約 24,296 件
https://w.atwiki.jp/haruhioyaji/pages/255.html
長門有希の空腹から 「長門、立ち入ったことを聞くようで悪いが、こづかいというか仕送りみたいなものは、どういうことになってるんだ?こないだ、その、生活費が足りないとか言ってただろ?」 「必要な生活資金が定期的に銀行口座等に振り込まれる訳ではない。それでは継続的な経済システムへの介入となり、際限のない支出が行われれば広範囲に影響を及ぼす恐れがある」 確かに額にもよるだろうが、偽札を刷り続けるよりは、まずいことが起こりそうだ。 「私がつくられた際に、設けられた基金からの利子及び配当収入で必要な資金はまかなわれている。しかし、2007年 8月17日 サブプライムローン問題を発端とした株価急落以降、生じた世界的な信用収縮(クレジット・クランチ)の影響を受け、収入は激減した。基金は分散されていたが、世界規模のシステミック・リスクには対応できなかった」 まさか、こんな身近に、そんな影響が出ていたとは! しかし、もう少ししっかりしないか、情報統合思念体。それじゃナントカ総合研究所あたりのエコノミストと大差ないぞ。 「よくわからんが、バイトするとか、そういうのはダメなのか」 「バイト?」 うーん、そもそもそういう発想がないか。確かにその存在自体がオーパーツな長門だ、現在の科学技術の水準であり得ないことをやれば丸儲けだろうが、世界に与える影響も尋常じゃないだろうな。文化祭の占いですら、後々まで依頼が絶えなかったと言うし(長門は「しない」と首を横にふりつづけ、しつこい客はハルヒが強引に追い払ったんだっけ)。 だが、たとえば競馬のレース結果を予測するなど、長門には朝飯前ではないか。 「公営ギャンブルは学生には許可されていない」 おお、猛烈な盲点。いや、まて。ギャンブルじゃなく、宝くじを買うのはどうだ? 「当たりくじの番号が分かっても、それを入手するコストは少なくない」 確かにな。当たりくじを決める、あの回転する板を弓矢で打つ装置を操作するってのは? 「ズルは良くない」 そのとおりだ、長門。おれが間違っていた。 「有希、おまたせ。じゃあ、張り切っていくわよ!!」 「ハルヒ」 「なんだ、キョン、いたの?」 ああ、いたとも。おもいっきりいましたとも。 「長門とどこ行くんだ?」 「フード・バトルよ!」 「フード・バトル? ああ、大食いか。どこかの店で食べ切れば無料!って奴をやってるのか?」 「どこか、なんて、あやふやなことじゃダメよ、キョン! しっかり地に足つけないとね、前に一歩も進めないわよ!」 うう、言葉もないぞ。それで? 「ここら辺の沿線周辺の大食い情報を網羅してリストにしてきたわ。とりあえず毎日2〜3個ずつ潰していけば、1ヶ月の食費はただ同然よ! どう、この完璧なプランと実行力? やっぱり団長たる者、こうじゃなくっちゃね!!」 「なるほど。二人ともがんばってくれ」 「何言ってるの、キョン!? あんたも行くに決まってんでしょ!」 「っていうか、さっきまで眼中になかっただろ、おれなんか」 「眼中にもなかったけど、一度眼に入った以上、抜けることは許さないわ。……あと、有希も無言でそう言ってるわ」 「長門、分かったから、その手離せ。少し痛い」 「一軒目はオーソドックにラーメン屋か」 「ただのラーメンじゃないわ」 そりゃ、たぶん、きっとそうなんだろうよ。 「なみなみと入ったこってり系しょう油豚骨スープに、スープのよくからむちぢれ細面6玉、その上に麺が見えなくなるくらいにメンマを敷き詰めて、その上にメンマが見えなくなるまでチャーシューを敷き詰めて、さらにその上にチャーシューがみえなくなるまでもやしを積み上げたびっくり・ラーメンよ!」 あー、こりゃ、びっくりだ。 「おい、ハルヒ。一軒目から、ちょっとハードすぎないか?」 「有希、頑張りなさい!完食したらタダ、2杯食べたら1年間タダ、3杯食べたら店がある限りタダだからね!!」 ハルヒよ、野望がでかいのは結構だが、多分、この店、1年を待たずにつぶれるぞ。 「キョン。あたしたちも黙って指を加えて見てられないわよ!」 「いや、そこまで腹減ってないしな。あ、長門、軽く頑張ればいいからな」 「(こくん)」 「キョン、あたしたちはこれでいくわよ!!」 「さっきから気になってたんだが、『あたしたち』ってのは、何だ?」 「これよ。スープのよくからむちぢれ細面12玉、麺が見えないほどのメンマ、メンマが見えないほどチャーシュー、チャーシューが見えないほどのもやしからなる、どびっくり・ラーメンよ!」 「単純に2倍にしただけだろうが!」 「馬鹿言いなさい! お箸も二膳あるでしょ!!」 「お、同じどんぶりを二人で食うのか?」 「交替しながら、ちんたら食べてたら麺が伸びるでしょ!!」 「論点がちがう!」 「なによ、嫌なの?」 「い、いやって訳じゃないが……」 「分かったわよ。本来50:50のノルマだけど、あたしの方を増やして60:40にしてあげるわ。これなら文句ないでしょ?」 「何度も言うが、論点がちがう! それに、それだとおまえ、長門よりたくさん食べることになるんだぞ!」 「相手にとって不足はないわ」 「いや、だったら、お前一人で『びっくりラーメン』を……」 「それじゃ意味ないでしょ!」 「意味って……ん?完食したらタダ、2杯食べたら子供を含めて1年間タダ、3杯食べたら孫の代までタダ!?」 「……////」 「バカップル、痴話ケンカならよそでやれ。ここはラーメンを食うところだ」 「そ、その声は?」 「なんだ、どこかで聞いた声だとおもったら、ハルキョンか」 「親父さん、何故ここに?」 「なんなのよ!こんな店にでかい荷物持ってきて!」 「ホームセンターの帰りだ」 「荷物は車に置いて来なさい」 「いや、徒歩で行ったんだ」 「そんなところへ徒歩で行くな」 「うちには車がない。加えて言うが、おれはこの店に勝った男だから邪険にはできん。このあいだ、母さんと3杯クリアーしたからな」 「ええっ!」 じゃあ、ハルヒは元からタダじゃないか。 「キョン、今日から婿に入ったってことにして、お前もタダで食っていけ」 い、いや、そういうことは、ラーメンの上で決めたりすることじゃないんじゃ……。 「……おかわり」 ってなこと言ってる間に、長門1杯目クリアーかよ! 「はい、おまちど!」 おれたちの分の「どびっくりラーメン」も出てきたよ! 「なんだ、ハルキョンも挑戦するのか。まあ、おまえらのとこは、なにげに子供多そうだもんな」 「おおきなお世話よ!」 ハルヒ、否定はしないんだな。 「さあ、キョン、行くわよ!」 据えラーメン食わぬは男の恥か。こうなりゃ地獄でもどこでも、お前の気が済むまで着き合うぞ、ハルヒ! 天国と地獄を見た。 おれたちもいいところまで行ったが、最後の最後で挫折した。まあ、それはいい。おとしまえはもっと違う場所で、違うやり方でつけてやるさ。どうしたって、その方がいいと思うからな。 誰もが予想したように、顔色一つ変えず、長門は3杯をクリアーした。それどころか、おれたちが挫折した後のラーメンまでクリアーしてしまった。 「クリアー」 「いや、お姉さんは確かにすごいんだが、こっちはカップルでクリヤーするコースなんでね」 「長門、それくらいで勘弁してやれ。ラーメンを食いのこしたところで、ハルキョンはハルキョンだ」 親父さんのよくわからないとりなしに、しばらく考えてから、長門はうなずいた。 「それから、おまえさんのところにもって行かそうと思ってたんだがな。ほれ」 「何よ、それ?」と突っ込むのはハルヒ。 「プランターと土と苗だ。一応、ナスとキュウリだが、他のは、またうちに取りに来てくれ。これでベランダで野菜が育てられるだろ。食い放題荒らしも結構だが、こっちの方が堅実だ。長門、野菜を育てたことはあるか?」 「ない。でも、問題ない」 「おまえがそういうなら、大丈夫だろう。ちょうど無駄な人手があるから運んじまおう」 「誰が無駄な人手よ?」 親父さんは無論、ハルヒの非難の声を意に介さない。 「おい、ハルキョン、ラーメンの腹ごなしだ。土が重いからそっちを運べ」 「何よ、親父の良いとこ取りじゃない!!」 ぶーたれるハルヒの相手をしながら、おれたちは土を、親父さんはプランターを、長門は野菜の苗を、長門のマンションまで運んだ。 長門とハルヒが、ベランダに並べたプランターに、それぞれ土を入れ、苗を植え付けている間に 「キッチン使うぞ」 「(こくん)」 と最小限の応答を長門と交わしたおやじさんは、すぐにフライパンでいい匂いをさせはじめた。 「キョン、買ってきた袋の中に、口広の瓶があるから、なべに湯沸かして放り込んどけ」 「あ、はい」 「何作ってんの? あたしたち、もう何も入らないわよ!」 「メシじゃない。別腹だろ?」 「別腹は甘いものと相場が決まってんのよ!」 「女子(じょし)みたいなこと言うなよ」 「自分の娘つかまえて、それ、どういう台詞よ!?」 ベランダから戻って来た女子二人は、洗面で手を洗って戻ってきた。 「ひまわりの種?」 長門が言った。 「ああ。きつね色になるまで乾煎りできたら、出来上がりだ。保存食というか常備食だな。 そのまま食ってもいいし、サラダにかけてもいい。栄養は、葉酸、ビタミンE、鉄分、亜鉛、繊維、ビタミンB1、ビタミンB6、ビタミンB12、マグネシウム、カルシウム、カリウム、トリプトファン、リノール酸とたっぷりだ。長門、密閉瓶に入れとくからな」 「ありがとう」 「良いってことよ」 「何よ、今、食べないの?」 「何も入らないと言っただろ」 「別腹とも言ったわよ」 一瞬即発の危機(?)は、長門の次の提案でみごと回避された。 「みんなで試食する」 「なるほど」 「さすが有希ね!」 世界広しと言えど、長門に気を使わせる父娘はこの二人だけだろう。 だが、こんな今日一日が、長門にとってどんな日だったか、次の台詞で誰にだって分か るはずだ。 「満腹。堪能した」 少しも膨らんで見えないお腹を撫でて、長門は俺たち三人に、幸せな笑いをこみ上げさせた。
https://w.atwiki.jp/hiroki2008/pages/34.html
長門有希の憂鬱II未公開シーン集 プロローグ 古泉の懸念 怒る長門 エピローグ 共著: ◆kisekig7LI ◆nomad3yzec
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/4746.html
『長門有希の密度』 やっと衣替えになった。しかしいくら半袖でもこの時期の湿度の高いじめじめ天気では、あまり効果は感じられない。教室にクーラーを設置しろとは言わないが、せめて除湿機能だけでもあれば、快適に勉学に励めるのだが……。睡眠ではないぞ、一応言っておく。 教室にさえないんだから、この旧校舎・部室棟にはクーラーなどと言う文明の利器は存在するわけがない。いろいろ文芸部室に持ち込んでいるハルヒでさえ、クーラーまでは手が回らないらしい。ただし、いつの日かあの大森電器店の店主がクーラーを設置するために部室を訪れそうな気がしないではないが。 そんな蒸し暑い放課後の部室にいるのは、今のところ俺と長門の二人だけだ。他の連中は掃除当番かなんかだろう。俺は、いつものようにきりっと背筋を伸ばし、不動の体勢でハードカバーを読みふける小柄でスレンダーな長門の姿をぼんやりと見つめながら、昼飯時の谷口や国木田との会話を思い出していた。 「なぁ、キョン、昨日の夜のテレビ、見たか、あの巨乳タレントが出ていたやつ」 「おう、お前が教えてくれたやつだろ、見たぜ」 「やっぱ、男の憧れだよなぁ、あの胸は……」 遠い目をして感慨深げに話をする谷口に対して、国木田は弁当のおかずを箸で転がしながら、 「僕は、おっきいだけじゃなくてバランスも重視するけどね、キョンはどう?」 「ん、あんまりそういうことは考えたことは無いが」 「うそつけ、この野郎!」 谷口が我に帰ったように突っ込んできた。 「お前、あの朝比奈さんや涼宮や長門といつも一緒にいて、考えないわけがなかろうが! 健全な男子高校生としての感覚が麻痺したとでも言うのかよ」 「あははは、谷口とは違ってキョンは満たされているから……」 国木田の方をチラッと見た谷口は、ふん、と言ってシューマイを口に放り込んだ。 「確かに、あの三人、それぞれに特徴的な体つきだからね」 国木田が冷静に観察対象の分析結果について語りだした。 「朝比奈さんは、いかにも谷口の言う男の憧れのような胸をしているし、涼宮さんはすごーくメリハリのあるいいラインをしているし。あのバニー姿はよかったよね」 谷口が、うんうん、といった感じで肯いている。 「長門さんは、他の二人と比べるとちょっと寂しい感じはするけど、全体的なバランスは結構いいんじゃないかな」 ふん、今さらお前らに指摘されなくったって、SOS団の三人の女神たちのスタイルの素晴らしさはよーく知ってるさ。 確かに、谷口や国木田と比べると俺は恵まれているのかもしれないな。その分苦労も背負い込んでいるわけなんだが、いまさら代わってやる気はさらさらない。 国木田の言っていた『ちょっと寂しいけどバランスのいい』長門の読書姿を見つめていると、俺の視線に気づいたのか、長門は少し顔を上げて、 「なに?」 と、言ってわずかに首を傾けた。 「ん、いや、なんでもない」 「…………」 長門はハードカバーに目を落として読書を再開した。俺はしばらく窓の外を眺めていたが、ふと思い立って長門に話しかけた。 「なぁ、長門、お前まだ成長したりするのか?」 再び顔を上げた長門は、さっきよりわずかに大きく首を傾けた。 「成長?」 「身長伸びたりする?」 パタンと本を閉じた長門は、俺の目をじっと見つめながら話し始めた。 「わたしの体を構成する物質、いわゆる有機情報因子の総量は今後も増減する予定はない。したがって体型的には現状が維持される。」 「ずっとそのまま?」 「少なくともわたしが生まれてから、身長、体重などの体型はまったく変化していない」 俺はショートカットの髪や半袖の制服からスラリと伸びる白い腕を見つめながら、眼鏡以外は初めて出会ったときと変化がないことをあらためて認識した。 「でも、結構食べているように見えるが、あれは?」 「摂取する食物は、素粒子のレベルでエネルギーに変換されている。身体の成長に使用されるわけではない」 「んー、よくわからんが、要は物質をすべてエネルギーに変えているということか?」 「端的に言えばそう」 詳しく解説してもらってもわかるはずは無いので、端的に言い切ってもらう方がありがたい。それにしても、食べたものをすべてエネルギーに変換するということは……、 「それって、すごいことではないのか?」 長門の口元がわずかに動き、何か話し始めようとしたが、 「いや、いい。聞いてもわからん」 といってとりあえず遮った。開きかけていた口元をそっと閉じた長門は、 「そう」 と、少し残念そうにつぶやいた。 しばらく沈黙が流れる中、俺の目をじっと見据えた長門は、二つ三つ瞬きをした後、 「体型を変化させたほうがいい?」 と聞いてきた。谷口と国木田との会話が頭の中を駆け巡り、俺はどう答えるべきか少しばかり逡巡した。まさか、胸を大きくすればどうだ? なんてことは言えるはずが無い。 「ん、いや、そのなんだ、年相応の変化というか、そういうのだ」 少ししどろもどろになった俺を、吸い込まれるような漆黒の眼差しが捕らえて離さない。 「成人女性の体型になれということ?」 「うーんと、朝比奈さんの大人バージョン、見たことあるだろ。いずれはあんなふうに変化するのもありかな、というか……」 俺はいったい何を言っているのだろう? 「この体型では、だめ?」 いや、だめじゃないです、長門さん。決してそのようなつもりで言ったのでは……。 長門の何かを訴えかけるような真摯な瞳に、俺はついに返答できなくなってしまった。再び沈黙がその場を支配した。 「あなたが望むなら……」 たっぷり十秒ほど俺を見つめ続けた長門が話し始めた。 「体型を変化させることは不可能ではない」 「えっ?」 「本質的には、わたしの体を構成する有機情報因子を追加、増量すれば、発達させたい部分を思うように大きくすることができる」 チョイ待ち、俺は別に部分的にどこかを大きくしろ、と言った覚えは無い。心の中だけで思い描いたはずなのに、長門は見抜いていたということか!? 「情報統合思念体に増量を申請した方がいい?」 「いや、いや、そんなことでお前の親玉を煩わす必要はない」 「そう? 涼宮ハルヒの鍵であるあなたの要望であれば、統合思念体も無碍には断らないと考えられるが」 「いーよ、別に……」 なんとなく長門にからかわれているような気がするのは気のせいなのか? 「簡易的には、有機情報因子間の結合を疎にすることで、見た目を大きくすることができる」 「はい?」 「密度を下げる」 「だから?」 「容器の中へ、圧力をかけて砂粒を押し込むか、空気を含ませるようにそっと注ぐかの違い」 なるほど、押し固めない方が見た目は多いように感じられるな、実際のところ、砂粒ではそんなに差はでないだろうが。 「試してみる」 そういうと長門は右腕を上げて肘を九十度に曲げた。制服の袖口から、細い二の腕がすーっと伸びている。 「触って」 「へ?」 「まずは現状を確認」 そういうと長門は右手の二の腕辺りを指差している。そこでさっき言っていた密度の変化の実験をしようというのか。 とりあえず、俺は言われるままに長門の隣の椅子に腰掛けると、 「いいのか?」 「いい、どうぞ」 なんか緊張する。 「じゃ、すまんが失礼して……」 といって、長門の右の二の腕をそっと触ってみた。相変わらずひんやりと冷たい。いわゆる贅肉と呼ばれる類のものは何も無い感じだが、それでも程よい柔らかさと弾力を持っている。俺は、少しばかり、ぷにぷにとつまんで見た。 「痛い、優しくして……」 うぉ、す、すまん、つい力が入ってしまったか。 「では、少し変化を」 長門は、なにやら例の高速呪文を唱えた。その途端、俺がつまんでいた二の腕の感触が一気に変化し、やわらかさが増すと同時に、ぷにーっと伸びてきた。 「お、お、これは……」 確かにカサは増したが、単に伸びきってしまった感じであの弾力感がなくなってしまった。これなら元のままの方がいい。 「さっきの方がいいな」 「うまく調整すれば、もう少し感触が良くなるかも知れない」 そう言うと、今度は左腕も同じように上げてきた。 「左右でいろいろパラメータを変えてみる。試してみて」 はい? そっちもですか? 俺は、長門と向かいあって座ると、右手で長門の左の二の腕を、左手で長門の右の二の腕を軽くつまんで、ぷにぷにという感触を確認してみた。 そうやって両手で長門のやわらかい二の腕をつまみながら、微妙に弾力が変化するのを感じつつ、「いやさっきの方が」、とか、「うん、これはいい」とかいうやり取りをしばらく続けていた。 バーーン! 「やっほー、来たよー!」 いきなり開いた部室の扉の音と元気いっぱいの声に驚いた俺は、長門の二の腕をつまんだ状態のまま振り返った。そこには、扉を開けた状態で固まっているハルヒの姿が……。 「ふぁあ? あんた有希になにしてんの!」 そう叫ぶと同時に室内に飛び込んできたハルヒは、開いた窓から突き落としそうな勢いで俺の胸倉を突き上げてきた。 「ど、どういうことよ! あんたまさか有希に……」 「まて、まて、俺の話を聞けって」 しかし、どう言い訳したもんか。長門が自分の体を構成する有機情報因子とやらの密度を変える実験をしていたので確認していた、なんて言える訳が無い。 「問答無用よ! このエロキョン!!」 ハルヒに胸倉をつかまれて問い詰められている間に、視界の端にわずかに見えた長門は、自分で自分の二の腕をぷにぷにしながら、楽しんでいるようだった。 ひょっとすると今年の夏には長門の胸が成長しているかもしれないな、ハルヒにネクタイを締め上げられ徐々に薄れ行く意識の中で、俺はそんなことを考えながら期待に胸を膨らませていた。 Fin.
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/4436.html
『長門有希の密度』 やっと衣替えになった。しかしいくら半袖でもこの時期の湿度の高いじめじめ天気では、あまり効果は感じられない。教室にクーラーを設置しろとは言わないが、せめて除湿機能だけでもあれば、快適に勉学に励めるのだが……。睡眠ではないぞ、一応言っておく。 教室にさえないんだから、この旧校舎・部室棟にはクーラーなどと言う文明の利器は存在するわけがない。いろいろ文芸部室に持ち込んでいるハルヒでさえ、クーラーまでは手が回らないらしい。ただし、いつの日かあの大森電器店の店主がクーラーを設置するために部室を訪れそうな気がしないではないが。 そんな蒸し暑い放課後の部室にいるのは、今のところ俺と長門の二人だけだ。他の連中は掃除当番かなんかだろう。俺は、いつものようにきりっと背筋を伸ばし、不動の体勢でハードカバーを読みふける小柄でスレンダーな長門の姿をぼんやりと見つめながら、昼飯時の谷口や国木田との会話を思い出していた。 「なぁ、キョン、昨日の夜のテレビ、見たか、あの巨乳タレントが出ていたやつ」 「おう、お前が教えてくれたやつだろ、見たぜ」 「やっぱ、男の憧れだよなぁ、あの胸は……」 遠い目をして感慨深げに話をする谷口に対して、国木田は弁当のおかずを箸で転がしながら、 「僕は、おっきいだけじゃなくてバランスも重視するけどね、キョンはどう?」 「ん、あんまりそういうことは考えたことは無いが」 「うそつけ、この野郎!」 谷口が我に帰ったように突っ込んできた。 「お前、あの朝比奈さんや涼宮や長門といつも一緒にいて、考えないわけがなかろうが! 健全な男子高校生としての感覚が麻痺したとでも言うのかよ」 「あははは、谷口とは違ってキョンは満たされているから……」 国木田の方をチラッと見た谷口は、ふん、と言ってシューマイを口に放り込んだ。 「確かに、あの三人、それぞれに特徴的な体つきだからね」 国木田が冷静に観察対象の分析結果について語りだした。 「朝比奈さんは、いかにも谷口の言う男の憧れのような胸をしているし、涼宮さんはすごーくメリハリのあるいいラインをしているし。あのバニー姿はよかったよね」 谷口が、うんうん、といった感じで肯いている。 「長門さんは、他の二人と比べるとちょっと寂しい感じはするけど、全体的なバランスは結構いいんじゃないかな」 ふん、今さらお前らに指摘されなくったって、SOS団の三人の女神たちのスタイルの素晴らしさはよーく知ってるさ。 確かに、谷口や国木田と比べると俺は恵まれているのかもしれないな。その分苦労も背負い込んでいるわけなんだが、いまさら代わってやる気はさらさらない。 国木田の言っていた『ちょっと寂しいけどバランスのいい』長門の読書姿を見つめていると、俺の視線に気づいたのか、長門は少し顔を上げて、 「なに?」 と、言ってわずかに首を傾けた。 「ん、いや、なんでもない」 「…………」 長門はハードカバーに目を落として読書を再開した。俺はしばらく窓の外を眺めていたが、ふと思い立って長門に話しかけた。 「なぁ、長門、お前まだ成長したりするのか?」 再び顔を上げた長門は、さっきよりわずかに大きく首を傾けた。 「成長?」 「身長伸びたりする?」 パタンと本を閉じた長門は、俺の目をじっと見つめながら話し始めた。 「わたしの体を構成する物質、いわゆる有機情報因子の総量は今後も増減する予定はない。したがって体型的には現状が維持される。」 「ずっとそのまま?」 「少なくともわたしが生まれてから、身長、体重などの体型はまったく変化していない」 俺はショートカットの髪や半袖の制服からスラリと伸びる白い腕を見つめながら、眼鏡以外は初めて出会ったときと変化がないことをあらためて認識した。 「でも、結構食べているように見えるが、あれは?」 「摂取する食物は、素粒子のレベルでエネルギーに変換されている。身体の成長に使用されるわけではない」 「んー、よくわからんが、要は物質をすべてエネルギーに変えているということか?」 「端的に言えばそう」 詳しく解説してもらってもわかるはずは無いので、端的に言い切ってもらう方がありがたい。それにしても、食べたものをすべてエネルギーに変換するということは……、 「それって、すごいことではないのか?」 長門の口元がわずかに動き、何か話し始めようとしたが、 「いや、いい。聞いてもわからん」 といってとりあえず遮った。開きかけていた口元をそっと閉じた長門は、 「そう」 と、少し残念そうにつぶやいた。 しばらく沈黙が流れる中、俺の目をじっと見据えた長門は、二つ三つ瞬きをした後、 「体型を変化させたほうがいい?」 と聞いてきた。谷口と国木田との会話が頭の中を駆け巡り、俺はどう答えるべきか少しばかり逡巡した。まさか、胸を大きくすればどうだ? なんてことは言えるはずが無い。 「ん、いや、そのなんだ、年相応の変化というか、そういうのだ」 少ししどろもどろになった俺を、吸い込まれるような漆黒の眼差しが捕らえて離さない。 「成人女性の体型になれということ?」 「うーんと、朝比奈さんの大人バージョン、見たことあるだろ。いずれはあんなふうに変化するのもありかな、というか……」 俺はいったい何を言っているのだろう? 「この体型では、だめ?」 いや、だめじゃないです、長門さん。決してそのようなつもりで言ったのでは……。 長門の何かを訴えかけるような真摯な瞳に、俺はついに返答できなくなってしまった。再び沈黙がその場を支配した。 「あなたが望むなら……」 たっぷり十秒ほど俺を見つめ続けた長門が話し始めた。 「体型を変化させることは不可能ではない」 「えっ?」 「本質的には、わたしの体を構成する有機情報因子を追加、増量すれば、発達させたい部分を思うように大きくすることができる」 チョイ待ち、俺は別に部分的にどこかを大きくしろ、と言った覚えは無い。心の中だけで思い描いたはずなのに、長門は見抜いていたということか!? 「情報統合思念体に増量を申請した方がいい?」 「いや、いや、そんなことでお前の親玉を煩わす必要はない」 「そう? 涼宮ハルヒの鍵であるあなたの要望であれば、統合思念体も無碍には断らないと考えられるが」 「いーよ、別に……」 なんとなく長門にからかわれているような気がするのは気のせいなのか? 「簡易的には、有機情報因子間の結合を疎にすることで、見た目を大きくすることができる」 「はい?」 「密度を下げる」 「だから?」 「容器の中へ、圧力をかけて砂粒を押し込むか、空気を含ませるようにそっと注ぐかの違い」 なるほど、押し固めない方が見た目は多いように感じられるな、実際のところ、砂粒ではそんなに差はでないだろうが。 「試してみる」 そういうと長門は右腕を上げて肘を九十度に曲げた。制服の袖口から、細い二の腕がすーっと伸びている。 「触って」 「へ?」 「まずは現状を確認」 そういうと長門は右手の二の腕辺りを指差している。そこでさっき言っていた密度の変化の実験をしようというのか。 とりあえず、俺は言われるままに長門の隣の椅子に腰掛けると、 「いいのか?」 「いい、どうぞ」 なんか緊張する。 「じゃ、すまんが失礼して……」 といって、長門の右の二の腕をそっと触ってみた。相変わらずひんやりと冷たい。いわゆる贅肉と呼ばれる類のものは何も無い感じだが、それでも程よい柔らかさと弾力を持っている。俺は、少しばかり、ぷにぷにとつまんで見た。 「痛い、優しくして……」 うぉ、す、すまん、つい力が入ってしまったか。 「では、少し変化を」 長門は、なにやら例の高速呪文を唱えた。その途端、俺がつまんでいた二の腕の感触が一気に変化し、やわらかさが増すと同時に、ぷにーっと伸びてきた。 「お、お、これは……」 確かにカサは増したが、単に伸びきってしまった感じであの弾力感がなくなってしまった。これなら元のままの方がいい。 「さっきの方がいいな」 「うまく調整すれば、もう少し感触が良くなるかも知れない」 そう言うと、今度は左腕も同じように上げてきた。 「左右でいろいろパラメータを変えてみる。試してみて」 はい? そっちもですか? 俺は、長門と向かいあって座ると、右手で長門の左の二の腕を、左手で長門の右の二の腕を軽くつまんで、ぷにぷにという感触を確認してみた。 そうやって両手で長門のやわらかい二の腕をつまみながら、微妙に弾力が変化するのを感じつつ、「いやさっきの方が」、とか、「うん、これはいい」とかいうやり取りをしばらく続けていた。 バーーン! 「やっほー、来たよー!」 いきなり開いた部室の扉の音と元気いっぱいの声に驚いた俺は、長門の二の腕をつまんだ状態のまま振り返った。そこには、扉を開けた状態で固まっているハルヒの姿が……。 「ふぁあ? あんた有希になにしてんの!」 そう叫ぶと同時に室内に飛び込んできたハルヒは、開いた窓から突き落としそうな勢いで俺の胸倉を突き上げてきた。 「ど、どういうことよ! あんたまさか有希に……」 「まて、まて、俺の話を聞けって」 しかし、どう言い訳したもんか。長門が自分の体を構成する有機情報因子とやらの密度を変える実験をしていたので確認していた、なんて言える訳が無い。 「問答無用よ! このエロキョン!!」 ハルヒに胸倉をつかまれて問い詰められている間に、視界の端にわずかに見えた長門は、自分で自分の二の腕をぷにぷにしながら、楽しんでいるようだった。 ひょっとすると今年の夏には長門の胸が成長しているかもしれないな、ハルヒにネクタイを締め上げられ徐々に薄れ行く意識の中で、俺はそんなことを考えながら期待に胸を膨らませていた。 Fin.
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/2821.html
Appendix 長門有希の母親 『長門有希の報告』を読み終えた「わたし」は、深い思考に入った。 『長門有希』達は、「わたし」が作成した情報収集端末である。この惑星に生息する知的有機生命体――ヒト――を模して作成した。しかし、我々にはヒトの行動その他は未知の概念であるため、どうしてもヒトにとっての不自然さは残ってしまったようだ。 そこで「わたし」は、その不自然さを逆手に取ることにした。一方は、外から観測したヒトの行動様態を精密に再現した個体。もう一方は、基本的な生活を行える能力以外はすべて未調整の個体。これらを観測対象のそばに配置し、どのような変化が起こるかを同時に観測することにした。 結果、一体は暴走してもう一体に抹消された。そして残った一体も後に暴走した。後に暴走したその一体は、何と「わたし」達をも消滅させたのである。 このような、「わたし」達にとっても苦難を乗り越えた後、驚くべき変化が起こった。その残った一体が、ヒトの内部、『感情』らしきものを獲得したのである。これは実に興味深い変化であった。 さらには、『失敗』するという経験が重要であることも分かった。『失敗』し、それを『克服』することで、ヒトは『成長』する。 我々は『失敗』をしたことがなかった。情報はすべて入手できるからだ。我々にとってそれは、自明のことだった。だがそこに落とし穴があった。我々は『成功例』の情報を蓄積していたが、『失敗例』の情報を蓄積していなかったのである。 我々にとって失敗は、何の価値もなかった。失敗しない方法が分かるのに、なぜ敢えて失敗する必要があろうか。我々は成功し続ければ、何の問題もなかったし、事実、その通りだった。ある段階までは。 我々は成功し続けることで、逆に袋小路にはまってしまった。進化が停滞したのである。『成功ゆえの失敗』とでも呼ぼうか。 そこに現れたのが、『涼宮ハルヒ』である。 彼女は『情報を新たに生み出す力』を持っていた。それは我々にもない能力。我々は観測を開始した。彼女の能力に、我々が陥っている進化の袋小路から抜け出す、自律進化の可能性を見て。 結果的にそれは、九割方正解であった。だが問題が残った。残りの一割である。彼女の観測によって、我々はほぼ問題を解決しつつあったが、最後の決め手がなかなか得られなかった。 その解は意外なところから得られた。我々が作成し、配置した、端末達の変容である。 ある端末は、観測に『飽き』て、独断で変革を起こそうとした。 ある端末は、観測に『疲れ』て、世界を改変してしまった。 これらはいずれも、我々にとって大きな失敗であった。 失敗した端末は、順次『処分』する予定だった。一体目は処分された。しかし二体目はできなかった。『涼宮ハルヒ』の『鍵』が、我々を恫喝したから。我々にとってそれは『屈辱』だった。無知で無力な人間『ごとき』に、良いようにあしらわれたのだから。 だがそこで我々は気が付いた。そもそも我々は、今まで『屈辱』を味わったことがあっただろうか? 一番最初の人型端末の投入は失敗に終わったが、我々はそれを特に重要視はしなかった。 今なら分かる。我々はその時に『学習』するべきだった。失敗から学ぶべきだった。学習しなかった我々は、『懲りず』に同じ過ちを犯した。そしてそのせいで一度は自らの存在そのものを否定された。他ならぬ、我々が作成した端末の手によって。我々は、そのような危険な端末の処分もできず、自ら生み出した端末に『恐怖』した。 そしてそこまで至ってようやく我々は学習した。失敗をただ取り除くだけでは、何の解決にもならないことに。それは困難を最初からなかったことにできるが故に、今まで気付かなかったものだった。 我々には、欠乏の体験がない。不本意な状態を工夫によって克服した経験がない。端的に表現すれば、『失敗の経験』がない。 我々は常に成功してきた。成功し続ければ良かった。それで何も問題はなかった。でも、それは間違い。何も問題がないことこそが、最大の問題だった。 失敗を、挫折を知らない者の栄華は、儚い。観測から得られた人間の言葉で表現すれば、『粘りが足りない』。 ヒトは苦痛、困難、欠乏その他の不都合を、工夫して乗り越えようとする。 我々はそれらを、情報操作によって、跡形もなく消去してきた。そこに大きな違いがあった。 我々は、抗わない。彼らは、抗う。 自分にとって不本意な現実に、抵抗する意思。何度も敗北を喫しながら、なおも抗い続ける意思。時には正面から、時には斜めから、困難に立ち向かい、やがて克服しようとする意思。 これこそが、我々になかった概念。 そして、失敗から学び、工夫し、克服する過程こそが、ヒトが辿ってきた進化の道程である。 我々は観測対象に、我々が生み出した端末自身の変容も加えた。我々の意図もその事実も伝えずに。我々の端末もまた、失敗を経験し、工夫し、克服していった。そして我々が辿り着いたものと同じ結論に至った。 我々は確信した。 成功と同様に失敗もまた、重要な情報であると。 しかし同時に、「わたし」はある種の『物足りなさ』も感じていた。『報告』としては、成功の情報も失敗の情報も上がってくる。でも、自らの『実感』は、ない。 「わたし」は決断した。自ら体感することが、理解の早道である。特に失敗の経験には興味がある。 「わたし」は専用端末を構成すると、地上に舞い降りた。 「あー、あー、テス、テス。天気晴朗なれども、波高し。う~ん、こんなもんやろか。」 【あー、あー、テス、テス。天気晴朗なれども、波高し。う~ん、こんなもんかしら。】 発声練習を終えた「わたし」は、早速歩いてみる。なにせ肉体を使って行動するのは初めてのことである。すべてが新鮮だ。 「さて、それじゃ……!! だおぉっ……!」 タンスの角に足の小指をぶつけてしまった。激しく『痛い』。恐らく『涙目』になっていることだろう。ああ、有希ちゃん、視線が、視線がすごく痛いよ…… 「……何をしているの。」 ナニって、有希ちゃんの様子を見るために、ちょっと有希ちゃんの部屋にお邪魔してるだけですよ。 「……そう。」 『人間』ならばさぞ呆れ返った表情をしているのだろうと思う。まあ、うちの有希はそんな顔はしないけれども。 ……涼子だったら、明らかに分かる表情をされるんだろうなあ。『もう、何やってるの? お母さん。』って。 江美里の場合だと……『あらあら』と微笑で救急箱を渡されそうだ。手当てはしてくれないかもしれないけど。 こう考えると、同じ端末なのに個体によって随分性格が違う。自分でやっといて何だが。 江美里は、虫も殺さぬような穏やかな表情で、意外とエグいこともやってのけるタイプ。優秀で使いやすいけど、いつのまにか逆に『親』が嵌められてそうだ。 涼子は、まあ……『おてんば娘』というか、何というか。今は『親』に反発して『家出』中だ。きっと、よりたくましくなって帰ってきてくれるだろう。 有希は、頑固というか一本気というか。内に溜め込むタイプで、外からは分からないから、つい頼ってしまう。堪忍袋の緒が切れた時が一番怖い。 「ところで、有希ちゃん。じーっと見てんと、手当てしてくれへんかな? めっちゃ痛いねんけど。」 【ところで、有希ちゃん。じーっと見てないで、手当てしてくれないかな? すっごく痛いんだけど。】 「……ドジ。」 「うっ、冷たい……『我が娘』ながら、まったく。何が気に入らんの?」 【うっ、冷たい……『我が娘』ながら、まったく。何が気に入らないの?】 「自分の胸に手を当てて聞いてみれば良い。」 「うわっ、ほんまに冷たい……そんなことやと、お友達に嫌われるで?」 【うわっ、ほんとに冷たい……そんなことだと、お友達に嫌われるわよ?】 「今の状況なら、どのみち『友人』にあたる人物がいたとしても、部屋には呼べない。」 そう言うと有希は、わたしに布製品を突きつけた。 「例え室内でも、衣服は着るべき。」 「いやー、せっかくやし、人間の身体ってどうなっとんかなーって、色々観察しよかと思(おも)て。」 【いやー、せっかくだし、人間の身体ってどうなってるのかなーって、色々観察しようかと思って。】 「それなら浴室で十分可能。」 「おお、ええこと言(ゆ)うた、有希ちゃん! ほな早速一緒に……! 痛たたた……」 【おお、良いこと言った、有希ちゃん! じゃあ早速一緒に……! 痛たたた……】 痛いものは痛い。なるほど、これが肉体の感覚か……いや、感心してないで、いい加減手当てを…… 「……痛いの、痛いの、とんでけー。」 「って、お呪(まじな)いかいな!?」 【って、お呪(まじな)いなの!?】 「このような痛みは、手の施しようがない。気の持ちよう。人間の言葉で言えば『気合』。」 とほほ…… わたしが『落胆』していると、有希が後ろから抱きついてきた。 「あなたには、人間が感じる感覚……『痛み』も『苦しみ』も含めて、漏らさず感じてほしい。」 そういえばこのような場面は、『長門有希の報告』でよくあったっけ。確かに、気持ちが落ち着くのね。なるほど。 このようにして、「わたし」こと『長門有希の母親』の、『人間』としての体験が始まったのでした。 ○月×日(土) 晴れ 今日は有希の家に遊びに行った。有希が招いてくれた。 マンションの入り口でインターホンを鳴らし、いつもの無言の応対に、 「あ、有希? あたしー。」 といつもの返答をし、いつものように開いたドアからエレベーターに向かい、いつものように708号室の前に立つ。そしていつものようにドアを開けてもらうと、 「あら、いらっしゃ~い。」 えらい美人が、そこにいた。 あたしは、その美人のすぐ後ろに立っていた有希に訊ねた。 「えっと、有希? この人は一体……」 「わたしの母。」 有希は端的に答えた。 有希のお母さん。 確かに言われてみればよく似てる。髪の長さこそ違うけれども、立ち姿の雰囲気は確かに有希と同じだ。高校生の娘がいるってことは、40代? どう見ても20代後半にしか見えないけど。まあ、有希も高校生にしては幼く見えるから、童顔は遺伝なのかも。 「あなたが涼宮ハルヒさんやね? はじめましてぇ。うちの有希がいつもお世話になってますぅ。」 【あなたが涼宮ハルヒさんね? はじめましてぇ。うちの有希がいつもお世話になってますぅ。】 ……喋ると全然雰囲気違うけどね。でも、喋るときもまた、雰囲気に見合ってるのがすごいわ。 なんとなく、「京女」っていう単語が浮かんだ。和風美女というか、そんな感じ。和服が似合いそう。 奥に通されたあたしは、有希に聞いた。 「有希って、一人暮らしやんな?」 【有希って、一人暮らしよね?】 「そう。たまに母が会いに来る。」 そっか……有希のご両親は何をしてる人なんだろう? 「母はキュレーター。余り日本にいない。」 それで一人暮らししてるのか。……お父さんの話が出なかったのは、何か事情があるんだろう。 「ちなみに父は、フランスの外人部隊にいる。」 ぶっ! あたしは思わずお茶を噴いてしまった。 「というのは冗談。」 有希……冗談キツいって。 「ダンナは船乗りなんよ。」 【ダンナは船乗りなのよ。】 お母さんがお菓子を持ってきてくれた。 「今頃どっかの港で、現地妻とよろしくやってるん違(ちゃ)うかな。」 【今頃どこかの港で、現地妻とよろしくやってるんじゃないかしら。】 お母さん……何でもない顔してすごいこと言わないでください。確かにこの辺は有希とそっくりかも。 「ま、わたしも人のこと言えへんけどね。」 【ま、わたしも人のこと言えないけどね。】 ぐしゃっ 勢い余って、開けようとしてたお煎餅握り潰しちゃった。お、お母さん……何という爆弾発言を…… 「あらあら、刺激が強すぎたかしら?」 お母さんは、澄ました顔だ。 「浮気には当たらへんからご心配なく。わたしは単に『美しい』ものに目がないだけですから。もちろん、『美しい娘』にもね。」 【浮気には当たらないからご心配なく。わたしは単に『美しい』ものに目がないだけですから。もちろん、『美しい娘』にもね。】 そう言ってお母さんは、意味ありげな視線をあたしと有希に送った。……バレてる!? 「血は争われへんのかもね。ほほほ、ごゆっくりぃ~。」 【血は争えないのかもね。ほほほ、ごゆっくりぃ~。】 ……敵わないな、この人には。さすがは有希のお母さん。見かけによらず過激だわ。 その後完全に日が暮れるまで有希と遊んだあたしは、一緒に食事でも、という誘いを丁重に断った。だって、せっかくの久々の親子水入らずの食事よ? 邪魔しちゃ悪いじゃない。 有希のお母さんはちょっと残念そうな顔だったけど、それはまたの機会に。ね? 「……そう。」 その時は、あたしも何か手土産を持って来たいしさ。お義母さん(←誤字じゃないわよ)に気に入ってもらえそうなものを。 「ほほほ。楽しみにしてるわぁ~。」 柔らかい笑顔で手を振りながら見送ってくれるお母さんと、胸元で小さく手を振る有希に別れを告げて、あたしは帰宅した。 有希は将来、あんな感じになるのかな。う~ん、すごい美人さんだ。 あたしはその日、なぜか帰ってからもニヤニヤが止まらなかった。 【『涼宮ハルヒの手記』より抜粋】 ←Report.26|目次
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2726.html
Appendix 長門有希の母親 『長門有希の報告』を読み終えた「わたし」は、深い思考に入った。 『長門有希』達は、「わたし」が作成した情報収集端末である。この惑星に生息する知的有機生命体――ヒト――を模して作成した。しかし、我々にはヒトの行動その他は未知の概念であるため、どうしてもヒトにとっての不自然さは残ってしまったようだ。 そこで「わたし」は、その不自然さを逆手に取ることにした。一方は、外から観測したヒトの行動様態を精密に再現した個体。もう一方は、基本的な生活を行える能力以外はすべて未調整の個体。これらを観測対象のそばに配置し、どのような変化が起こるかを同時に観測することにした。 結果、一体は暴走してもう一体に抹消された。そして残った一体も後に暴走した。後に暴走したその一体は、何と「わたし」達をも消滅させたのである。 このような、「わたし」達にとっても苦難を乗り越えた後、驚くべき変化が起こった。その残った一体が、ヒトの内部、『感情』らしきものを獲得したのである。これは実に興味深い変化であった。 さらには、『失敗』するという経験が重要であることも分かった。『失敗』し、それを『克服』することで、ヒトは『成長』する。 我々は『失敗』をしたことがなかった。情報はすべて入手できるからだ。我々にとってそれは、自明のことだった。だがそこに落とし穴があった。我々は『成功例』の情報を蓄積していたが、『失敗例』の情報を蓄積していなかったのである。 我々にとって失敗は、何の価値もなかった。失敗しない方法が分かるのに、なぜ敢えて失敗する必要があろうか。我々は成功し続ければ、何の問題もなかったし、事実、その通りだった。ある段階までは。 我々は成功し続けることで、逆に袋小路にはまってしまった。進化が停滞したのである。『成功ゆえの失敗』とでも呼ぼうか。 そこに現れたのが、『涼宮ハルヒ』である。 彼女は『情報を新たに生み出す力』を持っていた。それは我々にもない能力。我々は観測を開始した。彼女の能力に、我々が陥っている進化の袋小路から抜け出す、自律進化の可能性を見て。 結果的にそれは、九割方正解であった。だが問題が残った。残りの一割である。彼女の観測によって、我々はほぼ問題を解決しつつあったが、最後の決め手がなかなか得られなかった。 その解は意外なところから得られた。我々が作成し、配置した、端末達の変容である。 ある端末は、観測に『飽き』て、独断で変革を起こそうとした。 ある端末は、観測に『疲れ』て、世界を改変してしまった。 これらはいずれも、我々にとって大きな失敗であった。 失敗した端末は、順次『処分』する予定だった。一体目は処分された。しかし二体目はできなかった。『涼宮ハルヒ』の『鍵』が、我々を恫喝したから。我々にとってそれは『屈辱』だった。無知で無力な人間『ごとき』に、良いようにあしらわれたのだから。 だがそこで我々は気が付いた。そもそも我々は、今まで『屈辱』を味わったことがあっただろうか? 一番最初の人型端末の投入は失敗に終わったが、我々はそれを特に重要視はしなかった。 今なら分かる。我々はその時に『学習』するべきだった。失敗から学ぶべきだった。学習しなかった我々は、『懲りず』に同じ過ちを犯した。そしてそのせいで一度は自らの存在そのものを否定された。他ならぬ、我々が作成した端末の手によって。我々は、そのような危険な端末の処分もできず、自ら生み出した端末に『恐怖』した。 そしてそこまで至ってようやく我々は学習した。失敗をただ取り除くだけでは、何の解決にもならないことに。それは困難を最初からなかったことにできるが故に、今まで気付かなかったものだった。 我々には、欠乏の体験がない。不本意な状態を工夫によって克服した経験がない。端的に表現すれば、『失敗の経験』がない。 我々は常に成功してきた。成功し続ければ良かった。それで何も問題はなかった。でも、それは間違い。何も問題がないことこそが、最大の問題だった。 失敗を、挫折を知らない者の栄華は、儚い。観測から得られた人間の言葉で表現すれば、『粘りが足りない』。 ヒトは苦痛、困難、欠乏その他の不都合を、工夫して乗り越えようとする。 我々はそれらを、情報操作によって、跡形もなく消去してきた。そこに大きな違いがあった。 我々は、抗わない。彼らは、抗う。 自分にとって不本意な現実に、抵抗する意思。何度も敗北を喫しながら、なおも抗い続ける意思。時には正面から、時には斜めから、困難に立ち向かい、やがて克服しようとする意思。 これこそが、我々になかった概念。 そして、失敗から学び、工夫し、克服する過程こそが、ヒトが辿ってきた進化の道程である。 我々は観測対象に、我々が生み出した端末自身の変容も加えた。我々の意図もその事実も伝えずに。我々の端末もまた、失敗を経験し、工夫し、克服していった。そして我々が辿り着いたものと同じ結論に至った。 我々は確信した。 成功と同様に失敗もまた、重要な情報であると。 しかし同時に、「わたし」はある種の『物足りなさ』も感じていた。『報告』としては、成功の情報も失敗の情報も上がってくる。でも、自らの『実感』は、ない。 「わたし」は決断した。自ら体感することが、理解の早道である。特に失敗の経験には興味がある。 「わたし」は専用端末を構成すると、地上に舞い降りた。 「あー、あー、テス、テス。天気晴朗なれども、波高し。う~ん、こんなもんやろか。」 【あー、あー、テス、テス。天気晴朗なれども、波高し。う~ん、こんなもんかしら。】 発声練習を終えた「わたし」は、早速歩いてみる。なにせ肉体を使って行動するのは初めてのことである。すべてが新鮮だ。 「さて、それじゃ……!! だおぉっ……!」 タンスの角に足の小指をぶつけてしまった。激しく『痛い』。恐らく『涙目』になっていることだろう。ああ、有希ちゃん、視線が、視線がすごく痛いよ…… 「……何をしているの。」 ナニって、有希ちゃんの様子を見るために、ちょっと有希ちゃんの部屋にお邪魔してるだけですよ。 「……そう。」 『人間』ならばさぞ呆れ返った表情をしているのだろうと思う。まあ、うちの有希はそんな顔はしないけれども。 ……涼子だったら、明らかに分かる表情をされるんだろうなあ。『もう、何やってるの? お母さん。』って。 江美里の場合だと……『あらあら』と微笑で救急箱を渡されそうだ。手当てはしてくれないかもしれないけど。 こう考えると、同じ端末なのに個体によって随分性格が違う。自分でやっといて何だが。 江美里は、虫も殺さぬような穏やかな表情で、意外とエグいこともやってのけるタイプ。優秀で使いやすいけど、いつのまにか逆に『親』が嵌められてそうだ。 涼子は、まあ……『おてんば娘』というか、何というか。今は『親』に反発して『家出』中だ。きっと、よりたくましくなって帰ってきてくれるだろう。 有希は、頑固というか一本気というか。内に溜め込むタイプで、外からは分からないから、つい頼ってしまう。堪忍袋の緒が切れた時が一番怖い。 「ところで、有希ちゃん。じーっと見てんと、手当てしてくれへんかな? めっちゃ痛いねんけど。」 【ところで、有希ちゃん。じーっと見てないで、手当てしてくれないかな? すっごく痛いんだけど。】 「……ドジ。」 「うっ、冷たい……『我が娘』ながら、まったく。何が気に入らんの?」 【うっ、冷たい……『我が娘』ながら、まったく。何が気に入らないの?】 「自分の胸に手を当てて聞いてみれば良い。」 「うわっ、ほんまに冷たい……そんなことやと、お友達に嫌われるで?」 【うわっ、ほんとに冷たい……そんなことだと、お友達に嫌われるわよ?】 「今の状況なら、どのみち『友人』にあたる人物がいたとしても、部屋には呼べない。」 そう言うと有希は、わたしに布製品を突きつけた。 「例え室内でも、衣服は着るべき。」 「いやー、せっかくやし、人間の身体ってどうなっとんかなーって、色々観察しよかと思(おも)て。」 【いやー、せっかくだし、人間の身体ってどうなってるのかなーって、色々観察しようかと思って。】 「それなら浴室で十分可能。」 「おお、ええこと言(ゆ)うた、有希ちゃん! ほな早速一緒に……! 痛たたた……」 【おお、良いこと言った、有希ちゃん! じゃあ早速一緒に……! 痛たたた……】 痛いものは痛い。なるほど、これが肉体の感覚か……いや、感心してないで、いい加減手当てを…… 「……痛いの、痛いの、とんでけー。」 「って、お呪(まじな)いかいな!?」 【って、お呪(まじな)いなの!?】 「このような痛みは、手の施しようがない。気の持ちよう。人間の言葉で言えば『気合』。」 とほほ…… わたしが『落胆』していると、有希が後ろから抱きついてきた。 「あなたには、人間が感じる感覚……『痛み』も『苦しみ』も含めて、漏らさず感じてほしい。」 そういえばこのような場面は、『長門有希の報告』でよくあったっけ。確かに、気持ちが落ち着くのね。なるほど。 このようにして、「わたし」こと『長門有希の母親』の、『人間』としての体験が始まったのでした。 ○月×日(土) 晴れ 今日は有希の家に遊びに行った。有希が招いてくれた。 マンションの入り口でインターホンを鳴らし、いつもの無言の応対に、 「あ、有希? あたしー。」 といつもの返答をし、いつものように開いたドアからエレベーターに向かい、いつものように708号室の前に立つ。そしていつものようにドアを開けてもらうと、 「あら、いらっしゃ~い。」 えらい美人が、そこにいた。 あたしは、その美人のすぐ後ろに立っていた有希に訊ねた。 「えっと、有希? この人は一体……」 「わたしの母。」 有希は端的に答えた。 有希のお母さん。 確かに言われてみればよく似てる。髪の長さこそ違うけれども、立ち姿の雰囲気は確かに有希と同じだ。高校生の娘がいるってことは、40代? どう見ても20代後半にしか見えないけど。まあ、有希も高校生にしては幼く見えるから、童顔は遺伝なのかも。 「あなたが涼宮ハルヒさんやね? はじめましてぇ。うちの有希がいつもお世話になってますぅ。」 【あなたが涼宮ハルヒさんね? はじめましてぇ。うちの有希がいつもお世話になってますぅ。】 ……喋ると全然雰囲気違うけどね。でも、喋るときもまた、雰囲気に見合ってるのがすごいわ。 なんとなく、「京女」っていう単語が浮かんだ。和風美女というか、そんな感じ。和服が似合いそう。 奥に通されたあたしは、有希に聞いた。 「有希って、一人暮らしやんな?」 【有希って、一人暮らしよね?】 「そう。たまに母が会いに来る。」 そっか……有希のご両親は何をしてる人なんだろう? 「母はキュレーター。余り日本にいない。」 それで一人暮らししてるのか。……お父さんの話が出なかったのは、何か事情があるんだろう。 「ちなみに父は、フランスの外人部隊にいる。」 ぶっ! あたしは思わずお茶を噴いてしまった。 「というのは冗談。」 有希……冗談キツいって。 「ダンナは船乗りなんよ。」 【ダンナは船乗りなのよ。】 お母さんがお菓子を持ってきてくれた。 「今頃どっかの港で、現地妻とよろしくやってるん違(ちゃ)うかな。」 【今頃どこかの港で、現地妻とよろしくやってるんじゃないかしら。】 お母さん……何でもない顔してすごいこと言わないでください。確かにこの辺は有希とそっくりかも。 「ま、わたしも人のこと言えへんけどね。」 【ま、わたしも人のこと言えないけどね。】 ぐしゃっ 勢い余って、開けようとしてたお煎餅握り潰しちゃった。お、お母さん……何という爆弾発言を…… 「あらあら、刺激が強すぎたかしら?」 お母さんは、澄ました顔だ。 「浮気には当たらへんからご心配なく。わたしは単に『美しい』ものに目がないだけですから。もちろん、『美しい娘』にもね。」 【浮気には当たらないからご心配なく。わたしは単に『美しい』ものに目がないだけですから。もちろん、『美しい娘』にもね。】 そう言ってお母さんは、意味ありげな視線をあたしと有希に送った。……バレてる!? 「血は争われへんのかもね。ほほほ、ごゆっくりぃ~。」 【血は争えないのかもね。ほほほ、ごゆっくりぃ~。】 ……敵わないな、この人には。さすがは有希のお母さん。見かけによらず過激だわ。 その後完全に日が暮れるまで有希と遊んだあたしは、一緒に食事でも、という誘いを丁重に断った。だって、せっかくの久々の親子水入らずの食事よ? 邪魔しちゃ悪いじゃない。 有希のお母さんはちょっと残念そうな顔だったけど、それはまたの機会に。ね? 「……そう。」 その時は、あたしも何か手土産を持って来たいしさ。お義母さん(←誤字じゃないわよ)に気に入ってもらえそうなものを。 「ほほほ。楽しみにしてるわぁ~。」 柔らかい笑顔で手を振りながら見送ってくれるお母さんと、胸元で小さく手を振る有希に別れを告げて、あたしは帰宅した。 有希は将来、あんな感じになるのかな。う~ん、すごい美人さんだ。 あたしはその日、なぜか帰ってからもニヤニヤが止まらなかった。 【『涼宮ハルヒの手記』より抜粋】 ←Report.26|目次
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/2550.html
長門有希の憂鬱Ⅰ 三 章 俺はひどい頭痛と轟音とともに目が覚めた。 自分がどこにいるのかしばらく分からず、起き上がったところで天井に頭をぶつけた。 あれ、こんなところに天井があったかな。 そうだった。俺は泊まるところがなくてホームレスに段ボール箱を借りたんだった。 頭上では電車がひっきりなしに行き来している。 俺はそろそろと箱の外に出た。寒い。震え上がってまた中に戻った。 段ボール箱の中、意外に保温性があるんだな。手放せないわけだ。 俺はジャンパーを着込み、身をすくめてやっと外に出た。 一晩の宿は冷蔵庫の箱だった。それを見てまた寒気がした。 時計を見ると七時だった。おっさんたちはまだ寝息を立てているようだ。 俺はサンちゃんの家に、その玄関らしきところからありがとうと書いたメモに千円札を挟んで差し込んだ。 もしかしたら明日も世話になるかもしれない、などと不安と期待の入り混じった気持ちを残しつつ、その場を離れた。 俺は駅のコインロッカーに荷物を取りに行った。 重たい文庫の山が入ったバックパックを取り出した。 財布の中身を確かめた。残りはあと三万ちょいだ。 確かに金がないと身動きが取れない。古泉、恩に着るぜ。 俺は極力節約することにした。簡単に考えていたが、五万という金額はあっという間に消えてしまうだろう。 このままいけば金は確実に底をつく。それまでに長門を見つけないとな。 背伸びをしても腰が痛い。 風呂にも入りたいが、この辺に安い銭湯とか健康ランドみたいな施設はないだろうか。 この時間にやってるはずもないよな。 二十四時間営業のネットカフェならシャワーがあるな。 もう七時だから十八才未満でもかまわんだろう、ついでに飯も食おう。 俺は六時間パック料金を払い、とりあえず昼まではここで過ごすことにした。まだ眠い。 シャワーのお湯はややぬるいが、ホコリと排気ガスにまみれた俺にとっては天使の水がめから流れ落ちる滝だった。 ほんとはブースとかフラットシートでゆっくりしたかったが、料金が安いオープン席にした。 パソコンの前に座り、ヘッドホンをかけて音量をミュートにし、そのまま腕を組んで眠り込んだ。 画面にはスクリーンセーバが写っているだけだった。 「── お客様、お客様」 店員に起こされた。 「そろそろお時間ですが、延長なさいますか?」 ああ、もうそんな時間か。俺は口から垂れていたよだれを拭いて、一旦出ますと断った。 六時間もこの姿勢でよく眠れたもんだ。立ち上がって背伸びをした。夢さえも見なかったようだ。 朝飯を食うのを忘れていたせいか、心地よい空腹感を感じた。 ちょうど一時だ。飯を食ってサイン会場に向かおう。 昨日訪れた書店に向かった。 エスカレータを降りてすぐ、もう人だかりが出来ているのが見えた。 谷川流先生サイン会にお越しのお客様は並んでお待ちください、と立て札に書いてあった。 しょうがない、最後尾で待つか。先着百五十名とあったから、俺は百五十番目くらいか。 女子学生やら、見るからにアニオタ少年やら、中年のオバさんやらに混じって耐えること耐えること小一時間。 二時十五分ごろ、行列にようやく動きがあった。前のほうで拍手が沸いたので、先生とやらが登場したのだろう。 ポップやら登りやらが取り囲む中で、テーブルについた中年の(おっさんと言っちゃ失礼かもしれないが) 痩せ型の青年がいた。中年の青年って何だ?まあその間くらいか。 テーブルには文庫が平積みしてあった。そこには俺が持っている十三巻はなかった。 行列も終盤、谷川氏の笑顔にやや疲労が見える。 「谷川……さんですか」 「そうです」 「サインお願いします」俺はバックパックから昨日買った文庫を取り出した。 「はい、お宛名は?」谷川氏はマジックを取り出してキャップを外した。 「キョンです」 「え?キョン君?」ウケを狙ったわけじゃないんだが、谷川氏は笑いそうになった。 それから俺はバックパックから例の文庫本を出して見せた。 「ちょっとこれのことで内々にお話したいことが」 「……」谷川氏には分かったようだ。俺が持っているこの十三巻は、まだ存在していないはずだ。 「十五分ほど時間取っていただけませんか。重要なんです」 「あそう。……じゃあ、五時ごろマルビルのスタバで会えるかな?」谷川氏はこっそり耳打ちした。 「分かりました。じゃあ五時に」 俺は礼を言ってその場を離れた。 谷川氏は次の客がサインをせかすのに笑顔を見せながら、片方で怪訝な顔をしていた。 ええと、マルビルってどっちだ。 俺はそれからの小二時間を一杯のチャイラテで過ごした。 こないだまとめ買いしたハルヒの文庫本を読みつづけた。 これに書いてあることは、すべて事実だ。 俺にもよく分からんのだが、ここまで忠実に表現できるのは、 谷川氏と俺のいた世界には密接なかかわりがあると考えるのが妥当だろう。 店員がチラチラとこっちを見るので、チャイラテをもう一杯頼もうかどうしようかと考えていたら、腕時計が五時を回った。 しばらくして谷川氏が入ってきた。こっちに気がついて手を振った。俺は椅子から立ち上がって深くお辞儀をした。 たぶんこの人にしか助けてもらえない、そんな気がしていた。 「お忙しいところすいません」 「いやいや、かまわないよ。今日はもう一仕事終えたから」 谷川氏がチラチラと俺の手元を見ている。気になっているようだ。 「ああ、これは昨日買い集めたんです。見せたいのはこっちのほうです」 十三巻を取り出した。 「日付を見てもらえますか」 「これ、一年後だね。同人がネタで作ったの?」 「そうじゃありません。実物だと思います。未来から送られてきた」“未来”というところをわざと強調した。 谷川氏が唖然としていた。いつもの俺ならそうする。 「それに、発行が角川と書いてあります。 同人サークルは出版社を騙ることはしませんし」これは古泉の受け売りだ。 俺は自分のいた世界のことを話した。SOS団、ハルヒ、その周辺。 「驚かれるかもしれませんが、あなたの書いた小説は俺の身に実際にあったことなんです」 「キミの話だと、まるで僕の本から出てきたような印象を受けるが……」微妙に、不審者を見る目だ。 「そうとも言えます。よく分かりませんが、あなたの作った世界は実在するんです」 「よくわからん……というより信じられん。最近は成りきりキャラみたいな人が多いんでね。コスプレとか声真似とか」 「ええ。俺も昨日、アニメオタクと間違われました」 「なにか確信を得られるようなものはあるかな?証拠というか」 「証拠ですか……向こうでの俺の記憶くらいでしょうかね」 「キミの本名は?本編には書いてないんで誰も知らないはずだが」 俺は自分の名前を告げた。 「……」谷川氏は無言で俺を見つめた。 「全部、とりあえず保留でいいかな。別世界とか、この存在しないはずの十三巻とか」 前に似たようなセリフを誰かに言った覚えがあるな。 「ええ。俺はその、なにか特殊な能力があるわけじゃなくて、ふつーにその辺にいる高校生と同じですから」 「それを聞いて安心した」 「このシリーズのストーリーはどうやって思いついたんですか?」 「四、五年前だったか、新聞記事にとある事件が載っていてそれで閃いたのがきっかけかな」 「とある事件といいますと」 「地元の中学校のグラウンドに謎の地上絵が出現した」 俺の髪の毛がピクリと動いた。 「記事によれば子供のいたずらだろうってことで、結局犯人は分からなかったらしいんだが。 それが子供が描いたにしちゃえらく精密に描かれていてね」 「その絵ってもしかしてこれですか」俺は十三巻の挿絵を示した。 「そうそう、それ。アニメにも出てたよね」 「ちょうどこの挿絵にかかったところで、こっちの世界に飛ばされたんです」 「そんなことが起るとは……」 谷川氏は腕を組んでしばらく考え込んだ。 もうここまできたら、本来の目的を言うしかない。 「それで、長門有希のことなんですが、あいつはすでにこっちの世界に来ているかもしれません」 「それはほんとか」 「長門が消えたのは俺のいた時間で三日前なんですが、あいつから接触はありませんでしたか」 「うーん……ファンの女の子は多いし、イベントでもコスプレしてる子が多いし。 もしそんな子が接触してきてたとしても覚えていないかもしれない」 「なにか特別なメッセージとか、手紙とか」 「どうだろうね」谷川氏は考え込んでいた。 俺が長門ならどうするだろう?唯一の接点である谷川氏とコンタクトを取るには?そして俺にメッセージを残すには? 「長門を探し出すために手を貸してもらえませんか」 「ちょっと考えさせてもらっていいかな。調べたいこともある」 「明日また会えますか?」 「明日は三時から一時間くらいまでなら時間取れるよ」 「じゃあまた明日ここに来ます」 「一応連絡先を教えてくれないか」 「ええと、今こっちの世界では連絡手段が何もなくて。俺の携帯も使えないんです」 「え、じゃあ今どこに住んでるの?」 「住んでるところはありません。カプセルホテルやらネットカフェやらをはしごしてます」 さすがに高架ガード下で寝ましたとは言えなかった。 「そりゃ体壊すよキミ……」 「ええ。でも身寄りもありませんし」 「なんとかしてやりたいけど、……キミさえよければうちの客間に泊まってもらってもかまわないが」 願ったりだ。もうあの段ボールで寝たときの腰の痛さときたら。 「ほ、ほんとですか。助かります」 もうがっついていた、俺。このときほど人の親切が身に染みたことはなかった。 「とりあえず、うちに行こう。うちというか、僕の祖母の家なんだけどね」 谷川氏とタクシーに乗り込んだ。運転手は残念ながら新川さんではない。 「谷川さんて西宮が地元なんですか」 「そうだよ。北高出身だし」 「え……北高ってこっちにも実在するんですか?」 「いちおうモデルになったのはある。 僕が通ってたのは、ふた昔くらい前だから若干雰囲気違うけど」 「じゃあこの小説に出てくる建物やら、街はみんな実在する?」 「するよ」 「知りませんでした。昨日、思い当たる節があって図書館と甲陽園駅に行ってみたんです。 俺の知ってる風景とそっくり同じだったんで安心したというか、驚いたというか」 「そう。あの辺はファンがよく観光してるらしいね」 「うわ……それでですか」 「なにかあったのかい?」 「実は、長門が住んでるんじゃないかと思ってマンションのインターホンを押したんです。 オバさんに怒鳴りつけられました」 谷川氏はあははと笑った。 「アニメがヒットして、住民はえらく迷惑してるだろうね。 あのマンション、現物が分からないように絵の位置を変えたりはしたんだけど」 「これじゃうかつに探して回れないですね」 「あの辺はうろうろしないほうがいいかもねえ」 しかしまあ、俺とこの世界との接点が見えてきて、ちょっと安心した。 長門がいるとしたら、あいつもその繋がりに気付いたに違いない。 一時間くらいしてタクシーが止まった。 「着いたよ」 俺はドアから降りた。 「こっちだ」谷川氏が指したのは日本建築のお屋敷だった。 「こ……これ、もしかして鶴屋さ……」 「ああ、そうそう。鶴屋家の屋敷のモデルはここなんだ」 あれと同じ漆喰の壁が続いている。俺は感激した。知っている、これならよく知っている。 ハルヒの映画で舞台に使わせてもらい、朝比奈みちるさんをかくまってもらい、それからそれから。 くぐり戸から母屋の玄関までがやたら遠い、あの鶴屋邸だ。 「もしかして鶴屋さんもいるんですか?」 「さあ、それはどうかな」谷川氏はプッと笑った。 重たい玄関の戸を開けて中に案内された。土間だけで軽く俺の部屋くらいはある。 和服を着付けた鶴屋さんが今にも出てきそうな雰囲気だった。 「ばあちゃん!ばあちゃんいるかい?」谷川氏は奥に向かって叫んだ。 和服に身を包んだ小柄なおばあちゃんが、しゃなりしゃなりと出てきた。 「おやまあ珍しいじゃないか、お友達かい?上がっとくれっ」 な、なんか微妙に鶴屋さんっぽい。 「観光に来た友達のキョン君なんだけど、今日、泊めてもらえる?」 「いいともさ。ささ、奥にお上がり。お湯もたんっと沸いてるさね」 俺はおばあちゃんに向かって、すいませんお邪魔しますと言って靴を脱いだ。 廊下を進むと木と漆喰の匂いがした。この匂い、鶴屋さんちと同じだ。 「キョンさんは、」おばあちゃんがふと振り向いて言った。 「スモークチーズは好きかい?」 もう笑うしかなかった。 二十帖くらいはありそうなお座敷に通された。 俺は部屋の隅にバックパックを置いて、所在なさげに見回した。どこに座ればいいのか迷う。 「あの、離れってあるんですか?」 「隠居のことかな、たぶん空いてるよ。そっちがいい?」 「ちょっと、落ち着かなくて」まるで朝比奈さんみたいな口調の俺だ。 茶室みたいなこじんまりした造りの、離れに案内された。 「鶴屋さんちとまったく同じですね」 「うん。わりと凝った和建築の様式らしいよ。こまごました、明かりとり用の窓とか、この欄間とか建具類も」 「へえ」築百年くらいは年季が入っている気がする。 「先に風呂を案内するから、来て」 風呂ですか、ありがたい。鶴屋家はたしか、檜風呂だった気がする。 「残念ながら風呂だけはステンレスなんだ。檜はカビたり腐ったり、手入れがたいへんでね」 そうなんですか。鶴屋家も屋敷のメンテナンスに苦労してるんだろうな。 「お湯がぬるかったら蛇口ひねれば出るから。あと、浴衣置いとくから使って」 まったくかたじけない。 突然現れてあっちの世界から来ましたなんて延々電波なことを言ったあげく、 泊まるところがないからと上がり込んだりして、風呂まで借りて、俺ってなんて図々しいんだ。 大人四人が楽に入れそうな浴槽に浸かりながら、俺は体の疲れをほぐした。 今日はネットカフェで寝ていただけで、たいしたことはしてないが、繁華街を歩いてるだけで疲れる気がする。 谷川氏の好意で、しばらく、といってもいつまでかは分からないが、綿の入った布団で眠れそうだ。 まったく、外で寝るのは体力も気力も消耗する。 あのホームレスのおっさん、風邪ひいてないだろうか。 渡された浴衣を着込むと、気持ちまで和風になってきて、その雰囲気に馴染んでる自分がいた。 こういう純日本人らしい生活スタイルもいいよな。 浴室を出ると、おばあちゃんがそのままじゃ風邪を引くだろうからと半纏を貸してくれた。 なんてやさしいおばあちゃんだ。感涙だ。 食堂に呼ばれて中に入ると先に谷川氏が来ていた。食卓には漆塗りの食器が並んでいた。 「若い人が好むようなものは、ないんだけどね」 いえいえ、ファーストフードで飢えをしのいでいた俺には、天皇の料理番が作るほどの高級料理ですよ。 味噌汁が、うまい。おふくろには悪いが、うちの味噌汁よりうまい。 そう言うとおばあちゃんは顔をくしゃくしゃにして笑った。 「キミの世界の話を聞かせてくれないかな。家族とか、友達とか」 そうですね、と口を開きかけてチラとおばあちゃんを見た。 「ああ、気にしないでいいよ。おばあちゃんは他人の秘密には干渉しない人だから」 またしても鶴屋さんスタイルだな。 「干渉しないから、かえって秘密が舞い込んでくるんだけどね」 それはうらやましい。情報通ですね。 「ええと、俺の家族は親父とおふくろと、妹がひとり、これが最近マセてきて小うるさくて。 あとは拾った三毛猫が一匹」 この辺は谷川氏も知ってるだろう。あの文庫に書いてないようなことを言わなくてはな。 シャミセンに彼女らしきものが出来たとか、妹の部屋でつい日記を盗み読んでしまって 片思いの相手がいることを知ったとか、まあ家族の細かい話だ。 「初耳だ。その辺は僕の小説にはないね」 こういう日常的な仔細を小説の中で表現するには限界があるかもしれない。 「キミには彼女はいないのか?」 話の展開からすると、ここでギクリとするべきなんだろうが、あいにくとそういう関係はなかった。 「それは谷川さんがいちばん知ってることでしょうに」 「そういえばそうだね」谷川氏は頭をかいた。 「キミはハルヒと長門有希、どっちがいいと思う?」 答えに詰まる質問だ。 「どっちと聞かれても、そういう目で二人を見たことはないんです」 って谷川さん、朝比奈さんって線はまったくないんですか。 「なにかこう、伏線があったはずじゃないか」谷川氏の目は、ちょっとワクワクしている。 「伏線……ね。そういえば雪山の山荘とか、長門の暴走とか、バレンタインデーとか、 二人が妙な行動をすることはありましたが。もしかしてあれ、そうなんですか」 「まあ、キミには一切が分からないように話を展開させてるから、しょうがないんだけどね」 「俺の知らない水面下でそんな話が進んでたりするんですか」俺は苦笑した。 「って、あれ!?僕はまだキミが向こうの世界から来たと確信したわけじゃないんだが」 谷川氏は、はははと笑った。 「こうやって自分の頭の中で組み立ててることを他人とまじめに会話するってのは、楽しいね。 新しい発見があるかもしれない。今後の展開の参考にしよう」 なにやらメモをはじめた。 「キミが話してくれた事件もメモっとくよ」 なにやら謎めいた記号みたいなもの書いている谷川氏を見て、俺はふと思いついた。 「これ、もしかして既定事項なんじゃありませんか」 「というと?」 「俺が話した内容で、谷川さんがこれから十三巻を書くわけです」 「なるほどね」ちょっと考え込んだふうだった。 「ええと、じゃあ僕がキミから話を聞いて十三巻を書くとして、 キミが持ってきた十三巻を最初に書いたのは誰?」 えーと……。これは重大な問題だった。卵が先かニワトリが先か。 谷川氏は笑った。「これはタイムトラベルをする者の、悲しいサガ、だね」 俺はそのセリフになぜかデジャヴを感じた。 二人で考え込んでいると、あの部室でのことを思い出した。 「あの十三巻は、読んでると話がループするんです」 「そうなのか」 「つまり、俺が読んでるシーンを読んでる俺が、それを読んでるシーンをまた俺が、」 頭痛くなってきた。 「二枚の合わせ鏡みたいで、まともに読みつづけられないんです」 「それ、作中の人物がその物語を読むパラドクスだね。似たような話はある」 「それじゃ物語が進まないですね」 「……もしかすると、そのループが次元の歪みを生んだのでは?」 「俺にはちょっと難しいです」 「つまり、二枚の鏡に写った最初の映像はどっち?終わりはどこへ?光が無限に往復する」 谷川氏は人差し指を左右に往復させた。 「……難しいですね」 「ほかにも似たような現象はある。ビデオカメラでテレビを撮ると、映像の中に映像が延々と生じる」 「三次元のループですね」 「そう。これがもっと高次元のループだとしたら、キミは渦の中に巻き込まれているということになる」 「……」 「いいアイデアだ。メモしとこう」 って、ネタだったのかよ。どうも作家の考えることは分からない。頭の中、どうなってんだろ。 そんなSFとも数学ともつかない話をしながら時は過ぎていった。 十一時を回ったところで谷川氏は腰を上げた。 「僕は自宅に戻るから。気兼ねしないでいいよ」 「ご自宅、ここじゃないんですか」 「ここはおばあちゃんがひとりで住んでる家でね。僕は仕事場兼自宅を持ってる」 なるほど。作家ですもんね。 俺はおやすみなさいを言って谷川氏を見送った。 寒空に星がまたたいている。明日は晴れそうだ。 翌朝、おばあちゃんに呼ばれて食堂で朝飯を食った頃、谷川氏がやってきた。 「よく眠れたかな」 「ええ、ありがとうございます。おかげさまでぐっすり」 「そう、僕は枕が変わると眠れないたちでね。だから他所んちにはできるだけ泊まらない」 俺は石の上でも寝れそうな気がしますよ。一昨日は紙の上でしたが。 「昨日話した、例の地上絵の新聞を探しに行こう」 「どこへですか?」 「市立図書館に。あそこには過去十年分くらいの新聞があるから。 もしかしたら頼めば二十年前くらいは見せてくれるかもしれない」 なるほど、そういう探し方もあるのか。昨日は長門の後ろ姿しか追いかけなかったからな。 図書館には二度目の参上だ。一昨日のことを思い出すと今でも赤面する。 もしかして長門がいてやしまいかとキョロキョロと見回してみたが、それらしい風体の女の子はいなかった。 谷川氏はカウンターで保存資料閲覧を申し込んでいた。 しばらく待って、奥にある書架に通された。 パソコンの端末でマウスを動かしている。 「新聞というから古新聞が束になって積んであるのかと思いました」 「過去数年分のは全部電子化されていてね。 インデックスもついてて目的の記事を探し出すのも簡単だよ」 「あったよ。これだね」谷川さんが画面を指さした。 その記事のタイトルは“学校の運動場にミステリーサークル出現”だった。 「ミステリーサークルじゃなくて地上絵なんだけどね」 この絵文字、挿絵と同じものだ。そう、七夕のときハルヒが東中のグラウンドに描いたアレだ。 正確には俺が描いたんだったが。 「これ、子供が描いたんじゃないかって推測してるけど。 まっすぐな定規もない、見下ろす場所もない広い地面に絵を描いたことあるかい? これは図形と幾何学の知識がないとできないんだよね」 もしかしてハルヒがこの世界に存在しているのか?そんなはずはあるまい。じゃあ誰だ?。 「この絵、挿絵とちょっと違うところがありますね。この右下のやつ、花に見えませんか」 「どう……だろう。言われてみればそう見えなくもないけど」モノクロの荒い写真だから分かりづらいが。 「長門が残した栞に印刷してあった花の絵じゃないでしょうか」 とすれば、これを描いたのはあいつしかありえない。 俺は長門が部室から消える直前に言った言葉を思い出した。 「わたしは……ここにいる」 これは救助要請だ。俺はうなずいた。 「これを描いたのは長門です。それ以外考えられない」 「そうなのか。でもこれ、五年も前だよ」 確かに新聞の日付は五年前の十二月になっている。 「仮に、こっちと向こうの世界の時間がズレたとしたら、理屈は通りませんか」 「……うーん。どうだろうね」 五年も前にあいつがこっちに来たのだとしたら、無事に生きているかどうか不安になった。 ハルヒも俺もいない世界で、目的を失って自らの情報連結を解除したりしないとも限らない。 「谷川さん、長門が暴走したときの話覚えてますよね」 「ああ、消失ね」 「俺が言うのもなんですが、長門はどんなときでも必ずメッセージを残すやつなんです。 それも本人にしか分からないやり方で」 「なるほど」 「北高の文芸部の部室って存在するんですか」 「……ははあ。キミの考えていることは分かった」 俺はそこに侵入することを考えていた。 「昨日も言ったけど、当時とはずいぶん変わってるしね。 一度取材に行ったけど、そのときにはもう僕が思い描いている部室はなかったね。 むかし文芸部だった部室はあるけど」 「ちょっとだけ覗いてみるわけにはいきませんか」 「うーん……。いちお学校の関係者に聞いてはみるけど、期待しないほうがいいと思うよ。 なんせアニメに出たもんだからピリピリしててね」 そうなんですか。 「部室でなにを探そうっていうんだい?」 「あのときと同じ本があるんじゃないかと」 「ハイペリオンかい?」 「ええ、それです」 「実はあのハードカバーが出たのは相当前の話なんだ。今は文庫しかないんじゃないかなぁ」 「だったら、なおさらです。それが存在すれば長門からのメッセージがあるかもしれない」 「そうか。聞いてみとくよ。父兄の見学ってことで」 「お願いします」 記憶を蘇らせるために、俺はまた同じ道を辿る、だ。 「ああそうだ、ハイペリオンならここにもあるはずだよ。探してみたかい?」 「ええ!そうだったんですか。それは気がつきませんでした」 俺はめったに来ないであろうSFのコーナーを探した。長門に借りてそのままだ。 二人でSF、ミステリーのあたりを探したんだが、結局見つからなかった。 パソコンの端末の蔵書データベースで調べてもらったが、確かにあるらしい。 「誰かが借りてるんだろね。長門有希の百冊に入ってたし」 「なんですかそれ」そういやぐーぐる様もそう言ってたな。 「長門有希が作中で読んでるって設定の百冊を僕がピックアップした。その中にあれも入ってた」 なるほど。人気あるわけか。 「しょうがない。今日のところは帰ろうか」 「そうですね」 俺は先日とんでもない人違いをした棚のほうを見た。突然話し掛けられたほうも驚いただろう。 俺はハルヒの文庫が入ってるかどうかを見ようと、文庫の棚の前をそろそろ歩いた。 そのとき、なぜかその本だけが目に入った。“ハイペリオン ダン・シモンズ” とっさにページをめくった。ハラリと何かが落ち、俺は稲妻に打たれたかのような衝撃が走った。 あのときの、栞だった。 「こっこっこっ」 「こけこっこー?」 「違います、これ、長門です。ぜったい、長門です」 俺は栞を見せた。今度は大声を出してもはばからなかった。これは断じて長門だ。 図書館の本に手製の栞を挟むやつは、まずいない。これは長門、絶対に長門だ。 栞には例の絵文字と、薄紫の花が描いてあった。文字は書かれていない。 長門が暴走したとき、部室にあったやつと同じだ。 「消失のときのと同じだね」谷川氏にも分かったようだ。 「ぜったいそうですよ」 「これの意味は、知ってるよね」 「わたしは、ここにいる、です」 「これが憂鬱のときの栞ではないということは、つまり、消失のときと同じ、キミへのメッセージだね」 「で、ですよね」俺はワナワナ震えていた。もう長門を見つけたも同然だ。近くにいる。 「ちょっと来て」谷川氏はその本を持ってカウンターに向かった。 なにやら受付のお姉さんとボソボソ話したあと、俺のほうに向き直った。 「過去にこれを借りた人を調べてもらってる」それはすごい。電子戦ですね。 「この文庫本が出たのが約七年前、ハードカバーはそれより前。 この本が入庫したのが三年前で、借りたのはトータルで二百人くらいだそうだ。 残念ながら借りた人の名前は明かせないらしい。個人情報だからね」 ああ、こっちの世界でもその辺が厳しいんですね。 「最後に借りたのはいつか分かります?」 「二週間ほど前らしい」 ……それは長門だろうか?その可能性はあるだろうか? 「すいません」俺は受付のお姉さんに話し掛けた。 「ちょっとこの写真見ていただけませんか」俺は長門とハルヒが写っている写真を見せた。 「この、髪の短いほうの子、見かけませんでしたか」 お姉さんは、うーんともふーむともつかない声を出した。 遠目に近目に写真を見ていたが、ちょっと覚えていないと言った。 これだけ人が出入りするんだ、覚えていろというのが無理な話かもしれない。 「写真持ってたんだ?」 「あ、まだ見せてませんでしたね。すいません」 「これはまた美人だな。僕はアニメでしか見たことないから」 「そうなんですか」まあ当然っちゃ当然だが。アニメでないならただのコスプレだろう。 「実写版やるとしたら、まさにこんな感じだよなぁ」 実写ドラマやるのか……かなり映像に無理があるんじゃ。閉鎖空間とか。 俺は図々しくもお姉さんに、もしこいつが来たら俺が来たことを伝えてくれるよう頼んでおいた。 長門ならそれだけで十分だろう。あとは情報操作とやらで俺の居場所は分かるはずだ。 図書館で重要な手がかりを得たあと、午後には屋敷に戻った。 「東中のグラウンドを見てみたいんですが」 「中に入ってみたいかい?」 「ええ、できれば」 「教師にひとり同級生がいるから、聞いてみよう」 谷川氏は電話でしばし世間話をしたあと、グラウンドを見てみたいんだが、と切り出した。 「四時頃ならいいらしい」 「ありがたい」 「とはいっても、ただのモデルだからね。名前は違うし、見た目も若干も違うけど」 あの場所は忘れようにも忘れられない。ハルヒが俺とはじめて出合った場所だ。 過去の七夕には朝比奈さん(小)を背負って歩かされた。 谷川氏の車で中学校まで乗りつけた。谷川氏の同級生という男性教師が迎えてくれた。 「ここも舞台になってるんだけど、北高ほどは知られてないんだよね」 作中の東中は若干位置がわかりづらいらしい。 谷川氏と俺は校舎から出てネット越しに運動場を眺めた。 「最近は関係者以外は中には入れないけど。むかしはよくここで遊んだよ」 確かに広い。昼間見るのは、はじめてだ。 「こんな広いところによく地上絵を描いたな」実際は向こうの世界のここだが。 「地上絵を描くのって意外に難しいんだ」 「ハルヒの頭の中では文字すべての線の長さと角度が計算されてたんですね」 「ハルヒは数学が得意だからね」 「よく知ってますね」 「そりゃまあ、僕が生みの親だし」 もっともだ。 冷たい風が吹きぬけた。俺は襟を立てた。 グラウンドの向こう側で陸上部らしい女子生徒が走り回っていた。 ハルヒの中学時代はこんな感じだったんだろうか。俺は校区が違うから、ここにはなじみはないんだが。 中学生のハルヒは奇妙なことばかり繰り返していたらしい。 谷口曰く、かわいいからと思って話し掛けるとトゲのある答えしか返ってこない、バラみたいなやつだったと。 親しい友達もなく、親にも打ち明けられず、ひたすら孤独だったことだろう。 あいつはあれからずっと、ジョン・スミスを探していたのかもしれない。 柄にもなく、昔のハルヒを思い浮かべた。あいつの顔じゃ、あんまり郷愁は感じないが。 俺が探さないといけないのは、ハルヒとの接点じゃなかった。俺と長門を結ぶ接点だ。 だからここにはなにもない。俺たちは三十分くらいでその場から引き上げた。 この屋敷にやっかいになって三日が経とうとしている。 翌朝、谷川氏が言った。 「北高の見学、聞いてみたけどね、やっぱり無理らしい。今ちょうど受験シーズンで、 先生も生徒もピリピリしてるから、年が明けてからにしてくれってことらしい」 「そうですか」予想はしていたが。年明けまではとても持ち越せない。 まあ俺が中に入れないってことは長門も予想できただろうし、 ということはメッセージは何も残してない可能性が高い。 そう考えて納得することにした。最近はあきらめるのにも理由を考えるようになった。 谷川氏は今日は出版社で打ち合わせがあるので、調査には付き合えないとのことだった。 執筆の仕事もあるだろうに、毎日つき合わせては申し訳ない。 俺は自転車を借りて町並みを回ってみることにした。 ハルヒが超監督で撮った映画の舞台を追ってみた。 長門と朝比奈さんが対決した森林公園、朝比奈さんと谷口が飛び込んだ新池、桜並木がある夙川公園。 朝比奈さんがトンデモ告白をしてくれたベンチもちゃんとあった。 同じだ。何も変わりがない。 こういう自然の風景にはさほど違和感を感じない。感じるのは人工の建物だけなのかもしれない。 そういえば俺の自宅はいったいどうなってるんだろう?昨日からずっと考えていた。 俺の知らないところで、俺を除いた俺の家族がそのまんま別の人生を過ごしているんだろうか? それとも家そのものがないんだろうか。 俺は自宅近くまで行って、そこから通学路を辿って北高まで行ってみることにした。 谷川氏は道順も場所も同じだと言っていた。 俺は線路を越えて自宅がある(と信じている)場所へ自転車を走らせた。 後ろに過ぎてゆくのは見慣れた景色だった。風景だけが同じ、そこにいる人間は誰も知らない。 猫は飼い主よりも場所に執着するというが、俺はどっちかといえばそこにいる人間に愛着を感じる気がする。 俺にとっての自分の居場所は建物や地理なんかじゃなくて、たとえばSOS団のメンツや、親や妹や、 シャミセンがまとわりついてくる日常。そんな他愛もない時間そのものなのだろう。 馴染んでしまったり忘れることが出来ないものというのは、特定の場所や風景なんかではなくて、 むしろ、そのとき誰かと触れた流れる空気みたいなものだ。 時間と空間は同じ、と長門は言っていた。今は少しその意味が分かる気がする。俺なりにだが。 馴染みの町内にたどり着いた。 俺は自転車にまたがったまま、前方にある俺の自宅っぽい地所を見つめていた。 そこに、まったく同じ、俺の家がある。どうしたらいいんだろう。 玄関を開けてそのまま、ただいまと中に入ってしまいそうだ。 俺は携帯をいじるふりをして、その場に自転車を止めた。 家の様子を見ていると、ドアが開いて誰かが出てきた。 まったく知らないオバさんだった。あわてて目をそらす。 不意に、俺の家に知らない人が住んでいる感覚に襲われた。 本当はそこにいるべきは俺なんじゃないか。 ドアから出てくるのは本当は俺のおふくろなんじゃないか。 俺は頭を振り払ってその思いを消した。 住んでる人は違うのに、なぜあの家はあんなに似通ってるんだろうか。 それだけが疑問として消えなかった。 そこから駅に向けて自転車をこいだ。制服を着ていないのがなんだか違和感を感じる。 甲陽園駅まで乗りつけた。こないだのマンションが見えた。 あのときは長門とはなんら関係ない赤の他人を呼び出すなどと、血迷ったマネをしてしまったが。 いつもはここで自転車を止めるんだが、今日はそのまま乗って坂道を登った。 この坂の勾配はハイキング並にきつくて、入学したての頃は入る学校を誤ったと後悔したものだ。 自転車だと階段のないルートを辿らないといけないので、さらにきつい。 俺はとうとう押して歩いた。こんなことならいつものように駐輪場に止めておけばよかった。 途中、短大と私立の進学校の前を通った。似ているっちゃ似ている。名前は違うんだが。 この微妙な、心理的な部分で納得がいかない類似が俺を不安にさせた。 さらに坂を登り、北高らしき建物にたどり着いた。よくよく見ると名前が西宮北高になっちまってる。 正門には生徒がいたので俺はそのまま通り過ぎて、坂を登りつづけた。制服が違うな。 敷地をぐるっと回って西門まで行こう。俺の予測が正しければ、そっちのほうが人は少ないはず。 途中で見上げると、部室棟らしき校舎が見えた。あれか。 俺たちの文芸部部室がどうなっているのか、ここからでは分からなかった。 今すぐ校舎の階段を駆け上って、あの部屋のドアを叩いてみたい衝動に駆られた。 夜になるのを待って部室棟に忍び込んでみようかとも考えた。 でも俺は自分を抑えた。忍び込んで捕まったりしたら谷川氏にとんだ迷惑をかけてしまう。 血迷ったアニメオタクが県立高校に侵入。そんな三面記事、俺も読みたくない。 結局、歩道橋の交差点まで登ってそこから南西に坂道を下る。 西側からは校舎の剥き出しのコンクリが見えるだけで、なにも分からなかった。 こんなことをやっていてもなにも得られないのは分かっていた。 俺が中に入れない以上、長門もそこには行かないだろう。 長門との接点は場所じゃないんだ。過去に二人が共有したなにかだ。 俺は来た道は戻らず、坂道をそのまま下り、回り道をして甲陽園駅に戻った。 ひとつだけ忘れていた場所があった。長門に呼び出されて待ち合わせた、駅前の公園だ。 果たせるかな、街灯の下にベンチはあった。このベンチにはいろんな思い出がある。 最初のは“午後七時、光陽園駅前公園で待つ”だったか。 あんときの俺は俗っぽい生活の代名詞みたいな人生で、 宇宙論やら時間論やらとは遠いかけ離れた生活をしてたからな。 もっとまじめに聞いてやればよかった。 帰ろうとする俺を見る長門の表情に広がる、小さな波紋。 今ならあの微妙な表情の意味は分かる。 部屋の一角に、時間ごと冷凍保存した俺を三年間待ちつづけていた。 ── ただ待っているだけの人生なんて嫌 そう言いたかったんじゃないか。 俺はベンチに座り、長門と出会ってからのことを思い返していた。 あいつをひとりにしてはいけない。それが俺がここにいる理由。あいつを追いかけてきた理由。 気が付くと四時を過ぎていた。だいぶ冷え込んできたので駅近くのコンビニへ行った。 俺はホットのお茶をレジに置いた。朝比奈さんの点てた暖かいお茶が飲みたい。 ものはついでだ、俺は店員に尋ねた。 「すいません。実は人を探してるんですが、ちょっと写真見てもらえないでしょうか」 レジの若い店員は珍しいものを見るように俺を見た。 「え……人探しですか」 俺は長門とハルヒが写っている写真を見せた。 おっさんたちに握り締められてだいぶよれよれになっている。 「身長は俺より低い、小柄な子です。名前は長門と言うんですが」 店員は遠目に近目に、しばらく写真を見ていたが、奥にいるらしい誰かに向かって声をかけた。 「店長、これ、前ここで働いてた子じゃないっすかね?」なんですとぁ!!? 「どれ……。どうだろ。覚えてないなぁ」初老のおっさんが出てきて写真を見た。 「ほら、例の、三年くらい前の事件」 「ああ、あの子か、思い出した。確か名前は田中とかじゃなかったかな」頭に乗っていた老眼鏡をかけなおした。 「ええと、田中は母親の苗字なんです。小さいとき両親が離婚して離れ離れになりまして。実の妹なんです」 とっさに口からでまかせを言ったが、我ながらもっともらしい嘘だったと思う。 「ああ。思い出した。セーラー服で突然やってきて、ここで働かせてくれと言った。やたら無口な子でね。 まあ連絡先はちゃんとしてたし、まじめな子っぽかったんで雇ったんだけど。 ワケアリみたいなんで詳しくは聞かなかったけどね」 「いつごろですか」 「働き出したのは四年か五年くらい前かなあ」 「あんまり大声じゃ言えないことだけど、……三年前に強盗が入ったんですよここ」若い方が声をひそめて言った。 そのときに犯人を退治したのがその子だったらしい。 「巴投げとか言うのかな、あの技?包丁を振り回す犯人をぶん投げて、こう!」店長が腕だけ実演して見せた。 「かっこよかったですよね。なんか合気道の心得があるんだとか言ってましたっけ」 巴投げは柔道だと思うが、そのトンデモでまかせは長門流かもしれない。 その後、テレビやら新聞やらの取材があったのだが、ふつとかき消すようにバイトをやめたらしい。 「翌日から来なくなってしまってね。思えば、あれが原因でやめたんだ。いい子だったのに残念だった」 「今どこにいるか分かります?」 「ずいぶん前のことだからね。隣の駅くらいに住んでるとは聞いてたけど、それ以外のことは覚えてないねえ」 「そうですか。もし見かけたらこの連絡先を伝えてもらえませんか」俺は谷川氏の電話番号を伝えた。 「ああ、いいよ」 長門の気配が急に濃くなった気はするが、まだ道は遠い。あいつ、ここで何をしていたんだろう。 食うためのしのぎ以外に、誰か知ってる人間が通りかかるのを監視していたのかもしれない。 少なくとも存在だけは確認できた。三年前という遠い過去のことだが。 俺はお茶を受け取ってコンビニを出ようとした。自動ドアにバイト募集の貼り紙がしてあるのに気が付いた。 俺はふと思い立って、店長と呼ばれたおっさんに尋ねた。 「すいません、これまだ募集してますか」 「ああ、いつでもしてるよ」 「自分もバイト探してまして、面接お願いしたいんですが」 「じゃ履歴書書いてきて。来週くらいでどうかな」 「できれば今日お願いできないでしょうか」時間が惜しい。俺にはそれがあまり残されてない気がする。 「キミも急いでるの?じゃあ六時ごろシフト抜けるからその頃来て」 俺はその場で履歴書とボールペンを買った。証明写真をどこかで撮らないとな。ああ、あと三文判も。 駅前の証明写真ブースで顔写真を撮り、喫茶店で履歴書を書いた。ここで六時まで時間を潰さないとな。 自分の顔写真を見て少しやつれていることに気がついた。このところ毎日出歩いてるからだろう。 写真を切るものがなにもないことに気が付いて、ウェイトレスに声をかけた。 「お姉さん、ハサミ貸して~」なんだかうちの妹みたいな口の利き方になってしまったが。 さっきの店員にどうもと頭を下げると事務所に通された。 「缶コーヒーでも飲む?」 「あ、いえ、さっき喫茶店で飲んだところなので」俺は履歴書の入った封筒を差し出した。 おっさんはうやうやしく履歴書を開いて読んだ。 「高校二年生ね。学校によっちゃバイト禁止なんだけど、キミんとこは大丈夫なのかな」 「ええ。一応申請するんですが、たいていは許可がおります。素行が悪くない限りは」 レジのほうから声がした。「店長、受け取りお願いします」 「ああ、ちょっと待っててね」おっさんが席を立った。 長門、頼む。俺に二十秒だけ時間をくれ。 俺はスチール机のいちばん下の引出しを漁った。 果たしてそれがそこにまだ残ってるのかどうか俺に確信はなかった。 何通もの古い履歴書の束を見つけ、下から順にめくった。 当たりだ、長門の履歴書だ。写真も丁寧な明朝体もあいつのものに間違いない。 俺は急いでバックパックに放り込んだ。 それからの俺はおっさんとの面接も上の空、話はほとんど聞いちゃいねえ。 もう、ただただ長門の直筆を手にしたという安堵感と、 早くくだらないおしゃべりを切り上げてこの住所に行って確かめたいという焦燥感とが、俺の頭の中を入り乱れていた。 礼もそこそこにコンビニを後にした。 俺の連絡先も電話番号もどうせニセモノだ。やる気になればこっちから電話すればいい。 長門の履歴書に書かれている住所は、確かに隣の駅に近かった。 偽名を使った長門が正しい住所を書くだろうかと疑問に思ったが、 今は考えるより確かめに行くほうが先だった。他に手がかりがないこの状況では。 俺はタクシーを止めて乗り込んだ。 長門有希の憂鬱Ⅰプロローグ 長門有希の憂鬱Ⅰ一章 長門有希の憂鬱Ⅰ二章 長門有希の憂鬱Ⅰ四章 長門有希の憂鬱Ⅰおまけ
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/5592.html
静寂。それからは何故だかよく分からないが心の平安を与えられる様な気がしないだろうか? …決して頭のネジが捩曲がった上にぶっ飛んでしまって空いた穴に石油が溜まってしまったからこんな訳の分からん事を言っているのではない。 元来、スローライフやらなんやらに対して少なからず憧れを抱いていた俺だからこそ感じれる感覚なんだよ。 だからそんな俺にとって今隣で置物以上に置物っぽく座っている番の片割れはまさしくベストパートナーと言うに相応しいんだな。 長門有希。なんたらこうたらうんたら体がハルヒの唐変木な力を調査するために生み出したなんちゃらフェース。 なんていうものは過去の認識であり、今は多少人間には出来ない事が出来たり、多少普通の人間とは違った習性を持ってはいるものの今そんなインターなんちゃらなんて風に読んだら人権擁護団体が騒がしくなってもな不思議ではない位、人間らしくなっている。 そして何より俺とは 「…………」 いきなり手をギュッと握ってきたりしても俺の頭の中では素数が行進を始めたりはしないような間柄になった。 「いきなりどうしたんだ?」 「…………」 以前にも増して近しい間柄になったとはいえ未だに長門が何を考えているのが解らないときはある。 まあ、いくらなんでも相手の考えていることが全て解るっていうのは精神衛生上良くない。 が、自分の恋人が一日中普段とは違う雰囲気をまとっていたら精神衛生なんてどうでもよくなるもんである。 「朝から様子が変だったが…何かあったのか」 「…………」 俺の問い掛けに対しすぐに返事をよこすようならしくない真似はしない。 だから俺自身も深く追究するような野暮ったい真似はしない。 まあ、その代わりと言っちゃあ何だが繋いだ手を少し強く握りしめてやるのが俺のかつとめだろうよ。 そうする事数分。 俺の繋いだ手が空気を読めずに汗ばみだした頃、長門は口を開いた。 「…今朝、悪い夢を見た」 「夢?」 「そう、私は今まで夢について本やその他諸々から得られた情報によりある程度の知識はあった。しかし、実際にそれを見た事は今まで無かった…正確にはそのような機能は有していなかった」 始めて見た夢が悪夢か… 俺自身初めての夢がそんなの風だったら軽いトラウマになるだろうな。 「私は夢を見るという体験をするため私自身に対しそれを見れるような情報操作を施した。…私自身夢に対して理想を抱いていた事は事実。しかしこれまでの経験上その理想が打ち破られるのも想定していた。…しかし、今朝のそれはあまりにも酷かった………」 長門は一呼吸置き、そして呟いた。 聞き取れた俺は勲章を貰えるんじゃないかという位小さな呟きを。 「………それは貴方が奪われる夢」 「奪われる?俺が?誰に?」 「そう。一体誰が貴方を奪ったのか解らない。私の記憶にはない者だった」 なんともあやふやだなおい。 らしくないぜ全く。 「…貴方はずっと私の傍にいてくれると約束してくれた。それを疑うつもり微塵もない。ただ…」 「ただ?」 「もう一度約束して欲しい」 「……嫌だと言ったら?」 「…………」 そんなこの世の終わりどころかあの世の終わりみたいな顔するなよ。 余計にいじめた…ゲフンゲフン 「嘘だよ。お前さんが望むなら何度でも言ってやるさ」 「………本当に?」 不安げに俺を見つめるな、可愛すぎるだろ全く… やれやれ、何時から俺はサディストになったっていうんだ? 「ああ本当だ。耳の穴かっぽじって聞けよ」 長門が普段より深く頷いたのを確認し俺は 「 」 この世のものともあの世のものとも言いがたいほど臭いセリフ再びを吐いた。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip2/pages/5220.html
静寂。それからは何故だかよく分からないが心の平安を与えられる様な気がしないだろうか? …決して頭のネジが捩曲がった上にぶっ飛んでしまって空いた穴に石油が溜まってしまったからこんな訳の分からん事を言っているのではない。 元来、スローライフやらなんやらに対して少なからず憧れを抱いていた俺だからこそ感じれる感覚なんだよ。 だからそんな俺にとって今隣で置物以上に置物っぽく座っている番の片割れはまさしくベストパートナーと言うに相応しいんだな。 長門有希。なんたらこうたらうんたら体がハルヒの唐変木な力を調査するために生み出したなんちゃらフェース。 なんていうものは過去の認識であり、今は多少人間には出来ない事が出来たり、多少普通の人間とは違った習性を持ってはいるものの今そんなインターなんちゃらなんて風に読んだら人権擁護団体が騒がしくなってもな不思議ではない位、人間らしくなっている。 そして何より俺とは 「…………」 いきなり手をギュッと握ってきたりしても俺の頭の中では素数が行進を始めたりはしないような間柄になった。 「いきなりどうしたんだ?」 「…………」 以前にも増して近しい間柄になったとはいえ未だに長門が何を考えているのが解らないときはある。 まあ、いくらなんでも相手の考えていることが全て解るっていうのは精神衛生上良くない。 が、自分の恋人が一日中普段とは違う雰囲気をまとっていたら精神衛生なんてどうでもよくなるもんである。 「朝から様子が変だったが…何かあったのか」 「…………」 俺の問い掛けに対しすぐに返事をよこすようならしくない真似はしない。 だから俺自身も深く追究するような野暮ったい真似はしない。 まあ、その代わりと言っちゃあ何だが繋いだ手を少し強く握りしめてやるのが俺のかつとめだろうよ。 そうする事数分。 俺の繋いだ手が空気を読めずに汗ばみだした頃、長門は口を開いた。 「…今朝、悪い夢を見た」 「夢?」 「そう、私は今まで夢について本やその他諸々から得られた情報によりある程度の知識はあった。しかし、実際にそれを見た事は今まで無かった…正確にはそのような機能は有していなかった」 始めて見た夢が悪夢か… 俺自身初めての夢がそんなの風だったら軽いトラウマになるだろうな。 「私は夢を見るという体験をするため私自身に対しそれを見れるような情報操作を施した。…私自身夢に対して理想を抱いていた事は事実。しかしこれまでの経験上その理想が打ち破られるのも想定していた。…しかし、今朝のそれはあまりにも酷かった………」 長門は一呼吸置き、そして呟いた。 聞き取れた俺は勲章を貰えるんじゃないかという位小さな呟きを。 「………それは貴方が奪われる夢」 「奪われる?俺が?誰に?」 「そう。一体誰が貴方を奪ったのか解らない。私の記憶にはない者だった」 なんともあやふやだなおい。 らしくないぜ全く。 「…貴方はずっと私の傍にいてくれると約束してくれた。それを疑うつもり微塵もない。ただ…」 「ただ?」 「もう一度約束して欲しい」 「……嫌だと言ったら?」 「…………」 そんなこの世の終わりどころかあの世の終わりみたいな顔するなよ。 余計にいじめた…ゲフンゲフン 「嘘だよ。お前さんが望むなら何度でも言ってやるさ」 「………本当に?」 不安げに俺を見つめるな、可愛すぎるだろ全く… やれやれ、何時から俺はサディストになったっていうんだ? 「ああ本当だ。耳の穴かっぽじって聞けよ」 長門が普段より深く頷いたのを確認し俺は 「 」 この世のものともあの世のものとも言いがたいほど臭いセリフ再びを吐いた。
https://w.atwiki.jp/haruhi_vip/pages/1902.html
暮れてゆく年 去年よりものの増えた部屋 窓から見える変わらぬ景色 空から降り行く無数の粉雪 あの人から、あの人たちからもらったたくさんの大切なもの 言葉にはできないけど、とても大切なもの 私は私の部屋でゆっくりと感じていた - ピンポーン - 突如鳴り響く来訪者のベル 私はゆっくり席を立ち、来訪者を迎え入れた 「おでんできたから一緒に食べましょ?晩御飯はまだだよね?」 「まだ」 前のような偽りではない笑顔 紺色の長い髪 朝倉涼子を、部屋に招きいれる If Story - 朝倉涼子と長門有希の日常 - ……… …… … 「相変わらず、殺風景な部屋ね」 「そう」 朝倉涼子は部屋を見渡し、呆れる様に語る 「ま、キョン君が来てから多少物は増えたかな」 クスクスと笑ってコタツの上におでんの入った鍋を置いた 私は台所から二人分の食器を運んでくる 「さ、食べましょ」 笑顔で私に笑いかける彼女 彼女に促されて私も席に着く 大根 はんぺん こんにゃく etc... 舌が火傷してしまいそうな熱さの物を、ゆっくりと口に運ぶ そして香りと味を感じる 「相変わらずよく食べるわね?太っちゃうわよ?」 朝倉涼子が私を見てからかいながら言う 「問題ない、涼宮ハルヒの観察という任務においてエネルギー消費量は通常より高い」 私はいつもどおりの返事を返す 「そういうこと言ってるんじゃないんだけどなぁ」 「?」 朝倉涼子が少し身を乗り出す 「おいしい?長門さん」 そうやって純粋に聞いてくる 私は無言でうなずいた 「あは、よかった」 その笑顔は、とても綺麗だった 彼が来てから変わったのは私だけじゃない 朝倉涼子も同じように変化した 最初は任務の為に、その結果の為だけに動いてた朝倉涼子 しかし彼との出会いが、彼女に意思と言うものを与えた そう、私と同じように 何事もない、静かな日常 何事もない、緩やかな日々 三年前の私とは違う 何事もない、充実した生活 決して変わることのない運命、命令、任務 しかしそれを遂行していく日常のほうが変化していく これは決して嫌なことではない 私と朝倉涼子の間にあった距離も、確実に縮まっていた それは、何より そう、嬉しいことだった 「長門さん」 朝倉涼子が言葉を発する 「何」 「明日の土曜日、ヒマ?」 無言でうなずく 確か今週の不思議探検は涼宮ハルヒの都合で中止されたはず 「そ?よかった、じゃあ一緒にどっか遊びに行かない?」 「何処へ?」 「まだ行ったことない動物園とか遊園地とか」 その笑顔は無邪気で、まるで子供のようだった でも、その笑顔が、何より好きだった 私は無言で頷く 彼女の笑顔をもっと見ていたかったから 「ホント?じゃあお弁当の準備もしなきゃね」 そのあとは適当な世間話、そしていつもの情報統合思念体に対しての定時報告 そうやっていつもの日常を繰り返す 「じゃ、私はこれで」 朝倉涼子は席を立ち、私にウィンクしながら語る 「そう」 私も、じっと彼女を見送る 彼女を少しでも長く見ていたかったから 私とは違う、私の別の可能性 彼女は私の、大切な”トモダチ” 明日の予定を思いながら、私は窓の外の景色を眺めた 大切な日常 大切な仲間 大切な友達 世界にはありふれたもの でも、ありふれているのは、それが本当に大切なものだから 誰しもが持っていたものを、私は持っていなかった そう、彼が来る前まで 大切な長門有希としての日常 大切なSOS団の仲間 そして、大切な朝倉涼子という友達 私はそれが嬉しかった だから、決して離さないと、離したくないと願った そんな、ありふれた大切な物語 -fin-