Gamer.net 【リゼロス】Re ゼロから始める異世界生活 Lost in Memories攻略まとめwiki - 電撃オンライン 【世界初!】モノの背景を全方位で執筆できるVintage Wiki「VOV」を正式リリース - PR TIMES プロジェクトセカイ攻略Wiki【プロセカ】 - Gamerch(ゲーマチ) パワプロ2021/2020攻略Wiki - Gamerch(ゲーマチ) ヌーラボ、「Backlog」の絵文字入力の補完機能やWiki編集の自動マージ機能を改善 - CodeZine(コードジン) ヌーラボ、プロジェクト管理ツール「Backlog」の絵文字入力の補完機能・Wiki編集の自動マージ機能を修正改善 - PR TIMES Backlog、Wikiにファイル添付が容易にできる機能をリリース -- グローバルバーの視認性改善なども実施 - PR TIMES GK川島、パンチング失点でWiki書き換え炎上 「セネガル代表」「プロボクサー」... - J-CASTニュース
https://w.atwiki.jp/kusamura/pages/26.html
このページはhttp //bb2.atbb.jp/kusamura/topic/65910からの引用です kusamura(叢)フォーラム トップ»ロロ・メイ著作集3「わが内なる暴力」(1972)» 第二章 イノセンスとある時代の終焉 [ 5 posts ] 投稿者 メッセージ kusamura 題名 第二章 イノセンスとある時代の終焉 時間 2009-08-11 17 59 56 権力は、,,,現代文化の中の騒乱のただなかで 自分の立場や地位を得ようとしているあらゆる個人にとって、新しいさし迫った問題である。 こうした時代では無力であるということは ――しばしば疎外とか頼りなさという別名で呼ばれているが―― きわめて苦しいものになってきている。 その無力さを 見かけ上の美徳(virtue)にすることによって、自分の無力感に立ち向かう という方法がある。 個人のがわで意識的に自分の力を剥奪してしまうことである。 これは、力を持たないことが美徳になる。 それを私はイノセンスと呼ぶ。 このコトバはラテン語のin nocens の派生語であって、 文字通りには 無害な(not harmful)、罪や罰から解放されている、悪だくみがない(guileless)、純粋、という意味であり、 行動面では、 「悪影響ないし悪い結果を生まない、あるいは悪意から出るものでない」 ということを意味する。 kusamura 題名 第二章 イノセンスとある時代の終焉 2 時間 2009-08-11 18 03 59 まず最初に当たって、二種類のイノセンスを区別してかからねばならない。 一つは、イマジネーションの特質としてのイノセンスであり,,, それは成人になっても子どものような潔白さを持っていることである。 万事が新鮮で、純粋で、初々しさや生彩さを持っていることである。 このイノセンスから、畏敬と驚異がでてくる。 ,,,おそらく、それはイエスが 「嬰児のごとくならずんば天国に入るあたわず」 と言ったとき イエスの心の中にあったものである。 またそれは、 悪というものを知覚するというリアリズムを犠牲にすることなく 成熟へ向けての子どもらしい態度を維持することであり、 「悪との複雑なからみあい(complicity with evil)」(アーサー・ミラ-)を保存することである。 これは本物のイノセンスである。 もうひとつのイノセンスは、メルヴィル「ビリー・バッド*」の中にヒントが出ているものである。 *(右クリック”新しいタブで開く”or“新しいウィンドで開く”であらすじを紹介しているサイト。左クリックの場合この画面自体が別サイトへ)精神的なものに向かうのではなく、むしろ目をくらますもの、別のコトバで言えば 偽似イノセンス(Pseudo innocence) から成っているイノセンスである。 ナイーブさを利用するので、 決して大きくなりすぎることのない子どもらしさや、ある種の過去への固着から成っている。 無邪気というよりむしろ幼稚だ。 この偽似的イノセンスは ユートピア的理想主義になってしまい、 われわれはそのとき、実際の危険を見る必要がない。 無意識的な目的をもって、現実に目をつむってしまい、 自分たちはそれからもう免れたんだ、と自らを説得してしまう。 (このイノセンスは,,,ものごとを明るくすっきりはさせない。が、 見かけの上で、単純かつ容易に見える) それは実際には、自己破壊的になってしまう。 デーモン的なものを含まないイノセンスは悪になってしまう。 (*ビリーが怒りのあまり上官を殺してしまうように) このイノセンスは、決して生き抜いてこられたものではなく、 幼児のままに固着してしまうイノセンスで、 ただ、敵対的で冷たい、あるいは支配的な親に対して 身を守るためだけのために、 その幼児性にしがみつくのである。 (これは神経症に見られるイノセンスと平行関係にある)(こうした)弱さを利用するという こみ入ったパターンを発展させた,,人物が利用できる唯一の戦略は、 その情況が必要とする表面上の無力感を、受け容れることであり、 ひそかに手段を弄して、自らの力を取得することである。 私は、本書では、一般には偽似イノセンスを意味するものとして この(*イノセンスという)コトバを使おうと思う。 (*偽似)イノセンスは、 自分自身の持っている力(*悪を含めて)を認めて、これに向き合うのを「避けるため」の ごくありふれた防衛手段である。 Top kusamura 題名 第二章 イノセンスとある時代の終焉 3 時間 2009-08-11 18 11 52 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 322 ○アメリカにおける偽似イノセンス 草の中に一匹の蛇もいない新しいエデンの園といった理想主義者の描くアメリカは、現実には インディアンの迫害や絶滅とか相対立するものを見る戦いの場であった。 倫理的ジレンマから出てくる混乱と偽善は、 皮肉なことにベンジャミン・フランクリンの著作に示されている。 「大地の耕作者に余地を与えるため、こうした野蛮人を根絶することが、 もし神の計画であったとすれば、 ラム酒が神の定められた手段であるということもありそうもないことではない。 それはすでに以前、海岸線に住んでいた一切の部族を全滅させている」 フランクリン(によれば)アメリカ人は「大地の耕作者」であり、 インディアンの絶滅は神の意志である。 これは偽似イノセンスの品質証明である。 つねに汝の私欲を摂理と同一視せよ。 H・D・グラハム博士やT・R・ガールがつぎのように結論を下しているとおりである。 『おそらく、全ての国民は、 過去を不快な外傷にしてしまうようなある種の歴史的健忘症(amnesia) あるいは選択的回想(selective recollection)に耽りがちである。 アメリカ人は、ピューリタン以来,,,自分自身を,,,聖なる使命を帯びて 荒野に送られてきた近代の“選ばれた民”とみなしてきた。)』 「アメリカにおける暴力史」グラハム、ガル憲法の立案者たちが、さらに死ぬほど恐れたものは、 アメリカ人がつねにそうであったような、搾取的な力であった。 彼らが、条文を作成するにあたって意図したことは、 いかなる集団もこの権力を獲得することがないようにということであった。 搾取されることをたいへん恐れた彼らは、条文の中で、 その権力の意味を「全」権力(all power)を含むところにまで拡張しているほどである。 アメリカ人は自分たちのことを、ヨーロッパからの貧窮者を救う者と見ていた。 私に、あなたの疲れた貧しい ほっと一息つきたいとあこがれる 群がる大衆をよこしなさい。 あなたの獲物の満ちあふれた海岸に 難破して打ちあげられた悲惨な人を私に下さい。 これら、家なく、嵐にほんろうされている人たちを私に送りなさい。 私はその黄金のドアのかたわらに、ランプをかかげて迎えよう。 《自由の女神像 台座の銘記》(*だが)アメリカでは権力があからさまに拒否されると同時に 殺人率はヨーロッパ諸国の三倍から五倍に達している。 アメリカ人の大部分が、今日、夜間、街路を歩くことを恐れているように思われる。 (*原著は1972年発行)アメリカ人の性格の中には、明らかにやさしい思いやりの面やあたたかい面と並んで、 この暴力が存在するということである。 ,,,私はこう思う。 「第一に暴力、第二にやさしい思いやり ――この両者は、われわれが権力を意識的に否定することと、 この否定に伴う偽似的イノセンスとで結ばれている」 すでに述べたように、暴力は無力感からくる。 暴力は無気力(impotence)感の爆発である。 権力志向の拒否は、,,,ほんとうの権力に当然伴うべき責任感を導きださない。 自分たちで、それを持つことを認めていないようなものを所有したからといって 責任感など出てくるものではない。 一国家としてのアメリカは、まざまざとした悲劇感を発達させることに失敗してきた。 悲劇感は、自分の敵への共感を呼ぶのに役立つことからして、 わが内の残酷さをやわらげるはたらきをする。 アメリカ人が世界の悪からいかに隔てられているかを知りたければ、 インドシナを爆撃してきた人たちの報告を読むだけでよい。 その飛行士たちはいう。 『地上にいる婦人や子どもたちのことなど考えない。 私の念頭にあるのは、爆撃するという仕事のことだけだ。 それを立派にやってのけることによろこびを感ずる 』 Top kusamura 題名 第二章 イノセンスとある時代の終焉 4 時間 2009-08-11 18 22 34 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 322 ○イノセンスの諸相 ,,,,(*偽似)イノセンスの第二のはるかに重要な表現は、 「法律」というものと、その時点でたまたま社会に存在した特定の「秩序」を 調子よく同一視することである。 私の「秩序」は「正しく」なり,,,たとえそれが白人の至上権やインディアンの全員抹殺や あるいは他の種類の偏狭な道徳的尊大さにあるにしても、それは「神の意志」なのである。 法律というものは、それが「正義」と結びつくときには、 より大きな公的な善にむかって絶えず展開する、創造的な一組の原理としても利用されうる。 しかし「法と秩序」という合い言葉によって「秩序」と結びついた「法律」は、 普通では、現状の正当視となる。 現代のような過渡期の時代にあって、どんなことをしても避けなければならない亊は 現状に厳密にしがみつくことである。 過渡期を生き抜く唯一の方法は、変化に順応できる弾力性を持つことである。 「法と秩序」を強調することは、人間の自惚れや自尊心にとって破壊的となり得る。 「法と秩序」を強調することは、それ自体、暴力を助長することになりかねない。 人間のプライドとか自尊心というものは、強制される気配がみえると傷つけられるものある。 暴動をそそのかすもとの一つは、まさに街に百人の警官を整列させることである。 それは、守っている方と守ってもらっている方の双方を怒らせる。 それによってわれわれみんなが、「顔のない他人」になってしまうからである。 「法と秩序」という語句がもっている不愉快さは、その源の一つとして 当人自身の罪に対する反動形成を伴う。 たとえば、私は問題のある偽似合法的な手段によって金銭を得ていたかもしれない。 しかしいま私は、他人が私の金を取り去らないように、 「法と秩序」に対する忠実な市民として立ち現れているのである。 その最良の意味で、また自ずから 「秩序」というのは、それによって われわれが一緒に生きて働く形式や慣習を意味すべきである。 理想的にいえば、 秩序は、平和や身体的な安全を妨害するような干渉からの自由である。 この身体的安全によってこそ、 知的・情緒的・精神的な目標を追求するための心理的な安全も保証されることになる。 しかしそれが法と結びつくと、それは 古い行動様にかたくなにしがみつくこと、 過渡的な時代に必要とされる一切の変化を妨げる。 (*古い世代だけではなく)イノセンスというものは、 自らのイノセンスに直面するのを避ける方法として新しい世代によっても利用される。 ,,,若い世代には、年輩の者を責めるだけの十分な理由があるというわけではない。 彼らの父親が生まれ、それを利用しなければならなかったものを使って働いていたような 歴史的状況に身を置いたとしたら、いまの若者なら、 父親たちに代わって、何をしでかすだろうか。 「単に」一世代あとに生まれたということによって、 その正当性が保証されると主張することは非歴史的な見方である。 若者が自分たちのかかえている価値について述べよ、 あるいは新しい世界の中心に何を据えようとしているのか尋ねられたとき、 “決して昆虫を踏みつけてはならない”だとか“ブラスチック製のものを投げ捨てるな” といったようなくだらない、 もしくは日常繰り返される項目が出てくる。 これはイノセンスの見えすいた使い方である。 イノセンスというものは、子どものときには本物で愛すべきものである。 幼いころの態度の永続化としてのイノセンス ――子ども盛りのころのイノセンス、 万人を愛するというあまりにも容易なプラグラムのイノセンス、 不安あるいは罪の意識のないむき出しのイノセンス、 自分はまだあたかも子どもであるかのごとき正直さと誠実さの 「過度」の単純化―― これらは、魅力的ではあるが、 しかし今日の世界では根本的に適応できるものではない。 それは、自然に対しわれわれの要求を聞いてくれることを「期待」し、 われわれを害から守るために自然が備えている中立性を放棄してくれるよう期待するイノセンスである。 それは無責任なイノセンスである。 このタイプのイノセンスは、戦争および機械といった、外的な力の形態とか あるいは、地位および威信といった、内的な力の形態を含む、 権力の現実に直面しなければならないときの防御壁である イノセンスがこうしたイノセンス以外(extra innnocent)の目的に使われるという事実は、 イノセンスを疑わしいものにするものである。 責任回避の防御物としてのイノセンスは、成長を妨げる防御物でもある。 こうしたイノセンスは、われわれの新しい認識を妨げ、 人類の苦悩とともによろこびをわがこととして感じ取ることをできなくする。 この苦悩とよろこびは、偽似的なイノセンスの人間には閉ざされているのである。 Top kusamura 題名 kusamura_N の注釈 (省略部分の説明) 時間 2009-08-11 18 53 22 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 322 *省略した部分において ロロ・メイは、若い世代による偽似イノセンスの例として ヒッピー(この著作が書かれた1972年当時まだ盛んだった)の フラワームーブメント、無邪気な「ピース」的なるものを批判している。 ヒッピームーブメントはロロ・メイの「疑似」の定義にぴたりとあてはまっていた。『偽似的イノセンスは、 ユートピア的理想主義になってしまい、 われわれはそのとき、実際の危険を見る必要がない。 無意識的な目的をもって、現実に目をつむってしまい、 自分たちはそれからもう免れたんだ、と自らを説得してしまう。』 (N)
https://w.atwiki.jp/kusamura/pages/17.html
このページはhttp //bb2.atbb.jp/kusamura/topic/65920からの引用です kusamura(叢)フォーラム ログインユーザ登録 メンバーリストグループ設定 トップ»ロロ・メイ著作集3「わが内なる暴力」(1972)» 第十一章 反抗者の人間性 All times are JST(+900) ロロ・メイ著作集3「わが内なる暴力」(1972) Page1of1 [ 9 posts ] 1 投稿者 メッセージ kusamura 題名 第十一章 反抗者の人間性 時間 2009-08-29 23 12 36 no rank Joined Posts ,,人間を構成する肝心の要素,,, 要するに、それは反抗できる能力である。 多種多様な人間が、不安と頼りなさの状態にとらえられている今日、 自分たちの見せかけの平安を乱すものは、 何人を問わず、われわれわれは冷たくあしらい、 都市の壁から投げ出してしまいがちである。,, しかしわれわれは、 その反抗者(rebel)を追い出すことによって、 自分たち自身の生命線をカットしてしまうのである。 というのも、反抗機能は、文化の生き血(life-blood)として、 まさに文明の根として必要なものなのである。 まず第一に反抗者と革命家との間を重要に区別しておかねばならない。 一方は、他方に対し根深い対立関係にある。 革命家の探し求めているのは 、極端な政治的変動であって、 ある政府ないし統治者を打倒するなりあるいは拒否することであり、 もう一つ別の政府が今の政府にとって変わることである。 他方、反抗者は、 「権威あるいは拘束に対抗する人であり、 できあがっている習慣ないし伝統と手を切る人」(『ウエブスター新国際英語大辞典』第3版1961)である。 Top リンク kusamura 題名 時間 2009-08-29 23 21 51 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 反抗者の顕著な特性は、絶えず落ち着きがないことである。 反抗者はとりわけ、内面的な変化や態度や情緒や 自分が忠誠を捧げている人びとの見解の変更をさがし求める。 反抗者はしばしば、一時的な成功や その成功のもたらす安易さを受け容れることができない。 反抗者はむだな抵抗をして大けがをする。 そして一つのフロンティアが征服されると、反抗者はやがて不安になり、 新しいフロンティアをめざしてどんどん進んでゆく。 というのは、反抗者は自分を役に立たないものにしてしまう抑制を 永遠に受け容れることができないからである。 (原註)《トーマス・ジェファーソンの 「私は神の祭壇にかけて、人間の心に加えられる あらゆる形の暴力に対して、永遠に反抗する旨を誓った」 という表現は、ほとんど反抗を認めていることを示す合言葉である》 反抗者は権威を拒否する者としての反抗者という意味通りに、,,自らおよび仲間にとって決定的に重要だ、と確信している人生観や 社会観のために、反抗するのである。 一切の反抗は暗々裏に何らかの価値を前提としている。 革命家が身の回りに力を集める傾向があるのに対し、 反抗者は、権力を最終のものとして求めるのではなく、 それを利用する才をほとんど持ち合わせておらず、 自分の権力を分け与えてしまう傾向がある。(反抗者が求めているのは、もうひとつの政治体制ではない。 それは反抗者の主目的ではない) 反抗者は、 ただ自分の仲間の救済のためだけに戦うのではなく、 自分の個人的な誠実さ(personal intigrity)を守るために 戦うのである。 Top kusamura 題名 第十一章反抗者の人間性 1.文明は反抗者を必要とする 時間 2009-08-30 06 23 00 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 1 文明は反抗者を必要とする 反抗の機能は、 文明のもつ固定された習俗や厳格な秩序を動揺させることである。 この動揺は苦しいものであるけれど、もしその社会が 退屈とアパティ(*無気力、無関心な態度・状態)から救われたいなら避けがたいものである。 ,, 文明はその最初の開花を反抗から得ているのである。 意識が生まれるには個人の対抗意志(counter will)の行使が必要である。 それは、各自の生活の中で生ずる衝突によって呼び起こされ、 鼓舞され、発達させられるのである。 この衝突によって人は、驚きを強いられ、 自分の持っていることを知らなかった力を頼むことを強いられるのである。 社会は、ある世代では反抗者を犠牲者として殺し、 次の世代ではその反抗者を崇拝する。 ソクラテス、イエス、仏陀、クリシュナなど、 こうした扱いを受けた人物のリストには事欠かず、数限りなく続く。,,彼らは社会の構造と安定に対し挑戦しているのである。 社会は、その社会の習俗や法律あるいは確立した行き方がある程度脅かされるについては寛容である。 もし文明が、成長を肥沃にするためのインプットを何も持たないなら ―ただ確立した道(習俗)だけを進むなら― 文明は受動性とアパティの中で停滞してしまう。 Top kusamura 題名 第十一章反抗者の人間性 2 反抗者と社会-ひとつの弁証法 (1 時間 2009-08-30 06 35 57 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 2 反抗者と社会 - 一つの弁証法 (1)反抗者は、自己のアイデンティティは尊重してもらいたいと主張し、 社会が抑圧してかかろうとする態度に対しては自らの知的・精神的な統一を保全するために戦うのである。 反抗者は、彼に向けられる画一主義や適合、あるいは 自分自身の独創性や自らの声を殺せと主張する集団に対しては反対の立場をとる。 人類史を見ても、各個人の生活史を見ても、絶えずそこに進行しているのは、個人と社会、個人と集団、人間とコミュニティとの弁証法的な過程である。 その弁証法のいずれかの極が無視されるとき、パーソナリティの貧困化というものが始まる。 だれもが時々、社会をぞっと言わせたいという衝動や、 自分の隣人に暴行を加えたいといったファンタジーを持つことがある。 大いに逆説的であるが、人間が絶えず心的な生命力を維持できるのもこれがためであり これもまた逆説的であるが、 コミュニティ自体、たとえその暴行(outrage)を非難しながらも、 その暴行から健康と生命力と新しい成長の糧とを得ているのである。 反抗にはまたその人間の社会が必要である。 言語や概念や他者へ関係の仕方、 全てこれらは、いま当人が反対しているその文化から出てくるものなのである。 (われわれは、文化から学んだそのまさに言語と知識でもってその文化に抵抗する) 彼はその社会から立ち上がり、それを批判し、 それを改革しようと試みる人たちと自分自身とを連合させるのである。 ずっといつでも、彼は自分が反対するまさにその文化の一員なのである。 ,, それは各極が他の極によって存在するダイナミックな関係である。 つまり、一方の極が変われば、 他の極も同じように変わるのである。 Top kusamura 題名 第十一章反抗者の人間性 2 反抗者と社会-ひとつの弁証法 ( 時間 2009-08-30 07 14 20 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 2 反抗者と社会-ひとつの弁証法 (2) 個人の人格を抑圧するのは、社会の本質である。 ,,一方で、社会はわれわれである。 反抗者は、自分の社会が自分を養い育て、 自分にパーソナリティを発展させるための確信を与えたことを実感として承知し、 しかも、社会の拘束に苦しみ、社会が窒息するのを見ている、という点で、 分裂せるパーソナリティである。 反抗者は、社会をコミュニティにしてしまおうと絶えず努力する。 反抗者は機械化せる官僚主義的な傾向に対して、戦いを挑んでいるのである。 これは、そうした傾向それ自体が悪だからというのではなく、それらが 人間を非人間化し、人間の統一を役に立たなくなるまで喪失させ、 人間に侮辱を与えるために最高の近代的なチャンネルであるという理由からである。 反抗者は似たような理由で富裕なるものにたいしても戦いを挑む。 というのは「富の豊かさが権力をむしばむこと、それに共和国の幸福にとっては 富はとりわけ危険なものであることを反抗者は知っているからである」(ハナ・アレント) 反抗者は,,学校を中途退学したものの中にも見られる。 若者は、非人間化という脅威をまともに感じ、 しばらくの間、反抗者の行動は、 社会の厳格さに対する抵抗であるが、また自分自身を見いだせる時間でもある。 (それは仏陀が山に、イエスが荒野に引きこもったのに似ている。),,このように引きこもることによって、 新しいパースペクティブや、 後ほど大へん自分のために役立つかもしれない新しい自己認識に 達することができるのである。私はヒッピーの人たちと話したとき、次のような印象を抱いた。 彼らの何人かは、ドロップアウトしたその一年そこそこは、 精神病になってしまうのを防いだ、という印象である。 ,,しばしばこの中途退学することが、精神分析に似た目的を果たしているのである。 ,,彼が、自分自身および自分の社会に対し、新しいまじめな態度を持して、 見かけ上は気楽な放浪の旅からもどってくるということは、ありそうなことである。 われわれの心理学教科書には、被実験者が指示に「従った」ばかりに、 当人の行為の「犠牲者」を傷つけたり殺すことまであるような数多くの実験に 事欠かない。しかも実験者はその犠牲者が苦痛で身もだえするのを隣室で ガラス越しに見ているのである。 人間というものは服従の形にも あるいは植民地の蟻のような組織にも条件付けられる、 と結論してもよいかもしれない。 しかし、同時に忘れてならないことは、 時々、大衆から身を引き離す個人があること、 さらに自らの危険を引き受け、もし必要ならば捕らわれの身になっても 集団に反対する反抗者のいることである。 (*例としてダニエル・エルズバーグが取り上げられている.リンク先の「2」) Top kusamura 題名 第十一章反抗者の人間性 2反抗者と社会-ひとつの弁証法(3 時間 2009-08-30 07 48 51 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 2反抗者と社会-ひとつの弁証法(3)個人と社会との間の弁証法的な葛藤を生き抜くことから、 逃れることはできない。 ,, われわれには、権威を嘲笑する方法が必要である。 われわれ(*アメリカ人)はハロウィンやエイプリル・フールを持っている。 しかし、われわれは、隣人をおこらせ、 町の親父どもを憤慨させるひそかな夢を水路づけることが必要である ―この興味ある例が身代わりの王様である。 その王は一切の権威が嘲笑されるある奔放な底抜け騒ぎの間に、 殺されることを承知で王位につくのである。 アメリカ人の生活の中に見られる行き過ぎはディオニソス的儀礼の欠除に 関係あるのではなかろうか。 その行き過ぎのひとつが暴力である。 探偵もの、ギャング映画の主人公との同一化、禁酒運動後に見られたような犯罪人の神格化 ―これら全ては、部分的には 「自分たちの行く手をはばみ、閉じ込めておく社会に対するひそかな復讐の夢」を 発散させるための健全な機会の欠けていることの症候である。 (*現在の日本ではアニメとゲームが西部劇やギャング映画を代行していると思われる) 反抗者の価値を認めるということは、 こうしたデーモン的な力を建設的な方向に水路づけるという点で、 長い道のりをたどることになる。 というのは、反抗者は 我々他のものがやりたいが敢えてやろうとしないことをやる。 (キリストは、われわれ皆のために活動し、生き、そして身代わりになって死ぬ。)これが彼を反抗者にしてしまうのである。 そのとき、反抗者と救済者は同一人物であるという結果になる。 反抗を通して反抗者はわれわれを救ってくれるのである。 ここにわれわれは ――文明は犯行を必要とするということ―― のもう一つのあらわれを見るのである。 Top kusamura 題名 3 反抗者としての芸術家 時間 2009-08-30 08 11 51 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 3 反抗者としての芸術家 パリのノートルダム寺院の屋根の真下の止まり木から横目で見ているガーゴイルを 眺めたとき、それに対して驚きと当惑にとらえられない者があろうか。 他の動物を生きたまま食する半ば動物で半ば人間的なこうした被造物、しかも 下の市の広場にいる人の群れに向かって舌をつきだし、軽蔑の表情を石に刻み込んだ このサタン的な像は、広い日の光の中で腰をおろしてパリを見つめている。 ,,それらは、われわれだれにも存在する緊張の表現であり、光と闇、善と悪との間の 弁証法を示しているのである。こうしたデーモン的なものの表現は、このフランスという国家が こうした美を発散する大寺院を建設できたという事実に対してきわめて重要なことである。 というのは、こうした彫刻家が行ったように、 われわれの世界を明るくする芸術家は デーモン的なもとのともに生き、呼吸しているということである。 もし、われわれが、このいずれの世界とも結びつきを切り離してしまうならば、 われわれが美と言いならわしてきたことは不可能になる。 芸術家はあの十戒の古代的で有力な禁制(interdiction)に直面する。 「汝は自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、 下は水の中にあるものの、どんな形をも造ってはならない」 これは偶像崇拝を禁止する禁制である。 これはまた、古代ヘブライ人に対して向けられた呪術の禁制であり、 砂の上に似姿を描くことで動物ないし人間を支配しようとする原始的な方法を 禁止したものである。 美術は暴力の代用(substitute for violence)である。 ある人間を暴力に駆り立てるその同じ衝動 ―意味への飢餓、エクスタシーへの要求、一切を危険にさらす衝動― が美術家を創造に駆り立てるのである。 芸術家はわれわれの中の大反抗者である。 私は,,芸術家の仕事全体が社会の現状 ―つまり、社会を平凡なもの、画一的なもの、沈滞したものにする現状 に対する反抗であると言っているのである。 その反抗の本質は 自然および人生についての新しい見方ということにある。 美術家は、創造できる限り、暴力に訴える必要はないのである。 (しかし),,彼ら(*マーク・ロスコやアーシル・ゴーキー)その他の美術家の自殺は 多くのことを意味しているかもしれない。,,美術家は実際には、二流の市民であって ケーキにつける「砂糖の花」で生命の糧ではないのである。 Top kusamura 題名 4 反抗者の限界 時間 2009-08-30 09 02 56 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 4 反抗者の限界(1)反抗者は仕込まれた拘束のもとで活動していると知ったら、 たいていの人は驚くであろう。 実際、それが反抗者と革命家との主たる相違点なのである。 革命家は、政治的変革に関心を持っているので、 ただ外面的な拘束を経験するのみである。 しかし、 人びとの態度や動機に関心のある反抗者は、内的制限をもっている。 つまり反抗者は、 「自分が申し立てる秩序」に内在する境界線によって拘束されるのである。 その第一のものは、反抗者の見透し(ビジョン)と普遍性である。,, エゴの陶酔(ego trip)による興奮は、反抗者にとって二次的なものであって、 彼の主として関心のあるのは、自分の見透し(ビジョン)である。 この世界についての見透しのなかには、自分の行為に対する拘束が存在する。 ソクラテスがスパルタと密約をしなかったのは、自らが個人的に選んだ倫理観の 要求に従ったのである。反抗者は遺恨によって動かされるのを卑しむ。(現実には、それ(*遺恨)が反抗心を培い、 自分自身のプライドが傷つけられたという気持を育てる。 これは十分な根拠のあることだが、本当の反抗心の基礎にはならない) 反抗者は、復讐を要求する権利を持たず、 さらにそれをするだけの時間をもたない。 反抗者の本質的な性格は、 自分の民衆や自分の抱いている普遍的な理想と同一化することによって、 自分自身の特定の傷つけられた誇りを超越できることである。 もう一つの制限は、反抗者の同情心(compassion)である。 反抗者の同情心こそは、 まず第一に彼を反抗者にしたてたものの一つである。 反抗者は苦悩し、 この苦悩をめぐって何かをしたいという情熱的な願望を抱いている人びとと 同一化する。 これは、彼の見透し(ヴィジョン)を活気づけてくれる他人に対する自分の 感受性および共感(empathy)から生ずる。 事実、反抗者はときどき、 自分の抱く理想を普遍的に適用することに没頭してしまい、 自分自身の家族をも無視してしまうほどである。 さて、われわれと同様、 反抗者は、善悪両方の特性をそなえた人間であることに 変わりはない。 自分の共感能力によって、反抗者は、いよいよ人びとに対し同情的になっていき-(家族に対してではないにしても)― 人びとをして自分の見透しを形成できるようにする。 こうした制限はまた、 反抗者の心が他人の心にふれあう、という事実から出てくる。 他の人たちの現実観が彼の現実感を拘束し、鋭利にする。 すなわち、両者間が出会うことによって、 彼らは両者にとって価値ある何かを成し遂げるのである。 これこそ、反抗者にとって対話がかくも重要なものとなる理由である。 (*イエスやソクラテスと人びとや弟子との対話など)この対話には、もろもろの情動や気質や実際のやりとりの中に起こるさまざまな 目標の一切のからみあいが含まれる。 本物の反抗者は、自分の敵対者全員を黙らせることが、 地上で彼の望んでいる“最後”のものであることを知っている。 敵対者を絶滅することは、反抗者や生き残っているものがだれであれ、 そのものからそのユニークさやその独創性、 およびこれらの敵も人間である以上、彼と共有し、 かつ分かち合うことのできる洞察能力を 奪ってしまうことになる。,,敵との対話のチャンスを失うことによって、われわれはより貧弱なものになるのである。 Top kusamura 題名 4 反抗者の限界 (2) 時間 2009-08-30 09 12 04 no rank Joined 2013-12-06 19 50 08Posts 321 自己実現というような個人的な目標にも、一定の制約はつきものである。 人間の潜在能力開発の運動は、 アメリカで支配的なイノセンス形態を相続してきた。 即ち、われわれはますます立派な道徳的完成をめざして成長してきたのである。 四六時中、善人であろうと努力することは、 人間をして倫理的な巨人にするのではなく、 口やかましい人にしてしまうことになる。 われわれはむしろ、悪と善双方にたいして、より大きな感受性をもつように 成長しなければならない。道徳生活は善と悪との間の対話である。 とりわけ暴力を理解する上で必要なことは、 われわれ各自の中には善と悪とがあることを意識することである。 われわれがどこへ出かけようと、孤独の見出されるような場所では 人間の心情の中には過剰さ(excess)が場所を占めている。 しかしわれわれの仕事は、それらをこの世界にぶちまけることではない。 われわれの仕事は、わが内なり、他者の内なるそれら(*過剰さ)と戦うことである。 反抗、つまり屈服しないという世俗的な意志は,,今日なお戦いの基本にある。 (カミュ)われわれ全ての中に善と悪が存在するいう事実は、 何人をしても道徳的に尊大にさせてはくれない。 何人も、当人自身の道徳的優位性を主張することはできない。 許しの可能性が生じてくるのは、この抑制感覚からである。 Top リンク Page1of1 [ 9 posts ] 1 新しい記事有り 新しい記事無し 重要トピック 新しい記事有り(人気) 新しい記事無し(人気) 告知トピック 新しい記事有り(ロック) 新しい記事無し(ロック) 新規投稿 不可 返信 不可 自分の記事の編集 不可 自分の記事の削除 不可 投票への参加 不可 Powered by SuwaBB as @BB like phpBB ©2013 atfreaks