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合作作品(イグリス、パラD、たまごっつ、ゼリー) キャラクター原案:イグリス 進行状況 本編:未完終了 → 仕切り直し【フローティア3『魔法戦争』】 挿絵:未定 概要:魔法が支配する天上の世界。人と竜、それぞれの思惑が交錯する戦いの物語 本編 ChapterⅠ 「旅の始まり」 担当:イグリス 挿絵: ChapterⅡ 「掲げるは破邪顕正」 担当:パラD 挿絵: ChapterⅢ 「思惑と策略」 担当:たまごっつ 挿絵: ChapterⅣ 「それぞれの思惑」 担当:ゼリー 挿絵: ChapterⅤ 「竜との出会い、祖国との別れ」 担当:イグリス 挿絵: ChapterⅥ 「虚無の力」 担当:パラD 挿絵: ChapterⅦ 「竜の戦い、人の戦い」 担当:たまごっつ 挿絵: ChapterⅧ 「王の血筋、国の意向」 担当:ゼリー 挿絵: ChapterⅨ 「嵐の後、次なる目標」 担当:イグリス 挿絵: ChapterⅩ 「蒼き娘、蒼き伝説の勇者」 担当:パラD 挿絵: ChapterXI 「神と呼ばれる竜」 担当:たまごっつ 挿絵: ChapterXII 「水と導き手の蒼」 担当:ゼリー 挿絵: ChapterXIII 「そして時の歯車は回る」 担当:イグリス 挿絵: ChapterXIV 「古のダークレイス」 担当:パラD 挿絵: ChapterXV 「大いなる出会い」 担当:たまごっつ 挿絵: ChapterXVI 「フレイの真実」 担当:ゼリー 挿絵: ChapterXVII 「」? 担当:イグリス 挿絵: 以下予定 外伝2 資料庫 member only. 外伝 -彼らの日常- AnotherⅠ 「ユミルの騎士兄弟」 執筆:イグリス AnotherⅡ 「彼女たちの願い」 執筆:ゼリー AnotherⅢ 「」? 執筆:
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Chapter61「フリード遠征7:王女の初体験。っていうと誤解されそうか」 ちょっと確認させてくれ。 俺は蒼き勇者フリードだよな? そうだったはずだ。 だが今の俺には翼があり、視界のすぐ先に見える鼻先には白鱗が見えていて、しかも自らの力で空を飛んでいる。ついでに言うならこの身体は雌竜である。 これが本当に俺か? ちょっぴり自信がなくなってきちまったじゃないか。 姿が変わって自身がなくなってきてるって? 冗談を言ってる場合じゃない。 なぜなら、これから俺たちは敵の本拠地に乗り込もうとしているのだから。 アルヴを飛び立ってしばらく空を行くと、前方に大樹が見えてきた。 ユミル国の王城バルハラをその頂上に擁するこの空で最も目立つシンボル、大樹ユグドラシル。 そのバルハラ城は今や漆黒の魔道士トロウの支配下だ。 (そろそろ到着するわね) 脳内にフレイヤの声が響く。 彼女の精神が今、俺に憑依している状態だ。だからフレイヤとは言葉を交わすことなく会話ができる。 そういえば、トロウとは会ったことがないんだよなぁ。 そう頭に思い浮かべるとそれはフレイヤに伝わり、続けてそれに対する返事が再び脳内に響いてくる。 (忠告しておくけど、絶対に気を許さないようにしなさい。とにかくトロウはただ者じゃないわ。油断しているとすぐに足元をすくわれるわよ) へぇ。そんなにすごい奴なのかね、そのトロウっていうのは。 (あいつの魔力は明らかに普通じゃない。まさに異常よ。こんなに離れていても、その禍々しい厭な感じが伝わってくる……。まさかあなたにはわからないの?) 魔力を感じる、か。 どうやら他のみんなは全員できるらしいが、やはり俺にはその「魔力を感じる」という概念がさっぱりわからない。俺はあまり魔法に馴染みがないからだ。 そんなことを考えていると、言葉には表れない俺の記憶の一部とでもいうべきイメージがフレイヤに伝わったのだろうか。 フレイヤは不思議そうな様子で問いかけてきた。 (フリード、あなたって一体どこから来たの? 今伝わってきた感覚は……ぼんやりとしてたけどあなたの過去なの? 私の知っている世界観とはまるで違うような感じがして……少なくともこの大樹の空域出身ではないようだけど) なるほど、精神が同居している状態というのはなかなか厄介だ。 頭に思い浮かべた言葉以外にも、無意識のうちに心に思い浮かんだことまでフレイヤに伝わってしまうのだ。たしかにこれは気を許せる状態ではないらしい。 今はまだ話すようなことじゃない。そう判断した俺は次のように返答した。 勇者には秘密が付きものさ。だって、そのほうが陰があってかっこいいだろ? するとフレイヤからは(なにそれ)と呆れたような反応が返ってきた。 まあ、俺のことなんてどうでもいいじゃないか。 それよりも、もうすぐバルハラ城に到着する。だから無駄話もここまでだ。 フレイヤの言うように、ここからは油断するわけにはいかない。 大樹がぐんぐんと近づいてくる。 眼下にバルハラの城下街を見下ろしながら、フレイヤの指示で俺はバルハラ城門前へと降り立った。 直接中へはいかないのかと思っていると、フレイヤが理由を説明してくれた。 (今のあなたは魔法で私に変身した上でさらに竜に変身している状態よ。二重に魔法を維持している状態だから、このままではいざというときに私はまともに魔法を使うことができないの) ふーん、そういうものなのか。 例えるなら、補助魔法を使いすぎていざボス戦でMPが足りない、とかそんな感じだろうか。 魔法が使えない俺にはそもそも魔力というものがよくわからないんだが、MPを回復するような道具とかは存在しないんだろうか。それとも魔力というのはスタミナのようなもので、休憩すれば回復するような概念なんだろうか。 そんなことを考える俺をよそに、フレイヤは俺の脳内で呪文の詠唱を始めた。 すると眩しい光に身体が包まれたかと思うと、次の瞬間には俺は元の姿に戻っていた。 ……いや違うか。フレイヤ王女に変えられたフリードの姿に戻った、が正しい。 「戻るときは一瞬なんだな」 そうつぶやく声は高い。ああ、やっぱりこれ違和感あるな。 (さあ、ここからはちゃんとフレイヤ王女として振る舞ってもらうわよ。もうすぐ後に続いて出発したヒルデたちも到着するはず。全員そろったらいよいよトロウとの対面になる。覚悟はできてるわよね?) 今までトロウがヤバいと何度も耳にしてきたが、会ったことがない俺にはいまいちピンと来ていなかった。 覚悟ならできているさ。どれほどヤバい奴なのか、この目で直接確かめてやる。 やがてヴァルキュリアの三人も到着し、俺たちは城門を潜って中へと進んだ。 門の先に続く庭園をフレイヤ王女(つまり俺)が先頭を歩き、ヒルデたちは天馬の手綱を引きながら後ろに続いて歩く。 ……ううむ。しかしどうにも落ち着かないな、これ。 というのは、今は俺はフレイヤ王女に変身している状態だ。もちろん裸で歩いているわけがないので、王女のドレスを身にまとっているのだが……。 どうにも足元がスースーして落ち着かん! ドレスは足先まですっぽりと覆うロングスカート状になっているのだが、この薄い布切れの内側はもう生足なのだ。身体を覆うものとしては下着一枚しかない。 なんだ、この不安定な感じ! そして極めて無防備だ! 女っていうのは、こんなに危なげな状態でスカートを着こなしているのか。 さらに腹部はコルセットできつく締め上げられているのだが、これがまた非常にキツい。締め付けもきついのだが、精神的にキツい。 こんなに締め上げられたら、胃の中身が戻ってきてしまうじゃないか。それにこんな状態では一歩足を前に出すだけでも苦痛だ。 ついでに言うなら背中の部分が空いていて寒い。こんなところを露出させてなんの意味があるんだ。 いや、たしかにな。見る分にはうなじから背中にかけてのラインが見えていると色っぽいと思うぜ。 だが着る分にはこんなの全然実用的じゃない。というか寒い。 (まったく、あなたは全然わかってないのね。女性というのは、自分をより美しくみせるためなら、あらゆるものを犠牲にするものなのよ。それが王女としての最低限の礼儀であり義務。はしたない姿を民たちに晒すわけにはいかないでしょう) だからと言って、それで身体を壊しちゃ意味がないだろうと思うのは俺だけだろうか。 これじゃあ風邪を引いてしまう。というわけで、足早に庭園を抜けてバルハラの城内へと進んだ。 中へ入るとホールは広く、大理石の床が広がり、ところどころに大樹の枝が飛び出している。 ヒルデたちはそのまま天馬を引き連れてきたので、どうやら城内に天馬を連れ込むことには問題はないらしい。この国のマナーはよくわからんな。 城内では何人かの人とすれ違った。身なりを見るに、おそらくはこの城に仕える使用人や兵士といったところだろうか。 トロウに支配されているわりには、拘束されたりせずに普通に生活しているようにも見える。あるいは、あいつらも洗脳されているのか? すれ違う使用人たちはこちらに対して頭を下げたり、中には挨拶のために一声かけてくる者もいた。 ちゃんとフレイヤも王女なんだなと思う一方で、誰かとすれ違うたびに俺の心臓は高鳴る一方だった。 実はフレイヤ王女じゃないというのがバレないかひやひやする、というのももちろんある。だが何よりも問題なのはそう……この服装だ。 いやね。別に今の俺はフレイヤ王女の顔をして、フレイヤ王女の姿で歩いているんだから、外から見た感じは何もおかしくない普通のフレイヤ王女だぜ。 だがな。俺からすれば、今俺は王女様のドレスを着て人前を歩いてるってことになっちまうんだぜ。いくらフレイヤ王女の姿をしているからって、精神的には俺は俺のままだ。 つまり俺は精神的には女装して人前を歩かされているような気分になっている。 ……これは地獄だ。 すれ違う人すべてが俺のことをじろじろ見ているような気がする。 おまえの正体はわかっているぞ。男のくせに女の格好をしてこの変態め。 そう言われてるような気がしてならない。 ぐあああああっ! 違う、違うんだ! 俺は、俺はそんなつもりじゃ……。 誰もが俺を視姦しているように感じられて、気が変になりそうだ。 あまりにも見られすぎて、心なしか気分が高揚して少し濡れて――――おっと、フレイヤからの殺気を感じたので、これ以上言うのはよそう。 とにかく怪しまれないようできるだけ平静を装っているつもりではあるが、油断すれば今にも顔から火が出そうだ。 くそぅ、なんか涙が出てきた。涙に濡れてきた。 ああ、早くこの任務終わらねえかなぁ……。 そんなふうに思いながら歩いていると、また使用人らしき初老の男が声をかけてきたではないか。 このやろう余計なことをしやがって。さっさと通り過ぎていきやがれ。 会話の受け答えに関しては脳内でフレイヤが助言してくれるので、間違ったことを言う心配こそはないのだが……。 「これはこれはフレイヤ王女様、ご機嫌麗しゅう。近頃はお姿がお見えになりませんでしたな。何か遠出のご用事でもございましたかな?」 使用人の言葉を受けて、すぐにフレイヤが俺の台詞を用意してくれる。 (復唱して。ごきげんよう、セバール。少しヴァルキュリアとしての任務で遠方まで出向いておりましたの。心配をかけてしまったかしら) 「ごきげんよう、セバール。少しヴァルキュリアとしての任務で遠方まで出向いており……ましたの……。ええと、心配をかけちま……かけてしまった、かしら」 するとセバールと呼ばれた男は首を傾げながらこう続けた。 「はて。王女様、いかがなさいました? 私の勘違いであれば大変申し訳ないのですが、なにやら話し方が少しぎこちないように感じられますな」 「そ、そんなことはない……いや、そんなことはありません……わよ!」 「ふむ。それならば良いのですが……。もしや王女様も風邪ですかな? 最近流行っているようでしてな。王女様もお体にはくれぐれもお気をつけ下さい」 「ありがとう。そちらこそ体には気をつけて。それでは俺……ゲフンゲフン! その、ええと、わ、私はこれで失礼します」 「おや、咳ですか。風邪はひき始めが肝心ですからな。どうぞお大事に」 そしてようやく会話を終えてセバールは去っていった。 ふぅ……ひやひやしたぜ。 (ひやひやしたのはこっちよ! 何度言わせるつもり? もう少し王女らしく、そして堂々と話しなさい。クセに注意して。あといちいち照れない! あれじゃあ明らかに挙動不審じゃないの) やれやれ、お姫さんがまた文句を言っている。 そうは言われても、急に王女らしく話せなんて言われてできるわけがない。 そりゃ頭の中でイメージする王女っぽい喋り方とかそういうのはあるぜ。 だけど、それを実際に声に出して言うっていうのは、それとはまた違うもんだ。 ぶっちゃけ言うとな。……無理だ。俺には女言葉は、なんかその、無理だ。 (……はぁ。先が思いやられるわ。しょうがないわね。だったら敬語で台詞を考えるようにするわ。兵士や使用人相手に敬語で話す王女っていうのも違和感はあるけれど、ぎこちない話し方をされて怪しまれるよりはずっとマシね) 面目ないぜ。 それにしても王女様というのも大変なものだ。 そこにいるだけで嫌でも目立つせいか、誰も彼もがこちらを注目してくる。 ちょっとフレイヤのふりをして、ちょっとトロウに会って、さっと帰ってくるぐらいの認識でいたが、これでは全然先へ進めない。 少し進んでは声をかけられ、また少し進んではどうでもいい世間話。 王女様っていうのはめんどくさい。 そういえばクエリアもニヴルの第二王女だったなと、ふと頭に浮かんだが……。 いや、あれは違うな。たぶんそういうアレじゃない。 そもそもあいつは世間話とかできそうにないし。 (あっ、フリード。大臣の息子のオスマンが近づいてきたわよ。あいつ、私に気があるのか、いつもしつこく言い寄ってくるのよね。適当にあしらって) 適当にって、ここにきて丸投げかよ! 「おやおやぁ。フレイヤ王女ではありませんか! はっはっは、奇遇だなぁ。こんなところでお会いするとは」 黙れ。俺はフレイヤ王女じゃないし、おまえにも興味はない。 そんな気持ちを代弁してくれるかのように、後ろを歩いていたヒルデが間に入ってこの男を遮ろうとしたのだが、その努力の甲斐も虚しく……。 「ちょっと待て! 気安くフレイヤ様に近寄るんじゃない。我々には貴様のようなやつと遊んでいる暇などないぞ」 「ほぉ~。いいのかなぁ、そんなこと言っちゃって。僕の父上が誰かわかっているよなぁ? その気になればたかが従者の一人や二人、どうにでもできるってことを忘れてもらっちゃあ困るねぇ」 「ぐ……ッ。こ、この親の七光りめが……」 その後オスマンは中身が俺であるとも知らず、ねっとり濃厚に愛について語り始めるのだった。 うう、勘弁してくれ。俺は男になんて興味はないんだ。 いくら口説いても絶対に無駄だから、さっさと消えてくれ。 おい、やめろ。なぜ顔を近づけてくるんだ。なんだその表情。 うそだろ? まじかよ。いや絶対無理だからな。まじでありえんからな! やめろ! 俺に近づくなあああああっ!! そして俺はこの世の地獄というものをここに見た。 Chapter61 END 魔法戦争62
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Chapter60「フリード遠征6:まじかよ。勇者、女体化する」 どうしてこうなった……。 まずここまでのあらすじだ。 トロウの支配するバルハラ城へと潜入するために、なぜか俺がフレイヤ王女に成りすまして突入することになってしまった。 フレイヤ王女の洗脳が解けたことをトロウはまだ知らない。 その事実を知られないために、トロウの召集に応じてバルハラ城へと向かうことになったのだが、そんな危険なところに王女を向かわせるわけにはいかない。 そこで誰かが魔法でフレイヤ王女に化けて身代わりになることになったのであるが…… なんで俺!? 俺だけ魔力がまったくのゼロなので、助言のためにフレイヤ王女の意識を憑依させれば、魔力の強さは完全にフレイヤ王女のものと一致して疑われないというが。 いやいやいやいや、もっと他に適任のやついただろ。自分の魔力を抑える術とか絶対あるって。 しかし、どういうわけか満場一致でフレイヤ役は俺に決まってしまった。 今フレイヤ王女がこちらに手をかざしてなにやら呪文を唱えている。 フレイヤ王女は物体を変化させたり、生物を変身させたりする変性魔法に優れている。自らの手で他人を自分に変身させるというのはどういう気分なのだろうか。 詠唱が終わると、フレイヤ王女の手から淡く柔らかな光が放たれて俺の全身を包み込んでいく。 眩しくて何も見えない。しかし身体中がくすぐったいような感じがする。 次第に身体がどんどん重くなり始めた。 いや、違う。身に着けている鎧が重く感じられ始めたのだ。 だ、だめだ。重い……立っていられない。 今までこんなに重いものをどうやって身に着けていたのかと思うほどに、鎧は重量を増していく。 実際には自分の力が落ちているのだろう。女体化によって筋力が落ちていっているに違いない。なんてこった、せっかく鍛え上げてきた自慢の筋肉なのに。 ああ、だめだ。もうこれ以上は限界だ。 眩しい光の中では自分の手のひらさえも見えなかったが、手探りでなんとか身体に手を回して重くなりすぎてしまった鎧を外していく。 鎧はがらんと音を立てて、眩しさの中に見えない足元へと落ちた。 そのまま手探りで自分の身体になんとなく触れてみる。と、たしかに腕が細くなっていることが手触りからわかった。逞しかった二の腕の筋肉は、ずいぶん小さく貧弱なものになってしまったようだ。 そこから胴体に手を回す。と、腹筋はそれほど衰えていないらしい。そこは安心した。だが腰周りは以前よりもずっと細く変わっている。そのためか、ベルトが緩んでズボンがずり落ちてしまった。 慌てて屈んで引き上げようと思ったが、何かが邪魔をして少しうつむき辛い。それに少し重い。おかしい。鎧はすべて外したはずなのだが。 そう思ってその重さを感じた胸元に手をやる。と―― あ、やわらかい……。 これはもしかするとアレなのか。 女性特有の、全世界の男性あこがれの、アレなのか。 再び胸元に手をやると、硬すぎず軟らかすぎず、しっかりとした弾力のアレがまさにそこにあった。しかもそれは次第に大きさと重さを増しているのだ。 こんどは服がきつくなって息苦しくなってきた。 いかん。このままでは窒息してしまう。 そこでやむなく……当然やむなくだぞ。上半身の服を脱ぎ捨てた。 ちょうどそのタイミングでようやく魔法が完了したらしく、周囲を覆っていた眩しい光は消えた。 それによって、フレイヤ王女と化した俺の裸体が顕わになり、周囲は光の代わりに様々な叫び声に包み込まれた。 「ちょ、ちょっと! なんで服まで脱いでるのよ!? は、早く誰か着るものをもってきて。なんでもいいから……急いで!!」 真っ赤になって一番慌てているのはフレイヤ王女本人だ。 「おーっ! すっげ。まじでフレイヤ様だ。フリードの面影ひとつないっすねぇ」 「こらセッテ。あまりそんなじろじろと見るものじゃない……」 セッテはフレイヤ王女の(つまりは俺の)裸体よりも、女体化の魔法そのものに強い興味を示して興奮している様子。一方オットーは真顔で鼻血を垂らしていた。 「うははははは!! 裸だ! フレイヤ様の裸だぁぁぁーっ! わ、私はもう死んでもいい……。我が人生に悔いなし……ふへ。ふへははは……」 「ふむ、さすがはフレイヤ様の魔法だ。あのフリードがどこを見ても完璧にフレイヤ様そのものではないか。やはり我らが隊長は最高だな」 「お姉様が二人! やだー。どっちに甘えたらいいか、あたし困っちゃうな~」 奇声を発しながらヒルデはぶっ倒れ、何があっても冷静なレギン、そしてミストは中身が俺でも気にならないらしい。前から思っていたが、こいつらも全員ちょっと普通じゃないところがあるよな。 「あらやだぁ!! ちょっともう、これ完璧すぎじゃない! これで中身があのフリードちゃんってところが最高に良いわッ!! ああ、ぬいぐるみ化したい!!」 『ニヒヒヒ! ねえねえ今どんな気持ち? 自分の身体が女体化しちゃうってどんな感じ? やっぱりエッチな気分になっちゃうのかな。最初はちょっと抵抗感あったみたいだけど、実際なってみてそこんとこどうなの。絶対もう胸とか触ってみたでしょ。けっこう癖になっちゃうんじゃないの~? ねえねえ、ねえってば』 こっちもこっちでまた奇妙な声を上げている。この変態どもめ。 「フレイ。お主は他のやつらと違ってずいぶんと落ち着いておるようじゃが」 「ああうん……。毎日ゲルダを見てたせいか、なんか慣れちゃって……」 「ふむ。もはや竜人に慣れてしまいニンゲン如きでは発情できぬ、というわけか」 「そ、そうは言ってない!」 フレイはフレイで、何か変な領域に片足を突っ込んでいるらしい。 ともあれ周囲がこの騒ぎようなので、かえって俺は冷静になってきた。 改めて自分の身体をしげしげと眺めると、骨格が変わったのか身体全体が丸みを帯びている。鍛え上げた筋肉も減少し、日に焼けていた肌は白く透き通ったものになっている。 脚からは無粋なすね毛が消え、まるでモデルのようなすらっとした健康的な美脚が雲の大地に向かってまっすぐに伸びている。 身体はすごく軽くなっているが、対照的に胸はずっしりと重い。 自分の身体とはわかっているとはいえ、少し気分が高揚してきた。 しかし股間はすっきりしているので、興奮の塔がそそり立って醜態を周囲に晒すような心配はなかった。 「魔法とはわかっていても……やっぱすげえモンだな、これは……」 声も高くなり、フレイヤ王女そっくりに変わっている。 そしてなんとなく大きな胸へと手を伸ばす。 ああ、やっぱ軟らかいんだなぁ。しかし重さもなかなかだ。女っていうのは、こんな重いものをいつも身に着けているのか? 「触るなっ!! いいから早くこれに着替えて!」 そのとき怒鳴り声とともに布切れが飛んできて、俺の顔に覆いかぶさった。 手にとってよく見ると、それはフレイヤ王女が身につけていたドレスと同じものが一式と、それからこれは……こ、これはッ!? 「あ、あのー、王女さま。これはもしや女性用の下着なのでは」 「いくらなんでも下着もなしにドレス一枚だけ着るわけにはいかないでしょう」 「よろしいんですか! はっ、まさかこれは王女さまの使用済み……」 「もう! 余計なことを考えないで!! しかたないでしょう。トロウや城の者たちに下着も身に着けないようなふしだらな女だと思われても私が困るし、これはしかたがないこと……そう、やむをえないことなんだから……っ」 「あの、フレイヤ王女。別に無理をなさらなくても、どうせ下着なんて見えないんだし、俺は自分のやつでかまいませんよ」 「あなたがかまわなくても私が困るのよ! フレイヤ王女が男性用の下着を身に着けていたなんてもし周囲に知れたら、恥ずかしすぎてもう生きていけないわ!!」 「はぁ。そういうことならありがたく頂戴しますんで」 「あげるなんて言ってないから!! でも気持ち悪いから、返してくれなくても結構よ。というか絶対に処分しなさい! これは王女としての命令よ。私物化なんてしたら絶対に許さないわ。もし命令を破ったらそのときは、魔法で豚にかえてステーキにして食べてやるんだから、覚悟しておくことね!!」 おーこわ。普段大人しいフレイヤ王女の新たな一面を見た気がする。 これはフィアンセのオットーもさぞ驚いたことだろう、とオットーのほうを見ると、意外にも彼は真顔だった。あまりの衝撃に思考が停止してしまったか。 しばらく経って、やがて場は落ち着きを取り戻した。 フレイヤ王女から渡された服に着替えた俺は、黙って並んでいればどちらが本物なのか見分けがまったくつかないほどにフレイヤ王女そのものになった。 「オホン。取り乱して見苦しいところをお見せしてしまいましたね。ともあれ、これで準備の第一段階は終了しました。次は私の意識をフリードの憑依させます。ではプラッシュ……よろしくお願いします」 「任せてちょうだい。と言っても、やるのはシャノなんだけれどね」 『ニヒヒ。自分で言うのもナンだけれど、ミーは精神操作のスペシャリストだからね! だからああしてこうして、ちょちょいのちょいで……ハイッ』 すると突然、隣に立っていたフレイヤ王女(本物)の身体が力なくふらりと傾いた。それをプラッシュが静かに抱えて受け止める。 とくに光が舞ったり魔方陣が現れたりするようなこともなく、傍目にはまるで何も起こっていないかのように見えた。 だがシャノワールが何かを行ったその瞬間から、俺は精神内に違和感を覚えるようになった。 たしかに自分の意識の上であるのに、そこに自分ではない別の何か確かにいるという謎の確信。まるで誰かに心の内を覗かれているような奇妙な落ち着きの無さ。これは…… (私よ) 「うわっ!?」 耳元で囁くような声が聴こえた。 「誰か何か言ったか?」 (私が話しかけているのよ、フリード。私はフレイヤ……の精神体ね) 「フレイヤ王女……? つまりこれが意識を憑依させるってことなのか」 (ええ。今、私とあなたはひとつの肉体を共有している状態。だから私の声は基本的にあなたにしか聞こえないし、いちいち口に出さなくてもあなたは私と会話することができる) なるほど、こういう感じにか。 (そうそう。思ったより飲み込みがいいわね。これならいつでもあなたに助言を出すことができるし、トロウに気付かれる心配もないはずよ) ふむ。これはなかなか変な感覚だ。フレイヤ王女の言葉が聞こえてくるのと同時に、俺の脳内には様々なイメージが映像となって浮かんでくる。 どうやらひとつの身体を共有していることで、言葉以外にもフレイヤ王女の考えているイメージが直接そのまま俺の脳内に伝わってくるようになっているらしい。 (そういうことよ。だからさっきも忠告したけど、余計なことは考えないで。もし私の身体を使って変な気を起こしたら、私にはすぐにわかるってことを絶対に忘れないことね。さもないとどうなるかは……さっき話したでしょう?) これがフレイヤ王女の本性なのか。表向きは大人しく淑女のような雰囲気を見せているが、中身は意外と執念深いというか……怖い。精神が同居している今の状態だからこそ、俺にはわかる。 (全部聞こえてるわよ。いいから、早く出発しなさい。遊びのために私はこの魔法を使ったわけじゃないんだから。ほら、今はあなたがフレイヤ王女なのよ。だからあなたが号令を出さないと始まらないわ) やれやれ、せっかちなお姫さんだ。 しかしあとで豚に変えられても困るので、俺はフレイヤに代わって作戦開始の号令をかけた。 「それじゃあ行くぜ、バルハラ城潜入作戦!(ちょっと、私はそんな口調じゃないわよ)とりあえずヴァルキュリアの面々はついてくるんだよな。(聞いてるの? 私の身体で下品な言葉遣いはやめなさい)うるさいな。今は俺がしゃべってるんだぜ。お姫さんは少し黙っててもらえないか」 繰り返すがフレイヤの言葉は俺以外には聞こえていない。周囲の目には、突然一人で文句を言い始めた俺がそれは奇妙に見えたことだろう。 「あの、フレイヤ様……いや、フリード……ええっと、私はあなたをなんと呼べばいいんだ」 「フリードでいいぜ(もちろんフレイヤ様よ)」 「ではフリード」 「(そう、あなたはステーキになりたいのね)や、やっぱりフレイヤと呼んで欲しいな。トロウの前でうっかりボロを出すといけないからな!」 「……? わかった。ではフレイヤ様。向かうのは我々だけにしたほうが良いかと思います。フレイ王子たちはトロウに顔を知られているので、まず同行するのは作戦上不可能です。顔を知られていないプラッシュたちも、魔力が強すぎるために隠れてもすぐに見つかってしまいます。不用意に彼女たちを連れて行っても、かえって怪しまれるもとになるだけではないかと」 ヒルデの言うことももっともだ。 ヴァルキュリアの面々はフレイヤの部下として動いているとトロウに認識されているので怪しまれることはないし、少人数のほうが何かあったときに逃げやすい。 彼女たちが天馬に乗っているのも、撤退する場合にはなにかと便利だろう。 「それじゃあ、行くのは俺とヒルデ、レギン、ミストの三人で決まりだな。ところで三人には天馬があるけど俺はどうやって行けばいい? ヒルディスヴィーニの動かし方なんて俺にはわからないぜ」 するとプラッシュが心配には及ばないと答えた。 「だって今のあなたにはフレイヤちゃんがついているじゃないの」 続くように脳内に声が響いてくる。 (そういうこと。精神だけになっても魔法は使えるわよ) フレイヤの説明によると、魔法は肉体的な特性によって使えるようになるものではないので、フレイヤの姿になったところで俺は魔法を使えるようにはならない。 しかし魔力とは精神に宿るものなので、俺に憑依したフレイヤの精神は魔法を使うことができる。 (一方で肉体的な特徴によってできることなら、姿を変えることで可能になる。例えばこういうふうにね) 脳内に呪文の詠唱が響く。 すると俺の、つまりはフレイヤの手が徐々に白い鱗にびっしりと覆われていく。 鱗はやがて腕へ、そして肩へと身体を侵食していき、全身がすっかり鱗に覆われた頃には、骨格が変化して前屈みの体形になっており、首も長く伸びていた。 視界の先には、どんどん突き出ていく自分の鼻先が見えている。 おいおい、こんどはなんなんだ。 女体化だけでも精神的にけっこうきてるっていうのに、まだあるっていうのか。 いつの間にか手の指は四本になっていて、指先には鋭い鉤爪が並んでいる。 背筋にぞくぞくとした悪寒が走ったかと思うと、まるで背骨が引き抜かれるかのような、腰が抜けそうな気色の悪い感覚に襲われた。 そのままずるずると臀部へと伸びていくその感覚は、純白の太く長い竜の尾が生えてくることによって生じたものだ。 最後に背中からはバサッと音を立てて、大きな二対の翼が姿を現す。 これはまさしく以前テルマの島で俺が見た、フレイヤが変身したあの白竜の姿だった。 (さあ、これで空が飛べるでしょう? バルハラ城に着いたら戻してあげるから、ヒルデたちを連れてさっそく出発しなさい) いきなり女体化させられたと思ったら、休む間もなく竜にされるなんて。 あまりにも未知なる経験をしすぎて、すでに俺の脳はパンク寸前だった。 これはさすがにトラウマになっちまうぜ。 やれやれ、まったく人使いの荒いお姫さんだ。 俺は竜になって空を飛んだ経験など当然なかったが、本能的なものがはたらいたのか、なぜか自然に空の飛び方は理解できた。 翼を適当に羽ばたかせてみると、ふわりと軽やかに身体が浮かぶ。 「それじゃあ行ってくるぜ」 「武運を祈る。姉上の命運がかかっているんだ。よろしく頼むよ」 フレイはフレイヤの本性を知らないのだろうか。なんとなくだが、フレイヤなら本人をそのまま行かせていても大丈夫だったんじゃないかと、今ならそう思う。 しかしフレイヤからの強い殺気を感じたので、俺はただ「任せろ」とだけ返事をすると、すぐにヴァルキュリアたちを率いてバルハラ城のある大樹ユグドラシルへと向かうのだった。 Chapter60 END 魔法戦争61
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Chapter29「オットーの愛3:愛はまやかしを越えて」 フレイヤ様を乗せて南西の空へと私は飛んだ。 自分の翼で空を飛ぶのは初めてだったが、空を飛ぶのがこんなにも気持ちがいいことだとは知らなかった。 ましてや今の私の背中の上には愛しい彼女が乗っているのだ。これ以上幸せなことなどあるまい。 今の私はリンドヴルムだ。フレイヤ様の魔法によって竜に姿を変えられてしまったが、愛すべき人とずっと添い遂げられるのであれば、竜として生きるのも悪くない。ペットだろうがなんだろうが構わない。 私はもう絶対に離さない。我が主は私が護ってみせる。 しばらく飛んでいると、下方に見覚えのある島が見えてきた。 変身の影響だろうか、記憶が少し曖昧になってしまっているが、あの景色にはたしかに覚えがある。それにすごく雷が多くて寒い場所だったような気もする。 その島には私とは別の風竜の姿が見えた。 地面に座り込んでなにやら暗い様子だったが、その風竜は私たちに気がつくと、飛び上がって私と同じ高度まで上がってきた。 風竜は我が主に声をかけた。 「あァん? なんだよ、フレイヤじゃねえかァァァ。おまえ、こんなところで何をしてんだよ。それに変わったものに乗ってるじゃねェか。誰だそいつは? ン? なんか嗅いだことのあるようなにおいだが……誰だったかなァァァ」 図体のやたら大きな風竜は主の顔見知りらしい。 主はその風竜のことをヴァルトと呼んだ。 ……ヴァルト? どこかで聞いたような名前だが、なぜか思い出せない。 「あなたこそ何をしているのかしら。トロウ様からいただいた任務はどうしたのかしらね。トロウ様があなたのこと、何て言ってたか教えてあげましょうか?」 「ちッ、聞きたくねェェェよ、そんなモン! ついさっきまで凍え死にそうな思いをしてたんだ。これ以上、オレ様に地獄をみせねェでくれよ……」 「いつもうるさいくせに、今日は元気がないのね。いい気味だわ」 「ほっとけ! どうせこのまま戻ったところで、ろくな目に遭わないことぐらいはオレ様でもわかる。これからどうすりゃァいいか、考えてたとこなんだよ」 「それはご愁傷様。骨ぐらいは残るといいわね。それじゃあね」 身体は大きいが悩める風竜を残して、私たちはアルヴへと向かった。 さらにしばらく行くと、天馬がこちらに近づいてきた。 嗅いだことのあるにおいだ。あれはたしか主のしもべの一人だ。 「フレイヤ様!? どうしてこちらに。それにその竜は?」 「あら、ブリュンヒルデ。これは私の新しいペットよ。それよりも任務のほうは順調なのかしらねぇ?」 「も、申し訳ありません。まだこれといって進展はなく……」 「ふうん。でももういいわ。そっちはもう解決しそうなのよね」 「そ、そうなのですか!? さ、さすがはフレイヤ様。なんて清く正しく美しいんだ。それでこそ、私の仕えるべき主です」 ふん。なにが私の仕えるべき主だ。 所詮ニンゲン如きがいくら頑張ったところでできることなど知れている。私ならフレイヤ様にすべてを捧げられる覚悟がある。貴様などとは違う。 なぜなら私はフレイヤ様に愛を誓った――――ん? ……………………??? おかしい。 私は風竜だ。 竜がニンゲンに恋するというのは何かがおかしい気がする。 しかし、私がフレイヤ様を想うこの気持ちに嘘はない。 私は竜だ。竜のはずだ……違うのか? ああ。頭がはっきりしない。 ぼんやりとして記憶がごちゃまぜになっているような感覚だ。 「――だから、あなたははぐれたレギンレイヴを捜しなさい。偽フレイさえ捕らえれば、決戦の時は近いとトロウ様は仰ったわ」 「承知しました、フレイヤ様!」 ブリュンヒルデは敬礼をしてから去っていった。 私はまだはっきりしない記憶を疑問に思っていたが、主が私の頭を撫でてくれたので、そんなことはもうどうでもよくなった。 改めて私たちはアルヴへと向かった。 さらに進むと、青い竜が飛んでいるのが見えた。 背中には二人のニンゲンが乗っている。赤い青年と、ピンクの少女だ。 「おや、あれはもしかして……。オットー、近づいてみなさい」 主に言われて、気付かれないように上空から青い竜に近づいた。 徐々に高度を落として青い竜の背後を取ると、主は奴らに向かって言った。 「あらあらまあまあ。どこの誰かと思えば、セッテじゃないの。最近見かけないと思ったら、ずいぶんおかしなものに乗っているのね」 すると青い竜に乗っていた赤い青年がこちらを振り返って驚いた顔をした。 「えっ……ええっ!? フ、フレイヤ様じゃないっすか!! ど、どうしてフレイヤ様がここに!? バルハラ城は今トロウに……あれぇ!?」 あの赤いのは主のことをよく知っているらしい。 しかもニンゲンのくせに竜を乗りこなすとは只者ではなさそうだ。 一方、青い竜のほうは「わたしはおかしなものじゃない!」などと言ってわめき散らしている。なんだ、どうやらまだ子どもらしいな。 「そういうおまえこそ、おかしなものに乗ってるじゃないか! ずいぶんと偉そうなニンゲンのメスだな。おまえ何様のつもりだ?」 「や、やめるっすよクエリア! こちらはフレイヤ様といって、フレイ様のお姉さんなんすから! 失礼なこと言っちゃダメっすよ!」 おのれ、青いガキめ。我が主を侮辱するとは許さん。主さえ背中に乗せていなければ、すぐにでも飛び掛ってその首筋に牙を立ててやったものを。 それにしても、あの赤いニンゲンはよくわかっているようだ。さすがは幼い頃からフレイヤ様と共に過ごしていただけのことはある。 …………待て。なぜ私はそんなことを知っているんだ? 「ええい、黙れ黙れぇ~っ! フレイはわたしの家来だぞ。つまりわたしのほうがフレイより偉いんだ。だからそのお姉ちゃんだろうが、わたしより偉いってことはないのだ! 失礼もくそもあるもんか!!」 「ああもう、何っすかその理屈! クエリアも王女さまなんだから、もうちょっと礼儀のこと勉強したほうがいいっすよ! はぁ……。兄貴の気持ちが、今ならちょっとわかるような気がするっすよぉ……」 兄貴。あにき。アニキ? なんだろうか、この響きは。すごく懐かしいような、聞き覚えのあるような言葉だ。アニキとは一体? 私はこの言葉を知っているのか。 それにあの赤い青年。さっきから顔もにおいもしゃべり方まで、まるで昔からよく知っているかのような錯覚をずっと感じている。この感覚はなんなのだろう。 「ところでセッテ? フレイは元気にしているのかしら」 主が赤い青年に訊いた。 すると赤い青年は満面の笑みをもって答えた。 「もちろんっすよ! 今は絶対に見つからない安全な場所にいるんすよ~。あ、そうだ。今からそこへ戻るとこなんすけど、フレイヤ様もいっしょに来ます? きっとフレイ様も、フレイヤ様の無事を知ったら喜ぶっすよ!」 「へぇ……。絶対に安全な場所……ね。それは是非とも見てみたいわ。それじゃ、いっしょに行きましょう。ちょうど私もフレイを捜してたところなのよ……」 どうやらこいつらもアルヴへ行くらしい。 私はさっきからどうも記憶が混乱しているようなので、ちゃんとアルヴへたどり着けるか少し心配になっていたところだった。だから正確な道を知っている者に会えたのは助かる。 私は青いガキのあとに続きながら赤い青年を見つめ続けていた。 やはり気になる。何か引っかかっている。この青年は―― そのとき、同じく青いガキの背中に乗っていたピンクの少女の懐から黒猫がひょっこりと顔を見せると、突然じっと私の顔をにらみ始めた。 『ねぇ、ご主人サマ。あれって……』 「そうね。クエリアちゃんの言うように、たしかにあれは”おかしなもの”ね」 ピンクの少女は面白そうな玩具を見つけた子どものような笑みを浮かべながら、我が主に話しかけてきた。 「あなた、フレイヤちゃんっていうのね。それ、どうやって作ったの?」 そういって私のほうを指差した。 作った? どういう意味だ。 すると主は関心したようなため息をついて、その質問に答えた。 「まあ。あなた、これがわかるの? ということは、あなたもこっち側の人間なのね。もちろん私のは変性魔法よ。あなたも”おかしなもの”を作るのかしら」 「あたしも方法は同じね。でもあたしが作るものは動かないわ。だって、勝手に動きまわられて壊れたらいやじゃない。それに大きいと置き場所にも困るし……」 「あなたとは気が合いそうね。名前は何というのかしら」 「プラッシュよ。ぬいぐるみの魔女、のほうがよく知られてるかしらね。うふふ」 そのまま意気投合したのか、我が主とぬいぐるみの魔女はなにやら濃い雑談を交わし始めた。 対象が変化していく過程のどの部分が好きだとか、どこから変化させていくのがいいかとか、変化しきった対象をどうやって扱うかとか。 私にはよく理解できない内容だったが、それを聞いていた青いガキがまたしても癇癪を起こしたらしく、背中にニンゲンを乗せているのも忘れて暴れ出した。 「ああああああッ!! もうやめろ! それ聞いてると嫌なこと思い出す! わたしはもうそういうのはこりごりのかきごーりなんだからなっ!!」 「わっ、ちょっ! や、やめるっす! あ、危な……うわぁっ!」 ほら、言わんこっちゃない。赤いニンゲンが落ちたぞ。 青いガキはまだ怒っていて、それに気付かない。いいのか、あいつ死ぬぞ。 小さくなっていく赤いニンゲンの影を私はしばらく冷めた目で眺めていた。 しかし、しだいになぜか落ち着かない気分になってきた。非常にそわそわして、口の中が乾燥してきた。それに妙にどきどきするし、嫌な汗も止まらない。 「ああ、だめだ! もう我慢できない!!」 「ちょっと、オットー! 何やってるのよ!!」 気がつくと”俺”は、フレイヤ様のことも忘れて、落ちていった赤い人間を必死で追いかけていた。 いくつもの雲の層を抜けて、泣きそうになりながらその姿を捜した。なぜかあの人間を失うことがすごく怖くて、俺の目には次々と涙が溢れ出してきた。 「セッテ!! どこだ!? た、頼む……見つかってくれ……。お願いだから、無事でいてくれ……! いたら返事をしろ、セッテーっ!!」 もう俺の視界は涙でぐちゃぐちゃでほとんどよく見えていなかった。 しかしそんな状態にも関わらず、俺はセッテの姿をついに発見した! あるいは何か兄弟だからこそ感じる目に見えない力、例えば絆のような、そういうものがはたらいたのかもしれない。 何かに導かれるように俺は一直線に向かった。すると、雲の間を落ちていく赤い影をやっと見つけることができたのだ! 俺は大慌てで急降下してセッテに追いつくと、両手でその身体をしっかりと抱きしめた。俺の手は翼のように変わってしまったので、弟をうまく抱きしめることはできなかったが、両腕の翼の膜がセッテの身体をすっぽりと包み込んだ。 (ああ――よかった。おまえが無事で本当に良かった……) 翼を広げなければ、俺もこのままいっしょに空の底へ墜落してしまう。 でも翼を広げれば、またセッテを失ってしまうかもしれない。それは嫌だ。 だから俺は絶対にこの手を広げたくなかった。たとえ死んだとしても。 セッテは気を失っていたようだが、俺の翼の中で薄っすらと目を開けた。 「う、ううん……。あれ、ここは……。温かい……。この感じは……あに、き? 兄貴なんすか? おかしいな。おれ、まだ夢を見てるのかな……」 「馬鹿だな……。おまえの兄が竜のわけないだろ……。これは……夢さ……」 「ううん。あんたは兄貴っすよ……。なぜかはわからないけど、そんな気がする。兄貴、竜になったの? へへっ……いつもより、ちょっぴりかっこいいや……」 そのままセッテは再び意識を失ってしまった。 兄貴と実の弟から呼ばれて、俺は全身に雷に撃たれたような衝撃を感じた。 (そ、そうだ。すべて……すべて思い出したぞ!) 俺はオットーだ。風竜のリンドヴルムなんかじゃない。 俺はあいつのしもべじゃない。愛する弟セッテの兄だ。 俺はあいつを許さない。あいつは弟の親友を石にした。 落ち着いて俺は自分の姿を見た。 翼に変わってしまった両腕。この手ではもう、弟の背中を押してやれない。 鱗と羽毛に覆われた全身。この姿を見て俺だとわかる人間はほとんどいない。 さらに再びセッテに声をかけようとして、自分の声が変わってしまっていることに気がついた。こんなにも首が長くなって喉も変わってしまったのだから、それも当然のことなのかもしれない。 人間のオットーはもう死んだ。オットーはもういない。 だがセッテはまだ死んでない。絶対に死なせたくない。 (風竜ならば、無詠唱でも強力な風の魔法が放てるはずだ。それに賭ける!) 最初にヴァルトに襲われたときのことを俺は思い出した。あのとき、ヴァルトはすべての魔力を解き放とうとしていた。魔力を使い果たせば、竜は空を飛べなくなってしまう。 でもそれでもいい、弟さえ助かるのなら。オットーはもう死んだのだから。 俺はすべての魔力を解き放って、小さな竜巻を生み出した。 それはセッテの身体を包み込み、そっと優しく上空へと持ち上げ始めた。 小さなものだけど、セッテ一人を持ち上げるのには十分だ。そして小さいから、魔力の消費も少ない。そこに俺のすべての力を注ぎ込んだ。だから持続力は申し分ないはずだ。あとは上空にいるクエリアたちがなんとかしてくれるはず―― セッテ、おまえだけでも生きろ。 俺のぶんまでしっかりと生きろ。 フレイ様のこと、よろしく頼む。 俺を兄貴と呼んでくれて、ありがとう……。 そこで俺の意識は途切れた―― Chapter29 END 魔法戦争30
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Chapter36「フレイと竜人5:竜人族だからこそ」 ゲルダはアルヴの外の世界にあこがれていた。 そんな彼女の夢を壊したくない、そう思って僕は外の世界の辛い部分の話をわざと避けてきた。具体的には、外の世界には竜人差別が存在するということを。 アルヴは迫害を受けた竜人たちが安心して暮らせる場所を得るために作った隠れ里だ。そこは外の世界とはほとんど隔絶されていて、外との交流もないに等しい。 同様にワケありで人里を追われた者たちも、流れに流れてアルヴへとたどり着いて住み付く例が少なからずあったが、彼らも自分たちの安住の地を失いたくはないので、アルヴの秘密を外に漏らすようなことはしなかった。 そうしたことで、アルヴの中と外ではまるで別世界のようになった。 そんなアルヴで生まれてアルヴで育った子どもたちは、外の世界のことを何も知らない。かつて外の世界で暮らしていた者たちからの話を聞いて想像を膨らませるだけだ。 外の世界で辛い想いをしてきた者たちは、好き好んでそういった話をわざわざしたりはしない。それは消し去ってしまいたい過去だった。 だからこそ、アルヴで生まれた新世代は竜人が迫害されてきた歴史を知らない。 ゲルダもそんな新世代の一人だった。 外からやってきた竜人とは違う様々な姿をした多種多様なワケありの者たち。そんな彼らを見て、ゲルダは外の世界にはもっと様々な種族がいて、様々な文化が存在して、そしてそれらが平和に共存しているものだと信じていた。 しかし現実はそうじゃない。 ムスペとニヴルは互いに戦争ばかりの歴史だった。 大樹に暮らす人間はもとは地上からやってきたが、一説には戦争のせいで地上が暮らせない環境になったせいだという話もある。 そして一応の交流はあるが、竜族と人類は互いを良く思っていない一面もある。 互いを良く思っていないからこそ、その間に誕生した竜人はそのどちらからも忌み嫌われる。それが竜人差別の始まりだ。 それに今の世界はトロウの暴走によって酷い有様だ。ユミルはもはやトロウが支配しているも同然。ムスペもニヴルも攻め落とされてそのトロウの支配下。 外の世界は平和とはまるで正反対だった。 そんな現実を、ついにゲルダは知ってしまった。 あこがれていた夢が音を立てて崩れていく。それにショックを受けたゲルダは、泣きながらグリンブルスティを飛び出していってしまったのだ。 「すみません。ワタシが何か余計なことを言ってしまったみたいで」 サーモスが申し訳なさそうな顔をしたが、僕はそれに対して首を横に振った。 「いえ、あなたのせいじゃありませんよ。いつかは本当のことを話すべきだった。それを怠っていた僕の責任です。だからこの問題は僕が解決しなければならない。あなたはここにいてください。ちょっとゲルダを捜してきます」 そう言って船を飛び出そうとする僕を「待って」とサーモスは引き止めた。 「ワタシの眼は熱を視ることができます。形として残っていなくても、地面には熱の足跡が残っていて、ワタシはそれを視ることができますよ」 「熱の足跡! 考えたこともなかった。それじゃあ、お願いしてもいいですか?」 「ええ、お任せください。フレイ王子」 サーモスの熱を視る能力で追跡した結果、ゲルダの居場所はすぐにわかった。 例の僕とゲルダが初めて会ったあの橋のところだ。いざ到着してみると、すぐにはゲルダの姿は見えなかったが、熱を感知できるサーモスは温度差から隠れている人物の居場所を簡単に特定することができる。 彼女が言うには、どうやらゲルダは橋の下に座り込んでいるらしかった。 「すみません。ここからは僕に任せてくれませんか」 「そうですね。ここはワタシのなんかが行くよりも、年の近いフレイ王子が行ったほうがうまくいくかと思います。どうか、がんばって!」 「ありがとう。できるだけのことはやってみるつもりです」 背中にささやかな声援を受けながら、僕は橋の上へと向かった。 ここからはゲルダの顔は見えない。でも声はちゃんと届くはずだ。 「……ゲルダ。まだ怒ってる?」 そのまま橋の上から声をかけた。無理に近寄っても気を悪くさせるだけだ。だから少し距離を置きながら話をするのがいいだろうと考えての行動だ。 「何しに来たの。わたしのことは放っておいてよ」 よかった。ちゃんと返事はよこしてくれた。 しかしゲルダの声のトーンは低く、機嫌が悪いのは明らかだった。 「ごめん、僕が悪かった。謝るよ。ちゃんと話すべきだったんだ」 「話すって何を? 外の世界はわたしが思ってるような甘っちょろいものじゃないってこと? そんな夢叶いっこないから早く諦めろって話?」 だめだ、これは完全にへそを曲げてしまっている。この方向で話を続けていてはいつまで経っても平行線だ。むしろ状況を悪化させる可能性もある。こういうときは別の方向から説得しなければ。 「ええと……。ゲルダ、気分はどう?」 「なにそれ。最悪に決まってるでしょ。落ち込んでるわたしを笑いに来たわけ?」 「そ、そうじゃないけど。何が一番最悪なのかな」 「全部に決まってるじゃない。外の世界は全然わたしが思い描いてた世界なんかじゃないんだ。それを知ってたくせにずっと黙ってたフレイもひどいよ」 そんなつもりで黙ってたわけじゃない。下手に話してゲルダの夢を壊してしまうわけにはいかないと思って、あえて触れないようにしていたつもりだった。 だからといって、今ここでそんな言い訳をしたところで、話を余計にこじらせてしまうだけだ。だから別の切り口から入る必要がある。 「ところでここは僕とゲルダが初めて会った場所だったよね」 「それが何?」 「あのとき、実は僕もすごく落ち込んでたんだ」 「だから何?」 冷たい反応ばかり返ってきたが、かまわず話を続けた。 「僕はユミルで生まれてユミルで育った。ユミルっていうのは人間の国だ。だから僕も当然、自分は人間なんだと思って生きてきた。本当につい最近までね……」 だけどそれは違った。 アルヴの大神殿に着いてアルバスに竜人たちの主導者になるように言われた。 その理由は僕が適任だったから。セルシウスやクルス、それにクエリア。人間の側に属していながら、僕は竜族とも良好な信頼関係を築いていた。 でもそれだけじゃない。それだけの理由なら、種族を問わず誰とでも、例えそれがドラゴンゾンビ相手だったとしても、仲良くなってしまうセッテのほうがずっと適任だったはずだ。 ではなぜ僕が選ばれたのか。それは僕が人間ではなく竜人だったからだ。 僕には姉がいる。姉上とは確かに血の繋がった姉弟だ。 だけど僕たちの母親は違う。姉上は今は亡き先代王妃とニョルズ王の間に生まれた娘だ。そして僕はそのあとに王妃になった女性との間に生まれた息子だった。 僕の母上にあたる人も、すでに病気のせいで亡くなってしまったけど、クルスが言うには僕の母上は地竜だったらしい。おそらくクルス同様、人に姿を変えていたんだろう。 僕は竜人だった。 その事実をつきつけられたとき、僕は強いショックを受けた。 自分が竜人だったという事実にではない。もちろん、その事実には驚いたが、それよりもショックだったのは、その事実を知っていながら今まで誰も自分にそれを教えてくれなかったということだ。 竜人差別の話は噂程度には聞いたことがあった。それでも自分には関係のない話だと思っていた。しかし、僕は人と竜の両方の血を引く竜人だった。 落ち着いて考えれば、そのことで僕が思い悩まないように気を遣って、わざとその事実を伏せていたんだろうということがわかる。でもそのときは、みんながわざと黙っていたというその事実を、みんなが僕を騙していたと誤解してしまった。そこに竜人差別の話が重なって、自分が差別されたんだと思い込んでしまった。 そんなときに出会ったのが竜人のゲルダだった。 アルヴの外から来た僕のことを見るなり、ゲルダは外の世界のことを次々と聞いてきた。そして、外の世界への純粋なあこがれを語ってくれた。 そんなゲルダを見て僕は思った。 ああ、竜人も人間も、外見は少し違っても、中身は同じなんじゃないか、と。 いやそれだけじゃない。竜だろうと、その他のどんな種族だろうと、姿が違うだけで心は同じなんだと。 そこで初めて気がついた。 だったらなぜ竜人は差別されているのか。なぜ人と竜は理解し合えないのか。 もともとそういうものなのだと決め付けていた。 しかし、それに気付いてからは、それはおかしいと思うようになった。 竜と人の両方の血を引く竜人なら、その両方を理解できる。そんな竜人だからこそ、人と竜をつなぐ架け橋になれると思った。 僕がアルバスの頼みを受けて、竜人たちを率いようと決めたのはそのためだ。 人と竜の間に竜人が生まれたということは、過去に互いに歩み寄ろうとした人と竜がいた何よりの証拠だ。竜人は人と竜の共存の象徴になる。 だからまずは竜人というものを正しく理解してもらって、竜人差別をなくす。そのために、竜人がトロウを倒して人も竜も救ったという実績を作る。そうすれば人も竜も、竜人を信頼して認めてくれると考えたからだ。 だからもう、自分が人間であるとか竜人であるとか、そういうことはどうでもいいと思うようになった。なぜなら種族が違っても、姿が違っても、心はみんな同じだとわかったからだ。 人間だろうが、竜人だろうが、自分は自分。フレイはフレイなのだ。 それに気付かせてくれたきっかけになったのが、まさにゲルダの存在だった。 あのときゲルダに会わなければ、今でも僕は悩み続けていたかもしれない。 今のゲルダは思うに、あのときの自分と状況としては似ていると思う。 『その事実を知っていたのに、教えてくれなかった。自分は騙されていた』 そういうふうに思い込んで、塞ぎ込んでしまっている。 あえて黙っておくという優しさを、騙されたという敵意だと勘違いしている。 そのせいで周りの味方をしてくれている者まで敵に見えてしまっている。それだけのことだ。 「けれど決してそうじゃない。僕はゲルダのおかげでそれに気がつくことができたんだ。だからこんどは僕の番だ。僕がゲルダに、決してそうじゃないということを教えてあげる番だ」 「……フレイがいろいろ悩んでたんだって話はわかったよ。フレイに冷たく当たっちゃったのはたしかにわたしが悪かった。ごめんなさい。でも外の世界の事実は変わらないんでしょ。わたしの夢が終わっちゃったことには変わりないんだよ……」 ゲルダは深いため息をついた。 まだ落ち込んでいる様子ではあったが、もう僕に対して怒っていないことはわかったので、そこでようやく僕は橋の下に降りていってゲルダの隣に座った。 「夢が終わったって? どうして終わったってわかるんだ」 「わかるよ。外にはわたしの望むような世界なんてなかった。それどころか竜人は差別されちゃうんでしょ。だからわたしの世界を見て回る夢はもう終わったんだ」 「終わった? そうかな。まだ始まってもいない夢なのに」 「なっ……それってどういう」 少しむっとした様子でゲルダが振り向く。 それに合わせてゲルダのほうへ振り向く。 そして、しっかりと目を合わせて自分の想いを告げた。 「ゲルダの夢はまだ始まっていない。だからこれから始めるんだ。二人で」 「それって……どういう……」 「たしかに今の外の世界は君の望む世界じゃない。そしてそれは僕の望んでいる世界でもない。だったらこれから、僕らの望む世界に変えていけばいい」 昨日ゲルダが夢について語ったとき、僕には自分の夢がなんなのかわからなかった。ただゲルダのあこがれる理想の世界、あらゆる種族が平和に共存できる……そんな世界がほんとうにあったらいいな、と思った。 そういう世界を夢みることができるゲルダを少しうらやましいと思っていた。 「僕は自分の祖国をトロウから解放したい。そして人と竜の共存できる世界を望んでいる。それがこれまでの、そしてこれからの僕の旅の目的だ。そしてゲルダの望む世界はその延長線上にあると思う。……だからゲルダ。ゲルダのその夢、僕もいっしょ見ちゃだめかな?」 「そんな……それはちょっとずるいよ。だってフレイ。そんなふうに言われたら、だめだなんて言えないじゃない。わたしにフレイの旅を否定することなんてできないんだから」 「外の世界では竜人は迫害を受ける。でも僕はそれを無くしたいし、そんな迫害から君を守ると約束する。だから君にお願いがあるんだ」 あのときは言葉を遮られて最後まで言えなかった。けれど今なら何も邪魔は入らないはずだ。だから、こんどこそしっかりと最後まで言い切った。 「ゲルダ。外の世界はアルヴほど平和じゃない。きっと大変なこともたくさんあると思う。それでも必ず僕が君を守るから――もし良かったらグリンブルスティで、僕といっしょに旅に出てくれないかな」 最後まで言い切って、そしてゲルダの返事を待った。 ゲルダはそのまま黙ってじっとこちらを見つめていた。 しばらくの沈黙をはさんで、ゲルダはふふっと笑って見せた。 「わたしの夢は何か知ってるでしょ? このアルヴを出て、フレイみたいに外の世界を旅して回ることだもん。こんな絶好のチャンス、見逃すわけないじゃない!」 そして嬉しそうに笑うと、ゲルダは思い切りこちらに抱きついてきた。 「わわっ、ゲルダ! 危ない、危ないから! 川に落ちる!」 「フレイとならどこへでも行くからね! 川の底だろうと、空の果てだろうと! だから覚悟しておいてね。もう後悔しても遅いんだからね~!!」 もうゲルダは悲しい顔も不安げな表情も見せてはいなかった。 それから僕たちは二人でひとしきり笑ったあと、そのまま川に転げ落ちてずぶ濡れになった。そんな様子をサーモスが橋の上から微笑ましそうに眺めていたようだけれど、もちろん僕らはそうとは知らずに二人で川の中でじゃれ合うのだった。 「ふぅ……青春ねぇ。ワタシももう少し若ければ良かったんだけど」 アルヴァニアの穏やかな川に響く笑い声をよそに、その水面を上流から下流へ、メフィアがゆるやかに流れていった。 Chapter36 END 魔法戦争37
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Chapter14「魔剣は血を吸い魂を喰らう」 傭兵ヴォルスタッグは、妖しく輝くオーラをまとった剣を手に、己が対戦相手にあいまみえる。彼は雇われの剣士であれど、剣の戦いにおいてはいついかなるときも礼儀を重んじ、それを心に忘れない武人だった。 対する相手はユミル国のフレイ王子。一国の王子がなぜこんな辺境の浮島なんかにいるのか。そしてなぜその王子と剣を交える必要があるのか。 きっと何か深い事情があるのだろう。そして、それは傭兵の自分には関係のないことだ。ただの雇われの剣士には知る必要のないこと。 だから余計な詮索はしない。ただ自分にできることは、雇い主であるトロウと名乗る男から渡されたこの剣を片手に、黙って言い渡された任務を遂行することだ。 フレイ王子は、自ら相手になると言った。 なるほど、華奢でひ弱そうに見えるが、それでもやはり王子である。 望んで戦うことを選ぶその決意たるや見事なり。未来の君主たる度量の大きさをすでに持ち備えているのか。と、ヴォルスタッグは感心していた。 しかしそう思ったのも始めだけで、すぐにその期待は裏切られた。 せっかく始めた戦いをフレイ王子は中断しようとしているのだ。 「ま、待ってくれ! すまないが少し待ってくれないか。準備がまだ……」 ヴォルスタッグは落胆した。 王子とは言えど、その顔はまだ幼く、そしてあどけなさが残る。 所詮はまだ子どもか。臆病風にでも吹かれたのかもしれない。 おそらく実戦は初めてなのだろう。そしていざ真剣を見て怖くなったわけだ。 それはひどく侮辱されたような気分だった。 剣の道とは清く尊く、義と礼をもって武を重んじるものである。たとえ子どもであろうとも、軽々しく剣を扱うものではない。 フレイのどっちつかずの態度は、ヴォルスタッグを苛立たせた。 「待ったなし、問答無用だ。一度始めた戦いを無闇に中断するのは礼儀に反する。うぬも男子なれば、男に二言はないはずだ。さあ、構えよ!!」 戦いを促すも、それでもフレイは剣を構えようとしない。 ヴォルスタッグは怒った。これは侮辱だ。剣を侮辱している、と。 「どうした。来ないのならこちらから行くぞ。覚悟せい!!」 言って剣を振り上げると、駆け寄り距離を詰める。 まだためらっているというのであれば、否が応にも剣を抜かざるを得ないようにしてやる。剣の道とは甘くはないということを、身をもって教えてやるのだ。 「ぬうん!」 ヴォルスタッグは袈裟懸けに斬り下ろした。 剣を抜き受け止めなければ、これは致命傷になる。いくら臆病者でも、これなら半ば反射的にでも剣を構えることになるだろう。そう期待していた。 しかし、フレイはひらりと身をかわすと、無様にも背中を見せて逃げ出したではないか。これはさらにこの傭兵を怒らせることになった。 「戦いの最中、相手に背を見せるとは何事か! 笑止千万、愚かにも程がある!」 怒りの感情が、剣を握り締める手の力を強めていく。するとそれに呼応するかのように、剣をまとうオーラがより一層輝きを増し、赤々と炎のように光り出した。 一方、フレイもただ怖くて逃げ回っているわけではない。 剣を抜けだって。その剣がないのだから、どうしようもないではないか。 護身用の剣を一振り持ってはいたが、それは以前セルシウスに譲ってしまった。 (セルシウスに? そうか、剣はそこにある!) 幸か不幸か、偶然にも今ここには負傷して動けないセルシウスがいる。もしかしたら、あの剣をちょうど今も持っているかもしれない。 フレイもただ闇雲に逃げていたわけではない。それに賭けて、フレイは攻撃をかわしながら、セルシウスを休ませている船のほうへと向かっていたのだ。 「おのれ、戦いを投げ出すとは許さぬ! こっちを向けぃ!!」 そのときヴォルスタッグの怒声が後ろから聞こえてきたかと思うと、小さな火花が飛んできて、フレイの目の前に落ちるとそれはわっと燃え上がり始める。火花は炎の壁となってフレイの行く手を遮った。 驚いて振り返ると、なんとヴォルスタッグの剣が炎のように燃え盛っている。 「これは一体!? おまえはただの傭兵じゃないのか」 剣の道を歩みながら、魔法まで扱えるなど聞いたことがない。 魔法が重視される世の中において、魔力に優れるならわざわざ剣を生業にする理由などあるはずもなく、それなら傭兵なんかやらなくとも、もっと他に活躍の道があるはず。魔剣士などというものは、異端もいいところだ。 ヴォルスタッグは剣を一振りなぎ払うと、再び火花が飛び散り周囲を燃やした。いまや二人は炎の壁が作り出す円の中に囲われている。これでもう逃げ場はない。どちらかが倒れるまで戦いは終わらない、決死のリングだ。 「愚か者め。剣への侮辱は万死に値する。死んで詫びるがいい。介錯は我輩がしてやろうではないか……」 「ま、待て! たしかヴァルトは竜姫の居場所を教えろと言っていたな。もしかしたら僕はそれを知っているかもしれないぞ。僕を殺してしまったら、困ったことになるんじゃないか?」 「我輩はトロウという男に雇われた。ヴァルトの部下ではない。奴に加勢しろとは言われたが、奴の任務を手伝えとまでは言われておらぬ。知ったことではない」 ハッタリも効果はなかった。この傭兵には戦うことしか見えていないようだ。 後ろを振り返ると、炎の壁のすぐ向こうにセルシウスが横たわっている。あと一歩だ。あと一歩さえあれば、そこに剣があったかもしれないのに。 「死ねぃ!」 ヴォルスタッグが剣を振るうと、四方八方に火花が飛び散り辺りを焼き尽くす。 これでリーチ差によるアドバンテージもなくなってしまった。剣がない以上は、魔法で応戦するしかないが、呪文を詠唱する時間がかかる分、むしろ不利なのはこちらのほうだった。 (むこうに呪文を唱えているような様子はない。ということは、あの剣も魔具か) 魔力を込められた道具、魔具。 これさえあれば、誰でも簡単に手軽に魔法を扱うことができる。呪文も不要なので、隙を見せることなく次々と魔法を放つこともできる。 しかし道具に込められた魔力を使い切ってしまえばそれまでだ。再び魔力を込めない限りは、魔力の剣はただの剣に戻ってしまう。 では魔力が尽きるまで逃げ回るか。いや、それも難しい。 傭兵が剣を振り回せば振り回すほどに炎が舞い、次第に足元を火で埋め尽くしていく。時間がかかるほどに逃げ場は狭くなっていく。ゆっくりはしていられない。 「やるしかない、か。せめてあの剣をあいつの手から奪えれば……」 相手は傭兵だ。そして魔具に頼っている以上、やはり魔法は使えない可能性が大きい。つまり武器を奪ってしまえば、敵の戦力は格段に落ちる。 フレイは舞い散る炎の間を駆け抜けながら呪文を唱えた。 走りながらでは精神を集中できない。十分な威力を発揮することはできないが、敵の足止めさえできればそれでいい。倒すのではない、敵の無力化が目的だ。 ヴォルスタッグは炎を撒き散らすだけで、直接斬り込んではこない。足場を埋め尽くす火のせいで動き辛いのは、相手のほうも同じことだ。懐に攻め込まれないのであれば、まだこちらも魔法を放つ準備をするだけの余地はある。 右舷に迂回しながら敵への距離を詰める。剣を振り回すことに夢中で、相手は足元が疎かになっている。そこが狙い目だ。 フレイはヴォルスタッグの足元の地面を隆起させると、一気に押し上げて傭兵を空中に投げ出した。 体勢を崩されては、それも空中ではさすがに剣を振り回せないだろう。今のうちに一気に敵に近寄る。そして地面に倒れた隙に剣を奪ってしまう算段だ。 しかしヴォルスタッグは空中で身体を一回転させてあっさりと体勢を整えてしまうと、腕を振りかぶって意外にも剣をこちらに投げつけてきたではないか。 剣は真っ直ぐにフレイを狙って飛んできたが、自分の足元の地面を隆起させて壁にすることでこれを受け止めた。 「まさか自分から武器を手放すなんて。しかしこれは好都合だ」 岩壁に突き立った剣にフレイは手を伸ばした。そしてその柄に触れたとき、奇妙な感覚がフレイを襲った。 ――奴ハ丸腰ノ人間相手ニ剣ヲ振リ回スヨウナ男ダ。礼儀ヲ欠イテイルノハ奴ノホウデハナイカ。ナンテ卑怯ナ 「……!?」 まるで直接脳内に声が語りかけてくるようなこの感覚。 ――許セナイ、卑怯者ハ許セナイ しかもその声は自分の声に非情によく似ていた。 ――僕ハ平和ナ世界ヲ目指スンダ。ソノ世界ニ武器ナンテイラナイ。剣士モ傭兵モ居テハナラナインダ 「これは……僕の……心の声、なのか?」 そして心の声は言った。 ――殺シテシマエ ――仕掛ケテキタノハアチラダ ――ソウトモ、コレハ正当防衛 ――必要ナ犠牲ダ 悪魔の声が心に直接囁きかけてくる。 そして洗脳されたかのように、虚ろな目でフレイはその剣を両手で握る。 ――殺セ!! そして気がついたときにはもう、ヴォルスタッグの目の前に立って、力いっぱい剣を振り下ろしていた。 なんのためらいもない。そのときの心境はまさに無そのものだった。ただ目の前の敵を倒す。殺す。抹消する。それだけだ。 「……はて、我輩は一体何をしていたのか」 ヴォルスタッグは困惑していた。 ここは一体どこなのか。どうしてこんなところにいるのか。 傭兵募集の知らせを受けて、トロウという男に会ったところまでは覚えている。だがそれ以降の記憶はどうも曖昧で、はっきりしなかった。 「む!?」 ただひとつだけ、はっきりしていることがある。 今まさに、燃え盛る剣を持った一人の青年が駆け寄り、その剣を振り下ろそうとしている。状況は今ひとつ飲み込めなかったが、相手に敵意があることは確かだ。 さっと飛び退いて振り下ろされる剣を難なくかわした。 燃える剣は青年の体格にはいささか大きすぎるようで、明らかに剣に振り回されている。それを避けるのはさして難しいことではない。 そして青年の背後に回り込むと、腕を回して羽交い絞めにして動きを封じた。 「待て待て! これは如何いうことだ。我輩にはさっぱりわからぬ。なぜ我々は戦っているのだ。まずは落ち着け! 剣を収めてくれ」 しかし青年はそれには応えず、ただ暴れるだけでまるで正気ではない様子だ。 そこでヴォルスタッグは、青年の手から無理やり剣を奪い取った。 すると、 ――殺セ! そこで再び彼の意識は、闇へと堕ちていった。 突然、全身から力が抜けて、フレイは膝をついて地面に倒れこんだ。 (なんだ? 今、一体僕は何をしていた?) 上体を起こして振り返ると、そこには燃える剣を振り上げた傭兵の姿が見える。 「うわっ!!」 地面を転がってフレイはなんとか振り下ろされる剣から逃れた。 顔のすぐ横の地面に振り下ろされた剣先が刺さっている。危機一髪だった。 急いで起き上がると、すぐに傭兵から距離をとって、それから考えた。 そうだ、あの剣だ。 あの剣に触れたとき、奇妙な声が聞こえて、そして意識が遠のいた。 あれはどうやらただの剣でも魔具でもなさそうだ。 (そういえば聞いたことがある。魔剣と呼ばれる呪われた剣があると) 魔剣。それは悪魔の剣。 一度手にすれば、人間の限界を超えた魔力を手に入れられるという。しかしその剣には呪いがかかっており、手にした者は精神を蝕まれ、血に塗れた非業の最期を遂げるとも、破滅の道を歩むとも言われている。 「あの剣が原因か。それなら、あれさえ破壊してしまえばいいわけだな」 どっちにせよ、敵の手から剣を奪う作戦に変わりはない。 同じ手が通用するとは限らないが、再びフレイは呪文を唱えながら走り出した。 炎の円の中を回りながら、しかし今度はヴォルスタッグを狙わず、手当たり次第に地面を隆起させて、岩の柱をいくつも生やしていく。 これは敵の飛ばす炎を防ぐ防火壁にもなるが、別の目的もある。 岩柱が何本も並び、円の中はまるで岩の迷路のようになった。 ヴォルスタッグはフレイの姿を見失っている。当のフレイは、岩柱のひとつの上に立ってそこから下の様子を窺っている。ここからなら敵の位置もよくわかるし、炎に足場を奪われるような心配もしなくていい。 身を乗り出して見下ろすと、右往左往しながら必死にフレイを捜しているのが見えた。そして怒りに任せて明後日の方向に怒鳴り散らしている。 「またそうやって逃げるつもりか、臆病者め。姿を見せて戦え!」 魔剣は傭兵の怒りを象徴するかのように、激しく燃え上がっている。 「どうやらあの魔剣は、怒りの感情を増幅させるみたいだ。一体誰があんなものを作ったのか知らないけど、そんな危険なものを放っておくわけにはいかない」 フレイは詠唱を始めた。 ここなら敵に攻撃される心配はない。たっぷりと時間を使って、十分に集中して全力を発揮することができる。 ずいぶんと長い呪文を唱え終えると、炎の円に重なるように地面に黄色く光る魔方陣が現れた。 「大地の精霊よ。その奥に秘めたる鎮めの力を解き放て!」 すると魔方陣の上だけを対象とした局所的な範囲に微弱な大地の脈動が生じた。つまりは小さな地震である。 フレイの実力では大した地震は起こせない。魔方陣を展開して範囲を広げれば、さらに力が分散してその威力は弱くなる。 だがそれでいい。 この地震は攻撃を目的としたものではない。それにあまり大きな揺れを起こしてしまえば、岩柱が倒壊して自分にも危険が及んでしまうからだ。 揺れを感じたヴォルスタッグは足を止めて身を伏せた。そして頭上を見回して、岩柱が崩れて落ちてこないかと警戒している。これこそがフレイの狙いだった。 立ち止まって足元の注意を怠っている今なら、再び足元の地面を隆起させて突き上げる隙がある。そして今度は周囲にたくさんの壁があるのだ。 再び空中に投げ出された傭兵は、今度は体勢を整える余地もなく壁にたたき付けられた。そして思わず手から剣が落ちるのをフレイは見逃さない。 「今だ!」 落ちる剣の四方にある壁から岩の拳が飛び出すと、剣の刃を挟み込むようにそれらは一点に向かって突撃した。 呪われた魔剣であろうと、折れてしまえばただの剣だ。 土煙が舞いまだ様子はわからないが、手ごたえはあったつもりだ。 「やったか?」 しかし折れたにせよ、できなかったにせよ、剣はその後地面に落ちるはずだ。 そんな音が聞こえただろうか。いつまで待っても音がしないのはおかしい。 『……よかろう。我を破壊しようというつもりなら、我が直々に相手をしてやる』 そのとき予期しない音が聞こえた。 これは一体誰の声だ。直接脳内に響いてくるようなこの声には覚えがある。 ようやく土煙が晴れた。 するとそこには例の剣が浮かんでいる。 剣が浮遊するだけでも奇妙なことなのに、声はどうやら剣が発しているようだ。 「おまえは一体?」 『我は魔剣ティルヴィング。言わば、この剣に宿る思念のような存在。剣が折られては我は消滅してしまう。己の身を守るために戦うのは当然の行為だろう?』 「そんなまさか! 剣に意識があるだなんて、そんなこと……!!」 『何もおかしいことはあるまい。生き物も精霊も、そして我も意識の上ではすべて同じ。精神体という、ただひとつの存在だ』 魔剣ティルヴィングは音もなく宙を舞い、その切っ先をフレイに向けた。 『誰かを殺すなら、自分も殺されても仕方がないと心得よ。やられる前にやるのが我が信条。さあ、来ないならこちらから行くぞ!』 ティルヴィングは真一文字に空を切り裂き、フレイの立つ岩柱へと突撃する。 岩柱は丸太のように切断されて、見る見るうちに低くなっていく。 フレイは隣の岩柱の側面を隆起させて橋を作ると、その上に飛び移って隣の柱へと避難した。 だがそれも無駄なこと。魔剣はすぐに飛んでくると、フレイの移った柱もハムでもスライスするかのように切り裂いてしまう。さらに魔剣は先回りして、他の柱も次々と輪切りにしてしまった。 崩れる足場に巻き込まれないように足の置き場を選びながら、ときには新たに魔法で足場を作りながらフレイは必死の思いで、なんとか地面に着地した。 そのとき疾風が顔の横を通り抜けると、頬からは一筋の血が垂れた。 『遅い遅い。貴様の首を刎ねることなど我には朝飯前のようだな』 「くっ……。相手が速すぎる。まるで物理法則を無視するかのように飛んでくる。それに岩の壁も簡単に切り裂いてしまう。僕の力じゃ手も足もでない……」 『そうだなぁ。もし貴様が我の新たな持ち主になるというのなら、今回は許してやってもよいぞ。我も不死身じゃない。誰かを殺してその血を吸わなければ、我も力を維持できないし、剣が錆びてしまえば我としても困る。メンテナンスをしてくれる主が必要だ』 「それはできない。僕が望むのは血の流れることのない世界だ」 『ならば別の主を見つけるまでだ。そして貴様は死ぬがよい』 再び魔剣ティルヴィングが燃え上がり、刃先がこちらをにらみつけた。 依然として周囲は炎の壁で囲まれている。大地の魔法ではあの刃を受け止めることができない。そして相手が速すぎて、逃げ続けるのももはや限界だ。 (……ど、どうする!?) 剣を受け止めるには、やはり剣が必要だったのだ。 短剣を手放したことを今になって後悔しても遅い。 盾があればもっといいが、もちろんそんな都合のいいものなどない。 所詮は魔道士。硬い守りを貫く魔法は鎧には強くても、打たれ弱さが仇となって武器には弱いのは、もはや宿命なのか。 (こんどこそ絶対絶命だ。くそっ、剣だ。剣さえあれば……!) 追い詰められたフレイは為す術もなく、拳を握り締め、歯を食い縛り、そして目を閉じた。 (ここまでか――) 「おいおい。鎧もつけずに丸腰で剣相手に挑むなんて、よほど度胸があるのか、それとも頭が残念なのか。お兄さん、死ぬ気ですか?」 また知らない声が聞こえた。 今度は一体何の思念が現れたんだと半ば呆れていると、急に気温が下がって寒気を感じるようになり、続いて辺りを囲む炎の壁が消えてしまった。 わずかに粉雪のようなものが舞っている。 「これは……氷の魔法か?」 そしてカランと音を立てて、足元に何かが飛んできた。 蒼い柄の剣だ。装飾の一切ない地味な剣だが、よく手入れされていて、その刀身は装飾など不要だと言わんばかりに輝きを放っている。 「その剣を使われよ! ……なんてな。あまりにも危なっかしくて見てられない。ここからは俺も参加させてもらうぜ」 声の主のほうへ振り返ると、立っていたのは蒼い鎧に身を包んだ剣士だった。 Chapter14 END 魔法戦争15
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Chapter52「ちびっこ戦記7:猫を制するには猫をよく見ろ」 深い深い闇の底でわたしは声を聞いた。 それは頭の中から響いてくる、自分のものとは違う声だ。 まだマタタビの影響で幻聴が響いているのかと思ったが、そうではないらしい。 まだ意識は朦朧としているが、不思議と心は不安を感じていない。無意識のうちにそれを安全だと心が判断したからだ。どうやらその声は聞き覚えのある声らしかった。 『グッモーニン、おともだち。猫の生活は満喫できているかな?』 (こ、この声は。というかこのシチュエーション。なんか覚えがあるぞ) 『イエス! ミーだよ。アイアム、シャノワール。元気にしてた?』 こいつ。わたしを見捨てて帰っておきながら、今ごろになって連絡してきやがった。しかもこっちの苦労も知らないで、なーにが元気にしてたぁ? だ。 これは文句のひとつでも言ってやらないと気が済まない。 (この裏切り者! おまえたち、わたしを騙しただろ。賭けって何のことだ。わたしに黙って、あの魔女と一体どんな約束をしてたんだ!?) 『まあまあ。たしかに何かあったのかもしれないね。でもミーはよく知らないし、ユーがティエラとの対決に負けさえしなければ何も問題はなかったんだ。これでもミーは期待してたんだよ、ユーの力をね。でもユーは期待を裏切ったんだ。だから裏切り者はユーのほうじゃないのかなぁ』 (へりくつなんか聞きたくない。今わたしがこんな目に遭ってるのは、どんな理由があったにせよ、おまえたちのせいなんだぞ。ふざけるな!) 『それは違うよ。負けたのはユーの力不足が原因だ。勝っていればこうはならなかった。そうだろう? これはユーが招いた事態さ』 (なんだと。わたしが悪いと言うのか? いいかげんにしろよ。わたしが竜だということを忘れてはいないだろうな。あとで痛い目を見てもしらないぞ) 『竜? ニヒヒヒ! それはおかしいね、マドモアゼル。だってユーはただのかわいい青猫さんじゃないか』 (その台詞は前に似たようなのを聞いた。いいから、早くわたしを助けに来い) 『あいにく今はちょっと忙しくてね。でもひとつだけヒントをあげるよ』 シャノワールは「猫を制するには猫をよく見ろ」と言った。 何を言っているのかよくわからないと返すと、シャノはこう続けた。 『じゃあ特別にもうひとつヒントだ。ユーは他の猫たちと円滑なコミュニケーションは取れているかな?』 (ふん。にゃーにゃー言ってるけど何を言ってるのかさっぱりわからない。わたしが言ってることが通じてるのかどうかもわからないし、コミュニケーションが取れてるのは、悔しいけどあの猫の魔女だけだ) 『なるほどね。どうせそんなことだろうと思って声をかけたんだ。まず猫は言葉での意思の疎通はあまり行わない。鳴き声で感情を表したりはするけど、あれは言語じゃないからね。あくまで補助的なものだ。いいかい。猫はしぐさでコミュニケーションを図る。相手の動きをよく見ることだ』 (動きを?) 『そう。視線とか間合いとかシッポの動きとかね。だけど目をじっくり見つめちゃいけないよ。目と目が見つめ合うのは、敵対のサインだからね』 (だけどそれが何になる? わたしは別に猫と「おともだち」になるつもりなんかないぞ。それとも猫を味方につけろってこと?) 『これ以上は答えになっちゃうからもう言わない。とにかく猫をよく見ることだ。猫には猫にしか見えない世界があるってことさ。それじゃあ頑張って。グッバイ』 (あっ、こら! ちょっと待て) それっきりシャノの声は聞こえなくなった。それと同時にわたしの意識は現実世界に引き戻された。 わたしが目を覚ましたのは意識を失う前と同じ、魔女の家の机の下だ。周囲にはまだ伸びている猫もいくつか見えるが、ティエラの姿はすでになかった。 (猫を制するには猫をよく見ろ、か。どういう意味なんだろう) 他の猫たちは、それぞれが思い思いの行動をしている。 ベッドの上で寝ているものもいれば、ベッドの下で落ち着いていたり、床に転がっていたり、柱の間に吊るされたハンモックにくるまっていたり……というか、こいつら寝てばかりじゃないか。 寝ていない猫を探すと、柱でツメを研いでいたり、ふらふらと外へ出かけていくものがいたり、天井付近のキャットウォークをのしのしと歩いていたり。 はて、あんな高い場所にあいつらはどうやって登っているんだろう。 そのまま猫を観察していると、天井を見上げている猫がいた。あいつ、もしかして上に登ろうとしている? でもどうやって登るつもりなんだろう。 茶トラの猫なので、とりあえずトラと呼ぶことにする。トラはキャットタワーに飛び乗ると、それを踏み台にしてさらに跳躍した。しかし、それだけではとてもあのキャットウォークには届きそうにない。 それじゃあ一体どうするのかと眺めていると、なんとトラはツメでハンモックにぶら下がったではないか。そのまま逆上がりの要領で身体をくるりと持ち上げるとハンモックの上に乗った。 よく見ると柱の上部にはいくつものツメ跡がある。トラは柱の側面にツメでしがみついて壁キックの要領で柱を蹴ると、いともたやすくキャットウォークの上へと飛び移っていった。 あいつら忍者か。侮れない身体能力だ。 そのままぼーっとトラを眺めていると、こちらに気付いたトラがわたしのほうをじっと見つめているのに気がついた。 そうだ。目をじっくり見ちゃいけないんだったな。 わたしが少し視線をそらすと、トラはそのまま数歩進んで、再びわたしのほうをじっと見つめた。そしてしばらくすると、また数歩進んで、やはりわたしを見る。 (なんだ? もしかして、ついて来いと言ってるのか) なんとなくそう言われたような気がして、わたしはさっきトラがやってみせたようにキャットタワーを踏み台にしてハンモックへと飛び移った。 (そしてツメをひっかけ……にゅわッ!) 前脚は虚しく宙を切った。慌てて両手をばたばたさせるも、どれもが空振りで箸にも棒にもかからない。落ちる! と思ったそのとき、何かに引っ張られるように身体が空中に止まった。 どうやら後脚のツメが辛うじてハンモックにひっかかったらしい。 助かった、と思ったのも束の間。さてここからどうしたものだろう。 今のわたしはほとんど宙吊りの状態だ。この状態をどうしたらいい。 それに足のツメが無理な力でひっぱられて……い、痛い痛い! もげる! あまりぐずぐずしてはいられないようだ。 (腹筋は苦手なんだけど……やるしかない。せぇーのっ、ふにゅぬぬぬぬぅ!) 身体を折り曲げてなんとか両手でハンモックをつかもうと踏ん張る。と、なんと足のツメがすっぽ抜けて、そのままウルトラCよろしく、くるりとハンモックの上まで身体が飛び上がった。回転とひねりを加えながらの見事な着地。うーん、これは10点満点間違いなし! そしてお次は柱を壁キックして、キャットウォークへのジャンプ。こんどは難なくこれをこなしてみせる。猫の身体能力ってすごーい。 トラはそのままわたしを待ってくれていた。わたしが近づくと足早に走り去っていくのだが、少し離れると再び立ち止まってこちらを見る。やはりついて来いと言われているような気がしてならない。 あの猫は一体わたしをどこへ連れて行こうとしているのだろう、と考えながらついていくと、トラは開けっ放しにされていた天窓を抜けて屋根の上へと登っていった。わたしも後に続くと、屋根の天辺で待っていたトラは、ぷいとそっぽを向いてすぐに下へ降りていってしまった。 (なんだあいつ。何がしたかったんだ?) しかしせっかく屋根の上まで登ってきたので、わたしはそのままそこから空を眺めてみることにした。ずいぶん気を失っていたのか、もう夜になっている。 空には星が出ている。森の木々の隙間から見えるのは綺麗な星空だ。白に茶色、グレーに三毛。まるで猫みたいな色の星だ。 ――にゃぁぁあん。 ほら、猫の鳴き声まで聞こえて……ええっ!? よくみるとそれは紛れもない猫だ。猫が空に浮かんでいる? いや、そうではない。透明でわかりにくいが、どうやら屋根の上からは空に向かって螺旋階段が伸びているようだ。猫毛が散らばっているので、透明な板でもなんとかその位置を把握できる。猫の星はその階段の上にいるらしい。 なんのためにこんなものがあるのか。これも猫のための設備なのか。 よくわからないままにわたしはその透明の螺旋階段を登って行く。 あまり登ってくる猫がいないのか、上に行くほどに猫毛の道しるべが少なくなっていったが、上に行くほどにわたしは身体に力がみなぎってくるのを感じていた。 (もしかして今なら魔法が使える?) 試しに少し念じてみると、すぐに崩れてしまったが小さな水球を精製することに成功した。間違いない。どういうわけかはわからないけど、ここを登れば登るほどにわたしに魔法の力が戻ってくるようだ。 もう足元の透明な板には猫毛の道しるべはまったくない。しかしわずかでも水球を出せるなら、足場を濡らすことで透明な板を視ることができる。そうしてわたしはさらに上まで登って行った。 そしてついに森の木々よりも高い位置に出た。水を使って調べても、もうこれ以上先の足場は見つからない。頂上にたどり着いたようだ。 夜風が心地良い。空には大きな満月が浮かんでいる。 (もしかしてここなら……! やってみる価値はある) わたしは以前にクルスから教わった手順をひとつずつ正しく行っていった。するとわたしの身体が青い光に包まれていく。 青い光が治まると、月明かりに照らされて青い鱗が夜の闇にきらりと輝く。ひんやりとした夜風が毛皮ごしではなく直接、鱗の肌を撫でていくのがわかる。 「そうだ、この感じ。この開放感。すっきりさっぱりとした感じは……!」 もうわたしの口からは猫の鳴き声は出ない。 戻ったのだ。わたしは水竜の姿を取り戻した。 わたしは、わたしこそが、水竜の王女。アクエリアスっ!! 「よくできました。とりあえず合格ってところかなぁ」 「ひぅっ!?」 突然背後から声が聞こえてきた。驚いて振り返ると、あの三毛猫の魔女が宙に浮かんでいる。ティエラはたしかに猫の姿をしていたが、その背中には体毛と同じ三毛猫色をした翼が生えている。 「猫が飛んで……いや、それよりも! 合格? なんのことだ」 「これはテストだったのさ。よくあたいの魔法を破ってみせたね」 「テスト? 魔法を破った? 言ってる意味がわからない」 「最初に言ったじゃないか。あたいを仲間にしたいなら実力を示せ、ってね」 ティエラの話によると、これは最初からわたしを試すテストだったのだ。 いくら大魔女とはいえ、人間と竜の力の差は大きい。正面から全力でぶつかりあったのでは人間の側には勝ち目は薄い。一対一ならばなおさらだった。 だからティエラは力ではなく知恵を試すことにしたのだ。 すでにわたしがこの島へ来たときから罠は仕掛けられていた。 ティエラの家の扉を開けたときにあふれ出てきたニャーストリーム。あれはただの猫雪崩ではない。あのときすでにわたしは猫化の魔法をかけられていたのだ。 その後ティエラとの戦闘が始まったが、よく思い返してみればあのときティエラは魔法を一切使っていない。わたしの放った鉄砲水を打ち消して見せただけだ。 だが実際は魔法を使わなかったのではない。使えなかったのだ。 ティエラはわたしに猫化魔法をかけたあと、すぐにこの島一帯に魔封じの呪文を施していたのだ。それはすぐに効力を発揮するものではなかったので、わたしは鉄砲水を発動させることはできたし、ティエラの杖の先にも火球が浮かんでいた。 しかし、ようやく魔封じが発効したことによってわたしの鉄砲水は寸でのところで打ち消されてしまったし、魔法が封じられているからこそわたしは竜の姿に戻る魔法を使えなかったのだ。 あとはあらかじめかけられていた猫化の魔法がじわじわと効果を見せ始めて、わたしは為す術もなく猫に変えられてしまったというわけだった。 「じゃあ、階段を登ってきて急に魔法が使えるようになったのは?」 「魔封じはこの土地にかかってるんだ。島の上空にまでは効果が及んでいない。つまり魔封じの効果範囲から出たから、あんたに魔法の力が戻ったってわけだね」 「じゃあ、プラッシュが言ってた賭けがどうとか言うのは?」 「ああ、賭けはあたいの勝ちだよ。魔封じの罠に引っかからずに見破れるか、っていう内容の賭けでね。おかげで……青い猫と過ごした数日間は楽しかったよ」 なんということだ。最初からわたしは騙されていたのだ。 プラッシュにも、ティエラにも、両方の魔女に。 「くそーっ。これだから魔女は信用できないんだ」 「まあまあ、そう言わないで。だけどあんたは見事にあたいの魔法を破って見せたんだ。だから魔女は約束をちゃんと守るよ。約束通り、この猫の魔女ティエラがあんたたちの力になってあげる。こんごともよろしくね」 「ちぇっ。勝手にしろ」 わたしは三毛猫の肉球と握手を交わした。 水竜に戻って飛べるようになったので、わたしはティエラを連れてアルヴへと帰ることになった。……おびだたしい数の猫とともに。 「あいつら、みんな空飛べるの? 猫ってそういう生き物だっけ」 「魔女の使いの猫がみんなただの猫だと思った?」 おびただしい数の猫たちは、そのどれもが背中に翼を生やし、にゃーにゃー騒ぎながら空をついてくる。その猫の群れは空の一面を白と黒と茶色とグレーと三毛猫色に染めた。 ところでこれを言うの二回目なんだけど、そして自分で言っといてナンなけど、三毛猫色ってなんだ。 「それにしても、よく魔力を封じられてる状態で魔封じの効果範囲を見極められたね。意外と勉強してるんだ? それとも誰かにヒントもらってたりして」 「……も、もちろんわたしの知識だぞ。こう見えてもニヴルの王女だからな。魔法学は王族のたしなみってやつだ」 そういえばシャノワールはなぜかわたしを助けてくれた。ティエラの猫も同様の魔女の使いだとすれば、トラ(仮称)もわたしに味方してくれたことになる。 (こんどシャノやトラに会ったら、お礼を言っとかないとなぁ) 今までは猫なんて生意気なだけでどこがかわいいんだと思っていたが、少しわたしの中での評価が変わった。もしかしたらティエラが言っていたように、猫たちとしばらく過ごしたことで、猫の良さが身に染みてきたのかもしれない。 (猫も意外と悪いもんじゃないなぁ……) 「何か言ったかい?」 「なんでもない。そういえば、魔女は約束をちゃんと守るんだったな。プラッシュと約束をしていたことを思い出したぞ。約束はきっちり守ってもらわないと!」 アルヴに戻ったわたしはこってり濃厚にプラッシュを問い詰めて文句を垂れ流した上で、最初に約束していたわたしだけの隠れ家を用意してもらうことにした。 ただし、ちょっとだけその条件を変えて。 しばらくして、耳ざとくわたしの秘密の隠れ家の噂を聞きつけたセッテがどうしても見たいとせがむので、特別に案内してやることにした。 秘密の隠れ家は意外なことにグリンブルスティの中にある。灯台下暗しってやつだ。船の底にわたしの水の魔法にだけ反応するポータルを設置してもらった。そのポータルはわたしだけのために用意してもらった異空間に繋がっている。 ポータルが開くと、そこからは青い光の階段が下方へ向かって伸びていく。 すでにこの階段から先が異空間になっている。だからこの階段はこっちの世界の魔法や物理法則の影響を受けることはない。 階段を最後まで降り切ると、海の中を思わせるような淡いブルーの壁に覆われた空間に出た。これはプラッシュに注文をつけてデザインしてもらった。空の底にあるという、どんな湖よりも大きな超湖、海。その景色を伝承を元にして再現してもらったわたし好みの憩いの空間だ。 「これ、よくできてるっすねぇ。本当に水の中にいるみたいだ」 「どーだ、うらやましいだろう。さぁ、開けるぞ」 この空間は壁で仕切られていて、その壁には上と同様のわたしの魔法にだけ反応するポータルで扉が作られている。水球を作りそのポータルにそっと押し当てると扉は音もなく静かに開いた。 セッテがさっそく扉の奥を覗き込むと、そこからは猫がせきを切ったようにあふれ出してきた。 かかったな。滅びのニャーストリーム発動! 猫にまみれて萌え死ぬがいい! 「な、なんすかこれぇ!?」 「わたしの同居人だ。というか同居猫だ」 「自分のためだけの秘密の隠れ家じゃなかったんすか?」 「最初はそのつもりだったんだけどな。ソファひとつぽつんと置いてあるだけじゃなんか殺風景だし。猫だってもふもふしてるだろう。それに空間内を魚が泳いでるように見えるこの景色は、猫たちにもなかなか好評なんだ」 「それじゃあ、あっちのポータルは?」 セッテが指差した先には、わたしたちがちょうど入ってきたのと正反対にあたる位置に赤いポータルがあった。 「あれはティエラの魔法にだけ反応するポータル。ティエラの使いである猫たちも同じようにあのポータルから自由に出入りできる。出口はアインカッツェの島だ」 「どういうことっすか? それじゃあ全然クエリア専用の部屋ってことになってないじゃないっすか」 「ティエラはわたしの邪魔はしないって約束してくれてる。だから問題ない。魔女は約束をちゃんと守るんだぞ。知ってたか?」 「でも猫は?」 「猫はいいんだ。だって、猫は自由なんだぞ」 こうしてわたし専用のもふもふルームが完成した。 後にこの空間は、青の猫屋敷と呼ばれるようになる。ときどき青い猫がこの空間に出入りしているのを見たって? き、きっとそれは気のせいだ。 Chapter52 END 魔法戦争53
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Chapter57「フレイ倒れる5:未知なる呪い」 持ち寄った材料を受け取ると、吟味するようにそれを眺めてイアトロは満足そうに言った。 「うん。質、量ともに申し分なし。これならいい解呪薬ができそうだね。パパッと調合しちゃうから適当にくつろいでて。コーヒーでも淹れよっか?」 「いらないから早く調合して欲しいっす! フレイ様が待ってるっすから!」 「君ってせっかちだよね。ま、どうでもいいけど」 キュアル草と風竜の鱗をすり潰して粉末状にし、それをメーの体液に落として撹拌する。そしてなにやら呪文を唱えながら混ぜ続けていくと、濁っていた液体の色が透き通った緑へと変わる。 「調合完了。解呪薬のできあがり~ってね」 イアトロはそれをビンに入れてくれた。 たっぷり材料を集めてくれたので代金はいらないという。 「これが解呪の薬……。やったね、セッテ。これでフレイは助かるんだね」 受け取ったビンの中身を覗き込みながら、ゲルダは安堵の息をもらした。 「安心するのはまだ早いっす。喜ぶのはフレイ様が治ってからっすよ」 「そうだった。フレイのところへ急がなくっちゃ」 「もちろんっす! でも不思議っすねぇ。薬を飲むだけで呪いが治るなんて」 一方で材料集めに協力してくれたサーモスも、ゲルダとは別でビンを受け取っていた。彼女もまた、自らにかけられた呪いを解きたいと願っていたからだ。 「すみません。無理言ってワタシの分までいただいてしまって」 「いいよいいよ、大量にできたからね。聞くところによると、君も呪いをかけられているそうじゃないの。じゃあさっそく飲んでみてよ。薬の効果で剥離した呪いを回収して研究させてもらうから。それがお代の代わりってところかな」 「わかりました。ではさっそく……」 イアトロに促されて、サーモスはビンの中身を一気に飲み干した。 本当に薬を飲むだけで呪いが解けるのだろうかと、その様子をおれはゲルダとともに息を呑んで見守った。 するとサーモスの身体が光に包まれて……というようなことは全くなく。 呪いが黒い霧のようになって彼女の身体から抜けていく……こともなく。 蛇の鱗が剥がれ落ちて人間の姿に戻ったサーモスが……現れたりはせず。 率直に言うと、解呪の薬を飲んでも何も起こることはなく、サーモスは相変わらずローブを被った蛇っぽいお姉さんのままだった。 「ええー? ちょっとこれ、失敗したんじゃないの? なんかフレイに飲ませるのが心配になってきたんだけど。まさかヘンな副作用とか出たりしないよね?」 「そんなまさか! 私の調合に間違いはない。ちょっと調べさせて」 イアトロは怪訝そうな顔をしながら、困惑するサーモスにはお構いなしで、その身体を触ったり眼の奥を覗いたりしている。 「ひゃ! や、やめて。尻尾はやめて。人間のときには無かった部分だから触られ慣れてなくて、し、刺激が強……」 「ちょっと黙ってて。うーん、呪いの侵蝕が深すぎるのか、それとも……。根本的に術式が違う? 状態を固定する変性魔法的な作用ではなく、もっとこう本質的な部分を変えてしまうような呪い……。例えば魂に影響して変質させるような……」 しばらくサーモスの身体を撫で回してからイアトロは深いため息をついた。 「ひゃあー。だめ、お手上げ。誰にかけられた呪いか知らないけど、こんな特殊な呪いは見たことないよ。これはかけた本人にしか解けそうにないね」 「そ、そんな……。それじゃあワタシはもう一生このままなんですか。呪いは今でも進行しているんです。どうすることもできずに、やがてただの蛇に変わってしまうのを受け入れるしかないって言うんですか……」 蛇の目から涙は流れない。涙を流すことはできない。 泣くことすらもできず、ただ何もできずに呪いに蝕まれるしかない。 それが彼女の運命なのだろうか。だとしたら、なんて辛すぎる運命。 「あの、なんとかできないんすか? 例えば別の呪いで上書きして蛇の呪いを消してしまうとか……」 以前、プラッシュがセッちゃんの石化を治してくれたことがあった。 あの後、気になって聞いてみると、プラッシュのぬいぐるみ化の魔法はむしろ呪いに近い術式で、石化の呪いをぬいぐるみ化の呪いで上書きしてからぬいぐるみ化を解いたために結果として石化が消えた、言わば荒療治だと説明された。 その方法を使えばサーモスの呪いも消せないだろうか。 「なるほど、面白い発想をするね。だけど、この呪いは相当強いものみたい。別の呪いで上書きするなら、さらに強い呪いをかけなければいけない。それだと身体への負担が大きすぎるし、そもそもそんな呪いをかけられるほどの魔力の持ち主なんてそうそういないんじゃないかなぁ」 「トロウよりも強い魔力の持ち主……。あ、アルバス様は? 神竜の」 「神竜様は呪いはお使いにならないよ。呪いというのは闇の魔法だからね。光の精霊でもあられる神竜様とは完全に対極に位置するものだし……」 「光の精霊? 精霊って精霊魔法の……。精霊って実在するんすか!?」 「そりゃそうでしょ。精霊がいなきゃ精霊魔法は使えないんだから。それはともかく、申し訳ないけどサーモスの呪いは私の手には負えないと思う。悪いけどね」 「そっすか……」 その呪いはトロウにしか解くことができない。そう告げられて絶望するサーモスにかける言葉が思いつかない。 こういうときは下手に励ますよりはそうっとしておいたほうがいい。しかし、放っておいて解決するような問題でもない。呪いはまだ進行しているのだから。 (トロウを倒せば、サーモスの呪いを解ける者がいなくなってしまう。だけどトロウを倒さなければニョルズ王様もユミル国も取り返せない。それにトロウを放っておいたら、もっとサーモスみたいな被害を受けるひとが出るかも……。うう、おれは一体どうすればいいっすか……) 「ワタシのことは気にしないでください」 頭を抱えていると、サーモスに声をかけられた。 「今回の方法はたまたまうまくいかなかっただけです。どんな特殊な術式だろうと確かにそれは存在する術式なんですから。そうである以上、呪いを解く手順は必ず存在します。特殊だろうとなんだろうと、その呪いの正体さえ突き止めれば必ず方法はあります。だからワタシは諦めません」 そうは言っているが、きっと強がっているだけに違いない。 どうやって組まれたかもわからない呪いの術式を見つけ出して、さらにそこから解呪方法を見つけ出すなんて、ほとんどイチから新しい魔法を作り出すようなものだ。しかも正解はたったひとつに限られている。 例えるなら絵柄のない真っ白なジグソーパズルを完成させるようなものだ。しかもピース数は膨大で、その中には関係のない不要なピースが大量に混ざっている。 「そ、そんな気が遠くなりそうなこと、できるんすか?」 「できるかどうかじゃない。やるしかないんです、ワタシは……。いいえ、大丈夫です。諦めない限りは、どんなに低かったとしても可能性はゼロじゃありません」 「諦めなければ……ゼロじゃない……っすか」 いいや、強がりなんかじゃない。本当に強いひとなんだ。そう思った。 サーモスはまだ諦めていない。諦めていないからこそ、彼女は強いのだ。 「ワタシには効果がなかった。でもまだ諦めるのは早い。そうでしょう? まだその薬を待っているひとがいます。だから早く行ってあげましょう」 そうだった。おれまで落ち込んでいる場合じゃない。 フレイ様はこうしている今もまだ苦しんでいるに違いないんだ。 だからすぐにでも解呪の薬を届けてあげなければならない。 おれは、そのためにここへ来たのだから。 「セッテ、急ごう!」 同じくサーモスの言葉を聞いてはっとしたのだろう。ゲルダは薬のビンを片手に今にもイアトロの家を飛び出しそうな勢いで、雲の扉から顔を覗かせている。 「すまねっす。ちょっと考え込んじまった。フレイ様が待ってるんすよね。だったら一刻も早く薬を届けてあげないと。船まで走るっすよ!」 「もちろん!」 言って先に飛び出していったゲルダに続いて、おれも雲の扉をくぐる。 同様にフレイ様を心配していたサーモスもその後から着いて来ていた。 空を見上げると、もう夜が明けかけている。思ったより時間をかけてしまった。 フレイ様は無事だろうか、薬はちゃんと効くだろうか、と心配しながらおれたちは全速力でグリンブルスティへと向かった。 船へと戻るとフィンブルが寝ずにフレイ様を看病してくれていた。 一方フレイ様はというと、静かに眠っているようではあったが、やはり顔色はあまり良くないようで、ずいぶんと汗をかいている様子だった。 「あ、おかえりなさい。あのフレイさんのことなんですけど……」 「フィンブル、ありがとっす! 遅くなったけど、薬を手に入れてきたっすよ」 「お薬ですか? あの、そのことなんですがさっき……」 「大丈夫っす! これで治るはずっす! だからあとは任せるっすよ!」 ベッドに横になっているフレイの上体を起こし、薬を持っているゲルダに合図する。ビンの蓋を開けて飲ませやすいようにコップに移しかえると、ゲルダがフレイ様に声をかける。 「さ、飲んで。これできっと良くなるから」 何度かむせ返しながらも、なんとかフレイ様は解呪薬を飲み干した。 そして、これできっと良くなるはず。そう期待しながら様子を見守る。 しかし待てど暮らせど、やはりサーモスのときと同様に何も起こることはなく、再びフレイ様は横になって寝息を立て始めただけだった。 相変わらず顔色は良くなく、大量の汗をかいていることにも変わりはない。 「全然だめじゃないっすか! この薬、本当に信用できるんすか!?」 「ど、どうしよう……。このままフレイが目を覚まさなかったらわたし……」 「はっ、もしかしてこれも未知の呪いなんじゃ!? ああ、もうおしまいっす!」 「うわーん! フレイが死んだらわたしもあとを追う! だって約束したから。わたしはフレイと一緒ならどこへでも行く。たとえそれがあの世だって……」 トロウに呪いをかけられたのなら、やはりこれもサーモスと同様に特殊な呪いだったということに違いない。解呪薬が効果がないのはきっとそのせいだ。 もうどうしたらいいのかおれにはわからない。こうなったらイアトロのところにある解呪薬を全部飲ませるしかないんじゃないか。本気でそう思っていた。 頭の中が真っ白になり、おれはただ焦るばかり。 一方ゲルダは眠るフレイ様にすがって泣き喚くばかり。 そんな様子をフィンブルがおろおろしながら見つめている。 そしてサーモスは、フレイ様の顔を見ながら何か考え込んでいる。 「セッテ。ふと思ったんですが、フレイ王子のこれ。もしかしたら……」 「やっぱそうっすよね、サモ先輩……。くッそぉ! おれの責任っす! おれがフレイ様に無理言って連れ出してしまったからこんなことに……!」 「いえ、この症状はむしろ……」 そのときフレイ様を寝かせているこの部屋の扉が開かれた。 ゲルダが飛び出していったのかと思ったが、どうやらそうではない。 扉の先にあったのは、両手いっぱいに黄色い木の実を抱えた少女の姿だった。 「なんじゃお主ら、やっと戻ってきおったか」 「クルス!!」 持ってきた木の実をテーブルの上にどさどさと乗せると、そのうちのひとつをフィンブルに渡して皮を剥いてやれとクルスは指示をした。 「戻ってたんすね! じゃあもう知ってると思うっすけど、フレイ様が大変なんすよ! だからおれたち、アルヴの錬金術の先生に薬をもらいに行ってて……」 「ほう。それで薬は手に入ったのか?」 「それが……ついさっき薬は飲ませたんすけど、全然効果が現れなくって」 「それはそうじゃろう。そんな飲んだすぐに効果が出るわけがあるまい」 「でもそれじゃ困るんすよ! フレイ様には早く元気になってもらわないと!」 「まあ、お主の気持ちもわからんでもないがな。ユミルを発ってから色々とあったから、おそらく疲れが出たんじゃろう。たまにはゆっくりと休ませてやれ」 「何をそんなに落ち着いてるんすか! 早くなんとかしないとフレイ様、死んじゃうんすよ!! クルスにはわからないんすか!?」 「…………なんじゃと? フレイが、死ぬって?」 唖然とした表情でおれとフレイ様の顔を交互に見たあと、なんと突然クルスは大声で笑い始めた。 「何がおかしいんすか!! 不謹慎にも程があるっす!!」 「あのなぁ、セッテ。ならば聞くが、フレイは風邪をひいた程度で死んでしまうほど虚弱体質だとでもいうのか?」 「…………へ? 風邪?」 「まさか風邪を知らんわけじゃなかろう。アルヴ育ちの竜人じゃあるまいに」 「え……っと…………」 言葉に詰まってしまった。 なんだって。クルスは何て言ったって。えっ、風邪? 「ねぇ、セッテ。カゼって何? それも呪いの一種なの?」 ゲルダが心配そうな顔で見上げてくる。 「いや、えーっとその。だ、だって急に倒れるから……ね、ねぇ。サモ先輩?」 「ねぇと言われましても。この症状はワタシも風邪だと思いますけど」 「だ、だったらフィンブルは? 風邪だって知ってたんすか?」 「はい。さっき私も言いかけたんですけど……。セッテさんとゲルダさんが出かけていったあと、少ししてからクルスさんが帰ってきて……」 様子を見たクルスはすぐに理解し、風邪に効く薬を自分で材料から調合して、すでにフレイ様に飲ませていたのだという。錬金術までできるなんて聞いてない。 そして落ち着いたフレイ様が寝入ったのを確認すると、また何かを取りに出かけて行ったそうだ。ちょうどその間におれたちが戻ってきたことになる。 「それにしても呪いとはな。くっくっく。お主、なかなか面白い発想をするのう」 「それはその……だ、誰っすかぁ? 最初に呪いだなんて言い出したのは~」 視線を泳がせていると、ふとゲルダと目が合った。 いや、目が合ったというかこれはむしろ、凝視されている。 えっ、何? おれの顔に何かついてる? ……じゃないよなぁ、やっぱり。 「わたし、セッテが呪いだって言うからてっきり……」 「そうでしたおれでしたすんませんでしたぁーッ!!」 眠っているフレイ様以外のその場にいる全員の視線がおれに集まる。 「ほほう? セッテ、顔が赤いぞ。なんならお主も食べるといい。風邪をひいたときにはこの木の実が良いと人間の書物に書いてあったからのう」 あああああっ! なんだか頭が痛くなってきた。顔も熱くなってきたぁーっ! おれも風邪をひいたのかもしれない。そうだ、そうに違いない!! その後、ほとんど夜は明けかけていたが、おれは少し眠った。 夢の中ではゲルダたちに延々と責められた。なぜか兄貴まで夢に出てきて説教の輪に加わった。まるで呪われたような気分だった。 そして翌朝、げっそりしたおれとは対照的にフレイ様はすっかり元気になった。 Chapter57 END 魔法戦争58
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Chapter35「フレイと竜人4:竜人族じゃない」 ゲルダと共にアルヴの街を歩いていると、見慣れたローブを着ている人影を見つけた。真っ黒なローブの背中にある大樹をモチーフとした意匠は、ユミルの魔道士が着ているものに非常によく似ている。 もしかしてユミル出身の者がここに? だとすれば、彼も故郷をトロウから取り戻すために力を貸してくれるかもしれない。 あるいはトロウの放った刺客がもうこの隠れ里の場所を見つけてしまったのかもしれない。今は僕の仲間たちは出払っているので、戦闘になるとまずい。 (いや、きっと大丈夫さ。仮に敵だとすれば、アルヴに張られているアルバスの結界を抜けてきたことになる。もし本当にそんなことがあれば、今ごろもっと騒ぎになっているはずじゃないか) 期待感と悪い想像を交互に思い浮かべながら、それでも僕はそのローブの人に声をかけてみることにした。 「あの、すみません。そのローブに描かれてる絵なんですが、もしかして……」 「えっ?」 突然声をかけられたローブの人は驚いた様子で振り返った。 顔を見るとなにやら仮面のようなものをかぶっていて表情はわからなかった。しかし、その声からどうやら女性であることはわかった。 「僕はユミルから来たんですが、そのローブには見覚えがあります。もしかして、あなたもユミルから?」 「……ッ!!」 するとローブの女は何も言わずに慌てて走り去ってしまうではないか。 ただ声をかけただけなのに、何も逃げることはないだろう。それとも何か、声をかけられてまずいことでもあるというのか。 ゲルダに聞いてみると、これまでにもローブの女はたまに街の外円部で見かけることがあったという。だが周囲の者との交流を避けているようで、どういった人物なのかはほとんど知らないそうだ。 「気になるな……」 「でもアルヴにはワケありでやってきた人も多いからなぁ。きっと何か理由があるんだよ。そっとしておいてあげたほうがいいんじゃない?」 「その考えには僕も基本的には賛成だ。でもあのローブは僕の故郷でよく使われてるものとそっくりだった。ほら、ゲルダにあげたアレと似てただろう?」 「言われてみればそうかな。あの火事で少し焼けちゃってもう比べられないけど」 どうしてもあのローブの女のことが気になってしかたなくなった僕たちは、彼女が走り去ったあとを追ってみることにした。 すでに姿を見失ってしまってはいたが、ローブの女の逃げていった方向にまっすぐ歩いていくと、アルヴの街を抜けて雲の森にたどり着いた。 「へぇ。アルヴでは森まで雲でできてるのか」 「川とかと同じで誰かが人工的に作ったものだけどね」 迫害から逃れてこの地にたどり着いた竜人たちは、アルバスの助力を受けてこの地に隠れ里アルヴを築いた。 雲しかなかったこの地はあまりにも殺風景だったため、生活のために必要な水路や家などとは別に、それぞれの竜人たちがそれまで自分たちが暮らしていた環境を模して、雲を固めてアルヴの風景を手作りしていったそうだ。 アルヴの街の外にはそういう雲で作った森や林、雲の山や谷、洞窟なんかがいくつも存在しているらしい。 「今でも外の景色を作るのを生きがいにしてる人がいるんだって。外の世界にあこがれて街の外を探検してみたことはあるけど、この辺に来るのは初めてだなぁ」 「そうなんだ。じゃあさすがに、こっちのほうまでは来てないか……」 雲で作られた木々は、質感こそふわふわとして柔らかそうだったが、しっかりと着色されていて遠目からはちゃんと森のように見える。ただ、中には真っ青だったりピンクだったりと、とても木らしからぬ配色をされたものもちらほら見えたが。 「あんな色の木ってある? もしかして遠い国にはあんな木もあるんだろうか」 「ピンクの木なら実在するって聞いたことあるよ。たしかサクラっていう……」 そんな話をしながらなんとなく歩いていると、森の中には異質な金属の建物を見つけた。錆びたトタン板を寄せ集めたような小さく質素な小屋だったが、腐食によってところどころ穴が開いたり割れたりして半分崩れかけている。廃墟だろうか。 ユミルの港町のはずれでなら、こういったものはたまに見かけることもあった。 トタンは水気に弱く錆びやすいので、流れてくる雲や霧に触れてこうして錆びてしまうことも多いが、ここまで腐食しているものは初めてみる。おそらく地面が雲そのものなので、あっという間に錆びてしまったのだろう。 「でもアルヴでこんなものを見つけるなんて。ちょっと異質な感じだ。これも誰かが持ち込んだものなのか?」 「あっ。フレイ、あれ!」 そのときゲルダが錆びた壁の隙間に揺れる仄かな明かりを見つけた。 ゆらめくその明かりはおそらく火の明かり。火のないところに煙は立たないが、火のあるところが無人であるという道理もない。 (こんな廃墟も同然の場所に誰かがいる!) 錆びた建物にはちゃんと扉があったが、歪んでしまって開けられなかった。 しかし裏手に回ると、割れた板の隙間から中に入れそうな部分があった。低い位置に隙間はあるが、地面を這えば問題なく入れそうな程の大きさはある。 「入ってみようか」 二人で顔を見合わせて頷き合い、地面に腹をつけてほふく前進の形でその隙間から錆びた建物に進入を試みる。 こういうとき雲の地面なのは助かる。柔らかいので肘や膝が痛くならないし、土ではないので手や身体が汚れるようなこともない。 中に入ってみると建物は二部屋で構成されていて、今いるここは寝室代わりなのか、雲を固めて作ったベッドがたったひとつだけ置かれている部屋だった。 奥のもうひとつの部屋は、表の開かない扉を開ければすぐに足を踏み入れる部屋であり、この部屋とは壁で仕切られているが内扉はないので、その先の壁には机のようなものと、その前に座る人物の影が伸びて揺れているのが見える。 壁から顔を覗かせて様子を窺うと影の示すとおり、ロウソクを乗せた机の前に何者かが座って何か作業をしているのが見える。その後ろ姿は例の見覚えのある意匠のローブだ。 (あれはさっきの……! こんな人里離れた場所で何をしてるんだ?) ローブの女の身体が陰になって何をやっているのかはよく見えなかった。そこで見つからないように細心の注意を払いながら、さらに身を乗り出して机を上の様子を見ようともう一歩部屋の中に踏み込むと、 「ねぇ、なんかいたー?」 後ろからゲルダの声が聞こえてきた。 (わっ!? な、なんでそんな大きな声を出すんだ) それと同時にがたんと椅子の倒れる音が聞こえた。 音のほうに目をやると、例のローブの女が壁を背にしてこちらを凝視している。 「ひッ……。あ、あなたたちどうしてここに!? 一体ワタシに何の用があるというの!?」 当然の反応だ。突然あいさつもなくよく知りもしない相手が家の中に現れたら、それは誰だって驚くだろう。 僕はゲルダと共に勝手に家に上がり込んだことをまず謝った。 「その上でこんなことを聞くのは申し訳ないんですが、やはりあなたはユミルの人間なのでは? そのローブはユミルで使われているものによく似ている……」 するとローブの女は強く首を左右に振って拒絶する素振りを見せた。 「帰ってください! もうワタシのことは放っておいてください!!」 「お、落ち着いて。あなたに危害を加えるつもりはないんです。僕はただ、あなたが僕と同じでユミル出身の人だと思って……。もしそうなら、僕たちの力になってくれるんじゃないかと思って声を……」 「やめて! ワタシはもうユミルとは関係ない!!」 「そ、そんなことを言わずに、どうか話だけでも」 せめて話だけでも聞かせてもらえればと食い下がろうとしたが、それは後ろからゲルダに腕を引っ張られて止められてしまった。 そして決まりの悪そうな表情でゲルダは言った。 「ね、ねぇフレイ。もう帰ろ? なんか嫌がってるみたいだし、無理に聞くようなことじゃないよ……。きっと何か事情があるんだよ」 「そ、そうだね。あの、突然こんなことをして申し訳ありませんでした。僕たちはもう帰ります。この場所のことも誰にも話しませんので……大変失礼しました」 「あっ…………。……………………」 最後にローブの女は何かを言いかけたが、そのまま黙り込んでしまったので、僕たちはそのまま錆びた建物を後にすることにした。 悪いことをしてしまったな……と後悔の念を覚えながら、日が暮れてきたので、その日はゲルダと共にグリンブルスティに戻ることにした。 翌朝。まだ陽も昇り切っていないような早朝に、ゲルダに揺り起こされて僕は目を覚ました。 「ううん。何? こんな朝早くから」 「それがその……。お客さんっていうか……」 浮かない表情でゲルダが通したその人物は、紛れもなく昨日のあのローブの女だった。どういうわけか、あれほど僕たちのことを拒絶していた彼女は、こんなにも朝早くに自分からこちらを訪ねて来たのだ。 「どうして突然……。ああ、ええとその。昨日のことは本当に……」 改めて頭を下げようとすると、ローブの女はそれを制止して言った。 「待ってください。ワタシはそういうつもり来たのではありません」 「……? では一体どういったご用件で」 「まだ名乗っていませんでしたね。かつて城ではワタシはアルバと呼ばれていました。ワタシのことを覚えてはいらっしゃいませんか、フレイ王子?」 「アルバだって!?」 ユミルには数多くの魔道士がいるが、その中でも王家に仕える者で実力を認められた者にはナンバーが与えられて宮廷魔道士と呼ばれるようになる。そのナンバーの数字が小さいほど上位で優秀な魔道士であることを表している。 僕のよく知るオットーやセッテもナンバーを与えられた宮廷魔道士の一員だ。 そしてアルバとは宮廷魔道士のナンバー4にあたる存在。たしか灼熱の魔道士の二つ名を持っていたが、幼い頃に何度か会った程度であまり話したことはない。 「全然わからなかった……。どうしてアルバがここに?」 「実はワタシも最初はフレイ王子のことがわかりませんでした。ですが、そちらの竜人の方があなたをフレイと呼ぶのを聞いて気がついたのです。ユミル国でフレイの名を持つ者は王子ただ一人だけですから」 「無理もないですよ。もう10年近くは会ってませんでしたし」 「いえ……そういう理由でわからなかったのではありません。今のワタシには王子の顔を見ることさえできないのですから……」 そしてそれがこのアルヴに流れ着いた理由なのだと彼女は話した。 王子になら見せてもかまわない、と彼女は仮面を外しフードを下ろした。 仮面の下から現れたのは、なんと褐色の鱗に覆われた蛇のような顔だった。記憶に残るアルバはたしか長い髪をなびかせていたように思うが、今の彼女には頭髪も一切なく、その頭はまるで蛇そのものだった。 緑色の澄んだ瞳だけが、記憶に残るアルバの面影を唯一残している。が、その瞳孔は爬虫類を思わせるような細長いものに変わっている。 「こ、これは一体!?」 「すべてはあの漆黒の魔道士……トロウが現れたせいなのです」 以前アルバスがトロウの正体は呪われた竜だと言っていたように、トロウはもともとユミル出身の人間ではない。 ある日旅の魔道士を名乗ってバルハラに現れたトロウは、人間にはとても真似できないような強力な魔法をいとも容易く操ってみせた。実はその正体が竜だったのだから、今にして思えば当然のことだ。しかしその噂を聞きつけた父上は、トロウを宮廷魔道士として採用してしまった。すべてがおかしくなったのはそれからだ。 トロウというのも本名ではない。トロウとはあくまでナンバー3を意味する宮廷魔道士のコードネームに過ぎない。 アルバが言うには、ニョルズ王を洗脳したあとトロウは自分にとって邪魔になる存在を次々と消していったのだという。自分の正体を探ろうとする者、自分に反発の姿勢を見せる者、そして気に食わない者を。 それは宮廷魔道士も例外ではなかった。 「いつの間にか、イチとツヴァイは姿を消していました。その原因を探っていたワタシもまたトロウに目をつけられ、気がつけば呪いをかけられてこんな姿に……」 「そんな……! すでにナンバー4以上の宮廷魔道士が全員やられていたなんて」 「こんな姿では誰もワタシのことをワタシだと気付いてくれませんでした」 アルバがローブを脱ぐと、その中からは細長い胴体が姿を見せた。 裾を地面に引きずるほど長い丈のローブをまとっていたので今まで気付かなかったが、すでに脚はなくなっており、まさに蛇そのものといった長い尻尾がかろうじて元は人間だった名残を見せているくびれた腰から下に伸びている。 両手はあるが、それも腕というには細くむしろ触手のような感じだ。 「あれから数年が経ちます。初めは顔だけだった呪いが徐々に広がり、今ではこんな有様です。手が退化して失われてしまうのも時間の問題でしょう……」 最初は姿を隠してユミルで生活を続けていたが、やがてその存在が知られるようになり、竜人扱いされた挙句にユミルを追放されて、そしてようやくたどり着いたのがこのアルヴの地だった。そうアルバは語った。 「だからあんなにユミルのことを拒絶しようとしたのか」 「いずれワタシはただの蛇に変わってしまうかもしれない。そうなるのが怖くて、なんとかまだ手が使えるうちに呪いを解く方法はないかと、あの小屋で研究していたのです。おそらくワタシに残された時間はもう少ない。最近では目も見えなくなってきましたから……」 今ではぼんやりと地形を把握できる程度で、そこに誰かがいたとしても顔をはっきりと認識することはできないという。さっき彼女が僕の顔を見ることができないと言っていたのはそのせいだ。 一方で熱を感知して周囲を把握する蛇特有の能力は発達してきたらしく、身を隠していてもどこにいるかはすぐにわかるらしい。もちろん顔を判別できないので、それが誰かまではわからないようだったが。 (トロウめ……。父上といい姉上といい、そして宮廷魔道士たちにまで。それにユミルの国民たちの命運もすべて奴の手の上だ。絶対に許せない……) こうしてはいられない。 アルヴにいれば追手に狙われる心配はたしかにないのかもしれない。しかし、こうしている間にも、トロウの手によって苦しめられている人はたくさんいる。 だから僕はこんなところでのんびりしているわけにはいかないのだ。 一刻も早く戦力を整えないと。竜人たちの信頼を得るのも大事だけど、即戦力になってくれる味方も可能な限り集めたい。 「アルバさん、お願いがあります。僕は今、トロウからユミルを解放するために戦っているんです。そのためには一人でも多くの力を借りたい。だからアルバさん。僕に力を貸してくれませんか!」 彼女は優秀な魔道士だ。宮廷魔道士のナンバー4ともなる彼女が味方についてくれれば百人力だろう。 しかしいくら優秀であるとはいえ、彼女も一人の女性ではある。そんな彼女が蛇のように変えられつつある姿を他人に見せるのが苦痛だろうことは、最初に彼女と遭遇したときの反応を思えば想像に難くない。 「……それでも僕たちに協力してくれますか? 僕の仲間にはムスペやニヴルの竜も、アルヴにいるような竜人も、竜くずれ――ええと、ちょっと変わったやつもいます。誰もあなたのことを差別しないし、そうさせないと約束します。もちろん、無理にとは言いませんが……」 そして両手でアルバの触手のような手をとって返事を待った。 彼女の蛇のような眼を恐れることなくじっと見つめた。 「ワタシの灼熱の魔法はたしかに強力かもしれません。しかし、今のワタシでは熱を感知して周囲を把握する特性上、魔法を放つとその熱のせいでしばらく周囲の状況を把握できなくなってしまいます。かえって足手まといにはなりませんか?」 「戦いとは一人でするものじゃありません。僕たちは誰もが苦手なことを持っている。それを補い合うのが仲間なのだと僕は考えています」 「そう……なのですね。ワタシはずっと一人で戦おうとしてきた。でも一人で戦うのには限界を感じていました。本当に……本当にこんなワタシを受け入れてくれるというのなら……。ワタシはもう何も恐れたりしません」 そう言ってアルバはもう一方の触手で僕の両手を握り返した。 それが彼女の返事だった。 「しかしワタシは一度ユミルを捨てた身。もう陛下からいただいたアルバの名を名乗る資格はありません。今では灼熱の魔道士を名乗る以前に使っていたサーモスの名を名乗っています」 「なるほど。ではサーモス、僕もまだまだ未熟者ではありますが、かつての宮廷魔道士としての力、お借り受けします。よろしくお願いします」 「ええ、こちらこそお願いします」 アルバ改めサーモスは、ようやく初めての笑みを僕に見せてくれた。 一方で不安そうな顔をして見せるのはゲルダのほうだった。 「……ねぇ。ちょっと待ってよ。さっきの話はどういうことなの。全部本当のことなの? トロウ? 呪い? 差別? 外の世界ってみんなが手を取り合って暮らせる平和な世界じゃないの!? ウソだよね。だって外にはもっといろんな種族がいて、もっといろんな世界が広がっていて……」 しまった。まだ外の世界の真実をゲルダには話していなかった。 外の世界にあこがれる彼女の夢を壊したくないと思って、トロウのことや戦争のこと、そして竜人差別のことを何も話していなかったのだ。 「違うんだ、ゲルダ……。いや、違わないんだけど、まずは落ち着いて僕の話を聞いてくれないか」 「ウソつき……。フレイのウソつき! 知ってて黙ってたの? どうせわたしの夢が叶いっこないと思って、それでわざと黙ってたの!?」 「そ、そんな、とんでもない! 僕はそんなつもりじゃ――」 「知らない! もうフレイなんか知らないッ!!」 そのままゲルダは涙を浮かべながら、グリンブルスティを飛び出していった。 静まり返った船室には、困惑する僕とサーモスが取り残された。 ……これはややこしいことになってしまった。 Chapter35 END 魔法戦争36
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Chapter38「風竜は舞戻る2:そして風向きが変わった」 炎や氷が顔をすぐ横を飛んでいく。 振り上げられた剣は、わたしの目の前の地面をえぐった。 「ううっ……」 しかしそれでも、わたしは両手を広げて両足でふんばりつつ、思わず目をつぶってしまいながらも、身を呈してヴァルトと呼ばれた風竜をかばった。 叩きつけられた剣を持ち上げながら、その主の勇者は怒鳴った。 「おい、ゲルダ! 危ないだろ、急に飛び出したりなんかして! そこをどいてくれ。そいつは敵なんだぜ。しかも今倒さなきゃやばいことになる」 わたしは目をつぶったまま、首を横に振った。 「ゲルダ! 何をしてるんだ、下がっていろと言ったじゃないか!」 フレイの声も聞こえてきた。 後ろにいるのはトロウの手下で、アルヴのことを報告される前に今ここで倒さなければならない。そういうようなことを叫んでいる。 それでもわたしは、ぶんぶんと首を振る。 「どういうことなんだ。説明してくれ」 恐る恐る目を開けると、フリードが怖い顔をして目の前に立っている。その背後には、わたしと後ろにいるヴァルトをにらみつけるフレイたちが横に並んでいる。 わたしはヴァルトの目の奥に見た、その憂いを帯びた色のことを話した。 「ま、待ってよ、みんな……。何か事情があるんだよ。この竜、何か困ってるような悩んでるような……そんな様子なんだよ。話だけでも聞いてあげてよ!」 「突然何を言い出すんだ!? 君がヴァルトの一体何を知って――」 そのときヴァルトは翼の先の鉤爪をわたしに近づけた。それを見たフレイは、血相を変えて「危ない!」と叫びながら駆け出した。 しかし鉤爪はわたしを傷つけることはなく、そっとわたしの頭をなでた。 「……そうか。おまえは優しいやつだな。オレ様は半分は諦めてたんだがなァ」 それまで黙り込んでいたヴァルトがやっと口を開いた。 その様子を見て、フレイたちはようやく攻撃の手を止めてくれた。 しかし警戒するような姿勢は崩さず、見張るようにヴァルトをにらんでいる。 「これは一体……。何がどうなっているんだ?」 「オレ様は今回はトロウの命令でここへ来たわけじゃない」 その理由をヴァルトは話し始めた。 ヴァルトは悩んでいた。 トロウの命令でフレイたちを襲ったのはいいが、何も成果をあげられず引き返すことになった。その後、トロウから二度目のチャンスを与えられたが、クエリアによって氷付けにされてしまい、これも失敗した。 このままトロウの元へ戻っても何もいいことはない。それにトロウは「もう一度だけチャンスを与える」「こんどこそ失敗は許さない」と言っていた。にもかかわらず失敗してしまった自分がどんな目に遭わされるのかとヴァルトは恐れた。 そしてその不安は現実になる。 今後どうするべきか悩んでいたヴァルトは、フレイヤと遭遇したあともそのまま例のドローミの島で考え込んでいたが、そこにとある竜が現れたのだという。 「キシシシ! 見つけたゾ。おまえがヴァルトだな?」 「あァん? なんだおまえは。オレ様はチビには用はないぜェ」 ずいぶん身体の小さな竜だった。以前対峙したことのある竜の姿に戻ったクルスや、セルシウスに比べれば、それはまるで子どものようだ。 「オレは第三竜将イフリート! トロウ様から伝言があるゾ。えーっと」 小さな火竜は水晶球のようなものを取り出した。 すると、その球体はトロウそっくりの声でしゃべり始めた。 『ごきげんよう、ヴァルト。おまえのような役立たずはもう要りません。不要なごみは処分するに限る。だからどうぞ消し炭になってください。さようなら』 一方的にしゃべり終えると、球体は割れて粉々になった。 「……だってよ! だからオレがおまえを粛清しに来てやった。キシシ! じっとしてろよぉ~。そうしたら苦しまずに消してやるゾ」 「ちッ、やっぱりそう来たか。おい、チビ助。そんなちっこいナリでこのオレ様に敵うつもりなのかァァァ? 今ならまだ許してやる。さっさと失せなァ!!」 「見た目だけで判断すると痛い目に遭うゾ。おまえの弱点はよく知ってる!」 小さな翼でハエのように飛び上がると、イフリートは自分の身体よりも大きな炎を吐いた。炎は蛇のようにうねり、ヴァルトの身体を包み込む。 「がッ……!? か、火竜だとォォォ! おまえのような小さな火竜がいるのか。それにムスペのやつらとは臭いが違うじゃねェか!」 「オレはトロウ様に実力を認められて”火竜になった”のさ! おまえをここで殺すためにね! これがオレの最初の任務だ。そしてオレはもっとエラくなる!」 「火竜になったァァァ!? おまえは何を言ってんだ。くそッ、こんな炎!!」 ヴァルトは激しく羽ばたいて炎を消し飛ばそうとした。 しかし羽ばたけば羽ばたくほどに炎はより激しく燃え上がり、大蛇のようになった炎は大顎を開いてヴァルトを炎の渦に呑み込もうとしている。 「なんだ、この火!? ちっとも消えやしねェェェ!」 「キシャシャシャ! オレの炎の息は特殊だゾ。この身体はトロウ様からいただいた特別製でね。その炎は風を受ければ受けるほどに強くなるゾ!」 「畜生、やっぱり火竜は苦手だァァァ!」 炎をまとったままヴァルトは空高く飛び上がった。 そしてそのまま急降下して風圧で炎をかき消そうとしたが、炎はますます激しく燃え上がりその勢いを増していった。 「おっと、トカゲみたいに逃げ出すのか? 無駄だゾ! その炎はどこまでもおまえを焼き尽くす。骨すらも残さない。まさに消し炭になるまでね!」 勝利を確信しているのか、イフリートは追っては来ない。 ヴァルトはそのまま空を飛び続け、どこかに雨雲はないかと探した。 どんな炎だろうと水の前には無力のはず。この炎を消すには水を探すしかない。 ニヴルヘイムまで飛べば、あそこにはたしかフヴェルゲルミルの泉があったはずだが、今やあそこはトロウの手下のエーギルが占領している。だからそこへ向かっても、こんどはエーギルに消されることになるだけだ。 熱さに耐えながら飛んでいると、上空に巨大な積層雲を見つけた。黒く威圧感さえ感じさせる雲で、あれが嵐雲なのは間違いない。ヴァルトは迷わず雲の中に飛び込んでいった。 雲の中は雷と強風の吹き荒れる大嵐で、叩きつけるように大きな雨粒が暴れまわっている。暴風によって一度は炎がさらに激しく燃え上がったが、やがてその炎は大雨によって消えていった。 (なんとか助かった。だが、こんどはなんとかしてここから脱出しねェと) 嵐雲の中は雨と雷と暴風が渦を巻いており、荒れ狂う天候が方向感覚を狂わせてしまう。今自分がどっちを向いているのか、どっちから来たのかもすでにわからなくなってしまっている。 (こんなところで遭難して死んじまっちゃ、逃げてきた意味がねェぞ。どうする) 暴風雨の中を吹き飛ばされそうになるのを必死に耐えながらさまよっていると、暗い雲の中に蒼く光るものが見えた。よく見ると、氷竜が嵐の中を飛んでいく。雨水を受けて氷竜の鱗が光っているのだ。 (あいつはもしかしてニヴルの? なぜこんなところに) 氷竜はこの嵐の中を迷うことなくまっすぐ飛んでいく。しかも何かの魔法か、あるいは加護を受けているのか、暴風をまったくものともせずに飛んでいく。 これは地獄に仏、とヴァルトはその氷竜のあとに続いた。しばらく行くと、やがてたどり着いたのがこの隠れ里アルヴだったというわけだ。 「――そこで偶然おまえたちを見かけた。今やオレ様もトロウに追われる身だ。だから同じくトロウに追われているおまえたちの力を借りようと思った。敵の敵は味方って言うからなァ」 そこでヴァルトはひとつ、小さなため息をついた。 「だが……まァ、都合の良いことを言ってるのは承知だ。二度も敵として戦ってんだからなァ。素直に受け入れてくれるとも思ってねェ。だから拒否されたんなら、そのまま別の空域にでも姿をくらませるつもりだった。風竜は気まま、一所に留まらない性分ってなァ……。まさかいきなり攻撃されるとは思わなかったが」 その話を聞いて、わたしはヴァルトをかわいそうだと思った。 死にそうな目に遭ってやっと逃げてきたのに、ここでも敵だと思われて危うく倒されそうになってしまうなんて。そんなのあんまりだ。 フレイたちは黙ってヴァルトの話を聞いていたけれど、誰も何も言わなかった。 そのままヴァルトも黙っていたので、代わりにわたしが言った。 「ねぇ……助けてあげようよ。困ってるみたいだよ」 でもフレイたちは納得しなかった。 「フレイ様、騙されないでください。これは敵の罠かもしれません」 「そうじゃな。証拠がない以上、そう易々と信じるわけにはいかん。さっきの話にしても作り話かもしれんし、私たちの懐に潜り込んでトロウに情報を漏らす魂胆かもしれんしのう」 「だな。隙を突いて後ろからいきなり掘られちゃかなわんぜ」 仲間たちは口々にこれは罠だ、ウソだとフレイに言った。 でもわたしは今の話がウソだったなんてとても思えない。 ヴァルトは悲しそうな目をしていた。もし本当に罠だったとして、わたしたちをおとしいれようとしている人があんな目をするだろうか。 きっとヴァルトは自分の居場所を失って、そこで敵だったとはいえ見知った顔のフレイたちを見かけて、そこに自分の居場所を求めたんだろう。それなのに、事情を説明する間もなく攻撃されて、きっとショックだったに違いない。だから、あんなにも悲しそうな目をしていたんじゃないだろうか。 わたしはそんなわたしの考えをフレイに話した。 それでもフレイは首を横に振った。 「ゲルダの言うことも一理ある。だけど何かあってからじゃ遅いんだ。僕たちだけじゃない。アルヴのみんなにも迷惑がかかる。せっかく竜人たちが手に入れた平穏を僕たちが壊してしまうわけにはいかない」 「なんで? どう見たって困ってる人がいるのにフレイはそれを見捨てるの!?」 「ヴァルトは敵だったんだ。たとえ万が一でも罠の可能性があるなら、それを見過ごすわけにはいかない。アルヴの情報を渡さないためにも絶対に見逃せない」 「敵だったから? でも今は敵意はないんだよ? 本当に敵だったら、やられる前にきっと反撃してたはず。でもヴァルトはしなかったよ」 「だからと言って……。ゲルダ、どうしてそこまでヴァルトの肩を持つんだ」 「違うよ! わたしはただ……そんなつもりじゃなくて!」 わたしは、風竜(ヴァルト)だから肩を持っているんじゃない。 元敵(ヴァルト)がわたしたちとは異なる立場だから肩を持っているんだ。 外の世界には竜人差別がある。それは、外の世界で勢力の大きい人間や竜からみて、竜人が異なる種族だから。異なる存在だからだ。 自分たちと違うから。だから差別する。迫害する。 そんな世界はわたしは嫌だ。 誰もがが手を取り合って平和に暮らせる世界を見たい。それがわたしの夢だ。 自分たちとは違うから敵? 敵だからやっつける? ――そんなの間違ってる! 「わたしたちと違うから? だから敵なの? 敵だから信じないっていうの? そんなの差別するのと同じことじゃない」 「いや、それは違うよ。トロウはこの世界の人も竜も支配しようとしているんだ。そのトロウの仲間だったんだから、敵の味方は敵じゃないか」 「たしかにトロウは悪者かもしれない。でもヴァルトがイコール、トロウってわけじゃないでしょ? ヴァルトが支配を望んでいることにはならないよ」 敵の味方だからきっと悪いやつ。そう決め付けるから、敵対することになる。 実際に直接本人にそうなのか、と確かめたわけでもないというのに。 そうやって何でも勝手に決め付けるから、迫害が生まれるんだ。 「フレイは言ったよね。今の外の世界は望む世界じゃない。だからこれから、自分たちの望む世界に変えていくんだって。フレイは敵と戦うことを望んでいるの?」 そう聞くと、フレイははっとした様子で少し自信なさげに答えた。 「……! そ、それは……違う。僕だってできることなら戦いは最小限にしたい。そもそも僕が旅立ったのは戦争になるのを防ぐためだった。だけどもはやトロウを倒さない限り平和は訪れない。だからこれは必要な戦いなんだ……」 「でもヴァルトを敵とみなして戦うのが必要とは限らない。少しぐらい信じてみてもいいんじゃないかな。だって、相手を信じる心がないと、誰もが手を取り合える世界は絶対に生まれないよ。互いに信じ合ってるからこそ共存ができるんだから」 「それは……たしかに信じられたらいいけど。せめてヴァルトが敵じゃない確証みたいなものがあればいいんだけど……」 フレイの心は揺らいでいる。説得するにはもうひと押しだ。 そこでわたしは、ヴァルトにさっきの話はウソじゃなくて本当なんだと証明できるようなものは何かないのかと聞いてみた。 炎の魔法を受けて体力こそ消耗していても外傷を負ったわけじゃない。だからさっきの話が事実だという物理的な証拠はない。しかし自分がトロウとはもう繋がっていないことを示すことはできるかもしれない。と、ヴァルトは言った。 「目に見える証拠じゃなくて悪いがな。ひとつトロウの秘密を教えてやる。おまえ何か茶色い石コロをトロウに持たされていないか?」 「石コロ? そういえば……城を抜け出すときにトロウに襲われて……そのあとに助けてくれた人がお守りだと言って小さな栗色の石をくれたけれど……」 そう言ってフレイが石コロを取り出す。 それを見てヴァルトは確信したようにうなづいてみせた。 「そいつだ! それはラタトスクといって、専用の呪文を唱えることで同じ石を持っている者の様子を見ることができる代物でなァ。竜将たちは連絡用に同じものを持たされているが……どうやってかは知らんが、やはりトロウはおまえにもそれを持たせていたみたいだな。ずっとそれを使っておまえを監視していたってわけだ」 「なんだって!? ……そういえば大神殿に行ったとき、僕たちは何らかの方法で監視されていたことを知ったんだ。アルヴ内では効力を発揮しないらしいけど、まさかこの石が原因だったのか」 「納得してくれたか? これだけ重要な秘密を漏らしたんだ。これでもオレ様がまだトロウの手下だと思うかァ?」 「ううん……。話の筋は通ってる、か」 「もしオレ様を受け入れてくれるなら、もっとトロウについて知ってることを話してやってもいい。今後はおまえの指示に従うから、戦力として扱ってくれてもかまわないぜ。どうだろうか、悪い話じゃねェと思うんだがァ……」 フレイはしばらく考え込んでいたが、やがて決心して仲間たちに武器を下ろさせて、魔法を鎮めさせた。 「そこまで言うならわかった。こちらとしてもトロウを止めるための戦力は多いに越したことはないからな。僕たちと共に行動してもらおう」 ただし、とフレイは付け加えた。 まだ完全にヴァルトのことを信用したわけじゃない。だからあくまで見張る意味も兼ねて、とりあえずは味方として扱うことにするだけだ、と。 「みんな、それで異論はないな?」 いくつか反対の声も上がった。それでも最終的にはフレイの決定にみんなが合意する形で落ち着くことになった。 まだあまり信用していない空気があるのは気になる。それでも一応はフレイが、そしてその仲間たちが納得してくれたことにわたしは安心した。 「わかってくれてありがとう、フレイ。それからごめんね。いきなりわがままを言っちゃって。でもどうしてもわたしには、あれは正しい方法だとは思わなかった。だから……」 せっかくフレイの旅の仲間にしてしまったのに、いきなりこんな出過ぎたまねをしてしまって申し訳ない気分になったけれど、フレイはそんなわたしの肩にそっと手を添えてくれた。 「気に病むことはないさ。間違ったことは言ってない。それに君のおかげで気付くことができた。そもそも僕は戦争を防ぎたいと思ってこの旅を始めた。なのにいつの間にか僕は、トロウを倒すことだけに躍起になっていたみたいだ」 「フレイ……」 「僕は一度こうだと思い込んだら、ついついその一点に向かって突っ走っちゃうタイプでね。だからゲルダ。また僕が大切なことを見失っていたら、そのときはまたこうやって、それを僕に教えてくれないか?」 わたしにはフレイの求めるようなトロウと戦う力もないし、魔法だって大したことができるほどの腕前はない。 だけどわたしなりの方法でフレイをサポートすることはできる。 だって二人で誓ったんだ。 わたしたちで誰もが手を取り合って平和に暮らせる世界を作っていくんだって。 そのことだけは、わたしは絶対に忘れないし見失わない。 もしフレイが道を見失いそうになったら、わたしがそれを教えてあげる。 それが、わたしなりにできることだ。 「もちろんだよ。いつでも任せて」 わたしは肯定の意味でフレイに抱きついた。 するとこんどはフレイもしっかりと抱きしめて返してくれた。 これでわたしの役割がわかった気がする。 わたしはわたしにできることをやればいいんだ。 だから、これから頑張ろう。フレイのために。そしてわたしたちの夢のために。 「……あァ~。その、おまえらな。お熱いところ悪ィんだがなァァァ」 不意にヴァルトが話しかけてきた。そのせいでフレイは慌ててわたしから離れてしまった。なんかまた赤くなってるし。 ああもう、せっかくいい感じにまとまったと思ったのに! 「なんなの? 今いいところだったのに」 「いや、すまねェな。ゲルダと言ったか。おまえには礼を言っとかねェといけないと思ってなァ。おまえがフレイを説得してくれたおかげだ。恩に着るぜ」 「わざわざそんなことで? 別にあなたのために説得したんじゃないんだから! 勘違いしないでよね」 「お、おう……!? そ、それはすまなかったなァ。まァこれからはオレ様もよろしく頼むぜ。それじゃあとりあえずオレ様はこれで……」 ヴァルトはなぜか少し動揺しながら歩いて離れていった。 まったくもう。わたしにはフレイがいるんだから邪魔しないでほしいな。 さて、改めてフレイといい感じの続きをしようかな。と振り向くと、フレイは少し困惑したような顔をしていた。 「どうしたの?」 「ええと、ゲルダ。ちょっと前から思ってたんだけど、やっぱり君の発言はときどき誤解を招くような気が……」 「え? なんで? なにが?」 わたしには何のことだか、さっぱりわからなかった。 ただ正直に、わたしの夢みる世界のためにフレイを説得したのであって、ヴァルトのためとかそんなんじゃないって言っただけのつもりだったんだけどなぁ。 Chapter38 END 魔法戦争39