約 24,298 件
https://w.atwiki.jp/yukipo/pages/23.html
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1202.html
Report.05 涼宮ハルヒの困惑 「あなたに提案がある。」 わたしは言った。 「わたしの部屋に来て。」 彼女は目を丸くする。 「あなたは強烈なストレスに晒され続けている。気晴らしが必要。」 「ちょ、ちょぉ待ちぃな!」 【ちょ、ちょっと待ってよ!】 彼女は慌てて言う。 「そりゃぁ、あたしだって、家には帰りたくない気分やし、誰かと一緒にいたい気分やで? せやけど、有希と一緒におったら、有希まで変な奴らにマークされてまうやんか!」 【そりゃぁ、あたしだって、家には帰りたくない気分だし、誰かと一緒にいたい気分よ? だけど、有希と一緒にいたら、有希まで変な奴らにマークされちゃうじゃない!】 「大丈夫。」 「何が!?」 「わたしのマンションはオートロック。他にも多数の仕掛けがある。あなたの家より部外者は侵入しにくい。」 「そういうことやなくて! あたしと一緒におるところを見られたら、有希まで一緒に変なことされるって!」 【そういうことじゃなくて! あたしと一緒にいるところを見られたら、有希まで一緒に変なことされるって!】 「へいき。」 わたしは彼女を真っ直ぐに見ながら言う。 「わたしに考えがある。」 「考え?」 「そう。」 彼女は、何を言い出すのかという表情でわたしを見ている。 「マンション内は部外者が侵入しにくい。入ってしまえば安全。校内も同様。問題は学校を出てからマンションに入るまで。この間、あなたがあなたであると分からないようにすれば良い。」 わたしは、鞄からあるものを取り出した。 「これを使う。」 彼女は呆気に取られていた。 「有希……前々から思ってたんやけど、言(ゆ)うて良い?」 【有希……前々から思ってたんだけど、言って良い?】 「なに。」 「あんた、実はめちゃめちゃ大胆やな……」 【あんた、実はめちゃ大胆よね……】 彼女は、わたしが取り出したものを見て、すぐにわたしの提案を理解していた。 「ていうか、何でこんなもん、持ってんの?」 【ていうか、何でこんなもの、持ってんの?】 「この教室に来る前に、演劇部から拝借した。」 本当は情報連結で作成したのだが、それは伏せておく。わたしが取り出したものは、この高校の『男子』制服だった。 「まさか男装を迫られるなんてなぁ……」 【まさか男装を迫られるなんてねえ……】 彼女はまるで『彼』の真似をするように、やれやれと肩をすくめた。 「ま、こういうのもたまには意外性があっておもろいかもね!」 【ま、こういうのもたまには意外性があって面白いかもね!】 そう言うと、彼女は『男子の制服』に着替え始めた。 「ところで、有希。服を替えるのは、まあ分かるとして、肝心の顔とか頭はどうすんの?」 「これを使う。」 わたしは、バンダナと眼鏡を取り出した。眼鏡は以前私が掛けていたものと同じ意匠。 「その辺もぬかりはないってわけね……」 程なくして、頭をバンダナで覆い、眼鏡を掛けた、可愛らしい『男子生徒』ができあがった。先日言語化に成功した『何か』がわたしの中に湧き上がる。 「萌え……」 「ん? 何(なん)か言(ゆ)うた?」 【ん? 何(なん)か言った?】 「なんでも。」 声に出ていたようだ。 彼女は変装が終わると、鏡でしきりに自分の姿を確かめていた。手持ちの鏡では全身が見られないため、『男子便所』の鏡で。 「へぇー、ほぉー、ふぅーん。」 彼女はあらゆる角度から、生まれ変わった自分の姿を確かめていた。 「どう見ても小柄な男の子です、本当にありがとうございました!」 学校からの帰り道。わたしと涼宮ハルヒは並んで歩いていた。 お互いに無言。心拍数の増加を検出。彼女(今は彼)は緊張している。 「なあ有希……今からあた……んんっ。お、俺が独り言を言うけど、気にせんとってくれ。こんなこと言(ゆ)うんも、多分、いつもと違う、ありえへん状況やからやろな。……こ、こんな可愛い娘と一緒に帰ってるんや。て、ててて、手ぇとか繋いでみたいな~、なんて……」 【なあ有希……今からあた……んんっ。お、俺が独り言を言うけど、気にしないでくれ。こんなこと言うのも、多分、いつもと違う、ありえない状況だからだろうな。……こ、こんな可愛い娘と一緒に帰ってるんだ。て、ててて、手とか繋いでみたいな~、なんて……】 涼宮ハルヒは明後日の方を向きながら言う。声が裏返っている。 「べ、別に変な意味違(ちゃ)うで!? お、おっ、『男』なんやから、そんなこと思(おも)てまうんも自然なことやろ!?」 【べ、別に変な意味じゃないぞ!? お、おっ、『男』なんだから、そんなこと思ってしまうのも自然なことだろ!?】 わたしはややあって、彼女(彼)の手を握った。 その手はじんわりと汗ばんでいる。……わたしの手も汗ばんでいたかもしれない。 彼(彼女)は耳まで赤くしていた。……わたしの顔も赤くなっていただろうか。 なぜ彼女(彼)は急にこんなことを言い出したのだろうか。理由はいろいろあるだろう。 彼女(彼)は間違いなく今回の件で疲れていた。先ほど教室で自らの過去を語ったのも、ついこぼしてしまった本音という面があるだろう。 しかしわたしは、また別の理由を想起した。彼女は孤独なのだ。表面上は明るく振舞っているが、真剣に自分と向き合おうとしない周囲に苛立っていた。そしてついには失望した。閉鎖空間を発生させ、世界を変えてしまおうとするほどに。 SOS団を結成してから、時が流れ、彼女は明るく、人が丸くなったと周囲は評価している。確かに、自分の言うことを聞き、付き合ってくれる仲間を得て、孤独が解消されたと言えるだろう。……表面上は。 だが、内実はどうだろう? わたしはあの日の『彼』の言葉を思い出す。 『みんなは、後の影響が怖くてよう物も言われへんイエスマンや。』 【みんなは、後の影響が怖くてろくに物も言えないイエスマンだ。】 古泉一樹は、『機関』の構成員として、閉鎖空間の発生を恐れている。 朝比奈みくるは、未来人として、既定事項と禁則事項に縛られている。 わたしは、観測者として、極力観測対象に影響を与えないように行動してきた。 『彼』だけが唯一、自らの判断と責任において行動できる自由な存在だが、結局は涼宮ハルヒの言動に振り回され、状況に流されてしまっている面は否定できない。 SOS団でさえも、涼宮ハルヒが真に求める『時には叱ってでも自分と真剣に向き合ってくれる存在』ではなかった。 わたしは、自分の状況と心境を振り返ってみた。 生み出されてから三年間、わたしはずっとひとりで待っていた。時間遡行してきた『彼』が訪ねてきて、わたしは将来自分が置かれる立場、自分が起こす事件を知る。活動期に入り、SOS団が結成されて彼女達に出会い、共に行動してきた。そこでもわたしは、観測者として必要最小限の介入で済むよう努めてきた。観測者として余計である、感情を表す機能は、わたしには持たされていない。いつしかわたしは、『無口だが頼れる団員』、『SOS団随一の万能選手』と位置付けられた。 人間には『朱に交われば赤くなる』という言葉がある。 人間と共に行動していると、たとえ作り物の命であってもいずれは感情が宿るらしい。まして涼宮ハルヒと『彼』は、二人揃うと周囲の関係した者達を残らず変えてしまう力を持っている。その影響はSOS団員も……わたしも例外ではなかった。 わたしの中に『感情』が宿り、芽吹いて茂り、花開いた。SOS団員と共に行動するうちに、最初はまだまだ未熟だった感情も、いつしか大きく成長していた。 しかし、それを表出することは許されない。観測対象である涼宮ハルヒは、わたしを『無口キャラ』と定義していた。観測対象へ与える印象が変わっては不都合。そうして時を過ごし、延々と繰り返される夏を超えて冬、わたしは世界を改変する事件を起こした。 事件を通して、わたしは抑圧された感情は暴走することを知った。わたしに感情が存在することに気付いた『彼』の存在が、今わたしの暴走を防いでいる。『彼』になら、たとえわたしの感情をぶつけてしまったとしても、大丈夫だと思えるから。 ……彼女には、そのような存在がいない。 『一人でいるのは寂しい』と思いながら、その思いを表すことができない。誰と一緒にいても、どんなことをしていても、内実は孤独。孤独であることを何とも思っていないように装っているが、本当は何より孤独が辛い。 『たった一人でも良い、誰か真剣にあたし(わたし)と向き合ってほしい。』 『たった一人でも良い、誰かありのままのあたし(わたし)を見てほしい。』 傍若無人、我が道を突き進む無敵の少女の姿の裏で。 無表情、何事にも動じない無謬の少女の姿の裏で。 自らをさらけ出せる、信じられる、本当に心を許せる存在を渇望している。 わたしと彼女は、同類だった。信じられる存在が、いるか、いないか。ただそれだけが両者の違い。 マンションから近いコンビニエンスストアまで来た。わたしは、ここで食料を調達して帰ることもある。『彼』は誤解しているようだが、わたしは決してカレーばかり食べているわけではない。 しかし、食事以外のもの、例えば飲み物やお菓子は買っていないのも確か。今日は、涼宮ハルヒという『お客さん』もいる。何か買っていった方が良いと判断した。 「わたしの部屋には、わたしの分の食事しかない。ここで何か買っていこうと思う。」 わたしは彼女(彼)の手を離して、言った。 「え? ああ、そっか、あた……もとい、俺が増えるんやな。ほな、何(なん)か買(こ)うてこか。」 【え? ああ、そっか、あた……もとい、俺が増えるんだな。じゃあ、何か買っていこうか。】 わたし達は店内に入っていった。 「何買おかな~? あ、『甘くない炭酸』ある! 俺、コレめっちゃ好きやねんわ~」 【何買おうかな~? あ、『甘くない炭酸』がある! 俺、コレめちゃ好きなんだよな~】 彼女(彼)は、他にも様々な菓子を籠に入れていく。わたしは、あるものを手に取った。 「あれ? 有希、トラベルセットなんか買(こ)うてどうすんねん?」 【あれ? 有希、トラベルセットなんか買ってどうすんだ?】 「あなたに必要になる。客用の洗面具は部屋にない。」 「……えっと。話が見えへんねんけど??」 【……えっと。話が見えないんだが??】 わたしは彼女(彼)の瞳を見つめながら言った。 「あなたが泊まるために必要。」 彼女(彼)は籠を取り落とした。目を丸くし、口を開けてわたしの顔を眺めている。 「……………………」 これはわたしの台詞ではない。彼女(彼)が呆気に取られている。 「あなたは家に帰りたくないと言った。」 「そ、それは確かに言(ゆ)うたけど……」 【そ、それは確かに言ったけど……】 「気晴らしの方法の一つは、誰かに話をすること。今のあなたに必要と判断した。」 それに、と言葉を続ける。 「わたしもあなたの話が聞きたい。だめ?」 彼女(彼)は瞬きを数回した。 「えっと、有希がええんやったら、その……泊まらしてもらうわ。」 【えっと、有希が良いなら、その……泊まらせてもらうぞ。】 「そう。」 「何(なん)か……今日は、有希の意外な面をいろいろ見せられてる気がするなぁ……」 彼女(彼)は、困惑した表情で頬を掻きながら呟いた。 マンションに着く。いつものようにロックを解除し、エレベーターで部屋に向かう。 「入って。」 「お邪魔しまーっす♪」 彼女(彼)は部屋に入ると、キッチンに買い物袋を置き、リビングに向かった。 「とりあえず、コレ取るわ。」 【とりあえず、コレは取るわ。】 彼女(彼)は眼鏡とバンダナを取る。わたしはキッチンに入ると、湯を沸かしながら買った物を冷蔵庫に入れ始めた。 「あ、有希。手伝うわ。」 「いい。座ってて。」 お客さん、と言うわたしを制して、彼女は言った。 「まあ、ええからええから。あたしが手伝いたいんやって。」 【まあ、良いから良いから。あたしが手伝いたいんだって。】 「……では、冷蔵庫に入れない物を持って行って。」 「りょーかい♪」 彼女は、お菓子等をリビングに運んで行った。わたしは飲み物等を冷蔵庫に入れ終わると、お茶と大皿を持って、リビングへ向かった。 「あ、ありがとー♪」 コタツに着いた彼女は、お茶を受け取りながら言った。 「うーん、男の格好で女の子の部屋にお呼ばれするのって、何か妙な感じやわ。って、有希! よぉ考えたら、あんた、傍から見たら自分の部屋に男連れ込んだことになるやん!?」 【うーん、男の格好で女の子の部屋にお呼ばれするのって、何か妙な感じだわ。って、有希! よく考えたら、あんた、傍から見たら自分の部屋に男連れ込んだことになるじゃない!?】 「……確かに。」 「うわっ、そう考えたら、何(なん)か急に恥ずかしくなってきた!」 彼女は見る見る顔が赤くなっていく。 「うっわー、有希、大っ胆~!!」 顔を真っ赤にしながら、彼女は笑って言った。 「んっふっふ~。それなら大胆な有希ちゃんの要望にお応えして、おにーさん、大胆にあ~んなことやこ~んなことしちゃおっかな~? な~んて♪」 彼女は手をひらひらと振りながらお茶に口をつける。わたしは言った。 「……百合?」 ぶふ――――――――――――――――――――――――――――――――――っ!! 彼女は盛大にお茶の霧を吹いた。 「げほげほっ、げほっ」 彼女はむせている。 「こほっ! はぁ、はぁ、はぁ……」 「拭くものを取ってくる。」 「あ、あんたが変なこと言うからやんかっ! いきなり何(なん)ちゅうこと言い出すんや、この娘は……」 【あ、あんたが変なこと言うからじゃないのっ! いきなり何(なん)てこと言い出すのよ、この娘は……】 わたしは布巾で後始末をする。 「何(なん)か……今日はあんたにドキドキさせられっぱなしやな。」 【何(なん)か……今日はあんたにドキドキさせられっぱなしね。】 「そう。」 「普段、あんだけ無口やのに今日はやけによぉ喋るし……何(なん)かあったん?」 【普段、あんだけ無口なのに今日はやけによく喋るし……何(なに)かあったの?】 「なにも。」 「いつもとキャラ違(ちゃ)うで? 何があんたをこんなに変えたん?」 【いつもとキャラ違うわよ? 何があんたをこんなに変えたの?】 「べつに。」 こう答えると嘘になるのかもしれない。彼女達と共に行動するようになって、わたしは少しずつ、しかし確かに変化した。もっとも、今日のわたしは、確かに少しおかしいかもしれない。 「ま、まぁ、人間誰しも、普段とは別の顔を持ってるもんやし。今日は有希の意外な一面が見られたってことで! うん、そういうことにしとこ! ……有希の場合、普段とのギャップがありすぎて、その、ちょっとアレやけど……」 【ま、まぁ、人間誰しも、普段とは別の顔を持ってるもんだし。今日は有希の意外な一面が見られたってことで! うん、そういうことにしとこう! ……有希の場合、普段とのギャップがありすぎて、その、ちょっとアレだけど……】 彼女は気を取り直し、スナック菓子の袋を開け始めた。 「……惚れた?」 ばり――――――――――――――――――――――――――――――――――ん!! 彼女はスナック菓子の袋を盛大に引きちぎった。 「全部皿の中に入った。見事。」 「……一瞬、こうなる予感がして、お皿の上に持って行ってん……」 【……一瞬、こうなる予感がして、お皿の上に持って行ったのよ……】 彼女は、わたしの瞳を見つめながら言った。 「有希……言(ゆ)うても良い?」 【有希……言っても良い?】 「なに。」 「あんた……実はめちゃめちゃおもろい娘違(ちゃ)うか?」 【あんた……実はすっごく面白い娘なんじゃない?】 「……さあ。」 わたしはいつもの顔で答えた。 ←Report.04|目次|Report.06→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1234.html
Report.04 涼宮ハルヒの認識(後編) 朝、廊下。わたしはいつもの時間に登校して、いつものように自分の教室へ向かっていた。 前を見ると、涼宮ハルヒが、手に紙束を持ち、わたしに向かって歩いてきた。そしてわたしの近くまで来ると、突然、 「わっ!?」 何もないところで躓いて転んだ。手に持っていた紙束が主にわたしに向けて盛大に撒き散らされる。 「わっ、わっ、わっ……!?」 涼宮ハルヒはあたふたしながら紙を拾い集めだした。 「あっ、そ、そこの、カーディガンの人! てっ、手伝ってくれませんかっ!?」 わたしの目を見て必死に何かを訴えかけながら言った。 涼宮ハルヒのすることには必ず理由がある。わたしは肯くと、紙を拾い集めるのを手伝った。散らばった紙をすべて拾い集め、わたしが拾った分を涼宮ハルヒに手渡そうとすると、彼女は素早くわたしの手首を両手で掴むと、一気に自分の近くに引き寄せた。 「あ、あのっ、ありがとうございますぅ~」 涼宮ハルヒは目を潤ませ、顔を近づけながら礼を言った。相当顔が近い。わたしの視界が涼宮ハルヒの顔で埋まる。紙束で隠れる格好となった涼宮ハルヒの手が、わたしの胸元をまさぐった。かなり乱暴な手つき。 「あのっ、それではこれでっ。あっ、ありがとうございましたぁ~っ!!」 すぐに涼宮ハルヒは立ち上がり、そそくさと立ち去った。 わたしは教室に入り、自分の席に着くと、いつものように本を取り出し読み始めた。そして本で死角を作りながら、先ほど涼宮ハルヒにまさぐられた自分の胸元を確認する。 やはり、紙片が残されていた。内容を確認する。 『今日の放課後、誰もいなくなったら、あたしの教室で。』 放課後、いつもの部室。三人しかいない最近の風景。時折朝比奈みくるがお茶のお替りを淹れる以外、誰も何も言わない。わたしがパタンと本を閉じると、皆は帰り支度を始める。これだけが、あの日以前から変わらないこの部室の風景。 彼らには、涼宮ハルヒからの呼び出しのことは伝えていない。涼宮ハルヒは他の団員と接触を絶つなか、芝居を打ってまでわたしに接触してきた。その行為の意味を推測し、わたしが単独で接触するのが妥当と判断した。 わたしは皆と別れ部室を出ると、涼宮ハルヒが待つ教室へと向かった。教室の扉を開ける。涼宮ハルヒは自席に座っていた。 「あ……」 涼宮ハルヒはわたしの姿を見ると、安堵した表情になる。しかしすぐに真剣な顔で辺りをキョロキョロと見回す。 「この教室の近辺に人はいなかった。ネットワーク上の書き込みを分析すると、最近この学校がセキュリティを強化したため、彼らは校内には一切立ち入れない。ここは安全。」 そこまで言うと、ようやく涼宮ハルヒは本当に安堵した。 「ふぅ~。あ、有希、早(はよ)こっち来て座って。」 自分の前の席を指して言う。わたしは肯くと、念のため教室の扉の鍵を情報改変した。これでこの教室は、内側からしか扉を開けられない。 「いつどこで誰に見られてるか分からへんから、なかなかみんなに近付かれへんかって。今朝、何とか有希にメモを渡せて良かった。気付いてくれへんかったらどうしようか思(おも)たわ。」 【いつどこで誰に見られてるか分からないから、なかなかみんなに近付けなくて。今朝、何とか有希にメモを渡せて良かった。気付いてくれなかったらどうしようかと思ったわ。】 わたしは涼宮ハルヒの顔を見ながら、無言で頷いた。 「さて……わざわざ呼び出したんは他でもない。あんたに見てほしいもんがあんねん。」 【さて……わざわざ呼び出したのは他でもない。あんたに見てほしいものがあるの。】 そう言うと涼宮ハルヒは、鞄から封筒を取り出してわたしに手渡した。 「読んでみて。」 わたしは封筒の中身を取り出す。中には便箋が入っていて、達筆だが読みやすい丁寧な字がしたためられていた。わたしはその手紙を読んだ。 前略 二度と近付かないという約束を破っての、突然の手紙で失礼いたします。これだけはどうしても伝えなければならないと思い、筆を執りました。 先日は、あのように大変失礼な行動であなたに多大な迷惑を掛けてしまいました。真に申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます。 当時はそのような立場に置かれた時、どれだけ不愉快な思いをするか全く感じることができませんでした。現在、私は同じような立場に置かれ、あの時私があなたにしたことと同じようなことをされています。そのような状況になって初めて、あの時あなたがどのような気持ちでいたか思い至ることができました。 今に至るまで人の痛みを知らず気付かなかった、己の不明を深く恥じます。 いくら言葉を重ねても謝罪には程遠いこととは存じますが、せめてもの誠意をと思い、こうして手紙という形でお伝えさせていただきました。今後は二度とあなたの周囲に近付くことはしないと約束します。 このような手紙を見てあの時を思い出し、また不愉快な思いをさせてしまったかもしれません。重ねてお詫び申し上げます。真に申し訳ありませんでした。 草々 涼宮ハルヒ 「……どう……?」 涼宮ハルヒは、不安そうな顔でわたしを窺っている。 「あたし、こんな状況になって初めて、気ぃ付いたことがあんねん。」 【あたし、こんな状況になって初めて、気が付いたことがあるのよ。】 涼宮ハルヒは、当時は分からなかった少女Aの気持ちに、自分が同じような立場に置かれて初めて気付いたこと、今まで全く他人の気持ちを推し量ることを知らなかったことを少女Aに伝え、謝罪したいという。 しかし、先日の一件で会わないことを約束し、また自分もどのような顔で会えば良いのかわからないので、手紙という手段を使って謝罪の気持ちを伝えることにした。そして、謝罪の手紙を書くのは初めてのことなので、先方に失礼のないよう、わたしに内容を確かめてほしいと言ってきた。 「あたし、こんな真面目な手紙なんか書くん初めてやし、どんなこと書いたらええんか分からへんから……有希は物知りやし、いっつもいっぱい本読んどぉやろ? せやから……な? お願い。」 【あたし、こんな真面目な手紙なんか書くの初めてだし、どんなこと書いたら良いのか分からないから……有希は物知りだし、いつもいっぱい本を読んでるじゃない? だから……ね? お願い。】 わたしに、『心からの謝罪の手紙』の添削など、できるのだろうか? わたしは、何度も何度も手紙を読み返した。しばらくして、言う。 「問題ない、と思う。」 「ほんま!? 何か失礼なこととか、書いてへん? 書かなあかんこと書き忘れてへん?」 【ほんと!? 何か失礼なこととか、書いてない? 書かなきゃならないこと書き忘れてない?】 「あなたは自分の今の気持ちを彼女に伝え、謝罪したいと思った。この文面で気持ちは伝わると思う。」 そしてわたしは少し考え、こう付け足した。 「言葉だけで思いをすべて伝えるのは難しい。でも、たぶん大丈夫。」 涼宮ハルヒはしばらくわたしの顔を見て、そして肯いた。 「有希……ありがとう。」 涼宮ハルヒの目尻には、輝くものがあった。 「有希、ごめんやけど……ちょっと、あたしの話聞いてくれへんかな? こんなこと、人に話すようなこと違(ちゃ)うと思うんやけど、何か、誰かに聞いてほしい気分やねん……」 【有希、悪いけど……ちょっと、あたしの話聞いてくれないかな? こんなこと、人に話すようなことじゃないと思うんだけど、何か、誰かに聞いてほしい気分なのよ……】 「いい。」 「こんなこと、人に話すんは恥ずかしいんやけど……有希になら、話せるような気がして。」 【こんなこと、人に話すのは恥ずかしいんだけど……有希になら、話せるような気がして。】 「そう。」 そして涼宮ハルヒは、自分の生い立ち、誰も自分のわがままを止めなかったことを話し始めた。それは先日『彼』が推測した通りだった。 「それでな? あたしが何言(ゆ)うても、周りの人は何も言わへんねん。最初は、別に嫌やないんかなと思(おも)ててん。でも、だんだん、違うってことが分かった。みんな、あたしのこと本気で相手にしてへんかったんや。誰一人として。あたしはいつの間にか……一人ぼっちになっとった。」 【それでね? あたしが何を言っても、周りの人は何も言わないの。最初は、別に嫌じゃないのかなと思ってた。でも、だんだん、違うってことが分かった。みんな、あたしのこと本気で相手にしてなかったんだ。誰一人として。あたしはいつの間にか……一人ぼっちになってた。】 涼宮ハルヒは続ける。 「あたしは……えーと、こんなこと打ち明けるん、有希が初めてやで? せやからみんなには内緒にしといてや? ……一人で必死になって、真剣になって、でも周りの人は誰も相手にしてくれへんかって……寂しかった。」 【あたしは……えーと、こんなこと打ち明けるの、有希が初めてよ? だからみんなには内緒にしといてよ? ……一人で必死になって、真剣になって、でも周りの人は誰も相手にしてくれなくて……寂しかった。】 涼宮ハルヒは、今にも泣き出しそうな顔で、そう言った。 「『ちゃんとあたしを見て!』って叫びたかった。あたしが悪いことをしたら、ちゃんと叱ってほしかった。真剣にあたしと向き合ってほしかった。でも……誰も見てくれへんかった。寄って来るんは、『顔が可愛い』からってだけで電話で告白してくるような奴ぐらいやった。」 【『ちゃんとあたしを見て!』って叫びたかった。あたしが悪いことをしたら、ちゃんと叱ってほしかった。真剣にあたしと向き合ってほしかった。でも……誰も見てくれなかった。寄って来るのは、『顔が可愛い』からってだけで電話で告白してくるような奴ぐらいだった。】 涼宮ハルヒは切々と訴え続けた。普段の『SOS団団長』涼宮ハルヒの面影は全くない。そこにいるのは『自律進化の可能性』でも『時間断層の中心』でも『神のごとき存在』でもない。『人間』涼宮ハルヒ。一人の『少女』だった。 情報統合思念体は、『「彼」の動向に注意を払い、わたしが最善と考える行動を取る』ことを指示した。今この場に『彼』はいないが、もし『彼』がこの状況に置かれたらどのように行動するか、検討する。答えはすぐに出た。しかし、何かが足りない。検討を重ねる。そして、ある結論に達した。 『彼』が取るであろう行動を、『わたしらしく』実行すること。 わたしは立ち上がると、涼宮ハルヒのそばに寄った。 「……有希……?」 涼宮ハルヒは不安そうにわたしの顔を見つめる。 「このような時、わたしは掛けるべき自分の言葉を知らない。だから、ある歌の一部を引用する。適切な引用であるかは分からない。自分の言葉ではなく、借り物の言葉であることを許してほしい。」 そしてわたしはある歌の歌詞を朗読する。 『悲しみこらえて/ほほえむよりも/涙かれるまで/泣くほうがいい』 わたしは涼宮ハルヒの頭を優しく抱き締めて、言葉を続ける。 『人は悲しみが/多いほど/人には優しく/できるのだから』 恐らく『彼』なら、このような言葉を掛けると予想される。 「これがわたしがあなたへ『贈る言葉』。今のわたしにはこれしかできない。」 涼宮ハルヒは堰を切ったように、わたしの胸の中で声を上げて泣いていた。彼女の持つ熱がわたしの胸に伝わってくる。わたしの中に『何か』が湧き上がる。上手く言語化できない。いつかはこの『何か』の正体を理解し、言語化できるようになるのだろうか。 わたし達は暮れなずむ教室の光と影の中、ただじっと抱き合っていた。その時わたしには、『観察対象に影響を与えること』についての懸念は少しもなかった。あえて言えば、『観察対象の保全』に全力を挙げていたと言えるだろうか。 ……言い訳じみている。正直に告白する。その時わたしは、涼宮ハルヒの様子に『突き動かされた』。『彼』の行動をエミュレートしたはずだが、それはほとんどわたしという個体の制御できない行動だったかもしれない。その時わたしを突き動かしたものは、もう『感情』と呼んでも良いのかもしれない。とにかくわたしは、その時『彼女を抱き締めたい』と思い、同時にそうしていた。 もう、『エラー』と呼ぶのはやめることにする。真剣に、このわたしを突き動かした衝動について考察したい。情報統合思念体によって創られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス、『人』ではないわたしにも『感情』が生まれるのかを。この時わたしは、感情の涙を流す機能がないことを残念に思っていた。 ……彼女の感情を、悲しみを、寂しさを、共有したかった。分かち合いたかった。 「うっ、ひくっ。うっ……」 わたし達以外誰もいない教室に、彼女の泣き声だけが遠く響く。わたしが今まで読んできた本の登場人物たちは、このような時、大抵相手が泣き止むまでそっと寄り添っていた。わたしもそれに従うことにする。 しばらくして、彼女は泣き止んだ。 「はぁ……何か、思いっきり泣いたらスっとしたわ。こんなに泣いたん、何年ぶりやろ? こんな弱いとこ、人に見せたなかったから……」 【はぁ……何か、思いっきり泣いたらスっとしたわ。こんなに泣いたの、何年ぶりかしら? こんな弱いとこ、人に見せたくなかったから……】 「……そう。」 「何でやろ、不思議やな……有希、あんたにだけは、あたしの弱いとこも見せられる気がしてん。……ありがとう、有希。」 【何でだろ、不思議だな……有希、あんたにだけは、あたしの弱いとこも見せられる気がしたの。……ありがとう、有希。】 「いい。わたしは、あなたがわたしをそうしても良い相手と認識していることを、嬉しく、思う。」 多分これは『わたし』という個体から発せられた素直な言葉だと思う。人間が己の弱みを見せても良いと判断する相手は、その個体にとって特別な存在なのだという。わたしは彼女にとって、特別な存在。恐らく、団長と団員という関係以上の。 「あーあー。な~んか、家に帰りたないな~」 【あーあー。な~んか、家に帰りたくないな~】 これは彼女の本心だろう。 「家に帰ったら、またあの変な奴らや変な電話の相手せなあかんのかと思うと、ほんま、憂鬱やわ~」 【家に帰ったら、またあの変な奴らや変な電話の相手しなきゃならないのかと思うと、ほんと、憂鬱だわ~】 彼女はわたしの顔を見つめ、ふっ、と表情を緩める。 「でも、何でか、反省はしてるけど、後悔はしてへんねん。今回のことで、あたしは只今不愉快街道まっしぐらやけど、おかげで、気付けたことがある。同じ立場にならんと、人の気持ちって分からんもんやね。今ならあたしは、あの子にどんな酷いことをしたか分かる。今回みたいな経験がなかったら、あたし、ずっと人の痛みが分からん人間やったと思う。今は確かに辛いけど、少しの間やと信じてるんや。ほら……」 【でも、なぜか、反省はしてるけど、後悔はしてないのよ。今回のことで、あたしは只今不愉快街道まっしぐらだけど、おかげで、気付けたことがある。同じ立場にならないと、人の気持ちって分からないものよね。今ならあたしは、あの子にどんな酷いことをしたか分かる。今回みたいな経験がなかったら、あたし、ずっと人の痛みが分からない人間だったと思う。今は確かに辛いけど、少しの間だと信じてるわ。ほら……】 彼女は人差し指を立て、片目を閉じながら言った。 「『人の噂も四十九日』、って言うやろ?」 【『人の噂も四十九日』、って言うでしょ?】 「……それを言うなら『七十五日』。」 彼女は酷く赤面した。 【挿入歌:海援隊『贈る言葉』,1979,ポリドール】 ←Report.03|目次|Report.05→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/1201.html
Report.04 涼宮ハルヒの認識(後編) 朝、廊下。わたしはいつもの時間に登校して、いつものように自分の教室へ向かっていた。 前を見ると、涼宮ハルヒが、手に紙束を持ち、わたしに向かって歩いてきた。そしてわたしの近くまで来ると、突然、 「わっ!?」 何もないところで躓いて転んだ。手に持っていた紙束が主にわたしに向けて盛大に撒き散らされる。 「わっ、わっ、わっ……!?」 涼宮ハルヒはあたふたしながら紙を拾い集めだした。 「あっ、そ、そこの、カーディガンの人! てっ、手伝ってくれませんかっ!?」 わたしの目を見て必死に何かを訴えかけながら言った。 涼宮ハルヒのすることには必ず理由がある。わたしは肯くと、紙を拾い集めるのを手伝った。散らばった紙をすべて拾い集め、わたしが拾った分を涼宮ハルヒに手渡そうとすると、彼女は素早くわたしの手首を両手で掴むと、一気に自分の近くに引き寄せた。 「あ、あのっ、ありがとうございますぅ~」 涼宮ハルヒは目を潤ませ、顔を近づけながら礼を言った。相当顔が近い。わたしの視界が涼宮ハルヒの顔で埋まる。紙束で隠れる格好となった涼宮ハルヒの手が、わたしの胸元をまさぐった。かなり乱暴な手つき。 「あのっ、それではこれでっ。あっ、ありがとうございましたぁ~っ!!」 すぐに涼宮ハルヒは立ち上がり、そそくさと立ち去った。 わたしは教室に入り、自分の席に着くと、いつものように本を取り出し読み始めた。そして本で死角を作りながら、先ほど涼宮ハルヒにまさぐられた自分の胸元を確認する。 やはり、紙片が残されていた。内容を確認する。 『今日の放課後、誰もいなくなったら、あたしの教室で。』 放課後、いつもの部室。三人しかいない最近の風景。時折朝比奈みくるがお茶のお替りを淹れる以外、誰も何も言わない。わたしがパタンと本を閉じると、皆は帰り支度を始める。これだけが、あの日以前から変わらないこの部室の風景。 彼らには、涼宮ハルヒからの呼び出しのことは伝えていない。涼宮ハルヒは他の団員と接触を絶つなか、芝居を打ってまでわたしに接触してきた。その行為の意味を推測し、わたしが単独で接触するのが妥当と判断した。 わたしは皆と別れ部室を出ると、涼宮ハルヒが待つ教室へと向かった。教室の扉を開ける。涼宮ハルヒは自席に座っていた。 「あ……」 涼宮ハルヒはわたしの姿を見ると、安堵した表情になる。しかしすぐに真剣な顔で辺りをキョロキョロと見回す。 「この教室の近辺に人はいなかった。ネットワーク上の書き込みを分析すると、最近この学校がセキュリティを強化したため、彼らは校内には一切立ち入れない。ここは安全。」 そこまで言うと、ようやく涼宮ハルヒは本当に安堵した。 「ふぅ~。あ、有希、早(はよ)こっち来て座って。」 自分の前の席を指して言う。わたしは肯くと、念のため教室の扉の鍵を情報改変した。これでこの教室は、内側からしか扉を開けられない。 「いつどこで誰に見られてるか分からへんから、なかなかみんなに近付かれへんかって。今朝、何とか有希にメモを渡せて良かった。気付いてくれへんかったらどうしようか思(おも)たわ。」 【いつどこで誰に見られてるか分からないから、なかなかみんなに近付けなくて。今朝、何とか有希にメモを渡せて良かった。気付いてくれなかったらどうしようかと思ったわ。】 わたしは涼宮ハルヒの顔を見ながら、無言で頷いた。 「さて……わざわざ呼び出したんは他でもない。あんたに見てほしいもんがあんねん。」 【さて……わざわざ呼び出したのは他でもない。あんたに見てほしいものがあるの。】 そう言うと涼宮ハルヒは、鞄から封筒を取り出してわたしに手渡した。 「読んでみて。」 わたしは封筒の中身を取り出す。中には便箋が入っていて、達筆だが読みやすい丁寧な字がしたためられていた。わたしはその手紙を読んだ。 前略 二度と近付かないという約束を破っての、突然の手紙で失礼いたします。これだけはどうしても伝えなければならないと思い、筆を執りました。 先日は、あのように大変失礼な行動であなたに多大な迷惑を掛けてしまいました。真に申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます。 当時はそのような立場に置かれた時、どれだけ不愉快な思いをするか全く感じることができませんでした。現在、私は同じような立場に置かれ、あの時私があなたにしたことと同じようなことをされています。そのような状況になって初めて、あの時あなたがどのような気持ちでいたか思い至ることができました。 今に至るまで人の痛みを知らず気付かなかった、己の不明を深く恥じます。 いくら言葉を重ねても謝罪には程遠いこととは存じますが、せめてもの誠意をと思い、こうして手紙という形でお伝えさせていただきました。今後は二度とあなたの周囲に近付くことはしないと約束します。 このような手紙を見てあの時を思い出し、また不愉快な思いをさせてしまったかもしれません。重ねてお詫び申し上げます。真に申し訳ありませんでした。 草々 涼宮ハルヒ 「……どう……?」 涼宮ハルヒは、不安そうな顔でわたしを窺っている。 「あたし、こんな状況になって初めて、気ぃ付いたことがあんねん。」 【あたし、こんな状況になって初めて、気が付いたことがあるのよ。】 涼宮ハルヒは、当時は分からなかった少女Aの気持ちに、自分が同じような立場に置かれて初めて気付いたこと、今まで全く他人の気持ちを推し量ることを知らなかったことを少女Aに伝え、謝罪したいという。 しかし、先日の一件で会わないことを約束し、また自分もどのような顔で会えば良いのかわからないので、手紙という手段を使って謝罪の気持ちを伝えることにした。そして、謝罪の手紙を書くのは初めてのことなので、先方に失礼のないよう、わたしに内容を確かめてほしいと言ってきた。 「あたし、こんな真面目な手紙なんか書くん初めてやし、どんなこと書いたらええんか分からへんから……有希は物知りやし、いっつもいっぱい本読んどぉやろ? せやから……な? お願い。」 【あたし、こんな真面目な手紙なんか書くの初めてだし、どんなこと書いたら良いのか分からないから……有希は物知りだし、いつもいっぱい本を読んでるじゃない? だから……ね? お願い。】 わたしに、『心からの謝罪の手紙』の添削など、できるのだろうか? わたしは、何度も何度も手紙を読み返した。しばらくして、言う。 「問題ない、と思う。」 「ほんま!? 何か失礼なこととか、書いてへん? 書かなあかんこと書き忘れてへん?」 【ほんと!? 何か失礼なこととか、書いてない? 書かなきゃならないこと書き忘れてない?】 「あなたは自分の今の気持ちを彼女に伝え、謝罪したいと思った。この文面で気持ちは伝わると思う。」 そしてわたしは少し考え、こう付け足した。 「言葉だけで思いをすべて伝えるのは難しい。でも、たぶん大丈夫。」 涼宮ハルヒはしばらくわたしの顔を見て、そして肯いた。 「有希……ありがとう。」 涼宮ハルヒの目尻には、輝くものがあった。 「有希、ごめんやけど……ちょっと、あたしの話聞いてくれへんかな? こんなこと、人に話すようなこと違(ちゃ)うと思うんやけど、何か、誰かに聞いてほしい気分やねん……」 【有希、悪いけど……ちょっと、あたしの話聞いてくれないかな? こんなこと、人に話すようなことじゃないと思うんだけど、何か、誰かに聞いてほしい気分なのよ……】 「いい。」 「こんなこと、人に話すんは恥ずかしいんやけど……有希になら、話せるような気がして。」 【こんなこと、人に話すのは恥ずかしいんだけど……有希になら、話せるような気がして。】 「そう。」 そして涼宮ハルヒは、自分の生い立ち、誰も自分のわがままを止めなかったことを話し始めた。それは先日『彼』が推測した通りだった。 「それでな? あたしが何言(ゆ)うても、周りの人は何も言わへんねん。最初は、別に嫌やないんかなと思(おも)ててん。でも、だんだん、違うってことが分かった。みんな、あたしのこと本気で相手にしてへんかったんや。誰一人として。あたしはいつの間にか……一人ぼっちになっとった。」 【それでね? あたしが何を言っても、周りの人は何も言わないの。最初は、別に嫌じゃないのかなと思ってた。でも、だんだん、違うってことが分かった。みんな、あたしのこと本気で相手にしてなかったんだ。誰一人として。あたしはいつの間にか……一人ぼっちになってた。】 涼宮ハルヒは続ける。 「あたしは……えーと、こんなこと打ち明けるん、有希が初めてやで? せやからみんなには内緒にしといてや? ……一人で必死になって、真剣になって、でも周りの人は誰も相手にしてくれへんかって……寂しかった。」 【あたしは……えーと、こんなこと打ち明けるの、有希が初めてよ? だからみんなには内緒にしといてよ? ……一人で必死になって、真剣になって、でも周りの人は誰も相手にしてくれなくて……寂しかった。】 涼宮ハルヒは、今にも泣き出しそうな顔で、そう言った。 「『ちゃんとあたしを見て!』って叫びたかった。あたしが悪いことをしたら、ちゃんと叱ってほしかった。真剣にあたしと向き合ってほしかった。でも……誰も見てくれへんかった。寄って来るんは、『顔が可愛い』からってだけで電話で告白してくるような奴ぐらいやった。」 【『ちゃんとあたしを見て!』って叫びたかった。あたしが悪いことをしたら、ちゃんと叱ってほしかった。真剣にあたしと向き合ってほしかった。でも……誰も見てくれなかった。寄って来るのは、『顔が可愛い』からってだけで電話で告白してくるような奴ぐらいだった。】 涼宮ハルヒは切々と訴え続けた。普段の『SOS団団長』涼宮ハルヒの面影は全くない。そこにいるのは『自律進化の可能性』でも『時間断層の中心』でも『神のごとき存在』でもない。『人間』涼宮ハルヒ。一人の『少女』だった。 情報統合思念体は、『「彼」の動向に注意を払い、わたしが最善と考える行動を取る』ことを指示した。今この場に『彼』はいないが、もし『彼』がこの状況に置かれたらどのように行動するか、検討する。答えはすぐに出た。しかし、何かが足りない。検討を重ねる。そして、ある結論に達した。 『彼』が取るであろう行動を、『わたしらしく』実行すること。 わたしは立ち上がると、涼宮ハルヒのそばに寄った。 「……有希……?」 涼宮ハルヒは不安そうにわたしの顔を見つめる。 「このような時、わたしは掛けるべき自分の言葉を知らない。だから、ある歌の一部を引用する。適切な引用であるかは分からない。自分の言葉ではなく、借り物の言葉であることを許してほしい。」 そしてわたしはある歌の歌詞を朗読する。 『悲しみこらえて/ほほえむよりも/涙かれるまで/泣くほうがいい』 わたしは涼宮ハルヒの頭を優しく抱き締めて、言葉を続ける。 『人は悲しみが/多いほど/人には優しく/できるのだから』 恐らく『彼』なら、このような言葉を掛けると予想される。 「これがわたしがあなたへ『贈る言葉』。今のわたしにはこれしかできない。」 涼宮ハルヒは堰を切ったように、わたしの胸の中で声を上げて泣いていた。彼女の持つ熱がわたしの胸に伝わってくる。わたしの中に『何か』が湧き上がる。上手く言語化できない。いつかはこの『何か』の正体を理解し、言語化できるようになるのだろうか。 わたし達は暮れなずむ教室の光と影の中、ただじっと抱き合っていた。その時わたしには、『観察対象に影響を与えること』についての懸念は少しもなかった。あえて言えば、『観察対象の保全』に全力を挙げていたと言えるだろうか。 ……言い訳じみている。正直に告白する。その時わたしは、涼宮ハルヒの様子に『突き動かされた』。『彼』の行動をエミュレートしたはずだが、それはほとんどわたしという個体の制御できない行動だったかもしれない。その時わたしを突き動かしたものは、もう『感情』と呼んでも良いのかもしれない。とにかくわたしは、その時『彼女を抱き締めたい』と思い、同時にそうしていた。 もう、『エラー』と呼ぶのはやめることにする。真剣に、このわたしを突き動かした衝動について考察したい。情報統合思念体によって創られた、対有機生命体コンタクト用ヒューマノイド・インターフェイス、『人』ではないわたしにも『感情』が生まれるのかを。この時わたしは、感情の涙を流す機能がないことを残念に思っていた。 ……彼女の感情を、悲しみを、寂しさを、共有したかった。分かち合いたかった。 「うっ、ひくっ。うっ……」 わたし達以外誰もいない教室に、彼女の泣き声だけが遠く響く。わたしが今まで読んできた本の登場人物たちは、このような時、大抵相手が泣き止むまでそっと寄り添っていた。わたしもそれに従うことにする。 しばらくして、彼女は泣き止んだ。 「はぁ……何か、思いっきり泣いたらスっとしたわ。こんなに泣いたん、何年ぶりやろ? こんな弱いとこ、人に見せたなかったから……」 【はぁ……何か、思いっきり泣いたらスっとしたわ。こんなに泣いたの、何年ぶりかしら? こんな弱いとこ、人に見せたくなかったから……】 「……そう。」 「何でやろ、不思議やな……有希、あんたにだけは、あたしの弱いとこも見せられる気がしてん。……ありがとう、有希。」 【何でだろ、不思議だな……有希、あんたにだけは、あたしの弱いとこも見せられる気がしたの。……ありがとう、有希。】 「いい。わたしは、あなたがわたしをそうしても良い相手と認識していることを、嬉しく、思う。」 多分これは『わたし』という個体から発せられた素直な言葉だと思う。人間が己の弱みを見せても良いと判断する相手は、その個体にとって特別な存在なのだという。わたしは彼女にとって、特別な存在。恐らく、団長と団員という関係以上の。 「あーあー。な~んか、家に帰りたないな~」 【あーあー。な~んか、家に帰りたくないな~】 これは彼女の本心だろう。 「家に帰ったら、またあの変な奴らや変な電話の相手せなあかんのかと思うと、ほんま、憂鬱やわ~」 【家に帰ったら、またあの変な奴らや変な電話の相手しなきゃならないのかと思うと、ほんと、憂鬱だわ~】 彼女はわたしの顔を見つめ、ふっ、と表情を緩める。 「でも、何でか、反省はしてるけど、後悔はしてへんねん。今回のことで、あたしは只今不愉快街道まっしぐらやけど、おかげで、気付けたことがある。同じ立場にならんと、人の気持ちって分からんもんやね。今ならあたしは、あの子にどんな酷いことをしたか分かる。今回みたいな経験がなかったら、あたし、ずっと人の痛みが分からん人間やったと思う。今は確かに辛いけど、少しの間やと信じてるんや。ほら……」 【でも、なぜか、反省はしてるけど、後悔はしてないのよ。今回のことで、あたしは只今不愉快街道まっしぐらだけど、おかげで、気付けたことがある。同じ立場にならないと、人の気持ちって分からないものよね。今ならあたしは、あの子にどんな酷いことをしたか分かる。今回みたいな経験がなかったら、あたし、ずっと人の痛みが分からない人間だったと思う。今は確かに辛いけど、少しの間だと信じてるわ。ほら……】 彼女は人差し指を立て、片目を閉じながら言った。 「『人の噂も四十九日』、って言うやろ?」 【『人の噂も四十九日』、って言うでしょ?】 「……それを言うなら『七十五日』。」 彼女は酷く赤面した。 【挿入歌:海援隊『贈る言葉』,1979,ポリドール】 ←Report.03|目次|Report.05→
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/3303.html
https://w.atwiki.jp/yukipo/pages/11.html
https://w.atwiki.jp/yukipo/pages/17.html
https://w.atwiki.jp/yukipo/pages/18.html
https://w.atwiki.jp/yukipo/pages/24.html
https://w.atwiki.jp/yukipo/pages/9.html