約 572,349 件
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/334.html
Chapter54「フレイ倒れる2:錬金術師イアトロ」 ゲルダに案内されて、アルヴァニア外円部にあるひとつの家の前に着いた。 周囲の家と比べても何の変哲もない普通の雲の家だが、ここに彼女の言う錬金術師が住んでいるらしい。 外円部にいるからには外から来た者かと思ったが、どうやらそういうわけでもなく、その錬金術師はこのアルヴ出身の竜人のひとりだそうだ。 「なんでも研究に使う材料はこっちにいるほうが手に入れやすいんだって。外円部のひとたちは、アルヴの外に詳しいからね。調達に便利なんだとか」 「そっすか。それじゃ声かけるっすよ。あのー、夜分遅くにすんません! 錬金術の先生はいらっしゃいますか?」 雲の扉はノックしても音が響かない。呼び鈴のようなものもついていないので、ありったけの声で家の中へと呼びかけた。夜中に大声なんか出しては迷惑は承知だが、今はフレイ様の命がかかっているんだ。かまうものか。 「ごめんくださーい! 誰かいないっすかぁ! 急ぎの用事なんすよぉ!!」 しかしいくら呼びかけても返事はない。 「まさか留守ってことないっすよね」 「うーん。材料調達はよく他のひとに頼んでるみたいだから、本人が出かけてるなんてこと滅多にないはずなんだけど。もう寝ちゃったのかな」 「こっちは切羽詰まってるんだ。こうなったら叩き起こしてでも……」 戸口の前で二人で話していると、そのときわずかに雲の扉が開いて、薄暗い屋内から機嫌の悪そうな声が聞こえてきた。 「ええい、さっきから騒々しいやつらだな。私は忙しい。研究の邪魔をするな」 そう言って扉の隙間から顔を覗かせたのは、眼鏡をかけた竜人の女性だった。くすんだ蒼の体色に銀色でぼさぼさの長髪。服を着るという習慣がない竜人には珍しく白衣を羽織っている。 どっしりとした脚腰と、その後ろには先端が鮮やかな緑色で地面にまで届くほどの長い尾が伸びている。竜寄りの姿の竜人だ。 「あ、これはどうも失礼しました。あの、おれたち大事な用があってやって来たんすけど、お姉さんが噂の錬金術の先生っすか?」 「何、君たち? たしかに私は錬金術をやっているイアトロという者だけど……。もう一度言うけど私は今忙しい。こっちも大事な研究の真っ最中でね。その大事な用というのは、あとじゃだめなわけ?」 いらいらした様子で、イアトロはじろじろとおれたちの姿を眺めている。 「今じゃないとだめっす! 今すぐお姉さんの助けが必要っす! じゃないとフレイ様……友達の命が危ないんすよ!!」 「イアトロさん、わたしからもお願いします。フレイは神竜様から大事な使命を賜っているアルヴにとっても大事なひとなんです。だからどうか助けてください!」 二人で必死に説得を試みていると、そのとき不機嫌な錬金術師の背後から何かが爆発してガラスのようなものが割れる音が聞こえてきた。 それを聞くとイアトロはさらに険しい表情になって舌打ちをした。 「ああもう! またやり直しじゃないか。……はぁ、しょうがない。おかげで手が離せる状態になってしまった。話だけは聞いてあげよう。けど、くだらない頼みだったら、すぐに出てってもらうからね」 それを聞いておれとゲルダは顔を見合わせて、ほっと胸を撫で下ろした。 イアトロは不機嫌そうな態度は変わらなかったが、それでも丁寧におれたちを家の中へと招いてくれた。 「ちょっと散らかってるけど気にしないで。あと、素人にはがらくたに見えるかもしれないけど、どれも大事な研究資材だから勝手に触ったりしないように」 屋内はちょっと散らかってるというようなレベルではなく、足の踏み場にも悩みそうなぐらいに色々なものがあちこちに散らばっていた。 汚れたビンやプラスチック製の容器、古びた本、何かの植物の断片、何かの骨、くしゃくしゃになった紙くずの山、割れた食器、ハエのたかった食べかけの料理、虫の死骸、異様な臭いを発するスライム状の物質がこびりついた謎の丸い物体。 そういえば以前に訪れたことのあるドローミの研究所も似たような様相だった。研究者の家というのはだいたいこういうものなんだろうか。なんて考えを浮かべていると、イアトロの少しかすれたような声に注意を呼び戻された。 「それで? わざわざこんな夜中にひとの研究を邪魔してまで頼みにくるような大事な用って何? それってどうしても私じゃないとだめなわけ?」 おれはフレイ様が倒れたこととその症状をイアトロに説明した。もしかしたら呪いをかけられたのかもしれない、ということも。 最初は「私は医者じゃない」と渋っていたイアトロだったが、呪いかもしれないという話を聞くなり、途端に彼女は眼の色を変えた。 「へぇ……? 呪いねぇ。なんか面白そうじゃん」 「全然面白くないっすよ! 命の危機なんすよ!!」 「ああ、ごめんごめん。でも呪いというのは興味深いな。魔法の中でも呪いというのはちょっと特殊でね。今の魔法体系が確立されるよりもずっと太古の昔から存在する概念なんだけど、そのメカニズムは難解で今でも完全には解明されていないんだよね。それで魔法の効果をポーションに落とし込むのは簡単なんだけど、呪いの効果を込めたものっていうのはまだ誰も成功していないんだ。もしそれを私が実現できれば、きっと錬金術師界では一目置かれる存在になれる! そう思わない?」 呪いの効果を込めた薬だって? 誰がわざわざそんな薬を好んで飲むんだ。 急に饒舌に話し始めたイアトロの様子に若干引きながらも、おれは話を続けた。 「と、とにかく友達が呪いで苦しんでるんすよ! それでお姉さんのところになら呪いを治せる薬があるかもしれないと思って、それでおれたち来たんすよ」 「あー、ちがうちがう。呪いを治すって表現はおかしい。呪いは解くものだよ。だけど……ふーん。それはちょっと面白、じゃなくて興味深いね。学術的な意味で」 「で、フレイ様は治るんすか? 薬はあるんすか!?」 思わず前のめりになって訊いていたおれを軽く手で制して、ひとつ咳払いをすると、イアトロは胸を張って言ってのけた。 「ポーション精製は錬金術のキホンのキってね。心配はいらないよ。解呪薬というものはちゃーんとあります!」 「それじゃあ、それがあればフレイ様は助かるんすね!?」 「まあ、実際に診てみないとわからないけど、だいたいの呪いならそれでイッパツだね。まぁ説明してもどうせ理解できないだろうけど、まず呪いというのは変性魔法に構成が近い術式が多くて、その効果を貼り付けるような作用を為しているのがほとんどだから、まずはそれを剥がし取るために魔力の流れを絶って……」 イアトロは一人で難しい説明をし始めたが、そんなことよりも重要なのはフレイ様が治るかどうかということだ。解説なんてどうでもいい。 とにかく解呪薬が存在するなら、少しは希望が見えてきたというものだ。 「それじゃあお願いします! その解呪薬をおれたちに譲ってください!」 「ちょっと君さ、私の話聞いてた? 効用をちゃんと知らずに薬を使うのって危険なことなんだよ。正体不明の薬をいきなり飲めって言われたら怖いでしょ?」 「大丈夫っす。呪いを解く薬ってことっすよね? だから、それください!」 「ええっとね……。そうじゃなくて、なんで薬を飲むだけで呪いが解けるのとか、それが身体の中でどんな影響を与えるのかとか、そういうの気にならない?」 「どうでもいいっす。大事なのはフレイ様が元気になることっす!」 「……まあいいけど。でも、今すぐに解呪薬を渡すことはできないよ」 「それなら大丈夫っすよ。お金ならほら、ちゃんともってきてるっすから」 「いや、ちょっと待って。そういうことじゃなくて……」 解呪薬はたしかに存在する。そういうものはたしかにある。 だけど今ここにあるとは言っていない。そうイアトロは説明した。 「そんな! もしかして簡単には手に入らないとか? どうしよう、これでフレイが助かると思ったのに……」 せっかくつかみかけた希望を失ったかと、がっくり肩を落とすゲルダ。 そんな彼女を安心させるようになだめると、イアトロは自信満々に言った。 「なければ作ればいいのさ! 私は錬金術師だからね。材料さえあればどんな効果のポーションだって作ってみせるよ。呪い付加のやつ以外はね」 「それはよかった。早くフレイ様を助けるために、おれたちも一肌脱ぐっすよ! 何か足りない材料はあるっすか?」 「おっと、話が早いね。それじゃあ、手元にある材料で下準備をしておくから、君たちにはこれとこれ、あとこれを取ってきてもらおうかな」 さらさらと手ごろな紙にメモを書いておれたちに手渡すと、イアトロはさっそく解呪薬精製の下準備を開始した。 メモには必要なものが簡単な図付きで必要な分量まできっちり書かれている。 ひとつはゼンマイのような渦を巻いた植物、キュアル草。治癒の効果がある。 ひとつは空に浮遊する桃色の生物、メーの体液。魔力の流れを制御する作用。 ひとつは刃のように鋭い風竜の鱗。粉末にして煎じて飲むと気力が回復する。 「簡単に手に入るものばかりでよかった。でもけっこう数が要るね」 「たぶん濃縮しないと薬にならないんすよ。それじゃ手分けして集めるっす」 「わかった。セッテ、わたしたちの力でフレイを救おうね!」 「当然っす。さあ、ぐずぐずはしていられない。行くっすよ!」 固く握手してお互いの決意を確かめ合う。 そしてどちらがどの材料を探しに行くのかを確認し、イアトロの家を飛び出すとおれたちは二手に分かれて走り出した。 Chapter54 END 魔法戦争55
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/288.html
Chapter08「竜くずれ」 蝋燭の小さな火だけが周囲を照らす薄暗い空間の中、一人の男が座って机の上の球体に向かって話しかけている。そこからは男とは別の者の声が聞こえ、その声が発せられるごとに球体は青白く光った。 「よろしい。ならばドローミよ。今しばらくはその方向で研究を進めなさい。では失礼」 その言葉を最後に球は光を放つのをやめて、声が聞こえることもなくなった。 「承知いたしました、トロウ様ぁ」 ドローミと呼ばれた男は球に向かってそう返答すると、会話が終わるや否や球を持ち上げ、もう興味を失ってしまったといわんばかりに放り投げてしまった。投げられた球は放物線を描きながら、すぐにこの部屋に散乱しているがらくたの山に埋もれていった。 周囲には魔術に関係するのであろう、道具や素材が散らばっていて足の踏み場もない。必要なものなのか、壊れた部品なのか、よくわからないものが乱雑にぶちまけられたこのごみ溜めのような場所をドローミは研究所と呼んでいた。 椅子から立ち上がると、ドローミは足の踏み場のないこのがらくたの中を、慣れた様子でわずかな隙間に足を運んでひょいひょいと部屋の奥へと戻っていく。トロウからの連絡で中断させられた実験を再開するためだ。 ドローミの歩いていく途中には天井まで届く大きな檻がいくつも並んでいる。その檻の中からは異形の生物が恨めしそうに、目の前を悠々と通り過ぎていく男を睨みつけている。 その身体は肉が腐り落ちて崩れかけており、ところどころ骨が見えたり膿が湧いたりして、とても正視に耐えるものではない。背中から生えている大きな翼はぼろぼろになっており、太く逞しい尻尾はほとんど骨だけになっていて、もとの竜の姿は面影のひとつもない。それでもその生物はこの研究所の主の手によって、死ぬことさえも許されずに生き地獄を味わい続けているのだ。 異形の生物のうちの一体は血走った眼で檻の中から恨みがましくドローミを凝視した。その表情はとても何か言いたげな様子だったが、その生物は何も話すことができなかった。なぜならその口を乱暴に縫い付けられていたからだ。 そんなドローミの血も涙もない非情な実験の『失敗作』たちが、並んだ檻の中に何体も閉じ込められていた。 「さぁてさてぇ。お待たせしたねぇ、お譲ちゃぁん。腹の底まで真っ黒な魔法使いがうるさいからさぁ。ま、ワタシは研究さえさせてもらえるなら、なんでもいいんだけどねぇ。でもこれでもう邪魔は入らない。続きを始めようねぇ」 ドローミが向かったのは部屋の奥で台に拘束された青い髪の少女のところだ。意識を失っているようで、話しかけても目を覚ます様子はまったくない。少女の額からは小さな角が生えており、また背中には同じく小さな翼があるため、この少女が竜だということがわかる。ジオクルスと同様、魔法によって人に姿を変えているのだろう。 眠ったままの少女はドローミの言葉に何も反応しない。もっともドローミにとってもそのほうが都合がよかった。竜を実験台にして数多くの失敗作を生み出すようなマッドサイエンティストの彼であっても、披検体の恐怖や痛みに苦しみわめき叫ぶような反応に悦びを感じるようなタイプの研究者ではない。 彼にとってそんなものはどうでもよかった。つまりは興味がなかった。だがそれはすなわち、被検体がどれだけ苦痛を感じようが、この男はそれをまったく気にしないという意味でもある。 それゆえにドローミは非情だった。嬉々として非道でえげつない実験を簡単に施してしまうような、そういう意味でマッドな科学者であった。 「トロウ様は殺すなっていうから、君にはこういう実験しかしてあげられないんだよぉ。ごめんねぇ」 そういいながら、ドローミは竜の少女の手足に装着されているリングに触れた。リングは緋色の光を放ち、少女は少し苦しそうな表情に変わる。すると少女の額の角や、背中の翼が消えてしまった。 「竜の力を抑える装置。んん~、順調順調。魔具の開発なんて、ワタシからしたら遊びのようなものだねぇ。ふわぁ……あくびが出てしまう。こんなつまらない実験よりも、もっと被検体を切り刻んであれこれ詰め込んで、究極の生物を作りたい。人間よりも竜よりも、神よりも強いワタシだけのもの。あぁ……待ち遠しぃぃぃ。早く新しいサンプルが欲しいぃぃぃ」 この対象の力を抑える魔具『グレイプニル』の実地試験をトロウは近いうちに行うと言っていた。その試験をどこで行うかまではドローミは聞かされていなかったが、その試験でグレイプニルによって捕らえた竜のうち何体かをサンプルに回しくれるという約束になっている。トロウから預けられた竜の少女とは違って、そっちのサンプルは自由にしていいという話だ。それを思えば、つまらない魔具の開発にも少しは身が入る。 「少しでも多くのサンプルがほしい。いくつあっても足りないからねぇ。そのためにはぁ……ひひひ。こいつをもっと改良して強力にしてやらないと。実地試験でたくさん竜が獲れたら、サンプルもたぁくさん。くひひひ」 気味の悪い笑い声をあげながら、ドローミは少女のほうに向かって俯いて何か作業を始めた。一度集中すると一切周囲が見えなくなる性質なのか、それからは一言も声を発せず沈黙がしばらく続いた。 しかし、そのとき背後で何か金属が倒れる大きな音がした。さすがにこれには気がついたドローミが振り返ると、檻のひとつが破られて、失敗作の一体が外に出ているのが目に入った。 沈黙が続いたとはいったが、部屋の中が静寂に包まれていたとはいっていない。あまりに集中していたのでドローミは気がつかなかったが、作業中ずっとこの失敗作は檻を壊そうと柵に体当たりを続けていたのだ。 檻から出た失敗作は、折れた柵の先端で拘束されていた両手の鎖を叩き切ると、自由になった手で縫い付けられていた口の糸を力任せに引きちぎる。やっと開いた口からは、これまでずっと溜め込んできた鬱憤が一気にあふれ出した。 「もウ許さナい! 貴様ハ悪魔だ。ニンゲンの皮を被ッタ悪魔め。よクもオれたちをこんナ目に! こレ以上、犠牲者を増やさナいためニも、今ここで貴様の息の根を止めテやる。殺しテやる殺しテやる殺しテやる…」 呪いの言葉を吐きながら失敗作がふらふらとドローミに迫る。言葉では酷く罵って怒りをあらわにしているが、肉が腐り骨が半分溶けて露出しているような脚ではまともに歩くこともできない。そんな状態の失敗作のことをドローミはまるで脅威ともなんとも思わなかった。 「ほほーぉ。こうして歩かせてみると、まるでゾンビそのものだねぇ。ま、いいんじゃなぁい、ドラゴンゾンビ。最強の生物にはほど遠いけど、これはこれで味があるというか、きっと好きな人は好きそうだねぇ。ま、ワタシは嫌いだけどな!」 「貴様ァ……勝手ナことを…」 「黙れ、竜くずれめ! 所詮おまえは失敗作なんだよぉ。不要。無駄。ごみ。おまえなんか本当はもういらないんだ。でもトロウ様が何かに使えるかもしれないから取っておけ、と言うから仕方なぁく生かしておいてやってるんだ。むしろ感謝してもらいたいものだねぇ。ワタシの研究を邪魔しないでくれたまえよぉ?」 「貴様がこんナふうにしておいテ、失敗ダとか邪魔ダとか、ましテ感謝ダと? ふざけルなッ!!」 竜くずれは怒りに任せて炎を息を吐いた。 ――はずだった。しかし、出てきたのは黒く濁ったヘドロのようなものだけで、ただ無意味に足元を吐瀉物で塗れさせるだけの結果となった。 「うわぁ、汚ぁい。ワタシの研究所をあまり汚さないでくれ。ま、たいして掃除はしてないけどねぇ。大事な実験道具に染みがついたら困る。わかったろぉ? おまえには何もできないんだ。だからほぉら、大人しく檻に帰れ」 「ギギギ…」 怒りに歯をかみ締める。歯が折れて何本かが下に落ちた。 こんなに怒りに満ちているのに。こんなに恨んでいるのに。こんなにあいつを殺したいのに。 しかし竜くずれには、それができなかった。満足に歩けないし、実は目もかすんであまりよく見えていない。ぼろぼろになった翼でも魔力で補えば少しは飛べそうだが、こんな狭い部屋の中ではそれも難しい。 あまりの悔しさに涙があふれ出したが、その涙も血の混じった赤黒いドロっとした不快な粘液と化していた。 許さない許さない許さない。自分を、そして同胞たちをこんな姿に変えてしまったあの男が憎い。それなのに自分の力では奴に触れることすらできない。 その思いは、言葉で説明できないほど悔しく、死にたくても死ねないこと以上にそっちのほうが生き地獄だった。 (オれに力さえあれば、あんなニンゲンすぐに殺してやルのに。畜生……!) 竜くずれは絶望してがくりと膝をつく。そして悔しさを拳にこめて思い切り床を殴りつけた。その衝撃でさっき足元に撒き散らされた吐瀉物が飛び散り、ドローミの頬についた。ドローミはそれを反射的に手で拭うと、それによって汚れた自分の手をみて非情に厭そうな顔をした。 「ひぃッ! やめろォ!! 竜くずれの分際で、よくもこんな……。ええい、おまえだけは絶対に許さん。トロウ様はああいうが、おまえだけは廃棄処分してやる! なぁに、失敗作が一匹ぐらい消えたところで気付きやしないさぁ。それに気にしなくても失敗作なんて、これからもどんどん増えるんだからなぁ!」 片手を竜くずれのほうにかざすと、ドローミは呪文を唱え始めた。 何か来る。すぐにそう理解したが、竜くずれの崩れた身体では満足に移動することもできない。なんとか身体を引きずって物陰に隠れようとするが、指がいくつか欠損しているので床やものをうまくつかむことができない。ようやくつかんだ手近ながらくたも、身体を引っ張ろうと力をこめると虚しく崩れてしまい、床の吐瀉物の上に倒れこんでしまった。 なんて惨めなんだ。こんなことなら、いっそ奴の魔法で消滅させられたほうがマシなのか。諦めて永遠の泣き寝入りに就くしかないのか。 竜くずれの心が絶望の一色に塗り潰されそうになった。 しかしそのとき、ドローミがまた悲鳴を上げた。 「ひゃぁッ! き、汚い……だからやめろと言ってるじゃないかぁッ!」 竜くずれが倒れたときに飛び散った吐瀉物が、またしてもドローミの顔に降りかかったのだ。 慌てて手元を狂わせたドローミの魔法があらぬ方向へと飛んでいき、研究所の壁を爆破して穴を開けた。薄暗い研究所の中に、外からの光が差し込んでみえた。 光だ。あれは光だ。竜くずれは思った。 そうだ、外からの光だ。あそこからなら、この地獄から脱出できる。悔しいがオれの力では奴に復讐することができない。だから外からの協力を得るしかない。こんな見た目の自分に協力してくれる者がいるかどうかはわからないが、ずっとこんなところに閉じ込められているよりはまだマシだ。だからここから逃げ出そう。今は逃げて逃げて生き延びろ。しかしいつの日かあいつに復讐してやるのだ。あれは希望の光なのだ……と。 「くそっ。うう……ワタシの大事な研究所がぁ。よくもやってくれたな、竜くずれぇぇぇ」 爆発によって研究所は埃が舞い真っ白になる。長年掃除していなかったのが仇となったようだ。咳き込みながら粉塵を手で払い、ようやく視界がはっきりしてくる頃には、すでに竜くずれは姿を消したあとだった。 「…………逃げた。まずいな、どうする? このことがトロウ様にばれたら…」 最悪の事態を想定してドローミの顔が真っ青になる。だが、それもほんの僅かな間だけ。すぐに気を取り直すと、壊れた壁を魔法で修復し始めた。作業に集中していれば心は落ち着いてくるものだ。 「うん。まあいいかぁ。ここは人の寄り付かない孤島だし。船もなくて、あの身体じゃ遠くまでは飛んでいけないだろうし。あれはそのうち勝手に朽ち果てるな。あるいは空の底に落ちるか。ま、問題ない問題なぁい」 壁の修復を終えて、散らばった研究道具を雑に片付けると、ドローミは竜くずれのことはもう忘れてグレイプニルの研究を再開するのだった。 そして、しばらくしてからトロウが直接この研究所を訪れた。例の実地試験のため、グレイプニルの試作品を受け取りに来たのだ。適当な会話をしてから試作品を受け渡して、早く研究を再開したいので(早く帰れ早く帰れ)とドローミが心の中で念じていると、トロウは並んだ失敗作たちの檻に目を留めた。 (しまった。壊された檻を直しておくのを忘れていた) その事実に気がついて、何か言われるのではとドローミは内心慌てたが、トロウは壊れた檻のことには大して気にすることはなく、他の檻の中身に興味を示しているようだった。 檻の前を二度三度行ったり来たりしてからトロウはこう言った。 「そうか……こいつらが使えるかもしれない。ドローミ、この失敗作たちを全部もらっていってもかまいませんね」 「その竜くずれ共をですかぁ?」 「竜くずれというのか。まあ、呼称は何だってよろしい。どうせ持て余しているのでしょう? だったら私が役立ててやろうというのです。だからこれらは私が全部引き取ります。そのほうが彼らも喜ぶでしょう。こんなところにいるよりはね」 「ま、別にかまいませんけどねぇ。で、トロウ様。全部お譲りするのですから、報酬のほうは……」 「報酬? 何を言っているのです。これは失敗作なのでしょう。ごみを無料で引き取ってやろうと、こちらは言っているのです。なんなら、こちらから手数料を要求してもかまわないのですが?」 「はぁ。わかりましたよぉ。全部もってっちゃってください。どうせワタシには不要なものだ」 「ふふふ。ありがたく頂戴します」 トロウが指を鳴らすと、檻の中の竜くずれたちは順々にどこかへと転送されていった。そして最後にトロウ自身も、来たときと同様に転移魔法を使って消えた。 しんと静まり返った研究所には、ドローミと眠ったまま目を覚まさない竜の少女だけが残された。 「ちっ。トロウ様もケチなお人だなぁ。まあいい。今度こそ静かに研究ができる」 物で散らかった机の上をものを手で一気に払い落としてスペースを作ると、がらくたの山の中からいくつか道具を拾い上げて机の上に広げる。そしてようやく椅子に腰を落とすと、再びドローミは深い集中へと入っていくのだった。その頭の中はもう研究のことだけでいっぱいで、逃げ出した竜くずれの一体のことなど、すでに覚えてもいなかった。 Chapter08 END 魔法戦争9
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/330.html
Chapter50「ちびっこ戦記5:青い猫」 ティエラの杖の先には激しく燃える火の玉が浮かんでいる。 どうやら相手は火の魔法が得意のようだな。それならば楽勝だ。 なんたって、わたしは水竜なのだ。水の扱いはお手のもの。火と水、相性ではどちらが有利かなんて、誰が見たって明らか。この勝負はいただきだ。 「でも本当にいいのか、猫の魔女さん? こんな場所で火の魔法なんて使ったら、せっかくの木の家が黒コゲになってしまうんじゃないの?」 「おっと、心配してくれるのかい。それなら大丈夫さ。すでにこの島全体に耐火魔法をかけてある。だから、地獄の業火が燃え盛ろうともぼやひとつ起こさないよ」 「ふぅん、そう。だったら耐水魔法もかけたほうがいいな。家が洪水で流されちゃうかもよ!」 家のすぐ外に泉があったのをわたしはよく覚えている。 魔法媒体としては十分だ。大地の魔法は土や植物などの自然を、火と風は空気を媒体とするが、水は当然ながら水分を媒体とする。 空気中にも水分はあるので、ムスペのような乾燥した場所でもなければ、空気がある限りは水の魔法は力を発揮することができる。 が、もちろん大きな媒体が近くにあれば、それだけ魔法の力は大きくなる。 わたしは泉の水を呼び水として、鉄砲水を生み出した。 呼び出された水は木の玄関扉を突き破り、一直線に獲物を呑み込む大蛇が如くティエラに襲い掛かる。 相手は火の魔法使い。逆立ちしたって、火は水に敵うわけがないのだ。 この勝負、勝ったな。そう思って拳を握りしめガッツポーズを決める。 が、握りしめたはずの拳に違和感がある。 (なんだ? うまく握れない……?) 握りかけた右拳を見ると、わずかに指が短くなっていて、握り拳を作るには長さが足りなくなっていた。 (なんだこれ。またニンゲンに化ける魔法を失敗したのかな) それだけではない。握りかけていた指が自分の意思に反して勝手に開いていく。 いや、よく見るとそうではない。現在進行形で徐々に指が縮んでいるのだ。 やがて指はかなり短くなってしまい、その手はものをつかむのが困難な形に変わってしまった。慌てて左手を見ると、そっちも同じ有様だった。 「な、何これ。もしかして、これも敵の攻撃!?」 顔を上げると、目の前にはさっきと変わらない場所で、腕を組んで不敵な笑みを浮かべている三毛猫の姿が目に入った。 「まさかそんな、なんともない!? さっきの鉄砲水はどうなったんだ」 「ああ、あの水? あの程度なら簡単に蒸発させられるよ。一瞬にしてね」 「なんだって! わたしの渾身の一撃だったのに!!」 「あれで全力? 悪いけどあの程度じゃあんたの力を認めるわけにはいかないね」 「ま、まだまだ! わたしには氷魔法だってあるんだ。まだ終わってない!」 たしかに氷は火に対して不利だ。なぜなら氷は火に溶かされてしまう。 だけど忘れてならないのは、わたしは水の魔法の使い手でもあるということだ。 氷が溶ければ何ができる? そう、氷は溶けて水になる。わたしはその水を操ることだってできるのだ。つまり、わたしの能力は水と氷の複合攻撃。氷が溶かされても、そのままその水を攻撃に転化させられる。水と氷を同時に扱えるのがわたしの強みなのだ。 「なるほど。だったらあたいだって火だけじゃないよ。もう忘れたのかい? あたいは魔法で猫になっている。そういう魔法もあるってことだよ」 なんだか頭がむずむずする。くすぐったいというか、ぞわぞわするというか、今までに感じたことのない不思議な感じがする。 それになぜだろう。さっきよりもティエラの声がよく聞こえる。周囲の音がいつもよりも大きな音に感じられる。 「へぇ。なかなか似合うじゃないか。ほら、そこに鏡があるから見てごらんよ」 「えっ?」 頭上の違和感から、それが頭の上のことを言っているのはすぐにわかった。 思わず頭の上に手を伸ばしてみると、何か柔らかい感触がそこにはあった。 硬い感触が返ってくるのであれば何もおかしなことはない。わたしには珊瑚のように美しい自慢のツノがあるからだ。しかしこの柔らかい感触。こんなのは初めてだ。それに自分の手でそれに触れると、柔らかいのと同時に少しくすぐったい。 「どういうことなんだ!?」 わたしはティエラに促されて、壁際の鏡に自分の顔を映して見た。 するとわたしの頭の上には、ふわふわとした毛で覆われた三角の物体がふたつついている。鏡を見ながら恐る恐るその三角に手を伸ばしてみると、さっきと同じように柔らかさと同時に来るくすぐったさを感じた。 この三角は……いや、この耳はわたしから生えている。わたしの耳だ。 「これってまさか、猫耳!?」 鏡の中の猫耳はわたしの意思で自在に動かすことができた。 間違いなく、この猫耳はわたしの身体の一部だった。 「青い毛の猫耳だって? これは珍しいね」 「クエリアちゃんの本当の姿は青い鱗の竜なのよ。だからきっとその色が出たんだと思うわ。青い猫……いいわねぇ。ぬいぐるみにしちゃいたい」 「やめてよ、プラッシュ。青い猫はあたいのコレクションに加える。これはあたいの魔法なんだからね」 ずいぶんと勝手なことを言ってくれている。 やっぱり魔女というのはロクなもんじゃない。そう思うと無性にはらが立ってきた。こんな猫バカになんて負けるわけにはいかない。 「もう怒った。こうなったら本気を出してやる。家が壊れたら気の毒かなーと思って抑えてたけど、もう我慢できない。わたしの真の姿を見せてやる!」 わたしは変身を解いて水竜の姿に戻ることにした。 この家は竜には小さすぎる。だからティエラの家はきっと壊れてしまうだろう。 だけどもう気の毒だなんて思わない。そもそもケンカを売ってきたのは相手のほうなのだから、自業自得というやつなのだ。 「見よ! これぞわたしの真の姿ッ!」 両手を高く頭上に掲げ、力強く叫ぶ。 するとわたしの両手がブルーの光に包まれ、そして愛らしい肉球を備えた猫の前脚へと変わった! ――――むむむ? 「あら、かわいい。ねぇ、本当にぬいぐるみにしちゃダメかしら」 なんだ、まさかこのタイミングで不発なのか。 咳払いをして、わたしは改めて叫んだ。 「こ、こんどこそ、これがわたしの本当の姿だッ!!」 するとわたしの顔からは、にゅっと猫ヒゲが生えて、おしりからは猫のシッポが伸びてきた。 「ふにゃぁぁぁあああぁっ!? な、なんじゃこりゃぁぁぁ!!」 元の姿に戻れなくなっている。いや、それどころか、戻ろうとすればするほどに猫化が加速してるんですけどッ!? なにこれ、猫なの? 死ぬの? ぞわぞわとした感覚は背筋に走った寒気と冷や汗だけのものではない。その感覚が身体中に広がるとともに、全身をもふもふとした、それでいてしなやかな猫毛が覆い尽くしていく。心なしか身体も小さくなっていっているような気がする。 「もしかして何か変性の魔法を使おうとしてる? だったらそれは残念だったね。どうやらその魔法に関してはあたいのほうが実力が上みたいだ。だからあたいのかけた魔法がそれを上書きしてしまっているってわけさ」 輝くブルーの光が収まると、そこには小さな青い毛の猫が丸くなっていた。 言うまでもない。わたしだ。 (お、おのれ。わたしは竜族だぞ! それをこんな……よくも侮辱したな!!) わたしはそう叫んだつもりだったが、 「ふ、ふにゃっ! ふぎゃぎゃっ!!」 口をついて出るのは猫の鳴き声だけだった。 『おやおや、これはかわいい子猫ちゃんだ。ハロー、おともだち』 うるさい、おまえは黙ってろ。 『うるさいとは冷たいなぁ。その青い毛皮と同じように冷たい。同じ猫同士、仲良くしようじゃないか。ミーは猫仲間はいつでも大歓迎だよ』 黙れ、クソ猫。わたしはおまえなんかと馴れ合うつもりはない。 『ふ~ん。いいのかな、そんな態度取っちゃって。すぐにユーはミーに泣きついてくると思うけどなぁ』 なんだと。それはどういう意味だ。 『じきにわかるよ。じきにね……ニヒヒヒ! まぁ、もう少し”猫”を楽しんでいなよ。それでは邪魔者はひとまず退散しま~す』 シャノワールはそう言い残すと、プラッシュの肩に駆け上った。 一方プラッシュはわたしのほうを見下ろしながらこう言った。 「どうやら勝負あったみたいね。残念だけど、この賭けはあたしの負けね」 賭け? 一体何の話をしているんだ。 「そのようだね。それじゃあ約束通り、この子はあたいが預からせてもらうよ」 「しょうがないわね。クエリアちゃんなら勝てると思ったんだけど、どうやら買いかぶりすぎていたようね。残念だわ」 「まぁ、よかったらまた挑戦しに来なよ。あたいはいつでも大歓迎さ」 「そうするわ。そうねぇ……いっそ次はフリードちゃんあたりをぶつけてみようかしら。まぁ、負けは負けね。とりあえず今日のところは出直すことにするわ。それじゃあ、クエリアちゃん。元気でね」 元気でね? なんだそれ。 またね。とかじゃなくて、元気でね? おい、ちょっと待て。どこに行くつもりだ。 まさかこのままわたしを置いていくのか。おい。 ちょっと。ねえ。プラッシュ? 待って、冗談でしょ。プラッシュ!? しかし、プラッシュはそのままわたしに背を向けた。 彼女はシャノワールを連れて出て行った。そして戻ってくることはなかった。 (だ、騙された! 賭けって一体何の話? わたしは一体これからどうなるんだ) 途方に暮れるわたしの背後には、仁王立ちする三毛猫の魔女が立っていた。 「それじゃあクエリアといったっけ。元竜だろうが、元人間だろうが、ここではみんなが平等さ。すべては猫であり、それ以上でも以下でもない。それはもちろん、このあたいも含めて、ね。猫同士、仲良くやっていこう。よろしくね」 ち、違う! わたしは猫なんかじゃない。 わたしは、わたしはッ! ニヴルの第二王女のアクエリアス! 猫じゃない。わたしは竜だッ! 水竜なんだよぉぉぉーッ!! しかし、わたしの叫びは誰にも届かない。 誰もわたしの言葉を理解してくれない。 なぜなら、わたしの口から出るのは猫の鳴き声だけだったからだ。 Chapter50 END 魔法戦争51
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/281.html
「雲の下はどうなっているの?」 とある民家の一室。暖炉の前で一人の子どもが母親に聞いた。 母親は答えて言う。 「地上には青い海と緑の大地があったのよ。でもそれはもうずっと昔の話。わたしたちのご先祖様は、地上が住めなくなってしまったから、大樹を登ってこの空の世界にやってきたの」 「ふーん。地上はどうして住めなくなったの?」 「…………それは何か悲しいことが起こったからよ。さあ、もう夜も遅いわ。今日はもう寝なさい」 それは戦争なのか、環境破壊が原因なのか、あるいはまた別の理由なのか。 長い時間が経った今となっては正確な記録が残っていないため、真実を知っている者はほとんどいない。ただ確かなのは、もう今は地上は人が暮らせるような環境ではなくなってしまったと言われていることだ。 人々は生活の場をこの空の上の世界に移し、雲海を貫く巨大な世界樹ユグドラシルの樹上に築かれた国、ユミル王国で慎ましくも豊かな生活を送ってきた。 空には他に火竜族の国ムスペルスと、氷竜族の国ニヴルヘイムが存在しており、交流こそ盛んではないものの、人類と竜族は今日の日までなんとかバランスを保ち共存の道を歩んできた。 とくに元々この大樹を棲みかにしていた地竜族は人間に友好的で、地上からやってきた人類を保護し、自らの住まう土地の一部を分け与えたという。そうして誕生したのがこのユミル王国である。 しかし中には互いのことを未だよく思っていない者も少なからずいた。そういった心の捻れが歪みを生み、その歪みは徐々に大きな亀裂を生んでいくこととなる。その前兆はユミル国の王城バルハラでも姿を見せつつあった。 Chapter01「王子、旅立つ」 大樹ユグドラシルの上に広がる王都バルハラでは近頃、不穏な噂が流れていた。 『ユミル国が他国に武力による攻撃を行おうとしている。それも、他ならぬ国王の意思で』 王都中央に位置するバルハラ王城は、古くよりこの世界に存在する大樹の枝と、大地の精霊に祝福された石とを組み合わせた難攻不落で堅牢な造りになっている。 迷路のように入り組んだその王城内の通路を、慣れた様子で歩く二人がいた。 先頭を歩くのは、大地の精霊を彷彿とさせる茶色の髪と大空のように青く澄んだ瞳を持つ青年。 名はフレイ、ユミル国の将来を担う王子である。 その後ろに続くのは王家に仕える宮廷魔道士が一人、緑色の髪をした風の魔道士オットー。 あとを着いて来るオットーに向かって王子は言った。 「いつまで着いて来るつもりだ、オットー」 「王子に考え直していただくまでです」 彼が弟のセッテとともにこの城で仕えるようになってもう何年になるか。オットーはフレイより少し年上の存在で、幼少期からの付き合いでもあるので、フレイにとっても血こそ繋がってはいないが兄のような存在でもあった。 それゆえに、フレイはオットーの性格をよく知っている。こうなったときの彼は頑固だ。だが今回ばかりはフレイも退くわけにはいかなかった。 「こういう時のおまえが僕の言うことを聞かないのは分かってる。だからといって僕だって考えを改めるつもりはない。父上に今回のことを問いただしにいくだけじゃないか。それの何がいけない?」 「承知しております。しかし、陛下にも何か深いお考えがあってのことでしょう。王のお手をわずらわせてはなりません」 「今の父上に考えがある、と。本気でそう思っているのか」 「王子!」 オットーの制止も聞かずにフレイは早足に通路を行く。 今のユミル王は変わってしまった。フレイが幼いころは、早くに亡くなってしまった王妃に代わって王政の傍らよく面倒をみてくれた良き父親でもあった。 しかし、今では会話を交わすことさえ珍しいほどだ。いつ頃からだったろうか、王の様子がおかしくなったのは。 口論しながら歩いているうちに、王の間の前にたどり着いた。 「ずいぶんと騒がしいご様子ですな、殿下。陛下に何か御用ですか?」 部屋の前に立つ一人の兵士がフレイを引き止めた。 昔は部屋の前に見張りなんて立たせていなかったというのに。 「少し話があるだけだ。通してくれ」 「しかしですな。陛下は大変お忙しい身。誰も通すな、とのご命令です」 「だが僕は王子だ。父上の……王の息子だ。血を分けた家族なのに会うな通すな、というのはおかしいだろう」 「王の命令は絶対です。たとえそれが王子様であろうともね。さあ、もうお引取りください。でないと私めが罰されてしまいますので」 「……わかった。もういい」 素直に引き下がるフレイを見て、まだ着いてきていたオットーはほっと胸を撫で下ろした。 「ああ、王子。考え直していただけたようで何より…」 しかし振り返ったフレイの表情は硬く、まだ全然諦めがつかないといった様子。 王の間から少し離れた通路の窓からフレイは身を乗り出して外の様子を窺う。 「王子!? い、いけません! まさか外壁を伝って……危険です!!」 フレイが城の外壁に手をかざすと、その手からは淡い光が漏れる。そして小さな声で短く呪文を詠唱すると、瞬く間に植物のツタが伸びてきて、自然のはしごを形作った。 これは大地の魔法だ。 この空の世界では魔法がごく一般的なものとして人々の間に広まっている。 彼もまた王子のたしなみとして魔法を学んでいたが、その中でもとくにフレイは自然を操る魔法を得意としていた。 フレイはそのツタに手をかけると、一度軽く引っ張って強度が十分なことを確認し、それを伝って外壁を渡り始めた。 ツタのはしごが繋がる先はもちろん王の間の窓だ。 「や、やめてください! 落ちたら危ないですよ!」 そう言われて聞く王子ではない。フレイもまたオットーに似て、こうと決めたら考えを曲げない男だった。 王子の身に何かあっては重大な責任問題になる。仕方なくオットーは、なおも制止を呼びかけながら、自身もそのツタに手をかけるのだった。 王の間では、玉座に腰掛けたユミル国王と、その背後には一人の魔道士の姿があった。 漆黒のローブに身を包んだその魔道士、トロウは片手をついて玉座に体重を預けながら、王の耳元に向かって何かを囁くように呟いている。 小声なので何を言っているのかは聞き取れないが、王はただ「ああ」「うむ」などと相槌を打つだけで、自分からは何かを話すような様子は見られない。 そんなユミル王は、心なしか顔色が悪いようにもみえる。 しばらくして、トロウは話し終えたのか近づけていた顔を王の耳元から離す。 その表情は深く被ったフードの陰になって見えないが、口元には怪しげな笑みが浮かべられている。 「トロウ。父上から離れろ」 そのとき不意に声が王の間に響く。 落ち着き払った様子でトロウが声のほうを見ると、まさに窓からフレイが王の間に入ってくるところだった。 「おやおや。これはフレイ王子ではありませんか。そんなところから入ってくるとは、あまりお行儀が良いとはいえませんよ。見張りの者は一体なにをやっていたのやら……あとできつく言っておかねばなりませんねぇ」 「口を閉じろ、トロウ。僕はおまえと話しに来たんじゃない。父上に用があるんだ」 「ニョルズ様は大変忙しいのです。まだ若いあなたにはわからないでしょうが、国を治めるということは……」 「僕は黙れといったんだ! もう一度だけ言う。トロウ、父上から離れろ」 「おお、怖い怖い。どうかお許しくださいませ……クックック」 そう言ってトロウは静かに一歩下がる。 にやついた表情は変えないが、フードの奥で鋭い眼光がこちらを睨みつけているのをフレイは見逃さない。 返すように一瞬にらみつけるが、すぐにその視線は父王へと向けられる。 「父上。此度の軍事行動、その真意について確かめに参りました。武力を持って他国を攻め落とすという話は本当なのですか」 ニョルズ王は俯いたまま何も答えない。 「攻め落とすとは、穏やかではありませんねぇ。我々に有利な話し合いの場を設けるのです。今回の軍備増強はそのためのカードとして用意させているのです」 代わってトロウが答えた。 「しつこいぞ! 何度言わせる。ぼくは父上と話がしたいんだ。お前は黙ってろ。父上、どうなのですか?」 トロウがふん、と鼻を鳴らし口を閉じた。 代わりにニョルズ王が口を開く。 「……ああ。トロウの言うとおりだ。おまえは何も気にするな」 それだけ言って、黙る。 「気にするな、ですって! これまでこの国は戦争もなく平和に過ごしきたんだ。それを自分たちの手で壊すかもしれないと民は不安を抱えている! 僕もだッ! それを、気にするなと!?」 「王子! 落ち着いてください!」 激昂してニョルズ王に詰め寄ろうとしたところで、ようやく追いついたオットーに取り押さえられた。 「おまえは何も気にするな」 さっきと全く同じ言葉を返す王の態度に、フレイはかえって頭が冷静になってきた。 何を言っても無駄だ。 そう理解したフレイは、オットーを伴い黙って王の間を出て行った。 見張りの騎士が突然現れた王子に不思議そうな顔をしていたが、構うことなくフレイは自室に戻るのだった。 そして王の間は再び静寂に包まれる。 「所詮は子供。何も出来まい」 フレイたちが去った後で呟かれた声に気づく者は誰もいなかった。 やはり父上はトロウの言いなりか。フレイはそれを痛感していた。 思えばニョルズ王の様子がおかしくなったのは、あの漆黒の魔道士が現れてからだったのではないか。 ある日突然王都に現れた修行の旅の最中であるという魔道士。 その高い実力はすぐに噂に上り、それが王城に届くのも時間はかからなかった。 ニョルズ王はその魔道士を呼び立てると、その実力を高く評価し、宮廷魔道士の一人として取り立てた。 そこからトロウが王の側近にまで登りつめるのはあっという間だった。 あとからやってきたにも関わらず、異例の速さでの出世に周囲の者たちは誰もが怪しんだが、いつの間にかトロウを悪く言う者たちは姿を消してしまった。 それ以来、自分も消されるのではないかと恐れて、誰もトロウについて口出しをする者はいなくなってしまった。……ただ一人、フレイ王子だけを除いては。 「トロウの目的はわからないが、奴が何か良くないことを企んでいるのは間違いない。父上はもはやあいつの操り人形だ。こうなったら僕がなんとかするしかない。止めてみせる、なんとしても……」 その夜、皆が寝静まった頃、フレイは行動を開始した。 地図よし、食糧よし、当面の資金よし。準備は万端。 どうせ扉の外には見張りを立てられているはずだ。ならば窓から出ればいい。 フレイの私室は城の上階。地面は遠く、飛び降りれば怪我は免れないだろう。 窓から外を見る。風は強くないが、少し雨が降っている。しかし問題はない。 目を閉じ、手を地面にかざし、遙か下方の地面に意識を集中する。 この程度の事なら呪文も魔方陣も必要ない。自分の体内にある魔力を地面と練り合わせ、そのまま静かに持ち上げるだけでいい。 樹の上にあるバルハラの地面は樹の枝だ。真下にあった地面からは太い枝が伸びて、壁に添って上へ上へと昇ってきた。 大樹の枝はそれだけでもまるで木の幹のような太さがある。これならフレイ一人が乗っても大丈夫なほどの強度がある。 荷物を持って隆起した枝に飛び乗り今度は地面に押し戻す。昇ってきた時と同じように、今度は音もなく地面に吸い込まれていく。 「えっ!?」 自前のエレベータで降り立った所で、大声を上げそうになった。 なぜなら待ち伏せでもされていたかのように、二人の人影が待っていたからだ。 ローブに身を包むその二人がフードを外していなければ、とっさに攻撃していたかもしれない。が、その二人がよく見知った相手だとすぐにわかると、フレイはほっと胸を撫で下ろした。 一人は王の間にも付いて来た緑の魔道士オットー。そしてもう一人は燃える炎のような色の髪をした赤の魔道士セッテ。二人とも幼い頃からよく知る、フレイにとっては兄弟も同然の存在だ。 「二人とも、どうして?」 セッテは笑顔で答えた。 「フレイ様の考えていることなんてお見通しっすよ。また家出っすか?」 細い目と上がった口角。キツネのような顔立ちをしたセッテは明るい性格で、幼い頃はフレイのいたずら仲間でもあった。 魔法でいたずらをして怒られては、よくこうして窓から抜け出してはセッテとともに、兵士に連れ戻されるまでの小さな冒険を楽しんでいた。 それが裏目に出たのか、こうも簡単に見つかってしまう結果になるとは。 「まったく王子は相変わらずですね。皆が心配します。さあ、戻りましょう」 対してセッテの兄のオットーは、厳しい表情でこちらを見つめている。 オットーはセッテとはまるで正反対の生真面目な性格で、悪ふざけをする幼い日のフレイやセッテをよく叱ったものだった。 王族であることは関係なしに、分け隔てなくセッテと同様に接してくれていたのでフレイにはそれがありがたかった。 大人になって口調こそは王族に対するそれに変わったが、フレイに対する心は変わっていないことをよく知っている。 「二人とも。悪いが今回は本気だ。僕はこの国を出ていく」 驚いて二人の兄弟魔道士は顔を見合わせた。 「王子! なりません。あなたは将来この国を継ぐお方だ。そんなあなたがいなくなっては民も悲しみます」 「それは違うぞ、オットー。僕はこの国の将来を思うからこそ出ていくんだ。君も見ただろう、父上のあの様子を! とてもまともな様子じゃない。この様子だと噂はどうも本当らしい。そのことで民たちが不安がっているのは君もよく知っているだろう」 「し、しかし……陛下がそういう状況であるからこそ、王子が国に残って民たちの不安を和らげる役目があるのでは?」 「だめだ。このまま放ってはおけない。もしも本当に戦争なんてことになったら、取り返しのつかないことになる。あのとおり父上には期待できない。だから僕がなんとかするしかない。これはこの国のためなんだ!」 熱く語る王子に、二人は何も反論することができなかった。 「僕を止めるつもりか? だったら仕方ない。不本意ではあるが、君たちを倒してでも……」 構えるフレイの前に、セッテは両手を広げて飛び出した。 「まさか! そんなつもりは微塵もないっすよ。どうか収めてください」 「セッテ…」 「おれは馬鹿なんで難しい話はわかんないっすよ。けどフレイ様がこの国のことを大事に思ってるってことはよくわかりました。そのために何かしようっていうんなら、おれも手伝いますよ。どうか協力させてください」 そう言って、さっと片手を差し出した。 「わかった。ありがとう、セッテ」 フレイは差し出された手をしっかりと握る。 「オットーはどうする。君は賢い男だ。それに君にも立場ってものがある。だからもし君がこのことを父上に報告したとしても、僕は君を恨まない。だけどわかってくれ。僕にも立場がある。なんと言われようと僕は行くからな」 緑の魔道士はやれやれといった様子で首を振ると、こちらも片手を差し出した。 「やはり王子は変わらないな。こうと言い出したら聞かない。まったく誰に似たんだか……。そこまで言うのなら、わかりました。王子をお守りすることが我々の努め。私もお供させていただきましょう」 「いいのか? 父上の命令に背くことになる。国を裏切ることになるんだ。国に仕える魔道士にとって、この上なく不名誉なことだぞ」 「たしかに私は宮廷魔道士です。しかし、私が忠誠を誓ったのは国ではなく王子。主君と共に歩むのは従者として当然のことです。喜んで共に参りましょう」 「オットー……! ありがとう。正直言うと、君がいてくれれば心強い」 そして差し出された手をしっかりと掴む。 「では改めて言わせてほしい。僕のほうからお願いする。この国の未来のため、そして父上を救うために、僕に力を貸してくれ。……今度の家出はずいぶん長くなりそうだ」 「「王子のお望みのままに」」 二人の魔道士は膝をつき、頭を垂れてその心を示す。 徐々に強くなる雨も、今は三人を鼓舞しているように感じる。 降りしきる雨の中、三人はその決意を固めた。彼らの波乱に満ちた旅路は今ここから始まる。 Chapter01 END 魔法戦争2
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/285.html
Chapter05「魔導船グリンブルスティ」 「見た目は子ども。中身はドラゴン。その名はジオクルスっ!」 「ええい、やめんか! 私はお主よりもずっと年上だと言っておるじゃろうが!」 クルスの案内で船の元へと向かう道すがら、セッテとクルスはずっと二人で言い合いをしていた。 一方的にクルスがからかわれているのだが、端から見れば仲の良い兄妹のように見えないこともない。 「年上って、じゃあいくつっすか?」 「レディに年を尋ねるとはデリカシーのないやつじゃのう」 「じゃあその口調から、お婆ちゃんっすね」 「むぐぐ。お婆ちゃんって言うな!」 クルスの店の奥には隠し扉があり、その先は地下へと続く階段が伸びていた。 階段を降りると、その先にはまた扉が。その先は大樹の枝の中だった。くり抜かれた巨大な枝のトンネルを抜けると、枝先に空いた穴から外へ出る。そこは見上げれば緑、左右を見ても緑、さらに見下ろしても緑。大樹の覆い茂った葉の内側にあたる空間だった。 ユミル国の街は大樹の最上層の枝の上にある。空の青と葉の緑に囲まれた景観のいい街並みだ。今いるのはちょうどその下の層にあたる。 見回すと緑の背景の中に、橋のように伸びる枝がいくつも見える。そして振り返るとそびえ立つ断崖絶壁のような大樹の幹がそこにある。こうしてみると改めてこの大樹ユグドラシルは途方もないほど大きいのだと実感できる。 「私たちは大地の恵みの上に生きておるのじゃ。それを忘れてはならんぞ。それを脅かすものは地竜として許してはおけぬ。あのトロウとかいう奴は、大樹をかじる毒虫のような奴じゃ!」 「それは同感っすね。あいつだけは許せねえ……絶対に。絶対にだ!」 やはりこの二人すごく気が合うのではないかとフレイは思った。もっともそれを指摘すると、二人ともむきになって否定するのだろうが。 さらに枝の上を歩いてその先端のほうへ。先端は緑の壁の向こう、つまり大樹の表面を覆う葉を突き抜けて外に飛び出している。 カーテンのように大きな葉を押しのけて外へ出ると、大空のパノラマとともに目の前に立派な魔導船が姿を見せた。決して大きな船というわけではなかったが、小ぶりでも黄金に輝く豪華絢爛な船だった。 「見よ! これぞ、私の自慢の船。その名もグリンブルスティじゃ」 駆け出して一足先に船の前に立ったクルスは、両手を広げて自慢げに船を紹介する。 「人間というのは、こういう金ピカのものが好きなんじゃろう? 知り合いのファフニールがそう言っておったのじゃから間違いあるまい」 黄金の船を見た三人は開いた口が塞がらなかった。 「なんというか……派手だね」 「さすがに悪趣味だ」 「目が痛いっす」 期待していたものとは正反対の反応に、クルスは再び悔しそうな表情をみせた。 「なんじゃと!? この私の船が気に入らんと申すか!」 「いやぁ……ダメとは言わないっすけど、これで空を飛ぶんすか……」 「ふむ。はっきり言って目立ちすぎだな。これでは追手に見つけてくれと言っているようなものだ」 「あ、兄貴ぃ。そんなストレートに言わなくても」 「王子の為を思ってのことだ。そのためなら子どもが相手だろうと容赦はしない」 クルスは悔しそうにオットーをにらみ付けた。 「おのれ緑め……まるでリンドヴルムみたいな男じゃの。ええい、仕方がない!」 クルスが指を鳴らすと、魔導船の表面は木造のような見た目に変わった。 帆のない帆船のような造形で、マストの代わりに一本の木が生えている。船の周囲を飾るように葉が覆い茂っており、停泊時なら遠目に見ればカムフラージュの効果も期待できるかもしれない。 エンジンやプロペラといった動力に関する部品は見当たらないが、魔導船は魔力に基づいて航行するため、そういったものを必要としない。 「ほれ、リンドヴルム。これで満足か」 声をかけられたオットーがきょとんとした表情で振り返る。 「それは私のことか?」 「貴様の容赦のなさは、奴にそっくりじゃからのぅ」 クルスは嫌味に笑いながら答えた。 リンドヴルムは風竜の中でも暴君として知られる、あまり評判の良くない竜だ。もちろんクルスは嫌がらせのつもりでオットーをそう称したのだ。 しかしオットーは、 「竜の称号を賜るとは光栄だな」 と、ありがたく受け取ってしまった。 思惑通りにいかず、クルスはぎりぎりと歯を噛み締めた。 「ま、まあまあ。ともかく、この船なら目立たないだろうし、これで移動手段は確保できた。ところで僕たちは誰も魔導船を操縦したことがないんだけど、この船の所有者ということはクルスは運転ができるんだよね?」 険悪な空気を察して、フレイがクルスを立てようと話題を変えた。 「む。もちろんじゃ! 私を誰だと思うておる。翼の怪我のせいで今は空が飛べんからの。この船はなかなか役に立っておる」 「あ、ちゃんと使ってたんすね。ペーパーキャプテンじゃなくて安心したっすよ。じゃあ、クルスに任せておけば、おれたちはどこへでも行けるわけっすね。おかげで操舵手を雇う手間が省けて助かるっすよ」 「そうじゃろう、そうじゃろう! どこへでも連れて行ってやるぞ。私に感謝するんじゃな」 どうやら機嫌を取り戻してくれたらしい。 見た目は少女でもやはり竜族。立派にプライドは高いらしく、自分の思い通りにならないとすぐに機嫌を損ねてしまうが、褒めたりおだてたりすると簡単にのぼせ上がってしまうようだ。 「へぇ~、ちょろいモンっすね……」 「ん? 何か言ったかの」 「なんでもないっす。それよりもクルス船長! これから期待してるっすよ!」 「ふっふっふ。クルス船長か、悪くない響きじゃのぅ。よろしい、セッテよ。お主を副船長に任命してやろう。それでまずはどこへ行きたいのじゃ。ほれ、遠慮はいらぬ。クルス船長に申してみよ」 「申すっすよ。さ、フレイ様」 「ああ」 フレイは火竜を説得して味方につけることでトロウの力に対抗し、さらに戦争を未然に防ぐためにも火竜の国ムスペルスを目指すことを説明した。 クルスは黙ってそれを聞いていたが、フレイが話し終えるとひとつ質問した。 「ムスペか。別に行ってやってもかまわんが……お主、ムスペに行ったことはあるのか?」 「初めていく。だが、ここにいるセッテが昔ムスペで魔法を修行していたんだ。だからなんとかなると思う」 「なるっすよ」 しかしクルスは険しい顔で答えた。 「認識が甘いな。火竜は基本、人間を嫌っておる。それにあそこはかなり過酷な環境じゃからの。ただの人間では到底耐えられぬ。見たところ、それらしい準備はなさそうじゃな。本当に大丈夫なのか」 「おれがいるっすよ。魔法で耐熱障壁を張ればマグマの池に飛び込んでいかない限りは平気っす。それにムスペにはおれの知り合いがいるっすからね。まずはそこを頼ってみようかと考えてるっす」 「ほほう、お主に火竜の知り合いが? あの火竜どもが人間と親しくなるとは意外じゃの。セッテよ、お主一体どんな魔法を使ったのじゃ」 「ただ普通に会話して、ただ普通に魔法の修行を共にしただけっすよ」 「信じられん!」 クルスは驚きのあまり目を丸くした。 そのあとも何か貢ぎ物でもしたのか、あるいは弱みでも握ったのかと詮索を続けたが、当然何もでてこなかった。 「さてはセッテ、お主本当は火竜なんじゃろう」 「違うっすよ! おれとセッちゃんの絆は魔法とかワイロとか、断じてそんなんじゃないっすからね」 「ふぅむ、珍しいこともあるもんじゃのう……。まあよい。そういうことなら、ムスペへ向かってやろう」 「さすがっす、クルス船長! じゃあお礼にアメちゃんやるっすよ」 「だから子ども扱いするなと言っておろうに! ほれ、私の気が変わらんうちに早う乗れ」 そう言ながらも、クルスは押し付けられたアメを口に放り込みながら操舵室の方へ入っていった。 甲板を歩くとカツンカツンと硬い音が響く。見た目は木造の船だが、本質は木ではないらしい。といって金属のような響きでもない。どういった素材で造られているのかはわからないが、木でも金属でもなければムスペに近づいても熱の影響で船が燃えたり熔けたりする心配はなさそうだ。 おそらくさっきクルスが一瞬で船の外見を変えてしまったように、もとの黄金の船も魔法で外見を変えたものだったのだろう。 「それにしても、クルスの魔法はすごいな。僕らのものとは比べ物にならない」 「王子は魔法には二種類あるのをご存知ですか?」 「精霊魔法と精神魔法のふたつがあるんだっけ。魔法学は苦手だったから、詳しくは説明できないけど」 「我々が扱うのは前者の精霊魔法ですね」 おほん、と咳払いをすると、オットーはふたつの魔法について説明を始めた。 【精霊魔法】とは、精霊の加護を受けて発動する魔法のことを言う。 魔力とはあらゆる生物に潜在的に眠っているものとされており、個人差はあるが種族ごとにある程度の限界が決まっている。人間は魔力限界がそれほど高くないため、精霊の力を借りることでやっと魔法を使うことができる。精霊には火や水などいくつか種類があり、例えば火の魔法なら火の精霊の力を借りる。 魔法を使う前に行う呪文詠唱は、精霊に力を借りるための儀式を簡略化したものである。修行を重ねて魔力を鍛えれば、自分の魔力で補うことでさらに呪文を短縮したり、省略することも可能になる。 一方で【精神魔法】は精霊の力に頼らない魔法のことを言う。 精霊魔法はその精霊の司る現象の範囲内での魔法しか扱えないが、精神魔法は属性に縛られないあらゆる事象の魔法を扱うことができる。クルスが行った記憶改変や変性の魔法もこれにあたる。 ただし、こちらは精霊の力を借りないので、すべてを自分の魔力で行う必要がある。人間の魔力ではまかない切れないことが多く、精神魔法を操れる魔道士はかなりの修行を積んだ賢者ぐらいのものだ。 「つまり精神魔法のほうが色んなことができるけど、魔力に優れてないと扱いきれないわけか」 「クルスの態度の大きさは気になりますが、魔力の強さはさすが竜といったところですね。戦力としては期待できそうです」 「船のことで気を取られていたけど、たしかにそれもそうだ。トロウに対抗するためには少しでも戦力が欲しい」 二人で話し込んでいると、操舵室のほうから声が聞こえた。 「おーい。二人とも何してるっすか。出航式やるっすよー」 セッテに呼ばれて、全員が操舵室に顔を揃えた。 一歩前に出たクルスが船長らしさを演出するために出港の音頭をとり、続いてデッキに出ると船に向かって呪文を詠唱し始める。 竜族は精神魔法はもちろんのこと、生まれながらに精霊魔法も無詠唱で行える程度の魔力を持っている。とは言っても万能というわけではなく、火竜なら火の魔法を精霊の力を借りずに扱えるが、それ以外の属性のものには詠唱を必要とする。地竜のクルスなら、大地の魔法以外は詠唱が必要になる。 棲んでいる環境だとかあるいは遺伝的なものだとか諸説はあるが、相性があるのか複数の属性をまたがって使いこなす者が少ないのは、人も竜も同じである。 クルスは風の精霊に祈りを捧げ、船を空に浮かばせた。 「行くぞ! 魔導船グリンブルスティ、出航じゃ!」 一度飛んでしまえばあとは簡単だ。 目的地までは魔法が運んでくれる。燃料も必要ない。もし途中で目的地が変わったりトラブルが起こった場合は、改めて魔法をかけ直せばいい。 「なるほど。これなら俺でも操縦できそうだ」 「やってみたいか、リンドヴルム? ふふん、残念じゃったのぅ。やりたければ次の機会を待つことじゃな! どうだ、悔しいか」 「まあ別に気にはしないが」 「ふん……まあよい。私は疲れたので寝てくる。ムスペに着いたら起こしてくれ」 そう言ってクルスは船の下のほうへ降りていった。 魔導船グリンブルスティは風を切って空を進んでいく。 セッテも船の中へ入っていったので、今は船首のほうにフレイが一人立っているのと、マスト代わりの木の上ではオットーが見張りを買って出てくれている。 後ろを振り返ると大樹がどんどん遠ざかっていく。ユミル国から出たことがないフレイではなかったが、今回の船出は単なる旅行やニョルズ王の政務の付き添いとは違う。 しばらく帰ってくることはないだろう。果たしてそれがいつになるか。十分な力をつけてからか、あるいはトロウを倒すときか。 (待っていてください。父上、姉上、そして国の皆……いつの日か必ず) 決意を胸に行く先の空を見つめる。 空は深い青と浮かぶ雲の白に染まっている。まだ行く手には何も見えてこない。 この空にはムスペルスやニヴルヘイムの他にもいくつか小国があるが、ユミル国のように大地を持っている国はほとんどない。 ムスペルスは雲塊の中に火山を含む大地が、ニヴルヘイムは島雲の上に大氷塊がそれぞれ載っている。逆を言えば、そういった大きな土地がなければ大国にはなり得ないのである。 島雲と呼ばれる特殊な成分を含んだ雲は上に立つことができて、大抵はその上に集落ができることが多い。 あるいは島雲の上に大地の断片が載った浮島というものもある。 浮島の形成は、嵐などによって地上から岩石などが飛ばされてきたものが偶然に島雲に載るか、または意図的に地上から持ち込まれてできる。 フレイが空を眺めていると、桃色の丸みを帯びた生き物がすぐ近くを通った。 「メぇ~」 それはフレイのほうを一瞬見たが、すぐに興味を失って雲の向こうへと消えた。 今のはメーという生き物だ。人間が両手で抱えられる程度の大きさで、流線型の体形は例えるならば、背びれと尾びれのない小さなクジラかシャチと言ったところだろうか。竜に似た顎を持っているが基本的には無害の空の野生動物だ。 翼は持っていないが、魔力か何かで空中を泳ぐように浮遊する。 再び別のメーが現れてフレイの近くを通り過ぎる。 こんどはフレイが何やら呪文を唱えると、船の周囲から生えている草のあたりから蔦が伸びてそのメーを捕まえた。 「メギっ!? メッ、メぇーッ」 メーはしばらく暴れていたが、やがて疲れておとなしくなった。 「思ったより見かけるようになったな。これなら食料の心配は減るか」 空の世界ではメーは食料として一般的に狩られている。 煮たり焼いたりして調理され、味は淡白だがそれでいて大味ではない。例えるならば、海でいう魚のようなものだ。 地上から人間が空へやってきた頃はまだメーは存在していなかったらしいが、フレイが幼い頃にはすでに一般的なものとなっていた。ここは高度が高すぎるのか鳥はあまり見かけないが、それに代わるような存在としてメーが飛んでいる。 「僕が子どもの頃はこんなにメーを見かけることはなかったけどな。そういえば、トロウが城に来たあたりからメーの数が増えたような気がするけど何か関係が?」 捕まえたメーをじっとみつめる。 と、メーもまた白い大きな目でこちらを見つめ返してくる。 「さすがに関係ないか。そういえば、この船には料理をできる者がいないな。クルスは料理できるのかな。あとで聞いてみよう」 そのとき遠くからメーの鳴き声が聞こえてきた。 見ると、風の乗って数匹のメーが舞っている。少し遠い。 遠景に転がるメーの姿は、青い空に舞う桜の花びらのようにも見える。 なんて風情に浸っている場合などではなく、続いて魔導船グリンブルスティを突風が襲った。 「くッ……」 吹き飛ばされないようにフレイは必死で船体にしがみつく。捕えたメーが風にさらわれていったが、気にしている場合ではない。マスト木の上ではオットーが何やら叫んでいるようだったが、風の音にかき消されてよく聞こえない。 しばらくしてようやく風は収まった。自然現象にしてはやけに長く吹いていたように思う。身体を伏せて突風に耐えていたフレイは、風が収まったことを確認するとゆっくりと顔を上げた。すると、 「見つけたぞォ。フレイ王子ィィィィィ!」 前方に巨大な風竜の姿があった。 竜はフレイたちと比べるとどれもが巨大と言えたが、この風竜はカペレイオンで見たクルスよりもさらにずっと大きかった。人間でも図体のでかい奴がいるが、それを竜で言えばちょうど目の前のこいつぐらいになるのではないか。それぐらいにその姿は大きかった。 「な……おまえは!?」 「オレ様は第五竜将ヴァルト! トロウの命令で、おまえを捕まえに来てやったぜェェェッ!!」 Chapter05 END 魔法戦争6
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/282.html
Chapter02「漆黒の魔道士トロウ」 バルハラ王城の中庭のはずれには古びた井戸がある。 大樹の枝を流れる水をくみ上げるためのもので、地上からやってきた祖先の人間がまだ魔法を修得していなかった頃に使われていた。 今では魔法を使って水を確保できるので井戸は自然と使われなくなり、水も枯れてしまっているのでただのオブジェになっている。 しかしこの井戸の中に秘密の通路があることをフレイは知っていた。 大樹の枝をくり抜いて作られたこの井戸の穴は、同様にして枝をくり抜いた空洞に作られた城の地下迷宮と繋がっている。 かつては倉庫や牢屋に使われていたダンジョンだが、魔法が一般化し、またしばらく争いのない平和な時代が続いていたため、今ではこの地下迷宮を通るものはほとんどいない。 もし戦争が起こればこの地下牢がまた使われるようになるかもしれない。そんな事態を防ぐため、フレイたち三人はこの地下迷宮を急いでいた。 「深夜とはいえ、城内の至るところに見張りの兵がいる。それに城門には門番だっている。だからこの地下迷宮を抜けて、下水道から直接城下街に出るぞ」 バルハラ王都は大樹の張り巡らされた枝の上にある。足元の地面にあたる枝は、くり抜いてその中を流れる水を生活に使ったり、あるいはその空間を下水道としても活用している。それらは王都全体に広がっているので、そこを通れば誰にも見つからずに王城から城下街へと抜けることができる。 「それにしても、王子ともあろう者がこんな薄汚いところを駆け回ろうとは、なんて情けない」 「大丈夫っすよ、兄貴。おれとフレイ様は子どものころから、よくここを家出に使ってたんだ。だから慣れたもんっすよ」 「それが情けないと言ってるんだ」 二人の兄弟魔道士は互いに口答えしながら先を行くフレイのあとを着いて来る。 「そもそもセッテ。おまえは王子に対する口の利き方がなってない。それと『おれとフレイ様』じゃない。それを言うなら『フレイ様とおれ』と言え。どんなときでも従者が主より前に出てはいけないんだ」 「ええー。いいじゃないっすか、そんな細かいところまで。おれたちは子どものころからずーっと一緒に過ごしてきたんすよ。フレイ様だってこのままでいいって言ってくれてるし、今さらそんな変に態度を改められたらフレイ様だって困っちゃいますよ」 「おまえはもう少し自分の立場というものを理解したらどうだ」 「兄貴こそもう少しフレイ様の気持ちを理解したらどうっすか」 着いて来てくれるのはありがたいし、何かあったときに心強いが「もう少し静かにしてもらえないかな…」とフレイは思っていた。 今回はただの家出とは違う。この国の未来がかかっているのだ。滅多に人が通るようなところじゃなかったとしても、万が一どこで誰が聞き耳を立てているとも限らない。できることならひとつでも心配事は少なくしておきたい。 この家出だけは絶対に失敗できないのだから。 「だいいち、おれの火の魔法のほうが兄貴の風の魔法よりも有利なんだからな。おれのほうがフレイ様をしっかり守れるっすよ!」 「訓練のとき、いつも俺に負けてばかりだったのはどこの誰だっけ? 相性だけがすべてじゃない。もっと頭を使え。そもそもおまえは落ち着きがなくていけない。そんなんじゃ王子の護衛は務まらんぞ」 二人の口喧嘩はいつの間にか、最初とは全く関係ない内容になっている。 「あのなぁ、二人とも。僕を守ってくれようとしてくれるのはありがたいんだが、もっと緊張感をもってくれないか。遊びに行くんじゃないんだぞ」 「申し訳ありません、王子」 「すんませんっす、フレイ様。でもこんなところに来る奴なんて、おれたちぐらいのものだし心配し過ぎじゃありませんか?」 「こらセッテ! おまえは一言多い」 「えー。だって…」 なおもしゃべり続ける従者たちをよそに、フレイは突然立ち止まった。 何事かと慌ててオットーも足を止める。セッテはそのままフレイの背中にぶつかった。 「二人とも静かに。何か聞こえた」 目を凝らして地下迷宮の先を見るが、視界が悪いためかよく見えない。 地下迷宮は大樹の枝をくり抜いた穴に作られているので、トンネルの周囲はあちらこちらでデコボコしている。 三人は壁面の出っ張った部分に身を隠して様子を窺う。 「暗くて何も見えないっすね…。あ、そうだ。火でも出しましょうか」 「馬鹿。誰かいたら隠れてるのがバレるだろ。それに火事になったらどうする」 「いってぇ! 兄貴ぃ、何も殴らなくても…」 「しっ……静かに」 耳を澄ますと、トンネルの奥のほうから確かに足音が聞こえてくる。 人数は多くない。たぶん一人だけの足音だ。しかしこんな夜更けに、それもこんな場所に一体誰が何のために。 そのまま息を殺して様子を窺い続けていると、通路の先の暗闇から声が聞こえてきた。 「おっと。こんな夜更けに何事か。どうやらネズミが三匹、潜り込んでいるようですねぇ…」 聞き覚えのある声。忘れるわけがない。ニョルズ王に何か吹き込んでおかしくしてしまったに違いない張本人。漆黒のローブに身をまとった不気味な男。 (トロウ……!? どうしてあいつがこんなところに) (やばいっすよ! こっちの人数までバレてるっす。どうしますフレイ様。いっそのこそ、やっちゃいますか) (落ち着けセッテ。まだ俺たちだということまで知られたとは限らないぞ。ここは機会を窺って…) 暗闇の向こうからは予想通り、漆黒の魔道士トロウが姿を現した。 相変わらずその表情は深く被ったフードで隠れているが、顔はまっすぐ三人の隠れているほうを向いている。 さらに追い討ちをかけるようにトロウはしっかりと明言してみせた。 「これはこれはフレイ王子。このような時間にこんな場所でお会いするとは思ってもみなかった」 ここまで見透かされていては仕方がない。観念して三人は陰から姿を現した。 「トロウか。僕も驚いているよ。こんなところで会うなんて奇遇だな。ここで何をしている」 「それはこちらの台詞です。いけませんねぇ……王子ともあろうお方が夜更けにこんなところをふらふらしていちゃあ。素行の悪い息子を持ってお父上が悲しみますよ。それと、後ろの二人はお付きの方ですか。いやはや困りましたねぇ。あなた方がついていながら、王子をたしなめるでもなく一緒になって遊び歩いているとは。まったく度し難い…」 嫌味たっぷりにトロウはまくし立てる。それが挑発なのは明白だった。 「これは責任問題ですねぇ。お付きの二人には厳しい罰が必要のようだ。この件はちゃんと報告させてもらいますからね。一体どこの所属です、正直に答えなさい。もっとも、こんな夜遊びをするような不良魔道士なんて高が知れていますがねぇ。あれでしょう。どうせ、見習いの中でも下っ端でおちこぼれの…」 オットーは拳をぎりぎりと握り締めながらも静かに耐えたが、セッテはそうはいかなかった。 得意とする魔法には、その人の性格が表れるという。 火の魔法に長けるセッテは闇夜を照らす灯火のように明るい性格だが、同時に燃え盛る炎のように頭に血が上りやすくもあった。 「こいつ……黙って聞いていれば調子に乗りやがって。もうガマンならんっす! これでも食らえ!!」 セッテが腕を振るうと、火球が飛び出してトロウに向かった。 トロウは漆黒のマントをひるがえして片手をさっと払うと、火球はいとも簡単に消し去られてしまった。 「やめろ! 王都内での許可なき決闘は王命で禁止されているのを忘れたのか」 「でも兄貴。あいつ許せないっす! おれだけならまだいい。でもあいつは兄貴のこれまでの努力まで笑ったんだ!」 両手にメラメラと炎を燃え上がらせながら怒るセッテを、オットーとフレイは必死になって止めようとする。そんな様子を見て、トロウはふっと失笑を漏らした。 「愚かな。忘れないでくださいよぉ? ……先に手を出したのは貴様らだ。これは正当防衛だッ!」 突然トロウの口元から笑みが消える。 両手を前方にかざし難解な呪文を唱えると、トロウの前方に蒼く光る巨大な魔方陣が現れた。魔方陣はより光の強さを増していき、その力の強大さからか地下迷宮がかすかに振動し始める。 「な、なんかやばそうっすよ…」 振動はより大きくなる。魔方陣が回転し始め、その中からは轟音が唸り始める。 「逃げろ!」 とっさにフレイが壁を隆起させて防壁を作り出し、三人は走り出す。 だがもう遅い。魔方陣からは鉄砲水のような勢いでトンネルの径全体を飲み込むような大量の水が溢れ出した。 フレイの防壁などなんの役にも立たない。トロウを境として生み出された洪水は瞬く間に逃げる三人を飲み込んで、地下迷宮の闇の彼方へと押し流してしまった。 「ふ……くっくっく。あっはっはっはっァ!! どこまでも愚かな奴ら。自分の無力さを思い知るがいいでしょう。今夜は雨がよく降る。いやぁ、ひどい雨漏りですねぇ……ふ、ふふふ……」 不気味な笑い声を漏らしながら、漆黒の魔道士は満足げな足取りで闇の向こうへと消えていった。 翌朝、フレイ王子の姿が見えなくなったことで王城は大騒ぎになった。 いつまで経っても私室から出てこない王子を心配して、姉であるフレイヤ王女が私室を訪ねたことでフレイの不在が明らかになったのだ。 いつもの家出だろうと慣れた様子で兵士たちが捜索隊を組織し、城下へと王子の捜索に出る許可を得ようと王の間へ集まると、ニョルズ王は衝撃の内容を兵士たちに告げた。 「皆のもの。今まで隠し立てしておってすまなかったが、我が息子フレイは昨夜、不慮の事故で帰らぬ身となった…」 「なんですって!?」 「心の整理がつかず、ついの今まで話せなかったことをどうか許してほしい」 「そんなフレイ!!」 フレイヤは項垂れて、その場に泣き崩れた。 「しかし陛下。一体不慮の事故とは何が…」 兵士長が問うと、代わってトロウが一歩前に出て答えた。 「ここからは私が説明致しましょう。昨日王子は陛下と政策についての意見の違いから言い争いになりまして…」 「ああ。そういえば確かにそんな様子だった!」 そう言って捜索隊の兵士の一人が頷いた。昨日、王の間の見張りを行っていた兵士だ。その兵士に周囲の者たちの視線が集まる。 証人ができたことをしっかりと見届けると、トロウはひとつ咳払いをして話を続けた。 「ええ、それでですね…。もはやいつものことではありますが、昨夜フレイ王子はまたしても家出をなさろうとしておいでのようでした。知ってのとおり、昨夜はひどい雨でした。そこで王子は……窓から抜け出そうとしたのでしょう。しかし、不幸なことに足を滑らせて……打ち所が悪く……」 その場にいた者たちがはっと息を呑んだ。そして深い深い沈黙が訪れる。 その沈黙を破って、細い声でフレイヤが訪ねた。 「それでフレイの……うう、弟の遺体は、今どこに?」 トロウは首を振って答える。 「申し訳ありません。あまりにも損傷がひどいご様子で、とてもフレイヤ様にはお見せできるような状態ではなく……勝手ながら陛下の判断の下、すでに埋葬させていただきました。何卒、ご理解いただきますよう…」 「ああっ、フレイ!」 再びフレイヤは涙に伏してしまった。 「陛下。葬儀はどうなさるおつもりで?」 「城内の者だけで粛々と行うこととする。このような死に様とあっては、フレイ本人としても不名誉なことであろう。このことはしばらくは他言無用だ。破った者は厳罰に処す。表向きには、フレイは後学のために諸国を廻る旅に出たということにしておけ。正式な事実の発表は時期を見て行う。以上だ、下がってよい」 兵士たちは皆、暗い表情で項垂れたまま王の間を後にしていった。 「ああ、フレイ。まさか死んでしまうなんて…」 涙に頬を濡らす王女にトロウはそっと声をかける。 「さ、フレイヤ様。心中お察しいたしますが、どうかお気をたしかに。親しい者との死別は確かに辛いことです。私にも経験があります。ですが、いつまでも悲しんでいては亡くなった者のためにもよろしくありません。故フレイ王子も、あなた様の涙に濡れた表情より、この悲しみを乗り越えて強く笑ってみせる王女様をお望みかと思いますよ」 「トロウ……。そう、そうよね。いつまでもくよくよしててはいけないわ。あの子がいない以上、お父様を支えられるのは私だけですもの。私が強くならなくては……でも、どうか今日だけは泣かせてちょうだい。この悲しみと決別するためにも」 「ええ、ええ。わかっておりますとも。この私めの肩でよろしければどうぞお貸ししましょう。さあ、フレイヤ様。お部屋にお連れ致しますよ…」 王女を気遣い肩を貸すトロウ。しかし、そのフードに隠れた表情は決して王子の死を悼むようなものではなかった。 (これで邪魔者は消えた。ニョルズ王も既に我が手に堕ちた。次はおまえだよ、フレイヤ王女。ヒ、ヒヒヒ……) 漆黒の魔道士トロウ。その腹の内の闇は深く計り知れない。 一体何が目的か、この不気味な男の暗躍は続く。 一方そのころ、自分の地位がこんな形で剥奪されたとは露も知らず、フレイは見知らぬ小屋の中で目を覚ますのだった。 「こ、ここは……?」 目を開けると心配そうな表情のオットーの顔がそこにある。 「王子! 良かった。目を覚まされましたか」 「うう、頭が痛い……。セッテは無事なのか?」 「いえ、あいつはまだ……」 「そうか…。それは心配だな。ところでここは?」 見たところ、木造の粗末な小屋のようだ。家具の類は何もない。小さな窓がひとつと入口の扉があるだけで、それ以外に目立つものといえば、自分たちが寝かされている古びたシーツがあるぐらいだ。 どうやってここへ来たのだろうかと記憶の糸を手繰り寄せるも、トロウの洪水の魔法に押し流されて意識を失ったあとのことは何も覚えていない。 窓のほうを見るともう夜が明けて朝になっているらしいことがわかる。わずかに入ってくる光が目に眩しい。 するとそのとき、勢いよく入口の扉が開いてさらに光が飛び込んできた。フレイは眩しさに目を細める。 その光の中に一人の人影があるのがかすかに見えた。人影はこちらの様子を見るとこういった。 「目が覚めたようだな。気分はどうだ」 「あなたは……あなたが助けてくれたのですか?」 「ああ。俺はアリアス」 「そうか、アリアス。ありがとう、恩に着るよ。僕たちは…」 どういった経緯で助けられたのかは知らないが、いきなり自分は王子だなどと言っても信じてもらえないだろう。あるいは驚かれて騒ぎになっても困る。今はまだ城に連れ戻されるわけにはいかないからだ。 何と答えるべきだろうかと考えていると、先手を切ってアリアスのほうから問いかけてきた。 「あんた、フレイ王子だろ?」 「……!!」 はっとして身構える。 城を抜け出すときに、できるだけ目立たない格好に扮してきている。顔見知りでなければ、彼がユミル国の王子だと見抜くことは難しいはず。 にもかかわらず、この男は自分の正体をあっさりと言い当ててしまった。 一体アリアスと名乗るこの男、何者なのか。 Chapter02 END 魔法戦争3
https://w.atwiki.jp/aniradibgm/pages/51.html
OP 南里侑香 / 閃光のPRISONER フリートーク Free Use Music / all the reasons (Inst2) 教えて、学院長!! Free Use Music / SC-4911 すばる魔法学院 マジカルジャッジ Free Use Music / 恋のゆるふわ Free Use Music / Toy Land ED Free Use Music / パティスリー・パリ Free Use Music / 60秒 (16)
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/322.html
Chapter42「地竜潜入作戦3:裏の裏の裏の裏は表」 オレにとっては財宝こそが全てだ。 それを手に入れるためならば、オレはどんな手でも使ってみせる。 フリードに雇い直されたところを、トロウにさらに雇い直されたオレは、信用を得るためにフレイの居場所についてをトロウに話した。 「フレイは今、アルヴというところにいる」 アルヴは存在自体が秘密の隠れ里らしいが、そんなことはオレには関係ない。重要なのは、いかにしてより多くの財宝を手中に収めるか。それだけだ。 「ふむ。隠れ里アルヴ……。噂には聞いたことがあった。実在しているとは思わなかったがな」 「そこには神竜と呼ばれる存在がいる。神竜の結界によって、外部からその存在を感知することは不可能だ。それにそこへ至る方法を知る者でなければ、アルヴへは絶対に辿り着けないようになっている」 「なるほど。ラタトスクが効かないのはその結界のせいというわけか」 トロウは納得したようにうなづいた。 「それで、そのアルヴへはどうやったら行ける?」 「すまないがオレは知らない。オレはジオクルスの後についていっただけだ。ウソだと思うなら、ラタトスクを使ってオレの行動を遡って確認してみろ」 「ふん……そこまで言うなら事実なのだろう。ならばフレイのほうから、アルヴを出てきてもらう必要があるか……。よし、ファフニール。さっそく仕事をやろう」 フレイたちはオレのことを味方だと思っているから、オレは問題なくアルヴへ戻ることができる。そこでトロウは、ウソの情報を流してフレイを外へ誘き出すように命令した。 「成功した暁には追加報酬をくれてやりましょう。だからせいぜい頑張ることですねぇ……。さあ、行って来い。第四竜将ファフニールよ!」 「ふん……」 そうしてオレはトロウに一瞥をくれてやると、アルヴにいる仲間のもとへ向けて飛び立った。 すでに裏切られているとも知らずに……と、心の中でほくそ笑みながら。 アルヴは神竜の結界に守られている。それがどういう原理のものなのかはよく知らないが、おそらくはフィルターのようなものではないかとオレは考えている。 方法を知らない者は絶対に辿り着けないはずだが、アルヴにはワケあって流れ着いた者が多数いる。だから、おそらくは結界を通じて神竜がアルヴに近づく者を判別しているのではないかと思う。そいつを通すべきかどうかということをだ。 今のオレはフレイの仲間であると神竜に認識されている。だからオレは神竜のフィルターには弾かれることなくアルヴへ入ることができる。 雲の上にあるアルヴは常に場所が一定ではない。しかしフリードから分け与えられた緑色の玉の欠片が発する光がアルヴのある方向を教えてくれる。 光に従って進んでいくと、例の雷雲の塊が見えてきた。 雲の中は吹き荒れる暴風に叩きつけるような雨、それに雷の嵐だ。 本当にこんなところを無事に通り抜けられるものかと思ったが、神竜の加護を受けている玉の欠片を所持しているだけで、雷も雨風もまるで気にすることなく先へ進むことができた。 おそらくこの嵐も結界のひとつで、実物ではなく魔法で生み出されたものだ。 たしかにトロウにはアルヴへ行く方法をオレは「知らない」と言った。すでに雲塊を抜けてアルヴに到着しつつあることからわかるように、あれはウソだった。 だがオレはフレイがアルヴにいるとは話したが、アルヴがどこにあるかは話していない。だからトロウはアルヴがどこにあるかは知らない。 そしてアルヴに入ればラタトスクは効力を失うので、このウソがばれることはないし、スパイは雇い主に情報を流すものなのだから、フレイ側についていることになっているオレがアルヴへ入ったとしてもトロウは何も疑う理由が無い。 オレにはある考えがあった。 アルヴへと戻ると、ジオクルスとオットー、そしてヴァルトがオレを迎えた。 「おお、ファフニール! 戻ったか。ヴァルトからラタトスクのことを聞いてな。潜入作戦のことがすでにばれているのではないかと……お主が危険な目に遭っているのではないかと心配しておったところじゃぞ」 心配そうな表情でクルスが真っ先に声をかけてきた。 「ああ……大丈夫だ。オレは問題なく潜入できている」 ああ、そうとも。オレが裏切ったことは気付かれていない。 「おい金ピカ。おまえ、まだラタトスクを持ったままだろ。クルスに頼んで取ってもらっちゃどうだァ? オレ様はそうしてもらった。まだ少し痛むがなァ……」 次に声をかけてきたのは馬鹿の風竜だ。 ヴァルト、やはりおまえは馬鹿だ。ラタトスクを取り除いたら、このオレがトロウに疑われてしまうではないか。それでは計画が台無しだ。 クルスも同様のことを提案してきたが、理由を説明してそれを断った。 「トロウを信用させるためには、あえて見張らせておくほうがいい。そのほうが下手に怪しまれんだろうし、アルヴの中では無効化されるから何も問題あるまい」 「そうか。お主がそう言うなら、私はその言葉を信じるとしようかの」 「そうしてくれ。それよりフレイ王子はどこだ? 少し……用があってな」 フレイにはアルヴの外に出てもらう必要がある。そうでなければオレが困る。 居場所を尋ねると、オットーが街のほうを指差してオレに知らせた。 「フレイ様ならアルヴァニアだ。しかし、王子は忙しい身。俺でよければ代わりにその用を聞こうと思うが?」 緑のニンゲン、オットー。フレイの側近だけあって、やはり用心深いと見える。 しかし直接オレから話すよりも、オットーから聞いたほうがフレイも信用するに違いない。そう考えて、オレはオットーにそれを話すことにした。 「ならおまえでいい。潜入の成果を伝えさせてもらおうか――」 成果を話し終えるなり、オットーもジオクルスも感嘆の声を上げた。 「今の話は本当なのか! よくそんなことが思いつくものだな」 「まったくじゃ! たしかにリスクはあるが、うまくいけば敵をかく乱できるぞ。お主、思った以上に頭が切れるようじゃのう!」 「あァん? つまりどういうことだよ。金ピカはトロウの手下のふりをして、フレイの仲間のふりをして……? 頭がこんがらがってくるぜ。わけがわからん」 理解できていないやつがいるようだが、馬鹿は放っておいて話を進める。 潜入作戦を行う以上、オレは誰からも疑われてはいけない。どちらも騙し、どちらからも信用される必要がある。 それが最も報酬を手にすることができる方法だという結論にオレは至った。 とくにトロウに疑われるわけにはいかない。いかにあいつに信用されるかが、この作戦のカギだ。そしてそのためには、あいつの狙い通りにフレイがアルヴの外に出たという事実をあいつに見せ付ける必要があった。 「フレイ王子というのは自分の身すらも守れないほど貧弱なのか? そうではないのだろう。スパイとして潜り込む以上、ある程度はトロウを納得させなければならない。だからフレイ王子にもアルヴの外で行動する機会を設けてもらいたい」 「ううむ。王子をお守りする立場とあってはフレイ様を危険にさらすのは反対と言いたいところだが、敵の情報を盗み、かく乱するというのはたしかにこちらが優位に立つために必要なこと。相手は強敵だからこそ、少しでも優位には立ちたい」 「そうであろう。まぁ心配することはない。ラタトスクさえ持たなければ行動を把握されることはない。もし攻撃を受けても、アルヴに逃げ込めば敵はこの場所へは絶対に辿り着けないのだからな」 「そういうことなら……。一度、フレイ様に相談してみようと思う」 どうやら信用してくれたらしい。 その後オットーからフレイに話が回った。 アルヴ内でのやるべきこともあるが、だからといっていつまでもここにこもりきりというわけにはいかない。と、フレイもこれに納得したようだ。 ときどきはフレイも仲間の勧誘のために外を廻ることで話は落ち着いた。 まずは一歩前進。これで少し財宝に近づいたというものだ。 これが最も多く報酬を手に出来る方法。すなわち―― トロウの側につく前金(金貨ひと山)及びその報酬。 フレイの側につく前金(黄金の腕輪)及びトロウの情報を流す報酬。 トロウの側に再びつく前金(金貨ひと山)及び追加報酬。 トロウに”ウソの情報を流す”フレイ側からの追加報酬。 そして最後にトロウを殺して、やつの財宝を総取り。 トロウ→フレイの二重スパイ。それも悪くないが、それだとトロウを殺したあとの財宝を手中に収めそびれてしまう。それは困る。 トロウからさらに報酬を引き出しつつ、かつ最後にはトロウをこの手で倒す必要がある。だからオレの執る手段はこうだ。 フレイ側に所属し、トロウ側にスパイとして潜入し、そこでトロウ側に寝返ってフレイの情報を伝える二重スパイ――――ではなく、トロウ側に所属するふりをして、フレイ側にはトロウの情報を。トロウ側にはウソの情報を。トロウ側を不利にしておけば、トロウを倒す際に有利に事が運ぶ。 すなわち、フレイ→トロウの”逆二重スパイ”というわけだ。 報酬はどちらからもきっちりいただく。追加報酬も上乗せだ。 フレイ側に所属することで最後にトロウを倒せる立場にいる。 ついでにそれが友(ジオクルス)の助けにもなるなら、言うことなしだろう。 「よし。それではオレはトロウに”報告”に行って来よう。潜入作戦を続ける」 「わかった。お主には期待しておるぞ」 「期待はいらん、追加報酬を用意して待っていろ」 そして再びアルヴを発つと、トロウの待つバルハラ城へと飛び立った。 ――これがオレの考え得る最適解。 だから言っただろう、オレにとっては財宝こそが全てだ。それを手に入れるためならば、オレはどんな手でも使ってみせる、と。 裏切りの裏切りだろうと、逆二重スパイだろうと、なんだろうと。 Chapter42 END 魔法戦争43
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/331.html
Chapter51「ちびっこ戦記6:猫になったわたし」 あれから数日が過ぎた。 結局プラッシュが迎えに来てくれる気配はまるでない。 その後、わたしがどうなったのかというと―― 猫にまみれていた。 ティエラの家にはかなりの数の猫が住んでいる。 それはもう、こんな狭い家のどこにこんな数の猫がいたんだというぐらいすごい数で、百とか二百とかそういうレベルの話じゃない。もしかしてベッドの下やタンスの裏に異空間があってそこに猫が潜んでいるのではないか。そう思うほどにたくさんの……もはやおびただしいと表現していいほどの数の猫がここにはいた。 猫たちは新しい住民に興味津々で、次々と鼻を近づけては臭いを確認していく。 その渦の中心にいるわたしは全く身動きが取れない。なんせわたしの顔の全方向に猫の頭があるのだ。視界の先は猫の鼻のどアップで埋め尽くされている。 (ええい、なんなんだこいつら! 寄るな! わたしから離れろ!) 木の椅子の上から微笑ましい表情をしながら、そんなわたしの様子を眺めていたティエラは笑いながら言った。 「あはは。みんな、あんたがどういう子か知りたがってるのさ。猫は匂いでコミュニケーションをとる。竜はそうしないのかい?」 「ふぎゃっ! みぎゃぎゃっ!!」 「そうカッカしないで。怒りや不安、恐怖といった感情は実は匂いに出る。あたいも詳しくはないんだけどさ。そういう感情が昂ぶったときには、特殊なホルモンが体内で分泌されてね。それが匂いにも表れるんだって。今は廃れた科学って信仰における考え方だよ。だからどんなに隠しても、匂いですぐにわかる」 椅子から飛び降りてティエラが一歩踏み出すと、猫の鼻の群れはさっと離れて魔女のために道を作った。そしてティエラが顔を近づけてわたしの匂いを嗅ぐ。 「ふぅん……なるほどね。これは不安だ。不安の香りがする」 「……っぐ」 「ほら! 今、生唾を呑んだでしょ。間違いない。あんたは不安を感じている」 まさにその通りだった。 強がって見せてはいるが、正直なところわたしの心の中は不安でいっぱいだ。 これからわたしはどうすればいいのか。プラッシュは本当にもう助けに来てくれないのか。どうすればわたしは元の姿に戻れるのか。というか、そもそもわたしは元に戻れるのだろうか。 魔法で姿を変えられただけだ。だったら話はややこしくない。魔法で解決できる単純な話だ。 だけどわたしには、自力でそれを解決できるほどの能力はない。少なくとも変性の魔法に関しては。竜の姿に戻る魔法が、ティエラの猫化の魔法で上書きされてしまったのがその何よりの証拠だ。 だったらこれからわたしはどうすればいい。 自力で解決できないのなら、仲間の力に頼るしかない。 仲間のうちでこの手の魔法に長けていそうなのは、プラッシュかフレイヤ。もしかしたらクルスもある程度は心得があるかもしれない。 それならば、このまま脱出して仲間に助けてもらうか。 しかし、この姿では空も飛べない。どうやってアルヴに戻ればいい? あるいは仲間の助けが来るのを待つか。 プラッシュはたぶん期待できない。フレイヤやクルスはわたしがこの浮島アインカッツェにいることを知らない。これも望み薄だ。 となれば、やはり自力でなんとかして元の姿に戻る方法を探るしかない。 この魔法の効果時間はどれぐらいだろうか。いや、そんなの待ってられない。それにその魔法の使い手が目の前にいるのだ。いつ上書きされて効果時間を延長されてもおかしくない。 ならば術者が死ねばどうなる? 魔法の持続力には主に二種類のパターンがある。つまり術者が魔力を消費しつつ魔法を持続させるものと、あらかじめ魔力の塊を一気に放出しておいて、それを燃料のように消費しながら効果を維持するものだ。 前者ならば術者が死ねば魔力の供給がなくなってすぐに効果が切れる。 後者の場合はすぐには効果が切れないが、上書きされなければいずれ効果が切れるときがくる。 しかしもしこれが魔法ではなく呪いによるものだったとしたら? 呪いも魔法の一種ではあるが、効果の維持に関しては魔法と少し違う。 パターンとしては後者に近くて、あらかじめ一定量の魔力を使って発動させるという意味ではよく似ているが、呪いの場合は魔力の塊の燃料として消費するのではなく、さらに膨大な魔力を使って効果を『現状』として貼り付けてしまうものだ。 つまり簡単に言ってしまえば、呪いは時間経過では効果が消えない。 石化なんかも呪いにあたるわけだが、そういった呪いはちゃんとした手順を踏まなければ解呪することができないと聞いたことがある。 当然、術者を殺しても呪いは解けないし、その術者が独自に作り上げた術式の場合であれば、解呪方法は術者にしかわからないわけで、下手に術者を殺してしまうと二度と呪いが解けなくなってしまうことだってあるそうだ。 永遠に猫のままだと? そんなのは困る。 まだ自由に動ける分、永遠にぬいぐるみのままなんていうのよりはずっとマシだけど、このままでは竜の威厳の「い」の字もありはしない。 それにこのままじゃ、わたしの美しいマリンブルーの鱗をたたえたびゅーちふるボディが台無しではないか! これはわたしに対する最大の侮辱だ。許せん。 とにかく、迂闊にこの魔女を倒してしまうのはまずい。 まずはなんとかして元に戻る方法を見つけなくては。それがはっきりするまでは大人しくしておいたほうが良さそうだ。 しばらくわたしは様子を見ることにした。 ふとあるとき、視界の端で何かが動いた。 物陰から伸びる細長い物体。一体それが何者なのか。よくは見えなかったが、わたしはなぜか直感した。あれは何か重要なものだ。見逃してはならない! さっきまではやんわりとした眠気に襲われていたが、急に目が冴えてきた。なんだろう、この胸の高鳴りは。ドドドドド、と心臓が脈打っている。 身体の底から力と勇気が湧いてきた。よくわからないけど、今なら行ける! わたしは身を低くしてその何かに狙いを定めた。あれは今もまだ、あの物陰に潜んでいるはずだ。きっとまた隙を見せる。それを絶対に見逃すな。 そのとき、窓から心地よい風が吹き込んでくる。森の朝露の匂いだ。そういえば昨夜はしとしとと雨が降っていたな。などと考えているとその刹那、再び奴が例の物陰からちらりと姿を見せた。 その隙をわたしは決して見逃さない。 ――今だ! 弾かれたパチンコ玉ようにわたしは飛び出すと、ツメで木の床をドリフト走行しながら、奴に渾身の一撃(ネコパンチ)を叩き込んでやった。 手ごたえアリかッ!! 仕留めたそれは小さなネズミだった。 周囲からは称賛の声が上がった(ような気がした) わたしは仕留めた獲物を咥えると、物欲しそうな周囲の視線を横目に自慢げに胸を張って歩いた。そして落ち着ける場所を見つけると、仕留めたばかりの獲物を置き、一息ついてそして思った。 (ちょっと待て! わたしは何をやっているんだ……!?) ネズミを一匹捕らえた。 猫としてはひと仕事成し遂げたといったところだろう。 だが待て。わたしは猫じゃないだろう。こんなものを捕まえて一体どうするつもりだ? 食べるのか? 冗談じゃない! 仕留めたネズミを投げ捨てると、周囲の猫たちは目の色を変えて獲物へと群がっていった。 (これはまずい。もしかすると思考まで猫化していっているのかもしれない。このままでは竜の誇りを忘れてしまう。このままじゃいけない!) すぐにわたしは行動を開始した。 とにかく元に戻る手がかりは、きっとあの魔女にあるはずだ。ティエラの持ち物を探ってみるとか、あとをつけてみるとか、何かできることがあるはず。 ティエラはいつもあの木の椅子に座っているが、たまにどこかへ出かけていく。 別にわたしはこの家に閉じ込められているわけではない。猫たちは自由に出入りしているし、わたしも自由に出ることができる。ティエラもそれを妨げようとは一切しない。わたしが自力でこの島から出て行けないとわかっているからだ。 (あいつ、いつもあそこに座っているけど、あそこに何かあるのか?) 椅子の先には木の机がある。ニンゲンのサイズなので猫の身体には大きい。ティエラがその机を使っている様子も特にはない。 だがもしかすると、そこに何かが隠されているのではないか? ティエラがいつも椅子の上にいるのは、おそらくその何かを守るために違いない。きっとあそこに元に戻るための手がかりがあるのだ。 ちょうど今、魔女は出かけている。今がチャンスだ。 木の椅子に飛び乗ると、それを踏み台にしてさらに跳躍。机の上に飛び乗った。 机の上は片付いていたが、鍵のかかった小箱がひとつだけ置いてあった。 ――これだ! わたしはそう思った。厳重に鍵までかけて、いかにもな匂いがぷんぷんする。 なんとかこの鍵をこじ開けられないだろうか。 猫になったわたしは魔法が使えなくなっていた。だから何か別の方法を使ってこの箱を開けなくてはならない。 ツメを鍵穴に差し込んでうまく開けられないか試してみたが、ツメが折れて痛い目に遭ってしまった。 ならばかじってみてはどうか。……歯がかけた。 そうだ。この机はそれなりの高さがある。小箱を床に落として叩きつければ、うまくいけば鍵が壊れるかもしれない。 前脚でつつつ、と小箱を押して机の端に移動させていると、そのとき叫び声が飛んできた。 「ちょっと! あんた何をやってるのさ! すぐにそこから降りなよ!」 入口のほうを見ると、ティエラの慌てた顔があった。 ふふん。今ごろ気付いても遅いのだ。あの慌てようをみるに、この箱の中には大層な秘密が隠されていると見た。間違いない、これこそが核心だったのだ。 「こら、ダメだよ! その箱から手を離しなってば!」 残念だったな。油断したおまえが悪い。この勝負、こんどこそわたしの勝ちだ! ティエラの顔を見つめながら、勝ち誇ったようににやりと笑ってみせると、わたしはすっと小箱に最後の一押しを加えた。 小箱は床に落ちると、音を立てて壊れた。 「ああっ、何てことを……!」 壊れた箱からは何か粉のようなものが舞い散った。 甘いような酸っぱいような不思議な香り。その匂いを嗅いでいると、なんだか頭がくらくらしてくる。身体が軽くなったような気がして、なんだか力が入らない。くすぐったいような、ほんわかするような、ふわふわした感じ。 落ちた箱の周囲には猫たちが群がっている。箱の落ちたあたりの床をなめ回している者もいれば、ごろごろと床を転げまわっている者、びくびくと痙攣を起こしている者までいる。これは―― 「な、なんてことを……一度にこんなに与えたら……猫には刺激が強すぎる。だからこうして、大事に、しまっ、て、あった、の、に……」 小箱に隠されていたのはただのマタタビの粉末だった。思っていたような重大な秘密ではなくて少しがっかりしたが、魔女も含めて今はすべての猫が身動きが取れなくなっている。 これはまたとないチャンスだ。何か行動を起こすなら今しかない! わたしは勢い良く飛び出した。 ……まではよかったのだが、マタタビの効果はわたしにも及んでいた。脚に力が入らない。だからうまく着地することができない。 机の上から飛び出したわたしは、そのまま床に転がり落ちた。すると、さらに濃厚なマタタビの香りがわたしを包み込んでいく。 ああ、景色がぼやける。あらゆるものが極彩色に見える。身体の内側を虫が這いまわっているような感じがするし、頭の中で誰かが何かを囁いている。 き、気持ぢ悪い……。最悪……。 そしてわたしの意識は、落ちた。 Chapter51 END 魔法戦争52
https://w.atwiki.jp/tpc-document/pages/289.html
Chapter09「火竜の国ムスペルス」 「見えてきたぞ。あれがムスペルスじゃな」 クルスが前方に見えてきた巨大な雲の塊を指して言った。 火竜族の王子セルシウスと別れてから、魔導船で三日ほど飛んだ先にムスペルスはあった。 自前の翼で飛べる竜族や、大型の船ならもう少し速度は出せるが、小型船ではこれでも最大速度だ。思ったよりも時間がかかってしまっている。それでも、その間に再び例のヴァルトやファントムトロウのような追手に襲撃されることなく無事にたどり着けたのは幸いだった。 「やった着いたのか。しかし、どこにムスペルスがあるんだ? 見たところ雲しか見当たらないが……」 望遠鏡を覗きながらオットーは辺りを見回している。しかし、目立つものといえば目の前の巨大な積層雲ぐらいだ。 するとセッテは、 「なんだ兄貴。まだ気付かないんすか。ムスペならさっきからずっと目の前にあるじゃないっすか。こんなに堂々と」 と面白そうに笑いながら、オットーの先に立って手で前方の空を指し示す。 「それがわからないから聞いてるんだ」 「この雲がムスペっすよ。こんなでっかいのに見落とすほうが難しいっすねぇ」 「雲だと? 火竜どもはこんな雲の中にでも棲んでいるというのか。これのどこが国なんだ」 初めてムスペルスを訪れた者は、知らなければまずそこに到着しても、到着したということに気がつくのが難しいだろう。見かねたクルスが補足して説明した。 「これはただの雲の塊ではない。分厚い層にはなっておるが、中は空洞になっておってのう。内側には大火山から成る浮島が存在しておるのじゃ。具体的には、雲の中の浮島がムスペルスの国土ということになるのう」 山をまるごと空に浮かべて雲の中に閉じ込めたようなムスペルスの大地は、今よりも遥か太古の昔から存在しているのだという。それは人が地上からやってくるよりもずっと前で、地上に文明が誕生するよりもさらに昔に遡る。かつてこの世界には大樹とムスペルス、そしてニヴルヘイム。この3つしか存在せず、そこからすべてが誕生したと説明している神話もあるほどだ。 「原始の時代の火山がそのままこの空に遺されているといった感じじゃな。そんな巨大な大地がどうやって空まで昇ってきたのか、どうやって浮かんでいるかは私に聞かれてもわからんがな。そして私たち地竜が大樹を大切にするように、火竜たちはこの大地を神聖視しておる。国であり聖地であり、そして太古の遺産でもあるというわけじゃのう」 クルスが説明しているうちに船は積層雲に近づき、雲の壁が手で触れられるほどすぐそばまで迫ってきた。 「なるほど。噂には聞いていたけど、来るのは初めてだ。案内を頼むよ、セッテ」 雲は水蒸気の塊だというが、極限までに密度を高めたこの雲の壁はまるで綿のクッションのようで、押せば柔らかな弾力さえ感じられそうである。 物珍しそうに雲に手を伸ばすフレイの様子を見て、慌ててセッテが忠告した。 「あっ、フレイ様、危ないっすよ! それすごく熱いんすから!」 「おっと」 フレイは慌てて手を引っ込める。 しかし、そこでひとつ疑問が生まれた。ムスペルスはこの中だ。そんな熱くて厚い雲の壁を一体どうやって通り抜けるというのか。 「船は大丈夫なのかな」 「任せるっす」 セッテが長い呪文を唱えると、光の膜が広がって船全体を包み込んだ。 「耐熱障壁っす。中の空間もすごく暑いっすから、火竜でもなければ生身じゃ数分ともたないっすよ」 「具体的にはどれぐらい?」 「コップの水がすぐに蒸発したり、卵を割ったらあっという間に目玉焼きになっちゃうぐらいっすね。あと湿度はほぼ100%っす。それにあちこちにマグマの川や池があるんで、温度計は振り切れちゃって測定不能なんすよねぇ」 「なんて過酷な場所だろう。まさに炎の国といった感じだ」 「火竜にとっては居心地がいいらしいっすけどね。まあ大丈夫っすよ。おれが上陸する前にみんなにも直接、耐熱と耐火の魔法をかけますんで。あ、でも水分補給だけは自分で気をつけてくださいっす」 話しているうちに、船の穂先が雲の壁に差し掛かった。船首が雲のかき分けるように奥へと入っていく。 しばらくは雲の中を進んだ。まるで濃い霧の中にいるようで一面真っ白、隣に立っている仲間の顔すら見えないほどだ。魔導船は魔法が目的地まで自動で船を導いてくれるので安心だが、もしそうでなかったら雲の中で遭難してしまっていたかもしれない。 それから数分ほど進んだだろうか。硫黄の香りが次第に鼻をつくようになり、ようやく雲の壁を抜け切った。 雲の壁も想像以上に厚い層だったが、中の空間もまた予想以上に広大だった。外とは別のもうひとつの空がそこにあるのではないかと錯覚するほど広く、抜けてきた反対側、つまり正面のずっと向こう側の壁は遠すぎてここからは見えない。 そしてこれだけ広い空間があれば、そこに浮かんでいる島もまた大きかった。浮島なんてちっぽけなものではない。もはやあれは浮き大陸といってもおかしくないほど巨大な岩の塊がそこにはあり、火山が中心にあるとは聞いていたが、山がひとつある程度のものではなく、山脈をまるごと地上から引っぺがして空に浮かべたような規模だ。さらにはセッテが言っていたように、山から流れ出したマグマの川がいくつも延びており、あちこちでは黒煙が昇っていた。 「ようこそムスペルスへ! おれたちの暮らしてる場所とはまるで別世界っすよ」 ムスペルスには港のようなものは存在しない。火竜たちは魔導船など使わなくても、自前の翼で飛べるからそんなものは必要ないのだ。 そこで適当な岸辺に船を着けると、セッテに保護魔法をかけてもらい、フレイたちはムスペルスの大地へと降り立った。 「私はここに残るぞ。地竜と火竜の関係は悪いわけではないが変に目をつけられても困るし、それに耐熱魔法の効き目が切れたら誰かがかけ直さねばならんからの。戻ってきたら帰る船が燃えて灰になっていたでは困るじゃろう」 「わかった。それじゃあ行ってくるよ。なるべく早く戻るから」 クルスを残して、フレイたちはセッテの案内でムスペルスの王城へと向かった。 王城はこの大地の中央に位置する山脈の火山の上にある。火竜たちは飛べるのでまったく問題がないが、人と身からすればずいぶん遠い。 なんせこの暑いなか、わざわざ登山までしなければならないのだから。耐熱魔法をかけてもらっているとはいえ、それでも暑いことには変わりはない。 「セッテ。おまえが修行していたのは王城の兵舎だったな。こんな山を毎日登っていたのか?」 「まさか。セッちゃんに乗せてもらってたっす」 「はぁ。まったくおまえってやつは、王子使いの荒いやつだな」 「好意に甘えさせてもらってただけっすよ! こんなところでも集落があって、人数は多くないっすけど同じように修行に来てる人や、あるいは学者だったりも滞在してるっすから、宿はそこにお世話になってたっすね。いろいろ魔法が駆使されてて、外とは違って涼しくて快適な宿だったっすねぇ」 話しているうちにその集落にたどり着いた。町や村というほど立派なものではなく、掘っ立て小屋のような簡素な建物が少数寄り集まっているだけのもので、ここには火竜の姿はほとんどなく、今はここに滞在している人もいないようだ。火竜はそこらで適当に眠ったり、あるいは山肌の洞窟をねぐらに使うので、狭苦しい家などは必要ない。そのため集落という概念をそもそも持っていないのだ。 「でも中にはここの人相手に商売をする変わった火竜もいて、そこで売ってたムスペまんじゅうがなかなかおいしかったんすよねぇ。ホットで、スパイシーで、とろふわで。今でも売ってるっすかね~。ちょっと寄ってっちゃだめっすか?」 「観光に来たんじゃないんだぞ。王子の用事が最優先だ」 「ちぇー。残念っす」 口惜しそうになんども振り返るセッテの手を引きながら小さな集落を後にする。そこから少し進むとリフトが設置されていた。セッテも見覚えがないというから、セッテが修行から帰った後に作られたものなのだろう。どう見ても火竜用のサイズではないので、集落の人たちが王城に向かうときのために設置されたものだと考えられる。 リフトに乗り込んでみると小さな装置が目に入った。焦げ目がついているので、ここで炎を当てるのだろうということはすぐにわかった。セッテが手をかざして装置に炎を放射すると歯車の回る音が聞こえてリフトが動き始めた。 装置の中には小型タービンと液体が入っていて、熱することで液体を循環させて歯車を動かすエネルギーを得る方式だ。 「こいつぁ便利っす」 「魔法と技術の融合か。面白い発想だな」 「こういうのは竜にはマネできないっすよね」 リフトで山を昇りきると、ちょうど王城の目の前だった。 火竜サイズなので、ユミルにあるバルハラ城とは比べ物にならないほど大きい。 そびえ立つ絶壁のような門をくぐり、それだけでバルハラ城下街がすっぽり収まってしまいそうな広さの中庭を抜けて王城の中へと入る。 絶対に攻め込まれない自信があるのか、あるいはそもそも守る必要がないと考えているのか、門番や見回りの兵のようなものはまったく見当たらない。上方を飛んでいる火竜の姿はここまでにいくつか見かけたが、城の中ではまだ火竜に会っていない。 セッテがいうには、ほとんどの火竜は火山の中腹あたりにいるらしく、城にいるのは王族ぐらいのものだという。兵舎もあるにはあるが、そもそも火竜そのものが強く頑丈で一般の竜が兵士のようなものなので、この城は行事などに使われる程度らしく、大抵はこのとおりがらんとしているという。 「もとが強いからわざわざ王族を守る必要とかもないんすかね」 「政治とかはやらないんだろうか」 「まあ、火竜王とはいっても人から見れば族長みたいなポジションって感じっすからね。ムスペは外交もあまりしてないし、むしろニヴルとにらみ合ってるだけで、あとは各々好きなようにやってるって印象っす」 「ふむ。しょせん竜は竜か。それで王子。火竜王にはどう説明いたしますか。火竜が我々の力になってくれれば心強いですが、セルシウス殿の言うように、我々に味方するメリットが火竜にはありません。どう説得したものか……」 「うん。難しいところだけど、かといって嘘を言うわけにもいかない。あとで問題になると困る。だから正直に話してみるしかないね」 そのまま奥に進み玉座の間へと向かう。そこでフレイたちは火竜王ファーレンハイトと謁見した。 玉座はあるものの、火竜は四足に大きな翼を持つ体形をしているので椅子に座るという文化はないらしく、ファーレンハイトは玉座の前に寝そべっていた。 「お忙しいところ失礼致します、火竜王様。お願いしたいことがあり、ユミル国から参りました」 声をかけるとファーレンハイトは首だけを持ち上げて答えた。 「うむ? なんだニンゲンか。我はおまえたちに構っているほど暇ではない。消し炭にされる前に帰るがよい」 それだけ言うと再び眠そうに首を下げた。 (どう見たって、めっちゃ暇そうじゃないっすか!) (静かに。ここで火竜王の機嫌を損なうわけにはいかない) フレイは諦めずに続けた。 「申し送れましたが、私はフレイ。ユミル国の王子です」 「ほう。ニョルズのせがれであったか。ならば話を聞いてやらんわけにもいかぬ」 のっそりと身体を起こすと、ファーレンハイトはフレイに向き直った。 竜族の見分けはあまりつかないが、なんとなく父親だけあってセルシウスと雰囲気は似ている気がするなとフレイは思った。体格はさらにふたまわりほど大きく、ヴァルトほどではないが竜の中でもかなり大きいほうの部類だろう。 「それでフレイ王子。我に何の用だ? さては親父に言われて我が国に奇襲でも仕掛けに来たか」 「そんな、とんでもありません! ただ私は火竜王様に相談したいことがあってムスペルスを訪れたのです」 「相談だと? しかし噂では貴国は戦争の準備を始めていると聞くぞ。それを相談とは悠長な。それとも何か。攻め入られたくなければ、これから提示する条件を飲めとでも言うつもりなのか」 にやりと笑いながらも、鋭く火竜王の目はフレイをにらみつけてくる。しかし臆せずフレイは続ける。 「そうですね……。ある意味ではそうかもしれません。ただ私は父上とは違う考えをもっています。ニョルズ王は今、トロウという魔道士にそそのかされて、その結果として噂のとおり軍備の増強を進めています。しかし私はそれを阻止したいと考えております。そのためにはトロウを止める必要があるのですが、その男は魔道に長けており、自分たちの力だけでは奴の暴走を止められません。そこであなたたち火竜の力を借りたいと思い、ここにお願いに参った次第です」 「ほう。しかしそれが我々にとって何の得になる。断る、と言ったらどうする?」 「このままではムスペルスとユミルは戦争になります。しかしトロウを止めればそれは回避できます。無益な争いを回避できることは、貴国にとっても損ではないかと思いますが」 「無益ねぇ……」 ふっ、と笑うとファーレンハイトは険しい表情になり、声を低くして答えた。 「我は貴国が攻め入ってくるならば、それはそれで構わぬ。そのときは返り討ちにしてやるだけのこと。貴殿らも既知のことであろうが、火竜の中にはまだニンゲンを認めておらぬ者も多い。もともとこの空は我ら竜族の領域なのだ。物好きの地竜どもが大樹にニンゲンどもを住まわせるのは勝手だが、我々に害なすならためらうことなく排除する。それが空の秩序のためにもなる。ただそれだけだ」 「それは誤解です! 父上はトロウにそそのかされているだけなんです。人間は竜族を害そうなんて思っていません」 「それは矛盾しているぞ、フレイ王子よ。ニョルズ王とは親交がある。あやつが悪いニンゲンではないことは我も理解している。そのせがれであるなら、貴殿もそうなのだろう。だがそのトロウとやらもニンゲンなのだろう? ずいぶん純粋なようだから教えておいてやる。たしかに貴殿のような善人もいるが、基本的にニンゲンの本性は悪だ! 欲に駆られて同族ですら平気で害するような種族だぞ。では聞くが、貴国はなぜあんなに兵士がいる?」 「それは……城下街の治安を守る為で……」 「わざわざ兵士を置いて見張っておかなければ治安を維持できない。ゆえにニンゲンとは自然状態は悪なのだ」 「そ、それは……」 「ふん、返す言葉もないか。まあよい。我ら火竜には誇りにかけてこの空の秩序を守る義務がある。それを壊す恐れのあるニンゲンは排除すべきだという声もあり、我もそれには同意だ。だがニョルズ王との縁もあるので、今のところはあえて目をつぶってやっている。ただそれだけだ。だからニンゲンに協力することが我々にとって得になるということはあり得ない」 ユミル国など――人間などその気になればいつでも潰してやれるとファーレンハイトの目が語っている。トロウが原因でユミル国が戦争を起こしたならば、国ごとまとめて排除してやる。それだけのことだと。 なんとか食い下がりたいフレイだったが、火竜が手を貸す利点を他に提示することができなかった。 言葉に詰まっていると、こんどはファーレンハイトのほうから条件を提示した。 「ならばこうしようではないか。我が国は太古の昔より氷竜どもの国ニヴルヘイムと戦ってきた。奴らはすべてを凍てつかせ、近寄る者をすべて排除する冷血な種族だ。自分たちのことしか考えていない。あれも空の秩序のためには倒すべき宿命にある。そこでものは相談なのだが、ユミルがニヴルを倒すため我々に協力するというのであれば、そのトロウとやらを倒すのに協力してやってもよい」 たしかにその条件を飲めばトロウを倒せるかもしれない。そうなればムスペルスとユミルの戦争は回避できる。 しかし火竜王に協力してニヴルヘイムの攻撃に参加するということは、それはユミルとニヴルヘイムが敵対関係になるということでもある。 フレイが戦争を止めるために旅に出たのは、トロウに操られた父親を正気に戻すためだが、これまで建国から争いなく平和な時代を送ってきたユミル国の歴史を壊さないためでもある。だからトロウを止めるためとはいえ、ここでニヴルヘイムに手を出すことはできない。 以上のことを丁寧に説明すると「ならば協力もなしだ」と火竜王は話を切り上げた。 「ニョルズ王に免じて、そちらから手を出さない限りは、我々から攻め込むようなこともしないでおいてやる。だが攻撃してくるならば容赦はしない。それだけは肝に銘じておけ。話は以上だ」 交渉決裂だ。フレイたちは肩を落としてムスペルス王城を後にするのだった。 重い足取りで船へと戻る道中、落ち込むフレイにセッテが声をかけた。 「まあ、こちらから手を出さなければ問題ないことはわかったんすから、それだけでも収穫っすよ。おれたちがトロウを止めさえすれば戦争は回避できるんすから。セッちゃんは心配してたっすけど、火竜王様も厳しそうだけど意外と話のわかる竜でよかったじゃないっすか」 「そう……だね。ただ依然としてトロウに対抗する力が足りないのも事実だ」 「うーん、そっすねぇ。兄貴、何かないっすか?」 「うむ、そうだな……。では王子、こんどはニヴルの氷竜を説得してみてはいかがでしょうか」 「氷竜を? しかしニヴルは鎖国政策中だというし、近づく者はなんでも排除すると火竜王も言って……」 「ムスペも隙あらばすぐに攻め込んでくるというような噂でしたが、こうして実際に話を聞いてみれば手を出さない限りは手荒なことはしないとわかったわけではありませんか。噂とは尾ひれのつくものです。ニヴルのほうも噂を鵜呑みにせず、一度は実際に行ってみる価値があるのではないかと」 「なるほど。それは一理ある」 鎖国政策中だというのは間違いなく事実だが、近づいただけで排除されるというのは尾ひれの可能性がある。火竜の協力を得られなかった以上、今は他にあてがあるわけでもない。なんとか鎖国状態のニヴルヘイムに入国する方法を考える必要はあったが、次に向かうべき場所はそこに決まった。 人陰のない例の集落にまで戻ると、さっきはいなかった火竜たちがそこに集まっていた。ムスペまんじゅうが買えるかもしれないとセッテが嬉々として飛び出していったが、すぐに血相を変えて戻ってきた。集まっていた火竜たちはセッテのあとを追ってくると、すぐにフレイたちを取り囲んでしまった。 「見つけたぞ、ニンゲンめ! おまえたちも奴の仲間か!?」 「例の噂は本当だったようだな。すぐに火竜王様に報告せねば」 「不意打ちとはいい度胸だ。生きて帰れると思うなよ」 「しょせんニンゲンはニンゲンだな。やはり排除すべきなのだ」 口々に穏やかでないことを言っている。それに話もよく見えない。 「ま、待ってくれ。不意打ちって何の話だ。奴って誰のこと?」 「とぼけるな! あれだけ暴れておいてしらを切るつもりか!」 「おい、追ってきたぞ! 逃げろ!!」 見上げるとこちらに向かって燃えたぎる岩石が隕石のようにこちら目掛けて飛んでくるではないか。それも雨のようにいくつも、無数に、おびただしく。 それを見るなり、火竜たちは一目散に逃げ出していった。 「な、なんなんすかあれェ!?」 咄嗟にセッテが上空に防壁を張るが、隕石はあっさりとそれを突き破って飛び込んでくる。 「だめだ。僕たちも逃げよう」 岩石は地面にぶつかると爆発して炎を撒き散らした。 大量に降り注ぐ隕石は、まるで爆撃のように次々と爆発を起こし、見る見るうちに地形を変えていく。火山の噴火か。いや、これはそんな自然現象のようなものではない。何者かによる魔法攻撃を受けているのだ。 さっき火竜たちが言っていたことも気になるが、今はフレイたちはただひたすら船に向かって走るだけだった。 その様子を上空から見下ろす人陰がひとつ。 血に塗れたような赤黒いローブをまとった魔道士が空中に浮遊している。魔道士は目でフレイたちを追うと一人呟く。 「こんなところでフレイ王子を見かけるとはな。ちょうどいい。火竜たち共々、我が魔法で始末してやろう。トロウ様が欲しているのは奴の血のみ。殺すなとは言われていないからな」 魔道士が両手に黒い炎を燃え上がらせると、マグマの川から引き寄せられるように溶岩が浮き上がっていく。それが空中で冷えて固まると、魔道士は黒い炎をまとわせて先ほどの燃えたぎる岩石を形成していく。それをいくつも自分の周囲に浮かせながら、いつの間にか戻ってきて攻撃の矛先を向けてきている火竜たちに向かって叫んだ。 「我が名は金魔将ヴィドフニル。トロウ様の命により、これより実験を始める。手始めに邪魔な竜どもには大人しくなってもらおうか」 Chapter09 END 魔法戦争10