約 9,062 件
https://w.atwiki.jp/kyoto-database/pages/61.html
阿弥陀如来 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 阿弥陀如来(あみだにょらい)は、浄土教の中心をなす仏で、大乗仏教?における最も重要な仏のひとつ。西方極楽浄土の教主として最も人気があり、浄土思想?の発達とともに中国および日本で隆盛した。密教では五仏(五智如来)の一如来である。 名称 サンスクリット語ではAmitabha(無限の光明をもつもの、無量光)、Amitayus(無限の寿命をもつもの、無量寿)のふたつの名があり、音写によって「阿弥陀仏」「阿弥陀」と呼び、略して「弥陀」ともいう。中国では、阿弥陀と相並んで無量寿という意訳語がよく用いられたので、阿弥陀如来のことを無量寿如来とも呼ぶ。 像容 中国では4世紀にはすでに造像があったと伝えられ、6世紀以降から7世紀後半を頂点として彫像や阿弥陀浄土変相が盛んに制作された。日本には7世紀初頭に伝わり、浄土宗?や浄土真宗?、融通念仏宗?、時宗?などの浄土教諸宗派が成立するに至った。日本の遺例の場合、阿弥陀如来の像容は立像・坐像とも、白鳳から天平時代では浄土変相図の請来や制作が流行し、印相は釈迦仏のそれと変らない右手施無畏印・左手施願印か、極楽で説法するのを象った転法輪印(説法相)であることが多い。 日本における造像例 阿弥陀如来の信仰を主題とする経典『無量寿経』によると、阿弥陀仏はむかし世自在王仏の時、悟りを得ようと志し、衆生救済のための本願(四十八願)を立て、修行を重ねて仏と成り、阿弥陀仏と呼ばれた。この仏は西方極楽浄土について説法しており、衆生は念仏などによって浄土へ往生することができる、と説いている。その信仰はインド・中央アジア・チベット・中国・日本の仏教において広まった。末法思想?にともなう浄土教?の隆盛により、平安中期以降、急激に阿弥陀如来像の作例は増加する。そのような中で理論的牽引をなしたのは源信(恵心僧都)の『往生要集』である。源信は端厳なる阿弥陀如来像を造ることを奨め、迎接来迎図を発案した。『往生要集』の隆盛により、浄土教?は中級官人のみならず、貴族社会に急激に浸透した。のちに浄土宗?の法然?、浄土真宗?の親鸞?、時宗?の一遍?が出てからは全国的に広まることになる。 平安中期から印相は来迎相と定印相とが一般的となる。定印相は密教?の所説に従うもので、両界図の西方に位置するこの仏の印とされ、単独像では10世紀頃から遺例があり、定朝様もこの像相である。来迎相は、ふつう右手施無畏印・左手施願印の手勢のままで拇指(ぼし)と食指とを相捻ずる形とし、以後大部分の阿弥陀の印相となった。阿弥陀如来を中央に、その左に観音、右に勢至の両菩薩を配する阿弥陀三尊のほか、三尊に地蔵・竜樹の二菩薩を加えた阿弥陀五尊(天台宗系)、さらに二十五菩薩を従えて往生者を迎えにくる二十五菩薩来迎、九品来迎の阿弥陀と関連する九体(くたい)阿弥陀、密教?の影響を受けた宝冠阿弥陀如来、阿弥陀如来が西方に極楽浄土を作る前、五劫の間(永遠ともいえる長い時間)思惟したという五劫思惟阿弥陀如来、見返り阿弥陀如来などの造形も伝わっている。 また、阿弥陀如来を安置するための阿弥陀堂が11世紀初め頃から数多く造営された。方三間または方五間の宝形造の建物が主で、延暦寺の常行堂・法華堂(にない堂)以来、方一間の内陣を中心として周囲に行道の外陣がめぐらし、屋頂に宝珠露盤をあげ、内部は柱、壁、天井などに極彩色の荘厳を施し、多くは前面に池をそなえて阿弥陀浄土を表す様式をとる。平等院鳳凰堂は翼廊、尾廊を取付け、外観でも阿弥陀浄土の宮殿の様を模した特殊なもの。また九品往生に関連して九体阿弥陀堂は法成寺を初めとして記録に残るだけでも二十余例が知られるが、現在では浄瑠璃寺?阿弥陀堂が九体堂の唯一の遺構である。 日本における代表的な阿弥陀如来像 飛鳥時代(白鳳期) 奈良・法隆寺三尊像 国宝 平安時代 仁和寺金堂坐像 国宝 ※現在は霊宝館安置 広隆寺講堂坐像 国宝 平等院鳳凰堂坐像 国宝 定朝作 法界寺?阿弥陀堂本尊坐像 国宝 浄瑠璃寺?九体阿弥陀坐像 国宝 三千院阿弥陀堂三尊坐像 国宝 伝恵心僧都作 清凉寺(嵯峨釈迦堂)三尊像 国宝 ※霊宝館安置 鎌倉時代以降 兵庫・浄土寺阿弥陀堂三尊立像 国宝 快慶作 神奈川・高徳院銅像坐像(鎌倉大仏) 国宝 魅惑の仏像 阿弥陀如来―京都・平等院鳳凰堂 (めだかの本)
https://w.atwiki.jp/nofx/pages/68.html
阿弥陀如来(あみだにょらい、amitaabha)は、大乗仏教の如来の一。阿弥陀仏・弥陀仏などともいう。 概論 「阿弥陀(阿彌陀)」はサンスクリットの「アミターユス(Amit´yus)」=「無限の寿命をもつもの」または「アミターバ(amitaabha)」=「無限の光をもつもの」を音写したもの。意訳して、無量寿仏/無量光仏とも呼ばれ、無明の現世をあまねく照らす光の仏とされる。西方にある極楽浄土という仏国土を持つ。造形化された時は定印・説法印・施無畏印・与願印を組み合わせた九品来迎印を結ぶ(印相を参照のこと)。阿弥陀三尊として祀られるときは、脇侍に観音菩薩・勢至菩薩を持つ。密教においては、五仏(五智如来)の一如来として尊崇される。 無量寿経によると、一切の衆生救済の為に自ら仏の位を降りて菩薩となられ、世自在王仏の元で法蔵と名乗り修行をした。非常に長期間衆生の救済の思索をめぐらし(五劫思惟(ごこうしゆい))、浄土への往生の手立てを見出したことにより仏となった報身仏。衆生救済に関して48の願い(四十八願)を立て、特に浄土教において第十八願を「本願」と呼んで重要視する。また、現在も説法をしていると説かれている。阿弥陀経の中には、大宇宙のガンジス河の砂の数ほどの諸仏から賞賛されている。なぜ、賞賛されているのかと言うと、阿弥陀仏のお力はずば抜けて素晴らしく、我々罪悪の重い衆生の救済に対して、他の諸仏が背相を見せたにも関わらず、阿弥陀仏お一人が本願を立てられて一切衆生の救済をお約束されたからである。一切の諸仏も最後には、阿弥陀仏に依らなければ、仏の悟りを開く事は出来なかったとされている。 これを語源とする他力本願と云う言葉は、本来の宗教的な意味合いを離れて、「ムシのいい、他人への依存」「無責任」という意味でも広く用いられるが、本来は他力とは阿弥陀仏のお力のみを他力と言い、阿弥陀仏のお力以外のすべての力を自力と言う。つまり、仏である釈迦の力も自力と言う。浄土真宗においては、煩悩具足の凡夫は阿弥陀仏の本願、すなわち他力本願によって「のみ」往生を遂げることができるとし(絶対他力)、自力は否定されるが、この場合でも「他人依存」「無責任」は、言うまでもなく他力本願とは相容れない概念である。 チベット仏教における副法王パンチェン・ラマは阿弥陀如来の化身とされる。 大乗仏教で登場した仏尊であり、その起源はゾロアスター教に遡り、光明の最高神アフラ・マズダーが無量光如来、無限時間の神ズルワーンが無量寿如来として仏教化されたとする学説もある。また西方極楽浄土は、ゾロアスター教の起源であるペルシャ地方、もしくは肥沃で繁栄した古代バビロニア地方が背景になっていると考える少数派の意見もある。 日本語への影響 鎌倉時代以降、日本では浄土教の隆盛を受けて、阿弥陀如来に関連した単語や言い回しが登場するようになる。 十八番(おはこ) -前述のとおり、浄土教において四十八願のうち第十八願を本願として重要視することから、もっとも得意なことを指す。 あみだくじ -現代のものは平行線だがかつては放射線状であり、阿弥陀如来像の光背に似ていることから。 他力本願 -前述のとおり。努力しないことや無責任であることを表現するのに使われるが、本来は不適切。 垂迹神 熊野権現 八幡神 ほか 日本における主な作例 国宝 中尊寺像 (岩手県西磐井郡平泉町)(金色堂安置諸仏のうち) 高徳院像 (神奈川県鎌倉市)(鎌倉大仏) 平等院像 (京都府宇治市)(定朝作、鳳凰堂安置) 広隆寺像 (京都府京都市)(講堂安置) 仁和寺像 (京都府京都市)(阿弥陀三尊像のうち、金堂安置) 法界寺像 (京都府京都市)(阿弥陀堂安置) 三千院像 (京都府京都市)(阿弥陀三尊像のうち、往生極楽院安置) 法隆寺像 (奈良県生駒郡斑鳩町)(阿弥陀三尊像のうち、橘夫人厨子安置) 浄土寺像 (兵庫県小野市)(阿弥陀三尊像のうち、快慶作、浄土堂安置) 重要文化財(国指定) 知恩院像 (京都府京都市)(阿弥陀堂安置) 孝恩寺像 (大阪府貝塚市) 太山寺像 (兵庫県神戸市)(阿弥陀堂安置) 圓教寺像 (兵庫県姫路市)(常行堂安置) 豊楽寺像 (高知県大豊町)(薬師堂安置) 関連仏典 無量寿経 観無量寿経 阿弥陀経 関連宗派 融通念仏宗 浄土宗 浄土真宗 時宗 関連僧侶 曇鸞 善導 良忍 法然 親鸞 蓮如 一遍
https://w.atwiki.jp/motodic/pages/80.html
阿弥陀被り(あみだかぶり) ヘルメット(未作成)を後頭部に引っ掛けて被っている状態の事。 走行風(未作成)で首が閉まる 事故(未作成)時は首へのダメージが増える など、本来の機能的メリットは一切無いが、 面倒 髪型がつぶれない(走行風(未作成)があるので乱れない訳ではない) ノーヘル(未作成)志望 などの理由で行われる。主に半キャップ型ヘルメットで見られる行為だが、たまにフルフェイスヘルメット(未作成)でやっている人もいる。(首が折れそうだが…) 意外にも、現状ではヘルメット(未作成)をどうかぶるかまでの細かい規定が無いので、明確には道路交通法(未作成)違反(未作成)とは言えない。 呼び方の由来は、阿弥陀如来像の後光の部分の様に見えることから。元々は、袈裟の被り方の呼び方の一種からきている。あまり一般な用語ではないが、警察の広報や報道関係ではよくお目にかかる。元々は警察内部のスラングだったのだろうか? 同義語 「半ヘル」 関連語 「チンピラ(未作成)」「ノーヘル(未作成)」「半キャップ型ヘルメット」「ヘルメット(未作成)」「暴走族」「ヤンキー(未作成)」 2007年04月28日
https://w.atwiki.jp/mahjlocal/pages/1922.html
読み あみだにょらい 正式名称 別名 和了り飜 全員-999.9、 チップ99枚 一ヵ月場代無料 牌例 解説 手牌十四枚全て風牌を揃える 上がればその場で流局し全員-999.9、チップ99枚 あと一ヵ月場代無料。 成分分析 阿弥陀如来の60%は呪詛で出来ています。阿弥陀如来の21%はマイナスイオンで出来ています。阿弥陀如来の19%は赤い何かで出来ています。 下位役 上位役 参照 バックフォー 日本制覇 複合の制限 採用状況
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/33126.html
登録日:2015/11/20 Fri 11 16 51 更新日:2024/06/06 Thu 00 49 25 所要時間:約 12 分で読めます ▽タグ一覧 アニヲタ悪魔シリーズ アニヲタ神様シリーズ ゲッターキリク パンチェン・ラマ 仏 仏教 八大地獄 南無阿弥陀仏 如来 念仏 極楽浄土 法然 浄土教 親鸞 阿弥陀如来 ■阿弥陀(あみだ)如来(にょらい) 『阿弥陀如来(梵名 アミターバ、アミターユス)』は大乗仏教(顕教)の尊格。 西方極楽浄土の教主。 浄土宗、浄土真宗の本尊としても知られる。 大乗仏教が成立していく中で誕生した顕教の代表的な尊格であり、日本にも飛鳥時代には伝来していた。 我が国では平安時代後期からの末法思想の流行を皮切りに鎌倉時代の法然、親鸞らの登場を経て民衆に広く根付いた浄土信仰の主として特に親しまれている“仏様”でもある。 ※日本人が思う所の一般的な“仏様”のイメージは大体がこの御方を指していると思われる。 由来 古代インドの王(無浄念王)であったが、苦しみの中にいる民を救いたいと願い仏門に入り(僧となり)、法蔵(法蔵菩薩)を名乗り修行に明け暮れた。 悟りの末に西方極楽浄土を拓いたとされる。 極楽浄土のイメージの原型は小アジアからエジプトに至る古代オリエントの楽園(理想化されたオアシス)=西洋世界での楽園のイメージと起源を等しくしていると推察されている。 後の浄土信仰での姿を見ても、絶対的な帰依者たる砂漠の地域で生まれた一神教の主神的な性格を持つ尊格(救い主)でもある。 梵名はアミター(無限)=バ(光)、及び=ユス(命)とされ、これを音写して阿弥陀如来と訳出された。 この名は梵名を漢訳した無量光、無量寿如来(仏)として異名としても用いられている(※無量光如来=アミターバは密教系の名称であるらしい)。 他、中国では無碍光如来、不可思議光如来とも呼ばれ、浄土信仰でも用いられている。 このことから、太陽神であり帰依した者たちの救済者としてのヴィシュヌの影響もあるとも言われている。 大乗仏教が展開する中で、開祖たる釈尊の智慧を独自に解釈、宗教的な観点から民衆を救う為の功徳を抽出、集約していく中で生み出された御仏の一つである。 こうした、教義の体系に沿う形で宗教的な「神」に相当する存在として生み出された「仏」を報身仏と云い、彼らは釈尊よりも以前に生前の報い(解脱)により既に「仏」となっていた存在であると説明されている。 大乗仏教で生み出された如来の多くがこれに相当し、やがては開祖たる釈尊もまた、幾度もの輪廻を繰り返して来る中で仏陀となる下地を作って来た、とする信仰が定着していった。 チベットでは第二祖パンチェン・ラマの本性であると考えられており、また、アミターバ(密教尊)とアミターユス(顕教尊)は別々の尊格として信仰されている。 脇侍として観音、勢至菩薩が付いており、仏教では阿弥陀如来の第一、第二王子が共に仏道に入った姿である、と解釈されている。 三尊形式の仏像や図像化の他、浄土信仰では「山越図」にも三尊は描かれ、いつの日にか阿弥陀が入滅した後には観音が、観音が入滅した後には勢至が後を引き継ぐと説明されている(※不死設定の筈だが釈尊に準えたのかもしれない)。 また、同じく浄土信仰の「来迎図」に見られる様に死者(念仏者)を迎えに来る際には二十五菩薩を従えてやって来るとされている。 密教では五智如来(五仏)の一尊として西方を司る(胎蔵界では無量寿如来)。また、釈迦如来(密教では北方の不空成就如来と同体とされる)と共に大日如来の脇士とするとの説明がある。 浄土信仰 平安時代末期からの末法思想の流行と共に興り、鎌倉時代に流行した阿弥陀如来の念仏信仰。 元来の仏教思想(密教、禅も含まれる)が、それぞれに形態は違っていても結局は釈迦の語る様に己が仏道を実践していく事により悟りを拓き解脱(輪廻転生からの脱却)を目指すと云う、実践的な思想と修行と探究こそを目的としていたのに対し、浄土信仰では本人が悟りを拓かずとも阿弥陀如来に帰依して「南無阿弥陀仏」と一心に唱えれば、阿弥陀の拓いた極楽浄土(阿弥陀の国土)に生まれ変われる事が出来ると説かれ、これが唯一無二の衆生済度の道である、として説き広められた。 ※従来の大乗仏教では、衆生の解脱の道は仏法に従い幾世もの輪廻を繰り返して正しく生きる事でいつの日にか叶う、とまでしか定めきれていなかった。 これは阿弥陀の四十八の誓願の内、最も重要とされる十八番目の誓願……「あらゆる世界の人々が、私の建てる極楽という国に生まれたいと願って私の名前を称えたとき、それがかなえられなかったならば、私は仏とはならない」……の功徳から生まれた信仰である。 この為、純粋な浄土信仰は浄土教として分けて仏教とは別の教えである、 と考える場合もある。 聖徳太子の死を悼んで作られた「天寿国繍帳」など、日本仏教の初期から導入されてはいたのだが、中国で成立した阿弥陀の本願を救済の道と説く浄土教は日本では本来の仏道から見れば易道(優しい道)とされて長らく埋もれたままになっていた。 しかし、現世に地獄が現れたかの様な末法乱世の世に、阿弥陀への帰依と功徳を説く念仏を呟き諸国を放浪した法然を筆頭とする念仏僧達によって民衆の間に急速に説き広められていった。 ここから、衆生の他力本願による救済を掲げる我が国の浄土信仰が誕生したのである。 日本では、中国の仏典解釈による末法到来の予言(1052年=永承7年と考えられていた)と前後して、実際に数々の怪異(災害、重大事件)の勃発と朝廷権力の凋落、武士の台頭、平安時代以降に権力を持ちすぎた仏教教団の腐敗が極まっていた時代と重なっており、僧侶が貴族より力と資金を持ち、自分達の力を誇示して朝廷すら脅す増上慢を見せていた(※国策により増やされた仏門、仏閣を維持する為に僧の粗製濫造や税を逃れる為に化けた偽坊主達の出現により僧侶の質も後代になる程に落ちていた)。 そんな時代を憂い「世の地獄を心の地獄」として、源信らが地獄からの救いの姿として流布させた地獄絵図と極楽往生の構図は人々に急速に広まり新たな信仰を生む一方で、現世からの救いを求めて自ら命を断つ者が続出する等、厭世的な空気が流れてしまったとも云う。 ……そうした中で遂に立ち上がった法然は、既に名の知られた高僧であった身にも拘わらず“己自身の解脱”を否定してまでも極楽往生の素晴らしさと、その実現の為に“一心に念仏のみを唱え阿弥陀に帰依する道”を説き広め、漠然としていた極楽浄土への憧れを実践を伴った真の信仰へと昇華させてみせた。 つまり、本来は如何に言葉と思案を尽くしても現実には実現困難である仏教思想の救いのゴール(解脱による輪廻からの脱却)を、別の所(極楽往生)に設けて“シンプルにして実行力のある形”で救済を語ったのである。 ※例えば、真言密教の語る「即身成仏」等は、空海の様な天才ならともかく、凡夫には到達不能の境地である、と誰もが薄々は感じていたであろう真実をぶっちゃけ、古代のバラモンの様に地位に固執して思想で遊ぶ仏門に楔を打ち込んだのである。 そして、後に弟子である親鸞は法然自身は如何に否定しても実際には相も変わらず超然的であった師とも違う、浅ましい凡夫でしかない己を深く深く内省した末に、今の生すらが阿弥陀に生かされている結果に過ぎず、善悪もまた縁から生じる結果でしか無いのならば、人の身には阿弥陀に縋る他に救いは無いと云う“絶対他力”の境地を見出すに至った。 ……尤も、法然等の行動は末法の世では純粋な成道(解脱)が適えられないと云うのならば(※浄土教の信仰に依ると末法では仏道修行は成功しないとされている)、衆生を救う為には他力本願に“縋るしかない”……と云う、砂を噛むような想いから絞り出された境地であった。 ……しかし、権力を維持する事しか考えない延暦寺を初めとした仏教教団からは“仏法を壊す行為”と捉えられ(※パトロンであった貴族や朝廷の人気を奪われていた恨みもあったのだろう)、法然とその弟子達は権力や出身の仏門からも追われる身となり追放や僧籍の剥奪、弟子の処刑までをもされてしまった。 その理念は、弟子や信徒の手により今の世まで繋がる救いの道として残ったが、その一方でネガティブな方向にも働き、権力(金貸し、領主、荘園管理者たる寺門)に対する搾取される側のレジスタンスとして起きていた一揆の中でも、新たに法権力を求める力として信徒の暴力を利用した面もある本願寺教団の威勢(一向宗=一向一揆の大元。不本意とはしつつも教徒を抑える事は出来なかった)を生む事や、本来の法然らの思想が大きく歪められた末に念仏教団による従来の仏教の否定は疎か、攻撃にまで繋がると云う悪影響も生んだ。 寺院を持とうとしなかった法然らはともかく、彼らの教えから生まれた新仏教もまた教団化すると権威への固執から堕落の道へと進み、後の浄土信仰では因果応報の都合のいい解釈により宿業の名の下に階級、病人や障害者への蔑視、迫害と差別も横行した。 また、阿弥陀に見捨てられたら“即”地獄に落ちると云う極端な考えの定着により、念仏教団への固執と一揆の正当化……etc.本来の浄土信仰は勿論、元々の仏教ですら否定されている歪んだ思想がまかり通るようにもなった。 ……こうした混乱は室町幕府崩壊後の戦国時代まで続いたが、仏門の増上慢と一向一揆を仇敵と定めた織田信長と本願寺派の長きに渡る激しい抗争と和解を経て遂に鎮火(石山本願寺の陥落)。 ……後に乱世を勝ち抜いた徳川の治世の時代には檀家制度の推進もあり、各地の寺院と民衆との間に新たな関わりが出来る等、漸くの落ち着きを見せていく事になる(※それはそれで、ムラ社会の中の葬式仏教化=仏教の形骸化を招くなど新たな問題を発生させた)。 尚、末法の概念は元々の仏教思想には無く、中国仏教で成立した(※ヒンドゥー等の影響も考えられる)。 地獄や極楽浄土の概念も中国で整えられていったもので、これらには道教思想の色濃い影響が見られる。 姿 釈迦如来に倣ったシンプルな如来形で、当初は右手是無畏印、左手与願印を結ぶ如来共通の姿をしていた。 平安時代に密教が伝来されると曼荼羅中の阿弥陀如来の姿に倣った作例も見られる様になり、座像では法界定印の様に見えるが第二指を曲げる独自の印形を結ぶ座像(鎌倉の大仏が代表的)と、末法思想に顕れた浄土信仰の主としての施無畏印、与願印に似るが親指と人差し指で円を作る来迎印を結んだ阿弥陀立像は、共に阿弥陀如来独自の形式として以降の作例の基本となった。 背面からは梵名に倣い、放射状に光を放つ光背を持つ。 前述の様に座像も多いのだが、浄土真宗では「観無量寿経」の「住立空中尊(※死の間際に阿弥陀が迎えに来る)」という表現から立像しか認められていない。 像の作例としては観音と勢至を従えた三尊形式も多く鎌倉浄土寺の阿弥陀三尊像が有名。 他、変わった作例としては京都禅林寺の見返り阿弥陀像などがあり、とにかく作例が多いだけに特徴的な仏像も多数である。 種字 ■キリーク 真言 ■オンアミリタテイゼイカラウン 豆知識 仏教の広がりと共に元々は仏教用語であったものが一般的な用語や諺になったりしているが、特に阿弥陀仏に関わる言葉が多い事で知られる。 ■他力本願 本来は前述の様に「阿弥陀の力を借りて往生を目指す」事を指す。 転じて、単に「他人任せ」の意味で使われる様になった。 ■あみだくじ 元々は放射状に広がる形をしていた事から、阿弥陀仏の光背に準えてこう呼ばれる様になった。 ■十八番(おはこ) 前述の様に阿弥陀の四十八の誓願の内、一八番目の誓願が重要とされた事から、転じて「得意とする事」を指す言葉となった。(ただし「十八番」の語源に関しては團十郎一族が得意とした歌舞伎の荒事の演目の数に由来するという説、武士が嗜むべきとされた「武芸十八般」に由来するという説など諸説ある。また、「十八番」と書いて「おはこ」と読むようになったのは江戸時代の戯作者「柳亭種彦」が書いた「正本製」が初出である。) 追記修正は南無阿弥陀仏と唱えながらお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] だからって神祇不拝は無茶苦茶だと思うんだ -- (2015-11-20 11 50 52) 人から死への恐怖を取り除いたらろくなことを起こさないという典型 -- 名無しさん (2015-11-20 19 09 16) ナムアミダブツ!至極まっとうな項目である!建て主は敬虔なブディストかボンズであろうか! -- 名無しさん (2015-11-20 19 45 36) ↑↑それ何てラインバレル -- 名無しさん (2015-11-20 20 03 14) ナモアミマドカ -- 名無しさん (2016-05-01 21 52 55) 父方が真言宗で母方が浄土真宗なので葬式などのときお互いに苦労する。 -- 名無しさん (2018-04-05 17 06 00) ブッダの教え(≠仏教)を考えるとメチャクチャなことしか言ってないのもはや笑えてくるレベル -- 名無しさん (2020-01-31 11 26 28) ↑そもそも仏陀の教えが常人のスペックじゃ到底無理難題だからしょうがない。「とりあえず極楽浄土まで行って悟りを開くのを助けてもらおう」のうち「行って」でだいたい止まってるだけ -- 名無しさん (2020-12-23 17 41 03) ↑↑中世の仏教は”仏(阿弥陀如来や観音菩薩など)の教え”だから、現代から見れば奇異に思えます。↑にもありますが、阿弥陀信仰(浄土教)が生まれた背景には凡人が悟りを開くには阿弥陀様にお頼みするしかないと考えられたわけです。ただ当時から反発も大きく、中国ではほぼ消滅して、日本でも浄土教系の教団が体制側から弾圧を受けています。 -- 名無しさん (2020-12-25 22 00 34) まあ、キリスト教とかも「針の穴を通って天国に行くのも黙示録十四万四千人選抜に勝ち残るのも正直無理ゲーだけど、キリスト様といえども母ちゃんのとりなしには甘いだろう」ってマリア信仰大流行したんで……ハードルを上げ過ぎるのも下げ過ぎるのもよくないということだろう。 -- 名無しさん (2023-12-26 21 50 43) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/occultfantasy/pages/825.html
仏教・如来 阿弥陀如来 (1)大乗仏教の教典に最も多く登場している仏であり、『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』などで特に登場している。 浄土三部経には、釈迦と同じようにインドの王族の家に生まれたが、世自在王仏に師事し宝蔵菩薩となり、五劫(劫とは四十里立法の大石を、天女が百年に一度薄衣で払い、石が磨耗しても終わらないほど、長い時間を表す)もの時を費やし、人々を救うための『四十八の大願』をおこし、それを成就し仏になったとされている。 (2)浄土信仰の本尊として、祀られる事が多い。 参考 紀元社 密教曼陀羅
https://w.atwiki.jp/zsphere/pages/1379.html
現在知られている、日本最古のバネは、静岡県の新光寺の阿弥陀如来像に使用されたもの。 後頭部側から眼球を支えている。 (岩波書店『平賀源内を歩く』P34より抜粋) この阿弥陀如来像は鎌倉時代の仏師快慶作という。 (zsphereコメント:レントゲン写真なのだが、なんともスチームパンク感ビンビンの凄い写真であるw) 参考文献 『平賀源内を歩く』奥村正二 平賀源内を歩く 江戸の科学を訪ねて
https://w.atwiki.jp/kyoto-database/pages/167.html
禅林寺(永観堂) 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』ほか 概略 禅林寺(ぜんりんじ)は、京都市左京区永観堂町にある浄土宗?西山禅林寺派総本山の寺院。一般には通称の永観堂(えいかんどう)の名で知られる。山号を聖衆来迎山(しょうじゅらいごうさん)、院号を無量寿院と称する。本尊は阿弥陀如来、開基(創立者)は、空海の高弟の真紹僧都(しんじょうそうず)。古くより「秋はもみじの永観堂」と謳われた紅葉の名所である。 歴史 空海の高弟である真紹僧都が、都における実践道場の建立を志し、五智如来を本尊とする寺院を建立したのが起源とされる。真紹は仁寿3年(853)、歌人・文人であった故・藤原関雄?の邸宅跡を買い取り、ここを寺院とすることにした。10年後の貞観5年(863)、当時の清和天皇より定額寺としての勅許と「禅林寺」の寺号を賜わって公認の寺院となった。当初真言宗?寺院として出発した禅林寺は、中興の祖とされる第7世住持の永観律師(ようかんりっし)の頃から浄土教?色を強めていく。永観は文章博士(もんじょうはかせ)源国経の子として生まれ、11歳で禅林寺の深観に弟子入りする。当初、南都六宗のうちの三論宗、法相宗を学ぶが、やがて熱烈な阿弥陀信者となり、日課一万遍の念仏を欠かさぬようになる。深観の跡を受けて禅林寺に入るのは延久4年(1072)のことである。永観は人々に念仏を勧め、また、禅林寺内に薬王院を設けて、病人救済などの慈善事業も盛んに行なった。浄土宗?に改宗するのは鎌倉時代の静遍のときで、法然?を11代住職に推し自らを12代とした上で、住職の座を法然?の高弟である西山証空上人に譲った。その後、証空の弟子、浄音が住職となって以来、浄土宗?西山派の寺院となった。なお禅林寺を永観堂と呼ぶのは、永観律師が住したことに由来し、永観堂は普通「えいかんどう」と読むが、永観という僧の名は「ようかん」と読むのが正しいとされている。 伽藍 境内には地形の高低差を生かして多くの建物が建ち、それらの間は渡り廊下でつながれている。御影堂から開山堂、多宝塔へと登る階段は永正元年(1504)の建築で「臥龍廊」と呼ばれる。 総門 江戸時代末期の建築。「高麗門」と呼ばれる形式である。 中門 延享元年(1744)の建築で「薬医門」と呼ばれる形式。高麗門・薬医門はともに寺院建築よりは城郭や大名屋敷に多く見られる形式。 御影堂 大正元年(1912)に完成した総欅造の仏堂。宗祖法然?上人を祀る堂で、本尊を安置する阿弥陀堂よりも規模が大きい。 阿弥陀堂 御影堂より一段高い敷地に位置する。慶長年間の建築。本尊の「見返り阿弥陀如来像」を安置する。この像は、顔を左(向かって右)に曲げた特異な姿の像である。伝承によると、永保2年(1082)、永観が日課の念仏を唱えつつ、阿弥陀如来像の周囲を行道していたところ、阿弥陀如来像が須弥壇から下り、永観と一緒に行道を始めた。驚いた永観が歩みを止めると、振り返って一言、「永観遅し」と言ったという。それ以来首の向きが元に戻らず、そのままの姿で安置されているのだという。像高は約77cm。かつては鎌倉時代の作とされたこともあったが、作風、構造等の特色から、平安時代末期、12世紀頃の作と見るのが妥当である。この種の作例は中国にもあり(四川省安岳円覚洞16号窟、宋時代)、日本では山形県の善光寺像など、鎌倉時代以降の作例が若干知られている。 多宝塔 境内の最も高い位置にあり、景観上重要な位置を占めている。昭和3年(1928)、篤志家の寄付で建設された。 方丈(釈迦堂) 方丈は禅宗寺院特有の建物で、他宗ではあまり見かけないものだが、禅林寺(永観堂)の方丈は、平面、立面ともに禅宗寺院の方丈と同形式の建物である。寺伝では永正年間(1504~1511)に後柏原天皇によって建てられたというが、実際の建築は江戸時代のものとみられる。 方丈前庭の市松模様の盛り砂は、来訪者が足を載せ身を浄めるためのものという。 文化財 国宝 絹本著色山越阿弥陀図 金銅蓮花文磬(こんどうれんげもんけい) 重要文化財(建造物) なし 重要文化財(美術工芸品) 木像阿弥陀如来立像(見返り阿弥陀) 紙本淡彩釈迦三尊図(狩野元信筆) 紙本著色融通念仏?縁起(伝土佐光信?筆) 絹本著色釈迦如来像 絹本著色十大弟子像 絹本著色仏涅槃図 絹本著色十六羅漢像 絹本著色来迎阿弥陀如来像 絹本金彩阿弥陀二十五菩薩来迎図 紙本墨画波涛図(長谷川等伯筆) 絹本著色十界図 絹本著色薬師如来像 絹本著色釈迦十六善神像 二十五菩薩来迎図絵扉 絹本著色当麻曼荼羅図 紙本墨書当麻曼荼羅縁起 拝観情報 住所 京都市左京区永観堂町48 電話番号 075-761-0007 拝観時間 9:00~17:00(受付16:00)、秋の寺宝展の時は8:30~17:00 拝観料 600円(秋の入山料1,000円) アクセス 市バス「南禅寺・永観堂道」下車徒歩3分 地下鉄東西線「蹴上駅」下車徒歩10分 駐車場 駐車場あり(無料、11月は駐車不可) 主な行事 1月1日 修正会 1月15日 大般若会、六阿弥陀功徳日 1月30日 歴代法主法要 2月6日 守家法要 2月8日 六阿弥陀功徳日 2月14日~15日 念仏行道会 2月15日 涅槃会 3月14日 六阿弥陀功徳日 3月25日~4月4日 法脈相承(加行=けぎょう) 4月15日 六阿弥陀功徳日 4月22日~25日 御忌会(ぎょきえ) 5月18日 六阿弥陀功徳日 6月中旬 夏安居 6月19日 六阿弥陀功徳日 6月26日 明石忌 7月14日 六阿弥陀功徳日 7月25日 虫干会 8月 1日~3日 緑蔭法話(7時より) 8月15日 六阿弥陀功徳日 8月19日~9月4日 禅林宗学院 9月1日 耆山忌(ぎざんき) 9月9日 放生会 9月18日 六阿弥陀功徳日 10月8日 六阿弥陀功徳日 11月2日 永観律師忌 11月9日 西山上人降誕会 11月24日 六阿弥陀功徳日 12月8日 成道会 12月24日 六阿弥陀功徳日 12月31日 除夜会 その他 京都検定出題 平成17年(2005)第2回京都検定2級出題 「仏像の通称について誤っているものを選びなさい。 (ア)証拠の阿弥陀と来迎院 (イ)楊貴妃観音と泉涌寺 (ウ)見返り阿弥陀と永観堂 (エ)泣き弥勒と広隆寺」 リンク 禅林寺(永観堂)オフィシャル http //www.eikando.or.jp/ 古寺巡礼京都 7 新版
https://w.atwiki.jp/fateonsen/pages/370.html
キャラシート【としあきの聖杯戦争TRPG】 A.D.630 浄土到達道程 天竺(ボスサーヴァント) 【クラス】セイヴァー・ガシェクラー 【真名】阿弥陀如来 【容姿】後光を背負う御仏 【HP】100/100 【筋力】EX:8(10) 【耐久】EX:8(10) 【敏捷】EX:8(10) 【魔力】EX:8(10) 【幸運】EX:8(10) 【ギフト】人理懇願・浄土到達 キャラクター作成時、英雄点50点を得る。 自身の受ける最終ダメージを半減する。 HPが0になった際、体力を全て回復して耐え、スキル1の回復効果の使用回数と宝具の使用回数を1増やす。 【権能】無量光仏・本願力 自身のスキルを全て「クラス:セイヴァー・ガジェクラー」のクラススキルとして扱う。 これらのクラススキルは全て英雄点10点を消費する代わり、他のクラススキル同様、通常のスキルと異なる基準で作成される。 【スキル1】単独顕現:C+ 10:自身の最大HPを20増やす。 交戦フェイズ中に一度、自由なタイミングで自身のHPを(耐久値×5)点回復する。 【スキル2】アプロ・デザイア:EX 10:自身の最大HPを20増やす。 相手の攻撃時、対象を自身のみに変更する。 全ての防御時、補正値5を得る。 【スキル3】報身仏:A+++ 10:自身の最大HPを20増やす。 任意のタイミングで英雄点15点でスキルを一つ有する乗騎「後光」を召喚する。 【宝具】「五劫思惟・無量寿経」(スカーヴァティ・ヴィユーハ) 1/1 【ランク・種別】EX・対人類宝具 【効果】魔術攻撃時、補正値10を得て敵前衛全体に攻撃する。 この攻撃に対する防御時、対象は幸運、魔力、耐久のいずれかのうち好きなものを使って判定する。 この宝具の使用後、セイヴァーはHPを「全ての敵に与えたダメージの合計」点回復する。 この時、最大HPを超えて回復することができる。 【その他】秩序・善 天属性 【クラス】乗騎 【真名】後光 【容姿】セイヴァーと一体となった光の線 【HP】5/5 【筋力】E:1 【耐久】E:1 【敏捷】E:1 【魔力】EX:8(10) 【幸運】D:2 【スキル1】降臨:A 任意のタイミングで遠距離攻撃を発生させる。 泥 【キャラクター詳細】 仏教における、仏の最高位たる「如来」の一柱であり、その如来の中でもさらに最高位に位置する存在。 「無量の光を纏う者」という意味の「無量光仏」とも呼ばれ、経典によっては西方の守護者、宇宙の化身として扱われる場合もある。 浄土真宗における「本願」、いつかすべての人類を浄土へと導く仏として、五劫の間思惟する者である。 【パラメーター】(聖杯による強化無し) 筋力 ■■■■■B 耐久 ■■■■■A 敏捷 ■■■■■EX 魔力 ■■■■■A 幸運 ■■■■■C 宝具 ■■■■■A++ 【4章終節「浄土到達如来 無量光仏」をクリアすると開放】 身長/体重:観測者によって変化・光であるため重量は無に等しい 出典:仏教経典 地域:仏教圏 属性:秩序・善 性別:無 その足は決して地を踏むことなく、架空の水面を歩く。要するに常にちょっと浮いている。 【4章終節「浄土到達如来 無量光仏」をクリアすると開放】 浄土の果てに座し、五劫の思惟の後世界を救う「本願」の担い手。 およそ無限ともいえる期間であるそれは、言い換えれば即ち「いつでも救済の準備ができている」という状態である。 セイヴァー・ガシェクラーにとって、自身が顕現したその瞬間こそ救済の始まりである。 そして630年に接がれた剪定軸。 人への失望、王への叛意を持つ僧によって、その時は訪れた。 【4章終節「浄土到達如来 無量光仏」をクリアすると開放】 ○救済の権能:A 本願力・無量光仏。 自身の肉体を光によって構成する。 光の集合体であるという性質上急所になり得る部分が存在せず、周囲の光を取り込んで肉体の再生を行うことも可能。 魔力の持たない人間は触れることすらできず、サーヴァントであれば対象が光子であってもその魔力に攻撃はぶつけられるが、それでも威力の減衰は避けられない。 肉体が召喚されてしまうと救済以前にその質量で星が滅ぶため、それに対する防止策というのが本命。 【4章終節「浄土到達如来 無量光仏」をクリアすると開放】 ○:アプロ・デザイア:EX 全ての欲、罪、苦悩、煩悩の源泉を断ち、生物、無生物関係なくありとあらゆる存在を浄土へと導くスキル。 自身に対し抵抗無く接近、接触した対象を阿羅漢に至らしめ、欲望、欲求を取り払い穏やかの心を与え、セイヴァー・ガシェクラーが歩いた地を荒野であろうと過剰に豊かな地であろうと無関係にただ蓮華の花が咲き誇る穏やかな大地に変える。 其処に差異は無く、格差もなく。 セイヴァー・ガシェクラーの至った地は、常に穏やかな水面のごとく、格差を埋めんと藻掻く人類はおらず、ただ停止を享受することになる。 ○:報身仏:A+++ 修行の末、完全なる功徳を備え仏になった存在であることを表すスキル。 困窮する者、救われざる他者を受け入れ御仏として浄土へと導く。 救済の行われていない範囲、存在を感知し、その場所、者へと「本願力」を全自動で放つ。 【4章終節「浄土到達如来 無量光仏」をクリアすると開放】 「五劫思惟・無量寿経」 ランク:EX 種別:対人類宝具 レンジ:180億光年 最大補足:無量大数 スカーヴァティ・ヴィユーハ。 無量寿経に記された四十八願を第十八願に統合し、五劫の間練り続けた魔力によって救済すべき対象を飲み込む。 人類が「星を越えられなかった」場合に発生する強制救済措置の一端。 其処に艱難辛苦は存在せず、ただ眩い光と穏やかな心だけが残る。 物理や魔力では純粋に出力不足で対抗できず、ただ「未来に生きようとする意志」のみがこれに対抗できる。 【4章終節「浄土到達如来 無量光仏」をクリアすると開放】 第四の剪定軸にて、天竺のキャスター・戒賢は「仏に至ることで永遠の命と仏の力を得て世界全土を併合し、自身が最良の王として其れを治める」というライダーの願いは人々の救済には遠いと断じた。 彼はそれを成すために、その剪定軸に存在する最も仏に近い存在、自身の弟子たるルーラー、玄娤三蔵を依り代に、全てを救う御仏たるセイヴァー・ガシェクラーを召喚した。 その行いは、間違いでも失敗でもないと彼は確信し、その光を受け入れた。 【4章終節「浄土到達如来 無量光仏」をクリアすると開放】 万物の救済。 それは「如来」の名を冠する者達の義務であり、存在意義である。 救済は最短にして最適であるべきであり、そのために最高位の仏たる自身が出向く事はそれ即ち道理。 逆説的に、「自身が召喚されたということは、即ち世界は速やかな救済を望んでいる」と言うことである。 人類史が最も浄土に近い時代、浄土に近い国家を起点に始まった「浄土へ至る道程」は、世界を文字通り極楽浄土へと変質させた。 それはセイヴァー・ガシェクラーの誓いであり、願い。 最も最短かつ最高効率の救済であり、それこそが自身の正しい在り方、即ち「本願(プールヴァ・プラニダーナ)」なのである。 以上の誓願をもって彼のクラスは肯定された。 他者の為の救い、人類のための救い。 身分、善悪、思想、救済を望むか、望まざるか、それすらも無関係に。 ただ純粋なる救い、どのような形であれ其れが成された世界のために。 全てを平等に、無感動に、無関心に浄土へ導く大救済。 セイヴァー・ガシェクラー。 他者の意思など意に介さず、ただ救うだけの独善者。 「本願」の理を持つ救世主である。
https://w.atwiki.jp/gosyutan/pages/596.html
石川県加賀市大聖寺明神町の浄土宗 幽谷山履行院正覚寺(ゆうこくざん りこういん しょうがくじ)をお訪ねしました。 御本尊の履行阿弥陀如来像(くつばき-)の御朱印です。 御本尊ゆかりの仏御前の御朱印です。 御朱印の授与は山ノ下寺院群特別公開寺宝・庭園・御朱印めぐりの期間に限ります。 所在地:石川県加賀市大聖寺神明町2