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Chapter44「鉄のゴーレム2:鉛のように重い夢」 しばらくしてセッテがフレイをつれて戻ってきた。 まだ相手が何者かもわからないし、もし敵だった場合には戦うことになるかもしれない。その場合は足場のない空中での戦いになるので、決してセッテやフレイの実力を否定するつもりはないが、できれば飛べない人間は足手まといになるのでつれて行きたくない。 そんなことを思っていると――――ん? あれは。 私の目の錯覚だろうか。まずセッテが駆けてくるのが見える。これは当然だ。 その右手がフレイを引っ張っているのもわかる。きっとまた無理を言ってつれてきたのだろう。フレイも気の毒に。 そしてその左手が引っ張っているのは……ちょっと待った。さらにもう一人増えているとは一体どういう了見だ。 「お待たせしたっす。それじゃ行くっすか!」 到着するなりセッテは何食わぬ顔で出発を宣言したが、その前に言うことがあるだろう。フレイをつれてくるとは聞いたが、もう一人来るとは私は聞いていない。 わざと不満そうな顔をしてセッテがつれてきた二人をほうを見てやると、フレイは苦笑しながら申し訳なさそうに軽く頭を下げた。その隣に並ぶゲルダも、そんなフレイの様子を見てから同じような顔を真似して頭を下げた。ちゃんと意味がわかってやってるのかは知らないが。 「おかしいのう~。私はフレイだけじゃと聞いたが?」 「あ、ゲルダのことっすか。フレイ様呼びに行ったら一緒にいたんで、せっかくだからつれて来たっすよ。ゲルダ一人置いてくるのもかわいそうじゃないっすか」 せっかく二人でいるところを邪魔しては悪いとは思わなかったのだろうか。 「フレイ、お主も無理に付き合う必要はないぞ。何かやることがあったのではないか?」 「なくはないけど……この前言っていたね。ファフニールの作戦のために協力する必要があるって。だからときどきは僕もアルヴの外で行動しないと、ファフニールがトロウに疑われてしまう。だったら今回はちょうどいい機会だ」 たしかにファフニールはトロウから、フレイをアルヴの外に誘き出せという任務を受けている。こちら側のスパイだと気付かれないためには、ファフニールがトロウに従っているように仕向ける必要はあるが……そう急ぐ必要もあるまいに。 下手に順調すぎても疑われかねん。というかお主、真面目か。 「ゲルダ、お主はこれから私たちが何をしに行くのか理解しておるのか? ただ鉄くれの紛い物の竜を見に行くだけじゃからな。お主にとって面白いものはないぞ」 「ううん。別にどこだっていい。私はアルヴの外に出たことがないから、外の世界が見れるってだけで楽しみだし、フレイと一緒ならどこへでも行くよ」 こやつはこやつで盲目か。説得するだけ無駄らしい。 「ええい、仕方ないのう。危なくなったらすぐに戻るからな! トロウの刺客の可能性だってまだ否定できんのじゃからな。フレイは狙われておるし、ゲルダは戦えないし、足場のない空中でお主らを庇いながら戦うのはさすがに私でも無理じゃ」 「おれは? おれは?」 「お主は知らん。もし落ちたら、また自慢の兄貴に助けてもらえ」 「えーっ! 兄貴もう竜じゃないっすよぉ~」 「いいからさっさと乗れ。乗らんのなら置いていくぞ」 私は三人を背中に乗せるとアルヴを飛び立ち、まっすぐに外へと向かった。方角は東、最後に噂のあやつが目撃された方向だ。 グニタヘイズのファフニールのところへ向かったときはフリード一人を乗せるだけなので問題はなかった。帰りは天馬とヴァルキュリアが一人増えたが、フレイヤの船に乗せてもらえたのでこれも困ることはなかった。 しかし三人も背中に乗せるのはなかなか難しい。うっかり途中で落としてこないようにできるだけ身体を水平に保たなければならないし、重心が大きくずれるせいで私自身もバランスを取るのが大変になる。バランスを崩して墜落したのでは笑い話にもならない。 細心の注意を払いながら雷雲を抜けてアルヴの外へ出る。私だけならなんのことはないことなのに、背中に三人乗っているだけでこれが非常に疲れる。 「はぁ……。お主ら、全員ちゃんとおるな?」 振り返って確認したいところだが、今はバランスを保つので精一杯だ。 頭の後ろからはにぎやかな声が聞こえてきた。 「わぁーっ! これが外の世界!! 空ってこんなに深くて広くて青いんだ!」 「そっか。アルヴの中は雲に囲まれてたっすからねぇ。アルヴは白の世界。空は青の世界っすね! そしておれたちの故郷ユミルは緑の世界!」 「じゃあムスペが赤の世界、ニヴルが青の世界だね。って被ったか」 まったくいい気なものだ。私の気も知らずに。 そして幸か不幸か、雷雲を抜けた先に噂の金属の竜の姿はなかった。 このままアルヴの周囲を旋回してその姿を捜すつもりだったが、三人を乗せての飛行は思った以上に疲れるものだった。無理をして墜落しては元も子もないので、手近な浮島で三人を下ろして一旦休憩を挟むことにした。 現在アルヴを包み隠す雲塊はムスペルス付近を流れているようだ。このあたりには浮島はほとんどないが、島とは呼べないほどの小さな岩石がいくつも浮かんでいる。これはムスペ周辺を飛ぶときにはぶつからないように気をつけなければならない障害物だが、今はそれがありがたい。 岩石の中には竜が乗っても大丈夫な程度の大きさのものもある。これらは浮島のように島雲に乗って浮いているのではなく、岩石中に含まれるこの地域特有の成分がムスペの大火山が発する磁気の影響を受けて浮遊している。 浮力が弱いので上に乗ろうなどとは誰も考えたことはないだろうが、そっと乗ればおそらく問題はないだろう。そっと、そぉ~っと乗ればたぶん、な。 雷雲から少し離れて浮遊岩石群を間を縫って飛んでいくと、そこそこの大きさがある岩石を見つけた。グリンブルスティの甲板と同程度の広さがある。あれぐらい大きければ浮力も十分だ。 岩石の上に降り立って三人を下ろすと、疲れ切ってベッドになだれ込むかのように私は岩石の上で横になった。ああ、思った以上にこれはしんどい。 「疲れたので私は少し休む。お主らはUFOでも探しておれ。万が一何かあったら、できるだけ自分たちで対処して、どうしても駄目なら私を起こせ。私は寝る」 「ちょ、クルス! こんな何もない場所におれたちをほっぽり出して自分はお昼寝っすか。こんな場所じゃ何もやりようがないっすよ」 「だから言ったじゃろうに。遊びに行くわけでもないし、面白いようなことでもないと。もし噂のメタルドラゴンとやらが通ったらすぐに起こせ。おやすみ……」 「そうだ、メタルドラゴン! どこっすか、鋼鉄の竜は。おれは炎だから、金属には強いはずっす。絶対に見つけてとっつかまえて――」 まぶたが重い。セッテの声がどんどんぼやけて遠ざかっていく。 力が抜けて体重が地面へと吸い込まれていく。私の意識はまどろみの中に沈んでいった。 ――私は夢を見た。 夢の中の私はひどく疲れていた。そしてひどく負傷していた。 どういう経緯があってそうなったのか。戦いに敗れたのか、何者かに襲われたのか、そういうことは何もわからない。夢というのはいつでも脈絡のないものだ。 夢の世界の私は重い身体を引きずりながら、果ての無い赤い大地を歩いていた。 空はもやのように包まれて色ははっきりとしない。前方は闇。振り返る後方もまた闇だった。 私はどこから来たのか、そしてどこへ向かっているのか。そう疑問に思いながらも、夢の中の私はただ重い一歩を何度も繰り返して、意味もわからず前へと進んでいくだけだ。 しばらく行くと、突然に周囲の景色が一変した。 足元には空がある。浮遊感はなく、しかし私は空に立っている。 見上げるともやに包まれた空には、逆さまに大樹ユグドラシルが生えている。 わけのわからない夢だ。 (まあ、夢なんてそんなもの。いつだってわけがわからないものだ) その奇妙な世界を受け入れるでもなく、しかし拒絶するでもなく、ただぼんやりと私はそこに立っていた。どんな奇妙な夢だろうと、いずれは覚める。 逆転した大樹を見上げていた視線を正面へと戻すと、いつの間にかそこには私の知らない誰かが立っていた。その顔ははっきりしないので誰とは断言することはできないし、その身体ははっきりしないのでどんな姿だとも、竜なのか人間なのか、あるいはそれ以外の何者なのかさえも明言することはできない。 その誰かは、私にも理解できる言葉で喋った。 『傷が痛むか。身体が痛むか。それとも精神(こころ)が痛むか』 (……おまえは?) 『痛みがあるというのは辛いということだ。誰だって痛いのは嫌だな。だからその痛みを回避しようとする。だからおまえは、逃げた』 (ち、違う。私は逃げたわけじゃない。いや、結果としては逃げたということになるのかもしれない。でもあれは仕方がなかった! 私にはそうすることしかできなかった!) 夢の中の私は、それを傍観している私の意識とは関係なしに、そう答えていた。 『おまえは、逃げた。痛みから逃げた。しかし、それでもまだおまえは痛みを感じている。それはなぜだ? 痛みがあるというのは辛いということだ』 (辛い……。私は辛さを感じているのか。もう何百年も前のことなのに?) 『精神(こころ)に時間は関係ない。過去は現在であり、現在は未来だ。すべてがつながっている。過去からは逃げられない』 (でも過去には戻れない。もう過ぎたことを悔やんだって、どうしようもない) 『痛みを回避したければ、逃げる以外の方法を見つけることだ。未来は現在。ゆえに現在を変えれば未来を変えることになる。過去の事実は変わらないかもしれないが、過去の清算にはなる。それが過去を変えるということだ』 (おまえは……おまえは誰だ? なぜそんなことがわかる?) 『それは、自分でもよくわかっていることだ。そうだろう? それともおまえは鏡に向かって、おまえは誰だと問いかけるのか?』 (おまえは……) よくわからない三文芝居を見せられているような気分だった。何か気になることを話しているような気もする。しかし、夢の中の半ばぼんやりとした状態の頭ではそれをうまく理解することが出来ない。そして目が覚めれば、その内容のほとんどはどうせ忘れてしまうのだ。 せいぜい今の私に考えられるのは、この目の前のやけに意味深で知ったようなことを喋っているのは誰だろう、と何となく思うことぐらいだった。 (そういえば金属の竜……。私はそいつを捜しているんだった。こんなところにいないで、金属の竜を捜さないと) 急に現実の世界のことが思い出されて夢の中に介入してきた。こういうのは、眠りが浅くなってきているサインだ。現実でやらなければいけないと思っていることと夢の内容がごちゃごちゃになって混じり合うことがある。 例えばどこかに出かけなければいけない、と思っているときに遅刻しそうな夢を見て、なぜか知っているようで知っている場所とは微妙に違う場所を必死に走っていたり、あるいは走っても走ってもなぜか身体が全然進まない夢を見たり。 そういう感じだった。 金属の竜のことを考えていると、目の前のその誰か雰囲気ががらりと変わった。 灰色で、しかし赤や青や緑や紫のような色がごちゃ混ぜになったような、不安を感じさせる混沌とした気配だ。 『金属の竜に会いたいと? 良いでしょう。会わせてあげますよ……』 混沌とした気配は、鋭く赤い眼を光らせる。 すると私の身体は金縛りに遭ったかのように痺れて動かなくなってしまった。 『ほぉら……。あなたがお望みの、金属の竜ですよぉ……』 声がそう発すると、身体を動かせない私の意思に反して、視線だけが操られるようにして勝手に動いていく。視界には私の両手が映った。 いつも見慣れている地竜の鉤爪だ。 しかし、それは私がいつも見慣れている色のようではなかった。 私の両手はまるで作り物のように硬い光沢を放っている。そしてそれが目に入った途端に、私の両手はずっしりとした重さを、そして凍りつくような冷たさを感じ始めた。 この感覚は、たしかに目の前にあるこの光沢ある手から感じられる。 これは……これは、私の手なのか? 『金属の竜に会いたかったのでしょう? しかし、そんなどこにいるのかわからないもの。そもそも現実に存在するかどうかも怪しいものを見つけるのなんてとても面倒、面倒ですよねぇ~?』 そしてその重さと冷たさは、徐々に腕を伝って上へ上へと昇ってくる。 同時に足先や尾の先にも同じ感覚があることに気がついた。それも同様にしてじわじわと身体を侵蝕していっているのがわかる。 どんどん身体が鉛のように重くなっていく。氷のように冷たくなっていく。 『ならば作ってしまえば話は早い。その材料は……おまえだよ、ジオクルス。立派な彫像にして大事に大事に飾っておいてあげますよ。永遠に、ね……。ひ、ひひひ……。ひひゃはははははッ!』 説明されなくともわかった。そんな気はしていた。 そしてこの声はおそらくトロウだ。よりによって夢の中にまで出てくるとは。 わかっている。こんなものはまやかしだ。私の精神が作り出した幻影だ。 これはただの夢。目が覚めれば、何事もなかったかのように忘れてしまう。 そうわかってはいても、重さと冷たさが身体を昇ってくるにつれて、胸が押し潰されるような圧力を感じたり、強い息苦しさを感じたりもする。 首が金属と化す。完全に呼吸が止まった。 苦しさにもがき、暴れ出したいところだったが、身体は石のように動かない。 顔が金属と化す。鉄板で前後から顔を挟みこまれたような感じだ。 何も見えない。鉄臭い。金属を爪でひっかいているような耳鳴りがする。 そして目が金属球となったので何も見えないはずなのに、いつの間にか私の意識は身体の外にいて、金属の彫像となった自分の姿を凝視しているのだ。もちろん、押し潰されるような全身の重さと凍える寒さは感じ続けている。 そのとき、どこかでミシッと何かが軋むような音がした。 それを合図に、身体を押さえつける重さが急激に増し始めた。 もともと痺れたようになって動けなかったが、それにも増して1ミリすらも動けなさそうな強烈な締め付けが全身を襲う。 そしてついに、外なる目でその様子を強制的に見つめさせられているその目の前で、私の身体はどんどん押し潰されて小さくなっていき、スクラップにされた鉄くずの塊のような立方体へと変貌してしまった。 『おやおや、こんなに小さくなってしまって。仕方がありませんねぇ。もったいないので、リサイクルして城の柱の一部にでもなってもらいましょうかねぇ……』 幻のトロウが何か言っているが、もう聞き取れない。 私の意識もスクラップ同様に押し潰されて、徐々に薄れていった。 それでいい。意識を失って次に目覚めれば、それで夢は覚める。 これはただの夢。所詮は夢。どんな奇妙な夢も、いずれは覚めるものだ……。 目を覚ました頃には、何か悪夢を見たようなことだけは覚えているが、その内容のほうはさっぱり覚えていなかった。ただすごく身体が重いし、頭が痛い。 「むぅ。こんな硬い岩の上で寝たせいか? アルヴの柔らかい雲の上で眠ることに慣れすぎてしまったようじゃな……」 辺りは静まり返っている。思ったより長く眠ってしまったのだろうか。 まだ陽は落ちていないので、そこまで時間は経っていないはずだが。 「金属の竜――んん? 何か金属の竜のことを考えると嫌な感じがするのう。もしかして予知夢か? 内容は全然思い出せんが……。とにかく、そうじゃ。私はその金属の竜を捜しに来ていたんだったな」 ようやく頭が覚醒して思考がクリアになってきた。意識を覆っていたもやのようなものが晴れていく。 あくびをひとつして脳内に酸素を補給。そしてはっとする。 「……しまった! セッテたちをつれて来ていたんだった。こんな殺風景なところでは、ずいぶん退屈させてしまったに違いない。さすがに怒っておるかのう……」 怖い顔をしたセッテがそこに立っていることを想像しながら、そっと後ろを振り返る。が、そこには誰の姿も無かった。 「……? セッテ?」 ここはただの浮遊岩石の上だ。ただの岩だ。 隠れるような場所もないし、飛び移れるほど他の岩との距離は近くない。 「フレイ? ゲルダ?」 まして三人はただの人間と竜人だ。 翼を持つわけでもないし、飛べるような能力も魔法も持っていないはずだ。 「まさか落ちたのか! そろいもそろって!?」 浮遊岩石の上には、私以外の誰もいない。セッテも、フレイも、ゲルダも。 私が夢から覚めると、三人とも煙のように消えてしまっていた。 まるで彼らをつれてきたことさえも、夢であったかのように。 Chapter44 END 魔法戦争45
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Chapter30「オットーの愛4:もっとも強くて美しい魔法」 気がつくと俺はヒルディスヴィーニ号の上で倒れていた。 はて、おかしいな。俺はすべての力を使い果たして空の底に落ちたのではなかったのか。それとも、ここは現実世界によく似たあの世なのだろうか。 起き上がって自分の姿を見ると、人間のオットーに戻っていた。 俺は魔法で風竜に変えられてしまったはず。それが元に戻っている。ということはやっぱり俺は死んだのだ。あの世に飛ばされて、魂は本来の姿に戻ったわけか。 隣を見ると、セッテが静かに眠っているのが見えた。 「――――!!!? ば、馬鹿な!! 俺はすべての力を使い果たしてまで、おまえを助けようとしたんだぞ!? それなのに、それなのにおまえがここにいるということは……」 だめだった。俺はセッテを助けることができなかった。 そういうことに違いない。結局、元人間の竜では魔力が足りなかったのだ。 「すまない。俺のせいでおまえまで……本当にすまない……」 すべて俺のせいなのだ。そもそも俺がたまたま見かけた天馬を追ってフレイヤ様に会ったせいで俺は竜に変えられて、別行動をしていたセッテと遭遇することになり、その結果としてセッテが空から落ちたのだ。 だから俺が余計なことさえしなければ、弟が死ぬことはなかった。 「きっとおまえは俺を怨んでいるだろう。いつも俺はおまえに厳しくしてきたが、それはおまえのためを思ってのつもりだった。おまえは俺よりも魔法の才能があるし、俺にはできないことができる。だから、それをもっと伸ばしてやろうと思って厳しくしてきた。それなのに、そんなおまえの夢を、将来を、すべてを俺が奪ってしまったんだ……。すまない。すまない。すまない。全部俺が悪いんだ……」 涙があふれて止まらなかった。死ぬのは俺だけで良かったのに。 頬を伝った涙が一滴、セッテの顔に落ちた。 「……うう。しょっぱいっす」 するとセッテが目を開けた。 奇跡か。セッテが生き返ったのか! いや、それは違う。ここはあの世なのだから、ただセッテの意識があの世に到着しただけのこと。つまり、本当にセッテは死んでしまったのだ。 俺はセッテにすがって泣きながら詫びた。 セッテは訳がわからないような顔をしていたが、それでも俺は謝り続けた。 「ううーん。兄貴が竜になったと思ったら、こんどは延々と謝ってくるっすよぉ。なんなのこの夢。なんだか気持ち悪いから二度寝するっす!」 そのままセッテは深い眠りについた。 レスト・イン・ピース。愛する弟よ、安らかに眠れ。 目を閉じた弟に祈っていると、生意気そうな声が聞こえてきた。 「なあなあ、あの馬鹿はさっきから何やってるんだ?」 『しィッ、静かに。面白いんだから、もうちょっとそのままにしとこうよ』 振り返るとそこに水竜と黒猫がいる。 なぜあいつらがここに? まさかクエリアたちまで死んだというのか!? 『あっ。ほらー、見つかっちゃったじゃないか。ユーのせいだからね』 「いや、おまえのせいだろ。おまえのテレパシーは離れてても届くし」 『ま、いっか。ほらみてよ。あいつまだ「わけがわからないよ」とでも言いたそうな顔してるよ。ニヒヒヒ!』 本当に「わけがわからないよ」と言いたい。またしても俺の記憶は混乱しているということなのだろうか。これは夢なのか、現実なのか。猫がしゃべっているので夢である可能性は高い気がする。 そのまま呆然としていると、ヒルディスヴィーニの船室からピンクの少女が顔を出した。そういえばセッテといっしょにクエリアの背中に乗っていたな。たしか、ぬいぐるみの魔女だと名乗っていたような気がするが。 「あら、オットーちゃん。気がついたのね。お加減はどう?」 小さな魔女は俺が意識を取り戻したことに気がつくと、これまでに起こったことを説明してくれた。 「ちょっと、オットー! 何やってるのよ!!」 落下していったセッテを追って風竜のオットーが飛び出していったそのとき、フレイヤは思わずそう叫んでいた。それをクエリアは聞き逃さなかった。 「オットー? あの緑のやつの名前がどうして急に出てくるんだ。そういえば、さっきの風竜、なんとなくあいつに雰囲気が似てたな。何か関係あるのか?」 すると風竜の正体に気付いていた黒猫は、『そんなことも気がつかなかったのかい?』と、少し小馬鹿にしながらそれをクエリアに教えた。 ニンゲンのくせに竜に変身できるのかとクエリアが驚いていると、こんどはプラッシュが代わって答えた。 「彼一人の魔力じゃ到底無理ね。でもあの魔女の実力なら、その程度はできるかもしれないわね」 そう言って、空中に浮遊しながらオットーの消えていった下方の雲を眺めているフレイヤを指差した。 「あいつも魔女だって? オットーが竜になりたいってあいつに頼んだのか」 「ううん。契約を交わしたのならその痕跡が残るものだけど、そういったものはとくに感じられない。それにあの緑の子には魅了の魔法もかかっていたから、たぶん操って強制的に変えたんじゃないかしら。なかなかハードなプレイみたいね」 「むう? よくわからんが、つまりあいつは敵なのか」 「さあね。あたしにはわからないわ。クエリアちゃんが決めたら?」 「じゃあ、やりたいようにやっちゃうもんね。疑わしきはこれでも食らえ!」 油断していたフレイヤはクエリアの氷結魔法であっさりと拘束された。 もちろん、その程度の拘束から脱出することなどフレイヤには朝飯前だったが、そこにプラッシュが手を加えた。氷ごとフレイヤをぬいぐるみに変え始めたのだ。 『ねえねえ、聞こえる? ミーはよくわかんないんだけどさ。ユーって悪い魔女なの? クエリアが攻撃したから、ミーもご主人サマもそれに倣ってみたんだけど』 すると凍ってしゃべれないフレイヤは、テレパシーで返事をよこした。 『いきなり何をするの! 馬鹿なの? 死にたいの!? この私を誰だと思っているのかしら。私はヴァルキュリアの長フレイヤよ。聞いたことがないの?』 『ミーもご主人サマも、ずっとバウムヴァルにいたから知らないなぁ。すごいの? ばるきゅりやって。あんまり強そうな名前には聞こえないけどね。ニヒヒ!』 『……よろしい。まずはあなたから死にたいようね。待ってなさい。すぐにこんな氷なんて破壊して……ってなによこれ! どうして魔法が使えないの!?』 『魔法が使えないだって? 当然じゃないか。だってユーはもう魔女なんかじゃない。ただのかわいいぬいぐるみさんなんだよ?』 『ぬ、ぬいぐるみィ? 何をふざけたこと……んむッ!? むぐぐぐぐぐッ!!』 『おっと、もう綿でお腹いっぱいかな。まだまだオードブルなんだけどなぁ』 本当はプラッシュが外から魔封じの呪文を上乗せしているのだが、当然それをフレイヤに教えてやるようなことは黒猫はしない。そういったものを利用して煽り倒していくのが言葉攻めの基本戦略だ。 『どうしたの? ほらほら、もっと頑張って足掻いてみせてよ。魔法には自信があるって顔してたでしょ。頑張れば、ちょっとぐらい魔法がひねり出せるかもよ? あっ、でも急いでね。早くしないとユーは完全にぬいぐるみになっちゃうよ。そうしたらもうユーは二度と! 一生! 永遠に! 元には戻れないんだからねぇ~。ニッヒヒヒヒヒヒ』 『うぐぐ。こ、こんな魔法、す、すぐに打ち消して、や、る……』 『あ、そうそう。この魔法なんだけど、ご主人サマが独自に開発した魔法だから、反転とか解呪とかの魔法は無意味だよ。じゃあ、残り時間3分だけどせいぜい頑張ってね。かわいいぬいぐるみになったら、ミーもナメナメしてあげるからさぁ』 そんなやりとりを横で聞いていたクエリアは「おまえ、楽しそうだなぁ……」と皮肉を垂れた。 一方その間に、プラッシュは自分に変性魔法をかけてこちらも竜に変身すると、急降下してオットーとセッテを救出に向かったのだった。 プラッシュはオットーとセッテを回収して上まで戻ってきた。そして黒猫がテレパシーを応用してフレイヤの記憶を読み、このヒルディスヴィーニ号の存在を知って、石化したセルシウスを助けに来たところで現在に至る。 「ええっ! セッちゃん石になっちゃったんすか!」 プラッシュの説明を聞いていたセッテは驚いた声を上げた。 おまえ二度寝したんじゃなかったのか。 「石化のような呪いの類は厄介でね。術者が倒れても治らないから、ちょっと特別な手順を踏んで時間をかけて治すものなんだけど……でも、そこは心配ご無用よ。なんたってあたしは変性魔法のプロフェッショナルですもの!」 一度ぬいぐるみ化させて元に戻せば身体が再構成されて、たとえどんな病気だろうか呪いだろうが、きれいさっぱり治ってしまうのだという。 今は治療中(=ぬいぐるみ化進行中)らしく、ころころふわふわした火竜のぬいぐるみをプラッシュが持ってきてみせてくれた。それは丸っとしていて、つぶらな瞳が輝いていて、なんというか本当に……可愛らしい。 「こ、これがあのセルシウスだというのか」 「やっべ! ぐうかわっす! もうセッちゃん大好きっす! レプリカください」 それからプラッシュはもうひとつぬいぐるみを取り出して見せた。 青くてごつごつしている。あれは……氷の結晶だろうか。ひょっとして。 「フレイヤちゃんよ。凍らせたままぬいぐるみにしちゃったせいね」 プラッシュが言うには、フレイヤにも何か呪いのようなものがかけられていたらしく、彼女の様子がオットーの知るものとはまるで違ったのも、その呪いが原因だということがわかった。 呪いをかけた犯人は言うまでもなく、あの漆黒の魔道士トロウだろう。 「その呪いも、ぬいぐるみになったら治るんすね?」 「ええ、そのつもりだったんだけどね。なぜかぬいぐるみ化が完了するまえに、呪いが解けちゃってたのよ。不思議なこともあるものね」 「ほぇぇ。そりゃ不思議っすね」 その後しばらくして、プラッシュはぬいぐるみ化の魔法を解除し、セルシウスとフレイヤ様は正しく意識を取り戻し、元気になり、そして健康になった。 しかし記憶だけはプラッシュの魔法でも元通りには直せないらしく、しばらくトロウの呪いで洗脳状態にあったフレイヤ様は困惑を隠せない様子だった。 「ごめんなさい。よく覚えてないのだけど、私のせいで迷惑をかけたようね……」 洗脳の解けたフレイヤ様は、以前のような大人しい雰囲気を取り戻していた。 操られていたときの強気な彼女も、意外な一面を見たようで新鮮ではあったが、やはりフレイヤ様はこうでなくては。これでこそ俺のあこがれの女性だ。 「それにしても、なんで呪いが解けたんすかね。フレイヤ様もしかして自力で? やっぱり魔力に優れてる人は一味違うっすねぇ」 セッテはそう関心してみせたが、フレイヤ様は首を横に振った。 はっきりと覚えているわけではないが、あのとき誰かの声が聞こえたらしい。いや、声というよりは心、あるいは念のような、漠然としたイメージだったそうだ。 それが具体的に何と言っていたのかまではわからない。ただそれは優しく、温かく、とても安心できるようなものだったという。 その後フレイヤ様は雷に撃たれたような衝撃を感じて、いつの間にかヒルディスヴィーニ号の上で俺たちに心配そうに見つめられている自分に気付いたらしい。 「ふたつのイメージがあったわ。ひとつは温かいもの包まれるような感覚。優しさに満ちていて、それが凍り付いていた私の心を解きほぐしてくれた。もうひとつは大切な何かを失わずにすんでほっとしたような感覚。それはなぜかはわからないけれど、急にフレイのことを私に思い出させたの。なんだったのかしらね……」 それを聞いて、俺とセッテは思わず顔を見合わせていた。 実は俺たちはそれに非常によく似た感覚をすでに体験していたのだ。 落下するセッテを追いかけていったあの時。 弟を見失ってしまい、もう二度と会えないのではないかと怖くなったが、無事にセッテを見つけることができてほっとしたあの感覚。そして俺の腕の中で姿の変わってしまった俺を見て、それでも兄と呼んでくれたこと。 それはまさにフレイヤ様のいう、優しく温かく安心できるものだった。 セッテも同様の夢を見た気がすると言った。 「その夢には竜が出てきて、それをなぜか兄貴だと思ったんすよ。それがとてもほっとするような感じで。夢の兄貴、いつもよりかっこよかったんすよねぇ」 そこで俺たちの話を聞いていたプラッシュが納得するような素振りを見せた。 「なるほど。それはきっとこの世でもっとも強くて美しい魔法の力ね」 「魔法なんすか! トロウの呪いを跳ね飛ばすなんて、その魔法は一体!?」 するとプラッシュは俺とセッテを交互に見ながら笑みを浮かべた。 「それはLOVE……すなわち、愛よ」 兄弟の互いを尊重しあう想い。美しき兄弟愛。 それが愛の魔法となって俺にかけられた竜化の魔法を打ち消した。 さらにその愛は遥か上空まで届き、フレイヤ様の呪いまで解いてしまったのだ。 「愛の魔法は誰にでも使える魔法なの。しかも魔力を一切必要としない。ただし、それを使いこなすためには本当に強くて優しい心が必要だわ」 「まじっすか! 愛の力すっげぇ」 あのとき、俺はセッテを見つけられて本当によかったと心から思っていた。 あそこでセッテが俺を兄貴と呼んでくれたから、俺も自分を取り戻すことができた。そのことがとても嬉しかった。 竜になって自分を見失っていたにも関わらず、俺はセッテのことは忘れていなかった。自分の意識とはまた別の心の奥底にある感情が、落ちていくセッテを絶対に助けなければ、と俺を奮い立たせてくれたのだ。 だから俺はセッテを見つけられたし、自分を取り戻せたのだ。 「それが愛の力……なのか」 セルシウスは俺に教えてくれた。 誰に何と言われようと自分のやりたいようにやれ。それが本当の自分なのだと。 あのときの俺は、魔女のしもべでも風竜リンドヴルムでもない。まぎれもなく俺自身、本当のオットーそのものだった。 石化とぬいぐるみ化から解放されたセルシウスは疲れた様子でぐったりしていたが、俺がその顔を見つめているのに気がつくとセルシウスは笑みを返してくれた。 俺は本当の俺になることができた。それはセルシウスのおかげでもある。 これでリンドヴルムの名に恥じぬ強い心を持つことができたのかもしれない。 セルシウス――ありがとう。 それから俺たちはフレイヤ様のヒルディスヴィーニ号でそろってアルヴへと戻ることにした。 セッテとクエリアはぬいぐるみの魔女と黒猫を新たな仲間として迎え、そしてセルシウスと俺はフレイヤ様をトロウの手から救い出すことができた。 この成果にはフレイ様もきっと喜んでくれるに違いない。 フレイヤ様は船首に立って行く先を見つめている。 その後ろ姿を今、俺は見つめて立っていた。 誰に何と言われようと自分のやりたいようにやれ、か。 セルシウスには本当に大切なことを教えてもらった。 今こそ勇気を出すときだ、オットー! 俺は一歩前に踏み出して、フレイヤ様の隣に立った。 「あの、フレイヤ様……」 「あら、オットー。どうしたの?」 「じ、実はあなたにお話したいことがありまして」 そしてプラッシュは言っていた。愛こそもっとも強く美しい魔法だと。 俺自身とセッテ、そしてフレイヤ様をその魔法で救った今なら、もう一度その愛の力を借りることができるかもしれない。 さあ、恐れるな。今こそ自分の想いを伝えるときだ。 「フレイヤ様。私は……その……」 いや違う。そうじゃない。偽りの自分で本当の自分を隠すのはもうやめだ。 私ではない。俺が本当のオットーなのだから。だから俺は言った。 「フレイヤ様! お、俺は幼い頃から、フレイ様やセッテと共に四人で過ごしたあの頃から、ずっとあなたのことをお慕いしてきました。従者ごときが出過ぎたことを言っているのは百も承知です。しかし、俺はこの想いをどうしてもあなたにお伝えしたかった! だからどうか、最後まで言わせてください」 深く息を吸い込む。ふぅっと一気に吐き出す。 俺は俺、俺は俺……よし。 「フレイヤ様! もしよろしければ、ご迷惑でなければ……この俺とお付き合いしていただけませんかッ!!」 勢いで最後まで言い切ってやった。幼い頃からずっと心にひた隠しにしてきた、本当の俺の気持ちをついに言葉にして言い切ってしまった。 さあ、やるようにやった。あとは野となれ山となれだ。 俺はフレイヤ様の返事を待った。 どんな言葉が返ってくるのか、期待と不安を入り混じった感情でそれを待ちながら、思わず目をつぶってしまいながらも、それを待った。 沈黙が流れる。それはすごく長い時間だったようにも思える。 しかし、そのとき温かいものが俺の手に触れた。 目を開けると、フレイヤ様は俺の両手を取ってこう言った。 「ありがとう、オットー。いつもあなたは自分よりも他人のことを気にかけてくれていたわね。セッテのことを時には厳しく、時には優しく見守り、そしていつもフレイのことを誰よりも先に一番に守ろうとしてくれた」 「……はい」 「そして、あなたは私のこともそんなふうに大切に想ってくれていたのね。それを素直に話してくれて私は嬉しいわ。でも……」 「で、でも!?」 冷や汗が流れる。全身にぞぞっとした感覚。フレイヤ様に握られている俺の手はきっと汗でびっしょりになっているだろう。 「でもあなたの言うように、私は王女であなたはただの従者。きっと周囲からは反対の声が多く挙がることになるはず。それはきっととても大変な道のりになるわ」 「は、はい……。そのとおり、です……」 「だから……」 ごくりと生唾を呑み込む。 だから……? やはり……? 色んな想像が脳裏に浮かんでは消えた。 緊張しながら俺はフレイヤ様の次の言葉を待った。 「だから、私を愛してくれるのは嬉しいけれど、それは同時にあなたを辛い目に遭わせることになるかもしれない。この愛はきっと障害だらけになるでしょう」 「フレイヤ様……」 「オットー。それでもあなたは、私を愛してくれますか?」 そうだ。フレイヤ様は王女。ユミル国の誰もが大切に思っているお方だ。それを俺なんかが愛することをみんなは許してくれるだろうか。 フレイ様やセッテはきっと俺たちを祝福してくれると信じている。しかし、他の宮廷魔道士たちは良い顔をしないだろう。身の程を知れと諭されるに違いない。 ヴァルキュリアたちも黙ってはいないだろう。とくにあのブリュンヒルデとかいう女はフレイヤ様を妄信していた。もしこのことを知ったらあの女は、俺のことを殺しに来るかもしれない。冗談抜きで。 それに陛下はなんと仰るか。もしかしたら激昂して、俺を宮廷魔道士から外し、さらには国外追放などということもあるかもしれない。 それは正直なところ、とても怖かった。 が、それでも俺は思った。ここで逃げるのは男らしくない。それにそれは自分の気持ちに嘘をつくことになる。俺は本当の自分を隠すのはもうやめたんだ。 俺はオットーだ。そして俺はリンドヴルムでもある。誰に何と言われようと、俺は俺のやりたいようにやる。それが竜というものだ。 リンドヴルムのように強い心を。勇気を持って。そして決意を見せろ。 ――だから俺は言った。 「それでも俺は、フレイヤ様。あなたを愛しています」 すると彼女はにっこりと笑った。 「それを聞けて安心しました。私も幼い頃から、あなたのことを本当の兄のように慕っていました。ですがある日気がついたのです。私はあなたのことをそれ以上に気にかけていたのだと。いつも城であなたを見かけるたびに、つい目で追ってしまう私がいました。そしてその気持ちは本物だと今、私は気がつきました」 そう言って彼女は俺を抱きしめてくれた。 「オットー。私もあなたが好きです。これからは私のことも守ってね」 「もちろんです、フレイヤ様」 俺はそっと彼女の背中へと手を回した。 「ひゅーひゅー! おアツいっすね、お二人さん!」 「これがラブってやつか! わたしもいつかさいきょーの愛を手に入れるぞ」 『ニヒヒヒ~。いいぞ、もっとやれ』 外野がうるさいが、今の俺にはそんなものは何も気にならなかった。これがもっとも強くて美しい魔法の力というものか。 そして俺は心に誓った。 ――フレイヤ様。俺はこの世のあらゆる障害から、あなたの笑顔をお守りします。 Chapter30 END 魔法戦争31
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Chapter19「母の願い」 銀魔将エーギル。冷気を操る蒼い魔道士は、こちらに敵意を向けている。それもただウサ晴らしをするというためだけの理由で。暗い表情からは、彼の鬱屈した性格が想像できる。 気をこね合わせるかのように両手の間に魔力を集めると、エーギルは手を突き出して溜まったエネルギーを放出する。それは無数の氷の矢となって飛来する。 フリードは剣で叩き落し、オットーは風で矢の向きを変えた。その後ろでクルスとクエリアが冷気に対する防御魔法を全員にかける。 「へえ、おまえ一人で俺たちとヤろうってのか。お譲ちゃんも入れてこっちは四人もいるんだぜ。4Pとは欲張りなやつめ。いや、おまえも足して5Pか。それって明らかに穴の数足りなくねえ?」 「な、何を言ってるんだ。この男は」 「まあいいさ。足りないなら増やせばいい。風穴を開けてやるぜ」 剣を振り上げてフリードが突撃する。エーギルは両手から吹雪を発生させて接近を拒むが、竜の少女たちがかけてくれた防御魔法のおかげで、雪風をものともせずフリードは突き抜ける。 相手がトロウの手下ならためらう必要などない。手加減することなく、フリードは蒼い魔道士の無防備な胴体を剣で突いた。 だが手ごたえはなかった。 剣で突いたその瞬間に、エーギルの身体は液体のようになって溶けてしまうと、真っ蒼なローブだけをその場に残して姿を消してしまった。 「消えたぞ! 奴め、そんなに恥ずかしがり屋さんだったのか?」 「いや、気配は消えておらん。どうやら魔法で身体を液体に変えたようじゃ」 「まじかよ。そんなふにゃふにゃじゃ、立つものも立たないぜ」 「……とにかくまだ近くに潜んでおる。気を抜くでないぞ」 「わかった。みんなもケツの穴はしっかり守っとけよ」 「な、なんでそうなる!」 四人は警戒しながら周囲を見渡した。ここは氷の洞窟の中だ。周りのすべてが氷の壁で覆われている。すべてが凍っているのだから、地中や壁の中に隠れることはできない。敵は必ずその表面にいることになるので、目に見える範囲に潜んでいるのは間違いないはずだ。 さあ一体どこから仕掛けてくるか。氷の中には隠れられないとはいえ、液体ならばその表面は移動できる。つまり天井から攻撃してくる可能性もある。 緊張からか、背中にはひやりと冷たいものを感じる。こんな寒い場所でも冷や汗はかくものなのだな、とクルスが考えていると、クエリアが驚いた声で叫んだ。 「クルス! うしろうしろーっ!」 振り返ると背後には、今まさに液体から人の姿に戻って攻撃を仕掛けようとしているエーギルの姿が見えた。 ひやりと感じたのは冷や汗ではなく、液化したエーギルだったのだ。 「こいつッ! やりおるな」 エーギルは氷で覆って本物の剣のようにした手刀でクルスの首を狙った。 「だが甘いのう。私をただの小娘だと思って最初に狙ったのがお主の過ちじゃ」 クルスの首が長く伸びていき、すぐにエーギルの手は届かなくなる。同時に胴体や四肢も比例して大きくなっていき、クルスの姿は地竜に変わった。 「通路は狭くて難儀じゃが、ここは広いから気にせず暴れられるぞ。さあ、地竜相手にどう戦う? また水に化けようものなら、大地の力が水気を吸い取ってお主を干からびさせてやるぞ」 「ち、地竜だと! どうして地竜がニヴルに。まずいぞまずいぞ。これは不利だ。や、やっぱりボクは今日はツイてない」 慌ててクルスから距離を取ったエーギルは、氷のカプセルを作ってその中に閉じこもってしまった。 「私に手を出したのがお主の運の尽きじゃのう。これでも食らうがいい!」 自信たっぷりにそう言い放ったクルスだったが、氷の洞窟はしんと静まり返って何も起こらない。エーギルは恐る恐る氷のカプセルから顔を覗かせた。 「な、なにも、起こらないぞ?」 「ふ、ふむ。今の攻撃をかわすとは、お主なかなかやるのぅ……」 一応そうは言ってみせたものの、実際は何も起こっていない。 ニヴルヘイムは雲の上に大氷塊が載っているだけの大地だ。山も洞窟も城でさえも、すべてがひとつの氷からできている。土や植物は一切存在しない。 (しまった。この環境では媒体がないから、大地の魔法は一切使えんのか) 大地の魔法以外を使えないクルスではないが、その場合は竜の魔力をもってしても詠唱する必要がある。敵に攻撃できる隙をわざわざ教えてやることはない。クルスは大地の魔法の弱点を悟られまいと振る舞うが、その慌てぶりから大地の魔法が使えなくて困っているのは誰の目にも明らかだった。 「よ、よぉし。ま、まだボクにもツキはあるみたいだ。あの地竜はほとんど無力みたいだからな。先にあっちの竜人族みたいな子どもからやっつけてやる」 放置しても大した脅威ではないと判断したエーギルは、攻撃の矛先をクルスからクエリアに変えた。 氷の地面に手をかざすと魔方陣が現れる。そこから巨大な氷の刃が突き出すと、それはまっすぐクエリアのほうへ向かって連鎖状にいくつも出現して迫っていく。 一方クエリアは逃げるでも迎え撃つでもなく、ただそのまま突っ立っているだけだ。恐怖で動けないのかとその顔を見ると、自信ありげな笑みを浮かべている。 クエリアは迫る氷の刃に片手をかざすと、直接触れるまでもなく氷の刃はすべてが何事もなかったかのように消えてしまった。 「な、なんだと。こ、こいつ何をしたんだ」 「むふーん。このわたしに氷で勝負を挑むとは、おまえ馬鹿だな。ニンゲン如きの力で竜に敵うとでも思ったのか? 氷の扱いも水の扱いも、わたしのほうが一枚も二枚も……いや、千枚ぐらいは上手なんだからな!」 顔だけ水竜のクエリアは、口を大きく開くと水のブレスを放った。油断していたエーギルは直撃をもらい、身体をくの字にして飛ばされて、激しく氷の壁にたたきつけられた。 「ゲホッ……! あ、あれも竜なのか。妙な格好してるくせに……ゲホゲホ」 咳き込みながらうずくまるエーギルに、フリードは近づいて剣を突きつけた。 「おまえ攻めより受けのほうが向いてるんじゃないか? さあ、わかったらさっさと降参しな。そのほうが失うものは少なくて済むと思うぜ」 「お、おまえなんか怖くない。地竜が役立たずとわかったからには、おまえの剣もむ、む、無力なんだ。き、斬れるもんなら斬ってみろ!」 エーギルは再び液化すると、またしても姿を消してしまった。 やれやれとフリードは首を振る。そしてオットーのほうを振り向いた。 合図を受けてオットーは頷くと、両手を合わせて呪文を唱える。オットーの足元には魔方陣が現れて、呪文の詠唱に合わせてその範囲は次第に広がっていく。 魔方陣がこの氷のホール全体にまで広がると、オットーは詠唱を切り上げて両手を上方に高く広げた。 すると渦巻く風がこの空間全体に広がり、旋風が周囲の氷の表面を擦っていく。よく見ると氷の壁の一部がさざなみのように揺れているのにオットーは気付いた。 「そこだ!」 風は唸りを上げて揺れるその一点へと集約する。それはさながらドリルのように回転しながら氷の壁を削り取って穴を開ける。 削れた氷の欠片とともに水滴が周囲に飛び散った。その水滴は慌てて一箇所に集まっていくと、人の形になってエーギルの姿に戻った。 「む、無駄だぞ。そ、そんな攻撃じゃボクは、た、倒せないんだからな」 「そうかもしれないな。だがおまえの居場所はこれですぐにわかる。いくら隠れても無駄だぞ。そんな魔法じゃ我々は欺けない」 「く、くそう。なんなんだ、こいつら。思ったより手強い。このままじゃ追い詰められる。だめだだめだ。こうなったらもう、あれを使うしか……」 「何をぶつぶつ言っているんだ。さあ、諦めて降参しろ。ついでにトロウのことで知っていることを全て話してもらおうか」 「こ、こ、こ、断る! こうなったら、お、奥の手を見せてやる!」 再びエーギルの身体が液体に変わったかと思うと、その色がどんどん黒く変わっていく。黒くなった液体は泡立ちながら瘴気のようなものを発している。 『あ、あとで気分が悪くなるからあまり使いたくなかったけど仕方ない。ボ、ボクの本気を見せてやる。ボクは毒だ。人だろうと竜だろうと、この毒に触れればただでは済まないぞ。し、死んじゃうかもね。ふひ、ふひひひ……』 もう姿を隠すつもりはないらしい。黒い毒液は素早く氷の上を滑って移動して、さらには複数に分裂してオットーたちに襲い掛かる。 飛び上がって顔に迫ってくる毒液をフリードは剣で切り払ったが、それは二つに分裂しただけでフリードの頬と肩に落ちた。 「あちち!」 毒液を受けた頬は火傷をしたようにただれて、肩の鎧は煙を出して溶けた。さらにフリードはめまいを感じて膝をついてしまった。 「大丈夫か!?」 「ちょっとふらっとしただけだ。だがたしかに、これは何度も食らうとヤバいぜ」 「ここはすぐに俺の風で吹き飛ばして……。いや、他の仲間に飛び散ると危険か。それにしても毒とは厄介な」 竜の巨体では表面積が大きく毒にあたりやすいため、クルスは再び少女の姿になって逃げ回っている。頼みの綱のクルスに期待するのも難しいようだ。 残るクエリアに目をやると、逃げ回るどころか腕を組んで仁王立ちしているではないか。 「だから言ったではないか。ニンゲン如きが水の魔法でわたしに敵うわけないと。毒だろうと何だろうと水は水だ。わたしは水竜なんだぞ」 分裂した毒液はクエリアの周囲にだけはなぜか近寄らない。いや、近寄ろうとした毒液は弾かれるようにクエリアから離れていく。そして弾かれた毒液はしだいに動きがぎこちなくなっていった。 『うわっ。なんだこいつ! か、身体の言うことが……きか、な、い……』 「わたしに操れない水はないっ! 水竜の前で水に化けたのが馬鹿だったな」 クエリアがさっと片手を上げると、操られた毒液が一箇所に集まっていき、分裂する前のひとつの塊に戻った。さらに上げた手をぐっと握ると、水の球体が生成されて毒液を包み込んだ。毒液は水にとけ込んで薄まっていく。 『し、しまった……い、意識が、う、うす、れて……』 最後にもう一方の手を上げると、水の球体が凍りついた。すかさずフリードが駆け寄ると、それを剣で斬り付けて粉々に割ってしまった。 「ナイスコンビネーション! さすがわたしの一番の家来だな」 「家来じゃないって。それであの魔道士は死んだのか?」 「水になってるから死んでないと思う。でも凍ってしかもばらばらにされたわけだから、しばらくは動けないと思う」 「ふーん、そうか。よくやったぞ、お譲ちゃん」 褒められてクエリアは得意そうな顔をしてみせた。 「よし。この勢いで城に向かうぞ! お母様を説得してわたしは旅に出る!」 そして先頭に立って意気揚々と歩き出した。エーギルが気絶したことによって、塞がれていた通路の氷塊も消えてなくなっている。 「それはいいんじゃが、その中途半端な姿をどうにかせんか? ほれ、私も手伝ってやるから……」 「へーきへーき。それより調子がいいうちに城に戻――――ふぎゃぁーっ!」 言うそばから、クエリアは引きずる自分のしっぽがひっかかって再び盛大に転んでいた。 城の前につくと、氷竜の女王ヘルがちょうど城から出てくるところだった。わざわざ出迎えに来てくれたのかと思ったが、どうもそんな様子ではないらしい。ヘルはフリードたちの姿を確認するや否や、すぐにここを出るように言った。 「そなたたち、まだおったのか。ここは危険だ。すぐに脱出せよ! もはやこの国に安全な場所などなくなってしまった」 「お母様? 危険ってどういうこと?」 クエリアが駆け寄って尋ねた。クルスに手伝ってもらって、今はクエリアは再び少女の姿に落ち着いているが、頭には珊瑚のようなツノと、背中にはこんどはちゃんと二つの翼がある。 「クエリア? そんな変な格好をして遊んでないであなたも早く逃げなさい。たかがニンゲン一匹と侮っていた。あの侵入者は只者じゃない」 「侵入者? それならさっきわたしがやっつけたぞ」 「そうなのだとしたら、そいつはまだ死んでない。今やあいつはこの国そのもの。もはや国を捨てて逃げるしかない。だからあなたも早く逃げなさい!」 「えっ? 国そのものってどういう……」 そのとき氷の洞窟が大きく揺れた。 複数の氷柱が落ちてくるのをヘルが魔法で打ち払おうとする。しかし氷柱は自然に落下するにしては明らかにおかしい軌跡を描いてヘルを襲った。 「お母様、危ない!」 水のブレスを放って氷柱を弾き飛ばそうとするが、まるで意志をもっているかのように氷柱が自ら動いてブレスを回避してしまった。そしてそのまま氷柱はヘルを囲うように落ちると、そのまま固まって氷の檻になった。 そのときクエリアたちは聞き覚えのある声を聞いた。 『つ、捕まえたぞ、氷の女王! ふひひひ……。女王さえ押さえれば、もうボクが勝ったも同然だ。た、たった一人でニヴルを制圧したら、トロウ様もすごく褒めてくれるに違いないぞ』 「あっ。この声はさっきの!? 気絶したはずじゃ」 『お、おまえはさっきの。ま、まさかおまえがトロウ様の言ってた竜姫だったなんてね。で、で、でも、もうおまえは必要ない。おまえを人質にするつもりだったんだけど、この調子ならそんなことしなくてもこの国を制圧できそうだ。こうなったのもおまえのおかげなんだけどね。どうやら竜姫はボクの幸運の女神みたいだ』 「どういう意味だ! 何がどうなってるんだ!?」 エーギルが笑うと、氷の洞窟もそれに反応して大きく揺れる。 『教えてあげようか。ボクがニヴルヘイムになったんだ。この国の氷はすべてボクの思うがままってわけさ。キミがボクを水に混ぜてくれたおかげでね!』 「そ、そんな。わたしの……せいで……!?」 クエリアの魔法によって水と同化したエーギルは、凍らされて氷の洞窟に散らばった。そして凍ったエーギルはそのまま洞窟の氷とくっついて同化し、ニヴルヘイムの氷そのものとなった。 ニヴルヘイムは島雲に載ったたったひとつの大氷塊からできている。山も城も泉もすべてだ。その氷と同化するということは、このニヴルヘイムのすべてを支配下に置くということ。ゆえにエーギルは今や、この国そのものだった。 『ふふふ。すごく大きくなったような気分だ。念じるだけで、この国のどこにだって自分の意識を飛ばせる。ニヴルヘイムの氷全部がボクの身体だ。だから、こんなことだってできる!』 氷の地面が割れて、ヘルとクエリアの間に大きなクレバスが口を開けた。もはやこの国の地形でさえ、エーギルの手にかかれば自由自在らしい。 巨大な裂け目が竜の母子を分断し、続けてエーギルはうめき声を上げた。 『うっ……。じ、地割れはや、やめとこう。こ、これはボクも痛いみたいだ……。と、とにかくニヴルヘイムはもうボクのものだ! このボクの体内にいる限りは絶対に誰も逃がしはしないよ。ふひ、ふひひ、ふひゃははは!』 再び洞窟が大きく揺れると、通ってきた通路が狭まり始めた。心なしか天井も低くなってきているような気がする。 「まさかこのまま我々を押し潰すつもりでは!? 早く脱出しないと!」 「わ、わかってる。でもお母様を! お母様を助けないと!!」 クエリアは必死に手を伸ばすが、氷の割れ目のせいでヘルには近づくことすらできない。もし近づけたとしても、氷の檻をまずなんとかしなくては、ヘルを助け出すことができない。 時間がないと感じたヘルは、目が合ったフリードに向かって言った。 「妾(わらわ)のことはかまわん。そなたたちだけでもすぐに脱出せよ!」 「そうは言っても、女王さまはどうするんだよ」 「案ずるな、妾は自分でなんとかする。それよりも妾はクエリアのことが心配でならないのだ。だから母としてお願いする。娘をそなたに託す。どうかクエリアのことを守ってやって欲しい……」 氷の女王はクエリアを頼む、とフリードに頭を下げた。 そこには竜の誇りも種族の壁も関係ない。娘を想う母の愛だけがあった。 「ちっ。女王さまにそうお願いされちまったんじゃ断れないぜ。わかった。お譲ちゃんは俺が責任をもって保護する。だから次会うときまで死ぬんじゃねえぞ!」 ヘルは安心したように笑ってみせた。その直後、巨大な氷の塊が落ちてきて、フリードたちとヘルの間を完全に分断してしまった。 「お母様が! お母様が!!」 クエリアが悲痛な声で泣き叫んでいる。そんなクエリアを抱きかかえるとフリードは通路を引き返して走り出した。 「おい、聞いただろ。すぐにここを出るぞ! 出口を塞がれちまったら終わりだ」 「でもお母様がまだッ!!」 「今は我慢しろ! 女王さまならきっと大丈夫だ。次会ったときにおまえが元気で笑顔を見せてやれるように、今は我慢しろ。生きてここを出るんだ!」 「ぐすっ……。わ、わかった」 来た道を引き返して走る。クエリアを抱きかかえるフリードの後に、オットーとクルスが続く。 例の氷のホールを抜けて、さらに氷の通路を抜けて、氷の階段を駆け上がる。あとは一本道だ。正面に外の光が見える。 「出口はすぐそこだ! フレイが待ってる。滑るから気をつけろよ」 しかしあと少しで出口にたどり着く、というところで氷の塊が落ちてきて出口を塞いでしまった。それと同時にエーギルの悪魔のような笑い声が響く。 『ふひゃははははは! 残念だったねぇ。もう少しで脱出できたのに。ボクがそう易々とキミたちを逃がすと思ったかな? 哀れにもキミたちは出口を目前にして、指を咥えながらそこで死んでいくんだ。せめて神様に祈る時間ぐらいはあげるよ。せいぜい最期のひと時を楽しんで。じゃあね!』 エーギルが黙ると、氷の通路が狭まる速度が目に見えて上がった。すぐにフリードたちは立っていることもできなくなり、膝をついて両手で天井を支えたが、全く何の効果もなかった。 出口を塞ぐ氷塊をなんとかしようとクエリアが頑張っているが、ニヴルヘイムと同化したエーギルは途方もなく強大な力を得たらしく、クエリアの力ではいくら頑張ってもこの氷塊を溶かしたり消滅させることはできなかった。その隣でクルスが何か呪文を唱えているが、この様子ではとても間に合いそうにない。 「だめか! くそっ、女王さまに頼まれたばかりだぜ、おい」 「あ、諦めるな! わたしがすぐにどかーんってやるから。す、すぐに!」 「王子……どうかご武運を……」 「ぐぬぅ! この程度の壁、大地の魔法さえ使えたら何でもないのじゃが……」 とうとう四人ともうつ伏せになって、辛うじてまだ潰されずにいられるだけの状態になった。しかし数秒後にはすべてが終わっているだろう。 フリードは初めて神に祈った。せめてクエリアだけでも助けてやってくれと。 「諦めるのは、まだ早いっすよ!!!」 すると業火が巻き起こり、周囲の氷の壁を瞬く間に溶かしていく。迫り来る圧迫感から解放されて顔を上げたその先には、セッテとセルシウスの姿があった。 強大な魔力による氷だろうと関係ない。セッテとセルシウスは力を合わせて、凍てつく酷寒の氷ですら溶かしてしまうほどの炎を放った。炎を前にしたとき、どんな氷であろうとそれは絶対無力なのだ。 セッテの隣にはほっとした様子のフレイと、今にも気を失ってしまいそうなフィンブルの姿もあった。 「みんな無事でよかった。ちょうどセッテが戻ってきたところで助かったよ。一体何があったんだ?」 「王子、話はあとです。ここは危険です。まずは船に乗ってニヴルからの脱出を。フィンブル殿も我々と共に来てください」 「わ、わかりました……。アクエリアス様は無事なんですよね。ふぅぅぅ……」 大地の魔法でフレイが船からツタのはしごを下ろす。グリンブルスティは大地の素材でできているので、氷しかないニヴルヘイムでも船の近くでだけは大地の魔法が力を発揮することができる。 全員が船に乗ると、地面から巨大な氷柱が空に向かって生えてきた。それは山ほどにも大きく、グリンブルスティなど簡単に貫いてしまえるほどのスケールだ。 『逃がさない。絶対に逃がさないよ! おまえたちの亡骸をトロウ様への手土産にしてやるんだ。だから死ね!!』 巨大な氷柱は次々と氷の大地から飛び出してくる。 クルスは大急ぎで船を浮上させると、すぐに高度を上げて船を飛ばした。 まるで地獄のような場所になってしまったニヴルヘイムから、フレイたちは間一髪のところで脱出を果たしたのだった。 遠ざかっていく故郷を、クエリアは涙を溜めた目で見送った。 (お母様……。いつか必ずどこかで。そしてそのときは必ず元気で、笑顔で……) Chapter19 END 魔法戦争20
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Chapter63「フリード遠征9:ファフニールてめえ、まじでふざけんな」 王の間に到着した。 部屋に入ってすぐに目に付いたのは三頭の竜だ。 そのうちの二頭には見覚えがある。 珊瑚によく似た形をした氷の結晶のツノを持つ氷竜。 以前、一度だけニヴルの一件のあとで会ったことがある。 たしかクエリアの姉のイシュタム。それがなぜトロウの元に? そして全身が黄金の鱗で輝いている少し悪趣味なあの地竜。 あいつはよく知っている。クルスの友達のファフニールだ。 スパイとしてトロウの元に潜入しているらしいので、ここにいるのは当然か。 残る一頭はずいぶんちびっこい赤い竜だった。 きっと子どもなんだろう。あんなのもトロウの手下にいるのか。 まあ、あいつはそれほど危険性はないな。たぶん。 奥には玉座があり、そこにこのユミル国の王だと思われる男が座っている。 あれがフレイやフレイヤの父親か。たしか名はニョルズ王だっただろうか。 ニョルズはうつむき加減に座ったまま微動だにしない。その顔色は極めて悪く、近寄り難いような威圧感を放っていて少し不気味だ。 その隣には真っ黒なローブに身を包んだ、これまた不気味な男が立っている。 フードを深く被っているのでその顔はよく見えないが、俺にはそれがトロウだとすぐにわかった。 うまくは説明できないが、例えば目があっただけで背筋に悪寒が走るような、あるいはその姿を見ただけで気分が悪くなるような、そういう得体の知れない不気味さがその男にはあったからだ。 とにかくその男はその場にいる他の誰よりも異質だった。 「おやおや、これはこれはフレイヤ王女。ずいぶん遅かったじゃないですか。遅刻するとはあまり感心できませんねぇ……くっくっく」 最初に口を開いたのはトロウだ。 口では笑ってみせているが、フードの陰からときどき見える血のように赤く鋭い眼は決して笑ってはいない。 ここまで鋭い眼をした人間を俺は今まで見たことがない。 (トロウの正体は呪われし竜よ。アルヴの神竜様がそう言ってたわ) そういえばそうだったな。 ということは、今この部屋にいるのは俺たち以外は全員竜なのか、ひええ。 (油断しないで。ここからが本当の闘いよ。この場でトロウの目を欺くために私たちはここへ来たんだから。ふざけないで私の言う台詞を繰り返して) フレイヤの助言に従い、フレイヤらしい返答をトロウへと返す。 「大変お待たせしました。でも私以外にも遅刻している人間がいるようだけど?」 「ああ、ヴィドフニルとエーギルのことですか。彼らには重要な任務がありましてねぇ……。手が離せないので今回は欠席させているんですよ」 エーギル! そいつなら知ってる。ニヴルヘイムに現れたあの水の魔道士だ。 もう一人のヴィドフニルは知らないが、おそらく似たような立場の奴だろう。 「それじゃあ、私で全員が揃ったということですね?」 「アリアスがまだ来ていませんが……まあいいでしょう。あいつはすでに次の作戦については知っている。改めて説明するまでもありませんね」 トロウは玉座の隣から歩き出し、王の間の中央に立った。 「さあさあ、フレイヤ王女もそんな入口に立ってないで、もっと話しやすいよう近くに寄りなさい。あ、お付きの方はもう帰ってもらって結構」 しっしとトロウは手でスキルニルを追い払うような仕草をした。 スキルニルは何かを言いかけたが、目で俺に向かって何か合図を送りながら黙って王の間から出て行った。 (何かあったらすぐに駆けつけられるように待機してるって) どうやらフレイヤには伝わったらしい。 スキルニルの姿が見えなくなると、オホンとひとつ咳払いをしてからおもむろにトロウが話し始めた。 「さて。ではさっそくですが、フレイの居場所が判明したのはもう伝えましたね。奴はアルヴにいます。しかし忌々しいアルバスの結界のせいで我々はアルヴには入れない。ファフニールの策略のおかげでフレイをアルヴの外へ出るように仕向けたまではいいのですが、ヴァルトめが裏切ってラタトスクの秘密をフレイに話してしまったので我々は――」 ふむ。今のところは俺も知っている情報ばかりだ。 ファフニールはスパイとして潜入するために自分をトロウに信用してもらう必要があった。そのためにファフニールはフレイがアルヴにいるという情報を売った。 ヴァルトが裏切ったのも事実。今あいつは俺たちの側についている。 どうやら以前ヴァルトが言っていた話はうそではなかったようだな。 ちょうどいい。このまま敵の作戦について堂々と盗み聞きしてやろう。 敵の手の内を熟知していれば、対策だって立てられるというものだ。 そしてトロウの話は続く。 「――というわけでフレイがいつアルヴの外に出て、どこにいるのかが把握できないのが現状です。しかしフレイの居場所がわからないのであれば、逆にこちらが指定した場所におびき寄せてやればいいというもの。そこでまず我々は――」 トロウがそこまで言いかけたとき、 「ちょっと待て」 せっかくここから肝心なところだというのに、それを遮る無粋な声。 一体誰だ。俺の盗み聞きを邪魔する奴は。 「なんです。何か問題でも?」 「ひとつ言わせてほしい」 話を遮ったのはなんとファフニールだった。 トロウは何事かと問う。しかしファフニールの視線はトロウのほうではなく、ずっと俺のほうへと向けられている……っておい。まさかとは思うがおまえ。 「フリード。どういうつもりだ貴様? なぜおまえがここにいる」 「…………おうふ」 ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待ってくれ。一旦落ち着かせてくれ。 どういうことだ? そういうおまえこそどういうつもりだ!? このタイミングで、しかもなぜおまえがそれをバラすんだよ! 「え? な、なんの話? 私、全然聞こえませんでしたわ~。おほほほ……」 「ふん、しらばっくれても無駄だ。地竜には幻術の類は一切効かんぞ。他に誰も気付いてないようなので教えてやる。このフレイヤ王女は偽者だ」 「わぁぁぁーっ! ば、馬鹿やめろ! だからなんでおまえがそれを言うんだよ!? わかるだろ、察しろよそれぐらい! これは潜入作戦で――――あっ」 言ってから後悔してももう遅い。 その場にいる全員の視線が俺の顔に集中している。 これはやばい。さっきから変な汗があふれて止まらない。 「なるほど、自分から白状してくれましたねぇ。お手柄ですよ、ファフニール」 「褒められても嬉しくはない。オレが欲しいのは賛辞ではなく財宝だ。ネズミを見つけてやったんだから特別報酬を出せ」 「仕事が完了したら考えてやってもいいでしょう。私はちょろちょろとこざかしいネズミが大嫌いでねぇ……。ファフニール、あいつを抹殺しなさい」 「ふん。たっぷりと金貨を用意して待っていろ」 そう言ってファフニールは足を踏み鳴らしてこちらへと近づいてくる。 (くっ……まさかこんな展開になるなんて予想外だわ。フリード、逃げて! ここには他の竜将もトロウもいる。勝ち目なんて絶対にないわよ) 言われなくたって! 俺はすぐに駆け出すと王の間の扉を蹴り飛ばした。 王の間は広い空間だが、その入口は竜には小さい。だから竜は王の間に隣接しているバルコニーから一旦外に出なければ俺を追って来られないはずだ。 つまり必ず一度は俺から目を離さなければならない。その隙を突いてやる。 王の間を出てすぐに待機していたスキルニルと目が合った。俺の様子を見てすぐに状況を察したようで、スキルニルは手招きをして俺の行く先を走り出した。 どうやら脱出経路を案内してくれるらしい。この城の構造は少しややこしいのでありがたい。俺一人なら確実に迷子になっていただろう。 通路を抜け、螺旋階段を駆け下り、そして正面の扉を開く。 ここさえ抜ければ中庭だ。外にさえ出られればあとは空から逃げられる。 しかし扉を抜けると、その先に待っていたのはヴァルキュリアたちと戦うファフニールの姿だった。 「くそっ、先回りされてたか」 「やっと来たか。城の中から外へ出るには必ずここを通ることになるからな」 「ファフニールてめえ……。どういうつもりだ、この裏切り者め!」 「それはこっちの台詞だ。フリード、貴様ここへ何をしに来た。オレの邪魔をするつもりなら、黄金の腕輪の恩があるとはいえ容赦はせんぞ」 ファフニールは輝くブレスを吐いた。 ちょうどそのとき、俺の前を天馬で飛翔して横切ったレギンがそのまま地面に叩きつけられるようにして突っ込んだ。 見るとレギンの天馬が黄金に変わっている。 「ちっ……。邪魔をするだって? 一体何の話をしてるんだ」 「オレの計画の話だ。オレはただおまえたちのためだけにここにいるのではない。すべては財宝のためだ。常にどうすればより沢山の財宝が手に入るかを考えて行動している。だから余計なことをしてもらっては困る。予定が狂うではないか」 「なんだと? この守銭奴め……」 そのとき上空からトロウがゆっくりと降りてきた。あれも魔法によるものなのだろうか、トロウは黒い霧に包まれながら空中に浮かんでいる。 「あー退屈退屈。つまらないですねぇ。まだ終わらないんですか? 仕方がない。少し手を貸してやりましょうか」 突き出されたトロウの右手は禍々しい漆黒のオーラを帯びている。 しかしそれを見たファフニールは怒って言い返した。 「やめろ! オレは貸されるのが嫌いだ。借りたら返さなければならないからな。ここはオレだけで十分だ」 「ふん。そうですか……そこまで言うなら三分間だけ待ってやりますよ」 「十分だ」 そして今度はこっちに向かって言い放つ。 「おまえにも言っておく。ここはオレだけで十分だ。わかったらさっさと消えろ」 「消えろと言われて素直に消えてやるつもりはないぜ。おい、フレイヤ。俺にかけた魔法を解け。こいつだけは絶対に許せん。ここで決着をつけてやる」 「チッ、物わかりの悪い奴め。無闇に首を突っ込むなとオレは言っているのだ!」 姿勢を低くしてファフニールがこちらとの距離を詰め、斬り上げるように鉤爪を振り上げる。 なんの、この程度の攻撃。傭兵としていくつもの死線をくぐってきた俺には止まって見える。見てから余裕の回避だぜ。 と思っていたが、自分の想定よりも飛び退くのが一瞬遅れた。 しまった! 今の俺はフレイヤの姿をしている。だから脚力も元の姿の俺より少し劣っている。それが一瞬の遅れに繋がってしまったのだ。 避けきれないか!? 「フリード、危ないッ!!」 すると咄嗟にヒルデが天馬ごと突撃してきて、ファフニールに体当たりした。 その衝撃で鉤爪の狙いは逸れたが、ファフニールに直接触れたヒルデの天馬も、レギンのものと同様に黄金の天馬像へと変わってしまった。 落馬したヒルデは投げ出されて地面を転がった。 「うぐっ、直接触れてもだめなのか」 「ヒルデ! 無事か」 「私は平気だが、天馬(グラーネ)が……」 すでに二頭の天馬がやられた。 いざというときは空から飛んで逃げる計画だったというのに、その飛ぶための手段を次々と潰されるとは。 まさかあいつ、わざとそれを狙って? 俺はフレイヤの魔法で竜化すれば自力で飛んで逃げることができる。 しかし姿は変わっても体格までは変わらない。人間サイズの小さな竜の姿に変わるだけだ。 だからせいぜい一人を抱えて飛ぶのが限界といったところだろう。助けられるのはどちらか一方だけだ。 ヒルデを選ぶのか。レギンを選ぶのか。 くそっ、まさか今になってまたこの選択に悩まされることになるとは! なんだこれ、露骨な伏線回収? というか言っちまったら伏線になんねーし! さあ、どうする俺。 ヒルデか? レギンか? ……いや、悩むまでも無い。 「これでも俺は勇者と呼ばれているんだ。勇者が選ぶべき答えは決まっている!」 剣を抜き放ち、欲深き金竜にその切っ先を突きつける。 心が決まると急に力が湧いてきた。その決意を今、ここに宣言する。 「クルスの親友だとかもう知ったことか。おまえを倒してでも俺は生きて帰る!」 救えるものは全部救う。それが勇者の使命だ。 この剣に誓って、ヴァルキュリアのお姉さん方の笑顔を奪うような悪は、この蒼き勇者フリードが決して放っておいては…………ん? ちょっと待て。剣なんてもってきてたか。 たしかフレイヤの身体では重過ぎるから、鎧とともに置いてきたはずでは。 鋼鉄の重みを感じる右手を眺めると、そこには蒼き刀剣フロッティが。 さらに腕に沿って視線を移すと見慣れた籠手、そして愛すべき上腕二等筋。さらにこの程よく負荷を与えてくれるこの重み。これは我が愛用の蒼き鎧では!? (まさか! 私の魔法がかき消されるなんて。これフリードがやったの!?) フレイヤがひどく動揺している。 よくわからないが、どうやら変身が解けて俺は元のナイスガイに戻ったようだ。おかえり筋肉、ただいま筋肉。 なぜ服装まで元に戻っているのかは謎だが、たぶんフレイヤに変身する前の状態に戻ったということなんだろう。魔法とはそういうものだ、たぶん。 とにかくこれで全力で戦える。 「この魂を黄金に売った守銭奴め。この俺が成敗してくれる」 「ほう、面白い。この前の続きといこうじゃないか。こんどは決着をつけてやる」 ファフニールはさっそく先制攻撃を仕掛けてきた。輝くブレスがうねるように迫ってくる。 だが動きは単調で火竜が吐く炎などと大差なし。回り込めば回避は容易い。 これを避けて背後を取ると、こんどはファフニールは太く強靭な尾を鞭のように振り回した。 しかしそんなもの、跳び上がってしまえば怖くもなんともない。 「おっと地竜のお兄さん、背中がガラ空きですよー」 いくら固い鱗に守られていようと必ず装甲の薄い部分がある。腹部などの身体の内側ももちろんだが翼膜も同様だ。 跳躍した勢いそのまま空中下突き。ファフニールの翼に剣を突き立てた。 「ぐううッ!?」 まずは効果的な一撃を。これで空に逃げられることもないし、あとで撤退する際に追ってくることもできないはずだ。 そのままファフニールの背中を蹴って剣を引き抜くと同時に距離を取る。 貫かれた翼からは血が噴き出し飛び散った。 ファフニールは苦悶の表情を浮かべながら痛みに耐えている。 「ふうっ、やっぱり自分の身体が一番だぜ」 剣にこびり付いた血を払い、頬に飛んだ血を腕で拭う。 「フリード! わたしたちも助太刀させてもらおう」 「私もだ。天馬の仇、よくも私のグラーネを……。許さん」 左右にレギンとヒルデが槍を構えて並ぶ。 三対一とは少し卑怯な気もするが、そんなことを言っている場合でもない。生きて逃げ延びるか、やられて死ぬか。断然、俺は前者を選ぶね。 ヒルデの雷槍が放つ雷(いかづち)はどんな離れた相手にも効果的。無論、竜にもだ。 レギンの風槍は投げれば狙ったところに向かって飛ぶ。牽制にはもってこいだ。 二人が作り出す隙を突き、俺が懐に潜り込み必殺の一撃をぶちかます。 そういえばミストはどこへ行ったんだ? あとスキルニルも。 まあいい。まずはあいつを倒すのが先だ。 「行くぞ!」 二人に号令をかけて俺から先陣を切る。 真正面から向かってくる俺に対して、ファフニールは輝くブレスで対抗しようと大きく息を吸い込んだ。 だがそこにヒルデの雷が不意打ちを仕掛けた。痺れて動けなくなったところに続いてレギンの槍が飛んでくる。 以前レギンが持っていたグングニルの槍は、その槍を用いた戦いで俺が勝利してしまったせいなのかその所有権が俺に移り、今のレギンには扱えなくなっている。 今のレギンは付呪(エンチャント)された風の魔法によって軌道をコントロールできる槍を使っている。 その命中精度はグングニルよりずっと劣るが、動きを止めた敵を外すほどのポンコツではない。 レギンの槍はファフニールの右脚を貫いて地面に深々と突き刺さった。 これで完全に敵の動きを封じた。あとは俺の出番だ。 ファフニールの懐まで駆け寄ると、剣(フロッティ)を逆手に持ち替え跳躍。 正面には柔らかい竜の喉元が見えている。あとは力一杯、この剣をそこに叩きつけてやるだけだ。それですべてが終わる。 いつだったかクルスが言っていた。竜族には「殺し合うほど仲が良い」という格言があると。 おまえとはそれぐらい仲良くなれればよかったが、どうやらそれは叶わないようだ。なぜなら俺がおまえに手をかける理由はそれではないからだ。 「……悪く思うな。俺にも俺の予定ってもんがあるんだよ」 剣を持つ手に力を込める。 そして振り上げた手を勢いよく力任せに振り下ろす。 「――時間切れだ。お遊びはここまでにしておきましょうか」 刹那、漆黒の瘴気をまとった衝撃波が発生して俺たちを吹き飛ばした。 まったく何が起こったのか、咄嗟には理解できなかった。ただその激しい風圧に襲われてもみくちゃにされながら、草花の覆い茂る王城の中庭を何度も何度も転がった。口の中には土の味が広がった。 ふらつきながらも何とか立ち上がり、辛うじて剣を構える。 しかし目がかすんで視界がはっきりとしない。 「今の突風は……くそっ、毒か何かか?」 物の輪郭がぼやけて見える。そんな視界の中に黒い影がゆっくりと降りてくる。 影はゆらゆらと左右に揺れながら、こちらに近づいてくるようだ。 「言いましたよね? 三分間だけ待ってやる、と」 あれはトロウだ。 「それにしても情けない。こんなネズミ風情に何を手こずっているのやら。ファフニール、どうやら報酬は減額することになりそうですねぇ」 「ま、待ってくれ。オレはまだ……」 「黙りなさい。時間切れと言ったはずです。私はこんなネズミどもと遊んでいるほど暇ではありません」 そう言って足音がこちらへと近づいてくる。 まずい。なんとかして……たとえ這ってでも逃げなければ。 それなのに膝が震えて一歩足を踏み出すことも、その場に倒れることさえできない。まるで金縛りに遭ったかのように身体が重く感じられる。 「違う。もう決着はついた」 再びファフニールの声。 「ほう? あなたの無様な敗北でですか」 「いや、オレの勝利だ。フリードは俺に致命傷を与えたつもりでいるが、そのときにオレの血を浴びた。オレの身体に直接触れた者はやがて黄金化する」 「……ふん。どうやら偽りはないようですね」 トロウが言うにはどうやら俺の身体は黄金化しつつあるらしい。 目が霞んでまったく見えないが、身動きが取れないのも身体がどんどん重くなっているのも黄金化が原因のようだ。 「他のネズミは?」 「奴らもオレがすでに触れた。そこの女二人も、姿が見えない残りもやがて黄金像に変わるのは時間の問題だろう。初めからオレの勝利は確定していたのだ」 「……ああ、つまらないつまらない。死なない程度にいたぶり続けて、ひと思いに殺してくれと懇願するこいつらの苦悶に満ちた顔が見たかったのに」 「ふっ。オレの苦悶の表情じゃ不満だったか?」 「まあいいでしょう。おいネズミども、命拾いしたな。こうなっては私にもおまえたちを殺すことはできない。だが逆を言えばおまえたちはもう死ぬこともできない身体になったのだ。そのまま永遠に黄金像として生き続けるがいい! せめて城の隅にでも飾っておいてやりますよ……」 そう吐き捨ててトロウの足音が遠ざかっていった。 やがて視界が黄金に染まり始めた。 どうやら俺の目も徐々に黄金に変わり始めたようだ。 すでに身体の感覚はほとんど無くなってしまっている。このまま黄金化が進んだら俺はどうなるんだ。意識は残るのか? それとも脳も黄金に変わったらそこで俺の意識は途絶えるのだろうか。 ああ、どうやら目が完全に黄金に変わったらしい。 視界は完全な闇になった。いや、無といったほうがいいかもしれない。眩しいとか暗いといった概念がない。なにもない。完全なる、無。 意識が残るのなら残るでそれはそれで恐ろしい。 何も見えない、何も聞こえない、何もできない。そんな状態で死ぬこともできずに延々と存在し続ける。そんな地獄があるか。そんなの絶対に発狂する。 意識が消滅するのならそれも恐ろしい。 つまりそれって俺にとっては死ぬのと同じことじゃないか。 何も見えない、助けも呼べない、叫び声さえ上げられない。そんな状態でこの意識が消滅するその瞬間がいつ訪れるのかと震えながら待つ。そんな真綿で首を絞められるような責め苦もまた地獄。いやまじで発狂するってそれ。 嫌だ! 俺はまだ死にたくない! だからといって、この状態のまま生き続けるなんてのも嫌だ! 頼む……頼むから誰か俺を助けに来てくれ……。 そうだ、フレイヤ。フレイヤ? なあ、おい。フレイヤいないのか。俺の声が聞こえないのか。 おまえは変性の魔法が得意なんだろう。おまえだったらこんな黄金化の魔法を打ち消すなんて朝飯前なんだろう? なあフレイヤ。おい、おいってば。 返事をしろよぉぉぉーっ!! ……ああくそ、どうして俺がこんな目に。 いつ意識が途切れるかもわからない。途切れないかもわからない。 そんな恐怖に怯えながら永遠に存在し続けるなんて俺はごめんだ。 考えろ。考えるんだ。 どうすれば俺は助かる。どうすれば助けを呼べる。 せめて俺にもテレパシーとかそういうのが使えたら……。 そ、そうだ。念じ続ければ誰かテレパシーが使えるやつに届くかもしれない。俺はテレパシーを使えないけど、もしかし Chapter63 END 魔法戦争64
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Chapter26「ちびっこ戦記3:おまえもぬいぐるみにしてやろうか」 そのままわたしは心の中で泣き続けた。 やがて泣き疲れて、頭がぼーっとしてきた。24時間経てばこの意識も消滅してしまい、わたしは完全にぬいぐるみに変わってしまう。でも今だけは悲しみも恐怖も薄れていた。 (ああ、本当にどうしよう。このままじゃいけない。でも今のわたしには何もできることがない。動けないから、こうやって悩むことしかできないんだ……) もしこの意識も消えてしまったら、わたしはどうなってしまうんだろう。 今のわたしにはすべての感覚がないから、この意識だけがすべてだ。 じゃあそれがなくなったら? 無になるのかと思って、しばらく何も考えないでいてみた。 でも何も考えずにずっといるというのは無理な話だ。 身体の感覚がなくなったときはどうだった? 最初は手足の感覚がなくなって、まるで自分が蛇になってしまったかのような感じがした。でも今は元からわたしには手足なんてなかったかのようにさえ感じている。手足という概念そのものがわたしの中から消えてしまった。 同じように意識が消えたら、もともと意識なんてなかったかのように感じるんだろうか。わたしの中から意識という概念が消えて、でもそのときはそれを感じ取るはずの意識がどこにもないんだから、だったらそのときわたしはどうなってしまうんだろう。 何も考えない。何も感じない。ただそこに存在するだけのモノとしてわたしは在り続けることになるんだろうか。それはまさしく、ぬいぐるみそのものだ。 在るというよりは有るだけのモノ。いや、もはや物だ。それは果たしてわたしと言っていいんだろうか。少なくとも、今それを想像している「わたし」ではない。 (そんなの死んでるのと同じだ。早くなんとかしないと……) 残り時間は多くない。黒猫は24時間経つとわたしは完全にぬいぐるみ化すると言っていたけど、あと何時間なのかは教えてくれなかった。 この身体はお腹も空かないし、空気を感じることもできないので、時間の経過というものがさっぱりわからない。何も見えないから昼か夜かもわからない。 (うう……。いやだ。こわい。誰か助けて……) そのとき脳裏にセッテの顔が浮かんだ。 そうだ、セッテだ。ここにはあいつといっしょに来たんだから、近くにあいつもいるはずだ。そしてたぶん、わたしと同じようにあいつもぬいぐるみの姿に変えられているはず。 (セッテ? 近くにいるのか? 聞こえたら返事しろ) さっき黒猫はわたしの心の中に直接話しかけてきた。もしそれと同じことができるなら、なんとかセッテと連絡を取ることができるかもしれない。二人で協力すればなんとかこのピンチを切り抜けられるかもしれない。 そう願ったが、いくら呼びかけてもセッテの返事はなかった。 (ぬいぐるみだからできる特殊能力とかそういうんじゃなさそうだな。ってことはたぶん、あれも魔法の一種。猫のくせに魔法を使うなんて生意気な。でも魔法でできるなら、わたしでもやってみればできる可能性がある!) 噂には聞いたことがある。あれはたぶん、てれぱしーとかいう魔法だ。 遠く離れたところにいる相手に自分の考えたことを伝える魔法。転移魔法の一種で、その中でも初歩の部類だったはず。初歩ならきっと難しくない。 転移魔法は精神魔法に分類される。つまり精霊の力を借りずに自分の魔力だけでできる魔法だ。だから精霊に力を借りるための呪文が必要な精霊魔法と違って、ややこしい呪文を唱えなくても精神魔法は使うことができる。 わたしは心の中で必死に念じてみた。 (セッテに伝われセッテに伝われセッテに伝われ……) でもだめだった。 やり方をちゃんと勉強したわけじゃないから、急にやろうとしてもできるわけがなかった。そもそもやり方がこれで合っているのかも怪しい。 (じゃあどうする? 何か他に魔法でできそうなことは?) そうだ。身体がなくても心があれば魔法は使える。 口がないから呪文は唱えられないかもしれないけど、呪文がいらない精神魔法なら何も問題はない。 まずは空中浮遊の魔法だ。 空を飛べないニンゲンの魔道士が使っていると本で読んだ。 動けなくても、その魔法で身体を浮かせれば動けるかもしれない。 そう思ってそれを試してみた。けど、結果はわからなかった。 だって身体の感覚がないんだもん! 浮かんだのかどうかさえ確かめられない! だったら次は魅了の魔法だ。 あのぬいぐるみの魔女はまだ近くにいるかもしれない。 もしそうなら、その精神を操ってこの魔法を解かさせられるかもしれない。 ……そんな難しそうな魔法、わたしにできるわけがない。 ワープして脱出する? 魔法の効果範囲外に出られるかも。 そんなのもっと難しいのにできてたまるか。万が一できたとしても、この姿じゃ空も飛べないから、運悪く空の底に落ちたら一巻の終わりじゃないか。 暗視の魔法。もしかしたら何か見えるようになるかも! 同じ理由で透視の魔法、生命探知の魔法、音を視覚的に見えるようにする魔法、においが見える魔法、と思いつく限りいろいろ試してみた。 でもどれもだめだった。五感を奪われたこの身体じゃ、その結果をどれも認識することができないのだから意味がない。 でもまだあきらめない。わたしは水竜だから、水や氷の魔法に限っては無詠唱で発動できる。そっちも試してみよう。 手当たりしだいに攻撃して、数撃ちゃあたるであの魔女を倒せればこの魔法が解けるだろうか。でもそれで解けないタイプの魔法だったら、もし魔女が死んでしまったらまずい。なんとか降参させて魔法を解いてもらわないと。 部屋を水浸しにして魔女を溺れさせるのはどうだろう。わたしは水竜だから泳ぎには自信がある。そして思わず降参した魔女が魔法を解除して……。 それはないか。魔女だから水浸しの魔法ぐらいきっと簡単に打ち消してしまう。 そもそも今のわたしは悔しいけどぬいぐるみだ。泳ぐどころじゃない。肺がないから呼吸はしてないかもしれないけど、濡れて綿が腐ったりしたら嫌だ。元に戻ったときに変な影響が出ても困る。 じゃあ部屋を酷寒の吹雪にして凍えさせるのは? 北風と太陽の、北風作戦だ。……ってそれ、たしか失敗したほうじゃないか! 太陽ができるのは火のセッテだけど、作戦会議ができないからこれも無理だ。 あ、そうだ。自分を凍らせるのはどうだろう。凍っていれば意識の消滅を遅らせることができる? いやいや、遅らせるだけじゃ意味ないし。 ううん、だめだ。やってみる前から否定してたらあきらめたのと同じ。とにかく何かやってみなければ。 というわけで、わたしは適当に冷凍光線を乱射してみた。なんせ何も見えてないんだから乱射するしかやりようがない。別にヘタクソなわけじゃないんだからな。 すると再び脳内に例の黒猫の声が響いてきた。 『ああもう。さっきから危ないなぁ。飛んでみたり転がってみたり、暖炉の中に突っ込んで焼身自殺しようとしてみたり。こんどは何? 冷凍ビーム?』 ちょっと待って。焼身自殺? わたし、そんなことになってたの!? ……だがそんなことはどうでもいい。黒猫の声が聞こえた。ということは、この黒猫は近くにいるはずだ。魔法で話しかけているんだとしても、どこかわたしの姿が見える範囲にいるはずだ。そういうことなら―― わたしは部屋いっぱいを凍りつかせるつもりで、全力で吹雪を放った。 部屋の中は一瞬にして一面の銀世界に変わった。見えてないけど、たぶん。 『な、何をするんだ! ミーに八つ当たりしたところでユーが元に戻れるなんてことは絶対に……うう、ぶるぶる。さ、寒い……。こ、凍っちゃう……』 この黒猫を人質……いや、猫質にしてやる。 あの魔女が大事にしていた猫なら、きっと何かしらの反応を見せるはず。それにあの魔女はぬいぐるみが大好き。ぬいぐるみのわたしに攻撃はできないはずだ。 『し、死んじゃう……死んじゃうよぉ……。ご、ごしゅっ……ご主人サマぁ……。お、お願い……た、たひゅけて……』 ふははは。そうだそうだ、もっと叫べ! 泣き喚け! そしておまえの大好きなご主人サマを呼ぶがいいッ! 助けを請え。あの魔女を呼べ。もっと悲痛な声で鳴けぇぇぇっ!! ってこれ、なんかもうどっちが悪者がわからなくなってきたけど、とにかくあの魔女をおびき寄せるのが先だ。そしてこの黒猫を猫質にして交渉して……交渉して…………ええっと、それからどうしよう。考えてなかった。 ええい、なるようになれだッ!! わたしはさらに力強く吹雪を放った。 するとその瞬間、明るいも暗いもなかった視界に、久しぶりの眩しい光を見たような気がした―― 目を開けると、凍り付いた部屋の光景が視界に飛び込んできた。 あれっ。見える! わたしにも見えるぞ! すぐそこには面白いポーズで固まった黒猫の氷像が。 そしてその隣には、憎き魔女があお向けになって倒れている。 なるほど、どうやら黒猫を助けにきたところで凍った床で滑って転んだのか。それでそのまま気絶した結果、わたしにかけられた魔法が解けたというわけだな。 魔法が解けたということは……! さっそく自分の身体を見回してみると、美しいマリンブルーの鱗が雪風を受けてきらきら輝いている。振り返ると、嬉しそうに揺れる長いしっぽがわたしにあいさつした。よかった、元通りのわたしだ! わたしの隣にはセッテが尻餅をついた格好で転んでいる。 凍った青い部屋に映える真っ赤なローブ。元通りのあいつだ。 「どうやらおまえも無事みたいだな。まったく肝心なときに役に立たないやつめ」 「いやぁ、助かったっすよ! しゃべれなくなったんで呪文も唱えられないし、動けないし何も見えないしで、さすがに今回はやばいと思ってたところっす」 「どうだ、このクエリア様といっしょに来ててよかっただろ。感謝しろ」 「あんたは命の恩人っすよ! ありがとう、アクエリアス姫様」 「むふーん。いいぞ、感謝されてやる」 なかなかセッテは素直で忠誠心のある家来だ。フリードよりもかわいく見えてきたぞ。気分がいいから、あとでわたし特製のカキ氷をごちそうしてやろう。 さて、それではあの憎たらしい魔女をどうしてやろうか。このわたしに泣くほど怖い思いをさせた罪は重いぞ。おまえを凍らせてカキ氷にしてやろうか。 わたしは倒れた魔女の前に立ってとぐろを巻いた。 「なあセッテ。黒いのと赤いの、どっちのカキ氷が食べたい?」 「えっ、いきなり何の話っすか」 「あ、ごめん。どっちも赤になるかも。というか、猫の血って何色だっけ」 「なんか知らないけど、不穏なことを言うのはやめるっすよ……」 この魔女の処遇についてセッテと話し合うと、あんな目に遭ったばかりだというのにセッテはこの魔女を仲間にしたいと言い出した。 わたしはもちろん反対した。だって嫌だろ。こいつはわたしをぬいぐるみなんかに変えて、結果的に殺そうとしたんだから。そんなやつといっしょにいたくない。 それにこの部屋にある大量のぬいぐるみたち。あれはきっと、以前にわたしたちのようにここへ来てぬいぐるみに変えられてしまった、かわいそうな誰かだ。このままこの魔女を許せば、その誰かが報われない。 だからこんなやつ殺してしまったほうがいいんだ、とわたしは提案した。 しかし、それでもセッテは首を横に振った。 「何も殺すことはないっす。ここでプラッシュを殺したら、おれたちのほうが悪者になっちゃうんじゃないっすか?」 「うっ。それは確かにその通りだ。でもわたしはこいつを許せないぞ!」 「まあ、反省させる必要はあるかもしれないっすね。いたずらっ子にはおしおきが必要だ。でもまだちびっこなんだし、きっと更生できるっすよ」 「ああ、セッテは知らないんだ。それなんだけど、こいつは本当は四百――」 そう言いかけたとき、あの魔女めがふらふらと起き上がってこちらに手を向けるのが見えた。あいつめ、まだ懲りてなかったのか。おしおきしてやる! わたしはとっさに水のブレスを吐いた。そしてその水を操って空中に留めると、円形に広げて鏡のようにした。プラッシュの手から放たれた魔法の光は、水鏡に反射してプラッシュ本人が浴びることになった。 すると魔女はわたしたちの見る目の前で、あっという間にぬいぐるみに変わってしまった。ふーん、外から見るとこんな感じなのか。体感としては、かなり時間をかけてじっくりと変化してたような気がしたけど、意外とあっけない。 セッテは魔女のぬいぐるみを拾い上げると、言い聞かせるように言った。 「悪いけどしばらくそのまま反省しててもらうっすよ。あれはなかなか面白い体験だったけど、同時にけっこう不安だったんすからね」 「あ、セッテ。それ聞こえてないから。話すんなら黒猫のテレパシーで」 「じゃああとでいいっす。ちょっと厳しいかもしれないけど、数日ぐらいこのままにしとけば、さすがにプラッシュちゃんも反省するっすよ」 「あ、セッテ。それだめだから。プラッシュちゃん消滅するから」 そうか、セッテは黒猫と話していないんだな。 テレパシーを通さないと会話できないことも、24時間経つと意識が消滅してしまうことも、さらにはこの魔女がぬいぐるみに変えたやつの寿命を奪っていたことも何も知らない。だからあっさりこいつを許したのか。 このまま黙っといてプラッシュに恐怖感を与えてやるのもいいし、そのまま永遠にぬいぐるみとして飾っておくのもいい仕返しなると思ったが、たぶんあとでセッテに怒られそうなのでやめておこう。 とりあえずまずは、凍り付いた部屋を元に戻して、まだ寒さに震えている黒猫にたっぷりと仕返しをしてやった。 おまえなんか、ヒゲをつまんでこうしてこうしてこうだ! そしてトドメにおでこにでこピン! どうだっ、水竜のでこピンは効いただろう。 黒猫は弾き飛ばされてごろごろ転がると、壁にぶつかって止まった。 『や、やめてくれぇ。ミーが悪かったよ、マドモアゼル……』 「どーだ、これで上下関係がはっきりしただろ。これに懲りたらもう悪さはやめることだな。さもないともう一回……」 『わわ、本当に反省してるってば! だからヒゲを引っ張るのはやめて』 黒猫はしょげたような声で鳴いている。それと同時にテレパシーでわたしたちに言葉を伝えてきている。 セッテは黒猫がその魔法を使えることを知らなかったようで、 「うわっ! なんか声がする。幻聴? 幽霊? 気味悪いっす!」 大げさに驚いてみせていたので、黒猫の能力を教えてやった。 「まじっすか。この猫しゃべれるってこと? それはそれで気味悪いっす」 『失敬な。人も竜もしゃべるんだ。猫がしゃべって何が悪い』 「それもそうか。じゃあよろしくっす、黒猫さん」 うわ、あっさりと受け入れた。切り替えの早いやつめ。 その後セッテに黒猫の名前はなんだと聞かれたが、忘れたので答えなかった。 「それよりも黒猫! まだわたしはおまえを許したわけじゃないんだからな。誰かの命を奪って自分は長生きするなんて最悪だ。それって禁断魔法なんだぞ!」 「えっ? それ何の話っすか」 「こいつがわたしに言ったんだ。実はあのぬいぐるみ化の魔法には……」 わたしはセッテが知らない魔女っ子の裏の顔を話してやった。 ぬいぐるみになって24時間経ったらもう元には戻れないし、意識は消滅してしまうし、さらにはその命を奪ってあの魔女は四百年も生きているのだと。 ああ、なんど思い出しても恐ろしい。きっとトラウマになってる。今後わたしはぬいぐるみを見るたびにそれを思い出して震えるに違いない。 すると突然、黒猫が言った。 『あ、あれ嘘です』 ……はぁ? アレウソデス? 『だってマドモアゼルがあまりにもご主人サマやミーを侮辱するから。それでミーもちょっとムキになっちゃった。演出だよ、演出。なかなか怖かったでしょ?』 なにそれふざけんな。 つまり24時間がどうとか意識が消えるとか命を奪うとか、あれって全部ウソ? 「じゃあ、プラッシュが四百年も生きてるっていうのは!?」 『あれはご主人サマの実力さ。魔女は誰でも長生きの方法を知ってるんだ』 「許さん。このわたしを泣かせた罪は重いんだからな! おまえなんかシャミセンにして食ってやるぅぅぅ~~~っ!!」 『マドモアゼル。シャミセンは食べ物じゃないよ』 こいつッ! さらにわたしに恥までかかせやがった。絶対に許さない。 おかげでセッテに「泣いてたの?」とか聞かれてしまった。 な、泣いてない。たしかにちょっと泣いたかもしれないけど、あれは心の中で泣いただけだからセーフだ。だからわたしは泣いてない。泣いてないんだからなっ! 「さて、もういい頃かしら」 そのときセッテが持っていた魔女のぬいぐるみが突然震え出すと、煙とともにそれはぬいぐるみの魔女に戻った。 魔女のぬいぐるみがぬいぐるみの魔女に。ややこしいな。 「うわっ、びっくりした。自分で元に戻れるんすか!」 「あたしが自分で開発した魔法だもの。そんなの当然よ」 「あの……なんか、最初に会ったときと雰囲気違いません?」 「あら。あっちのほうが良かった? じゃあ……セッテちゃんがそうしてほしいなら、こっちのあたしでおはなししてあげるの。こっちのあたしのほうにする?」 「け、結構っす。えっと、ホントは四百歳? なんすよね。なんかもう、おれ純粋な目でプラッシュちゃんを見られない……」 「うふふ。人は年齢よりもずっと若々しくて美しい女性を『魔女』と呼ぶのよ」 「つまり、見た目はお譲ちゃんだけど中身は大人で、クルスと似たような感じで、えーっと。あ、アメちゃん、やるっす、よ? あれっ、逆か?」 セッテは混乱している。とりあえずこいつは置いといて、わたしはまだ魔女に聞くことがある。黒猫の言ったことが嘘だとして、まだ納得できないことがある。 「なぜわたしたちを襲った? もしかしてトロウの手下か」 しかし魔女は首を横に振った。 「トロウのことは本当に知らないわ。あたしはこの島から滅多に出ないから」 「ちゃんと質問に答えろ! わたしたちを襲った理由を聞いてるんだ!」 「あなたたちが可愛かったからよ」 「ええっ……そんな理由で!?」 ぬいぐるみが大好きだという気持ちに嘘はない。だから可愛いものを見つけるとついぬいぐるみにしてしまいたくなる。そう魔女は語った。 まるで理解できない。その言葉にわたしはただただ困惑するしかなかった。 やっぱり魔女というのは変なやつばかりなのか。変態だ。 「じゃ、じゃあこの部屋いっぱいにあるぬいぐるみは何だ! 全部おまえの被害者なんだろ? そういえば同じ竜の子もいるから、とか言ってたし」 「言ったわね。あるでしょ? 竜のぬいぐるみも」 魔女の部屋にところ狭しと並べられたぬいぐるみの中には、たしかに竜のぬいぐるみもあった。他にも色んな動物や、メーや、架空の生物まで……。 「だけどここにあるのは、ほとんどは本物のぬいぐるみよ。可愛いでしょ?」 「そ、そんなぁ……。わたしがどんなに怖い思いをしたと思って……」 「まあ、一部は本当に生きてるぬいぐるみなんだけど」 「……ッ!! ほら! ほら!! やっぱりこいつ悪の魔女だ! 変態魔女だ!」 「あら、ひどいわね。そうじゃないのよ。だって……」 プラッシュが言うには、その一部とは本人の同意の上で、望んでぬいぐるみになっている者たちなのだという。 魔女にぬいぐるみに変えられた者には、まずあの黒猫が声をかける。そしてうまく言い包めて、ぬいぐるみとして生きることを認めさせれば、魔女のコレクションが増えることになる。 しかし、どうしても同意が得られなかった場合はちゃんと解放しているらしい。 中にはこの魔女同様にぬいぐるみが好きすぎて、とうとう自分がぬいぐるみになる夢を持ってしまい、それを叶えるために自ら頼みに来た者もいるとかなんとか。 「魔法を調節すれば視覚や聴覚を残したままぬいぐるみにしてあげられるわよ。綿の身体だから、しゃべったり動いたりはさすがに無理だけど」 「いらんいらん。そんな情報求めてない」 「それにあたしの魔法を使えば、どんな姿のぬいぐるみにだって変えてあげられるのよ。この前来たのは、風竜の姿になりたいっていう人間で……」 「うぁーっ!! わたしには理解できない! 変態の知り合いは変態ばかりだ!」 それからしばらくして、ようやく落ち着いたセッテが最後に話をまとめた。結局プラッシュは面白そうだという理由だけで、わたしたちの仲間としていっしょに来てくれることになった。 あとおまけに黒猫もついてくるらしい。くそっ、あいつは嫌いだ。 「それから、生きてるぬいぐるみたちを放置していくわけにはいかないわ。彼らも連れて行くわね。えっと、オリバーとウェイドとジョセフィーヌと……」 うわっ、生きてるぬいぐるみ何人いるんだ。 プラッシュは家の中に戻ると、両手いっぱいにぬいぐるみを抱えて帰ってきた。 そしてお花畑の上にそれらを並べると、魔法で小さくして服の中にしまった。 「あたしってきっと本当は一人で寂しかったのね。だから、こういうぬいぐるみたちのぬくもりがどうしても忘れられなくって」 わからない。わたしにはその気持ちはわからない。 寂しいなら、こんな無人島なんかに引きこもっていなければいいのに。 「そうそう。お近づきの印にこれをあげるわね。クエリアちゃん、これをとっても気に入っていたでしょう?」 そう言ってプラッシュはポケットから何かを取り出した。 小さな豆粒のようなそれは、地面に置かれるとむくむくと元の大きさに戻って、それはあのふかふかもふもふな人類最高の発明品に変わった。 ソファだ!! 「このぬくもりが忘れられない気持ち。クエリアちゃんならわかるわよね」 わかる! わたしにもその気持ちならわかるぞ! おのれ魔女め。わたしの心をこうも簡単につかんでしまうとは侮れない。 わたしはさっそくソファの上に転がり込んだ。 ふわぁぁぁっと身体が沈みこんでいくこの快感。寝返りを打つたびに優しく全身をなでるこのもふもふ感の心地よさ。ああ、やっぱりこれ……しあわせ。 「ふっ、よかろう。このクエリア様が同行を許可してやる……! ひゃぅぅぅん。ごろごろごろごろごろごろごろごろ。きゅるるるるぅ」 「変な声出てるっすよ、クエリア」 変な声出てもいいも~ん。気持ちいいからいいんだも~ん。 今ならどんなことが起きても許しちゃう。もふもふソファ、最高っ! こうしてわたしは、世界最高の宝物を手に入れた。 魔女と黒猫がおまけについてきたけど、そんなのはもう誤差みたいなもんだ。 アルヴに帰ったら、さっそくソファを広げて存分に満喫してやる。楽しみだ。 そしてわたしはソファとセッテと魔女と黒猫を背中に乗せてアルヴへ帰った。 その後、アルヴでは集団失踪事件が起こることになる。もちろん、事件現場には大量のぬいぐるみが落ちていたのは言うまでもない。 Chapter26 END 魔法戦争27
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Chapter21「人と竜をつなぐ架け橋」 フレイは人間ではない。竜人族だった。 驚愕の事実をつきつけられて、フレイはパニックを起こしていた。 今まで信じてきたものがすべて音を立てて崩れ去っていくようで、自分が自分でなくなってしまったような気がして、心が叫び声を上げて落ち着かなかった。 一人で大神殿を飛び出したフレイは、ただ闇雲にアルヴの地を走り回った。頭をからっぽにして、この言いようのない不安を断ち切りたかった。 しかし、いくら走っても気持ちが落ち着くようなことはなかった。 (僕は……竜人族なのか。人からも竜からも忌み嫌われる存在……) 走り疲れて立ち止まったフレイは、失意のままにその場に座り込んだ。 そして自分の両手をじっと見つめた。 見慣れた手だ。指の数はちゃんと五本あるし、鉤爪があったり水かきがついていたりするようなことはない。もちろん鱗もない。至って普通の人間の手だ。 そのまま両手を頭にやって自分の後頭部に触れる。髪をかきわけてみても、そこにツノが生えていたりするようなことはない。背中や腰に触れても、翼はついていないし、しっぽも生えてはいない。 外見上は普通の人間とまったく変わりない。 アルバスに「そなたは竜人族だ」と言われたのは、ただの聞き間違いだったのではないか。あるいは嘘だったのかもしれない。そうに違いない。いや、そうだと信じたい。 顔を上げて周囲を見渡すと、何人かの竜人の姿が見える。 人の姿によく似ているが、ツノと翼が生えている者。翼はないが、顔は竜でしっぽが生えている者。ほとんど竜の姿だが翼としっぽがない者。 このへんはまだいい。クルスやクエリアが人間の姿を取っているときと似た雰囲気があるので、ある意味よく見慣れている姿だ。 一方で中途半端に肌と鱗が入り混じっていたり、片方の手は人でもう片方が竜だったり、両手の指が二本ずつしかなかったり、手がそもそもヒレ状になっていて物をつかめなさそうだったりと、いかにも異形の姿の者も目に入る。 あれだって竜人族だ。すごく異質な感じがして、少し気味が悪い。 (僕があれと同じだっていうのか? 僕も化け物だと?) そう考えると少し気分が悪くなってきた。 めまいを感じて膝をつき地面に両手をつくとフレイはぜえぜえと肩で息をする。 そのときふと自分の左手の甲に目をやると、小さな擦り傷があった。いつの間にこんなところを擦りむいたのだろう、と爪でその小さな傷を軽く引っかくと、なんと左手の甲の皮がべろんとめくれてしまった。 それだけでも驚くことなのに、めくれた皮の下には褐色に輝く鱗がびっしりと生えているではないか。 慌ててその鱗を引っかくと確かに痛みを感じた。それは間違いなく自分の身体の一部だった。 半狂乱になりながらその鱗を何とか取り除こうとしているうちに、もう一方の手がいつの間にか竜の手に変わっているのに気がついた。指先には鋭い鉤爪があり、指の数も四本になっている。指の間にはわずかに水かきのようなものも見えた。 衝撃を受けていると、こんどは背筋に電撃が走った。激しい痛みは肩甲骨のあたりから背中、腰へとしだいに降下していき、臀部を過ぎるとさらに下へと進む。慣れない感覚の場所が痛んでいるなと振り返ってみると、ズボンを突き破って長い尾が伸びており、痛みを感じているのはまさにその尾だった。 痛みがあることから、それも紛れもなく自分の身体であることがわかり、しかもそれは自分の意思で自由に動かすことができる。 驚いて尻餅ついた姿勢になると、靴が脱げて足先が変化していくのが目に入る。膝から足首までの間隔が短くなり、代わりにかかとからつま先までの距離が長くなっていく。足の指は三本に変わっていて、その先端にも鋭い鉤爪がある。 なんとか立ち上がろうとしたが、どうしてもかかとが地面につかず、つま先立ちのような格好になってしまう。そしてバランスを崩して前のめりに倒れてしまい、再び四つんばいの体勢になってしまうと、こんどは首が長く伸び始めた。 動いていないのに視界がぐんぐん前へと突き出ていく。同時に鼻先も長く伸びているようで、自分の鼻が視界の真ん中にまで見えている。助けを求めようとして声を出そうとするも、口から出たのは獣の咆哮のような音だけ。とうとう言葉を話すことさえもできなくなってしまった。 もはや立ち上がろうとしても、骨格が変化してしまったのか二本の足で立ち上がることができなくなっていた。頭からはツノが生え、口には鋭い牙が並び、背中には大きな翼が姿を現す。 そして一匹の竜と化したフレイは悲しそうに一声鳴くと、翼を羽ばたかせて飛び上がり、独り虚空の向こうへと姿を消していくのだった―― 「うわぁぁああぁっ!!」 飛び跳ねるように上体を起こすと、慌ててフレイは立ち上がり自分の身体をまんべんなく確認した。 全身が冷や汗でびっしょりになっていたが、間違いなく人間の姿だった。 両手を掲げて太陽にかざす。大丈夫、見慣れた自分の手だ。 (ゆ、夢……か。お、恐ろしい夢だった) 気分が悪くなったフレイは、どうやら身体を休ませるために横になって、そのまま眠ってしまっていたらしい。今のはそのときに見た夢のようだ。 おまえは竜人族だといきなり告げられて、落ち着かない気持ちと不安があのような夢を見させたのだろう。フレイはどっと疲れたような気分だった。 「はあ……。やけにリアリティのある夢だったなぁ」 まだ心臓が早鐘のように脈打っている。 座り込んでがくりとうなだれていると、足音が近寄ってきて声をかけた。 「……あの。大丈夫? ずいぶんと気分が悪そうだけど」 顔を上げると、そこに一人の竜人がいた。 薄紫色の鱗に長い尾があるが翼はない。竜に近い顔立ちをしているので、竜の血が濃いほうの竜人族だろう。 「わたしはゲルダ。あなたは?」 そう言ってゲルダは手を差し出す。 「フレイ。僕はフレイだ」 手を取って、ゆっくりとフレイは立ち上がった。二人の背丈はだいたい同じぐらいだが、並んで立つとわずかにフレイのほうが高い。 「心配してくれてありがとう。少しめまいがしただけなんだ。もう大丈夫だ」 「そう。ならいいんだけど」 ゲルダは頬に手を当てて首を傾げている。 人の尺度でいうとゲルダはなかなか良いスタイルをしており、気にしないようにしてもくびれた身体のラインについ視線がいってしまう。というのもゲルダを始めとして竜人族は服を着ていなかったからだ。そういう文化がないからなのかもしれないが、フレイは目のやり場に困っていた。 思わず照れたように少しうつむくフレイに、ゲルダから言葉を投げかけた。 「見かけない顔だね。外から来たの?」 「ま、まあ、そんなところだ」 「へぇ~。だから変わったものを身に着けてるんだね。フレイって人間?」 よほど外から来た者が珍しいのか、純真無垢な顔を近づけてゲルダは熱心に聞いてくる。少し悩んだが、フレイは正直に答えることにした。 「そうだと思ってたけど違った。僕も竜人族らしいんだ」 それを聞いてゲルダはフレイの周囲を回りながら、その姿をぐるっと見回すと、 「そうなんだ。じゃあわたしと同じだね」 と純粋な笑顔をみせるのだった。 「ねえねえ、外ってどんなところ?」 「どんなって……そうだな。僕の育ったところは大樹の上に街があって」 「タイジュって何?」 「あ、ああ。大樹っていうのはすごく大きな木で、正式な名前はユグドラシルというんだ。まるで島みたいに広くて、枝は何人乗っても大丈夫な道みたいなもので、葉っぱも人より大きいし……」 ゲルダは興味津々に外の世界のことをフレイに聞いてきたので、フレイはこれまでに行ったムスペルスやニヴルヘイムなどの様子を語って聞かせた。その話にゲルダは食い入るように耳を傾けた。 話を聞き終えるとゲルダは軽くため息をつきながら、まだ見ぬ外の世界について思いを馳せるのだった。 「はぁ~あ、いいなぁ。外の世界かぁ。わたしも見てみたいな」 「君はアルヴから出たことがないのか?」 「うん。わたしはここで生まれて、ここで育って、ずっとここで暮らしてきたの」 「そうなんだ。でも気になるなら、外に出たらいいんじゃないの?」 「そうだよね。でもわたしには羽がないから……」 なるほど、たしかにゲルダには翼は生えていない。竜というのは飛ぶものだという固定観念みたいなものがフレイにはあったが、竜人の場合はそのすべてが必ずしも翼をもっているとは限らない。自分もそうであるように。 見たところ、アルヴには魔導船のような移動手段も存在していないようなので、翼も船もなければたしかにここから出ることは難しい。 (そういえば、フリードは転移魔法で送ってもらったと言ってたもんな) そんなことを考えていると、ゲルダは再びフレイの姿をじっと見つめた。 「何?」 「ううん。フレイにも翼ないなぁって。どうやってここに来たのかなって」 ごもっともな質問だ。こんどは魔導船のこと、それに乗って旅をしてきたことを話すと、ゲルダは目を丸くして驚いてみせた。 「フネ! そんな大きな乗り物があるんだ!」 「ああ……。そうか、そこからか」 「やっぱり外の世界ってすごいなぁ。わたしもいつかアルヴを出て、フレイみたいに外の世界を旅して回ってみたいな。外にはアルヴ以外にもいろんな国があって、いろんな文化があって、竜人の他にもいろんな種族がいるんでしょ。そんないろんなもの、いっぱい知りたい。いっぱい見てみたい。いっぱい体験したい!」 純粋に外の世界への憧れを語ってみせるゲルダの姿は、まるで世界に憬れる人間の女の子となんら変わりはない様子だった。 (そうか……。僕は誤解していた。姿が少し違っていても、心は同じなんだ。人も竜も、そして竜人族も。多少の考え方の違いはあっても、それは文化の違いによるものであって、何をどう感じるかというのはみんな同じだったんだ) これまでフレイは、人と竜はまったく別の生き物だと思っていた。たしかに姿形も能力も暮らし方も全然違う。しかしそれは文化が違うだけ。同じ空に生きるものとして、人も竜も根本的には同じなのだ。そしてもちろん、竜人も。 初めて出会った竜人が竜くずれのヴェンだったこともあって、竜人というのは卑屈で不気味で人とはまったく別種の生き物だと思っていたところもあった。 「でもそうじゃなかった。(ヴェンには悪いけど)あれはあくまでヴェン個人がああいう性格なだけで、竜人族のすべてがそうだというわけじゃないんだ」 そう思うと、今まで不安を感じていた自分がばかばかしくなった。今まで自分は一体何を怖がっていたのだろう。ただ少し姿が違うだけで、中身はみんなそれほど大きな違いはなかったのに。 ただ知らないだけで、知ろうともせずに怖がっていた。知らないからこそ怖がっていた。ずっと誤解をしていた。そう気がついてフレイは反省した。 ずっと心のどこかで竜人族のことをバケモノか何かだと思い込んでいた。しかしそうではないということは、目の前で純粋に笑ってみせるゲルダを見ていればよくわかる。 竜人族は人からも竜からも差別されていると聞いてフレイは育った。だから竜人族とは悪いものなのだと勝手に決め付けていた。 そして自分がその竜人族だと知らされて、自分も差別されるのではないかとフレイは思った。いや、その事実を隠されていたこと自体を差別されたと感じた。 しかしそれは違った。なぜなら人も竜も竜人もみんな同じだからだ。 外見上、人とまったく同じ姿なのだから、それをわざわざ竜人だと区別する必要なんてない。異なる存在なのだと区別してしまうことそれ自体が差別になる。 (なんてことだ。無意識のうちに僕自身も竜人族のことを差別していたんだ。なぜなら僕は竜人族のことを何も知らなかったから。勝手に誤解して、勝手に恐れて) きっと誰もがそういう誤解をしている。 いや、竜人族だけに限った話ではない。人と竜も同様だ。 人も竜も、互いをまったく別の生き物だと思っている。自分とは違うのだと心のどこかで勝手に決め付けて、勝手に恐れているのだ。 だから互いのことを理解し合おうとはしないし、互いのことを認め合おうとしてこなかった。だから人と竜は解り合えなかった。 それは違う。 人と竜は解かり合える。 互いをよく知れば、きっと共存することができる。 竜人族という存在は、そのことを教えてくれた。竜人族はバケモノなんかじゃない。人と竜の間に位置する存在。つまり人と竜をつなぐ架け橋になる存在だ。 (僕は竜人族だ。だから人のことも竜のことも、きっとどちらも理解することができる。竜人族だからこそ、人と竜をつなぐ架け橋になることができる!) フレイは理解し、そして決意した。自分が架け橋になると。 竜人族のことが理解されれば、きっとみんな同じなのだと理解されるはず。そうすれば人も竜も、そして竜人も共存することができる。 「そういう共存の形もあるのか……!」 ずっと一人で何やらつぶやいていたフレイの様子を、ゲルダは不思議そうな顔をして眺めていた。そして急に頷きながら大きな声を出したフレイに驚いた。 「えっ。何の話?」 「なんでもない。でも君に会えたおかげで、僕は大事なことに気がつくことができたんだ。だから言わせて欲しい。ありがとう」 突然わけもわからずお礼を言われて、ゲルダはさらに不思議そうな顔になった。 「なんだかよくわからないけど……。でも元気になったのならよかった」 「ああ、君のおかげだ。でもそうとわかったら、僕にはやらなければならないことがある。君にはいくらお礼を言っても足りないぐらいだけど、もう行かないと」 「そうなんだ……。もう行っちゃうんだね。わたしも色々お話を聞かせてもらえて楽しかったよ。わたしのほうこそ、ありがとう」 「そんな大したことじゃないよ。じゃあ僕はもう行くね」 別れを告げて背中を向けたフレイに向かって、ゲルダは最後に問いかけた。 「ねぇフレイ! いつかまた、会えるかな?」 振り返ってフレイは頷いた。 「ああ、きっとね。そうできるようにするために僕は行くんだ」 そしてまっすぐとアルバスの待つ大神殿のほうへと歩き出した。 行く先を見つめるフレイの目にはもう不安も迷いもなかった。 大神殿に戻ると、仲間たちが心配そうな顔でフレイを出迎えた。 「フレイよ。さっきはお主の気持ちも考えずにすまなかった。しかし私は決してお主を騙すようなつもりで黙っていたわけじゃない、ということはわかってほしい」 「おれはいつでもフレイ様についていくっすよ。フレイ様はフレイ様だ。竜人族がどうとかそういうのは関係ないっすからね!」 「王子、あまり無理はなさらないでください。たしかに私なんかには王子の気持ちは完全にはわからないのかもしれまん。ですが、王子の力になりたいと思っていることに偽りはありません。セッテ共々、我々はいつでも王子の従者ですから」 それぞれがフレイを心配したり、励ましたり、謝ったりと一言ずつ声をかけた。 すべてを黙って聞き届けると、フレイは立ち並ぶ仲間たちの前を通り抜けて、背中を向けたまま言った。 「みんな心配かけてすまない。僕のことならもう大丈夫だ。それにわかったんだ。竜人族は人と竜の間に立つ存在だ。その位置にいるからこそ、できることがある。それは人と竜をつなぐ架け橋になることだ」 フレイは心に決意を抱いた。 そしてそのまま白竜の前に歩み出ると、その決意を述べた。 「神竜アルバス様。あなたのご依頼、受けさせていただきます。僕はアルヴの竜人たちを導き、トロウの暴走を止めてみせましょう。ユミル国の代表として、人間の代表として、そして竜人族の代表として!」 すると白竜は安心したような笑みをみせた。 「よくぞ決心してくれた。私は竜の代表としてそなたに感謝の意を表させてもらおう。ありがとう、フレイ王子。これより我々は同志だ」 白竜は大きな手をフレイの前に差し出した。どうやら握手のつもりらしい。 フレイはその指先を両手でしっかりと握った。 こうしてフレイはアルヴの竜人族を率いることになったが、ほとんどの者がフレイとは初対面であり、そんな状態で指揮を執るというのも無理な話だった。 そこでアルバスはフレイにしばらくこのアルヴで生活することを提案した。 「トロウを止めるにしても、今のそなたらでは戦力不足は否めない。それにアルヴの民たちは戦い方を知らない者も多い。だから交流も兼ねて、ここの民の中から戦えそうな者を選び、そして彼らに稽古をつけてやってほしい」 「しかし、その間にトロウが黙っているでしょうか。もし襲撃を受けたら?」 「それなら心配には及ばない。ヴォルヴァよ、こちらへ」 呼ばれて現れたのは、巫女装束に身を包んだ女性。一見すると人間のようだが、よく見ると頭に小さなツノが生えているので竜人族であることがわかる。アルバスは彼女を予知の巫女であると紹介した。 予知の巫女ヴォルヴァはこのアルヴを護る防衛魔法を司る巫女の一人でもあり、彼女の魔法に干渉する力を観測したのだという。 「あなたたちの船……アルヴに向かう道中……何者かがそれを監視しようとしていた……。外からの力……場所はここから遠い……すごく大きな大地の力を感じた……。まるで巨大な植物のよう……」 「巨大な植物とはもしやユグドラシル? ユミルの方角か。ということは……やはりトロウは僕たちを何らかの方法で監視していたのか。行く先々で敵に遭遇するものだから、おかしいとは思っていたんだ」 「その力は今はもう感じない……私の魔法がそれを遮ったから……。アルヴにいる限り、あなたは決してトロウには見つからない……」 神竜アルバスと巫女たちの魔法によって、隠れ里アルヴの位置は知らない者には絶対にわからないようになっている。だからこそトロウもアルヴには手が出せず、フレイがここにいる限りは時間を稼ぐことができるという。 加えてヴォルヴァはその予知の力によって、万が一にもトロウがこのアルヴに攻め込んでくるような未来は観測できないと保障してくれた。 そういうことなら、とフレイはアルヴに残って竜人たちを訓練することを受け入れた。 「それからフレイ王子の仲間の方々。そなたらも望むなら、このアルヴで好きなように過ごしてもらってかまわない。フレイ王子を手伝うも良し、やるべきことがあればここを拠点として使うも良し。行くべき所があれば、私が転移魔法で送り届けてやることもできる」 それならば、と仲間たちはそれぞれの考えを述べた。 もともとこのアルヴへ来たのも、ムスペルスやニヴルヘイムの協力を得ることができず、他に味方になってくれそうな者を求めてのことだった。 アルヴの竜人族が味方になってくれるのは戦力的にプラスになるが、これから訓練をすることを考慮すると即戦力とは言いがたいし、それだけでトロウに立ち向かうのは不十分だ。 だから各々が各地に散って、手分けして力になってくれる者を捜すのがいいだろうということで意見が一致した。 ある者は知り合いにあたってみるといい、ある者は魔法を極めた偉人である賢者を捜して相談してみるといい、またある者は特定の分野に特化し独自の魔法を操るという魔女に会ってみるのもひとつの手だと提案した。 まだこの世界には事情を話せば協力してくれる者がいるかもしれない。 フレイたちの他にもトロウに対抗しようとしている勢力があるかもしれない。 それにもしかしたら、仕方なくトロウに従わされている者もいるかもしれない。 そういった者たちを味方につけるのもひとつの手だった。 こうして他の面々は、それぞれの思う方法で自分たちの力になってくれる味方を増やすために各地へと散っていった。 来るべき決戦の時、いつの日かトロウを打ち倒すその時に備えて―― Chapter21 END 魔法戦争22
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Chapter34「フレイと竜人3:竜人族の少年は中二病」 「俺の名はウェイヴ。邪悪な余所者はこの俺が排除してやる!」 一人の竜人の少年が僕たちの前に立ち塞がっている。 腰までかかるほどの銀の長髪で、体色は対照的に黒い。ゲルダと同様に翼がなくかかとが地面についているのでヒト寄りの竜人だが、ウェイヴにはさらにツノも尻尾さえもない。シルエットだけ見れば、人間とほとんど違いはない様子。 背丈は僕の半分程度で、セッテがこの場にいたらきっとまたちびっこと呼んでからかっていきそうなぐらいだ。 ウェイヴについてゲルダに聞いてみると、この少年もアルヴで生まれた竜人の一人で、幼くして両親を病で亡くしたために一人で暮らしている。……という答えが返ってきた。 「ほんとは誰かが面倒をみてあげられるといいんだけどね。ウェイヴ本人が強くそれを拒んでるみたいなんだよね。なんかちょっとひねくれてる感じ」 「可哀想な子なのか。それはひねくれてるんじゃなくて、たぶん寂しいだけだよ。もっと愛情をもって接してあげれば、きっと心を開いてくれるんじゃないかな」 「うーん。そうかもしれないけど、あの子ちょっと変わってるっていうか……」 二人で話し込んでいると、少年はさらに怒気を強めて声を荒げた。 「おい、俺を無視するな! 今は俺がおまえに話してるんだ」 「ごめんごめん。でもフレイはわたしの友達だから、邪悪でも敵でもないよ」 「うるさい。ゲルダには話してない。そのフレイって奴に話してるんだ!」 少年はゲルダを押しのけると、ずかずかとこちらに歩み寄ってきた。そして鋭い目つきで僕の顔を見上げた。 「おまえ何者だ。一体何の目的でアルヴへ来た。返答次第では黙ってはいないぞ」 僕は素直に自分のことと、アルバスに竜人たちを率いて立つよう頼まれたことを話した。 しかし少年はそれを聞いても不機嫌そうな表情を改めることはなかった。 「白竜のジジイがおまえを選んだ? ふん、ジジイめ。ついにもうろくしたか。こんな邪悪な余所者を頼るなんて、気が触れてるとしか思えん」 「さっきから邪悪邪悪って言ってくれるけど、僕には全く心当たりがないな。そこまで言うなら、僕の何が邪悪なのか教えてくれないかな」 「しらばっくれるな。一目見た時からおまえからは邪悪な気を感じている。邪悪ということは敵ということだ。敵ということは倒さなければならないということだ」 どうも具体性を得られない。何度聞いても何度説明しても、この少年はただ邪悪な気がどうのこうのと繰り返すだけだった。 「余所者を頼るなんてあり得んな。俺はずっと一人で生きてきた。生きるためには強くなくちゃならない。だから俺はもっと強くなる。誰よりも強くなる! おまえのような余所者なんかに負けてはいられないのだ。だから俺と勝負しろ!」 だめだ。こういうのは言葉で説得できるような相手じゃない。 思えば、僕がまだ子どもの頃、セッテと二人で城を抜け出して城下街へ遊びに行ったときに似たようなタイプの子どもと遭遇したことがあった。 その子どもはいわゆる街のガキ大将というやつで、自分の実力に絶対の自信をもっていた。子どもたちの間だけの狭い世界での実力に、だ。 あのときは、相手の挑発に怒ったセッテが喧嘩を売って返り討ちに遭ったんだ。隣で友達が泣かされて黙って見ていられるほど僕ものんきじゃない。習ったばかりの大地の魔法を駆使してガキ大将を打ち負かしてやった。城での剣術や魔法の稽古はあまり好きじゃなかったが、このとき初めてそれが役に立った気がした。 もちろん、そのあとで父上やオットーに酷く叱られてしまったが、喧嘩を通して生まれる友情もあるということを僕は学んだ。なぜなら、そのときのガキ大将は後にユミル王家に仕えるようになり、剣術の稽古の良きライバルになったからだ。 彼は名をスキルニルといい、魔法の才能はなかったが、剣に関しては大人にも劣らない腕前を持っていた。やがて彼は僕の剣のライバルから、剣の先生になった。それ以来、彼とは長い付き合いになる。 ほとんど幼なじみのようなオットーとセッテを除けば、ユミルで最も親しい友達といえば、まずスキルニルの顔が思い浮かぶ。 そんな彼も今では城下街治安維持部隊エインヘリアルの隊長だ。 「拳を交えてわかる言葉もある……か。わかった、相手をしよう」 「フレイ、あんなの真に受けることないって。どうせ子どもの言うことなんだし、それにああ見えてウェイヴは意外と強いよ?」 「かまわないよ。力を示して認めてくれるっていうんなら、勝負でもなんでもしてあげるさ。それにこう見えて、僕も弱いつもりはないからね!」 すべてが雲でできているアルヴでは、媒体がないため大地の魔法は使えない。 腰にはフリードから借りたままになっている剣を一本提げているが、両刃なのでみね打ちはできないし、丸腰の少年相手に剣を振り回すのも大人気ない。 拳を握り締める少年に倣って、僕もすっと胸の前に両拳を構えた。 「さあ、どこからでもどうぞ」 子ども相手に本気になるまでもないだろう。そう思って先手を譲ることにした。 しかし、少年はそれを見て、さらに不満そうな顔になった。 「馬鹿にしてるのか。これがただの勝負でなく実戦だったら、おまえは死んでいたぞ。いいか、強くなければ、この世は生きていけないんだ。今からそれをおまえに思い知らせてやる。いくぞ!」 素手の戦いで死んでいたって、そんな大げさな。 なんて思っていると少年の姿が一瞬にして消え、みぞおちに鋭い痛みを感じた。 「うぐっ……!?」 続けざまに背面から刺すような衝撃。気がつくと、咳き込みながら膝と両手を地面につかされていた。 (――――は、速い!?) 呼吸を整えながら顔を上げると、すぐ正面には屈みこんだウェイヴの不機嫌そうな顔があった。 「その程度か、つまらんな。邪悪な気を振りまいているからには、さぞ手強い相手なんだろうと期待した俺が馬鹿だった」 「ち、違う。今のは少し油断しただけだ。わかった、そういうことなら僕だって、本気を出させてもらう。あとから大人気ないとか言うなよ」 「ふん、もうおまえには興味ない。今のでだいたいわかったからな。おまえは俺より弱い。本気を出したところで、どうせ俺には敵わないことがよくわかった」 「な、なんだと! そんなの、やってみないとわからないじゃないか」 「いや、わかる。俺ぐらいになると、相手の動きを見ただけで強さがわかるんだ。その点おまえは隙だらけだ。よくそれで今まで死なずに生きてこれたもんだな」 子ども相手とはいえ、ここまで言われてさすがの僕も腹が立ってきた。言い訳をするわけじゃないが、僕は大地の魔道士なんだ。剣や拳は専門じゃない。魔法さえ使えればこんな子ども相手に遅れを取ることなんてないはずだ。 そもそも、こんな子どもなんかに負けているようじゃ、トロウを倒すなんて夢のまた夢。こんなところで僕は負けてなんかいられない! 「ウェイヴくんと言ったかな。君、魔法は使えるのかい?」 「こんどは魔法で勝負しろとでも言いたいのか。あいにく俺はこの拳一本で生きてきた。俺には炎だの雷だのを派手にぶちかますような魔法は使えないからな」 「そうか、実は僕は大地の魔法が専門なんだ。拳で負けるのは苦手分野だから、ある意味しょうがないし、実力の半分も出せなかったんだけど……もう興味がないなら仕方ないよね。あーあ、魔法さえ使えたら僕はもう少し強かったんだけどなぁ」 わざとすごく残念そうに言ってやる。そっちに勝負する気がもうないならしょうがないよなぁ、と。 すると―― 「……ほう? おまえ魔道士だったのか。だったら話は別だ。この拳一本で生きると決めたからには、魔道士だろうが竜だろうが、この拳で倒す。魔道士には魔道士として戦ってもらわなければ困る。でなければ、修行にならんからな」 やはり食いついた! どういう世界観を持ってるのかわからないけど、ウェイヴはとにかく強くなることにこだわりを持っている様子。そしてそのために強い相手と戦うことを望んでいるようだ。ならば、本当はもっと強いんだぞ、と仄めかしてやればきっと飛びつくと思っていた。 「だったら一度場所を変えよう。ここじゃ僕は全力を出せないんだ」 大地の魔法の特性を説明して、勝負の場をグリンブルスティの近くに移すことにした。あの周囲でならば、船そのものを媒体にして大地の魔法を使うことができるからだ。 グリンブルスティの脇に、僕とウェイヴとが向かい合って立つ。 少し離れた位置からは、心配そうな表情でゲルダが僕らを見守っている。 「ねぇフレイ。本当にやるの?」 「当然! 僕はアルヴの竜人を率いて立つことを求められているんだ。そんな僕が竜人の子ども一人に勝てなくて、どうして皆をまとめられるものか!」 「でもウェイヴはちょっと特殊っていうか……。あの子、ただ誰彼かまわず勝負したいだけだからね? しょっちゅう誰かに勝負ふっかけてるし」 「かまうもんか。こんな子どもになめられてるようじゃ、主導者失格だ」 するとウェイヴも頷いて続ける。 「その通り! 俺はこんな奴は認めない。認めて欲しければ、戦って己の存在を証明するのみだ。己の地位は勝って掴み取れ! それでこそ漢(おとこ)だ」 「はぁ……。これだから男っていうのは……」 そしてゲルダは理解できないとでも言いたげに、大きなため息をつくのだった。 そのまま静寂が訪れ、僕とウェイヴの視線が交差する。それを合図にお互いが頷き合い、それぞれが構えを取って勝負の再開と相成った。 こんどは先手を譲ってやるような甘さは見せない。大人気ないと言われようが、こんどは本気で相手をしてやるつもりだ。 まずウェイヴの速さが厄介だ。あれは目で追うには困難を極める。そんな攻撃をかわすのもまた難しいだろう。となれば、護りを固めるに限る。 さっそく呪文を唱え、グリンブルスティの表面を媒体に木製の鎧を生成して身体にまとわせた。木製では防御力が心もとないが、相手は素手だ。拳を防ぐ程度なら木製の鎧でも十分だし、これなら軽いので自分の動きが鈍ることもない。 その一部始終をただじっと眺めていたウェイヴは、初めて笑みを見せた。 「面白い。大地の魔法というのを俺は初めて見た。おまえの説明が正しいなら、アルヴでは大地の魔法が使えないそうだからな。大地の魔道士と戦うのも初めてだ」 その表情は、言うなれば初めて経験する大地の魔法に興味津々で、一体どんな攻撃をしてくるのか、どれほど強力なものなのか、と期待に満ち溢れた顔だった。 「アルヴにも火や水、風を扱う奴はいる。俺はそれらの魔法は全て見切ったつもりでいる。だが大地はまだだ。おまえを相手に、大地も全て見切ってやる」 「そうか。だったら大地は火や水よりも変幻自在だ。果たして見切れるかな?」 「絶対に見切ってやる。来いッ!!」 来いと言われるまで待ってやる筋合いはない。話しているうちにすでに策は打っておいた。柔らかい雲の地面は、ものを潜伏させるのにもってこいだ。 雲の地面から植物のツタが幾本も飛び出すと、それらはウェイヴの両足を縛りつけた。素早い相手は、まず身動きを取れなくするのが基本だ。……と、剣術を習っていた頃にスキルニルから教わった。 相手が動けなければ、自然とそこに隙が出来る。呪文を詠唱しながら駆け寄り、ウェイヴとの距離を詰めていく。 とはいえ、拳法を使う相手に正面から挑むのはさすがに危険だ。そこでウェイヴの手前で跳躍。先程の呪文で事前に用意しておいたツタを地面から伸ばし、それにつかまってウェイヴの頭上を飛び越える。 案の定、飛び上がった足の下を拳が通り過ぎていった。読み通りだ。 そして相手の背後に着地し、木の籠手で覆った拳でウェイヴの背中を打った。 だが拳は虚しく空を切った。 見るとウェイヴは身を屈めてうまく攻撃をかわした様子だ。そして身を反転し、渾身のアッパーカットを繰り出す。 木の兜をかぶっているとはいえ、あごまでは無防備。ウェイヴの拳がクリーンヒットし、一瞬目の前が真っ白になった。 気がつくと、僕は後方を吹き飛ばされて尻餅をついていた。 「鎧を着た相手との戦い方はすでに心得ている。まさか頭上を飛び越えるとは思わなかったがな。さあ立て。大地の魔法とやらはもう終わりか」 いつの間にか、拘束したはずのウェイヴの足も解放されている。さっきの目眩のせいで魔法で生み出したツタが消えてしまったか。 ならば、と大地の魔法で木の兜を補強してフルフェイスのヘルメット状に形を変えた。視界が少し悪くなったが、これでもう同じ手を食らうことはない。 「なるほど。大地の魔法は罠と防御が中心か? 地味で攻撃力に欠けるな」 植物の魔法に関しては、ウェイヴの言うとおりだ。自身の護りを固めつつじわじわと相手を弱らせる、そういう魔法だ。 大地の魔法には他に岩を媒体にしたものもある。尖った岩を突き出して敵を貫くような攻撃は、どこからその岩の槍が飛び出してくるかもわからないので、奇襲と強力な攻撃を兼ねている。岩の頑丈さは防御面も優秀で、大きな魔力を要するが、大技になれば辺り一帯に地震を起こすことだってできる。 しかしアルヴには岩がない。媒体の有無はもちろん、その種類によっても大地の魔法は強さを左右されてしまう。媒体次第で誰でも強力な魔法が使えるのが大地の魔法の強みであり、媒体次第で無力にもなってしまうのが弱みでもある。 そもそも岩そのものが少ない空の世界では、大地の魔法は扱いが難しいのだ。 (ここなら大地の魔法が使えると安心していたが、岩の媒体はない。力でゴリ押すような戦法は無理だ。うまく頭をつかって戦わないと) 何かいい手はないかと作戦を考えていると、こんどはウェイヴが先に動いた。 「大地の魔法はだいたいわかった。さっそく閃いた攻略法を試させてもらおうか」 ウェイヴは右手の拳を突き出すと、左手でその上をそっと撫でる。すると、その右手を赤いオーラが覆い始めた。 「我が右拳に宿りしは地獄の業火。深緑の神秘など容易く打ち破ってくれよう」 (じ、地獄の業火!? なんだかよくわからないが、凄そうだ!) すると横から見ていたゲルダが冷めた様子で解説した。 「ただの付呪魔法(エンチャント)だよね、それ。武器じゃなくて拳にかけるってところは独創的だと思うけど」 「……だ、黙れ! これは召喚魔法だ! 地獄の業火だッ!!」 どうやら拳に炎をまとわせてツタや木の鎧を焼き払おうという魂胆らしい。ところであの拳、本人は熱くないんだろうか。 しかし、植物が火に弱いから炎の拳とは安直すぎる。しょせんは子どもの考える作戦といったところか。もちろん、僕には対策がある。 ウェイヴが炎の拳を振り上げて走り出した。次の瞬間には、ふっとその姿が消えてしまう。またあの目にもとまらない速さの一撃が来る。 だが抜かりはない。 「うわっ!?」 驚いた声とともに転んだ格好でウェイヴが姿を見せた。 こんなこともあろうかと、すでに自分の周囲には多数のツタを忍ばせておいたのだ。雲の地面は、土の地面よりも何かをその中に隠すのに向いている。ツタを仕掛けたその上を誰かが通れば、自動的にツタがその足に取り付いて身動きを封じるよう罠を張っていたというわけだ。 ただの拳ではリーチが短い。だから、当たらなければどうということはない。 「また罠か。雲の中だな。ならば……これだ!」 再びウェイヴが突き出した拳に左手を重ねる。 するとこんどは蒼いオーラが湯気のように拳を包んで揺れている。 「我が拳に秘めたるは凍てつく永遠の呪縛。どんな罠だろうと時の忘却の彼方へと消し去ってやろう」 (永遠? 時!? まさか子どものくせに時を止める魔法を!? なんて魔力!) するとまたしてもゲルダが冷めた様子で解説した。 「つまり氷属性の拳でツタごと地面を凍らせちゃうわけね」 「……お、おい! 俺の作戦を敵に教えるような奴があるか!」 文句を言いながらも、ウェイヴは氷の拳を雲の地面に叩きつけた。周囲の地面は凍り付いて仕掛けたツタも動かなくなってしまった。 「でも地面を凍らせたら、君だって困るんじゃないか? そんな滑る地面じゃ、さっきまでのように素早くは動けないだろう」 「いや、動かなくてもいい。どうせおまえは拳じゃリーチが足りないとでも思っているのだろう。だが、離れていても届く拳もある!」 ウェイヴが拳に左手を這わせる。次は緑のオーラだ。 「疾風の拳は触れずに敵を倒す。これぞ気の極意。波動の力を見よ!」 (波動!? 波動って一体なんなんだ。魔法とはまた違う概念なのか!) こんどのゲルダの解説はこうだ。 「それって、ただパンチを打ったら風が飛び出て敵を跳ね飛ばすだけだよね」 「……風じゃない。波動だッ! くそっ。手の内が読まれていては攻撃にならん。こうなったら奥の手だ」 ウェイヴが右手に魔力を込める。こんどは白いオーラ。 「雷神の怒りは氷霜を駆け抜ける。この一撃は賢者トールの一撃に匹敵する!」 (賢者トール! そういえば聞いたことがあるな。光魔法に長けていて、その中でもとくに雷を扱うことに特化しているとか……。そういえば、オットーは賢者を捜しに行くとかいってたっけなぁ) そしてゲルダの解説。 「ねぇ知ってる? 氷って電気はほとんど通さないんだけど」 「……! ふん。おまえ、命拾いしたな。ならば次の手だ。俺の切り札を食らえ」 奥の手と切り札って何が違うんだろう。切り札は黒いオーラだった。 「深淵の闇こそ最も禍々しく最強かつ最凶の……ぐゥッ!?」 (な、なんだ? 急に右腕を押さえて苦しみ始めた!) ゲルダ曰く。 「闇ってある種の毒なんだって。生命力を奪う魔法とか、それこそ毒の魔法も闇に分類されてるから、前例はないけどそれを自分の手に付呪しちゃったら、それってやっぱりマズいと思うんだ」 「……くッ。し、鎮まれ……俺の腕よ、怒りを鎮めろ……!」 なんだか勝負してるのが、馬鹿らしくなってきた。 こんどはこっちが興味をなくして背を向けようとすると、ウェイヴは最後にもうひとつだけ試させてくれと食い下がった。 「ま、まだだ。まだ大地のエンチャ……いや。ん……ううむ。少し考える時間をくれ。母なる大地の……いや、ここは空だから違和感がある。大地、地面、岩……」 「ええと。大樹?」 「それだ! 大樹の加護を受けし豪腕の力の奔流をその眼に焼き付けるがいい!」 よくもまあ、次々と決め台詞を並び立てられるものだな。と半ば呆れながらも感心しながら次の手を見守った。大地のエンチャントは褐色のオーラのようだ。 ウェイヴは大地の拳を地面に叩きつけた。凍り付いた地面にヒビが入ったが、それ以上はツタが生えたり、岩が飛び出したりするようなことは何もなかった。 まぁ当然ではある。大地の魔法は媒体が重要。生身の拳には大地の要素なんて何もないわけだから、身体が植物で出来ているとか、土のゴーレムか何かでもない限りは拳に大地の魔力を込めたところで何も特別な現象は起こらない。 逆に大地の魔力を帯びたその拳は、その表面の魔力そのものが大地の要素であるため、媒体にはならなくても魔法の起点にはなる。 大地の魔法で直接生き物の身体にツタなどを生やすことはできないが、その表面が大地の魔力で覆われているなら話は別だ。 手早く呪文を唱えてやると、ウェイヴの右手からツタが生えて、その両手にぐるぐると巻き付き拘束してしまった。 拳に大地の魔力が込められているため、力ずくで拘束を破ろうとしても、ツタには常に魔力が供給され続けるため、その強度は相当に頑丈なものになる。こうなると自力での脱出はほとんど不可能に近いはずだ。 こうなってはもはやウェイヴは攻撃することができない。これで完全に無力化したも同然だ。 ウェイヴは悔しそうにしながらも負けを認め、再び不機嫌そうな顔になった。 「こ、この俺が負けるとは……。まだ修行が足りないというのか……」 正直なところ、魔法の拳を使う前のほうが強かったんじゃないかと僕は思った。かえって隙を作る結果になっていたし、闇や大地の拳のおかげでほとんど自滅に近い形で勝負を終える結果になったわけなのだから。 しかしそれを伝えても「俺はこの拳一本で最強になる」とウェイヴは言って聞かなかった。何かこだわりでもあるのか……たしかにゲルダの言うように、この少年は少し変わっているようだ。 それでも子どもにしてはなかなかの強さだった。これは訓練をつめばきっとさらに強くなるに違いない。これはトロウとの戦いにおいて戦力として期待できるかもしれない。 そう考えて僕はウェイヴを仲間に勧誘してみることにした。 「ウェイヴ。もっと強くなりたいか? もし良かったら僕が稽古をつけて……」 「断るッ!! 俺は今まで一人で生きてきたんだ。だから誰の助けも受けない! 自分の力だけで強くなれないようでは、この世界では生きていけないだろうが」 しかしウェイヴは一人で強くなることに頑なにこだわった。誰かの力を借りて強くなるのは本当の強さではない。助けられるのは弱さの表れなのだ、と。 「力を合わせることも強さだと思うんだけどな。まぁ、そこまで言うなら無理強いはしない。それじゃあ質問を変えよう。ウェイヴ、もっと強い相手と戦ってみたくはないか?」 トロウのことを話すと、とにかく強い相手と戦うことを望んでいるウェイヴのことだ。やはりすぐにこの話には飛びついてきた。 「ふん、いいだろう。トロウだかなんだか知らんが、外にはもっと強い奴がいるんだな。ちょうどアルヴの奴らの相手にも飽きてきた頃だ。アルヴを出てみるか」 「そうか! じゃあ良かった僕たちの船でいっしょに……」 「それはだめだ! それでは自分の力で強くなることにならない。だから俺一人でアルヴから出る方法を考える」 見たところウェイヴには翼もないし、空を飛べるような魔法も扱えないように見えるが、自分の力だけで一体どうやって空を渡るつもりなのだろうか。 とはいえしょせんは子どもの言うことだ。そのうち諦めて、やっぱり船に乗せて欲しいと言い出すかもしれない。だからこの場は静かに頷いてあげることにした。 「そのトロウとかいう奴と戦うときが来たら、そのときは俺を呼べ。今よりも桁違いに強くなって駆けつけてやる。もちろん俺一人でトロウを倒してみせよう。残念だったな、おまえの出る幕はないぞ」 「そ、それは頼もしいね……。まぁ期待しておくよ」 「そうと決まれば、さっそく旅に出る準備をしなくては。じゃあな!」 孤高の強さを追い求める竜人の少年ウェイヴは、颯爽と駆け出していった。いずれ訪れるトロウとの決戦には必ず駆けつけると約束して。 結局ウェイヴは僕のことを認めてくれたのかわからなかったが、このアルヴでようやく最初の共に戦ってくれる仲間を見つけることができた。 ……いや、この場合仲間になってくれたって言っていいんだろうか? 「ところでウェイヴが言ってた邪悪な気を感じるって、何のことだったんだろう」 「さあね。フレイと戦うための、ただの口から出まかせだったんじゃない?」 Chapter34 END 魔法戦争35
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Chapter12「蒼の勇者と青の竜」 意識が朦朧とする。目が霞む。 私は一体……。私の身に一体何が起こったのだろうか。頭がぼんやりして前後の記憶がはっきりしない。ついさっきまで気を失っていたようだ。 身体が上下に揺れている。手足にはまるで力が入らないが、周囲の風景はひとりでに後ろへと流れていく。 どうやら私は運ばれているらしい。でも一体誰に? ああ、頭が痛い。どうして私はこんなところにいるのだろうか。 薄暗い景色が次から次へと通り過ぎていく。ここは私の知っている場所ではないようだ。 耳に響くのはカン、カン、と鉄を踏みしめる音。身体が上下に揺さぶられ、少しずつ上に上がって行くのがわかる。そうか、階段を登っているのか。 少しずつだが、だんだんと身体の感覚が戻って来た。 腹部にぬくもりと、背中に手を添えられているのを感じる。私は誰かの肩に担がれているようだ。 だが私は竜だぞ。 そんな私を肩に担ぎ上げられるなんて一体どんな巨体の持ち主なのだろうか。 視界も少しずつはっきりしてきた。段だ。目の前に階段の段差が見える。段差はひとつずつ、音が聞こえるのと同じ数だけ前に、進行方向の逆へと流れていく。頭を後方に、うつ伏せに担がれているらしい。 顎を引くと私を担いでいる者の背中が少し見えた。蒼い鎧を身にまとっている。このシルエットは……ニンゲンか。 はっ、ニンゲンだと? あの小さな生き物がどうやって私を担いでいるのだ。 ああ、どういうわけかまた頭が痛くなってきた。 どこまでも続くように思えた階段は、響く足音が変わったの同時に終わり、続いて扉を開く音が聴こえた。外からの眩しい光が私の目に突き刺さる。 「あ……ああッ!!」 その瞬間、私は思い出した。 そうだ! 私は見たぞ、眩しい光の向こうに映る人影を! そして次の瞬間には身体の自由が奪われて意識が遠のいて……そうだ。私はニンゲンどもに捕らえられたのだ!! 「き、貴様っ! 何をする、私を離せ!!」 このままではロクな目に合わない。それにこの私を軽々と運ぶこのニンゲン、なんと力強い。悔しいが今の私はこいつには勝ち目がないだろう。深手を負わされる前に逃げなくては。 私は力の限り暴れてやった。すると油断していたニンゲンめは私を拘束する手を緩めた。屋外に出た今がチャンスだ。さっさと大空に飛び立ってしまえば翼をもたないニンゲンなど追ってはこれまい。 よし、今だ―― 鈍い音が耳に響いた。 頭がガンガンする。口の中には土の味が広がった。にがい。 「ううっ、ぺッぺッ! しまった、翼も拘束されていたのか!?」 どうやら頭から地面に激突してしまったらしい。足下が草地だったので怪我を負うことはなかったが、それにしてはやけに頭がずきずきと痛む。 おかしい、私には鉄よりも固い鱗があるはずなのに。 「やれやれ。こいつはとんだおてんばさんだぜ」 私を運んでいた男の声が真上から降って来た。 まずい、このままではまた捕まってしまう。いや待て、上から聴こえただと。まさか、そんなはずはあるまい。だって相手はニンゲンだろうに、この男は巨人だとでもいうのか。そもそも私は竜よりも大きなニンゲンの話など見たことも聞いたことも―― 不意に身体が浮かび上がった。 「ひゃァうっ!?」 あまりに驚いてヘンな声が出てしまったではないか、このニンゲンめ! 水竜なのに顔から炎が出そうになったぞ。 「貴様、一体どんな魔法を使って……」 「お嬢ちゃん。もうちょっとじっとしてくれないと、お兄さん困っちまうぜ」 「なッ……お譲ちゃんとは馬鹿にしおって! これでも私は貴様なんぞより百年は長く生きておるのだぞ!」 「へいへい、そいつは悪うござんしたね。だがここはまだ敵地だ。ここを抜けきるまでは静かにしててもらうぜ」 そう言って、この男は再び私を肩に担ぎ上げた。身体が浮かんだのは、どうやらこいつに持ち上げられたかららしい。なんという怪力、そしてなんという巨体だ。こんな化け物がいるなんて私は知らなかった。 ああ、また頭がくらくらする。そもそもこいつの担ぎ方が悪い。レディーを肩に担ぎ上げるとは何事か。もっとこう、方法があるだろう。これでは頭に血が昇っていかん。 目の前には憎たらしい蒼い男の背中が見える。悔しいからちょっと爪でも立てておどかしてやろうか。 そう思って手を伸ばしかけたときだった。 「ふ、ふにャああぁぁああァッ!!?」 すごく驚いて奇妙な声が出てしまったがそれどころではない。 「な、な。な。ななな、なんだこの手は!? 私の鉤爪はどこへ行った! 美しいマリンブルーの鱗は! というかなんだこの細くてか弱い腕は! これじゃあメーの一匹も狩れんじゃないか!!」 「んん? どうしたお嬢ちゃん。大事な付け爪でも落としちまったのかい」 「ば、馬鹿言え! こ、これは……これじゃあまるでニンゲンの手じゃないか!」 「ああ、そうだな。俺にもついてる」 「ああそうだな、じゃなーいッ! 貴様ァァァッ! 私に何をしたのだッ!!」 「俺が聞きたいぜ。一体何が何だって? マリンブルーがどうとか……ああ、俺も蒼い色は好きだが」 「いいから離せッ!」 無理やり蒼い男の腕を振り払って男の手から逃れる。 よし、こんどはちゃんと着地してやったぞ。 そして身をひるがえしてこの蒼い男と対峙する。 ふむ、顔はなかなか悪くない……じゃなくッて! 「やい貴様。どうやらこの私を怒らせてしまったようだな。死にたくなければ素直に答えろ。おまえは誰だ。ここはどこだ。私に何をした!」 「やれやれ。勘弁してくれよ、お嬢ちゃん。遊んでる時間はないんだ。俺は暇じゃないんだぜ」 こいつめ、まだ自分の立場がわかっていないらしい。たとえ体格で劣っていようとも、どんな怪力の持ち主であったとしても、私はニンゲンなどには屈しない。ちょっぴり勝てそうにないとか思ってしまったが、さっきのあれは撤回だ。 ぼんやりしていた頭もようやくはっきりしてきた。私の魔法にかかればこんなやつ、ものの数ではないからな。 だがこの男はまだ私を子ども扱いしている。 仕方ない、侍女たちが泣くほど恐れた私の睨みを見せてやる。 「むん!」 真っ直ぐ蒼い男と目が合った。決まったな。これで今にやつも泣いて詫び…… 「むーん? どうした。腹でも痛いのか」 ば、馬鹿な! 私の睨みが効かない! こいつ、正真正銘の化け物というわけか。 「むむん!」 「おうおう、あんまり力むとミが出ちゃうぜ」 「こ、ここ、こいつめぇぇぇッ!」 もうこうなったらなり振り構ってなどいられない。少々この美貌が崩れてしまうが仕方ない。本気で睨み付けてやろうではないか。もう泣いて謝っても遅いのだ。私は悔しくて少し目が潤んだが、断じて泣いてなんかいないんだからな! 「あー、やれやれ。しょうがねぇお嬢ちゃんだ。わかったわかった、説明してやるよ。お嬢ちゃんでも理解できるといいんだが……」 蒼い男はようやく折れたらしい。私の恐ろしさをやっと理解したようだ。鈍いやつめ。いつの時代でも勝つのは必ず正義だとそーばは決まってるのだ。 く、苦しい戦いだった……ぐすっ。 さて、観念した男はようやく事の次第を話し始めた。 「あー、さて。どう説明したらわかってもらえるかねぇ。まず俺のことか。俺は……うーん、そうだな。まぁ、蒼き勇者とか呼ばれてるから、お嬢ちゃんもそう呼んでくれたらいい」 蒼き勇者。ふん、これが噂に聞く『ゆーしゃ』というやつか。たしかに顔は悪くないが、性格はイマイチだ。 「それからここはどこか、だったな。んー、なんて言やいいかな。お嬢ちゃん家から遠いところ……か? そういやお嬢ちゃんの住んでる場所は……」 「ふっ、その手には乗らんぞ。おおかた私の家を聞きだして身代金でも要求するつもりなのだろうが、それは甘い。なぜなら私は一人でも十分に強いのだ。いいか、私の手にかかれば、おまえなんかあっという間に、けっちょんけちょんのぐっちゃぐちゃのぼっこぼこのべろんべろんの……」 「やれやれ。俺は依頼されてお嬢ちゃんを助けに来ただけなんだぜ。俺が名乗ったんだから、そっちも名乗るのがレディーのマナーってもんなんじゃないのかねぇ」 「う……。そ、それは一理ある。しかし、まさか私を知らない者がいようとは。所詮ニンゲンはニンゲンか。よかろうっ、耳の穴かっぽじってよぉーく聞くがいい。私はかの大国ニヴルヘイムの偉大なる姫君アクエリアス様であるぞ! どーだ驚いたかっ! そこ、頭が高いぞ。ひかえおろー」 自信満々に胸を張って名乗りを上げてやる。 おまえは手を出す相手を誤ったのだ。今さら後悔して泣いて謝っても遅い。でも私のしもべになるというなら、トクベツに許してやらんでもないがな。 まさか一国の王女に手を出してしまったとは思っていなかっただろう。さぞや、この男は驚いた表情をしているだろうとその顔を見上げると、なんと意外なことにそいつは平然とした様子でこう答えたのだった。 「ああ、知ってた」 「……えっ?」 こいつめ、私のことを知っていたとは。ということはつまり…………。 ふっ、私も有名になったものだな。そう思うと悪い気はしない。 「だがお嬢ちゃん、お姫さまならもっと言葉遣いには気をつけるもんだ」 「なッ、うるさいな! まるでじいやと同じようなことを言うんだな。まったく、どいつもこいつも皆して同じことばかりガミガミと……。それよりおまえ、さっき私を助けに来たと言わなかったか?」 「そうだが? なんだ、もしかして助けられてる自覚がなかったのか。なるほど、こいつは大物だ。さすがはお姫さまだな」 「なんだ、おーもの?? 意味はよくわからないが、なんとなーく馬鹿にされてるような気がする」 「滅相もありません、お姫さま。これは褒め言葉です」 「そ、そうなのか? わかった、ならいい。それなら今までの無礼は水竜の名において特別に水に流してやる」 「そいつはご丁寧にどうも」 続けて蒼き勇者はこの場所について説明した。 どうやらここはニヴル、ムスペ、ユミルの三国を結んだ三角形の内側にある、三国どの国からも最も遠い位置にある浮島のひとつだそうだ。 ある筋からの依頼でこの男は、この浮島に作られた秘密研究所に捕らえられた竜たちを解放し、怪しげな研究を行う敵勢力を壊滅させるためにやって来たらしい。 どうやら私もその秘密研究所とやらに捕らえられており、この男が助けに来たときには無事だった竜はどうやら私だけだったらしい。 「なぜニンゲンのくせに竜を助ける。他の竜たちはどうした?」 「そういう依頼だからだ。他のやつらは……研究所内にいくつか竜の骨が転がっていた。だから、おそらくもう……」 「そうか……」 そして秘密研究所を制圧したこの男は、唯一無事だった私を連れて脱出した。その道中で私が意識を取り戻し、今に至るというわけだ。 しかし許せん。おのれ、ニンゲンめ。私の大切な仲間をよくも。 私がニンゲンに恨みを募らせていると蒼き勇者は言った。 「相手の良いところはなかなか見つからないが、悪いところはよく目立つもんさ」 たしかに怪しい研究を行い、私を捕らえ、私の仲間を殺したのもニンゲンだが、私を助けてくれたのもニンゲン。この目の前にいるちょっとキザな蒼い男である。 どんな種族にも良い面と悪い面がある。よく目立つ悪い面ばかりを見て、あれは悪い種族だ危険な種族だと考えてしまいがちだが、その種族の者すべてがそうであるとは限らない。どうやらこの男は竜にもニンゲンにも、善いやつもいれば悪いやつもいるということが言いたいらしい。 「たしかにムスペの竜は悪いやつだが、ニヴルの竜は善い竜ばかりだもんな」 「まぁ……まだなにか勘違いしてるみたいだが、だいたいそんなとこだ。だから、相手のある一面だけを見てだめだと決めつけるんじゃなくて、もっとじっくり付き合って相手の良いところを探してやるべきだぜ。相手を本当の意味で愛するっていうのはそういうことだ」 なーにが愛だ。やはりこの男はキザである。 少しハナについたのでひっかいてやろうか、と思って腕を伸ばしかけたところでもうひとつ気になっていることを思い出した。 「そうだ、うっかり忘れてた。私の爪や鱗はどこへ消えたんだ? こんなわけのわからない色じゃ、私の美貌が台無しじゃないか。それになんかこう、変にぶにぶにしてるぞ。こんなんじゃ簡単に怪我をしてしまう」 「わけのわからないって……。色はともかく人というのはそういうものだ。だから鱗の代わりに鎧をまとう。爪の代わりが剣だ」 「ふぅん。ニンゲンどもは魔法も何かと不器用だし不憫だな。それに翼もないし。さっさと爪なり鱗なり生やせばいいのに。ああ、尻尾もない。おまえたちはどうやって歩くときバランスを取ってるんだ。というか、早く私をもとに戻してくれ」 「でもその分身軽だろう? どうやらお嬢ちゃんはあまりお城の外のことは知らないようだな。それも魔法だ。たぶん、おまえをさらったやつが運びやすいように姿を変えたんだろう」 蒼き勇者の言うように、竜は強大で打たれ強いがその分動きは遅い。逆に人は竜より小柄で打たれ弱いが動きが速い。 人の身軽な性質を利用して、潜入や諜報などの際には人化魔法が使われることもある。ユミルの地竜たちがまさにその例だ。それに人の姿でいるほうが身体が小さい分、消費するエネルギーや魔力が少なくて済むので疲れにくいらしい。 逆の発想で人々も竜化魔法を生み出そうとしたがうまくいかなかったのと、人という生き物は本能的に変化というものを恐れるためか、竜化魔法の研究はあまり浸透せず今ではほとんど廃れてしまっている。 「うまいやつだと翼だけ残したりして化けてるのを見たことがある。俺ももし翼があったら空は飛んでみたいと思う。尾はいらん。あんなの邪魔なだけだろ」 「なるほど。よくわからんが、とにかく魔法でどうにかなるのか。よしわかった。それじゃあ、さっそく治せ。このままではどうにも落ち着かない。私はやっぱりこの手が蒼くないとどうにも変な感じがする。いや、その前に翼を返せ。この私に歩けというのか? ものすごく不便だぞ」 「悪いが俺は魔法使いじゃない。俺はこの剣と共に生きることを誓ったんだ。だから魔法は使えない」 「なんだ、使えないやつか。今どき剣とは古くっさいやつだなぁ。剣士をやってるなら、せめて付呪魔法ぐらいはできるんだろうな」 「エンチャントのことか。大丈夫だ、拠点に戻れば俺の仲間がやってくれる」 「まるで使えないな。まぁいい。それじゃあ、早くその仲間の魔道士のところに連れて行け。これは命令だぞ」 「こんなときだけはお姫さまみたいだな。はいはい。わかりましたよ、大アクエリアス姫様」 ため息をつきながら蒼い男は私を持ち上げると、最初のように肩に背負い上げて歩き始めた。 「だから! その担ぎ方はやめろ! もっと方法があるだろうに……。そうだな、私はお姫さまだっこがいい」 「やれやれ、注文の多いお嬢ちゃんだぜ」 一方その頃、アクエリアスたちの進む森の先では、フレイたちが船を停泊させてこの浮島に上陸したところだった。 まさかドローミの研究所がこんなところにあるとは知る由もなく、ここなら追手にも見つかるまいと船の修理のためにこの島を選んだのだ。 「森があってよかった。船はもちろんのこと、追手から僕たちの姿も隠せる」 「しっかし見渡す限りの森っすねぇ~。大樹以外にもこんな緑がいっぱいの場所があるなんて知らなかったっすよ」 「こういう無人島は手付かずの自然が残っているからな。我々が知らないだけで、意外とけっこうあるのかもしれん」 「うむ、これだけあれば資材は余裕じゃな。ではリンドヴルム、お主は風の刃で切断できるじゃろうから、木材を集めてくれ。それからセッテは金属を探すがよい。炎が使えるお主なら土を焼いて金属とそれ以外を分離させられるからの。そしてフレイ、お主は私とともに二人が集めてきた材料を使って船の修理じゃ。大地の魔法があれば木材も金属も加工は難しくはないはずじゃからな」 手分けして船の修理を開始したフレイたち一行。ここなら船の修理に専念できると安心し切っていた。 だがそんな様子を覗き見られていることには誰も気付いていない。いや、気付きようがなかった。なぜならずいぶん離れた位置にその覗きの犯人がいたからだ。 バルハラ王城のとある一室。 トロウは水晶球を取り出すとそれを右手に乗せ、その表面をなでるように左手を這わせながら呪文を唱える。 「天地を見渡し言伝運ぶ魂の石、ラタトスクよ。汝が位置を示せ」 すると水晶球にフレイたちが船を修理をしている光景が映し出された。 「ほう、なるほど……。偶然にせよ、あの島にたどり着くとは悪運の強いやつめ。あれからドローミと連絡が取れないことを考えると、もしや奴らにやられたか? まあいい。ドローミがいなくとも、グレイプニルはすでに実用段階に達している。それよりも気になるのは竜姫の行方だ。奴らがドローミを倒したとすれば、竜姫も奴らと同行しているはずだが……ここには姿は見えないようだな。ドローミはいらんが、アクエリアスはニヴル攻略に必要だ。なんとか確認しておきたい。誰か適当な奴はいただろうか?」 トロウが左手をかざすと魔方陣が現れて、そこから放たれた光が部屋の壁に陰影で地図を描き出す。それは大樹を中心としたこの周辺の空域の図だ。 地図の上では小さな点がいくつも動き回っている。トロウはこうして自分の手下たちが今どこにいるのかをある程度は把握することができるのだ。 そしてそのうちのひとつがドローミの島の近くにいるのを確認すると、再び視線を水晶球のほうに戻す。 「おい、ヴァルト! 第五竜将ヴァルト、答えなさい!」 水晶球に向かって呼びかけると、フレイたちのいる景色が消えて、こんどはどこかの青空が映し出される。そこに映っているのは、ムスペルスへ向かう前にフレイたちを襲ったあの風竜ヴァルトだ。 『ああん、トロウかァ? オレ様は言われた通りにやったぜェ。だから文句を言われる筋合いはねえと思うんだがなァァァ』 「ふん。失敗しておきながらずいぶんと態度の大きいことですねぇ……。まあいいでしょう。もう一度おまえにチャンスを与えます。ドローミのところにフレイたちがいます。今一番近いのはおまえなので、ちょっと行ってきなさい」 『失敗じゃねェェェ! あれはセルシウスの邪魔が入ったからだ! それがなけりゃァ、オレ様が勝ってたんだ! そんで? 今回もフレイをとっ捕まえりゃァいいのかい』 「それもありますが、ドローミのところにいた竜姫が消えましてねぇ。私の予想ではフレイたちと共にいるはず。捜し出して城まで連れてきなさい」 『何ィィィ? あいつ苦手なんだよ。実姉にやらせりゃァいいだろうが』 「ヴァルト。私はもう一度だけチャンスを与えると言っているのですよ。おまえに拒否権などありません。助手をつけてやる代わりに、今度こそ失敗は許しません。……よろしいですね?」 そう言うトロウは無表情だったが、ローブの奥の眼光は有無を言わせぬ気迫を放っていた。水晶球の向こうにもこちらの様子が見えているのか、渋っていたヴァルトも素直にその命令に従う素振りをみせた。 『ちっ……。わァーったよォ! 行きゃァいいんだろ! まあ、行けば今度こそクルスの奴と決着をつけられるしなァァァ……』 文句を言いながら、水晶球の向こうのヴァルトは飛び去って姿を消した。 「実姉に任せられるわけなどない。この件は彼女にも黙っているのだからね……。イシュタムは有能だ。ヴァルト、おまえとは違ってね。だからまだ手放すわけにはいかないのだよ。少なくともニヴルを落とすまでは、ね。ふ、ふふふ……」 ムスペルスの次はニヴルヘイムに狙いを定めたトロウ。奇しくも、それはまたしてもフレイたちが次に向かおうとしている場所だった。先手を打ってフレイに協力しそうな勢力を潰す目的なのか、あるいは他に目的があるのか。そもそもこの漆黒の魔道士は何を目的に行動しているのか。それは今はまだこの漆黒の魔道士本人にしかわからない。 ムスペルスに送り込んだ魔道士と同様、今度はトロウは背後に控えていた凍てつくように蒼いローブに身を包んだ魔道士に目で合図した。するとその魔道士は静かに頷き、「では作戦通りに」と告げてやはり転移魔法を使ってどこかへ――おそらくはニヴルヘイムへ――と姿を消すのだった。 Chapter12 END 魔法戦争13
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Chapter65「フレイヤ遠征2:俺があなたで私がおまえで」 俺と私はもともと別の存在で、何かの弾みに精神がひとつに合体してしまったのではないか。 私にはひとつ思い当たることがあった。 こうなる前の記憶を思い出してみると、ファフニールに裏切られて身体が黄金に変わっていく恐怖感と、そしてそれを自ら魔法で治療した覚えがある。 そのときに何かやむを得ない決断をしたような気がする。 そうだ。身体の意識が戻らないから、私が代わりに身体を操作することにした。 ということは身体側の意識というものが存在したことになる。それがフリード? つまり俺はもともとはフレイヤだったということになる。 しかしこれまでフリードとして生きてきた記憶も確かにあるので奇妙なものだ。 やはり何かおかしいが、今はそんなことを気にしている猶予はない。 私たちが逃げ出したことはやがてトロウの知るところになる。だから拠点に戻ったらすぐに仲間と相談して次の対策を立てる必要がある。 「とにかく槍を追うのは難しいけど、ミストのいる方向はわかったぞ。これを手がかりにあいつを捜してやることにしましょう」 ミストは城内の方向にいる。敵に見つかる危険性はあるが、それはミストにも言えること。発見されて殺されてしまう前にあの子と合流し、すぐにでもここを脱出しないと。 「フレイヤ様、お待ちを。城内を捜索するにはこのままでは目立ちすぎます。とくにわたしたちが連れている天馬は目を引くでしょう」 「レギンの言うとおりだ。だからといって天馬(グラーネ)をこのままここに置いていくのは危険だし、カムフラージュするにしてもまた黄金像に変えるのはさすがにかわいそうだと思う。そこでだ。フレイヤ様、私にいい考えがあります」 王城の裏手にはフォルクバーグという別宮がある。 そこはヴァルキュリアとエインヘリアル、宮廷魔道士たちの拠点と王城兵の兵舎として利用されており、最上階にはフレイヤの私室もある。 フォルクバーグには天馬の厩舎が隣接しているので、ヒルデはそこに彼女たちの天馬グラーネとグリームニルを隠そうと提案した。 この城にはヴァルキュリア以外にも天馬を駆る兵士や魔道士が一定数いる。そういった者たちの天馬が厩舎に並んでいるので、二頭ぐらい天馬が増えていても誰も気付きはしないだろう。 木を隠すなら森の中。天馬を隠すなら天馬の中というわけだ。 フォルクバーグへは城内を抜けて裏口を通る他にも、この中庭の回廊を横切って城の外側から回っていくことができる。城内を通らないなら幾分かは敵の目につく可能性を減らすことができるはずだ。 そしてヒルデはもうひとつ提案した。 城内ではトロウの支配下にあっても執事やメイドたちは普段通りのままの生活を送っている。 「人を隠すなら人の中。フレイヤ様のお得意の魔法で使用人に変装すれば、多少はやつらの目を欺くこともできるのではないかと」 たしかにその通りだ。幻術が通用しない地竜や、それを見破る術を持っている魔道士にはすぐにばれてしまうかもしれない。 しかし今のまま堂々と鎧を鳴らしながら闊歩するよりは遥かにマシだろう。 少なくとも、トロウとファフニールにだけ注意すればいいだけの話になる。 「なるほど。わかったわ、私に任せろ」 姿を変える魔法に比べれば、ただ服装を別のものに見せかけるだけの魔法なんて簡単なものだ。呪文の詠唱も必要ない。 ひとたび私が指を鳴らすだけで、私たち三人は一瞬にしてメイド姿に変わった。 「さすがです、フレイヤ様」 「おお……すごい。これ、本当に自分がやったのか」 「え? あの、フレイヤ様?」 魔法を使うことなんて私には慣れたこと、いつもやっていることではないか。 それなのになぜだろう。ただ服装を変えるだけの簡単な魔法なのに、俺はそれに強い感動を覚えていた。 指を鳴らすだけでどんな服装でも自由自在。メイド服だろうが、ナースさんだろうが、いやいやもっときわどいあんなのやこんなのまで、誰にだって着せることができるとは。魔法ってなんて素晴らしいんだ! 改めてヒルデとレギンの姿を見る。 モノトーン調でかつロングスカートのエプロンドレス。主張しすぎない程度に留まったフリルの装飾。頭上には同様にフリルのついたホワイトブリム。 いわゆるヴィクトリアンメイドというやつだ。 俺に言わせればヴィクトリアンこそが至高だ。クラシカルはまだ許せるが、ゴスロリミニスカメイドなんて論外である。 そんな短いエプロンが本当に意味を為すのか? メイドに主張の強すぎる過度な装飾が本当に必要か? 否ッ、メイドとは仕えるご主人様あってこそのメイド! 過度な装飾は仕えるべき主をないがしろにしている。一歩引いてあくまでご主人様の後ろに控えるその従者としての慎ましさと奥ゆかしさこそがメイドがメイドたる必要不可欠な要素にして魅力でもあり、そしてそれでありながらどんな家事もそつなくこなすというその部分もまたメイドには絶対に欠かせないものだ。そういった要素があるからこそメイドは尊いのであり、それらを欠いたメイドはただのコスプレに過ぎないのだ。 家事のこなせないメイドなどもはやメイドではない。メイドとコスプレを混同してもらっては困る。 とくにフレンチとかケモ耳メイド、おまえらメイドを舐めてるだろ。 戦うメイドさんにゾンビメイド? 属性を盛ればいいってもんじゃねえんだよ。 まあ「ご主人様を守るために戦う」って条件さえ満たしているのなら、戦うメイドさんは認める。というか、ちょっぴり好きだけどな。 「その点バルハラ城のメイドは完璧だな。満点よね。いや待て、満点をつける前に実際に仕事をしているところを見ないことにはまだなんとも……」 「あ、あの。フレイヤ様?」 「ああそうか。ヒルデやレギンは私の従者でもあるからあとは家事さえできれば要件を満たすけど、所詮俺は雇われ。誰かに仕えてるわけじゃないから、メイド姿になったところで自分は結局ただのコスプレでしかない。ううむ、やはり俺はメイド服を着たい派ではなくて誰かに着せたい派……」 「な、なあレギン。さっきからフレイヤ様おかしくないか。ブツブツ一人で変なこと言ってるし」 「変だろうが何だろうがフレイヤ様はフレイヤ様だ。わたしはフレイヤ様の槍。だから黙って従うのみ。我が主の言うことに間違いはない」 「はぁ。おまえに聞いた私が馬鹿だったよ」 なぜだろう。メイドなんて城で毎日のように見ていたはずなのに、メイド姿のヒルデやレギンを見ていると、何か私の心に熱く込み上げてくるものがある。 なぜか胸が高鳴り、身体が火照り……はっ。この感覚はなに? とくに下半身が熱い。魔力とはまた違う何か別のエネルギーが集まっていくこの感じは一体。 まさかそんな。私は女なのに! だが待てよ、よく考えたら俺は男じゃないか。 ああ、よくわからない涙が出てきた。この感情はなんなの。 「だめだこりゃ。レギンは頭が堅すぎるし、フレイヤ様も壊れている。こうなったら私がなんとかしないと……。さあ、ほら行きますよ」 ヒルデに手を引かれて私たちは別宮フォルクバーグへ向かった。幸い道中で敵に発見されることもなく、問題なく厩舎に天馬を隠すことができた。 「さてフレイヤ様。もう一度グングニルを」 「どうしてなの? 私はいつから俺になったの。そもそも私は女だったはずじゃない。それなのにこの身体は……嫌。もう嫌……」 「フレイヤ様しっかり! はぁ。どんなフレイヤ様でも好きな自信があったのに、今のフレイヤ様だけはどうしても好きになれない。痛々しくて見ていられない」 ヒルデはなんとかして私をなだめようとしてくれているが、私はそれどころではなかった。彼女は私をフレイヤと呼んでくれるが俺はフリードであり、しかしフレイヤとしての記憶もあり、もう自分が誰なのか完全にわからなくなってしまった。 自分の中の「俺」はまあ別にいいじゃないかと楽観的な態度で、その一方で頭の中のどこかで「私」はそんな俺の態度に腹を立てているのも否定できない。 やはりフリードとフレイヤが混ざってしまったのは間違いないようだ。しかし記憶が混ざり合ったことで、もともと自分がどっちだったのか完全にわからなくなってしまった。もう自分が俺なのか私なのかもわからない。 「ああ、俺これからどうしたらいいのかしら。これじゃあもう、フリードとしてもフレイヤとしても死んだようなもんだ。私はそのどちらでもない」 「フレイヤ様……いやフリードの意識が戻ったのか? どっちで呼べばいいんだ。ぐあああっ、私にもよくわからん! 誰かこれを治してくれるやつはいないのか」 そのときフォルクバーグの扉が開いて中から誰かが姿を現した。 それは今日知り合ったばかりだが、それと同時にずいぶん昔からよく知っているような懐かしさもある顔。 「スキルニル……?」 彼はこちらを見るなり驚いた顔をした。 「なっ、なんだおまえは! 男のくせしてメイド服だなんて……。まあオレは他人の趣味にケチをつけるほど野暮じゃないけど、そんな筋肉質な体型じゃ似合うもんも似合わないと思うぜ」 「スキルニル! 良かった、無事だったのか。王の間から逃げ出すときに先導してくれたのは助かった。だが途中で見失っちまって、それから姿が見えなかったんでやられちまったのかと心配してたんだ」 「え? もしかしておまえ……フリードか! そうか、変身の魔法を解いたのか。でもなんでまたそんな格好を。やっぱりおまえ女になりたいのか」 「それは誤解だ。私はもともと女よ! あっ、いや俺は男なんだけど私は……じゃなくって俺は本当はフレイヤ……ぬがああああああああ!!!!」 「えーと。大丈夫か、おまえ」 「あまり大丈夫じゃない。今のは忘れてほしい」 「わかってるよ。オレの心の中だけに閉まっておくから」 「違う! そうじゃない! その記憶は抹消してくれ!」 「安心しろって。誰にも言わない。誰にだって内緒にしておきたい秘密のひとつやふたつぐらいあるもんだよな」 「いや、それが誤解なんだってば!」 なんだか泣きたい。いや確かに私は生まれたときから女のはずなんだけど、この身体は間違いなく男だし、そういえば俺は昔から男だったような気もするし。 「スキルニル殿。実は我々はミストとはぐれてしまったのだが、彼女の姿を見かけなかっただろうか? 先程から捜しているんだが」 冷静な様子でさらっとレギンがスキルニルにそう訊ねた。 「レギン。それにヒルデも。なんだっておまえたちまでそんな格好を……。だが無事でよかった。実はオレ、これからおまえたちを助けに行くつもりだったんだ」 「助けに?」 「そうだ。まずそちらの質問に答えるとミストは無事だ。別宮の中にいる。あいつがおまえたちの危機をオレに知らせてくれたんだ」 「そうだったのか。しかしなぜフォルクバーグに?」 「ここには陛下の船がある。兵士たちが管理しているそうだが、おまえたちの天馬がやられたの見て、脱出するためにその船を使おうとミストは考えたらしい」 「そうか、スキーズブラズニル号! しかしミストはよくそれがここにあると知っていたな。わたしたちにも知らされていなかったのだが」 「とにかくミストが中で待っている。まずはおまえたちの無事を知らせてやろう」 それから私たちはスキルニルに促されてフォルクバーグの中へ。 この別宮は四方に四つの塔がありそれぞれがヴァルキュリア、エインヘリアル、宮廷魔道士、王宮兵士の区画として分けられている。 ヴァルキュリアの塔への扉を開くと、泣きそうな表情をしたミストがさっそく飛び出してきた。 「よかった、みんな無事で……。竜に殺されちゃうかと思った」 そしてそのままミストは俺の胸へと抱きついた。 「あ~ん、フリード。あたし怖かったよぉ。慰めて」 「お、おう」 「あれっ、そういえばお姉様役はもうやめちゃったんだ。でもなんでメイド服?」 「まあその、いろいろあって」 「ふーん。でも似合ってると思うよ。意外とかわいいじゃん」 「そ、そうか」 「……え、そんだけ? なーんだ。もっと恥ずかしがって真っ赤になるかと思ったのに。つまんないの」 たしかにフリードだったらそういう反応を示していたのかもしれない。しかし、今の俺は私でもある。もはやそんな些細なことを気にするような次元などではなくて……あれ? でもさっきスキルニルと話してたときはあんなに……ええい、もうわけがわからない。 「それでここにお父様の船があるんだって? よく知ってたわね」 「えっ……知ってたわね??? それにお父様??? フリードなんか変」 「私だってここにあるなんて知らなかったのに、どうしてそれを知ってるの」 「うーん。フリードがおかしくなっちゃった。お姉様がずっと憑依してたからその副作用? ま、いっか。ええっとね、船のことなんだけど」 ミストはファフニールの攻撃を受けて助けを呼ぶために中庭から離れたときに、黒い服を着た男に遭遇したらしい。いや黒い服って、執事の服も黒いし、兵士の制服にも黒い色は使われているし、それだけではよくわからない。さすがにトロウや敵側の誰かということはないだろうけど。 そしてその男がご丁寧にも船のことを教えてくれたのだという。 「出来過ぎた話だな。もしかしたら罠という可能性も……。でもそういえばスキーズブラズニルに乗せてもらうときは、よく別宮の裏手側から乗り込んでいたわね」 「兵舎の奥から地下ドックに入れるんだって。大樹の覆い茂った葉の内側にあたる空間をそう呼んでいるらしいよ」 このバルハラ城は大樹の上にある。その下には四方八方に伸びる大樹の枝と枝の間の空間が存在する。なるほど、たしかにものを隠すのにはもってこいの場所だ。 「つまり兵舎を突破すれば船は俺たちのものってわけだな」 「そういうこと。それに船を奪っちゃえば、逃げるときに兵士や魔道士たちがあとを追って来れなくなるでしょ」 「なるほど」 長年この城に仕えてくれている兵士の中には私にとって顔見知りや親しい者も少なからずいる。そんな彼らに攻撃をしかけると考えると少し心が痛むような気もしたのだが……。 まあ別にいいか。だって今はフリードの顔をしているからな。 それにどうせ兵士たちもトロウに操られてて正気じゃないだろう、たぶん。 兵舎はヴァルキュリアの塔のちょうど対角線上に入口が見えている。 操られていたとしても所詮はただの兵士。竜やトロウのような化け物級のやつらに比べれば全然大したことはないはずだ。この戦いは勝てる。 「よし。だったら早速、兵士たちを蹴散らして船を奪うぞ。正面突破だ」 俺はグングニルと刀剣フロッティを両手に駆け出すと、兵舎への扉を蹴破って道場破りよろしく高らかに宣言した。 「頼もーっ! 突然だが看板の代わりにおまえらの船、いただきに来たぜ」 兵舎というからには、兵士がうじゃうじゃいるんだろうと身構えていた。 しかし実際に踏み込んでみるとどうだ。そこは全くのもぬけのカラで人っ子ひとりいないではないか。正直言って肩透かしを食らったような気分だった。 「なんだよ、誰もいないじゃないか」 「あれー。おっかしいなぁ。出払ってるにしても、完全に無人ってことはないはずなんだけど。いつもは非番の兵士が掃除とかしてるんだけどなぁ。それに船が隠してあるなら、なおさら誰かが残って見張っておかなくっちゃ」 「やれやれ、大丈夫かこの国。だが今は都合がいい。誰もいないのなら、この隙に船をいただいちまうだけだぜ」 俺たちはそのまま無人の兵舎を進み居住スペースを通り抜けると、やがて兵舎の奥の広い空間にたどり着いた。壁には使い古された練習用の武器が並び、中央には藁で作った人間や竜を模した的が設置されている。どうやらここは訓練場のような場所らしい。 床には破損した武器の破片や木くず、それから的が壊れて撒き散らされたのであろう藁くずなどが散乱している。 「ずいぶん散らかってるな。ここの兵士たちはものを片付けられないのかしら。お父様に言いつけてやるわ」 「あっ、ちょっと待って。フリード、あそこの床。なんか変じゃない?」 ミストが指差す先には、藁くずに埋もれてわかりにくいが切れ目のある床があった。これはもしかしてと藁くずを取り払ってみると、床面に隠し扉を発見した。 隠し扉を持ち上げてみると、地下へと続く階段がその先に伸びている。 「あっ、これは! すごいじゃないミスト。お手柄よ」 「えへへ。これがあたしの実力ってね。もっと褒めて褒めて」 どうやらこの先がスキーズブラズニルを隠した地下ドックらしい。これで脱出の目処は立った。俺は船の動かし方についてはわからなかったが、なぜか心のどこかで大丈夫だろうという謎の自信があった。心配はいらない。きっとヒルディスヴィーニとそれほど違いはないはず。あれなら私は操縦しなれている。だからきっとこの船も動かせるはずだ。 「それじゃあ私が船を取りに行きます。あなたたちは天馬を連れてこないといけないから一旦厩舎へ戻りなさい。私が船を上へまわすから、そこで合流しましょう」 ヴァルキュリアたちに指示を送りスキルニルを連れて地下への階段を降りようとすると、そのとき後ろから声が聞こえた。私たちの誰のものとも違う声が。 「キシシシ! やっぱりな。おまえら、絶対にこの船を奪いに来ると思ったゾ」 振り返ると兵舎の居住区と訓練場を繋ぐ扉のところに小さな竜が立っている。トロウの作戦会議の場で見かけた、あのちびっこい赤い竜だ。ファフニールのような身体の大きな竜とは違って、赤い竜の体格は人間一人とさほど変わらない。だから兵舎の中へも問題なく入ってこれたのだろう。 「なんだおまえは。トロウの手下にはこんなチビ竜もいるのか。私はおまえなんか怖くもなんともない。痛い目を見たくなければそこをどけ」 ヒルデが槍を突きつけて牽制すると、そのときチビ竜の目が妖しく光った。 その瞬間ヒルデの槍が発火し、あっという間に灰になってしまった。 「げっ! な、なんだこいつ」 「オレは第三竜将イフリート! トロウ様に選ばれた言わばエリートなんだゾ。どうだ恐れ入ったか」 「竜将! こいつが!?」 「知ってるぞ。魔法を使えない人間は武器に頼る。そして武器がなければ無力だ。おまえたちヴァルキュリアも勇者フリードもスキルニルも! 誰ひとりとして魔法が使えないことはとっくにトロウ様が突き止めている」 そして続け様にレギンの風槍も俺の刀剣フロッティも一瞬にして燃え上がり灰と化してしまった。 「くっ、やってくれる。だが俺にはまだグングニルがある」 魔槍グングニルは特殊な槍であるからか、イフリートの発火魔法を受けても燃え尽きることはなかった。 「槍の扱いには慣れていないが、これは必中の投擲槍。これさえあれば、おまえの心臓を一撃で貫くことだってできる」 「そうなのか。じゃあ、そんな物騒なものはこうしてやる!」 イフリートは炎の息を吐いた。 だが俺は竜のブレスはすでに見切っている。その軌跡は単調でいつも直線的だ。だからこうして左右に身をかわせば簡単に……。 「なにっ!?」 しかしイフリートの炎は蛇のようにうねり、回避したはずの俺のほうへと曲がってくるではないか。慌てて飛び退き距離を取ると、またしても炎は不自然に軌跡を変えてこちらを追ってくる。 とうとう追い付いた炎はグングニルの槍を呑み込んだ。いくら燃やされてもグングニルは灰になることはなかったが、さすがに炎に包まれていては熱くて持っていることはできず、ついに俺は槍を落としてしまった。 「くそっ、なんだこの炎」 「キシシシ! オレの炎は特別でね。その炎は絶対に消えない。絶対にあたる槍だか知らないけど、持てなければ使えないんだろ」 「悔しいがその通りだ……」 「さあ、おまえたちの武器を奪ってやったゾ。どうやってオレと戦うつもりかな? それとも降参するか? 素直に降参するなら苦しませずに一瞬で殺してやるゾ」 イフリートはにやにやと勝ち誇った笑みを見せている。 たしかに武器がなければ俺は無力だ。だがどうやら敵はひとつだけ突き止め損ねていることがあるようだ。 なぜなら俺はフリードだけじゃない。フレイヤでもあるのだから。私なら魔法を使って戦うことができる。あのチビ竜を石に変えることだってできる。 今、イフリートはこちらが手出しできないと思って油断している。その隙をついてやっつけてやる。こんなやつに構っている暇などないのだから。 「どうやら俺の負けのようだ。それは素直に認めるとしよう」 「ありゃ。やけに潔いんだなー。じゃあ……おまえから死ぬ?」 きょとんとした顔をしているイフリートを眺めながら、私は脳内で呪文を詠唱する。詠唱の効果で俺の身体に魔力がみなぎっていくのが今は理解できる。 「だけど私はまだ負けを認めていない! 覚悟しなさい、イフリート!!」 そして俺は(私は)両手を突き出すと、みなぎる魔力を一気に解き放った。 さあ、反撃開始だ。 Chapter65 END 魔法戦争66?
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Chapter15「蒼と青」 突如として現れた蒼い鎧の剣士は、フレイの横に並んで剣を構えた。 剣士に渡された剣を拾ってフレイも構えるが、その構えを見ただけでも二人の実力の差は歴然だった。緊張に身を硬くしているフレイと違って、蒼い剣士は余裕すら窺える表情でありながら、まるで付け入る隙というものを相手に与えない。 『仲間がいたのか? まあよかろう。おい、蒼いの。貴様は剣の扱いにずいぶんと慣れているようだが、我の次なる主になるつもりはないか? 我を手にすれば、絶大なる力が手に入る。そうすれば世界は思うがままだぞ』 魔剣ティルヴィングは、早くも蒼い剣士をそそのかし始めた。 しかし剣士はまったく意に介することもなく、その誘いを跳ね除けた。 「うん? なんだって、世界を征服できたらその半分をやろうってか? そういうのもまあ面白そうではあるけど、剣の奴隷になるのはごめんだね。俺だって魔剣の噂ぐらいは知ってる。剣なんかに衝き動かされるよりも、俺は自分の手で剣を突くほうが好きだな」 『交渉決裂か。貴様ほどの実力をもってすれば、天下が取れただろうに。実にもったいない。もったいないが、そういうことなら死んでもらう。我が養分となれ!』 鋭い一閃が空を切る。とても目で追えるような速さではなかった。 しかし蒼い剣士は、魔剣が一閃を描くのとほぼ同時に、すでに手にしている剣をなぎ払っていた。それは急所目掛けて飛んでくる魔剣を打ち払った。 『なんと。我が速さについて来れる人間がいようとは驚いた』 「いーや? 俺にも見えなかったぜ。ただ空気が動く気配がして、これは何か来ると思って剣を振ってみただけさ。俺の勘はよく当たるんでね」 『ふん。マグレはそう何度も続かぬ』 「それはどうかな」 蝶のように舞い、蜂のように魔剣が襲い掛かる。フレイには目で追えないほどの激しい攻防だったが、そんな猛攻をものともせず、蒼い剣士は剣をもった片手だけでそれを容易くあしらってしまった。その顔には焦りの色も、疲れさえも見せず、顔がないからわからないが、逆に魔剣のほうが焦りを感じ始めているのではないかと思うほどに、剣士の優勢が見て取れた。 「おい、お兄さん。そっちに行くぜ。構えとけ」 「えっ?」 言われてフレイは慌てて剣を横に構えた。するとそれとほぼ同時に魔剣が飛び込んできてフレイの剣を弾き飛ばした。剣圧に押されて尻餅をつくフレイの頭の上を魔剣が高速で飛び越えていく。もし剣を構えて防いでいなければ、今頃はフレイの首が飛んでいたかもしれない。 「どうしてわかったんですか!?」 「言ったろ。自分でもよくわからんが、俺には何か判るんだ」 「あなたは一体……」 「名乗るのはあとだ。まずは剣のバケモノを片付けようぜ!」 不意打ちを狙ったつもりが、これも防がれて魔剣は悔しそうに戻ってきた。 ふらふらと浮遊する魔剣の刀身は、剣士と何度も打ち合ったからなのだろう、刃こぼれしてボロボロになっている。 『畜生。どうしてわかった!!』 「同じ質問に何度も答えてやるほど俺も暇じゃない。そろそろ終わりにしようぜ」 蒼い剣士は突然「アクエリアス!!」と叫んだ。 するとさっき周りを囲んでいた炎の壁が消えたときのように、再び肌寒くなったかと思うと、目の前の魔剣が一瞬にして凍り付いて地面に落ちてしまった。 『なんだと! 貴様、本当に人間なのか!?』 「魔法!? もしかして今のは呪文なのか?」 魔剣もフレイも一緒になって驚いていたが、蒼い剣士は気にすることなく落ちた魔剣に歩み寄ると、 『よ、寄るな! やめろ! わかっているのか。これでも我は剣としてはなかなかの貴重品なのだ。例えばこの柄の装飾はかの有名な職人の……』 「興味ない」 一刀のもとに、魔剣ティルヴィングの刀身を叩き切ってしまった。 呪われた剣といえど、折れてしまえばただの剣。そこに宿った思念もそれと同時に消滅してしまい、それっきりティルヴィングは何も言わなくなった。 「これでうるさいのが一人減ったな。なあお兄さん、ひとつ聞きたいんだが……」 剣を鞘に収めながら蒼い剣士が何か言いかけたがフレイは、 「すみません、話は後ほど。まだ片付けなければならない相手がいるんです」 まだ戦っている仲間のもとへと走っていった。 クルスは風竜ヴァルトを食い止めてくれているし、オットーやセッテは雷の槍を使うあのヴァルキュリアに苦戦しているはず。まだ気を抜くことはできなかった。 「ふうん。面白そうなことやってるんだな。なあ、アクエリアス?」 振り返って蒼い剣士が声をかける背後の茂みからは、ふたつの赤い目がこちらを覗いていた。 しばらく降り注いでいた雷の雨は、やがて鎮まり静かになった。どうやら槍に込められた魔力をすべて使い切ったらしい。 天馬を駆るヴァルキュリアの一人、ブリュンヒルデは槍を振り回しながら、空中からの波状攻撃を仕掛ける。槍の扱いには慣れているようで、魔具の力に頼らなくても十分に手強い相手だと言える。 オットーは風を操り天馬の動きを妨害しようとし、セッテは火球を投げつけてブリュンヒルデを狙う。だが天馬のほうもよく訓練されているようで、風に惑わされることもなく火球を難なくかわして、背中に乗せた主人を見事に守っている。 「我が愛馬グラーネは、魔法なんかに遅れを取ったりはしない。私とグラーネとの絆は、おまえたち兄弟の絆よりもずっと深く、互いに信頼し合っている」 その通りだ、と言わんばかりに天馬が声高くいなないた。 「ふむ。俺とセッテが兄弟だとよくわかったな」 「もしかして、おれたちのこと知ってるっすか」 二人が所属する王宮魔道士もヴァルキュリアも、どちらもユミル国に仕える部隊だ。顔を合わせたことがなくても、どこかで噂程度には聞いている話もある。 ブリュンヒルデはそういうことだ、と頷いた。 「兄弟魔道士のことは王城では有名だぞ。それもおそらく、おまえたちが自覚している以上にな。フレイ王子をたぶらかして悪い影響を与えていると悪名高い」 「なっ……」 オットーは開いた口が塞がらなかった。 たしかに王子はよくセッテとともに城を抜け出しては皆に心配をかけていた。 そのたびにオットーは弟を叱り、王子にはきつく忠告をしたものだった。兄としての責任と、王子の従者としての役割として、自分なりに少しでも王子を良いほうへと導くため努力してきたつもりだった。 それがセッテと同列に悪影響だと語られているとは心外だった。 「おまえにフレイ様の何がわかるっていうんすか!」 そんな兄の気も知らずにセッテが反論すると、 「私はフレイヤ様の従者でもある。フレイヤ様はフレイ王子と違って品行方正で、清く正しく美しいお方だ。同じ姉弟(きょうだい)でも、従者が違えばここまで変わってくる。これはおまえたちの責任でもあるのだ」 「フレイ様を侮辱するつもりっすか! たとえフレイヤ様の従者だったとしても、これは聞き捨てならないっすね。これでもくらえ!」 「気に食わないとすぐに手を出す。やはりフレイ王子の従者は程度が低い」 すでに戦う理由が当初とは変わってきているようだった。 はて、一体何のためにこの従者たちは戦っているのだったか。そもそもフレイヤの従者がどういうわけか、ヴァルトの援軍として襲ってくるこの状況がおかしい。 オットーがそれを指摘すると、ブリュンヒルデはこう答えた。 「あのヴァルトとかいう竜のことはよく知らん。私はフレイヤ様の命令に従って、おまえたち二人を捕らえに来たのだ」 「俺たちを? それは一体なぜ」 「しらばっくれるな! 私はフレイ様が亡くなったのは、おまえたち二人のせいだとトロウ殿から聞いた。従者であるおまえたちが、王子をしっかりと見ておかないからあんな不幸な事故が起こるのだ! そしておまえたちは責任も取らずに城から逃げ出したそうじゃないか。従者の風上にも置けない奴らだ」 「王子が……? 亡くなった!? ブリュンヒルデ殿、あなたは一体何の話をしているんだ。王子なら今も健在で我々と共に……」 「言い訳無用! まだ抵抗を続けるつもりなら、容赦はしないぞ!」 まるで話が噛み合わない。何か誤解をしているに違いない。 そう判断して、オットーはなんとか説得を試みたが、それがかえってブリュンヒルデに火をつけてしまったらしく、その攻撃はさらに激しさを増した。 「兄貴ぃ~。おれ、あの姉ちゃん怖いっすよぉ。なんか性格きつそうだし、フレイ様が死んだとか、わけのわからないこと言ってるし」 「わけがわからないのは俺も同じだ。正直言って参っている」 「フレイ様のことで説教する兄貴と同じぐらい怖いっすねぇ」 「……なに?」 「と、とにかく話がおかしいっす。きっとトロウに騙されてるんすよ!」 二人で話し込んでいると、そこを狙ってブリュンヒルデが槍を投げつけてきた。それに気付いた二人はすぐに散開して迎え撃とうとしたが、そのとき二人の前の地面が隆起して壁となり、飛んでくる槍を受け止めた。 「二人とも無事か! 待たせてすまない」 駆け寄ってきたのはフレイだ。ちょうど魔剣を打ち倒し駆けつけたのが、ブリュンヒルデが槍を投げつけたそのときだった。 「フレイ様! ちょうどよかった。あいつに言ってやってくださいよ。フレイ様はこうしてちゃんと生きているぞ、って」 「えっ、いきなり何の話?」 「やいやい、ブリ姉ちゃん! フレイ様はこうしてここにちゃんといるっすよ! 死んだとか勝手なことを言うのはやめてもらいたいっすね!!」 状況が飲み込めないフレイを無視して、セッテはフレイを前に突き出した。 「誰がブリ姉だ。勝手に他人の名前を略すな! フレイ王子だと。王子は死んだ! そんな替え玉を連れてきたところで、私が騙されるとでも思ったか」 投げた槍を回収するために天馬を下ろすと、すれ違いざまにブリュンヒルデはその顔を確認した。そして槍を土壁から引き抜くとそのまま再び空へと上昇する。 「…………?」 しかし上空で動きを止めると、少し考えた後に今度は静かに下りてきて、天馬から降りると、歩いてフレイの前に立った。そして顔を近づけて、フレイをしげしげと眺め始めた。 「え、えーっと……。セッテ! 何がどうなってるんだ?」 困惑するフレイをよそに、ブリュンヒルデは素っ頓狂な声を上げた。 「これは驚いたね! 正真正銘のフレイ様じゃないか。ひとつお聞かせ願いたい。あなたは亡くなられたはずだが、これはどういうことですか。幽霊なんですか?」 「僕に聞かれても意味がわからない。少なくとも僕は死んでないし幽霊じゃない」 「まさかそんな……いや、しかしフレイヤ様が間違ったことを仰るはずは……」 しばらくブリュンヒルデは一人ぶつぶつと何やら呟きながら考え込んでいたが、途端に合点がいった様子でにやりと笑うと、槍をフレイの顔に突きつけた。 「なっ……!?」 「あははは!! そうか、そういうことか。私は騙されないぞ! 一体どんな魔法を使ったのかは知らないが、誤魔化そうったってそうはいかない。さすが魔道士、汚い手を使ってくる」 「待て。これはどういうつもりなんだ」 「黙れ、フレイ王子の偽者め!! たしかに外見はそっくりだが、死者が蘇るはずがない。仮に死者を蘇らせる魔法があるとしても、賢者でもないおまえたちがそんな難しい魔法を使いこなせるとも思わない。ということは本物のフレイ様のわけがない!」 「僕はフレイだ! 僕は死んでないし本物だ。一体どうしてそうなるんだ!?」 「フレイヤ様が間違ったことを仰るわけがない! だからおまえは偽者なのだ!」 「なんだって!?」 本人がそうだと言っても、ブリュンヒルデは頑なにフレイの存在を認めようとはしなかった。なぜならフレイヤの従者である彼女は、他の誰よりもフレイヤのことを信じている。誰よりもフレイヤこそ清く正しく美しいと妄信していた。 だからフレイヤが白を黒といえば、彼女にとってそれは黒なのだ。 「フレイ様を騙る不届き者め。この私が成敗してくれる!」 一度こうと信じたら疑わない。たとえその事実が間違っていたとしても、ブリュンヒルデは自分が信じたことに絶対の自信をもって、それ以上は考えない。 頭の固い従者は妄執に取り付かれて、槍を振り上げた。 「あいつ滅茶苦茶言ってるっす!」 「真実を見極められず、挙句の果てには仕えるべき相手にまで武器を向けるとは、従者の風上にも置けない奴め。セッテ、行くぞ! 王子をお守りするんだ」 「ラジャっす」 今ここから魔法を放ってはフレイも巻き添えにしてしまう恐れがある。そこで兄弟魔道士は左右に分かれて、ブリュンヒルデを挟み込むように回り込んだ。赤と緑の弧が円を描く。 しかしその円を真っ二つに割るように蒼い一閃が駆け抜けると、金属のぶつかり合う音と共に火花を散らして、一瞬のうちにブリュンヒルデの手から槍を弾き飛ばしていた。 「何者だ!? おまえ、一体どこから!」 フレイとブリュンヒルデの間に割って入ったのは例の蒼い剣士。驚くブリュンヒルデの顔を見るなり、剣士はにっと笑ってみせた。 「お姉さん、なかなかいい女だねぇ。こんなひょろっちい青二才よりも俺と話さないかい」 「な、ナンパ……!? 一瞬のうちに武器を弾き飛ばしておいて言う言葉がそれなのか?」 「恋は電撃って言うだろ。俺にもその槍の電撃を浴びせてくれ」 「なんなんだ、こいつは」 「まあいい。俺はこのひょろっちいお兄さんに興味があるんだ。だからこいつをお姉さんにくれてやるわけにはいかないのさ。それよりもこの俺の剣を見てくれ。こいつをどう思う?」 蒼い剣士はフレイを庇うように立ちはだかり、剣を構えた。 「――――ッ!! ええい、もうつきあってられん。私は帰る!」 すごい勢いでブリュンヒルデは後ずさると、顔を赤らめながら天馬のもとへと走った。そして天馬に飛び乗ると、落とした槍を拾いつつ一目散に退散していった。 「やれやれ。照れ屋のお姉さんだぜ」 その一部始終を見ていたオットーとセッテも、突然現れた腕は立つが奇妙な物言いをする男に近寄ってきた。 例によってオットーは過剰なほどの警戒をしているし、セッテはその素早い身のこなしにもう夢中でいくつも質問を投げかけている。 「はいはい、サインなら後でしてやるから。俺が用があるのは、あんただ」 蒼い剣士はフレイを指差した。 「僕に用って?」 「お兄さん、ユミル国王子のフレイ様だろ? ずっと捜してたんだ」 「僕のことを知っているのか」 剣士はフレイの素性をどうやら知っていたらしい。その上で襲われているところに手を貸してくれたのだという。 なぜ王子のことを知っているのかと、いつものようにオットーがこの男に食ってかかったが、それをいつものようにフレイがたしなめる。 「いやぁ、しかしツイてるぜ。一度に二つも任務が片付いちまうとは……っといかんいかん、王子様には敬語で話さないとな。えーと、私はですねぇ。ある筋からの依頼で仕事をこなして回っておりまして、そのォーなんだ。えっとホラあれだよ。こういうとき何て言うんだったかなぁ……」 「僕は構いませんから、どうぞ話しやすいように仰ってください」 「お、そうかい。それは助かるな。じゃあ、気にせず説明させてもらうが」 蒼い剣士はまずこの島にあるドローミという男の研究所に潜入し、そこでアクエリアスという名の少女を救出しに来たのだと話した。 「アクエリアス? どこかで聞いたことがあるような名前だけど……」 「王子。アクエリアスといえば、ニヴル国の王女の名と同じです」 オットーが耳打ちした。 「ニヴルヘイムの? それがどうしてこんな島に」 「さっき言ったドローミって奴に捕まってたのさ。俺の依頼主は、その竜のお姫様を保護するように命じたってわけだ。俺は傭兵なんでね」 「竜の姫? そういえばヴァルトは竜姫はどこだと聞いてきた。そうか、あなたがそのアクエリアス姫を救出したから、ヴァルトが捜しに来たわけですね。ということは、ドローミというのはきっとトロウの手下だったんだな……」 「んで、もうひとつの依頼がフレイ王子。あんたを保護することさ」 「僕を? 一体何から、何のために?」 「そこまでは知らされてない。ただ会って、守ってやれと言われた」 (何から……もしかしてトロウの追手から?) たしかにこの男は、圧倒的な強さをもってフレイたちをトロウの刺客から守ってくれた。ということは、その依頼主というのは少なくとも自分たちの敵ではない。そして事情を知っている何者かということになる。しかし一体誰が? フレイは依頼主の正体について聞いてみたが、蒼い剣士は自分の口からは話せないのだという。そういう条件の契約らしい。 「まあ、依頼主に会う機会があったら直接聞いてみるといい。もし望むなら、俺が依頼主のいるところへ案内してやってもいいぜ」 「その依頼主の方は今どちらに?」 「アルヴというところにいる」 「アルヴ?」 聞いたことのない場所だ。 オットーやセッテもわからないと首を横に振った。 「うーん。クルスなら知ってるっすかね?」 「クルス……? そ、そうだ! 忘れてた。クルスは無事なのか?」 クルスはヴァルトと戦っていた。色々なことがあったので忘れていたのだ。 すでに周囲は静まり返っているので、決着はもうついたはずだ。クルスが簡単にやられるとは思えなかったが、それなら姿を見せないのはおかしい。 「他にまだ仲間がいたのか」 「僕たちに力を貸してくれている地竜がいたんですけど」 「そういやあっちで竜が戦っていたな。あっちはアクエリアスに任せたんだが」 四人で様子を見に行くと、そこでは予想だにしないことが起こっていた。 なんとクルスが戦っていたあたりは一面氷付けになっているではないか。とくに目を引いたのは大きな氷の塊がふたつ。いや、よく見るとその中で何かが凍り付いている。いやな予感がしたが、恐る恐るそこを覗いてみると―― 「そんな! クルス!? まさか、やられてしまったのか」 氷の塊の中では竜が凍り付いていた。 一方はクルス、もう一方はヴァルトだ。 「相打ち? 何があったんすかね……」 「まだ間に合うかもしれない。セッテ、おまえの炎の魔法で溶かすんだ」 「了解っす!」 オットーとセッテが救出に手を尽くしているそのとき、フレイは背後の凍り付いた茂みの中から、こちらを見つめる視線に気がついた。振り返るとそこにふたつの赤い目があり、二人の視線が合うと、赤い目は慌てて姿を隠した。 「何かいる。何者だ! 出て来い!!」 思わず剣を構えるフレイだったが、蒼い剣士はそれを手で制した。 「大丈夫、敵じゃない。おーい、お譲ちゃん。心配はいらないから出てこいって」 お譲ちゃんと呼ばれたその人影は、おずおずと茂みから姿を現した。 青い髪に赤い目をした少女で、年齢はかなり幼く見える。人間に姿を変えているときのクルスのことをセッテは「ちびっこ」と呼んでいたが、この青い少女はそれよりもさらに幼い容姿をしていた。 少女は蒼い剣士の背中に隠れると、警戒しながらこちらを見つめた。いや、見つめているというよりはにらみつけていると言ったほうがいいだろうか。あどけない顔をしているわりにはやけに眼光が鋭い。 「知らないニンゲンだ……」 「安心しろ。こいつらは味方みたいなもんだ。ユミル国のフレイ王子とその家来の人だ。少なくとも、素性の知れない怪しい奴らじゃない」 「そうか。まあ、そういう意味じゃ、おまえのほうがまだ素性の知れない怪しい奴だからな。だったら、少なくともおまえよりはマシそうだ」 「ちぇっ。言ってくれるねぇ。かわいくないお譲ちゃんだぜ」 幼い顔に似合わない悪態をつく少女にフレイは尋ねた。 「君は? アクエリアスっていうんだっけ?」 「むっ。おい、おまえ。わたしを気安く呼び捨てにするな、無礼だぞ。わたしをかの大国ニヴルヘイムの第二王女アクエリアス様だと知らないのか?」 「じゃあ君が竜姫か。でも、その人も呼び捨てにしてたけど」 「こいつはいいんだ。わたしの家来だからな!」 アクエリアスは前に出てくると、胸を張って偉そうに言ってのけた。 蒼い剣士は、家来になったような覚えはないとでも言いたげな顔をしている。 「それにしても、ずいぶん派手にやったもんだな。おい、お譲ちゃん。あっちの竜はフレイ王子のお仲間だったらしいが?」 「知ったことか。どっちが悪者かわからなかったから、両方凍らせてやったんだ。まあ、感謝することだな。これはわたしがお母様とお姉様から氷魔法をしっかり教わってたおかげなんだからな! 水竜だからって水だけしか使えないと思ったら大間違いだぞ」 「わかった。じゃあ、そのお母様とお姉様に感謝させてもらうとするぜ」 「わーたーしーにーかーんーしゃーしーろーっ!!」 どうやら蒼い剣士とアクエリアスはずいぶん仲がいいらしい。 フレイの質問にはあまり答えてくれなかったが、二人の会話からだいたいの事情は理解することができた。つまりアクエリアスはニヴルヘイムの竜姫で、氷の魔法が使えて、クルスとヴァルトを凍らせた犯人だ。 「ところで……」 アクエリアスは振り返って、凍り付いた船を指差した。 「あれはおまえたちの船か?」 「うわっ! 船まで凍ってる。……そ、そうだけど?」 「そうか。それはよかった」 満足そうな笑みを浮かべながらアクエリアスは言った。 「じゃあ、特別におまえたちもわたしの家来にしてやるから、その船でわたしをニヴルヘイムまで連れて行け。この男は船を持ってないというんだ」 「いやー。俺は転移魔法で送ってもらっただけだし、帰りはどうしようかと思ってたんだよな。ちょうどいいところに船があって助かったぜ」 「今ならサービスで船の氷を溶かしてやるぞ。船がないとおまえたち困るだろ?」 「ま、そういうわけだ。そんじゃ、ひとつよろしくな!」 「え。ええっ!? ちょ、ちょっと待ってくれ!!」 青い竜の少女と蒼い剣士は、有無を言わせぬ勢いでフレイに迫った。 騒がしい二人が、ほとんど無理やり旅の仲間に加わった。 Chapter15 END 魔法戦争16