約 8,543 件
https://w.atwiki.jp/sengokutaisenark/pages/1556.html
群雄伝・毛利伝 第三章 謀神の後継者 群雄伝 群雄伝/毛利伝第一章 群雄伝/毛利伝第二章 群雄伝/毛利伝第三章 群雄伝・毛利伝 第三章 謀神の後継者リストの見方第一話 大友軍侵攻 第二話 木津川口の戦い 第三話 播磨の戦い 第四話 上月城の戦い 第五話 織田軍の逆襲 第六話 死地・鳥取城 第七話 高松城の戦い 第八話 四国攻め 第九話 九州征伐 群雄伝使用一覧 デッキ例 コメント リストの見方 勝利条件 敵軍の称号 敵大将名 敵軍のデッキ+敵軍デッキ(難易度:難で増える場合のみ、増えた武将を記入) イベント一覧 イベントコンプ必要武将 第一話 大友軍侵攻 通常勝利 三領国 大友宗麟軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 他041 SR大友宗麟 鉄 8 7 制 柵 魅 国崩し ○ ○ 他050 SR立花道雪 槍 10 11 制 柵 雷切 ○ ○ 毛利027 R村上武吉 槍 8 5 柵 焙 村上舟戦要法 ○ ○ 他 C一般兵 騎 3 2 - 正兵の構え - - 他 C一般兵 騎 6 8 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景、[毛利038]SR毛利輝元 開幕 - - 2 [毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景 開幕 - - 3 [毛利033]R吉川元春、[毛利038]SR毛利輝元 戦闘開始 4 [毛利023]UC乃美宗勝 接触 村上武吉と接触 5 [毛利025]R穂井田元清、[毛利009]R口羽通良 接触 6 [毛利011]C熊谷信直 特定敵撃破 大友宗麟を撃破 7 [毛利034]R小早川隆景 計略 8 [毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景、[毛利038]SR毛利輝元 戦闘勝利 - - 9 [毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景、[毛利038]SR毛利輝元 終幕 - - 10 [毛利015]R五龍姫、[毛利034]R小早川隆景 終幕 - - イベントコンプ必要武将 詳細 第二話 木津川口の戦い 通常勝利 五領国 織田信長軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 織田045 SR織田信長 鉄 10 10 制 柵 魅 三段撃ち ○ ○ 織田018 SR滝川一益 鉄 8 6 忍 撹乱貫通射撃 ○ ○ 豊臣017 R九鬼嘉隆 弓 8 4 豊 日輪の弱体弓術 ○ ○ 織田 C一般兵 騎 3 4 - 正兵の構え - ○ 織田 C一般兵 騎 6 5 - 正兵の構え ○ - 織田 C一般兵 騎 4 5 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景、[他家036]R宇喜多直家 開幕 - - 2 [毛利033]R吉川元春、[毛利038]SR毛利輝元、[他家024]R足利義昭 開幕 - - 3 [毛利034]R小早川隆景、[毛利027]R村上武吉 戦闘開始 4 [毛利027]R村上武吉 接触 九鬼嘉隆と接触 5 [毛利019]UC清水宗治、[毛利013]C児玉就方 接触 6 [毛利019]UC清水宗治、[毛利027]R村上武吉 撃破 清水宗治で?体撃破 7 [他家036]R宇喜多直家 計略 8 [毛利034]R小早川隆景、[他家024]R足利義昭 戦闘勝利 - - 9 [毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景 終幕 - - 10 [毛利036]UC二の丸殿、[毛利038]SR毛利輝元 終幕 - - イベントコンプ必要武将 詳細 第三話 播磨の戦い 通常勝利 四領国 豊臣秀吉軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 豊臣025 SR豊臣秀吉 槍 6 8 城 魅 豊 日輪の天下人 ○ ○ 豊臣018 SR黒田官兵衛 弓 6 10 伏 豊 破凰の謀陣 ○ ○ 他060 SR山中鹿之助 槍 10 4 気 七難八苦 ○ ○ 豊臣 C一般兵 軽騎 6 3 - 正兵の構え ○ ○ 豊臣 C一般兵 軽騎 5 5 - 正兵の構え ○ - 豊臣 C一般兵 槍 3 3 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景 開幕 - - 2 [毛利002]R安国寺恵瓊 開幕 - - 3 [毛利033]R吉川元春、[毛利007]R吉川元長 戦闘開始 味方士気UP 味方士気+3 4 [毛利033]R吉川元春 一定時間 味方移動速度、突撃ダメージUP 84c付近吉川元春の移動速度、突撃ダメージUP 5 [毛利001]C赤穴盛清 接触 山中鹿之助と接触 6 [毛利017]C宍戸隆家、[毛利002]R安国寺恵瓊 接触 味方兵力UP 味方全員の兵力+?% 7 [毛利003]C市川経好、[毛利033]R吉川元春 攻城 味方城攻撃力UP 市川経好で攻城6br()味方全員の城攻撃力UP 8 [毛利009]R口羽通良、[毛利007]R吉川元長 計略 味方武力、統率UP 口羽通良で計略を使用味方全員の武力+?、統率+? 9 [毛利033]R吉川元春、[毛利007]R吉川元長 戦闘勝利 - - 10 [毛利033]R吉川元春、[毛利002]R安国寺恵瓊 終幕 - - イベントコンプ必要武将 詳細 戦闘開始時、敵士気制限解除 第四話 上月城の戦い 落城 四領国 豊臣秀吉軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 豊臣025 SR豊臣秀吉 槍 6 8 城 魅 豊 日輪の天下人 ○ ○ 豊臣018 SR黒田官兵衛 弓 6 10 伏 豊 破凰の謀陣 ○ ○ 他060 SR山中鹿之助 槍 10 4 気 七難八苦 ○ ○ 豊臣 C一般兵 軽騎 6 3 - 正兵の構え - ○ 豊臣 C一般兵 軽騎 5 5 - 正兵の構え ○ - 豊臣 C一般兵 軽騎 7 3 - 正兵の構え ○ - 豊臣 C一般兵 槍 3 3 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [毛利033]R吉川元春、[他家036]R宇喜多直家 開幕 - - 2 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利035]C末次元康 戦闘開始 - - 3 [毛利038]SR毛利輝元 一定時間 4 [毛利024]C福原貞俊、[毛利037]UC益田元祥 接触 味方武力、統率UP 益田元祥の武力+?、統率+? 5 [毛利019]UC清水宗治 特定敵撃破 味方武力、兵力UP敵部隊復活 山中鹿之助を撃破清水宗治の武力+?、兵力+?%山中鹿之助が復活 6 [毛利034]R小早川隆景 計略 味方統率、焙烙回復速度UP敵統率、兵力UP 小早川隆景の統率+?、焙烙回復速度UP山中鹿之助の統率+?、兵力+?% 7 [毛利033]R吉川元春 計略 8 [毛利025]R穂井田元清、[毛利016]R佐田彦四郎 一定時間 味方槍撃ダメージ、槍長さ、弓射程、焙烙回復速度UP 59c付近穂井田元清の槍撃ダメージ、槍長さUP佐田彦四郎の弓射程、焙烙回復速度UP 9 [毛利034]R小早川隆景 一定時間 豊臣秀吉、黒田官兵衛が撤退 10 [毛利025]R穂井田元清、[毛利016]R佐田彦四郎 落城勝利 - - 11 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景 終幕 - - イベントコンプ必要武将 詳細 敵計略は易・難ともに七難八苦が中心 第五話 織田軍の逆襲 生存 四領国 九鬼嘉隆軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 豊臣017 R九鬼嘉隆 弓 8 4 豊 日輪の弱体弓術 ○ ○ 織田018 SR滝川一益 鉄 8 6 忍 撹乱貫通射撃 ○ ○ 織田019 UC滝川益氏 鉄 6 5 気 撹乱射撃 ○ ○ 織田 C一般兵 騎 6 3 - 正兵の構え - ○ 織田 C一般兵 騎 5 5 - 正兵の構え - ○ 織田 C一般兵 槍 5 5 - 正兵の構え - - 織田 C一般兵 騎 4 5 - 正兵の構え ○ - 織田 C一般兵 騎 6 5 - 正兵の構え ○ - 織田 C一般兵 槍 7 2 - 正兵の構え ○ - 織田 C一般兵 槍 2 3 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [毛利034]R小早川隆景、[他024]R足利義昭 開幕 - - 2 [毛利027]R村上武吉、[毛利023]UC乃美宗勝 開幕 - - 3 [毛利027]R村上武吉、雑賀孫市 戦闘開始 4 [毛利027]R村上武吉 撃破 味方統率、焙烙回復速度UP 1体撃破村上武吉の統率+?、焙烙回復速度UP 5 [毛利027]R村上武吉、[毛利036]UC二の丸殿 接触 味方武力、統率UP 味方全員の武力+?、統率+? 6 雑賀孫市 接触 滝川一益と接触 7 [他036]R宇喜多直家、[毛利035]UC宇喜多忠家 計略 味方統率、弓射程UP味方統率down 宇喜多直家で計略使用宇喜多直家の統率+?、弓射程UP宇喜多忠家の統率-? 8 [毛利027]R村上武吉、[毛利023]UC乃美宗勝 戦闘勝利 - - 9 [毛利034]R小早川隆景 終幕 - - 10 [毛利032]R吉川広家、[毛利002]R安国寺恵瓊、[他024]R足利義昭 終幕 - - イベントコンプ必要武将 詳細 雑賀孫市はST、SR、SJどれでも可 第六話 死地・鳥取城 通常勝利 四領国 豊臣秀吉軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 豊臣025 SR豊臣秀吉 槍 6 8 城 魅 豊 日輪の天下人 ○ ○ 豊臣018 SR黒田官兵衛 弓 6 10 伏 豊 破凰の謀陣 ○ ○ 他036 R宇喜多直家 弓 7 9 伏 魅 謀将の殺意 ○ ○ 豊臣005 R石田三成 槍 4 8 柵 豊 三杯の茶 ○ ○ 豊臣007 R大谷吉継 軽騎 4 8 柵 豊 日輪の謀術 ○ - 豊臣 C一般兵 軽騎 3 1 - 正兵の構え ○ - 豊臣 C一般兵 軽騎 4 2 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [毛利033]R吉川元春、[毛利005]UC吉川経家 開幕 - - 2 [毛利005]UC吉川経家 開幕 - - 3 [毛利005]UC吉川経家、[毛利016]R佐田彦四郎 戦闘開始 味方士気UP 味方士気+3 4 [毛利033]R吉川元春 一定時間 味方移動速度、突撃ダメージUP 89c付近吉川元春の移動速度、突撃ダメージUP 5 [毛利034]R小早川隆景 一定時間 6 [毛利033]R吉川元春、[毛利006]C吉川経安 接触 味方兵力UP 吉川経安の兵力+?% 7 [毛利005]UC吉川経家 特定敵撃破 宇喜多直家を撃破 8 [毛利005]UC吉川経家 計略 味方統率、兵力UP 吉川経家の統率+?、兵力+?% 9 [毛利005]UC吉川経家 戦闘勝利 - - 10 [毛利005]UC吉川経家、[毛利016]R佐田彦四郎 終幕 - - 11 [毛利033]R吉川元春、[毛利020]UC新庄局 終幕 - - イベントコンプ必要武将 詳細 59c付近で敵全員の統率+?、兵力+?%、城攻撃力UP 第七話 高松城の戦い 通常勝利 五領国 豊臣秀吉軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 豊臣025 SR豊臣秀吉 槍 6 8 城 魅 豊 日輪の天下人 ○ ○ 豊臣018 SR黒田官兵衛 弓 6 10 伏 豊 破凰の謀陣 ○ ○ 豊臣024 SR豊臣秀長 弓 4 9 魅 豊 神慮の逆計 ○ ○ 豊臣027 R蜂須賀正勝 軽騎 7 8 豊 日輪の攻陣 ○ ○ 豊臣005 R石田三成 槍 4 8 柵 豊 三杯の茶 ○ ○ 豊臣 C一般兵 軽騎 5 5 - 正兵の構え イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景 開幕 - - 2 [毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景、[毛利019]UC清水宗治 戦闘開始 3 [毛利034]R小早川隆景 一定時間 4 [毛利019]UC清水宗治 特定敵撃破 豊臣秀吉を撃破 5 [毛利032]R吉川広家 接触 黒田官兵衛に接触 6 [毛利033]R吉川元春 撃破 7 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景 戦闘勝利 - - 8 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景 終幕 - - 9 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利033]R吉川元春、[毛利002]R安国寺恵瓊 終幕 - - 10 [毛利034]R小早川隆景、[毛利010]UC国司元相 終幕 - - イベントコンプ必要武将 詳細 第八話 四国攻め 通常勝利 三領国 長宗我部元親軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 長宗我部017 SR長宗我部元親 槍 7 5 魅 領 鬼若子の采配 ○ ○ 長宗我部007 R香宗我部親泰 弓 7 8 制 魅 巧者の檄 ○ ○ 長宗我部014 C谷忠澄 弓 5 3 領 民の呼応 ○ ○ 長宗我部025 UC福留儀重 槍 5 6 伏 領 攻戦の陣立 ○ ○ 長宗我部030 UC吉田貞重 騎 5 2 領 戦の呼応 ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景 開幕 - - 2 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利025]R穂井田元清、[毛利039]R毛利秀元 開幕 - - 3 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利034]R小早川隆景、[毛利027]R村上武吉 戦闘開始 4 [毛利007]R吉川元長 特定敵撃破 長宗我部元親を撃破 5 [毛利039]R毛利秀元 撃破 6 [毛利033]R吉川元春、[毛利032]R吉川広家 接触 7 [毛利034]R小早川隆景 攻城 8 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利034]R小早川隆景 戦闘勝利 - - 9 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利034]R小早川隆景、豊臣秀吉 終幕 10 豊臣秀吉、[豊臣018]SR黒田官兵衛 終幕 イベントコンプ必要武将 詳細 豊臣秀吉はSJまたは[豊臣025]SR 第九話 九州征伐 通常勝利 五領国 島津家久軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 島津039 R島津家久 鉄 8 7 伏 魅 車 軍法戦術の妙 ○ ○ 島津035 R島津豊久 騎 8 3 魅 激戦の初陣 ○ ○ 島津021 R島津忠長 槍 7 4 気 魅 先手大将の槍 ○ ○ 島津 C一般兵 弓 8 4 - 正兵の構え ○ 島津 C一般兵 弓 8 4 - 正兵の構え ○ 島津 C一般兵 弓 8 4 - 正兵の構え イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利033]R吉川元春、[毛利007]R吉川元長 開幕 - - 2 [毛利034]R小早川隆景、[豊臣018]SR黒田官兵衛 開幕 - - 3 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利002]R安国寺恵瓊 戦闘開始 4 [毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景 一定時間 吉川元春が撤退 5 [毛利034]R小早川隆景 特定敵撃破 島津家久を撃破 6 [毛利037]UC益田元祥 接触 島津豊久と接触 7 [毛利007]R吉川元長、[毛利034]R小早川隆景 撃破 8 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利034]R小早川隆景 計略 毛利輝元で計略使用 9 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利034]R小早川隆景、[豊臣018]SR黒田官兵衛 戦闘勝利 - - 10 [毛利038]SR毛利輝元、[毛利033]R吉川元春、[毛利034]R小早川隆景 終幕 - - イベントコンプ必要武将 詳細 10コスト 群雄伝使用一覧 No 武将名 使用箇所 使用イベント数 デッキ例 イベントを埋める為のデッキ例です。末尾の+nは余りコスト。一部0.5のコスト割れ有り。 あくまで例であり、これが最善では無いと思います。 章 話 デッキ イベントNo. 3 1 毛利輝元 吉川元春 小早川隆景 五龍姫 +2 1 2 3 7 8 9 10 乃美宗勝 穂井田元清 口羽通良 熊谷信直 +1.5 4 5 6 2 吉川元春 小早川隆景 宇喜多直家 +2 1 7 9 毛利輝元 吉川元春 小早川隆景 足利義昭 二の丸殿 +1 2 8 10 小早川隆景 村上武吉 清水宗治 児玉就方 +1 3 4 5 6 3 毛利輝元 吉川元春 小早川隆景 安国寺恵瓊 宍戸隆家 +1 1 2 4 6 10 吉川元春 吉川元長 赤穴盛清 市川経好 口羽通良 +1 3 5 7 8 9 4 毛利輝元 吉川元春 小早川隆景 宇喜多直家 1 3 6 7 9 11 毛利輝元 末次元康 福原貞俊 益田元祥 清水宗治 +1 2 4 5 穂井田元清 佐田彦四郎 +4.5 8 10 5 小早川隆景 足利義昭 吉川広家 安国寺恵瓊 +3.5 1 9 10 村上武吉 乃美宗勝 雑賀孫市 二の丸殿 + 1.5 2 3 4 5 6 8 宇喜多直家 宇喜多忠家 +4 7 6 吉川元春 吉川経家 佐田彦四郎 吉川経安 新庄局 1 2 3 4 6 7 8 9 10 11 小早川隆景 +7 5 7 毛利輝元 吉川元春 小早川隆景 清水宗治 安国寺恵瓊 1 2 3 4 6 7 8 9 小早川隆景 吉川広家 国司元相 +3.5 5 10 8 吉川元春 小早川隆景 吉川元長 吉川広家 +1 1 4 6 7 毛利輝元 穂井田元清 毛利秀元 +3 2 5 毛利輝元 小早川隆景 村上武吉 +3 3 8 毛利輝元 小早川隆景 豊臣秀吉 黒田官兵衛 +1.5 9 10 9 毛利輝元 吉川元春 小早川隆景 吉川元長 安国寺恵瓊 1 3 4 5 7 8 10 毛利輝元 小早川隆景 黒田官兵衛 益田元祥 +1.5 2 6 9 コメント 編集が苦手な方はこちらへ訂正指摘等々、お願いします 名前 五話の宇喜多忠家は他家西、5話のデッキ例の直家+忠家は残りコスト5だと思います。 - 名無しさん 2014-08-02 14 13 20
https://w.atwiki.jp/nolnol/pages/8919.html
#ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 浅井家 藤堂高虎 とうどう たかとら レベル 55 7体 職業 陰陽師 合戦陣配置 浅井家・左後詰主将 戦闘開始時台詞 構成 名前 職種 レベル 初期付与 使用技 藤堂高虎 懐剣陰 55 ▲ 狂風、迅雷、術法剣、全体麻痺、蘇生・壱、後光、武運長久 浅井精兵 一刀侍 50 一所懸命 国友上級鍛治 鉄砲鍛 50 三段撃ち、陽動 伊吹山山伏 懐剣薬 50 防御呪詛・参、全体治療・参、蘇生・壱 竹生島神官 宝剣神主 50 神風、神雷、嵐撃・参、詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃の韻・参、神の加護・参 甲賀中忍 一刀忍 50 神力両断・改、瞬殺閃、手裏剣乱射、水遁の術・極、土遁の術・極 徳勝寺高僧 懐剣僧 50 後光、完全回復、全体完全回復、仁王立ち、因果応報、冥護結界・弐 特徴・詳細 撃破すると宮部継潤、赤尾清綱を弱体化 安養寺氏種、宮部継潤撃破で最大5体まで弱体化 部隊アイテム 城普請心得 ドロップアイテム 小谷城普請絵図 武将列伝 与吉、与右衛門、佐渡守、和泉守 父・藤堂源助虎高 室・一色修理大夫女、越前守連久(高連)女 子・藤堂高次、高重 養子・藤堂(丹羽)高吉 藤堂氏は、近江源氏の支流という説と、藤原氏の支流という説があるが、高虎自身は土豪の出身であり、足利時代、藤堂氏の祖である三河守景盛が将軍家に仕えて、近江国数村の領主となり、藤堂という名はここから興っている。 弘治2年(1556)、浅井長政に仕えていた藤堂源助虎高の次男として、近江国犬上郡藤堂村に生まれる。幼少の頃から並外れて力が強く、大柄であったと言い、8〜9歳の頃には大人の風格があり「勇力豪強士気壮武」と評された。 元亀元年(1570)、13歳(一説には15歳)の時に父と同じく長政に仕官し、姉川合戦に出陣している。初陣にして大手柄であったので、長政から賞賛されたと伝えられている。元亀3年(1572)に阿閉貞征に仕えた後、浅井氏が滅亡したため浪人したとも、その前に同僚の山本という侍と喧嘩をして殺してしまったから浅井氏を飛び出したとも言われるが、浅井家の滅亡後は、高島郡を支配する磯野員昌、織田信長の甥にあたる津田信澄と各家を歴任。信澄の許では丹波攻めにて名のある武将を討ち取る功を立て、母衣を許された。が、80石からの恩賞による石高加増が無いことに腹を立てて出奔。 天正4年(1576)に秀吉の弟、豊臣秀長に300石で拾われ、中国攻め、賤ヶ岳の戦いや小牧長久手の戦い、九州征伐や四国征伐にも従軍し、着実に戦功を上げていった。中でも中国攻めの一つ・播磨三木城攻略で「中国一の大力」と呼ばれた賀古六郎右衛門を討ち取る功で3000石を加増されるなど頭角を現し、1587年の九州征伐の後、紀伊国内で2万石を得る。また、1591年に秀長が没すると、その養子・秀保の後見人となって小田原征伐でも功を立てて大名に加えられ、正五位下、佐渡守に任じられた。 朝鮮征伐(文禄の役)でも活躍は目覚しく、秀保の代理として、水軍の李舜臣らと戦ったが、文禄4年(1595)、秀保が大和十津川で若くして溺死すると、責任を感じた高虎は高野山に登り、剃髪する。これを秀吉が呼び戻し、宇和島城7万石を与えている。この頃より高虎の築城の手腕が発揮され、宇和島城やこの後の今治の築城も名を知られている。 秀吉に仕えて再度、朝鮮に渡った折(慶長の役)には、巨済島における海戦で、元均率いる朝鮮水軍を殲滅し、日本水軍としてはじめて勝利。秀吉より感状を得て、伊予板島に8万石を与えられた。この間の秀吉の衰弱を見て、次の天下人は五大老筆頭の徳川家康であると見越して、急速に家康に接近した。 慶長3年(1598)8月、秀吉没後の対立にあっては予定通り家康方につき、活躍する。同年、秀吉に禁じられていた無断婚姻を家康が勝手に行ったので、石田三成らが彼を大坂城に呼んで訊問し、もし反抗的な態度を取ったら即座に討ち取ろうという計画を立てていたのだが、これを察知した高虎が家康に密告をしたのだ。他にも江戸に弟の正高を人質として送るなど、徳川家に対して献身的に尽くす。 慶長5年(1600)に五奉行の石田三成らが毛利輝元を擁立して挙兵すると、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属し、西軍の大谷吉継の軍と戦う。この一連の行動により「風見鶏」などと揶揄されてはいるが、その甲斐あって合戦後、伊予今治20万石という、それまでの倍の領地を得る。また、江戸城改築などにも功があり、最終的には津(伊賀・伊勢8郡)藩22万石に加増された。他にも二条城の修築などで力を発揮し、慶長13年(1608)には豊臣家への抑えとして伊勢・津22万石に転封される。津に移封された高虎は伊賀上野と津城の改修をし、豊臣軍に備えた。 それ以後、高虎は家康を生涯の主として徹底的に尽くす。ある時、家康の病気見舞いに訪れた高虎に、『宗派が違うのであの世では会えない』と言うと、すぐに家康の宗派の天台宗に改宗している。外様大名にありながら側近として遇されるほど、家康の信頼はとても厚かった。 慶長20年(1615)の大坂の陣においては徳川方として大坂城へと参陣するも、この大坂の陣では、高虎は受難続きだった。ある日、徳川軍の陣中に迷いこんだ豊臣軍の兵が捕らえられるということが起こった。その兵がなんと豊臣秀頼から高虎宛てになっている手紙を持っており、「両将軍を大坂まで呼びよせたのは手柄であった。約束した功を立てれば望みのものを与えよう」というものだった。これはもちろん豊臣家の策略で、これを見抜いた家康が、「やくたいもないこと」と信じず何事もなく終わっている。だが、その他にも冬の陣では真田丸の攻撃に参加し、真田幸村らに散々に打ち負かされ(真田丸の攻防)、夏の陣では長宗我部盛親軍を撃破するも大損害を与えられる(八尾の戦い)という目に遭っている。しかし、その苦労が実を結び、大坂城が落城したのちに32万石に加増され、従四位下・右少将に叙せられる。元和2年(1616)に家康が亡くなる際に先陣となるように命じられた。 なお、高虎は築城技術や算術、外交に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などの築城で知られる(この他に、伏見、和歌山、大坂、淀、郡山、膳所 (ぜぜ)、名古屋など、築城のみならず都市計画にまで才能を発揮している)。高虎の築城は石垣を高く積み上げることに特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。晩年は眼病を患って失明し、寛永7年(1630)10月5日、名言『精粗の判断は上が決せられる」を残して、75歳の生涯を閉じた。 法名・寒松院殿道賢高山権大僧都、津市寿町の寒松院に葬られた。 [出世] 紀州遠征・四国征伐の功で天正13年(1585)には1万石に出世。この頃から故郷の甲良大工を指揮して屋敷造営や築城を担当するようになる。九州征伐で死闘の末に島津軍を破った戦功で家中筆頭の紀伊粉河2万石までになった。主君・秀長没後は、養子の秀俊(秀保)の後見人となる。文禄の役に秀俊名代として出陣し、船奉行を務めたが、文禄4年(1595)に秀俊が没して主家が無嗣断絶すると、剃髪して高野山に隠棲。ところが、高虎の才を惜しんだ豊臣秀吉が「首に縄を付けてでも連れて来い」と呼び付け、伊予板島7万石の大名として復活する。慶長の役では水軍として活躍。減封される大名が多い中、秀吉に「手柄の段無類」と1万石を加増される。ちなみに秀吉死去による日本軍撤退の際には徳川家康の指名で現地からの収容役に任じられてる(ただし島津義弘の活躍で結局中止)。 [転身] 秀吉没後の時代を先読みした高虎は、いち早く家康に接近。自ら諜報役として働き、情報分析に努め家康の危急を度々救った。慶長4年(1599)、弟・正高を人質として江戸に送る。また、福島正則らに手を貸して石田三成を失脚させた。関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦い、伊予今治20万石に加増。次いで、同10年(1605)に伊勢・津24万3000石に転封される。今治城はそのまま藤堂家の管轄に置かれたから、伊勢伊賀と伊予の離れた国主を任されたことになる。伊賀の忍者を召し抱え、家康の内意で有事の際の居城として伊賀上野城を大改修。当時最高の30mの高石垣を誇る堅城に仕立て上げて、大坂に備えている。この後起こる大坂夏の陣の直前に家康が「万一の時はそち(高虎)と上野で枕を並べて討ち死にし、秀忠は彦根でもう一戦やらせよう」と言った逸話がある。 [準譜代へ] 大坂の陣には徳川軍として参戦。江戸・駿府の幕閣に次いで参謀に加えられた。敵の偵察も受け負う。冬の陣では大和口先鋒大将を務めた後に城南の谷町口と対峙するが、真田丸の攻防戦・谷町口の攻防戦に大敗する。しかし夏の陣でも井伊直孝(井伊直政の子息)とともに河内口先鋒を任され、八尾の戦いにて敵首788を挙げて長宗我部盛親を破る。天王寺・岡山の戦いでは秀忠麾下の前備となって敵首207を挙げた。戦後5万石を加増されるとともに従四位下・右少将に昇格する(家康は初め20万石を加増しようとしたが本多正信に止められた逸話がある)。家康からの信頼は高く「天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝」「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から動かしてはならない」などの遺言は数多い。高虎も期待に応え、歴代将軍の良き相談相手となって幕藩体制の完成、朝廷との交渉など貢献した。元和3年(1617)3万石の加増で32万3千石となる。晩年眼病を煩い登城が困難になったが、家光は城内に真っすぐな廊下「藤堂廊下」を作ってやった。寛永7年(1630)死去。全身満身創痍で手の指も一部無くなっていた。日光東照宮には南光坊天海とともに高虎像が家康像の隣に並べられた。 [名築城家] また、高虎は近世城郭の名築城家としても著名である。自身の居城では、粉河・宇和島・大洲・今治・津・伊賀上野。普請奉行役では、赤木・和歌山・大和郡山・聚楽第・伏見(豊臣時代)・膳所 (ぜぜ)・伏見(徳川時代)・二条・丹波篠山・丹波亀山・江戸・駿府・名古屋・淀・大坂(徳川時代)など多数参加。城の縄張・城下町の設計を担当したことも多々あったという。ついでながら、家康廟として高名な日光東照宮の建立さえも高虎が携わっている。 [補足] 大坂の陣では負け運に取り付かれたのか、負けが多い。身長は約190cm、体重が110余kgあったとか(一応、現在の有名人では巨人の清原と同じくらいになる)。若い頃は短気で、同僚を斬って解雇された事があった。裏切者との評価が目立つが、「忠臣二君に仕えず」は、江戸時代に本格化した思想。戦国では勢いのある者に転身する方が絶対主流だった(厳密には一度も高虎は裏切りをしていないのだが・・・)。また、秀吉が惜しみ、家康が全幅の信頼を寄せる程の人物。世渡りだけの出世ではないだろう。意外な事は大正時代、高虎が赤十字の見本となった事である。なんでも、大坂の陣での敵味方の供養を目的に南禅寺に山門を寄進した行いからだそうで、従来のイメージとは遠いものがある様な気がする。敵を保護、助命した話も割とあったり名言集みたいなものを見ると、どうにも小物には思えないのである・・・。 情報募集中! 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/2564.html
武将名 とよとみひでよし 戦国一の出世人 SR豊臣秀吉 草履取りの身分から、武功を重ね天下人にまでなった戦国一の出世人。明智光秀を山崎の戦いで、柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで打ち破り、信長の後継者であることを決定づけた。その後は四国・九州を制圧し、名実ともに豊臣政権の樹立を天下に知らしめた。「華やかな天下、 ワシがつくってみせよう!」 出身地 尾張国(愛知県) コスト 1.5 兵種 軽騎馬隊 能力 武力4 統率7 特技 魅力 豊国 計略 天下人の栄華 【日輪:5段階強化/発動後増加】豊臣家の味方の武力が上がる。2消費:弓の射程距離が伸びる3消費:槍撃ダメージが上がる4消費:突撃ダメージが上がる5消費:移動速度が上がる 必要士気7 Illustration 平坂康也 計略はSR豊臣秀吉と同じく、日輪計略の大型采配。 範囲は、自身を中心とした円で、直径は戦場縦半分ほど。 効果時間は7.3cで、日輪5消費の超絶絢爛で7.7c、統率依存は0.2c。(2.01C) 日輪消費数による違いは下記のとおり。(追加効果等、要検証) 日輪消費 武力上昇 追加効果 0 +3 なし 1 +4 なし 2 +5 弓射程+ 3 +6 弓射程+、槍撃ダメージ+ 4 +7 弓射程+、槍撃ダメージ+、突撃ダメージ+ 5 +8 弓射程+、槍撃ダメージ+、突撃ダメージ+、移動速度約+50% (2.01C) 日輪の天下人と比べてスキルを必要とするが、爆発力が増しているといったところか。また、超絶絢爛なら微量ながらも速度上昇もあり、ライン上げはし易い。 ただし、統率が上がらない、兵力回復がない、更に計略ステルスが付かない、と正面からの対処はかなりしやすくなっている。 呪縛系計略や消失の呪い等の天敵計略がいた時のために裏の手は揃えておきたい。 コストが軽く、デッキ構築の幅が広いのがありがたいところ。
https://w.atwiki.jp/hgs00/pages/14.html
凡庸・暗愚で嗜好殺人を繰り返す悪逆非道な人物であるというのは、 秀次公について、特に同書で『悪業』とされる行為の数々をでっちあげた 太田牛一の『大かうさまくんきのうち』や小瀬甫庵の『太閤記』に 影響を受けた後世の創作であり、真実ではないというのが近年の通説です。 若年から茶道や連歌に造詣が深く公家や僧との交流も多く、 古筆や漢籍、文学を好む気性の穏やかな人格者であったと多くの史料は伝えています。 豊家の外交官として諸大名の接待役を任されていた事実もあり、 多くの小説や大河で描かれるように卑小・悪辣な人物ではありません。 しかし、九戸政実の乱の事後処理を始め宣教師が母国に送った書翰や書物などに 嗜虐性を垣間見せるエピソードがあるのもまた事実です。 秀次公とキリシタン 秀次公が天正十三年に築城を始めた八幡山城の城下町には相当数のキリシタンがおり、また、秀次公は彼らを保護していた形跡があります。 キリシタン大名として有名な高山右近とも親交があり、「台子七人衆」として茶の湯を通じても交流が有りました。『キリスト教に改宗した』という史料は発見されていませんが『好意を示していた』のは間違いないようです。 (宣教師が記した秀次公の人物評は別項ヨーロッパへ伝えられた秀次公の人間性へ) 剣術、武術について 剣術に相当の嗜みがあり、刀剣類の鑑定も行っていました。 (天正七年(1589)二月二十三日、疋田新陰流免許皆伝) そのことから、『太閤記』などで『千人斬り』を行ったと喧伝されたものと考えられます。
https://w.atwiki.jp/hgs00/pages/15.html
秀次公は『喘息を患っており、気鬱積により興奮上気する状態』だったといわれています。(曲直瀬玄朔『医学天正記』) また、『秀次はともすれば激情の人だった。理性の歯止めのきかない部分もあった人──情緒不安定な部分をもった人だった』(太閤秀吉と秀次謀叛)とされています。 元来患っていた病が淀君懐妊の報せを受けて以降急激に悪化し、しばしば湯治に出掛けたりしていたようで、秀頼誕生前後から心身喪失(耗弱)状態に陥ったと見ることができます。 「殿下御不例」及び湯治、病気の記録 天正二十年(1592)──二十五歳 十月十二日、実父の所労見舞の為尾張へ下向。 帰洛後心身に支障を来し始め、同二十九日〜十一月十四日まで有馬湯治に出掛ける。 十二月八日、改元の陣儀があり秀次公も参画している。 翌日から「御不例」状態が暫く続く。 文禄二年(1593)──二十六歳 天正二十年年末以来の「殿下御不例」は快癒せず年を越す。 二月〜三月、洛外へ遊猟に出掛けており多少回復したようである。 八月一日「殿下御気色甚以疾 (中略)以御病無御対面」状態に陥る。 八月三日、秀頼誕生。 九月十七日から熱海湯治に出掛け、十月十一日帰洛。(閏月を含む為二ヶ月間) 十二月二十日より体調を崩す(関白様今朝少御咳気被成御煩) 文禄三年(1594)──二十七歳 文禄三年年末より崩した体調により、年頭の礼が少し遅れ一月十二日からとなっている。 文禄四年(1595)──二十八歳 六月二十一日、突然体調を崩したのか曲直瀬道三が聚楽第へ駆け付けている。
https://w.atwiki.jp/hgs00/pages/20.html
七月三日 文禄四年(1595)七月三日、突然、聚楽第に石田三成・前田玄以・増田長盛ら奉行衆が乗り込んできて 謀叛の実否糾明が行われました。 奉行衆は 秀次を中心とする反秀吉一派が鹿狩りと称して山中で謀叛の談合をしている 大将用の鎧や武具を用意している という噂があちこちから報告されているので仔細を詮索しに来た。 謀叛の意志がないなら誓紙を出せ。 と言います。 秀次公の反応 謀叛を起こそうなど考えたこともない(七枚継ぎの誓紙を提出) 七月八日〜 ところが、誓紙を提出して五日後の七月八日、石田三成が秀吉に 秀次が独自に毛利輝元と独自に誼を通じている と讒言し、証拠とされる書類(捏造したもの)を提出します。 それを受け、秀吉は これ以上騒動が大きくならないうちに父子で直接話し合いたい。ともかく伏見に来て欲しい。 と、秀次公を迎える急使を聚楽第へ遣わしました。 公はすぐに出立しますが、伏見に着いても城に入れて貰えず、木下吉隆の屋敷で秀吉からの使者を待っていました。 そこへ使者がやってきて「対面はしない。高野山に登れ」と、秀吉の口上を伝えました。 八日、秀次公御一行は伏見を出立し、その夜は玉水というところに泊まります。 翌日、石田三成から「供の数が多すぎる」との指示があり、200〜300人ほどいた従者を以降は十二人に減らし、 高野山への旅を続けます。 九日の夜、奈良の中坊井上源五の屋敷に泊まるのですが、そこへ公が追放されたとの報せを受けた諸大名からの見舞が殺到しました。 秀次公の反応 「見舞の儀、一切停止」と指示 そして高野山青巌寺に入り、次の指示を待ちます。 七月十五日 秀吉からの使者として福島正則らが3000の兵を率い、青巌寺にやってきて、秀次公に切腹を伝えます。 このとき、高野山衆徒は「秀次公をお救いするべし」と、正則らの軍勢と一触即発の状態になりました。 秀次公の反応 「私は腹を切るので、そのようなことをする必要はない」 (結果的に衝突は避けられました。) 切腹 先ず、山本主殿・山田三十郎・不破万作の三人の小姓衆が秀次公よりそれぞれ 国光・厚藤四郎・鎬藤四郎の脇差しを賜り切腹し、公手ずから介錯しました。 次に、玄隆西堂が群雲という脇差しで切腹します。 兼光作の正宗を用い、切腹した秀次公を雀部重政が国次という刀で介錯し、そのままその刀で切腹して果てました。
https://w.atwiki.jp/hgs00/pages/13.html
高野山にて殉死 山本主殿 山田三十郎 不破万作 玄隆西堂 雀部重政 切腹 木村重茲(助命後自裁) 木村志摩守(賜死) 前野長康(助命後自裁) 前野景定(賜死) 羽田正親(賜死) 服部一忠(賜死) 渡瀬繁詮(賜死) 明石則実(賜死) 一柳可遊賜(賜死) 粟野秀用(賜死) 白江成定(賜死) 熊谷直澄(賜死) その他 三好吉房(改易・流罪) 六角義郷(改易) 木下吉隆(改易・流罪) 里村紹巴(蟄居) 浅野幸長(流罪→のちに復帰) 前野忠康(浪人) 滝川雄利(除封) 荒木元清(追放) 菊亭晴季(流罪) 土御門有脩(流罪) 小早川秀秋(減封)
https://w.atwiki.jp/sengoku-taisen/pages/2516.html
群雄伝・武将列伝2 群雄伝・織田伝 群雄伝・織田伝2 群雄伝・織田伝3 群雄伝・武田伝 群雄伝・武田伝2 群雄伝・武田伝3 群雄伝・上杉伝 群雄伝・上杉伝2 群雄伝・上杉伝3 群雄伝・豊臣伝 群雄伝・豊臣伝2 群雄伝・豊臣伝3 群雄伝・豊臣伝4 群雄伝・雑賀伝 群雄伝・雑賀伝2 群雄伝・浅井伝 群雄伝・北条伝 群雄伝・北条伝2 群雄伝・毛利伝 群雄伝・毛利伝2 群雄伝・島津伝 群雄伝・島津伝2 群雄伝・伊達伝 群雄伝・伊達伝2 群雄伝・徳川伝 群雄伝・徳川伝2 群雄伝・長宗我部伝 群雄伝・長宗我部伝2 群雄伝・長宗我部伝3 群雄伝・今川伝 群雄伝・関ヶ原伝・西軍の章 群雄伝・関ヶ原伝・東軍の章 群雄伝・関ヶ原伝・東北の章 群雄伝・関ヶ原伝・九州の章 群雄伝・武将列伝 群雄伝・武将列伝2 群雄伝・武将列伝3 群雄伝・武将列伝4 群雄伝・武将列伝5 群雄伝・武将列伝6 リストの見方 勝利条件 敵軍の称号 敵大将名 敵軍のデッキ+敵軍デッキ(難易度:難で増える場合のみ、増えた武将を記入) イベント一覧 イベントコンプ必要武将 武将列伝 群雄伝・武将列伝2リストの見方 武将列伝 第四章 雷姫・誾千代第一話 王国の夢、崩壊 第二話 雷神の死 第三話 戦神の如く 第四話 根白坂の戦い 第五話 雷神の娘 第五章 家久上京日記第一話 家久君、旅へ出る 第二話 家久君、関所突破 第三話 家久君、上洛す 第四話 家久君、伊賀へ 第五話 家久君、雑賀へ 第六章 成田の甲斐姫第一話 甲斐姫、戦場へ 第二話 忍城攻め、始まる 第三話 守るべきものたち 第四話 天下の女傑 群雄伝使用一覧 デッキ例 コメント 第四章 雷姫・誾千代 第一話 王国の夢、崩壊 生存 五領国 島津義弘軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ◯ 戦国大名009 UC島津義弘 鉄 8 8 車 釣瓶撃ち - - 島津025 SR島津義弘 鉄 11 7 気 魅 車 雄武英略 ◯ ◯ 島津017 SR島津家久 騎 9 8 伏 魅 釣り野伏 ◯ ◯ 島津032 R山田有信 鉄 7 3 気 柵 車 孤城奮闘 ◯ ◯ 島津024 SR島津義久 鉄 8 9 制 魅 車 島津の采配 ◯ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [他049]立花誾千代、[他048]高橋紹運 開幕 - - 2 [他049]立花誾千代、[他050]立花道雪、[他041]大友宗麟 開幕 - - 3 [他049]立花誾千代 戦闘開始 味方移動速度UP 立花誾千代の移動速度UP 4 [他049]立花誾千代 接触 味方突撃ダメージUP 島津義弘に接触立花誾千代の突撃ダメージUP 5 [他049]立花誾千代、[他041]大友宗麟 一定時間 味方武力UP、統率down 74c付近、2人の武力+2、統率-? 6 [他049]立花誾千代 撤退 味方兵力UP 味方全員の兵力+?%攻城ダメージで撤退の場合は発生しない 7 [他049]立花誾千代、[他051]角隈石宗 計略 味方武力、兵力UP 角隈石宗で計略使用角隈石宗の武力+3、兵力+?% 8 [他049]立花誾千代 戦闘勝利 - - 9 [他049]立花誾千代、[他050]立花道雪 終幕 - - 10 [他048]高橋紹運、[他050]立花道雪 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [他049]立花誾千代、[他041]大友宗麟、[他048]高橋紹運、[他050]立花道雪、[他051]角隈石宗 詳細 敵計略は易では島津の采配が、難では雄武英略が多い 第二話 雷神の死 通常勝利 三領国 鍋島直茂軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ◯ 他052 SR鍋島直茂 鉄 8 9 伏 狙 生殺与奪 ◯ ◯ 他CPU C一般兵 鉄 6 2 - 正兵の構え - ◯ 他CPU C一般兵 槍 6 2 - 正兵の構え - ◯ 他CPU C一般兵 槍 6 2 - 正兵の構え - ◯ 他CPU C一般兵 騎 1 2 - 正兵の構え - - 他CPU C一般兵 槍 7 7 - 正兵の構え ○ - 他CPU C一般兵 槍 7 7 - 正兵の構え ○ - 他CPU C一般兵 騎 6 8 - 正兵の構え ○ - 他CPU C一般兵 弓 2 2 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [他049]立花誾千代、[他050]立花道雪 開幕 - - 2 [他049]立花誾千代、[他048]高橋紹運 開幕 - - 3 [他041]大友宗麟、[他050]立花道雪 戦闘開始 味方兵力UP 立花道雪の兵力+?% 4 [他049]立花誾千代、[他050]立花道雪 接触 味方移動速度、突撃ダメージUP 立花誾千代の移動速度、突撃ダメージUP 5 [他049]立花誾千代、[他048]高橋紹運 撃破 味方統率UP 立花誾千代で?体撃破味方全員の統率+? 6 [他050]立花道雪、[他048]高橋紹運 撃破 味方統率、兵力UP 高橋紹運で?体撃破高橋紹運の統率+?、兵力+?% 7 [他049]立花誾千代、[他050]立花道雪 一番乗り 味方士気UP 立花道雪で一番乗り味方士気+3 8 [他049]立花誾千代 特定敵撃破 味方武力、統率UP 鍋島直茂を撃破立花誾千代の武力+2、統率+2 9 [他049]立花誾千代、[他050]立花道雪 戦闘勝利 - - 10 [他049]立花誾千代、[他050]立花道雪 終幕 - - 11 [他048]高橋紹運、[他041]大友宗麟 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [他049]立花誾千代、[他041]大友宗麟、[他048]高橋紹運、[他050]立花道雪 詳細 鍋島直茂が結構な頻度で生殺与奪を使用してくるのでかたまり過ぎないように注意すべし 第三話 戦神の如く 生存 三領国 島津忠長軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ◯ 島津021 R島津忠長 槍 7 4 気 魅 先手大将の槍 ◯ ◯ 島津004 UC伊集院忠棟 鉄 5 6 制 車 島津隼人の護り ◯ ◯ 島津006 R上井覚兼 鉄 1 5 伏 車 鉄砲侍の援軍 ◯ ◯ 島津CPU C一般兵 鉄 5 1 - 正兵の構え - ◯ 島津CPU C一般兵 騎 3 1 - 正兵の構え - ◯ 島津CPU C一般兵 鉄 5 6 - 正兵の構え ○ - 島津CPU C一般兵 鉄 7 5 - 正兵の構え ○ - 島津CPU C一般兵 騎 5 2 - 正兵の構え ○ - 島津CPU C一般兵 槍 5 4 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [他048]高橋紹運 開幕 - - 2 [他049]立花誾千代 開幕 - - 3 [他048]高橋紹運 戦闘開始 味方士気UP 味方士気+3 4 [他048]高橋紹運 接触 味方移動速度、突撃ダメージUP敵移動速度、槍撃ダメージUP 島津忠長と接触高橋紹運の移動速度、突撃ダメージUP島津忠長の移動速度、槍撃ダメージUP 5 [他049]立花誾千代、[他048]高橋紹運 一定時間 味方移動速度UP 84c付近、2人の移動速度UP 6 [他048]高橋紹運 撃破 味方武力、統率、兵力UP 高橋紹運で?体撃破高橋紹運の武力+?、統率+?、兵力+?% 7 [他049]立花誾千代 攻城 味方兵力、突撃ダメージUP 立花誾千代の兵力+?%、突撃ダメージUP 8 [他048]高橋紹運 計略 味方統率、兵力UP 高橋紹運の統率+?、兵力+?% 9 [他049]立花誾千代、[他048]高橋紹運 戦闘勝利 - - 10 [他049]立花誾千代 終幕 - - 11 [他041]大友宗麟 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [他049]立花誾千代、[他041]大友宗麟、[他048]高橋紹運 詳細 第四話 根白坂の戦い 通常勝利 七領国 島津義弘軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ◯ 戦国大名009 UC島津義弘 鉄 8 8 車 釣瓶撃ち - - 島津025 SR島津義弘 鉄 11 7 気 魅 車 雄武英略 ◯ ◯ 島津017 SR島津家久 騎 9 8 伏 魅 釣り野伏 ◯ ◯ 島津020 UC島津忠隣 槍 5 4 気 捨て奸 ◯ ◯ 島津015 UC猿渡信光 鉄 5 3 気 車 捨て奸 ◯ ◯ 島津CPU C一般兵 鉄 5 1 - 正兵の構え - - 島津CPU C一般兵 鉄 7 5 - 正兵の構え ○ - 島津CPU C一般兵 槍 6 1 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [他049]立花誾千代 開幕 - - 2 [他041]大友宗麟 開幕 - - 3 [他049]立花誾千代 戦闘開始 味方士気UP 味方士気+4 4 [他049]立花誾千代 接触 味方移動速度、突撃ダメージUP敵移動速度、鉄砲射程UP 島津義弘と接触立花誾千代の移動速度、突撃ダメージUP島津義弘の移動速度、鉄砲射程UP 5 [他041]大友宗麟、[豊臣024]豊臣秀長 一定時間 味方統率UP 74c付近、味方全員の統率+? 6 [他049]立花誾千代、[豊臣018]黒田官兵衛 撃破 味方武力、統率UP 立花誾千代で?体撃破 7 [他049]立花誾千代 計略 味方兵力UP 味方全員の兵力+?% 8 [他049]立花誾千代 攻城ダメージ 味方士気UP、敵士気down 味方士気+4、敵士気down 9 [他049]立花誾千代、[他041]大友宗麟 戦闘勝利 - - 10 豊臣秀吉 終幕 - - 11 [他049]立花誾千代 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [他049]立花誾千代、[他041]大友宗麟、豊臣秀吉、[豊臣018]黒田官兵衛、[豊臣024]豊臣秀長 詳細 易では釣瓶撃ち、難では雄武英略を使用してくる。 90Cぐらいで島津兄弟の40Cぐらいで島津軍のパワーアップイベントが有り、難は群雄伝屈指の高難度。 第五話 雷神の娘 通常勝利 五領国 北条氏邦軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ◯ 北条019 R北条氏邦 槍 8 7 柵 盾 剛槍烈破 ◯ ◯ 北条022 UC北条氏規 槍 5 5 盾 前線への采配 ◯ ◯ 北条012 R大道寺政繁 騎 6 7 制 柵 鉄血河越衆 ◯ ◯ 北条018 SR風魔小太郎 騎 9 4 忍 魅 忍法空蝉 ◯ ◯ 北条CPU C一般兵 槍 2 2 柵 正兵の構え - ◯ 北条CPU C一般兵 足 6 1 - 正兵の構え ○ - 北条CPU C一般兵 槍 7 3 - 正兵の構え ○ - 北条CPU C一般兵 弓 3 1 柵 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [他049]立花誾千代 開幕 - - 2 [他049]立花誾千代、豊臣秀吉 開幕 - - 3 [他049]立花誾千代 戦闘開始 味方移動速度、突撃ダメージUP 立花誾千代の移動速度、突撃ダメージUP 4 [他049]立花誾千代、[豊臣018]黒田官兵衛 接触 味方武力、移動速度、弓射程UP 2人の武力+?立花誾千代の移動速度、黒田官兵衛の弓射程UP 5 [他049]立花誾千代、[豊臣030]細川忠興 撃破 味方武力、兵力、槍撃ダメージUP 立花誾千代で?体撃破2人の武力+2立花誾千代の兵力+?%、細川忠興の槍撃ダメージUP 6 [他049]立花誾千代、[豊臣006]宇喜多秀家 一番乗り 味方移動速度、槍撃ダメージ、突撃ダメージUP 立花誾千代で一番乗り2人の移動速度UP宇喜多秀家の槍撃ダメージ、立花誾千代の突撃ダメージUP 7 [他049]立花誾千代、[豊臣003]池田輝政 攻城ダメージ 味方士気UP、敵士気down 6~7割削って発生味方士気+4、敵士気down 8 [他049]立花誾千代、豊臣秀吉 計略 味方移動速度、兵力UP 立花誾千代で計略使用味方全員の移動速度UP、兵力+?% 9 [他049]立花誾千代、豊臣秀吉 戦闘勝利 - - 10 [他049]立花誾千代 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [他049]立花誾千代、豊臣秀吉、[豊臣003]池田輝政、[豊臣006]宇喜多秀家、[豊臣018]黒田官兵衛、[豊臣030]細川忠興 詳細 計略は北条氏邦の剛槍烈破を多様してくるが、タッチアクション自体は全くしてこないのであまり驚異ではない。 難では前線への采配も使用してくる。 第五章 家久上京日記 第一話 家久君、旅へ出る 通常勝利 一領国 島津義虎軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 島津023 UC島津義虎 槍 5 3 柵 薩摩示現流 ◯ ○ 島津CPU C一般兵 鉄 5 1 - 正兵の構え - - 島津CPU C一般兵 鉄 7 5 - 正兵の構え ○ ○ 島津CPU C一般兵 鉄 5 6 - 正兵の構え ○ ○ 島津CPU C一般兵 槍 6 1 - 正兵の構え ○ ○ 島津CPU C一般兵 騎 5 2 - 正兵の構え ○ - 島津CPU C一般兵 騎 2 3 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [島津017]島津家久、[島津024]島津義久 開幕 - - 2 [島津017]島津家久、[島津022]島津歳久、島津義弘 開幕 - - 3 [島津017]島津家久 戦闘開始 味方武力UP、敵武力UP 島津家久の武力+2島津義虎の武力+2 4 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼 接触 味方統率UP 味方全員の統率+3 5 [島津017]島津家久、[島津032]山田有信 一定時間 味方武力、移動速度、鉄砲射程UP 74c付近2人の武力+2島津家久の移動速度、山田有信の鉄砲射程UP 6 [島津017]島津家久、[島津009]樺山善久 撃破 味方兵力、弓射程UP 樺山善久で1体撃破樺山善久の兵力+30%、弓射程UP 7 [島津017]島津家久 特定敵撃破 味方士気UP 島津義虎を撃破味方士気+4 8 [島津017]島津家久 戦闘勝利 - - 9 [島津017]島津家久、島津義弘 終幕 - - 10 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [島津017]島津家久、島津義弘、[島津006]上井覚兼、[島津009]樺山善久、[島津022]島津歳久、[島津024]島津義久、[島津032]山田有信 詳細 島津家久伝の全編を通して、島津義弘は[戦国大名009]UC島津義弘、[戦国鬼札010]SJ島津義弘、[島津025]SR島津義弘のいずれか。[島津041]SR島津義弘では発生しない 第二話 家久君、関所突破 生存 四領国 成松信勝軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 他053 R成松信勝 鉄 8 3 - 巨獣の構え ◯ ○ 他037 UC江里口信常 槍 6 2 - 噛み付き ○ ○ 他044 UC木下昌直 弓 6 2 - 野獣の構え ○ ○ 他038 UC円城寺信胤 騎 6 2 - 噛み付き ○ ○ 他055 UC百武賢兼 騎 6 2 - 野獣の構え ○ ○ 他CPU C一般兵 足 2 2 - 正兵の構え - - 他CPU C一般兵 槍 6 1 - 正兵の構え ○ - 他CPU C一般兵 鉄 2 2 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [島津017]島津家久、[島津032]山田有信 開幕 - - 2 [島津017]島津家久、[島津032]山田有信 戦闘開始 味方統率、移動速度UP敵武力UP 味方全員の統率+2、移動速度UP敵全員の武力+2 3 [島津017]島津家久、[島津022]島津歳久 接触 味方武力、兵力UP 島津家久の武力+2、兵力+?% 4 [島津017]島津家久、[島津015]猿渡信光 一定時間 味方士気UP 89c付近、味方士気+3 5 [島津017]島津家久、[島津021]島津忠長 撃破 味方武力、槍撃ダメージUP 島津忠長で1体撃破島津忠長の武力+2、槍撃ダメージUP 6 [島津017]島津家久 撃破 味方武力、兵力UP敵武力UP 家久で?体撃破家久の武力+2、兵力+?% 7 [島津009]樺山善久、[島津022]島津歳久 計略 味方統率UP 島津歳久で計略使用島津歳久の統率+? 8 [島津032]山田有信 計略 味方統率、兵力UP 山田有信の統率+5、兵力+?% 9 [島津017]島津家久、[島津022]島津歳久 戦闘勝利 - - 10 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼、[島津009]樺山善久、[島津015]猿渡信光、[島津021]島津忠長、[島津022]島津歳久、[島津032]山田有信 詳細 計略は成松の「巨獣の構え」と百武の「野獣の構え」がメイン。 第三話 家久君、上洛す 通常勝利 一領国 三好康長軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 他020 C三好康長 槍 2 6 - 不屈の構え ◯ ○ 本願寺007 UC下間仲孝 足 5 8 - 手猿楽 ○ ○ 本願寺023 C本願寺教如 足 5 7 柵 山津波の計 ○ ○ 本願寺011 C下間頼龍 足 2 6 - 一向宗の援軍 ○ ○ 他CPU C一般兵 足 3 2 - 正兵の構え - - 他CPU C一般兵 足 6 2 - 正兵の構え ○ ○ 他CPU C一般兵 騎 5 2 - 正兵の構え ○ - 他CPU C一般兵 騎 6 2 - 正兵の構え ○ - 他CPU C一般兵 槍 6 2 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼、[島津021]島津忠長 開幕 - - 2 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼、[島津032]山田有信 開幕 - - 3 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼 戦闘開始 味方移動速度UP 味方全員の移動速度UP 4 [島津017]島津家久、[島津021]島津忠長、[織田073]柴田勝家 一定時間 味方武力、統率UP 84c付近2人の武力+2、味方全員の統率+3 5 [島津017]島津家久、[織田063]明智光秀 撃破 味方移動速度、突撃ダメージUP 2人の移動速度、突撃ダメージUP 6 [島津032]山田有信、[織田073]柴田勝家 撃破 味方武力、兵力UP 山田有信で?体撃破2人の武力+2、兵力+?% 7 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼、[島津021]島津忠長 攻城 味方士気UP 島津家久で攻城味方士気+5 8 [島津017]島津家久、[島津032]山田有信 戦闘勝利 - - 9 [島津017]島津家久、[織田063]明智光秀 終幕 - - 10 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼、[織田063]明智光秀 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼、[島津021]島津忠長、[島津032]山田有信、[織田063]明智光秀、[織田073]柴田勝家 詳細 中盤よりイベントにより敵武力が上昇するが、撃破するまで永続的に効力がある(※要検証)。特に難では武力6の馬と槍が追加されるため、なめてかかると痛い目を見る。 計略は「手猿楽」がメイン。 念のためではあるが、イベントは柴田と明智はver2.0で追加された新SRでないと発生しない。 第四話 家久君、伊賀へ 通常勝利 四領国 百地三太夫軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ◯ 宴021 SR百地三太夫 騎 8 6 忍 魅 伊賀忍の脅威 ◯ ◯ 宴018 SR石川五右衛門 槍 7 2 忍 魅 大泥棒の職人芸 ○ ◯ 宴019 R植田光次 槍 5 2 忍 忍法転移の術 ○ ◯ 宴022 R森田浄雲 騎 5 2 忍 轟駆け ○ ◯ 宴017 R伊賀崎道順 鉄 6 1 忍 忍の一斉射撃 ○ - 他CPU C一般兵 騎 6 8 - 正兵の構え ○ - 他CPU C一般兵 足 6 2 - 正兵の構え ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [島津017]島津家久、[島津021]島津忠長 開幕 - - 2 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼 開幕 - - 3 [島津017]島津家久、[島津015]猿渡信光 戦闘開始 味方士気UP 味方士気+3 4 [島津006]上井覚兼 接触 味方武力、統率、鉄砲射程UP 石川五右衛門に接触上井覚兼の武力+9、統率+5、鉄砲射程UP 5 [島津032]山田有信、[島津015]猿渡信光 一定時間 味方移動速度、射撃回数UP、射撃が貫通状態に 84c付近2人の移動速度、射撃回数UP2人の射撃が貫通状態に 6 [島津009]樺山善久、[島津021]島津忠長 一定時間 味方槍撃ダメージUP、弓射程UP 74c付近島津忠長の槍撃ダメージUP、樺山善久の弓射程UP 7 [島津017]島津家久 計略 味方統率、兵力UP 島津家久の統率+?、味方全員の兵力+?% 8 [島津015]猿渡信光 特定敵撃破 味方兵力、射撃回数、鉄砲射程UP敵部隊復活 植田光次を撃破猿渡信光の兵力+20%、射撃回数、鉄砲射程UP植田光次が復活 9 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼 戦闘勝利 - - 10 [島津017]島津家久 終幕 - - 11 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼、[島津009]樺山善久、[島津015]猿渡信光、[島津021]島津忠長、[島津032]山田有信 詳細 伊賀忍が5人同時に先行お披露目。易では完全な忍者単となるので、開始時に敵が一人も確認できない。SR百地三太夫「伊賀忍の脅威」 … 範囲内の味方の武力が上がる。忍特技を持つ味方は効果が上がる(忍武将の武力+6 効果時間5c程度) SR石川五右衛門「大泥棒の職人技」 … 【逆計】相手計略の必要士気に応じて自軍の士気と自身の速度が上がる R植田光次「忍法転移の術」 … カードを押さえた場所に影状態で移動する R伊賀崎道順「忍の一斉射撃」 … 武力が上がり、射撃回数が増える 計略は「伊賀忍の脅威」と「大泥棒の職人技」がメイン。忍者単であるため「伊賀忍の脅威」はその名のとおり脅威となる。 第五話 家久君、雑賀へ 通常勝利 五領国 雑賀孫市軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 本願寺005 SR雑賀孫市 鉄 10 5 魅 狙 乱れ八咫烏 ○ ○ 本願寺018 R土橋守重 鉄 9 4 柵 狙 阿修羅の銃弾 ○ ○ 本願寺028 C狐島吉次 鉄 5 5 伏 狙 傭兵格闘術 ○ ○ 本願寺030 R坦中 鉄 7 4 魅 狙 二丁の双陣 ○ ○ 本願寺031 R発中 鉄 8 3 狙 速射の双陣 ○ - 本願寺013 C下針 鉄 6 2 狙 弾幕射撃 ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [島津017]島津家久 開幕 - - 2 [島津017]島津家久、[島津021]島津忠長、[島津032]山田有信 開幕 - - 3 [島津017]島津家久、[島津021]島津忠長 戦闘開始 味方士気UP 味方士気+3 4 [島津015]猿渡信光 接触 味方移動速度、射撃回数UP敵射撃回数、鉄砲射程UP 坦中に接触猿渡信光の移動速度、射撃回数UP坦中の射撃回数、鉄砲射程UP 5 [島津021]島津忠長 接触 味方移動速度、槍撃ダメージUP敵鉄砲射程UP、射撃が貫通状態に 土橋守重に接触島津忠長の移動速度、槍撃ダメージUP土橋守重の鉄砲射程UP、射撃が貫通状態に 6 [島津032]山田有信 撃破 味方移動速度、射撃回数UP敵鉄砲射程UP味方と敵の射撃が貫通状態に 山田有信で1体撃破山田有信の移動速度、射撃回数UP発中の鉄砲射程UP2人の射撃が貫通状態に 7 [島津009]樺山善久 計略 味方統率、弓射程UP 樺山善久の統率+?、弓射程UP 8 [島津017]島津家久 特定敵撃破 味方移動速度、兵力、突撃ダメージUP 雑賀孫市を撃破島津家久の兵力+?%、移動速度、突撃ダメージUP 9 [島津017]島津家久 戦闘勝利 - - 10 [島津017]島津家久、[島津006]上井覚兼、[島津021]島津忠長 終幕 - - 11 [島津017]島津家久、[島津022]島津歳久、島津義弘 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [島津017]島津家久、島津義弘、[島津006]上井覚兼、[島津009]樺山善久、[島津015]猿渡信光、[島津021]島津忠長、[島津022]島津歳久、[島津032]山田有信 詳細 忍者単の次は鉄砲単。計略は「乱れ八咫烏」がメイン。 中盤には孫市の武力上昇後の「乱れ八咫烏」、土橋の全体強化イベントがあるためタイミングが悪いと非常に厳しい戦いとなる。 突撃し放題なので高武力騎馬が居れば楽勝、・・・な訳が無く突撃直後に射撃を食らうので注意。 対策として亀寿姫の飛天舞踏などで速度を上げれば対応できる。 COMの傾向として戦場に味方がいない時に、二手に分かれて大筒に待機する傾向がある。 第六章 成田の甲斐姫 第一話 甲斐姫、戦場へ 通常勝利 四領国 佐竹義重軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 他075 SR佐竹義重 騎 10 8 気 魅 鬼義重の咆哮 ○ ○ 他061 C結城晴朝 弓 4 5 柵 魅 防柵再建 ○ ○ 他040 R太田資正 騎 8 6 気 魅 三楽斎の鬼気 ○ ○ 他043 梶原政景 騎 5 3 制 早駆け ○ - C一般兵 ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 開幕 - - 2 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親、[北条023]SR北条氏政 開幕 - - 3 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 戦闘開始 味方統率UP 味方全員の統率+2 4 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 一定時間 味方統率、移動速度、弓射程UP 89C頃、2人の統率+?甲斐姫の移動速度、成田長親の弓射程UP 5 [北条006]SR甲斐姫、[北条018]SR風魔小太郎 接触 味方突撃ダメージUP 2人の突撃ダメージUP 6 [北条012]R大道寺政繁、[北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 撃破 味方武力、統率、兵力UP 大道寺政繁で?体撃破大道寺政繁の武力+2、統率+?、兵力+?% 7 [北条006]SR甲斐姫 計略 味方統率、兵力UP 甲斐姫の統率+7以上、兵力+?% 8 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 戦闘勝利 - - 9 [北条006]SR甲斐姫、[北条027]SR北条綱成 終幕 - - 10 [北条006]SR甲斐姫、[北条029]R巻姫 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [北条006]SR甲斐姫、[北条012]R大道寺政繁、[北条015]R成田長親、[北条018]SR風魔小太郎、[北条023]SR北条氏政、[北条027]SR北条綱成、[北条029]R巻姫 詳細 計略は「鬼義重の咆哮」がメイン 第二話 忍城攻め、始まる 生存 五領国 石田三成軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 豊臣005 R石田三成 槍 4 8 柵 豊 三杯の茶 ○ ○ 豊臣007 R大谷吉継 軽 4 8 柵 豊 日輪の謀術 ○ ○ 豊臣001 UC浅野長政 弓 3 3 豊 不屈の構え ○ ○ 武田045 SR真田昌幸 騎 6 9 制 信玄の炯眼 ○ ○ 他075 SR佐竹義重 騎 10 8 気 魅 鬼義重の咆哮 ○ ○ 他061 C結城晴朝 弓 4 5 柵 魅 防柵再建 ○ - 豊臣020 UC小西行長 弓 5 6 制 豊 日輪の痺矢弓術 ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親、[北条019]R北条氏邦 開幕 - - 2 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 開幕 - - 3 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 戦闘開始 味方統率UP 味方全員の統率+3 4 [北条006]SR甲斐姫、[北条029]R巻姫 一定時間 味方士気UP 89C付近、味方士気+4 5 [北条006]SR甲斐姫、[北条018]SR風魔小太郎 一定時間 味方兵力、突撃ダメージUP 74C付近2人の兵力+?%、突撃ダメージUP 6 [北条006]SR甲斐姫 撃破 味方武力、統率、移動速度UP 甲斐姫で2~3体撃破甲斐姫の武力+3、統率+?、移動速度UP 7 [北条018]SR風魔小太郎 攻城 味方武力、統率UP 風魔小太郎の武力+3、統率+3 8 [北条015]R成田長親 計略 敵統率down 敵全員の統率-? 9 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 戦闘勝利 - - 10 [北条006]SR甲斐姫、[北条029]R巻姫 終幕 - - 11 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 終幕 - - イベントコンプ必要武将 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親、[北条018]SR風魔小太郎、[北条019]R北条氏邦、[北条029]R巻姫 詳細 浅野長政は中盤に発生するイベント後から出陣する。 計略は「日輪の謀術」がメイン。日輪ゲージは即2消費したかと思えば終盤で0消費を使ったりと安定しない(要検証) 第三話 守るべきものたち 通常勝利 五領国 石田三成軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 豊臣005 R石田三成 槍 4 8 柵 豊 三杯の茶 ○ ○ 豊臣007 R大谷吉継 軽 4 8 柵 豊 日輪の謀術 ○ ○ 豊臣001 UC浅野長政 弓 3 3 豊 不屈の構え ○ ○ 豊臣003 UC池田輝政 軽 8 5 豊 日輪の構え ○ ○ 豊臣032 R堀秀政 弓 7 9 魅 豊 名人の采配 ○ ○ 豊臣031 UC堀直政 軽 6 5 豊 方陣 ○ ○ 豊臣013 UC加藤嘉明 槍 7 4 柵 豊 七本槍・剛槍 ○ - 豊臣023 R藤堂高虎 槍 6 9 城 豊 日輪の山津波 ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [北条018]SR風魔小太郎、[北条003]UC猪俣邦憲、[北条031]C上田憲定 開幕 - - 2 [北条006]SR甲斐姫、[北条018]SR風魔小太郎 開幕 - - 3 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 戦闘開始 味方統率UP 味方全員の統率+3 4 [北条006]SR甲斐姫 一定時間 味方移動速度UP 84C付近、甲斐姫の移動速度UP 5 [北条003]UC猪俣邦憲、[北条031]C上田憲定 一定時間 味方武力UP 74C付近、2人の武力+3 6 [北条006]SR甲斐姫、[北条018]SR風魔小太郎 撃破 味方兵力、突撃ダメージUP 甲斐姫で?体撃破2人の兵力+?%、突撃ダメージUP 7 [北条006]SR甲斐姫 特定的撃破 味方士気UP敵兵力、士気down 大谷吉継を撃破、味方士気+?敵全員の兵力-?%、士気down 8 [北条029]R巻姫、[北条015]R成田長親 計略 味方統率UP 巻姫で計略使用2人の統率+? 9 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 戦闘勝利 - - 10 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 終幕 - - 11 [北条006]SR甲斐姫、[北条018]SR風魔小太郎 終幕 - - イベントコンプ必要武将 詳細 石田三成は出陣しない。だが、それを差し引いても易ですら10コスト相当に勝利する必要がある。 計略は「名人の采配」がメイン 第四話 天下の女傑 通常勝利 伊達政宗軍 易 No 武将名 兵種 武力 統率力 特技 計略 難 ○ 伊達021 SR伊達政宗 竜 8 7 気 魅 独眼竜の覇道 ○ ○ 伊達010 SR片倉小十郎 竜 6 10 伏 魅 竜の右眼 ○ ○ 伊達019 SR伊達成実 竜 9 5 気 英毅大略 ○ ○ 伊達001 C猪苗代盛国 槍 6 3 叛逆の狼煙 ○ - 伊達027 C留守政景 槍 7 6 柵 不屈の構え ○ - 伊達005 C大崎義隆 竜 3 4 気 早駆け ○ イベント一覧 No 参加武将 発生条件 効果 備考 1 [北条006]SR甲斐姫、[豊臣015]SR蒲生氏郷 開幕 - - 2 [北条006]SR甲斐姫、[北条029]R巻姫、[北条015]R成田長親 開幕 - - 3 [北条006]SR甲斐姫、[豊臣015]SR蒲生氏郷 戦闘開始 味方士気、敵士気UP 味方士気+2 4 [北条006]SR甲斐姫、石田三成、大谷吉継 一定時間 味方統率UP 84C付近、味方全員の統率+? 5 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 接触 味方武力、兵力UP 2人の武力+2、兵力+?% 6 [豊臣015]SR蒲生氏郷、石田三成 撃破 味方武力、槍撃ダメージ、突撃ダメージUP 蒲生氏郷で?体撃破、2人の武力+2石田三成の槍撃ダメージ、氏郷の突撃ダメージUP 7 [北条006]SR甲斐姫、[豊臣015]SR蒲生氏郷 攻城 味方移動速度、突撃ダメージUP 甲斐姫で攻城2人の移動速度、突撃ダメージUP 8 [北条006]SR甲斐姫 特定敵撃破 味方武力、統率、兵力UP 伊達政宗を撃破甲斐姫の武力+4、統率+?、兵力+?% 9 [北条006]SR甲斐姫、[北条029]R巻姫、[豊臣015]SR蒲生氏郷 戦闘勝利 - - 10 [北条006]SR甲斐姫、[北条029]R巻姫 終幕 - - 11 [北条006]SR甲斐姫、[北条015]R成田長親 終幕 - - イベントコンプ必要武将 詳細 計略は「独眼竜の覇道」がメイン 群雄伝使用一覧 No 武将名 使用箇所 使用イベント数 - デッキ例 イベントを埋める為のデッキ例です。末尾の+nは余りコスト。 あくまで例であり、これが最善では無いと思います。 章 話 デッキ イベントNo. 4 1 SR立花誾千代、SR立花道雪、SR高橋紹運 1 3 4 6 8 9 10 SR立花誾千代、SR立花道雪、SR大友宗麟 2 5 SR立花誾千代、R角隈石宗 +4.5 7 2 SR立花誾千代、SR高橋紹運、SR立花道雪 1 2 4 5 6 7 8 9 10 SR立花道雪、SR高橋紹運、SR大友宗麟 3 11 3 SR立花誾千代、SR高橋紹運、SR大友宗麟 +1 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 4 SR立花誾千代、SR豊臣秀長、SR大友宗麟 +2.5 1 2 3 4 5 7 8 9 11 SR立花誾千代、豊臣秀吉、SR黒田官兵衛 +2.5 6 10 5 SR立花誾千代、豊臣秀吉、SR黒田官兵衛、UC宇喜多秀家 +1 1 2 3 4 6 8 9 10 SR立花誾千代、UC池田輝政、R細川忠興 +2.5 5 7 章 話 デッキ イベントNo. 5 1 SR島津家久、SR島津歳久、SJ島津義弘、R山田有信 2 3 5 7 8 9 SR島津家久、SR島津義久、R上井覚兼、UC樺山善久 +1 1 4 6 10 2 SR島津家久、SR島津歳久、R上井覚兼、UC樺山善久、C猿渡信光 3 4 6 7 9 10 SR島津家久、R山田有信、R島津忠長 +2 1 2 5 8 3 SR島津家久、R上井覚兼、R島津忠長、SR明智光秀 1 3 5 7 9 10 SR島津家久、R上井覚兼、R山田有信、SR柴田勝家 2 6 8 SR島津家久、R島津忠長、SR柴田勝家 +1.5 4 4 SR島津家久、R島津忠長、R上井覚兼、UC樺山善久、C猿渡信光 1 2 3 4 6 7 8 9 10 11 R山田有信、C猿渡信光 +5.5 5 5 SR島津家久、R島津忠長、R山田有信、R上井覚兼 +1 1 2 3 5 6 8 9 10 SR島津家久、SR島津歳久、SJ島津義弘、C猿渡信光 4 11 UC樺山善久 +7.5 7 章 話 デッキ イベントNo. 6 1 SR甲斐姫、SR北条氏政、R大道寺政繁、R成田長親、R巻姫 1 2 3 4 6 7 8 10 SR甲斐姫、SR風魔小太郎、SR北条綱成 +1.5 5 9 2 SR甲斐姫、R成田長親、R北条氏邦、R巻姫 +1.5 1 2 3 4 6 8 9 10 11 SR甲斐姫、SR風魔小太郎 +5.5 5 7 3 SR甲斐姫、R成田長親、R巻姫 +4 3 4 7 8 9 10 SR甲斐姫、SR風魔小太郎、UC猪俣邦憲、C上田憲定 +1.5 1 2 6 11 4 SR甲斐姫、SR蒲生氏郷、R成田長親、R巻姫、R石田三成 1 2 3 5 6 7 8 9 10 11 SR甲斐姫、R石田三成、R大谷吉継 +4 4 コメント 編集が苦手な方はこちらへ訂正指摘等々、お願いします 名前 Ver.3よりコスト制限変更。誾千代の章、家久の章、甲斐姫の章ともに全話コスト11。 - 名無しさん 2014-10-07 20 42 49 家久伝で使う武将の山田有信の番号が36ni - 名無しさん 2013-03-18 17 27 50 ↑失礼。山田の番号を36から32に修正をお願いします。 - 名無しさん 2013-03-18 17 29 13 甲斐姫伝3-6は小太郎、甲斐姫(撃破)です。 - 名無しさん 2013-03-07 23 48 39 甲斐姫伝3-1は小太郎、猪俣、上田憲定。3-2,11は甲斐姫、小太郎です。 - 名無しさん 2013-03-07 21 47 49 あと1-9は甲斐姫とSR北条綱成で発生します。重ねてお願いします - 名無しさん 2013-03-07 16 47 36 2-5は甲斐姫と小太郎(一定時間)、2-7は小太郎で攻城です。どなたか編集お願いします - 名無しさん 2013-03-07 16 45 20 甲斐姫伝の1-2にはSR北条氏政が1-5にはSR風魔小太郎(甲斐姫と接触)が必要です - 名無しさん 2013-03-07 16 42 44 石田三成ですね… - 名無しさん 2013-03-07 14 29 46 家久伝4話のイベント8は、敵部隊撤退ではなく復活(植田が即座復活)です。 - 名無しさん 2013-03-03 13 36 50 デッキ例の5話の2番目が4と10ではなく4と11。あとSJではなく戦国大名でよい - 名無しさん 2013-03-02 16 43 02 排出停止カードよりも現行排出(SJは購入だが)で収めるべきでは? - 名無しさん 2013-03-03 03 59 41
https://w.atwiki.jp/aoari/pages/2955.html
#ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 浅井家 藤堂高虎 とうどう たかとら レベル 55 7体 職業 陰陽師 合戦陣配置 浅井家・左後詰主将 戦闘開始時台詞 構成 名前 職種 レベル 初期付与 使用技 藤堂高虎 懐剣陰 55 ▲ 狂風、迅雷、術法剣、全体麻痺、蘇生・壱、後光、武運長久 浅井精兵 一刀侍 50 一所懸命 国友上級鍛治 鉄砲鍛 50 三段撃ち、陽動 伊吹山山伏 懐剣薬 50 防御呪詛・参、全体治療・参、蘇生・壱 竹生島神官 宝剣神主 50 神風、神雷、嵐撃・参、詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃の韻・参、神の加護・参 甲賀中忍 一刀忍 50 神力両断・改、瞬殺閃、手裏剣乱射、水遁の術・極、土遁の術・極 徳勝寺高僧 懐剣僧 50 後光、完全回復、全体完全回復、仁王立ち、因果応報、冥護結界・弐 特徴・詳細 撃破すると宮部継潤、赤尾清綱を弱体化 安養寺氏種、宮部継潤撃破で最大5体まで弱体化 部隊アイテム 城普請心得 ドロップアイテム 小谷城普請絵図 武将列伝 与吉、与右衛門、佐渡守、和泉守 父・藤堂源助虎高 室・一色修理大夫女、越前守連久(高連)女 子・藤堂高次、高重 養子・藤堂(丹羽)高吉 藤堂氏は、近江源氏の支流という説と、藤原氏の支流という説があるが、高虎自身は土豪の出身であり、足利時代、藤堂氏の祖である三河守景盛が将軍家に仕えて、近江国数村の領主となり、藤堂という名はここから興っている。 弘治2年(1556)、浅井長政に仕えていた藤堂源助虎高の次男として、近江国犬上郡藤堂村に生まれる。幼少の頃から並外れて力が強く、大柄であったと言い、8〜9歳の頃には大人の風格があり「勇力豪強士気壮武」と評された。 元亀元年(1570)、13歳(一説には15歳)の時に父と同じく長政に仕官し、姉川合戦に出陣している。初陣にして大手柄であったので、長政から賞賛されたと伝えられている。元亀3年(1572)に阿閉貞征に仕えた後、浅井氏が滅亡したため浪人したとも、その前に同僚の山本という侍と喧嘩をして殺してしまったから浅井氏を飛び出したとも言われるが、浅井家の滅亡後は、高島郡を支配する磯野員昌、織田信長の甥にあたる津田信澄と各家を歴任。信澄の許では丹波攻めにて名のある武将を討ち取る功を立て、母衣を許された。が、80石からの恩賞による石高加増が無いことに腹を立てて出奔。 天正4年(1576)に秀吉の弟、豊臣秀長に300石で拾われ、中国攻め、賤ヶ岳の戦いや小牧長久手の戦い、九州征伐や四国征伐にも従軍し、着実に戦功を上げていった。中でも中国攻めの一つ・播磨三木城攻略で「中国一の大力」と呼ばれた賀古六郎右衛門を討ち取る功で3000石を加増されるなど頭角を現し、1587年の九州征伐の後、紀伊国内で2万石を得る。また、1591年に秀長が没すると、その養子・秀保の後見人となって小田原征伐でも功を立てて大名に加えられ、正五位下、佐渡守に任じられた。 朝鮮征伐(文禄の役)でも活躍は目覚しく、秀保の代理として、水軍の李舜臣らと戦ったが、文禄4年(1595)、秀保が大和十津川で若くして溺死すると、責任を感じた高虎は高野山に登り、剃髪する。これを秀吉が呼び戻し、宇和島城7万石を与えている。この頃より高虎の築城の手腕が発揮され、宇和島城やこの後の今治の築城も名を知られている。 秀吉に仕えて再度、朝鮮に渡った折(慶長の役)には、巨済島における海戦で、元均率いる朝鮮水軍を殲滅し、日本水軍としてはじめて勝利。秀吉より感状を得て、伊予板島に8万石を与えられた。この間の秀吉の衰弱を見て、次の天下人は五大老筆頭の徳川家康であると見越して、急速に家康に接近した。 慶長3年(1598)8月、秀吉没後の対立にあっては予定通り家康方につき、活躍する。同年、秀吉に禁じられていた無断婚姻を家康が勝手に行ったので、石田三成らが彼を大坂城に呼んで訊問し、もし反抗的な態度を取ったら即座に討ち取ろうという計画を立てていたのだが、これを察知した高虎が家康に密告をしたのだ。他にも江戸に弟の正高を人質として送るなど、徳川家に対して献身的に尽くす。 慶長5年(1600)に五奉行の石田三成らが毛利輝元を擁立して挙兵すると、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属し、西軍の大谷吉継の軍と戦う。この一連の行動により「風見鶏」などと揶揄されてはいるが、その甲斐あって合戦後、伊予今治20万石という、それまでの倍の領地を得る。また、江戸城改築などにも功があり、最終的には津(伊賀・伊勢8郡)藩22万石に加増された。他にも二条城の修築などで力を発揮し、慶長13年(1608)には豊臣家への抑えとして伊勢・津22万石に転封される。津に移封された高虎は伊賀上野と津城の改修をし、豊臣軍に備えた。 それ以後、高虎は家康を生涯の主として徹底的に尽くす。ある時、家康の病気見舞いに訪れた高虎に、『宗派が違うのであの世では会えない』と言うと、すぐに家康の宗派の天台宗に改宗している。外様大名にありながら側近として遇されるほど、家康の信頼はとても厚かった。 慶長20年(1615)の大坂の陣においては徳川方として大坂城へと参陣するも、この大坂の陣では、高虎は受難続きだった。ある日、徳川軍の陣中に迷いこんだ豊臣軍の兵が捕らえられるということが起こった。その兵がなんと豊臣秀頼から高虎宛てになっている手紙を持っており、「両将軍を大坂まで呼びよせたのは手柄であった。約束した功を立てれば望みのものを与えよう」というものだった。これはもちろん豊臣家の策略で、これを見抜いた家康が、「やくたいもないこと」と信じず何事もなく終わっている。だが、その他にも冬の陣では真田丸の攻撃に参加し、真田幸村らに散々に打ち負かされ(真田丸の攻防)、夏の陣では長宗我部盛親軍を撃破するも大損害を与えられる(八尾の戦い)という目に遭っている。しかし、その苦労が実を結び、大坂城が落城したのちに32万石に加増され、従四位下・右少将に叙せられる。元和2年(1616)に家康が亡くなる際に先陣となるように命じられた。 なお、高虎は築城技術や算術、外交に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などの築城で知られる(この他に、伏見、和歌山、大坂、淀、郡山、膳所 (ぜぜ)、名古屋など、築城のみならず都市計画にまで才能を発揮している)。高虎の築城は石垣を高く積み上げることに特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。晩年は眼病を患って失明し、寛永7年(1630)10月5日、名言『精粗の判断は上が決せられる」を残して、75歳の生涯を閉じた。 法名・寒松院殿道賢高山権大僧都、津市寿町の寒松院に葬られた。 [出世] 紀州遠征・四国征伐の功で天正13年(1585)には1万石に出世。この頃から故郷の甲良大工を指揮して屋敷造営や築城を担当するようになる。九州征伐で死闘の末に島津軍を破った戦功で家中筆頭の紀伊粉河2万石までになった。主君・秀長没後は、養子の秀俊(秀保)の後見人となる。文禄の役に秀俊名代として出陣し、船奉行を務めたが、文禄4年(1595)に秀俊が没して主家が無嗣断絶すると、剃髪して高野山に隠棲。ところが、高虎の才を惜しんだ豊臣秀吉が「首に縄を付けてでも連れて来い」と呼び付け、伊予板島7万石の大名として復活する。慶長の役では水軍として活躍。減封される大名が多い中、秀吉に「手柄の段無類」と1万石を加増される。ちなみに秀吉死去による日本軍撤退の際には徳川家康の指名で現地からの収容役に任じられてる(ただし島津義弘の活躍で結局中止)。 [転身] 秀吉没後の時代を先読みした高虎は、いち早く家康に接近。自ら諜報役として働き、情報分析に努め家康の危急を度々救った。慶長4年(1599)、弟・正高を人質として江戸に送る。また、福島正則らに手を貸して石田三成を失脚させた。関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦い、伊予今治20万石に加増。次いで、同10年(1605)に伊勢・津24万3000石に転封される。今治城はそのまま藤堂家の管轄に置かれたから、伊勢伊賀と伊予の離れた国主を任されたことになる。伊賀の忍者を召し抱え、家康の内意で有事の際の居城として伊賀上野城を大改修。当時最高の30mの高石垣を誇る堅城に仕立て上げて、大坂に備えている。この後起こる大坂夏の陣の直前に家康が「万一の時はそち(高虎)と上野で枕を並べて討ち死にし、秀忠は彦根でもう一戦やらせよう」と言った逸話がある。 [準譜代へ] 大坂の陣には徳川軍として参戦。江戸・駿府の幕閣に次いで参謀に加えられた。敵の偵察も受け負う。冬の陣では大和口先鋒大将を務めた後に城南の谷町口と対峙するが、真田丸の攻防戦・谷町口の攻防戦に大敗する。しかし夏の陣でも井伊直孝(井伊直政の子息)とともに河内口先鋒を任され、八尾の戦いにて敵首788を挙げて長宗我部盛親を破る。天王寺・岡山の戦いでは秀忠麾下の前備となって敵首207を挙げた。戦後5万石を加増されるとともに従四位下・右少将に昇格する(家康は初め20万石を加増しようとしたが本多正信に止められた逸話がある)。家康からの信頼は高く「天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝」「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から動かしてはならない」などの遺言は数多い。高虎も期待に応え、歴代将軍の良き相談相手となって幕藩体制の完成、朝廷との交渉など貢献した。元和3年(1617)3万石の加増で32万3千石となる。晩年眼病を煩い登城が困難になったが、家光は城内に真っすぐな廊下「藤堂廊下」を作ってやった。寛永7年(1630)死去。全身満身創痍で手の指も一部無くなっていた。日光東照宮には南光坊天海とともに高虎像が家康像の隣に並べられた。 [名築城家] また、高虎は近世城郭の名築城家としても著名である。自身の居城では、粉河・宇和島・大洲・今治・津・伊賀上野。普請奉行役では、赤木・和歌山・大和郡山・聚楽第・伏見(豊臣時代)・膳所 (ぜぜ)・伏見(徳川時代)・二条・丹波篠山・丹波亀山・江戸・駿府・名古屋・淀・大坂(徳川時代)など多数参加。城の縄張・城下町の設計を担当したことも多々あったという。ついでながら、家康廟として高名な日光東照宮の建立さえも高虎が携わっている。 [補足] 大坂の陣では負け運に取り付かれたのか、負けが多い。身長は約190cm、体重が110余kgあったとか(一応、現在の有名人では巨人の清原と同じくらいになる)。若い頃は短気で、同僚を斬って解雇された事があった。裏切者との評価が目立つが、「忠臣二君に仕えず」は、江戸時代に本格化した思想。戦国では勢いのある者に転身する方が絶対主流だった(厳密には一度も高虎は裏切りをしていないのだが・・・)。また、秀吉が惜しみ、家康が全幅の信頼を寄せる程の人物。世渡りだけの出世ではないだろう。意外な事は大正時代、高虎が赤十字の見本となった事である。なんでも、大坂の陣での敵味方の供養を目的に南禅寺に山門を寄進した行いからだそうで、従来のイメージとは遠いものがある様な気がする。敵を保護、助命した話も割とあったり名言集みたいなものを見ると、どうにも小物には思えないのである・・・。 情報募集中! 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shinsen/pages/8210.html
#ref error :ご指定のページがありません。ページ名を確認して再度指定してください。 浅井家 藤堂高虎 とうどう たかとら レベル 55 7体 職業 陰陽師 合戦陣配置 浅井家・左後詰主将 戦闘開始時台詞 構成 名前 職種 レベル 初期付与 使用技 藤堂高虎 懐剣陰 55 ▲ 狂風、迅雷、術法剣、全体麻痺、蘇生・壱、後光、武運長久 浅井精兵 一刀侍 50 一所懸命 国友上級鍛治 鉄砲鍛 50 三段撃ち、陽動 伊吹山山伏 懐剣薬 50 防御呪詛・参、全体治療・参、蘇生・壱 竹生島神官 宝剣神主 50 神風、神雷、嵐撃・参、詠唱の韻・極、気合の韻・参、攻撃の韻・参、神の加護・参 甲賀中忍 一刀忍 50 神力両断・改、瞬殺閃、手裏剣乱射、水遁の術・極、土遁の術・極 徳勝寺高僧 懐剣僧 50 後光、完全回復、全体完全回復、仁王立ち、因果応報、冥護結界・弐 特徴・詳細 撃破すると宮部継潤、赤尾清綱を弱体化 安養寺氏種、宮部継潤撃破で最大5体まで弱体化 部隊アイテム 城普請心得 ドロップアイテム 小谷城普請絵図 武将列伝 与吉、与右衛門、佐渡守、和泉守 父・藤堂源助虎高 室・一色修理大夫女、越前守連久(高連)女 子・藤堂高次、高重 養子・藤堂(丹羽)高吉 藤堂氏は、近江源氏の支流という説と、藤原氏の支流という説があるが、高虎自身は土豪の出身であり、足利時代、藤堂氏の祖である三河守景盛が将軍家に仕えて、近江国数村の領主となり、藤堂という名はここから興っている。 弘治2年(1556)、浅井長政に仕えていた藤堂源助虎高の次男として、近江国犬上郡藤堂村に生まれる。幼少の頃から並外れて力が強く、大柄であったと言い、8〜9歳の頃には大人の風格があり「勇力豪強士気壮武」と評された。 元亀元年(1570)、13歳(一説には15歳)の時に父と同じく長政に仕官し、姉川合戦に出陣している。初陣にして大手柄であったので、長政から賞賛されたと伝えられている。元亀3年(1572)に阿閉貞征に仕えた後、浅井氏が滅亡したため浪人したとも、その前に同僚の山本という侍と喧嘩をして殺してしまったから浅井氏を飛び出したとも言われるが、浅井家の滅亡後は、高島郡を支配する磯野員昌、織田信長の甥にあたる津田信澄と各家を歴任。信澄の許では丹波攻めにて名のある武将を討ち取る功を立て、母衣を許された。が、80石からの恩賞による石高加増が無いことに腹を立てて出奔。 天正4年(1576)に秀吉の弟、豊臣秀長に300石で拾われ、中国攻め、賤ヶ岳の戦いや小牧長久手の戦い、九州征伐や四国征伐にも従軍し、着実に戦功を上げていった。中でも中国攻めの一つ・播磨三木城攻略で「中国一の大力」と呼ばれた賀古六郎右衛門を討ち取る功で3000石を加増されるなど頭角を現し、1587年の九州征伐の後、紀伊国内で2万石を得る。また、1591年に秀長が没すると、その養子・秀保の後見人となって小田原征伐でも功を立てて大名に加えられ、正五位下、佐渡守に任じられた。 朝鮮征伐(文禄の役)でも活躍は目覚しく、秀保の代理として、水軍の李舜臣らと戦ったが、文禄4年(1595)、秀保が大和十津川で若くして溺死すると、責任を感じた高虎は高野山に登り、剃髪する。これを秀吉が呼び戻し、宇和島城7万石を与えている。この頃より高虎の築城の手腕が発揮され、宇和島城やこの後の今治の築城も名を知られている。 秀吉に仕えて再度、朝鮮に渡った折(慶長の役)には、巨済島における海戦で、元均率いる朝鮮水軍を殲滅し、日本水軍としてはじめて勝利。秀吉より感状を得て、伊予板島に8万石を与えられた。この間の秀吉の衰弱を見て、次の天下人は五大老筆頭の徳川家康であると見越して、急速に家康に接近した。 慶長3年(1598)8月、秀吉没後の対立にあっては予定通り家康方につき、活躍する。同年、秀吉に禁じられていた無断婚姻を家康が勝手に行ったので、石田三成らが彼を大坂城に呼んで訊問し、もし反抗的な態度を取ったら即座に討ち取ろうという計画を立てていたのだが、これを察知した高虎が家康に密告をしたのだ。他にも江戸に弟の正高を人質として送るなど、徳川家に対して献身的に尽くす。 慶長5年(1600)に五奉行の石田三成らが毛利輝元を擁立して挙兵すると、関ヶ原の戦いにおいて東軍に属し、西軍の大谷吉継の軍と戦う。この一連の行動により「風見鶏」などと揶揄されてはいるが、その甲斐あって合戦後、伊予今治20万石という、それまでの倍の領地を得る。また、江戸城改築などにも功があり、最終的には津(伊賀・伊勢8郡)藩22万石に加増された。他にも二条城の修築などで力を発揮し、慶長13年(1608)には豊臣家への抑えとして伊勢・津22万石に転封される。津に移封された高虎は伊賀上野と津城の改修をし、豊臣軍に備えた。 それ以後、高虎は家康を生涯の主として徹底的に尽くす。ある時、家康の病気見舞いに訪れた高虎に、『宗派が違うのであの世では会えない』と言うと、すぐに家康の宗派の天台宗に改宗している。外様大名にありながら側近として遇されるほど、家康の信頼はとても厚かった。 慶長20年(1615)の大坂の陣においては徳川方として大坂城へと参陣するも、この大坂の陣では、高虎は受難続きだった。ある日、徳川軍の陣中に迷いこんだ豊臣軍の兵が捕らえられるということが起こった。その兵がなんと豊臣秀頼から高虎宛てになっている手紙を持っており、「両将軍を大坂まで呼びよせたのは手柄であった。約束した功を立てれば望みのものを与えよう」というものだった。これはもちろん豊臣家の策略で、これを見抜いた家康が、「やくたいもないこと」と信じず何事もなく終わっている。だが、その他にも冬の陣では真田丸の攻撃に参加し、真田幸村らに散々に打ち負かされ(真田丸の攻防)、夏の陣では長宗我部盛親軍を撃破するも大損害を与えられる(八尾の戦い)という目に遭っている。しかし、その苦労が実を結び、大坂城が落城したのちに32万石に加増され、従四位下・右少将に叙せられる。元和2年(1616)に家康が亡くなる際に先陣となるように命じられた。 なお、高虎は築城技術や算術、外交に長け、宇和島城・今治城・篠山城・津城・伊賀上野城などの築城で知られる(この他に、伏見、和歌山、大坂、淀、郡山、膳所 (ぜぜ)、名古屋など、築城のみならず都市計画にまで才能を発揮している)。高虎の築城は石垣を高く積み上げることに特徴があり、同じ築城の名手でも石垣の反りを重視する加藤清正と対比される。晩年は眼病を患って失明し、寛永7年(1630)10月5日、名言『精粗の判断は上が決せられる」を残して、75歳の生涯を閉じた。 法名・寒松院殿道賢高山権大僧都、津市寿町の寒松院に葬られた。 [出世] 紀州遠征・四国征伐の功で天正13年(1585)には1万石に出世。この頃から故郷の甲良大工を指揮して屋敷造営や築城を担当するようになる。九州征伐で死闘の末に島津軍を破った戦功で家中筆頭の紀伊粉河2万石までになった。主君・秀長没後は、養子の秀俊(秀保)の後見人となる。文禄の役に秀俊名代として出陣し、船奉行を務めたが、文禄4年(1595)に秀俊が没して主家が無嗣断絶すると、剃髪して高野山に隠棲。ところが、高虎の才を惜しんだ豊臣秀吉が「首に縄を付けてでも連れて来い」と呼び付け、伊予板島7万石の大名として復活する。慶長の役では水軍として活躍。減封される大名が多い中、秀吉に「手柄の段無類」と1万石を加増される。ちなみに秀吉死去による日本軍撤退の際には徳川家康の指名で現地からの収容役に任じられてる(ただし島津義弘の活躍で結局中止)。 [転身] 秀吉没後の時代を先読みした高虎は、いち早く家康に接近。自ら諜報役として働き、情報分析に努め家康の危急を度々救った。慶長4年(1599)、弟・正高を人質として江戸に送る。また、福島正則らに手を貸して石田三成を失脚させた。関ヶ原の戦いでは東軍に属して戦い、伊予今治20万石に加増。次いで、同10年(1605)に伊勢・津24万3000石に転封される。今治城はそのまま藤堂家の管轄に置かれたから、伊勢伊賀と伊予の離れた国主を任されたことになる。伊賀の忍者を召し抱え、家康の内意で有事の際の居城として伊賀上野城を大改修。当時最高の30mの高石垣を誇る堅城に仕立て上げて、大坂に備えている。この後起こる大坂夏の陣の直前に家康が「万一の時はそち(高虎)と上野で枕を並べて討ち死にし、秀忠は彦根でもう一戦やらせよう」と言った逸話がある。 [準譜代へ] 大坂の陣には徳川軍として参戦。江戸・駿府の幕閣に次いで参謀に加えられた。敵の偵察も受け負う。冬の陣では大和口先鋒大将を務めた後に城南の谷町口と対峙するが、真田丸の攻防戦・谷町口の攻防戦に大敗する。しかし夏の陣でも井伊直孝(井伊直政の子息)とともに河内口先鋒を任され、八尾の戦いにて敵首788を挙げて長宗我部盛親を破る。天王寺・岡山の戦いでは秀忠麾下の前備となって敵首207を挙げた。戦後5万石を加増されるとともに従四位下・右少将に昇格する(家康は初め20万石を加増しようとしたが本多正信に止められた逸話がある)。家康からの信頼は高く「天下に大事ある時は一の先手を高虎、二の先手を直孝」「藤堂家は末代までも伊賀・伊勢から動かしてはならない」などの遺言は数多い。高虎も期待に応え、歴代将軍の良き相談相手となって幕藩体制の完成、朝廷との交渉など貢献した。元和3年(1617)3万石の加増で32万3千石となる。晩年眼病を煩い登城が困難になったが、家光は城内に真っすぐな廊下「藤堂廊下」を作ってやった。寛永7年(1630)死去。全身満身創痍で手の指も一部無くなっていた。日光東照宮には南光坊天海とともに高虎像が家康像の隣に並べられた。 [名築城家] また、高虎は近世城郭の名築城家としても著名である。自身の居城では、粉河・宇和島・大洲・今治・津・伊賀上野。普請奉行役では、赤木・和歌山・大和郡山・聚楽第・伏見(豊臣時代)・膳所 (ぜぜ)・伏見(徳川時代)・二条・丹波篠山・丹波亀山・江戸・駿府・名古屋・淀・大坂(徳川時代)など多数参加。城の縄張・城下町の設計を担当したことも多々あったという。ついでながら、家康廟として高名な日光東照宮の建立さえも高虎が携わっている。 [補足] 大坂の陣では負け運に取り付かれたのか、負けが多い。身長は約190cm、体重が110余kgあったとか(一応、現在の有名人では巨人の清原と同じくらいになる)。若い頃は短気で、同僚を斬って解雇された事があった。裏切者との評価が目立つが、「忠臣二君に仕えず」は、江戸時代に本格化した思想。戦国では勢いのある者に転身する方が絶対主流だった(厳密には一度も高虎は裏切りをしていないのだが・・・)。また、秀吉が惜しみ、家康が全幅の信頼を寄せる程の人物。世渡りだけの出世ではないだろう。意外な事は大正時代、高虎が赤十字の見本となった事である。なんでも、大坂の陣での敵味方の供養を目的に南禅寺に山門を寄進した行いからだそうで、従来のイメージとは遠いものがある様な気がする。敵を保護、助命した話も割とあったり名言集みたいなものを見ると、どうにも小物には思えないのである・・・。 情報募集中! 名前 コメント