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【side 蓉】 本当はずっと忘れる事なんてなかった。 素気なくも、さり気無い優しさ。 誰かに頼ることが苦手だった僕が、唯一掴んだ手。 「……いえ、大丈夫です。」 条件反射のように縋りそうになる自分に気付いて、小さく首を振った。 もう、彼に甘えてはいけない。縋ってはいけない。 いくら昔と同じように差し伸べられる手があったとしても、僕にその手を取る資格等、もうないのだから。 「…そうか。」 自身を戒めるように呟いて答えた僕に、聖夜は小さく相槌を打つと部屋へと向かうべく歩き出す。 聖夜の後姿に感じてしまった寂しさから目を逸らして、僕もその後を追ってゆっくりと歩き出した。 「…ほら」 部屋に着くと鍵と扉を開け中に促す聖夜に、「お邪魔します」と小さく口にして躊躇いつつも部屋へと足を踏み入れた。 痛む右足の靴をいつもより少し時間を掛けて脱いでいる間に、聖夜は僕の隣をすり抜けてトランクを持ったまま廊下の奥へと向かう。 奥はリビングかダイニングになっているのか廊下から一枚隔てられた扉を開くと開けた部屋が見えた。 聖夜を追って後に続くと、いかにも男性の一人暮らしというには少し片付いた部屋。 「適当に座ってろ。」 部屋に入ったところで所在なさげに立ち止まっていた僕にそう声を掛けると聖夜は奥にあるキッチンスペースへと足を向けた。 その言葉に従うように、示されたソファへと腰掛ける。 正直立っているのが少し辛かったので、ソファに腰掛けると小さく息を吐いた。 それから手持ち無沙汰に部屋を眺める。 一人暮らしには少し広い部屋。 マンション自体も良い所のようだし、ホストという仕事は収入がいいのだろうかと実もない思考を巡らせていると、不意に目の前に水の入ったペットボトルが差し出された。 「水でいいか?」 それに思考を遮り、ペットボトルを差し出す聖夜に視線を向けると礼をいいそれを受け取る。 「はい、ありがとうございます。」 ペットボトルを渡すと聖夜は僕の隣に腰掛けた。 自分の分のペットボトルの蓋を外し、それに口をつける聖夜をちらりと見てから視線を落とした。 静かな沈黙が部屋に落ちる。 昔なら苦にはならなかった沈黙。 昔ならもっと近くにあった聖夜との距離。 昔と今の違いの大きさに気付いてしまうと、僕が此処にいるのは酷く場違いな気がして、落ち着かない気分になった。 聖夜から受け取ったペットボトルは、冷蔵庫から出してきたばかりらしくひんやりと冷たい。 その冷たさが、まるで気持ちまで冷やしていくようで。 不意に持ったままだったペットボトルが取り上げられた。 不思議に思いそれを視線で追い、聖夜を見る。 聖夜は僕の視線など意に介した様子もなく、ペットボトルの蓋を外すと再びそれを僕の手に戻す。 「あ、ありがとうございます…。」 「いや。」 再び小さな沈黙が落ちる。 何処か気まずいそれを誤魔化す様に、僕はペットボトルの水を口に含んだ。 ひんやりとした冷たさが喉を通って胃に落ちた。 それから沈黙に耐えかねて俯いたまま小さく口を開いた。 「……聖夜。」 「…何だ?」 聖夜の視線が此方に向く。 その視線を合わせるのに、心の準備をするように小さく息を一つ吐いて聖夜を見つめる。 「…今日は、すみませんでした。」 今日幾度目かの謝罪を口にした僕に聖夜が口を開く前に続ける。 「…私の力が足りないばかりに、聖夜だけでなくお店のほうにまで迷惑をお掛けして…」 わざと事務的な口調で、矢継ぎ早に言葉を続ける。 「今日の損害については此方の責任ですから、きちんと責任を取らせて頂きます。 勿論この怪我の治療費も、明日伺った時に必ず。」 きちんと、線を引かなくてはいけない。 まだ目の前の彼のことが忘れられていない自分に気付いてしまったから。 昔のように、彼の優しさに甘えてはいけない。 甘えてしまえば、きっと済し崩しにこの気持ちをとどめることが出来なくなってしまう。 それは、いけない。 …それじゃ、いけない。 昔のように彼に寄り添いたいという気持ちに、蓋をするにはそうせずにいられなかった。 next
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【side 蓉】 彼女は、聖夜の言葉に涙を流しながらも嬉しそうに微笑んだ。 それはとても綺麗で、純粋な微笑だった。 「……大丈夫ですか?」 そうかけられた声にはっとする。 怪我の確認をしていた、柔らかな金髪の青年が気遣わしげに此方を見ているのに慌てて首を振る。 「…はい。すみません。」 僕がそう答えるとほっとしたような表情をした彼は気にしないで下さいと首を振った。 オーナーに急かすように呼ばれた青年は、静(セイ)と呼ばれており聖夜たち同様ここの従業員…ホストだ。 彼は医療の心得があるらしく、医者が来るまでの応急手当をしてくれた。 右腕と右足には照明の割れた破片が入っていたらしくそれを出来るだけ取り除き止血する。 それでも来ていたスーツのお陰か細かい破片は防げたらしい。 しかし、スーツの中で血で湿ったワイシャツが気持ち悪かった。 それでも、見届けなくてはならない。 彼女をきちんと送らなければ。……それが、僕の仕事だ。 控え室から出てきたらしい数人のホストとオーナーは不思議そうに聖夜を、心配そうに僕を見るも聖夜には声をかけない。 先ほど、聖夜に駆け寄ろうとした鮮やかな赤髪の利紅と呼ばれた少年を引き止めたから…そしてなによりこのフロア内に満ちる普段とは違う雰囲気を感じている為だろう。 一通り手当てが済んだのを確認すると、聖夜たちに視線を戻す。 彼女は、聖夜が触れている手に嬉しそうに触れている。 『……ごめんなさい。』 微笑んだ後彼女はそう呟いた。 こちらに背を向けている聖夜の表情は伺えない。 しかし今ならば、彼女をきちんと送ることが出来るだろう。 『私…聖に会えて良かった。』 「…そうか。」 聖夜が答えたのに満足そうに微笑むと、ふと此方に視線を向ける。 その視線に促されるように僕は立ち上がった。 「…ダメよ、動いちゃ!」 慌てたように制止するオーナーに小さく首を振った。 近くのソファに手をかけて左手で体重を支え何とか立ち上がる。 右足は床につくだけで痛んだが、今はそれより先にやるべきことがある。 「…蓉?」 オーナーの声にこちらを振り返った聖夜が、驚いたような諌めるような訝しげな視線をこちらに向けた。 「……大丈夫です。」 そう答えるのとほぼ同時に彼女は僕の前まで滑るような動きで移動した。 『……怪我、させてごめんなさい。』 視線を伏せて言う彼女に、自然と笑みが毀れた。 聖夜の言葉で素直になった彼女も、聖夜の為にここまで出来る彼女も、聖夜に触れて綺麗に微笑んだ彼女も。 ……僕は素直に羨ましいと思った。きっと僕には出来ない。 「……もう、大丈夫ですね?」 確認するように言えば彼女は頷いた。 その彼女に支えにしていない右腕を伸ばす。 引きつるように痛んだが、なんとか彼女に触れることが出来た。 見えているのに、感覚の無い手。しかし、空気に触れるのとは少しだけ違う感覚。 奇妙な感覚には未だ慣れきれない。 けれど触れるだけで同調するように感じた彼女の想いは、先ほどとは違いとても穏やかだった。 「……きっと次は、もっと幸せになれるはずです。」 『…ええ、そうね。』 ふわりと素直に微笑んだ彼女は、そのまますぅっとその姿を薄れさせた。 そして見えなくなる頃にはその存在も感じなくなる。 冴え冴えしていた空気も、緊迫したような空気も、彼女の存在も。 …それらはもう全て無くなっていた。 彼女は今度こそ、きちんと行くべきところにいけたのだと確認すると、安堵からそのまま手をかけたソファに座り込んだ。 「…大丈夫か?」 歩み寄ってくる聖夜に頷いてみせる。 「ええ、彼女は無事に行けました。」 何処かものいいたげな聖夜にそう返せば、何が起こったのかわかってない周囲を代表するようにオーナーが声をかけた。 「終わったの…?」 そちらに視線を向け、しっかりと頷いてみせる。 ほっとしたように息を吐いた周囲に、僕は申し訳なさそうにオーナーを見返す。 「すみません…僕の力が足りないばかりに、事を大きくしてしまって…」 「とりあえず、後でいいわ。まずはきちんと手当てしなくちゃ」 フロアのドアが開き、楽杜と呼ばれていた青年と共に医者と思われる男性が入ってきたのに気づいたオーナーは僕の言葉を遮るように言った。 それにもう一度申し訳ありません、と呟いて、一応仕事が結果無事済んだことに今度こそほっと息を吐いた。 next
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【side 聖夜】 ヘルプについた席で空いたグラスに酒を注ぎ客に渡す。 テーブルの上は水滴すらなく綺麗に片付いている。 使用された灰皿を交換してしまえば後は会話を聞くだけ。 偶に話しかけられればそれ相応に返すがそれ以上の干渉はしない。 俺に愛嬌だとかを求められても困るし、今日の客は常連でそれを知っている。 大体、元々の目当ては俺ではなく目の前で胡散臭そうな笑顔を浮かべている男だから問題ない。 愛想笑いさえ浮かべない俺の前では楽しげな様子で笑いあう男女。 ――ああ、退屈だ。 指名が入って香水くさい女に寄られるのも、それはそれで面倒だけれど。 ホストクラブ「レストミル」 変わり者のオーナーが経営するそこは通常のところとはやはり一風変わっている。 といっても他の店で働いたこともないので聞く限り、ではあるが。 場所は繁華街の中心よりも離れており、知る人ぞ知るという感じの店だ。 決して饒舌でも気遣いが上手いわけでもない俺がこの場に居るのは、単純に金のため。 就職が面倒くさいからという理由で大学院まで進み、卒業して。 卒業後は否応無しに地元の企業に就職はしたものの、働き出して数年で会社が傾く気配を感じてすぐ辞めた。 俺の睨んだとおり、その会社はその後潰れたと誰かに聞いた。 多分言っていたのは母親だったと思うが、退職した会社に興味は無かったので詳しくは覚えていない。 退職後は気の向くまま何の当ても無く上京した。 地方の片田舎に住んでいたからといって都会に憧れていたわけでもなく、本当に何となく。 貯蓄を食いつぶしながらだらだら生活する俺を見かねた双子の妹・月乃が紹介してきたのが此処でのバイトだった。 『アンタは顔だけは良いんだから』 と月乃は真面目な顔で言った。 どういう繋がりかは知らないがオーナーと友人だったらしい。 とりあえずやってみればそれなりの収入を得ることが出来た。 何処にでも物好きは居るもので、大して甘い囁きなどせずとも指名はとれて。 まぁ結局容姿の勝利、といったところだろうか。 むしろ真面目に会社勤めをしていた頃よりも収入は増えていた。 「聖、指名だよ」 ふと近づいてきた利紅(リク)と呼ばれている青年が耳元でそっと告げてきた。 アガット色の癖のある髪をした彼の顔立ちはまだあどけなく、中性的というより女顔。 性別だけでなく、年齢も未成年に間違われることがしばしばらしい。 事実を聞いて驚く者も多い。 年より幼い雰囲気がどこか弟と似ているせいか、割と親しみを感じている相手だ。 面倒くさいと思いながらも此処に居るよりはマシかと、断りを入れて席を立つ。 どちらにせよ指名されて断るわけにもいかない、今後のためにも。 「何だ?」 立ち上がり歩いている途中で感じた、少しばかり好奇心を覗かせた表情。それにわざとらしく顔を顰めてみせる。 俺に指名が入るのが珍しいわけでもないだろうに。 「新規の人みたいだけど、変わってたよ。男の人連れてたし」 …わざわざホストクラブに男連れで来店? どこぞのお嬢様が護衛と一緒に、とかそういうことだろうか。 珍しいが以前にもそういう奴が居た。 出来ればそんな世間知らずの相手はしたくないんだが。 会話をしていても面白く無さそうだから。 「面倒そうだな」 「でも、聖のサイン入ってる名刺持ってたんだって。知り合いなんじゃない?」 「名刺?」 確かにサインを入れた名刺は渡したことがある。 渡した面子は主に家族だ。他に渡すような相手もいなかったから。 仕事柄俺は昼間はほぼ寝ているし、夜は仕事が入っているから用事があるなら店に来てついでに金を落としていけと言って渡してあった。 それをもってる奴が来たら絶対に俺に言えとオーナーにも伝えた。 名刺を持ってて女だというなら姉の陽菜か妹の月乃のどちらかか。 ……どっちが来ていても面倒この上ないのに変わりは無い。 上京しておらず田舎で暮らしている姉よりは、同じ街に住んでいる月乃の方が確立は高いだろうか…。 だが彼女は新規ではなく、むしろ常連だ。利紅が知らないわけはない。 残る可能性としては…思い浮かぶのは両親の顔。 これで本当に客が親だったら笑うしかないな。 何が悲しくて親の酒の相手を仕事でしなくてはならないのか。 「オーナーに言っとけ、ヘルプも何も全部要らないってな」 「え?」 「あと、注文も全部俺が直接取りに行くから、客が帰るまで出来るだけ誰も近くに寄るな」 不思議そうに目を瞬かせる相手に一方的に告げる。 我侭を言っている自覚はあるが、無茶を通せるだけの実績が俺にはあった。 たとえ来ているのが誰であれ、おそらく来てるのは家族の誰かのはず。 同僚に面白がられるのが分かっていて近づけるつもりはない。 結局、俺の要求は無事にオーナーに受け入れられた。 客が通されたのは周囲には誰も着いてない奥まった席。ヘルプもつかない。 …俺の希望通りだった。 これも日ごろの行いの賜物だろう。 同僚が聞けば大笑い確実のことを考えながら、席へと向かう。 「失礼します」 さて一体誰だと、声をかけて客を見たところで、俺は一瞬動きを止めた。 席にいたのは癖のある茶髪の女とスーツ姿の男。 一瞬月乃とその旦那かと思ったが…否、思いたかったが見間違えるわけが無い。 弟の朔夜と、俺の元恋人だった男…蓉だ。 蓉が一瞬息を呑んだように思ったが気のせいかもしれない。 そう思うほどの素早さで彼は控えめな微笑を「作って」みせた。 表情を繕ったのは間違いない。 その瞬間、相手も俺のことを覚えているということを察した。 忘れるには、10年はお互いに短かったのだろうか。 「遅いよ」 俺と蓉の間に生じた緊張感に気付いてないのか、気付いていて無視したのか。 朔夜は不満げな様子で俺の腕を引いて席に座らせた。 座らされたのは朔夜と蓉、2人の間の席。 朔夜は決しておおっぴらに言えるわけではない俺たちの昔の関係も、それが終わったことも知っている。 なのに、どういうつもりなんだ? 「突然来といて文句言うんじゃねぇよ」 軽く朔夜の頭を小突いてから、逆隣に座る蓉に視線を移す。 どういう表情をしようか一瞬迷って、結局は無表情を選んだ。 「……久しぶりだな」 「…はい、お久しぶりです。雪城さん。 お元気そうで何よりです」 蓉、と続ける前にアイツは境界線を張った。 …蓉が浮かべているのは相変わらず控えめな笑み。 その表情は付き合っていた当時と変わらない。 10年前との唯一の差異といえば、今の蓉の目は決して俺を映さない…映そうとしないことだった。 会話をしているはずの今も、決して俺を見ていない。 「ああ…伊佐も元気そうで何よりだ」 無意味に苗字を呼ぶことで、同じように俺も境界線を引いた。 昔は、お互いに名前を呼び捨てて呼んでいた。 その呼称を苗字に変えたことは、些細だがお互いに距離感を再確認するには充分だった。 深い溜息が隣から聞こえ、視線を向けた。 溜息の主はあてが外れたような残念そうな表情をしている。 「ところでお前、その格好…ついに女装に目覚めたか?」 朔夜相手に営業トークをする気も起きず…まぁ客にも普段からやってないが…遠慮せずに気になったことを尋ねる。 「女装じゃなくて変装。ウィッグつけてるせいかな…?髪の長さで印象変わるらしいし。 それにこの服だって女用じゃなくて男女兼用」 何だかんだ言ってるがどうせ誰かに同じセリフで丸め込まれたんだろう。 現実には何処から如何見ても立派に女装だ。 救いといえば大して違和感がないという点か。 いかにも女装してる男が街中を歩いてたら逆に視線を集めたろうから。 しかも仮にも有名人が。 弟である朔夜は所謂芸能人とかいうやつだ。 最近では専らバラエティ番組に良く出ているが、活動範囲は割りと広い。 家族総出で甘やかしたせいで何処か幼さを残して成長してしまったコイツが、果たして芸能界という場所でやっていけるのか。 当初は家族を始めとする知り合いに大いに心配されていたが、結局は何とかやってるらしい。 冴凪樹という相方と組んで活動しているが、なんのマグレか人気も上々でデビューしてからある程度年月が経った今でもほぼ1日に1度は何らかの番組に出ている。 そんな状況なので外出するのに変装しなければならないというのも分かるが。 しかし、だからといって、今年で27の男がこれで良いのかと思わなくもない。 「まぁそんなことはどうでも良いんだって。とりあえずお酒だよね、蓉は何飲む?適当に頼んでいい?」 「お任せします」 1人で喋る朔夜に、蓉が苦笑を浮かべながら頷いた。 仮面のような笑みもこの能天気さの前では流石になりを潜めるらしい。 っつーか、俺の仕事な気がするんだけど…まぁ楽だし良いか。 「じゃ聖夜、好きなの適当に頼んで良いよ」 結局当然のように俺にオーダーを丸投げした朔夜に自然と苦笑が浮かぶ。 一番高い酒を頼んだら後悔して謝るだろうか。 いや、意外にアッサリ払ってきそうな気もする。 冗談を本気にされたら困るし、今回はコイツの財布で普通に払えそうな無難なものにしとくか。 そう考えながらわざわざ俺がカウンターまで足を運び、自分で適当なものを持って戻る。 その間中、同僚からだけじゃなく客からも含めてずっと視線が集中しているのを感じた。 注目されるのはいつものことといえばいつものことだが、今回の視線に含まれていたのは好奇心ばかり。 色気の無い視線なんて心地良くもないしうんざりするだけだ。 まぁ滅多にない俺の行動に興味が集まってるんだろう。 見慣れない女のために俺が人払いをして注文取りに来て、誰も近づけないようにして。 面倒くさがりで気遣いをしない俺の気質を良く知ってる連中からすりゃ不思議なのは当然のこと。 実際には弟の朔夜だが、周囲からすれば俺の本命のようにも見えるかもしれない。 今は声をかけてくるほどの暇人は居ないから良いが、上がった後に煩いかもな…。 生憎、わざわざ事情を説明してやるような優しさなんて持ち合わせちゃ居ないが。 俺が席を外してた間にも朔夜は勝手に喋っていたのかそれなりに会話は盛り上がっているようだ。 こうやってみるとむしろ俺よりも朔夜の方がホストが合ってたのかもしれない。 少なくとも気遣いは出来るし口も上手い。 少し微笑ましく思いながら卓に近寄ったところで、朔夜の声が聞こえてきた。 「聖夜が、蓉に会いたがってたから」 どんな会話の流れかは分からない。 が、喧騒に紛れて聞こえる声は事実無根のことを告げていた。 その内容と、珍しく真剣な口調に思わず足が止まる。 2人とも俺に背を向けている格好になるため、俺に気付かずに話が進んでいく。 声をかけても良かったが、朔夜が何故そういう風に感じたのか気になったのでそのままもう少し待つことにした。 「……雪城さんが、私に?」 困惑した様子の伊佐の呟きが俺の耳に届く。 朔夜は頷いたらしく、椅子の背越しに茶髪が揺れる。 「それはありえませんよ」 やんわりと、しかしキッパリと否定した。 当たり前だ。 伊佐の言葉に心の中で俺も同意する。 俺は朔夜が今日、伊佐を連れてくるまで伊佐のことなどすっかり忘れていた。 なのに俺が伊佐に会いたがっているなどとどうして勘違い出来るのか。 ガキの頃からそうだったが、時折現れる、朔夜のわけの分からない思考回路は未だに健在らしい。 「何で?」 「何故といわれましても…雪城さんと私はもう」 「蓉がどう思ってようと、聖夜は蓉に会いたいみたいだったから。 それで丁度、この店の近くで蓉に会ったから。 まるで運命みたいじゃん?だから蓉を此処に連れてきたんだ」 自分で尋ねておきながら伊佐の応えを遮り、何ら躊躇うことなく朔夜は一息で告げた。 その一番の前提である「俺が伊佐に会いたがっている」が間違っているにも関わらず、自信たっぷりに。 大体、何が運命だ。ただのこじつけだろうが。 その辺りの自分勝手さは流石俺の弟というべきか。 俺というよりは、家族の殆どがそうなので「雪城家」の血のなせる技のほうがより正確だな。 「雪城は、何故雪城さんが私に会いたいと思っていると思ったのですか?」 「この間昔のアルバムを見つけたとき、聖夜が懐かしそうに蓉との写真を見てたから」 …朔夜が言っているのは先週、片付けを手伝わせたときのことだろう。 確かにアルバムを見つけて懐かしく思ったし、伊佐と俺が2人で写っている写真を暫く眺めた。 が、会いたいとまで思ったわけじゃねぇっての。 突っ走る前に俺に確認取れ、確認。 説教してやろうと思ったが、今のはまるで盗み聞きの状況だったので止めることにした。 ってか勝手に聞いていたのは事実だからまるで、じゃなく完全に盗み聞きか。 「悪い、遅くなった」 何も聞いていなかったそぶりで2人に声をかけて、持ってきたアイスペールやシャンパンを卓に置いた。 next
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【side 聖夜】 蓉のことは医者に任せることにして、周囲を見回した。 事情が分かっていない面子が首を傾げていたり、店の彼方此方が壊れていたり。 …本人は幸せそうに消えてったけど、後の始末をするのは誰だと思ってんだ。 「オーナー、この騒ぎは俺のせいみたいだから…」 「被害のことは後で考えましょう」 オーナーに声をかけようとすると肩を竦められる。 やっぱり俺が弁償することになるのか? 丸々俺が負担ってことになった場合、面倒くさそうだな。 被害総額を思って溜息が漏れた。 「はい、一応これで終わり。明日にでも僕の病院においで、良いね?」 その間に楽杜の呼んだ相馬と名乗った医師がそういって立ち上がった。 かろうじて白衣を羽織っている程度で、全く医者には見えない。 というか、楽杜の人脈は基本的に信用できない。 それでも今は彼を信用するしかなかった。 脱いでいたスーツの上着を着なおしている蓉だが、血で汚れてるからもうあれは着れないだろうな。 「どうなんだ?」 「治療しながら本人にも説明したけど、すぐ治るよ。多少は痕が残るかもしれないけどね」 周囲の奴に持ってこさせた濡れタオルで手を拭っている奴に尋ねる。 そうか、と呟くとその場に静寂が降りた。 事情を求めるかのような沈黙に、どうするかと考える。 其処に 「お邪魔しまーす」 と場違いなまでに明るい声が響いた。 微妙に解散しづらい状況に割り込んできた乱入者の声には聞き覚えがありすぎる。 「朔夜…」 「心配になったから来てみた……って蓉、どうしたの!?」 入ってきたのはやはり朔夜で。 今日は私服らしく、ちゃんと男物を着ていた。 ウィッグもしてないようだから性別を誤解する奴は現れないだろう。 「うわ…血だよね?大丈夫?」 蓉に駆け寄り膝をついて既に手当てのされている怪我を確認する。 ああいう風に素直に心配するなんてことは、俺には無理だな。 特に今の立場だと…。 「僕が看たんだから問題ないよ、まぁ足も捻ってる上に手も使えないから生活は不便かもしれないけど。恋人にでも面倒みてもらったら?」 あくまでも仕事じゃなくプライベートのつもりなのか、医者は無責任に言い放った。 恋人、か。流石に居るんだろうと思いながら苛々が募った気がして蓉から視線を逸らす。 「元恋人」が今誰と付き合っていようと俺の知ったことじゃない、はずだ。 「じゃ聖夜、蓉のところに泊り込んだら?」 「はぁ?」 「雪城!?」 一瞬何を言われたのか本気で理解できなかった。 今の会話の流れで何で俺が泊り込む、なんて話になる? 「あれ、蓉恋人居たの?」 不思議そうに首を傾げている朔夜の目は本気だ。 恋人居たの、なんてかなり失礼な発言だがその自覚も無いらしい。 「いえ、居ませんが…」 「じゃ聖夜に面倒みてもらいなよ、怪我は聖夜のせいなんだから。それに聖夜は恋人居ないし」 「ですがこれは聖夜のせいではありませんから」 困ったように首を振る蓉だが、あの様子ではそのうち押し切られてしまうだろう。 …しかし何処まで俺のプライベートを暴露する気だ、朔夜は。 周囲の好奇の視線が鬱陶しくて気になる。 「何でも良いから治療は終わったし僕は帰るよ?良いよね、楽杜」 「はい、夜分に申し訳ありませんでした」 「…せっかく来てあげたのにその丁寧に喋るっていう嫌がらせ止めてくれない?」 深々と頭を下げる楽杜を見た相馬が本気で気持ち悪そうに腕を摩った。 俺としてもその気持ちは良く分かる。 「あの、治療費は…」 「友人の頼みで来ただけですから。…楽杜にでも今度一晩付き合ってもらいますよ」 相馬はオーナーにだけは唯一丁寧な対応だ。 逆らってはいけない人物だと認識しているのであれば随分と勘が良い。 「礼代わりに酒でも持って行きます」 「それだったら俺が礼するのが筋だろ?」 「では聖も半分出してくださいね」 それくらいは仕方ないかと頷く。 物言いたげな蓉は視線で黙らせた。 「ねぇ、結局どうなったの?」 「何が起きてたんだ?」 「終わったってことはもう物は壊れないんですか?」 「聖とどういう関係があったの?」 「っていうか伊佐さんと聖の関係は?」 「愛してるってことは交際宣言?」 「そっちに居るのナイトの朔夜だよね、この間の女の子と似てない?」 一段落着いたことを察したのか、朔夜の問いかけを切欠として同僚たちが周囲に集まってきてピーチクと囀り始めた。 人の耳元で喚くなってのに。 説明してやろうとも思ったが、それも面倒くさい。 そもそも霊の存在自体俺が理解してないんだから説明なんて出来るわけが無い。 「先月死んだ俺の客の霊の仕業で、蓉が何とかしたようだからもう問題ない」 とりあえず俺の認識した事実だけを告げる。 他の余計な質問は黙殺することにした。 「とりあえず数日くらい面倒みてあげなよ。…エリーちゃん、2人のことはもう帰しちゃって良いの?」 「ええ、片付けは此方でやっておくから大丈夫よ。他の皆も今日はもう解散、詳しいことは後で教えてあげるから」 後で教える、と言いながらもオーナーは俺と蓉を見て微笑んだ。 暗に明日にでも事情説明しろと言ってるらしい。 …まぁその辺は蓉に任せとくか。 一応仕事として引き受けている身だから報告までやるに違いない。 「車、前で待ってもらってるから聖夜は早く荷物取ってきて」 言い出したら聞かない朔夜と、朔夜に弱い俺たち。 分が悪いのは明らかで、とりあえず仕方なく荷物を取りに歩き出そうとして、朔夜の言葉に足を止めた。 「…そういえば…2人とも、呼び方昔のに戻したんだね」 嬉しそうに笑っているのを見て、お互いの呼称が呼びなれたものに戻っていることに漸く気付いた。 そして、そのことに全く違和感を感じていなかったことに。 next
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【side 聖夜】 蓉の言う住所に向かい、車が走る。 着いた先はそれなりに立派なマンションだ。 駐車場で車が止まると蓉が一言礼を言って車のドアを開けた。 降りる足がふらつくのを見て手を貸すべきかどうか迷った。 …本当は迷うことなんて無い、手を貸せば良いだけなのに。 「どうせ聖夜は手伝わないだろ?俺、荷物纏めるの手伝ってくる」 慌てて降りた朔夜が蓉を支える。 その瞬間に感じたのは微かな嫉妬と羨望、独占欲。 今更だな、と自嘲の笑みが浮かんだ。 「ああ、行ってこい」 犬を追い払うように手を払う。 2人の姿がマンションの中に消えるのを見てから背凭れに体重を預けた。 溜息をついて目を閉じる。 一気に疲れが出てきた気がする。 朔夜や蓉といった、気を張るべき相手が居なくなったせいだろうか。 「疲れてそうだな」 運転席からからかうような言葉が聞こえて目を開けた。 「…まぁな。悪かったな、2人のところを邪魔して」 「邪魔されんのはいつものことだし慣れてる」 朔夜は無類の猫好きで、飼っている白猫を溺愛している。 恋人の部屋に猫を連れていくほどのバカだ。 「今回の礼代わりに、今度一週間ほど猫預かってやるよ」 2人の時間をいつも猫に邪魔されている相手に告げて、再び溜息をついた。 どうせ猫を預かったところでエサをやってトイレの始末するくらいだし、大した手間もかけないが。 「ああ、それでチャラにしてやる。…そろそろ戻ってくるようだけど?」 そう告げられて座りなおす。 思ったよりも早かった。 急なことだし準備にはもう少しかかるものだと思ったけど。 怪我人には持たせられないと思ったのか、スーツケースを持った朔夜が窓越しに見える。 蓉はその後ろから困惑した表情で着いてきていた。スーツは着替えてきたらしい。 運転席の男が車から降りて朔夜から鞄を受け取るとトランクに入れる。 過保護な奴…いや、ノロノロ動かれるよりも厄介ごとを早く終わらせたいだけか。 「お待たせしました」 躊躇いながらも再び乗り込んできた蓉が申し訳無さそうに言った。 「荷物、それだけで大丈夫なのか?」 「はい。これだけあれば仕事には支障はないので」 どうせ最低限の物だけ詰めてきたんだろう。それも、ほぼ仕事の道具とかで。 少なくとも、怪我がある程度良くなったところで出て行くつもりで。 俺としてもそうしてくれたほうが助かるからそれ以上言うことは無く、そうかと頷いてその話題を終わらせた。 暫く車の中には沈黙が続き、蓉のマンションから20分ほど走ったところで俺の住むマンションが見えてきた。 マンション前の駐車場に停車してもらい、車から降りる。 シートベルトを外そうとした朔夜を止めると不思議そうに此方を見てきた。 「もう良いから朔夜は帰れ、そいつと約束があったから一緒に居たんだろ?」 「一緒に飲もうって言ってたけど……分かった、何かあったらいつでも連絡頂戴」 隣の奴が不満そうにしているのには気付いていたんだろう。 アッサリ引き下がると、窓越しに蓉に何かを手渡した。 その様子を見ながらトランクを開けて荷物を取り出す。 「これは…?」 「聖夜の家の合鍵。じゃ、無理しないようにね」 バイバイ、と朔夜が手を振っている間に窓が閉まった。 すぐに走り出した車は見送らずに荷物を持ったままマンションのエントランスに入る。 「聖夜、自分で持ちますから…」 「良いから早く来い。辛いのなら手、貸してやろうか?」 間接的にとはいえ俺のせいで負った怪我だ。 郵便受けに入っていたダイレクトメールを取り出しながら一応気遣って見せた。 next
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ようこそ ここは備忘録として、日々調べたことを綴っています。これまで他の人が書いてくれた情報をずいぶん参考にさせてもらったので、これからは少しでも自分が情報を発信できればと、ここの情報が誰かの役に立てばうれしいです。 タイトルの "Tomorrow is always fresh with no mistake in it." は「赤毛のアン」に出てくる言葉です。学生の頃何気なくみたテレビで吹替版の赤毛のアンを放送していて、失敗ばかりしていたアンにステイシー先生が送った言葉です。「明日は新しい1日、まだ失敗のない」と訳されていたと記憶しています。私は忘れっぽいので、同じ失敗を繰り返さないためにも、備忘録を書いていこうと思っています。 プログラミング Lua関連 sh関連 Maven2を使ってみる 性能 ソースリーディング Linux Linux USBブート Cannon MP610プリンタを使う coreファイルの取得 Uubuntu10.04のmanを日本語化する さまざまなマウントたち manのファイルを直接読む Ubuntuでrootユーザになる デーモン(daemon)プロセスの生成 64bit Ubuntuで32bitアプリをコンパイルする オープン中のファイルを調べる ssh関連 ライブラリのパスを設定する ネットワーク中のIPアドレスを調べる カーネルオプションの確認方法 xrdpによるリモートデスクトップで日本語キーボードを使う wiresharkで一般ユーザでもパケットキャプチャ可能にする クラッシュダンプ関連 L2TP/IPsec VPN 仮想化 VMWare関連 KVMのインストール その他 Google検索TIPS Consistent Hashingをためす vim関連 XML関連 ネットワークツール IDE関連 android 名前 コメント
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【side 聖夜】 控え室に入ってきた伊佐は些かの動揺もなく其々から話を聞いたらしい。 俺はすぐに呼ばれたから何の話もしなかったが。 …やはり朔夜とオーナーの画策なのだろう。 今更文句を言おうとも、まさに今更だ。 声をかけたくてもそう簡単に時間は取れない。 今日は特に忙しく、営業時間が終わってから漸く一息つけたくらいだ。 「お疲れ様です」 「お疲れ」 客の引いた店内で楽杜に声をかけられそっけなく返す。 ある程度照明が落とされていて薄暗い。 「皆さんは帰ってください」 聞きなれた声が鋭さを伴って店内に響く。 …声を聞けば分かるくらいに、俺はまだ忘れていないんだ。 そのことを自覚するようで目を閉じて溜息をついた。 伊佐の声を聞き間違ったことなんて無い。 「原因は分かったのか?」 「ええ」 立ち上がり振り返ると、フロアの丁度中央のところに伊佐が立っていた。 決して俺とは視線が合わない。 「その原因を取り除きます」 「分かりました、後のことは宜しくお願いします」 一礼をした楽杜が他のメンバーを引き連れて通路の奥に消えていった。 好奇心の強い面々が多いが、奴なら何とか言いくるめるだろう。 伊佐の仕事は興味本位で立ち入るべきじゃない。 幽霊、なんて。俺たちにはどうすることもできないのだから。 「…伊佐、その霊ってどんな奴だ?」 「知ってどうされるのですか?」 「朔夜に怪我させたんだ、それなりに落とし前が要るだろ」 俺とは違ってすぐに治ったから心配ないとは本人が言っていたが。 それでも大怪我をしかねなかった。 恩を着せるわけではなく事実として、あのとき俺が朔夜の前に出なければ怪我はもっと酷かっただろう。 「やっぱり女の霊なのか?」 それが一番妥当だろうということは俺にも想像はついていた。 伊佐が出てきた以上、尚更に霊の仕業だということが真実味を帯びる。 俺には良く分からないが、そういう存在が居るということは理解していた。 腹立たしいことに、それが俺にはどうしようもない存在だということも。 「後程報告します」 淡々と事務的な口調に溜息が出た。 こうなったら伊佐は簡単には口を割らないだろう。 昔も…俺と伊佐が知り合う切欠になった騒動のときも。 伊佐は詳しいことは言いたがらなかった。 「仕方ないな…怪我、するなよ」 肩を叩いて横を通り過ぎようとした瞬間。 酷い耳鳴りに襲われてその場に膝をついた。 next
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【side 聖夜】 落ちたシャンデリア、俺を庇った蓉。 何が起きているのか理解できなかったが、それだけで充分だった。 すぐさま駆け寄り、動けないでいる蓉の上から忌々しいほど豪奢なソレを退かした。 傷を確認すれば、幾つか細かな破片が右腕や足に刺さっているのが見て取れた。 「大丈夫か!?」 冷静に、と自らに言い聞かせている時点で充分にパニくっている。 混乱しながらもハンカチを取り出して傷口に巻き付けた。 止血方法なんて、高校の頃に保険の授業でやった程度だ。 とにかく今、少しでも血を止めることができていれば良い。 「…聖夜、怪我は…?」 「この、馬鹿が!何やったか分かってんのか!?」 手についた赤い色に奥歯を噛み締める。 物音に慌てて出てきたらしい楽杜に医者を呼べと叫んだ。 「すみません」 申し訳無さそうに言うその姿に苛立ちを覚える。 コイツはどうして俺が怒っているのか、理解していない。 そのことが無性に腹立たしかった。 『邪魔をするからよ』 女の声が聞こえて、振り向く。 カウンターの傍には見覚えのある女が立っていた。 その姿は透けていて、向こう側が見える。 ――なるほど、コイツが幽霊で…蓉に怪我をさせた奴だってことか。 「お前…っ」 睨みつけて唸ると、女が目を丸くして口に手を当てた。 『私が見えるの…?』 「ああ、見える」 立ち上がり、女に近づく。 手にはさっき蓉に押し付けられた護符を握っていた。 良く分からないが、急に女が見えるようになったのも声が聞こえるようになったのもこれの力なんだろう。 原理が分からないってことが更にムカつく。 「聖夜、何を…」 「動いちゃダメ!誰か早く手当ての道具を持ってきて!」 背後から蓉の声と、オーナーの声が聞こえる。 周囲の音は聞こえていたけれど、遠かった。意識の中に殆ど入って来ない。 『私、ずっと貴方に会いたかったの…』 嬉しそうに微笑む女の姿は生前と同じ。 重力を感じさせない動きで近づいてきた女が俺の頬に触れようと手を伸ばしてきた。 触れられても、薄く透けているその手は何の感触も伝えてきはしない。 哀しげにその手を見る表情にも、何も思わなかった。 「さっさと消えろ」 『…聖…?』 戸惑ったように、この店の中だけの俺の名を呟く女。 その声は空気を震わせてではなく、直接的に頭に響いてきていた。 頭イテーし、蓉の怪我も気になるし。早いところ黙らせよう…。 感慨も無くただそれだけが頭に浮かぶ。 「聖夜!待ってください!」 手にしていた護符をその手に押し付けようとしたところで、蓉の声が聞こえてきた。 まるで夢を見ていたかのように遠かった音が、周囲の状況が一気に意識に入ってくる。 「蓉…」 「彼女は、貴方のことが好きなだけなんです」 「お前…そんな怪我しといてどうして庇おうとするんだよ」 確信があるわけじゃないし、ハッキリ言うなら良く分からないけど。 それでも、この護符を押し付ければコイツは消せるはずだ。 それなのに、どうして……。 「コイツはお前と朔夜に怪我させたんだぞ!?俺が愛してる奴らを、俺の目の前で」 『聖、どうしてそんなことを言うの?』 パリンと何処かで何かが割れた音がした。 目の前の顔が歪むけど、俺の意識を支配しているのは蓉の流した血の色。 それと、哀しげに女をみる瞳。 急激に、昇っていた血が一気に落ち着いた。 …どうしてこんなことになってるんだ。 俺のせいか?コイツのせいか?蓉を巻き込んだ朔夜のせいか? 手に持つ護符を見る。恐らくこれで、コイツは殺せる。それは確かだ。 もう死んでいる相手を「殺す」ということが理解出来ないけど。 「………お前、ずっと此処に居たのか?」 『ええ。聖は気付いてくれなかったけど、でもずっと見てた』 「それで嫉妬ばかりして苦しんでた?俺がお前のために買った花も見ずに」 俺に近づく連中が憎くて、それで物を壊した挙句に俺や朔夜、蓉に怪我をさせたのか。 やるせない思いと共に言葉を紡ぐ。 え?と見上げてくるあどけない表情は、生前と同じ。 分からなくなる。この女はもう存在していないっていうことが。 蓉に見える世界はいつもこうなのだろうか? 生きている者と死んでいる者の区別がつかなくなるような。 こうして言葉を交わすことが出来るのに、けれど相手は本当は既に死んでいるなんて。 「白い花束を、今日来る前に供えてきた。…白色が好きだと言ってただろう?」 『…憶えていて、くれたの…?』 ぼんやりと女が呟く。 何処か震えているような「声」だった。 女が抱いただろう驚きや喜びがダイレクトに伝わってくる。 「花を扱う仕事に着きたかったんだよな、本当は。その服は俺が似合うといった服だ」 以前に、似合うと思ったから気まぐれにそう言った。 そのくらい憶えている。 実体の無い幽霊には涙腺はあるものなのだろうか。 頬を流れる涙が見えた気がした。 「蓉が止めるから消しはしないけど、お前が俺の大事な奴らに怪我をさせたことは許せない。だから…早く行くべきところに行っちまえ」 『聖はやっぱり、冷たくて酷いね。…でも、優しい』 「お前は相変わらず俺のこと美化しすぎてるな」 未だに頬のところにある手に、手を重ねる。 やっぱり何も感覚は無かった。 next
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【side 聖夜】 白を基調とした落ち着いた…シンプルすぎる花束。 それを、他にも幾つか置かれている花などの中に一緒に置いた。 置いてある線香がまだ燃え尽きてないから、俺の前にも誰か来ていたらしい。 そんなことを思いながら少しの間その場に佇み、手を合わせることなく身を翻した。 歩き出して少しすると傍に黒塗りのベンツが止まった。 …誰だ? チラッと見るも後部座席はスモークガラスになっていて外からは伺えない。 ゆっくり窓が開いて、中から顔を見せたのは同僚の1人、栗栖(クリス)だった。 艶のある長めの黒髪に黒い瞳と色彩は典型的な日本人だが、クオーターらしく異国風の雰囲気を纏う少年だ。 少女と言っても通用しそうな可愛い顔立ちと素直で愛くるしい態度で、特に年嵩の相手からの人気が高い。 …それも男女問わず。 ウチの店は男好きする奴が数人居る上に、客が男でもオーナーが入店拒否しない。 そのため、数少ないが男性客も来ることがある。 営業用の仮面を外せば、小生意気で傲慢なガキなんだが見た目は良いしな。 話を聞く限りこんな仕事をせずとも金には困ってないようだが、オーナーの親戚だとかで店に顔を出してるうちに遊び感覚でホストをやるようになったらしい。 常に手都(テヅ)を従えており、今回も例に漏れず同乗しているのが栗栖の頭越しに見えた。 手都も同じ店で働いているが、本職は栗栖の付き人と聞いている。実際子守りのようなものだろう。 そもそも手都がホストクラブに所属しているのは栗栖が居るからというだけで、仕事も基本的に栗栖のヘルプしかしようとしない。 ヘルプについた手都を見て、気に入った輩が指名しようとしても聞かないほどだ。 「聖、今から出勤?」 「ああ」 「乗せてってあげるよ。乗ってくよね?」 栗栖が言い終わるなり後部座席のドアが空いて、出てきた手都に背を押される。 此処から店までは5分も離れてないが、特に断る理由もないし歩いていくよりも楽なのでそのまま乗り込んだ。 柔らかく弾力のあるソファは座り心地が良い。 ドアが閉まると車は静かに動き出した。 「あ、それが彼女を守ってついたっていう名誉の負傷?」 言いながら栗栖が手を差し出せば、手都が即座にカップを手渡す。 礼すら言わずに当然のように受け取ったカップを傾けながら、栗栖は興味深そうに俺の顔を見た。 怪我を負ってから栗栖に会うのはそういえば今日が初めてだった。 数日前、朔夜を庇う形でついた傷はまだ完全に消えていない。 特に手の傷は傷自体はともかく、奥の方までガラス片が入り込んでいたので治りが遅い。 頬と首筋についた傷は蚯蚓腫れのようになったので消えるまではガーゼを張っておくことにしている。 本音を言うと包帯もガーゼも邪魔だが、とると煩い連中が居るので外すに外せないのが現状だ。 「…うるせぇ」 彼女じゃないと否定するのも面倒で、肯定も否定もせずに流す。 栗栖に対する乱雑な返答が気に入らなかったのか手都の視線が一瞬鋭くなった。 「折角綺麗な顔してるんだから、怪我なんてしないようにね。商売道具なんだし」 言動に気を悪くした様子は見せなかった栗栖は、頬に手を伸ばして不満そうに言った。 コイツはどうやら俺の容姿が気に入っているらしいから。 その、触れてきている手を掴んで笑う。 「この程度の傷が仕事に影響を与えるとでも?」 傲慢だとは思わない。 顔なんて、宝石のように傷がついた程度で価値を失くすものではないのだから。 何度か目を瞬かせた栗栖が愉しそうに小さく笑った。 「与えないみたいだね」 艶やかに見上げてくる表情は、確かに男好きしそうだなと納得できた。 基本的に女の方が好きな俺でも色気を感じた。 まぁ…誘うような、というよりは油断したら逆に痛い目をみそうな色気だけどな。 妖しげ、だったかもしれない空気を断ち切ったのは手都だった。 「栗栖様、着きましたよ?」 そう言いながら栗栖からまだ中身の入っているカップをそっと取り上げ、さりげない様子で引き寄せている。 牽制するように向けられた視線に、思わず笑みが毀れた。 手都は栗栖に近づこうとする相手には今回みたいに牽制するくせに、栗栖が誰かを誘うのは止めない。栗栖の望みに口を出せないのだ。 その甘さが見ていて面白い。 誘ってきたのは向こうからであって、俺が睨まれる筋合いはないはずなんだけどな。 大体好みじゃないから手をだすつもりは毛頭ない。 悪びれずに肩を竦めながら窓の外を見れば、後数メートルで店の前、という位置だった。 待機のために控え室に入ってソファに腰掛ける。 いつも、呼ばれるまでは大抵そうやってぼんやりしていた。 「そういえば知り合いでも死んだの?」 暇をもてあましたのか思い出したように栗栖が尋ねてきた。 どうやら花束を置いているところから見ていたらしい。 「客」 俺のことを素敵だと飽きることなく何度も褒めるような、初々しい良い子だった。 抱いたことがあるわけでもないし死んだと聞いても今でも正直ピンと来ない。 なのにわざわざ花を買ったのは偶々カレンダーを見て今日が月命日ということを思い出したから…つまりは単なる気まぐれ。 「珈琲淹れるけど飲むか?」 恐らくは珍しい、と皮肉りたかったのだろう。 けれどその寸前に湯を沸かしていた海斗(カイト)が声をかけてきたので話題は曖昧に途切れた。 海斗は抜きすぎてるのか地毛かは知らないが色素の薄い金髪に赤メッシュ、幾つもピアスを開けていたりと言った外見の上口調も軽い。 いかにも軽薄そうに見えるが面倒見が良いためか、年下連中にしょっちゅう遊ばれている。 「僕は要らない」 「私も結構です、お気遣いありがとうございます」 栗栖は営業中以外だと手都の淹れたものしか飲まない。 そのことは海斗も知っているが律儀なことにいつも確認するように聞いていた。 「聖は?」 「ブラック」 「私もブラックをお願いします」 それまでずっと何にも反応せず分厚い本を読んでいた黒髪の男、零(レイ)が要求した。 本に集中していてこっちの会話なんて聞いてないと思っていたが、意外に聞いていたらしい。 珍しいと思ったが、本を閉じて机に置いたところをみると興味を引かなかったのか区切りのいいところだったらしい。 柔らかな物腰といつでも浮かべられている微笑のせいか一見穏やかな優男に見えるが、その実食えない奴だということは俺を含めた大多数の認識だ。 「OK、楽杜(ラクト)も飲むだろ?っつーことは4人分だな」 「頂きます。栗栖、3番テーブルから指名が入りました」 丁度部屋に入ってきた薄い金茶の髪の男を見た海斗が、棚からカップを取り出しながら確認した。 今入ってきた楽杜は主に裏方を担当している奴で、オーナーの代わりに指示を出したりすることもある。 仕事時は細かいところまで気を配り物言いも丁寧だが、素は大雑把で口調も悪い。 素の方で慣れてしまうと今のような仕事のときの丁寧な口調が逆に気持ち悪くて仕方がない。 指名の入った栗栖は大きく背伸びをしてから手都を従えて控え室から出て行った。 代わりに楽杜がそれまで栗栖の座っていた場所、俺の前に座る。 考え事でもしているのか、いつもの皮肉げな笑みは無い。 「楽杜、どうかしたんですか?」 「今、この前オーナーが言っていた『専門家』が来た。…これで解決すると良いんだが」 好奇心で尋ねる零に、楽杜は一瞬俺に視線をやってから素の口調で答えた。 最近店で起こるガラスが割れたり物が落ちたりといった現象。 それまでは大した被害でもなかったこともあり、その内何とかなるだろうと放置されていたが、割れたガラスで俺と客…といっても朔夜だが…に実害が出たため「専門家」を呼んで調査を行うことにしたらしい。 出来る限り協力するようにとオーナーから言われていた。 「あーまた誰か怪我したら困るしな」 配られた珈琲を啜りながら、俺は沈黙していた。 怪我をしたことをいつまでも揶揄られるっていうのはムカつく。 海斗の淹れた珈琲を飲んで、苛立ちを紛らわす。 …どうせなら気分良く飲みたかった。 「破損したものの経費も嵩んでいるようですしね」 「そういえば結構色々壊れてるよな。ところで、その専門家ってどんな奴だったんだ?怪しそうなオッサンとか?」 海斗の問いに、けれど楽杜の目は俺を映していた。 「そろそろ此方に来ると思うが…この前来た、聖の客だ」 その言葉に、真っ先に浮かんだのは伊佐の顔だった。 まさか、とは思うが…そういえばオーナーは意味ありげな笑みを浮かべて俺を見ていなかったか? 今さっき、専門家が来たと告げたときの楽杜のように。 そして朔夜は俺の怪我を酷く気にしていた。オーナーとも仲が良いし、伊佐とも連絡がとれる。…要らぬお節介を焼いていないと言い切れるか? 強くなる嫌な予感に不機嫌に黙り込んでいると、不意にノックの音が世間話を止めた。 どうぞ、と楽杜が答えると扉が控えめに開かれる。 失礼します、と言いながら入ってきたのは予想通り伊佐だった。 next
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【side 朔夜】 蓉と再会した三日後。 名刺に書かれてた番号に電話して、都内の喫茶店に蓉を呼び出した。 予定外に撮影が早く終わったから着いたのは予定時間よりも30分ほど前。 渡されてた名刺を取り出しながら肩書きをもう一度見る。 蓉は職業を「経営コンサルタント」と言っていて、名刺にもそう書かれてある。 けど、名刺を相方の樹に見せたらその名前の人はその筋で有名な「斡旋屋」だと教えてくれた。 何でも心霊関係のトラブルに強いとか。 この業界はそういうの多いから、其処に頼む人が結構居るらしい。 …なんで樹がそんなのを知っているのかは謎だったけど。 樹は顔が広いから、誰かが蓉の会社に頼んだとかの話を聞いたのかもしれない。 心霊関係、という言葉にはやっぱりと頷けた。 蓉は学生時代から所謂霊能力があったらしくて相談に来てる人たちが居たから。 聖夜と蓉が出会った…というか俺が出会わせたというほうが正しいけど…のも、その能力が関係していた。 誰かに狙われてるんじゃないかってくらいに事故が続く聖夜のことが心配で、蓉に相談したのが切欠。 …今の状況、あの時とまさにそっくりだよな。 運ばれてきたアイスミルクティを飲みながら、そう考えて笑みが浮かんだ。 またあの時と同じように2人が仲良くなれたら良いのに。 「すみません、お待たせしました」 柔らかな声に見上げれば、微笑を浮かべた蓉が向かいの席に着くところだった。 仕事帰りだったのか、この前と同じくパリッとした高そうなスーツ姿。 時計を見ると待ち合わせ時間の5分前。 几帳面なところは変わってないらしい。 「ううん、俺が早く来ただけだから。撮影が早く終わったんだ」 タイミングを見計らっていたのか、蓉が席に座るとウェイトレスがスッと近づいてきた。 彼女に、蓉は珈琲を注文している。 その様子を見ながら紅茶を啜る。 「…話がある、との事でしたが」 俺が何も言わないでいると、蓉の方から切り出してきた。 呼び出しの電話をかけたとき、仕事の合間で時間がなかったのも手伝って、用事があることと日時と待ち合わせ場所だけを伝えて電話を切ってしまった。 了承は貰えたけど、不審に感じていたのには間違いないだろう。 「あのさ、頼みがあるんだ」 「頼み?」 デジャヴを感じるやりとり。 10年前も同じ切り出しで、蓉が不思議そうに俺を見てた。 …どうせなら同じ言葉で頼んでみようか? 「聖夜を守ってくれない?」 10年前にも唐突に同じことを頼んだ。 蓉は憶えていないのかもしれないけど、同じように目を瞬かせている。 「私が、雪城さんを?」 確認するように尋ねてくる蓉に頷く。 「この前店に行った時に、最近よく物落としたり壊れたりするって言ってただろ?」 蓉の居たときにも何処かでグラスが割れてたし、多分覚えてるだろう。 彼が頷くのを見て続ける。 「あの日の帰り、聖夜が送ってくれるって言うから待ってたんだ」 あの日は結局ラストまで久しぶりに会った聖夜と話をしてた。 気付いたら閉店時間間際で、慌てて帰ろうとしたら送るから待ってろと言われた。 そんなに飲んだわけでもなかったから大丈夫だったのに。 「お前が何て言おうと傍から見れば少し大柄だけど女に見える、夜なら尚更」っていうのが言い分。 1人でも帰れるとは思ったけど、タクシー代出してくれるって言うから了承して、聖夜が荷物取りに言ってる間入り口の方で待っていた。 「朔夜、帰るぞ」 大して待つことも無く戻ってきた聖夜に声をかけられて、一緒に店を出ようとした瞬間。 傍のガラスが派手な音を立てて一斉に割れた。 誰も触ってなかったし何かがぶつかったとかもなくて、何の前触れも無く。 俺は聖夜が庇ってくれたけど、それでも頬に切り傷が出来て後で社長に怒られることになった。 社長は普段は温厚だし話の分かる人なんだけど、身体と容姿が商売道具の仕事をしているから、見えるところ…特に顔に傷っていうのには結構煩い。 「…わりぃ、顔に傷作らせた」 聖夜はそう謝ってきたけど、怪我の程度は俺よりも聖夜の方が酷かった。 俺のこと庇ったせいで手や顔に破片が掠めて、特に手は血塗れ。 深くはないとはいえ自分の傷の方が酷いくせに、いつもは自己中で自分が一番大事なくせに。 こういうときは真っ先に相手の心配してみせるのは性質が悪い。 そのたまにしか見せてくれない優しさが逆に罪悪感を刺激して、痛いから。 「しかもその後、手当てなんて面倒だし舐めておけば治るーで終わらそうとするんだよ?」 「それは…雪城さんらしいですね」 他にコメントのしようがないのか、蓉は困ったような表情で相槌を打った。 そこまで来て、話しが脱線しかけたことに気付く。 「それで、その後で聖夜を手当てさせてるときに他の人に話を聞いたんだ」 「話?」 「聖夜は偶然っていうけど、本当に偶然なのかって。そしたら偶然だろうけど噂があるって教えてくれた」 その噂を聞いたから、蓉に頼みたいってことに繋がる。 此処まで聞けば蓉にも予想はついただろうけれど。 「大体一ヶ月前から事故とかガラス割れたりとかするようになったんだって。で、丁度その頃、聖夜を指名してた女の子が一人事故で亡くなってるそうなんだ」 それこそ偶然かもしれないけど。 でも偶然で片付けてしまっていいのかはまだ分からない。 「つまりその女の子の霊の仕業なのでは、という噂があるんですね?」 「そう。けど、今までは怪我するような規模のはなかったみたいなんだ…エスカレートして危ないのはやっぱり聖夜か、そのときのお客だと思う」 自分の考えを混ぜて伝える。 そして座ったまま頭を下げた。 あれでも聖夜は、俺のことを小さい頃から可愛がってくれてた大事な兄さんで。 しかもかすり傷とはいえ俺のせいで商売道具の顔や手に怪我させてしまったことに責任を感じてた。 俺のことを庇わなかったら、位置的に聖夜だけでも怪我をせずに済んだはずだったのに。 偶然ならそれはそれで構わないけど、もし霊の仕業で、エスカレートしてしまったら。 そう考えると不安だった。 「同級生のよしみじゃなくて、ビジネスでの依頼。調べてみてくれないかな?」 こういった現象で信頼できるのは蓉しか知らないから。 顔を上げて、断られないように祈りながら蓉を見つめた。 next