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学問4文字★1(121問/日本語でソート) 「アメリカ航空宇宙局」のことを、アルファベット4字に略して何という?NASA 「それでも地球は動いている」という言葉を残したといわれるイタリアの天文学者はガリレオ・○○○○?ガリレイ 「ルーペ」のことを日本語で何という?虫めがね 「一向宗」とも呼ばれる親鸞が開いた鎌倉新仏教のひとつは?浄土真宗 0.2gを1とするダイヤモンドの重さを表す単位は何?カラット 100カペイカを1とするロシアの通貨単位は?ルーブル 14世紀から15世紀にかけてイギリスとフランスの間で起こった戦争を、その年数にちなんで何という?百年戦争 1519年、スペイン国王の援助を受けて世界一周に成功したのはポルトガル人である誰の一行?マゼラン 1861年から65年にかけてアメリカで行われた内戦を何という?南北戦争 1867年、15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返した出来事を何という? 大政奉還 1885年、日本の初代内閣総理大臣に就任した政治家は?伊藤博文 1927年から1937年にかけて中国の周口店で骨が発見された化石人類は?北京原人 1929年の世界恐慌を克服するためにアメリカが行ったのはニュー○○○○政策?ディール 1945年10月に51カ国で発足した世界的な平和機関は?国際連合 1961年に完成し1989年に崩壊した東西ドイツ分断の象徴だった壁は「○○○○の壁」?ベルリン 1mは何mm?1000 1万年ほど前から使われ始めたその多くに網目の文様のついた食料の貯蔵・煮炊き用の道具を何という?縄文土器 40gの水の温度を80℃上げるのに必要な熱量は何カロリー?3200 7世紀のはじめメッカの商人・マホメットがおこしたのは○○○○教?イスラム 8世紀末から12世紀末までの約400年間、都が京都にあった時代を何という?平安時代 アジアの国で首都をハノイに置くのは?ベトナム アジアの中央部にある内陸国でウランバートルを首都とするのはどこ?モンゴル アメリカ・カルフォルニア州のサンフランシスコ湾岸に位置する半導体やハイテク関連の企業が密集した地帯は「○○○○バレー」?シリコン アメリカで考案された気温と湿度から算出する蒸し暑さの指標を何という?不快指数 アメリカのカロザースが発明したストッキングなどに用いられる世界初の合成繊維は何?ナイロン アンリ4世、ルイ14世といえばフランス・○○○○朝の王様?ブルボン イグナティウス・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエルが所属していた修道会は○○○○会?イエズス イングランド、スコットランド、ウェールズからなるイギリスの主島はグレート○○○○島?ブリテン オアフ島の南岸にあるアメリカ・ハワイ州の州都は?ホノルル オアフ島の南岸にあるアメリカ・ハワイ州の州都は?ホノルル オーストラリア、ブラジル、マダガスカルなどを通る南緯23度27分の緯線を何という?南回帰線 オペラハウスなどの観光名所で知られるオーストラリアの都市はどこ?シドニー カメラのシャッターと連動して光を発生させる閃光装置を何という?ストロボ ギリシャ語で「流れていく」という意味の関節や筋肉に激しい痛みを生じる病気は?リウマチ この7つの星を何という?北斗七星 この大学を創立した人物は?福沢諭吉 この冬の代表的な星座といえば○○○○座?オリオン シベリア北部やアラスカに広がる1年の大部分が氷に閉ざされている荒原は?ツンドラ デンマーク領の世界最大の島は○○○○ランド?グリーン ナイル川の河口があるアフリカの国はどこ?エジプト ナギブ、ナセル、サダトといえばどこの国の歴代大統領?エジプト ナチスの指導者となりファシズムを進めた政治家はアドルフ・○○○○?ヒトラー ニュートンにより発見されたすべての物体の間に作用する引力のことを何という?万有引力 ノーベル賞の6部門のうち日本の湯川秀樹が受賞した部門といえば?物理学賞 パン作りに最も適した菌といえば○○○○菌?イースト ピラミッドや太陽暦で知られる古代文明といえば何文明?エジプト ふしぎな術を使うとして多くの無実の女性が処刑されたことを何という?魔女狩り フランスとスペインの国境にそびえるこの山脈は何山脈?ピレネー? フランスの物理学者の名前がついた電流の大きさを表す単位は?アンペア フランス革命後の恐怖政治を象徴した日本語の「断頭台」に当る処刑道具は?ギロチン フランス革命当時にジャコバン派が行った独裁政治を何という?恐怖政治 ペニシリンやストレプトマイシンなど微生物の発育を阻止する有機物質を総称して何という?抗生物質 ユーロトンネルが結んでいる2つの国はイギリスとどこ?フランス ヨーロッパの国で首都をアテネに置くのは?ギリシャ ヨーロッパの国で首都をローマに置くのはイタリアですが首都をパリに置くのは?フランス ヨーロッパの国で首都をローマに置くのはイタリアですが首都をマドリードに置くのは?スペイン ローマ教皇が統治する世界最小の国は○○○○市国?バチカン ロシアのチェリャビンスクとウラジオストクを結ぶ鉄道は○○○○鉄道?シベリア 安政6年に処刑された松下村塾で知られる思想家は?吉田松陰 羽昨市、七尾市、輪島市などがある石川県の半島は?能登半島 英語の「煙」と「霧」の合成語である汚染物質で視界が悪くなる状態を指す言葉は?スモッグ 液化石油ガスの主成分となっている無色・無臭の可燃性ガスは?プロパン 鎌倉時代に発展した将軍と御家人が土地を中立ちにして主従関係を結ぶ制度は?封建制度 鎌倉幕府がおこったのは現在の何県?神奈川県 寒気と暖気の勢力が等しいときにできる前線を何という?停滞前線 漢字で「伊太利」と表記されるヨーロッパの国は?イタリア 極めて短期間に終わった明智光秀の天下をある日数を使って何という?三日天下 血を流さずに行われたことからその名がついた17世紀のイギリスの革命は?名誉革命 現在の日本と考えられるマルコ・ポーロが著した「東方見聞録」に登場する「黄金の島」は?ジパング 五大栄養素といえば炭水化物、脂肪、タンパク質、ミネラルとあとひとつは?ビタミン* 江戸時代、日本の鎖国下で唯一貿易ができたヨーロッパの国はどこ?オランダ 江戸時代の武士が無礼な農民や町民を切り殺してもとがめを受けない特権を何といった?切捨御免 左辺と右辺が正しいときに使う「=」の記号を何という?イコール 砂漠の中にある水が湧き、木が生えている場所を何という?オアシス 最も狭い部分は30km程度しかないイギリスとフランスの間の海峡は○○○○海峡?ドーバー 三角形の内角の和は180度ですが三角形の外角の和は何度?360度 三角形の内閣の和は何度?180度 鹿児島湾を囲む2つの大きな半島は薩摩半島と?大隅半島 室町時代と江戸時代の間にあるのは○○○○時代?安土桃山 実験で使う、円筒型で口の広いガラス容器は?ビーカー? 若松、八幡、戸畑、小倉、門司の5市が合併してできた政令指定都市は?北九州市 主君浅野内匠頭の仇を討った赤穂浪士のことをその人数から何という?四十七士 周期表では17族に位置するフッ素、塩素、臭素、塩素、ヨウ素などの元素を総称して何という?ハロゲン 十七条の憲法を定め冠位十二階を実施した推古天皇の摂政といえば誰?聖徳太子 小学校の授業でよくジャガイモのデンプンを調べるのに使われるのは?ヨウ素液 人間の血管を大きく3つに分けると静脈、動脈とあとひとつは?毛細血管 人間の足の裏にある少しくぼんだ部分を何という?土ふまず 水素はH、ヘリウムはHeなどの表し方を何という?元素記号 数多くの銀行や証券会社が並び世界の金融の中心地となっているアメリカ・ニューヨークの通りは「○○○○街」?ウォール 世界でも6番目に大きいインドネシアの島で2004年末の地震津波で大きな被害を受けたのは?スマトラ 世界最高峰エベレストがある山脈は○○○○山脈?ヒマラヤ 世界的な観光地となっているオアフ島の南東部にある海岸は○○○○ビーチ?ワイキキ 政令指定都市の川崎市と横浜市がある都道府県は?神奈川県 整数や多項式を因数の積の形で表すことを何という?因数分解 西暦1000年は、日本では何時代?平安時代 昔、戦場で行われた火攻めのことを何という?焼き討ち 石油などの液体を運搬するための大型船を英語で何という?タンカー 川中島の戦いで、5回にわたって上杉謙信と戦った武将は誰?武田信玄 全ての辺の長さが等しい三角形のことを何という?正三角形 太平洋上を南北に走るこの線は????線?日付変更 太平洋戦争中、学生たちが戦場へ行ったことを何という?学徒出陣 帯を1回ひねり両端を張り合わせてできる表裏のない帯は「○○○○の帯」?メビウス 第二次世界大戦後に国際平和組織「国際連合」の本部が置かれた設置された国はどこ?アメリカ 地球の自転を証明する振り子をフランスの物理学者の名をとって何の振り子という?フーコー 地表からの熱放射を大気中の二酸化炭素が吸収して地表が保温される現象を一般に何という?温室効果 天気予報でおなじみの地域気象観測システムを一般に何と呼ぶ?アメダス 電流が流れすぎた時に溶けて回路を遮断する合金を何という?ヒューズ 土星最大の衛星の名前は何?タイタン 日本とロシアの間で帰属が問題となっている択捉島、国後島、色丹島、歯舞諸島の総称は?北方領土 日本の冬の寒冷な気候の原因となる大陸性寒帯気団を○○○○気団という?シベリア 日本の歴史書で「記紀」と並び称されるのは『古事記』と何?日本書紀 日本一高い山、富士山の標高は何m?3776 日本語では「空中線」という電波の送受信を行う装置は?アンテナ 日本語では「後天性免疫不全症候群」という病気をアルファベット4文字で何という?AIDS 日本最大の規模を誇る大阪府堺市の大山古墳の形は○○○○墳?前方後円 熱帯地方で雷や強い風を伴って降る激しいにわか雨を何という?スコール 非暴力・不服従を唱えインド独立の父とも呼ばれるのはマハトマ・○○○○?ガンジー 母体の腹壁を切り開いて胎児を取り出す手術を何という?帝王切開 北海道と青森県の間にある青函トンネルが通る海峡は?津軽海峡 明治維新後の1868年に慶応義塾を創立した啓蒙思想家は誰?福沢諭吉 明治初期に流行した歌「○○○○をたたいてみれば文明開化の音がする」?散切り頭 答えの最後に*や?がついたものは、他所のデータベースに存在しない =問題文のミスや答えが間違っている可能性がある問題です。
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小沢宗教発言⇔「神の国発言」報道の差 <小沢幹事長>キリスト教連合会が抗議「排他的発言撤回を」 11月14日19時46分配信 毎日新聞 日本キリスト教連合会(山北宣久委員長)は、キリスト教について「排他的だ」などと語った民主党の小沢一郎幹事長に対し、11日付で抗議文を送り、発言の撤回を求めた。小沢氏の発言を「一面的理解に基づくそれこそ『排他的』で『独善的』な発言で、見識を深く疑わざるを得ない」と批判している。 小沢氏は10日、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山「金剛峯寺」を訪れた際、仏教を「度量が大きい」と評価する一方で、キリスト教を「非常に排他的で独善的」と批評し、「キリスト教を背景にした文明は欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ」などと述べていた。 http //s03.megalodon.jp/2009-1115-0038-14/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091114-00000058-mai-pol <小沢幹事長>高野山訪問 松長管長と会談 11月10日20時25分配信 毎日新聞 http //s02.megalodon.jp/2009-1111-0219-27/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091110-00000107-mai-pol 全日本仏教会会長を務める高野山真言宗の松長有慶管長(左)と会談する民主党の小沢一郎幹事長(右)=和歌山県高野町で2009年11月10日午前9時59分、渡辺創撮影 民主党の小沢一郎幹事長は10日、和歌山県高野町の高野山真言宗総本山「金剛峯寺」を訪れ、全日本仏教会会長でもある松長有慶管長と会談した。同会は07年参院選で20人(自民10、民主8、国民新2)を推薦しており、来夏の参院選に向けた「地方行脚の一環」とも見られているが、小沢氏は「選挙運動に来たわけではない」と否定し、誠心など「日本人の心」の回復の重要性を訴えていた。 小沢氏は会談で、欧米文化の背景にあるキリスト教を「排他的」と述べ、仏教を「心の広い、度量の大きな宗教であり、哲学だ」と語った。「日本人の心を取り戻さなければ、本当の意味の政治はできない」とも伝えたといい、記者団から選挙協力についての質問が飛ぶと「そういう現実の政治レベルの話ではない」と不愉快そうだった。 「キリスト教は排他的」民主・小沢氏、仏教会会長に 11月10日23時33分配信 読売新聞 http //s03.megalodon.jp/2009-1111-0216-49/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091110-00001243-yom-pol 民主党の小沢幹事長は10日、和歌山県高野町の高野山・金剛峯寺を訪ね、102の宗教団体が加盟する「全日本仏教会」会長の松長有慶・高野山真言宗管長と会談した。 小沢氏は会談後、記者団に、会談でのやりとりについて、「キリスト教もイスラム教も排他的だ。排他的なキリスト教を背景とした文明は、欧米社会の行き詰まっている姿そのものだ。その点、仏教はあらゆるものを受け入れ、みんな仏になれるという度量の大きい宗教だ」などと述べたことを明らかにした。 さらに、小沢氏は記者団に、「キリスト教文明は非常に排他的で、独善的な宗教だと私は思っている」とも語った。 小沢氏の発言は、仏教を称賛することで、政治的には「中立」ながら自民党と古くからつながりのある全日本仏教会に民主党との関係強化を求める狙いがあったものと見られる。しかし、キリスト教やイスラム教に対する強い批判は、今後、波紋を広げる可能性もある。 小沢氏の訪問は、来年夏の参院選に向けた地方行脚の第1弾という位置付けで行われた。 小沢氏「君は何教だ」 キリスト教発言への質問に逆ギレ 11月17日8時1分配信 スポーツ報知 http //s02.megalodon.jp/2009-1117-0922-49/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20091117-00000036-sph-soci 「キリスト教は排他的で独善的」との発言が波紋を呼んでいる民主党の小沢一郎幹事長(67)が、16日の記者会見で「私は宗教論と文明論を言った」とし、撤回する意思がないことを明らかにした。小沢氏は記者に「君は何教だ」と逆質問するなどキレ気味にヒートアップ。人の煩悩の数やエベレスト登頂の意義にまで言及するなど珍妙な会見となった。 小沢氏(以下小)「私は宗教論と文明論を言ったんだ。君は何教だ」 記者(以下記)「家は…仏教です」 小「仏教ちゅうの、どういうの?」 記「浄土真宗です」。 小「いやいや、仏教ちゅうのはどういう哲学だっちゅーの」 会見の序盤から、やたら痰(たん)が絡んでしゃべりにくそうにしていた小沢幹事長がまくしたてた。発端は10日の高野山訪問。小沢氏は「キリスト教を背景とした欧米社会は、行き詰まっている」「キリスト教文明は、非常に排他的で独善的な宗教だと私は思っている」などと発言。日本キリスト教連合会は発言撤回を求め、抗議文を同党本部に送っていた。 16日の記者会見でこの一件について質問されるや、小沢氏はキレ気味にヒートアップ。記者の宗教を逆質問し、さらにさらに問答を続行した。 小「除夜の鐘、いくつ叩くか君、知ってるか」 記「108」 小「108ちゅうのは、どういう意味だ」 記「煩悩の数…」 小沢氏は「煩悩を生きながらにして超越できる人が生き仏。お釈迦様が最初の人だ」と力説した上で「死にゃあ煩悩がなくなるから仏様。君んとこも仏様あるだろ? ほかの宗教で、みんな神様になれるとこあるか」と問いかけた。 また英登山家のジョージ・マロリーが、エベレスト登頂を目指す理由を問われ「そこに山があるから」と答えた有名なエピソードを挙げ「西洋文明は、自然も人間のために存在するという考え方」と指摘。一方「地元ではエベレストは霊峰としてあがめられ、征服しようなどという考え方はアジア人にはほとんどない」とした。 キリスト教発言について質問される前にも、関連政治団体の政治資金収支報告書に虚偽記載の疑いがあることなどについて尋ねられ、何度も声を荒らげた小沢氏。記者の質問を遮って「たびたび申し上げましたとおりでございます」「私どもの事務所も私自身も、違法な行為はしていない」などと繰り返した。 結局、この日の会見は最後までかみ合わずに終了。報道陣に対し「根本的な宗教哲学と、人生観の違いを僕は述べた」とし「わかった? ぼくも君も死にゃ仏になれんだ」と締めくくった。 「成仏するのは仏教だけ」小沢幹事長、改めて文明観披露 2009年11月17日2時9分 朝日 http //s02.megalodon.jp/2009-1117-0608-00/www.asahi.com/politics/update/1116/TKY200911160351.html 記者会見する民主党の小沢一郎幹事長=16日夕、東京・永田町の民主党本部、高橋雄大撮影 民主党の小沢一郎幹事長が16日の記者会見で、仏教観と文明観を改めて披露した。 10日に和歌山県の高野山金剛峯寺を訪れた際に、キリスト教を「排他的」「独善的」と指摘。これに対し、「日本キリスト教連合会」が「キリスト教に対する一面的理解に基づく、それこそ『排他的』で『独善的』な発言」と抗議文を送っている。 これを受けて小沢氏は16日、「(仏教の世界観では)生きながら仏にもなれるし、死ねば皆、仏様。ほかの宗教で、みんな神様になれるところがあるか。根本的な宗教哲学と人生観の違いを述べた」と説明。さらに、エベレストに挑んだ登山家の「そこに山があるから」という発言を引用し「西洋文明は自然も人間のために存在する考え方。(エベレストの)地元では霊峰としてあがめられて、征服しようという考え方はアジア人にはほとんどない」と語り、西洋思想は人間中心だが、東洋思想は人間が自然の一部だと強調。最後は「僕も君も、死にゃ仏になれるんだ、だから」と締めくくった。 明らかに他宗教を貶めている小沢発言も毎日新聞は抗議が実際あがるまではとくに問題にはしませんでしたが 一方で神道を中心としつつも仏教・キリスト教等との共存も含めた論旨で、日本人は神様を尊ぶ心をもっと持つ必要があるとの内容の発言をした森首相は一部の抜き出しによる印象操作による「神の国発言」報道で退陣に追い込まれました。 結論ありきでの「報道の自由」の典型です。 発言全文を確認しましょう。 森首相の「神の国発言」報道 神の国発言 提供 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 神の国発言(かみのくにはつげん)とは、2000年5月15日、神道政治連盟国会議員懇談会において森喜朗首相(当時)が行った挨拶の中に含まれていた、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知していただく、そのために我々(=神政連関係議員)が頑張って来た」という発言。 この発言に対し、野党や朝日新聞・毎日新聞などのマスコミからは「国民主権や政教分離に反するものではないか」との批判がなされ、世間の注目するところとなった。一方で、産経新聞などは「批判は挨拶文の一部だけを意図的に抜き出して曲解した不当なものだ」として首相を擁護した。なお、読売新聞のように発言自体は非難しない立場からも、誤解を招く発言であるとする批判があった。 世論の反発や与党公明党・創価学会による懸念の高まりを受け、森首相は同年5月26日に釈明会見を行った。その際首相官邸記者クラブの会員記者(NHK所属とされる)が首相側近あてに記者会見の対策文書(指南書)を作ったことが直後に明らかになった。新聞倫理網領制定時に発覚したこともあり、問題視された。 2000年4月5日に就任した森首相は、この発言などから急速に内閣支持率を落とした。その後、6月2日に森首相は衆議院を解散。6月25日の投票日までの間、この発言や「無党派層は寝ていてくれればいい」という発言、さらに五人組による総理・総裁選出の経緯など、森の首相としての資質が盛んに論じられたため、当該解散を神の国解散と呼ぶことが定着した。 森首相挨拶全文 (出典:「神道政治連盟」のホームページ) 平成十二年五月十五日 神道政治連盟国会議員懇談会 結成三十周年記念祝賀会 ↓BOXクリックで全文表示 +... 神道政治連盟国会議員懇談会の三十年ということで、おそらく話があったんだろうと思いますが、この綿貫先生は、綿貫先生はまさしく神の子でありますから、しかも、きわめて位の高い神官でありますから、綿貫さんと私たちは同期生、同じ昭和四十四年の暮れに当選をした。綿貫先生はその纏め役をされておるわけでありますけれども、同じ同期には、当時二十七歳であった小沢一郎さん、その次に若かったのは私、その次に若かったのは私より二つ上の羽田孜さんでした。その次は大阪の中山正暉さん、梶山静六さんもおられましたし、江藤隆美さん、松永光さん、浜田幸一さんと多士済済、いろいろな方がおられた。本当に小沢さんをはじめとして、世間をお騒がせするものが私も含めて、たくさんおったのが、昭和四十四年組でございまして、その中で私どもが、綿貫さんの指導を仰ぎながら、神様を大事にしようという、最も大事なことであり、世の中忘れておるではないかということで、いわゆる神社本庁の神道政治連盟、国会議員懇談会を設立したわけでございますから、まさに私達が中心になって設立し、この活動をさせて戴いたものと自負しておるわけでございます。 村上幹事長その他多大なる御努力のもと、「昭和の日」などの制定を致しましたり、今の天皇のご在位のお祝いを致しましたり、陛下御即位五十年、六十年のお祝いを致しましたり、ま、ややもすると政府側、いま私は政府側におるわけでございますが、若干及び腰になることをしっかりと前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心としている神の国であるぞということを国民の皆さんにしっかりと承知をして戴く、その思いでですね、私達が活動して三十年になったわけでございます。比較的私達の同期というのはしぶとくて、結構国会に残っておりますのは、神様を大事にしているから、ちゃんと当選させてもらえるんだなあと思っているわけでございます。 とりわけ、今日は梅原先生もいらしておりますが、やはり私は、有難いことに「森」という苗字を戴いておりまして、いまや日本だけでなく、世界中が環境の問題を語るには「森」を大事にしなくてはいけないでしょう。ということになるわけで、小渕さんまで私を大事にして下さったんではないかと思うぐらい、今の立場は本当に、小渕さんの残された仕事、思いをですね、しっかりと私が実行できるように努力せねばならぬ立場にあるわけです。それには、我々の子どもの社会から考えてみますと、やはり鎮守の森というものがあって、お宮を中心とした地域社会というものを構成していきたい。このように思うわけです。 私が今、小渕総理の後を受けて、こういう立場になって、教育改革をすすめようという教育改革国民会議というものをこうして致しておりますが、少年犯罪がこうしておる状況にアピールをしようと、テーマを造ったわけですが、はっきりいって役所側で作ったもので、みんな大変ご批判がでました。まるで文部省が各教育委員会に通達した文書だったんですが、審議会そのものに対しては文部省の私的諮問機関なので、私がそのものに口を出してはいかん立場なんです。たしかに難しい立場で難しいことなんだけど、要は私は、人の命というものは私はお父さん、お母さんから戴いたもの、もっと端的にいえば、神様から戴いたもの、神様から戴いた命はまず自分の命として大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはいけない。そのことがまずもって基本にないといけない。その基本のことが、何故子ども達が理解していないんだろうか。いや子ども達に教えていない親達、学校、社会の方が悪いんだといえば、私はその通りだと思う。 しかし、昨日沖縄に参りまして、四十七都道府県から子ども達が集まりまして、小中学校の生徒さんが集まるサミットというものをやりまして、そして七月に集まるサミットに提言をしてくれた。その提言を私が戴いたわけでございます。その文章を見ていますと、自然環境を大事にしなければならないとか、そして地球、とかいろいろ書いてあるわけですが、どこにも命を大事にしろとは書いていない。 ちょうど不思議なことで、その式典に出ようとした時にですね、小渕首相の訃報が入ったわけでございます。沖縄の私のもとに入ったわけでございます。もう胸がいっぱいになりました。もう最後の閉会式のセレモニーでしたから、よっぽどその話をしようかと思いました。しかし、みんな喜んでいやー終ったぞ、という式典でしたから、私は申し上げなかったんです。申し上げなかったけれども、みんな自然を大事にしよう、水を大事にしよう、とっても良いことだと思います。思いますが、地球社会、共生の社会というなら、人の命というのは、どこからきたのか考えよう、この人間の体というものほど、神秘的なものはない、これはやはり神様から戴いたものということしかない、みんなでそう信じようじゃないか。神様であれ、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいい、宗教というのは自分の心に宿る文化なんですから、そのことをもっとみんな大事にしようよということをもっとなんで教育現場でいわないのかな、信教の自由だから、触れてはならんのかな、そうじゃない信教の自由だから、どの信ずる神、仏も大事にしようということを、学校の現場でも、家庭でも、社会でもいわなければならないよということをもっと、私は、もっともっと、日本の国のこの精神論からいえば一番大事なことではないかとこう思うんです。 私はあまり信心深い方ではないんですがそれでも、朝は、必ず、神棚に水をあげて、そして出て参ります。家にいる限りは。そうすると私の三歳になりましたが、孫が、一歳半から、必ず、一緒にならんでお参りしてくれるんです。今朝も、孫が私のことを先生先生といってくれるんですが、幼稚園に行く前にタッタタと私の寝室にきて、私は、昨日小渕さんのこともあって、大変つかれておったんですが、それでも、孫が起こしにきまして「せんせい」というから、「どうしたの?」というと、「お参りしよう、神様に」というんです。 これは寝てるときではないなと思って、神棚にお参りした。この子が将来どうなるかは分かりませんが、日曜日には、教会に行っているとのことですので…。神棚にお参りしたり、教会に行ったり、いずれ石川県に行けば、また仏壇にお参りするんだろうと思いますが、要はお参りしようということを、小さな子どもが、お祖父さんがやることによって、覚えてくれる、私は息子や嫁にいうんです。「お前ら一番悪いじゃないか、中間は何にもしない。お前達が何にもしないから、おじいちゃんがやる。そのことによって、ちゃんと孫ができるようになる。」一番大事な家庭のこと、家庭の基本のこと、地域社会のこと、やはり神社を中心にして、地域社会っていうのは栄えて行くんだよということを、みんなでもういっぺん、みんなで、もういっぺん、そんなに難しい話じゃない、であって、そのことを勇気をもってやることが、二十一世紀がまた輝ける時代になるのではないかなということを私は思うんです。こうして全国の皆さん方がお越しの前で、私みたいなこんな余計なことを申すまでもないんですが、立場上、こうしてお話をさせて戴いておるんですが、多くの皆さんに影響力をもたらしてくれる方ばかりでありますので、皆さん方で勇気をもって今の子ども達の社会にもっと神様とか仏様とかということを、そうしたことをしっかりですね、体で覚えてゆく、そうした地域社会を作り出す、秩序ある地域社会を作り出す、そのためにますます皆様方がご活躍をして下さいますよう、またわれわれ国会議員の会も神社本庁のご指導を戴きながら、ほんとに人間の社会に何が一番大事なのかという原点をしっかり皆さんに把握して戴く、そうした政治活動をしていかなければならない。それが私の使命だとこのように思っておるわけでございます。 たまたま小渕さんが、ご他界になられました。四十三日前にそうしたお立場の中で、私が支え役をしておりました。その中で私はすぐ言ったんです。その小渕さんの跡を戴こうとかそんな事を私は一つも考えておらなかった。私は小渕さんがしっかりやって戴くということを幹事長という立場で、しっかり支えることが私の滅私奉公の立場であっておるんだ、ということを、思っておりましたが、小渕さんがああいうことになって、私が後継になった。そのことが、私は天命と思った。天命ということは神様から戴いた、まさに天の配剤ということであろうかと思いますが、小渕先生が亡くなって、その棺が官邸の前を通って、まわりを回って、そして自宅に帰られた、私はそのことを写真で見ましたが、一点にわかに掻き曇って、そしてにわかに官邸の前を通ったときに、雷鳴があって、私はそのとき思った、何かあったかもしれません。まさに小渕さんはこのとき、天に上られたのか、また天も共に嘆いたのか分かりませんが、いずれにしてもこのとき天命が下ったのかなと思いました。総理大臣になりました時、まさにこう申し上げました。まさに天の配剤だろうと。だからこそ、恥ずかしいことをしてはならない、まさにお天とう様が見てござる、神様が見ていらっしゃるんだということを一つだけ、大事にしながら政治があやまちにならないよう、しっかりと頑張っていきたいと思います。 ご参集の皆さま、こうして三十年をお祝い下さって、また我が国の行く末を、そして世界の将来をみんなで案じながら、また念じながら、ご指導を賜ることをお願い致しまして、少し長くなりましたが、私の御挨拶とし、御礼を申し上げる次第であります。どうも本日は有難うございました。 (終わり) NPO法人岡崎研究所 研究資料: 森首相のいわゆる「神の国発言」の全文(出典:「神道政治連盟」のホームページ) http //www.okazaki-inst.jp/material.morishinto.html 要約 1.昭和44年から私が代議士を勤めて来れたのは、八百万の神々が守ってくださったお陰と感謝している。 2.日本人でこの様な伝統的な考え方を持っている世代は私達が最後だろう。 3.私達人間を取り巻く自然。そして私達の身体。そして命は神様から頂いた物である。(ここで「森は命の源です」というジョークが入る) 4.日本が発展してきたのは「天皇陛下を中心とした神の国」。神様から頂いた自然と命を大切にしよう。自分の命も、周りの全ての命も同じ。と言う考え方があってのこと。 5.だから今の日本人は神様を尊ぶ心をもっと持つ必要がある 6.ここで言う神様とは、仏様であれ、天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人であれ、日蓮さんであれ、誰でもいいのです。宗教というのは自分の心に宿る文化なのだから。因みに私の三歳になる孫娘はキリスト教会に通わせています。 7。だから私は日本を守ってきた天皇陛下と神様を大切にするために「神道政治連盟国会議員懇談会」を設立致しました。 当時の大半のマスコミは4番目の部分だけピックアップし「国民主権や政教分離に反するものではないか」との批判報道を行いましたが 田母神論文の報道同様に、読者・視聴者の判断材料である問題の発言の全容を隠蔽し、部分的印象で望むような報道を行っていたのがわかります。 関連サイト (↓自動検索による外部リンクリストです。) アルピニスト・野口健のブログ 小沢一郎氏、鳩山由起夫氏に対する私見 http //blog.livedoor.jp/fuji8776/archives/51367789.html 「キリスト教は独善的」発言に対してもコメント有 wikipedia「神の国発言」 #bf #bf #bf
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わたしが死んだ夜をお気に入りに追加 情報1課 <わたしが死んだ夜> #bf 外部リンク課 <わたしが死んだ夜> ウィキペディア(Wikipedia) - わたしが死んだ夜 Amazon.co.jp ウィジェット 保存課 <わたしが死んだ夜> 使い方 サイト名 URL 情報2課 <わたしが死んだ夜> #blogsearch2 成分解析課 <わたしが死んだ夜> わたしが死んだ夜の62%はスライムで出来ています。わたしが死んだ夜の34%は白い何かで出来ています。わたしが死んだ夜の3%はミスリルで出来ています。わたしが死んだ夜の1%は血で出来ています。 報道課 <わたしが死んだ夜> つながり紡いで:室生・芸術の森での言舞劇 古と今が響きあう時空=吉田敦彦 /大阪 - 毎日新聞 【追悼】友である工藤明男のこと(1)―11月28日と、それ以前のやりとり - Business Journal 小室眞子さんで耳目集めた「複雑性PTSD」の生きづらさとは - 毎日新聞 - 毎日新聞 かまいたち濱家の「クセ」は小学校の頃の私の「症状」と似ている—自分の中の発達障害・人格障害[上]-(松沢呉一) | 松沢呉一のビバノン・ライフ - タグマ! 揺れ動く日大~田中色一掃かそれとも復権狙いか、今後のシナリオは(石渡嶺司) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 鼻にニキビが出来ました BUDDiiS 公式ブログ - lineblog.me STU48・甲斐心愛、女子高生役でドラマ初主演に挑戦 共演に西田尚美、アルピー平子ら(ENCOUNT) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース コロナ禍で影響受けた59作品を一挙上映、「戦メリ」「るろ剣」「ポンポさん」など(映画ナタリー) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ザ・スミスの歌詞が響く 偽らざる心の物語『ショップリフターズ・オブ・ザ・ワールド』 - リアルサウンド 「日本は94歳の私が死ぬのばかりを待っているのか」強制徴用被害者の怒号(ハンギョレ新聞) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 藤原大祐×桜田ひよりW主演で「神様のえこひいき」実写化!『喜びが大きい分、同時に強い責任も感じました』(WEBザテレビジョン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 今ある日常は「当たり前」じゃない。当時16歳、弟が突然死んだ…家族崩壊から立ち直るまでを描いた実話漫画にハッとさせられる - ウォーカープラス キムチ作りで200人感染“過去最悪”韓国緊急取材(テレビ朝日系(ANN)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 旅×モデルほりいみほ「“聖地”はオタクを世界へ誘ってくれた」(telling,) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 【ザ・インタビュー】偉大な思想家のもう一つの姿 五木寛之さん著「私の親鸞 孤独に寄りそうひと」 - 産経ニュース 自然がもたらす味覚。山の生活に彩りを添えるもの(YAMAKEI ONLINE(ヤマケイオンライン)) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 『カムカムエヴリバディ』新たな戦争描写の境地を開く 多くの人に観られる朝ドラの使命(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ミュージカルの作詞作曲家ソンドハイム氏、91歳で死去=米報道 - BBCニュース 『ドラクエ』の「ぱふぱふ」とは何なのか?スカされ続ける大人の秘密と歴史を紐解く! (マグミクス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 『あなたに似た人』が描く“許さないことが復讐”であること ヒジュの夫ヒョンソンに変化も(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 頭髪を100本抜き覚醒剤検査 “絶口調”で不満をぶちまけた家政婦【紀州のドン・ファンと元妻 最期の5カ月の真実】(日刊ゲンダイDIGITAL) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 33歳で旅立った私のパートナー - NHK NEWS WEB 1億7000万円の借金返済に追われても…… さゆりが「私はむしろラッキーだったかも」と語る理由(リアルサウンド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース アイナ・ジ・エンドが“死”と向き合うのは“あなた”と生きたいから(THE FIRST TIMES) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 流れ弾に当たって少年が死亡、自室でゲーム中に(ニューズウィーク日本版) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 帰国すれば命の危機も…W杯で“3本指”掲げたミャンマー人選手の苦悩「家族より大事なものはない」(ABEMA TIMES) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 五木寛之「直木賞を受けるか、ひっそりと金沢で生きるか。迷っていた時、浅川マキは西瓜をさげて縁側に現れた」(婦人公論.jp) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース ファンキーな祖母との思い出を漫画に。好きなものを楽しむのに年齢は関係ない!(ウォーカープラス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 江原啓之さんが説く終活「いつ死ぬかわからないと腹を括る方が幸せに」(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース シロさん&ケンジたちの言葉が心に沁みる…「きのう何食べた?」名セリフまとめ!(MOVIE WALKER PRESS) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 「埋められて、そういう姿を想像してみい、人に頭打ち付けられて死ぬって考えてみろ」 拘置所から届いた吉原ソープを仕切る男性の“ボイスメッセージ”(文春オンライン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 『真・女神転生』歴代“心をえぐられたトラウマシーン”といえば? 第1位は家族に起きた惨劇…【アンケ結果発表】(インサイド) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 新型コロナ感染で急逝した江崎マサルが見た夢と、突然プロデューサーを失ったhy4_4yhの決意(音楽ナタリー) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース interview with Courtney Barnett 朝にはじまる | コートニー・バーネット、インタヴュー - ele-king.net 「障がいを持つ子供の親が安心して死んでいける地域を作りたい」長崎・理学療法士の挑戦(NEWSポストセブン) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 有罪被告が手紙に記した「太宰府・主婦暴行死事件の深層」(FRIDAY) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース じつは地球上にたくさん存在する「死なない生物」とは?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 4時間“拷問” 殺人未遂の元日本人大学教授に懲役12年 クリスマスイブの惨劇はなぜ起きたのか 米(飯塚真紀子) - 個人 - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース おばけの話なんて嫌いだった幼いわたしが遭遇した、あるできごと。――『虚魚(そらざかな)』試し読み#14 - カドブン 愛した男の葬儀に集まった3人の女性がバトル 堤幸彦監督『truth』本予告(クランクイン!) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース キム・ヘス×イ・ジョンウン、新鋭監督の長編デビュー作で初共演『ひかり探して』2022年1月公開へ(cinemacafe.net) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 神戸 男子高校生殺害事件 息子へ 父親の10年10か月|NHK事件記者取材note - NHK NEWS WEB 私の手料理を食べた後、夫は別の女と夜を過ごした 100年続く女たちの苦しみ:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 坂本冬美「あらゆる『情念』を歌っております」 コンセプトアルバム「Love Emotion」10月27日発売決定 ~デビュー35周年メモリアルイヤー第二弾リリース(ニッポン放送) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース 1000円渡し夜も帰らない母親、17歳少年「妹の世話つらかった」…大津妹暴行死 - 読売新聞 Ado「この先私が死ぬまで愛し続けます」 ボカロ愛を熱く語る - ananweb 心の病気を抱える私へ、死ぬ前に夫が言った「人殺し」 - 朝日新聞デジタル 「お姉ちゃんを地獄に道連れにしてでも、私は絶対に冬吾さんを渡さない!」亡き妹がブログに残した情念 - テレビ東京 夫も兄もコロナで死んだ「私が殺したんや」自分を責める日々 - NHK NEWS WEB 夫も兄もコロナで死んだ「私が殺したんや」自分を責める日々|感染者・家族 遺族の証言|新型コロナウイルス|NHK - NHK NEWS WEB ひとり、都会のバス停で~彼女の死が問いかけるもの - NHK NEWS WEB 坂本冬美歌唱、桑田佳祐提供「ブッダのように私は死んだ」を原案にした音声作品を配信 - 音楽ナタリー 「私は死んだのですか」運転手に聞いたタクシー客 被災地と幽霊の深い関係:朝日新聞GLOBE+ - GLOBE+ 人間は、死んだあとどこに行くの?|読む子ども科学電話相談 質問まとめ|NHK - nhk.or.jp 情報3課 <わたしが死んだ夜> #technorati マンガとは マンガの33%は厳しさで出来ています。マンガの30%はカルシウムで出来ています。マンガの25%は元気玉で出来ています。マンガの9%は毒物で出来ています。マンガの1%は月の光で出来ています。マンガの1%は毒電波で出来ています。マンガの1%は魂の炎で出来ています。 28589.jpg?_ex=300x300 s=2 r=1 ヨスガノソラ 春日野 穹 -すくみず 楽天売れ筋ランキング レディースファッション・靴 メンズファッション・靴 バッグ・小物・ブランド雑貨 インナー・下着・ナイトウエア ジュエリー・腕時計 食品 スイーツ 水・ソフトドリンク ビール・洋酒 日本酒・焼酎 パソコン・周辺機器 家電・AV・カメラ インテリア・寝具・収納 キッチン・日用品雑貨・文具 ダイエット・健康 医薬品・コンタクト・介護 美容・コスメ・香水 スポーツ・アウトドア 花・ガーデン・DIY おもちゃ・ホビー・ゲーム CD・DVD・楽器 車用品・バイク用品 ペット・ペットグッズ キッズ・ベビー・マタニティ 本・雑誌・コミック ゴルフ総合 ページ先頭へ わたしが死んだ夜 このサイトについて 当サイトは漫画のタイトル毎にインターネット上の情報を時系列に網羅したリンク集のようなものです。ページをブックマークしておけば、ほぼ毎日その漫画のタイトルに関連する最新情報にアクセスすることができます。 情報収集はプログラムで行っているため、名前が同じであるが異なるカテゴリーの情報が掲載される場合があります。ご了承ください。 リンク先の内容を保証するものではありません。ご自身の責任でクリックしてください。
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2010年5月27日のアップデートでなされた対策は、かなり有効だったようです この結果、ゲームにインするチーターの数は激減し、本当に殲滅すべきチーターが把握しやくなっています アカウント停止処分や IPアドレスによるアクセス制限という手段もありますので、運営会社への集中報告のターゲットにしていきましょう 2010年5月27日のアップデート以降、カジュアルサーバーを中心に活動が確認できたチーターリスト 2010年9月15日のアップデートの前までに確認されたものを記載しています ビギナーサーバーは未確認 チート使用の前歴があるものとチートクラン所属員は、チートの使用如何にかかわらずリストしておく ◎は実際にチートツールの使用が確認されたもの クラン うぱるぱの会 ◎うぱるぱさん ◎烈火の魂 ◎ジョンブラック シャトーのご飯 ◎minoruAid ◎炎神アラシマン ◎暁戒 ◎Gスポット男爵 うぱ王 Sフレン xX地獄少女Xx きゃんたまちゃん fiwqfufifhijiwhq Zreel 管制官48 卍鰻卍 ◎升専用垢うぱるぱ スーパーヤサイ人 超升升豚升升超 バルサ大好き SwzKT 蒼炎のニコ 桂うぱ丸師匠 bukkorose SrubGohard 超ライダマン ◎ちょえっす 最強ディーヴァ ドムヤン 職人X whoyou kooooooooooooooo 守護神ーゾンビ 10as 妖精ちゃん Server 飛翔麗 Masterクサイモン 解析班S c刹那c ライダマン ◎DeathPissaro お前ちねよ ◎ネオフェアル ytkr2580 二村真司 veil ◎卍BlackSharK卍 裕介ケビン 最強の弱者 ミスターハンク すずけん LOVEハンゲー すねパンチ 肛門様0721 クラン 超升 鼻毛パラダイス ◎覇王天守閣 ウ氈トサッニシ想 不思議先生 クラン Duty ◎Banaokun(← FlUoReScEnT ← 卍吹雪卍) クラン LANBAS ◎AokyHniTguBgJ ◎ーTATUYAー 陸戦型ジム クラン RARARAーFinal ◎さき嬢Sちゃん ◎アソコデラックス oO極悪人Oo グレーンマソ先生 レオポルド 禁書目録z クラン 超絶の超升 ◎Masterサイモン ◎討伐部隊隊長 海王の雫 ◎うちはイタチ 中華梅干し ◎超絶の超升先生 ◎38度卍最上級の愛 クラン 超升会 灼熱の升先生 ◎変な先生 クラン 断罪者 ◎神撃貴手 なんでやねーん どないやねーん Kaitana 卍犬神卍 クラン 三階建てくりりん家 ◎四代目くりりん升 升くりりん クラン 最速の鬼神 海賊ルフィー クラン升升神超神升升 Basterソウル クラン 卍殺升殺卍 卍魁星卍 クラン 超VIP zakoX マンコチャン クラン 本家うぱ会 ◎本家うぱるぱさん ◎本家烈火の魂 ◎本家ジョンたん 本家minoruAid ◎本家外掛地衣太 クラン くりりんの会 ◎くりりん弟 くりりん妹 ◎karayan クラン DelGeキNelaRkX 升撲滅隊長 クラン CP9 スパンダム長官 クラン 超ハムスター 聖絶マン クラン 獨孤求敗 ◎Crushers きん玉 クラン Zxcvbnm 棒立ちマン先生 クラン Angelkill しょうりゅう クラン ー海軍本部ー PinkyーDianne クラン strawberry ◎ヘビーさん クラン 天空の升ムスカ 未実装スプレー人 クラン AddRipSkype くももももん ダッチワイフ クラン x時空の覇者x 卍朝比奈みくる卍 クラン AngelBeats 未元物質 クラン xろろとましx エンジェルひろや クラン 国境無き軍隊MSF ミクルランス クラン ーAngelDustー natumin クラン TheCartelFromStreet ◎38度卍最上級の愛 クラン CLOSER moyasi5 ◎dyuuui クラン GhostStory ◎卍暴走雷神卍 クラン青空に輝く星 XデビットX クラン 忍者 兎耳針剣(← 魑魅魍魎魑魅魍魎) クラン 泣かないもん うまキProKzMキうま SFsalko クラン 卍緋弾のアリア卍 ◎狙撃手のレキ様 クラン わかば学級 ヤメテケロ クラン l裏ワザl学院 ◎MouseSports クラン オレンジジュース ◎DrAg0nEyE クラン 悪羅殺人ホスト ◎HIDEY クラン ドクロ 襲魍躯獲裏髭 クラン 裂爆egnitは生先肉筋 ◎oreporepoknamo クラン SURF魂 魂くん クラン Cluel部隊48 ryoANryo クラン 悪魔の会卍 ◎悪魔ー元帥 クラン TinCaScreAm ◎蛙さん クラン KAMAI達 金成ゆうすけ クラン TTK DONTOEAT クラン ーAKB48ー ー卍ー クラン 白アリ軍団season2nd 白アリ軍団 クラン 卍原一家卍 Monnsukenn(← KENTO11) クラン 短パン同盟 蜜柑だよん クラン CLOCK ◎0o時の人o0 クラン 憂鬱の鬱と親鸞 神の犯人 クラン 白髭海賊団 ヘボナイフ クラン WorldーTheーEnd ミィィィィィ クラン badlam ◎ZOUCKER クラン ちびねこ 沙也 クラン 升うざっ ◎セイント聖斗 クラン 捜査一課 軽視庁 クラン 白大福ちゃん愛してる 犬神雷斗 クラン phymel ◎zlgsaw クラン XxOverKillxX ◎XxBlackDragonxX(← arubarubnitnit) クラン TRiNiDAD ECLATDARPEGE(← りほりほ) クラン 死体撲滅運動協会 ACEZERO クラン 升撲滅委員会 ◎升梵鐘升髣髴升 クラン 生活保護受給者 人間のクズ クラン AHiodada コンペィ クラン TeamEmperor RoseーRFinlAlice クラン HumanKiller LASTHERO クラン ー夜桜の龍滅会ー 桃PINKU クラン PenGin部隊 kirisuto クラン 攘夷志士 ◎ホワイト クラン joyjoyparty 研究用イモムシ クラン チーズ春巻き ◎星空へ架かる橋 クラン 在日連絡協議会 ◎菅直人 クラン あいむじゃぐらー SunatcH クラン マビ族 mabinogi クラン GXレボリューション ProgolferMOGU クラン Ex部隊 ◎暗殺の虎 クラン XYLITOL マスターzero クラン SpecialFriends Blackhawk1 クラン 遠野幻想物語 huzisonn クラン ユウツナ天使 ◎夜死亜貴 クラン ちーむふぁっきん ◎鼈綴彪遡 クラン asasinn まりもっこり君 クラン 白皇学院 イナクト クラン 読売ジャイヤンツ ◎asitanojoe wカナリア大先生w クラン ハングメン ヘビーさん クラン Teamunfairness ◎升雄 クラン TeamーTK 小澤一郎 クラン 小隊 ◎スペサルボーヤ クラン ー終焉の龍ー ◎009リニアspeed クラン A1c0N 初音ニコ クラン カルボナーラ小隊 ◎ぴゆだぞ クラン ロリコンは世界を救う 三個係長 クラン Zippo 大家さん ◎DDtomo クラン 最強猛者軍 たいとん クラン shubat ProGamerlNeX クラン SafeAndSolitudeAll《解散》 ◎えだまめ隊 クラン ZfelzSLetu《解散》 時の人 クラン UVERmajik《解散》 ◎direngreyr みずしぃ クラン SakumaDrop《解散》 珍来de クラン 超升FinalSeason《解散》 天守閣 升くりりん弟 ビーフステーキ クラン RARARAnext《解散》 禁止用語発令人 ◎凸升田たけし凸 クラン 超Independent升《解散》 ◎鼈魑魅魍魎鼈 ◎少年中野 ◎中野梓LOVE ◎静水久ちゃん のっとなうず ◎SFsalko 最速の俺たかピー 元にゃんちゅうー EXTRAxJAPAN ◎罪深き終末論 むにょー 乱気 延寿 キング渡辺 泡姫ちゃん ◎KINGGOTOU 六夢 だんべ汁 SUNGraNDEallfiNE 卍悪魔のしもべ卍 wahaha254 xx雫ちゃんxx HACKING 个究極超升人間个 ◎キモヲタニートEX ◎U238 ◎神Cherry神 クラン 升超升2ndseason《解散》 MasterSAIMON ◎筋肉先生 ◎空腹は敵です ◎混沌魔術師升er様 ◎シルバーマソ先公 ◎PhaNtomVeNusEVAN(← 知らんよ) ◎HBのうすさ プラチナマン先生 ウスイジャナーイ ー御坂美琴ー ◎Deveropment 升ただで売ります ◎Riara ◎DrAg0nEyE 満腹は見方です 練習用NPC XxArCoBaLeNoxX 神のしもべ さき嬢Eちゃん yoshi1213 ZEROENGA jewelyRose AKBあつし Ogichi devilサイモン 升の達人 豚汁豚丼 吉外カムミー リアネウス さぁね知らない yousuke123 karubirush クラン GhostCity《解散》 ◎ボルチオ大将軍 DomesticViolence ◎極限最強の升野郎 クラン トリック《解散》 ◎華麗な暗殺者 聖夜ノエル ◎SERONIAS 潺漏絶望彙升獅 クラン JENOVA《解散》 ◎KILLER2 ◎信行 クラン チョコレートパフェ《解散》 ◎超おニャン子先生 クラン 神曲楽士派遣事務所《解散》 ペルシャ 卍死神様卍 クラン 超ハムスター《解散》 新しき兵士 クラン 超ハムスター《解散》 神帝t零雫EX クラン ShrikeForce《解散》 変態JKのほほえみ クラン GreatTornado《解散》 卍殺人TK軍卍 クラン LoveGame《解散》 PONdeライオン クラン誘ってくる姉《解散》 制裁者です(← ◎疥癬皸鶴鶴鶴鶴鶴) クラン Nuisance《解散》 ◎CoolxLife Discharge どのクランにも所属しないかその他に所属 復活延寿 ◎王記 ◎puraha ◎敵の陣地に復活er ゆかちゃん ◎ー毛ー ◎Xx新垣結衣xX ◎爆乳戦士オーマン ◎疾風のナナ ◎こもえ8歳 ◎アップルマンゴー ◎xxエルドxx ◎みほぽん ◎xSephirothx ◎ghosthacker ◎akjregnb ◎dsasw ◎戦争反対平和主義 ◎久遠の断罪者 ◎Clarch ◎nlonszo ◎夏ッ ◎まめこめ ◎雑魚升の極み ◎もやしにくいゴミ ◎唯の妹 ◎中田有紀LOVE ◎隣が奇声中 ◎childy ◎卍x呂布奉先x卍 ◎椿原慶子 ◎超升jacky ◎小倉ありす xxKILLERxx GF専用垢うぱるぱ Xiuhtecuhtli poison7 存在破棄 キル たぬ吉 Ether kitchenmama DEATHMETAL typhon 笑って許して 起爆剤 彫竜 tknet ともーちー コメント欄 闇cは升ではないお -- (ginn) 2011-09-26 19 31 12 普通にギリシャで闇倒せるけど;; 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◎ミュージアムに行きたい07 より続く 130424 満蒙開拓民たちの軌跡展示 長野・阿智に全国初の記念館 [朝日] 121002 赤れんが駅舎、創建時の威容再び JR東京駅、全面開業 [東京] 111024 法然・親鸞ゆかりのお宝ずらり 東京・上野で特別展 [朝日] 0821 大阪「サントリーミュージアム天保山」が来年末で休館 [朝日] 0422 「世界デジタル図書館」ユネスコなど開設 [朝日] 1024 新薬師寺の巨大な金堂跡出土 奈良時代で最大級 [朝日] 1014 赤ちゃんシャチ生まれたよ!国内初、水族館生まれの親から [読売] 1015 応挙・若冲…江戸の書院、パリに再現 金刀比羅宮展開幕 [朝日] 0724 レノンの手書き歌詞、8900万円で落札 [朝日] 0625 モネ「睡蓮」、86億円で落札 クリスティーズ 0617 ヒトラー寄贈のベンツも展示へ ネパール王宮が博物館に [朝日] 0618 ゲバラの銅像、故郷アルゼンチンで完成…生誕から80年 [読売] 0613 凝縮の仏教空間 「法隆寺金堂展」14日開幕 [朝日] 0606 改定社会教育法が成立 改悪教基法具体化 共産党は反対 [赤旗] 0529 毛沢東の大肖像画は130億円? ウォーホル作、最高額 [朝日] 0515 村上隆氏のフィギュア、約16億円で落札 [朝日] 0515 フロイトの孫の裸婦像、35億円で落札…現存作家で最高額 [読売] 0509 1300年の時空超え キトラ公開始まる [朝日] 0507 ポスター・雑誌広告で戦後たどる 東京、印刷博物館 [朝日] 0504 デジタルで変わる美術館 新たな見せ方、本物と違う発見 [朝日] 0503 多摩動物公園で新施設「アジアの沼地」 [朝日] 0426 大阪の児童文学館に廃止案 国内最多の70万点所蔵 [朝日] 0412 ニュース博物館「ニュージアム」 ワシントンにオープン [朝日] 0318 岡本太郎の巨大壁画、東京・渋谷へ [朝日] 0311 南京大虐殺記念館 入場者が100万人突破 [朝日] 0220 冬こそ動物園 旭山に続け、雪国で続々開園 [朝日] 0220 史上最高額の盗難絵画2点を発見 ゴッホとモネ [朝日] 0212 被害総額175億円、ゴッホ、モネなど4点盗難 スイス [朝日] 0119 鉄道博物館の入館者、60万人突破 さいたま [朝日] 『動物園にできること』 [読売] 2chで話題のやつです+.(・∀・).+☆ http //ktjg.net/index.html -- 素人です (2011-11-21 17 08 23) 名前 コメント ↑ご自由にコメントをお書き下さい。 130424 満蒙開拓民たちの軌跡展示 長野・阿智に全国初の記念館 [朝日] 【山田雄一】戦時下の満州(現中国東北部)に渡った開拓民たちの軌跡や証言を記録、展示する「満蒙開拓平和記念館」が、長野県南部の阿智村に完成し、24日、開館式があった。満蒙開拓に特化した施設は全国で初めて。国策で異境に移住し、多くの犠牲を生んだ史実を伝え、平和の尊さを訴えていく拠点だ。 満蒙開拓民は約27万人とされ、現地で亡くなったのは推計で7万8500人。長野県からは全国最多の3万3千人が渡り、その4人に1人は阿智村のある飯田・下伊那地域の出身だ。飯田日中友好協会(河原進会長)を母体とする一般社団法人が、7年前から開設の準備を進めてきた。 記念館は木造瓦ぶき平屋建ての437平方メートル。建設費の1億2千万円は一般寄付や林野庁、県などの補助で賄った。用地は阿智村が無償で貸与した。 現地での暮らしぶりや敗戦後に死者を多く出した逃避行と収容所生活、日本への引き揚げの様子を遺品、絵画、映像、写真の展示で再現した。体験者13人の証言が読めるコーナーや、中国残留孤児の帰国に尽力した阿智村ゆかりの故山本慈昭さんの資料もある。 開館式では、河原・初代館長が「史実を後世に伝え、平和を求めていく息の長い事業の舞台にようやく立つことができた」とあいさつし、阿部守一知事らが祝辞を述べた。元開拓団員の中島多鶴さん(87)=同県泰阜村=が「平和の誓い」を読み上げ、「いかなることがあっても戦争をしてはなりません」と訴えた。 121002 赤れんが駅舎、創建時の威容再び JR東京駅、全面開業 [東京] JR東京駅丸の内側の赤れんが駅舎が1日、5年に及ぶ保存・復元工事を終え全面開業した。1945年の大空襲で焼失した3階部分と南北のドーム屋根がそろい、大正期の創建当初の威容が首都中心部によみがえった。 駅舎は全長約335メートル、幅約20メートル、尖塔部を含む高さは約45メートル。明治建築界の第一人者辰野金吾が設計、14年に開業した。「辰野式」と呼ばれる、褐色の化粧れんがに白い花こう岩を帯状に配したデザインとビクトリア調のドームが特徴だ。屋根の一部は、東日本大震災で津波被害を受けた宮城県石巻市の雄勝産「天然スレート」を用いた。 (共同) 111024 法然・親鸞ゆかりのお宝ずらり 東京・上野で特別展 [朝日] 鎌倉仏教の二大宗祖を紹介する特別展「法然(ほうねん)と親鸞(しんらん) ゆかりの名宝」(朝日新聞社など主催)の開会式と内覧会が24日、東京・上野の東京国立博物館平成館で催された。一般公開は25日から。 国宝「阿弥陀二十五菩薩来迎図(あみだにじゅうごぼさつらいごうず)早来迎(はやらいごう)」(京都・知恩院蔵、11月13日まで公開)や、重要文化財「阿弥陀三尊坐像(さんぞんざぞう)」(神奈川・浄光明寺蔵)、2人直筆の著作と書状類など、各寺院などに伝わる第一級の美術品189件を通じて、2人の思想と生涯をひもとく。 今年は、浄土宗の宗祖法然の800回忌と、弟子で浄土真宗の宗祖親鸞の750回忌にあたる。その節目の年に、両宗派の全面的な協力を得て初めて合同展が実現した。 0821 大阪「サントリーミュージアム天保山」が来年末で休館 [朝日] 2009年8月21日16時52分 サントリーホールディングスは21日、大阪市港区の「サントリーミュージアム天保山」を10年12月末で休館すると発表した。「厳しさを増す経営環境の中で、企業成長と社会貢献との適切な調和を図るため」としている。その後の施設の活用方法は、大阪市と協議中という。 94年11月に開館。絵画や工芸展を開くギャラリーのほか、3D映画が楽しめる「IMAXシアター」やカフェを併設し、サントリーの文化貢献活動に役立てられてきた。開館以来、入場者数は目標としていた年間150万人を毎年下回っており、08年度の入場者数は65万人だった。 0422 「世界デジタル図書館」ユネスコなど開設 [朝日] 2009年4月22日6時14分 【パリ=飯竹恒一】国連教育科学文化機関(ユネスコ)などは21日、世界約20カ国の国立図書館など30以上の機関が所蔵する貴重な蔵書や資料をインターネット上で無料で閲覧できる「世界デジタル図書館」を開設した。貴重な情報の世界的共有とともに、先進国と途上国の間のデジタルデバイド(情報格差)の解消も狙う試みだ。 まずは千数百点の書籍や図版で開始。それぞれにアラビア語、中国語、英語、フランス語、ポルトガル語、ロシア語、スペイン語の7言語で解説が付されている。今後、各国の図書館は所蔵品のデジタル化などを進め、閲覧対象数を増やしていく計画だ。ホームページはhttp //www.wdl.org URL http //www.asahi.com/international/update/0422/TKY200904220001.html 1024 新薬師寺の巨大な金堂跡出土 奈良時代で最大級 [朝日] 2008年10月24日1時18分 8世紀中ごろの奈良時代に建立された新薬師寺(奈良市)の金堂跡とみられる巨大な建物跡が、近くの奈良教育大構内で見つかった。同教育大が23日発表した。推定の大きさは東西54メートル、南北27メートルで、現存する東大寺大仏殿に匹敵する規模。これまで平城京の主要寺院で唯一不明だった新薬師寺の全体像を探る貴重な発見で、仏教を中心にした天平文化をうかがう手がかりにもなる。 現場は現在の新薬師寺の西約150メートル。同大学の校舎建て替えに伴う調査で、約1300平方メートルを発掘した。 凝灰岩の切り石を丁寧に積んだ当時としては最高級の「壇上積(だんじょうづみ)基壇」の一部で、底部を支える延石(のべいし)(または基壇の階段の石)が東西約10メートルにわたり出土。基壇の南東部分からも延石計約3.7メートルが発見された。地盤が弱い西端部分では柱穴が4カ所確認された。大きな地固め石を四角い穴(一辺2.7~2.9メートル)に十数個埋めて柱の礎石を支える堅固な工法だった。 これらの遺構から建物は、裳階(もこし)(飾り屋根)を含めた柱間(はしらま)が東西11間(54メートル)、南北6間(27メートル)と推定した。江戸時代再建(1709年)の現・東大寺大仏殿(東西57メートル、南北50.5メートル、高さ46.4メートル)に次ぐ規模。奈良時代の都・平城京で天皇が執務したとされ、現在、遺構を元に復元が進む大極殿(東西44メートル、南北19.5メートル)より大きい。今回の遺構は奈良時代では最大級で、新薬師寺の中心の金堂跡と判断した。 正倉院に残る絵地図「東大寺山堺四至図(さんがいししず)」(756年)にも、金堂にあたる「新薬師寺堂」が大仏殿より横長で描かれており、これが裏づけられた形だ。 新薬師寺は、東大寺を創建した聖武天皇(701~756)の病気平癒を祈り、当時の権力者、藤原不比等の娘の光明皇后が747年に創建した。しかし、現在は本堂(東西22.7メートル、南北14.9メートル)が残るだけ。他の建物は780(宝亀11)年の落雷や962(応和2)年の台風で失われたとされ、寺域は不明だった。 調査を担当した奈良教育大の金原正明准教授(環境考古学)は「権力者・藤原氏の出身で権勢を誇った光明皇后の政治力の大きさを具体的に知る、新たな手がかりになる」と話している。 現地説明会は10月25日(午前10時~正午、午後1~3時)と11月22日(午前10時~正午)。場所は奈良教育大学構内の北東隅で、駐車場はない。(編集委員・小滝ちひろ) ◇ 〈新薬師寺〉 東大寺の末寺である華厳宗の寺。現存する本堂(国宝、8世紀)は他の用途だった仏堂が転用されたものと考えられ、中央に直径9メートルの大きな円形須弥壇がある。本尊の木造の薬師如来坐像(ざ・ぞう)(国宝、8世紀末ごろ)を、怒りの表情をした塑像の十二神将像が囲む。天武天皇が7世紀に創建した薬師寺(奈良市)は法相宗で、別の寺。病気平癒など現世利益を祈る仏様として広く信仰を集め、各地に同名の薬師寺や薬師院がある。 ■一級の古代建築遺構 奈良文化財研究所・箱崎和久主任研究員(建築史)の話 新薬師寺にこれほどの規模のお堂があるとは想像していなかった。平城宮大極殿クラスなのは間違いなく、一級の古代建築遺構と言えるだろう。ただ、金堂の周りに回廊がとりついていたかどうかなど、現時点では不明な点も多く、今後調査が進むのを期待したい。 URL http //www.asahi.com/culture/update/1023/OSK200810230084.html 1014 赤ちゃんシャチ生まれたよ!国内初、水族館生まれの親から [読売] 千葉県鴨川市の水族館「鴨川シーワールド」で、同館が10年前に国内で初めて人工繁殖に成功して生まれたシャチのラビーが、13日にオスの赤ちゃんを出産した。 赤ちゃんは、体長2メートル、体重160~180キロ(いずれも推定)。開園中に水槽内で生まれ、入園者たちから、「やったあ!」「かわいい!」と歓声が上がった。 水族館生まれのシャチが、赤ちゃんを産んだのは国内初。同館は「シャチの繁殖は難しく、まだ安心はできないが、元気に育ってほしい」と成長を見守っている。 (2008年10月14日17時07分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/national/news/20081014-OYT1T00304.htm 1015 応挙・若冲…江戸の書院、パリに再現 金刀比羅宮展開幕 [朝日] 2008年10月15日3時4分 【パリ=国末憲人】香川県の金刀比羅宮が所有するふすま絵や油彩画など147点を集めた「こんぴらさん―海の聖域―日本絵画の至宝」展(金刀比羅宮、朝日新聞社など主催)が14日、パリのフランス国立ギメ東洋美術館で開幕した。 会場となった同館地下の特別展示室には、円山応挙が描いた表書院の「虎の間」や「鶴の間」、伊藤若冲が描いた奥書院の「上段の間」などを再現。日本近代洋画の先覚者高橋由一の諸作品や、今回の展覧会をコーディネートした同宮文化顧問の美術家田窪恭治氏(59)が描いた「椿書院障壁画」などを含め、同宮が所蔵する16~21世紀の作品群を集めた。 同展開催に尽力した同館のジャリージュ前館長は、国を代表する芸術作品を海外に出すことに日本の文化行政当局が難色を示した逸話を披露。「繊細な作品を8週間にわたって展示できるのは、まさに例外的だ」と評価した。田窪氏は「フランスでも日本の浮世絵はよく知られているが、日本がつくりだした空間の美学を広く理解してもらいたい」と話した。 同展は、日仏交流150周年記念事業のメーンイベント。15日から一般公開され、12月8日まで開催される。 URL http //www.asahi.com/international/update/1014/TKY200810140303.html 0724 レノンの手書き歌詞、8900万円で落札 [朝日] 2008年7月11日7時34分 元ビートルズ、故ジョン・レノンさんのソロ曲「平和を我等(われら)に」の手書き歌詞が10日、ロンドンでオークションに掛けられ、予想を大きく上回る42万1250万ポンド(約8900万円)で落札された。 競売商クリスティーズによると、白い1枚のカードに黒のフェルトペンで書かれた歌詞と当時の写真を合わせて、当初は20万-30万ポンド(約4200万-6300万円)程度で競り落とされると見積もられていた。落札者は明らかになっていない。 歌詞は1969年に、レノンさんが妻のオノ・ヨーコさんとともに、カナダ・モントリオールのホテルの一室で行った反戦運動「ベッド・イン」の最中に書いた。(時事) URL http //www.asahi.com/culture/update/0711/JJT200807110003.html 0625 モネ「睡蓮」、86億円で落札 クリスティーズ 2008年6月25日10時39分 【ロンドン=土佐茂生】フランス印象派の巨匠クロード・モネ(1840~1926)の「睡蓮(すいれん)」(1919年)が、ロンドンのクリスティーズで24日夜、競売にかけられ、4092万ポンド(約86億円、手数料を含む)で落札された。クリスティーズによると、モネの絵画では史上最高額という。 この作品は、モネが晩年を過ごした仏ジベルニーの自宅の池を題材に描いた約200点のうちの一つ。事前に予想されていた落札額は1800万~2400万ポンド。AFP通信によると、最前列にいた身元不詳の女性が買ったという。 モネの作品では、ニューヨークのクリスティーズで先月落札された「アルジャントゥイユの鉄橋」(1873年)の4100万ドル(約44億2千万円)がこれまでの最高額だった。 URL http //www.asahi.com/international/update/0625/TKY200806250040.html 0617 ヒトラー寄贈のベンツも展示へ ネパール王宮が博物館に [朝日] 【ニューデリー=小暮哲夫】ネパール政府は15日、王制廃止に伴ってギャネンドラ元国王が退去したカトマンズの旧王宮を「王宮博物館」と改め、開館式を開いた。240年続いた旧王室代々の所蔵品を集め、2、3カ月後に一般公開を始める。 展示されるのは、ダイヤモンドやルビーをちりばめた王冠、歴代国王が使った笏(しゃく)などの所蔵品。1940年にドイツの独裁者ヒトラーが当時の国王に贈った高級車ベンツも、展示候補に挙がっている。政府はカトマンズ観光の目玉にしたい意向だ。 URL http //www.asahi.com/international/update/0617/TKY200806170044.html 0618 ゲバラの銅像、故郷アルゼンチンで完成…生誕から80年 [読売] 【リオデジャネイロ=小寺以作】キューバ革命の英雄、エルネスト・チェ・ゲバラ(1928~67年)の生誕80周年にあたる14日、故郷のアルゼンチン北部ロサリオでゲバラの銅像が初めて作られ、除幕式が行われた。 銅像は高さ約4メートル、重さ約3トン。寄付された約7万5000個の銅製の鍵などを溶かし、地元の彫刻家が作成した。スペイン国営EFE通信によると、除幕式には、ゲバラの長女アレイダさんがキューバから参加し、「父の思想を実践しなければ、像の意味がない」などと話した。 世界革命を夢見て武力闘争に身を投じたゲバラに対し、アルゼンチンでは「狂信的」として批判する声も強い。だが、2003年以降はキルチネル、フェルナンデスと左派政権が続き、ゲバラを再評価する動きも出ている。 (2008年6月15日20時20分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/world/news/20080615-OYT1T00442.htm 0613 凝縮の仏教空間 「法隆寺金堂展」14日開幕 [朝日] 奈良・法隆寺金堂の仏教空間を再現展示する「国宝 法隆寺金堂展」(奈良国立博物館、法隆寺、朝日新聞社主催)が14日、奈良市の同博物館で開幕する。13日には開会式と内覧会があり、関係者ら約800人が国内最古の四天王像(国宝)や12面の巨大な再現壁画などを見て回った。 開会式では同館の湯山賢一館長、法隆寺の大野玄妙管長、朝日新聞社の秋山耿太郎社長がテープカット。湯山館長が「日本仏教の黎明(れいめい)期が凝縮された金堂をゆったりした場所に再現した。仏像や壁画の細部もご覧いただきたい」などとあいさつした。その後会場で、法隆寺の僧侶らによる開幕法要が営まれた。 参観者は、四天王・広目天(こうもくてん)像や多聞天(たもんてん)像、2カ所の大型ディスプレー(高さ4.5メートル、幅16.5メートル)に配置された再現壁画などをじっくりと鑑賞していた。 同展は、仏像群を安置する金堂内陣の須弥壇(しゅみだん)の修理に合わせて実現。四天王像のほか、釈迦三尊像の台座と薬師如来坐(ざ)像の台座(いずれも国宝)、阿弥陀如来像、金堂内陣旧壁画の飛天図(いずれも重要文化財)など計30点を展示する。7月21日まで。 初日は午後1時半から、同館講堂で公開講座がある。中の間天蓋(てんがい)(7世紀後半)の年輪年代測定について、奈良文化財研究所の光谷拓実・客員研究員が報告する。 URL http //www.asahi.com/culture/update/0613/OSK200806130066.html 0606 改定社会教育法が成立 改悪教基法具体化 共産党は反対 [赤旗] 改定社会教育関連三法(社会教育法、博物館法、図書館法)が四日の参院本会議で、自民、公明、民主、社民各党の賛成で可決、成立しました。日本共産党は反対しました。 同法は、改悪教育基本法を具体化するもの。行政に都合のいい価値観が公民館などの事業に持ち込まれ、社会教育の自由・自主性が奪われる恐れがあります。 公民館や図書館などの条件整備を盛り込まず、逆に各施設に経営効率や集客などの「運営評価」の努力義務を課します。施設のリストラにつながると批判されています。 URL http //www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2008-06-05/2008060502_06_0.html 0529 毛沢東の大肖像画は130億円? ウォーホル作、最高額 [朝日] 2008年05月29日08時59分 米画家アンディ・ウォーホル作の毛沢東肖像画(高さ4.48メートル、幅3.46メートル)がクリスティーズ香港を通じて売却されることになった。公開オークションではなく、希望者との交渉で譲渡される。売却額は1億2500万米ドル(約130億円)と予想され、ウォーホルの作品としては過去最高の落札額となる見込み。 130億円での売却が予想されるアンディ・ウォーホル作の毛沢東肖像画=香港、奥寺写す クリスティーズによると、所有者は欧州の収集家。世界に4枚ある同サイズの肖像画のうち3枚は欧米の美術館で展示されており、市場に流通しうるのはこの1枚だけだという。ウォーホルは、マリリン・モンローやチャールズ皇太子ら有名人の肖像を描いたことで知られ、72年のニクソン訪中にあわせて毛沢東の肖像も描いた。この作品は73年作。(香港=奥寺淳) URL http //www.asahi.com/international/update/0528/TKY200805280310.html 0515 村上隆氏のフィギュア、約16億円で落札 [朝日] 2008年05月15日15時06分 現代美術家の村上隆さんの立体作品「マイ・ロンサム・カウボーイ」が14日夜(日本時間15日)、競売会社サザビーズがニューヨークで開いたオークションで1516万ドル(約16億円、手数料込み)で落札された。村上さんの作品の落札額としては、過去最高額となる。これまでは、今年4月にロンドンで落札された立体作品「パンダ」の272万ドルが、最高額だった。 この作品は、裸の男性のフィギュアで、高さ254センチ。1998年に制作された。出品者、落札者、ともに公表されていない。落札予想額は、300万~400万ドルだった。 URL http //www.asahi.com/culture/update/0515/TKY200805150152.html 0515 フロイトの孫の裸婦像、35億円で落札…現存作家で最高額 [読売] 【ニューヨーク支局】英国の美術家ルシアン・フロイド氏(85)の裸婦像が13日、競売にかけられ、3360万ドル(約35億3700万円)で落札された。 競売商クリスティーズによると、生きている作家の作品としては、史上最高の額という。この作品は、1995年に描かれた「眠る給付金管理者」。これまでの最高額は、昨秋に競り落とされた彫刻についた2360万ドルだった。落札者は明らかにされていない。フロイド氏は、ユダヤ人精神分析学者フロイトの孫。ベルリンに生まれ、ナチスを逃れて英国に移住した。 (2008年5月15日01時38分 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/world/news/20080514-OYT1T00531.htm 0509 1300年の時空超え キトラ公開始まる [朝日] 2008年05月09日18時43分 奈良県明日香村の特別史跡・キトラ古墳(7世紀末~8世紀初め)石室に描かれた十二支像壁画「子(ね)・丑(うし)・寅(とら)」の一般向け特別公開が9日、同村の奈良文化財研究所飛鳥資料館で始まった。午前9時の開館前から、全国の古代史ファン101人が列をつくるなど、初日だけで約1500人が来場。右手に武器のようなものを持ち、長いワンピース風の衣装を着たユーモラスな「獣頭人身像」を熱心に見学した。25日まで。 歴史好きな仲間9人と2泊3日の旅行で来た埼玉県川口市の会社員斉藤利江さん(59)は「1300年の時空を一気に超えたようで感動した。書物で古代を勉強するのとは違い、心に直接響いた。百聞は一見にしかずです」とほほ笑んだ。 十二支像は下地の漆喰(しっくい)の剥落(はくらく)などが進み、保存・修理のため04年8月から取り外しが始まった。これまでに6体を確認している。同古墳の壁画公開は06年の「白虎」、07年の「玄武」に続き3回目。 特別公開は文化庁、同資料館主催、奈良県、明日香村など共催、朝日新聞社後援。一般500円、高校・大学生300円、中学生以下無料。期間中は無休。開館時間は午前9時~午後6時(10、17、24日は午後9時まで)。問い合わせはキトラりんりんダイヤル(050・7105・5355、午前9時~午後5時)へ。 URL http //www.asahi.com/culture/update/0509/OSK200805090051.html 0507 ポスター・雑誌広告で戦後たどる 東京、印刷博物館 [朝日] 2008年05月07日14時57分 戦後デザインの基礎となったポスターや雑誌広告を紹介する「1950年代日本のグラフィック」展が、東京都文京区の印刷博物館で開かれている。展示は3部構成となっており、懐かしいパッケージや雑誌の表紙など約500点から、当時のデザイナーたちの活動と時代状況をたどることができる。 「もはや戦後ではない」と経済白書が宣言し、石原慎太郎の『太陽の季節』が芥川賞を受賞したのが1956年。60年代の本格的な経済成長を前に、消費生活や文化活動を促す手段として、グラフィックデザインは発展した。 第1部の「生活をゆたかに」では、「ヒゲタしょうゆ」のポスター(54年)のように、調味料や化粧品など身近な消費にかかわる作品を展示している。家電製品の性能テストなど独自の編集姿勢を持つ雑誌「暮しの手帖」をはじめ、雑誌の表紙デザインも多彩だ。 第2部の「グラフィックデザインとは」には、「明治チョコレート」のポスター(55年)や各種展覧会の資料が集められ、デザインに対する認識が急速に高まっていった世相がわかる。 第3部「メイド・イン・ジャパン」では、海外誌での日本人デザイナーの紹介記事や、海外のデザイナーに依頼したたばこ「ピース」のパッケージなどで、デザインの国際化を確認できる。 いずれも懐かしく、かつ時代の諸相を証言するデザイン群だ。月曜休館(7日は休館)。7月6日まで(03・5840・2300)。(秋山亮太) URL http //www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200805070098.html 0504 デジタルで変わる美術館 新たな見せ方、本物と違う発見 [朝日] 2008年05月04日22時22分 ずらりと並ぶ古今東西の名画はすべて精巧な複製品で、専用レンズを向ければ過去の修復跡まで浮かび上がる。そんな時代が、もうそこまできている。発展し続けるデジタル技術の助けを借りて、美術館や博物館が新しい鑑賞スタイルを模索している。 ■陶器の修復、映像で 午後4時半、東京・五反田の大日本印刷(DNP)。パリと東京を結ぶテレビ会議が始まった。通訳を交えた議論は5時間続くこともある。ルーブル美術館とDNPの共同プロジェクト「ミュージアムラボ」のスタッフたちだ。 ルーブルが2年後に開設するイスラム展示室や、北フランス分館の新しい展示方法を共同研究しており、作品の魅力や背景を深く伝えるデジタル技術の使い方を話し合う。 「ミュージアムラボ」は06年に始まり、成果をすでに4回発表した。最近は、9世紀のイスラム陶器にカメラ付きのパソコンを向けると、修復の様子が分かる映像を、陶器に重ねてパソコン画面に映し出す技術を実用化した。 ルーブルのアンリ・ロワレット館長は、「最新のデジタル技術が美術品の理解にどのように役立つか。それを世界の美術館に先駆けて実験している。鑑賞の新しい基準を作りたい」と話す。 「門外不出」級の作品を所蔵する外国の美術館が日本企業を頼る例は後を絶たない。作品の劣化を防ぐには、展示を制限せざるを得ないが、複製なら気兼ねなく展示できる。企業にとっても美術品は、自社技術の発揮・宣伝の対象として最適だ。 イタリア・フィレンツェのウフィツィ美術館は、日立製作所と組んで「受胎告知」を含むレオナルド・ダ・ヴィンチの3作品のデジタル画像を制作。3点とも昨年、東京・上野のダ・ヴィンチ展で展示された。日立はフィレンツェ大学と共同で他の作品のデジタル化にも取り組んでいる。 プロジェクトを率いる日立の森岡隆行さんは「イタリアの学会で成果を発表したら、高精細画像で見てこそ分かる、新しい発見があると指摘された」と話す。 ■館外へ飛び出す複製 最新のデジタル技術で複製した名画や名品は、美術館の外に飛び出していく。 先月21日までイタリア・ミラノで開かれた世界最大規模のデザイン見本市「ミラノ・サローネ」には、日本の国宝級の名画が展示された。「松林図屏風」(東京国立博物館蔵、国宝)と「八橋図屏風」(メトロポリタン美術館蔵)、「老梅図襖」(同)の3点で、いずれもキヤノンの大判プリンターで原寸大に印刷し、金箔(きんぱく)の加工や表装を施した複製品だ。 京都国際文化交流財団がキヤノンと3カ年計画で進める「文化財未来継承プロジェクト」の第1期の成果で、その活用はオリジナルを所蔵していた博物館などに任せている。 今年3月末にはモネの「睡蓮」など国立西洋美術館(東京・上野)が所蔵する名画約20点の複製がエプソンの技術協力で出力され、六本木の東京ミッドタウンで展示された。 青柳正規館長は「どんな名作も、混雑した館内で遠くから見たら本物のオーラを感じられない。デジタル技術を使えば、作品を拡大し、画家が得意な色を強調することもできる。本物では見落としてしまうところを新発見することもあるんです」と言う。同館は独立行政法人となって8年目。予算は減っているが、「座して暗く沈んでいてもしょうがない。デジタルで観客層を広げたい」。 円山応挙の障壁画を複製した「応挙館」がある東京国立博物館の金子啓明特任研究員は「複製は、迫力で本物に及ばないが、一年中展示でき、近づいても、強い照明をあててもいい。教育的効果は大きい」と指摘する。(秋山亮太、古賀太) URL http //www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200805040163.html 0503 多摩動物公園で新施設「アジアの沼地」 [朝日] 2008年05月03日01時59分 5日に開園50周年を迎える多摩動物公園(東京都日野市)に新施設「アジアの沼地」が完成し、1日午後から一般公開された。 広さは2ヘクタール。実際の生息環境に近い状態をめざし、アジアの水辺に生息する動物を中心に展示する。インドサイが豪快に駆け回る姿や、水につかっている水牛を見ることができる。コウノトリやトキなどの水辺の鳥を間近に見られる「ウォークインバードケージ」もあるが、まだ鳥が飼育環境に慣れていないため、5月中は入場制限がある。アジアの沼地は2年かけて10億円で整備された。 URL http //www.asahi.com/science/update/0501/TKY200805010050.html 0426 大阪の児童文学館に廃止案 国内最多の70万点所蔵 [朝日] 2008年04月26日 誰もがきっと親しんだ児童書やマンガ。貴重な古書から新刊まで国内最多の約70万点を集め、こども文化を総合的に研究している施設があるのをご存じだろうか。大阪府立国際児童文学館(吹田市)。いま、府の行財政改革の荒波にもまれ、がけっぷちに立っている。 「日本一ノ画噺」は専用の本箱も保管 同館は1984年5月に開館。明治以降の国内外の児童書、雑誌、マンガ、紙芝居など約70万点を所蔵する。国会図書館にもない巌谷小波(いわや・さざなみ)の「日本一ノ画噺(えばなし)」(明治末~大正初)35冊の全揃(そろ)いや、日本初の子ども向け漫画誌とされる「少年パック」創刊号(1907年)など、貴重な資料もある。 図書館は本だけを保存することが多いが、ここでは箱、カバー、帯を含めて刊行時の状態で永久保存し、文化財のように後世へ伝える。それで出版社も新刊を寄贈してくれる、と向川幹雄館長は話す。 『日本児童文学大事典』の刊行、子ども向け図書検索システムの構築や、「おはなし会」の開催など子どもと本をつなぐ実践にも力を入れる。東京・上野に00年開館した、国立国会図書館国際子ども図書館も約30万点の資料があるが、地域に根ざした活動は「国際児童文学館ならでは」と研究者も感心する。 マンガミュージアムの先駆けでもある。06年開館の京都国際マンガミュージアムは「単行本は作者名順、雑誌は誌名ごとに並べるなど、分類法や運営を参考にさせてもらった」(表智之研究員)。「少年ジャンプ」「少女フレンド」などの少年・少女マンガ誌は、創刊号からほぼすべてそろう。付録ごと保存するのは「全国でここだけでは」と、マンガ評論家の村上知彦さんは話す。 ところが、この児童文学館を「廃止」し府立中央図書館(東大阪市)に「機能を移設」する大阪府改革プロジェクトチーム案が発表された。資料と専門家がそろった研究機関でもある同館を役割が違う図書館内に移せば、機能を果たせなくなると心配されている。 「こんなことなら、滋賀県にすれば良かった」 79年、蔵書約12万点を寄贈し、同館の基礎をつくった児童文学者の鳥越信さん(78)は嘆く。学生時代から食事を抜き、電車賃を浮かして集めたものだから「研究機関や資料館をつくってくれるところに」と全国の自治体や大学、企業に呼びかけた。最後まで競ったのが滋賀県と大阪府。滋賀県は武村正義知事(当時)が自宅まで訪ねてくるなど熱心だったが、大阪府幹部に「滋賀県にとって1億円は大金だが大阪府にははした金。寄らば大樹の陰ですよ」と言われ、迷った末に決めた経緯がある。 同館の存続を求めて「大阪国際児童文学館を育てる会」が始めた署名活動には3万8395人分が集まり、文化人有志の要望書には谷川俊太郎、松谷みよ子、江國香織の各氏ら56人が真っ先に参加。日本児童文学者協会(那須正幹会長)のほか、フィンランド、スウェーデン、イギリス、フランス、中国、韓国、スイスなど9カ国の児童文学研究所や団体からも続々と要望書が届いた。日本マンガ学会(呉智英会長)も「日本を代表する文化として注目されるマンガの創作・研究の支援はもとより、国内最高水準のマンガ・アーカイブである」との要望書を橋下徹大阪府知事に提出している。(大村治郎、小川雪) ●資料、死蔵の恐れ 〈佐藤宗子(もとこ)・千葉大教授(児童文学)の話〉 国際児童文学館が貸し出し中心の図書館に統合されれば、収集資料も死蔵される恐れが大きい。専門家のいる国際児童文学館がその資料を活用した展示会を巡回させたり、復刻本を作って販売したり、独自事業を進めることが大切ではないか。 URL http //book.asahi.com/news/TKY200804260150.html 0412 ニュース博物館「ニュージアム」 ワシントンにオープン [朝日] 2008年04月12日11時49分 【ワシントン=勝田敏彦】ニュース報道に関するさまざまな資料や映像などを集め、メディア発達の歴史や報道の意義、最新技術を学べるニュースの総合博物館「ニュージアム」が11日、ワシントン中心部にオープンした。近くには米連邦議会議事堂やスミソニアン博物館などがあり、新しい観光名所になりそうだ。 ベルリンの壁の一部や、01年米同時多発テロ事件の現場で見つかった世界貿易センタービルの屋上アンテナなどのほか、それらを報じたメディアが展示されている。取材中に命を落としたジャーナリストを追悼する展示室には、87年に朝日新聞阪神支局で何者かに銃撃されて死亡した小尻知博記者(当時29)らの名前が記されている。 また朝日新聞を含む世界の新聞の1面紙面が展示されている。テレビ用のスタジオからは定期的に放送も行われる。 ニュージアムは、米大手メディアなどの肝いりで設立された財団が運営する。02年3月までワシントン近郊のバージニア州内にあったが、やや不便なこともあり、移設・拡大して再オープンした。 URL http //www.asahi.com/international/update/0412/TKY200804120079.html 0318 岡本太郎の巨大壁画、東京・渋谷へ [朝日] 2008年03月18日18時47分 芸術家の岡本太郎が、原爆の炸裂(さくれつ)した瞬間を描いた幅30メートル、高さ5.5メートルの巨大壁画「明日の神話」の恒久設置場所が、18日、東京都渋谷区に決まった。渋谷駅のJR線と京王井の頭線の間の連絡通路に展示される。所有する岡本太郎記念現代芸術振興財団が寄贈先を探すなか、渋谷区と広島市、大阪府吹田市が名乗りをあげ、争っていた。この日開かれた同財団の理事会で決まった。 選考理由について同財団は「1日30万人が行き交う場所で、施設や設置費の課題が解決済みであるなど、総合的に高い評価を得た」と説明。渋谷区の桑原敏武区長は「平和への想(おも)いを強く持ち、発信し続けることが私たちの使命と決意を新たにしている」とのコメントを出した。 「明日の神話」はメキシコで制作された後、行方不明になっていたが03年に見つかり、同財団が修復。「太陽の塔」とともに岡本太郎の代表作とされる。 URL http //www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200803180299.html 0311 南京大虐殺記念館 入場者が100万人突破 [朝日] 2008年03月11日07時17分 中国江蘇省南京市にある「南京大虐殺記念館」が、昨年12月に規模を拡張し再オープンしてからの入場者数が100万人を超えた。85年の開館以来の通算入場者は1500万人。特に入場無料とした04年以降は急増しており、同館は「愛国主義教育基地の効能と作用を十分発揮している」としている。 同館によると、最高で1日10万8000人の入場者を記録。これまで日欧米など約50カ国の外国人約4600人も訪れ、日本人が最多だったという。 URL http //www.asahi.com/international/update/0311/TKY200803110007.html 0220 冬こそ動物園 旭山に続け、雪国で続々開園 [朝日] 2008年02月20日08時07分 冬の動物園は面白い――。独特の行動展示で人気を集める旭山動物園(北海道旭川市)の成功に刺激され、雪国の動物園が冬季開園に踏み切る例が相次いでいる。冬ならではの動物の姿が大きな魅力だ。近年の暖冬傾向が追い風になっているが、今冬は原油高の心配も出てきている。 富山市の富山市ファミリーパーク。祝日だった今月11日は晴天に恵まれ、気温は10度。残雪の残る園内は、この冬一番となる約5800人の親子連れらでにぎわった。 今冬から始めた「ペンギンのお散歩」は晴れた日には1000人以上が集まる大人気だった。ペンギンの繁殖シーズンになるため2月上旬で終わったが、問い合わせが多く9日からの3連休は特別に3羽のペンギンの「散歩」を復活させた。 同園は06年度に冬季開園を試行し、12月下旬~2月末に無料開園。2年目の今年度はすでに目標の2万5000人を超えた。 これまで冬に閉園していた理由は広い園内の除雪費。近年は暖冬が続き、除雪費用が抑えられるようになったという。 開園さえすれば冬の動物園は見どころがいっぱいだ。寒いと動物も動かなくなると思われがちだが、繁殖期を迎えて活発な姿を見せる動物も多い。冬毛になったニホンカモシカやニホンザルは写真愛好家の格好の被写体だ。山本茂行園長は「冬は動物も脂肪を蓄えて体格がよくなり、一番きれいに見えるときなんです」と話す。 秋田市大森山動物園も06年に「雪の動物園」を始めた。休園中の1、2月も土・日・祝日は開園し、料金も通常の大人500円を300円に。今冬は開園時間も1時間延ばした。晴れた日は千人以上が訪れ、「雪の中に動物がいる風景がきれい」と好評だ。 盛岡市動物公園も05年から、閉園中の2月に2日間、入場無料の特別開園を実施。2日間は採算を度外視して除雪する。今年も約30センチの積雪を取り除き、16、17日に開園。2日間の入園は昨年に続き4000人を超えた。夏の週末よりも多い人出だったという。 こうした流れを生んだのは旭山動物園の成功だ。90年に冬季開園を始めた。99年から通年営業し、「ペンギンの散歩」「水に飛び込むホッキョクグマ」などの企画を次々打ち出した。冬季来園者は99年度の約2万人から06年度は約75万人に。寒さの厳しい今年度も前年を超える勢いという。 とはいえ、心配なのは原油高。もともと暖かい地域に生息するキリンやライオンなどの動物は室温を20度ほどに暖める必要がある。多くの動物園は大型の重油ボイラーを使っており、値上がりの影響は避けられない。 通年営業する札幌市円山動物園は、例年なら年約7000万円の暖房費が今冬は1000万円ほど多くかかりそうだという。灯油ストーブを使う盛岡市動物公園も480万円と見込んだ燃料費が約660万円に達しそうだ。 日本動物園水族館協会の北村健一専務理事は「冬も動物を見せるのが動物園の使命。今後も各地で工夫した取り組みが出てくるでしょう」と話す。 URL http //www.asahi.com/national/update/0218/TKY200802180487.html 0220 史上最高額の盗難絵画2点を発見 ゴッホとモネ [朝日] 2008年02月20日01時01分 スイス・チューリヒの美術館「ビュールレ・コレクション」で10日、ゴッホ、セザンヌ、ドガ、モネの大作計4点が盗まれた事件で、地元捜査当局は19日、ゴッホとモネの2点を発見した、と発表した。この事件は被害総額が1億8000万スイスフラン(約175億円)と推計され、世界の美術品盗難史上で最大規模の被害といわれていた。 現地からの報道によると、見つかったのはモネ「ベトゥイユ近辺のひなげし」とゴッホ「花咲くマロニエの枝」。18日、チューリヒ市内の精神科病院の駐車場に放置されていた車の後部座席にあったという。残るドガ「ルピック伯爵と娘たち」、セザンヌ「赤いチョッキの少年」は不明。 4点は、同館内に押し入った覆面の男3人に奪われていた。 URL http //www.asahi.com/international/update/0220/TKY200802190412.html 0212 被害総額175億円、ゴッホ、モネなど4点盗難 スイス [朝日] 2008年02月12日19時38分 スイス・チューリヒの美術館「ビュールレ・コレクション」で10日、ゴッホ、セザンヌ、ドガ、モネの大作計4点が盗まれた。地元警察は被害総額を1億8000万スイスフラン(約175億円)と試算。世界の美術品盗難史上で最大規模の被害となる見通し。ただ、あまりにも有名な絵であるため売却は不可能という。 4点は、モネ「ベトゥイユ近辺のひなげし」、ドガ「ルピック伯爵と娘たち」、ゴッホ「花咲くマロニエの枝」、セザンヌ「赤いチョッキの少年」。いずれも印象派、後期印象派を代表する傑作と評価されている。 現地からの報道では、覆面の男3人が夕刻館内に押し入り、武装した1人が職員を脅して地面に伏せさせている間に他の2人が展示室の絵を外し、車で逃げたという。 同館は、ドイツ出身の実業家エミール・ビュールレ氏(1890~1956)の自宅を収集品とともに公開。欧州有数の個人コレクションとして知られ、特に印象派の名作の宝庫といわれる。盗まれた4点は同館を代表する所蔵品だった。 URL http //www.asahi.com/international/update/0212/TKY200802120234.html 0119 鉄道博物館の入館者、60万人突破 さいたま [朝日] 2008年01月19日07時56分 鉄道博物館(さいたま市大宮区)の入館者数が18日、60万人を突破した。3月末までの目標を2カ月半も早く達成し、予想を上回る快走に関係者はほくほく顔だ。 この日も駅弁売り場や実物車両は大盛況。車両の中で弁当を広げた親子連れや、何度も訪れる熱烈な鉄道ファンが数字を押し上げているという。 地元のシンクタンクは初年の入場者を146万人と見立て、250億円以上の経済波及効果をはじき出す。「鉄道好きが埼玉経済の新たな波になる」 URL http //www.asahi.com/national/update/0118/TKY200801180296.html 『動物園にできること』 [読売] 川端裕人 出版社:文藝春秋 発行:2006年3月 ISBN:4167662035 価格:¥690 (本体¥657+税) 大自然から切り離され、幸せな動物はいるか――。アメリカにある35か所の動物園をジャーナリストが巡り、答えを求めて旅した渾身(こんしん)のルポルタージュ。7年前の単行本に新たな1章を加えて文庫化した。 本来の生息地をできるだけ再現した「ランドスケープ・イマージョン」型の展示、飼育下にある動物の精神的健康の向上を試みる「エンリッチメント」。関係者に精力的な取材を行い、最前線の動物園の実情を紹介する。新たな章では旭山動物園をはじめ、日本の動物園の状況を加筆した。(文春文庫、657円) (2006年3月27日 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/book/bunko/20060327bk0c.htm
https://w.atwiki.jp/dunpoo/pages/481.html
霊的人間●鎌田東二 釜ケ崎と福音●本田哲郎 人類が知っていることすべての短い歴史●ビル・ブライソン 壊れる男たち--セクハラはなぜ繰り返されるのか●金子雅臣・著 工藤公康 粗食は最強の体をつくる!●幕内秀夫・著 感覚の近代--声・身体・表象●坪井秀人・著 マインド●ジョン・R.サール 月的生活●志賀勝 マックス・ウェーバー入門●牧野雅彦 半農半Xという生き方 実践編●塩見直紀 談志絶唱昭和の歌謡曲(うた)●立川談志(5世) 複数性の日本思想●黒住真 世のなか安穏なれ 『歎異抄』いま再び●高史明 そのたびごとにただ一つ、世界の終焉1・2 ●ジャック・デリダ 家族の力●[著]野口誠一 [朝日] ジェイン・オースティンの読書会●[著]カレン・ジョイ・ファウラー リベラリズム 古代と近代●レオ・シュトラウス [朝日] 霊的人間●鎌田東二 [掲載]2006年05月28日 [評者]野口武彦(文芸評論家) この一冊は、アイルランドの海岸で孔(あな)の開いた石を拾うエピソードから始まる。自然の石笛である。吹いてくれと訴える声が聞こえる。 石笛を吹く。するとその霊妙な音にみちびかれて、読者は時間と空間を越える不思議な旅路へ誘い出される。ヘルマン・ヘッセ、ブレイク、ゲーテ、本居宣長、上田秋成、平田篤胤、稲垣足穂、イエイツ、ラフカディオ・ハーン。決して任意に並べられた人名ではない。一筋の通い路でたがいに結ばれた「霊」の世界の遍歴なのである。 ゲーテと本居宣長は「二卵性双生児」であり、宣長は「日本型ファウスト」だと大胆な断言を下すのも、深い確信から発している。詩を生み出す力は「精霊(ガイスト)」だとするゲーテの直観は、やまとうたを「言霊(ことだま)」の発現ととらえる宣長国学と相呼応している。比較文学風に類似を言い立てるのではない。同一の心性の働きを見て取っている。 本書のキーワードをなす「霊」の字はモノと読む。モノとは何か。日本語で「品物」「悪者」「怨霊(まもの)」といろいろに使い分けられるこの言葉の多義性を、著者は「物質・物体(物)から人格的存在(者)を経て霊性的存在(霊)に及ぶ『モノ』の位相とグラデーションの繊細微妙さ」と表現している。別々の存在なのではない。全部がひとしくモノなのだ。コトが抽象的で無機質なのに対し、モノには、なつかしい独特の触感がある。カミよりも等級が低くて親しみやすい。 宣長の「もののあはれ」にも、上田秋成の「もののけ」にも、モノは遍在する。平田篤胤はそれを学問の対象にしたし、稲垣足穂は近代社会でモノとの交信をこころみた異色の作家だった。『怪談』で有名なハーンには『神国日本』の著がある。空気が澄みきったこの美しい風土では、木にも草にも八百万(やおよろず)のモノが宿っている。 山野に産業廃棄物が溢(あふ)れ、耳は政治的弁舌で塞(ふさ)がれた現代日本にも、まだモノは生き延びているのだろうか。本書は大丈夫と請け合ってくれている。人間がモノへの愛着を忘れずにいる限りは。 出版社 作品社 ISBN 4861820758 価格 ¥ 1,995 URL http //book.asahi.com/review/TKY200605300354.html 釜ケ崎と福音●本田哲郎 [掲載]2006年05月28日 [評者]斎藤美奈子(文芸評論家) 世間は『ダ・ヴィンチ・コード』の話題でもちきりだけれども、イエスとマグダラのマリアが結婚して一児をもうけた、くらいで騒ぐんじゃなーい。派手さでは及ばぬものの、この本が主張するイエス像も従来のイメージを覆すという点では相当なもの。 高い人格と学識を持ちながら、貧しい人たちとともに歩んだ高貴な人物、なんてとんでもない。彼はとことん貧しく、へりくだりを示す余裕などこれっぽっちもなく、「誕生から死まで、底辺の底辺をはいずりまわるようにして生きた」。「食い意地の張った酒飲み」で、ヘブライ語も読めない無学の徒で、「大工」と訳されている職業の実態は石の塊をブロックに切り分けていく「石切」で、それは当時の最底辺の仕事だった。 イエスだけではない。マリアは律法に背いて父親のわからぬ子を身ごもった罪深い女だから出産の場さえ与えられなかったのだし、そこに駆けつけた「東方の三博士」が怪しい異教徒の占師なら、羊飼いも卑しい職業。12人の弟子だって大半は漁師、あとは徴税人マタイ、極右の過激派くずれというべき熱心党のシモン。いずれも当時のユダヤ社会では「罪人」とされる賎業(せんぎょう)で、つまりイエスは社会から排斥、差別される貧困層に属していたのだっ! ギリシャ語の原典にはそう書かれている。大方の聖書は誤訳しているし、教会の教えにも弊害が多い。と主張する著者は、93年から釜ケ崎の労働者と連帯して闘っているフランシスコ会の神父さん。本書には「こういう人たちにこそ布教しなくちゃ」と思っていた彼が「洗礼は受けない方がいいんじゃない」と職務にあるまじき考えを持つに至った過程も綴(つづ)られている。 私は以前、本田訳の新約聖書『小さくされた人々のための福音』に本当に驚き、敬服したことがある。聖書の物語に多少の造詣(ぞうけい)がある人はテキストの解読に興奮するだろうし、そうでなくても貧困や差別を考える上で多く示唆に富む。「弱者への支援」に潜む差別性を鋭く突きながらも口調はユーモラス。現場感覚にあふれた実践の書だ。 出版社 岩波書店 ISBN 4000224638 価格 ¥ 2,625 URL http //book.asahi.com/review/TKY200605300356.html 人類が知っていることすべての短い歴史●ビル・ブライソン [掲載]2006年05月14日 [評者]渡辺政隆(サイエンスライター) われわれは何者で、どうしてここにいるのか。この問いかけに答えるには、少なくとも、歴史と哲学と科学という三つのアプローチがある。この三つすべてを学ぶに越したことはないが、どれか一つと言われれば、何を知りたいかによるだろう。 人間が歩んできた歴史を文字でたどれるのはたかだか数千年。それを知りたいのか、それともそれ以前までさかのぼりたいのか。それ以前となると科学の領域だ。 存在とは何か、自分とは何かを知りたければ哲学だが、生命論、宇宙論にまで思考が及べば、その先は科学と融合する。そういえばカントも、宇宙は星雲として起源したという説を提唱している。万学の祖アリストテレスは、今流に言えば科学者でもあった。 では科学は、どんな答を用意してくれるのか。たしかに科学は、人類の存在、宇宙の存在などをめぐるさまざまな謎解きに挑戦してきた。その結果何がわかり、何がわかっていないのだろう。これは、意外と難しい問題である。今どき、科学全般に通じている人などめったにいないし、お手軽な本も見あたらないからだ。とにかく、教科書の類(たぐい)はちっともおもしろくない。 本書の著者も、教科書のつまらなさに科学への関心から遠ざかった、いわゆる「文系」の人だった。それがふと、「自分の生涯唯一のすみかである惑星について何も知らないことに気づき、切迫した不快感を覚えた」という。そこそこの知識を「理解し、かつ堪能し、大いなる感動を、そしてできれば快楽」を味わえる科学書を書こうと思い立ち、三年を費やして書き上げたのが本書だという。 その意図は大いに成功している。宇宙の成り立ちから人類の現状まで、科学の成果をざっくりと抽出して一級のエンターテインメントに仕上げた手並みは、さすがに手だれのライターである。楽しみながら、科学リテラシー(教養)を身につけられる。 冒頭で歴史や哲学に答を求めると科学に行き着くと書いたが、その逆もまたある。科学の知見を語ると、必然、科学の歴史、科学者のエピソード集になるからだ。そしてそのことで、冷徹なイメージのある科学が血の通った営みに思えてくる。しかも、過去の科学者には、奇人変人が目白押しときている。 著者は、現代の科学の現場にも出かけ、さまざまな科学者への取材もしている。現代の科学者に奇人変人が少ないのは、逆に科学が普通の営みになりつつあるからだろうか。それはそれでよいことなのだろう。 本書を読んで改めて思うのは、科学が解明していないことはまだまだ多いということである。そして、科学は語り口ひとつで、苦にも楽にもなるということだろう。 本書を読んで初めて知ったのは、ニュートンの科学書『プリンキピア』出版と、孤島にいた飛べない鳥ドードーが人間のせいで絶滅したのが、ほぼ同時期の出来事だったという事実である。科学には未来を予測することはできない。われわれにできるのは、科学の知識を未来に役立てることだけである。 URL http //book.asahi.com/review/TKY200605160460.html 壊れる男たち--セクハラはなぜ繰り返されるのか●金子雅臣・著 (岩波新書・777円) ◇問題の本質を理解させる入門書 セクハラやドメスティックバイオレンスの解説書を男性に読んでもらうのは至難の業である。ほら、こう書いただけで嫌になった人もいるでしょう? 理解してもらうのはさらに難しい。専門家や会社の人事担当者ならともかくも、普通の読書好きの男は、この系統の本にはなかなか手を出してくれない。 一種の平板さや、行間から立ち上る女性筆者の怒りが予見されて、要するに面白くない、知的なレクリエーションにならない、と感じているのではないか、と想像する。それに自分が責められるように感じられ、既得権を奪われる話は、誰にとっても面白くないものだろう。 この本は一言で言うなら普通の男性向けのセクハラ解説書である。著者はあちこちに共感しつつ気兼ねしつつ、読んで納得させる努力を重ねている。男性からの視点に立ったわかりやすい書きぶりによって、読む気になる男性が増えるのであれば、是非読んでもらいたい。もちろん男性からの視点とは、セクハラする人からの視点ではない。念のため。 いまやセクハラという言葉は知らない人はいない。部下の女性を二人きりの食事に誘うのは危ない程度のことは、新聞くらい読む男なら全員が知っているだろう。その説明には実は納得できていないところがあっても、少なくとも犯罪と同じで、やったらまずい、自分が危うい、くらいのことはみんな判っているよね-多くの常識人はそう思っているようなのだが、ところが違うのである。本には単純強烈なセクハラの例が次々と登場する。 ある中小企業の社長が、離婚した女性を面接で気に入って会社に採用した。やがてセクハラ相談に訴えられた社長はこんな風に言う。離婚している女なら大人だし、きっと寂しいにきまっている。手を出したって、本気で嫌って言われたわけじゃなかったし、その分面倒を見てきたし、何でセクハラで訴えられなくちゃいけない。好意だったのに。 私が実際に臨床で出会うセクシュアルハラスメントの多くも、こんなことしたら危ないかも、なんて加害者が考えた形跡が全くないことが多い。あまりにあからさまな性的偏見を読むだけでも、いい加減にしてほしいと言いたいようなケースなのだが、実際にこういう人が絶滅する気配はない。 とりあえず、なぜ悪いかは別として、やっちゃいけない、と思ってもらおう-企業向けのセクハラ解説などは、そういう路線で書かれたものが多い。「今時ちゃんとセクハラ対策をやらないと、御社のご損になりますよ。」人に深く刷り込まれた認識を変えるのはとても難しい。それならまずは行動レベルで。が、そのような方法の限界が、そろそろ露呈しつつある気がする。 行動レベルで押さえ込まれることへの苛立ちや怒りの反応が、ジェンダーバッシングの動きにつながっているし、一方で、わかりやすすぎるセクハラがちっともなくならない現実を作ってもいるのだろう。 セクハラを理解するには、性差別の問題とともに、パワハラ、パワーハラスメントの構造の理解が必須である。差別と権力の乱用-古くからの問題がここにもあるのである。そのあたりも本書はちゃんと触れてある。マニュアルではない、ハラスメントの本質の理解に向けての入門書といえるかもしれない。 毎日新聞 2006年4月30日 東京朝刊 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/news/20060430ddm015070052000c.html 工藤公康 粗食は最強の体をつくる!●幕内秀夫・著 (三笠書房・1365円) 工藤公康はヤクルト戦で今季初勝利を挙げたが、42歳11カ月であり、セ・リーグ史上最年長の勝利投手になった。その衰えぬパワーの源は粗食にあるという。 肉を食べるとパワーがつくというのは迷信であり、工藤はご飯をしっかり食べる。雅子夫人のキャンプでのメニューは味噌汁、漬物、焼きのり、煮豆、納豆、小魚などである。そして味噌汁のだしに力を入れる。昆布に干しシイタケ、カツオ節。食欲が落ちたら、だし汁を飲む。 チヂミ、白菜鍋、アジのさつま揚げ、力うどん。工藤家の食卓はじつに質素である。夏にアツアツの鍋料理が夏バテの対策だ。 金田、稲尾など連投が平気であったきわめてタフな大投手は、貧しい食生活の時代に生まれた。(規) 毎日新聞 2006年4月23日 東京朝刊 URL http //www.mainichi-msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/archive/news/2006/04/23/20060423ddm015070109000c.html 感覚の近代--声・身体・表象●坪井秀人・著 (名古屋大学出版会・5670円) ◇視覚や嗅覚めぐる言説を洗い直す 「加齢臭」という言葉がある。不快な臭(にお)いという意味で、否定的に用いられることが多い。江戸時代はおろか、つい二、三十年前にまだなかった表現であろう。同じ匂(にお)いでも昔と今では感じ方も連想したイメージも大きく違うのかもしれない。 長い歴史のなかで、人間の感覚はたえず変わっている。とりわけ近代以降、その変化が大きい。にもかかわらず、人々はふだんそのことにほとんど気付いていない。一言「変化」とはいっても、何がどのように変わったかは、必ずしも明瞭ではない。本書はそうした未解明の問題に正面から挑んだ。 むろん近代における身体感覚について、これまでも複数の書物が刊行されている。ただ、そのほとんどが、感覚そのものに集中していた。それに対し、本書は感覚の表象およびそれをめぐる言説の分析に力点が置かれている。言説によってある種の感覚だけが特権的に語られるようになったのはなぜか。そのことが近代の様々なテクストに即して洗い直された。 二部構成からなる本書は1と2で扱う問題が違う。第2部は唱歌、童謡、民謡、舞踊を取り上げ、リズムが近代的な身体の一部としていかに組織されたかを検討した。前著『声の祝祭』は戦時中の詩の朗読を考察したが、本書はその続編ともいえる。ただ、声の中身よりも、童謡や民謡といった「声」の類別概念の創出に焦点が当てられた。 「国民の声」として民謡がどのように「発見」されたのか。用語の源流をたどっていくと、概念の受容は上っ面の模倣ではなく、国民文化の意識という、近代国家には必然的に芽生える自己イメージと関係している、ということがわかった。じっさい、民謡集の編纂は国民意識の定型化を狙って行われたものだ。西欧文化という他者と相対するとき、日本の内部にもオリエンタリズム的な欲望が刺激されるという指摘も興味を引く。 かりに学校唱歌が権力による国民文化の創出という役目を担わされたとすれば、その「対抗文化」として登場した童謡というジャンルも結果として同じ役割を果たした。近代社会は国民国家に基盤を置いている以上、対立する両極が違う方向から同じ終着点にたどりつくことがある。身体感覚が近代化していくなかで、対抗のエネルギーも制度の補完として吸収されていくという示唆は意味深い。 第1部は視覚、触覚、嗅覚(きゅうかく)などより広い範囲の問題を扱っており、第2部よりも多彩な展開になっている。 本書の特色の一つに、基礎調査の周到さと資料引用の巧みさが挙げられる。文学や芸術における感覚表象を読み解くとき、小説や写真が分析の材料として用いられているが、その場合、テクストとの響き合いとして引き合いに出された他分野の言説は、あっと驚かせるものが少なくない。『吾輩は猫である』における容貌描写について、医学やヨーロッパに発祥する観相学との関連を指摘したのがその一例。頭蓋骨の計測に基づいて感情や智力を判別するという骨相学の流行は、西欧では十九世紀前半に終息したが、明治大正期の日本では読心術や記憶術や催眠術などとともに、科学として認知され、文学の領域にも波紋が及んでいる、と著者はいう。漱石研究はいうまでもなく、近代の身体美についての多くの論考にもこの視点は欠落している。 同じ視覚でも、本書では必ずしも物の形や色を識別する感覚を指しているとは限らない。萩原朔太郎の詩や小説について、写真がもたらした新しい視覚との関係が指摘されたが、その場合の視覚とは、いわばテクストによって神話化されたもので、生理的な経験というより、感覚の観念化をめぐる感受性の問題といえよう。 写真術の登場によって、見られることも見ることと同様、人々の欲望の対象となった。三島由紀夫が自ら被写体になったことの意味についての分析は、視覚の欲望を欲望するという問題を考える上で一つのヒントとなる。 光や音は波長や周波数によって言い表すことができるのに対し、匂いは数値化することはできない。しかも、近代の「視覚中心主義」の下で、嗅覚はかつて退化した感覚と蔑まれていた。そのような文脈のなかで、匂いがどのように表象されたのか。本書は二つの角度から迫った。まず、匂いの表象が都市の公衆衛生と関連して読み解かれ、それから体臭や香水など、身体に密着して語られたテクスト群が俎上に載せられた。都市空間の表徴にせよ、個人の関係性の隠喩にせよ、匂いの言語化において、もっぱら「芳香」と「悪臭」の両極が注目され、強調されたのは興味深い。 近代を振りかえるとき、歴史の瑣末さに引きずり回されるのではなく、むしろ今日の状況に対する強い関心を前面に出している。情報社会が人類の身体感覚にどのような影響を与えたのか。将来、人間の感覚はどこへ向かうのか。そうしたことを視野に入れ、あるいは関連させて論じるところは面白い。 毎日新聞 2006年4月16日 東京朝刊 msn.co.jp/shakai/gakugei/dokusho/archive/news/2006/04/16/20060416ddm015070146000c.html マインド●ジョン・R.サール 出版社:朝日出版社 発行:2006年3月 ISBN:4255003254 価格:¥1890 (本体¥1800+税) 脳は、複雑とは言っても、やはり物質である。その脳から、一体、どのようにして心が生まれてくるのか? この、人類にとっての究極の謎について思索をめぐらすことは、長い間哲学者の専売特許であった。 それが、近年の脳科学の急速な発展にともない、心の謎が科学の探究の対象にもなってきた。ノーベル賞学者が一流科学誌に心と脳の関係についての論文を寄せ、世界中から専門家が集まって、意識の問題について科学的に検討する会議を開く。いよいよ、科学の手法を用いて心の謎に迫る機が熟してきたのである。 そんな流れの中、一部の哲学者が輝きを増している。本書の著者、サールもその一人。最新の脳科学の知見にも耳を傾けつつ、緻密(ちみつ)な思考を積み重ねる。人工知能の限界についての、独自の議論も冴(さ)える。 心の謎に関心を持つ人全てにとって、必読の文献。訳は正確で、読みやすい。注釈も充実している。山本貴光、吉川浩満訳。(朝日出版社、1800円) 評者・茂木健一郎(脳科学者) (2006年5月1日 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/book/review/20060501bk07.htm 月的生活●志賀勝 出版社:新曜社 発行:2006年1月 ISBN:4788509776 価格:¥1890 (本体¥1800+税) あわただしい現代に潤いを求めて、スローライフが見直されつつある。旧暦ブームもそのひとつ。ただ、失われたものへのノスタルジーがそうさせるのか、旧暦こそ季節感にマッチしている、という妙な誤解も蔓延(まんえん)している。もともと旧暦では季節と暦がうまくあわないため、19年に7回も閏(うるう)月を入れ、1年13か月とするなどの工夫が必要だった。この不便を回避すべく、太陽を基準とした新暦が採用されたわけだ。 その点では、本書の著者は正しく理解し、かなり公平である。旧暦を「月暦」と呼び直し、日本の伝統的文化諸行事と月との関係を紹介しつつ、現代生活に忘れがちな月の魅力を復活させようと試みている。月暦を愛するあまり、新暦については「破壊的、短命、金銭支配を促進させている」元凶のように述べている点など、やや筆の滑りも見受けられるが、月に関する文学や民俗学的視点での広範な考察は興味深い。(新曜社、1800円) 評者・渡部 潤一(国立天文台助教授) (2006年5月1日 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/book/review/20060501bk09.htm マックス・ウェーバー入門●牧野雅彦 出版社:平凡社 発行:2006年2月 ISBN:4582853102 価格:¥777 (本体¥740+税) かつて一世を風靡(ふうび)したウェーバーも、人気者の宿命か、今日では少々「今さら」という感じが漂う。ウェーバー論もやや混迷状況で、ウェーバーを読めば現代社会の病理のすべてが分かる、ともちあげられたかと思うと、その政治的立場や学説の信憑(しんぴょう)性に疑惑をもたれる始末である。 そのような中で、本書は、ウェーバーを同時代の他の理論家・歴史家(とりわけドイツ歴史学派)の仕事と関係づけて理解するという地道な方法をとることによって、いわば等身大のウェーバーを描き出す。ウェーバーを通して20世紀ドイツの社会科学の実相を探る試みとしても興味深い。評価の分かれるその政治論についても、当時の歴史的・制度的文脈を丹念に掘り起こすことで、ウェーバーとナチスとの関係を安易にとりざたする議論をやんわりと批判して説得力がある。ある程度ウェーバーを読んできた読者にこそお勧めの新鮮な(再)入門書である。(平凡社新書、740円) 評者・川出 良枝(東京大学教授) (2006年4月24日 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/book/review/20060424bk0c.htm 半農半Xという生き方 実践編●塩見直紀 出版社:ソニー・マガジンズ 発行:2006年1月 ISBN:4789727289 価格:¥1470 (本体¥1400+税) 「半農半X」とは、持続可能な農ある小さな暮らしをしつつ、個性や能力、特技を社会のために活(い)かし、天職(それぞれのひとのX)を行う生き方。手仕事、自給、自己防衛の三つの力をつけ、自分探しと社会貢献ができるライフワークとを両立することが、今後ますます求められる。紹介されている実例は、その見事な見取り図だ。(ソニー・マガジンズ、1400円) (2006年4月20日 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/book/review/20060420bk02.htm 談志絶唱昭和の歌謡曲(うた)●立川談志(5世) 出版社:大和書房 発行:2006年3月 ISBN:4479391290 価格:¥1785 (本体¥1700+税) 談志がこんなに歌が好きだなんて思いもしなかった。昭和11年生まれだから、戦前・戦中の幼児期から昭和40年代くらいまでの青春期に覚えた歌に愛着を持ち、今に残そうと決意したのだ。その記憶力には脱帽する。数々の名だたる歌手との付き合いや、芸能界の裏話も楽しい。(大和書房、1700円) (2006年4月20日 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/book/review/20060420bk04.htm 複数性の日本思想●黒住真 出版社:ぺりかん社 発行:2006年2月 ISBN:4831510491 価格:¥6090 (本体¥5800+税) 理念より感情を重んじる 日本人は「和」を大切にするとはよく言われる。外国人と接した経験と比べて、たしかにそうだと思う人も、少なくないだろう。しかし、思想史の観点からすると、「和」を指摘するだけではすまされない。この「和」を支える思想は儒教なのか仏教なのか、「和」について考えられた内容は時代によって異なるのではないか、「和」の担い手は、現世の人間だけでなく、動植物や故人の霊や神仏にまで及ぶのではないか。そういった問題が続出するのである。 このように、一つの言葉をとってみても、実にさまざまな側面がとりだせる。そこにこの本は、日本の思想がもつ特質としての「複数性」を見いだし、「和」だけでなく、道徳や理想のとらえかた、「公共」という発想、儒教と仏教の関係、死者の魂のゆくえといった、多くの話題について、多様な思考が花ひらいたようすを整理してみせる。 著者によれば、中心となる原理を欠いたまま、さまざまな思想が混在する状態が定着し、現在に至るまで日本人の思考に影をおとしているのは、徳川時代の支配体制に負うところが大きい。寺社を支配の末端機関に利用したことと、学芸としての儒教の普及を通じて、「神・儒・仏の習合空間」が完成した。その結果、一貫した理念による統合よりも、その場かぎりの感情の交流を重んじる倫理が、ひろく社会に浸透するようになったのである。 だがこの本は、そうした思想構造をとりだすだけではなく、それがキリシタンを排除し、その「影」を意識しながら築かれたことにも目を配り、他方でまた、宮沢賢治の思想に、予定調和の空間を突き破って、じかに世界の存在感と一体になる過剰さをみいだす。「複数性」を宿命として抱えこんだ日本の思想が、きわめて幅ひろい可能性をもっていることを、五百頁(ページ)をこえる本書の厚みは、そのまま形で示しているのである。 ◇くろずみ・まこと=1950年、岡山県生まれ。東京大教授。専門は日本思想史。 ぺりかん社 5800円 評者・苅部 直(東京大学助教授) (2006年4月3日 読売新聞) URL http //www.yomiuri.co.jp/book/review/20060403bk03.htm 世のなか安穏なれ 『歎異抄』いま再び●高史明 [掲載]2006年04月30日 [評者]野村進 高史明は死ぬことをずっと考えてきた人である。 極貧の在日朝鮮人の家に生まれ、三歳で母と死別し、父親が首をくくろうとするのを泣き叫びながら制止しようとした人である。 学歴も何もないまま、当時の過酷な朝鮮人差別の世に投げ出され、作家として自立しかけたとき、深く深く愛していた一人っ子のご子息が自死を遂げてしまう。これで誰が生きつづけられようか。 親鸞の『歎異抄』と出会って、著者はかろうじて生への道を歩み出した。爾来(じらい)、三十余年に及ぶ思索と求道の結果が、この講演録である。 会話体とはいえ、わかりやすい本ではない。いや、われわれの「わかる」という骨がらみの合理主義をいったん捨て去らなければ、本書を「わかる」ことはできないのかもしれない。ところが、読みはじめるや、活字が目に食い込んで離れなくなる。 とりわけ、作家・野間宏の文学と親鸞とのかかわりを論じた章に、異様な迫力がある。現代人の生き難さを見抜き、『歎異抄』を読み込んでいた野間でさえ、私たちと、親鸞の説いた念仏とを結びつける「つなぎ目」を見いだせなかったのではないかと、著者は問う。そのつなぎ目を求める私の前に、だが、著者は『歎異抄』などの仏典の言葉を原文のまま示して、「わかる」ところまでは導かない。 現代人の「超えがたい奈落」ゆえなのか。そこが「信心」と言われればそれまでなのだが、著者もまたつなぎ目を万人に「わかる」ように伝える方途を、いまだ持ちえていないのではないか。 亡きご子息は芥川の『蜘蛛(くも)の糸』を読み、感想文を書き残していた。しかし、芥川の描くお釈迦さまの姿はおかしいと、著者は言外に述べている。お釈迦さまなら、再び地獄の血の池に落ちたかん陀多(だた)を、極楽の上から哀れむのではなく、自ら地獄に降りて共に苦しまれるはずだというのである。私を含む“かん陀多”たちが、いくら「信じない」「信じられない」と言おうが、お釈迦さまはなおどこまでも寄り添ってくださると著者は説きつづけてやまない。 出版社 平凡社 ISBN 4582739172 価格 ¥ 1,890 URL http //book.asahi.com/review/TKY200605020226.html そのたびごとにただ一つ、世界の終焉1・2 ●ジャック・デリダ [掲載]2006年04月23日 [評者]巽孝之(慶應大学教授・アメリカ文学) 本書との出合いは忘れられない。2001年に米国はシカゴ大学出版局より企画刊行された英語版原著『喪の仕事』(The Work of Mourning)を初めて読んだのは2004年の8月。西欧形而上学の伝統に対して巧妙かつ執拗(しつよう)に挑戦し続け、結果的に米ソ冷戦解消の預言者となった脱構築哲学の巨匠が、ロラン・バルトやミシェル・フーコー、ジル・ドゥルーズ、エマニュエル・レヴィナスなど14名への切々たる追悼文を綴(つづ)った1冊は、深い友愛にみちた追想としても、弔いという作業自体をめぐる瞑想(めいそう)としても、読みごたえじゅうぶんだった。したがって、その強烈な印象も冷めやらぬまま、同年10月9日に著者の訃報(ふほう)を聞いた瞬間は、衝撃というしかない。 追い打ちをかけるように、ジョナサン・カンデルの「ニューヨーク・タイムズ」同年10月10日付への寄稿は、アルジェリア出身のユダヤ系であったデリダと、ベルギー出身で戦時中には反ユダヤ主義文書を残しアメリカへ移住したポール・ド・マンの交友を嘲笑(ちょうしょう)するかのような、死者に鞭打(むちう)つ文章であり、それに猛反発した北米知識人たちがインターネット上で巨大な署名運動を展開、デリダ再評価への道を拓(ひら)く。反フランス主義とも共振する反知性主義的身ぶりはアメリカ的ポピュリズムのお家芸だが、そんなアメリカを象徴するブッシュ再選も同じころの出来事であった。 今回の邦訳は、最初の英語版に加えて、デリダ評価の起源であるジェラール・グラネル、現代文学を代表するモーリス・ブランショへの追悼文を採録し、2003年に刊行成ったフランス語版の全訳。存在論的な現前よりも不在に惹(ひ)かれ、死者の肉体(corps)とその著作(corpus)の逆説的な関係を思索し、マルクスらの亡霊たちと語り続けたデリダの体系において、追悼という形式はもともと相性がよかったことが再認識できる。死が単純な終わりではなく終わりなきものの開示であることを多角的なスタイルで説く本書は、追悼の達人デリダ自身の全著作を未来に向かって押し開くだろう。 出版社 岩波書店 ISBN 400023711X 価格 ¥ 3,570 URL http //book.asahi.com/review/TKY200604250275.html 家族の力●[著]野口誠一 [朝日] [掲載]2006年04月16日 78年。深刻な不況下、倒産、失業、自死にまで追い込まれる人が増加した。自らが死を思う倒産社長だった著者は同年、自殺防止を掲げボランティア団体「八起会」を創設した。生きたいとの念願を支えた、今日に至る約30年を振り返りつつ何が窮地に立った人間を救うかを考える。 出版社 祥伝社 ISBN 4396110367 価格 ¥ 777 URL http //book.asahi.com/paperback/TKY200604180195.html ジェイン・オースティンの読書会●[著]カレン・ジョイ・ファウラー [掲載]2006年03月12日 [評者]高橋源一郎 『ジェイン・オースティンの読書会』というタイトルなので、どういう小説かと思って読みはじめると、みんなでジェイン・オースティンの小説を次々に読んでいく(読書会の)話。タイトルそのままではありませんか! でも、心配が一つ。ぼく、オースティンの小説、一つしか読んだことがないのですが(というのも見栄〈みえ〉で、実際は、中学生の頃、世界文学全集に入っていた『高慢と偏見』を半分読んだだけ)、この小説についていけるのかしらん。 大丈夫。著者のファウラーさんは、「(1)オースティンを読んだことがない人、(2)昔一度読んだだけの人、(3)毎年読み返す人」のすべてを満足させるように書いたのだそうだ。なるほど。では、安心して読んでいくことにしよう。 登場するのは6人。女性が5人、男性が1人。長く独身生活を続けてきた女、その女の親友で、夫の不倫に悩む妻、その妻のレズビアンの娘、等々。それぞれに、単純に語り尽くせぬ過去と現在を持つ6人の男女が集まり、オースティンの小説について、その中で起こる、愛と結婚と生活と打算について語り続ける。そして、同時に、作者は、オースティンの小説について語る6人の登場人物たちの、ほんとうの姿についても語り始める。 いつの間にか、我々読者もまた、その読書会の参加者になったかのように、その集まりを楽しみにし、そして、聞き惚(ほ)れている。なにに? 彼らが語る、オースティンの小説の感想に? いや、そうではない。ふだんなら、素直に耳を傾けたりしないような、どこにでもある、もしかしたらひどく陳腐でさえある、彼ら6人の「人生」というものにだ。 オースティンの小説は、「人生」について書かれている。小説は進化したかもしれないが、「人生」は進化などしなかった。我々は、いまも、オースティンの小説の登場人物たちと同じような「人生」を生きている。そのことに6人が気づいた時、彼らの読書会は終わる。彼らは、オースティンを読んだのではない、オースティンを「生きた」のだ。いや、「読む」とは、本来そうではなかったか。 出版社 白水社 ISBN 4560027390 価格 ¥ 2,520 URL http //book.asahi.com/review/TKY200603140361.html リベラリズム 古代と近代●レオ・シュトラウス [朝日] [掲載]2006年03月26日 [評者]中西寛 本書は19世紀末にドイツに生まれ、ナチスを逃れてアメリカに移ったユダヤ人思想史家の40年近く前の論文集の翻訳である。著者の弟子の選定による論文集『古典的政治的合理主義の再生』の翻訳が10年前に公刊されたが、その時から予定されていた訳書である。 「訳者あとがき」にもあるように、本書の公刊まで時間がかかったのはその高度に専門的な内容ゆえである。ギリシャ哲学や中世思想の詳細な検討を含む本書の訳業に多大の精力を要したことは容易に想像できる。しかしその間、この思想史家を巡る世の関心は大きく変わった。かつて政治思想史の専門家以外にはほとんど知られなかった著者の名は、今やネオコンの教祖という評判と共に広く認知されるようになったのである。 死後30年余りを経たこうした展開に最も驚いているのは著者自身ではなかろうか。確かに彼は、近代合理主義の内包する限界を指摘し、古代及び中世の古典研究の必要性を訴えた点で異端の研究者であり、「保守主義者」に分類しても間違いとは言い切れない。また、彼の近代合理主義批判の一端には、ヒトラーの台頭を抑制できなかったワイマール時代の経験に恐らく由来する価値相対主義への批判と、ソ連共産主義への道徳的対抗の必要性の認識があり、そこに知的戦闘性の要素を見ることも不可能ではないだろう。しかしネオコンの主張が自由民主主義の世界的拡張にあるとするなら、安易な自由民主主義の称揚こそ厳に戒めたという点で、ネオコンの最も厳しい批判を著者の論考から導き出すことも可能である。 ネオコンとの関連といった俗な関心を超越し、思想史に取り組むことで主張をなした思想家として著者は読まれるべきであろう。率直に言って、本書は政治思想史の門外漢が気楽に読める著作ではなく、先述の前訳書を入門として先に読むことを勧める。知的格闘を余儀なくされること間違いなしだが、著者の問題意識さえ了解すれば、古代、中世の難解なテクストを鮮やかに読み解いてくれる最良の教師としての側面が見えてくるだろう。 URL http //book.asahi.com/review/TKY200603280316.html
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一 原告の主張の要旨 原告は、本件検定処分ないし検定意 見について適用違憲の主張が認められないとしても、本件検定処分ないし検定意見が裁量権を逸脱、濫用したものとして違 法であるとし、その理由として次のとおり主張する。 1 教科書検定処分は、国民(教科書著作者や児童・生徒)の学問の自由、教育の自由、学習の自 由及び表現の自由を制限する処分であるから、その裁量の範囲 は厳格に限定されたものと解しなければならない。また、戦後教育改革は、戦前における教育の国家統制への反省から、中央集権的な教育行政機構を解体して、 その地方分権化を図り、機構の地方自治を実現するとともに、戦前における教育行政による権力的支配から教育を解放し、教育の自由性を確立したが、教科書検 定制度は、この改革の一環として、戦前ないし戦時中の教科書国定制度を改めるものとして発足したものであって、その趣旨は、民間の創意工夫を尊重し、個性 のある多様多彩な教科書の登場に道を開こうとするものであったといえる。更に、検定基準は、多義的で包括的であるが、それだけに、幅広い解釈が可能であ り、そこに教科書著作者の広い創意工夫の余地があるのであって、そのもとで多様な教科書記述が許容されるべきである。 2 以上のように、教科書 検定処分が国民の権利・自由にかかわる処分であること、教科書検定制度の沿革、趣旨・目的は、検定基準の内容に照らせば、文部大 臣は、教科書検定権限の行使に当たり、教科書著作者の自主性を尊重する立場に立つべきであり、また、修正意見については、これにより教科書著作者に対し修 正意見のとおり原稿記述を修正することを余儀なくし、あるいは検定不合格の理由とされているものである以上、比例原則の見地からみて、文部大臣は、教科書 の記述が、教科書著作者の創意工夫や専門的判断に基づき、学問上、教育上相応の根拠を有するときは、非拘束的な指導助言としての改善意見を付することは別 として、原則として修正意見を付することは控えるべきであり、修正意見を付し得るのは、検定基準の各条項に照らし、教育的配慮の見地から、あえて当該記述 の修正を求めるに足りるだけの格別の強い根拠がある場合に限られるものと解しなければならない。 二 当裁判所の総論的判断 1 教科書検 定の法的性格 教科書検定の法的性格については、これが文部大臣の検定権限の行使についての裁量の有無及びその範囲についての判断にかかわるもの と して当事者間に争い があるので、裁量権濫用についての検討に先立ち、まず、この点を判断する。 教科書は、さきに第二、一で判示したとおり、 学校 教育に用いられる主たる教材であって、心身ともに未発達の児童・生徒が使用するものであるとともに、そ の使用が義務付けられていること、これに伴い、児童・生徒の心身の発達段階に応じた適切な内容の選択及び組織配列が求められ、その内容において一定の水 準、正確性、中立・公正が確保される必要があることなどの点で、一般の図書とは異なる特殊な性質を有する図書であるから、国民は、憲法上出版の自由を保障 されることから直ちに教科書をも出版する自由を有しているということはできないのである。もとより、右のような一般の図書とは異なる特殊な性質を有する教 科書の制度を採用するか否かは、立法政策の問題であるが、現行の教育関係法令はかかる制度を採用しており、このことが憲法又は教育基本法の各規定に違反す るものでないことはさきに第四に判示したとおりである。したがって、検定の申請をもって、国民の有する教科書出版の権利の禁止の解除を求めるものであると する許可行為説は、採用し得ない。 また、教科書検定は、事柄の性質上、また、本件検定当時の検定基準の内容からみても、行政機関が客観的基準に 照らして一義的にその適否を判断するもので あるということはできず、確認行為説もまた採り得ない。 そして、既に第二において認定した教科書検 定 の手続及びその運営からみると、教科書検定は、文部大臣が新規に著作された図書又は既に発行ずみの特定の図 書に対し、その著作者又は発行者の申請に基づき、高等学校等の学校において教科書として採択を受け使用され得る法律上の資格を設定するか否かを審査決定す る行政処分であり、検定合格処分により、右の法律上の資格が設定されるものであるから、その法的性格は、特許行為の一種と解すべきである。もっとも、教科 書検定の法的性格が右のとおり解されるからといって、教科書の出版が国の固有の権利であって、検定合格処分はこれを検定申請者に対し分与するものであると するものではないことはいうまでもないし、教科書検定の法的性格から直ちに文部大臣の検定権限の行使についての裁量の有無及びその範囲についての結論が一 義的に導かれるものでないことに留意すべきである。 2 学校教育法二一条一項が文部大臣に対し教科書検定の権限を付与したものと解すべきである ことは、さきに第二、二において判示したとおりであるが、特に 文部大臣による検定権限の行使がいかなる程度に法令上覊束されるかを定めた明文の規定は存しない。 検定の対象は、教科書の記述内容等であって、日 々進歩する学界の状況を把握した上で当該記述の学問上の適切性、児童・生徒の心身の発達段階や学習の適時 性を考慮した上での当該記述の教育上の適切性、教育内容の一定水準が確保されているとともに過不足ない記述となっているかとの観点からの当該教科書の適切 性等相互に関連する幾多の考慮事項を含み、その判断は高度の学問的ないし教育的専門性・技術性を持つものであること、その検定基準自体が前述のとおり抽象 的、概括的にならざるを得ないので、検定権限について客観的に適正かつ公正な行使をするために、判断の基礎となるべき学界の状況、適切な教育的配慮の在り 方等関連諸事項について広く研究すべきものであり、その方策として文部大臣は、教育職員、学識経験者等から成る教科用図書検定調査審議会に諮問して検定処 分の判断を行うこととされているものの、この判断については、事柄の性質上、ある程度の見解の相違を来すことも免れないものであることを考慮し、かつ、教 科書検定の前記法的性格に徴すると、文部大臣が教科書検定に当たって付する検定意見ないし合否(条件付処分を含む。)の処分については、文部大臣に右のよ うな理由に対応する裁量権があることを認めざるを得ないのである。 ところで、教育基本法は、前記第一、三2のとおり、憲法において教育の在り方 の基本を定めることに代えて、我が国の教育及び教育制度全体を通ずる基本理 念と基本原理を宣明することを目的として制定されたものであって、一般に教育関係法令は、当該法令に別段の定めがない限り、できる限り教育基本法の規定及 び同法の趣旨、目的に沿うように解釈・運用されるべきものと解されることに照らせば、文部大臣の検定権限もまた、同法及び右権限を定めた学校教育法の目 的、趣旨に合致するように行使されなければならないのである。そして、教科書検定関係法令として、学校教育法八八条、一〇六条の委任に基づき制定された教 科書図書検定規則及び教科用図書検定基準、更に検定基準の実質的内容を構成している学習指導要領、実施細則、内規等が定められているところ、これらの関係 法令も、前述のとおり、教育基本法及び学校教育法の目的、趣旨に沿うものと認められるのであるから、結局、文部大臣の検定権限の行使は、その裁量に属する とはいえ、右の教科書検定関係法令の各規定の趣旨に則ってなされなければならないことはいうまでもない。したがって、右権限の行使が右の趣旨に合する合理 的範囲にとどまるものである限り、当不当の問題を生ずることはあっても国家賠償法上違法の問題が生ずる余地はないが、右権限の行使が、裁量権の範囲を超え 又はその濫用があったときには、同法上違法となるというべきである。もっとも、法が処分を行政庁の裁量に任せる趣旨、目的、範囲は、各種の処分によって一 様ではなく、これに応じて違法とされる場合もそれぞれ異なるから、各処分ごとにこれを検討すべきところ、これを文部大臣の検定権限行使の判断についてみる に、教科書検定が文部大臣の裁量に委ねられる前示の趣旨、目的にかんがみると、文部大臣の検定処分における判断が、その判断の基礎とされた学界の状況等に 誤認があることなどにより事実の基礎を欠く場合、学界の一般的状況や原稿記述の有する根拠など当然考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮 していること若しくは当該記述の検定基準違反の程度についての文部大臣の評価が明らかに合理性に欠くことなどにより、当該検定処分が社会通念上著しく妥当 性を欠く場合、検定権限の行使が検定制度の目的と関係のない目的や動機に基づくものであるときなど裁量の認められた趣旨・目的に違反した場合又は検定権限 が恣意的に平等原則に違反して行使された場合は、裁量権の範囲を超え又はその濫用があったものとして、当該検定処分は、違法となるものと解するのが相当で ある。 そして、裁判所は、文部大臣の検定処分が違法か否かを審理、判断するに当たって、文部大臣の立場に立って、いかなる検定処分とすべきで あったかを判断し、 その結果と当該検定処分とを比較してこれを論ずべきものではなく、文部大臣の裁量権の行使に基づく検定処分が前示の意味において裁量権の範囲を超え又はそ の濫用があったと認められるか否かによってこれを審理、判断すべきものである。このことは、文部大臣が個別に付した検定意見についても同様であって、この 場合、文部大臣が付した検定意見に対しては、それらが教科書検定関係法令の趣旨に即し、教科書の内容における一定水準の確保、正確性及び中立・公正の保持 並びに教育的配慮の観点に基づいて示されたものであって、学界の状況や教育的配慮に照らし文部大臣の検定意見に合理的な根拠があると認められる限り、原則 として、裁量権の範囲の踰越ないし濫用による違法があったものとすることはできないというべきである。 もとより、文部大臣は、検定処分当時の学 界の状況の客観的認識に基づき、原稿記述の有する学問的根拠ないし教育的配慮も考慮した上で、これを修正すべき か等につき検定意見を付すべきものであるから、裁判所が、検定意見の合理的根拠の有無を判断するに当たっても、検定意見の根拠のみを切り離して検討するの では足らず、これを原稿記述の根拠との相対的関係において検討して、その合理性を判断しなければならないと解すべきである。したがって、検定意見と原稿記 述とがそれぞれ相応の根拠を有する場合には、文部大臣が原稿記述に対し検定意見を付したことが、学界の状況、それぞれの学問的根拠、教育的配慮の合理性等 に照らして、社会通念上著しく不当であると認められる場合に初めて、裁量権の濫用による違法があるというべきである。もっとも、教育内容に対する国家的介 入は、できるだけ抑制的であることが要請されること、教育基本法一〇条の規定は、教育の自主性尊重の見地から、これに対する不当な支配となることのないよ うにすべき旨の限定を付しており、国家の介入が許容される目的のために必要かつ相当と認められる範囲に限られることは、さきに第四、一に判示したとおりで あり、また、教科書検定が教科書著作者の表現の自由及び学問の自由にかかわるものであること、更に、何をもって中立・公正とみるかを客観的に判定すること が困難な場合があり、中立・公正の名のものに検定機関の価値観が検定意見に入り込む危険があることを考えると、文部大臣は、検定権限の行使について慎重で あるべきであり、前記のように原稿記述も相応の根拠を有する場合に検定意見を付することには、その妥当性に批判の余地があるといえよう。しかしながら、か かる検定意見も、あくまで教科書内容の一定水準の維持、中立・公正の確保ないし教育的配慮を目的とし、教科書検定関係法令の各規定に従い、さきに述べた裁 量審査の基準に反しない限りにおいては認められるというほかないのであり、また、教科書は、教育の主たる教材であるとはいえ、検定意見の付された原稿記述 に係る歴史的事実ないし見解を教育現場から完全に排除するという効果まで持つものではないこと等を配慮すると、法的見地からは、右のような場合に検定意見 を付することをもって、教育に対する不当な支配に当たり、あるいは教育に対する権力的介入として必要かつ相当な範囲を超えるものとすることはできない。 ま た、本件各検定処分について文部大臣により付された検定意見には、修正意見及び改善意見の二種があること並びに改善意見の内容については、前記第二、 五認定のとおりであって、修正意見が教科書記述に対して権力的介入を行うものであるのに対し、改善意見は指導助言にとどまるものであり、裁判所が文部大臣 の付した各検定意見につき、裁量権行使の当否を判定するに当たっても、右に述べた修正意見と改善意見の実質に即した判断をすべきであって、各検定意見の根 拠に必要とされる合理性にもおのずから軽重の違いがあるというべきである。但し、改善意見であっても、内閲本審査において教科書調査官がそれに従った修正 を執拗に要求し、ことさらに検定審査手続を遅延させるなどの方法により改善意見の域を超えて修正を強制するに至ったものとみるべき場合には、修正意見に準 じてこれを判断すべきである。 三 昭和五五年度検定における裁量権濫用の違法 1 親鸞及び「日本の侵略」に関する記述について (一) 〈証拠〉によると、1 三省堂の申請に係る本件教科用図書原稿本(甲第一号証。以下、第三項において「本件原稿」という。)の「法然・親鸞らは朝廷 から弾圧をうけたが、親鸞はこれにたいし、堂々と抗議の言を発して屈しなかった。」との本文の記述に対し、文部大臣は、右記述では、親鸞が弾圧を受けた時 点で抗議声明をするなど何らかの抗議行動をしたかのように読み取れるが、親鸞がそのような行動をしたというのはどういう学説に基づいて記述されているか分 からない。仮に親鸞が教行信証のなかで朝廷を批判した行為をとらえて、「堂々と抗議の言を発して屈しなかった」と記述しているとすれば、教行信証の記述 は、後になって親鸞が当時のことを追憶したものであるから、生徒に誤解を与えないよう表現を再検討されたいとして、検定基準(社会科に関するものをいう。 以下同じ。)に照らし、必要条件である第1[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)「(1)本文、問題資料などの選択及び扱いには、学習指導を進 める上に支障を生ずるおそれのあるところなどの不適切なところはないこと。」に欠けるとして改善意見を付したこと、2 本件原稿の「中国では、西安事件を きっかけとして、国民政府と共産党の抗日統一戦線が成立し、日本の侵略に対抗して中国の主権を回復しようとする態度が強硬にあらわれてきた。」との本文の 記述に対し、文部大臣は、「侵略」という用語は罪悪というはっきりした評価を含む用語であるから、自国の教科書で自国の行為の表現として使用する点は教育 的見地から再考されたい、また、本件原稿の他の箇所においては、「列強の中国進出」、「ヨーロッパ列強の中国領土進出」とあり、「日本の中国への武力進 出」という表現も二例あるから、「日本の侵略」という記述についても、他の二例のように「武力進出」などと、より客観的な言葉で表記・表現を統一してはど うかとして、検定基準に照らし、必要条件である第1[教科用図書の内容の記述]2(表記・表現)「(3)漢字、仮名遣い、送り仮名、ローマ字つづり、用 語、記号などの表記は適切であり、これらに不統一はないこと。」に欠けるとして改善意見を付したことが認められる。 (二)ところが、原告は、文 部大臣から右各改善意見が付されたにもかかわらず、これに従った修正に応じなかったことは、さきに第三、一1で判示したとおり であって、右(一)1親鸞及び2「日本の侵略」についての各記述に関しては、原告に損害が発生していると認めることができないことは、後に第七、二におい て説示するとおりである。 したがって、右各記述に関しては、その余の点について判断するまでもなく、原告の請求は理由がないことが明らかである から、文部大臣の検定権限行使の裁 量権濫用の違法については判断の限りでない。 2 草莽隊に対する記述について (一)〈証拠〉による と、三省堂の申請に係る本件原稿の「朝廷の軍は年貢半減などの方針を示して人民の支持を求め、人民のなかからも草莽隊といわれる義勇 軍が徳川征討に進んで参加したが、のちに朝廷方は草莽隊の相楽総三らを『偽官軍』として死刑に処し、年貢半減を実行しなかった。」との本文の記述に対し、 文部大臣は、本件原稿記述は、「朝廷の軍」を主語として、これに何らの限定も付していないので、朝廷の軍が全国的に年貢半減を実施する方針を示したにもか かわらず、その方針を実行しなかったように読めるが、草莽隊の一つであって相楽らに率いられた赤報隊については、基礎史料である「赤報記」の史料批判さえ 行われておらず、基礎的事実の確定は今後の考察に待つという段階にあって、朝廷が相楽総三に対し年貢半減についての勅諚を与えたにもかかわらず、これを実 行しなかったとは断定できず、その他、朝廷の軍が全国的に地域や時間の限定なしに年貢半減の方針を示したという史料はどこにもなく、今日明確に言えること は、征討軍の先鋒隊と称して従軍した相楽総三の率いる赤報隊が旧幕府領については当年年貢を半減する旨の高札を掲げたというにとどまるのであり、したがっ て、朝廷の軍が朝廷の政策方針として年貢半減を実施する方針を全国的に示したのに実行しなかったと断定するような原稿記述は、不正確であり、検定基準に照 らし、必要発件である第1[教科用図書の内容の記述]1(正確性)「(1)本文、資料、さし絵、注、地図、図、表などに誤りや不正確なところはないこ と。」に欠けるものして修正意見を付したことが認められる。 (二)〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。 (1)朝廷が相 楽総三に対し年貢半減の勅諚を与えたか否かの点を含め年貢半減の方針が朝廷の軍によって採用されたか否か、年貢半減(令)布告の状況等に関 する基礎史料として次のようなものがある。 「赤報記」(甲第二一九号証)には、「右両度建白依之於太政官坊城大納言殿ヨリ御渡之勅諚書」「但今度 不図干戈ニ至候義ニ付テハ万民塗炭之苦モ不少依之 是迄幕領之分総テ当年租税半減被仰付候昨年未納之分モ可為同様来巳年以後之処ハ御取調之上御沙汰可被為在候義ニ候間右之旨分明ニ可申付事」あり、信州大学 教授高木俊輔は、これについて史料批判を加え、明治八年以前にはすでにまとめられていたものであること、その内容は詳細であるとともに維新の政局の全体的 動きと対応していること、太政官において筆写の過程で校訂を加えられていること等から極めて信用度の高いものと判断している。昭和五五年度検定に至るま で、赤報記の信用度・正確性について疑問を提起する見解は学界に現れていない。 また、「復古記」(太政官編纂・東京帝国大学蔵版、内外書籍株式 会社発行)は、明治政府の正式な出版物として太政官の編纂になるもので、明治元年の戊辰 戦争に関する基礎的史料であり、史料の内容の豊かさと正確性において比類のないものとされているが、その「巻一九」(昭和五年、甲第二二三号証)の「明治 元年正月一二日」には、次のような綱文(史料から読み取れる事実を要約した文章)がある。「○滋野井公壽、綾小路俊実ノ使者、相良武振書ヲ上リ、官軍ノ徽 章ヲ賜ヒ、且東征先鋒ノ命ヲ奉センコトヲ請ヒ、又旧幕府領地ノ租税ヲ減センコトヲ建議ス、乃チ公壽、俊實ニ命シテ、東海道鎮撫使ノ約束ヲ受ケ、又旧幕府領 地今年租税ノ半ヲ免セシム。」また、この綱文の後には、「赤報記」「大原重實蹟書」によるものとして年貢半減令について次の一文が引用されている。「但、 今度、不図干戈ニ至リ候儀ニ付テハ、万民塗炭之苦モ不少、依之、是迄幕領之分、総テ当年租税半減被仰付候、昨年未納之分モ可為同様、来巳年以後之処ハ、御 取調之上御沙汰可被為在候儀ニ候間、右之旨分明可申聞事。」。 更に、「維持史料綱要」(維新史料編纂事務局編、昭和一三年)は、維新史関係の事 件内容とその内容を示す重要史料名を知る上に極めて便利で研究者必携の 書といわれるものであるが、その「巻八」(甲第二三四号証の二)の「明治元年正月一二日条」には、相楽総三の年貢半減の建白について次のような綱文があ る。「待従滋野井公壽及前待従綾小路俊實ノ使者相楽總三、書ヲ上リ、赤報隊ニ官軍ノ徽章ヲ賜ヒ、東征先鋒ノ命ヲ拝センコトヲ請ヒ、又旧幕領地ノ租税ヲ減 ジ、民心ヲ収メンコトヲ建議ス。乃チ、公壽・俊實ニ命ジテ東海道鎮撫総督ノ指導ヲ受ケ、又旧幕領本年租税ノ半ヲ免ゼシム。大原重實履歴赤報隊小寺玉晁戊辰 雑記 史談会速記録」。 右の綱文には、相楽総三の建議の相手方や年貢半減令を発令した機関の記載がないことは、被告主張のとおりであるが、他 方、「維新史料綱要巻一」(甲第二 二四号証の一)の「例言」には、「天皇ノ御言動ヲ記スルニハ、例ヘバ出御・行幸等ノ敬語ヲ用ヒテ、其文ノ主格トシテ天皇ヲ称スルヲ避ク。朝廷ノ行事・令達 ヲ叙スル場合ニモ、同ジク朝廷ノ文字ヲ表ハサズシテ、直ニ其事ヲ記セリ。又朝廷ニ上ル稟請ノ類ヲ叙スル場合ニ於テモ、亦其文ノ目的格トシテ特ニ朝廷ノ文字 ヲ表ハスコトナシ。但、朝廷ト幕府トヲ併記スル必要アル場合ニハ、此例ニ拠ラズ。」とあり、これによれば、先に挙げた綱文において、相楽總三が「旧幕領ノ 租税ヲ減」ずる「コトヲ建議」した相手方は朝廷であり、「旧幕領本年租税ノ半ヲ免ゼシ」めたものも朝廷であったと解すべきことになるとされている(このこ とは時野谷滋教科書調査官も、その証言において認めるところである。)。 なお、右認定のとおり、「復古記」「維新史料綱要」いずれも、明治維新 についての基礎的史料であると同時に、「赤報記」等の史料に対する史料批判を加え た上で読み取れる事実についての編者らの認識を綱文として明らかにしたものであって、一般に容易に参照し得るものであるから、これらはいずれも昭和五五年 度検定当時の学界の状況を構成するものとみて妨げないものと解される。 (2)高木教授は、前掲「赤報記」等の史料による研究に基づき、「明治維 新章莽運動史」 (勁草書房、昭和四九年、甲第二一六号証、乙第八八号証)を著したが、前記(1)の点に関し、概略次のとおりの見解が明らかにし て いる。 1 相楽総三は、慶応四年(明治元年)正月、綾小路俊実と滋野井公寿の二卿の使者として赤報隊を正式に官軍の一部に認めて欲しい旨の嘆 願を した。これに対 し、同月一一日に朝廷の太政官議定・参与局から、「義徒」を集めて「皇軍之威光」を輝かすよう励まれたい旨の達書が下された。これは、二卿宛に「義徒」つ まり相楽ら草莽を集めた赤報隊を官軍先鋒隊として肯認したことになる。更に、相楽総三は、同一二日、議定・参与局あてに、官軍東征には民心を幕府から切り 離す必要がある。そのため、「幕領之分ハ、暫時之間、賦税ヲ軽ク致シ候ハゝ、天威之難有ニ帰嚮シ奉リ」目的を達成できるだろう、とする建白をした。これに 対して太政官から、「是迄幕領之分、総テ当年租税半減被仰付候、昨年未納之分モ為可同様」との沙汰が下された。ここに年貢半減が朝廷の政策として採用され たということができる。これを受けて相楽総三らの赤報隊は、「年貢半減」の布告をしながら進軍していくことになった。ところが、一月下旬には、赤報隊の悪 評を理由として隊に帰洛命令が出たが、赤報隊一番隊である相楽隊だけは官軍東征の成功のためには碓氷峠の占拠が絶対に不可欠であると判断し、あえて東山道 へ進軍を続け,二月一四日には碓氷峠の占拠を果たした。その後、総督府は、二月一〇日付で信州諸藩宛に、相楽隊を「偽官軍」として取り押えるよう命じ、相 楽を含む幹部八人は、三月三日に下諏訪において処刑された。 2 年貢半減令の布告者は、赤報隊にとどまるものでなく、「復古記」とよばれ、一月 一四日には山陽道三藩宛に太政官の名で本年度年貢半減が布告されている し、一月二七日には北陸道でも若狭・越前諸藩宛に北陸道鎮撫総督から布告されている。そのほかの年貢半減令の例としては、「年貢半減令」関係史料表(甲第 二二〇号証)記載のとおり、全部で一六例を数えることができる。半減の対象も、旧幕府領のみにとどまるものではなく、「復古記」によれば、山陽道三藩に出 された年貢半減令では幕府領とともに「其他賊徒之所領等」とあり、朝廷に刃向かう藩すなわち朝敵藩の領知分にも半減令を実施せよとされており、また、当年 の年貢のみにとどまるものではなく、「赤報記」、「復古記」によれば、赤報隊及び山陽道三藩に対するものには「昨年未納之分モ可為同様、来巳年以後之処 ハ、御取調之上御沙汰可被為在候」とあり、昨年未納の分についても年貢半減を実施することとされていた。 また、「復古記」によれば、一月一四 日の山陽道三藩宛の年貢半減の布告にもかかわらず、一月二七日の朝廷の三道鎮撫使及び関西諸藩に対する命令では年貢 半減については触れておらず、疑問に思った岡山藩の伺いに対して「御取消相成候旨御口達有之」として年貢半減令が取消になったことが明らかにされ、また、 一月二七日の若狭・越前諸藩宛の年貢半減令にもかかわらず、三月五日の北陸道総督府の加賀・越前・越後諸藩への達書では年貢半減について触れていない。右 のとおり正式な取消の形をとらずに年貢半減令の取消がなされていった。 もっとも、前掲「明治維新草莽運動史」には、具体的には、山陽道三審宛の 年貢半減令布告の例が挙げられているにとどまる。 (3)高木教授の見解以外の学界の状況をみると、以下のとおりである(なお著者の肩書中には、 以 前のものも含む。)。 北大教授田中彰は、「日本の歴史24明治維新」(小学館、昭和五一年、甲第二一八号証、乙第九〇号証)において、赤報隊 につ いては「作家長谷川伸著『相 楽総三とその同志』 (昭和一八年刊)が有名だが、最近では新進の維新史研究者高木俊輔著『維新史の再発掘』 (昭 和四五年刊)、同『明治維新新草莽運動史』(昭和四九年刊)が、たんねんな名簿づくりや志士群象の追跡によって、これをうかびあがらせている。」とし て高木説に高い評価を与えるとともに、「一月一二日、相楽らは年貢半減の建白を新政府首脳に提出、これをいれて新政府は、この日ただちに旧幕領への年貢半 減令(前年の未納分も同様)を発した。そして、赤報隊には東海道鎮撫使の指揮をうけることを命じたのである。(中略)だが、こられの隊の背後には、謀略の 黒い影がせまっていた。謀略とは何か。相楽らに『偽官軍』のレッテルをはることである。というのも、新政府は一月下旬、年貢半減令を取消していたのだ。財 政的にゆるされるはずもないこの半減令を、諸藩からの伺いに対し口頭で取消していたのである。これでは、相楽らがそれを知るよしもない。彼らが半減令で民 心をひきつけてすすめばすすむほど、相楽隊は総督府の統制にしたがわない『強盗無頼之党』で、不当に武器をたくわえた『偽官軍』だとされたのである。新政 府にとっては、年貢半減令をふりかざす彼らが、『世直し』の潮流をいちだんとはげしく、それとむすびつくかもしれない、という危惧があったからだ。」とし ている(なお、既に同人著「体系・日本歴史5明治国家」(日本評論社、昭和四二年、甲第二二九号証)にも、簡潔ながら相楽総三と赤報隊の顛末につき同趣旨 の記述がある。)。 名城大学教授原口清は、「戊辰戦争」(塙書房、昭和三八年、甲第二二六号証、乙第八九号証)において、「政府は、旧幕領の年 貢半減(戊辰半減、昨年未納 分も同様)を赤報隊に申し渡した。」「年貢半減令は、一月一二日に布告されているが、同一四日、政府が長門・安芸・備前三藩に山陽道三諸藩の向背を問わ せ、旧幕領の調査を命じたときには、まだ年貢半減をうたっていた(『復古記』〈第一冊〉五五七頁)。ところが同月二七日、三道鎮撫使および関西諸藩に命 じ、旧幕領の土地台帳を提出させたときには、年貢半減については一言もふれていない。これに対する諸藩からの伺に対しては、口頭で、年貢半減令は取消しに なった旨を答えている(章政家記〈同上〉七四六頁)。つまり正月下旬から年貢半減令は取消しになったのだが、取消しの公然たる布告はなかったのである。北 陸道総督の、正月二七日の若狭・越前諸藩宛達書の中には、年貢半減令が含まれているが、これは連絡不便のため、取消しがまだ達しなかったせいであろう。と いうのも、三月五日に、同総督府の加賀・越中・越後諸藩に対する達書は、年貢半減令はとりのぞかれているからである。しかし、奥羽・北陸地方で戦況が困難 をきわめると、政府軍は年貢半減の布達をしばしば行なっている。たとえば、六月に北陸道副総督四条隆平は在越の会津・桑名領の年貢半減を布達し、平潟口で も八月に田租の全免あるいは半減令を下し、越後口でも八月に全免令をだしている。」としている。また、原口教授は、「日本近代国家の形成」(岩波書店、昭 和四三年、甲第二二七号証)においても、「草莽隊は、総督府の指揮下に従順に行動したものは僅少の酬いを得たが、独自性が強くて積極的に活動し、年貢半減 令のように新政府が当初にはかかげ、のちには否定したものを依然として宣伝するなど、新政府・総督府の方針と対立したものは、多くの無実の罪状をつくりあ げられ弾圧された。」としている。 また、横浜市立大学教授遠山茂樹は、「国民の歴史19明治維新」(文英堂、昭和四四年、甲第二八号証)におい て、「王政復古成立当初の京都政府が、『旧 弊御一洗』『百事御一新』『万民の塗炭の苦を救わん』と布告し、軍隊進撃の沿道に、年来の苛政に苦んでいるものは遠慮なく本陣に訴え出よと令し、幕府領の 年貢半減を通達したことは、民心をひきつける上で、大きな効果をあげることとなった。(中略)京都政府は、軍事上から一月十二日年貢半減を命じたが、この 月の下旬には早くも財政難から半減をとりけさなければならなかった。(中略)京都政府は一揆の味方ではないという方針をあきらかにする必要があった。それ なのに勝手に年貢半減を布告し、困窮者には救助すると約束してまわる赤報隊の存在は迷惑であった。そこで、『偽官軍』の名で、抹消してしまったのであっ た。」としている。 更に、「幕末維新人名事典」(奈良本辰也監修、学藝書林、昭和五三年、乙第九二号証)の「相楽総三」の項(師岡担当部分)に おいては、「同日、租税軽減 を建白、容れられて幕府領の租税半減をゆるされ、通過の村村で実施。」とされている。 そして、本件検定当時までに 高 木教授らの前記見解を否定する学説が文献等に発表されたことはなかった。 (4)これに対し、昭和音楽大学教授勝部真長は、次のような見解を もって いる。 慶応四年正月ころの朝廷は流動的であって、はたして赤報隊が官軍として承認されたといえるか、また、朝廷が年貢半減令を正式な政策 として採 用したといえ るか疑問である。なるほど、「赤報記」は、赤報隊のことを知るには第一の文献であるが、著者が不明で原本も失われていること、太政官に於ては「坊城太納 言」より「勅諚書」を受けたとする部分があるものの、当時坊城大納言という人物は存在しないこと、「史談速記録第七八輯」(編集・史談会、明治三二年、乙 第一五〇号証)では、油川信近の談話として「議定・参与」より「御達書」を受けたとされており、赤報記の記述とは差異があることなどから、「赤報記」によ り直ちに勅諚があったといえるか疑問である。むしろ、年貢半減は、朝廷の全国的な政策ではなく、当時太政官参与であった西郷隆盛の個人的な軍略であったと 考えられる。また、相楽総三は、伊牟田尚平と益満休之助とともに薩摩藩の計略であった関東撹乱の実行者であったが、相楽総三が処刑されたのは、関東撹乱の 証拠隠滅をもくろんだ西郷隆盛の謀略によるものであって、年貢半減の取消に起因するものであるとはいえない。 しかしながら、同証人は、右見解 を、これまで発表したことはなく(したがって、学界での評価又は批判を受けたこともなく)、これをもって昭和五五年度検 定当時の学界の状況を構成する一見解とみることはできない。したがって、同証人の見解をもって、検定意見を基礎付けるものとはなし得ないといわざるを得な い。 (5)以上によれば、昭和五五年検定当時の学界の状況としては、朝廷が、相楽総三の建白を容れて年貢半減をその政策として採用し、相楽総三 らにその布告を 許しながら、後にこれを取消して相楽総三らを死刑に処したとする高木教授の説と同趣旨の見解を述べ、あるいはこれを支持するもの(右取消の理由はともかく として)があるのみで、高木説に反対しあるいはその根拠となる史料を批判する見解は現れていないことが認めらる。また、年貢半減令が出された事例が幾つか 報告され、かつその事例がかなり広い範囲に及んでいるということが学界の認識であったことは、被告においても認めるところである。 (三)右に認 定した事実に照らせば、基礎史料である「赤報記」の史料批判さえ行われておらず、基礎的事実の確定は今後の考察に待つという段階にあり、今日 明確に言えることは征東軍の先鋒隊と称して従軍した相楽総三の率いる赤報隊が旧幕府領については当年年貢を半減する旨の高札を掲げたというにとどまる、と いう検定理由は、いまだ学界に現れていない教科書調査官の個人的見解に根拠を有するにとどまり、昭和五五年度検定当時の学界においては右検定理由に沿う見 解は存しなかったというほかない。そして、本件検定意見は、原稿記述が検定基準に照らし正碓性に欠けるとする修正意見であり、修正意見に従った修正が加え られた結果、内閲本審査合格後の記述は、「徳川氏追討の軍には、人民のなかから草莽隊といわれる義勇軍も参加した。その一つである相楽総三らのひきいる赤 報隊は旧幕府領の当年の年貢半減などの方針を高札に掲げて人民の支持を求めたが、朝廷方は進軍途中の相楽らを『偽官軍』として死刑に処した。年貢半減は、 実行されず……」となったのであるが(内閲本審査合格後の記述については当事者間に争いがい。)、この記述では、赤報隊が官軍先鋒隊として認められたもの で、年貢半減の高札が朝廷の勅諚に基づくものであるとする昭和五五年度検定当時の学界の一般的な見解にかえって沿わない結果となっているといわざるを得な い。 右のとおり、本件検定理由が学界に現れていない教科書調査官の個人的見解に基づくにとどまり、検定当時の学界ではこれに沿う見解は表明され ていなかった こと、本件検定意見が修正意見であること、検定意見に付してこれに沿った修正を強制したことによりかえって検定当時の学界の一般的見解に反する記述をもた らすと結果となったことを合せ考えるときは、本件検定意見に合理的根拠があったとすることはできず、文部大臣が、検定基準の前記正確性(1)の観点から修 正意見を付したことは、学界の状況の誤認により事実の基礎を欠いたか又は学界の一般的状況や原稿記述の有する根拠など当然考慮すべき事項を考慮しなかった ものであって、社会通念上著しく妥当性を欠き、裁量権の範囲を超え又はこれを濫用したものといわざるをえないのである。 なるほど、検定理由が、 原稿記述に「朝廷の軍は年貢半減を示して……年貢半減を実行しなかった。」とあることから、朝廷が軍の全国的に年貢半減を実施す る方針を示したにもかかわらず、その方針を実行しなかったように読めるとする点については、かかる読み方自体があり得ないではないし、「維新史料綱要」の 綱文では「旧幕領本年租税ノ半ヲ免ゼシム。」とされている(「復古記」もこれと同旨)ことから、この範囲では検定意見にそれなりの根拠があったといえない ではないが、検定意見はこれにとどまるものではなく、赤報隊が官軍先鋒隊として認められ、年貢半減の高札が朝廷の勅諚に基づくものであるとする学界の一般 的見解に基づく記述部分に対してもこれを不正確とし、その修正を強制するものであり、この点に合理的根拠があるとはし得ない以上、文部大臣が検定意見を付 したことが裁量権の範囲を超えたものであるとの結論を左右するものではない。 ちなみに、〈証拠〉によれば、昭和六一年度検定においては、前記 「新日本史」の本件原稿記述と同じ箇所につき、「徳川氏追討の軍には、人民のなかから草 莽隊といわれる義勇軍も参加した。その一つである相楽総三らのひきいる赤報隊は旧幕府領の当年の年貢半減などの方針を高札をかかげて人民の支持を求めた。 朝廷方は、赤報隊の措置を許したほかにも、長門・安芸・備前3藩にも同じ方針を示した。しかし、いずれも取り消され、進軍途中の相楽らは『偽官軍』として 処刑された。」との改訂申請に係る記述が合格本として採用されていることが認められるところ、右記述は、相楽の率いる赤報隊が、旧幕府領については当年年 貢を半減する旨の高札を掲げたということを表すにとどまらず、赤報隊が少なくとも右措置につき朝廷方から許可を得ていたことを前提にしているものとみるほ かなく、文部大臣は、時点が異なるとはいえ、同じ問題について本件検定意見を後に重要な点で変更したものというべきであろう。 3 南京事件に関 する記述について (一)〈証拠〉によると、本件原稿の脚注「南京占領直後、日本軍は多数の中国軍を殺害した。南京大虐殺アトロシティーとよばれ る。」との記述に対し、文部 大臣は、右記述は南京事件が南京占領直後に軍の命令により日本軍が組織的に行った殺害行為であるかのように読み取れるが、南京事件についての研究の現状か らみて、「南京占領直後」という発生時期の点及び「軍の命令により日本軍が組織的に行った」という態様の点において、いずれもこのように断定することはで きないので、検定基準に照らし、必要条件である第1 [教科用図書の内容の記述]1(正確性)「(1)本文、資料、さし絵、注、地図、図、表など に誤りや不正確なところはないこと。」及び「(3)一面的な見 解だけを十分な配慮なく取り上げていたり、未確定な時事的事象について断定的に記述していたりするところはないこと。」に欠けるとして修正意見を付したこ とが認められる。 原告は、時野谷滋教科書調査官が理由告知の際に告知した理由においては、本件原稿記述が軍の命令によって行われたものであると 読み取れるということは問 題とされていなかったにもかかわらず、本件訴訟において、被告は検定理由の主張を変更したものであると主張する。なるほど、前掲第一二号証によれば、時野 谷滋教科書調査官が理由告知の際には軍の命令によって行われたものであると読み取れることとを指摘していないことが認められるが、証人時谷滋の証言及び弁 論の全趣旨によれば、「軍の命令によって行われたと読み取れる」という主張は、「日本軍が組織的に行ったものと読み取れる」という趣旨をふえんしたもので あることが認められるから、被告が検定理由についての主張を変更したものとはいうことはできない。 なお、検定意見が、南京事件そのものの存在を 否定する趣旨ではないことは、教科書調査官が理由告知の際に「南京占領の混乱の中で多数の中国軍民が犠牲に なった」ことは事実であることを認めていることから明らかである。 (二)〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。 (1)一 橋大学教授藤原彰は、その研究に基づき、南京大虐殺は軍上層部の命令による日本軍の組織的犯行であり、混乱の中で起きたものではないとの見解を有 しているが、その見解の詳細と根拠は、以下のとおりである。 1 南京大虐殺は日本軍の組織的犯行であることについて 昭和五五年度検定当時 においても、極東国際軍事裁判の記録、後に(3)に挙げる洞富雄の著作及び洞富雄編「日中戦争史資料」、防衛庁防衛研修所戦史室編 「戦史叢書(支那事変陸軍作戦)」、当事者の体験記などから、南京大虐殺が日本軍の組織的行為であったということができる。 日中戦争開始直後の昭 和一二年八月五日、陸軍次官は、支那駐屯軍参謀長宛に陸支密一九八号「交戦法規ノ適用ニ関スル件」を通牒し、「現下ノ情勢ニ於テ帝 国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ『陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約其ノ他交戦法規ニ関スル諸条約』ノ具体的事項ヲ悉ク適用シテ行動スルコトハ適当ナラ ズ」とし、国際法に拘泥することなく行動せよといい、さらに「日支全面戦ヲ相手側ニ先ンジテ決心セリト見ラルル如キ言動(例ヘバ戦利品、俘虜等ノ名称ノ使 用)」などは避けるよう指示しているのであるが、国際法に拘泥せず、さらに俘虜の名称を使うなということは、捕虜を作るな、捕虜は処分せよという通牒とし て理解されたであろう。また、極東国際軍事裁判の法廷で武藤章は、「中国ノ戦争ハ公ニ『事変』トシテ知ラレテヰマスノデ、中国人ノ捕ヘラレタ者ハ俘虜トシ テ取扱ハナイトイフ事ガ決定サレマシタ」と証言している(「極東国際軍事裁判速記録」第四四号・昭和二一年八月八日証言)。このように軍中央部の方針は 「捕虜にはしない」と理解された。 佐々木到一少将の指揮する第一六師団歩兵第三〇旅団は、「旅団は本一四日南京北部城内及城外を徹底的に掃蕩せ んとす」とし、更に「各隊は師団の指示ある 迄俘虜を受付くるを許さず」(歩兵第三八聯隊の「昭和一二年一二月一四日南京城内戦闘詳報第一二号」)とする旅団命令を出している。それにもかかわらずこ の戦闘詳報第一二号の付表には、「俘虜(将校七〇、下士官兵七一三〇)」とあり、多くの捕虜を抱え込んだ事実を示している。また、同じ、佐々木旅団長指揮 下の歩兵第三三聯隊の「南京付近戦闘詳報」では、「自昭和一二年一二月一〇日至昭和一二年一二月一四日歩兵第三三聯隊鹵獲表」に「俘虜将校一四、准士官下 士官兵三〇八二」と記し、「俘虜は処断す」と記している。また「敵の遺棄死体(概数)」の項では、「一二月一〇日二二〇、一一日三七〇、一二日七四〇、一 三日五五〇〇、以上四日計六八三〇」とし、「備考、一二月一三日の分は処決せし敗残兵を含む」とある。これらの記述は旅団命令として捕虜を受け付けず、捕 虜が出た場合は「処断」すなわち集団虐殺したことを示している。 右のとおり、捕虜の集団虐殺は、捕虜を捕虜として扱わないという軍中央部の指示 や、捕虜を作るなという軍の命令によって行われたものであって、軍の正規 の命令系統の下で組織的に行われたものである。 次に、南京攻略は、日 本 軍による典型的な包囲殲滅戦であり、戦闘の帰趨は日本軍の完全な勝利に決定していたにもかかわらず、日本軍は、現場で投降を勧告 することもほとんどないままに、無力の敗残兵も追撃し、その大多数を殺害した。これは、戦闘行動の名に値しない一方的で非人道的な殺戮であった。同時に、 敗走する中国軍将兵とともに多数の中国人難民も日本軍の掃射の対象となった。また、南京占領時に「便衣兵」として連行され殺害された中国将校は、戦闘意識 を完全に消失し、武器と軍服を捨てて便衣を身につけて難民区に潜伏した者であるから、便衣兵狩りも正規の戦闘行為とはいえない。更に、日本軍による便衣兵 の認定は、極めて主観的なもので、多数の一般市民が「便衣兵」と誤認され処刑された。右の敗残兵殲滅及び「便衣兵」狩りは、南京城内掃蕩という任務として 軍の基本的組織も維持したまま行われたのである。 そのほか、南京城内に突入した日本軍が、各所で不必要な放火、大規模な略奪、強姦を繰り返した ばかりでなく、確たる理由もなく一般市民を虐殺しているこ とは、「ニューヨーク・タイムズ」紙南京特派員F・テイルマン・ダーディンの報道(甲第二四三号証)、エドガー・スノー著「アジアの戦争」、極東国際軍事 裁判の記録等から明らかである。もっとも、日本軍が組織的に一般市民を殺害せよとの命令を出したわけではないが、市民に対する殺害が起こったのは、敗残兵 狩りないし徴発という軍隊の単位としての行動中のことであり、軍幹部はこれを取締ることなく放置していたのであるから、日本軍の組織的行為であると考えて 差し支えない。 2 南京大虐殺が混乱の中の出来事ではないことについて 日本軍が南京を占領した昭和一二年一二月一三日には、中国軍の組 織的抵抗は、基本的には終わっていた。したがって、占領が混乱の中で行われることはな く、同月一七日の入城式も何の混乱もなく実施できた。それにもかかわらず、捕虜の虐殺、「便衣兵狩り」などの蛮行は、昭和一三年一月末まで続けられてい る。この事実は、南京での蛮行が「混乱の中」で起きたものではないことを示している。 以上のほか、藤原教授は、「証言による南京戦史(最終 回)」(「偕行)昭和六〇年三月号所収、甲第二五一号証)、「南京攻略戦『中国第十六師団長日 記』」(「増刊歴史と人物」所収、中央公論社、昭和五九年、甲第二三七号証)を日本軍の組織的犯行と判断される根拠として挙げるが、これらはいずれも、本 件検定以後に出版されたものであるから、昭和五五年度検定当時の学界の状況を構成するものとして考慮し得ない。 (2)これに対し、戦史研究家児 島襄は、昭和五五年度検定当時の南京事件に関する研究状況からみて、南京占領下の軍政として中国の軍人と民間人を殺害する という方針が確立し、これに基づいて軍の命令による殺害が組織的に行われたと断定することはできなかったと判断している。その見解の詳細と根拠は、以下の とおりである。 南京事件に直接関係する史料は非常に少なく、戦闘に関するもの以外としては、国民党の首都地方法院首席検察官陳光廣の報告書、南 京安全区国際委員会の記 録が中心であり、日本側のものとしては、戦闘詳報、戦陣日誌がある。 戦闘詳報の中には、「午後二時零分、聯隊長ヨリ左 ノ 命令ヲ受ク。左記 イ、旅団命令ニヨリ捕虜ハ全部殺スベシ。其ノ方法ハ十数名ヲ捕虜シ逐次銃殺シテハ 如何。」というものが残されているが、この戦闘詳報の部隊名は不明であり、記述の中にある旅団名もわからない。したがって、命令自体が、旅団の独断命令で あるのか、それとも、上級の師団、軍、方面軍からの下令であったのかも、判然としない。もっとも、第一三師団第一〇三旅団長山田少将が、師団司令部及び上 海派遣軍司令部に問い合わせて、「始末せよ」との指示を受けていることからすると、前記戦闘詳報が伝える捕虜刺殺の旅団命令も、更に上級司令部からの下令 であり、また、広範囲に下達されたものとみられる。しかし、実際に、その命令が確実に実行され組織的に行われたかについては、疑問があるし、具体的な命令 の内容が「殺せ」ということだったのか、それとも「処分せよ」という命令(「処分」には「釈放」も含む。)を「殺せ」と解釈して実行したのかは、資料が不 足していて不明である。 また、陳光廣の前記報告書は、被虐殺者総数を三九万一七八五人としているが、他方、南京安全区国際委員会の前記報告が記 録する日本軍の暴状は、ほとんど が強姦と略奪に関するものであり、昭一二年一二月一二日から同月一八日までの間に、委員会が耳にした日本軍によって殺された中国人の数は僅かであったとさ れ、陳光廣の報告書に適合するような記録は、南京安全区国際委員会の報告の中には見出することができない。 中支那方面軍司令官松井石根大将は、 昭和一二年一二月九日、南京攻略の下令につけ加えて友軍相撃、外国権益の損壊、掠奪、放火又は失火などの不祥事の発 生を防止するよう厳重な注意をしており、また、後に日本将兵の不祥事を聞知し泣いて将兵を叱責するとともに、遺憾の意を表明したのであり、捕虜殺害の命令 は右の注意等と矛盾するものであって、中支那方面軍司令官の命令があったとは考えられない。また、第十軍司令官柳川平助中将も、同年一一月一七日、婦女暴 行、金品強奪の犯行は,皇軍の威武をけがすものであるとして、「隷下将兵克ク自省自戒シ、軍紀厳正益々士気ヲ振起シ、各々其ノ任務ニ邁進スベシ」との訓示 を下達していることからも、同様に考えられる。 以上のとおり、昭和五五年度検定当時において、南京事件の正確な実態を客観的資料で明らかにする ことは困難であって、捕虜を虐殺するという方針が日本軍 において確定し、組織的に行われたと断定することはできなかった。 また、南京攻略に 至 る戦闘は、中国側の軍民合わせた強い戦意と抵抗に遭い、日本軍にとって苦戦の連続であり、当時の日本軍各部隊は、いずれも敵愾心と恐 怖心にをこわばらせれていた。他方、中国軍側は、南京を放棄して更に奥地で戦いを続けるが、南京でもできるだけ抵抗を続けることとする方針を採っており、 蒋介石に続き首都衛戊司令官唐生智が昭和一二年一二月一二日に首都放棄命令を発して南京から脱出すると、南京市内は無政府状態となり、中国軍は指揮命令系 統を失い、あるものは「便衣」に着替えたり、またあるものは武器を捨てて脱出しようとしたが、このような敗残兵や避難民の流出入に伴う騒乱状態などによっ て極度の混乱状態に陥った。このような混乱状態の中で、掃蕩戦の段階などで、一部の日本兵が民間人を殺害したことは事実であるが、昭和五五年度検定当時、 その実態が正確に把握されていたとはいい難く、日本軍が組織として民間人に襲い掛かったと断定する史料は存在しなかった。 更に、敗残兵による抵 抗が続いていたために、南京城内の安全確保のため、掃蕩戦も長期に及び徹底的に行わなければならなかったが、敗残兵及び便衣兵は、 投降兵と区別すべきで、決して無抵抗であったものではなく、むしろ戦意旺盛であったと記録されており、したがって、敗残兵及び便衣兵に対し全くの無抵抗の 状況で一方的に殺害行為が行われたものではない。 (3)昭和五五年度検定までの学界の状況についてみると、藤原教授は、極東国際軍事裁判におい て事件の全貌がはじめて明らかにされ、エドガー・スノー著 「アジアの戦争」、歴史学研究会「太平洋戦争史(昭和二九年)、洞富雄著「近代戦史の謎(昭和四二年)、家永三郎著「太平洋戦争」(岩波書店、昭和四三 年、甲第二四五号証の一)などの著作が南京事件に触れていたところ、本多勝一著「中国の旅」(朝日新聞社、昭和四七年、甲第二三一号証)、洞富雄著「南京 事件」(昭和四七年、後記「決定版南京大虐殺」に収載)、洞富雄編「日中戦争史料8南京事件1」「日中戦争史資料9 南京事件2」(河出書房新社、昭和四 八年)、洞富雄著「まぼろし化工作批判・南京大虐殺」(昭和五一年、後記「決定版南京大虐殺」に収載)などの著作により南京事件の研究が大きく進んだとし ている。他方、洞、本多らの研究に対し、否定的な見解を示すものとしては、鈴木明著「『南京大虐殺』のまぼろし」(文芸春秋社、昭和四八年)、山本七平著 「私の中の日本軍」(文芸春秋社、昭和五〇年)があった。 なお、藤原教授は、昭和五七年以降南京大虐殺に関する研究が急速に進んだとして、洞富 雄著「決定版南京大虐殺」(徳間書店、昭和五七年、甲第二四四号 証)、本多勝一著「南京への道」(「朝日ジャーナル」所収、昭和五九年、甲第二三二号証)、藤原彰著「南京大虐殺」(岩波書店、昭和六〇年、甲第二五〇号 証)、吉田裕著「天皇の軍隊と南京事件」(青木書店、昭和六一年、甲第二四六号証)、洞富雄著「南京大虐殺の証明」(朝日新聞社、昭和六一年、甲第二四七 号証)、秦郁彦著「南京事件ー『虐殺』の構造」(中央公論社、昭和六一年、甲第二四八号証)、洞富雄著ほか「南京事件を考える」(大月書店、昭和六二年、 甲第二四九号証)を挙げるが、これらはいずれも昭和五五年以降に出版されたものであるから、本件検定当時の学界を構成するものとしては考慮し得ないこと は、さきに(1)に判示したとおりである(但し、昭和五五年度検定当時に発表されていた論稿を収載した部分を除く。)。 (三)本件原稿記述が、 「日本軍は首都南京その他の主要都市や主要鉄道沿線などを占領し〔4〕、中国全土に戦線をひろげたが、」という記述の脚注〔4〕と して付されたものであることにかんがみれば、本件原稿記述が、南京占領直後に日本軍が組織的に中国軍民を殺害したように読める、との検定理由にも合理的根 拠があるといわざるを得ない。 他方、昭和五五年度検定当時の学界の状況をみると、前記(二)認定の事実にかんがみれば、当時、日本軍が軍の命令 によって組織的に中国軍捕虜や民間人を 虐殺したものであるとする見解も既に有力に主張されており、これに沿う史料も現われきていたということができ、右事実に照らせば、原告の本件記述には相当 の理由があるというべきである。したがって、このように相当の根拠をもってなされている原稿記述に対し。修正意見を付することについては、その妥当性につ いて批判の余地のあるところであろう。しかしながら、当時、中国軍民を殺害したことが、日本軍の組織的犯行であると断定することには慎重な見解も少なから ずあったこと(これら両説の優劣については、当裁判所のよく判断し得るところではない。)、文部大臣の検定意見も、日本兵によって残虐行為が行われたこと を否定するものではなく、それが日本軍の命令によって行われた組織的行為であった点について昭和五五年当時にあらわれた史料に基づいてはこのように断定す ることができないとする趣旨であったことにかんがみれば、文部大臣が検定基準の前記正確性(1)及び(3)の観点から修正意見を付したことをもって直ちに 合理的根拠を欠き社会通念上著しく不当なものであったとすることはできない。 (四)ところで、原告は、本件原稿記述は、昭和五一年の申請に係る 改訂検定(以下「昭和五一年度検定」という。)の際に問題とされることなく合格したもの であり、更に、昭和五八年度の改訂検定の際には「日本軍は……殺害し……」という同様の記述は、そのまま合格しているのであるから、本件検定意見は、一貫 性を欠く恣意的なものであり、検定権限を濫用するもので違法である旨主張する。 〈証拠〉によると、昭和五五年度検定(新規検定)における本件原 稿記述は、昭和五一年度検定(改訂検定)の際に新たに書き加えられた記述であるが、同検定 においては改善意見も付されることなく原稿記述がそのまま合格したにもかかわらず、昭和五五年度検定においては、さきに(一)に認定したとおりの理由によ る修正意見が付されたこと、昭和五八年度検定は、昭和五五年度検定の合格本の記述、すなわち、「日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京 を占領し、多数の中国軍民を殺害した。」との記述を、「日本軍の南京占領のさい、多数の中国軍民を殺害し、日本軍将兵のなかには中国婦人をはずかしめたり するものが少なくなかった。」との記述に書き換えようとしてした改訂申請についてのものであるが、昭和五八年度検定(改訂検定)においては、後記四 2(一)のとおり、右原稿本の記述のうち、「日本軍将兵の……少なくなかった」の箇所についてのみ修正意見が付され、「日本軍は、……殺害し」の記述には 何らの検定意見も付されず、結局、「日本軍は南京占領のさい、多数の中国軍民を殺害し、日本軍将兵のなかには暴行や略奪などをおこなうものが少なくなかっ た。」との記述が合格本として採用されたこと、右の三回の検定は、いずれも同一の教科書調査官の担当であったことが認められ、日本軍による中国軍民殺害の 記述につき、右各検定は、その対応において首尾一貫していないと受け取られる面のあることは否定できない。 しかしながら、本件原稿記述について の昭和五五年度検定は、右の他の二度の検定がいずれも改訂検定であるのに対し、新学習指導要領の施行を前提としたい わゆる新規検定であって、従来の教科書記述を根本的かつ全面的に見直したものに対してされたもので、より慎重にされるべき性質のものであり、したがって、 さきに第二、五2において判示したとおり、その審査の方法も、いわゆる白表紙本によって行われるもので、審査の公正が担保される仕組になっており、改訂検 定の場合と異なること、現に昭和五五年度検定の際には、昭和五一年度検定のときに比し、本件原稿記述に係る問題についての調査も一層進展していたこと、さ きに(三)において判示したとおり、本件修正意見は、その理由自体に合理性があること、昭和五八年度検定の原稿記述(その合格本の記述も同じ。)において は、日本軍による中国軍民の殺害は南京占領の「さい、」されたものであるとされているのに対して、本件原稿記述においては、それは南京占領「直後」にされ たものとなっていほか、前者においては、日本軍による中国軍民殺害の事実とともにそれ以外の事実の記載があるのに対して、後者においては、右殺害の事実の みが記載されていて、本件原稿記述は全体として、右殺害についての日本軍による組織行為的性格がより強調して印象付けられる体裁になっており、両者は必ず しも同一の記述とはいえないこと、さきに第一、三2(三)において判示したとおり、昭和五八年度検定に先立つ昭和五七年に、社会科の検定基準の必要条件と して、「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること。」との基準が新たに追加され、検 定制度を取り巻く事情に変化がみられたこと、昭和五八年度検定においては、前記第一、三2(三)のような事情の下で昭和五五年度検定の場合のように例えば 「混乱の中で」との語句の挿入を求めることが中国軍民の殺害を正当化するような誤解を生ずる虞もあったため、そのような意見を付することは止めたことの各 事実が認められ、これらの点を総合勘案すると、文部大臣が、昭和五一年度及び昭和五八年度の各検定の場合には検定意見を付さなかったにもかかわらず、本件 検定においては、右二度の検定の場合と同一かほぼ同一内容の本件原稿記述に対して修正意見を付したとしても、これをもって、直ちに、一貫性に欠ける恣意的 な行政行為として、裁量の範囲を超え又はこれを濫用した違法なものと断ずることはできない。 四 昭和五八年度検定における裁量権濫用の違法 1 朝鮮人民の反日抵抗に関する記述について (一)〈証拠〉によると、昭和五五年度検定済教科書の「一八九四(明治二七)年、朝鮮に東学党の乱が お こると両国は出兵したが、乱鎮定後の内政をめぐって 両国の関係はさらに悪化し、同年八月ついに日清戦争がはじまった。その翌年にわたる戦いで、日本軍の勝利がつづいた。」という記述を、「一八九四(明治二 七)年、ついに日清戦争がはじまった。その翌年にわたる戦いで、日本軍の勝利がつづいたため、戦場となった朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこってい る。」と書き換えようとする改訂検定申請に対し、文部大臣は、右記述のうち、「朝鮮では人民の反日抵抗がたびたびおこっている。」という箇所は何を指して いるのか明らかでない、もし、「反日抵抗」がいわゆる東学の乱の再挙について述べたものではないとするならば、著者のいう「反日抵抗」がたびたび起こった ということは、高度な学術的研究の成果に基づくものであるとしても、まだ学界に紹介されていない一説といわざるを得ないので、高校教師にとっても理解困難 であり、授業に利用し得る事柄ではないし、もし、右の「反日抵抗」が東学の乱の再挙について述べたものであるとするならば、いわゆる東学の乱の初発を記述 しないで再挙のみを記述するのは生徒に混乱を与える結果となるというものであり、検定基準に照らし、必要条件である第1〔教科書図書の内容とその扱い〕 3(選択・扱い)の「(1)本文、問題、資料などの選択及び扱いには、学習指導を進める上に支障を生ずるおそれのあるところなどの不適切なところはないこ と。」に欠けるとして修正意見を付したことは認められる。 なお、原告は、本件検定意見は、日清戦争の侵略戦争としての側面を教科書に反映させた くないとの意図から出たものであり、修正意見に従った修正を加えた ことにより、朝鮮人民が反日抵抗に立ち上がったという歴史的事実が歪められたと主張するが、検定意見が、朝鮮人民の反日抵抗の事実を否定する趣旨ではな く、また、朝鮮人民の反日抵抗についての記述の削除を求めるものではないことは、前掲甲第一七号証から明らかに認められ、右主張は失当である。 (二) 〈証拠〉を総合すると、次の事実を認めることができる。 (1)奈良女子大学教授中塚明は、その研究に基づき、「日清戦争の研究」(青木書店、昭 和 四三年、甲第一八五号証、乙第五五号証)を著したが、その中で、 「朝鮮人民は、このように日本軍にたいする非協力という消極的な抵抗を試みただけではない。さらに武器をとって積極的に日本軍に反抗した。甲午農民戦争の 秋の蜂起がそれである。……東学の指導者たちのあいだには、暴力を拒否し、武装蜂起に反対する者もあって、農民軍の再挙を妨げたが、しかし農民のあいだの 反日の気運はおさえられるものではなかった。一八九四年の秋にはいると、公然たる抗日武装闘争が各地にひろまり、伝統的に農民反乱の激化地帯であった慶 尚・全羅・忠清の三南地方はもとより、京畿・江原・黄海・平安の各道でも、日本軍があいついで朝鮮農民に襲撃されるという事態がおこった。そして日本軍は その鎮圧のため軍事行動を余儀なくさせられるようになった。「全★準を指揮者とする農民軍の主力は、公州を攻撃したが、日本軍のはげしい反撃にあって敗北 し、農民軍は混乱して各地に分散してしまった。しかし、もともとこの甲午農民戦争の秋の蜂起は、東学の教門によって統一的に指導されていたというよりも、 地域別に各地の指導者にひきいられておこったものであった。」「この甲午農民戦争の秋の蜂起(九月起包といわれる)は、明らかにこの年の春の農民蜂起をふ くめての、従来のそれとは性質を異にしていた。この年の春の蜂起は李朝末期の紊乱と封建的支配者の苛酷な搾取にたいする反乱であったのにたいし、この秋の 再蜂起は、明らかに日本の軍事的な侵略に反対することが主な動機となっていた。」とし、また、「万有百科大事典6」(小学館、昭和四九年、甲第一八八号 証)の「日清戦争」及び「東学党の乱」の項においても同旨を述べ、甲午農民戦争の秋の蜂起(第二次農民戦争)においては、従来東学党の乱の再挙と呼ばれて きた全★準の指導による蜂起以外に各地で起こされた農民らの反日抵抗が重要であったこと、甲午農民戦争の春の蜂起と秋の蜂起とではその性格を異にし、春の 蜂起が主に朝鮮の封建支配階級に向けられたものであったのに対し、秋の蜂起は、日本の侵略にする朝鮮人民の民族解放闘争という性格を有していたことを明ら かにした。 また、中塚教授は、朝鮮人民の反日抵抗を教科書に記述する教育的意義について、日清戦争を日本の近代化という側面からだけ教えるので はなく、それが一方 で朝鮮に対する侵略戦争であったことを教えることが必要であり、日清戦争をこのような歴史的位置付けのもとに考察しようとすれば、日本への従属の深まりに 対して朝鮮人民の動向がどうであったかを生徒に考えさせることが近隣諸国に対する国際的な理解を進める上でも重要であるとしている。 (2)中塚 教授の見解に対する学界の状況 前掲「日清戦争の研究」は、「日本史研究」第九九号(日本史研究会、昭和四三年、甲第一九四号証)において京都大 学 人文学研究所助手(現京都府立大学助 教授)井口和起から、「史林」第五一巻第四号(史学研究会、昭和四三年、甲第一九六号証)において現花園大学教授姜在彦からそれぞれ高い評価を受けてお り、朝鮮史研究会編「新朝鮮史入門」(龍渓書舎、昭和五六年、甲第一九三号証)、中村道雄外編「世界史のための文献案内」(山川出版社、昭和五七年、甲第 一九四号証)、「日本の歴史26 日清・日露付録『月報26』」(小学館、昭和五一年、甲第二〇一号証)においても、日清戦争に関する基本的文献の一つと して掲げられている。 また、上智大学教授藤村道生は、「日清戦争」(岩波書店、昭和四八年、甲第一九〇号証、乙第五七号証)において、姜教授 は、「甲午農民戦争」(岩波書 店、岩波講座「世界歴史22」所収、昭和四四年、甲第一八七号証)において、日清戦争及び甲午農民戦争の性格について、中塚教授と同様の見解を明らかにし ている。 更に、都留文科大学講師(現熊本商科大学教授)朴宗根は、その後、日清戦争中の朝鮮人民の動向を詳細に研究し、「日清戦争と朝鮮」(青 木書店、昭和五七 年一二月、甲第一八六号証、乙第六九号証)を著したが、同書において、日清戦争開始後の朝鮮人民の反日抵抗を大別して、第二次農民戦争以前の散発的な抵抗 運動ないしは義兵運動、第二次農民戦争、第二次農民戦争後の反日抵抗のそれぞれに分け、第二次農民戦争(甲午農民戦争の秋の蜂起)以外にも多様な反日抵抗 が存在したことを明らかにしている。右の「日清戦争と朝鮮」は、「日本史研究」第二五一号(日本史研究会、昭和五八年七月、甲第一九七号証)に中塚教授か ら高い評価を受けている(なお、同書は、その後、「専修人文論集」第三二号(専修大学学会、昭和五九年、甲第一九八号証)において専修大学教授矢澤康祐か ら、「歴史評論」第四一〇号(昭和五九年、甲第一九九号証)において趙景達からそれぞれ高い評価を受けたが、いずれも本件検定後のものであるから、考慮し 得ない。)。もっとも、朴教授自身、右「日清戦争と朝鮮」において「この九四、九五年の反日蜂起のなかで、従来は全★準らの第二次農民戦争を高く評価する あまりに、京釜、京義路と、江原道、普州、左水営地方の蜂起がなおざりにされてきたきらいがある(史料的制約にもよるが)。全★準らの闘争を高く評価する ことについて異論はないが、私は、それ以外の広範な地域における多様な形態で展開された蜂起を見なおす必要があると考えている。」と述べ、第二次農民戦争 (甲午農民戦争の秋の蜂起)が反日抵抗の中心であることを指摘するとともに、その以外の反日抵抗については昭和五七年頃の学界においても研究が十分でな かったことを指摘している。 ところで、甲午農民戦争は、東学教徒ではない貧民たちがむしろ主力となっており、単なる宗教的な反乱ではなく、反封 建的・反侵略的民族的性格を持つもの であるから、「東学党の乱」という呼称自体適切ではないし、また、全★準を指導者とする蜂起を東学党の乱と呼ぶとしても、甲午農民戦争の秋の蜂起(第二次 農民戦争)には、従来東学党の乱の再挙と呼ばれた全★準の指導者とする蜂起以外に各地での農民らの反日抵抗があったこと、これらを含めて東学党の乱の再挙 と総称するときは、これを単なる宗教戦争と誤解させ、日本の侵略に対する朝鮮人民の民族解放闘争という秋の蜂起の性格を見失わせる可能性もあることから、 「東学党の乱」の再挙と「甲午農民戦争」の秋の蜂起(第二次農民戦争)とは区別すべきであるというのが中塚教授の見解である。しかしながら、昭和五八年度 検定当時において、「甲午農民戦争」と「東学党の乱」を厳密に区別する見解が一般的であったということはできず、両者を区別せずに「東学党の乱」と表記さ れることも少なくなかった。すなわち、中塚教授自身、前掲「万有百科大事典6」において、「甲午農民戦争(東学党の乱)」と記述し、この点につき、「いき なり甲午農民戦争と書いても一般の読者が分らないということを慮ってこういう表記をした」と証言しているし、従来、日本では一般的に「東学党の乱」という 呼称が用いられてきたとしている。また、姜教授も、前掲「甲午農民戦争」おいて「従来日本では、この農民戦争を『東学の乱』または『東学匪乱』と呼びなら わされてきており、今もおおくの場合それが踏襲されてきている。」としている。藤村教授も、「日本外交史辞典」(外務省外交史料館、昭和五四年、乙第六一 号証)の「日清戦争」の項において、「民間宗教の一派東学は、地域的に分散した農民の不満を結合し、九四年春、朝鮮南部を中心に大規模な反乱を起こした (東学党の乱または甲午農民戦争)。」として両者を必ずしも区別しない記述をしている。更に、原告も、昭和五五年度検定申請の教科用図書原稿本においては 「東学党の乱」について記載し、これと区別された農民戦争について記載をしていない。 (3)元皇学館大学教授坂本夏男は、その証言において、東 学党の乱の初発と再挙との間には、清国及び日本の兵を退去させることを前提に全州和約が締結さ れ、また、農繁期に入って農民軍が帰郷したため、両者の間に三、四か月の空白があるが、東学党の乱の再挙は、初発において東学の組織を利用して農民軍が組 織化されていたことが重要な要因となっており、再挙も初発と同様に東学道徒である全★準に指導された農民軍が主力となった点に変わりはなく、再挙は初発な くして全く別個に起こったものではないので、両者は蜂起の対象を異にするものの、その性格は一貫性を有すると考えられるとしている。したがって、教科書の 記述として、東学党の乱の初発は、日清戦争の契機となった事件でもあり、再挙を記述するならば初発を記述せざるを得ないとしている (4)山辺健 太郎著「日韓併合小史」(岩波書店、昭和四一年、乙第五六号証)、松下芳男著「近代の戦争1日清戦争」(人物往来社、昭和四一年、乙第六六号 証)、梶村秀樹著「甲午農民戦争と『甲午改革』」(勁草書房、渡部学編「朝鮮近代史」所収、昭和四三年、乙第六七号証)、姜在彦著「甲午農民戦争」(岩波 書店、岩波講座「世界歴史22」所収、昭和四四年、乙第六八号証)、藤村道生著「日清戦争」(岩波書店、昭和四八年、乙第五七号証)、宇野俊一著「日本の 歴史26日清・日露」(小学館、昭和五一年、乙第五九号証)の記述をみると、いずれも甲午農民戦争又は東学党の乱の初発と再挙について書かれており、再挙 についてのみ記述されているものはない。また、隈谷三喜男著「日本の歴史22大日本帝国の試煉」(中央公論社、昭和四一年、乙第五八号証)には初発の記述 はあるが再挙の記述はない。 なお、本件検定のあった昭和五八年度及びその前年度の検定で合格した高校日本史教科書は、一五冊であるが、その中で 初発に触れずに再挙のみについて記述 する教科書はなく、初発と再挙を取り上げた一冊(三省堂「高校日本史改訂版」ー乙第六三号証)及び本件教科書を除き、その余の教科書は、甲午農民戦争又は 東学党の乱の初発のみについて記述している。 (三)そこで、本件検定意見が合理的根拠を有するものといえるか否かについて検討する。 な るほど、さきに(二)(1)及び(2)において認定した中塚教授の見解及びこれに対する学界の状況(特に朴教授の著作)を前提とすれば、本件原稿記述 が、東学党の乱の再挙を含むいわゆる甲午農民戦争の秋の蜂起(第二次農民戦争)のみならず、その前後に起きた組織的・散発的なあらゆる形態での朝鮮人民に よる日本軍に対する総ての抵抗を指すものであることが理解できるといえよう。しかしながら、右の記述の前後に文脈のみから考えると、高校生にとって右記述 における「反日抵抗」が何を指し示すものか客観的に明らかでないとする検定理由にも根拠がないということはできない。 また、中塚教授の説くよう に、とりわけ甲午農民戦争の秋の蜂起が主に朝鮮の封建支配階級に向けられていたのに対し、秋の蜂起が日本の侵略に反対する民族 解放闘争の性格を著しく強めていたという史実にかんがみ、日本の朝鮮に対する従属化政策を実現しようとした日清戦争の歴史的位置付けをより正確に理解させ ようとする教育的配慮に照らせば、朝鮮の内政問題であり、単なる宗教戦争にすぎないとの誤解を生み易い「東学党の乱」の記述を削り、その代わりに中塚教授 らの最新の研究に基づき日清戦争中に侵略してきた日本軍に対して朝鮮人民が各地で抵抗した事実を端的に記述した本件原稿記述にはそれ相当の学問的根拠と教 育的配慮があるというべきである。したがって、このように相当の根拠をもってなされている本件原稿記述に対し修正意見を付することについてはその妥当性に ついて批判の余地のあるところであろう。 しかしながら,他方、本件原稿記述にいう「反日抵抗」も、東学党の乱の再挙を含む甲午農民戦争の秋の蜂 起(第二次農民戦争)を中心とするものであるこ と、それ以外の反日抵抗については昭和五八年度検定当時の学界でも研究が十分でなかったこと(朴教授の前記論文も、発表直後でいまだその評価が定っていた とはいい難い。)、甲午農民戦争と東学党の乱を峻別する考えが学界において完全に一般化してきたとまではいえず、「甲午農民戦争」を「東学党の乱」と表記 するものも相当あったことに照らすと、本件原稿記述の「人民の反日抵抗」を「東学党の乱」の再挙を指すものと理解することが合理的根拠を欠くとすることは できず、また、さきに(二)(4)において認定したとおり、本件検定のあった昭和五八年度及びその前年度の検定で合格した高校日本史教科書にあっては、そ の大多数が、甲午農民戦争あるいは東学党の乱の初発のみについて記述していること、一般概説書でも同様であることに、さきに(二)(3)において認定した 坂本教授の見解を合わせ考えれば、本件原稿記述について東学党の乱の初発を記述しないで再挙のみを記述することは、生徒にとって日清戦争を巡る日本と朝鮮 の基本的情勢や戦争の歴史的経過についての理解を困難にするだけでなく誤解を生じさせる虞があって、教科書の記述としては不適切である、として検定理由が 合理的根拠を欠くということはできず、したがって、文部大臣が検定基準の前記(選択・扱い)の観点から修正意見を付したことをもって、社会通念上著しく妥 当性を欠くものとすることはできない。 2 日本軍の残虐行為に関する記述について (一)〈証拠〉によると、昭和五五年度検定済教科書 の「日本軍は、中国軍のはげしい抗戦を撃破しつつ激昂裏に南京を占領し、多数の中国軍民を殺害した。」 との脚注の記述を、「日本軍は南京占領のさい、多数の中国軍民を殺害し、日本軍将兵のなかには中国婦人をはずかしめたりするものが少なくなかった。」と書 き換えようとする改訂検定申請及び同教科書の他の箇所の脚注に「このために、日本軍はいたるところで住民を殺害したり、村落を焼きはらったり、婦人をはず かしめるものなど、中国人の生命・貞操・財産などにはかりしれないほど多大の損害をあたえた。」という記述を挿入しようとする改訂検定申請に対し、文部大 臣は、「中国婦人をはじかしめたりするものが少なくなかった」あるいは「婦人をはずかしめるもの」という記述については、このような事実があったことは認 められるけれども、このような出来事は人類の歴史上、どの時代のどの戦場にも起ったことであり、原告もその著書「大平洋戦争」において「古代以来の世界的 共通慣行例から日本軍もまたもれるものではなかった。」とする認識をもっているようであるから、特に日本軍の場合だけこれを取上げるのは選択と扱いの上で 問願があり、本件原稿記述は、検定基準に照らし、必要条件である第1〔教科用図書の内容とその扱い〕3(選択・扱い)の「(2)学習指導を進める上に必要 なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。」及び「(4)全体の扱いは調和がとれており、特定の事項を特別 に強調し過ぎているところはないこと。」に欠けるものとして、修正意見を付したことが認められる。 (二)〈証拠〉を総合すると、次の事実を認め ることができる。 (1)一橋大学教授藤原彰は、一五年戦争期とりわけ南京事件を含む日中戦争期の日本軍は、日清・日露戦争期の日本軍と比較して も、また、当時の他国の軍隊 と比較しても、強姦の常態化という点で、きわだった特徴を有していたとし、その史料として、「支那事変地ヨリ帰還ノ軍隊・軍人ノ状況」(河出書房新社、洞 富雄編「日中戦争史資料8 南京事件1」所載、甲第二五二号証)、稲葉正夫編「岡村寧次大将資料(上)」(原書房、昭和四五年、甲第二五三号証)を挙げ、 また、日本軍に特有の従軍慰安婦の存在自体が、一五年戦争期の日本軍にとりわけ多くの強姦事件が発生したことを間接的に示しているとする。 そし て、愛知大学教授江口圭一も同旨の見解を有している。 また、原告は、軍が積極的にも消極的にも日本兵に強姦を許容して士気を鼓舞したとし、その 史 料として、「小川平吉関係文書1」みすず書房、昭和四八年、 甲第二六〇号証)、「極東国際軍事裁判判決」(河出書房新社、洞富雄編「日中戦争史資料8南京事件1」所載、甲第二六一号証)、松本重治著「上海時代 (下)」(中央公論社、昭和五〇年、甲第三九〇号証)、「地のさざめごと旧制静岡高等学校戦没者遺稿集」(講談社、昭和四三年、甲第三九一号証)、田村泰 次郎著「蝗」(新潮社、昭和四〇年、甲第三九二号証の一)を挙げている。 なお、藤原教授は、秦郁彦著「南京事件」(中央公論社、昭和六一年、甲 第二四八号証) に、「略奪、強姦を餌に兵を進撃させた往年の蒙古軍を思わせるが、見方によっては、昭和の日本軍は一段と悪質だった。建前では、 強 姦が発覚すると処罰され ることになっていたので、証拠滅失のため、ついでに殺害、放火してしまう例が多かったからである。」とあることを根拠の一つとして挙げるが、同書は、発行 時期に照らし、昭和五八年度の学界を構成するものとしては考慮し得ない。 更に、藤原教授は、日本軍の強姦行為について教科書に記述することの教 育的意義として次の二点を挙げている。第一に、日本軍による強姦行為は、中国戦線 における日本の戦争犯罪の重要な一環をなしていたばかりでなく、現在に至るまで中国側に深い傷痕を残しているという深刻な現実に対する配慮の問題であると する。第二に、強姦問題は、日本の中国に対する侵略戦争であったという一五年戦争の本質や日本軍の性格・体質を理解する上で重要な素材を提供しているとす る。すなわち、一五年戦争が大義名分を持たず、明確な目的を欠くものであったため、駆り出された兵士には自暴自棄的な雰囲気がひろがり、強姦等の非人間的 な蛮行を生み出す土壌があったのであり、また、日本軍は、兵士の自発性を徹底的に封殺する抑圧的管理制度をとり、兵士に対し非人間的処遇を行っていたこと から兵士たちには軍隊に対する不満がうっ積したが、軍幹部は日本兵による中国民衆に対する強姦等の非行を黙認することによって軍隊内の秩序の維持を図ろう としたのであるとしている。 (2)他方、原告は、「太平洋戦争」(岩波書店、昭和四三年、甲第二四五号証の一)において、南京事件についての記 述に関し、日本兵の残虐行為の責任が軍 幹部にあることを述べる文脈中で、「軍の平素からのあり方が戦時かような残虐性を発揮する必然性を内在させていたこと、たとい形式的な『上官の制止』が あったとしても、軍隊において兵卒の『反抗力を麻痺させる手段として、性に関する政策に寛大であったり、なんらかの機会に過度の性的燥宴を許したりする』 古代以来の世界的共通慣行例から日本軍もまたもれるものでなかったのは『慰安所』公設の事実に徴し明白であること等から考え、南京その他作戦地での残虐行 為(特に性関係の)について最大の責任が軍幹部にあるのを否定するわけにいかない。」と述べており、「反抗力を麻痺させる手段として、性に関する政策に寛 大であったり、なんらかの機会に過度の性的燥宴を許したりする」のが広く世界に見られる軍隊固有の本性であるとしている。また、藤原教授も、その意見書 (甲第二三八号証)において、一般社会から隔離された閉鎖的な集団である軍隊の成員が、特に戦地において強姦等の非行に走る傾向があるのは、一般論として は否定することができないとしている。 更に、児島襄は、その証言において、戦争という特異な状況の下での婦人凌辱の事例の実態に関して 正確に把握し得る資料は、ほとんど存在せず、その正確な 実態というものは把握できず、したがって、他の戦争の事例と比較して日中戦争における強姦が特に多かったと断定的に論ずることは非常に難しいと考えざるを 得ないとする。前掲「支那事変地ヨリ帰還ノ軍隊・軍人ノ状況」においては、いくつかの強姦の事例が挙げられているものの、他方「一般ニ士気旺盛ニシテ、軍 紀・風紀ハ概ネ厳粛ニ保持セラレアル」とも記されている。 (三)そこで、検定意見が合理的根拠を持つものであるかどうか否かについて検討する。 南 京事件を含む一五年戦争の中で日本兵による中国婦人の強姦ないし凌辱の事例があったことは、被告においても認めるところであるし、さきに(二)(1) において認定したとおり、一五年戦争期の日本軍の強姦行為がきわだった特徴を有していたとし、日本軍の強姦行為について教科書に記述することに相当な教育 的意義があるとする見解が有力に主張されていることにかんがみれば、住民殺害、村落への放火、強姦と併記する原稿記述に対し、文部大臣がその中で特に強姦 のみの削除を求める修正意見を付したことについて、これを積極的に肯認し得る事由を見出すことは困難といわざるを得ない。しかしながら、他方、前記(二) (2)において判示したとおり、一五年戦争期の日本軍の強姦行為をもってきわだって特徴的とすることに慎重な見解もあること(双方の見解の優劣は、当裁判 所のよく判断し得るところではない。)及びその他前記(二)(2)摘示の点にかんがみれば、日本軍の強姦行為を記述することが特定の事項を特別に強調する ことになるという趣旨の検定意見が合理的根拠を欠くものであるとは断じ得ず、文部大臣が検定基準の前記(選択・扱い)の観点から修正意見を付したことを もって、社会通念上著しく不当であったとまではいうことはできない。 3 七三一部隊に関する記述について (一)〈証拠〉によると、昭和 五五年度検定合格済教科書の脚注に「またハルビン郊外に七三一部隊と称する細菌戦部隊を設け、数千人の中国人を主とする外国 人を捕らえて生体実験を加えて殺すような残虐な作業をソ連の開戦にいたるまで数年にわたってつづけた。」との記述を挿入しようとする改訂検定申請に対し、 文部大臣は、いわゆる七三一部隊については、学界の現状は史料収集の段階であって、専門的学術研究が発表されるまでに至っていないので、これを教科書に取 り上げることは時機尚早であるとして、検定基準に照らし、必要条件である第1〔教科用図書の内容とその扱い〕3(選択・扱い)の「(2)学習指導を進める 上に必要なさし絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。」に欠けるとして、修正意見を付したことが認められる。 な お、検定意見が、右七三一部隊の存在や日本軍による生体実験の事実を否定する趣旨ではなく、七三一部隊に関する事実を教科書に記述する教育的意義を否 定する趣旨でもないことは、前掲甲第一七号証、証人時野谷滋の証言によって認められる。 (二)〈証拠〉によると、次の事実が認められる。 (1) 昭和五八年度検定当時までに公刊された七三一部隊に関する文献、資料は、愛知大学教授江口圭一の挙げるところによれば、従前公刊されたものの復刻版 二点及び改訂版を含め三六点の多きに及んでいる。中でも昭和五六年から昭和五八年にかけて作家森村誠一が発表した「悪魔の飽食」全三巻(一巻及び二巻は光 文社ー後に角川書店、三巻は角川書店、甲第二五六ないし第二五八号証、乙第一〇八、第一〇九、第一一一号証)は、1旧七三一部隊員の証言、2旧七三一部隊 幹部に対する尋問調書を含むアメリカ軍の資料、3ハバロフスク軍事裁判記録、4旧七三一部隊幹部による医学学術論文、5中国における取材などを総合的に検 討して七三一部隊の実態を詳細に描いたもので、大きな反響を呼び、特にこれ以後七三一部隊は世人の注目を集めるに至った。その他、七三一部隊については、 新聞、テレビ等でも数多く報道されている。 また、七三一部隊の存在につき、昭和五八年度検定当時発表されていた学術書としては、原告著「太平洋 戦争」(岩波書店、昭和四三年、甲第二四五号証の 一)、長崎大学助教授(現教授)常石敬一著「消えた細菌戦部隊ー関東軍第七三一部隊ー」(海鳴社、昭和五六年、甲第二七三号証)、右常石敬一助教授及び ジャーナリストの朝野富三の共著「細菌戦部隊と自決した二人の医学者」(新潮社、昭和五七年、甲第二五五号証資料一の二)があり、外国での文献としては、 ジョン・パウエルの「歴史の隠された一章」と題する論文(「悪魔の飽食ノート」収載、甲第二五五号証資料一の三)がある。右の「消えた細菌戦部隊」は、ハ バロフスク軍事裁判記録を基本とし、日本の医学、軍医学関係文献その他を探索して、七三一部隊の全体像を描いたもので、江口教授によると、同書は、七三一 部隊において生体解剖がなされていたことを自然科学史研究者の立場から論証した点に特色があるとされる。 江口教授は、現代史については、専門的 研究者は限られており、専門的研究者以外の作家、ジャーナリスト又は一般人によって現代史研究・叙述の優れた作品 が数多く生み出されていること、現代史上の諸事件・史実については、その細部に至るまでの全容が完全に解明されているというケースは例外であること、実際 に教科書では必ずしも学問的に究明されていない事件でも記述されていることから、専門的学術研究が発表されていないとしても、教科書に七三一部隊を記述す ることはなんら差し支えないというべきところ、七三一部隊についての本件原稿記述の内容は、前掲「太平洋戦争」で既に確認されており、昭和五八年度検定当 時の学界では、右のような文献ないし資料、特に前掲の「悪魔の飽食」及び「消えた細菌戦部隊」によって更に具体的に解明されていたとする。森村も、「悪魔 の飽食ノート」(晩聲社、昭和五七年、甲第二六四号証、乙第一一〇号証)において、「ハルピン市南方二〇キロの荒野の一角に本拠を定めた七三一本部には多 数のマルタがハルピン憲兵隊本部や同特務機関によって絶えず供給され、二日に三体のハイペースで細菌実験、毒ガス実験の生体材料となって殺された。実験の 中には、冷水を浴びせた身体を零下三五度を超す極寒の大気に晒す『凍傷実験』や、ペストの生菌を注射し、発病から死に至るまで克明に記録する実験等があ」 り(「マルタ」とは、生体実験の対象とされた捕虜を指している。)、このことは既刊の刊行物によって判明していたとし、同様の見解を明らかにしている。 (2) 他方、拓殖大学教授秦郁彦は、七三一部隊に関する前記著作及びその資・史料とされた文献について次のとおりの見解を有している。 1 資料的価値 が 高いと思われる旧日本軍自体における公式の資料は、終戦時に滅失されたといわれており、いまだに発見されていない。 2 前掲「悪魔の飽食」及 び 「消えた細菌戦部隊」の基礎資料とされた「細菌戦用兵器ノ準備及ビ使用ノ廉デ起訴サレタ元日本軍軍人ノ事件ニ関スル公判書 類」(外国語図書出版所、昭和二五年、乙第一一八号証ー甲第二六七号証はその復刻版)には、ハバロフスクにおいて行われた七三一部隊関係者の軍事裁判の尋 問調書、起訴理由書、公判記録、判決文などが収録されているが、この書物は、非公開裁判の記録の一部とされるものであるうえ、これには、通常この種のもの に付されている奥付・序文がないため、訳者、日本での出版社、発行年など書物の来歴を窺うことができず、また、モスクワで印刷されたものがどうして当時ア メリカの占領下にあった日本で発行されたのかなどの点で史料としての疑問が多く、原本に当たり検証することもできない同書を学術的に利用するには慎重な検 討が必要である(なお、右公判書類については、森村も、前掲「悪魔の飽食ノート」において、「ハバロフスク軍事裁判記録はあくまで勝者が敗者を裁いたド キュメントであり、さらに供述証言に応じた元隊員たちの複雑なおもわくもからんで、七三一の本質をうかがわせるものではあっても同部隊の正確な全容を示す ものではない。」としている。)。 3 前掲「悪魔の飽食」の基礎資料の一つとされている旧七三一部隊幹部に対する尋問をまとめたアメリカ軍によ る調査記録は、その史料価値は高いと考えられ るものの、当時占領下という状況で米軍が尋問した結果であるから、その任意性、信ぴょう性、供述された範囲(生体実験等重要部分を欠く。)等に疑問があ り、慎重に扱うことが必要であるところ、これらは、昭和五六、七年ころに初めてアメリカ合衆国で研究者が一般に利用できるような状態に立ち至ったのであ り、昭和五八年度検定以前には、我が国では、同記録のごく一部分が紹介されていたにすぎず、いまだ十分な史料批判が行われていたということはできない。 4 前掲「悪魔の飽食」における旧七三一部隊員の証言に基づく部分は、内容が主に医学にかかわる問題であるのに、元隊員の中でも医師でない下級隊員(その ほとんどが匿名)の証言がほとんどで、医師が中心となる上級隊員の証言が全く欠けている点、文書的裏付けに欠ける点(なお、生体解剖の現場写真は偽写真で あった。)等で、信頼性に問題があって、無条件にこれを利用することは危険である。また、他に、関係者の証言を収録した文献、資料が多数あるものの、いず れも下級隊員の手記であったり、あるいはジャーナリストが伝文や風評をまとめたりしたものであって、史料の信用性を十分検討した学術的研究書として発表し たものではない。 そして、歴史叙述については、史料を厳密に考証した上、必ずその裏付けを採って行われることが要請されるところ、前掲「太平洋 戦争」は、前掲ハバロフス ク軍事裁判記録を基本とし、他には史料として問題のある非学術的雑誌記事に基づいて叙述したにとどまるし、常石助教授の著作も、学術的研究書に付されるの が通例である注が付されていないという点で形式が不十分であり、当該記述がいかなる文献資料に基づいたものであるかを第三者において照合可能なものとなっ ていないうえ、重要な箇所に全くの推測に基づく所があるなど問題があるので、結局、昭和五八年度検定当時には、右要請に応えた専門的学術研究が発表される に至っていなかった、といわざるをえず、いわゆるフエル・レポート(石井部隊長らが生体実験を行ったことを認めたといわれるアメリカ軍史料)が発見されて いない昭和五八年度検定当時においては、七三一部隊に関する研究はいまだ不十分であって、教科書に記述し得るほど、学術的研究としてはまとまっていなかっ たというべきである。 なお、森村も、前掲「悪魔の飽食ノート」において、前掲「悪魔の飽食」出版までは、七三一部隊関係の本もあったが、信頼す べきものは二点しかない旨述 べ、また、「七三一のシステムや個々の実験の具体的内容と種類、およびその担当責任者名、実験諸設備、細菌工場の実態、さらにマルタ供給のルートとその収 監設備、実験の犠牲者が『三〇〇〇人以上』とされる根拠等については、これまでどのような文献資料も明らかにしていなかった。」とし、「七三一の全体像は 先人の諸労作にもかかわらず、依然として曖昧糊たる霧のかなたに烟っていた」と記している。 (三)そこで、本件検定意見が合理的根拠を有するも のといえるか否かについて検討する。 右に認定したとおり、昭和五八年度検定当時、史料として問題がなくはなかったにせよ、いわゆる七三一部隊に 関 しては既に数多くの文献・資料が公刊されて いたこと、中でも前掲「悪魔の飽食」、「消えた細菌戦部隊」を高く評価し、昭和五八年度検定当時の日本近・現代史の学界においては、七三一部隊に関し本件 原稿記述に表現された程度の事実はすでに十分確認されていたとする見解があること等に照らせば、本件原稿記述程度の七三一部隊に関する記述についてその削 除を求める修正意見を付すことが果たして当を得たものといえるかは、問題とする余地のあるところであろう。しかしながら、他方、当時の学界においては、七 三一部隊に関する学術的研究はいまだ不十分であったとして高等学校の教科書においてこの点についての事実を記述することに慎重であるべきものとする見解も あること(これら双方の学問的見解の優劣については、当裁判所の判断し得るところではない。)にかんがみれば、七三一部隊を教科書に取り上げることは時機 尚早であるとする検定理由が合理的根拠を欠くということはできず、文部大臣が検定基準の前記(選択・扱い)の観点から修正意見を付したことをもって、社会 通念上著しく妥当性を欠くものと断ずることはできない。 4 沖縄戦に関する記述について (一)〈証拠〉によると、昭和五五年度検定済教 科書の「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火のなかで非業の死に追いやられ た。」との脚注の記述を「沖縄県は地上戦の戦場となり、約一六万もの多数の県民老若男女が戦火の中で非業の死をとげたが、その中には日本軍のために殺され た人も少なくなかった。」との記述に書き換えようとする改訂検定申請に対し、文部大臣は、沖縄戦における沖縄県民の犠牲については、沖縄戦の記述の一環と して、県民が犠牲になったことの全貌が客観的に理解できるようにするため、最も多くの犠牲者を生じさせた「集団自決」のことを書き加える必要があり、右申 請に係る本件原稿記述は、検定基準に照らし、必要条件である[教科用図書の内容とその扱い]3(選択・扱い)の「(2)学習指導を進める上に必要なさし 絵、写真、注、地図、図、表などが選ばれており、これらに不適切なものはないこと。」及び「(4)全体の扱いは調和がとれており、特定の事項を特別に強調 し過ぎているところはないこと。」に欠けるとして、修正意見を付したことが認められる。 (二)〈証拠〉を総合すると、沖縄戦に関する昭和五八年 度検定当時の学界の状況について、次の事実を認めることができる。 (1)沖縄戦の特徴について 沖縄戦は、住民を全面的に巻き込んだ戦闘 で あって、軍人の犠牲を上回る多大の住民犠牲を出したこと、また、住民犠牲の中でも、日本軍によって殺害された 人が少なくなかったこと、更に、各地で住民の集団自決が発生したことが、沖縄戦の大きな特徴であるとされている。この点について、沖縄戦の体験者であり広 報学専攻の琉球大学教授大田昌秀は、「総史沖縄戦」(岩波書店、昭和五七年、甲第二八七号証、乙第一二三号証)において、「守備軍は、住民の守護神たりえ なかったのみではない。直接間接に軍との共死を強要し、あまっさえ数百人(一〇〇〇人を越すともいわれる)にのぼる住民にスパイの汚名を着せて殺害までし た。」とし、沖縄戦における日本軍による住民殺害は、軍隊が一般民衆を守るものではないという教訓を生み出す事実であるとしている。「沖縄★史」第8巻各 論編7(琉球政府、昭和四六年、乙第一三八号証)も、沖縄戦通史第三章「戦場下の沖縄県民」の中で第七節として「スパイ嫌疑と残虐」という項目を立てて、 各地における日本軍の住民に対するスパイ嫌疑と惨殺の事例を記述しているほか、歴史学研究会編「太平洋戦争史5」(青木書店、昭和四八年、乙第一三九号 証)も、「沖縄県民の悲劇は敵軍である米軍の残虐行為にとどまらず、『友軍』である日本軍の残虐行為にも苦しめられたことにある。」として、これを裏付け ている。 また、大田教授は、集団自決について、前掲「総史沖縄戦」の中で、「沖縄戦のいま一つの特徴は、各地で住民の〈集団自決〉が発生したこ とである。」「慶 良間列島中の渡嘉敷、座間味、慶留間の島々で地元住民が集団自決を決行したことである。しかも、自決の方法は〈むごい〉というよりない、文字どおり、目を 覆わしめるものがあった。老いた夫妻や親子、兄弟が草刈り鎌や鍬、あるいは手榴弾などでお互いに殺しあったり、みんなで手を取り合って〈猫いらず〉をあお るなどして一せいに死んでしまったからである。守備隊長が『命令した』とか『いや、命令はしていない』といったぐあいに、集団自決の全容については、今も 真相は不明のままである。だが、多数の住民が集団自決をした事実は、否定しようもない。」「狭小な島嶼における戦闘は、遅かれ早かれ,避けようもなく住民 に物心両面で甚大な犠牲を強いる結果となることは十分予測できる。その意味では、慶良間列島の戦闘は、その後につづく沖縄戦における軍・民〈玉砕〉の態様 をあらゆる面で象徴的に示したものといえる。」と述べて、この点を明らかにしている。 (2)日本軍による住民加害について 沖縄戦の一大 特徴とみられる住民殺害を含む日本軍による多数の住民加害が発生した原因については、日本軍の地元住民に対する過度の不信感にあるとされて おり、このことは、昭和二〇年四月九日に発せられ、同年五月五日に長勇参謀長名で公布された「爾今軍人軍属ヲ問ハス標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。沖縄語ヲ以テ 談話シアル者ハ間謀トミナシ処分ス」との沖縄守備軍司令部の命令や「島嶼作戦においては、原住民に気を許してはならぬ。原住民は敵が上陸してきたとき敵を 誘導し、スパイ行為をするからである」との日本軍部隊の訓令などからも窺われるとおり、日本軍が沖縄県民をスパイ視していた事実によっても明らかであると されている。 日本軍による住民加害の事実を、国作成に係る公的文献を中心にみると、次のとおりである。 1 日本軍による住民虐殺 「沖 縄作戦講話録」(陸上自衛隊幹部学校、昭和三六年、甲第三一一号証、乙第一三七号証、以下「講話録」という。)所掲の厚生省調査では、死没者として 「友軍よりの射殺」の事実が、「沖縄作戦における沖縄島民の行動に関する史実資料」(陸上自衛隊幹部学校、昭和三五年、甲第三三二号証、以下「史実資料」 という。)では、戦闘協力者として「正当な理由なく、友軍敗残兵に殺害されたもの」のあることがそれぞれ挙げられている。 元大本営船舶参謀で あった厚生省引揚援護局勤務の事務官馬淵新治は、講話録において、「軍側特に下級幹部において、戦勢の不利に赴くに従い、各地で住民 のスパイ嫌疑による斬殺が各所に散見され、戦後の今も語りつがれている」、「友軍による殺害は既述したスパイ嫌疑によるものゝ外、首里戦線崩壊後島尻地区 に於て住民が避難中の自然壕に侵入して来た四散部隊が、泣き叫ぶ幼児が敵に発見される動機となるとしてこれを殺害し、或いはその母親が強要されて我が子を 扼殺した事例があります。特に敵が全く上陸しなかった久米島(沖縄本島を距る約五〇浬の海上にある。)に於て海軍守備隊長が軍に非協力であり、且つスパイ の嫌疑があるとして住民を殺害したことは今も虐殺行為の典型として語り続けられている」と述べ、また、史実資料において、「敵上陸以後、所謂『スパイ』嫌 疑で処刑された住民についての例は十指に余る事例を聞いているが、目下調査したところによると、在来から沖縄に居住していた住民で軍の活動範囲内で敵に通 じたものは皆無と断じて差支えないと思う。」として、日本軍の手による住民虐殺の事実を明らかにしている。 2 壕追出し 講話録では「壕 提供」、史実資料では「自巳の壕を追い出されて、敵の艦砲、空襲によって死没したもの」がそれぞれ挙げられている。 馬淵は、講話録において、 「こ れらの犠牲者は御承知の首里主陳地帯の崩壊に伴い、第2線陣地につくため、既に逃げ道のない住民が居住する自然壕を取上 げ、米軍の砲爆撃下に住民を追い出したことに基因するものが相当あるのであります。」とし、史実資料において、「心ない将兵の一部が勝手に住民の壕に立ち 入り、必要もないのに軍の作戦遂行上の至上命令である、立退かないものは非国民、通敵者として厳罰に処する等の言辞を敢えてして、住民を威嚇強制のうえ壕 からの立退きを命じて巳の身の安全を図った」、「戦斗が不利となり、島尻地区に軍の主力が後退するに至るや、非戦斗員である住民安住の壕を軍の必要に基い て、強制収用して、壕外に放逐し、無辜の老幼婦女子を死地に投じて多数の犠牲者を生ぜしめている。」として、日本兵による住民の壕からの追出しの事実を明 らかにしている。 3 食糧強奪 史実資料によると、馬淵は、日本軍将兵のうちには、「ただでさえ貧弱極まりない住民の個人の非常用糧食を 徴発と称して掠奪するもの」のあったことを挙 げ、食糧強奪の事実のあったことを明らかにしている。 4 自決の強要 史実資料には、「友 軍 より自決を強要されたもの」が挙げられている。また、前掲「太平洋戦争史5」においては、渡嘉敷村及び座間味村における集団自決は 守備隊隊長の命令によるものとし、右の集団自決による犠牲者数合計六八三人を「日本軍の手によって殺害された沖縄県民の数」の中に算入している。前掲「沖 縄★史」第8巻各論編7も、「第七節スパイ嫌疑と残虐」の中で、渡嘉敷島、座間味島及び阿嘉島の集団自決の例を挙げ、守備隊隊長の命令によって住民が集団 的に、自決し、あるいは自決を強要されたとしている(なお、隊長命令の存否については後記(4)参照。)。 以上のとおり、日本軍による犠牲者と して挙げられるものの中には、日本軍により直接殺害された者と、間接的に日本軍によって死を強制されたものなどがあ る。しかし、間接的に死を強制されたものを、日本軍により直接射殺又は斬殺されたものと犠牲の態様において異なるとして、日本軍による犠牲者ではないと区 別することはできないとする見解も存する。 なお、証人一冨襄は、沖縄戦は軍・県・民が一体となり一致協力して遂行したものであり、日本軍が住民 を殺害したとは信じ難く、仮に、軍人による殺害が あったとしても極めて特異な事象であって、日本軍自体が行ったものとは評価し得ない旨、日本軍が住民を壕から追い出し、あるいはこれに自決を強要したとす る確実な資料はなく、仮に、これがあったとしても、日本軍のために殺されたと表現するのは当たらない旨供述するが、同証人の証言全体の趣旨に照らせば、右 供述部分は、日本軍の行動を擁護する立場から同人の推測ないし個人的信念を述べたものというほかなく、沖縄戦に関する学界の客観的状況を証言するものとは 認められないから、右供述部分は採用の限りでない。 (3)「集団自決」について 大田教授は、さきに述べたとおり、前掲「総史沖縄戦」に おいて、沖縄戦の一つの特徴として、住民の「集団自決」の発生を挙げ、また、「沖縄ー戦争と平 和」(日本社会党、昭和五七年、甲第二九一号証)、「沖縄戦とは何か」(久米書房、昭和六〇年、甲第二九〇号証)、「慰霊の塔」(那覇出版社、昭和六〇 年、甲第三〇六号証)、「これが沖縄戦だ」(琉球新報社、昭和五二年、甲第三一〇号証)の各著述においても、「集団自決」の事実を大きく取り上げている。 更に、原告も、当審の主張において、「集団自決」が、それ自体県民の犠牲の痛ましい例として、日本軍による住民殺害と並ぶ沖縄戦の特徴であるといえるとし ているところである。 「集団自決」の原因については、集団的狂気、極端な皇民化教育、日本軍の存在とその誘導、守備隊の隊長命令、鬼畜米英への 恐怖心、軍の住民に対する防謀対 策、沖縄の共同体の在り方など様々な要因が指摘されている。そして、「集団自決」の実態については、住民は、生き残れる展望のない絶望的な情況下で、様々 な要因から「集団自決」に追い込まれたもので、これを戦闘員の煩累を絶つための崇高な犠牲的精神によるものとして美化するのは当たらないとするのが一般的 であり、したがって、教科書に単に「集団自決」と記述するときは、住民が他の要因等とは関係なしに本来自発的に自らの意思で自殺したものとの誤解を招く虞 があり、不適切であると指摘されている。 (4)犠牲となった住民の数について 沖縄戦においては、一家全滅の例が多く、また戦争中に戸籍 の多くが焼失したこともあって、住民の犠牲者数を明らかにする客観的資料は存在せず、住民の犠 牲の全貌を明らかにすることは困難であるといわれているが、各資料にみられる犠牲者数ないしはその内訳等は次のとおりである。 沖縄県援護課の資料 によると、沖縄県民の死没者総数は、約九万四〇〇〇人とされているが、この数字は、沖縄戦直前の昭和一九年一二月の沖縄群島の人口 (宮古八重山を除く。)四九万一九一二人から昭和二一年一月の沖縄群島の人口三一万五七七五人、県外疎開者約六万二〇〇〇人及び沖縄出身軍人軍属死没者二 万八二二八人を差し引いて、沖縄群島の県民死没者推定数として八万五九〇九人を算出し、これに宮古八重山の死没者及び調査もれとして見込んだ右数の一割に 当たる八五〇九人を加えた九万四四九九人という数字から得たものである。 前掲の講話録所掲の厚生省調査によると、遺家族援護法の戦闘協力者とし て昭和二五年三月末までに申告された陸軍関係死没者四万八五〇九人のうち一四才未 満の死没者一万一四八三人についてこれを死亡原因別に区分して、「友軍よりの射殺」一四人、「自決」三一三人、この他、「壕提供」一万〇一〇一人、「食糧 提供」七六人等となるとされている。さきに述べたとおり、馬淵は、かかる数字を前提に、右の「壕提供」には、日本軍が「既に逃げ道のない住民が居住する自 然壕を取上げ、米軍の砲爆撃下に住民を追い出したことに基因するものが相当ある」としている。 前掲「沖縄★史」第8巻各論編7に挙げられている 事例を合算すると、住民殺害が八〇人余、「集団自決」が六一三人と推計される。また、「観光コースでな い沖縄」(高文研、昭和五八年、乙第一四〇号証)所掲の一覧表によると、日本軍による住民殺害は約一七八人、「集団自決」は喜屋武半島では数百人、その他 の地域では約六六三人と推計される。更に、「平和への証言ー沖縄県立平和祈念資料館ガイドブック」(沖縄県生活福祉部援護課、昭和五八年、乙第一四一号 証)所掲の一覧表によると、日本軍による住民殺害(壕追出しや自決強要を含む)は少なくとも一一〇人、「集団自決」は五一〇人余と推計される。もっとも、 同表では、「南部一帯では、スパイ容疑処刑、壕追出し、自決強要、食糧略奪、幼児虐殺など日本軍による住民犠牲が頻発しているが現在なおその正確な数は確 定されていない。」とされている。 大田教授は、一般図書、沖縄県の各市町村史(誌)、防衛庁戦史室所蔵資料等の文献に基づき、沖縄戦の死者のう ち、日本軍によって直接に殺害された住民は 少なくとも二九八人、「集団自決」による者(個別の自決を含む)は少なくとも八二四人でそのうち守備軍将兵による自決命令によるものとされているもの(渡 嘉敷島、座間味島の例)は四八三人、日本軍による壕追出しによって死亡した者は少なくとも二九一人、日本軍によって殺害された朝鮮人は少なくとも一一一 人、守備隊兵士によって強制的に移住させられたためにマラリアによって死亡した住民は少なくとも四三五〇人であるとしている(なお、大田教授は、自決命令 があったとされている「集団自決」の中に渡嘉敷島の例を挙げているが、本件検定当時の学界においては、自決命令の存在を否定ないし疑問視する見解もあり、 必ずしも学界が自決命令の存在を肯定する見解で固まっていたということはできない。)。もっとも、日本軍によって直接殺害された住民の数は、実数では一〇 〇〇人を超えるという見解もあり、大田教授自身、八〇〇人は超えると考えられるとしている。 (三)右に認定した昭和五八年度検定当時の学界の状 況等にかんがみると、沖縄戦における日本軍による住民の犠牲者の中には、日本軍によって直接殺害された 者のほか、日本軍によって自決を強要された者、日本軍によって壕を追い出され、あるいは食糧を強奪されたため死亡するに至った者があるとするのが、概ね学 界における一般的理解であるということができる。もっとも、「日本軍のために殺された人」との本件原稿記述は、文言上、これら様々な態様の住民犠牲のすべ てを指すと理解することは困難であって、単に「日本軍のために殺された人」というときは、日本軍によって直接殺害された人のみを指すものと理解するのが通 常であるというべきである。そうすると、右本件原稿記述は、日本軍による住民犠牲の中の住民射殺ないし斬殺の事実を記述したことになるが、かかる事実が一 般的に沖縄戦の一大特徴とされる点である以上、右原稿記述について、これを特定の事項を特別に強調し過ぎたものであるとした検定意見が、当を得たもので あったかについては、批判の余地があるところといえよう。また、検定意見は、「集団自決」による犠牲者が最も数が多いとするのであるが、住民の犠牲の全貌 についての客観的な資料は存在せず、昭和五八年度検定以降現在も住民の犠牲についての調査がいまだに進行中の段階にあること、スパイ嫌疑で殺害された住民 の数は一〇〇〇人近くにのぼるとする見解もあること、日本軍による住民犠牲には、直接射殺又は斬殺された人のほか、壕追出し、食糧強奪、自決の強要などに より死亡した人も含まれるとされていることに照らせば、このように断定することには問題があろう。 しかしながら、その後、その要因や実態につい て徐々に明らかにされるに至ったものの、本件検定当時においては、「集団自決」も沖縄戦の大きな特徴の一つ であるとされていたこと、検定意見もあくまでかかる「集団自決」の事実の記述を求めるにすぎず、沖縄戦の一大特徴とされる日本軍による住民殺害の事実を否 定するものではなく、また、これについての記述の削除を求めるものではないことにかんがみれば、「集団自決」は様々な要因から発生したものであってこれを 犠牲的精神によるものとして美化することがないようにその記述や教育には配慮を要するとしても、文部大臣が、「集団自決」について記述することを求めて、 検定基準の前記(選択・扱い)の観点から修正意見を付したことをもって、いまだ合理的根拠を欠き著しく不当なものとまですることはできない。 五 五七年度正誤訂正申請について 文部大臣が昭和五七年度に三省堂の行った正誤訂正申請の受理を拒否したと認めることができないことは、さきに第 三、二に判示したとおりであり、文部大臣 が右申請の受理を拒否したことを前提とする原告の請求は、その余について判断するまでもなく理由がないことが明らかである。 なるほど、文部省初等 中等教育局検定課の検定調査第一係長岸継明が、正誤訂正申請書を持参した三省堂従業員に対し、南京大虐殺に関する申請部分は正誤訂 正の要件を充たさないので、右部分の申請の再考を示唆し、これを受けて三省堂従業員が右申請書を持ち帰ったことは、さきに第三、二2において判示したとお りであるが、岸の右示唆が社会通念上相当な範囲を超えたものであって申請の受理の拒否に至ったとみるべき事情があったと認めるに足りる証拠はない。また、 さきに第一、三2(三)において認定したとおり、文部大臣は、昭和五七年一一月二四日、昭和五六年度に検定を終えた高等学校の歴史教科書については、正誤 訂正の手続によって修正しない旨の談話を発表しており、正誤訂正申請があっても正誤訂正を承認しない趣旨を明らかにしていたということができる。しかしな がら、他方、前掲乙第四六号証によると、昭和五七年八月六日の衆議院文教委員会で、文部省初等中等教育局長が、「正誤訂正の申請があれば受け付けないとい うことを申し上げたわけではございません。」と答弁していることが認められ、この事実に照らせば、文部大臣が、正誤訂正申請があった場合に、申請を受理し ないことまでも明らかにしていたということはできず、他に右原認定を覆すに足りる証拠はない。更に、前掲甲第一三二ないし第一三五号証によると、三省堂以 外に幾つかの教科書発行者が正誤訂正を申請したのに対し、いずれも文部大臣がその申請を受理するに至っていないことが認められるが、これをもって、本件に おいて文部大臣が申請の受理を拒否したものということはできない。以上のほか、本件においては、本件記録によって窺われる諸事情を勘案しても、文部大臣が 三省堂の行った正誤訂正申請の受理を拒否したと認めるに足りる事情は見出すことはできない。 したがって、三省堂の行った正誤訂正申請がこれまで の正誤訂正制度の運用に照らし正誤訂正の要件に該当するか否か又は文部大臣の検定権限行使における裁 量権濫用の違法については、その判断の限りではない。 第七 損害賠償義務1 昭和五五年度検定における草莽隊に関する記述箇所に対する文部大臣の 検定権限の行使が当該権限を濫用又は逸脱したものであって違法 であることは、すでに前記第六、三2に判示したとおりである。 〈証拠〉による と、 右の違法な検定権限の行使によって、原告は、心ならずも原稿記述の修正を余儀なくされ、これにより受忍限度を超える精神的苦痛を受けた ことが認められるところ、右精神的苦痛は、諸般の事情にかんがみ、金一〇万円をもって慰藉するのが相当というべきである。 二 原告は、昭和五五年 度検定における親鸞及び日本の侵略に関する各記述箇所につき、文部大臣の改善意見に基づき教科書調査官から執拗な修正要求を受けて その記述の変更を迫られたことにより、また、二度にわたり法的根拠のない拒否理由書を提出させられたことにより、多大な精神的損害を受けた旨主張する。 し かしながら、仮に、文部大臣の右各改善意見が違法であったとしても、そもそも改善意見は、修正意見とは異なり、修正を行うか否かを著作者ないし発行者 の最終的判断に委ねるものであるところ、原告は、「改善意見は検定に関する法令規則によれば、修正しなくても検定手続きを完成する上になんらさしつかえな いはずです。改善意見の理解にくいちがいがあったとすれば、そのかぎりでは著者として再検討を加えますが、学問的・教育的配慮の当否にわたるものにあって は、結局は見解の相違というほかなく、そのような論争に応ずる法律上の義務は存しないはずです」との拒否理由書を提出して、文部大臣の右各改善意見に従っ た修正を行わなかったことは、前示第三、一2に判示したとおりであって、本件全証拠によっても,右各改善意見又はこれらに基づく教科書調査官の説得によ り、原告が受忍限度を超える精神的苦痛を受けるに至ったとみるべき事情はなんら認めることができない。また、原告の意を受けて、三省堂が二度にわたり右各 改善意見に対して、拒否理由書を提出したことは、当事者間に争いがなく、原告本人尋問の結果中には、教科書調査官が原告に対して右書面の提出を強制した旨 の原告の主張に沿った供述部分がみられるが、右供述部分は、にわかに採用することができず、他に原告の右主張事実を認めるに足りる証拠はない。かえって、 文部大臣が聴聞の一環として検定申請者に対し、改善意見に従った修正の拒否理由を記載した書面の提出の機会を与えることは、かかる書面の提出の強制など特 段の事情の認められない限り、適正手続の趣旨に沿うもので相当というべきである。 したがって、原告の主張は採用することができず、他に昭和五五 年度検定における親鸞及び日本の侵略に関する各記述箇所に対する検定意見により原告が損害 を受けたと認めるに足りる証拠はない。 三 教科書 検 定は、被告国の機関である文部大臣がその権限に基づきこれを実施するものであるが、文部大臣及びその職務上の補助者である教科書調査官らは、 昭和五五年度検定における草莽隊に関する記述箇所についての前記違法な検定権限の行使について、それぞれ関与したものであり、かつ、本件各証拠によれば同 人らはその点について少なくとも過失があったものと認められ、原告は、これにより右損害を被ったものであるから、被告国は、その公務員である同人らによる 前記損害を賠償すべき義務がある。 第八 結論 以上説示のとおりであって、原告の本訴請求のうち、文部大臣らの前記の違法な検定権限の行 使による損害賠償金一〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌 日である昭和五九年二月一一日から支払ずみに至るまで民事法定利率五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は、理由があるから認容し、その余は失当 として棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を適用し、仮執行の宣言については、相当でないからこれを付さないこととし、主文のとおり判 決する。 (裁判長裁判官 加藤和夫 裁判官 西謙二 裁判官 鹿子木康)
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國語と國字が一民族の文化の最も大切な要素の一つであることは皆樣御存知の通りです。 ...更に平安時代の初期には假名を發明し、又漢語も多く輸入して、それ以來この「漢字假名交り文」は九百年以上にわたつて、日本の文化を護り育てて來ました。これは直ちに眼に訴へて意味を表はす便利な「表意文字」と、日本語獨自の構文を表はす「表音文字」から成る優秀な表記法でありました。...敗戰の衝撃と自信の喪失と、日々の食糧にも事缺く苦難の時期に當つて、以前から國語をローマ字、もしくはカナモジで記さうと主張して來た便宜主義、安易主義の一部の論者は、...漢字を制限し假名づかひを變革してしまひました。 ...この問題に關し、幾つかの項目に分けてやや詳しく所信を申し述べます。 オリジナル 國語問題協議會「同胞各位に訴へる」 http //www5b.biglobe.ne.jp/~kokugoky/appeal-new.htm 同胞各位に訴へる 國語と國字が一民族の文化の最も大切な要素の一つであることは皆樣御存知の通りです。 さて、我々の祖先は、古事記や萬葉集などに見られる如く、千二、三百年の昔、すでにすぐれた言葉を持つてゐました。これは恐らく世界にも類の少い變 化に富む日本の氣候風土と美しい自然が與へた纖細な感覺のお蔭であらうと思はれます。殊に微妙で深みのある美的感覺は世界一かも知れません。實際、我々の 遠い祖先は今から八千年も前にあの見事な繩文式土器を作つたのです。 しかし、幸か不幸か、大和民族は文字を持つてゐませんでした。ところが中國には極めて發達した文字が有つたので、奈良時代の祖先はこれを借りて國語 を表記し、更に平安時代の初期には假名を發明し、又漢語も多く輸入して、それ以來この「漢字假名交り文」は九百年以上にわたつて、日本の文化を護り育てて 來ました。これは直ちに眼に訴へて意味を表はす便利な「表意文字」と、日本語獨自の構文を表はす「表音文字」から成る優秀な表記法でありました。 然るに、日本民族として最初の體驗である敗戰の衝撃と自信の喪失と、日々の食糧にも事缺く苦難の時期に當つて、以前から國語をローマ字、もしくはカ ナモジで記さうと主張して來た便宜主義、安易主義の一部の論者は、好機正に至れりとして、文部省の權力を利用し、新聞社、出版社などを動かして、敗戰後、 わづか一年三ケ月、すなはち昭和二十一年十一月に内閣訓令告示で、漢字を制限し假名づかひを變革してしまひました。 これは明治以來幾度か國語改革論者によつて提出され、その都度國民の嚴しい批判を受けて葬り去られた案を殆どそのままに踏襲したものです。のみなら ず、これ程重大な問題について信頼するに足る代表的文化人諸氏の意見を求めることもせず、國會の審議にかけることもしませんでした。これでは戰時中の軍部 の獨裁といささかも變るところがありません。果してこれが戰後の日本の目標たる民主主義的文化國家のなすべきことであつたでせうか。國語審議會と文部省は この後次々に「音訓表」とか、「字體表」とか、「送りがなのつけ方」とか、「外國の固有名詞の表記法」とか、何れも不合理にして實行不可能な變革を敢てし たのであります。それらが、今日實際に色々な混亂をひき起してゐるばかりでなく、青少年の學力を著しく低下させてゐることも各位は御承知でせう。 以上が大體の經緯ですが、次にこの問題に關し、幾つかの項目に分けてやや詳しく所信を申し述べます。 一、なぜ、歐米諸國は發音と異つた綴りを維持してゐるのか 歴史的假名遣ひは現在の發音と異る故に變へるべきだ、と彼ら便宜主義者は言ひます。しかし、歐米各國の國語を考へてみますと、例へば英、米、佛、希 の樣な國々では、綴りと發音の相違は吾が國の歴史的假名づかひとは比べものにならないくらゐ甚だしいものがあり、その他、ドイツ、イタリヤの樣に比較的そ の差の少い國々ですら、綴りと發音とは一致せず、歴史的假名づかひと大體同程度のものであります。それにもかかはらず、これら諸國はその綴りを決して變へ ようとはしません。これは何故でせうか。 それは先づ第一に、此等の難しい綴りには、その依つて來る必然の歴史と論埋がある上に、若しこれを變へたならば、從來の綴りで書かれたすべての文化 遺産が非常に讀みにくくなるからです。これらの國々には、過去から優秀な文學作品や哲學、自然科學の論文などが數多くあります。それらを國民から遠ざける ことは當然自國の文化の衰退を招きます。 第二に、綴りと發音が甚しく異つてゐても、これら諸國の少年少女は素質が良いために、教育によつて自然にそれを理解し辨別して、何らの支障も來さないからであります。 二、日本人は優れた民族的文化遺産を繼承し得ぬ程劣等か さて、眼を我國に轉じませう。英佛その他すぐれた西歐の國々のやうに秀でた過去の文化遺産を果して日本は持つてゐないといふのでせうか。斷じて否です。 西歐の近代諸國がまだ殆ど蒙昧に近い状態に留つてゐた七、八世紀の頃、すでに我々の祖先は、古事記、日本書紀、風土記、萬葉集などすばらしいものを 作り上げました。又、少し降つてフランス文學最初の作品である敍事詩が十一世紀末に現れたのに對し、その百年前に、日本では若い女性が今も世界的傑作であ る「源氏物語」を書いてゐたのです。その後、主なものだけを拾つても、「古今集」以下の八代和歌集、「平家物語」、道元や親鸞の著書や語録、「徒然草」、 世阿彌の謠曲と能の美學、芭蕉の俳諧、西鶴の小説、近松の戲曲、荻生徂徠や本居宣長らの學問的業績を經て、明治に入つて後は、幸田露伴、樋口一葉、泉鏡 花、正岡子規、夏目漱石、森鴎外、内村鑑三、寺田寅彦、柳田國男、萩原朔太郎、宮澤賢治、齋藤茂吉、數へ上げればきりがありませんが、いづれも貴重な勞作 を生み出したのです。これらの業績が今後は讀み難くなつたり、從來の國民との間の斷層を作るやうになつたりしたら、日本文化の損失は量り知れぬものがあり ます。我國は決して西歐諸國に劣るものではありません。 殊に、最近、日本の古美術や禪や能樂や建築や庭園や書道や點茶や生花など深みのある美しい文化所産に歐米諸國民が眼を見はつてゐる事實をどう考へる べきでせう。フランスがルーヴル美術館門外不出の至寶「ミロのヴィーナス」をはるばる日本に送つてくれたのも、彼らが日本民族の文化的優秀性をどのくらゐ 高く評價してゐるかの明かな證據であります。大正の大震災前後六年に亙つて日本に大使として駐在したフランスの大詩人ポール・クローデルは、第二次大戰中 (昭和十八年の晩秋の一夜)日本が壞滅するのを虞れて、親友のやはり大詩人であるポール・ヴァレリーに次のやうに言つたのです。「私が亡びないやうに願ふ 一つの民族がある。それは日本民族だ。これ程注目すべき太古からの文明を持つてゐる民族は他に知らない。……彼らは貧乏だ。しかし高貴だ。」と。さすがに クローデルは大詩人です。彼は日本の多くの文化人などと呼ばれる人々よりもはるかに日本の良さを知り、それを愛してゐたのです。日本の現状はクローデルに 對して恥しいではありませんか。 なほ、我が國語國字の重要さは、單に文章の上だけに止まりません。法隆寺、藥師寺、唐招提寺をはじめとする南都の諸寺や、鳥羽僧正の「鳥獸戲畫卷」 その他日本獨特で世界に類のない繪卷物、運慶らの彫刻、雪舟らの水墨畫、能の舞樂、利休の茶、桂離宮の建築と庭、光悦の工藝、宗達や大雅らの繪畫、春信や 北齋の浮世繪など、又は世界的に名高くなつてゐる生漉の日本紙とか、禮儀作法とか、これら直接には文字と開係なささうに見える諸々の傑作が實は國語國字と 切つても切れぬ精神的紐帶を有してゐることは少しく考へてみれば誰にも解ります。 次は子供の問題です。「行かう」と書いて「行こう」と讀み、「言ひました」と書いて「言いました」と讀むことを難しく思ふほど、彼らは劣等でせう か。とんでもないことです。兩親と共に歐米に在る日本の子供達が彼の地の學校で拔群の成績を示すことの多い事實はよく知られてゐるところです。又最近東京 の四谷第七小學校や新潟龜田東小學校等で行はれてゐる教育に於て、低學年の兒童が喜んで多くの漢字を學び、三、四年で新聞も讀み得ることが識者の注意をひ いてゐます。要するに日本人は優秀な民族であり。日本の文化は卓越してゐるのです。 三、明治以後、國語國字簡易化運動はどうして起つて來たのか ところが、明治初期から大正、昭和の時代に至るまで漢字排撃や假名づかひ改訂が數囘にわたつて試みられたのは何故でせうか。これは歐米の進んだ文化 に驚き、恐れ、ひたすらそれに追附かうとした人たちの焦燥感と劣等意識の致すところでした。これ等の論者が彼らなりに愛國の至情からこの擧に出たことは諒 とすべきですが、それは不幸にして西歐の文化に目がくらんだ故の性急な短見と、日本文化の優秀さに關する無自覺に依るものでありました。 これらの愚かな變革の企てに對して、明治四十一年には森鴎外をはじめとする明星派、大正十四年には山田孝雄、芥川龍之介らが行つた強い反對は、高邁 な識見と國文學、國語の傳統に對する深い敬愛に根ざす當然の行動でありました。今囘の愚擧に對しても、昭和二十三、四年まで、心ある幾多の人士は極力反對 を表明してゐましたが、悲しいかな當時の社會的混亂と國民生活の窮迫はこの熱を實らせる餘裕を與へなかつたのであります。 四、「現代かなづかい」は果して合理的で便利であるか 萬葉集などにあらはれてゐる良質な言語を有した我らの祖先が漢字を採用したことは、實に「鬼に金棒」でありました。而してやがて假名が發明されたこ とは、この「金棒」の質の向上であつたのです。日本語はその頃すでに動詞、助動詞、形容詞の活用や助詞の用法などすこぶる論理的に發達してをり、假名はこ れらを遺憾なく表現することが出來ました。又その後、文語と口語の必然的連繋もこれで正確に示されてゐたのです。 然るに「現代假名づかい」はこれらの論埋を無視し、文語と口語の聯關をも無殘に斷ち切つてしまひました。例へば、口語の「言はう」は文語の「言はむ」から來てゐることを示しますが、新假名の「言おう」ではその連絡が解りません。 又、「ヂ」や「ヅ」を廢してほとんどすべてを「ジ」と「ズ」で表はし、「地震」や「地面」に振假名をつけるとき優秀な兒童が論理を考へて、「ぢし ん」「ぢめん」と書けばそれは誤りであるとして先生は×をつけなくてはなりません。「望月」といふ姓にも「もちずき」と振らなくては間違ひだといふので す。このやうな論理的關係を假名づかひについて教へることも戰前までは日本兒童の頭腦訓練に大切な恰好な手段の一つでありました。言葉をただ機械的に憶え るのは鸚鵡や九官鳥にも出來ることです。論理を無視したら頭腦は低下するにきまつてゐます。 五、當用漢字、その他、現行の表記法は如何にでたらめで矛盾が多いか 「當用漢字」、「音訓表」、「字體表」、「送り假名」の制定もきはめて獨善的であつて、明治、大正、昭和前半に至る古典が讀めなくなるのは勿論のこ と、現在日常の新聞雜誌、手紙を讀むのにさへ青少年を苦しめてゐます。文部省に輕率に同調した新聞社も自繩自縛に陷つてゐます。まづ漢字を千八百五十字に 限るのも無理ですが、動植物の名を假名書にするといふのも非常識です。たとへば當用漢字の中には猫も猿も狐も兎も狸も、烏も雀も鶯も鶴も、鯉も鯛も鮎も入 つてゐません。植物では柿や栗もなく、藤も桐も萩も楓もないとは美しい日本の四季を何と味氣ないものにしたことでせう。なほもう一つの重大なことは地名や 人名です。當用漢字にない地名と人名は非常に多いのですが、これはもちろん祖先以來の文字を尊重してゆくべきですし、次に名前は兩親が愛兒の將來に希望を 託して選ぶのにそれがたまたま當用漢字にないと言つて役所が受けつけないのは基本的人權の無視です。これは人間にとつて最も大切な精神の自由といふものを 全く輕んじた暴擧ではありませんか。 「音訓表」も論外の沙汰です。一人と書けば「いちにん」とのみ發音して、「ひとり」とは讀ませず、父、母のよみ方は「ふ」「ぼ」「ちち」「はは」の みで「お父さん」、「お母さん」は「おとうさん」「おかあさん」と假名で書かなくてはならず、昨日、今日、明日も「きのう」「きよう」「あす」と書かなく ては間違ひとはどうです。「時計」も「景色」も音訓表によれば、「とけい」「けしき」と讀めず漢字で書くことも出來ないことになつてゐます。これが一體、 文部省の、又内閣の、いや日本人のきめることでせうか。また「字體表」では「專」「團」「傳」を「専」「団」「伝」としたり、「濁」「獨」「觸」を「濁」 「独」「触」、「佛」「沸」「拂」を「仏」「沸」「払」としたりするやうに、漢字の系統と統一が亂されてゐます。 次に外國語のカナ表記法ですが、(DI)をディ又はヂとせずに、すべてジにしたり、(VA・VI)をヴァ・ヴィでなくバ・ビにしてしまつたのは實に亂暴であるのみならず、一方で英語の發音を折角、念を入れて教へてゐるのと甚しい矛盾ではありませんか。 要するに、國語・國字のことは優れた文化人の自然の指導と國民の良識に委ねて置くべきで、決して非常識な役人の強制などに任せるべきではありませ ん。西歐の文化國は皆さうなつてゐるのです。マルティン・ルッターが聖書をドイツ語に譯してそれが立派であれば、これはドイツ語の模範となりゲーテが美し い戲曲や小説を書けば、それがお手本となつてドイツ國民はこれに從ふのです。内閣が訓令や告示を出すのではありません。 六、難しい國語國字は文化を遲らせるか 日本語の漢字と假名づかひが或程度難しいことは事實です。しかし、このことが果して日本の文化を遲らせて來たのでせうか。これは逆に「言語文字の易 しい國に文化が發達してゐるか、否か」を考へるとすぐ解ります。簡單な言葉は殆どみな文化の未開發な國々に限られてゐることを考へて下さい。さうしてその 反對に、優秀な文化を築いた國々ほど言語文字は難しく複雜で含蓄に富んでゐる事實を見るべきです。それでなくては發達した理性や感情の正確な微妙な表現を 十分に果すことができないからです。 なほ、これに關聯するのは、明治維新以來わづかに七、八十年で我國が歐米の一流國に伍するに至つた理由です。日本文化は模倣にすぎぬとか、他の影響 に依つてのみ進んだとかヒットラーやその他考への淺い幾多の人々は言ひました。しかし、一體、影響を受けるといふことも、模倣をするといふのも、既にそれ をなし得るだけの實力や受入態勢ができてゐなくては不可能です。奈良時代に中國や印度の文化を受入れ、これを咀嚼し吸收することが出來たのは、文字こそ持 たなかつたとは言ヘ、何度も申す如く、萬葉集などにあらはれてゐる優秀な美しい國語をすでに持つてゐたといふ日本人の進んだ文化の實力があつたればこそで す。 明治以後に、西歐の進んだ文化をあれだけ大量に、而も短時日に消化し得て、湯川秀樹氏を始めとする世界的な幾多の自然科學者を生み、その應用技術に 於ても同様な成果を擧げ得たといふことは、やはり徳川時代の末頃までに西歐文化を受容するに足る準備をすでに十分具へてゐたからに他なりません。無から有 は生じない道理です。然らばその準備は何がつくりあげたのでせうか。 それは、大和民族固有の文化に、中國と印度の文化が加はり、これを自家藥籠中のものとして、日本人の理性と感覺と感情と意志とを練磨したといふ實績 がつくりあげたのでありますが、その練磨の中の重大な一要素としてすでに發達してゐた國語國字が儼として存在したことを忘れるわけにはゆきません。且つ西 歐語の飜譯は漢字があつたからこそ可能だつたのです。すべての自然科學の用語はもし漢字を使はなかつたらどうなることでせうか。ローマ字論者やカナモジ論 者に訊ねたいものです。 ついでに申せば漢文の教育も再び盛にすべきであります。世界文化で一流の地位を占めてゐた中國と印度の文化を攝取し、自己の血肉にまでした日本は、 現在に於いて佛教や儒教や中國文學の正統な後繼者です。漢字を著しく變形した今日の中國人民はやがて父祖の古典が讀めなくなるのではないでせうか。もしさ うならば、これは彼らのためにゆゆしい大事です。又傳教大師、弘法大師以來、榮西、道元、法然、親鸞、日蓮、白隱等の俊秀を出して來た日本の佛教は、本家 の印度以上に釋迦牟尼の思想を傳へて來てゐると言へます。ところが、漢文を我々が讀めなくなつたら、この世界の至寶を人類のために役立てるべき仕事が衰へ てしまひます。却つてそのうちに、佛教の研究はアメリカ人が指導するやうになるかも知れません。現に日本のすぐれた若い佛教研究者が何人かアメリカの大學 に學びに行つてゐます。ライシャワー大使の仕事も漢文に依るものです。 七、青少年の學力低下 最近、我國の大學生を始め、高校生、中學生の學力、思考力、創造力が著しく低下して來たといふ事實が、多くの學者や現場の教育者や各界の識者から指 摘され憂慮され始めてゐます。この一因としても、戰後の國語國字の變革が大いに考へられると思ひます。まづ第一に言語文字を輕んずる文部當局の精神は、當 然青少年の文化意欲を弱めます。さうして國語國字に於ける鍛錬が少くなり、思考力を養ふことがおろそかになれば知能が衰へるのは自然です。オリンピック競 技の選手がどのくらゐ苦しい猛練習に堪へてゐるかは周知の事實です。文化的なオリンピックの試合、つまり、世界の文化を進歩させて行く仕事に日本が優秀な 成績をあげるためには、これと同じやうな鍛錬が必要なことはどなたにもお解りでせう。アメリカでは先に哲學者デューウィの近視眼的な教育論に從つて小學校 教育を安易にした結果、少・青年の學力の著しい低下を招いたため五、六年前から激しい批判が起つてゐます。ルドルフ・フレッシュの「ジョニーはなぜ本が讀 めぬか」といふベストセラーを續けた本はこれに對する警鐘でした。 八、國語の改惡は國を滅ぼす 最後に注意すべきは、戰後十何年で日本がこれだけに復興し、自然科學やその應用である工業の技術が著しく發達して、世界の一つの驚異になつてゐるや うですが、この幸福をもたらしたのは、戰前の國語と國字で教育されて來た三十代以上の人々の力であつて、戰後の便宜主義・安易主義に甘やかされて來た二十 代とそれ以下の青少年の仕事ではないといふことです。 外國に負けぬやうにと「漢字廢止」や「新假名づかい」などを主張した改革論者、その他の論者の憂ひは幸に杞憂であつたわけで、逆にもし、彼らの主張 が通つてゐたならば、恐らく戰前までの進展も、戰後の立直りもあり得なかつたであらうとさへ思はれます。それだけに、安易を強ひる國語教育によつて成長す る今の青少年たちが國の中堅となり指導階級となつた曉が心配されるのです。 且つ、今の文化人たちのうち、第一流と目される人々の多數が現在の悲觀的な大勢にも拘らず、傳統的な國語表記を依然として守つてゐる事實を何と見るべきで せうか。今の青少年が明治、大正、昭和の中期までの古典的な文章はもちろんのこと、現在の一流の人々の文章まで讀むのに抵抗を感ずるとは、彼らはまことに 氣の毒な犧牲者であります。一流の文章が讀みにくく二流、三流以下のものだけ讀むといふのは、日本を二流、三流の國に低落させることでなくて何でせうか。 「當用漢字は五年にして日本文化を滅ぼす」と言つた岡潔博土の豫言は、大數學者の鋭い直覺だらうと思ひますが、今や不幸にして實現しつつある状況です。つ いでにいへば湯川博士は幼少の頃經書の素讀を受け、青年時代には莊子や老子を好んで讀んださうです。國文や漢文を熱心に勉強することは自然科學の思考力を も増大するといふのが今の定説です。 結 論 以上八項目にわたつて考へて來たことから、我々は次の結論に到達せざるを得ません。即ち、戰後の愚劣な國語國字變革は明かに日本文化の下落を來すものであり、これは明日からでも白紙に戻して愼重な再檢討を始めるべきであるといふことです。 ところで、右の趣旨は結構だが、既に改革後二十年近くたつてゐる今、再びやり直しをするのは、更に混亂を來して大變だ、といふ心配をなさる方々もあ るでせう。しかし、これは日本の百年、千年先の幸福のためです。しばらくの混亂や苦勞はものの數でなく、又優秀な日本の少年少女は四、五年後には改善され た國語教育に慣れてしまひます。 それについては、依然として便宜主義、安易主義の人々が主力を占める文部省の「國語審議會」は全く頼むに足らず、危機に直面する日本の文化を救ふためには、心ある民間の方々の御贊同を得て一大國民運動を起さなくてはなりません。 しかし、今の國語審議會は頼むに足らずとして、この國民運動を起し、戰後の國語國字の改惡を一應御破算にして自紙に戻すべきであるとしても、さてそ の後をどうすれば良いのでせうか。惡いものを破壞するのはよいが、その後を如何に建設すべさか。これについて我々は次のやうな考へを抱いてゐます。それ は、今の「文部省の國語審議會」を「發展的に解消」して、獨立した一つの新しい國家機關を創設することです。この機關は、數十人の會員から成り、その構成 は、日本の國語・國文學を眞に愛する、國民の誰もが信頼し、納得できるやうな、第一級の文學者、評論家、語學者を中心とし、これに配するに、同じく第一級 の自然科學者、哲學者、美術家、音樂家、藝能家及び日本文化を眞に愛する若干の達識の人士を以てすべきであると考へます。これは恰も、十七世紀から存續す るアカデミー・フランセーズ(フランス翰林院)のやうに、國語の正しい傳統の保持と純化のために、その時代の日本文化を代表する最高の人々によつて、恆久 的に持續せらるべさであります。 昭和三十九年六月 國語問題協議會 ※この提唱は當時の本會常任埋事市原豐太氏によつて起草され各界の識者に訴へかけたものである。 →國語問題協議會 コメント 名前 コメント
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白隠慧鶴(はくいん えかく)日本(駿河国)1686~1769統率:D 武力:D 政治:D 知力:C 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------禅僧。道鏡慧端の下で修行したが禅病(精神疾患の一種)に罹り、治療法を考案した。また他の宗門を排除すべきではないとして布教を続け、臨済宗の中興の祖となった。禅宗の典籍を民衆に分かりやすく表現した『坐禅和讃』を記す。 長谷川平蔵(はせがわ へいぞう)、長谷川宣以(はせがわ のぶため)日本1745~1795統率:A 武力:A 政治:D 知力:C 文化:D 魅力:A--------------------------------------------------------------------------------旗本。長谷川宣雄の嫡男。丸御書院番士、西の丸御徒士頭、御先手組弓頭を歴任し、火付盗賊改方の長官となる。石川島の人足寄場(犯罪者更生施設)を設立する。神稲小僧、葵小僧などの盗賊を捕らえ、非常に有能だったが、幕閣との折り合いは悪かった。 蜂須賀隆重(はちすか たかしげ)日本(阿波国)1634~1707統率:C 武力:C 政治:B 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳島藩主・蜂須賀忠英の次男。徳川家綱の小姓となり飛騨守に叙任する。さらに幕府から本家の蜂須賀綱矩の補佐を命じられる。その後、綱矩から阿波・淡路国5万石を分与され阿波富田藩を立藩して初代藩主となった。 蜂須賀隆長(はちすか たかなが)日本(阿波国)1674~1714統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------阿波富田藩2代藩主。蜂須賀忠英の五男、蜂須賀隆喜の子。蜂須賀隆重の養子となり家督を継ぐ。飛騨守。 蜂須賀綱矩(はちや つなのり)、蜂須賀龍之日本(阿波国)1661~1730統率:D 武力:D 政治:C 知力:D 文化:D 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳島藩5代藩主。侍従、阿波守。2代藩主蜂須賀忠英の子の蜂須賀隆矩の子。一門の蜂須賀隆重に5万石を持って阿波富田藩を立藩させている。 蜂須賀宗員(はちすか むねかず)、蜂須賀正員日本(阿波国)1709~1735統率:C 武力:C 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------徳島藩6代藩主。侍従、阿波守。蜂須賀綱矩の四男。蜂須賀隆長の養子となり、阿波富田藩3代藩主となるが、兄・蜂須賀吉武が亡くなったため、本家・徳島藩主となり、富田藩は再び併合された。 蜂須賀宗鎮(はちすか むねしげ)日本(阿波国)1721~1780統率:D 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳島藩8代藩主。水戸家御連枝格を有する家の松平頼煕の次男。蜂須賀宗英の養女を娶り、徳島藩主となる。侍従、阿波守、木工頭。幕府によって日光東照宮堂社修復の御用を命ぜられ、完遂するが、藩の財政を圧迫することとなった。 蜂須賀宗英(はちすか むねてる)日本(阿波国)1684~1743統率:C 武力:C 政治:B 知力:B 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------徳島藩7代藩主。2代藩主・蜂須賀忠英の子の蜂須賀隆喜の子。元は藩士として中老や家老として藩政に関わっていたが、蜂須賀宗員の死去に際し、末期養子となって家督を継いだ。侍従、阿波守。 蜂須賀至央(はちすか よしひろ)日本(阿波国)1737~1754統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------徳島藩9代藩主。松平頼煕の三男で先代藩主・宗鎮の実弟。宗鎮の養子となり家督を継ぐが、飾り物の藩主で、藩政の実権は家老に掌握されていた。 林子平(はやし しへい)、林友直、林六無齋日本1738~1793統率:D 武力:C 政治:C 知力:A 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------経世論家。高山彦九郎、蒲生君平と共に『寛政の三奇人』と呼ばれた。仙台藩に仕えるが政策を聞き入れられず、全国行脚に出る。ロシアの脅威と海防の重要性を説き、、『三国通覧図説』、『海国兵談』、『富国策』を著す。しかし、軍備増強の内容のため幕府からも睨まれ、仙台の兄の元で蟄居生活を強いられた。 東山天皇(ひがしやまてんのう)、朝仁(あさひと)日本1675~1710統率:C 武力:D 政治:B 知力:B 文化:B 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------第113代天皇。霊元天皇の第五皇子。院政を行なう霊元天皇の影響下にあったが、温厚な性格のため、幕府との関係は改善され、御料の増加や陵の修復などが行われた。この頃に元禄文化が花開いた。 平賀源内(ひらが げんない)日本(讃岐国)1728~1780統率:D 武力:E 政治:C 知力:B 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------本草学者、蘭学者、医者、作家、発明家。鎖国当時の日本で、エレキテル、油絵など西洋の文化、技術を紹介し、焼き物作成、戯作の開祖、人形浄瑠璃の発表など幅広い分野で活躍し、音羽屋のコピーライトも手がけた。様々な技術を実用化寸前までこぎ着けたが、実際には一切結びつかなかった。 北条氏貞(ほうじょう うじさだ)日本(河内国)1703~1758統率:E 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------狭山藩6代藩主。北条氏朝の長男。惰弱な人物で、譜代の家臣(小田原衆)の専横を許してしまう。藩政改革に取り組むも、失敗してしまう。美濃守。 北条氏彦(ほうじょう うじよし)日本(河内国)1742~1769統率:E 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------狭山藩7代藩主。北条氏貞の長男。父の時代から譜代の家臣(小田原衆)と地元藩士との藩政の対立が激化し、地元藩士が殺害、切腹の事態にまで発展した(狭山騒動)。これに何の対処も出来ず、藩政改革は遅々として進まなかった。遠江守。 堀親蔵(ほり ちかただ)日本(信濃国)1716~1746統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------飯田藩5代藩主。美作守、大和守。堀親賢の次男で、先代藩主・堀親庸の実弟。兄が嫡子をもうけないまま亡くなったため、家督を継いだ。 堀親忠(ほり ちかただ)日本(信濃国)1762~1784統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------飯田藩7代藩主。堀親長の嫡男。山城守、大和守、河内守。 堀親民(ほり ちかたみ)日本(信濃国)1777~1796統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------飯田藩8代藩主。6代藩主・堀親長の四男で、先代藩主・堀親忠の実弟。堀親忠が若くして亡くなったため家督を相続する。 堀親庸(ほり ちかのぶ)日本(信濃国)1707~1728統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------飯田藩4代藩主。堀親賢の長男。若狭守。嫡子をもうけないまま若くして亡くなる。 堀直堯(ほり なおたか)日本(越後国)1717~1785統率:D 武力:D 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------村松藩5代藩主。堀直為の長男。 堀直利(ほり なおとし)日本(越後国)1658~1716統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------村松藩3代藩主。堀直吉の次男。左京亮、丹後守。幕府の奏者番兼寺社奉行に就任した。 堀直道(ほり なおみち)日本(越後国)1691~1727統率:E 武力:E 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------堀直利の長男。摂津守。病弱を理由に廃嫡される。 堀直泰(ほり なおやす)日本(越後国)1738~1779統率:E 武力:E 政治:D 知力:D 文化:D 魅力:D--------------------------------------------------------------------------------堀直堯の長男。村松藩嫡子だったが、襲封前に父に先立って死去する。 堀直為(ほり なおゆき)日本(越後国)1698~1743統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------村松藩4代藩主。堀直利の次男。廃嫡された兄、直道に代わり家督を継ぐ。左京亮。大坂加番などを務める。 本願寺寂如(ほんがんじ じゃくにょ)、光常日本1651~1725統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第14世法主。本願寺良如の子。経蔵の建立や、大谷本廟の再建を行なう。また、親鸞聖人絵像の画讃も作成した。 本願寺住如(ほんがんじ じゅうにょ)、光澄日本1673~1739統率:C 武力:D 政治:C 知力:C 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第15世法主。本願寺寂如の養子となり門跡を継ぐ。北陸や畿内の各別院の再建・整備に努めた。 本願寺湛如(ほんがんじ じんにょ)、光啓日本(紀伊国)1716~1741統率:D 武力:E 政治:C 知力:C 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第16世法主。本願寺寂如の十男。門跡が住如に決まった後に生まれたため、住如の養子となって門跡を継ぐ。しかし、23歳の若さで亡くなる。 本願寺法如(ほんがんじ ほうにょ)、光闡日本1707~1789統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:C 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第17世法主。本徳寺寂円の次男で、13世法主・本願寺良如の孫に当たる。明和の法論や阿弥陀堂の再建『真宗法要』開版を行なう。 本願寺文如(ほんがんじ もんにょ)日本1744~1799統率:C 武力:C 政治:C 知力:C 文化:A 魅力:C--------------------------------------------------------------------------------浄土真宗本願寺第18世法主。本願寺法如の長男。書道、和歌、詞、絵画、茶道などに長じていた。しかし、文如の時代に「三業惑乱」の法論が起きた。