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■ 支那の歴史 / 「反日・自虐史観を排した歴史年表」より / 支那では、匈奴、鮮卑、契丹、突厥、ウイグル、モンゴル、満洲(女真)など、様々な民族によるまったく異なる王朝の出現、滅亡、戦乱の繰り返した。つまり、歴史に連続性がない。 支那の統一王朝は、秦、漢、隋、唐、宋、元、明、清で、このうち漢民族(支那人)の王朝は漢、宋、明の3つだけである。 +続き 複数の王朝が並立した時代も多く、「天下」はあっても「国家」はない。王朝が変わるたびに領土の範囲もまったく異なった。王朝が変わると前の文化をことごとく破壊しつくし、数千万の単位で人口が激減していた。要するに大虐殺が繰り返されたのである。 支那は有史以来トラブルの絶えない国(地域)である。易姓革命、宮廷内紛、群雄割拠、軍閥内戦、農民蜂起、天災飢餓、難民流出・・・などなど、現在(中華人民共和国)に至るまで支那史では暴力と流血は一日もやむことがない。そうしたなかで、権力者は、内部の敵から銃口を向けられないよう、どうしても外部に国民共通の敵や仮想敵を欲する。大東亜戦争終結後、朝鮮戦争、中印、中ソ、中越と対外戦争を繰り返してきたのもこのため。そして現在、ぴったりの敵として設定されたのが日本の「軍国主義」なのだ。 ■ 人々をウソにまみれた政治(人治)から開放(liberalに)したい 「縦椅子のブログ(2018年12月31日)」より / ーー以下「田中秀臣(上武大学ビジネス情報学部教授)コラム」より抜粋編集 石平著『中国五千年の虚言史』(徳間書店)より。 ネットから情報を得ているような人は、支那人が歴史を持たない人たちであることはもう常識のようになっている。 しかし、これまで、ネット環境が整備されるまでは、支那4千年の歴史などという話が大真面目に信じられていたのだった。 ーー 例えば1912年の辛亥革命によって滅びた清朝は、第一公用語を女真族の言葉・満州語としており、第二公用語をモンゴル語としていたのである。 その事実は、琉球と清との公文書が満州語(パスパ文字)で記されていることからわかる。 漢文が出現するのは、ようやく第三公用語としてだ。 ーー つまり支那大陸は、さまざまな異民族支配を受けてきた土地なのだ。 その地を異民族が立ち代わり支配し、それぞれの王朝を築いてきたのである。 連続する民族の記録(歴史)など成立するはずがなかった。 (※mono....以下略、詳細はサイト記事で) ■ 中国4000年のおそろしさ――不気味な隣人の素顔 「再生日本21」より / 中国4000年の“抗争と断絶”の歴史 よく「中国4000年の歴史」という。しかしこの4000年の歴史は、実は繰り返される断絶の歴史、もっと言えば血で血を洗う抗争の歴史といってもよいくらいだ。 それを象徴する言葉が「易姓革命」である。易姓革命とは、天下を治める者は、その時代に最も徳がある人物がふさわしい。天が徳を失った王朝に見切りをつけた時、革命が起きるという中国の伝統的な政治思想である。天や徳といった言葉が使われているが、実のところは新王朝が史書編纂などで歴代王朝の正統な後継であることを強調する一方で、新王朝の正当性を強調するために前王朝と末代皇帝の不徳と悪逆を強調する。それを正当化する理論として機能していたのが易姓革命の思想なのだ。そのため中国の歴史は、決して誇張ではなく血で血を洗う抗争に次ぐ抗争であり、4000年の歴史と言っても私たち日本人がイメージしているような悠久の歴史では全くない。江戸時代の儒学者であり、軍学者であった山鹿素行はその著『中朝事実』においてその点を指摘し、「中国では易姓革命によって家臣が君主を弑することがしょっちゅう起こっている。中国は中華の名に値しない。建国以来万世一系の日本こそ中朝(中華)である」と主張した。素行も説いた中国の抗争と断絶の歴史をさかのぼりながら見ていこう。 清朝は漢族ではなく満州族の王朝 +続き 例えば、今の中華人民共和国の前は、中華民国。その前は清。ここまでは誰もが知っているだろうが、この清朝はいわゆる「中国人」の主流派である漢族の王朝ではない。北方の満州族が打ち立てた王朝なのだ。前述した素行はこの点についてもきちんと指摘していた。この満州族が中国を支配していた清の時代に持ちこんだものの中には、今私たちが中国の伝統的なものと誤解しているものも少なくない。例えばチャイナドレスがそうだ。チャイナドレスは丈の長い詰め襟の衣服だが、あれは元々北方に住む満州族の防風防寒のための衣服だったのだ。 実はこの満州族の王朝である清朝により、「中国」は拡大してほぼ今の「中国」とイコールになった。それまではもっと狭い地域を指していたのだ。少し考えてみれば分かることだが、誰もが知っている世界遺産の万里の長城。あれは外敵の侵入を防ぐために造られたものなのだから、長城の向こう側は「中国」ではなかった。その「中国」ではない地域、満州において1616年に建国した後金(こうきん)国が清の前身である。後金国の首都は遼陽(りょうよう)から後に瀋陽(しんよう)(旧称奉天)に移されたが、つまり遼陽も瀋陽も当時は「中国」ではなかった、「中国」の外にあったのである。後金は1636年に国号を大清に改め、1644年に万里の長城を越えて北京に都を移す。こうして満州族の征服によって、満州から旧「中国」までを含む現「中国」が誕生したのである。 古代、「漢族」は存在しなかった 清の前は、明。明の前は元。これくらいは多くの日本人が知っている。それより前になると、あやしくなる人が多いであろうが、さかのぼって見ていこう。北に金、南に宋の両王朝が併存していたのが、平清盛が日宋貿易を行なった時代である。さらにさかのぼると北宋の時代、五代十国時代となり、その前、6世紀後半から10世紀にかけてが、遣唐使・遣隋使で馴染みのある唐や隋の時代。その前は、南北朝時代、五胡十六国時代、そして『三国志』で名高い三国時代は220年頃から300年頃。その前は、漢字や漢族という言葉の元となる漢王朝で、始まりは紀元前206年にまでさかのぼる。漢は前漢と後漢に分けられるが、前漢を起こしたのが小説や漫画で知られている劉邦である。そして、前漢の前が始皇帝で名高い秦(しん)。東アジアの大陸部に「中国」と呼んでもいい政治的統一体が完成したのは、この秦の始皇帝による統一(紀元前221年)からだ。 「中国4000年の歴史」と言われるが、まだ半分にしか達していない。秦の始皇帝による統一前、いわゆる先秦時代はどういう状態であったかと言うと、「中原(ちゅうげん)」と呼ばれる黄河中流域の平原地帯を巡って、諸族が争い攻防を繰り返していた。今、諸族と書いたが、読者は「諸族というのは漢族とその他の少数民族のこと?」と思ったかもしれない。そうではない。実は古代中国の時代には「漢族」などという種族は存在しなかったのだ。読者は「東夷(とうい)・西戎(せいじゅう)・南蛮・北狄(ほくてき)」という言葉を聞いたことがあるだろう。今、日本人に馴染みのあるのは「南蛮」くらいだが、元々は4つセットで「四夷」と呼ばれる。中国の周り、東西南北に住む野蛮人というような蔑称だ。中華思想を象徴する言葉だが、実は元々、中華に値するのは前述した黄河中流域の中原しかなかった。それ以外に住む種族は、例えば今の北京や上海に住んでいた種族もみな「夷・戎・蛮・狄」であったのである。そればかりではない。先秦時代の王朝として夏(か)・殷(いん)・周の三王朝が中原にあったが、夏は東南アジアの海洋民族(東夷)、殷は北の狩猟民族(北狄)、周は東北チベットの遊牧民(西戎)ではなかったかと言われているし、中国統一を成し遂げたした秦も西戎である。西戎のさらに西、ペルシャ系の遊牧民ではなかったかという説もある。いずれにしても、豊かな都市国家・中原を巡って、文字どおり諸族が入り乱れ、それによって誕生した混血雑種が漢族なのである。 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E5%8E%9F 征服王朝のすさまじさ 混血という意味では、日本人もそう言える。私たちも学生時代、日本史の授業において、帰化人、あるいは渡来人を学んだ。大陸から多くの血が入ってきているのは間違いない。ただ、日本人と漢族あるいは中国人とが決定的に違うのは、日本人の場合、渡来人は日本に融合していったのに対し、中国人の場合は前述した易姓革命により、抗争と征服を繰り返してきたという点だ。 先に述べた清だけではない。読者もご存知のとおり、元寇で知られる元はモンゴル族の王朝であるし、燕京(現在の北京)に都を置いた金は女真族、後の満州族につながるツングース系言語を話す半農半猟の民であった。中国史における用語として、「征服王朝」という言葉があるが、これは漢族以外の民族によって支配された王朝のことを指す。清や元、金は征服王朝である。 征服王朝のすさまじさの一例を挙げよう。1126年11月、金は宋(北宋)の首都・開封を陥れる。この年が靖康元年であったため、これを「靖康の変」と呼ぶ。金はおびただしい金銀財宝とともに、徽宗・欽宗以下の宋の皇族と官僚、数千人を捕らえて満州へ連行し、そこで生涯にわたって悲惨な虜囚生活を送らせた。そればかりではない。この事件で宋室の皇女達(4歳~28歳)全員が連行され、金の皇帝・皇族らの妾にされるか、洗衣院と呼ばれる官営売春施設に送られて娼婦とさせられたのである。 「中国」どころではなく、東アジアから東ヨーロッパまでを支配した大征服王朝の元は、南宋を滅ぼした際、金が北宋に対して行なったようなむごたらしい行為は行なわなかったが、統治においては厳しい身分制度を敷いて徹底的に民族差別を行なった。民族をモンゴル人・色目人・漢人・南人に分け、中央政府の首脳部と地方行政機関の長はモンゴル人が独占した。色目人とは色々な目の色をした人の意味で、中央アジア・西アジア出身の異民族、さらにはヨーロッパ人も含む。早くから譜代関係にあったために、モンゴル人に次いで重用され、モンゴル人とともに支配階級を形成した。支配階級であるモンゴル人と色目人を合わせて人口は約200万人で、その人口構成比は約3%に過ぎなかった。漢人は、金の支配下にあった人々の総称で、淮河以北に居住していた宋代の漢人の子孫の他に、女真人・契丹人・高麗人・渤海人などが含まれ、人口は約1000万人、人口構成比は約14%であった。そして、一番下の階級である南人は南宋の支配下にあった漢民族を指し、人口は約6000万人、人口構成比は約83%を占めた。漢人・南人は被支配者階級であり、特に人口の大部分を占める南人は最下層に置かれ徹底的に差別された。その決まりは細かく、例えばモンゴル人と漢人・南人が争ってモンゴル人が漢人・南人を殴っても、漢人・南人は殴り返してはいけないというような細かいことまで法で定められていた。また、同じ漢族でも、金の支配下にあったか南宋の支配下にあったかで差別しているが、これの基準は中国化しているかしていないかであり、徹底して中国式を抑圧した。私たち日本人からすると、元は遊牧民族が作った中国式王朝のようなイメージがあるが、実際には中国式の要素はほとんどなかった。ただ、「パスパ文字」という独自の文字とともに支配の都合上漢字も使っていたというだけなのだ。 なお、余談になるがこのパスパ文字、ハングルとそっくりである。実は、ハングルは、元の属国であった高麗(朝鮮)王朝がモンゴル化し、その時伝わったパスパ文字が基礎となって、高麗王朝に代わった李氏朝鮮の時代に作られたと言われている。このパスパ文字起源説は韓国外の学界では広く受け入れられているが、韓国内では当然、圧倒的に非主流派である。しかし韓国内においても、きちんとした学究も一部ではなされている。例えば、国語学者のチョン・クァン高麗大名誉教授がそうだ。チョン・クァン名誉教授は、次のように述べ、韓国における国粋主義的研究を糺している。「訓民正音とハングルに関する国粋主義的な研究は、この文字の制定とその原理・動機の真相を糊塗してきたと言っても過言ではない」。 http //japanese.joins.com/article/430/107430.html 尖閣はもちろん我が国固有の領土であるが、今、韓国が不法占拠している竹島も我が国固有の領土である。竹島は1952年のいわゆる「李承晩ライン」により、韓国に軍事的に侵略された領土なのである。第二次世界大戦後、日本漁業の経済水域はマッカーサー・ラインによって大きく制限されたものであったが、1951年9月8日に調印されたサンフランシスコ講和条約により、翌1952年4月28日の日本主権の回復後はこの制限の撤廃が予定されていた。ところが、日本の主権回復前の隙を韓国は狙ってきたのだ。1951年7月19日、韓国政府はサンフランシスコ講和条約草案を起草中の米国政府に対し要望書を提出し、竹島、波浪島を韓国領とすること、並びにマッカーサー・ラインの継続を要求した。これに対し、アメリカは1951年8月10日に「ラスク書簡」にて回答し、この韓国政府の要求を拒否した。「ラスク書簡」の約1ヶ月後の1951年9月8日にサンフランシスコ講和条約は調印されたが、講和条約発効の約3か月前の1952年1月18日、朝鮮戦争下の韓国政府は、突如としてマッカーサー・ラインに代わる李承晩ラインという軍事境界線の宣言を行った。1965年の日韓基本条約によってラインが廃止されるまでの13年間に、韓国による日本人抑留者は3929人、拿捕された船舶数は328隻、死傷者は44人を数えた。抑留者は6畳ほどの板の間に30人も押し込まれ、僅かな食料と30人がおけ1杯の水で1日を過ごさなければならないなどの劣悪な抑留生活を強いられた。このような国際法上違法であり、かつ非人道的侵略行為に対し、当時我が国政府のみならず米国も抗議しているが、米国は直接的な利害関係国ではないため積極的な介入は行なわず、それがために韓国による侵略が固定化されてしまったのである。 国策として反日愛国を強く推進している韓国という国の中で、こういった事実は全く知られていない。反日愛国に沿った虚偽が真実として異常に強調される国なのである。そういう国にあって、もし真実を伝えようとすれば、袋叩きに遭うことは間違いないだろう。しかし、中には良心に忠実に真実に向き合おうとする人もいる。例えば、先に取り上げたハングル研究におけるチョン・クァン名誉教授などがそうである。韓国にも、あるいは中国にも少数ながら存在するそういう勇気ある真っ当な人たちの声を、私たち日本人はしっかり認識し、広めていくべきだろう。 次は最後の征服王朝・清だ。1644年に都を北京に移した清は、中国南部に残っている明朝の残党狩りのために征服戦争に打って出る。これがすさまじい。「屠城(とじょう)」と言って、「城内の全ての人間を屠殺する」のである。こう言うと、「日本でも珍しくないではないか」と思うかもしれないが、まるで違うのである。日本では籠城するのは武士であり、城下町はその外にある。だから、仮に城内の人間がすべて殺されたとしても、それは籠城している武士だけである。しかし、中国の場合、街全体が城壁で囲まれており、屠城とは街中の市民全員を殺すことなのである。清の征服軍が行なった屠城で有名なものの一つは1644年の「揚州屠城」であるが、当時揚州は既に人口100万人の大都市であった。その都市で大虐殺が実行された。かろうじて生き残った王秀楚という人物が、『揚州十日記』という記録を残している。「数十名の女たちは牛か羊のように駆り立てられて、少しでも進まぬとただちに殴られ、あるいはその場で斬殺された。道路のあちこちに幼児が捨てられていた。子供たちの小さな体が馬の蹄に蹴飛ばされ、人の足に踏まれて、内臓は泥に塗れていた。途中の溝や池には屍骸がうず高く積み上げられ、手と足が重なり合っていた」。この記録によれば、屍骸の数は帳簿に記載されている分だけでも八十万人以上に達したという。 秦に見られる中国史の伝統――思想弾圧・大量殺戮・粛清 征服王朝から、もう一度初めて中国を統一した秦に戻ろう。なぜなら、ここに中国史を貫く特徴が顕著に表れているからである。その特徴とは、思想弾圧、そして大量殺戮と粛清である。思想弾圧に関しては、今さら多言を要す必要はないだろう。秦の始皇帝は歴史に名高い「焚書(ふんしょ)・坑儒(こうじゅ)」を行なった。焚書・坑儒とは、「書を燃やし、儒者を坑する(儒者を生き埋めにする)」の意味である。これは多くの人が知っているが、意外と知られていないのが秦の大量殺戮と内部粛清である。『史記』の『白起列伝』には、中国統一に至る過程でのすさまじい殺戮が記述されている。例えば、紀元前293年、秦軍は韓と魏(ぎ)の連合軍を破るが、この時24万人を斬首している。その後も数万人レベルの斬首はざらで、最もすさまじかったのは紀元前260年の長平の戦いである。この時、秦軍は山西省高平県の長平で45万の大軍を擁した趙(ちょう)軍を降伏させるが、問題はその後である。45万の趙軍のうち戦闘中で命を落としたのは5万人。残りの40万人は捕虜となったが、秦の白起将軍によりこの40万人の捕虜ほぼ全員が生き埋めにされて処刑(坑殺)されたのである。 次は粛清である。紀元前210年に始皇帝は巡幸中に死亡すると、粛清の嵐が始まる。始皇帝の身辺の世話をしていた宦官・趙高(ちょうこう)と宰相・李斯(りし)は、まず始皇帝から後継指名を受けていた長男の扶蘇(ふそ)を自殺に追い込む。そして、次男の胡亥(こがい)を二世皇帝に据え、権力をほしいままにした。傀儡政権を樹立した後は、趙高と李斯以外のグループの重臣を次々に殺戮。次いで胡亥の兄弟である12名の皇子を処刑し、10名の皇女を磔にした。ところが、次はさらなる内紛と粛清である。今度やられる方に回ったのは李斯であった。趙高は権力独占のために邪魔になった李斯を追い落とすため、謀反の罪をかけ、皇帝の名において逮捕させる。そして例によって一族皆殺しである。これを「族誅(ぞくちゅう)」と言うが、族誅は中国史の伝統である。凄惨な粛清はさらに続く。趙高は、今度は二世皇帝・胡亥を自殺に追い込み、始皇帝の孫である子嬰(しえい)を3世皇帝に立てるが(紀元前207年)、既に自らの力も国の力も衰え切っており、今度は逆に趙高一族が子嬰によって誅殺されることになる。因果である。 なお、秦は子嬰が即位した翌年、紀元前206年には滅びてしまうのであるが、滅ぼしたのが有名な項羽と劉邦である。この時、項羽がやったこともすさまじい。項羽は秦の首都・咸陽(かんよう)に向かう途中で造反の気配を見せた秦兵20万人を穴埋めにして殺している。また、子嬰が降伏して秦が滅亡した後、項羽は子嬰一族や官吏4千人を皆殺しにし、咸陽の美女財宝を略奪して、さらに始皇帝の墓を暴いて宝物を持ち出している。そして殺戮と略奪の限りを尽くした後、都に火をかけ、咸陽を廃墟としたのである。 項羽と劉邦の時代の漢族は滅びた 力を合わせて秦を滅亡させた項羽と劉邦であったが、その直後から対立は始まり、楚漢戦争が勃発。紀元前202年の垓下(がいか)の戦いで劉邦は項羽をやぶり、漢(前漢)を建国する。残虐な項羽に比べて人格者のイメージの劉邦であるが、決してそうではない。きちんと中国史の伝統を受け継ぎ、天下を取った後は粛清の連続である。関ヶ原で天下を取った家康が功労のあった多くの武将に領地を与えたのと同じように、天下を取った劉邦も功労者に封土と王位を与えた。しかし、功労者は実力者であり、天下を取った後は目ざわりでしかない。楚(そ)王・韓信や梁(りょう)王・彭越(ほうえつ)ら天下統一に最も貢献した者たちは、謀反の疑いをかけられ、一族皆殺し、族誅された。 しかも、梁王・彭越は誅殺された後、塩漬けにされ、その肉は群臣に漏れなく配られた。「こういう目に遭うぞ」という恐怖政治の極みである。劉邦は紀元前195年に亡くなるが、その時には王位についているのは、ほとんど劉氏一族の者ばかりとなっていた。 高祖・劉邦が没して劉盈(恵帝)が即位すると、劉邦の妻・呂后(りょごう)は皇太后としてその後見にあたる。この呂后がまたすさまじい。まず、恵帝の有力なライバルであった高祖・劉邦の庶子である趙(ちょう)王如意(にょい)とその生母・戚(せき)夫人を殺害した。この時の呂后の殺害の仕方は、猟奇的などという次元をはるかに超えている。呂后は戚夫人を奴隷とし、趙王如意殺害後には、戚夫人の両手両足を切り落とし、目玉をくりぬき、薬で耳・声をつぶし、その上でまだ生きたまま便所に投げ入れて人彘(人豚)と呼ばせたという。呂后は我が子である劉盈(恵帝)以外のほとんどの劉邦の息子を殺し、呂氏一族を要職に付け専横をほしいままにする。しかし、これまた因果は巡るで、呂后の死後、逆に呂氏一族は族誅される側に回り、皆殺しされるのである。 漢はこの後、血気盛んに領土を拡大した武帝の時代などを経て、約200年でその時代を終える。帝室の外戚である王莽(おうもう)が、事実上国を乗っ取り、紀元8年「新」という王朝を建てる。しかし、この「新」王朝は、紀元17年に始まった反乱の全国的な拡大により、わずか15年でその幕を閉じる。 さて、この「新」王朝建国の直前、紀元2年に中国史上で最初の人口統計が現れる。『漢書』の『地理誌』にある「口、五千九百五十九万四千九百七十八」という記述である。約6000万人である。ところが前述した全国的な戦乱と飢餓の結果、23年に「新」王朝が滅んだ時には中国の人口は6000万の半分に、さらに劉秀(後漢の光武帝)によって再統一される37年までに、さらに半減したと言われている。つまり、17年から37年までの20年間で、75%も人口が減り、約1500万人になったことになる。その後の後漢の人口統計に見れば、これはほぼ事実と考えられる。『続漢書』の『郡国史』によれば、人口は57年に約2100万人、75年に約3400万人、88年に約4300万人、105年に約5300万人と推移している。これから推計すれば、37年には1500万人くらいであったろう。 戦乱と飢餓による人口の激減というのはどの国においてもあったことだが、とりわけ中国においては甚だしい。そして、戦乱・飢餓で人口が激減し衰微しきったところに、近隣の異民族が侵入してくる。それが我が国にはない中国史の特徴である(と言うより、我が国のように異民族による侵入がない方が世界に類例がないと言えるが)。「新」王朝期の人口激減は、中国史において数字が残されている最初のものである。 37年に劉秀(後漢の光武帝)による天下統一で誕生した後漢であるが、長くは続かなかった。184年に黄巾の乱、五斗米道の乱と相次いで宗教秘密結社による反乱が起こり、それがきっかけとなって各地に群雄が乱立する天下大乱の時代に突入する。『三国志』の時代の到来である。『三国志』の時代と言うと、血沸き肉踊るイメージがあるかもしれないが、現実には戦乱が打ち続く歴史上稀に見る悲惨な時代であった。黄巾の乱後、正史の記録には、「白骨山のように積み」「人は共喰」「千里に人煙を見ず」といった記述が多い。当然、人口は再び激減した。先に見たように、後漢の時代、人口は5000万人を超えるところまで増えた。それが戦乱の三国時代にどこまで減ったのか。なんと約十分の一になったと言われてる。事実上、それまでの漢族は滅びたと言ってよい。 なお、『三国志』とは、魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国が争った三国時代の歴史を述べた歴史書であり、撰者は晋の陳寿である。それとは別に、歴史書『三国志』に逸話や創作を盛り込んだ小説『三国志演義』というのがあり、これは明代に成立している。私たちが横山光輝の漫画などで知っている『三国志』はこの『三国志演義』をベースにした物語である。 三国時代という内戦時代の後、一時的に晋が中国を統一するがわずか20年で瓦解し、再び戦乱と分裂の時代に突入する。「五胡十六国時代」である。五胡とは、匈奴(きょうど)・鮮卑(せんぴ)・羯(けつ)・氐(てい)・羌(きょう)の五民族を意味し、十六国とは北魏末期の史官・崔鴻が私撰した『十六国春秋』に基づく表現で、実際の国の数は16を超えた。要するに、従来の漢族が内戦により自滅的に激減した状況下で、様々な民族が中国の中に入り乱れ、小国を建てる時代が到来したのである。「五胡十六国時代」は304年から439年まで続き、439年に至って従来の中華である中原から現在の北京を含む華北一帯を北魏(ほくぎ)が統一する。では、この北魏を打ち立てた民族は何だったのか。先の五胡の中の鮮卑。鮮卑とは北方の遊牧民である。それに対して、わずかに生き残った従来の漢族は南に逃れて王朝を建てた。そのためこの時代を中国における「南北朝時代」(439年~589年)と呼ぶ。南北朝時代に終止符を打ったのは隋による中国統一であるが、この隋も鮮卑による王朝であった。 「五胡十六国時代」から隋の時代にかけて、中国語は大きく変質した。鮮卑は文字を持たなかったため、話していた言語がテュルク系であったかモンゴル系であったか、正確には分からない。ただ、アルタイ系言語(北東アジア・中央アジアから東欧にかけての広い範囲で話されている諸言語)であったことはほぼ間違いない。隋の天下統一の直後、601年に鮮卑人の陸法言という人物が、『切韻』という字典を編纂する。これは漢字を発音別に分類し、漢字の発音の標準を定めようとしたものであるが、そこにはアルタイ系発音の特徴が随所に見られる。このことからも、この時代の中国人は、すでに始皇帝や劉邦の時代、秦・漢時代の中国人の子孫ではなかったことが分かる。 なお、五胡十六国の諸国や北朝、あるいは隋・唐は、既に述べた清や元などと同じく異民族王朝であるが、明確な征服行為を欠くため「征服王朝」とは呼ばれず「浸透王朝」という用語で定義される。 繰り返された仏教の興隆と弾圧 隋の時代は長く続かず、589年から618年まで。次いで唐の時代となるが、この唐も鮮卑の王朝である。ところで、隋・唐と言えば、遣隋使・遣唐使が思い浮かぶ読者も多いであろう。そして、遣隋使・遣唐使の大きな目的の一つが仏教を学ぶことにあったことは言うまでもない。隋の時代は日本では聖徳太子の時代と重なり、聖徳太子は四天王寺の建立や仏教興隆の詔を発した。また、唐の時代には、帰日する遣唐使とともに唐の高僧・鑑真が渡日し、唐招提寺を創建するなど、日本における仏教の興隆に大きな役割を果たしたし、空海や最澄も遣唐使として唐に渡り、仏教を学んでいる。これらのことは多くの日本人が知っている。では、仏教は中国の宗教なのだろうか? 少し考えればそうではないことに誰もが気付くだろう。仏教を開いたお釈迦様はインドの生まれである(より正確には国境を少し越えた現在のネパールのルンビニに生まれた)。釈迦が生まれ、仏教が誕生したのは紀元前5世紀頃。それが中国に伝わったのは1世紀頃と推定される。ではそれ以降、仏教は順調に中国に浸透していったかと言うと、そうではない。先にも述べたが、思想・宗教の世界でも、中国史は過酷な弾圧が繰り返されているのである。 まずは、中国における仏教の興隆と弾圧の歴史を見ていこう。南北朝から隋、唐、そしてその後の五代十国時代にかけての500年余りの中国史の中で、規模も後世への影響力も大きかった4度の廃仏政策のことを、4人の皇帝の廟号や諡号をとって、「三武一宗の廃仏」または「三武一宗の法難」と呼ぶ。三武とは、南北朝時代の北魏の太武帝・同じく北周の武帝・唐の武宗を指し、一宗とは五代十国時代の後周の世宗を指す。弾圧政策の具体的内容は、寺院の破壊と財産の没収、僧の還俗、あるいは殺戮などである。 最初の北魏の太武帝による「魏武の法難」は438年の50歳以下の僧侶の還俗に始まり、446年には仏教排斥の詔に至る。以後、太武帝が殺害されるまでの7年間、僧侶は殺戮され、経典は焼き捨てられた。この時、仏教弾圧の一方で保護されたのは道教であった。次の北周の武帝による「周武の法難」は574年と577年の2回にわたり、この時は仏教のみならず道教も廃され、儒教が顕彰された。続く隋と唐の時代は、私たち日本人のイメージどおり、基本的には仏教隆盛の時代であった。隋の文帝は仏教と道教の禁制を解いて仏教の復興に取り組んだ。「隋の文帝一代二十四年の間に、得度した僧尼二三万、寺院三七九二」などという記録がある。唐代に入ると仏教はますます盛んになった。『西遊記』で有名な三蔵法師、玄奘三蔵は実在の人物であるが(602年~664年)、西域やインドへの遊学し、膨大な仏典をもたらした。ところが、840年に即位した武宗は81名もの道士を宮中に召すなど道教に傾斜して仏教を弾圧。この弾圧で廃止させられた寺院は4600以上に上ったという(この時の年号により「会昌の法難」呼ばれる)。4回目の「後周の法難」は、今までの思想・宗教的な性格のものではなく、財政的窮迫が主たる動機で、寺院の財産を没収したり還俗させて税を課した。廃寺となった寺は3300余にも上った(本筋から話はそれるが、国家は財政に窮した場合、どんな手段を使ってでも取れるところから取るという実例でもある)。 ちなみに、我が国でも明治の初めの一時期、いわゆる「廃仏(はいぶつ)毀釈(きしゃく)」が行なわれた。しかし、廃仏毀釈の元となった「神仏分離令」や神道を国教とする詔書「大教宣布」は、神道と仏教の分離を目的とするもので、本来仏教排斥を意図したものではなかった。しかし、時代は維新の動乱期であり、結果として廃仏毀釈運動(廃仏運動)と呼ばれる民間の運動を引き起こしてしまったのである。こうした歴史がごく一時的にはあったにせよ、日本における宗教は、教義や経典を持たない「かんながらのみち」としての神道に外来宗教である仏教が融合してきたものと言えるだろう。 日本の融合に対し、中国では思想・宗教においても激しい対立と闘いが繰り返されてきた。今まで述べてきた時代であれば、仏教と道教の抗争に時に儒教が絡んでくるという構図がお分かりいただけたであろう(ちなみに、仏教と道教、それに儒教の三つを中国三大宗教という)。王朝も宗教も中国史の特徴は抗争と断絶なのである。 売りがある寺院は破壊から一大観光スポットへ 中国の仏教は、宋・明代以後、衰退していく。読者も遣唐使以降、あまり中国仏教のイメージがないのではないだろうか。では、現在、中国の仏教はどうなっているのだろうか? ある意味では繁栄している。その一例として、1987年に仏舎利(釈迦の遺骨)が出土した古刹、法門寺の現状を見ていこう。 法門寺の歴史は1700年ほど前にさかのぼる。南北朝時代の北周以前には阿育王寺と呼ばれていたが、前述した北周の武帝の廃仏によって、一度廃毀された。隋代に再建され、618年に寺の名を法門寺と改める。その後も前述したような幾度もの法難をくぐりぬけてきて、20世紀を迎えた。そこで最大の試練を迎える。共産主義国家・中華人民共和国の誕生。そして、さらに壊滅的打撃を与えたのが文化大革命である。 「宗教はアヘン」という中国共産党が政権を奪ってから、政府は寺を壊し経典を燃やし、僧侶や尼を強制的に還俗させたほか、他の宗教施設の破壊もずっと止めなかった。60年代には、既に中国の宗教施設は壊滅的状況であった。宗教の自由を求める人達は、台湾や、英国統治下の香港に脱出して行ったので、中国仏教の伝統は、大陸よりも、台湾や、香港で維持されてきたと言える。そして文化大革命である。 念のため、文化大革命について簡単に説明しておこう。正式にはプロレタリア文化大革命。略称「文革」。中華人民共和国で1966年から1977年まで続いた「封建的文化、資本主義文化を批判し、新しく社会主義文化を創生しよう」という名目で行われた改革運動である。しかし、その内実は、政権中枢から失脚していた毛沢東が、劉少奇からの政権奪還を目的とした大規模な権力闘争であり、死者は一千万人を超え、リンチを受けたり冤罪で投獄されたりといった被害者は一億人に及んだと言われる、世界史上でも例のないおぞましい大粛清であった。 文革時、宗教は「破四旧」(思想、文化、風俗、習慣の破壊)のスローガンの下、徹底的に弾圧、破壊された。例えば、中国最初の佛教寺院は68年に建立された洛陽にある白馬寺であるが、中国共産党は革命をすると言って農民たちを白馬寺に連れて行き、千年前の遼の時代に土で造られた十八羅漢の像を壊し、二千年前にインドの僧侶が持ってきた貝葉経を燃やしただけではなく、稀世の宝とも呼ばれる玉の馬をもばらばらに壊した。法門寺も当然、破壊の対象とされた。時の住職であった良卿法師は、宝塔や伽藍を守ろうとして寺院内の真身宝塔前で抗議の焼身自殺をするが、寺は破壊されその他の僧侶らは殺戮された。 狂気の文革が終わった後、寺院は文化財として修復されるようになる。そして1987年、法門寺にとって願ってもない天佑が訪れる。真身宝塔の地下にあった地下宮殿が開かれ、稠密な彫金を施した幾重もの宝函に収められた4粒の仏舎利などの大量の貴重な文物が出土したのである。その後は、国家主導で一大観光スポットとして、建築開発が進められた。一大看板の仏舎利は、現在は2009年に新しく西隣に建立された新法門寺に納められ、毎日夕方になると自動的に地下の格納庫に収納されるシステムで大切に扱われている。この新法門寺は中国最大級の現代建築物である。広大な敷地に近代的な建物群、金ピカな仏像群に現代的オブジェ。お目当ての仏舎利塔は超巨大な現代的門をいくつもくぐったはるか先にあり、そこまでの足として有料電動カーが用意されている。下はコンクリート舗装なので、暑い季節はこの電動カーが観光客にはありがたいであろう。現在、法門寺はホームページを開設しており、中国語だけでなく、英語・ハングル、そして日本語のページもある。金ピカな仏舎利塔がトップに来るホームページには、「会社案内」の文字も見える。そう、現代中国仏教は、観光会社として一大発展を遂げているのである。 http //fms.demo.allwww.cn/Channel.aspx?ChId=5 金儲けに突き進む現代中国仏教 法門寺に限らない。今日、中国仏教は政府主導で金儲けに突き進んでいる。2012年7月3日、中国4大仏教名山の一つ普陀山の管理団体「普陀山旅遊発展」が2年以内の新規株式公開(IPO)を計画していると、中国紙チャイナ・デイリーが伝えた。上場によって7億5000万元(約94億円)の調達を計画しているという。普陀山旅遊発展は、普陀山観光センター、索道、バス会社、観光事業などの運営を行っている。この他に、九華山、五台山も積極的に株式公開の準備をしているといううわさが流れている。 ほとんどの中国の有名な観光地には寺院があるが、そうした寺院は形だけは立派に復興している。少し名が通った寺院は、どこも安くない入場料を取るだけでなく、販売商品も多彩に取り扱っている。写真や拓本、仏像、年珠、線香、置物、ペンダント等々だ。その他にも多くの高額料金のサービスがある。例えば、焼香代、鐘突き代、おみくじ代、おみくじ解説代等々。観光客に大金があれば寺は焼香をあげ、鐘を突き、様々な儀式を執り行ってくれる。一般の観光客が寺に行くと、寺の僧侶は焼香を上げるよう勧めるが、御香は外から持ってくることはできない。一応、それは不浄であるとの理由による。その焼香代は日本のように安くはない。境内では香を上げるのに最低でも200元(2500円)、最高10万元(125万円)も支払った例もあるという。しかも、一応宗教であり商売ではないから、値段交渉することもできない。値段交渉は敬虔さの欠如とみなされるのだ。ただ、支払いに現金がなくても問題はない。こういった観光寺院には、POSシステムが導入されておりカード払いもできるのだ。 焼香が終わると、僧侶は賽銭簿を持ってきて観光客にサインするよう勧める。サインするなら住職自らお経を読み、開運祈願と厄払いをしてくれるという。賽銭簿にサインして初めて住職は「サインは無料ではなくお布施が必要で、どれぐらい寄付するかはあなた次第、3でも6でも9でもよい」と言う。よくよく聞くと、3、6、9とは300元(3750円)、600元(7500円)、900元(1万1250円)、3000元(3万7500円)、6000元(7万5000円)、9000元(11万2500円)のことで、その中から選ぶというのである。 このように、今の中国では観光寺院は大いに儲けるようになったので、僧侶は公務員を越えて最も稼ぎがよく、且つ尊敬される職業となった。寺の僧侶が儲かる職業であることから、偽僧侶も増えてきた。例えば観光客におみくじの解説をするために、ある寺院では大金を払って偽僧侶を雇っている。このビジネスは利幅が大きいことから、僧侶、尼僧として雇用契約書にサインし、寺院に出勤し、毎月給料を得、退勤後は一般人に戻り、その収入はホワイトカラーを超える。住職は僧侶を指導する立場にあるから、収入は更に多い。住職の多くは結婚し子供もいて、市内に家を購入し高級車を乗り回している。 このように、現在中国において仏教は大いに栄えている。ただしそれは精神的な面においてではない。そもそも、「宗教はアヘン」とする共産主義の国で、深い宗教性が涵養されるはずもない。形骸としては残った寺院を、観光資源として金儲けにフルに活用しているのである。教えや精神は破壊されたまま。そこで拝まれているのは神仏ではなくマネーである。 明の太祖・洪武帝によるすさまじい粛清 ここまで、中国史とは抗争と断絶の歴史であることを、「征服王朝」「浸透王朝」といった言葉とともに説明してきた。また、主に仏教を中心に中国における宗教の興亡も見てきた。その最後は、狂気の弾圧と粛清である文化大革命による破壊から一転しての国家主導による拝金主義であった。 さて、中国史における大粛清と大量殺戮。これに関する史実を、もう少し補足しておこう。まずは、今まで述べてこなかった明王朝の時代(1368年~1644年)における大粛清である。 明朝の創始者である朱元璋(しゅげんしょう)は貧農の生まれで、家族は全員飢え死にし、乞食坊主となった。そこから身を起こし、秘密結社白蓮教(浄土教系)が起こした紅巾の乱に加わって頭角を現し、41歳にして天下を取った(明の太祖・洪武帝)。大変な才覚があったのは間違いない。しかしその一方で、洪武帝は後の毛沢東にも通じる恐怖政治を行なった。すさまじい粛清である。既に見てきたように、血で血を洗う抗争が中国史であるのだから、中国史において粛清自体は珍しいことではない。しかし、洪武帝が行なった粛清は、その規模、空前のものであった。 洪武帝の粛清は、1380年の胡惟庸(こいよう)の獄に始まる。胡惟庸は紅巾の乱時代から洪武帝とともに戦ってきた旧臣であった。しかし、謀叛を計画していたとされ粛清される。ここまでなら、よくある話である。すさまじいのは、この時、胡惟庸派と見なされた重臣はみな連座して虐殺され、その数実に一万五千人に上ったということである。1393年には藍玉の獄。藍玉は明建国初期に軍功を上げた武将であったが、やはり謀反の疑いで粛清された。この時も連座して処刑された者の数が半端ではない。一万五千人とも、二万人(『明史紀事本末』)とも言われ、正確な数字は不明である。 この二つを合わせて「胡藍(こらん)の獄」と呼ぶが、洪武帝の恐怖政治はまだまだこんなものではない。空印の案(1376年)、郭桓の案(1385年)、 林賢事件(1386年)、 李善長の獄(1390年)といった数々の粛清を行ない、一連の事件の犠牲者は、合わせて十数万人に及んだとも言われる。こうした粛清にはスパイによる密告が欠かせない。中国は古代からスパイ国家であるが、洪武帝は皇帝直属の秘密組織「錦衣衛(きんいえい)」を設け、この組織をフル活動させて恐怖政治を行なった(なお、中国は今でも諜報活動においては世界屈指の能力を持ち、イギリス・イスラエルとともに、世界の“3大インテリジェンス・パワー”と呼ばれている)。刑罰もすごい。身体の肉を少しずつ切り落として死に至らしめる「凌遅(りんち)刑」や「剥皮(はくひ)刑」をはじめとする様々な残虐刑を行ない、人々を恐怖で縛り上げたのだった。洪武帝は1398年に崩御する死の間際まで功臣を殺し続けた。 本当の「南京大虐殺」、太平天国の乱 先の洪武帝がのし上がるきっかけとなった白蓮教は、清朝の時代にも大きな反乱を企てる(白蓮教徒の乱1796年~1804年)。清朝末期には、こうした宗教結社による反乱が相次ぐが、中でも死者五千万人とも人口の五分の一が死亡したとも言われ、「人類史上最大の内乱」とされるのが太平天国の乱である。 太平天国の乱を起こしたのは、キリスト教系の「拝上帝会」と言う結社である(ちなみに、時期を前後してイスラム教結社の反乱である回乱も勃発しているが、当時から20世紀にかけて「洗回」と称するイスラム教徒皆殺し運動が展開され、それによる犠牲者は二千万人とも推定されている)。「天王」と称した洪秀全はキリストの弟であると宣言し、1847年に拝上帝会を創設した後、またたく間に勢力を拡大した。1850年に広西省で蜂起した洪秀全は、1853年に南京を占領、「天京」と改めて都とし、太平天国の王朝を立てた。南京を陥落させた時には、太平天国軍は20万以上の兵力にふくれあがり、水陸両軍を編成するまでに至っていた。 ものすごい勢いであるが、この進軍の過程で太平天国軍は、後世の毛沢東たちがやったような「一村一焼一殺」を日常的に行なっていた。歴史書の記録によると、太平天国軍が湖南省になだれ込んでからは、湖南全域において「10の村の中の7、8の村が襲撃された。いたるところで財宝が掠めとられて、地主、郷紳(素封家)の家々はことごとく皆殺しにされた。屍骸が野に横たわり、血が流れて川となった。湖南開省以来、未曾有の大災難」であったという。 しかし、この略奪・殺戮が、後に太平天国自身の悲惨な最後を招く原因を作った。太平天国軍による「湖南草刈り」の13年後の1864年、曾国藩(そうこくはん)率いる湘軍(清の正規軍ではなく漢族の軍隊。北洋軍閥の源)は太平天国の首都である天京(南京)に攻め入ったが、この時の大虐殺は報復とは言え、言語に絶するすさまじいものであった。後に「天京屠城」と称されるこの大虐殺の実態はどういうものだったのか。 天京を落城させた後に湘軍がとった行動について、曾国藩自身は朝廷への報告書でこう記している。「吾が軍は賊都の金陵(南京の別称)に攻め入ってから、街全体をいくつかのブロックにわけて包囲した上、賊軍を丹念に捜し出して即時処刑を行ないました。3日間にわたる掃蕩作戦の結果、賊軍10万人あまりを処刑しました」。3日間で10万人の処刑というだけでもすさまじいものだが、さらに常軌を逸しているのは、この殺戮が賊軍だけではなく、多くの民間人にも及んだことだ。曾国藩の死後、幕僚の一人であった趙烈文(ちょうれつぶん)は『能静居士日記』の中で、南京住民にたいする湘軍の虐殺を証言している。「わが軍が金陵に入城して数日間、民間人の老弱した者、あるいは労役に使えない者たちは悉く斬殺され、街角のあちこちに屍骸が転がった。子供たちも斬殺の対象となり、多くの兵卒たちが子供殺しをまるで遊戯を楽しんでいるかのようにしまくった。婦女となると、40歳以下の者は兵卒たちの淫楽の道具となるが、40歳以上の者、あるいは顔があまりにも醜い者はほとんど、手当たり次第斬り捨てられてしまった」。こういう証言もある。湘軍と共に天京に攻め入ったある外国人の傭兵が、城内での目撃談を、英国の植民地だったインドで発行している新聞『インドタイムス』で語っている。 「私は朝廷の部隊が太平天国軍の捕虜たちを殺戮する場面をこの目で見た。彼らは本当に軍の捕虜であるかどうかは定かではない。とにかく、普段は野菜売場である町の広場に、捕虜とされる数百人の人々が集められてきた。群れの中には男もいれば女もいる。老人もいれば子供もいるのだ。歩くにも無理な老婆、生まれたばかりの嬰児、懐妊している婦人の姿も見られる。朝廷の兵士たちはまず、若い女性たちを捕虜の群れの中から引きずり出した。彼女たちをその場で凌辱した後に、周りで見物している町の破落戸(ごろつき)たちの手に渡して輪姦させるのである。その間、兵卒たちはにやにや笑っているが、輪姦が一通り終わると、全裸にされた女たちの髪の毛を掴んで一太刀で斬り殺してしまうのだ。それからが男たちの殺される番である。彼らは全員、小さな刀で全身の肉を一片一片切り取られて殺される。何のためかはよく分からないが、心臓は、一つずつ胸の中から丁寧に抉り出されて、用意された容器に入れられるのである。次に、子供たちが母親の前で殺され、母親たちも同じ運命となる」。 現在のところ、「天京屠城」で殺された住民たちの数は少なくとも10万人以上であるというのが歴史学上の定説となっている。これこそが、中国史上の本物の「南京大虐殺」なのである。 なお、太平天国が衰退した大きな理由には内紛があるが、これまた内紛というのは表面的な聞こえのいい表現であって、実質はすさまじい粛清であった。1856年9月、洪秀全はナンバー2であった楊秀清を粛正するのであるが、この時には楊秀清の一族並びに配下の兵たちとその家族約4万人が虐殺されている。既に述べてきたように、秦に始まり、漢の劉邦や呂后、明の洪武帝、太平天国の洪秀全、そして毛沢東と続くすさまじい粛清というのも、中国史の伝統と言えるだろう。 毛沢東が行なった大量殺戮と粛清に次ぐ粛清 ここまで、血で血を洗う抗争に次ぐ抗争という中国史の特徴を見てきた。より具体的に言えば、その特徴は既に述べたとおり、思想弾圧・大量殺戮・大粛清である。そして、現代中国・中華人民共和国ももちろんその性格を色濃く有している。既に「一村一焼一殺」と文化大革命については少し触れたが、本章の最後に毛沢東が行なった数々の戦慄するようなおぞましい行為について述べておこう。 毛沢東は、1928年から、湖南省・江西省・福建省・浙江省の各地に革命根拠地を拡大していくが、その時の行動方針が「一村一焼一殺、外加全没収」であった。意味は「一つの村では、一人の土豪を殺し、一軒の家を焼き払い、加えて財産を全部没収する」である。1928年から1933年までの5年間で、「一村一焼一殺」で殺された地主の総数は、10万人に及んだという。中国共産党が政権を取ると、「一村一焼一殺」は中国全土に徹底して行なわれることとなった。全土で吊るし上げにあった地主は六百数十万人。うち二百万人程度が銃殺された。共産革命はどこの国においても大量殺戮と略奪を伴う惨たらしいものであるが、毛沢東の行動を知っていくと中国史の伝統の焼き直しにも見える。 次は粛清である。現代中国の粛清と言うと、先に述べた文化大革命が思い起こされるだろうが、実際には中国共産党が勢力を拡大して行く途上においても、数々のすさまじい粛清が行なわれている。まず、1930年から翌31年にかけての「AB団粛清事件」。これは中国共産党史上、初めての大量内部粛清であるが、この時は7万人以上を処刑している。政権を奪って権力を握ると、国家レベルで大粛清が行なわれることになった。1951年、「反革命分子鎮圧運動」である。毛沢東は「農村地帯で殺すべき反革命分子は人口の千分の一程度とすべきだが、都会での比率は人口の千分の一を超えなければならない」という殺人ノルマを課し、中国全土を反革命分子狩りの嵐が吹き荒れた。告発、即時逮捕、即時人民裁判、即時銃殺である。中国共産党の公式資料『中国共産党執政四十年(1949~1989)』によれば、「反革命分子鎮圧運動」で銃殺された人数は71万人に上るという(さらに129万人が「準革命分子」として逮捕され、終身監禁された)。粛清・虐殺はまだ終わらない。1955年には「粛清反革命分子運動」によって8万人を処刑している。 思想弾圧・粛清の流れは「反右派闘争」などこの後も続き、その流れの中に既に述べた文化大革命があるのであるが、文革のひどさはよく知られるところなので、ここではこれ以上述べない。今日ではYoutubeなどで映像も見ることができるので、ぜひご覧いただくと良いだろう。http //www.youtube.com/watch?v=p63xt5AlahY 最後に文革にもつながった「大躍進政策」について述べておこう。先に、文革は政権中枢から失脚していた毛沢東が劉少奇からの政権奪還を目論んで起こした大規模な権力闘争であり大粛清であると述べたが、毛沢東の一時的失脚をもたらしたのが大躍進政策であった。1957年11月6日、ソ連共産党第一書記・フルシチョフは、ソ連が工業生産(鉄鋼・石油・セメント)および農業生産において15年以内にアメリカを追い越せるだろうと宣言した。対抗心を燃やす毛沢東は、1958年の第二次五ヵ年計画において中国共産党指導部は、当時世界第2位の経済大国であったイギリスを15年で追い越す(のちには「3年」に減少)という壮大な計画を立案した。その中心に据えられた鉄鋼などは、生産量を1年間で27倍にするというあまりにも現実離れしたものであった。食糧も通常2.5億トンの年間生産高を一気に5億トンに引き上げることが決められた。しかし、何の裏付けもないまま目標だけ勇ましく掲げても、実現できるはずもない。1959年夏、共産党政治局委員で国防相の彭徳懐(ほうとくかい)が大躍進政策の再考を求めたが、毛沢東が受け入れるはずもなく、逆に「彭徳懐反党集団」として断罪され、失脚させられる(彭徳懐は、後の文革で凄まじい暴行を受け半身不随に。その後、監禁病室で下血と血便にまみれた状態のまま放置され死に至る)。これ以降、同政策に対して誰もものを言えなくなり、ノルマを達成できなかった現場指導者たちは水増しした成果を報告した。当時、全国の人民公社は穀物の生産高に応じて、政府に食糧の無料供出を割り当てられていた。「倍増」と報告された生産高によって、飢饉であるにもかかわらず、農民たちは倍の食糧を供出しなければならなくなったのである。その結果はすさまじい餓死者である。その数は、わずか3年間で2000万人とも5000万人とも言われている(中国本土では発禁となった『墓碑――中国六十年代大飢荒紀事実』によれば、人口損失は7600万人に上るとのぼるとされている)。最後は、人が人を食べるのが常態と化した。さすがに自分の子供を食べる親はいないから、親は、死んだり昏睡状態に陥った子供をよその家に持っていき、同じような状態のよその子と交換して自分の家に持ち帰り、その子を自宅で解体して食べたという。まさに、人類史上最大の人災と言えるだろう。大躍進政策の致命的な失敗により、さすがの毛沢東も責任を取らざるを得なくなり、1959年4月27日、国家主席の地位を劉少奇に譲ることとなった。そこからの復讐・粛清が文化大革命なのである。 不気味な隣人との付き合いにおいて心すべきこと 私たちは何気なく「中国4000年の歴史」などと口にする。しかし、ここまで見てきたように、それは抗争と断絶の歴史であり、むしろ歴史が伝わらない国なのである。それを証明するある事実がある。老舗企業の数である。創業200年以上の老舗企業数を国別に見ていくと、我が国には3113社もあり、2位ドイツの1563社、3位フランスの331社などを大きく引き離し、ダントツで世界一である。それに対して中国はわずか64社で15位。共産主義の影響だと思うかもしれないが、149社で8位のロシアの半数にも満たない。人口わずか1000万人のチェコ(第二次大戦後、1989年まで共産党政権下にあった)が97社で10位なのだから、やはり歴史が続かないというのが「易姓革命」の国、中国の伝統なのである。 確かに昔の文物はある。しかし、それは先に見た仏教寺院のように、形骸に過ぎない。精神は断たれているのである。人によっては「中国は私たち日本人の先生なんだから」などと言うが、それは隋にしろ唐にしろ、昔のその時点での話である。日本の方がむしろ学んだものを血肉化して生かしている。 帝国データバンクが2008年に創業100年を超える老舗企業に行なったアンケート調査がある(回答企業814社)。それによれば、「老舗企業として大事なことを漢字一文字で表現すると」という問いに対し、最も多かった回答は「信」。197社からの圧倒的な支持を集めた。次いで「誠」68社。以下、「継」「心」「真」と続く。「社風を漢字一文字で表すと」という問いに対しては、「和」が158社でダントツ。次いで2位「信」63社、3位「誠」53社。以下、「真」「心」と続く。そして、「老舗の強みは何か」という問いに対しては、「信用」と答えた企業が圧倒的に多く、実に73.8%に達した。ここから見えてくることは、我が国の伝統的企業は、社内においては上下心を一つにして働き、対外的には信用を最も大切な財産と受け止め、信を守り誠を尽くす。そういう企業文化を継続することで続いてきたことが伺われる。こうした精神が仏教や儒教の教えに大きな影響を受けていることは言うまでもないが、それはもはや完全に日本のものとなっており、逆に今の中国にはないのである。 さて、抗争と断絶とともに、中国史の特徴として顕著な大量殺戮と粛清。私たちはここから大いに学ぶことがある。それは、中国という国は冤罪をでっちあげて断罪する国であるということ、そして、やれるとなれば血も涙もなく暴力を行使して徹底的にやる国だということである。中国国内で出版された『従革命到改革』という書籍によれば「文化大革命において作り出された冤罪」は実に「900万件」に上るという。文革に限らない。本章で見てきた数々の粛清は、そのほとんどがでっち上げの罪による断罪と言ってよいだろう。中国の楊潔チ外相が国連総会で「尖閣諸島は日本が盗んだ」などと演説したが、これも同様の確信犯的でっち上げである。尖閣周辺に埋蔵資源があることが分かるまでは、中国の地図でも尖閣は琉球列島に含めていたわけで、そういう事実を外相が知らないはずがない。しかし、事実がどうあれ、冤罪をでっちあげて徹底的に断罪するのが中国なのである。そして断罪した後は暴力の行使。それが中国史に見る中国の伝統である。尖閣問題への対処を考えるにあたって、私たちはこの隣人の性格をしっかり認識しておかなくてはならないだろう。 参考文献 『中華帝国の興亡』(黄文雄著・PHP研究所) 『読む年表 中国の歴史』(岡田英弘著・WAC) 『中国文明の歴史』(岡田英弘著・講談社現代新書) 『中国大虐殺史』(石平著・ビジネス社) 『200年企業』(日本経済新聞社著, 編集・日経ビジネス人文庫) 『百年続く企業の条件』(帝国データバンク 史料館・産業調査部 編・朝日新書) 『情報亡国の危機 』(中西輝政著・東洋経済新報社) 『毛沢東 大躍進秘録』(楊継縄著・文藝春秋) 新興国情報EMeye Bloomberg 中央日報 サーチナニュース 大紀元時報 Wikipedia .
https://w.atwiki.jp/ja2047_memorial/pages/883.html
*『南京事件FAQ』へのja2047さんの投稿原稿 #contents **略奪や放火は中国兵がやった ***否定派の主張 略奪は中国兵がやったという記録がある。中国軍の清野作戦により多くの家屋が焼き払われた。中国軍の焼き払いと略奪の被害が大きい。 ***反論 強制疎開による家屋の焼却も敗走する中国軍の略奪も確かにあったと考えられる。 しかし、中国軍による家屋の焼き払いや略奪を記録している資料は、日本軍による被害も記録しており、例外なく日本軍による被害の方が大きいとしている。 中国軍による放火や略奪が日本軍による被害よりも大きかったという記録はなく、「中国軍の焼き払いと略奪の被害が大きい」と言う主張は裏付けのある事実ではなく願望であるに過ぎない。 資料 ミニー・ヴォートリン日記~~ 陥落前-中国軍による家屋の焼却の例 ~~一ニ月九日 木曜日~~「今夜は南京市の南西隅の空全体を火炎が照らしている。午後はほとんど、北西以外の全ての方角から濛々と煙が立ち昇っていた。中国軍のねらいは、すべての障害物、たとえば銃撃の邪魔になる物や、日本兵が待ち伏せしたり身を守るのに役立つ物を取り除くことなのだ。」~~ 陥落後-日本軍による放火もしくは失火の例 ~~一ニ月一九日 日曜日~~「今夜、城内の少なくとも三カ所で大きな火災が発生している。」~~一二月ニ一日 火曜日~~「現在、大きな火災が北東から東へ、さらに南東の空を照らし出している。毎日、夜はこうした火災が空を照らし、昼間は濠々とあがる煙によって、いまなお掠奪と破壊の行為が続いていることがわかる。戦争の産み出すものは死と荒廃である。」 南京地区における戦争被害 ルイス・S・C・スミス~~M.S.ベイツによるまえがき~~「 南京の城壁に直接に接する市街部と南京の東南部郊外ぞいの町村の焼き払いは、中国軍が軍事上の措置として行ったものである。 それが適切なものであったかなかったかはわれわれの決定しうることではない。 市の東南の道路にそっておこなわれた軍事行動と四日間にわたった南京市に対する控えめではあるが容赦のない攻撃による住民の生命および財産の損害は、きわめて少なかった。~~ 事実上、城内の焼払いのすべてと近郊農村の焼払いの多くは日本軍によって数次にわたりおこなわれたものである(南京においては入城から一週間すぎて十二月十九日から二月初めまで)。調査期間中の全域にわたっておこなわれた略奪の大半と、一般市民にたいする暴行は、実際のところすべて日本軍の手によっておこなわれた。 そのようなやり方が正当なものであるかそうでないかについては、われわれの判定を下すところではない。」 南京アメリカ大使館報告 ― エスピー報告~~「 中国軍は軍事上の必要から、障害物などを除去するため、城外の広い範囲に放火した。しかし、退却中の中国兵に よる城内での放火・破壊・略奪等はほとんどなかった、 とアメリカ人らは強調した。」~~「当地の日本官憲によると、南京城内の火災の多くは、退却中の中国軍ないしは、便衣兵によるものであり、陥落後に発生したとの弁明がなされている。 なかには 中国軍による火災もあるかもしれないが、占領後の日本軍が、故意に、または不注意で引き起こした火災には比べるべくもない、というのが妥当のようだ。 ~~ 日本兵が建物に侵入して略奪をした後、放火したか、それとも、建物内の小火が不注意から建物に燃え付いたものか、あるいは近くの火災から延焼したかのいずれかと思われる。火事を 起こした建物の消火に努めた形跡はまったく見当たらない。~~ 火災による南京市の破壊が最悪の時期に書かれた記録を添付している。国際委員会のメンバーが大火の原因を追求し、署名をしている。記録の第一章には、日本軍の入城以前に、どの程度が焼失していたか知る限りを述べ、当時 火災による損害は大したことがなかったと証言している。~~ 第二草は、十二月二十日夜の状況を述べたもので、このとき沢山の建物が火災にあい、現場近くで火事見物をする日本兵や、店から洗いざらい品物を持ち出し、 トラックで持ち逃げする日本兵、また別の建物では、「床の上で焚き火をする」日本兵が目撃されている。」~~http //www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/espi.html -------------------------------------------------------------------------------- **殺害も中国兵がやった ***否定派の主張 一般市民の殺害は中国兵が敗走するときに行ったものであるというアメリカ大使館報告がある。 また、潜伏していた便衣兵が日本兵に化けて活動していたという報道があり、市民の殺害はこれらの便衣兵が行っていたと考えられる。 ***反論 中国兵が一般市民の殺害を行ったという記述はアメリカ大使館副領事のジェームズ・エスピーの報告書にでてくるものが唯一のものであるが、どの程度の裏付けがあるのか明らかではない。 また、この報告書の「(中国兵は)市民の服欲しさに、殺人まで行った。」の記述の後には「しかしながら、日本軍が南京に入城するや、秩序の回復や混乱の終息どころか、たちまち恐怖統治が開始されることになった。」「正確な数は不明だが、少なくとも二万人がこのようにして殺害されたものと思われる。」とあり、“中国兵による殺害もなかったわけではないが日本軍による殺害がはるかに多い。”と述べているにすぎないことが解る。 ニューヨーク・タイムズ1月4日記事の「潜伏していた便衣兵が日本兵に化けて活動していたという報道」も、誰の証言によるものか出所が不明であり、日本側にこれに該当する記録や証言はまったく残されていない点からも、記事の信憑性は確認が取れない。 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/article/ousinrin.htm 陥落後の南京で、中国軍なり、中国民間人犯罪者なりが大量殺人を行うなど不可能であり、ことに捕虜の大量殺害や安全区での敗残兵の狩り出し、殺害を中国兵が行ったとは考えられない。 まして日本軍による略奪・暴行・殺人のピークとされる時期は何万もの日本兵が城内の各所で警戒、敗残兵の掃討を行っている再中であるので、中国人が日本兵に化けて活動するなど自殺行為だ。 中国兵による殺害の方が多かったと言うのは単なる願望にすぎない。 資料 南京アメリカ大使館報告 ― エスピー報告~~「しかしながら、ここで触れておかなければならないのは、中国兵自身も略奪と無縁ではなかったことである。彼らは少なくともある程度まで、略奪に責任を負っている。日本軍入城前の最後の数日間には、疑いもなく彼ら自身の手によって、市民と財産に対する侵犯が行われたのであった。気も狂わんばかりになった 中国兵が軍服を脱ぎ棄て市民の着物に着替えようとした際には、事件もたくさん起こし、市民の服欲しさに、殺人まで行った。 」~~「 しかしながら、日本軍が南京に入城するや、秩序の回復や混乱の終息どころか、たちまち恐怖統治が開始されることになった。 十二月十三日夜、十四日朝には、すでに暴行が行われていた。城内の中国兵を「掃討」するため、まず最初に分遣隊が派遣された。市内の通りや建物は隈なく捜索され、兵士であった者および兵士の嫌疑を受けた者はことごとく組織的に銃殺された。 正確な数は不明だが、少なくとも二万人がこのようにして殺害されたものと思われる。 ~~ 兵士と実際そうでなかった者の識別は、これといってなされなかった。ほんの些細なことから、兵士であったとの嫌疑をかけられた者は、例外なく連行され、銃殺された模様だ。中国政府軍の残兵はあまねく「掃討」するという日本軍の決定は、断固として変更されることはなかった。」~~http //www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/espi.html 「南京の金陵女子大学に、避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、逃亡中の大佐一名とその部下の将校六名を匿っていたことを発見し、心底から当惑した。」ニューヨーク・タイムズ1月4日記事~~http //www.geocities.jp/yu77799/higasinakano126.html -------------------------------------------------------------------------------- **誰も累々たる死体を見ていない ***否定派の主張 南京市街に死体がごろごろしているはずだが、南京に入城したジャーナリストや文化人には累々たる死体を見た者がいない。 ***反論 詩人の西條八十は陥落直後の市内で、中国兵の死体の山や、街路の夥しい死体を見た、と、当時の雑誌に書いている。 また、石川達三は戦後新聞のインタビューに対して「私が南京へ着いたとき街上は屍累々大変なものだつた、」と答えている。 外国人記者、在留外国人も死体を目撃して記録している。 激戦地なので、当然死体はある。その死体がどういう理由で発生したかは別の話であって、虐殺がなかったと言いたいあまり、死体そのものがなかったとか見た者がいないというウソを言ってはいけない。 資料 西條八十 『燦たり南京入城式』 文芸春秋社「話」 昭和13年2月号~~「出かける途端に見ると波止場の筋向ふに、高い板塀があつた。その中は、支那兵の死体の山。「そろそろ始まつたな」と思ふ。」~~「驚くほど厚い鉄の扉の蔭に、一河岸の米蔵の俵を寄せ集めたほど積上げられた敵の土嚢。 このあたりから、往来に土民服を着た支那兵の死体やら、軍馬の屍が、夥しく見えはじめた。 」~~http //www.geocities.jp/yu77799/saijou.html 石川達三~~「読売新聞」昭和21年5月9日~~-兵は彼女の下着をも引き裂いた すると突然彼らの目のまへに白い女のあらはな全身がさらされた。みごとに肉づいた、胸の両側に丸い乳房がぴんと張つてゐた …近藤一等兵は腰の短剣を抜いて裸の女の上にのつそりまたがつた …彼は物もいはずに右手の短剣を力かぎりに女の乳房の下に突き立てた―~~ "生きてゐる兵隊"の一節だ、かうして女をはづかしめ、殺害し、民家のものを掠奪し、等々の暴行はいたるところで行はれた、~~ 入城式におくれて正月私が南京へ着いたとき街上は屍累々大変なものだつた 、大きな建物へ一般の中国人数千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中で悶死させた ~~ また武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使ふのはもつたいないとあつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり逃げ口をふさがれた黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のいつせい掃射で片ツぱしから殺害した」~~http //www.geocities.jp/yu77799/bunkajin.html 前田雄二 『戦争の流れの中に』 P118~~死体の門~~ 支局に帰ると、荒木と稲津が車で出かけるところだった。同乗して市内をまわり、下関への出口のゆう(手へんに邑)江門へ行く。すると、まるで門をふさぐように中国兵の死体がぎっしり詰まっている。~~「何だね、こりゃ」と、まず運転手がいぶかりの声をあげた。 城門の内側に、まるで土嚢でも盛ったように死体が積まれ、車はわずか一車線あけられた穴を徐行して抜けなければならない。死臭の中をだ。 ~~http //www.geocities.jp/yu77799/nankin/maeda.html -------------------------------------------------------------------------------- **欧米のマスコミも取り上げていない ***否定派の主張 当時の首都南京は国際都市。多くの欧米人が住んでいた。また、大陸にはロイター、AP、UPIなどの大通信社や新聞社の特派員が多数駐屯していた。当時は、反日的な機運が高まっていたのに、南京事件はほとんど報道されなかった。 ***反論 手許で確認出来るだけでも、「ニューヨーク・タイムズ」「シカゴ・デイリーメール」の一連の記事他に「ワシントンポスト1/12」「マンチェスター・ガーディアン・ウィークリー2/11」「タイムズ12/18」「ライフ1/10」などが取り上げている。 これを「ほとんど取り上げていない」とは言えない。 なお、南京には陥落時5人の欧米人報道関係者がいたが、全員が陥落三日後には南京を脱出している。 その後虐殺・暴行事件のあったとされる時期には、日本軍は欧米の報道関係者の入城を許していない。 資料 ニューヨーク・タイムズ一九三七年十二月十八日~~捕虜全員を殺害、日本軍、民間人も殺害、南京を恐怖が襲う~~F・ティルマン・ダーディン~~ ◇アメリカ大使館を襲撃~~ ◇蒋介石総統のおそまつな戦術、指揮官の逃亡 首都陥落を招く~~ 十二月十七日、上海アメリカ船オアフ号発~~ ニューヨーク・タイムズ宛特電~~ 南京における大規模な虐殺と蛮行により、日本軍は現地の中国住民および外国人から尊敬と信頼が得られるはずの、またとない機会を逃してしまった。~~ 中国当局の瓦解と中国軍の崩壊により、南京の大勢の中国人は、日本軍の登場とともにうちたてられる秩序と組織に応える用意ができていた。日本軍が南京城内の支配を掌撞した時、これからは恐怖の爆撃も止み、中国軍の混乱による脅威も除かれるであろうとする安堵の空気が一般市民の間に広まった。~~ 少なくとも戦争状態が終わるまで、日本の支配は厳しいものになるだろうという気はしていた。ところが、日本軍の占領が始まってから二日で、この見込みは一変した。大規模な略奪、婦人への暴行、民間人の殺害、住民を自宅から放逐、捕虜の大量処刑、青年男子の強制連行などは、南京を恐怖の都市と化した。~~ ~~ 民間人多数を殺害~~ 民間人の殺害が拡大された。水曜日、市内を広範囲に見て回った外国人は、いずれの通りにも民間人の死体を目にした。犠牲者には老人、婦人、子供なども入っていた。~~ とくに警察官や消防士が攻撃の対象であった。犠牲者の多くが銃剣で刺殺されていたが、なかには、野蛮このうえないむごい傷をうけた者もいた。~~ 恐怖のあまり興奮して逃げ出す者や、日が暮れてから通りや露地で巡回中のパトロールに捕まった者は、だれでも射殺されるおそれがあった。外国人はたくさんの殺害を目撃した。~~http //www.geocities.jp/yu77799/bates2.html -------------------------------------------------------------------------------- **欧米の大使館なども抗議していない ***否定派の主張 南京事件の3ヶ月ほど前、昭和12年9月に米英仏は日本の南京空爆に対して無差別爆撃であると抗議した。スミス博士によるとこの空爆による死者は600人。しかし、南京虐殺については何の抗議も受けていない。 日本嫌いで有名なドイツ大使館の書記官も虐殺には全くふれていない。 ***反論 米英などからの自国被害への抗議はあった 。 各国の大使館など外交団とは、まず第一にその土地における自国の権益、自国民の生命、財産の保護のために駐在している。外交上の抗議とは、まず第一に自国の権益、自国民の生命、財産の保護の観点からなされるものだ。 米英からは、米英人財産の損失に関して、アメリカ、イギリスの砲艦を爆撃して死傷者の出たことについて、またアメリカ外交官への軍人による暴行に対して抗議があった。 都市爆撃については多くの外国人が居住していた都市に実質的な無差別爆撃が行われれば、居留外国人の生命、財産に危険が及ぶので当然抗議がなされる。 外国人への退去勧告がなされた12月9日以降の南京占領後に発生した中国人への暴行は、米英人の財産、生命、権益への直接の侵害ではないので、外交上の抗議はなされなかったというだけのことである。 第三国から虐殺についての公式の抗議がないということと、それを知らなかったということは全く別であり、アメリカ、ドイツの外交文書には日本軍の残虐行為を記録したものが多数残されている。 「日本嫌いで有名なドイツ大使館の書記官」というのが誰のことかは不明だが、下記の通りローゼンもシャルフェンベルグも日本軍の暴行について報告している。 資料 「エスピー報告」 アメリカ在南京副領事 1938年 1月~~ 「日本軍の入城以後、したい放題が兵士に許されていたのかどうか、それとも軍の統制が完全に瓦解していたのか、十分な説明はなされていない。しかし、われわれの 聞いたところによると、日本軍指揮官より、兵士を統制下におくよう少なくとも二回の命令が出され、また、入城前、いかなる財産にも放火しないよう、厳命が出されていた。~~ それにもかかわらず、大勢の兵士が市内に群がり、筆舌に尽くし難い凶行を犯したことは事実である。外国人目撃者の話によると、南京を冒涜する野蛮な盗賊同様に、日本兵は欲しいがままに振舞っていた。市内では数えきれないほど大勢の男性、女性、子供が殺害された。理由もなく市民が銃殺、刺殺されたと聞かされている。~~http //www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/espi.html ドイツ外務省(ベルリン)宛、発信者ーローゼン(南京) ~~一九三八年二月一〇日付南京分館第八号報告~~内容-南京における日本軍の残虐行為に関する記録フィルム~~南京における日本軍の恐怖支配-それは、かなりの程度でいまだに続いているが-の間、およそ四半世紀にわたり当地に在住する米国監督派教会伝道団員のジョン・マギー牧師が映画撮影をおこなったが、その記録は日本軍のおこなった残虐行為を雄弁にものがたる証拠となっている。~~[略]~~それぞれの映像の背景となった出来事に関する英文の解説が添付されている。フィルムと同様、この解説も衝撃的な歴史資料であり、(ヒトラー)総統閣下には、このフィルムを解説の正確な訳文とともに御覧いただきたいと所望する。~~さて私は、先の日曜日に日本軍が引き起こした「英雄的行為」の現場とその四人の犠牲者をこの目で見た。そこでは二脚の椅子を運んでいた老人が、日本兵にいとも簡単に銃で撃たれた。この老人の姉は、日本兵が接近したので近くに隠れていたが、知りあいの二人を呼んで、竹竿と縄で戸を担架に作り変え、重傷の老人を運び去ろうとした。すると日本兵は、重傷の老人と姉、老人を運ぼうとした二名、合わせて四名全員を射殺したのだ。~~[略]~~同じ日曜日ラーべ氏は、紅卍字会が、池から二一〇以上の死体を運び出す様子を目撃した。これらの人々は、まず機関銃で殺され、その後で焼かれた。焼却に手問取ると、死体は水中に投げ込まれたのである。英雄気取りの島国民族に殺された犠牲者の死体は針金で後ろ手に縛られていた。~~ ~~ドイツ外務省文書 ~~シャルフェンベルク(駐華ドイツ大使館事務長、南京) ~~[略]~~南京入城のさいの日本軍の所業については、語らぬに越したことはない。チンギス・ハーンを思い出さずにはいられないほどの徹底した破壊ぶりであった。ある陸軍参謀の中佐の話では、上海から南京へ向かっていた食糧輸送部隊はついに本隊のもとに戻らなかったそうである。この一件からも、日本軍がここではまるであのベルゼルカーのごとく何もかも貧り尽くしたことがわかるであろう。~~空き家はただちに焼き払われた。日本兵は、一九一八年当時の黒人兵同様、こう言い含められていたに違いない。~~「ここで頑張った奴はみな、南京で美しい娘をモノにできるぞ。」~~こうして南京に残っていた女という女はまったくひどい目にあわされた。~~[略]~~日本軍は統制が失われたと言えば簡単だが、私はそうは思わない。アジア人の戦争の進め方は、われわれとは異なるのだ。日本と中国の立場が逆でも、事態に大差はなかっただろう。とくに扇動の仕方は同じである。~~[略] -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 日本への抗議がない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 中国から日本への正式抗議がない。 *反論 1937年8月15日に日本大使館が南京から引き上げ、11月19日から中国政府が南京を引き上げて漢口に避難すると言う状況であり、当然南京での両国外交部の接触はない。 南京城内で日本軍が民間人に対する略奪暴行、拉致、殺人を繰り返したとされる時期に南京で市民の保護に当たっていたのは残留外国人からなる「安全区国際委員会」であり、同委員会は日本大使館に対して膨大な数の抗議を行っている。 中国政府は南京市民の置かれた状況をリアルタイムに掌握しておらず、日本との外交的な接触の場もなく実質的な戦争下にあるわけだから「抗議」を行っていない。 蒋介石の項に見るとおり、「非難」を行っているわけだ。 これに対して、実際に南京市民の保護活動を行っている「国際委員会」はたびたび抗議を行っているのだから、「抗議」がないというのは事実ではない。 資料 第五号文書(Z 8)~~ 南京安全区国際委員会~~ 寧海路五号~~ 一九三七年十二月十六日~~ 南京南京日本帝国大使館員~~ 福田篤泰殿~~ 拝 啓~~ 昨日正午、交通銀行で貴下も出席された会見のおりに少佐が指摘されたように、できるだけ速やかに市を平常の生活に戻すことが望ましいことです。しかし、昨日、安全区内で日本兵が続けざまに暴行をおこなったため、難民の間に恐慌状態が強まりました。大きな建物に収容されている難民たちは、近くの無料食堂へいって米粥を手に入れることもできないでいます。その結果、これらの建物へ当方が直接米を運んでやらねばならず、これが問題をいっそう煩雑にしでいます。~~ われわれは米や石炭を無料食堂にかついでゆく人夫を集めることさえできなかったので、今日は何千人という人か朝食抜きですごさわばなりませんでした。今朝、国際委員会の外国人メンバーは、これらの一般市民に給食するためトラックで日本側歩哨線を突破するのに、必死の努力をしました。昨日、当委員会の外国人メンバーは、私用の車を日本兵により何度も徴発されるところでした。 (暴行事件の例をあげた一覧表を追加します。) ~~ [略]~~ 当方は最高司令官が到着すれば市内の秩序も回復するであろうと考えたので、昨日は抗議をとり止めました。しかし、昨夜はその前夜より事態がいっそう悪化したので、これらのことにつき貴軍の注意を喚起することにしました。日本軍は兵士がこのような行為をおかすことを是認するものではないと、われわれは確信します。 敬 具~~ (署名) 書 記 ルイス・C・スミス~~ 委員長 ジョン・H・D・ラーベ~~ *(訳注)徐氏の編書では第七号文書。 第六号文書(Z 9)~~ 南京安全区国際委員会~~ 寧海路五号~~ 一九三七年十二月十七日~~ 南京南京日本帝国大使館御中~~ 日本大使館二等書記官福井淳氏の配慮を乞う~~ [略]~~昨日は十四人の労務者が連行されました。当方の警官にも干渉がなされ、責任者である日本人将校の言によれば、司法部に駐在中の五〇人の警官を「銃殺するために」連行したとのことです。昨日午後にはわれわれの「志願警察官」のうち四六人が同様に連行されました。[略]~~ 十四日いらい貴軍の兵士がおこなっている強盗・強姦・殺人の蔓延にまったく驚いています。われわれが抗議のなかで要求することは、貴下が貴軍の秩序を回復しできるだけ早急に市の生活を平常にすることだけであります。 ~~ [以下略] 第七号文書(Z10、11、12)~~ 南京安全区国際委員会~~ 寧海路五号~~ 一九三七年十二月十八日~~ 南京南京日本帝国大使館御中~~ 日本大使館二等書記官福井淳氏の配慮を乞う~~またもあなたを煩わせることを遺憾に思いますが、 われわれが保護している二○万の市民の苦難と窮迫は、貴国軍隊が何らかの処置をとって、安全区を徘徊する日本兵の間の無秩序状態をやめさせるよう要請することを、焦眉の急としております。~~当方にて記録が間にあわないほど頻々と報告されてくる暴行事件の内容にここで詳しく立ち入る時間も紙面もありません。 ~~ [以下略] 第八号文書(Z13)~~ 南京安全区国際委員会~~ 寧海路五号~~ 一九三七年十二月十九日午後五時~~ 南京南京日本帝国大使館御中~~ この手紙に添えた安全区における日本軍暴行事件報告の続き、第十六件から第七○件までの記録を貴下に提出しなければならないことを非常に残念に思います。注にて指摘した通り、これらはわれわれの気づいた事件のほんの一部にすぎません。 ~~ [以下略] -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 「便衣兵狩り」とはなんだったのか -------------------------------------------------------------------------------- *解説 否定論の主張は通常、次のような構成になっている。 +南京で日本軍が処刑した中国兵は、国際法上適格な交戦者と認められないので、捕虜にする必要がなかった。 +交戦者としての適格を欠くものは裁判なしに処刑しても合法であった。 詳細は論点ごとに検証するとして、まずは実際にその場で何が起きたのかを確認しよう。 南京陥落時点で残っていた中国軍将兵の正確な数は不明だが、一般的にはおよそ5万とする推定が代表的である。そのうちかなりの人数、おそらくは数千人が、南京陥落時に逃げ場を失い、軍服を脱いで市民に紛れ込もうとした。 日本軍に捕獲されれば殺されると考えたのである。 これを知った日本軍は「市内にはおよそ二万人の中国兵が、市民に紛れて潜伏している」と考えた。そこで、市民を集合させて取り調べ、その場で兵士であると認定したものは拘束して連行し、集団で殺害した。もちろん、兵士と疑われた市民もそのまま連行されて殺されてしまった。 市民の服を着て抵抗するものを殺したのではない。市民の服を着た無抵抗のもののうちから、正規軍兵士であると認定したものを集団で連行して殺害したのだ。 中間的な数字を挙げている秦郁彦氏の推計では、主に日本軍の記録を根拠として、陥落時点で生き残った中国軍5万人のうち3万人が捕獲された後殺害されたと見ている。そのうち9千人が城内から私服で狩り出されて殺害された、いわゆる便衣兵=私服の敗残兵である。 ここで注意してほしいのは、実際には私服に着替えていた兵士よりも、軍服を着て集団で投降した兵士の方が多く殺害されていることだ。この点は、より大きな犠牲者数を挙げる笠原説も、より小さな数字の板倉説も共通している。無抵抗の中国兵の殺害を問題にするのなら、「便衣兵狩り」の問題はマイナーな一部に過ぎないのだ。 にもかかわらず、「便衣兵狩り」が大きく問題になるのは、それが中国兵だけではなく、多くの一般市民を巻き込んで、しかも外国人たちの見ている前で連行が行われた、時には家族の見ている前で処刑が行われた、それらはまったく非武装、無抵抗のものであった、という点に原因があると考えられる。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 便衣兵作戦自体が犯罪行為だ -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 私服で戦うゲリラは国際法違反であり、便衣兵作戦自体が犯罪行為である。 *反論 南京城内の敗残兵が、「便衣兵作戦」というものを計画していたとか、城内で日本軍が私服による戦闘行為に遭遇したという記録はない。 「便衣兵」とは、日中戦争当時の用語では「便衣隊」という。 「便衣」とは平服という意味であり、「便衣隊」と呼ばれるものには +一般市民が武器を取って抵抗するもの +軍隊が一般市民に偽装して作戦を行うもの の2種類がある。 当時の国際法では、敵軍が突然侵入してきた場合に一般市民が武装して抵抗することは許されている(ハーグ陸戦規約第2条)。軍人が市民の服を着てはいけないという国際法はないが、軍隊が一般市民を装って敵を安心させて攻撃することは禁じられている。(ハーグ陸戦規約 第23条ロ号) 南京城内の「便衣兵」とは、一般の兵士が逃げ場を失い、日本軍に捕獲されても殺されると考えて、軍服を脱いで、市民に紛れ込もうとしたものであった。ひとまずは命が助かりたいための処置であり、計画的に実行された形跡はない。また、実際に「便衣隊」としての交戦行為が行われた記録もない。 南京城内には「便衣の兵士」はいたが、「便衣隊の隊員である兵士」はいなかったと考えられる。 資料: 信夫淳平『戦時国際法講義2』~~「便衣隊とは--、交戦者たるの資格をみとめざる常人にして自発的に、又は他の示唆を受け、敵兵殺害又は敵物破壊の任に当る者を近時多くは便衣隊と称する。」~~http //members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/aandv/ilow01_03.htm ハーグ陸戦規約~~【第二条】(群民兵)~~ 占領せられさる地方の人民にして、敵の接近するに当り、第一条に依りて編成を為すの遑なく、侵入軍隊に抗敵する為自ら兵器を操る者か公然兵器を携帯し、且戦争の法規慣例を遵守するときは、之を交戦者と認む。~~ ~~【第二三条】(禁止事項)~~ろ 敵国又は敵軍に属する者を背信の行為を以て殺傷すること~~http //www1.umn.edu/humanrts/japanese/J1907c.htm 奥宮正武「私の見た南京事件」~~(戦史家、元海軍航空参謀、当時海軍大尉として南京攻略戦に参加)~~私の知る限り,彼らのほとんどは,戦意を失って,ただ、生きるために、軍服を脱ぎ、平服に着替えていた。したがって、彼らを通常言われているゲリラと同一視することは適当とは思われない。~~http //nagoya.cool.ne.jp/whitecray/doc_okumiya.html -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 兵民分離は必要だった -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 占領した都市に敵軍が私服で潜んでいては危険だ。狩り出して不法交戦者を処刑するのは当然である。 *反論 占領軍の政策として「兵民分離」を行うことは当然だ。 ただし、分離した後の処置として、摘出した兵士は +捕虜として収容する +国際法などに対する違反容疑があるものは、裁判に掛けて、違法行為が確認されれば処罰する の、扱いが妥当だろう。 実際には、兵士と認定されたものは、「兵士であるから」という理由で、何の法的な手続きも経ることなく、集団で殺害されたのだった。下記の資料に示すように、日本軍が摘出した中国兵について、違法交戦者の認定をした記録はない、ただ、【敗残兵】を掃討し、殲滅したと書かれているのみなのだ。 戦闘行動を仕掛けるということは、相手を交戦者と見なしているということだ。相手が交戦者ではないのなら、攻撃されて応戦することはあっても、攻撃を仕掛けるわけにはいかない。 戦闘として行った行動なのであれば、敵兵を攻撃し捕獲したのだから、拘束後は捕虜として扱うのが原則なのである。現に下記の「歩兵第七連隊命令」でも、捕獲した中国兵のことを「俘虜」と書いている、一般的な言葉の意味上は捕虜であると認識していたのだろう。 なお、兵士と誤認された一般市民も相当数含まれていたという記録として日本側、中国側、在留外国人のものがある。スマイス調査によれば、日本軍に拉致されて帰らない市民は4,200人にのぼる。 資料 第9師団 歩兵第6旅団 歩兵第7連隊~~歩七作命甲第一一一一号~~歩兵第七連隊命令~~十二月十五日午後八時三〇分~~於 南京東部連隊本部~~一、本十五日迄捕獲したる俘虜を調査せし所に依れは殆と下士官兵のみにて将校は認められさる状況なり 将校は便衣に更へ難民地区に滞在しあるか加し~~二、連隊は明十六日全力を難民地区に指向し~~ 徹底的に敗残兵を捕捉殲滅せんとす ~~http //nagoya.cool.ne.jp/whitecray/shouhou_hohei7.html 歩兵第七連隊『戦闘詳報』~~ 自十二月十三日 至十二月二十四日~~南京城内掃蕩成果表 歩兵第七連隊~~一、射耗弾 小銃 五,〇〇〇発~~ 重機関銃 二、〇〇〇発~~ 二、刺射殺数(敗残兵) 六、六七○ ~~http //www.geocities.jp/yu77799/haizanheigari.html 水谷荘一等兵 日記「戦塵」~~第9師団 第6旅団 歩兵第7連隊 第1中隊~~十二月十六日~~ [略]~~ 目につく殆どの若者は狩り出される。~~子供の電車遊びの要領で、縄の輪の中に収容し、四周を着剣した兵隊が取り巻いて連行してくる。各中隊とも何百名も狩り出して来るが、第一中隊は目立って少ない方だった。それでも百数十名を引き立てて来る。その直ぐ後に続いて、家族である母や妻らしい者が大勢泣いて放免を頼みに来る。市民と認められる者は直ぐ帰して、三六名を銃殺する。皆必死に泣いて助命を乞うが致し方もない。真実は判らないが、哀れな犠牲者が多少含まれているとしても、致し方のないことだいう。~~http //www.geocities.jp/yu77799/haizanheigari.html 足立和雄(元朝日新聞特派員)証言~~ [略]~~ 朝日新聞支局のそばに、焼跡でできた広場があった。そこに、日本兵に看視されて、中国人が長い列を作っていた。南京にとどまっていたほとんどすべての中国人男子が、便衣隊と称して捕えられたのである。私たちの仲間がその中の一人を、事変前に朝日の支局で使っていた男だと証言して、助けてやった。そのことがあってから、朝日の支局には助命を願う女こどもが押しかけてきたが、私たちの力では、それ以上なんともできなかった。~~“便衣隊”は、その妻や子が泣き叫ぶ眼の前で、つぎつぎに銃殺された。~~http //homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/data/nangjin/ben ihei.htm マッカラムの手記~~十二月三十日~~金陵女子文理学院やマギーのところなどから男性が数人、強制的に連行された。中国兵だと訴えられて強制的に連れ去られたという。~~ 連行される者が民間人だと証明できる友人もいたのだが、手にタコがあったため、抗議の声があったにもかかわらず、深く調べもせずに兵士の熔印がおされてしまった。人力車夫、サンパンの船頭、肉体労働者などが、ただ手に正直者の苦労の印があるというだけで、大勢処刑されている。~~http //www.geocities.jp/yu77799/siryoushuu/mac.html 「日本兵の暴行による死者の八九パーセントおよび負傷者の九○パーセント十二月十三日以後、すなわち市の占領の完了後におきている。以上に報告された死傷者に和えて、四二○○人が日本軍に拉致された。臨時の荷役あるいはその他の日本軍の労役のために徴発されたものについては、ほとんどの事実を報告していない。六月にいたるまでこのようにして拉致されたものについては、消息のあったものはほとんどない。これらの人びとの運命については、大半がこの時期の初期に穀されたものと考えられる理由がある。」~~「南京地区における戦争被害」 ルイス・S・C・スマイス~~http //nagoya.cool.ne.jp/whitecray/doc_smyth.html -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 便衣兵には捕虜の資格がない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 便衣兵はゲリラなので交戦者の資格を満たしていない。したがって捕虜にする必要はない。 *反論 南京城内から摘出された「便衣兵」は私服を着てはいるが正規軍の所属員であるので、明白な国際法違反の事実がない限り、捕獲されれば捕虜として扱われなくてはならない。 確かに、一部では南京の敗残兵は「交戦者の条件」を満たしていなかったと主張されている。 ここで言う「交戦者の条件」とは、 「指揮官の存在、軍服または特殊標章、武器の携帯、交戦法規の遵守」 の四つであるが、実はこれらは、 当時の戦時国際法 で、国家の組織する軍隊以外の民兵などが、正規の軍と同様の正当な交戦者として認められるための条件なのだ。 国家の組織する正規軍は、各国が責任を持ってその服装や指揮命令の制度を整えるものであるから、国際法は正規軍には条件を付けていない。兵士が正規軍の所属員であるかどうかを決めることが出来るのは、その軍を組織した国家の制度だけなのは当然のことだ。 したがって、捕獲者側は捕獲されたものが正規軍の所属員、関係者であることを確認した場合は捕虜にする義務が発生する。もし、捕獲したものが正規軍の所属員と確認出来ない場合は捕虜にする必要はない、この場合は釈放が原則である。 ただ、戦時国際法では禁止項目(ハーグ規約第23条)を定めているので、正規軍も民兵も武装した市民も、戦闘を行うものがこれを破れば、明確な国際法違反になり、処罰の対象となる。 たとえば、ハーグ規約には軍人が市民の服を着てはいけないという条項はないが、戦闘員が一般市民を装って敵を安心させて攻撃することは禁じられている。(第23条ロ号 背信の行為による敵の殺傷の禁止) 南京城内の「便衣兵」は軍服を脱いで便衣(民間人の服)を着て潜伏していたが、その状態から武器を持って敵に攻撃を掛けたわけではない。したがって、戦時国際法の明文規定に違反しているとは言えない。 なお、今日の戦時国際法である「ジュネーブ諸条約に関する第一議定書」では、軍服を脱いで潜伏していた兵士には捕虜資格があることが明確に読み取れるように書いてある。 この点、南京攻略戦当時に日本が批准していた「ハーグ陸戦規約」では、軍服を脱いだ敗残兵が明確に捕虜資格があると定めた条項はないと主張する人もいるが、当時は両様に解釈出来る可能性があったとするなら、敵兵や市民を殺すについては、その判断が正当であったのかどうかの保証として、裁判を行い、記録を残すべきであった。 正当性が保証されない殺人を行えば、後で非難を受けるのは仕方がない、敵国首都を陥落させた興奮と一刻も早い治安確保をとの焦りの中で、「とりあえず殺せばよい」という判断をしたことは失策であった。 これは率直に認める方がよいだろう。 資料 ハーグ規約~~【第一条】(民兵と義勇兵)~~戦争の法規及権利義務は、単に之を軍に適用するのみならす、左の条件を具備する民兵及義勇兵団にも亦之を適用す。~~一. 部下の為に責任を負ふ者其の頭に在ること~~二. 遠方より認識し得へき固著の特殊徽章を有すること~~三. 公然兵器を携帯すること~~四. 其の動作に付戦争の法規慣例を遵守すること~~http //www1.umn.edu/humanrts/japanese/J1907c.htm 【第二三条】(禁止事項)~~ろ 敵国又は敵軍に属する者を背信の行為を以て殺傷すること~~http //www1.umn.edu/humanrts/japanese/J1907c.htm ※正規軍兵士が軍服を脱いでいること自体は、上記第1条にも第23条にも違反しない。 ジュネーブ諸条約に関する第一追加議定書~~第四十四条 戦闘員及び捕虜~~3 戦闘員は、文民たる住民を敵対行為の影響から保護することを促進するため、攻撃又は攻撃の準備のための軍事行動を行っている間、自己と文民たる住民とを区別する義務を負う。もっとも、武装した戦闘員は、武力紛争において敵対行為の性質のため自己と文民たる住民とを区別することができない状況があると認められるので、当該状況において次に規定する間武器を公然と携行することを条件として、戦闘員としての地位を保持する。~~(a)交戦の間~~(b)自己が参加する攻撃に先立つ軍事展開中に敵に目撃されている間~~この3に定める条件に合致する行為は、第三十七条1(c)に規定する背信行為とは認められない。~~4 3中段に定める条件を満たすことなく敵対する紛争当事者の権力内に陥った戦闘員は、捕虜となる権利を失う。もっとも、第三条約及びこの議定書が捕虜に与える保護と同等のものを与えられる。この保護には、当該戦闘員が行った犯罪のため裁判され及び処罰される場合に、第三条約が捕虜に与える保護と同等のものを含む。~~7 この条の規定は、紛争当事者の武装し、かつ、制服を着用した正規の部隊に配属された戦闘員について、その者が制服を着用することに関する各国の慣行であって一般に受け入れられているものを変更することを意図するものではない。 第四十五条 敵対行為に参加した者の保護~~1 敵対行為に参加して敵対する紛争当事者の権力内に陥った者については、その者が捕虜の地位を要求した場合、その者が捕虜となる権利を有すると認められる場合又はその者が属する締約国が抑留国若しくは利益保護国に対する通告によりその者のために捕虜の地位を要求した場合には、捕虜であると推定し、第三条約に基づいて保護する。その者が捕虜となる権利を有するか否かについて疑義が生じた場合には、その者の地位が権限のある裁判所によって決定されるまでの間、引き続き捕虜の地位を有し、第三条約及びこの議定書によって保護する。~~http //www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/treaty/pdfs/treaty159_11a.pdf ※ 南京事件の30年前に定められた戦時国際法では、日本軍の行為は合法であると解釈する余地がなくもないが、事件の40年後に定められた国際法では、はっきりと違法であると記述されるようになった。 国際法というものは、その時代に国際間で合意されていることを明文化するものだから、これは1907年から1977年までの間に、1937年の南京事件で行われたようなことは違法である、という国際的な合意が形成されていたということを意味する。 1977年の国際法に違法だと書かれていることは、決して1977年から突然に違法になったわけではないのである。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 便衣兵処刑は合法である -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 私服で戦うゲリラは国際法違反であり、当時は国際法違反者のゲリラ兵は裁判を行わずに処刑するのが合法な慣習だった。 *反論 南京事件について、そのような主張が公式になされたことも、認められたこともない。 この主張が成り立つためには次の二つの条件が両方とも必要だ。 +南京城内で捕獲された敗残兵が、明らかな国際法違反を犯していること。 +当時、戦時国際法違反に対しては、裁判なしで処罰することが、当然のことと考えられていたこと。 ところが実際には、1.の明らかな戦時国際法違反は確認されておらず、2.の、当時は無裁判の処刑が合法と考えられていた、というのは事実に反する。 1930年代にもなると、無裁判の処刑は人道に反する行為で不法であると認識されており、当時の日本軍が南京以外では便衣隊活動の容疑者に裁判を行った記録もちゃんと残っている。 したがって、事件当時でも、常識としては敗残兵の無裁判殺害は違法行為であったと考えられる。 南京事件での日本軍は裁判を行わなかっただけではなく、殺害の理由として「敗残兵」であるから、としか記録に残していない。 「敗残兵」を拘束した上で殺害したのなら、捕虜虐殺と言われても仕方がない。 後で非難を受けても、反論出来るように、根拠になる文書を残さなかったというのは、どう考えても失敗だろう。 資料: 立作太郎『戦時国際法論』p53~~凡そ戦時犯罪人は、軍事裁判所又は其他の交戦国の任意に定むる裁判所に於いて審問すべきものである。然れども一旦権内に入れる後、全然審問を行はずして処罰を為すことは、現時の国際慣習法規上禁ぜらるる所と認めねばならぬ。~~http //members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/aandv/ilow01_04.htm 裁判義務の慣習法を実践した事例~~http //members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/aandv/ilow01_05.htm 東京裁判では、弁護側は「裁判をした」と主張した。~~http //t-t-japan.com/bbs2/c-board.cgi?cmd=one;no=598;id=sikousakugo#598 *結論 いずれにしても、事実としてはっきりと言えることは、 -当時の日本軍の記録には「掃討で敗残兵を殲滅した」と書かれている。「国際法違反の便衣兵を処刑した」という記述はない。 -居留外国人や海外の報道は、これを非人道行為と考えている。 -10年後の東京裁判で、弁護側は「武器を持って潜んでいたものは裁判に掛けた」と主張した。「無裁判処刑は合法である」とは主張していない。 -事件の40年後に定められた国際戦争法では、日本軍の行ったような行為は違法であると明文で記述されるようになった。 これらが、この問題の扱われてきた実際の歴史だということだ。 城内敗残兵は国際法違反のゲリラであり、その無裁判処刑が合法であったと主張する人がいる。しかし、仮に理論上そのような仮説を立てることが可能であったとしても、当時の日本軍は通常無裁判処刑のような扱いはしていなかったという事実がある。 当時の軍の公文書でも国際法違反で処刑したとは書かれておらず、東京裁判の時にも無裁判処刑の合法は主張されず、当然ながら国際的にそのような主張が認められたこともなかった。 今日では国際法に明確に無裁判処刑は違法行為であると記述されるようになっている。 その国際法とは起きたことの評価を踏まえて成立していることを無視してはいけない。 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 司令官がいないので捕虜になれない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 指揮官の唐生智が部下を置いて逃亡したので司令官がいない。司令官のいない軍隊は捕虜にする必要はない。 *反論 名目上の司令官が不在であるからと言って、軍の所属員が捕虜資格をなくすことはない。 確かにハーグ陸戦規約の「交戦者の条件」(正確には正規軍以外のものが正規軍と同等の資格を認められるための条件)には司令官の存在が謳われている。 しかしこれは、国家の組織する軍隊以外の組織に正規軍と同等の資格があると見なすための条件で、非公式の組織を公式の組織と同等に扱うためには、責任者のはっきりしない団体をそのように扱うわけには行かない、という理由によるものだ。 これに対して、国家の組織する軍隊には通常、指揮権の継承順序を定めるルールがあって、あるポストが空白の場合は、誰が代理を務めるかはちゃんと決まっているものだ。日本軍の場合で言うと、「軍令承行令」というものがあり、指揮官が不在でも、戦死しても、代わりに誰が指揮を執るかは組織上明確にされている。 だいいち、捕虜資格は、軍の所属員である限り、部隊で降伏しようと、個別に投降しようと、動けなくなったところを本人の意志ではなく捕獲されようと、敵に捕らえられて管理下に入れば適用されるものだ。 戦線で大量に投降があってこれを拘束した場合、敵の総司令官がどこにいるかがはっきりしないうちは投降した兵に捕虜資格があるかどうか解らない、というルールはあり得ない。 名目上の司令官一人が不在であるからと言って、その軍全体の捕虜資格がなくなるような馬鹿なことはない。 資料 ハーグ陸戦規約~~【第三条】(兵力の構成員)~~交戦当事者の兵力は、戦闘員及非戦闘員を以て之を編成することを得。~~敵に捕はれたる場合に於ては、二者均しく俘虜の取扱を受くるの権利を有す。~~http //www1.umn.edu/humanrts/japanese/J1907c.htm 「司令官逃亡」が交戦者資格喪失を意味するか? ~~http //members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/aandv/ilow050519.htm#04 -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 何応欽の軍事報告にもない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 1938年3月に開かれた国民党の臨時大会で何応欽参謀総長の軍事報告がなされたがその中で南京事件については一言も触れていない。 *反論 何応欽の年次報告書に虐殺被害が見られないと言っても、報告書には目的がある。 中国軍の行動と、損失をまとめた報告に、戦闘外での被害が記載されていないということは別に不思議ではない。 戦後の著書では 何応欽は南京虐殺について触れている。 資料 「南京陥落後の大屠殺で、殺害された市民が十万人以上にも達した。日本軍は麻縄で数百名の武装のない兵士や市民を一しょにしばつて機関銃で一斉掃射したり、あるいはガソリソをかけて彼らを焼き殺した。日本の将校が兵士を引率して、いたるところで放火、掠奪、強姦をほしいままにし、強姦された婦女子の数は教え切れず、しかも強姦された婦女子の多くは殺された。」~~『中日関係と世界の前途』~~http //www.geocities.jp/yu77799/chuugoku.html -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 戦後の中国もある時期までは問題にしていなかった -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 戦後の中国もある時期までは問題にしていなかった。鄧小平の出現まで、中国教科書に「大虐殺」はなかった。 *反論 鄧小平は1904年生まれであるので、当然それ以前に「南京大屠殺」の記述などあるはずもない。 というのは冗談としても、復権して最高実力者となった1978年以降のことを言うなら、中国本土の小学校の教科書に初めて「南京大屠殺」が記載されたのは1991年のことであるので、小学校の教科書についてだけはこれは正しい。 しかし、中学、高校用の教科書には1960年版からすでに記載されていたのだから、やはり間違いである。 さらに、台湾の小学校では1968年版から、高校の教科書では1953年から南京陥落時の虐殺事件が記載されていた。 いずれも中国本土よりも早くから「南京大屠殺」が登場している。 したがって、この主張は全くの間違いである。 資料 「1937年11月、日本侵略軍は上海を占領し、続いて南京を包囲した。蒋介石は南京を六ヶ月間を守ると述べたものの、結局六日間で陥落した。南京の人民は日寇に非人間的な残虐きわまる暴行を受けた。けだもののような日寇は一ヶ月余に、我々三十万の同胞を殺害し、約二万余の女性に暴行を行い、市内の建物の三分の一が焼かれ、数えられないほどの金品を略奪した。これは日本侵略者が中国人民に残した大きな血の債務である。」~~中華人民共和国 九年一貫制試用課本歴史第3冊、1960年版P111-112~~http //jun-gw.sfc.keio.ac.jp/JP/thesis/WangXueping/syuron.pdf -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 毛沢東も言及していない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 毛沢東は38年5月延安の抗日戦争研究会で「持久戦について」という有名な講演をした時、虐殺に触れるどころか日本軍の欠点は「包囲は多いが殲滅は少ない」として日本軍の甘さを指摘している。 *反論 毛沢東の特定の著述の中に「南京での虐殺」が出てこないからといって、毛沢東が、中国共産党が虐殺事件を知らなかったとは言えない。 東中野修道『南京虐殺の徹底検証』には 「毛沢東の総括によれば、①南京の日本軍は支那兵を殲滅しなかった。」 とあるが、 「持久戦について」には 「第五は、包囲は多いが殲滅が少ないこと。台児荘戦役以前には、敵は上海、南京、滄州、保定、南口、忻口、臨汾の諸戦役で、撃破は多かったが、捕虜と戦利品は少なく、ここに指揮のまずさがあらわれている。」 とあるのみである。 その「殲滅は少ない」の中に、南京攻略戦が入っているのかどうかここから読みとるのは無理であり、「南京の日本軍は支那兵を殲滅しなかった。」とまで断言はできないだろう。 また、毛沢東が持久戦論で強調しているのは、「日本軍は強いようだが、その指揮は不徹底でまずいものであり、恐れることはない、これからは勝てる」ということだ。 なにも日本軍の残虐行為について語ることが目的の文書ではなく、日本軍の戦術を分析して「恐るに足らず」と共産軍の志気を高めることを目的としている。 なお、延安は漢口から約1000km、上海からは1500kmも離れた山間の奥地であり、交通は不便でラジオ放送がそのまま受信できる環境ではなかった。南京で行われたことがいつ頃詳しく伝わったかは不明だ。 武漢で発行されていた中国共産党の刊行物、週刊誌『群衆』の1938年1月1日号には、すでに南京での虐殺について言及があるが、延安で発行されたものでは陳甘寧辺区政府機関紙『新中華報』の第四四三期(一九三八年六月三〇日)に「日本侵略者一年来の暴行」と題する論説を掲載しているのが最初のようだ。 毛沢東が「持久戦論」の内容をまとめた時点では、南京事件の詳細が延安まで伝えられていなかった可能性もある。 ただし、後には、毛沢東自身も「南京事件」の安全区委員会資料を掲載した、『中国占領区の日本帝国主義』(延安時事問題研究会編 一九三九年)に序文を書いている。 当然、この時点ではその内容について承知していたことになる。 あることについて書かれていない書物が存在することが、その「あること」の不存在の証明にならないことは、落ち着いて考えれば誰でも理解できることだ。 資料 「敵軍の暴行は最近開始されたものではなく、「九・一八」以前にすでに各種の残虐事件がひきおこされ、我が民衆が虐殺された。「九・一八」に敵軍がわが東北・華北ではたらいた残虐な行為は、すでに世の共に知るところとなっている。しかし、南京・上海沿線、とりわけ南京市の大虐殺は、人類有史以来空前未曾有の血なまぐさい残虐な獣行記録をつくることとなった。これは中国の全民族に対する宣戦にとどまらず、全人類に対する宣戦でもある。敵の凶悪な残忍さは、人道と正義を血で洗い、全世界・全人類の憤怒と憎悪をよびおこした。」~~『群衆』民国27年1月1日~~http //www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/gunshu.html -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 国際連盟にも提訴していない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 国際連盟で取り上げられず、非難決議もない。 *反論 国際連盟で中国代表が南京での残虐行為非難の演説を行い、この抜粋が日本の外務省文書にも転載されている。 では、なぜ提訴、非難決議にいたらなかったのか。 南京の虐殺はそれだけが孤立して行われたのではない。それは日本の中国侵略の一こまに過ぎず、南京事件の発生以前において日本の中国侵略戦争は国際的に圧倒的な非難を浴びていたのである。 1937年9月中国政府は日本の中国侵略を連盟に提訴した。連盟総会は9月28日にまず、「都市爆撃に対する国際連盟の対日非難決議」を全会一致で可決し、日本軍による上海、南京、広東爆撃を非難した。さらに10月6日には日本の軍事行動が九カ国条約と不戦条約に違反していると判定し、連盟は中国を道義的に支援することを採択した。そして同年11月3日から24日までブリュッセルで開催された九カ国条約会議では、日本の中国侵略を国際法違反であるとして非難、警告する宣言を採択した。 中国とすれば南京事件を含む侵略行動全体を問題として国際社会に訴え、日本の侵略自体を止めさせることこそが国益に適うことであった。ことさら南京事件だけを取り上げるという考えは持っていなかった。また、国際社会における受け止め方にしても南京事件だけを取り出して、日本軍の凶暴性の象徴と見なす論調はなかったといえる。 否定派は南京事件は国際社会が突き動かされような衝撃的事件であったはずだ、と考えているようだが、それは当時の国際情勢がわかっていないのである。ヨーロッパにおいては1938年イタリアが日独防共協定に参加、翌月には連盟を脱退した。1938年1月にはフランス人民戦線政府が危機を迎え、3月にはナチスドイツがオーストリア併合をした。世界大戦の前触れとなる枢軸国側の横暴の前には南京事件だけを取り立てて問題視するような情勢ではなかったのである。 歴史に残る大虐殺がすべて発生直後に国際連盟や国際連合で非難決議されているわけではない。発生時期に国際機関の公然の非難決議がないから虐殺が実在しないというなら、ホロコーストもポルポトの残虐行為もチベットでの残虐行為もなかったことになる。国際社会の非難決議があるかどうかは、残虐行為そのものの規模よりは国際社会がその残虐行為にただちに向き合う余裕と意欲があるかどうかにかかっているのである。 資料 「さらに、高い軍紀を誇りにしてきた日本兵が占領地で繰り広げる残虐で野蛮な行為は、戦火に打ちひしがれた民衆の艱難辛苦をさらにいっそう増大させ、礼節と人道に衝撃を与えています。~~あまりにも多くの事件が中立国の目撃者によって報告され、外国の新聞で報道されているので、ここでいちいち証拠をあげるには及ばないでしょう。ただ、その一端を物語るものとして、日本軍の南京占領に続いて起こった恐怖の光景にかんする『ニューヨーク・タイムズ』紙特派員の記事を紹介すれば十分でしょう。~~このリポートは一二月二〇日付の『ロンドン・タイムズ』紙に掲載されたものであります。特派員は簡潔な言葉で綴っています。「大がかりな略奪、強姦される女性、市民の殺害、住居から追い立てられる中国人、戦争捕虜の大量処刑、連行される壮健な男たち。」(国際連盟での中華民国代表 顧維鈞の演説)~~http //www.geocities.jp/yu77799/chuugoku.html 「第百回理事会ニ於ケル日支問題討議ノ経緯~~(中略) ~~四、決議ノ採択 ~~理事会ハ前記非公開会議ニ引続キ一時ヨリノ公開会議ニ於テ顧維鈞ノ演説後波蘭、祕露ノ棄権ヲ除ク全会一致ヲ以テ支那問題ニ関スル決議ヲ採択シタリ。 ~~(一)劈頭顧維鈞ハ日本ノ侵略ノ事実日本軍ノ暴行、第三国ノ権益侵害等ヲ述ベ連盟ノ行動ヲ要求スル趣旨ノ演説ヲ為セリ。(註)~~(註)顧維鈞ノ演説ノ要旨左ノ如シ。~~「昨年十月ノ連盟総会決議以後モ日本ノ侵略ハ続行強化サレ北ハ済南、中央ハ上海、南京、杭州等何レモ占領サレ已ムナク首都ハ重慶ヘ移サルルニ至リ又日本海軍ハ南支ノ小島嶼ヲ占領シ空軍ハ無防備都市ノ空爆ヲ続行シツツアリ。嘗テ厳格ナル訓練ヲ誇リタリシ日本兵士ノ其ノ占領地帯ニ於ケル暴虐野蛮ナル行動ハ言語ニ絶シ其ノ幾多ノ事例ハ中立国ノ目撃者ヨリ報告サレ外国新聞ニ報道セラレタル通ナリ。~~ト述べ、日本兵ノ掠奪、暴行及姦淫ニ関スル昨年十二月二十日ノ「タイムス」及一月二十八日ノ「デイリー・テレグラフ」~~ヲ引用シ~~日本ノ軍閥ハ其ノ占領地ニ於テ領土的野心ナシト唱ヘツツ予テノ計画ニ従ヒ傀儡タル地方政権ヲ組織シ遂ニ所謂支那共和国仮政府ヲ作リ上グルニ至レル(後略)~~(昭和13年の外務省報告書)~~http //blog2.fc2.com/higeta/ -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 蒋介石も言っていない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 支那事変一周年目の7月7日蒋介石は「友好国への声明」と「日本国民への声明」を英文で発表したがそのどちらの戦時宣伝のなかにも「虐殺」は書かれていなかった。 *反論 蒋介石が南京での残虐行為に言及した資料があり、知らなかったとは言えない。 1938年1月22日の蒋介石日記に 「倭寇(日本軍)は南京であくなき惨殺と姦淫をくり広げている。野獣にも似たこの暴行は、もとより彼ら自身の滅亡を早めるものである。それにしても同胞の痛苦はその極に達しているのだ。」とある。 また、1938年7月7日に抗戦一周年を期して出された声明「日本国民に告げる書(日本国民への声明)」には 「また日本軍が占領したどの地区においても掠奪、暴行火附けを行つた余勢で、わが方の遠くに避難出来なかつた無辜の人民および負傷兵士に対しても大規模な屠殺が行はれた。また数千人を広場に縛してこれに機銃掃射を加へ、あるひは数十人を一室に集めて油を注ぎ火炙りに処し、甚しきに至つては殺人の多少を以て競争し、互ひに冗談の種としてゐる。」 とあり、「虐殺」が書かれていないと読むのは無理だ。 あえて言えば、この声明には「南京」という言葉は使われていないのだが、対日戦一周年を期して出された声明の中の、「占領された一地区」に、南京地区が入っていないという読み方が出来るわけもない。 「虐殺」が書かれていないというのは事実に反する。 資料 「日本国民に告げる書(告日本国民書)全文」~~http //www.geocities.jp/yu77799/chuugoku.html ~~ttp //chungcheng.org.tw/thought/class07/0012/0005.htm ~~(アドレスバーにコピーして使用) -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 日本軍が食料を贈って感謝状を貰っている -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 日本軍が食料を贈って感謝状をもらっている。虐殺があったのならこのようなものは残らない。 *反論 正確に言えば、宝塔橋地区の紅卍会支部長が、砲艦比良の艦長に対して、援助食料に対する「受取証」を渡し、そこに「艦長さんの計らいに感謝します」と書き添えたということだ。独立した「感謝状」が出たわけではない。 「ありがとうございます」とか「感謝します」とか書かれた請求書やビジネスレターなら私もしじゅう受け取っているが、これを別に「感謝状を貰った」とは言わないのだ。 また、20万と見られていた南京難民全体と、日本軍全体との間のできごとのように書くのはちょっと頂けない。 むしろ陸軍部隊は南京城内外で発見した食料を自分たちのために確保してしまったので、安全区委員会からは「われわれが難民のために確保していた分については、輸送ができるように認めてほしい」という要請の文書が発行されている。 比良の艦長が難民の窮状を見て艦の食料を与えたのは事実だし、ものを貰って感謝するのは当然の礼儀であって、これは一つの美談ではある。 しかし戦場には人道行為をした人の記録もあれば、非人道行為が行われた記録もある。 非人道行為があったから、人道的行為がなかったことになる訳ではないのと同様、人道的な行いの記録があることが非人道行為の不存在の証明にはならないのである。 資料 http //www.history.gr.jp/~nanking/re5-1.jpg 日本軍が中国側の食料を押収していた例 第十六師団佐々木到一少将の日記 (12月15日)~~我が第十六師団の入城式を挙行す、師団が将来城内の警備に当たるのだとゆふものがある。終つて冷酒乾杯。~~[略]~~城内に於て百万俵以上の南京米を押収する、この米の有る間は後方から精米は補給しないとゆふ、聊か(いささか)癪だが仕方が無い、因に南京米はぼろぼろで飯盒の中から箸では掬へない。~~(偕行社「南京戦史資料集」P-380)~~ ~~安全区国際委員会 第14号文書 ~~(ラーベより日本大使館へ・・・・1937年12月27日)~~「福井氏(引用者注:福井淳日本大使館書記官)の配慮を乞う~~12月1日に前南京市長馬氏が、安全区内の住民の保護に関する責任を当国際委員会に委託したさい、氏は米3万担、小麦粉1万袋を、市民の食糧用として当委員会に譲渡しました。(中略)~~中国軍は10万担の米(当方の3万担とは別に)を南京郊外に保管しておりましたが、その大部分は南京占領の際貴軍の手中に落ちました。それで、20万市民を養うために、前記2万担の米を我々が確保することを、許していただけるようお願い致します。~~地区内の各家庭の手持ちの米は急速に減少しつつある一方、当方の米の配給に対する需要は急速に増加しています。もし我々が全住民を養わねばならないとすれば、当方の予備食料は一週間ともたないでしょう。たとえ秩序が回復したとしても、何万、何十万という難民を春まで養わねばならないことになります。」~~http //www10.ocn.ne.jp/~war/kome.htm -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- マギーは虐殺を一人しか目撃していない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 マギーは虐殺を一人しか目撃していないと言った。その一人の目撃も偽証である。 *反論 マギー牧師が殺人の現場に居合わせたのは一件だけだ、という意味では、これは本当。 ただし、マギー日記によれば発砲の瞬間はマギーの場所からは見えなかったようだ。 しかし、事件が起きたことを事実として知っている人間が、その事件の瞬間に現場にいたとは限らない。 実際には大量殺害は主に城外に連行して行われたのであるから、城内から出られない外国人達には殺害の瞬間を目撃する機会は少なかったというだけのことだ。 また、それぞれに難民保護、治療、日本当局との交渉など多忙を極めており、街路をパトロールしていたわけでもない。 今日東京には42,000人の警察官がおり、住民300人あたりに一人の配置となっているが、事件が起きる瞬間を警察官が目撃していることはまれである。 日々けが人の治療に当たる外科医が交通事故の瞬間を目撃することは、さらにまれである。 安全区委員の数は15人であり、住民数の1/10,000以下であるので、単発の事件が多発したとしても、実際にその場に居合わせる可能性は低い。 直接その瞬間を見たことが少ないから、その人が知っている事実がウソだということにはならない。マギーはほかの事件で何度も現場を訪れて死体を目撃したり、集団殺害の現場から逃げ帰った負傷者の証言を聞いたりしている。 資料 「 其の次の日の出来事でありますが、私は他の三人の外国人、其の外国人の二人は「ロシヤ」人、一人は私の同僚の「フォスター」さんでありましたが、私共是れだけの外国人の家の「バルコニー」から外を見まして、実際中国人が一人殺されるのを目撃したのであります。 ~~ それは中国人が私の家の前を歩いて居つたのでありますが、それは何れも絹の着物を着て居りました。それを日本の軍人が後ろから誰何したのであります。さうしますると此の中国人は非常に驚きまして、歩行を早めて逃げ去らうとして、丁度其の先の所にありました角の所を曲らうと致しました所が、其処には丁度竹垣がありまして行詰りになつた為に、逃げることが出来なかつたのであります。 ~~ それを日本の兵隊が追掛けまして、さうして殺したのであります。」~~ ~~「其の晩でありましたか、其の翌日の晩でありましたか、私は能く記憶して居りませぬが、私の見ました所に依りますと、中国人の二列縦隊が連れて行かれるのを見たのであります。其の数は千若くは二千に上つたであらうと思ひます。(モニターによる修正後の文)~~さうして手は総て縛られて居つたのであります。私は其の団体の中に、中国の兵隊が居るのを一人も見かけなかつたのでありまして、全部便衣を着て居つたのであります。其の中の負傷した者が逃げて帰つて来たのでありますが、それは全部私の監督しておりまする教会の病院に入れられたのであります。~~どう云ふ風にして帰つて来たかと云ふと、全部銃剣で突かれたのでありますけれども、死んだやうな真似をして居た為に、逃げて来たと云ふことであります。」 ~~http //www.geocities.jp/yu77799/magee.html -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 累々たる死体を見た者がいない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 南京市街に死体がごろごろしているはずだが、そういう証言はなかった。東京裁判の 証言者以外に累々たる死体を見た者がいない。 *反論 詩人の西條八十は陥落直後の市内で、中国兵の死体の山や、街路の夥しい(民間人の姿をした)死体を見た、と、当時の雑誌に書いている。 また、第六師団長の谷中将は、当時の報告に、揚子江の岸が「河岸一面死体を以て覆われた」と、書いている。 外国人記者、在留外国人も民間人や兵士の死体を目撃して記録している。 激戦地なので、当然死体はある。その死体がどういう理由で発生したかは別の話であって、虐殺がなかったと言いたいあまり、死体そのものがなかったとか見た者がいないというウソを言ってはいけない。 資料 燦たり南京入城式 西條八十 文芸春秋社「話」 昭和13年2月号 P238-240~~「出かける途端に見ると波止場の筋向ふに、高い板塀があつた。その中は、支那兵の死体の山。「そろそろ始まつたな」と思ふ。」~~「驚くほど厚い鉄の扉の蔭に、一河岸の米蔵の俵を寄せ集めたほど積上げられた敵の土嚢。このあたりから、往来に土民服を着た支那兵の死体やら、軍馬の屍が、夥しく見えはじめた。」~~http //www.geocities.jp/yu77799/saijou.html 軍状報告昭和十三年一月二十七日~~陸軍中将 谷寿夫~~之より先、歩兵第四十五聯隊を十日夜揚子江岸に近く北進せしめましたが、南京より脱出せる万余の敵と各所に遭遇し、之に莫大の損害を与へ、河岸一面死体を以て覆はれたる状態を生じたのであります。 「熊本兵団戦史」(熊本日日新聞社)~~ のみならず南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第六師団の眼前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、このため一帯の沼沢は死屍で埋められたという。~~ これは明らかに正規の戦闘行為によるものである。にもかかわらず中国側は虐殺として取り扱っている。~~http //www.geocities.jp/yu77799/kyoudobutai.html -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 虐殺命令書がない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 虐殺命令書がない。日本軍には軍事目的がなく、作戦記録もない。 *反論 南京攻略の目的があり、攻略の命令書もあり、戦闘記録には捕虜殺害も明記されている。 日本軍は虐殺を目的に作戦したわけではないのだから、命令書には「虐殺をせよ」とは書かれていない。 虐殺は日本軍の無計画さと組織性のなさから起きたと考えられる。 軍中央ではむしろ現地軍の暴走ぶりにとまどい、参謀総長名で中支那派遣軍司令官松井大将に「戒告」の文書を送っている。 資料 「中島師団婦人方面、殺人、不軍紀行為は、国民的道義心の廃退、戦況悲惨より来るものにして言語に絶するものあり。」(阿南惟幾 S12.12.22陸軍省局長会報におけるメモ)~~ ~~「就中、軍紀、風紀において忌わしき事態の発生近時漸く繁きを耳にし、信ぜざらむと欲するも尚転た慨然たるものあり。惟ふに、一人の失態も全隊の真価を左右し、一隊の過誤も遂に全軍の聖業を傷くるに至らん---~~然れ共、実情の不利不便愈々大なるに従い、益々これが克服の努力を望まざるを得ず。或は沍寒に苦しみ、或は櫛風沐雨の天苦を嘗めて日夜健闘しある外征将士の心労を深く偲びつつも、断じて事変の完美なる成果を期せんか為、茲に改めて軍紀風紀の振作に関して、切に要望す。~~本職の真意を諒せよ。~~昭和十三年一月四日~~ 大本営陸軍部幕僚長 載仁親王~~中支那方面軍司令官宛」~~http //www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 虐殺死体や虐殺設備の痕跡がない -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 大量の虐殺死体や虐殺死体処理設備の痕跡がない、ホロコーストのように死体処理工場でも作らない限り大量虐殺はできない。 *反論 万単位の死体は確かに存在したのであり、埋葬記録も各団体、個人によるものが日本側、中国側双方に残っている。 南京戦は激戦であり、中国側の戦死者だけでも万単位に上る。大量の死体は実際に存在したのであり、虐殺がなかったと信じたいあまり「死体がなかった」などというウソを主張するのは感心しない。 問題は原因が戦闘と捕虜・敗残兵の殺害、市民への暴行、いずれによるものか埋葬記録だけからは確定出来ない点と、全体の数が確定出来ない点にある。 死体は、大きな土の塚を作ってまとめて埋葬した。日本軍が処理したものでは大量に揚子江に流したものもある。 これらには当事者、目撃者の日本人、中国人の証言があり、写真も残されている。 専用の死体処理施設はなかったと思われるが、歴史上実在したとされる「大虐殺」のうち、専用の死体処理設備が確認されたものがいくつあるかを考えれば、設備の不存在が虐殺否定の根拠にはならないことは誰でも理解出来る。 資料 遺体埋葬の記録 ~~紅卍字会 ~~http //members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/maisou/koumanjikai.html ~~南京市衛生局 ~~http //members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/maisou/eiseikyoku.html ~~赤十字 ~~http //members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/maisou/juuji_no1.html ~~赤十字 ~~http //members.at.infoseek.co.jp/NankingMassacre/mondai/maisou/juuji_no2.html 埋葬の写真と伝えられるもの ~~ ~~紅卍字会埋葬隊 ~~ ref(http //image02.wiki.livedoor.jp/n/q/nankingfaq/f102a527c8e07cb2.jpg) ~~ ~~赤十字埋葬隊 ~~ ref(http //image02.wiki.livedoor.jp/n/q/nankingfaq/da0a1a411d8c8f66.jpg) 日本軍による揚子江での死体処理(目黒輜重連隊村瀬守保氏撮影)~~「工兵隊が死体に鈎を引っ掛けて、沖へ流す作業をしていました。一回に数体ぐらいですから、こんなやり方では二ヵ月以上もかかりそうでした。」 ~~『村瀬守保写真集 私の従軍中国戦線』(日本機関紙出版センター 1987年) ~~ ref(http //image01.wiki.livedoor.jp/n/q/nankingfaq/d922ad483487603b.jpg) -------------------------------------------------------------------------------- -------------------------------------------------------------------------------- 虐殺記事は国民党のエージェントが書いた -------------------------------------------------------------------------------- *否定派の主張 南京虐殺の直後に虐殺の記事を書いた新聞記者や大学教授は、中国国民党のエージェントであったことが明らかになった。 *反論 ダーディンやスティールのことであれば、中国側の主催する報道関係者のサロンに出入りしたり、中国側のお膳立てする会見や取材旅行に参加していたに過ぎない。 これを国民党のエージェントとまでいう人は報道と行政機関の関係と言うものにあまりにナイーブである。今も昔もジャーナリストというものは、利用出来るものは利用するのだ。 ベイツについては、「中華民国政府顧問」 であると書かれた出所不明の新聞の切り抜きと見られる資料が存在するらしいが、どのような顧問であったのかの明記はない。 記事内容が事実だとしても、日本で言えば明治期のクラーク博士やモース博士のような、「お雇い外国人」の立場で教育・学術の顧問を務めていたと見るべきだろう。 また、ティンパリーが中国政府の広報顧問を務めた後、国連機関のUNRRAや UNESCOの顧問、インドネシア政府の顧問を務めたことは、ずいぶん昔から広く知られていることであり、ティンパリー一族のホ-ムページにも堂々と記載されていることだ。 別に新しい発見ではない。 「顧問」と言うのはものごとを教え、指導をする人間であって、「エージェント」ではないのだから、工作員とかエージェントとか呼ぶことにはまったく何も根拠がない。 資料 http //www.geocities.jp/yu77799/bates1.html ~~ http //www.timperley.org/references/REF0019.HTM --------------------------------------------------------------------------------
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twittbot コラーゲンを食べても消化酵素でペプチドに分解されてしまうので、体内でコラーゲンとしては働かない。コラーゲン合成にはビタミンCが必須。 イチゴとメロンとスイカは収穫するまでは野菜、収穫したら果物。 #vegetable 油は二重結合が多いほど柔らかくて酸化されやすい。二重結合に水素添加して硬く酸化されにくくしたのが硬化油。水素添加時の副産物としてトランス脂肪酸ができてしまう。 炭水化物の量は差し引き法で求める。100から水分とたんぱく質と脂質と灰分(かいぶん)を引く。炭水化物の少ない魚介類、肉類、卵類では、アンスロン-硫酸法で直接測定する。 コンブに含まれるグルタミン酸はアミノ酸でうま味成分。コンブなどの褐藻類に含まれるアルギン酸は多糖類で食物繊維。増粘剤やゲル化剤として用いられる。 紅藻類に含まれる多糖類カラギーナンは増粘剤やゲル化剤として用いられる。ガラクタンの一種で、D-ガラクトースがα-1,3結合とβ-1,4結合で交互に結合し、さらに3,6-アンヒドロ結合や硫酸基を持つ。糖2つに付きアンヒドロ結合1つと硫酸基1つを持つκ型のゲル化能が最も高い。 紅藻類のテングサやオゴノリから寒天を作る。主成分は多糖類のアガロースとアガロペクチン。ゼリーを作るのに用いられる。アガロースはガラクタンの一種で、D-ガラクトースと3,6-アンヒドロ-L-ガラクトースが交互に結合している。アガロペクチンはさらに硫酸基などが付いている。 脂肪酸の二重結合は普通シス型。硬化油を作る水素添加の副反応や食用油の脱臭処理の際の加熱などで反対向きになったのがトランス脂肪酸。ただし、牛などの反芻動物の胃の中の微生物もトランス脂肪酸を作るので、牛肉や牛乳などにも含まれる。 ゼラチンはコラーゲンの熱水抽出物。コラーゲンの三重らせん構造がほどけて可溶化したもの。たんぱく質なのでプロテアーゼによって分解される。牛や豚の皮や骨から作られていたが、最近は魚の皮(うろこ)から作るフィッシュコラーゲンも多い。 アガー(agar)って英語で寒天という意味。ただし、日本で売ってるアガーはカラギーナンやローカストビーンガムなどが入っている。 畜肉と魚肉を比べると、畜肉は肉基質たんぱく質(結合組織)の割合が多いので硬い。畜肉は死後硬直後、解硬してから食べるが、魚肉は死後硬直中に刺身にして食べる。 特定保健用食品には、(何も付けない)特定保健用食品、規格基準型、疾病リスク低減表示、条件付きの4種類があって、条件付きだけマークが違う。 日本食品標準成分表2010で、「0」はその成分値の最小記載量の1/10未満、「Tr」は、1/10以上、5/10未満である。「(0)」、「(Tr)」は文献からの推定値。 #kokushi 日本食品標準成分表2010で、アルコールのエネルギー換算係数は7.1kcal/gとしている。お酒のカロリーはエンプティカロリーと呼ばれ、すべてをエネルギーとして利用できるわけではないが、脂肪の代謝を抑制するので、やはりお酒を飲むと太ることになる。 #kokushi 日本食品標準成分表2010で、レチノール当量はレチノール量にβ-カロテン当量の1/12を加えて計算される。吸収率1/6×転換効率1/2=1/12。 #kokushi 官能検査の3点識別試験法は、2種類の異なる試料の差を識別する手法である。3つのうち、どれが違うかを識別する。 #kokushi 甘いおしるこに少量の食塩を加えたり、スイカに食塩を振ったりすると甘味が強まるのは対比効果による。 #kokushi 上白糖には転化糖が添加されている。上白糖がしっとりしたり、甘味にこくがあったり、焼き色が付きやすかったりするのは、転化糖のため。 #kokushi 熱帯・亜熱帯原産の野菜は低温障害を起こすので、冷蔵庫に入れない方がいい。 #vegetable 同じモル濃度なら、ショ糖より食塩の方が浸透圧を高める効果が大きい。食塩はナトリウムイオンと塩素イオンに解離するから、濃度が実質2倍になる。 炒飯は炊いた飯を油脂で炒めたもの、ピラフは、米を油脂で炒めてから炊飯したもの。どちらも粘り気のない米の方が美味しい。 長粒米(インディカ米)はアミロースが多くて粘り気が少ない。短粒米(ジャポニカ米)はアミロースが少なくて粘り気が多い。 上新粉はうるち米から、白玉粉はもち米から作られる。道明寺粉は蒸したもち米を乾燥してから砕いて作る。 #kokushi パンには強力粉(きょうりきこ)、うどんには中力粉(ちゅうりきこ)、天ぷらには薄力粉(はくりきこ)が用いられる。強力粉はたんぱく質が多くてグルテンがたくさんできる。 中華麺を作る時に、アルカリ性の「かん水」を加えることで、グルテンの伸展性を増加させる。アルカリ性にすることで、無色のフラボノイドが黄色に変化するので、中華麺は黄色になる。ただし、きれいな黄色にするため、クチナシ色素などの着色料が添加されていることもある。 じゃがいもの品種には粘性のメークインなどと粉性の男爵などがある。「男爵」とは、この品種を1908年にイギリスから持ち込んだ川田龍吉男爵のことで、欧米で「アイリッシュコブラー」と呼ばれる品種である。 肉の色素は暗赤色のミオグロビン。2価のヘム鉄が含まれている。酸素に触れると酸素分子が結合して鮮赤色のオキシミオグロビンになり、さらに鉄が2価から3価に酸化されて褐色のメトミオグロビンになる。煮たり焼いたりすると変性して灰褐色のメトミオクロモーゲンになる。 クロロフィルは酸性下で加熱するとマグネシウムイオンを失って緑褐色のフェオフィチンとなる。 ポリフェノールオキシダーゼによる酵素的褐変を防ぐには、(1)食塩を加えて酵素を阻害する(リンゴを塩水に)、(2)酸性にしてpHを下げる(レンコンを酢水に)、(3)水に漬けて空気(酸素)に触れないようにする、(4)ブランチングで加熱失活させる(冷凍食品の製造)。 #kokushi あくを持つ野菜を油脂で調理するとあくを感じにくくなるのは、油脂で舌の味蕾がマスクされるためである。 渋柿をアルコールや二酸化炭素で渋抜きするとタンニンが不溶化して渋くなくなる。渋柿の代表品種は平核無(ひらたねなし)。 日本で流通が認められている遺伝子組換え農作物は、大豆、とうもろこし、ばれいしょ、なたね、綿実、アルファルファ、てん菜、パパイヤ。米や小麦は遺伝子組換えのものが流通していないので、「遺伝子組換えではない」とは表示できない。 #kokushi フードマイレージは輸入国からの距離×重量で計算する。遠い国から重いものを運ぶほど大きくなる。 #kokushi こんぶの表面に生じる白い粉は糖アルコールのマンニトール。グルタミン酸ナトリウムではない。決してカビではない。拭き取っちゃダメ。 種なしブドウは植物ホルモンのジベレリンで処理して作る。ジベレリン溶液に未熟のブドウを一房ずつ漬けて処理するので手間がかかる。ただし、近年、ジベレリン処理なしで種なしとなる品種(○○シードレス)が流通するようになった。 #vegetable イチゴのつぶつぶは種である。花粉がうまく付かず種ができないと、実がきれいに膨らまないから、ハウス栽培ではミツバチを使って受粉させる。 #vegetable じゃがいも(ばれいしょ)に含まれる有毒なソラニンなどのグルコアルカロイドは、調理に用いる温度で加熱しても分解しない。芽の部分や青くなった部分は煮ても焼いても食べられない。 #vegetable ナスとトマトとトウガラシとジャガイモは全部ナス科。姿形は全然似てないけど、花の形が似てる。 ホオズキやタバコもナス科。 #vegetable ニンニクを刻むとアリインからにおい成分アリシンができる。 アルファルファはマメ科の牧草。スプラウト(もやし)として人間のエサにもなる。 #vegetable 植物たんぱく質は、水溶性のアルブミン、塩可溶性のグロブリン、アルコール可溶性のプロラミン、酸可溶性のグルテリンに分けられる。 オボ○○○は卵、ラクト○○○は牛乳に含まれる。 #kokushi 油脂の性質で、ヨウ素価が130以上の油を乾性油、100から130のものを半乾性油、100以下のものを不乾性油という。ヨウ素価が高い=不飽和度が高いほど乾きやすい理由は、酸化されて重合しやすいため。重合すると固まって乾く。 あく:元々は灰汁(あく)を指す。そのうちに灰汁を使って除く不味成分を「あく」と呼ぶようになり、さらに、不味成分一般を「あく」と呼ぶようになった。\n植物性のあく:カリウム、マグネシウム、カルシウム、シュウ酸、ポリフェノール、サポニンなど。\n動物性のあく:たんぱく質の熱凝固物など。 コラーゲンの構成アミノ酸は、グリシン、プロリン、ヒドロキシプロリンが多い。ヒドロキシプロリンの水酸基の水素結合で、3本のコラーゲン鎖がからみあった3重らせん構造を形成している。 コラーゲンの生合成では、たんぱく質合成後、プロリンが水酸化されてヒドロキシプロリンになる。この反応にはアスコルビン酸(ビタミンC)が必須。アスコルビン酸が欠乏するとヒドロキシプロリンができないので、コラーゲンの安定性が低下し、壊血病になる。 コラーゲンは煮込むと可溶化してゼラチンになるが、エラスチンは可溶化しない。 食肉の熟成について、適温で貯蔵した場合、要する時間は、牛肉で2週間、豚肉で5~7日間、鶏肉で1~2日間とされる。体が大きいほど長い、と覚える。 食肉加工では、結着性や保水性の向上のため、ピロリン酸四ナトリウムやポリリン酸ナトリウムなどの重合リン酸塩(リン酸基が2つ以上つながったイオンの塩)が用いられる。これらを加えると食塩を減らすことができる。 食肉加工において、発色剤はミオグロビンと結合して、赤色(塩漬肉色)を呈するニトロソミオグロビンを経て、加熱により、ニトロソミオクロモーゲンとなり、淡赤色(加熱塩漬肉色)を呈する。未加工の肉と違って、色が汚くならない。発色剤として硝石や亜硝酸塩が用いられる。 卵の賞味期限は、生食できる期限。期限が切れても加熱すれば食べることができる。 鶏卵の鈍端側(丸い方)に存在する気室は鮮度の低下により大きくなる。水分が蒸発すると体積は減るが、卵の殻の大きさは変えられないので、気室を大きくすることで対応している。気室のある鈍端側を上にして保存すると傷みにくいとされる。 肉とか魚などは生よりも加熱した方が傷みにくいが、卵は生の方が傷みにくい。生卵は「生きている」から。 アイスクリーム類のうち、アイスクリームは乳固形分15.0%以上、乳脂肪分8.0%以上である。 JAS規格では、醤油は濃口醤油、淡口醤油、白醤油、たまり醤油、再仕込み醤油に分類される。 転化糖は、転化酵素インベルターゼでショ糖を分解してブドウ糖と果糖にするから、同じ割合になる。異性化糖は、でんぷんを分解してブドウ糖にしてから異性化酵素イソメラーゼで果糖に変えるから割合が異なる。 ソルビトールはグルコースを還元したもので、糖アルコールのなかでもっとも生産量が多い。 キシロースを還元してできるキシリトールはショ糖と同程度の甘味度を有し、溶解時に吸熱反応が起こるので、口の中でひんやりする。非う蝕性なので虫歯の原因にならない。 甘味料アスパルテームは、アスパラギン酸とフェニルアラニンメチルエステルのジペプチドである。熱に不安定。 #kokushi 焼酎(しょうちゅう)は、酒税法で、連続式蒸留しょうちゅう(旧甲類)と単式蒸留しょうちゅう(旧乙類)に分けられる。連続式蒸留しょうちゅうはいわゆるホワイトリカー。単式蒸留しょうちゅうはいわゆる本格焼酎。 アレルギー物質の表示義務7品目(特定原材料):えび、かに、卵、乳、小麦、そば、落花生。日本人の食事に欠かせない大豆は表示推奨20品目に入っている。米はどちらにも入っていない。 #kokushi 食酢は、アルコールを酢酸菌で酢酸発酵させて作る。いったんお酒(みたいなもの)を作ってから作る。ワイン(フランス語でvin)が自然に発酵してできた酸っぱいワイン(vin aigre)から酢(vinaigre)という言葉ができ、英語のvinegarとなった。 アミロースはグルコースがα-1,4結合で多数つながったもの。らせん構造を持つ。アミロペクチンはさらにα-1,6結合で枝分かれしたもの。房(クラスター)構造を持ち、巨大分子となる。 #kokushi ソバに多い淡黄色のルチン(rutin)はフラボノイド色素(ケルセチン配糖体)、緑黄色野菜や卵黄に多い黄色のルテイン(lutein)はカロテノイド色素(キサントフィル類)。 日本の地域伝統野菜には、京野菜、なにわ野菜、大和野菜、加賀野菜、江戸野菜などがある。 #vegetable 食酢には醸造酢と合成酢がある。醸造酢には、穀物40g/L以上使用の穀物酢、果汁300g/L使用の果実酢、その他がある。その他には、穀物や果汁の量が足らないものや、野菜、はちみつ、サトウキビなどを使ったものがある。穀物には、米、大麦、小麦、とうもろこしのほか、酒粕も使われる。 イモの茎を芋茎(ずいき)という。食品成分表ではサトイモの葉柄を指す。サツマイモの葉柄や若いつるも食用になる。 #vegetable 栄養表示基準で、炭水化物は糖質(食物繊維ではない炭水化物)と食物繊維に分けられる。糖質は糖類(単糖又は二糖であって、糖アルコールでないもの)とそのほかの糖質(でんぷんなど)に分けられる。 #kokushi テンサイ(てん菜、甜菜)は砂糖(ショ糖)の原料。根に甘味が詰まっている。砂糖大根とも呼ばれるが、アブラナ科の大根の仲間ではなくて、ボルシチに使うアカザ科のテーブルビートと同種。サトウキビと違って寒いところでよくできる。 ホウレンソウはアカザ科の葉菜。冬に美味しくなる。β-カロテン、葉酸、鉄が多い。シュウ酸を含むが、最近のサラダ用の品種では少なくなっている。 #vegetable 栄養機能食品は、ミネラル6種(亜鉛、カルシウム、鉄、銅、マグネシウム、カリウム)とビタミン13種、n-3系脂肪酸のいずれかについて規格基準に適合したもの。少ないのはもちろん、多すぎてもいけない。2015年4月、カリウム、ビタミンK、n-3系脂肪酸が追加。 #kokushi うるち米のでんぷんはアミロース20%、アミロペクチン80%、もち米のでんぷんはアミロペクチン100%。でも、それ以外の違いはないので、食品成分表2010では区別されていない。 #kokushi さつまいもの最適貯蔵温度は15℃。10℃以下では低温障害を起こす。寒くて風邪をひいてしまうようなもの。18℃以上では芽が出てしまうことがあるが、じゃがいもと違って毒はない。 #vegetable 生のさといもの皮をむくと皮膚がかゆくなるのは、シュウ酸カルシウムの針状結晶による物理的な刺激による。 #vegetable #kokushi 揮発性塩基窒素(VBN)はアンモニア、ジメチルアミン、トリメチルアミンなど。魚の腐敗によって生成するので、鮮度指標となる。ただし、軟骨魚類のサメやエイでは、体内に多く含まれる尿素が死後すぐにアンモニアに変化するので指標とならない。 #kokushi 大豆に含まれる主要たんぱく質はグリシニン。大豆の学名Glycine maxから命名。溶解性からグロブリン(塩可溶性)に分類される。 米の食味は、アミロース含量やたんぱく質含量で左右される。一般に、アミロースやたんぱく質が多いほど、おいしくないとされる。 野菜を保存する時は、根を下にして立てておいた方が長持ちする。重力に従って、茎葉は上に根は下に伸びようとするけど、上下逆や横向きだと余分なエネルギーを使ってしまう。野菜は生きていることに注意して保存することが必要。 #vegetable 日本で、食品への放射線照射が認められているのは、ジャガイモの発芽抑制だけ。北海道のJA士幌町でコバルト60のγ線照射をしているのが唯一。 植物のたんぱく質分解酵素(プロテアーゼ):イチジクのフィシン、キウイフルーツのアクチニジン、パイナップルのブロメライン、パパイアのパパイン、ショウガのショウガプロテアーゼ。食肉を軟化させることができる。でも、ゼラチンゼリーを作る時は要注意。 #kokushi さつまいもは根が肥大した塊根。甘いイモなので甘藷(かんしょ)とも呼ばれる。 #vegetable サツマイモを切った時に出てくる白い液はヤラピン。糖脂質の一種。空気中で放っておくと、共存するクロロゲン酸が酸化されて黒くなる。おなかを緩くする効果があるので便秘に効く。 #vegetable サツマイモが緑色になるのは、クロロゲン酸がアルカリ性で変色したため。天プラの衣に加えた重曹や、腐敗細菌の出すアンモニアなどで起こる。 #vegetable アラキドン酸(AA)からできるトロンボキサンA2は血小板凝集を引き起こし、プロスタグランジンI2(プロスタサイクリン)は血小板凝集を抑制する。イコサペンタエン酸(IPA)からできるトロンボキサンA3は血小板凝集を引き起こさないので血が固まりにくくなる。 コンブのうま味はアミノ酸のグルタミン酸、カツオのうま味はヌクレオチドのイノシン酸、シイタケのうま味はヌクレオチドのグアニル酸。 食品成分表2010で「いも及びでん粉類」のきくいも、こんにゃく、「きのこ類」、「藻類」及び「し好飲料類」の昆布茶については、暫定的な算出法として、Atwaterの係数を適用して求めた値に0.5を乗じて算出する・・・つまり炭水化物を2kcal/gとして計算するということ。 食物繊維はノンカロリーではない。腸内細菌によって代謝され、有機酸などの形で吸収されるから。でも、吸収率は人によって違うので、こんにゃくやきのこ類などは炭水化物を2kcal/gで計算している。 寒天は、「ところ天」を凍結乾燥したものが始まり。テングサなどの紅藻類を煮出すことで、多糖類を抽出して作る。 温州ミカン(うんしゅうみかん)の果肉色はβ-クリプトキサンチン。カロテノイド(キサントフィル類)で、プロビタミンA活性を有する。 #kokushi #vegetable 渋柿の渋味は「可溶性」のタンニン(ポリフェノール)。渋抜きしたり干し柿にしたりすると不溶化して渋味を感じなくなる。 #vegetable 果物の酸味はクエン酸、リンゴ酸、酒石酸などの有機酸。クエン酸は柑橘(かんきつ)類に多い。酒石酸はブドウに多くて、ワインの樽底の「酒石」から見つかった。 牛乳のたんぱく質はカゼインとホエー(乳清)たんぱく質に分けられる。酸性にしたり、キモシンを加えたりして、カゼインが沈殿した時に残るのがホエー。 アラキドン酸(AA)からシクロオキシゲナーゼ(COX)の作用によってプロスタグランジン(PG)やトロンボキサン(TX)が、5-リポキシゲナーゼ(LOX)の作用によってロイコトリエン(LT)ができる。二重結合が4つあるのに、ロイコ「トリ」エンなのは、共役トリエン構造を持つから。 卵白たんぱく質の約半分を占めるオボアルブミンは熱凝固性と起泡性に関与している。卵白の調理性の主役である。 #kokushi 卵白たんぱく質のオボトランスフェリンは鉄結合性たんぱく質である 卵白たんぱく質のオボムコイドはトリプシンインヒビター(阻害剤)である。アレルゲン活性が強く、加熱してもアレルゲン活性を失わないとされる。 卵白たんぱく質の卵白リゾチームは溶菌作用を持つ酵素。グラム陽性菌の細胞壁の多糖類を加水分解することで、外部からの細菌の侵入を防いでいる。 卵白たんぱく質のオボムチンは、泡の安定性に関与している。 卵白たんぱく質のアビシンはビオチンと結合する作用を有している。 砂糖(ショ糖)の原料は、イネ科のサトウキビ(甘蔗=かんしゃ・かんしょ)の茎とアカザ科のサトウダイコン(甜菜=てんさい)の根。サトウキビは熱帯・亜熱帯、サトウダイコンは亜寒帯が適地。 豆乳をMgイオン(塩化マグネシウム=にがり)またはCaイオン(硫酸カルシウム=すまし粉)存在下もしくは酸性下(グルコノ-δ-ラクトン)で加熱すると水を含んだゲル「豆腐」ができる。グルコノ-δ-ラクトンは加熱すると加水分解されてグルコン酸になり酸性を示す。 非糖質系甘味料のステビオシドはステビアの葉、グリチルリチンは甘草の根に含まれる。グリチルリチンは塩味を丸くする(塩角を取る)作用があるので、味噌や醤油に用いられる。 #kokushi ホスホリパーゼはリン脂質加水分解酵素。A1は1位の、A2は2位の、Bは両方の脂肪酸を切り出す。Cはグリセロールとリン酸の間を切ってジアシルグリセロールを、Dはリン酸とアルコールの間を切ってホスファチジン酸を生成する。 酒税法では、アルコール分1度(15℃での容量%が1%)以上のものが酒として酒税がかかる。料理酒のように塩を加えて不可飲処理したものは免税。みりんは酒だが、みりん風調味料はアルコールが入ってないので酒ではない。 誘電加熱は電子レンジ。マイクロ波を照射する。英語ではmicrowave oven。\n誘導加熱はIH調理器。電磁石の磁力線で金属鍋に電流を流して加熱する。英語ではinduction heatingなのでIH。 タケノコの白い粉はチロシン。溶解性が低いので析出しやすい。アミノ酸だからもちろん食べれる。生のまま放っておくと、酵素作用でえぐ味成分のホモゲンチジン酸に変わってしまう。 納豆は大豆を納豆菌で発酵させて作る。昔は蒸した大豆をわらで包んで作っていた。におい成分はピラジン類。古くなるとチロシンが白い粉として析出するほか、アンモニアが発生する。ナットウキナーゼは血栓溶解作用を有するが、経口摂取では消化されてしまうので無意味。 野菜の緑の香りはリポキシゲナーゼ(LOX)がリノール酸やα-リノレン酸に作用してできる。 #vegetable #kokushi トマトのにおいは、α-リノレン酸に13-リポキシゲナーゼが作用してできるtrans-2-ヘキセナール(青葉アルデヒド)やcis-3-ヘキセノール(青葉アルコール)など。 #vegetable #kokushi\n キュウリのにおいは、α-リノレン酸に9-リポキシゲナーゼが作用してできるtrans,cis-2,6-ノナジエナール(スミレ葉アルデヒド)やtrans,cis-2,6-ノナジエノール(キュウリアルコール)など。 #vegetable #kokushi\n 大豆のにおいは、リノール酸に13-リポキシゲナーゼが作用してできるヘキサナールなど。 #vegetable #kokushi 化合物の名前は、語尾を覚える。炭化水素は、アン、エン、イン。アルコールはオール、アルデヒドはアール、ケトンはオン、糖はオースで終わる。エステルは○○酸××で××の語尾はイル。 ナタネ油はアブラナ科のナタネ(セイヨウアブラナ)の種子から圧搾・抽出して得られる。元々はエルカ酸(22 1)が多かったが、品種改良でオレイン酸(18 1)が多い油になった。キャノーラは「カナダの油」と言う意味で、カナダで改良したナタネを指す。 大豆油、ナタネ油、綿実油は、遺伝子組換え品種を原料としていても表示の義務はない。たんぱく質やDNAが残っていないから。ただし、遺伝子組換えの高オレイン酸大豆油は表示義務がある。 魚の鮮度を示すK値=(HxR+Hx)/(ATP+ADP+AMP+IMP+HxR+Hx)×100%で計算する。分母はATP分解生成物の全量、分子は鮮度低下で生じるイノシンHxR(無味)とヒポキサンチンHx(苦味)の合計。この分解は酵素反応で起こり、細菌繁殖とは無関係。 牛乳を加熱すると膜ができる現象はラムスデン(ラムゼン)現象。乳清(ホエー)たんぱく質が熱凝固し、脂肪を巻き込んで浮いてくる。カゼインは熱凝固しない。豆乳で同じことをすると湯葉ができる。 電磁(IH)調理器は電磁誘導により鍋底に生じる渦電流のため、鍋自体が発熱する。底が平らな鉄、ステンレス、ほうろう鍋などが使用できる。オールメタルタイプでは銅やアルミニウムの鍋も使用できる。炊飯器にも応用されている。 電子レンジではマイクロ波を食品中の水分子が吸収し、回転することで発熱する。金属容器はマイクロ波を反射するので使用できない。また、食塩が含まれているとマイクロ波を吸収するので効率が落ちる。 伝熱には伝導(金属などの物質中を熱が伝わる)、対流(加熱された液体や気体が移動する)、放射(赤外線として伝わる)の3種類がある。 ほうろう(琺瑯、ホーロー)は鉄にガラスの釉薬(うわぐすり)を塗ったもの。電磁調理器(IH)で使用できるが、電子レンジでは使用できない。 植物に含まれるフィチン酸はイノシトールに6つのリン酸が結合していて、このリン酸基が金属とキレート結合する。その結果、鉄やカルシウムなどの吸収を阻害する。 乾式加熱は水を使わない加熱。焼くとか炒めるとか揚げるとか。水を使う湿式加熱よりも高い温度で加熱できるが、加熱温度や速度は安定しない。 湿式加熱は水を使う加熱。煮るとか蒸すとか。水の沸点が100℃なのでそれ以上高温にはできないが、加熱温度は安定している。 小麦粉から作る麺:うどん、そうめん、中華麺、スパゲッティなど。\nそば粉から作る麺:そば、韓国冷麺など。\n米粉から作る麺:ビーフン。インディカ種のうるち米から作る。\n緑豆でんぷんから作る麺:はるさめ。最近はさつまいもなどのでんぷんも。 フラノース:糖の環状構造が5角形(炭素4,酸素1)、ピラノース:糖の環状構造が6角形(炭素5,酸素1)。フルクトフラノース(フルクトースのフラノース)とかグルコピラノース(グルコースのピラノース)とかの呼び方がある。 食品表示法は2013年6月に成立・公布、2015年4月1日に施行された。JAS法、食品衛生法、健康増進法の表示に関する規定を統合。 消費期限は「期限が過ぎたら食べない方がいい」。保存がきかない食品に年月日で表示。\n賞味期限は「おいしく食べられる期間」。過ぎてもすぐに食べられなくなるわけではない。保存がきく食品に年月日で表示。ただし、製造日から3ヶ月を超えるものは年月でも可。 非酵素的褐変には、アミノカルボニル(メイラード)反応とカラメル化反応がある。アミノカルボニル反応は主にアミノ酸のアミノ基と還元糖のカルボニル基との反応で褐色色素メラノイジンと香気ができる。カラメル化は糖を加熱することで褐色色素と苦味と香気ができる。 液体の中に他の液体が分散しているエマルションには水中油滴(O/W)型と油中水滴(W/O)型がある。O/W型は生クリームやマヨネーズなど、W/O型はバターやマーガリンなど。 ダイコン、ワサビなどのアブラナ科植物では、磨砕・切断により酵素ミロシナーゼが働き、カラシ油配糖体(グルコシノレート)から辛味や香りを有するイソチオシアナートが生成する。 結合水は食品成分と水素結合で束縛されていて、微生物は利用できない。自由水は束縛されず、微生物が利用できる。自由水が多いと水分活性が高い。 カロテノイド色素は、炭化水素であるカロテン類と酸素を含むキサントフィル類に分類される。カロテン類にはα-カロテン、β-カロテン、リコペンなどがある。キサントフィル類にはβ-クリプトキサンチン、ルテイン、アスタキサンチンなどがある。 辛味成分は熱に強い順にトウガラシのカプサイシン、コショウのピペリン、ショウガのジンゲロール、ニンニクのジアリルジスルフィド、ワサビのアリルイソチオシアナート。カプサイシンはホットな辛さ、アリルイソチオシアナートはシャープな辛さ。 物質名で2通り読み方があるのはローマ字読みと英語読みが混在している場合が多い。日本での正式な読み方はローマ字読み。○リコペン×リコピン、○イソチオシアナート×イソチオシアネート、○フルクトース×フラクトースなど。 日本食品標準成分表2010において、たんぱく質は改良ケルダール法によって定量した窒素量に「窒素-たんぱく質換算係数」を乗じて算出する。「窒素-たんぱく質換算係数」は食品ごとに異なるが、多くの食品で6.25。 トウガラシは中南米原産の香辛料。辛味はカプサイシン、色素はカプサンチン(キサントフィル類)。コロンブスがアメリカをインドと間違えて上陸した時、トウガラシをコショウの仲間と勘違いして持ち帰ったので、今でも○○ペッパーとか○○コショウとかの名前が残っている。 #vegetable カレー粉の黄色色素はクルクミン。カロテノイドではなく、ポリフェノールの一種。ターメリック(ウコン)の根から得られる。 サフランの黄色色素はカロテノイドであるクロセチンの配糖体クロシン。配糖体なので水溶性。長くて赤いめしべから得られる。クロシンはクチナシの実にも含まれる。 オリゴ糖は単糖が2~10個結合したもの。少糖とも言う。単糖2つだと二糖、3つだと三糖と呼ぶ。ショ糖(スクロース)のように甘くて易消化性のものや、ラフィノースのように難消化性のものがある。 油脂の劣化指標のうち、過酸化物価(PV,POV)は酸化一次生成物である過酸化物の量、カルボニル価(CV,COV)は酸化二次生成物であるカルボニル化合物の量を示す。酸価(AV)は油脂が加水分解して生じた遊離脂肪酸の量を示す。 トレハロースはグルコースがα-1,1結合してできる二糖。還元基同士が結合しているので、非還元糖である。上品な甘味をもち、水和力が強く、保水性が高いため、さまざまな食品に用いられる。 マルトースは、グルコースがα-1,4結合してできる二糖。麦芽糖とも言う。でんぷんの基本単位であり、でんぷんにβ-アミラーゼを作用させるとマルトースができる。 シナモンは、シナモン(肉桂)の樹皮から取る。桂皮、ニッキともいう。樹皮を乾燥して丸めたものがシナモンスティック。粉末化したものがシナモンパウダー。香気成分はシンナムアルデヒド(桂皮アルデヒド)など。 トランス脂肪酸について、日本では表示義務がない。 乳脂には短鎖脂肪酸である炭素数4の酪酸(ブタン酸)や炭素数6のヘキサン酸が含まれる。 オリーブ油はオリーブの実を圧搾して製造する。一価不飽和脂肪酸であるオレイン酸を70%以上含む。酸価が低くて上質のものは精製せずに食用とする(バージンオリーブオイル)。 多価不飽和脂肪酸の酸化では、二重結合の隣のメチレン(CH2)基から「水素」が引き抜かれて、ラジカルが生じる。 ビールは麦芽(モルト)とホップで作る醸造酒。麦芽のデンプンを麦芽自身が持つ酵素β-アミラーゼで糖化して麦芽糖(マルトース)にしてから、酵母でアルコール発酵して作る。糖化と発酵が同時には起こらないので、「単行複発酵」という。 ワインは果汁で作る醸造酒。果汁が元々持っている糖分を、酵母でアルコール発酵して作る。糖化は行わず、発酵のみを行うので、「単発酵」という。ブドウ果汁で作ればワイン、リンゴ果汁で作ればシードルなどという。 日本酒は米と米麹で作る醸造酒。米のデンプンを米麹の酵素で糖化しながら、酵母でアルコール発酵して作る。糖化と発酵が同時並行で起こるので「並行複発酵」という。 日本酒を作る時、胚乳の外側に多いたんぱく質は雑味の原因となるので、外側を削った方が美味しいお酒になる。普通の白米が精米歩合90%なのに対し、本醸造で70%、吟醸酒で60%、大吟醸酒で50%まで削る。削りかすの「白ぬか」は製菓用などに用いられる。 茶は発酵茶(紅茶)、半発酵茶(ウーロン茶)、不発酵茶(緑茶)に分類される。この場合の「発酵」は茶葉のポリフェノールオキシダーゼなどの酵素が働くこと。 #tea 茶には、中国原産の中国種とインド原産のアッサム種がある。アッサム種は熱帯でよく生育するが、葉っぱが大きくて渋味が強いので、紅茶にしか使われない。インドのダージリン紅茶は中国種。 #tea 油脂の酸価(AV)は、加水分解によって生じた遊離脂肪酸の量。「油脂1g中に存在する遊離脂肪酸を中和するのに必要な水酸化カリウムのmg数」と定義される。食用油脂の精製度の指標と調理加工に使用した油脂の劣化度の指標となる。「酸化」とは無関係。 三炭糖(トリオース)はアルドースのグリセルアルデヒドとケトースのジヒドロキシアセトン。自然界に存在するグリセルアルデヒドはD型。ジヒドロキシアセトンは不斉炭素を持たない。 抗酸化作用を有する脂溶性のビタミンEにはトコフェロールとトコトリエノールがあり、それぞれ、α、β、γ、δの4種類、計8種類からなる。α-トコフェロールの活性が一番高い。食事摂取基準ではα-トコフェロールについて目安量と耐容上限量が定められている。 化合物の名前に使う数字は、1~12が、モノ、ジ、トリ、テトラ、ペンタ、ヘキサ、ヘプタ、オクタ、ノナ、デカ、ウンデカ、ドデカ。13~19は3~9に10(デカ)を付ける。20~22はイコサ、ヘンイコサ、ドコサ。ドコサヘキサエン酸は炭素数22で二重結合6のカルボン酸。 こんにゃくは、こんにゃくいもを精製した粉末に水酸化カルシウムを加えて作る。グルコースとマンノースからなる多糖グルコマンナンをアルカリ性でゲル化させる。黒い色は海藻の粉末。精製粉末から作ると白いこんにゃくができるが、いもから作ったこんにゃくに似せるために色を付けた。 大豆はたんぱく質と脂質を多く含む。成熟した豆は食用となるほか、納豆、味噌、醤油などさまざまな発酵食品の原料となる。大豆油の原料にもなり、油を取った後の粕(大豆ミール)は飼料のほか、大豆たんぱく質の原料にもなる。未熟な豆は枝豆として、スプラウトは大豆もやしとして食べられる。 黒豆は大豆の一種。種皮にアントシアニン系の色素を含む。煮る時に鉄くぎなどで鉄分を加えてやると色が濃くなる。豆腐にすると薄紫色の豆腐ができる。 ほうじ茶にもカフェインは含まれている。カフェインを摂りたくない時は麦茶にした方がいいかも。 セルロースはグルコースがβ-1,4結合でつながった多糖。αとβの違いだけで人間や動物は消化できないけれど、反芻動物の胃や草食動物の盲腸にいる微生物が消化してくれる。人間も腸内細菌が消化して生成する短鎖脂肪酸を吸収している。 カリウム40はカリウムの放射性同位体。半減期は12.48億年。β崩壊でβ線を出してカルシウム40に、電子捕獲でγ線を出してアルゴン40に変化する。カリウム中に0.0117%存在する。食品にも人体にも岩石にも多い。カリウム40による被爆は自然放射線の約1/3を占める。 果汁100%の果実飲料だけが果実ジュースと表示できる。2種類以上の果実を使っている場合は果実ミックスジュース。果汁50%以上かつ野菜汁と合わせて100%なら果実・野菜ミックスジュース。とにかくジュースと名の付くものは100%に限る。 β-カロテンなどのプロビタミンAは必要量だけがビタミンAに変換されるので過剰に摂取してもビタミンA過剰症にはならないとされる。皮膚が黄色くなる(柑皮症)ことがあるが、白目が黄色くならない点で黄疸と区別できる。 ビートはアカザ科の根菜。糖分が多いシュガービートは甜菜(てんさい)と呼ばれ、砂糖の原料になる。真っ赤なテーブルビートはサラダやスープや煮物などに利用される。ボルシチが有名。ベタレイン系の赤色色素ベタシアニン(ベタニンなど)は天然着色料として用いられる。 ダイコンはアブラナ科の根菜。春の七草の「すずしろ」。英語ではradish。二十日大根から桜島大根までさまざまな大きさのものがある。スプラウトはカイワレ大根として利用される。辛味成分はイソチオシアナートで先端ほど多い。 #vegetable マグネシウムとカルシウムはどちらも第2族元素。2価の陽イオンになる。生体にとって必要なミネラルで、栄養機能食品の規格基準も定められている。 #kokushi イコサノイド(エイコサノイド)は炭素数20のアラキドン酸およびイコサペンタエン酸(エイコサペンタエン酸)からできる一連の化合物。プロスタグランジン(PG)、トロンボキサン(TX)、ロイコトリエン(LT)などがある。 次亜塩素酸ナトリウムNaClOは強い酸化作用を有するため、漂白剤や殺菌剤に使用される。野菜を加工する際などの殺菌にも用いられる。ノロウイルスも殺菌できる。 ウンシュウミカン(温州蜜柑)は鹿児島・薩摩原産。皮が薄く、種子がないので、手で皮をむいてそのまま食べられる。酸味はクエン酸、色素はβ-クリプトキサンチン、白いスジにはフラボノイドのヘスペリジンが多い。皮に含まれるテルペノイドのリモネンは香気成分であり、溶剤にも用いられる。 食品表示で0と表示できる基準は食品100g、飲料100mLあたり、熱量5kcal、たんぱく質・脂質・炭水化物・糖質・糖類0.5g、飽和脂肪酸0.1g、コレステロール・ナトリウム5mg。 #kokushi 食品表示基準で栄養成分表示は義務化された。ただし、小規模事業者等は免除される。表示義務がある成分は、エネルギー、たんぱく質、脂質、炭水化物、ナトリウムで、この順に表示。ナトリウムは食塩相当量で表示するのが原則。 #kokushi グレープフルーツや夏みかんなどに含まれるフラボノイドのナリンギンは苦い。缶詰やジュースを作る時に酵素ナリンギナーゼで処理すると分解されて苦味がなくなる。 ミカンに含まれるフラボノイドのヘスペリジンは、缶詰中で白濁する。これを防止するために酵素ヘスペリジナーゼで分解する。 たんぱく質を構成するアミノ酸はほぼすべてL型。ただし、グリシンだけは不斉中心を持たないのでD型、L型の区別がない。普通の単糖はD型が多い。ただし、糖によってはL型の方が多いこともある。なお、ジヒドロキシアセトンは不斉中心を持たない。 たんぱく質を構成するアミノ酸はすべてα-アミノ酸。カルボキシル基が付いている炭素(α位)にアミノ基が付いているのでα-アミノ酸という。 γ-ウンデカラクトンはモモの香気成分。ラクトンは分子内エステルを持つ化合物。γ-ラクトンは5員環(5角形の環状構造)。ウンデカは炭素数11。IUPAC名は5-ヘプチルテトラヒドロフラン-2-オンとなる。 コーヒーはアカネ科コーヒーノキの果実から種子(コーヒー豆)を取り出し、焙煎・粉砕後、熱水抽出した飲料。北回帰線と南回帰線の間(コーヒーベルト)でアラビカ種、ロブスタ種、および交雑種が商業栽培される。興奮作用を持つカフェインを含むほか、焙煎時にさまざまな香気成分が生じる。 穀物を麦芽で糖化してから発酵させたお酒を蒸留したものがウイスキー。ブドウなどの果汁に含まれる糖分を発酵させたお酒を蒸留したものがブランデー。どちらも樽で熟成する。 バリン、ロイシン、イソロイシンは分枝鎖アミノ酸(BCAA, Branched-Chain Amino Acids)。いずれも必須アミノ酸である。筋肉を構成している必須アミノ酸の約35%を占め、筋肉のタンパク質分解を抑制するほか、運動時のエネルギーに用いられる。 日本標準食品成分表2010では、スイートコーン、枝豆、さやいんげん、さやえんどう、グリーンピース、豆苗、もやしは全部野菜として収載されている。穀類や豆類は成熟したものだけ。 #vegetable #kokushi 豆腐にはもめん豆腐ときぬごし豆腐がある。もめん豆腐は薄い豆乳で作り、固めてから、圧力をかけて余分な水分を除く。きぬごし豆腐は濃い豆乳で作り、固めてから絞らない。 プーアル茶(プーアール茶、普洱茶)は後発酵茶(あとはっこうちゃ)。微生物(カビ)の作用で発酵させている。中国雲南省普洱市付近の特産。 コウジカビが関わる加工食品:醤油、みそ、日本酒、みりん、焼酎など。\nその他のカビが関わる加工食品:チーズ(カマンベールなど)、かつおぶし(枯節)、テンペ(インドネシアの大豆食品)など。 かつおぶしはかつおの肉を加熱してから乾燥させたもの。ゆでて干しただけの「なまり節」、それを乾燥させた「荒節」、さらにかび付けした「枯節」がある。なまり節はそのまま食べられるが、荒節や枯節は削り節として用いる。 転化糖はショ糖(砂糖の主成分)を転化酵素インベルターゼ(サッカラーゼ)で加水分解させて作るブドウ糖と果糖の等量混合物。同量のショ糖よりも甘く、吸湿性が高い。しっとりさせるため、上白糖に添加されている。メイラード反応を引き起こす。蜂蜜はミツバチが作ってる天然の転化糖。 ライ麦粉はグルテンをあまり含まないので、酵母(イースト)だけではうまく膨らまない。乳酸菌を含むサワードウを使って作る。 メープルシロップはサトウカエデの樹液を煮詰めたもの。カナダの特産品。色が薄い順に、カナダNo.1(エクストラライト、ライト、ミディアム)、カナダNo.2(アンバー)、カナダNo.3(ダーク)と分類される。乾燥したものはメープルシュガーと呼ばれる。主成分はショ糖である。 ワインの酸化防止に使うのが「亜硫酸塩」、ハム・ソーセージの発色に使うのが「亜硝酸塩」。#kokushi 脱酸素剤の中身は鉄粉。実は使い捨てカイロと同じ原理。鉄粉の酸化反応を発熱に利用するか酸素吸収に利用するかの違い。好気性微生物の繁殖や脂質などの酸化を防ぐ。 糖やアミノ酸など生体分子の多くは偏光面を回転させる旋光性を持つ。右回転、左回転を現在は(+)、(-)で、古くは小文字斜体のd、lで表す。d、lはギリシャ語のdextro(右)、levo(左)に由来。ブドウ糖(グルコース)の別名デキストロースは右旋性の糖の意味。 デキストリンはブドウ糖(グルコース)がα-1,4結合でつながった多糖。ただし、α-1,6結合による分岐を持つものもある。でんぷんの部分加水分解物を指すことが多い。名称はブドウ糖の別名デキストロースに由来。 シクロデキストリン(CD)は6~8個のブドウ糖がα-1,4結合で環状に結合した化合物(環状オリゴ糖)。6個のものがα-CD、7個のものがβ-CD、8個のものがγ-CD。環状構造の内部に空孔があり、他の分子を包接することができる。 腸炎ビブリオは海産魚に付着している好塩性の食中毒菌。食塩に強いが、真水に弱い。海産魚を真水で洗うことで食中毒の予防になる。 JAS法、食品衛生法、健康増進法による食品表示は、2015年4月1日に食品表示法に統合された。 種なしスイカは三倍体。普通の二倍体のスイカが発芽した時にコルヒチン処理すると四倍体になる。これと二倍体のスイカをかけ合わせて種を作ると三倍体になる。その種をまくと種なしスイカができる。 #vegetable 世界三大紅茶はインドのダージリン、スリランカのウバ、中国のキームン(キーマン)。 #tea 食品は安全でなくてはならない。 5基本味(5原味)とは、甘味、塩味(鹹味)、酸味、苦味、うま味である。辛味は味蕾で感じるわけではないので基本味には入らない。 トウガラシの辛味成分がカプサイシン、色素成分がカプサンチン。化合物名は属名Capsicumに由来。辛味と色は全然関係ない。パプリカは赤くても辛くないし、ハラペーニョみたいに緑色で辛いトウガラシもある。 #vegetable #kokushi 脂溶性のビタミンAはレチノール。網膜細胞で視色素ロドプシンとなる。欠乏症は夜盲症。過剰摂取で催奇性があるとされる。β-カロテン、α-カロテン、β-クリプトキサンチンは体内でレチノールに変化するため、プロビタミンAと呼ばれる。 #kokushi 水溶性のビタミンB1はチアミン。糖質の代謝において補酵素として作用。欠乏症は脚気。過剰摂取しても速やかに排出される。 #kokushi 水溶性のビタミンB2はリボフラビン。脂肪酸、糖、アミノ酸の代謝などさまざまな酸化還元酵素の補酵素として作用。欠乏症は皮膚病や口内炎など。過剰摂取しても速やかに排出される。黄色を示し、着色料としても用いられる。 #kokushi ネギ属のにおいのジスルフィドとかアブラナ科のにおいのイソチオシアナートは硫黄化合物(含硫化合物)である。 #vegetable 糖の和名と英語名:ブドウ糖(グルコース、デキストロース)、果糖(フルクトース)、麦芽糖(マルトース)、ショ糖(スクロース、サッカロース)、乳糖(ラクトース)。 乳糖(ラクトース)はグルコースとガラクトースから成る還元性の二糖。乳に多く含まれ、甘味が少ないのが特徴。成人の一部では分解酵素ラクターゼを欠くため、乳糖不耐症で下痢を起こすことがある。ラクトース(二糖)とガラクトース(単糖)を区別して覚えること。 #kokushi 水溶性のビタミンB6はピリドキシン、ピリドキサール、ピリドキサミン。成分表にはピリドキシン相当量を収載。アミノ酸代謝や神経伝達物質の生成などに関与。欠乏症は皮膚炎や貧血など。ギンナンに含まれる4-O-メチルピリドキシンはビタミンB6を拮抗的に阻害。 #kokushi すまし粉:硫酸カルシウム。豆腐の凝固剤に用いる。さらし粉:次亜塩素酸カルシウム。消毒や漂白に用いる。 日本では卵は生食できるが、卵殻にサルモネラ菌が付着していたり、内部に入り込んでいたりすることがある。子どもや老人、抵抗力が低下している人は食中毒を起こすことがあるので要注意。 生の鶏肉や生の牛レバーなどにはカンピロバクターがいるかもしれない。胃腸炎を起こすが重症化することは少ない。しかし、まれにギラン・バレー症候群を引き起こすこともある。いずれにしろ、生食は危険。 ハクサイとかキャベツとかミズナとかコマツナとかチンゲンサイとか葉菜にはアブラナ科のものが多いが、ホウレンソウはアカザ科、レタスやシュンギクはキク科。 #vegetable コマツナ(小松菜、Brassica rapa var. perviridis)はアブラナ科の葉菜。江戸時代、現在の東京都江戸川区小松川で作られたことから名付けられた。β-カロテンや鉄、カルシウムに富む。年中収穫できるが冬が旬である。 #vegetable ケン化価は油脂の平均分子量に反比例。中鎖脂肪酸が多い乳脂やヤシ油では大きくなる。ヨウ素価は油脂の平均二重結合数に比例。不飽和度の高い魚油やアマニ油、エゴマ油では大きくなる。 卵は全ての栄養素を含む完全食品だけど、ビタミンCは含まれない。ニワトリはビタミンCを合成できるので必要ないから。 #kokushi ホモセリンとかホモシステインとかの「ホモ」は、メチレン(CH2)基が1つ多いことを意味する。ジホモ-γ-リノレン酸(20 3n-6)の「ジホモ」はγ-リノレン酸よりメチレン基が2つ多いという意味になる。 羊肉は宗教上の禁忌がないので世界的に食される。生後1年未満の羊の肉をラム、1年以上の羊の肉をマトンという。ラムの方が癖が少ない。 鶏肉はもも肉、むね肉、手羽に大別される。むね肉の内部にささみがある。手羽は手羽元と手羽先に分けられる。もも肉は脂肪が多くジューシー。むね肉は脂肪が少なくあっさり。 豆類は脂質が多くて植物油の原料になる大豆、落花生と、でんぷんが多くてあんの原料になる小豆などに分けられる。 ザワークラウト(Sauerkraut)はドイツで食べられるキャベツの漬物。「酸っぱいキャベツ」の意味。乳酸発酵で酸っぱくなる。 #vegetable 日本では、米、大麦、小麦が「主穀」で、他の穀類が「雑穀」。世界では、とうもろこし、米、小麦が「主要穀物」。 水溶性ビタミンのナイアシンは、ニコチン酸とニコチン酸アミドの総称。古くはビタミンB3とも呼ばれた。糖質・脂質・タンパク質の代謝に関与。欠乏症はペラグラ、皮膚炎、口内炎、神経炎など。体内でトリプトファンから合成されるが、とうもろこしを主食としていると欠乏することがある。 温度変化に顕れる(あらわれる)熱が「顕熱」(けんねつ)。状態変化(相変化)に関わる熱が「潜熱」(せんねつ)、つまり、潜んで(ひそんで)いる熱である。気体-液体-固体の相変化において出入りする、気化熱(凝縮熱)、融解熱(凝固熱)が潜熱。 #kokushi グルコース、フルクトース、ガラクトース、マンノースは六炭糖。キシロース、リボース、デオキシリボースは五炭糖。 #kokushi ヒスチジン(アミノ酸)の脱炭酸反応によりヒスタミン(アミン)が生じる。 #kokushi ふぐの毒素はテトロドトキシン。卵巣や肝臓に蓄積し、煮ても焼いても分解しない。テトロドはふぐの学名から、トキシンは毒素という意味。 #kokushi 栄養機能食品は規格基準型。個別の審査は不要、届出も不要だが、栄養成分の機能をうたうことしかできない。疾病のリスク低減表示はできない。保健機能食品に含まれるが、特別用途食品には含まれない。 #kokushi 動植物の学名はラテン語。属名+種小名で1つの種を表す。属名は大文字で始め、種小名は小文字で始める。後に命名者をそのまま、あるいは略号で付けることもある。属名+種小名は斜字(イタリック)で記す。 ストロンチウム90の沈着部位は、骨である。ストロンチウムはカルシウムと同じ2族元素なので、カルシウムと似た挙動を示す。 #kokushi わかめは、灰干しにより色が鮮やかになる。 脚気(かっけ)はビタミンB1欠乏症。玄米や麦ではなく白米を多く食べる江戸で多発したことから「江戸患い」と呼ばれた。鈴木梅太郎が米ぬかから「オリザニン」としてビタミンB1を発見したが、陸軍軍医・森林太郞(森鴎外)らの伝染病説が有力で、なかなか日の目を見なかった。 大豆油など:油脂含量が低いので、抽出法を用いる。\n菜種油など:油脂含量が高いので、圧搾法と抽出法を併用する(圧抽法)。\nオリーブ油:圧搾法で製造した油のみオリーブ油と表示できる。\nラード:固形なので加熱融解して、融出法で製造する。 ジャスミン茶(茉莉花茶)は中国茶の一種。緑茶にジャスミンの花で香りを付けたフレーバーティー。沖縄では「さんぴん茶」。 #tea 糖の名前をオース(ose)からアン(an)に変えると多糖になる。グルコース→グルカン、フルクトース→フルクタン、ガラクトース→ガラクタン、キシロース→キシラン、グルコース+マンノース→グルコマンナンなど。「アミロースはα-1,4-グルカン」みたいな言い方も。 毒素型食中毒:細菌の産生する毒素によって起こる食中毒。毒素ができてしまえば、細菌が死滅しても発症するし、抗生物質も無効。黄色ブドウ球菌(耐熱性毒素)とボツリヌス菌(熱分解性毒素)が該当。 特定原材料としての「卵」の代替表記として、たまご、タマゴ、玉子、エッグなどが認められている。しかし、卵を使った食品であるマヨネーズ、オムレツなど、「卵」およびその代替表記を使わない表示は認められなくなった。 #kokushi 糖アルコールの名前はソルビトールやキシリトールのようにイトール(itol)で終わる。ただし、ソルビットやキシリットのようにイット(it)で終わる名前も使われる。 ササゲ(大角豆)は豆の一種。世界中の温暖な地方で栽培される。小豆の代わりに赤飯に用いられる。小豆は皮が破れやすいため、武家では切腹につながると嫌われ、皮の破れにくいササゲを用いたとされる。 #vegetable アズキ(小豆)は豆の一種。業界ではショウズとも呼ばれる。赤色のほか、白色の品種もある。あんの原料として多く用いられるほか、赤飯などにも用いられる。吸水しにくいため、煮ると皮が破れやすい(胴割れ)。 #vegetable アズキ(小豆)の大納言は大粒の品種。小豆は煮ると皮が破れやすいが、これは切腹につながるとして嫌われる。大納言は皮が破れにくいため、切腹しない公家の官位である大納言と命名されたとも言われる。 #vegetable ウメ、モモ、アンズなどバラ科未熟果実の核には青酸配糖体アミグダリンが含まれ、体内で加水分解されてシアン化水素(青酸)が遊離される。あんの原料として輸入されるビルマ豆などには青酸配糖体リナマリンが含まれる。 #kokushi アレルギー表示の推奨品目にカシューナッツとごまが追加されたため、表示義務7品目(特定原材料)と表示推奨20品目である。 #kokushi プロバイオティクス(probiotics)は体に良い影響を与える微生物。乳酸菌とか。プレバイオティクス(prebiotics)はプロバイオティクスのエサ、つまり難消化性オリゴ糖のこと。 イチゴはランナーと呼ばれる茎の先に小さな株ができるから、これを切り取って増やす。同じ品種のイチゴは全部同じ遺伝子を持つクローン。種をまいても同じイチゴは成らないから、種をまくのは品種改良の時だけ。 #vegetable 水溶性のビタミンB12はシアノコバラミンなどのコバラミン。コバルトが結合している赤いビタミン。さまざまな細胞の代謝に関与している。欠乏症は悪性貧血である。動物性食品に多く、のり以外の植物性食品には含まれない。草食動物は腸内細菌が合成するビタミンB12を利用。 イチゴの色素はアントシアニンのペラルゴニジンなど。 脂溶性ビタミンのビタミンKには、K1(フィロキノン)とK2(メナキノン)とがある。K1は主に植物性食品に含まれる。K2は微生物によって作られるため、納豆に多い。血液凝固や骨代謝に関与。新生児でビタミンK欠乏による出血が見られる。抗血液凝固剤ワルファリンと拮抗。 精進だしは肉や魚を使わないだしである。コンブのグルタミン酸とシイタケのグアニル酸が利いている。うま味の相乗効果だ。殺生が禁じられている(昔の)仏教では、肉や魚を使わない精進料理が発達し、精進だしもそれに伴って生まれた。 水溶性のパントテン酸は、コエンザイムAとして、糖代謝や脂肪酸代謝において重要な反応に関与する。旧名はビタミンB5。ギリシャ語で「どこにでもある酸」の意味。ほとんどの食品に含まれる。栄養機能食品の栄養機能表示は「パントテン酸は、皮膚や粘膜の健康維持を助ける栄養素です」。 うるち米の加工品:日本酒、せんべい、上新粉。\nもち米の加工品:みりん、あられ、白玉粉、道明寺粉。 玄米を搗精(とうせい)すると、五分つき米(精米歩合96%)、七分つき米(精米歩合94%)、白米(精米歩合90~92%)の順に精米できる。 とうもろこしの主要たんぱく質はプロラミンのゼイン(ツェイン、zein)。アミノ酸価が低く、制限アミノ酸はリシンとトリプトファン。とうもろこしを常食する人たちに、ナイアシン欠乏症の「ペラグラ」が見られたが、体内でナイアシンに変換されるトリプトファンが少ないことも一因。 果糖(フルクトース)は六炭糖(ヘキソース)のケトース。ショ糖はブドウ糖と果糖からできている。冷やすと甘味が強いβ-フルクトフラノースの割合が多くなる。果物に多く含まれるほか、異性化糖として清涼飲料水などに多く用いられる。果糖ブドウ糖液糖などと表示されている。 スクラロースはショ糖(スクロース)を塩素化して作る甘味料。グルコースの4位とフルクトースの1位、6位の水酸基が塩素に置き換わっている、ただし、反応の際にグルコース4位の立体配置が逆転するので、グルコースがガラクトースに変化している。 #kokushi ホウレンソウ(Spinacia oleracea)はアカザ科ホウレンソウ属の葉菜。葉が厚く丸みを帯びた西洋種と葉が薄く切り込みが多い東洋種がある。サラダ用の品種も作られている。葉酸や鉄などが多い。シュウ酸が多いことで知られるが、品種改良で減少している。 アカザ科のテンサイ(甜菜)、テーブルビート(ビート、ビーツ)、フダンソウは同種の植物。砂糖用品種がテンサイ、赤色の根菜用品種がテーブルビート、葉菜用品種がフダンソウ。赤色色素はベタシアニン。アカザ科の葉菜にはホウレンソウもある。アブラナ科のダイコンやカブとは異なる。 既存添加物(きそんてんかぶつ)は、1995年の食品衛生法改正以前に使用されてきた天然由来の添加物。1996年に告示された既存添加物名簿に掲載されている。その後、使用実態のないものや有害性の認められたものが削除されている。例えば、アカネ色素は発がん性のために2004年に削除。 おからは豆腐を作る際の副産物。大豆をすりつぶして加熱した「呉汁」を布でろ過した時のろ液が豆乳、残渣がおから。食物繊維が豊富。 アドバンテームは味の素が開発した新しい人工甘味料。アスパルテームの誘導体でアスパルテームより約100倍甘く、安定性も高い。 アスパルテームは米国サール社が開発した人工甘味料。L-アスパラギン酸とL-フェニルアラニンメチルエステルのジペプチド。熱や酸にやや弱い。ショ糖の100~200倍甘い。 アセスルファムカリウムは独ヘキスト社が開発した人工甘味料。環状構造を持つ。ショ糖の200倍甘く、熱や酸に強い。 転化糖はショ糖(砂糖の主成分)を転化酵素インベルターゼで加水分解して作るブドウ糖と果糖の等量混合物。転化とは旋光性が逆転することで、弱い右旋性のショ糖が弱い右旋性のブドウ糖と強い左旋性の果糖の混合物となり、弱い左旋性を示すことから転化糖と名付けられた。 ネオテームは米モンサント社が開発した人工甘味料。アスパルテームの誘導体でアスパルテームより約30~60倍甘くて安定。 イヌリンはフルクトースが重合した多糖であるフルクタンの一種であり、水溶性食物繊維。フルクトースがβ(2→1)結合でつながっており、末端にグルコースが結合している。ゴボウやキクイモ、ヤーコンなどキク科植物の根に多く含まれる。 リョクトウ(緑豆)はマメ科ヤエナリ(八重生、Vigna radiata)の種子。アズキ(小豆、Vigna angularis)と同じササゲ属。もやしの原料とするほか、デンプンははるさめの原料となる。 #vegetable 豆苗(とうみょう)はエンドウの若い芽。モヤシとは違い、明るい場所で育てた緑色の茎と本葉を食べる。市販の豆苗では、子葉が根の方に残っているので、刈り取った後、もう一度伸ばして食べることができる。 #vegetable ダイズやインゲンマメは地上子葉型で子葉が地上に出てくる。エンドウやソラマメは地下子葉型で子葉は地中にとどまっている。モヤシにする場合、ダイズは子葉を食べるが、エンドウの豆苗は子葉ではなく本葉を食べる。 #vegetable ルイボスティーはマメ科ルイボス(rooibos, 学名Aspalathus linearis)の葉を乾燥させて作る。カフェインを含まず、フラボノイドを多く含むため、健康茶として飲まれる。 重曹は重炭酸曹達の略で炭酸水素ナトリウムのこと。重炭酸は炭酸水素、曹達(ソーダ)はナトリウムの別名。弱アルカリ性を示す。指定添加物。加熱により二酸化炭素を出すことから膨張剤(ふくらし粉)に、また、アルカリ性を示すことからあく抜きなどに用いられる。 デキストロース:グルコースのこと。\nデキストリン:グルコースの多糖で、α-1,4結合が主、α-1,6結合の枝分かれを持つ。デンプンやグリコーゲンの分解物。\nデキストラン:グルコースの多糖で、α-1,6結合が主、α-1,4結合の枝分かれを持つ。微生物が生産。 ガムシロップは、本来、砂糖とアラビアガムを水に溶かしたもの。アラビアガムによって、砂糖の沈殿を防いでいる。アイスコーヒーなど冷たい飲み物の甘味料として用いる。ただし、現在は果糖ブドウ糖液糖が主体で、アラビアガムは使われないこともある。 トウモロコシを挽き割りにしたものがコーングリッツ、粉末にしたものがコーンミール。さらに細かい粉にするとコーンフラワー。 トウモロコシのデンプンはコーンスターチ。製造の際、副産物としてコーン油やコーングルテン(タンパク質)などが得られる。コーンスターチはデンプンとして、あるいは異性化糖の原料として用いられる。コーングルテンは主に飼料となる。 高メトキシルペクチンと低メトキシルペクチンはカルボキシル基のエステル化度7%以上か以下で分けられる。高メトキシルは酸性下で糖を加えて加熱すると水素結合によりゲル化する。低メトキシルはカルシウムなど2価の陽イオン存在下でイオン結合によりゲル化する。 エンドウには若い未熟のさやを食べるサヤエンドウ、未熟のさやと豆を食べるスナップエンドウ、未熟の豆を食べるグリーンピース、完熟した豆を煮豆や餡とするなどの利用法がある。若い苗や先端の柔らかい茎葉は豆苗として利用される。完熟豆以外は野菜類として扱われる。 #vegetable 液化石油ガス(liquefied petroleum gas, LPG)は、一般にプロパンガスと呼ばれる。家庭用LPGはプロパン、工業用LPGはブタンが主成分。空気(平均分子量28.8)よりも重い(プロパン=44)。体積あたりの熱量および酸素消費量は都市ガスよりも多い。 芳香族アミノ酸(Aromatic Amino Acid, AAA)はベンゼン環などの芳香環を有するアミノ酸。ベンゼン環を持つフェニルアラニン、チロシン、インドール環を持つトリプトファンが含まれる。イミダゾイル基を持つヒスチジンは、通常、芳香族アミノ酸として扱わない。 糖アルコールは糖のカルボニル基を還元してアルコールにしたもの。天然にも存在する。甘味を持つものが多い。非還元性。難消化性のものもある。糖の名前のオース(ose)をイトール(itol)に変えると糖アルコールの名前になるが、グルコースの糖アルコールはソルビトールと呼ぶ。 ニュートンの流体摩擦法則は応力=粘度(粘性率)×流体の速度。速度にかかわらず粘度が一定となるニュートン流体と粘度が変化する非ニュートン流体がある。 1つの相(気相、液相、固相)の中に別の相が分散している状態をコロイドという。食品では、液相中に気相(泡沫)、液相(エマルション)、固相(サスペンション)が分散しているものが多い。 缶詰には、従来、スズメッキした鋼板であるブリキが用いられていたが、現在はスズを用いないTFS (Tin Free Steel)が多く用いられる。TFSは酸化クロムメッキされた鋼板でスズが溶出せず、耐酸性に優れる。飲料にはアルミニウム缶も用いられる。 グレーズは日本語で氷衣。冷凍した食品を水に漬けて、表面を氷で覆うことで空気に触れなくなり、乾燥や酸化、さらにこれらが原因となる色調や風味の低下が防止される。 道明寺粉はもち米を蒸してから砕いて作る。関西の桜餅は道明寺粉で作る。 ペポカボチャ(学名Cucurbita pepo)はウリ科カボチャ目の果菜。甘味を持たない。ズッキーニや金糸瓜(そうめんかぼちゃ)などがある。ハロウィーンのジャック・オー・ランタン用のカボチャもペポ種。 #vegetable グルテンは、小麦、大麦、ライ麦などの胚乳から生成されるたんぱく質。小麦の場合、グリアジンとグルテニンを水の存在下で捏ねることで生成する。粘弾性を示すため、製パン性、製麺性などに寄与する。強力粉で多く生成する。大麦やライ麦では生成量が少ないため、製パン性は劣る。 ククルビタシンはウリ科の植物に含まれるステロイド。苦味を有する。置換基や二重結合の位置によって多くの種類がある。ゴーヤー(ニガウリ)の苦味成分の1つ。ゴーヤー以外のウリ科果実に含まれるククルビタシンは食中毒の原因となることがあるので、苦味を感じた場合、食べてはいけない。 納豆のネバネバはγ-ポリグルタミン酸とフルクタン。納豆菌が作り出す。γ-ポリグルタミン酸は普通のペプチドとは異なり、γ位のカルボキシル基とアミノ基が結合している。また、L体とD体が混在している。納豆のフルクタンはフルクトースがβ(2→6)結合で多数つながっているレバン。 単糖の分類:炭素数(三炭糖:トリオース、四炭糖:テトロース、五炭糖:ペントース、六炭糖:ヘキソース、七炭糖:ヘプトース)とカルボニル基(アルデヒド:アルドース、ケトン:ケトース)。グルコースは六炭糖アルドース。フルクトースはケトース。キシロースとリボースは五炭糖アルドース。 遺伝子組換え農産物は、大豆、とうもろこし、ばれいしょ、菜種、綿実、アルファルファ、てん菜、パパイヤの8種。組換え産物のタンパク質、DNA、もしくは成分(高オレイン酸大豆、ステアリドン酸産生大豆、高リシンとうもろこし)が残らないものは表示義務がない。 ヒスタミン食中毒は、アミノ酸の一種であるヒスチジンから、ヒスタミン産生菌によって産生・蓄積されたヒスタミンによるアレルギー様食中毒。アレルギーみたいな症状が出る食中毒であってアレルギーではない。赤身魚で起こることが多い。いったん生成したヒスタミンは加熱しても分解されない。 種なしブドウは、通常、植物ホルモンのジベレリンで処理して作る。ただし、処理しなくても種なしになる品種も育成されている。種なし柿は平核無など一部の品種、種なしスイカは3倍体。 単発酵:ワインなど。すでに存在する糖分を酵母でアルコール発酵。\n単行複発酵:ビールなど。デンプンを(麦芽アミラーゼで)糖化してから糖分を酵母でアルコール発酵。\n並行複発酵:清酒など。デンプンを(麹のアミラーゼで)糖化しながら、同時並行で、糖分を酵母でアルコール発酵。 精製油のウィンタリング(脱ロウ)工程では、油脂を冷却し、融点の高いトリアシルグリセロールを析出させて除去する。サラダ油のような冷やして食する油脂の製造において行う。 テンパリングは、チョコレートを適切な温度で溶かして固める作業。カカオバターの結晶を口溶けしやすいV型にそろえることで、なめらかで口当たりのよいチョコレートとなる。 フェオフォルバイド(フェオフォルビド、Pheophorbide)は、クロロフィルからMg2+とフィトール基が脱離したもの。光過敏症の原因となる。 オーバーランは、クリームに抱き込まれている空気の割合。オーバーラン(%)=100×(一定容積のクリームの重量-同容積の起泡クリームの重量)/(同容積の起泡クリームの重量)。 クリームは水中油滴(O/W=Oil in Water)型エマルション、バターは油中水滴(W/O=Water in Oil)型エマルション。クリームを撹拌(チャーニング)すると水相と油相が入れ替わる相転換によりバターができる。 動物は、Δ9デサチュラーゼによる9位の不飽和化によって、飽和脂肪酸を一価不飽和脂肪酸にすることができる。ステアリン酸→オレイン酸(18 1n-9)、パルミチン酸→パルミトレイン酸(16 1n-7)。しかし、それよりもメチル末端側を不飽和化することはできない。 アルカリを加えて加工する食品:中華麺(小麦粉+かん水)、こんにゃく(こんにゃく粉+石灰)、ピータン(アヒルの卵+石灰)。 ピンクペッパーには2種類ある。1つはコショウ科コショウ属のつる性植物コショウの完熟した赤い実(ホワイトペッパーの原料)をそのまま乾燥したもの。もう1つはウルシ科サンショウモドキ属の常緑樹コショウボクの赤い実を乾燥させたものでコショウよりも辛味が弱い。 サンショウ(山椒)はミカン科サンショウ属の落葉低木。完熟した果実の粉末(粉山椒)を香辛料として用いる。未熟の果実(実山椒)、雄花(花山椒)、若芽・若葉(木の芽、葉山椒)も食用とする。中国では同属別種のカホクザンショウ(華北山椒)の果皮を花椒と呼び、四川料理などに用いる。 甘柿には、種ができなくても甘い完全甘柿(富有など)と種ができないと渋が残る不完全甘柿(筆柿など)がある。渋柿には、種ができると渋が抜ける不完全渋柿(平核無など)と種ができても渋が残る完全渋柿(西条など)がある。 渋柿でも、木の上で軟らかくなるまで置いておくと「熟柿」となって渋が抜ける。ただし、収穫前に鳥に食べられてしまうかも知れない。 横隔膜はハラミ、サガリなどと呼ばれ、内臓肉扱いされるが、他の筋肉同様、横紋筋である。 キトサンは、カニやエビなどの甲殻類に含まれるキチンを脱アセチル処理して得られる多糖類(ポリ-β1→4-グルコサミン)。「コレステロールが高めの方に適した食品」として特定保健用食品に用いられるほか、増粘多糖類としての利用もある。 ムコ多糖はアミノ糖を含む動物性多糖の総称。多くはタンパク質に付加したプロテオグリカンとして存在し、粘性を持つ。狭義にはグリコサミノグリカンを指す。アミノ糖とウロン酸またはガラクトースの繰り返し構造を持ち、硫酸が付加。ヒアルロン酸、コンドロイチン硫酸、ヘパリンなど。 キチンは、ポリ-β1-4-N-アセチルグルコサミン。節足動物や甲殻類の外骨格やキノコ等の細胞壁などに含まれる。不溶性食物繊維として扱われる。 リシンの脱炭酸反応により、腐敗臭を有するジアミンであるカダベリンが生成する。 レバー(肝臓)は、ビタミンAやB群、鉄などの優れた供給源だが、ビタミンA(レチノール)の過剰摂取に注意する必要がある。 特定危険部位は、牛海綿状脳症対策特別措置法で、変異型クロイツフェルト・ヤコブ病のリスクが高いとして、食用とせず、焼却処分される部位。30か月齢超の牛では、頭部(舌と頬肉を除く)、脊髄、脊柱、回腸遠位部(小腸のうち、盲腸との接続部から2m)。 魚肉は、肉基質タンパク質をあまり含まないので柔らかい。畜肉とは逆に、死後硬直中の身が締まっている時期の食感が好まれる。 有機農産物は、有機栽培によって生産された農産物のことである。有機または類似の表示を行うためには、有機JASの格付け審査に合格し、有機JASマークをつけることが必要である。 カリウムの栄養機能食品は、腎機能低下者における過剰摂取のリスク(心停止)を回避するため、錠剤、カプセル剤等の食品は対象外である。 廃糖蜜(モラセス)は、サトウキビから砂糖を精製する際の副産物であり、糖分が多く残っている。アルコール(ラム酒、焼酎、工業用アルコールなど)やうま味調味料(グルタミン酸など)の原料などとして用いられる。 バジリコ(伊語)もしくはバジル(英語)は、熱帯アジア原産のシソ科メボウキ属の植物(Ocimum basilicum L.)。葉はハーブとしてイタリア料理に多用される。種子はバジルシードと呼ばれ、グルコマンナンを多く含むため、吸水して約30倍に膨潤する。近年はダイエット食品に。 チア(chia)は、南米原産のシソ科アキギリ属の植物(Salvia hispanica L.)。種子はチアシードと呼ばれ、吸水して約10倍に膨潤する。また、α-リノレン酸(18 3n-3)を多く含む。 卵黄は、生物学的には卵細胞。卵黄1つが1個の細胞である。有精卵の場合は卵黄が細胞分裂してヒヨコになる。卵殻や卵白は卵黄を保護する役割を担っている。 GRAS (Generally Recognized As Safe、一般に安全と認められる)は、アメリカ食品医薬品局(FDA)より食品添加物に与えられる安全基準合格証。食経験や科学的知見により評価される。 2015年4月1日の食品表示法施行に伴い、JAS法の正式名称は「農林物資の規格化及び品質表示の適正化に関する法律」から「農林物資の規格化等に関する法律」に変更された。JAS規格はそのまま残っている。 2014年11月25日から、「薬事法」は「医薬品、医療機器等の品質、有効性及び安全性の確保等に関する法律」に変更された。「医薬品医療機器等法」と略される。 デキストロース(dextrose)はグルコース(ブドウ糖)の別名。右旋性(dextro-rotatory, dextroはギリシャ語の右)に由来。レブロース(levulose)はフルクトース(果糖)の別名で左旋性(levo-rotatory, levoはギリシャ語の左)に由来。 食品表示法:保健機能食品(栄養機能食品、機能性表示食品、特定保健用食品)\n健康増進法:特別用途食品(特定保健用食品、その他の特別用途食品)\n医薬品医療機器等法(旧薬事法):医薬品、医薬部外品→食品ではない いわゆる「健康食品」において医薬品医療機器等法(旧薬事法)違反となる場合がある「医薬品と見なされる表示等」:専ら医薬品として使用される成分本質、疾病の治療又は予防、身体の組織機能の増強・増進、医薬品的な効能効果の暗示、医薬品的な用法用量。 #kokushi 毒にも薬にもならないのが食品。毒だとすれば食品衛生法違反。薬だとすれば医薬品医療機器等法(旧薬事法)違反。 食品表示法で「食品」とは、「全ての飲食物(医薬品、医薬部外品、再生医療等製品を除き、添加物を含む)をいう」とされている。つまり、薬以外の飲食物は全て食品としての規制を受ける。 #kokushi 米国食品医薬品局(FDA)は、2018年6月以降、トランス脂肪酸を含むことを理由に部分水素添加油脂(PHO)をGRAS(一般に安全と認められる物質リスト)から除外することを発表した。 食品表示法により、栄養表示が原則、義務付けられた。表示義務は、熱量、たんぱく質、脂質、炭水化物、ナトリウム。ただし、小規模事業者などでは免除される。 食品表示法により、栄養表示において、ナトリウムは食塩相当量として表示することとなった。ただし、ナトリウム塩を添加していない食品では、ナトリウム量として表記できるが、その場合でも食塩相当量を併記する。 マーガリンはバターの代用品、ショートニングはラードの代用品として開発された。 反芻動物に含まれる天然のトランス脂肪酸は、バクセン酸(18 1 trans-11)とその9位が不飽和化された共役リノール酸(18 1 cis-9,trans-11)が多い。ただし、他の位置異性体も存在する。 反芻動物の胃に住む微生物はセルロースを分解するだけでなく、トランス脂肪酸を作り出している。 水素添加の際に生成するトランス脂肪酸は、オレイン酸のトランス異性体であるエライジン酸(18 1 trans-9)など8~10位に二重結合を持つものが多いが、バクセン酸(18 1 trans-11)や他の位置異性体、あるいは多価不飽和トランス脂肪酸も存在する。 メラミン樹脂は、メラミンとホルムアルデヒドから合成される。強度が強く、耐水性も持つため、食器などにも用いられるが、樹脂そのものがマイクロ波を吸収して発熱するため、電子レンジには使用すべきではない。 ポリ乳酸は、乳酸がエステル結合によって重合した高分子であり、生分解性を有するバイオプラスチックである。 チューイングガムの原材料であるガムベースには、植物性樹脂であるチクルや酢酸ビニル樹脂などが用いられる。これらは脂溶性であるため、油分の多い食品と一緒にガムをかむと、ガムベースが溶けて体内に摂取される。ただし、安全性は確認されている。 ゴーヤーはウリ科の果菜。ニガウリとも言う。標準和名はツルレイシ。未熟の果実を食する。独特の苦味はククルビタシンとモモルデシン。沖縄料理に多く用いられるが、近年は日本中に広まっている。 #vegetable エタノール(ethanol)は、CH3CH2OHで表されるアルコール。酒税法ではエチルアルコール(ethyl alcohol)。「酒精」とも呼ばれる。容量%で1%以上含む飲料は酒類として課税される。 トマト(tomato, Solanum lycopersicum)は、南米アンデス山脈高原地帯原産のナス科ナス属植物。果実は食用として利用される。緑黄色野菜の一種。和名は蕃茄(ばんか)など。 日本人の食事摂取基準(2015)において、ビタミンCの推定平均必要量は、壊血病の回避ではなく、心臓血管系の疾病予防効果並びに抗酸化作用効果から算定されている。 日本人の食事摂取基準(2015)において、ビタミンAの単位は、μgレチノール活性当量(retinol activity equivalents RAE)。ただし、これまでのμgレチノール当量(RE)と同じ値。 チラミンは、チロシンが脱炭酸されることによって生じるアミン。赤ワイン、熟成チーズ、チョコレートなどに含まれる。血管収縮作用があり、高血圧や片頭痛の原因となる。 グレープフルーツは柑橘類の一種。ブドウ(グレープ)のように房状に成ることから名付けられた。特有の香りはテルペノイドのヌートカトン、苦味はフラボノイドのナリンギン。また、ベルガモチンはシトクロームP450を阻害し、薬物代謝を抑制するため、降圧剤などの薬剤が効き過ぎてしまう。 トウモロコシの芯(コーンコブ)は、飼料やキノコの培地として利用されるほか、含まれるヘミセルロースはキシロースやキシリトールの原料となる。 エゴマ(荏胡麻、Perilla frutescens var. frutescens)はシソの変種。種子からエゴマ油(シソ油)を採取するほか、葉は食用となる。エゴマ油はα-リノレン酸を多く含み、酸化されやすい。葉はペリラケトンを含み、日本では好まれないが、韓国では好まれる。 エゴマ油(シソ油)は、エゴマの種子から抽出される油。α-リノレン酸(18 3n-3)を多く含み、酸化されやすい乾性油。日本では最も古くから用いられた食用油であるが、ナタネ油が利用されるようになってからは衰退し、乾性油の特徴を活かし、塗料として用いられた。 エゴマ(荏胡麻、Perilla frutescens var. frutescens)とシソ(紫蘇、Perilla frutescens var. crispa)は同種の植物。エゴマに含まれるペリラケトンは反芻動物に対し毒性を持つ。シソに含まれるペリルアルデヒドは抗菌性を持つ。 地理的表示(geographical indications, GI)は、ある商品の品質や評価が、その地理的原産地に由来する場合に、その商品の原産地を特定する表示。日本では、酒類(本格焼酎、清酒)で先行、2015年から農林水産物・食品についても適用。 タケノコや古い納豆で見られる白い結晶はアミノ酸のチロシンである。 ビタミンC(L-アスコルビン酸)の本来のビタミンとしての役割は抗壊血病因子。コラーゲン合成の際、プロリンやリシンの水酸化反応の補酵素として働く。ただし、現在では、心臓血管系の疾病予防効果や抗酸化作用効果が重要。 ラッカセイ(落花生、Arachis hypogaea)はマメ科ラッカセイ属の一年草。ナンキンマメ(南京豆)とも言う。ピーナッツ(peanut)は種子を指す場合が多い。黄色い花が咲いた後、地中に潜り込んで実を付ける。アレルギーを引き起こす特定原材料7品目の1つである。 オリーブ(olive、Olea europaea)は、モクセイ科の常緑高木。果肉に油脂を多く含み、オリーブ油として利用される。オリーブ油はオレイン酸(18 1n-9)を多く含む。果肉には渋味を持つオレウロペインが多いため、渋抜きを経てから食用とする。 リコペン (lycopene) は、カロテンの一種。鮮やかな赤色を呈する。プロビタミンA活性はないが、抗酸化性を有する。トマト、スイカ、ニンジンなど赤色の果物、野菜に多く含まれる。ただし、イチゴには含まれない。 ゴマ(胡麻、Sesamum indicum)は、ゴマ科ゴマ属の一年草。種子を食用とするほか、ゴマ油の原料となる。抗酸化成分としてセサミンなどのリグナン類を含む。黒ゴマの種皮の色素はポリフェノール。アレルゲンとなるため、表示が推奨される。 綿実油(めんじつゆ)は、ワタの実から繊維原料となる綿毛を取り除いて得られた種子(綿実)から抽出した油。食用油のほか、そうめんの製造に用いられる。リノール酸に富み、α-リノレン酸はほとんど含まない。未精製油に含まれるゴシポールは男性不妊を引き起こす。 D-キシロースは五炭糖のアルドース。コーンコブなどのヘミセルロースに含まれるキシランを加水分解して得られる。アミノカルボニル(メイラード)反応で着色しやすいので、焼色改良剤として用いられる。また、還元してできる糖アルコールのキシリトールは甘味料として用いられる。 食品表示基準では、アレルゲンについて、特定加工食品(マヨネーズ・オムレツ・目玉焼など=卵を含むとわかるはず、パン・うどんなど=小麦を含むとわかるはず、など)は廃止され、これらの食品についても、アレルゲン(卵、小麦など)を含むことを表示することが必要となった。 食品表示基準の経過措置期間(新ルールによる表示への猶予期間)は、加工食品および添加物は5年(2020年3月まで)、生鮮食品は1年6ヶ月(2016年9月まで)。 平成29年度(平成30年3月実施)の管理栄養士国家試験より、合格発表日が3月中となる。栄養士の実務経験の必要年数(短大卒で3年)は変わらないが、実務経験見込による受験を認めないことになるので、短大卒の場合、卒後4年目が最短となる(現行は3年目)。 アナトー (annatto) は、ベニノキの種子から抽出される黄色~赤色の色素。既存添加物のアナトー(アナトー色素)と指定添加物の水溶性アナトー(ナトリウム塩、カリウム塩)がある。主成分はカロテノイド系色素のビキシンなど。 ベーキングパウダー(ふくらし粉)は、膨張剤の一種。ガス発生剤として、炭酸水素ナトリウム(重曹)、助剤として酒石酸などの酸もしくは酸性塩、さらに保存中の反応を防ぐ遮断剤としてデンプンが配合される。 アルドースの1位がCOOHになったものがアルドン酸、末端(6炭糖では6位)がCOOHになったものがウロン酸。グルコースのアルドン酸はグルコン酸、ウロン酸はグルクロン酸。ウロン酸はCHOが残っているので、環状構造やグリコシド結合を作ってオリゴ糖や多糖になることができる。 アサイー(学名:Euterpe oleracea)は、ブラジル・アマゾン原産のヤシ科植物。果実はブルーベリーに似ており、食用にする。ポリフェノールが豊富。和名はワカバキャベツヤシで、若い芽をサラダとして食べることができる。 2015年4月1日の食品表示法施行に伴い、生鮮食品についても、栄養機能食品としての表示が可能になった(鶏卵は以前から可能であった)。現在、ビタミンB12を含むかいわれ大根が販売されている。 2015年4月1日の食品表示法施行に伴い、生鮮食品・加工食品ともに、栄養機能食品もしくは機能性表示食品の表示を行うことができる。ただし、両方を兼ねることはできない。 栄養表示可能な栄養成分を関与成分とした特定保健用食品は認められている(例:カルシウム)が、機能性表示食品は認められていない。ただし、個別の成分であれば認められる(例:EPA、DHA)。 グルコン酸はグルコースのアルドン酸(1位がカルボキシル基)。酸味料として利用されるほか、分子内で環状エステルとなったグルコノ-δ-ラクトン(GDL)は、豆腐の凝固剤として利用される。 乳児ボツリヌス症は、ボツリヌス菌の芽胞が乳児の腸内で発芽・増殖して産生した毒素によって起こる食中毒。芽胞は加熱しても死なないが、1歳以上になると大腸細菌叢によってボツリヌス菌が増殖できなくなる。ハチミツが原因となることが多いので、1歳未満の乳児にハチミツを食べさせてはいけない。 納豆菌(Bacillus subtilis var. natto)は、枯草菌の一種。稲わらに芽胞の状態で付着している。稲わらを煮沸すると納豆菌の芽胞だけが生き残る。これで蒸した大豆をくるみ、40℃で1日置くと納豆ができる。ただし、現在は純粋培養した納豆菌を用いる。 アルギン酸は、コンブから抽出される多糖。D-マンヌロン酸(D-マンノースのウロン酸)とL-グルクロン酸(L-グルコースのウロン酸)からできている。Na塩は水溶性、Caイオンを加えると架橋構造によりゲル化する。 生鮮食品でも栄養機能食品や機能性表示食品とすることができる。例えば、三ヶ日みかんはβ-クリプトキサンチンを関与成分とした機能性表示食品となっている。 ポップコーンは、爆裂(ポップ)種のトウモロコシの完熟種子を炒って作る。他の品種の種子では弾けない。バタフライタイプとマッシュルームタイプとがある。 カフェインは熱分解しない。なので焙煎したコーヒー豆にも残っている。ほうじ茶にも残っているが、焙じる時の条件によっては一部が気化して減っていることもある。 伝熱には、対流(熱媒体が移動)、伝導(熱媒体の中を熱が移動)、放射(熱媒体なしで熱が電磁波として移動)の3種類がある。 卵の賞味期限は、生で食べることができる期限。卵は生きているのでなかなか腐らない。賞味期限が切れても、加熱すれば食べることができる。 メラニンは、メラニン細胞で、チロシンがチロシナーゼによって酸化されてジヒドロキシフェニルアラニン(DOPA)が生じ、さらに酸化されて生じるキノンが重合して生成する。 ヘミセルロース(hemicellulose)は植物細胞壁に含まれる、セルロース以外の不溶性多糖類の総称。セルロース合成の中間体と考えられて、ヘミ(「半」)セルロースと名付けられたが、実は別の物質であり、キシラン、キシログルカンなどからなる。 2015年12月25日に「日本食品標準成分表2015年版(七訂)」が公表された。\nhttp //www.mext.go.jp/a_menu/syokuhinseibun/1365295.htm 米、麦、トウモロコシなど穀類のほとんどはイネ科植物である。ソバなどイネ科ではない穀類は擬穀類と呼ばれる。 テンパリング(tempering, 調温)は、チョコレートを適切な温度で融解、凝固させることにより、安定な脂肪の結晶を作る操作。なめらかな口当たりと見かけにするためには欠かせない操作である。 ブルームもしくはファットブルーム(fat bloom)はチョコレートの劣化現象。チョコレート中の脂肪が温度上昇により融け出し、表面に白い結晶となって浮き出す現象。口溶けや風味は失われるが、安全性への影響はない。
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メニュー トップページ 文系学問 文系学問並べ替え 権力や勢いが強く非常に盛んな様子をある動物を用いた言葉で何という? 飛ぶ鳥を落とす勢い 最後の肝心な部分が足りていないことを中国に伝わる絵に関する故事から何という? 画竜点睛を欠く 琴と笛の音色が人の心をふるわせることを楽器に使われるものから四字熟語で何という? 哀糸豪竹 1204年に東ローマ帝国の皇族が現在のトルコに建国した史上最後の東ローマ系国家は? 「トレビゾンド」帝国 19世紀デンマークの哲学者セーレン・キルケゴールが1849年に「死に至る病」を出版する際に用いた偽名は? アンチ・クリマクス 第二次世界大戦中にV2ロケットが製造された、ドイツ北部のウーゼドム島にあった施設は? 「ペーネミュンデ」陸軍兵器実験場? フランシス・バーネットの小説「小公子」で、主人公の少年セドリックは何伯爵の跡継ぎ? 「ドリンコート」伯爵 ことわざ「ざこのととまじり」を漢字で書くと? 雑魚の魚交じり 藤原不比等の後妻となり後に聖武天皇の皇后となる光明子を生んだ奈良時代の女官は? 県犬養三千代 11世紀後半にセルジューク朝の国内各地にニザーミヤ学院を創設した同国の宰相は? ニザーム・「アル・ムルク」 バーゼル市立劇場前の噴水など廃物を利用した動く彫刻作品で知られる、スイス生まれの現代芸術家は? ジャン・「ティンゲリー」 短気が故に切腹させられた「赤穂四十七士」の主君は? 浅野内匠頭 琵琶湖疏水の一部として京都に作られたこの傾斜鉄道は何?(画像) インクライン 字形が似ているところから互いに似ているものを例えた四字熟語は? 已己巳己 君主であるマリク・シャーを支えて、セルジューク朝トルコの全盛期をもたらした宰相は? ニザームルムルク 世界の全域を一つの屋根に置くという意味の、太平洋戦争中の日本軍のスローガンといえば? 八紘一宇 何事も粘り強く辛抱すればきっと実を結ぶという意味のことわざは? 雨垂れ石を穿つ イギリスの兵隊のかたちをしてぴかぴかする鉄砲をかついだ二人の若い紳士が登場する宮沢賢治の小説は 注文の多い料理店 赤毛のエイリークの息子で1000年前後にヨーロッパ人として史上初めてアメリカ大陸に到達したとされるのは? レイフ・エリクソン 古今和歌集に収められた在原業平の和歌は「から衣きつつなれにし何はるばる来ぬるたびをしぞ思ふ」? つましあれば 中国・宋の書物「北夢瑣言」を出典とする「悪いことはとかく伝わりやすい」という意味のことわざは何? 悪事千里を走る 故郷への想いを詠んだ与謝野晶子の短歌は「海恋し潮の遠鳴り数えては何」? 「少女となりし父母の」家 明治初めに北海道開拓使として来日し、北海道の酪農加工業や競走馬育成に尽力した人物で後に駐日米国公使となったのは? エドウィン・ダン 1944年から1945年にかけてフィンランドとナチスドイツの間で行われた戦争は? ラップランド戦争 画家のエミール・ベルナールやゴーギャンらがいた19世紀後半の画家グループを、ブルターニュ地方の村の名前から何という? ポン=ダヴェン派 1866年にフランス人宣教師が処刑されたことが原因で起きた李氏朝鮮とフランスによる戦争のことを何という? 丙寅洋擾 1954年から1989年まで35年間パラグアイ大統領を務めた独裁者は? アルフレド・「ストロエスネル」 1868年1月3日に発せられた政権を朝廷に移すことを述べた宣言といえば何? 王政復古の大号令 1991年に撤廃されるまで南アフリカ共和国で行われていた人種隔離政策を何という? アパルトヘイト 1910年代にチューリヒを中心に起こった芸術運動のことを「ダダイスム」と命名したフランスの詩人は? トリスタン・ツァラ 1945年にメルロ=ポンティやサルトルらの哲学者を中心に創刊された、「現代」という意味があるフランスの雑誌は? レ・タン・モデルヌ 鎌倉時代の歌人・阿仏尼が夫・藤原為家の死後、相続争いの訴訟のために鎌倉に赴いた様子を綴った作品は? 十六夜日記 4世紀頃の朝鮮半島の状況を知る重要な手がかりとなっている中国の吉林省集安県にある長寿王が建てた碑を何という? 高句麗好太王碑文 1336年から1649年まで南インドを支配したヒンドゥー教の国は? 「ヴィジャヤナガル」王国 戦国大名の小西行長に引き取られ彼の養女として育てられた、秀吉の朝鮮出兵の際、現在の平壌近郊から拉致されてきた女性は? ジュリアおたあ、おたあジュリア インドで古くから信じられてきた異教の神々を集めた奈良県の興福寺にある国宝の仏像を何という? 乾漆八部衆立像 アンシャン・レジームという言葉の由来となった著書「旧体制と大革命」で有名な19世紀フランスの政治家は? トックヴィル 俳句雑誌「層雲」を主宰して自由律俳句を提唱した種田山頭火、尾崎放哉らの師にあたる俳人は? 荻原井泉水 その美しい歌声で船乗りを魅了し船を沈めてしまう、ギリシャ神話に登場する海の精霊のような存在といえば? セイレーン 鎌倉時代に吉田兼好が書いた随筆「徒然草」の冒頭の一節は「何に、日くらし、すずりに向かいて」? 「つれづれなる」ままに シュメール神話に登場する冥界を支配している女神は? エレシュキガル 元々は連作だった2つの小説を一つにまとめたものである俳優と女子大生の兄妹を描いたサリンジャーの代表作は? フラニーとゾーイー 苦労してこつこつと少しずつ貯えたものを、一度に無造作に使い果たす様子をいった言葉は何? 枡で計って箕で零す 「砂の妖精」三部作や「宝さがしの子どもたち」などの作品で知られるイギリスの児童文学作家は? イーディス・「ネズビット」 豊臣秀吉によるキリスト教禁教のきっかけといわれる1596年に暴風雨のため土佐国に漂着したスペイン船は? サン・フェリペ号 西洋中世の作品を主としたマンハッタン北部にあるメトロポリタン美術館の分館は? 「クロイスターズ」美術館 有名なOK牧場の決闘でワイアット・アープと共にクラントン一家と戦った西部開拓時代のガンマンは? ドク・ホリデイ グリフォンの翼をもった犬の姿をしている、中世の魔術書「レメゲトン」に登場するソロモン72柱の一人の悪魔は? グラシャ・ラボラス 文章に含まれる単語の最初と最後の文字さえ正しければ、それ以外の順番が入れ替わっても正しく読めてしまう現象を何という? タイポグリセミア 1685年にルイ14世が発令したナントの勅令を破棄する勅令は? 「フォンテーヌブロー」の勅令 2022年12月に哲学者の柄谷行人が受賞した、哲学のノーベル賞ともいわれるアメリカの賞は? 「バーグルエン」哲学・文化賞 ユダヤ人銀行家の長女であるイレーヌを描いた、印象派の画家ルノワールの作品は? イレーヌ・「カーン・ダンベール」嬢 日本でもベストセラーになった1940年刊行の著書「フランス敗れたり」で有名な、フランスの小説家、評論家は? アンドレ・モーロワ 歌を彫った陶器で人気を博した幕末の尼僧で、言い寄る男が後を絶たないために、わざと歯を抜いて醜くしたというのは? 大田垣蓮月 フランス革命前期に男装の麗人として活動した女性革命家で、「自由の女戦士」と呼ばれたのは? 「テロワーニュ」・ド・メリクール 作者自身を思わせるユージン・ガントを主人公とする20世紀初めのアメリカの作家トマス・ウルフの自伝的小説は? 天使よ故郷を見よ 18世紀末に製作された多数の人体解剖蝋人形を展示してあるフィレンツェにある博物館は? 「スペーコラ」博物館 ちゃんと暮らしも立たないのに結婚を求める様子を、かまどを意味する言葉を用いて何という? へっついより女房 自伝「撃墜王」で知られる第二次世界大戦で活躍した空軍のエースパイロットは? ピエール・「クロステルマン」 左側に輪を回しながら走る少女、その右に影だけの人物を描いたイタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコの作品は? 通りの神秘と憂愁 代表作に「月とかがり火」があるイタリアの作家は? チェーザレ・「パヴェーゼ」 イギリス国王ウィリアム1世が徴税のために作成した全国的な検地帳は? 「ドゥムーズデー」ブック 16世紀イギリスの航海者フランシス・ドレークがマゼランに次ぐ史上2番目の世界周航を果たした時の船の名前は? ゴールデンハインド ギリシャ独立戦争を題材にしたフランスの画家ドラクロワの代表作は? 「ミソロンギ」の廃墟に立つギリシア 1681年にロシアとオスマン帝国の間で締結された、露土戦争の講和条約は? 「バフチサライ」条約 詩集「道程」「智恵子抄」で知られる昭和の詩人は? 高村光太郎 「いかにも道理に適っているようであり、尤もらしい」という意味の言葉といえば? しかつめらしい プラド美術館に収蔵されている日本では「女官たち」というベラスケスの絵画は? ラス・メニーナス 歯科医師だったことからポルトガル語で「歯を抜く」という意味の愛称で呼ばれた18世紀ブラジルの独立運動の先駆者は? チラデンテス 1858年に日米修好通商条約締結の勅許打診を巡り、岩倉具視らが起こした公家による抗議行動を何という? 「廷臣八十八卿列参」事件 タガログ語で「抗日人民軍」という意味の言葉の略語である1942年にフィリピンの農民が組織した抗日ゲリラ組織は? フクバラハップ 両軍20万近い兵力が激突し真田幸村らが討死にした大坂夏の陣の最後に行われた激戦は? 「天王寺・岡山」の戦い フランスの画家ルノワールの「ダンス三部作」とは「都会のダンス」「田舎のダンス」と? 「ブージヴァル」のダンス メキシコ独立運動初期の1811年に処刑された指導者で「メキシコ独立の父」として州の名前にもなっているのは? ミゲル・イダルゴ オオクニヌシノミコトと行動を共にして、一緒に国作りをしたと「日本書紀」に書かれている小さな神は? スクナビコナ 8~9世紀にインドネシアのジャワ島に栄えた王国は? シャイレーンドラ朝 原文主義翻訳に対し、翻訳行為の目的を重視した理論のことを「目的」を意味するギリシャ語から何という? 「スコポス」理論 アルプス山中にあるサナトリウムで療養生活を送っているという設定の、トマス・マンの小説「魔の山」の主人公は? ハンス・カストルプ ことわざで、身分不相応な望みで失敗してしまうことを、猿が水に映った月影を取ろうした逸話から何という? 猿猴月を取る 古い文化などを考察することを「考古学」を意味する英語から何という? アーケオロジー 英語の「Thank you.」にあたる「ありがとう」という意味のイタリア語は? Grazie かつてロンドンのイーストエンドあたりの労働者階級が使っていた英語の下町言葉といえば? コックニー 他人を戒めるはずの人間が自ら過ちをおかすことを静岡県の地名から何という? 秋葉山から火事 マハトマ・ガンジーの母語として有名なインド西部などで用いられる言語は? 「グジャラート」語 中国の歴史書「後漢書」を出典とする、自分の見聞が狭く、世間を知らない、独りよがりでいることを指す言葉は何? 遼東の豕 1554年に武田信玄、北条氏康、今川義元の3者が合意して結んだ同盟を何という? 甲相駿三国同盟 ルーシー・モンゴメリーの小説「赤毛のアン」で、主人公のアンが校長となる高校の名前は? 「サマーサイド」高校 キリスト教の開祖であるイエス・キリストを処刑した古代ローマ帝国における第5代ユダヤ地区総督は? ポンテオ・ピラト 1990年の統一ドイツ誕生に伴いその初代大統領となった政治家は? リヒャルト・フォン・「ワイツゼッカー」 北欧神話でデンマーク王ホグニが戦いで用いた一度抜くと必ず人の命を奪う魔剣の名前は? ダーインスレイヴ 大坂の陣に際し徳川家康がイギリスから購入したことでも知られる、ヨーロッパで開発された大砲は? 「カルバリン」砲 1908年にライト兄弟に次いで動力つき航空機で空を飛んだ2人目のアメリカ人となったライト兄弟の最大のライバルは? グレン・カーチス 包帯・ギプス・松葉杖などの医療器具を身につけた女性をテーマにしたメディカル・アートの草分け的存在である画家・写真家は? ロマン・スロコンブ 「何らかの理由をつけてお願いすることで相手に承諾してもらいやすくなる」という心理効果のことを何効果という? 「カチッサー」効果 江戸時代、生活苦にあえぐ民衆が集団となって豪商や役人の家屋を襲ったことを何という? 打ちこわし イギリスの社会主義者ロバート・オーウェンがアメリカに建設を試みた理想的共同社会は? ニューハーモニー 紀元前のインドでジャイナ教を開いた人物は? ヴァルダマーナ サンスクリット語で「知識」という意味があるバラモン教の経典は? ヴェーダ 1916年に結ばれた英・仏・露の3ヵ国でトルコ領の分割を取り決めた秘密協定を何協定という? 「サイクス・ピコ」協定 太平洋戦争末期にアメリカの第21爆撃集団司令官を務め無差別戦略爆撃を考案した東京大空襲の責任者は? カーチス・ルメイ 1954年6月27日に世界初の原子力発電所が運転を開始したモスクワ近郊の地名は? オブニンスク 中国・金の建国者、完顔阿骨打が始めた、女真族で編成された社会組織・軍事組織のことを総称して何という? 猛安・謀克 2012年に、火山灰層の中から鎧を身に着けた古墳時代の成人男性の人骨が発見された群馬県渋川市の遺跡は? 金井東裏遺跡 めったに世に現れないほど優れていることを意味する三字熟語は? 不世出 1825年から1828年までアルゼンチンとブラジルが戦った戦争で、その結果ウルグアイが独立したのは? シスプラチナ戦争 「菜食主義の吸血鬼たち」などの作品で知られるスペイン生まれの20世紀シュルレアリスムの画家は? レメディオス・バロ 「エデンの園」のモデルとなったとされる、シュメール人の都市国家が争ったメソポタミアの土地は? グ・エディン 1905年にノーベル文学賞を受賞したポーランドの作家で小説「クォ・バディス」で知られるのは? シェンキェビッチ ラテン語で「あなたはどこに行くのか?」という意味があるポーランドのノーベル賞作家シェンキェビッチの代表作は? クォ・ヴァディス 「世界市民主義と国民国家」やナチスを批判した「ドイツの悲劇」などの著書がある20世紀ドイツの歴史学者は? マイネッケ 「1988年に出土したガラス玉が古代ローマで製造されたものである可能性が高い」と発表された京都府長岡京市の古墳は? 宇津久志古墳 1910年に出版されたローマ字で書かれている土岐哀果の処女歌集は? NAKIWARAI 1583年の賤ヶ岳の戦いで、柴田勝家が敗れるきっかけを作ったともいわれている、「鬼玄蕃」と呼ばれた武将は? 佐久間盛政 1916年に出版された「シカゴ詩集」で有名な20世紀アメリカの詩人は? カール・「サンドバーグ」 ソフォクレスの詩を翻案にした「アンチゴーヌ」や、映画化された「ベケット」などの戯曲で有名なフランスの作家は誰? ジャン・アヌイ 大相撲の大横綱・双葉山のシコ名の由来となった「大成する人物は幼い頃から優れたところがある」という意味のことわざは? 栴檀は双葉より芳し 1170年にイギリス国王ヘンリ2世と聖職者裁判権を巡って対立しカンタベリー大聖堂で暗殺されたカンタベリー大司教は誰? トマス・ベケット 「古事記」において黄泉国と地上世界の境にあったと書かれている坂は? ヨモツヒラ坂 穏やかな冬の日中の様子を詠んだ正岡子規の句は? 「山茶花を雀のこぼす」日和かな 著書に「ドイツ文法」があるドイツの言語学者で弟のウィルヘルムと共に編纂した童話集で知られるのは? ヤコプ・グリム この地区の地名の元にもなった砲台を建設した人物は?(鉄道ゆりかもめの映像) 江川太郎左衛門 映画「スター・ウォーズ」のロケ地にもなった、トルコのカッパドキアにある渓谷は? 「ウフララ」渓谷 19世紀中頃にヨーロッパ人として初めてアフリカ大陸横断に成功した、ビクトリア滝の命名でも知られる探検家は? リヴィングストン 古代メソポタミアのアッカド帝国を建国したサルゴンの孫で、帝国の領土を広げ、自らを神とした王は? ナラム・シン ジンバブエの石造遺跡グレート・ジンバブエを象徴する巨大な壁のことを何という? グレート・「エンクロージャー」 江戸時代まで神道家の間で「古事記」「日本書紀」と並び重要視されてきた、神代から推古天皇までを扱った歴史書は? 先代旧事本紀 2000年に「松山宣言」に基づいて創設された、第1回正岡子規国際俳句賞の大賞を受賞したフランスの詩人は? イヴ・ボヌフォワ グスタフ2世アドルフとその娘クリスティーナ女王に仕えた、17世紀スウェーデンの名宰相は? オクセンシェルナ 聖母マリアとキリストの生涯を描いた、ジオットによる壁画で有名なイタリアのパドバにある建物は? 「スクロヴェーニ」礼拝堂 メーテルリンクの小説「青い鳥」で、チルチルとミチルに青い鳥を探すように頼む妖女の名前は? ベリリウンヌ ルートヴィヒ4世、カール7世の2人の神聖ローマ帝国皇帝を輩出したバイエルン地方の家系は? ヴィッテルスバッハ 年頃の娘盛りは誰でも美しく見えるという意味の言葉は? 鬼も十八「番茶も出花」 小説「不思議の国のアリス」を書いた19世紀イギリスの作家は? ルイス・キャロル 女流作家・林芙美子の有名な言葉は? 花の命は短くて苦しき「ことのみ多かりき」 野菜や果物で人物を構成した独特の肖像画で有名な16世紀イタリアの画家は? ジュゼッペ・「アルチンボルド」 614年に最後の遣隋使を、630年に最後の遣唐使を務めた飛鳥時代の官人は? 犬上御田鍬 2013年に、インカ帝国の時代より古いミイラ2体が発見されたペルーの首都・リマにある遺跡は? 「ワカ・プクヤーナ」遺跡 711年に発布されたたくわえた銭貨の額に応じて位を昇進させることにした法令は? 蓄銭叙位令 ロシア語で「十月の子」という意味がある、旧ソ連において7歳から9歳までの子供で組織された少年団を何という? オクチャブリャータ 太平洋戦争の末期、山奥の村に集団疎開した感化院の少年たちに起こる様々な出来事を描いた大江健三郎の小説は? 芽むしり仔撃ち 「バベルの塔」の伝説のもとになったとされる、アッシリア王・ネブカドネザル2世がバビロンに建造した七層の塔は? エテメンアンキ ラテン語で「我に触れるな」という意味がある、スペインの圧政に苦しむフィリピンの様子を描いた化ホセ・リサールの小説は? ノリ・メ・タンヘレ 「後漢書」にある陳寔という人物の故事から泥棒のことを何という? 梁上の君子 バヤジット1世率いるオスマン帝国が、神聖ローマ帝国ジギスムント率いるヨーロッパ連合軍を破った1396年の戦いは? ニコポリスの戦い ゲランから発売されている香水「ミツコ」の由来となった小説「ラ・バタイユ」で知られるフランスの作家は? クロード・ファレル 通称を岩村殿といった織田信長の叔母にあたる女性で、後に武田軍に寝返ったため、信長によって磔に処せされたのは? おつやの方 世界最古の料理書「デ・レ・コクイナリア」を残した古代ローマの美食家は? マルクス・ガウィウス・「アピキウス」 形式化したバラモン教に対する批判と反省から生まれたのは? 「ウパニシャッド」哲学 「何の働き掛けもしないのに良い結果を期待しても得られることはない」という意味のことわざは? 蒔かぬ種は生えぬ 大塩平八郎の乱が起こるきっかけとなった、1830年代の全国的な凶作による食糧不足を当時の元号から何と呼ぶ? 天保の大飢饉 古代ギリシャの哲学者プラトンの著書「饗宴」の中に登場する人間の原始的な姿である両性具有の人間を何という? アンドロギュノス 「眠れない時代」「ジュリア」などの作品があるアメリカの女流作家で、ダシール・ハメットとの恋愛でも知られるのは誰? リリアン・ヘルマン 「未完の女」「ペンティメント」「ならず者の時代」の自伝三部作で知られるアメリカの女流作家は? リリアン・ヘルマン 1944年に開かれた連合国通貨金融会議のことで、IMF、IBRDGATTなどが創設されたのは? 「ブレトン・ウッズ」会議 815年に、嵯峨天皇の命により編纂された古代氏族の名鑑は? 新撰姓氏録 ヘルマン・ヘッセの短編小説「少年の日の思い出」において「僕」がエーミールから盗み出し握り潰してしまう蛾の名前は? クジャクヤママユ 1945年の神戸や西宮を舞台に終戦前夜の兄妹の姿を描いた野坂昭如の小説の題名は? 火垂るの墓 ある動物を用いた「どんな達人でも時には失敗する」という意味のことわざは? 猿も木から落ちる 3代将軍・徳川家光の時代に義務付けられた、諸大名を江戸と領地に1年おきに居住させた制度は? 参勤交代 「不道徳な」「背徳的な」といった意味がある英語は? インモラル やましいところがないのに疑われることを、何という? 「痛くもない腹」を探られる 宮崎県に理想郷「新しき村」を建設したことでも有名な小説「お目出たき人」「友情」で知られる大正・昭和の作家は? 武者小路実篤 陶淵明の漢詩の一節に由来する「今という時間を大切にして努力するべきだ」という意味の言葉は? 歳月は人を待たず 1623年にオランダ人がイギリス商館員を虐殺した事件を、それが起こったモルッカ諸島の島の名前から何という? アンボイナ事件 中世のキリスト教会で尊ばれたラテン語で「常に死を思え」という意味の言葉は何? メメントモリ 1789年に書かれフランス革命の後押しとなったパンフレット「第三身分とは何か」で有名な革命初期に活躍した聖職者は? アベ・シェイエス 我が子の成長を喜んでいる様子を詠んだ中村草田男の句は? 「万緑の中や吾子の歯」生え初むる 「博士」や「医者」という意味がある英単語は? DOCTOR 茶道や武道でよく使われる修業における段階を3つに分けて示した言葉は? 守破離 コンラート3世の時代から大空位時代が始める1254年まで神聖ローマ帝国を支配した王朝は? 「シュタウフェン」朝 日本の城や寺の廊下に仕掛けられた、歩くと「キュッ」と鳴る装置は? うぐいす張り 男として育てられた女と女として育てられた男の兄妹の数奇な運命を描いた平安時代成立の物語文学は? とりかへばや物語 紀貫之が女性になりすまして綴った、今の高知から京都までの日記文学は? 土佐日記 東欧系ユダヤ人が日常生活に使っていたものの、ナチスの迫害により激減してしまった言語は? イディッシュ語 釈迦の弟子で最も愚かだった人物で、その墓からミョウガが生えてきたことからミョウガを食べると物覚えが悪いと言われるのは? 周利槃特 勘定奉行の下に置かれた江戸幕府の職名で俗に「八州廻り」で呼ばれていたのは? 関東取締出役 アントニオ・ガウディらに代表される、19世紀末から20世紀初頭にバルセロナを中心にスペインで発展した芸術様式を何という? モデルニスモ 海にいる「サザエ」を英語では何という? 「turban」 shell 16世紀からスペインがアジア貿易で用いた銀貨といえば? メキシコ銀 江戸時代の寺子屋で教科書として広く使われていたさまざまな教訓を書き記した室鳩巣の著書は何? 六諭衍義大意 上方いろはがるたの「い」の札に書かれている言葉は? 一寸先は闇 仏教の開祖である釈迦が悟りを開いた後、初めて説法を説いた地である仏教八大聖地の1つは? サールナート 1571年、スペイン・ベネチアを中心とする連合艦隊がオスマン帝国の海軍を撃破した戦いを何という? レパントの海戦 1805年、ナポレオンがロシア・オーストリア連合軍を撃破した戦いといえば何の戦い? アウステルリッツ 「コンポジション」シリーズで有名な抽象芸術の先駆者とされる20世紀ロシアの画家は? カンディンスキー カンディンスキーら「青騎士」派の画家の作品を多く収蔵しているドイツのミュンヘンにある美術館は? 「レンバッハハウス」美術館 謡曲「西行桜」から来ている「得難きは時」に続く言葉は? 逢い難きは友 辛亥革命で退位して最後の皇帝となった中国・清の第12代皇帝は? 愛新覚羅溥儀 「大陸」という意味の英単語は? continent ラテン語で「剣」を意味する古代ローマ軍の歩兵や剣闘士が使った刀剣は? グラディウス 東京の「八重洲」という地名の由来になっている1600年、豊後に漂着したオランダの航海士といえば? ヤン・ヨーステン 第二次大戦後に日本国憲法の草案作成に携わり、人権条項の作成に貢献したアメリカ人女性は? ベアテ・「シロタ・ゴードン」 明治の陸軍大将・乃木希典の妻静子の辞世の句は? 出でましてかへります日のなしときく「けふの御幸に逢ふぞ」かなしき 明治の陸軍大将・乃木希典の辞世の句は? うつし世を「神さりましし大君の」御あと慕ひて我はゆくなり 奈良県で販売される銘菓の名前にもなっている、和歌において「奈良」にかかる枕詞は何? あおによし シュールレアリスムの影響を受け「横たわる人体」シリーズなど数多くの人体像を制作した20世紀イギリスの彫刻家は? ヘンリー・ムーア 世界遺産の百舌鳥・古市古墳群に含まれる、反正天皇のお墓だと考えられている大阪府堺市の古墳は? 「田出井山」古墳 女性労働者も多数参加した1853年にイギリスのランカシャー州の都市で発生したストライキは? 「プレストン」・ストライキ 「困難に出会ったときこそ人の真価がわかる」という意味のことわざは? 年寒くして「松柏の凋むに後るる」を知る 「身内の者はあと勘定」「雷娘」「雷雨」などの代表作がある「ロシアのシェークスピア」と呼ばれたロシアの劇作家は? オストロフスキー ヒースクリフを主人公とした小説「嵐が丘」で有名なイギリスの女流作家は? エミリー・ブロンテ 日本語の「どういたしまして」にあたる英語の表現は? You're 「WELCOME」 「夏休み」を英語でいうと「the summer 何」? vacation 日本神話で岩戸に篭っていたアマテラスオオミカミが騒ぎが気になって少し岩戸を開けた際怪力で岩戸をこじ開けたのは? タヂカラオノミコト 1667年に反乱を起こしたロシア農民運動の指導者は? ステンカ・ラージン 室内や屋外にオブジェを置いて場所や空間全体そのものを作品として観客に体験させる現代芸術の一様式を何という? インスタレーション 姉エリザベートと弟ポールの姉弟を主人公としたフランスの詩人・作家ジャン・コクトーの小説は? 恐るべき子供たち 「一度してしまったことはもう取り返しがつかない」という意味のことわざを、中国・周の太公望の故事から何という? 覆水盆に返らず 1911年に発見されたインカ文明の石造遺跡は? マチュ・ピチュ 江戸時代、天保の飢饉をきっかけに大坂で乱を起こした幕府の元役人は誰? 大塩平八郎 「それ以上留まっていられない」という意味から転じて「我慢できない」の意味で用いられる言葉といえば? いたたまれない 「2倍」「2乗」などを意味する英単語は? double ギリシャ神話に登場する頭が牛、体が人間の怪物は? ミノタウルス 昭和初期に流行した近代的な女性を指す言葉は? モダンガール 2004年に亡くなった写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンの代表作である写真集は? 決定的瞬間 米軍兵士ビリー・ビルグリムを主人公とする、アメリカの作家カート・ボネガットの小説は? 「スローターハウス」5 ニューヨークにある自由の女神像を設計したフランスの建築家は? バルトルディ 南北戦争中の1862年にバージニア州で起こった、歴史上初めての装甲軍艦同士による砲撃戦を何という? 「ハンプトン・ローズ」海戦 南北戦争中の1862年にリンカーン大統領が制定した自営農民を増やすための法律は? ホームステッド法 1979年には「シャガールの馬」で直木賞候補にもなっている作家で独自の文体によるスポーツ評論などで人気があったのは? 虫明亜呂無 アンコール・ワットに似ていることから「東のアンコール」と呼ばれる、ジャングルに覆われたカンボジアの巨大遺跡群は? ベン・メリア ルネサンス期以降にヨーロッパで使用された、利き手と反対側の手に持って戦う短剣を何という? マインゴーシュ 現在のイタリア、ミラノにあたる4世紀の皇帝テオドシウス1世の時代に西ローマ帝国の首都が置かれた都市はどこ? メディオラヌム 「源氏物語」や、三島由紀夫、川端康成らの文学作品を英訳したアメリカ人は? エドワード・「サイデンステッカー」 ヨーロッパと南北アメリカとの相互不干渉を掲げた第5代大統領の名を冠するアメリカの外交政策は? モンロー主義 マルセイユ三部作と呼ばれる戯曲「マリウス」「ファニー」「セザール」で知られる20世紀フランスの作家は? マルセル・パニョル 漢字では「如斯」と書く「このような」という意味がある言葉は? かくのごとき フランス語で「隠れ家」という意味がある、ロシアのサンクトペテルブルグにある美術館は? エルミタージュ ロシアと結託してその侵攻を導き第2次ポーランド分割を引き起こした、1792年にポーランドの貴族たちが結成した連盟は? タルゴヴィツァ連盟 作家と大学教授の二足のわらじを履いている人物を主人公とした1990年にベストセラーとなった筒井康隆の小説は? 文学部唯野教授 イタリア、ローマ近郊のチボリに遺跡が残る、ローマ帝国の皇帝ハドリアヌスが建造させた別荘の跡地は? ヴィッラ・「アドリアーナ」 10世紀から11世紀にかけて活躍したイラン最大の詩人で叙事詩「シャー・ナーメ」で有名なのは誰? フィルダウシー 1965年に日韓基本条約を締結したときの日本の外務大臣は誰? 椎名悦三郎 代表作にゲイリー・クーパー主演で映画化された小説「水源」や「肩をすくめるアトラス」があるロシア位出身のアメリカの作家は? アイン・ランド ゴーリキーの小説「母」などの挿絵を手がけた、旧ソ連の画家クプリヤノフ、クルイロフ、ソコロフが結成した集団は? ククルイニクスイ 1572年8月23日の夜にフランスで起きた新教徒虐殺事件は? 「サン・バルテルミー」の虐殺 名誉や風流より実際の利益を重視することを、ある食べ物の名前を使って何という? 花より団子 ロシアがアゼルバイジャンを獲得した、1813年にカージャール朝イランとロシアが結んだ戦争の講和条約は? 「ゴレスターン」条約 フランスの哲学者アンリ・ベルクソンが提唱した用語で生物が内的衝動によって進化する生命の躍進力を意味するのは? エランビタール ギリシャ神話に登場する強盗で旅人を鉄の寝台に合うように体を切断したり、引き伸ばす拷問にかけたのは? プロクルステス 自分の尾をかんで環となった蛇や竜を図案化した古代の象徴で、無限大の記号のモデルにもなったのは? ウロボロス 「月曜日」を意味する英単語は? MONDAY 現在はライトパターソン空軍基地の敷地内にある、ライト兄弟が飛行活動の拠点とした草原を何という? ハフマンプレーリー 「冨は一生の宝」に続く言葉で、知恵はのちの世にも重要なものであるという意味があるのは? 智は万代の宝 1943年4月18日に日本海軍連合艦隊司令長官の山本五十六が撃墜されたのは何という島の上空? ブーゲンビル島 スタンダールの小説「赤と黒」で、立身出世の野望に燃える主人公の名前は? ジュリアン・ソレル ギリシャ語で「彫刻館」という意味がある、1830年にドイツのミュンヘンに開館した古代彫刻専門の美術館は? グリュプトテーク 映画「トゥーム・レイダー」の撮影にも使われた、樹木が絡みついた姿で有名な、カンボジアにあるアンコール遺跡の寺院は? タ・プローム 1986年にフィリピン国軍改革派将校が決起してマルコスを打破しコラソン・アキノ政権が樹立した革命のことを何という? エドゥサ革命 2015年3月に100年ぶりに発見され、墨田区が購入しすみだ北斎美術館に展示されている、葛飾北斎の肉筆画は? 隅田川両岸景色図巻 隅田川へかけられた新大橋を描いた、歌川広重の連作浮世絵「名所江戸百景」の中の一枚は? 大はしあたけの夕立 1584年に、羽柴秀吉と織田信雄・徳川家康の両陣営の間で行われた合戦は? 「小牧・長久手」の戦い 1689年、清とロシアの国境をスタノボイ山脈に決定した条約は? ネルチンスク条約 1689年のネルチンスク条約で清とロシアの境界と定められた中国語名を「外興安嶺」というロシアの山脈は? スタノヴォイ山脈 原爆投下後の広島を視察した記者・バーチェットの言葉で現在でも反戦スローガンとして使われているのは? ノーモアヒロシマ 1968年のアスワンハイダム建設時にはユネスコによって移築された紀元前13世紀にラムセス2世が建設した神殿といえば? アブシンベル神殿 1974年にクーデターによって廃位されたエチオピア最後の皇帝は? ハイレ・セラシエ ルターが新約聖書を初めてドイツ語に翻訳した際にかくまわれていた、ドイツのアイゼナハにある城は? ワルトブルク城 「ブラックスワン理論」を提唱したレバノンの随筆家は? ナシーム・タレブ 聞いた英語を、すぐに声に出して繰り返す学習法のことを影を追う様子にたとえて何という? シャドーイング 日本では「止揚」と訳される矛盾した関係にある2つの概念を統一して、高い概念に発展させることを意味する哲学用語は? アウフヘーベン 第2次ポエニ戦争で象に乗って冬のアルプスを越えたカルタゴの英雄は? ハンニバル 2001年に映画化されたトマス・ハリスの小説と、戦術を駆使してローマ軍を苦しめたカルタゴの将軍に共通する名前は? ハンニバル 日本の韓国支配をアメリカが承認した1905年にかわされた覚書は? 桂タフト協定 1793年にフランス革命で夫ルイ16世と共に処刑された悲劇のフランス王妃は? マリー・「アントワネット」 古代ギリシャで貿易の際に課せられていた手数料のことで関税を意味する英語の語源になったものといえば? クストムス 1819年にオーストリア外相メッテルニヒ主導の会議で出されたブルシェンシャフト運動の弾圧を決めた決議は? カールスバート決議 歴代アメリカ大統領のなかで唯一第22代・第24代と間をおいて2度大統領に就任した人物は? クリーブランド 作家・藤島泰輔が「不思議の国ニッポン」シリーズを著す際に使用していたペンネームは? ポール・ボネ 怪談としてもおなじみの「仮名手本忠臣蔵」の外伝として鶴屋南北が著した歌舞伎は? 東海道四谷怪談 スピルバーグ監督によって映画化もされた小説「カラーパープル」で有名なアメリカの黒人女性作家は? アリス・ウォーカー 2017年に亡くなった哲学者・池田晶子を記念して、翌年設けられた文学賞は? 「わたくし、つまり」Noboby賞 ピンク・フロイドのアルバム「原子心母」「狂気」などのジャケットを手がけたイギリスのデザイングループは? ヒプノシス 紀元前2世紀から4世紀にかけてポーランドからウクライナに存在していた鉄器時代文化を何という? 「プシェヴォルスク」文化 「人口論」を発表したイギリスの経済学者は? マルサス 英訳すると「Good night」となる日本語での就寝前のあいさつは? おやすみなさい もともと雅楽の「合奏」を指した前もっての相談といえば? 打ち合わせ ジャワ語で「最高の英知」という意味がある、1908年に結成されたインドネシアの民族主義団体は? ブディ・ウトモ 第二次世界大戦でドイツが使用した史上初のジェット戦闘機を製造したメーカーは? メッサーシュミット 1614年の方広寺鐘銘事件で問題となった京都・方広寺の鐘の銘文「国家安康」「君臣豊楽」を考えた臨済宗の僧は? 文英清韓 バラモン教を国教とした別名をアーンドラ朝という古代インドの王朝は? 「サータヴァーハナ」朝 インドのカースト制度で最上位の身分は何? バラモン シュルレアリスムをファッション写真に取り入れた、戦前・戦後のドイツ出身の写真家は? アーウィン・「ブルーメンフェルド」 中学校の教科書に掲載されている詩「おれはかまきり」が収録された工藤直子の詩集は? のはらうた 福沢諭吉が、個人と国家の独立自立を説いた著書の題名は? 文明論之概略 第一次大戦のタンネンベルクの戦いではドイツ軍を指揮した人物で、戦後、大統領となりヒトラーを首相に任命したのは? ヒンデンブルク 漢字では「遮莫」と書く「なるようになれ」という意味がある言葉は? さもあらばあれ 種田山頭火の有名な俳句は? 悲しみ澄みて「煙まっすぐに昇る」 神聖ローマ帝国がマジャール人の西方進出を阻止するために設けた辺境伯領を何という? オストマルク 小説「クレーヴの奥方」で有名なフランスの女流作家は? ラ・ファイエット モデルとされる女性の名前が付けられた、イタリアの画家レオナルド・ダ・ビンチの名画「モナリザ」の別名は? ラ・ジョコンダ 生け贄の心臓をのせる「戦士の神殿」や、階段状のピラミッド「エル・カスティージョ」が有名な古代マヤ文明の遺跡は? チチェン・イッツァ 鎌倉幕府を倒した後醍醐天皇が始めわずか2年あまりで崩壊した政治を何という? 建武の新政 建武の新政時の混乱する社会情勢を風刺した七五調の文書を、それが建てられた京都の場所をとって何という? 二条河原落書 建武の新政で設けられたおもに領地に関する問題を扱った訴訟機関を何という? 雑訴決断所 ラテン語で「宝庫」という意味がある、言葉を意味によって分類した類語集のことを何という? シソーラス 作家・安部公房が芥川賞を受賞した作品のタイトルは? 壁 「S・カルマ氏の犯罪」 608年、遣隋使・小野妹子の帰国と同時に来日した随の答礼使は誰? 裴世清 1935年に美濃部達吉の天皇機関説を軍部や右翼が排撃した事件は? 国体明徴問題 豊臣秀吉に仕えた人物でもとは刀の鞘師だったといわれるのは? 曽呂利新左衛門 英語で「明日」を意味する単語は? tomorrow 日本では江戸時代後期に現れた工場制手工業を、英語で何という? マニュファクチュア 2005年にフランスで起きたパリ郊外暴動事件の発端となった暴動が始まった都市は? クリシースボワ 「救急車」をフランス語で何という? ambulance ゆがんだ画像を角度を変えたり円筒などに投影したりすることで正しく見えるようになる絵画における技法を何という? アナモルフォーシス 日本銀行の総裁を歴代最長となる3115日も務めた戦後の経済界で「法王」と呼ばれた人物は? 一万田尚登 ガブリエレ・ダヌンツィオの小説「死の勝利」の主人公は? ジョルジョ・「アウリスパ」 フランス語なら「マドモアゼル」と呼ばれる人を、スペイン語では何という? セニョリータ 権力者の価値や権威、力などを疑い、試すことを、古代中国で使われた三本足の食器の名を使って何という? 鼎の軽重を問う フランスの首都・パリのアルファベットの表記は? PARIS 岩波文庫の創設者・岩波茂雄が著した、同文庫の巻末に掲載されている文書は? 読書子に寄す 2003年にインドネシア東部の島で化石が発見された、身長は1mあまりの小柄な新種人類は? ホモ・「フローレシエンシス」 中世の朝鮮で刊行された仏教経典の集大成といえば? 高麗版大蔵経 ピアノ奏者としても有名だったポーランドの首相は? パデレフスキー セルジューク朝の最盛期を築いた第3代スルタンといえば誰? マリク・シャー フランスの古典主義者たちのあいだで広がった3つの作劇上の作法のことを総称してなんという? 三一致の法則 1982年から1992年にかけて朝日新聞社の客員編集委員を務めた著書「日本文学史」で有名な日本文学研究者は? ドナルド・キーン 幻想的なモノクロのペン画で知られる、ヴィクトリア朝の世紀末美術を代表するイギリスの画家は? オーブリー・「ビアズリー」 イスラム教の信者たちが聖地メッカに巡礼を行うイスラム暦の第12月に当たる巡礼月のことを何という? ズー・ル・ヒッジャ 2011年に第23回高松宮殿下記念世界文化賞を絵画部門で受賞したビデオ・アートの第一人者として名高いアメリカの芸術家は? ビル・ヴィオラ そのいでたちから「天狗」と怖れられた剣術の「天流」の祖は? 斎藤伝鬼坊 スペイン内乱を背景に主人公のアメリカ人青年とスペイン娘の恋愛を描いたヘミングウェイの小説は? 誰がために鐘は鳴る ノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家で、代表作に「誰がために鐘は鳴る」があるのは? ヘミングウェイ 小説「日はまた昇る」や「老人と海」を書いたアメリカのノーベル賞作家は? ヘミングウェイ つまらない物でもないよりはましであることを例えていった言葉は? 枯れ木の山も賑わい 古ノルド語で「世界の輪」という意味がある、アイスランドの作家スノリ・ストルルソンが編集したノルウェーの王家のサガ集は? ヘイムスクリングラ 英語の「Take it easy」に当たる「大丈夫、心配ない」という意味のタイ語の言葉は何? マイペンライ 昭和初期に九州で栄えた炭鉱を舞台に、近親相姦を兄弟を描いた、1969年に刊行された野坂昭如の小説は? 骨餓身峠死人葛 赤シャツ隊を率いて両シチリア王国を占領したイタリア統一運動の指導者は? ガリバルディ ヒッタイトの神話に登場する巨大な蛇の姿をした神は? イルルヤンカシュ 1804年にナポレオン1世の戴冠式が行われたパリの建造物は? ノートルダム寺院 大正9年に新婦人協会を設立した「原始、女性は太陽であった」の言葉で知られる女性運動家は? 平塚らいてう 1840年にマオリ族の首長たちとイギリス政府の間で結ばれたニュージランドをイギリスの植民地とする条約は? ワイタンギ条約 プラド美術館が所蔵するスペインの画家ゴヤの代表作は? 我が子を食らう「サトゥルヌス」 ソ連と東欧社会主義諸国の間で1949年に設立された「経済相互援助会議」のことをその頭文字から何という? COMECON ある物事をすることに対して努力を惜しまない様子を表す言葉は? やぶさかでない 第4次中東戦争の影響で世界中に打撃を与えた物価上昇などの混乱を何という? オイルショック 1925年に出版された明治生まれの歌人折口信夫の処女歌集は? 海やまのあひだ 日本に帰化した在日韓国人の苦悩と葛藤の日々を描いた芥川賞作家・李良枝のデビュー作は? ナビ・タリョン チリのイースター島にあるモアイ像の中で、唯一目が描かれているものを何という? アフ・コテリク 日本でも39万人の死者が出た1918年に世界中で流行したインフルエンザを俗に何という? スペイン風邪 1956年のハンガリー動乱の際に首相に就任して民主化政策を打ち出すも、ソ連軍に拘束され処刑されてしまったのは? ナジ・イムレ ノーベル文学賞を死後に受賞したことで有名な、スウェーデンの詩人は? エリク・アクセル・「カールフェルト」 1936年に芥川賞を受賞した鶴田知也の小説は? コシャマイン記 1457年に蜂起して、和人の軍に破れたアイヌの首長は? コシャマイン パリのチュイルリー公園にあるモネの「睡蓮」など印象派の作品を中心とした美術館は? 「オランジュリー」美術館 口分田の不足をおぎなうために723年に出された開墾奨励法を何という? 三世一身法 物の言い方や行動に愛想がないことを「ぶった切った棒」という意味で何という? ぶっきらぼう 古代ギリシャの数学者ユークリッドの言葉で「学問には安易な方法はない」という意味で使われるのは? 学問に王道なし 年を取ってもやるべきことをまだ果たしていないことや課題が解決していないのに期限が迫っていることを指す言葉は? 日暮れて道遠し 15世紀末のスペイン語の特徴を残す、イタリアや中東地域に逃れたユダヤ教徒の子孫たちが使用する言語は? 「ジュデズモ」語 かなわぬ恋に苦しむ青年を主人公とした、ドイツの作家ゲーテの代表作は? 「若きウェルテル」の悩み 1868年に明治天皇が発布した新政府の基本方針を何という? 五箇条の御誓文 フランス語で「寄せ集め」という意味がある、既製品などを素材として組み合わせて、立体的な作品を作る美術技法を何という? アッサンブラージュ ヒロインはスカーレット・オハラ作者はマーガレット・ミッチェルといえばこの不朽の名作は? 風と共に去りぬ 1923年9月1日に発生し10万人近くの死者を出した大災害といえば? 関東大震災 クリミア戦争で活躍したことから「クリミアの天使」と呼ばれたイギリスの看護婦は? ナイチンゲール 「牛肉と馬鈴薯」「武蔵野」「忘れえぬ人々」などの小説を書いた明治の作家は? 国木田独歩 「苦しさに耐えて我慢すれば必ず報われる」という意味のことわざは? 石の上にも三年 文明が起こったエジプトとメソポタミアを含む地域のことを「太陽の昇るところ」という意味から何という? オリエント 京都名物の八ツ橋「夕子」の由来にもなっている鳳閣寺の修行僧・正順を主人公とした水上勉の小説は? 五番町夕霧楼 角が生えていたという伝説もあるアレクサンダー大王の愛馬は? ブーケファロス 英語では「ゴールデン・エイジ」という物事の最盛期のことを漢字4文字の日本語で何という? 黄金時代 建築家フランク・ロイド・ライトが設計した、巨大なかたつむりのような特徴的な外観で知られるニューヨークにある美術館は? グッゲンハイム 江華島事件をきっかけに日本が朝鮮におしつけた不平等な条約を何という? 日朝修好条規 1939年にアメリカで自殺した代表作に戯曲「どっこいおいらは生きている」があるドイツ表現主義の劇作家は? エルンスト・トラー 本名をジェルジ・カストリオティという15世紀の人物で、オスマン帝国を撃退したため、アルバニアの国民的英雄とされているのは? スカンデルベク 赤毛でそばかすの少年フランソワを主人公とした小説「にんじん」で有名なフランスの作家は? ジュール・ルナール 元となった収集品の持ち主である人物が創業した工作機械メーカーの名が付いた名古屋市の美術館は? 「ヤマザキマザック」美術館 「形勢が悪い時には策を巡らすよりも逃げるのが一番良い」という意味のことわざは? 三十六計「逃げるにしかず」 第一次世界大戦で軍事的に劣勢となったドイツ軍が1917年2月に開始した作戦は? 無制限潜水艦作戦 生きていく中には良いことも悪いこともあるということわざは? 一の裏に六 身分の上下に関係なく誰もが死を免れることは出来ないという意味のことわざは? 冥土の道に王は無し 19世紀末にイギリス東インド会社がインドで実施していた土地所有と徴税の制度のことを何という? 「ライヤトワーリー」制度 天皇など身分の高い人が寝ること、休むことを表す尊敬語といえば? おおとのごもる イギリスの作家ウォルポールが自らの書簡の中で用いた言葉で「偶然の出来事から成功を導く能力」のことを何という? セレンディピティ 江戸時代の政治家・新井白石が自身の体験をまとめて著した自伝的随筆の題名は? 折たく柴の記 孤児院で育った幼い少女ジルーシャを主人公とするアメリカの女流作家ジーン・ウェブスターの小説は? あしながおじさん タイトルにはギリシャ語で「記号論」という意味があるブルガリアの思想家ジュリア・クリステヴァの著書は? セメイオチケ 一進一退の攻防を繰り返した朝鮮戦争の別名は? アコーディオン戦争 桓武天皇の時に征夷大将軍になり東北経営に務めた武将は誰? 坂上田村麻呂 代表作に「日の名残り」がある2017年にノーベル文学賞を受賞した日本生まれのイギリスの作家は? カズオ・イシグロ 1989年に小説「日の名残り」でイギリス最高の文学賞である「ブッカー賞」を受賞した日本生まれのイギリスの作家は? カズオ・イシグロ 各話は「今は昔」という書き出しで始まり「語り伝えたるとや」で終わる、平安時代末期に成立したとされる説話集は? 今昔物語集 その名前は「フキの葉の下の人」を意味するという、アイヌの伝承に登場する小人の精といえば? コロポックル 代表作に「転生」「五浦釣人」や国立近代美術館が国立劇場に永久貸与している「鏡獅子」がある明治生まれの彫刻家は? 平櫛田中 1575年、包囲された長篠城を脱出して家康方に援軍を頼むも帰路に捕らえられてしまったその忠節ぶりで知られる武将は? 鳥居強右衛門 「ヌード、観葉植物と胸像」などの作品に描かれている、画家・ピカソの愛人とされる女性は? マリー=「テレーズ・ワルテル」 2011年2月に約33億円で落札され話題となった、愛人のマリーテレーズ・ワルテルを描いたパブロ・ピカソの絵画は? ラ・レクチュール 兵庫県の温泉を舞台にした白樺派の作家・志賀直哉が療養中に執筆した小説は? 城の崎にて イギリス生まれの作家ジェームズ・ヒルトンの小説「失われた地平線」に登場する理想郷の名前は? シャングリ・ラ 柔らかくしなやかなものは堅く強いものよりもかえって長持ちするというたとえをある植物の名を使って何という? 柳に雪折れなし 三部会を停止しフランス学士院を創立したルイ13世時代の名宰相は誰? リシュリュー 台湾の20圓硬貨に描かれている1930年に日本統治時代の台湾で起きた抗日武装反乱、霧社事件を指揮したセデック族の人物は? モーナ・ルダオ フランク王国の国王からローマ教皇にラヴェンナ地方が献上され、教皇領の起源となった8世紀の出来事は? ピピンの寄進 初めて公式に「スルタン」の称号が与えられたセルジューク朝の始祖は? トゥグリル・ベク リゾート地などでの様々な遊びのことを、「活気」「活動」を意味する英単語から何という? アクティビティ 英語で「入場無料」という意味の言葉は? エントランスフリー 江戸時代の北方探検のきっかけとなった工藤平助の著書は? 赤蝦夷風説考 15世紀から19世紀にかけて神聖ローマ帝国の皇帝を出したヨーロッパの名門は? ハプスブルク家 三十年戦争中の1632年に神聖ローマ帝国と衝突したスウェーデン王が死んだのは? 「リュッツェン」の戦い 三十年戦争中の1632年に神聖ローマ帝国と衝突したリュッツェンの戦いで戦死したスウェーデン国王は? グスタフ・アドルフ 杉田玄白の「蘭学事始」は何という書物を書きあげるまでの苦心が書かれた手記? 解体新書 杉田玄白が書いた医学書「解体新書」の挿絵を描いた江戸時代の画家は? 小田野直武 1982年にノーベル文学賞を受賞した、小説「百年の孤独」で知られるコロンビアの作家は? ガルシア・マルケス 「聞き苦しい言葉を話す者」という意味の、古代ギリシャ人が異民族を蔑んで呼んだ言葉は? バルバロイ 「蝿の王」という意味がある聖書に登場する悪魔の名前は? ベルゼブブ 2007年に、88歳と史上最高齢でノーベル文学賞を受賞したイギリスの女流作家は? ドリス・レッシング なんでも早合点する人や知ったかぶりのことを「すべてわかった」という意味の言葉を擬人化して何という? 委細承知之助 ベトナム民主共和国に対抗して1946年にフランスがベトナムに建国した国は? コーチシナ共和国 海軍士官として来日した経験を元に、「お菊さん」「秋の日本」などの日本を舞台にした小説を書いた19世紀フランスの作家は? ピエール・ロティ 物事がたくさんありすぎて一つ一つ数えているひまが無い様子を表す言葉は? 枚挙に暇がない 歴史小説によく登場する表現で、君主に仕える者として最高の地位につくことを何という? 位人臣を極める 作家ヘンリー・ミラーの愛人でもあった、小説「小鳥たち」や私生活を赤裸々に綴った日記文学で有名なフランスの女性作家は? アナイス・ニン 江戸時代に「三国志演義」を初めて日本語に翻訳した「通俗三国志」の著者は? 湖南文山 清水義範の作品が有名なある文学作品の文体を模倣した作品のことをフランス語で何という? パスティーシュ アウグストゥスから五賢帝の時代まで約200年におよぶローマ安定の時代を何という? パックスロマーナ 機長の母親の名前を由来とする1945年、広島に原爆を投下した爆撃機B-29の愛称は? エノラ・ゲイ スエズ運河の建設に成功しパナマ運河の建設に失敗したフランスの外交官は? レセップス 何をするのでもなく、だらだらとして時間を過ごしている様を表す副詞といえば? のんべんだらり 1820年、メイフラワー号に乗って新天地アメリカを目指した清教徒は? 「ピルグリム」・ファーザーズ 迫害を逃れるためアメリカ大陸に渡り、ニューイングランドに最初に植民地を作った清教徒たちは? 「ピルグリム」・ファーザーズ その風貌から「ライオン宰相」と呼ばれた首相で、1930年に東京駅で佐郷屋留雄に銃撃された傷が元で亡くなったのは? 濱口雄幸 10世紀前半に醍醐天皇と村上天皇が治めた天皇親政の治世を何という? 延喜・天暦の治 1798年に、神聖ローマ帝国とフランス革命政府がナポレオン戦争終結を目指して開いたのは? 「ラシュタット」会議 17世紀に起きた北方戦争の末1658年にスウェーデンとデンマークとの間に締結された講和条約の名前は? ロスキレの和約 著書に「日本その日その日」などがある生物学者で「大森貝塚」を発見したのは誰? エドワード・モース 1913年に「小樽新聞」に連載された記事をまとめたものである新撰組の生き残り・永倉新八の回顧録は? 新撰組顛末記 フランクリン・ルーズベルトとトルーマン政権下で国務長官を務めた政治家で、戦後はアメリカの初代国連大使となったのは? ステティニアス 村上春樹の小説「色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の年」の装丁にも用いられた「Pillar of Fire」を描いた抽象画家は? モーリス・ルイス 千円札を模写した作品を発表したことが裁判沙汰にもなった作家としての名前を「尾辻克彦」という日本の前衛芸術家は? 赤瀬川原平 疑われる行動はするべきでないという意味の、ある果物を使ったことわざは何? 李下に冠を正さず 下野国にあった学問所「足利学校」は宣教師たちによって海外に何と紹介された? 坂東の大学 フランス語で「黄金分割」という意味がある1912年にレジェやデュシャンが創設したキュビスムの抽象化を推進するグループは? セクシオン・ドール 主人公の金兵衛が栗餅屋で居残りして見た夢を綴った江戸時代に恋川春町が書いた黄表紙の傑作は? 金々先生栄花夢 まわりを威圧する様子のことを、「風」という字を用いた慣用句で何という? 威風辺りを払う ミケランジェロ・アントニオーニ監督の映画「欲望」の原作である「悪魔の涎」や「石蹴り遊び」で有名なアルゼンチンの小説家は? フリオ・コルタサル 1381年にイギリスで起きた大規模な農民反乱のことをその指導者の名前から何という? 「ワット・タイラー」の乱 韓愈「応科目時与人書」に由来するある人の細やかな一つ一つの動作や行動を指す言葉は? 一挙手一投足 古文の動詞で「寝る、休む」の尊敬語といえば何? おほとのごもる 小説「ブリキの太鼓」で有名な1999年にノーベル文学賞を受賞したドイツの作家は? ギュンター・グラス 「テレーズ・ラカン」「ナナ」「居酒屋」などの作品で有名なフランスの作家は誰? エミール・ゾラ 一般的に徳川家康の性格のたとえに使われる、機が熟するまで辛抱強く待っていようとする心構えを表した言葉は? 鳴くまで待とう時鳥 ハーマン・メルビルの小説「白鯨」でエイハブ船長が追う巨大な白い鯨の名は? モビー・ディック 2004年に「介護入門」で第131回芥川賞を受賞した作家は? モブ・ノリオ 1890年から1948年にかけて国家元首の地位にあったオランダ初の女王は? ウィルヘルミナ 三十年戦争中の1643年から1645年にかけて行われたスウェーデンとデンマークの戦争は? 「トルステンソン」戦争 「白の闇」「修道院回想録」などの作品で知られる1998年にノーベル文学賞を受賞したポルトガルの作家は? ジョゼ・サラマーゴ ギリシャ神話で、クレタ島の迷宮に住む怪物・ミノタウロスを退治した英雄は? テセウス 産業革命による経済力と軍事力を背景にした19世紀半ばから20世紀初頭までのイギリス帝国の最盛期を表した言葉は? パクス・ブリタニカ 江戸幕府が1615年に制定した朝廷・公家を統制するための法令を何という? 禁中並公家諸法度 「人と超人」「ピグマリオン」「シーザーとクレオパトラ」などの作品で有名な、アイルランド生まれのイギリスの作家は誰? バーナード・ショー イスラム暦10月1日から3日間行われる断食をするラマダン月が明けたことをお祝いするイスラム教のお祭りは? イードル・フィトル 1992年に映画化されたロシアに漂流した大黒屋光太夫を主人公とする、井上靖の小説は? おろしや国酔夢譚 聖書などにおける最後の審判の日やこの世の終わりの日を意味する英語の単語は? DOOMSDAY 元寇の後に困窮した御家人を救うために鎌倉幕府が出した法令は? 永仁の徳政令 ロシア社会民主労働党内のレーニン派で「多数派」の意味があるのは? ボリシェビキ ロシア社会民主労働党内の右派で「少数派」の意味があるのは? メンシェビキ 主人公グレゴール・ザムザがある日突然虫に変身してしまう小説「変身」で有名なチェコ生まれの作家は? フランツ・カフカ 1797年に幕府直轄となった江戸の湯島にあった学校は? 昌平坂学問所 三位一体論を唱えたことで知られる古代キリスト教最大の教父・思想家は? アウグスティヌス グリマルディ洞窟などの遺跡が有名な、紀元前約3万6千年~3万年にかけて栄えたフランス南部の旧石器時代後期の文化は? オーリニャック文化 「戦略」「戦法」を意味する英単語で、特に企業の経営戦略などという意味でよく使われるのは? ストラテジー 豊臣秀吉によって「天下一」の称号を許された戦国時代に越前国大野で活躍した能面製作の名人といえば? 出目是閑吉満 体ばかり大きくて役に立たない人のことをある植物の名前を使ったことわざで、何という? うどの大木 多少の差異があるだけで本質的には違いがないことを表す故事成語は? 五十歩百歩 代表作に「管理人」「昔の日々」「誰もいない国」などがある2005年のノーベル文学賞を受賞したイギリスの劇作家は? ハロルド・ピンター 江戸時代から使われている老人には不相応な、危うい行動をからかっていう言葉は? 年寄りの冷や水 17~18世紀にヨーロッパで流行した中国趣味を何という? シノワズリ イギリスからの独立をめざして1905年に結成されたアイルランドの政党は? シン・フェイン党 東インド会社の設立などイギリス絶対王政の絶頂期を築いた、テューダー朝の女王は? エリザベス1世 スペイン語で「ギリシャ人」という意味のペンネームを名乗った「オルガス伯の埋葬」などの作品で知られるスペインの画家は? エル・グレコ 第二次大戦後に初めて出された国民学校用の国定日本史教科書は? くにのあゆみ 軍事教練などを生徒に強いた戦時中の学校の名称は? 国民学校 啓蒙専制君主・フリードリヒ2世と交流のあった「哲学書簡」で知られる思想家は誰? ヴォルテール ジーン・セバーグ主演で映画化もされたフランスの女流作家フランソワーズ・サガンの代表作は? 悲しみよこんにちは 1956年に中野好夫がエッセーに記し経済白書にも用いられた有名な言葉は? もはや戦後ではない 「半ズボンを持たない者」という意味のフランス革命で活躍した民衆を何という? サンキュロット 1792年の雲仙普賢岳の噴火により多くの被害が生じたことを指す漢字8文字の言葉は? 島原大変肥後迷惑 春が近づいた様子を詠った服部嵐雪の有名な俳句は? 梅一輪「一輪ほどの暖かさ」 「野ざらし紀行」に収められた松尾芭蕉の有名な俳句は? 山路来て「何やらゆかし」すみれ草 「奥の細道」の旅立ちの前の序章に書かれている松尾芭蕉の句は? 草の戸も「住替る代ぞひなの家」 「奥の細道」に収められた松尾芭蕉の有名な句は? 象潟や 「雨に西施が」 ねぶの花 「奥の細道」に収められた松尾芭蕉の有名な句は? 「五月雨を集めて早し」最上川 「奥の細道」に収められた松尾芭蕉の有名な俳句は? 「荒海や佐渡に横たふ」天の川 「奥の細道」に収められている松尾芭蕉の有名な俳句は? 蛤の「ふたみにわかれ」行秋ぞ 松尾芭蕉の「奥の細道」に冒頭に書かれた文は? 「月日は百代の過客」にして、行かふ年も又旅人也 京都の広沢の池を詠んだ松尾芭蕉の句は? 名月や池を「めぐりて夜もすがら」 松尾芭蕉の有名な俳句は? 秋深き「隣は何をする人ぞ」 松尾芭蕉が山形県の立石寺で詠んだ有名な句は? 閑さや「岩にしみ入る蝉の声」 江戸時代の俳人・松尾芭蕉が詠んだ有名な句は? 塚も動け「わが泣く声は秋の風」 松尾芭蕉の辞世の句は? 「旅に病んで夢は枯野」をかけめぐる 奥州平泉の金色堂を詠んだ松尾芭蕉の俳句は? 五月雨の「降りのこしてや光堂」 ギリシャ南部のラコニア地方にあったことに由来する、古代ギリシャの「スパルタ」の正式な呼び名は何? ラケダイモン 戦国時代にイエズス会が刊行した「キリシタン版」の代表的な作品である、「イソップ物語」を日本語訳した出版物は? 伊曽保物語 関ヶ原の戦いで敗れて八丈島へ流された戦国時代の武将で豊臣政権下では「五大老」の一人に数えられるのは? 宇喜多秀家 無人島で暮らす男を主人公にしたイギリスの作家デフォーの小説は? 「ロビンソン」・クルーソー 豊玉姫とその侍女、山幸彦の3人の姿が描かれている画家・青木繁の代表作は? 「わだつみのいろこの」宮 1949年に東京大学協同組合出版部から刊行された、太平洋戦争における全国の戦没学生の手記を編集した遺稿集のタイトルは? きけわだつみのこえ ドイツ語で「恥知らずの喜び」という意味がある、他人の不幸や失敗を見聞きした時にわき起こる心よい表情のことを何という? シャーデンフロイデ 1853年に4隻の黒船を率いて浦賀に来航したアメリカの海軍軍人は? マシュー・ペリー 1669年、松前藩を相手に反乱を起こしたアイヌ集団の中心人物といえば誰? シャクシャイン 日本が江戸時代だった頃メキシコはヨーロッパ諸国から何と呼ばれていた? ノバ・イスパニア 漢字では「濃毘数般」と書く戦国時代から江戸時代にかけてのメキシコの呼び名は? ノビスパン 「新しいスペイン」という意味に由来する当時スペイン領であった江戸初期のメキシコの呼び方 ノビスパン 江戸時代初期のメキシコがスペイン領だったことから「新しいスペイン」という意味で何と呼ばれていた? ノビスパン 1642年にダライ・ラマを長として成立したチベットの政府は? ガンデンポタン 規律のためやむを得ず泣く泣く部下を処罰することを三国志の故事から何という? 泣いて馬謖を斬る 日本神話において初代天皇・神武天皇の父親とされる人物は? ウガヤフキアエズ 「いつ、どこで、誰が、何を、なぜ、どうした」という文章を書く際に必要な要素をその英語の頭文字から何という? 5W1H アフリカ独立運動の父と呼ばれるガーナ共和国の初代大統領は誰? クワメ・エンクルマ 「のどぼとけ」のことを英語では聖書に登場する人物の名前を使って何という? アダムズアップル ラテンアメリカ独立運動の指導者で、「ボリビア」という国名の由来となった人物は? シモン・ボリバル 「史記」の「刺客列伝」にある豫譲のエピソードに由来する復讐のために苦難の道を歩むという意味の故事成語は? 身に漆し炭を呑む いくら才能や能力があっても努力をしなければ生かされず立派な人物にはなれないということを表す言葉といえば? 玉磨かざれば光なし 「ジキル博士とハイド氏」「宝島」などの小説で有名なイギリスの作家は? スチーブンソン スチーブンソンの冒険小説「宝島」で、主人公ジムが宝島へ行く時に乗っていた船の名前は? 「ヒスパニョーラ」号 1825年に世界最初の鉄道を建設した、父ジョージ、息子ロバートのイギリスの鉄道技師親子は? 「スチーブンソン」親子 ヴィクトリア女王の曾孫に当たるイギリスの貴族で最後のインド総督を務めたことで知られるのは? ルイス・「マウントバッテン」 かつて存在した国「プロイセン」を漢字で表記すると? 普魯西 1641年から1649年にかけてチャールズ1世の時代のイギリスで起きた革命 「ピューリタン」革命 イギリス南部の舟塚から発見された大英博物館所蔵のアングロ・サクソン王の遺品 「サットン・フー」のヘルメット 1825年にはデカブリストの乱が1905年には血の日曜日事件が起きたロシアの都市はどこ? ペテルブルク イギリスやオランダなどが対アジア貿易を独占するために設立した組織を一般に何という? 東インド会社 1930年にアメリカ人として初めてノーベル文学賞を受賞した作家は誰? シンクレア・ルイス サンスクリット文学の傑作として名高い「雲の使者」という意味がある5世紀頃のインドの詩人カーリダーサの作品 メーガドゥータ 太平洋戦争開戦前の1941年に日本がアメリカに提示されたアメリカの国務長官の名を冠した最後通牒は? ハルノート 故事成語「他山の石」の元になった、「詩経」の一節は? 他山の石「以て玉を攻むべし」 東京都現代美術館が所蔵する「ヘアリボンの少女」など漫画の1コマを拡大した絵画で有名な、ポップアートの巨匠 リキテンスタイン 「谷間の百合」「ゴリオ爺さん」などの小説で有名なフランスの作家は? オノレ・ド・「バルザック」 フランスの作家バルザックの小説「ゴリオ爺さん」に登場するパリの社交界で立身出世しようと野心を抱く青年の名前は? ラスティニャック 1933年に小説「はまむぎ」でデビューしたフランスの作家で1960年に映画化もされた小説「地下鉄のザジ」で有名な人物 レーモン・クノー 小説「悪徳の栄え」で知られるフランスの作家で「サディズム」という言葉の元になっているのは? マルキ・ド・サド 小説「ガルガンチュワ物語」の続編に当たる、フランスの作家ラブレーの小説は? 「パンタグリュエル」物語 2008年にノーベル文学賞を受賞したフランスの作家 ジャン・マリ・ギュスターヴ・「ル・クレジオ」 悪の道から更生した主人公ジャン・バルジャンの激動の生涯を描いた、フランスの作家ビクトル・ユーゴーの小説は? レ・ミゼラブル 誤って無人島に漂着した少年たちの2年間を描いた19世紀フランスの作家ジュール・ベルヌの小説は? 十五少年漂流記 冒険家フィリアス・フォッグを主人公としたフランスの作家ジュール・ベルヌの小説 八十日間世界一周 オカルトや迷信に関する語句を集めた著書「地獄の辞典」で有名な19世紀フランスの作家 コラン・ド・「プランシー」 小説「脂肪の塊」「女の一生」で知られるフランスの作家は? モーパッサン シュバリエ・デ・グリューを主人公とするフランスの作家、アベ・プレボーの小説 マノン・レスコー 著書「箴言集」で知られる17世紀フランスの作家は? ラ・ロシュフーコー 自らの脱獄体験を元にして書いた小説「パピヨン」で有名なフランスの作家は? アンリ・「シャリエール」 1077年の「カノッサの屈辱」で皇帝ハインリヒ4世を破門した教皇は? グレゴリウス7世 1077年、教皇グレゴリウス7世が神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世を破門した一連の事件 カノッサの屈辱 1282年、パレルモを中心に起こった反フランスの大規模な波乱を何という? シチリアの晩鐘 非難すべき点が何もないことを「打」という字を用いた慣用句で何という? 非の打ち所がない 「計画がどんなに良くても実現できなければ意味がない」という意味のことわざは? 絵に描いた餅 この日を指す言葉で、樋口一葉の作品の題名になっているのは?(12月31日の日めくりカレンダーの画像) 大つごもり 奉公先からお金を盗んでしまう女中・お峯を主人公とした12月31日を舞台にした樋口一葉の小説 大つごもり アメリカに欧州の近代美術を紹介し多くの画家達に影響を与えた1913年にニューヨークで開かれた「国際現代美術展」の通称 アーモリー・ショー 「日曜日」を意味する英単語 SUNDAY 日本とアメリカが歴史上初めて結んだ条約は? 日米和親条約 1854年に江戸幕府がアメリカのペリーと結んだ条約は? 日米和親条約 アニメ「母をたずねて三千里」の原作である短編を含む小説「クオレ」で有名なイタリア人は? エドモンド・デ・「アミーチス」 栄えたり、よくなったりしたものが、結局もともとの状態に戻ることを表すことわざは? 元の木阿弥 16世紀以降のラテンアメリカでイエズス会が原住民への布教のために各地に建設した施設 レドゥクシオン 能「鉢木」の主人公としても知られる鎌倉時代の武士 佐野源左衛門尉常世 炭を焼く作業員の扮装をしたことから名前がついたともいわれる19世紀イタリアの秘密結社を何という? カルボナリ党 20世紀アメリカの劇作家アーサー・ミラーのピュリッツァー賞受賞作のタイトルは? セールスマンの死 ピュリッツァー賞を受賞した戯曲「セールスマンの死」で有名なアメリカの作家は? アーサー・ミラー 「るつぼ」「みんな我が子」「セールスマンの死」などの作品で有名な20世紀アメリカの劇作家は? アーサー・ミラー シュメール人を中心に起こった古代文明 メソポタミア文明 1942年6月、日本が航空母艦4隻を失うという大敗に終わった戦いは? ミッドウェー海戦 ドイツの社会学者テンニエスが人間の本質的意志に基づく愛によって成り立つ「共同社会」のことを何と呼んだ? ゲマインシャフト ドイツの社会学者テンニエスが提唱した協同組合のように構成員の自由意志に基づく契約で成立している集団を何と呼んだ? ゲノッセンシャフト 「ブッデンブローク家の人々」「魔の山」などの作品で知られるドイツのノーベル賞作家は? トマス・マン ドイツのノーベル賞作家トマス・マンの代表作は? 「ブッデンブローク」家の人々 単語や文章の文字を並べ替えて元とは違う意味にすることを何という? アナグラム 北海道を舞台に、小作人・広岡仁右衛門の姿を描いた有島武郎の小説 カインの末裔 パキスタン東部のパンジャブ地方にあるインダス文明の都市遺跡 ハラッパー 代表作に「ハツカネズミと人間」「怒りの葡萄」「エデンの東」がある、ノーベル文学賞も受賞したアメリカの作家は? スタインベック 「不幸な出来事が重なること」をある顔の部分を用いていったもの 弱り目にたたり目 1271年、モンゴル帝国の国号を「元」を定めた皇帝は誰? フビライ・ハン 日本神話で、八岐大蛇を退治した神は? スサノオノミコト 「アヴィニヨンの娘たち」や「ゲルニカ」などの作品で有名なスペインの画家 パブロ・ピカソ 紀元前、「ミュージアム」の語源である「ムセイオン」という大図書館が建てられたエジプトの都市は? アレクサンドリア 年長者の経験には学ぶべきところが多いという意味の言葉といえば? 亀の甲より年の功 英和・和英辞典の名前にもなっている「天才」という意味がある英単語 genius 1598年にアンリ4世が発布した新教徒に信仰の自由を認めた命令を何という? ナントの勅令 スペイン内乱の実態をまとめたジョージ・オーウェルのルポの題名は? カタロニア讃歌 書物や広告などに用いられる説明や装飾のための挿絵や図解のことを総称して何という? イラストレーション 1936年にノーベル文学賞を受賞した「奇妙な幕間狂言」「夜への長い旅路」などで有名なアメリカの劇作家は? ユージン・オニール アメリカ独立戦争ではワシントンの副官として活躍したポーランドの愛国者 コシューシコ サンフランシスコ平和会議の演説で吉田茂が取り出した原稿は現地で何と報道された? トイレットペーパー 1953年に吉田茂首相の失言をきっかけとして起きた衆議院の解散を一般に何という? バカヤロー解散 このような絵が何に見えるかで判断する心理テスト(インクで書かれた左右対称な図形) 「ロールシャッハ」テスト 聖徳太子の生母として知られる用明天皇の皇后は? 穴穂部間人皇女 小説「優雅で感傷的な日本野球」で第1回三島由紀夫賞を受賞した競馬好きとしても有名な作家は? 高橋源一郎 743年に出された新たに開墾した土地の私有を永久に許可した法律は? 墾田永年私財法 ローマ教会が搾取の対象にした16世紀ドイツの蔑称といえば? ローマの牝牛 講談などで有名な秋宅庵之介、山中鹿之介ら十人の精鋭たちを何と称する? 尼子十勇士 河東碧梧桐が詠んだ有名な俳句は? 「赤い椿白い椿」と落ちにけり 「赤い椿白い椿と落ちにけり」という俳句で有名な明治生まれの松山の俳人は? 河東碧梧桐 お金がなくなることを、その動きが「お手上げ」に見える虫を用いた慣用句 おけらになる ギリシャ神話で、オイディプスを自分の息子と知らずに結婚してしまうテーベ王・ライオスの妃は? イオカステ ゼウスの雷電や数々の英雄たちの武器を作った、ギリシャ神話に登場する鍛冶・工芸の神 ヘパイストス 英語で「巨人」を意味する「ジャイアント」の語源となったギリシャ神話に登場する巨人族といえば? ギガンテス これを司る、ギリシャ神話の「オリンポス十二神」の一柱は?(ブドウ酒の画像) ディオニュソス ギリシャ神話に登場するガイアとウラノスの娘である女神で、ゼウスとの間に9人のミューズを生んだのは? ムネモシュネ フランスの大統領官邸「エリゼ宮」の名前の由来ともなっているギリシャ神話の楽園は? エリュシオン ギリシャ神話でメドゥーサをペルセウスが倒した時にメドゥーサの首の切り口から生まれたのはペガサスと何? クリュサオル ギリシャ神話でオルフェウスが冥界から連れ戻そうとするが途中で振り返ったために願いは叶わなかった、彼の妻は? エウリュディケ 「無邪気な」「無垢な」という意味の英単語で、ラテン語で読むとあるローマ教皇の名前と同じになる言葉は何? イノセント 江戸時代の俳人・加賀千代女の有名な俳句 朝顔や釣瓶「とられてもらひ水」 1938年に直木賞を受賞した作家・井伏鱒二の小説は? ジョン萬次郎漂流記 著書に「資本論」や「共産党宣言」がある19世紀のドイツの思想家 カール・マルクス 名前に数字が3つも入っている「東海道中膝栗毛」の作者は? 十返舎一九 戯作本「東海道中膝栗毛」を書いた江戸時代の作家は? 十返舎一九 開発したイギリス人の名前がつけられた大砲で、戊辰戦争では新政府軍が彰義隊を壊滅させたのは? 「アームストロング」砲 アメリカの作家マーク・トウェインの代表作 小説「トム・ソーヤー」の冒険 「ハックルベリー・フィンの冒険」「トム・ソーヤーの冒険」などの作品で知られるアメリカの作家は? マーク・トウェイン 人より目立ったり、頭角を現すとうとまれたり叩かれたりするという意味のことわざを、地面に打つものの名を使っていったもの 出る杭は打たれる 1928年の五ヵ年計画で組織された旧ソ連の国営農場を何という? ソフホーズ 「アンネの日記」を書いた少女アンネ・フランクが亡くなったドイツにあった強制収容所は? 「ベルゲン・ベルゼン」強制収容所 第二次世界大戦中にアンネ・フランクの隠れ家での生活を支援していた女性で後に彼女の日記を発見して保存したのは? ミープ・ヒース 第二次世界大戦中にオランダのある少女が書いた日記文学といえば? アンネの日記 「賢者の贈り物」「最後の一葉」など数多くの短編小説を残したアメリカの作家 O・ヘンリー 東方遠征を行いヘレニズム文化が生まれるきっかけを作ったマケドニアの国王は? アレクサンドロス アレクサンドロス大王の死後に建国されたエジプトの王朝 プトレマイオス朝 見かけだおしの人や虚勢を張る人をあるおもちゃにたとえてあざけっていう言葉 張り子の虎 町奴の頭領・幡随院長兵衛を殺害した、歌舞伎で有名な江戸時代の旗本は? 水野十郎左衛門 歌舞伎でも有名な浅草の花川戸に住んで町奴の頭領となった江戸時代初期の侠客は? 幡随院長兵衛 「新しい物事は、必要に迫られて生み出される」という意味のことわざ 必要は発明の母 「第一」から「第三」まで結成された社会主義運動の国際組織 インターナショナル 注・参照などを示す記述符号の一つで「*」と表記されるのは? アステリスク 重要文化財に指定されている「松巒古寺図」「亦復一楽帖」「花卉図」などの代表作がある江戸時代後期の画家は? 田能村竹田 中国・三国時代の末期に俗世間を避けて酒を飲み大いに語った阮籍、劉伶などの7人を何という? 竹林の七賢 小説「偉大なるギャツビー」で有名なロスト・ジェネレーションの作家 フランシス・スコット・「フィッツジェラルド」 「幼い頃に身に付けた習慣は年を取っても変わらない」という意味のことわざは? 雀百まで踊り忘れず 「史記」の項羽本紀が出典の他人よりも早く事を起こせば主導権を握ることが出来るという意味の故事成語は? 先んずれば人を制す 女性の乗る馬の姿を不思議な視点で描いた、シュールレアリスムの画家ルネ・マグリットの作品は? 白紙委任状 1825年にイギリスのストックトン~ダーリントン間で開通した世界初の鉄道で運行された蒸気機関車の名前は? ロコモーション号 「イーリアス」の続編にあたるギリシャの英雄を主人公とした古代ギリシャの詩人ホメロスが書いた英雄叙事詩は? オデュッセイア J・D・サリンジャーの小説「ライ麦畑でつかまえて」の主人公である高校生は? ホールデン・「コールフィールド」 1906年に設立された鉄道会社「満鉄」を略さずにいったもの 南満州鉄道株式会社 1886年、紀州沖で遭難し日本人が全員溺死したが船長は無罪となり治外法権撤廃の世論が高まる契機となったイギリス船は? ノルマントン号 「ローマ風」という意味があるピサ大聖堂などに代表される11~12世紀ヨーロッパの建築の様式は? ロマネスク様式 歴史家・ヘロドトスが残したとされる有名な言葉 エジプトは「ナイルの賜物」 1492年10月12日にコロンブス一行が到着した現在は西インド諸島に属する島 サンサルバドル島 チルチルとミチルが登場する小説「青い鳥」を書いたベルギーの作家は? メーテルリンク 5世紀にカスピ海からライン川に至る大帝国を建設したフン族の王といえば誰? アッティラ 1901年に「ナンシー派」を結成し、その会長を務めたアール・ヌーボーを代表するフランスのガラス工芸家は? エミール・ガレ 20世紀の初めに飛行船の実用化に成功したドイツ人伯爵 ツェッペリン 英語の「ミス」に当たる独身の女性を指すフランス語は? マドモアゼル 1830年に制作された、フランスの画家・ドラクロワの代表作 「民衆を導く」自由の女神 2010年に亡くなった、「長距離ランナーの孤独」「土曜の夜と日曜の朝」などの作品で有名なイギリスの作家は? アラン・シリトー 小説「トム・ジョーンズ」や「ジョゼフ・アンドルーズ」で有名なイギリスの作家は? ヘンリー・「フィールディング」 「マクベス」「ハムレット」など数々の戯曲を書いたイギリスの作家 シェークスピア シェークスピアの「オセロ」で主人公・オセロが愛する女性 デズデモーナ 1600年頃に初演されたシェークスピアの戯曲で原題を「As You Like It」というもの お気に召すまま 戦後のアメリカで行われた共産主義者の追放運動のことを当時の共和党議員の名をとって何という? マッカーシズム ペリーを日本に派遣したアメリカの第13代大統領は? フィルモア サント・ヴィクトワール山を描いた一連の作品で有名な「近代絵画の父」と呼ばれるフランス印象派の画家は? ポール・セザンヌ 印象派の画家ポール・セザンヌがこれをモチーフとした作品を多く残した、彼の故郷にある山の名は? サント・「ヴィクトワール」山 失敗したと思っていたのに思わぬ良い結果となることを有名な慣用句で何という? 怪我の功名 「優れた才能を持ちながらそれを発揮しない」ことを例えていった言葉は? 宝の持ち腐れ どんな場所であろうと住んでみればそれなりによい点があるという意味のことわざ 住めば都 男の太夫に女の三味線弾きという2人組を主人公とした第1回直木賞を受賞した川口松太郎の小説は? 鶴八鶴次郎 オスマン帝国で実施されていたイェニチェリの要員確保のため支配下地域のキリスト教徒の少年を徴用した制度 デウシルメ 古代ローマ帝国で迫害を逃れたキリスト教徒が集会に利用した地下墓地は? カタコンベ キリスト教ネストリウス派が中国で広まったことを記念して781年に長安の大秦寺に建てられた石碑は? 大秦景教流行中国碑 著書に「キリスト教の本質」「唯心論と唯物論」があるマルクスにも影響を与えたドイツの哲学者 フォイエルバッハ 1215年、イギリスの貴族が団結しジョン王に認めさせた文書を何という? マグナ・カルタ フランス印象派の画家ルノワールの代表作は? 「ムーラン・ド・ラ」・ギャレット 17世紀、私有財産を否定しクロムウェルに弾圧された「真正水平派」 ディッガーズ 漢の武将・韓信が高祖の問いに出した答えに由来する、仕事が多く規模が大きいほど立派にやれる手腕を意味する言葉は? 多々益々弁ず 1876年に来日し、工部美術学校の教師として洋画を指導し、浅井忠らを育てたイタリアの画家は? アントニオ・「フォンタネージ」 明治時代に来日したイタリア人で風景画にすぐれ日本の洋画の基礎を作ったのは? フォンタネージ 「史記・鄒陽伝」に由来する出会った途端に旧知の間柄のように親しくなる様子をいった言葉は? 傾蓋故の如し 大坂夏の陣の際に炎上する大坂城から千姫を助けだした武将は? 坂崎出羽守 歌番組へ選曲をお願いする行為の名称にもなっている「依頼する」という意味の英単語 REQUEST ドイツの作曲家ワーグナーは「神々の黄昏」と表現した北欧神話における巨人族と神々の最終戦争のことを何という? ラグナロク 北欧神話における最終戦争ラグナロクで唯一生き残った人間の男性の名前は? リーヴスラシル 国際ペンクラブの初代会長を務めたイギリスの作家は? ジョン・「ゴールズワージー」 イギリスのノーベル賞作家ゴールズワージーの代表作は? 「フォーサイト」家物語 「東洋・西洋の区別なく」という意味で用いられる成句 洋の東西を問わず 「ウサギ四部作」などの作品で有名なアメリカの作家は? ジョン・「アップダイク」 現在の石川県で発生した一揆(石川県の画像) 加賀の一向一揆 画家を目指す漁師を主人公とした大正時代に有島武郎が書いた小説 生まれ出づる悩み 「キッチン」「つぐみ」などの小説で知られる作家は? よしもとばなな 中世ヨーロッパで起こった古代文化や古代芸術の復興運動を何という? ルネサンス 絵画「スザンナの沐浴」「最後の晩餐」などの代表作があるルネサンス期に活躍したイタリアの画家 ティントレット 「ビーナスの誕生」「春」などの作品で知られるルネサンス時代に活躍したイタリアの画家は? ボッティチェリ イタリアのフィレンツェにあるボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」などを所蔵する美術館は? ウフィツィ美術館 代表作「抒情詩集」で知られる「最初のルネサンス人」と呼ばれる人文主義の詩人は? ペトラルカ ルネサンス期の西欧にも大きな影響を与えている東ローマ帝国で栄えた文化 ビザンチン文化 モスクワは第3のローマであるという言葉を残し、ツァーリの称号を初めて用いたロシア皇帝といえば誰? イヴァン3世 オスマン帝国の覇権が地中海に及ぶきっかけとなった、1538年にギリシャ西岸で起きた戦い プレヴェザの海戦 小説「三国志演義」の作者とされる人物は? 羅貫中 発明したフランス人の名がついた紋織物機の一種 「ジャカード」機 ベネズエラの元大統領の名前が付けられた、スペイン語小説に与えられる文学賞は? 「ロムロ・ガリェゴス」賞 1915年にロシアの画家マレーヴィッチが創始した日本語では「至上主義」という抽象絵画の一派 シュプレマティズム 鎌倉期に流行した社寺の縁起絵巻のうち最も流布したものの一つで菅原道真の生涯を描くのは? 北野天神縁起絵巻 2010年にノーベル文学賞を受賞した「ラ・カテドラルでの対話」「緑の家」などで知られるペルーの作家 バルガス・リョサ 日本人では坂本龍馬がメンバーであったことでも知られる、イギリスを起源とする秘密結社は? フリーメーソン 映画化もされた「最後の誘惑」「その男ゾルバ」などの小説で知られるギリシャの作家 ニコス・「カザンザキス」 古代ギリシャとアケメネス朝が戦った「ペルシア戦争」の末に結ばれた平和条約は? カリアスの和約 その治世に古代エジプトを征服したアケメネス朝ペルシア第2代の王は? 「カンビュセス」2世 アケメネス朝ペルシア第3代国王ダレイオス1世が各州に置いてその統治を行わせた総督のことを何という? サトラップ 「国土の守護者」という意味のアケメネス朝ペルシャで王の任命する州の総督は? サトラップ 紀元前6世紀にダレイオス1世が建設したアケメネス朝ペルシャの都は? ペルセポリス 古代ペルシャのペルセポリス碑文を研究し楔形文字の解読の道を開いたドイツの学者は? グローテフェント 642年にササン朝ペルシアが正統カリフ時代にイスラム軍に滅ぼされた戦い 「ニハーヴァンド」の戦い 紀元前480年にレオニダス率いるスパルタ軍がペルシャ軍に敗れた戦い テルモピレーの戦い ギリシャ遠征を敢行するも紀元前480年のサラミスの海戦で敗北したアケメネス朝ペルシアの王 「クセルクセス」1世 紀元前480年のサラミスの海戦でペルシャ艦隊を破ったアテネの政治家は? テミストクレス 戦後、ソ連や東ヨーロッパ諸国がアメリカに対抗して組織したヨーロッパ共産党情報局をふつう何と呼ぶ? コミンフォルム 17世紀後半に在位しムガル帝国最大の領土を築いた第6代皇帝は? アウラングゼーブ 愛する妃のためにタージ・マハルを建立したムガル帝国の第5代皇帝は? シャー・ジャハーン 代表作に長編小説「狙われたキツネ」がある2009年にノーベル文学賞を受賞したドイツの女性作家 ヘルタ・ミュラー 幸福の訪れは、人間の力ではどうすることもできないので焦らずにゆっくり時機を待てという意味のことわざ 果報は寝て待て 国家の危機に際して対立する諸党派が協力して作る内閣を何という? 挙国一致内閣 互いの腹のうちの奥深くまで理解しあうほどの関係のことを体内にある臓器の名前を使って何という? 肝胆相照らす ことわざで、自分の能力もかえりみず他人の真似をして失敗することを、ある鳥の名を使って何という? 鵜の真似する烏 アニメ化もされた小説「ニルスのふしぎな旅」で有名なスウェーデンの作家 セルマ・「ラーゲルレーヴ」 スウェーデンの女流作家セルマ・ラーゲルレーヴの出世作となった長編小説の題名は? イェスタ・「ベルリング」物語 2005年に始まった発掘調査により欧州最古とされる町が発掘されたのはブルガリアの何遺跡? プロバディヤ・「サルニツァタ」遺跡 威厳は持っているのに威張っていないという「論語」に登場する君子の理想的な性格を何という? 威ありて猛からず 「論語」を出典とする、「言葉がうまく表情を取り繕っている者は却って仁の心が欠けている」という意味の故事成語といえば? 巧言令色鮮矣仁 「論語」に由来する済んでしまったことより今後の慎みを重要視するという意味の慣用句は? 既往は咎めず 反ウィーン体制運動のひとつで1825年にロシアの自由主義貴族が起こした反乱 デカブリストの乱 マヤ文明のコパン王朝を創始した初代王は? ヤシュ・クック・モ 目先のことだけ済んだらあとはどうでもよいことを昔からの表現で何という? 後は「野となれ山となれ」 オスロのフログネル公園は彼の作品のみを展示していることで有名な、ノルウェーの彫刻家は? グスタフ・「ヴィーゲラン」 藤原頼通が建立した十円玉に描かれていることでも知られる阿弥陀堂 平等院鳳凰堂 「大山鳴動して鼠一匹」ということわざのもととなった言葉を残した、古代ローマの詩人は? ホラティウス 「大騒ぎのわりに結果は小さい」という意味のことわざは何?(山と鼠の画像) 大山鳴動して鼠一匹 日本の陸軍大将で活躍した山下奉文の異名 マレーの虎 「巌窟王」という邦題でも有名なエドモン・ダンテスを主人公とするアレクサンドル・デュマの小説は? 「モンテ・クリスト」伯 「一度壊れてしまった人間関係は元に戻すことができない」という意味の慣用句は? 破鏡再び照らさず マリー・アントワネットの寵愛で贅沢の限りを尽くすが、フランス革命で国王を見捨ててウィーンに亡命直後に急死した貴族は? ポリニャック夫人 18世紀にルイ16世がマリー・アントワネットに与えたベルサイユ宮殿の庭園にあるロココ様式の離宮は? プチ・トリアノン 18世紀後半、アメリカ合衆国の憲法草案を支持した「連邦派」のことを何という? フェデラリスト 「人生は一行のボオドレエルにも若かない」という有名な一節が登場する、1927年に書かれた芥川龍之介の小説 或る阿呆の一生 小説「羅生門」「鼻」「河童」などで知られる日本の作家は? 芥川龍之介 「一人は皆のため、皆は一人のために尽くせば全員が幸福になる」という意味の戦国武将・石田三成が用いた文字紋 大一大万大吉 経済が発展するための原動力は技術革新であるという「イノベーション理論」を提唱した経済学者は? シュンペーター 「女の平和」「女の議会」「雲」など、当時の哲学者や政治家を風刺する作品を残した古代ギリシャの喜劇作家は? アリストファネス 古代ギリシャの喜劇作家アリストファネスの小説「女の平和」に登場する主人公の女性の名前は? リュシストラテ 「万物の根源は空気である」という言葉で知られる古代ギリシャの哲学者は? アナクシメネス 「万物の根源は火である」という言葉を残した古代ギリシャの哲学者 ヘラクレイトス 「万物の根源は無限なもの(アペイロン)である」という言葉で知られる古代ギリシャの哲学者は? アナクシマンドロス 「快楽主義者」のことを古代ギリシャの哲学者の名にちなんで何という? エピキュリアン 古代ギリシャの歴史家クセノフォンがペルシャからの帰還を綴った戦記のタイトルは? アナバシス エトナ山の火口から投身自殺したという古代ギリシャの哲学者で「万物は水と空気と土と火の4つの元素からなる」としたのは? エンペドクレス 古代ギリシアの哲学者エンペドクレスが、万物の根源であると説いた、水・空気・土・火の4つの元素を何という? リゾーマタ テーベのエパミノンダスが戦死した前362年に古代ギリシャのテーベとスパルタが激突した戦いは? 「マンティネイア」の戦い 当時のフランスの社会を鋭く批判している1755年のルソーの著書 人間不平等起源論 1625年に出版されたオランダの法学者グロチウスの代表作は? 戦争と平和の法 和歌で作者のわからない作品に作者名の代わりに載せる言葉は? 詠み人知らず 日露戦争の旅順攻防戦最大の激戦地といえばどこ? 203高地 印象派の画家クロード・モネが晩年に住んでいたフランスの村で、連作「睡蓮」のモデルとなった庭園の池があるもの ジヴェルニー 有名な手紙「一筆啓上 火の用心お仙泣かすな 馬肥やせ」の作者として知られる、「鬼作左」と呼ばれた徳川家康の家臣は? 本多作左衛門重次 フランス語で、数字の「17」を意味する言葉は? dix-sept フランス語で、数字の「18」を意味する言葉は? DIX-HUIT フランス語で、数字の「19」を意味する言葉は? dix-neuf アメリカ大陸を発見した冒険家コロンブスとAORを代表するアメリカの歌手クロスに共通するファーストネームは? クリストファー 15世紀のドイツで活版印刷術を発明し「四十二行聖書」などを印刷した人物は? グーテンベルク 「殆ど死ぬかと思われたような危険な状態を脱して辛うじて命が助かる」という意味のことわざ 九死に一生を得る 世間を捨て小豆島へ辿り着いた自由律俳句の俳人・尾崎放哉がその孤独感を表現した俳句は? 咳をしてもひとり 第一次世界大戦終了後、ヴェルサイユ条約に調印した当時のフランスの首相は? ジョルジュ・「クレマンソー」 江戸時代に使われたこの農具の名前は?(写真) 千石どおし この鳥の声に由来する、人の頼みをむげに断ることを指す言葉は?(キジの画像) けんもほろろ 書生の小町田とその義理の妹である芸者・お芳との恋愛を描いた明治期に活躍した作家・坪内逍遥の代表作は? 当世書生気質 田舎から出てきた医学生野々口精作を主人公とした明治時代に坪内逍遥が書いた小説のタイトルは? 当世書生気質 1954年、中国の周恩来とインドのネールが確認した両国の国交に関する原則 平和五原則 1699年にオスマン帝国がオーストリアなどに領土を割譲することを約束した講和条約は? 「カルロヴィッツ」条約 「木炭」のような黒に近い灰色のことを英語で何という? チャコールグレー 2013年に登録された、中東の国・カタールにとって初の世界遺産 「アル・ズバラー」考古学遺跡 1931年、満州を密偵中に中国軍に殺された陸軍大尉でその事件は満州事変の引き金の一つとされているのは? 中村震太郎 江戸時代の俳人・小林一茶の有名な俳句といえば? やせ蛙まけるな「一茶是にあり」 江戸時代の俳人・小林一茶の有名な俳句といえば? 名月を「取ってくれろと」泣く子かな 年の瀬に詠まれた江戸時代の俳人・小林一茶の有名な句は? ともかくも「あなたまかせの」年の暮 江戸時代の俳人・小林一茶の有名な句は? 目出度さも「ちう位也おらが春」 平安時代の中頃に、関東で平将門が瀬戸内海で藤原純友が相次いで起こした反乱を総称して何という? 承平・天慶の乱 1914年のサラエボ事件でオーストリアの皇位継承者フランツ・フェルディナント夫妻を暗殺した人物は? プリンチップ 「ソ連以外で東ドイツを国家承認した国と国交を断絶する」というかつての西ドイツの外交政策 「ハルシュタイン」・ドクトリン 2010年に創設された文学賞鮎川信夫賞の第1回詩集部門を受賞した谷川俊太郎の詩集 トロムソコラージュ 1809年にスウェーデン王国がロシアにフィンランド全土を割譲することを定めた条約 「フレデリクスハムン」の和約 1953年に北海道の知来別海岸で起きた、ソ連漁業巡回船による日本への領海侵犯事件は? 「ラズエズノイ」号事件 新橋-横浜間の蒸気機関車より7年も先がけて、1865年にグラバーが長崎の大浦海岸に走らせた蒸気機関車は? アイアンデューク号 人が、他人に対して抱く劣等感のことを、英語で何という? インフェリオリティー・「コンプレックス」 「ロリータコンプレックス」という言葉を初めて用いたオーストリアの社会評論家は? カール・「ベナトリック」 刀剣・衣装の心得や出仕の際の注意などが列挙された、戦国大名の北条家に伝わる家訓は? 早雲寺殿廿一箇条 主人公の姫とその7人の恋人たちが巻き起こす出来事を描いた20世紀アメリカの作家ドナルド・バーセルミの小説は? 雪白姫 ナボコフの小説「ロリータ」で主人公のハンバートが愛する少女の名前は? ドロレス・ヘイズ 「口から出る物全てが美しい」ということから詩や文章の才能が極めて豊かで優れていることを例えた言葉 咳唾珠を成す 和製英語「ベビーカー」の意味に相当する英熟語は? baby 「carriage」 静岡市の浅間神社に収められる徳川家康が13歳のときに初めて着た甲冑の名前は? 紅糸威小腹巻 フランス革命では民衆がここを襲撃して武器を持ち出しているナポレオン1世の墓があるパリにある元・軍病院は? アンヴァリッド アメリカ南北戦争のときに11州が結成したアメリカ連合国の首都はどこだった? リッチモンド 2017年に山口県立美術館で公開された、「幻の作品」と呼ばれ84年ぶりに存在が確認された雪舟の水墨画は? 倣夏珪山水図 山口県防府市の毛利博物館が所蔵する、国宝にもなっている戦国時代の水墨画家・雪舟の代表作は? 四季山水図巻 古代史の重要な資料である聖徳太子に関する伝記や系譜を集めた書物 上宮聖徳法王帝説 聖徳太子の往生を偲んで作られた「中宮寺天寿国繍帳」に残される仏教思想の本質を述べた聖徳太子の晩年の言葉 世間虚仮唯仏是真 643年に蘇我入鹿が攻め滅ぼした聖徳太子の子といえば? 山背大兄王 643年に対立する蘇我入鹿の陰謀により自害させられた聖徳太子の息子 山背大兄王 ふだん働いていない者は人々が遊んでいるときに働かなくてはならないことになるという意味のことわざは? 怠け者の節句働き 季節はずれで役に立たないということをたとえた言葉は? 寒に帷子「土用に布子」 フランス語のアルファベットで「C」の下に付くカギ爪のような部分 セディーユ 戦国時代の始まりの一つで1493年、前管領・細川政元が足利義澄を擁立して行ったクーデター事件は? 明応の政変 紀元前287年に制定された平民会の決議は元老院の承認なしで国法とされるという内容の古代ローマの法律は? ホルテンシウス法 英語で「英語」のことを何という? イングリッシュ 1996年の映画「イングリッシュ・ペイシェント」の原作者として有名なスリランカ出身のカナダの作家は? マイケル・「オンダーチェ」 ロラン・バルトやジャック・デリダの著書から広まった「書かれたもの」「書くこと」を意味する哲学用語は? エクリチュール 古代ローマで作られたガラスを素材とする可能性が高いガラス玉が発見され話題となった広島県三次市の遺跡 松ヶ迫矢谷遺跡 学生運動に傾倒する主人公の東大生を描いた柴田翔の小説で1964年に芥川賞を受賞したのは? 「されどわれらが」日々-- 細川藩の武士を主人公とした明治の作家・森鴎外の小説は? 「興津弥五右衛門」の遺書 1914年にアイルランドの探検家アーネスト・シャクルトンが南極大陸横断の際に漂流し生還した時に乗っていた船は? エンデュアランス号 イギリスの哲学者ベンサムが考案した中央に高い監視塔を置いて全ての囚人を見渡せるようにした理想的な刑務所施設 パノプティコン 東西の好みの違いのことを江戸時代に流行した二つの染物を並べて何という? 江戸紫に京鹿子 古代インドの王朝「グプタ朝」を建国した人物 「チャンドラグプタ」1世 1948年から約40年暮らした邸宅は個人の家としては唯一世界遺産に登録されているメキシコを代表する建築家は? ルイス・バラガン 幕末の思想家・吉田松陰の辞世の句は? 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも「留め置かまし大和魂」 アメリカ第3代副大統領を務めた人物で政敵のアレクサンダー・ハミルトンを決闘で殺害したことで有名な人物 アーロン・バー 地元の風景を詩情豊かに描いた代表作「乾草の車」で知られる19世紀イギリスの風景画家 ジョン・「コンスタブル」 女性はお喋りで、数人集まるとすぐに賑やかになるという意味のことわざは? 女三人寄れば姦しい 「アンドリューズ夫妻」「ブルーボーイ」で有名な18世紀イギリスの画家 トマス・「ゲインズバラ」 ラテン語に由来する言葉で「逆も同様に」という意味の英語表現として一般的に使われるのは? バイス・バーサ 1831年にマッツィーニが率いたイタリア統一を目指した結社は? 青年イタリア 私有財産制を否定したフランスの社会主義者で「アナーキズム」という言葉を初めて使ったのは? プルードン 江戸時代の後期に「日本誌」の翻訳の中で「鎖国」という言葉を初めて使った蘭学者は? 志筑忠雄 19世紀にイギリスでおきた機械打ち壊し運動「ラッダイト運動」の語源とされる労働者は? ネッド・ラッド 死刑に値する罪なのにそこから減刑することをある等級を用いて何という? 死一等を減ずる お家取り潰し後の方針をめぐって大石内蔵助と対立しその後に行方をくらました赤穂浅野家の城代家老 大野九郎兵衛 ドイツ語で「驚異の部屋」という意味がある現在の博物館の原型となった15世紀頃の西洋王侯貴族のコレクション室 ヴンダーカマー 強気で出てきた相手にはやわらかい態度で接した方が良いということを、何という? 怒れる拳「笑顔に当たらず」 イングランドを征服したウィリアム1世が作らせた世界初の土地台帳は? 「ドゥームズデイ」・ブック イギリスの詩人・デザイナーウィリアム・モリスが1891年に設立した印刷工房の名前は? 「ケルムスコット」・プレス アフガニスタンやパキスタン、インドへの旅行時に感じたことを体系的にまとめた、民俗学者・梅棹忠夫の有名な著書は? 文明の生態史観 ルーブル美術館が所蔵するフランスのロマン派の画家ドラクロワの代表作 「サルダナパロス」の死 ルーブル美術館が所蔵する画家カミーユ・コローの代表作 「モルトフォンテーヌ」の思い出 中国の詩人・王安石の「即時」という詩を出典とする美しい物に、さらに美しい物を重ねることを表す言葉は何? 錦上花を添う 漢字では「徒や疎か」と書くものごとを軽く扱う様子に対して用いられる言葉は? あだやおろそか 「専制君主制」と訳されるディオクレティアヌス以後のローマ帝国の統治体制を何という? ドミナートゥス ワイマール共和国では蔵相を務めている著書「金融資本論」で有名なドイツの経済学者 ヒルファディング 「先祖」「祖先」という意味がある英単語は? ancestor 1958年に設立されデュバリエ父子による独裁政権下で活動したハイチの秘密警察は? トントン・マクート 田沼意次の後任の老中・松平定信を皮肉った江戸時代の狂歌は? 「白河のあまり清きに」耐えかねて濁れる元の田沼恋しき サーカスを主題にしたスペインの画家ピカソの一覧のシリーズ作品 「サルタンバンク」シリーズ 1975年にアメリカの商船がカンボジアによって拿捕され戦闘となった事件は? 「マヤグエース」号事件 画家レンブラントの代表作「夜警」の中央に描かれている市警備隊の隊長 バニング・コック チグリス川とユーフラテス川の流域で栄えた四大文明のひとつを漢字で書いた言葉 米所並大迷亜 7世紀にチベットを統一しチベット文字をつくらせた王 ソンツェンガンポ 南京条約の翌年にイギリスと清の間に結ばれた、居留地における領事裁判権などを盛り込んだ条約は? 虎門寨追加条約 幕末に来日し、第2代フランス駐日公使を務めた人物で幕府にフランス式の近代軍制を導入したことで知られる人物 レオン・ロッシュ 作家ラヴクラフトが創造したクトゥルフ神話において書物ネクロノミコンを書いた作家 アブドル・「アルハズラット」 さみしい暮らしに来客や便りが訪れることを人のいない谷に響く足音にたとえて何という? 空谷の跫音 「失われた足跡」「春の祭典」「時との戦い」などの作品があるキューバの作家は? アレッホ・「カルペンティエール」 2011年に行なわれた調査の結果渡来系氏族の墓に多い形式と判明した奈良県高取町の古墳は? 「与楽鑵子塚」古墳 キューバ革命党を率い独立戦争を戦うさなか銃弾に倒れた「キューバ独立の父」と呼ばれる革命家は誰? ホセ・マルティ 江戸時代の儒学者、尾藤二洲や室鳩巣の墓があることで知られる東京都文京区にある墓地は? 大塚先儒墓所 トルコ革命を成功させた1923年にトルコ共和国の初代大統領となった人物は? ケマル・パシャ インドネシアのジャワ島にある大乗仏教の遺跡 「ボロブドゥール」遺跡 日本時代、稲村三伯が作成した日本初の蘭日辞書 波留麻和解 第二次大戦中の1940年に枢軸国が結んだ軍事同盟は? 日独伊三国同盟 ユーラシア大陸の最西端・ロカ岬にある石碑に刻まれた「ここに地果て海始まる」という詩で知られるポルトガルの詩人は? カモンイシュ 中国・明の遺臣鄭成功が攻略した台湾南部にあったオランダの拠点といえばどこ? ゼーランディア城 北海道のアイヌ民族に伝わる英雄叙事詩「ユーカラ」に登場する英雄の名前 ポイヤウンペ 「金」を建国した人物 完顔阿骨打 落ちぶれてしまうことを鷹が傷ついた様子にたとえた慣用句で何という? 尾羽うち枯らす 近世初期のプロイセンを中心に形成された大農場制度 グーツヘルシャフト 地中海沿いのトルコのリゾート地アンタルヤにある、古代ローマの将軍の功績や栄光を称えた建造物は? 「ハドリアヌス」の門 「世間の事情にとても通じている」ことを、「故」という字を用いた慣用句で何という? 世故に長ける 戯曲「血の婚礼」「イェルマ」「ベルナルダ・アルバの家」で有名なスペインの作家 ガルシア・ロルカ 船乗りは危険な仕事であるということを、足元の下は死ととなり合わせの海であることから何という? 板子一枚下は地獄 日本神話における炎を司る神で産まれる際に母親のイザナミを焼き殺してしまったことでも知られるのは? ヒノカグツチ 歴史上、労働者階級のことを「ブルジョワジー」に対して何と呼んだ? プロレタリアート 車などのタイヤが「パンクする」という意味の英単語は? puncture エンゲルスやレーニンにも影響を与えた著書「戦争論」で知られるプロイセンの軍人は? クラウゼビッツ 豊臣秀吉の太閤検地に当たって採用された、実際に耕作を行う農民を年貢の負担者とみなす原則は? 「一地一作人」の原則 戦国武将・豊臣秀吉の好奇心旺盛な性分を表現した、後世の人による川柳は? 鳴かぬとも「なかして見せふ」杜鵑 後陽成天皇の弟宮にあたる戦国時代の皇族で、豊臣秀吉の養子となり桂離宮を創始したことで有名なのは? 八条宮智仁親王 数寄屋造で知られる桂離宮は後陽成天皇の弟である誰の別邸としてつくられた? 八条宮智仁親王 「人は信仰によってのみ義とされる」という名言でも知られるドイツの宗教改革者は? マルティン・ルター 「悪童日記」「ふたりの証拠」「第三の嘘」からなる三部作で有名な、ハンガリー出身の女流作家 アゴタ・クリストフ 「元首政」と訳される帝政ローマ前期の政治体制は? プリンキパトゥス 旧市街地を中心に仏教寺院の遺跡が集まり多くの観光客が訪れる、タイ王国北部の歴史公園は? 「スコータイ」歴史公園 シラーの戯曲のタイトルにもなった、三十年戦争で活躍した神聖ローマ帝国の将軍は? ワレンシュタイン 浄土宗を開いた法然が関白・九条兼実の求めに応じて仏道を説いた書は? 選択本願念仏集 中国・前漢時代に最盛期を誇ったモンゴル高原の「匈奴」当時のリーダーは誰? 冒頓単于 三十年戦争の第二段階にあたる1625~29年に行われた戦い 「ニーダーザクセン」戦争 「サン・ニケーズ街テロ事件」とも呼ばれる、1800年にナポレオンの馬車に爆弾が仕掛けられた暗殺未遂事件は? 地獄の仕掛け事件 この怪物のモデルとなったルーマニアのワラキア公は?(ドラキュラの画像) ヴラド・ツェペシュ タレント「神田うの」の名前の由来にもなった持統天皇の幼名 鵜野讃良皇女 王侯将相いずくんぞ種あらんやという言葉が有名な中国・秦の時代末期の農民反乱を一般に何という? 陳勝・呉広の乱 紀元前3世紀、秦末に起こった陳勝・呉広の乱のスローガンとなった陳勝の言葉 「王侯将相いずくんぞ」種あらんや 2009年に黒人女性として初めてフランスを代表する文学賞・ゴンクール賞を受賞した作家は? マリー・「ンディアイ」 アメリカ独立戦争の際にレキシントンの戦いの前夜イギリス軍の動きを仲間に伝えたことで有名な英雄 ポール・リビア 14世紀から17世紀にかけて南インドに栄えたヒンズー教徒による王国 ビジャヤナガル王国 現在はあまり使われなくなっている「未婚女性」を意味するドイツ語の単語は? フロイライン 1960年の映画「戦場よ永遠に」に描かれている、第二次世界大戦中サイパン島で日本兵に投降を呼びかけたアメリカの軍人 ガイ・ガバルドン 後三条天皇が発布した「延久の荘園整理令」で荘園整理の実務を行った機関 記録荘園券契所 1536年にスレイマン1世がはじめた、外国の商人に対して領内での居住や通商の自由を認めた特権のことを何という? カピチュレーション イギリス英語で大学の生徒を「student」というのに対し、高校生以下の生徒をさす単語は? pupil 植民地主義や帝国主義が被支配社会や文化にどのような影響を与えたかなどを扱う批評や評論 「ポストコロニアル」理論 代表作に映画化もされた小説「ジョイ・ラック・クラブ」がある中国系アメリカ人の女流小説家 エイミ・タン 源順の編纂で930年代に成立した日本初の分類百科事典 倭名類聚抄 細かい内容は示さずに長い内容をざっとまとめる時によく使われる常套句といえば? 斯く斯く然然 オランダのボイマンス美術館にある贋作家として有名な画家ファン・メーヘレンが描いたフェルメールの贋作作品 エマオのキリスト 「剣奴」と訳される古代ローマの円形劇場で真剣勝負を見せた奴隷 グラディアトル 仕事を辞め、農村で悠々自適の生活をすることを、天気を表す言葉を使って何という? 晴耕雨読 「人は交友関係や環境によってよくも悪くもなる」ことを意味する故事成語は? 水は方円の器に随う 娘を溺愛するあまり仏門に入れてしまうという意味の、行き過ぎた愛情は本人のためにならないことを表すことわざは? 寵愛昂じて尼にする 1971年に中国を訪問してニクソン訪中の道を開きノーベル平和賞も受賞したアメリカの政治家は? キッシンジャー それぞれ同じ綴りだが違った発音をする、英語とフランス語で「両親」を意味する単語は? parents 提唱した2人の護民官の名がつけられた紀元前367年に古代ローマで制定された法律は? リキニウス・「セクスティウス」法 ポルトガルの航海者マゼランのポルトガル語名は? マガリャンイス 「スケーターのいる冬景色」などの作品で知られる17世紀前半にオランダで活躍した風景画家は? アーフェルカンプ 図表や写真、パフォーマンスなどの形で表現される、日本語では「概念芸術」という芸術運動は? 「コンセプチュアル」・アート 節分の風習に由来する信仰心の不可思議さをたとえたことわざは? 鰯の頭も信心から 戦国武将・上杉謙信の辞世の句は? 極楽も地獄も先は有明の「月ぞ心に懸る雲なき」 平安時代に活躍した六歌仙のうち唯一の女性である人物 小野小町 カメラのレンズや音の分野などで使われる、「歪み」を意味する英単語といえば? ディストーション たいへん無口であったことから「サイレント・カル」と呼ばれた1920年代のアメリカの大統領は? カルビン・「クーリッジ」 東晋の僧・慧遠が唱えた、「僧侶は王に敬礼しなくてもよい」という主張は何という? 沙門不敬王者論 フランス語で「憂いがない」という意味がある、ドイツの首都ベルリン郊外にあり、世界遺産にも指定されている宮殿は? 「サンスーシ」宮殿 イタリア語で、数字の「15」を意味する単語 QUINDICI 中国の歴史書『後漢書』を出典とする、自分の見聞が狭く、世間を知らない、独りよがりで射ることを指す言葉 遼東の豕 紀元57年に倭の使者が中国に赴き光武帝から印綬をうけたことが記されている書物 後漢書東夷伝 ネブカドネザル2世の父にあたる新バビロニア王国の初代国王 ナボポラッサル 「やった、うまくいった」という意味合いの物事が思い通りに進んだ時に使われる喜びを表す言葉は? 得たり賢し 映画「未知との遭遇」にも登場する、フランスのシュドルが考案した、文字ではなく音の高さを用いる人工言語は? ソルレソル 「後漢書」を出典とする苦難にあってはじめて、その人の意志の強さや真価がわかるという意味のことわざ 疾風に勁草を知る オスカー・ドミンゲスが創始したこのような絵画の技法の名称は?(左右対称の絵の画像) デカルコマニー 16世紀にスペインが採用した新大陸の土地や住民の統治を植民者に任せる制度 エンコミエンダ制 美術でまるで実物のように錯覚や幻覚を起こさせる「だまし絵」のことをフランス語で何という? トロンプ・ルイユ 危機に瀕していた財政を見事に建て直した名君として知られる米沢藩主は誰? 上杉鷹山 上杉鷹山の有名な和歌 なせば成るなさねば成らぬ何事も成らぬは「人のなさぬなりけり」 「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」という望郷の歌で知られる、唐で死んだ奈良時代の遣唐留学生は? 阿倍仲麻呂 阿倍仲麻呂の有名な和歌は? 天の原ふりさけみれば「春日なる三笠の山に」出でし月かも 月の美しさを詠んだ式子内親王の有名な和歌は? 草も木も秋の末葉は見えゆくに月こそ「色はかはらざりけれ」 「万葉集」に収められている舒明天皇の有名な和歌は? 夕されば小倉の山に鳴く鹿は今宵は鳴かず「い寝にけらしも」 「万葉集」に収められた志貴皇子の有名な和歌は、? 石走る 「垂水の上のさ蕨の」萌え出づる 春になりにけるかも 子供への愛情を詠んだ山上憶良の有名な和歌は? 銀も金も玉も何せんにまされる宝「子にしかめやも」 貧乏な境遇を嘆いた山上憶良の有名な和歌は? 荒栲の布衣をだに着せかてにかくや嘆かむ「為むすべをなみ」 1848年の二月革命直後にフランス政府が設けた労働者対策委員会 「リュクサンブール」委員会 美貌の青年を主人公とした19世紀イギリスの作家オスカー・ワイルドの小説は? 「ドリアン・グレイ」の肖像 オスカー・ワイルドの小説「ドリアン・グレイの肖像」でドリアンの肖像画を描いた画家の名前は? ハジル・「ホールワード」 慶滋保胤が書いた45人の往生を紹介した書物 日本往生極楽記 力のない遅い足どりのことを死期の迫った羊にたとえて何という? 屠所の羊の歩み 自分さえ楽しければ他人が嫌な思いをしても構わず他人の迷惑を気にもしない人の態度を表す言葉 我面白の人困らせ 女性社会政治同盟(WSPU)を結成し、婦人参政権の実現に尽力したイギリスの活動家 「パンクハースト」夫人 「古の昔」「武士という侍」など同じ意味の言葉を別の表現で繰り返すレトリックで「同語反復」とも称するのは? トートロジー 「推敲」の故事で、詩人が「推す」にするか「敲く」にするか迷った詩の一文は何? 僧推月下門 他の存在よりも抜きんでていることを、「あたま一つ分の差」を意味する言葉を使って何という? 一頭地を抜く 明治時代に実在した女性をモデルに1879年に書かれた仮名垣魯文の小説は? 高橋阿伝夜叉譚 409年にイベリア半島の北西部に進入し王国を建てたゲルマン人の一派 スエビ族 1842年に水野忠邦が発布した遭難した外国船に対して焚き木や水の助けを認めた法令を何という? 天保の薪水給与令 1944年2月にマーシャル諸島の環礁を巡って行われた日本とアメリカの戦い エニウェトクの戦い 1984年、358本の銅剣が出土して有名になった島根県の遺跡は? 荒神谷遺跡 1763年にプロイセン王国とオーストリアの間で結ばれた七年戦争の講和条約 「フベルトゥスブルク」条約 936年、後晋が契丹に割譲した華北平野の地域を何という? 燕雲十六州 インドの初代首相の名前を正しく表記すると? Nehru 第一次近衛内閣によって行われた国民を戦争に協力させるための運動を何という? 国民精神総動員運動 危篤状態のことを「朝と晩」を意味する言葉を使った慣用句 命旦夕に迫る 829年に空海が開いた日本最初の私塾は? 綜芸種智院 フランス語で「戦前」を意味する古めかしい思想や習慣を維持し続けている人々を表現した言葉は? アバンゲール 1863年にギリシャで彫像サモトラケのニケを発見したフランス領事 シャルル・「シャンポワゾ」 ギリシャで発見され現在はパリのルーブル美術館に展示されている、勝利の女神をかたどった彫像は? サモトラケのニケ ルーブル美術館に所蔵されているこの像の名前は?(画像) サモトラケのニケ 良い行いを続ける家庭には思いがけない幸福が訪れるということ 積善の家に余慶あり ムハンマドの友人でもあったイスラム教の初代正統カリフ アブー・バクル 大文字・小文字の区別を持たないヒンディ語やネパール語の表記に使用されるインドの代表的な文字は? デーヴァナーガリー 1946年にベストセラーになったゾルゲ事件で逮捕された尾崎秀実が妻に宛てて送った獄中書簡集は? 「愛情は降る星の」ごとく 来日したイエズス会宣教師たちが本部に布教報告をした書簡 耶蘇会士日本通信 1932年に制作された、スイスの画家パウル・クレーの作品 パルナッソス山へ 代表作に「パルナッソス山へ」「R荘」がある芸術家集団青騎士の中心メンバーだった20世紀のスイスの画家 パウル・クレー 元々は「崩れかけた大波をもとへ押し返す」という意味の、悪化した状況を回復させることを意味する表現 狂瀾を既倒に廻らす リストラ、ダウンサイジングなどが代表的な、受け手の印象を変えるために言葉を言いかえる技法 ダブルピークス イギリスの人類学者・タイラーによって提唱された、あらゆる物の中に霊的な存在が宿っているという考え方 アニミズム マレーネ・ディートリッヒ主演の映画「嘆きの天使」の原作としても知られるハインリッヒ・マンの小説は? ウンラート教授 ミュージカル化された小説「ショウ・ボート」や映画化された小説「ジャイアント」「シマロン」で有名な作家は? エドナ・ファーバー 映画 「ジャイアンツ」や人気ミュージカル「ショウ・ボート」の原作を書いた女流作家は? エドナ・ファーバー 伊能忠敬が作製し、没後に完成した、日本初の実測地図は? 大日本沿海輿地全図 百人一首の赤染衛門の句 やすらはで「寝なましものをさ夜」ふけてかたぶくまでの月を見しかな もともと「少数独裁制」を意味する資本主義化の進むロシアにおける新興の財閥のことを何という? オリガルヒ 批判などが起きないたとえにも使われる、静かで声一つ聞こえてこないという意味の常套句は? 寂として声なし 邪馬台国の女王・卑弥呼が中国・魏の皇帝から与えられた称号は? 親魏倭王 19世紀末に考案した軍人の名前が付けられた、ドイツのフランスとロシアに対する侵攻作戦の名前 「シュリーフェン」・プラン 中国名を室利仏逝といったスマトラ島のパレンバンを中心に、10世紀頃最盛期を迎えた王国は? シュリーヴィジャヤ ささいなことに高い能力を費やすことを、歴史上の名刀を用いたことわざで何という? 大根を正宗で切る これまで不遇であった人物が世に出ることを凡河内躬恒の歌から何という? 花咲く春にあう 平安時代の歌集「古今和歌集」に収録されている和歌の数が紀貫之に次いで2番目に多い選者の1人は? 凡河内躬恒 イギリスの作家D・H・ロレンスの代表作は? 「チャタレイ」夫人の恋人 15世紀初めにブランデンブルク選帝侯の地位を得て、その後プロイセン王やドイツ皇帝を輩出したのは? 「ホーエンツォレルン」家 暴風雨のなか江戸に紀州ミカンを運び巨利を得たといわれる紀伊出身の豪商といえば誰? 紀伊国屋文左衛門 漢字では「徒や疎か」と書くものごとを軽く扱う様子に対して用いられる言葉は? あだやおそろか 祖国ギリシャの独立のため露土戦争に加わった青年を主人公とした、ドイツの作家ヘルダーリンの小説は? ヒュペリーオン 目安箱への投書で誕生した無料で貧しい庶民の治療にあたる江戸幕府の医療施設は? 小石川養生所 「島原の乱」の鎮圧などに力を発揮し、「知恵伊豆」と呼ばれた江戸幕府の老中は? 松平伊豆守信綱 「ばら色の踊子」など踊子を描いた作品が多いことから別名を「踊り子の画家」というフランス印象派の画家は? エドガー・ドガ ことわざで、自分の能力もかえりみず他人の真似をすることを何という? 鵜の真似をする烏 1872年に横浜に寄港して中国人苦力を巡る紛争に発展したペルーの船は? マリア・ルース号 1947年に制定されたアメリカの全国労使関係調整法をこれを提唱した2人の議員の名前から何法という? タフトハートレー法 シュマルカルデン戦争の終結のため、1555年に神聖ローマ帝国皇帝カール5世がおこなった決議は? 「アウクスブルク」の和議 アメリカの西部開拓時代に全国にリンゴの種を植えて回ったといわれる伝説の人物は? ジョニー・「アップルシード」 ヒトラー主義とも呼ばれる1945年までドイツを支配した全体主義的な体制を何という? ナチズム ジェームズ1世の暗殺を謀ったイギリス人で男性を指す「ガイ」という言葉の元となったのは? ガイ・フォークス 日時計を用いて夏至の日を正確に測定したことや、歴史上初めて地動説を唱えたことで知られる古代ギリシャの哲学者は誰? アリスタルコス マグナ・カルタを無視したジョン王の子・ヘンリー3世に1258年、反乱を起こした貴族は? シモン・ド・「モンフォール」 「ライ麦畑でつかまえて」などの作品で知られるアメリカの作家は? J・D・「サリンジャー」 2013年にイギリスで最も栄誉ある文学賞、ブッカー賞を史上最年少で受賞したニュージーランドの女性作家は? エレノア・カットン 1981年に第85回直木賞を受賞した青島幸男の小説は? 人間万事塞翁が丙午 ナチス・ドイツを包囲するために西ヨーロッパ諸国と提携を進めた1930年代のソ連の外交方針を当時の外相の名をとり何という? リトヴィノフ外交 子の義堅は水戸光圀に仕えドラマ「水戸黄門」の登場人物・「兵庫」のモデルになったという戦国武将・最上義光の四男は? 山野辺義忠 秀吉に伊予6万石を与えられ僧侶のまま大名となった毛利氏の外交僧は? 安国寺恵瓊 伊勢神宮のお札などが空から降ったことをきっかけに1867年頃から日本各地でおこった大衆的な騒乱をなんという? ええじゃないか 夏の午後に急に降ってきた夕立の激しさを詠んだ与謝蕪村の句は? 夕立や「草葉をつかむむら雀」 与謝蕪村の俳句で「菜の花や」に続く言葉は? 月は東に日は西に 春の海が穏やかな様子を詠んだ与謝蕪村の俳句は? 春の海終日「のたりのたりかな」 イギリス英語では1兆をアメリカ英語では10億を指す英単語といえば? billion 和製英語の一つでいわゆる「知名度」のことを「価値」を意味する単語を用いて何という? ネームバリュー 江戸中期、享保の改革で旗本・御家人の救済のために発布された、借金問題を当事者の話し合いで解決させた法令は? 相対済令 1919年に連合国とドイツが結んだ第一次世界大戦の講和条約は? ベルサイユ条約 信用していた人物に裏切られてひどい目に会わされることを意味する慣用句といえば? 煮え湯を飲まされる フランス革命以前の社会体制を指す、「古い制度」という意味の言葉は? アンシャンレジーム 世界最小の国・バチカン市国を誕生させた1929年にイタリアとローマ教皇の間で結ばれた条約といえば? ラテラノ条約 1868年に京都で行われた戊辰戦争の口火を切った戦いは? 鳥羽伏見の戦い 板垣退助や後藤象二郎らが左院に提出し自由民権運動の発端となったのは? 「民撰議院設立」の建白書 1787年にアメリカ合衆国の憲法制定会議が行われた都市は? フィラデルフィア 19世紀中頃から流行したアメリカの西部開拓を正当化する標語といえば? マニフェスト・「デスティニー」 イギリスのアーサー王伝説でアーサー王と円卓の騎士が死後に運ばれたという西方浄土の島は? アヴァロン 1951年にはエリア・カザン監督により映画化もされているアメリカの劇作家テネシー・ウィリアムスの代表作は? 欲望という名の電車 江戸時代の俳人・山口素堂の有名な俳句は? 目には青葉 「山ほととぎす初鰹」 個々の語の意味からは全体の意味が推測できない慣用句のことを、英語で何という? イディオム 1921年に「東京朝日新聞」に連載された小川未明の小説は? 赤い蝋燭と人魚 「悪霊」「カラマーゾフの兄弟」「罪と罰」などの小説を書いた19世紀ロシアの作家は? ドストエフスキー 怒りのままにものを言うことを竹が火にはじめる様子にたとえて何という? 竹屋の火事 ノルマンディー上陸作戦を取材した時の、写真の出来栄えにタイトルを由来する、写真家ロバート・キャパの著書は? ちょっとピンぼけ 1871年、フランスに成立した世界初の社会主義政府といえば? パリ・コミューン 体の回る様子を意味する動詞「もんどりうつ」を漢字ではどう表記する? 翻筋斗打つ 1941年12月2日に山本五十六が打電した真珠湾攻撃決行を意味する暗号は? 「ニイタカヤマノボレ」一二〇八 エジプトのお土産としても人気があるファラオの名を記したヒエログリフを囲む長円形を何という? カルトゥーシュ 日本語の「白昼夢」にあたる英単語といえば? daydream 小説「黄金の日日」にも描かれている、フィリピンとの貿易で巨万の富を得た堺の豪商は? 呂宋助左衛門 著書「二十世紀の神話」で有名なナチスの高官として活躍したドイツの政治家は? アルフレート・「ローゼンベルク」 1857年に発表された詩集「悪の華」で知られる19世紀フランスの作家は? シャルル・「ボードレール」 15世紀前半にフィレンツェで活躍したイタリアの画家で、その名が「天使のような修道士」を意味するのは? フラ・「アンジェリコ」 大規模な記録や資料が収められた公文書の保管施設などを指す英単語は? アーカイブ 1947年にノーベル文学賞を受賞したフランスの作家で代表作に「贋金作り」「狭き門」「田園交響楽」があるのは? アンドレ・ジイド トルコ軍の残虐行為を描いたフランスの画家ドラクロワが1824年に発表した作品は? キオス島の虐殺 アレックス・ヘイリーの小説「ルーツ」の主人公である西アフリカのガンビアで生まれた黒人の名前は? クンタ・キンテ 理想に燃える医者を主人公としたパステルナークの小説は? ドクトルジバゴ 藤原不比等の長男で南家の祖となった奈良時代の貴族は? 藤原武智麻呂 1963年にアルジェリアの初代大統領になった政治家は? ベン・ベラ 巡礼者たちの姿を描いた14世紀イギリスの作家ジョフリー・チョーサーの代表作は? カンタベリー物語 ローマ神話に登場する商業の神メルクリウスが手に持っている2匹の蛇が巻きついた杖のことを何という? カドゥケウス 1908年にオスマン帝国が建設した鉄道で第一次世界大戦中にアラビアのロレンス率いるゲリラ舞台などに破壊されたのは? ヒジャーズ鉄道 父のヴィルヘルムはドイツ社会民主党創始者であった人物で、1916年にルクセンブルクと共にスパルタクス団を組織したのは? リープクネヒト 郊外の一軒家に隠遁して人工的な楽園を築こうとする、1884年のユイスマンスの小説「さかしま」の主人公である貴族の末裔は? デゼッサント 江戸時代の画家・俵屋宗達が金箔の上に2体の鬼神を描いた美術作品は? 風神雷神図屏風 15世紀末に与那国島を支配していたとされる女性首長は? サンアイ・イソバ 日本神話に登場するニニギノミコトの妻は? 「コノハナサクヤ」ヒメ 英語で「昨日」を意味する単語は? yesterday 父オラツィオ、娘アルテミジアの17世紀イタリアで活躍したバロックの画家の親子は? 「ジェンティレスキ」親子 「物干し竿」とも呼ばれる佐々木小次郎が宮本武蔵との巌流島の決闘で用いた野太刀の名前は? 備前長船長光 清廉すぎると、かえって人に親しまれないことを「魚」という字を用いて何という? 水清ければ魚棲まず 帰国後はイエズス会の司祭として布教に努めた天正遣欧使節の副使は? 中浦ジュリアン もともと「満足して死ぬことが出来る」という意味で、そこから転じて「それで十分だ」というニュアンスで使われる言葉は? 以て瞑すべし 世界最大のカブト虫の名前にもなっているギリシャ神話の英雄といえば? ヘラクレス 1992年に雑誌「就職ジャーナル」で用いられたのが最初とされる新卒の学生たちの就職難を示した言葉は? 就職氷河期 1970年、長崎県佐世保市にある泉福寺洞窟で発見された土器で世界最古の土器の一つともいわれるものは? 豆粒紋土器 1947年に予定されたがマッカーサーの中止命令により挫折した、戦後最大のストライキといえば? 二・一ゼネスト GHQの命令によって中止となった、1947年に計画された大規模な労働闘争といえば? 二・一ゼネスト 1949年、日本経済の自立のために実施された財政金融引き締め政策に名を残すGHQの経済顧問は? ジョゼフ・ドッジ その道に通じた人でも時には失敗してしまうということを平安時代の有名な僧のエピソードから何という? 弘法にも筆の誤り アレクサンダー大王東征の帰途インダス川からチグリス川までの航海を指揮した武将は? ネアルコス 2016年9月の改訂によってオックスフォード英英辞典に追加された「男性の垂れた胸」という意味の英単語は? moobs 「一夢庵風流記」「傍若無人剣」などの小説の題材となった前田利家の義理の甥に当たり傾奇者の典型とされる武将は? 前田慶次郎利益 戦後の流行歌「リンゴの唄」の作詞も手がけている詩集「爪色の雨」などで知られる詩人は? サトウハチロー 16世紀、琉球王国に建てられたこの首里城の門を何という?(画像) 守礼之邦の門 百年戦争の英雄ジャンヌ・ダルクが生まれたフランス・ロレーヌ地方にある村はどこ? ドンレミ村 江戸時代の探検家・近藤重蔵が択捉島に立てた標柱に書かれていた文字は? 大日本恵土呂府 近藤重蔵がこの島に建てた標柱に書かれた文字は?(択捉島の地図の画像) 大日本恵登呂府 2016年に、83年ぶりに発見された江戸時代中期の画家・伊藤若冲の傑作は? 孔雀鳳凰図 ベートーベンをモデルにした主人公の生涯を描いたフランスの作家ロマン・ロランの小説は? ジャン・クリストフ ノルマン朝の断絶後イギリス王ヘンリー2世が創始した王朝は何朝? プランタジネット朝 人のことを呪うと自分にも悪いことが降りかかってくるという意味のことわざは何? 人を呪わば穴二つ 「ルーマニアのブラウス」「ダンス」などの代表作がある原色を使った大胆な色彩で有名なフランス野獣派の画家は? アンリ・マティス 京都の名所や市民生活を描いた狩野永徳の代表作である屏風図は? 洛中洛外図屏風 「いとこ」を意味する英語は? cousin 英語のなぞなぞ「What starts with T, ends with T,and is full of T?」の答えは? teapot 長編小説「失われた時を求めて」で知られるフランスの小説家は? マルセル・「プルースト」 自然の石や木などをそのまま用いることが多い、1960年代のイタリアで起こった「貧しい芸術」という意味の美術運動は? アルテ・ポーヴェラ 2012年8月にグリーンランド沖の海底で発見された1910~1912年にイギリスの探検隊が使用するも後に沈没した南極探検船は? テラ・ノヴァ号 「ヘレニズム」という概念を生み出した19世紀のドイツの歴史学者といえば誰? ドロイゼン 1942年にドイツの巡洋戦艦数隻がフランスからイギリス海峡を通りドイツへ帰還した作戦のことを何という? 「ツェルベルス」作戦 些細な欠点を直そうとして逆に全体を駄目にしてしまうことをある動物を用いて何という? 角を矯めて牛を殺す 「史記」の項羽本紀を出典とする大きな仕事をしようとする者は些細な欠点を気にすることはないという意味の慣用句は? 大行は細謹を顧みず 中国を舞台とした小説「大地」を書いたアメリカのノーベル賞作家は? パール・バック 「どんなに恥ずかしいことをしても旅先では知らない人ばかりなので知ったことではない」という意味のことわざは何? 旅の恥はかき捨て 人が高齢になると幼くなってしまうことを、三歳の子どもにたとえて何という? 八十の三つ児 ドイツの民俗学者アドルフ・イェンゼンが命名した殺された神の死体から作物が誕生したという神話を何という? ハイヌウェレ型神話 家が貧乏だと子どもの親孝行がはっきりするということを何という? 家貧しくして「孝子顕わる」 英訳すると「Good morning」となる日本での朝のあいさつは? おはようございます 条件が整っていると自然と良い方向に行くということを、くぼんだ部分に水が流れることにたとえて何という? 凹き所に水溜まる 17世紀にヨーロッパで起こった三十年戦争の講和条約の名前は? 「ウェストファリア」条約 「新古今和歌集」にある周防内侍の有名な和歌は? 「夜をかさね待ちかね」山の時鳥雲井のよそに一声ぞ聞く 人気者のことを、干しているタコにたとえて何という? ひっぱりだこ 距離が遠くなると親しさもしだいに薄れることを何という? 去る者は「日日に疎し」 アッバース朝の第7代カリフ・マアムーンに仕え代数学を確立した数学者で、「アルゴリズム」という言葉の由来となったのは? フワーリズミー 版元の蔦屋重三郎と組んで江戸三座の役者絵など約140点の錦絵を残した江戸時代の浮世絵師は? 東洲斎写楽 著書「ユートピア」で知られるイギリスの作家は? トマスモア 旧ソ連で1920年代に進められた経済政策を何という? 5か年計画 四字熟語の「花鳥風月」をその漢字の読みのまま画数の多い順に並べ替えるとどう読む? ちょうふうかげつ タイ語で「こんにちは」を意味する言葉は? サワッディカップ 充分に準備をして機会を待つことを弓を引くときに滑らないように手に塗る薬の名を使って何という? 手薬煉を引く ロシア帝国海軍ステパン・マカロフ提督が建造させた、世界最初の砕氷船の名前は? イェルマーク 「源氏物語」の一節に由来する男性が女性の容貌や性格などを批評しあうことを指す言葉は? 雨夜の品定め 「短編小説の女王」との異名をもつ2013年にノーベル文学賞を受賞したカナダの女流作家は? アリス・マンロー 鎌倉時代に藤原定家が編集した「八代集」最後の和歌集は? 新古今和歌集 「村田蔵六」と名乗っていたこともある戊辰戦争では彰義隊を討った幕末の兵学者といえば? 大村益次郎 2015年ノーベル文学賞を受賞した「チェルノブイリの祈り」などの作品で知られるベラルーシの女性ジャーナリストは誰? アレクシエービッチ 「戦国策」に由来する、「自分にとって悪い出来事を逆に利用して幸福を掴むようにさせる」という意味の故事成語は? 禍を転じて福と為す 「できることなら、私は惑星をも併合したい」という言葉を残した帝国主義時代のイギリスの植民相は誰? セシル・ローズ ラテン語で「苦難の道」という意味がある聖書に描かれている十字架を背負うイエス・キリストの最後の歩みのことを何という? ヴィア・ドロローサ 「人間はポリス的動物である」という名言を残した哲学者でアレクサンダー大王の家庭教師を務めたことで知られるのは? アリストテレス 青年将校のヴロンスキーと激しい恋に落ちる美貌の女性を主人公とした、ロシアの作家レフ・トルストイの小説は? アンナ・カレーニナ 人の欲はきりがないということを昔の中国の二つの地名を使って何という? 隴を得て蜀を望む 処女小説「浮雲」で知られる明治の作家は? 二葉亭四迷 1918年に文学賞を除く部門の該当者がいないため、この年唯一のノーベル賞受賞者となったスウェーデンの作家は誰? ヘイデンスタム 著書に「シーラという子」「ひまわりの森」などがあるスコットランド在住のアメリカの女性児童心理学者は? トリイ・ヘイデン 利益のあるところに人が集めってくることを全ての川が海に流れ込んでくることにたとえて何という? 百川海に朝す 「良い日」という意味があるフランス語で「こんにちは」と言う時のあいさつは? BONJOUR 1124年に藤原清衡が陸奥の平泉に建立した阿弥陀堂は? 中尊寺金色堂 アレクサンダー大王がダレイオス3世率いるペルシャ軍を壊滅させた戦いは? ガウガメラの戦い 「雨月物語」を読んだときの心情を詠った北原白秋の和歌は? 寂しさに「秋成が書読みさして」庭に出でたり白菊の花 5世紀に「ローマ法大全」を編纂したことで有名な東ローマ帝国の皇帝は? 「ユスティニアヌス」1世 旧ソ連のノーベル賞作家ソルジェニーツィンの代表作の? イワン・「デニソビッチ」の一日 「ガン病棟」「収容所群島」などの小説を書いた旧ソ連のノーベル賞作家 ソルジェニーツィン 「小倉百人一首」に収められた藤原実方の和歌は? かくとだに「えやはいぶきの」さしも草さしも知らじなもゆる思ひを 「小倉百人一首」に収められた持統天皇の和歌は? 春すぎて「夏来にけらし」白妙の衣ほすてふ天の香具山 「小倉百人一首」に収められた山部赤人の和歌は? 田子の浦に「うち出でてみれば」白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ 「小倉百人一首」に収められた藤原定家の和歌は? こぬ人をまつほの浦の夕なぎに「焼くやもしほの」身もこがれつつ 「小倉百人一首」の中の文屋康秀の歌は? 吹くからに秋の草木の「しをるればむべ山風」をあらしといふらむ 「小倉百人一首」の中の紫式部の歌は? めぐりあいて見しや「それともわかぬまに」雲がくれにし夜半の月かな 「小倉百人一首」収録の順徳院の和歌は? ももしきや古き軒端のしのぶにもなほ「余りある昔なりけり」 順徳院による「小倉百人一首」第百首目の歌は? ももしきやふるき軒端のしのぶにも「なほあまりある」昔なりけり 「小倉百人一首」に収められた清少納言の和歌は? 夜をこめて鳥のそらねははかるともよに「逢坂の関はゆるさじ」 「小倉百人一首」に収められた清原元輔の和歌は? 契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山「波こさじとは」 「小倉百人一首」に収められた源融の和歌は? みちのくの「しのぶもぢずり」誰ゆえにみだれそめにし我ならなくに 「小倉百人一首」に収められた紀貫之の和歌は? 人はいさ心も知られずふるさとは花ぞむかしの「香ににほひける」 「小倉百人一首」に収められた小野小町の和歌は? 花の色は 移りにけりな いたづらに我身世にふる 「ながめせしまに」 「小倉百人一首」に収められた天智天皇の和歌 秋の田の「かりほの庵の」苫をあらみわが衣手は露にぬれつつ 「小倉百人一首」に収められた和泉式部の歌 あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの「あふこともがな」 「小倉百人一首」に収められた小式部内侍の和歌は? 大江山いく野の道の遠ければ「まだふみも見ず」天の橋立 「小倉百人一首」に収められた坂上是則の和歌は? 朝ぼらけ有明の月とみるまでに「吉野の里にふれる」白雪 「小倉百人一首」に収められた柿本人麻呂の歌は? あしびきの山鳥の尾のしだり尾のながながし夜を「ひとりかも寝む」 1928年に調印された不戦条約は取りまとめた2人の外交官の名前から別名「何条約」という? 「ケロッグ・ブリアン」条約 いままで一緒にいた人と別れることを着物の「ある部分」を使って何という? たもとを分かつ フランス語で「非定型」という意味がある1950年代に起きた画家ジャン・デュビュッフェらを中心とした前衛美術運動は? アンフォルメル 8世紀に西ヨーロッパの大部分を支配した国は? フランク王国 世界有数のゴッホのコレクションを誇る、アムステルダム郊外の町オッテルローにある美術館は? 「クレラー・ミュラー」美術館 鮑は二枚貝の片方だけに見えるところから来た自分だけが相手を慕っている状態を表した言葉といえば? 磯の鮑の片思い 前言に反する発言をした相手を非難する時に用いる「言い終えてすぐに」という意味の言葉は? 舌の根の乾かぬうち パレスチナからメソポタミアに至る、農耕文明の成立地帯を何という? 肥沃な三日月地帯 ネロ帝死去後の内乱を平定し69年にローマ皇帝となった人物で75年にコロセウムの建設を開始したことで知られるのは誰? ウェスパシアヌス 「大多数」「過半数」を意味する英単語は? majority かつて13星座で有名になったへびつかい座のモデルとされるギリシャ神話の人物は? アスクレピオス 哲学で用いられる「後天的、経験的な」という意味があるラテン語は何? ア・ポステリオリ 1817年にドイツの学生たちが結成した自由主義の同盟でオーストリア外相メッテルニヒによって弾圧されたのは? ブルシェンシャフト 1949年にソビエト連邦初の核実験が行われた場所は現在のカザフスタンにある何核実験場? 「セミパラチンスク」核実験場 殖産興業の政策のなかで1870年に設立されたアジア最大の規模を誇った兵器工場といえば? 大阪砲兵工廠 人生には、よいことも悪いこともあるので一喜一憂することはないという故事成語は何? 人間万事塞翁が馬 オペラ「ラ・ボエーム」の原作である「ボヘミアン生活の情景」を書いた19世紀フランスの小説家は? アンリ・「ミュルジェール」 ある植物を用いた、疑いをかけられるような行いは避けるべきだという意味の言葉は何? 瓜田に履を納れず アイルランドの首都・ダブリンにはその像が建っているケルト神話に登場する半神半人の英雄は? クー・フーリン アメリカ先住民の娘ポカホンタスと結婚したイギリス人開拓者で北米でタバコの栽培に最初に成功したとされる人物 ジョン・ロルフ 中沢新一の著作のタイトルにもなっているアメリカ先住民族の神話に登場するカイツブリが主人公の大地創造伝説といえば? アースダイバー 江戸幕府が開かれて以来出されてきた法令を集めて徳川吉宗が編纂させた法令集を何という? 御触書寛保集成 江戸幕府の第8代将軍徳川吉宗を主人公とした津本陽の歴史小説は? 大わらんじの男 レンブラントの代表作である「テュルプ博士の解剖学講義」を収蔵するオランダの美術館 「マウリッツハイス」美術館 物事の真理などを霊的な感覚によって把握しようとする、「神秘主義」を意味する英単語は? MYSTICISM 現地のあいさつで「こんにちは」を意味する、グアムやサイパンで買い物の割引などに使うカードの名前にもなっている言葉 ハファダイ 第二次世界大戦中の1941年にポーランドで起きたユダヤ人の大量虐殺事件 「イェドヴァブネ」事件 マラソンの由来となった紀元前490年のマラトンの戦いでアテナイ軍を率いてペルシア軍を破った軍人は? ミルティアデス 紀元前490年に起きたマラトンの戦いでペルシャ軍を破ったアテナイの将軍は? ミルティアデス マケドニア国王カッサンドロスによって建設され、7世紀以降ビザンツ帝国第2の都市として栄えたのは? テッサロニキ 宗教改革で有名なルターはドイツの何大学の教授だった? 「ヴィッテンベルク」大学 時期に遅れたものを仏教における法会の場面にたとえた言葉 会に逢わぬ花 イギリスの思想家ジョン・ロックが提唱した、何も経験していない人間の精神状態のことを「白紙」を意味する言葉で表したもの タブラ・ラサ 著書「市民政府二論」で知られるイギリスの経済論哲学者 ジョン・ロック 紀元後を表す「A.D」はラテン語で「我らが主の年」を意味する、何という言葉の略? アンノドミニ 宮城谷昌光の小説のタイトルにもなっている、珍しい財物は蓄えておき高値になるのを待つのが良いという意味の故事成語は? 奇貨居くべし 洪秀全が建国した太平天国がめざした土地の均分政策 天朝田畝制度 鎌倉幕府の執権・北条時宗がモンゴル軍の襲来に備えるため九州の御家人に命じた役職は? 異国警固番役 アルゼンチン、チリ、ペルーなどの南米の国を解放したラテンアメリカ独立運動の指導者は? サン・マルティン 日本語としても定着している「真面目な」という意味の英単語は? serious ドイツ、ロマン派の作家シャミッソーの代表作 ペーター・「シュレミール」の不思議な物語 自分で設計したグライダーで2000回以上の飛行実験を行なうも最後は墜落死してしまった19世紀ドイツの技術者は? リリエンタール スパルタを破ったことで知られる古代ギリシャ・テーベの将軍 エパミノンダス ナチスのメンバーだったルドルフ・ヘスの恩師としても知られるミュンヘン大学教授で地政学の大家として有名なのは? ハウスホーファー 表面上は相手の利益を図っているように見せ掛けて実際には自身の利益を図っている様子を表した言葉は? おためごかし 18世紀、イギリス領マドラスとフランス領ポンディシェリの間で争われた植民地戦争は? 「カーナティック」戦争 現在のオランダ国歌にも歌われる、1581年にネーデルランド連邦共和国を独立に導いた総督は? オラニエ公ウィレム 1890年に和歌山県の紀伊大島沖で遭難したオスマン帝国の軍艦で日本人の献身的な救助活動がトルコとの友好を築いたのは? エルトゥールル号 1318年末から翌年にかけ執権・北条高時が行わせた題目宗の僧・日印と他の諸宗による論争を何という? 鎌倉殿中問答 生体実験や生体解剖を行った旧日本陸軍の関東軍防疫給水部の秘匿名は? 七三一部隊 三重苦に苦しめられていたヘレン・ケラーを家庭教師として支えた女性は? アン・サリバン その業界の人にしか通用しない専門用語、符丁、隠語のことを英語でいった言葉 ジャーゴン 作家・北杜夫のペンネームの由来になった、ドイツの作家トマス・マンの小説は? トニオ・クレーゲル ドイツの精神病院を舞台にした作家・北杜夫が芥川賞を受賞した小説のタイトルは? 夜と霧の隅で 在原業平の有名な和歌は? 世の中に絶えて桜のなかりせば春の心は「のどけからまし」 小説「ドン・キホーテ」を書いたスペインの作家は? ミゲル・デ・「セルバンテス」 スペインの作家セルバンテスの小説「ドン・キホーテ」でドン・キホーテと共に旅をする従者の名前は? サンチョ・パンサ インドネシア語で「日本人の店」という意味の、戦前の旧ジャワで日本人が構えた商店 トコ・ジュパン エジプト・アレキサンドリアの観光名所となっている紀元前250年頃の墳墓群 アンフシ ダンテの「神曲」には地獄の案内人として登場している叙事詩「アエネイス」で有名な古代ローマの詩人は? ヴェルギリウス 14世紀ごろからフィレンツェを支配し、ローマ教皇を輩出した一族は? メディチ家 イタリアの画家ウッチェロがメディチ家の依頼で描いた三連作の絵画は? 「サン・ロマーノ」の戦い 916年に即位した中国・遼の初代皇帝は? 耶律阿保機 「人さまざま」などの作品で知られる17世紀フランスのモラリスト ラ・ブリュイエール 江戸時代中期の地理学者長久保赤水が作成した日本初の経緯線入りの地図 「改正日本輿地路程」全図 軍制改革を行って職業軍人を誕生させた古代ローマの政治家は? ガイウス・マリウス 立体感を表現するために明暗をはっきりと対比させて描くレオナルド・ダ・ヴィンチが確立させたといわれる絵画技法は? キアロスクーロ レオナルド・ダ・ヴィンチもデッサンに使用したというカメラの原型となった装置は? カメラ・「オブスキュラ」 レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作「白テンを抱く貴婦人の肖像」を所蔵しているポーランドの美術館は? 「チャルトリスキ」美術館 円と正方形に人間が接しているレオナルド・ダ・ヴィンチが描いた有名なスケッチの名前は? 「ウィトルウィウス」的人体図 2012年9月にジュネーブで一般公開された、名画「モナ・リザ」のオリジナル版ともいわれる絵は? 「アイルワース」のモナ・リザ レオナルド・ダ・ヴィンチの代表作「白テンを抱く貴婦人の肖像」を所蔵しているポーランドの美術館 「ツァルトリスキー」美術館 第一次世界大戦に参戦する志願兵パウル・ボイメルを主人公とした、ドイツ出身の作家レマルクの小説は? 西部戦線異状なし ドイツの作家レマルクの小説「西部戦線異状なし」の主人公である志願兵の名前は? パウル・ボイメル 代表作に「凸面鏡の自画像」「長い首の聖母」などがある16世紀前半に活躍したイタリアの画家 パルミジャニーノ 1960年に安保闘争のデモに参加して22歳で死亡した女子大生・樺美智子が残した遺稿集 人しれず微笑まん ビクトル・ユーゴーの小説「ノートルダム・ド・パリ」で主人公カジモドが恋に落ちるジプシー娘の名前は? エスメラルダ 「念を入れすぎ、かえって大切な部分をだめにしてしまう」ことを仏像作りに例えて言った言葉 彩ずる仏の鼻をかく いわゆる「冬戦争」でソ連の侵略と戦いフィンランドの独立を保った第二次大戦終結時の大統領 マンネルヘイム 洪秀全が組織した革命組織「太平天国」が唱えたスローガン 滅満興漢 先攻部隊が敵をおびき出し茂みに多数の伏兵を隠した場所に誘い込んで一気に討つという島津家が得意とした戦法は? 釣り野伏せ 「少年探偵カッレくん」や「長靴下のピッピ」シリーズで有名なスウェーデンを代表する女流児童作家は? リンドグレーン 紀元前386年にスパルタがペルシャと結んだ屈辱的条約は? 「アンタルキダス」の和約 日本神話で天岩戸にこもった天照大神を誘い出すため笹の葉を持って一心不乱に踊った女の神 天宇受売命 1941~42年にナチスドイツとソ連の間で繰り広げられた激戦で知られるクリミア半島の要塞 「セバストポリ」要塞 西欧がイスラムの影響を受けたことを「マホメットなくしてシャルルマーニュなし」と表現したベルギーの歴史学者 アンリ・ピレンヌ 足利義満に仕えた日明貿易で活躍した商人は? 楠葉西忍 藤原道長の有名な和歌は? この世をばわが世とぞ思ふ望月の「かけたることも」なしと思へば 「クラクションを吹き鳴らせ」「滑稽なミステリー」などの作品がある、1997年にノーベル文学賞を受賞したイタリアの劇作家 ダリオ・フォ 本姓は杉木という沼田城主・真田信利の横暴を江戸幕府へ命と引き換えに訴え出た上野国の義民は? 磔茂左衛門 中国からイギリスまで紅茶を運ぶ「ティークリッパー」として活躍した、19世紀に建造され当時世界最速を誇った帆船は? カティーサーク 2007年に焼失したが、ロンドン五輪までに復元されることとなった、19世紀に活躍した当時の「世界最速の帆船」 カティーサーク フィリップ・カウフマン監督によって映画化もされた小説「存在の耐えられない軽さ」で知られるチェコ出身の作家 ミラン・クンデラ 筑紫を離れる悲しさを詠んだ大伴旅人の有名な和歌 ますらをと思へる我や水茎の「水城の上に涙拭はむ」 第二次大戦のアメリカ軍で日系人のみで編成された部隊 442部隊 信長が倒れた直後、窮地に陥った徳川家康の伊賀越えを救ったことから、江戸幕府御用商人となった人物は? 茶屋四郎次郎 作家のバージニア・ウルフも参加した、1905年に結成されたイギリスの芸術家グループ 「ブルームズベリー」・グループ アンコールトムを建てた人物 「ジャヤバルマン」7世 アンコール・ワットの建造を命じた王 「スールヤバルマン」2世 1309年から77年までの間教皇庁がアヴィニヨンに移りフランスの支配下にあったことを古代の事件になぞらえ何という? 教皇のバビロン捕囚 福岡美術館が所蔵している20世紀スペインの画家サルバドール・ダリの作品 「ポルト・リガト」の聖母 1847年に調印された米墨戦争のカリフォルニアでの戦いを終結させた条約 カフエンガ条約 カトリック修道会イエズス会の別名は? ジェズイット教団 「無刀取り」の術を編み出したといわれる柳生新陰流の開祖といえば? 柳生石舟斎宗厳 ラテン語や音楽などの一般教養を生徒に課した、イエズス会が戦国時代に設立した日本人聖職者を養成するための神学校は? セミナリオ 「ありがとう」をイタリア語で言った言葉 グラツィエ 何かするついでに別の用事をすますことを昔の馬子の仕事ぶりにたとえて言った言葉 行きかけの駄賃 文章の中に隠された深い意味まで一度読んだだけでつかんでしまうことを、眼という字を使って何という? 眼光紙背に徹す ストウ夫人の小説「アンクル・トムの小屋」で主人公・トムを冷酷に扱う奴隷商人の名前は? サイモン・レグリー 1848年と1863年の2度デンマークとプロイセン王国が争ったのは? 「シュレスヴィヒ」・ホルシュタイン戦争 フランス語で「なすにまかせよ」という意味がある、資本主義の前期にヨーロッパで取られた「自由放任主義」を何という? レッセ・フェール ヘンリー・オルコットと共に1875年ニューヨークに神智学協会を設立した霊媒師は? 「ブラヴァッキー」夫人 「隣人」や「仲間、同胞」を意味する英単語は? neighbor 太宰治の小説「走れメロス」でメロスの代わりに人質となるメロスの親友の名前は? セリヌンティウス 作者の自殺により未完のままに終わっている太宰治の絶筆となった小説 グッド・バイ 東大生の佐野、音楽学校の馬場作家の太宰などが登場する1937年に出版された太宰治の小説は? ダス・ゲマイネ 初めて公式に「スルタン」の称号が与えられたセルジューク朝の始祖 トゥグリル・ベグ 最後の遣唐使に従って唐に渡った円仁が著した見聞録の題名 入唐求法巡礼行記 894年、菅原道真の意見により廃止された中国への使い 遣唐使 1831年にバージニア州で起こったアメリカ史上に残る大規模な奴隷反乱を、指導者の名前から何という? 「ナット・ターナー」の反乱 黒人奴隷の反乱事件を描いてピュリッツァー賞を受賞したウィリアム・スタイロンの小説 「ナット・ターナー」の告白 1876年にオスマン帝国の国王となり、アジア初の近代的憲法「ミドハト憲法」を発布した人物は? 「アブデュルハミト」2世 油絵技法を完成したといわれる14世紀から15世紀に活躍したフランドルの兄弟画家は? 「ファン・アイク」兄弟 権力者の発言は取り消しがきかないということを汗が体内に戻らないことにたとえた成語で何という? 綸言汗の如し 19世紀前半のオーストリアとドイツで見られた装飾が控えめで簡素な市民が中心となって生まれた美術様式は? ビーダーマイヤー 「金や鉱石すら溶かすほどの厳しい暑さ」を表す四字熟語は? 流金鑠石 明治時代の私擬憲法のひとつで明治の思想家・植木枝盛が起草したと考えられているもの 東洋大日本国国憲按 サッコ・ヴァンゼッティ事件に着想を得て書かれた、アメリカの劇作家、マックスウェル・アンダーソンの代表作は? ウィンターセット 現存する最古の地球儀を製作したドイツの地理学者 マルチン・ベハイム 「世界の半分」と呼ばれたサファヴィー朝の都 イスファハーン 小説「南国に日は落ちて」「蜘蛛女のキス」で有名なアルゼンチンの作家 マヌエル・プイグ 天平文化の代表的工芸品で正倉院に納められた楽器 螺鈿紫檀五弦琵琶 紀元前2世紀頃から普及した古代ローマ時代の大土地所有制 ラティフンディウム 中国四大奇書のひとつ「金瓶梅」の作者だといわれている人物の名前は? 蘭陵笑笑生 崇徳院の霊を奉った白峰御陵を詣でた西行が詠んだ有名な和歌 よしや君「昔の玉の床とても」かからむ後は何かはせむ 三大神の1人・ヴィシュヌの妻とされている、美と豊穣と幸運を司るインド神話の女神は? ラクシュミ 「死と乙女」「家族」などの代表作がある20世紀初頭に活躍したオーストリアの画家は? エゴン・シーレ 大日本帝国憲法の起草にあたって大きな影響を与えたドイツ人の法律顧問 ロエスレル ローマ五賢帝の最後の皇帝マルクス・アウレリウス・アントニヌスは、中国では何と呼ばれた? 大秦国王安敦 第二次世界大戦中の1942年にロンメル率いるドイツ軍がアフリカ戦線で大敗した戦い 「エル・アラメイン」の戦い 天山山脈の麓に位置する中央アジアの国・カザフスタン最大の都市 アルマトイ 世界遺産「古代都市テーベとその墓地遺跡」にその葬祭殿がある古代エジプト第18王朝の女性ファラオは? 「ハトシェプスト」女王 パガン朝、タウングー朝の次にビルマを統一した、コンバウン朝とも呼ばれる王朝の名前は? アラウンパヤー朝 「イクナートン」と自称した古代エジプト第18王朝の王は? アメンホテップ4世 民謡「アロハオエ」の作者としても知られるハワイ王朝の最後の女王は? リリウオカラニ 平安時代に成立した有名な歌物語「伊勢物語」の別名は? 在五中将物語 「伊勢物語」に出てくる桜を詠んだ有名な歌 「散ればこそいとど」桜はめでたけれうき世になにか久しかるべき フィンランドの民族叙事詩「カレワラ」に登場する主人公の名前は? ワイナミョイネン ナチス突撃隊を組織・指導した人物で後にヒトラーと対立し「長いナイフの夜」と呼ばれる事件によって粛清された人物 エルンスト・レーム 人間の思考は使う言語によって規定されるという説を、それを唱えた2人の言語学者の名から何という? 「サピア・ウォーフ」仮説 ウィツィロポチトリの母であるアステカ神話の女神で、スペインがメキシコで布教した際には聖母マリアと一体化させたのは? コアトリクエ 文化の神・ケツァルコアトルのライバル的な存在とみなされるアステカ神話で夜を司る神は? テスカトリポカ 2009年に、約3000年前の縄文人の骨が大量に出土され話題となった奈良県の遺跡 観音寺本馬遺跡 1937年のパリ万博電気館に出品した巨大壁画「電気の精」で有名な野獣派の画家 ラウル・デュフィ 中国・唐代の雲門禅師が唱えたこだわりを捨て去り、一日一日をありのまま清々しい気持ちで送るという意味の言葉は? 日々是好日 明治時代の俳人・正岡子規の有名な句は? をとといの糸瓜の「水もとらざりき」 俳人・正岡子規の有名な句は? 糸瓜咲いて「痰のつまりし仏かな」 明治時代の俳人・正岡子規の有名な俳句は? 柿食えば「鐘が鳴るなり法隆寺」 近代における短歌のあり方を提言し、短歌の革新を訴えた1898年に出版された正岡子規の著書は? 歌よみに与ふる書 「あくびをする者」という意味があった、アパッチ族の戦士・ジェロニモの本名は? ゴヤスレイ 3世紀頃の日本の記述がある中国の書物は? 魏志倭人伝 アヘン戦争中の1841年に清とイギリスの間に結ばれた条約は? 川鼻仮条約 明治初期に起こった不平士族の反乱のうち、1876年に熊本で起こったものを何という? 敬神党の乱 フランスのナポレオン3世とサルディニア王国のカブールが1858年に結んだ密約は? プロンビエール密約 代表作に「女」シリーズがあるジャクソン・ポロックと並んで抽象表現主義の旗手と呼ばれたオランダ生まれの画家 デ・クーニング マティスやルオーらの作品を見て「まるで野獣のようだ」と評し「野獣派」という言葉が生まれるきっかけを作った批評家は? ルイ・ボークセル 曹洞宗を開いた道元の弟子・懐奘が師匠の言行を筆録した書物を何という? 正法眼蔵随聞記 1919年に設立されたドイツの美術学校バウハウスの初代校長を務めたドイツの建築家 ヴァルター・「グロピウス」 1937年、アメリカのシカゴにニュー・バウハウスを設立したハンガリー生まれの写真家 ラスロ・「モホリナギ」 爆発問題の所属事務所・タイタンの名前の由来となったSF小説「タイタンの妖女」を書いた作家 カート・「ヴォネガット」 大海や大河はどんな小川の水をも受け入れることから、大きな度量を持つ人物は分け隔てなく他人を包容することを意味する表現は? 河海細流を択ばず 「ノルマンディ号」などのポスターのデザインで有名な1920年代から1930年代にかけて活躍したデザイナーは誰? カッサンドル 出来損ないだった最初の人類を滅ぼすために天から降り立ち、それを貪り食ったというマヤ神話に登場する邪神の名 コッツバラム 暴君として有名な越前国福井藩主を主人公とした菊池寛の小説は? 忠直卿行状記 1500年に琉球の王府に対し乱を起こして敗れた八重山の豪族 オヤケアカハチ 首都をアンティオキアに置いた紀元前312年~62年まで現在のイランを中心に栄えた王国は? セレウコス朝シリア 江戸時代の廻船業者高田屋嘉兵衛の生涯を描いた司馬遼太郎の小説 菜の花の沖 何事も実際に経験して判断せよという意味の言葉で「馬には乗ってみよ」。さて、それに続く言葉は何? 人には添うてみよ 死後に他者へ渡るのを嫌がって切腹時に破壊したとも言われる戦国時代の武将・松永久秀が所有していた有名な茶釜は? 古天明平蜘蛛 1787年、本居宣長が紀伊藩主の徳川治貞に提出した政治経済論のタイトルは? 秘本玉くしげ 石川啄木の有名な和歌は? 東海の小島の磯の白砂に「われ泣きぬれて蟹」とたわむる 石川啄木の有名な和歌は? ふるさとのなまりなつかし停車場の「人ごみの中にそを」聴きにゆく 様々なものを見る良さのことを、仏教用語から転じた「なぐさみ」を意味する言葉を使って何という? 見るは法楽 現代のギリシャで使用されているギリシャ語の文語のことを何という? カサレヴサ 「古今和歌集」にある藤原敏行の有名な和歌といえば? 秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の「音にぞ驚かれぬる」 1936年にピカソと出会いその後約10年間、ピカソの愛人として生活を共にした旧ユーゴ生まれの芸術家は? ドラ・マール イギリスの使節マカートニーが清の乾隆帝に要求され拒否した謁見の作法 三跪九叩頭の大礼 中国で皇帝に謁見する際に行われた頭を9回床につける礼法 三跪九叩頭 フランス語で母音に付加される記号 アクサン・「シルコンフレックス」 リルケの小説「マルテの手記」の主人公マルテのモデルとなった19世紀ノルウェーの詩人 オプストフェルデル 北欧神話の主神オーディンの娘でジークフリートと夫婦となるも別れ、最後はジークフリートを殺して自害してしまうのは? ブリュンヒルデ 初代皇帝ヌルハチの死去に伴い1626年に中国・清の第2代皇帝となった人物 ホンタイジ ワーグナーの楽劇の題材にもなった、13世紀初頭に書かれた中世ドイツの英雄叙事詩は? 「ニーベルンゲン」の歌 13世紀ドイツの英雄叙事詩「ニーベルンゲンの歌」でジークフリートが殺された後にその敵を討つ彼の妻の名前は? クリームヒルト フランス王シャルル7世の下財務長官として経済改革に努めた大商人の名前 ジャック・クール 「史記」にある伍子胥という人物の行為に由来する亡くなった人をおとしめる意味の表現といえば? 死屍に鞭打つ 「史記」に由来する、「法の規定がおおまかであるために大罪人を逃してしまうこと」をたとえた言葉は? 網呑舟の魚を漏らす 日本語では「音位転換」という「さんざか」が転じて「さざんか」になるような言語学上の現象 メタセシス 「長崎新令」とも呼ばれる江戸時代の長崎貿易における金銀流出を抑えるため、1715年に出された法令 海舶互市新例 ろばに変身したルキウスを主人公とした小説「変容」で有名な、古代ローマ時代の作家は? アプレイウス 1993年に黒人女性として初めてノーベル文学賞を受賞したアメリカの作家 トニ・モリスン 1898年、アフリカ横断政策をとるイギリスと、アフリカ縦断政策をとるフランスがスーダンで激突した事件を何という? ファショダ事件 「シューマンを聴きながら」「私は私自身に扉を閉ざす」などの作品で有名なベルギーの画家 フェルナン・「クノップフ」 1938年11月9~10日に行われたナチスによるユダヤ人の迫害事件を何という? クリスタルナハト 1241年にモンゴル軍がドイツ・ポーランド連合軍を破った戦いが行われた場所は? 「ワールシュタット」の戦い 紀元前3世紀頃のインドでグナーディヤが自らの血で書いたとされる原書は紛失し伝本しか残ってない幻の大説話集 ブリハットカター 8~9世紀にインドネシアのジャワ島に栄えた王国 シャイレンドラ朝 別名を老世寧といった、中国の清朝に仕えたイエズス会宣教師 カスティリオーネ 「親が子を思う心はとても深い」ということを、2種類の鳥を用いて何という? 焼け野の雉子夜の鶴 クスコに都を置いた南米・アンデス山脈の山中に栄えた国は? インカ帝国 このインカ帝国の遺跡を発見したアメリカの歴史家は?(マチュピチュの画像) ハイラム・ビンガム かつて南米に栄えたインカ帝国の正式名称は? タワンティンスーユ アレクサンドル・デュマの小説「ダルタニャン物語」三部作 三銃士、二十年後、「ブラジュロンヌ」子爵 「Adversity makes a man wise」という西洋の言葉を意訳した人は多くの苦しみを経て立派になることを意味する言葉は? 艱難汝を玉にす 人間は様々な苦労を乗り越えて立派になるということを玉を磨き上げることにたとえて何という? 艱難汝を玉にす 紀元前69年朝鮮半島に新羅を建国し初代国王となった人物 赫居世居西干 「観音」が「かんおん」から「かんのん」になるように発音上言いやすいように子音を加える言葉の変化 語中音添加 史上初のイスラム教・シーア派の国家で、788年モロッコにできた王朝 イドリース朝 1世紀頃に成立したとされる南海貿易についてギリシャ語で書かれた書物のタイトル 「エリュトゥラー」海案内記 中国では「華氏城」と呼ばれインドのマウリヤ朝やグプタ朝で繁栄した都は? パータリプトラ ケルト神話に登場する光の神ルーが海の神より与えられた「報復する者」という意味がある伝説の剣の名前は何? フラガラッハ 「ディープエコロジー」の提唱者として世界的に有名な2009年に亡くなったノルウェーの哲学者 アルネ・ネス 1333年に即位し、クラクフにヤゲロー大学を創設するなどポーランド王国の発展に尽力した国王は? 「カジミェシュ」3世 北欧神話で人間の住む世界ミズガルズの周囲の海に潜み、自分の尻尾をくわえて取り囲んでいる蛇の名前は? ヨルムンガンド 後に咸臨丸となる軍艦ヤパン号を率いて来日したオランダの海軍軍人は? カッテンダイケ 主人公の男性経験を赤裸々に描いた1973年のベストセラー「飛ぶのが怖い」で有名なアメリカの作家 エリカ・ジョング 新約聖書においてキリストを裏切ったと書かれている弟子の1人は? 「イスカリオテ」のユダ オランダの絵本作家ディック・ブルーナが生んだキャラクター、ミッフィーの原語名 「ナインチェ」・プラウス レンブラントの代表作である「デュルプ博士の解剖学講義」を収蔵するオランダの美術館 「マウリッツハウス」美術館 鼻の大きな主人公とロクサーヌとの恋愛を描いた、フランスの作家ロスタンの戯曲は? シラノ・ド・「ベルジュラック」 鼻の大きなシラノと従姉妹のロクサーヌの恋愛を描いた戯曲「シラノ・ド・ベルジュラック」で有名なフランスの劇作家は? エドモン・ロスタン エドモン・ロスタンの小説「シラノ・ド・ベルジュラック」で主人公が恋する女性の名 ロクサーヌ 代表作に「大予言者カルキ」や同性愛を扱ったことから物議を醸した「都市と柱」で有名な人物 ゴア・ヴィダル ツルゲーネフの小説「初恋」で主人公のウラジミールが恋する年上の少女の名前 ジナイーダ 著書に「知覚の現象学」があるフッサールの現象学に大きな影響を受けた、実存主義を代表するフランスの哲学者 メルロ・ポンティ 高倉健主演で映画化された小説「幸福の黄色いハンカチ」の原作者である、アメリカの作家・ジャーナリストは? ピート・ハミル 829年に空海が開いた日本最初の私塾 種智芸綜院 南部生まれの黒人である主人公が受ける人種差別や屈辱を描いた小説「見えない人間」で有名なアメリカの黒人作家は? ラルフ・エリスン 「健全な精神は健全な肉体に宿る」という言葉を残した「風刺詩集」で知られる古代ローマの詩人 ユウェナリス プッチーニのオペラ「トスカ」に登場するトスカの恋人 カバラドッシ 「漢書 蕭望之伝」が出典である強く希望し、ひどく待ち焦がれる様子を表す故事成語 頸を延べ踵を企つ 世界最古の叙事詩「ギルガメシュ叙事詩」に登場する、サソリの尾を持つ人間の姿をした怪物は? ギルタブルル 1930年の第1回はアンドレ・マルローの「王道」が受賞したフランス五大文学の賞 「アンテラリエ」賞 フランスの芸術家マルセル・デュシャンが創作活動をする際に使った女性名のペンネーム ローズ・セラヴィ フランス語で「黄金分割」という意味がある、1912年にレジェやデュシャンが創設したキュビスムの抽象化を推進するグループ セクシオンドール 1945年に終戦処理内閣を組織して首相に就任した皇族は? 東久邇宮稔彦王 「羽のある蛇」を意味する古代メキシコの伝説上の支配者を何という? ケツァルコアトル アルメニアの石油王の名前がついた、ルネ・ラリックの作品で有名なリスボンにある美術館は? 「グルベンキアン」美術館 ポルトガルのリスボンにあるルネ・ラリックのガラス工芸品のコレクションで有名な美術館は? 「グルベンキアン」美術館 香水商フランソワ・コティの注文で多くの香水瓶をデザインしたアール・ヌーボー、アール・デコで活躍したガラス工芸家は? ルネ・ラリック 古代ギリシャにおいて複数の共同体が集まって都市国家を形成したことを何という? シノイキスモス ヘレニズム三国時代のマケドニアは何朝? アンティゴノス朝 1933年にポルトガルの首相サラザールが成立を宣言したポルトガル語で「新国家」という意味がある独裁政権は? エスタド・ノヴォ 鎌倉時代の武将・源為朝が琉球王国を再建するという内容の曲亭馬琴が書いた江戸時代の読本 椿説弓張月 様々な角度からよく見るという意味の、二つの動詞の連用形から来ている言い回しは? ためつすがめつ プーシキン美術館が所蔵するフランスの画家ゴーギャンの代表作 彼女の名は「ヴァイルマティ」といった 著書に「知覚の現象学」があるフッサールの現象学に大きな影響を受けた、実在主義を代表するフランスの哲学者 メルロ・ポンティ 中世を舞台に、リチャード1世やロビンフッドたちの活躍を描いたウォルター・スコットの小説は? アイヴァンホー ロビン・フッドも登場するスコットランドの作家ウォルター・スコットの歴史小説は? アイヴァンホー インド南部のケララ州などで話されている言語 「マラヤーラム」語 評論などでよく使われる特に悪意を持たない無視や黙認のこと ビナインネグレクト 小説「ガリバー旅行記」でガリバーが旅の途中で訪れた巨人の国の名前は? ブロブディンナグ 巨人の国や馬の国が登場するジョナサン・スウィフトの小説のタイトルは? ガリバー旅行記 太平洋戦争中の1943年2月に陸軍省が戦意昂揚のために配ったポスターに書かれていた標語は? 撃ちて止まむ 太平洋戦争中の1941年に日本軍に通達された文書「戦陣訓」の中の有名な言葉は? 「生きて虜囚の辱め」を受けず 古代ローマ帝国がポエニ戦争で勝利した後にイタリア半島以外に獲得した海外植民地 プロウィンキア アメリカの哲学者ウィリアム・ジェームズらによって広められた哲学思想で「実用主義」と訳される言葉 プラグマティズム フェリックス・ガタリとの共著「アンチ・オイディプス」や「千のプラトー」で有名なフランスの哲学者 ジル・ドゥルーズ チェコ生まれのイギリスの劇作家トム・ストッパードの代表作 ローゼンクランツと「ギルデンスターン」は死んだ 1885年に発表された、ドイツの哲学者・ニーチェの代表的な著書は? 「ツァラトゥストラ」はかく語りき チェブラーシカの生みの親であるロシアの児童文学作家 ウスペンスキー 宗教改革でスコットランドのカルヴァン派を示した言葉 プレスビテリアン 文房具の万年筆のことを英語でいった言葉 「フォウンテン」ペン 「Madam,I'm Adam.」がその代表例とされる前からでも後からでも同じ読みになる英語の文 パリンドローム 304年から439年にかけて中国の華北に建てられた国々を何という? 五胡十六国 猫から見た人間の世界を描いた夏目漱石の小説は? 吾輩は猫である 夕日に照らされて美しく染まる菜の花畑の様子を詠んだ、夏目漱石の句は? 菜の花の「中へ大きな入日かな」 鎌倉時代、書道の一派である青蓮院流を創始した伏見天皇の皇子といえば? 尊円入道親王 真夏の空にそびえる入道雲の重量感を詠んだ夏目漱石の句は? 「雲の峰雷を封じて」聳えけり 公家出身で、桂太郎と交互に政権を担った日本の元首相は? 西園寺公望 夏目漱石が当時の首相西園寺公望におくった有名な俳句は? 時鳥厠「半ばに出かねたり」 江戸前期の画家・久隅守景の代表作である寛永期文化の絵画の題名 夕顔棚納涼図屏風 「学問は途中でやめてしまっては意味がない」という意味の言葉を、ある歴史上の人物のお母さんの故事から何という? 孟母断機の戒め 1873年に来日したフランスの法学者で、刑法や民法の起草など日本の近代法の整備に貢献したのは誰? ボアソナード 詩人フレデリック・ミストラルらによって、1854年に創設されたプロヴァンス語の保護を目的とする団体の名前 フェリブリージュ 「ちゅだみぃや、どぅーだみぃ」と読む、「情けは人の為ならず」と同じ意味の沖縄のことわざは? 人為や我為 長年の苦労がちょっとした失敗のために全く無駄になってしまうことを表すことわざは何? 百日の説法屁一つ 大坂夏の陣や、その前年の冬の陣の起こるきっかけとなった方広寺の鐘銘に書かれていた漢字8文字は? 国家安康君臣豊楽 大坂の役の口実となった「方広寺鐘銘事件」の原因である8文字の鐘銘とは? 国家安康、「君臣豊楽」 「縛られたプロメテウス」などの作品で知られる、「古代ギリシャ三大悲劇詩人」の1人といえば? アイスキュロス 代表作に「アンドロマケ」「メディア」「オレステス」がある古代ギリシャ三大悲劇詩人の一人 エウリピデス 「メディア」「アンドロマケ」などの作品で知られる古代ギリシャ三大悲劇詩人のひとりである作家は? エウリピデス ドイツのメンヘングラートバッハにある1982年開館の美術館でアンディ・ウォーホルなど現代美術を中心に扱っている場所 アプタイベルク 1905年におこった第1次モロッコ事件におけるドイツとフランスの対立を収拾するために開かれた会議は? アルヘシラス会議 「小田原の役」の際、体中に鈴を縫いつけて戦ったことから「鈴鳴り武者」と呼ばれた戦国武将といえば? 仙石権兵衛秀久 自分が自由に操ることができる人やもののことを何という? 自家薬籠中の物 織田信長の正室は濃姫ですが信長との間に信高、信吉など3人の子供を生んだ側室は? おなべの方 本当の目的は別のところにあるという意味の言葉を戦国武将明智光秀が織田信長を破ったときの名言から何という? 敵は本能寺にあり 戦国武将・織田信長の短気さと気性の荒さを表現した、後世の人による川柳 なかぬなら「殺してしめへ」時鳥 武将・織田信長の実弟で東京の「有楽町」という地名の由来になったともいわれるのは? 織田有楽斎 1572年に武田信玄の軍が徳川家康と織田信長の連合軍を破った戦いは? 三方ヶ原の戦い 無礼を働いた茶坊主を真っ二つにした逸話でも知られる織田信長が愛用した日本刀は? 圧し切り長谷部 戦国武将・松永久秀から天下人の織田信長へと献上された、名器として当時の茶人の垂涎の的だった唐物茶入れの名前は? 九十九髪茄子 江戸時代に志賀島から出土した金印に刻まれている漢字5文字は? 漢委奴国王 2011年に、弥生時代の水田跡から国内最古のコウノトリの足跡が発見された、大阪府にある遺跡は? 「池島・福万寺」遺跡 上田敏が詩集「海潮音」の中で訳した詩「山のあなた」で有名なドイツ新ロマン派の詩人は? カール・ブッセ 上田敏訳によるカール・ブッセの詩「山のあなた」の冒頭の部分は? 山のあなたの空遠く幸「住むと人のいふ」 「正義が何かを知りながら、それをしないのは勇気がないことだ」という意味の言葉は? 義を見て「せざるは勇なきなり」 1493年にアレクサンデル6世が設定したスペインとポルトガルを分かつ境界線を何といった? 教皇子午線 日本神話で、天岩戸にこもった天照大神を誘い出すため、笹の葉を持って一心不乱に踊った女の神様 天宇受賣命 江戸時代に「廓花扇之観世水」「文武二道万石通」などの作品を書いた本名を「平沢常富」という戯作者 朋誠堂喜三二 古代メソポタミアの都市で神殿の周りに建てられたレンガ造りの塔のことを何という? ジッグラト 森の中などで見かける「どんぐり」を意味する英単語は? acorn 「表現する」「申し立てる」という意味の英単語 REPRESENT 元々は東ローマ帝国時代に建てられた大聖堂であるイスタンブールの博物館は? アヤソフィア 長寿のお祝い「古稀」の由来となった、中国の詩人・杜甫の詩「曲江詩」の一節は何? 人生七十古来稀 架空の理想郷「ザナドゥ」の名前が初めて登場したイギリスの詩人サミュエル・コールリッジの長編詩 クーブラ・カーン 見慣れたり聞き慣れていることは知らず知らずのうちに身についてしまうという意味のことわざは? 門前の小僧「習わぬ経を読む」 「歴史文学賞」の主宰や雑誌「歴史読本」で知られる出版社といえばどこ? 新人物往来社 1875年に開かれた大阪会議の結果出された、明治政府が立憲政治を人民に約束した最初の文書は? 「漸次立憲政体樹立」の詔 初期の人類が男女別居の状態に陥った時両者の調停に尽力したというナヴァホ族の創世神話に登場する知恵者のフクロウ ネエシュジャア 132年から135年にかけてローマ帝国支配に対してユダヤ属州で起きた反乱のことを指導者の名から何という? バル・コクバの乱 132年から135年にかけてローマ帝国内のユダヤ属州で起こった反乱のことを指導者の名前から何という? 「バル・コクバ」の乱 「三等列車」「洗濯女」などの作品や政治風刺漫画で有名な19世紀に活躍したフランス写実主義の画家 オノレ・ドーミエ フランスの画家マネの肖像画「バルコニー」「休息」などのモデルとして知られる女性画家でマネの弟と結婚した人物 ベルト・モリゾ キュビスムの傑作として有名なスペインの画家ピカソの作品 「カーンワイラー」の肖像 木曽義仲が倶利伽羅峠で用いた牛の角に松明をつけて襲撃する戦法を、中国・斉の武将の名をとって付いた名前 田単火牛の計 大化の改新で、中大兄皇子らが蘇我入鹿を暗殺した当時の御所は? 飛鳥板蓋宮 大化の改新の後に右大臣となった蘇我馬子の孫 蘇我倉山田石川麻呂 中臣鎌足とともに「大化の改新」を実行した人物で、後に即位して天智天皇となったのは誰? 中大兄皇子 645年、大化の改新を断行した中大兄皇子が遷都した都 難波長柄豊碕宮 フランスの哲学者・デカルトが著書「方法序説」の中で提唱した有名な命題は? 我思う故に我あり デカルトの名言「我思う、故に我あり」はラテン語の原語では何という? コギトエルゴスム 戯曲「かもめ」「三人姉妹」「桜の園」「ワーニャ伯父さん」などで有名な、19世紀ロシアの作家は? アントン・「チェーホフ」 ロシアの作家チェーホフの小説「桜の園」の主人公 「ラネーフスカヤ」夫人 ロシアの作家トルストイの小説「復活」でカチューシャと恋に落ちる青年貴族 ネフリュードフ 「どん底」「母」「幼年時代」などの作品で知られるロシアの作家 マクシム・「ゴーリキー」 1958年にノーベル文学賞を受賞した小説「ドクトル・ジバゴ」で有名なロシアの作家 ボリス・「パステルナーク」 ペチョーリンを主人公とした小説「現代の英雄」で知られる1841年に決闘により亡くなったロシアの作家は? レールモントフ 中国の書家・李遺竜の故事にちなむ経文の文字の重要性を示した言葉 一一文文是真仏 アメリカの作家フォークナーの小説「サンクチュアリ」や「響きと怒り」などの舞台となっている架空の群の名前 ヨクナパトーファ 金星音楽団に所属する音楽家を主人公とした宮沢賢治の童話は? セロ弾きのゴーシュ 家の裏手に杉の木を植える変わった子供を描いた宮沢賢治の短編作品は 虔十公園林 民衆を守るために立ち上がる火山局の技師を主人公とした宮沢賢治の小説のタイトル 「グスコーブドリ」の伝記 「正々堂々」という四字熟語のもとになった孫子の兵法といえば? 正正の旗堂堂の陣 非常に金持ちである様子を表す言葉を中国、春秋時代の2人の富豪の名を使って何という? 陶朱猗頓の富 浅田次郎の小説にも描かれた新選組・芹沢鴨と愛人・お梅の暗殺現場に居合わせたといわれている芸者は? 輪違屋糸里 「アシェンデン」「人間の絆」「月と六ペンス」などの代表作があるイギリスの作家は? サマセット・モーム 画家ゴーギャンをモデルにしたサマセット・モームの小説「月と六ペンス」の主人公 チャールズ・「ストリックランド」 1095年に開催され十字軍の派遣が決定した出来事は? クレルモン公会議 十字軍の手に落ちたコンスタンティノープルを奪回したミカエル8世が皇帝に即位した後に開いた東ローマ帝国の王朝 パレオロゴス朝 天武天皇の命により編纂が開始され、大宝律令に先立つ689年に制定された、日本の歴史上初となる律令法の名前は? 飛鳥浄御原令 1789年に現在の北海道東部で松前藩の商人への不満をもつアイヌが起こした事件の名前は? 「クナシリ・メナシ」の戦い 1789年に発生したアイヌの和人に対する蜂起 国後・目梨の戦い ここを編集
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2008-7-31(木) N社向けプログラム。AC結合を有効にしてほしいとの要望で修正してメールで送信。 お昼は日清麺職人濃厚とんこつ細麺。 月曜に修正したエンジンコントローラのバグは直っていないとの連絡。はて、訳わからん。 Y氏来社。平面/曲面検査装置についてあれこれ。 業務M関係を少し。 雷で壊れたとの連絡で含水率計のメインボード1枚の出荷検査。アレスタ付けてくださいよ~。 CM社の新型コントローラS社向けを準備。 サティで天ぷらを買って天丼。 2008-7-30(水) YS社から要望。OK/NGの表示をしないでほしいとのこと。修正してメールで送信。 お昼はイトメンのチャンポンめん。 気分転換でアンプを1台整備。 CM社から動的性能のダメだしをくらったレーザ変位計。アナログ出力の移動平均処理を追加。保護カバーも取り付け。 風邪をひいたみたい。鼻水が止まらない。 ポテトサラダと豚の生姜焼きと味噌汁を作って昨日の残りのカレーで夕食。 2008-7-29(火) 最近バックアップを取ってないなと思いサーバと外付けHDDにコピー。 お昼はマルちゃん赤いきつねうどん。 S社向けアンプのケース製作。自社のテスト用も無かったので2セットをフライスでしこしこ。 徳島のAS社からフォトインタラプトの現物が欲しいとのリクエスト。発送。 夕食はカレー。トッピングは鶏のソテーと黄身がとろとろのゆで卵ととろけるチーズ。 2008-7-28(月) 今日から暫くのあいだM工業高校のS先生が研修で来られることになった。 YS社の件。DIO部の改造した部分の動作チェック。不可解な動作をすると思ったらバグでイベントがループしていた。 お昼はマルちゃん沖縄風ソース焼きそば。 YS社のDIO部改造。ちょこちょこ手直ししてはメールで送信。メモリを壊す件は相変わらず再現できず。 昨日作った微小欠陥検出装置のアンプVer1.4のモータ制御部分のデバグ。完了。 エンジンコントローラが戻ってきたのでチェック。改造して移植した時のミスだったっぽい。修正完了。 夕食は久しぶりに親子丼。と、すまし汁。 コバエの件。A社の「ハエ取り棒」を導入したら1日で6匹の成果。 2008-7-27(日) ご飯を炊いておにぎりを作って味噌汁を作ってきのこと鮭のバター焼きを作って朝食。 家でお仕事。微小欠陥検出装置のアンプVer1.4のモータ制御部分など。 引き続き家でお仕事。YS社向けDIO入力部分の改造。メモリを壊す件の調査。 コバエが鬱陶しい(と言っても数匹)ので数日前にF社の「コバエ激取れ」を導入してみたのだけど臭いばかりで全く効果なし。A社のにすれば良かったか? サティの惣菜やらで呑み。締めは焼きチキンカレー味。 2008-7-26(土) ご飯を炊いておにぎりを作って味噌汁を作ってきのこと鮭のバター焼きを作って朝食。 家でごろごろ。 夕方から出かけて駅前の福屋へ。地下で物色。 そうめんとおにぎりと冷奴で夕食。 宇品の花火は音だけ聞く。 2008-7-25(金) 新しいアルゴリズムをちょこっと試す。いまいち。 微小欠陥検出装置のアンプVer1.4を準備。24VDC-DCコンバータを12Vの物に付け替え。 お昼は日新ワタシの一杯しょうゆラーメン。 先日バグを修正したエンジンコントローラに別の問題が発覚したとのこと。 YS社向けのプログラムを現在出来ているとこまでで良いから欲しいとのことでメールで送信。 S社のE氏にK社のYS社と同じ1軸テーブルを持って来てもらう。型式が違うので加減速が遅い。 夕食はサティのお弁当。 2008-7-24(木) 未明に岩手で大きな地震。 測域センサのサンプルプログラムを作成。自分が使うわけじゃないのでつまらない。 お昼は日清ワタシの一杯しおラーメン。 引き続きサンプルプログラム。完成。 HB社向けJPC10-V25-01ボード5枚の出荷検査。完了。 S社のE氏とY氏来社。諸々のスケジュールの件。S社は伸ばしてもらってTH社を入れる。8/8までと言っても実質8/7まで。 「くるめ木」へ。広銀のバリューワンカードが届いていた。 サティの惣菜で呑み。 2008-7-23(水) Y氏来社。平面検査装置をあれこれ。 お昼は日清麺職人鶏ガラ醤油中細麺。 S社のS氏も来社。平面検査装置をあれこれ。 YS社からDIOボードが送られてきたのでメモリを壊している疑いのプログラムをチェック。しかし再現できず。 画像の最後が流れる件は余分に撮っているっぽい。切り詰めて対応。 サティの惣菜で呑み。 2008-7-22(火) スケジュールを整理してみるとなんだか一杯一杯。 YS社の修正とバグ調査など。 CM社から連絡。レーザ変位計は高速に動くものを計測した時に精度が悪いとのことorz。 お昼はサッポロ一番アラビヤンBIG焼きそば。 YS社のプログラムをメールで送信。 夕方S社のY氏が来社。TH社の件やら打ち合わせ。 サティの総菜で呑み。 2008-7-21(月) 海の日 ご飯を炊いておにぎりを作って味噌汁を作ってきのこと鮭のバター焼きを作って朝食。 家でごろごろ。 桐生方面のアンプの調子が悪いらしい。シリアルでコマンドを中継しているだけなのに特定の命令が通ったり通らなかったり。プログラムを書き換えたら直ったというのも解せない。 たらこスパと野菜炒めを作って呑み。 終日蟄居。 2008-7-20(日) ご飯を炊いておにぎりを作って味噌汁を作ってきのこと鮭のバター焼きを作って朝食。 家でごろごろ。 夕方、紙屋町まで迎えに行ってからサティへ。 塩焼きそばを作ってサティの惣菜と一緒に呑み。 2008-7-19(土) 塩で揉んだ胡瓜とソーメンで朝食。 家でごろごろ。 ご飯を炊いておにぎりを作って味噌汁を作って昼食。 またまた家でごろごろ。 夕方歩いて出かけて駅前福屋10階のジュンク堂へ。昨日発売の「関東1」を購入。 帰宅して車でサティへ。あれこれ仕入れ。 イカをさばいて刺身に。ゲソはアスパラと一緒にバター炒め。その他惣菜で呑み。 2008-7-18(金) 旅費清算書を作成。 プログラムでエラーが出る件。環境を準備してテスト。DIOボードが関係してるかもと思い手配。 午後から呉で会議なので車で自宅に帰り広島駅へ。 お昼は駅の立ち食いそば屋でざるうどんとおにぎり。 12時28分発の快速で呉へ。迎えに来ていただく関係で安芸阿賀駅まで。 S社のY氏に迎えに来ていただいてS社へ。 午後2時から平面、曲面検査装置のキックオフ会議。 午後3時過ぎに終了。その後マスク機能についての個別打ち合わせ。 E氏からTH社の新たなプログラム改造についての見積もり依頼。 午後5時過ぎにY氏に送っていただき、途中からバスで呉市内へ。 「とりの巣」で食事。その後3次会まで。 午後11時1分発の最終で帰広。 2008-7-17(木) 朝食はコンビニのおにぎり2個。 朝7時20分にYS社のかたに迎えに来ていただいてYS社へ。 K社のテーブルがオーバーロードのエラーを出してサイクルテスト中の装置が止まっている。やはり機械的に故障しているようだ。 分解してみるが多少引っ掛かりがあるようだがそんなに重くもないような。 プログラムでエラーが出る件が再現した。メモリを壊しているみたい。対処だけして原因はじっくり探ることに。 用意したUPSは不要っぽいので返送してもらうことに。 午前10時半頃に撤収。 東武線の新桐生駅まで歩いて11時16分発の特急「りょうもう」で浅草へ。 浅草で昼ご飯。たまご丼。 メトロで上野へ。京浜東北線で東京へ。やはり自動改札は撥ねられた。 14時10分発のN700系「のぞみ」で広島へ。 東京から広島まで4時間ちょっとだろうと思っていたら3時間55分だとのこと。品川にも停車してこの所要時間は500系より速いんじゃないの?確かにカーブで減速しない気がする。と思ったらやはり速いのね。山陽区間では300km/h運転してるんだ。 午後6時過ぎに広島着。 駅前福屋10階のジュンク堂へ寄る。目的の本をぱらぱら見たけど買うのは止めた。やはり自分の発想を大切にしたいから。 歩いて帰宅。 近所のラーメン屋さん「いちもん」で呑み。 2008-7-16(水) 今日は桐生へ出張。 会社で切符を磁石のそばに置いていたら自動改札ではねられた(汗。 朝6時5分発の新幹線で東京へ。朝食は駅で買った小さいお弁当。 10時過ぎに東京駅へ着。 京浜東北線で上野へ。 メトロで浅草へ。 東武伊勢崎線の特急「りょうもう」で新桐生へ。12時47分に着。 浅草を出たところで広い空き地があったけどあれが東京スカイツリー建設地なのね。 歩いてYS社へ。 不具合が発生する装置を見る。K社のテーブルが出すエラーは再現性があるが原因不明。あれこれやってみて軸が重くなっていることが原因らしい。 エラーが出た場合に電源を入れ直せるようにリレーを追加。プログラムを変更。 エラーメッセージが出る件は再現せず。HDDが壊れていたらしいのでその関係かも。 その他不具合もちょこちょこ修正。 自動でサイクルテストができるようにしてとりあえず様子見。 6時過ぎに撤収。 YS社の方に送っていただいて桐生駅前のホテルへチェックイン。 近所のコンビニで弁当とつまみとビールを買ってホテルで夕食。 2008-7-15(火) YS社の不具合は原因不明。工場へ入れたら不具合が発生するようになったとのこと。電源か? 明日、桐生市のYS社へ行くことに。 お昼は日清中華四川流坦々麺。 ビックカメラへ行ってUPSを購入。 広島駅へ寄って明日の出張のチケットを手配。 コーナンへ行って平面検査装置に使うアングルやらネジやら購入。 UPSをYS社へ発送。 平面検査装置をあれこれ。 Y氏来社。データ取り。 きのこのバター焼きと豚焼肉と惣菜で呑み。 2008-7-14(月) お昼は日清中華北京流火鍋風麺。 TY社から覚えの無いボードが届く。連絡してみると以前に話のあった修理可能かどうか調べてほしいとの物らしい。 磁石が届いたので試作。旋盤でしこしこ。 浮上せずorz。 YS社で不具合。メモリを壊してるっぽい?iniファイルを送ってもらって試してみるも再現せず。一晩動かしてみるか。 くるめ木へ寄って郵便物を受け取る。 YS社の件。K社の1軸テーブルがエラーを出しているとの情報。う~ん、先の症状との関係がわからん。 サティの惣菜で呑み。 2008-7-13(日) ご飯を炊いておにぎりを作って味噌汁を作って鮭ときのこのバター焼きで朝食。 家でごろごろ。 「田舎に泊ろう」でうちの田舎が出てきてびっくり。 野菜たっぷりきのこスパとドライカレーで夕食。 終日蟄居。 2008-7-12(土) ご飯を炊いておにぎりを作って味噌汁を作って鮭ときのこのバター焼きで遅い朝食。 光町まで送る。 家でごろごろ。 マルちゃん沖縄風ソース焼きそばとオイルサーディンと冷奴で夕食。 2008-7-11(金) USBを認識しないボードをM氏に預ける。 平面検査装置の準備。 Y氏来社。データ取り。表面の状態が均一でなくて苦労する。 お昼はエースコックわかめメンマ・しょぅゆラーメン。 引き続きデータ取り。あれこれ試行錯誤。 YS社からの要望に沿ってプログラム修正。できたところまでをメールで送信。 動作チェックが必要なので準備。ちょこっと手直ししてメールで送信。とりあえず終了。 DT社から戻ってきたAGVのセンサボードをチェック。磁気センサのオフセットのみ調整。 サティの惣菜で呑み。 2008-7-10(木) ホテルで朝食。おにぎりと味噌汁。 ホテルをチェックアウト。新幹線で東京へ。 秋葉などをうろうろ。 モノレールで羽田へ。空港でもうろうろ。 お昼はそばと親子丼のセット。いまいち。 12 20発のANAで広島へ。高速バスで広島駅へ。 路面電車で帰宅。車で出社。 Y社のプログラムで要望が出たので修正。エリアセンサの動作をより良い方向に。メールで送信。 磁石が届いていたのであれこれ組み合わせてみる。なるほどね。さらに磁石を発注。 平面検査装置を準備。 M社のエンジンコントローラが2台戻ってきていたのでバグ修正。1台は古いバージョンだったので手間取る。古いバージョンはハードが無かったので修正した後チェックしていなかったんだよね。 羽田で買った空弁(穴子一本寿司)とサティの惣菜やらで呑み。 2008-7-9(水) 磁石を手配。 今日は長野の上田に出張。 朝8時頃に広島駅新幹線口まで歩いて出て高速バスで広島空港へ。 朝食は空港でカレー。 S社のE氏Y氏と合流。9 25発のANAで羽田へ。 モノレールで浜松町へ。山手線で東京駅へ。長野新幹線で上田へ。 お昼は横川名物峠の釜めし。 ちょっと早く着いたのでカフェ。 T社のT氏と合流。タクシーでAK社へ。 午後3時から微小欠陥検出装置の打ち合わせ。問題点やらなにやら。 午後5時頃に終了。タクシーで上田駅へ。新幹線で高崎へ。 高崎のホテルへチェックイン。 午後7時から居酒屋で食事 呑み。 午後10時頃に散会。 2008-7-8(火) 大きい方の基板のコネクタ類を実装。Bさんにケースの設計をお願い。 引き続き小さい基板の実装。 お昼は日清もやし味噌(ラーメンとは書いてないけどラーメン)。 配線。 火入れ。5V電源部にミスがあったので修正。 コンパイラを新しくしたらUSBが繋がらなくなった。 サティの惣菜と冷しゃぶで呑み。 2008-7-7(月) デルタとスターの違いなど。 お昼は日清豚キムチ(ラーメンとは書いてないけどラーメン)。 基板の実装をしこしこ。 S社のY氏とU氏来社。HA社の件は8月8日目標ということに。新型は現在あるものを改造する方向で。10月目標。 引き続き基板の実装。 サティの惣菜と野菜炒めで呑み。 2008-7-6(日) ご飯を炊いておにぎりを作って味噌汁を作って鮭ときのこをバターで焼いて朝食。 家でごろごろ。ステアリングなどを考える。 宇品のWantsとサティでお買い物。 カルボナーラとサザエの壷焼きと焼き肉で呑み。 2008-7-5(土) ご飯を炊いておにぎりを作って味噌汁を作って鮭ときのこをバターで焼いて朝食。 家でごろごろ。 もんじゃ焼きと蟹缶で呑み。締めはカップラーメン。 終日蟄居。 2008-7-4(金) 社内でちと会議。業務M関係。 YS社向け微小欠陥検出装置。仕様書を見直して少し修正。 お昼はイトメンのチャンポンめん。 S社のY氏来社。YS社向け装置の説明と動作チェック。 装置をバラして梱包して発送。 ブラシレスモータあれこれ。通電角を変えたり電圧波形やら電流波形やら。 サティの惣菜で呑み。 2008-7-3(木) YS社向け微小欠陥検出装置。エリアセンサを接続。非常停止部分の配線など。 お昼はマルちゃん赤いきつねうどん。 配線図を殴り書きで書いてBさんに清書をお願い。 YS社から1軸テーブルが届いたので接続してチェック。あう、非常停止を入れるとサーボOFFになるのね。当たり前か。次の起動でサーボONになるようにプログラムを改造。 磁石の見積もり依頼。 サティの惣菜で呑み 2008-7-2(水) 補正を修正しながらデータ取り。まずまず。 完成。精度はいまいちだけどロングレンジを安価にってことで。CM社で使ってみてもらう予定。 お昼はエースコック美味和膳まろやか豆腐のきつねうどん。 YS社向け微小欠陥検出装置のDIO部のプログラムをしこしこ。 YS社からブツが届く。が、1軸テーブルが無い。問い合わせてみると明日発送だとか。それじゃ間に合わないんじゃないの?何とか今日発送にできないかと要望。 S電業でリレーを購入。デオデオ電気パーツ館で圧着端子を購入。 配線作業。圧着端子を60個ほど使う。思ったより多かったな。 デバグ作業。いろんな条件でテストしているとあれこれ出て手間取る。 焼肉ともんじゃ焼きで呑み。初めてのもんじゃ。 2008-7-1(火) Y氏来社。平面検査装置のボックスの加工を依頼。 レーザ変位計。精度が出ない。絞りを入れてみる。 お昼は日清カップヌードル辛口レッドペッパー。 YS社関係のDIOをあれこれ。 S社のE氏とY氏来社。HA社の縦メディアンとマスクについて。YS社のDIOについて。 レーザ変位計。精度が出ないのはレンズの収差なんだな。つうことは補正を入れればOKか。 補正を入れる。 1軸テーブルと組み合わせて自動でデータを取ってみる。かなり改善された。 サティの惣菜で呑み。 -
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301 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/19(水) 22 33 58 [ Fco.C2Bk0 ] 300 どっちかというと、この董卓の方が蝶蝉ですよねい(w このゲームの蝶蝉は、中身が強力若本なんですが。ちなみに卑弥呼は秋元さんという(w で、この呂布はなんか南方古人でいそうですねい。アホ毛がゴキブリっぽいのがアレなんですが。 で、カイル出てきましたねえ。確かに奴らしいんですが。もう嬉しそうで。なんというか、シル子の感情が揺れ動いているのを見るのが楽しくて仕方が無いという感じがグッドです。そういうところは誰かさんそっくりというか。 302 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/19(水) 22 39 11 [ PZj3AuEg0 ] 301 アル・カディアの古人が呂布と理解して、脳内えらいことになってしまったんですがw 人としてクズ、陰謀家あたりを入れつつ、自己愛と姉愛とを混ぜてみましたw 奴らしくなったらうれしいですw ずーっと、レイヒルフトとおねいちゃんの関係性を思い浮かべてたんで、最後の最後に二人の名前を出しときましたw で、多分旅団の幹部会議で、アドニス殿下はキュンキュン来るんですよw シル子にw で、その辺までカイルの計算通り、とw 303 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/19(水) 22 53 54 [ Fco.C2Bk0 ] 302 はい(w 奴は基本的に人間のクズですから、まさにああいう奴なんでしょう。で、仰る通り自己愛と姉愛がごちゃごちゃになっていて、本人としてももはや切り分ける事すらできないんじゃまいかと。 そして、アドニス殿下がきゅんきゅんくるのは確かでしょうし、それを思い浮かべて、愉悦部しているのがカイルでしょうし。本当にどうしようもない人間のクズですな。だからいいんですが(w で、アル・カディアの古人が恋姫呂布ですか。アリア姫の護衛とかで傍にいて、イシュトをいらいらさせますか(w なんか南方戦役直前とかにイシュトが出奔して帝國軍に参加して、アル・カディアの国盗りして、アリア姫を自分のものにしようとか野心に燃えている姿をイメージして、個人的に楽しくなってきている次第。でも帝國軍だとのし上がるのにアレだから、すぐ帝國軍を脱走してどこか別の国にもぐりこみそうでもあって。 恋姫呂布は、口数が少なくて半分動物というか犬みたいな感じに主人公になつくキャラだそうなんですが、なんかアリア姫の足元に丸まって転がってお昼寝しているイメージがあります。きっとイシュトが戻ってきたら、ガチの殺しあいになるのは確実という。それはそれでお話として面白いやも。本当にアリア姫は風雲を呼び込む女やでえ(w 304 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/19(水) 23 06 18 [ PZj3AuEg0 ] 303 13Rにシル子が来た経緯は、レイヒルフトとシル子にしか上手く把握できないようなやり取りの結果であると思っていたのです。 で、それは、現在、思われているように、西方辺境の武威の低下に伴ってのことなのだろうとシル子も理解してるはずです。 すみちゃん戦争はそれで起きたわけですし。 トイトブルグの始末がついたら、ふたたびフリーな副帝アセットに戻るんだと、考えていてもおかしくないかなあ、と。 サウル・カダフ着任のアレコレもありますしw 21Bは非常設だとふつうは考えるじゃあないですかw 7,8,9Rと、901Bnこそがミソである、と。 それがすかーんと覆されたら、やっぱし多少は不機嫌じゃないかとw というのを描こうと思ったら、常人の前じゃたぶんその不機嫌をちゃんと示してくれないだろうなーとw カイル君に踏み台になってもらいましたw 踏み台になってもらう以上、まあ、そこそこに、とw 恋姫呂布、もう居場所を獲得してしまうとはw 無名は自己を見出してないけれど、恋姫呂布は南方古人としていろいろ基盤がある、とw ああもうだめだw 南方古人だから、むらむらっと来てもご主人には手出しできないからry 305 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/19(水) 23 20 00 [ Fco.C2Bk0 ] 304 シル子にしてみれば、帝國軍での指折り数えられるほどの機装甲撃墜数を誇る自分が、騎兵連隊長をやらされ続けるというのは非常に納得がいかないのは当然でしょう。なんせすみちゃん戦争で晴れて三人目の撃墜数三桁になったわけで。 それがある意味機甲兵科の出世街道から外れて騎兵連隊長では、まあ納得できるもんもできん、と。そこらへんのもやもやは絶対に他人には見せないように振舞うのでしょうけれども、カイル相手にはあれこれわがままを言うなり表情に出すなりしているのは、絶対にあると思います。 きっとシル子が本当の意味で感情を爆発させるのは、ヴェルキンが発条音部隊の指揮官に就任した時なんじゃないでしょうか。その時はカイルの前でめちゃくちゃに感情を爆発させて不満を言いまくるような気がします。例えば、東方からガッツとか転属してきて、何故彼の位置に自分がつけないんだ、とか(w 恋姫呂布は、あんまり色気のないキャラらしくて、主人公の前ではペットみたいな感じに振舞っているキャラだそうです。恋姫董卓にもそういう感じでなついているそうで。 なんというか、帝國SSはなまじ世界が広大なだけに、本当に人材をブラックホールのように飲み込んでいってしまうところがありますねい。ゴーラの呂布がドレッドヘアで吃音で、右手に方天画戟、左手に長剣を持って、真っ赤な機装甲で京劇風味に見得を切って無双するなら、恋姫呂布は体格に見合わない方天画戟を振るって無双するわけで(w きっとアリア姫戦争でもジオン三人衆と一緒にアル・ディオラシス軍の機装甲機卒をばったばったと薙ぎ払っていたんでしょう。うむ、アルファルデスと対決していたらどうなっていたことやら(w 本当に南方古人は人材の宝庫やでえ(ww 306 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/19(水) 23 36 47 [ PZj3AuEg0 ] 305 あの女子会で200と数十ですかw それは男も逃げますw 文字通り「遊んであげている」つもりでもあったんだろうと思います。 シル子はアセットとしてフリーかつ単独でも確実に目的を果たしてくるところがきわめて重要で、アドニス殿下にはできないんですけど、 プレ南方戦争の衛星国始末を考えるなら、RDFにシル子の居場所を作っとく方がたぶん、いいんでしょうしw レイヒルフトとしては、今まで通りに使ってるのかもしれません。 今まで通りということは、つまり機神部隊には使ってもらえないということでもあるんでしょうけどw 13Rに置いておけば、その気になれば、ふたたび引き上げて副帝アセットとして使えるわけですし でも901Bnだとそうすることはできないわけでw 発条音が調整された乗り手を必要とするとわかるなら、なおさらですしw しかし、どんな風に爆発するのかw 見たいような、見たくないようなw カイルは絶対魔法的手段で、半分くらいは聞いてない気がするんですけどw ドレッド呂布もすげえいいんですけどw なんかもう、それだけでゴーラ安泰、みたいなw それでも、なのは組の前でどもるんですよw 何それ可愛いw しかも蒼天董卓ですしw 307 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/19(水) 23 43 08 [ oHCbLp8E0 ] お疲れ様です。 恋姫呂布と恋姫董卓が居場所見つかった感じで。 董卓の方はアリア姫の侍女でもしているんでしょうかw 本当に人材の宝庫だな、南方古人w 308 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/19(水) 23 58 28 [ PZj3AuEg0 ] 307 たぶん、王太子殿下軍にいたはずだけど、予備にいたんですよ。 で、きっとアルファルデスと戦わずに済んだのかもw 309 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/19(水) 23 58 35 [ Fco.C2Bk0 ] 306 はい。蒼天董卓ですから、大北方戦争が起きて群臣があれこれぱにくっていると「この痴れ狗共ぐわあーーっ!!」って一喝するんですよ。いかん、まじ格好いいなあ、董卓。惚れてしまうやんけ。こいつが死ぬ時も玉座で「天下万民我を崇めるべし!!」って絶叫して憤死しそうで。きっと大北方戦争で敗北したせいで、憤死するんだ。というかそれ以外の死因が思いつかない(w で、蒼天呂布ですから、どもりまくりですよ。もうはやてとかに向かってあの顔で「お、お前は、お、俺の娘だ」とか突然宣言して、はやてちんどんびきですよ。なんでや、なんでこないな人おって戦争に負けたんや、とか内心思っているわけですよ。かわいなあ、はやてちん。蒼天キャラばかりだから、高順とかモヒカンだし、張遼とかパンクスだし、見た目はめっさあれなんでしょう。すげええなあゴーラ帝国。本当に未来を生きているわ(w そして、シル子がどういう風に感情を爆発させるか、確かにぱっとは思いつきませんねえ。そもそも感情を表情に出すことに慣れていないでしょうから、すっごい事になりそうで。 で、あの女子会で二百数十ですよ。もう普通の男なら確実に逃げますね。というか普通の男じゃなくても逃げ出すといいますか。きっと767の子ら、正確にはイザークとディアッカも内心ではそう思っているんでしょう(w そのうちルナマリアあたりに「小隊長、早く男見つけて結婚しないとやばいんじゃないか? ここ、なんか色々とアレみてーだし」とかディアッカがぽろっと口にして、ルナマリアがさあっと血の気が下がって、「ストップ! それ以上言っちゃだめーっ!」って(w でもしっかり、りっちゃん先生あたりに聞こえていて、後で笑顔でめっちゃしごかれるんでしょう。多分(w で、イザークに「なんでお前はいつも一言多いんだ!」と息も絶え絶えになりつつも怒られるという(w で、確かに副帝アセットとしては、機神部隊よりも13Rの方が使いやすいのは確実なんですよね。黒の二部隊の指揮官をやらせるには、諸兵科連合指揮官として優秀でもったいないですし、発条音部隊は双性者でかつ強化人間じゃないと駄目という。 シル子を双性化して強化人間にする得失を考えたら、そりゃ13Rというか機甲騎兵指揮官として使った方がより効果的なわけで。シル子が発条音部隊について詳細な情報を得る事はできないんでしょうけれども、それでも双性者オンリーの機神部隊という特殊性は耳にするのでしょうし、そうなったら自分が絶対に機神部隊の指揮官にはなれないという事が理解できるわけで、そりゃあ荒れるだろうなあ、と。 310 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/20(木) 00 00 34 [ A/5cXDLE0 ] 307 葬務官様 ごきげんよう。むしろ恋姫董卓がアリア姫で、恋姫呂布がそのお付の古人の一人なんじゃないかと。で、イシュトはアリア姫の元に残って、恋姫呂布は王太子と一緒に出陣して、王太子直属の古人部隊にいたんでしょう。本当に南方古人は人材の宝庫で(w 311 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/20(木) 00 05 19 [ AfnoHL820 ] 308 ケイレイ様 なるほど(w 310 蟹様 月(恋姫董卓)は可愛くて好きなのですw ……で、今、ゴーラの董卓の娘と聞いてユラニアのネリィみたいの想像していたら恋姫verで驚愕するはやてがチラッと想像できましたw 娘ならゴーラ董卓が死んだ後にすごい苦労しそうでw 312 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/20(木) 00 07 32 [ M.S/1PiY0 ] 309 ああもう、宮廷の連中は董卓帝が恐ろしくて、いろんな隠し事がいっぱいなんですよw 大公たちも皇帝宮城には近づかないしw スカニア大公は、董卓帝のこと馬鹿だと思ってるし、ヴィーキア大公も馬鹿だと思ってるし 舎弟?だったフィンゴルド大公もやってられないとry やっぱ、大北方戦争でも負けるとしかw 情報がちゃんと伝わってないから、皇帝親征軍が出陣するには遅すぎるんですよw っていうか そ の 未 来 っ す か w ああもう、りっちゃんがものすごく帝國に馴染んでゆく。 というかこっちが本物としかもう思えないw しかもシル子がなまじ優秀だから、13Rが部隊として役に立っちゃったりw じゃあそのままで一つ、的な何かがサウル・カダフからも言われるに決まってます 「しばらくあの手の部隊が無いと困りましょうかラなあ」とか、耳の孔ホジホジしながら言いかねないw だいたい、アル・カディアに行くにしても東方辺境街道を通ってセレニアへ、セレニアから船に乗るわけで 313 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/20(木) 00 23 41 [ A/5cXDLE0 ] 311 葬務官様 なるほど、つまり蒼天董卓の娘が恋姫董卓で、次の皇帝になるんですね。そりゃあはやてだってびっくりだ(www というか、他国の外交だってびっくりだわ。その発想は無かった(www もう苦労なんてもんじゃないでしょう。きっと司馬イが出てきてまとめるまで、内戦状態になるに決まっています。スカニア大公は確実に蒼天袁詔でしょうし。ヒルデガルド様は孫権みたいにフィンゴルドに引っ込んでしまうんでしょうし(w 312 ケイレイ様 確かにいろんな隠し事が一杯でしょうねえ。大公達も勘気を被るのがいやだから、中々近づかなくて。で、皇帝親征軍が出陣する前に南岸諸国が全部占領されてしまって、憤死する、と。それどこのモンゴール大公の死に様と思わなくもないんですが(w そして、なんせ蒼天キャラ、特に呂布陣営の髪型はマジで未来に生きていますから、はやてが呼び出されて、恋姫董卓帝の元に参内したら、そこに蒼天呂布とか、蒼天高順とか、蒼天張遼とかいて、あまりのアレな空間ぶりにどん引きっすよ(w で、あの蒼天呂布が開口一番それで、もう何を言われているんだかさっぱりという。いいなあ、ゴーラ帝国。未来に逝き過ぎているというか(w で、13Rの有効性はアリア姫戦争でがっつり証明されてしまいましたから、機甲騎兵を主体として部隊の増設が決まって、ごっそり部下を引き抜かれるシル子ですよ。どうせ部下達も昇進や昇任なわけで、喜んで出てゆくでしょうし。 そしてシル子はそれが面白くないわけですよ。いくら親衛選抜連隊の連隊長とはいっても、それでも多数ある連隊の一つでしかないわけで、そっから先の昇進も見えてしまうでしょうし。 ちなみに帝國のりっちゃんは、あっというま仕様とハリアーP仕様のちゃんぽんです(w 本当にハリアーPに影響受けまくっています、自分。 314 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/20(木) 00 31 56 [ M.S/1PiY0 ] 311 その発想はなかったw 313 というわけで、そうしましょうw 月を守って戦うなのは組っすよw 友達だ、と団結してw しかしまあ、聞いてるだけでもドン引きっすよw>未来帝国ゴーラ なんというキャラの立ちっぷりw まさにキャラさえ立てば何でもアリw そしてそれが正義w それにしてもひどいw>部下を引き抜かれるシル子 実際、部隊の価値とシル子の価値が「一致して無い」ことに意味がありますからw シル子から分離できるものはどんどん分離しても、構わないw というかどんどん分離して、属人的な部隊から、組織に変えてゆくというw 315 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/20(木) 00 33 51 [ AfnoHL820 ] 313 司馬懿さんは恋姫に出てないんですよね。董卓が可愛い娘だったので、どうなるか予想がつかないというかw 蒼天司馬懿はやはりゴーラだと曹操のところでしょうかw 316 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/22(土) 00 37 46 [ uiINrKes0 ] ちょっとづつでも書くようにしていますが、なんかキャラがラインハルトよりソープというかMH弄っている時のアマテラスみたいになってるなあw 317 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/22(土) 00 40 47 [ CTqwNbiw0 ] 316 結構大変なんじゃないかと思ってます。 続けて書かれてると聞いて安心したりして。 蟹様が良く「書いてみないと判らない」とおっしゃってますけど、それでいいんだと思ってます。 318 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 19 02 27 [ hj9MPbg20 ] というわけで、ヴェルキンとアレシアの結婚式の回。ようやくここまでたどりついたというか。次でヴェルキンとアレシアのオスミナ行きをやりたいところ。 319 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 20 04 39 [ .IwWoI8w0 ] 318 お疲れ様です。 「苦いぞ、苦い。何かものすごく苦い。もげろ」 www 憲兵隊長、なんか影の助演男優賞ですねえ やっと戦争が終わったと、読んでるこちらが感無量になったのに。優しくしてね、とは。 苦い、苦いぞw でも、ヴェルキンはヴェルキンだし。 いいやつというより、真っ当な奴でもあるのに、でもこいつからは何かが欠け落ちてるんだ。 だからこそ戦鬼でもあれるんだし。 その二つに全く矛盾が無い。 そしてメルツァ侯。侯の怒りもわかる。 動きましたねえ。お疲れ様です。 結局、本当に、二人は二人だけが互いの故郷というか、居所になってゆく。 疾く確かめるが良い。 お見事です。どう進めるのか、実は興味がありました。初めから決まっていたんですね。 疾く確かめるが良い。確かめねばならない、と。 320 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 20 53 03 [ gDg9VHhA0 ] 319 どもどもです。とりあえずかなり巻きまくっていますので、次回ゲルトリクス伯爵領から始めて、オスミナ侵攻軍参加まで書く予定です。その次に開戦ですね。もう駆け足も良いところで。 とりあえず話を巻くのにこの憲兵隊長はえらい役に立ってくれました。名前すらないのに(w まあ、この人がいるからヴェルキンが町を離れられるんですけれどもね。 で、ロシアの結婚式の慣習の一つを今回ネタにしました。もうヴェルキンとアレシアをいちゃいちゃさせるためなら、労を惜しまないといいますか。考えてみれば結婚式の披露宴そのものの描写はこれが始めてかな? マル子とノイナさんのは結婚式後の話だったような。 まあ嫁さんを貰って帰る家ができれば、やはり人生一区切りがついたという感情を抱いても当然ではないかと。なんせヴェルキンは、10年前に戦争に参加してからまともに家庭生活というのを送った事がないわけで。 そういう奴ですから、いくらトルステンヌスの血が云々と言われても、全く実感が湧かないんじゃないかと思います。家庭というものを子供の頃の記憶でしか知らないから、そこに関わる諸々に実感が湧かない、と。 本気でヴェルキンにとっては、アレシアの存在が故郷なんでしょうねい。帰るべき場所、という意味においても。 そしてメルツァ候です。貴族らしく傲岸不遜で居丈高で、義務意識と一門への帰属意識をがっつり持っている、まっとうな貴族です。前回登場した時にヴェルキンとの会談を書かなかった最大の理由が、ここら辺の貴族らしさのインパクトを最大限に活かしたかった、というのがありました。 それだけ話を巻いているんですけれどもね。おかげで、アレシアに対する態度で色々と見せる事ができましたし。そこでへいこら頭を下げないあたりが、なんというかアレシアの向こう気の強いところで。まあ、女性ってそういうところがありますしね。旦那が偉いと自分も偉くなった気になって言動がそうなるという(w 次、ファルディオスが再登場して、ゲルトリクス伯爵領について解説してくれて、トルステンヌス一門宗主が登場してオスミナ侵攻についてヴェルキンに持ちかけて、メルツァ候と一緒に参陣する別の将軍が登場の予定、と。 多分次ぎの回では黒の零は登場するかどうか、ですねい。次の次の回に登場するのは確実なんですが。 321 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 21 00 55 [ 4BHuhTHI0 ] 320 だって、射撃練習ですもの。アレシアノリノリですよw 「うん!」がもう、目の前に迫ってるのがわかってる。ヴェルキンの計算できる戦力になるんだなあ、と。 ノイナとマル子は、結婚式そのものが怖かったので「よけて」通りましたw 今思えば焦らなくてよかったw ご学友がわーっと来てくれる方が面白いですからw メルツァ侯、まっとうでよろしいですよ。はい。ヴェルキンが結婚ボケしてるからw そりゃー怒るだろう、とw ヴェルキンとメルツァ侯の関係性を知らないからもう、なんというかw アレシアは怖いもの知らずでw 彼女はきっと後々になっても「あの人嫌い」を通しそうでw ファルディオス再登場ですか。憲兵隊長にすら名前が無いのに、名前がありましたから、そりゃー役割くらいは果たしてくれないとw 黒の零、ついに登場ですか。お待ちしております。 322 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 21 10 19 [ gDg9VHhA0 ] 321 確かに結婚ボケですよねえ。一門宗主の名代の重さが今一つ判っていないところとか(w で、アレシアは貴族の関係のあれこれを知らないから、メルツァ候がこの場合どんだけおっかない存在かが全く判っていない、という。で、それもメルツァ候は判っているから、子供に言い聞かせるように言い聞かせる、と。 まあ、アレシアはヴェルキンが元伯爵様だと知って結婚したわけで、でもその意味をちゃんと理解していなかったというか、ヴェルキンの今はただのヴェルキンだよ、という言葉を信じて疑わなかったから、今になってトルステンヌス一門が出てきて訳がわからなくなっているんでしょう。そういうところは完全に平民で。 ノイナさんの御学友ですが、まあ山程押しかけてくるんでしょうねい、学院のあの娘らが山程(w 今のところノイナさんの親友のフェイトそんとソロルのウェーラさんを筆頭に、ダリア様御一行とか、歌劇で一緒するであろう皆さんとか。マル子がその面子を見たらどういう感想を抱くことやら(w 唯一アリア姫だけがいないんですよねい。 で、黒の零ですが、アレシアを乗っけて練習させるために次回出すかなあ、出したいなあ、と思っているわけです。まあ、普通の重魔道機装甲でもいいんですが。元黄色中隊に配備されていた奴とか。 なにしろまがりなりにも王国に攻め込むんですから、相手の持っている機神に対抗できる機体が必要で、本来ならばそれを乗りこなせる騎士が必要なんですが、そんな人材は北方に残っていないから、古人のアレシアを急遽詰め込みで教育して乗っけるという。本当にぎりぎりだな、オスミナ侵攻軍(w 323 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 21 19 31 [ 4BHuhTHI0 ] 322 で、フェイトそんは、ナタルンに結婚しようと言われた時に、その時のことを思い出してフルフルと首を振るんですねw 当人は悪気ないんですが、とw とはいっても時系列がどうなるやらw ダリア様御一行、来てくださいますか、くださいますかw なんかもうルスカシアが楽しみで楽しみでw しかし、ケイロニウス一門はレートも高いし、人生もいろいろあって ヴェルキン、初めて自己の幸せを、アレシアのために追求する、そういう事になろうとしつつあったのに、 メルツァ侯、引き戻しますからね。 よくも取り込まれおってこのたわけが!って貴族語で言ってたのが、アレシアに通じなくて本当に良かったというかw 実際、メルツァ侯だって手下のものみたいなのが、ヴェルキンを探したり、様子をうかがったりしてたんでしょうし。 そこであの蜂起の指揮を取ったと聞いて、何のつもりか判らんが、まだまだ勘は鈍っていないようだくらいは思ったかもしれない。 でも、結婚ボケ、とw ホントにボケてた、とw でもしょうがないっすよw アレシアですもん。あんな嫁もらって、まだ伯爵モードが続いてたら、ほんとにいくさの鬼でw ええい、もげろw アレシアのあだ名が「スピットファイア」になったりしてw>重魔道機に乗って以後w 324 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 21 35 51 [ gDg9VHhA0 ] 323 まあ、実際にナタルんがフェイトそんに結婚しようよー って言うかかなりあやふやになってきているんですが、それでもノイナさんのところの大騒動を見ていれば、結婚って大変なんだなあ、と、逃げたくなっても仕方が無いのかも(w フェイトそんの結婚なら、それこそノイナさん以下の学友達が大挙してやってくるでしょうし、そりゃあもう大変な事になるのは確実で(w というか、ケイロニウス・レオニダス家とケイロニウス・アクィロニア家が一緒に並ぶんですから、どんだけだよという。 そうか、下手するとノイナさんの結婚式は時期によっては全辺境候、もしくはその名代が並ぶんだ。フェルヌスさんち、クラウディアさんち、カインさんち、でレイヒルフトの名代、と。あとケイロニウス譜代筆頭のデギン公んちも来るんだ。すげえわ(w で、貴族語ですから、アレシアには絶対に通じるわけがないんで、まあいくらでも罵倒できますわな(w そして、ヴェルキンの活躍を手下を通じて把握していたというのは確実でしょう。だからもう一回引っこ抜きにきたんでしょうし。 まあ、アレシアは本気で可愛いお嫁さんに描写していたつもりですもんで。あんな嫁を貰ったら、そりゃあボケもしますよ。というか、むしろ腑抜けていなかっただけヴェルキンも大した奴、と。 そしてアレシアのあだ名が火吹き達磨ですか(w ひでえあだ名だ(w まあ、確かに予定ではがっつんがっつん燃やしまくる予定ではおりますが。 325 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 21 43 48 [ 4BHuhTHI0 ] 324 いやん、もう、可愛らしすぎて書きたくなっちゃうじゃないですかw イタリアあたりの結婚事情を見たら、女友達の付添って習慣があるらしいんで、取り入れましたけど(一門によってきっといろいろな習慣があるんですよw) なんかこう、色々と理解できる基盤の出来たフェイトそんと、たいへんだよ、もう、みたいな話をするとかw 無名は「帝國人というのはなんでもかんでもこうやって大騒ぎして、わびさび(実際には精神的な両者のつながりとかそういうニュアンスなんでしょうけど)が足りない」と不機嫌だったりするんでしょうしw アルブロシアとノイナで二人顔を見合わせて、どっちがはやいにしてもこうなるよねーってw ダリア様はいろいろと完璧に理解してるから、すっげー逃げたいかもw 一人楽しそうなルスカシアw デキムス公も来ちゃいますか、来ますよねえw おハルさんたちにも来てもらいましょうw いやあもう、アレシアは今や帝國を代表する可愛いお嫁さんの地位をゲットしてますからw スープの塩加減はどれくらいがいいかな、とかやってるわけですよ。じーっとヴェルキンを見つめてたりして。 で、「え?なに?」「ううん?」みたいなこう、ですねえ。 なんかこう、なんかこう、なんかこう、やるせないというか、秋の風が涼しいと言うかw だって、アレシアはパン屋ですし>火とか炎とか、燃やすとか、焚くとか焼くとか 326 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 21 57 47 [ gDg9VHhA0 ] 325 考えてみれば、お嫁さん、という単語の似合うヒロインはアレシアが最初なんですよねい。ノイナさんは女当主ですし、おっぱい元帥は旦那に逃げられたバツイチですし。あ、ゼノビア姉様がおられたか。 ちゃんと結婚式やって旦那がいるヒロインって、二人目なわけで。そして新婚生活のきゃっきゃうふふはお話を巻くためにはしょられてしまっているという。まあ、そのうち埋めスケッチで書ければいいなあ、と。 そして、アレシアは火の系統っていうのは前に書きましたし、次はそれを攻撃魔法として習得する番なんですよねい。本当は射撃場の練習風景も書きたかったんですが、お話を巻いたせいでかけなかった、と。 で、イタリアあたりの大家族が強い地方での結婚とか、もうすごいんでしょうねい。親族だけでうわっと集まってきて。で、女友達だけで集まってうわーって盛り上がって大変なことに(w アルブロシアは、パトローネスがデキムス公だから、その関係で結婚式とかおっそろしい事になるのは確実で(w もし涼ちんと結婚とかになったら、エデとか巻き込んでもうひっどい事になるのは確実でしょう。 なんというか、ケイロニウス一門の結婚て、本当におっそろしい事になりますねい、帝国ですと。そこに招待されるのが既にステータスなわけで。本当に学院で作れるコネは恐ろしいもんで。 327 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 22 05 09 [ 4BHuhTHI0 ] 326 はいw 幸せも枕に着けましょう>お嫁さん。 綺麗もありですよ。素敵もいいです。魔女は・・・まあ、古人ですしw うふふふふ、積みあがれ積みあがれ。レートよ僕の積みプラのように積み上がれw そしてすべてを薪のごとく燃やすのだ。ふっくらふかふかな白パンかよっ! すでにキャラが幸せをバキュームしてるw なんというか「銃を撃つみたいにすればいいのね」ってアレシアが言い出しそうで怖いんですが>火魔法 強い、も枕につけましょうw 涼ちんと結婚、そしてやってくるサウザー様とエデ。 もう、来てもらうしかないというかw アリア姫の御婚礼の出立のときだって、帝都でいちばんでっかい教会で祝福されるのは間違いないわけですし、 アルブロシアと涼ちんも、間違いなくw でもなぜかハリアーPの運動会の様子が見えるような見えないようなw 気の所為、気の所為w まあ、それでもクラウディアとカイン公に比べれば、皇帝陛下の御祝福が無いだけ、ちんまりしたものですよ_ 328 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/23(日) 22 17 51 [ LtRGWeoY0 ] こんばんわ。 ヴェルキンとアリシアは盛大に爆発するといいと思います。 アリシアの新妻っぷりが見られるスケッチに期待w それはともかく、いよいよ戦争が迫ってきたというか。 メルツァ侯は人の話を聞かないなというかw 貴族なのであんなものなのでしょうけどw 329 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 22 22 32 [ gDg9VHhA0 ] 327 「銃を撃つみたいにすればいいのね」 そのフレーズよいですねい。いただきますです。でも威力は大砲級という(w で、アレシアはとりあえず幸せなお嫁さんの幸福を噛み締めている真っ最中ですから、まあオスミナでその分苦労するんでしょう。多分。 で、クラウディアとカイン公の二人の結婚式となると、そりゃあ帝國の主要な貴族がことごとく関わってきますからねい。下手すりゃ皇帝陛下御臨席すらありえるという。レイヒルフトは仲人ですから当然臨席ですし。こっちはこっちで大変な事になりそうだ(w 330 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 22 24 17 [ gDg9VHhA0 ] 328 葬務官様 ごきげんよう。 ヴェルキンとアレシアは新婚さんなんですからちかたがないと思います(w 今が一番楽しい時期なわけで。 で、メルツァ候が話を聞くわけがないという。だって一門宗主の名代としてやってきたんですから、むしろヴェルキンの態度の方がおかしいわけで。こいつもネジが数本飛んでいるから(w 331 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/23(日) 22 29 28 [ LtRGWeoY0 ] 330 蟹様 ごきげんよう。 個人的には、WW1の復員兵みたいに見えて>ヴェルキン 最初の「ロストジェネレーション」と呼ばれた人たちで、 勝った国でも負けた国でも既存の社会と価値観に疑問を抱いて、 上に簡単に従わなくなった人たちというか。 332 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 22 30 45 [ 4BHuhTHI0 ] 328 全幅の同意をもってさあ、いっしょに!「はぜろ!(バルスのイメージで」 329 ああ、強くなってゆくw 銃を撃つみたいに、炎ぶちかまして爆ぜる、ってそっちかw 幸せには勝てないw 帝國の女は強いと決まってるので、仕様通りなんですがw カインとクラウディアですからねえ。 北方と西方ですよ。なんかもう、下手すると一触即発のはずなんですがw 脇でコソコソ囁かれるんですね「レイヒルフトはあれで融和をさせたんだ」とか「カシウス候もヤキがまわったものだ、すっかり捧げものじゃないか」とか。 でも実体は「ギャンブルというものは胴元が儲かるようになっているのです(中田声♪」とw リランディアはきっと子供の用に目を輝かせて(あぶない、人死にが出かねないw)結婚式というイベントの皇帝陛下を演じるんですよw 333 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 22 38 23 [ gDg9VHhA0 ] 331 葬務官様 確かに仰る通りの世代ですよねい。勝ったにせよ、負けたにせよ、既存の価値観が崩壊してしまった世代なんでしょう。帝國の二十代というのは。 332 ケイレイ様 いやもう、アレシアの中の人の声でがっつり再生できてしまいましたのもので、全く違和感無く(w まあ、アレシア的にはヴェルキンのそばにいられて、役に立てるわけで、それはそれで幸せなんですよ。例えそれが戦場であったとしても。まあ、ヴェルキンがそれをどこまで理解しているのかどうかは判りませんが。でも、平然と参陣させて暴れさせそうですしねい。なんせヴェルキンだから(w で、カインとクラウディアの結婚を傍から見ると、完全にレイヒルフトとカシウス候による北方辺境乗っ取りにしか見えんでしょうし。まさか、カイン公の器量を見極めたうえでの結婚とは、誰もその時点では想像だにできなかったに違いないでしょうし。カイン公が本気出すのは大北方戦争からですしねい。 そして、リランディアが、大喜びで結婚式で大活躍するのは、もう確実でしょう。本人にとってはそれが一番の遊びで。絶対にイベントというかお祭り騒ぎが好きなタイプでしょうから。 334 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 22 45 17 [ 4BHuhTHI0 ] 333 「目標はXXXだ。頼む」「わかったわ」 こうですか。困ったことに完璧に再生された上にしかもニュアンスが幸せそうでw 頼られてる。あたししかできない。あたりのこう、何というか、満たされた?感じ?(半疑問形で逃げようとして失敗する感じで なんというか、同じところのネジが吹っ飛んでる、破れ鍋に綴蓋というかw しかしまあ、モリヤ旅行が後になって膨らんで 「カイン公入れ替わり説」とか、「モリヤで鉄仮面を見た」とかそんな話になったりしてw まあプエルというのは、侮られるという世界史的決定事項なんで、何事も仕方ないんですがw なんか、後々DIO様の仕込みで「偽カイン公事件」とか起きそうでw 「なぜ姉様がいっしょじゃないのじゃ」ってぶちぶちぶちぶちぶーたれてたのに、 いざ「このようになさってください」と役が振られると大喜びですねw 判りますw 335 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/23(日) 22 49 21 [ LtRGWeoY0 ] 333 幸いな事に、彼らは50代になってWW2で蹂躙されることはないんですよ。 世代的にはパットンとかアイゼンハワー、ないしその下なので、南方戦争からの歴史で取り戻しは聞くのでしょう。 ただ、内戦終結した後でも、戦争に行った若手が一門になかなか従わないというのはありそうです。 336 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 22 51 18 [ 4BHuhTHI0 ] 335 魔族戦争がありそうで怖いんですが>< 337 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/23(日) 22 55 12 [ LtRGWeoY0 ] 336 帝國中央まで魔族来るんでしょうかあれは? 338 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 22 55 57 [ 4BHuhTHI0 ] 337 出兵側だと思います 339 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/23(日) 22 59 18 [ LtRGWeoY0 ] 338 一応それなら英仏ソよりはマシじゃないでしょうか。 あと帝國は徴兵制ではないので総動員もされてませんし。 340 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/23(日) 23 00 05 [ LtRGWeoY0 ] 339 そして考えてみれば、ソ連のWW1従軍世代というのは実に大変だ(^^;; 戦争、革命、粛清、戦争とか、人生がハードモードすぎますw 341 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 23 00 39 [ 4BHuhTHI0 ] 339 貴族全滅の英とか、人工が歪んじゃう仏とか、いやあああああ>< 342 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 23 01 21 [ gDg9VHhA0 ] 334 ケイレイ様 はい。本当にそんな感じになるんでしょう。きっと発条音に乗っても同じなんじゃないかと。このアレシアは。まあ、オスミナに行って酷い目にあって、でもヴェルキンと一緒だと精神的には大丈夫なんでしょう。なんというか、ゴーラの女らしいというか。 とりあえず、大北方戦争の功績も、周囲からは部下のおかげ扱いでカイン公に対するあなどりがずっと抜けないんじゃないかと思っているわけですよ。カイン公にしてみれば、その侮りは武器として使えるとぱぴっと判断できて、そのように振舞うんでしょうけれど。さすがプエルだ(w で、DIO様がちょっかいをかけてくるかどうか、ですねい。むしろカイン公を篭絡しようとして失敗して、「私はカイン公を恐れてはいない! つまり、カイン公という男はあなどれんということだッ!」とか言ってくださいそうで。やっぱりなんぞ陰謀でも仕掛けるのやもしれず。本当にDIO様はDIO様だ(w 335 葬務官様 まあ南方戦役の頃には30代で、その後しばらくは併合した地域の治安戦で苦労するくらいでしょうし。いや、くらいという事はないわな。治安戦は本当に大変ですから。 343 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/23(日) 23 05 59 [ LtRGWeoY0 ] 341 フランスはあのお陰でフランス革命・ナポレオン戦争と普仏戦争で減った人口がまた減るという……。 342 むしろ、内戦の占領地での経験が役に立つ、のでしょうか?(^^;;>治安戦 韓国の白将軍は、治安戦は現地の兵力育てないとダメだって本に書いてましたが。 344 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 23 11 01 [ 4BHuhTHI0 ] 342 ああもう、理想のゴーラの女だw ここで戦乙女になるとはw なんかもう、帝國が着実に多文化化していてうれしいやらもうw だって、僕の脳内の端っこで「戦乙女の称号は私のものでは無かったのでは?」的な恐い微笑を浮かべる 東方の森の王国の姫君がいらっしゃいましてw そちらの姫君の文化背景がおっしゃるには、魔族とガチに戦ったのはゴーラじゃなくて東方王国だとw カイン公も、「御大将が功績を上げられるなら、揚げてもらっても構わないから」みたいな感じでw というかサウル・カダフに「できればいろんな人が活躍してくれると僕も楽なんだけど」みたいなリクエストが来てw 「配るのは少なく、得るものは多くですか、それは面倒ですなあ」みたいなw DIO様とカイン公の対面も、あれば面白いでしょうねえw 345 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 23 13 31 [ 4BHuhTHI0 ] 343 「はーい、貴族は統治ノウハウをもって集合してくださーい」って怖い集合呼集が聞こえた気がしてw 346 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 23 22 26 [ gDg9VHhA0 ] 343 葬務官様 治安戦は、現地人同士を争わせる形で双方疲弊させないと、際限なく兵と予算を消費しますからねい。しかも宗教が違いますから、一層大変なんじゃないかと。 344 ケイレイ様 なんせアレシアもオクセンシュルヌスの女ですし、古人ですし、カイン公の言い草じゃないですが、ゴーラ文化圏の娘ですから(w でも、シル子はまああれは別格なので(w 確かにシリヤスクスとかカストレウスとかあたりは、自分たちこそ東方魔族から人類世界を守ってきたのだ、と主張しそうですし。 で、カイン公もサウル・カダフも、なんというか侮られる事に関して、それも計算のうちみたいなところがあるでしょうから、あれこれ悪い事を考えるのでしょう。で、御大将ですか。御大将ですか。大切な(ry まあ、あの一回こっきりではもったいないキャラではありますが。で、御大将対蒼天呂布とか、何その怪獣大決戦みたいな(www あと呂布vsガッツとかもあるんでしょうねい。なんというか、本当にすっごい戦いになりそうだこと。まあ、徐庶とか、張遼とか、高順とか、ゴーラ本国から来る予定ですし。ゴーラ南岸のキャラをどうしよう? 本当に。で、オスミナのキャラが薄くてどうしよう?(w 347 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/23(日) 23 26 29 [ LtRGWeoY0 ] 345 現地の協力者(つまり向こうの国での「裏切り者」)を見つけないといけませんねえ。 346 南方古人を「解放」して現地での協力者にする、という思いつきは出ました。 それでベリサリウスとかマリエス辺りとかを絡めてネタに出来そう気がしますが、するだけかもしれませんw そして呂布vsガッツとか近寄りたくないんですがw ゴーラはなんというか脳筋ばっかりで、ボスヤスフォートみたいなのはいないんでしょうかw 魔法系ですと、後にはやてと絡むハラオウン親子とかグレアム提督ぐらいでしょうか? 348 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 23 27 52 [ 4BHuhTHI0 ] 346 何かものすごいものの扉が開きつつあるようでw ちょっとゴーラ、いつのまにこんなに強くなったんだとw おハルさんチームが対抗加入しても、まだゴーラはゴーラで何とかしそうな気配がw 御大将対蒼天呂布ってwww だめだwwwもうwww やっべw キャラ力強すぎてw 南岸、ほんとどうしましょうw 三か国あるんですよw 349 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 23 37 06 [ gDg9VHhA0 ] 347 葬務官様 とりあえずゴーラにも魔導師はいるでしょうし、蒼天孔明みたいな変態も、スカリエッティみたいなマッドもいるのでしょうけれども、やはり総合的には脳筋なんでしょう、多分。 で、せっかくガッツを765~767の上に置くんですから、そりゃあ蒼天呂布も出てくるわけですし、対決させたいじゃないですか。怪獣大決戦的な意味で(w 348 ケイレイ様 元々蒼天系でいこうとは、ゴーラ帝国を設定した当時から考えてはいたんですが、グインネタが先に来ていたんで、結晶化するのに時間がかかってしまいました。 しかし、本当に南岸三カ国どうしましょうねい? スカニア大公が蒼天袁詔で、ヴィーキア大公が蒼天孫権なのは決めているんですが。しかし、蒼天董卓が皇帝なんですから、下手なキャラだと確実に食われますし。 ちなみに蒼天呂布の子供がクロノとか、あほうな事を考えていたりしてみたり。よかったな、父親じゃなくて母親の方に似て(w しかし、このリンディさん、絶対に未亡人にならないくさいあたり、蒼天呂布のキャラ力というべきか。 もう、グインのメインキャラですら、蒼天キャラにはキャラ負けしているところがあって。本当にどうしましょう?(w ナリス様とか出てきても、絶対に活躍できそうにないですし(www 350 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/23(日) 23 40 35 [ LtRGWeoY0 ] ……一カ国がグインのクム3兄弟、もう一カ国がユラニア3姉妹、最後の一カ国がイシュトもアムネリスもいないモンゴールとかなら蒼天薫卓が介入する暇も無く戦争終るかも……(鬼 351 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 23 41 21 [ 4BHuhTHI0 ] 349 クロノきちゃいますか、クロノwww 行きましょうクロノw リンディ提督もそりゃあ、なんというか、いつのまにかえらい権限持ってるのが自然というかw まあ、スカールとリーファは馴染みますよねw>グイン それでも立派に力負けしてていてw あのスカールで力負けですよw どんだけだとw あとは・・・ え? ノスフェラス組とかw 人間捨ててもまだ勝てないwww 蒼天強すぎですってw っていうか、フィンゴルドも死にそうでwww がんばれヒルデガルド様w 352 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/23(日) 23 52 12 [ gDg9VHhA0 ] 350 葬務官様 いやいや、さすがにそこまで弱くはないんじゃないかと(w というか、むしろ蒼天董卓帝が迅速に動いて援軍を送り込む方がありえるのではないかと思うわけですよ。もしくは、戦前に兵を派兵しておくとか。 まあ、最初に来るのは蒼天徐庶あたりなんでしょうけれど、それでもキャラ力だけで南岸三カ国の合計よりも強そうではありますが(w 後に蒼天董卓帝に復命して、「南岸三カ国はどうだ」「語るに及び申さん」「帝國軍はどうか」「語る言葉がござらん」とか(w 駄目だ、もうなんとかてこ入れしないと、本当に雑魚キャラどころか、北斗の拳のモヒカンにひゃっはーされる村人扱いになる(w 351 ケイレイ様 確かにスカールとリーファならなんとか、な気もしないでもないんですが、それでも蒼天勢のキャラが濃すぎて完全に脇役扱いで。しかもノスフェラス組を出してもまだ勝てる気がしないという(w 本当に蒼天勢はキャラが濃くて。さすが帝國と対等に戦い続けた超大国だけのことはあるといいますか。まあ、フィンゴルドも、ヒルデガルド様の御父上は蒼天キャラなので、多分大丈夫なんじゃないかと(酷 蒼天関羽あたりでどうでしょう?(謎 で、ここでクロノを出しておかないと、多分このゴーラですと永遠に出る機会がなさそうで。まだスカさんは戦闘機人とかネタ系で登場できる余地があるんですが、その他のキャラですと難しそうで。だって、蒼天呂布とか、なのはさんの全力全開SLBすら方天画戟でぶった切りそうで(w このゴーラの近衛軍なら、魔族兵軍団とも一歩も引かずに戦いそうですし。なんせ、蒼天張遼と蒼天高順ですから。本当にどうしよう、南岸三カ国。このままだと弱すぎてあっという間に蹂躙されかねなくて。 353 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/23(日) 23 57 15 [ 4BHuhTHI0 ] 352 では、蒼天関羽で一つ>(´д`;)ヒルデガルド様も父上様に似なくてよかったw もう、蒼天で完璧に何かが決まったというかw これはもう「グスタファス候必死だったんだ。かわいそう」と思えてくるレベルでw 北方辺境が10年戦いえたのも、このゴーラと戦うつもりだったからなんだと、しみじみ納得するというかw ホント、南方のどっかはケイロニアをそのままはめ込んでも、まだ蹂躙されそうなw それどころかグインがいても危なそうと言うかw っていうか、SLBぶったぎる蒼天呂布が普通に目に浮かんでwww どうしましょうw 本当にw 南岸三国にケイロニアと、ユラニアくらいじゃマジで簡単に踏みつぶされそうでw 354 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/23(日) 23 58 51 [ LtRGWeoY0 ] 352 「南岸三カ国はどうだ」「語るに及び申さん」「帝國軍はどうか」「語る言葉がござらん」 この二言で事情を察しそうな董卓帝が「ならばワシが出るしかあるまい」「ははぁっ!(by諸将)」で事が決まりそうな予感がするのですがw いかん。このままでは確かに南岸三国がただの英雄に踏み潰される中華の大地ですw どこかからキャラを引っ張ってこないとどうしようもありませんねw ゴーラ三国が恋姫三国志なら、南岸は一騎当千とかから持ってきますか?(w 355 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/24(月) 00 00 08 [ HYLG7SVA0 ] 354 やべえwww もう見える様だwww 356 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/24(月) 00 07 08 [ Ndw1p3r60 ] 355 詳しく描写すると 「ならばワシが出るしかあるまい」 「恐れながら、陛下を持ってしても難き敵かと思われます。」 「なんと!蒼天徐庶殿は陛下の力をお疑いか!無礼であるぞ!!(by諸将)」 「静まれい!」 「ははぁっ!(by諸将)」 「蒼天徐庶よ。グスタファスを倒した敵が易き事などありえまい。だからこそ余が向かわねばならぬ。さもなければゴーラは海を失うであろう。」 「はっ!」 「出陣の用意をせい!皇帝親征である!!」 「ははぁっ!(by諸将)」 でまあ。後方とかはゴップさんが固めるんでしょう。ORIGINでえらい有能な軍政家でしたしw 357 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/24(月) 00 09 04 [ Nr4BoSI20 ] 353 ケイレイ様 そりゃあ、蒼天関羽なら、フィンゴルドを建国できても当然ですよね(w でも、立地的には呉の方が近い気がせんでもないですが。つまりそのうちヒルデガルド様には陸遜がつくわけですか。ならなんとかなりそうですねい。 で、確かにこんなゴーラ帝国と向き合っているんですから、そりゃあグスタファス候の軍隊も精強なわけですよ。そら帝都を陥落させてレイヒルフトに変わって帝國を支配できるとか思いますよ(w いやだって、普通の帝國軍だと、蒼天張遼に蹂躙されて、「遼来来!!」って逃げ回りそうな絵面が浮かんできて(w やっぱりキャラ力が強すぎます。本当にどうしたものか。 354 葬務官様 一騎当千とか、あの美少年董卓とか、裸ブレザー呂布とかでも、やはり蒼天董卓と帝國軍の間では、結局一方的に蹂躙されそうなのが明らかで(w 呂布、張遼、高順、徐庶、と出てきていますから、次は華雄あたりが噛ませ犬として出てくるはずなんですが、蒼天華雄ですと、なんか噛ませ犬どころか、十分張り合えそうで。 本当に南岸三カ国をどうにかしないと。困ったなあ、全然思いつかない。 358 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/24(月) 00 12 15 [ HYLG7SVA0 ] 357 卒中で死ぬはずなのに、「幸せな夢を生きた」くらい言いそうで怖いんですがw>ハーラル大公w 陸遜つけていいですか、つけますよw 何かキャラを選んでw ホント、南方はどうしましょうw 思わぬところに陥穽がw 359 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/24(月) 00 18 43 [ Nr4BoSI20 ] 358 ケイレイ様 というか、逆に陸遜くらいつけないと、ヒルデガルド様が生き残れないじゃないですかー(w だって、多分カイン公は蒼天曹操くらいには悪い奴ですよ? サウル・カダフが賈駆あたりになりそうですし。うわ、こう実際に書いてみると、カイン公マジカイン公だわ(w きっと帝國軍は海軍の運用に慣れていないから、フィンゴルド相手に赤壁の戦いをやらかして大敗するんでしょう。それを考えると海軍は本気で強いな、ゴーラ帝国(w 360 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/24(月) 00 20 31 [ Ndw1p3r60 ] 357 確かになんというか、そこらのキャラではシグナム同様の戦が出来ればいい方になりそうでw というか蒼天華雄は初期の強敵ですよねw カイン君ご苦労様w 何かいい元ネタがおもいつけばよいのですが>南岸三カ国 361 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/24(月) 00 22 29 [ HYLG7SVA0 ] 359 生き残れないですねえw だって今のヒルデガルド様だって、グインのアムネリスからそうとう強化した帝國SS仕様なんですが、 それでも生き残れるとは思えなくてw っていうかサウル・カダフ≒賈駆マジでぴったり過ぎるwww 後世の歴史家に嫌われそうだし、あいつw っていうか、陸遜どうしようwww 考えろ俺w キャラ力でなんとかしないとw 362 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/24(月) 20 20 29 [ xH2XdUUo0 ] 蒼天関羽で、ヴラド・モンゴールがきれいなジャイアンになってゆくw 初登場のとき+対呂布戦のイメージを維持しておかないと今にも 「観よ、ヒルデガルド。ゴーラ湾だ。ゴーラの内海ぞ。 かつてゴーラが盛んなるころ、ここはゴーラの五臓六腑に船を巡らせる心の臓そのものであった。 いまや、それは失われつつある。 ゆえにこそ、余は未開の対岸にフィンゴルドを打ち立てた。 南岸を失いしゴーラは、それでもなおゴーラ湾を保たねばならぬ。 そのためには東岸を強める他になし」 って言い出しかねないw 「ゴーラ滅びる時あれば、フィンゴルドは、己が道を切り開かねばならぬ」 ってw 363 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/25(火) 21 29 20 [ uIrDBAtY0 ] こそこそっと更新。 364 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/25(火) 22 21 38 [ rF/qZhDU0 ] 363 お疲れ様です。 帝國軍戦列歩兵の女性士官ってこんな感じでしょうか? ttp //www.pixiv.net/member_illust.php?mode=medium illust_id=9101851 365 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/26(水) 21 40 16 [ udLJzzNA0 ] 363 更新お疲れ様です。南方戦役に参加するもっさんですか。で、サングラスをシャーリーから貰う、と。そらあもっさんがサングラスをかけたらドスが効くでしょう(w シャーリーも、中隊長やって、段列長やって、連隊副官やって、そこからはじめて上へのキャリアに上がれるというのは判っているのでしょうけれど、でも第一線で機装甲乗ってぶいぶいいわせたいから、キャリア組になるのを嫌がっているように見えて。多分彼女にとっては、中隊長くらいが一番楽しい役職なのやもしれません。 もしくは、白の三の中隊長やってから、黒騎士になるとか、あくまで戦闘中隊勤務を志望しているとか。それでも段列長やって、連隊副官やって、それから黒騎士になるというのもあるのでしょうけれど、でもそれでは組織管理者として黒の二大隊に配置されることになるから、戦闘中隊勤務から外れる事になるわけで。 もっさんとしては、シャーリーに自分の代わりに連隊を指揮できるくらいになって欲しいのでしょうけれど、でもそれはシャーリーの希望とはずれているのでしょう。これがペリ犬さんだったら、大喜びで勤務するのでしょうけれど。南方戦役の時のペリ犬さんって、どこら辺まで昇進、もしくは昇任しているのかしらん。 364 雰囲気としては近いのではないでしょうか。ただ、胸当てとかの重量になりそうなものはついていないのではないかと。あと帝國軍の制服は将校は基本的にダブルですから、総裁時代にナポレオンが着ていたジャケットの方が雰囲気としては近いと思います。あと帝國軍は基本的に黒色が基調ですので。 366 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/26(水) 22 02 58 [ zTbkH.tA0 ] 365 蟹様 ごきげんよう。 胸甲騎兵でもない限り甲冑はなし、と考えてよろしいでしょうか。 それと制服は黒が基調でダブルの件は了解しました。 考えてみると内戦以降は貴族軍が激減するので、制服のバリエーションはその時が一番多いのかもと思いました。 ナポレオン戦争ですと一カ国の中でも結構色とりどりでしたし、ドイツ諸邦はバラバラでしたしw 367 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/26(水) 22 10 46 [ ulxyFZVM0 ] 365 戦後って何だろうと思ったんですw 日本人にとっては、サングラスのマッカーサーかなーとw だから、サングラスのもっさんは、戦後のもっさんというイメージでw さすがにコーンパイプはどうかと思ったんですがw でも、たぶんもっさんは煙草をのむ人な気もw パイプじゃないような気もするんですがw ホントは、アレシアのゴーラの女という、フレーズにキュンキュンきてw 黄色中隊もそうだから、いじると何か出てくるんじゃないかなと期待してましたw 北国の娘さんたちが南方にいったら日焼けが大変だろうな、とかワケワカラン方向性にw 結局、キャラかよっ!みたいなw シャーリー的には、出世にはあんまり興味がなさそうでw でも戦闘中隊勤務は、ある意味華というか、本懐というか、そういう意味でそっちの方がいいなーと思ってる気がして。 結局、戦闘中隊で戦闘して見ると、思っていたのと違うのが判る気もして。 戦闘中隊では、機材は文字通り消耗品みたいなもので、乗り手も機材もギリギリまで酷使されて壊れてゆく、みたいな。 飛行クラブじゃないパイロットと、TFRおやびんがおっしゃっていたのがずーっと頭に残っていて、 戦士の感覚を持ちながら、工部のこともわかる、みたいな面白い立ち位置に立ってくれるとおもしろいかなーとw 土魔道の人のキャリアなんて話もありましたねえw 機装甲なんて、ものすごく経験的に作られてる気がするんです。解析はまだまだ将来のことなんでしょうし。 白の三で編成される魔道連隊が実現しても、たぶん小さくて小隊、大きくても中隊くらいで支援任務に就くことの方が多いんじゃないかと。 逆に言えば、それぞれの小隊長、中隊長には高い資質が求められるだろうから、魔道連隊の幹部将校というのは、けっこうなエリートになるんじゃないかと思ったりもして。 ペリ犬さんは、魔道課程を過ぎて、原隊復帰して、原隊でばりばりお仕事をして、研究発表とかしちゃったり、教育改善とかしちゃったり、運用幹部になって訓練をコーディネートしたり、白閣下に対する朴みたいな仕事っぷりで知られるようになるようなw でもきっと、シン事件のとばっちりで、評判ほどは出世は早くないのかもw 「すまん、俺の所為で」とか言い出すシンを相手に、みゆきち声で「ばかー!」って(ぐはっ!ペリ犬さんマジかわいいw 普通なら上から目がついて、親衛軍栄転とかありそうなんですがw どうなんでしょうw それでも、早いうちに中隊長になったり、先任中隊長になったり、そっちから参謀系のキャリアに進むべく、軍大入学をかけて猛勉強はあるとおもいますw 368 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/26(水) 23 46 21 [ zTbkH.tA0 ] ttp //gamerabbit.jp/2012/06/19/svd_20120619_01.jpg これを見ていると、何か古人(と南方古人)について妄想が沸いてくる私w 369 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/26(水) 23 57 37 [ s7QEAZKo0 ] ホント、セルベリアたんは、まず乳!これなんだなあ、とw やっちゃえばいいんですよ>南方古人 前にも言ったかもしれないですけど、ハ・サール占領後の治安戦であれやこれや醸され未満のアイデアがあるんですが、 チャンスがあればやりますよ、僕w 突如もっさんを書いたりするくらいにはw 歩兵の古人とかも。 「機械に乗ると冷え性で」とかw 370 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/09/27(木) 00 02 03 [ 6E.vHmbQ0 ] 366 葬務官様 ごきげんよう。内戦中はまだパイク兵が多用されていましたので、パイク兵は鎧を着用していますが、あとは胸甲騎兵くらいでしょう。 そしてパイク兵に女性が配属されることは無いでしょうから、女性で胸甲を装着するのは胸甲騎兵くらいなのではないかと。 内戦中が一番軍服のバリエーションが多いというのは仰る通りだと思います。各一門ごとに一門色があって、さらにそれに各諸侯ごとのバリエーションが乗っかるわけですから。 多分完全に統一された軍装というのは、東方辺境軍と近衛軍だけなんじゃないかと思います。内戦中も、ナンバー軍団のみが統一された意匠で、近衛軍以外の諸侯軍はばらばらだったのではないでしょうか? 367 ケイレイ様 なるほど、内戦後のもっさんだから、戦後ということでサングラスですか。確かにマッカーサーのサングラスとコーンパイプのインパクトは大変なものがあったでしょうし。 もっさんも兵隊ですから、煙草は飲んだと思います。でも、内戦中期以降の教会軍はその手の嗜好品はどんどん減っていって、将校のみに配給される贅沢品になっていったんでしょうし。 で、ゴーラの女、というフレーズは、帝國SS世界では強い女の代名詞扱いなのかもしれません。実際ゴーラの女は強いですし(w いえ、蒼天孫権の姉が恋姫孫策で、ヴィーキア海軍を仕切っているとか電波を受信していたりするんですが(w なんというか、蒼天航路と恋姫無双がちゃんぽんになって頭がふっとーして大変なことになってしまっています。いや、蒼天董卓帝の子供が恋姫董卓な時点でもう何をかいわんやという状況ではあるんですが(w そらゴーラの女ならもっさんがもっさんでも仕方が無いさ(w で、北国の女性が南へ行ったら、そらお肌が大変な事になるでしょうねい。帝國軍としても一応南方向けの軍装とか用意したのでしょうけれど、やはり実際にはあれこれ問題が出るのでしょうし。 シャーリーは機装甲が好きで軍にいるような感じの子ですから、やはり部隊管理をやっていても、これじゃない感をずっと感じていそうで。だからといって仕事の手を抜くような真似はしないのでしょうけれど。 TFRおやびんの仰っていた、飛行倶楽部じゃないパイロットというのは、全体の中でパイロットに求められる役割を理解してパイロットをできる人間、という意味でしょうから、そこは将来の成長に期待かな、というころなのでしょう。 で、ペリ犬さんは、ごりごり仕事しまくって、評価は高いんですが、中々上に上がれなくて、本人もそれは不満なのでしょうけれども、でもそれを表に出したりしないくらいの度量はあるのでしょう。まあ、どうせそういうタイプのキャラはどこかで大ガイユス倶楽部の人間か、あるいは我らがランヌ元帥あたりの目にとまって引っぱり上げてもらえるチャンスが来るんじゃないでしょうか? そういう、逆境にあってもめげないしくさらない人間というのを好みそうですし、大ガイユスの薫陶を受けた人間は。多分、軍大学を優秀な成績で卒業して、でもドサ周りさせられている最中とかに。 371 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/27(木) 00 14 51 [ KzDOnoN60 ] 370 フランス共和国親衛隊の騎兵連隊(国家憲兵所属)の胸甲騎兵に女性の方が前にいましたのであんな感じでしょうか。 そして諸侯軍がそれぞれバラバラなのもありそうな話で。 逆に言うと、一門で軍服を宗家が統制できているところは有力一門か、軍事的実力があるんですねw 372 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/27(木) 00 26 32 [ R6nXCjOo0 ] 370 行きましょう>恋姫孫策 決定!承認!異議なし! 蒼天呂布部隊を輸送する、恋姫孫策船団って、絶対事件が起きて面白くなりますってw 蒼天陳宮が涙ぽろぽろ流しながら右往左往してw 蒼天航路はパワーがありすぎて、読むと完璧に脳内が汚染されてしまって怖いですよw それに恋姫ときたらマジ毒電波結合ですw どんどん行きましょうw シャーリーは実際、今は乗ってることが楽しい→機械としての機装甲が楽しいあたりなんでしょう。 魔族戦争の終わった後で生まれて、内戦の惨禍にはそれほど晒されず、現実に機装甲で戦争を行うと言う事は、あまりピンと来てないような気がしなくもなく。 大量の機装甲を扱う、という立場になることは、きっと彼女のキャリアの上では重要なことになるんだと思うのです。 それががっつんがっつんどつきあって、戦場での覇権というか、威力を発揮するというか、そういうことの理解というか。 単機で切った貼ったじゃなくて、と。 そう言う意味で、飛行クラブじゃない人を模索したくてw 模索したからどうなるってもんでもないんですがw そういう事が判っている人の戦闘指揮って、帝國SSでは意味がありそうでw 難しいことは判らないけどとにかく最強のぴよちゃんがいるんでw その逆というかw ペリ犬さん、どこかで我らがランヌの御眼鏡にかかりそうな気もしたんですがw 何となくペリ犬さんって、周りの人がついてゆけない仕事っぷりな気がしてw それでなんとなくルイ・フランシスを思い出したりw 我らがランヌのことは思わないではなかったんですがw 僕の脳内のペリ犬さんが「何でもかんでもランヌ閣下にたよれないでしょう!」とか言い出したんでw 頼っちゃえば面白いのに、と思ったりw ランヌにしても、大ガイユス倶楽部にしても、着任直後からゴリゴリ使われるだろうから、そここそが面白いんですがw メガネをキラっと光らせて、自分より上級の人を論理で圧倒するペリ犬さんなんて、思い浮かべるだけで面白すぎてw 373 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/27(木) 20 53 28 [ AA0ZVBqU0 ] ttp //d3j5vwomefv46c.cloudfront.net/photos/full/651165651.jpg?key=621800 Expires=1348747467 Key-Pair-Id=APKAIYVGSUJFNRFZBBTA Signature=HnXRUcq1XPEvKpmB4ACymWBNRCddJFFVROb9xvczqe8ho3-7rXKP0UZ5q-uJUM1pmPozFGmZtLq4xO~f28KJychvpAWsWTwlj-0Bg1496ZdSC3DHN-EFxNWmFd34V38mEyrvggyHBXtykZyZd2v5HUK2GyiMJDMbH5s0yzGLsUc_ 「魔法少女ってのはね、なってしまったら続けるしかないんだよ」 ttp //twitpic.com/aroqmr/full かっこよすぎです、マミさん! 374 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/27(木) 22 42 33 [ KzDOnoN60 ] 373 ごきげんよう。 このマミさんはマミられそうにないですね。傷を受けて血反吐はきそうではありますが(マテ 375 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/27(木) 22 47 42 [ AA0ZVBqU0 ] 「あんただけは、必ず倒す!」 とか言い出してシャルロッテを巻沿いに自爆しそうな感じでw 376 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/27(木) 22 49 32 [ KzDOnoN60 ] 375 つまり杏子は師匠の業を受け継いだんですかw 377 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/27(木) 22 51 18 [ AA0ZVBqU0 ] 375 ワザと読むべきか、ゴウと読むべきか、まだ迷ってるんですがw シャルロッテ鬼畜攻めXマミヘタレ受けを、マミ鬼畜攻めXシャルロッテ誘い受けに変換とかry 378 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/27(木) 22 54 35 [ KzDOnoN60 ] 377 どちらでもあっていそうでw そしてシャルロッテ誘い受けですかw 379 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/27(木) 22 56 08 [ AA0ZVBqU0 ] 378 まどマギの魔女を、再擬人化して利用するとか、そういうあたりもw 380 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/27(木) 23 01 28 [ KzDOnoN60 ] 379 どこかで生前の彼女のイラストを見た覚えがあるのですが、二次創作かな? 381 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/27(木) 23 03 56 [ AA0ZVBqU0 ] ttp //lohas.nicoseiga.jp/thumb/1111695i こんなのは見つけました。普通すぎてつまらないなあ(ヲヒ 382 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/27(木) 23 08 51 [ KzDOnoN60 ] 381 確かになんというか普通なので、別の視点がほしいところですよねw 魔法少女っぽい何かがw 383 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/27(木) 23 11 09 [ AA0ZVBqU0 ] 382 何をやっても「アリだな」というこの時代ですからねえw とはいえ自分で何か思いつくかっつーとそういう訳でもなく。 384 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/27(木) 23 12 44 [ KzDOnoN60 ] 383 魔女になった娘さんは全員、武器無しで拳で戦うとか…それじゃプリキュアだw 385 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/27(木) 23 34 16 [ KzDOnoN60 ] やはり劇団イヌカレーの人に衣装をデザインしてもらうほかないのでしょうかw 386 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/27(木) 23 35 29 [ AA0ZVBqU0 ] たぶん、SAN値直送になりすぎて人類が理解できない的なw 387 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/27(木) 23 48 48 [ KzDOnoN60 ] 386 軍服でも着てもらいますか?(w 388 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/27(木) 23 53 25 [ KzDOnoN60 ] あるいはヴァルキュリア人みたいな謎衣装とかw 389 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/09/30(日) 00 16 23 [ K6CR/VOQ0 ] コソーリ 390 名前:名無し葬務官 ◆469DvWy22w 投稿日:2012/09/30(日) 18 39 00 [ YmkzMQUo0 ] 東京はそろそろ台風の雨風が強くなってきましたが、皆様ご無事でしょうか。 391 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/10/03(水) 22 23 23 [ vIemTdLo0 ] 389 更新お疲れ様です。最近夏の疲れが出てきたのか、モニターに向かっていても目の焦点があわなくて文字が読みづらかったりいたします。本当に歳は取りたくないものです。 カイネの町でヒルデガルド様が後の黒竜戦役のための仕込みに入っておられますね。で、ゴーラの赤獅子()も登場して、徐々に話が動き始めているようで。 町の兵隊にモンゴール、じゃなくてフィンゴルドの息のかかった者を入れて、後のオスミナ侵攻のための布石を着々と打っていて、なんというかまさに横山三国志の策士の策のような感じがとてもわくわくします。 考えてみれば、帝國ではそういう策士の策というのが基本的に通用しなくて、組織力と利権と金で物事が動きますから、どうにもファンタジーっぽくないのですよねい。 ゴーラ帝国ネタは、そういう意味ではかなりファンタジー側に舵を切った話になりそうです。 392 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/10/04(木) 21 25 18 [ z51WOENk0 ] 391 おつかれさまです。目は結構きついですからねえ。昔、急に目が悪くなったとき、眼科に行ったら、眼鏡のレシピと、それから眼筋の疲れを取るための?目薬なんかもらったりしました。お大事に。 目が悪くなったら、読書も模型も駄目になるかなあ、と思うと、今でも恐怖なんですが。 何しろ蒼天航路なのでw フィンゴルドはたぶん、ゴーラの中でも格落ちだとみられているでしょうから、利益代表はいないだろうなあ、とか スカニアやヴィーキアは、遠隔地であるからこそ、利権確保の動きをキメキメに決めてきてたんだろうなあ、とか 帝國はどうなんだろうとか、いろいろ考えていたり。 北方辺境からのものと、中央からのものと、それから間違いなく北方経路調査のためにDIO様の手の者が入ってるでしょうけど、 DIO様の手のものは「あの情報を高く売る」のかなあ、とか。 比較的早くに人とカネが逃げ出したのは、高く売られたからなのか、それとも標準の手続きだったのか、とかw まあ仕込みなので、間を取って広めに広め二という感じでw そんなことを思ってましたw 393 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/10/08(月) 23 07 28 [ fRPJmF4c0 ] 392 更新お疲れ様でした。フェイトそんがルイズ姫ですから、そりゃあ触らせてくれるわけがないですねい(w 確かにそれは盲点でした。というか、私自身も気がつかなかったりしていたり。 で、さりげなく場に入り込んでフェイトそんをもふもふしているルスカシアがちゃっかりしていて可愛いといいますか。で、色々と細かいアリア姫とヒルダレイアもあれですし。うん、みんな可愛い、癒されます。 ここしばらく三国志にどっぷりはまっていて、この歳になってこんなに面白い物語というか、ネタだったのか、と、ずぶずぶです。そりゃあ2chの三国志板が荒れるわけです。 ちなみに、曹魏の大陸統一が遅れた理由に、鉱物資源の不足による通貨政策の失敗があって、蜀漢を陥落させて関中と蜀の鉱物資源を確保して経済的安定を確保できてから、ようやく長江周辺の資源地帯を押さえている孫呉を攻略できるようになった、という指摘は、目からうろこでした。 このネタは、ゴーラ内戦に使えるなあ、と。なんせゴーラも鉱物資源と工業製品で喰っている国ですし。で、フィンゴルドって、きっと手付かずの鉱山とか一杯あるでしょうし。 今ちょっと三国志で頭が一杯なので、SSを書き出せるまで時間がかかりそうなので申し訳ないです。蒼天航路と恋姫無双で頭の中がぐちゃぐちゃなもので。両方ともキャラが立ちまくりですし。 394 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/10/08(月) 23 39 50 [ nAYo5xPE0 ] 393 ルスカシア、もっそい使いやすいんですよw ルスカシア一人じゃなくて、ダリア様とかアルブロシアとかも出そうかと思わないではなかったんですが、オチをどっかで見失ったんであのようにシンプルにw 三国志は、整備兵さんが非常に詳しくて、実は軍板の古典スレに、今でも読み下し文を投稿されていたんじゃないかと思います。 しかし、AA板人間としては、ぜひとも曹仁スレをw ttp //www.geocities.co.jp/SiliconValley/7170/ は、最高にいいですw すでに終わったスレなんですが。 この壮士にならんとする曹仁は、ぜひ出したくて、実は出られそうなところを探していたりw あと、三戦赤子スレ ttp //sansen.s30.xrea.com/ こちらは現行なんですが、超上手い古株の書き手さんがやっておられます。荒しが粘着してたんですが、どうなってるかなあ。 こちらの三人も超かわいいんで、オススメですw こちらの三人も(ry もう僕の中では「きれいなヴラド」となった関羽がヒルデガルド相手に教訓垂れてて大変ですw たぶん、劉備と会えなかった関羽なんでしょう。だからどっちか言えば呂布と一騎打ちしてる時の顔が通常モードというか。 というか、蒼天航路は面白いけど念が強すぎてこちらが疲労するというw 董卓の「善悪さだからぬところへと達するのだ!」ってあれがもうw 三頭政治の外に、こんな┣¨悪党がいやがったかと思ってw キングブラッドレイとキョンの組み合わせでも、勝てるかどうかw すでにレイヒルフトに心服してる身としては、解脱董卓などに首を垂れる訳にはゆかないんですがw ゆっくりやりましょう。帝國SSで世界と設定は非常に大事なところですしw 南岸に何かしら重要な鉱山があるんじゃないかと、実は思ってました。 あるいは北岸の森林保護がどうなってるか、とか。 巌族とゴーラとの間に長い抗争や、征服の歴史があってもおかしくないですし。 あるいはゴーラが北方森族や闇族にどう対応していたか、とか。 グインの影響が個人的にはまだのこってるので、グイン外伝の北方人らが董卓の出自みたいな気もしてますしw 董卓とゴーラと三国志って、ふつうの人は10年かかっても呑み込めませんよw 時間のある限り、その時間を使いましょう。 395 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/10/11(木) 18 55 27 [ jiaLL.FU0 ] 蒼天関羽の下った姿と、100日の放浪と覚醒が消化できなくて悶々としてる。 だから、代わりに劉備の姿が、若き日のサウルカダフに見えて泣ける。 意味が分からないと思うw でも、そうなんだ。 きっと、サウル・カダフは南方を放浪してたんだ。獣人であるがゆえに、後ろ盾ももたず、 才能も能力もあるけれど、重要な仕事は任せてもらえず、その日シノギの仕事をしながら、半分世を拗ねてたんじゃないかと思えるんだ。 奴は蒼天劉備じゃない。奴は野良犬だろう。 自分に器が無いことを、多分痛いほど知ってる。 きっと、ある時、セレニアあたりから東方辺境に入ったんじゃないかと思う。いつか、きっとレイヒルフトと出会って、魅入られちゃったんだ。 いや、彼はきっと、彼しか覚えていない、一宿一飯の恩義を忘れてないんだと思う。 それはきっと、飢えていた彼に一宿一飯を与えただけじゃないだと思う。自尊心にすら飢えていた彼を認める何かだったんじゃないかと思う。 実は、アル・カディアのサウル・カダフの決心を描くとき、それがちらついて仕方なかった。 だから「俺は遠くを見たいと思っていたんだがry」なんてセリフが出て来たんだ。 むかしからおねいちゃんのことを知ってる。 怖い人だと思ってる。おねいちゃんとレイヒルフトを、怖い人たちだと思ってる。シル子のことだって昔から知ってるはず。 きっと思ってるんだと思う。 姉さんによく似た顔かたちだが、あんたは姉さんじゃないって。 きっと、言葉には出さないけれど、書き手の僕より、彼女らのことに思うことがたくさんあるんだと思う。 犬は喋らないから、サウル・カダフもしゃべらないけれど。 まあ、それは僕の中の化学変化であって、設定云々じゃないんだけどw 396 名前:∠(,,゚Д゚)ケイレイ ◆nbyvo04lz. 投稿日:2012/10/11(木) 22 42 20 [ jiaLL.FU0 ] なんかいろいろ心が揺れてて、だいぶんアレだなあってw 蒼天航路、めちゃくちゃ強いんだけどw 読むだけでかなり力を吸い取られるんだけどw でも、董卓に惚れたりしないのねw レイヒルフトの方に惚れてるからw 曹操はかなり危ないんだけど、比べたら、やっぱり露骨にケツ振ってるっていうかw 誘い受けてる描かれ方だからw 郭嘉の肩もみとか、やられたら完璧に堕ちる確信はあるんだけど、書き手とキャラとの間にそういう関係を、僕は作らないほうだからw なに言ってんだかw でも、鬼族に蒼天曹操がいて、カタリナ様と戦うことがあるかもしれない、と思ったらそっちに堕ちそうでw 老成した蒼天曹操と、カタリナ様との、一度も対面しない、しかも双方の国内ドメスティックな理由の鬼族戦争ってもう、やばいわよw オレが黄巾となりそうだわよw 郭嘉とか荀彧とかが行ったり来たりする不思議な状況とか、惇兄ぃがもっそい勢いで突っ込んできて、そこに向けて砲火を放つ帝國砲兵とか 中華英雄と、神の国の神の軍隊のガチバトルって、何それハルマゲドン怖いってw だいたいさ、陸遜って聞いて、最初に三戦赤子スレの園田陸遜を思い出して、 慌てて打ち消してw とにかくwikiの記述を見ようって、記述を見て、その時にはシーブックを重ねてみようって思うなんて、アホよw どんだけ越えられない壁の恋が好きなんだ俺みたいなw でもそうすれば、カロッゾとの戦いに決着がつくじゃん、的ななにがしかがゴーストの奥底から囁きかけられてw いや、そもそもさ、蒼天関羽でしょw どう言う行き掛かりかはともかく、これまで単なる辺境だったフィンゴルドに、大公となって、というのは、それはすごいことじゃないかと。 綺麗な関羽と、憤怒の関羽とが、俺の中に生まれて怖いわよw 劉備と会わなくても、蒼天曹操と出会ってしまえば、蒼天関羽は磨かれてしまう。 蒼天董卓で磨かれるのだろうか。 いや、やはり蒼天董卓では、ゴーラは治まってないだろうか、とか。 397 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/10/14(日) 12 18 57 [ qVHYRDIM0 ] 394 ルスカシアはトリックスターですから、お話を動かしたい場面に投入すると場を引っ掻き回してくれますから、持ってゆきたい方向に合致したキャラをそこに投入すれば、あっさりお話が動きますし。 そういう意味では、私も大変に重宝しております。こういうキャラが一人いるだけで、お話を書くのが随分と楽になるといいますか。実はサウル・カダフもそういう傾向のキャラであったりしますし。 もっとも彼は、本人自身のキャラ力がすごいので、なまじなキャラですと振り回されてしまいますので、そこは投じるキャラを選ばないとカオスな状態になってしまうわけですが。 紹介いただいたスレば、あまりのカオスさに途中で読むのを断念してしまいました。私にはまだ早かったようです。曹仁も名将と言って間違いのない武将なのですが、曹操陣営は人材の宝庫ですからあまり目立たないキャラですね。 あそこは曹操一人が突出していて、他の将軍らは一段落ちる感があります。赤壁以降の張遼や、曹ヒ時代の司馬イや満寵なんかは、抜群と言って間違いのない将軍だと思っておりますが。 蒼天キャラのすごいところは、他の作家さんのキャラを確実に食ってしまってしまう存在感にありますね。例えば董卓といえば吉川英治氏の書かれたテンプレ的悪逆非道な董卓がおりますが、蒼天董卓の魔王っぷりにははるかに及びませんし。 それは横山董卓も同じで、ある意味最も突き抜けた董卓ではないかと思っております。何しろ単なる悪役に留まらず、五胡や鮮卑といった北方の騎馬民族の王として絵的に漢民族とは違う存在として常に描かれていますし。 蒼天航路は基本的に曹操ageがひどすぎてそこが鼻につくところがあるのですが、その分他の群雄も徹底的にキャラ立ちするように造型されているところが、凡百の主人公age漫画とは違うところだと思っております。 三国志について調べていて思ったのは、後漢中期以降の北方の騎馬民族対策の破綻と、貨幣経済の浸透による経済発展に、国家的イデオロギーである儒教の現実との乖離が発生して、それが漢王朝の崩壊の原因となっているな、という感想を抱いております。 儒教イデオロギーに縛られていたために、他の文化圏を蛮族として対等の外交相手として認められず、その結果として五胡や鮮卑、その他の北方騎馬民族による華北への侵攻を招き、五胡十六国時代を招いたあたり、北方の騎馬民族問題は漢民族にとって常に最大の懸案であったのだなあ、と。 正直、私が三国志ネタに手をつけるとなると、この北方騎馬民族問題を主題とすることになりそうです。 398 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/10/14(日) 12 38 15 [ qVHYRDIM0 ] 394 で、レイヒルフトが蒼天キャラと比較しても一歩突き抜けているのは、やはり多民族多種族国家の建設を視野に入れたイデオローグだからではないでしょうか。 彼は基本的に魔族と人族などの異文化同士が混在した文明圏の建設を視野に入れている節がありますし、それを正確に認識しているのがカタリナ様なのでしょう。 そこが、あと一歩突き抜けて北方騎馬民族帝国建設までゆきつけなかった蒼天董卓との器の差であって、┣¨悪党同士であっても、そこは大陸縦断帝國を建設してしまうレイヒルフトと内海帝国の維持が精一杯であった蒼天董卓との格の差になるのではないでしょうか。 ゴーラ皇帝董卓は、ゴーラ湾交易によって得られた莫大な富の再分配に辣腕を発揮し、三大公、四王国からなるゴーラ湾沿岸諸国をもってゴーラ帝国を維持していたのではないかと考えております。 ですから、フィンゴルド関羽を大公に任じたのも、対巌族問題の解決を目指しての事でしょうし、ゴーラ湾からフィンマルク湾にかけての内海航路の完全な掌握を目指してもいたのではないでしょうか。 ゴーラ帝国北方や東方の巌族との関係は、森林資源、ひいては水利問題を巡って常に緊張したものであったでしょうし、巌族も勇壮な種族ですから、抗争は常に発生していたことでしょうし。 そうしたゴーラ帝国外の諸種族や諸国家との関係性について、常に留意しつつ政治を行っていたのがゴーラ董卓帝の偉大なところであって、それだけの器量は、スカニア袁詔にもヴィーキア孫権にもなかったのではないかと思っております。 フィンゴルド関羽は、その点についての理解はあったでしょうし、そのために巌族との良好な関係を築くことを常に念頭においてフィンゴルドを経営していたのでしょうけれども、それを理解していたのはゴーラ董卓帝のみであったのが、彼の不幸であったのかもしれません。 黒竜戦役勃発の引き金は、カイン公による大北方戦争勃発であるのでしょうけれども、フィンゴルド関羽にとっては、あくまでフィンマルク湾東岸を自国影響下に置く事で、戦後のフィンゴルド経営を常に念頭においていたのではないかと思っていたりします。 それを考えますと、巌族生存圏と直接接触しているフィンゴルドが、帝國と有効関係を結ぼうとするのは、後背の安全を確保する事を考えれば当然の事なのではないかと。 399 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/10/14(日) 13 07 47 [ qVHYRDIM0 ] 394 後のゴーラ内戦は、最終的にはヴィーキア孫権とスカニア袁詔没後に、司馬イが出てきて中央集権国家化に成功して終わるのでしょうけれども、その中でのフィンゴルドの立ち居地というものがちょっと見えてこなかったりいたします。 なにしろ蒼天董卓の次のゴーラ皇帝が恋姫董卓で、その権威を守るために蒼天呂布が国士無双の大活躍をすることになるのでしょうし、その下ではやてちん達があれこれ頑張るのでしょうけれども、そこにどう司馬イが絡んでくるのかが見えなかったりするもので。 ここではやてちんが司馬イになったりすると大爆笑なのですが、さすがに彼女にはそれだけの器量はないだろう、ということで。 スカニア袁詔がゴーラ帝国皇帝を偽称して、蒼天呂布に討伐されることになった時に、フィンゴルド関羽を失って内紛状態に陥ったヒルデガルド様がどう動くのか、そこがゴーラ内戦のハイライトになるのではないかと思っていたりします。 ヴィーキア孫権は、そこはこすく立ち回って、勝った方にヴィーキア海軍を高く売りつけるつもり満々なのでしょうし。ここでヒルデガルド様に登用されたフィンゴルド陸遜が、見事な奇策で大活躍してくれることを期待したいかな、と、思っていたりします。 ヴィーキア孫権としては、常に王冠盟邦商船隊や、連合王国商船隊との競争が念頭にあって、それ故に両国海軍のゴーラ湾への影響力伸張が最大の懸案事項であり、常に注意しなくてはならない問題なのではないかとも思っております。 なにしろ王冠盟邦は、プランタジネット朝+カペー朝+スペインくらいの超大国を想定していますもので、その海軍力も半端無いわけで、その海軍力は常にヴィーキア孫権にとっては頭の痛い問題でしょうし。こうした外患についてスカニア袁詔が今一つ鈍感であった事が、ゴーラ内戦に繋がったのではなかとも考えております。 それを考えますと、連合王国のキング・ブラッドレイ王とキョン大ヘトマンが、カイン公によるゴーラ湾南岸征服に対して中立をたもったのは、それがゴーラ帝国のシーパワーの崩壊を招き、ゴーラ湾交易における王冠盟邦、ゴーラ帝国の二強状態に、連合王国が食い込む絶好の機会になると判断したからではないでしょうか。 実際、大北方戦争の結果、ゴーラ帝国は北方の超大国としての地位を失い、連合王国と同等の大国程度にまで落ちぶれてしまうわけで。 ここでカイン公の、ひいてはレイヒルフトのいやらしいところは、ゴーラ帝国を崩壊させて、北方巌族や北方闇族との係争問題まで抱え込むつもりがない、というところで、それが可能な程度にはゴーラ帝国の大国としての地位と国力は温存しておくつもりである、と。 オスミナを間に挟むことで、フィンゴルドとフィンマルク湾の係争化を回避し、連合王国のヘゲモニーを認める事でヴィーキアと対抗させて、一強二弱状態を作り出して北海航路の安定化を目指し、ゴーラ帝国と連合王国が互いに牽制しあう状態を作り出して後背の安全を確保し、後の南方戦役に備える。 ここら辺の政治的な見切りというのは、やはりレイヒルフトやカイン公でなくてはできないのでしょう。多分ゴーラ董卓帝はそれを見切ってはいたのでしょうけれども、新生帝國軍の実力は、予想よりもはるかに強大であった、と。 400 名前:名無しロサ・カニーナ ◆HiIyB3Xw.2 投稿日:2012/10/14(日) 13 43 45 [ qVHYRDIM0 ] 396 フィンゴルド関羽は、なんというか王とか大公とかよりも、まず侠であるんじゃないかと思っていたりするわけですよ。だから、あんなうさんくさいカロッゾみたいなのも傍に置いておけるわけで、娘のヒルデガルド様に対しても、ああいう態度をとれる、と。 侠者だから、国を経営するという感覚よりも、自分の配下である民を慈しむという意識の方が強くて、だからフィンゴルド軍は、軍隊というよりも侠の集まりみたいな性格が強いのではないかな、と。 だからこそ、カイネの町のような独立の気風の強いところにも入り込めるし、後の黒竜戦役でも彼らに協力させることができる。そこら辺は、侠であるフィンゴルド関羽の器量で、同時に、だからこそ帝國から送り込まれてきたレイヒルフトの異母妹であるオフ子にも逆転の機会があるのではないかな、と。 オフ子は基本的にシリヤスクスの姫であるわけで、つまりは本来は副帝レイヒルフトに代わって東方辺境候になる事を望まれている人間であった。 そしてそれは彼女の人格を形成している根本的なバックボーンであって、つまり王である自分という存在を常に自覚していて、だからこそオスミナ降嫁後、アーク子の王配として振舞おうとした、と。 まあ、その結果として、オスミナ在地貴族や豪族の反発を買って、黒竜戦役での苦戦を招く事になるのでしょうけれども。そこら辺がお姫様育ちであった彼女の甘い点である、ということで。だからこそ、黒竜戦役はより面白くなる、と。 今、ニコ動で恋姫無双の実況動画を見ていたりするのですが、あれは三国志演戯をベースにした萌えキャラゲーであって、あくまでエロゲーであるわけですよ。 そういう意味では、帝國SSと非常に親和性が高くて、色々と影響を受けてしまっていたりします。蒼天郭嘉はあんまりぱっとしなかった印象が強いのですが、恋姫郭嘉はミンゴスが中の人だけあってキャラ立ちがかなりしっかりしていたりします。 蒼天荀彧は、非常に飄々としたキャラで、蒼天曹操の毒を打ち消す役を担っていたわけですが、恋姫荀彧は猫耳フードのガチレズの上に毒舌でツン10割という全く逆のキャラで、いやこれはゴーラ帝国には出せんだろう、と。 鬼族に蒼天曹操がいて、カタリナ様と戦争するとなれば、それは絶対に妥協は成立しないわけで、あの世界史上初の絶対戦争の勃発になるのではないでしょうか。なにしろどっちも折れる気が無いキャラですから。 創造主の実在を確信する神聖皇帝と、中華の民の第一人者にして太平道や五斗米道を認め唯才のみをもって人材を登用する丞相では、そりゃあ妥協できる点なんてひとっつもないですし。これはもう独ソ戦並みに悲惨な戦争になるしかないと思います。
https://w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2716.html
移転完了てす -- (名無しさん) 2014-03-31 01 53 14 信長は忠勝より強いんだね -- (名無しさん) 2014-03-31 10 32 41 逆に本多忠勝の武勇は結構イメージ先行しているような・・・・・ 大軍に単騎で突っ込んでる逸話はあるけどそれは謙信や信長もやってるし 信憑性はかなりアレだが武功夜話だと加藤清正と一騎打ちしてあわや敗れるところを 秀吉に助けてもらったというのもある。首級を取った記録も見当たらない。 まあ能力値は最終的に個人の差配になるから一桁数値を是正する気にはならんけど -- (名無しさん) 2014-03-31 11 32 41 わろえない -- (p) 2014-04-02 01 00 38 今の日本の悪しき風潮だよな。英雄英傑を評価せず、チョイ役や脇役を過剰に持ち上げる 光武帝ほどじゃなくてもいいが、少しは正当な評価が広がってほしいもんだ。 真田や宗茂の評価を見ると特にそう思えてならんね -- (名無しさん) 2014-04-06 00 03 49 てめえ個人のイカレた評価なんぞ知ったことか。 少しは過去のテメエの評価に対するドン引きコメントの数々を よくよく吟味して出直してきやがれ。 -- (名無しさん) 2014-04-06 00 15 30 具体的な根拠もなく、逸話の知らない人間のドン引きねぇ・・・・ 「一騎打ちで呂布が劉備三兄弟に互角以上に戦ったとかありえないw」 「長坂で張飛が大喝で敵を退けたとか嘘だろw」って言ってるようなもんなんだけど その辺理解してるのかなそういう人は -- (名無しさん) 2014-04-06 00 27 11 編集合戦になるのを防ぐため、 万人が少しでも納得しやすい能力値を心がけ、 多少の前後はあっても大きく逸脱しないこと。 最初の作成者にはある程度の敬意を払うこと。 編集を行う場合はまずコメントをして意見を聞くこと。 暗黙のルールです。 あなたには全てが欠けている。 あなたもまずはみんなに聞いてみるべきでしたね。 「信長の武力を99にしたいけどどう思う」とね。 賛同者は何年待っても一人も現れなかったでしょうけど。 -- (作成例をよく読むように) 2014-04-06 02 09 33 万人が納得するっていうけど、最初の作成者は高武力高能力だったのに 勝手に他の編集者が一存で能力下げまくっていたから、変更しただけにすぎないんだけど だから俺はそれを戻しているだけで、文句を言う人間がまず下げる根拠を明示すべき。 ちなみに俺がこれをやっているのは信長以外の武将もそうなので、別に贔屓の引き倒しでやっているわけではない。 逆に聞くが、ここにいる人間は呂布や項羽の武力が70だったらおかしいと思わないのかね? 信長の例でいえば、彼より武勇伝が多い日本人なんて、それこそ素戔嗚や日本武尊くらいしかいないのだが 何を根拠に武力が70台なのか、これは秀吉の能力にも同じことが言えるけど -- (名無しさん) 2014-04-06 10 26 32 そもそも、編集合戦を防ぐというが、俺はわざわざそうならないように 他の人物も調べて参考値を載せて、ちゃんと更新の体を成してやっているのだが 他の人間はなんだね?ただ能力値にケチをつけて、自分の好き嫌いで人物を評価しているだけじゃないのか? 一例を挙げれば、このページで明智光秀、織田信雄、織田信孝を作ったのは俺だが ご丁寧に勝手に能力値を変更している。しかもなんら根拠は明示せずに。 編集合戦を防ぎたいのなら、下げている人間がその根拠を言うべき 俺は作った全ての人物に、逸話や根拠を組み立てて作成している。 -- (名無しさん) 2014-04-06 10 34 44 私が知る限り一番初期の信長の能力値は、 96 70 97 91 99だ。これの根拠は作成者が太閤立志伝Ⅴの織田信長を そのまま反映したもので、このサイトが発足して後最も長く存在して いたものだ。近年になって多少の前後はしたものの信長の武力が90を 超えたことは一度もなかった。それはこのゲームをプレイする人間にとって 最も親しみやすい信長の野望などコーエーが設定した能力値の範囲を超過することがなかったからだ。 それが最近になってから信長含む三傑の能力値が突然インフレを起こした。 まったく同時期に日本の新武将全体に何者かのテコ入れが入った。 例えば源義経の武力も99にされている。 戦国時代以外の新武将はほぼ私が作成したものだが、 それを根拠も示さずに変更しているのはあなただろう? その件についてなんかコメントありましたっけ? 突然の如く、私も逸話や根拠(通説によるイメージ、大陸との若干な補正、ゲームバランス) 能力値を反映させているのだが、自分は他人の意志などまったく顧みもしないで 好き勝手やってる癖に他人には自分の意志を尊重してほしいとは、まったく都合のいい話だ。 その上、編集合戦が起きる原因は他者が勝手に編集することだと言うか。 発売直後から存在し、作成者を尊重して誰も編集の手を入れなかった日本武尊や厩戸皇子 まで身勝手に変更しておきながらよく言う。 -- (作成例をよく読むように) 2014-04-06 14 58 08 能力値のインフレを全部俺のせいにされても困る 日本武尊の数値が両方100にしたのは俺だが、これは 若干30歳で日本の西征、東征を行い、最期は神と戦うその生涯を考慮したもの 神話の人物だし項羽や呂布も神とは戦っていないので、上限の100まであげたにすぎない。 源義経の99も一の谷の戦いが史実では壮絶な兵力差をひっくり返したことが由来であり これは正史だと壮絶な活躍をして演義でその活躍が抑えられた張遼と同じ。 少なくとも「俺」は、能力を是正する際に必ずその元となった逸話を併記している。 戦国時代以外の新武将はほぼ私が作成したものだが 嘘はやめた方がいい。俺は別に戦国だけが好きなわけじゃないから あらゆる時代の人物を作っているが徳川慶喜や足利義満などは自分が作っている。 他人が作った人物まで起源主張して変更するなというのは如何にも浅ましくなかろうか? -- (名無しさん) 2014-04-06 15 31 37 ぶっちゃけこのページいらなくね? 信長の野望か太閤立志伝から持ってくりゃいいし -- (名無しさん) 2014-04-06 17 19 08 以前からそう言う話だったし、意義なし。 -- (名無しさん) 2014-04-06 17 30 28 信長の野望からそのまま持ってくるとなると 全てのページが対象になるからお流れになったんだよ。 日本武尊や源平、足利北条に新撰組や維新勢 消える人間が多すぎるから取りやめになった。 -- (名無しさん) 2014-04-06 17 50 50 いやいや いらないってのはまるごと必要ないってことだから 持ってくるってのは自分で新武将作るときって意味じゃないかな? -- (名無しさん) 2014-04-06 19 25 47 全ての人物がいらないというなら、それこそみんなの新武将の項目自体いらないだろう。 時間は滅茶苦茶かかるがWikiで全て調べて自分で能力付ければいい。 でも、そうなるとここで議論するより「みんなの新武将」全体で議論すべきだろうね。 -- (名無しさん) 2014-04-06 19 43 51 この近世の(信長・秀吉・家康の)三傑(と一部)以外はまあ盛ってるが納得できる許容範囲 やっぱり有名どころは高くしたいのかね・・・ 三人とも武力-20でいいと思います -- (名無しさん) 2014-04-07 13 11 30 武力が随分過小評価されやすいな まあここいらで根拠を示しておこう 三国志の武力根拠となる「一騎打ち」だけど 戦国武将でこれをやって敵を破った人間はわずか4人しかいない。(調べた限りでは) 山中幸盛、吉川元春、立花宗茂、そして織田信長。 とくに信長は貴重な総大将討ち取りをやっている。 ちなみに武芸者として知られる本多忠勝ですら一騎打ちで敵を破ったことはなく 真柄直隆相手に数合討ちあって引き分けている(この後真柄は匂坂三兄弟or青木一重に討たれる) 武功夜話はどこまで信用していいかわからんが、加藤清正は忠勝を討ち取る寸前までいってるのでもっと上げてもいいかもしれない というか前々から思っていたんだが三国志で武力70~60台って陸遜レベルだろう 陸遜が最前線に出て味方を鼓舞して敵と切り結んでいたか? -- (名無しさん) 2014-04-07 13 42 52 日本には剣豪属性がありますから 一騎打ち補正が設定できないので単純に武力値でバランスをとるしかないと思うのですが・・・ -- (名無しさん) 2014-04-07 13 58 58 剣豪だからってそのまま武力に反映するのもどうかと 例えば足利義輝のように、死の間際に敵兵を斬りまくったとかなら 武力に反映されやすいと思いますが、そうでないならそこまで反映する必要があるのでしょうか? 彼らは剣術に優れていたというだけで、戦場での武勇とはまた別問題ではないでしょうか? 例えるならそうですね、黄忠や夏侯淵は弓術に優れていたとありますけど、別に彼らが武力1位というわけではない感じでしょうか -- (名無しさん) 2014-04-07 14 40 34 まあ演義の設定ですけど -- (名無しさん) 2014-04-07 14 41 51 個人的な武力として(三傑)この値は疑問符が付くが・部隊もしくは軍団の殲滅力と考えるとまぁ納得できなくもない しかしあくまで武力の根拠を「一騎打ち」と前提としているから 剣豪属性(塚原卜伝・上泉信綱とか太閤立志伝で剣豪札を所持してる)方々よりは(武力は)劣ると思われる だから信長なり秀吉なり家康なりの武力を一騎打ち基準にするか殲滅力基準にするかを話し合えばいいと思う もしくは「一騎打ち補正あり」と書くようにするか -- (名無しさん) 2014-04-07 17 49 55 剣豪組はアイテム所持で補えるんじゃないかな? 自分はアイテム作ってそれ持たせたりしてる。 適正は全てCにすればそこまで武力高くても強くはならないよ。 -- (名無しさん) 2014-04-07 18 46 33 典韋さんみたいなイメージかな?槍に関してはみんなAぐらいありそうだけど… -- (名無しさん) 2014-04-07 20 15 44 インフレインフレと言われているが、 本家中国史も結構盛られているところあるから、 別にいいんじゃないかな -- (名無しさん) 2014-04-08 02 18 04 松尾芭蕉どっちかてと詩想じゃないの? -- (名無しさん) 2014-04-09 19 07 33 ↑追加しました 運搬は消したけど必要なら追加お願いします -- (名無しさん) 2014-04-09 19 40 03 2014-04-09 19 40 03さんありがとうございます 芭蕉というか俳句は詩のイメージがあったので -- (名無しさん) 2014-04-10 05 25 59 長谷川秀一の兵科適性を変更しましたが これは変更ではなく誤植訂正(変更前の適正は団忠正と全く同じ)であり 編集合戦を誘発するものではありません -- (名無しさん) 2014-04-12 01 58 01 のでご了承ください -- (名無しさん) 2014-04-12 01 58 50 史料、軍記、講談。全てを統合したら化け物数値になってもおかしくないね。特に秀吉は。 -- (名無しさん) 2014-04-19 06 23 09 ここにはないけど上杉謙信とかも凄そう -- (名無しさん) 2014-04-19 06 29 02 あと、が抜けてた -- (名無しさん) 2014-04-19 06 29 26 ちょっとしたことですが、なぜお濃の方は斉藤なのにおねの方は豊臣なのでしょう?おねの方は浅野では? -- (名無しさん) 2014-04-19 07 28 35 おねの方は秀吉と一緒に朝廷から「豊臣」の氏を貰ったからでしょうか? あとは・・・有名だから?浅野、木下でもいいんじゃないですかね -- (名無しさん) 2014-04-19 07 39 29 ↑なるほどそういうことですか。有難うございます。 -- (名無しさん) 2014-04-28 11 13 57 能力値変更による編集合戦誘発危機のため、記事を差し戻し 追加武将や候補特技は全てそのまま追加しております -- (みんなの新武将コメント欄をよく見るように) 2014-04-30 04 15 54 話題に上がりやすい3人の最新作「信長の野望・創造」での能力値 (統率・武勇・知略・政治) 織田信長 99 87 94 100 豊臣秀吉 94 78 97 99 徳川家康 99 86 90 94 -- (参考になれば) 2014-04-30 05 18 56 むしろ創造まで比較的行われてた信長の野望過大過小武将談義も参考にしてほしいところだ個人的には 徹底した史料逸話考証はあそこが群を抜いていた。過大評価の武将の理由づけに引用されまくった結果 「秀吉の前では全ての武将が過大」と言う名言も生まれている。 三国志も似たような談義あったな昔は -- (名無しさん) 2014-04-30 07 47 46 あらためて見ると信長の性能がヤバイね。 能力値こそ3人の天下人の中で一番低いが、 無駄がない配分で加えて候補特技が鬼。 三国志・戦国時代の英雄は逸話多いから、 特技の候補になってくるものも多いだろうしね。 諸葛亮も鬼門、神算、能吏どれもあいそうだし -- (名無しさん) 2014-05-02 20 11 34 まあ個人の作成例だし、多少はね -- (名無しさん) 2014-05-03 23 29 25 登録する側としては特技は多ければ多い方が嬉しい。 自分的に特技一つだと差別化考えにくいと思ってる。 あくまで個人的感想だけど、一つがいいなら選べばいいし 大は小を兼ねるってやつですな -- (名無しさん) 2014-05-03 23 45 16 アイテム持たせるとき 蘭奢待≒玉璽としてますが茶器類は書物類でしょうか玉璽or銅雀類でしょうか・・・? -- (名無しさん) 2014-05-08 15 10 59 茶器はたくさんあるし書物類でしょうね -- (名無しさん) 2014-05-09 11 00 35 やっぱりそう思われますかご意見ありがとうございます2014-05-08 15 10 59書いたもの -- (名無しさん) 2014-05-09 22 21 09 豊臣秀吉は、兵糧攻めによる攻城戦を得意としていたということで、兵器Sにしてます。後は特に不安はありません。 -- (名無しさん) 2014-05-14 23 07 41 LR違反が行われていたため、以前の記事に差し戻しました 編集合戦を誘発するので、能力値の変更は禁止されています -- (みんなの新武将注意点をよく読むように) 2014-05-28 00 52 51 理由がある場合はコメント欄などで説明を -- (みんなの新武将注意点をよく読むように) 2014-05-28 00 57 00 天下人三人の能力値がギャグかと思ったぐらい高いな 特に武力がおかしい、信長武力99とか人を切ったことがないという説もある秀吉が88とか意味不明 -- (名無しさん) 2014-07-25 13 03 49 コメントを読んでいただけると解ると思いますが 武力の設定基準は「部隊を率いたときの殲滅力」を基準としています -- (名無しさん) 2014-07-25 13 09 50 虎狩りの逸話がある孫権 部隊長として多くの戦いで前線を担った劉備 自らの武勇に関しても逸話が多い曹操など 三国志の英雄ですら武力の逸話が多いのに 戦国の英雄は武力の逸話がないと思うのもおかしな話よ 桶狭間で先陣切った家康、数多くの要所の戦いを担った秀吉 自ら先陣をきって敵を倒し続けた信長。どれも申し分ない -- (名無しさん) 2014-07-25 13 17 52 後漢の名皇帝である光武帝も滅茶苦茶強かったらしいですし、 概して動乱期の君主は強さを舐められすぎている感はありますね・・・・・。 劉邦みたいな、人徳で人を惹きつける君主は特例中の特例ですし。 -- (名無しさん) 2014-07-25 13 32 27 別のページに間違って打ってしまったでここでもう一度書かせてもらうと信長は馬場信春の兵千に対して一万で挑んで負けたり寡兵の浅井に押されまくったりしているし秀吉個人では人を殺したことがない説もあるし指揮官としては寡兵の鬼吉川に戦いを挑めず友軍を見捨てている あの能力では生涯無敗でもなければおかしい数値だが三英雄は常勝不敗というほど戦術家としては安定しているとは言えないよ なのに本物の常勝将軍の白起や韓信と比べて統率武力合計が互角以上はねえ あくまで三国志11のサイトである以上は日本トップクラスの傑物である3英雄は三国志トップクラスの傑物である曹操あたりと比較して能力を調整すべきだと思うけど圧倒的に総合値で引き離してはいくらなんでも個人の贔屓が過ぎるよう写るよ まあ曹操や信長は個人的には80台はあってもいいとは思うけど個人のイメージが大多数にそぐわない能力をつけてそれを説得できていないのに押し通すのはマナーとしてどうかと -- (名無しさん) 2014-07-25 15 07 55 三方ヶ原でボコボコにされた家康はともかく 信長と秀吉ってほぼ常勝無敗に近い戦績でしょ 味方について日の浅い友軍を見捨てたとか逆に損害を防いだ戦略眼を 褒められる逸話だし、例示された戦いも全て防衛戦で、守りきれている以上辛勝の類。 はっきり言うけど徐栄や張繍や孫権に負けた曹操じゃ比較にならんよ -- (名無しさん) 2014-07-25 15 29 43 最終的には個人の裁量なのよねぇ 史実重視か、イメージ重視か -- (名無しさん) 2014-07-25 16 38 33 ↑↑ 秀吉の戦略判断は正しいと思ったし褒めるべきなのは同意だよ、ただこのサイトの能力を持つ秀吉なら吉川をあっさりねじふせて友軍を救っただろうなという話、兵力差があっても大勝を収めるほどの自信と戦術能力差が無いと思ったから避けたのではないの? 秀吉は野戦の殲滅力という点では自軍よりはるかに多い兵力を相手に戦術的または政略的に勝利した戦いは自分の知る限りでは無いし、それに比べるとは信長と家康はなんどかある 大軍を飢えさせたことがない分大軍の運用は3英雄一だと思うけど戦術では寡兵の家康に戦術面で敗北しているし唐入りは失敗しているしで白起に匹敵する軍事能力はちょっとねえ 所で家康を下げている所を見ると関西方面の人?なら納得だわ -- (名無しさん) 2014-07-25 17 25 43 いや地方で能力の上げ下げはないだろう三傑は全員(関東・関西に関係のない)、東海・甲信越地方出身なのに… それに一騎打ちも三国志・戦国の両方とも数が少ないのだから 「武力≒一騎打ちの強さのみを基準」は前提として誤ってないか? -- (名無しさん) 2014-07-25 17 57 28 秀吉は10倍の浅井軍を破った箕浦合戦があるし 家康の三方ヶ原に相当する戦いはない そもそも上月城は尼子が撤退命令違反しただけ 唐入りはそもそも秀吉指揮じゃない -- (名無しさん) 2014-07-25 18 32 47 ↑↑いや地方によって武将を贔屓や偏見でさげる輩は絶対いる、あのNHKドラマ天地人の家康はどうしようもないほど小物で子悪党だったが脚本家は家康の人気が下がって満足的な発言あったが生まれはやはりというか大阪だった 以前ある掲示板で3英雄で最強は秀吉じゃーと大暴れした人の話をまるで聞かない秀吉信者は副アカがばれてアカウント停止になったんだけどそいつも関西出だと言ってた 正直言うと野望シリーズでいつも三英雄能力値最下位の秀吉を総合値一位にしている所をみると秀吉を持ち上げたいが為に信長の武力を不自然にあげたのでは?と勘繰ってしまうんだな 関西人っていつも歴史論になると秀吉を持ち上げようとするからなー -- (名無しさん) 2014-07-26 00 18 39 さすがに関西人を貶める発言は控えていただきたい 一部を全体の総意のように述べるのも 地域で能力に格差を持たせているのだ という発言もここでは場違いだろう? そもそも関西人が編集したかどうかも確かでないのに憶測でその地域の人々を貶めてはいけない -- (名無しさん) 2014-07-26 05 01 24 ついでに義理と野望も能力値に表記をしてください -- (名無しさん) 2014-07-26 05 43 13 呆れた話だな。 よそはよそ、ここはここだし よそのサイトで気に入らない人間がいたから暴れるとか問題外。 そんなつまらん理由で能力値にケチをつける人間がいるから 能力値変更NGになったんじゃないのか? つうか、総合能力値を細かく見ると 秀吉は晩年に魅力が41も下がるし、 信長が維持、家康が晩成と安定感のある成長スタイルに 対して秀吉は普通だし、兵科適正が一番優れているのは信長 ちゃんと核となる天下人を時代のナンバーワンになるように 信長秀吉家康をうまーく調整されていると思うけどな -- (名無しさん) 2014-07-26 06 53 58 ↑×2 義理・野望表完成させておきました -- (名無しさん) 2014-07-26 08 03 38 ありがとうございます ただ信長は裏切ったことはないそうなので義理4にしていただけないでしょうか? 2014-07-26 05 43 13 -- (名無しさん) 2014-07-26 08 20 04 ↑ 斯波とか北畠とか。あと織田信光の暗殺も信長の仕業だという話もありますよ 4だとちょっと高いかなと。 -- (名無しさん) 2014-07-26 08 43 33 でもよく考えたらあれ説止まりでしたっけ・・・ 曖昧なので4にしておきますね -- (名無しさん) 2014-07-26 08 47 21 ありがとうございます 2014-07-26 05 43 13 -- (名無しさん) 2014-07-26 10 54 41 「関西人っていつも歴史論になると秀吉を持ち上げようとするからな」 世の三国志マニアが中国籍になった瞬間である -- (名無しさん) 2014-07-27 17 53 54 ちょっといいですか? 滝川一益と織田信雄の水軍適正が低い気がします。 この2人は伊勢という水軍・海賊に近い場所に領地がありますし、実際に水軍で戦功もあげています。特に滝川は鉄甲船の製造者でもあるんですが -- (名無しさん) 2014-07-28 10 06 24 ↑ 確認の上、訂正しておきました -- (名無しさん) 2014-07-28 10 14 52 迅速な対応ありがとうございます。 -- (名無しさん) 2014-07-28 10 16 56 いくら何でも、黒田官兵衛より知力の高い近衛前久はおかしいだろう。 -- (名無しさん) 2014-07-29 10 20 57 朝廷黒幕説取ってるんじゃないの? -- (名無しさん) 2014-07-29 11 33 49 天下人3人武力高すぎじゃないか… -- (名無しさん) 2014-08-07 03 33 40 わざとやってんのか? もうその議論はとっくに終わった -- (名無しさん) 2014-08-07 06 35 12 まあまあ 一時史料たる書状に信長公記、天正記、当代記、三河物語の一代記、 他にも信長記、太閤記、徳川実記などなど 三人に関する史料はたくさんありますから どこがどうおかしいか、ちゃんと言ってくれるでしょう。 -- (名無しさん) 2014-08-07 07 41 15 注意点 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 抜粋 -- (名無しさん) 2014-08-07 08 04 14 私見を言えば、信長の武勇伝は馬超に近い 敵を果敢に討ち果たし、敵大将たる曹操、今川義元を追い詰めた 武名一つで劉璋、朝倉と勢力一つ崩壊させたのも被る。 逆に知略はちょっと低いような・・・・・でも誤差範囲か -- (名無しさん) 2014-08-07 14 20 50 この講談とかなんとかいったい何なの? めっちゃ滑稽なんですけどwww 努力の方向性がおかしいwww そもそも講談読んだ認識も個人の裁量だし、 やってることが不毛すぎるしwww -- (名無しさん) 2014-08-10 01 08 50 能力値下げろ下げろ言って荒らす人間がいるからな -- (名無しさん) 2014-08-10 09 35 28 まあいいや、半兵衛以外は不毛だし消しておくか -- (名無しさん) 2014-08-10 09 56 23 というわけで作成者自らの手で消しました。 半兵衛の場合は境遇も展開も何から何まで全部変わるので残しました ご迷惑おかけしました -- (名無しさん) 2014-08-10 10 05 46 「本多正信」頼みます。 家康との相互親愛が望ましい 「深謀or百出」(久秀の評と三河武士の評をポジティブに解釈) あと知力と政治は出奔前と後(本能寺で帰参)と考え「開眼か晩成・長」でお願いします -- (名無しさん) 2014-08-12 13 03 12 ↑ 作成しておきました。 -- (名無しさん) 2014-08-12 16 08 00 ありがとうございます 2014-08-12 13 03 12です -- (名無しさん) 2014-08-12 18 23 17 つーかマイナーな武将多すぎないか・・・坂井政尚とかいて毛利北条武田がいないとか・・・自分で勝手に作ったしいいけどさ。これだけ言いたかった -- (名無しさん) 2014-08-19 06 15 36 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2731.html 毛利や武田はこっちやで -- (名無しさん) 2014-08-19 07 56 20 残念だけどここ、能力変更禁止なのよね -- (注意点をよく読むように) 2014-08-19 08 04 08 荒れる原因になる編集合戦は勘弁 -- (名無しさん) 2014-08-19 11 33 28 前田利家のところに※で一つ追加を 「一説に稲生の戦いので隻眼になったとも言われている」 と作成時に逸話を生かしたりする人もいると思うで、お願いいたします -- (名無しさん) 2014-08-19 16 42 22 ↑ 反映しました -- (名無しさん) 2014-08-19 18 14 17 感謝いたします。2014-08-19 16 42 22です -- (名無しさん) 2014-08-19 18 45 42 ↑6 まじだったありがとう。戦国武将の能力・特技について語り合う場所ってどっかあるの? -- (名無しさん) 2014-08-19 23 14 34 ↑ 能力議論は荒れるのでなくなった 特技ならまだいけるんじゃないか? -- (名無しさん) 2014-08-20 04 55 55 本日作成した織田秀信の一部の能力値が、コピペ元である織田信行の能力のままになってしまってました 能力変更ではなく誤記訂正です、申し訳ありません。 -- (作成者) 2014-09-01 17 38 15 親愛・嫌悪関係についてですが 本多忠勝と榊原康政は本多正信を嫌悪でお願いします。 また本多正信と徳川家康は「相互親愛」関係がよろしいと思います反映を お願いいたします -- (名無しさん) 2014-09-02 11 40 50 ↑ 主な人間関係の項目で対応させました -- (名無しさん) 2014-09-02 12 10 18 対応、感謝いたします 2014-09-02 11 40 50です -- (名無しさん) 2014-09-02 13 03 48 織田厨くっさ -- (名無しさん) 2014-10-12 07 21 10 久々に聞いたそのフレーズ どこぞの実名漏れの人かな? -- (名無しさん) 2014-10-12 07 25 49 本家信長の野望の能力が気に入らないからって三國志にまで出張ってくんなや 本家にすらいないマイナー武将知ってる自慢かよ -- (長谷川亮太) 2014-10-12 11 46 29 この項目は随分前からあったけどな。 こういうのって本当にゲームやってない奴が言うんだな -- (名無しさん) 2014-10-12 20 57 34 あと実名漏れの方はそっちの人じゃないから 勝手に人の名前使ってやるなよ -- (名無しさん) 2014-10-12 20 58 23 作った俺が言うのもなんだが流石に菅屋斎藤クラスを無名扱いするのはちょっとな。三国志の馬良、賀斉、董昭クラスの認知度はあるよ。 -- (名無しさん) 2014-10-12 21 32 29 三国志じゃだぁ~れも作らねぇような日本の戦国武将作って気持ちよくなってる自慰猿がまぁ~たなんか盛ってるぜ。ああ気持ち悪、気持ち悪。 そもそも三国志11の武力は一騎討ちの強さに設定されてるのに、ここの武力は違うとかそのおかしなご当地ルールはどっから来たんだよ。そんなもんがまかり通るなら陳慶之なんか魔神になってるわ。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 12 25 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1598.html#id_eaa35867 「三国志11の武力は一騎討ちの強さに設定されてる」って随分またザル理論の荒らし君だな。 それはあくまで参考の一つにすぎない。大体三国志でも演義含めて一騎打ちしたことない武将のほうが多いじゃないかw 曹操や劉備は一騎打ちしてないから武力は0なのかね荒らし君w -- (名無しさん) 2014-10-13 09 34 01 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 もう一度言いますが新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 能力値の変更、人物やページの削除、能力値の議論など、荒れるような行為は絶対に慎んでください。 ここはあなただけのページではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 47 03 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 47 33 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 47 55 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 48 31 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 49 00 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 49 38 もう一度言いますが新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 50 04 能力値の変更、人物やページの削除、能力値の議論など、荒れるような行為は絶対に慎んでください。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 50 34 ここはあなただけのページではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 50 55 以上、ローカルルールを転記 -- (名無しさん) 2014-10-13 09 51 14 知ってる、知ってる 君が編集しまくってここが荒れて、信長は忠勝より一騎討ちが強いんですかーとか数多くの人に突っ込まれてた時期に、いきなり誰さんがもとあったルール編集してそんなの設定してたよね。随分、誰かさんに都合がいいルールが出来上がったなーって思ったもん。 それにしても折角の三連休なのに今日も君はここにいるの? 俺、今からゴルフなんで、君とは付き合ってられないけど、君はこの板だけが友達だから寂しくないよね。それじゃ。 -- (名無しさん) 2014-10-13 10 13 23 煽る前にせめてニュースか外の様子くらい見ろよなあ・・・・ -- (名無しさん) 2014-10-13 10 31 50 くっそわろたw こいつ俺が今のルールに反対している事も知らないんだなw そしてゴルフに行くからwwwwうんうん 今日は良いゴルフ日和だと思うよw 日本全国大雨で台風19号まで来てるから、実に打ちっぱなし日和だねw -- (名無しさん) 2014-10-13 10 39 24 煽りあいはNG -- (名無しさん) 2014-10-13 11 22 13 基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 13 57 20 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 -- (名無しさん) 2014-10-13 13 57 50 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 -- (名無しさん) 2014-10-13 13 58 23 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 -- (名無しさん) 2014-10-13 13 59 07 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 -- (名無しさん) 2014-10-13 13 59 43 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 (能力値の編集行為については過去にも俎上に載っているので、コメント欄の過去ログ等をご覧ください。) 可能な限り公正な編集を心掛けるべきですが、最終的には 各プレイヤーの裁量次第 であることをお忘れなきようお願い致します。 理由なく能力値の変更、人物の削除は荒れる元となりますので絶対にしないでください。 (過去に何度も編集合戦が起きています。) どうしても能力値を変更したい、記載された能力値をそのまま新武将で登録することに抵抗のある方は、 お手持ちの三國志11、または三國志11PKで、能力値を変更してから新武将登録する ことをおススメします。 もう一度言いますが新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 能力値の変更、人物やページの削除、能力値の議論など、荒れるような行為は絶対に慎んでください。 ここはあなただけのページではありません。 -- (名無しさん) 2014-10-13 14 06 27 以上、みんなの新武将注意点をよく読むように -- (名無しさん) 2014-10-13 14 07 23 あと、煽りあいはNG -- (名無しさん) 2014-10-13 14 07 46 以下、正常進行 -- (名無しさん) 2014-10-13 14 08 09 そういえばこの注意点って誰が作ったんだ? 話聞いてる限り例の人ではないようだが。 -- (名無しさん) 2014-10-23 05 11 50 つうか、まず俺にこのルールを作る「メリット」がない。(多分例の人ってのはまた例によって俺だろうから言っておく) これは、少し考えればわかると思うけど、当時は編集合戦が半ば「黙認」されていた。 唐や後漢のように、有名どころだと問題視されていたようだが、ちょっとそれがズレてしまうと完全放置。 マイナーな時代、マイナーな国だと、武将データの削除すらお咎め無しという状況で、実際日本の維新三傑とか、朝鮮の人物あたりは1回削除されてる。 で、話を戻すと、俺はこういう状況に対して、正直さしてなんとも思ってなかった。 「消されたら、また載せればいい」「変えられたら、また変えればいい」というのが、当時の俺の考え方だし、 消されて、何も行動を起こさないということは、逆に作った人もそれ自体に嫌な気持ちを持っていなかったのだろう、と言うのが俺の考え。 そして、当時はルールなんて気休めだったから、俺と同じような考えを持っていた奴は山ほどいただろう。 だから俺自身は「こんなルールいらないんじゃないか」ってずっと思ってるし、 実際見たところいらないって考えてる人もいるようだ。ただ、それと同じ、あるいはそれ以上に 「こういうルールが必要だ」と思ったり、議論の類をうんざりだと思ってる人が多いってことだろうよ。 -- (名無しさん) 2014-10-23 05 49 04 そうか。 まああった方がいいかもな -- (名無しさん) 2014-10-23 06 15 28 竹中半兵衛の性格は豪胆の方が似合うような気がするのは 私だけでしょうか? -- (名無しさん) 2014-11-01 15 19 01 ルールもなにも、一般常識で判断してくれればいいだけなんだよな。自分だけのサイトじゃないんだから勝手に編集だのはダメに決まってるのになぁ。 -- (名無しさん) 2014-11-01 18 51 24 ↑ まあ、暗黙の了解はあくまで「暗黙」ですからね・・・「俺はそんなの思ってないから」って考える余地を残す、という点では、ルールを厳にしておくのは悪く無いと思う ↑↑ 追加で入れておきました -- (名無しさん) 2014-11-01 18 57 09 ↑ ありがとうございます -- (名無しさん) 2014-11-02 05 51 31 あの、更新されてるのは解っているのですが、数が多すぎてどこが変化してるのかわからないです 何とか小分けして頂けないでしょうか? -- (名無しさん) 2014-12-26 01 19 18 数に関しては問題ないと思うけど、勢力ごとの区分がないのがわかりづらくなる感じかな。 ただ若干ややこしくなるんだよね織田豊臣徳川は。 -- (名無しさん) 2014-12-26 01 30 59 例えば豊臣秀長は「豊臣」ってつくけど「織田家臣」に分類されるし 石川数正は「徳川」家臣だけど、後々「豊臣」家臣になったりもする 池田輝政に至っては「織田」「豊臣」「徳川」全部に仕えてるし、 織田豊臣徳川がひっくるめられてるのはこういう理由だと思う。 世代や年代で括るほうがいいのかな・・・? -- (名無しさん) 2014-12-26 01 37 28 光秀がパネェ… -- (名無しさん) 2015-01-13 01 22 46 また能力変えてるアホがいるのか これ同じ奴っぽいな信孝の変え方見てると -- (名無しさん) 2015-01-13 08 00 40 ↑ 並み居る英傑が能力上昇されてる中で秀吉が下げられまくっているところを見ると、 このコメント欄の上の方にある「秀吉を持ち上げるのは関西人だけ。関西人は歴史観がなっていない。天地人の作者もそうだった。 俺の大好きな家康様を小悪党に書きやがってくぁwせdrftgyふじこlp」って言ってる奴じゃないか? ぶっちゃけ天地人の秀吉って歴代最悪とは言わないまでも(栄えある歴代最悪はシエの秀吉) 主人公の兼続にやり込められて謝罪したり、ヘコヘコして陰気なだけの歴代でもかなり酷い扱いの秀吉なんだよな。 役者的にも家康は松方弘樹なのに秀吉は笹野高史で、失礼だけど役者としての格もどう見ても家康が上だし(なぜか利家や輝元も大御所役者がやってるが) あのドラマを見て「秀吉は持ち上げられまくっている」って言い出すって何か別のものを見間違えてるとしか思えんな。 -- (名無しさん) 2015-01-13 08 27 07 誰がやってるかはどうでもいいけどこの期に及んで編集合戦誘発とか、どうせローカルルールない頃には好き勝手に能力値変更して問題起こしても屁とも思ってないような連中であるのが容易に想像つくから、編集合戦廃絶のためにも復元安定だな -- (名無しさん) 2015-01-13 09 18 51 明智光秀は論客もアリだとおもう。 室町幕府や朝廷との折衝役もしていたし。 -- (名無しさん) 2015-01-14 04 13 24 ↑ 入れておきました -- (名無しさん) 2015-01-14 07 52 00 初めてココに来たけど信長や家康らの能力…爆笑。 統率や武力や知力が三国志の世界で90台もあり覇王特技もないない爆笑。 信長と謙信好きの俺だがこれは酷い、こ成した奴、幼稚低脳。 三国志の世界に登場となる場合は信長の武力は80以下が妥当。 統率も曹燥や孫策を上回らないだろう。 三国志と信長の野望は別だから三国志の世界では三国志に合わせた能力にしなければだし三国志は一騎打ちが存在するから尚更に信長の武力は三国志の猛将豪傑らより高い値になる事はない。 こういう馬鹿げた能力は個人のPKで作ってくれ。 色々な方が見る上の作成の場合は三国志基準で考えてもらいたい。 逆に信長の野望に三国志の人物が登場する場合は同じく信長の野望の世界に合わせた武力ではなく戦闘力になる。 そもそも日本の戦国時代の作成は必要無いし。 -- (名無しさん) 2015-01-18 16 31 24 ↑まぁガンバレ、人生こんなトゲのあること書きさえしなければ良いことあるよ。 鈴木孫一なのですが特技に「射手」を兵器適正Sでお願いいたします。 -- (名無しさん) 2015-01-18 17 59 23 張繍に敗北し孫権に負けて劉備に漢中ぶんどられた曹操や 所詮王朗や劉繇ごときしか倒せなかった孫策を統率高いと言われてもなw その基準なら秀吉や家康の統率は100越えちゃうだろ^^; -- (名無しさん) 2015-01-19 01 18 59 定期的に荒らそうとする奴がいるけど やっぱこのページを消したい君なのか? -- (名無しさん) 2015-01-19 01 32 22 ↑後漢の光武帝や唐の李世民と一緒で、有名な人は色んな人間が知ってるから、多分それで色々言いたくなるんだろう。 昔は編集合戦になってたけど、編集禁止がルール設定されてしまった。だからコメント欄で爆発させて帰るんだろうね。 とりあえず荒れそうな気配も漂ってるし、コメント欄また流しておきます。 ↑↑↑ 追加しておきます。 -- (名無しさん) 2015-01-19 01 45 51 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 46 34 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 46 57 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 47 25 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 47 51 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 48 15 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 48 38 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 49 10 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 49 28 注意点をよく読みましょう -- (名無しさん) 2015-01-19 01 49 45 以下、通常進行で -- (名無しさん) 2015-01-19 01 50 10 おつです しかしどこのページも最近あまりいい流れになりませんな もう冬休み終わったはずなんだけども -- (名無しさん) 2015-01-19 01 59 14 「信長の野望があるから戦国時代はいらない」ってたまに聞くけど、あの作品って「信長の一代記」みたいな扱いだから当てはまらないと思うんだが。愛好者ならわかると思うけど、つい最近まで清洲会議以降のシナリオすらなく、関ヶ原合戦がレアシナリオ扱いされていたゲームだぜ? -- (名無しさん) 2015-01-19 02 25 28 まあPC版とPS版じゃ一概には言えないけどな -- (名無しさん) 2015-01-19 02 34 10 2015-01-19 01 45 51さん追加ありがとうございます。 -- (名無しさん) 2015-01-19 07 27 19 ↑↑↑特技とかあるし不必要にはならんでしょ。 ページ制限があるわけでもないし。 -- (名無しさん) 2015-01-26 03 36 19 実際に登録しない人からすればいらないのは当然だ。 肯定意見より否定意見の方が強くなるのは世の常 -- (名無しさん) 2015-01-27 06 29 32 コメント欄みたら荒れまくってるから菅沼君が来てたのかと思った -- (名無しさん) 2015-01-28 10 05 09 ↑ 彼がいたらこんなところではすまないだろうwww 信長や秀吉の能力はオール50未満、信玄の能力をオール100にするくらいはやるんじゃないか? -- (名無しさん) 2015-01-29 01 04 39 現編集前ってなんだこれ? 必要もないのに能力値いくつもいらないよ -- (名無しさん) 2015-02-03 04 21 34 最初はマスクデータとか三国志のデータかと思ったけど、そうでもなさそうですね。作成理由もわからないので、違う部分だけ反映して残しておき、後は全て削除しておきます。 -- (名無しさん) 2015-02-03 04 46 40 三傑だけなのを見ると荒らしともとられかねない。現行の武将に変更なり追加なりを加えるのなら書き込んで提案してからにしてほしい -- (名無しさん) 2015-02-03 19 08 20 コメントがないところを見るとただの荒らしか?とりあえず復元しておく。 荒らしじゃないならコメント欄で何か言えるはずだよな -- (名無しさん) 2015-02-03 19 15 41 後漢のページでも能力値に文句言ってる奴がいたけど、同一人物なのかな。 -- (名無しさん) 2015-02-03 19 57 15 ↑2 修正、感謝いたします -- (名無しさん) 2015-02-03 20 03 20 そもそも武力なんて公式でも 馬超 (武力97)● ○ 閻行 (武力84)だったり、 実際に戦ったことない武将同士(例えば関興と華雄など)に数字の優劣がついてたりしてかなりいい加減だからな。 一騎打ち補正を考えると 呂布 、 関羽 、 張飛 、 馬超 、 趙雲 、 許褚 、 黄忠 あたりは 公式としても別格で扱いたいのだろうが(実際一騎打ち補正こみで武力100overになる)、 それ以外は完全イメージ論で概算はともかく、正確な数値を決めるのもかなり不毛なところはある。 要するに公式ですらそんな扱いの数字を厳格にするのは不毛ということだな。 -- (名無しさん) 2015-02-06 08 08 52 ↑ そういえば後漢の光武帝も最後まで揉めたのは武力だったね。 -- (名無しさん) 2015-02-06 16 31 21 やっぱりただの荒らしか 懲りない奴だね~wwww -- (名無しさん) 2015-02-10 09 49 34 ん?なんで列伝まで差し戻されているんだ? 織田高長の母親が身分の低い出身であることは確かだが 放浪したのはそれが原因じゃなくて西軍についた兄貴の秀雄が改易されたからのはずだが? -- (名無しさん) 2015-02-15 04 52 41 信長の槍適正、秀吉・家康の兵器適正はSにすべきでは? 信長は精鋭馬廻りに長い槍を持たせて精強にしたという逸話ありますし、 秀吉や家康は最新兵器を細かく導入して天下統一に導いていますし。 考慮お願いします。 -- (名無しさん) 2015-02-19 00 35 35 ↑反映させておきました -- (名無しさん) 2015-02-19 01 27 51 ありがとうございます。 -- (名無しさん) 2015-02-19 10 19 23 ↑×6 というか、コーエー三国志の意図を汲んでやれば、全体的にインフレ傾向になるんだよ。コーエー三国志の武力ナンバーワンは大体呂布だけど、呂布の武勇伝は「三国志演義」というフィクション、講談出典がほとんど(正史でも強かったが)。だが「呂布の武勇伝はほとんど講談だから能力下げろ」という人はほとんどいない。フィクションであるはずの劉備三義兄弟と一騎打ちで、苦もなく三義兄弟をあしらうのが呂布だ、とコーエー三国志では根付いている。「その事柄は史実かフィクションか?」というよりも、逸話があればとにかく評価に結びつけるのがコーエー三国志基準。これが基なんだから、そらインフレするよ。 -- (名無しさん) 2015-02-26 11 37 35 多すぎてどこが変化したのかわからない… -- (名無しさん) 2015-03-03 06 10 00 ↑ 編集履歴でちゃちゃっと見れるぜ。 青字が追加、赤字が削除部分になりまっす -- (名無しさん) 2015-03-04 04 39 38 みんなの新武将で一番多いのは多分 後漢末~三国 の126人かな。ここ越えるようだと分割した方がいいかもしれないね -- (名無しさん) 2015-03-04 05 02 56 2015-03-04 04 39 38さん確認できました ありがとうございます -- (名無しさん) 2015-03-05 02 15 36 微妙に弄くられてるな…解りにくいところも -- (名無しさん) 2015-03-26 13 03 07 信長・秀吉・家康の列伝だけど、制限の250字以内に収まるよう修正するべきでは? あと、現編集前って何? 元の数値を併記しておけば、武将の能力値を編集してもよいということ? -- (名無しさん) 2015-03-26 17 36 01 むしろこうすることで「元の数値を併記しておけば、武将の能力値を編集してもよい」と謂う既成事実を作ろうとしているような気がするが… 考えすぎだろうか -- (名無しさん) 2015-03-26 21 35 04 どうしても「ぼくのかんがえたのうりょくち」をゴリ押ししたいんだろうねぇこの手のタイプは もうゴリ押しできるタイミングは終わってるのにww とりあえず注意事項作った人はGJ、俺も協力するわ -- (名無しさん) 2015-03-27 03 35 13 2015-03-26 21 35 04 氏 いやあそれは揉めるようになるのが目に見えてるっすから無理でしょうなあ。 今必死にゴリ押ししている奴の能力値が認められたとすると、 次は俺も俺もと書き出す人が出てきて、有名人物には5個10個と能力値がつくことになる。 んで後は「この能力はアテにならない」だの「これが一番正しい」だのまた以前の荒れ具合に逆戻りw -- (名無しさん) 2015-03-27 03 38 47 御手数ですが相性を提案したいのですが 織田信長を曹操と同じ25あたり(改革者?の曹操準拠)で豊臣秀吉・徳川家康が25~50くらいの間(曹勢力準拠)で寺社・将軍(義昭など)勢力が75~100(劉備~袁紹)ぐらいでどうでしょうか? 豊臣・徳川は寺社勢力(本願寺)に対して柔軟(二虎競食とも言いますが)な対応をしていますし相性が近くてもいいのかもしれません。 松永久秀など(梟雄勢)は110~0~15あたりで 相性を設定すれば、嫌悪・親愛関係だけでは表せない微妙な感じも出せると思うのですが… 何とか設定をお願いできないでしょうか…(三英雄+顕如だけでも良いので…) -- (名無しさん) 2015-03-27 23 07 16 若年ver.や晩年ver.の能力値って本当に必要なのかな? 本家のゲームでは、晩年に耄碌した孫権も能力値は一つだけだし、 そもそも経年による能力値の変化は成長期というシステムで表現されているんだから、 新武将作成例もそれに合わせた方がよいと思うけど -- (名無しさん) 2015-03-28 01 00 57 晩年などで分けるパターンがついたのは 朱元璋 が最初じゃなかったかな? 呉の 孫権 も晩年で設定された能力があるし 一応みんなの新武将では一部成長システムで反映できない能力変化も書いてあるってところじゃないかな? 実際プレイする上では無理に反映する必要もないわけだしね。 -- (名無しさん) 2015-03-28 02 17 52 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1793.html -- (名無しさん) 2015-03-31 04 46 02 ゲーム中では使用不可能なデータをいつまでも載せておくのはどうかと思ったので、 勝手ながら織田信長・豊臣秀吉・徳川家康の列伝を制限の250字以内に添削しました。 文章の大意が変わらないよう、注意して添削したつもりですが、もし添削後の文章に不満がある場合は、 遠慮なく制限の250字以内で書き換えてください。 -- (名無しさん) 2015-05-07 12 58 02 250字以上の登録武将が他にもいたので 一旦、列伝を全て元に戻し、新武将TOPページに注釈を付け加える形と致しました http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/126.html -- (名無しさん) 2015-05-08 08 30 16 つーか後漢勢力もそうだけど、ここの三英傑も普通に能力高過ぎなんだよな。どう考えてもおかしい、全能力5くらい下げれば妥当な感じだわ。 信長の武力とかも自分で敵の大将を討ち取ったことが強調されてるが、実際はあくまで数百人規模の小競り合いの話だしな。賊徒ですら数万の中国とは訳が違う。 -- (名無しさん) 2015-05-19 02 03 12 一応言っておくと三国時代の中国は日本の戦国時代より総人口少ないぞ。 賊徒で数万というのも信長と戦った伊勢長島の豪族門徒連中が2万から3万いたと言われてる。 この時代日本の兵力が潤沢だったのは常識だぞ? なんせ兵農分離さえまともにされてなかったら一般庶民でも武具や武器を持って戦争に出た時代だからね -- (名無しさん) 2015-05-19 02 33 26 ↑↑ 後漢とここを一緒にしてはいかんだろ 後漢が問題視されてるのは ・対抗勢力である新、群雄連中に比べ、後漢の武将連中が著しく強いこと ・モンゴル、唐といった世界屈指の王朝より強い陣容を兼ね備えていること ・光武帝をはじめ、君主家臣ともにインフレを起こし、他の時代を圧倒していること この3点が主な要因なわけだが、ここの場合は ・織田、豊臣、徳川の対抗勢力がいずれも強力(武田、上杉、北条、毛利、三好、島津など) ・天下を取った英雄や、地方を制圧した大名の能力は高いが、家臣は総じて抑えめ。 ・日本の他の時代の武将と比べても、一方的に勝っているわけではない。 となるから、後漢と同一視することはできないと思うのだが。 -- (名無しさん) 2015-05-19 02 59 08 ↑3 自分で作成する際に能力値を自由に設定すれば良いと思います 一応 「基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 」 御留意下さい。 -- (名無しさん) 2015-05-19 22 38 53 ↑3それは普通に知ってる、オレが言ってるのは製作者らしき人が凄い主張してる 敵大将を手ずから討ち取ったっていう部分に関しての兵力なんだが。 実際中国志で史書に残ってる戦いで数百程度の小競り合いとか殆どねーし それと同列扱いして信長の武力スゲーってのはおかしいだろ。 ↑2後漢も問題だが、ここの三英傑も十分以上に問題だろ。それこそ世界帝国でもなんでもねーのに 他のページの君主と比べて明らかに能力値が違うしな。項羽より統武の合計値が高い信長とか、知政が 合計199の秀吉と家康とか、インフレ以外の何だってんだ?世界史に残るような作戦をしたことも無きゃ 世界史に残るような政策を立てたわけでもねーし。 -- (名無しさん) 2015-05-23 23 26 21 一応 「基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 」 コピペ -- (名無しさん) 2015-05-24 00 20 20 例え糞みたいな能力値でもこれで固定された以上どうしようもない 諦めろ -- (名無しさん) 2015-05-24 02 10 54 むしろ世界史の知名度基準なら信長秀吉家康はむしろ残ってる方じゃん 家康の江戸幕府250年の礎は唐と並んで高く評価されてるし 秀吉は平民階層から日本の王(≠天皇家)になった偉業は世界でも認知度が高い 信長は銃火器の大量運用や桶狭間合戦が後世日本でも模倣に扱われてたし中国でも為政者英傑と同一視されてるやん。 ていうか「他のページの君主とくらべて明らかに能力が違う」の「他のページの君主」って誰だ? 後漢の光武帝、前燕の慕容恪、唐の李世民、ヨーロッパのカエサル、ナポレオン、バヤジット、中東のティムール 日本でも天武天皇あたりは三傑に匹敵する能力を持っているし、三傑だけがグチグチ言われる理由が俺にはわからんな。 これでまさかとは思うが世界史で知名度0の武将出して「こいつらより高いムキー」とか言うのはやめてくれよ? -- (名無しさん) 2015-05-24 09 56 25 ↑×4 『兵力比(2倍、3倍など)』ならまだしも、「兵力数」で統率決まるとかそっちの方がおかしい。冷静に考えてくれ。それなら歴戦の英傑より今の内閣総理大臣や大統領の方が統率高くなる。 -- (名無しさん) 2015-05-24 10 56 45 日本勢だけだけど現時点の「みんなの新武将」能力95まで書き出してみた(複数ある武将は高い方で判断、初期値) ・統率 100 日本武尊 *99 豊臣秀吉 *98 織田信長 *97 源義経 *96 徳川家康 大村益次郎 大山巌 石原莞爾 *95 大海人皇子 足利義満 武田信玄 上杉謙信 島津家久 ・武力 100 日本武尊 源義仲 関太郎吉 *99 織田信長 源義経 *98 平教経 上杉謙信 真田幸村 松林永吉 *97 源為朝 島津義弘 *96 戸次道雪 *95 山県昌景 大石種次 ・知力 100 一休宗純 豊臣秀吉 関孝和 *99 毛利元就 徳川家康 竹中半兵衛 平賀源内 *98 足利義満 武田信玄 *97 北条義時 松平信綱 陸奥宗光 *96 藤原不比等 黒田官兵衛 *95 大海人皇子 北条実時 近衛前久 大村益次郎 岩倉具視 ・政治 100 徳川家康 *99 藤原道長 足利義満 豊臣秀吉 *98 厩戸王 北条氏康 徳川秀忠 *97 藤原不比等 伊藤博文 陸奥宗光 *96 大海人皇子 源頼朝 織田信長 丹羽長秀 松平信綱 上杉鷹山 大久保利通 *95 該当者なし (*94で北条義時、石田三成、高橋是清らがいる。) ・95以上の能力保有数(1つを除く) 4つ 該当者なし 3つ 大海人皇子 足利義満 織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 2つ 日本武尊 藤原不比等 源義経 武田信玄 上杉謙信 松平信綱 大村益次郎 陸奥宗光 -- (名無しさん) 2015-05-24 13 24 01 一応 「基本的に、新武将は「 作成例 」ですので、必ずしも一致させなければならないわけではありません。 新武将の能力値や適性の 決め方、評価、歴史解釈などは、各人それぞれ異なる代物 であり、 その正誤も、各人それぞれ異なります。 当然、 万人が納得する能力値や適性の絶対値が存在するわけもなく、結果的に水掛け論となって編集合戦を誘発しています。 」 -- (名無しさん) 2015-05-24 21 06 52 豊臣秀吉ですが太閤検地を反映して「徴収」を追加できないでしょうか -- (名無しさん) 2015-08-21 21 08 39 秀吉含め、一部武将に史実反映して追加しておきました。 -- (名無しさん) 2015-08-22 05 08 53 2015-08-21 21 08 39です ありがとうございました -- (名無しさん) 2015-08-22 21 01 45 ↑×11 随分前の投稿に返信するのもなんだが、戦国時代の日本って当時の世界の純粋軍事力で見れば相当強い方じゃないか? 100年近くにわたって常時戦争して、民衆まで参加していたほどの練度があり、 侵略をちらつかせていたスペインやポルトガルが手を出せず、逆に宣教師が日本の状況を本国に逐一送って警戒しているくらいだ。 朝鮮、明との戦いも失敗には終わったが、あれも兵糧の問題と秀吉の死による影響が大だし、 流石に文化圏や戦い方、時代も違うので正確な差を比較することは難しいが、あの時代はむしろ日本は数ある強国の1つだったと思う。 -- (名無しさん) 2015-09-29 05 25 07 ↑ 自分は 2015-05-23 23 26 21 のコメントを書いた者ではないけど、 当時の世界の純粋軍事力で見れば相当強い方じゃないか? 純軍事的に見ると、日本は火器のバリエーションが少ないこと、特に大型の火砲がほとんど存在しない点が気になる。 ウルバンの巨砲を擁していたオスマン帝国や、大砲に将軍号を与えるほど大型火器を重視していた明と比べると、 火器の装備に偏りがあるように思う。 主力火器である火縄銃も、当時のヨーロッパのそれに比べると小型で、扱いやすさという点では有利だけど、 有効射程距離はヨーロッパのそれの三分の二とされているから、射撃戦になると不利だろう。 また、海軍力という点では、明らかにヨーロッパに劣る。 日本の安宅船の大砲が三門から五門に対し、スペインやイングランドのガレオン船の大砲は三十門から五十門。 防御に優れた鉄甲船でも、この火力の差は覆せないだろう。 100年近くにわたって常時戦争して、 当時の地球に平和な国なんて存在しない。 イタリアではスペイン・神聖ローマとフランスが、イングランドやローマ教皇やオスマン帝国まで巻き込んで六十年も戦争していたし、 ネーデルラントではスペインからの独立戦争が八十年も続いた。 北欧ではデンマークとスウェーデンが角逐を繰り返し、東欧ではロシアのイヴァン雷帝がポーランドやスウェーデンと衝突し、 地中海ではヴェネツィア共和国とオスマン帝国が制海権を争い、大西洋ではスペインの海洋覇権にイングランドが戦いを挑み、 フランスではカトリックとプロテスタントが四十年も内戦を起こし、明では華中と華南の沿岸部が後期倭寇との戦いで鉄火場と化していた。 要するに、戦争経験という点では、どこの国の軍隊も相当な経験を積んでいた。常時戦争していたことは強みにはならないと思う。 侵略をちらつかせていたスペインやポルトガルが手を出せず、 ヨーロッパでの戦争で財政が傾きかけていた当時のスペインに、日本に遠征するだけの余力が残されていたとは思えない。 ポルトガルはポルトガルで、十六世紀半ばの時点で既に植民地の拡張が国力の限界を超えていたから、日本への侵攻は無理だと思う。 朝鮮、明との戦いも失敗には終わったが、あれも兵糧の問題と秀吉の死による影響が大だし、 戦争のプロは兵站を語り、戦争の素人は戦略を語る。軍事力を論じる上で、兵站を軽視するのはどうかと思う。 -- (名無しさん) 2015-09-29 18 49 44 ↑の続き あの時代はむしろ日本は数ある強国の1つだったと思う。 色々と反論したけど、何だかんだで当時の日本が強国の一つであることは確かだと思う。 少なくとも、マヤやインカの軍隊よりは遥かに強いし、戦場を日本列島に限定すれば、ヨーロッパの軍隊にも負けないだろう。 ただ、性質が尖りすぎているから、海外の戦場で戦うとなると、強みを活かせない相手や場面が多いと思う。 -- (名無しさん) 2015-09-29 18 52 10 大体納得できるが兵糧問題は正直どこもついて回る問題だからなんとも 特に雪原地の焦土作戦は現代の軍隊すら苦戦しかねん 当時の朝鮮は寒冷地で不毛地帯、これに当てはまる。 まあ日本は総じて防衛戦向きだろうな。 ただなんだかんだ、技術力がモノを言うから、 大帝国相手でも時代が違えばそりゃ勝てる。 -- (名無しさん) 2015-09-30 18 33 56 ↑ 防衛戦向きというより、日本向きという方が正しいと思う。 当時の日本は世界有数の農業大国だから、日本の感覚で海外へ攻め込むと、どこを攻めても兵糧不足に陥る。 それを防ぐには現地の食糧生産力に合わせて兵力を絞るしかないけど、 今度は銃の性能の遅れ・砲兵の不在・騎兵の槍の短さ等の弱点を兵数でカバー出来なくなる。 その結果、戦国時代の日本軍は、日本で戦えば最強クラスだけど、 海を渡ると朝鮮も取れない(勿論、明の援軍がなければ取れていたとは思う)、という地域密着型の軍隊になる。 -- (名無しさん) 2015-10-01 19 08 53 ナポレオンがロシアで壊滅したのと同じ理由。ただし日本の方がまだ軽微 と解釈も可能 -- (名無しさん) 2015-10-06 15 42 35 そりゃロシアと朝鮮じゃ焦土作戦の規模が違うからな 自国民を何百万人も死なせたロシアの焦土作戦を、朝鮮と一緒には出来んわ -- (名無しさん) 2015-10-07 00 13 17 朝鮮の場合は焦土作戦というよりもともと不毛地帯だった感が強い 焦土するまでもなく補給的な意味で利用価値のあるものがほとんどなかった。 焦土作戦は基本的に、実行側に益があり、される側に益を与えないようにするためのものだが 唐入りの際の場合は、朝鮮側も食糧難に苦しんで前半の頃は反乱が多発していた。明も莫大な負担があったことを考えると 単純に厭戦気運が蔓延したのが原因の気もするなあ。秀吉が計画していたその後の遠征が、秀吉の死であっさり覆ったあたり -- (名無しさん) 2015-10-07 01 45 25 鉄板・銅板の安宅船を反映させるためにそれに関連した人物に「藤甲」などの特技を追加してみました。実際の「藤甲」は陸上でも機能してしまうので、使うかどうかはおこのみでお願いします。 -- (名無しさん) 2015-10-16 20 54 21 ↑焙烙や火矢に強いはずが弱くなるから逆のような気が -- (名無しさん) 2015-10-23 16 43 39 火神とのセットで火矢を防げれば完璧だったね・・・ そこらへんは改造で補えるのかな? -- (名無しさん) 2015-10-24 03 38 44 http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2736.html 朝廷・本願寺などをこちらに移しました。コメント欄を反映して 織田・豊臣・徳川の繋がりはそのままにしてあります -- (名無しさん) 2016-02-15 01 27 20 柴田勝家の槍戟適正低くないですかね? なぜCやBなのかよくわからないです 瓶割り柴田の逸話は考慮されてますか? -- (名無しさん) 2016-03-11 15 41 40 変更しておきました -- (名無しさん) 2016-03-11 16 18 37 ありがとうございます -- (名無しさん) 2016-03-11 16 43 17 もう増えすぎて変更点が認識しにくいので何かしら有効な分類をした方が良いかと思われます -- (名無しさん) 2016-04-02 18 08 44 これ以上有効な分類分けは難しいので今のところ他のページでバランス取ってます 例えば「元武田家臣でのちに徳川家臣になった人物」などのようなケースはできる限り ここに入らず武田家臣としてカウントする、などですね ここの項目は一応これ以上増えないようにしております http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2731.html http //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2736.html -- (名無しさん) 2016-04-03 03 35 14 史実で装備していた武器がある場合は推奨武器として明記してはいかがでしょうか? 「蜻蛉切(本多忠勝)」「瓶通し(酒井忠次)」「片鎌鑓(加藤清正)」「人間無骨(森長可)」 「日ノ本号(多すぎるので略)」 キリがないかもですが…… -- (名無しさん) 2016-04-03 18 02 19 どうしても多くなってしまうのでそこら辺は各自で調べてもらう方がいいと思います。 全部の武器を載せると最悪1人が複数持つ展開もありますし、この辺はあくまで参考でしょう。 -- (名無しさん) 2016-04-03 22 02 35 加藤清正は近年の研究だと、石田三成と同様の典型的な吏僚で、大将としてのデビューは朝鮮出兵だったらしい。 -- (名無しさん) 2016-08-07 11 53 13 堀秀政や福富秀勝のような側近馬廻りってとこだろう -- (名無しさん) 2016-08-08 11 48 34 一応 自然死=病死 不自然死=切腹・刑死・討死 での登録を推奨 ただし一部の「戦傷が元の病死」などは個人の判断で 相性も個人の判断でいいと思われるが基準として「賊(専横者など)=1」「名族(袁氏だがこの場合足利か?)=100」が考えられる 今回の場合、松永久秀などを基準の1と考えるといいかもしれない -- (名無しさん) 2016-09-23 12 31 09 個人的なイメージとして1は織田信長だと思うんだけどなあ 001:織田信長 015:斎藤道三 030:徳川家康 045:毛利元就 065:今川義元 075:武田信玄 095:本願寺顕如 100:足利義昭 110:朝倉義景 125:上杉謙信 130:浅井長政 140:明智光秀 145:豊臣秀吉 -- (名無しさん) 2016-09-23 23 35 10 まあ最終的には各人のお好きに -- (名無しさん) 2016-09-23 23 44 33 凄く亀コメントになるんだけど、上でいにしえ武将との比較を挙げている方がいるが いにしえ武将は三国志11と最新作(三国志13)で結構変わっていることに注意してほしい 例をあげれば岳飛は三国志11だと統95武91知78だが 三国志13では統99武91知86と計10の能力値が上昇している ちなみに項籍(項羽)は三国志11だと統94武100だが13では統率が98まで上がった。 本編でも曹操が統率上がっているなど強化もあるので あまり三国志11のみに捉われた能力観は避けた方がいい まあ最終的には個人個人で決めるものだけども -- (名無しさん) 2016-11-04 02 29 15 雑な考察だが爵位・官位の設定について 日本の官位制と中華における官位(爵位)制は別物だが一応は準拠できるので、あくまで考察における推奨ということで 日本 ○○守(一国に関する統治権を有する) 中華 州牧 従五位~五位相当は州牧にしておき六位程度は州刺史とするとバランスがとれるか? 官位名が近しい大将軍と○近衛大将が同等としこれを基準として考えるならば 中納言などの従三位は近衛大将と同等であるため同じく大将軍と出来る(大司馬としてもいいと思われる) 今回の三国志では爵位として「丞相」が存在しないので従二位以上の内・右・左の大臣は公位に当てはめることができる 日本の最高位は天皇でありこれは皇帝と同じとできるので史実では明正天皇(徳川家出身)のみであり三英傑でも王位が限界であると思われる。(秀吉=日本国王(外交責任者)) つまり 三英傑(君主)の官位を爵位で表すと最高位はそれぞれ 信長(右大臣)=公 秀吉(関白)=王 家康(征夷大将軍)=王 と表せる これを変遷でまとめると 織田信長 尾張守(州牧)→弾正少忠(?)→弾正大弼(羽林~五官)→参議(大将軍?)→右近衛大将(大将軍or大司馬)→内大臣(公)→右大臣(公)→隠居 羽柴秀吉 筑前守(州牧)→左近衛衛少将(州牧?)→権大納言(大将軍)→内大臣(公)→太政大臣(王?) 徳川家康 三河守(州牧)→右近衛権少将→左近衛権中将(五官?)→参議(大将軍)→左近衛大将(大将軍or大司馬)→内大臣(公)→征夷大将軍(王?) とすることができる 部下の官位について基準となるのは織田軍となる、これは主な武将が四方に散らばっているために設定しやすいためである 以下の通り信長(公)の場合 柴田勝家(北陸司令官)=鎮北将軍 羽柴秀吉(中国司令官)=鎮西将軍 滝川一益(関東司令官)=鎮東将軍 丹羽長秀(四国司令官(補佐)=鎮南将軍 明智光秀(徳川家康の饗応役を行った)=太常・太僕・尚書令・大鴻臚 あたりか が妥当と思われる(親族衆を除くばあい) なお、あくまで個人が勝手に記したものなので基準とするかどうかは個人の裁量でお願いします -- (名無しさん) 2016-12-28 18 56 11 日本 ○○守(一国に関する統治権を有する) 中華 州牧 職能や雅称から考えると、国司や守護は太守(爵位なし)、もしくは州刺史が妥当ではないかな? 州牧に相当する官位は、正確には朝廷の官位ではなく室町幕府の役職になるけど、関東管領や九州探題だと思う。 官位名が近しい大将軍と○近衛大将が同等とし 大将軍は軍の総司令官で、政治の実権を握ることもしばしばあったから、武家政権の最高指導者である征夷大将軍に相当すると思う。 今回の三国志では爵位として「丞相」が存在しないので従二位以上の内・右・左の大臣は公位に当てはめることができる 日本では太政大臣、左大臣、右大臣(または左大臣、右大臣、内大臣)を三公と呼んでいたそうだから、 これを後漢の三公(爵位の場合は大司馬)に当て嵌めた方が自然だと思う。 -- (名無しさん) 2016-12-29 23 59 38 2016-12-28 18 56 11です。 日本の公卿を出すと官位上ややこしくなりますが、日本の大将軍の場合は皇族や三位以上の公卿が便宜上呼称される場合なども含まれるので、便宜上で同官位の三位を叙任された方々をあてはめました。書かなかったことで混乱させてしまい申し訳ない 三公はおっしゃられる通り左大臣・右大臣・内大臣です、 しかし日本においては帝、天皇が皇帝の立ち位置であり、臣下の三英傑が至れる地位の最高が王であると謂う基準でこの考察を成り立たせました。 その結果として実際の官位とのズレが生じることとなりました。その点に関してはもう少しうまい解釈があったのではと思います。 あくまで個人の独断と考察で成り立っていますので個人の裁量で変更して頂いても大丈夫です。ご指摘ありがとうございました。 州牧と州刺史に関しては直轄で支配している国(この場合、尾張)がその支配者の支配地域であると認められた織田信長のケースなどの場合は 同等の官位であったとしても意味合いは異なります。たとえば筑前守の秀吉と三河守の家康では 同等の官位でも正当な支配者と官位名だけとでは意味合いが異なり官位の中で差が出てくることとなります。これに準拠するならば秀吉は州刺史となり 家康は州牧となりさらにややこしいことになるので一律に ○○守=州牧 としました さらに下位の六位を名乗った大名もおりこれらに配慮する形で設定しました。 これも個人の判断なので個々人で変更改良されても問題ありません -- (名無しさん) 2016-12-31 00 56 50 王=天下人と捉えるなら、信長秀吉家康は全員◯王でいいと思う。 他にも日本では平清盛、源頼朝、足利義満などが信長と同等の官位を得ている 彼らは全員天下人と捉えられており、これは信長も同様である。 (逆に、畿内の覇者である三好長慶は明確に『天下人ではない』扱いで、官位も筑前守が最高。相模守が最高だった執権北条氏と同ランクである。) -- (名無しさん) 2016-12-31 01 36 18 王=天下人と捉えるなら、信長秀吉家康は全員◯王でいいと思う。 他にも日本では平清盛、源頼朝、足利義満などが信長と同等の官位を得ている 彼らは全員天下人と捉えられており、これは信長も同様である。 (逆に、畿内の覇者である三好長慶は明確に『天下人ではない』扱いで、官位も筑前守が最高。相模守が最高だった執権北条氏と同ランクである。) しかるにこれらを考慮すると 従二位以上~ (王) 太政大臣、関白、左大臣、右大臣など 従三位以上~ (公) 内大臣、権大納言、権中納言など 従四位以上~ (将軍) 検非違使別当、蔵人頭など 従五位以上~ (州牧) 国司、鎮守府将軍など 日本史の人物に照らし合わせるとこうなる 従二位以上~ (王) 藤原道長 平清盛 源頼朝 足利義満 織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 従三位以上~ (公) 前田利家 上杉景勝 毛利輝元 宇喜多秀家 小早川隆景 足利義昭 織田信雄 織田秀信 徳川家康(秀吉家臣時) 伊達政宗(家康家臣時) いわゆる武家清華家など 従四位以上~ (将軍) 北条義時 北条政村 細川頼之 斯波義将 今川氏親 細川政元 三好長慶 松永久秀 従五位以上~ (州牧) 北条氏康 上杉謙信 長宗我部元親 宇喜多直家 真田昌幸 本多忠勝 柴田勝家 明智光秀 -- (名無しさん) 2016-12-31 01 36 42 ↑~↑3 あくまでも個人の考えだけど、 日本においては帝、天皇が皇帝の立ち位置であり、臣下の三英傑が至れる地位の最高が王であると謂う基準でこの考察を成り立たせました。 王=天下人と捉えるなら、信長秀吉家康は全員◯王でいいと思う。 自分は三英傑が至れる最高の地位は公か大司馬だと思う。 まず第一に、後漢で王の地位を与えられたのは、基本的に皇室出身の諸侯と外国の君主だけなので、 外交責任者や天下人を王に設定するのは三国志の「王」の観念に合わない。 第二に、大司馬の上に設定されている公という地位は、本来は殷王朝と周王朝の子孫にだけ与えられる称号で、 それ以外の人間で公の称号を与えられたのは、前漢後漢を通じて王莽と曹操の二人しかいない。 つまり、公以上の地位になるということは、帝位簒奪や帝位自称の前段階であり、「臣下」の域を越えているのではないかと思われる。 逆に言えば、特別な家系の人間であれば、臣下の域を越えることなく公の称号を得られるので、 藤原氏だけがなれる関白と、源氏だけがなれる征夷大将軍は、公に相当すると解釈できるかも知れない。 以上の二点から、日本人武将で王に設定すべきは、一部の親王と歴代琉球国王、あとは平将門と阿弖流爲くらいで、 織田信長は大司馬、豊臣秀吉と徳川家康は公に設定するのが妥当ではないかと思う。 さらに下位の六位を名乗った大名もおりこれらに配慮する形で設定しました。 太守という地位は、後漢の官僚制度では上から三番目のランクに入れられているけど、ゲーム中では爵位なしとされている。 上から三番目でさえ爵位なしなのだから、国司より下の官位は爵位なしでよい気がする。 あくまで個人の独断と考察で成り立っていますので個人の裁量で変更して頂いても大丈夫です。 最後は個々人の判断に任されるべきとは自分も思うけど、↑5で「推奨」という言葉が使われていたので、 それなら異論があることを伝えた方がよいかなと思い、僭越ながら意見を述べさせてもらいました。 -- (↑4) 2016-12-31 19 23 38 いやでも平将門が家康秀吉より上かと言われたら微妙じゃないか? 平将門が領有していた勢力は贔屓目に見ても関東一円くらいで これは三英傑誰と比較しても非常に劣る。これで将門が朝廷の有力者であるというなら まだしも、勝手に新皇自称しているだけにすぎないし、国の体制から外れたものを王というなら 九戸政実や榎本武揚すら王になってしまうのでは? >>公以上の地位になるということは、帝位簒奪や帝位自称の前段階であり、「臣下」の域を越えている そう考えるなら、尚更織田信長は王に該当するのではないかな? 日本で天皇を滅ぼそうとしたという説があるのは、足利義満と織田信長の2人だけ。 それぞれの論調にも一定の理があり、史観的にもふさわしいと思う 逆に豊臣秀吉や徳川家康は公でもいいと思うが・・・ -- (名無しさん) 2016-12-31 22 33 24 ↑ あくまでもこれは一個人の考えであるということを、改めて強調した上でコメントさせてもらうけど、 平将門が家康秀吉より上かと言われたら微妙じゃないか? この場合の「上」は単に偉いという意味ではなく、「天皇の地位を脅かす」という意味が含まれるので、 あくまでも個人の感覚になるけど、平将門が秀吉たちより「上」でも違和感は無い。 これで将門が朝廷の有力者であるというなら まだしも、勝手に新皇自称しているだけにすぎないし、 劉備や孫権も勝手に皇帝を自称しているけど、 ゲーム中では皇帝に設定されているので、勝手に自称しているだけでも特に問題は無いと思う。 国の体制から外れたものを王というなら 九戸政実や榎本武揚すら王になってしまうのでは? 九戸政実や榎本武揚は、王や皇帝に類する称号を自称したわけではないから、彼らは王にはならない。 そう考えるなら、尚更織田信長は王に該当するのではないかな? 日本で天皇を滅ぼそうとしたという説があるのは、足利義満と織田信長の2人だけ。 右大臣は特別な家系の人間しかなれない地位ではないし、足利義満は征夷大将軍になれる家系に生まれていた。 義満と信長が裏で何を企んでいたにせよ、表向きの地位は既存の秩序から逸脱してはいないから、王莽や曹操と一緒には出来ないと思う。 -- (↑2) 2017-01-01 11 18 15 王莽はともかく曹操ってそれこそ「表向きの地位は既存の秩序から逸脱してはいない」存在じゃないん? 曹操がやったこと考慮したら足利義満や織田信長と大差あるとは思えんが・・・ 両方とも天皇を一存で譲位させようと考えていた説もあるし、尚更曹操と差があるとは思えないが。 あと、榎本武揚は一応蝦夷共和国の総裁についている。独立国家ではないが、平将門と同等のことはやっているよ -- (名無しさん) 2017-01-02 00 28 38 ↑ 君はそんなに義満や信長を不忠者にしたいのかw という冗談はさておき、 王莽はともかく曹操ってそれこそ「表向きの地位は既存の秩序から逸脱してはいない」存在じゃないん? ↑4で書いたように、後漢では公という称号は殷王朝と周王朝の子孫にしか与えられない。 しかし、曹操は公になる資格が無いにも関わらず、自らの権勢を背景に公の位を得た。 これは明らかに既存の秩序から逸脱しており、事実、曹操の腹心の荀彧は曹操が公になることに強く反対している。 あと、榎本武揚は一応蝦夷共和国の総裁についている。独立国家ではないが、平将門と同等のことはやっているよ 総裁という名称は、幕末では江戸幕府の役職名に使われていた。 蝦夷共和国の指導者層が旧幕臣で構成されていたことを考えると、江戸幕府的な意味で総裁という名称を使用していた可能性が高いと思う。 -- (↑2) 2017-01-03 13 59 51 不忠かどうかってのは議論のわかれるところだけど そういう説がある以上無視はできないと思うのよね。 荒唐無稽な説ならまだしも、一応の根拠があるし、史学者の中でも見解はわれている まあ、あくまで個人的な感想としてね。 -- (名無しさん) 2017-01-03 23 42 32 過去作の三国志では公は名誉職みたいな立ち位置になっていましたね、そう考えるとまた考え方が変わってくるかもしれませんが -- (名無しさん) 2017-01-04 18 43 32 ↑2 もしかして、こちらの主張を誤解してない? 自分は「特別な家系の人間以外が公や王になるのは、臣下の一線を越えている」とは書いたけど、 「帝位簒奪を企んだ人間は公や王に設定すべき」とは書いていない。 自分が「特別な家系の人間以外が公や王になるのは~」と書いたのは、 あくまでも「どういう基準で日本の官位をゲーム中の爵位に当て嵌めるか」という問題に対する個人的な解答の一部で、 「官位や称号を基にしてゲーム中の爵位を決める」ということを前提に答えを導き出している。 だから、↑5で触れたように、義満と信長が裏で何を企んでいたとしても、それ自体は爵位の設定に影響しない。 -- (↑3) 2017-01-04 19 20 35 何の提案もなしに成長素質が変更されてるのは一寸いかんよ、事後承諾でもいいから「○○に追加しました」と書いておく方がいい -- (名無しさん) 2017-03-01 07 10 05 素質に関してはまだルール決まってなかったなそういえば 一応「削除」に関しては適正や特技とかでも問答無用でアウトだけど 候補を追加するのは現状特に問題がない状況 (能力値のマスクデータそのものに関しては編集合戦が過去に起きたのでアウトだが) -- (名無しさん) 2017-03-02 22 46 11 織田信長は建勲神社の主祭神なので「神将」も特技候補に追加をお願いいたします -- (名無しさん) 2017-04-22 14 09 59 ……信長ってあんなかんじだったけか? -- (名無しさん) 2017-04-23 07 07 37 とりあえず神将を追加しておきました。ついでに能力値も戻しておきました 複数能力値の扱いを見たところ、暫定的な措置と言うのが注意点にありました https //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2712.html#id_83ba7f76 ので、以下の処置を行います ・ 若年Verで登録されていた能力値を、親愛、特技の差分のみ能力値の方に反映し、削除 ・ コメント欄に一度提起し、その旨を補足へと告知 ※若年(19歳以前)Ver. |統率|武力|知力|政治|魅力|特技|槍兵|戟兵|弩兵|騎兵|兵器|水軍|生年|没年|親愛|性格|音声|口調|素質|義理|野望| |88|93|82|86|80|疾走・強奪・駆逐|S|A|S|S|S|B|1534|1582|平手政秀、など|剛胆or冷静|冷静or剛胆|豪放or剛胆|維持・長or開眼|4/5|5/5| 暫定的に許可されていたもう1つの能力値です -- (名無しさん) 2017-04-24 00 23 51 https //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2719.html 人数調整のため、御三家の3人(義直、頼宣、頼房)を江戸時代に移転しました -- (名無しさん) 2017-05-14 23 47 24 徳川秀忠→豊臣寧々は親愛じゃないのか 豊臣家の人質になったときに丁重に扱われたのを恩義に感じて、 将軍になった後も近くに行くことがあれば毎回訪ねてるし、加増も行ってるし -- (名無しさん) 2017-07-30 12 58 31 加筆しておきました。ついでに秀康にも親愛関係をつけました -- (名無しさん) 2017-08-01 05 24 49 https //www4.atwiki.jp/sangokushi11/pages/2719.html 人数調整のため、一部の武将をそのままこちらに移転しました。 具体的には当項目で扱っていた時代のうち「大坂の陣」に絡む武将 (秀頼など)は江戸時代の項目に移しています。 説明文はそのままにしてあります。 -- (名無しさん) 2017-08-01 06 17 35 堺屋太一は朱元璋は 信長、秀吉、家康を足したような遥かにスケールの大きい英雄だと 言ったというが、このサイトの能力値では三傑の誰にも及ばないという 一種のギャグだな。 -- (名無しさん) 2018-02-03 01 26 43 初期に作られた武将は「三國志に登場する武将の能力を越えてはいけない」という謎ルールがあった 朱元璋はその名残り。日本でも平清盛とかやたら低かった。三英傑も特に秀吉は 凄く低かったんだが、創造発売してから能力上がってる。 恐らくだが設定当時の烈風伝、嵐世記の秀吉が低かったのでその流れが今の世相に合わなくなったのが原因。 ちなみに最新作大志での豊臣秀吉は織田信長、武田信玄に次ぐ総合3位。 -- (名無しさん) 2018-02-03 11 49 44 失敬、群雄集結にしか登場しない北条早雲が厳密には1位 ただし、ここしか登場しない上Ifシナリオ -- (名無しさん) 2018-02-03 11 51 15 三国志シリーズに登場する日本武将は大体ノブヤボより 弱体化しているし、その名残じゃね。 チンギスハーンシリーズなんかその傾向がさらに顕著だし、 最初に能力値を設定したのは訓練されたコーエー民だったんだろうさ。 まあ国土にして日本の25倍の面積を有する中国大陸の英雄と、 小さな日本の英雄のスケールが同一に評価できないというのはよくわかる。 -- (名無しさん) 2018-02-04 18 04 50 国土より問題は人口だよ。いくら領土が広くても人口が少なければ国力として大したものじゃない。 それに、日本の英雄は中華に比べてショボいから矮小化すべきという理屈では 中華を文字通り統一した朱元璋が低く見積もられている理由を説明できないだろう。 華北の統一しかできなかった曹操(公式)より、中華統一の朱元璋の方が低いというのは誰が見てもおかしい 司馬炎のような、周りが勝手にやってくれたおかげで統一君主の名誉に預かれたわけでもない。 訓練されたコーエー民ではなく、ただ三国志が偏執的に好きだっただけだろう。 -- (名無しさん) 2018-02-06 14 35 47 朱元璋の場合は、コーエー民やら偏執やらがどうこうという話ではなく、統一後の大粛清が能力査定に響いている気がする。 粛清や弾圧をした人は、現代の民主的な価値観の下では低く評価されがちだし、 特に朱元璋の粛清は、靖難の変での建文帝の敗因の一つに挙げられることもあるからね。 個人的には、朱元璋に粛清された功臣が生きて建文帝の下にいたとしても、 秀吉死後の豊臣政権で武功派と吏僚派が対立したように、方孝孺らと対立したと思うけどね。 -- (名無しさん) 2018-02-06 21 34 53 朱元璋自身、信長秀吉家康を足したと言えば聞こえはいいが、 悪い部分も全て足してるようなところもあるからな 100段階で能力をつける難しさではあるだろうな。 -- (名無しさん) 2018-02-07 16 58 08 逸話などを参考に信長と秀吉だけですが話術札候補を追加いたしました その他の武将に追加など出来ましたらよろしくお願いいたします -- (名無しさん) 2020-02-12 10 50 24 最近いきなり後漢のページに妙な変更や追加が行われると思ったら、このアホみたいな三英傑を作成したのと同一人物とはな。 -- (名無しさん) 2021-05-19 02 38 16 随分劉秀の統率100武力98知力100政治97魅力100に拘ってるようだけど、ここは随分前から能力値変更禁止だよ -- (名無しさん) 2021-05-19 02 41 18 ちなみに三国志11時代から劉秀の能力値ってずーっと荒れっぱなしなんだけど、本人降臨じゃないよね?w -- (名無しさん) 2021-05-19 02 43 58 自分が先に98、92、90、100、100に変更しておいて、よく平気でそんなことを言えるね。 -- (名無しさん) 2021-05-19 02 46 31 それじゃあもとに戻せばいいじゃない。元の数値はいくつだったの? まさか495なんて数字はついてないよねw -- (名無しさん) 2021-05-19 02 47 29 https //wikiwiki.jp/shinbusyou/%E5%BE%8C%E6%BC%A2# と思ったけど思い出したら荒らしがわいた時にログ取ったんだった -- (名無しさん) 2021-05-19 02 48 56 ほい、戻したぞ -- (名無しさん) 2021-05-19 02 51 26 自分が最初にルール違反をしておいて自治厨気取りとかサイコパスかな? -- (名無しさん) 2021-05-19 02 54 40 https //wikiwiki.jp/shinbusyou/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%83%BB%E8%BF%91%E4%B8%96#l09a40e4 ここのデータは昔からこのままだ いつ変わったかは知らん つかデータと違う数字出して他のページも更新しておいてよく言えたもんだ 三国志14の劉秀もクソ高い数字出てたがあれもおまえか?w -- (名無しさん) 2021-05-19 02 56 17 いや、後漢のページについて言ってるんだが。 -- (名無しさん) 2021-05-19 03 00 52 知らんよ。俺は最初に見たときに495に変わってたから元の数値であろう数字に変えただけ それが元の数字じゃなくて弄られた数字だって言われたからログ引っこ抜いて元の数字に変えた、それだけ。 ここの三英傑の数値も三国志14で見直されて基本は信長の野望などのゲームの数字引っ張ってくるようになったから 変えてもいいんだけど、変えたら変えたでまた面倒だからな。劉秀の三国志14のページも信長の野望のデータ持っていったら なぜかすぐにそれより高い能力値に変えられていたからな、なぜか -- (名無しさん) 2021-05-19 03 04 16 まあ14の方はいろんな能力値を併記する方針になったから今更とやかく言う気はないが -- (名無しさん) 2021-05-19 03 06 48 https //w.atwiki.jp/sangokushi11/pages/1173.html 他の武将もじみーに変わっていたのでログにより差し戻し https //wikiwiki.jp/shinbusyou/%E5%BE%8C%E6%BC%A2 このログは2019年7月から一切動いていないデータ -- (名無しさん) 2021-05-19 03 52 14
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6616.html
356: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18 40 58 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp 漆黒世界 ソ連の国土再開発 ソビエト。それはWW1中に起きたロシア革命を発端として建国された人民による、人民のための、人民の国…になるはずだった国家である。 端的に言ってしまえばそれは失敗した。 WW1に実質勝利したと言っていいロシアにウクライナやベラルーシ、バルト三国までの領土を取られ、フィンランドは独立。 コーカサス地方も現代でいう、ジョージア、アルメニア、アゼルバイジャン部分がオスマントルコの庇護の下で独立させられ、バクー油田の利権も各国に奪われた。 そして頼みの綱のロシア皇室の遺産も東ロシア(レナ川以東)にて成立したロシア王国に奪われている(むしろ血筋的にロシア王国の方が正統) つまるところ金がない。史実よりずっと金がない。あとロシア内戦が史実より苛烈になったので国内もボロボロ。 上も下も仲良く貧乏という意味では平等であろう。 もっか最大の問題は食料であった。ロシアの食糧庫であったウクライナがドイツに奪われたことにより、ソビエト内の食料生産力が大幅に低下しているのだ。 しかしウクライナを失ったのならば新たに開拓しなければならないのだが、それを満足に行うだけの体力スラ怪しいのが今のソ連であった。 幾ら明日の食料を作るためとはいえ、腹が空きすぎては鍬すらふるえないのである。 そんなピンチに駆け付けたのがアメリカ合衆国こと米合。 人身売買だ、奴隷制継続だのでいい話を聞かない相手ではあったが、背に腹は代えられぬと当時のソ連上層部は合衆国との取引に合意した。 所謂中国へ進出するための橋頭保になってほしいという話である。 代わりに得られるのが各種支援。食糧支援に始まり、医療、技術、知識、戦力… 米合が用意できるありとあらゆるものが揃えられた。 こうして多少なりとも持ち直したソ連は全力で農地開拓に勤しんだ。 それがウラル地域南方及びカザフスタン地域である。 極寒の地というイメージの強いロシアだが、それは北部やシベリアであり、南部地域は比較的農耕や牧畜に秀でた地域も多かった。 また中央アジアに分類されるカザフスタン地域は真冬であろうとロシア本土よりはマシな気温であるため、農地に適した土地も多いのである。 米合から教えられた体系的な農法を基に全力開拓されたウラル南部とカザフスタンはウクライナを失ったソ連における新たな食糧庫に生まれ変わることとなる。 なおここまで順調に農地開発が進んだのは、ロシア内戦下における食糧危機の記憶やウクライナを失ったことによる危機感以外にも、米合が寄越した食糧支援の中身が信用できないという点も大きかったそうな。 当の米合からすれば人肉なんて入っていないちゃんとした食べ物を送っていたのだが、当のソ連やソ連人民がそれを信じなかったのが大きい。 話を戻す。 こうして新たな食糧庫を得て、一息ついたソ連であったが、今度は別問題に晒された。 国防である。 具体的に言うと戦力的にも足りないが何より立地が不味かった。 ドイツが分捕っていったウクライナ、ベラルーシの国境から現在の首都モスクワまで500㎞もないのだ。 一旦戦争が始まれば一瞬で詰められる距離である。 何より相手はあのドイツ軍。WW1時に電撃戦でパリを落とした、高速戦の申し子。 戦力的にも不安が残る現状ではモスクワの防衛は不透明であった。 ということで遷都である。詳しく言えば戦時における新たな首都を決めようとした。 357: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18 42 08 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp まず第一に候補に上がったのがニジニノヴゴロド。モスクワより東に奥まった場所にあり、ヴォルガ川に面しているため流通の面に優れ、各種鉄道も通っているためインフラの面でも問題なし。 しかし、モスクワよりも国境から遠いとはいえ、まだまだ近すぎるということで没となった。 次に候補に上がったのがカザン。ニジニノヴゴロドと同じくヴォルガ川に面しており、流通、インフラの面で最適な都市である。 国境からも1000㎞以上離れているのでドイツの電撃戦についても、十分な時間が稼げる見通しである。 最もこのカザン。タタール時代の中心都市であり、そういう意味ではロシア人的に少々複雑な心境であった。 とは言え背に腹は代えられぬため最有力候補として残った。 三つ目の候補がエカテリブルグ。カザンよりも更に奥に位置している。 大型河川からは離れているものの鉄道を始めとした各種インフラは整っており、更に開発の進んだウラル南部やカザフスタンに近い位置に存在しているのは魅力であった。 また西シベリアからの鉄道もここを通るため、東西物流の中心点でもある。 最後の候補がノヴォシビルスク。この当時は開発途上の街であったが、東部領では最も繁栄しており、東部ロシア開発の中心点となるべく開発計画も持ち上がっている。 また物流の面も河川ではオビ川に面しており、更に現在米合と審議中のモンゴル縦貫鉄道との連結も計画されているなど将来有望であった。 そんなこんなで幾つか候補が出た中での新首都はカザンへと決まった。 なんやかんやで最も欧州に近く、インフラも整っているからである。歴史的な事情に関しては目をつぶった。 最もソ連は安心しておらず、いざという時にはエカテリンブルグへの二次遷都も計画に入れるなど慎重な姿勢を崩さずにいた。 同時にモスクワに関しても従来の欧州ロシア鉄道中心地として運営を続けており、平時における巨大物資集積所の役割をこなす都市として重要視されている。 さて。新首都を決めたはいいが、首都選定の最中でソ連上層部は思い知ったことがある。 国内インフラの脆弱さである。 内戦で荒れ果てたこともあるが、本数の少ない列車と一部の線路、そして春夏の間の大規模河川のみに頼っている現状のインフラではこれから先不安が残ったのだ。 というわけで東西の主要都市や新たな穀物庫となったウラル南部やカザフスタンと連結させるための大インフラ整備計画が持ち上がった。 既存の列車及び河川流通を大規模化を中心に、各種幹線道路の整備なども盛り込まれた計画であったが、当初からいきなり躓くこととなる。 人手が足りないのだ。 日露戦争の被害から数えて、WW1で消耗し、ロシア内戦でズタボロとなり、最後には東西で国が分裂してしまった今のロシアには人手が足りていないのだ。 だから少数民族だろうと、多少の政治犯だろうと、素行不良な兵隊だろうと大事に使っていた。 何よりも多くの人民をウラル南部やカザフスタンの開拓に従事させているため、改め国内インフラ整備のための人員を算出できなかったのだ。 これに困ったソ連にまたまた話を持ち掛けたのがかのアメリカ合衆国。 彼ら曰く備品を使えばいいとのこと。言ってしまえば奴隷である。 ではその奴隷はどこにあるかと言えば、元々米合が目を付けていた新たな市場中華である。 当時の中華はこれといった統一政権は存在せず、各地を軍閥が跋扈している戦国時代のようなものだったので、幾らでも人は攫い放題だったのだ。 米合からすれば人口、資源両方が豊富な中華へ是非とも進出したいがためにソ連に支援を行ったのである。 そんな中でインフラ整備に悩むソ連に更に声をかけた。内容はこうだ。 まずはモンゴル縦貫鉄道を整備する。そこから順次中華から持ってきた人員を使って国内を整備していけばいい。 無論我々が使う分の数も確保してほしい。やり方は凄腕のハンターを派遣するので彼等から習ってくれ。 という感じで取りあえずマンハントのための受講代はおまけするから、さっさとモンゴル鉄道作ってクレメンスという内容だ。 米合は中華進出のための橋頭保以外に、現地へのマンハントや資源確保にもロシア人を使おうと考えたのだ。 358: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18 42 41 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp ソ連も露骨な米合のマンハントに眉をひそめたが、自国の人民を犠牲にするよりはマシとこの計画を手伝うことを選んだ。 こうして米合資本の下で真っ先に整備されたのが、かの悪名高き人攫い鉄道ことモンゴル縦貫鉄道である。 中華北部及び中央に伸びるこの鉄道はモンゴル国内をそのまま貫通しながら、ソ連領内のノヴォシビルスクへ繋がり、そこからソ連国内の鉄道を通ってモスクワに行きつき、モスクワからレーリングラード(リアルではサンクトペテルブルク)へ行きつき、そこからバルト海、北海を抜けて大西洋から米合本土へ繋がる一大交易ルートとなった。 運ばれるのは備品となる奴隷以外にも中華で取れる各種資源や食料など様々である。 このルートは一本だけではなく、モスクワからアルハンゲリスクへ行きつき、白海からバレンツ海へ出て、大西洋へ出るルート。 同じくモスクワからコーカサス地域へ行きつき、アゾフ海から黒海へと出て、更にそこからギリシャ連邦へ荷揚げをし、地中海に出るルート。 またバルト海、北海を抜けた後にベルギーに寄港するルートもある。 特に北方ルートは流れてくる氷塊や氷の問題もあることから、米合の支援にて数多くの氷砕船の建造を行って極力動ける期間を延ばすなどの対策にも力を入れている。 こうして真っ先に出来上がったモンゴル縦貫鉄道からは中華で収穫された大量の奴隷が運び込まれ、ソ連内のインフラ整備消費されていくこととなる。 ソ連が10年足らず国内の主要インフラの改善、発展を成功させた裏には中華から連れてこられた奴隷たちの犠牲があったのだ。 詳しい数は不明であったが、年1000万とも言われた中華でのマンハント(後の調査により流石に年1000万は誇張だったと判明した。最も年100万単位で連れ出されていたのは確かであったようだが)で得られた奴隷の多くは既に備品運用体制が成熟していた米合本土ではなく、インフラ整備や鉱山開発が急務であったソ連で消費されたことが発覚している。 10年にも及ぶ国土大開発の犠牲となった奴隷の詳しい数は判明しておらず、一説には1000万とも2000万ともいわれている。 少なくとも米合から送られてきた技術者からも「流石に浪費がすぎる」と本国への報告書に書き連ねるほどの量であったという。 各種開発作業の傍ら死んでいった奴隷たち(ソ連では備品や奴隷ではなく開拓者と呼んだ)は現地に派遣された「エコロジー エネルギー」社により、全て回収され家畜や養殖魚の餌、もしくは生態由来のバイオ燃料へと変えられていった。 このため労働力とされた奴隷たちの墓は非常に少なく、具体的な死亡数が未だ判明していない原因の一つとなっている。 国外から連れてこられた労働者が実質使い捨てとして扱われているのと逆に国内の少数民族や被差別民族の扱いはそこまで悪くなかったとされる。 これは単純に史実よりも遥かにソ連の人口が少なかったことが要因とされる。 当時のソ連最高指導者であるスターリンは国家に協力するのならという条件付きで少数民族や被差別民族の権利を保障していた。 最も反共主義者や反スターリン派の躍動は変わらず続いており、国内で政治犯とされた人々がドイツや東ロシアに亡命することも後を絶たなかったことも大きい。 ソビエト政府は海外に逃亡した反政府主義者の代わりの国民を欲していたという点でも、国内の少数民族との融和を進めていたのである。 そしてこの国内における少数派への融和政策は意外と成功していた。 理由としては様々であるが、帝政時代よりはマシになった生活というのが大きいと推測されている。 最もきつい労働に関しては海外から連れてきた労働英雄(奴隷)に任せればいいため、史実のような少数派を酷使することが少なかったのも大きい。 米合支援の下で行われた農業改革と開発が成功したというのも見逃せない点であろう。 豊富に供給される食料と、冬の間でも物資を届けるための各種インフラ整備。この二つを持ってソビエトは国内の少数派の懐柔に成功したと言える。 当時のソビエトは使い捨ての“奴隷”ではなく、確固たる“国民”を切実に欲していたという側面がよくわかるエピソードであろう。 359: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18 43 17 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp この時期のソビエトは三つの改革に成功していた。 農業、インフラ、融和である。 農業開発の成功による食料供給の安定。インフラ整備による国内流通網の改善。国内の少数民族との融和による“国民”の増加。 1920年代後半から30年代半ばまでのソ連は絶頂期と言ってもいい状況であった。 しかし対して米合陣営によく見られた長大な要塞線というものを持っていなかった。 これはソビエト軍の当初の計画が、遅滞戦闘を繰り返し、国土の奥深くにおびき出し、補給線が伸び切ったところを攻撃するというものであったためである。 またこの手の陣地構築作業に使える労働英雄の大半がインフラ整備とその維持に使われていなかったのも大きい。 最も流石に新首都となったカザフ及びエカテリンブルク周りやウラル地方に改めて移設した工業地帯などには多数の対空兵器や飛行場が建設。 更に多数の線路が交わる分岐点や中心部にも同様の防空対策がなされた。 同時に線路への爆撃を危惧し、対空武装列車とも言える列車兵器を開発。 これは武装列車の一種であり、多数の対空機関砲や高射砲を搭載し、更に線路復旧用の工作車も備えるなど、戦時を見越した兵器であった。 このように全ての線路や都市を守れないと考えたソ連は重要地点にのみ手厚い防空網を設置。 また移動式の対空陣地である対空武装列車を走らせることで、防空網の充実を図るなど、柔軟な対応を行った。 これは日露戦争やWW1における日英及びドイツの航空戦力へのソ連なりの解答であったと思われる。 同時にソ連では遅滞戦闘及び待ち伏せに最適な兵器が数多く開発されており、いわゆる突撃砲や駆逐戦車と呼ばれる兵器が多数開発されている。 無論通常の旋回砲塔タイプの戦車も開発、運用しているが、他国に例を見ない数の固定砲戦車を扱っていたのも事実である。 実際これら待ち伏せ、遅滞戦闘目的の固定砲戦車は独ソ戦初期では多大な戦果を挙げており、性能が陳腐化した中期以降も侮れない火力としてドイツ軍から警戒され続けた。 たった十数年で三本の改革に、独自の軍備を整えたソ連の努力は諸外国からは驚愕を持って評価されている。 無論大量の労働英雄を消費した点には大きな批判が寄せられているが。 そんなソ連もWW2には流石に日英陣営に勝てず降伏。米合とは違い戦後もどうにか国体維持を許されたが、WW2の疲労から戦前のような運営とはいかず後に崩壊。敢え無く東ロシアとドイツに分割されることとなる。 分割されて更に時のたった後の世。冷酷な支配者と呼ばれていたスターリンは改めて再評価が進んでいる。 残存している彼の日記や側近、家族からの証言から常に己の中の良心と現実の落差に苦しみながらも、どうにか国民を生かそうとしていた彼の苦悩と努力が見られ、決して彼は心を持たぬモンスターマシンではなかったことが判明している。 360: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18 44 03 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp 〇説明 ソ連人口 史実におけるソ連の人口は1930年代では1億6300万人ほどとされていた。 しかし漆黒世界ではウクライナ、ベラルーシ、バルト三国及び当時の極東連邦管区の殆どを失っており、人口は大きく後退している。 また史実よりも激しく争われたロシア内戦もこれに拍車をかけていると思われる。 失われた地域の当時の人口を全て合わせた場合、大凡6000万人ほど。 このため漆黒ソ連は1億をギリギリ超える程度の人口だと推測される。 20年代から30年代末までの人口増加率を考えても精々が1億Ⅰ1000万に届くかどうかだろうか。 なおこれらの国民人口とは別に中華から連れてこられた奴隷人口が別途に存在しているが、これらの消耗は非常に速いため詳しい数を推測するのが難しい。 このため大凡数十万から数百万の奴隷労働者が常にどこかで運用されていたと思われる。 奴隷 主に中華から連れてこられた使い捨ての労働者のこと。 米合では備品、ベルギーでは玩具、ブラジルでは人形などと呼ばれている。 ソ連では一応開拓者と呼称されているが、一般的には開拓奴隷や労働奴隷と呼んでいた。 最も合理的に奴隷を扱っているのが米合ならば、最も多く消費していたのがソ連である。 これはソ連内のインフラ整備及び維持、または鉱山開発に大量の労働力が必要とされたためである。 1年を通して、それこそ真冬のロシア領内でも構わずインフラ開発のために使われていったためボロボロと死んでいったのだ。 史実よりも国民を大切にしている、漆黒ソ連において代わりの使い捨て労働力を中華奴隷に求めた結果である。 疲労や病気に対しては大量の麻薬を摂取させることにより誤魔化し、無理矢理働かせ続けた。 ある意味既にシステムとして完成しているため、大型工事以外では早々大量に消費しない米合の備品運用と対比となる原始的な運用方法と言える。 メタい理由では史実通りソ連が1922年に建国されたとして、漆黒世界のWW2の勃発が速ければ1939年、遅くても1942年までには起こると考えられた結果である。 速ければ戦争まで17年間しかないため、急いでソ連国内を整える必要があったため、大量の使い捨て労働奴隷による突貫工事を行ってもらった。 このため短くても17年間、長くても20年間の間ソ連の大地に散った奴隷たちの総数は想像できない数になると思われる。 具体的には数百万は硬い。 エコロジー エネルギー社 米合企業の一つ。略称はEE社。 生き物の死体から家畜の餌やバイオ燃料を作り出すことを商売としている。 多分米合国内に幾つかあるバイオ燃料の製造、研究を行っている企業の一つ。 文字通りの死体回収業者であり、人間の死体から家畜の死体まで何でも引き取っている。 多分ソ連ではこの会社の所有するトラックや列車が毎日ソ連中で動いていたと思われる。 穀倉地帯 ウクライナを失ったので新たな穀倉地帯が必要となった。 このため色々調べたらなんとウラル南部とカザフスタンあたりが結構有力だと判明。 そのためこれらの地域を新しいソ連の食糧庫となってもらった。 史実だと開発に失敗しているのだが、ここだと日英のやりざまを観察して学習した米合からの支援により、農地開発に成功したという方向にした。 この農業開発が成功した点だけは史実のソ連より上かもしれない。 361: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18 44 53 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp 少数民族の扱い ソ連政府に協力的なら手厚く扱い、非協力的なら鉱山送り。ここは史実と変っていない。 政治犯や反共主義者も同じくである。 しかし、史実ほど一方的な扱いではなく、ある程度の融和政策を押し出している。 これは本文中でも語ったが、史実よりも大幅に減ってしまった人口を補おうとした結果である。 幸い史実で行われた過酷な労働の大半は中華から連れてこられた奴隷に扱わせているため、無理に少数民族まで動員する必要性がないのも多きい。 ソ連は使い捨ての労働者よりも、共に国のために働いてくれる国民を求めたのだ。 兵器 突撃砲のような固定砲戦車や、対空火器もりもりの武装列車などが登場。 詳しい設定はしていない。 幾ら米合からの支援があるとはいえ、戦力的には日英独陣営に劣っているソ連では強力な火力が求められそうということから生産性と火力を天秤にかけて突撃砲やら駆逐戦車やらが大きく活躍できそうと考えた結果である。 最も固定砲戦車の類は遅滞戦闘のための代物のため、反撃用や機動防御用の旋回砲塔戦車もきちんと用意していると思われる。 対空列車に関しては全ての路線をカバーするだけの対空兵器の設置や航空部隊の配備は現実的ではないため、線路のあるところなら自由に素早く移動できる列車に対空陣地として活躍してもらうことにした。 同時に工作部隊や物資を車両に載せて破損した線路まで行かせれば修復も可能という具合。 多分この手の対空列車以外にも史実でも使われた装甲列車や列車砲の類も大量に用意されていそうである。 このように陸の準備はきっちり進めており、空に関しても相応の準備を進めているが、それで割を食ったのは海軍だと思われる。 史実よりも経済も貧弱で、海に面する地域も多く削られた結果史実以上に錆び付き海軍になっていそうだと推測したため。 このため史実以上に海軍予算は陸や空へと持っていかれているだろうなと。 ぶっちゃけ海にリソース割いてもドイツやオスマンにすら勝てんだろうし。 メインは多分潜水艦や駆逐艦、沿岸警備のためのフリーゲートやコルベット。 要塞 ソ連では米合やベルギーほどガチガチに要塞で固めていない。 これは軍の戦略が焦土戦と遅滞戦闘をメインとしているためである。 というのは建前でぶっちゃけ、貧乏で更に時間もないソ連だと米合やベルギーほどガチガチに要塞作りまくる暇がないというメタな理由である。 最短で17年間。最悪は更に縮むであろうこの時間でソ連国内を一通り整備し、戦えるようにしなければならなかったため、要塞作るだけのリソースを裂けなかったのが真相。 精々がドイツや東ロシアとの国境線上にそれなりの陣地を構築している程度だと思われる。 戦後 これは余り詳しく考えていない。そこまで話題が進んでいないからである。 まあ戦後はギリギリ国体維持できそうかなと思っているが、長続きはできそうにない。 多分欧州ロシアはドイツに、カフカースことコーカサス地方あたりはオスマンに、シベリアあたりは全て東ロシアに持っていかれそう。 ウラルと中央アジアあたりはそれぞれ大量の独立国家がひしめき合って、三者の緩衝地帯となりそうだと薄々考えている。 スターリンは当面は心を持たない冷酷な独裁者という風聞になりそうだが、後の世だと再評価されそうだなという思いから。 362: トゥ!ヘァ! :2020/11/16(月) 18 46 27 HOST FL1-122-133-236-126.kng.mesh.ad.jp 投下終了 考えてみたら人口激減しているソ連君。ウクライナの人口が当時で3000万だか4000万だかいたらしい。 あと地味に時間もないのが一番きつい(汗 実質20年足らずで国内の改革と復興と敵への備えをしないといけないンゴ(白目)
https://w.atwiki.jp/jap0/pages/205.html
はじめに ここでは、世界史の基本事項(世界史の全体像)の内容を前提に、さらに世界史を細かく掘り下げていくためのページです。少なくとも、共通テストで出題されるレベルの必修用語はすべてこのページに網羅しました。ですから、用語集として使っても構いませんし、一番いいのは、共通テストの過去問を解いた後、各選択肢に出てきた用語をこのページで検索にかけ、時代(縦)・地域(横)を頭に入れていくという使い方です。(参考:iPhoneでのページ内検索方法。パソコンの場合は、Ctrl+F)この使い方に慣れていくことで、インプット(理解・記憶)とアウトプット(実戦)が交錯し、普通に勉強するよりも学習の質・スピードが倍増するはずです。 1. 先史時代 ア.人類の進化 人類直立歩行 道具 火の使用 言語の使用 化石人類 人類の出現 年代 猿人 更新世 ラミダス猿人 サヘラントロプス アウストラロピテクス ホモ=ハビリス ホモ=フロレシエンシス 打製石器 礫石器 ホモ=エレクトゥス(原人) ジャワ原人/北京原人 周口店 ハイデルベルク人 握斧(ハンドアックス) 旧人:ネアンデルタール人 剥片石器 新人 ホモ=サピエンス アフリカ単一起源説 クロマニヨン人 石刃技法 洞穴絵画:アルタミラ(スペイン)/ラスコー(フランス) 人類の拡散 ウォーレス線 旧石器時代 イ.文化から文明へ 新石器時代:農耕・牧畜 新石器革命/農業革命(農耕の開始) 磨製石器 潅漑農業文明 金属器 都市文字 ウ.人類と言語の分化 人種アニミズム トーテミズム神話 シャーマニズム インド=ヨーロッパ語族 セム語系/ハム語系 オーストロネシア語族 2. 古代オリエント ◉古代オリエント世界 ア.オリエント世界 メソポタミア 肥沃な三日月地帯 ティグリス・ユーフラテス川 メソポタミア文明 イ.シュメール人の都市国家 青銅器 シュメール人 ギルガメッシュ叙事詩 シュメール文化 都市国家 ウル(cf.ウルの軍旗)/ウルク/ラガシュ アッカド王国:byサルゴン1世/メソポタミア初統一 セム語系 ウル第3王朝 シュメール法典 ウ.メソポタミアの統一と周辺地域の動向 古バビロニア王国(バビロン第一王朝):byアムル人/メソポタミア再統一 バビロン ハンムラビ王 ハンムラビ法典 民族移動 インド=ヨーロッパ語族 小アジア/アナトリア 鉄器 ハットゥシャ(ボアズキョイ) ミタンニ/カッシート/ヒッタイト エラム人 イラン高原 多神教 マルドゥク神 ジッグラト 楔形文字/占星術/太陰暦▶太陰太陽暦に修正/1週7日制 エ.エジプトの統一王朝 ハム語系 エジプト文明:ナイル川/ノモス/ファラオ 古王国:メンフィス/クフ王/ピラミッド 中王国:テーベ/ヒクソス侵入で滅亡 エジプト新王国 トトメス3世 アメンホテプ4世/イクナートン テル=エル=アマルナ アマルナ文書 アマルナ革命 アマルナ美術 ラメセス2世 カデシュの戦い アブシンベル神殿 エジプト末期王朝 ラー/アメン=ラー アメン神 アトン神 オシリス神 ミイラ 死者の書 王家の谷 ツタンカーメン王 神聖文字(ヒエログリフ)/パピルス 太陽暦 シャンポリオン ロゼッタ=ストーン オ.東地中海世界の諸民族 シリア パレスチナ カナーン人 海の民 ペリシテ人 アラム人:ダマスクス/アラム文字 フェニキア人 ウガリト シドン・ティルス ヘブライ人:ユダヤ教 イスラエル人 ユダヤ人 ヤハウェ 出エジブト モーセ/十戒 ヘブライ王国 イェルサレム ダヴィデ ソロモン イスラエル王国 ユダ王国 バビロン捕囚 一神教 律法(トーラー) シナゴーグ 旧約聖書「嘆きの壁」 カ.古代オリエントの統一 アッシリア:オリエント初統一 戦車 サルゴン2世 アッシリア帝国 アッシュール=バニパル王 ニネヴェ/王立図書館 アッシリア帝国の公用文字 ネブカドネザル2世 メディア王国/リディア王国/新バビロニア王国/エジプト王国 エクバタナ サルデス貨幣 エフェソス イラン人/イラン系民族 アケメネス朝ペルシア:オリエント再統一 ペルシア帝国 キュロス2世:建国/ユダヤ人解放 カンビュセス2世 ダレイオス1世 ペルセポリス スサ サトラップ/王の目、王の耳/王の道/駅伝制 ローリンソン ベヒストゥーン碑文 ゾロアスター教 ゾロアスター/ツァラトゥストラ アフラ=マズダ&アーリマン 最後の審判 ミトラ教 アレクサンドロス大王の東方遠征 ペルシア帝国の滅亡 ヘレニズム時代 セレウコス朝シリア キ.パルティアとササン朝の興亡 パルティア:東西交易の利益独占/都はクテシフォン バクトリア[→大月氏→クシャーナ朝] アルサケス/アルサケス朝 ヘカトン ピュロス ミトラダテス1世 ササン朝ペルシア:マニ教成立 アルデシール1世 シャープール1世 エデッサの戦い ホスロー1世エフタル ク.イラン文明の特徴 ゾロアスター教 アヴェスター マズダク教 パールスィー 3. 古代ギリシア ア.地中海世界の風土 ギリシア地中海世界 シチリア島 ミノルカ島 マルタ島 ロードス島 クレタ島 サルデーニャ島 コルシカ島 キプロス島 黒海 イ.エーゲ文明 シュリーマン トロイア遺跡 ミケーネ遺跡 エヴァンズ クノッソス ヴェントリス 線文字B クレタ文明/ミノス文明 ミノス王 ミケーネ文明:byギリシア人の一派アカイア人 ティリンス ピュロス トロイア戦争 貢納 王政 暗黒時代 鉄器 ドーリア人:ミケーネ文明を滅亡させた/スパルタ イオニア人:アテネ アイオリス人:テーベ 海の民 ウ.ポリスの成立と発展 アクロポリス シノイキスモス/集住植民市/植民活動 アルファベット ヘレネス/ヘラス バルバロ イデルフォイ 隣保同盟 オリンピアの祭典/古代オリンピック マッサリア ネアポリス タレントゥム ビザンティオン シラクサ エ.市民と奴隷 ポリスの市民 ポリスの貴族 アルコン ポリスの平民 メトイコイ/在留外人 アゴラ クレーロス 奴隷/奴隷制度 オ.アテネとスパルタ アテネ ラウレイオン銀山 スパルタ ヘイロータイ&ペリオイコイ リュクルゴスの制 スパルタの軍国主義 カ.民主政へのあゆみ 王政貴族政 貨幣 重装歩兵・密集部隊 キュロン ドラコンの立法 ソロン/ソロンの改革 財産政治 僭主政 ペイシストラトス クレイステネス 五百人評議会 陶片追放:危ない僭主(非合法の独裁者)を防止 デーモス キ.ペルシア戦争とアテネ民主政 アケメネス朝ペルシア帝国 ダレイオス1世 ペルシア戦争 イオニア地方/イオニアの反乱 ミレトス エフェソス マラトンの戦い クセルクセス1世 テルモピュライの戦い レオニダス サラミスの海戦:三段櫂船▶戦後、漕ぎ手の無産市民の発言力高まる テミストクレス プラタイアの戦い ペリクレス デロス同盟 民会 市民権法(アテネ) 公職の抽選制 アテネの民主政/デモクラシー民衆裁判所/陪審制 弾劾裁判 ク.ポリスの変質 ペロポネソス戦争 ペロポネソス同盟 衆愚政治by扇動政治家(デマゴーゴス):ペリクレスの死後登場/ポリスの衰退を招く コリント戦争 大王の和約 テーベ エパミノンダス 傭兵 マケドニア ペラ フィリッポス2世 デモステネス イソクラテス カイロネイアの戦い コリントス同盟 ケ.ヘレニズム時代 アレクサンドロス アレクサンドロス大王の東方遠征 ペルシア帝国 グラニコス河の戦い イッソスの戦い アルベラの戦い(ガウガメラの戦い) ペルシア帝国の滅亡 ダレイオス3世 アレクサンドロスの大帝国 アレクサンドリアの建設 ディアドコイ/ディアドコイ戦争 アンティゴノス朝 マケドニアイプソスの戦い セレウコス朝シリア セレウキア アンティオキア ペルガモン王国 バクトリア マカベア戦争 ハスモン朝 プトレマイオス朝エジプト ヘレニズム ヘレニズム時代/ヘレニズム三国 4. 古代ローマ ア.ローマ共和政 イタリア人ラテン人ローマ王政(ローマ)エトルリア人貴族共和政パトリキ・貴族プレブス・平民重装歩兵コンスル・執政官元老院民会身分闘争聖山事件平民会護民官十二表法カヌレイウス法ケンソル・戸口監察官リキニウス・セクスティウス法ローマ共和政ホルテンシウス法新貴族・ノビレスディクタトル・独裁官市民法 イ.地中海征服とその影響 半島統一戦争サムニウム戦争ピュロス王アッピア街道タレントゥム分割統治植民市自治市同盟市ローマ市民権ポエニ戦争カルタゴシチリア属州/プロヴィンキアカンネーの戦いハンニバルザマの戦いスキピオカトーヒスパニアマケドニア戦争アリストニコスの蜂起総督(ローマ)徴税請負人騎士・エクイテス中小農民の没落ラティフンディア/ラティフンディウム/大土地所有制奴隷無産市民・プロレタリアパンと見せ物閥族派/オプティマテス平民派/ポプラレスシチリアの奴隷反乱 ウ.内乱の一世紀 グラックス兄弟の改革内乱の1世紀マリウススラユグルタ戦争兵制改革/職業軍人制イタリア同盟市戦争ミトリダテス戦争スパルタクスの反乱剣奴/剣闘士奴隷奴隷反乱第1回三頭政治ポンペイウスクラッススカエサルガリアガリア遠征インペラトルブルートゥスキケロ第2回三頭政治アントニウスレピドゥスオクタウィアヌスクレオパトラアクティウムの海戦ガレー船プトレマイオス朝エジプト エ.ローマ帝国 ローマ帝国ローマプリンケプスアウグストゥスプリンキパトゥス/元首政ローマ皇帝ローマの平和/パックス=ロマーナネロウェスパシアヌスユダヤ戦争ポンペイ五賢帝ネルウァトラヤヌスダキアハドリアヌスアントニヌス=ピウスマルクス=アウレリウス=アントニヌスアルメニアパルティアロンディニウムルテティアウィンドボナカラカラ万民法アントニヌス勅令季節風貿易イギリス(古代)ブリタニア オ.3世紀の危機 ローマ帝国の軍隊/3世紀の危機/軍人皇帝/ゲルマン人/ササン朝ペルシア/ウァレリアヌス/パルミラ解放奴隷/コロナトゥス/コロヌス カ.西ローマ帝国の滅亡 ディオクレティアヌス➡四分統治(四帝統治)/テトラルキア専制君主政/ドミナートゥスコンスタンティヌスキリスト教の公認ソリドゥス金貨コンスタンティノープルテオドシウス東ローマ帝国西ローマ帝国西ローマ帝国の滅亡オドアケル キ.キリスト教の成立 パレスチナヘロデ王ポンティオ=ピラト死海文書イエスキリストキリスト紀元キリスト教使徒ペテロパウロ教会新約聖書ヒエロニムス一神教 ク.迫害から国教化へ キリスト教迫害カタコンベコンスタンティヌスキリスト教の公認ミラノ勅令キリスト教の国教化ニケーア公会議公会議アタナシウス派三位一体説アリウス派正統異端ユリアヌス帝エフェソス公会議ネストリウス派カルケドン公会議単性説コプト教会アルメニア教会 ケ.ローマの生活と文化 ローマ文化コロッセウムパンテオンアッピア街道フォルム/フォロ=ロマーノ公共浴場ガール橋/ローマの水道ローマ法ユリウス暦グレゴリウス暦ローマ字ウェルギリウスホラティウスオウィディウスキケロリウィウス/『ローマ建国史』タキトゥスポリビオス政体循環史観プルタルコスストラボンプリニウスマルクス=アウレリウス=アントニヌス自省録セネカエピクテトス新プラトン主義プトレマイオス天動説ガレノスミトラ教マニ教エウセビオス教父アウグスティヌス告白録神の国 5. 西ヨーロッパ世界の成立 1節 西ヨーロッパ世界の成立 先頭へ ア.ヨーロッパの風土と人びと ヨーロッパインド=ヨーロッパ語族ギリシア人イタリア人ケルト人ラ=テーヌ文化ガリア人ブリトゥン人スコット人ゲール人 イ.ゲルマン人の大移動 ゲルマン人ガリア戦記ゲルマニア民会トイトブルクの戦い民族移動ゲルマン人の大移動フン人パンノニア東ゴート人/東ゴート王国 西ゴート人/西ゴート王国:イベリア半島 アラリックヴァンダル人/ヴァンダル王国ガイセリックブルグンド人/ブルグンド王国フランク人/フランク王国アングロ=サクソン人七王国アッティラカタラウヌムの戦いオドアケルテオドリックランゴバルド人/ランゴバルド王国 ウ.フランク王国の発展とイスラームの侵入 フランク王国メロヴィング朝クローヴィスクローヴィスの改宗宮宰/マヨル=ドムスイスラームのヨーロッパ侵入トゥール・ポワティエ間の戦いカール=マルテルカロリング朝ピピン エ.ローマ=カトリック教会の成長 五本山ローマ=カトリック教会レオ1世コンスタンティノープル教会キリスト紀元ローマ教皇グレゴリウス1世修道院運動ビザンツ帝国聖像禁止令レオン3世/レオ3世(ビザンツ皇帝)ローマ教皇領ピピンの寄進ラヴェンナ オ.カール大帝 カール大帝ザクセン人伯辺境伯巡察使アーヘンアヴァール人カロリング=ルネサンスカールの戴冠レオ3世キリスト教会の東西分裂ローマ=カトリック教会ギリシア正教/ギリシア正教会 カ.分裂するフランク王国 ヴェルダン条約メルセン条約東フランクザクセン朝ハインリヒ1世マクデブルクオットー1世マジャール人レヒフェルトの戦いヨハネス12世オットーの戴冠神聖ローマ帝国イタリア政策神聖ローマ皇帝帝国教会政策西フランクユーグ=カペーカペー朝パリドイツフランスイタリア キ.外敵の侵入と西ヨーロッパの混乱 ノルマン人/第2次民族大移動 スカンディナヴィア半島 ヴァイキング ノルマンディ/ノルマンディ公国 ロロ ノルマン人の南イタリア征服 シチリア島 シチリア王国(両シチリア王国):byルッジェーロ2世 大ブリテン島 イギリス ブリタニア アングロ=サクソン七王国 イングランド王国 エグバート デーン人/デーン朝 アルフレッド大王 クヌート ノルマンディー公ウィリアム(ウィリアム1世):ノルマン征服▶ノルマン朝 ヘースティングスの戦い バイユー=タペストリー リューリク ノヴゴロド国 ルーシ 毛皮 キエフ公国 北欧諸国=デンマーク・スウェーデン・ノルウェー ノルマン人の北アメリカ到達 アイスランド グリーンランド ク.封建社会の成立 封建社会封建的主従関係恩貸地制度従士制諸侯(ヨーロッパ)騎士荘園領主/封建領主/荘園領主農奴/農奴制不輸不入権領主裁判権 ケ.教会の権威 ローマ=カトリック教会階層制組織/ヒエラルキア大司教司教司祭十分の一税神の平和/神の休戦修道院運動ベネディクトゥスモンテ=カシノベネディクト派クリュニー修道院聖職売買聖職叙任権/叙任権闘争グレゴリウス7世ハインリヒ4世破門カノッサの屈辱ヴォルムス協約インノケンティウス3世教皇権の最盛期 6. 東ヨーロッパ世界の成立 ア.ビザンツ帝国の繁栄と衰亡 東ローマ帝国ビザンツ帝国ギリシア正教ノミスマコンスタンティノープル皇帝教皇主義 ユスティニアヌス(6世紀):『ローマ法大全』ハギア=ソフィア聖堂イスラームのビザンツ帝国侵攻 ヘラクレイオス1世(7世紀) レオン3世 アレクシオス1世:プロノイア制=封建制度(貴族に軍役と引き換えに土地を付与) 聖像禁止令聖像崇拝問題イコンマケドニア朝マンジケルトの戦い/マラーズギルドの戦いブルガール人/ブルガリア帝国ラテン帝国ニケーア帝国コンスタンティノープル陥落 イ.ビザンツ帝国の社会と文化 軍管区制/テマ制 屯田兵制 ビザンツ様式 モザイク壁画 サン=ヴィターレ聖堂 ウ.スラヴ人と周辺諸民族の自立 スラヴ人 東スラヴ人 ノヴゴロド国 キエフ公国 ロシア ウラディミル1世 バトゥ キプチャク=ハン国 タタールのくびき アレクサンドル=ネフスキー モスクワ大公国 イヴァン3世 ツァーリ モスクワ 南スラヴ人 セルビア人/セルビア王国 バルカン半島 コソヴォの戦い ボスニア王国 クロアティア人 スロヴェニア人 西スラヴ人 ポーランド王国:カジミェシュ3世▶中心都市クラクフにヤゲウォ大学設立 リトアニア/リトアニア=ポーランド王国 ヤゲウォ朝 チェック人 モラヴィア王国 ベーメン王国/ボヘミア王国 プラハ ブルガール人/ブルガリア ヴォルガ=ブルガール王国 ブルガリア帝国 キリル文字:byキュリロス ハンガリー王国 ルーマニア人 7. 中世ヨーロッパの変容 ア.十字軍とその影響 西ヨーロッパ中世世界の変容三圃制重量有輪犂オランダの干拓レコンキスタ巡礼サンチャゴ=デ=コンポステラ十字軍運動ウルバヌス2世クレルモン宗教会議イェルサレム王国十字軍国家エデッサ伯国アンティオキア公国サラーフ=アッディーンリチャード1世第4回十字軍ラテン帝国宗教騎士団ドイツ騎士団テンプル騎士団ヨハネ騎士団少年十字軍ジャン=ド=ブリエンヌの十字軍アッコン イ.商業の復活 東方貿易/レヴァント貿易 貨幣経済(中世ヨーロッパ) 遠隔地貿易 地中海商業圏 北海・バルト海交易 シャンパーニュ地方:ヨーロッパ商業の中心地/定期市/北海と地中海を結ぶ 商業の復活/商業ルネサンス 地中海沿岸都市:ヴェネツィア(ヴェネツィア共和国)/ジェノヴァ(ジェノヴァ共和国)/ミラノ(ミラノ公国) フィレンツェ/フィレンツェ共和国 バルト海沿岸都市:リューベック/ハンブルク ブレーメン ガン(ヘント) ブリュージュ フランドル地方 ロンドン マインツケルン ニュルンベルク アウクスブルク フランクフルト マクデブルク ノヴゴロド ウ.中世都市の成立 都市司教座都市自治都市/都市共和国/コムーネ帝国都市/自由都市ロンバルディア同盟レニャーノの戦いハンザ同盟 エ.都市の自治と市民 「都市の空気は自由にする」ギルド商人ギルド同職ギルドツンフト闘争フッガー家 オ.封建社会の衰退 荘園制の崩壊貨幣地代農奴解放黒死病/ペスト死の舞踏ヨーマン農民一揆封建反動ジャックリーの乱ワット=タイラーの乱ジョン=ボール火砲/火器ユダヤ人迫害ゲットー カ.教皇権の衰退 ボニファティウス8世フィリップ4世アナーニ事件教皇のバビロン捕囚クレメンス5世アヴィニヨン教皇権の衰退教会大分裂/大シスマ異端審問魔女裁判ウィクリフフスコンスタンツ公会議公会議至上主義ジギスムントフス戦争 3節-2 西欧中世世界の変容 先頭へ キ.イギリスとフランス プランタジネット朝 アンジュー伯/アンジュー帝国ヘンリ2世トマス=ベケットジョンカンタベリー大司教大憲章/マグナ=カルタヘンリ3世シモン=ド=モンフォールモンフォール議会議会/議会制度身分制議会模範議会エドワード1世イギリス議会制度上院下院ジェントリ/郷紳フランスカペー朝パリフィリップ2世ブーヴィーヌの戦いルイ9世アルビジョワ派/カタリ派アルビジョワ十字軍ワルド派フィリップ4世三部会王の奇蹟 ク.百年戦争とバラ戦争 フランドル地方毛織物ギエンヌ地方/アキテーヌ地方ヴァロワ朝 エドワード3世:百年戦争開始(フランス王位継承権を主張) 火砲/火器/大砲/鉄砲エドワード黒太子黒死病農民一揆ジャックリーの乱ワット=タイラーの乱ブルゴーニュ公ヘンリ5世ジャンヌ=ダルクオルレアンカレーシャルル7世バラ戦争ランカスター朝ヨーク朝リチャード3世ヘンリ7世テューダー朝星室庁裁判所ウェールズアイルランドスコットランド ケ.スペインとポルトガル イベリア半島国土回復運動/レコンキスタエル=シドカスティリャ王国アラゴン王国ポルトガル王国イスパニア/スペイン王国イサベルフェルナンド5世カトリック両王1492年グラナダユダヤ教徒追放令コンベルソマラーノジョアン2世 コ.ドイツ・スイス・イタリア・北欧 ドイツ神聖ローマ帝国イタリア政策シュタウフェン朝フリードリヒ1世フリードリヒ2世大空位時代金印勅書カール4世選帝侯マインツハプスブルク家ウィーン領邦/領邦国家/ラント 東方植民:byドイツ人/エルベ川以東にブランデンブルク辺境伯領が創設 スイス イタリア:ギベリン(皇帝党)vsゲルフ(教皇党) ノルマン朝(シチリア)パレルモシチリアの晩祷ナポリ王国デンマークスウェーデンノルウェーマルグレーテカルマル同盟フィン人 8. インド史 ◉インダス文明:インダス川/モエンジョ=ダーロ/ハラッパー/ドーラヴィーラー/ロータル/ドラヴィダ人/印章/インダス文字(未解読) ◉アーリヤ人の侵入とガンジス川流域への移動:インド社会の形成/カイバル峠/パンジャーブ何前民族移動/鉄器/牛/ヴェーダ時代/リグ=ヴェーダ/ガンジス川/都市国家/ヴァルナ制/バラモン・クシャトリヤ・ヴァイシャ・シュードラ/不可触民(パーリヤ)/ジャーティ/カースト制度/バラモン教 ◉都市国家の成長と新しい宗教の展開:十六王国時代(マガダ国〔ナンダ朝:アレクサンドロス大王のインド侵入を阻止〕vsコーサラ国)/仏教(ガウタマ=シッダールタ)/サールナート/ジャイナ教(ヴァルダマーナ)/ウパニシャッド(ブラフマン・アートマン) ◉マウリヤ朝:チャンドラグプタ/パータリプトラ/カウティリヤ/アショーカ王/カリンガ国/ダルマ/石柱碑/ブラーフミー文字/仏典結集/ストゥーパ@サーンチー ◉バクトリア:王メナンドロス/サカ族により征服/インド北西部に侵入▶クシャーナ朝に組み込まれる ◉クシャーナ朝:カニシカ王/仏教保護/ガンダーラ美術:ヘレニズムと仏教が融合/プルシャプラ/ガンダーラ地方/季節風貿易/大乗仏教/菩薩信仰/ナーガールジュナ/部派仏教/小乗仏教(上座部仏教)/スリランカ/パーリ語 ※バーミヤン(アフガニスタンの仏教遺跡) ※マトゥラー(ガンダーラとほぼ同時期に仏像制作が始まった都市) ※サータヴァーハナ朝:ローマと季節風貿易◀『エリュトゥラー海案内記』/都プラティシュターナ/インド洋交易圏 ◉グプタ朝:チャンドラグプタ1世/サンスクリット語が公用語に▶チャンドラグプタ2世(全盛期) ※ヒンドゥー教(ブラフマー神・シヴァ神・ヴィシュヌ神)/マヌ法典:ヴァルナごとの生活規範 ※サンスクリット文学:カーリダーサの戯曲『シャクンタラー』/二大叙事詩『マハーバーラタ』(◀歌集『バガヴァッド=ギーター』)『ラーマーヤナ』 ※ゼロの概念/グプタ様式/アジャンター石窟寺院/エローラ石窟寺院 ※仏教の衰退/密教(ヒンドゥー教と融合して生まれた仏教) ◉ヴァルダナ朝(カナウジ/ハルシャ=ヴァルダナ/ナーランダー僧院 ◉ラージプート時代(プラティーハーラ朝・チャーハマーナ朝/パーラ朝/ラシュトラクータ朝/チャールキヤ朝:ハルシャ=ヴァルダナに対抗) ◉南インドとインド洋交易:ドラヴィダ人/海の道/ギリシア系商人/インド洋交易圏/港市国家/マラッカ海峡/香辛料/絹・絹織物/茶/陶磁器/チョーラ朝/パッラヴァ朝/パーンディヤ朝/スリランカ:シンハラ王国➡タミル人(タミル語はドラヴィダ系)と対立 ◉イスラーム勢力のインド進出:ガズナ朝(王マフムード)・ゴール朝(アフガニスタンに成立/インドに侵入/ラージプート諸国と抗戦)▶デリー=スルタン朝(奴隷王朝(ゴール朝のマムルーク・アイバクが建設/モスク:クトゥブ=ミナール)▶ハルジー朝▶トゥグルク朝(ヴィジャヤナガル王国と対立/バフマン朝が自立)▶サイイド朝▶ロディー朝(アフガン系) ◉ムガル帝国(デリー/ペルシア語が公用語):バーブル(カーブルを拠点/パーニーパットの戦いでロディー朝征服/回想録『バーブル=ナーマ』)▶フマーユーン(アフガン系のスール朝による一時的な支配)▶アクバル(新宗教ディーネ=イラーヒー/アグラ遷都/ファテープル=シークリー遷都/マンサブダール制〔位階制〕/ジャーギール制〔土地の徴税権〕/ジズヤの廃止)▶シャー=ジャハーン(タージ=マハル)▶アウラングゼーブ(ジズヤの復活) ◉インド=イスラーム文化の開化:ミニアチュール(細密画/ムガル絵画)/ラージプート絵画(庶民的)/ウルドゥー語(アラビア語・ペルシア語とヒンディー語の合体)/シク教創始byナーナク◀カビール〔宗教家〕によるイスラム教のスーフィズムとヒンドゥー教のバクティ信仰の融合 ◉インド地方勢力の台頭:マラーター王国(シヴァージー)▶マラーター同盟▶マイソール王国(イギリスと抗戦) 9. イスラーム史 ◉イスラーム教の誕生:ベドウィン/メッカ/ジャーヒリーヤ/クライシュ族/一神教・神アッラー/預言者ムハンマド(クライシュ族)▶メディナ移住=ヒジュラ/偶像崇拝の否定/政教一致/イスラーム暦/ヒジュラ暦/ムスリム/ウンマ/カーバ神殿/コーラン/シャリーア(イスラーム法)/他教徒は「啓典の民」として容認/六信五行/バスラ/フスタート ◉正統カリフ時代:アブー=バクル▶ウマル(ジハード(聖戦)で征服地にミスル(軍営都市)設置/エジプトのイスラーム化/カーディシーヤの戦い/ニハーヴァントの戦い→ササン朝滅亡→イラン人のイスラーム化進む)▶ウスマーン▶アリー(拠点はクーファ/ハワーリジュ派により暗殺) ◉ウマイヤ朝(都ダマスクス/ウマイヤ=モスク):ムアーウィヤ(元シリア総督/スンナ派:シーア派と対立/イマーム/カルバラーの戦い)▶北アフリカのチュニス獲得▶アブド=アルマリク(アラビア語公用語化/アム川以北のマー=ワラー=アンナフル獲得)▶ワリード1世(ジブラルタル海峡からイベリア半島侵入/西ゴート王国征服)▶トゥール・ポワティエ間の戦い ※税制:「アラブ帝国」▶マワーリー(非アラブ改宗者)にもジンミー(異民族)にもジズヤ・ハラージュ強制 ◉アッバース朝:アブー=アルアッバース(タラス河畔の戦いで唐を破る→製紙法)▶マンスール(バグダード建設)▶ハールーン=アッラシード(アッバース朝最盛期)▶マームーン(知恵の館開設)▶イスラーム帝国の分裂(各地の総督=アミールの自立)▶アッバース朝の滅亡byフラグ ※税制を改革:「イスラーム帝国」▶ジズヤはジンミーのみ、ハラージュは全員払う=ムスリム間平等の実現 ※ホラーサーンが拠点に ※ザンジュの乱 ◉分裂期:ターヒル朝(イラン)▶サッファール朝(イラン)/イドリース朝(モロッコ)/アグラブ朝(チュニジア)/ルスタム朝(アルジェリア)/トゥールーン朝(エジプト) ◉3カリフ時代(10世紀):アッバース朝・後ウマイヤ朝・ファーティマ朝 ◉イベリア半島と北アフリカ:後ウマイヤ朝(コルドバ/アブド=アッラフマーン3世:ファーティマ朝に対抗してカリフを自称)▶ムラービト朝(マラケシュ/ベルベル人/マグリブ)▶ムワッヒド朝▶マリーン朝▶ハフス朝▶ザイヤーン朝▶ナスル朝(グラナダ/アルハンブラ宮殿) ※サード朝(モロッコ/マラケシュ征服/ポルトガルの侵入に対抗) ◉エジプト(カイロ):ファーティマ朝(シーア派のイスマーイール派※暗殺教団/カリフ自称/アズハル学院)▶アイユーブ朝(サラディン/ヒッティーンの戦い)▶マムルーク朝(チェルケス人がマムルークに/十字軍に勝つbyバイバルス/アインジャールートの戦いでモンゴル軍破る/サトウキビ栽培普及/カーリミー商人活躍) ◉イラン:ブワイフ朝(大アミール)▶セルジューク朝(トゥグリル=ベク/称号スルタン/マンジケルトの戦い/マリク=シャーニザーム=アルムルク/ニザーミーヤ学院/ルーム=セルジューク朝/ニケーアコンヤザンギー朝)▶イル=ハン国(ガザン=ハン/宰相ラシード=アッディーン『集史』) ※イラン=イスラーム文化 ◉イスラームの国家と経済:イスラームの貨幣経済/ディナール金貨/ディルハム銀貨/アター制/イクター制/ムスリム商人/カーリミー商人/ダウ船/隊商交易(キャラバンサライ) ◉トルコ系民族の進出とソグド人:中央アジア/オアシスの道/トルコ系民族/騎馬遊牧民/丁零高車鉄勒/突厥/ササン朝ペルシア/エフタル/突厥文字/ウイグル/隋/ブハラ/サマルカンド/唐/安史の乱/イラン系民族/ソグド人/ソグド商人/ソグディアナ/絹の道(シルクロード)/マニ教/仏教/キリスト教/ゾロアスター教/ソグド文字/ウイグル文字/モンゴル文字/満州文字/キルギス/西ウイグル王国/ハザール=カガン国 ◉トルキスタンの成立:中央アジアのトルコ化/西トルキスタン/ソグディアナ/ソグド人/ゾロアスター教/サマルカンド/東トルキスタン/マニ教/仏教/新疆 ◉中央アジア:サーマーン朝(ブハラ/ガズナ朝自立:アルプテギンによる北インド侵攻)▶カラ=ハン朝(トルコ語辞典完成byカシュガリー) ◉ティムール朝(サマルカンド):ティムール/アンカラの戦い/シャー=ルフ/トルコ=イスラーム文化/ヘラートウルグ=ベクアリシール=ナヴァーイーウズベク人シャイバニ/シャイバニ朝 ◉オスマン帝国:オスマン1世(小アジアでルーム=セルジューク朝より自立)▶オルハン=ベイ(ブルサを新首都に)▶ムラト1世(オスマン帝国の半島支配/アドリアノープル遷都/コソヴォの戦い:ハンガリーなど破る)▶バヤジット1世(ニコポリスの戦い/アンカラの戦い/スルタンを称す)▶メフメト2世(コンスタンティノープルの陥落/イスタンブルへ改称/トプカプ宮殿/寛容な宗教政策→ミッレト)▶セリム1世(マムルーク朝征服)▶スレイマン1世(モハーチの戦いでハンガリー征服/ウィーン包囲(第1次)/プレヴェザの海戦/カピチュレーション/スレイマン=モスクbyミマーリ=シナン)▶セリム2世(レパントの海戦) ※軍事:シパーヒー(トルコ人騎兵/ティマール制➡スルタンから土地+徴税権を付与)/イェニチェリ(常備軍/征服地のキリスト教徒から徴兵/鉄砲で武装させる) デヴシルメ(キリスト教徒の男子を強制的に徴用した制度) ※ヴェズィラーザム(オスマン衰退期にスルタンに代わり実験を握った大宰相) ◉サファヴィー朝(タブリーズ):イスマーイール1世(サファヴィー教団の長/シーア派の十二イマーム派/称号シャー/チャルディランの戦い:セリム1世のオスマン帝国軍と)▶アッバース1世(ホルムズをポルトガルから奪還/イスファハーンを新首都に/王の広場・王のモスク/ペルシア絨毯◀ミニアチュールの影響) ※軍事:キジルバシュ(騎兵集団) 10. オスマン帝国衰退期(領土侵攻&独立運動) ◉エジプト:マムルークの一掃(byエジプト総督ムハンマド=アリー)/エジプト=トルコ戦争➡ウンキャル=スケレッシ条約/ロンドン会議/ロンドン4ヵ国条/約5国海峡協定/スエズ運河開通/ウラービー革命(反乱)➡イギリスによる保護国化 ◉オスマン帝国(衰退期):イギリス東インド会社の進出(バスラに商館設置)➡第2次ウィーン包囲➡カルロヴィッツ条約(ハンガリーをオーストリアに割譲/トランシルヴァニアを獲得)➡アゾフ海占領byピョートル1世➡チューリップ時代(フランス文化の影響)➡ムスタファ3世(エカチェリーナ2世による南下政策➡露土戦争➡クチュク=カイナルジ条約➡クリミア半島のクリム・ハン国失う)➡セリム3世(西欧化改革開始➡ニザーム=ジェディット[西欧式軍隊]創設)➡マフムト2世(イエニチェリの全廃/アーヤーン(地方有力者)が富を蓄積/ワッハーブ王国(リヤド)樹立(ワッハーブ派のイブン=アブドゥル=ワッハーブによるイスラーム改革運動⬅サウード家の保護)/トルコ=イギリス通商条約)➡アブデュルメジト1世(ギュルハネ勅令/タンジマート[恩恵改革]/クリミア戦争)➡アブデュルハミト2世(ミドハト憲法by宰相ミドハト=パシャ⬅新オスマン人[オスマン帝国における近代化を目指した]の影響/露土戦争➡ベルリン条約) ◉イラン:サファヴィー朝(アッバース1世➡ホルムズ島からポルトガル駆逐)➡アフシャール朝(テヘラン/byナーディル=シャー➡死後、アフガニスタンが独立➡アフガン王国・ドゥッラーニー朝成立byパシュトゥーン人)➡ゼンド朝(シーラーズ/byカリム・ハン)➡カージャール朝(byアーガー=ムハンマド/イラン=ロシア戦争➡トルコ・マンチャーイ条約/バーブ教成立byサイイド=アリ=ムハンマド/バーブ教徒の乱/アフガン戦争➡イギリスによるアフガニスタン保護国化/タバコ=ボイコット運動⬅パン=イスラーム主義のアフガーニー[※弟子がムハンマド=アブドゥフ]追放/イラン立憲革命)➡パフレヴィー朝(レザー=ハン)➡イランの石油国有化byモサデグ⬅イラン=クーデタ➡パフレヴィー2世の専制政治復活+国際石油資本(メジャーズ)の反撃➡白色革命(近代化政策)➡イラン革命byホメイニ(➡第2次石油危機/イラン・アメリカ大使館人質事件)➡イラン=イスラーム共和国成立➡イラン=イラク戦争(イラク共和国[サダム=フセイン/バース党]のイラン侵攻)+クウェート侵攻⬅湾岸戦争byアメリカ(ブッシュ[父])中心の多国籍軍)➡同時多発テロbyビン=ラーディン(アル=カーイダ)⬅アフガニスタンのターリバーン政権(⬅ソ連撤退後アフガニスタン内戦で台頭)が匿っているとして、アメリカ(ブッシュ[子])のアフガニスタン攻撃(アフガニスタン戦争)➡イラク戦争⬅日本の自衛隊海外派遣 ※スエズ以東(アデンなど)からの撤兵byウィルソン(英)内閣➡アラブ首長国連邦(UAE)・南イエメン独立(➡イエメン共和国(北と南が合併)) ※アラブ民族主義運動:パン=イスラーム主義への抵抗 ◉アルメニア(カフカス地方) ※アラブ文化復興運動(シリアのアラブ人キリスト教徒から起こったアラブ人としての自覚を促す運動) 11. 中国史 ◉中国の古典文明 漢民族中国の少数民族雑穀長江稲作農業 黄河文明:前期は仰韶文化(彩陶)▶後期は竜山文化 長江文明:河姆渡遺跡 良渚文化黒陶三足土器灰陶 都市国家三皇五帝夏三星堆殷中原商殷墟奴隷/奴婢甲骨文字漢字青銅器邑邑制国家 周(西周):都は鎬京▶洛邑/封建制/青銅貨幣 渭水易姓革命禅譲放伐諸侯(中国)卿・大夫・士井田法宗族宗法 春秋時代犬戎 周の東遷東周覇者春秋の五覇斉の桓公晋の文公楚の荘王尊王攘夷呉王夫差越王勾践秦の穆公宋の襄王戦国時代戦国策王富国強兵戦国の七雄晋(春秋)韓魏趙斉燕楚秦(戦国)孝公什伍の制 オ.社会変動と新思想 鉄製農具牛耕潅漑農業貝貨刀銭布銭蟻鼻銭円銭臨淄諸子百家儒家孔子儒学・儒教魯論語孟子荀子墨家墨子道家老子荘子法家商鞅韓非名家兵家呉起/呉子縦横家蘇秦張儀合従連衡陰陽家鄒衍陰陽五行説農家詩経春秋楚辞屈原木簡・竹簡 カ.秦の統一:秦(統一と滅亡):始皇帝(⬅李斯)/都は咸陽/郡県制/半両銭/小篆/焚書・坑儒/万里の長城建設by蒙恬/南海郡設置/兵馬俑(始皇帝陵の東方に発見)/陳勝・呉広の乱で滅亡 項羽劉邦垓下の戦い キ.漢代の政治 前漢:都は長安/郡国制(劉邦)▶呉楚七国の乱▶郡県制(武帝) 年号/元号中国の暦法 対外政策:匈奴衛青霍去病張騫大月氏烏孫敦煌郡大宛/フェルガナ衛氏朝鮮楽浪郡南越 経済政策:塩・鉄・酒の専売制:by桑弘羊 均輸法平準法五銖銭限田策宦官外戚 新:王莽/赤眉の乱で滅亡 後漢劉秀/光武帝洛陽 党錮の禁:後漢の桓帝のとき/官僚弾圧 黄巾の乱太平道張角五斗米道/天師道張陵 ク.漢代の社会と文化 郷挙里選豪族儒学の官学化董仲舒五経五経博士劉向訓詁学鄭玄讖緯説紙蔡倫張衡紀伝体司馬遷史記班固漢書編年体説文解字 ケ.秦・漢帝国と世界 中華思想張騫 班超:西域都護▶甘英をローマ帝国に派遣▶安息国(パルティア)に妨害される 日南郡(後漢の一番南):大秦王安敦到来/4代和帝のとき 帯方郡交趾郡倭人徴姉妹の反乱冊封体制 イ.分裂の時代 黄巾の乱▶後漢の滅亡 赤壁の戦い 三国時代 魏:曹操▶王は息子の曹丕(そうひ)(文帝)/都は洛陽 呉:孫権/都は建康(現在の南京) 蜀:劉備/都は成都 関羽 張飛 諸葛孔明 五丈原 晋/西晋:八王の乱(内乱)▶五胡の南下▶永嘉の乱(匈奴の反乱)で滅亡 司馬炎/武帝 永嘉の乱 司馬睿 東晋 五胡十六国 ●[北](五胡十六国時代→北魏→東魏・西魏→北斉・北周) 五胡十六国時代:鳩摩羅什(西域生まれ)の仏典翻訳 北魏:均田制 西魏:府兵制(農民を徴兵) ●[南](東晋→宋→斉→梁→陳)▶陳は隋に滅ぼされる 劉淵 漢/前趙 前秦 苻堅 淝水の戦い 拓跋氏 北魏 吐谷 渾太 武帝 孝文帝 平城 洛陽 漢化政策 均田制 三長制 東魏・西魏 北斉・北周 南北朝 江南 劉裕 宋▶斉▶梁(侯景の乱)▶陳 魏晋南北朝時代 六朝 ウ.社会経済の変化 門閥貴族 貴族 九品中正 屯田制:魏 占田法 課田法 戸調式 均田制 露田 土断法 エ.魏晋南北朝の文化 中国仏教 仏図澄 道安 慧遠 鳩摩羅什:仏典を翻訳 法顕 仏国記 法難/廃仏 三武一宗の法難 敦煌雲 崗竜門武帝(梁) 達磨 道教 神仙思想 寇謙之 新天師道 道観 道士 道蔵 老荘思想 竹林の七賢 阮籍 嵆康 清談 六朝文化 陶潜/陶淵明 謝霊運 昭明太子 文選 顧愷之(こがいし)『女史箴図(じょししんず)』:宮廷の女性への戒め 王羲之(おうぎし)『蘭亭序』:詩をまとめた本の序文 三国志 斉民要術/賈思勰 水経注/酈道元 傷寒論 オ.朝鮮と日本の国家形成 朝鮮/朝鮮半島古朝鮮衛氏朝鮮楽浪郡帯方郡朝貢貊族高句麗丸都城広開土王/好太王広開土王碑平壌韓民族三韓新羅慶州百済扶余加羅/加耶三国時代日本邪馬台国卑弥呼魏志倭人伝大和政権倭の五王 ◉東アジア文化圏の形成 ア.隋の統一と唐の隆盛 隋:楊堅/都は大興城(長安) 均田制租調庸制府兵制選挙科挙律令/律令制度煬帝大運河聖徳太子遣隋使高句麗遠征唐李淵/高祖 李世民:貞観の治/貞観政要天可汗高宗都護府安南都護府羈縻政策 イ.唐代の制度と文化 律令/律令制度三省六部中書省門下省尚書省御史台州県制科挙秀才科明経科進士科蔭位の制均田制(唐)口分田永業田租調庸制丁男役・徭役/雑徭荘園 府兵制:西魏のとき/北魏の均田制で土地をもらった農民を軍隊として動員 開元通宝唐の文化長安中国仏教道教景教大秦景教流行中国碑祆教摩尼教回教/清真教揚州広州市舶司蕃坊大食唐の仏教玄奘慈恩寺/大雁塔大唐西域記義浄華厳宗天台宗真言宗末法思想浄土教/浄土宗禅宗会昌の廃仏円仁唐の儒教孔穎達五経正義唐詩王維李白杜甫白居易 古文復興(韓愈・柳宗元/四六駢儷体の否定➡漢代以前の古文を復興)山水画呉道玄李思訓閻立本欧陽詢褚遂良顔真卿唐三彩 ウ.唐と隣接諸国 唐と隣接諸国突厥東突厥西突厥突厥文字オルホン碑文ウイグルウイグル文字都護府羈縻政策冊封体制新羅白村江の戦い百済高句麗骨品制慶州朝鮮の仏教仏国寺石窟庵渤海/海東の盛国靺鞨大祚栄上京竜泉府日本遣唐使大化改新平城京チベット/吐蕃ソンツェン=ガンポチベット文字チベット仏教吐谷渾南詔王玄策ベトナム エ.唐の動揺 則天武后周(武周)武韋の禍 玄宗:開元の治 募兵制節度使タラス河畔の戦い楊貴妃安史の乱安禄山史思明藩鎮両税法楊炎市飛銭塩専売制 黄巣の乱⬅朱全忠鎮圧 王仙芝 オ.五代の分裂時代:後梁→後唐→後晋→後漢→後周/都は開封(後唐のみ洛陽)/後晋では燕雲十六州を遼に譲る ア.東アジアの勢力交代 契丹高麗王建開城大理大越国高麗版大蔵経金属活字高麗青磁国風文化刀伊日宋貿易鎌倉幕府源頼朝鎌倉仏教広州泉州明州市舶司 ウ.宋の統治 宋/北宋▶都は開封→臨安/澶淵の盟(多額の銀や絹を遼に)、慶暦の和約(宋→西夏)、紹興の和約(南宋→金)/北宋は金により滅亡(靖康の変) 趙匡胤/太祖開封太宗文治主義中書門下省枢密院禁軍科挙(宋)州試省試殿試形勢戸官戸神宗王安石王安石の改革/新法青苗法均輸法市易法募役法保甲法保馬法方田均税法新法党旧法党司馬光 靖康の変:都が金によって占領 徽宗欽宗高宗江南 南宋:都は臨安/モンゴル帝国(5代)により滅亡 秦檜岳飛淮河 エ.宋代の社会 開封草市鎮行作宋銭交子会子佃戸/佃戸制江南の開発囲田圩田占城稲蘇湖/江浙蘇州景徳鎮茶(中国)絹馬貿易/茶馬貿易 茶の専売 制方臘の乱 ◉モンゴル民族の発展 ア.モンゴルの大帝国:チンギス→オゴタイ→グュク[プラノ=カルピニが派遣される]→モンケ→フビライ モンゴル/モンゴル民族モンゴル文字クリルタイハン/汗/大ハーンチンギス=ハンモンゴル帝国/大モンゴル国千戸制ウルスヤサナイマン/ホラズム朝(ホラズム=シャー国)征服/西夏オゴタイ 金:都は燕京(北京)/モンゴル帝国(2代)により滅亡 カラコルム耶律楚材バトゥワールシュタットの戦いモンケフラグ3ハン国の分立イル=ハン国/フラグ=ウルスタブリーズキプチャク=ハン国/ジョチ=ウルスサライチャガタイ=ハン国オゴタイ=ハン国(参考項目)/アリクブケハイドゥの乱 イ.元の東アジア支配 フビライ大都上都元南宋の滅亡史天沢回回砲厓山の戦い大元ウルス高麗武臣政権/崔氏モンゴルの高麗支配三別抄の乱高麗版大蔵経金属活字高麗青磁元の遠征活動日本遠征日元貿易ベトナム元のベトナム遠征チャンパーパガン朝ペグー朝ジャワ島タイ人スコータイ朝ラームカムヘン王タイ文字シンガサリ朝マジャパヒト王国真臘風土記モンゴル人第一主義(参考項目)色目人漢人南人中書省行中書省/行省元代の科挙ダルガチジャムチ/站赤牌符ムスリム商人蒲寿庚杭州/キンサイ泉州広州明州元の大運河交鈔オルトク元の文化元曲/西廂記/琵琶記/漢宮秋趙孟頫元末四大家染付 ウ.モンゴル時代のユーラシア 東西交流プレスター=ジョンの伝説タタールの平和 プラノ=カルピニ:ローマ教皇インノケンティウス4世によって派遣された(情報収集のため)/元のグユク=ハンのとき ルブルックマルコ=ポーロ世界の記述/東方見聞録ラッバン=ソウマ モンテ=コルヴィノ:カトリック布教(元の都で) マリニョーリ 郭守敬:授時暦◀イスラームの天文学を取り入れた 細密画(ミニアチュール):イスラーム世界で発達◀中国絵画の影響 集史チベット仏教パスパ文字パスパ エ.モンゴル帝国の解体 交鈔の濫発紅巾の乱韓山童韓林児白蓮教弥勒仏元の滅亡北元 ◉東アジア世界の動向 ア.14世紀の東アジア 紅巾の乱by朱元璋 白蓮教弥勒仏/下生信仰 朱元璋(洪武帝):紅巾の乱/元の最後・明の最初/都は南京 一世一元の制北元江南倭寇李成桂朝鮮王朝/李朝漢城科田法科挙(朝鮮) イ.明初の政治 明の皇帝専制政治明の行政機構中書省を廃止六部の皇帝直属五軍都督府/都察院里甲制/民戸/里長戸/甲首戸/里老人賦役黄冊魚鱗図冊科挙(明)明律明令六諭衛所制/軍戸靖難の役建文帝 永楽帝:都を北京に 紫禁城内閣(中国)内閣大学士宦官永楽大典四書大全五経大全明のベトナム支配永楽帝のモンゴル遠征明の十三陵鄭和/南海諸国遠征カリカットホルムズアデンモガディシュマリンディ海禁 ウ.明朝の朝貢世界 朝貢貿易琉球王国マラッカ王国朝鮮王朝/李朝世宗金属活字訓民正音/ハングル士林/士禍足利義満勘合貿易/日明貿易日朝貿易ベトナム胡朝黎朝黎利/レ=ロイ 異民族:オイラト・タタール エセン=ハン土木の変正統帝長城の改修明の時期区分 エ.朝貢体制の動揺 大航海時代香辛料アチェ王国マタラム王国バンテン王国シャムアユタヤ朝日本町タウングー朝ラオ人ランサン王国ランナー王国北虜南倭ダヤン=ハンアルタン=ハン後期倭寇王直日本銀石見銀山スペイン銀貨銀(中国・日本)馬蹄銀 カ.東アジアの状況 キリスト教の日本伝来南蛮貿易天正遣欧使節豊臣秀吉の朝鮮侵略/壬辰・丁酉の倭乱 李舜臣:亀甲船▶倭軍に打撃 台湾ゼーランディア城キリスト教禁教令(日本)慶長遣欧使節/支倉常長鎖国長崎/出島/唐人屋敷張居正万暦帝宦官東林派顧憲成東林書院女真満州ヌルハチ/太祖アイシン/後金八旗満州文字ホンタイジ/太宗清チャハル部山海関明の滅亡李自成の乱 崇禎帝▶李自成の乱で滅亡 ◉清代の中国と隣接諸地域 ア.清朝の統治 呉三桂 藩王 順治帝:都は北京 康煕帝:中国統一 鄭氏台湾鄭芝竜鄭成功遷界令三藩の乱雍正帝乾隆帝紫禁城満漢併用制八旗緑営軍機処康煕字典 『古今図書集成』/四庫全書/文字の獄辮髪令(薙髪令)/白蓮教 イ.清朝支配の拡大 ネルチンスク条約ジュンガルウイグルキャフタ条約新疆藩部理藩院改土帰流チベット仏教ツォンカパ黄帽派ダライ=ラマ/活仏ポタラ宮殿 ウ.清朝と東アジア 宗主国属国保護国両班党争朝鮮の儒教李退渓李栗谷陶山書院燕行使小中華思想琉球王国鎖国長崎朝鮮通信使 エ.清代の社会と文化 海禁(清) 銀 海関 ジャンク船 南洋 華僑/華僑 公行:特許商人の組合@広州/南京条約で廃止 トウモロコシ サツマイモ 盛世滋生人丁 地丁銀 12. 北方民族 1節 草原の遊牧民とオアシスの定住民 先頭へ ア.遊牧民の社会と国家 遊牧民騎馬遊牧民遊牧国家 /草原の道/ステップ=ロード イ.スキタイと匈奴 スキタイ匈奴/匈奴帝国烏孫月氏トハラ/大夏単于冒頓単于匈奴の分裂東匈奴西匈奴南匈奴北匈奴鮮卑フン人柔然可汗 ウ.オアシス民の社会と経済 西域オアシス都市隊商交易タリム盆地/タクラマカン砂漠敦煌トゥルファン/高昌国クチャ/亀茲ホータン/于闐カシュガル/疏勒ソグディアナオアシスの道/シルクロード中央アジア 2節 北方民族の活動と中国の分裂 先頭へ ア.北方民族の動向 民族移動北方民族匈奴の分裂南匈奴羯鮮卑氐羌五胡 イ.北方の諸勢力 契丹キタイ耶律阿保機/太祖遼燕雲十六州 澶淵の盟:北宋から遼に/銀や絹 征服王朝二重統治体制契丹文字タングート李元昊西夏/大夏 慶暦の和約:宋から西夏に 西夏文字女真/女直ツングース系完顔阿骨打/太祖金耶律大石西遼/カラ=キタイ猛安・謀克女真文字燕京盧溝橋 13. 大航海時代と対外進出 ア.大航海時代 大航海時代遠洋航海術香辛料胡椒レコンキスタオスマン帝国エンリケセウタマディラ島アゾレス諸島ヴェルデ岬ジョアン2世インド航路の開拓 バルトロメウ=ディアス:喜望峰到達ヴァスコ=ダ=ガマコヴィリャンカリカットイブン=マージドリスボン イ.アメリカ大陸への到達 スペインイサベルコロンブスカラック船カラベル船トスカネリ西インド諸島サン=サルバドル島インディオインディアス植民地分界線教皇子午線アレクサンデル6世トルデシリャス条約ブラジルアマゾン川カボットカブラルアメリゴ=ヴェスプッチアメリカ大陸バルボアカルロス1世セビリャマゼラン/マガリャンイスマゼラン海峡太平洋フィリピンラプラプサラゴサ条約モルッカ諸島/香料諸島征服者/コンキスタドールコルテスアステカ王国の滅亡ピサロインカ帝国の滅亡クスコインカの反乱ラス=カサスインディアスの破壊についての簡潔な報告エスパニョーラ島ブラジル植民地黒人奴隷アシエント ウ.商業革命と価格革命 世界の一体化商業革命リスボンアントウェルペン/アントワープ資本主義的世界経済価格革命ポトシ銀山銀スペイン銀貨農場領主制/グーツヘルシャフト再版農奴制近代世界システムエンコミエンダ制分益小作制トウモロコシサツマイモジャガイモトマトアメリカ大陸原産の農作物 ア.アジア市場の攻防 ポルトガルのアジア進出ディウ沖の海戦香辛料貿易胡椒アルメイダアルブケルケゴアスリランカマラッカモルッカ諸島広州マカオ種子島平戸オマーンイスラーム世界での黒人奴隷貿易サイイド=サイードスペインフィリピンマニラアカプルコガレオン船/ガレオン貿易ネーデルラント連邦共和国オランダ東インド会社バタヴィアアンボイナ事件ケープ植民地台湾鎖国長崎インド(6)ヨーロッパ勢力の進出 イギリス東インド会社:拠点▶マドラス/ボンベイカルカッタ 英蘭戦争フランス東インド会社ポンディシェリシャンデルナゴルデュプレクス英仏植民地戦争/英仏百年戦争(第2次)カーナティック戦争プラッシーの戦いクライヴ イ.アメリカにおける植民地争奪 スペインの植民地支配アシエンダ制ハドソンオランダ西インド会社ニューネーデルラント植民地/ニューアムステルダムフランス(4)カルティエカナダシャンプランケベックルイジアナヴァージニアニューイングランド13植民地インディアンジャマイカウィリアム王戦争ライスワイク条約ハイチアン女王戦争 ユトレヒト条約▶イギリス領拡大/ニューファンドランド・アカディア・ハドソン湾地方をフランスから/ジブラルタル・ミノルカ島をスペインから ジェンキンズの耳戦争ジョージ王戦争フレンチ=インディアン戦争ジブラルタル パリ条約:カナダ、ミシシッピ以東のルイジアナ(fromフランス)、フロリダ(fromスペイン)獲得 フロリダ:スペインから買収 ウ.三角貿易 黒人奴隷/黒人奴隷貿易ギニア地方ベニン王国ダホメ王国サン=トメ島プランテーション三角貿易/大西洋貿易システム砂糖砂糖プランテーション綿花タバココーヒー中間航路アシエント第一帝国ブリストルリヴァプール 14. ルネサンス ア.ルネサンス ルネサンスイタリア(3)ネーデルラントヒューマニズム/人文主義フィレンツェメディチ家コジモ=デ=メディチプラトン=アカデミーロレンツォ=デ=メディチユリウス2世イタリア戦争サヴォナローラチェーザレ=ボルジアローマ教皇マキァヴェリ君主論ミラノ公 イ.文芸と美術 ダンテ神曲ペトラルカボッカチォデカメロンチョーサーカンタベリ物語ロイヒリンエラスムス愚神礼賛トマス=モアユートピアラブレーガルガンチュワとパンタグリュエル物語モンテーニュセルバンテスシェークスピアフレスコ画油絵技法フランドル派ファン=アイク兄弟ジョットマサッチョ遠近法ギベルティルネサンス様式ブルネレスキサンタ=マリア大聖堂ドナテルロブラマンテボッティチェリラファエロミケランジェロ最後の審判レオナルド=ダ=ヴィンチ最後の晩餐モナ=リザ万能人ブリューゲルデューラーホルバインサン=ピエトロ大聖堂レオ10世 ウ.科学と技術 地動説コペルニクスジョルダーノ=ブルーノ羅針盤遠洋航海術 火薬:宋代に実用化▶イスラーム世界▶ヨーロッパへ 火砲活版印刷術グーテンベルク製紙法の伝播 15. 宗教改革 ア.宗教改革の始まり 贖宥状/免罪符レオ10世サン=ピエトロ大聖堂ローマの牝牛ドイツ(3)宗教改革ヴィッテンベルクルター九十五ヶ条の論題福音信仰/福音主義信仰義認説キリスト者の自由ヴォルムス帝国議会ヴォルムス勅令カルロス1世/カール5世ザクセン選帝侯フリードリヒヴァルトブルク城 聖書のドイツ語訳 騎士戦争フッテンドイツ農民戦争ミュンツァーシュパイアー帝国議会領邦教会制宗教戦争メランヒトンプロテスタントカトリック教会シュマルカルデン同盟シュマルカルデン戦争アウクスブルクの和議ルター派 イ.カルヴァンと宗教改革の広がり ツヴィングリチューリヒカルヴァンジュネーヴキリスト教綱要神権政治予定説長老主義/長老制度カルヴァン派ユグノーゴイセン/ヘーゼン長老派/プレスビテリアンピューリタン万人祭司主義イギリス宗教改革ヘンリ8世首長法イギリス国教会修道院の解散エドワード6世一般祈祷書メアリ1世エリザベス1世統一法信仰箇条主教制再洗礼派 ウ.対抗宗教改革 対抗宗教改革/反宗教改革トリエント公会議パウルス3世宗教裁判所イエズス会イグナティウス=ロヨラフランシスコ=ザビエル魔女狩りグレゴリウス暦 16. 主権国家体制の形成 ア.主権国家と主権国家体制 主権国家/主権国家体制絶対王政/絶対主義社団/中間団体問屋制マニュファクチュア有産市民層/ブルジョワジー イ.イタリア戦争 イタリア(3)イタリア戦争フランス(3)シャルル8世神聖ローマ帝国神聖ローマ皇帝フランソワ1世カルロス1世/カール5世ローマの劫略カトー=カンブレジ条約軍事革命鉄砲傭兵 ウ.スペインの全盛期 ハプスブルク家マクシミリアン1世カルロス1世/カール5世オーストリアハプスブルク帝国スペイン=ハプスブルク家オーストリア=ハプスブルク家フェルディナント1世フェリペ2世レパントの海戦スペインのポルトガル併合太陽の沈まぬ国マドリード エ.オランダの独立とイギリスの海外進出 ネーデルラント ゴイセン/ヘーゼンオランダ独立戦争/八十年戦争ユトレヒト同盟オラニエ公ウィレムネーデルラント連邦共和国オランダ総督オランダ南ネーデルラント(南部10州)無敵艦隊アルマダ戦争スペインの衰退オランダ東インド会社オランダと日本東インド会社オランダ西インド会社アムステルダムスペインの衰退イギリス(4)テューダー朝ジェントリ治安判事エリザベス1世メアリ=ステュアートイギリス宗教改革イギリス議会政治毛織物/毛織物工業囲い込み/エンクロージャー(第1次)救貧法グレシャムドレーク私拿捕船/私掠船海賊ヴァージニアローリーイギリス東インド会社レヴァント会社 オ.フランスの宗教内乱と絶対王政 フランス(3)シャルル8世フランソワ1世コレージュ=ド=フランスユグノーユグノー戦争カトリーヌ=ド=メディシスサンバルテルミの虐殺ボーダンブルボン朝アンリ4世ナントの王令絶対王政/絶対主義ガリカニスムルイ13世リシュリュー三部会フランスルイ14世マザランフロンドの乱高等法院ピレネー条約 カ.17世紀の危機と三十年戦争 17世紀の危機 三十年戦争ベーメンの反乱フェルディナント2世デンマークヴァレンシュタインスウェーデングスタフ=アドルフ ウェストファリア条約▶①信教徒容認②神聖ローマ帝国解体(諸侯独立)③フランスがアルザス地方獲得④スウェーデンが西ポンメルン(北ドイツ)獲得⑤オランダとスイスの独立承認 アルザス領邦主権国家バルト帝国カタルーニャの反乱 キ.東方の新しい動き プロイセン公国ブランデンブルク選帝侯国ブランデンブルク=プロイセンホーエンツォレルン家ベルリンユンカープロイセン王国 イヴァン4世/雷帝ツァーリズムカザン=ハン国タタール人アストラハン=ハン国 イェルマークシベリアボリス=ゴドゥノフ ミハイル=ロマノフ:ロマノフ朝創始/初代皇帝(ツァーリ) 農奴制 17. 重商主義と啓蒙専制主義 ア.重商主義 17世紀の危機重商主義/重金主義/貿易差額主義/産業保護主義コルベールフランス東インド会社フランス西インド会社官僚制常備軍絶対王政/絶対主義社団/中間団体植民地 イ.イギリス革命 イギリス(5)ジェントリスコットランドステュアート朝ジェームズ1世火薬陰謀事件メアリ=ステュアート同君連合王権神授説フィルマーピューリタンチャールズ1世権利の請願コーク/クックコモン=ロースコットランドの反乱イギリス革命短期議会長期議会大抗議書イギリスの宗教各派ピューリタン革命議会派独立派長老派王党派クロムウェル鉄騎隊新型軍ネースビーの戦い共和政/コモンウェルス水平派ディガーズアイルランド征服スコットランド征服航海法イギリス=オランダ戦争/英蘭戦争ネーデルラント連邦共和国(オランダ)ニューヨーク市民革命市民/ブルジョワ/ブルジョワジージェントルマン ウ.イギリス議会政治の確立 護国卿王政復古チャールズ2世審査法非国教徒 人身保護法:絶対王政復活に対する議会の抵抗から トーリ党ホィッグ党名誉革命寛容法ジェームズ2世メアリ2世ウィレム3世/ウィリアム3世ネーデルラント連邦共和国権利の宣言権利の章典政党/政党政治立憲君主政内閣イギリス議会制度アン大ブリテン王国スコットランド併合責任内閣制ジョージ1世ハノーヴァー朝ウォルポールイギリス(6) エ.ルイ14世の時代 フランス(4)ルイ14世ボシュエヴェルサイユ宮殿南ネーデルラント継承戦争オランダ侵略戦争ファルツ戦争/アウクスブルク同盟戦争オランダの衰退ナントの王令の廃止スペイン継承戦争フェリペ5世ユトレヒト条約ラシュタット条約ニューフアンドランドアカディアハドソン湾地方ジブラルタルミノルカ島ルイ15世ポーランド継承戦争ロレーヌポンパドゥール オ.プロイセンとオーストリア プロイセン王国(3)フリードリヒ=ヴィルヘルム1世フリードリヒ2世 オーストリア継承戦争:プロイセン勝利▶アーヘンの和約=シュレジエン獲得 外交革命:オーストリアのマリア=テレジアが長年の敵フランスと同盟 七年戦争:シュレジエン奪回ならず/同時にフレンチ=インディアン戦争、プラッシーの戦い、カーナティック戦争 パリ条約:カナダ、ミシシッピ以東のルイジアナ(fromフランス)、フロリダ(fromスペイン)獲得 第二次百年戦争の意義:イギリスの植民地拡大→三角貿易→産業革命/アメリカ独立革命/フランス革命 ▶フランス革命▶自由・平等GET バイエルン フベルトゥスブルク条約 啓蒙専制主義/啓蒙専制君主ユンカーオーストリア(4)カール6世プラグマティッシェ=ザンクチオン神聖 ヨーゼフ2世宗教寛容令農奴解放令ベーメン(2)ハンガリー(3)南ネーデルラント カ.北方戦争とロシア ステンカ=ラージンの乱:彼はコサック(半農半牧で生活する人)の首領 ピョートル1世:西欧化政策(上からの改革)+大国化(南下政策)/ペテルブルク建設 ネルチンスク条約:清の康煕帝と/国境画定 ベーリング:ベーリング海峡発見+アラスカ獲得 北方戦争:カール12世(スウェーデン国王)と争う/ニスタットの和約 エカチェリーナ2世プガチョフの反乱ロシアの農奴制クリミア半島クリム=ハン国ラクスマン キ.ポーランドの分割 ポーランド(3)ヤゲウォ朝選挙王制シュラフタポーランド分割ロシア(4)プロイセン(3)オーストリア(4)コシューシコ 18. 産業革命 ア.世界最初の産業革命 産業革命イギリス(6)資本主義社会二重革命イングランド銀行国債メシュエン条約シティ囲い込み/エンクロージャー(第2次)農業革命ノーフォーク農法 イ.機械の発明と交通機関の改良 綿工業/木綿工業綿織物マンチェスターキャラコ論争ジョン=ケイ/飛び杼ハーグリーヴズ/ジェニー紡績機アークライト/水力紡績機クロンプトン/ミュール紡績機カートライト/力織機ホイットニー蒸気機関ニューコメンワットエネルギー革命(第1次)鉄鉱石/鉄工業石炭/石炭業ダービー父子ヘンリ=コート運河鉄道蒸気船サヴァンナ号トレヴィシックスティーヴンソンストックトン-ダーリントン間マンチェスター・リヴァプール鉄道フルトン世界の工場イギリスの産業革命産業革命の波及ベルギーの産業革命フランスの産業革命ドイツの産業革命アメリカの産業革命ロシアの産業革命日本の産業革命植民地 ウ.資本主義体制の確立と社会問題 資本主義/資本主義社会人口の都市集中マンチェスターバーミンガムリヴァプール労働問題労働組合団結禁止法機械うちこわし運動/ラダイト運動ピータールー事件工場法都市の変容 19. アメリカ独立革命 ア.北アメリカ植民地の形成 13植民地ピルグリム・ファーザーズメイフラワー号プリマスヴァージニアジョージアペンシルヴェニアクウェーカーマサチューセッツ植民地議会プランテーション黒人奴隷インディアンベーコンの反乱年季奉公人重商主義七年戦争フレンチ=インディアン戦争ジョージ3世国王の宣言砂糖法印紙法代表なくして課税なしパトリック=ヘンリータウンゼント諸法茶法ボストン茶会事件ボストン港封鎖強圧的諸条令茶の世界史 イ.アメリカ合衆国の独立 アメリカ独立戦争大陸会議レキシントンの戦いワシントントマス=ペイン/コモン=センスフィラデルフィアアメリカ独立宣言ジェファソンアメリカ連合規約アメリカ合衆国アメリカ合衆国国旗/星条旗フランスの参戦サラトガの戦いフランクリンラ=ファイエットコシューシコ武装中立同盟ヨークタウンの戦い連合会議パリ条約ルイジアナフロリダ ウ.合衆国憲法の制定 アメリカ合衆国の建国憲法制定会議連邦派/フェデラリスト反連邦派/アンチ=フェデラリストアメリカ合衆国憲法権利章典(アメリカ)三権分立アメリカ連邦議会アメリカ大統領アメリカ連邦政府アメリカ最高裁判所連邦主義人民主権アメリカの外交政策ハミルトンワシントン特別区アメリカ独立革命大西洋革命アメリカの黒人奴隷制 20. フランス革命(ルイ16世の統治への反発) ア.フランス革命の構造 フランス(5)アンシャン=レジーム/旧制度第一身分第二身分第三身分ブルジョワ啓蒙思想シェイエス第三身分とは何かフランス革命大西洋革命英仏通商条約(1786) イ.立憲君主政の成立 ルイ16世アメリカ独立戦争への参戦テュルゴーネッケル三部会開催国民議会/憲法制定議会球戯場の誓い/テニスコートの誓いバスティーユ牢獄襲撃三色旗大恐怖封建的特権の廃止十分の一税人権宣言ラ=ファイエットヴェルサイユ行進アッシニア聖職者基本法ミラボージャコバン=クラブル=シャプリエ法ヴァレンヌ逃亡事件マリ=アントワネットシャン=ド=マルスの虐殺ピルニッツ宣言1791年憲法立憲君主政オランプ=ド=グージュ女性の権利宣言 ウ.戦争と共和制 立法議会フイヤン派ジロンド派/ジロンド派内閣マノン=ロランブリッソコンドルセ対オーストリア開戦/フランス革命戦争オーストリアプロイセンラ=マルセイエーズ8月10日事件サンキュロットテュイルリー宮殿国民公会普通選挙/男性普通選挙ヴァルミーの戦い王政廃止第一共和政ジャコバン派マラーロベスピエールダントン山岳派/モンターニュ派ルイ16世処刑ピット対仏大同盟(第1回)ヴァンデーの反乱ジロンド派の追放ジャコバン派独裁公安委員会1793年憲法/ジャコバン憲法封建地代の無償廃止亡命貴族/エミグレ最高価格令徴兵制国民軍の形成革命暦メートル法理性の崇拝保安委員会革命裁判所恐怖政治ギロチンエベール最高存在の祭典テルミドールのクーデタ 21. ナポレオン エ.皇帝ナポレオンの誕生 総裁政府1795年憲法バブーフナポレオンコルシカ島イタリア遠征カンポ=フォルミオの和約ナポレオン戦争エジプト遠征対仏大同盟(第2回)ブリュメール18日のクーデタ統領政府/執政政府第一統領宗教協約/コンコルダートアミアンの和約フランス銀行ナポレオン法典/フランス民法典ナポレオン1世第一帝政 オ.ナポレオンの大陸支配 ピット第3回対仏大同盟トラファルガーの海戦ネルソンアウステルリッツの戦いフランツ2世ライン同盟神聖ローマ帝国の消滅オーストリア帝国イエナの戦いバタヴィア共和国オランダ(フランスによる支配)イタリア(フランスによる支配)大陸封鎖令/ベルリン勅令ティルジット条約ワルシャワ大公国ポルトガル征服スペインスペインの反乱/スペイン独立戦争ゴヤプロイセンプロイセン国制改革シュタインハルデンベルク農民解放(プロイセン)フィヒテ/ドイツ国民に告ぐドイツロシア遠征/モスクワ遠征第3回対仏大同盟ライプツィヒの戦い/諸国民戦争エルバ島ルイ18世百日天下ワーテルローの戦いウェリントンセントヘレナ島 22. ウィーン体制(革命前に戻そう)by露独墺 ア.ウィーン会議 ウィーン会議:メッテルニヒ(オーストリア外相(がいしょう)) 正統主義:タレーラン提唱 ウィーン体制 ウィーン議定書:イギリスのスリランカやケープ植民地獲得/ポーランド立憲王国成立(※ロシア皇帝の支配[兼任])/プロイセンのラインラント獲得/オランダ立憲王国成立/スイスの永世中立国化 ドイツ連邦パックス=ブリタニカ/神聖同盟提唱・四国同盟(のち五国同盟[フランス追加])結成byアレクサンドル1世 イ.ウィーン会議の動揺と七月革命 ウィーン体制の動揺自由主義ナショナリズム/民族主義国民国家ブルシェンシャフトカールスバートの決議カルボナリスペイン立憲革命デカブリストの乱 フランス復古王政(シャルル10世) ルイ18世 アルジェリア出兵 七月革命➡七月王政byルイ=フィリップ➡二月革命➡ルイ=フィリップの亡命➡第二共和政(ルイ=ブラン) ベルギーの独立ベルギー中立化ポーランドの反乱ドイツの反乱イタリアの反乱 ウ.イギリスの自由主義的改革 自由主義的改革◀産業革命による労働者階級の成長+七月革命の影響 審査法の廃止(非国教徒の公職就任を可能に)▶カトリック教徒解放法 オコンネル奴隷貿易禁止奴隷制度廃止ウィルバーフォース腐敗選挙区 選挙法改正(第1回):産業資本化のみ▶労働者の不満▶チャーティスト運動(参政権要求) グレイ 人民憲章自由貿易主義 ピール 東インド会社の中国貿易独占権廃止/穀物法の廃止(by反穀物法同盟/コブデン、ブライト)/航海法廃止 ジェントルマン資本主義パーマーストン エ.ギリシアの独立と東方問題 ギリシア独立戦争/ギリシア愛護主義/ナヴァリノの海戦/ロンドン会議ギリシア王国ギリシア語論争東方問題南下政策エジプト=トルコ戦争ダーダネルス=ボスフォラス海峡黒海中立化 オ.社会主義思想の成立 空想的社会主義:ロバート=オーウェン(イギリス/工場経営者/労働者の待遇改善を訴える▶一般工場法)/サン=シモン(フランス)/フーリエ(フランス) ルイ=ブランプルードン 科学的社会主義(マルクス/エンゲルス) 共産党宣言 カ.1848年革命 選挙法改正運動(フランス) 改革宴会 ギゾー臨時政府ラマルティーヌ国立作業場四月普通選挙六月蜂起カヴェニャック第二共和政憲法 三月革命(ウィーン三月革命/ベルリン三月革命) フランクフルト国民議会(ドイツ統一目指す)オーストリア帝国ドイツ統一問題諸国民の春ベーメン民族運動パラツキースラヴ民族会議ハンガリー民族運動コシュートクロアティアミラノ蜂起ヴェネツィアロンバルディア ルイ=ナポレオンによるクーデター▶第二帝政(ナポレオン3世)→対外戦争(クリミア戦争○、メキシコ出兵×、普仏戦争×)→第二帝政終了▶第三共和政▶パリ・コミューン成立(労働者が権力を握る) 23. ヨーロッパの再編 ア.クリミア戦争 ヨーロッパの憲兵ニコライ1世南下政策クリミア戦争聖地管理権セヴァストーポリパリ講和会議/パリ条約ダーダネルス=ボスフォラス海峡黒海中立化モルダヴィアワラキア イ.ロシアの改革 ロシア(5)アレクサンドル2世農奴解放令ゼムストヴォツァーリズムミールポーランド(4)ポーランドの反乱(1863)ナロードニキ/ヴ=ナロードインテリゲンツィアアナーキズム/無政府主義 露土戦争(ロシア=トルコ戦争) パン=スラヴ主義サン=ステファノ条約 ウ.イギリスのヴィクトリア時代 ヴィクトリア朝ヴィクトリア女王ロンドン万国博覧会ロンドン第二帝国二大政党制保守党自由党ディズレーリグラッドストン選挙法改正(第2回)秘密投票法選挙法改正(第3回)教育法労働組合法アイルランド(4)アイルランド問題アイルランド併合大ブリテンおよびアイルランド連合王国ユニオン=ジャックジャガイモ飢饉移民青年アイルランド党フィニアンアイルランド国民党アイルランド土地法アイルランド自治法案 エ.フランス第二帝政と第三共和政 第二帝政ナポレオン3世パリ改造パリ万国博覧会英仏通商条約(1860)デパートフランスの鉄道クリミア戦争 メキシコ出兵インドシナ出兵アロー戦争レセップススエズ運河スペイン王位継承問題普仏戦争スダンの戦い国防政府/臨時政府ティエールパリ=コミューン第三共和政第三共和政憲法 オ.イタリアの統一 イタリア(5)イタリア統一/リソルジメント青年イタリアマッツィーニミラノ蜂起ヴェネツィア蜂起ローマ共和国カルロ=アルベルトサルデーニャ王国ヴィットーリオ=エマヌエーレ2世カヴールプロンビエール密約イタリア統一戦争ヴィラフランカの和約ロンバルディアサヴォイアニース中部イタリア併合ガリバルディシチリア占領ナポリ王国イタリア王国トリノヴェネツィア併合ローマ教皇領占領ローマ(5)トリエステ南チロル未回収のイタリアヴァチカンローマ教皇 カ.ドイツの統一 ドイツ関税同盟ドイツの鉄道ドイツの産業革命プロイセン王国フランクフルト国民議会大ドイツ主義小ドイツ主義ユンカービスマルク鉄血政策デンマーク戦争シュレスヴィヒ・ホルシュタイン普墺戦争北ドイツ連邦スペイン王位継承問題エムス電報事件普仏戦争アルザス・ロレーヌ キ.ドイツ帝国の成立とビスマルク外交 ドイツ帝国ヴィルヘルム1世ドイツ帝国憲法連邦制ドイツ皇帝連邦参議院帝国議会文化闘争社会主義運動社会主義者鎮圧法ラサールベーベルビスマルクの社会政策保護貿易法(ドイツ)ビスマルク外交/ビスマルク体制三帝同盟 露土戦争▶サン=ステファノ条約(ロシア◎とオスマン帝国)▶①ルーマニア/セルビア/モンテネグロの独立②ブルガリア自治公国成立(オスマン帝国の支配のもと)▶公正なる仲介人ビスマルクによる調停▶ベルリン会議(1878)で修正▶ベルリン条約(ロシアへの圧力)▶ロシアの保護国の予定だったボスニア・ヘルツェゴヴィナはオーストリアが統治▶ロシアの三帝同盟離脱▶独墺同盟(再提携・密約)▶新三帝同盟(ビスマルクの働きかけ)▶三国同盟(独墺同盟+イタリア)▶ブルガリア問題▶オーストリアの新三帝同盟離脱▶再保障条約(ロシアとの密約) アウスグライヒオーストリア=ハンガリー帝国フランツ=ヨーゼフ1世 ※ロシアの中央アジア進出(三ハン国(ティムール滅亡後に成立/ブハラ=ハン国・ヒヴァ=ハン国・コーカンド=ハン国➡すべてロシアにより併合[保護国化])➡ジャディード(改革運動) ク.北ヨーロッパ諸国その他 スウェーデン(3)フィンランド(2)ノルウェー(2)デンマーク(2)スペイン(7)カルリスタ戦争プロヌンシアミエントスペイン九月革命カシケ ケ.国際的諸運動の進展 第1インターナショナル国際労働運動メーデーバクーニンナイティンゲール国際赤十字/赤十字条約デュナン国際オリンピック大会ザメンホフエスペラント女性解放運動ウルストンクラフト 24. アメリカ合衆国の発展 ア.ラテンアメリカの独立 ラテンアメリカの独立ハイチハイチの独立トゥサン=ルベルチュールパラグアイシモン=ボリバル大コロンビアエクアドルボリビアパナマ会議ベネズエラコロンビアサン=マルティンアルゼンチンチリペルートゥパク=アマルの反乱メキシコイダルゴブラジルの独立クリオーリョメスティーソインディオムラートカウディーリョ太平洋戦争(南米) イ.領土の拡大 ジェファソンリパブリカン党ルイジアナ買収アメリカ=イギリス戦争/米英戦争/1812年戦争モンローモンロー教書モンロー主義カニング孤立主義ジャクソンジャクソニアン=デモクラシースポイルズ=システムホイッグ党(アメリカ)アメリカの領土拡大フロリダ明白な天命/マニフェスト=デスティニーテキサスオレゴンアメリカ=メキシコ戦争/米墨戦争カリフォルニア西漸運動フロンティアゴールド=ラッシュインディアンインディアン強制移住法涙の旅路保留地/インディアン居留地 ウ.南北戦争 アメリカの南北対立北部南部綿花プランテーション自由貿易主義アメリカの黒人奴隷制保護関税政策連邦主義州権主義ミズーリ協定奴隷州自由州地下鉄道運動ハリエット=タブマン逃亡奴隷法カンザス・ネブラスカ法民主党共和党アンクル=トムの小屋/ストゥドレッド=スコット判決ジョン=ブラウンの蜂起南北戦争アメリカ合衆国リンカンアメリカ連合国ジェファソン=デヴィスリッチモンドホームステッド法奴隷解放宣言ゲティスバーグの戦いグラント エ.工業国アメリカの誕生 黒人奴隷制の廃止憲法修正第13条憲法修正第14条黒人投票権/憲法修正第15条南部諸州の復帰/再建シェアクロッパー黒人差別黒人取締法クー=クラックス=クラン/KKKジム=クロウ黒人分離政策アメリカの政党政治フロンティアの消滅ウーンデットニーの虐殺ロング=ドライブ大陸横断鉄道アメリカの産業革命移民(アメリカ)苦力/クーリー新移民中国人移民排斥法自由の女神像アメリカ労働総同盟/サミュエル=ゴンパース金ぴか時代マーク=トウェイン日本の開国アラスカ買収 25. 近代の中東・インド 26. 帝国主義と列強の展開 ◉帝国主義:第2次産業革命/石油電気/電力金融/資本恐慌/独占資本/カルテル(独)・トラスト(米)・コンツェルン(独・日)/ベルエポック ◉イギリス ディズレーリ[保](スエズ運河株買収/ロスチャイルド家/ウラービーの反乱)➡ソールズベリ[保](植民相ジョゼフ=チェンバレン:イギリス植民地会議/オーストラリア連邦/ニュージーランド自治領(ドミニオン)/南アフリカ戦争(ボーア戦争)勃発)➡アスキス[自](国民保険法byロイド=ジョージの改革/議会法(下院の優位確立)/アイルランド自治法成立・未実施) ※カナダ連邦(英国初の自治領) ※アイルランドでの民族運動:シン=フェイン党結成/イースター蜂起 ※社会主義運動:フェビアン協会(バーナード=ショー・ウェッブ夫妻/のちの労働党の母体)/独立労働党(ケア=ハーディ)/労働代表委員会/社会民主連盟/労働党 ◉フランス:第三共和政/フランス領インドシナ連邦/ブーランジェ事件/ドレフュス事件(⬅反ユダヤ主義/ゾラ擁護/シオニズム運動byヘルツル)/パナマ事件(レセップスがパナマ運河建設会社破産を国民に隠してもらうことを狙って賄賂を贈ったスキャンダル事件) ※フランスの労働問題:労働総同盟(サンディカリズム=労働者の直接行動を推進)/急進社会党/フランス社会党(ジャン=ジョレス)/政教分離法 ◉ドイツ:ヴィルヘルム2世(世界政策)/ドイツ社会民主党(ベルンシュタイン:修正主義)/第2インターナショナル ◉ロシア:ツァーリ/ツァーリズム/シベリア鉄道/ロシア社会民主労働党:ボリシェヴィキ(レーニン)vsメンシェヴィキ(マルトフ/プレハーノフ)/社会革命党(エスエル)/立憲民主党(カデット)/ニコライ2世/日露戦争➡第1次ロシア革命▶血の日曜日事件(byガポン/@ペテルブルク)➡戦艦ポチョムキンの反乱(ソヴィエト[評議会]結成/十月宣言(byニコライ2世⬅初代首相ウィッテの進言/国会[ドゥーマ]))➡モスクワ蜂起➡首相ストルイピンによる弾圧&農業改革(= ミールの解体 ロシアの近代化に際して新たな支持基盤をほしかったので、ミールの下で働いていた貧農を自作農にすれば彼らの支持が得られると考えた。しかし、結果的に失敗し、貧富の差は拡大し、国民の不満は爆発した ) ◉アメリカ:フロンティアの消滅/大財閥の出現(ロックフェラー・カーネギー・モーガン)/シャーマン反トラスト法/クレイトン反トラスト法(ウィルソンのとき)/人民党/アメリカ社会党 ①マッキンリー[共]:ハワイ併合(中国・日本からの移民によるサトウキビ生産増▶アメリカ人入植者増▶併合を主張▶ハワイ共和国成立)/米西戦争➡パリ条約=グアム・フィリピン・プエルトリコ併合/門戸開放宣言(ジョン=ヘイ/機会均等・領土保全) ②セオドア=ローズヴェルト[共]:革新主義(進歩主義)・棍棒外交・カリブ海政策➡パナマ運河建設 ③ウィルソン[民]:ハイチで軍政/新しい自由(トラストの禁止)/ドル外交/宣教師外交 ◉第2インターナショナルハーグ万国平和会議ハーグ陸戦条約常設仲裁裁判所開戦に関する条約(ハーグ条約) アフリカ分割 ◉フランス(アフリカ横断政策):チュニジアの保護国化➡サハラに南下➡スーダン➡ファショダ事件➡「アフリカの角」を3ヵ国で分割:エリトリア〔イタリア〕、ジブチ〔フランス〕、ソマリランド〔北部イギリス・南部イタリア〕➡マダガスカル ※モロッコ:第1次モロッコ事件(byヴィルヘルム2世)➡アルヘシラス会議➡第2次モロッコ事件➡フランスによる保護国化 ◉イギリス(アフリカ縦断政策[3C政策]):①スーダン(マフディーの反乱byムハンマド=アフマド)/②ローデシア[現ザンビア、ジンバブエ](byセシル=ローズ:ケープ植民地首相)/③ケープ植民地支配(もともとブール人[ケープ植民地に入植したオランダ系白人]の植民地)➡グレート=トレック(ブール人による北方大移動)➡ナタール・トランスヴァール共和国・オレンジ自由国建国➡ 南アフリカ戦争[ブール戦争] トランスヴァール共和国にダイヤモンド鉱山が発見されたことがきっかけ ➡南アフリカ連邦成立) ◉イタリア:リビア(元はトリポリ・キレナイカ➡イタリア=トルコ戦争➡ローザンヌ条約➡植民地化・改名) ◉ドイツ:タンザニア(マジマジの蜂起➡綿花強制栽培に対する反乱) ◉ベルギー:ベルギー王レオポルド2世の指示でスタンリー(イギリス生まれのアメリカ人探検家/宣教師リヴィングストン救出/コンゴ探検成功)派遣➡植民地化の準備(インフラ整備)➡ベルリン会議(列強国による調停)➡アフリカ分割のルール決定(=先占権の確認=早い者勝ち)&コンゴ自由国承認 ◉独立国:①エチオピア(アドワの戦い➡イタリアに勝利)/②リベリア(アメリカの解放奴隷による独立国) ◉太平洋地域の分割 太平洋オーストラリアアボリジニー流刑植民地白豪主義ニュージーランドマオリ人スペインフィリピン領有グァムハワイ/ハワイ王国リリウオカラニハワイ併合ニューギニア ◉ラテンアメリカ諸国の従属と抵抗 シモン=ボリバルパン=アメリカ会議キューバスペインメイン号事件米西戦争/アメリカ=スペイン戦争キューバの独立プラット条項グアンタナモ基地パナマパナマ運河メキシコメキシコ革命レフォルマ戦争 メキシコ出兵(ナポレオン3世による介入)➡マクシミリアン(オーストリア皇帝の弟)皇帝擁立➡フアレスらの抵抗➡独立➡ディアスの独裁➡メキシコ革命(マデロ[自由主義者]・サパタ[農民指導者]+ピリャ/民主的憲法制定)➡カランサ➡カルデナス(ポピュリズム型の政治) ◉列強の二極分化とバルカン危機:露仏同盟3B政策建艦競争光栄ある孤立日英同盟英仏協商英露協商三国協商三国同盟バルカン問題オーストリア=ハンガリー帝国ボスニア・ヘルツェゴヴィナ併合ロシアセルビアブルガリアパン=スラヴ主義バルカン同盟オスマン帝国第1次バルカン戦争アルバニア第2次バルカン戦争パン=ゲルマン主義 27. アジアの民族運動 ◉清朝の動揺とヨーロッパの進出:清の動揺白蓮教徒の乱団練天理教徒の乱ロシアの東アジア進出ネルチンスク条約キャフタ条約ラクスマン マカートニーアマースト三跪九叩頭ネイピア 三角貿易(中国の銀の流出/アヘン/東インド会社の中国貿易独占権廃止)ジャーディン=マセソン商会 アヘン戦争(⬅林則徐によるアヘン没収)➡不平等条約=南京条約(香港島割譲/上海[外国人居留区=租界設置]など五港開港/公行廃止)・五港通商章程・虎門寨追加条約(領事裁判権[治外法権]認可・関税自主権放棄・最恵国待遇)・望厦条約・黄埔条約➡太平天国の乱(by洪秀全[客家]・拝上帝会/滅満興漢)➡太平天国建国(天京)➡天朝田畝制度/辮髪と纏足の禁止/捻軍ミャオ族郷勇(湘軍(曾国藩)・淮軍(李鴻章)・楚軍(左宗棠))+常勝軍(ゴードン)➡洋務運動(中体西用/総理各国事務衙門設置※同治の中興(同治帝/実権は西太后))/アロー戦争:アロー号事件(イギリス船籍を主張する船の乗組員が逮捕)➡英仏vs清➡天津条約➡円明園焼討➡北京条約(九竜半島南部を英に) 日清戦争➡下関条約(朝鮮の独立/遼東半島・台湾・澎湖諸島を失う)➡日清通商航海条約➡三国干渉・露清密約(東清鉄道)・中国分割(租借地➡膠州湾[独]/旅順・大連[露]/威海衛[英]/広州湾[仏]➡門戸開放宣言)➡変法運動(by康有為・梁啓超・光緒帝➡戊戌の政変by西太后)/仇教運動(反キリスト教運動)➡義和団事件(北清事変)➡北京議定書(辛丑和約)➡中国分割➡日英同盟(∵露の脅威)➡日露戦争➡第1次ロシア革命➡セオドア=ローズヴェルトによる調停➡ポーツマス条約(関東州/南満州鉄道)※利権回収運動進む 桂=タフト協定 日露協約 英露協商 日仏協約 日本人移民排斥運動 光緒新政(科挙の廃止/憲法大綱発表/新軍編成)➡辛亥革命(第一革命):by孫文⬅華僑/鉄道国有化政策(※四国借款団)➡四川暴動➡武昌蜂起➡中華民国成立(臨時大総統孫文)➡清の滅亡(宣統帝退位)by袁世凱=臨時大総統に➡臨時約法➡国民党圧勝(宋教仁⬅暗殺)➡第二革命(中華革命党結成)➡袁世凱独裁体制(大総統➡皇帝)➡第三革命➡北洋軍閥の反発➡軍閥割拠(安徽派➡直隷派➡奉天派)➡広東軍政府by孫文 ※アイグン条約(byムラヴィヨフ[露])➡北京条約(沿海州獲得➡ウラジヴォストーク港建設)➡イリ条約(⬅イリ事件) ※モンゴル:外モンゴル&チベット独立➡内モンゴルは中華民国に編入➡外モンゴルはモンゴル人民共和国に ※興中会(孫文@ハワイ)・華興会(黄興)・光復会(章炳麟)➡中国同盟会(孫文➡三民主義・四大綱領/機関紙『民報』)➡国民党➡中華革命党➡中国国民党 ◉明治維新:日本の開国(日米和親条約/日露和親条約/プチャーチン/日米修好通商条約)➡日清修好条規/琉球帰属問題/台湾出兵/樺太・千島交換条約/マリア=ルース号事件 ◉東アジア国際秩序の再編:朝鮮王朝の危機丁若鏞洪景来の乱シャーマン号事件大院君朝鮮の開国江華島事件日朝修好条規/江華条約開化派/独立党金玉均朴泳孝事大党閔妃壬午軍乱甲申政変天津条約(1885,日清間)帝国主義下の朝鮮日清戦争北洋艦隊北洋軍甲午農民戦争/東学の乱全琫準東学崔済愚日本の産業革命 ◉日本の韓国併合:帝国主義下の朝鮮/閔妃暗殺事件大韓帝国高宗第1次日韓協約第2次日韓協約/韓国の保護国化韓国統監府第3次日韓協約義兵闘争衛正斥邪ハーグ密使事件安重根/伊藤博文暗殺事件韓国併合韓国併合条約日本の朝鮮植民地支配総督府/朝鮮総督府武断政治 ◉インドでの民族運動の形成:インドインド帝国イギリスのインド植民地支配/インドの民族運動(19世紀後半)インドの鉄道ヒンドゥー教改革運動/ヒンドゥー復古主義ラーム=モーハン=ローイサティダヤーナンダ=サラスヴァティーラーマクリシュナバネルジー全インド国民協議会インド国民会議ナオロジー国民会議派(ヒンドゥー教徒)インドのイスラーム教徒カーゾン ベンガル分割令(分割統治)➡反英運動➡全インド=ムスリム連盟➡カルカッタ大会四綱領(英貨排斥・スワデーシ・スワラージ・民族教育)by国民会議派(ティラク) ◉東南アジアでの民族運動の形成と挫折:インドネシアの民族運動カルティニサミンの民ブディ=ウトモサレカット=イスラーム/イスラーム同盟 フィリピン独立運動:byホセ=リサール(フィリピン民族同盟を組織) カティプーナン:ホセ=リサールの同志/フィリピン革命を主導 アギナルド:米西戦争参加&フィリピン共和国樹立➡フィリピン独立法(10年後の独立が認められる)➡フィリピン独立準備政府発足➡戦後、完全独立➡マルコス独裁➡新人民軍[共]・モロ民族解放戦線[イスラム]➡ベニグノ=アキノ[野党]暗殺事件➡ピープルパワー革命=マルコス独裁終了➡コラソン=アキノ大統領 フィリピン=アメリカ戦争 ベトナムの民族運動ファン=ボイ=チャウドンズー運動/東遊運動日仏協約東京義塾ベトナム光復会 ◉西アジアの民族運動と立憲運動:オスマン帝国(6)青年トルコ/統一と進歩委員会オスマン主義改革勅令青年トルコ革命エンヴェル=パシャパン=トルコ主義 28. 第一次世界大戦 ◉勃発:サライェヴォ事件:オーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者夫妻が暗殺/フランツ=フェルディナント/ボスニア/セルビア/連合国(協商国)vs同盟国/ヴィルヘルム2世/モンテネグロ/日本の参戦/オスマン帝国の参戦/ブルガリア/ルーマニア/ギリシア/イタリアの参戦/シュリーフェン計画/ベルギー/マルヌの戦い(@西部戦線)/タンネンベルクの戦い(@東部戦線)/ガリポリの戦い/ヴェルダン/ソンムの戦い/航空機(飛行機)/毒ガス/戦車/潜水艦/ルシタニア号事件/無制限潜水艦作戦/アメリカ合衆国の参戦 ◉戦時外交と総力戦:ロンドン秘密条約➡イタリア参戦(フィウメ獲得を約束してもらう)/サイクス・ピコ協定➡フセイン・マクマホン協定➡バルフォア宣言/ロレンスハーシム家ヒジャーズ王国 戦後自治の約束(インド)ドイツ社会民主党キール軍港の水兵反乱ドイツ革命労兵評議会/レーテスパルタクス団ドイツ共産党ローザ=ルクセンブルクリープクネヒトドイツ共和国 ◉ロシア革命とソヴィエト政権:ラスプーチン(怪僧)暗殺/第2次ロシア革命:二月革命/社会民主労働党(ボリシェヴィキ[多数派]vsメンシェヴィキ[少数派])・社会革命党(エスエル)・立憲民主党(カデット)/二重権力(臨時政府とソヴィエト)/レーニンの帰国(スイスから)➡四月テーゼ「すべての権力をソヴィエトへ」/七月暴動(ケレンスキーへの反発)➡失敗➡ケレンスキーによる戦争継続/十月革命(トロツキーの指導)➡ソヴィエト政権(ソヴィエト=ロシア/ロシア=ソヴィエト連邦社会主義共和国)樹立➡憲法制定議会➡全ロシア=ソヴィエト会議(レーニンによる議会閉鎖)➡ボリシェヴィキ独裁(プロレタリア独裁)➡平和についての布告(民族自決など)・土地についての布告➡フィンランド・バルト三国・ポーランドの独立➡ブレスト=リトフスク条約(ドイツと)/反革命軍(白軍)による抵抗➡対ソ干渉戦争(⬅チェコ兵捕虜(チェコスロヴァキア軍団)の反乱/シベリア出兵/ソヴィエト=ポーランド戦争byピウスツキ)・バスマチ運動(@トルキスタン)➡戦時共産主義(赤軍の組織・チェカ[非常委員会]による取締・コミンテルン(第三インターナショナル)創設(byレーニン)➡ハンガリー革命(byクン=ベラ)⬅ホルティによる鎮圧)➡クロンシュタット反乱➡新経済政策[ネップ](byレーニン/英ソ通商協定)➡ソヴィエト社会主義共和国連邦成立(ロシア・ウクライナ・ベラルーシ[白ロシア]・ザカフカース)➡ソヴィエト社会主義憲法制定・世界各国のソ連の承認(ラパロ条約[to独]・日ソ基本条約) ※全ロシア=ムスリム大会:ロシア内のイスラーム系諸民族の全体会議➡連邦主義 ※中央アジアの分離:タタール自治共和国樹立(byスルタンガリエフ:はじめボリシェヴィキに協力➡のちにスターリンと対立➡逮捕・処刑)/カザフ自治共和国/ウズベク=ソヴィエト社会主義共和国(タシケント)/キルギス=ソヴィエト社会主義共和国/タジク=ソヴィエト社会主義共和国 ※首都:ペテルブルク➡ペトログラード➡モスクワ➡サンクト・ペテルブルク ※共産党:ボリシェビキ➡ロシア共産党➡ソ連共産党➡ロシア共産党 29. ヴェルサイユ体制 ◉ヴェルサイユ体制とワシントン体制:パリ講和会議/ウィルソン/アメリカの外交政策/十四カ条(民族自決など)/ロイド=ジョージ/クレマンソー/ヴェルサイユ条約/アルザス・ロレーヌ/ザール/ポーランド回廊/ドイツの軍備制限/ラインラント/サン=ジェルマン条約(オーストリア)➡フィウメがセルブ=クロアート=スロヴェーン王国へ(ロンドン秘密条約に基づいてイタリアが割譲を要求したが、ウィルソンが拒否∵秘密外交の禁止)➡ダヌンツィオによる選挙➡ムッソリーニが併合(その後ユーゴスラビア連邦へ返還➡解体して今はクロアチア共和国の領土)/ヌイイ条約(ブルガリア)/トリアノン条約(ハンガリー)/セーヴル条約(オスマン帝国)/委任統治/オスマン帝国領の分割案/国際連盟/アメリカの国際連盟不参加/国際労働機関/常設国際司法裁判所/ヴェルサイユ体制/ダンツィヒ(海港都市/ドイツ帝国領だったが国際連盟の管理する自由市に=事実上ポーランドが支配)/ワシントン会議/ハーディング/ワシントン海軍軍備制限条約/九カ国条約/四カ国条約/日英同盟の破棄 ◉国際協調と軍縮の進展:ギリシア/イズミル(スミルナ)/ギリシア=トルコ戦争/ローザンヌ条約 ドイツ賠償問題/ジェノヴァ会議/ルール占領(⬅ドイツの賠償金支払いの不履行)/ロカルノ条約➡ドイツの国際連盟加盟/ジュネーヴ海軍軍縮会議/不戦条約/パリ不戦条約/ブリアン=ケロッグ協定/ブリアン/ケロッグ/ロンドン軍縮会議 ◉西欧諸国の停滞 ロイド=ジョージ/挙国一致内閣/選挙法改正(第4回)/女性参政権/男女平等参政権/イギリスの女性参政権/選挙法改正(第5回)/マクドナルド労働党内閣/アイルランド自由国/北アイルランド/アルスター地方/デ=ヴァレラ/イギリス帝国会議/ウェストミンスター憲章/イギリス連邦(英領コモンウェルス)/エール(アイレ)/ポワンカレ/ドイツ社会民主党/キール軍港の水兵反乱/ドイツ革命/労兵評議会(レーテ)/スパルタクス団/ドイツ共産党/ローザ=ルクセンブルク/リープクネヒト/ドイツ共和国/ヴァイマル憲法/ヴァイマル共和国/エーベルト/インフレーション/レンテンマルクbyシュトレーゼマン/賠償問題/ドーズ案/ヤング案/ローザンヌ会議/ヒンデンブルク/ヒトラー エ.東欧・バルカン諸国の動揺とイタリアのファシズム ユーゴスラヴィア王国/小協商/チェコスロヴァキア共和国/マサリク/ルーマニア/ブルガリア/ファシスト党(ムッソリーニ)/イタリア社会党/北イタリアのストライキ/ローマ進軍/ファシズム/アルバニア併合/ ラテラノ条約:ヴァチカン市国独立/スペイン/プリモ=デ=リベラ ◉ソ連の社会主義建設:レーニンの死➡一国社会主義論(スターリン)vs世界革命論(トロツキー)/五カ年計画(第1次・ソ連)/コルホーズ・ソフホーズ ◉アメリカ合衆国の繁栄:戦間期アメリカの女性参政権/ジャネット=ランキン/共和党/ハーディング/クーリッジ/フーヴァー/自動車/フォード/大量生産・大量消費/現代大衆文化/ラジオ/ワスプ(WASP)/禁酒法/サッコ=ヴァンゼッティ事件移民法 30. アジア・アフリカの民族主義 ア.第一次世界大戦と東アジア 民族資本(中国)文学革命陳独秀新青年胡適白話文学魯迅李大釗北京大学大正デモクラシー政党内閣(日本)関東大震災普通選挙法(日本)治安維持法 イ.日本の動きと民族運動 日本の第一次世界大戦への参戦南洋諸島青島二十一カ条の要求山東問題石井・ランシング協定段祺瑞シベリア出兵ニコライエフスク事件米騒動民族自決三・一独立運動文化政治大韓民国臨時政府五・四運動北京大学ヴェルサイユ条約調印拒否領土保全霧社事件 ウ.国民党と共産党 中華民国孫文(1)中国国民党カラハン宣言コミンテルン中国共産党ヨッフェ/孫文=ヨッフェ共同宣言第1次国共合作中国国民党一全大会孫文(2)国民党の改組連ソ・容共・扶助工農/新三民主義五・三〇運動国民政府(中国)広州国民政府/広東国民政府蔣介石黄埔軍官学校国民革命軍北伐国民革命武漢政府南京事件上海クーデタ国共分裂南京国民政府東三省張作霖関東軍山東出兵済南事件張作霖爆殺事件/満州某重大事件張学良浙江財閥買弁国民政府の中国統一関税自主権の回復(中国)毛沢東紅軍井崗山瑞金 / 中華ソヴィエト共和国 エ.インドでの民族運動の展開 インドの反英闘争(20世紀)インド防衛法インドの戦後自治約束インド統治法ローラット法アムリットサール事件非暴力・不服従運動(第1次)非協力運動ガンディーハルタールヒンドゥ=スワラージ非暴力・不服従サティヤーグラハヒラーファト運動コミュナリズムインド共産党憲政改革調査委員会/サイモン委員会ネルーラホールプールナ=スワラージ第2次非暴力・不服従運動塩の行進英印円卓会議ハリジャン新インド統治法/改正インド統治法 パキスタン決議(ムスリム国家の独立宣言byジンナー:全インド=ムスリム連盟)➡カシミール帰属問題➡パキスタン=イスラム共和国独立➡インド=パキスタン戦争➡バングラディシュ人民共和国独立➡パキスタンの核実験 オ.東南アジアでの民族運動の展開 インドシナ共産党 タイ立憲革命 ピブン➡サリットによる開発独裁 カ.トルコ革命とイスラーム諸国の動向 トルコ革命ムスタファ=ケマル/ケマル=アタテュルク オスマン帝国(7)滅亡ギリシア=トルコ戦争/侵入ギリシア軍との戦いトルコ大国民議会スルタン制廃止ローザンヌ条約トルコ共和国(1)トルコ共和国(2)世俗主義改革カリフ制廃止エジプト(20世紀)エジプト王国ワフド党ムスリム同胞団エジプト=イギリス同盟条約第3次アフガン戦争アフガニスタン独立 イラン ロレンスイブン=サウードヒジャーズ=ネジド王国サウジアラビア王国アラブ諸国の独立ハーシム家イラク/イラク王国トランスヨルダン/ヨルダンレバノンシリアパレスチナシオニズム キ.アフリカの民族主義 モロッコリーフ戦争リーフ共和国アフリカ民族会議/ANCパン=アフリカ会議パン=アフリカニズムデュボイス 31. 世界恐慌とファシズム ◉世界恐慌とその影響:世界恐慌/ウォール街/暗黒の木曜日/フーヴァースムート=ホーリー法/フーヴァー=モラトリアム ◉ニューディールとブロック経済:ニューディール政策(フランクリン=ローズヴェルト)/農業調整法(AAA)/全国産業復興法(NIRA)/テネシー川流域開発公社(TVA)/グラス=スティーガル法/アメリカの金本位制停止/ロンドン世界通貨経済会議/ワグナー法/産業別労働者組織委員会/産業別組織会議(CIO)/社会保障法(アメリカ)/ケインズ/アメリカのソ連の承認/善隣外交➡プラット条項(キューバへの干渉権)撤廃/中立法 ◉イギリス:マクドナルド挙国一致内閣/イギリスの金本位制停止/保護関税法/オタワ連邦会議/スターリング=ブロックブロック経済 ◉フランス:フラン=ブロック/仏ソ相互援助条約/アムステルダム国際反戦大会/反ファシズム人民戦線(社会党・共産党など)byブルム(社会党党首) ◉満州事変・日中戦争と中国の抵抗:満州事変(by関東軍)⬅柳条湖事件/南満州鉄道爆破事件第1次上海事変満州国溥儀熱河作戦塘沽停戦協定リットン調査団日本の国際連盟脱退華北分離工作冀東防共自治政府十二・九学生運動国共内戦長征毛沢東遵義会議延安通貨統一/幣制改革/法幣コミンテルン第7回大会➡八・一宣言by中国共産党➡抗日民族統一戦線蔣介石張学良西安事件日中戦争二・二六事件盧溝橋事件第2次上海事変支那事変第2次国共合作八路軍南京虐殺事件重慶/重慶爆撃張鼓峰事件ノモンハン事件日米通商航海条約の破棄東亜新秩序中ソ不可侵条約汪兆銘援蔣ルート ◉ナチス=ドイツとヴェルサイユ体制の破壊:ドイツ共和国/ヒトラー/国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)/ミュンヘン一揆/『我が闘争』/ユダヤ人排斥/1932年選挙/国会議事堂放火事件(共産党弾圧の口実)➡全権委任法/ナチス=ドイツ/第三帝国/ヴァイマル憲法の消滅/総統(フューラー)国家/ゲーリング/ゲッベルス/ヘス/突撃隊(SA)/親衛隊(SS)/ゲシュタポ/ヒトラー=ユーゲント/ニュルンベルク法/水晶の夜/ロマ(ジプシー)/強制収容所/アウトバーン/ドイツの国際連盟脱退/ジュネーヴ軍縮会議/侵略の定義に関する条約/ザール編入/ドイツの再軍備(徴兵制復活)/ストレーザ戦線/英独海軍協定/仏ソ相互援助条約/ラインラント進駐/四カ年計画/ワールドカップ/ベルリン=オリンピック/ナチスに対する抵抗運動/キンダートランスポート ◉ソ連の五カ年計画とスターリン体制:スターリン体制/粛清/第2次五カ年計画/スターリン憲法/ソ連の国際連盟加盟 コミンテルン第7回大会➡ディミトロフが人民戦線結成を提起 ◉ファシズム諸国の攻勢と枢軸の形成:エチオピア侵攻(併合)byムッソリーニ/ベルリン=ローマ枢軸/スペイン革命➡共和国成立➡ファシスト登場➡スペイン内戦(ゲルニカ)➡スペイン人民戦線(⬅国際義勇軍)➡フランコによる独裁//二・二六事件/日独防共協定➡三国防共協定/ギリシアのファシズム 32. 第二次世界大戦 ◉ナチス=ドイツの侵略と開戦:オーストリア併合・ズデーテン地方/宥和政策byネヴィル=チェンバレン[英]/ミュンヘン会談/チェコスロヴァキア解体/ベーメン(ボヘミア)/メーレン(モラヴィア)/スロヴァキア/メーメル地方/ダンツィヒ(ポーランド回廊)/イタリアの参戦/アルバニア併合/独ソ不可侵条約/ドイツ軍のポーランド侵攻/ソ連軍のポーランド侵攻/奇妙な戦争 ◉ヨーロッパの戦争:ソ連=フィンランド戦争/ソ連のバルト三国併合/カチンの森事件/ベッサラビア(ルーマニアが併合)/デンマーク・ノルウェー侵攻/オランダ・ベルギー侵攻/ダンケルク/フランスの降伏➡ヴィシー政府byペタン ⬅レジスタンス(抵抗運動)+自由フランス政府成立byド=ゴール/チャーチル/武器貸与法/バルカン侵攻/パルチザン/日ソ中立条約 ◉独ソ戦と太平洋戦争 独ソ戦/英ソ軍事同盟/フランクリン=ローズヴェルト/大西洋憲章/コミンテルンの解散/ユダヤ人の大量殺害・ホロコースト強制収容所・アウシュヴィッツ/日本と第二次世界大戦/フランス領インドシナ進駐/日独伊三国同盟・日ソ中立条約➡スターリングラードの戦い/ABCDライン/日米交渉/近衛文麿内閣/東条英機内閣/真珠湾攻撃➡アメリカの参戦/マレー半島占領/香港占領/フィリピン占領/マニラ入城/シンガポール占領/インドネシア侵攻/ビルマ侵攻/大東亜共栄圏/皇民化政策(創氏改名/朝鮮人の強制連行/朝鮮・台湾での徴兵制)/軍政/泰緬鉄道/抗日武装闘争/大東亜会議/日華基本条約/日華新協定/不平等条約の撤廃(中国)/北ベトナム大量餓死事件 ◉ファシズム諸国の敗北:枢軸国/連合国/ガダルカナル撤退/マンハッタン計画/イタリアの降伏byバドリオ内閣/連合国の戦後処理構想/チャーチル/アルカディア会談/連合国共同宣言/カサブランカ会談/カイロ会談[対日](カイロ宣言)/蔣介石:新生活運動(大衆動員)を展開/テヘラン会談[対独]/ワルシャワ蜂起/パーセンテージ協定/ポーランド問題/ノルマンディー上陸作戦/ドイツ本土空爆(ドレスデン空襲)/ヒトラー暗殺計画/サイパン陥落/ヤルタ会談(ヤルタ協定・ヤルタ体制)/ヒトラー自殺➡ドイツの無条件降伏/沖縄戦/東京大空襲/ポツダム会談(トルーマン)➡ポツダム宣言/原子爆弾/マンハッタン計画/広島・長崎/ソ連の対日参戦/中ソ友好同盟条約/日本の無条件降伏 33. 冷戦構造(と日欧の復興) ◉戦後の国際政治・経済秩序:大西洋憲章/モスクワ宣言/ダンバートン=オークス会議/サンフランシスコ会議/国際連合憲章/国際連合(国際連合総会/安全保障理事会/経済社会理事会/信託統治理事会/国際司法裁判所/ユネスコ/国際労働機関/世界保健機関)/集団安全保障/集団的自衛権/常任理事国(拒否権)/国連軍/国連事務総長/フィラデルフィア宣言/ユニセフ/国際連合の加盟国/世界人権宣言・国際人権規約/ジェノサイド条約/ブレトン=ウッズ会議(ブレトン=ウッズ体制)/国際通貨基金(IMF)/国際復興開発銀行(IBRD)/関税と貿易に関する一般協定(GATT:自由貿易推進/のちの世界貿易機関)/固定為替相場制/ポツダム協定/ドイツ4カ国分割占領・ベルリン分割管理/国際軍事裁判所・ニュルンベルク裁判/ナチス裁判/オーストリア4カ国共同管理/オーストリア国家条約➡永世中立/パリ講和条約/イタリア講和条約/日本の民主化:連合国軍最高司令官総司令部(GHQ:マッカーサー)/日本国憲法/極東国際軍事裁判所/昭和天皇 ◉ヨーロッパの東・西分断:イギリスの労働党内閣byアトリー/重要産業国有化/イギリスの社会保障制度/ベヴァリッジ報告/アイルランド共和国/フランス第四共和政byド=ゴール/フランス共産党/社会党/人民共和派/イタリア王政廃止/キリスト教民主党/イタリア共産党/東ヨーロッパ社会主義圏/人民民主主義/統一労働者党(ポーランド)/オーデル=ナイセ線/コミンフォルムのユーゴスラヴィア除名(自主管理社会主義byティトー)/チャーチル:鉄のカーテン演説/トルーマン=ドクトリン(封じ込め政策を採用)➡マーシャル=プラン:封じ込め政策の一環⬅コミンフォルム(共産党情報局)・経済相互援助会議(コメコン)/ヨーロッパ経済協力機構(OEEC)/スターリン体制/ベネシュ/チェコスロヴァキアのクーデタ➡西ヨーロッパ連合条約(ブリュッセル条約・英仏ベネルクス)➡北大西洋条約機構(NATO)/ヴァンデンバーグ決議/ベルリン問題/ベルリン封鎖/通貨改革/ドイツの東西分断/西ドイツ基本法(ボン基本法)/ドイツ連邦共和国成立➡アデナウアー(キリスト教民主同盟(CDU)結成⬅キリスト教社会同盟(CSU)と姉妹関係)による経済復興/パリ協定(1954)➡西ドイツ再軍備+NATO加盟⬅ワルシャワ条約機構結成により反発/ドイツ民主共和国(東ドイツ社会主義統一党(SED)が権力独占➡ウルブリヒトの指導)➡ベルリン暴動(⬅スターリンの死) ◉朝鮮戦争と冷戦体制の成立:朝鮮の分断(北緯38度線/大韓民国(李承晩)と朝鮮民主主義人民共和国(金日成))➡平和のための結集ののち国連軍出動➡中国人民義勇軍派遣➡朝鮮休戦協定(板門店)/朝鮮特需➡日本の再軍備(警察予備隊➡自衛隊)/サンフランシスコ講和会議➡サンフランシスコ平和条約・日米安全保障条約➡対共産圏包囲網の形成/米比相互防衛条約(フィリピン)/相互安全保障法(MSA)/太平洋安全保障条約(ANZUS)/東南アジア条約機構(SEATO/バンコク)/バグダード条約機構(METO)➡イラク革命(王政から共和制に)➡イラクのMETO脱退➡中央条約機構(CENTO)➡イラン革命後に解体(イランとトルコが抜けて、イギリスとパキスタンしか残らなくなったから)/核兵器開発競争(ソ連・アメリカ・イギリスの核実験)/水素爆弾/第五福竜丸事件(アメリカの水爆実験により日本の漁船が被爆)/アイゼンハウアー/まき返し政策 ◉「雪どけ」と冷戦の再燃➡スターリンの死去/ジュネーヴ会議/ジュネーヴ4巨頭会談/ソ連共産党第20回大会(平和共存)➡スターリン批判/非スターリン化時代➡反ソ暴動(ポズナニ暴動)・ハンガリー反ソ暴動(byナジ=イムレ)/フルシチョフ(コミンフォルム解散)/ポーランド(ゴムウカ)/人工衛星(スプートニク)/大陸間弾道ミサイル(ICBM)/U2型機事件/ベルリンの壁/キューバ危機(➡ソ連の譲歩):核ミサイル基地建設+ケネディ政権による海上封鎖 ◉アメリカの繁栄と西欧・日本の復興:トルーマン/フェアディール/タフト・ハートレー法/マッカーシズム(赤狩り)/アイゼンハウアー=ドクトリン/軍産複合体/ケネディ/ヨーロッパの統合/シューマン=プラン ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)➡ローマ条約➡ヨーロッパ経済共同体(EEC)・ヨーロッパ原子力共同体(EURATOM)➡ヨーロッパ共同体EC/三極構造/アルジェリア問題/第五共和政憲法/フランスの核実験/フランスの中華人民共和国承認/フランスのNATO脱退/五月危機/奇跡の経済復興/西ドイツ=フランス友好条約/キージンガー/ドイツ社会民主党/ブラント:東方外交(東欧との関係改善)➡デタントへ/イギリスのEEC不参加➡ヨーロッパ自由貿易連合(EFTA)/イギリス病/ポンド切り下げ/日本の経済成長/55年体制/日ソ共同宣言/北方領土問題/日本の国連加盟/日米安保条約改定(安保闘争)/高度経済成長/日韓基本条約/学生運動/沖縄返還 ◉米ソ両大国の動揺:公民権運動/キング牧師/ワシントン大行進/ケネディ暗殺/ジョンソン/偉大な社会公民権法/アファーマティヴ・アクション/マルコムX/投票権法/アメリカ・ベトナム国交回復//キング牧師暗殺/ブラックパワー/インディアン問題/キッシンジャー➡ニクソン=ドクトリン(アジアでの介入を抑制)/ウォーターゲート事件/フォード/カーター(人権外交➡新パナマ運河条約:パナマ運河返還を約束)/フルシチョフ解任/コスイギン/ブレジネフ(デタント/社会の停滞)/アルバニア/ホジャ/デジ/チャウシェスク(ルーマニアで独裁➡処刑)/ハンガリー/カーダール/チェコ事件/チェコスロヴァキア社会主義共和国/プラハの春byドプチェク(チェコスロヴァキアの民主化運動)を指導/人間の顔をした社会主義/ブレジネフ=ドクトリン/制限主権論/憲章77 ◉国際経済体制と戦後政治のゆき詰まり:ドル=ショック/スミソニアン協定/変動相場制 ◉米・ソ軍縮と緊張緩和の進展/核兵器廃絶運動/ストックホルム・アピール/ラッセル=アインシュタイン宣言/パグウォッシュ会議/部分的核実験停止条約(大気圏内外水中核実験停止条約/PTBT)/中国の核実験/国際原子力機関(IAEA)/デタント(緊張緩和)➡核軍縮➡核拡散防止条約(核不拡散条約/NPT)➡戦略兵器制限交渉(第1次)(SALT・Ⅰ/ICBMの数に上限設定)・戦略兵器制限交渉(第2次)(SALT・Ⅱ)/迎撃ミサイル制限条約/核戦争防止協定/戦略防衛構想(SDI)/包括的核実験禁止条約(CTBT)/核兵器禁止条約/新START/ソ連=西ドイツ/武力不行使条約/西ドイツ=ポーランド国交正常化条約/東西ドイツ基本条約/東西ドイツの国連同時加盟/ヘルシンキ宣言/全欧安全保障協力会議(CSCE)/全欧安全保障協力機構(OSCE)/ユーロ=コミュミズム/スペインの民主化/ギリシアの民主化 ◉先進経済地域の統合化:ドル=ショック/変動相場制/先進国首脳会議(サミット/G7)/多国籍企業/北アイルランド紛争/アイルランド共和国軍(IRA)/新自由主義経済政策byサッチャー[保]/フォークランド戦争(マルビナス戦争)/ブレア/ドイツ連邦共和国/コール/ヴァイツゼッカー/ベルリンの壁開放➡ドイツ統一/シュレーダー/緑の党/ミッテラン(コールと協調して欧州統合目指す)/シラク/コアビタシオン/分離独立運動/北アイルランド紛争/スコットランド/ベルギーの言語戦争/フラン/デレン/拡大EC/イギリスのEC加盟/シェンゲン協定/ヨーロッパ連合(EU)/マーストリヒト条約/ユーロ/EUの東方拡大/欧州憲法(EU憲法)/ルクセンブルク/スペインの民主化/ギリシアの民主化/キプロス紛争/レーガン/プラザ合意/ブッシュ(G.H.W)=(父)/湾岸戦争/クリントン/北米自由貿易協定/世界貿易機関(WTO)/ブッシュ(G.W.)=(子)/9・11同時多発テロ/イラク戦争/ユニラテラリズム/サブプライム問題(リーマン=ショック)/ギリシア財政危機/ユーロ危機/米国・メキシコ・カナダ協定 ◉社会主義:世界の解体と変容/ソ連の停滞/反体制知識人/サハロフ/ソルジェニーツィン/ソ連のアフガニスタン侵攻byブレジネフ(⬅親ソ派政権成立後の内戦が背景/第二の冷戦開始)/西側諸国によるモスクワ=オリンピックのボイコット/デタント終了&新冷戦へ/ゴルバチョフ:①グラスノスチ(情報公開)・ペレストロイカ(改革)・新思考外交➡市場経済導入➡新ベオグラード宣言(バルト三国独立)/アフガニスタン撤退/中ソ関係正常化(ゴルバチョフ訪中)➡中距離核戦力(INF)全廃条約(INF)➡マルタ会談で冷戦終結➡ソ連共産党の解党/ソ連解体・ロシア連邦/独立国家共同体(CIS)/チェルノブイリ原発事故/保守派クーデタ(ソ連共産党)/エリツィン/サンクト=ペテルブルク/プーチン/ジョージア(グルジア)/アゼルバイジャン/アルメニア/中央アジア5ヵ国=ウズベキスタン共和国・カザフスタン共和国・キルギス共和国・タジキスタン共和国・トルクメニスタン共和国/ワレサ:「連帯」をつくってポーランドの民主化運動を主導/ヤルゼルスキ/ホネカー/ドイツ統一/東欧革命/ハンガリーの民主化/チェコスロヴァキアの民主化(ビロード革命)/ハヴェル/チェコスロヴァキアの連邦解消/ブルガリアの民主化/ジフコフ/ルーマニアの民主化/ポーランドの民主化/ユーゴスラヴィアの解体=クロアティア独立・スロヴェニア独立・マケドニア独立・ボスニア=ヘルツェゴヴィナ独立/セルビア/新ユーゴスラヴィア連邦/セルビア=モンテネグロ/モンテネグロの分離/セルビア共和国/ボスニア内戦/民族浄化/ミロシェヴィッチ/ユーゴスラヴィア内戦/ボスニア=ヘルツェゴヴィナ和平合意/アルバニア/コソヴォ問題/コメコン解散・ワルシャワ条約機構解散/エストニア・ラトヴィア・リトアニア/ベラルーシ/ウクライナ/モルドバ/NATOの東方拡大/EUの東方拡大/ヴィシェグラード=グループ 34. 第三世界の自立と危機 ◉東アジア・東南アジアの解放と分断:国共内戦(第2次)/中国国民党/双十協定/政治協商会議/中華民国憲法/新民主主義論/人民解放軍/蔣介石/台湾二・二八事件/中華民国政府/中華人民共和国人民政治協商会議/土地改革法/三反五反運動/第1次五カ年計画(中国)/中華人民共和国憲法/済州島/四・三事件/フクバラハップ/ハーグ協定/ラオスの独立 ◉南アジア・西アジア・アラブ諸国の自立への模索:ガンディー/インドを立ち去れ運動/チャンドラ=ボース/ジンナー/インド独立法/インド連邦/インド共和国/アンベードカル/ スリランカの独立(スリランカ共和国➡イギリス連邦を離脱➡スリランカ民主社会主義共和国➡タミル人問題) マラヤ連邦➡マレーシア(連邦)➡シンガポールの分離独立(リー=クアンユー首相)➡マレーシアにはマハティール首相就任 ◉第三世界の連帯:コロンボ会議(南アジア5か国)/平和五原則by周恩来&ネルー/平和十原則byアジア=アフリカ会議(バンドン会議@スカルノ)➡アフリカ諸国の独立(アフリカの年)➡非同盟諸国首脳会議(非同盟主義のインド、エジプト、ユーゴスラビアなど/米ソ二大国を牽制)/新植民地主義(ネオ=コロニアリズム) ◉アフリカ諸国の独立:【〜1950年代】独立国家は①南アフリカ(南アフリカ連邦(イギリスの支配)➡アパルトヘイト(人種隔離政策➡黒人差別)➡南アフリカ共和国成立➡ナミビアを領土に編入(WWⅠ後)➡反アパルトヘイト運動byネルソン=マンデラ(投獄➡釈放➡大統領に)➡ナミビア独立➡アパルトヘイト諸法撤廃byデクラーク)・②エチオピア(エリトリア独立運動&エチオピア革命(➡ハイレ=セラシエ1世退位)&エチオピア=ソマリア戦争)・③エジプト・④リベリアのみ➡【1950年代前半】リビア独立➡カダフィの独裁政権/スーダン・モロッコ・チュニジア独立⬅バンドン会議/アルジェリア戦争➡ブルギバ民族解放戦線(FLN)結成byベン=ベラ➡エヴィアン協定(独立承認by仏)➡アルジェリア民主人民共和国独立➡【1950年代後半】ガーナ共和国独立(サハラ以南初)byエンクルマ(➡アフリカ統一機構(OAU)指導)➡ギニア共和国独立byセク=トゥール➡【アフリカの年】マリ・ナイジェリア・ベナン共和国・チャド・マダガスカル・ソマリア(ソマリア内戦)・コンゴ共和国独立➡コンゴ動乱➡ルムンバ首相がソ連に接近⬅親米のモブツ派により処刑➡モブツ派の独裁➡崩壊➡コンゴ民主共和国/ケニア独立/タンザニア(ニエレレ大統領)独立/ザンビア独立➡【1970年代以降】ポルトガルの民主化(ポルトガル革命)➡サラザール政権崩壊➡ギニアビサウ&モザンビーク&アンゴラ独立/ローデシア独立宣言➡ジンバブエ共和国独立 ※アフリカ連合(AU) ◉ラテンアメリカ諸国とキューバ革命:リオ協定(米州共同防衛条約)/米州機構(OAS)(アメリカによる封じ込め政策/南北米大陸21カ国で結成)/中央情報局(CIA)/ アルゼンチン:ペロン(妻エヴァ=ペロン/ポピュリズム)/グアテマラ/アルベンス/ボリビア革命/キューバ革命/バティスタ/カストロ/ゲバラ/キューバ社会主義宣言/進歩のための同盟/キューバ危機 ◉動揺する中国:第2次五カ年計画by毛沢東(大躍進/ソ連に依存しない重工業化と人民公社建設)/廬山会議/劉少奇/台湾海峡危機/金門・馬祖砲撃/チベット反乱➡ダライ=ラマ14世のインド亡命➡中印国境紛争/中ソ友好同盟相互援助条約(ソ連の権益継承)➡しかし中ソ対立/中ソ技術協定破棄/中国の核実験/中ソ国境紛争⬅珍宝島事件(ダマンスキー島事件)/文化大革命by毛沢東(⬅紅衛兵(こうえいへい)・林彪(りんぴょう))vs劉少奇(走資派)➡林彪事件➡批林批孔運動by江青(こうせい)ら四人組➡四つの現代化(国防・工業・農業・科学技術)by周恩来➡周恩来死去後に第一次天安門事件(反四人組)➡同年に毛沢東死去➡文化大革命の終了➡華国鋒政権(四人組逮捕)➡鄧小平政権➡改革開放政策(=資本主義の復活/人民公社の解体)➡四つの基本原則(社会主義の道/プロレタリア独裁/共産党の指導/マルクス・レーニン主義、毛沢東思想)により共産党独裁強化➡胡耀邦(こようほう)協力➡民主化に理解を示し失脚➡趙紫陽(民主化運動容認)➡胡耀邦死去➡二次天安門事件(民主化要求のデモ)➡鎮圧➡鄧小平の南巡講話(改革開放路線の立て直し)➡社会主義市場経済導入by江沢民/香港返還&マカオ返還/中国のWTO加盟/元の切り上げ ※国交:ニクソン訪中(米中関係の改善)➡鄧小平訪米(withカーター)➡米中国交正常化/日中共同声明➡日中国交正常化➡日中平和友好条約 モンゴル国/チベット問題/チベット自治区/新疆ウイグル自治区/ウイグル人の独立運動/東トルキスタン独立運動 ボートピープル/主体思想/平壌宣言 ◉ベトナム戦争とインドシナ半島:ベトナム民主共和国(北ベトナム/ホー=チ=ミン:ベトナム独立同盟(ベトミン)指導者)独立➡フランスの再支配➡インドシナ戦争➡ベトナム国byバオ=ダイ➡ディエンビエンフーの戦い➡ジュネーヴ会議➡ジュネーヴ休戦協定➡ベトナム共和国成立(南ベトナム/ゴ=ディン=ジェム)➡南べトナム解放民族戦線(ベトコン/北ベトナム/反米組織)結成➡トンキン湾事件➡北爆開始・恒常化➡ベトナム反戦運動byジョンソン➡パリ和平会談(強硬派の影響で難航)➡アメリカのカンボジア・ラオス侵攻(※第2次インドシナ戦争)➡パリ和平協定(アメリカ軍の撤退)➡サイゴン陥落(ホーチミン市へ名称変更)➡ベトナム社会主義共和国成立/ドイモイ(開放経済政策)導入 ◉カンボジア王国独立➡クーデタによるロン=ノル親米政権成立➡シハヌーク国王(反米)追放(以降、カンボジア内戦)➡アメリカのカンボジア侵攻(ホーチミンルート封鎖のため)➡制圧➡民主カンプチア成立➡ポル=ポト政権(クメール=ルージュの指導者)[親中]成立➡ベトナム軍のカンボジア侵攻➡カンボジア人民共和国樹立byヘン=サムリン政権[親ソ・親ベトナム]➡ポル=ポト派撃破➡中越戦争/カンボジア和平協定➡国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)成立➡カンボジア王国成立(⬅シハヌークの総選挙勝利)/ラオス内戦/ラオス愛国戦線(パテト=ラオ)/ラオス人民民主共和国 ◉アジアの開発独裁: ◉大韓民国における開発独裁&強権政権衰退:李承晩(四月革命:政権打倒)➡張勉➡韓国軍部クーデタ➡朴正煕(日韓基本条約/金大中事件:大統領選挙落選後日本で民主化運動をしている際に拉致される)➡朴正煕大統領射殺事件➡光州事件➡全斗煥による鎮圧・軍部独裁政権➡盧泰愚(ノテウ)➡金泳三(キムヨンサム)➡金大中(キムデジュン/太陽政策:北朝鮮との宥和政策/金正日と会談)➡盧武鉉(ノムヒョン) ◉インドネシア:インドネシア共和国独立byスカルノ[共]➡インドネシア独立戦争(対蘭)➡インドネシア連邦共和国成立(パンチャシラ(建国五原則):神への信仰・民族主義・民主主義・社会主義・人道主義)※西イリアン問題➡ナサコム体制(NASACOM/民主主義・イスラム教・共産主義)➡九・三〇事件(共産党弾圧)➡スハルトが鎮圧・大統領に東南アジア諸国連合(ASEAN)結成 ◉第三世界の分化:南北問題/発展途上国経済協力開発機構(OECD)/国連貿易開発会議(UNCTAD)/南南問題/資源ナショナリズム/新国際経済秩序(NIEO)/新興工業経済地域(NIEs=韓国・台湾・香港・シンガポール) ◉第三世界における強権支配の後退: ◉中華民国(台湾):蒋介石による戒厳令➡日華平和条約・米華相互防衛条約➡米中接近による苦境(⬅国連の中国代表権=台湾追放)➡蔣経国(蒋介石死後)による開発独裁➡経済成長+民主化運動➡戒厳令解除➡李登輝(国民党)➡陳水扁(民進党) アジア通貨危機/ /インディラ=ガンディー首相(⬅暗殺byシク教徒)➡ラジブ=ガンディー首相/ヒンドゥー至上主義(ヒンドゥー=ナショナリズム)/インド人民党/アヨーディヤ問題/インドの核実験/ネパール/タイ軍事クーデタ/タクシン/アジェンデ/チリ軍部クーデタ/ピノチェト独裁政権/チリ民政移管/フォークランド戦争(マルビナス戦争)/民政移行/エクアドル/ニカラグア/ソモサ/サンディニスタ民族解放戦線/ニカラグア革命/コスタリカ/パナマ侵攻/グレナダ侵攻/エルサルバドル内戦/グアテマラ内戦/制度的革命党/ウルグアイ南米南部共同市場/ベネズエラ=ボリバル共和国/チャベス 35. 地域紛争 ◉アラブ世界の分裂とその影響: パレスチナ問題 エジプト王国独立➡アラブ連盟結成 パレスチナ分割案by国連➡イスラエル共和国成立(初代首相ベングリオン)➡第一次中東戦争➡パレスチナ難民発生 エジプト革命(エジプト共和国独立/自由将校団ナギブ➡ナセル[親ソ])➡アスワン=ハイダム援助を米英が拒否➡スエズ運河国有化宣言➡第二次中東戦争➡ナセルの威信高揚➡アラブ民族主義の高まり➡アラブ連合共和国(シリアと合併)成立&イラク革命➡イラク共和国独立➡レバノン暴動➡アイゼンハウアー=ドクトリンに基づくアメリカの軍事介入 第3次中東戦争(六日間戦争)➡イスラエル大勝(占領地区:シナイ半島/ゴラン高原/ヨルダン川西岸/ガザ地区)➡アラブ石油輸出国機構(OAPEC/前身は石油輸出国機構(OPEC))成立/ヨルダン内戦(ヨルダン王国内でテロ活動を続けるPLOへの大弾圧➡ファタハ[PLOのゲリラ組織]が「黒い9月」を組織し報復=首相殺害)➡ミュンヘン・オリンピック襲撃事件(イスラエルの選手を人質に) 第4次中東戦争(サダト[エジプト=アラブ共和国]によるイスラエル奇襲+石油戦略➡第1次石油危機/シリア=アラブ共和国も協力)➡レバノン内戦(⬅首都ベイルートにPLOが拠点を移す)➡キリスト教徒マロン派と対立➡シリアの介入・イスラエルの侵攻➡ヒズボラの抵抗/キャンプ=デーヴィット合意(エジプト=イスラエルの和平について合意)➡エジプト=イスラエル平和条約(シナイ半島返還/イスラエルのペギン[リクード党首]とエジプトのサダト)➡サダト大統領暗殺➡ムバラク後継/第1次インティファーダ(イスラエル占領支配への抵抗)➡ハマス創設(イスラーム原理主義/ガザ地区の解放を目指し現在も活動)/中東和平会議(マドリード会議/湾岸戦争直後/具体的成果なし)➡オスロ合意➡パレスチナ暫定自治協定(イスラエルのラビンとPLOのアラファトで/クリントン大統領仲介)➡パレスチナ暫定自治行政府成立/インティファーダ(第2次)byシャロン➡ロードマップ発表 ◉多発する地域紛争とあらたな国際協力の模索:分離独立運動/ケベック問題/北アイルランド紛争/バスク問題/オレンジ革命/ロシアのクリミア併合/クリミア危機/ウクライナ東部紛争/チェチェン紛争/ジョージア(グルジア)紛争/ナゴルノ=カラバフ紛争/コソヴォ共和国/東ティモール/アチェ紛争/チベット問題/ウイグル人の独立運動(東トルキスタン独立運動)/上海協力機構/スーダン内戦/ダルフール紛争/南スーダン共和国/ルワンダ内戦/スコットランド住民投票/北マケドニア/国連の変質/平和維持活動/国連平和維持軍/国際刑事裁判所/化学兵器禁止条約/東南アジア友好協力条約(TAC)/ASEAN憲章/国連人間環境会議/国連環境開発会議/リスボン条約/マララ=ユスフザイ/アラブの春(例:ジャスミン革命@チュニジア)➡シリア内戦(アサド政権vsイスラム国(IS)出現vsクルド人自立の動き[クルド人問題])/バーレーン/シャルリー=エブド社襲撃事件/パリ同時多発テロ/日本の集団的自衛権容認/香港民主化運動/イラン核合意/ネタニヤフ政権/イギリスのEU離脱/BLM運動/中国共産党/ロシアのウクライナ侵攻/NPT再検討会議/BRICS 36. 東南アジア史 ◉東南アジアの基本地理:インドシナ半島/紅河(ホン川)/メコン川/チャオプラヤ川/マレー半島/スマトラ島/ジャワ島ボルネオ島(カリマンタン島) ◉ベトナム 北部:著しい中国化(ハノイが拠点)/ドンソン文化(青銅器の銅鼓) 大越国成立:李朝(国号「ダイベト(大越)」を使用/ハノイに都)▶陳朝(モンゴル軍の侵攻を退ける/最盛期/ベトナム文字「字喃」(チュノム)が普及/一時的に明の支配下)▶黎朝(莫氏・鄭氏〔ハノイを拠点〕・阮氏〔フエを拠点とする政権=広南国〕)▶西山朝(西山の乱)▶阮朝(フエ/阮福暎/フランス人宣教師ピニョーの支援) 中南部:チャンパー(チャム人が建国)/サーフィン文化 ◉カンボジア 扶南(インド文化/東南アジア初の統一国家/港市国家/オケオ遺跡)▶真臘(唐と国交/ヒンドゥー教に)▶クメール朝(スールヤヴァルマン2世▶ジャヤヴァルマン7世(最盛期)/アンコール=ワット(寺院)/アンコール=トム(都)/タイのアユタヤ朝の圧迫で衰退) ◉ビルマ:ドヴァーラヴァティー王国(モン人)▶パガン朝(ビルマ最初の統一王朝/小乗仏教/宋と国交を開く/元の侵略で滅ぶ)▶ペグー朝▶トゥングー朝▶アラウンパヤー朝(コンバウン朝)(最盛期)▶イギリスの植民地▶アウンサン(タキン党指導者)暗殺➡ビルマ連邦共和国独立➡途中から軍政➡アウンサンスーチーの民主化運動➡ミャンマーに改称 ◉タイ:スコータイ朝(タイ人最初の王朝/クメールから政治制度を取り入れ、元とも国交を開く/ラームカムヘン王が小乗仏教を保護)▶アユタヤ朝(明と交易/イスラム教のマラッカ王国を避けて日本や西ヨーロッパの貿易船が来航/クメール朝を圧迫/アラウンパヤー朝に滅ぼされる)▶トンブリー朝(タークシン王・処刑)▶ラタナコーシン朝(チャクリ朝)(ラーマ1世)/バンコク/今も続く) ◉スマトラ島:シュリーヴィジャヤ王国(海上貿易で繁栄/港市国家)▶マラッカ王国の支配▶アチェ王国 ◉ジャワ島:シャイレーンドラ朝(大乗仏教→ボルブドゥールの仏塔)▶クディリ朝(ヒンドゥー教に/ワヤン(人形影絵劇)発達)▶シンガサリ朝▶マジャパヒト王国(モンゴル軍の侵略の混乱後に成立/貿易国として繁栄)▶マタラム王国(古マタラム王国と区別)・バンテン王国 ◉マレー半島:マラッカ王国(東南アジア最初のイスラーム国家)▶ポルトガルの占領/ジョホール王国(マラッカ王国のスルタンが建国)▶オランダ・イギリスによる植民地化 ◉東南アジアのイスラーム化:中国商人/海の道/ジャンク船/三仏斉元の遠征活動/元のベトナム遠征/ムスリム商人/サンドラ=パサイ王国 マニラ アカプルコ ガレオン船/ガレオン貿易 銀:メキシコ銀/日本銀 マカオ 朱印船貿易/日本町できる 香辛料 ネーデルラント連邦共和国 オランダ東インド会社 バタヴィア アンボイナ事件 イギリス東インド会社 ◉南・東南アジアの植民地化 ア.西欧勢力の進出とインドの植民地化 ムスリム商人 東インド会社 インド産綿布 銀 ムガル帝国 イギリス東インド会社 フランス東インド会社 アフシャール朝 ナーディル=シャー カーナティック戦争 プラッシーの戦い クライヴ ベンガル地方 ベンガル太守/ベンガル知事/ベンガル総督 ディーワーニー ブクサールの戦い/バクサルの戦い マイソール戦争 ティプー=スルタン マラーター戦争 シク戦争 シク王国 パンジャーブ併合 グルカ戦争 藩王国 カシミール イ.植民地統治下のインドと大反乱 イギリスのインド植民地支配(19世紀前半まで) 東インド会社のインド貿易独占権廃止 東インド会社の商業活動停止 インド総督ザミンダール/ザミンダーリー制 ライヤットワーリー制 イギリス産業革命とインド ネイボッブ インド大反乱/シパーヒーの反乱/セポイの乱 シパーヒー ラクシュミー=バーイー デリー ムガル帝国の滅亡 イギリス東インド会社解散 インド統治法 藩王国 分割統治 ウ.東南アジアの植民地化 インドネシア オランダ領東インド イギリス=オランダ協定 ジャワ戦争 ディポネゴロ パドリ戦争 政府栽培制度 ファン=デン=ボス アチェ戦争 マレー半島 イギリス領マラヤ ペナン マラッカの植民地化 シンガポール マラッカ海峡 ラッフルズ 海峡植民地 マレー連合州 スズ/ゴム インド人移民/印僑 ビルマ:コンバウン朝 イギリス=ビルマ戦争/ビルマ戦争 メキシコ銀 マニラ開港 モロ戦争 インドシナ出兵:サイゴン条約▶フランスにベトナム南部(コーチシナ)割譲▶カンボジア保護国化▶フエ条約(ユエ条約)でフランスによる事実上のベトナム保護国化 清仏戦争:天津条約(1885)▶フランスによるベトナム保護国化▶フランス領インドシナ連邦 劉永福 黒旗軍 ラオス保護国化 ラーマ4世 ボウリング条約 ラーマ5世/チュラロンコーン 37. アフリカ史 ◉古代のアフリカ:クシュ王国(メロエ⬅アッシリアに追われて遷都)➡アクスム王国(@エチオピア) ◉イスラーム化:ガーナ王国(金をサハラ産の塩と交換)➡マリ王国(トンブクトゥ繁栄/マンサ=ムーサによるメッカ巡礼)➡ソンガイ王国 ◉アフリカ東岸:港湾都市のモガディシュ・マリンディ・モンバサ・ザンジバル・キルワ・ソファラにムスリム商人定住/スワヒリ語が共通語に(バントゥー語+アラビア語の影響)/モノモタパ王国(ザンベジ川流域)/ジンバブエ遺跡(石造遺跡) ◉アフリカ中部:カネム=ボルヌー王国(イスラーム教国/奴隷貿易)/コンゴ王国 38. 南北アメリカ史 ア.アメリカ先住民 ベーリング海峡 アメリカの先住民/インディオ メソアメリカ文明 トウモロコシ サツマイモ ジャガイモ トマト トウガラシ アメリカ大陸 原産の農作物 コカ イ.マヤ・アステカ文明とインカ文明 オルメカ文明 マヤ文明:中央アメリカ/4〜16世紀/マヤ文字/二十進法/精密な暦法 テオティワカン文明 トルテカ文明 アステカ文明 アステカ王国 テノチティトラン チナンパ農法 チャビン文化 アンデス文明 モチカ文化 ナスカ文化 ティアワナコ文化 チムー帝国 インカ文明 ケチュア族 インカ帝国:クスコ/マチュピチュ/キープ(結縄) 39. 朝鮮史 40. 文化史・テーマ史 ◉ギリシアの生活と文化 ギリシア文化 アーカイック期 古典期 オリンポス12神 ホメロス『イリアス』/『オデュッセイア』 ヘシオドス『労働と日々』 ギリシア悲劇・喜劇 三大悲劇詩人:アイスキュロス/ソフォクレス『オイディプス王』/エウリピデス アリストファネス/女の平和 イオニア自然哲学 タレース ピタゴラス ヘラクレイトス デモクリトス ヒポクラテス ソフィスト プロタゴラス ソクラテス プラトン イデア論 アカデメイア アリストテレス リュケイオン ディオゲネス 犬儒学派 ヘロドトス/歴史 トゥキディデス/戦史 クセノフォン フェイディアス:パルテノン神殿(ドーリア式)再建/withペリクレス イオニア式 コリント式 パルテノン ヘレニズム コイネー コスモポリタニズム ストア派 ゼノン エピクロス派 アレクサンドリア(エジプト) ムセイオン エラトステネス アリスタルコス アルキメデス エウクレイデス/ユークリッド ミロのヴィーナスラオコーン サモトラケのニケ 古典古代 枢軸時代 ◉宋代の文化 士大夫 宋学/朱子学 理気二元論 性即理 格物致知 大義名分論 華夷の別 周敦頤 朱熹/朱子 四書 資治通鑑 陸九淵 欧陽脩 蘇軾(蘇東坡) 唐宋八大家 儒教 文化圏 院体画 文人画 宋磁 白磁 青磁 詞 雑劇 禅宗 漢訳大蔵経 全真教 王重陽 正一教 木版印刷 三大発明=火薬/羅針盤/活字印刷 ◉明後期の社会と文化 木綿/綿織物 南京 木綿 湖広 生糸 景徳鎮 陶磁器 染付 赤絵 山西商人 新安商人/徽州商人 会館・公所 一条鞭法 郷紳 抗租運動 鄧茂七の乱 奴変民変明の文化 董其昌 南宗画/南画 北宗画/北画 小説 牡丹亭還魂記 陽明学 王陽明 心即理 知行合一 李贄/李卓吾 キリスト教宣教師 李時珍:『本草綱目』(薬草についての資料集め) 農政全書 天工開物 宋応星 崇禎暦書 フランシスコ=ザビエル マテオ=リッチ 徐光啓:『幾何原本』(エウクレイデスの幾何学の書を翻訳) 坤輿万国全図 ◉清の文化 考証学(顧炎武・黄宗羲) 公羊学 『紅楼夢』(小説) 儒林外史 聊斎志異 桃花扇伝奇 京劇 キリスト教宣教師 アダム=シャール/湯若望 フェルビースト/南懐仁 ブーヴェ/白進皇輿全覧図 カスティリオーネ/郎世寧 円明園 典礼問題 イエズス会 キリスト教の布教禁止 シノワズリ ◉イスラーム文明の発展 ア.イスラーム文明の特徴 イラン=イスラーム文化/トルコ=イスラーム文化/インド=イスラーム文化/中世ヨーロッパとイスラーム文化 トレド イ.イスラームの社会と文明 ウラマー カーディ モスク マドラサ スーク/バザール ワクフ 神秘主義/スーフィズム スーフィー ガザーリー 神秘主義教団 カーディリー教団 メヴレヴィー教団 ウ.学問と文化活動 アラビア語/固有の学問・外来の学問/シャリーア(イスラーム法) ハディース ブハーリー タバリー イブン=ハルドゥーン『世界史序説』 知恵の館(アッバース朝のバグダード/ギリシア語からアラビア語へ翻訳) アラビア数字/ゼロの概念 錬金術 フワーリズミー ウマル=ハイヤーム ルバイヤート ジャラーリー暦 イドリーシー イブン=シーナー『医学典範』/イブン=ルシュド(アリストテレス研究) 翻訳学校 千夜一夜物語/アラビアン=ナイト フィルドゥシー シャー=ナーメ イブン=バットゥータ『三大陸周遊記』 ミナレット岩のドーム ミニアチュール(細密画◀中国絵画の影響)/アラベスク(文様) イスラーム美術の特徴 ◉中世ヨーロッパ ア.教会と修道院 教会破門 修道院 修道院運動 ベネディクトゥス モンテ=カシノ ベネディクト派 シトー派 大開墾時代 托鉢 修道会 フランチェスコ会 フランチェスコ ドミニコ会 神学 ラテン語 ヒエロニムス イ.学問と大学 カロリング=ルネサンス アルクィン カロリング小字体 スコラ学 普遍論争 アンセルムス アベラール 12世紀ルネサンス:ギリシア古典・アラビア語文献がラテン語へ翻訳 トマス=アクィナス ロジャー=ベーコン ウィリアム=オブ=オッカム 大学 七自由学科 ボローニャ大学 サレルノ大学 パリ大学 オクスフォード大学 ケンブリッジ大学 プラハ大学 学寮制/コレッジ制 羊皮紙 ウ.美術と文学 ロマネスク様式 ピサ大聖堂 ゴシック様式 ステンドグラス ノートルダム大聖堂 ランス大聖堂 ケルン大聖堂 シャルトル大聖堂 カンタベリー大聖堂 騎士道物語 ローランの歌 吟遊詩人(トゥルバドゥール/ミンネジンガー):恋愛をテーマとした抒情詩を歌う ◉ルネサンス ア.ルネサンス ネーデルラント ヒューマニズム/人文主義 フィレンツェメディチ家 コジモ=デ=メディチ プラトン=アカデミー ロレンツォ=デ=メディチ ユリウス2世 イタリア戦争 サヴォナローラ チェーザレ=ボルジア ローマ教皇 マキァヴェリ君主論 ミラノ公 イ.文芸と美術 ダンテ神曲 ペトラル カボッカチォ デカメロン チョーサー カンタベリ物語 ロイヒリン エラスムス愚神礼賛 トマス=モア ユートピア ラブレー ガルガンチュワとパンタグリュエル物語 モンテーニュ セルバンテス シェークスピア フレスコ画 油絵技法 フランドル派 ファン=アイク兄弟 ジョットマサッチョ 遠近法 ギベルティ ルネサンス様式 ブルネレスキ サンタ=マリア大聖堂 ドナテルロ ブラマンテ ボッティチェリ ラファエロ ミケランジェロ 最後の審判 レオナルド=ダ=ヴィンチ最後の晩餐 モナ=リザ 万能人 ブリューゲル デューラー ホルバイン サン=ピエトロ大聖堂 レオ10世 ウ.科学と技術 地動説コペルニクス ジョルダーノ=ブルーノ 羅針盤 遠洋航海術 火薬 火砲 活版印刷術 グーテンベルク製紙法の伝播 ◉17~18世紀の西欧文化 ア.科学革命と近代的世界観 科学革命 望遠鏡 ニュートン ロンドン王立協会 ガリレイ ガリレオ裁判 ケプラー リンネ ハーヴェー ラヴォワジェ ジェンナー/種痘法 フランクリン フランシス=ベーコン デカルト方法序説 ライプニッツ単子論 カント グロティウス戦争と平和の法 ホッブズ リヴァイアサン ロック統治二論 社会契約説 イ.啓蒙思想 啓蒙思想 モンテスキュー ヴォルテール ルソー ディドロ/ダランベール:『百科全書』(あらゆる知識を体系化)/フランスの啓蒙思想家 重農主義 ケネー 自由放任/レッセ=フェール 古典派経済学アダム=スミス諸国民の富 ウ.宮廷文化 バロック美術:ヴェルサイユ宮殿byルイ14世 ロココ美術:サンスーシ宮殿byフリードリヒ2世 ルーベンス ファン=ダイク エル=グレコ ベラスケス 古典主義(文学):三代劇作家コルネイユ、ラシーヌ、モリエール▶ルイ14世の宮廷で活躍 アカデミー=フランセーズ/フランス学士院 サロン ワトーブーシェバッハ エ.成長する市民と文化 レンブラント ミルトン失楽園 バンヤン タバコ茶(ヨーロッパ) 砂糖 コーヒー:コーヒーを飲む習慣はイスラム世界からヨーロッパへ コーヒーハウス デフォー ロビンソン=クルーソー スウィフト ガリヴァー旅行記 新聞/ジャーナリズム 生活革命 ◉19世紀欧米の文化 ア.ロマン主義と自然主義 古典主義(文学) ゲーテ シラー 新古典主義(美術) ダヴィド ロマン主義 グリム兄弟 スコット バイロン スタール ユーゴー プーシキン ドラクロワ ベルリオーズ 写実主義 スタンダール フローベール ドストエフスキー トルストイ クールベ ドーミエ 自然主義 コロー/ミレー ゾラ 耽美主義 ワイルド 象徴主義 マネ:フランス/印象派先駆者 モネ:フランス/印象派、『印象・日の出』 ルノワール セザンヌ ゴーガン ゴッホ 後期印象派(ポスト印象主義) アール=ヌーボー イ.哲学と人文・社会科学 ヘーゲル マルクス コント マルサス リカード リスト 保護貿易主義 ウ.科学・技術と市民生活 ファラデー マイヤー ヘルムホルツ レントゲン/X線の発見 リービヒ パストゥール コッホ ダーウィン進化論 メンデル モールス(モース) 海底電信ケーブル ロイター通信 トマス=クック ベル/電話 マルコーニ ダイムラー ディーゼル ノーベル ライト兄弟 オスマン 地下鉄 エ.地理上の探検 オーストラリア タスマン クック 北極海 ピアリー アムンゼン(ノルウェーの探検家/南極点到達)➡スコット(南極点到達) グリニッジ天文台 ◉現代文明 ア.現代科学と生活・環境の変化 アインシュタイン 原子爆弾 ノーベル賞 分子生物学/DNA抗生物質 ペニシリン/フレミング イ.現代文明による危機 環境問題=地球温暖化/砂漠化/オゾン層破壊 モントリオール議定書 スリーマイル島原発事故 アジェンダ21 京都議定書 チェルノブイリ原発事故 パリ協定(2015) ウ.現代文化 現代の思想 実存主義サルトル 精神分析学フロイト マックス=ウェーバー プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神 ケインズ レヴィ=ストロース カウンター・カルチャー アンドレ=マルロー ヘミングウェー スタインベック ソルジェニーツィン 魯迅 ピカソ 映画 ハリウッド チャップリン
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web hosting domain names photo sharing 竜馬くんのページ 過去ログ1| 過去ログ2| 過去ログ3| 過去ログ4| 過去ログ 5 過去ログ6| 過去ログ7| 過去ログ8| 過去ログ9| 過去ログ10 過去ログ11| 過去ログ12| 過去ログ13 | 過去ログ14 ゆうさんのページ| 渡辺さんのページ| 掲示板に書き込む 渡辺 - 02/08/21 12 56 22 電子メールアドレス なんか変なの コメント 読んでいると頭がいたくなるような議論というか何というか、K-Kさんは、相当の精神力ですね。 松尾氏は、自信ををもって断定的に書きますが、調べてみると、おかしいなと思うことが多々あります。 へたに投稿して、議論になるのもいやなので、こちらに一点投稿します。 下記投稿 ----- 井上久士の写真判定力 投稿者:松尾一郎 投稿日: 8月21日(水)09時12分30秒 (途中省略) ...揚子江岸の死体の吹き溜まりの一番手前の死体は裸で足にはゲートル、これが軍人と言わずして何というのか? (以下省略) ---- これは、村瀬守保『私の従軍中国戦線』p.48の写真のことだと思います。 しかし、「一番手前の死体は裸で足にはゲートル」ではないようです。 ゲートルと言うのは、ひざの下まで長い帯を巻付けるもので靴下ではありません。南京戦にはいろいろの軍装の部隊がいますが、私の調べた範囲ではゲートルについてはみな同じで、件の写真は、どう見てもゲートルには見えません。生前の職業はこれでは分からないとしか言えませんけど... なお、以前、 02/07/28 14 52 17 の投稿で指摘しましたように、ほとんどは後ろ手に縛られていますので、戦闘による死者ではありえません。 渡辺 - 02/08/21 00 56 47 電子メールアドレス 中国軍の数 コメント 資料中に、日本の新聞がないのに気が付いたので、東京朝日新聞からの記事を引用しますので、ご利用ください. なお、は新聞記事と同じ個所に改行を入れました。 ----- 昭和十二年十二月十一日 東京朝日新聞 朝刊 (一面) 【上海十日發同盟】 焦土抗戦を豪語して南京城を死守せんとした支 那軍第八十七師、第八十八師、教導総隊の約三萬は十日午後一時 半を期して行われた総攻撃僅か二時間にして早くも動揺崩壊の色を現 し、我が軍は一斉に累壁の敵を撃破し城内に突入したが、敵は尚も 家屋を盾に執拗なる抵抗を試みて居り炎々たる猛火に包まれた城内 は銃砲銃声街路に谺し凄愴を極めてゐる ----- [引用者註] 笠原氏は、八七師第二六一旅旅長からの聞き取りとしてこのように述べている。 「当時国民党軍の一旅は七〇〇〇の兵員からなり、戦闘兵が五〇〇〇人、運送などにあたる後勤部隊が二〇〇〇人とのことであった。そして中国では一般に(日本軍と違って)後勤部隊を兵数に数えないとのことだった。」 [『南京大虐殺の研究』(晩聲社、1992年)笠原十九司「南京防衛戦と中国軍」P.256] なお、八七師、八八師など、通常は2旅から成り、教導総隊は3旅ある他に、砲兵団、騎兵団などから成る。 ----- 昭和十二年十二月十一日 東京朝日新聞 夕刊 (一面) 敵兵十萬籠城す 死物狂ひの防衛強化 (途中省略) 【上海十日發同盟】外人方面の情報によれば南京衛戍司令唐生智は 昨九日午後二時各国大使館に対して残留外国人の即時避難撤退を要求 午後五時に至るや、下関に通ずる城門を固く鎖し城内 と城外を連絡する電信電話を一切断ち斯くて城内十萬の敵 は完全に籠城状態に陥つた。 ----- K-K - 02/08/20 00 49 26 電子メールアドレス とほほさんへ コメント K-Kです。 こんにちは、とほほさん。 ご苦労さまです(笑)。 電脳はかなり組織化しとるね(^^; あーも次々と同じでたらめを違う人間が繰り出すのは日本茶以上だね(笑) 組織化しているかどうかは解りませんが、おそらく、投稿者よりは実在の人数の方が少ないでしょうね(笑)。 松尾ってのはネット素人だと思っていたが結構組織的基盤はあるかもね。 それともただの「夏休み」なのかな?(^^; 夏休みの方ではないでしょうか? 松尾さんは、性格的に「一匹オオカミ」的なものがありそうですから、あまり、組織的なことを行うにはふさわしくない様に思えます。 しかし、組織に憧れがあるようにも見受けられますね。組織を追い出された(飛び出した?)後の、あの執拗な攻撃などは「可愛さ余って憎さ百倍」の様に見えます。 とほほ - 02/08/19 17 41 26 電子メールアドレス それにしても コメント 電脳はかなり組織化しとるね(^^; あーも次々と同じでたらめを違う人間が繰り出すのは日本茶以上だね(笑) 松尾ってのはネット素人だと思っていたが結構組織的基盤はあるかもね。それともただの「夏休み」なのかな?(^^; K-K - 02/08/19 00 18 09 電子メールアドレス ゆうさん、渡辺さん コメント K-Kです。 こんにちは、ゆうさん、渡辺さん。 資料を提供してくださって有り難う御座います。 非常に助かりました(笑)。 向こうで投稿するだけで、時間的にイッパイイッパイなので、こちらでのお返事ができません。申し訳ないです。これからも、ご指導をお願いします。 ---- 引用 ---- で、412さんの指摘によればこの人が所属していた支那方面艦隊第三艦隊ってのは、支那方面艦隊第二遣支艦隊のこと。しか しこの遣支艦隊の創設は、昭和14(1939)年11月15日ということで、1937年の8月には存在しないはずなんですねぇ・・・ ---- 終わり ---- 上記の記述ですが、『南京戦史資料集1』P725の「編成表・職員表」を見ると以下の通りになっています。 ---- 引用 ---- ・支那方面艦隊 第三艦隊 司令長官・中将長谷川清(海兵31) 参謀長・少将杉山六蔵(海兵38) 第十一戦隊 少将近藤英次郎(海兵36) 上海海軍特別陸戦隊司令官 少将大川内伝七(海兵37) 第四艦隊 司令長官・中将豊田副武(海兵33) ---- 終わり ---- また、「11歳」の件ですが、社会評論社に問い合わせをしておきましたので、返信が有り次第、こちらでもご紹介しようとおもいます。 松尾さんの方でも書いたのですが、おそらく、1916年生まれの間違いだと思います。 渡辺 - 02/08/18 16 27 48 電子メールアドレス ラーベと発電所復旧(12月18日) コメント 資料「ラーベと発電所復旧」を下記URLに投稿いたしましたので、ご利用ください。 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15037 range=1 渡辺 - 02/08/18 00 17 24 電子メールアドレス Re 見れ。:訂正 コメント 前投稿訂正: ----- 陸軍刑法 戦地又は帝国軍の占領地において住民の財物を略奪したも のは一年以上の有期懲役に処す。前項の罪を犯すにあたり 婦女を強姦したるときは無期または7年以上の懲役に処す 田所さん!「連れて帰って」って、そんなことして大丈夫なんですか!? ----- そうか、これは第八十六条なのか。失礼。 要するに「住民の財物を略奪」するにあたって「婦女を強姦」したときだから、「田所さん」は大丈夫です。 強姦には「陸軍刑法」ではなく「刑法」が適用され「親告罪」になっていたので、それでは武器の前では拒否できないとして、岡村寧次が「陸軍刑法」に「強姦罪」を加えたのです。 もっとも、取り締まる憲兵がいなければ、法律があるというだけでのことです。 なお、略奪と言うといけないので、「徴発」と言っていたわけです。16師団は略奪で有名で、松井司令官も、師団長本人も日記に書いていますが... 渡辺 - 02/08/17 21 11 01 電子メールアドレス Re 見れ。 コメント これは下記投稿への返信です。 ----- Stwr@Shinden - 02/08/17 15 13 11 電子メールアドレス 見れ。 コメント http //www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8906/ ----- http //www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8906/ に記述されていることと、それに対する「答」 ----- 証言者の一人、第16師団歩兵第33連隊第1大隊所属の鬼頭 久二さんは1926年生まれ、御年76歳でいらっしゃいます。 さて、南京攻略って何年前でしょうか・・・? 答えは65年前の昭和12年・・・1937年です。 そう、65年前の南京攻略当時、現在76歳の鬼頭さんはなんと11歳、ということ になります。 学徒動員もなかった1937年当時、帝国陸軍は11歳のハナタレ坊主を従軍させるほどに逼迫した戦況にあっ たのでしょうか・・・? ----- 答:生年月日は、証言者の発言ではなく、編集者が記載したもの。前後の記事を見れば、この人だけ10年違っているので 単なる誤植でしょ? ---- 第16師団歩兵第38連隊第1大隊の田所 耕太さん(86)は、当時21歳。1873年発布の徴兵令によりますと徴兵は二〇歳以 上の男子とありますので、田所さんは徴兵一年目の新兵にも関わらず最前線の南京に送り込まれたことになります。小学 生の動員といい、当時の帝国陸軍はよほど苦戦していたんでしょう(w また、支那方面艦隊第3艦隊大1船隊第24○○(判読不能)艦隊の三上 翔(83)さんは当時18歳。志願して行ったとの発言 がありますが、志願兵も17歳からとなっていますので、彼もまた新兵なのに最前線に投入されたことになります。 で、412さんの指摘によればこの人が所属していた支那方面艦隊第三艦隊ってのは、支那方面艦隊第二遣支艦隊のこと。しか しこの遣支艦隊の創設は、昭和14(1939)年11月15日ということで、1937年の8月には存在しないはずなんですねぇ・・・ ●上記412さんの挙げているソースの信憑性が低いためこの部分は保留とします。私は連合艦隊しか解りませんので、大陸方 の艦隊派遣に詳しい方おながいします。 ●志願兵について、海軍志願兵は少年水測兵、少年電信兵で14歳8ヶ月以上、その他水兵は15歳以上の様です。 ---- 答:●印の個所に回答が、ちゃんとあります。より正確に言うと、 (1) 南京戦は長谷川長官の支那方面艦隊第三艦隊が参戦した。(笠原『南京事件』p.81など、少し調べればすぐ分かる。) (2)支那方面艦隊第二遣支艦隊は、1937年11月20日第四艦隊と交代、内地へ帰った。(防衛庁防衛研修所戦史室『中国方面海軍作戦<1>』p.454) (3)「志願兵 海軍は採用人員が少ないため平時は志願者を中心に徴兵を補充に充てる。兵役は徴兵の三年に対して五年と長く、再役は二年ずつ。年齢は兵種によって違い、水平、航空兵、機関兵、看護兵、主計兵は一六歳以上。電信兵、偵察訓練生は一五歳以上、軍楽兵は一六歳以上である。」(原剛他『日本陸海軍事典』p.254) ーーーー 第16師団歩兵第33連隊第3大隊の町田 義成さん(89)は、「軽機関銃で」「腰の位置からバラバラと」捕虜の人々を撃ったと証言しています。 この当時、帝国陸軍に制式採用されていた軽機関銃はこちらのサイトに載っている十一年式6.5mm軽機関銃と九六式6.5mm軽機関銃。どちらも重量9キロ前後の据置式銃器で、こんなモノを腰ダメで撃ったって、反動で銃口がお天道様を向いてしまいます。 ついでに、軽機関銃の正しい使い方はこの特集のオープニングの映像にしっかり映ってたりします。これです。 ---- 答:「一一年式軽機関銃 (一部省略)彼(南部麒次郎)の苦心は給弾装置であり、三八式小銃の五発セットを六段重ねて上方から入れる方式だった。」原剛他『日本陸海軍事典』p.302)つまり、弾薬は三八式小銃と同じで、10Kgと重めなのに、「反動で銃口がお天道様を向いてしまいます」という人が、半部以下の重さの三八式で撃ったら、いったいどこを向くことやら...なお、後に作られた、もっと重い九九式軽機関銃には銃剣が付けられるようになっており、突撃できるようになっていた。(同書 p.303) ----- その上この銃は個人装備ではありませんので、使用には隊の許可が必要です。「邪魔やし撃ったれ」バラバラバラ・・・なんて気軽に使ったら懲罰もんですよ、弾丸だって貴重な物資なんですから・・・ -ーーーー 答:戦地で銃を撃つのに、その度に「隊の許可が必要」とは、聞いたことがないとしか言いようがない。 ----- 田所 耕太さん(86)は、徴発時の強姦に関してこんな愉快な発言もされています。 「見て良かったら」というのは、「民家に押し入って見つけた娘がいい女だったら」という意味なのですが、これを(おそらく強姦するために)部隊に連れて帰ると言っています。さて、ここで当時の「軍規」、陸軍刑法を紐解いてみましょう。 陸軍刑法 戦地又は帝国軍の占領地において住民の財物を略奪したものは一年以上の有期懲役に処す。前項の罪を犯すにあたり婦女を強姦したるときは無期または7年以上の懲役に処す 田所さん!「連れて帰って」って、そんなことして大丈夫なんですか!? ----- 答:典拠は示すべし。引用されているのは、昭和17年(1942年)改正の陸軍刑法の不正確な引用ではないのか? なぜ改正されたかは、以下を読んでください。 -- 第三編 二十 戦地強姦 私の第十一軍司令官時代強姦の非行が多くそれについていろいろ配慮したことは第四編において詳述するとおりであるが、私は当時の陸軍刑法において強姦に普通刑法同様親告罪であることも、また根本的に間違いであると考え、昭和十五年二月内地に帰還したとき阿南陸軍次官に対しこれを改め戦地強姦罪を設くべき旨申言したところ、正義の士である阿南次官は即座に同意し改正すべき旨を断言した。それから二年を経過して昭和十七年漸く戦地強姦罪が制定されたのであった。 しかし、この北支方面軍時代は第十一軍時代に比べて強姦罪が著しく少なかったのは幸いであった。予後備兵が極めて少なく、大部は年若い現役兵や補充兵であったこともその原因の一つであったと思う。 これら若い兵隊が軍法会議で陳述した内容が共通していたことは、家郷を出発する送別宴の席上などで、既に戦地の務めを終えて帰郷した先輩から、中国戦線では良いことがあるぞと強姦を示唆されていたので、ついムラムラとその気が起きたということで、最初中国戦線に出動した予後備兵が、昔時の出征兵と比べて、如何に風紀観念が乏しくなっていたかを知ることができたのである。 [「岡村寧次大将資料(上)」, P282-283] 第四編 十 軍、風紀所見(その三) <一部省略> (二) 慰安婦問題を考える。昔の戦役時代には慰安婦などは無かったものである。斯く申す私は恥ずかしながら慰安婦案の創設者である。昭和七年の上海事変のとき二、三の強姦事件が発生したので、派遣軍参謀副長であった私は、同地海軍に倣い、長崎県知事に要請して慰安婦団を招き、その後全く強姦罪が止んだので喜んだものである。 現在の各兵団は、殆どみな慰安婦団を随行し、兵站の一分隊となっている有様である。第六師団の如きは慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である。 <一部省略> (三) 憲兵報告の一節。蚌埠在住の中国人に嫁した日本中年女性は言う。中国兵は、掠奪するが強姦はしない。日本兵は、掠奪しないが強姦をする。可否何れにかあらん。頼みとするのはただ天主教の神父のみと。 刑罰種目中最も多いのは上官暴行と強姦である。そうして犯人の年齢別を見るに最多数は三十三歳である。 <一部省略> (四) 来陣した中村軍務局長の言によれば、戦地から惨虐行為の写真を家郷に送付する者少からず、郵便法違反として没収したものすでに数百に達しているという。 好奇心も甚しいというべし。 [「岡村寧次大将資料(上)」, P302-303] 陸軍刑法(昭和17年(1942年)改正で第八十八条ノ二を追加) 第九章 掠奪及強姦ノ罪 第八十六条 戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ住民ノ財物ヲ掠奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス 2 前項ノ罪ヲ犯スニ当リ婦女ヲ強姦シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ処ス 第八十七条 戦場ニ於テ戦死者又ハ戦傷病者ノ衣服其ノ他ノ財物ヲ褫奪シタル者ハ一年以上ノ有期懲役ニ処ス 第八十八条 前二条ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ七年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期懲役ニ処ス 第八十八条ノ二 戦地又ハ帝国軍ノ占領地ニ於テ婦女ヲ強姦シタル者ハ無期又ハ一年以上ノ懲役ニ処ス 2 前項ノ罪ヲ犯ス者人ヲ傷シタルトキハ無期又ハ三年以上ノ懲役ニ処シ死ニ致シタルトキハ死刑又ハ無期若ハ七年以上ノ懲役ニ処ス 第八十九条 本章ノ未遂罪ハ之ヲ罰ス -- ----- ちなみにこの後、久米弘が朗読した証言では、「憲兵にバレるとまずいので」強姦した女を撃ち殺したという話が出てくるんで すよ。なんだかなー。。。 ----- 答:当時は常識だったが...上砂中佐のような、まじめな憲兵に捕まって有罪になったら、今までの功績は白紙になって大変なことになってしまう。 -- (昭和12年12月)25日 ○上砂中佐事務打合わせに来部 中佐曰く近頃強姦事件不起訴に付せらるるもの多く 憲兵が折角検挙せしものに斯く致さるることとなると努力の甲斐なしと <一部省略> 自分答ふ <一部省略> その他純理論よりすれば姦淫は当時の情勢上刑法一七八に所謂抗否不能に乗ずるものと認むべきも中には斯かる者全部なりと断ずるを得ざるべく容易に要求に応じたる者も之あることを考へざるべからず 斯く観じ来たるときは姦淫したる事実あれば直ちに強姦なりと断ずるは早計たるを免れざるにあらずや [小川関治郎「ある法務官の日記」(みすず書房,2000年), P127-128 ひらがな表記にして引用] -- これだけ書くのに、どれだけ時間がかかったことか。 戦地で苦労した人の話は、ちゃんと聞け、ちゃんと読め。他人のいいかげんなHPを受け売りしないで、いろいろ調べて、参考書を自分の力で「見れ!」アホンダラ! Stwr@Shinden - 02/08/17 15 13 11 電子メールアドレス 見れ。 コメント http //www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8906/ http //www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8906/ http //www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8906/ http //www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8906/ http //www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8906/ http //www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8906/ http //www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8906/ http //www.geocities.co.jp/WallStreet-Stock/8906/ ゆう - 02/08/17 08 05 14 電子メールアドレス モーゼル拳銃 コメント ラーベ「南京の真実」(文庫版)P363に、「日本兵はモーゼル拳銃と銃剣を持っていましたが」という記述があり、これが結構、「ラーベは中国の反日工作撹乱隊を日本軍と誤認した」という根拠で使われているようです。 試みに、「日本軍がモーゼル拳銃を使用していた」という資料を、いくつか紹介します。 「南京戦史資料集?機廝丕械坑機/綯?荘日記 十二月十四日 <敵の捕獲小銃で鳥を射ったら見事一発で命中した。敵の小銃モーゼルは性能が良いのだろうか。公園にでて鳥を射って見たが、全々駄目だった。先刻の命中は紛れだったかも知れない。> 「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」P253 天野軍事郵便 十二月十七日 <唯捕虜移動の為め多忙になりましたから乱筆になります。逃ぐる者は射殺します。今も銃声がしましたから射殺せるものと思はれます。拳銃は敵のものをぶんどって使用しています。> 「野戦郵便旗」(正)P218 十二月十七日 <門廊の外に出て中島部隊兵器部の片岡少佐といっしょに記念撮影をする。野戦郵便のトラックで中山門砲撃の野砲弾を運んだので、片岡少佐と私たちは知己となったのである。少佐は中川書記にその申出もあったので、鹵獲品のモーゼル拳銃を贈呈するという。> こんな記述も、ありました。 <最後にモーゼル銃をもって強姦を事とした日本兵は居る筈がないとされた事で思い出したのであるが、筆者が調査の護身用として鹵獲品のモーゼル銃をもらって用いていた事があって中国人が日本人に化けて非行を働いていたと言う事は客観情勢から無理ではあるまいか。> (五十嵐善之亟「決定版 南京事件の真実」 P98 「ザ・レイプ・オブ・南京の研究」についての批評) 以上、「日本軍がモーゼル拳銃を持っていても不思議はない」、と私は判断します。 渡辺 - 02/08/17 01 57 58 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064414/http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15018 range=1 電子メールアドレス 「夏服の日本軍」資料(改訂版) コメント 「夏服の日本軍」資料 を下記URLに投稿いたしましたので、必要に応じてご利用ください。 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15018 range=1 ゆう - 02/08/15 22 49 56 電子メールアドレス 田中(田上?)日記 コメント K-Kさん、とほほさんに、お手数をおかけしているようで、申し訳ありません。 本来は私が自分で反論しなければならないところなのですが、「2ちゃんねる」(「IP抜き放題」の噂がある)や、「松尾氏の掲示板」(「討論姿勢」を除けば結構真面目な方だと思うのですが、どうもやはりIPを知られてしまうのは抵抗が・・・)には、ちょっと登場しにくいので・・・。 さて、「田中義信陣中日記」ですが、校正してみたら、何箇所かミスがありました(真黒暗→真暗闇、五百余名→五百名、など)ので、正確な形に修正します。 「田中義信陣中日記」(歩七、第三機関銃中隊) 十二月十四日―南京城内の市街戦 一、午前八時整列、城内掃蕩の為出発、敵最後の陣地攻撃す。 一、首都南京も遂に我軍の手に入り、あわれ八十八師軍は西門の彼方で最期を消したので有る。 一、今日の戦闘は実に面白かった。 一、支那軍の野戦病院も見学した。 一、午後九時、真黒暗の城内市街を約二里半位帰隊行軍。 一、支那軍の屍は山を築き、血河をなして、兵器は皆捨て、馬はすて、道路上は実に無残なる近影で有る。 一、五百余名の支那軍捕虜兵を第八十八師の営庭で銃殺及び刺殺。 十二月十五日 一、午前七時半出発。 一、支那第八十八師軍兵舎の附近で第三大隊は駐警す。其の後警備隊形に有る。 一、午后十時起床、支那軍捕虜兵、千七百名余名銃殺す。 一、陸戦隊警備地付近にて、見る間に屍は山となり、揚子江は血河流屍の流失で(二字不明)寒さはぞット身にしむ? 一、血生ぐさき江流の絵巻は寒風深夜の風に何処の彼方に消え行く。 十二月十六日 一、真黒暗の支軍の銃殺終りて、帰舎時に午前六時。 一、西門城の屍を乗越え、拂暁に到着。 一、午前中は休養。 また、今後「信憑性」を問題にしてくる方が出てこないとも限りませんので、論文の関連記述も引用しておきます。 (日記本文の直後) <田中氏の陣中日記は私が古書店で見付けて購入したもので、田中氏本人については調査していないが、本人の手記であることは疑えず。> (注記。なぜかこちらでは名前が「田上信彦」となっています。「田中」と「田上」のどちらが「誤記」なのかは、本稿の文章だけでは判然としません) <「田上義信陣中日記」は四分冊だが、後になるほど簡略になる。出発時の小隊長は村本少尉、第六分隊長は湊一郎、分隊員は平藤作・田上義信・中島喜久雄・山本久雄・前本勝守・上山浄・和田練一・上元勇吉・菅田力吉・青木孝松の各氏。南京在住頃は伊佐部隊棚橋部隊伊勢隊に属していた筈。一二月九日、一○日と戦死傷者続出で残る人は至って少なかった様子で、分隊員は次々に補充され、南京入城時の分隊員不詳。田上氏も一○月二五日に左眼を負傷したが分隊を離れなかった。「日記」は昭和一三年に入るとなぜか詳述され、五月一日で途切れている。私は田上氏には会っていないが、死亡されたものと推定している。もし右記の人々で生存者があるものなら教えて頂けると有難い。皆石川県人の筈で、生きておれば八五歳前後であろう。> なお、「八十八師営庭」での捕虜処断は、東京日日新聞の佐藤振壽記者によっても目撃されているようです(「南京戦史資料集?供廝丕僑娃后繊崕招海箸亙發?こと」)。同時に入手した、岡野君江氏の「第九師団と南京事件」(「環日本海研究」2号、1996年)の示唆で気が付きました。 ・・・しかし、「南京戦―閉ざされた記憶を尋ねて」が、なかなか掲示板の話題になりませんね。私など、その情報量の多さに、「消化不良」を起こしているのですが(笑)。 K-K - 02/08/15 21 50 42 電子メールアドレス JOHN_VOIDさんへ コメント K-Kです。 こんにちは、JOHN_VOIDさん。 杉原夫人がヒレル=レビンの「千畝」を出版した清水書院に対して出版差し止め請求 の訴えを起こしたというニュースがでていました。 同書は大正出版の研究書に比べて不正確な記述が多く、問題があると感じていまし たので、裁判の過程で誰が変な情報を混ぜ込んだのか分かるとありがたいです。 あの本を使わなくて良かったと少しほっとしています。 その様な情報があったとは気付きませんでした。 さっそく、調べてみたら読売新聞のHPに載っていました。 http //www.yomiuri.co.jp/04/20020814i501.htm 一時期、この問題はAML(http //www1.jca.apc.org/aml/)などで取り上げられていたものの、最近、あまり話が出てこなかったので、てっきり、立ち消えとなったのと勘違いしていました。 戦時中の数少ない日本人の功績を汚す様なことをするというのは、どうしても理解ができませんね。 仰るとおり、裁判を注視していこうと思います。 何か情報がありましたら、また、提示してください。 K-K - 02/08/15 21 42 34 電子メールアドレス ゆうさんへ コメント K-Kです。 こんにちは、ゆうさん。 反論、ご苦労さまです。私も松尾さんの方で反論を出しておきました。それにしても、彼等も何の説明なしに「私はこう思う」的なものを書いて、それが「反論」になると考えているようですから、何というかお気楽なのか、気宇壮大なのでしょうね(笑)。 ところで、北陸史学については、非常に興味深く読ませて頂きました。もし宜しかったら、「田中義信陣中日記」を資料集の方に掲載したいのですが、宜しいでしょうか?これは、非常に貴重な資料だといえるでしょう。 それにしても、この様な貴重な資料が、いまだ古本屋に流れているのですね。私も頑張って探さなければ(笑)。 ゆう - 02/08/15 18 14 22 電子メールアドレス RE;必要ないでしょ コメント う~む、さすがは「喧嘩慣れ」しているとほほさん。 私も半日考えて、同じ結論に達しました(^^; 。 「補足」という形であれば、まあ、いいんじゃないかと・・・。 とほほ - 02/08/15 17 45 07 電子メールアドレス 必要ないでしょ コメント >機会を見て、構成の変更をお願いした方がいいかもしれませんね。 そんな必要は無いでしょう。 誰がよんだって、ゆうさんの書いていることを誤読する人はいません。なんでもかんでも書いても無いことを印象操作ででたらめを作り上げるわけです。書き換えたら書き換えたで何言われるかわかりませんよ(^^; ゆう - 02/08/15 17 43 55 電子メールアドレス 「反論」の修正です コメント 折角「反論」(というより、解説)を書いたのですが、どうやら「ゆうさんのページ」をめぐる議論はもう終わってしまったようです(笑)。 とはいうものの、こちらの掲示板を見ない人も多いと思いますし、今後のこともありますので、一応、「ゆうさんのページ」Article1の「追記」として、次の文を加えていただけるとありがたいです。 松尾さんの掲示板にも、ひとり「あわてもの」がいらっしゃるようですし(笑)。人の文章を「トリミング」呼ばわりするのなら、せめてしっかりと内容を読んで、自分の頭で判断してほしいものです。 朝の「反論」は、でかける前にあわただしく書きましたので、以下、「反論の改訂版」です。もし直した方がいいと思われる箇所がありましたら、ぜひご指摘下さい。 Article1で、私は、どう読んでも「日本側の射撃」にしか見えない文章を、巧妙なトリミングにより「中国側の射撃」に見せかけた東中野氏の「印象操作」を批判しました。 ところが、一部の掲示板に、その趣旨を理解しない、頓珍漢な反論がありました。 とはいえ、これは半年以上も前、私が「南京事件」にとりかかったばかりの頃に書いた文章です。今読み返すと、私自身、必ずしも満足のいくものではありません。 そこで、趣旨を明確にするため、以下、「補足説明」を行いたいと思います。(しかし、冷静に読んでいただければ、誤解のしようがない文章だったと思うのですが・・・(笑)) 私が問題にした東中野氏の文章は、以下のとおりでした。 <南京とその周辺はまだ完全には制圧されていなかった。> <大寺隆上等兵の陣中日記は上元門まで六里(約十八キロ)を進軍した十七日、「時々小銃弾が頭の上をかすめて行く」という危険な状況を記す。釈放された支那兵が再びゲリラ活動に転じる可能性は否定できなかったのである。 > 上の文章を読んだら、誰でも、「銃撃しているのは中国側」である、と思い込むでしょう。 「危険な状況」「支那兵が再びゲリラ活動に転じる可能性」という言葉で、東中野氏は読者を意図的にその「誤解」へ向けて誘導しています。 以下、これに対応する、「南京戦史資料集」の原文、「十二月十七日」の記述の全文です。 大寺隆日記 十二月十七日 (南京戦史資料集?供。丕械苅后? <五時起床、今朝は鴨汁だ。郡君が来たのでご馳走してやる。 七時四十分整列、上元門まで約六里、途中には敗残兵又は地雷があるから注意せよ、との中隊長の話あり、敗残兵が居り小銃隊の尖兵が射撃す。足の調子は非常に良かったが天気が良すぎて汗が出る、皆水トウの水を不足させクリークの水を呑み始めた。今日は支那には珍しく山又山、峠ばかりを歩いて居た。時々小銃弾が頭の上をかすめて行く、昼食前に殺されて居る将校らしき者が、二百円ばかり持って居り皆で分ける、俺も四十五円ばかり貰った。 午後三時頃、今日朝香宮及松井大将が来られて南京入城式が行はれたそうだが、飛行機が三機編隊で九組も帰へった。峠を上ると南京の城が見える、もう少しだと元気を出す。午后五時両角部隊の屯する揚子江沿岸に着き、糧秣をもらって宿舎に着く。夕方から風が吹き、小雪さへ加はり寒い夜になった。我々之ねぐらは六尺位の棚に六人づつだ。きゅうくつではあったが割合に暖かだった。> この文章から、「銃撃しているのは中国側である」と断定するのは不可能です。前後を読んでも、「敗残兵」が存在すること、そしてそれに向けて日本側が射撃していること、しか読み取れません。どう見ても中国側の銃撃がある、というムードではなく、前後の文脈から見て、銃撃しているのは明らかに日本側である、というのが、私の判断でした。 だいたい、入城式当日の「十二月十七日」段階で、「時々」日本軍に向けて「射撃」を行う、元気な「敗残兵」が存在したら、これは「通説」をくつがえす、ちょっとした「事件」です(笑)。 以上、東中野氏は、ここで、「ウソではないけれども明らかに誤った思い込みを読者に与える」という、古典的テクニックを使っているわけです。 蛇足ですが、「将校らしき者」から金品を略奪するなど、この日記の全体としてのトーンは、のんびりしたものです。この日記の文章から、「釈放された支那兵が再びゲリラ活動に転じる可能性は否定できなかったのである」という文章につなげるのは、飛躍が大きすぎます。 なお、私の「メッセージ」は、「東中野氏の資料引用のいいかげんさ」、あるいは「原典のイメージを全く変えてしまう印象操作ぶり」という、ただの一点です。 今読み返すと、正直な話、Article1とArticle2は「論点」としてはちょっと細かすぎたかな、という気もしていますが(何しろ、これを投稿した時は、まさかこんな風にHP化していただけるとは想像もしていませんでしたから(笑))、私の「南京事件問題」への取り組みの、ひとつの「メモリアル」にはなるでしょう。 これから読み始める方へ。どうか、Article1とArticle2あたりだけを読んで、やめてしまわないよう、お願いします。 後のArticleになるほど、私の「南京事件」に関する知識が増えてきて、少しは面白くなってきている・・・と思うのですが(笑)。 ゆう - 02/08/15 09 00 33 電子メールアドレス とり急ぎ、反論します コメント 「ゆうさんのページ」批判がかまびすしいようですので、一応、反論しておきます。 Article1で、私は、どう読んでも「日本側の射撃」にしか見えない文章を、巧妙なトリミングにより「中国側の射撃」に見せかけた東中野氏の「印象操作」を批判しました。 私が紹介した東中野氏の文章は、以下のとおりです。 <南京とその周辺はまだ完全には制圧されていなかった。> <大寺隆上等兵の陣中日記は上元門まで六里(約十八キロ)を進軍した十七日、「時々小銃弾が頭の上をかすめて行く」という危険な状況を記す。釈放された支那兵が再びゲリラ活動に転じる可能性は否定できなかったのである。 > 上の文章を読んだら、誰でも、「銃撃しているのは中国側」である、と思い込むでしょう。「危険な状況」「支那兵が再びゲリラ活動に転じる可能性」という言葉で、東中野氏は読者を明確にその「誤解」へ向けて誘導しています。 他の掲示板にも紹介されたようですが、以下、原文です。 大寺隆日記 十二月十七日 (南京戦史資料集?供。丕械苅后? <五時起床、今朝は鴨汁だ。郡君が来たのでご馳走してやる。 七時四十分整列、上元門まで約六里、途中には敗残兵又は地雷があるから注意せよ、との中隊長の話あり、敗残兵が居り小銃隊の尖兵が射撃す。足の調子は非常に良かったが天気が良すぎて汗が出る、皆水トウの水を不足させクリークの水を呑み始めた。今日は支那には珍しく山又山、峠ばかりを歩いて居た。時々小銃弾が頭の上をかすめて行く、昼食前に殺されて居る将校らしき者が、二百円ばかり持って居り皆で分ける、俺も四十五円ばかり貰った。 午後三時頃、今日朝香宮及松井大将が来られて南京入城式が行はれたそうだが、飛行機が三機編隊で九組も帰へった。峠を上ると南京の城が見える、もう少しだと元気を出す。午后五時両角部隊の屯する揚子江沿岸に着き、糧秣をもらって宿舎に着く。夕方から風が吹き、小雪さへ加はり寒い夜になった。我々之ねぐらは六尺位の棚に六人づつだ。きゅうくつではあったが割合に暖かだった。> この文章から、「銃撃しているのは中国側である」と断定するのは不可能です。前後を読んでも、「敗残兵」が存在すること、そしてそれに向けて日本側が射撃していること、しか読み取れません。どう見ても中国側の銃撃がある、というムードではなく、前後の文脈から見て、銃撃しているのは明らかに日本側である、というのが、私の判断でした。 しかも、「将校らしき者」から金品を略奪したり、全体としてのトーンはのんびりしたものです。上の文章から、「釈放された支那兵が再びゲリラ活動に転じる可能性は否定できなかったのである」という文章につなげるのは、どう考えても無茶です。 東中野氏は、ここで、「ウソではないけれども明らかに誤った思い込みを読者に与える」という、古典的テクニックを使っているわけです。 しかし「原文」を読んでも、なお私の意図が理解されないとは・・・。「否定したがり屋」さんたちの強弁にも、困ったものです。 とはいうものの、Article1とArticle2あたりは、私も、「南京事件」についてはまだ「初心者」の状況のまま、手探りで書いた「試作」でした。今読み返すと、ちょっとつまらん議論だったかな、と思わないでもありません。まさかこんなところに「突っ込み」が入るとは予想もしていませんでしたし・・・。「少しはモノがわかってきた」頃に書いた、Article3あたりから始めた方が、HPとしての完成度は高かったかもしれません。 実際、きちんと最後まで読んで、私の「東中野氏の資料引用のいいかげんさ」というメッセージを受け止めてくれる方も多いのですが、一部には、私の「試作」である最初の部分だけで読むのをやめてしまっている方もいるようです。 機会を見て、構成の変更をお願いした方がいいかもしれませんね。 JOHN_VOID - 02/08/14 17 50 33 電子メールアドレス 杉原千畝 コメント 杉原夫人がヒレル=レビンの「千畝」を出版した清水書院に対して出版差し止め請求の訴えを起こしたというニュースがでていました。 同書は大正出版の研究書に比べて不正確な記述が多く、問題があると感じていましたので、裁判の過程で誰が 変な情報を混ぜ込んだのか分かるとありがたいです。 あの本を使わなくて良かったと少しほっとしています。 渡辺 - 02/08/14 14 40 28 電子メールアドレス 「田中義信陣中日記」 コメント ゆうさん、 お疲れのところご苦労様。 私は、まだ自分の原稿で四苦八苦していますので、他の人の投稿にコメントするような立場ではないのですが、「田中義信陣中日記」は、第九師団の状況が分かってくるような内容ですね。 時間ができたら、部隊ごとに時系列に資料をならべてみたいと思っています。 『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて』(社会評論社)は、これだけ年月が経ってからのものとしては、よくできています。特に三三連隊の証言を探していたので、いいタイミングでした。ただ、どういう問いに対しての証言だろうかと、その部分が気になりました。 というのは、私も、メールや手紙で1930年代のことを、関係者に尋ねているのですが、質問をするというのは、けっこう難しく、私の場合、一度回答をもらうと次々と疑問が生じてきて、質問が一度で終わることはありません。注意しているのは、誘導尋問にしないことです。資料的価値が減少しまいます。また、どういう質問に対する答えかということでも、その意味が違ってきます。 それから、質問者もよく相手の当時の状況を把握していないと、いい質問はできません。例えば、この件は当時の資料からは、間違いなくこの時期だと思っても、相手は記憶違いをしていることがあります。次の機会に、ある公文書にこういうことが書いてありましたが、それはご存知でしたかと質問しましたら、その確認のために昔の手紙を出してこらて、いままでの証言より正確で詳しい内容を、手紙の引用で教えたいただいたということがあります。その結果、私の推測が正しいことがわかりました。こういうときに、いや、この頃の話じゃないですかとか、こんなことがあったはずですがと誘導したら、証言の意味はなくなってしまうわけです。 ところで、「Rテ二○○○○人銃殺す」は、普通に読めば「連隊で20,000人銃殺した」という意味ですね。「二」が誤記か誤読とすると伏せ字で「○○○○人」ということありえますが、原文を見ないとなんとも言えませんね。 ゆう - 02/08/14 05 57 35 電子メールアドレス 少し元気が出ましたので・・・ コメント 「北陸史学」第49号 高野源治氏論文に掲載された、「田中義信陣中日記」を紹介します。私もこの日記のことは知りませんでしたし、ネットで検索する限りではネット上で紹介されたこともありません。一応、ここで紹介しておく価値はあろうかと思います。 「田中義信陣中日記」(歩七、第三機関銃中隊) 十二月十四日―南京城内の市街戦 一、午前八時整列、城内掃蕩の為出発、敵最後の陣地攻撃す。 一、首都南京も遂に我軍の手に入り、あわれ八十八師軍は西門の彼方で最期を消したのである、 一、今日の戦闘は実に面白かった。 一、支那軍の野戦病院も見学した。 一、午後九時、真暗闇の城内市街を約二里半位帰隊行軍。 一、支那軍の屍は山を築き、血河をなして、兵器は皆捨て、馬はすて、道路上は実に無残なる近影である。 一、五百名の支那軍捕虜兵を第八十八師の営庭にて銃殺及び刺殺。 十二月十五日 一、支那第八十八師軍兵舎の附近で第三大隊は駐警。其の後警備隊形に有る。 一、午后十時起床、支那軍捕虜兵、千七百名余名銃殺す。 一、陸戦隊警備地付近にて、見る間に屍は山となり、揚子江は血河流屍の流失で(二字不明)寒さはぞっト身にしむ? 一、血生ぐさき江流の絵巻は寒風深夜の風に何処の彼方に消え行く。 十二月十六日 一、真暗闇の支軍の銃殺終りて、帰舎時に午前六時。 一、 西門城の屍を乗越え、拂暁に到着。 一、午前中は休養。 筆者はこれを、「伊佐部隊長日記の十二月十六日にある「三日間に亙る掃蕩にて約六五○○を厳重処分す」の裏付け」として利用しています。 この十五日の下蘭に「Rテ二○○○○人銃殺す」という書き込みがあるようで、筆者はこれについて考察を行っていますが、引用が長くなりますので省略します。 あともう一つ、「百人斬り」について、興味深い記述がありました。 <私の在所のS氏が南京中山門を目前にして負傷して帰り、老衰で去年死亡、もう一人のH氏も、たしか輜重兵(金沢市野田)に属して出征し、湯名な百人斬り競争の二少尉のどちらかが、中国人を迎えては斬るのを見ていた話を聞いたが、そんならと聞き取りに行こうとしたら、家の評判が悪くなるとて息子に反対されたからと断られ、行かずにいたら去年亡くなった。雑談の中で彼のその話を聞いた者は私一人ではないのだが、今となっては取返しができない。> 書き忘れましたが、筆者は「戦前の石川県労働運動」の研究家であるそうです。「自由主義史観」グループの「大活躍に刺激されて」南京事件にも関心を持ったようです。なお、論文の日付は、2000年2月13日となっています。 ゆう - 02/08/13 21 40 33 電子メールアドレス 「北陸史学」第49号 高野源治氏論文 コメント 以前話題にした、「北陸史学」の高野氏論文「第九師団、南京大虐殺否定論批判―大戸宏氏『月刊アクタス』所載論稿に関連して―」を入手しました。 以下、内容を紹介します。 これは、大戸宏氏の「石川近代史秘話<第二十三話>大陸の第九師団」なる論考(北國新聞社刊『月刊アクタス』1998年12月号)に対する、反論であるようです。私は大戸氏論文の方は入手できませんでしたが、高野氏論文を読む限りでは、「通俗的否定論」の域を出ないものであるように感じます。 大戸氏論文は、(石川県の)「郷土部隊・・・が、終戦後極東裁判(東京裁判)で糾明された「南京大虐殺」に関係していたかどうかを問い、その無関係を証明しようとした」内容だそうです。それに対して高野氏は、大戸氏論文は「資料が一方的というか、判断が甘いと見る。そのため、大戸氏の使われた資料・証言を再吟味しながら、南京大虐殺を虚構とする説は無理であり、第九師団は無関係というのも無理であろうことを立証したい」と考えて、この論稿を起こした、とのことです。 内容については、見出しをあげれば、凡その内容の見当はつくと思います。 一、軍服を脱いだ兵をゲリラ兵とする無理 二、逮捕した者は全員釈放したという伊佐部隊証言は虚構 三、南京市の人口について 四、南京大虐殺三十万人説について―特に第九師団第七連隊による虐殺のこと― それぞれ面白い考察でしたが、とりあえずは、以前話題にした、「南京戦史資料集の一部省略」についてだけ書くことにします。以下、関連部分の前後を含めた引用です。 <その三、「初年兵の手記」(歩七、第一歩兵砲小隊) この人の日記が『初年兵の手記』としてガリ版印刷し製本されて戦友たちの間で愛読されている。ガリ版切りをした人が羽咋市の人なので、私も一冊頂いたし、体験者本人にも会った。その南京入城前後の部分は前掲『南京戦史資料集』にも収録されている。しかしその十二月十五日のそれと同様に詳細に記録された十六日の部分はたった五行となっている。それは戦友会の人たちが、これでは戦死した戦友たちに傷がつくということで削除させたからである。そこには歩兵第七連隊の歩兵砲小隊が「残敵掃蕩」の名のもとに南京大虐殺に参加したか、それを目撃して描写してあったからと見るのが妥当である。中国人虐殺は歩兵中隊か機関銃中隊が中心の筈で歩兵砲小隊を使うのはどうかという気もするが、私は当人に会ったとき、削除されたと聞いてがっかりして、その矛盾に気付かず、問うのを忘れたというより思い付かなかったのは不覚であったが、もう生存されていれば八十五歳ぐらいの筈で、私の町の同年兵の方はもう老衰化していて聞けないのだから、もう一度聞き取りに行く気も起こらないのだが。> この後に、筆者が古書店で見付けて購入したという、「田中義信陣中日記」(歩七、第三機関銃中隊)の抜粋もあります。帰省ラッシュに巻き込まれて今日は疲れ果てておりますので、また元気が出ましたら紹介します。 K-K - 02/08/09 23 22 09 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント K-Kです。 お忙しいところ、すみません。 早まったことを書きました(笑)。 もちろん、渡辺さんのご希望通りに致します。 原稿の方、頑張ってください。中帰連を楽しみにまってます。 ところで、ようやく『南京戦----閉ざされた記憶を尋ねて』を買うことが出来ました。今日は、これからじっくりと読みたいと思います。 渡辺 - 02/08/09 22 38 46 電子メールアドレス K-Kさん コメント K-Kさん これは勝手にやらせていただきましょう 「公文書」の内容も発表していないので、「中帰連」原稿ができるまで待ってて。 あまり情報源を公開していないのは、昨年からハギワラなる人が、Timperleyを否定的な方向で調べていて、不用意に情報源を知らせたくないという理由があります。その人は、メイン州の元奥さんのところへも行っていますから、私のような貧乏アマチュアでないことは確かです。 この件は、証言がどう歪むかという実例として まとめてみたいと思います。元気があったら、故意に証言を歪めた場合の例として、陸軍法務官・小川関治郎氏の日記と、東京裁判での小川氏の証言の比較も付けてみたいと思います。 K-K - 02/08/08 21 32 32 電子メールアドレス 渡辺さん コメント こんにちは、渡辺さん。 ご苦労さまです。中帰連の連載を楽しみにしています。 ---- 引用 ---- ちなみに、Timperley は、日本に新婚旅行へ行こうとしていたことが公文書で分かりました。で、二つの謎が解けました。(1)Timperley夫妻が南京から上海に来たのは、1937年9月上旬(だいたい5日頃)、(2)福田証言には2重の混同があり、ひとつは、福田氏が多分関与したクレーガーが南京を出る許可の話をTimperleyと混同した、もうひとつは、日高氏が Timperley が結婚のために(南京)を出るのを助けたというのは、実は、日高氏が広田弘毅にハネムーンで日本に入国できるか問い合わせ、OKをもらったという話、これらがごちゃまぜになったわけ。これで、なぜ上海にいた日高氏が証言に出てくるかという疑問が解けました。だいたい、福田証言というのは、又聞きが入っていて危ないわけですが、そんな証言でも、事実が、どう ちりばめられているかを示す、良い教材になりそうです。 ---- 終わり ---- うーん、本当、調べれば解るものなんですね。この話は、なかなか有名な話でしたが、ここまで明確にしたのは渡辺さんが初めてです。 短いですが、これもログとして流すのは勿体ない。何かの形で、「渡辺さんのページ」に反映させていただきます。渡辺さん自身、忙しそうですので、これは勝手にやらせていただきましょう(笑)。反映させたら、また、ご報告することにします。 ---- 引用 ---- そうそう、南京事件は、日本の軍部では何が問題とされたのかな。河邊虎四郎少将回想応答録にある「南京のあたりで変な事が出来た後でありますから其の悪い連中を帰して独立混成旅団が四つか五つか出来て来るからさうしたら...」(『南京戦史資料集?』p.222)とある「其の悪い連中」に16Dが入っていることは間違いないけど、何を「悪い」としているのかな? ---- 終わり ---- この判断は難しいところです。というよりは、安易に「市民殺害を指している」としてしまうと、おそらく否定派の人は反対意見を出すでしょう。この判断の基となる情報が外務省からのものであれば、市民殺害を含めたものであるとも言えるのですが・・・。この点も、即断は避けるべきかもしれません。 ところで、『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて――元兵士102人の証言』松岡環編著が、配本になったようです。版元である社会評論社では、8月7日発行となっています。明日にでも、書店にいって買おうと思っています。 http //www.shahyo.com/topics.html#anchor114354 K-K - 02/08/08 21 21 19 電子メールアドレス eichelberger_1999さんへ コメント こんにちは、eichelberger_1999さん。 ありがとうございます。 メールでいただいた原稿の方を、さっそく、HPに載せたいと思います。 掲載しましたら、この掲示板を含め諸掲示板にてお知らせいたしますので、その時にでもご確認をお願いします。 面白いネタがありましたら、また、投稿をお願いします。 渡辺 - 02/08/07 10 34 05 電子メールアドレス 訂正 コメント 松井岩根→松井石根 渡辺 - 02/08/07 03 09 13 電子メールアドレス いとまごい コメント 『季刊 中帰連』の原稿締切りが迫っていますので、掲示板からは遠ざかっています。しばらく、姿を消します。 上海租界の勉強は難しかった。上海だけで何冊もバインダができてしまいました。これを短くまとめるのはつらい。しかし、昔から日本の政策の意思決定は誰がしていたんだろうか。現在でもはっきりしないことが多いけどね。 松井岩根司令官も、田中正明の「美化工作」で人物像が、だいぶ歪められいるみたい。この方は、なかなかの曲者。しかし、平泉澄、大川周明とか荒木貞夫なんか、大亜細亜協会や「日本精神」とかで、思想的にも人脈的にも通じるものがあるな。 『「南京事件」の探求』のレベルで記事を書いていいというなら楽ですが、良心の許す範囲で妥協しても大変だわ。 ちなみに、Timperley は、日本に新婚旅行へ行こうとしていたことが公文書で分かりました。で、二つの謎が解けました。(1)Timperley夫妻が南京から上海に来たのは、1937年9月上旬(だいたい5日頃)、(2)福田証言には2重の混同があり、ひとつは、福田氏が多分関与したクレーガーが南京を出る許可の話をTimperleyと混同した、もうひとつは、日高氏が Timperley が結婚のために(南京)を出るのを助けたというのは、実は、日高氏が広田弘毅にハネムーンで日本に入国できるか問い合わせ、OKをもらったという話、これらがごちゃまぜになったわけ。これで、なぜ上海にいた日高氏が証言に出てくるかという疑問が解けました。だいたい、福田証言というのは、又聞きが入っていて危ないわけですが、そんな証言でも、事実が、どう ちりばめられているかを示す、良い教材になりそうです。 そうそう、南京事件は、日本の軍部では何が問題とされたのかな。河邊虎四郎少将回想応答録にある「南京のあたりで変な事が出来た後でありますから其の悪い連中を帰して独立混成旅団が四つか五つか出来て来るからさうしたら...」(『南京戦史資料集?供?.222)とある「其の悪い連中」に16Dが入っていることは間違いないけど、何を「悪い」としているのかな? eichelberger_1999 - 02/08/06 16 08 17 電子メールアドレス ありがとうございます。 コメント K-K様 拙文を評価していただいて、ありがとうございます。 >もしよろしかったら、今回の論文も私のページに載せた >いのですが、構わないでしょうか? もちろん、かまいません。ただ、あれから再度見直したら、高級指揮官の顔ぶれを少し訂正しなければならないことに気づきましたので、訂正版を失礼ですが、メールで送らせて頂きました。 掲載していただけるのであれば、訂正版のほうでお願い致します。 K-K - 02/08/01 22 56 02 電子メールアドレス eichelberger_1999さんへ コメント K-Kです。 こんにちは、eichelberger_1999さん。 お返事遅れてすみません。 それにしても、非常に面白い視点の論文です。 確かに、南京戦後の各将校の処遇については、eichelberger_1999さんの様な視点で見れば、非常に明確ですね。松井大将については、なかなか有名なのですが、その他の将校についてはeichelberger_1999さんの指摘があるまでは、あまり知りませんでした。 eichelberger_1999さんもご指摘の通り、南京戦において主たる役割を果たした師団長たちが、その後冷遇された事実を知ると、やはり軍上層部に、南京事件に対する【何らか】の評価があったと考えるのが妥当だと思います。 また、朝香宮の処遇についても、こう考えてみるとなかなか興味深い。とくに、東久爾宮と比べることで、その違いが一目瞭然です。しかも、本来は朝香宮の方が評価が高かったのが、上海派遣軍司令官以降、その立場が逆転していることは非常にこの論証を明確にしています。もしかしたら、この辺の評価を示す資料が残っているのかも知れません。私も資料を読むときは、この点に留意しながら読んでいこうと思います。 非常に簡単な感想を書いてみましたが、これからもう少し読み込んでみようと思います。挙げられた師団長たちの経歴をさらに洗い直してみたいと思いますし、特に朝香宮については興味が出てきました。今回の論文は、前回とは別の意味で啓発を受けました。有り難うございます。 もしよろしかったら、今回の論文も私のページに載せたいのですが、構わないでしょうか? ぜひ、ご検討下さい。 eichelberger_1999 - 02/07/30 20 02 26 電子メールアドレス 中支那方面軍への人事考課 コメント K-Kさん、それから渡辺さん、お返事が遅れましたが、メッセージありがとうございます。2chにも南京事件関連の掲示板があるのですね。 前回のが好評だったので、調子にのってもう一つ、紹介します。 これは、今は無くなってしまったYahoo掲示板のトピック(世界史カテゴリーの「南京事件●陸軍高官が「クロ」と認識」)への投稿に少し手を入れ、訂正したものです。 このデータ分析そのものは「南京大虐殺の証明」に直接つながるものではさらさらありませんが、このような人事がなされたことは、陸軍中央が中支那方面軍の統帥に対してきわめて辛い評価を下していたことを示します。 日中戦争の初期、ほぼ同じ頃に中国で戦闘活動に従事した日本陸軍には、華北の北支那方面軍と華中の中支那方面軍の二つがありました。中支那方面軍が活動していた時期(37.8~38.2)の、それぞれの師団長以上(方面軍参謀長、旅団長などで中将以上の指揮官を含む)の構成は以下のとおりです。 ○北支那方面軍(37.8~38.2)(駐蒙兵団を含む) 方面軍司令官1、軍司令官2、師団長等11(内2は中支那方面軍に転出)、参謀長1:計15人 現役大将1、現役中将12、予備中将2:計15人、現役率は12/15(80%) ○中支那方面軍(37.8~38.2) 方面軍司令官1、軍司令官2、師団長10(内2は北中支那方面軍から転入):計13人 予備大将1、現役中将8、予備中将4:計13人、現役率は8/13(61%) 両方面軍の高級指揮官たちが、その後どの程度出世したのかをみてみましょう。予備役だとほぼ進級の余地がないので、現役の中将、大将の進級を見ます。 北支那方面軍では、現役の大将1人がのちに元帥となり、中将6人が大将に進級しています。7/13ですから進級率は53%。途中で中支那方面軍に転出した2人は、大将に進級していないので、これを控除した、純粋に北支那方面軍傘下指揮官をとれば、7/11すなわち63%にあがります。 (元帥:11寺内寿一、大将:14西尾寿造2A、16板垣征四郎5D、16土肥原賢二14D、17後宮淳26D、18山下奉文支那駐屯兵団、18岡部直三郎参謀長) *人名の頭にあるのは士官候補生の期数、後に書いたのは指揮をとった団隊名(Aは軍、Dは師団)です。 いっぽう、中支那方面軍では、現役中将8人のうちその後大将にまで進級したのは、わずか1人です。1/8、すなわち進級率は12.5%にとどまります。北支那方面軍に比べこの差は有意といわざるをえません。 中支那方面軍で唯一大将に進級したのは、皇族の朝香宮鳩彦王(上海派遣軍司令官)のみ。皇族ですので戦場での功績による進級とはいえません。大将に進級できなかったので、朝香宮以外の7人はすべて中将のまま予備役に編入されまました。100から進級率を引いた87.5%が予備役編入率となります。 次に両軍の予備役編入者をリストにすると、以下のとおりです。△はノモンハン事件による予備役編入と見なしたほうがよい人事です。 ○北支那方面軍 38年中予備役編入1(14香月清司1A) 39年中予備役編入3(15川岸文三郎20D、15徳川好敏航空兵団、△16磯谷廉介10D) (*香月中将の予備役編入は作戦指導をめぐる方面軍との確執に由来する) ○中支那方面軍 38年中予備役編入0 39年中予備役編入3(15谷寿夫6D、15中島今朝吾16D、17吉住良輔9D) 40年中予備役編入1(△17荻洲立兵13D) 41年中予備編入2(14山室宗武11D、16藤田進3D、18稲葉四郎6D) (*第6師団長は1937年12月28日付で谷から稲葉に交代) 高級指揮官クラスの人事考課をみるかぎり、大激戦の上海・南京戦を戦い、敵の首都を陥落させる大功績をあげたはずの中支那方面軍に対しての、陸軍中央の評価はかなり辛かったことがわかります。 これが何に由来するのかは皆さんのご想像にまかせましょう。中支那方面軍で最初に予備に編入されたのが、第6、9、16師団すなわち南京攻略戦の主力師団の指揮官であったことは大いに示唆に富みます。 最後にめでたく大将に進級できた朝香宮ですが、彼はどうやら干されていたのではないかと思われます。彼のその後の経歴を士官学校で同期であった兄弟の東久邇宮と比べるとそのことがよくわかります。同い歳の2人の陸軍内での昇進はそれまでまったく同じように進むのですが、日中戦争以降に微妙に変わってきます。 東久邇宮稔彦王:士官候補生20期、1933・8中将・第2師団長、34.8第4師団長、35.12軍事参議官、37.8兼航空本部長、38.4第2軍司令官、39.1軍事参議官、39.8大将、41.12兼防衛総司令官、45.4軍事参議官、45.8内閣総理大臣 朝香宮鳩彦王:士官候補生20期、1933.8中将・近衛師団長、35.12軍事参議官、37.12上海派遣軍司令官、38.3軍事参議官、39.8大将、45.12予備) 1933年の段階では、朝香宮が近衛師団長で、東久邇宮は第2師団長。この配置から、ここまでの軍人としての部内評価は朝香宮のほうが上だったはずだと考えてまずまちがいないでしょう。 だからこそ、日清戦争以来40年ぶりの皇族の外征軍の軍司令官就任の話も、東久邇宮でなくて、朝香宮のところにいったのだと考えると、よく納得できます。 ところが、朝香宮は凱旋後は軍事参議官という名誉はあるが、実質的には何の権限もない職についたまま、ついにその軍歴を終えます。上海派遣軍司令官を拝命した時点で彼はまだ満50才ですから、老け込む年齢ではありません。 いっぽう、同い年の東久邇宮は入れ替わりで第2軍司令官となり、武漢作戦に従軍します。彼の率いる部隊はもとの上海派遣軍の構成師団(3D、13D、16D)からなりたっていました。 その任務をすませたあと、2人とも仲良く大将に進級し、軍事参議官となりますが、わかれめは太平洋戦争を前にしての防衛総司令官(内地の陸軍の総司令官)に朝香宮ではなくて、東久邇宮がなった点です。 ここで、陸軍内の評価が1933年時点とでは、はっきりと逆転しているのがわかります。この2人に対する評価のちがいは、もちろん中国での軍司令官としての統率での軍司令官としての統率ぶりに対する評価の差に由来するとみても、大きな間違いとはならないでしょう。 渡辺 - 02/07/28 14 52 17 電子メールアドレス ティンパーリ「戦争とは何か」のことでしょう コメント ゆうさん ----- <(1938年)十一月二十七日、晴。侍従武官が視察するので、場所整備のため武昌南二十里の咸寧に 出張した建築隊の技手(軍属)が帰ってきて私に話した。・・・「咸寧県庁に英人の書いた排日の本で漢訳 されている本があった。中の写真が猛烈で、日本の兵隊が輪姦しているのなどがある。七十の老婆まで 強姦されたとある、兵隊が?の首を斬っている写真もあった」>((続)P161。おそらくティンパーリ「戦争と は何か」のことでしょう) ---- いまや、この本の「専門家」となりつつあるので一言...(原稿締切がせまっているので、それどころではないけど...) 中国語訳には32枚の写真が巻頭にあります。 邦訳で「鬼畜の様な日本兵に蹂躪されたる婦女」という複数の写真のことですね。 32枚の中で「南京」とキャプションがあるのは3枚で、うち2枚がラーベの写真と思われます。(1枚は「南京の真実」の写真18)余談ですが、ラーベの写真で「南京の真実」の写真13となっているものは、チャイナ・ウイークリー・レビュー1938年5月19日号に掲載されています。 この中の写真で、海軍兵士が生首をもっている写真、僧侶のような服を着た青年の斬首の連続写真は、ケン・マガジンにも鮮明なものが掲載されています。 日本兵が南京で現像に出したものが流出し、フィッチが1938年1月末に南京から持ち出したものと思われます。 ティンパーレーは出版社の求めで写真を集めていたので、それらの一部になったかも知れません。 フィッチが持ち出したものであれば、イエール神学図書館にあるはずですので、将来は調べてみたいと思います。 一般に写真は歴史の資料には使いにくいので、十分検証されることが少ないようです。また、たしかに誤用もあります。そのため、否定論に利用されやすいのですが、機会を見て、1937-38年のものを中心に調べてみたいと思います。 なお、 http //www.kit.hi-ho.ne.jp/kokumin-shinbun/100916propaganda.html にある「写真?Α廚砲弔い董△海ΔいΣ鮴發砲覆辰討い泙后? 「新河鎮戦の形勢が不利になり、一斉に河に飛び込んだ中国兵の戦死体あるいは水死体が川に沿って流れ河岸に一定方向に積み重なった場面を撮影したことが判明している。」 しかし、村瀬氏の大きな写真をよく見ればわかりますが、ほとんどの遺体の手が後ろに廻っており、一定方向に積み重なってはいません。 (それ以外にも武器は見当たりません。クツがあるのに衣類がないのは、焼かれた証拠です。) はっきり縛られているのがわかるのは、中央やや下、やや右側の おしりがでている遺体です。しっかり両手が結ばれています。したがって、戦闘によるものではないですね。 (凄惨なお話しで失礼しました。) ゆう - 02/07/28 06 28 19 電子メールアドレス 自己レス コメント 佐々木元勝氏の「(捕虜7200名を) 一挙に殺す名案を考究中・・・・船に乗せ片付けようと思うのだが、船がない。暫らく警察署に留置し、餓死さすのだとか・・・・」は、「野戦郵便旗」ではなく、「証言による南京戦史」に記載された、「『野戦郵便旗』を書く際の資料だった従軍日誌」(洞氏「南京大虐殺の証明」P300)の記載であるようですね。 K―Kさんが、ちょっと前に書いていたのを、思い出して、確認しました。 ゆう - 02/07/27 09 06 36 電子メールアドレス 佐々木元勝「野戦郵便旗」 コメント 秦氏の本も大井氏の本も、私は普通の書店で入手しています。東京あたりにお住まいのようですから、たぶん、ちょっと捜せば見つかると思いますよ。 「サヨでないけど」氏が秦氏の文を引用して、議論にケリをつけたようですので、一安心です。 ところで先日、「野戦郵便旗」(現代史出版会。「正」「続」2冊)をネット古書店で入手して、ようやく読み終えました。読んでいる方には、何を今更、ということになろうかと思いますが、結構貴重な記録ですので、以下、内容を紹介します。 筆者は、1937年から1939年8月にかけて、「上海派遣軍野戦郵便局長」として、日中戦争に従軍しました。本書はその従軍日記で、1940年に出版されたものを、検閲伏字部分等を復元するなどして、1973年に再刊したものです。 筆者は「南京大虐殺」に対して、次のような立場をとります。 <南京大虐殺事件につき被虐殺者三十万という報道があったと私は聞いたが、この三十万の実証的根拠はどこにあるのか。私はこの数字に承服できない。>((続)P317) ただし筆者は「数」を否定しているだけで、「南京事件」の存在そのものを否定しているわけではないようです。現に、「南京陥落」の章には、敗残兵二百名の掃蕩」や、「下関の局近くの河岸」での「敗残兵掃蕩の銃声」など、「事件」を思わせる記述がかなり見られます。 戦地の描写がリアルです。死体描写、トイレ事情等が詳しいので、ちょっと食事時には読めません(笑)。私の印象に残ったのは、上海戦当時に「日の丸部落」(対日協力部落)を訪れた時の次の記述です。 <入口の土間に籠があって、一、二歳の児がはいっている。口の右端が裂かれ腐って金蝿がたかっている。はじめ私は頬瘻なのかと思ったがlこれは刀傷であった。母親に抱かれているのを後から親ごと斬られたのである。・・・軍医が腕にも包帯してやっている。キャラメルをやると無心に喰べる。その傷にたかる金蝿、戦争がいかに悲惨なものであるか、私は電撃された。>((正)P75) 凄い描写力です。キャラメルを無心に食べる、大怪我をした赤ん坊。どうやら、「母親殺害」のあおりを食らったようです。「親ごと斬られた」ことについての「感想」が何もないところを見ると、当時の日本軍にとって、これは日常の風景だったのでしょうか。 「南京事件」について、筆者が噂で聞いていたのではないか、と思わせる記述も散見します。 <狭い舗道で時々姑娘にも会うが、行き違う時ひどく不安気に避けるのがいる。>((続)P68、1938年8月、南京にての記述) <(1938年)十一月二十七日、晴。侍従武官が視察するので、場所整備のため武昌南二十里の咸寧に出張した建築隊の技手(軍属)が帰ってきて私に話した。・・・「咸寧県庁に英人の書いた排日の本で漢訳されている本があった。中の写真が猛烈で、日本の兵隊が輪姦しているのなどがある。七十の老婆まで強姦されたとある、兵隊が你の首を斬っている写真もあった」>((続)P161。おそらくティンパーリ「戦争とは何か」のことでしょう) さて、ネットで「野戦郵便旗」を検索していたら、結構「ニセ写真」問題との絡みで取り上げられるのを発見しました。 例えば、「國民新聞」の「「レイプ オブ ナンキン」の改竄写真」です。 http //www.kit.hi-ho.ne.jp/kokumin-shinbun/100916propaganda.html (写真10) <逓信省から派遣され野戦郵便長として南京戦に従軍した佐々木元勝氏は回想録『野戦郵便旗』(1973年)でも、 「37年11月22日、司令部で郵便物の検閲に当っていた憲兵から当時、残虐写真やエロ写真が出回っていてカツラをかぶってのやらせシーンは内地からの逆輸入説もあり版元は不明との話を聞いている」 「支那女が泣きながら立って下半身裸になっているのもある。支那軍か日本軍のどちらが撮ったかわからない」 と日記に書き留めているという。> どうも、原文とはニュアンスが違いそうです。その前後を含め、原文のパラグラフ全体を引用します。 <エロ写真の出所は一ヶ所と推定される。写真はいつも同じ褐色のハトロン紙に包んである。一つつみに十二枚で山、川、流、蘭などハトロン紙の端に墨書して区別してある。東洋、というのもある。これは日本ものである。支那人、半島人、ロジヤ人、黒人、ヨーロッパ人、様々な人種が出てくる。二人、三人、一人、四人、いろいろである。この秘密出版の巣窟はどこか。内地から逆輸入されているといううわさもある。日本のは支那人が鬘をかぶって撮影したものだともいう。奇々怪々、まさに心散魂飛の息づまる情炎の万華鏡である。上海と女、戦争とエロ写真、それはなんと必然一体の結合ではないか。エロ写真は疫病のごとく素晴らしい勢で蔓延していった。エロ写真を見ると今までそこここで熱心に撮った写真なんか興醒めしてしまう。エロ写真のほかに戦闘の残虐写真がある。無惨な死体のさまざまな写真である。支那女が泣きながら立って下半身裸になっているのもある。これらの写真は日本軍か支那軍かだれが撮影したものかわからない。>((正)P177~P178) 前半の文章の「やらせシーン」とは、「支那人」がかつらをかぶって日本人のふりをしたやらせエロ写真、という意味です。「ニセ写真」とは関係ありません。(最後に「・・・という」とありますから、原文を読まずに、誰かの話を鵜呑みにしたんでしょうね) 後半も、そんな写真があるよ、と言っているだけで、筆者は何も断定していません。 この本は、版により微妙な相違があるようで、例えばこのサイト(第16師団関係)で紹介されている秦氏の引用文、「(捕虜7200名を) 一挙に殺す名案を考究中・・・・船に乗せ片付けようと思うのだが、船がない。暫らく警察署に留置し、餓死さすのだとか・・・・」 は、私の持っている「現代史出版会」版には見当たりません。 結構重要な記述だと思いますので、他の版を持っている方、できれば確認していただけませんか? ・・・申し遅れましたが、アクセス数40000突破、おめでとうございます。 K-K - 02/07/26 23 04 18 電子メールアドレス こんにちは、ゆうさん。 コメント ところで、「二十三連隊兵士の日記」の件ですが、秦郁彦 「昭和史の謎を追う」(上)(文春文庫)に、かなり詳し く経緯が紹介されています(ご存知でしたら「余計なお世 話」なのですが・・・)。ちなみに、相手方の元ネタは、 大井満氏「仕組まれた南京大虐殺」であるようです。 その様ですね。私は、いずれも持ってなく、近くの図書館にもないので未だに参照できてません。しかし、松尾さんのページには「世界日報」の記事があるので、有る程度、内容を知ることが出来ました。 それにしても、「世界日報」という新聞は、朝日新聞がよっぽど憎らしいようですね(笑)。書いている内容がネット並なので、読んでいて不思議な気がします。 http //members.tripod.co.jp/jhistory/nanking/asahi.html <吉川はすべての責任を朝日にかぶせているが、連隊会の方 も途中から日記は本物だと知りながらつっ走ったのだから、 相打ちであろう。どうやら真相は、連隊会からただされた宇 和田未亡人が、面倒を恐れて日記は焼き捨てたと述べたこと 、その前に連体史のため宇和田日記を借り出して読んだ人が 、読んだと言いそびれてしまったことにあったようだ。 >(P196) これは知りませんでした。非常に助かります。 でも、この記述で決定的です。名前がちゃんと判明したうえに、その日記をすでに読んでいた人間が存在したのですから、日記自体の存在性は明白ですね。 ところで、この日記は結局、どうなったのでしょうか?「宇和田未亡人が、面倒を恐れて日記は焼き捨てたと述べたこと」と書いているところからすると、実際は焼き捨ててはいないのでしょうか?ここまで明らかになったのでしたら、ぜひ、この日記の全文を明らかにして欲しいものですね。 「サヨでないけど」氏には、かなり早い時期に「ゆうさんのペ ージ」をご紹介いただいた恩があります。勉強熱心な方である ようですので、ぜひ早いうちに、こちらにも顔を出していただ きたいものです。 そうですね。勉強だけではなく、気骨のある方のように見受けられます。ぜひ、こちらに来て戴きたいですね。しかし、向こうでも相当レスを付けなければならないようですから、しばらくは難しいかもしれませんね。 いずれにせよ、「さよじゃないけど」さんと知り合えたことは、素晴らしいことだと思います。この点は2ちゃんねるに感謝しなければなりませんね(笑)。 <なお虐殺風景を書きとどめた宇和田日記の信頼性だが都城連隊には、たしかに虐殺はあった、と主張する元兵士(秋吉正行伍長)もいるし、確実と考えてよいと思う。>(P196) 「秋吉証言」というのを、ぜひ一度読んでみたいものです。 これは、調べてみる価値がありそうですね。さっそく、明日にでも調査してみます。貴重な情報を有り難うございます。 ゆう - 02/07/25 23 47 54 コメント ・・・と思ったら、「2ちゃんねる」に、早速大井氏の本と秦氏の本が紹介されていましたね。 ちなみに、私の方が、18分早い(笑)。 秦氏の締めの言葉を忘れていました。 <なお虐殺風景を書きとどめた宇和田日記の信頼性だが都城連隊には、たしかに虐殺はあった、と主張する元兵士(秋吉正行伍長)もいるし、確実と考えてよいと思う。>(P196) 「秋吉証言」というのを、ぜひ一度読んでみたいものです。 ゆう - 02/07/25 23 20 55 電子メールアドレス 「熊本兵団戦史」その他 コメント 飲み会の後の、支離滅裂な「独り言レス」のことは、どうか忘れて下さい(^^; 「南京事件をどうみるか」、確認しました。そうですか、同じ「幕府山」でも、魯甦証言と、山田支隊の事件は、別物でありましたか。見事に勘違いをしていました(^^; 下関から渡河しそこなった「避難民」が揚子江沿岸地区に多数存在したことは、容易に推察されます。私はそれを裏付ける日本側資料を捜しているのですが、怪しげな「両角手記」以外、なかなか見つかりません。 かろうじて、最近入手した「熊本兵団戦史 支那事変編」(熊本日日新聞社)に、次のような記載がありました。 <・・・南京攻略戦では南京城西側・長江河岸間は敵の退路に当たり、敗兵と難民がごっちゃになって第六師団の眼前を壊走した。師団の歩砲兵は任務上当然追撃の銃砲弾を浴びせ、このため一帯の沼沢は死屍で埋められたという。>(P128~P129) この記述に対応する「証言」は掲載されていませんが、かなり綿密な取材の上で出来上がった本のようであり、おそらくはしっかりとした「裏付け」があることが推察されます。「南京大虐殺」を否定する立場からの記述ですので、信頼性はあると思います。 ところで、「二十三連隊兵士の日記」の件ですが、秦郁彦「昭和史の謎を追う」(上)(文春文庫)に、かなり詳しく経緯が紹介されています(ご存知でしたら「余計なお世話」なのですが・・・)。ちなみに、相手方の元ネタは、大井満氏「仕組まれた南京大虐殺」であるようです。 秦氏の見方は、次の通りです。申し訳ありませんが、時間がなくて議論をあまりじっくりとウオッチできていませんので、的外れな引用になるかもしれませんが、ご容赦下さい。(なんせ、帰宅してから、食事をしながらパソコンに向かっている・・・。「ふろしき残業」はどうしよう(^^; ) <吉川はすべての責任を朝日にかぶせているが、連隊会の方も途中から日記は本物だと知りながらつっ走ったのだから、相打ちであろう。どうやら真相は、連隊会からただされた宇和田未亡人が、面倒を恐れて日記は焼き捨てたと述べたこと、その前に連体史のため宇和田日記を借り出して読んだ人が、読んだと言いそびれてしまったことにあったようだ。>(P196) 「日記」の該当箇所の写真も、しっかりと掲載されています。 「サヨでないけど」氏には、かなり早い時期に「ゆうさんのページ」をご紹介いただいた恩があります。勉強熱心な方であるようですので、ぜひ早いうちに、こちらにも顔を出していただきたいものです。 渡辺 - 02/07/25 03 09 08 電子メールアドレス 幕府山下の五万七四一八人 コメント ゆうさんへ、 谷壽夫判決で、「軍人・民間人五万七四一八人」が下関草鞋峡で射殺された(『南京事件資料集 2中国関係資料編』p.298)と記述されている件ですが、Yahoo!の掲示板などで、これを山田支隊の事件のことが過大に記述されているかのような投稿があるようです。 しかし、東京裁判に提出された「南京地方院検察処敵人罪行調査報告」によりますと、このようになっています。 ---- 陥落後、男女老幼五、六万を幕府山附近数ケ村に監禁し、其飲食を断ち、十六日、針金を以て二人宛縛し、四隊に別ちて草鞋峡に連行し悉く機銃掃射を加え、其上銃剣にて滅多刺に突刺し、更に石油を浴せて放火して之を焚き、残余の屍体は之を揚子江に投入せり。 [『日中戦争史資料 8』p.143] ---- 「幕府山附近数ケ村」は、どうやら誤訳で「幕府山下の四、五所村」が正しいようです。 この元になった文書は、「魯甦陳述日軍在草鞋峡集体屠殺的結文」(『侵華日軍南京大屠殺档案』p.55-56)で、「五万七四一八人」とあり、記述も一致ます。 これによると、「圏禁于幕府山下之四、五所村」となっています。 四所村、五所村は、幕府山下ではありますが「附近」ではなく、むしろ南京城に近い場所にあります。従いまして、「四、五所村」に拘束された「軍人・民間人」は、山田支隊の事件のことではないという結論になります。 この件は、まだ他に証拠や証言がないようですが、多数の市民が拘束された場所の可能性の一つとして考慮する必要があると思います。 詳しくは、藤原彰編『南京事件をどう見るか』(青木書店)p.64-70 に書かれています。 渡辺 - 02/07/24 02 37 39 電子メールアドレス 発掘調査 コメント とほほさん、 こんなところじゃ、だめでしょうか? http //www.mmjp.or.jp/nankin1937/ikotsu.html とほほ - 02/07/23 23 31 03 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064414/http //t-t-japan.com/bbs/article/t/tohoho/2/nhzqrf/mtbqrf.html#mtbqrf コメント すみません、私のところの掲示板で南京事件の遺体の発掘調査について質問が来ているんですがこうした方面の調査研究の現状について何かご存知の方おられませんでしょうか? 渡辺 - 02/07/23 13 01 03 電子メールアドレス 俘虜処罰法 コメント K-Kさん、 ご苦労様。 「問答有用」にこちらのURLの案内と、『参考資料:「俘虜処罰法」の国際法上の根拠について』を投稿いたしました。すでに、「解決」している問題ですが、必要でしたら適宜引用転載してください。 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=14758 range=1 K-K - 02/07/23 00 43 24 電子メールアドレス 資料追加のお知らせ コメント K-K@南京事件資料集です。 HPの資料追加のお知らせをいたします。 この度、「俘虜処罰法」を追加しました。捕虜に対する処罰方法を定めた法律です。WEB上では、公開されたものが無いようですので、ご参考にしてください。 K-K - 02/07/21 20 18 23 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント K-Kです。 こんにちは、渡辺さん。 「俘虜処罰法」の件、有り難うございます。今日、件の本から写し取ってきました。ついでに、俘虜取扱規則もあったのでそれも写し取りました。 HPに反映させ次第、この場(もしくは幾つかの掲示板)でお知らせ致しますので、しばしお待ちください。 渡辺 - 02/07/20 20 21 16 電子メールアドレス 俘虜処罰法 コメント K-Kさんへ、 「俘虜処罰法」は茶園義男『十五年戦争極秘資料集?? 俘虜ニ関スル諸法規類聚』(不二出版)p.54以下に掲載されていました。ただし、明治38年のものは載っていません。 また、敗戦直後の文書の焼却が陸軍大臣の「指令」によることを示す資料が掲載されています。 K-K - 02/07/17 23 54 07 電子メールアドレス eichelberger_1999さんへ コメント こんにちは、eichelberger_1999さん。 「2ちゃんねる」の方にも、eichelberger_1999さんの投稿を紹介したところ、大変好評でした。この解釈の意味の大きさが、改めて確認できました。 また、何か発見等がありましたら、ご投稿をお願いします。 K-K - 02/07/17 23 50 02 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント 家族構成と男女比に着目した、人口統計による死亡者数の規模の推定に ついて、以前、投稿したことがありますが、この議論は、よく検討した 上で、『季刊 中帰連』23号(冬)の記事に含める予定です。 おぉ、楽しみですね。 以前反論をしてみましたが、基本的には着目点が素晴らしいと思っています。 ただし、被害の大きい周辺農村部からの人口流入が、旧郷区にかなりあったよ うです。 その様に考えるのが妥当ですね。 私もそう思っています。 スキャナーを買う資金ができましたら、戦後の地図をお送りいたします。 すみません。 これは、非常に助かります。 貴重なものですから、必ずHPに載せましょう。 また、該当部分の『南京』の記述も、機会を見て こちらに投稿いたしたいと 思います。(統計は、東中野『~の徹底検証』にも掲載されています。) これも、非常に助かります。 おそらくあまり世に出ていないものですから、これも非常に貴重なものと言えるでしょう。 ぜひ、お願いします。 渡辺 - 02/07/17 22 35 44 電子メールアドレス 山田支隊他 コメント eichelberger_1999様、 大変、興味深い考察をありがとうございました。 地図がつきましたので、誰にでも、すぐ その意味が分ると思います。 K-K様、 家族構成と男女比に着目した、人口統計による死亡者数の規模の推定について、以前、投稿したことがありますが、この議論は、よく検討した上で、『季刊 中帰連』23号(冬)の記事に含める予定です。 南京日本商工会議所編『南京』に、南京戦前後の統計の信頼性について記述があり、また、連続性があるとの前提で使えそうなことがわかりました。 気になっていた「南京市」の範囲ですが、大きな変更点は 浦口を「南京市」に含めないことで、その他、行政区域の範囲や名称に変更がありました。全体としては、統計の連続性を損なうものではないようです。 ただし、被害の大きい周辺農村部からの人口流入が、旧郷区にかなりあったようです。 スキャナーを買う資金ができましたら、戦後の地図をお送りいたします。 また、該当部分の『南京』の記述も、機会を見て こちらに投稿いたしたいと思います。(統計は、東中野『~の徹底検証』にも掲載されています。) eichelberger_1999 - 02/07/17 18 40 41 電子メールアドレス お礼 コメント K-K様 私の拙い考察を掲載してくださって、ほんとうにありがとうございます。 やはり、地図があるとわかりやすいですね。 とりいそぎ、お礼まで。 K-K - 02/07/17 00 03 36 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064414/http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/butaibetu/yamada/eichel.html 電子メールアドレス 更新のお知らせ 待望のeichelberger_1999氏投稿を掲載 コメント K-K@南京事件資料集です。 この度、私のHP『南京事件資料集』において、eichelberger_1999氏の山田支隊の命令系統について考察(投稿)を掲載しました。 山田日記の軍上層部からの命令と、飯沼日記にある榊原少佐の行動は、従来、整合性が欠くと言われていました。この2つの記述について、eichelberger_1999氏は非常に合理的な説明をしています。 私もいろいろと書籍や掲示板等を見ていますが、おそらく、eichelberger_1999氏の見解はどの解釈よりも合理的だと思われます。 よかったら、ご一読ください。 「問題別資料----山田日記の解釈(eichelberger_1999氏の投稿より)」 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/butaibetu/yamada/eichel.html WP『南京事件資料集』 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/ K-K - 02/07/15 00 34 27 電子メールアドレス KOILさんへ コメント ども、紹介したソフトが お役に立ててなによりです(^○^)/ 本当に助かりました。 なにせ向こうでは泥仕合となっているので(笑)。 証言の掘り起こしという地道な作業の成果として、 一冊の本が出版されるというのは、 端から見ていても気持ちがいいです。 そうですよね。 私も、このような素晴らしい成果を目の当たりにして、非常に気持ちいいです。 何よりも、研究の素材を提供するということは基本中の基本ですから、その業績の大きさははかりしれないものがあると思います。 しかし、4200円という価格は貧乏学生にとってはかなりイタイっす(T△T) (笑) ホント、そうですよね。 4200円・・・・。 102人だから、一人の証言につき42円かぁ。 なーんて、苦し紛れの計算をしても、しょうがないんですが(笑)。 イタイですよね。 K-K - 02/07/15 00 22 07 電子メールアドレス ゆうさん、とほほさんへ コメント K-Kです。 ゆうさん、とほほさん、新聞記事を紹介してくださって有り難うございます。 第16師団といえば、南京事件中、一番、その行為の犯罪性を問われている師団ですが、よくこのような大量の証言が得られたと思います。いろいろな苦労があったと思います。この業績には、心から敬意を表したいですね。 紹介されていた証言のなかで、いくつかのものは、もしかしたら裏が取れるものがあるかも知れません。たとえば、 ●故郷に帰してやると騙(だま)したら、中国兵は喜んで船に乗った。 揚子江で船に乗せ、何百人と乗ったところで重機関銃で撃ち殺した。 (第33連隊第1機関銃中隊) この証言は、次の資料と多少類似する行為だと思います。 ---- 引用 ---- 井手純二氏 投稿文「私が目撃した南京の惨劇」 増刊『歴史と人物』1984年12月号 飛行第8大隊付き陸軍航空兵 軍曹 その後もう一度同じような処刑風景を見たが、別の日に江岸で数人の兵が指さしながら見物しているので、”何ですか”と聞いてみると、十数人の捕虜を乗せた舟を揚子江の中流まで漕ぎ出して捕虜を突き落し、舟の上から機銃で射ち殺しているところだった。 洞富雄『南京大虐殺の 証明』朝日新聞社 P145 ---- 終わり ---- また、同様の殺害方法に言及している資料もあります。 ---- 引用 ---- 野戦郵便局長(佐々木元勝陣中日記) 証言による南京戦史(9) 夕靄に烟る頃、中山門を入る前、また武装解除された支那兵の大群に遇ふ。乞食の大行列である。誰一人可憐なのは居ない。七千二百名とかで、一挙に殺す名案を考究中だと、引率の将校がトラックの端に立乗りした時に話した。船に乗せ片付けようと思ふのだが、船がない。暫らく警察署に留置し、餓死さすのだとか・・・・ 洞富雄『南京大虐殺の証明』朝日新聞社 P300 ---- 終わり ---- 船が無いのでこの場合は別の方法を取ったという記述になっていますが、方法として「船に乗せて云々」と言及しています。この証言集の内容を精査すれば、同じような事例が出てくるかもしれません。 出版されましたら、さっそく買ってみようと思います。もし、みなさんもご覧になりましたら、この掲示板に感想をお書きください。私も、重要な内容を少しずつ、この掲示板もしくはHP上に載せていこうと思います。 とほほ - 02/07/14 16 12 59 コメント 毎日新聞に同様の記事が出てます、WEBで読めます。 a href="http //www.mainichi.co.jp/news/selection/archive/200207/13/20020714k0000m040087001c.html" target="_blunk" 南京大虐殺:旧日本軍の元兵士102人を調査 近く出版 /a 渡辺 - 02/07/14 00 33 48 電子メールアドレス 33i コメント ゆうさん:> 本日の朝日新聞(夕刊)より(全文) ...南京「虐殺」 102人の証言集 教員ら、来月出版 おお、ありがとう。 実は、北村稔『「南京事件」の探求』を4回で完結した後、発表の場はまだ決まっていませんが、石川達三『生きている兵隊』の内容を検証する記事を書く予定です。 この「小説」は、33連隊の、恐らく戦闘詳報を書いた人から取材しているので、33連隊の記事も収集し始めたところです。 『生きている兵隊』は、クライマックスであるべき南京への入城の場面がなく、突然、南京城内の状況になってしまうのです。 石川達三は、うまく文章ではアレンジできないくらいのことを、13日以降に33連隊がしたことを知っていたのではないかと疑っています。 『讀賣新聞』昭和21年5月9日3版2面に掲載された、石川達三の回想が Yhaoo!にされたことがあります。 http //messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN action=m board=1835559 tid=fn5fe5tbba6a4oa4ga4ca4abeea42a4h3nbfaea47a4fa4a4a4k sid=1835559 mid=1847 この記事の内容は、自分で見たことと、取材で聞いたことが混同されているようです。 102人の証言集は、『生きている兵隊』の内容を検討する上でも役立ちそうです。 ash_28 さんの投稿の一部(2000年10月24日 午後11時25分) ----- 入城式に おくれて正月私が南京へ着いたとき街上は屍累々大@なものだつた、大きな建物へ一般の中国人數千をおしこめて床へ手榴弾をおき油を流して火をつけ焦熱地獄の中 で悶死させたまた武装解除した捕虜を練兵場へあつめて機銃の一斉射撃で葬つた、しまひには弾丸を使うのはもつたいないとあつて、揚子江へ長い桟橋を作り、河中へ行くほど低くなるやうにしておいて、この上へ中国人を行列させ、先頭から順々に日本刀で首を切つて河中へつきおとしたり逃げ口をふさがれた黒山のやうな捕虜が戸板や机へつかまつて川を流れて行くのを下流で待ちかまへた駆逐艦が機銃のいつせい掃射で片ツぱしから殺害した戰争中の興奮から兵隊が無軌道の行動に逸脱するのはありがちのことではあるが、南京の場合はいくら何でも無茶だと思つた、三重縣からきた片山某といふ從軍僧は讀経なんかしツちのけで殺人をしてあるいた、左手に珠數をかけ右手にシヤベルを持つて民衆にとびこみ、にげまどふ武器なき支那兵をたゝき殺して歩いた、その數は廿名を下らない、彼の良心はそのことで少しも痛まず部隊長や師団長のところで自慢話してゐた、支那へさへ行けば簡單に人も殺せるし女も勝手にできるといふ考へが日本人全体の中に永年培はれてきたのではあるまいか 『讀賣新聞』昭和21年5月9日3版2面 ------ なお、結論を言いますと、石川達三は、かなりいろいろなことを知っており、『生きている兵隊』は小説というよりノンフィクションで、他の資料と併用すれば、十分に史料的価値があると思います。 例えば、捕虜は殺す方針であったこと、日本兵が市中に火を付けていたこと、慰安婦は軍属が「命令」で手配していたこと、中島師団長が骨董品を戦地で収集していたことなどが書かれています。 KOIL - 02/07/14 00 16 24 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064414/http //alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/index2.html 電子メールアドレス K-Kさんへ コメント ども、紹介したソフトが お役に立ててなによりです(^○^)/ ところで、朝日新聞夕刊で紹介されていた本はこれですね↓ http //www.shahyo.com/korekara.html#anchor707332 証言の掘り起こしという地道な作業の成果として、 一冊の本が出版されるというのは、 端から見ていても気持ちがいいです。 しかし、4200円という価格は貧乏学生にとってはかなりイタイっす(T△T) ゆう - 02/07/13 18 37 29 電子メールアドレス 見出し訂正 コメント ハエ殺すようにように → ハエ殺すように 大変興味深い記事ですので、「朝日」を購読されていない方のために、全文書き写しました。(「アサヒコム」にはないようです) 「筆写」ですので、他にもタイプミスがあるかもしれません。 ゆう - 02/07/13 18 32 06 電子メールアドレス 本日の朝日新聞(夕刊)より(全文) コメント (見出し) ハエ殺すようにように/30万人も死なぬ 南京「虐殺」 102人の証言集 教員ら、来月出版 (リード) 日中戦争時、南京攻略戦に従軍した日本軍兵士の証言集が8月に出版される。登場するのは102人の元兵士。60年余前の記憶を呼び起こし、初めて「虐殺」を語った、という人がほとんどだ。一方、手柄話のように話を続ける人や、口を閉ざそうとしたり、虐殺の事実を否定したりする人もいる。これだけ多くの兵士の声が集められたことはこれまでなかった。 (本文) 証言の聞き取りをしたのは、大阪府内の小学校教師の松岡環さん(54)ら3、4人の市民たちだ。37年12月からの南京戦に参戦した9個師団のうち、京都に本拠を置いた16師団の歩兵33連隊と38連隊を中心に約240人をリストアップ。97年から5年がかりで、元兵士を訪ね歩いては、ビデオや証言テープを回してきた。 最初から南京虐殺について尋ねたわけではない。「戦争の本当の姿を伝えたい」と戦争体験を聞くことから始めた。それでも、話が南京戦にかかわると「うかつなことは言えない」と突然口が重くなったり証言を拒んだりするお年寄りも。追い返されたこともある。 「中国人が夢に出てきよる。70歳になってからじゃ」と胸の内を語りながら、強姦体験を話した兵士もいた。 証言集には、召集時のことと、南京戦前後にしぼって収録。関西弁の語り口はそのまま残した。所属部隊は入れたが氏名は匿名にしてある。 全員がすでに80歳を超えており、インタビューから間もなく亡くなった人も10人近くいる。 聞き取りをまとめた松岡さんは「記憶を呼び起こす中で、中国の被害者に人間らしい心を寄せて下さった方もいた」と話している。 証言集は単行本で350ページほどになる予定で、『南京戦・閉ざされた記憶を尋ねて―元兵士102人の証言』と題して社会評論社から8月初めころに出版される。 (欄外囲み) ●南京陥落の次の日でしたけれど、南京城内の倉庫がいっぱいある所でした。兵隊が中国兵をいっぱい連れてきてね、倉庫に詰め込んでいるんです。中国人を殺すのに「もう弾が足りない」言うてね、燃える物持ってきて積み上げて火をつけたんです。(第33連隊第1機関銃中隊) ●南京大虐殺。あれはみなうそです。30万の人間が死ぬはずがない。機関銃で撃つのやったらね、まあえろう撃って10人、20人ぐらい。(第38連隊第3機関銃中隊) ●南京で5人の首を切りました。ハエを殺すのと同じ感覚ですよ。首の前の皮を残して切るのがコツですわ。あぐらをかかせ腕を組ませてるから首を切ったとき前かがみに倒れるんですわ。(第38連隊第1機関銃中隊) ●故郷に帰してやると騙(だま)したら、中国兵は喜んで船に乗った。揚子江で船に乗せ、何百人と乗ったところで重機関銃で撃ち殺した。(第33連隊第1機関銃中隊) ●下関(現地の地名)辺りに徴発(略奪のこと)に出たときじゃ。家の長持ちのふたを開けると中に若い嫁さんが隠れとっちゃんじゃ。纏足(てんそく)で速く逃げられんで、その場で服を脱がして強姦したんじゃ。やった後、「やめたれ」言うたんやけどな(仲間が)銃で胸を撃って殺した。(第33連隊第3連隊) ゆう - 02/07/13 07 28 13 電子メールアドレス 岡田さんへ コメント 早速こちらの掲示板にお出でいただき、ありがとうございます。 私はあの「ヤフー」投稿の直後に、渡辺さんの投稿(問答有用掲示板)を紹介する投稿をしています。実は、岡田さんを渡辺さんと出会わせてみたくなったのです。「問答有用」掲示板ではすれ違ってしまったようですので、これでやっと念願が叶いました(笑)。 「無断引用」は、確かに法的・モラル的には問題ないのでしょうが、やはりあまり気分が良くないのではないかと懸念しましたので・・・。どこぞの掲示板には、自分の投稿を大量に引用されて、「弁護士に相談する」と息巻いている方もいらっしゃるようですし(笑)。まあ、こちらにご招待申し上げるための「テク」だった、とご理解ください(笑)。 あの投稿の後、「否定派」の勘違い投稿が続きましたが、あっさり撃退されて終わりました。そこまでは良かったのですが、誰もレスしなくなったのでトピ自体が沈んでしまい・・・。私は、トピが消える直前にあわてて全ログをコピペさせていただいています。 これから「北村信者」を見かけたら、「渡辺さんのページ」と岡田さんの投稿にリンクを貼れば・・・。完璧ですね(笑)。 これからも、よろしくお願いします。 岡田 - 02/07/13 01 37 43 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064414/http //www2c.biglobe.ne.jp/~y-okada/nannkin/matuo_1ro.html 電子メールアドレス 訂正 Re 歴史研究における無断引用 コメント 岡田の先日の書き込みも、読み返してみるとちょっと不適切な部分があるようなので 訂正をします。 >公開されている掲示板で歴史について議論を行っている場合、その内容を >無断で他の歴史研究の場に引用することは、(出所明示や同一性保持などの条件を >満たしていれば)法律上もモラル上も問題はありません。 上記の主張は(基本的には間違っていませんが)やや不正確だったようです。 歴史研究の為の無断引用自体は問題ありませんが、出所明示、同一性保持以外に、 引用の内容を利用している事も必要なようです。 # 「研究の目的上正当な範囲内」が成立するためには、引用内容の利用 #(批評/評価/批判/自説の根拠にする)などが必要なようです。 # したがって、先日の岡田の書き込みはやや不正確だったようです。 # 失礼しました。 尚、「岡田の書き込みを(出所明示や同一性保持などの条件を満たした上で) 無断引用することは、法律上もモラル上も何の問題も無い」と書いた部分には 変更はありません。 # 希望を言わせてもらえれば、引用した後にでも「何所そこに、○○という書き込みを #引用しました」と連絡して貰えれば嬉しいですが、連絡は別に義務でも何でもありません。 岡田 - 02/07/12 02 59 25 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064414/http //www2c.biglobe.ne.jp/~y-okada/nannkin/matuo_1ro.html 電子メールアドレス 歴史研究における無断引用 コメント ゆう> >あの投稿はもうネットから消えてしまいましたが、ぜひ保存しておくべきだったと思います。 >私はトピの全文を保存しておりますが、「無断引用」するわけにもいきませんので・・・。 ゆう様 ちょっと勘違いがあるようなので、一言述べさせて貰います。 ゆう様は「無断引用するわけにいかない」と考えておられるようですが 公開されている掲示板で歴史について議論を行っている場合、その内容を 無断で他の歴史研究の場に引用することは、(出所明示や同一性保持などの条件を 満たしていれば)法律上もモラル上も問題はありません。 # 著作権法第三十二条には以下のような記述があります # 公表された著作物は、引用して利用することができる。この場合において、 #その引用は、公正な慣行に合致するものであり、かつ、報道、批評、研究 #その他の引用の目的上正当な範囲内で行なわれるものでなければならない。 # 公開されている掲示板に書き込まれた文章は「公表された著作物」に #該当します。 # 公開されている掲示板で歴史について議論されている内容を、他の #歴史研究の場で紹介する行為は「研究の目的上正当な範囲内」になります。 また、歴史に限らず研究者の間では、他人の主張を断り無く引用するのは当たり前です。 # そもそも、無断引用が出来なければ、学術論文はほとんど書けなくなる。 # もしも、引用には許諾が必要ということになれば、批評や批判もほとんど出来なくなる。 # 過去の人の学説を利用することもできなくなる。(死人から許諾をとる方法があるのか?) # もともと、学問というものは過去の人の業績を下敷きにして、その上に各研究者が #己の研究を積み上げて進めていくものです。過去の人の研究成果を利用するのは当たり前。 したがって、歴史研究という目的の為に、公開された掲示板の歴史についての 書き込みをルールに従って無断引用することは、法律上もモラル上も問題はありません。 少なくとも岡田の書き込みを(出所明示や同一性保持などの条件を満たした上で) 無断引用することは、法律上もモラル上も何の問題もありません。 # ついでに言うと、学説そのものには著作権は及びませんから、要約の場合には #出所明示や同一性保持の必要すらありません。 岡田 - 02/07/12 01 50 21 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064414/http //www2c.biglobe.ne.jp/~y-okada/nannkin/matuo_1ro.html 電子メールアドレス 北村稔氏「南京事件の探求」はトンデモだ コメント K-Kさん ここでは始めまして。岡田です。 以前に岡田がヤフー掲示板に書いた『「南京事件の探求」はトンデモだ』について 問い合わせがあったようですので、同じ内容を書きます。 # もしも、ヤフー掲示板に書いた文章と違う部分がありましたら、失礼します。 ------------------------------------------------------------------------------ 「南京事件の探求」はトンデモだ 北村稔氏の『「南京事件」の探求』を読んで見ました。 なかなか笑える内容でした。 『「南京事件」の探求』では「歴史研究の基本に立ち戻る」と主張されているようですが、 客観的に見ると、「歴史研究の手法を無視している」と言ったほうが正しいようです。 『「南京事件」の探求』序論の20pには次のような記述がありました。 『「南京大虐殺三十万人説」は成立しがたいと論断すれば、・・・日本国内の「虐殺派」からも 「まぼろし派」か「中間派」のレッテルを貼られるであろう。』 上記の6ページ前には(北村氏が虐殺派と指摘する)笠原氏と吉田氏の説も紹介されています。 『<殺害された人数について>』 『笠原 - 十数万から二十万人前後。』 『吉田 - 十数万。』 北村氏が虐殺派と断定している笠原氏も吉田氏も、三十万人説など主張していない。 これでは『南京大虐殺三十万人説否定したら、日本国内の虐殺派から「まぼろし派」か「中間派」の レッテルを貼られる』が成立するわけがない。 # ・・・序論からこれである。 # 北村氏はわずか数ページ前で自分が書いたことも覚えていないのだろうか? 『「南京事件」の探求』には「南京で大虐殺があったという認識がどのような経緯で出現したかを 順序だてて確認する」と主張されているようですが、「南京で大虐殺があったという認識がいつ出現したか」を 検証している部分が見当たりませんでした。 「南京で大虐殺があったという認識は極東軍事裁判で出現した」と決め付けて、極東軍事裁判の資料や 証人を調べているだけのようです。 # 南京で大虐殺があったという認識が出現した「時期」について調べもせずに、南京で大虐殺があったという #認識が「出現した経緯」を語っても無意味でしょう。 # 極東軍事裁判の資料や証人を調べたら「極東軍事裁判における南京大虐殺の判断」についての調査には #なりえますが、「南京大虐殺自体」の調査にはなっていません。 # 一般に戦勝国による茶番と考えられていて、歴史研究ではさほど重要視されていない極東軍事裁判に異議を #唱えたからといって、「南京大虐殺自体」の歴史研究になるわけもありません。 一番笑えたのはスマイス報告に関する部分を読んだときでした。 『「南京事件」の探求』によると、スマイス報告の調査方法は以下のようなものです。 「調査員が遭遇した村落3つに1つの村を選び、その村の10 家族につき1家族を選んで調査した」 スマイス博士は、そこから1家族の平均被害状況を出した後、平時の人口調査の結果の総戸数18万6千を 掛けて、推定殺害数を出しています。 北村氏はスマイス博士の計算をトリックと非難し、「調査結果を30倍にすれば、推定被害数が出る」と 断言されています。 # 上記部分を読んだときには開いた口がふさがらなかった。 # 北村氏は中学生の数学を理解できていない。(標本検査の計算は中学のカリキュラムと記憶している) # 北村氏の計算で出てくるのは、調査員が遭遇した村の推定被害数である。地域の推定被害数ではない。 # スマイス博士の計算は地域の推定被害を出すためには、原則として正しい。(実際には、南京城内の市民 #のうち数十万人が農村部に逃げたと推定されるので、スマイス報告の農村部の犠牲者数は実際より少な目のと #考えられる) # 北村氏は中学生レベルの計算ミスをした挙句、「スマイス報告はトリック」と見当はずれの中傷を #行っている。 # 一時、小中学校レベルの算数ができない大学生が増えたという話を聞いたことがあるが、北村氏の場合は #中学校の数学を理解していない大学教授というわけだ。 ・・・つっこみどころが満載の本でした。 K-K - 02/07/12 01 38 52 電子メールアドレス 『渡辺さんのページ』更新のお知らせ コメント この度、この掲示板でも投稿をなさっている渡辺さんの投稿集『渡辺さんのページ』に、記事を追加しましたのでお知らせを致します。 追加記事◆北村稔『南京事件の探求』批判 歪んだ国際法議論 『渡辺さんのページ』 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/articl7.html K-K - 02/07/12 01 22 51 電子メールアドレス KOILさんへ コメント K-Kです。 こんにちは、KOILさん。 いやー、便利ですね。 こんなものがあるとは、知りませんでした。 今まで、コピペ、コピペ、コピペ・・・・・ってやっていたのがウソの様で(笑)。 助かりました。 有り難うございます。 私のホームページへ | CollegeLife-Laboのページへ | メイン | 今すぐ登録 web hosting • domain names • video sharing online games • photo sharing free blog • advertising online