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陸奥国 耶麻郡 小田付組 上田(うはた)村 大日本地誌大系第32巻 88コマ目 府城の北に当り行程5里6町余。 家数22軒、東西3町15間・南北1町6間。 四方田圃(たんぼ)なり。 東2町稲田村の界に至る。その村は辰(東南東)に当り2町40間余。 西3町9間稲村の界に至る。その村まで4町50間余。 南4町54間下台村の界に至る。その村まで8町40間余。 北3町12間大沢村の界に至る。その村まで11町20間余。 また 未(南南西)の方8町3間小田付村の界に至る。その村まで16町。 丑(北北東)の方2町42間中田付村の界に至る。その村まで4町40間余。 亥(北北西)の方3町24間上岩崎村の界に至る。その村まで11町20間余。 端村 西村(にしむら) 本村の西3町余にあり。 家数5軒、東西1町15間・南北1町30間、四方田畑なり。 下村(しもむら) 本村の南3町余にあり。 家数13軒、東西1町6間・南北47間、四方田圃なり。 滝川(たきかは) 本村より寅(東北東)の方1町30間余にあり。 家数4軒、東西1町15間・南北24間。 四方田圃にて北に須蟹沢川あり。 山川 須蟹沢川(すかにさはかわ) 中田付村の方より来り、村中を過ぎ南に流るること14町10間余小田付村の界に入る。 広3間計。多く蟹を産す。 清水2 一は村東6町にあり。殿田清水(てんたしみず)という。周9間。 一は村より辰(東南東)の方2町30間にあり。周3間、床机清水という。 水利 下台堰 端村滝川の北にて須蟹沢川を引き下台村の方に注ぐ。 樋 滝川の北にて須蟹沢川の上に架す。 長6間・幅5尺。 神社 稲荷神社 祭神 稲荷神? 相殿 那摩利七世神 地主神なり 伊勢宮 八幡宮 幸神 鎮座 不明 村より未(南南西)の方7町余にあり。 鳥居拝殿あり。熊倉村山口美濃これを司る。 熊野宮 祭神 熊野宮? 勧請 不明 村の東北にあり。 林木繁茂して古社と見ゆ。 鳥居あり。山口美濃これを司る。 寺院 洞昌寺 端村西村にあり。 曹洞宗光重山と號す。熱塩村示現寺の末山なり。 開基の僧を齢岩という。齢岩は示現寺15世の法孫なり。 弥陀を本尊とし客殿に安ず。 古蹟 塚2 共に村の申(西南西)の方8町余にあり。 一は高9間・周53間。 一は高3間・周23間。 その謂れを詳にせず。 旧家 鈴木善兵衛 この村の肝煎にて紀伊国藤代の住鈴木三郎重家が末裔なり。重家は源義経本国下向の時従い来り高舘にて討死せり。その頃重家が子、父のゆくえを尋んため修験に身を替え常光坊と称し本国に下りしに、父が討死を聞きこの村に止り熊野宮を勧請し代々修験を相続す。然るに重家より8代の孫大壽院が子少納言というもの鈴木善左衛門と称してこの村の肝煎となり、子孫相続いて今に至るという。 藤代の鈴木三郎というものの家へ今に書翰(しょかん)往復して同性の好をなすとぞ。 Google Map上田地区 西村地区 下村地区 滝川地区 稲荷神社? 熊野神社 洞昌寺 糠塚古墳群(糠塚古墳) 山首神社(やまがしら じんじゃ)(那麻里七世神社)社が建っていますがここも古墳の一部です。 鈴木重家 (wikipedia) 糠塚古墳群(喜多方観光物産協会) 余談。 はっきりとしたことは分かりませんが、稲荷神社の相殿神にある那摩利七世神は今の山首神社の祭神でしょう。那麻里七世神を調べても来由が出てこないので、昔この地域を支配していた豪族の名前かと思われます。
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春になってから、小十郎は忙しくなった。 北の一揆衆との折衝に、三河と甲斐に対する縁談破棄。奥州内の豪族とささやかながらも 揉め事が発生したため、合戦で慌しい時期もあった。 一連の騒動が片付いたと思ったら、今度は田植えの時期である。兵たちは家に返し農作業に 従事させる。そのため、城の警備や兵の調練はどうしても甘くなる。 政宗に何かあらぬよう、本来なら勤めではない城の警備役も、小十郎は勤めていた。 それらの仕事に加えて、畑の管理も怠ってはならない。あれはすべて伊達家の、政宗の 口にはいる大切な食材だ。水や肥料の与え方、苗の管理まで何もかもが目を離せない。 夜中に畑に出るわけにもいかないので書類の確認を夜中に行っていると、夜着に着替えた政宗が部屋に入ってきた。 「何かご用ですか」 筆を置き、頭を下げる。政宗は小十郎の目の前にどかっと座った。あぐらをかいて座ったため、 裾が割れて白い脚が見えた。 あばたの跡こそ広がっているものの、筋肉のついた脚は男と違いしなやかで艶かしく、小十郎は一瞬目を奪われる。 「また徹夜か。戦の最中じゃねぇんだから、無茶するんじゃねぇよ」 「仕事を溜めてしまっただけです。政宗様にご心配いただくほどのことではありません」 「昨日も、明かりが灯ってた。その前も明け方までついてたし、その前もそうだったじゃねぇか」 「……よくご存知で」 政宗の閨と小十郎の居室は近い。政宗の守り役になったときから部屋を変えていないため、 明かりがついていたら互いに分かる場所になっている。 「政宗様も、あまりお休みになられておられないのではないですか」 「……別に。昼過ぎにちょっと寝てるからいいんだよ」 政宗はちょいちょいと指を動かした。小十郎は膝を近づける。政宗は無造作に小十郎の頬を挟む。 「お前が倒れたら他の連中が困るんだよ。さっさと寝ろ。これは命令だ」 小十郎は頬から政宗の手を外し、頭を下げた。 明日までに政宗に渡さねばならぬ案件が二つ。一揆衆から届いた書状の返書。 懲りずに四国から送られてくる書状に対する政宗の返書の添削。様々な書類が小十郎の机の上に散らばっている。 これらを今夜中に仕上げねば、政宗の機嫌を損ねてしまう。 「大丈夫です。ですから、その命を聞くことはできません」 顔を上げてはっきりと命を拒む。 「!」 ぱん、といい音がした。逆の頬に平手を食らう。口の中に苦味が広がった。 「政宗様」 「Do as you like(勝手にしろ)! 人が折角心配してやってんのに!」 「ご心配には及びません。この小十郎のことでお心を痛められぬな」 「知るか! もうお前なんか心配しねぇよ! 勝手に徳川呼ぶぞ!」 「どうぞ」 三河の徳川家康は、政宗のよき理解者であり同盟国の国主である。また、政宗に婚姻を申し出てきている。政宗に害を与えるような男ではない。 「……! もういい!」 ものすごい勢いで障子戸が閉まる。書斎と寝室を区切っている几帳の飾り紐がひらひらと揺れた。空気が電気を帯びたような気配を感じる。 小十郎は頬に手を当てた。 政宗は感情の起伏が激しい上に気難しいところがある。今の政宗は不機嫌そのものだったが、ただ単に機嫌が悪いだけではなかったような気がする。 どうしてあんなにイライラしていたのだろう。今更ながら心配になる。 (……まさか) ふとした答えが浮かび上がるが、まさか、と一笑して答えを心の中に留める。 そして机に向き直り、長曾我部元親に宛てた政宗直筆の手紙に朱墨を加える作業を再開した。 三年目の浮気3
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武将名 むらかみよしきよ 北信の雄 村上義清 統一名称:村上義清 生没年:1501~1573「武田の小僧…… 再び地獄を見せてやろう」北信濃の豪族。武田信玄と対立し、上田原の戦いで武田軍宿老である板垣・甘利を討つ。さらに戸石城に迫る信玄を再び撃退するなど、勇名を轟かせた。しかし真田幸隆の計略で城を奪われ、越後へ逃亡。以後、謙信の配下となった。 勢力 玄 時代 戦国 レアリティ N コスト 1.0 兵種 騎兵 武力 3 知力 2 特技 気合 計略 至上の勇武 武力と知力が上がる 必要士気 4 効果時間 知力時間 Illust. 添田一平 声優 藤沢としや 計略内容 カテゴリ 士気 武力 知力 速度 兵力 効果時間 備考 武力強化 4 +4 +4 - - 5.9c(知力依存0.4c) - (最新Ver.1.1.0A) 調整履歴 所感 コスト比高武力に気合を備えた、優秀な1コスト武闘派騎兵。 武力・突撃の瞬間火力・気合の粘り強さによる白兵能力は1コスト最高峰。 一方で低知力の騎兵で攻城要員には不適。 計略も強化戦法と似たり寄ったり。 基本的にはスペック採用となるだろう。 解説 武田信玄を何度も打ち破った北信濃の武将。 特に1550年の戦いは「砥石崩れ」と呼ばれ、武田信玄にとって生涯最大の敗北とされる。 しかし真田幸隆の調略により裏切りが続出、徐々に追い詰められていった。 窮した義清は、信玄に対抗するために越後の上杉謙信に支援を要請。 それに応えた謙信が、北信濃に軍勢を派遣したことで「川中島の戦い」へと発展していった。 つまり武田・上杉の因縁を作った張本人である。 大戦シリーズにおいて 戦国大戦で1枚だけ登場。 上杉家所属で2.5コストで9/7の騎馬という、稼働当初のカードながら際立ったスペックをしていた。 さすが信玄に苦汁を嘗めさせた名将と言ったところだが、高コストにして汎用計略のスペック要員というやや異質な立ち位置だった。 今作では一転して1コストに下がったものの、スペック要員の騎兵という要素は変わらないままイラスト・CVともに一新して登場。 なお、戦国大戦時代は上杉家のイラストルールとしてイラスト内に「烈」と描かれていた。 だが今回はなくなっているため、肩書きの通り北信濃の群雄としての参戦と思われる。 (兜の前立ての「丸に上の字」は村上家の家紋である) 台詞 \ 台詞 開幕 河内源氏が末裔、村上義清が武を見よ! └敵軍に緋023_武田信玄 武田の小僧……再び地獄を見せてやろう 計略 すべて蹴散らせえ! └絆武将 多くの死線を越えた者が真の武人となる! 兵種アクション 未熟者め! 撤退 本懐なり…… 復活 勝利にて償うべし 伏兵 我が槍をくらえ! 攻城 勝利への執念が、いま貴様らを上回った! 落城 我らの時代は終わった……だが、我が武は此処に残る 贈り物① - 贈り物② - 贈り物(お正月) 村上左近衛少将は今年も御の力となる事を誓う。 贈り物(バレンタインデー) 客将の身で、このような物をいただいてもよろしいのか?ありがとう。 贈り物(ホワイトデー) 客将ではなく、それ以上の関係でいたいと申してくれた。我もそれに応えよう。 贈り物(ハロウィン) 我が信仰と外れたものには参加せぬ。 友好度上昇 - 寵臣 - 贈り物の特殊演出 会話武将 台詞 玄054村上義清 異教の祭りに興ずるものの多いことよ。一様に浮ついて、嘆かわしい…… 玄054村上義清 景虎殿ならお分かりいただけよう! 玄004上杉謙信 村上殿もハロウィンの篝火に入られるか?面妖だが、どこか護摩行に通ずるものがある。 玄054村上義清 適応しておる…… 名前
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このページは、留学生対象の地域環境論の授業で説明されている、日本の歴史や文化・文化財に関する基本資料のページです。 文化財について 定義 文化庁のウェブで説明されている定義 文化財は、我が国の長い歴史の中で生まれ、育まれ、今日の世代に守り伝えられてきた貴重な国民的財産です。これは、我が国の歴史、文化等の正しい理解のために欠くことのできないものであると同時に、将来の文化の向上発展の基礎をなすものです。 我が国の文化財保護の行政は、その制度が明治期に創設され、時代情勢を反映した数次の改正を経て今日までたゆみなく続けられてきました。そして、保護の対象が拡大するとともに、その方法にも種々の配慮が払われ、国と地方公共団体、所有者、国民が一体となって、文化財を保存して次世代に継承することはもとより、積極的に公開・活用を行うように努めています。 ある県の教育委員会のウェブで説明されている定義(ほとんど同じだが、内容がよりわかりやすい) 文化財とは、私たちの遠い祖先が生活する中で長い年月をかけて創り出し、守り伝えられてきた文化遺産を指します。これらの文化財は、一度失ってしまえば二度とよみがえることのない、私たちの共有財産とも言えるものです。現代を生きる私たちにとって、文化財はかけがえのない財産であることはいうまでもありません。そして、さらに重要なことは将来を生きる私たちの子孫のためにも守っていかなければならないものです。 文化財の種類 文化財保護法では、文化財を6つの種類に分けている。 有形文化財 建造物、美術工芸品(絵画、彫刻、工芸品、書籍典籍、古文書、考古資料、歴史資料) 無形文化 演劇、音楽、工芸技術など 民俗文化財 衣食住、生業、信仰、年中行事などに関する風俗習慣、民俗芸能、民俗技術など 記念物 遺跡、庭園や美しい自然風景、貴重な動植物など 文化的景観 地域の人々の生活・生業および風土によって形成された、棚田、里山などの景観、日本の原風景 伝統的建造物群 周囲の環境と一体をなして歴史的風致を形成している伝統的町並み、集落など 大きな区分は、上の6種類だが、その他の区分方法として、 重要文化財(有形文化財のうち特に重要なもの) 国宝(重要文化財のうち、特に価値の高いもの) 埋蔵文化財 などという言葉もある 詳しくは、文化庁、Wikipediaの解説を参照 また、文化財の画像データを体系的に整理して公開しているウェブサイトとして、文化遺産オンラインも、必ず見ておくこと 日本の歴史 最低限の写真で見る日本の歴史 縄文時代 旧石器時代、最終経済、照葉樹林文化 縄文式土器 (複雑、呪術的) 弥生時代 農業(稲作)、定着、村・小さなクニ 弥生式土器(焼き物技術の進歩、単純) 古墳時代 (国の発達、豪族) 大仙陵古墳(前方後円墳) 飛鳥時代(日本という国の成立、歴史の始まり、仏教導入) 法隆寺五重塔(聖徳太子、和をもって尊しとなす) 奈良時代 藤原氏による二重構造の政治体制、記紀、怨霊 東大寺大仏 平安時代 国風文化(かな文字、十二単、和歌) 末期には、末法思想(浄土思想) 平等院鳳凰堂(柔らかさ、浄土へのあこがれ) 源氏物語絵巻(道具としての女性の地位の向上、摂関政治、無常観) 鎌倉時代 武士政権の始まり 天皇と武士という二重構造 日本的仏教の始まり(禅宗、浄土宗、浄土真宗、日蓮宗など) 金剛力士像(力強さ) 室町時代(前期は南北朝) 鹿苑寺金閣(北山文化、足利義満、華やか、貿易・経済の発達) 水墨画 (雪舟「天橋立図」) 竜安寺石庭(京都府) 室町時代(後期 戦国時代まで) 応仁の乱、東山文化 銀閣寺(慈照寺)わび・さび、書院造り 川中島の戦い 戦国時代 安土桃山時代 織田信長、豊臣秀吉、再統一、ひょっとしたら、日本が近代的な大国になっていたかも・・・という期待 姫路城 江戸時代 鎖国、日本的な近代 浮世絵(「富嶽三十六景 - 凱風快晴」葛飾北斎 寺子屋 歌舞伎(勧進帳から) 人形浄瑠璃
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imageプラグインエラー ご指定のURLはサポートしていません。png, jpg, gif などの画像URLを指定してください。 日の本一の兵 信濃の豪族・真田家の若武者。 もののふとして信義を重んじ、たとえ困難な状況にあっても己の信じた道を貫こうとする。 兄である信之とは幼い頃から仲が良く、敬意と信頼を寄せている。 http //wikinavi.net/orochi3/index.php?%E7%9C%9F%E7%94%B0%E5%B9%B8%E6%9D%91 神格化可能武将 → 真田幸村(神格化・DLC) http //medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamehis/1541975773/637 637名無し曰く、 (ワッチョイ dea6-kBYG [119.172.126.56])2018/12/04(火) 20 22 54.66ID EBmrE5hx0 【使用キャラ】真田幸村 【レベル】100 【神器】イスグレイプニル(DLC) 【武器属性】風斬・勇猛・神速・天撃・進撃・伸長・吸生・堅甲 【ステージ(難易度)】激闘!三国vs戦国(修羅) 【タイム】15:12:34 【撃破数】 3374 【立ち回り】 通常神術つかってC4で全部終わり。 状況次第でカオスオリジンは合体神術なり、固有神術なり、C4なり。 攻撃を受ける可能性があるのは、乱舞くらいであろう。 奥の手として覚醒神速で暴れることも可能。 【総評】 防御面が強化され、鉄壁の守りを敷くことが可能になった日の本一の兵。 ノータイム・(ほぼ)ノーコストでバリアが張れるので弱いわけがない。 ハルパー勢と違い武将の無力化ができないのでそこだけは注意。 C4は属性しだいのところがあるので、モンスターは一撃で倒せない可能性がある。 堅甲はほぼいらないものと考えていいので、属性は一個余っていると考えてよい。 火力が欲しいなら猛砕辺りが候補だろうか。 ランク評価はSでお願いします。 http //imepic.jp/20181204/731310 https //medaka.5ch.net/test/read.cgi/gamehis/1545471850/67 67名無し曰く、 (スププ Sda2-Gn8V [49.98.45.30])2019/01/07(月) 19 16 13.20ID g/gstZaDd 【使用キャラ】真田幸村 【神器】DLCイスグレイプニル 【レベル】100 【武器属性】風斬・神速・吸生・伸長・勇猛・進撃・堅甲・暴風 【ステージ(難易度)】それぞれの絆(修羅) 激闘!三國VS戦国(修羅) 滅びの運命(修羅) 【タイム】 11:36:16 14:14:31 6:04:10 【撃破数】3963 5254 1561 【動画】https //youtu.be/rk3nQ3YKjEM 【動画】https //youtu.be/XqBFkerShwg 【動画】https //youtu.be/7HV5Sb8H8RI 【立ち回り】 主力はC4、通常神術、神速攻撃、固有神術。イスグレイプニルの通常神術は攻撃を当てた敵をピヨらせつつ一発だけ無効化するバリアを貼る。 このため、通常神器と比べると対モンスター性能が飛躍的に向上。巨大レイスの攻撃すら一発は無効化するのでモンスター相手には強気で立ち回れる。 一方で、武将戦にやや不安を残す。特にイスグレイプニルのバリアはダメージに関わらず一発しか無効化できないようで、 弓兵の攻撃だろうと1発でしっかり解除されてしまう。またハイパーオーディンなど無双武将相手だと、バリア解除→そのまま殴られ続けるといったことも起きうるので この点に関しても不安性能を残す。幸い幸村はスピードタイプなのでさほど影響はないと思うが。それ以外は基本的に通常神器と同じである。 ランクは1個下がってS-。下がるというと語弊があるが、実際のところ通常神器と総合性能はあまり変わらない。 対武将は向こうが、対モンスターにはこちらが分があるといった印象。なので「通常神器と並ぶ位置に戻す」という表現が的確か。
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【元ネタ】史実 【CLASS】セイバー 【マスター】 【真名】ジェルジ・カストリオティ 【性別】男性 【身長・体重】208cm・99kg 【属性】中立・善 【ステータス】筋力C 耐久B 敏捷C 魔力D 幸運D 宝具B 【クラス別スキル】 対魔力:D 一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。 魔力避けのアミュレット程度の対魔力。 騎乗:C 騎乗の才能。大抵の乗り物、動物なら人並み以上に乗りこなせるが、 野獣ランクの獣は乗りこなせない。 【固有スキル】 カリスマ:B 軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において、自軍の能力を向上させる。 Bランクは、一国の指導者でない者としては破格であると言える。 軍略:C 一対一の戦闘ではなく、多人数を動員した戦場における戦術的直感力。 自らの対軍宝具の行使や、逆に相手の対軍宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。 【宝具】 『護傑は屈せず(スカンデルベグ)』 ランク:B 種別:対人宝具 レンジ:1~2 最大捕捉:1人 ジェルジ・カストリオティが相性の良い剣を作るため、材料集めから完成までの全工程に立ち会ったという剣。 敵と相対した時、ジェルジ・カストリオティのステータスで相手より劣っている部分があった場合、その部分のステータスを1ランク上昇させる。 ただし、魔力・宝具は除く。 乱戦の場合、複数人が対象となるが上昇するのは1ランクまで。 この宝具はジェルジ・カストリオティの魔力と極限まで同調している為、ほとんど魔力を消費せずに使用できる。 【解説】 オスマン帝国に対して反旗を翻した、アルバニアの民族的英雄。 スカンデルベグとは、アレクサンダー大王にちなんで付けられた名である。 彼の父がオスマン帝国に臣従したので、イスラムに改宗させられスルタンに仕えることとなる。 オスマン帝国の将軍として功績をあげ、北部アルバニアの、元々父の領土であった地方に封じられる。 オスマン朝からはかなり信頼されていたようだが、その信頼は裏切られることとなる。 表向きはオスマン帝国の将軍であったが、アルバニアの統治をはじめてすぐの時期から周囲の豪族たちやヴェネツィア、ナポリなどに根回しを行い蜂起の下準備を始めていた。 1443年、スカンデルベグはオスマン軍を離脱、イスラムからキリスト教に再改宗し、オスマン帝国に対し独立を宣言。 即座に差し向けられた三万の兵を六千で破る。 その後も連年やってくるオスマン軍をスカンデルベグはゲリラ戦法で撃破し続ける。 しかしアルバニアにとって状況は好転しない。 対オスマンの主力であったハンガリーが破れ、コンスタンティノープルも落城しビザンツ帝国が滅亡する。 スカンデルベグはオスマンに対し攻勢に出ようとしたが、副将や甥の寝返りにより大敗し兵は半減する。 大打撃であった。しかしその後もオスマン軍を打ち破り、一時の和平を結ぶことに成功する。 オスマン帝国にとっては恐るべき男であったのだ。その後、休戦が終わり幾度か進入してきたオスマン軍をことごとく撃退するも、戦略的状況は不利になる一方であった。ほぼ孤立無援の状況である。 1466年、ビザンツを滅ぼしたスルタン「征服者」メフメト二世が16万の兵を率いてアルバニアに遠征してくる。 ここに至り窮したスカンデルベグは自らローマに渡って援軍を乞うが断られる。 絶望したスカンデルベグは「まずローマと戦うべきであった」という言葉を残しアルバニアに戻った。 援軍の可能性もなくなったアルバニア軍であったが、五倍のオスマン帝国軍に大勝利を収める。 その後夏になって再びメフメト二世がやってくるがそれもしのぎ切った。 その後体制再編成の会議のためアルバニア諸侯を召集するが、会議が始まる前に病没。訃報を聞いたメフメト二世は驚喜したという。 彼の死後およそ十年でアルバニアはオスマン帝国の占領下となる。 現在アルバニアの首都ティラナの中央にはスカンデルベグ広場があり、彼の像が立っている。 ZEROのイスカンダルのような、かっこいいおっさんのイメージ。 名前もイスカンダルから採られてるし。
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師範農業 本文は 広島大学にアップロードされている師範農業(昭和18年) の第一章我が國の農業 をOCRにかけ、手補正したものである。 手補正の際、繁体字(旧字体)とすべきところを効率のため新字体にて補正している。実際の文言はPDFを参照することでご容赦願いたい。 入力者: 金融経済学教科書まとめサイトwiki(倭人の練習帖) 入力日 2020.5.7 第一章我が國の農業 第一節 肇国と農業 我が國は肇國以来農業を重んじ,豐原千五百秋瑞穂の地と たたへられ,既に高天原に於て農事の營まれたことが伝へられ てゐる。 あめくまのうし うけもちのかみ 天照大神の仰せを蒙りて,天熊大人が葦原の中つ国の保食神 のもとに往き,その躰にに生れる稻・粟・豆等を持ち歸ると,大 神がこれを御覧になり嘉みせられて「この物は則ち顯見蒼生の 食ひて活くべきものなり」とのたまひ,即ち粟・稗・麥・豆を おたつもの たたつもの ながた 陸田種子とし稻を水田種子とし給うた。稻種を天田及び長 たりほ やつかほ 田に植ゑさせられたが,その秋の垂穂は八握にしなひで,豊か な稔りをあげたのである。 天孫降臨の際に,天照大神は三種の神器を授け給ひ,天壤無 窮の勅を宣り給うたが,また扈從の神々に稻種を授け給ひて, ゆにま いなほ 「わが高天原にきこしめす齋庭の穂を以て,亦吾が兒にまかせま つるべし」と仰せられた。 かやうに我が國の農業は皇祖の授け給うたところてあって, 爾來この業を子々孫々に相伝へてきた。かくして臣民は神の御 業に仕へまつつて國民食糧の生産に精勵しまた衣服の原料を も作って,いよいよ国家の基礎に培つてゐる。 まことに,農業は國民生業の最も重要なものであって,国民 をおほみたからと稱するのは大御田族の意とも解される。 崇神天皇の詔に農は國の大本,と仰せられたのも國民の業 の根柢たることを示これたもので,御第代の勸農は祭祀・軍事 と並んで重要なことであった。 (金融経済教科書まとめサイトwiki) 第二節 日本農業精神 豊業は大自然の中にあって,天地の惠を受け,作物や家畜を 愛育して天地の化育に參じ,皇國無窮の發展に奉仕する聖業で ある。この農業に一貫する精紳は,我が國に固有の「仕へ」の 精精で,天つ神が國土を生成し給うた「むすび」の精神にほか ならない。 およそ生きとし生けるものにその所を得させ,その生命を全 うさせるために,かやうな伝統的精神を以て生成・化育にいそ しむのが農人の態度てある。賀茂真淵の おおみた みなわ ひだ 大御田の水泡も泥もかきたれて とるや早苗は我が君のため の歌には,遠く神代から伝はった稻を作って,大君に奉仕する 国民の誇りと喜びとがよくいひ表されてゐる。また この秋は雨かあらしかしらねども けふのつとめに田草とるなり の古歌は,ひたすらに天地の化育に參じて皇國に奉仕する農人 の心と姿とを如實に示してゐる。 かくて,我が農業は,国土を荒しては相済まぬといふ心で祖 先の辛苦のこもってるる田畑をまもり,一家をあげ力を盡くし て豊かな稔りを祈念するものである。寝食を忘れて蠶を養ひ, 朝夕に牛馬をいたはるなどの愛育の姿は,實に専統的な日本農 業精訷の露である。 神國農業の貴い姿は,先づ皇室の御祭に拜し奉る。天皇登極 に際し,御一代ただ一度行はせ給こ大嘗祭は,極めて重大な御 儀式である。特に選定された悠紀・主基の御田からの産米で御 饌・御酒をつくらせ給ひ,天皇御手づからこれを皇祖訷に供進 し給ひ,また御親らもこれを食召して後,これを臣下に分ち 給ふ。これは,紫宸殿に於て深夜執り行はせらるる最も神聖な御 祭であるが,毎年の新嘗祭はこれに準じて新穀を皇祖と共に食 召す大祭である。豊作は一に神意によるものとし宮中三殿を 始め,全國の神社では二月十七日に祈年祭が行はれる、,また, 神嘗祭は秋の稔りの初譓を捧げまつる祭である。 この大御心をかしこみ,民間にも風祭・虫追ひ・雨乞ひ等, 農業にする行事がある。農民は心身を賭して化育に參するの を天職と信じ,感謝して「なりはひ」の道に朝夕いそしみ,祖 先の祭祀もこの心をもつて行ふ,- かやうに,生命の愛育に從ふ農民の生活は美しい自然の詩境 に惠まれてゐる。農村の淨い空気とうららかな日光とは常に健 康の源泉であり,その環境は,堅實で從順な人がらを作る、-, 實に靜寂と簡素のうちに豊かな情趣を味ふことは,日本的な生 き方といはなければならない。 われらの祖先は自然並びに經濟條件に適した所を選んで, 三五々聚落を形成して協同生活を營み,そこに定住するに至っ た。この聚落が農業を本とする村落生活の初めであって,最初 は小敏の血縁者でらったものが,世の進み人口の増加するに件 なひ,他より入り來たるものもあって,複雑な村落をなすやう になつた。ここに於て村落は,社會的に,經濟的に,はたまた 精神的に融合されて協同團體として發展し健全な生活場所と なってきたのである。 實に,農業を以て生活の根柢とする農村は健民の母體であり, 健全な國民思想の源泉であり,日本精神の殿堂である。 第三節 我が国農業の發達 我が農業が遠く神代から行はれたことは古事記・風十記等に よってもよく知られるが,素戔鳴尊や大國主神が農耕を行はせ られたことも見えてゐる。その初め稻年が中心であったが,そ れに,粟・稗・麥・豆等の畑作が加はり,穀菽相竝び重要な地 位を占めるに至った。特に稻は連年同じ所に栽培することがで き,我が國十・氣候に適し,他には見られないやうな優良種を 育成し得て国民食糧の根源をなしてるる。 農具も初めは簡單で木製の鍬が用ひられたが,漸次に改良さ れ,殊に海外と交通するやうになって大陸からの農法や農具が 傳へられ,我が農業の進歩に寄與したのである。 我が農業は,上代に於ては唯一の産業として經濟の中心であ った。士地は氏族の氏上によって支配され,農民はそのもとで に從事し,自給經済を營みつつ天皇に仕へまつった。 やがて地方の豪族が勢力を振るふ弊が起ったが,大化の改新 によって政權を中央に歸するとともに班田收授の法などが行は れた。班田收授の法も色々の事情によって永續せす,逑に崩解 し,地方の豪族は盛んに土地の兼併を行ひ,農民はその豪族に 屬して農業に從事した。これが後の莊園のもとである、, 奈良・平安朝の文化は實に燦然たるものて,初めは多く都市 に輝いたが,漸く地方に及んで莊園がはびこった。かくして武 家の起ることとなり,兵亂がつづき耕地は荒らされ,農民は徴 發されるのてあった かく,時代によって消長はあったが,安上・桃山を經て江戸 時代となると,世は泰平となり,農民は安んじてその業にいそ しむことができた。各地に治水・開墾に力を盡くすものか現れ, また,宮崎安貞・大藏永常・佐藤信淵等が農書を著して,農業 の進歩・改善に貢献するところが多かった。 さらに時代は変轉して明治維新となり,歐米の文物は盛んに 輸入されて,我が政治・經濟・敎育・産業等に著しい影響を へたが,農業も亦彼の学理の長所をとり,それを實際に応用し てこれが振興を圖り,政府は常に勸農に努めた さうして農事試驗場,各種産業團體の活動,農業致育の發達 となり,明治二十七八年及び同三十七八年の兩戦役は各 一時期 を劃したが,第一次歐洲大戰は,我が産業界の好況とともに, 農業上にも亦非常な影響を及ぼし,更に,滿洲事變を契機とし て大陸發展の機運が興り,續いて支那事変となり,再轉して大 東亞戦爭と進展し,今や我が農業は東亞を一體となして一大共 榮圈を形成し,南方諸地域の開発を期して,これが指導にあた ることとなり,肇國以來の使命を達成すべき重大時局に當面し た。 第四節日本農業の特質と地位・使命 日本農業の特質 我が國はアジヤ大陸の東海季節風圈内にあって,概ね温帶に 位置し各種の農作物はよく生育して永く國内の自給を充たし てゐた。特に久しい間改良を加へられた稻は,世界にその比を 見ない程發達を逑げてゐる。 のうにんかうさく ことふか いね しやう もの 「それ農人耕作の事。其の理り至て深し。稻を生する物は てんなりこれやしな なか 天也。是を養ふものは地なり。人は中にゐて,天の氣によ よろし したが かうさく そのつとめ り,土地の宜きに順ひ,時を以て耕作をつとむ。もし其の勤 てんちせいやう なくば,天地の生養も遂ぺからず。」 といふ宮崎安直の言葉は,天の氣・地の理を人の技によって融 させて生産をあげるといふ日本農業の特質をよくいひ表した ものである。 我が國の稻は米粒が豊滿で質が堅く,精り氣が強くて 美味であり,薬は柔軟であるが丈夫で倒伏せず,俵や繩等種々 の細工に適するのも特質の一つである。 かやうに日本國土の豊饒,日本人の優秀性は,稻を主體とし, その他各種の作物をよく生育させる特質がある。 元來,農業は,地域の特異性によって作物の種願を選び 法を定むべきで,我が國のやうな,南北により,また地勢によ って環境の異なるところでは,よくこの特異性に順応した各種 の形態の農業があることに注意しなければならない。交通の便 利な都市附近には園藝が著しく發達し,蔬菜や花卉の供給を豊 富にしてゐるが如きはこれである。 また,夏期に於ける日照と降水の適量とは我が農産を豊かに してゐる一原因であるが,蠶業の發達にも大きな影響を与へて ゐる。しかし,ひとり養畜は甚だ振るはなかったが,その原因 は色々あって,佛教の影響によるところともいへる。 農業經營上からみるときは,概して小規模で主として家族勞 作によって營まれてゐることが一つの特色であるといってよい。 即ち,我が國の農耕地は約六百萬ヘクタールで,農家戸數は五 百五十萬戸であるから,一戸當りの経営囲積は平均一へクター ル餘りに過ぎす,その上,耕地が細かく分散されてゐる。それ 故,深耕と多肥とに勞力や資本を惜しまず,ひたすら農業生産 をあげることに精進してきたのである。 なほ,農家の約七割は小作または自作兼小作農家であって, なんらかの副業をとり入れ,その收入によって生計を維持する 農家が過半数を占めてゐる。 更に,我か國に於ける農耕作業は主として勞力によってなさ れ,畜力を利用することが甚だ少く,殊に機械力に至っては殆 ど數ふるに足りない。したがって,我が國には大經營による農 業は全くみられなかった。しかし集約的に行はれる關係上,単 位面積の收穫高は非常な高度を示してるる。 かやうに我が國の農業は極めて小規模な經營であり,家長と 家族とが一體となって協力し生産に從事してゐることは,歐 米の農業が大規模に經營され,賃金勞働者を使役して純企業形 態をなしてゐるのとは大きな相違がめる。 更に,我が國の農業はその由来するところが神授にあつて, 肇國このかた永い歴史をもち,農民は神の御教へのまにまにこ れを天職としこれを通じて天業を翼賛し奉り,國家の發展に 寄與しつつあることは,また一大特質といはなければならない。 我が國農業の地位 古來,農業は唯一の生業として國民經濟の主體であったが、 中世以降,商工業も漸次に勃興し明治維新このかた,諸般の 事項の変轉は各種産業の著しい發展を促し、ために,農業の地 位はややもすれば軽視されるやうな情勢にあった。しかしこの 國民經濟上の変動を以て直ちに農業の地位が低下したと考へる ことは誤りである。試みにこれを産業人口からみても、い我が國 の有業者人口中,農業者は約五割で,今なほ重要な地位を占め てゐる。そればかりでなく,我が農業は商工業の發展に伴なひ 著しく進歩して,その重要性は決して減少してはゐない。即ち 食糧の供給,原料-生産等がかかつて農業にあるが,その上, 我が農業は東亞共榮圈の指導を一身に背負はなければならない 地位にある. 我が國農業の使命 我が農業の地位が重要なことは、またその使命を大ならしめ てゐる。 もとより農業は國民食糧の源泉であり,工業原料の給源であ るから、國カ充實,國民生活の安定は当然ここに基礎が置かれ てゐる。我が農業は今やこの重大な使命を完うすべく力をあ げて努力してゐるのである。 思ふに、東亞共榮圈の農業は東亞十億の民の生命源である。 しかもこれの開發は我が國農業によって始めてその成果があげ られるのである。されば,我が農業は國内開發によって國民食 糧の自給を圖るとともに,東亞共榮圈を指導して資源の確保を 期さなければならない。この意味に於て,我が農業は東亞の繁 榮を圖るため最も重大な使命を有してゐるといへる。 われら師範學校生徒は,この雄大な使命を遂行するために農 業に課せられた責務を自覺し農業精神の體得、農業技術の錬 磨にはげみ、以て國民敎育の任に當る覺悟を堅くしなければな らない。
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内藤宗勝 中村一氏 難波田憲重 内藤宗勝 内藤宗勝 (1516-1565) 丹波守護代・内藤国貞の婿。国貞の死後その跡を継ぐ。 1565年対立する豪族・赤井忠家の城を攻撃するが、逆襲に遭い大敗、討死した。 中村一氏 中村一氏 (?~1600) 前編 近江甲賀二十一家の1つ、瀧(多喜)氏の出と考えられ、初め瀧孫平次と名乗り秀吉に仕えた。 この一氏を召抱えた頃から、秀吉の本格的な大出世がはじまる。 金ヶ崎の退き口、姉川合戦、小谷攻略など、その目覚しい活躍の蔭には常に一氏の存在があり 軍師半兵衛と並んだ羽柴家の巨頭として、大車輪の働きをした。 その甲斐あって秀吉から200石!という大封を与えられ、一氏自身も大出世の名乗りを挙げた。 その後も様々な激戦で活躍し、当時最も恐れられていた雑賀衆の抑えとして泉州岸和田城主に上り詰めた 中編 その岸和田城主時代に武勇伝とも言える面白いエピソードが残っている。 羽柴家最強の一氏さえ討てば、戦局を優位に運べると考えた雑賀・根来衆が その総力を結集させて岸和田城を来襲したのである。 一氏の抵抗は目覚しかったが、さすがに多勢に無勢。追い込まれ、あわや落城寸前にまで追い込まれた その時、大蛸に乗った僧と数千の蛸が現れ城を救われたという伝説が残っているのだ。 モーゼの十戒をも彷彿とさせる、この逸話を持つ男、一氏。まさに神の領域である。 そして、その功により故郷の近江国甲賀郡水口岡山6万石城主になり故郷に大錦を立てる。 後編 その後、関東の雄・北条征伐の際に秀次隊の先鋒を務め、 ほぼ単独で、北条家中随一の猛将・松田康長の守る箱根山中城の主要部分を攻略。 その大功により駿河国駿府14万石を拝領する。 そして一氏の活躍によって、秀吉は念願だった天下統一を達成する そして第一功労者である一氏は政権内一の要職と言われる三中老に任命された。 もはや天下は一氏を中心に回っていた。 そして天下一の実力者に上り詰めた一氏の死後すぐに、関ヶ原の合戦が起こる それは家康が一氏の存在を心底恐れ、その死を待っていたという事実に他ならないだろう 家康さえも恐れさせた男、中村一氏。 その実力と人気は400年経った今でも、この戦国板で多くの信者を惹きつけてやまない 難波田憲重 難波田憲重(?-1546) 扇谷上杉氏の重臣。武蔵松山城主。弾正と称す。法名の善銀でも知られる。 北条氏に河越城を奪われた扇谷上杉朝定を松山城に迎えて衰運の主家を支え、 関東にあって日の出の勢いの北条氏の行く手に立ち塞がり、進撃を阻んだ。 松山城に攻め寄せた北条方の山中主膳との「和歌合戦」も有名であり、 彼が文武に秀でた名将であることを物語っている。 1546年、長年対立していた山内家・古河公方家を反北条の旗印の下に糾合し、 河越城奪回戦を発動。ここに新旧関東勢力の一大決戦の幕が切って落とされる。 故地河越に上杉の旗を再び掲げ、扇谷家の宿願が叶うかに見えた刹那、 戦国戦史に名を残す、かの北条勢の夜襲を受ける。世に言う「河越夜戦」である。 憲重は敵の猛攻を食い止めるべく奮戦したが、その一子・隼人正ともども 乱軍の中壮烈なる討死を遂げ、主家の滅亡に殉じた。享年は明らかではない。 その悲壮な死は巷間さまざまに伝えられ、伝説の光に包まれている。 憲重は主君朝定が討たれたことを聞くや、天を仰いで悲憤慨嘆し、 「もはや我が武運も尽きたり、北条の輩にこの首は討たせじ」と刀を銜え、 自ら古井戸に身を投じた――という物語があれば、あっぱれ名将、花も実もある 武者ぶりよと、聴くものの涙を誘わずにはおかなかっただろう。
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武将名 りしゅんに UC理春尼 長宗我部国親の妹。国親と夫・片岡茂光が相次いで没すると、死を悼んで瑞応寺を建立。自身は出家し、二人の菩提を弔いながら、村人に読み書きを教え、仏の道を説いた。供養のために盆踊りを始めたのが現在まで続いて「瑞応の盆踊り」として伝承されている。「どうか……  兄様の願いが届きますように」 出身地 土佐国 コスト 1.0 兵種 槍足軽 能力 武力1 統率3 特技 魅力 一領 計略 瑞応の盆踊り 【舞踊】(自身が撤退するまで効果が続く)「戦兵」の味方が撤退するたび、味方の武力が一定時間上がり、兵力が回復する。「戦兵」以外の味方が撤退するたび、撤退している味方の復活時間が減る。その効果は撤退した武将コストが高いほど大きい。 必要士気6 Illustration 戸橋ことみ 計略効果 カテゴリ 士気 武力 統率 速度 兵力 効果時間 その他 舞踊 6 +1+(戦兵のコスト*2) - - +(戦兵のコスト*10+5)% 7.1c(統率依存?c) 復活時間-(2+戦兵以外のコスト*4)秒 コスト 1.0 1.5 2.0 2.5 3.0 3.5 4.0 武力上昇 3 4 5 6 7 - - 兵力上昇(%) 15 20 25 30 35 - - 復活減少(秒) 6 8 10 12 14 16 18 (以上2.22B) (最終修正3.02G) 解説 長宗我部国親の妹。片岡光綱の側室。 武力1統率3の槍兵で魅力と一領を持つ。 スペックは特に語る点も無いように思えるが、実は意外とそうでも無く 槍兵で一領を持っている1コストは今回で3枚目であり 魅力も長宗我部家は持っている武将が微妙に少ないため、本当にちょっとした事ではあるが嬉しいポイントでもある。 また、舞踊中でも一領持ちの武将である事には変わりが無いので、呼応計略の対象にもなる。と、予想される。【要確認】 計略の「瑞応の盆踊り」はR帰蝶の「憂愁舞踊」とR虎御前の「転生舞踊」とR如春尼の「輪廻舞踊」を合わせたような内容になっている。 ただ他の計略と比べると「輪廻舞踊」は撤退した時に復活カウントが引かれているのに対し、既に撤退した部隊のカウントが減る点や 「憂愁舞踊」のように統率は上がらない、「転生舞踊」と比べると回復量が低い、長宗我部は柵持ちが少ない等問題点も多い。 が、しかし戦兵撤退時の効果はすさまじく、武力上昇値もさる事ながら効果時間が出た当初は驚異の10cあったが修正された。 また、戦兵以外の効果は一領持ち以外にも適応されるため混色で柵を持ってくる事もできる。 試行錯誤のしがいのある一枚。 備考 片岡氏は土佐七雄程ではないが、有力豪族として知られており そこに目を付けた「国親」が政略結婚を申し込み、長宗我部氏再興の援助をして貰ったと考えられる。 また「茂光」の子供「光綱」も元親に仕え、四国制覇を助けるが 豊臣氏の四国攻めが始まると、伊予金子氏への援軍に向うも討ち死に。 親族の養子の「光政」を当主に迎え、「元親」からの期待も高く一字を与えられ「片岡親直」と名乗り 明日を担う人材と期待されるも、長宗我部氏の輝かしい未来を閉ざす事で有名な戸次川の戦いにて戦死している。 皆の無事を祈るも歴史の現実は非情である… 2.22A 武力上昇値増加(各+1)、復活時間低下値増加(各2秒) 2.22B 戦兵の味方が撤退した際の武力上昇時間短縮(10.4c→7.1c) 3.02G 撤退した戦兵の武将コストによる武力上昇値減少(+3・4・5・6・7→) 台詞 \ 台詞 開幕 勝利と皆の無事を祈りましょう…… 計略 今、私が出来る事はこれぐらい…… タッチアクション - 撤退 そ、そんな…… 復活 伏兵 - 虎口攻め └成功 攻城 落城 熟練度上昇
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武将名 やすだながひで 揚北衆 安田長秀 統一名称:安田長秀 生没年:1516~1582「龍さまんためなら 地獄だろうが突っ込むぜぇ!」揚北衆の一人。はじめ長尾為景に仕え、早くから上杉謙信の側近として働き、謙信の家督相続のために尽力する。多くの死傷者を出した第四次川中島の戦いでも奮戦し、謙信から犠牲を乗り越えての忠勤を称える「血染めの感状」を授かった。 勢力 玄 時代 戦国 レアリティ N コスト 1.0 兵種 槍兵 武力 3 知力 1 特技 気合 計略 安田・特攻!(やすだとっこう) 知力と移動速度と攻城力が上がり、武力によるダメージを軽減する。ただし効果終了時に撤退する 必要士気 4 効果時間 知力時間 Illust. マキトシ 声優 羽多野渉 計略内容 カテゴリ 士気 武力 知力 速度 兵力 効果時間 備考 特攻 4 - +9 +120% - 9.2c(知力依存0.4c) 攻城力1.5倍+固定値2%武力ダメージ0.6倍効果終了時に撤退 (最新Ver.2.0.0G) 調整履歴 修正Ver. 変更点 内容 備考 Ver.1.1.0E 城ダメージ固定値 +0% → +2% ↑ 攻城ダメージ固定値追加 Ver.2.0.0G 速度上昇値 +100% → +120%攻城力倍率 1.3倍 → 1.5倍 ↑ - 所感 1コストの槍兵、特技「気合」持ち。 コスト比高めの武力3に有用な特技を併せ持ち武闘派として頼もしいが、知力は最低値の1と本人の台詞通り敵陣に突っ込むには心許ない性能。 計略「安田・特攻!」。 知力と移動速度と攻城力が上がり、武力によるダメージを軽減する。 その代わりに効果終了時に撤退する。 いかにも城に張り付いて殴り続けろといわんばかりの計略効果となっている。 計略名こそ特攻だが、特攻戦法とは異なり強制前進しない。 欠点である知力を補いながら城を殴れる点は優秀で、相応に攻城速度は速くなる。 武力ダメージ軽減効果は自城防衛の際にも活かせるため、特攻の名に反して多様な使い方ができる計略。 解説 上杉イラストルールの「閃」担当。 二つ名の揚北衆は「阿賀北衆」とも書き、越後北部・阿賀野川北岸の地域に割拠した豪族を指す。 独立心の強いものが多く、上杉謙信も彼らを纏めるのに苦労したとされる。 実際に、本庄繁長や新発田重家といった阿北衆は他国の大名と呼応して上杉氏に対して大規模な反乱を起こしている。 そのような一筋縄では行かない阿北衆の中で、珍しく主家に対して従順であった。 謙信没後は景勝の味方として御館の乱に加わり、反乱を起こした新発田重家の居城を方位中に陣没したと伝わる。 台詞 \ 台詞 開幕 脇目も振らず、敵陣に突っ込めー! └玄004_上杉謙信と出陣 龍さまんためなら、地獄だろうが突っ込んで来るぜぇ! 計略 ぶっ倒れるまで突っ込むぜ! └絆武将 お前の為に、力振り絞るぜ!! 兵種アクション おりゃあ! 撤退 ぬわっ、ぎゃはー! 復活 敵陣はどっちだ? 伏兵 ブッ壊す! 攻城 突っ込め突っ込め突っ込め突っ込めー! 落城 勝利のためなら、命も惜しまねぇ!! 贈り物① 贈り物② 贈り物(お正月) 正月っていうたら、里芋がたっぷり入った汁だなあ。あ~食べてえ!! 贈り物(バレンタインデー) なして、おらにこんげ良うしてくれるんだ? 贈り物(ホワイトデー) おまんとの思い出、一生大切にすんだ!これがありゃあ、ずっと戦っていられるっぺ! 贈り物(ハロウィン) おもっしぇ! なんつー賑やかな祭りだ!! 友好度上昇 寵臣 勝利掴むまで、前進あるのみ! 情報提供・誤った点に気付いた等、何かありましたら気楽にコメントしてください。 名前 贈り物(新年の挨拶):正月って言うたら、里芋がたっぷり入った汁だなあ。あ~食べてえ!! - 名無しさん (2023-01-15 23 47 37)