約 9,062 件
https://w.atwiki.jp/shuinn/pages/3634.html
新年の御朱印 お正月、新年限定でいただける御朱印についてまとめます。 平成28年 関東地方 東京都 猿江神社 1月中 丙申の金字に猿の御朱印 愛宕神社 1月1日~7日 干支の印が追加・七日は七草火焚祭の墨書 浅草神社 1月1日~7日 初詣限定の金の御朱印 日枝神社 1月1日~3日 末社「八坂神社」・「山王稲荷神社」・「猿田彦神社」の御朱印 牛天神北野神社 1月1日~3日 新年限定の御朱印 烏森神社 1月1日~15日 新春奉拝の御朱印 千葉県 櫻木神社 1月中 金紙の御朱印(2種類) 千葉神社 1月1日~2月3日 「妙見」「月呼星拾」の御朱印 東海地方 愛知県 豊国神社 1月1日~3日 「豊国大明神」の紺紙銀泥の御朱印 近畿地方 京都府 勝林寺 1月1日~3日 新春拝観限定の御朱印(内容は毎年変わる、1日ごとに異なる御朱印) 豊国神社 1月1日~3日 金の神紋 長円寺 1月1日~3日 内容は毎年異なる 北野神社 1月1日~? 「慶春」の御朱印 御金神社 1月1日~17日 新年限定の御朱印 藤森神社 午歳の1月1日~15日 「ひだりうま」の御朱印 即成院 1月1日~31日 「阿弥陀如来」「福禄寿」の限定御朱印 大阪府 生国魂神社 1月中 えと朱印 姫嶋神社 1月中 豊国神社 1月1日~3日 枚数限定、少しずつ違うデザイン 石切剣箭神社・石切神社上之社 1月1日~ 特別な用紙の書置き 中国地方 岡山県 和気神社 1月中? 特別な用紙の書置き 左馬の御朱印やってない -- ないかないき (2016-03-07 14 49 00) 投稿は普通の日本語でしましょうよ。 -- やまや (2016-03-07 22 19 33) 名前 コメント -
https://w.atwiki.jp/shuinn/pages/3790.html
岩屋寺 愛知県南知多町、岩屋寺の御朱印です。 「令和」の御朱印です。 知多四国八十八ヶ所霊場第43番の御朱印「千手観音」「蓮華王」です。 奥之院の御朱印「聖観世音」「大慈尊」です。 知多四国の専用納経帳にいただいた御朱印です。平成26年は弘法大師知多巡錫1200年、平成30年は知多四国開創210年の記念印をいただくことができました。 知多西国霊場第1番「本尊千手観世音菩薩」・第2番札所「本尊聖観世音菩薩」(奥の院)です。 知多西国霊場開創250周年記念の御朱印です。 南知多三十三観音第25番札所(本堂)・番外札所(奥の院)です。令和2年は開創90周年の記念御朱印をいただくことができました。 南知多三十三観音90周年記念の金文字の御朱印です。 知多四国開創210年の数量限定御朱印「大慈」です。 令和元年に授与された御開帳記念の「中尊佛」の御朱印です。 令和2年に授与された子歳守護佛「本尊千手」の御朱印です。 阿弥陀如来の御朱印「無量佛」です。 本坊の御朱印「辨天」です。 薬師堂の御朱印「医王」です。 毎月17日限定でいただける金文字の御朱印です。 経蔵の御朱印です。 ★住所 愛知県知多郡南知多町山海間草109 -
https://w.atwiki.jp/th_seiti/pages/242.html
関係があるとみられるもの 宇佐見蓮子(伊弉諾物質ほか) マエリベリー・ハーン(伊弉諾物質ほか) 四季映姫ヤマザナドゥ(東方花映塚ほか) 住所 〒380-0851 長野県長野市長野元善町491 長野電鉄善光寺下駅から徒歩12分程度 JR長野駅から善光寺口バスロータリー「1番のりば(善光寺方面行き)」発の路線バスで善光寺大門へ、善光寺大門のバス停から善光寺本堂までは、徒歩5分程度 善光寺 ※ZUN氏も訪れた本堂 一光三尊阿弥陀如来を本尊とする無宗派の単立寺院。現存する本堂は、宝永四年(1707年)に再建されたものである。 善光寺の本尊であたる一光三尊阿弥陀如来は、インドから朝鮮半島百済国へと渡り、欽明天皇十三年(552年)、 仏教伝来の折りに百済から日本へ伝えられた日本最古の仏像といわれている(『善光寺縁起』)。 この仏像は廃仏派の物部氏によって難波の堀江へと打ち捨てられたが、 後に信濃国司の従者として都に上った本田善光がはじめに今の長野県飯田市(元善光寺)に祀り、 後の皇極天皇元年(642年)に現在の地に遷座したという。 現在では絶対秘仏となっており、誰もその姿を見ることはできない。 ※善光寺信仰の本質は無宗派性にあり、庶民の願いの結集であるとも言われる。 牛に引かれて善光寺参り 「伊弉諾物質」の曲の一つにもなっている話であるが、詳細は次の通りである。 ある所に信仰心の無い老婆がいた。 老婆が白い布を川で晒していると、一頭の牛が現れて、角に布を引っ掛けて走り去ってしまった。 老婆は牛を追いかけたが、追いつくことはできず、遂には善光寺まで来てしまった。 辺りは既に暗く牛の姿も見えない。 老婆が目を凝らしていると、突然御堂の中から光が溢れ出し、気付けばその場にひれ伏していた。 善光寺如来の威光に目覚めたのである。 この話は長野県小諸市の布引観音の伝説だが、舞台を善光寺付近とする説がある。 また、話の主人公を老婆ではなく未亡人とする説もある。 東方projectとの関わり メリーのサナトリウムの退院ついでの信州観光ということで、秘封倶楽部の二人が訪れた。 地震柱 音楽CD「伊弉諾物質 Neo-traditionalism of Japan.」のブックレット中の2曲目 「牛に引かれて善光寺参り」の項に登場する。 地震柱と呼ばれる柱は本堂正面の四本ある柱の内、左脇のものがそうである。 本堂再建の際に木がねじれることを計算して立てられたといわれる。 閻魔大王像 ※怖い 正面から本堂に入り、向かって左側に進むと閻魔大王像及び十王像がある。 「伊弉諾物質 Neo-traditionalism of Japan.」の4曲目「六十年目の東方裁判」の項に登場。 戒壇巡り どうもZUNです。久しぶりではありませんね。 私は信州の出ですので、長野の善光寺には何度が行った事があります。 あそこは戒壇巡りという、真っ暗な通路を手探りで歩く施設があります。 「真っ暗、って言っても、観光客が多いんだから安全性を考慮して非常口の灯りくらいはあるんでしょ?」 いえいえ、本当に真っ暗です。あの中で事件が起きたら目撃者ゼロです。 その真っ暗な通路の中で、極楽の錠前を握ることが出来ればミッションクリアです。 「伊弉諾物質 Neo-traditionalism of Japan.」よりばっすい 戒壇巡りとは、本頁で紹介する長野市の善光寺のほかいくつかの同系列の寺院で体験できる、宗教的アトラクションのことを言う。 多くの場合、寺社内の地下など全く光の届かない真っ暗闇の中を歩くことで、非日常感覚を得ることを目的とするものである。 本頁の善光寺における戒段巡りでは、本堂の内々陣の脇から地下空間へと潜り、本当に何も見えない暗闇の中を歩く。 通路は意外なほど広いので、壁をタッチしながら普通に歩いていけば、天井や壁にしこたま体をぶつけるようなことはない。 一切の光が届かない闇の世界は、最初のうちはけっこう怖い。ただ、やがて恐怖心が飽和し、心が無に近づく気がするから不思議である。 ブックレット中でZUN氏が語っている極楽の錠前は、壁を腰のあたりで触りながら戒壇巡りの廊下を進んで行くと、握ることができる。 なお、戒段巡りに入場するには内陣券が必要。大学生以上は500円である。予約不要。 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/lovejinja/pages/68.html
熊野速玉大社は、熊野三山のひとつとして全国に祀る数千社の熊野神社の総本宮です。今から約二千年ほど前の景行天皇五十八年の御世に、熊野三所権現が最初に降臨せられた元宮である神倉山から現在の鎮座地にお遷りになり、これより神倉神社の『旧宮』に対して『新宮』と号したと古書にみえます。 御祭神は、熊野速玉大神(いざなぎのみこと)・熊野夫須美大神(いざなみのみこと)を主神に、十二柱の神々を祀り上げ新宮十二社大権現として全国から崇敬を集めています。 特に、孝謙天皇の御世、日本第一大霊験所の勅額を賜り、熊野三山の中でも逸早く『熊野権現』の称号を賜りました。「権現」とは仮に現われるの意味で、神様は御殿の中のもっとも清浄な奥処に鎮まりましますので、私達の目にはそのお姿を直接見ることができません。そこでそのお姿を仮に仏に変えて、我々の住む俗世界に現われるという考え方が浸透していきます。 奈良朝末期にいたって、熊野速玉大神は衆生の苦しみ、病気を癒す薬師如来として過去世の救済を、またお妃の熊野夫須美大神は現世利益を授ける千手観音菩薩、家津美御子大神は来世浄土へ導く阿弥陀如来として位置づけられ、山伏や熊野比丘尼によって熊野権現信仰は飛躍的な拡がりを見せ、全国に数千に及ぶ御分社が祀られるにいたりました。 さらに、中世熊野信仰の興隆にともない、皇室、公卿、武士中心から庶民信仰へと発展し、過去世救済、現世利益、来世加護を説く三熊野詣こそ、滅罪・甦りへの道であるとして、「蟻の熊野詣」の諺のごとく熊野街道は賑わったのです。
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/1192.html
越後国 蒲原郡 下條組 小松(こまつ)村 大日本地誌大系第34巻 70コマ目 府城の西北に当り行程19里18町。 家数51軒、東西3町40間・南北22間、山麓に住す。 西南は揚川に臨む。 東は石間村の山に隣り界域分明ならず。その村まで10町10間余。 西14町、公領本郡草水村に界ひ境石を限りとす。 南は村際にて佐取村に界ひ揚川を限りとす。その村は辰巳(南東)に当り3町50間余。 北19町計、公領本郡草水・丸山両村の山に界ふ。 また 未申(南西)の方1町32間、公領本郡馬下村に界ひ揚川を限りとす。 山川 松葉峯(まつはがみね) 村の西北12町にあり。 頂まで3町計。 西は草水村の山に界ふ。 揚川 村南にあり。 石間村の境内より来り、西に流るること24町計、草水村の界に入る。 広2町。 神社 若宮八幡宮 祭神 若宮八幡? 相殿 諏訪神 富士神 十二山神 山王神 鎮座 不明 村中にあり。 鳥居幣殿拝殿あり。五十島村渡部奥頭これを司る。 寺院 西照寺 村中にあり。 曹洞宗、山號を小川山という。 永正の頃(1504年~1521年)呑龍という僧草創すという。 天正19年(1591年)草水村観音寺8世の僧才庵という者中興し観音寺の末山となる。 本尊弥陀客殿に安ず。長1尺3寸、古佛なり。 不動堂 村中にあり。 草創の初詳ならず。 不動の像長1尺計、古佛なり。 村民の持なり。 Google Map小松地区 松葉峯? 若宮八幡神社神社明細帳の阿賀町/阿賀野市にこの神社の記載がありません…。 西照寺寺院明細帳には旧地名が下條村大字小石取字小舟。本尊が阿弥陀如来で、脇立が文殊菩薩・普賢菩薩・達磨大師・大現修理菩薩・薬師如来との事(阿賀野町No.32、安田町小松)。 不動堂 - 不明寺院明細帳に記載なし 余談。 本文に境石の記載がありますが、現在どこにあるのか情報が出てきません。おそらく街道沿いに設置されたでしょうから若松街道(国道49,459号線)のどこかにあると思うのですが。 この辺(国道290号線が合流する所)に石碑?のある広場があるのですが、何か謂れはあるのでしょうか?
https://w.atwiki.jp/numasei/pages/248.html
名前:ムリョウ 種族:カイオーガ(♀) 身長:130cm(159cm) 一人称:うち(わたくし) 二人称:あんさん(あなた) 好き:アイス 妹 苦手:暑さ おや:ナギクサ 胸囲 体力 知力 社交性 成長性 C(B) A B B C ※ A(超スゴイ)、B(スゴイ)、C(一般的)、D(ニガテ)、E(超ニガテ) ムリョウともうしおす。 くじびきのかみさんどす。 あんさんにもいいうんめいきはったらええどすなぁ。 ふだんはかんみどころ「でるたあん」できゅうじのおいしごとをしておりやす。 アミダちゃんのあねさんどす。 なかはよいとおもってはるんやけど、おきゃくさんにはどうみえはる? おさいほうはとくいなんどす。 うちやアミダちゃんがきとるきょうじふくは、みんなうちがしたてたものなんどす。 あまいものはうちもすきどす。 あいすをいただいてはるときがいちばんしあわせおすなぁ。 ちょこれいとおいしおす? でこふらっしゅ? なんのことではるか? あいすはほんにおいしいおすなぁ ハロウィン仮装 嘗ては海神と呼ばれておりました。 妹が甘味に釣られ、アミダの神に身を堕としましたので、 わたくしも共に堕ちることを選びました。 なによりこのあいすくりいむのためならば海神の立場など惜しくはありません。 夜はこの姿に戻り、居酒屋で提供する料理を作っております。 製作経歴 + ... 元ネタはなし。 アミダの姉としてデザインされた言わばオマケ。 名前の由来は無量寿阿弥陀如来(ムリョウジュアミダニョライ)。
https://w.atwiki.jp/aizufudoki/pages/572.html
陸奥国 大沼郡 野尻組 小中津川(こなかつかは)村 大日本地誌大系第33巻 64コマ目 府城の西南に当り行程10里34町。 家数24軒、東西2町・南北45間。 ここより北1町余に1軀あり。上田(うはた)という。 家数15軒、東西1町6間・南北57間。 その北50間余に1区あり。折橋(おりはし)という。 家数2軒、東西31間・南北6間。 共に東北は山に倚り西南は内川に傍ふ。 東35町佐倉村の山界に至る。その村は辰(東南東)に当り6町30間余。 西4町下中津川村の山に界ふ。 南25町大芦村の山に界ふ。 北2町58間下中津川村に界ひ折橋川を限りとす。その村は戌(西北西)に当り3町50間余。 山川 草履山(さうりやま) 村北1里にあり。 頂まで25町。 下中津川村及び大谷組大成沢村・琵琶首村・間方村と峯を界ふ。 喰名山(くひなやま) 村東30間計にあり。 頂まで15町。 雑木多し。 内川 村の西南1町にあり。 佐倉村の境内より来り、12町戌亥(北西)の方に流れ下中津川村の界に入る。 広6間。 折橋川(おりはしかわ) 村北2町50間余にあり。 この村の山中より流れ出、申(西南西)の方に流るること20町内川に注ぐ。 関梁 橋 村北2町50間余折橋川に架す(下中津川村の条下に詳なり)。 神社 気多神社 祭神 気多神? 相殿 山神 鎮座 不明 村中にあり。 鳥居拝殿あり。 神職 束原石見 延寶2年(1674年)伊予長吉という者当社の神職となる。 今の石見長正が6世の祖なりという。 山神社 祭神 山神? 勧請 不明 折橋の東北5町20間にあいr。 村民の持なり。 Google Map気多神社 阿弥陀如来堂
https://w.atwiki.jp/sengokumusou4-2/pages/75.html
基本情報 紹介 攻撃方法 武将解説・考察 武器データ基本性能 由来・故事来歴 技能考察 衣装 コメント欄 基本情報 名前 雑賀孫市(さいかまごいち) 二つ名 放浪の狙撃手 使用条件 織田の章:「信長上洛戦」クリア アクションタイプ チャージ攻撃タイプ 推奨パートナー対象 伊達政宗・豊臣秀吉・片倉小十郎・ガラシャ以外の女性武将 声優 磯部弘 無双奥義文字 撃 秘奥義・皆伝文字 衝 公式動画 紹介 鉄砲傭兵集団・雑賀衆の頭領。定まった主君はおらず、金で動く傭兵だが気に入らない相手であればどれほどの対価を積まれても絶対に働かない。逆に、自分が見込んだ相手のためには損得抜きに力を貸すことも。 攻撃方法 武器 火縄銃 通常攻撃 前半は銃剣の斬撃・後半はガードを崩す射撃。基本的にはチャージ攻撃の繋ぎ技。 N1~3 銃剣で交互に斬る。 N4~7 ガード崩し+貫通効果の弾丸。例によって前方一直線のみの激狭範囲。 N8 三方向への射撃。チャージ攻撃の成長が著しいので、まず使わない。 チャージ攻撃 射撃の強化により、基本モーションは同じだが大幅に成長している。 C2 銃剣を振り上げての打ち上げ攻撃。 C2-2 前方中範囲を乱反射する銃弾を撃つ。追加入力で攻撃時間が延長。乱反射の効果で火力が大幅に向上。 C2-3 ラストシューティング。やや低い位置でもう一度乱反射する銃弾を撃つ。 C3 切り下ろし。やや大振りながら気絶効果がある。 C3-2 切り上げ。追加入力で連続で切り上げと切り下ろしを行う。 C3-3 〆のサマーソルトキックを放つ。 C4 扇状に弾幕をばらまく。3での集団戦の主力技。OROCHI2では弾幕密度がスカスカでまともに雑魚散らしできなくなるという下方修正を受けた。だが、今回は射程がやや短くなった代わりに密度が濃くなり、ヒット時に爆発が起きるように、とまともな方向に調整された。 C4-2 チャージして範囲と威力上昇。チャージの分、出が遅くなる。 C4-3 同上。 C5 銃を構えて若干後退した後、紅蓮属性の3way炸裂弾を発射。N4の時点でガード崩し効果があるためタイマンではほぼ確実にヒットする。3way弾はやや範囲に穴があるように見えるが追加入力で補助可能。 C5-2 右、左と無双奥義時に撃つものに似た散弾を発射。範囲が広い。 C5-3 乱反射する銃弾を放つ。ヒットした敵は画面奥にワッショイされていく。三國の郭嘉(打球棍)のC6の左右範囲を狭めた感じ。 神速攻撃 本作の孫市の成長を象徴する技。高速・広範囲かつ波撃の対象と文句なし。 S1~3 扇状に弾丸をばら撒きつつ前進。範囲がとても広い。 S4~5 同上。 S6 ブレーキをかけながら〆にもう一度扇状に弾丸をばら撒く。やや緩慢な動作。 神速強攻撃 SS6はS6の代用として有効。こちらも優秀な部類。 SS2 両手で銃剣を持ち素早く切り上げ。そのままN攻撃に移行可能。 SS3 正座スライディングしながら散弾を前方に放つ。 SS4 SS2と同じ動作。N連に移行できるところも同じ。 SS5 SS3と同じ動作。 SS6 スピンターンしながら全方位に2回銃弾をばら撒き、決めポーズで〆。 ジャンプ攻撃 何の変哲もない横薙ぎ。 ジャンプチャージ 銃剣で地面を突き刺す。 騎乗攻撃 騎馬鉄砲の関係者だけあり、意外な優秀さを誇る。 騎乗1~3 右側で火縄銃の銃剣を振るう。 騎乗4~7 膝立ち状態で射撃。ガードを弾くためごり押し的戦いも可能。 騎乗8 同上。 騎乗C2 銃剣で打ち上げ。 騎乗C3 強打。気絶攻撃。 騎乗C4 強く振り払う。 無双奥義 無双奥義 凄まじい勢いで散弾を連射後、爆発する弾丸を五回、違う方向に向かい発射する。 無双秘奥義 連射回数が増加。紅蓮属性も付加。 無双奥義・皆伝 弾痕で画面が割れる演出効果付きの、全方位イケメンシューティング。 特殊技 STGモードに移行する。連射速度はなかなかだが威力は残念。 影技 銃剣で突撃。 殺陣 一撃目でガードを崩したのち銃剣で串刺し。止めに接射。 無双極意 固有属性は紅蓮。 武将解説・考察 紀伊の鉄砲傭兵集団・雑賀衆の棟梁。襲名方式であり、個人名ではない。 中でも有名な雑賀孫市=鈴木重秀が織田信長を苦戦させたことで名高く、 彼の子の鈴木重朝は伏見城で徳川の忠臣・鳥居元忠を討った武功で名高い。 後、重朝は伊達政宗に仕えており、これが作中の両者の縁の由来である。 彼と天下人・豊臣秀吉との関係は、有名な時代小説家・司馬遼太郎氏の創作を継承したもの。 初代以来のレギュラーにして戦国最強のイケメンであり、 今回はイカしたマントでイケメン度さらに上昇。 本作でもクロニクル2nd同様に信長大嫌いキャラを継承している。 従来の人物像通り、豊臣・伊達を渡り歩き、伊達の懐刀・片倉小十郎とに名舌戦を繰り広げる場面も。 お馴染みナンパ師としての側面は、流浪演武とDLCシナリオで思う存分堪能可能。 性能解説 最新作が出るたびにかっこよさにばかり磨きをかけ強くなることを放棄してきた彼だが、今回は違う。 C2の範囲、威力が上昇し、周囲の雑魚も少し巻き込めるようになり、見た目もかっこよく。 C4の使い勝手の向上、C5の強化+派生攻撃追加と胡散臭いほどの性能見直しが図られた。 新アクションである神速攻撃も異常に使い勝手が良く、縦横無尽に戦場を駆け巡ることが可能に。 発売前の広報担当の発言通りの別次元の強化がなされたと言えるであろう。 全武将中でも群を抜く性能である神速攻撃一本槍で、集団戦は余裕で対処可能。 武将戦は、これまた強化されたC2で一気に安定対応が可能となった。 C2や神速が強化される波撃や紅蓮が欲しいところであり、その意味でもレア武器は貴重である。 武器データ 基本性能 武器名 基本攻撃力 備考 極楽阿弥陀 35 獄焔火具土 124(42) 猛攻4 勇猛5 波撃5 迅閃4 闘志4 紅蓮5 破竹4 克己5完全な攻撃特化の武器。防御は破竹くらいしかないが、事足りるはず。 閻銃天之尾羽張 144(44) 猛攻5 波撃5 真髄4 怒髪5 背水4 紅蓮5 金剛5 克己5迅閃が消えて攻撃面では弱体化した反面、ゲージ面では強化された。背水は間接攻撃用か。 由来・故事来歴 極楽阿弥陀 1(初登場)からの孫市の武器の名前。 「極楽」は仏教における天国またはあの世という意味の「極楽浄土」から。西方の彼方にあるらしい。 「阿弥陀」は仏教における守護神・阿弥陀如来(アミダニョライ)から。 阿弥陀如来は別名を無量光仏(ムリョウコウブツ)、無量寿仏(ムリョウジュブツ)といい、空間や時間を超越した仏であるといわれる。 また、阿弥陀如来は極楽浄土を創造し、そこに住まうとされる。 このような名前であるのは、一発で敵をあの世送りにするという意味であろう。 また、史実における雑賀衆が、石山本願寺との密接な関係にあったことも指摘できるだろう。 獄焔火具土 「獄焔」は造語であると思われるが、「地獄の炎」という意味であろうか。 「火具土」は日本神話に登場する神・火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)から。 火之迦具土神は伊坐那岐(イザナギ)と伊坐那美(イザナミ)の間に生まれた神で、火を司る神とされる。 また、生まれる際に伊坐那美の陰部を傷つけてしまった為、伊坐那岐の怒りを買って殺されてしまったという伝説がよく知られている。 閻銃天之尾羽張 日本神話に登場する刀剣・天之尾羽張(アメノオハバリ)から。 上記した伊坐那岐が怒って火之迦具土神を殺してしまうくだりで、 伊坐那岐が火之迦具土神を斬るのに使った十束剣(トツカノツルギ)の名前として登場する。 また、この刀はその後天之尾羽張神(アメノオハバリノカミ)という神になったという。 技能考察 技能名 相性 備考 猛攻 ○ ま、基本だな。 勇猛 ◎ 敵将をズドンと葬るのに必須ってわけだ。 風撃 × 直接殴り合う泥臭い技能だからな、色男の俺には向かねえ。 波撃 ◎ ありとあらゆる攻撃に対応する、俺のためにあるようなイケてる技能だぜ。 神撃 ○ 俺の奥義も随分使いやすくなった。外れじゃないだろうさ。 破天 ○ C2の空中戦は特に強化された技だ。紅蓮属性もあるから戦力になるぜ。 迅閃 ◎ 俺の真価の神速攻撃が出鱈目に強くなるぜ! 明鏡 ○ 極意が強くなりゃ、それだけ戦いも楽になるさ。 真髄 ○ 一発重視ならこっちだな。 怒髪 ○ 奥義は色々使い出がある。多く使えるに越したことはないな。 堅守 ○ こっちも基本だな。 不動 ○ 敵に近づかなきゃならない場合もある。隙消しに必須だ。 滅流 × 敵の属性攻撃? 冗談だろ。 波断 △ 鉄砲名人が鉄砲にやられちゃ、しゃれにならないよな。 堅忍 ○ 高難度向けだな。 不抜 △ 間接攻撃主体の俺なら、まだ活路は開けるんじゃないかな? 背水 △ 闘志 △ 遠くから撃ち合ってりゃ、敵の攻撃はそうそう受けないぜ? 闘魂 △ 再臨 ○ 甦るための技能か…何だ、この奇妙な感覚は… 俊敏 × 騎馬鉄砲の関係者である俺なんだ、軍馬で切り込んでやろうぜ! 破竹 ◎ 攻防一体、イケてる技能じゃねえか! 快進 ○ 怒髪がないなら、こっちを推奨だぜ。 覚醒 ○ 影技をあまり使わないなら、こいつを使ってもいいだろう。 騎戦 △ 騎馬鉄砲の腕は確かなんだ、他の連中よりは活路が開けるはずだぜ。 練騎 △ 薬活 △ ダチを守るための技能だ、大切にした方が良いぜ? 騎神 ○ 移動しつつ回復。戦いも出来る。色男はつらいぜ… 霊験 ○ 家宝次第だ。克己と一揃えなら話は別だけどよ。 克己 ◎ 天下の色男になるためには、己を越えないとな! 属性技能については、属性の頁を参照。 回収用技能四種は全員同一の効果なので割愛。 衣装 名称 入手方法 備考・特徴 通常衣装 初期搭載 戦国無双4 戦国無双衣装 DLC 戦国無双 コメント欄 この掲示板はツリー方式です。レスをする時は、レスをしたい記事の先頭をクリックして選択してから書き込んで下さい。 それをしないとツリー表示されず、新規投稿になってしまいます。他の人が不快になる様な投稿は控えましょう。質問は質問掲示板で行いましょう。 名前 全てのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/fateonsen/pages/164.html
聖杯戦争開催予告 濫造聖杯戦争 Fate/Grand Order -Pruning of Graft- 過去に使用したサーヴァント セイバー 永倉新八 アルセーヌ・ルパン(受肉済み) シャルル7世 ハ―ルーン・アッ=ラシード オドアケル アーチャー フォークロア アールネ・エドヴァルド・ユーティライネン ランサー ギュスターヴ・エッフェル ジャン1世 ライダー スイミー ジョン・フォン・ノイマン 芹沢 鴨 ネモ船長(受肉済み) テオドリック ガイセリック ハルシャ・ヴァルダナ キャスター 一休宗純(受肉済み) アスクレピオス(受肉済み) ジャック・ザ・リッパー〔キャスター〕 平賀 源内 ジム・ジョーンズ 井上内親王 ヒュギエイア アサシン エド・ゲイン(受肉済み、ただし反則による) ラシード・ウッディ―ン・スィナーン 崇道天皇 バーサーカー 李徴 平賀 源内〔夏〕 アイーシャ・ビント・アブー・バクル カール・デンケ マスティマ エクストラクラス ルーラー ヴォイテク アヴェンジャー ジェヴォーダンの獣 オドアケル〔アヴェンジャー〕 シールダー マクシミリアン1世 アルターエゴ ピュグマリオン イーゴリ・アレクセーエヴィチ・ディアトロフ フォーリナー エドガー・アラン・ポー エド・ゲイン〔サマー〕 アヴドゥル・アルハズラッド セイヴァー 歓喜せよ、安堵せよ、汝らはの救済は漸く叶う ????.???? ????.???? ????.???? Gasheklah.阿弥陀如来 ????.???? ????.???? ????.???? Samael.???? ????.???? ????.???? ????.???? マスター 煤居 秋〈フリー素材〉 煤居 師走 煤居 葉摘 灰白 黒乃 アイーシャ・アルハズラッド 翁間 夏彦
https://w.atwiki.jp/chotokuji/
一、縁 起 本寺の起源を古書に求むれば、遠く元慶の古と伝ふるも詳ならず、其の後しばらくして玄明律師なる行者の創立になると伝ふ。 当時は吉野屋敷佐藤氏の菩提寺として、保呂羽院之沢に建立され天台宗三文寺と称せられしが、同氏の庇護途絶えたる時廃寺になりしと云ふ。 其の後嘉慶二(一三八八年-六一五年前)年、藤沢本郷藤勢寺に、第九十代亀山天皇第三の皇子一品式部 常盤井恒明親王第四の御子尊観法親王御法体とならせられ、本山第十二世として遊行廻国の途次、この廃寺を訪れ之を再建し、一宇を建立宗旨も時宗に改宗寺号も長徳寺と改められ?に本寺の基定まれり。 其の後不明の儘百七年を経て永正九(一五一二年-四九一年前)年、大織冠藤原鎌足公二十世の後胤佐藤忠信より六代の嫡孫羽州入沼の城主同苗信顕五世の末孫豊後守信重この地に下向、采地百余町を以って陣ケ森城主たり。其の五男信基薙髪して慈阿弥と号し、父信重本国廃寺の本尊慈覚大師御作三容の霊佛を守護し奉りしを当庵に勧請安置し奉り、永代檀信徒の守本尊となせり。 この後百余歳戦国末法の争乱を経て江戸徳川の治世に及び、寛永(一六二四年-三七九年前)以後大籠切支丹信者の国主伊達氏の大量弾圧に遇ふや、其の転宗を本寺に求め?に檀家の急増を促し、更に天和二(一六八二年-三二一年前)年大保木(大宝城)屋敷千葉長三郎有志と計り、院之沢の地を手狭と風当りの故を以って釜ケ林の地と替山し、冨袋沢に新たに堂宇を建立移転し、もって山号不退山合掌院寺号長徳寺と号せり。 院之沢の旧寺跡には今尚礎石の累々たるを見、且旧寺の糸欄間はこれを取外し新寺に取付けその名残を止むるも後年一部を残し現在の欄間にに入替えられたり。 降りて享保十(一七二五年-二七八年前)年三月大柳屋敷岩淵宗貞の発意に依り庫裡並びに山門の造営さるるや、鳥之沢川(雉子川)を渡り山門に達する敷地は下返矢屋敷山口兵四郎の寄進によりたり。 又牛頭天王の併せ祈られたるも此の間なりしも文献口碑共に伝はらず、尚亦掛鐘一本、柳林屋敷大工与左エ門の寄進なる事記録に残りしも、その年代の記載なきに心残れり。 かくして明治維新に及び、神仏分離令により牛頭天王は分離せしめらるるも後年これを回復、更に大般若経六百巻中三百巻を保呂羽神社より移譲されたり。 顧みるに尊観法親王法燈を掲げられてより?に六百十余年、慈阿弥開山以来四百九十三年に垂々とす。更に不退山と示号後も三百年を欠く事わづか二歳、灼熱酷寒の三百年基盤は弛み伽藍傾けり。 昭和二十七年先住歓阿直山師屋根を改造せるも既に頽勢蔽い難く、先年檀越篤信の人々の喜捨によりて伽藍建築に着手し基盤拡幅等造営一切を、昭和五十四年を以って竣工、名実共に近隣に比肩し聊かも遜色なき伽藍の完成を見たり、且造営に当りては須弥檀来迎柱等の内陣一切は旧の儘再使用し、まして糸欄間にいたりては再三に亘りこれを使用、その意三世に変らぬ弥陀の慈愛を伝えてまこと遇然にして真妙なり。就中欄間の彫刻に及びては山口求順作と伝える事署名の出現によりて其の確認を得しを望外の喜びとなす。時に享和二(一八〇二年-二〇一年前)年の事なり。 本堂に額き首を廻せば山門を越えて仰ぐ白雉の山のいや高く遠く元慶の古を伝え、西方に転ずれば陣ケ森の山裾長く雲霧に消え、はるか雲外の頂きに須川の山雪をのぞむ、東刈萱の連峯安道の孤を描いて大峯の尾根に馳せ南へ延々千松の溪邑に至り、更に越ゆれば雲煙万里の彼岸に達すべし。この無辺の間に檀家相寄り適所に散在して二百と八十有余、その深く限り無き慈愛の輪廻とことわに変る事なかるべし。時にその盛衰免れずともひたすら宗祖一遍上人の御訓えに帰依し、永劫変らざる檀徒並びに檀越篤信の衆生の護持により?に累代二十三世を算え現在に至る。 平成二十年十月三十日、遊行第七十四世真円上人を迎え晋山式・庫裡落慶法要会修行にあたり寺暦をたどり謹みて縁起となす。 二、大聖不動明王尊縁起 当山に安置し奉る大聖不動明王は慈覚大師(天台宗延暦寺第三世座主)の御作に成るものにして、古は西磐井郡花泉町油島、白山姫神社(林泉山白王寺)道場に本尊として安置せられたるを、明治三年神佛分離令に依り明治八年同町曹洞宗満昌寺に移奉された。 しかし、明治二十六年たまたま同寺火災の為全焼せる時、当不動明王はその広大なる神力により火炎の中に在りても、なほ巍然として大魔を退散せしめ災厄を免れ得た。 御縁あり明治二十七年秋当山にて御招請奉安せるものなり。 爾来百十有余年郷内諸災難消除、五穀豊穣、家内安全の御利益広大なるを、昭和二十四年施主の労に依り堂宇を改築し、又昭和五十四年信心の篤志者の寄進に依り屋根葺替、壁修理、又平成八年奉安百年を記念し御尊体修復等を成したるに、近年郷内は勿論郷外よりの信心の施主多く其のあとを絶たず、ますます神威の隆昌を招来せり。 三、概 況 宗 派 時 宗(じしゅう) 宗 祖証誠大師 一遍上人 総本山清浄光寺(遊行寺)神奈川県藤沢市 名 称不退山合掌院長徳寺 所在地岩手県東磐井郡藤沢町保呂羽字宇和田 本 尊阿弥陀如来 脇 佛観音菩薩 勢至菩薩 教 義 大慈悲の阿弥陀佛に帰命する只今のお念仏が一番大事なことです。 家業につとめ、はげみ、むつみあって只今の一瞬が充たされるなら、 人の世は正しく生かされて明るともさを増し、皆倶に健やかに 長寿を保つことになります。浄土への道はそこに開かれるとする 教えです。 (宝物) 五智如来 八臂弁才天 十五童子 大聖歓喜天 河越阿弥陀如来 聖徳太子 不動尊 但シ腹籠立像あり 薬 師 如 来 祗園牛頭天王 (本堂) 天和二年五月建立 昭和二十七年屋根葺替(石版)二十一世直山代 昭和五十四年二月改築二十二世良顕代 (庫裡及山門) 享保十年三月建立 明和年中再建 平成二十年十月新築二十三世真之代 (熊野堂) 建 立 不 詳 明治十三年再建 昭和四十七年屋根葺替(鉄板) (不 動 堂) 明治二十八年五月建立 昭和二十四年屋根葺替 昭和五十四年九月屋根葺替 (表石門) 昭和十三年千葉弘一氏寄進 (裏門) 建 立 不 詳 昭和二十二年再建畠山孟氏寄進 昭和五十一年再建千葉正七郎氏寄進 平成十年再建伊藤初男氏寄進 (新参道及駐車場) 平成二十年十月三十日竣工 (新参道石門) 平成二十年建立熊谷勤氏寄進 伊藤初男氏寄進 岩渕敏氏寄進 佐藤昭雄氏寄進 (梵鐘) 奉納年不詳(大束亜戦時供出のもの) 柳林屋敷大工与左衛門寄進 (石像) 延命地蔵尊 平成四年石田昌一氏寄進 裸水子地蔵尊 平成九年伊藤勇治氏寄進 宗祖一遍上人尊像 平成十四年畠山二三夫氏寄進 四、歴代住職 - 天台宗 三文寺(年代不明) - 開 基 玄明律師 - 時宗 長徳寺(一三八八年~) - 開 基 総本山清浄光寺遊行十二世尊観法親王 初 世 慈阿弥 佐藤信基 第 二世 極楽院 慈阿弥子 第 三世 東照院 極楽院子 第 四世 善瑞和尚 東照院子中興開山 第 五世 長円坊 第 六世 林相坊 第 七世 但阿卓善 享保四年十二月二日示寂 第 八世 覚阿卓玄 仙台阿弥陀寺へ転住 第 九世 基阿哲道 亘理へ転住 第 十世 維阿哲岸 明和五年四月二十五日示寂 第十一世 但阿廊門 第十二世 覚阿義海 角田専福寺へ転住 第十三世 覚阿廊門 仙台真福寺へ転住 第十四世 弥阿観広 文政十二年四月十五日示寂 第十五世 但阿智頓 嘉永六年六月二十日示寂 第十六世 観阿了広 武州川越東明寺へ転住 第十七世 迎阿泰順 明治三十年十二月十日示寂 第十八世 智阿泰充 水沢長光寺へ転住 第十九世 大阿善教 昭和十一年八月十三日示寂 第二十世 晋阿良峯 昭和十二年応召 第二一世 歓阿直山 静岡安西寺へ転住 第二二世 雲阿良顕 一関市へ転出 第二三世 光阿真之 現 在