約 461 件
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/43749.html
登録日:2020/01/17 Fri 22 10 00 更新日:2024/09/20 Fri 14 45 16NEW! 所要時間:約 25 分で読めます ▽タグ一覧 バウ レッドウォーリア 一匹狼 三国志 三国演義 世界史 中国史 元ヤン 名門 四番目の男 庶子 曹操 汝南袁氏 盟主 群雄 華北 袁家 袁紹 袁術 金髪縦ロール 袁紹とは、後漢末期の武将・群雄。 北方圏の覇者となり、あの曹操をして正面から打倒しうる存在でありえた、おそらく最大にして最後の男。 一般的な歴史評価は低いものの、天下一四州のうち四州を支配に収め、その軍動員規模は劉備や孫権よりも上回る勢力を得た三国志の「四番目の男」である。 【生涯】◆出生 ◆反董卓連合 ◆河北の雄 ◆曹操との対立 ◆官渡の戦い ◆晩年 【人物】◆勢力拡張 ◆統治能力 ◆官渡決戦 ◆臣下について ◆献帝拒絶について 【三国演義の袁紹】 【各作品】 【生涯】 ◆出生 後漢中期~後期を代表する名門豪族、「四世三公」汝南袁氏の出身。 生き馬の目を抜く官界において、四代に渡って位人臣を極めた、実力・財力・組織力を備えた実力派の名門の出身である。 ちなみに、汝南郡汝陽県は現在の河南省は周口市の商水県だが、その東隣の項城市からは二千年近くのちに袁世凱が産まれる。 というといかにもボンボンの御曹司と思われるが、実際の袁紹はかなり恵まれない立場にあった。 まず、袁紹の父親がはっきりしない。 袁紹の父親の世代は(有名なのは)袁成・袁逢・袁隗の三人である。(汝南袁家については袁術の項目に) このうち、最初は袁家の当主の座は袁成が継ぐはずだったが、彼が早世したため、袁逢が当主となった。 しかし袁紹は、袁成の息子という説と、袁逢の庶子だったのをあとで袁成の養子になったという説がある。 前者の場合「本来当主になるはずだった血統の忘れ形見」、後者の場合「嫡流の兄弟を差し置いて当主になりかねない立場になった泥棒猫」、となり、 どう転んでも御家騒動を引き起こす立場である。 しかも、袁紹の母親が「卑しい身分」だったことだけは確定している。ある話では母親を「婢女」と表現して「袁家の恥・袁紹の罪」などと書かれたことさえある。 父親がはっきりせず、しかもどっちにしても危うい立場、かつ母親の身分が奴隷並み、となると、貴族社会ではかなりのハンデを背負っていたはずだ。 生まれた年すらはっきりしないのもこれが一因であろう。 とくに、袁逢の正室の息子で、自分にとっては異母弟であり従弟になる袁術からはかなり憎まれていた。 そうしたこともあって、袁紹は一族のなかでかなり浮いていた。市井に交じって遊侠を好み、ヤンチャをしていたこともあったという。 曹操ともこのころからつきあいがあり、信憑性はともかく「一緒に花嫁を奪った」話は語り草。 ただ、そうした愚連隊のなかにあっても、袁紹は名門の気品と名門らしからぬ謙虚さを忘れず、威厳と闊達さを併せ持ち、多くのひとから慕われたという。 春秋戦国時代の孟嘗君もそうだが、幼少期に苦労をしたために人情に通じるようになり、それによって人心収攬の術を磨いていったのかもしれない。 曹操と親しくなったのも、かたや「宦官の孫」、かたや「婢女の息子」という出生のレッテルに苦しんだもの同士、シンパシーを感じたからか。 二十歳のころには県令を勤め、評価も高かったのだが、母の死とその服喪を期に退役。 しかも、母の喪が済むと今度は袁成の服喪、それが済んでもなお謹慎、となぜか動かなくなる。 あの黄巾の乱にすらも沈黙を通し、徹底して後漢王朝と距離をとっていた。 ただ、専横を極めた宦官の十常侍が不審なものを感じたことや、袁隗が激怒したという話、謹慎していながら侠客仲間と深い契りを結ぶなどの逸話から、ただ引き籠もっていたわけではない様子。独自の人脈を作っていたのだろうか。 結局、袁隗の提案から、時の権力者・何進の幕僚に納まり、その後は急速に昇進。 188年には曹操や淳于瓊らとともに「西園八校尉」の一角に座っている。 ◆反董卓連合 189年に霊帝が没し、帝位を巡り権力闘争が起きると、袁紹たちは上司である何進の側について宦官と争うことになる。 袁紹は何進の幕僚として暗躍し、各地の軍閥を呼び寄せて、その軍事力で宦官たちを威圧。 何進が宦官たちに暗殺されると、袁紹はこれをすぐさま「宦官の謀反」として糾弾し、袁術・曹操とともに宮中に突撃。 問答無用で宦官とそれに阿る官僚を虐殺し、ついに長年に渡る宦官の跋扈に終止符を打った。 ところが、宦官が最後の悪足掻きで皇太子二人を連れ出してしまい、それがたまたま入朝しにきた董卓の軍団に拾われたことで、 一連の権力闘争は董卓の一人勝ちとなる。 袁紹たちは董卓への反発から、首都を脱走して冀州にて挙兵。袁紹は「反董卓連合」の盟主となった。 ところで袁紹は、故郷の汝南には向かわず、地縁のない冀州にて挙兵している。 これは董卓が袁紹を追討せず懐柔しようとし、渤海郡太守に任命したからである(後漢代の渤海郡は冀州に属していた)。挙兵したのはその任命を受けた後。 しかし出奔から懐柔目的の太守任命、そして挙兵まで三カ月という短期間、 渤海郡自体中堅程度の規模の郡であること、 更には河北での地縁もないという状態では、兵力を作ることはできず、盟主でありながら軍事力=統率力が弱かった。 というか、統率力がないからこそ諸侯に担がれたと見ることもできる。 他諸侯は袁紹よりも格上で実力を持っていた州牧・州刺史だったり(そもそも袁紹の渤海郡自体が冀州の一郡に過ぎず、連合には冀州牧の韓馥も参加している)、 袁紹と同格程度の郡太守・諸侯相(中には渤海郡よりも大きい郡の太守もいた)であったため、 少なくとも連合内で袁紹が実力で抜きん出ていたという事はまずあり得ない。 曹操や張邈など軍事力を持った昔馴染みの盟友はいたものの、曹操(+張邈の援軍)がいきなり徐栄に撃破され兵を失ったため、袁紹の統率力はあっさり限界に達する。 他方、ライバルの袁術は孫堅を支えつつ南方で雄進し、董卓は長安に逃亡。 董卓はもともと涼州を縄張りにしており、長安遷都は本拠地への接近・戦力増強を意味する。 他方、連合にとって長安は目標として遠すぎ、攻撃限界に達して追撃は不可能に。 そのうえ、もとより統率力のなかった連合の分裂はますます悪化。諸侯同士の殺し合いにまで発展して、自然消滅した。 袁紹はそのまま冀州に戻り、腰を据えて勢力拡充に勤しむようになる。 ◆河北の雄 連合を崩壊させた利害闘争がひと段落したところ、天下は大きく分けて袁紹・曹操・張邈・劉表など袁紹グループと袁術・孫堅・陶謙・公孫瓚など袁術グループに分裂していた。 ちなみに、このころの劉備・関羽・張飛は公孫瓚の遊軍といったところで、間接的に袁術グループに属した。 初手は袁術グループが大規模な攻勢を仕掛けたものの、劉表が孫堅を討ち取ったのを皮切りに、袁紹は公孫瓚を、曹操は陶謙を各個に撃破。 盟主である袁術も、袁紹と曹操のタッグが打ち負かし、戦況は袁紹側がリードした。 袁紹自身も河北にて飛躍。 上述のように袁紹は河北に地縁がなく、人脈も勢力も持たなかったため、かなり厳しいスタートになったが、 彼は策略を巡らせて冀州を奪取、反袁紹派だった冀州の幕僚・豪族たちすら口説き落として、冀州に盤石の体制を築き上げた。 当初は乏しかった軍事力も、在地の武将たちを抜擢・再編することで獲得。 北方の異民族に対し抜群の軍功を挙げ強盛な騎馬軍団を有した・公孫瓚、軍勢百万と言われた黒山賊、孔子の末裔・孔融など、錚々たるメンツを打ち破り、 また幽州に人望のある劉虞の遺族を保護する、異民族勢力を取り込むなどして剛柔合わせた政策をとり、 十年たらずのあいだに冀州のみならず、幽州・并州・青州を版図に収めた。 全盛期の兵力は十数万を数え、名実ともに当時の中国における最大最強の軍閥にのし上がる。 ここまで読んだ方は三国志演義の各登場人物からダメ出しをされている人物像と大きく離れた経歴に驚く方も多いかもしれない。 そう……実は彼は生まれながらに河北に勢力を構えていたわけではなく、後漢末期の混乱期の10年前後の間に、 彼一代で河北四州に覇を唱える事に成功した、まさに風雲児的な飛躍を遂げた人物なのである。 このまま彼の成功が続けば、『三国志』はなく、代わりに時代の寵児・袁紹のサクセスストーリーが後世の人たちを魅了したかもしれない。 だが、10年という短期間の間に膨張した勢力、そしてそこに所属する家臣たちが産み落とした(新勢力ゆえの)功績争いのための確執は、 少しずつ、袁紹の統治能力を越えたところで彼の人生を狂わす歯車となっていくことになる――― ◆曹操との対立 先述の通り、当初は袁紹と曹操は利害面で友好関係にあり、特に袁紹側は曹操を陰に陽に支援。 曹操を南方の防波堤に利用するという打算もあるにせよ、陳宮の寝返り・呂布の猛攻など曹操の苦境を助けたのは間違いなく袁紹であった。 もちろん、曹操も袁紹を助けて袁術・呂布ら強敵と戦っていたのであり、この時点では両人はまさにパートナーだった。 しかし、やがて袁紹と曹操が周辺の敵をあらかた駆逐すると、その勢力は必然として、お互いに向かざるを得なくなった。 初めの亀裂は献帝の処遇だった。 長安からほうぼうのていで中原に逃げてきた献帝と朝臣たちを、迎え入れるか否かで、袁紹・曹操はともに悩んだ。 確かに献帝を擁立すれば皇帝の権威と大義名分を得られるが、一棲両雄の禁を犯すことになるし、権威と権力が分裂する危険を孕む(*1)。 まだ迎える前の時点でさえ、臣下のあいだで意見の対立が生じたぐらいである。 謀臣のひとり郭図について「賛成した」説と「反対した」説があることからも、混迷がうかがえる。 結局、袁紹は献帝を拒絶したのだが、曹操が擁立したため、権威において曹操が袁紹の上に立ってしまう。 この時点で曹操は袁紹と戦うつもりはなく、袁紹を大将軍に、自らは格下の車騎将軍を名乗ることで納まった。 ……が、既に後漢の皇帝が支配力を失いわずかな権威のために帝位を許されているという、実力主義の世の趨勢の中、 兗州・豫州・司隸・徐州に勢力を伸ばした曹操、冀州・青州・并州・幽州に地盤を築いた袁紹の間で、いずれ大規模な衝突が起こるであろうことは、 多くの人が予測していた事だった。 そして199年、南の袁術と北の公孫瓚と東の呂布が相次いで死亡し、天下はついに袁紹と曹操の二大巨頭の決戦前夜とも言える情勢となっていた。 どうやら袁紹は199年時点では曹操と戦うつもりはなかったようで、劉備を曹操が攻撃した際、田豊の出兵進言を拒否している。 「子供(*2)の病気」を理由とされるが、実際には199年とは幽州と并州(*3)を併合した年で、後方の安定に不安があったからだろう。 実際、199年に公孫瓚の息子・公孫続に大軍を貸した黒山賊の張燕が、いまだ勢力を残していたし、 公孫瓚が敗死したのが199年の3月で、南征の意志を固めて出陣したのが200年の2月のため、新支配地の安定化に時間を取ったと見ることができる。 しかし、先に曹操へ反旗を翻した劉備が使者を袁紹へ送り、両者が同盟関係を結んだこと、 その劉備が曹操の大群の前に離散し、青州で袁譚に保護されたことをきっかけに袁紹と曹操の軍事的緊張が一気に高まっていった。 そして200年2月、ついに袁紹は総力を挙げて出陣。いわゆる「官渡の戦い」の幕が上がった。 ◆官渡の戦い 序盤は、先遣隊であった顔良・文醜が相次いで戦死したものの、袁紹直属の本隊は兵力十万以上という大軍団で正面から圧倒。 数で大きく劣る曹操軍は素早く退却し、黄河の支流が激しく入り組んだ難所、官渡一帯に展開する。 これに対して袁紹は、麾下全軍の総力を結集した猛攻で防衛線を次々突破。曹操は最終防衛ラインと言うべき官渡の砦にまで押し込まれた。 袁紹軍が発射する矢弾は雨のように降り注ぎ、曹操軍の兵は盾をかぶらなければ外を歩けなかったとまで言われる。 しかし曹操もまた必死の奮闘を繰り広げた。 袁紹が櫓をつくって射掛ければ、曹操は発石車を投入して反撃。 ならばと地下道を掘り進める袁紹軍に、曹操軍は急きょ塹壕を掘ってこれを潰す。 さらに袁紹は官渡戦線のみならず、孫策や劉表に北上を唆したり、故郷・汝南に劉備を派遣して挙兵させたりと、外交面でも活発に攻勢を掛けた。 孫策は挙兵直前に暗殺されたものの、劉備ら汝南の別働隊は逃走と来襲を繰り返し、曹操の戦力を確実に削っていた。 だが曹操もまた戦線を死守し、やがて戦況は官渡水を境として膠着化、長期戦にもつれ込む。 袁紹軍は遠征軍の常で補給が厳しく、烏巣に大規模な補給基地を作っていた。 ところがある日、袁紹の最古参の腹心だった許攸が、曹操に寝返ってしまった。 許攸は頭こそ切れるが曲者で(*4)、官渡で献策が度々遠ざけられることに不満を抱いていた上、審配から親族の汚職を弾劾され、主君を見限って逃げたのである。 最高幹部の一人だった許攸のタレコミにより、烏巣こそが最重要の補給拠点であると確信した曹操は、みずから精鋭を率いて烏巣を強襲。 袁紹も事前に淳于瓊の部隊を警護につけていた。彼もまた旗揚げからの古参であり、激しい反撃を展開。一時は曹操自身も危ういほどになった。 更には曹操軍本隊の手薄を察知した袁紹軍は数の利を活かし、烏巣の救援に快速の騎兵隊を送るとともに、手薄になった曹操本陣も重装歩兵隊に急襲させ、関ヶ原もかくやという急所の一戦が巻き起こる。 しかし、この機を逃しては勝ち目はないと確信していた曹操も火を吹くように攻撃。味方から「敵援軍が来ます! 兵を分けましょう!」と言われても「やかましい! 来てから言え!」と怒鳴りつけて攻撃に兵力を傾注し、ついに淳于瓊らを撃破。烏巣の食料をすべて焼き払ってしまった。 さらに、烏巣救援と同時に派遣していた、官渡攻撃部隊はそのまま曹軍に投降してしまう。 こちらの指揮官は張郃だったが、彼は烏巣救援を主張したのになぜか官渡攻撃を命じられる。 張郃は後々曹操軍で大活躍する名将であり、顔良・文醜を既に失っている袁紹としては重要な任務にその実力序列のまま優秀な大将を派遣したつもりだったのかもしれない。 しかし袁紹軍に他に優秀な将軍がいなかったとも思われず、その中で作戦に反対していた者を大将にするのは流石に悪手であり、張郃はいずれ責任を負わされると感じて投降したという。 + ……ただ…… ……ただ「作戦に反対していた者をその作戦の大将にする」のはどう考えても不合理なことであり、 たとえ張郃が兵を率いるに有能な指揮官だったと認められていたとしても、どのような経緯でそのような無神経な人員配置になったかは多くの人が議論しているところである。 実際、この張郃の投降劇については「武帝紀」「袁紹伝」と「張郃伝」で時間軸に矛盾がみられる。これは裴松之も指摘している。 (「武帝紀」「袁紹伝」「荀攸伝」では「まず張郃らが曹操に投降し、その後袁紹本陣も敗れた」とするが、「張郃伝」では「袁紹本陣が先に崩れ、そのあと郭図の讒言があって、曹操に投降した」としている) 別に、史書に相矛盾する記録があるのは常のことだが、張郃が降伏する過程で何があったのか、いずれの者に投降劇を招いた責任があるのかは、 後世の我々からは判断しづらい部分がある。 とにかく、食料・兵站を失い、かつまた主力級の将軍を多く失った袁紹軍は敗北を認めざるを得ず、ついに退却。 しかも追撃を掛けた曹操軍によって多くの兵が失われ、逃げ遅れた沮授が捕縛されるなど、さらなる傷を負った。 ここに、官渡の戦いは袁紹の敗北で終わったのである。 ただ敗退しただけならばともかく、最古参の大幹部だった許攸を初め、淳于瓊・顔良・文醜・張郃・高覧といった軍部の重鎮や、 冀州の大豪族で政治面を支えていた沮授を失った痛手はあまりにも大きかった。 また、この敗戦の余波で審配への讒言、田豊の処刑なども続き、河北の袁紹支配は大きく動揺。権力のゆらぎを見て取った各地の小豪族たちが反乱を繰り返した。 ◆晩年 しかし袁紹は多くの幹部を失いながらも短期間で組織を再建。 領内で起きた多数の反乱を一年ほどの間に鎮圧して、敗戦で揺らいだ政権の威信を立て直すことに成功する。 また、これと平行して官渡決戦の翌年、再び曹操が袁紹の倉亭の軍を襲って「倉亭の戦い」が起きている。 この倉亭の戦い、いちおう曹操が勝利したとされ、演義でも官渡には及ばないもののそれなりに重要な戦いとして描かれている。 しかし正史においては官渡と違って記述がほぼなく、実際は守備隊が一部撃破されたと言った程度のものだったようだ。 実際のところ、冀州に動揺が走っていた頃も、曹操はこれ以上の軍を派遣できず、袁紹存命中はにらみ合いの状況が続いていた。 これは袁紹が身を以て自勢力の瓦解を防ぎ河北の支配を維持できる力をいまだ有していたことを意味している。 しかし、官途での敗北、支配地の叛乱を鎮撫するために東西奔走した心労等が重なったためか、 冀州の地の安定を再び定めてからほどなくして、袁紹は病に掛かり、西暦202年の6月28日、吐血して没してしまう。 ただでさえ政権が大きく動揺した直後、河北を一手に束ねていたカリスマの急逝は再び河北を揺るがし、 また後継者を明確に定めていなかったタイミングで世を去ったため、あとに遺された者たちはまとまりを欠く行動に走るようになり、 以後河北の袁家は坂を転がり落ちるように衰退していく。 【人物】 一般には「見かけだけは立派だが、優柔不断で打たれ弱い、名門出の青っちょろいボンボン」という扱いで、かなり罵倒されている。 しかし、実際の袁紹の行動をたぐると、むしろ野心と行動力に富んだカリスマ経営者だったといえる。 まず河北に割拠したことからして決して順調ではないスタートだった。 というのも、もともと彼の故郷は予州汝南郡であり、中国全体ではやや南より。冀州とはかなりの距離がある。 董卓の元から冀州方面へ逃亡し、半ば無理やり渤海郡の太守に任命され河北から離れられなくなったいきさつがあるとはいえ 袁紹には後ろ盾になるものや、頼りとなる血族を引き連れていた描写がない。 彼の政権において、袁紹の「一族」といえるのは三人の息子のほかは甥が一人だけで、 曹操における夏侯惇や曹仁、孫家における孫賁や孫静、袁術における袁胤などのような組織を支える同世代の親族がまったくいない。 つまり河北袁紹政権は、「名門袁家」の血縁や地縁がまったく及ばない、純粋に「袁紹の力」だけで運営された政権だったということである。 親族衆を中心とした統治は、勢力を集めやすく、結束を固めやすいというメリットがある。 なにせ血族である。昔からのつきあいがあるし、土地のつながりも強いし、敵に寝返る可能性も低い。 もし敵対勢力に寝返っても「やっぱりあいつの帰属先は実家だろう」と白い目で見られ続けるのである。よほどの事態がない限り、血族が敵に寝返ることはない。 また名門一族なら、子女には生まれた時から相応の学を身につけさせられる。大成する人材は限られていても、無難な人材程度は継続供給できる。 曹操が覇者としての地位を確立できたのも、優れた人材が一族に多かったのも一因だ。 しかしデメリットもある。最たるものは「当主の乗っ取り」だろう。なにせ血族である。 なにかしら血のつながりがあれば、「戦死された殿のご子息はまだ幼い、これからは一族の年長である私が束ねる」「殿もお年です。隠居なさって〇〇に当主を譲られては」となっても、そんなにおかしくはない。 実際、袁術の死後に一派を率いたのは息子の袁燿ではなく従弟の袁胤だし、馬超は息子がいるのに後事を馬岱に託した。 孫策でさえ、当主の座を従兄の孫賁と争っていた形跡がある。日本史ならば武田勝頼が、一門衆によって破滅した例だ。 曹操陣営の中では一族による乗っ取りが起きなかったが、曹操自身がカリスマで比較的長生きしており、死ぬまでに後継者の権力を確立できていたことと無関係ではないだろう。 血族は血族そのものを裏切りはしないが、血族の内部で裏切りうる。 しかし袁紹の周辺には子と甥しか一族がいない。 反董卓連合軍結成の際に中央にいた袁一族が董卓に族滅させられているのが最大の原因だろうが、袁家ほどの名族であれば相応の生存者はいたと思われる。実際袁術の周囲には袁一族を慕う者もやってきていたようだ。 袁紹が天下を握りそうな情勢にもかかわらず周囲に親族がいないとなると、近寄ってくる一族を故意に排除していたか、仮に保護しても何の力も与えず飼い殺しにしていたかもしれない。 (ほぼ)族滅状態である以上一族に生存者はいたとしても大した力はなく、そんなのを吸収しても勢力拡大にはつながらないし、却って紛争の種になりかねないからだ。(*5) それだけに、袁紹には出自を卑しんで足を引っ張り、隙あらば取って代わろうと考える、やっかいな親戚は組織にいなかった。 血族から自由になり、自分の能力とカリスマだけで権力を握れたのだ。 こうしたタイプは、三国志なら劉備や劉表が該当する。 劉備は東北の幽州の出身だが、最後は西南の益州に割拠した。現地に地縁など皆無であるし、めぼしい親族など養子くらいだ。 劉表は由緒正しい皇族だが、荊州に派遣されたときは単身赴任同然であった。 この手の君主は、自前の権力に乏しいから、へたすると実権を失ってしまう。 劉表は赴任当初、地元豪族に阻まれて荊州に入ることすらできず、そのあと蔡瑁たちに擁立されることでやっと荊州支配ができたが、 今度は彼らの傀儡となり、後継者は蔡瑁に擁立され、すぐに曹操に降伏した。 しかし逆に、劉備や劉焉のように智恵と気力さえあれば、地元豪族を束ねて活動できる。 それに権力を簒奪しようという血族がほとんどいないため、クーデターは起きにくい。 あまり聡明でない劉禅のもとでも、魏や呉のような皇族由来の政変がほとんど起きなかったのは、皇族そのものが少なく管理しやすかったというのも一因だ。 袁紹の場合、出自が卑しく、とくに袁術からは散々敵視されて生きてきた。 恐らくはその経験から、袁紹はあえて「名門袁家」をネームバリューとしての活用にとどめ、自らの資質だけで決起、多数の臣下を傘下に収めようとしたのだろう。 つまり袁紹は「幼少期からの忠実な家臣に恵まれた名門出身の御曹司」とは程遠い、「独立志向の一匹狼」だったのだ。 ◆勢力拡張 旗揚げ直後に起きた「反董卓連合」では、袁紹は盟主でありながらリーダーシップを発揮できなかった。曹操からも非難されている。 だがこれは河北逃亡から三カ月後のことであり、地縁も血縁も時間もなかった袁紹には兵を集める余裕すらなく、 主導権云々以前に「権力」そのものがなかったからである。 袁紹に決断力があろうとなかろうと、連合を動かすことは不可能だったし、だからこそ祭り上げられたとも言える。 しかしその後、袁紹は「根無し草」にもかかわらず驚異的な飛躍を見せた。 まず、策略を巡らせて冀州を制圧すると、冀州の豪族たちを瞬く間に統率。 袁紹の冀州入りに反対していた沮授たちでさえ組織に組み込み、君臨してみせた。 先述の劉表もそうだが、権力を持たない支配者は、権力を握る地元有力者の傀儡になりかねない。 袁紹は自前の軍事力はほぼない。にもかかわらず冀州の権力を完全に掌握できたのは、 単なる「出自の尊さ」だけではなく、ギラついた行動力とそれで周囲を惹きつける統率力、明確な独立心があってこそである。 加えてその後、袁紹は十年間で冀州のみならず、幽州・并州・青州に進出し、これらを統一してのけた。 「三国志」の群雄は、実のところあまり勢力拡張には熱心でなかった。一州全体まで勢力を広げるとそこで固定し、あとは守勢に回る、というパターンがほとんどだ。 群雄個人に拡張意欲があっても、実権を握る在地豪族の大多数に拡張の意欲がなければ絵に描いた餅になってしまうし、在地豪族は迂遠な天下統一より自領土の保全に関心が強く下手な拡張は負担が大きいと考えるからだろう。 劉表亡き後の荊州劉氏のように、例えトップの群雄が破れても、新たな主が現れたらさっさとそちらにつけば良い豪族は、併呑されることがさほどリスクではない。 それだけに、外征をするならば在地豪族の協力を取り付けられるだけの群雄の意欲・気力・力量は本当に桁外れなものが要求される。 一州でとどまらず、さらに進撃しようとしたのは、袁紹のほかは曹操、孫策&孫権兄弟、劉備、諸葛亮、姜維、ぐらいのものである(*6)。 しかし一地方政権にとどまるだけでは決して状況は好転しない。むしろ積極的に統一しようとする勢力が現れた場合、守勢に回り続ければいずれは滅ぼされてしまう。 諸葛亮や姜維の北伐は「国力の浪費」と批判されやすいが、「守勢に回る」というのは国力の回復どころか、主導権の喪失、ひいては戦略の放棄につながる。 戦術がいかに巧みでも、対処療法では駄目なのだ。 ところで袁紹の場合、彼は常にイニシアティブを取ろうとしてきた。 当初は献帝に取って代わるよう劉虞に皇帝即位を打診したが、これを断られるとすぐに地方での勢力割拠へと舵を切る決断を見せる。 冀州制圧のためにさまざまな手を打ち、公孫瓚が劉虞との騒乱の中で大義名分を欠いたと見るや否や、 次は冀州からの勢力拡大の好機と見て各方面へ猛攻を掛けて数年で河北を統一、さらには曹操よりも先に南征を開始した。 袁紹は終始一貫して、積極的に行動し続けていたし、それをするだけの河北豪族の支持と有能な家臣団の形成に成功していた。 これらはほぼ袁紹一代の功績であり、曹操前半生の好敵手に相応しい地方割拠の代表的な成功例である。 曹操を打ち破れていれば、次は天下統一を目指したと考える方が自然だろう。 袁紹には「優柔不断で決断力がない」という認識が強いが、彼の人生の行動と結果は、袁紹の「名家の名に奢らない覇気と気力」を強く印象づけている。 惜しむらくは、袁紹一代の中……しかも冀州への逃亡から約10年という短期間の間で肥大化した 配下の豪族団・家臣団の取りまとめの難しさが、官途の戦い前夜~烏巣兵糧庫襲撃の、曹操との決戦時に彼の判断力を鈍らせる形で露呈してしまった事で、 敗北者としての人物評価の下げ幅を大きくしてしまった事であろうか。 ◆統治能力 袁紹は根無し草から、ものの十年で河北四州をを占領したわけだが、その河北の統治能力はどうだったのか。 これもまた、かなり優秀なものだったようだ。 袁紹政権は曹操に滅ぼされたため、その治績はどうしても史書「三国志」ではおとしめられてしまう。 プロパガンダ的にも「袁紹の統治からよりよい曹操の統治にシフトした」と書かないと、魏晋の正当性が立たないのだ。 しかし、それでも各史書には「袁紹は仁政を敷いていた」という記録・発言が散見される。 郭嘉や荀攸といった、袁紹と直接戦った参謀たちからも、袁紹の優れた政治について言及されているし、 袁紹の死が公表されると、河北の人民はだれもが嘆き悲しんだという。 実際の活動を見ても、官渡決戦に動員した「十万以上の大軍」は、袁紹の統治がよほどうまく行っていないとできないことである。 実際、同じく四州を統治していた曹操は、官渡の戦いへ臨む際に兵力的劣勢を強いられ、当時の人的資源の優位性とそれを支える統治力は、袁紹側に利があった部分が確かに存在する。 ただし、曹操側にあった曹操一族・夏侯一族といった親族のバックアップに恵まれず、統治を支えた家臣団は袁紹個人に対する利害関係を中心に結びつきが築かれていた。 これは「単一のカリスマ経営者」対「同列の配下団」という構図での拡張期に起こりがちな、いわゆる「気の合う者・合わない者」同士での同僚間の確執を生み、 のちのち袁紹軍閥の中を蝕む禍根となり、それが官渡決戦~袁紹死後に決定的な混乱を引き出してしまう事になった。 もし、袁紹を内部から支え家臣団の規律を調整し得る有力な親族がいたら、袁紹の負担も減り、曹操との戦いに勝つ未来図があったかもしれない。 ◆官渡決戦 「官渡の戦い」において、袁紹は曹操に敗北し、ついに覇権を失う。 この敗因は、一般には「沮授・田豊の説く持久戦を却下し、逢紀・郭図らの説く即時決戦を採用したから」とよく言われる。 沮授・田豊の説いた持久戦は、「今は我々の国内も荒れている。国内を整えた上で軽騎兵を使ってあちこちを攻め、曹操の勢力を国内ともども疲弊させよう、3年でケリは付く」というもので、短期決戦自体を前提としないものであった。 そして、策を聞いた当の曹操も、「その策で来られたら負けたのはこちらだっただろう」と評している。 短期決戦を挑んだ結果が敗北…ということであるから、持久戦策を取らなかった袁紹の失敗…ということもできなくはない。 しかし、持久戦策をとればそれは曹操にも時間や対応の余力を与えることとなる。何より権威が衰えていたとはいえ、後漢皇帝を擁していたのは曹操側である。 その立場を利用し、時間と余裕があれば曹操がどんな奇策を使ってくるか分かったものではない。 曹操以外の有力な群雄が動いてくる可能性も出てくる。 勝てるときには機を逸さず攻めるというのは当然の考え方であり、決して落ち度ではない。 そして現実はどうだったか。 関羽に顔良が、輸送部隊深に入りした文醜が討たれ、序盤に前線指揮官を相次いで失う計算外の事態はあったものの、 開戦から半年、多くの局面で袁紹側が優勢であり各方面で曹操軍を破っていた。 予想していたとはいえ、その予想通りとも言える劣勢ぶりに、曹操は敗走を予感し荀彧へ退却の相談を行っているほどである。 この事から、袁紹が正面からの決戦を決断し軍を進めたことは、確かに有力な選択肢の一つであり、それはかなりのところまで上手くいっていたと言えるだろう。 故に、上記の論はいささか妥当性を欠くものと見れる。 では、その有利だったはずの袁紹軍が何故敗れたのか。 この戦いで、袁紹側の致命傷となったのは兵糧集積地であった鳥巣への襲撃、そしてその直接的原因となった許攸の寝返りであったのは間違いないのだが、 本当の意味での敗因は、その寝返りの根本的な要因でもある、膨張した家臣団の確執の深まり、それが袁紹個人の求心力だけでは解決しきれなくなったタイミングで、官渡決戦の火ぶたが切られてしまった事だと言えるだろう。 田豊や沮授にしてもそうだが、一度主君が決断を下せば、次は自らの主張の矛を収めその決断を成功に結び付けるための次善の協力態勢を執ることが必要である。 審配や郭図、逢紀などもこの一大決戦を前にするならば、普段の人間関係の好意・嫌悪を収め、表面上だけでも同僚との衝突を回避する姿勢を見せる必要があったのは言うまでもない。 しかし現実は、おのおのが団結力を示さなければいけない局面でも、君主たる袁紹や他の幹部と協力し身を挺して国難に当たったとは言い難かった。 田豊は強固に自己主張を繰り返した挙句に投獄され、許攸は献策の却下と審配との対立で、張郃は郭図との戦術方針の対立から曹操軍にそれぞれ投降する、など、 袁紹が採った、官途の戦いに対する戦略方針とは別なところで、人間関係を起因とする戦力低下が続出してしまっている。 その最たる例が許攸の裏切りであり、鳥巣の敗戦、それに伴う袁紹軍の混乱と敗走の直接的原因となってしまっている。 許攸は古参の大幹部、なおかつ袁紹とは若年期に「奔走の友(心を許しあい、危機に遭った時は駆けつける仲間)」の契りを結んだ同志でもあり、 官渡での部隊展開について相談を受け献策する参謀の座を田豊とともに(彼は投獄されたため、実質1人で)担当していたと史書に記録されているほどであり、 そんな彼が白昼堂々、曹操軍に投降するなど、袁紹にとってはすべての機密が漏れるのみならず、それ以降の軍の方針を揺るがす一大損失であった。 これは袁紹自身のカリスマを頂点として成り上がった彼の軍閥が、あまりに短い期間で伸長を進め続けて、「豪族の寄り合い所帯」「代を重ねての忠勤が乏しい」性格を解決できず、 それが最悪の形で、当初は成功していたかに見えた官渡決戦における袁紹の決断の優位性を、あっという間にひっくり返してしまったのである。 ちなみに曹操は戦後、袁紹軍が置き忘れていった部下が内応する手紙の存在を聞いた際、 「俺だって心が折れそうだった。部下たちは当然のこと。不問にするから手紙は中身を見ずに焼き捨てろ」と命じている。 内応リスクを抱えていたのは、曹操軍も同じだったのだ。 この官渡決戦における軍団のまとまりの欠乏を除けば、それ以前の河北進出時代は、袁紹の戦術的成功はかなり強調して描かれている(実際、その功績が無いと河北四州を支配することなどできなかったので当然だが)。 北方の異民族の脅威を退け逆に協力関係まで結び、公孫瓚を粘り強く攻めて難攻不落と言われた易京を陥落させ、青州には名代として袁譚を送り込み孔融を排除する事に成功している。 また黒山賊が領内の反乱と呼応したときには、食客たちがパニックに陥るなか、顔色一つ変えずに鎮圧の指示を出すなど、現場での胆力に優れたところを見せている。 三国時代屈指の軍略家とも評された曹操には及ばないにしても、当代としては十分すぎるほど軍人として非凡な成功を収めた人物だったのだ。 ◆臣下について 大きく分けて「袁紹側近」と「河北豪族」と「潁川名士」の三大派閥があったとよく言われる。 袁紹直属として手足となって働く、逢紀・許攸ら「側近組」。 河北出身で実際に兵力や財力を供出する、審配・沮授・田豊ら「河北豪族組」。 荀攸らの同郷で、主に知識層を形成した、淳于瓊・郭図・辛評・荀諶ら「潁川人士組」。 袁紹自体がヨソ者であるため、よけいに彼らのあいだでモメやすかったという。 また、当たり前だが一つの派閥のなかでも足の引っ張りあいが起きる。とくに田豊はわりと浮いていたようだ。 + 「派閥と豪族について」 これについては史書に間違いなくそう記されているわけではないが、状況はこれを示唆している。 まず中国は文字の表記が統一されたのだが、漢字は表意文字なので発音までは統一できない。 そのため、出身地が違うと会話ができないとは現代でもいわれるところであり、それゆえに出身地方で固まりやすい。 それでなくとも地縁・人脈は重要な繋がりである。 なにより、当時の人口問題がある。 「三国志における人口」、具体的には魏・呉・蜀の「戸籍に登録された人口」の総数は、わずかに800万だった。 この数値は後漢最盛期の6000万に比べるとたった1/7である。 疫病などで多くの死者が出たのは確かだが、それにしても異常な数値であり、 実際は「国家が直接徴税・徴兵できたのは国土の15%前後に過ぎず、まともに政権を運用したければ、実際に人間を抱えている地方豪族・各派閥の支援を受けなければ無理だった」とされる。 当時の情勢を見渡しても、荊州刺史劉表は在地豪族に拒まれて荊州入りすらできず、 豪族の蔡瑁・蒯越が擁立してくれてやっと赴任できた、というエピソードがある。蜀漢に荊州派と益州派が存在したというのもこのあたりに由来する。 日本の選挙を揶揄して、政治家に必須なのは「地盤(後援組織)・看板(知名度)・鞄(資産)」という。 これは中国も同様で、まして古代・中世ならなおのこと、「地縁」「豪族」「派閥」といった存在は大きい。 もちろん、それらはあくまで条件に過ぎず、そうした条件下でどう動くかは歴史人物個人の判断によるが、条件を軽視することもならない。 沮授についてアタリがきついのもよく言われるところ。 沮授はもともと軍権を一手に握るほどの重鎮だったが、官渡決戦の直前に、軍権を沮授・郭図・淳于瓊の三人に分割されている。当然彼は不満に思ったという。 もっとも、沮授はただでさえ冀州出身の大豪族で、河北に勢力を誇っていた。 そんな彼がいつまでも軍権を一手に握っていては、権力が沮授>袁紹となりかねず、極めて危険である。 沮授と袁紹が本気の殺し合いにならないうちに、軍権だけでも分散させるというのは、 むしろ双方の殺し合いを予防したといえそうだ(*7)。 袁紹が沮授を嫌っていたということはないようで、白馬津攻撃を顔良に専任しないよう進言したときは受け入れている(支援部隊として郭図・淳于瓊を派遣)。 沮授の死後も息子の沮鵠が幹部になっていた。 ◆献帝拒絶について 献帝を袁紹が拒み曹操が迎え、その結果曹操が外交の主導権を握れたことから、これは袁紹の敗北と見なされがちである。 ただ、袁紹は何度も述べたが、自前の権力でのし上がったのではなく、個人のカリスマと手腕で束ねたタイプである。 こんな袁紹がうかつに献帝という「君主以上の権威」を迎え入れると、かえって組織内部の権威が二分し、組織そのものが分裂しかねない。 まだ曹操の場合、献帝が来ようと夏侯惇がゆらいだりはしないだろうが(曹操が失脚すれば次は夏侯惇の番)、 袁紹の場合は、それこそ淳于瓊あたりが董承らと結託して良からぬ画策をしかねないのである。 (淳于瓊は後漢朝廷直属の官僚で、袁紹とは同格であった。そのため「献帝に仕える」形式をとって袁紹に並び立つことも理論的には可能。 ついでに彼は潁川の名門出で、実は郭図・辛評・荀諶らとは同郷でもあり、横の繋がりもあったとみられる。また、彼らは袁譚派である。 もし彼らが、献帝と袁譚を接近させて担ぎ上げ、袁紹を駆逐する、なんてことになったら大ごとになる(*8)) それでなくても袁紹は献帝を特に嫌っていたので、彼が擁立することは絶対になかっただろう。 もし宮中殴り込みの際にちゃんと二皇太子の身柄を確保できていたら、果たしてどう立ち回ったことだろうか。 【三国演義の袁紹】 三国演義では、基本的に正史準拠。 名将だった淳于瓊が酒飲みの無能にされるなど多少の脚色はあるが、ほとんど変わりない。三国演義成立過程ではかなり後期に流入したタイプなのだろう。 しかし、実際の袁紹にはかなりアクティブな面があるため、ときどき変に威勢のいい場面がある。 呂布を従えた董卓に向かって正面から罵倒し、剣を抜いてにらみつける場面は、中国の実写ドラマでもすさまじい名シーンとなった。 公孫瓚戦での啖呵も採用されている。 ただ、やっぱりというかなんというか、作中ではことあるごとに「おぼっちゃま」「優柔不断」と連呼されており、とにかく哀れな扱いとなっている。 【各作品】 正史~演義の時点で評価が安定しているうえ、そこにあるのが「金持ちのボンボン」という時代を問わず理解しやすく弄りやすいキャラ像であるため、創作でのキャライメージは大分固まっている。 とはいえそのイメージから過度に貶められたり、三国以外に興味なしの方針であえなくハブられることもしばしばではあるが。 横山三国志 原作では反董卓連合終了あたりでフェードアウトするが、アニメ版では官渡の戦いが描かれている。 曹操軍の面々から決断力に欠けるだの散々な言われようだったが、その決断力は悪い方向に発揮されることになる。 圧倒的兵力差の慢心からか、とにかく戦時中にもかかわらず酒浸りになり、重臣達からの献策・助言を悉く無視し、演義同様許攸の離反を招く。 ちなみに許攸はアニメでは清廉な人物であったことにされ、家族の汚職は彼が黒幕であったという謂れなき罪を着せられそうになったため曹操の下に奔るという展開になっていた。 袁紹が許攸を問い詰めるときのセリフはある意味語り草。 「許攸!貴様の甥が税を横領したぞ!」「貴様の指図に違いあるまい!いや、そうに決まった!」 コーエー三国志 顔グラは名門らしく金ピカ鎧に身を包んだヒゲの偉丈夫という感じで一貫している。勢力のイメージカラーは黄色。 最近ではどの能力値も70~80台、魅力があれば90台とバランスよくまとまっている。 政治は「Ⅶ」から70台安定、悪い時は「Ⅲ」~「Ⅳ」の50前後とナメられ傾向だが、全体的な評価はシリーズ通して大差ない。 そこらの凡庸な君主とは比べ物にならないが、魅力以外突き抜けることがなく特技もあまり優遇されないため、かなり優秀ではあるものの曹操には及ばない1.5流。 似たような能力傾向の劉備より少し弱いくらいのところに収まりがちで、良くも悪くも劉・曹・孫に次ぐ4番手である。 後年の作品では魅力の重要性(行動力、配下の忠誠)が高まったのでマシになっているが、能力以上に深刻なのが隠しパラメータの「相性」。 ライバルの曹操と真逆に設定されていることが多いのだが、曹魏の人物は単純に割合として多く、また曹操が身近の敵勢力という立場ゆえ、それは思った以上に痛い。 黄河を越えて中原に出ても人材が思うように揃わなかったり、たとえ揃っても多大な俸禄を要求してきたり、官渡の戦いを制しても曹操達が全然傘下に加わってくれなかったり… 臣下は一線級を擁してはいるがあまりバランスがよくない上、能力の高い人物に相性の悪い奴が多いため、後半になればなるほど苦戦しがち。 しかも袁紹の寿命は(史実の没年を参考にしているため)基本短く、後継の息子たちの能力は悲惨なので、なおのこと攻略を急ぎたいところ。 さらに、「Ⅱ」では魅力に反して、魅力と並んで忠誠や外交に関わる「人徳」のパラメータが残念なことになっているので、家臣たちの初期の忠誠が低め(ひどい場合は60台のものも)なうえに、忠誠も自然低下しやすいのでさらにきつい。重要な家臣は早いうちに褒美をやって忠誠を上げたいところだが…… ただ、幸い彼を嫌っている武将もかなり少ない(上に割とすぐ死ぬ奴らばかり)なので、戦力はあくまでも揃いにくいだけで揃わないわけではない。 しっかり袁術には嫌われてる(上に相互嫌悪)ので完全に袁家の栄光とはいかないが。 物量や攻城力に長けていることが多いので、数に物を言わせる戦略がベター。 また魏勢力との相性は悪い反面、蜀勢力とも呉勢力とも相性がいいという特徴がある。 もし近くに劉備の勢力があるなら、先に併合して関羽・張飛・趙雲を部下にする手もあり。 三国無双 詳細は袁紹(三國無双)を参照。 初期から登場。名族の誇りを連呼するお騒がしキャラ。覇気はあるが、自尊心が強すぎて打たれ弱い。 その打たれ弱さは『2』では合肥の戦いの総大将で放っておくと僅か一分足らずというすさまじい速度で敗走するほどで、袁紹敗走RTAなどというネタにまでされている。現在最速は23秒だとか。 一時期はやたらと歪んだプライドを強調され「それはどちらかと言うと袁術では?」という声もあったが、 その袁術が脱モブした『8』にて路線転換し、周囲が自然にヨイショしたくなるような格好良いキャラへと変わった。一方で最近はなんだか老けてきているのが哀しい。 一番さみしいのは、未だに脱モブした部下が曹操に降伏する変態貴公子と寝取られ貴婦人しかいないことだろう。 呂布陣営には曹操に所属しない無双武将が多いので、是非とも開拓してもらいたいところ。 蒼天航路 序盤はとりわけ「尊大で自己顕示欲が強い分だけ蒙昧な面も目立つ、ダメなエリートの典型」という点が強調されていた。 が、中盤からはその自尊心だけをそのままひたすら肥大化させ、自らを 「常に太陽が照らし続ける道を進むが如く、一切の憂慮や苦難を伴わない覇道を進む英雄」 とし、曹操とはまったく別ベクトルのカリスマの怪物と化す。 その英雄像に心酔した軍団がもたらす圧倒的な力は曹操をして「語るすべなし、為すすべなし」といわしめ、 肥大化を止めないそのエゴはついに「自身を人の枠を超えた聖なる存在へ昇華させる」という領域に到達するまでに至る。 しかし…… 白井式三国志 ほとんどモブ扱いで、先に登場した袁術の髭と冠を変えただけのコンパチキャラ。 「家族だ! 家族の為なら頑張れる」 一騎当千 一応Aランクなので弱くは無いのだが、卑怯な手も辞さない悪党。曹操の軍門にあっさり下ったことが語られるのみ。 恋姫†無双 真名は「麗羽」。美羽(袁術)は従妹。 ひたすらゴージャスな金髪縦ロールにお嬢様口調で巨乳、明るい声に仁王立ち、名門のプライドガン積みといった、いかにもな袁紹像。 もちろん能力では華琳(曹操)に大きく水をあけられている…が、スタイルでは華琳に大きく水をあけている。 実は涙もろくてお人好し。また、アホ呼ばわりされているが意外なことに学力そのものは華琳よりも高い。 十三支演義 CV 周瑜ヒャクシキ 銀髪をたなびかせた美丈夫。 一見分け隔てなく接する温厚篤実な人物に見えるが、実の所性格は最悪で、人を利用価値でしか判別できない卑劣漢。 PS版でとってつけたかのような個別ルートができた。 三国志大戦 登場は2からで袁術とともに袁勢力ごと参戦。 以降は一貫して「優秀なステータスを持ち強力な号令を扱えるカード」として参戦している。 号令持ちとしては高い武力と中程度の知力に魅力をはじめとした豊富な特技を兼ね備え、 「栄光の大号令」「大兵力の大爆進」「王者の決断」などといった一発で勝敗を決定づけるような大型号令を所持するキーカード。 主導権を握った状態で号令を使えると非常に強いが、使わされる展開になると弱い計略デザインもシリーズを通して共通。 リブート後は勢力が漢に移るものの、やはりキーカードとしての位置は揺らがない。 光魔法が使える勇者になってもそれらのせいで立ち位置がないほどに重要な位置を占めている。 でも人を惹きつける熱唱はA面B面共に良好なので結局勇者が微妙というだけの気がする。 BB戦士三国伝 「『河北の勇』袁紹バウ」として登場。演者はバウ。中の人は師匠。 家の権威を振りかざす無能なボンボンであり、劉備のような在野の侠を露骨に軽蔑している。 当初は敵から逃げようとして後ろを振り向いた瞬間、弟である袁術ズサが遥か彼方まで逃走していて呆れるといったコメディリリーフ的な側面も目立ったものの、 袁術ズサが暴走し始めた辺りからは野心家として覚醒。 彼の残した玉璽を入手した事で覇道を進み始め、遂には地獄を彷徨う弟の魂を取り込んで四本の腕を持つ異形の姿「龍飛形態」へと変貌。 最期は官渡の戦いを経て幼なじみにしてライバルである曹操ガンダムに討ち取られた。 初代のコミックワールドだと空気で、伝説の「公孫瓚憤死!」をやったのは彼では無く曹操という事になっている。 初代ではキットは発売されず、アニメ版に際して他の武将と同じ「真」名義で発売された。設定通り袁術(別売)との合体で龍飛形態を再現可能。 また後年にはプレミアムバンダイから、成形色を変更しパッケージを初代のフォーマットに改めたバージョンのキットも販売された(*9)。こちらにはボーナスパーツとして暗黒の力をイメージした紫色の玉璽も付属する。 袁家復興のために追記・修正をお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 田豊の持久戦策って「決戦を挑むが持久戦で戦う」という訳じゃなくて「決戦自体挑まないで背後をかく乱させて崩壊させる」だったみたいだから、持久戦って言っても性質が違うんじゃないかな? -- 名無しさん (2020-01-17 23 01 52) 官渡の戦いで敗れた後も勢力崩壊させず維持していた所を見ると、やはり非凡な人物だったのは間違いないね。 -- 名無しさん (2020-01-17 23 09 49) 長生きしていたら再逆転して天下取れてたかな? -- 名無しさん (2020-01-18 00 46 54) なかなか読みごたえのある項目だな -- 名無しさん (2020-01-18 03 12 06) 哀れな扱いだったとしても三国志を語る上でこれまで記事が無かったのが不思議なくらいの存在感はあるからな -- 名無しさん (2020-01-18 10 30 52) 個人の器量は他の群雄と負けず劣らずだったけど部下や後継者に恵まれなかったな...特に後継者は... -- 名無しさん (2020-01-18 11 34 09) こんな主人公張れそうな人物だったのか・・・ 知らなかった -- 名無しさん (2020-01-18 12 05 22) 間違いなく実力者だったけど死後が…という点で今川義元も連想する人が結構いる -- 名無しさん (2020-01-18 12 08 00) 三国志大戦だと何気に強カードだよね。二次創作の中では一番優遇されてるんじゃないかと思う。 -- 名無しさん (2020-01-18 15 34 37) ↑4 孫権「恵まれなくても後継者はきっちり定めておかないとな」 -- 名無しさん (2020-01-18 19 32 12) 彼の参謀たちの項目もお願いします -- 名無しさん (2020-01-18 19 38 43) ↑2 劉備「君が言うなよ。」 曹操「そうそう。」 -- 名無しさん (2020-01-18 20 24 57) 董卓と公孫瓚の項目もお願いします -- 名無しさん (2020-01-18 21 18 19) 曹操や袁術の放蕩が不良とヤンチャしてたとするなら、袁紹の場合は政治犯と組んで宦官相手にテロを仕掛けると言う当局最大の敵って感じで、そら叔父さんも嘆くのも納得の危険人物よ -- 名無しさん (2020-01-18 21 40 51) 官渡のあとも立て直してたのか凄いね それでもポックリは天命尽きちゃってたのかなぁ… -- 名無しさん (2020-01-20 14 44 00) 曹操とうまくやっていく未来はなかったのかなと、ちょっと悲しく思ったり -- 名無しさん (2020-01-20 17 43 54) ↑どちらも人の下につけるタイプじゃない感じだからどう足掻いても最終的には対立しそう -- 名無しさん (2020-01-21 02 21 22) ↑決定的に反目するまではお互い、支援しあって意外といい感じで盟友にやってそうにも見えるんだけどなぁ。やっぱだめかぁ -- 名無しさん (2020-01-21 14 28 49) 麴義みたいに功臣が増長しやすい、あるいは功を誇って他の派閥を蹴り落とすって方向に行きやすい環境だったのはちょい痛かったかもな -- 名無しさん (2020-01-23 10 40 49) ↑曹操の所でいう荀攸みたいな群臣のまとめ役がいればまた違ったのかもな。 -- 名無しさん (2020-01-23 13 32 08) 何故かなかなか立たなかった・・・って程ではないかもしれないけど、なかったのはちょっと意外だなと思う項目だ -- 名無しさん (2020-01-28 20 13 55) 一番上で田豊が決戦でなく謀略戦を推した、ということであってもやはり決戦以外の手はないのでは?孫策死んだし劉表劉備(陳登)や降ったばかりの張繍辺りなんてまず動かんだろうし扇動できそうな有力者特にいないだろ -- 名無しさん (2020-01-28 20 58 47) 背後のかく乱は、あちこち「ヒット&アウェー的に攻めて対応に疲れさせる」ってことで、扇動狙いってことではない。というか決戦を挑んだ史実でもいろいろ扇動して曹操を追い詰めてるし。 -- 一番上 (2020-01-28 21 28 43) 横山三国志で官途の戦いが割愛されたのは返す返すも残念。こっちはトップの何進が謀殺されたのに構わず宮中になだれ込んで宦官を皆殺しにするなど結構な危険人物である -- 名無しさん (2020-09-30 12 29 23) 袁紹は曹操の策謀を知っていたから、裏をかく小細工なしの大軍による正攻法で攻めたんじゃないかな?曹操孟徳正伝ではそう解釈して描かれていた。 -- 名無しさん (2020-11-07 16 49 56) 陳宮に乗せられた張邈も曹操袁紹の旧友だし張邈見捨てられたことにキレて反目した臧洪は側近組だし、組織運営ってホント難しいな -- 名無しさん (2021-02-05 06 02 43) 平時の丞相とか先祖のように司徒・司空が適した器だったんだろうな。 -- 名無しさん (2021-02-05 12 04 45) 官渡の戦いの後も袁紹が優勢だったが袁紹の死によって分裂した。もし袁紹が健在であったら曹操もどうなっていたかわからない。 -- 名無しさん (2021-03-27 20 56 30) 「地縁」「豪族」「派閥」←「鎌倉殿の13人」でも思ったけど、こういうドロドロをゲーム化できないもんかなって -- 名無しさん (2022-10-20 03 44 10) 内政に関しては相当優秀だった様で河北では西晋の時代になっても「袁紹の頃は良かったなあ」と言われたいたという。 -- 名無しさん (2022-10-20 09 11 32) 一族が袁紹ではなく袁術の元に集合した辺り例え兄弟だったとしても袁術の方が嫡流と見なされていたのは確かだろうな -- 名無しさん (2023-01-22 06 42 14) 『SDガンダムワールド 三国創傑伝 蒼翔記』では少年時代からの曹操との対立と嫉妬が描かれた結果「反董卓連合結成前に曹操勢力との戦いに敗北し没落後黒幕に自らの意思すら奪われ生ける屍にされ亡骸すら残らず消滅(反董卓連合は董卓の横暴を見かねた孫堅の提案に合意した曹操と、両者の行軍中偶然出会った劉備一行の同行を孫堅の保証により曹操が認めたことで成立)」と曹操との関係性が重視された結果動向は大胆なアレンジが加えられることに。 -- 名無しさん (2023-01-22 17 53 55) ↑4 光栄の三国志6がそれに近かったけど、不評だったのかそれ以降ではそういうシステムはでてない……はず -- 名無しさん (2023-07-15 00 03 24) 袁紹はいつの間にか大勢力になっていたけど官渡であっさり負けた雑魚ボス、的に描かれることが多い しかし河北制圧して巨大勢力になるまで相当苦労している それこそ主人公になれるくらいに面白い -- 名無しさん (2023-07-15 00 06 47) 日本史の人物だと今川義元ってイメージ。 -- 名無しさん (2023-11-22 08 02 27) 子供が無能達だったのはともかく、せめて生前に後継は明確にしておくべきだったし、そこは死後内紛から崩壊していった本人の責任だと評価下げる擁護不能な部分ではあるな -- 名無しさん (2024-06-09 00 39 36) ウォーロンだとちょっと生まれでコンプレックスあるけど才能あるし情に厚いしカリスマあるよねというすごい高評価であった -- 名無しさん (2024-09-07 23 40 48) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/tohohopeacewalk/pages/121.html
REMOTE ADDR 61.205.94.159 真実に良識的物語は通用せず。 02/10/28 10 36 29 (引用) k-k 投稿者:竜馬 投稿日:10月27日(日)23時02分58秒 すでに2chでも肯定派がボロカスチョンに論破されているように、 おまえの 南京大虐殺物語宣伝資料集 のほうがよっぽ大問題や。 おまえ自ら「証拠」が存在する可能性の低いと言う物語を、まるで 歴史の真実 であるかのように印象宣伝しとるのは われわれ現代日本人に対して多大な損害を与えていると同時に 死者に対する名誉毀損 をも含む 途方も無く絶大な罪 であることを自覚したうえで釈明、謝罪せい。 REMOTE ADDR 61.205.94.182 これらの強弁、詭弁投稿で南京大虐殺物語がどのようにして作り上げられたか想像つきますね(笑 02/10/27 22 00 05 Hide - 02/10/25 22 17 33 コメント >私の場合、日本語から英語への通訳を生業としているプロですが、ここ何年もの間、素人の方の素っ頓狂な英語には悩まされつづけています。 私の場合、業務効率化のため英文化の作業を外注することがあるのですが、プロの通訳の方の素っ頓狂な英語に悩まされることがよくあります。 >もちろん、ビジネスの場合、中身さえ通じればそれで事はすんでしまうのですが、歴史的なもの、政治的なものの場合、まず言葉の正確さは、大前提のはずです。プロが訳し、それを歴史家の方、専門家の方たちがチェックすると言う行為を踏まえるべきではないでしょうか? プロがしばしば正確さに欠ける訳をつけるのは上で述べた通りです。 ロム屋 - 02/10/25 08 18 47 電子メールアドレス 最後に コメント 訳の問題もほとんど片付きましたが、最後に。 abcさん、説明すればするほど矛盾を露呈しているよ。 abcさんの投稿を整理。 ------------------------------------------------- ■abc - 02/10/24 02 59 56 英文を素直に訳せば「このような些細な叛乱(抵抗)」という以外にはどう考えても読めません ■abc - 02/10/25 01 21 39 「最もlittleなinsurrection」と、最上級の表現を使っているのは、英語が母国語の人間として言いますが、具体的なある行動がこの文章の前にかかれていて、それが「想定できる(数ある)些細な叛乱」の中でも、「最も細微なもの」に属する行為だからです ■abc - 02/10/24 13 10 38 おそらくここでの筆者は何かと何かを比べた上で最上級を使っているのではなく、一般的にこんな瑣末な事でさえ、といっているように思われるからです --------------------------------------------------- abcさんの説明によれば 前段で説明した具体的な行動を指し、(このような些細な抵抗)と訳するのは自然というわけだ。 それでは簡単に、指されている具体的な行動を並べてみましょう。 -------------------------------------- ?安全区の小屋や家々に飾られていた小さな日の丸が姿を消した。・・・些細な抵抗 ?すべての中国人がつけていた日本の腕章すら消え・・・些細な抵抗 ?相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えたという。・・・戦時反逆、大規模な抵抗 -------------------------------------- 「このような些細な」という訳だと 前段の(些細な抵抗ではない?) を含めてしまうでしょ。 だから日本語にする際には「このような」と補ってはいけません。 言語はパズルではないとか言う以前の、和訳の初歩的ミス。 ●ニュアンスについて● ----------------------------------- abc - 02/10/24 13 10 38 それから、「老人であろうが」のくだりですが、おそらく日本軍の慈悲のなさ、無差別的に不法な「処刑」を繰り返す行為にたいしてどんな中国人であっても、といっていると思われるので、そのように行間を読む事ができるだろう、と書いた次第です。 もちろん、そこには叛乱に対する意志も含まれますが、大事なのは、まさに誰であっても、ということだと思います。おそらく侵略者にとって脅威とはなりえない全く平凡な市民、老人、けが人であっても、といったような受け取り方ですが…もちろん、前後に書かれていただろう事を想像しているので、私としてもはっきりした事はいえませんが、ニュアンスとしては間違っていないのでは? ------------------------------------ ニュアンスとして間違っています。 abcさんの説明は (any)の持つ、そのままの内容・意味です。 ニュアンス・・・言外に漂わす、本内容・意味との微妙な差異 なんだから ------------------------------------- 大事なのは、まさに誰であっても、ということだと思います。おそらく侵略者にとって脅威とはなりえない全く平凡な市民、老人、けが人であっても、といったような受け取り方ですが… -------------------------------------- ではなく (反乱・抵抗の積極意志を持つ人、持たない人にも関わらず)がニュアンスでしょ。 長くなりました。 REMOTE ADDR 61.205.94.234 おだんご便意屁 02/10/24 17 45 15 abcさんの常識ある感性、整理人さんの真実を見極める常識ある感性、これまでその常識的感性に乏しい 何が何でもあった派の強弁、詭弁にさらされてきた 私にとって その当時のラーべのごとく胸を撫で下ろしている次第ですわ。 撹乱工作しようとする中国側、その情勢のなか反乱、暴動を警戒し実力を以って治安に務める日本側、そのハザマで右往左往する人民、それらを念頭に置きこのラーべ の記述からその文意を汲み取る感性というものが必要不可欠ですわな。 その感性に欠ける 何が何でもあった派 は カチカチのお団子の如く硬直した思考回路で 実践英語に通用しない お受験文法講釈 を延々と念仏唱和を繰り返すばかり。将軍に先を越されてまっせ と言う忠告も馬耳東風の有様で、この南京大虐殺物語宣伝掲示板を 地球をひっくり返してでも虚飾し通そうと言う破廉恥極まりない連中はいったい 目を覚ます日は来るのでしょうかねー。哀れの極めつけで笑。 REMOTE ADDR 218.42.223.13 x 02/10/24 01 28 13 ドイツ語も考慮に入れた翻訳 「このようないかなる中国人の些細な非行も死刑を もって報いを受けるであろう。」 文章全体の繋がりを考慮すればこの訳が妥当と 判断できるはずです。 REMOTE ADDR 218.42.223.58 k-k 02/10/24 01 14 39 全く論点は同種のものだが。 投稿者:竜馬 投稿日:10月18日(金)00時44分04秒 k-kのハグラカシの実況中継だなー(笑 k-kの 南京問題資料集は 南京大虐殺物語宣伝資料集であーる。 >「宣伝されている」証明ができないわけですから、宣伝されていない、ということになっ>た訳ですね。 大虐殺のあった証明ができないわけですから、大虐殺はなかった、ということになった 訳ですね。 証明どころか見解すら示そうとしない=物語宣伝と言われても仕方が無い。 REMOTE ADDR 61.205.94.200 形勢危うしで仲間のタラリ議論もの強制打ち切り(苦笑 02/10/24 00 29 09 わーお k-kの正体またまた自ら暴露(呆れ REMOTE ADDR 61.205.94.167 とほほの宿題はこれ 02/10/24 00 10 30 おーおまえか。それはk-kに言え。おまえはこれに答えろ。 投稿者:竜馬 投稿日:10月23日(水)23時20分54秒 (無題) 投稿者:竜馬 投稿日:10月22日(火)21時57分23秒 k-kや渡辺は ラーべの文章から読み取れるラーべの意識として (The least insurrection)は無かったと曲解したので 俺はそれを論破しただけのこと。それだけの ことだ。 >小泉政権の官房長官が鬼の首でも取ったみたいに、社民、民主、をボロクソに言っているよね?拉致問題に関して、、、。 あの官房長官って非情に頭悪いと思うのだ、はっきりとした根拠もないままに、一個人の人権を侵すことは現法では許されない事なのだ、それを主張していたの民社であり民主な のだ。しかも、北朝鮮が拉致を見とめたからと言って、そのスパイ容疑にかけられた人が関わっていたと言う根拠は未だにないのだ。 >こういう、馬鹿の仲間入りをしたいのかい? 証拠なしに決め付けるのは俺ももちろん反対だ。 だからこそ 容疑 なんだろ。 k-k、渡辺の 原文に (The least insurrection)ささやかな暴動 と書いてあるものをかってに 暴動 にすり替えのごとく 南京大虐殺をあったと断定し、断片的な個人犯罪の事件や、捕虜や便意兵の処刑、不確かな証拠資料をもってあたかも あった かのように見せかけている君らのHPのほうが はるかに許されない行為だと思っている。 拉致の件のスパイ容疑にたいして、それほどの意識のおまえが なぜ、南京大虐殺については断定するのだ? REMOTE ADDR 61.205.94.167 k-k 焼く糞結論?(笑 02/10/24 00 02 07 これでok?(笑 全く論点は同種のものだが。 投稿者:竜馬 投稿日:10月18日(金)00時44分04秒 k-kのハグラカシの実況中継だなー(笑 k-kの 南京問題資料集は 南京大虐殺物語宣伝資料集であーる。 >「宣伝されている」証明ができないわけですから、宣伝されていない、ということになっ>た訳ですね。 大虐殺のあった証明ができないわけですから、大虐殺はなかった、ということになった 訳ですね。 証明どころか見解すら示そうとしない=物語宣伝と言われても仕方が無い。 REMOTE ADDR 61.205.94.167 k-k 02/10/23 23 57 44 REMOTE ADDR 61.205.94.167 オッ!予想どうりついに内部分裂やー(笑 02/10/23 23 55 04 鼻水タラリ >民心なんか始めからも何も、日本軍についているわけ>ないですが。 日の丸、腕章はずさな親日分子と決め付けられると言う 中国軍には民心あったんか?(笑 敵国軍と言うだけで十分日の丸、腕章つけるのは 当然の行動。 それを中国側の撹乱工作の噂ではずしたという事実 は日本側から見ると、大規模な暴動を警戒して当然。 だから、当時日の丸、腕章をはずす行為が The least insurrection と捉えるのが正論であーる。 わかった?鼻水タラリくん。 REMOTE ADDR 61.205.94.153 ジョーン 必死で文法書調べても載っとらんぞー、感性で答えてミー(笑 02/10/23 23 35 19 おい何ぼ調べてものっとらんやろ(笑 返事忘れるなよー。 コメント >最上級のtheと定冠詞のtheをまだ区別できないのか? 笑)文法英語に犯された頭ではどうにもならんなー だったら 最上級と定冠詞の両方表現したい場合 おまえどうするんやー? 文法にうるさいおまえならtheを2つつけるんだろーな(笑 REMOTE ADDR 61.205.94.204 君こそ認めるのら教えてもいいで笑 02/10/23 23 11 19 k-k逃亡中の、論点が全く違うと言う根拠示したら教えたる。 投稿者:竜馬 投稿日:10月23日(水)23時04分35秒 全く論点は同種のものだが。 投稿者:竜馬 投稿日:10月18日(金)00時44分04秒 k-kのハグラカシの実況中継だなー(笑 k-kの 南京問題資料集は 南京大虐殺物語宣伝資料集であーる。 >「宣伝されている」証明ができないわけですから、宣伝されていない、ということになっ>た訳ですね。 大虐殺のあった証明ができないわけですから、大虐殺はなかった、ということになった 訳ですね。 証明どころか見解すら示そうとしない=物語宣伝と言われても仕方が無い。 REMOTE ADDR 61.205.94.243 02/10/23 22 43 50 小さな暴動はわかり易いようにおまえの仲間の訳を引用してあげたの。過去レス探してみアポ。 >最上級のtheと定冠詞のtheをまだ区別できないのか? 笑)文法英語に犯された頭ではどうにもならんなー だったら 最上級と定冠詞の両方表現したい場合 おまえどうするんやー? 文法にうるさいおまえならtheを2つつけるんだろーな(笑 REMOTE ADDR 218.42.223.16 ところで君ら見解正したのか?(笑) 02/10/23 21 42 24 日の丸や腕章の件も単なる 噂 だと言ってたんじゃ なかったのか。 これは事実であると言う事をやっと認めて 亀の一歩前進 て事だな。(笑) REMOTE ADDR 218.42.223.50 鼻水ぼろぼろタラリ 02/10/23 21 27 46 中国兵が南京を奪還するという(撹乱工作)噂が流れた。 南京市民は日の丸を掲げたり、日の丸の腕章を付けていると 日本軍の支持者と疑われて中国兵に攻撃されるのを恐れて 掲揚したり腕章を付けたりするのをやめた。 竜馬はここのところの事情は完璧に理解したうえで、 日本側から見ると、日本の支配下で中国人が日の丸、腕章をやめたのは日本軍への敵対姿勢を示したと受け取るのが当た前である。つまりThe least insurrection はあった。アホやなー。ほんまにアホやで鼻水タラリ。 ここでも 暴動、反乱、謀反についての戦時と平時の 捉え方の違いを認識できないところが想像力の欠落 した君らの脳みそを露呈してるねー。(笑 戦時でなくても、将軍はアホだ なんて言ったら 国家反逆罪で死刑なんて国が今でもあるってのに わからないかねー? REMOTE ADDR 61.205.94.215 02/10/28 22 44 55 K氏というのは、小金井市在住の栗原利一氏のことであるが、栗原氏は自分の意志とは全く逆な報道をされたことに対して、「毎日」に抗議を申し入れた。すなわち栗原氏は、中国側の公式資料集『証言・南京大虐殺』の30万・40万の虐殺に腹を立て、これに反論するため記者に話したのだが、都合のよい部分だけをつまみ食いされ、あのような記事になり、匿名の中傷や悪罵をあびて困っていると抗議したのである。 毎日は、9月27日『記者の目』と題し、「匿名の中傷、卑劣だ」という記事の中で、栗原氏の「大虐殺否定」の真意を小さく報じたが、しかしその大げさな記事の力点は、K氏に対する非難は怪しからんというのであって、記者の誤った報道に対する反省も謝罪のカケラも見られなかった。 実は筆者も電話で栗原氏に真意を聞いてみた。氏は電話口で、「毎日新聞にも本多氏にも、言いもしないことを書かれた。自分の本当に言いたいことは書かないで、結果的には逆なことになってしまった。悔やんでいる」としきりに嘆いていた。 2度電話したがアポイントがとれないので、私は福島にとび、この捕虜事件に関係した第65連隊の連隊砲小隊長平林貞治氏(当時少尉)にお目にかかり事件の真相を聴取した。平林氏は鈴木明氏のインタビューにも応じており、その内容は『「南京大虐殺」のまぼろし』にあるので、ここでは詳細は省略し、慨要のみにとどめる。 (1) わが方の兵力は、上海の激戦で死傷者続出し、出発時の約3分の1の1500足らずとなり、その上に、へとへとに疲れ切っていた。しかるに自分たちの10倍近い1万4000の捕虜をいかに食わせるか、その食器さがしにまず苦労した。 (2) 上元門の校舎のような建物に簡単な竹矢来をつくり収容したが、捕虜は無統制で服装もまちまち、指揮官もおらず、やはり疲れていた。山田旅団長命令で非戦闘員と思われる者約半数をその場で釈放した。 (3) 2日目の夕刻火事があり、混乱に乗じてさらに半数が逃亡し、内心ホットした。その間逆襲の恐怖はつねに持っていた。 (4) 彼らをしばったのは彼らのはいている黒い巻き脚絆(ゲートル)。ほとんど縛ったが縛ったにはならない。捕虜は約4千、監視兵は千人たらず、しかも私の部隊は砲兵で、小銃がなくゴボウ剣(銃剣の事)のみ。出発したのは正午すぎ、列の長さ約4キロ、私は最後尾にいた。 (5) 騒動が起きたのは薄暮れ、左は揚子江支流、右は崖で、道は険岨となり、不吉な予感があった。突如中洲の方に銃声があり、その銃声を引き金に、前方で叫喚とも喊声ともつかぬ異様な声が聞こえた。 (6) 最後列まで一斉に狂乱となり、機銃は鳴り響き、捕虜は算を乱し、私は軍刀で、兵はゴボウ剣を片手に振り回し、逃げるのが精一杯であった。 (7) 静寂にかえった5時半ころ、軽いスコールがあり、雲間から煌々たる月が顔を出し“鬼哭愁々”の形容詞のままの凄惨な光景はいまなお眼底にほうふつたるものがある。 (8) 翌朝私は将校集会所で、先頭付近にいた1人の将校(特に名は秘す)が捕虜に帯刀を奪われ、刺殺され、兵6名が死亡、10数名が重軽傷を負った旨を知らされた。 (9) その翌日全員また使役に駆り出され、死体の始末をさせられた。作業は半日で終わったと記憶する。中国側の死者1000~3000人ぐらいと言われ、(注(1))葦の中に身を隠す者を多く見たが、だれ1人これをとがめたり撃つ者はいなかった。 我が軍の被害が少なかったのは、彼らが逃亡が目的だったからと思う。 以上が平林氏の証言である。 「ゼンボー」(60年3月号)によると、畠中秀夫氏は栗原氏と会い、栗原氏の証言を記述している。 それによると、内容はほとんど平林氏の証言と一致していた。 栗原氏は畠中氏にこういったと言う。 「毎日新聞の記事を見てびっくりした。言っていないことが記事に出ており、30万虐殺説に抗議して喋ったのが、一転して私自身が大虐殺の証人に仕立て上げられてしまった」と。 また、本多記者に対しては、「本多という人は中国人の言うウソばかり書いている。気がどうかしているのではないかと思う。私はこの人にも裏切られた思いだ。私の言わなかった事まで書いてあり、全体は私の言おうとしていることとは別のことになっている。のせられたのです・・・・・」と。 「毎日」の記者にも、本多記者にも、栗原氏は「完全にのせられた」をくり返して憤慨していたそうである。例えば「対岸で釈放」ということで捕虜を護送したのに、私が虐殺の張本人になっている。 マスコミは第4の権力と言われる。ひとたび大新聞の見出しに大々的に出されてしまったら、それは違う、間違っている、と言ってもあとの祭りである。虐殺をしていないのに、1万3千人もの大虐殺の犯人(注(2))に仕立て上げられたことは、栗原さんにとって不名誉な誹謗であるばかりでなく、このような社会的影響力甚大な言論の暴力は、日本の歴史に対し、日本と日本民族に対する悪質な中傷であり、蔑視であり、冒涜であると言わねばならぬ。彼らがそれほどまでにして、南京に大虐殺があったとし、ありもせぬ日本の恥辱を内外にプロパガンダし、中国側の誇大宣伝に迎合しなければならない理由は一体何なのか? 〈注〉中国側捕虜の死者については、(1)5千~6千(栗原)、2千(星俊蔵軍曹)、千~3千(平林少尉)とまちまちである。人間の眼や記憶がいかに不確かなものかその例証と言えよう。(2)捕虜の脱走又は反乱は「即時射殺」これは戦時国際法の認めるところである。 REMOTE ADDR 218.42.223.35 それまたご自由に。但しおやっさんの意思を逸して暴走せんほうがよろしいやろなー。 02/10/28 22 29 26 <南京陥落後、無抵抗の捕虜を大量処分したことは事実だ。この事実をいくら日本側が否定しても、中国に生き証人がいくらでもいる以上かくしきれるものではない。事実は事実としてはっきり認め、そのかわり中国側も根拠のない誇大な数字は出さないでほしいと思う。中国側では「四〇万人が虐殺された」といっているらしいが〔注〕、それは果たしてどこまで具体的な資料をもとにしたものなのか。あと二〇年もたてば、もう事実にかかわった直接当事者は両国ともほとんどいなくなってしまうだろう。今のうちに、本当に体験した者が、両国ともたがいに正確な事実として言い残しておこうではないか。真の日中友好のためにはそのような作業が重要だと思う。……> REMOTE ADDR 61.205.94.228 02/10/28 18 45 45 そんな程度のことは当たり前ですよ。あの戦争では どう当たり前なのか? 中国軍のやらかした 如何にもむごたらしい通州大虐殺 なども含めて当たり前だったと言いたいのかい? 勇気も何も、過去の個人的犯罪を自白したいなら ご自由にとしか言いようがないね。 REMOTE ADDR 61.205.94.188 捕虜の処刑は 大虐殺物語宣伝に利用されている。 02/10/28 18 20 05 軍民合わせて30?40?万人組織的大虐殺物語のほとんどが 軍=国際法違反の便衣兵や捕虜の処刑でつずられている。 巻き添えになった民間人以外の虐殺については、 否定派がその証拠や資料の提示を求めても全く出てこない。 物語宣伝派は、当時少なくとも中国軍では当たり前で あった捕虜の処刑について、敢て日本軍側を問題に した上、それをもって軍民のほとんど無いに等しい民の部分を肯定的な印象を与えるべく、利用しているだけである。 あなたの父さんがもし、民間人虐殺をしたと言うのなら 個人的犯罪としては事実として認められるかも しれませんが。それ以上の意味はないでしょうね。 REMOTE ADDR 61.205.94.159 真実に良識的物語は通用せず。 02/10/28 10 36 29 (引用) k-k 投稿者:竜馬 投稿日:10月27日(日)23時02分58秒 すでに2chでも肯定派がボロカスチョンに論破されているように、 おまえの 南京大虐殺物語宣伝資料集 のほうがよっぽ大問題や。 おまえ自ら「証拠」が存在する可能性の低いと言う物語を、まるで 歴史の真実 であるかのように印象宣伝しとるのは われわれ現代日本人に対して多大な損害を与えていると同時に 死者に対する名誉毀損 をも含む 途方も無く絶大な罪 であることを自覚したうえで釈明、謝罪せい。 REMOTE ADDR 61.205.94.182 これらの強弁、詭弁投稿で南京大虐殺物語がどのようにして作り上げられたか想像つきますね(笑 02/10/27 22 00 05 Hide - 02/10/25 22 17 33 コメント >私の場合、日本語から英語への通訳を生業としているプロですが、ここ何年もの間、素人の方の素っ頓狂な英語には悩まされつづけています。 私の場合、業務効率化のため英文化の作業を外注することがあるのですが、プロの通訳の方の素っ頓狂な英語に悩まされることがよくあります。 >もちろん、ビジネスの場合、中身さえ通じればそれで事はすんでしまうのですが、歴史的なもの、政治的なものの場合、まず言葉の正確さは、大前提のはずです。プロが訳し、それを歴史家の方、専門家の方たちがチェックすると言う行為を踏まえるべきではないでしょうか? プロがしばしば正確さに欠ける訳をつけるのは上で述べた通りです。 ロム屋 - 02/10/25 08 18 47 電子メールアドレス 最後に コメント 訳の問題もほとんど片付きましたが、最後に。 abcさん、説明すればするほど矛盾を露呈しているよ。 abcさんの投稿を整理。 ------------------------------------------------- ■abc - 02/10/24 02 59 56 英文を素直に訳せば「このような些細な叛乱(抵抗)」という以外にはどう考えても読めません ■abc - 02/10/25 01 21 39 「最もlittleなinsurrection」と、最上級の表現を使っているのは、英語が母国語の人間として言いますが、具体的なある行動がこの文章の前にかかれていて、それが「想定できる(数ある)些細な叛乱」の中でも、「最も細微なもの」に属する行為だからです ■abc - 02/10/24 13 10 38 おそらくここでの筆者は何かと何かを比べた上で最上級を使っているのではなく、一般的にこんな瑣末な事でさえ、といっているように思われるからです --------------------------------------------------- abcさんの説明によれば 前段で説明した具体的な行動を指し、(このような些細な抵抗)と訳するのは自然というわけだ。 それでは簡単に、指されている具体的な行動を並べてみましょう。 -------------------------------------- ?安全区の小屋や家々に飾られていた小さな日の丸が姿を消した。・・・些細な抵抗 ?すべての中国人がつけていた日本の腕章すら消え・・・些細な抵抗 ?相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えたという。・・・戦時反逆、大規模な抵抗 -------------------------------------- 「このような些細な」という訳だと 前段の(些細な抵抗ではない?) を含めてしまうでしょ。 だから日本語にする際には「このような」と補ってはいけません。 言語はパズルではないとか言う以前の、和訳の初歩的ミス。 ●ニュアンスについて● ----------------------------------- abc - 02/10/24 13 10 38 それから、「老人であろうが」のくだりですが、おそらく日本軍の慈悲のなさ、無差別的に不法な「処刑」を繰り返す行為にたいしてどんな中国人であっても、といっていると思われるので、そのように行間を読む事ができるだろう、と書いた次第です。 もちろん、そこには叛乱に対する意志も含まれますが、大事なのは、まさに誰であっても、ということだと思います。おそらく侵略者にとって脅威とはなりえない全く平凡な市民、老人、けが人であっても、といったような受け取り方ですが…もちろん、前後に書かれていただろう事を想像しているので、私としてもはっきりした事はいえませんが、ニュアンスとしては間違っていないのでは? ------------------------------------ ニュアンスとして間違っています。 abcさんの説明は (any)の持つ、そのままの内容・意味です。 ニュアンス・・・言外に漂わす、本内容・意味との微妙な差異 なんだから ------------------------------------- 大事なのは、まさに誰であっても、ということだと思います。おそらく侵略者にとって脅威とはなりえない全く平凡な市民、老人、けが人であっても、といったような受け取り方ですが… -------------------------------------- ではなく (反乱・抵抗の積極意志を持つ人、持たない人にも関わらず)がニュアンスでしょ。 長くなりました。 REMOTE ADDR 61.205.94.234 おだんご便意屁 02/10/24 17 45 15 abcさんの常識ある感性、整理人さんの真実を見極める常識ある感性、これまでその常識的感性に乏しい 何が何でもあった派の強弁、詭弁にさらされてきた 私にとって その当時のラーべのごとく胸を撫で下ろしている次第ですわ。 撹乱工作しようとする中国側、その情勢のなか反乱、暴動を警戒し実力を以って治安に務める日本側、そのハザマで右往左往する人民、それらを念頭に置きこのラーべ の記述からその文意を汲み取る感性というものが必要不可欠ですわな。 その感性に欠ける 何が何でもあった派 は カチカチのお団子の如く硬直した思考回路で 実践英語に通用しない お受験文法講釈 を延々と念仏唱和を繰り返すばかり。将軍に先を越されてまっせ と言う忠告も馬耳東風の有様で、この南京大虐殺物語宣伝掲示板を 地球をひっくり返してでも虚飾し通そうと言う破廉恥極まりない連中はいったい 目を覚ます日は来るのでしょうかねー。哀れの極めつけで笑。 REMOTE ADDR 218.42.223.13 x 02/10/24 01 28 13 ドイツ語も考慮に入れた翻訳 「このようないかなる中国人の些細な非行も死刑を もって報いを受けるであろう。」 文章全体の繋がりを考慮すればこの訳が妥当と 判断できるはずです。 REMOTE ADDR 218.42.223.58 k-k 02/10/24 01 14 39 全く論点は同種のものだが。 投稿者:竜馬 投稿日:10月18日(金)00時44分04秒 k-kのハグラカシの実況中継だなー(笑 k-kの 南京問題資料集は 南京大虐殺物語宣伝資料集であーる。 >「宣伝されている」証明ができないわけですから、宣伝されていない、ということになっ>た訳ですね。 大虐殺のあった証明ができないわけですから、大虐殺はなかった、ということになった 訳ですね。 証明どころか見解すら示そうとしない=物語宣伝と言われても仕方が無い。 REMOTE ADDR 61.205.94.200 形勢危うしで仲間のタラリ議論もの強制打ち切り(苦笑 02/10/24 00 29 09 わーお k-kの正体またまた自ら暴露(呆れ REMOTE ADDR 61.205.94.167 とほほの宿題はこれ 02/10/24 00 10 30 おーおまえか。それはk-kに言え。おまえはこれに答えろ。 投稿者:竜馬 投稿日:10月23日(水)23時20分54秒 (無題) 投稿者:竜馬 投稿日:10月22日(火)21時57分23秒 k-kや渡辺は ラーべの文章から読み取れるラーべの意識として (The least insurrection)は無かったと曲解したので 俺はそれを論破しただけのこと。それだけの ことだ。 >小泉政権の官房長官が鬼の首でも取ったみたいに、社民、民主、をボロクソに言っているよね?拉致問題に関して、、、。 あの官房長官って非情に頭悪いと思うのだ、はっきりとした根拠もないままに、一個人の人権を侵すことは現法では許されない事なのだ、それを主張していたの民社であり民主な のだ。しかも、北朝鮮が拉致を見とめたからと言って、そのスパイ容疑にかけられた人が関わっていたと言う根拠は未だにないのだ。 >こういう、馬鹿の仲間入りをしたいのかい? 証拠なしに決め付けるのは俺ももちろん反対だ。 だからこそ 容疑 なんだろ。 k-k、渡辺の 原文に (The least insurrection)ささやかな暴動 と書いてあるものをかってに 暴動 にすり替えのごとく 南京大虐殺をあったと断定し、断片的な個人犯罪の事件や、捕虜や便意兵の処刑、不確かな証拠資料をもってあたかも あった かのように見せかけている君らのHPのほうが はるかに許されない行為だと思っている。 拉致の件のスパイ容疑にたいして、それほどの意識のおまえが なぜ、南京大虐殺については断定するのだ? REMOTE ADDR 61.205.94.167 k-k 焼く糞結論?(笑 02/10/24 00 02 07 これでok?(笑 全く論点は同種のものだが。 投稿者:竜馬 投稿日:10月18日(金)00時44分04秒 k-kのハグラカシの実況中継だなー(笑 k-kの 南京問題資料集は 南京大虐殺物語宣伝資料集であーる。 >「宣伝されている」証明ができないわけですから、宣伝されていない、ということになっ>た訳ですね。 大虐殺のあった証明ができないわけですから、大虐殺はなかった、ということになった 訳ですね。 証明どころか見解すら示そうとしない=物語宣伝と言われても仕方が無い。 REMOTE ADDR 61.205.94.167 k-k 02/10/23 23 57 44 REMOTE ADDR 61.205.94.167 オッ!予想どうりついに内部分裂やー(笑 02/10/23 23 55 04 鼻水タラリ >民心なんか始めからも何も、日本軍についているわけ>ないですが。 日の丸、腕章はずさな親日分子と決め付けられると言う 中国軍には民心あったんか?(笑 敵国軍と言うだけで十分日の丸、腕章つけるのは 当然の行動。 それを中国側の撹乱工作の噂ではずしたという事実 は日本側から見ると、大規模な暴動を警戒して当然。 だから、当時日の丸、腕章をはずす行為が The least insurrection と捉えるのが正論であーる。 わかった?鼻水タラリくん。 REMOTE ADDR 61.205.94.153 ジョーン 必死で文法書調べても載っとらんぞー、感性で答えてミー(笑 02/10/23 23 35 19 おい何ぼ調べてものっとらんやろ(笑 返事忘れるなよー。 コメント >最上級のtheと定冠詞のtheをまだ区別できないのか? 笑)文法英語に犯された頭ではどうにもならんなー だったら 最上級と定冠詞の両方表現したい場合 おまえどうするんやー? 文法にうるさいおまえならtheを2つつけるんだろーな(笑 REMOTE ADDR 61.205.94.204 君こそ認めるのら教えてもいいで笑 02/10/23 23 11 19 BR k-k逃亡中の、論点が全く違うと言う根拠示したら教えたる。 投稿者:竜馬 投稿日:10月23日(水)23時04分35秒 全く論点は同種のものだが。 投稿者:竜馬 投稿日:10月18日(金)00時44分04秒 k-kのハグラカシの実況中継だなー(笑 k-kの 南京問題資料集は 南京大虐殺物語宣伝資料集であーる。 >「宣伝されている」証明ができないわけですから、宣伝されていない、ということになっ>た訳ですね。 大虐殺のあった証明ができないわけですから、大虐殺はなかった、ということになった 訳ですね。 証明どころか見解すら示そうとしない=物語宣伝と言われても仕方が無い。 REMOTE ADDR 61.205.94.243 02/10/23 22 43 50 小さな暴動はわかり易いようにおまえの仲間の訳を引用してあげたの。過去レス探してみアポ。 >最上級のtheと定冠詞のtheをまだ区別できないのか? 笑)文法英語に犯された頭ではどうにもならんなー だったら 最上級と定冠詞の両方表現したい場合 おまえどうするんやー? 文法にうるさいおまえならtheを2つつけるんだろーな(笑 REMOTE ADDR 218.42.223.16 ところで君ら見解正したのか?(笑) 02/10/23 21 42 24 日の丸や腕章の件も単なる 噂 だと言ってたんじゃ なかったのか。 これは事実であると言う事をやっと認めて 亀の一歩前進 て事だな。(笑) REMOTE ADDR 218.42.223.50 鼻水ぼろぼろタラリ 02/10/23 21 27 46 中国兵が南京を奪還するという(撹乱工作)噂が流れた。 南京市民は日の丸を掲げたり、日の丸の腕章を付けていると 日本軍の支持者と疑われて中国兵に攻撃されるのを恐れて 掲揚したり腕章を付けたりするのをやめた。 竜馬はここのところの事情は完璧に理解したうえで、 日本側から見ると、日本の支配下で中国人が日の丸、腕章をやめたのは日本軍への敵対姿勢を示したと受け取るのが当た前である。つまりThe least insurrection はあった。アホやなー。ほんまにアホやで鼻水タラリ。 ここでも 暴動、反乱、謀反についての戦時と平時の 捉え方の違いを認識できないところが想像力の欠落 した君らの脳みそを露呈してるねー。(笑 戦時でなくても、将軍はアホだ なんて言ったら 国家反逆罪で死刑なんて国が今でもあるってのに わからないかねー? REMOTE ADDR 61.205.94.182 曲解軍団のおとぼけ 02/10/23 11 20 49 「どのような中国人側の小さな暴動ですら死刑で罰 せられるであろう」 という仮定の文章であることは、再三が明らかにされているではないか 君のは日本語のよくあることで、たまたま訳文の 見かけは一致しているが、それを仮定としている ところが曲解だと再三いってるのよね。 日の丸や腕章の件はラーべは事実として認識しており 少なくともその事実は小さな暴動(The least insurrection)に相当する。 したがって 小さな暴動がなかった と言うのは 曲解であり、大嘘であーる。 ジョーンくんの指摘はすべて 22スレまで今も続いている2chの南京スレですべて再三論破されたもので ほとんどの肯定派は議論に敗走し 便意屁敗残兵 がお情けで飼われている状態だ。(笑) 対立点は 日の丸や腕章の件はラーべは事実としての認識なのか それともその件は 噂 で事実でなかったかだな。 事実であるのは腐った頭ではわからんようですね(スカタンで笑 REMOTE ADDR 218.42.223.29 ロム屋 とうに出とるから自分でさがせーのーたりん(笑 02/10/23 02 09 41 結論 - 02/10/23 02 00 11 コメント k-kや渡辺は ラーべの文章から読み取れるラーべの意識として (The least insurrection)は無かったと曲解したので 俺はそれを論破しただけのこと。それだけの ことだ。 >小泉政権の官房長官が鬼の首でも取ったみたいに、社民、民主、をボロクソに言っているよね?拉致問題に関して、、、。 あの官房長官って非情に頭悪いと思うのだ、はっきりとした根拠もないままに、一個人の人権を侵すことは現法では許されない事なのだ、それを主張していたの民社であり民主な のだ。しかも、北朝鮮が拉致を見とめたからと言って、そのスパイ容疑にかけられた人が関わっていたと言う根拠は未だにないのだ。 >こういう、馬鹿の仲間入りをしたいのかい? 証拠なしに決め付けるのは俺ももちろん反対だ。 だからこそ 容疑 なんだろ。 k-k、渡辺の 原文に (The least insurrection)ささやかな暴動 と書いてあるものをかってに 暴動 にすり替えのごとく 南京大虐殺をあったと断定し、断片的な個人犯罪の事件や、捕虜や便意兵の処刑、不確かな証拠資料をもってあたかも あった かのように見せかけている君らのHPのほうが はるかに許されない行為だと思っている。 拉致の件のスパイ容疑にたいして、それほどの意識のおまえが なぜ、南京大虐殺については断定するのだ? REMOTE ADDR 218.42.223.29 結論 02/10/23 02 00 11 k-kや渡辺は ラーべの文章から読み取れるラーべの意識として (The least insurrection)は無かったと曲解したので 俺はそれを論破しただけのこと。それだけの ことだ。 >小泉政権の官房長官が鬼の首でも取ったみたいに、社民、民主、をボロクソに言っているよね?拉致問題に関して、、、。 あの官房長官って非情に頭悪いと思うのだ、はっきりとした根拠もないままに、一個人の人権を侵すことは現法では許されない事なのだ、それを主張していたの民社であり民主な のだ。しかも、北朝鮮が拉致を見とめたからと言って、そのスパイ容疑にかけられた人が関わっていたと言う根拠は未だにないのだ。 >こういう、馬鹿の仲間入りをしたいのかい? 証拠なしに決め付けるのは俺ももちろん反対だ。 だからこそ 容疑 なんだろ。 k-k、渡辺の 原文に (The least insurrection)ささやかな暴動 と書いてあるものをかってに 暴動 にすり替えのごとく 南京大虐殺をあったと断定し、断片的な個人犯罪の事件や、捕虜や便意兵の処刑、不確かな証拠資料をもってあたかも あった かのように見せかけている君らのHPのほうが はるかに許されない行為だと思っている。 拉致の件のスパイ容疑にたいして、それほどの意識のおまえが なぜ、南京大虐殺については断定するのだ? REMOTE ADDR 61.205.94.189 時代遅れ 聞きながらはよ寝ろあほ 02/10/23 01 53 50 ロム屋 - 02/10/23 01 07 22 REMOTE ADDR 61.205.94.189 02/10/23 01 49 36 戦闘状態か否かにかかわらず安全区を攻撃することは 安全区を 攻撃?寝言は寝てから言え。ボケ REMOTE ADDR 61.205.94.189 02/10/23 01 44 29 おいおい、日本の南京攻略軍は交戦法規を守らなく て も良いのか? あほ 国際法違反の中国便衣兵が先 REMOTE ADDR 61.205.94.189 02/10/23 01 40 57 軍事裁判にも掛けず 殺害することは「非難の的」になってしかるべきだよ 今の感覚で判断するところが ま ぬ け 何人 軍事裁判にかけろと言うんやおまえ? 死ぬか殺されるかの世界ですよー REMOTE ADDR 61.205.94.189 02/10/23 01 37 48 中国軍は軍が崩壊して壊滅状態、戦闘状態は事実上終結しており、戦闘状態が未だ続いていると強弁すること自体間違い。 戦闘状態か否かにかかわらず安全区を攻撃することは 問題大有り。 あほ それは戦後に判ること。 その状況が当時即座に、敵である日本側に認識は できない。 REMOTE ADDR 61.205.94.143 お前のような日本人?に日本語習うようなもんだな(笑 02/10/23 01 31 33 ラーベに聞けよ。 ラーベの日記から読みとれるのは、「最も小規模な暴動」が、 >まず、安全区の家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。 >中国人のほぼ全員がつけていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、 >相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えていたという を指していると解釈する坂本氏が間違っているということ その理由は? 聞くまでも無く書いてあるね。ラーべ自身がそのように示しているぞー(笑 あほうかおまえ? REMOTE ADDR 61.205.94.157 南京大虐殺物語への疑問 02/10/23 01 02 35 313 名前:名無しかましてよかですか? :02/10/23 00 23 ID N3sibGP4 >日本軍が入城する前の南京では、 >公然と中国兵による民間人虐殺・略奪が行われていた事は証明されています 入城した日本軍はそこらじゅう死体だらけでびっくりしたでしょうね。 当時の兵隊さんの気持ちを思うと胸が締め付けられるようで辛いです。 314 名前:名無しかましてよかですか? :02/10/23 00 26 ID +pk45bzU さらに民間人が虐殺されたと言うなら、安全区委員会の不手際・責任が問題になりますね。 上海においては安全区は機能していましたが 日本軍の降伏勧告を無視して南京を戦場にしたのはシナ軍司令官であり 当然に民間人の安全を図る責任は、まずシナ側にあります。 日本軍においては、南京が戦場である以上、多少の民間人の犠牲はやむをえないものであり さらに日本軍は安全区については攻撃をしていませんので問題ないと思います。 安全区については、民間服を身にまとったシナ兵が侵入しており、 司令官が降伏をせずに徹底抗戦命令を出したまま逃げているので、 戦闘状態がいまだ続いているわけで、安全区に対して攻撃をしかけても問題ないところ それをせず各個に摘出した行為は賞賛に値することすれ非難される覚えは全くないと思います。 315 名前:名無しかましてよかですか? :02/10/23 00 27 ID +pk45bzU 313 日本兵捕虜の死体は、南京の城門に吊るし下げられていたらしいですよ。 316 名前:グース ◆EaCIEP/BRA :02/10/23 00 29 ID wo2Xkcuz 309 >川岸には折り重なった死体 については写真も残ってるし、地上に埋葬され分もかなりある。 場所によっては、河に流すよりも陸上に埋葬した方が手っ取り 早い場合もあるわけだ。 日本側の記録によれば、船外発動機つき5隻の民間船で 死体を一体ずつ引っ掛けて、河の流れのある部分まで引っ張って 1000数百体を河に流したという記録がある。 これら死体は状況から考えて軍人が多数だろうから 数万単位の民間人が殺害された証拠にはならないわけね。 317 名前:名無しかましてよかですか? :02/10/23 00 30 ID +pk45bzU 結論から言えば、シナの司令官・高官は 民 間 人 を 肉 の 盾 に し て 逃げる事にしたということになるでしょう。 (省略されました・・全てを読むにはここを押してください) 318 名前:名無しかましてよかですか? :02/10/23 00 30 ID N3sibGP4 なるほど。 それが南京の真相だったんですね。 納得。 319 名前:名無しかましてよかですか? :02/10/23 00 33 ID N3sibGP4 それにしても中国人は酷いですね。 自分たちが行った大虐殺を全部日本人のせいにするなんて。 賠償金をもらうべきは日本の方じゃないですか。 320 名前:名無しかましてよかですか? :02/10/23 00 36 ID +pk45bzU 319 戦後中国国内を徹底的に言論統制して、日本側の反論は受け付けない (これはアメリカについてもいえることアメリカは日本を言論統制までした。その程度は戦時中より激烈だよ) 日本側としては、アメリカに尻尾振るか 中国に尻尾振るか 真っ二つってことだね 321 名前:グース ◆EaCIEP/BRA :02/10/23 00 40 ID wo2Xkcuz 310 >これらの証言で重要なのは,何万人もの死体が >揚子江を流れていった、という点だ。 そういうことが「 ありえない 」んだけどね。 揚子江は「 池 」じゃないから、当然流れがあるでしょ? そこで日時が問題になるんだけど、赤星証言は「12月14日」と なっている。揚子江岸で戦闘があったのは「12月13日午後」 あたりだから、それらの死体が14日に流れているわけがない。 また、14日に数万規模の処刑が行われ、それをわざわざ河に 流したという記録もない。この時期、外国船舶も揚子江上には いるんだよね。ところがそういう数万の死体が流れているという 記録はないでしょ? つまり、これらの証言で「数万規模の”民間人の”死体」が (省略されました・・全てを読むにはここを押してください) REMOTE ADDR 61.205.94.157 そんなに脱皮は難しいか?(笑 02/10/23 00 52 23 少なくとも 日の丸と腕章の件(ささやかな暴動、反乱)はラーべの事実認識 (略) あったと認識してるわけ。 この点は、すでに訳の問題として、反論がなされているわけですね。 解釈の問題で反論なーし。 >>文法上の議論は、放棄したと考えてよいのですか? あほ 文法受験英語が実践英会話に通用しない 典型でんな(笑 はやく これに回答せよ。 誰が一番先に脱皮できるかなー?(笑) - 02/10/22 23 19 16 コメント 将軍に先を越されたk-kくん 投稿者:竜馬 投稿日:10月22日(火)23時05分00秒 まだ言っているのかー。おまえの長文自体が最悪の荒らしと言ったろー。 君らは単に 暴動 とすり替えた上で無かったと主張したが、 ラーべの文章から読み取れるラーべの意識として (The least insurrection) は有ったのか無かったのかどっちかな? yesかnoか わからない で答えてごらん k-kくん。 ■ぼうどう 【暴動】 徒党を組んで社会秩序を乱すような行動をとること。「―をおこす」「―がおきる」〔明治期に作られた語〕 ■はんこう ―かう 【反抗】 (名)スル (年長者や権威・権力に)手向かうこと。命令・言いつけに従わないこと。「親に―する」「―心」 ついでに ささやかな暴動 と 反乱 も調べてみたらどうかね? REMOTE ADDR 218.42.223.62 ジョーン 02/10/23 00 32 56 苦笑)だーかーら ラーべの意識の中の >最も小規模な暴動 とは何やと聞いとんねや、おんどれ(笑 REMOTE ADDR 218.42.223.47 ハイド君 02/10/22 23 26 44 戦時の南京でも?(笑 REMOTE ADDR 218.42.223.47 ジョンくん 02/10/22 23 22 54 だったら ささやかな暴動 て何?(笑 REMOTE ADDR 218.42.223.47 誰が一番先に脱皮できるかなー?(笑) 02/10/22 23 19 16 将軍に先を越されたk-kくん 投稿者:竜馬 投稿日:10月22日(火)23時05分00秒 まだ言っているのかー。おまえの長文自体が最悪の荒らしと言ったろー。 君らは単に 暴動 とすり替えた上で無かったと主張したが、 ラーべの文章から読み取れるラーべの意識として (The least insurrection) は有ったのか無かったのかどっちかな? yesかnoか わからない で答えてごらん k-kくん。 ■ぼうどう 【暴動】 徒党を組んで社会秩序を乱すような行動をとること。「―をおこす」「―がおきる」〔明治期に作られた語〕 ■はんこう ―かう 【反抗】 (名)スル (年長者や権威・権力に)手向かうこと。命令・言いつけに従わないこと。「親に―する」「―心」 ついでに ささやかな暴動 と 反乱 も調べてみたらどうかね? REMOTE ADDR 61.205.94.254 結局捏造軍団は・・・ 02/10/22 19 32 38 結局一言で言えば 原文の ささやかな暴動 と書いてあるものを かってに 暴動 にすり替えなかったなかったと 曲解してるわけですね。チヤ-ンちゃん(笑) REMOTE ADDR 61.205.94.217 鼻水タラリ 02/10/22 19 16 44 何度言えばわかるんでしょうか? 少なくとも 日の丸と腕章の件(ささやかな暴動、反乱)はラーべの事実認識 として記述されている。 それはラーべの意識の中でThe least insurrection に 含まれていると解釈すべきですね。 つまりラーべ自身がThe least insurrection は あったと認識してるわけ。 難民が日本大使館を襲う事態は ささやかな暴動 じゃ無いよね。 まさか鼻水、撹乱工作や日の丸、腕章の件の ささやかな暴動すらなかったと言うつもりじゃないだろうねタラリくん? REMOTE ADDR 61.116.199.146 整理人 02/10/22 14 23 05 誰がどう見ても勝負はついているようです。 渡辺氏の悪あがきにしか見えませんが? (引用開始) ラーべ自身のThe least insurrection(安全区の家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつ けていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日 本大使館を襲おうと考えていたという)は事実であり 少なくとも 日の丸と腕章の件(ささやかな暴動、反乱)はラーべの事実認識 として記述されている。 従って 渡辺指摘の >暴動が起きれば死刑に るだろう」か、「暴動で(既に)つかまった中国人 が死刑なるだろう」かということでしょうが は全くの的外れな曲解ですね。 ラ-べは中国側のThe least insurrectionを 噂や事実、ミルズからの伝聞として示しながら これらを受けて、「死刑によって報いを受けるであろう」としているのは明らか。 ※ODN オープンデータネットワーク(日本テレコム株式会社) REMOTE ADDR 61.205.94.176 アメリカ人が大笑いの渡辺英語 02/10/22 11 58 10 、"The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death."の部分は未来形 で記述されています。「暴動が起きれば死刑に るだろう」か、「暴動で(既に)つかまった中国人 が死刑なるだろう」かということでしょうが、主 語が"The least insurrection"になっています。 もし既に暴動が起きて中国人が捕まっているので あれば、Chineseが主語になり、このような回りくどい 表現にならなくなると思います。またその 場合、"any"も使わないと思います。 以上の2点からは、この日記が書かれた時は単に噂 であり、実際には暴動は起きていないものと判断致 します。 ラーべ自身のThe least insurrection(安全区の家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつ けていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日 本大使館を襲おうと考えていたという)は事実であり 少なくとも 日の丸と腕章の件(ささやかな暴動、反乱)はラーべの事実認識 として記述されている。 従って 渡辺指摘の >暴動が起きれば死刑に るだろう」か、「暴動で(既に)つかまった中国人 が死刑なるだろう」かということでしょうが は全くの的外れな曲解ですね。 ラ-べは中国側のThe least insurrectionを 噂や事実、ミルズからの伝聞として示しながら これらを受けて、「死刑によって報いを受けるであろう」としているのは明らか。 まあ渡辺くんの場合読解能力の欠落であり、k-kの救いようの無い醜い罪に比するに まだ救われる罪かも しれませんね。いまひとつの忠告は意地を張らず 潔く納得しなさい と言うことですね(笑 REMOTE ADDR 61.205.94.141 k-k捏造軍団 02/10/22 03 27 55 ボロボロでんなー(苦笑 これほど完璧明確に暴露された醜態実話はないな。 おまえら受験生バカにしてんのか? こんな低レベルの英文解釈を改竄できる と思っているのが低脳捏造軍団の証(哀れですねー こんな人間には間違ってもならぬよう。屑です。 REMOTE ADDR 61.205.94.245 哀れ極まりない捏造軍団へ 02/10/22 02 40 19 君らの 目を覆うような醜態実話 の完成だ。 今日の実話は複数のHPにて公表される手配になっている のでお楽しみに。もう配信済みだ(笑 おそらく君らの腐り具合に呆れ果てた受験生あたり から、内部崩壊の運命を辿るだろう。 自業自得だな ($・・)/~~~ REMOTE ADDR 218.42.223.31 k-kくん 02/10/22 01 58 25 >以上のことを考慮すると、竜馬くんの訳である >「このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑>になるであろう。」 > では、ウィルソンの記述と一致しないことになりま>す。 > つまり、暴動は実際には起きなかったと考えるのが>妥当でしょう。 ラーべの記述の解釈に、なぜウィルソン記述の噂 を当てはめる?屁理屈はやめては?(笑 まずラーべ記述についてのわたしの訳、および ラーべ自身のThe least insurrection の認識のわたしの解釈が間違っているのか正しいのかはっきり示すのが 筋。 君はラーべ記述とウィルソン記述の矛盾を指摘 しながら、あたかも ラーべ記述の私の訳 「このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑>になるであろう。」が間違いであるかのように 印象ずける君の錯覚誘導文章は卑怯そのもの。 ラーべとウィルソンの記述の 整合性については まずラーべ記述についてのわたしの訳、および ラーべ自身のThe least insurrection の認識のわたしの解釈が間違っているのか正しいのか 君がはっきり潔く示した後だ。 ロム屋 くん これ読みなさい。 一方渡辺訳は、誤訳よりたちの悪い曲解。 ラーべ自身のThe least insurrection の認識は以下の一連のことを指してる。 今日、中国人の間で、中国兵たちが南京を奪いかえそうとしているという噂が、またもやひろ まった。それどころか、市内で中国兵の姿をみかけた、という話まで出ている。まず、安全区の 家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつ けていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日 本大使館を襲おうと考えていたという つまりThe least insurrection はあったと言う こと。 REMOTE ADDR 61.205.94.246 k-k 02/10/22 01 27 04 REMOTE ADDR 61.205.94.246 k-k 02/10/22 01 26 53 REMOTE ADDR 61.205.94.246 k-k 02/10/22 01 26 44 REMOTE ADDR 218.42.223.12 渡辺君 まず、これは潔く認めるのかな? 02/10/22 00 40 40 「このときのささやかな暴動に加わった人たちは 死刑になった。」は私も誤訳だと思います。 異議なし。 一方渡辺訳は、誤訳よりたちの悪い曲解。 ラーべ自身のThe least insurrection の認識は以下の一連のことを指してる。 今日、中国人の間で、中国兵たちが南京を奪いかえそうとしているという噂が、またもやひろ まった。それどころか、市内で中国兵の姿をみかけた、という話まで出ている。まず、安全区の 家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつ けていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日 本大使館を襲おうと考えていたという つまりThe least insurrection はあったと言う こと。 REMOTE ADDR 61.205.94.147 ハイドさん 02/10/21 23 42 55 「このときのささやかな暴動に加わった人たちは 死刑になった。」は私も誤訳だと思います。 異議なし。 一方渡辺訳は、誤訳よりたちの悪い曲解。 ラーべ自身のThe least insurrection の認識は以下の一連のことを指してる。 今日、中国人の間で、中国兵たちが南京を奪いかえそうとしているという噂が、またもやひろ まった。それどころか、市内で中国兵の姿をみかけた、という話まで出ている。まず、安全区の 家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつ けていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日 本大使館を襲おうと考えていたという つまりThe least insurrection はあったと言う こと。 REMOTE ADDR 61.205.94.252 コイルくん 02/10/21 23 24 25 合理的な思考回路があれば理解できるはず。 入試に英語もあるのか? がんばって、受験までに回路を修正しろよ。 REMOTE ADDR 61.205.94.210 トンでも渡辺訳 02/10/21 20 21 57 結論として、そんな暴動は、実際には起こらなかっ たのです。 渡辺くんの誤訳から間違った結論が導かれてるね。 The least insurrection ってのは以下の一連のことを 指してる。 今日、中国人の間で、中国兵たちが南京を奪いかえそうとしているという噂が、またもやひろ まった。それどころか、市内で中国兵の姿をみかけた、という話まで出ている。まず、安全区の 家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつ けていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日 本大使館を襲おうと考えていたという したがって 渡辺くんの >どのような中国人側の小さな暴動ですら死刑で罰せら>れるであろう この訳は、完璧な誤訳でした(笑 REMOTE ADDR 218.42.223.36 02/10/21 18 01 42 結局 中国側の撹乱工作(噂の流布)があったと言う事ですね。 REMOTE ADDR 218.42.223.36 ヘイ!ジョーン! 02/10/19 19 14 10 どう見ても削除する人は逃げているようにしかみえませ んがね。 REMOTE ADDR 61.116.201.192 ron 02/10/18 17 04 02 坂本さんが正しいようですね。 他の人は逃げてるようにみえますよ。 ※ODN オープンデータネットワーク(日本テレコム株式会社) REMOTE ADDR 218.42.223.44 決まりすぎました!(^^) 02/10/20 01 22 56 k-k 完全論破された相手を荒らし扱いか(呆れ 投稿者:竜馬 投稿日:10月19日(土)23時58分02秒 前にも言ったが 俺は決してここの本筋 グースvs k-k の議論を外していない。 それどころか、そこから論点を拡散、ハグラカシに誘導するのを阻止しているつもりだ。 それが気に食わない連中が、あの手この手の姑息な煽り、荒らしでこちらの意識を 本筋から逸らそうとしているのは見え見えだ。 君のやりかたは、実社会では全く通用しない。へたするとボコボコに暴力振るわれて 当然のフザケタ性格だ。 掲示板ならではのハグラカシ、撹乱戦術と言える。 それも虚しく、ここの 見抜く能力ある投稿者の眼力には及ばず、 いま吊るし祭り上げ状態だ。 南京大虐殺物語宣伝資料集管理人k-kの記念すべき日になったようだな。 ご愁傷様 三振王 k-k (笑 REMOTE ADDR 218.42.223.22 これで決まり 02/10/20 01 12 22 頭隠して・・・ 投稿者:KY 投稿日:10月20日(日)00時27分37秒 支那攪乱工作兵逮捕を報じた「ニューヨーク・タイムズ」の記事が信憑性に乏しいと言う人がいたけど、残念でした。件の記事を転載しなかった「南京事件資料集・アメリカ編」(以下資料集)にそれを裏付ける資料が載っているそうな。一つは資料集p291、ウイルソン医師の1937年12月30日付けの手紙、もう一つはp444、ニューヨークタイムズのアベンド記者が38年1月24日付け上海発の記事「南京駐屯憲兵部隊報告書」からの引用です。他には38年1月22日付けの第十六師団参謀長・中沢三夫の報告書「南京に於ケル申シ送リ要点」、 「チャイナ・プレス」38年1月25日付け、などです(東中野修道『南京虐殺の徹底検証』・村松俊夫『南京虐殺への大疑問』より)。 果たしてニューヨークタイムズの記事は「史料価値」がないのでしょうか?他に裏付けする資料が出てきても、「あった派」はとたんに「そんなことは問題ではない」とはぐらかすんでしょうね。なお「大疑問」は、南京事件資料集を中心に、「あった派」が依拠する資料を検証して結論を導き出しています。それに真正面から反論せずに、証言の矛盾を指摘されただけで裁判に訴える態度(しかも原告本人は一度も出廷せずという不真面目さ)ってもう取り付く島がありませんね。 REMOTE ADDR 61.205.94.183 6等以下の鼻水タラリ 02/10/19 21 05 59 これまた載せていない下述は何等ですかね。6等以下さん? 「ここに一言注意しおかざるべからざるは、支那兵自身、日本軍入城前に略奪を行いおれることなり。 最後の数日間は疑いなく彼らにより人および財産に対する暴行・略奪が行われたるなり。 支那兵が彼らの軍服を脱ぎ常民服に着替える大急ぎの処置の中には種々の事件を生じ、その中には着物を剥ぎ取るための殺人をも行いたるべし」 REMOTE ADDR 218.42.223.30 z 02/10/17 20 20 58 わたしが知りたいのは この南京事件資料集HPに ニューヨーク・タイムズ1938/1/4 が掲載されているのかどうかをk-k氏に尋ねて いるんですが。渡辺さんご存知でしたら教えて ください。 REMOTE ADDR 61.205.94.134 k-kくんこれはあなたのHPに掲載されてますか? 02/10/17 17 37 21 ニューヨーク・タイムズ1938/1/4より 「南京の金陵女子大学に避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、 逃亡中の大佐1名とその部下の将校6名をかくまっていたことを発見し、心底から当惑した。 実のところ教授たちはこの大佐をそのキャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。 この将校たちは支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。 彼らは大学の建物の中にライフル6丁と、ピストル5丁、砲台からはずした機関銃1丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのものであると自白した。 この将校たちは南京で略奪したことと、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲った風にしたことを、アメリカ人たちや他の外国人たちのいる前で自白した。 この元将校たちは逮捕された。戒厳令に照らして罰せられ、おそらく処刑されるであろう。」 REMOTE ADDR 61.205.94.134 k-k 02/10/17 17 33 54 ニューヨーク・タイムズ1938/1/4より 「南京の金陵女子大学に避難民救助委員会の外国人委員として残留しているアメリカ人教授たちは、 逃亡中の大佐1名とその部下の将校6名をかくまっていたことを発見し、心底から当惑した。 実のところ教授たちはこの大佐をそのキャンプで2番目に権力ある地位につけていたのである。 この将校たちは支那軍が南京から退却する際に軍服を脱ぎ捨て、それから女子大の建物に住んでいて発見された。 彼らは大学の建物の中にライフル6丁と、ピストル5丁、砲台からはずした機関銃1丁に、弾薬をも隠していたが、それを日本軍の捜索隊に発見されて、自分たちのものであると自白した。 この将校たちは南京で略奪したことと、ある晩などは避難民キャンプから少女たちを暗闇に引きずり込んで、その翌日には日本兵が襲った風にしたことを、アメリカ人たちや他の外国人たちのいる前で自白した。 この元将校たちは逮捕された。戒厳令に照らして罰せられ、おそらく処刑されるであろう。」 核心くんよ 改名勧告 - 02/11/01 11 36 24 コメント 核心というからには、もっと問題の核心部をとらえて 投稿せなあかんぞー。 そのように すっとぼけ なことほざいてると 笑いもので終わるだけや わかったか?ボクちゃん おーそれと君国の名をかりた戦争どうのこうのいってたな。 国でなく、思想集団の場合はやるんかい? 行き着くところ おまえの論理破綻にきずけ。 ま、そのガキのションベン投稿からみると 自身の破綻を自覚する思考はもちあわせておらんよーやの(笑) 核心 - 02/11/01 08 45 46 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >竜馬くん 竜馬なんていうからには坂本竜馬が好きなんでしょうけど、竜馬は暗殺された側の人間ですからねえ。 掲示板の荒らしのような卑怯な人間とは根本から違いますよ。 K-K - 02/10/31 23 29 57 電子メールアドレス 忠告:竜馬くん(ケーオプティコムユーザー)へ コメント 竜馬くん。 ■他の掲示板のログを張り付ける様な荒し行為は止めましょう。 他の掲示板利用者が迷惑をしています。 核心 - 02/10/31 21 21 16 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 「俺達だって戦争被害者だ」って言ってますから。 核心 - 02/10/31 20 57 39 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 親父がつくづく言うのには本当にひどい戦争だったということです。 泥水をすすりながら、虫歯の治療もされないまま戦闘においやられていたそうですから、親父達には人権なんてものはなかったと言ってますよ。 親父の真意は誰に対してでも国の名で二度とあんな馬鹿なマネをさせないでくれということだと思います。 渡辺 - 02/10/31 17 13 58 電子メールアドレス 名無しへ、 コメント 名無し:> それもとっくに、中国軍の成りすましが指摘されているのを知らないのですか? もっとしっかり調査、検証しましょうね。 ほう、面白い。ドイツ外交官も見破れなかったという「中国軍の成りすまし」である根拠を示してください。 ただし、北村先生のようにサンケイシンブンに書いてあったというような、恥ずかしいことは書かないでくださいね。 しかし、「なりすまして」どうするんでしょうかね、ご回答をお待ちしています。 核心 - 02/10/31 17 09 34 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント くだらないたわごとを言い合っていても意味がないので直接お話しさせてください。 メールをお待ちしています。 核心 - 02/10/31 16 53 15 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント メールをよこせ! 核心 - 02/10/31 16 51 46 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント ションベンくさいガキどもでした。 核心 - 02/10/31 16 50 22 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 感情的な表現で申し訳ありませんが否定派というションベンくさいガどものくだらない話しにはウンザリしているのは事実です。 匿名性を利用した愚劣な恥じるべき高村光太郎式に言えば根付のような日本人というやつですね。 現代における日本人の精神文化的恥部だと思います。 核心 - 02/10/31 16 44 53 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 話しを広げて申し訳ありませんでした。 私はとりあえずは父の幕府山の虐殺に関する記述等を掲載しておきたいだけですから。 無益なイヤガラセはやめていただきたいだけですから。 核心 - 02/10/31 07 04 52 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 父の真意 申し訳ないけど父の真意はマスコミに正直に話せば賞賛されると考えていたからです。 私がそのようなことを言いましたので。 核心 - 02/10/31 06 57 30 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >否定派の人達 いずれにしろこのHPに対するイヤガラセはやめなさい。 核心 - 02/10/31 06 54 16 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント ご存知の通り私の長兄は父の虐待により最終的に村山精神病院で縊死するわけですが、父も戦争の二次被害だといってます。 父も反省するところがあったのでしょう。 だからこそ一時的にしろ真実を話す気になったのだと思います。 母は30代にころと40代のころに父に殴られて両耳の鼓膜をいためています。 なにもリッパな父親ではありませんよ。そんなことは周知のことです。 渡辺 - 02/10/31 04 21 35 電子メールアドレス 三光 コメント 以下、1937年のドイツの公文書に、既に「三光作戦」と同種の行為が報告されています。 日本軍の用語では「燼滅」といい、実際には、物資だけでなく村落や人命をも「燼滅」しました。 この報告書にはベイツとスティールの「報告」が添付されていますが、割愛しました。 -------- 報告 駐華ドイツ大使館(漢口)宛、発信者-ビダー(駐華ドイツ大使館書記官、北平〔北京〕) 一九三七年一二月三〇日付北平ドイツ大使館分館 文書番号二七二二/四三七九/三七 添付書類二 写し二 内容――日本軍による南京占領時、および華北における中国人大虐殺 大使館に宛てて、二本の報告の写し(1)を送付する。これらは、米国の知人から提供されたもので、日本 軍が南京陥落後三日間にわたり、都市住民にたいしておこなった大虐殺に関する目撃報告である。 短い方の報告を書いた人物は金陵大学のM・S・ベイツ教授(2)で、第二の報告は米国人ジャーナリスト A・T・スティール氏(3)によるものである。両者ともきわめて冷静かつ客観的な観察者で、かれらの描写 には信頼がおける。また、たったいま南京から戻ってきたスティール氏がいうには、日本軍が南京陥落 後の三日間におこなった全面的略奪のさい、ドイツ人の土地や家屋も日本軍によって甚大な損害を被っ た。 これらの目撃報告は、中国における日本軍の非人道的な戦争遂行の全過程で、南京大虐殺(4)ほど凄惨な 殺戮はこれまでなかったとの点で一致している。しかし、これらの報告は、華北の京漢(北平=漢口) 鉄道沿線の高陽で――そこに居合わせた宣教師の報告によると――日本軍が一四の村落を、匪賊と共産 主義者を片づけるとの口実で、女性や子どもを含む全住民もろとも根絶やしにしたことを見落としてい る。同様に、華北の他の地域における日本軍の新たな残虐行為に関する報告が続々と届いている。ただ、 そうした行為は信頼できるヨーロッパ人の目撃者が居合わせていない場合、裏づけがとれないこともあ る。しかし、この種の事件は隠しおおせるものではなく、高まる国内の民族運動をさらにいっそう刺激 し、戦争の深刻な急進化をもたらしている。 本報告の写しと添付書類は天津総領事館、東京ドイツ大使館およびベルリン外務省に送付される。 <注(1)~(3)は省略> (4)原語はNankinger Massacre。 [『ドイツ外交官の見た南京事件』(大月書店)p.24-26] 核心 - 02/10/31 01 37 42 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 私は自由史観なんて馬鹿なものは信じません。 戦前の明治憲法下の軍国主義の日本のどこに自由があったのですか? 自分達は自由史観で相手は言いくたすために自虐史観ですか? だから知的レベルが浅く、低いといっているのです。 (そんな程度の東大教授なんて糞の役にもたたない。) 核心 - 02/10/31 01 01 50 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 私としては戦前の日本は明治憲法下の軍国主義の日本ですから、満州事変や俗にいう三光作戦では1000万人とも2000万人ともいわれているわけですから南京大虐殺なんてほんの雀の涙か蚊の屁ぐらいの話しだと考えています。 まして悪名高い蒋介石軍なのですから、そんなものを否定しはじめた否定派の失策だと思いますけど。 核心 - 02/10/31 00 38 51 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >否定派の方 メールをいただければ、お会いしてお話しさせていただきます。 核心 - 02/10/31 00 36 46 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント ここのHPは全体として私が父から聞いている話しに一致しています。 それゆえ、ここに父の話しを掲載させていただいたわけですから。 核心 - 02/10/31 00 30 44 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 私が父から聞いている虐殺は幕府山だけではありません。 幕府山は父が自己弁護的に述べただけですから、むしろ父の述べている入城直後の虐殺数が7万人程度とみるのが素直です。 幕府山は「きれいごと」の世界ですから。 K-K - 02/10/30 22 01 20 電子メールアドレス みなさんへ コメント K-Kです。 みなさん、こんにちは。 訳あって、しばらく竜馬くんの投稿をこのまま置いておきます。 しばらく、掲示板が見づらくなりますが、ご了承ください。 また、竜馬くんに警告します。 これ以上、掲示板を荒らす行為は止めましょう。 核心 - 02/10/30 21 53 55 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント ここにきてなぜ掲載したいただく気になったかというと、父の話しが幕府山の虐殺という歴史的に重要視されている事件であることをしばらく前に知ったからです。 核心 - 02/10/30 21 51 24 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 名誉毀損とうで訴えるほどのものではありません。 あの当時、他の兄弟からも多少控えてくれという話しがあったのと、私もまだ会社づとめをしていたのとうなどで深追いはやめました。 核心 - 02/10/30 21 31 32 電子メールアドレス art-jp@jcom.home.ne.jp コメント 二重に書き込みした分は削除したいただいて結構です。 >否定派の人達 お互いのHPがあればいいのですから、何もイヤガラセにではってこなくてもいいでしょう。 それも全て匿名で。 核心 - 02/10/30 21 27 23 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 幕府山の虐殺に関する事実はこのHPに記載されているものがもっとも近いものです。 その後のゼンボーの記事とうは全て捏造記事です。 核心 - 02/10/30 21 24 53 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 幕府山の虐殺に関する事実はこのHPに記載されているものがもっとも近いものです。 その後のゼンボーの記事とうは全て捏造記事です。 核心 - 02/10/30 21 20 11 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 毎日新聞に対する抗議という記事もうそです。 私も何度か父が電話口にでるのを聞いておりましたが、そのような会話は一切ありません。 父は息子も記事に賛成の子供(私)もいるからともいっていました。 したがって記事を否定するようなことは全くありませんでした。 核心 - 02/10/30 20 37 38 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 私と父は小平市に在住しております。 毎日新聞の記事は私が父にすすめて積極的に話しをさせたものです。 記事のあと、私としては当然のことだったのですが多くの脅迫状が舞い込みました。 イラガラセの電話も多数ありました。 ゼンボーの記事は全てデタラメです。 父を知る人なら誰でも(警察関係、剣道関係)わかりますが、父はゼンボーの記事のような器用なことの言える人間ではありません。 核心 - 02/10/30 11 35 10 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 日本は戦前と戦後でまったく違った国の枠組みの中に存在しています。 戦後の日本は、近代西洋の価値観を継承して憲法が作られています。 戦前の枠組みの中核を明治憲法的価値観とよぶとすると戦後のそれは日本国憲法的価値観ともよぶべきものです。 両者はまさに断絶した価値観です。 この両価値観の違いに着目して歴史的事実を見なければ見えるものも見えず、あるものも認識できないのです。 そこを現代の日本人は分析しきれていないのです。 明治憲法的な価値観にたつ限り、南京大虐殺なんてなかったに等しいことなのです。 核心 - 02/10/30 11 15 48 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 南京大虐殺はどの程度に規模であったかというより、私の父(栗原利一)の述べているような(幕府山の虐殺)行為があったのですから、戦前の日本軍というのは昭和12年の段階で、そのようなレベルの軍隊であったということです。 そして、それが最終的には太平洋戦争での絶望的な各地での敗戦に帰結してくるわけです。 現代人は、その歴史的意味を考察すべきだと考えています。 あるないの論争に終始しているのは日本の哲学的、社会学的知的レベルが低いからだと考えています。 核心 - 02/10/30 11 05 40 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >K-Kさん まあ、荒らされるということはそれだけ存在感があるんでしょうから。 日本の良心としてがんばってくださいね。 渡辺 - 02/10/30 01 30 44 電子メールアドレス K-Kさん コメント 旧アドレスに電文を送信しました。 K-K - 02/10/29 23 50 12 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント K-Kです。 渡辺さん、すみません。 ネスケのメールサーバーの調子が悪いようです。 古いジオシティーズの方に送って下さい。 渡辺 - 02/10/29 23 45 39 電子メールアドレス K-Kさん コメント 新メールアドレスに電文を送るとエラーで戻ってきます。 旧アドレスに送ってもいいでしょうか? 渡辺 - 02/10/29 04 26 32 電子メールアドレス ゆうさん コメント ゆうさん、 『南京の真実』というのは、見るたびに腹がたちますね。 で、英語版をお持ちだと思いますが、p.194,1938年2月12日に、 North China Daily News 1月30日の記事の抜粋がありますね。 これは、1月29日に、駐英国大使の吉田茂が日本軍によるアトロシィティーについて、そんなことは我軍に限ってはありえないと Daily Sketch のインタビューに答えたというものです。 これですね、英国の日本大使館から外務大臣あての、新聞の切り抜きに Daily Sketch の実物があるんです。(「アジア歴史資料センター」で、デジタル画像を入手できるので、後日レファレンスコードをお知らせいたします。) そして、さらに、このコメントはどういうものかというと、ティンパーリーが2度目に検閲で発信できなかった電文が、香港経由で英国に届いたものに対するものなんです。けっこう、驚くでしょ。(^^) なお、ティンパーリーは3回電文の検閲を受け、3回目のは部分的に削除されて発信されたことが、ティンパリーの手紙で分かっています。1月28日にこの件で、英国総領事に抗議をプッシュし、即日、日本の「商業電文」への検閲に対して抗議がなされたのです。 なお、3つの電文の内容は手紙で英国に送られており、その全文がわかっておりますので、機会をみて公表したいとおもいます。 そこで、アイリス・チャンが見つけた広田弘毅の電報ですが、実は情報の出所が「信頼のおける外国人の目撃や手紙」だという部分など、一部が改変されたものであることが分かりました。(改変したのは、チャンではなく広田弘毅ですが。) この外国人がジャキノ神父であることについては、これは、『中帰連』22号の私の記事の中で「七、揚子江デルタ地帯で虐殺された三十万人」(p.94)というパラグラフをご覧ください。 では、おやすみなさい。 K-K - 02/10/29 00 00 47 電子メールアドレス 掲示板整理のお知らせ コメント ただ今、掲示板を整理しました。 荒し投稿については、『竜馬くんのページ』へ移行しましたが、2,3モレがあるかもしれません。 その点、ご了承ください。 核心 - 02/10/28 19 12 54 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント このサイトに対する非難は意味ないですよ。 K-Kさんが中断されるなら私が引き継ぐつもりでいますから。 核心 - 02/10/28 18 27 38 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >どなたか? 民間人虐殺について父から直接聞く勇気がありますか? そんな程度のことは当たり前ですよ。あの戦争では。 核心 - 02/10/28 18 23 27 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >K-Kさん メールを一通ください。 パソコンのディスクの故障のため、以前いただいたアドレスが消滅してしまったので。 核心 - 02/10/28 15 47 58 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 証拠の刀剣類 虐殺等に使用された刀剣類はきわめてよい状態で保管されていますよ。 核心 - 02/10/28 13 31 14 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント ご存知の通り私の父は栗原利一です。 父は永年、関東管区警察学校や警視庁広報課に奉職し、小小平市福島県人会会長や東京都福島県人会幹事、小平市剣友会会長などを勤め地元では多少有名人です。 そして兄の利弘が分裂病であることもまた有名なことでした。 ただなぜ父が兄をそのように虐待したのかはもっぱら個人的な資質として理解されてきたことでした。 このHPに記載されていることをお読みいただければ、個人的資質にだけかかわるものではないことがお分かりいただけるとは考えているのですが。 いずれにしろ父は健在ですから、真実に興味のある勇気のあるかたがいらっしゃいましたらご紹介しますよ。 核心 - 02/10/28 01 48 24 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント すみません。 メールアドレスを間違えました。 核心 - 02/10/28 01 46 19 電子メールアドレス arts-jp@jcom.ne.jp コメント >K-Kさん 南京大虐殺が真実であることは日本の良識ある人達やそれなりの人達の間では常識です。 日本国憲法は、日本国憲法という名の革命です。 改憲派はこれからもいろいろと仕掛けてくるでしょうが、金銭的面も含めて私にできることがあればお手伝いさせていただきますのでがんばってくださいね。 ゆう - 02/10/27 19 15 41 コメント 日本語版ではカットされていますが、確かに「ラーベ日記」に「チャイナプレス」の記事が掲載されていますね。なるほど、アベンドの記事と、ほぼ同一の内容です。ご指摘、ありがとうございました。 「チャイナプレス」の記事は、「12月28日まで」(Up to December 28)に「中国人将校二三名、下士官五四名、兵士一四九八名」が摘発され、「その中に」(among them)王新倫(王信労?)らがいた、という内容です。 結局、「憲兵隊の報告書」の「12月28日まで」の部分が間違っていた、ということになりそうです。 アベンドもこの発表に触れていたが、記事の中では無視した、ということがわかりました。 改めて読み返すと、この「天谷演説」もすごいですね。 >日露戦争でも満州出兵でも、軍紀の乱れは全くなかった。このたび中国でこのような事態が起きたが(中略)その原因は中国人の側にある。蒋介石は軍だけでなく全人民を抵抗に駆り立て、これがいたく日本兵を憤慨させた。というのも、日本兵は進軍中に食糧と必要物資に一切ありつけず、その結果、怒りを住民にぶちまけたのである。 身勝手、そのものです。 渡辺 - 02/10/27 16 07 44 電子メールアドレス Re ちょっと、気がつきました コメント アベンドの1月24日の記事と、ラーベの日記にある「チャイナ・プレス」一月二十五日号の記事は同じもんですよ。 細部の違いまでは、調べていませんが、東中野氏はけっこういけない引用をやりますね。 「最後の日付は十二月二十八日」も「チャイナ・プレス」にあります。したがって、全文を見れば、明らかに事実と矛盾していることが分かります。 なお、ラーベの日記にはドイツ語で抜粋があります。(2月3日、原書:p.237)英訳はドイツ語からの重訳だと思います。(英訳:pp.172-173) 厳密には「チャイナ・プレス」のテキストで検証したほうがいいですが、ゆうさんのご指摘の正しさは翻訳を見るだけで十分だと思います。 ところで、2月5日の天谷南京警備司令官の演説は、日本軍の「無軌道」を認め、さらに「ある国」の人が不遜にも裁判官の役目を果たそうとしたと、暗に米国を敵視する特異なものでした。(『ドイツ外交官の見た南京事件』pp.147-152) こういう状況での、憲兵隊の発表ということになりますね。天谷演説は、よほど興味をひいたらしく、同じ内容のいろいろなバージョンがあります。 上海工部局警察処の資料(マイクロフィルム版)に「Nanking Safety Zone」というファイルがあり、このなかには「档案」の一部と共に天谷演説が入っていました。徐の『安全区档案』には掲載されていませんが、作成者などが記載されていないので除外されたのかもしれません。 なお、上海工部局警察処が「南京事件」をマークしていたことは確かです。多分、報道を抑圧するためですが...南京で5万人が殺されたという12月末の「晩美報」の記事にはメモ書きがあり、記事に対し action をとったとあります。 それから、正しくは「迫撃砲弾(shell)」のようです。 ゆう - 02/10/27 09 14 36 電子メールアドレス 民間人殺害命令? コメント 何点か、資料を紹介します。いずれも、「ネット古書店」を利用して入手し、原文確認済みです。 ●平松鷹史「郷土部隊奮戦記1」(大分合同新聞社) P406 (略)第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という無茶苦茶な命令が届いた。 当時第六師団高級副官であった中佐平岡力(のち少将、鹿児島県護国神社奉賛会常務理事)は「こんなバカな命令があるか」の一言のもとにケ飛ばしてこの命令は宙に消えたままだったが、このデタラメな命令に出所について平岡氏は「柳川兵団からそんなバカな命令が出るはずはない。出所について確認はしていないが、おそらく上海戦で苦戦中の軍司令部あたりが血迷って出した命令だろう」といっている。いまになってこの命令の出所を追及することは困難だが、日本軍の一部には苦戦に血迷い非人道的な殺りく(戮)行為に走ったものがあったことは事実であろう。 ●朝香進一著「初年兵日記」 P140~ 1938年8月29日 夕方、私たちの宿舎に九中隊の帰還兵が三名泊まりに来た。彼等はアゴヒゲを伸した中年男で、彼等の話によると中隊は張戴港を引き揚げ、近日中に岳口へ移動して来ると言うのである。 夜、私たちは帰還兵をかこんで体験談を聞くことにした。彼等は予備役で召集を受け上海戦、除州作戦に参加、大別山系の敵陣を突破し、二ヵ月前に漢水沿岸に展開したと言うのである。戦争とは何だろうか? 私たちは興味と関心をもって彼たちの話に耳を傾けた。 彼等は水筒の中からチャンチュウ(支那酒)を取り出し、ちびりちびり呑みながら語り出した。 「戦争は決してかっこうの良いものではない。狂気の沙汰であり、人前で話すこともはばかれることなんだ。お前たちは初年兵だから特に話すので。他言は決してするな。ここだけの話にして聞き流してくれ・・・」と、前置きしながら、まず上海戦の模様についてこもごも話を進めた。 (中略) 南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部を殺せ」という軍命令が出された。兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、住民を銃剣で突き殺した。婦女子は特にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せるのである。その残酷さは目をおおわせるものがあった。夜半、帰還兵の一人、泣き上戸の彼が泣きわめきながら、 「許してくれ―おれのせいじゃないんだぞ―」と、暗いローソクのもとで半狂乱の姿をさらしていた。私はなかなか寝つかれなかった。それにしても妻子のある分別盛りの兵隊が、無差別に婦女子を殺害するなど信じられない気がした。もし、自分に「虐殺命令」が出された場合、どのような態度をとるべきか、私にはわからなかった。 ●梶村止「観測小隊長の日記 大陸を戦う」 P38 (野戦重砲兵第十四聯隊所属) 11月29日 (略)一昨日は第一中隊の兵が徴発に行きて敗残兵らしきものより撃たれ(臀部より股にかけて貫通)、昨夜は又松林と続き、観測小隊全員憤激極まりなし。思ふに国民党の徹底抗日の教育充実し、ここ江南地区がもっとも抗日思想激しき処と聞く。この附近不審の土民は射殺すべしとの内命すらありいたり。(カタカナをひらがなに修正。最後の「いたり」の「い」はヤ行の「い」ですが、パソコンでの出し方がわからなかったので、「い」と表示しました。誰か、出し方を教えて下さい(^^; ) 一部とはいえ、「民間人殺害命令」に近い命令が出されていた可能性が高いようです。もしこのような命令があったとすれば、笠原氏が「近郊農村で何が起きたか」(「南京事件」第?章)に記した数々の事件も、納得できます。 ゆう - 02/10/27 08 08 48 電子メールアドレス ちょっと、気がつきました コメント アベンドの1月24日の記事です。 ********************************* 一月二十四日、上海発。(中略) <日本の報告発表> ジョン・M・アリソン領事の南京からの報告に基づいて、アメリカが日本軍歩哨の米大使館構内侵犯に関し抗議したことへの明らかな対抗措置として、今晩、日本陸軍司令部は一四日前に南京駐屯の憲兵部隊から受領したと称する報告を発表した。同報告は一月前の情況を扱っており、最後の日付は十二月二十八日である。 本報告の報じる南京における査問会議は、難民キャンプおよび非軍事化されたはずの安全区に中国人将校二三名、下士官五四名、兵士一四九八名が隠れていた。その内の一部は掠奪の件で処刑されたということを明らかにした。これら高級将校の一部は、大使館、領事館、その他中立国旗を掲げた建物に避難していたことが、とくに強調された。 これらの平服の中国軍将校及び副官は、明らかに多くの場合大量の軍需物資を隠匿していた。某国大使館近くと特に曖昧に言及された一防空壕の捜索では、軽砲一、機関銃三四、小銃弾四二○○○○、手榴弾七○○○、砲弾五○○、迫撃砲二○○○が発見された。 (引用者注:「迫撃砲二○○○」は、明らかにおかしい。「迫撃砲弾」の誤りか?)" 記者側から質問を浴びせられて、日本の報道官は中国軍は全大使館員が退去した後に構内に入ったものであることを認め、いずれかの非中立的な外国が紛糾を起こしたと示唆しようというのではない、と言った。その大使館の国名を挙げるよう強く求められたが、報道官はこう言って返答を避けた。 「この問題については皆さん自身の回答にお任せしましょう。」 さらにアメリカ大使館が関係しているかどうかと尋ねられても、彼の答えは「その点については触れないほうが良いと思う」というものであった。 一月中、とりわけ十五日以降の南京の情況についての情報を求められたが、日本の報道官は、まったく知らないと断言した。 (「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」P443~P444 ハレット・アベンド「南京の無法状態」より) ********************************* 次に、東中野氏が引用する、「チャイナプレス」の記事。 ********************************* ・・・「チャイナ・プレス」一月二十五日号は、その前日公表された南京日本軍憲兵隊の報告書を引用する。 <その報告書の主張するところによれば、彼らのなかには南京平和防衛軍司令官王信労(音訳)がいた。彼は陳弥(音訳)と名乗って、国際避難民の第四部門のグループを指揮していた。また、前第八十八師の副師長馬跑香(音訳)中将や、南京警察の高官密信喜(音訳)もいると言われている。 馬中将は安全地帯内で反日攪乱行為の煽動を続けていた、と言われる。また、安全地帯には黄安(音訳)大尉のほか十七人が、機関銃一丁、ライフル十七丁を持ってかくまわれ、王信労と三人の元部下は掠奪、煽動、強姦に携わったという。>(「徹底検証」P277) ********************************* 両方とも、明らかに、「1月24日」発表の「憲兵隊の報告書」をソースに書かれています。 アベンドの記事によると、この「報告書」の「最後の日付は十二月二十八日」。ところがこの報告には、「十二月三十日」に起こったはずの、「王新倫事件」の記述が出ている。 ・・・どこに「間違い」があるのか、原文を読まないと、わからないようですね。 少なくともアベンドは、この「王新倫事件」の発表を、無視したようです。記事に取り上げるほどの内容ではないと判断した、ということでしょうか。 Hide - 02/10/25 22 17 33 コメント >私の場合、日本語から英語への通訳を生業としているプロですが、ここ何年もの間、素人の方の素っ頓狂な英語には悩まされつづけています。 私の場合、業務効率化のため英文化の作業を外注することがあるのですが、プロの通訳の方の素っ頓狂な英語に悩まされることがよくあります。 >もちろん、ビジネスの場合、中身さえ通じればそれで事はすんでしまうのですが、歴史的なもの、政治的なものの場合、まず言葉の正確さは、大前提のはずです。プロが訳し、それを歴史家の方、専門家の方たちがチェックすると言う行為を踏まえるべきではないでしょうか? プロがしばしば正確さに欠ける訳をつけるのは上で述べた通りです。 ロム屋 - 02/10/25 08 18 47 電子メールアドレス 最後に コメント 訳の問題もほとんど片付きましたが、最後に。 abcさん、説明すればするほど矛盾を露呈しているよ。 abcさんの投稿を整理。 ------------------------------------------------- ■abc - 02/10/24 02 59 56 英文を素直に訳せば「このような些細な叛乱(抵抗)」という以外にはどう考えても読めません ■abc - 02/10/25 01 21 39 「最もlittleなinsurrection」と、最上級の表現を使っているのは、英語が母国語の人間として言いますが、具体的なある行動がこの文章の前にかかれていて、それが「想定できる(数ある)些細な叛乱」の中でも、「最も細微なもの」に属する行為だからです ■abc - 02/10/24 13 10 38 おそらくここでの筆者は何かと何かを比べた上で最上級を使っているのではなく、一般的にこんな瑣末な事でさえ、といっているように思われるからです --------------------------------------------------- abcさんの説明によれば 前段で説明した具体的な行動を指し、(このような些細な抵抗)と訳するのは自然というわけだ。 それでは簡単に、指されている具体的な行動を並べてみましょう。 -------------------------------------- ?安全区の小屋や家々に飾られていた小さな日の丸が姿を消した。・・・些細な抵抗 ?すべての中国人がつけていた日本の腕章すら消え・・・些細な抵抗 ?相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えたという。 ・・・戦時反逆、大規模な抵抗 -------------------------------------- 「このような些細な」という訳だと 前段の(些細な抵抗ではない?) を含めてしまうでしょ。 だから日本語にする際には「このような」と補ってはいけません。 言語はパズルではないとか言う以前の、和訳の初歩的ミス。 ●ニュアンスについて● ----------------------------------- abc - 02/10/24 13 10 38 それから、「老人であろうが」のくだりですが、おそらく日本軍の慈悲のなさ、無差別的に不法な「処刑」を繰り返す行為にたいしてどんな中国人であっても、といっていると思われるので、そのように行間を読む事ができるだろう、と書いた次第です。 もちろん、そこには叛乱に対する意志も含まれますが、大事なのは、まさに誰であっても、ということだと思います。おそらく侵略者にとって脅威とはなりえない全く平凡な市民、老人、けが人であっても、といったような受け取り方ですが…もちろん、前後に書かれていただろう事を想像しているので、私としてもはっきりした事はいえませんが、ニュアンスとしては間違っていないのでは? ------------------------------------ ニュアンスとして間違っています。 abcさんの説明は (any)の持つ、そのままの内容・意味です。 ニュアンス・・・言外に漂わす、本内容・意味との微妙な差異 なんだから ------------------------------------- 大事なのは、まさに誰であっても、ということだと思います。おそらく侵略者にとって脅威とはなりえない全く平凡な市民、老人、けが人であっても、といったような受け取り方ですが… -------------------------------------- ではなく (反乱・抵抗の積極意志を持つ人、持たない人にも関わらず)がニュアンスでしょ。 長くなりました。 渡辺 - 02/10/25 04 20 19 電子メールアドレス K-Kさん コメント K-Kさん、 いろいろ、ありがとうございます。 「潮」の件ですが、あまり期待しないほうがいいかも知れません。 一人の人の体験や記憶には限りがあります。これは、生前のティンパーリーを知っている2人の方(かなり高齢)とメールのやり取りをして感じたことです。 他の資料から、本人の記憶が違っていると思っても、誘導尋問のような問いかけはできません。こういうときは、いろいろな方法で、自ら記憶を蘇らせてもらうしかありません。経験してみると、インタビューというのはなかなか難しいです。 「歴史」では、公文書、手紙、新聞記事など多角的に検討しないといけません。知れば知るほど、断定的に書くのが難しくなってきます。 しかし、謎が解けるとスッキリします。発電所の件もそうですね。どうも時間関係に納得がいかなかったのですが、ラーベと日本側が交渉をしている最中に技術者や労働者を別の部隊が殺してまったということがわかり、霧がかなり晴れました。 それから、たくさんの資料を見ていて気がついたことですが、当時の状況をよく分かっていた日本人は、ラーベの日記、松井日記、飯守日記、岡村寧次の資料集などに出てくる原田少尉ですね。岡村寧次はこの人に尋ねて「南京事件」で何があったかを知ったのですね。 原田少尉に関する資料を、将来は調べてみるつもりです。 では、おやすみなさい。 おだんご - 02/10/25 03 22 08 コメント abcさんへ あなたは英語を母国語としているそうで。 しかしながら、母国語としている人が正確な母国語の理解をしているとは限らないのも事実なのですよ。(私の妻は実はアメリカ人なんですね。でもそれはいっても意味のないことなので今まで言いませんでした。というより、それは「議論」としてフェアではないので。) それでは、その「最も些細な」叛乱行為と言うのは、具体的になんですか?見逃してもらえそうな、あるいは軽微な罰で済みそうな叛乱の形態は、山のようにありますよね。それらの一般的な行為について言うのであれば、このような言葉遣いにはなりません。 いえいえ、そんなことはありませんよ。「具体的になんですか」としか考えられないことがあなたの英語理解の問題点です。 そもそもあなたの出した例文 That is the least you could do. が「(あなたにもそれぐらいの(些細な)ことはできるでしょ)」 と訳せるのは、「That」(=それ)が既出だからでしょ。本件の The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death. とは性質が異なるじゃあないですか(笑) この文の前には「具体的な暴動の事実」がないんですから。(この項はタラリさんの「02/10/22 18 27 01」のレスを参照のこと) 「具体的なある行動がこの文章の前にかかれて」いなければ最上級は使えないなんて決まりはありません。 He is the last person to betray you. The richest cannnot be always happy. は具体的な人物や行動が前に書かれていなければ使えないとでも? まさか、「最上級にはEven(~でさえも)の意味を含む場合がある」ということをご存じなかったなんてことはないでしょうねェ? abc - 02/10/25 01 21 39 コメント そうですね、これ以上たった一行の英文についてどうこう論じても仕方がないと思うので、これで最後にします。まず、皆さん何か勘違いされているようなのですが、私は虐殺否定派ではありません。肯定派です。そして、おだんごさん、全くおっしゃる通りで、私の訳と何が違うのか具体的にわかりませんが、「こんな」という部分を問題にしているのであれば、それこそが言語をパズル的に捉えてしまうということだと思います。確かに、この文章は「(想定できる)最も些細な」という意味です、直訳すれば。それでは、その「最も些細な」叛乱行為と言うのは、具体的になんですか?見逃してもらえそうな、あるいは軽微な罰で済みそうな叛乱の形態は、山のようにありますよね。それらの一般的な行為について言うのであれば、このような言葉遣いにはなりません。「最もlittleなinsurrection」と、最上級の表現を使っているのは、英語が母国語の人間として言いますが、具体的なある行動がこの文章の前にかかれていて、それが「想定できる(数ある)些細な叛乱」の中でも、「最も細微なもの」に属する行為だからです。(もちろん、その行為そのものだけではなくほかの(想定できる)些細な行動であってもと言う意は含みますが)ですから、日本語にする際には「このように」と補うべきだと考えます。Hideさん。私の場合、日本語から英語への通訳を生業としているプロですが、ここ何年もの間、素人の方の素っ頓狂な英語には悩まされつづけています。もちろん、ビジネスの場合、中身さえ通じればそれで事はすんでしまうのですが、歴史的なもの、政治的なものの場合、まず言葉の正確さは、大前提のはずです。プロが訳し、それを歴史家の方、専門家の方たちがチェックすると言う行為を踏まえるべきではないでしょうか? K-K - 02/10/25 00 26 38 電子メールアドレス 『竜馬くんのページ』更新のお知らせ コメント 『竜馬くんのページ』の更新と、それに伴う『過去ログ12』の整理が終わりましたのでお知らせします。 訳については、結論が出たと考えてよいでしょうか? ちなみに、「x - 02/10/24 01 28 13」のリモホは、いつもの「ケーオプティコム」です。もちろん、竜馬くんと一緒のリモホですね。 K-K - 02/10/25 00 12 56 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント K-Kです。 こんにちは、渡辺さん。 文中に誤植もありますし、エスピー報告などを追加して改定したいと思い ますので、そのときはよろしくお願いいたします。 いいえ、こちらこそよろしくお願いします。 なお、写真の出所も掲載していただけると、ありがたいと思います。よろ しくお願いいたします。 すみません(笑)。 すっとぼけたことをしてしまいました。 この点は、すぐ訂正しました。 それから、「福田証言」の件ですが、日高氏のインタビュー記事のある「潮」 を閲覧できるのは来週頃になりますので、もうしばらくお待ちください。 これは楽しみです。 どうも、ここら辺の人たちの証言が立場の割に曖昧ですので、資料が欲しいところですね。 ぜひ、よろしくお願いします。 Hide - 02/10/24 23 53 43 電子メールアドレス 英訳について コメント こんばんは、ハイド(そう呼ばれた気がするのですが)です。 abcさんのご卓説のうち、"The least"の解釈についてはおだんごさんと同意見です。言語が違うのですから、直訳して不自然な日本語になるのは、あたりまえだと思います。 おだんごさんも仰られていましたが、大事なのは直訳して不自然なら意味を外さずしっくりした日本語にすることです。 >英語は言語、言葉であって、パズルではありません。 私もそう思いますが、言語には一定のルールがあります。そのルールを大きく外せば訳とは呼べなくなります。 >このような歴史的に意義の大きい文書を翻訳するのであれば、最低でも英検一級、あるいは通訳検定2級程度、本当であれば通訳検定1級の語学力は必要ではないのでしょうか? 私はそうは思いません。私は英検1級も通訳検定2級もありませんが、米国政府へ提出する文書を作成していますし、米国連邦政府の役人の通訳を何度か務めたこともあります。私の場合、飛びぬけて語学力があるとは言えませんが、専門用語の語彙や理解があったため業務に関係する通訳でもあり務まったのですが、ただ単に資格を持っているだけならとても務まらなかったと思います。業務の関係の外国人の講演会へ出かけるのですが、雇われ通訳の人は専門的な知識が不足しているため、しばしば訳を外すことがあります。 要は訳そうとする中身が理解できなければいくら語学力があっても正確な訳をつけることができず、中身を十分に理解してそこそこの語学力のある方が正確な訳をつけることできると思います。 おだんご - 02/10/24 15 26 00 コメント 下訂正 誤:「私には『こんな』わずかなない」 正: 「私には『こんな』わずかな心当たりもない」 おだんご - 02/10/24 15 23 48 コメント 一般的にこんな瑣末な事でさえ、といっているように思われるからです。 なぜここで「こんな」が出てくるのでしょうか。「こんな」と行ってしまえばもう「一般的に」とはいえません。 abcさん、では、あなたは、I don t have the slightest idea.をどう訳しますか? 「私には『こんな』わずかなない」と訳すおつもりですか? the leastはあくまでも「最もlittleな」ですよ。 どうこなれた日本語に訳すかは別問題です。 そしてその「最も些細なこと」とは「想定できる最も些細な」という意味です。見逃してもらえそうな、あるいは軽微な罰で済みそうな「最も些細な」叛乱でさえ、例外扱いされず、「最も重い」死刑に処される、というコントラストが含意されているんですよ。 だめだな、ここの南京否定派は。完璧にひいきの引き倒しになっているよ。abcは知ってても、それだけじゃ困りますね(笑) 整理人 - 02/10/24 15 00 39 コメント abc氏の常識的考察に同意致します。 当時中国人民は悲しいかな、自国軍隊からですら 虐待を受け信用するに足らず、もちろん敵国軍はなおさらであり。板ばさみの状態でありました。 中国側撹乱工作に踊らされ、また国際法逸脱した 便意戦術、南京防衛軍司令官の降伏勧告無視などの あまりにも不適切な行動により、日本側の態度を 硬化させたことは紛れも無い事実であります。 それら自国軍のあまりにもお粗末な行為が、人民に とばっちりとして跳ね返ってくる一端が この訳 文に読み取れます。 中立的立場であった私どもは、南京問題関連の掲示板 に触れるようになりましてからは、その前の中国がわ の日本人や朝鮮人の民間人に対する虐殺などもいくつも知るようになり、日本の一方的悪と言われてきた 南京問題は一から真実を見直されるべきだと確信 致した次第です。 ここの肯定派の方に是非肝に銘じて頂きたいことがあります。 はじめに結論ありきの議論姿勢はとても真実には 到達し得ないでしょう。 abc - 02/10/24 13 10 38 コメント ロム屋さん、JON VOIDさん、ご返事、ありがとうございます。たまたま南京大虐殺に興味があってこのページを拝見し、例の英文を目にした次第で、前後の文脈等は全くわかりませんが、お二方は、失礼ですが英語が母国語の方ですか?英語は言語、言葉であって、パズルではありません。例えば、That is the least you could do.(あなたにもそれぐらいの(些細な)ことはできるでしょ)などの文章を、最上級を使って訳出すると、不自然な日本語になるのではないでしょうか。日本語も言葉ですから。もちろん、問題となっている文章を「もっとも些細な叛乱」と直訳する事はできますが、それは直訳であって、正確な訳ではありません。なぜなら、おそらくここでの筆者は何かと何かを比べた上で最上級を使っているのではなく、一般的にこんな瑣末な事でさえ、といっているように思われるからです。そして、その意味するところを読もうとすれば、当然ながら、その前に述べられたことを指すのだろうと思われますので、「このような」あるいは「このように」という日本語訳を当てるのは、自然だと思うのですが、いかがですか?それから、「老人であろうが」のくだりですが、おそらく日本軍の慈悲のなさ、無差別的に不法な「処刑」を繰り返す行為にたいしてどんな中国人であっても、といっていると思われるので、そのように行間を読む事ができるだろう、と書いた次第です。もちろん、そこには叛乱に対する意志も含まれますが、大事なのは、まさに誰であっても、ということだと思います。おそらく侵略者にとって脅威とはなりえない全く平凡な市民、老人、けが人であっても、といったような受け取り方ですが…もちろん、前後に書かれていただろう事を想像しているので、私としてもはっきりした事はいえませんが、ニュアンスとしては間違っていないのでは? おだんご - 02/10/24 09 26 01 コメント しかし虐殺なかった派っていうのは本当にバカだな。 ぼくは中立派だったが、今回の「論争」を見て、なかった派の浅はかさにとことん愛想が尽きた、、、、 こんな調子でなかったなかったと騒いでいたわけか、、、 この論争が英訳されてネット配信されたらまさに国辱ものだな。 「日本の恥」だからさっさと退散してくれ。 ロム屋 - 02/10/24 08 57 47 電子メールアドレス 一応わけてから コメント ■abcさん と言いますか、英文を素直に訳せば「このような些細な叛乱(抵抗)」という以外には どう考えても読めません。 英文を素直に訳すと「このような些細な叛乱(抵抗)」は 最上級 (The least)が訳出できていない、完璧な誤訳ですよ。 しかも (このような) という語感に引きずられた意訳の付け足しをしているので 部分点すらもらえないよ。 ちなみにここでの文章にある"any chinese"とは、いかなる中国人でもという意味で 誰でも知っているよ、というか知っていて当然。一人を除いて。(笑 老人であろうがなんであろうが、といったようなニュアンスを含んでいます。 訳そのまま。わざわざ後知恵で考えたにしてはお粗末。(笑 含まれている(ニュアンス)は(反乱の積極的意志の有無)でしょ、当然。 ■xさん このようないかなる中国人の些細な非行 いかなる・・些細な・・ 完全にX 非行も死刑を もって報いを受けるであろう 意訳を通り越して、(改竄)になるよ。それじゃあ。(笑 ■竜馬君 最上級と定冠詞の両方表現したい場合 おまえどうするんやー? 文法にうるさいおまえならtheを2つつけるんだろーな(笑 何を言っているんだろ、このひと。 結局、なにも分からずに誤訳とか騒いでいたわけね。 JOHN_VOID - 02/10/24 08 09 45 コメント >>龍馬君 >大虐殺のあった証明ができないわけですから、大虐殺はなかった、ということになった >訳ですね。 左側のメニューにある部隊別資料を参照すれば、虐殺があったことは一目瞭然だろう。 資料を全然読んでいないのか? JOHN_VOID - 02/10/24 08 07 02 コメント >英文を素直に訳せば「このような些細な叛乱(抵抗)」という以外にはどう考えて >も読めません。 「このような」に相当する前節の内容を受ける語句「such , like)がないので、その解釈は無理があります。 「The least insurrection」には、前節の内容を指していないと考えないと文章がおかしくなります。 JOHN_VOID - 02/10/24 07 53 08 コメント 竜馬が引用符なしに私の書き込みをズラズラ書くので誤爆したのでは? 失礼、竜馬君が引用符なしで書いていたので、間違えました。 竜馬君は著作権法の知識も必要だな。 abc - 02/10/24 02 59 56 コメント xさんの訳に同意見です。と言いますか、英文を素直に訳せば「このような些細な叛乱(抵抗)」という以外にはどう考えても読めません。このような歴史的に意義の大きい文書を翻訳するのであれば、最低でも英検一級、あるいは通訳検定2級程度、本当であれば通訳検定1級の語学力は必要ではないのでしょうか?世間には山のように誤訳が氾濫していますが、過去の戦争犯罪の真実を追究すべき研究者達が、まさに不毛とも言える言語をパズル的に捉える「解釈」論争に時間を費やしているのは、とてももったいない気がします。ちなみにここでの文章にある"any chinese"とは、いかなる中国人でもという意味で、老人であろうがなんであろうが、といったようなニュアンスを含んでいます。 渡辺 - 02/10/24 01 07 32 電子メールアドレス 「発電所」の件 コメント K-Kさん、 掲載ありがとうございます。 文中に誤植もありますし、エスピー報告などを追加して改定したいと思いますので、そのときはよろしくお願いいたします。 なお、写真の出所も掲載していただけると、ありがたいと思います。よろしくお願いいたします。 それから、「福田証言」の件ですが、日高氏のインタビュー記事のある「潮」を閲覧できるのは来週頃になりますので、もうしばらくお待ちください。 K-K - 02/10/24 00 38 50 電子メールアドレス 竜馬くんへ コメント 移行するのは、竜馬くんとそのお仲間のものだけですから、安心してください。 また、移行にはまだ多少時間が掛かりますので、この点もご安心を。 っと言っても、自説の根拠が提示できないことが明らかになってしまいましたからね。議論も、もうお終いでしょう? K-K - 02/10/24 00 13 48 電子メールアドレス 少し訂正 コメント 名なし便衣兵さんから指摘を受けましたので、訂正します。 【訂正】 【訂正】 そして、根拠が示せなくなったことが明確になったことにより、竜馬くんの主張が崩壊しているという事実が裏付けられました。 ※ただ今、竜馬くんとその同類の方たちの投稿を、『竜馬くんのページ』に移行中です。 K-K - 02/10/23 23 38 45 電子メールアドレス ■ 結 論 ■ コメント どうやら結論が出たようです。 竜馬くんは、以下のように主張しました。 ---- 引用 ---- ラーべ自身のThe least insurrection(安全区の 家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつ けていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えていたという)は事実であり少なくとも 日の丸と腕章の件(ささやかな暴動、反乱)はラーべの事実認識として記述されている。 ---- 終わり ---- 仮に、竜馬くんの主張である「日の丸」「腕章」をラーベが事実だと認識していたとしましょう。 その前提に立つとしても、ラーベが記した「The least insurrection(ささやかな暴動・小さな暴動)」が「日の丸や腕章の件」を指すというには、クリアしなければならない問題があります。 それは、「日の丸や腕章の件」を、ラーベが「暴動」にあたる行為だと認識したかどうかです。ところが、竜馬くんは、この根拠を提示することができません。暴動とは、徒党を組んで治安を乱す行為を指すわけですが、日の丸を飾らなくなったり、腕章を付けなくなったりすることは、治安を乱す行為とは言えません。 つまり、もし、ラーベが「日の丸や腕章の件」を事実と認識したとしても、その事実が「暴動」にあたる行為ではなければ、「暴動」と記すことは在りません。竜馬くんが、「日の丸や腕章の件」を暴動であるとラーベが認識した根拠を示せないのであれば、やはり、竜馬くんの主張である 「The least insurrection(ささやかな暴動・小さな暴動)」=「日の丸や腕章の件」 は成り立たないことになります。 そして、根拠が示せなくなったことが明確になったことにより、竜馬くんの主張が崩壊したという結論に達したことになりました。 ■竜馬くん、よろしいですね? タラリ - 02/10/23 23 18 03 電子メールアドレス ちょっと待った、VOIDさん コメント VOIDさんの引用 ---------------------------- >南京市民は日の丸を掲げたり、日の丸の腕章を付けていると >日本軍の支持者と疑われて中国兵に攻撃されるのを恐れて 掲揚したり腕章を付けたりするのをやめた。 そんな理由でやめる分けないだろ。 日本軍が南京を占領しているから、日の丸掲げたり、日の丸の腕章をつけて ご機嫌とっているだけで、国民党軍が南京を奪回するとなったら、 そんな日本軍へのお追従をしなくてもいいのだから、さっさと片づけちゃった。 というだけの話し。 それだけ、民心は日本軍から離れていたという事。 ----------------------------- 引用終わり。 竜馬が引用符なしに私の書き込みをズラズラ書くので誤爆したのでは? すでに中国兵が市内に進出しているという噂があるので親日分子として 攻撃にさらされる場合が直ちにあり得るので日の丸、腕章をはずした、 と私は解釈します。 ところで日の丸、腕章は「お追従」という生やさしい理由でやっていた のではありません。日本軍が居座った全期間を通じて日本兵の勝手気ままな、 殺戮、暴行に曝されており、当てにはならないとはいえ日の丸や腕章を つけるに越したことはありませんでした。 民心なんか始めからも何も、日本軍についているわけないですが。 K-K - 02/10/23 22 52 43 電子メールアドレス 自分の主張に根拠がないことを認めるのですか? 竜馬くん コメント 竜馬くん、返答がないということは、「 The least insurrection 」が「日の丸や腕章の件」を指しているのではないことを認めるということですね? 【質問1】「日の丸や腕章の件」を、ラーベが「 The least insurrection 」と認識した根拠を提示してください。 ロム屋 - 02/10/23 22 35 39 電子メールアドレス お粗末な竜馬君 コメント ------------------------------------------------ The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death. ■竜馬さんによる英訳からの重訳 このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑になるであろう。 ------------------------------------------------ やっと竜馬君の逃げまわっていた理由がわかった。 (any)の用法と The leastの最上級の意味がわからなかったんだ。(笑 高校英語の文法が理解できなかったんだね。 -------------------------------------------------- トンでも渡辺訳 - 02/10/21 20 21 57 アメリカ人が大笑いの渡辺英語 - 02/10/22 11 58 10 -------------------------------------------------- ------------------------------------------------- コイルくん - 02/10/21 23 24 25 コメント 入試に英語もあるのか? がんばって、受験までに回路を修正しろよ。 ------------------------------------------------- 恥ずかしく大口を叩いたんだから、渡辺さんとコイルさんに詫びをいれなくちゃね。(^-^ JOHN_VOID - 02/10/23 22 31 20 コメント >日の丸や腕章の件はラーべは事実としての認識なのか >それともその件は 噂 で事実でなかったかだな。 嘘ばっかり。 竜馬君は、自分の論理が破綻していることを自覚して、 論点を誤魔化す挙に出てきた。 「日の丸や腕章の件」を、ラーベが「 The least insurrection 」と認識した根拠を提示してくれ。 それが出来ないから、別の話にすり替えて誤魔化そうとしているだけだろ。 JOHN_VOID - 02/10/23 22 28 09 コメント >君のは日本語のよくあることで、たまたま訳文の >見かけは一致しているが、それを仮定としている >ところが曲解だと再三いってるのよね。 >日の丸や腕章の件はラーべは事実として認識しており >少なくともその事実は小さな暴動(The least insurrection)に相当する。 >したがって 小さな暴動がなかった と言うのは >曲解であり、大嘘であーる。 「少なくともその事実は小さな暴動(The least insurrection)に相当する。 ] というのが大嘘の曲回。 Leastはlittleの最上級だよ。 「小さい暴動」なら「little insurrection」だよ。 There is not the least wind.は「どんな微風もない」 竜馬君は最上級のtheと定冠詞のtheをまだ区別できないのか? K-K - 02/10/23 22 22 14 電子メールアドレス 『渡辺さんのページ』更新のお知らせ コメント K-K@南京事件資料集です。 この度、『渡辺さんのページ』を更新しましたので、お知らせいたします。 今回追加した記事は、「資料:『ラーベと発電所復旧』」です。幅広く資料を網羅していますので、当時の電力復旧事情を知るのに非常に役に立つでしょう。 ぜひ、ご一読を。 『渡辺さんのページ』 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/ --------------- 南京事件関連WP ------------------- 『ゆうさんのページ』 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3925/ 『南京事件資料集』 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596 ------------------------------------------------------ JOHN_VOID - 02/10/23 22 16 10 コメント >南京市民は日の丸を掲げたり、日の丸の腕章を付けていると >日本軍の支持者と疑われて中国兵に攻撃されるのを恐れて 掲揚したり腕章を付けたりするのをやめた。 そんな理由でやめる分けないだろ。 日本軍が南京を占領しているから、日の丸掲げたり、日の丸の腕章をつけて ご機嫌とっているだけで、国民党軍が南京を奪回するとなったら、 そんな日本軍へのお追従をしなくてもいいのだから、さっさと片づけちゃった。 というだけの話し。 それだけ、民心は日本軍から離れていたという事。 JOHN_VOID - 02/10/23 22 11 24 コメント 日の丸や腕章の件も単なる 噂 だと言ってたんじゃ なかったのか。 そんなこと誰も言ってないぞ。 K-K - 02/10/23 21 46 39 電子メールアドレス 完璧に理解している竜馬くんなら答えるのは簡単でしょう コメント ほら竜馬くん、「完璧に理解している」ならば、回答できるよね? 【質問1】「日の丸や腕章の件」を、ラーベが「 The least insurrection 」と認識した根拠を提示してください。 K-K - 02/10/23 20 43 08 電子メールアドレス 竜馬くんに質問 コメント 竜馬くんに質問。 【質問1】「日の丸や腕章の件」を、ラーベが「 The least insurrection 」と認識した根拠を提示してください。 K-K - 02/10/23 20 40 06 電子メールアドレス タラリさんの投稿を転載 コメント ※掲示板の更新と重なってしまいましたので、転載します。 タラリ - 02/10/23 20 32 19 電子メールアドレス 竜馬君の脳内景色 コメント >日の丸や腕章の件はラーべは事実として認識しており >少なくともその事実は小さな暴動(The least insurrection)に相当する。 中国兵が南京を奪還するという(根も葉もない)噂が流れた。 南京市民は日の丸を掲げたり、日の丸の腕章を付けていると 日本軍の支持者と疑われて中国兵に攻撃されるのを恐れて 掲揚したり腕章を付けたりするのをやめた。 竜馬はここのところの事情がまったく理解できずに、日の丸、 腕章をやめたのは日本軍への敵対姿勢を示したと受け取っている。 アホやなー。ほんまにアホやで。 それから、暴動といったら実力行使をともなうことをいう。 日の丸たたもうが、腕章はずそうが暴動と言えるわけなんか ないやないか。 ラーベは暴動として認識してないで。 暴動あったちゅうのは、あんたの六等脳味噌の脳内景色ですがな。 ついでに松尾板に書いた竜馬の訳 --------------------------- The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death. ■日記の日本語訳[『南京の真実』p.171] このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑になった。 整理部注 時制は明らかに誤り。 ■渡辺さんによる英訳からの重訳 どのような中国人側の小さな暴動ですら死刑で罰せられるであろう。 ■竜馬さんによる英訳からの重訳 このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑になるであろう。 ---------------------------- 英訳なんかできへんので日本語版の誤訳の中の時制を直しただけやないか。 anyの意味わかってるか。Theは最上級についてるんやで。 あったま悪ーい。 私のホームページへ | CollegeLife-Laboのページへ | メイン | 今すぐ登録 web hosting • domain names • video sharing online games • photo sharing free blog • advertising online
https://w.atwiki.jp/sangokushi11pk2/pages/17.html
評価 行軍 攻撃 防御 計略 補助 内政 収入 災害 関係 その他 コメント 評価 本家wikiにはあったが記載しません。 難易度、プレイスタイルによって大幅に変わるため前提条件が厳しいため記載しません。 行軍 [部分編集] 特技名 説明・備考 飛将 陸上でZOC無視。武力の低い敵部隊への戦法成功時クリティカル 「槍将」+「戟将」+「弓将」+「騎将」+「遁走」の効果。クリティカル効果は施設へは適用されない。水軍・兵器にも適用されないが、輸送部隊には適用される。 遁走 陸上でZOC無視 「闘神」「神将」とのコンボで擬似「飛将」。敵の大軍の中をスルスル移動して、火罠設置の自爆テロや戟兵による複数部隊攻撃が有効。水軍・兵器には適用されないが、輸送部隊には適用される。 強行 兵器・輸送部隊を除く陸上部隊の移動力+5 他部隊に先駆けて相手を撹乱したり、陣や軍楽台を建設するには便利。ただし単独で突出すると袋にされやすく、さらにZOCを無視できないため敵施設があると結局足止めされる。「遁走」「飛将」などとのコンボでは威力を発揮する。 長駆 騎兵部隊の移動力+3 本道のみを行軍する際は移動距離はUPしないので注意。(技巧『精鋭騎兵』研究後はUP)「騎神」「疾走」とのコンボが基本。 推進 水上でZOC無視 水上戦の機会は地理上どうしても乏しくなる。また水上は広く、行軍妨害の施設も建設できないので恩恵はあまり無い。PK2.2では展開する部隊数、河が多く蜀ですら水上戦が発生するそのため有用性は本家より上がった。 操舵 水上で移動力+4。輸送部隊も含む(PC・CS版双方PK) 「運搬」と効果が重複するので(PC・CS版双方PKで確認)、水上間を経由する輸送では「運搬」とコンボで時間をかなり短縮できる。 踏破 桟道通行の被害なし。落石・火罠の被害軽減。所属都市への火罠被害も軽減 技巧「難所行軍」と同じ効果を持つ。ゲーム中の説明にはないが火罠の被害も半減する(PK)。また、都市に所持武将が所属するだけで都市への火罠のダメージを軽減できる。「藤甲」の火罠対策としては「火神」よりもこちらの方が有効な時も。PK2.2では難所行軍を所持していも桟道でも部隊被害が発生する。(それを更に減少させる?)山地、水崖などでも被害発生するが、それを抑えるため有用性は向上 運搬 輸送部隊の陸上・水上移動力+5 前線への物資補給時に効果を発揮する。味方部隊への補給・鎮静、釣り役など、様々な場面で輸送部隊の移動力UPは重宝する。能力研究で習得させればザコ武将でも運送屋として活躍できる。 解毒 毒泉の被害を防ぐ 南蛮の戦闘で重要。制圧後も輸送日数の短縮になる。水軍系特技以上に効果を発揮する場面が少ないのが残念。ただし、PK2.2では毒泉による被害が尋常じゃなく1000単位で兵力が溶けるのでいると有用 严整 部队辎重不会损失 輸送部隊壊滅時に物資を失わない?11PK2.2では賊が湧きまくるので有用ではある。 辎粮 部队兵粮消耗减少为{70}% 部隊の消消費兵糧が70%軽減?70%にする?どちらかは要検証だが消費兵糧減らすのは非常に便利、輸送部隊でも使ってもいいし被害を受けにくい部隊に持たせても良い 山战 山地行军无损伤、战法必暴击 何故か行軍枠にある。乱戦と同じで山であれば攻撃がクリティカルになる。そこそこ有用 背水 水岸行军无损伤、战法必暴击 乱戦の水岸版、いくら河が増えたPK2.2でも発動機会は少なそう 枪锋 枪兵攻防提升{10}% 槍兵の攻防を上げる特技、割合上昇なので案外上昇する 枪速 枪兵移动增加{20}% 槍兵の機動力が上昇する。槍兵は螺旋突で真っ先に攻撃する役目が多いと思われるので位置取りが楽になり有用 戟刃 戟兵攻防提升{0}% 戟兵の攻防上昇、固い戟兵を更に固くできる。金剛等と組み合わせるとまさに鉄壁 戟舞 戟兵移动增加{20}% 戟兵の機動力を上げる非常に有用、戟兵は位置取りも重要だが本家より機動力が落ちているため補う意味でも重要 箭芒 弩兵攻防提升{10}% 弩兵の攻防を上昇する。弩兵の火力のメインは火矢の着火部分もあるので恩恵は薄め 箭痕 弩兵移动增加{20}% 弩兵の機動力が上昇する。弩兵は遠距離攻撃がメインで機動力自体も本家並にはあるので有用性は薄い 铁骑 骑兵攻防提升{10}% 騎兵の攻防上昇させる。騎馬は基礎能力が高くそれを更に高くするのは有用 能工 兵器攻防提升{10}% 兵器部隊の攻防上昇させる。兵器は敵部隊が優先して狙う事もあるので有用 反击 被击破时,{75}%概率反击敌将致伤 敵部隊に対する反撃をする?経験値効率も良くなるかも?要検証 收拢 2格范围内有敌军被击破时,收拢敌军部分兵力 周囲ニマス以内で壊滅した部隊を一部回収する。兵役人口で兵力に限界ある仕様なので非常に有用 客逆 部队攻防在敌方领地提升{10}%,在己方领地降低{10}% 敵勢力圏内だと攻防上昇、自勢力だと低下する面白い特技、攻めにおいては間違いなく有用 东夷 倭族武将的专署特技 威風+怒髪+猛者+陷阵+百战、部隊攻撃時に気力20低下させ、部隊移動攻撃で移動させると敵を負傷させ、攻撃を受けると気力回復し、反撃ダメージ1.5倍にし、戦法での気力消費を33%減、強い 飞军 施展弩兵、骑兵战法时,使敌将负伤几率增加;于西南行军有优势 弩兵、騎兵での戦法発動時負傷率増加+踏破の効果 闪击 于陆上时不考虑ZOC;陆上攻击不会受到损伤+【武干】 遁走+急襲+武干、武干の効果は難しいが統率により発生する恩恵が強化するみたいな感じ要検証 统军 部队辎重不会损失;训练效果提升+【军魂】 輸送部隊壊滅時に物資が残り、訓練の効果を上昇させる。军魂は統率におる発生する恩恵倍率を上昇? 战神 攻击较高时施展战法会心一击,并对敌方形成较高的伤害+「军魂」 自部隊より低攻撃の部隊への戦法が必ず成功し確定クリティカル、クリティカル威力上昇、军魂は統率におる発生する恩恵倍率を上昇? 攻撃 [部分編集] 特技名 説明・備考 掃討 攻撃した部隊の気力減少(-5) 減少量が少なく、有利をほとんど実感できない。水上に限ればそれなりに有効。地味に効く。本家では有用性は微妙だったが、PK2.2では気力が低下することによる影響が大きくなる。季節によっては毎ターン気力低下、全体的な火力低下による長期戦化によりソコソコ有用 威風 攻撃した部隊の気力減少(-20) 乱射、霹靂付き投石はその攻撃すべてに適用される。だが大抵は気力が0になる前に敵兵が全滅してしまうため、有効に使うためには複数部隊の投入または「連戦」との併用で手数を増やしたい。「掃討」持ちと組ませても「威風」が優先されて「掃討」の効果は反映されない。大兵力の兵器部隊を無力化したい時は中々有用。特に敵が固い超級では通常以上の効果を発揮する。対人戦では戦法や計略を効果的に使ってくるため気力削りの効果が増す。 昂揚 敵部隊を倒すと気力回復(+10) 回復量が少なく、効果は薄め。「捕縛」「精妙」「強奪」などと組ませてトドメ専門部隊を作るといいかも。撃破した部隊数だけ回復するので、戟・弩兵戦法でまとめて撃破すると大幅に回復する。乱射・突出し等で味方部隊を倒しても回復する。PK2.2では部隊数が尋常ではないため、結果としてトドメを刺す機会が増えたので有用に 連戦 通常攻撃が50%の確率で二回攻撃 「駆逐」「白馬」「神将」などの通常攻撃系特技とのコンボが秀逸。通常攻撃は反撃被害が大きいので、「急襲」とも相性がいい。効果は伏兵や一斉攻撃にも適用される。ただし後者はコマンドを実行した部隊が「連戦」所持の場合のみ発動。伏兵で効果発動時は反撃被害を受ける。PK2.2で化けた特技、戦法でも二連続で発動する。やりたい放題、兵器は井蘭で発生確認、水上は発生確認していない。 急襲 陸上攻撃時50%の確率で被害を受けない 受けないのは反撃の被害。戦法は反撃被害が少なめなので恩恵はあまり無い。通常攻撃系特技、とくに「連戦」とのコンボで威力を発揮する。また、応射の被害も50%の確率で防ぐ(PCPK)。超級においては敵の反撃ダメージもバカにならないので、相対的に有用性が増す。連戦での二連続攻撃による被害軽減のお供に戟兵には技巧効果で被害が一定値以上だと気力回復するが、その恩恵は受けれなくなる点には注意 強襲 水上攻撃時50%の確率で被害を受けない 「急襲」の水上版。水上戦は間接攻撃が主体なので、出番は少ない。PK2.2でも微妙枠水上戦の数自体が増え多少は激突等が運用しやすくなったので多少マシになった程度 乱戦 森で攻撃時クリティカル 自部隊が森にいる時、敵部隊に対する通常攻撃及び戦法が全てクリティカル。攻撃側の兵科にかかわらず、相手が部隊なら適用されるため、森から兵器部隊で敵部隊を攻撃してもクリティカルになる。ただしクリティカル効果は施設へは適用されず、また攻撃対象部隊がいる地形は関係ないので注意。地形限定の覇王と考えれば非常に優秀といえるが、森の近くでは自軍の運動も制限されることを忘れずに。槍兵で螺旋突/乱突による混乱を狙うのが一般的だが、弩兵でもかなり有効。PK2.2では奇襲技巧で森で気力回復するようになり間接的に強化された特技、森では槍兵は攻撃性能も上がるため強力になった。 攻城 拠点、施設、建設物攻撃時クリティカル 城や関を含む建設物に対する通常攻撃及び戦法が全てクリティカル。「工神」と違い、自部隊が弩兵や水軍の場合にも適用される。PK2.2では他兵科でも対施設戦法が追加されたので強化された特技の一つ 掎角 一斉攻撃時、50%の確率で混乱させる 一斉攻撃時には他の参加部隊の「捕縛」「威風」等の効果も発動する。非能力依存かつほぼ全ての兵科で活用可能な点が最大の魅力といえよう。ただし肝心の一斉攻撃の使い勝手があまり良くないのが難点である。PK2.2では部隊数が増えた影響で発動機会が増した妙計等の気力を使う行動が増えたり、気力低下の影響が大きくなった為気力を使わない一斉攻撃も選択として入るように 捕縛 敵部隊撃破時、特技「強運」や名馬の無い武将を必ず捕縛30%の確率で捕縛 拠点陥落時に発動すると、未出撃の所属全武将を捕縛できる。PKならば符節台とコンボで大量登用可に。ただしPKでは兵種問わず、敵拠点に隣接した状態で落城させないと効果が適用されない。井蘭、投石などの部隊に所持武将を編入させた時に注意。ちなみに捕縛防止系の特技などの所有者に対しては、そちらの効果が優先されて捕縛効果が発揮されない。。つまり「血路」持ちが所属する部隊、あるいは「強運」や名馬の所有者などは捕縛できない(CSPK)。PK2.2では大幅弱体化、更に部隊にいる捕虜も普通に逃げるようになった。当たり前だが 精妙 敵部隊撃破時、獲得技巧ポイント二倍戦法成功率+10% 部隊能力自体が向上するわけではないので、他に比べると後回しになりがちか。PK2.2で戦法成功率上昇効果が追加され稼ぎ以外でも運用可能に、戦法成功率を下げる特技等もあるので、それを予防可能になった。難易度が上がると槍部隊の螺旋突クリティカル狙い時に失敗一つで戦局が変わる為、有用性が増した。 強奪 敵部隊撃破時、アイテムを奪うことがある10% 相手部隊がアイテムを持っている確率自体が低いため、効果が発揮される確率はかなり低い。名馬持ちで何度でも襲来する五月蠅い相手を黙らせる時には有用。ただし、100%奪取ではないため複数回撃破する必要があるだろう。PK2.2ではアイテムが増えた上に有用なのが多いので相対的に価値が上昇、奪取確率は本家で何%かは不明 心攻 敵攻撃時、兵士の一部を吸収 吸収量は相手側被害の15%。兵糧は奪えないので注意。直接攻撃でしか発動せず、間接攻撃では吸収出来ない。防御に秀で、複数の部隊を狙える戟兵部隊での運用が基本。他には攻撃力の高い騎兵で「連戦」+「神将」or「駆逐」のコンボなどが有効。本家では不明だが、PK2.2では賊兵から兵力吸収できた。また、本家と違い兵役人口があるため兵力を奪う効果は有用 駆逐 自分より武力の低い部隊への通常攻撃がクリティカル 「連戦」「掎角」とのコンボが有効。所有武将の関係上、出番は少なめだが。 射程 井欄、投石の射程が一マス延びる 範囲+1だけでかなり強力。「攻城」「工神」とのコンボも◎。港関戦では攻守共に威力を発揮。闘艦の投石には効果を発揮しないので注意。 騎射 技巧「騎射」を未研究でも騎射が可能。騎射がクリティカル 騎射研究前は非常に嬉しい特技。騎射は通常攻撃なので、戦法発動時に効果が発揮される「騎神」「疾走」とは組ませないほうが良いか?「連戦」と組ませると、気力消費無し+反撃被害なし+高威力で戦法が必要無いほど優秀。白馬から名前が変更されてる。PK2.2では騎射自体に気力低下の効果が付与されており有用性が上昇した。 補佐 人間関係がなくても支援攻撃発生(嫌い除く)30% 所持武将が主将でないと発動しない点に厳重な注意を要する。所持武将ゆえ発動の機会は少ないが、援護攻撃自体はとても優秀。発動機会を少しでも増やすため、部隊は弩兵か騎射付きの騎兵にしたい(攻城兵器不可)。「掃討」とのコンボはほとんど無意味。「威風」を副将にするのは所持武将の関係上、現実的ではない。「白馬」「射手」などと組むと良い。PK2.2では主将じゃなくても発動・・・するかも?要調査 槍将 自分より武力の低い敵部隊への槍兵戦法成功時クリティカル 武力に左右されるため、無力化されることも。螺旋突(乱突)がクリティカルになれば相手を必ず混乱させるので、槍兵が一気に使いやすくなる。PK2.2では精鋭槍兵取得以降に薙払が可能となり有用性が増す 戟将 自分より武力の低い敵部隊への戟兵戦法成功時クリティカル 武力に左右されるため、無力化されることも。「鉄壁」「心攻」「遁走」とのコンボが基本。複数部隊にクリティカル効果があるので大きな損害を与えられる。PK2.2では精鋭戟兵取得後に螺旋突が可能となるので有用度が上昇 弓将 自分より武力の低い敵部隊への弩兵戦法成功時クリティカル 武力に左右されるため、無力化されることも。「射手」とのコンボが基本。 騎将 自分より武力の低い敵部隊への騎兵戦法成功時クリティカル 武力に左右されるため、無力化されることも。「疾走」「猛者」とのコンボが基本。騎兵戦法は単部隊にしか攻撃できないし、クリティカルに混乱や着火のような特殊効果も無い。純粋に単部隊への戦法ダメージが1.15倍になるだけの効果しかなく、他の○将に比べると恩恵は薄い。 水将 自分より武力の低い敵部隊への水上戦法成功時クリティカル 武力に左右されるため、無力化されることも。「推進」「操舵」とのコンボが基本。水上戦の機会は少ないが、火矢が確実に着火する効果は大きい。 勇将 自分より武力の低い敵部隊への全戦法成功時クリティカル 「槍将」+「戟将」+「弓将」+「騎将」+「水将」+「工将(?)」の効果。クリティカル効果は施設へは適用されない。しかし水軍戦法や兵器戦法でも部隊相手ならクリティカルが適用されるので、その点で唯一「神将」「飛将」よりも勝っている。 神将 自分より武力の低い敵部隊への通常攻撃と全戦法成功時クリティカル 「槍将」+「戟将」+「弓将」+「騎将」+「駆逐」の効果。クリティカル効果は施設へは適用されない。また武力の低い敵部隊への戦法クリティカルは水軍・兵器では適用されないことに注意。通常攻撃のクリティカルは攻撃時のSEが変わる。 闘神 槍兵戦法と戟兵戦法成功時クリティカル 「槍神」+「戟神」の効果。状況にとって槍と戟を使い分けよう。 槍神 槍兵戦法成功時クリティカル 「猛者」とのコンボが有効。螺旋突(乱突)がクリティカルになれば相手を必ず混乱させるので、槍兵が一気に使いやすくなる。 戟神 戟兵戦法成功時クリティカル 「鉄壁」とのコンボで一斉攻撃に対応したい。「心攻」「遁走」とのコンボで敵群の懐に入って暴れまわるも良し。 弓神 弩兵戦法成功時クリティカル 「射手」「火神」とのコンボが基本。建設物への戦法成功時も必ずクリティカルに。さらに、乱射が味方に当たらなくなる効果もある(「覇王」には無い)。 騎神 騎兵戦法成功時クリティカル 「疾走」「猛者」とのコンボが基本。騎将同様、騎兵クリティカルの自体に恩恵が薄いのは否めない。もともと高威力の騎兵戦法がさらにダメージアップするというのは魅力的なのだが… 工神 兵器戦法成功時クリティカル 「攻城」と違って、自部隊が兵器でありさえすれば、部隊攻撃でもクリティカル。「射程」とのコンボが基本。 水神 水上戦法成功時クリティカル 水上戦の機会は少ないが、川沿いの施設破壊、川からの都市攻撃にも使える。「操舵」「推進」とのコンボが基本。 覇王 全戦法成功時クリティカルPK2.2では毎ターン付近にいる自分より低い低武力部隊を確率で混乱させる。 最強の一言に尽きる。兵器・水軍にも適用され、万能な事この上ない。乱射で味方を巻き込んでしまう点で「弓神」に若干劣る。能力研究で確実に1つ手に入るため、COMが武将に特技を覚えさせるCS版ではとんだ雑魚武将が持っていることも。 疾走 自部隊よりも攻撃力の低い部隊への騎兵戦法成功時、混乱させる 混乱成功判定は部隊攻撃力に準拠するため、主将の武力が低いと発動しない。「騎神」「騎将」とのコンボが基本。螺旋突クリティカルと違い、反撃被害は受けるので「急襲」と組み合わせても良い。混乱効果を主眼とした騎兵隊と割切り、適当な高武力武将の副将にもよい(*1)。「猛者」とのコンボも有効。「猛者」の怪我判定の方が先に処理されるので、運は絡むが自分より攻撃力の高い部隊も混乱できるようになる。 射手 森に弩兵戦法可能 「弓神」「弓将」「乱戦」とのコンボが基本。乱射で撃ちもらしがなくなるのは大きい(CS版限定)。 猛者 戦法で敵部隊をマス移動させると、50%の確率で負傷させる 知力や武力を低下させることで、相手の特技を無力化出来る可能性がある。そのため、「神算」や「虚実」などの強力な能力依存系特技所持武将が所属する部隊に対して効果を発揮。誰が怪我するかわからないのがやや難点だが、混乱した部隊を狙って毎ターン引きずり回していれば敵軍を弱体化させられる。敵部隊をマス移動できない弩兵・兵器部隊には編入しないこと。 谋略 使用部队妙计成功率上升{20}%,减少所受妙计负面效果 妙計の成功率上昇、妙計には範囲かく乱等が揃っており非常に強力でその成功率を上げるのは重要 军略 使用部队战略成功率上升{20}%,减少所受战略负面效果 部隊戦略の成功率を20%上昇、使ってないため詳細不明だが敵から範囲ダメージ与えられた事あるのでそれ?要検証 蓄势 战法气力消耗+{20}%,战法伤害+{20}% 消費気力を上がる代わりに戦法威力を上げてくれる使いにくい感あるのだが、騎兵戦法の場合は気力回復方法が多く更に騎兵自体の攻撃が高いので高相性 猛骑 骑兵类战法负伤率上升{20}% 猛者と異なり動かさなくても負傷させることができる特技まあ優秀 猛卒 步卒类战法负伤率上升{20}% 槍、戟でも負傷させることが可能になる特技、範囲攻撃が両方ともにあるので有用 要击 对异常状态部队施展主动攻击伤害提升为{150}% 状態異常の部隊に対して1.5倍のダメージを与える(2.5倍かも?)基本的にかく乱による無力化が強いゲーム性の為非常に有用、弩兵部隊当たりが候補 兵神 敌方战法成功率减少{50}% 敵から戦法を受ける際に50%成功率を下げる。確定成功がどうなるかは不明、又絶対値で50%なのかどうかも要検証 兵心 对统率较低部队施展战法必成功 自分より低い統率の部隊に対して戦法が必ず成功、これ単体では微妙だが槍神等が合わさると有用 战神 攻击较高时施展战法必暴击,暴击伤害加{50}% 自分より攻撃が低い部隊に対して戦法がクリティカル、更に威力が50%増加、強すぎる 战将 对防御力比己方攻击力低的敌军,施展战法成功会心一击 自部隊の攻撃より低い防御の部隊へ攻撃時戦法がクリティカルなる特技、騎兵とかであれば発動機会が多い 巧变 可无视地形限制施展战法 戦法がどこでも発動可能になる特技、当然縛りの多い騎兵で有用、注意点は戦法限定のため支援攻撃とか発動は狙えない 游侠 己方兵力少于敌方部队{60}%时,施展战法成功时会心一击 自身の兵力が攻撃する部隊より60%以下の場合クリティカル、相手の兵力依存ではあるが非常に有用 百战 部队战法的消费气力为{33}% 部隊の戦法発動時の気力消費が2/3になる。戟兵や槍兵あたりが候補 狙击 弩兵类战法负伤率上升{20}% 弩兵戦法時に発動する負傷率を上げる 神臂 使弩兵的射程增加 1 区格 弩兵の射程を1増加させる超重要特技シンプルに強い 摧锋 枪兵战法破防{40}% 槍兵での戦法発動時、敵部隊の防御を40%無視する。特に戟兵に効果的で相性差を埋める 掠阵 骑兵对途径部队造成{20}%伤害 騎兵戦法発動時に負傷する確率を20%増加、猛者と違い移動させなくても発動するのが強み 劫财 攻击部队截取{3}%金钱 部隊攻撃時に攻撃した部隊の金銭を3%奪う散りも積もれば・・・ 截粮 攻击部队截取{3}%粮食 部隊攻撃時に攻撃した部隊の兵糧を3%奪う散りも積もれば・・・ 督战 对士气比我方部队低的部队施展普攻或战法成功时必暴击 自部隊より気力の低い部隊への戦法がクリティカルになるという変わり種、詩想持ちとかと相性が良い 破军 攻击敌方部队时,破防{25}% 攻撃時に部隊の防御を25%無視する槍兵専用の物よりは倍率は落ちるが十分有用 斩将 {2}%概率斩杀相邻异常状态敌军的主将 2%の確率で状態異常の敵部隊の主将を殺す?要検証 利刃 枪兵暴击增加伤害{20}% クリティカル時の威力20%上昇、槍兵はクリティカル螺旋突が強いのでセットで 勾镰 戟兵增加暴击伤害{20}% クリティカル時の威力20%上昇、戟兵は全体的に火力を落とされてるので補填となり有用 强弓 弩兵增加暴击伤害{20}% クリティカル時の威力20%上昇、弩兵の火力も減らされてるので有用 精骑 骑兵增加暴击伤害{20}% クリティカル時の威力20%上昇、ただでさえ高い騎兵火力を上げる事ができる 匠魂 兵器增加暴击伤害{20}% クリティカル時の威力20%上昇、兵器向けの特技は少ないので火力上げる効果は強い 撞角 水军增加暴击伤害{20}% クリティカル時の威力20%上昇、水軍でのクリティカル威力を上げるのだが本家より水軍機会は増えたとはいえ有用かは微妙 摧城 对统率低于己者,发动兵器战法必成功 自身より低い統率の部隊へ戦法が必ず成功、兵器は基本成功率100%で不要 横江 对统率低于己者,发动水军战法必成功 自身より低い統率の部隊へ戦法が必ず成功、水軍戦法は基本成功率100%で不要 披坚 对统率低于己者,发动戟兵战法必成功 自身より低い統率の部隊へ戦法が必ず成功、戟兵は基本的には混乱してる部隊への攻撃が多くなるので微妙なところ 执锐 对统率低于己者,发动枪兵战法必成功 自身より低い統率の部隊へ戦法が必ず成功、滅茶苦茶有用、槍兵の螺旋突が必ず成功するのは安定感が上がる 灭地 对统率低于己者,发动弩兵战法必成功 自身より低い統率の部隊へ戦法が必ず成功、まあまあ有用乱射とかを確実に成功させるのは強み 践踏 对统率低于己者,发动骑兵战法必成功 自身より低い統率の部隊へ戦法が必ず成功、確実に疾走等発動させたい場面や敵を移動させたいときに有用 善枪 枪兵耗气减少{20}% 消費気力が20%低下する。 善戟 戟兵耗气减少{20}% 消費気力が20%低下する。 善射 弩兵耗气减少{20}% 消費気力が20%低下する。 善骑 骑兵耗气减少{20}% 消費気力が20%低下する。 善工 兵器耗气减少{20}% 消費気力が20%低下する。 善舟 水军耗气减少{20}% 消費気力が20%低下する。水軍の場合は気力回復手段が少ないので非常に有用 激昂 击破敌军时,回复{40}气力 昂揚のパワーアップ版40回復は有用すぎる 引燃 击破敌军时,其2格范围内的敌军起火 敵部隊を壊滅時に2マス以内にいる敵部隊に火が付く、限定的すぎる特技だが進路妨害等には使える 强击 部队暴击伤害提升{20}% どの兵科でもクリティカル威力を20%上げる強い 步将 对武力比自己低的敌方部队施展枪兵和戟兵战法成功时会心一击 闘神の将バージョン 骁将 对武力比自己低的敌方部队施展弩兵和骑兵战法成功时会心一击 弓将+騎将 骁神 弩兵战法与骑兵战法施展成功时会心一击+【军魂】 弓神+騎神 志承 擅长支援友军;已方领土作战优待;必识破敌计略 補佐+洞察、さらに自勢力領土内だと与える被害1.5倍、受ける被害を0.7倍にする強いイベントで姜維が取得 骑驱 对武力低的敌部队施展骑兵战法成功时会心一击;增加骑兵移动力 騎将+長躯 剽掠 击破部队时有几率抢夺道具,攻击部队截取金钱、兵粮 部隊攻撃時に米も金も奪うし部隊撃破時に道具を奪う 义从 骑兵移动力增强;擅长支援友军 補佐+長躯 天骄 【昂扬】+【激励】+【军魂】 驱逐 对敌方部队施展一般攻击时会心一击,攻击不会遭受反击+「武干」 強襲+急襲+駆逐+武干 枪神 枪兵战法成功时施展会心一击+「军魂」 军魂が追加された槍神 戟神 戟兵战法成功时施展会心一击+「军魂」 军魂が追加された戟神 弓神 弩兵战法成功时施展会心一击+「军魂」 军魂が追加された弓神 骑神 骑兵战法成功时施展会心一击+「军魂」 军魂が追加された騎神 工神 兵器战法成功时施展会心一击+「军魂」 军魂が追加された工神 白马 可使用「骑射」;打倒敌方部队后,周围敌方部队也会减少气力 霸王 全战法战法成功时施展会心一击,有概率使周边敌军陷入眩晕 火神 对智力较低的敌方部队施展火计时必成功,于全火攻有所优势+「军魂」 兵仙 对统率较低部队施展战法必成功,于行军布阵优势+「武干」 水神 水军战法成功时施展会心一击,于水上移动有优势+「军魂」 弑天 【飞将】+【巧变】+【激励】+【掠阵】 锦帆 【推进】+【操舵】+【水神】+【军魂】 复仇 【长驱】+【骑神】+【军魂】+【掠阵】 人屠 【战神】+【料敌】+【军魂】★(白起) 霸王 【霸王】+【破竹】+【恫吓】+【军魂】★(项藉) 兵仙 【斗神】+【兵心】+【武干】★(韩信) 气机 【戟神】+【激励】+【布阵】★(吴起) 武穆 【神将】+【百战】+【军魂】★(岳飞) 将星 【攻城】+【拱戍】+【攻心】★(乐毅) 防御 [部分編集] 特技名 説明・備考 不屈 自部隊の兵士の数が少ないとき、攻撃されても50%の確率で被害なし 発動するのは兵力3000未満のとき。戦法や計略(火計など)を無効には出来ない。発動ラインの関係上自軍では使いにくいが、COM武将がこの能力を持つ場合、非常に面倒。自軍でも部隊兵力が少ない序盤ならそれなりに有効。本家と異なり指揮兵力は減ってる上に特技による戦法成功率低下や敵部隊数の増加もあり有用性は増した。 金剛 敵の攻撃が微弱な時、50%の確率で被害なし 500未満のダメージが無効になる。防御の高い戟兵や、水上戦で有効。援護攻撃を無効化するのにも役立つ。ただし戦法は無効に出来ないので、戦法を使われにくい位置取りを心がけよう。不屈と同様で有用性は本家より増している。 鉄壁 一斉攻撃されても通常攻撃になる 一斉攻撃を通常攻撃にするだけなので、一斉攻撃に参加した他部隊は行動済にならない。COMも弱ってくると一斉攻撃をしかけてくるので旋風の使える戟兵とは非常に相性が良い。もっとも、下手に計略や戦法を使われるよりは、一斉攻撃で他の弱っていない部隊まで行動済にしてくれる方が余程助かるだろう。本家と使用運用は変わらず 怒髪 敵部隊の戦法を受けると気力5回復 効果は非常に地味だが、火矢の応酬が多い水上戦では擬似「楽奏」となる。本家より部隊数が増した事による発動率は大幅増加 藤甲 火以外の攻撃の被害は半減、火は二倍 「火神」とのコンボは、火罠・火矢の火ダメージは2倍で火計・火中進軍の火ダメージは0となる(CS版PK)。火矢が怖ければ森に配置すればよいが、火罠には注意。PK2.2ではありがたいことに敵が火球をあまり使わなく優位性が上昇した。 強運 戦死、捕縛、負傷しない 囮や自爆テロ役として使える。同部隊でも特技持ちにしか効果が無い点に注意。城近くの防衛線で兵1緊急ZOCを張る、同じく兵1で囮になる、少数の兵士を引き連れて火種を設置しそのターンで爆破してもらうなどの運用が考えられる。が、どれも一般的な使い方とは言いがたいし、劇的な効果があるわけでもない。PK2.2では兵力1とかの極端な兵力だと計略成功率や戦法成功率が激減する上に気力消費量が増加するので注意 血路 部隊が壊滅しても同じ部隊の武将が捕虜にならない 主力武将の部隊に参加させると良い。劣勢の時にこそ活きる特技。特性を活かした、やられても良いorやられる事前提の戦法が熱い。少数部隊での囮や敵領内撹乱、敵の近くを通る危険な輸送も安心。計略系特技と組んで少数部隊で出撃し、やられて帰れば気力の心配せずに計略が使える。判定があるのはあくまで攻撃による「部隊壊滅時」のみであり、一騎打ちによる単独捕縛は防げないことに注意。また同様の理由で、落城時の捕縛も防げない。 護衛 同じ部隊の武将が負傷、戦死しない所属する都市の武将が暗殺されそうになった場合代理一騎打ち?要検証 ゲーム中の説明にはないが、火によるランダム継続ダメージを無効化する効果もある。相手の「猛者」や火による負傷対策として有効。騎兵戦法による戦死も防げる。とくに能力値依存の特技持ちを負傷から守れるのは大きい。ただし、所持武将自身は負傷もするし、戦死もするので無理は禁物。 八卦 以{0}%的概率抵挡战法攻击 攻撃を受ける際に敵の戦法成功率を50%低下させるだと思われる。要検証だが、確定成功系統の特技だとどうなるか(推測だが確定成功=100%として計算しそこから50%軽減だと思われる)戟兵であれば大盾の効果も受けれる。金剛などの特技と組み合わせると防御性能は格段と上昇する。 布阵 防止被战法暴击;规避兵种相克带来的负面影响 戦法を受ける際にクリティカルを封じる普通に強い 兵圣 受到的物理伤害变为{50}% 被ダメージを半減する。ようはデメリットの無い藤甲 治军 免疫物理攻击眩量效果 戦法による混乱を受けなくなる。疾走対策になる 坚城 守城时城防和士兵所受伤害减少为{70}% 所属する都市のダメージが70%に軽減 重甲 戟兵防御增加{30}点、{50}%概率抵挡普通弓箭攻击、移动减少{4}点 移動力が4低下する代わりに戟兵の防御30上昇し通常の弓に対するダメージ50%低下? 轻甲 弩兵近战攻防上升{25}% 弩兵を率いてるときに近接防御を25%上昇させる従来通りの運用が可能になる 重器 兵器防御力提高{40}% 兵器を率いてるときに防御が40%上昇する 水师 水军减伤{30}%;不受水流影响 水軍を率いてるときに河に流れない、水軍での被害が30%軽減する 卫戍 【戍防】+【拱戍】+【调练】+【巡查】 兵圣 敌方物理伤害和陷阱伤害大幅下降 踏破+兵圣 兵神 敌方成功率和计略成功率大幅下降 兵神+料敵 計略 [部分編集] 特技名 説明・備考 待伏 伏兵成功時クリティカル 伏兵は地形を選ぶためほとんど使わない。クリティカルの効果も地味。うまく使えてかつクリティカルすれば敵を混乱させられるしかつ気力消費も撹乱より少ないので有効ではあるが。PKでは伏兵の仕様が強化されたが焼け石に水。騎兵・兵器・輸送は伏兵を使えないので注意。 火攻 自分より知力の低い部隊への火計が必ず成功。消火が必ず成功。火のダメージ1.5倍、火による被ダメージ半減 火計は攻撃力が低い。よって戦法で普通に攻撃していたほうがいいかもしれない。技巧「神火計」があれば間接攻撃にそこそこ使える。というのは本家での話、火神にこそは劣るが火のダメージ関係で優遇され使いやすくなった。 言毒 自分より知力の低い部隊への偽報が必ず成功 偽報は撹乱の代用としても有用。自分より低知力部隊には必ず成功する。 機略 自分より知力の低い部隊への撹乱が必ず成功 最も多用するであろう部隊計略である撹乱が必中になるのは大きい。自分より低知力部隊には必ず成功する。 詭計 自分より知力の低い部隊への同討が必ず成功 同討は効果は大きいが気力消費量が少しネック。「沈着」「規律」「明鏡」の適用外なのが良い。相手のターンにやられること前提で、兵1輸送隊で計略を仕掛ける手もある。 虚実 自分より知力の低い部隊への全部隊計略が必ず成功 「規律」「沈着」「明鏡」「洞察」を持った武将には効かない。所持武将(曹操・知力91)の関係上特に序盤で非常に強力。 妙計 自分より知力の低い部隊への計略成功時クリティカル 相手の知力に左右されるが、部隊計略クリティカルの効果は大変強力。「虚実」「機略」等とのコンボで用いることになるか。○将系の特技と違い、施設や地面への着火などでも確実に発動するので、火罠着火要員にすると低知力武将でも確実に活躍できる。鬼謀と組み合わせると大変便利かつ強い。 秘計 自分より知力の高い部隊への計略成功時クリティカル 基本は「妙計」と同質。クリティカルは魅力的だが、所有者の知力が中途半端に高く使い辛い。火球などは知力1に設定されているようなので(PCPK)、妙計のようなクリティカル着火要員には使えない。 看破 自分より知力の低い部隊からの計略を必ず見破る 自分より知力が低い敵部隊からの計略は、最初から成功率がかなり低いのであまり有難味が無いかも。「虚実」「神算」に勝てるわけでもないので実用性は低い。 洞察 敵部隊からの計略を必ず見破る 諸葛亮の「神算」すら無力化できる最上級の計略防御系特技。しかし編成や立ち回りに注意すればあまり計略は受けないので、自軍で使う分には武将枠の節約になる程度でやや微妙。攻撃系特技の方がいい感がある。逆に敵にいるとひたすら脅威(面倒)だが。知力の低い雑魚武将につけるというのは一見ありだが、あくまで計略にかからなくなるだけであり、知力が関わる鎮静や消火、政治が関わる建設力などはカバーできない点に注意。落雷は自身がターゲットにされた場合のみ有効であり、周囲のマスを狙われた場合の巻き込まれは防げない。 火神 低知力部隊への火計が必ず成功。消火が必ず成功。火の被害無効。敵への火のダメージ二倍 敵の火矢で燃えないので海戦では滅法強い。「弓将」や「水将」と組ませて火矢を撃つのも強い。火の被害無効を生かした火罠による自爆戦法も面白い。ただし火罠による死亡・混乱判定は残るので注意。 神算 自分より知力の低い部隊への計略が必ず成功し、必ずクリティカル。また自分より知力の低い部隊からの計略を必ず見破る。 「虚実」+「看破」+「深謀」の効果。 百出 部隊計略の消費気力が1になる 「神算」「鬼門」「虚実」とのコンボが文字通りの反則級。 鬼謀 部隊計略を仕掛けられる範囲が一マス広がる 計略の成功率は変わらないが、敵部隊に壁を二つ挟んで計略を仕掛けられる意義は大きい。単体ではそれほど決定力のある特技ではないが、他の計略成功率系特技とのコンボが効果的。 連環 部隊計略成功時、隣接1部隊にも被害 成功時のみ効果を発揮するので、「虚実」「神算」とのコンボが望ましい。伏兵、同討では発動しない。隣接部隊に計略を掛けるというだけなので、連鎖した後成功するかどうかはまた別判定。なお、都市内部に放火すると、二連続でヒットする。 深謀 部隊計略成功時、必ずクリティカル 成功時のみ効果を発揮するので、「虚実」「機略」「傾国」とのコンボが望ましい。 反計 部隊計略を見破ると同じ計略で反撃 「明鏡」「洞察」とのコンボで100%効果を発揮する。反計しても必ず成功するとは限らない。諸葛亮とのコンボなら自部隊への計略をもれなく反撃成功させる部隊が完成する・・・が、敵は知力の高い部隊へはあまり計略をかけてくれないので・・・。 奇謀 女性のいない部隊への計略成功率二倍元傾国、男性縛りが無くなった。 高知力の武将がいれば、擬似「虚実」に。 妖術 妖術を使用可能 気力消費50は多すぎる。「百出」とのコンボは必須。 鬼門 妖術、落雷を使用可能 落雷が強すぎてバランス崩壊している。「百出」とのコンボは必須にして必殺の威力。判定は部隊知力だが、「神算」「虚実」の影響を受けないので注意。成功確率は最高で75%。「反計」相手に使うとはね返されるので要注意。 窥探 所在据点和部队的视野范围+{2},使用[调查]计略成功率上升{10}% 視界モードを適用しないと効果は無い。視界が2上昇する効果があり強力敵を早期に補足できれば戦闘を優位に進めれる。調査計略については要検証なんだそれ知らんぞ 料敌 敌方部队所施展部队计略成功的机率降为{50}% 敵部隊の計略成功率を50%低下、確定成功系も50%低下するかも? 纵火 相邻敌军{20}%概率起火 隣接する敵部隊が20%の確率で燃える。防衛時には有利それ以外だと凄い面倒 伪退 被击破时,必使敌军混乱{2}回合 部隊壊滅時に周囲に敵2部隊を混乱させる。凄い受け身な特技、強運等の捕まらない特技が必須 魅惑 每回合相邻的全男性敌部队{50}%概率减少{15}气力 毎ターン50%の確率で男部隊が15気力低下する。長期戦で非常に有用 整顿 所属据点不会被流言 所属する拠点が流言を受けなくなる。流言はバンバン飛んでくるので有用 兵祖 【鬼门】+【运筹】+【深谋】★(姜尚) 谋圣 【神算】+【运筹】+【鬼谋】★(张良)谋】★(姜尚) 注)「鬼謀」は「待伏」にも有効。自部隊が森の中に居れば水上の敵にも伏兵が発動するようになる。 補助 [部分編集] 特技名 説明・備考 規律 偽報にかからない 「沈着」との防計コンボが有効。撹乱と偽報は片方だけ防げてもあまり意味は無いので、二つ揃えてやっと一人前という印象。 沈着 撹乱にかからない 厄介な撹乱を確実に防げるのがよい。「規律」との防計コンボが有効。 明鏡 撹乱、偽報にかからない 能力研究で低知力高武力武将につけることも可能で、COMの思考を利用して避雷針にすることもできる。同討だけは防げない。 楽奏 毎ターン気力が5回復 長期戦になるほど有無の差が出てくる。消耗が少ない後衛、特に兵器との相性がいい。水上戦では頼りになる。なお、軍楽台と同時に発動はしないので、「詩想」とは二者択一になる。 詩想 軍楽台の気力回復が2倍 軍楽台次第とはいえ回復量の大きさは魅力的。1ターンで気力が20回復するので槍で螺旋に戟で範囲戦法や弩で乱射など強力の戦法にはもってこい。もちろん計略も投石も撃ち放題。状況が悪く戦線が動かない時ほど効果を発揮する。前線のお供に、訓練+軍楽台で補給隊の能率上昇に。なお、「楽奏」と同時に発動はしないので、二者択一になる。 築城 建設時の効率が2倍 陣や弓櫓、軍楽台を一気に建設できる。防計要員などに覚えさせておくと、前線部隊の建設力が飛躍的に上がって格段に戦いやすくなる。また少ない兵で火罠を設置できるので自爆テロ時の費用節減にも使えるが、焼死にだけは注意。 屯田 港、関に駐留時兵糧消費0PK2.2では都市も含まれるようになり強力に 兵3万の毎季節兵糧消費量は、場合によっては「米道」の収入アップ量をも上回る。港関拡張があればさらにその倍。限定的な状況でしか使いにくいが、特に超級などになるとその効果は非常に大きい。ただし所持武将は皆内政能力が高く、特技を発揮しようとすると能力が死んでしまうのには注意。 拱戍 在己方领土上作战时伤害为{0}%,同时所受伤害减少{1}% 陷阵 反击敌方施展的战法时,反击伤害为{0}% 恫吓 武力比自己低的邻接敌方部队有一定机率陷入眩晕 破竹 打倒敌方部队后,周围敌方部队也会减少气力{0}点 后勤 军队耗费军粮由据点供给{0}%;向在城塞周围的部队补充兵力 运筹 如果使用计策成功,则有{0}%机率可再行动一次 激励 如果使用战法成功,则有{0}%机率可再行动一次 军魂 统率光环带来的各种加成效果倍率为{0}% 武干 未达到基础光环要求的主帅获得基础光环;否则光环范围增加一格 扰敌 智力比自己低的邻接敌方部队有一定机率陷入眩晕 统兵 带兵数增加{0} 避火 免疫火伤害 毁坏 {0}%概率摧毁相邻敌军的攻城器械 击虚 击破敌军时,其相邻的同势力部队{0}%概率混乱 逆势 陆军统率光环带来的各种加成效果提升{0}% 苦肉 部队有武将受伤,相邻敌部队{0}%概率混乱 护驾 相邻同势力且官阶更高的部队受到伤害时,为其最高分担{0}%伤害 知兵 统率增加{0}点 善阵 统率增加{0}点 统大 统率增加{0}点 减统 统率减少{0}点 斗狠 武力增加{0}点 勇猛 武力增加{0}点 骁勇 武力增加{0}点 减武 武力减少{0}点 幕僚 智力增加{0}点 谋士 智力增加{0}点 谋者 智力增加{0}点 昏聩 智力减少{0}点 勤政 政治增加{0}点 辅政 政治增加{0}点 主政 政治增加{0}点 减政 政治减少{0}点 英姿 魅力增加{0}点 英魂 魅力增加{0}点 魅大 魅力增加{0}点 失德 魅力减少{0}点 毒师 [毒泉]地形伤害免疫+【医者】 才媛 若结婚,属性增加;每回合自动回复气力;军乐台效果翻倍 仙君 城市易丰收、不易出现灾害;每月加技巧点+【医者】 内政 [部分編集] 特技名 説明・備考 名声 徴兵実行時、集まる兵士五割増し 低下する治安度も五割増しになる。中盤以降兵舎レベル3を前線で運用できるようになると、治安の回復が追いつかず、これがブレーキとなり徴兵そのものが散発的となる為、徴兵速度アップの効果は限定的になる。徴兵費用や行動力の節約にもなるため序盤の拡張期や弱小勢力では大いに有効だが、終盤では価値は低下しがち。 能吏 槍・戟・弩の生産量二倍 内政系では最重要の特技。槍・戟・弩の三種類に適用可能なため効果は大きい。レベルの低い施設でも十分な生産量を確保できるという点も嬉しい。計算式の関係上、3人のうちだれか1人が持っていれば最終的な効果が2倍になるため、所持者の知力が低くても、もう一人高知力者をつければきちんと性能を発揮できる。生産、ひいては内政に関する人員を大幅に節約できるため、貧乏所帯や高難易度では特に有効。逆に内政の人数が余り出すような大所帯になってくると、細かく管理して節約する必要もなくなってくるので、ややありがたみは薄れる。 繁殖 軍馬の生産量二倍 軍馬にしか適用できないため、「能吏」より効果は限定的となるが、それでも生産速度倍速&実質半額はシンプルに強い。騎兵は前線で殴り合う兵科の割に防御力が低く消耗が激しい意味があるため、尚のことである。基本的な生産量は知力に依存するので、知力の高い武将に付ければより効果的。 発明 兵器生産日数半減 攻城兵器は大量には要らないので、それほど大事ではない。投石部隊を大量に動員させて防衛戦を展開する際は輝く。効果自体は能力依存しないが、基本的な開発日数短縮のために知力の高い武将に付けるのがベター。 造船 艦船生産日数半減 走舸は可能な限り使わないこと。港がある都市を持っている場合、「造船」を必ず研究しておきたい。艦船は兵器と違い出撃部隊数と同じだけ用意することになるので、「発明」より有用。効果自体は能力依存しないが、基本的な開発日数短縮のために知力の高い武将に付けるのがベター。 指導 技巧研究費用半減同部隊所属武将(特技所持武将本人を除く)の入手経験値量が2倍に計略回帰が発動可能になる(気力消費30)、隣接部隊を一部隊再行動させるので有用 期間の短縮にはならないので、所持者の能力では足手まといになることも。経験値入手量2倍の効果は出陣中のみで拠点コマンドでは適用されない。また「指導」所持者本人は2倍の恩恵にはありつけられないので注意。(「指導」所持者が同部隊に2人以上いる場合、「指導」所持者の入手経験値量も2倍になる。PC・CS共にPKで確認。)技巧習得イベントや五虎将軍イベントなどの出陣中の武将を含めた経験値UP系イベント時も反映される。これもイベント発生時に「指導」持ちと共に出陣中でないと反映されない。 眼力 未発見の在野武将を必ず発見 未発見武将の出ない後期シナリオではほぼ無意味。また、未発見武将がいる都市に移動が必要な事や、直接登用に繋がるわけではないのも×。未発見武将の多い序盤シナリオではそれなりに効果だが、能力的にもったいない武将が多いので、中盤以降は育成や廟による書き換えを検討すべきだろう。政治力が低い武将ばかりなら嬉しい(S1 張角など)。 論客 外交で舌戦に持ち込みやすくなる(超級は舌戦確率20%、上級以下は100%) 同盟、停戦、捕虜交換時に有効。こちらの「論客」持ち以上の知力持ちがいない勢力を自由にあしらえる。親善するより安価に済むことが多く、敗北しても特に失うものはないので、例え格上相手でも何度でも申し込める。舌戦の強さは知力はもちろん性格も大きく影響するので、武将育成で習得させるときには武将を厳選したい。 内治 势力内叛乱发生率为一般情况下的{10}% 勢力での反乱率低下?有用性は感じないが低義理の武将を抱えてる場合はありかも 注)「能吏」や「繁殖」を高知力武将に充てたくない、またはそもそも高知力がいない、という状況は意外に多いはず。 実は関連施設をLv3にしておくと、知力50程度の武将につけても生産量は大きなものになるのである(詳しい算出式は内政参照)。 後方で暇を持て余しているような中途半端な武将につけても充分な生産量は確保できるだろう。 一例を挙げるとLv3+「特技ありを含め三人とも知力50」のラインアップで6000の生産。(特技なしだと半分になる。) 最高の条件はLv3+「特技ありを含め三人とも知力100」だが、それでも9000の生産が限界。 特技の有無は知力以上に大きいということがわかるだろう。 収入 [部分編集] 特技名 説明・備考 富豪 所属都市の金収入五割増し 無条件で効果を発揮するため重要。「徴税」とのコンボでも月初めにしか効果は無い。 米道 所属都市の兵糧収入五割増し 無条件で効果を発揮するため重要。「徴収」とのコンボでも季節初めにしか効果は無い。 徴税 所属都市の金収入が十日毎に。一回は月当たりの五割分0.5×3=1.5 「富豪」とのコンボは1.5×0.5+0.5+0.5=1.75。保有武将が初期にしか登場しないのが難。 徴収 所属都市の兵糧収入が月毎に。一回は季節当たりの五割分0.5×3=1.5 「米道」とのコンボは1.5×0.5+0.5+0.5=1.75。保有武将が初期にしか登場しないのが難。 注) 富豪が適用されるのは月初め、米道は季節初めの収入のみ。 都市が増えてきたら、市場だらけの金銭特化都市、農場だらけの兵糧特化都市を造って、各々を常駐させれば効果的だ。 注2)富豪と米道は都市の基礎生産力も含めて1.5倍にするが、徴税と徴収は関連施設の数値のみ1.5倍。 注3)同程度の収入が見込める都市が2つの場合、富豪+徴税コンボ(1.75+1)よりそれぞれの都市に分ける方が(1.5+1.5)全体としての収入は増える。 注4)月初めのみ徴税を隣の都市にでも移動させて呼び戻せば、コンボで1.5+0.5+0.5=2.5。 もちろん隣の都市は収入が半分になるし、何より面倒だが、特化都市なら効果は大きい。 災害 [部分編集] 特技名 説明・備考 親烏 所属都市に烏丸の根城が発生しない。PK2.2 では傭兵として雇うことが可能、湧いてくる部隊数が尋常じゃないのと治安無視して湧いたりする場合もあるので阻止できる。 襄平、北平、薊でのみ有効。治安低下の防止効果は無い。 親羌 所属都市に羌の根城が発生しないPK2.2 では傭兵として雇うことが可能 武威、安定、天水でのみ有効。治安低下の防止効果は無い。 親越 所属都市に山越族の根城が発生しないPK2.2 では傭兵として雇うことが可能湧いてくる部隊数が尋常じゃないのと治安無視して湧いたりする場合もあるので阻止できる。 柴桑、呉、会稽でのみ有効。治安低下の防止効果は無い。 親蛮 所属都市に南蛮の根城が発生しないPK2.2 では傭兵として雇うことが可能湧いてくる部隊数が尋常じゃないのと治安無視して湧いたりする場合もあるので阻止できる。 雲南、建寧、江州でのみ有効。治安低下の防止効果は無い。 威圧 所属都市に賊や異民族が発生しにくくなる 親○系と違って、100%防止できるわけではない。検証によれば、賊の発生率そのものに関与するのではなく、「所属都市に賊が発生しない最低の治安の値を80から60に下げる」効果とのこと。治安低下の防止効果などもないので、この特技に頼るより素直に巡察した方が効率的。 仁政 所属都市が同じ武将の忠誠度が自然低下しない 武将数が多くなってくると、季節ごとの褒美の行動力消費が洒落にならないので非常に有効。出陣中の味方部隊寝返りによる損害は非常に大きいため、武将の多い最前線都市に配属させたい。低難易度では行動力の節約or保険程度の効果だが、引き抜き工作が激しくなる超級では劇的に価値が上がる。ただし防げるのはあくまで自然低下のみで、流言による低下は防げないので過信は禁物。 風水 所属都市でいなご、疫病が発生しない いなご、疫病のダメージはかなり深刻なので、大軍を駐留させた前線都市に配属させたい。あくまで予防するだけであり、発生済み都市に派遣しても鎮静化はできない。侵攻部隊と共に最前線都市を転々としていく都合上、防計軍師などに覚えさせるのも効果的。一見地味な特技ではあるが、疫病、特に超級でのそれは非常に手痛いダメージになるため、主力が駐留する都市にはなるべく置いておくと安心。 祈願 所属都市で豊作がおきやすくなる 豊作率上昇はそれなりに体感できるが地味。米収入が多い都市で「米道」などとのコンボが有効。 戍防 所在城市免疫黄巾,突袭 所属都市で黄巾賊が湧かなくなる?有用性は感じれないが華北とか中原だと湧くのか? 注)「親○」系の防止効果は100%だが、防げるのはあくまで対象の異民族だけであり、賊の発生まで防げるわけではない。 賊の発生を防ぐためには治安を維持するしかなく、治安が高ければ当然異民族もわかないわけで、極めて実用性は低い。 1都市あたり1人さえ置けないほど頭数が切迫しているのならともかく、普通のプレイならもっと有効な特技に変更したいところ。 勿論、後方で巡察するしか使い道がないような低性能武将についている場合はこの限りではないが。 PK2.2では湧く数が尋常ではない上に外交により敵対勢力の要請で湧くことがあり有用性が増した。 関係 [部分編集] 特技名 説明・備考 保有武将 評価 内助 結婚すると配偶者双方の全能力プラス1 杜氏、樊氏、糜氏 △ 武力・統率が1違うだけでもだいぶ有利。発動が能力値に依存する戦争・計略系の特技を持つ武将と婚姻すると尚よし。軍師と婚姻させ助言の正確性を高めるのももちろんよし。 その他 [部分編集] 論客は、上級以下と超級で使い勝手が激変する。 効果の発動確率が100%と20%なのであるから当然である。 初心者プレイヤーは舌戦に勝利しにくいので実感しづらいが、ある程度慣れれば非常に有用な特技。 特に中盤までの群雄割拠時、親善する金が無い場合に重宝する。 もっとも超級でも事情は同じで、貧乏所帯であれば確率20%といえども、中盤までの論客はそれなりに使える。 問題は中盤までに論客持ち武将を確保できるかどうかにある。 捕縛は使い方次第で☆5つつけてもいいくらいのバランスブレイカーな特技。 まず捕縛持ち武将を義兄弟にして忠誠度が落ちないようにする。 次に戟か槍で出陣し最優先で補給を受けながら敵部隊を撃破し続けるとかたっぱしから敵を捕虜に出来る。 捕虜は出陣中の部隊から絶対に逃げることが出来ないので敵城からの再出陣を阻止でき、忠誠度が落ち次第登用していける。 これをやると敵勢力の武将があっという間に枯渇する。 城に戻ると捕虜が城に移ってしまい逃亡の可能性が出てくるのと、全滅してしまうとやはり逃げてしまうので注意すること。 コメント 名前 コメント すべてのコメントを見る
https://w.atwiki.jp/army2ch/pages/52.html
従軍僧侶は旧軍の制度として置かれていたものなのでしょうか?仮に旧軍の制度として置かれていたとして宗派は何宗の僧侶が選ばれたのでしょうか? 山本五十六がドイツの騎士鉄十字勲章を貰ったのは本当ですか?今も日本にあるのでしょうか? 八八艦隊ってなんですか? 旧日本陸軍で、士官学校出でない兵隊が終戦後中尉で帰還できる道はあったのですか? 「旧制中学の教練」以後、予備役少尉として任官するまで何年かかるでしょう。 大日本帝国では、国民の寄付金によって買われた飛行機には、すべて「愛国」の字がついたのでしょうか? 太平洋戦争時日本の高級将校や官僚などで優れた人物はいなかったのでしょうか? 飛行師団とはなんぞや? 三島には昔、連隊?の駐屯地があったようですが、この連隊?は第何連隊でしょうか。 野戦憲兵、督戦隊、について聞きたいのですが、実際、戦闘になったら何をしているんですか? 第二次大戦時、日本は何カ国と交戦したんでしょう? どうして船橋市行田の軍事施設跡は円形なのですか? 昔の日本で陸軍にも海軍にも在籍した人はいたのでしょうか? なぜ日本は対ソ参戦しなかったんですか? 昭和天皇の軍事に関する知識はどの程度のレベルだったのでしょうか? 戦前、サラリーマンで兵役についていた人は、元いた職場をいったん退職して兵役についたのですか? 戦前の武器輸出の実績はどんなものがあったのでしょうか? ドイツと同盟を結び、どの様な恩恵を授かったのですか。また与えたのでしょうか。 奉勅命令とはなんですか? 宣戦布告前の奇襲攻撃は日本の常套手段で、太平洋戦争だけでなく、日清、日露戦争も日本の奇襲で始まったんですか? 東郷茂徳が朝鮮人ってほんとう? 皇國って何て読むの? 欧米に比して自動車化・馬車化が遅れていたの? 憲兵って民間人を取り締まる権限持ってましたっけ? 軍板ではなぜ日本国や日本軍または日本製兵器の悪口を言う人が極端に多いのですか? 5.15事件の犯人は、2.26事件の犯人に比べて刑が軽いのですが、何故でしょう。 「満州良男」「つはもの」って何ですか? 戦前・戦中の日本の通信(日本軍や電信局)ではアルファベットと日本語のどちらのモールス信号が用いられたのでしょうか? 関東大震災で、政府の認めた死者223人というのは、朝鮮人の死者でいいのでしょうか。 戦前日本は経済封鎖を受けて南方資源地帯の獲得に動きますが、 戦前の内務省には制服組で階級のある警察官は所属してなかったのでしょうか? 特別高等警察はあくまで各地方警察の一部門だったのですか? 日本は枢軸国だったのに「ファシスト式敬礼」や「ファシスト式行進」が導入されなかったのはなぜですか? 戦前、銃やライフルを所持しようとするとどのような手続きが必要だったのでしょうか? 戦前・戦中の一般的な日本人はドイツの武装親衛隊の事を知っていたのでしょうか? 第二次世界大戦前の日本には呉や横須賀とか4つくらい大きな造船ドックがありましたけど 第一次世界大戦ではロンドンの地下鉄が防空壕になったと聞きましたが 国体ってどう説明すればいいんだ? 昔の日本軍の戦車とか戦闘機とかについている97式とか1式とかの数字ってどこから出てきたのでしょうか 大日本帝国時代、日本海軍はドイツのUボートの設計図から潜水艦を作りました。 戦時中の日本ではどのくらい報道管制がなされていたのでしょうか? 戦前の消防団、警防団には軍式の階級があったそうですが団員は陸海軍人と同様の礼遇を受けたのですか? ブラックバスを日本に導入した赤星鉄馬の親?はアームストロング社に兵器関連の特許を売るか買うかして 戦時中にあった特別高等警察と憲兵は協力関係にあったのでしょうか? 特高=憲兵じゃなかったの? 戦前、わが国は朝鮮樺太で外国と陸上の国境を接してましたが国境警備や通関業務はどこの役所がやってたのですか? 戦前日本も充分民主主義だったという説を聞きましたが,実際はどうなんでしょう? 第二次大戦直前~戦中の大日本帝国の内閣はどのように選ばれてましたっけ? 今読んでる本に,当たり前のように「1930~1945年の日本はファシズム時代で軍国主義である」と断言して書いてあるのですが,本当ですか? 日本の技術力って,当時そんなに劣っていたんですか? 現在の日本はベアリングで世界の3分の1のシェアを持ち、品質にも定評がありますが、大戦中の国産ベアリングの品質はどうだったのですか? 1939年当時の1円の価値は,現在のどれくらいでしょうか? 戦前の物価や兵器の価格はどれぐらいだったんでしょうか? 戦前にも工業規格はあったの? 先の大戦時の日本にはJIS規格のようなものがなくて兵器の質が悪かったとか 戦前日本は南方資源地帯の獲得に動きますが,昭和初期から終戦までの期間,鉱産物の自給率はどの程度だったのでしょうか?戦時中,無茶な資源採掘を行ったのは知ってますが,それでどの程度賄えたのか気になりまして. 日本が戦争中にさまざまな資源が輸入できなくなりましたが,鉱物資源の場合,必要量に対して日本国内や大陸,台湾,朝鮮半島でコストを度外視して採掘しても戦前の必要量すら確保できなかったのでしょうか? WW2当時,日本はどうやって飛行機や戦車に使う鉄,服の繊維,銃の火薬を調達していたのですか? 戦前日本の石油はどこから賄われていたのか? 大日本帝国の最大版図って何km2か分かるでしょうか? 大日本帝国の最大範図ありますか? 大東亜共栄圏とはどこからどこまでを想定していたのでしょうか? 戦争直前~戦時中の米の自給率は? 明治や大正時代に、拳銃は国などの許可なしに、一般人でも所持可能だったのでしょうか? 太平洋戦争で戦死した皇族軍人は何人いるのでしょうか? 戦前の高等官について 太平洋戦争前の日本は何故、軍艦や軍用機の燃料だけはアメリカの石油資本に任せていたんですか? 太平洋戦争中の日本の車両用ディーゼル、ガソリンエンジンの技術はどの程度のものだったんですか? 日本の航空技術は戦前はドイツから伝わったんじゃないの? 大臣は総理、次長は総長が決めると思うのですが、参謀総長、軍令部総長、軍事参議官はどのようにして決まるのか分かりませんので教えてください。 官僚の昇進って軍人よりずいぶん早いようだけど? 旧日本の電線について、米軍との格差の象徴と言われる紙巻き電線って実際どれぐらい使われてたんでしょうか? 戦前のマスメディアの報道について、朝日新聞に対する批判が特に厳しいのは何故なのでしょうか? 軍票とはどのようなものだったのでしょう? 「大日本帝国」は英語ではなんと表記していたのでしょうか? 八紘一宇 なんてよむの? 最高戦争指導会議って何ですか? WW2時に日本が朝鮮半島で徴兵を行った事実はありますか? 大日本帝國は、中国戦線、太平洋戦線、東南アジア戦線の3正面作戦を取りながら、なんで8年も戦えたの? 三国同盟を結んだときって、日本はナチスドイツのユダヤ人虐殺とかについてまったく知らなかったんでしょうか? 日本はドイツが捕獲したステンを「安いし、構造も製造も簡単だ!」と、コピー生産した様に連合国の捕獲兵器をコピー生産したことはないのでしょうか? 川西航空機と中島飛行機は、会社設立時の経緯を見ると仲が悪かった? 日本の開発した超々ジュラルミンって、列強の同様の航空機用ジュラルミンと比べても優れた特性をもったものだったンでしょうか? 大日本帝国がドイツなど無視しアメリカと組んで第二次大戦に参戦することは可能でしたか? 太平洋戦争時、皇族も徴兵は義務だったんでしょうか? 零戦やチハの価格はいくらですか? 戦前の陸海軍大臣というのは、慣例とかではなく正式な法的根拠に基づく資格ってどんな風でしょうか? 日本の蒸気機関車は欧米より技術が低くて低性能(牽引力がない)だったのですか? 内閣総理大臣って、他の大臣と担当が違うだけで特別に偉い人ではなかったの? 大戦中は英語の使用が禁止されていたのですよね? 戦前の陸軍と警察だとどっちが位が上なんでしょうか? 戦前の消防団、警防団には軍式の階級があったそうですが、団員は軍人と同様の礼遇を受けたのですか? 特別高等警察と憲兵は協力関係にあったのでしょうか? 「憲兵」は民間人を逮捕できないとの事ですが本当でしょうか? 支那事変から太平洋戦争終結までの国債総額とそれが国家予算何年分か教えてください。 昔は東大に行くより士官学校や軍の経理学校のほうが難しいと聞きましたが。 旧日本の陸・海軍大臣は誰が選出してるの? 平賀譲が電気溶接を基礎研究含めて全面的に禁止したってのは本当ですか? 皇宮警察が後から誕生していますが、近衛兵がある中でわざわざ後で皇宮警察を作ったのは何故でしょうか? 戦前の日本の軍艦の鋼鈑はどこが製作していたのでしょうか? WW2当時、日本はどうやって飛行機や戦車に使う鉄、服の繊維、銃の火薬を調達していたのですか? 九四式トラックは自動車工業と瓦斯電が共同設計したらしいのですが、他のメーカーも製造に当たっていたのでしょうか? 何故、大日本帝國は、防衛関連の省を陸軍省と海軍省の二つも持っていたのでしょうか? 臨時軍事費特別会計の内訳がどうなっていたか、教えてください。 戦前、戦中の日本領事館の警察部や領事警察官について、その地位役割や構成員の詳細などを教えてください。 陸軍省や海軍省には防衛庁事務官のような文民官僚はいなかったのですか? 日本にとって樺太と台湾とではどっちのほうが重要度が高かったの? 明治以後、広島にはなぜ軍事上重要な施設が集まったのですか? 従軍僧侶は旧軍の制度として置かれていたものなのでしょうか?仮に旧軍の制度として置かれていたとして宗派は何宗の僧侶が選ばれたのでしょうか? 浄土真宗本願寺派管長大谷光瑞へ勅語(明治40年5月13日) 明治三十七八年ノ戦役ニ際シ先志ヲ紹述シテ門末一般ノ奉公ヲ奨励シ又汎ク従軍僧侶ヲ出征部隊ニ派遣シ士気ヲ鼓舞ス ルニ努メ其労尠カラス朕深ク之ヲ嘉ス 従軍僧侶は各宗派教団が戦地に送った僧侶で、軍から給与はうけていない。各宗派教団が旅費その他を支給していた。 (6 117-118) 山本五十六がドイツの騎士鉄十字勲章を貰ったのは本当ですか?今も日本にあるのでしょうか? 戦死後の1943年5月27日 柏葉剣付騎士十字章を授与されています。現存は不明 同様に古賀峯一元帥も死後騎士十字章を授与されています。 (7 222) 八八艦隊ってなんですか? 元は日露戦争辺りで六六艦隊というのがあり、その昭和パワーアップ版。 内訳は戦艦八隻と巡洋戦艦(日本では名称が違うが実質はこのカテゴリ)八隻の建造計画。 イロイロあって途中で断念。 (12 338) あと、DD×8、対潜ヘリ×8ってのもありましたなー>ハチハチ艦隊 (12 341) 旧日本陸軍で、士官学校出でない兵隊が終戦後中尉で帰還できる道はあったのですか? 幹部候補生というシステムがあります。 日華事変後、将校・下士官の不足が懸念され、 旧制中学で教練に合格した卒業者は、兵隊勤務の後に 幹部候補生試験を受験する権利を得ていました。 この試験で甲種合格を果たすと、陸軍予備士官学校を経た後 予備役少尉として任官することができました。 恐らく戦後中尉に昇進したのは、うろ覚えですが 軍の方で最後の俸給を上げるために全員昇進を行った「ポツダム昇進」でしょう。 (14 名無し厨尉) 「旧制中学の教練」以後、予備役少尉として任官するまで何年かかるでしょう。 志願ないし徴兵で入営後、半年は兵としての教練を受け、 その後幹部候補生試験、1年の候補生教育の後 (修正ですが昭和13年以降が予備士官学校における教育、 それ以前は所属部隊内での教育でした。) 見習い士官を経て予備少尉に任官します。 およそ2年といったところでしょうか。 (14 名無し厨尉) 大日本帝国では、国民の寄付金によって買われた飛行機には、すべて「愛国」の字がついたのでしょうか? 陸軍の献納兵器(飛行機とか戦車とかトラックとか)には「愛国」が付いていた。 で、海軍の献納兵器(飛行機とか装甲車とか)には、「報国」が付いていた。 でも、英国みたいに、戦艦を献納したとか言うのはないんだな。 やっぱり資力の差か。 (15 眠い人 ◆ikaJHtf2) 太平洋戦争時日本の高級将校や官僚などで優れた人物はいなかったのでしょうか? 主観にも拠りますが、高級将校では、海軍の田中頼三とか、陸軍の山下奉文 そして、陸軍の前田利為、あと軍政官ですが、徳川義親辺りが海外からも評価されています。 田中頼三少将は水雷戦一筋で、2水戦を率いてルンガ沖夜戦でTF67を壊滅させたのは有名です。 ただ、鼠輸送には二度失敗し、解任されています。 (とは言え、拙劣な作戦を考えた軍官僚の詰め腹を切らされていると言えなくもありませんが) なお、後に舞鶴海兵団長、ビルマの第十三根拠地隊司令で敗戦を迎えています。 山下奉文大将は頑迷な日本の陸軍将官にあって、独創性のある戦術を採る柔軟性を有していた稀有な将軍でした。 普通の陸軍将軍など、シンガポールの無血開城などはなかなか出来ないのではないでしょうか。 結局は戦犯として絞首刑に処されていますが、これも中央の軍官僚と衝突したあげく、有効な比律賓防衛戦略が出来なかったのが原因でしょう。 前田利為少将(戦死後大将)は、前田侯爵家の当主でしたが、陸軍武官として欧州に滞在していた頃は、 自費で各国にスパイ網を構築し、運用していたスパイマスターでした。 帰国後、弘前師団を率いて満州に渡り、対ソ戦に備えます。 この時、欧州各国の実情を把握していた彼は、 中ソ二正面作戦回避を主張して関東軍の参謀総長だった東条英機と対立し、司令官を解任され、予備役に編入されます。 太平洋戦争後、ボルネオの軍政官として赴任しますが、航空機事故で事故死しました。 最後の徳川義親は、旧尾張藩主の19代目の侯爵です。 自身は植物学者であり、ジョホールのスルタンの知友を得て、虎狩り・象狩りをした様な人でしたが、 北海道の尾張藩士が運営していた農場で、今は北海道の名物である木彫りの熊の置物を考案したような人でした。 また、現在の参議院のような職業別議会制の導入を骨子とした貴族院改革を訴え、一方で、 大川周明、橋本欣五郎による「3月事件」では資金を提供しています。 でも、日本社会党の創設者でもあるんですね。 大戦中には、ジョホールのサルタンの縁で、マレー方面への派遣を願い出て、陸軍嘱託として マレー軍政部顧問に就任し、現地の博物館、植物園の維持管理に奔走しました。 ま、厳密に言えば、官僚でも将官でもないですが、こんな人も居たと言うことで。 (15 眠い人 ◆ikaJHtf2) 飛行師団とはなんぞや? 大日本帝国陸軍航空隊の編制上の単位です。 (16 490) 三島には昔、連隊?の駐屯地があったようですが、この連隊?は第何連隊でしょうか。 こういうサイトがありました。 http //homepage1.nifty.com/kitabatake/rikukaigun22.html これによると、三島は第3師団野戦重砲兵第1旅団の旅団司令部・野戦重砲兵第2・第3連隊の駐屯地のようですね。 また、国立東静病院は連隊の陸軍病院として創設されたものです。 (16 910) 野戦憲兵、督戦隊、について聞きたいのですが、実際、戦闘になったら何をしているんですか? 野戦憲兵…戦場に至る道の交通整理。 占領地、軍隊内の規律、治安の維持 軍関係者による犯罪行為の取り締まり。 督戦隊 …全体主義国家による犯罪者師団の逃走防止装置。 憲兵は、軍隊内の警察官ですから、戦場に出ることはまずありません。 督戦隊は、前線後方で逃亡者を警戒しています。 (17 眠い人 ◆ikaJHtf2) 第二次大戦時、日本は何カ国と交戦したんでしょう? 交戦と言う意味では、中華民国(延安、重慶政権)、インド帝国、米国、 英国、オーストラリア自治領、ニュージーランド自治領、オランダ王国、 タイ王国、フィリピン自治政府、フランス共和国、ソ連。 宣戦布告だけなら、国際連合に最初に加盟した国々ですね。 (17 眠い人 ◆ikaJHtf2) 帝国主義全盛の当時は独立国が少なかったので、アメリカ大陸の国々が 軒並み宣戦布告してくれるだけで、結構な数になります。 (実際そうなりましたし) (17 魚花 うるふ) どうして船橋市行田の軍事施設跡は円形なのですか? あれはアンテナの跡です。円の中心に塔が立っていて、 そこから放射線状にステー(塔を支えるワイヤ)が塔の最上部から伸びていました。 そのステーの接地点を繋ぐと円形になるのです。 (20 バーナー保守員) 昔の日本で陸軍にも海軍にも在籍した人はいたのでしょうか? 西郷隆盛の弟、西郷従道は陸軍中将からくらがえして海軍中将になり、 明治18年に初代の海軍大臣となりました。 明治27年10月に海軍大臣のまま(?)海軍大将に任ぜられています。 その後、初代元帥にもなっているそうな(ご存知の通り元帥は階級ではないので階級は大将です)。 まぁ、これは一般的な陸海軍両方に在籍したと言えるかというとちょっと疑問ですが。 (21 275) なぜ日本は対ソ参戦しなかったんですか? そうすれば、日独でソ連を挟み撃ちにして勝てたのに。 「ソ連に侵攻してどうしようもない」 結局そんな感じでお流れになりました。 日ソ中立条約があったから、日本は中国と戦争しようなんて気になったのです。 (29 133-314) 昭和天皇の軍事に関する知識はどの程度のレベルだったのでしょうか? 政治家としての昭和天皇、軍人としての昭和天皇の評価は 論評する人間の立場で大きく異なりますが、こと「軍事 知識の深さ」に限定するならば、当時の日本で得られる 最高水準であったと断言できます (36 790) 戦前、サラリーマンで兵役についていた人は、元いた職場をいったん退職して兵役についたのですか? 通常は退職して兵役に就く 農業人口比率が現在よりはるかに高く、無駄飯食いの二男、三男が兵役対象であり 基本的に潜在労働力が雇用需要をはるかに上回っていたので国民経済的には問題ない また、年寄りに話を聞くと仕事を止めて入隊したものが除隊後、元の職場に復帰する 例はほとんどなかったようだ (61 393) 戦前の武器輸出の実績はどんなものがあったのでしょうか? 有名なところでは、タイへの艦船輸出があります。 スリ・アユタヤ級海防艦2隻に小型潜水艦4隻・その他砲艦などを輸出しています。 これは兵器の性能というよりもタイとの政治関係から行われた輸出です。 その他三十八式歩兵銃が訓練用小銃として欧州に輸出されていたはずです。 (70 名無し軍曹) 第一次大戦期に90万丁以上の火器をロシアに輸出しています。 38式小銃は弾道の良さから、軽迫撃砲は扱いのよさから評価が高かったようです。 (70 672) 流転のフネ、五百島もそうですね。 播磨造船所製で、中華民国に輸出され「?(蜜の上半分に再の下半分)海」として 中国海軍の主力でした。 昭和12年、揚子江で日本に沈められましたが、浮上回航されて日本で修理、 海防艦五百島となりました。 (70 678) ドイツと同盟を結び、どの様な恩恵を授かったのですか。また与えたのでしょうか。 蒋政権を援助していたドイツに手を引かせたことが一番大きい恩恵かと。 元々、中国・ソ連向けの利害で同盟結んだもの。 が、中国にどっぷりはまったもんで、関特演で部隊を集められずにソ連攻撃は頓挫しました。 結局、本来の意味が薄くなってしまった。 (71 189) 奉勅命令とはなんですか? 勅命とは天皇が法律等によらず直接議会等に下した命令のこと。 奉勅命令も似たようにみえるが、天皇自らが直接統帥大権をもっ て命令を下すことをいう。つまり軍隊に対して行うものともいえる。 (75 539) 宣戦布告前の奇襲攻撃は日本の常套手段で、太平洋戦争だけでなく、日清、日露戦争も日本の奇襲で始まったんですか? かなりそれに近いかな? ただ太平洋戦争の場合、宣戦布告文書を期限までに係官がタイプできずに 先に真珠湾攻撃が始まる形となり「騙まし討ち」の汚名を未来永劫被る! (79 826) ※中傷する記述は削除 戦術上は奇襲ありきだったけどね。ま、戦術では普通だよな。 (79 827) 東郷茂徳が朝鮮人ってほんとう? 旧姓「朴」 朝鮮出兵で島津に捕まった朝鮮人の末裔 (80 138) 皇國って何て読むの? 國→"国"の旧漢字。つまり"こうこく"と読む。 (80 710) 欧米に比して自動車化・馬車化が遅れていたの? 1936年の段階で、日本の自動車全体(乗用車、貨物車、小型車、三輪車)の 生産台数は、9000余台。 輸入組立車(横浜Ford、大阪GM)が30,000余台。 対して、米国は400万台、英国46万台、ドイツ27万台、仏伊ソ連がそれぞれ、 10数万台。 拡充しても、東京自動車(今のいすゞ、日野)が20,000台、トヨタ20,000台、 日産12,000台程度だったりする。 (85 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 憲兵って民間人を取り締まる権限持ってましたっけ? ありましたよ。 明治14年に制定された憲兵条例には、「凡そ憲兵は陸軍兵律の一部に位し、 巡安検察のことを司り、軍人の非違を視察し、行政警察、司法警察のことを兼ね、 内務、海軍、司法に兼隷して国内の安寧を司る」となっています。 即ち、軍人に対する秩序維持と、国内の民権運動などの過激派取り締まりがそも そもの任務になります。 昭和3年7月4日に、憲兵隊内に思想係が設置され、思想警察が主な任務となり、 国内の民間人に対する思想運動取り締まりが強まっていきます。 また、太平洋戦争勃発後は、非戦、反戦運動に対する思想的弾圧、また統制経済 を維持するために、民間にあった隠匿物資の摘発なども主任務になっていきます。 (85 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 民間人も逮捕できます. http //www.geocities.co.jp/Technopolis/8926/gdhq.html 例えば,関東大震災のドサクサに,大杉栄を憲兵大尉時代の甘粕正彦が 逮捕・扼殺した事件は比較的有名です. (85 消印所沢 ◆z3kTlzXTZk) 甘粕正彦は大杉栄を逮捕してません。無政府主義者の命が狙われてると嘘を ついて「保護」してからブッ殺しましたが。 (85 473) 正しくは甘粕が大杉等を「検束」した、であって現在で言う逮捕・保護とは多少ニュアンスが異なります。 検束は旧憲法下で認められていた市民拘束の手段で、 泥酔者や自殺者志願者などの救護を目的とする保護検束と、 公安を害するおそれがある場合にその予防を目的とする予防検束 (反政府集会の参加者等がこの対象となった)とがありました。 いずれの場合も拘束可能期間は翌日の日没まで。 この事件については、検束時の大杉は帰宅途中であったため予防検束の対象とはなり得ず、 「命を狙われている可能性が高い」保護対象者として検束したと法的にはいえますが、 当時は「検束する」の一言で誰彼構わず引張れたのが実情です。 なお、検束は官憲の判断で強制的に行うものであり、対象者の同意は必要ありません。 現在では、警察官による予防検束は不可、保護検束は「保護」として残っています。 ソースは…ググって下さい。 (85 797) 軍板ではなぜ日本国や日本軍または日本製兵器の悪口を言う人が極端に多いのですか? 戦争は兵器のみにて勝敗がつくものにあらず。 用兵、戦略思想、戦術、人事、などなどにおいて、旧日本軍の稚拙さが 先の大戦では目立ったのも事実なり。 これを指摘することを、「悪口」と捉えるか、 前向きに「批判」として捉えて現代日本への教訓として生かすかは、 汝らの心得次第なり。 (87 軍神) 日本製の兵器と比較されるのは、主に性能でアメリカ製兵器 価格で旧共産圏のようです。 その分野での最高や、性能・整備性などを無視した価格などの 1面を切り取って批判するのは非常に気持ちいい行為なので 初心者に毛の生えた半可通が主にやる行為のようです。 (87 15) 5.15事件の犯人は、2.26事件の犯人に比べて刑が軽いのですが、何故でしょう。 軍法会議においても決起した青年将校に対する同情論が大勢を占め、軍内や 民間においても助命嘆願が相次いだからのようです。 (90 423) 「満州良男」「つはもの」って何ですか? 「満州良男」は1942年設立の満州雑誌社が発行した家庭雑誌(らしい)。 「つはもの」は陸軍省つはもの編集部が戦前から発行していた「つはもの叢書」のこと(らしい)。 「つはもの叢書」についてはググってみてください。 (90 504) 戦前・戦中の日本の通信(日本軍や電信局)ではアルファベットと日本語のどちらのモールス信号が用いられたのでしょうか? アサヒのア (93 905) 日本語のモールス信号が使われていました。 ちなみに日本語のモールス信号は戦後も使われています。 なお、 905が書いてる「アサヒのア」は和文通話表と言います。 (93 907) そうそう結構イイ年だねキミも・・・ 電々公社に就職したときにイイ年した大人が真剣に「朝日のア!」とか叫んでて正直ビビッた。 (93 911) 関東大震災で、政府の認めた死者223人というのは、朝鮮人の死者でいいのでしょうか。 当時の司法省の報告によれば、そうです。 他に間違って殺された日本人が58人。 吉野作造のまとめた記録によると、死者2613人となっていますね。 (97 715) 在日中国人だけで、全部で200名が殺害されています。 朝鮮人(と疑われた日本人も含め)14,000名が拘束されています。 さて、そうなると、中国人の死者から日本人、朝鮮人の死者を差し引いた数は 31名(あなたの言に依れば、223名)で済むと思いますかね。 自警団は3,689、そして、その拘束の実績を上げるために様々な手を用いて いたりしますから、4,300の自警団に1名の死者が居たとしても、 3,500名以上の死者が出ている訳です。 関東大震災二ヶ月後に行われた調査では、少なく見て2,613名、最大で6,433名 の死者が出ているという結果が出ていますが、残念ながら、この調査を行った人々は、 先の二人によって弾圧されていますので、正式な数は未だ不明ということになります。 日本の当局が発表した数字は僅かに231名ですが、 現在の所、この数字は明確に否定されています。 (97 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 眠い人氏が書かれているのであんまり付け加えることないのですが、 当時の資料を集成した物として、「現代史資料6」および「関東大震災と 朝鮮人虐殺」などがあります。原資料にあたってみるのもいいんじゃ ないですかね、現代史資料のほうには史学者の解説もついてますし。 あと、グーグルで調べると、「震災後警備ノ為(ため)兵器ヲ使用セル 事件調査表」なんて史料にもぶつかりますね。 (97 730) 戦前日本は経済封鎖を受けて南方資源地帯の獲得に動きますが、 昭和初期から終戦までの期間、一次産品の自給率はどの程度だったのでしょうか? 日本人の主食とされた米の生産は、1936~40年の五カ年平均(1,098万トン)を 100とした場合、45年には60(660万トン)に下がり、この傾向は他の農産物でも 同じでした。 政府の予定では、米の総消費量は1,200万トン、国内生産量を900万トンとして いました。 ちなみに、米は1900年代から自給できていません。 India、Thailandから輸入した輸入米(南京米)が下層農民、労働者の主食になり、 その後、台湾、朝鮮からの移入分で不足分を賄うようになります。 1939年で、国内消費量の20%はそうした移入分です。 1940年の年間消費量は1,200万トン。 一人辺り152kg(一石一升)で、一人一日三合(農村部)~三合半(都市部) の消費量です。 この頃の日本人はエネルギーの7~8割、蛋白質の3割を米から摂取していました。 ところが、1945年には米の備蓄量は僅か3.8日分まで落ち込んでいます。 これは移送に使用する船が悉く撃沈されたためでもあります。 主要蛋白源である水産物(鮮魚、塩乾魚)にしても45年には39年の65%(198万トン) まで落ち込んでいます。 これは、それを捕る漁船が海軍に徴用され尽くしたところにもありましたが。 (98 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 砂糖12% 豆類45% 玉蜀黍40% 小麦63% 米84% 鉄鉱石87% 石油75% 高オクタン価燃料についてはほぼ100%輸入 石炭11% 生ゴム100% 以上数値は昭和5-9年の平均値 (98 911) 戦前の内務省には制服組で階級のある警察官は所属してなかったのでしょうか? 警察官が在籍するのは警視庁を初めとする都道府県警察だけですか? 特高もあります (100 700) 偵察を任務とする機甲化された連隊です(まんまや)。特徴としては、任務の性質上 諸兵科連合部隊として編成されていることでしょうか。 アメリカの機甲騎兵大隊などは、編成の中に固有の航空中隊まで含んでいます。 日本では、第七師団下の第七偵察隊が一番近いでしょうかね。 (100 623) 特別高等警察はあくまで各地方警察の一部門だったのですか? 特高は内務省直属で各警察署に間借りしてただけ。 (100 720) 日本は枢軸国だったのに「ファシスト式敬礼」や「ファシスト式行進」が導入されなかったのはなぜですか? ローマ式敬礼なら、高校野球で取り入れられています。 (101 559) 戦前、銃やライフルを所持しようとするとどのような手続きが必要だったのでしょうか? 許可証は必要でした。 ちなみに70年代までは免許さえあれば 弾倉付きライフル銃でも普通に買えますた。 (101 941) 戦前・戦中の一般的な日本人はドイツの武装親衛隊の事を知っていたのでしょうか? 1 全然知らなくて親衛隊・国防軍全部まとめてドイツ軍。 2 名前は聞いたことがあるが、ドイツの近衛部隊と思う。 3 ドイツ国防軍とは別組織である事を知っていた。 戦前の日本には黒田礼二というナチ研究家がいて、ナチスドイツ自体の組織に ついてかなり詳細なレポートを新聞や書籍で発表しています。何年何号の物かは 失念しましたが朝日新聞の副読本にドイツ国防軍と武装親衛隊の違いを写真と イラストで解説したものを見た事があります。 1でも一般の市民は全部まとめてドイツ軍。我が家の祖父、祖母、父、母(戦中派) は区別つかなかったそうです。 2「ヒットラーの親衛隊」黒服に斜革ベルトに鍵十字の集団は映画「美の祭典」など で知っていたそうです。ユダヤ人に酷いことをしているとも見聞していたそうです。 3上記のようにあまり区別つかなかったようです。 (102 908) 第二次世界大戦前の日本には呉や横須賀とか4つくらい大きな造船ドックがありましたけど それぞれのドックで最大どのくらいの船が造れたんでしょうか? 日本の海軍工廠や船渠について語ろう https //hobby7.5ch.net/test/read.cgi/army/1058613638/71- のゆうか氏の投稿をご確認下さい。 (103 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 第一次世界大戦ではロンドンの地下鉄が防空壕になったと聞きましたが 日本では、そのような発想が地下鉄建設時にあったのか教えてください 東京の地下鉄(後に銀座線となる、早川徳次の東京地下鉄道、安田系、後に五島慶太が支配する東京高速鉄道)に関しては、 建設費の低減に重きが置かれて、深度も浅く、防空という発想はありませんでしたが、 京成電鉄上野線では、車輌の退避所として使われることも念頭に置いて掘削されていました (実際、戦時中は寝台車を地下線に運び入れ、運輸省の地下司令部に使用されかけています)。 関西では、新京阪(後の阪急京都線)の地下区間、阪神電鉄の地下区間については考えられていませんでしたが、 明確に戦争による爆撃の危険を考え、地下鉄道を推進したのは、大阪市長の関一が最初です。 このため、市域の長距離輸送用に大阪市が選択したのが地下鉄になっています。 (104 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 国体ってどう説明すればいいんだ? 国体=天皇制の事、以上の説明はしづらいと思う・・・(明治以降に限るが)。 もっとも、だい東亜戦争当事の軍部にとっては、国体=軍部優先政治体制の事、だっただろうが。 (105 127) 昔の日本軍の戦車とか戦闘機とかについている97式とか1式とかの数字ってどこから出てきたのでしょうか 神武天皇が即位した年を零年とする「皇紀」という年号があってね・・・。 ちなみに昭和15年は皇紀2600年な。 (105 908) 大日本帝国時代、日本海軍はドイツのUボートの設計図から潜水艦を作りました。 これはある商人に任せられ美術品の保護剤として持ち出しました。 それをもとにつくられた潜水艦はとても使い物になりませんでしたが その美術品は日本にある西洋の美術品の大半をしめていてたいていの美術館に飾られています。 この文章の意味を教えてください 「松方コレクション」で検索してみ・・ 川崎造船所(現川崎重工)は今も潜水艦を建造している。 (108 905) 戦時中の日本ではどのくらい報道管制がなされていたのでしょうか? 治安維持法、新聞紙法、出版法、新聞紙等掲載制限令 といった法律での規制のことを指しているのでしょう。 そうしたメディア側の論がこの場合妥当かどうかとか、 当時のマスコミの責任とかいった話はまた別の問題です。 (114 70) ついでに戦前の報道について解説いたしますと、基本はまず軍の広報担当から資料提供があり それを記事化、活字に組んだ後のゲラ刷りを検閲担当者に提出、修正指示と許可を受けてから やっと印刷、配布が可能になります このシステムであなたのいうように軍の発表以上の誇張があったとしたら、 それは軍が誇張を望んだからです (114 73) 戦前の消防団、警防団には軍式の階級があったそうですが団員は陸海軍人と同様の礼遇を受けたのですか? 警防団自体は、消防組と防護団が1939年に勅令第二十号警防団令により、 両者を統合したものです。 1947年、これが発展解消したのが消防団です。 これは、警視総監、府県知事が職権によって設置するもので、軍とは何ら関係 はありません。 団長と副団長は地方長官(府県知事)が任命し、団員は17~55歳までの市町村 区域内の住民から警察署長が任免します。 団長や副団長には、地方名士の他、在郷軍人が任命されることが多く、在郷軍人 に関しては陸海軍軍人ですから、同様の待遇を受けることが出来ます。 しかし、本来は、地方自治体の町内会的組織ですから、在郷軍人でない人は、 軍人と同待遇を受けることはありません。 (116 眠い人 ◆gQikaJHtf2) ブラックバスを日本に導入した赤星鉄馬の親?はアームストロング社に兵器関連の特許を売るか買うかして 財産を築いたと聞いたのです、がどういう特許だったかご存知の人いますか? 具体的に何かは分からないですが、 赤星鉄馬の父弥之助は鋼管鋳造で財産を築いたそうです。 ということは、砲身に関するものではないかと思われます。 (117 20) 戦時中にあった特別高等警察と憲兵は協力関係にあったのでしょうか? それとも仲が悪かったのでしょうか? 組織系統から見て、内務大臣が治安維持法事件の指揮系統の一つとして、 憲兵司令部と関係と保っている以外、各地の特別高等警察課と直接協力関係にあった訳ではありませんし、 憲兵隊が特別高等警察課を指揮命令系統下に置いた訳でもありません。 簡単に図に表わすと、以下のようになります(ずれるかも)。 内務大臣-→ 警保局 → 保安課 → 特別高等警察課 | | ↑ | --→ 警視庁(府県警察) → 警察部-+→各警察署特高係 +----+ ↓ 陸軍大臣→憲兵隊司令部→各憲兵隊→特高第一課(外事警察・防諜) | | +→指揮班 | +→特高第二課-+→政経班 | +→右翼班 | +→左翼班 +→朝鮮憲兵隊司令部→各憲兵隊 なお、憲兵隊には昭和期にはいると特高課が設けられ、 所謂思想警察的な面が出てきます。(末期には経済犯にも対応) こちらは、警察の方と区別が付かない場合があるようです。 (122 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 特高=憲兵じゃなかったの? 憲兵と特高は別物。 特別高等警察の略だもん、内務省だよ。 (126 226) 特高は特別高等警察の略称、内務省警保局管轄の思想警察 憲兵は憲兵司令部、およびその上にある陸軍大臣の管轄で、 思想警察として民間に対する取り締まりも行いましたが、 軍の風紀秩序の維持が本業です。 (126 229) 戦前、わが国は朝鮮樺太で外国と陸上の国境を接してましたが国境警備や通関業務はどこの役所がやってたのですか? 樺太の話だけ。 国境警備 昭和14年以前は少数の国境警察が担当。つまり内務省の管轄。 後に陸軍が進駐して共同で警備にあたっていた。 通関業務 函館税関の管轄。 (126 856) 国境警備は陸軍または海軍の仕事。 通関業務は税関の仕事。 但し、太平洋戦争開始後は、大東亜共栄圏のみでの貿易が主となった為、 1943年に運輸通信省地方海運局に一切の業務が吸収された。 (126 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 朝鮮の通関業務の担当は、朝鮮総督府司税局関税課-(1923年以降)- 財務局関税課 (126 861) 戦前日本も充分民主主義だったという説を聞きましたが,実際はどうなんでしょう? 明治憲法下では女性の参政権がなかった。また軍の統帥権が天皇にあることや、軍部大臣現役武官制のため安全保障政策に関して 軍がイニシアチブを取り易くシビリアンコントロールは全くなってなかった。 戦前の日本の民主主義は極めて「未熟」だったとういうのが多くの学者に共通する認識。 第二次大戦直前~戦中の大日本帝国の内閣はどのように選ばれてましたっけ? 元々,内閣総理大臣は元老によって選定されていた. で,第二次大戦の前までには元老が西園寺公望だけになっちゃったので,重臣会議というものができて,ここで首相を選定することになった. 国民の意思の影響はあったか,となると,ゼロではないんじゃないかな.限りなくゼロに近いとはしても. ちなみに,東條英機を首相に選んだのは当時の天皇側近たち. 東條は戦争バカで陸軍内で力を持っていたが,天皇への忠誠心も強かった. そこで東條を首相にして,天皇から戦争反対を意志を伝えられれば,東條が陸軍の主戦派を押さえてくれるであろう,という期待があった. (世界史板) 今読んでる本に,当たり前のように「1930~1945年の日本はファシズム時代で軍国主義である」と断言して書いてあるのですが,本当ですか? とりあえず,ファシズムについてwikiの記述 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B7%E3%82%BA%E3%83%A0 で, 「日本にファシズムありや?無しや?」 ってのは,色んな思想の人が考えては頭狂いそうになってた思想. 例えば丸山真男は,ヨーロッパ・ファシズムの定義が日本になかなか当てはまらんので,日本風ファシズムを考えようとして,入院しちゃったりしてるし,江藤淳は天皇の空状態を説明しようとして,それが後年,突発発狂を彼の持病にしたという因果. 司馬っちの「魔法の杖」※に至っては,とても「なるほど」と言える思想じゃない(思想家じゃないから良いけど). でも,あの時代は確かに軍国主義だった. 少ない時で国家予算の3割を,多いときで九割近くを軍事予算に突っ込む程度には軍国主義だった. 高速道路網を整備しようとした洋行帰りの内務官僚が興亜院に転属させられた上満州でぬっ殺されるなど,立派に寡頭政だし. 本場物の軍国主義やファシズムに比べるとぬるいけどね. ※司馬の辻政信批判の中にある言葉. 「近代国家の高級軍人で,しかも統帥権という魔法の杖をもっている人間が,戦車の知識が全くないんですよ」 日本の技術力って,当時そんなに劣っていたんですか? 「技術力」の格差を実感するには,本を何冊も読むより,日本工業大学にある工業博物館にいってみるのがいいと思います. 当時の工作機械がずらっと展示されてるんですが,国産のものと米・独製では作りが雲泥の差です. 国産工作機械は部品の合わせ目がいい加減で,やすりで削って無理やり噛み合わせた跡だらけです... 技術者にいわせると,技術ってのは要するに精度だということですから,巨大な「技術力」格差があったわけです. うちの親父は航空自衛隊で整備整備やってたけど(’50~’60年代),工具ひとつ取っても工業水準の差はものすごかったらしい. 米軍はPROTOの工具を一定期間が過ぎると廃棄してたそうな. メッキのしっかりしたまだまだ使えるものだったため,米軍が廃棄したものを拾ってきて自分用の工具にしていたそうな. 特攻隊の記念館で見た日本製の工具は,錆びてるとはいえかなりお粗末なものでした. 勝てるわけ無いなぁと思いました. 電線もひどいもんだったからねぇ 方やアメさんはゴム被覆の打ち出し縒り線. 此方日本は金槌で叩き出した単線紙巻き. 現在の日本はベアリングで世界の3分の1のシェアを持ち、品質にも定評がありますが、大戦中の国産ベアリングの品質はどうだったのですか? google検索したところ,1916年に国産第一号が生産され,1944年には3500万個を生産したとありましたが,品質についての言及が見当たりませんでしたので. 欧州SKS製のそれに比べると凡そ10倍も精度が悪く、SKS製が表面の凸凹が0.002mm以内、 対して、国産のものは、1940年のもので、表面の凸凹が0.012~0.015mmもあったりします。 但し、キ61生産の際には、真円度0.002~0.003mmのものを選別して使っています。 後、ローラーベアリングの場合は、表面硬化法で処理されていましたが、表面はBenz製と同様な 硬度でしたが、その厚みは1mmしかなく(本来は1.5mm以上は必要)、滲炭部の組織を見ると、 Benzのものはmartensite組織ですが、国産のものはmartensiteにtroostiteが析出され、製鋼法 にも問題があったそうです。 (254 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 1939年当時の1円の価値は,現在のどれくらいでしょうか? 発行時の価値が,現在の貨幣価値に換算してどのくらいかというのは,なかなか難しいのですが,小学館編『日本20世紀館』に掲載されている物価の推移表(偶数年)中の米価をもとに,平成8年(1996)の米価を基準として価値を算出してみました(小数点第3位以下四捨五入,1厘×10=1銭,1銭×100=1円). ただし,同書には明治期のうち明治33年(1900)以降の物価を掲載していますので,明治期は明治33年(1900)の1厘の価値を算定しています. また,同書には,昭和13年の米価は掲載されていませんので,昭和15年(1940)の米価から当時の1銭硬貨の価値を算出しています. なお,他の資料から推定しますと明治6年の1厘は,明治33年の1厘の2倍以上の価値と思われます. 明治33年 1厘… 4.98円 1円…4980.54円 大正5年 5厘…23.45円 1円…4689.35円 昭和15年 1銭… 1.62円 1円…1618.19円 また,ご参考までに戦争直後と戦後10年ごとの1円の価値も算出しました. 昭和21年(1946):1円…267.23円 昭和25年(1950):1円…12.08円 昭和35年(1960):1円…6.18円 昭和45年(1970):1円…2.89円 昭和55年(1980):1円…1.30円 ちなみに,江戸時代につくられた寛永通寳銅銭も,昭和28年に小額通貨に関する法律が改正されるまでは,法律上,1厘(四文銅銭は2厘)として通用する貨幣でした.九州や東北地方などでは,実際に昭和初期まで流通していたようです. (HN:テンプレキボン in 日本史板) 戦前の物価や兵器の価格はどれぐらいだったんでしょうか? 費用比べ(1937年現在) 新帝国議会議事堂 …2,600万円 戦艦陸奥 …8,200万円 九三式重爆撃機 … 10万円 八九式戦車 … 8万円 聴音器 … 8千円 九三式単軽爆撃機 … 8万円 九一式戦闘機 … 7万円 十五糎榴弾砲 … 2万8千円 八八式高射砲 … 2万円 丸の内ビルヂング … 1,000万円 九一式装甲自動車 … 2万円 魚型水雷 … 2万円 四十糎戦艦主砲弾丸 … 4千円 三年式重機関銃 … 1.5千円 丹那トンネル … 2,467万円 (しょうもない知識を披露するスレ 第9幕 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦前にも工業規格はあったの? 戦前の工業規格についてですが、19世紀後半に英・米・仏がそれぞれ独自の 規格を策定し、本国と影響圏で標準化を進めています。その後英米は両者の規格 統一化を部分的に進め(ようとし)たユニバーサル規格を、仏は欧州諸国を巻き 込んで現在のISO規格へと発展していきます。 戦前の日本では尺貫法等も含めた種々の規格が混在していましたが、ISOをベース として1921年に日本標準規格JESを策定し標準化を図ります。しかしながらJESへの 一本化は中々進まず、JES自体もISOだけではなくユニバーサルや米式規格も入れて 並存を認めるようになり、工業規格の一本化という理念は大幅に後退してしまいます。 やがて戦時経済化と経済混乱の下、規格を大幅に緩めた臨時JESが1939年に制定されます。 その他にも、民生品レベルでは町工場レベルで規格外の代物も作られていました。 この他の軍規格や航空機規格等は基本的にJESベースだったのですが、元のJES自体が 混在を認めていたのですから共通性は言わずもがな‥ (269 597) 先の大戦時の日本にはJIS規格のようなものがなくて兵器の質が悪かったとか 当時も確か規格はあった でもその規格は守られなかった(というか規格通りに作る工作精度がなかった) 工場が違うと互換性がなく、物によっては下手すると同じ工場でも ヤスリで上手く調整しないとハマらない部品とか普通だった ちなみにこの時代、共通規格を完璧に運用出来たのは米国のみ (それだけ米国の工業力・技術力は凄かったと言える) 独国や英国も日本よりはマシではあったが、完全な規格化は出来ていなかった (358 499) 今だと信じられないと思うけど、戦前の日本の工業技術力は 欧米の国に比べると激しく低かった。 航空用エンジンの工作精度なんかソビエトよりも低かったほど。 凄腕の技術者と神業の職人の腕前で何とかしてたので、一品物だと 世界最高レベルのものが作れたりしたのに、それを量産することが 生産現場の限界でできなかった。 何せ、同じ設計図から作った同じものの筈なのに、工場が違うと 互換性がなかったりしたのだから。 ネジなんかも、製造会社が違うとスクリューピッチやサイズが合わないのは 「普通」だった。 JIS規格はそれへの反省から作られたようなもの。 (358 496) 戦前日本は南方資源地帯の獲得に動きますが,昭和初期から終戦までの期間,鉱産物の自給率はどの程度だったのでしょうか?戦時中,無茶な資源採掘を行ったのは知ってますが,それでどの程度賄えたのか気になりまして. 鉄鉱石87% 石油75% 高オクタン価燃料についてはほぼ100%輸入 石炭11% 生ゴム100% 以上数値は昭和5-9年の平均値 http //www.meti.go.jp/hakusho/tsusyo/soron/S24/H05-01.htm 日本が戦争中にさまざまな資源が輸入できなくなりましたが,鉱物資源の場合,必要量に対して日本国内や大陸,台湾,朝鮮半島でコストを度外視して採掘しても戦前の必要量すら確保できなかったのでしょうか? 石炭,鉄鉱石など連合国の通商破壊で日本本土への輸入が叶わなくなった資源の場合,本当に採算を度外視して,鉱脈があれば人的資源を投入して採掘を行ないました. しかしながら,重要な問題として,当時の日本は重工業における生産の為の機械を,ほとんど自前で用意できませんでした.ぶっちゃけ後進国に毛が生えたレベルでしたから. その結果,その鉱山開発に必要な採掘機械生産への投資や,資源配分が行なわれなかったため,既存の鉱山から採掘機械を転用するなどして,本来,重要鉱山(例えば,室蘭の鉄,常磐,筑豊の炭坑など)で使用すればもっと生産が上がったであろうものまで影響を受けており,そうした資源開発をすることは反って生産効率を落とすことになっています. そして,石油は開戦時の日本の領土領域からは絶対に必要量が確保できないものでした. たとえその後になって油田が発見された土地でも,その当時では採掘する技術や石油が産出する,という調査資料がありませんでしたので. そもそも, コストを度外視したら,国家経済が破綻してしまいます. そうなったら戦争どころではなくなるかと・・・. (眠い人 ◆gQikaJHtf2他) WW2当時,日本はどうやって飛行機や戦車に使う鉄,服の繊維,銃の火薬を調達していたのですか? 鉄鉱石は中国から輸入、コークスも中国から輸入(日本のは北海道のものを除いて品質が低くてお話にならない)、 但し、日本の技術で鉄鋼を作るのには、屑鉄が必要でしたから、これは米国から輸入していました。 米国の輸出停止で、どうしようも無くなり、国内で金属回収運動ということで、寺の梵鐘からビルに設置されていた エレベーターのゲージまで回収してそれに充てますが、更にそれが消耗すると、金属加工で出た金属屑を回収して 屑鉄の代わりにしています。 服の繊維は、綿糸や羊毛の輸入は途絶しますので、麻を中心に、更に化学繊維としてスフの増産が奨励され、 民需向けには綿糸、羊毛にはスフが混入されるようになりますが、羊毛に関しては、軍需向けのものもあり、こちらは、 ある程度保護されています。 化学繊維としては、木材パルプを用いたスフとレーヨンが増産されます。 スフは羊毛の代用品、レーヨンはエジプト綿の代用品です。 絹糸は未だ自給が可能なので、一定量は残されます。 しかし、大戦が進展するにつれて、こういった産業は不要不急産業(輸出が出来ないから外貨獲得源としての価値がない) として、軍需産業に転身させられています。 一番大きいのは、航空機の部品製造への転身で、工場の女工ごとその製造に入ったケースが多いです。 火薬は、TNTの主原料のトルオールが、石炭乾留工程の副産物ですので、製鉄所で生産出来ます。 その他の原料も或程度は国産化出来ますので、一応の自給は可能でした。 但し、大量生産出来るかと言うと、少し疑問符が付きますが。 (250 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦前日本の石油はどこから賄われていたのか? 主にアメリカ. そのため,パレンバン石油に目をつけることになったという. 以下引用. 日本の石油生産量は年間40万t以下. 約500万tの需要に対し,自給率は1割にも満たなかった. 37年には「人造石油7ヵ年計画」を策定し,ドイツと同じように開発したが,生産量は全く期待できない状態だった. 石油の不足分は海外からの輸入に依存せざるをえず,しかも,最大の輸入相手国は米国だった.石油の対米輸入量は35年(昭和10年)時点で年間231万t.輸入全体の67%を占めた. 日中戦争の泥沼化で石油の需要はさらに拡大し,39年には対米輸入量は全体の90%に達した. つまり,日本は第1次大戦後,米国をソ連と並ぶ仮想敵国と見なしながら,最重要の軍事物資である石油を,米国に決定的に依存していたのだった. この矛盾を解消できる可能性が40年(昭和15年)夏,突如,降って湧いた. もたらしたのはナチス・ドイツだった.ドイツは39年9月の第2次大戦開戦直後,欧州大陸で快進撃を続けた.40年5月にはオランダを占領,翌6月にはフランスを降伏させた. オランダが植民地としていた蘭領東インド(蘭印,現在のインドネシア)には,アジア随一の産油量を誇るパレンバン油田があった. この油田は米国とオランダの資本により開発された. 石油生産量は年間470万t.増産に務めれば,この油田だけで日本の年間需要を賄えるほどだった. 仏領インドシナ(仏印=現在のベトナム,カンボジア,ラオス)と共に,「無主の地」になりそうなこの地域を手に入れることができれば,米国依存経済から脱却できる――軍部も政府も,南方進出という「悪魔に見入られた思索」(作家・土門周平氏)にとらわれたのである. 読売新聞 2005/12/22 大日本帝国の最大版図って何km2か分かるでしょうか? まず、日本の正式領土は、内地、小笠原島(文久元年幕府回収)、沖縄(明治5年琉球藩王としたときに日本領土を確認)、 千島(明治8年領土確定)、大東島(明治18年沖縄編入)、硫黄島(明治24年東京府編入)、魚釣島(明治28年日本領確認)、 南鳥島(明治31年東京府編入)、沖大東島(明治33年沖縄県編入)、竹島(明治38年島根県編入)、沖ノ鳥島(昭和6年東京 府編入)。 内地が総計で382,309平方キロメートル。 これに加え、朝鮮が明治43年条約により日本領土になり、台湾と澎湖島は明治28年条約により日本領土が確定し、新南群島 (現在の南沙群島)は昭和13年に高雄市に編入。 樺太は明治38年条約により日本領土に編入。 朝鮮が220,741平方キロメートル、台湾が35,846平方キロメートル、澎湖島が127平方キロメートル、樺太は36,090平方キロメートル。 日本領土の外地合計で、675,1113平方キロメートル。 租借地は明治39年に獲得した関東州であり、これが3,462平方キロメートル。 なお、租借地は他に、膠州湾が大正9年~11年まで存在した。 委任統治区域はVersailles条約の結果獲得した南洋群島で、2,149平方キロ メートル。 一部統治区域は、明治39年に獲得した南満州鉄道付属地帯で、これは290平方 キロメートル。 但し、これは、昭和12年に満州国に返還しています。 日本の法的に認められた支配地域は、以上の681,013平方キロメートルです。 一時占領地域とか大東亜共栄圏の支配地域としては、以下の通り。 満州国(1,303,143平方キロメートル)、中華民国(全土で10,361,604平方キロメートル。但し、支配地域が必ずしも明確 ではないので、面積としての算出は不可能。概算では北支、中支が占領地なので、2,150,000平方キロメートルは含む))、 蒙古連合自治政府(450,000平方キロメートル)、アンダマン諸島(6,496平方キロメートル)、ニコバル諸島(1,645平方キロ メートル)、英領ビルマ(603,200平方キロメートル)、英領マレー(137,776.2平方キロメートル)、香港(1,013平方キロメー トル)、英領ボルネオ(211,258平方キロメートル)、仏領インドシナ(740,400平方キロメートル)、広州湾(842平方キロメー トル)、伊領天津租借地(0.5平方キロメートル)、蘭領インド(1,900,151平方キロメートル)、ポルトガル領チモール諸島 (18,990平方キロメートル)、澳門(16平方キロメートル)、米領フィリピン群島(296,295平方キロメートル)、グアム島(534 平方キロメートル)、英・豪領ソロモン諸島(72,496平方キロメートル)、ギルバート諸島(430平方キロメートル)、エリース諸島 (36平方キロメートル)などなど。 後は足し算よろ。 (176 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 大日本帝国の最大範図ありますか? http //livedoor.blogimg.jp/yamato26840/imgs/2/5/25024377.JPG http //www.geocities.jp/chonshineunko/img/Imperial_Japan.jpg (中国軍総合17 72) 大東亜共栄圏とはどこからどこまでを想定していたのでしょうか? 大東亜 の「大」っていうのは「印度を含めて」という意味がある。 なので中東地域とシベリア以外の全アジア、オーストラリアとニュージーランド 以外のオセアニア、という事になる>大東亜 (271 36) 戦争直前~戦時中の米の自給率は? 1940年の時点では,米の年間消費量1200万トン. 一人当たり約152kg,一日に換算すると一日約450g(三合)となります. この頃の日本人はエネルギーの7~8割,蛋白質の3割を米から摂取していました. 都市部では,一人一日約500g(三合半)の米を食べていました. ちなみに現在では,年間僅かに65kg.それだけ,食が多様化したと言えるでしょうか. 当時は「白米ブーム」で,「日の丸弁当」が質素な生活の象徴となったのも,白米が潤沢にあったから. しかし,1940年の年間消費量1200万トン,対して,国内総生産量は900万トン,つまり,差し引き300万トンは不足し,タイやインドからの輸入,朝鮮,台湾からの移入で賄っていました. 明治や大正時代に、拳銃は国などの許可なしに、一般人でも所持可能だったのでしょうか? 「銃砲火薬類取締法」(明治43年法律第53号)で厳しく禁じられています。 戦前、特に大正時代から昭和初期には、個人でかなり自由に拳銃が購入できた。 取り締まる法律はあったが、実際には「住民票などを提示すれば購入できる」レベルの制限に過ぎなかった。 大正時代は調べられなかったけど、「戦前」というなら昭和10年代だと、大卒初任給が70円の時代に 94式拳銃の値段は80円だよ。 (496 255-258) 太平洋戦争で戦死した皇族軍人は何人いるのでしょうか? 臣籍降下後に2名戦死していますが、皇族の身分では事故死のこの1例だけみたいです。 http //soudan1.biglobe.ne.jp/qa1212706.html (658 461) 戦前の高等官について 戦前の高等官なのですが、現在の国Iのようなものだと認識しています。 例えば帝大を出て高文に受かり大蔵省とか内務省で高等官として採用された場合、 最初はどのような立場でどのような部署に付けられるのでしょうか? 現代であれば、昇進速度はともかく最初は平からでしょうが、戦前は採用時から明確に 高等官であり他の判任官とかと待遇が違ったわけですよね? いきなり係長とか課長補佐とかに補任されたのでしょうか? 一応、高文の合格は、官界昇進の不可欠の必要条件ではありますが、十分条件ではありません。 1921年11月に合格した216名中187名が官庁に採用となり、敗戦前に退官しましたが、東大卒は137名、 その他の大学卒が26名、専門学校、中学校、小学校、警察講習所、逓信管理練習所修了者も24名おり、 そのうち、勅任官に昇進したのはそれぞれ70名、10名、2名となっています。 即ち、高文に合格したとしても、圧倒的に優位ではなく、東大を出て奏任官止まり(課長クラス以下)が半数 以下という世界です。 で、此処は軍事板なので、陸軍将校と比べてみます。 1920年東大卒の官吏A氏の場合、1935年には商工省工務局長となり、官等は高等官二等になります。 1920年東大卒の大学教授B氏の場合は、1935年には東大法学部教授で、官等は高等官二等になります。 最後に、1917年に陸士を卒業して、1925年に陸大を卒業した軍人C氏は、陸軍砲兵少佐参謀本部部員ですが、 高等官五等にしかなりません。 但し、軍人の場合は満20歳そこそこで高等官たる少尉になり、24歳で中尉に昇進しますが、高文合格の官吏でも、 24歳では判任官のままです。 大学の場合は、判任官の期間が可成り長い訳です。 しかし、高等官になりさえすれば、その官等昇進は急カーブで上り、軍人の官等を追い越します。 とは言え、大学卒高文合格者で勅任官になれるのは、半分以下であるのに対し、陸大卒は80%が勅任官になります。 (524 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 太平洋戦争前の日本は何故、軍艦や軍用機の燃料だけはアメリカの石油資本に任せていたんですか? 当時は中東の油田は発見されておらず、満州の油田も発見されておらず、米国が世界最大の産油国で 世界2位の産油国インドネシアを支配していたのはオランダと英国の合弁のシェルだった。 満州には石油があったが日本はそれを探し当てる探鉱技術がなくて、日本石油が新潟で極僅か生産していたにすぎない。 とはいえ、石油炊きボイラにくらべ石炭炊きボイラは同じ重さで蒸発量=出力が2/3以下で当時は人力給炭に近い状態だったので。 軍艦は石油炊きしか選択の余地がなかった。 仕方ないのでインドネシアを占領と石炭液化の二本立てで考えたが、後者は技術や材料の問題でドイツでは成功したが日本は失敗した。 (533 121) 太平洋戦争中の日本の車両用ディーゼル、ガソリンエンジンの技術はどの程度のものだったんですか? ガソリンエンジンに関しては、外国製の模倣が主です。 例えば豊田はシボレーのエンジンを解体して模倣したものですし、日産はグラハム・ページの生産設備 一切を購入していました。 (因みに、戦後でも、GMやフォード車のエンジンが故障したら、トヨタか日産の工場に行けば、取り敢ず 合う部品があるから急場凌ぎに役に立つとまで言われています) ダットサンも、フランスのベンジャミンと言う小型車のエンジンの模倣です。 東京自動車工業(いすゞ)のエンジンは、源流を辿れば英国のウーズレーに辿り着きます。 ディーゼルに関しては、その最初は三菱がスイスのザウラーから技術導入したものですし、日本ディゼル 工業(鐘淵ディーゼル、後の日産ディーゼル)は、ドイツのユンカースから技術導入しており、そのエンジン をライセンス生産しています。 新潟鐵工所のディーゼルは内火艇用の転用で、性能は劣っていました。 新潟鐵工所のものは、後に鉄道車両用になりましたが、国鉄時代も使われ続け、化石化しており、後に分割 民営化して大量の馘首が出た時、再就職に非常に難儀したそうです。 ヂーゼル自動車工業(後のいすゞ)のディーゼルは、試行錯誤を重ねた結果、水冷式予燃焼室式のエンジン を試作し、外国製のものに劣らない性能を示しています。 また、池貝鉄工所(後に小松製作所に吸収される)の製品も、渦流室式で、小型ディーゼルとしての性能は 充分でした。 (546 眠い人 ◆gQikaJHtf2) つまりガソリンエンジンに関しては外国製の模倣から抜けきれなかったが、ディーゼルエンジンでは 一部世界レベルの開発能力を持つ企業もあったという事でしょうか? 同時期に陸軍が中心となって開発していた統制エンジンは余り良く出来た物では無かったと聞きますが、 やはりディーゼルエンジンでも世界水準とはそれなりの開きがあったんでしょうか? と言うか、ディーゼルエンジンでは独自に発展する余地が有った、と言う事です。 つまり、欧米の自動車に今からガソリンエンジンで太刀打ち出来はしないし、コスト的に 太刀打ち出来ない。 一方でディーゼルエンジンは欧米でも発展途上であるが故に、日本が追いつく事は強ち 不可能ではないと言う考えで各社が技術を競っていました。 ディーゼルエンジン開発の際、ベンツの予燃焼室式、MANの空気室式、クルップの空冷 水平対向予燃焼室式、オーベルヘンスリーの蓄熱渦流室式、英国のドルマン・リカードの 渦流室式を購入してテストしましたが、MAN以外のディーゼルには日本の技術者はさして 感心していません。 製品を開発する際、当初は海外製品の模倣から始めますが、ほどなく、その考えでは、 成立しないことが判明し、予燃焼室式のエンジンを開発しています。 ここから発展したエンジンは、非常に堅牢且つ静粛で、陸軍向けの試作車輌に搭載した テストでは、試験官の「出発用意!」と言う号令でエンジンを掛けて待機していた所、試験 官から、「おい、エンジンを掛けろ!」と怒鳴られたと言う逸話もあります。 因みに、予燃焼室式のエンジンは、本家であるドイツでも幾つか試作されていますが、本家 ドイツでも統制型ディーゼルは、MAN空気室式が採用され、予燃焼室式のエンジンである ヘンシェルやフンボルトドイツ(KHD)は、大した性能ではなかったと言えます。 (547 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本の航空技術は戦前はドイツから伝わったんじゃないの? 航空機技術の基礎は英国からです。 ドイツからの航空技術導入は1923年以降になります。 1925年にドイツから技師が来日し技術伝授を始めてから、日本の航空技術はドイツよりになってきました。 正確には、米英仏からも機体輸入を行っているので、ソ連以外の当時の航空先進各国からのごった煮に近い状況です。 ドイツの航空技術が本格的に導入されるのは日独伊3国防共協定が結ばれる時期からです。 生産技術については、ドイツにはブランクがあります。 (554 249) 大臣は総理、次長は総長が決めると思うのですが、参謀総長、軍令部総長、軍事参議官はどのようにして決まるのか分かりませんので教えてください。 日本陸海軍の場合内閣の国務大臣を任命するのは天皇陛下。 総理大臣は大臣任命するに足る人物を推挙するだけ。 更に、軍大臣は総理大臣にも選定権限がなく、人事に口出しが出来なかった。 これは有名な「統帥権の独立」というものがあり、憲法上は「天皇陛下の軍隊」 である帝國陸海軍は天皇陛下の直卒組織であり、内閣とは序列上同位の組織と されていたから。 なので陸海軍大臣は軍部の中で有力者が選ばれて推挙され、任命された。 また陸海軍とも高位の人事は制度上建前上は天皇陛下の裁定事項。 これも軍部内で推挙された人物が天皇陛下に推挙され、陛下が考慮して任命した。 実際には陛下はほとんど推挙に異を唱えられなかった(全く何も言わなかったわけ ではないが)ので、軍部の有力者が合議して独善的に決めてた。 補足しとくと軍司令官や師団長も制度上天皇陛下の裁可が必要 (任命状に御名御璽がある)ので、陛下の許可なく勝手に解任することは できない。 また天皇陛下の御名御璽がある以上、任命された者の行動を批判したり 就いてる役職を全うする能力に疑いの意見を述べることは、天皇陛下を 批判することと同じ扱いになった。 これが陸軍の現場指揮官が暴走しても誰もそれを止められないし、 阿呆な作戦指揮をして大損害を出して作戦を失敗させても責任を問われない、 という悪弊を作った。 これは日本軍の組織的弱点の一つ。 (334 382,384) 官僚の昇進って軍人よりずいぶん早いようだけど? 官等昇進は官吏や大学教授に比べるとずっと遅くなります。 従って、同年齢で比較すると、甚だ低いことになります。 例えば、同年齢で、官吏で課長(高等官三等で年収3,360円)、大学教授(高等官五等で年収1,220円+ 職務棒800円以内)に対し、軍人は大尉(高等官六等で年収1,900円)です。 特に陸士陸大(海大でも同じ)の人間からすると、東大卒高等文官試験合格者と同じくらい、もしくは 頭脳優秀なのに、なぜ、と言う不満がありました。 敗戦時の内閣書記官長だった迫水久常の回想で、「敗戦時は内閣書記官長でしたが、内閣書記官長 は中将相当官なんだ。ところが、私と同い年の人が陸軍では大佐。軍務局の軍事課長という陸軍の中 枢の人が、『何だって君が中将で、俺が大佐なんだ」と言って非常に怒っていた」という話があります。 ちなみに、軍人の場合は、満20歳で高等官である少尉になり、24歳で普通ならば中尉に任官します。 官吏の場合は、24歳でも判任官が少なくありません。 大学の場合も判任官(助手)が長かったりします。 しかし、官吏や大学教授は高等官に任官すると、それ以降昇進は急カーブとなり、軍人を忽ち追い抜か すことになります。 但し、文官の勅任官就任は、大卒高文合格者のうち、半分以下。 軍人の勅任官就任は、陸大卒の場合は、80%に上ります。 (331 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧日本の電線について、米軍との格差の象徴と言われる紙巻き電線って実際どれぐらい使われてたんでしょうか? 当時の樹脂被膜電線に関してはアメリカ製の製品が傑出してて、それ以外の国のは 五十歩百歩というところ。 というか、「電気」に関する技術ではアメリカは世界のトップを走っていて、 アメリカ>(超えられない壁)>それ以外 という世界だった。 それら五十歩百歩の中でも日本は技術的にも品質的にも高い方ではなかったが、 別に日本だけが紙巻電線を使っていた訳ではない。 日本の場合、高品質の樹脂被覆電線はアメリカからの輸入品だった上に、物資が 欠乏してくると本来は樹脂被覆電線にしなければいけない防水性を要する配線に 紙巻電線に樹脂分の多い塗料を厚めに塗っただけの代用被覆電線を使ってたりして、 このあたりが 「アメリカのはちゃんとした樹脂被覆電線なのに日本は紙巻電線だからダメだった」 という話の元になっている。 (597 243) 戦前のマスメディアの報道について、朝日新聞に対する批判が特に厳しいのは何故なのでしょうか? 朝日新聞はその言論統制が始まる前から軍に報道協力をを行なってきました。 満州事変での石原莞爾の報道戦略にも一枚噛んでいます。 そして戦勝報道や愛国的な扇動報道によるによる売上の増加に味をしめ、 軍が求めた以上に率先して戦争を煽りまくりました。 終いにはそれが日本の外交戦略や軍事戦略を捻じ曲げる域まで達してしまいした。 また、戦時中に主筆であった緒方竹虎などは情報局総裁として言論統制に積極的に協力しています。 言論人でありながら言論統制に協力すると言った姿勢が批判されるのは当然でしょう。 そして戦時の社長や会長と言った主要幹部は責任を取って辞任するどころか、 政界に転出したり社に残ってその後も順調に出世しています。 結局、誰も戦時報道の責任を取らず、戦前からの無責任体質を維持し続けている事が批判の対象なのでしょう。 詳しくは『朝日新聞の戦争責任』をご覧になると良いでしょう。 朝日新聞が著作権侵害を盾に闇に葬り去ろうとしたほどの曰く付きの一冊です。 (322 119) 軍票とはどのようなものだったのでしょう? 戦争をするには、当然の事ながら戦費というのが必要になります。 この費用で兵士の給与から装備品の購入まで行うわけです。 しかし、全部が税金で賄われるわけではなく、戦後に償還すると言うことで、 戦時国債を発行する場合もあります。 これでも足りない場合、軍政を敷いている地域では軍の権限で紙幣を発行します。 これが軍票と呼ばれるもので、政府の法定貨幣と同じ価値をその占領地域では有することになっていました。 また、戦争終了後、治安が回復した場合は法定貨幣と交換することになっています。 日本の場合は、南方や香港において軍票を乱発し、現地に深刻なインフレーションを引き起こしました。 華北、満州に於いては朝鮮銀行が国債と引き替えに、日本銀行と預金取引をして、 中国儲備銀行など、傀儡政府の銀行と帳簿上の取引をし、日本軍が現地でその銀行から 預金を引き出すと言う形を取っていました。 これにより華北、関東軍の駐留経費は全部中国が被り、 日本へのインフレーションの影響を最小限に留めています。 日本の場合は、軍票を従来通用していた現地貨幣と強制交換させた上、 戦中のインフレーションと敗戦で紙屑同然になったと言う問題があります。 この資産を物価スライドさせて現在の貨幣価値に換算して支払えと言う訴訟が、 香港、シンガポールの華人を中心に起きていますね。 (37 眠い人 ◆ikaJHtf2) 「大日本帝国」は英語ではなんと表記していたのでしょうか? 海外資料において帝国海軍はIJN、つまりImperial Japanese Navyと略されます だから多分Imperial Japanで通じるかと。Japanese Empireでも通じると思うけど。 Greatは他がつける尊称なので無し。 (40 337) 八紘一宇 なんてよむの? 「はっこういちう」。 日本書紀「掩二八紘一而為レ宇」が語源。天下を一つの家のようにすること。 太平洋戦争中に日本が大東亜共栄圏建設のためのスローガンにした言葉。 (46 592) 最高戦争指導会議って何ですか? 大東亜戦争遂行のため、最高首脳が集った「大本営政府連絡会議」が小磯国昭内閣の手によって改称されたもの。 基本的な性格や、参与する資格は変わらなく、政府からは総理大臣、外務大臣、陸軍大臣、海軍大臣。軍部からは陸軍参謀総長、海軍軍令部総長が出席し、さらに天皇も臨席した。 簡単に言うと国民から信頼を失った、大本営という組織を単に看板だけ架け替えただけだと言われている。 尚、多く言われている大本営に意見を伺いつつ昭和天皇が、無条件降伏を決断したと言われるが、これは間違いで、 昭和二十年八月十四日の最高戦争指導会議に於いて決断されたのというのが正しい。 (53 最高戦争指導会議 ◆kaigi9N7vY) WW2時に日本が朝鮮半島で徴兵を行った事実はありますか? 月については、資料が埋もれているので覚えていませんが、1944年に 朝鮮半島に徴兵令が敷かれています。 その前の1938年から朝鮮人陸軍特別志顧兵令、朝鮮人海軍特別志願 兵令がありました。 徴兵人数もかなりに上っています。 (53 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 昭和19年4月1日ね (53 296) 大日本帝國は、中国戦線、太平洋戦線、東南アジア戦線の3正面作戦を取りながら、なんで8年も戦えたの? 日本は一応列強だったから。 列強を非列強が局地戦以外で負かすのは不可能に近い。 米と交戦するまで戦争で本土の存亡に関わるようなことにはなりようがなかった。 (75 854) 日本は五大国の一つとして国連の常任理事国だった。 主要兵器が国産化出来る程度に工業化していた。 それに、「三正面作戦」といっても8年間ずっとじゃない。 まあ、アメリカが出てきて「三正面」化したとたん、ああなっちゃったけど。 (75 856) 三国同盟を結んだときって、日本はナチスドイツのユダヤ人虐殺とかについてまったく知らなかったんでしょうか? 「河豚プラン」 http //ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E8%B1%9A%E8%A8%88%E7%94%BB ユダヤ人問題に関しては日本側に引き入れて積極的に利用しようという向きもあったが、 基本的には中立的な対応に終始した。 三国同盟の時点ではユダヤ人の迫害は行われていたが、それが強制収容所への移送や虐殺にまで発展したのは太平洋戦開戦後。 戦前から反ユダヤ主義は国内に持ち込まれていたが、日本の場合なぜかそれが日ユ同祖論になったりして訳のわからないことになっている。 青森県の戸来村のキリストの墓「伝説」もその日ユ同祖論の産物。 当時の日本人にとってはユダヤ人も反ユダヤ主義も遥か海の彼方の存在で、実感もないし大して興味もなかった。 (320 587,602) 日本はドイツが捕獲したステンを「安いし、構造も製造も簡単だ!」と、コピー生産した様に連合国の捕獲兵器をコピー生産したことはないのでしょうか? ぱっと思いついたところで。 つ ノルデン爆撃照準器(キ74などに搭載。されど何気に故障多し) つ M1ガランド自動小銃(試作してみたけど弾が…) つ ボフォース40mm機関砲(ラインメタル37mmのラインを閉鎖して作ったが少数生産) つ コンチネンタル空冷星形エンジン(戦車用)のディーゼル版 (314 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 川西航空機と中島飛行機は、会社設立時の経緯を見ると仲が悪かった? 知久平さんと清兵衛さん、個人的にも仲は悪かった? そんなに仲が悪いと言う訳ではないと思います。 確かに、内部は中島派と川西派に分かれて、結局は喧嘩別れしましたが、 川西清兵衛の方は、元々別の投資家が絡んでいた知久平の飛行機作りに、 債権者と言う格好で引きずり込まれた感じですし、将来性ある事業としての 投資と言う位置づけで航空産業に参画しています。 ただ、中島知久平と言う人物が、川西清兵衛のポリシーと相反する経営方針 だったから、戸惑いはありました。 地盤とする地域も、川西清兵衛は関西であるのに対し、中島知久平は北関東で、 離れています。 元々、地域的に見て川西の統制が及ぶ状況ではなく、しかも、資金的には後ろに 三井が控えている事が透けて見えます(中島は知らないであろうと高をくくっていた でしょうが、川西は関西でも手広く事業を行っていますので、それくらいの情報は 耳に入ってきていたでしょう。)。 であれば、川西としては、言葉は悪いですが、将来的に三井に中島のお守りを押しつけ、 自らは中島の元で育てた航空機製作技術や人を引き取って、新たに自分の目の届く範囲に 工場を作った方が、自分の思い通りに会社を動かせると考えた訳です。 (626 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本の開発した超々ジュラルミンって、列強の同様の航空機用ジュラルミンと比べても優れた特性をもったものだったンでしょうか? 超々ジュラルミン。住友金属で開発された新合金で主翼主桁に使用されている。 後に米国でも同様の合金が実用化されている。日本・英語圏ともESDと呼ばれるが、 日本では「超々ジュラルミン」の英訳である「Extra Super Duralumin」の略 であるのに対し、英語圏ではベース合金の「E合金」と「Sander合金」から とった略号である。ちなみに現在のJIS規格では、7000系のアルミ合金に 相当する http //ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%B6%E5%BC%8F%E8%89%A6%E4%B8%8A%E6%88%A6%E9%97%98%E6%A9%9F A2017:ジュラルミン。強度が高い(A2017-T4,引張り強さ435 N/mm2)。 A2024:超ジュラルミン。強度が高い(A2024-T4,引張り強さ430 N/mm2,A2017よりせん断強さ,疲れ強さに優れている)。 A7075:超々ジュラルミン。強度が高い(A7075-T6,引張り強さ585 N/mm2,耐力が高い)。 http //www.nmri.go.jp/eng/khirata/design/ch02/ch02_02.html 太平洋戦争で、あの有名な零戦の主翼に採用され、たまたまそれを捕獲した アメリカ軍の技術者が機体を調べ、日本の技術力の高さに仰天したという 逸話があります。 (307 571) 大日本帝国がドイツなど無視しアメリカと組んで第二次大戦に参戦することは可能でしたか? 中国や韓国の利権争いで、日露戦争後から日米関係は悪化していったと思われるが? (303 476) 最近講談社から出版された、黒野耐著「「たら」「れば」で読み直す日本近代史」 と言う本をお読みになるが、宜しいか、と。 そうした構図に持って行くには、日露戦争後のHarrimanによる満鉄共同経営、 第一次大戦での日本軍総出の欧州出兵とかその辺まで遡らないとどうしようも ない訳で。 (303 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 太平洋戦争時、皇族も徴兵は義務だったんでしょうか? 明治天皇が「皇族はなるべく陸海軍に進むように」という意思を示されたため、男子の皇族は 士官学校に進む義務がありました。 ですので、理屈上皇族の徴兵はありません。 (300 351) 零戦やチハの価格はいくらですか? 昭和17年度装軌車の価格: 九五式軽戦車: 八七一九〇円 九七式中戦車:一六五四〇〇円(但し除武器←笑) ソースは佐山二郎著「機甲入門」 ちなみに 一式戦:約二五〇〇〇円 ゼロ戦:約三〇〇〇〇円 一式陸攻:約六〇〇〇〇円・・・ ソースは雑誌「丸」 このサイトだとまたちょっと違うな。 http //www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/7092/G-onedann-Ni.html 零戦一八万円 チハ一四万7000円(武器を除く) (659 750-760) 戦前の陸海軍大臣というのは、慣例とかではなく正式な法的根拠に基づく資格ってどんな風でしょうか? 大正15年宮内省達乙13号文武奏任官以上宮中儀式上席次では、第一階第五の 「元帥国務大臣宮内大臣内大臣」に当たりますかね。 成文法による陸海軍大臣就任要件は? 大正2年勅令第165号の陸軍官制改正、大正2年勅令第168号の海軍官制改正、 または、昭和11年勅令第63号の陸軍官制改正、昭和11年勅令第64号の海軍 官制改正になります。 陸海軍大臣を内部から出すのは、陸軍は内規、海軍は慣例になっています。 田中義一はその内規に照らし合わせると陸軍大臣としての条件を満たしていなかったから、東条英機みたいな「陸軍大臣兼務」が出来なかったということで良いでしょうか? 陸軍大臣は、現行の陸軍大臣、参謀総長、教育総監の三長官一致の原則としていました。 とは言え、これは建前で、他にも陸軍次官、人事局長の進言・情報、軍の長老クラス、特に皇族、元帥、軍事参議官其の他 大将クラスの意向も無視できません。 また、彼の場合は、将官とは言え、予備役もしくは後備役の人物です。 幾ら、大正2年の改正で現役でなくてもよい、とは言え、現役に拘る軍内の意向を無視することが不可能です。 ちなみに、東条英機の場合は、陸軍次官と参謀次長の談合で決まったりします。 彼の場合は、未だ退役している訳ではないので、昭和11年の官制改正で規定された規程に合っています。 (293 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本の蒸気機関車は欧米より技術が低くて低性能(牽引力がない)だったのですか? 蒸気機関車に関しては国内で使われてた国鉄型蒸気機関車と満鉄の蒸気機関車は別物と言っても良い。 満鉄に関しては欧米レベルになんとか到達してた。 そして日本の国鉄型蒸気機関車の性能が劣悪だったのは事実だよ。 国鉄の技術陣は発展的な設計にはきわめて臆病で蒸気機関車の国産化が可能になってからの進化の遅さが際だって目立つ。 おかげで同じ狭軌でもイギリスの蒸気機関車に速度性能、石炭の燃焼効率、保守、全ての面で劣ってる。 粗悪な石炭でも十分にエネルギーを取り出せるという日本にとって良いことづくめの燃焼室設計も 欧米や満鉄での成功を見ても取り入れようとせず、戦争でせっぱ詰まった時に急いで作ったD52にようやく採用されたという有様。 一説では国鉄型機関車の石炭燃焼効率は他国と比べて10%以上劣っていたと言われてる。 戦争に負けたのを機関車の性能と決めつけるのはやりすぎだが、間違いなくその他大勢の要素の中での一つに入るだろうね (689 966) 内閣総理大臣って、他の大臣と担当が違うだけで特別に偉い人ではなかったの? その通りです。 総理大臣は「同輩中の首席」にすぎませんでした。 統帥権の問題などもあわせて、明治憲法は構造的欠陥を抱えていたと言えます。 (110 722) 本来は、明治22年の内閣官制で、 「事ノ軍機軍令ニ係リ奏上スルモノハ天皇ノ旨ニ依リ之ヲ内閣ニ下付セラルゝノ件ヲ 除ク外陸軍大臣海軍大臣ヨリ内閣総理大臣ニ報告スヘシ」 となっており、統帥事項に関するもののみ奏上するもので、軍政事項は内閣総理大臣 への報告を行なわなければなりませんでしたが、統帥事項の範囲を拡大して解釈したり、 内閣官制に書かれた規程を無視することも珍しくありませんでした。 ちなみに、内閣総理大臣は各大臣の首班として、旨を承けて、行政各部の統一を保持するもの と定められ、内閣に於いては同輩者中の第一人者たる地位が認められたに過ぎません。 従って、各大臣への命令を行なう権限はなく、施政の大本の方針を定めてこれを閣員に示し、 閣員間に衝突があるときはその調和を図り、各省主任の事務にしても、内閣全体の方針に矛盾の 無いよう警告するなどの任務を有するのみです。 (110 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 大戦中は英語の使用が禁止されていたのですよね? 当時の日本が英語を禁止されていたというその認識がまず間違いです。 海軍兵学校などは、井上成美校長の意向もありましたが、最後まで入試に英語を残していました。 陸軍は英語を使用しない方向で行っていたようですが、ロシア語は重視されていました。 海軍の英語も同様ですが、敵が用いている言語を聞き取れないようでは戦争になりませんからね。 また、当時の文部官僚は今と同じようなリベラル系(良くも悪くも)で、英語の教科書もちゃんと存在してます。 後に英語教育は消えましたが、要するに戦況の悪化や学徒動員などで英語を含む全ての学業が吹っ飛んだというだけの話。 基本的に英語の規制というのは民間などでの話です。 今も昔も、民間の過剰な自主規制という日本人の性癖にさしたる差はなかったわけで。 (112 143) 戦前の陸軍と警察だとどっちが位が上なんでしょうか? 「ゴーストップ事件」をググって下さい…なんてね。 陸海軍とも官階は同じです。 将校 勅任官 将官 親任官 大将 将校 勅任官 将官 高等官一等 中将 将校 勅任官 将官 高等官二等 少将 将校 奏任官 佐官 高等官三等 大佐 将校 奏任官 佐官 高等官四等 中佐 警察 警視 高等官四等~八等 将校 奏任官 佐官 高等官五等 少佐 将校 奏任官 尉官 高等官六等 大尉 将校 奏任官 尉官 高等官七等 中尉 将校 奏任官 尉官 高等官八等 少尉 警察 警部 判任官一等~四等 警察 警部補 判任官二等~四等 つまり、警察の官階は将校より低いです。 判任官というのは、軍隊では准士官(特務曹長)、下士官(曹長~伍長)に相当します。 (116 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦前の消防団、警防団には軍式の階級があったそうですが、団員は軍人と同様の礼遇を受けたのですか? 警防団自体は、消防組と防護団が1939年に勅令第二十号警防団令により、 両者を統合したものです。 1947年、これが発展解消したのが消防団です。 これは、警視総監、府県知事が職権によって設置するもので、軍とは何ら関係 はありません。 団長と副団長は地方長官(府県知事)が任命し、団員は17~55歳までの市町村 区域内の住民から警察署長が任免します。 団長や副団長には、地方名士の他、在郷軍人が任命されることが多く、在郷軍人 に関しては陸海軍軍人ですから、同様の待遇を受けることが出来ます。 しかし、本来は、地方自治体の町内会的組織ですから、在郷軍人でない人は、 軍人と同待遇を受けることはありません。 (116 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 特別高等警察と憲兵は協力関係にあったのでしょうか? 組織系統から見て、内務大臣が治安維持法事件の指揮系統の一つとして、 憲兵司令部と関係と保っている以外、各地の特別高等警察課と直接協力関係 にあった訳ではありませんし、憲兵隊が特別高等警察課を指揮命令系統下に 置いた訳でもありません。 簡単に図に表わすと、以下のようになります(ずれるかも)。 内務大臣-→ 警保局 → 保安課 → 特別高等警察課 | | ↑ | --→ 警視庁(府県警察) → 警察部-+→各警察署特高係 +----+ ↓ 陸軍大臣→憲兵隊司令部→各憲兵隊→特高第一課(外事警察・防諜) | | +→指揮班 | +→特高第二課-+→政経班 | +→右翼班 | +→左翼班 +→朝鮮憲兵隊司令部→各憲兵隊 なお、憲兵隊には昭和期にはいると特高課が設けられ、所謂思想警察的な面が 出てきます。(末期には経済犯にも対応) こちらは、警察の方と区別が付かない場合があるようです。 (122 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 「憲兵」は民間人を逮捕できないとの事ですが本当でしょうか? 治安維持法違反で憲兵に拘禁されたものは多数居りますし、憲兵は軍事警察権の他、 普通警察権も執行出来ます。 後者は、内務省所管の警察が担当する職務を内務大臣の指揮下に(名目上)関与する ものとされていますが、この指揮権はしばしば無視されました。 また、戦地の憲兵は完全に治安維持のため、民間人の逮捕権を有しています。 (122 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 支那事変から太平洋戦争終結までの国債総額とそれが国家予算何年分か教えてください。 1937~1945年までの国債発行額は1,368億円。 1944年度の歳出規模(一般会計歳出+特別会計歳出+臨時軍事費)は約1,587億円。 1944年度の予算を基準にすれば、1年分に満たず。 1937年度の歳出規模は約132億円。 1937年度の予算を基準にすれば、約10年分。 (123 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 昔は東大に行くより士官学校や軍の経理学校のほうが難しいと聞きましたが。 そんなに軍人が花形だったんですか? 経理学校、士官学校は高等学校卒業レベルですので、東大よりは…と言うのは違います。 難しかったのは、陸軍大学校の方で、これは陸士卒業の1割と正にエリートになります。 例えば、同期で入隊しても、大尉で1年、少佐で3年、中佐で4年、大佐で6年と進級に凄く差が付きます。 また、陸大出は、常に省部にあり、それ以外は部隊勤務と待遇でも差が出ます。 花形かどうかと言う問いについては、大正期は肩身が狭かったです。 昭和初期の場合は、「大学は出たけれど」という言葉に象徴されるように、会社勤めするにも大変で、 軍人に人気が出ました。 (266 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 東北の有名な中学校で、陸士に入学する場合、 1935年では、200人中、2,30番以内でないと難しかったのに、1936年は5,60番以内でも入れ、 1937年にはその倍に入学者数が増えたと言う記述があります。 (191 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 旧日本の陸・海軍大臣は誰が選出してるの? 確か首相には任命権or指名権がないんですよね 陸軍の場合は、大正13年、後任陸軍大臣は三長官(陸軍大臣・参謀総長・教育総監)一致の 推薦を必要とすると言う、「陸軍省参謀本部教育総監部業務担任規程」という内部規定に基づき、 大臣を選出します。 ちなみに、大臣がその職を執行し得ない時(敗戦時の東久邇宮内閣)は、次官が三長官会議に 参加します。 ただ、この時は、土肥原教育総監を陸軍大臣に推しますが、首相の意志で、下村定北支那方面軍 司令官になりました。 三長官の意向と言っても、無統制時代(1930年代)には、内部的に省部(陸軍省・参謀本部)中堅将校 の意向・人気・鼻息に左右されていますし、それ以外の時代でも、陸軍次官、人事局長の進言、情報、 軍の長老である、皇族、元帥、軍事参議官などの大将クラスの意向も無関係ではありません。 ちなみに、東条陸相の場合は、陸軍次官と参謀次長の談合で決定しています。 海軍の場合は、前任海軍大臣の専権事項です。 但し、1932年以降は、伏見宮博恭海軍軍令部長の同意、1941年の辞任後も元帥たる彼の同意 を得なければ、海軍大臣の推挙は出来ませんでした。 (136 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 平賀譲が電気溶接を基礎研究含めて全面的に禁止したってのは本当ですか? 第4艦隊事件とかの絡みで電気溶接の見直しをしていたのは知っていますが 溶接に関しては、全面的な禁止をしていません。 1935年10月21日に組織された臨時艦艇性能改善調査委員会での結論は、 艦の「重要部(船体とか艦橋など艦の主要構造部)」に対する溶接の禁止で あって、全面禁止ではありませんでした。 ですので、応力の掛からない部分についての溶接の使用は許されています。 但し、そう言った状況なので、発展は一時的に停滞し、戦後の米国の調査では、 米国に比べて8年間遅れていると言われたり、1949年に当時の通産省が出した 『我が国鉱工業技術の現状』には、世界に30年遅れを取っていると書かれてい ます。 溶接に関しての研究は、1936年に既に赤崎繁海軍大佐が「赤崎式溶接法」という 自動溶接法を編み出していますし、これは後に「新赤崎式溶接法」に発展していま す。 また、呉海軍工廠でも1930年代後半から辻影雄技師が中心となり、「呉船式溶接法」 を作っていますし、民間でも三菱長崎造船所でも自動溶接機械を試作していました。 しかし、「応力のかからない部分のみ溶接可」という方針はいつ頃まで維持されていたんでしょうか? 戦時標準船建造などでブロック建造が大々的に行われるようになるまでは、 その傾向が強かったようです(但し、民間船ではそう言う束縛は無いので、 比較的自由に建造できました)。 但し、その戦時標準船についても、設計で熔接を使用する比率は全体の接合場所の30% 程度であり、全面熔接まで至っていません。 戦時標準船で、熔接の取り入れ比率が大きかったのは、2E、2ET、4ETくらいの近海用くらい でした。 また、熔接棒は戦時急造であっても、最初はその規格の心線が日本で製造されておらず、 鋲材を便宜使用していたりしています。 熔接方法についても、大口径棒の6粍棒~9粍棒による半自動熔接が大手造船所に採用 されたのみで、米国の様な、ユニオンメルト等による全自動熔接は、生産が徹底した単一 船型でなかったこと、ユニオンメルト使用技術が未熟だったこと、鋼材の加工についても、 手動ガス切断を主とした状況では、ユニオンメルトをはじめとする全自動熔接採用の前提 条件である幾何学的正確さの鋼材縁の加工を行うことが出来ないと言った要因があり、 採用が出来ませんでした(結局、三菱長崎のそれは試用で終わっています) (139 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 皇宮警察が後から誕生していますが、近衛兵がある中でわざわざ後で皇宮警察を作ったのは何故でしょうか? 禁闕守衛については近衛歩兵聯隊、鹵簿に列するのが近衛騎兵聯隊が 中心で、禁闕守衛に関しては、警戒と儀仗が主な任務になります。 この任務のため、皇城守衛隊が皇居内に設置され、正門儀仗隊として54名、賢所儀仗隊が 25名、東宮御所守衛隊が若干名という体制で推移しています。 それ以外の屋内警備、宮廷内消防などを管轄しているのが皇宮警察です。 (他にも一般の陸海軍部隊、警視庁、憲兵隊が宮城警衛を担当していますが) 余談ですが、敗戦後の一時期、皇宮警察と近衛師団は統合され、禁衛府が 設置されます。 これは、皇宮警察部の他、皇宮衛視総隊本部の下、第一皇宮衛士隊(旧近衛 歩兵第一聯隊)、特別儀仗隊(旧近衛騎兵聯隊)、第二皇宮衛士隊(旧近衛歩兵 第二聯隊)、皇宮奏楽隊(旧陸軍戸山学校軍楽隊)から成っていました。 当然、こういう姑息な手が許されるわけもなく、1946年3月に解体されています。 (141 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦前の日本の軍艦の鋼鈑はどこが製作していたのでしょうか? 海軍の鋼鈑については、従来は装甲板、砲身砲架用鋼材を呉海軍工廠で生産していました。 ちなみに、陸軍も第一次大戦までは、呉海軍工廠から大口径砲用素材を調達しています。 艦艇建造用普通鋼材、即ち厚板や、ボイラー用鋼鈑に関しては、八幡製鉄所が一手に引き 受けていましたが、後に室蘭製鉄所も参画しています。 その後、日本製鋼所がVickers-Armstrongの出資で設立されると、砲身用鋼材、砲架用鍛鋼、 鋳鋼品については呉海軍工廠製鋼部から、日本製鋼所に移され、呉海軍工廠製鋼部は、装甲 板を専門に扱う製鋼所となっていきました。 ちなみに、現在でも日本製鋼所室蘭製作所は自衛隊向け兵器用特殊鋼を全て生産しています。 また、陸軍向けの砲身砲架用鋼鈑も一部は日本製鋼所で作られています。 後、陸軍の鉄帽用鋼鈑は、大同製鋼星崎工場、後に尼崎工場、機関銃身鍛造は大同製鋼築地工場、 その他陸軍向け装甲板は、大同製鋼で製作されたものも多いです。 (255 眠い人 ◆gQikaJHtf2) WW2当時、日本はどうやって飛行機や戦車に使う鉄、服の繊維、銃の火薬を調達していたのですか? 鉄鉱石は中国から輸入、コークスも中国から輸入(日本のは北海道のものを除いて品質が低くてお話にならない)、 但し、日本の技術で鉄鋼を作るのには、屑鉄が必要でしたから、これは米国から輸入していました。 米国の輸出停止で、どうしようも無くなり、国内で金属回収運動ということで、寺の梵鐘からビルに設置されていた エレベーターのゲージまで回収してそれに充てますが、更にそれが消耗すると、金属加工で出た金属屑を回収して 屑鉄の代わりにしています。 服の繊維は、綿糸や羊毛の輸入は途絶しますので、麻を中心に、更に化学繊維としてスフの増産が奨励され、 民需向けには綿糸、羊毛にはスフが混入されるようになりますが、羊毛に関しては、軍需向けのものもあり、こちらは、 ある程度保護されています。 化学繊維としては、木材パルプを用いたスフとレーヨンが増産されます。 スフは羊毛の代用品、レーヨンはエジプト綿の代用品です。 絹糸は未だ自給が可能なので、一定量は残されます。 しかし、大戦が進展するにつれて、こういった産業は不要不急産業(輸出が出来ないから外貨獲得源としての価値がない) として、軍需産業に転身させられています。 一番大きいのは、航空機の部品製造への転身で、工場の女工ごとその製造に入ったケースが多いです。 火薬は、TNTの主原料のトルオールが、石炭乾留工程の副産物ですので、製鉄所で生産出来ます。 その他の原料も或程度は国産化出来ますので、一応の自給は可能でした。 但し、大量生産出来るかと言うと、少し疑問符が付きますが。 (250 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 九四式トラックは自動車工業と瓦斯電が共同設計したらしいのですが、他のメーカーも製造に当たっていたのでしょうか? 九四式自動貨車の製造は、両社のほか、六甲ST40の名称で、川崎車輌も製作しています。 元々、自動貨車製造については、陸軍もさることながら、商工省の存在が大きいです。 1939年8月に、国産車の技術向上を目指し、「自動車技術委員会」というのが商工省次官を会長に、商工省各担当部署の責任者、 学識経験者、鉄道省の関係者、豊田から豊田喜一郎、日産から浅原源七がメンバーとなり、国産車の種々の問題に関して、軍当局 から提起された事項を中心に、部会で検討会が作られました。 自動車の形式、自動車部品の共用化もこの委員会で論議され、1000~1500ccは日産が、2500cc級はトヨタが、3500ccは日産、トヨタ 両社で、4500cc以上は「ヂーゼル自動車」がエンジンの製造を行うことになりました。 これにより重複による無駄を避けることが出来、試作車の投資の無駄を避けるようになっています。 このヂーゼル自動車は、陸軍がディーゼルエンジンの統一的製造を要求したため、自動車工業と瓦斯電、それに、ディーゼルの 製造設備を持つ、三菱、日立、池貝自動車製造、川崎車輌の各設備を集約して誕生したものです。 ここから、特殊車両に関しては、別途日野重工業が分かれています。 なお、これより先、鉄道省とスミダとチヨダの共同作業で、商工省標準車が作られています。 これが軍用としては九七式自動貨車となったものです。 但し、こういった動きに三菱だけが同調せず、陸軍から不採用になった三菱製の車輌は、 鉄道省標準車として、「三菱ふそう」の名の下、バスとして採用されています。 部品共用化はどの程度進んでたのでしょうか? 軍用自動車の指定業者として、軍部から指定されたのはトヨタ、日産の二社で、後に ヂーゼル自動車が加わっています。 トヨタと日産については、商工省の統一の動きより早く、独自の車輌を製作しています。 なので、同規模の車輌を複数種類調達していかざるを得ない面がありました。 このときの商工省標準自動貨車のコンセプトは、GM、フォードの一クラス上の大型車で、 GM、フォードと競争する形で、トヨタと日産のトラックがありました。 従って、部品共用化と言っても、自動車部品の殆どは、各社で内製していますから設計 思想の統一くらいで実際の部品共用まで進んでいないのではないかと思います。 また、「自動車技術委員会」で検討されたものは、研究段階で、実際に施行されたのは 1942年以降となっており、これが戦時規格型トラックに具現化していきますが、これも 車輌製造仕様の統一で終わっていたみたいです。 でもって、戦前の自動車は大まかに言って、シャーシの上にボディを架装するものでした。 ボディは、板金工の手による叩き出しですから、精度などはあまり気にならないです。 豊田にしても日産にしても、シャーシ部分だけ製造して、他の業者が架装することも多い 訳です(現在のバスがそのような手法を採っていますね)。 また、エンジンにしても、トヨタと日産のエンジンは、極端に言えば、当時日本で最も多く 走っていた、シボレーのものを原型にしており、両車ともGMの部品が有れば整備出来 ました。 いすゞのディーゼルエンジンはユンカースが原型ですが。 それと、輸出販売ルートとしては、トヨタが中国大陸、日産が満州となっており、国産車同士の 食い合いは避けていたようです。 (158 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 何故、大日本帝國は、防衛関連の省を陸軍省と海軍省の二つも持っていたのでしょうか? 元々、明治政府になってからは兵部省の名の下、陸軍とそれに付随する形で海軍があったわけです。 (但し当初は、名称順が太政官の下、海陸軍務課、海陸軍務総督という格好で、海陸軍と言う位置づけ でしたが) なので、兵部省の組織=陸軍の軍政組織でもあった訳で。 当時はフランスの影響を受けて、シビリアンコントロール的な形で、兵部卿が全体の軍政を統括しようと していました。 しかし、屋上屋を重ねる感じになっているのと、誰を兵部卿にするか(薩長の対立が既に始まっている訳で) で揉める形になったこともあり、兵部省を発展的に解消し、陸軍は陸軍省、海軍は海軍省という形で陸軍に 従属する形ではありますが、陸海軍が並立した訳です。 最終的に、海軍が陸軍から自立するのは、1903年、勅令第293号の戦時大本営条例を待たなければなりま せんが、少なくともそれまでは、(語弊はありますが)一つにまとまっていた訳です。 (235 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 全ては山県有朋の所為。かつては統合幕僚本部が存在したのだが── 1872年に兵部省から、陸軍省と海軍省に分かれて独立し、後に 陸軍省の参謀局が昇格して、独立機構の参謀本部が出来上がる。 初代の 参謀本部長は山県有朋。しかし海軍の将官は、参謀本部長が 『陸海軍』の統帥権を 握っていることに不満を持っていた。 そして暫くは『陸主海従』の状態が続くのだが、1893年、日清戦争の直前の頃になると 海軍は「陸軍は朝鮮海峡に自力で橋をかけて、朝鮮に兵を送るのだろう」 嫌味を言ってきたので、止むを得ず海軍が独自の統帥機関をもつことを認めた。 これが軍令部となるが、陸軍は戦時に、陸軍が最高統帥権を握ることを確保する為に、 「戦時大本営条例」を 制定し、参謀総長を『統合幕僚長』とし、 戦時には参謀次長と軍令部長をその配下に置くこととした。 そして日清戦争はなんとか『陸主海従』で乗り切った。 日清戦争で北洋艦隊を破り、発言力を増した海軍は、『統合幕僚長』に海軍軍人がなれるように迫りまる。 陸軍はこれに勿論反対、戦時だけでなく平時にも『統合幕僚長』を置くことを主張し、 陸軍の参謀総長が 『統合幕僚長』を兼任する体勢にするべきだと主張し、明確に『陸主海従』を貫こうとする。 しかし、今度は日露戦争が不回避となり、海軍の協力を得るために山県はまたもや譲歩 せざるを得なくなってしまった。しかし、統合幕僚長に海軍軍人に取られるくらいなら、いっその事 なくしてしまえ、と言う事で統合幕僚本部を廃止。ここに陸海並立が成立。 後は、知っての通り、互いに別々の仮想敵を設定したり、予算の取り合いの為に師団増設なり 八八艦隊計画などを立てたりと、やりたい放題になってしまったと言う訳。 (235 678) 臨時軍事費特別会計の内訳がどうなっていたか、教えてください。 臨時軍事費特別会計の1943年度予算は以下の通りです。 公債金:17,163,802千円 借入金: 3,300,000千円 他会計よりの繰り入れ:4,916,203千円 (一般会計:4,336,469千円 関東局:71,799千円 通信事業:64,000千円 帝国鉄道;116,000千円 朝鮮総督府:203,058千円 台湾総督府:102,703千円 樺太庁:22,173千円) 北支事変特別税:290千円 軍事費献納:18,809千円 物品払い下げ代金他雑収入:1,600,894千円 歳入合計:27,000,000千円 これに対する歳出項目は、陸軍関係で部隊の派遣維持、時局応急の兵備改善、 作戦資材の応急整備、航空要員急速補充、造兵設備増強、占領鉄道の管理改良等 が挙げられ、海軍関係は、艦船部隊の派遣維持、艦船航空兵力および軍需品の急速 充実、工作通信補給、各種施設の急速整備などに関する諸経費並びに、南方物資の 取得に関する経費があります。 残念ながら、金額までは不明でした。 1937~1945年のトータルならば、支出は以下の通りです。(単位は百万円) 陸軍 海軍 人件費: 9,370 俸給賞与:4,519 物件費:60,872 庁 費: 133 機密費: 756 雑給雑費: 972 一時賜金: 240 衣料費: 4,738 臨時家族手当:105 軍港要港費: 291 俘虜収容費: 119 艦営費: 390 軍政費: 114 水路費: 3,646 物資購入特別諸費: 4,664 造船造兵修理費: 32,454 研究費: 282 受託造修費: 136 船舶費: 1,377 営繕費: 11,721 臨時特別給与品費: 270 物資特別購入諸費:1,853 艦艇製造費: 2,214 (171 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 戦前、戦中の日本領事館の警察部や領事警察官について、その地位役割や構成員の詳細などを教えてください。 領事警察に関しては、「外務省の百年(下)」1393頁辺りに領事館警察史という項目があります。 後、英修道「日本の在華治外法権」(有斐閣/1943年)とか。 多分、外交資料館にはあるのではないでしょうか。 基本的に領事警察は租界に配置されます。 但し、日本の場合は、中国の一般地域にも設置していました。 当然、中国当局は認めず、諸外国はこれを非難しています。 この根拠は、明治29年日清通商航海条約第3/20/22条、同36年日清追加通商航海条約第10/11条と していますが、前者は領事裁判権の根拠、後者は条約港区域内に清国官庁の承諾を得なければ、 自己の警察を設置してはならないとなっており、相手の抗議を無視して警察を置けると言う趣旨ではあ りませんでした。 当時の日本の見解では、条約上の根拠はないが、領事裁判権を認める以上、当然必要になる、と消極 的な正当化を行っています。 ちなみに、領事警察官は、大正5年勅令第196号「外国在勤ノ外務省警察ニ関スル件」で定められ、大東 亜省設置後は、大東亜省警察官となりました。 これら警察官は、各総領事館、領事館に配置され、此処に警察署の看板を掲げ、在留邦人の保護取締 を行っています。 1943年当時、警察官吏は2,968名いました。 (171 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 陸軍省や海軍省には防衛庁事務官のような文民官僚はいなかったのですか? 陸軍省の場合、政務次官、参与官などの政務官を置いていました。 但し、統帥事項には関与できません。 また、大臣以下主要ポストは武官(法務中将が設置されるまでの法務局長を除く)です。 とは言え、大臣、次官は文官の身分も持ちます。 大臣は大将または中将、次官は中将(名目上少将でも可)、局長は中将か少将、課長は 大佐または中佐です。 下っ端の方ですと、普通文官、教官、技術官(後に技術将校)、法務官(後に法務部将校)、 監獄官、通訳官などがあります。 海軍省の場合も同様に政務官がいますが、軍機軍令には関与出来ません。 大臣以下の主要ポストは武官で、大臣、次官は文官の身分を同時に持ちます。 (181 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 日本にとって樺太と台湾とではどっちのほうが重要度が高かったの? どちらかというと、台湾でしょうね。 台湾の植民地としての歴史は、1894年以来なのに対し、樺太は1905年以来ですから、 しかも、製糖を始めとする投資額は前者の方が多いわけです。 また、台湾を統べる台湾総督の権限は、大正初期まで陸海軍大中将が任じられ、民政 と共に陸海軍を指揮して、台湾防衛をする権限を与えられていました。 但し、台湾の場合は、台湾総督は拓務大臣の配下に属し、上奏する場合は、拓務大臣を 通じて内閣総理大臣経由で行うとか、貨幣、銀行、専売、関税は大蔵大臣、郵便電信は 逓信大臣の監督を受けることになっており、権限としては極めて弱いものでしかありません。 また、総督の命令である律令、総督府令を発する権限はありますが、制約の多いものでした。 ちなみに、総督の補佐として、総務長官(旧称民政長官、後藤新平が就いていた)が置かれ、 これには、内地の知事クラスが就任しています。 一方の樺太は、樺太庁の管轄下にあり、最高権限者は、樺太庁長官です。 樺太庁長官は、兵権を託されることもなく、法律に代わる命令を発する権限もありません。 この体制は、1943年法律第85号樺太ニ関スル法律ノ特例ニ関スル件廃止により、法律上、 内地に編入されることで、終焉を迎えます。 つまり、内地の一地方官庁として、北海道庁と同列になります。 但し、完全な地方自治体ではなく、議会を設けることもなく、樺太庁特別会計も、1945年まで 継続されています。 (223 眠い人 ◆gQikaJHtf2) 明治以後、広島にはなぜ軍事上重要な施設が集まったのですか? まず、九州は情勢不穏のため重要施設を余り置くことが出来ず、中国でも、防長二カ国については、 仮想敵国である清国やロシアに面しているから戦時には艦砲射撃を受ける可能性がありました。 瀬戸内海なら、内海なので、関門、紀淡、明石など海峡に要塞を構築してしまえば、海軍による侵攻は ほぼ防衛できます。 また、瀬戸内海の広島近辺には島嶼が多く、ここに砲台を据え付けることで、例え中に侵入されても、 撃退可能です。 しかし、瀬戸内海でも四国側に拠点を置いたのでは、本土から孤立するため、補給などに難があり、余り 軍都として相応しくない。 岡山は逆に大陸から遠く、補給線が延びる。 広島なら、戊辰戦争で浅野家が官軍として戦ったことで情勢は不穏でもない訳で…。 それと、最大の要因は、鉄路が広島までしか延びていなかったことです。 1870~80年代当時は官営鉄道がやっと東京~神戸間を敷設した状態で、その他の地区への敷設はまだまだでした。 其処で、各企業家が中心となって、各地に鉄道を敷設します。 現在の東北線、両毛線、常磐線、関西線、福知山線などは元々私鉄でした。 現在の山陽線である、神戸からの鉄道も山陽鉄道という私鉄で、元々は神戸~姫路だけ敷設する予定でしたが、官許を 得る際に、馬関まで敷設するように要請を受け、1894年に広島まで開通していました。 ここから先は舟運に依った訳で、補給路の末端と言うことで、広島が自然と軍都の性格を帯びていくことになります。 (206 眠い人 ◆gQikaJHtf2)
https://w.atwiki.jp/tohohopeacewalk/pages/119.html
web hosting domain names photo sharing 竜馬くんのページ 過去ログ1| 過去ログ2| 過去ログ3| 過去ログ4| 過去ログ 5 過去ログ6| 過去ログ7| 過去ログ8| 過去ログ9| 過去ログ10 過去ログ11| 過去ログ12| 過去ログ13 | 過去ログ14 ゆうさんのページ| 渡辺さんのページ| 掲示板に書き込む 名なし便衣兵 - 02/11/11 15 57 12 電子メールアドレス はじめまして コメント はじめまして。 いつも、ここはのぞかせて頂いていますが、初めて書き込みをします。 昨日、「南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて―元兵士102人の証言」を(私にとっては高かったのですが)購入し、読み始めました。以前手に入れた「南京大虐殺を記録した皇軍兵士達」と同じく、大変な労作であると思います。 証言を集め、まとめられた方達への、尊敬の念を禁じ得ません。 まだ、読み始めなのですが、「役務」という言葉の使い方に、引っかかる物を感じました。 証言中、「捕虜を役務に」という表現が出てきますが、これ、よく読んでみると「機関銃中退の人間が役務と称してかり出され、捕虜を銃殺した」という意味で使われています。当時の兵士達が、「役務」という場合、すべてこういう事を指していたかどうか分かりませんが、一般的な使い方として、こういう用例が通用していたのか、それとも私の単なる読み間違いなのか、やや気になるところです。もう少し精読したら、また、ご報告します。 それと、できればなのですが、ここにたびたび投稿されている「核心」氏と、ご連絡をとりたいのですが、核心さん、もしご覧になっいてましたら、お返事をいただければ、と思います。 乱文、失礼しました。 タラリ - 02/11/10 22 40 09 電子メールアドレス 渡辺さん、情報をありがとうございます コメント 地図の件、手をつくして探してみようと思いますが、渡辺さんの話を読ん でいると楽なことじゃないですね。航空撮影の地図まで揃えたというのを 読んだら、頭がクラクラしてきそうです。 『この事実を・・・』を読んでいると役に立ちそうなことはかなり多い です。否定派の反論のときに中共資料という非難のため使われにくいの かどうか知りませんが、今までの日本人研究者の死亡数の検証などを読 んでも中国側資料を使いこなしているものはないと思います。 南京アトロシティで一番重要なのは被害者証言であり、中国側資料である、 というのが私の確信です。 ゆうさん、お誉めにあずかり恐縮しています。初学者としては比較的、 アクセスが少なそうなところで、練習をかねて書き込んでいましたが、 資料集板と合併するそうで、いい加減なことを書いたり、他人の書き込み からこっそり頂いてきたりということが出来なくなりそうです。 現在のテーマは北村稔の批判で、あらすじは構想しているのですが、 鞭が入らないとなかなか先に進めるものではないです。 今日は図書館に行って北村本に引用のあるヘルケ・ザンダー著「1945年 べルリン解放の真実」というベルリンにおけるソ連兵の強姦を書いた本を 借りてきました。北村は日本兵が強姦したのは悪かったが、どこでも起こった ことだ、と書き流しているのです。 これ自体興味ある書物ですが、読んで驚きました。南京なんかと全然違う のです。北村の怠慢と無神経にはあきれる他はありません。いずれ、トホホ 板に書き込みます。 ゆう - 02/11/10 10 42 23 電子メールアドレス 「この事実を・・・」 コメント >現在、「『この事実を・・・』「南京大虐殺」生存者証言集」をデータベース化しようと思っています。 素晴らしい試みだと思います。この本の証言は膨大で、何らかの形で「整理」を行うとまた面白い「事実」が見えてくるのではないか、という気がしますので、「成果発表」を、楽しみにお待ちしています。 実は私も、「南京陥落前後の人口移動」に関心を持ち、「城外」「城内の安全区外」「安全区」の3つのカテゴリーに分けて、それぞれの証言者が、?もともとどこに住んでいて、?「陥落前はにどこにおり、?「陥落後」にどこに移ったか、ということを調べようと思い立ったことがあるですが、地名がさっぱりわからず、最初の20人くらいで挫折しました(^^; 。 漠然とした印象ですが、この本の証言だけを読んでいると、城内外の「移動」にそれほど不自由を感じた跡は見られず、 >城外からの人口流入は考えられなかった。城門が厳重に監視され、城内外の自由通行は原則として不可能であったからである。(「『ザ・レイプ・オブ・南京』の研究」P136) という「通説」と、どうも一致しないのですが・・・。 (ちなみに、「南京特務機関」の報告では、「城内外の通行は(略)目下は城内外にある家族との関係其の他を考慮し、城外近傍の者のみに其の自由を若干認めあり」(東中野氏「徹底検証」P292)とあるようですが、日付が1月21日であるだけに、「陥落直後」の様子はこの資料からはわかりません) 私も時間があれば、そんな視点からもう一度この資料にチャレンジしよう、と思っていますが・・・。それにはまず、「地図」を手に入れないと、だめですね。 *「思考錯誤」版のタラリさんの投稿は、いつも楽しみに拝見しています。 渡辺 - 02/11/10 00 57 05 電子メールアドレス 訂正 コメント 誤:ただし、陽太陰暦ですので → 正:ただし、太陽太陰暦ですので 渡辺 - 02/11/10 00 48 19 電子メールアドレス タラリさん:暦、南京の地図 コメント タラリさん:> 現在、わからないのが、冬月、臘月、陰暦などの月名です。 日本の旧暦は、だいたい中国の旧暦と同じではないかと思います。ただし、陽太陰暦ですので人為的な部分があり、当時の暦がないと現在の暦との対応はできないと思います。 一つの方法は、史料から特定できる日を探し出すことです。 『この事実を・・・』を見ますと、1937年(民国26年)の場合、農暦11月11日=冬月11日=新暦12月13日のようです。 臘月は、1938年1月になります。(p.249 周証言)ということは、農暦12月=臘月ということになるはずですが。 多分、農暦11月は日数が30ありますので、臘月の日付はこれで判定できると思います。 幕府山の捕虜虐殺の頃が、だいたい農暦11月15日の満月の頃になるはずです。 申し訳ないですが、後は自分で調べてください (^^; もうひとつが地名です。町名、村名まで欲しいのです。渡辺さんが問答有用板に昭和13年版の南京市地図を掲示されていましたが、どこで手に入るのでしょうか。 1938年印刷(データーは南京陥落以前)の2万分の1地図がオンライン古書店で2万円也でした。ただし、幕府山あたりなどの田舎はほとんど掲載されていません。 1万分の1の、中華民国22年航空撮影測量、24年印刷(参謀本部陸地測量総局)というかなり詳しい地図が、某大学図書館にあり、その白黒コピーを持っています。これですと、大きな建物の一棟一棟が識別できますし、区画の名前から村の名前まで分かりますます。しかし、残念ながら部分的にしか地図がそろっていません。 この手の史料のありそうな図書館のOPACで調べてみるか、オンライン古書店で気長に売りに出されるのを待つしかありません。 ただし、縮尺は2万分の1が限度で、村名が網羅されているとなると1万分1でないと使い物にならないと思います。「キング」の付録じゃだめです(^^) それから、地名は通称が使われることがあって、「中山路」と史料にあっても、地図上の正確な通りの名前は「中山北路」だったりしますので、ご注意ください。 渡辺 - 02/11/10 00 47 07 電子メールアドレス K-Kさん コメント 『潮』の件ありがとうございます。 部分的に、どんなことが書かれているかは洞氏だったと思いますが、どこかで引用されています。 ただ、全文はまだ見ておりませんおで、期待しています。 タラリ - 02/11/09 23 23 38 電子メールアドレス sakat37@nifty.com コメント 渡辺さんへ 南京の地図 南京アトロシティを研究するためには中国の資料の活用がまだまだ少ないなと思っています。現在、「『この事実を・・・』「南京大虐殺」生存者証言集」をデータベース化しようと思っています。 いついつ、どこでどういう種類の殺害、強姦などの事件があったかを整理してみようと思うのです。現在、わからないのが、冬月、臘月、陰暦などの月名です。 もしご存じでしたら教えて下さい。 もうひとつが地名です。町名、村名まで欲しいのです。渡辺さんが問答有用板に昭和13年版の南京市地図を掲示されていましたが、どこで手に入るのでしょうか。 K-K - 02/11/09 22 53 05 電子メールアドレス KOILさんへ コメント あと、今回この本を手に取ったのは南京事件も理由の一つですが ↓もあったりします。(^^) http //osi.cool.ne.jp/kasima/history.htm そうだった!KOILさんは都市伝説研究家でしたね(笑)。 でも・・・KOILさんのページを読むのは途中で挫折しました。 私、結構、夢に出るタイプなんですよね(笑)。 明るい時間に読ませて頂きます。 KOIL - 02/11/09 22 13 52 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064445/http //alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/nanking/ 電子メールアドレス K-Kさんへ コメント こんにちはK-Kさん この『現代民話考』シリーズは全部で12巻あります。 とりあえず、いままでに2巻の『現代民話考2 軍隊』と『現代民話考6 銃後』の二冊をチェックしました. 現在5巻を借りて読んでいます。 『現代民話考 軍隊』のなかには、まだいくつか南京に関する話が載っています。 松谷みよ子氏自身の文章も載っているのですが、どうも読む限りでは 新聞報道を元にして書いたもののように思います。 『現代民話考 銃後』にもなにか南京事件に関する記述がないかと思って探したのですが 見つける事はできませんでした。 私が先の投稿で少し気になったのが「死骸はロープでゆわえて河まで引きずって行き」という部分です. 他の書籍にこのような記述はあるのでしょうか。 でも、荻洲部隊長→荻洲立兵中将とは気付きませんでした。(←ダメじゃん) あと、今回この本を手に取ったのは南京事件も理由の一つですが ↓もあったりします。(^^) http //osi.cool.ne.jp/kasima/history.htm K-K - 02/11/09 21 28 18 電子メールアドレス KOILさんへ コメント こんにちは、KOILさん。 なかなか、面白いものを見つけましたね。 お気づきかもしれませんが、件の記述は、おそらく山田支隊の話だと思われます。「荻洲部隊長」とは第13師団長・荻洲立兵中将、「沼田部隊長」とは第13師団第26旅団・沼田徳重少将ではないかと思います。内容も、山田支隊の行動と一致するものが多いと思います。 問題なのは、これらの行為を行ったのが山田少将(支隊長)ではなく、第26旅団長となっているところですね。この本は、地元の図書館にあるようですので、私も直に調べてみようかと思います。 でも、KOILさんの教えてもらわなかったら、おそらく、この本を手に取ることも無かったでしょうね。なかなか、変わったアプローチだと思います(笑)。 K-K - 02/11/09 21 16 45 電子メールアドレス 「民主主義」さんへ コメント 私の個人的印象ですが、 k-k氏の削除は公正に見てかなり悪質で不当です。 竜馬くんもそうですが、なぜ悪質なのか、なぜ不当なのか、の説明がありません。 理由はないが「悪質で不当」と理解すべきでしょうね。 月光仮面氏の指摘は中立的な見地の人間として正しい判断です。あなた に迎合しているのはお仲間だけです。 月光仮面さんの投稿は、私が反論したとおり、あまり意味のある文章ではなかったようです。 その「意味のある文章」ではないものを「正しい判断」と理解するあなたの判断も無意味なのでしょうね。 竜馬氏の正論に対して全く回答しようともせず ただ逃げ回っているようにしか見えません。 竜馬くんは荒し投稿を行った人物として、この掲示板から完全排除しています。 逃げ回っているわけではないのですよ。 k-k氏はプロバイダに苦情を申し入れられたそうですが本末転倒、ご自身の非 民主主義的姿勢から改められてはどうでしょう? 荒し行為を行った事実に対して苦情を申し込み、プロバイダー側は、その「荒し行為」を認めたということです。つまり、竜馬くんの行為が、「苦情」として相当するものであることを、プロバイダーが判断してくれたということですね。民主主義とは、全く関係無い話です。 不当に偏った削除されていては閉鎖的な掲示板と 評されても文句はいえません。 私は、竜馬くんやあなたの評価など気に留めてませんよ。 文字道理閉鎖になる運命だったということです。 ※「文字道理(ど【う】り)」→「文字通り(ど【お】り)」 閉鎖というよりは、移行というべきでしょうね。 近じか更に閉鎖的なとほほ氏の掲示板に合併されるそうですが、まるで世界から追 い込まれてますます閉鎖的に篭ってゆく国の様です。 「思考錯誤」は、全く閉鎖的ではありませんよ(笑)。 あぁ、あなたも追い出されたのですね。ルール違反をすれば投稿できなくなるという様は、民主主義国家と犯罪の関係と同じですよ。 解りますか? それでいて他の掲示板には横槍を入れるんですから話になりません。 横槍とは? お仲間の方々も早期に洗脳から解かれますよう他人事ながらお祈りしております。 うーん、洗脳された人は、普通の人に向かって同じことを言うのでしょうね(笑)。 KOIL - 02/11/09 18 47 30 ホームページアドレス http //web.archive.org/web/20070315064445/http //alpha01.manekineko.ne.jp/s32311/nanking/ 電子メールアドレス 『現代民話考』 コメント あまりこの本は触れられる事が少ないと思うので、(でももしかしたら既出かもしれません) 投稿します。 ちょっと、この話は筆者が体験したことなのか、それとも、伝聞に基づくものなのかがわかりませんが・・・。 -------------------------------------------------------------- 昭和十二年。南京城に入れなかった中国兵が城の回りにいたので、つかまえて捕虜にした。揚子 江のほとりの柵の中に捕虜を追いこみ、四方から機関銃で撃った。死なない者はガソリンかけ焼い た。中には日本人も巻き込まれていた。死骸はロープでゆわえて河まで引きずって行き揚子江に流 した。海のように大きな河だから川幅といっても何キロもある。それが死体でいっぱい。死人を渡 って向こう岸へ行けるほど。あとで聞いたが、荻洲部隊長は「日本人の使役にしよう」、沼田部隊長 は「食糧不足で四万の兵に食わせる米がないから殺した方がいい」とやりとりしたという。 中国・佐藤某/文― --------------------------------------------------------------松谷みよ子編『現代民話考 軍隊』(立風書房)p205 民主主義者 - 02/11/09 15 35 24 コメント 私の個人的印象ですが、 k-k氏の削除は公正に見てかなり悪質で不当です。 月光仮面氏の指摘は中立的な見地の人間として正しい判断です。あなたに迎合しているのはお仲間だけです。 竜馬氏の正論に対して全く回答しようともせず ただ逃げ回っているようにしか見えません。 k-k氏はプロバイダに苦情を申し入れられたそうですが本末転倒、ご自身の非民主主義的姿勢から改められてはどうでしょう? 不当に偏った削除されていては閉鎖的な掲示板と 評されても文句はいえません。文字道理閉鎖に なる運命だったということです。 近じか更に閉鎖的なとほほ氏の掲示板に合併 されるそうですが、まるで世界から追い込まれてますます閉鎖的に篭ってゆく国の様です。 それでいて他の掲示板には横槍を入れるんですから 話になりません。 お仲間の方々も早期に洗脳から解かれますよう 他人事ながらお祈りしております。 K-K - 02/11/09 02 02 46 電子メールアドレス 月光仮面さんへ コメント 一般庶民ですが、わたしは南京大虐殺について は中立です。 これについては、とほほさんにお譲りします。 しかし、romを続けていましたがk-kさんの削除 の連発を見て大虐殺はなかったのではないかと 思います。 そうですか(笑)。掲示板の運営で、歴史問題に白黒をつけれるとは思えませんが? ほんとにあったのならば、意図的な削除や編集はしないと 思います。 「意図的な削除や編集」とはどういう意味ですか? 意図しない削除・編集などは無いと思いますよ。 問題は、意図的なのかどうかではなく、どの様な意図で削除しているのかではありませんか?あなたは、そのことを考えたことはありますか? 竜馬さんの投稿は、煽りがあった場合はそれに対抗されているだけで、 通常は誠実に議論されていると思います。 それは知りませんでした。 その「通常」、「誠実」に議論しているのは、どの掲示板でしょうか? 具体的に教えてください。 k-kさんや他の仲間の方ももっと誠実に議論されては と思っています。 竜馬くんなどに比べれば、非常に誠実だと思いますよ。 ただ、竜馬くんが基準では、大抵の人は誠実になってしまうのでしょうが(笑)。 同じ日本人でこんな人々がいるとは思いませんでした。 まったく同感です。 あったのかどうかがまだ分からない議論中の南京大虐殺 を肯定し断定するのは誰が見ても間違っていると思います。 否定する根拠が殆ど存在しないのですから、在ったと考えるのが妥当でしょう。 あなたの言い方を利用するならば、 『あったのかどうかがまだ分からない議論中の南京大虐殺を【否定】し、断定するのは誰が見ても間違っていると思います』 とも言えますね。 「中立」とは何なのかをよく考えてみてください。 とほほ - 02/11/09 01 40 51 コメント > 一般庶民ですが、わたしは南京大虐殺について は中立です。 中立とはどのような立場ですか?(笑) 正しい論説と嘘八百の間で中立なのですか?馬鹿には馬鹿が寄る。論理的に中立の正当性を論証してください。 月光仮面 - 02/11/09 01 36 12 コメント 一般庶民ですが、わたしは南京大虐殺について は中立です。 しかし、romを続けていましたがk-kさんの削除 の連発を見て大虐殺はなかったのではないかと 思います。 ほんとにあったのならば、意図的な削除や編集はしないと 思います。 竜馬さんの投稿は、煽りがあった場合はそれに対抗されているだけで、通常は誠実に議論されていると思います。 k-kさんや他の仲間の方ももっと誠実に議論されては と思っています。 同じ日本人でこんな人々がいるとは思いませんでした。 あったのかどうかがまだ分からない議論中の南京大虐殺 を肯定し断定するのは誰が見ても間違っていると思います。 ゆう - 02/11/09 00 15 32 電子メールアドレス 松井岩根大将「陣中日記」改竄の怪 より コメント とりあえず、私の新HP(未公開)にアップした部分です。「筆写ミス」があるかもしれませんので、ご注意ください。 こんな長文の引用で、「著作権法」は、大丈夫かな(笑)。 十二月十九日 「城内二、三ケ所に尚兵火」 ↓ 「城内数ケ所に尚兵燹」 松井大将はこの日市内を視察した。 (「ゆう」注 最初が芙蓉社版、あとが日記原本。以下同じ) 十二月二十日 「(日本大使館建物)内容共完全に保存・・・感服に値すべきか。」 ↓ 「内容共全く完全に保存・・・感服の値あり」 「尚聞く所、城内残留内外人は一時多少恐怖の色ありしが、我軍(による)治安漸次落付くと共に漸く安堵し来れり、一時我将兵により少数の奪掠行為(主として家具等なり)、強姦等もありし如く、多少は已むなき実情なれど洵に遺憾なり。」 ↓ 「尚聞く所城内残留内外人は一時不少恐怖の情なりしか我軍の漸次落付くと共に漸く安堵し来れり一時我将兵により少数の奪掠行為(主として家具等なり)強姦等もありし如く多少は已むなき実情なり」 この部分は芙蓉版と日記原本では意味が全く異なってくる。まず芙蓉版では、残留内外人は多少恐怖していたが、日本軍が治安回復に努めた結果安心してきたように読める。ところが日記原本を素直に読むと日本軍が落ち着いてきたので内外人も安心したことになり、恐怖の原因が日本軍にあったことが判る。又、末尾の松井大将の感想は、日記原本の突っ放した感じが、田中氏の「洵に遺憾なり」という書き加えで同情的に変わっている。 この改竄は弁解の余地なしというべきで、素人の筆写が何度眺めても「治安」とか「洵に遺憾」などの文字は見つからない。「多少」と「不少」の読みちがいは止むを得ぬと甘く見ても、編者が自己の主張に合わせて松井日記の記述を反対方向に曲げたことは否定できまい。 (中略) 十二月二十三日 「此日南京占領後の我方の態度方針を説明する為め外国記者団と会見す。最初南京占領と其国際的影響を知るため紐育タイムズのアベンド、倫敦タイムズのフレーザーを招致し、然る後上海の各国通信員と会見す。質問は主として、首都陥落後の日本の方針及パネー号に対する前後処置なり。」 ↓ 日記原本になし。 これも悪質な書き加えである。田中氏は「支那事変日記抜萃」(七三ページ)にある記者会見の記述をもとにしてこの部分を作ったのであろう。しかし、そもそも日記原本に無い「抜萃」などというのもおかしいが、書き加えた上に、「南京占領から十日を経た外人記者団との会見において、松井大将が『南京虐殺』に関する質問を受けたという様子が全く見られない点、注目すべきである。」という編者注まで付けているのはどういうことか。 初めに述べたように、当然書かれていいことが日記に無いのは何か訳がある。十一月十一日、三十日の記者会見は自分のしゃべった内容まで書いているのに、この日の記者会見が日記原本にないのは不愉快なことがあったのだろうと推察される。 同盟通信上海支局英文部長の堀口瑞典氏は、その名の通り外交官の父君の赴任先スエーデンで生まれ、英、仏、独、スペイン語を自在に駆使して報道部の発表や高官の記者会見に活躍した人である。この会見で通訳に当たった堀口氏の記憶では、外人記者たちから南京事件の質問が続出し、松井大将は「現在調査中」と苦しい答弁をしていた、という。 厭な質問があったからこそ日記に書かなかったのである。「抜萃」の方は東京裁判に備えて自己に有利な記録、記憶(これは当然の権利である)を整理したものであろう。こうした事実関係を後世の人が正しく判断するためにも、原史料の改竄は許されないのである。 米艦隊長訪問、米長官来訪、仏艦隊長官の招待など外交行事が重なった。このあとに「松井大将は米・英・仏の高官と会合を重ねているが、『南京事件』の話題など誰からも聞いていない。」との余計な編者注がつけてある。 (中略) 昭和十三年二月 二月六日 「支那人民の我軍に対する恐怖心、加へて寒気と家なきことが、帰来の遅るる主因となりをるものと思惟せらる。」 ↓ 「支那人民の我軍に対する恐怖心去らす寒気と家なき為め帰来の遅るる事固とより其主因となるも我軍に対する反抗と云ふよりも恐怖不安の念の去らるる事其重要なる原因なるへしと察せらる 即各地守備隊に付其心持を聞くに到底予の精神は軍隊に徹底しあらさるは勿論本事件に付根本の理解と覚悟なきに因るもの多く一面軍紀風紀の弛緩か完全に恢復せす各幹部亦兎角に情実に流れ又は姑息に陥り軍自らをして地方宣撫に当らしむることの寧ろ有害無益なるを感し浩歎の至なり」 「慎むべき旨申入れたり」 ↓ 「可慎も現状を保持する丈は異存なき旨申入れたり」 ここは日記原本一頁に相当する大幅な脱落である。しかもその脱落部を「をるものと思惟せらる」と置き換えて文章をまとめているところから見て、編者は十分承知の上で脱落させたものと思う。 日記原本で松井大将が言おうとしているのは、戦争目的を理解していない日本軍の中国民衆に接する態度が悪く、幹部をも含めた軍紀、風紀が弛緩していることに対する歎きである。しかも松井は軍直接の宣撫工作に絶望の声をあげているのだ。松井の苦い実感がよく出ている。それは主として中国畑を歩き、日記でも明らかなように戦略より政略、謀略を得意とした松井大将にとっては、深刻な「挫折」ではなかったろうか。 このような松井大将の心境を正直に記した重要部分を意識的にカットした田中氏の心理が私には理解出来ない。 二月七日 「南京占領後の軍紀風紀に対する不始末」 ↓ 「南京占領後の軍の諸不始末」 軍の軍紀、風紀に対する不始末より諸不始末という場合の方が対象が広い。 二月八日 「兎に角支那人を慈しめ、懐かしめ、之を可愛がり、憐むこと、只其慈悲心の心だけにて足るを以って」 ↓ 「兎に角支那人を懐かしめ之を可愛かり憐む丈にて足るを以て」 これは田中氏の意見を書き加えたことなのだろうか。その上わざわざ「これが松井大将の本心なのである」という編者注までついている。 とほほ - 02/11/09 00 03 39 電子メールアドレス tohoho@ddt.or.jp コメント | どうやら、名なしクン(竜馬クン)の書いたものを読んでいる | と、とうてい「プロ」の言うことではないね。キミに対して「プ | ロ失格」と評価を下したけど、キミは、実際には、それ以前に | 「プロ」ではない。キミは「プロ」であるかのように装っている | が、ウソがミエミエじゃないか。 多分、竜馬君と名無し君は別人です(^^; 竜馬君はプロを名乗るほど知的ではありません(^^;(^^; それをやったとしたら相当なハッタリ野郎です(笑) 翻訳する、と言う意味自体理解できるわけがないのが「竜馬君」です。(^^ゞ K-K - 02/11/07 02 30 58 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント こんにちは、渡辺さん。 非常に部分的なのですが、件の『潮』の文章を提示しておきます。あくまでも、参考までにご覧ください。コピーについては、後日ということでお願いします。 『潮』昭和47年10月号 「南京事件と広田弘毅」(上) 城山三郎 P178 ▼軟禁事件詫びる浅香宮司令官 南京に入城した日本軍が、虐殺、暴行、略奪、放火をほしいままにしているという報せは、こうした一連の軍の尻ぬぐいをしているところへ届いた。 まず南京の日本総領事館から簡単な電報が来、南京からの電報が軍におさえられたせいであろう、一月初旬になって、上海領事から詳しい書面による報告が着いた。 略奪や虐殺について、占領直後の南京に入った参事官の日高信六郎氏は、わたしに次のように語った。 「はげしかった。そこら辺にたくさん死んでいる。歩いていると、ポンポンと音がする。鉄砲が人に当っている音だ。こりゃいかんと思い、憲兵隊長の大尉のところへ行った。 「街に出てごらん。手に何か持っていない兵隊がいたら、わたしは敬礼するよ」 といったが、隊長は、憲兵は十四名しかいないし、明(十七日)の入城式に備え忙しいからという。しかし、わたしがあまりいったので、風呂上がりであったが、軍服を着、部下を連れてトラックで出て行った。そして略奪している兵隊、強姦している兵隊を、サーベルが曲がるくらいひっぱたいたといった」 残虐事件は連日続き、夜は略奪したあとの放火の火が燃え上がる。 日高氏は、上海方面派遣軍司令官の浅香宮を訪ね、「南京における行動が、世界中で非常に問題になっています」と告げた。第十方面軍司令官の柳川中将にも警告した。 いちばん問題になっていたのは、第六師団(ママ)であった。師団長の中島今朝吾中将は、かつて憲兵司令官をつとめ、またナポレオンの心酔者であった。攻略戦で負傷したこともあって、野に放った虎の感じがあった。 日高氏は、中島中将へのかけ合いでは撲られることも覚悟して行ったが、中将は不在で、おとなしい参謀長に会い、警告を伝えた。 首都・南京には、百万を越す市民と十万と目される中国軍がいたが、そのうち、市民二十万が外国人たちが組織した国際安全地帯の中へ避難した。だが、日本軍将兵は、この地帯へも群をつくって押しかけ、外国人たちの目の前で強姦や輪姦を行った。 外国人宣教師たちからの報告が、アメリカなど諸外国に送られ、そのコピーが外務省へも届けられた。それは「読むに耐えない」ような暴行の記録であったと、当時の外務次官・堀内謙介氏はいう。 広田外相は、激怒した。 軍紀の粛清とその堅持を、杉山陸軍大臣に強硬に要望し、善処を求めた。要望は再三くり返された。陸海外の三省会議でも、くり返し要望が出された。 参謀本部からは、第二部長本間雅晴少将が南京に特派された。昭和十三年二月に入ってからのことで、そのあと、中支那方面軍司令官松井大将、上海派遣軍司令官浅香宮をはじめ八十名の幕僚が、内地に召還された。 ^浅香宮は同司令官になってわずか十日目に南京入城という立場であったが、責任を感じられてか、日本に帰るとすぐわざわざ外務省を訪ねてこられ、「いろいろ御迷惑をかけました」と広田外相に詫びられたと、当時次官として同席した堀内氏は、わたしに話された。 やがて南京の治安はようやく回復に向かったが、それは軍紀の確立というよりは、日本軍の主力部隊が出発したためと見られた。 K-K - 02/11/07 02 18 34 電子メールアドレス ■お知らせ■ コメント K-Kです。 みなさん、こんにちは。 この度、とほほさんのご好意により、この『南京事件資料集掲示板』を、とほほさんの『思考錯誤』に合併していただくことになりました。準備の出来次第、こちらの掲示板を閉鎖し、『思考錯誤』に移行いたしますので、今後ともよろしくお願いいたします。 ゆう - 02/11/06 20 26 48 電子メールアドレス 返信します >渡辺さんへ コメント 「王新倫事件」の真相は、討論参加者にはすっかり知れ渡っています。北村氏批判も、重宝させていただいています。「安全区は天国」発言も、結構「ウラ」が知られてきた。・・・渡辺さんの投稿は、「ヤフー」の議論に、かなりの影響を与えていますよ(^^)。 「著作権」についての情報、ありがとうございました。部分的紹介」でしたら、とりあえずは、「著作権法」上の問題はなさそうですね。 私のHPもどきに、「HP製作の練習」代わりにアップしてみたのは、今のところ次の5本です。 ・みんなが知っている ・モーゼル銃 ・民間人殺害命令 ・スマイス調査 まえがき (これはネットでは読めませんので・・・) ・松井岩根大将「陣中日記」の怪 (どこを紹介するか、迷います。なるべく、誰も紹介していないところを選んで・・・) 以下、続々と続く・・・予定です。とりあえず、次回は「安全区は天国?」を考えているのですが・・・。「渡辺さんのご教授によりました」とのキャプションを入れるつもりですので、どうか、ご容赦下さい(^^)。 これにそれぞれ「解説」をつけないと完成しませんので、まだアドレスは秘密です(^^)。 肝心の「東中野氏の徹底検証」の方も、そろそろ書き始めないと。最初は「部分修正」で済ませる予定でしたが、どうも不満で、結局は全部ゼロから書き直すことになりそうです。完成はいつになることやら・・・。 K-Kさんにお世話になったページのバージョンアップですので、力が入ります(^^)。 渡辺さんの方法に習い、私も「天皇の軍隊と南京事件」の巻末参考文献を頼りに文献を捜しています。あと、秦氏や洞氏などの概説書の「引用文献」も、貴重な情報です。高い金を出して石射猪太郎「外交官の一生」を買ってみたら、そのへんの本屋で廉価な中公文庫版が出ていた、という失敗もありましたが(^^; 。 最近では、伊勢新聞社編の「魁 郷土人物戦記」を入手しました。「南京戦史資料集」に登場する、「三百名の捕虜を自由に使った」第十六師団経理部の「金丸吉生軍曹」って、のちに「百十四銀行頭取」に出世しているんですね。ちょっと面白く感じました。 私事ですが、来週から十日ばかり、インターネットに触れない環境になります。この機会に、「南京戦史資料集」でもじっくりと読み直すことにしましょうか。 では、「自費出版1000部の従軍回想記」のご紹介、その他の投稿を、楽しみにしています。 五番街 - 02/11/06 06 19 29 電子メールアドレス 名なしクンは「プロ」じゃないね コメント どうやら、名なしクン(竜馬クン)の書いたものを読んでいる と、とうてい「プロ」の言うことではないね。キミに対して「プ ロ失格」と評価を下したけど、キミは、実際には、それ以前に 「プロ」ではない。キミは「プロ」であるかのように装っている が、ウソがミエミエじゃないか。こんなことが言えるのは、私は 職業として翻訳で生計を立てている「プロ」だからだよ。 渡辺 - 02/11/06 00 12 16 電子メールアドレス 「詳しい方」ではないですが コメント ゆうさん: 「ヤフー」の方で、渡辺さんの投稿をせっせと紹介させていただいていますので、ご容赦を。 なんか、心配になってきたな (^^; ちょっと忙しくなってきて、ヤッホーはごぶさたしています。 ちょっと「著作権法」との関係が、心配です。 本の記事を書くときといっしょですよ。つまり、著作権のあるものは「引用」の範囲かどうかです。 「引用」とは、平たく言うと、自分の著作物に他人の著作物を必要性があって「はめ込む」ことです。資料集というのは「引用」ではないですね。 ただ、ホームページの場合は、ページに分割されますので、そのページだけ見ると引用部分のウエイトがどうしても大きくなりますね。 実際問題として、大規模に文書を配布しないかぎり、あまり細かいことを言う人はないと思います。 しかし、将来、著作権侵害とか名誉毀損で、歴史を扱ったホームページを抑圧しようといういう動きが出てくるかも知れませんので、注意を払うに越したことはありません。 著作権法とベルヌ条約(国際条約集にあり)の関係ありそうなところに目を通しておくと安心だと思います。 パブリックドメインかどうかの判定など、なかなかむずかしいところですが、そういうことには挑戦しませんよね?たとえば、ティンパーリーの著作物は、2004年にパブリックドメインになります。 私の一押しの参考書は下記の本ですが、絶版みたいですね。 ----- ホームページにおける著作権問題―現役弁護士が答えるQ A インターネット法律叢書 インターネット弁護士協議会 http //www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4895639568/ ----- あまり知られていない「資料」 といえば、先日、古書祭りみたいなものを覗いたら、自費出版1000部の従軍回想記が出ていました。 南京の陥落直後の通済門の外の川に、老若男女の遺体が大量にあったというような記述がありました。 古書店も、この手の本の価値を知っていて、「作戦要務令」復刻版が700円なのに、この薄い本には2000円とけっこう高い値段をつけていました。 また、機会がありました紹介いたします。 ゆう - 02/11/05 22 29 08 電子メールアドレス 詳しい方、教えて下さい コメント ご無沙汰しております。私宛てのレスにも、返信しないままで、申し訳ありませんm(__)m。 「ヤフー」の方で、渡辺さんの投稿をせっせと紹介させていただいていますので、ご容赦を。(今日は、タラリさんの「北村氏批判」投稿も紹介してきました(^^)) 実は、「南京事件 小さな資料集」と題した自前のHP開設を構想しています。柱は、題名の通り、各掲示板に投稿してきた「南京事件」についてのあまり知られていない「資料」の紹介、そして「ゆうさんのページ」の増補全面改訂版となる予定です。HPの知識ゼロからの出発で、かつ現実生活も多忙になっていますので、完成がいつになるのか、わかりませんが・・・。 とりあえず、「小さな資料集」つくりから初めているのですが、ちょっと「著作権法」との関係が、心配です。どなたかお詳しい方、教えていただけないでしょうか? 例えば、「松井岩根大将「陣中日記」改竄の怪」など、全文を紹介したくなるような好論文です。どの程度の引用だったら「著作権法」をクリアできるのでしょうか。それがわからないと、こわくてページが作れない(^^; 。 まだとても公開できる代物ではありませんが、一応「色の付け方」を覚えて、何となくHPらしくなってきたところです。ある程度形ができたら、紹介させていただきたいと考えていますので、よろしくお願いします。 ロム屋 - 02/11/05 21 17 00 電子メールアドレス 竜馬君のテスト コメント 五番街くん 君のは想像でなく創造でっせ。 まるで幾種もの大虐殺物語が創造・捏造された再現ですね。 (苦笑) - 02/11/04 12 54 29 コメント そこまで原文から逸脱しては君の願望による 創造としか言いようがないね。 わたし同様、英文訳者はバイリンガルであり 節度ある想像力が不可欠です。 行き過ぎると君の如く創造になってしまうわけですね。 我々は外交舞台での通訳も務めて来たわけだが 君のような訳文では相手国との意思疎通は無茶苦茶になりますよ。 ---------------------------------------- 竜馬君はバイリンガルで外交舞台での通訳も務めてきたわけか。(笑 簡単な英文和訳のテストでもしてみようか? 渡辺 - 02/11/05 19 20 55 電子メールアドレス 人口 コメント 1938年3月 250,000人 #(スマイス調査) これは、まず「市部」の人口です。郷区は含まれていません。第1表の注はわかりにくいのですが、転出と転入があって3月下旬には25~27万と推定としていますね。 都市部の人口を 221,150 として、この報告書は作られていますが、援助を一刻も早く求めるために発行をいそいでいたために、手直しはしなかったように見えます。 なお、1938年8月以降からは、南京日本商工会『南京』に2年分くらい毎月の統計が載っています。 なお、『中帰連』23号の記事では、南京戦による人口の変化もとりあげる予定です。 タラリ - 02/11/05 18 44 48 電子メールアドレス Re 南京の人口 コメント とほほさんから「私が作った年表です」とご指摘がありました。改めて、googleで検索し直してみましたら、とほほさんの資料を使っていました。すみません。 残りのソースは 1)高橋亨発言(オリジナルは笠原十九司氏)http //village.infoweb.ne.jp/~fwjh7128/genron/nangjin/population.htm 2)『ドイツ外交官の見た南京事件』 3)当ホームページ資料も参照させて頂いています。多謝。 あと、使わなかったけれど↓というのもあります。http //www3.justnet.ne.jp/~ymasaki/STORYMAP.HTM とほほ - 02/11/05 11 53 54 コメント えーっと、これは私が持っている資料ではありません。すべてnetからかき集めた ものなので原資料と問われると困るのです。(^_^; 多分、おそらくですが、この年表は私が作ったものです。 原資料は「笠原、南京事件」に書かれていたものを整理しました。付随しているコメントについては他の方が修正追加しているようです。 五番街 - 02/11/05 08 35 45 電子メールアドレス 追加 コメント 【a sizable group of refugees】(相当な規模の難民の一団) という表現から、これも、【the least issurection】が指す 「ささやかな暴動」ではないことが分かる。 五番街 - 02/11/05 07 30 00 電子メールアドレス 名なしクンに対する<結論> コメント さて、名なしクンから反論がないようだから、今回の渡辺さんの 【「このような」は原文にはないし、付け足す必然性もない】と いう、この名なしクンに対する批判に関して、結論を述べること にする。 まず、原文に存在しない語句を( )などで補い、訳文の意味を 明確にすること、あるいは、自然な日本語の文章にすることは、 その英文の意味に添う限り、許容される。今回のケースとやや異 なるけれど、契約書などで、300wordsあるような長文も、適当 にいくつかの文章に分けて訳すことも同様に構わない。(ただ し、訳書として出版する場合には、この点が議論になると考えら れるけれど、今回のケースは、出版を前提にしたものではないた めに問題にはしない。) 従って、渡辺さんが指摘しているように、【「このような」は原 文にはない】という批判は、今回のケースでは適切ではない、と 言える。ただし、同時に渡辺さんも認めているように、その補足 した語句が必然的あるいは必要なものである場合には、こうした 語句による補足も可能である。そのため、今回のケースでは、名 なしクンの補足した【(このような)】が適切な補足であるか否 かが検討のテーマになる。 この問題に関して、名なしクンが補足した【(このような)】と いう語句は、それに先立つ【a sizable group of refugees has come up with the idea of attacking the Japanese embassy. 】を直接的に指すか、あるいは、それと同様の出来事 を指すことを示唆している。 そして、この語句は、【The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death.】という原文に続 いており、そのため、名なしクンは【日本大使館を襲うこと】あ るいは、同様な行為を、【the least insurrection (ささいな 暴動)】と理解していることを示している。しかしながら、日本 大使館などを襲撃することなどは、一般的には、大使館の有する 機能・役割あるいはそれが国家の代表機関であることから、重大 な行為と考えられ、決して、「the least」と形容できる軽微な 行為ではない。 一方、この英文全体には、ラーベ自身の見方が、こうした一般的 な理解の仕方の範囲を外れていることを示す材料はなく、従っ て、彼も一般的な見方をしていたと考えることは妥当な見方であ る。 また、ある投稿者が、この【the least】の<the>を、< that>という意味で解釈することを主張しているが、渡辺さんな どの他の投稿者から反論があったように、英文法上、このような 意味で解釈することが不可欠あるいは必然的なものではなく、 ケースバイケースとして、<that>の意味を有する場合もあるに すぎない。そして、今回のケースでは、上述の理由によって、< that>の意味に解釈することはできない。 そのため、名なしクンの補足した【(このような)】という語句 は、不適切である。そして、【ささいな暴動】は、【日本大使館 を襲うこと】とは関係なく、きわめて小規模あるいは軽微な暴動 の形態を指していると考えられる。 一方で、英文全体を読めば、ラーベは、中国軍によって南京が奪 回されるというウワサが広がって中国人が浮き足だっていること を指摘しており、こうした状況のなかで、暴動が起これば日本軍 によって鎮圧され、多数の中国人が処刑されることを懸念してい ることが分かる。 こうしたラーベの懸念という観点からしても、【the least issurection】は、【日本大使館を襲う】ことなどの、特定の暴 動を指しているのではなく、一般的な暴動であり、特に非常に小 規模あるいは軽微な暴動を指していると理解される。つまり、ど んな小規模な暴動であっても、日本軍はそれを見逃さず、たちど ころに徹底して鎮圧して、参加者を処刑することを懸念している と解釈される。 ところが、名なしクンは、【そういった噂の中国側の 撹乱工作に 対してラーベは危惧している】と、ラーベの見方を推量している が、この英文全体には、ラーベが、ウワサを中国側の錯乱工作と 理解していると想像する材料も根拠もなく、きわめて自分勝手な 想像でしかない。この名なしクンは、一方で【節度ある想像力が 不可欠です 】と書いておきながら、自分はきわめて恣意的な解釈 を行っていることが分かる。 以上の検討から、自称プロの名なしクンは、プロとして失格で す。私が保証します。 五番街 - 02/11/05 07 19 49 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント どうも、レスをありがとうございます。さて、渡辺さんは、次の ように書かれています。 >「中国人を見た」というのは、噂から派出したことで噂の >主体ではありませんから、「効果」は噂そのものによると >考えたほうが良いと思います。 この「中国人を見た」というウワサ(あるいは主張)は、中国軍 による南京の奪回が間近にせまっているというウワサの一部と考 えても構わないと思います。あるいは、別のウワサと考えること もできるとも考えられます。 ともあれ、中国人は、このウワサを、奪回が目前に迫っている状 況をうらづける具体的な情報と理解したと考えられます。つま り、中国人の間に中国軍が南京を間もなく奪回するという漠然と したウワサが広がり、さらに、この目撃情報によって、その信憑 性が高くなった、ということを示唆していると考えられます。 ところで、【「中国人を見た」というのは、噂から派出したこと で噂の主体ではありません】と書かれていますが、この意味が判 然としませんが、これは、中国軍が間もなく南京を奪回するとい う漠然としたウワサ、あるいは、それに関連するさまざまなウワ サの一つで、具体的な内容を伴っているものとして、理解された のではないでしょうか。 私はドイツ語は全くダメなので、ドイツ語の説明についてはコメ ントができませんが、英文を見る限り、【The first result of this】の<this>は、<claim>つまり、中国人を見たというウ ワサ(主張)を指しており、この部分を、「このウワサの結果、 まず・・・・」とか、「このウワサによって、まず・・・・」と いうように、因果関係を明確にするように訳すのが、原文の意味 に添うものであり、同時に、自然な日本語にもなる、と思いま す。 渡辺 - 02/11/05 01 42 01 電子メールアドレス 石川達三 コメント 『「読売新聞」1946年5月9日付けの記事』の全文は、すでに投稿しましたので、興味のある方は過去ログを探してください。 その投稿で指摘いたしましたが、このインタビューの内容は、石川達三が取材したことと、実際に見たことが混じっています。「駆逐艦」の件は、12月13日のことで、33連隊の戦闘詳報に類似の記事があります。 (なお、駆逐艦は1月にもいたと思いますよ(^^)掃海をかなり長期にやっていて、その中に駆逐艦の名前もあるようです。もっとも、1月のどの日にどこにいたかまではわかりませんでしたけど。) 石川達三がいっていることは、33連隊から取材したことだから、33連隊の証言にあるはずだと探していました。これが、なかなか出てこなかったのですが、『南京戦 閉ざされた記憶を尋ねて 元兵士102人の証言』で発掘されました。石川達三の発言の正しさが明らかになったわけです。 なお、石川達三が33連隊に取材したということは、秦郁彦『南京事件』で簡単に触れられていますが、石川達三のインタビュー記事と同じく、一般にはよく知られていない事実です。こういう、別々の状況で語られたり書かれた証言を突き合わせることによって、その証言がどこまで事実を語っているのかが分かるわけです。 タラリ - 02/11/05 00 49 16 電子メールアドレス 南京の人口 コメント 下記には一応測定された人口の推移を並べました。調査の主体、方法は様々です。 10月28日、11月23日までは一応通常の行政組織の測定/見積もりであり、それなり に信用がおけると思います。それ以降、3月までは確実な測定ではありません。 2月末から3月のスマイス調査までは行政組織ではなく、サンプル/部分調査の域を でません。 (えーっと、これは私が持っている資料ではありません。すべてnetからかき集めた ものなので原資料と問われると困るのです。(^_^;)) 1936年末 1,006,968人 (警察庁及市政府調査) 1937年3月末 1,019,667人 200,810戸 (首都警察庁調べ) 1937年10月28日 53万人余 (警察庁、広田外相電) 1937年11月23日 50余万人 (南京市政府報告) 1938年2月末 200,000人 * (難民区人口を南京市自治委員会と 特務機関が推定) 1938年3月1日 235,056人 * (南京特務委員会、難民収容所にいる 女性は含まれない) 1938年3月 250,000人 #(スマイス調査) 1938年8月 308,546人 (警察庁及市政府調査) 1938年10月末 329,488人 82,195戸 (南京市自治委員会調べ) 1939年10月末 552,228人 132,403戸 (南京特別市政府調べ) 1941年3月末 619,406人 140,439戸 (南京市政府調べ) さて測定されたという意味で確実な資料は10月28日、11月23日までと、38年8月 以降ということになります。とすれば、戦前100万人、10月28日、11月23日の 時点で50万人あったものが、事件終息以後帰って来れない原因は何だろうか、 ということになります。 否定派は1月17日には「25万人となり、1ヶ月で5-10万人増えた、虐殺が なかった証拠である」としていますが、もし、1ヶ月に5万人ずつ増え続けたと するならば8月にはもう、35万人増えて60万人にはなっていないといけません。 ところが10月末の広田外相電で「いずれも各機関の公務員、財産を移転できない 者、地元の商人らあくまで南京に踏みとどまる必要のある人ばかりである」はずの 50万人に復帰するのに2年を要しています。 また、38年3月以後は一貫して1ヶ月あたり約1万人ずつの増加で、1941年3月に 60万人に達するに過ぎません。 事件終息以後戻らない原因は何でしょうか。 殺されたものは戻ってこない。 家屋、農地などを破壊された場合はすぐには戻れない。 筆舌に尽くしがたい恐怖感が残るうちは戻らない。 どれほどの殺害があったか、どれほどの略奪、放火、強姦があったか を物語る資料です。 五番街 - 02/11/04 14 48 49 コメント >対住民と言うより、そういった噂の中国側の >撹乱工作に対してラーベは危惧している事を >指摘して呑み込みの悪い素人への最後の補習としましょう。 私のことを「素人」と呼んでも何でも構わないんだけど、キミ は、この英文全体が読めていないね。ラーベは、"and can only hope that we are spared such tragic events.”とかいてい るんだから、住民全体を心配していることが分からないんだな、 キミにはね。ラーベは、どこにも「このウワサは中国側の攪乱工 作」があったなんて書いていないんだよ。こういう解釈では、プ ロ失格だな。仕事がこなくなるよ(笑) 五番街 - 02/11/04 14 30 40 コメント それから、もうひとつ教えてあげるとね、渡辺さんの訳文を攻撃 したいんなら、格好のターゲットになる部分があるんだけどね。 キミはそれに気がついていないようだから、キミの英語能力は大 したことがないのが分かるんだよね、私にはね。 渡辺さんの訳文を読むと、非常に繊細に考えて自然な日本語を書 こうとしていることが分かるので、この部分も考え抜いてこうし たんだろうし、許容範囲にあると言えるので指摘する気にはなら ない。 ただし、私のスタッフがこのように訳した場合には、その理由を 問いただして、厳密に訳すように言うところだがね、これも勉強 だからね。 この部分がどれであるかは、キミには教えないよ(笑) 五番街 - 02/11/04 13 43 51 コメント ついでに質問しておくけど、 「ところが、ラーベからすれば、日本軍の支配は完璧で、こうし た中国人の楽天的なムードは、非常に危険なものに思えた。」だ から、ラーベは”The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death. ・・・・”と書いたんだ、というのが私の解釈なんだけ ど、キミには、ラーベがなぜこのことを書いたか理解できなかっ たし、理解しようともしなかったようだね。 五番街 - 02/11/04 13 29 11 コメント おや、やれやれ、全然わかっていませんね。私が提示した文章は 「翻訳」ではなく、解釈です。つまり、ラーベはこういうつもり で、この部分を書いたんだろう、と想像することができる、とい うことです。むろん、私が書いた文章を翻訳として提出すれば、 そりゃ、ダメに決まってますよ。 それから、アナタの経歴を知ったところで驚きも、感心もしませ んけど。それがどうしたんですか、と言いたくなりますね。その 程度のもんですよ。といって、私は、自分の経歴なんぞ語って、 自分のほうがエライだろうってイバル趣味はもっていませんので 黙っておきますけどね(笑)。 核心 - 02/11/04 06 46 58 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >ロム屋(などと言い加減な名前にしないで) 親父の話しについて質問があるならメールをください。 うちにも放火の脅しはありましたよ。 否定派の方達から。 五番街 - 02/11/04 06 24 38 コメント 英文を見る限り、渡辺さんの主張が適切であると思います。この 英文では、前半部がラーベによる状況の説明あるいは把握、後半 部では、彼による状況分析が行われていると解釈されます。 私なりの大ざっぱに解釈を交えて書き直すと、次のようになりま す: 南京の中国人は、間もなく中国軍が南京を奪回するという見方が 広がるなどして、浮き足立ち、日本軍に対する忠誠を示す日の丸 を降ろしたり、日本語の腕章の着用も止めてしまった。さらに、 彼らの一部が、日本大使館を襲撃するというウワサさえも聞こえ るようになった。 ところが、ラーベからすれば、日本軍の支配は完璧で、こうした 中国人の楽天的なムードは、非常に危険なものに思えた。中国人 が蜂起すれば、それがどんなに小規模なものであっても、日本軍 は決して見逃さず徹底的に鎮圧し、全員を処刑すると考えられ る。 しかし、幸いなことに、これまでのところ安全区は平穏で、中国 人による暴動や蜂起は全くない。そして、何もできない自分たち にとっては、今後も、日本軍が暴動に参加した者を徹底して殺害 するという悲惨な出来事が起こらないことを願うことしか方法が ない。 -------------------------- つまり、問題になっている「中国人のささやかな暴動・反乱な ど」は、ラーベが、現在の状況から有り得ると考えられる事態を 想定し、それが現実に発生した場合には、完璧に鎮圧されると憂 慮している、と解釈されます。 渡辺 - 02/11/04 03 44 30 電子メールアドレス 「あらし」について コメント K-Kさん、 掲示板の「あらし」ですが、これはこれで役にたっていると思いますので、しばし晒しておきましょう。 「自虐」だとか南京事件はなかったとか、騒いでいる人たちが、ほとんど怪しげな宗教のトランス状態に近いものであることが、あらし投稿でわかります。 一方、K-Kさんや、ゆうさんなどが地道に資料などを収集している姿は、必ずやROMしているに人たちに評価されていることと思います (^^) 渡辺 - 02/11/04 03 37 26 電子メールアドレス ドイツ語 コメント 名無し:> (このような)中国人の、いかなるささいな反抗(暴動)でも日本軍により死をもって罰せられるであろう。 で、何が言いたいの? 一応、所見を述べておこう。 (1)「このような」は原文にはないし、付け足す必然性もない。 (2)「反抗」でも「暴動」でもご自由に。 (3)「罰せられるであろう」とは原文にない。原文は現在形の受動態で推量でもない。 従って、名無しが間違い。 もっとも、私もドイツ語から離れて久しいので、絶対こうだと言うつもりはないが、私が君より良識的なことは万人の目に明らかであろう。 K-K - 02/11/04 01 11 21 電子メールアドレス こんにちは。 コメント K-Kです。 こんにちは、みなさん。 竜馬くんが、ご迷惑をおかけしているようですみません。週が明けるまでは、とりあえず、重い掲示板でご辛抱ください。 【渡辺さんへ】 こんにちは。 潮の件ですが、残念ながら、時間の都合によりコピーが取れませんでした。一応、日高氏の発言部分は、手書きで写してきましたが(笑)。後日、時間を作って、再度、行ってきます。手書きの方は、参考までに、のちほど提示しておきます。 なお、件の記事は、城山三郎氏が書いたものですので、もしかすると『落日燃ゆ』と関わりがあるのかも知れませんね。 『潮』72年十月号・「南京事件と広田弘毅」城山三郎 ロム屋 - 02/11/03 22 52 09 電子メールアドレス 核心さん コメント 阿呆の見本のような人間と話をするのは時間の無駄使いだと思います。 少しお聞きしたいことでこのホームページの趣旨とはずれますが、核心さんの父上の栗原氏は南京戦以後の手記等はあるのでしょうか。 核心 - 02/11/03 20 49 14 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 自由主義者ですから自由主義史観などというエセ自由主義には闘いをもって臨むのが当然です。 核心 - 02/11/03 18 53 27 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 私は「責任ある自由」を標榜する自由主義者です。 戦前の軍隊に自由主義などあるわけないでしょう。 そんな軍隊が人道的な捕虜扱いなどできるわけがないでしょう。 私は歴史的事実を認めて明治憲法的価値観は歴史的役割を終えたと言っているだけです。 日本国憲法的価値観に思考を切り替えなさいと言っているのです。 それが自由民権運動から目標としてきた自由なのですから。 核心 - 02/11/03 18 39 57 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >否定派の方達 戦前の明治憲法下では軍や官僚は天皇に直結して管理されていました。 ということは全く、国会や政府の管理下にはなかったのです。 ですから満州事変や日中戦争が軍主導で開始されたのです。 そしてそれが最終的にインパール、ガダルカナルとうの悲惨な敗戦に結びついていったのです。 東大のアホ教授は東大法学部憲法学者のつめのあかでもせんじてのんでよという程度です。 渡辺 - 02/11/03 17 27 57 電子メールアドレス 五番街さん コメント 五番街さん、コメントをありがとうございます。 英語訳を掲載したのは、邦訳よりはるかに良い訳で多くの人に分かるからです。これが、思いのほか盛り上がってしまったようです。 原文では、下記のようになり seien im Begriff は「まさに~しようとしている」という意味です。これは、噂ですし、難民には正確な状況は分からないわけです。 「中国人を見た」というのは、噂から派出したことで噂の主体ではありませんから、「効果」は噂そのものによると考えたほうが良いと思います。 なお、他の投稿で話題となっていた個所ですが、gering の最上級 geringsten は、この場合は「ほんのささいな」という意味です。(例文: Er erschrak beim geringsten Gerausch.=彼はほんのわずかの物音にも驚いた。) 英語の least とは、少し用法が違いますので、英訳した人は「中国人の」ではなく「どんな中国人側の」と工夫をしているわけです。 ------ 原文からの試訳: 中国兵が市をまさに奪還しようとしているという噂が、中国人の間に今日新たに行き交っている。それどころか、すでに市内に中国兵が見られたとさえ主張されている。我が地区の小屋や家々に飾れていた、たくさんの小さな日本の旗がすべて消え、すべての中国人がしていた日本の腕章ですら消え、ミルズによれば、難民の相当数が日本大使館を襲撃しようという考さえ持ったということが、(その)最初の効果だった。 中国人の、どのようなささいな暴動でも日本軍により死をもって罰せられる。我々は、我が地区がここまで完全に平穏にとどまっていて嬉しいが、そのような悲劇的な体験に我々が無関係のままであってほしいと切に願っている。 [渡辺註]日本大使館は、安全区内の金陵大学や大学病院、ラーベの自宅などの近くにあるので、何か事件が起これば残留外国人や難民が事件に巻き込まれるのは必至であった。 ----- 原文(ウムラウト記号は省略、エスツェットは ss と表記): Unter den Chinesen ging heute von neuem das Gerucht um, die chinesischen Soldaten seien im Begriff, die Stadt zuruckzuerobern. Ja, man behauptet, chinesische Soldaten seien schon in der Stadt gesehen worden. Der erste Erfolg war, dass all die vielen kleinen japanischen Flaggen verschwanden, mit denen die Hutten und Hauser in unserer Zone geschmuckt waren; auch die japanischen Armbinden, die fast alle Chinesen angelegt hatten, verschwanden, und, wie mir Mills soeben mitteilt, soil eine ganze Anzahl von Fluchtlingen schon den Gedanken gehabt haben, die Japanische Botschaft zu uberfallen. Die geringsten Ausschreitungen der Chinesen werden von den Japanern mit dem Tode bestraft. Wir sind froh, dass unsere Zone bisher vollkommen ruhig blieb und hoffen sehr, dass uns derartige tragische Erlebnisse erspart bleiben. ["John Rabe Der gute Deutsche von Nanking", DVA, p.169] 核心 - 02/11/03 07 53 24 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 歴史的事実探求派が捏造派からつけられた名前が自虐派です。 だいたい捏造派なんて杉原千畝の名前なんてつかう資格はないんだ。 杉原は美濃部達吉や滝川幸辰につながる自由主義者の系列なんだから。 早稲田大学出身のリトアニア総領事程度だから東大のアホ教授なんかに使われるような人じゃないんだから。 早稲田大学や民間大学は明治の自由民権運動で政府に敗れた人たちが設立した大学なんだから。 アホ教授に使われて墓の下でないてるよ。 核心 - 02/11/03 07 24 34 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >K-Kさん 掲示板の管理こそ管理者の腕のみせどころです。 掲示板の削除は管理者の当然の権限です。 不適切なものはひるまず削除すべきです。 核心 - 02/11/02 23 57 53 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >K-Kさん 親父の幕府山の話しのいきさつは以前にも話したのですが。 私が親父から虐殺の話しを最初に聞いたのは10歳(小学校3年生)のときです。 すごい形相で揚子江河畔で中国兵を何人も何人も首を切った話しをしたのですけど。 最後に「さすがの揚子江も真っ赤に染まったカンラカンラ」といった具合だったのですが。 昭和59年に話しをした時もその話しかと思っていたのですが、様子が違うので親父に確認したところ「あれは別の話しだ」ということでした。 いずれにしろ、毎日新聞などの話しの後で「子、孫にまで危害を及ぼす」などと脅されてかなりビビッたようなんですけど。 私でお役に立つことがあったらご連絡ください。 K-K - 02/11/02 22 01 41 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント 1972年10月号、11月号と連載だと思います。問題のほうは、10 月号ですが、2カ月分チェックしたほうがいいと思います。 よろしくお願いいたします。 有り難うございます。 今、調べて見たところ、『潮』1972年10月号・11月号があることを確認できました。 明日、仕事が早く終われば、そのまま図書館に直行してみようかと思っています。 コピーサービスの時間に間に合えばいいのですが(笑)。 おだんご - 02/11/02 18 58 25 コメント まだ負け惜しみを言っている人がいますね。 いいかげんに正しい日本語を使えないと自作自演がバレバレですよ。いつもいつも同じ間違いをしているんですから。あっちの板でもこっちの板でも。 ね、そのと「う」りでしょ? 渡辺 - 02/11/02 18 40 27 電子メールアドレス 「潮」 コメント K-Kさん、 1972年10月号、11月号と連載だと思います。問題のほうは、10月号ですが、2カ月分チェックしたほうがいいと思います。 よろしくお願いいたします。 K-K - 02/11/02 17 55 36 電子メールアドレス みなさん、こんにちは。 コメント K-Kです。 みなさん、こんにちは。 掲示板がだいぶ重くなっていますが、攻撃を受けていることを確認して貰う必要があるために、週明けまでそのままにしておきます。ご了承ください。 【渡辺さんへ】 もしかすると、件の月刊誌『潮』を、私の通える図書館で閲覧できるかもしれません。もしよかったら、何時ぐらいのものか教えていただけませんでしょうか?当たってみようかと思います。 【五番街さんへ】 こんにちは。やはり、訳については、五番街さんにお聞きするべきでした。どうしようかと迷ったのですが、以外と早く結論が出たようでしたので、止めてしまったのですが・・・・。 また、何かありましたら、よろしくお願いします。 【核心さんへ】 わざわざ、すみません。 あの手の輩はどこにでもいるので、しょうがないですね。 彼らの体質がどの様なものなのかを観察するには、ちょうどいいかもしれませんが(笑)。 【竜馬くんへ】 イタズラは止めましょう。 五番街 - 02/11/02 07 28 05 コメント なにかと話題になっている五番街です(笑) 久しぶりのこの掲示板を覗いてみると、渡辺さんの訳の問題が議 論されていたことを知り ました。で、私の考えとしては、渡辺さんの訳で問題ないと考え ています。 ところで、渡辺さんが引用し、訳した原文の中で、これは原文の 問題あるいは、ドイツ語からの英訳の問題があるように思います ので、ご説明します。 問題は、次の文章です: ◇ The rumor has spread among the Chinese again today that Chinese sol- diers are about to retake the city. この英文に対する渡辺さんの訳は、次の通りです。 □ 今日また、中国人の間で、中国兵が南京をもう少しで奪いかえ すところだという噂がひろがった。 この英文だと、【中国軍が日本軍に対して既に攻撃を行い、圧倒 しており、その結果、南京を間もなく奪回するとみられる】、と いう意味に解釈されます。そして、渡辺さんの訳もこのように解 釈されます。 ところが、実際には、中国軍が日本軍を攻撃しているという事実 はなく、むしろ、実際にはこの攻撃を開始するというウワサが広 がったのではないか、と考えられます。で、私なりにこの英文を 書き直せば、つぎのようになります。 ◇The rumor has spread among the Chinese again today that Chinese sol- diers are about to attack the Japanese soldiers in hopes of retaking the city. もっとも、中国人の間には、実際にはそうではなくとも、「既に 戦闘が始まった」ことが、既知の事実となっていたために、この ようなウワサになった、と考えることも可能です。 なお、渡辺さんの訳は全体的には問題はないと思うのですが、ひ とつだけ気がついたことを述べます。 「The first result of this」を「その最初の効果であり、」と 訳されていますが、ここは、「この結果、まず・・・・・」とし たほうが、自然ではないだろうか、と思います。なぜなら、この 部分の「this」は「Chinese soldiers have already been spotted 」を指しており、明確な因果関係を示していると考えられるから です。 「In fact, the claim is that Chinese soldiers have already been spotted inside the city. The first result of this was ・・・・・」は、「実際には、このウワサは、市内で すでに中国軍兵士が見られた、というものであり、その結果、ま ず、・・・・」と訳せば、自然なつながりが出てくると思いま す。 なお、「The first result of this was ・・・・・」という部 分は、南京の中国人は、中国軍がこの都市を奪回することを確信 していたと考えていることを示唆しています。 以上、参考にしていただければ幸いです。 渡辺 - 02/11/02 04 28 34 電子メールアドレス 鈴木明氏の資料引用の問題点:URL変更 コメント 「鈴木明氏の資料引用の問題点:ティンパーリーの死亡記事の場合」について、誤植を訂正し再投稿したので、URLは下記のように変更されましたのでお知らせいたします。 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15980 range=1 渡辺 - 02/11/02 03 58 01 電子メールアドレス 鈴木明氏の資料引用の問題点 コメント 「鈴木明氏の資料引用の問題点:ティンパーリーの死亡記事の場合」を書きURLに投稿しましたので、お知らせいたします。 なお、文中「一分」は「一文」の誤植です。 http //bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=15979 range=1 渡辺 - 02/11/01 23 38 53 電子メールアドレス 「潮」 コメント K-Kさん、 「潮」の日高インタビューですが、図書館へ行きましたら該当の年度のものが欠けているということで、残念ながら見ることができませんでした。 ついでに、 The Chinese Recorder に掲載されているはずの「スマイス報告」を調べようと思ったのですが、1937、8年分がやはり欠けているとのことで、これも見ることができませんでした。 しかし、人口問題については、当時の中国では男性の割合が多くなっていたという事実があることがわかりましたので、一応の成果がありました。 核心 - 02/11/01 13 44 10 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >否定派の方達 無意味なイヤガラセはやめたら。 随分ひまだねえ。 核心 - 02/11/01 08 45 46 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >竜馬くん 竜馬なんていうからには坂本竜馬が好きなんでしょうけど、竜馬は暗殺された側の人間ですからねえ。 掲示板の荒らしのような卑怯な人間とは根本から違いますよ。 K-K - 02/10/31 23 29 57 電子メールアドレス 忠告:竜馬くん(ケーオプティコムユーザー)へ コメント 竜馬くん。 ■他の掲示板のログを張り付ける様な荒し行為は止めましょう。 他の掲示板利用者が迷惑をしています。 核心 - 02/10/31 21 21 16 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 「俺達だって戦争被害者だ」って言ってますから。 核心 - 02/10/31 20 57 39 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 親父がつくづく言うのには本当にひどい戦争だったということです。 泥水をすすりながら、虫歯の治療もされないまま戦闘においやられていたそうですから、親父達には人権なんてものはなかったと言ってますよ。 親父の真意は誰に対してでも国の名で二度とあんな馬鹿なマネをさせないでくれということだと思います。 渡辺 - 02/10/31 17 13 58 電子メールアドレス 名無しへ、 コメント 名無し:> それもとっくに、中国軍の成りすましが指摘されているのを知らないのですか? もっとしっかり調査、検証しましょうね。 ほう、面白い。ドイツ外交官も見破れなかったという「中国軍の成りすまし」である根拠を示してください。 ただし、北村先生のようにサンケイシンブンに書いてあったというような、恥ずかしいことは書かないでくださいね。 しかし、「なりすまして」どうするんでしょうかね、ご回答をお待ちしています。 核心 - 02/10/31 17 09 34 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント くだらないたわごとを言い合っていても意味がないので直接お話しさせてください。 メールをお待ちしています。 核心 - 02/10/31 16 53 15 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント メールをよこせ! 核心 - 02/10/31 16 51 46 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント ションベンくさいガキどもでした。 核心 - 02/10/31 16 50 22 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 感情的な表現で申し訳ありませんが否定派というションベンくさいガどものくだらない話しにはウンザリしているのは事実です。 匿名性を利用した愚劣な恥じるべき高村光太郎式に言えば根付のような日本人というやつですね。 現代における日本人の精神文化的恥部だと思います。 核心 - 02/10/31 16 44 53 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 話しを広げて申し訳ありませんでした。 私はとりあえずは父の幕府山の虐殺に関する記述等を掲載しておきたいだけですから。 無益なイヤガラセはやめていただきたいだけですから。 核心 - 02/10/31 07 04 52 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 父の真意 申し訳ないけど父の真意はマスコミに正直に話せば賞賛されると考えていたからです。 私がそのようなことを言いましたので。 核心 - 02/10/31 06 57 30 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >否定派の人達 いずれにしろこのHPに対するイヤガラセはやめなさい。 核心 - 02/10/31 06 54 16 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント ご存知の通り私の長兄は父の虐待により最終的に村山精神病院で縊死するわけですが、父も戦争の二次被害だといってます。 父も反省するところがあったのでしょう。 だからこそ一時的にしろ真実を話す気になったのだと思います。 母は30代にころと40代のころに父に殴られて両耳の鼓膜をいためています。 なにもリッパな父親ではありませんよ。そんなことは周知のことです。 渡辺 - 02/10/31 04 21 35 電子メールアドレス 三光 コメント 以下、1937年のドイツの公文書に、既に「三光作戦」と同種の行為が報告されています。 日本軍の用語では「燼滅」といい、実際には、物資だけでなく村落や人命をも「燼滅」しました。 この報告書にはベイツとスティールの「報告」が添付されていますが、割愛しました。 -------- 報告 駐華ドイツ大使館(漢口)宛、発信者-ビダー(駐華ドイツ大使館書記官、北平〔北京〕) 一九三七年一二月三〇日付北平ドイツ大使館分館 文書番号二七二二/四三七九/三七 添付書類二 写し二 内容――日本軍による南京占領時、および華北における中国人大虐殺 大使館に宛てて、二本の報告の写し(1)を送付する。これらは、米国の知人から提供されたもので、日本 軍が南京陥落後三日間にわたり、都市住民にたいしておこなった大虐殺に関する目撃報告である。 短い方の報告を書いた人物は金陵大学のM・S・ベイツ教授(2)で、第二の報告は米国人ジャーナリスト A・T・スティール氏(3)によるものである。両者ともきわめて冷静かつ客観的な観察者で、かれらの描写 には信頼がおける。また、たったいま南京から戻ってきたスティール氏がいうには、日本軍が南京陥落 後の三日間におこなった全面的略奪のさい、ドイツ人の土地や家屋も日本軍によって甚大な損害を被っ た。 これらの目撃報告は、中国における日本軍の非人道的な戦争遂行の全過程で、南京大虐殺(4)ほど凄惨な 殺戮はこれまでなかったとの点で一致している。しかし、これらの報告は、華北の京漢(北平=漢口) 鉄道沿線の高陽で――そこに居合わせた宣教師の報告によると――日本軍が一四の村落を、匪賊と共産 主義者を片づけるとの口実で、女性や子どもを含む全住民もろとも根絶やしにしたことを見落としてい る。同様に、華北の他の地域における日本軍の新たな残虐行為に関する報告が続々と届いている。ただ、 そうした行為は信頼できるヨーロッパ人の目撃者が居合わせていない場合、裏づけがとれないこともあ る。しかし、この種の事件は隠しおおせるものではなく、高まる国内の民族運動をさらにいっそう刺激 し、戦争の深刻な急進化をもたらしている。 本報告の写しと添付書類は天津総領事館、東京ドイツ大使館およびベルリン外務省に送付される。 <注(1)~(3)は省略> (4)原語はNankinger Massacre。 [『ドイツ外交官の見た南京事件』(大月書店)p.24-26] 核心 - 02/10/31 01 37 42 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 私は自由史観なんて馬鹿なものは信じません。 戦前の明治憲法下の軍国主義の日本のどこに自由があったのですか? 自分達は自由史観で相手は言いくたすために自虐史観ですか? だから知的レベルが浅く、低いといっているのです。 (そんな程度の東大教授なんて糞の役にもたたない。) 核心 - 02/10/31 01 01 50 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 私としては戦前の日本は明治憲法下の軍国主義の日本ですから、満州事変や俗にいう三光作戦では1000万人とも2000万人ともいわれているわけですから南京大虐殺なんてほんの雀の涙か蚊の屁ぐらいの話しだと考えています。 まして悪名高い蒋介石軍なのですから、そんなものを否定しはじめた否定派の失策だと思いますけど。 核心 - 02/10/31 00 38 51 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >否定派の方 メールをいただければ、お会いしてお話しさせていただきます。 核心 - 02/10/31 00 36 46 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント ここのHPは全体として私が父から聞いている話しに一致しています。 それゆえ、ここに父の話しを掲載させていただいたわけですから。 核心 - 02/10/31 00 30 44 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 私が父から聞いている虐殺は幕府山だけではありません。 幕府山は父が自己弁護的に述べただけですから、むしろ父の述べている入城直後の虐殺数が7万人程度とみるのが素直です。 幕府山は「きれいごと」の世界ですから。 K-K - 02/10/30 22 01 20 電子メールアドレス みなさんへ コメント K-Kです。 みなさん、こんにちは。 訳あって、しばらく竜馬くんの投稿をこのまま置いておきます。 しばらく、掲示板が見づらくなりますが、ご了承ください。 また、竜馬くんに警告します。 これ以上、掲示板を荒らす行為は止めましょう。 核心 - 02/10/30 21 53 55 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント ここにきてなぜ掲載したいただく気になったかというと、父の話しが幕府山の虐殺という歴史的に重要視されている事件であることをしばらく前に知ったからです。 核心 - 02/10/30 21 51 24 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 名誉毀損とうで訴えるほどのものではありません。 あの当時、他の兄弟からも多少控えてくれという話しがあったのと、私もまだ会社づとめをしていたのとうなどで深追いはやめました。 核心 - 02/10/30 21 31 32 電子メールアドレス art-jp@jcom.home.ne.jp コメント 二重に書き込みした分は削除したいただいて結構です。 >否定派の人達 お互いのHPがあればいいのですから、何もイヤガラセにではってこなくてもいいでしょう。 それも全て匿名で。 核心 - 02/10/30 21 27 23 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 幕府山の虐殺に関する事実はこのHPに記載されているものがもっとも近いものです。 その後のゼンボーの記事とうは全て捏造記事です。 核心 - 02/10/30 21 24 53 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 幕府山の虐殺に関する事実はこのHPに記載されているものがもっとも近いものです。 その後のゼンボーの記事とうは全て捏造記事です。 核心 - 02/10/30 21 20 11 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 毎日新聞に対する抗議という記事もうそです。 私も何度か父が電話口にでるのを聞いておりましたが、そのような会話は一切ありません。 父は息子も記事に賛成の子供(私)もいるからともいっていました。 したがって記事を否定するようなことは全くありませんでした。 核心 - 02/10/30 20 37 38 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 私と父は小平市に在住しております。 毎日新聞の記事は私が父にすすめて積極的に話しをさせたものです。 記事のあと、私としては当然のことだったのですが多くの脅迫状が舞い込みました。 イラガラセの電話も多数ありました。 ゼンボーの記事は全てデタラメです。 父を知る人なら誰でも(警察関係、剣道関係)わかりますが、父はゼンボーの記事のような器用なことの言える人間ではありません。 核心 - 02/10/30 11 35 10 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 日本は戦前と戦後でまったく違った国の枠組みの中に存在しています。 戦後の日本は、近代西洋の価値観を継承して憲法が作られています。 戦前の枠組みの中核を明治憲法的価値観とよぶとすると戦後のそれは日本国憲法的価値観ともよぶべきものです。 両者はまさに断絶した価値観です。 この両価値観の違いに着目して歴史的事実を見なければ見えるものも見えず、あるものも認識できないのです。 そこを現代の日本人は分析しきれていないのです。 明治憲法的な価値観にたつ限り、南京大虐殺なんてなかったに等しいことなのです。 核心 - 02/10/30 11 15 48 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 南京大虐殺はどの程度に規模であったかというより、私の父(栗原利一)の述べているような(幕府山の虐殺)行為があったのですから、戦前の日本軍というのは昭和12年の段階で、そのようなレベルの軍隊であったということです。 そして、それが最終的には太平洋戦争での絶望的な各地での敗戦に帰結してくるわけです。 現代人は、その歴史的意味を考察すべきだと考えています。 あるないの論争に終始しているのは日本の哲学的、社会学的知的レベルが低いからだと考えています。 核心 - 02/10/30 11 05 40 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >K-Kさん まあ、荒らされるということはそれだけ存在感があるんでしょうから。 日本の良心としてがんばってくださいね。 渡辺 - 02/10/30 01 30 44 電子メールアドレス K-Kさん コメント 旧アドレスに電文を送信しました。 K-K - 02/10/29 23 50 12 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント K-Kです。 渡辺さん、すみません。 ネスケのメールサーバーの調子が悪いようです。 古いジオシティーズの方に送って下さい。 渡辺 - 02/10/29 23 45 39 電子メールアドレス K-Kさん コメント 新メールアドレスに電文を送るとエラーで戻ってきます。 旧アドレスに送ってもいいでしょうか? 渡辺 - 02/10/29 04 26 32 電子メールアドレス ゆうさん コメント ゆうさん、 『南京の真実』というのは、見るたびに腹がたちますね。 で、英語版をお持ちだと思いますが、p.194,1938年2月12日に、 North China Daily News 1月30日の記事の抜粋がありますね。 これは、1月29日に、駐英国大使の吉田茂が日本軍によるアトロシィティーについて、そんなことは我軍に限ってはありえないと Daily Sketch のインタビューに答えたというものです。 これですね、英国の日本大使館から外務大臣あての、新聞の切り抜きに Daily Sketch の実物があるんです。(「アジア歴史資料センター」で、デジタル画像を入手できるので、後日レファレンスコードをお知らせいたします。) そして、さらに、このコメントはどういうものかというと、ティンパーリーが2度目に検閲で発信できなかった電文が、香港経由で英国に届いたものに対するものなんです。けっこう、驚くでしょ。(^^) なお、ティンパーリーは3回電文の検閲を受け、3回目のは部分的に削除されて発信されたことが、ティンパリーの手紙で分かっています。1月28日にこの件で、英国総領事に抗議をプッシュし、即日、日本の「商業電文」への検閲に対して抗議がなされたのです。 なお、3つの電文の内容は手紙で英国に送られており、その全文がわかっておりますので、機会をみて公表したいとおもいます。 そこで、アイリス・チャンが見つけた広田弘毅の電報ですが、実は情報の出所が「信頼のおける外国人の目撃や手紙」だという部分など、一部が改変されたものであることが分かりました。(改変したのは、チャンではなく広田弘毅ですが。) この外国人がジャキノ神父であることについては、これは、『中帰連』22号の私の記事の中で「七、揚子江デルタ地帯で虐殺された三十万人」(p.94)というパラグラフをご覧ください。 では、おやすみなさい。 K-K - 02/10/29 00 00 47 電子メールアドレス 掲示板整理のお知らせ コメント ただ今、掲示板を整理しました。 荒し投稿については、『竜馬くんのページ』へ移行しましたが、2,3モレがあるかもしれません。 その点、ご了承ください。 核心 - 02/10/28 19 12 54 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント このサイトに対する非難は意味ないですよ。 K-Kさんが中断されるなら私が引き継ぐつもりでいますから。 核心 - 02/10/28 18 27 38 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >どなたか? 民間人虐殺について父から直接聞く勇気がありますか? そんな程度のことは当たり前ですよ。あの戦争では。 核心 - 02/10/28 18 23 27 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント >K-Kさん メールを一通ください。 パソコンのディスクの故障のため、以前いただいたアドレスが消滅してしまったので。 核心 - 02/10/28 15 47 58 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント 証拠の刀剣類 虐殺等に使用された刀剣類はきわめてよい状態で保管されていますよ。 核心 - 02/10/28 13 31 14 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント ご存知の通り私の父は栗原利一です。 父は永年、関東管区警察学校や警視庁広報課に奉職し、小小平市福島県人会会長や東京都福島県人会幹事、小平市剣友会会長などを勤め地元では多少有名人です。 そして兄の利弘が分裂病であることもまた有名なことでした。 ただなぜ父が兄をそのように虐待したのかはもっぱら個人的な資質として理解されてきたことでした。 このHPに記載されていることをお読みいただければ、個人的資質にだけかかわるものではないことがお分かりいただけるとは考えているのですが。 いずれにしろ父は健在ですから、真実に興味のある勇気のあるかたがいらっしゃいましたらご紹介しますよ。 核心 - 02/10/28 01 48 24 電子メールアドレス arts-jp@jcom.home.ne.jp コメント すみません。 メールアドレスを間違えました。 核心 - 02/10/28 01 46 19 電子メールアドレス arts-jp@jcom.ne.jp コメント >K-Kさん 南京大虐殺が真実であることは日本の良識ある人達やそれなりの人達の間では常識です。 日本国憲法は、日本国憲法という名の革命です。 改憲派はこれからもいろいろと仕掛けてくるでしょうが、金銭的面も含めて私にできることがあればお手伝いさせていただきますのでがんばってくださいね。 ゆう - 02/10/27 19 15 41 コメント 日本語版ではカットされていますが、確かに「ラーベ日記」に「チャイナプレス」の記事が掲載されていますね。なるほど、アベンドの記事と、ほぼ同一の内容です。ご指摘、ありがとうございました。 「チャイナプレス」の記事は、「12月28日まで」(Up to December 28)に「中国人将校二三名、下士官五四名、兵士一四九八名」が摘発され、「その中に」(among them)王新倫(王信労?)らがいた、という内容です。 結局、「憲兵隊の報告書」の「12月28日まで」の部分が間違っていた、ということになりそうです。 アベンドもこの発表に触れていたが、記事の中では無視した、ということがわかりました。 改めて読み返すと、この「天谷演説」もすごいですね。 >日露戦争でも満州出兵でも、軍紀の乱れは全くなかった。このたび中国でこのような事態が起きたが(中略)その原因は中国人の側にある。蒋介石は軍だけでなく全人民を抵抗に駆り立て、これがいたく日本兵を憤慨させた。というのも、日本兵は進軍中に食糧と必要物資に一切ありつけず、その結果、怒りを住民にぶちまけたのである。 身勝手、そのものです。 渡辺 - 02/10/27 16 07 44 電子メールアドレス Re ちょっと、気がつきました コメント アベンドの1月24日の記事と、ラーベの日記にある「チャイナ・プレス」一月二十五日号の記事は同じもんですよ。 細部の違いまでは、調べていませんが、東中野氏はけっこういけない引用をやりますね。 「最後の日付は十二月二十八日」も「チャイナ・プレス」にあります。したがって、全文を見れば、明らかに事実と矛盾していることが分かります。 なお、ラーベの日記にはドイツ語で抜粋があります。(2月3日、原書:p.237)英訳はドイツ語からの重訳だと思います。(英訳:pp.172-173) 厳密には「チャイナ・プレス」のテキストで検証したほうがいいですが、ゆうさんのご指摘の正しさは翻訳を見るだけで十分だと思います。 ところで、2月5日の天谷南京警備司令官の演説は、日本軍の「無軌道」を認め、さらに「ある国」の人が不遜にも裁判官の役目を果たそうとしたと、暗に米国を敵視する特異なものでした。(『ドイツ外交官の見た南京事件』pp.147-152) こういう状況での、憲兵隊の発表ということになりますね。天谷演説は、よほど興味をひいたらしく、同じ内容のいろいろなバージョンがあります。 上海工部局警察処の資料(マイクロフィルム版)に「Nanking Safety Zone」というファイルがあり、このなかには「档案」の一部と共に天谷演説が入っていました。徐の『安全区档案』には掲載されていませんが、作成者などが記載されていないので除外されたのかもしれません。 なお、上海工部局警察処が「南京事件」をマークしていたことは確かです。多分、報道を抑圧するためですが...南京で5万人が殺されたという12月末の「晩美報」の記事にはメモ書きがあり、記事に対し action をとったとあります。 それから、正しくは「迫撃砲弾(shell)」のようです。 ゆう - 02/10/27 09 14 36 電子メールアドレス 民間人殺害命令? コメント 何点か、資料を紹介します。いずれも、「ネット古書店」を利用して入手し、原文確認済みです。 ●平松鷹史「郷土部隊奮戦記1」(大分合同新聞社) P406 (略)第六師団が抗洲湾に上陸、崑山に直進中、第六師団司令部に「女、こどもにかかわらずシナ人はみな殺せ。家は全部焼け」という無茶苦茶な命令が届いた。 当時第六師団高級副官であった中佐平岡力(のち少将、鹿児島県護国神社奉賛会常務理事)は「こんなバカな命令があるか」の一言のもとにケ飛ばしてこの命令は宙に消えたままだったが、このデタラメな命令に出所について平岡氏は「柳川兵団からそんなバカな命令が出るはずはない。出所について確認はしていないが、おそらく上海戦で苦戦中の軍司令部あたりが血迷って出した命令だろう」といっている。いまになってこの命令の出所を追及することは困難だが、日本軍の一部には苦戦に血迷い非人道的な殺りく(戮)行為に走ったものがあったことは事実であろう。 ●朝香進一著「初年兵日記」 P140~ 1938年8月29日 夕方、私たちの宿舎に九中隊の帰還兵が三名泊まりに来た。彼等はアゴヒゲを伸した中年男で、彼等の話によると中隊は張戴港を引き揚げ、近日中に岳口へ移動して来ると言うのである。 夜、私たちは帰還兵をかこんで体験談を聞くことにした。彼等は予備役で召集を受け上海戦、除州作戦に参加、大別山系の敵陣を突破し、二ヵ月前に漢水沿岸に展開したと言うのである。戦争とは何だろうか? 私たちは興味と関心をもって彼たちの話に耳を傾けた。 彼等は水筒の中からチャンチュウ(支那酒)を取り出し、ちびりちびり呑みながら語り出した。 「戦争は決してかっこうの良いものではない。狂気の沙汰であり、人前で話すこともはばかれることなんだ。お前たちは初年兵だから特に話すので。他言は決してするな。ここだけの話にして聞き流してくれ・・・」と、前置きしながら、まず上海戦の模様についてこもごも話を進めた。 (中略) 南京攻略戦では、住民が反抗的態度に出たと言うので、「十里四方の住民全部を殺せ」という軍命令が出された。兵隊たちは村落を包囲し、手当り次第、住民を銃剣で突き殺した。婦女子は特にむごい殺し方をした、と彼等は酔がまわるほどに手ぶり、身ぶりで、その状況を実演して見せるのである。その残酷さは目をおおわせるものがあった。夜半、帰還兵の一人、泣き上戸の彼が泣きわめきながら、 「許してくれ―おれのせいじゃないんだぞ―」と、暗いローソクのもとで半狂乱の姿をさらしていた。私はなかなか寝つかれなかった。それにしても妻子のある分別盛りの兵隊が、無差別に婦女子を殺害するなど信じられない気がした。もし、自分に「虐殺命令」が出された場合、どのような態度をとるべきか、私にはわからなかった。 ●梶村止「観測小隊長の日記 大陸を戦う」 P38 (野戦重砲兵第十四聯隊所属) 11月29日 (略)一昨日は第一中隊の兵が徴発に行きて敗残兵らしきものより撃たれ(臀部より股にかけて貫通)、昨夜は又松林と続き、観測小隊全員憤激極まりなし。思ふに国民党の徹底抗日の教育充実し、ここ江南地区がもっとも抗日思想激しき処と聞く。この附近不審の土民は射殺すべしとの内命すらありいたり。(カタカナをひらがなに修正。最後の「いたり」の「い」はヤ行の「い」ですが、パソコンでの出し方がわからなかったので、「い」と表示しました。誰か、出し方を教えて下さい(^^; ) 一部とはいえ、「民間人殺害命令」に近い命令が出されていた可能性が高いようです。もしこのような命令があったとすれば、笠原氏が「近郊農村で何が起きたか」(「南京事件」第?章)に記した数々の事件も、納得できます。 ゆう - 02/10/27 08 08 48 電子メールアドレス ちょっと、気がつきました コメント アベンドの1月24日の記事です。 ********************************* 一月二十四日、上海発。(中略) <日本の報告発表> ジョン・M・アリソン領事の南京からの報告に基づいて、アメリカが日本軍歩哨の米大使館構内侵犯に関し抗議したことへの明らかな対抗措置として、今晩、日本陸軍司令部は一四日前に南京駐屯の憲兵部隊から受領したと称する報告を発表した。同報告は一月前の情況を扱っており、最後の日付は十二月二十八日である。 本報告の報じる南京における査問会議は、難民キャンプおよび非軍事化されたはずの安全区に中国人将校二三名、下士官五四名、兵士一四九八名が隠れていた。その内の一部は掠奪の件で処刑されたということを明らかにした。これら高級将校の一部は、大使館、領事館、その他中立国旗を掲げた建物に避難していたことが、とくに強調された。 これらの平服の中国軍将校及び副官は、明らかに多くの場合大量の軍需物資を隠匿していた。某国大使館近くと特に曖昧に言及された一防空壕の捜索では、軽砲一、機関銃三四、小銃弾四二○○○○、手榴弾七○○○、砲弾五○○、迫撃砲二○○○が発見された。 (引用者注:「迫撃砲二○○○」は、明らかにおかしい。「迫撃砲弾」の誤りか?)" 記者側から質問を浴びせられて、日本の報道官は中国軍は全大使館員が退去した後に構内に入ったものであることを認め、いずれかの非中立的な外国が紛糾を起こしたと示唆しようというのではない、と言った。その大使館の国名を挙げるよう強く求められたが、報道官はこう言って返答を避けた。 「この問題については皆さん自身の回答にお任せしましょう。」 さらにアメリカ大使館が関係しているかどうかと尋ねられても、彼の答えは「その点については触れないほうが良いと思う」というものであった。 一月中、とりわけ十五日以降の南京の情況についての情報を求められたが、日本の報道官は、まったく知らないと断言した。 (「南京事件資料集1 アメリカ関係資料編」P443~P444 ハレット・アベンド「南京の無法状態」より) ********************************* 次に、東中野氏が引用する、「チャイナプレス」の記事。 ********************************* ・・・「チャイナ・プレス」一月二十五日号は、その前日公表された南京日本軍憲兵隊の報告書を引用する。 <その報告書の主張するところによれば、彼らのなかには南京平和防衛軍司令官王信労(音訳)がいた。彼は陳弥(音訳)と名乗って、国際避難民の第四部門のグループを指揮していた。また、前第八十八師の副師長馬跑香(音訳)中将や、南京警察の高官密信喜(音訳)もいると言われている。 馬中将は安全地帯内で反日攪乱行為の煽動を続けていた、と言われる。また、安全地帯には黄安(音訳)大尉のほか十七人が、機関銃一丁、ライフル十七丁を持ってかくまわれ、王信労と三人の元部下は掠奪、煽動、強姦に携わったという。>(「徹底検証」P277) ********************************* 両方とも、明らかに、「1月24日」発表の「憲兵隊の報告書」をソースに書かれています。 アベンドの記事によると、この「報告書」の「最後の日付は十二月二十八日」。ところがこの報告には、「十二月三十日」に起こったはずの、「王新倫事件」の記述が出ている。 ・・・どこに「間違い」があるのか、原文を読まないと、わからないようですね。 少なくともアベンドは、この「王新倫事件」の発表を、無視したようです。記事に取り上げるほどの内容ではないと判断した、ということでしょうか。 Hide - 02/10/25 22 17 33 コメント >私の場合、日本語から英語への通訳を生業としているプロですが、ここ何年もの間、素人の方の素っ頓狂な英語には悩まされつづけています。 私の場合、業務効率化のため英文化の作業を外注することがあるのですが、プロの通訳の方の素っ頓狂な英語に悩まされることがよくあります。 >もちろん、ビジネスの場合、中身さえ通じればそれで事はすんでしまうのですが、歴史的なもの、政治的なものの場合、まず言葉の正確さは、大前提のはずです。プロが訳し、それを歴史家の方、専門家の方たちがチェックすると言う行為を踏まえるべきではないでしょうか? プロがしばしば正確さに欠ける訳をつけるのは上で述べた通りです。 ロム屋 - 02/10/25 08 18 47 電子メールアドレス 最後に コメント 訳の問題もほとんど片付きましたが、最後に。 abcさん、説明すればするほど矛盾を露呈しているよ。 abcさんの投稿を整理。 ------------------------------------------------- ■abc - 02/10/24 02 59 56 英文を素直に訳せば「このような些細な叛乱(抵抗)」という以外にはどう考えても読めません ■abc - 02/10/25 01 21 39 「最もlittleなinsurrection」と、最上級の表現を使っているのは、英語が母国語の人間として言いますが、具体的なある行動がこの文章の前にかかれていて、それが「想定できる(数ある)些細な叛乱」の中でも、「最も細微なもの」に属する行為だからです ■abc - 02/10/24 13 10 38 おそらくここでの筆者は何かと何かを比べた上で最上級を使っているのではなく、一般的にこんな瑣末な事でさえ、といっているように思われるからです --------------------------------------------------- abcさんの説明によれば 前段で説明した具体的な行動を指し、(このような些細な抵抗)と訳するのは自然というわけだ。 それでは簡単に、指されている具体的な行動を並べてみましょう。 -------------------------------------- ?安全区の小屋や家々に飾られていた小さな日の丸が姿を消した。・・・些細な抵抗 ?すべての中国人がつけていた日本の腕章すら消え・・・些細な抵抗 ?相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えたという。 ・・・戦時反逆、大規模な抵抗 -------------------------------------- 「このような些細な」という訳だと 前段の(些細な抵抗ではない?) を含めてしまうでしょ。 だから日本語にする際には「このような」と補ってはいけません。 言語はパズルではないとか言う以前の、和訳の初歩的ミス。 ●ニュアンスについて● ----------------------------------- abc - 02/10/24 13 10 38 それから、「老人であろうが」のくだりですが、おそらく日本軍の慈悲のなさ、無差別的に不法な「処刑」を繰り返す行為にたいしてどんな中国人であっても、といっていると思われるので、そのように行間を読む事ができるだろう、と書いた次第です。 もちろん、そこには叛乱に対する意志も含まれますが、大事なのは、まさに誰であっても、ということだと思います。おそらく侵略者にとって脅威とはなりえない全く平凡な市民、老人、けが人であっても、といったような受け取り方ですが…もちろん、前後に書かれていただろう事を想像しているので、私としてもはっきりした事はいえませんが、ニュアンスとしては間違っていないのでは? ------------------------------------ ニュアンスとして間違っています。 abcさんの説明は (any)の持つ、そのままの内容・意味です。 ニュアンス・・・言外に漂わす、本内容・意味との微妙な差異 なんだから ------------------------------------- 大事なのは、まさに誰であっても、ということだと思います。おそらく侵略者にとって脅威とはなりえない全く平凡な市民、老人、けが人であっても、といったような受け取り方ですが… -------------------------------------- ではなく (反乱・抵抗の積極意志を持つ人、持たない人にも関わらず)がニュアンスでしょ。 長くなりました。 渡辺 - 02/10/25 04 20 19 電子メールアドレス K-Kさん コメント K-Kさん、 いろいろ、ありがとうございます。 「潮」の件ですが、あまり期待しないほうがいいかも知れません。 一人の人の体験や記憶には限りがあります。これは、生前のティンパーリーを知っている2人の方(かなり高齢)とメールのやり取りをして感じたことです。 他の資料から、本人の記憶が違っていると思っても、誘導尋問のような問いかけはできません。こういうときは、いろいろな方法で、自ら記憶を蘇らせてもらうしかありません。経験してみると、インタビューというのはなかなか難しいです。 「歴史」では、公文書、手紙、新聞記事など多角的に検討しないといけません。知れば知るほど、断定的に書くのが難しくなってきます。 しかし、謎が解けるとスッキリします。発電所の件もそうですね。どうも時間関係に納得がいかなかったのですが、ラーベと日本側が交渉をしている最中に技術者や労働者を別の部隊が殺してまったということがわかり、霧がかなり晴れました。 それから、たくさんの資料を見ていて気がついたことですが、当時の状況をよく分かっていた日本人は、ラーベの日記、松井日記、飯守日記、岡村寧次の資料集などに出てくる原田少尉ですね。岡村寧次はこの人に尋ねて「南京事件」で何があったかを知ったのですね。 原田少尉に関する資料を、将来は調べてみるつもりです。 では、おやすみなさい。 おだんご - 02/10/25 03 22 08 コメント abcさんへ あなたは英語を母国語としているそうで。 しかしながら、母国語としている人が正確な母国語の理解をしているとは限らないのも事実なのですよ。(私の妻は実はアメリカ人なんですね。でもそれはいっても意味のないことなので今まで言いませんでした。というより、それは「議論」としてフェアではないので。) それでは、その「最も些細な」叛乱行為と言うのは、具体的になんですか?見逃してもらえそうな、あるいは軽微な罰で済みそうな叛乱の形態は、山のようにありますよね。それらの一般的な行為について言うのであれば、このような言葉遣いにはなりません。 いえいえ、そんなことはありませんよ。「具体的になんですか」としか考えられないことがあなたの英語理解の問題点です。 そもそもあなたの出した例文 That is the least you could do. が「(あなたにもそれぐらいの(些細な)ことはできるでしょ)」 と訳せるのは、「That」(=それ)が既出だからでしょ。本件の The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death. とは性質が異なるじゃあないですか(笑) この文の前には「具体的な暴動の事実」がないんですから。(この項はタラリさんの「02/10/22 18 27 01」のレスを参照のこと) 「具体的なある行動がこの文章の前にかかれて」いなければ最上級は使えないなんて決まりはありません。 He is the last person to betray you. The richest cannnot be always happy. は具体的な人物や行動が前に書かれていなければ使えないとでも? まさか、「最上級にはEven(~でさえも)の意味を含む場合がある」ということをご存じなかったなんてことはないでしょうねェ? abc - 02/10/25 01 21 39 コメント そうですね、これ以上たった一行の英文についてどうこう論じても仕方がないと思うので、これで最後にします。まず、皆さん何か勘違いされているようなのですが、私は虐殺否定派ではありません。肯定派です。そして、おだんごさん、全くおっしゃる通りで、私の訳と何が違うのか具体的にわかりませんが、「こんな」という部分を問題にしているのであれば、それこそが言語をパズル的に捉えてしまうということだと思います。確かに、この文章は「(想定できる)最も些細な」という意味です、直訳すれば。それでは、その「最も些細な」叛乱行為と言うのは、具体的になんですか?見逃してもらえそうな、あるいは軽微な罰で済みそうな叛乱の形態は、山のようにありますよね。それらの一般的な行為について言うのであれば、このような言葉遣いにはなりません。「最もlittleなinsurrection」と、最上級の表現を使っているのは、英語が母国語の人間として言いますが、具体的なある行動がこの文章の前にかかれていて、それが「想定できる(数ある)些細な叛乱」の中でも、「最も細微なもの」に属する行為だからです。(もちろん、その行為そのものだけではなくほかの(想定できる)些細な行動であってもと言う意は含みますが)ですから、日本語にする際には「このように」と補うべきだと考えます。Hideさん。私の場合、日本語から英語への通訳を生業としているプロですが、ここ何年もの間、素人の方の素っ頓狂な英語には悩まされつづけています。もちろん、ビジネスの場合、中身さえ通じればそれで事はすんでしまうのですが、歴史的なもの、政治的なものの場合、まず言葉の正確さは、大前提のはずです。プロが訳し、それを歴史家の方、専門家の方たちがチェックすると言う行為を踏まえるべきではないでしょうか? K-K - 02/10/25 00 26 38 電子メールアドレス 『竜馬くんのページ』更新のお知らせ コメント 『竜馬くんのページ』の更新と、それに伴う『過去ログ12』の整理が終わりましたのでお知らせします。 訳については、結論が出たと考えてよいでしょうか? ちなみに、「x - 02/10/24 01 28 13」のリモホは、いつもの「ケーオプティコム」です。もちろん、竜馬くんと一緒のリモホですね。 K-K - 02/10/25 00 12 56 電子メールアドレス 渡辺さんへ コメント K-Kです。 こんにちは、渡辺さん。 文中に誤植もありますし、エスピー報告などを追加して改定したいと思い ますので、そのときはよろしくお願いいたします。 いいえ、こちらこそよろしくお願いします。 なお、写真の出所も掲載していただけると、ありがたいと思います。よろ しくお願いいたします。 すみません(笑)。 すっとぼけたことをしてしまいました。 この点は、すぐ訂正しました。 それから、「福田証言」の件ですが、日高氏のインタビュー記事のある「潮」 を閲覧できるのは来週頃になりますので、もうしばらくお待ちください。 これは楽しみです。 どうも、ここら辺の人たちの証言が立場の割に曖昧ですので、資料が欲しいところですね。 ぜひ、よろしくお願いします。 Hide - 02/10/24 23 53 43 電子メールアドレス 英訳について コメント こんばんは、ハイド(そう呼ばれた気がするのですが)です。 abcさんのご卓説のうち、"The least"の解釈についてはおだんごさんと同意見です。言語が違うのですから、直訳して不自然な日本語になるのは、あたりまえだと思います。 おだんごさんも仰られていましたが、大事なのは直訳して不自然なら意味を外さずしっくりした日本語にすることです。 >英語は言語、言葉であって、パズルではありません。 私もそう思いますが、言語には一定のルールがあります。そのルールを大きく外せば訳とは呼べなくなります。 >このような歴史的に意義の大きい文書を翻訳するのであれば、最低でも英検一級、あるいは通訳検定2級程度、本当であれば通訳検定1級の語学力は必要ではないのでしょうか? 私はそうは思いません。私は英検1級も通訳検定2級もありませんが、米国政府へ提出する文書を作成していますし、米国連邦政府の役人の通訳を何度か務めたこともあります。私の場合、飛びぬけて語学力があるとは言えませんが、専門用語の語彙や理解があったため業務に関係する通訳でもあり務まったのですが、ただ単に資格を持っているだけならとても務まらなかったと思います。業務の関係の外国人の講演会へ出かけるのですが、雇われ通訳の人は専門的な知識が不足しているため、しばしば訳を外すことがあります。 要は訳そうとする中身が理解できなければいくら語学力があっても正確な訳をつけることができず、中身を十分に理解してそこそこの語学力のある方が正確な訳をつけることできると思います。 おだんご - 02/10/24 15 26 00 コメント 下訂正 誤:「私には『こんな』わずかなない」 正: 「私には『こんな』わずかな心当たりもない」 おだんご - 02/10/24 15 23 48 コメント 一般的にこんな瑣末な事でさえ、といっているように思われるからです。 なぜここで「こんな」が出てくるのでしょうか。「こんな」と行ってしまえばもう「一般的に」とはいえません。 abcさん、では、あなたは、I don t have the slightest idea.をどう訳しますか? 「私には『こんな』わずかなない」と訳すおつもりですか? the leastはあくまでも「最もlittleな」ですよ。 どうこなれた日本語に訳すかは別問題です。 そしてその「最も些細なこと」とは「想定できる最も些細な」という意味です。見逃してもらえそうな、あるいは軽微な罰で済みそうな「最も些細な」叛乱でさえ、例外扱いされず、「最も重い」死刑に処される、というコントラストが含意されているんですよ。 だめだな、ここの南京否定派は。完璧にひいきの引き倒しになっているよ。abcは知ってても、それだけじゃ困りますね(笑) 整理人 - 02/10/24 15 00 39 コメント abc氏の常識的考察に同意致します。 当時中国人民は悲しいかな、自国軍隊からですら 虐待を受け信用するに足らず、もちろん敵国軍はなおさらであり。板ばさみの状態でありました。 中国側撹乱工作に踊らされ、また国際法逸脱した 便意戦術、南京防衛軍司令官の降伏勧告無視などの あまりにも不適切な行動により、日本側の態度を 硬化させたことは紛れも無い事実であります。 それら自国軍のあまりにもお粗末な行為が、人民に とばっちりとして跳ね返ってくる一端が この訳 文に読み取れます。 中立的立場であった私どもは、南京問題関連の掲示板 に触れるようになりましてからは、その前の中国がわ の日本人や朝鮮人の民間人に対する虐殺などもいくつも知るようになり、日本の一方的悪と言われてきた 南京問題は一から真実を見直されるべきだと確信 致した次第です。 ここの肯定派の方に是非肝に銘じて頂きたいことがあります。 はじめに結論ありきの議論姿勢はとても真実には 到達し得ないでしょう。 abc - 02/10/24 13 10 38 コメント ロム屋さん、JON VOIDさん、ご返事、ありがとうございます。たまたま南京大虐殺に興味があってこのページを拝見し、例の英文を目にした次第で、前後の文脈等は全くわかりませんが、お二方は、失礼ですが英語が母国語の方ですか?英語は言語、言葉であって、パズルではありません。例えば、That is the least you could do.(あなたにもそれぐらいの(些細な)ことはできるでしょ)などの文章を、最上級を使って訳出すると、不自然な日本語になるのではないでしょうか。日本語も言葉ですから。もちろん、問題となっている文章を「もっとも些細な叛乱」と直訳する事はできますが、それは直訳であって、正確な訳ではありません。なぜなら、おそらくここでの筆者は何かと何かを比べた上で最上級を使っているのではなく、一般的にこんな瑣末な事でさえ、といっているように思われるからです。そして、その意味するところを読もうとすれば、当然ながら、その前に述べられたことを指すのだろうと思われますので、「このような」あるいは「このように」という日本語訳を当てるのは、自然だと思うのですが、いかがですか?それから、「老人であろうが」のくだりですが、おそらく日本軍の慈悲のなさ、無差別的に不法な「処刑」を繰り返す行為にたいしてどんな中国人であっても、といっていると思われるので、そのように行間を読む事ができるだろう、と書いた次第です。もちろん、そこには叛乱に対する意志も含まれますが、大事なのは、まさに誰であっても、ということだと思います。おそらく侵略者にとって脅威とはなりえない全く平凡な市民、老人、けが人であっても、といったような受け取り方ですが…もちろん、前後に書かれていただろう事を想像しているので、私としてもはっきりした事はいえませんが、ニュアンスとしては間違っていないのでは? おだんご - 02/10/24 09 26 01 コメント しかし虐殺なかった派っていうのは本当にバカだな。 ぼくは中立派だったが、今回の「論争」を見て、なかった派の浅はかさにとことん愛想が尽きた、、、、 こんな調子でなかったなかったと騒いでいたわけか、、、 この論争が英訳されてネット配信されたらまさに国辱ものだな。 「日本の恥」だからさっさと退散してくれ。 ロム屋 - 02/10/24 08 57 47 電子メールアドレス 一応わけてから コメント ■abcさん と言いますか、英文を素直に訳せば「このような些細な叛乱(抵抗)」という以外には どう考えても読めません。 英文を素直に訳すと「このような些細な叛乱(抵抗)」は 最上級 (The least)が訳出できていない、完璧な誤訳ですよ。 しかも (このような) という語感に引きずられた意訳の付け足しをしているので 部分点すらもらえないよ。 ちなみにここでの文章にある"any chinese"とは、いかなる中国人でもという意味で 誰でも知っているよ、というか知っていて当然。一人を除いて。(笑 老人であろうがなんであろうが、といったようなニュアンスを含んでいます。 訳そのまま。わざわざ後知恵で考えたにしてはお粗末。(笑 含まれている(ニュアンス)は(反乱の積極的意志の有無)でしょ、当然。 ■xさん このようないかなる中国人の些細な非行 いかなる・・些細な・・ 完全にX 非行も死刑を もって報いを受けるであろう 意訳を通り越して、(改竄)になるよ。それじゃあ。(笑 ■竜馬君 最上級と定冠詞の両方表現したい場合 おまえどうするんやー? 文法にうるさいおまえならtheを2つつけるんだろーな(笑 何を言っているんだろ、このひと。 結局、なにも分からずに誤訳とか騒いでいたわけね。 JOHN_VOID - 02/10/24 08 09 45 コメント >>龍馬君 >大虐殺のあった証明ができないわけですから、大虐殺はなかった、ということになった >訳ですね。 左側のメニューにある部隊別資料を参照すれば、虐殺があったことは一目瞭然だろう。 資料を全然読んでいないのか? JOHN_VOID - 02/10/24 08 07 02 コメント >英文を素直に訳せば「このような些細な叛乱(抵抗)」という以外にはどう考えて >も読めません。 「このような」に相当する前節の内容を受ける語句「such , like)がないので、その解釈は無理があります。 「The least insurrection」には、前節の内容を指していないと考えないと文章がおかしくなります。 JOHN_VOID - 02/10/24 07 53 08 コメント 竜馬が引用符なしに私の書き込みをズラズラ書くので誤爆したのでは? 失礼、竜馬君が引用符なしで書いていたので、間違えました。 竜馬君は著作権法の知識も必要だな。 abc - 02/10/24 02 59 56 コメント xさんの訳に同意見です。と言いますか、英文を素直に訳せば「このような些細な叛乱(抵抗)」という以外にはどう考えても読めません。このような歴史的に意義の大きい文書を翻訳するのであれば、最低でも英検一級、あるいは通訳検定2級程度、本当であれば通訳検定1級の語学力は必要ではないのでしょうか?世間には山のように誤訳が氾濫していますが、過去の戦争犯罪の真実を追究すべき研究者達が、まさに不毛とも言える言語をパズル的に捉える「解釈」論争に時間を費やしているのは、とてももったいない気がします。ちなみにここでの文章にある"any chinese"とは、いかなる中国人でもという意味で、老人であろうがなんであろうが、といったようなニュアンスを含んでいます。 渡辺 - 02/10/24 01 07 32 電子メールアドレス 「発電所」の件 コメント K-Kさん、 掲載ありがとうございます。 文中に誤植もありますし、エスピー報告などを追加して改定したいと思いますので、そのときはよろしくお願いいたします。 なお、写真の出所も掲載していただけると、ありがたいと思います。よろしくお願いいたします。 それから、「福田証言」の件ですが、日高氏のインタビュー記事のある「潮」を閲覧できるのは来週頃になりますので、もうしばらくお待ちください。 K-K - 02/10/24 00 38 50 電子メールアドレス 竜馬くんへ コメント 移行するのは、竜馬くんとそのお仲間のものだけですから、安心してください。 また、移行にはまだ多少時間が掛かりますので、この点もご安心を。 っと言っても、自説の根拠が提示できないことが明らかになってしまいましたからね。議論も、もうお終いでしょう? K-K - 02/10/24 00 13 48 電子メールアドレス 少し訂正 コメント 名なし便衣兵さんから指摘を受けましたので、訂正します。 【訂正】 【訂正】 そして、根拠が示せなくなったことが明確になったことにより、竜馬くんの主張が崩壊しているという事実が裏付けられました。 ※ただ今、竜馬くんとその同類の方たちの投稿を、『竜馬くんのページ』に移行中です。 K-K - 02/10/23 23 38 45 電子メールアドレス ■ 結 論 ■ コメント どうやら結論が出たようです。 竜馬くんは、以下のように主張しました。 ---- 引用 ---- ラーべ自身のThe least insurrection(安全区の 家々に飾られていた小さな日の丸がそっくり姿を消した。日本の腕章も。中国人のほぼ全員がつ けていたのだが。そしてつい今し方、ミルズが教えてくれたところによると、相当数の難民が日本大使館を襲おうと考えていたという)は事実であり少なくとも 日の丸と腕章の件(ささやかな暴動、反乱)はラーべの事実認識として記述されている。 ---- 終わり ---- 仮に、竜馬くんの主張である「日の丸」「腕章」をラーベが事実だと認識していたとしましょう。 その前提に立つとしても、ラーベが記した「The least insurrection(ささやかな暴動・小さな暴動)」が「日の丸や腕章の件」を指すというには、クリアしなければならない問題があります。 それは、「日の丸や腕章の件」を、ラーベが「暴動」にあたる行為だと認識したかどうかです。ところが、竜馬くんは、この根拠を提示することができません。暴動とは、徒党を組んで治安を乱す行為を指すわけですが、日の丸を飾らなくなったり、腕章を付けなくなったりすることは、治安を乱す行為とは言えません。 つまり、もし、ラーベが「日の丸や腕章の件」を事実と認識したとしても、その事実が「暴動」にあたる行為ではなければ、「暴動」と記すことは在りません。竜馬くんが、「日の丸や腕章の件」を暴動であるとラーベが認識した根拠を示せないのであれば、やはり、竜馬くんの主張である 「The least insurrection(ささやかな暴動・小さな暴動)」=「日の丸や腕章の件」 は成り立たないことになります。 そして、根拠が示せなくなったことが明確になったことにより、竜馬くんの主張が崩壊したという結論に達したことになりました。 ■竜馬くん、よろしいですね? タラリ - 02/10/23 23 18 03 電子メールアドレス ちょっと待った、VOIDさん コメント VOIDさんの引用 ---------------------------- >南京市民は日の丸を掲げたり、日の丸の腕章を付けていると >日本軍の支持者と疑われて中国兵に攻撃されるのを恐れて 掲揚したり腕章を付けたりするのをやめた。 そんな理由でやめる分けないだろ。 日本軍が南京を占領しているから、日の丸掲げたり、日の丸の腕章をつけて ご機嫌とっているだけで、国民党軍が南京を奪回するとなったら、 そんな日本軍へのお追従をしなくてもいいのだから、さっさと片づけちゃった。 というだけの話し。 それだけ、民心は日本軍から離れていたという事。 ----------------------------- 引用終わり。 竜馬が引用符なしに私の書き込みをズラズラ書くので誤爆したのでは? すでに中国兵が市内に進出しているという噂があるので親日分子として 攻撃にさらされる場合が直ちにあり得るので日の丸、腕章をはずした、 と私は解釈します。 ところで日の丸、腕章は「お追従」という生やさしい理由でやっていた のではありません。日本軍が居座った全期間を通じて日本兵の勝手気ままな、 殺戮、暴行に曝されており、当てにはならないとはいえ日の丸や腕章を つけるに越したことはありませんでした。 民心なんか始めからも何も、日本軍についているわけないですが。 K-K - 02/10/23 22 52 43 電子メールアドレス 自分の主張に根拠がないことを認めるのですか? 竜馬くん コメント 竜馬くん、返答がないということは、「 The least insurrection 」が「日の丸や腕章の件」を指しているのではないことを認めるということですね? 【質問1】「日の丸や腕章の件」を、ラーベが「 The least insurrection 」と認識した根拠を提示してください。 ロム屋 - 02/10/23 22 35 39 電子メールアドレス お粗末な竜馬君 コメント ------------------------------------------------ The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death. ■竜馬さんによる英訳からの重訳 このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑になるであろう。 ------------------------------------------------ やっと竜馬君の逃げまわっていた理由がわかった。 (any)の用法と The leastの最上級の意味がわからなかったんだ。(笑 高校英語の文法が理解できなかったんだね。 -------------------------------------------------- トンでも渡辺訳 - 02/10/21 20 21 57 アメリカ人が大笑いの渡辺英語 - 02/10/22 11 58 10 -------------------------------------------------- ------------------------------------------------- コイルくん - 02/10/21 23 24 25 コメント 入試に英語もあるのか? がんばって、受験までに回路を修正しろよ。 ------------------------------------------------- 恥ずかしく大口を叩いたんだから、渡辺さんとコイルさんに詫びをいれなくちゃね。(^-^ JOHN_VOID - 02/10/23 22 31 20 コメント >日の丸や腕章の件はラーべは事実としての認識なのか >それともその件は 噂 で事実でなかったかだな。 嘘ばっかり。 竜馬君は、自分の論理が破綻していることを自覚して、 論点を誤魔化す挙に出てきた。 「日の丸や腕章の件」を、ラーベが「 The least insurrection 」と認識した根拠を提示してくれ。 それが出来ないから、別の話にすり替えて誤魔化そうとしているだけだろ。 JOHN_VOID - 02/10/23 22 28 09 コメント >君のは日本語のよくあることで、たまたま訳文の >見かけは一致しているが、それを仮定としている >ところが曲解だと再三いってるのよね。 >日の丸や腕章の件はラーべは事実として認識しており >少なくともその事実は小さな暴動(The least insurrection)に相当する。 >したがって 小さな暴動がなかった と言うのは >曲解であり、大嘘であーる。 「少なくともその事実は小さな暴動(The least insurrection)に相当する。 ] というのが大嘘の曲回。 Leastはlittleの最上級だよ。 「小さい暴動」なら「little insurrection」だよ。 There is not the least wind.は「どんな微風もない」 竜馬君は最上級のtheと定冠詞のtheをまだ区別できないのか? K-K - 02/10/23 22 22 14 電子メールアドレス 『渡辺さんのページ』更新のお知らせ コメント K-K@南京事件資料集です。 この度、『渡辺さんのページ』を更新しましたので、お知らせいたします。 今回追加した記事は、「資料:『ラーベと発電所復旧』」です。幅広く資料を網羅していますので、当時の電力復旧事情を知るのに非常に役に立つでしょう。 ぜひ、ご一読を。 『渡辺さんのページ』 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3924/ --------------- 南京事件関連WP ------------------- 『ゆうさんのページ』 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Lounge/3925/ 『南京事件資料集』 http //www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596 ------------------------------------------------------ JOHN_VOID - 02/10/23 22 16 10 コメント >南京市民は日の丸を掲げたり、日の丸の腕章を付けていると >日本軍の支持者と疑われて中国兵に攻撃されるのを恐れて 掲揚したり腕章を付けたりするのをやめた。 そんな理由でやめる分けないだろ。 日本軍が南京を占領しているから、日の丸掲げたり、日の丸の腕章をつけて ご機嫌とっているだけで、国民党軍が南京を奪回するとなったら、 そんな日本軍へのお追従をしなくてもいいのだから、さっさと片づけちゃった。 というだけの話し。 それだけ、民心は日本軍から離れていたという事。 JOHN_VOID - 02/10/23 22 11 24 コメント 日の丸や腕章の件も単なる 噂 だと言ってたんじゃ なかったのか。 そんなこと誰も言ってないぞ。 K-K - 02/10/23 21 46 39 電子メールアドレス 完璧に理解している竜馬くんなら答えるのは簡単でしょう コメント ほら竜馬くん、「完璧に理解している」ならば、回答できるよね? 【質問1】「日の丸や腕章の件」を、ラーベが「 The least insurrection 」と認識した根拠を提示してください。 K-K - 02/10/23 20 43 08 電子メールアドレス 竜馬くんに質問 コメント 竜馬くんに質問。 【質問1】「日の丸や腕章の件」を、ラーベが「 The least insurrection 」と認識した根拠を提示してください。 K-K - 02/10/23 20 40 06 電子メールアドレス タラリさんの投稿を転載 コメント ※掲示板の更新と重なってしまいましたので、転載します。 タラリ - 02/10/23 20 32 19 電子メールアドレス 竜馬君の脳内景色 コメント >日の丸や腕章の件はラーべは事実として認識しており >少なくともその事実は小さな暴動(The least insurrection)に相当する。 中国兵が南京を奪還するという(根も葉もない)噂が流れた。 南京市民は日の丸を掲げたり、日の丸の腕章を付けていると 日本軍の支持者と疑われて中国兵に攻撃されるのを恐れて 掲揚したり腕章を付けたりするのをやめた。 竜馬はここのところの事情がまったく理解できずに、日の丸、 腕章をやめたのは日本軍への敵対姿勢を示したと受け取っている。 アホやなー。ほんまにアホやで。 それから、暴動といったら実力行使をともなうことをいう。 日の丸たたもうが、腕章はずそうが暴動と言えるわけなんか ないやないか。 ラーベは暴動として認識してないで。 暴動あったちゅうのは、あんたの六等脳味噌の脳内景色ですがな。 ついでに松尾板に書いた竜馬の訳 --------------------------- The least insurrection on the part of any Chinese will be punished by death. ■日記の日本語訳[『南京の真実』p.171] このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑になった。 整理部注 時制は明らかに誤り。 ■渡辺さんによる英訳からの重訳 どのような中国人側の小さな暴動ですら死刑で罰せられるであろう。 ■竜馬さんによる英訳からの重訳 このときのささやかな暴動に加わった人たちは死刑になるであろう。 ---------------------------- 英訳なんかできへんので日本語版の誤訳の中の時制を直しただけやないか。 anyの意味わかってるか。Theは最上級についてるんやで。 あったま悪ーい。 私のホームページへ | CollegeLife-Laboのページへ | メイン | 今すぐ登録 web hosting • domain names • video sharing online games • photo sharing free blog • advertising online
https://w.atwiki.jp/romaroma/pages/311.html
カブキ~203年3月 春 許昌~ 少しだけ暖い風が吹く夜の中、桃園で催された宴の席で、落ち着きと張りのある声が響いた。 「対酒」 酒を前にして太平を歌わん 時に吏は門に呼ばず 王者は賢にして且つ明 宰相と股肱とは皆な忠臣にして みな礼譲あり 民は争いせめぐこと無く 三年耕せば 九年の蓄え有り 倉の穀は満ち充ち 白髪をまじえしものは負い戴かず めぐみを雨らすこと此の如くなれば 百穀はかくて成り 走の馬を却けて以て其の土の田に糞やる 爵は公侯伯子男 みな其の民を愛し 以て幽かなるものと明れしものとを退けつ陟しつつ たみを子のごとく養うこと父と兄のごとき有り 礼法を犯すものは 軽重もて其の刑をわかち 路にはおちしものを拾わんとする私のひと無く 囚獄は空虚にして 冬の節には人を裁かず 老い老いしもの皆な寿を以て終るを得て 恩澤は広く草木昆虫にも及びなん (意訳) 酒を呑みながら平和を謳歌しよう 兵役や税金取りの役人はやってこない 王たる者は賢明で 宰相や補佐役は忠実に職務を果たし 礼儀をわきまえている 民人たちは争いを起こさず 三年耕せば 九年もの蓄えになる 倉庫は穀物であふれ 白髪の老人に重い荷を背負わせることもない めぐみの雨が降ったなら そこには様々な作物が実る もはや戦の馬はいらない その馬は田畑に肥やしをやるためにこそあれ 領主たちは みなその民人たちを愛し 悪人を退け有能な人を重用し 我が子同様に慈しむ まるで実の父や兄のように 法律を犯すものがいたなら 正当に処罰し 道に落ちているものをネコババするような者もなく そして牢獄には誰もいなくなった 冬の季節には人を裁かないし 誰もが天寿をまっとうできる 恩恵は広く草木や昆虫にまで及ぶのだ 曹操の詩に聴衆は聴き惚れ、やがて大きな拍手が彼を包み、曹操は頬を緩めた。 その場にいる男たちが、賛辞の言葉を選んでいると、聴衆の一人であった顔色の悪い男、郭嘉が口を開いた。 「曹丞相の望む世は、なんと平和なことか!」 「いやまったく!」 「素晴らしい世ですな!」 「必ずや、民の喜ぶ太平の世を迎えましょう!」 郭嘉に続き、酒宴に招かれた家臣たちが口々に讃嘆を続ける。 曹操は得意げにうなずいたが、あまり満足しているようでもなかった。 すると 「孟徳兄、華北も無事に手に入れたし、このまま天下を治めたらいかがですか?」 従弟の曹仁が余計なことを口走る。 場の空気が一瞬凍り、漢王朝に忠義を捧げている軍師、荀彧が曹仁を睨む。 しかし、曹操は満足げな笑みを浮かべ 「畏れ多いことだ」 と呟くと、凍っていた場の空気が解け、宴がまたにぎわい始めた。 二刻後、三々五々に散り散りとなっり、終わってしまった酒宴の席に長身の偉丈夫が現れた。 程昱であった。程昱は空になった杯や皿を見て、残念そうに肩をすくめた。 程昱に気づいた曹操は声をかけた。 「程昱よ、遅かったな。主君の宴に畏れずに遅れてくるのはお前だけだ」 その言葉に、不遜な笑みで程昱が答えた。 「申し訳ありませぬ、仕事がありまして」 「仕事…だと?」 「ええ、賈詡より文が届きました」 曹操はそれを聞くと不機嫌そうに声を荒げた。 「今さらなんだ!」 「曹丞相への謝辞とお詫びが記されてました。そして、劉紅玉に仕える気持ちになった理由も…、しかし、賈詡なりにけじめをつけるためでしょうか、面白いことが書いてありました」 「というと?」 「妖女の軍の双璧、周賢と項閃についてです。周賢の智恵と才能といったら、我が軍の誰よりも勝ると書いてあります」 曹操は不満げに鼻を鳴らす。 「程昱、お前よりもか」 「左様」 「郭嘉よりもか」 「左様」 「荀彧、荀攸よりもか」 「左様、我が軍の軍師では誰一人として太刀打ちできないであろうと、あの、人を褒めることをしない冷血漢が語っています」 「なん…だと」 「しかし、ご安心ください」 不安げな顔の曹操を、安心させるため、言い聞かせるように程昱は続けた。 「我が軍の、軍師たちが数人で策を練れば、周賢の智恵を凌駕するであろうと述べております。妖女の軍は人材不足だとか。また、周賢が得意な陣立てにも述べております」 「人材か…確かに我が軍には鬼謀の士が沢山いるな…ふむ」 「もう一人の項閃については、かの呂布を思い出すような豪傑だとか」 「呂布だと!」 動揺した曹操は、手にしていた杯を落としそうになる。 「それどころか、武一辺倒であった呂布よりも、戦上手とも述べられています」 「むぅ…」 「そのため、項閃と戦うに当たっては、一騎打ちをくれぐれも受けないことと、常に四人以上の将で相対すべしと書かれております。また、項閃についても得意な陣立てについて述べられているので、今後の参考になるかと」 「ほぅ…その様に的確な助言までするとは、まるで賈詡は間者だな」 曹操がニヤリと笑う。 「いえ、しかし賈詡はこう述べています。“これだけ伝えても、やっと彼らとは互角に戦えるかどうかといったところ。戦をする場合はよくよく考えて覚悟を決めてからにするのがよろしいかと。また戦場にあっては賈詡も全力で戦います故”と」 「あの冷血漢にそこまで言わせるとは、奴らはいったい何者なのだ?」 「さあ…項閃については、かの項羽の子孫であると言われております。そして、あの男の息子だとも言われております」 「あの…男?」 「はい、丞相さまも知る、あの男でございます」 曹操は軽く、眉をしかめた。 「ところで程昱よ、今の話とお前の仕事とやらと何の関係があるのだ?」 「賈詡の文には、周賢と項閃のことだけが書かれていたのではございません。その配下のことも詳細に書かれておりました。その中で一人…」 「ふん」 「徐庶という将をご存知ですか?」 「江夏を落とした知勇兼備の将だったな、我が軍に招きたい者の一人だ」 曹操の間者はかなり詳しい情報を曹操に届けていた。 「左様でございます。そして、その母がこの付近にいると、書かれております。つまりは…」 丞相はサメのような笑みを浮かべ、答えた。 「そうだな、捕えてこい」 バサラ~203年3月 春 江夏~ そろそろ初夏を迎える江夏では、少しずつ稲の準備をしているのか、城下にはまだ幾つもの家に灯がともっていた。 今年は豊作になりそうだなぁ…、徐庶がぼんやりと考えていた時に、後ろから声をかけられた。妻の龐統であった 「あなた様に折り入って、お話があります」 普段は穏やかでニコニコとしている不思議な女性だが、今日は珍しく凛としており、いつもは眠そうな細い眼が今日はしっかりと開けられている。 ただことじゃない! と、徐庶は感じた。だから、徐庶も襟を正し、真面目に向き合った。返事もかしこまった言い方にしたハズだ。 「江夏の城主になり、大変におめでとうございます」 深々と頭を下げる龐統を見て、気味が悪くなった。なんで今さらここでそんな話になるんだ? しかし、徐庶の思いは無視して、龐統は淡々と言葉を続ける。 「あなた様は、とても素敵で素晴らしくて賢くて、勇ましい方です」 おい、褒めすぎだ。そんなに愛らしく微笑むな。 「そして、あなた様はこれから、どうするおつもりですか?」 は? 「一城主として、このままお過ごしですか?」 なにを…言っているんだ? 「男子たるもの、天下を目指してもいいのではないかと申しているのです」 恐ろしいことをいう女だ。姫様に弓を引く気か? 「姫様…紅玉様は、人ではございません」 そんなこと、俺でも知っているよ、何を今さら。 「人ではない者に天下を治めさせるわけにはいきません」 なにを言っているんだ。三皇五帝はいずれも人ではないが、治世が安定したと言われているぞ。 「実は…私は崑崙山から派遣された、仙人です」 なん…だと…。 「私は崑崙山より、紅玉様の監視と、場合によっては討つことを命じられています」 ……なるほどね。 だから、お前は姫様にすぐに気に入られたんだな。 「そして、紅玉様は力をつけすぎました、いずれ曹操と並び立つこととなりましょう」 いいことじゃないか。 「ところで、紅玉様の母君のことはご存知ですか?」 …いや… 「母君は、かの殷周革命の際、殷を滅ぼした傾国の女、妲己でございます」 確か妲己は、斬首されなかったか? 「いえ、五体は砕かれましたが、身体の一部は西方に跳び、かの国で華陽夫人と名を変えてここでも国を滅ぼしかけました。しかし、その時は真の姿を見破られて、蓬莱の地に逃げました」 ならば、姫様はいつお生まれに? 「砕かれた五体が十数年前に復活して、霊帝に近づき、子を成しました。それが紅玉様です」 その後の妲己はどうしたんだ? 「紅玉様を操ろうとしましたが、紅玉様の力の強さに驚き、分体がいる蓬莱に逃げたと言われています。紅玉様は太乙真人が預かることとなりました」 なるほどね…。ところで、龐統よ。 「なんでしょう?」 妲己が悪いのは解ったが、姫様は何も悪くないじゃないか 「いえ、かの邪悪な妲己の娘です。天下を統一した後は魔王のように振舞うに間違いありません」 そうか、それもそうだな。 「我が殿、決意なされたのですか?」 ああ、決意はしたよ。 「ありがとうごさいます!おめでとうございます!」 早合点するな、俺もそろそろ覚悟を決めて本当の事を言おうと思ってな。 「???」 俺の名は徐庶。以前は単福と言った。生まれは蓬莱だ。 「蓬莱ですって?…そんな…豫州穎川郡では…」 ああ、大陸に来てから住んだのは豫州穎川郡だ。 親父の名は徐福、秦の始皇帝が蓬莱に派遣した仙人だ。 「…え……」 おかげで俺も、多少の仙道が使えるし仙人の知識だけならお前より遥かにある。お前が騙されていることもよくわかっている。 「そんな…」 お前は闡教(せんきょう)の奴らにいいように操られているんだよ。お前の兄貴はそれを察した。だから、殺された。 ああ、そんなに悲しい顔をするなよ。俺も悲しくなる。 いいか、今のこの漢の状況はすべて闡教の奴らが仕組んだことだ。 以前の殷周革命の際に殺戒があり、あれだけの命が失われた。 ところで、龐統はそもそも殺戒を知っているか? 「仙人達が持つ“殺生を行わなければならない”という避けられぬ宿命的な罰、と言われていますが…」 きれいにまとめたな。確かに宿命的なものかも知れないが、そんなものではない。 仙人の食べ物を知っているか? ああ、その通り、仙桃や霞と言われている。 だが、霞なんかで腹が膨れるか?答えは否だ。実は、仙人だって、人間と同じものを食べて生きていくこともできる。お前のようにな。 ただ、それだと力が溜まりにくい。特に力のある仙人~崑崙十二大師~ぐらいになると、普通の飯を食べてるとカッコがつかない。 そこで登場するのが霞だ。 そして、あれは霞なんかではない。人間の魂だよ。 封神の儀式なんて言うが、あれは実際は魂を効率よく霞に換える手段だ。 おいおい、こんなところで吐くなよ。泣くだけにしてくれ。 考えてもみろ、黄巾の乱から始まるこの戦乱を。 もともとは仙人の張角が黄巾力士を引き連れて、荒らしまくった戦だ。 そして、十常侍を宮廷に送り込み、天子の心を荒廃させ、妲己が現れて国を傾けるのを黙って見ていて、破壊的な力を持つ娘が生まれるのを保護する。 この娘の本当の力は、絶命する事により発揮される。この中原をすべて破滅させることができるくらいらしいぜ。 そして、失われた民の命はすべて封神榜に集まり、仙人達の糧になるわけだ。 「そんな…魂をすするなんて…それでは、化け物と同じではないですか…」 そうさ、奴らは化け物だ。、董卓よりもよっぽどね。 だから、俺は同じ化け物なら、いい奴と戦いたい。つまり姫様だ。 あのお方自身には、恐らく天下を統一してもなにもいいことなんて起こらないってことはわかっている。 何しろ特に贅沢が好きな姫様でもないし、ご自身の不思議な力で必要な物は集めてしまう。 富も財もいらないお方だ。 そんな姫様がなぜ天下を狙うのか、俺は聞いた。 すると、なんて言ったと思う? “民が笑顔になる世を作りたいのじゃ”だとさ。 真顔で言うんだ。名誉欲も何もない。 人の顔もろくに覚えられないような、人間に興味がないような姫様が真顔で言うんだ。 純真すぎる。 ここで、俺は立たなきゃ人間ではない。 姫様にこの命、くれてやってもいい。 泣くな、お前もそう思うだろ? 仙人の中でも、俺とお前、黄参型だけでも味方になってやろうじゃないか。 「…はい……私も姫様に、この命、捧げます。残念ながらあなた様には捧げることはできないようです」 よくいった! 徐庶は龐統を抱きしめた。 タタラ~203年3月 春 新野 臥竜坊~ どんどんどんっ! 静かな春の夜、街中を貫く轟音。 近所の者には慣れた騒音。 ここは新野の外れ 黄仁の工房であった。 工房の中では、1人の見目麗しい女性と、筋骨逞しい気がする男性、そしてロボがいた。 ロボは今しがた稼働させた不思議な道具を見つめ、その成果である、鉄の巨大な穴を満足した様子で見つめていた。 見目麗しい女性、黄月英が口を開いた。 「お兄さま、これは成功ですか?」 お兄さまと呼ばれた衣類を着たロボは、意外にも言葉を話した。 「ハイ、パイルバンカーの完成デス」 「お兄さま、言葉がわかりにくいです」 「オット、音声モードガ…よし、これでいいですか?」 妹に咎められたロボ…黄仁は、首もとを操作すると、生意気にも流暢に言葉を紡ぎだした。 黄月英が困ったように答える。 「いえ、そうではなくて、ぱいるばんかぁとは何なのですか?」 「ああ、それはすみません。説明不足ですね。パイルバンカーとは、携帯型杭打ち機のこと、つまりこれです」 黄仁は機械的に深々と頭を下げる。 それを聞いていた筋骨逞しい男、臥竜孔明が、衣を翻して仰々しくポーズを決めて、話し出した! 「それはつまり……パイルバンカーですね!」 やっぱり機械的に、深々と頷く黄仁と、それを見て、得意気に頷く諸葛孔明。 黄月英は、頭を抱えていた。 わたしの周りは、なんでこんな人ばかりなんだろう…でも、まあそこが好きなんだけど~♪ と、のろけるあたり、あんたも変な人だ、黄月英よ。 最近のお気に入りである、三角筋と僧帽筋を強調しながら、孔明が問いかけた。 「そのパイルバンカーは、攻城兵器ですか?」 ロボは目を閉じ、頭を横に振る。 「では、これだけの火力を何に使うのですか?」 ロボの瞼がキリキリと音を上げ開かれる。当人としては、カッ!と開いたつもりであろう。 「それは、仙人に対して使用します。仙人達のアーマーギアや義体、つまり機動甲冑や肉体変化を打ち破るための兵器、宝貝です」 「仙人?宝貝ですって!」 「なん…だと…」 いままで、まだ一人のろけ妄想モードに入っていた月英が正気に戻り、孔明はどさくさに紛れて、上半身を脱ぎながら広背筋を強調しながら、驚愕していた。 「ハイ、対仙人用のガジェットデス、アレ?声ノ調子ガ…あ、直りました」 首のカバーを突然開けて、配線を剥き出しにするロボが続ける。 「これがあれば、士義殿や孟達殿のような英傑でなくても、仙人と戦えるようになります、この杭なら仙人の仙骨を砕き、血水に還すことができるでしょう」 「この孔明用の、筋肉が役に立つ武器はありませんか?」 「あなたには、この藍晶翼扇(ランショウヨウセン)という白扇をお渡しします。これはあなたの筋肉が発する電気に応じて、光線がでます。この光線はかの有名な宝貝、莫邪宝剣にも劣らずの力を発揮する事でしょう。しかも、莫邪宝剣と違い、この光線の力の源は、孔明殿、あなたのその、鍛え抜かれた筋肉です!」 結局、言語機能の調子が悪く、胸元のスピーカーから音を出す黄仁。口元が全く動かないのは、いっこく堂もびっくりである。むしろこわい。 「筋肉量に応じて、光線の強さが変わるですと!この孔明、文才兄のお役に立つため、より一層、鍛練(トレーニング)に励みます!」 そう言うと、裾を翻して、さっそく鍛練室に去ろうとする孔明。そのまま去ればいいものを、余計なことにロボが声をかける。 「孔明殿、あなたは筋肉でなく、知謀で文才を支えてはいかがでしょう?司馬徽先生の下で学び、万巻の書を読破したあなたの知謀ならば、文才殿にも劣らないと思いますが」 それに、ビッグスマイルを決めて孔明が答える。 「我がサル知恵など…文才兄の足元にも及びませぬ…。あれはそう、1月の年明け、戯れに文才兄と囲碁を打ってました。そこそこいい勝負ができている、と自負していたのですが、そこに姫様が通りかかり、“周賢、がんばれよ”と声がかかった途端、あれよあれよと負けてしまうのです。次の局でやはり姫が“周賢、手加減してやれ”とおっしゃると、この孔明が勝たされているのです。そして、もう一度の局では、“周賢、ほとほどにな”との声がかかったら、なんと…一石も違わずの引き分けにしてしまったのです。この孔明、文才兄の手のひらで踊っているだけでございます。ですから、この孔明の知謀ではなく、健康体操から元気になり、ここまで成長した筋肉達でお手伝いしたいと…」 いつしか、孔明は万感こもってか、拳を握りしめ涙と鼻水をダラダラと垂らしていた。 「孔明様、素敵…」 月英夫人よ、ウットリするな。 「ところでお兄さま、どうして発明する武器はいつも爆発するものが多いのですか?この光線も当たると爆発するとか…」 現実に戻れば、月英姉さんもたまにはいい質問をする。 間髪入れず、練筋術師、諸葛孔明が答える。 「爆発は男の浪漫だからさ!」 「ああ、孔明様!」 なんだか勝手にテンションが上がり、抱き合う二人を横目に、冷静にロボが答える。 「ソレハね月英、爆発すると轟音が上がる。轟音が上がると、兵士が驚く、そして逃げる。 逃げてもらえば、犠牲をあまり出さずに戦を終わらせることができる。 いくら、士義殿や漢升叔父でも、犠牲を少なくするための戦い方は難しいだろうからね」 「参型兄、それはとても素晴らしいことですね。姫様の意向にも沿います」 一日の内、数秒は孔明も正気に返るらしく、今は清々しい表情で、尊敬の眼差しで、黄仁を見つめた。 「どうせなら飛燕殿の弓もカーボン製に換え、矢には爆発物をつけるようにカスタムしたいものです」 ちょっと前まで立派なことを言っていたロボは、やはり単なる発明バカ、ボムフリークなことが露見した。 ミストレス~203年4月 初夏 新野~ 三月十日 晴れ 今日は風が強かったが、黄砂が珍しく薄く、遠くの山もよく見えた。 頭領の指揮の下、訓練をした。 指揮をしている頭領は凛々しかった。 三月十六日 曇り 今日は雲が多く、月も出ていなかったが、おかげで星が良く見えた。 頭領の指揮の下、護衛をした。 指揮をしている頭領は勇ましかった。 三月十五日 晴れ?雨? 今日は降ったりやんだりで、落ち着かなかったが、黄砂が雨で流されて、遠くが良く見えた。 頭領の指揮の下、山賊退治をした。 指揮をしている頭領はおおらかだった。 三月二十八日 晴れ 今日は桃のつぼみが膨らんでいた。遠くの山は桃が咲いていた。 頭領の指揮の下、花見をした。 指揮をしている頭領は豪快な飲みっぷりだった。 「さて…と」 今日の分の日記を書こうと思った項月は、ふと思った。 わたしってば…日記の才能が…ない? そんなことはないよね。そう思い、日記を見直す。 今月よりも前の日記も見直す。 一月一日 晴れ 今日は新年で天気も良く、初日の出が良く見えた。 頭領の指揮の下、新年の宴会をした。 指揮をしている頭領は優しかった。 二月十八日 今日は少し寒いが、梅が咲きはじめていた。遠くの梅林も鮮やかになっているのが良く見えた 頭領の指揮の下、騎馬の催しをした。 指揮をしている頭領は機敏だった。 「なん…だと…」 気がつけば、毎日同じようなことしか書いていない。 頭領の事が半分以上なのはわかる。それはいい。だって、頭領は立派だし、偉いし、最高だからだ。 しかし、それ以外は天気の事と、見えた物しか書いていない。 わたしは自慢じゃないが、頭は悪くない。頭領とは比べ物にならないが、四書五経は修めたくらいの知識はある。 文才だってあるハズ…あ、文才なんて呼び捨てに…そんな…ウヘヘ。 「副頭目、帰ってきてください」 一人でモジモジしているところに、爆裂団一黒い男、ンクルマが音もなく現れ、声をかける。 0.05秒で爆裂団の冷徹な副頭目の表情を取り戻し、答える。 「なんの用?」 さりげなく、日記は隠す、これ基本。 「副頭目と士義様の一族の…、項家の方が参ってます」 項月が客間に行くと、項家の従弟が待っていた。項月は冷たい目を向ける。 「縁は切ったはずよ、早々と帰りなさい」 待ちくたびれていた従弟は驚く 「飛燕姉、待ってくれ、玄奘(げんじょう)叔父さんと雪梅(しぇめい)叔母さんが亡くなった!」 「父上と母上が!」 片眉を上げ、項月が反応する。部下の手前、ほとんど動揺を見せないのはさすがだ。 「先月末、何者かに殺れた」 「母上はともかく、あの父上が易々と殺されるようなタマではないでしょう」 「それが…噂では仙人だとか…あくまでも噂だよ、噂」 項月の冷たい瞳に、凍えるほど燃えさかる炎が灯るのを見た従弟は慌てて言い繕う。 「ありがとう、帰って。礼は弾むわ」 副頭目の冷やかな怒気を畏れ、慌てて従弟は部屋を出ていった。 「ンクルマ、調べて。あと、閃には内密に」 了解、とンクルマが去ると、項月は再び日記を開いた。 四月三日 父と母が亡くなった。 ひと目、会いたかった。 初めて、周賢の事以外を書いた夜。項月は声をあげて泣いた。 カブト~203年3月 春 下邳~ 大きな屋敷に血の匂いが充満する。月明かりの下、読書に耽っていた玄奘はふと目を上げた。 一陣の風とともに、目の前に長いひげの老人が血刀を持って立っていた。 「久しぶりじゃのう、劉備、いや、高順」 玄奘は苦笑いで答えた。 「俺は田舎者の項玄奘さ。久しぶりだな、赤精子。お得意の陰陽鏡で俺を血水にでも変えに来たか?」 赤精子は項玄奘の軽口には返答せず、かすれた声で話しかける。 「項玄奘よ、また高順に戻らぬか?なんなら、お前の複製体に変わって劉備に戻るのもいい、何しろ今の劉備は戦下手だからのう」 「しかし、民の心を惹き付ける。あれはいい君主になるよ」 軽く手を振りながら項玄奘が答える。 「何を言っておる!中山靖王劉勝の末裔、劉備よ!お前は戦上手で黄巾の乱を収め、公孫瓚の下で袁紹相手に勝利し、陶謙を助けて曹操を押し返した」 赤精子のかすれ声はやがて大きくなり、言葉を続けた。 「やがて、呂布が来ると、劉備を複製体に任せて、お前は高順と名を変え、曹操を再び破った、お前は戦の申し子だ!」 「だからこそお前たちは項家の者たちと結託し、項家の血筋に組み込もうとしたのだろ?」 赤精子は囁いた 「無論、お前のその才能と覇王項羽の血が混ざれば、最高の殺戮人間宝貝が出来上がるからな、そして事実…できた。 項閃という最強の人間宝貝がな」 「俺は項月も立派だと思うがな」 「もちろん、項月も我々の予定通り、馬賊に成り下がり、世を混乱することに一役買ってもらう…ハズだった」 項玄奘は嗤った。 「だが、それらの目論見は全て崩れた。項月は周賢という希代の知謀の士の前にひれ伏し、呂布に代わる最凶の殺戮兵器であった項閃は、劉家の姫様のものになった。仙道は未来を見据えなかったな」 赤精子の瞳に怒りが宿った。 「おのれ、曹操の斬首から救ってやった恩を忘れたか!それに、まだ我々の計画は予定通り進んでいる!」 本物の劉備は答えた。 「俺は呂布と戦えて楽しかった、だから死んでもよかったのに、使い道があると勝手に救ったのはお前たちだよ、仙人」 「今が使い道だ!役目を果たせ!」 赤精子の吠えるような怒声に、項玄奘は静かに答えた。 「仙人、俺は戦が好きだ。武も好きだ。関羽と張飛を舎弟にしたのは、俺の人柄だけじゃなくて腕っ節で勝ったからだぜ。もう一度、曹操とも戦いたいと思うし、孫家の奴らとも競い合いたい。何かを求めて戦が起こり、戦いの結果で人の命が失われるのは仕方ない。だがな、人の命を奪うのが目的の戦なんて、俺はもうこりごりだ」 「それにな仙人、お前がたった今殺してきた、うちの下人どもや、雪梅も口うるさい誇り高いだけの小物たちだったが、俺はそれなりに愛してたんだぜ」 赤精子は鼻で笑う。 「項の名前にしがみついて暮らしている虫けらなぞ、お前のような英傑の人殺しには関係ないじゃろうが、それよりもその命、我らが大義に仕えよ」 項玄奘は静かに続けた。 「俺は英傑でなく、ただの人間だ。妻の仇の赤精子、お前の陰陽鏡と俺の剣、どちらが早いか試してみようぜ」 「なん…だと…」 赤精子は驚き、慌てて陰陽鏡を構えた。 間に合った。項玄奘は血水になった。 ほっとした赤精子はふと、胸元を見た。見たことがない剣が生えていた。 間に合わなかった。 赤精子は、死にたくないよぅ…と童子のような悲鳴を上げながら灰になった。 血水となったハズの項玄奘の最後の声が響いた。 「劉備、後事は託した、項閃、天下を託すぜ…」 カゲムシャ~203年3月 春 武陵~ 熱い湯船につかると本当に疲れが染み出ていく。 贅沢をしない劉備にとって、入浴という紅玉から教わった文化は、週に一度の唯一の贅沢だ。 湯船で考える。 このまま、劉星に攻め込むのが正しいことなのか、戦を避けるべきか。 しかし、自分は劉ショウにも恩義があり、戦いでしか借りは返せない。 関羽と張飛、趙雲と孫乾は賛成してくれているが、果たして勝てるのか。 また負けるかもしれない。だが、劉ショウのため、劉ショウが引き受けてくれた民衆のために戦おう。 だが…自分でいいのか? 本物の劉備でなくていいのか? いつも、この問題に突き当たる。 自分は劉備の代わりでしかない。関羽達を騙しているのも申し訳ない。 戦だって、全然勝てない。 得意なのは草履を編むことだけだ。 今日も30足編んだ。編んでないと落ち着かない。 明日こそ、関羽達に本当のことを言おう。 言って、本物の劉備を迎えに行こう! そう思って、湯船から立ち上がった。 その時! 劉備にはわかった。 「なん…だと…」 劉備の霊圧が…消えた。 もちろん、本物の劉備の存在だ。遥か彼方で消えた。 声まで聞こえた。 「劉備よ、後事を託す」 風呂場でよかった。 涙が止まらなくなった。 散々泣いたら、気持ちが軽くなった。 腹を括った。 自分は、劉備である! 義の人、劉備である! だから、戦う。 負けても、戦う! それが、劉備だからだ! カリスマ~203年4月 初夏 武陵~ うぬぬぬおりゃ~! 猪口才な~! 青龍偃月刀と蛇矛が振るわれる度に幾人もの首が気持ちいいくらいに飛ぶ。 蛇矛を振り回す虎髭の男、張飛は関羽に近づき、怒鳴る。 「おい、雲長!こいつらはあとどのくらい斬ればいなくなるんだ?!」 青龍偃月刀を振り回す殺戮髭が肩をすくめる。 「わからん翼徳ー!だいたいこいつらは人ではないたろ~!」 「じゃあなんだ~!?」 「せいぜい、ホラ、以前に兄者が言っていた、黄巾力士に似てないか?」 それを聞いて、張飛は何かがつながった!という顔になる。 「じゃあ、殺し放題か?」 「だろうな」 よし、と張飛は馬首を巡らし、黄巾力士の大群に飛び込んでいった。 一刻後。 すべての黄巾力士と先導していた仙人を殺戮して満足した張飛と関羽は、近くの泉で休んでいた。 「雲長、さっきのはなんだ?」 二人の内、知恵者である関羽は髭を弄りながら考えている。 「うーむ、恐らく、あれだ。そうだ、あれだよ」 「あれじゃわかんねえよ」 「じゃあ、例のそれだ」 「それでもわかんねえよ」 適当に誤魔化そうかとしたが、意外に虎髭バカは食らいついてくる。 「雲長、お前バカだろ~」 「なん…だと…」 雲長の目の前が真っ赤になった! バカにバカって言われるなんて! 誇り高い雲長は、気がつけば張飛を張り倒していた。 ハァハァ。 不意打ちをもらっては、さすがの張飛も目を回すしかなかった。 目を覚ました張飛はおもむろに言った。 「そもそも、黄巾力士なんて、崑崙山の手下どもだよな」 張飛よ、頭を打って、良くなってしまったのか? 関羽は心配そうに答える。 「まあ、そうだな、ところで大丈夫か?」 張飛はそれには大丈夫と答えながら、続ける。 「俺たちは、兄者は崑崙山と仲良くなかったっけか?」 「確かに…、俺らの前の兄者は仲が良かったと思うが…」 そこまで言った関羽を張飛が制した。 「おいおい雲長、バカなことを言うな、俺らの兄貴に前も後もねえだろ」 「そうだな翼徳、俺らの兄者は中山靖王劉勝の末裔、劉玄徳ただ一人だな」 張飛の珍しい真剣な眼差しに、関羽も真面目に柔らかな笑顔で答えた。 その笑顔を見ると、張飛はバツが悪くなったようで、少し照れながら、話題を逸らした。 「あ、でもよぅ、前の、その、俺らの…はいまどこにおられらっしゃれるのだ?」 関羽も軽く笑って答えた。 「今は項玄奘と名乗っているらしい。項羽の末裔に養子に入ったとさ」 張飛は何かが繋がった。 「それってば、紅玉姫のところの項閃の親父だってばよ!」 どこかの忍者のような口調になりながら、張飛は珍しく冴えていた。 「そうか!どおりで強いわけだ!」 関羽は膝を叩いて喜んだ。馬の骨に負けたのは屈辱だが、あの御方の息子なら悔いがない。 「ま、でも、俺は兄者が好きだぜ」 張飛はバカでも純粋である。 もちろん、関羽もバカなので純粋だった。 「もちろん、俺もだ。兄者は俺たちに入れ替わったのがばれてないと思っているみたいだがな。兄者が崑崙山と決別したなら、俺達も戦うだけだよな」 どちらの兄貴も好きだ。劉備、劉玄徳が大好きな二人に理由は要らなかった。 「好きだと言えば、翼徳よ」 「なんだよ、関兄ぃ」 「お前、最近、うちの銀屏(ぎんぺい)にちょっかい出してるらしいな。呂布から手に入れた宝玉を翼徳おじ様がくれたの~って自慢していたぞ」 「ギクッ!」 「お前は、相変わらず少女趣味が直らんようだな。俺が修正してやる!」 雲長、怒りの鉄拳! クロマク~203年4月 初夏 太華山・雲霄洞~ そろそろ夏も近づいているというのに薄ら寒い洞窟の中、崑崙十二大師、厳密にいえば、ここの洞の主、赤精子は死亡したため、十一人が一堂に会していた。 個人主義が基本である崑崙山としては、幹部がみな集まることはとても異様である。 集まった面々は以下の通り。 広成子(こうせいし)九仙山・桃源洞 黄竜真人(こうりゅうしんじん)二仙山・麻枯洞 太乙真人(たいいつしんじん)乾元山・金光洞 玉鼎真人(ぎょくていしんじん)玉泉山・金霞洞 霊宝大法師(れいほうだいほうし)崆峒山(こうとうさん)・元陽洞 道行天尊(どうこうてんそん)金庭山・玉屋洞 清虚道徳真君(せいきょどうとくしんくん)青峰山・紫陽洞 懼留孫(くりゅうそん)夾竜山・飛雲洞 文殊広法天尊(もんじゅこうほうてんそん)五竜山・雲霓洞 慈航道人(じこうどうじん)普陀山・落伽洞 普賢真人(ふげんしんじん)九功山・白鶴洞 彼らは元々、意見をすり合わせるなどとはしないため、あーでもないこーでもないと延々と1週間以上も話を続けていた。 やがて、太乙真人が焦れてきたため、話をまとめ出し、仙人達はそれに対して質問を出すことにした。 「つまりはさしあたって、紅玉の勢力をこれ以上延ばしてはならん」 それはなぜだ? 「紅玉は生まれは、霊帝の娘だ。勢力までも強くなってしまったら、諸侯が抗う理由がなくなり、天下に泰平が訪れてしまう」 そうなると、命が刈れないということか。 「いかにも、我々が長年かけて実行してきた計画が、すべて灰燼に帰してしまう。我々がせっかく作った宝貝も効果のほどを試すこともできぬまま、埋もれてしまう」 すると、紅玉を殺すということか? 「いいや、殺してしまっては、紅玉の命の炎が、この中華の大地を焼きつくしてしまう。人が大量に死ぬことは大歓迎だが、残念ながら紅玉の炎は魂も焼きつくしてしまい、我々には何も残らないし、紅玉の炎はもしかしたらこの崑崙や玄都をも焼きつくすかもしれん」 しかし、お前の持つその紅玉の瞳がなければ、そこまでの力はあるまい。 「何を言っている、わしが紅玉の瞳を繰り抜いたからこそ、紅玉の命の炎は半減し、中華の大陸を焼きつくす程度なのじゃ、すべてがそろうと世界が焼き尽くされる」 ならば、殺さずに、どうする。 「献帝などのように、幽閉されるのが望ましい。そのため、一番いいのは項閃士義、あの殺戮宝貝が紅玉を裏切ればいいのだがなぁ」 それは可能か? 「項玄奘が生きていれば可能であったかも知れんが、赤精子のバカが懐柔を失敗してしまったため、それは無理じゃな」 では、どうする。 「双璧の一人である周賢文才に働いてもらう。あれの知謀は中華一じゃ」 商人の息子崩れで馬賊の長ではないのか? 「何を言っている、あやつの先祖は遡ること数十代すると先祖はあの周公旦だ」 なんと!我らと殷周革命の際の我らと同陣営ではないか! 「いかにも、文王の息子であり、武王の弟で名摂政の周公旦だ。周賢自身は直径ではないかも知れないが、少なくともその知謀と見識は周公旦の上を行く」 なん…だと…。 ザワザワ ザワザワ。 十二大師達の落ち着きがなくなる。 「しかし、これを懐柔して逆に紅玉を操ってしまうのがよい。孫家とも争わせ、最終的には曹操に天下を取らせるのはいかがか?」 それはいい! しかし、劉備はどうする? 「あれは複製体のできそこないの分際だが、不思議と人徳は高く、思想は我々とは相容れない、早々に処分するがよかろう」 関羽と張飛、趙雲は侮れない英傑だが…。 「そのための呂布であろう」 呂布!もうキズは癒えたのか? 「あと少し、そうすれば、また平原を鬼神が疾駆する姿が見れるじゃろう」 では、劉備は滅ぼせるな。 後の紅玉の押さえとしては? 「ホウ統を派遣して、内部から離反者を産み出していく。まずは徐福の子、徐庶。そして、周賢と同じく周公旦の血を引く周瑜も説得してしまおう。周瑜はもともと紅玉陣営にいることがあまり面白いことだとは思っていないからのう」 臥龍はどうする? 「臥龍は厄介だが、周賢を説得すれば臥龍はいかようにも操れる。ただ、黄仁の動きも厄介かもしれんな。よし、そこは手を打とう」 とりあえず、主たる軍師達を骨抜きにすれば、よいと。 「いかにも」 これで、また大陸に血の嵐が吹き荒れる。 魂が刈り採れ、我らは万々歳じゃなあ。 「さっそく、我らが主、元始天尊に報告じゃな」 仙人達の一週間に渡る会議は、とても陰惨な決定を下した。 エグゼク~203年4月 初夏 建業~ 夢のような宴席が終わり、早1ヶ月半が過ぎようとしていた。 中原では戦火が起き始め、孫権や劉備が軍を起こして、紅玉軍と激突するという報告は受けている。 孫権軍の側面をつけば、かなりの痛手を与えることもできよう。しかし、援軍の要請は来ていない。 ならば、無視して見物するか。周瑜はそう判断し、出陣をしたがる伯符を押しとどめ、平穏に暮らしていた。 今日も四書を読み、書をしたためる周瑜の元に、伝令がやってきた。 仙人と名乗る者が会いたい言っている。 仙人はまっぴらだ。と周瑜は思った。 なぜなら、もちろん左慈の一件がある。あのおかげで親友の伯符の命は危険になり、助かったものの結果として紅玉の軍門に下ることになった。 周瑜の本音としては、まだ紅玉にハッキリと頭を下げたつもりはなかった。 なにより、周賢という軍師がいるからである。 周瑜のプライドが周賢のことを認め、受け入れることがまだできなかった。 今のような、建業で油を売っているような生活は不本意であった。 本来ならば曹操と、身を削り合うような薄氷を踏むようなギリギリの戦いをしていたハズである。 充実した毎日を送っているハズであった。 病に冒されている。 そう感じたのは半年ほど前であった。 あと生きて数年のこの命、無駄に平穏には生きたくない。 もっと熱く、激しく生きていきたい。 そう感じている周瑜にとって、紅玉の陣営の効率良い戦い方は不満であった。 周瑜の力を発揮する場所がない。 不満であった。 「その不満、ぶつけてはみないか?」 戸口に不思議な人物が立っていた。ひょろりと細長い風体の人物。特に武器も持たず、散歩に出たかのような気楽さで戸口を潜ってくる人物。 こいつが先の話の仙人だと直感した。 「いかにも、愚僧は慈航道人(じこうどうじん)、崑崙山の崑崙十二大師の一人よ」 心を読まれたか。 「周公瑾よ、お前の力を惜しいと感じていたので、やってきた。 お前は、建業でひっそりと余生を過ごすような匹夫ではないだろう。そう、お前は中原に名を馳せるべき、偉丈夫、英傑だ!」 「私に何をさせたい」 心にで思っていたことを言葉にされた動揺を隠しながら、美周郎は答えた。 「崑崙山から選りすぐりの軍を1万出そう。お前の親友の孫伯符を旗頭にして、新野を奪い、曹操と対峙し、中原に泰平の世を築いてはどうか?」 「劉紅玉様に反旗を翻せと」 「反旗を翻す…などと、そのような小さなことではない。お前のその才能は劉星の軍師である周賢を遥かに超える。 反旗を翻すわけでなく、周賢と計略を戦わせ、智を競うために、1万の兵を出してもいいと言っておるのだ」 「ふむぅ」 美周朗はその美しく細い顎に、右手を添えて考える。 「つまり…」 周瑜は言葉を選びながら、ゆっくりと話した。 「つまり…………、劉紅玉様に反旗を翻せと」 「え?そこに戻っちゃうんだ」 あれだけ溜めて、これを言う?慈航道人は呆気にとられた。 「戻ったのではなく、つまりは簡潔にいうと、反旗を翻させたいのであろう!」 「む、まあ、そ、そうなる」 気がつけば、周瑜が会話の主導権を握っていた。 「慈航道人、遠路はるばるとこんな建業まで、お越しいただき、ありがたいことだ」 慈航道人がニタリと笑い、黄色くなった歯を見せる。 「周公瑾殿よ、では、さっそく軍をお貸しいたそう」 うやうやしく、頭を下げる慈航道人に周瑜は爽やかな笑顔で優しく言った。 「本当に助かります。ご老体よ、風邪をひかぬうちに崑崙山に帰られよ。建業では伯符という風邪が流行っていて、ひいてしまうと、首と胴体が離れることになる。 そうなる前に帰られよ」 「なん…だと…」 慈航道人は黄色い歯で歯ぎしりをする。 周瑜は、美周郎と言われるだけあって、何をするのもスタイリッシュである。 今はスタイリッシュに鼻の頭を掻きながら、続けた。 「慈航道人、私が周文才殿と知恵を競いたくなったら、その時は自ら軍を集め、動かします。だいたい…」 「???」 「私は周文才殿を好敵手として見ているが、嫌いではない。それに姫様にも最大の忠義の心を抱いている」 「では、なぜ今、援軍を出さぬ?」 美周朗はスタイリッシュに照れ顔を見せた。 「それは…その…、私と伯符が出陣すると、喬静(きょうせい…大喬)殿と喬婉(きょうえん…小喬)殿が寂しがりますからなぁ」 慈航道人は鳩が豆鉄砲を食らったような顔をする。 「それだけの…ことで…」 美周朗はスタイリッシュに蔑んだ目で慈航道人を見つめる。 「まあ、非モテにはわからないでしょうなぁ」 「リア充爆死しろっ!」 そういうと、一迅の風となり消えうせた。 その目には、一粒何かが光っているように見えた。 「いやぁ、キツイっすね」 戸口で陸遜が呆れた調子で言葉をかける。 私用で周瑜に用事があったので来てみたら、慈航道人と周瑜が不穏な会話をしていた。 話の結果によっては かったりぃけど、まとめて殺るか~。 と覚悟を半ば決めていた陸遜には、周瑜の言葉はとても意外だった。 陸遜から見ても、周瑜の普段の態度は不満だらけとしか見えないのである。 「陸伯言よ、お前は私たちを殺す気でいただろう」 「とーぜんすね、だって謀反なんてチョーカッチョ悪いっすよ」 「その通りだ、チョーカッチョ悪いっす…だな」 白い歯を見せて、周瑜は笑う。 その顔を見て、陸遜も身体を揺らして笑う。陸遜が身につけている金属製の飾り物がジャラジャラと音を立てる。 周瑜はひとしきり笑った後、ふと思い出したように言葉をかけた。 「ところで、何の用だ?」 「文才様からの伝言っすよ、そろそろヘソを曲げる前に軍を出してくれ…とのことです」 「む…さすがに文才殿、私の心を完全に読まれている…今回は…負けたな」 それを聞いて陸遜はおどける。 「あれぇ、勝ったことなんかあるんスか~?」 美周朗はそれを聞くと、勝ち誇ったようにスタイリッシュに決めポーズをとる。 「勿論だ」 スタイリッシュに続ける。 「私には…かわいくて素敵な、妻がいる!」 「リア充爆死しろっっっ!」 走り去る陸遜の目には、光る物が見えたという。 マネキン~203年4月 初夏 建業~ 寝屋で一組の男女が絡み合っている。 時には激しく、時にはゆっくりと。 それはとても優しく、とても情熱的な営み。 美しい恋人達の時間。 「痛い痛い痛い痛い痛い、ギブギブです喬静(きょうせい)様ぁ!」 「あらあら伯符様、これ位で痛いなんてことをおっしゃらないでくださいな。だって、男の子でしょ?」 「いやいやいやいや、これ痛いって、肩の稼働域越えてますよ~、喬静様ぁ、もしもし~?」 ミシミシ、ギリギリ。 関節が嫌な音を通り越して、変な音になりつつある。 そんな愛の営みもあるかもしれない。 卍の様に絡み合う二人。 後世にはオクトパス・ホールド、アントニオ・スペシャル、グレイプヴァイン・ストレッチと様々な名称を持つこの技が初めて使われたのは、この夜だったことは二人しか知らないが、この後に孫策が必殺技として数多くの戦場で使用し、世に孫策の卍固めと呼ばれる様になったのは、皆様も知るところである。 「ところで伯符様、先ほどのお話をもう一度してみてくださる?」 「あの、すみません、痛くて思考できません!ひぃぃぃぃ~」 飢狼伝の敗れ去る雑魚のように情けない悲鳴をあげて、助けを乞うた。 さすがに可哀そうになったのか、大喬も技を緩めた。 孫策が…ほうっ…とため息をついた。 「あの…本当にすみません…もう花鳥殿や風月殿を側室にしたいとか言わないです」 大喬はそれを聞くとニッコリと笑い、技を解いた。 そして、孫策の横にペタリと座り込むと寄り添い、肩に頭をもたれる。 「良い子です、それでこそわたくしの伯符様です」 今度こそ恋人の時間が始まる。 孫策の腕枕で幸せそうな、それでいて不安そうな顔で大喬は訊いた? 「明日の出立は何時頃ですか?」 「昼前だ」 「寂しく…なります」 大喬が涙をぬぐい、孫策の寝間着で鼻をかむ。 マジかよ…と、表情を隠して、大喬を強く抱きしめた、 「大丈夫、必ず帰ってくる」 「心配です」 「すぐに帰ってくるよ、何しろ文才様と公瑾の二人の天才が策を練るんだ。失敗するわけがない」 「それに伯符様の武勇もありますしね」 笑顔になった大喬の声に、孫策は大きく頷いた。 「わたくし、伯符様がお帰りになりましたら、たくさんのごちそうとお酒を用意しておきますね」 「ああ、そうだな、そうしてくれ」 孫策は爽やかに笑い、調子に乗って続けてしまった。 「それから、たくさんの美女もな」 「伯符様?」 「あ、いまのは…ことばの…あやで…」 「このまま、寝たままの卍固めはご存知?」 「なん…だと…」 史上初のグラウンド卍固めも今宵、初披露された。 「項飛燕様の件、花鳥様、風月様の件、そして今の件…仏の顔も三度までです」 「お…お助け…」 ミシミシ、ギリギリ。 「伯符様」 「は、はい」 「わたくし、残酷ですわよ(はぁと)」 「ゴージャぁぁぁぁーーーーーース!!」 アヤカシ~203年4月 初夏 幽屋~ 晴れた日、芝生が広がっている気持ちのよい庭で二頭の白と黒の狼が、絡み合ってじゃれ合っていた。 互いに、時には上に、時には下になりながら、子犬の様に遊んでいる。 やがて飽きたのか、互いに離れ、眩いばかりの光とともに、二頭の大狼は、二人の可憐な少女の姿に変わった。 二人はかしましく、ニコニコと話し合いながら、近くにある白いテラスに上がり、テーブルからクッキーを手にして、紅茶を飲みながら、談笑を始めた。 「花鳥はあの白い腕がいいな、特に右の手が美しくて、よだれがでるよ~」 「風月はあのすらりとした、透き通るような白い脚かなぁ、いいよね~」 髪の色、目の色以外はそっくりの少女達が、妙な話をしている。 銀髪、銀目の少女、花鳥が最後のクッキーに手を伸ばす。 「それにしても、おひー様を早く食べたいなぁ、いつになったら死ぬのかなぁ」 黒髪、黒目の少女、風月が花鳥の手をいなし、最後のクッキーを確保しようとする。 「でも、おひー様が死んでしまったら、中華の大地は炎に包まれてしまうのよ」 風月の手の横をすり抜けてクッキーに手を伸ばす花鳥。 「まあでも、花鳥たちはおひー様の炎では死なないように作られているわけでしょ?」 花鳥の手を右手で押さえ、左手も使いだした。 「でもそうすると、風月たち以外の人は死んでしまうよ。大好きなホウ統先生や、飛燕様や、文才様、士義様も~」 花鳥も負けじと、風月の左手を、左手で押さえた。 「そっかぁ、それは嫌だなあ…でも、おひー様、食べたいよねぇ」 とうとう直接クッキーを食べに頭を突っ込みだす両名。 そこからは言葉もなく、お互いがクッキーを食らいつこうとする。 風月がクッキーをさらい、そのクッキーに花鳥がかじりつき、ほとんど口づけのような状態の時に声がかかった。 「お前達、物騒なことを言うな、だいたい、それはわらわのじゃ!」 彼女たちの主人であった。 紅玉は二人に近づくと、二人がくわえていたクッキーを取り上げ、パクリとする。 「あ、おひー様、おかえりなさいませ~☆」 花鳥が嬉しそうに近づき、紅玉のカーディガンを受けとる。 「おひー様をいつ食べられるか、楽しみで話してたのです」 風月は控えめに、とんでもないことを口走りながら、ソファーに身を沈めた紅玉のブーツを脱がせる。 「残念じゃが、当分の間、それはないのじゃ」 「ブーツは足が怠くなるのう」 風月に足をマッサージされると、紅玉は気持ち良さげに目を閉じて呟く。 「おひー様、踵の高い靴は危ないですよ」 風月は丁寧に大好きな白い脚を丁寧に揉みほぐしていく。 「そうは言ってもなぁ、ティル・ナ・ノーグの女王から送られた物じゃしのぅ」 「おひー様の目も、そろそろ見えなくなっているのですから、転んでしまいますよ~」 肩と背中と腕は、花鳥の当番だ。 花鳥も大好きな手を愛おしむ様に、大切にさすっている。 紅玉は仏頂面で答える。 「もう見えぬわ」 「えっ?」 花鳥と風月の手が止まる。 二人とも、心配そうに紅玉の顔を覗き込んだ。 紅玉の瞳にはもう、光がないのがわかった。 「太乙真人作の義眼、もう寿命でしたか~?」 「バカね花鳥、そうではなくて、きっと太乙真人は遠隔操作で、きっと見えなくしたに決まっているのよ」 沈黙に耐えきれず、花鳥と風月が立て続けに話しだす。 紅玉が少し残念そうに唇を噛んだ。 「海が見たかったのぅ…」 「いまは…オーラと音で花鳥たちを感じているのですか?」 「義眼の換えはないのですか?」 凹んだ紅玉を元気つけようと、間を繕おうとする双子。 「まあ、随分前からほとんど見えておらぬから、慣れてるから心配はないわ…義眼は…よくわからんのう」 「花鳥が参型殿に頼んできます!」 「まてまて花鳥、黄仁に頼んだら、わらわの瞳は爆発するかもしれんぞ」 無理に笑おうとする。 「本物の瞳を太乙真人から取り戻すことは、できないのですか?」 風月が素朴な質問をする。 「それは無理じゃな、わらわは処分寸前のお前たちを、一人一個ずつの瞳と交換したのじゃ。約束は守らなければなるまいよ」 「そっか~、じゃあ無理ですよね~」 空気を読まない花鳥。 「おひー様、聞いたことがあります」 頭に大往生と書いてある人のような口調で風月が話しだした。 「江東の孫家に、不思議な力を持つ宝玉があるとか、それならばおひー様の瞳に光が戻るかも知れませんよ」 紅玉の片眉が上がる。 「なん…だと…」 「な…なんだってー!!」 空気を読む花鳥。 「ですから、次は孫家に進みましょうよ、おひ―様」 風月がニッコリと微笑んだ。 「そうじゃのう、ついでに海も見えるしのう」 久しぶりに紅玉の顔に笑顔が浮かんだ。 フェイト~203年3月 春 江東~ また、つまらぬ物を斬ってしまった…。 軍議があまりにも遅々として進まぬことに怒り狂い、今年になって何脚目かの机を断ち切ってしまった。 孫権が反省していると、孫堅四天王の一人、韓当が話しかけてきた。 「仲謀様、出陣おめでとうございます!さっそく明朝に出立いたします、若殿は第二陣での出陣をよろしくお願いしますぞ」 ああ、そうだった。こいつは参戦派だったな。 何を舞い上がっているんだか…。 「若殿、大丈夫でございます。父上君も初陣では緊張していましたが、戦ってみれば身体が馴染み、素晴らしい戦果を挙げることができましたぞ」 そういや、父君にしろ、兄上にしろ、こいつらにしろみんな戦バカだったな。 まあ、仕方ないか、何しろ先祖は孫武(孫子)だからなぁ。戦バカの集団だろ。 呆れて見ていた孫権の肩をポンポンと韓当が叩き、あやすように言う。 「若様、我ら四天王がついております。確かに若い有能な武将があまりおりませんが、なあに、ワシらだけですべて倒してみますぞ!ハッハッハッ!」 テンションマックスのまま、韓当は去って行った。 ざけんな。 お前らが優秀じゃないから、父上は死んだんじゃないのか? お前らが不甲斐ないから、兄上だって最前線に立つこととなり、劉星に捕えられ、軍門に下ってしまった。 なーにが、ワシらに任せろ!だ。 こんなことなら、黄祖と戦った時に出会った、甘寧とかいう海賊を仲間に引き入れておけばよかったなあ。 あ、そういえば周泰は元気かなあ、手紙を出せば帰ってきてくれるかなあ。 とにかく、とりあえずは劉備と共に劉星を挟撃するしかないな。 項閃とかいうチート野郎は、劉備の地獄の番犬の関羽と張飛に任せて、孫家は兄上と公瑾を一番に確保することだな。 そうすれば、また道は開ける。 そういえば、諸葛瑾の言うとおり、曹操にも友軍の依頼をするか…いや、足元をみられるか…だが…うーむ。 「…殿…殿…」 思考錯誤をしていると不意に、声をかけられた。 振り向くと、やはり孫堅四天王の一人、黄蓋であった。 黄蓋は顔を曇らせ、すまなそうな顔をしていた。 「殿…、殿の心も支えるのが家臣の役目。それなのに、殿にお気を遣わせてしまい、本当に不甲斐ない臣下一同でございます。申し訳ありません」 げぇ!突然の土下座!ド・ゲ・ザ! 家臣といえど、父と同じような男性に土下座をされるとは思ってもみない、孫権21歳。 いやね…いいんすよ…公覆サン。頭を挙げて、俺の顔を見ておくんなせえ。 動揺して、言葉も曖昧になる孫権に対して黄蓋は 「まことにっ!まことにっ!申し訳ございません~っ!」 頭を擦り付けんばかりに、より深く土下座を続けた。 このまま地面に潜るんじゃないのか? 世にも珍しい、土下座をされている方がダメージを与えられているという状態になり、孫権21歳は混乱した。 お願いです、公覆サン、勘弁してください。 この奇妙な光景に城内の家臣たちも驚いた。 やべえ、公覆殿が土下座させられてる…。 孫権様はさすが、若殿様だなあ、親子の歳も離れている公覆様も土下座させるんだぁ。 孫家様さまだねぇ…。 孫権に生暖かい眼差しが注がれる。 やがて、どこからともなく駆けつけた孫堅四天王の三人、韓当、祖茂、程普も集合し、息の合った土下座を始めた。 「申し訳ございません~っっっっ!!」 「なん…だと…」 孫権は目を白黒した。 まさに、土下座のアンサンブル。 社会戦と精神戦を同時に喰らうということはこういうことか。 孫権は 「うっぴゃっあぁぁぁぁぁぁぁぁ~!!」 と、言葉でない言葉を喚き、叫び散らしながら、その場を走って逃げた。 城内の、どこをどう走ったかなんて記憶にない。 気が付いたらそこにいた。 見たこともない地下室。 非常に大きな扉の前。 扉には孫家の紋。 そういえば、随分と昔に、父上とここに来た事を思い出していた。 なんと言ってたっけ…。 父上がなんか話していたな。 そうだ 「本当に困ったことがあったら、この扉を開くがよい。」 ウソ800(ウソエイトオーオー)を渡した猫型ロボットのような父上の言葉を思い出した。 ここに、孫家の希望があるのか? 気が付いた時、孫権はすでに扉に手をかけていた。 少しひいてみる。 その巨大な扉は驚くほど軽く、ゆっくりと開きはじめた。 まぶゆいばかりの光。 頭の中に声が響く 「力が…欲しいか…?」 欲しい! 思い切り、扉を開いた。 そこには、孫家の至宝があった。 あ、あなたは………孫家筆頭っっっ!! カゼ~203年4月 初夏 許昌~ いやまったく、文才の頭はなんで出来てるんだ? 陸に上がった海賊、甘寧は呟いた。 崖の上には甘寧率いる海賊20騎と、爆裂団の精鋭10騎が隠れている。 そろそろ、正午だなあ。 斥候が報告に来る。 大丈夫、わかってる。しくじりはしねえ。 だってお前、日時もバッチリ、天候もバッチリ、敵の数も隊列も見てきたかのようにバッチリ。 真ん中の馬車が、標的だ。これも策通り。 文才の策か…こんなの俺が指揮しなくても、成功するに決まっているじゃねえか。 …いや、文才が選ぶってことは、俺だから成功させるってことか。 俺が率いる意味があるってぇ…ことなんだよな。 …と、そろそろ時間だ。 お前ら、突撃だ。 だが、俺の前には出るなよ。 ったあ言っても、俺より先に着けるたぁ、思わねえけどな。 いくぜ野郎ども! 「なん…だと…」 思いもよらぬ、峡谷の上からの襲撃に曹洪は驚愕した。 甘寧の一団は一直線に、崖を転げ落ちるかのように、曹洪の一隊に蛇のように襲いかかった。 「甘寧、一番乗りー!」 甘寧の勝ち誇った咆哮が、峡谷にこだまする。 于禁の200騎の隊列は乱れ、崩れ、わずか30騎の敵に潰走した。 わずか、10分程度の出来事であった。 名将、曹洪すらも策で手玉にとるのかよ。 甘寧は一番乗りした手柄を喜ぶ前に、文才の知謀の深さに驚いた。 潰走した敵たちは、策通り、あの馬車は置いて行った。 甘寧は馬車に近づき、声をかけた。 徐家の奥方でございますか? 元直殿から、お連れするよう申しつけられております。
https://w.atwiki.jp/digital-library/
0類 総記 000 総記 002 知識・学問・学術 002.7 研究法・調査法 007 情報科学 007.1 情報理論 007.11 サイバネティクス 007.13 人工知能・パターン認識 007.2 歴史・事情 007.3 情報と社会・情報政策 (情報法<一般>) 007.35 情報産業・情報サービス(コンピュータ・ネットワークのアドレス集) 007.4 情報源 007.5 ドキュメンテーション・情報管理 007.53 索引法 007.54 抄録法 007.57 情報記述の標準化 007.58 情報検索・機械検索 007.6 データ処理・情報処理 007.7 情報システム 007.609 データ管理 007.61 システム分析・システム設計(システム開発<一般>,ソフトウェア開発<一般>,ソフトウェア工学<一般>) 007.63 コンピュータ システム、ソフトウェア 007.632 エキスパート システム 007.634 オペレーティング システム<OS> 007.635 漢字処理システム 007.636 機械翻訳 007.637 図形処理ソフトウェア(個々の画像処理ソフトウェア) 007.64 コンピュータプログラム 007.642 コンピュータグラフィックス<CG技術> 007.65 各種の記憶媒体 007.7 情報システム:UNISIST・NATIS 010 図書館・図書館学 010.1 図書館論・図書館と自由(理念・倫理) 010.13 図書館職員の倫理 010.7 研究法・指導法・図書館学教育、職員の養成 010.77 司書課程・司書講習・研修 011 図書館政策・図書館行財政 011.1 図書館行政 011.2 図書館法令及び基準 011.3 図書館計画、図書館相互協力 011.38 中央図書館制、分館制・配本所 011.4 図書館財政 011.5 図書館に対する特典:免除・郵便割引・運賃割引 011.9 国際資料交換 012 図書館建築・図書館設備 012.1 建築計画:基礎調査・位置・敷地 012.2 建築材料および構造 012.28 改修・改築工事 012.29 維持管理・保護・防火・防水 012.3 建築設計・製図 012.4 書架・書庫 012.5 利用者用諸室:閲覧室・児童室・目録室 012.6 講堂・集会室・展示室・視聴覚室 012.7 事務室・その他管理部門の諸室 012.8 図書館設備:衛生設備・機械設備・電気設備 012.89ブックモビル 012.9 図書館用品・図書館備品 013 図書館管理 013.1 図書館職員・人事管理 013.2 図書館の組織・事務分掌・スタッフマニュアル 013.3 図書館協議会 013.4 図書館の予算・経理、物品会計、施設管理 013.5 図書館の調査・図書館の統計・評価法 013.6 図書館用品と様式 013.7 図書館の広報活動 013.8 図書館事務の機械化 013.9 利用規程:開館時間、休館日、入館料 014 資料の収集・資料の整理・資料の保管 014.1 図書館資料・図書の選択・蔵書構成 014.2 受入と払出:購入、寄贈、登録、蔵書印 014.3 目録法 014.32 目録規則:記入、記述、標目 014.33 配列・編成 014.34 目録の種類・目録の形態 014.35 総合目録 014.36 目録カードの複製・印刷カード 014.37 目録の機械化 014.38 特殊資料の目録法 014.39 目録用品 014.4 分類法・件名標目法・主題分析 014.45 一般分類法(日本十進分類法などはここに収める) 014.46 専門分類表 014.47 分類規定・分類作業 014.48 特殊資料の分類法 014.49 件名標目・シソーラス・件名作業 014.495 一般件名標目表 014.496 専門図書館件名標目表 014.497 学校図書館件名標目表 014.5 図書の配架法 014.55 図書記号法・著述記号表 014.57 書架目録<シェルフリスト> 014.6 資料保存・蔵書管理 014.61 資料保存 014.612 劣化・破損 014.614 劣化・破損の対策:消毒・曝書・煤蒸・脱酸・媒体変換 014.63 虫害・カビ・曝書 014.64 亡失・損傷 014.66 図書館製本 014.67 蔵書点検 014.68 保存図書館、、<デボジット ライブラリー>・共同保管 014.69 図書の修理 014.7 非図書資料・特殊資料 014.71 文書・記録・写本・貴重書(公文書の整理法) 014.72 考古学資料・郷土資料・三次元<立体>資料 014.73 パンフレット・リーフレット 014.74 インフォメーションファイル、小資クリッピング 014.75 逐次刊行物 014.76 マイクロ写真資料 014.77 視聴覚資料:フィルム、スライド、レコード<音盤>、録音テープ、ビデオテープ、レーザーディスク<LD>、コンパクトディスク<CD> 014.78 地図・図表・楽譜・絵画・写真 014.79 点字図書 014.8 政府刊行物 015 図書館奉仕・図書館活動 015.1 閲覧方式・館内奉仕 015.17 障害者に対する奉仕 015.2 レファレンスサービス<参考業務> 015.29 複写サービス 015.3 図書の貸し出し・貸出記録法 015.38 図書館相互貸出<ILL> 015.4 貸出文庫・団体貸出 015.5 移動図書館・ブックモデル 015.6 読書会・読書運動(読書会の企画,運営,活動等の記録) 015.7 図書館と他の文化機関との協力活動 015.8 図書館の催し物 016 各種の図書館 016.1 国立図書館 016.2 公共図書館 016.28 児童図書館 016.29 地域文庫などの読書施設 016.3 官公庁図書館・議会図書館 016.4 団体・企業内の図書館 016.5 その他の図書館 016.53 矯正図書館 016.54 病院図書館 016.55 船員文庫 016.58 点字図書館 016.59 会員制図書館 016.7 メディアセンター・視聴覚ライブラリー 016.9 貸本屋 017 学校図書館 017.2 小学校、学級図書館 017.3 中学校 017.4 高等学校 017.5 高等専門学校 017.6 短期大学 017.7 大学図書館 018 専門図書館 018.9 文書館・史料館 019 読書・読書法 019.1 読書の心理・読書の生理 019.12 読書法 019.13 速読法 019.2 読書指導 019.23 読書会・読書運動 019.25 読書感想文・読書記録 019.3 読書調査 019.4 参考図書の利用法 019.5 児童・青少年図書・児童・青少年と読書 019.53 絵本・漫画と読書 019.9 書評・書評集 020 図書・書誌学 020.2 図書及び書誌学史 020.21 日本 020.22 東洋:朝鮮、中国 020.23 西洋・その他 020.28 書誌学者<列伝> 021 著作・編集 021.2 著作権・著作権法:版権、翻訳 021.23 音楽著作権 021.25 ソフトウェアに関する著作権 021.27 映像・映画に関する著作権 021.3 著述家・著作家 021.4 編集・編纂 021.43 編集者 021.49 コンピュータによる編集 021.5 偽作・剽窃 021.6 筆禍 022 写本・刊本・造本 022.2 写本:様式、書風 022.21 日本 022.22 東洋:朝鮮、中国 022.23 西洋・その他 022.3 刊本:版式 022.31 日本:春日版・高野版・浄土教版・五山版・古活字版 022.32 東洋:朝鮮、中国 022.33 西洋:インキュナブラ・その他 022.39 絵入本 022.4 複製:翻刻、影印、覆刻、模刻 022.5 図書の形態・装丁:巻子本、折本、旋風葉、胡蝶装 022.57 装本・ブックデザイン 022.6 図書の材料:紙、墨、インキ 022.68 図書の付属品:帙、草紙帙、筒、筥 022.7 印刷 022.8 製本:製本史、製本材料、修理技術、製本機械、製本器具 022.809 製本業 023 出版 023.8 出版と自由・出版倫理・発禁本・検閲 023.89 自費出版 023.9 納本制 024 図書の販売 024.8 古本・古書店 024.9 図書の収集・愛好家・蔵書家・蔵書評・蔵書印譜 025 一般書誌・全国書誌 025.8 地方書誌・郷土資料目録(一地域に関する書誌) 025.9 書店出版目録・古本販売目録 026 稀書目録・善本目録 026.2 古写本・自筆本 026.3 古刊本 026.4 初版本・限定本 026.5 手沢本・書入本 026.7 珍奇本:珍奇材料本・珍奇挿絵本・珍奇装丁本・豆本 026.9 刊本目録<一般> 027 特種目録 027.1 勅版目録:官版目録・藩版目録 027.2 政府出版物および団体出版物目録 027.3 諸家著述目録 027.32 地方別著述目録・郷土人著述目録 027.33 階層別著述目録・集団別著述目録 027.34 翻訳書目録 027.35 無著者名および匿名著作目録 027.38 個人著作目録・個人著作年譜 027.4 叢書類目録および索引・論文集の目録および索引 027.5 逐次刊行物目録および索引 027.6 禁止図書目録・散逸図書目録・焼失図書目録 027.7 図書展示目録 027.8 その他:点本書目・舶載書目 027.9 非図書資料目録:視聴覚資料目録・地図目録 027.92 点字図書目録・録音図書目録 027.93 点字図書目録 027.95 録音図書目録 027.97 フィルム・マイクロ資料目録 028 選定図書目録・参考図書目録 028.09 児童・青少年向け図書目録 028.093 女性向け図書目録 029 蔵書目録・総合目録 029.1 国立図書館 029.2 公共図書館 029.3 官公庁および地方議会図書館 029.4 団体・企業内の図書館 029.5 病院図書館・矯正図書館 029.6 専門図書館・研究所・調査機関の図書館 029.7 大学図書館・学校図書館 029.8 社寺文庫・旧藩文 029.9 個人文庫 030 百科事典 031 日本語 031.2 類書 031.3 日用便覧 031.4 事物起源 031.5 名数・番付 031.7 クイズ集・なぞなぞ集 031.8 簡易百科事典 031.9 児童全科学習百科 032 中国語 032.2 類書 032.3 日用便覧 032.4 事物起源 032.5 名数・番付 032.9 東洋の諸言語 033 英語 034 ドイツ語 034.9 その他のゲルマン諸語 035 フランス語 036 スペイン語 036.9 ポルトガル語 037 イタリア語 038 ロシア語 038.9 その他のスラヴ諸語 038.999 その他の諸言語 039 用語索引<一般> 040 一般論文集・一般講演集 041 日本語 041.3 記念論文集 049 雑著(言語区分可能) 050 逐次刊行物(・年鑑) 051 日本の雑誌 051.1 学術雑誌・紀要 051.3 総合雑誌 051.4 グラフィック報道誌 051.6 大衆誌・娯楽誌 051.7 女性誌・家庭誌 051.8 幼児誌・青少年誌 051.9 情報誌<一般> 059 一般年鑑 060 団体:(学会・)協会 061 学術・研究機関 063 文化交流機関 065 親睦団体・その他の団体(団体史や名簿等) 069 博物館 069.1 博物館行財政・法令 069.2 博物館建築・博物館設備 069.3 博物館管理・博物館職員 069.4 資料の収集・資料の整理・資料の保管 069.5 資料の展示・資料の利用・資料・展示の宣伝 069.6 一般博物館 069.7 学校博物館 069.8 専門博物館 069.9 博物館収集品目録・図録 070 ジャーナリズム・新聞 070.1 ジャーナリズム・新聞の理論・新聞学 070.12 報道・新聞に関する法令・検閲 070.13 報道の自由・新聞と自由 070.14 ジャーナリズムと社会・報道と世論・新聞と読者 070.15 報道・新聞の倫理・プレスコード 070.16 ジャーナリスト・新聞記者・記者と取材倫理 070.163 新聞の編集・整理 070.17 報道写真・新聞写真・新聞印刷 070.18 営業・広告・販売・新聞料金 070.19 通信社 071 日本 080 叢書・全集・選集 081 日本語 081.2 地方叢書 081.5 全集・選書(江戸およびそれ以前の個人著述集) 081.6 全集・選書(明治以後の個人著述集) 081.7 影印本の叢書 081.9 児童図書の叢書 082 中国語 082.2 地方叢書 082.5 全集<清朝以前の一人、一姓の全集> 082.6 全集<民国以後の一人、一姓の全集> 082.7 影印本の叢書・散佚書の叢書 089 その他の諸言語 090 貴重書・郷土資料・その他の特別コレクション 1類 哲学 100 哲学 101 哲学理論 102 哲学史 102.8 哲学者列伝 103 参考図書(レファレンスブック) 104 論文集・評論集・講演集 105 逐次刊行物 106 団体:学会、協会、会議 107 研究法・指導法・哲学教育 108 叢集・全集・選集 110 哲学各論 111 形而上学・存在論 111.5 唯心論 111.6 唯物論 111.7 唯名論・名目論 111.8 実在論・実念論 112 自然哲学・宇宙論 113 人生観・世界観 113.1 楽天観 113.2 厭世観・運命論 113.3 ヒューマニズム 113.4 理想主義 113.5 自然主義 113.6 プラグマティズム 113.7 ニヒリズム 114 人間学 114.2 心身論・人生論、生死 114.3 生の哲学 114.5 実存主義・実存哲学 115 認識論 115.1 観念論 115.2 批判主義・先験的観念論 115.3 合理主義 115.4 実在論・模写論・反映論 115.5 経験論・感覚論 115.6 新実在論 115.7 神秘主義・直観主義 115.8 懐疑論・不可知論 115.9 その他 116 論理学・弁証法(弁証法的論理学)・方法論 116.1 形式論理学:三段論法、演繹法、帰納法、類推法 116.3 記号論理学・論理実証主義・分析哲学 116.4 唯物弁証法(弁証法的唯物論)・マルクス主義哲学 116.5 科学方法論 116.6 実証的方法論 116.7 現象学的方法論 116.8 解釈学的方法論 116.9 構造主義 117 価値哲学 118 文化哲学・技術哲学 119 (美学)→ 701.1 120 東洋思想 120.2 東洋思想史(通史) 121 日本思想 121.02 日本思想史(通史) 121.3 古代 121.4 中世 121.5 近世 121.52 国学(和学) 121.53 日本の儒学(一般) 121.54 朱子学派 121.55 陽明学派 121.56 古学派 121.57 折衷学派 121.58 水戸学 121.59 その他の思想家 121.6 近代 121.63 西田幾太郎 121.65 和辻哲郎 121.67 三木清 122 中国思想・中国哲学 122.02 中国思想史(通史) 123 経書 123.01 経学・経学史 123.1 易経・周易 123.2 書経・尚書 123.3 詩経・毛詩 123.4 礼類:周礼、儀礼、礼記、大載礼 123.5 楽類 123.6 春秋類 123.65 左氏伝 123.66 公羊伝 123.67 穀梁伝 123.7 孝経 123.8 四書 123.81 大学・学庸 123.82 中庸 123.83 論語・論孟 123.84 孟子 124 先秦思想・諸子百家 124.1 儒家・儒教 124.12 孔子(孔丘) 124.13 孔子の門下 124.14 曽子(曽参) 124.15 子思(孔伋) 124.16 孟子(孟軻) 124.17 荀子(荀況) 124.2 道家・老荘思想 124.22 老子(李耳) 124.23 列子(列禦寇) 124.24 楊朱 124.25 荘子(荘周) 124.3 墨家・墨子(墨翟) 124.4 名家 124.42 鄧析 124.43 尹文 124.44 恵施 124.45 公孫竜 124.5 法家 124.52 管子(管仲) 124.53 商子(商鞅) 124.54 申子(申不害) 124.55 慎子(慎到) 124.57 韓非・李斯 124.6 縦横家(蘇秦、張儀、陰陽家) 124.7 雑家(鬻子、尸佼、鬼谷子、晏嬰、呂不韋、子華子) 124.9 その他 125 中世思想・近代思想 125.1 両漢時代:(董仲舒、劉向、楊揚、桓譚、王充) 125.2 魏晋南北朝時代(何晏、王弼、葛洪) 125.3 隋唐時代(王通) 125.4 宋元時代(周敦頤、邵雍、張載、程顥、程頤、李トウ、朱子(朱熹)、陸九淵) 125.5 明時代(王守仁) 125.6 清時代(黄宗義、顧炎武、康有為) 125.9 中華民国時代以後(孫文) 126 インド哲学・バラモン教 126.2 ヴェーダ(ベーダ) 126.3 ウパニシャッド 126.6 六派哲学 126.7 ジャイナ教 126.8 順世派 126.9 近代:(ヴィヴェーカーナンダ、ガンジー、ジッドゥ・クリシュナムルティ、タゴール、ラジニーシ、ラーマクリシュナ 129 その他のアジア・アラブ哲学 129.1 朝鮮の哲学 129.3 その他の東洋の哲学 129.7 アラビア近代哲学 129.8 ユダヤ近代哲学 130 西洋哲学 130.2 西洋哲学史(通史) 130.23 古代 130.24 中世 130.26 近代 131 古代哲学 131.1 ギリシア初期哲学 131.2 ソフィストおよびソクラテス派 131.3 プラトン・古アカデミー派 131.4 アリストテレス・ペリバトス派 131.5 ストア派・ストア哲学 131.6 エピクロス・エピクロス派 131.7 懐疑派:古懐疑派、中アカデミー派、新懐疑派 131.8 折衷学派、キケロ 131.9 新ピタゴラス(ピュタゴラス)派・新アカデミー派・en (ラリッサの)フィロン・新プラトン派:プロティノス 132 中世哲学 132.1 教父哲学(護教派):アウグスティヌス 132.2 スコラ哲学 132.28 アラビア中世哲学 132.29 ユダヤ中世哲学 132.3 ルネサンス哲学(一般) 132.4 神秘主義者:アグリッパ、ヴァイゲル、ニコラウス・クサヌス、ベーメ 132.5 自然哲学者:カルダーノ、カンバネラ、テレジオ、ブルーノ 132.6 人文主義者:エラスムス 132.7 懐疑思想家:モンテーニュ 133 近代哲学 133.1 イギリス哲学 133.2 17世紀:ベーコン、ホッブス、ロック 133.3 18世紀:バークリ、ヒューム 133.4 19世紀:グリーン、スペンサー、ベンサム、ミル 133.5 20世紀~:サミュエル・アレクサンダー、ホワイトヘッド、ムーア、ラッセル 133.9 アメリカ哲学 134 ドイツ・オーストリア哲学 134.1 啓蒙期の哲学・ライプニッツ・ヴォルフ派:ヴォルフ,バウムガルテン,ヤコービ,ライプニッツ 134.2 カント 134.3 ドイツ観念論:シェリング,シュライエルマッハー,フィヒテ,フンボルト 134.4 ヘーゲル 134.5 ヘーゲル派:シュティルナー,シュトラウス,フォイエルバハ, 134.53 マルクス 134.6 19世紀 134.7 唯物論者.実証主義 134.8 新カント派:バーデン学派,マールブルク学派 134.9 生の哲学・現象学・実存学 134.94 ニーチェ 134.95 フッサール 134.96 ハイデッガー 134.97 ヴィトゲンシュタイン 135 フランス・オランダ哲学 135.2 17世紀 135.23 デカルト 135.25 パスカル 135.3 18世紀:ヴォルテール 135.34 ルソー 135.4 19世紀:(コント、ラムネ) 135.5 20世紀―:#アラン,#マリタン →:114.5;116.9 135.53 マルセル 135.54 サルトル 135.55 メルロ・ポンティ 135.56 アルチュセール 135.57 フーコー 136 スペイン・ポルトガル哲学 137 イタリア哲学 138 ロシア哲学 139 その他の哲学 139.3 その他の西洋哲学 139.4 アフリカ諸国の哲学 139.6 中南米諸国の哲学 139.7 その他の諸国の哲学 140 心理学 140.1 理論・心理学体系 140.16 心理学方法論 140.17 ゲシュタルト心理学 140.18 機能心理学・行動心理学 140.19 精神分析学 140.7 研究法・指導法・心理学的検査 140.75 実験心理学 141 普通心理学・心理各論 141.1 知能 141.18 天才 141.2 感覚・知覚 141.21 視覚 141.22 聴覚 141.23 嗅覚・味覚 141.24 皮膚感覚:触覚、圧覚、痛覚、温度感覚 141.25 運動感覚・平衡感覚・有機感覚 141.26 共感覚・残像・直観像 141.27 知覚 141.28 精神物理学:ウェーバーの法則、フェルナーの法則 141.3 学習・記憶 141.33 学習・練習 141.34 記憶・記憶術 141.36 忘却 141.4 注意・統覚 141.5 思考・想像・創造性 141.51 認識・認識・認知心理学 141.6 情動:情緒、感情、情操 141.62 愛情 141.63 情操 141.67 表情 141.7 行動・衝動 141.72 動機付け 141.73 条件反射 141.74 欲求・本能:性、食欲 141.75 習慣・態度 141.76 作業・疲労 141.8 意志・意欲 141.9 個性・差異心理 141.92 遺伝・環境 141.93 人格(パーソナリティ)・性格:性格学、性格検査 141.939 性格判断 141.94 気質:神経質、多血質、胆汁質、粘液質 141.97 類型学 141.98 筆跡学・書相学 143 発達心理学 143.1 両性の心理 143.2 幼児心理 143.3 児童心理 143.4 青年心理 143.5 女性心理 143.6 壮年心理 143.7 老年心理・中高年心理 143.8 比較心理学 143.9 民族心理学 145 異常心理学 145.1 潜在意識・無意識 145.2 睡眠・夢・寝言 145.3 夢遊病 145.4 催眠術・暗示 145.5 知覚異常:幻覚、錯覚 145.6 記憶・思考の異常 145.7 意欲異常:性的異常、近親相姦、自殺 145.8 知能異常:知能遅滞、人格の異常、多重人格、人格分裂 146 臨床心理学・精神分析学 146.1 精神分析学・深層心理学 146.13 フロイト 146.15 ユング 146.2 適応・不適応 146.3 臨床診断法:面接法、観察法 146.8 心理療法・カウンセリング 146.82 児童の心理療法 146.89 カウンセラー 147 超心理学・心霊研究 147.1 呪術・幻術 147.2 テレパシー・精神感応 147.3 霊媒術・つきもの・自動書記・降霊術・言語 147.4 予知・予言・透視・透聴 147.42 ノストラダムス 147.45 エドガー・ケーシー 147.5 念力・心霊写真・念写 147.6 妖怪・幽霊 147.7 その他の心霊現象・心霊術 147.8 霊能者・超能力者 148 相法・易占 148.1 性相学 148.12 人相 148.14 手相 148.16 骨相 148.3 姓名判断・墨色判断 148.4 陰陽道・易学・五行・九星術 148.5 方位:家相、地相、墓相 148.6 天源術・淘宮術・推命術 148.7 相性・幹枝術 148.8 占星術・宿曜道・天文道 148.9 その他の占い:夢占い、トランプ占い、水晶占い 149 応用心理学 150 倫理学・道徳 150.2 倫理学史・論理思想史 150.21 日本 150.22 東洋 150.23 西洋 150.24 その他 151 倫理各論 151.1 価値論・品性・徳論 151.2 形式主義・当為・意志の自由・行為 151.3 良心・標準・直感主義 151.4 個人主義・利己主義・人格主義 151.5 人道主義・利他主義・博愛主義 151.6 幸福主義・快楽主義 151.7 功利主義 151.8 国家主義・国家主義 152 家庭倫理・性倫理 152.1 性道徳(性道徳) 152.2 結婚・離婚 152.4 夫婦のモラル 152.6 孝行 153 職業倫理 154 社会倫理(社会道徳) 155 国体論・詔勅 155.9 外国の国体論 156 武士道 156.4 武士の家憲・家訓 156.9 騎士道 157 報徳教・石門心学 157.2 報徳講・報徳仕法・二宮尊徳 157.9 心学講話:石田梅厳、柴田鳩翁、手島堵庵、中沢道二 158 その他の特定主題 159 人生訓・教訓 159.2 美談・事跡・徳行録 159.3 家憲・家訓 159.4 経営訓 159.5 児童のための教訓 159.6 女性のための人生訓 159.7 青年・学生のための人生訓 159.79 老人・中高年齢者のための人生訓 159.8 金言・格言・箴言 159.84 ビジネス・経営に関する金言・格言 159.89 中国の金言・格言 159.9 道歌 160 宗教 161 宗教学・宗教思想 162 宗教史・事情 163 原始宗教・宗教民族学 164 神話・神話学 164.31 ギリシャ神話 164.32 ローマ神話 165 比較宗教 165.1 教義・教条 165.3 経典 165.4 宗教生活・道徳・禁欲・祈祷・礼拝 165.5 寺社・教団・教職 165.6 儀式・礼典 165.7 布教・伝道 165.9 宗教政策・宗教行政・宗教法令 166 道教 166.1 教義・神仙思想・ 166.2 道教史・教祖・開祖:張道陵 166.3 経典・道蔵 166.5 道院・道士 166.6 行事・方術 166.7 布教 166.8 教派:正一教、真大道教、太乙教、全真教 167 イスラーム:回回(ふいふい)教、清真(せいしん)教 167.1 教義・神学 167.2 イスラム史 167.28 マホメット 167.3 経典:コーラン 167.4 信仰録・説教集 167.5 寺院 167.6 勤行:告白、祈祷、喜捨、断食、巡礼、戒律 167.7 布教・伝道 167.8 教派:スンナ(スンニ)派、シーア派 167.9 バハイズム派(バーブ教) 168 ヒンドゥー教・ジャイナ教 168.9 ゾロアスター教(拝火教、祆教(けんきょう))・マニ教(摩尼教)・ミトラ教 169 その他の宗教・新興宗教 170 神道 171 神道思想・神道説 171.1 両部神道:天台神道、真言神道、三輪神道 171.2 伊勢神道(度会神道) 171.3 吉田神道(弓矢神道 171.4 伯家神道(白川神道) 171.5 吉川神道(理学神道) 171.6 垂加神道・儒家神道 171.7 土御門神道(安倍神道) 171.8 復古神道 171.9 その他の神道説 172 神祇・神道史 172.9 三種の神器・十種の神宝 173 神典 173.9 信託・神異 174 信仰録・説教集 175 神社・神職 175.1 神社と国家・国家神道・神社行政・神社法令・社格 175.2 神格・神位(神階)・神明 175.5 神殿・鳥居・神像・神礼 175.6 神領(社領) 175.7 神職・服制・触穢 175.8 伊勢神宮 175.9 神社誌・神社縁起 176 祭祀 176.3 祈祷 176.4 祝詞・祓詞 176.5 神饌・幣帛 176.6 祭具 176.7 歌舞音曲 176.8 御神籤(おみくじ)・禁厭(おまじない) 176.9 葬祭 177 布教・伝道 178 各教派・教派神道 178.1 神道大教 178.19 出雲大社教 178.2 神道大成教 178.29 神道修成派 178.3 神理教 178.4 神習教 178.49 禊教 178.5 芙蓉教 178.58 実行教 178.59 御岳教 178.6 黒柱教 178.7 金光教 178.8 天理教 →169.1 178.9 その他各派 180 仏教 180.9 ラマ教・三階教 181 仏教教理・仏教哲学 181.02 教理史:原始、部派、大乗、秘密 181.2 教相判釈(教判論) 181.3 実相論・真如・法性・無為 181.4 縁起論・十二因縁・業・輪廻 181.5 機根論・菩薩論 181.6 修行論・仏教道徳・戒律 181.7 証果論・涅槃論 181.8 仏陀論・仏性・仏身・仏土 182 仏教史 182.8 釈迦・仏弟子 182.88 名僧伝 182.9 仏跡 183 経典 183.1 阿含教 183.2 本縁部 183.3 法華部 183.4 華厳部 183.5 宝積部 183.58 大集部 183.59 涅槃部 183.6 経集部 183.7 秘密部 183.79 偽教 183.8 律部・律疏 183.81 パーリ律・有部律 183.83 四分律 183.84 魔訶僧祗律 183.85 五部律 183.86 大乗律・梵網教 183.87 瓔珞律 183.88 雑律 183.89 因明 183.9 論部・論疏 183.91 釈経論部 183.92 毘曇部 183.93 中観部 183.94 瑜伽部 183.95 論集部 184 法話・説教集 184.9 仏教説話 185 寺院・僧職 185.1 寺院と国家・寺院行政・法令 185.2 寺号・寺格・宗規 185.5 伽藍・仏塔・梵鐘・卒塔婆・板碑 185.6 寺院経済・寺領 185.7 寺職・僧位・僧服 185.9 寺誌・縁起 186 仏会 186.1 行持作法・法式・勤行 186.2 講式:讃文 186.3 表白讃文 186.4 仏具 186.5 声明・諷誦・仏教音楽 186.6 懺悔 186.7 仏教美術 186.8 仏教・菩薩・観世音菩薩 186.9 巡礼 187 布教・伝道 187.6 仏教の社会事業 187.7 仏教の教育事業・日曜学校 188 各宗 188.1 律宗 188.2 論宗 188.21 法相宗 188.22 倶舎宗 188.23 三論宗 188.24 成美宗 188.3 華厳宗 188.4 天台宗 188.5 真言宗(密教) 188.59 修験道・山伏 188.6 浄土教・浄土宗 188.69 融通念仏宗・時宗 188.7 真宗(浄土真宗) 188.8 禅宗 188.9 日蓮宗 188.98 創価学会・中山妙宗・立正佼成会 190 キリスト教 190.6 団体 190.9 自然神学 191 教義・キリスト教神学 191.1 神・三位一体 191.15 神のみわざ摂理,創造 191.17 神の法:奇跡,啓示,予言 191.2 キリスト論:犠牲,再来,贖罪,神性,審判,復活,メシア,ロゴス 191.3 人間.キリスト教人間学.原罪 191.4 救済論:恩寵,懴悔,宿命と自由意志,信仰 191.5 天使.悪魔.聖者 191.6 終末論:死,地獄,審判,天国,来世,煉獄,霊魂不滅 191.7 キリスト教道徳 191.8 信条(信仰箇条) 191.9 弁証法神学(危機神学.バルト神学) 191.98 解放の神学 192 キリスト教史.迫害史 192.8 キリストの生涯(イエス伝):誕生,東方の三博士,割礼,洗礼,断食,惑誘,奇跡,山上の垂訓,変貌,最後の晩餐,受難,十字架,復活,昇天,使徒 192.85 聖母マリア.無垢受胎 192.88聖職者<列伝> 193 聖書 193.01 聖書神学 193.02 聖書史.考古学(聖書).地理(聖書) 193.09 聖書語学.聖書解釈学.聖書の注釈 193.1 旧約聖書 193.2 歴史書 193.21 モーゼの五書.律法書.ペンタテューク 193.211 創世記 193.212 出エジプト記 193.213 レビ記 193.214 民数記略 193.215 申命記 193.216 十誡 193.22 ヨシュア記 193.23 士師記.ルツ記 193.24 サムエル記 193.25 列王記 193.26 歴代志 193.27 エズラ記 193.28 ネヘミア記 193.29 エステル記 193.3 詩歌書 193.32 ヨブ記 193.33 詩篇 193.34 箴言 193.35 伝道の書 193.36 雅歌 193.37 知恵の書 193.4 予言書 193.41 イザヤ書 193.42 エレミヤ書 193.43 エレミヤの哀歌 193.44 エゼキエル書 193.45 ダニエル書 193.46 小予言書(12人の書) 193.5 新約聖書 193.6 福音書 193.61 マタイ福音書 193.62 マルコ福音書 193.63 ルカ福音書 193.64 ヨハネ福音書 193.69 使徒行伝 193.7 使徒の書簡 193.71 パウロの書簡.パウロ神学 193.72 牧会書簡:テモテ書,テトス書 193.73 ピレモン書 193.74 ヘブライ書 193.76 ヤコブ書 193.77 ペテロ書 193.78 ヨハネ書 193.79 ユダ書 193.8 ヨハネ黙示録 193.9 聖書外典.偽典 194 信仰録・説教集 195 教会・聖職 195.1 教会と国家 195.2 教会政治.教区.教会法 195.3 教会.礼拝堂 195.6 教会経済.教会財政.教会管理 195.7 司教.司祭.牧師 195.8 修道院 196 典礼・祭式・礼拝 196.1 ミサ.礼拝.祈祷書 196.2 安息日.日曜日 196.3 サクラメント(秘跡).聖礼典 196.31 洗礼 196.32 堅振礼(按手礼) 196.33 聖体拝領(聖餐) 196.34 叙品式 196.35 結婚式 196.36 悔悛.懴悔 196.37 終油 196.39 その他 196.4 聖具.聖器 196.5 讃美歌 196.7 キリスト教芸術 196.8 信心行.禁欲苦行.巡礼 196.9 家族礼拝.家庭的信行 197 布教・伝道 197.6 キリスト教の社会事業 197.7 キリスト教の教育事業.日曜学校 198 各教派・教会史 198.1原始キリスト教会.使徒教会 198.15 東洋の教会 198.16 アルメニア教会 198.17 コプト教会.アビシニア教会 198.18 ネストリウス派(景教) 198.19 正教会:ロシア正教会,ギリシア正教会(東方教会) 198.2 ローマカトリック教(天主公教会).カトリック教会 198.202 198.21 教義.信条.教理問答書 198.22 歴史・伝記.迫害史 198.24 信仰録.説教集 198.25 教会組織.聖職者.修道院.修道士 198.26 秘跡.祈祷 198.27 布教.伝道 198.29 解放の神学 198.3 プロテスタント.新教 198.302 198.31 教義.信条 198.32 歴史.列伝 198.33 聖典 198.34 信仰録.説教集 198.35 教会.聖職 198.36 典礼.儀式 198.37 布教.伝道 198.38 教派:カルヴィン教会,モラビア教会,ルター教会 198.385 ルター教会 198.386 カルヴィン教会 198.387 アルミニウス教会 198.388 敬虔派 198.4 監督教会(聖公会).英国国教会.アングリカン教会 198.5 長老派.清教徒.会衆派.組合教会 198.6 バプティスト(浸礼派) 198.69 アドベンティスト(再臨派) 198.7 メソジスト教会 198.8 ユニテリアン協会 198.9 その他 198.92 シェーカー教徒 198.93 メノ教 198.94 クェーカー派 198.95 新エルサレム教会 198.96 アーヴィング教会 198.97 クリスチャン・サイエンス 198.979 モルモン宗 198.98 救世軍 198.99 その他:神智教,無教会主義 199 ユダヤ教 2類 歴史 200 歴史 201 歴史学 202 歴史補助学 202.2 歴史地理学 →290.18 202.3 年代学.紀年法 →:449.4 202.5 考古学 →:209.2;751.4;756.5 202.7 古銭学 →:337.2;739.9 202.8 金石学:金石文,金石誌 →:728 202.9 古文書学 →:022.2 203 参考図書 (レファレンスブック) 203.8 歴史地図 204 論文集・評論集・講演集 205 逐次刊行物 206 団体 207 研究法・指導法・歴史教育 208 叢書・全集・選集 209 世界史・文化史 →:230;312 209.2 先史時代:石器時代,金属器時代 →:202.5 209.3 古代 ~476 209.32 伝説神話時代 209.33 古代オリエント 209.36 エーゲ文明 209.4 中世 476~1453 209.5 近代 1453~ 209.6 19世紀 209.7 20世紀~ 209.71 第1次世界大戦 1914~1918 209.74 第2次世界大戦 1939~1945 →:210.75 209.75 1945― 210 日本史 210.01 国史学.日本史観 →:121.52 210.02 歴史補助学 210.023 年代学.紀年法 210.025 考古学 210.027 古銭学 210.028 金石学:金石文,金石誌 210.029 古文書学.花押 →:210.088 210.03 参考図書(レファレンス ブック) 210.038 歴史地図 210.08 叢書.全集.選集 210.088 史料.日記.古文書 →:210.029 210.09 有職故実.儀式典例 →:288.4;322.1;385/386 210.091 譲位.践祚.即位.大嘗祭 210.092 元服.年賀 210.093 立太子.立后.女御入内.御産 210.094 大喪.服忌.触穢 210.095 改元 210.096 節会.朝賀 210.097 親王・将軍宣下.任大臣.除目 210.098 供御.膳部.装束.服色.調度.輿車 210.099 御幸啓.御成 210.1 通史 210.12 文化史 210.17 災異史 210.18 対外交渉史 210.19 戦争史 210.2 原始時代 210.23 旧石器時代(先土器時代) 210.25 繩文時代(新石器時代) 紀元前約1万年~紀元前約200年 210.27 弥生時代 紀元前2世紀~紀元後3世紀 210.273 邪馬台国 210.3 古代 4世紀~1192 210.32 大和時代 4世紀~645:氏姓国家時代,古墳時代 210.33 飛鳥時代 592~645 210.34 大化改新時代 646~710.近江時代 210.35 奈良時代 710~784.天平時代 729~790.律令制 210.36 平安時代 784~1192.平安初期 784~876 210.37 藤原時代(摂関時代).平安中期 876~1068 210.38 院政時代.源平時代.平安後期 1068~1166 210.39 六波羅時代(平氏時代) 1166~1192 210.4 中世 1192~1600:前期封建時代,守護制 210.42 鎌倉時代 1192~1333 210.43 元寇:文永・弘安の役 1274,1281 210.44 正中・元弘の変 1324,1331 210.45 建武中興と南北朝時代 1334~1392 210.46 室町時代(足利時代) 1392~1573 210.47 戦国時代 1467~1568 210.48 安土桃山時代 1573~1600 210.49 朝鮮の役:文禄・慶長の役 1592~1593,1597~1598 210.5 近世 1600~1868.江戸時代.幕藩体制 210.52 江戸初期 1600~1709 210.55 江戸中期 1709~1830 210.58 江戸末期 1830~1868.幕末史 210.59 幕末の対外関係 210.6 近代 1868~.明治時代 1868~1912 210.61 明治維新 1868~1872 210.62 士族の反乱と台湾出兵 1873~1877 210.621 征韓論 210.622 佐賀の乱 1874 210.623 江華島事件 1875 210.624 神風連・秋月・萩の乱 1876 210.627 西南戦争 1877 210.629 台湾出兵 1874 210.63 京城事変と自由民権運動 1877~1885 210.632 壬午事変 1882.甲申事変 1884 210.635 福島事件 1882.加波山事件 1884.秩父事件 1884 210.64 憲法発布前後 1885~1892.大津事件 1891 210.65 日清戦争前後 1892~1898.条約改正.三国干渉 1895 210.66 北清事変前後 1898~1902 210.67 日露戦争前後 1902~1908.日英同盟 210.68 韓国併合前後 1908~1912.大逆事件 1910 210.69 大正時代 1912~1926 210.7 昭和・平成時代 1927~ 210.74 日中戦争 1937~1945 210.75 太平洋戦争 1941~1945 →:209.74 210.76 太平洋戦争後 1945~ 211 北海道地方 211.1 @道北:@宗谷支庁,@網走支庁(@北見国) 211.2 @道東:@根室支庁,@釧路支庁(@根室国.@釧路国) 211.3 @十勝支庁(@十勝国) 211.4 @上川支庁.@日高支庁(@日高国) 211.5 @道央:@石狩支庁,@空知支庁(@石狩国) 211.6 @道西:@留萌支庁(@天塩国) 211.7 @後志支庁.@胆振支庁(@後志国.@胆振国) 211.8 @道南:@渡島支庁,@檜山支庁(@渡島国) 211.9 @千島列島(@千島国) 212 東北地方 212.1 @青森県(@陸奥国) 212.2 @岩手県(@陸中国) 212.3 @宮城県(@陸前国) 212.4 @秋田県(@羽後国) 212.5 @山形県(@羽前国) 212.6 @福島県(@岩代国.@磐城国) 213 関東地方 213.1 @茨城県(@常陸国) 213.2 @栃木県(@下野国) 213.3 @群馬県(@上野国) 213.4 @埼玉県(@武蔵国) 213.5 @千葉県(@上総国.@下総国.@安房国) 213.6 @東京都 213.61 区部 213.65 市部.郡部 213.69 島部 213.7 @神奈川県(@相模国) 214 北陸地方 215 中部地方 216 近畿地方 217 中国地方 218 四国地方 219 九州地方 220 アジア史・東洋史 220.6 19世紀 220.7 20世紀~ 221 朝鮮 221.01 通史:興亡史,文化史,民族史,災異史,対外交渉史 221.02 原始時代 221.03 古代 ~918 221.031 古朝鮮:檀君,箕子,衛氏 221.032 漢の4郡:楽浪,臨屯,真番,玄莵 221.033 楽浪郡.帯方郡 221.034 三韓:馬韓,辰韓,弁韓 221.035 三国時代:新羅,高句麗,百済 221.036 任那.加羅諸国 221.04 高麗時代 918~1392 221.05 李朝時代 1392~1910.壬午・甲申事変.東学党の乱 221.06 日本統治時代 1910~1945 221.07 独立以後 1945~ 221.1 @関北地方:@咸鏡道,@両江道 221.2 @西北地方:@平安道,@慈江道 221.3 @黄海道 221.4 @京畿地方:@京畿道,@ソウル特別市 221.5 @江原地方:@江原道 221.6 @湖西地方:@忠清道 221.7 @湖南地方:@全羅道 221.8 @嶺南地方:@慶尚道 221.9 @済州島 222 中国 222.01 通史:興亡史,文化史,民族史,災異史,対外交渉史 222.02 原始時代 222.03 殷(商)・周・春秋戦国時代 →:123.2;123.6 222.04 秦漢・魏晋南北朝・隋唐時代 222.041 秦時代 221~206BC.秦漢時代 222.042 漢時代 202BC~220AD:前漢,新,後漢 222.043 三国時代 220~280:魏,蜀,呉 222.044 晋時代 265~420:西晋,東晋 222.045 五胡十六国時代 304~439:匈奴,羯,鮮卑,てい,羌 222.046 南北朝時代 439~589 222.047 隋時代 581~618 222.048 唐時代 618~907.安禄山の乱 222.05 五代・宋元明時代 907~1644 222.051 五代十国 907~960 222.052 遼.契丹 916~1125 →:222.5 222.053 宋時代 960~1279:北宋 960~1127 222.054 南宋 1127~1279 222.055 西夏(大夏)1038~1227 222.056 金(女真)1115~1234 →:222.5 222.057 元時代 1279~1368.蒙古時代 →:222.6 222.058 明時代 1368~1644 222.06 清時代 1616~1912 222.065 アヘン戦争 1840~1842.回匪の乱 1847 222.066 太平天国 1850~1864.アロー号事件 1856 222.068 清仏戦争 1884~1885.日清戦争 1894~1895 222.07 中華民国時代 1911~1949 222.071 辛亥革命.第二革命.帝制.広東軍政府.南北戦争 222.072 五・四運動 1919~1923 222.073 第1次国内戦争 1924~1927 222.074 第2次国内戦争 1927~1936 222.075 抗日戦争期 1936~1945 222.076 国共内戦期 1945~1949 222.077 中華人民共和国時代 1949~ 222.1 @華北.@黄河流域 222.11 @河北省(@冀).@北京特別市 222.12 @山東省(@魯) 222.13 @山西省(@晉) 222.14 @河南省(@予) 222.15 @西北地区 222.16 @陜西省(@秦) 222.17 @甘粛省(@隴) 222.18 @青海省(@青) 222.2 @華中.@長江流域 222.21 @江蘇省(@蘇).@上海特別市 222.22 @浙江省(@浙) 222.23 @安徽省(@皖) 222.24 @江西省(@かん) 222.25 @湖北省(@鄂) 222.26 @湖南省(@湘) 222.3 @華南.@珠江流域 222.31 @福建省(@びん) 222.32 @広東省(@粤).@海南島 222.33 @広西省(@桂).@広西僮族自治区 222.34 @西南地区 222.35 @四川省(@蜀) 222.36 @貴州省(@黔) 222.37 @雲南省(@てん) 222.38 @マカオ 222.39 @香港.@九竜 222.4 @台湾 222.406 日本統治時代 1895~1945 222.407 1945~ 222.41 @台北県.@宜蘭県 222.42 @桃園県.@新竹県.@苗栗県 222.43 @彰化県.@台中県.@雲林県 222.44 @嘉義県.@台南県 222.45 @高雄県.@屏東県 222.46 @台東県 222.47 @花蓮県 222.48 @澎湖列島 222.5 @東北地区 →:222.052;222.056 222.53 @黒竜江省 222.55 @吉林省 222.57 @遼寧省 222.6 @蒙古:@内モンゴル自治区 →:222.057 222.7 @外蒙古:@モンゴル人民共和国 222.8 @新疆:@ウイグル自治区 222.9 @チベット 223 東南アジア 224 インドネシア 225 インド 225.97 モルジブ 227 アラビア文明、イスラエル・アラブ紛争、イスラム圏、中近東研究[1] 227.2 イラン 227.4 トルコ 229 アジアロシア 230 ヨーロッパ史・西洋史→:209 230.2 原始時代 230.3 古代 ~476 230.4 中世 476~1453 230.45 十字軍 1096~1270 230.46 百年戦争 1339~1453 230.5 近代 1453~ 230.51 ルネサンス 1453~1517 230.52 宗教改革.三十年戦争 1517~1648 230.53 絶対主義時代 1648~1776 230.54 革命時代 1776~1815 230.6 19世紀 230.7 20世紀~ 231 古代ギリシア 232 古代ローマ 233 イギリス・英国 234 ドイツ・中欧 235 フランス 236 スペイン イスパニア 237 イタリア 238 ロシア ソビエト連邦 独立国家共同体 239 バルカン諸国 240 アフリカ史 241 北アフリカ 242 エジプト 243 バーバリ諸国 244 西アフリカ 245 東アフリカ 248 南アフリカ 249 インド洋のアフリカ諸島 250 北アメリカ史 251 カナダ 253 アメリカ合衆国 255 ラテンアメリカ 中南米 256 メキシコ 257 中央アメリカ 中米諸国 259 西インド諸島 260 南アメリカ史 261 北部諸国 カリブ沿海諸国 262 ブラジル 263 パラグアイ 264 ウルグアイ 265 アルゼンチン 266 チリ 267 ボリビア 268 ペルー 270 オセアニア史・両極地方史 271 オーストラリア 272 ニュージーランド 273 メラネシア 274 ミクロネシア 275 ポリネシア 276 ハワイ 277 両極地方 278 北極 北極地方 279 南極 南極地方 280 伝記 281 日本 282 アジア 283 ヨーロッパ 284 アフリカ 285 北アフリカ 286 南アフリカ 287 オセアニア・両極地方 288 系譜・家史・皇室 289 個人伝記 290 地理・地誌・紀行 290.93 旅行案内記 3類 社会科学 300 社会科学 301 理論・方法論 302 政治・経済・社会・文化事情 303 参考図書(レファレンスブック) 304 論文集・評論集・講演集 305 逐次刊行物 306 団体 307 研究法・指導法・社会科学教育 308 叢書・全集・選集 309 社会思想 310 政治 311 政治学 312 政治史・事情 313 国家の形態・政治体制 314 議会 315 政党・政治結社 316 国家と個人・宗教・民族 317 行政 318 地方自治・地方行政 319 外交・国際問題 320 法律 321 法学 322 法制史 323 憲法 324 民法 325 商法 326 刑法・刑事法 327 司法・訴訟手続法 328 諸法 329 国際法 330 経済 331 経済学・経済思想 332 経済史・事情・経済体制 333 経済政策・国際経済 334 人口・土地・資源 335 企業・経営 336 経営管理 337 貨幣・通貨 338 金融・銀行・信託 339 保険 340 財政 341 財政学・財政思想 342 財政史・事情 343 財政政策・財政行政 344 予算・決算 345 租税 346 347 公債・国債 348 専売・国有財産 349 地方財政 350 統計 351 日本 358 人口統計・国勢調査 359 各種の統計書 360 社会 361 社会学 362 社会史・社会体制 364 社会保障 365 生活・消費者問題 366 労働経済・労働問題 367 家族問題、男性・女性問題、老人問題 368 社会病理 369 社会福祉 370 教育 371 教育学、教育思想 371.42 登校拒否・いじめ 372 教育史・事情 373 教育政策、教育制度、教育行財政 374 学校経営・管理、学校保健 375 教育課程、学習指導、教科別教育 376 幼児・初等・中等教育 377 大学、高等・専門教育、学術行政 378 障害児教育 379 社会教育 380 風俗習慣・民俗学・民族学 381 382 風俗史・民俗誌、民族誌 383 衣食住の習俗 384 社会・家庭生活の習俗 385 通過儀礼、冠婚葬祭 386 年中行事、祭礼 387 民間信仰、迷信(俗信) 388 伝説、民話(昔話) 389 民族学、文化人類学 390 国防・軍事 391 戦争、戦略、戦術 392 国防史・事情、軍事史・事情 393 国防政策・行政・法令 394 軍事医学、兵食 395 軍事施設、軍需品 396 陸軍 397 海軍 398 空軍 399 古代兵法、軍学 4類 自然科学 400 自然科学 401 科学理論・科学哲学 402 科学史・事情 403 参考図書[レファレンスブック] 404 論文集・評論集・講演集 405 逐次刊行物 406 団体 407 研究法・指導法・科学教育 408 叢書・全集・選集 409 科学技術政策・科学技術行政 410 数学 411 代数学 412 数論(整数論) 413 解析学 414 幾何学 415 位相数学 417 確率論、数理統計学 418 計算法 419 和算、中国算法 420 物理学 421 理論物理学 423 力学 424 振動学、音響学 425 光学 426 熱学 427 電磁気学 428 物性物理学 429 原子物理学 430 化学 431 物理化学. 理論化学 432 実験化学[化学実験法] 433 分析化学[化学分析] 434 合成化学[化学合成] 435 無機化学 436 金属元素とその化合物 437 有機化学 438 環式化合物の化学 439 天然物質の化学 440 天文学・宇宙科学 441 理論天文学・数理天文学 442 実地天文学・天体観測法 443 恒星・恒星天文学 444 太陽・太陽物理学 445 惑星・衛星 446 月 447 彗星・流星 448 地球・天文地理学 449 時法・暦学 450 地球科学・地学 451 気象学 452 海洋学 453 地震学 453.38 地震予知 454 地形学 455 地質学 456 地史学・層位学 457 古生物学・化石 458 岩石学 459 鉱物学 460 生物化学・一般生物学 461 理論生物学・生命論 462 生物地理・生物誌 463 細胞学 464 生化学 465 微生物学 467 遺伝学 467.25 遺伝子組み換え 468 生態学 469 人類学 470 植物学 471 一般植物学 472 植物地理・植物誌 473 葉状植物 474 藻類・菌類 475 コケ植物[蘚苔類] 476 シダ植物 477 種子植物 478 裸子植物 479 被子植物 480 動物学 481 一般動物学 482 動物地理・動物誌 483 無脊椎動物 484 軟体動物・貝類学 485 節足動物 486 昆虫類 487 脊椎動物 488 鳥類 489 哺乳類 490 医学 491 基礎医学 492 臨床医学 493 内科学 494 外科学 495 産科学,婦人科学 496 眼科学,耳鼻咽喉科学 497 歯科学 498 衛生学,公衆衛生学,予防医学 499 薬学 5類 技術・工学・工業 500 技術・工学(・工業) 501 工業基礎学 502 技術史・工学史 503 参考図書[レファレンスブック] 504 論文集・評論集・講演集 505 逐次刊行物 506 団体 507 研究法・指導法・技術教育 508 叢書・全集・選集 509 工業・工業経済 510 建設工学・土木工学 511 土木力学・建設材料 512 測量 513 土木設計・施工法 514 道路工学 515 橋梁工学 516 鉄道工学 517 河海工学・河川工学 518 衛生工学・都市工学 518.523 ごみの再利用 519 公害・環境工学 520 建築学 521 日本の建築 522 東洋の建築・アジアの建築 523 西洋の建築・その他の様式の建築 524 建築構造 525 建築計画・施工 526 各種の建築 527 住宅建築 528 建築設備・設備工学 529 建築意匠・装飾 530 機械工学・原子力工学 531 機械力学・材料・設計 532 機械工作・工作機械 533 熱機関・熱工学 534 流体機械・流体工学 535 精密機器・光学機器 536 運輸工学・車輌・運搬機械 537 自動車工学 537.25 電気自動車 538 航空宇宙工学 539 原子力工学 540 電気工学・電子工学 540 電気工学 541 電気回路・計測・材料 542 電気機器 543 発電 544 送電・変電・配電 545 電灯・照明・電熱 546 電気鉄道 547 通信工学・電気通信 548 情報工学 549 電子工学 550 海洋工学・船舶工学 551 理論造船学 552 船体構造・材料・施工 553 船体艤装・船舶設備 554 舶用機関[造機] 555 船舶修理・保守 556 各種の船舶・艦艇 557 航海・航海学 558 海洋開発 559 兵器、軍事工学 560 金属工学・鉱山工学 561 採鉱・選鉱 562 各種の金属鉱床・採掘 563 冶金・合金 564 鉄鋼 565 非鉄金属 566 金属加工・製造冶金 567 石炭 568 石油 569 非金属鉱物・土石採取業 570 化学工業 571 化学工学・化学機器 572 電気化学工業 573 セラミックス・窯業・珪酸塩化学工業 574 化学薬品 575 燃料・爆発物 576 油脂類 577 染料 578 高分子化学工業 579 その他の化学工業 580 製造工業 581 金属製品 582 事務機器・家庭機器・楽器 583 木工業・木製品 584 皮革工業・皮革製品 585 パルプ・製紙工業 586 繊維工学 587 染色加工・染色業 588 食品工業 589 その他の雑工業 590 家政学・生活科学 591 家庭経済・経営 592 家庭理工学 593 衣服・裁縫 594 手芸 595 理容・美容 595.6 痩身法 596 食品・料理 597 住居・家具調度 598 家庭衛生 599 育児 6類 産業 600 産業 601 産業政策・行政・総合開発 602 産業史・事情・物産誌 603 参考図書[レファレンスブック] 604 論文集・評論集・講演集 605 逐次刊行物 606 団体 607 研究法・指導法・産業教育 608 叢書・全集・選集 609 度量衡、計量法 610 農業 611 農業経済 612 農業史・事情 613 農業基礎学 614 農業工学 615 作物栽培・作物学 616 食用作物 617 工芸作物 618 繊維作物 619 農産物製造・加工 620 園芸 621 園芸経済・行政・経営 622 園芸史・事情 623 園芸植物学・病虫害 624 温室・温床・園芸用具 625 果樹園芸 626 蔬菜園芸 627 花卉園芸[草花] 628 園芸利用 629 造園 630 蚕糸業 631 蚕糸経済・行政・経営 632 蚕糸業史・事情 633 蚕学・蚕業基礎学 634 蚕種 635 飼育法 636 くわ・栽桑 637 蚕室・蚕具 638 まゆ 639 製糸・生糸・蚕糸利用 640 畜産業 641 畜産経済・行政・経営 642 畜産史・事情 643 家畜の繁殖・家畜飼料 644 家畜の管理・畜舎・用具 645 家畜・畜産動物各論 646 家禽各論・飼鳥 646.9 みつばち・昆虫 648 畜産製造・畜産物 649 獣医学・比較医学 649 獣医学 650 林業 651 林業経済・行政・経営 652 森林史・林業史・事情 653 森林立地・造林 654 森林保護 655 森林施業 656 森林工学 657 森林利用・林産物・木材学 658 林産製造 659 狩猟 660 水産業 661 水産経済・行政・経営 662 水産業および漁業史・事情 663 水産基礎学 664 漁労・漁業各論 665 漁船・漁具 666 水産増殖・養殖業 667 水産製造・水産食品 668 水産物利用・水産利用工業 669 製塩・塩業 670 商業 671 商業政策・行政 672 商業史・事情 673 商業経営・商店 674 広告・宣伝 675 マーケティング 676 取引所 678 貿易 680 運輸・交通 681 交通政策・行政・経営 682 交通史・事情 683 海運 684 内水・運河交通 685 陸運・自動車運送 686 鉄道 687 航空運送 688 倉庫業 689 観光事業 690 通信事業 691 通信政策・行政・法令 692 通信事業史・事情 693 郵便・郵政事業 694 電気通信事業 699 放送事業 699.39 アナウンサー 7類 芸術 700 芸術・美術 701 芸術理論・美学 702 芸術史・美術史 703 参考図書[レファレンスブック] 704 論文集・評論集・講演集 705 逐次刊行物 706 団体 707 研究法・指導法・芸術教育 708 叢書・全集・選集 709 芸術政策・文化財 710 彫刻 711 彫塑材料・技法 712 彫刻史・各国の彫刻 713 木彫 714 石彫 715 金属彫刻・鋳造 717 粘土彫刻・塑造 708 仏像 709 オブジェ 720 絵画 721 日本画 722 東洋画 723 洋画 724 絵画材料・技法 725 素描・描画 726 漫画、挿絵、童画 727 グラフィックデザイン、図案 728 書道 730 版画 731 版画材料・技法 732 版画史・各国の版画 733 木版画 734 石版画 735 銅版画・鋼版画 736 リノリウム版画・ゴム版画 737 写真版画・孔版画 739 印章、篆刻、印譜 740 写真 742 写真器械・材料 743 撮影技術 744 現像・印画 745 複写技術 746 特殊写真 747 写真の応用 748 写真集 749 印刷 750 工芸 751 陶磁工芸 752 漆工芸 753 染織工芸 754 木竹工芸 755 宝石・牙角・皮革工芸 756 金工芸 757 デザイン・装飾美術 758 美術家具 759 人形・玩具 760 音楽 761 音楽の一般理論・音楽学 762 音楽史・各国の音楽 763 楽器・器楽 764 器楽合奏 765 宗教音楽・聖楽 766 劇音楽 767 声楽 768 邦楽 769 舞踊、バレエ 770 演劇 771 劇場・演出・演技 772 演劇史・各国の演劇 773 能楽、狂言 774 歌舞伎 775 各種の演劇 777 人形劇 778 映画 779 大衆演芸 780 スポーツ・体育 781 体操、遊戯 782 陸上競技 783 球技 784 冬季競技 785 水上競技 786 戸外レクリエーション 787 釣魚、遊猟 788 相撲、拳闘、競馬 789 武術 790 諸芸・娯楽 791 茶道 792 香道 793 花道 794 撞球 795 囲碁 796 将棋 797 射倖ゲーム 798 室内娯楽 798.5 テレビゲーム 799 ダンス 8類 言語 800 言語 801 言語学 809 言語生活 810 日本語 811 音声、音韻、文字 812 語源、意味 813 辞典 814 語彙 815 文法、語法 816 文章、文体、作文 817 読本、解釈、会話 818 方言、訛語 820 中国語 829 その他の東洋の諸言語 830 英語 840 ドイツ語 849 その他のゲルマン言語 850 フランス語 859 プロヴァンス語 860 スペイン語 869 ポルトガル語 870 イタリア語 879 その他のロマンス諸語 880 ロシア語 889 その他のスラヴ諸語 890 その他の諸言語 891 ギリシア語 892 ラテン語 893 その他のヨーロッパの諸言語 894 アフリカの諸言語 895 アメリカの諸言語 897 オーストラリアの諸言語 899 国際語(人工語) 9類 文学 900 文学 909 児童文学研究 910 日本文学 911 詩歌 912 戯曲 913 小説、物語 914 評論、エッセイ、随筆 915 日記、書簡、紀行 916 記録、手記、ルポルタージュ 917 箴言、アフォリズム、寸言 918 作品集 919 漢詩文、日本漢文学 920 中国文学 929 その他の東洋文学 930 英文学・米文学 940 ドイツ文学 949 その他のゲルマン文学 950 フランス文学 959 プロヴァンス文学 960 スペイン文学 969 ポルトガル文学 970 イタリア文学 979 その他のロマンス文学 980 ロシア文学・ソヴィエト文学 989 その他のスラヴ文学 990 その他の諸文学 991 ギリシア文学 992 ラテン文学 993 その他のヨーロッパ文学 994 アフリカ文学 995 アメリカ先住民語の文学 997 オーストラリア先住民語の文学 999 国際語による文学 出典 フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
https://w.atwiki.jp/nicosangokushi/pages/866.html
[部分編集] 投稿武将 編集 + 第一次~五次の採用武将 第一次~五次の採用武将 + 第一次採用武将 第一次採用武将 諸韓雷(平徳) 身を立てようと武と学問を修めるため郷里を離れていたが、帰郷した所、母は賊の手によって殺害されていた。 以来、後に涼真軍に加わる紀春らと義勇軍を結成。彼らと別れた後も賊の討伐をしながら志を預けられる主君を求めて旅をし、上庸にて張芳と出会った際、請われて涼真軍へ加入する。 以後は涼真および張芳に心酔し、その武を振るう。 根っからの武人であるため非常に剛直であるが、それ故に彼の言葉に諭される者も多い。 今では涼真軍一の勇将と言えば彼を指すほどに名が轟いている。 一方で女心には疎いようである。 「ふ、某は果報者であろう?」 統72 武76 知53 政68 魅70 槍B 戟S 弩A 騎B 兵A 水A 特技:戟将 投稿者:名有り様 丁賓(涼徽) 廬江の生まれで、故あって流浪の身。 上庸での求人令に応じ登庁しようと思っていたところ、太守の妻張芳に出会いそのまま仕官した。 仕官当初は主である涼真と一緒になって曹操に怯えるなどしていたが、第一次長安攻略戦に敗れた際にはその責を一人で負って軍令の重さを涼真軍に示し、 後の益州攻略戦においては永安を曹操軍からかすめ取る強かさを見せるなど、涼真軍の柱としての成長を見せた。 諸韓雷、荀静らと共に涼真軍の最古参としての威厳をもつと同時に、涼真軍の筆頭将軍と呼ぶにふさわしい武将。 総大将としての才覚にも優れており、永安の防衛では関羽、張飛、趙雲の三将を相手にしても怯むことなく永安を守りきった。 また、勢力拡大後は弩兵を率いて後方から全軍の補佐に回ることが多くなったが、その真髄は槍を片手に最前線で戦う猛者であり、益州の平定戦においては曹操軍相手に圧巻の活躍を見せた。 文武両道の猛将だがオカマ口調。思慮深く、常に周りの者を気遣うやさしさを持っているが、オカマ口調。 「どうぞ、我慢なさらないでください。 ここには月とアタシしか居ませんから。」 統87 武82 知79 政66 魅78 槍S 戟A 弩B 騎B 兵B 水S 特技:補佐 投稿者:キャベた様 荀静(孟忠) 陣の敷設及び、攻城兵器の扱いに長けた知将。上庸にて涼真軍へ仕官。 乱世においては不器用な涼真の優しさに触れ、己の身を預ける価値がここにあると感じている。 普段は寡黙だが、ひとたび戦場に立つと人が変わる。 変わりすぎて部下のグラフィックまで変わる。 時には自身のグラフィックまで変わる。 その設営能力は辛口の貢師でさえ「感服した」と言うほどのものであり、その特技を活かすために共に最古参である丁賓や諸韓雷に比べて裏方に回ることも多い。 しかしながら、戦場における功績は彼らに引けを取らないばかりか、上記の性格も相まって逆に圧倒的な存在感を放つ。 ここ一番での活躍は目覚ましく、特に長安を奪取した当初にその防衛を果たせたのは彼の力によるところが大きい。 また、その後の長期にわたる長安の防衛でも、守りの要としてその能力を如何なく発揮した。 なお、本動画では兵器部隊=彼の育てた兵士を指すことが多い。 「おっしゃあ!戦だオラァ!!」 統75 武38 知72 政54 魅21 槍B 戟C 弩B 騎C 兵S 水S 特技:築城 投稿者:hul様 + 第二次採用武将 第二次採用武将 施蓉 五斗米道の元祭酒。 漢中陥落時に張魯を処断しなかったことに恩義を感じ、 また一人の漢中の民としてその復興に尽力するため涼真軍へ身を寄せる。 とってもキュートなので涼真軍の兵士にもファンが多い。 しかし貢師曰く「女狐」。時折その計算高さが垣間見える。 涼真軍の領土が広がった後も漢中に滞在していることが多く、漢中に赴任した将を諭し導いた上で改めて送り出すことも多い。 また、漢中に留まりながらも内政官としての地位と実績は呂白に次ぐほどであり、彼から自分の後任として期待されている。 一方で、張芳の次に逆らってはいけない相手でもある。 「おかしいですね? 私は”倒せたら”と言ったはずですよ。」 統41 武32 知83 政84 魅87 槍C 戟C 弩B 騎C 兵B 水A 特技:祈願 投稿者:ニフラム様 貢師 漢中に二老ありと謳われたその一人。有名な学士であり気骨の士。施蓉が説得に赴いた際、荀静に一杯くわされた形で涼真軍へ参入。 非常に毒舌だが、いわゆるツンデレ。 高泉とのペアで出撃することが多い。最近は戦時以外でも一緒に居ることが多い。名(迷?)コンビ。 その軍略は負けず嫌いの張芳が舌を巻くほどであり、涼真軍の急速な勢力拡大は彼の頭脳無しには成し得なかった。 朱智や楊烈のように涼真軍の中心的頭脳と言える将が加わった後も、貢師の存在は彼らと一線を画している。 また、その役職故か共に二老と謳われた呂白よりも出番が多い。 「阿呆かおのれは。卑怯だから、するんじゃろうが。」 統58 武1 知87 政36 魅58 槍C 戟C 弩C 騎C 兵C 水C 特技:指導 投稿者:tomomo様 呂白(徳雲) 漢中の名士だが、漢王朝への忠誠心から張魯への仕官は応じず、隠遁し貢師とともに私塾を開いていた。 漢中の復興を心から願う施蓉の説得により、涼真軍への加入を決断する。 加入後はその政治手腕を遺憾なく発揮しており、廃墟と化した長安の復興を見事に果たした。 現在では涼真軍の筆頭文官の地位を揺ぎ無いものにしており、もはや彼不在で涼真軍の存続はありえない。 領土が拡大し、人員も増えた現在では長安で専ら米の売買を行っているが、一方で有り余るほどの資金の貯蓄も行っており、涼真軍の運営を支えている。 「いかんな施蓉? 昔話は年寄りの特権だ。」 統28 武25 知72 政86 魅70 槍C 戟C 弩C 騎C 兵B 水C 特技:富豪 投稿者:クシモリ様 沈覇 漁師の息子であったが、江賊退治を行っていたところを涼真に見出され軍へ加入。船の扱いに長け水上戦で活躍する機会が多い。 剛毅な若者で、見解の相違から張芳に噛み付くこともあったが、諸韓雷に諭され、己の立場を見つめなおす機会を得た。 同年代の韓封の加入により功を焦るなどまだ青い一面もみせるが、多くの良き年長者たちに支えられ彼は日々成長していく。 特に諸韓雷から受けた影響は大きく、紀春曰く「間違いなく平徳に似た」とのこと。 現在では若手の出世頭であり、特に水上の戦では他に類を見ない活躍を見せ、ライバルである韓封もその実力を認めている。 「沢山の兵が死んだんですよ!それを…!」 統60 武85 知60 政35 魅70 槍B 戟B 弩A 騎C 兵B 水S 特技:水将 投稿者:ポテト様 張蘭(子奄) 武官として活躍したいと思っているが、過去どの勢力に仕官しても文官候補とされてしまっていた。 漢中での戦にて、涼真軍は寡兵にもかかわらず無名の将たちが活躍する様をみて仕官を決意する。 いずれは文武両面から軍をささえる将軍になることを目指しており、常に自己の鍛錬を怠らない努力家。 その前向きさは周囲の雰囲気を明るくする。 益州攻略戦後には日ごろの鍛錬の成果が実り、涼真軍の一主将を務めるまでに成長。 文字通りの文武両道の良将となった。 「小生は! 今も、毎日弓の鍛錬を欠かしておりませんぞ!」 統49 武58 知52 政74 魅77 槍C 戟C 弩A 騎B 兵B 水B 特技:射手 投稿者:シャケ缶様 + 第三次採用武将 第三次採用武将 士邦 長安のならず者をまとめる兄貴分。いかつい外見とは裏腹にその腕力は並程度。 得意のハッタリで韓雄との争いを回避したが、張芳には実力を見抜かれ、その上で認められて涼真軍へ加入した。 口は悪いが情には厚く、仲間を思う義侠の心は決して口先だけでは無い。 漢中に赴任していたときは平穏な暮らしを持て余し、孫信、李燕らと共に不真面目に過ごしていた。 しかし前線であった建寧に派遣されて雲南攻略戦に加わった際には、逸る虎覇の手綱を上手く握って雲南攻略に貢献。 漢中へ戻ってからは、左遷された文忠に「這い上がるしかない」と諭し、彼が立ち直るきっかけを与えた。 戦場では敵部隊への偽報工作を担当することが多く、特に防衛戦においてその実力を発揮している。 「失敗も苦労もなしに上り詰められるほど 人間てなぁ綺麗に出来てねえんだ」 統65 武30 知77 政68 魅70 槍C 戟C 弩A 騎C 兵A 水A 特技:言毒 投稿者:末端作業員様 李壁 西涼出身で馬が大好き。長安にて馬の見立てをしていたところを丁賓と荀静に発見される。 いわゆる「マニア」の匂いを感じ取った荀静に乗せられて涼真軍へ加入。 馬の扱いにおいては軍内に並ぶものなく、手足のごとく自在に扱う。 冷静な物言いとは裏腹にその胸中は非常に熱い。厳松、季璃との騎馬隊は『涼真軍最強の騎馬隊』の名にふさわしい活躍を見せている。 「疾風の如く駆け抜けよ、全軍突撃!」 統88 武72 知48 政32 魅46 槍B 戟B 弩C 騎S 兵C 水C 特技:疾走 投稿者:104様 星明 長安の名家の娘。 市場の裏通りで柄の悪い男達にからまれてしまうが、そこに颯爽と現れた高泉(と諸韓雷)に助けられ事なきを得た。 その際に諸韓雷に一目惚れをし、そのままダッシュで政庁へ向かい自ら志願して涼真軍へ参加する。 初の従軍では立ちすくむ事しかできなかった彼女だが、持ち前の明るさでその後も頑張っており、どこか将来を期待させる。 張芳には一見冷たく当たられているが、その実非常に可愛がられており、星明自身も彼女の優しさを誰よりも理解し、慕っている。 それ故に自分が張芳の役に立てていないのではないかと思い悩んだこともある。 一見アホの子のような言動が多いが、張芳がその活躍を期待するほどの才覚を持ち合わせており、宛攻略の際には「鳳雛に対抗しうるのは星明のみ」と言わしめた。 「私、最初は平徳様に憧れたってだけで ここに来たんですけど… 今は、違うんです(キリッ」 統13 武3 知70 政28 魅82 槍C 戟C 弩C 騎C 兵C 水C 特技:明鏡 投稿者:イカ様 韓雄(伯孝) 長安郊外の寒村の出身。身長8尺5寸ほどの巨漢。勉学に励んではみたが大成せず、賢い弟達に対し劣等感を持っていた。 しかし、そんな彼の様子を見た母は「お前は、お前にしかない長所がある」と諭した。 目の覚めた彼はそれ以来、武術の鍛錬に励むこととなる。 月日は流れ、涼真軍の長安攻略の後、ならず者たちとの間で起きた争いを目撃した張芳に、彼はその才を認められる。 最初は学の無い事を理由に仕官を固辞するが、彼の心を動かしたのはあの日の母と同じ言葉だった。 現在では専ら高泉隊で貢師の護衛を務めており、高泉隊の活躍は彼なしには語ることはできない。 涼真軍きっての武術の腕前を持ち、その強さは曹彰が化け物扱いするほど。 「この韓伯孝が立ちはだかるからには、何人たりとも二人に触れられぬと心得よ!」 統39 武88 知38 政35 魅65 槍A 戟B 弩C 騎B 兵C 水C 特技:護衛 投稿者:SHOCK様 白華 生まれは偏将軍の家柄だが、政略結婚がイヤで現在は家出娘。家に戻りたくない一心で軍への仕官を申し出た。 涼真が決断しかねていたところを張蘭の後押しで参入が決まる。 軍の統率に長けており、中でも兵器隊の指揮をとることが多いが「歴戦の兵器隊たち」が目下悩みの種である。 彼女の活躍以上に預かった兵士の性格が目立つが、兵器隊による投石の精密さは史峻や荀静が認めるほどの腕前であり、丁賓にいたっては涼真軍一だと断言している。 攻城戦、防衛戦を問わずにあらゆる場面で彼女の投石は前線部隊を助け、涼真軍を勝利に導いている。 なお、投稿主によるスピンオフ作品がある。 「目標、射程圏内ですわ! 総員投石開s」 統80 武60 知69 政21 魅77 槍C 戟C 弩A 騎B 兵S 水C 特技:射程 投稿者:公孫様 + 第三次追加採用武将 第三次追加採用武将 紀春 諸韓雷の昔の知り合いで、義勇兵を募り一緒に賊の討伐に当たっていた事がある。 再び義勇軍を立ち上げようと諸韓雷を探していたところ、上庸の酒家で涼真に出会いそのまま軍へ参加する事になる。 相手が誰であっても気兼ねのない物言いをし、冗談などもよく言う社交的で明るい性格。 それ故、癖の多い涼真軍の中でも人当たりがよく、特に涼真からは仕官してすぐに酒宴に呼ばれるほど気に入られている。 評定へ寝坊したり、職務中に酒を飲んだりと一見不真面目な言動の多さが目立つが、高いリーダシップの持ち主であり、涼真軍へ参加する前は朱智、厳松、田旺ら個性の強い将をうまくまとめていた。 また、部隊指揮における彼の用兵術は卒が無く、うまく周りを補佐している。 さらに軍の指揮においても周囲が認める高い統率力と判断力を持ちあわせ、南蛮攻略では事実上全軍の指揮を執った。 後に建寧で韓封に「俺はこれ以上の出世は無理」と断言したにもかかわらず、雲南攻略前に大出世を果たし、南蛮攻略における正式な総大将となる。 「マジっすか(笑)」 統71 武70 知55 政44 魅80 槍A 戟B 弩A 騎A 兵B 水B 特技:補佐 投稿者:イカスイ様 厳松 諸韓雷の昔の知り合いで、義勇兵を募り一緒に賊の討伐に当たっていた事がある。紀春らと共に上庸にて涼真軍へ加入する。 他の兵科においても高い統率が生かせるハズだが、戦においては騎馬がもっとも得意で、騎馬による突撃中毒者である。 怖いもの知らずであり、諸韓雷曰く「胆力の塊のような男」。 思ったことはすぐ口にしてしまう上、沸点は低めの剛胆な性格。直情的だが、逆に言うと非常に素直な性格でもあり、自分の非を素直に認めることができる。 仕官後はすぐに騎馬隊を率いて李壁と共に戦場を駆け回り、涼真軍最強騎馬隊の礎を築いた。 一方で紀春らと共に闘う頻度は少なくなったが、建寧攻めに四人衆のうち自分だけが参戦できなかったときは酒を飲んで不貞腐れてしまった。 「つまりは、向かってくる奴を片っ端からぶっ飛ばしてやればいいんだろ!」 統81 武73 知50 政36 魅70 槍A 戟A 弩B 騎S 兵C 水B 特技:騎将 投稿者:イカスイ様 田旺 諸韓雷の昔の知り合いで、義勇兵を募り一緒に賊の討伐に当たっていた事がある。紀春らと共に上庸にて涼真軍へ加入する。 戦場においては自ら槍を振るう勇猛な戦振りを発揮し、味方を奮い立たせる。 槍兵の扱いに関しては涼真軍でも一、二を争う猛将であり、朱智からは城一つよりも価値のある将と称されている。 その才は単に部隊を率いるだけに止まらず、仕官して間もない頃には涼州侵攻の重要拠点であった漢中の太守に大抜擢され、涼州征圧までこれを見事に守りきった。 顔は悪人顔だが、言葉の丁寧なジェントルマン。女性にも優しいが、現在特に親しい女性の噂は無い。 「いけませんね 年を取ると説教臭くなってしまう」 統70 武86 知49 政35 魅65 槍S 戟A 弩B 騎A 兵C 水B 特技:槍将 投稿者:イカスイ様 朱智 諸韓雷の昔の知り合いで、義勇兵を募り一緒に賊の討伐に当たっていた事がある。 視野広く計略に通じ、義勇軍では優秀な参謀として活躍していた。彼もまた、紀春らと共に上庸にて涼真軍へ加入する。 物静かな佇まいからは育ちの良さがうかがえるが、彼は静かに微笑むだけで多くを語ろうとしない。 紀春の手綱役を自負しており、紀春には意地が悪いと言われながらも信頼されている。 張芳からの信頼も厚く、涼真軍の頭脳の一人として活躍している。 「なに、私は臆病だからな。戦う敵のことは先に調べてしまうのさ」 統48 武36 知85 政71 魅59 槍B 戟B 弩A 騎B 兵A 水A 特技:妙計 投稿者:イカスイ様 燕充(郭志) 若い頃より武芸に秀でており、新城(上庸郡の近所)の豪族であった張家の世話になっていた。 張姉妹の面倒を見てすごしてきたが、張家が賊の手により襲われた際に主を失う。 以降は姉妹の護衛として付き従い自警団を率いていた。そんな最中、目的を同じくする紀春達に出会うこととなる。 初めは仕官する気はなかったが、張彩が仕官する意思を表明したため、付き従う形で共に仕官する。 槍兵隊の扱いでは田旺に並ぶほどの将であるにもかかわらず、留守役として都市に残ることも多いため目立った功績は少ない。 しかし、司馬懿との決戦においてその勇猛さを存分に見せつけ、石麗からは田旺と共に「涼真軍の二本槍」と称された。 張姉妹については、彼女らの意思を尊重したいと考えている一方、二人には戦場とは違う場所で生きて欲しいと願っている。 「邪魔をされるわけには行かん! 螺旋突きの陣だ!かかれ!!」 統79 武83 知34 政31 魅52 槍S 戟A 弩B 騎B 兵C 水C 特技:槍将 投稿者:桑原和真様 張彩(凛禰) 新城の豪族であった張家の長女。幼い頃より燕充の世話になっており、武術の師でもある彼に懐いている。 家が賊に襲われた際に妹以外の家族を失ってしまうが、絶望することなく自警団を立ち上げ賊と戦ってきた。 その最中、目的を同じくする紀春らに出会い、彼らの旧知である諸韓雷を訪ねることになり、これが仕官のきっかけとなった。 仕官後は燕充にいつまでも甘えるわけにはいかないと決意し、彼から自立するために日々努力している。 自分の働きに今一つ自信を見出せないでいたが、雲南攻略の際に田旺の推薦を受けて妹の張來と共に槍兵隊を率い、南蛮の平定に貢献した。 「いいえ、郭志 いつまでも、貴方に甘えてはいられない」 統68 武79 知31 政44 魅81 槍S 戟B 弩B 騎C 兵C 水C 特技:槍将 投稿者:桑原和真様 張來(玲穂) 新城の豪族であった張家の次女。張彩の妹。姉とは異なり良家のお嬢様らしく礼学や楽奏を修めている。 家が賊に襲われてからは、姉の立ち上げた自警団を燕充と共に支えてきた。 理知的な光を瞳に携える淑女だが、たぶん酒には強いようで、まったく酔わないように見受けられる。 姉である張彩らと共に仕官した後は内政に携わる半面、その高い知力と特技を活かして部隊の副将として従軍することも多い。 張彩が非常に素直な性格であるのに対し、妹の張來は底の知れない部分を持ち合わせており、永安でその腹黒い一面を垣間見せた。 なお、早くから張芳の本質を感じ取った一人。 「ふふ、張玲穂に一計ありといったところですよ」 統34 武37 知77 政75 魅73 槍C 戟C 弩C 騎C 兵C 水C 特技:楽奏 投稿者:桑原和真様 韓封 淮陰侯 韓信 の子孫。「兵は神速を尊ぶ」を信条とし、迅速な進軍を得意とする自信家の若者。 兵法書を読み漁り、軍学に明け暮れて学んだ知識を生かせる場を求めていたが、仁君と噂される涼真の窮地を知り上庸に馳せ参じる。 女性に免疫が無くすぐにあがってしまうため、軍内の女性陣とはあまり話す機会がない。 仕官当初は功を逸る言動が目立ち、同年代の沈覇と諍いを起こすことが多かったが、紀春に窘められて考え方を修正しつつある。 益州攻略戦までは紀春隊の副将を務めることが多く、共に過ごす中で彼を心の底から信頼し、慕うようになる。 しかし、雲南攻略前には本拠である上庸へ異動するように彼から命を受け、彼の副将としてではなく、自分の志のために武功を立てるべきだと諭された。 紀春から自立した後はライバルである沈覇と共に戦うことが多く、互いに武功を競っている。 「もっと大きな功を立てたいんですよ!」 統80 武60 知70 政30 魅85 槍A 戟A 弩S 騎A 兵B 水B 特技:強行 投稿者:かんしん様 田就(孟翔) 北海の出身。屯所兵長であった父より部隊の指揮を学ぶ。防衛に重きを置いた戦いを理解されず、父と決別し家を出る。 訪れた上庸で屯所に勤めようと思っていたところ、幸か不幸か屯所役人ではなく一般将校として採用される事になる。 荀静らと共に長きに亘って長安を守り続け、その間に武将間の緩衝材になることもしばしば。 常に冷静さな物言いで、どちらかというと聞き手に回ることが多い。 目立った活躍こそないもののそれは守りを重視しているためであり、長安でホウ徳に張清を捕えられたことを除けば大きなミスは何もない。 このままいけば『ディフェンスに定評のある田孟翔だ!』と呼ばれる日も近いはず。 「ふっ、まあでも、できることはまだあるはずです」 統81 武58 知51 政40 魅54 槍C 戟A 弩A 騎C 兵C 水C 特技:不屈 投稿者:ミドリ様 月華 益州出身。南蛮との境にある山村で自然と共に育ち、森林での戦いを最も得意とする。 人付き合いが大変苦手であり、克服するために都へ向かう途中で孟威と知り合い長安に同行してもらう。 意外なことに勉強家なのか高い知性を持つが、声が小さく自分の意見を伝えるのを苦手としている。 張芳が胸の内に秘めた自身の弱さを語った唯一の人物であり、その出来事以後は彼女を支えたいという想いを「戦場に立つ理由」としている。 戦場では主に孟威と組んでおり、互いに公私を越えた深い信頼で結ばれている。 南蛮平定の際は孟威の心中を想うあまり、意外な一面を見せた。 「……奥方様…殿のため…貴方のため………私は戦いたい」 統51 武72 知78 政25 魅81 槍A 戟B 弩A 騎C 兵C 水B 特技:乱戦 投稿者:Y2K様 孟威 南蛮は烏戈国出身。藤甲兵を率いて戦う猛将。 ひょんなことから月華と知り合ったことで長安へ向かうことになる。 基本的に脳筋であり勢いに任せて生きている。南蛮生まれのせいか話し方に癖がある。 普段はとても勇猛なのだが、火がとても苦手で火を見ると途端に臆病になるらしい。 長安防衛組の中では姫戈と共に主戦派であったが月華が上手く宥めていた。 後に長安から永安守備の任を経て建寧に異動し、雲南攻略に従軍することになる。 南蛮の出でありながら涼真への恩と仲間の思いに報いるため、同胞と矛を交えた。 「大丈夫だ、問題無い」 統88 武80 知41 政30 魅67 槍B 戟S 弩C 騎C 兵C 水A 特技:藤甲 投稿者:anatasan様 季璃(`・ω・´) 襄陽南部の当陽出身。戦災孤児となった所を放浪中の道士に拾われ、峨眉山麓の道士の里にて武術と学問を修める。 せっかく道士より易学・風水を学ぶ機会を得たのに、頭を使うことを嫌ったため、学問はあまり身についておらず、道号も得ていない。 武術には熱心で、負けず嫌いな性格も手伝い、その腕は男性顔負け。 戦乱により行方不明になった義妹を探していたが、無事合流できた様子。 施蓉に嵌められる形で仕官したものの、仕事は真面目にこなしているようであり、部下にも慕われている様子。 戦場では涼真軍最強騎馬隊の一角を担っており、彼女によって負傷させられた武将は数知れない。 なお、投稿者によるスピンオフ作品がある。 また、同じく投稿者による本動画の武将紹介動画においてはメインパーソナリティーを務めている。 「悪い奴はいねーかー」 統60 武81 知50 政45 魅70 槍B 戟B 弩C 騎S 兵C 水C 特技:猛者 投稿者:絵筆様 史峻 根っからの戦争屋。さまざまな軍に傭兵として参加している。 傭兵として各種部隊に配属されてきたが、とりわけ弓の扱いに長けており弩兵部隊を任せられることが多い。 今現在は、仕官というよりは客将という扱いで涼真軍に参戦している。はっきりとした物言いをし、金銭にかなりシビアである。 弩兵隊の扱いは涼真軍随一であり、長安の防衛では多くの敵兵が彼の餌食になった。 斜に構えているが、仲間の窮地には真っ先に弓を取る好漢。 「ああ、礼なら言葉より金子で頂きたいものですな」 統79 武81 知50 政26 魅68 槍B 戟B 弩S 騎A 兵C 水C 特技:弓将 投稿者:パト様 擁政 涼州出身。幼少より数々の苦難に遭うがその都度、不屈の心で乗り越えてきた苦労人。 父を陥れた役人に仇討ちをする、義勇軍に参加するなど、文官としてはかなり過激な経歴を送ってきている。 平和を願う心優しい男であり、義の志を持った君主を探して放浪していたところを涼真軍の噂を聞いたため、仕官している。 勢力が小さい頃から涼真軍を裏から支え続けている一人であり、早い時期から呂白に仕事を一任されるなど文官としての能力の高さが覗える。 幅広い才能の持ち主であり、内政官として優秀であるだけでなく軍事の才にも長けており、様々な場面で戦術的・戦略的献策を行っている。 特に長安防衛戦において潼関を突破された際には、潼関の西方に新たな関を建設するという大胆な策を発案。 その関は後日「擁政関」と命名され、長安の防波堤となった。 勢力が大きくなった現在では目立った活躍は少ないものの、文官としての職務だけではなく副将として従軍するなど、内政・軍事の両面で涼真軍を支えている。 「優秀な人材は、優秀な人材を呼ぶものでしょう」 統35 武42 知82 政79 魅76 槍C 戟C 弩A 騎C 兵A 水B 特技:不屈 投稿者:KEITO様 + 第四次採用武将 第四次採用武将 李燕 元は大商人だったが、乱世で店をなくしたため行商人として各地を旅していた。 非常に口がうまく、客にとっては不必要なものでも売りつけるほどの商魂逞しい人物。 小銭を貯めるのが個人的な趣味という少々ケチな面もあるが、その商才は本物である。 統29 武14 知75 政81 魅75 槍C 戟C 弩C 騎C 兵C 水C 特技:能吏 投稿者:ジョン太様 桃玉 上庸の生まれ。涼真軍の発起以前より市場で働いてきた。戦乱で命の危機にもさらされたが上庸を離れる事はなかった。 現在両親は他界しており、従兄弟らと店を切り盛りしているうちに、いつの間にか古参の商売人の一人となっていた。 市場の看板娘(?)でもある。 統32 武11 知70 政79 魅79 槍C 戟C 弩C 騎C 兵C 水C 特技:指導 投稿者:シロ犬様 楊烈(玄季) 代々武人を輩出する名門の出。功名心が強く、幼少の頃より軍学に励んだ。 袁紹に仕えた際には数々の戦で武功を立てたが、とある戦で功を焦り敗北する。 その際に右眼と利き腕を失い、さらには敗北の罪を問われ罷免されてしまう。 妻子は既に亡く、功名心のみで己をささえる悲運の人物。 「だがこの楊玄季の策は鬼の謀である、勝利のための犠牲を厭いはせぬ」 統82 武5 知83 政45 魅65 槍B 戟A 弩B 騎A 兵A 水C 特技:鬼謀 投稿者:SHOCK様 姫戈 羌族の中の有力な一部族である族長の後継者。現役引退が間近な父の代わりとして、部族をまとめている。 漢朝に対する反乱軍を率いたり、部族間の抗争を抑えるなど統率力に優れた面を見せる。 己の部族に誇りを持ち、漢族に対しては若干含むところがある。 統75 武82 知38 政43 魅73 槍B 戟B 弩A 騎S 兵C 水C 特技:親羌 投稿者:末端作業員様 馬仁 涼州の義賊の頭領。「弱きを助け、強きを挫く」を座右の銘としている。 酒と女にゃ~とても弱く、部下の面倒見がいい兄貴肌。 同じく涼州で荒くれ者をまとめていた士邦とは、当然ながらマブダチである。 「ちょ待てよ(`・ω・´)」 統77 武77 知56 政30 魅75 槍B 戟C 弩B 騎A 兵B 水C 特技:連戦 投稿者:ハク様 張清(子蓮) 張芳の実の妹。幼少より才女と名高かった姉とは違い、悪戯ばかりして両親を困らせてきた。 高泉は姉と比べることを一切しなかったため、彼には好意を寄せている。 高泉の「強い女性は魅力的」という言葉を聞きつけた彼女は、その後武芸に励む事となったが 現在は「強い女性とは何か」を模索している。悩み多きお年頃。 統72 武80 知58 政29 魅80 槍A 戟S 弩B 騎A 兵B 水B 特技:心攻 投稿者:クシモリ様 + 第五次採用武将 第五次採用武将 張架(子苓) 金で仕事を請け負う私掠賊の女頭領。仲間からは姐御や姐さんと呼ばれている。 弓の扱いに長けており、その腕前は百発百中と言われている。女性だが背が高く、力余って弓を何度か壊している。 昔は尻に敷いていた旦那が居たが、逃げられてしまった…が、戻ってきた。張架は伊昌の嫁! 統69 武82 知50 政22 魅78 槍B 戟B 弩S 騎C 兵C 水C 特技:射手 投稿者:しゃる様 孫信(源妙) 貢師・呂白の門下で学んでいたが、見識を広め軍略を高めるべく鐘会軍へ仕官していた。 自称武闘派軍師で「意見が割れたときには最後は殴り合いで解決したらいい。」という過激な発想の持ち主。 そのため肉体鍛錬も怠ってはいない。 呂白に嵌められて漢中で涼真軍へ加入となる。 「よし、分かった、ならば拳で決着をつけよう」 統33 武53 知81 政73 魅71 槍B 戟C 弩B 騎C 兵B 水C 特技:機略 投稿者:tomomo様 翔季玉 羌族の小さな部族の出身。母とは幼少期に死別するが健康に育つ。 弓の扱いにかけては幼い頃より才能を開花させており、将来を期待されていた。 12歳の時に父親を漢軍の討伐隊により亡くしており、天涯孤独の身になってしまった。 普段は明るく振る舞うが、その生い立ちから寂しがりな面ものぞかせる。 統50 武80 知20 政30 魅70 槍C 戟C 弩A 騎S 兵C 水C 特技:白馬 投稿者:H・Y様 成納(敢駆) 漢中の商家の生まれ。戦乱による流通の不安定化に目を付けて、武装商隊を組織。 自ら隊を率いて各地を行商する途中に楽豊と知り合い、彼に護衛を頼み行動を共にしていた。 失敗や苦情にもめげることなく、バリバリ仕事をこなす関西人!…ではないが関西弁。関西弁!? 統71 武64 知61 政39 魅70 槍A 戟B 弩B 騎A 兵B 水A 特技:運搬 投稿者:銘縫様 楽豊 漢中の山奥の村で生まれ。親は流行り病で亡くしており親戚の元で育った。 小さい頃から体が大きく大食漢。正直な性格で嘘は大嫌い。 丁賓が漢中に赴任していた頃に村を守ってもらったことがあり、丁賓にその才を認められた。 成納の行商隊の護衛をし、漢中城下へ訪れた際に推薦状を携えて政庁へ参内。成納と共に涼真軍へと加入。 統86 武86 知28 政17 魅53 槍S 戟S 弩C 騎B 兵C 水C 特技:駆逐 投稿者:かんしん様 王礼(伯元) 幼い頃より、国一番の武を夢に抱き各地を放浪しており、人生の大半を武に費やしてきた。 黄忠に一騎打ちを挑み、敗北しているという過去がある。 読書が趣味で、鍛錬の休憩の際には様々な書物を読むインテリな面があり、多方面の知識をある程度備えている。 統74 武90 知55 政41 魅41 槍S 戟A 弩C 騎B 兵C 水C 特技:なし 投稿者:一騎当壱様 編集 + 第六次~十次の採用武将 第六次~十次の採用武将 + 第六次採用武将 第六次採用武将 石麗(銀雀) 荊州南郡の当陽出身。季璃同様に戦災孤児となったところを道士に拾われている。 峨眉山麓の里で修行を積み、易学及び風水を修めており、季璃とはぐれた後に銀雀という道号を授かっている。 いつまでたっても戻らない義姉の行方を占い、漢中に訪れ再会を果たす。 季璃を連れ戻すために田旺に会うが、なぜかそのまま涼真軍に加入する事となる。 統18 武40 知85 政70 魅40 槍C 戟C 弩B 騎C 兵B 水C 特技:風水 投稿者:鉛筆様 蒋雲(幼明) 官吏の家に生まれた六男。飽きっぽい性格から役人の仕事も長続きせず、あきれた親に勘当される。 その後は無頼を気取り各地を放浪し武術の腕を磨いていたが、天文(笑)の導きにより涼真軍へ加入。 マイペースな性格で、興味の無い事にはまったくやる気を示さないが、好きなことには凄まじい集中力を発揮する。 統42 武79 知81 政23 魅36 槍A 戟A 弩B 騎A 兵C 水C 特技:看破 投稿者:三尾様 虎覇(伯威) 乱世を悪と断じる、強烈な正義感を持った非常に熱い男。 過去に賊により親を失っているが、その際に彼の命を救った旅の武芸者に育てられる事となる。 成人した後には義勇軍を編成し、悪を倒さんと戦ってきたが、計略に嵌り敗北した。 しかし彼は諦めること無く、乱世に幕を下すため涼真軍へ仕官する。 「もっと! 熱くなれよ!!」 統79 武82 知25 政42 魅69 槍S 戟A 弩B 騎B 兵C 水C 特技:怒髪 投稿者:ポテト様 董紘(忠烈) 漢の忠臣である董承の親類で、帝に仕えていた若者。 一定の平穏をとりもどした長安にて、帝の推挙により涼真軍へ加入することとなる。 帝に対し礼をとらない高泉には強い不満を抱く。 彼もまた、董承と同じく忠義の士である。 統47 武75 知49 政69 魅41 槍C 戟B 弩B 騎A 兵A 水B 特技:血路 投稿者:カバさま様 + 第七次採用武将 第七次採用武将 文耀瑛 河北の猛将、文醜の娘。彼女自身も父に倣い武芸に磨きをかけてきた。 お年頃なので縁談も持ち上がるが、自分より弱い男に興味が無いことを宣言し、 周囲の求婚者を片っ端からなぎ倒して婿探しの旅に出た。 そんな彼女が敗北をした相手とは、(婿にするにはちょっとご高齢な)王礼であった。 統73 武87 知35 政16 魅72 槍A 戟A 弩B 騎S 兵C 水C 特技:騎将 投稿者:WA亀様 秦登(叔苞) 長安近郊の貧しい農家の三男坊として生を受ける。家族の負担を少しでも減らす為に宦官となった。 赤兎馬を初めとする様々な名馬の話を聞くにつれ、「この手で、後世に名を残す名馬を育てたい」と決意し、 馬の研究に心血を注ぐ様になった。 自らは子孫を残せない為か、馬を我が子同様に深い愛情をもって育てている。 統30 武20 知80 政60 魅71 槍C 戟C 弩C 騎A 兵B 水B 特技:繁殖 投稿者:H・Y様 文衛(規路) 江州の大商家である文家の長で、飄々とした口調と眠たそうな外見が特徴のおじ様。 しかし人を使う事に関しては天性の才を持ち、商人としての実績もあるキレ者。 その凡庸そうな印象からか、警戒されることなく現在まで商売の拡大を行ってきた。 統54 武30 知86 政70 魅82 槍B 戟B 弩B 騎C 兵C 水C 特技:仁政 投稿者:Sigir様 文忠(涼延) 江州の名家である文家の若者。厳格に育てられており、日々勉学に打ち込んできた。 生来の才能もあってか、周囲には知識で彼に敵うものはおらず、少々天狗になっている。 規律に厳しく、頑固で融通の利かないうえに、学の無いものを馬鹿にしているが 張芳にはその性質を見抜かれている様子。 統52 武37 知82 政69 魅73 槍B 戟C 弩B 騎C 兵B 水B 特技:反計 投稿者:時之介様 杜邑 益州出身。若い頃より益州全域にわたり建築、建造の最前線に立ってきた。 厳しい地形の中で培われたその技術は確かなものであり、匠の域に達している。 難攻不落の城砦も、鋭い匠の眼光からはその弱点を隠せない。 統69 武40 知71 政60 魅72 槍C 戟C 弩C 騎C 兵A 水C 特技:攻城 投稿者:chaken様 崔温 中国大陸を巡り、遺跡や廟を探すことに情熱をかける男。 探検家としての生計を立てるために、副業的に特産物などの配達や取引を行っている。 珍しい土地や怪しい物が大好きで、研究に夢中になり周りが見えなくなることもしばしばある。 統38 武51 知68 政70 魅80 槍B 戟B 弩B 騎B 兵C 水A 特技:解毒 投稿者:Y2K様 + 第八次採用武将 第八次採用武将 満顕(孝延) 曹操配下の(はずだった)満寵の息子。己に武の才が不足している事は自覚しているが、武官として身を立てたいと思っている。 戦いにおいては、計略を用いて戦うことを得意とする。 父の「武官には向かないので、内政官になれ。」という言に反発して曹操軍を出奔した。 涼真軍で武功を立てて、己の憧れである父を見返そうと思っている。 統55 武33 知78 政70 魅75 槍C 戟C 弩B 騎C 兵A 水C 特技:機略 投稿者:遼遠様 楊薄(公達) 長安近郊の裕福な武家に生まれた3人兄弟の次男。 幼少期より存在感のなさが際立っており、かくれんぼが得意(笑)で見つけられたことは一度もない。 現在では、自身の隠密性を生かした奇襲や急襲を得意戦法としている。 そんな彼が初めて背後を取られた相手とは・・・。 統43 武79 知80 政38 魅46 槍A 戟B 弩A 騎B 兵C 水C 特技:急襲 投稿者:☆の様 徐起(伯明) 永安の役人の家に長男として生まれる。小さい頃より学業に秀でており、龐統や司馬徽といった優れた師の下でさらに才能を伸ばした。 成人後、永安にて鄧艾の政治に不満を持つ民と共に反乱を起こすべく策を練り、大火計を実行に移したが計略は看破されてしまう。 囚われの身となっていたところを涼真軍により解放された。 なお、運動神経は残念で、泳ぎは出来ない。馬にも乗れなかったが、スパルタ教育により何とか騎乗できるようになった様子。 統44 武22 知84 政77 魅79 槍C 戟C 弩A 騎C 兵A 水C 特技:火攻 投稿者:anatasan様 超桜(雷火) 軍人の家系に生まれた一人娘。母親が早くに死去したため兄弟がおらず、家の跡取りとなるために男として育てられた。 彼女が15の時、父の再婚相手が長男を出産したために、家での居場所が完全に失われてしまい、17の時に放浪の旅に出る。 20の時にその腕を買われ自警団へ。 永安での警邏中に諸韓雷と出会い、涼真軍へ加入する。 統70 武71 知68 政31 魅56 槍B 戟A 弩A 騎B 兵C 水C 特技:金剛 投稿者:おおさか様 劉鳳(詩京) 実家は有名な剣術道場で、幼少から父親の厳しい指導のもと剣術を学んできた。 そのため剣術に関してはかなりの腕前で、父からは次期師範代として期待されていたが 当の本人にその気はなく、大好きな音楽を人々に聴いてもらうために家を抜け出し諸国を廻っていた。 彼の美声は遥か遠くまで響き渡り、その声を耳にしたあらゆるものを震え上がらせる。 統38 武79 知70 政30 魅85 槍B 戟B 弩B 騎B 兵B 水B 特技:詩想 投稿者:ぱくそん様 + 第九次採用武将 第九次採用武将 黄桓(元正) 北海出身。短い期間だが袁紹に仕えていたことがある。 派閥争いに熱心な同僚達とはそりが合わず、袁紹軍からは滅亡前に出奔している。 その後は仕えるべく君主を探し求め、過去の同僚であった楊烈を遠路はるばる訪ねて、涼真軍への参入を認められる。 単刀直入な物言いが特徴の優秀な文官だが、お酒大好きなのでちょっと心配。 統35 武28 知79 政82 魅48 槍C 戟C 弩B 騎C 兵B 水C 特技:機略 投稿者:兎月様 華岱(由雲) 華北出身の一族で、祖父は義賊。 放浪の旅に出た父と、運命的な出会いをした商家の娘との間に生まれた。 幼少期より武芸に励んでおり、武においてはかなりの才を持つ。また人を束ねる魅力も兼ね備えていたため、若者達の兄貴分でもあった。 己の名を歴史に残す事を夢見て各地を旅していたところ、長安の酒家にて張架の姐御に出会い、気に入られて子分にされる。 とても美男子で、性格は真面目で裏表がなく、言葉遣いも丁寧な好青年で、とても美男子です。 統78 武82 知49 政31 魅72 槍S 戟A 弩B 騎B 兵C 水B 特技:槍将 投稿者:華の一族様 商不佞(孟律) 秦の政治家 商鞅 の末裔。 現在は没落した家ではあるが、父より祖先の話を熱心に聞き、商鞅につよい憧れを抱く。 法家として学を修め、その才能を開花させた彼は、いつしか大陸の覇者の隣で宰相として活躍する事を夢見る。 数多くの諸侯と面会し、自らの意見に耳を傾ける主君を探すが、歯に衣着せぬ物言いで疎まれてしまう。 そんな彼だが、ようやく己の才能を認め、受け入れてくれる主君にめぐり会えた。 しかし、その主君には怖い嫁さんもいたという笑えない話。 統42 武27 知82 政82 魅35 槍C 戟C 弩B 騎C 兵C 水B 特技:論客 投稿者:鏡音藺相如様 + 第十次採用武将 第十次採用武将 項堅 呉の農家に生まれた、自称・ 項羽 の子孫。 村では自警団(のようなもの)を率いて警邏にあたっていた。 しかし、家の仕事をまったくせずに、あきれた親からは「武名を轟かせてこい」と勘当同然に追い出され、各地を放浪していた。 項羽のような武の極みを目指しており、鍛えられた膂力は凄まじい。 でも弓だけは勘弁な! 統78 武86 知38 政12 魅46 槍A 戟S 弩C 騎B 兵C 水C 特技:戟将 投稿者:ヘクセン様 凌双(公桓) 彼には悩みがあった。どの軍に所属をしても長くは続かないのである。 というのも、軍というのはどこもかしこも男だけ、男だらけなのだ。それが彼には我慢ならない。 そんな折、彼は多くの女性が活躍するという涼真軍の噂を聞きつけ、花に引き寄せられる蝶の如く永安へと赴く。 「花を見て美しいと思うのは、当然だろう?」 統70 武78 知62 政30 魅80 槍B 戟S 弩B 騎A 兵B 水A 特技:戟将 投稿者:との@様 編集 + 第十一次~の採用武将 第十一次~の採用武将 + 第十一次採用武将 第十一次採用武将 法凛(華明) 元は戦災孤児。人のいい両親に拾われて養子となり、呂白のもとで勉学に励んだ。 親への恩返しと身を立てるために、評判が良く呂白もいるという涼真軍に仕官した。 頭は良いのだが、気弱でリスクを恐れるあまり、献策に二の足を踏むタイプ。 統15 武25 知80 政71 魅87 槍C 戟C 弩B 騎C 兵A 水B 特技:看破 投稿者:時之助様 申洪(伯決) 宛の豪族。私有地で山賊の被害が相次いだため、自衛手段として小作人を訓練、武装させた私兵団を組織した。 部隊の精強さと彼自身の残忍な性格を山賊達は恐れ、寄り付かなくなった。 敵には一切容赦しないが、味方と認めた人物に対しては義理堅いという側面を持つ。 統80 武60 知37 政63 魅40 槍A 戟A 弩B 騎B 兵C 水C 特技:屯田 投稿者:三尾様 梁経(文縁) 襄陽の生まれ。馬謖とは旧知の仲で、勉学に励んだ。 幼い頃に二人で近くの山に登り、天下の行く末について語り合ったらしい。 馬謖が劉備に仕官したのを契機に天下見聞の旅に出ようとするが、野宿が出来なかったので諦めた。 その後は字が綺麗なことを活かし、小さな塾を開いていた。 統58 武29 知77 政75 魅59 槍C 戟C 弩B 騎C 兵B 水B 特技:精妙 投稿者:毘沙門・様 楊烈(季興) 楊烈(玄季)と同姓同名。「四知」楊震の子孫であり、儒学者。 元は漢の臣下で各地の長官を歴任し、朝廷からも一目置かれるほどの存在だった。 何進が権力を握ってからの専横ぶりに嫌気が差して隠遁していたが、 帝に忠誠を尽くす涼真への期待と帝への罪滅ぼしのため、貢師の推挙に応じて仕官した。 統28 武16 知76 政84 魅84 槍C 戟C 弩C 騎C 兵C 水C 特技:能吏 投稿者:げんまい様 + 第十二次採用武将 第十二次採用武将 陸丹(元夏) 江南に轟く名家「四姓」の一つ、陸家の出。 名門らしくスパルタ教育を施されて育ち、水軍の統率に長ける。その反面、陸戦は不得手。 帝を擁する涼真軍に仕官して爵位を得ることで、陸家の名声を高めるのが夢。 統81 武62 知57 政40 魅68 槍C 戟B 弩B 騎C 兵B 水S 特技:操舵 投稿者:遼遠様 朱興(元升) 江南の「四姓」の一つ、朱家の出身。物静かだが、有事には勇敢に行動する。 涼真軍では若手も多く活躍していると聞き、自分の力を試すべく仕官する。 水軍の扱いは上手いが、実は泳げない。珍しいものに目が無いとか。 統77 武52 知75 政36 魅51 槍C 戟B 弩B 騎C 兵C 水S 特技:推進 投稿者:兎月様 + 第十三次採用武将 第十三次採用武将 白横(仲縦) 山賊の頭目。最初は小規模で暴れていたものの、次第に結構な規模の山賊団になってしまう。 涼真や他の勢力が大きくなり暴れづらくなった事や山賊団が大きくなりすぎて 維持しづらくなってきた為、張架に取り成しを頼み涼真軍に帰順した。 統54 武67 知34 政23 魅43 槍B 戟B 弩B 騎C 兵C 水C 特技:なし 投稿者:げんまい様 伊昌(安栄) 貧しい行商人の子で、張架の夫。後継ぎとして認められた矢先、賊に襲われ家族を失ってしまう。 復讐の為に張架に近づき仇討ちを依頼したが、その張架に惹かれて結婚。張架の側にいる自分に耐えきれず一度は逃げるが、戻ってきた。 苦しい生活を強いられた事から非常に我慢強い。 「まそっぷ!!」 統21 武20 知61 政72 魅65 槍C 戟C 弩C 騎C 兵C 水B 特技:内助 投稿者:蜀厨毒様 趙竜(成明) 荊州北部出身で、趙累の甥。 自分に飛びぬけた才能がないことを自覚しており、それを補うため様々な技術の習得に情熱を燃やす。 関羽に心酔しており関羽の元で役に立ちたいという一念から様々な技術習得を行ってきた。 その後、関羽を超えてみたいという思いを抱くようになりその為に涼真軍への仕官を決意する。 統67 武74 知72 政60 魅75 槍A 戟A 弩B 騎A 兵B 水A 特技:なし 投稿者:ディル様 + 第十四次採用武将 第十四次採用武将 蘇鋒 山越の青年で、幼少より太慈恵(山越の娘)に尽くしてきたが、 太慈恵が人質同然の扱いで韓玄との縁談が決まったことで家を出る。 彼女を救い出す方法を考えた末、韓玄と戦っている涼真軍への仕官を試みた。 あまり感情を表に出すのが得意ではない。 統78 武72 知60 政25 魅58 槍A 戟A 弩B 騎C 兵C 水B 特技:沈着 投稿者:Chaken様 春英(子風) 幼い頃から立派な武将になることを目指して鍛錬を積み、自警団に入った。 毎日鍛錬は怠らず、おかげで体力と根性は人一倍。 背が低いことを気にしている。そのタブーに触れられた途端に怒りだす。 超桜の知り合いらしく、彼女の噂を聞きつけて涼真軍に馳せ参じた。 統71 武79 知50 政25 魅70 槍B 戟A 弩B 騎B 兵C 水B 特技:昂揚 投稿者:あかうさぎ様 + 第十五次採用武将 第十五次採用武将 法源 商家の生まれで、幼い頃から実験や発明に没頭していた。 成人後は兵器の設計・製造で才能を発揮。兵器の改良や修理、操作の指導もこなしていた。 最初は涼真軍への協力を拒んだが、彼と同じ兵器マニアの荀静と意気投合し、仕官した。 ちなみに、発明品の9割は失敗作らしい・・・。 統41 武58 知79 政62 魅51 槍C 戟C 弩C 騎C 兵A 水C 特技:発明 投稿者:のりお様 李才(叔瑛) 名家の生まれで、英才教育を受けてきたが他の兄弟に比べてなかなか芽が出なかった。 次第に兄弟への劣等感や周囲の目などの重圧を感じるようになり、家を出て当てもなく諸国を回っていた。 自分の家柄に対し一種の恐怖感のようなものを抱いており、今はあえて母方の姓を名乗っている。 真面目だが気が弱いところもある。 統63 武77 知70 政30 魅63 槍B 戟B 弩A 騎A 兵B 水B 特技:補佐 投稿者:落花生様 建蓮(邦徳) 幼い頃から病弱で、武では名を上げられないと考え、兵法や計略を学んだ。 成長してから仕官しようとしたが、生まれつきの身体の弱さのせいでかなわなかった。 賊が村を襲って来た時には村民を指揮し計略を用いてこれを撃退。その後も何度も返り討ちにした。 撃退の痕跡を目撃した李才が涼真に推挙、仕官することとなった。 統69 武6 知82 政45 魅50 槍C 戟B 弩B 騎C 兵C 水C 特技:詭計 投稿者:配管工事屋様 櫓禅(玄丈) 洛陽の豪族。天下を手中に収めるという大望を持つ野心家。 見聞を広めるため仕官と放浪を繰り返し、最後は孫堅に仕えたが、魯粛に野心を見抜かれたことで出奔。 孫家の内情を手土産に涼真軍への鞍替えした(奥方様がしっかり釘を刺した)。 統68 武34 知85 政38 魅49 槍A 戟A 弩C 騎B 兵C 水B 特技:秘計 投稿者:FFF様 編集 + 第十六次~の採用武将 第十六次~第二十次の採用武将 + 第十六次採用武将 第十六次採用武将 陳尚(寿奏) 元々は傭兵で、戦から落ち延びて江陵にたどり着いた。住民に恩義を感じたことから江陵のために力を尽くす。 江陵の民のみならず、一部の江賊からも慕われている。義侠心の強い兄貴肌。 音楽にも多少通じているらしく、風流な面も持ち合わせている。 統50 武80 知56 政54 魅76 槍A 戟A 弩B 騎C 兵C 水A 特技:楽奏 投稿者:WA亀様 鳳爛(元与) 洛陽の人。若くして将来を期待されていたが、性格に難があったため重用されなかった。 宮中の乱れを感じ取り、中央から離れて私塾を営んでいたが、李燕の勧めで涼真軍に仕官。 子供からは好かれているらしい。 統27 武 8 知81 政83 魅45 槍C 戟C 弩C 騎C 兵B 水B 特技:言毒 投稿者:フルフル様 雷禅(玄鳳) ※敵方武将からの採用 武家の生まれ。幼き頃から戦の仕方を教わって育つ。 本人も戦に快感を覚えるが、彼は危うい人間と思われ雷禅を用いる人間はいなかった。 そのため各地で仕官をしては出奔を繰り返して勢力を渡り歩くことになる。 すでに老骨と呼ばれる歳だが、各地を転戦してきた経験もあり、老いを感じさせぬ実力を持っている。 曹操軍が滅亡した後、涼真軍に帰順した。 統88 武 90 知66 政22魅67 槍S 戟A 弩A 騎S 兵C 水C 特技:なし 投稿者:時之助様 + 第十七次採用武将 第十七次採用武将 袁青 田舎役人の長男として産まれる。幼少より将軍になることを夢見て武芸・兵法書を読みあさる。 しかし親に反対されたため、周辺の同年代を集め軍の真似事を始め、賊退治などで地域に貢献する。 その後、仕官を求めて劉備軍に行くも断られてしまい、涼真軍へ仕官を求めた。 その際に屈強な肉体と根性を見せつけることで楽豊、成納の口利きを得た。 統83 武83 知39 政31 魅76 槍A 戟A 弩B 騎C 兵C 水C 特技:掃討 投稿者:グラワン☆様 皇甫進(叔行) 安定郡朝那県出身。皇甫嵩の子。三男。常に父親に付き従い、彼の涼州統治の補佐をしている。 真面目で漢への忠誠心が高く、金や武功にはあまり執着しない堅物。 自分の働きが父や陛下の為になればよいと考え、弟と共に中原への異動を願い受理された。 統80武51 知63 政41 魅62 槍A 戟C 弩B 騎C 兵S 水C 特技:規律 投稿者:一騎当壱様 皇甫修(季良) 安定郡朝那県出身。皇甫嵩の子。四男。涼州の統治にあたる皇甫嵩の元で、賊や反抗する異民族と戦っていた。 漢の中でも重臣にあたる父を超える事を目標とし、経験を積む為に前線への増援部隊に志願した。 冗談が通じないほどに真っ直ぐな性格だが、軍事や政務に関する考え方はとても柔軟である。 統67 武52 知73 政41 魅79 槍C 戟C 弩C 騎C 兵C 水C 特技:掃討 投稿者:おしりーぼ様 田永(子蘇) 益州の農家の出身。飢饉で食い扶持を減らすために親に捨てられるが、運良く行商人に拾われ養われる。 生涯の半分以上を西域諸国、安息(パルティア)、大秦(ローマ)を旅し、そのため、西洋の語学や歴史に精通している。 生い立ちと学問を修めた土地のせいか儒教の忠孝を尽くす考えに共感できず、彼の言葉には独特の訛りがある。 長安に居た呂白とは面識があり、彼に推挙される形で涼真軍に参加した。 統24 武50 知80 政80 魅72 槍C 戟C 弩A 騎B 兵B 水C 特技:運搬 投稿者:コクジョー様 崔秀 元袁昭軍の参謀。同じく袁紹軍の軍師である田豊の腹心であった。 袁家滅亡後は仕官先をさがし、各地を旅していたが、天下統一を果たすのは、涼真軍だと確信し、涼真軍に仕えることを決意する。 天下統一後に政権を掌握するため、政治面での涼真軍の人材の後釜を狙っている……が、道は険しい。 統72 武32 知86 政80 魅78 槍C 戟C 弩C 騎C 兵A 水C 特技:なし 投稿者:コシロー様 + 第十八次採用武将 第十八次採用武将 蒋堅(伯明) 代々官吏の家に生まれ、彼もまた同じく官吏としての道を歩んできた。 史書や経書に通じた聡明な人物で、中央でも勤勉さは評価されていたという。 涼真の補佐のため、漢朝から派遣された。 蒋雲の兄に当たるのだが、奔放な弟とは「似てねえ・・・」(by士邦) 統34 武24 知85 政81 魅65 槍C 戟C 弩B 騎C 兵C 水C 特技:なし 投稿者:H・Y様 孟尚 荊州出身。はじめ劉表に仕え、滅亡後に水賊となって益州へ流れ、曹操に仕えたという。 大きな戦の経験は少ないが、その経歴から陸上・水上のどちらでもそつなく戦える。 生きるためなら割と何でもするらしく、仕官に来た時も激しい自己主張で押し通した。 統63 武78 知65 政51 魅68 槍B 戟B 弩A 騎B 兵C 水A 特技:なし 投稿者:蜀厨毒様 文豊(仲簡) 荊州出身。韓玄軍の文官として山越族との折衝に当たっていた。 韓玄に太慈恵(山越の娘)への疑いを解くように説得するが失敗、粛清を受ける前に涼真軍へ逃れた。 真面目な青年だが、しばしば感情に任せて行動してしまう癖が有る。 統51 武38 知68 政76 魅69 槍C 戟C 弩B 騎C 兵B 水B 特技:親越 投稿者:兎月様 + 第十九次採用武将 第十九次採用武将 劉抗(子衛) 代々役人の家計に生まれ、本人もまた役人になった。 詳細に書き記された報告書など丁寧な仕事ぶりが評価され、内政の副官として抜擢された。 動画に一切登場せず、武将紹介でやっと顔グラが出るという異例の採用だった。 統 8 武13 知54 政67 魅69 槍C 戟C 弩C 騎C 兵C 水C 特技:なし 投稿者:げんまい様 辛封(甫先) 平原の役人の家の生まれで、はじめ袁紹に仕えた。 しかし袁紹が漢王朝に見切りを付けたのを受けて出奔、献帝を擁立している涼真軍に仕官した。 袁紹時代は建築、土木などを任されていたという。 統61 武43 知69 政67 魅68 槍B 戟B 弩B 騎C 兵A 水C 特技:築城 投稿者:華斬様 虞淵(来遠) 上庸出身。涼真が太守に就任する前から上庸の警備に当たり、警備隊の隊長を務めていた。 領土拡大に伴い、前線へ異動することになった。 いわゆる叩き上げの武将であり、涼真とは付き合いが長いようだ。 統69 武81 知57 政44 魅53 槍C 戟C 弩A 騎C 兵B 水A 特技:なし 投稿者:きたあかり様 + 第二十次採用武将 第二十次採用武将 太慈恵 ※敵方からの採用 山越族でも比較的有力な部族の娘。韓玄による討伐を受け、韓玄と婚姻関係を結んだ。 様々な事情や思惑の間で板挟みになりながら戦場に駆り出されることになる。 味方には優しいが、敵は完膚なきまでに叩きのめす。 その芯の強さは並ではなく、涼真軍とも幾度も死闘を重ねた末に降伏した。 ……汚いなうp主、さすがきたない。 統80 武81 知50 政28 魅89 槍A 戟S 弩A 騎B 兵C 水B 特技:掃討 投稿者:うp主 法覚(臨醒) 長安出身。漢に仕え、若くして数々の武功を挙げたが、彼を良く思わない者達の策略によって交州へと流された。 しかし交州でも漢への忠義を貫く姿勢を変えなかったことから太守の士燮からは優遇された。 冤罪を許された後も士燮への恩義から客将として留まり、交州の治安維持に尽力していた。 いずれ漢王朝のためへの再起を誓っていた折、涼真軍と接触することになる。 統84 武80 知40 政30 魅72 槍A 戟S 弩S 騎B 兵C 水C 特技:連戦 投稿者:亜流様 薛林(祥甫) 荊南の出身。代々武官の家系に生まれ、彼も兵法や武芸をたしなんだ。 韓玄軍に仕官後、黄忠配下として徐々に頭角を現し、やがて黄忠の腹心となった。 韓玄が助命されたことへの礼として黄忠が涼真軍に推挙した。 物腰は丁寧で、思いやりが有る人。ヒゲがチャーミングらしい。 統79 武75 知56 政24 魅73 槍B 戟A 弩B 騎C 兵C 水A 特技:金剛 投稿者:ムカ様 哈鄭斗 ※「はていと」と読む 太慈恵や蘇鋒と同じ部族の出身。族長に付き従い、漢民族との戦では長年、弓兵隊の指揮に当たった。 そのほか、太慈恵に戦の手ほどきをしたのも彼である。 涼真軍が太慈恵を捕らえてからも厚遇したことに恩を感じている。 恵の部族と涼真軍との橋渡しの使者として来訪し、客将として涼真軍に仕えることに。 統82 武27 知72 政56 魅64 槍C 戟B 弩S 騎C 兵C 水B 特技:規律 投稿者:カバさま様 編集 + 第二十一次~の採用武将 第二十一次以降の採用武将 + 第二十一次採用武将 第二十一次採用武将 羅熊 南蛮、烏戈国の出身。孟威より一世代下で、孟威に憧れを抱く若者。 彼が中央の戦乱に向かった後も、彼に追いつくために腕を磨き続けていた。 南蛮が平定された後に戦士としての力量を認められ、孟威の下で働くために仕官。 ・・・その時のうp主の反応はお察しの通りである。 統74 武83 知41 政25 魅60 槍B 戟A 弩B 騎C 兵C 水C 特技:踏破 投稿者:豊後屋様 + 第二十二次採用武将 第二十二次採用武将 採用なし 投稿武将を画像データにした一覧は こちら から。※外部リンク。
https://w.atwiki.jp/textlib/pages/83.html
民主党ですが一発やらせて http //gimpo.2ch.net/test/read.cgi/army/1222220063/l50 349 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 30 52 ID ??? ところでヨーロッパって昔は弓主体の日本と違って接近戦主体だったんだっけ? 354 名前:名無し三等兵[sage ] 投稿日:2008/09/24(水) 18 34 10 ID ??? 349 こういうのは、何時か、を指定しないと。 イングランドのロングボウアーチャーとか、フランスのクロスボウとか、いるけんね。 359 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 36 15 ID ??? 354 すまん 何故日本では手で持つ盾が廃れたのかって内容のスレでヨーロッパは接近戦主体だから盾が発達したって書き込みがあったもんだから気になったんだ 366 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 39 24 ID ??? 359 むしろ火力戦の結果が楯につながったとおもうだよもんよ まー基本ローマからの遺産だよもんが 日本で楯が廃れたのは地形的制約のほうが大きいと思われ 367 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 39 30 ID ??? 359 そりゃ重装歩兵がいなくなったからでしょ 鎌倉武士とかは世界的にも珍しい重装弓騎兵だし そこに盾を追加するのは不可能だろJK 368 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 40 33 ID ??? やっぱり盾の方向性が母衣とかに変わっただけなんかね 372 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 42 20 ID ??? 359 日本は使い捨てや即製の盾で 西洋は紋章つき看板だっていう差じゃねーかな。 あと日本だと地形のせいで盾が邪魔だ。動くにも密集するにも。 380 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 44 36 ID ??? 日本の盾っつーと固定式の盾とか大鎧とか母衣とか竹筒とか隼人の木盾とか・・・ 382 名前:本好き猫 ◆hoCa1I7DQA [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 45 12 ID ??? 368 個人装備より集団戦の方向に指向したんじゃないかなあ? 陣幕とか。 387 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 46 52 ID ??? 377 戦国時代はまた別 応仁の乱以降は、足軽という形で重装歩兵のドクトリンが復活した 390 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 47 29 ID ??? 日本じゃファランクスなんて出来る場所がないし・・・ 404 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 50 46 ID ??? 359殿 日本刀は叩き潰す洋刀と違い 引いて切り裂くものだからではありませんか? 片手では使いにくいでしょうし 410 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 52 33 ID ??? 重い盾を持って山城を攻めるのはキツイからじゃね? 411 名前:名 419 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 18 58 53 ID ??? ちなみに剣道部にいた頃 新聞紙とダンボールで剣と盾を作ってチャンバラごっこやったことがあるけれど 盾、役に立たないんだよな、ある程度訓練した打ち込みだと 盾では反応し切れなくて 真正面からだとなんとかなるけど、やや斜めから盾を持っている手首を狙われると ほとんど防げなかった。 427 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 03 50 ID ??? 419 盾の訓練してないからじゃね? というかそもそも盾の目的の半分以上は投射攻撃からの防禦だし 433 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 08 43 ID ??? 419殿 盾は手で持つのではなく腕に固定するように持たねば簡単に取り落としてしまいます 437 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 10 36 ID ??? 剣道と言えば全日本剣道連盟は組討の技法も有りにすべきだと思うんだが 438 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 11 15 ID ??? _ _ 剣道はちゃんと二刀流の流派がある件について / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ ところで 92壁の人、メール発信致しましたので宜しく r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | やっちゃったZE☆ / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 443 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 12 41 ID ??? 438 てか戦前のある時期までは二刀流もかなり多かったんだけど 試合で勝つためだけの姑息な戦法が学生剣道で横行したから禁止された 447 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 14 06 ID ??? 433 というか、接近戦での盾の最大の欠点は 頭部に打ち込みがあった時にそれを塞ごうとすると視界がふさがる事でしたね。 面を打つ振りをしてフェイントをいれると胴がら空き みたいな感じ 448 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 14 15 ID ??? 419 楯を楯としてしか使ってないからだよもんな。 楯は押し殴るものですよ? 剣はひるんだ相手の腹か首か脇をえぐるものです 455 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 17 24 ID ??? あと、楯を使うときは刃は小振りがお勧め 462 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 19 33 ID ??? ところで何で世間の連中は二刀流の剣術は武蔵が創始したとか勘違いしてやがりますか 468 名前:ミーくん ◆3Y7FF0oA1A [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 23 07 ID ??? 466 剣道の達人と居合/剣術の達人、真剣持たせて濡れた藁束切らせたらやっぱり居合/剣術の達人は ズバッと切っても剣道の達人は浅くしか切れないって話があって・・・ 474 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 24 19 ID ??? 447 というか、接近戦での盾の最大の欠点は 頭部に打ち込みがあった時にそれを塞ごうとすると視界がふさがる事でしたね。 面を打つ振りをしてフェイントをいれると胴がら空き みたいな感じ それだ! 透明な盾を作れば機動隊とかに売れるんじゃね? 480 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 26 08 ID ??? 江戸時代から剣術が剣道っぽくなったり 激しい実戦形式の稽古がけずられたりで 現代の剣術は型稽古が殆どの所が多数という始末 481 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 26 23 ID ??? 465 そりゃローマ帝国側に分が悪い 重装歩兵の天敵は、モンゴル騎兵みたいな軽装弓騎兵だから ローマの最盛期については、軍事的にはトライアヌス~ハドリアヌスの頃、 経済力的にはカラカラ帝の頃かと 486 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 28 04 ID ??? 465殿 速さのモンゴルと兵站のローマですな 指揮官がカエサルとチンギス・ハンならどちらが勝つかな? 487 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 28 13 ID ??? 小クンニとか、小ハマコーとか、酒とか、なんだか面白い内閣になったなあ。 488 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 28 56 ID ??? >剣道 半身に構えたら反則とか、足を狙う技がないとか、防具の隙間をえぐる技 がないとか、“実戦的”ではないですが、それでも剣道の有段者が棒を 持ったら普通の人じゃ敵わないんですよねぇ。 489 名前:ミーくん ◆3Y7FF0oA1A [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 29 17 ID ??? 476 叩くだけってことだったような。剣道三段の人から聞いた話しですけんども。 494 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 31 04 ID ??? モンゴルVSローマ帝国軍(五賢帝辺り?)が戦うとしても場所によるかな? ダキアとかアナトリアとか中近東辺りを想定できるか(史実でもモンゴルが進出したし) ローマ軍が中央ユーラシアへ侵攻しても勝てるとは思えないw 507 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 33 51 ID ??? 468 つか 剣術→剣道 別に相手を切断しなくても刃先を体に当てれば戦闘能力は激減でしょう 無駄に振りかぶると隙が多いし無駄でしょう。 できるだけコンパクトにして突きとか無駄なくてイカスよね 居合 刀をどこまで使いこなせるか、極めてみたいっす 元々が違いますので ハイ 江戸時代の道場では 剣術を表芸 居合いを裏芸と呼んでいたそうです 511 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 34 16 ID ??? 純粋な市民動員力なら五賢帝時代なら300万以上のはず ポエニ戦争のときにすでに75万の動員力(ハンニバルにほぼ半分に減らされたが しかしソ連のカゴテリーと同じで全動員したら経済がry 512 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 34 32 ID ??? 490 ローマの兵力が最大だったのは、多分ディオクレティアヌスの四帝制が軌道に乗った頃かと 皇帝一人頭10~20万で、ローマ全軍で5,60万位だったかな 513 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 34 39 ID ??? 504 気候と地力の差が大きいというか。 所詮は未開の地。>欧州 514 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 34 50 ID ??? ローマVSモンゴルだと、どう想像してもモンゴルが攻勢側だよなあ。 516 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 35 00 ID ??? 510 騎兵以外に、攻城部隊も持っていたりして>モンゴル 517 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 35 06 ID ??? 508 匈奴VSローマ軍・・・ モンゴルよりは可能性アリ? 518 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 35 54 ID ??? 林業やってる人間は普通に使いこなしそうだ<日本刀 相手が堅いからただ叩きつけると手が痺れます 519 名前:名無し三等兵[sage ] 投稿日:2008/09/24(水) 19 36 58 ID ??? 517 フンに踏み潰されましたな。 だいぶん後期になってからですが。 匈奴とフンは名前が似ていて馬に乗ってる以外関連性を示す証拠は無いけんど。 520 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 37 10 ID ??? ヨーロッパの学校ではアラブが世界の学問の頂点にいた時代を教えていないのだろうか 521 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 37 23 ID ??? 516 まぁモンゴルって民族ではなくて、1つの共同体ですしね~ ゲルマン民族を引き連れたモンゴル軍ガガガ その前にシリアやエジプトを席巻したら大丈夫か 523 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 37 48 ID ??? 516 チンギスハンの頃だと、モンゴルは攻城戦が物凄く苦手 524 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 38 06 ID ??? 521 ローマも帝国ですからねえ 525 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 38 25 ID ??? ローマが日本の騎馬軍団見たらどう思ったかしら 鐙の問題があるけど、完全武装で騎兵編成とか、考えてみたらアレだ 526 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 38 38 ID ??? 519 フンと言っても、ガリアやイタリアへ攻め込んだ時には、配下のゲルマン歩兵やらの方が数的に優位だったらしいですけど 527 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 38 57 ID ??? 飛び石連休、ずっと所用で出かけてたため、JK56本日入手!!123 棚にあった最後の一冊ですた。 528 名前:名無し三等兵[sage ] 投稿日:2008/09/24(水) 19 38 59 ID ??? そういえば、アフガニスタンで負けてたな>チンギス・ハーン 529 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 39 09 ID ??? モンゴル軍がゲルマニアに到達した時、 恐ろしい事が起きるような。 530 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 39 21 ID ??? 525 むしろ鎧のデザインに着目する椰子がですね・・・ 531 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 39 24 ID ??? 525 準重装甲弓騎兵、という表現を戦術となんとかの世界史で見ました。 532 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 39 44 ID ??? 523 ホラズムシャー王国の時に攻城戦を展開しているけど サマルカンドやら 第一次金侵攻の時には苦戦していたような気がするが 534 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 40 52 ID ??? 532 していました。 というか、どこかの攻城戦の結果、捕虜を動員して攻城能力を獲得した、と言う通説だったような。 536 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 41 12 ID ??? 居合い三段の俺、惨状! 二尺三寸五分、刀身重量で800gの樋入れ無しの刀を愛用しとりますが、盾持ちとかこれより重い刀は振りたくないです つーか斬れないと思う 537 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 41 43 ID ??? 武士=弓馬の道、弓取りの時代と 武士=槍働き、一番鑓の時代とあるからなあ… 538 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 41 55 ID ??? 534 華北だったかな?>攻城戦やらを初体験 539 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 42 27 ID ??? 500 つか、藁束(稲の藁)は簡単です。普通の修練に使うのは畳表を巻いたもの いわゆる巻き藁(稲の藁ではなくて材質はより丈夫なイグサです) これは格段に難しくなります。 次に難しいのは竹、これは刃筋が少しでも曲がると滑って切れません。 次に難しいのは固定されていない物、 例えば、台の上のトマトを置いてそれを横から切る 切ってもトマトを台の上から落とさない これはむずかしいです 十年単位の修行が必要です 540 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 42 41 ID ??? 533 535 世界レベルでは軽騎兵よりずっと重装備ですが、 突撃を目的とした重騎兵に比べれば劣り、 彼らは弓による射撃のあと、抜刀して突撃すると言う形態だとして、 準重装甲弓騎兵、と言えるだろう、というような。 541 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 43 06 ID ??? 508 でも積極的に攻めに出たのが武帝だけで他は大概動乱時代に火事場泥棒的に取られたのを取り返そうという国土回復運動だったり 元々長城の向こう側から来た連中だったりという点もあるのでは。 実際武帝時代の遠征でもいくら匈奴に勝ってもその見返りが少なすぎて深刻な財政危機になってしまったから、 その後の時代では長城を超えて攻めに行くのは控えようという方向になったのかも。 後一応唐の太宗も当時の匈奴的存在だった突厥を降して天可汗の称号を貰っておりますな。 545 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 45 02 ID ??? 牛股師範のように木刀で畳表を両断できるようにがんがれ 547 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 45 42 ID ??? 541 だってモンゴル高原に何もないもん 少なくとも中国内地の人々が欲しがるようなモノは 馬だって貿易すればいいし、わざわざモンゴル高原へ遠征してもムダでしょ 安全保障上の問題とかもあるけど だから武帝や永楽帝がクローズアップされるわけで 永楽帝もクビライを継ぐ・超えようとモンゴル遠征をしただけだし 550 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 47 18 ID ??? 504CB殿 戦国末期日本の重火力振り、軍の効率化はまさにチートと言えるでしょう 大平の世で花火や工業団地に化けてしまいましたが 551 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 47 44 ID ??? 542 普通の170センチくらいの身長の男性で 二尺三寸から二尺4寸の刀を使います、居合道では 厚口刀身で900g前後、薄口刀身で800g前後になります。 553 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 48 58 ID ??? 546 居合刀と重量がほとんど同じ所が面白いですね 554 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 49 21 ID ??? youtubeで居合いの動画見たけど、鞘から抜けるまで刀身の位置は変わらないんだね。 知らんかったわ。 555 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 49 25 ID ??? 宇宙をバックに木刀でぶん殴った人にひび入れるくらいの技が欲しい 556 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 49 58 ID ??? 550 そして2百年以上の太平を準備期間としつつ 19世紀中ごろより近代化を推し進めるわけで 少なくとも日本の台頭は必然に近いような 明治維新以降がすごいだけではなく、江戸時代全般がスゴイ これを無視して、明治以降で近代化を語るのは、ダメでしょうな 557 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 50 37 ID ??? >536殿 本身の刀、いつかは振ってみたいですね。 また道場通おうかな(某古流柔術)と思いつつ、全然行っていません…。 558 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 50 40 ID ??? でも薙刀最強説。 559 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 50 48 ID ??? _ _ / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ 800gと言えば拳銃で言えばサブコンパクトクラスです r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ 風魔の小次郎 `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | 風林火山とな / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 562 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 51 32 ID ??? 553 長さも多分似たようなもんじゃないかなあ? つまるとこ、人間が自由に振り回せる重さやサイズがこんなところなんでしょう 過去には長大なバットを使う選手もいましたが、現在では長くてもそこまで逸脱したものはなくなりました 563 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 51 52 ID ??? 516インペラトール 勿論です ですから「短期間」と書いたわけでして あすこで手間取ってると兵站で圧倒されるでしょう でも短期間で撃破出来れば… 高速道路が首都までまっしぐらでありますw 566 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 53 22 ID ??? 563 手間取ったあとが、想定しづらい気がしますよ。 ローマはたぶん、カルタゴと戦ったときみたいに粘り強く戦い続けるでしょうけど。 567 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 53 41 ID ??? 居合の“裏技”(各流派の秘伝に当たるモノ。“影”と表現する流派も あるとか)はエグイです。 もうほとんど騙し打ちと不意打ち(w 569 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 54 03 ID ??? む、バットは1000g前後と記憶してしまっていたようだ それでは重過ぎるのだな 571 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 55 05 ID ??? そういや幕末は外人がイメージする「サムライ、ハラキリ、カタナ」の世界そのまんまなんだよなあ 日本全国の有名流派が真剣でガチンコした唯一の時代 572 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 56 13 ID ??? 536殿 やはり和洋刀の特性の違いというわけですかな? >盾の未発達 575 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 57 05 ID ??? 当時の外人さんたちの間ではピストルで日本刀持った侍には接近戦でかなわないから 諦めろと言われてたらしい。 576 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 57 27 ID ??? >558殿 同意です。弓と槍に次ぐ武士の表道具ですからね(時代によっては 薙刀>槍ですし) 個人的には長巻が好き。長巻の模造刀、なかなかないんだよなあ…。 あっても高いし。 577 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 57 40 ID ??? 569 金属バットだと700g台 阪神の赤星でも900前半ぐらいだったかな?1k超えるのは素振り用のマスコットバットくらいですね 578 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 57 53 ID ??? 572 話は逆かもです。 楯を使用しない剣術に特化した形で刀剣の発達をみた、のかも。 卵が先か鶏が先か、ですけどね。 579 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 58 07 ID ??? 572 弓、射撃兵器とのマッチングだったという説もあるそうです。 野戦用の盾はありますけど、 手持ちの弓避けの盾は発達しなかった。 それはやはり、地形上の理由らしい、と。 580 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 58 38 ID ??? 547 一部の嗜好品以外は国内での自給自足が可能な中国圏内に比べて生活必需品の収入が不安定な匈奴は国境を越えた略奪に頼ってましたからね。 いつの時代も農耕をしない為にビタミンの補給源として必要な緑茶が主要交易品で、これのために輸入超過になる事もしばしばだったとか。 宋の時代の莫大な歳幣も殆どが交易の赤字の補填に消えてたそうですし。 581 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 59 06 ID ??? 565 思い切り単純にプチ金融危機に陥ったのが共和党政権下だから 「それでも民主党なら…民主党のオバマならきっとなんとか(AAry」 ということなんじゃなかろうか。 582 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 19 59 31 ID ??? 日本で盾使ってた頃は、西洋風の両刃の直刀じゃなかったっけ? 585 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 00 23 ID ??? 566 ハンニバルはイタリア本土を荒らして回って属州の寝返りを計ったが、 チンギスハンとその息子達なら荒らして占領して統治して動員するだろうな・・・。 586 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 00 36 ID ??? まあ刀なら腰に差せばいいけど 盾は持って歩かないしなあ 587 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 01 09 ID ??? ゲルググみたいに背中に引っ掛ければいいじゃん。 590 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 02 05 ID ??? >572 衛生兵殿 横レスですが 日本において、持ち盾が一般化しなかったのは、大鎧の左の大袖がその役目を はたしていた事と、早い時期から従者・従兵(雑兵)を使った“盾持ち”が 組織されていた事が大きいと思います。 592 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 02 29 ID ??? そういえば日本だと弓はともかく弩が全く使われていない気が。 盾が未発達だったのはそこらへんのもあるんでしょうかね。 弩が使われず弓の威力がそこまで上がらなかったから射撃武器の防御手段である盾も発達しなかったとか。 594 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 03 02 ID ??? 556殿 中世同時期にあれだけ進んだ100万都市は他には皆無だと言っても過言ではありませなんだからなw 595 名前:わいるどうぃりぃ ◆oMAb82rwS6 [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 03 06 ID ??? 585 ハンニバルの場合は下手に本拠地を持つと、ローマ軍に押しつぶされるという危機感があったですよ 596 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 03 20 ID ??? 590 うーん、すると、郎党による少数部隊の集団戦であって、 レギオンやファランクスのようなものが発達しなかったからなあ 598 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 03 57 ID ??? 562 イチローのバットが85センチ 900g イチローの身長を仮に180センチとすると それくらいの身長の人が使用する居合刀は 全長が86センチくらい(居合刀は刃渡りで寸法を出すため、目安です) 重さは9200グラムくらいかな ほとんど変わらないですね 600 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 04 11 ID ??? 592 平安時代とかはあったと聞いたことが 技術的な理由で量産されなかった(できなかった)のと、弓騎兵メインになってしまったから廃れたのでは 601 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 05 37 ID ??? ぶっちゃけ、野党と国民とマスコミの我侭に振り回されるだけの余裕がある日本 まぁ平和だな 602 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 06 31 ID ??? 566インペラトール んーむ… ・「戦力の細切れ投入」をやらかして被害を拡大する ・あっさり引き上げる のどちらかでしょうかね>手間取ったモンゴル軍 603 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 06 48 ID ??? イチローは実測175~8だっけ 180はないはず 604 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 07 39 ID ??? 602 モンゴルの場合、お決まりの後継者争いが大きな鍵かも いつも生臭い臭いがただよっているんだもん 606 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 07 55 ID ??? 蝦夷征伐してた頃は大規模戦があったから、飛び道具対策の盾が必要だった。 平安中期に律令制が崩壊してからは、大規模戦闘がなくなって盾も不要になったのかねえ? 607 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 08 04 ID ??? 603 まぁ、大体似たような長さと重さということですね バットと刀 608 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 08 08 ID ??? 595 地中海がローマの海と化していたがために、 本国から援軍が期待できなかったからなあ。 609 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 08 12 ID ??? 602 森林地帯での騎馬の機動力には制限がありますから、 北方のリメスでの、戦略レベルの機動力が、ローマ軍に対してそれほど優越するだろうか、 なんて思ったりもします。 610 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 09 38 ID ??? 608 カルタゴが第二ポエニ戦争で勝利するためには、第一次をどうにかするしか無い罠 攻めてローマと拮抗できるだけの艦隊だけでも保有することが出来ていたらなぁ 無理なアルプス越えなんかしなくていいのに 612 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 10 06 ID ??? 606 その後、武士の台頭までずっと、ローカル武力の時代だったと言えるかも知れませんね 613 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 10 12 ID ??? 両手で持って一番しっくり来る重さなんでしょうかね 614 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 10 13 ID ??? 592 日本の和弓、いわゆる長弓は信長の時代でも鉄砲よりも威力が上でしたので 盾で守るよりも刀で払い落とす技術に向かったそうですよ 615 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 11 45 ID ??? >592殿 弩は、律令国家時代には使われていたようです。 海外からの脅威に対抗するため、日本海側に、弩師(師の字が違うかも…) を置くように、という軍令がだされ、人員が配備されてます。 これは弩を専門に扱う指揮官と、兵を示したようですが、人員に対する弩の 配備比率は不明です。 律令制が崩れ、軍団制が崩壊しつつあるときに、ある部隊の装備品を調べた 史料では、弩も矛も要補修が多く、補修しても定数不足とかいう状況だった ようで、律令制だったからこそ、弩は運用できていたのではないか、と オレが読んだ本には書いてありました。 616 名前:CB400SB ◆Kb19MD/h8Y [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 11 49 ID ??? 607 結局、そこから外れるような重さや長さの物だと扱い辛くなる・・・ 佐々木小次郎の物干し竿(まあ小次郎の大部分は創作ですが)みたいな物は、個人の資質と技法に頼るところの多い異端ってことですね 618 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 12 09 ID ??? 575 今でも、熟練者の扱う日本刀なら拳銃より強いとかそんな説があるな まぁ、小銃を持ち出されたら日本刀の負け 619 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 12 15 ID ??? 558 薙刀vs剣道は毎年5月に福岡である西日本学生剣道大会の2日目に公開競技としてやってたな。今でもやってるんだろうか? 中村学園女子大or短大の薙刀vs福岡大の剣道。 当然脛も双方に有り。剣道も脛に防具付けてやってる。 621 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 13 45 ID ??? 614 日本の和弓、いわゆる長弓は信長の時代でも鉄砲よりも威力が上でしたので 盾で守るよりも刀で払い落とす技術に向かったそうですよ ああ、それで日本はミサイル防衛>光子力バリアなのね。 622 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 13 46 ID ??? 578・579殿 んーむ… 確かに我が国の地形事情は楯不要論を喚起させるに充分な感じがいたしますな 623 名前:ミーくん ◆3Y7FF0oA1A [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 14 30 ID ??? 226事件だったか激昂して至近距離から拳銃で同僚を射殺しようとした軍人さんを、別の同僚が 隣から咄嗟に腕を叩き切って返す刀で袈裟斬りにしてた記憶が蘇るのであった。 626 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 15 01 ID ??? _ _ / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ 618 r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ 英国では実際近接戦闘にて日本刀を用い拳銃強盗を返り討ちにした漢が居ます i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ その後日本刀スタイルの刃物が規制されたそうですがw || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | 余程恐ろしかったらしい / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 627 名前:名無し三等兵[sage ] 投稿日:2008/09/24(水) 20 15 30 ID ??? 602 >あっさり引き上げ て、数年後に数倍の兵力でまた来る、かな。 動員できる兵力と頭目が居れば。 629 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 16 39 ID ??? 619 そういや昔鎌倉ものがたりで一色先生が薙刀の有段者のおばあちゃんにフルボッコにされる話がありましたな。 脛防具つけてなかったからまともに歩けなくなるぐらいに脛に攻撃食らってたりして。 630 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 17 28 ID ??? 613 「水の入った1Lペットボトルは痴漢殴るのにちょうどいい」と うちの妹が言ってた。 力がないので重みで殴って即逃げるんだよ~ってことで。 もっと長時間殴りあうならも少し軽いほうがいいんだろうし、 男の力ならそれでも同等の破壊力が得られるんジャマイカ。 631 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 17 39 ID ??? 626 安倍譲二の著作によると 剣術の達人が日本刀を持つと、米軍横流しのコルガバを持った数人が 怖くてブルブル震えながら逃げ出すとか 639 名前:七猫伍長 ◆4gYfuUCcAY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 19 05 ID ??? 武術の話題、でしょうか・・・・ そういえば古武術をやっている知人がいましたが、 彼が一番便利と言っていたのは、三尺棒でした。 後、共通の知人である元自営業が、木銃を持って相手したとき、 木銃持った自営業の相手だけはしたくない、とも。 ・・・とても気のいいナイスGUYなのですが、何かと脱ぐんだよなあw 642 名前:ミーくん ◆3Y7FF0oA1A [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 19 59 ID ??? 633 んー誰だったか陸軍の施設前でやらかしてた記憶があるんですよーほんと。 何を誤解したのか何なのか。 636 パイナップルアーミーとか保険調査員物語とかでおなじみですね。 644 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 20 27 ID ??? 590ハスケ殿 袖鎧の事は失念しておりましたw 所で「楯持ち」の楯てぇのは 源平合戦絵巻に良く出て来る固定式のアレですか? アレはユニット単位で使われるものだったんですね 646 名前:ミーくん ◆3Y7FF0oA1A [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 21 11 ID ??? 639 自衛隊の官舎はときたま木銃をもったオッサン隊員が目をギラつかせながら徘徊してるのを見かけます。 648 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 21 33 ID ??? 592殿 火縄銃の存在がありますよ>飛び道具 654 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 22 41 ID ??? まあだよもんは最強の戦技で対抗するだよもん 銃術最強 664 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 25 32 ID ??? >614殿 和弓の射撃を刀で払い落すなんて、ファンタジーにしか思えません…。 まず、平安時代の武士の弓は伏竹弓か重藤弓で、室町後期の三枚打弓や 天正年間のひご弓ほど威力も射距離もありませんでしたが、そのかわり、 馬で十分に近づいて射撃します。 ある程度の遠射も可能ですが、大鎧の弓矢に対する防御力はかなり高いので、 大鎧を着用した正規の武士には、それでは有効ではないでしょう。 三枚打弓やひご弓になると、射程も威力もかなり伸びます。 払い落すなんて、まず無理ですよ。特に、野戦でそんなことやってられない です。集団戦ですし。 それに、刀はサブウエポンですので、戦場ではそこまで使いませんよ。 刀をメインに使う状況では、相手も弓より刀を使うでしょうし、逆もしかり です。 665 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 25 52 ID ??? フェイシングと日本刀で実際に戦ったら どっちが強いんだろうか 669 名前:七猫伍長 ◆4gYfuUCcAY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 26 46 ID ??? 641 「僕のカメラは美しか追究しないのさっ!」(意訳してください) 646 実際、警棒の代わりになることもあるとか。 654 元自はだよもん氏と同じ事を。 89Rで当たるのは当たり前、64Rを分結できなきゃ自営業じゃない。 違い系列会社の自営業は、あんな飛騨細工と言っていましたがーw 675 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 28 10 ID ??? 610殿 いやいや カルタゴ本国のシステムがローマに圧倒された と言うべきかもしれません やはりシステム化は大切ですよ 680 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 29 59 ID ??? 675 カルタゴは交易派と農業派で分裂すてたとか。 やはり、人の和ですのお。 681 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 30 03 ID ??? 614殿 > 日本の和弓、いわゆる長弓は信長の時代でも鉄砲よりも威力が上 それは知らなかった… しかもそれを払いのけるとは… 凄まじい動体視力ですな 683 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 30 52 ID ??? 676 あの斧は敵兵を倒すためと言うより 敵船を破壊するためのウェポンと聞いたことが。 686 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 31 20 ID ??? 667 道具としていろいろ使える斧がお気に入りだったとか。 武器専用の刀は嫌ってたとか。>バイキング 697 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 33 42 ID ??? 688おめ。 ・ローマ帝国vsモンゴル軍 ・日本ではなぜ盾が発達しなかったか ・誰がなってもやることはサボタージュ宣言by野党 705 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 34 57 ID ??? >644 そうです。「かき並べる」ので掻楯(かいだて)と呼びます。 従兵や雑兵が持って移動する事ができるので、弓射戦で有利になると、 その陣形のまま前に押し出したり、楯の間から騎兵や徒歩武者が飛び出して 追撃、というように従兵に持たせることで、柔軟に防御陣を構成する用兵を 行ったようです。 722 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 39 54 ID ??? つか、カルタゴってローマ帝国の時分にはBクラスだろ そもそも、フェニキア人の壱植民地だった訳だし アレを国として過大評価するのが分からん、ローマ帝国を持ち上げたいだけなきが、ハンニバル個人は別格だけど・・・ 738 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 47 00 ID ??? 705ハスケ殿 おお! 長年の疑問が氷解しました! 源平時代の戦闘がぐぐっと理解できた気がします しかしそうなると楷盾の未発達は 兵種別の部隊運用移行に伴う自然消滅なのかすら? 740 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 48 44 ID ??? 738 源平期末期に兵力の大動員が行われ、 主兵装が弓から長柄に変化し、 野戦築城が始まったという主張もあるそうです。 752 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 52 57 ID ??? 743 いあ、普通の装備ですよ?>日本の野戦武器 なぎなただろうが、長巻だろうが、類似の装備は世界中にありますし 762 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 55 35 ID ??? 740 ちゅうか、弓射歩兵が消滅して、歩兵の主装備が槍や長刀になったんではなかったかと で、逆に騎兵はそもそもが弓射騎兵で、南北朝のころに弓射騎兵が廃れ始めて、弓射歩兵が復活し始めたんだったかな 763 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 57 20 ID ??? 761 実際は鎧が結構、優秀なんで(スーツアーマーなんかには劣りますが)、あれぐらいでちょうど良かったんではないかと 個人的には思ってます 767 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 20 58 31 ID ??? 679 あれ闘い方が悪いという説もありまして 真正面から正直に向かっていくとフェンシグに分があるけれど 横に動きながら間合いを詰めると剣道に分があるとか 剣道の試合場は正方形だけど、フェンシングは細長いでしょう その差があるから 771 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 00 37 ID ??? 戦国の職人さんが何故クロスボウを作らなかったのか?火縄銃は作ったのに… ハスケ殿の説明にあった律令云々ではイマイチ消化不良気味であります 773 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 03 17 ID ??? 771 速射性に劣るから今一使い勝手が悪かったんでね? 後、金属加工技術が欧州に比べて低かったとか。 781 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 05 41 ID ??? 773殿 んーむ 確かにロングボウ部隊に負けてますからな… 783 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 05 53 ID ??? 771 騎射しにくいし、西洋みたいなスーツアーマーを着なかったからではないかと 日本で弓を使うって言ったら、騎兵が主体だった時期が長いし 784 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 06 23 ID ??? 771 気候とか関係あるかもね 日本は湿気とかあるし クロスボウとは関係ないけど ムガル帝国では、埃や湿気に弱いフリントロックよりも火縄銃が好まれたし アヘン戦争かアロー戦争でも、埃や湿気は問題になったハズ 785 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 06 29 ID ??? 確かに発射の手間は鉄砲とたいしてかわんなかっただろうし威力も似たようなもんだろうし あとは音ぐらいかねえ 786 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 06 41 ID ??? _ _ / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ 771 クロスボウは、その構成がマスケットと弓のハイブリッドなのですが r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ 日本に入ってきて普及した所謂堺筒は、銃床に肩当ての無いストックレススタイルだったので i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ 組み合わせてクロスボウにしようという発想は残念ながら出て来なかったようです || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l またクロスボウの大きさで適切な威力の弓を製作出来なかった技術的な問題もあり \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ 要するに実用化が困難だったので普及しなかったのでは無いでしょうか。 `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 791 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 08 53 ID ??? _ _ / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ クロスボウの類は狩猟に使う事を禁じられています r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | 矢鴨に矢猫に矢人とな / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 792 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 08 56 ID ??? 786 皇女殿下、皇女殿下 クロスボウ、つまり弩はすでに紀元前に中国で使われてます 日本に伝来しなかったとは考えにくいです 797 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 10 11 ID ??? クロスボウや短弓が日本で普及しなかったのは、素材が無かったからだったはず。 799 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 10 53 ID ??? 795 ロングボウは稀に価格面で所有者を倒すこともあるとな? 804 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 11 29 ID ??? 786殿下 平安の頃は使われてようですよ 807 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 11 56 ID ??? 弩は弓に比べて貫通力と射程で勝っているのが存在理由っしょ。 日本で徒歩歩兵大量運用されなかった鎌倉~室町の間に 弓が発達しまくっててわざわざ弩を復活させる理由がなかっただけかと 812 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 12 35 ID ??? 弩って中国にもあったよねぇ。それも紀元前から。 それがなんで日本に定着しなかったんだろね。 813 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 12 36 ID ??? 771 騎乗しての射撃戦がメインだったのと、時期的に弩が必要な時期は歩兵の大規模動員が行われる戦争が無く(平安期~室町) 戦国期だと射程面でさほど劣らない複合弓が開発されていたためでは 816 名前:名無し☆そりすと弐 ◆8.pcJpncmM [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 13 29 ID ??? 795 そうきましたかw かの獅子心王が農民にクロスボウで討たれたのです それをきっかけに、甲冑を抜くクロスボウは非人道的だと、 騎士から非難がでたことがあるんですねー 818 名前:名無し第三皇女 ◆1LxEVEeIgU [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 14 21 ID ??? _ _ / ,. -、`r― 、`ヽ、 _,イ ヤ┴┴- 、\ ヒー 、_ 792 いえいえ、言い回しがおかしかったようですね、伝来はしていたでしょうが r / / | ヽ. ヽ∨ ノYi、 { | | イ / / ヽ イ ソ 欲しいと造れるが一致しなかった事と、前出の通り製造したくても出来ないと言うのが i_∨ !(从し ー- ヽ{ソ ソ `Kゝ{ ● ● ! ゝ-イ 普及しなかった理由だと考えられます || リ⊃ 、_,、_, ⊂⊃イイ∥| /⌒ヽ|| |ヘ ゝ._) イ/⌒i∥l \l Y`||yー>、_ イァ/ _ ./ | | (~ ||//(@)\_/Y /フ i |/ `ハ | l___ __ソ 、__イ |l | / ,l|ミl ∀ `l, { | |ミ|\ 822 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 15 03 ID ??? >771 773殿の言うとおりでしょうね。 クロスボウは威力も高く、熟練者でなくても命中率が良い ですが、速射性に劣りますし、発射機構の整備も必要です。 武士は領主的性格を持ちますが、職業軍人であり、日々を生産活動 から離れ、軍事訓練に費やす事が出来ますから、クロスボウの利点が 武士には必要ないモノになるからでしょう。 個人的には、発射機構の整備の問題が大きいと思ってます。 一度使われなくなって絶えた技術みたいなモノですし。 824 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 16 43 ID ??? 812 武将は騎射 雑兵の主を占める農民は弩なんて使う余裕が無かったとか。 それでダラダラ続いて戦国まで行って「弩?連射性低いし長弓で威力十分だろ」になったんじゃないかと。 826 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 17 07 ID ??? 新紀元社の武器事典では日本では接近して弓を射る戦術が主流だったため、装填に時間がかかる弩は使い勝手が悪かったそうな。 あと、射程は長くても命中精度が悪く、生産コストが高い(当時の鎧と同じコストがかかった)ため、廃れていったらしい。 827 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 17 15 ID ??? 818 なるなる でも、ストックでないクロスボウも結構ありますな まあ、サイズの問題も大きかったんでしょうねぇ そういや、前九年だか後三年だか忘れたけど、防御へいきとして城砦に弩がすえつけられてなかったっけ? 831 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 18 17 ID ??? 813殿 するてえと やはり戦場が国内だけになったことで 必要性が薄れたというのが最大理由なのかすら? 834 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 20 25 ID ??? 831 クロスボウが生きてくる戦場って、やっぱり広大な平地でしかも大多数の兵力同士がぶつかるシチュエーションだからねぇ。 そう言う平地での戦闘があまりない日本じゃ使い勝手が悪いんでしょうなぁ。 835 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 20 26 ID ??? 762 ちゅーか、徒歩集団弓歩兵自体がいなかったような>< 831 弓術が継承されていれば、 いってみればイングランドの弓兵がいる状態ですから、 度弓への期待が小さかったのでしょう。 貫通力を必要とする重装甲の敵もいなかったですし。 836 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 20 42 ID ??? 831 国内のみというか、戦争の主体が小規模領主の小規模な土地争いだったってのが大きいかと 100人とか200人とかの戦闘だと、戦列並べてクロスボウの一斉射撃、とかいらないし むしろ、コストに見合った結果が出ませんし ついでに、クロスボウだと騎兵は敵を殺せないってのがでかいんでないかと 837 名前:名無し☆そりすと弐 ◆8.pcJpncmM [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 21 01 ID ??? そういえば、次のアニマルに藤川球児物語が載るそうで 書くのは甘詰留太 841 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 22 09 ID ??? 816そりすと☆殿 クロスボウの最大の利点は射撃に高度な訓練を必要としない所にありますからね 騎士が農奴に簡単にやられててはマズいんでしょうなw 846 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 24 20 ID ??? http //www2.bbweb-arena.com/freiherr/bow.html ここに弓の事が書いてある 847 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 24 27 ID ??? 和弓が取り回しよすぎたというのはどないです?>弩の不遇 馬上で使えるロングボウなんて他に聞いたことない。 848 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 24 41 ID ??? 816 つか、非難したのは法王庁だったような気もしたけど キリスト教徒に相応しくない武器だとか でも、異教徒相手ではたくさん使ったとか 849 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 24 47 ID ??? 843 北方征伐が終わったあと、 武士の台頭以後は、徒歩弓兵集団は無かったような気がします。 それは上の流れにあった奴でしょうけど 854 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 26 25 ID ??? 836 俺は皮や接着剤等の材料がない又は希少だったからと聞いたけど 857 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 27 50 ID ??? 849 うぃ 武士の成立後、減少しますが、南北朝辺りからまた増加を始めます>弓歩兵 戦国期になると、かなり大規模に動員され始め、最終的には火縄銃に取って代わられてた記憶 で、騎兵が指揮官かしてゆくと 858 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 28 13 ID ??? ソースは忘れたけど、和弓でもクロスボウでも射程は変わらなかったような気がしたけど 金属板で作られた鎧が存在しないからクロスボウの必要性がなかったような気が 862 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 30 16 ID ??? チョコプリンが容器の七割しか入っていない… 原材料費上がったんだなあ。 857 うーん、ソースは無いけど 西洋のような徒歩弓歩兵集団運用がなされた記憶が無いっす。 あざンクールのような、弓兵が決した戦いも。 863 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 30 30 ID ??? おっと、イシユミ(オレの携帯では変換されない…ちなみにさっきはPCから) は防御戦闘には良いけど、攻撃にはあまり向かないって律令制時代の 政治家(前出の、日本海側にドシを置け、って言った人)が言っていたのを 失念してました。 機動戦が多い戦乱の世では、ここらへんもイシユミが復活しなかった理由 でしょうね。敵拠点を攻めるときでも機動戦っぽい状況になるような戦乱の 世では、こんな兵器は使いにくいですよね。 864 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 30 35 ID ??? 854 そりは小型の騎乗弓が発達しなかった理由だと思うデス>接着剤の存在 868 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 32 02 ID ??? 858殿 射程では長弓の方が 威力でクロスボウの方が 秀でていたような… 870 名前:アークだよもん ◆V2ypPq9SqY [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 33 03 ID ??? 射程も威力も機械弓のほうがつよいだよもんよ 連射力がちがう 872 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 33 08 ID ??? 確か、平原が少なくて山が多いから 狩猟用としても横幅が広いクロスボウは使いにくいためとか そんな説も 874 名前:名無し☆そりすと弐 ◆8.pcJpncmM [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 33 37 ID ??? 848 十字軍の頃ですから、騎士から法王庁へ話が流れたのかもしれないですね 自分の知識はトリビア止まりなんで、 訂正していただけるとありがたいですorz 876 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 34 00 ID ??? 872 しかも、槍で最終的な始末をつけたような>獣猟 877 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 35 09 ID ??? 862 日本の弓兵の場合、歩兵も騎兵も弓矢だけの装備じゃないのですよ 弓矢と槍や刀、ですから射撃戦が終了すると、即座に接近戦が生起しますし また日本の場合は、比較的戦場が狭いってのと、設置式の盾みたいな防御手段があったのが、弓矢だけで決着の付く戦闘が無かった原因かと考えてます 883 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 40 30 ID ??? そいや 欧州では設置式のカイ楯みたいな防御手段て発達しなかったんかな? 中華のばやい大八車みたいなもんを防御手段に使っていたみたいですが (手元の歴史群像イラストから) 885 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 40 50 ID ??? 877 そこで、弓を装備していた率の高いのは、徒歩なのか、騎兵なのか、という争点で 承久期の文献で 「近年の武士は、弓術を軽んじている」という老武士の嘆きがあった気がします(というか、誰だかの著書で読んだのですがw いわゆる武士階層と、動乱中期以降に動員された階層では、 弓を装備している率は、武士階層のほうが高かっただろう、というのもありますが。 そして、上の流れにもあるように、動員された徒歩は長柄化してるわけですし。 その長柄集団が、まず弓による準備射撃制圧をし、 そののちに長柄で突撃した、というのならまたアレですが 883 ありますよ。 888 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 41 56 ID ??? つうか、クロスボウが普及した地域って ちうごくとか、EUとか広い平原があるところのような気がする 889 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 42 46 ID ??? 883 蒼天の官渡の戦いで雑兵に降格された夏侯惇がひっくり返した大八車で降り注ぐ敵の矢を防いでたけどあんな感じなんだろうか 900 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 47 58 ID ??? 889殿 ですね やはり長距離移動しますから車輪がついてないと不便なのでしょう 911 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 52 37 ID ??? >885 ケイレイ殿 ここらへん、なかなか難しい問題みたいです。 源平期に、既に下卒に弓を持たせて大量配備し、敵に矢の雨を~、 という記述もありますし、室町~天正は長柄足軽と弓足軽が別個に 存在し、南北朝は野伏せり戦での弓戦の描写があったりします。 個人的には常にある程度の徒歩弓兵がいつの時代にも居たと 観ています。 914 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 54 30 ID ??? 911、 あちらが矢戦を挑めば、こちらも応じ、云々なんてのもありましたし。 とはいえ、 ウリは、源平期の軍事力の中核が、地方勢力の郎党だと考えているので、 「ある程度」の数が小さいんじゃないか、と言いたいわけですよ 917 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 55 44 ID ??? 885 そういうことでしたら、源平や承久のころは、まず間違いなく騎兵の方が弓の装備率は高いと思います というか、南北朝以降、戦国期のように騎兵の指揮官化が始まらないと、徒歩弓兵は増えないのですよ 923 名前:ハスケ ◆BnyPF68LQs [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 58 08 ID ??? >895 ここは流れが速いので、後で難民の方に詳細書きますね。 簡単に言うと、鎧着ての戦国時代サバゲ(スポチャン的ルールで) ですけど。 926 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 21 58 26 ID ??? 917 騎兵と、弓の分離の時期がどのようにして、 なんてところに興味をもったりしてますよ。 馬と弓が武力階層の特徴であった時代から、なぜに展開して言ったのだろう、と。 941 名前:衛生兵 ◆/olapVmB3. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 22 04 43 ID ??? 923ハスケ殿 難民スレに遭難してしまうと困るので ヒントなどお願いいたしまする 944 名前:名無し三等兵[sage] 投稿日:2008/09/24(水) 22 05 21 ID ??? 926 徒歩弓兵が増える、室町、戦国期って、中央の支配力が大幅に低下して、農民・商人階級の社会進出が 大いに促進した時期ですから、その辺と関係あるんで無いかなあ、と妄想 983 名前:∠(,,゚д゚)ケイレイ・トライアヌス ◆nbyvo04lz. [sage] 投稿日:2008/09/24(水) 22 21 13 ID ??? 944 947 弓のような鍛錬の必要な武術が普及したからだろう、とは思うんですよね。 すると、動員してすぐ弓の経験者を集めて 部隊化できたのかな、と。
https://w.atwiki.jp/chinatiku/pages/34.html
701 転載 sage 2007/04/01(日) 22 34 28 ID inohJBGt0 ↑の見解はなりきり(太陽板)の「蔡京 ◆GtkPmKwSp2」氏のもの。 実に面白い。 一応、このスレの住人にも紹介しときたい。 702 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 01 51 ID IbwTPFXu0 狆師道 子供の頃は張戴(知らんけど、多分学者)に学び、試法(科挙)に及第、 熙州の官に推され同谷知県を兼任する。同谷県では田産訴訟が二年にわたって 未判決のままであり、狆師道もこれをおしつけられて難儀したらしい。 文官時代にもいろいろあるが、とりあえずはしょる。なんか蔡京やら童貫 やらに気に入られず不遇だった模様。でも皇帝からは気に入られた。それがまた 奸臣たちには気に入らんかった様子で、西安州の知事とされる(実質的な左遷)。 西夏が定辺を侵し、仏口城を築城すると狆師道は兵を率いて仏口城を破壊。 兵士たちが喉の渇きを訴えると山の西麓を指し、「水はここにある」といって 井戸を掘らせ、潤沢な水脈を確保した。またいらんこと昇進するが割愛。各路 の兵士たちを督して席葦平に築城、敵が到来すると葫蘆河に退き、川辺に布陣、 戦況を見守る。夜中、偏将の曲充を小道から横嶺に出し、大声で援軍到来を 叫ばせる。敵が驚いて背後を見ると楊可世が後方から敵軍を襲い、さらに姚平仲 が精兵を率いて進撃する。狆師道軍は算を乱した敵を大敗させ、斬首50級を 挙げ、牛、馬、駱駝などの家畜たち数万を獲る。敵の酋長はわずかな供を連れて 逃げ去ったが、自分の城に還ったところで死んだ。 また陝西、河東七路の兵を率いて臧底城を攻め、十日でこれを降せと命ぜられた。 城に近付くと頑強な抵抗を受け、敵の士気の高さが知れる。対するに官軍は怠惰で 将校の中には勝手に休息するものもいる始末。狆師道はそういう輩を斬り捨て、 軍門にさらして「今日この城を抜けなければこうなるぞ」と言って綱紀粛正。 士卒は恐怖にせきたてられてわれ先に城に登り、瞬く間に城を落とした。 八日目のことだった。皇帝に報告するとまたも昇進。割愛。 都統制、保静軍節度使となった童貫は、燕回復の謀を立てる。狆師道以下の 諸将はいかにも嫌がり、狆師道が代表して「それは盗人のやることだ」と反駁、 しかし童貫はそれを黙殺して白溝まで出陣、遼軍に察知されて宋軍は多大な 損害を蒙る。狆師道が自ら身を挺して兵士たちを収容したおかげで大敗には いたらずに済んだ。 遼からの使者が女真族挟撃をもちかける。童貫が返答する前に狆師道が 「そう言うやり方は義にもとります」と諌めたのだが童貫はこれをまた無視、 狆師道の官位を落とし、代わりに劉延慶を起用した。劉延慶は盧溝で大敗、 帝は「やっぱり狆師道じゃのう」とか言ったが実権を蔡京、童貫に握られて いるのでなにも出来なかった。ちなみに貶められた狆師道の官職は憲州刺史、 環州知事、保静軍節度使で、案外高位なままだったりする。文官だからか。 金軍が南下すると朝廷は大慌てで狆師道を呼び、たっぷり官職を授けてから 金と戦ってくれと懇願、狆師道は姚平仲とその麾下7000騎を率いて出陣、洛陽 にいたり、京城に向かうオリブに対峙する。朝廷に「敵の勢い盛ん、今しばらく 汜水に駐屯するのが万全の計かと」と呼びかけつつ、部下たちには「我らは寡兵 といえどもだからといって遅疑し進まぬことのないように。事情がばれれば一気に やられるのだ。鼓を撃って前進し、きゃつめらに我らの虚実を見抜かせないよう にするのが重要なのだ。京城の人、我らを見れば自然と意気振るう。なんぞ 敵人を憂慮することがあろう!!」とアジる。彼は行く先々でビラをまき、 种少保危急と知った人々が集まって100万の大軍となる。汴京に至り汴水の南に 兵を進め、敵の陣営に兵力を直撃させると、金軍は大いに恐れ、戦わずして 北に還った。 当時狆師道といえば“种老”と呼ばれるほどの有名人となり、欽宗皇帝もよく その意見を聞くようになった。欽宗曰く、「今ウチの国ってヤバくない?」 狆師道「女真族なんぞ兵法を知らんイノシシばかりでござる。孤軍他国を侵略 するほどのことは出来申さん」と頼りがいのある返事。欽宗「講和したんよ」 狆師道「軍旅のことは私めにお任せを。しかし講和はまずかったですな」という ほのぼのトーク。ちなみにこの間も狆師道はまたまた出世したんやが、それより 副官の姚平仲が都統制に出世したのが大きい。 703 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/01(日) 23 02 45 ID ERvMR/+10 700 転載にレスするのもなんだけど 軍隊の精鋭化 後周の世宗柴栄が、禁軍の改変を大々的に行ったことは有名なことでした。 当時、中原の王朝というのは、後唐から後周に至るまで、同一勢力からの派生ということで 皇帝直属の親軍たる、近衛がほとんど入れ替えられることがなかった。 しかも、後唐荘宗李存勗の親軍というのは、かの楊師厚が編成した銀槍隊であり、 銀槍隊は、楊師厚という節度使の牙軍(節度使に密接に関係した兵)であったので 傭兵的性格を色濃く持っていた。 それは、給金をしぶると不満を抱き、厚遇すればつけあがるという、とんでもないものだった。 しかしその武力に頼らなければ、いくさにも勝てないし、皇帝権力の維持も難しい時代だった。 後唐明宗が、侍衛親軍を創設して、一旦分散はしたものの 後晋、後漢と、侍衛親軍に属する将兵に、大きな異動はなく 良く言えば古強者、悪く言えば老弱兵が多数在籍していた。 後周太祖郭威はそれを慮って、新たに殿前軍を創設するも、改変する前に死去。 後周世宗柴栄は、即位直後の「高平の戦い」において、この不安定な殿前軍と老兵およびつけあがりの侍衛軍を 率いて戦わねばならなかった。 侍衛親軍の馬軍と歩軍の指揮使(大将)が、北漢の猛将張元徽の攻撃にビビり、敵前逃亡を図ったため 後周軍右翼は潰走。 柴栄は中軍本隊の先頭に踊り出て自ら敵兵を切り伏せることで士気を保持させ 張永徳、趙匡胤に命じて、敵の中央突破を成功させた。 北漢には野戦で勝利したものの、太原攻めには失敗し(自身の判断ミスで)、大敗してしまったが それを置いても、敵前逃亡した将兵に腹立ちと改変の必要性を痛感した。 侍衛親軍に属する老兵はすべて解雇され、新たに募った壮丁をもって補充し 殿前軍には趙匡胤に特別審査を行わせ、武芸に秀でた者を登用していった。 これによって、禁衛軍の総兵力は減少したものの、近代無比と言われる後周禁軍が誕生した。 と、何が言いたいかというと、柴栄の言葉にある 「およそ軍隊というものは、数が多ければよいというわけではなく、その質こそ肝要。今、農家百人で一人の兵を養うありさまだ」 ということで、北宋もいつの間にか、そういった根幹を忘れて、軍隊を肥大化させてしまったのだろうか。 ま、建国期と統一状態が何年か続いたときとでは、比較にはできないけどね。 これはチラ裏だけど、一応、柴栄確定の根拠の一つとしてトリビアにでもしてもらえれば幸いです。 704 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 03 34 ID IbwTPFXu0 狆師道の2 ときに狆師道、病を得て、皇帝から拝謁の礼をとる必要なしと赦される。堅物の 狆師道は腰が曲がらんなら膝をついて拝謁しようとしたが、欽宗は笑ってそれも 必要なしと説く。この時期すべての門が閉ざされ、市に新しい野菜が入ることもなし。 狆師道は皇帝に請うて西と南の両門だけを開くよう頼んだ。 金に馬忠という偏将があり、彼の前軍隊が遮ったという罪で6人ほど斬る殺人嗜好者だった。 これに恐れをなした士卒たちが南に流れ、狆師道に附く。彼らは自分勝手な規範を作り再び金と 宋との境界線を越えようとしたので、狆師道は金を支払って彼らを郷里に帰した。黄河を扼守す るために彼らを使おうと言う意見も出たが、狆師道はそれを黙殺した。 种氏、姚氏はともに山西の大族姚平仲の父姚古は熙河軍に入援した。姚平仲は 功名を独占するわけには行かないと父を帰したが、この頃になると士卒が速戦 に向かず命令系統が途中で途絶えるなどの不都合が出るほどの増加傾向にあった。 李綱はそれについての議上で、城下の兵が命令を聞くようになるまで姚平仲の 節度下に置けば宜しいと述べた。欽宗は毎日人を派遣して狆師道に作戦を諮問し、 狆師道は弟の狆師中と兵を分かっての分撃作戦が可能であると上奏。8日後、 金の軍営に襲撃をかけた狆師中はみごとに敗北した。敗戦後、李邦彦に軍権の 3割を奪われたが、狆師道は紛争の種になるとしてなにもいわなかった。 金軍が退いたのち、御史中丞の許翰が狆師道の軍権を解くよう欽宗に上奏した。 理由としては「狆公は老年であり、これ以上の任に堪えられるとは思えない。 陛下は彼を信任しすぎている」とのこと。実際は狆師道と欽宗が太いパイプで 繋がっているのが気に入らないだけなわけだが。狆師道が黙っていると許翰は 嵩にかかって、「国家危急のときに書生なんぞにまかせられぬ」とか言った。 狆師道の反論「彼は少なく我は多く、分担して結営すれば要地を守ることは たやすい。彼の糧道を截ち持久戦に持ち込めば、必ず勝てるのです」許翰は 狆師道に心酔し、狆師道は老年と言えど往年の智謀衰えず、なお用うべきと 上奏したほどの変わり身を見せる。狆師道、太尉に。 金兵再来に際し、狆師道は各地の軍を召集、大敵を捕退すべく出陣するも、 まもなく狆師中が戦死、姚古が敗北し、朝廷は震撼、狆師道に軍を還すよう 要請する。太原が陥とされ、とりもどすべく彼は進軍を決意する。金軍が一挙 攻め寄せてくることを警戒しつつ各個撃破、欽宗より下賜された鉾を振りかざし、 長安までを回復する。大臣たちの怯えるさまに仕方なく京師に軍を還す。京師に たどりついたところで逝去。76歳であった。欽宗は彼を喪い大いに慟哭したと言う。 京城の守りは喪われ、皇帝の胸に穴が開く。「狆師道の謀を用いず、どうやって たたかえというのか!!」そしてその後、靖康の難が起こり徽宗、欽層は北に連れ 去られる。狆師道は建炎年間、少保を追贈され、忠憲と謚された。 チュウの字が変換できなかったので狆の字で代用。すんません。 705 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/01(日) 23 28 54 ID ERvMR/+10 チュウの字が変換できなかったので狆の字で代用 サブでみたら「・」になってる。 メインでは楽勝で見えているのに。 チュウは簡体字にもあって、それは「種」に対応しているんですけど、これでは漢字が違いますよねぇ。 となると、洺州(めいしゅう・シ名州)もだめか? 706 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 50 08 ID IbwTPFXu0 そーなんです。変換できんのですよ。ところどころ“・”になっとるし。 それはさておき、 狆師道も挙げたし、ここいらで五代~北宋の最終選考に移りたいのですがよろしいか? 【確定組】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊業、狄青、(李存審)、(耶律徳光) 【候補】 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉鄩、康延孝、 任圜、李神福、臺濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊 耶律休哥、狆師道、劉昌祚、李継遷、賈嵓、潘美、楊延昭、顧全武 楊師厚、史建瑭、王景、康壊貞、劉鄩 【候補落ち】 朱温(朱晃)、郭威、曹彬 過去最大の候補数。なんといっても魔の定義論含め300レス近くこの時代で 続いたけんね。あと、十国からは顧全武と劉仁贍の二人ぐらいでいいかもと 思うが、いかがか? 707 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/01(日) 23 52 57 ID IbwTPFXu0 あ、楊師厚と劉鄩、すでに挙がっとったね。重複してしまった。すんません。 708 ○ sage 2007/04/01(日) 23 58 04 ID Yep9d0/00 702 704 ◆oOLAqFKRBさん 乙です >奸臣たちには気に入らんかった様子で、西安州の知事とされる(実質的な左遷)。 まあ北宋って左遷とか日常茶飯事なんですよね。 新法派・旧法派なんて互いに足の引っ張り合いしてたぐらいですし、 名前はちょっと思いだせないんですがw 最終的に海南島に左遷された後、朝廷に復帰した人物とかいるぐらいですし… またまた何時もの寝言言ってみましたw 締切もう一日待ってもらってもいいてすか? 郭崇韜の推薦文を挙げたいのですが今日はもう寝たいです。 ダメなら諦めますが… 709 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/02(月) 00 09 58 ID 3SOpQK0D0 勿論OK。つーか俺が決めることじゃないし。 みんなで納得して決めんと、 後々(俺はこいつを挙げるつもりやったぁぁ!! ならば俺はこいつをー!!)みたいな確執が怖いしね。 710 ○ sage 2007/04/02(月) 22 13 03 ID BY7tkA820 郭崇韜(?-926年) 代州雁門の人。字は安時。己を郭子儀の後裔だと自称した。 李克用、李存勗(荘宗)父子に仕えて中門使に至る。 李存勗が皇帝となり後唐を建国した際には、兵部尚書・枢密使とされ重用される。 後梁を滅ぼすと、論功第一に挙げられ、侍中・成徳軍節度使となる。 郭崇韜の位は人臣を極め、権勢を奪われるのを恐れて魏国夫人劉氏を皇后に立てるよう密奏し、 また「時務利害二十五条」を説いて、宦官を排斥。 後唐建国から三年後の同光三年(925)に なかなか飛躍の機会が得られなかった宦官勢力に、絶好のチャンスが到来。 (おいおいw) この年に王衍が割拠する前蜀政権の併合を企図した荘宗は、 太子の魏王李継岌を名目上の総大将として、 実際の指揮を郭崇韜に執らせ遠征軍を派遣。 この前蜀攻めで郭崇韜は東北面行営都招討使を勤めた。 前蜀は後継者争いのために国力が低下、遠征軍は一戦しただけで王衍を降伏させることに成功。 前蜀攻めは領土拡大と同時に 後唐は荘宗が浪費家だったこともあって財政面が苦しく、 豊な四川地方を併合し、財政の回復をさせる第二の目的を含んでいた。 王衍の降伏後に荘宗は、成都からの戦利品を心待ちにしていたが、王衍降伏後の戦後処理に 手間取った郭崇韜は遅々として戦利品を送ることができなかった。 荘宗は期待を裏切られたと苛立ちを見せ始めた。 この事態をチャンスとばかりに宦官勢力は行動を開始。 (全く宦官って奴は悪知恵だけは働くよな) 李継岌にも猜疑を受け、同時に恨みを持っていた宦官達に誣告された。 それを信じた荘宗は激怒し宦官の馬彦珪を蜀に遣わして郭崇韜・廷晦の父子を成都で処刑させた。 (ひでぇ完全に冤罪じゃん) 郭崇韜は政戦両略と王佐の才ありといわれ、郭子儀の再来と評され、 郭崇韜は李克用・李存勗(荘宗)の二代に仕え、後唐建国時に 「第一の功臣」と評されるほどの功績を挙げた彼を推薦。 東はオルドスから西は敦煌まで領土を拡大、 宋軍に勝利し、賀蘭山で遼に勝って、宋・遼・西夏の鼎立の形勢をつくった、 西夏の李元昊も推薦します。 これで自分は推薦打ち止めです。 昨日は流れ止めてごめんなさい。 711 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/03(火) 03 12 00 ID P41V3Neb0 お、郭崇韜ですか。 ○さん乙です。 さて、けちでもつけるかw(いや、冗談です) 軍政官としての力量になんの疑問もない人ですが、急速な領土拡大(河東から華北政権へと) となる過程ということもあるでしょうが、結構蓄財に余念がなかったような面があります。 後唐は荘宗が浪費家 これ、建国以前にも郭崇韜は李存勗を諫めているんですよね。 李存勗としても煙たいところでもあったのだろうか。あまりに軽々に宦官の言を信じたのは 芸能にうつつを抜かしてしまった李存勗の、統治者としての決定的な資質不足でしょう。 いくさでは神がかった強さを発揮するのに、人心掌握や統治では為すところが無い。 なんか項羽を連想させます。 郭崇韜が少しでも金銭を蓄えようとした故事では任圜との確執もあげることができます。 任圜は最初、潞州(上党)の李嗣昭(李克用の仮子)の幕僚だったのですが 胡柳陂の時には李嗣昭隊の一部を率いて果敢に戦ったため、李存勗から「仁者の勇」と絶賛されます。 ただし、根っからの官僚で、荒事は苦手なタイプでした。 鎮州(常山真定)で、張文礼が乱を起こし、討伐に赴いた李嗣昭が戦死すると、その残存兵を見事に統率してのけ また、張文礼の子、張処球をして説得し、降伏にまでこぎつけることに成功していました。 もっとも、そのときは油断した鎮州軍を、李存審が強襲したので、張処球は戦死しましたが。 戦後、鎮州の節度使として郭崇韜が赴任すると、任圜は真定尹としてその幕下に入り この二人の黄金コンビの統治によって、鎮州の傷は癒えていくのでした。 任圜は意外に人を見る目がなく、これは、と思った人物を推官したのですが、 その男が任圜の目の届かないところで、公金横領に耽っていました。 その男は、そのことが発覚するのを恐れ、溜め込んだ私財を郭崇韜に包み隠さず報告しましたが 郭崇韜はそれを受け取って、不問にふしています。 それを知った任圜は、鎮州の行軍司馬職を辞し、工部尚書のみに専念することになります。 やや、郭崇韜との友誼に溝ができた形で。 さて、ここから本題。 前蜀討伐戦の折、郭崇韜は実質上の指揮権を与えられ遠征軍を統率しました。 任圜も、魏王付きの参軍として従軍しました。 そのとき、郭崇韜軍の先鋒を担ったのが、候補にも挙がっている康延孝。 康延孝はもとは後梁の将です。段凝という後梁の将帥の指揮下にいたわけですが、 それを脱して李存勗のもとに降ったのでした。武勇に優れていますので、李存勗は喜び 彼に姓名を与え、李紹琛(りしょうちん)と名乗らせました。 その李紹琛が、李厳という将とともに1万を率い、鳳州、固鎮、興州を陥とし、 前蜀の三招討使、王宗勲、王宗儼、王宗昱ら3万の迎撃軍を三泉の戦いで大破した。 さらに利州を陥とし、督戦に出向いていた蜀帝王衍を遁走させ 蜀軍は撤退するにあたり、民家や義倉を焼き、綿江の橋をも切って落とし、舟も沈めて李紹琛軍の 足止めを図ったが、李紹琛は李厳と相談し 「我らは敵地にあって、速戦しなければならず、橋の修理を待っていては敵に態勢を整える余裕を与える」 と言って、河を強行突破した。そのとき渡河できたもの千人、溺死したもの千人だったと言います。 鹿頭関から漢州を制圧した李紹琛は、ここで蜀の重臣王宗弼から降伏の申し出を受けました。 李厳はこの遠征軍の企画者の一人なので、その処理を行い、ここに前蜀は平らぎました。 李紹琛の功、最も大である、と史書に明記されていますが、 この人、郭崇韜や朱友謙らが冤罪で殺されたことに動揺し(誣告による粛清が相次いだ)、 西川節度使を自称して叛旗を翻します。 その李紹琛を、漢州の戦いで、あっさり撃ち破ったのが、魏王付きの参軍だった任圜。 彼は董璋に弱兵を率いさせ、李紹琛の突出を誘い、自ら精鋭を率いて、その側背を横撃しました。 李紹琛は任圜をただの文官と侮っていましたが、足をすくわれました。 漢州城に逃げ込んだ李紹琛は任圜の火攻めにどうしようもなくなって、ふたたび出陣しましたが 今度は正面から戦って破れ捕らえられました。 一体、誰が一番強いのかわからない状態ですが、前蜀戦かように入り乱れておりました。 712 ○ sage 2007/04/03(火) 05 27 49 ID hLnQoVG30 次スレです 三国志二十四大英雄 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175545567/ 713 ○ sage 2007/04/03(火) 06 49 14 ID L/JUw1yu0 712はガチで偽物 ちなみに三戦版にも同じ様なスレたってるけどな… 714 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 16 24 01 ID zAFfeCHo0 【みんなで】 選抜 三国志二十四大英雄 【決めよう】 http //hobby9.2ch.net/test/read.cgi/chinahero/1175545567/ こうしろ 715 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 16 43 23 ID 3AtpUj+u0 ttp //www.geocities.jp/kaysak864/n-mayuan.htm 馬援評伝。 これ面白い。 特に興味深い考察を引用しとく。 >もしも馬援がアスペルガー症候群とするなら、 >光武帝と高祖の比較の言葉も意味が違ってくる。 >そもそも馬援は光武帝と意気投合すること甚だしく、その評価もべた褒めである。 >それをさらに劉邦が上と評するのは極めて不自然であり、隗囂もその言葉についていけなかった。 >これも自閉症者の持つ言語特性と考えることで謎が氷解する。 >自閉症者の言語の特徴は含意を理解できず、言葉のそのままの意味に用いるということである。 >馬援の言葉「不如也。高帝無可無不可;今上好吏事,動如節度,又不喜飲酒。」をその言葉そのままに理解すると >「比べられません。高祖は特別な能力はありませんから。今の皇帝は事務処理にも長け、行動にも節度があり、お酒を好みません」となる。 >劉邦は事務が嫌いで、行動に節度がなく、お酒好きだったから、この3つは光武帝が上回る点をさらにだめ押しで追加したのである。馬援は、高祖劉邦はただの凡人であって、 >光武帝と比較するのも馬鹿馬鹿しいと言いたかったのかもしれない。 716 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 17 07 42 ID EZmiygYlO 715 スレ違い乙 717 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 19 08 57 ID rtGwnu5o0 714 ここじゃなくあっちのスレに陳情しろよwww 718 ◆RQdk7scN8s 2007/04/03(火) 19 58 38 ID P41V3Neb0 前に李晟に相当するのは、五代では誰? という質問があって、自分は良く知りもしないくせに、テキトーに寇彦卿、とか言ったけど これは完全な誤りでした。 似ているのは、お互いに皇帝の腹心であり、親軍の将として信頼されたところだけ。 戦場での洗練さは、李晟のほうが非常に上でした。 つうことで、「五代群雄」スレに怪しい訳とともに紹介しておきましたので、興味ある方は御覧ください。 あと、添削もできれば… 713 なんでいきなりニセモノが現れたんでしょうね? 719 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 20 40 12 ID EZmiygYlO 718 ◆RQdk7scN8sさんご親切に有難うごさいます。 以前に李晟について質問した者です 「五代群雄」スレの方に見に行ってきます 本当に有難うごさいました 720 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/03(火) 21 12 11 ID RlL9Cbtn0 いきなり風邪ひいて昨日からダウンしてた俺ですが、 起きたついでに唐末~宋にかける漢族と異民族間の考察をば開陳します。 中国の歴史においては唐代にいたるまで、漢民族と北方民族の関係は比較的 単純な方式にしたがっていた。まず好戦的な北方民族がはじめは略奪、やがては 制服の意図で中国に対する侵入を繰り返す。もしも中国の社会が健全な組織を 持っているなら、中国は容易にこの侵入を撃退することができる。なぜならば 北方民族が恃みとするのは当時の戦闘に最も大きな威力を発揮する騎馬戦術 であり、遊牧民族はその出自ゆえ生来騎射に優れているので優れた軍人的 素質を持つ。それでもって中国に攻撃を仕掛けるわけだが、漢族と北方民族の 戦力を総体的に比較した場合、数において漢族が圧倒的優勢に立つ。さらには 富力の差だが、これはさらに開きが大きい。だからもし長期戦ということに なれば、北方民族のほうが疲弊して軍を還すということになる。漢代、中国が 匈奴にさんざん苦しまされながらも最終的には反撃し是を屈服させたのはこの 良い例といえる。 しかし、唐末五代~元までの時期にかかるとこの事情が変わってくる。 唐末頃から北方民族と中国との関係は非常に複雑なものとなり、一筋縄では いかなくなってきた。第一には北方遊牧民族の知力が発達したことにある。 彼らは以前よりも中国文化をよく理解し、その長所と短所を同時に見抜く力 を持つようになった。その長所を知ることは彼らに中国人民を利用しようと いう気持ちを起こさせ、その短所を知ることは彼らに中国文化をむやみに崇拝 したり憧憬したりする態度を棄て、中国文化にないかれら自信のうちにある 美点を保存しようと言う希望を起こさせるにいたる。これは中国に対する 異民族の民族的自覚であり、いわゆる国粋保存的な政策が底から生まれる。 その結果、遊牧民族の国家の性質に柔軟性が加わり、従来のように強いばかり で同時にもろいのと違い、弾力を持った耐久性のある国家が現れてきた。 遼およびそれ以後の西夏、金、元などの国はいずれもこの例に当てはまる。 つぎに中国人のほうでも、異民族国家に対する分析が進んでくる。中国人も やはり異民族の弱点を見抜き、それは経済的に微弱であることだと結論した。 そこで以降の対異民族政策には多かれ少なかれ、経済が武器として用いられる。 ときにはそれが濫用されてかえってみずからの首を絞めることになることも あるが、全体的に見て政策の進歩であることは間違いない。 ・・・概ね宮崎市定氏の論に拠りました。まぁこの程度はこのスレ的には常識 で、いちいち言うまでもないとは思うんやけどまぁ、それ以前の匈奴やら柔然に 比べて遼、西夏や金、元が一線を画す存在であるという事を提起したかったわけ です。つーか寝起きの独り言なんでスルーしてください。 で、五代~北宋の空き枠三名には、 五代から劉仁瞻、西夏から李継遷、北宋の劉昌祚を推します。 721 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 22 06 27 ID mpJSp2SR0 論に拠ったというより、ところどころ端折ったり言い換えただけでほぼそのまんまと言ってもいいよね 722 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/03(火) 22 52 49 ID 05omaE1q0 独り言ならスレに書き込むなと小一時間 723 ○ sage 2007/04/03(火) 22 56 46 ID L/JUw1yu0 711 718 ◆RQdk7scN8sさん 乙&㌧です。 偽物についてなんですが多分このスレで自分がやたら 五代と三国志の比喩論を述べていたからではないかと推測しています。 711に李厳なんて名前あったら反応しちゃうしw 朝スレ見てたら自分の書いた憶えのないレスが載ってたのにはビックリしましたよw で思わず憤慨しちゃいましたwww あとですね郭崇韜と任圜についてちょっと 自分なりに意見を述べてみようと構想中です。 (◆RQdk7scN8sさんのレスと被る箇所が多々あるかと思いますが) 720 ◆oOLAqFKRBさん風邪の具合は大丈夫ですか? 無理しないで寝ててくださいよ!! 一日も早い復帰、心よりお待ちしてます。 さて自分は西夏なら李継遷より孫の李元昊を推します。 五代なら楊師厚を北宋からは楊延昭(楊六郎)か潘美を推します。 724 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/04(水) 01 40 12 ID 6Y9RtpAAO 723 李元昊を推すなら推すでかまわないですが、 何をもって中国の武将とするか理由を明記してくれませんか? 李元昊が入るならば、大越(現ベトナム)の李常傑、元代の陳興道、 明代からはオイラートのエセンを推す人が出てきたとき、反論できません。 どうじに耶律休哥など国号から遼を外し、契丹のみにしてる時代の人物を推すひとは、 何をもって中国の名将であるとするか書き込むか、時代を戻して、 過去の中華風の国号をしてない北方民族も、選考の対象にするのか意思表示して下さい。 私は遼を選考から外したい人を強引に納得させ、スレを進めた人物です。 最後まで遼をはずそうとした人が、言い放った言葉を思い出して下さい。 私は、遼が中華王朝か否か?の論争はスレ違いだと思いますが その人物が中国の名将か否か?はスレ違いじゃないと思ってます。そうですよね? 誠に申し訳ないですが、お手数をかけますが、理由を書いてもらえませんか? 725 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/04(水) 01 47 03 ID 0uxFM+xa0 李元昊 当人がもし生きてこのスレ見たら血吐いて死にそうだよなw 726 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/04(水) 05 14 00 ID YB6QMW6K0 喉が痛くて眠れやせん。今日は朝一で病院行こう。 さて、 724さんの言う「中国の名将か否か」ですが、 「守勢(中華からの侵略に対する防衛)ではなく積極的に 中国本土に攻め入り、多大な武勲を挙げて自国の版図を広げた(あるいは橋頭堡を作った)」 でどーでしょ? 陳興道は赫々たる戦果を上げたがその戦いは元朝の侵略に対する防衛戦やったし、 エセンは明領内に攻め入って大勝したものの結局中国本土にオイラートの領土を広げてない。 よって上二名は「中国の武将」ではないということで。 李常傑は・・・すんません、よく知らんわ。 で、俺の推す李継遷はというと夏州から宋軍を撤退させてその版図を奪い、 さらに霊州を取り、宋軍15万を全滅させるという十分な戦功も立てとるから、 中国の名将で(最後流れ矢に当たって死んだのが間抜けやが)いいのではないかなぁと思うがどうか。 そんで○さんの推す元昊はどーやろ? ウイグルを攻めて甘州を取ったけど、 これは中国本土の土地にカウントされん気がする。でも宋仁宗の時代に陝西地方で37万の精兵を率い、 当時弱体化していた禁軍100万を蹴散らしたけんが武勲は十分。けど韓琦・范仲淹に阻まれて中国の土地は奪えずじまい。 しかも経済封鎖された挙句和睦して、その条件に「西夏は宋に対して臣下の例をとる」ことで調印しとるしなぁ。 敦煌やら西北方面への領土は広げたけど、中国の武将ではないか? つーかそもそもこの人、西夏が漢化するのを嫌っとったし。 ま、俺の意見に納得できん諸兄もおるやろーし、 ここは合議制の場なんやから大勢が両者とも資格なし、となればそれに文句は言いません。 727 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/04(水) 13 40 32 ID X6a7+FA80 「中国」の中身は長い期間の混血によって変化している。 当然、その範囲も時代によって変化していると考えた方が良さそうだ。 だからこの際、支那≠中国と考えるべきだ。 「文化に漬けられた弱い南人=漢族」で「支那の王朝だから正統な中国」の論理は見飽きた、聞き飽きた。 天命も領土も保ち得ない文弱王朝は元々正統ではないし、そもそも正統の王朝なんてものは最初から存在しない。 正統云々は時の為政者たちの都合次第。 士大夫どもがその宣伝を鵜呑みしてたただけ。 忠義の対象が一つしかなければ、そうせざるを得ない。 極東の島国の俺たちにその論理を盲従する必要性は全く無い。 狂的な漢人イデオロギーを妄信してた宋にしたって沙陀色が濃いし。 728 ◆RQdk7scN8s 2007/04/04(水) 20 57 47 ID PeGUb0ID0 723 ちょっと関係ない雑談なんですけど ○さんは、五代史に関して、どんな資料を参考にしてますか? それは岩城さんにも聞きたいのですが。 自分は基本、《五代史》、《五代史記》、《五代史書彙編》(十国春秋もこの中)、五代絡みの概説書(むろん日本書籍) あと、『五代群雄傳』くらいなんですが。 関連論文も読みたいところですが、そういう機会はなさそうです。 729 ○ sage 2007/04/04(水) 22 45 35 ID rYwHrifH0 728 企業秘密ですw(もちろん冗談ですが) ◆RQdk7scN8sさんの様に五代史、五代史記など読める環境、読解力があればいいのですが なかなかそうもいかないのが現状です… 参考資料としては資治通鑑の注釈本、陳舜臣氏の中国の歴史などですかね。 まあ覚束ない知識ながら語らせて貰ってます。 (ちなみに漢文は大して読めませんし…) あと海南島にまで左遷された人物は蘇軾でした。 訂正 海南島から帰って来た時は朝廷には復帰できず常州で死去してました。 730 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/04(水) 22 51 35 ID LTCrPQz60 728 ◆RQdk7scN8sさんへ。 俺は新旧《五代氏》と《十国春秋》のみ。 あとは《続通志》の一部に五代の人物列伝が載ってるのと、 概説書として宮崎市定教授の「五代・宋」ぐらいですか。 あ、《史治通鑑》と《通鑑紀事本末》もその都度時代を敷衍してみるには便利ですね。 偉そうに紹介文挙げたりしてる割に 実は五代は苦手というか、そんな詳しくなかったりします。 資料は喉から手が出るほど欲しいのに、どんな伝手で手に入れるかわからんという。 一応近所に官籍専門輸入書店があることはあるんやけど、ここの品揃えがあんまりよくないのですよ。 731 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/04(水) 22 54 22 ID LTCrPQz60 730 変換ミス。官籍→漢籍で。 732 ○ sage 2007/04/04(水) 23 24 45 ID rYwHrifH0 724 何をもって中国の武将とするかについては 取り敢えず自分 21で示されてる定義に添って推薦しているつもりです。 あと 726で述べられてる>「守勢(中華からの侵略に対する防衛)ではなく積極的に 中国本土に攻め入り、多大な武勲を挙げて自国の版図を広げた(あるいは橋頭堡を作った)」 自分もこの意見に近いですね。 それに西夏も一応認めることで話が進んでますよね? なのに西夏から一人も推薦挙がらなかったら後からただ入れろ入れれと言ってたたけかよと!! と苦情が出るかもしれないし、そう言うのも考慮してます。 李元昊は西夏の建国に前後して三川口・好水川・定川砦において北宋軍に勝利してますし 資格については問題無いと思っています。 西夏(夏)についてですが 李徳明の跡を継ぎ、検校太師・侍中・定難軍節度使となり、西平王に封ぜられた。 西夏と呼ばれてますがこれは北宋が勝手にそう呼んでるだけで本来は夏。 李元昊は現在の寧夏回族自治区銀川の興慶府を首都と定めてる。 唐始に拓跋赤辞は唐に降り、李姓を下賜され、族人を引き連れれ 慶州(現在の寧夏回族自治区内)に移住し平西公に封じられた。 唐末に発生した黄巣の乱ではその子孫である拓跋思恭が反乱平定に大きな功績を残し、 それ以降、夏国公として当地の有力な藩鎮勢力としての地位を確立した。 国の成立を見る限り西夏は中華の国として扱ってもいいのではというのが持論です。 もちろん遼・金・元も同様です。 陳興道は陳朝(大越) モンゴル軍の自国への三度に渡る侵攻を全て撃退 李常傑は北宋軍の攻撃が始まる前に10万の大軍をもって中国領土内へ進攻し勝利したんですよね?。 それに大越(李朝)の李常傑はベトナム救国英雄と呼ばれる人物の一人ですよね? さすがに大越(ベトナム)の武将は選外とするべきでしょう。 オイラートのエセンですがモンゴル帝国崩壊後、オイラートはケレイト、ナイマン、バルグトなどを含む部族連合集団に変容し、 後にモンゴル高原のほとんどすべての部族を制するに至ったんですよね?。 いくら元(北元)と称していても部族連合集団であり国家としての様相を呈してないので 選考基準から外れるのではないでしょうか? 以上が自分の持論です。 諸兄が李継遷・李元昊は中華の武将ではないと反対するなら自分は従います。 733 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/04(水) 23 34 51 ID 1tmtmtZF0 李元昊の夏は諸部族連合でなかったと? 諸部族連合だから国家じゃないというのなら遼や元の組織だって変わりはありませんよ? 734 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/05(木) 00 41 40 ID 0wO0KLdZO 732 西夏を入れるのと、その人物を中国の武将であると見なすのとは違いますよ。 だから、李元昊の名が出てもスルーされていたと感じていましたが。 ヴェトナムは唐代まで、戦乱期の一時的な時代以外は、中国の支配化にあったんですよ。 阿倍仲麻呂が派遣された話とか有名ですよね? この時代、ようやく独立を果たしたにもかかわらず、 朝廷から贈られたのは「安南都護」でした。 李常傑の活躍で、安南国になるんです。彼ら自身は越と称してるんですけどね。 自治権は認めても、領土的には中国本土であると考えられてます。 だから後の中華王朝が度々、征伐に来るのです。 李元昊のように独自の文字を制定したわけでもなく、 独自の文字もなく、制度は中国と変わらなかった安南の 李常傑を外すのは矛盾があると思うのです。 李元昊自身も、中国の武将だと思ってないはずです。 外すのが無難かと。 735 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 00 46 30 ID CWGq96lM0 733 726の定義を提起した博多の岩城ですが、○さんに援護射撃。 西夏も遼・金・オイラートなども諸部族連合によって成立する国家という 点では同根だと思う。ただ、李継遷時代の西夏は自ら夏州・雲州を奪って 陝西地方に橋頭堡を作ったということで中国の王朝でありそこに所属した 武将は中国の将と愚考する次第(元昊はむしろ中華文明からの脱却を 目指したから中国武将とは言いがたいところがある)。で、オイラートは 諸族連合国家ということでは西夏と同じであるものの、南下して中国の 土地に領土を獲得したわけでないので中国の国家ではないと。翻って遼は あらかじめ燕雲16州という橋頭堡を持ち、それを保持するために南下して 北宋に攻勢を仕掛けたこともあるので中国、というか半中原国家という感じ。 金は最初から南進してきて中国の土地を版図に加えたから問題なく中国の国家 だろうし、元というかその前身たる蒙古はチンギス即位後、ムカリあたりが 金に攻めよせて各地を獲り、転戦して橋頭堡を築いたのでこれも中国でいいかと。 これに関して 733さんおよび諸兄の意見を聞きたいと思いますが。 736 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 01 01 23 ID L2DsHe8+0 735 そうですね逆に質問します。 仮の話ですが、琉球が日本に侵攻して九州を占領した過去があったとしたら、その 時に琉球王朝は日本の一部となりますか?その武将は日本の武将と呼びますか? さらに進んで中国・四国地方くらいは征服したが、王は那覇を離れず日本の占領地 へは代官を派遣するくらいの支配で。 現実の例だったら(たとえとしては無理があり適当でないと承知の上ですが)、英仏 百年戦争でパリを含むフランスの半分以上の領土を支配したイングランドはフランスと なるんですかね?エドワード黒太子はフランスの武将になるんですかね? 737 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 01 31 58 ID CWGq96lM0 736 九州を占領した過去があったら その場合九州の武将たちは琉球の将となるでしょう(好むと好まざると、また 支配の緩急に関わらず)。王が那覇を離れなくても一度支配した土地に派遣 した代官、将軍たちはやはり琉球王朝の臣下となるのでは? また、百年戦争 でフランスの広大な版図を手に入れたエドワード黒大使はやはりイングランド の皇子であると思います。日本の大半を琉球王が支配した場合、やはり彼が 琉球王であるまと同じで。一番顕著な例は蒙古であろうと思いますから蒙古を 引き合いに出しますが、チンギスがムカリを中国路の王として派遣し、自らは 中国に目もくれず西方経略に本腰を入れたとして、ムカリが切り取った金の 国土はやはり蒙古の版図・橋頭堡としていいと思うのですが。 質問の意図を間違って捕らえていたらすいません。なにぶん阿呆なので。 738 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 01 49 34 ID CWGq96lM0 追記。 そして完全に敵国を併呑したところで、あらたな国家を創建する問題が でてくるのだと思います。空想の話ですがエドワード皇子がフランスを 完全支配下に置いたら古い国名からイングランド領ガリアとされたかも しれませんし、蒙古はある程度の領土拡大を果たしてからモンゴルの正統、 元と各ウルスがそれぞれ創建されたわけですから。 739 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 02 55 39 ID sh07ZMUM0 李克用と李存勗は親子で名将なんですね かっこいい! 740 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 03 08 02 ID H9XH0T7U0 >黒太子の英仏完全併合 その場合、プランタジネット家領仏蘭西で首都は巴里だと思う。 支那だって劉家領支那=漢で李家領支那=唐で愛新覚羅家領支那=清だった。 741 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 11 58 07 ID 16153irr0 740さんへ 首都が遷ったにしても広大な土地を占有したにしても、根本にある国家 精神は変わらんでしょ。仮にイングランドがフランスを制圧したとして 「こっちのほうが土地広いから、今日からウチもフランスを名乗ろう」 とはならんわけで、言ってみれば居心地のいい仮住まいを手に入れた程度。 仮のさらに仮の話になってしまいますがプロイセンとかに英国領フランス の土地が全部奪われたとしても、本当の拠点はあくまでイギリス本土 だからフランス駐留軍と国家上層部さえイングランドに帰還させれば 国家的にさほどのダメージを負う事はないでしょう。翻って中国に 当て嵌めると金だって支那の北半分を獲りながらあくまで金という国家 のままだったわけだし(現地の文化に耽溺した、というのはあるけども)、 蒙古にボロ負けして支那本土の拠点を失っても、下層階級は本来の故地 である満州の方に逃れたから、すっかり支那文化にかぶれた上層部以外は たいした問題なく、女真族そのものは部族をまとめる巨大な統率者を 失った以外、さほど巨大なダメージを被ったわけではなかった(もとの 遊牧騎馬民族に戻っただけ)と思います。実際、数百年の雌伏ののち 新たな統率者が出て、清(最初は後金か)として復活することができた わけだし。 ・・・なんでこの時間にお前がおるんやとか突っ込まれそうやけど、 風邪が悪化して自宅謹慎を命ぜられとるんですわ。やから暇なのです。 742 ○ sage 2007/04/05(木) 14 05 02 ID 0H4+iB4c0 ◆oOLAqFKRBさん 乙&援護射撃㌧です アンタなんでこの時間に居るんや、暇でも安静にしとかんかい と一応突っ込んどきますわw さて李常傑を中国の武将として認めるにしても 726の定義に当てはめた場合、李常傑はどうなんだろう? 李常傑は北宋の進軍をいち早く察知し、逆に北宋領土へ進軍し北宋軍を撃破したんですよね? これは先取防衛の為ではないでしょうか? 諸兄の意見をお聞かせねがえませんか? あと李元昊を外すことに異論はありません。 743 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 17 23 24 ID VjMOowo3O あんまり深く考えないでさ。歴代中国、若しくそれらと実際矛を交えた国の武将と言うことでもいいんじゃね? せっかく選んだ武将が○○に負けたのに名将かよ。プwとか思われるの嫌だし 744 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 18 15 27 ID dy96S1BTO 743 そんなのでよかったら定義とかあれこれ話合ったりした意味ねーな 745 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 18 20 21 ID Qs7ILgkC0 738 百年戦争はイングランド王がフランスの王位継承権を主張したわけだし アキテーヌに領地を持ってたフランスの諸侯だったんだから イングランド領ガリアはないよ 746 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 19 39 34 ID H9XH0T7U0 0:フランス王 1:ノルマンディー公 2:イングランド王 3:アキテーヌ公⇒3´:ガスコーニュ公 4:アンジュー伯 5:ブルターニュ公 6:ウェールズ公 7:スコットランド王 8:アイルランド卿 所領と爵位を0~8と定義する。 ノルマン朝初代:ウィリアム1世(1、2) ノルマン朝二代:ロベール2世(1)vsウィリアム2世(2) ノルマン朝三代:ヘンリー1世(1、2) ノルマン朝四代:女帝モード&ジョフロワ4世(1、4)vsスティーブン(2) プランタジネット朝初代:ヘンリー2世(1、2、3、4、5、8) プランタジネット朝二代:リチャード1世(1、2、3、4、5) プランタジネット朝三代:ジョン(1、2、3、4)vsアーサー(5) プランタジネット朝四代:ヘンリー3世(2、3´、8) プランタジネット朝五代:エドワード1世(2、3´、6、7、8) プランタジネット朝六代:エドワード2世(2、3´、6、8) プランタジネット朝七代:エドワード3世(2、3、3´、6、8ほか)&エドワード黒太子(3、3´、6) プランタジネット朝八代:リチャード2世(2、6、8ほか) ランカスター朝初代:ヘンリー4世(2、6、8ほか) ランカスター朝二代:ヘンリー5世(2、6、8ほか) ランカスター朝三代:ヘンリー6世(0!、2、6、8ほか) 初期のプランタジネットはフランスのルーアンが事実上の首都。ほぼフランス人。 カペー朝に対するプランタジネット朝は後漢末の魏みたいなもの。 カペー家の殻を突き破れなかったのがおかしいくらいだ。 フィリップ2世、シャルル5世&デュゲクラン、シャルル7世&ジャンヌダルクのどれか一つがいなければ、 英仏統一王朝が誕生してた可能性が高い。 特にフィリップ2世はおかしい。なんだコイツ。 …まあスレ違いだが、たまにはいいだろ。 747 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 19 50 31 ID GljYhMi60 745さん うあぁ、西洋史の知識がろくにないことを露呈してしまった。 でもまぁ、“フランスの王権を手に入れたとしても実際重視されるのはあく まで英国”“フランスの肥沃な農場地帯と貴族文化、ヨーロッパ本土への 橋頭堡としての価値は魅力的だが、いざとなったらシッポ切りするのに 問題なし”という部分が言いたかったわけでして。そこが金や元における 中国本土とかぶるかな、と。 ろくな知識もなしにとくとくと偉そうなことを書き込んだこと、謝罪します。 748 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 20 12 59 ID L2DsHe8+0 やっぱり百年戦争のたとえではずれてしまいますね、すいません。 ちなみに私個人の考えだと 金や元は中国王朝とは言いがたい(特に元)が、中国の征服王朝にはなった。 遼や西夏は中国王朝でもなく、征服王朝にもなれなかった。 749 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 20 20 33 ID H9XH0T7U0 747 項羽を例に当てはめてみます。 ”秦を手に入れたとしても実際重視したのはあくまで楚” ”関中の肥沃な田地と行き届いた法治支配、政敵の劉邦を四川に押し込めておく拠点としての価値は魅力的だが、他人にくれてやって問題なし” …やはり生活文化が違うので金や元のケースとは違うでしょう。 この場合、対仏政策が破滅に直結するでしょうから。 750 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 20 28 32 ID dy96S1BTO 746 カペー朝に対するプランタジネット朝は後漢末の魏みたいなもの。 カペー家の殻を突き破れなかったのがおかしいくらいだ。 またまたスレ違いな話だがカペー家かどこかの家宰に曹操みたいな奴いなかったっけ? 734 いくら自治権は認めても、領土的には中国本土であると考えられていても やはり大越の李常傑を中国の武将とするのは無理があるんじゃない? 751 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 21 01 17 ID H9XH0T7U0 メロビング朝フランク王国の宮宰カールマルテルだと思う。 トゥールポワチエ間の戦でイスラム軍を虐殺し、カロリング朝フランク王国の基礎を築いた男だろう。 >越南 実態は中原勢力の植民地。風俗も違ったし。朝鮮みたいなもんだと解釈した方がいい。 752 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/05(木) 21 44 37 ID 0wO0KLdZO 750 李常傑はあくまで喩えです。李元昊は入るとしながら、李常傑は入らないというのは 間違っているという例として出しただけです。 今の時代に生きてるから、安南=ヴェトナムだから他国と思うだけで、 中国の歴史から見たら、間違いなく中国本土であるにもかかわらず、 その人物を中国の武将じゃないというのであれば、 当然、その概念はそれ以外の人物にも適用されるんですよね ?中国固有の領土であろうと、なかろうと、外れる場合はあるんですよね? 私が問いたいのは、何をもって中国の名将であるとするか?なのです。 つまり、その条件に当てはまらない場合は、たとえ中華王朝の漢人武将であろうとも、 中国の名将とは認められない――そんな条件なんです。 726がそれだと言うのであれば、それはそれで構いませんが、 それだと選定作業をやり直す必要がありませんか? 753 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 22 14 48 ID dy96S1BTO 751 トンクス そうかカールマルテルだったか 750 それならシンプルに李元昊は外す、李常傑も入らないでいいじゃん たとえ中国の歴史から見たら、間違いなく中国本土であっても 実際ヴェトナムの人々は俺たちの国は中国だと思っていたかな? 俺は違うと思うぞ インドの人々は俺たちの国はイギリスと思ってたかな? 名将の定義は取り敢えず 21にあるのでいいんじゃないかと思うけど プラス遼・金・元は含めるそれでダメなのか? でそりゃあ違うだとという人物は今回の李元昊のように指摘する そんなんじゃダメなのか? 俺はそれ以上思いつかないよ・・・ 754 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 22 15 41 ID 0zYnzRwq0 752 私が問いたいのは、何をもって中国の名将であるとするか?なのです。 つまり、その条件に当てはまらない場合は、たとえ中華王朝の漢人武将であろうとも、 中国の名将とは認められない――そんな条件なんです。 なんらかの定義はできるでしょう。 しかし万人が異論ない定義が可能だと思ってるわけですか? そもそも、自分自身の案を提示もせずにそういうないものねだりをするのは、 無駄にかき回して議論の収束を妨げてるだけにしかならないですよ。 既に出てる案にそういうものがなく、あくまで賛同できるものがないというのであれば、 ぜひともあなたの理想とするところに近い定義を提案してください。 自分は正史ベースの 505を推します。 中国武将が何たるかなんて定義は、中国とは何かと同様で、 万人に納得できるものを作ることは不可能だと考えるので、 既に評価の確立した正史に習うのが妥当ということで。 あとこのまま収束しないようなら、少人数で定義決定する方式にしたほうがよいと思います。 それに納得できない人は、反論するに値する定義の対案を出さない限りは反論を認めない。 で、少人数を誰にするか、というところは、このスレに多数の名将を紹介して貢献度が高いと思われる、 ◆oOLAqFKRB.さん、◆RQdk7scN8sさん、○さんだったら不満もすくないんじゃないかな・・・と思ったり。 どうですかね? 755 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 22 20 28 ID dy96S1BTO 753 すまん遼・金・元に西夏を含めるの忘れてた 756 ○ sage 2007/04/05(木) 22 57 36 ID 0H4+iB4c0 754 自分はですね正史ベースの 505はいいんじゃないかなと思いますよ。 でこれに西夏(夏)も含め あとは推薦した人物に対し諸兄が納得してくれれば良し、 今回、自分が推薦した李元昊の時みたいに そいつは「ちゃうやん、あかん、あかんてそいつは認められへんで」みたいに指摘してくれたらいいかなと思いますけど こんな感じでとうでしょうか? なんか 754さんに博識な御両人と一緒に指名されてますが 本当に自分なんかでいいんですか? 757 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 23 15 07 ID HcEYfMrF0 754さん 俺が選定員に推戴されたらムカリ、トゥルイらのモンゴル武将や ヌルハチ、アハタイら後金武将(つまり元、清の建国を担った人々)を 「正史にあるけん」の一言で平然と組み入れてしまうんで、反発派は かなりの数に登るかと。それでいいなら選定員の一翼を担うのも 問題なしですが、「モンゴルは違うだろ」「清は入関後だ」って言う人は 今のうちに俺を潰しといたほうがいいかと。 758 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/05(木) 23 31 45 ID HcEYfMrF0 757に追記 俺としては 505案に自分で出した 726を併せて折衷すると言う 方向で行きたいと思います。これに反対の人は俺の選定員入りを 阻んでくれると後腐れなくてむしろさっぱりします。 ところで◆RQdk7scN8sさんが沈黙を守ってますね。迷ってるんだろーか。 759 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/05(木) 23 47 20 ID H9XH0T7U0 「正史に記載されてれば入選資格有り」 このスタンスでいいだろ。 それで夷狄に椅子を奪われる程度の指揮官が名将なものか。 760 あの~ 2007/04/06(金) 00 12 36 ID Bbv/dSjkO 754 実は私が 505なんですけど。。 トリップつけないと不味いですか? 過大解釈案 この際、正史にのる戦役は全て対象として、 その戦いに参加した人物が名将であるか否かを議論する。 ただし、その人物が非中華王朝に属してる、もしくは異民族出身者の場合、 その人物が中国の名将であると、推薦者が立証する。 例えば、耶律徳光を推薦した場合、国号は中華風の遼も名乗っており、 少なくとも本人は、中国に対する憧憬と、 中国を支配下に置く意思があったと推測されるから――など。 この推薦文だと、国号が契丹だけの時代の耶律休哥は外れますね。 あと、遼を外すと主張してる人は、遼将を外すならば、誰を入れたいのですか? ただ単に揚げ足取りしたいわけでは、ないですよね? 李元昊の代わりに李継遷を推薦します。 李元昊にくらべ、民族独立色が薄いから。 耶律休哥のかわりに、耶律徳光。理由は先に書いたので、かつあいします。 小説から、李元昊、耶律休哥に興味を持ち、資料を調べたうえで、 この人物を好きになりこそしれ、嫌いになれないだけに、 選考の対象外にするのは、非常に心苦しい気持ちでいっぱいです。 761 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/06(金) 00 40 53 ID 8gXNJR8p0 760さん 同じく李継遷を推す同志と勝手に呼ばせていただきますが、 むしろ元昊のほうが英雄的気概にあふれとるんですよね。 前に書き込みましたが 中華から独立して敦煌以西に自分たちの国家を作ろうとする企画力とか、 弱体化してたとはいえ陝西で禁軍100万を37万の精兵で撃破した用兵とか。 中国からの独立を望んだために中国武将ではない、という一事がなければ 間違いなく俺も継遷よりこちらを推しただろうだけに、元昊は本当に惜しい人物だと思います。 彼を推していた○さんも諦めをつけるのは断腸の思いだったでしょう。 762 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/06(金) 04 36 59 ID iwgs9pHW0 中国の影響力が強すぎたのが全部悪い 763 ○ sage 2007/04/06(金) 06 51 44 ID 4zOHtfGs0 761 >李元昊を諦めたのは断腸の思いだったでしょう。 確かに李元昊を諦めたのは断腸のでした… では自分も◆oOLAqFKRBさん、あの~さんと同じく、 李元昊の祖父である李継遷を推したいと思います。 実際、李元昊を推した時に李継遷と李元昊のどちらにしようかかなり迷いました。 しかし諸兄の賛同を得られなかったのでそれは仕方ないかなと思っております。 (節操ねーなとか言われせうだが…) 764 ○ sage 2007/04/06(金) 13 50 04 ID 4zOHtfGs0 760 あの~さん(勝手に呼んでますがいいのかな?) >小説から、李元昊、耶律休哥に興味を持ち、資料を調べたうえで、 >この人物を好きになり とカキコなされてますが その李元昊、耶律休哥に興味を持つきっかけとなった小説の題名をお教え願えませんか? ちなみに自分は陳舜臣氏の小説十八史略にて李継遷・李元昊を 楊家将にて耶律休哥に興味を持ちました。 誠に厚かましいお願いですがよろしくお願いします。 765 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/06(金) 18 57 30 ID 0u9nFGkN0 ああ、なんかヤボ用で時間費やしている間に、すっかり話題が。 自分は遼を外そうと考えましたが、基本は正史にならうという意見ではありました。 遼を外す理由は古来からある中華政権の支配がおよぶ範囲 制度によって及ぼしていた範囲というものがあるじゃないですか。 温度差(サーモグラフィ)みたいなもので考えるとわかりやすいかな? (京師あたりは色が濃くて、地方になれば薄くなる) そういうところに対する、領土的な影響力というものが、遼(契丹)は薄い、というあたりを論拠としています。 まぁ、政治的な影響力は大きいのだから、別に入れることに頑強に反対はしません。 入れれば、太宗と休哥は確定するのかな? で、李継遷ですが たしかにコヤツが西ではねっ返ったおかげで、宋は遠征し敗れ あまつさえ遼に援助までとりつけて引き入れ、究極的には岐溝関の敗北を招かせたようなもんですので 結構なやり手ではあります。 宗主国から独立を獲得する契機となった、というあたり後漢の周瑜に似ている節はありますが そのあたりはどうでしょう。 と言っても、自分、拓跋思恭はわかりますが、この代になるとほとんどわかりません(をい)。 そうですね、「草原王朝特別枠」とかいって、別に設けてみるとか、そういうのはなしでしょうか。 766 ○ sage 2007/04/06(金) 21 43 35 ID 4zOHtfGs0 765 李継遷に似てるのは李元昊ではないでしょうか? どうでしょうか? 二人共、始めは宋に従ってましたが 後に反旗を翻し幾度となく武力衝突を繰り返したり、遼にも対抗したりしてますし、 吐蕃(チベット)を討ってたりしますよね、 それに李継遷は霊州を陥れて、西平府と改称、国都とし 片や李元昊は河西回廊を占拠し、興慶府に都を置いてます。 ちなみに史書には李元昊が ―英雄の生は当に王覇なるべきのみ。錦綺、何をか為さん。― と興奮した際、李徳明に向って言ったとされています。 (民族独立に対する意気込みなんでしょうね) 767 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/07(土) 12 51 23 ID 8Dz7hZN3O 764 井上靖の敦煌です。 そこから、この時代の異民族国家に興味をもち、図書館で調べはじめて、 耶律休哥の名を知りました。 小説としてはやはり楊家将で、この小説により歴史書の中の人物が、 血の通った人間になった感じです。 768 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 13 00 06 ID pG/HJowa0 このスレにいる人が楊家将読んでてちょっと嬉しいw 769 ○ sage 2007/04/07(土) 14 46 04 ID I3JbP16L0 767さんご丁寧に有難うございます。 >血の通った人間になった感じです。 全くもって同感です。 自分もですね楊家将を読んだ時、耶律休哥及び楊業に非常に人間味を感じました。 768さんもナカマー あと 760の 過大解釈案とその中で推薦文の例題として挙げられている事についてなのですが >ただし、その人物が非中華王朝に属してる、もしくは異民族出身者の場合、 >その人物が中国の名将であると、推薦者が立証する。 >少なくとも本人は、中国に対する憧憬と、中国を支配下に置く意思があったと推測されるから――など。これですと中国を支配下に置く意思があったの部分はいいのですが 中国に対する憧憬のないであろうモンゴル武将や清初期の女真族の武将が 外されてしまう様な気がしますけどいかがですかね? それならその人物が非中華王朝に属してる、もしくは異民族出身者の場合は 王朝樹立の際の戦闘及び樹立以降に功績のある武将は認める しかし明らかに中華の武将として認められるのを本人が明確に表している人物は不可 (ヌル八チとかどうなんだろうか…) 建国後遼は契丹に国号を変更してる時期も認める。 こんな感じでいかがでしょう? おかしな部分があれば手直しして頂ければうれしいです。 770 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 15 31 08 ID isOCtAs70 乾隆帝以後は完璧にチャイニズムに毒されてるよ。 順治、康煕、雍正の三代の遺産を食い潰す毒虫ぶりに秦始皇、漢武帝、隋煬帝、唐玄宗の風を見る。 トップの方向性が入選で云々されるなら、 乾隆帝以後の清は確実に歴代中国王朝のエピゴーネンと言えるだろう。 771 ○ sage 2007/04/07(土) 16 03 34 ID I3JbP16L0 770 あのさー乾隆帝以後は完璧にチャイニズムに毒されてるのはわかってるよ。 中華思想に触れて感化されない奴なんて略いないだろう また傍にいる漢人が染め上げようとするし。 それに定義を決めるのって当然、一筋縄じゃいかないのわかってるよね? だからわざわざ手直ししてくれませんか?と付け加えているんだし、 文句言うだけなら誰でもできるじゃないのか!! じゃあどうすればいいか貴方の意見をぜひ聞きたいね。 772 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/07(土) 16 12 05 ID PaG7IIxw0 ちなみに自分も『楊家将』は読んでます。 記述の少ない楊業を、よくもあそこまで書けたものですよ。 耶律休哥も楊業に会っては、分厚い壁にぶち当たった感じで書いているのは特によかった。 って、小説の話はこのへんで。 遼(契丹)を入れるとして、じゃあ誰が確定になりますかね。 太宗・耶律徳光は、自ら親征して一気に澶州にまで南下しており そこではじめてまともな後晋軍と対峙した。 一応、青州の楊光遠との挟撃という態勢であったが、名将たる高行周(高懐徳の父)が粘り 耶律徳光の南下を容易には許さなかった。 (高行周が出撃すると、耶律徳光は軍を退かせ精騎で中央を狙うと、晋帝石重貴がそれを迎え撃つ… など) 驚いた耶律徳光は、 「楊光遠は晋の兵は半ばが餓死したといっていたが、このように勢い盛んではどうしようもない」 と言って、一旦本国に引き上げた。 悲惨なのは楊光遠で、契丹との挟撃をもくろんでいたのに、それが崩れ取り残される形になった。 契丹は撃退できたものの、主戦論を唱えていた景延広は為すところが無く、かえって醜態だったので 地方に転出され、替わって桑維翰を呼び戻し、中書令兼枢密使として国難に対処させた。 枢密使・桑維翰のもと、河東の劉知遠、恒州(常山)の杜重威、宋州節度使兼禁軍大将となった高行周、 滑州の皇甫遇、徐州の趙在礼、孟州の符彦卿、河中の安審琦など、15節度使を 対契丹用に編成し、その南下に備えた。 桑維翰の軍略、決裁はいささかも遅滞することなく端から流れるようだったので、諸将は心服したという。 桑維翰の軍略のもと、兗州の李守貞が叛将たる楊光遠を討ち、これを敗死させることに成功した。 その年末に、ふたたび耶律徳光は南下し、恒州に本拠を置き、邯鄲まで陣を進めた。 桑維翰はすぐさま、皇甫遇や安審琦らを向かわせたので、戦線は一時膠着した。 皇甫遇が契丹軍の包囲を受け、少数で粘っているのを、張従恩等は「もう手遅れ」としたが 安審琦は「皇甫太師にもしものことがあれば、何のかんばせあって天子にまみえようか」 といって、麾下の兵だけで突撃したので、耶律徳光は晋軍が総攻撃に移ったと勘違いして 即座に恒州まで逃げ出したという。 膠着した戦線を打開するのに、皇帝石重貴は親征を決意し、開封を出発した。 勢いを盛り返した晋軍は、定州より進み、恒州を降し、ついには耶律徳光をちからづくで追い返した。 耶律徳光は幽州まで逃げ帰ると、敗戦に猛り狂い、各将たちを鞭で打ったという。 しかし桑維翰はあくまで講和論者であり、この後すぐに講和を具申するも、耶律徳光の返書に 怒りのこもった文章が見受けられたので、一時見合わせることにした。 戦勝で気が緩んだか、石重貴は桑維翰の諫言や進言を受け付けなくなった。 当時朝廷には、馮玉という奸臣がおり、皇帝の外戚だったが、桑維翰の影響下にあって発言力は低かった。 皇帝が桑維翰を疎んじていることを敏感に察し、李守貞を巻き込んで誣告した。 桑維翰は執政職を追われ、朝廷に出ることはなくなった。 馮玉らは実権を手にすると、燕雲への攻勢を実行したが、それは耶律徳光の自在の駆け引きに翻弄され 攻撃軍を担った杜重威や張彦澤といった有力者が、契丹に寝返るにおよび 契丹の大攻勢の末、開封は陥落した。 寝返った張彦澤は、耶律徳光が桑維翰を憎んでいると勘違いし、許可無く殺してしまったが 耶律徳光は「なぜ殺した」と、その遺族を手厚く遇したという。 耶律徳光の話をしていたはずなのに、また途中から違うのが出てきたな… まぁ、耶律徳光と契丹に拮抗する軍略の持ち主、桑維翰と、それさえいなければ破竹の進撃を誇った耶律徳光 ということで、判断してみてください。 ちなみに、このときの後晋領は石敬瑭の末年から石重貴が契丹に北へ連れ去られる直前くらいまで すさまじくひどい天災に見舞われており、国力は最悪だったということを付け足しておきます。 773 ○ sage 2007/04/07(土) 17 24 35 ID I3JbP16L0 772 耶律徳光(太宗)は石敬塘の後晋建国を助け 後に後晋が遼に背くと、南征するものの、 高行周・桑維翰らの活躍で一時は敗走しましたが最終的には 後晋を滅ぼし、華北一帯を占領してますよね。 たとえ後晋が最悪の状況にあったのを加味しても 耶律徳光の功績は凄いと言わざるえないのかな? (確かに途中で誰のこと推してるのか分からなくなってましたねw) 774 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/07(土) 20 01 14 ID PaG7IIxw0 【確定組】 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊業、狄青 【候補】 周徳威、郭崇韜、王彦章、郭言、楊師厚、劉鄩、康延孝、 任圜、李神福、臺濛、周本、孟堅、張彦卿、陸孟俊、劉仁贍、張武、 王環、趙季良、蘇章、潘崇徹、銭弘佐、顧全武、張元徽、李瓊 耶律休哥、狆師道、劉昌祚、李継遷、賈嵓、潘美、楊延昭、 史建?、王景、康壊貞、 【候補落ち】 朱温(朱晃)、郭威、曹彬 【確定有力候補】 李存審、顧全武、劉仁贍、耶律徳光、李継遷、劉昌祚、楊延昭、耶律休哥 かなりカオスになってますので、この辺でそろそろ決めたいと思います。 (いい加減、南宋以降の話も聞きたいし) 顧全武はいわゆる地方政権の名将であって、地域が極限定されているので10選に入れるにはためらう部分が大きい。 劉仁贍は10選確定の柴栄や趙匡胤相手に不敗というのが大きいが、いかんせんそれだけ。 耶律徳光は中原制覇を短期間で為した。維持できなかったのは政治力の問題とするならば確定間違いない ただし、遼のことなので、予備枠とする。 耶律休哥も確定予備枠みたいな感じとする。 楊延昭は武勲において、並ぶものなしと思える。 劉昌祚…狆師道のほうがよくはないですか? 自分が考える10選 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊業、狄青、李存審、狆師道、楊延昭、李継遷 (契丹枠として)耶律徳光、耶律休哥 こんなところか。 775 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 21 39 14 ID isOCtAs70 >○ 771が俺を貶める為か、自らを誇る為のものか判らぬ。 だが、そんなことはどうでもいい。 君子はそのどちらもしないのだから。 二十五史だけでなく四書五経も読んでから来い。 俺を罵倒したことが許せないのではなく、その人柄を自ら損なったことがただ悲しい。 議論を壟断したいのならブログでも開けばよい。 776 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/07(土) 21 42 29 ID neOBtDwl0 ○はスルーするに限る 777 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/07(土) 22 00 07 ID G49b2+p90 774 ◆RQdk7scN8sさんへ。劉昌祚より確かに狆師道のほうが適任と思います。 ただ北宋中期の武将が少なかったので一応名を挙げました。 耶律徳光と耶律休哥は燕雲以南の地を掠取していない守勢の人、休哥より 短期ながら中原を席巻した創業の人、徳光が10選入りの栄誉を受けるべきかと。 (耶律休哥は民衆から契丹最高の名将、と言われとるわけですがここは心を鬼にして) そんでもって以前選定者の一人に選ばれたわけですが、 505と 761の折衷というだけでは具体的な形が見えないのでここに概論を書きます。 ・基本は正史ベース。二次資料から引いてくる場合は典拠を明らかにする。 (資治通鑑より、とか出典・十国春秋、とか) ・異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外、 中国の領土を犯し、十分な土地を掠取する(あるいは侵略のための橋頭堡を作る)か、 当時の中華国家の人々に恐怖意識を植え付けるほどの活躍をしたものを資格保持者とする。 ただし本人が中国からの強い独立意識を持っている場合はこれに該当しても選外とする。 ・征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 ・・・こんなんで。 俺の頭ではこれ以上波風立たせずに全員を納得させる案は立てられんです。 ◆RQdk7scN8sさんや○さんがもっと洗練された定義案を出してくれるのを希望。 778 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/08(日) 00 45 57 ID z/gk5cja0 2時間ばかり休憩を挟んだから、そろそろ南宋に入っとるかと思ったけど。 進んどらんね。南宋に移行するんは明日からになるんかいな? さておき、誰も間に入らんので、柄にもなく俺が仲裁に入らせていただきます。 775さん、 776さん。 人の一度の過失をそう責めんめーや。俺も前スレで場を荒らしてしまった 経験ありやけど、再度やり直させてもらった事やし。寛容を求めます。 ○さんも落ち着いてカッカした自分を見つめ直そう? 一度自論を否定されたくらいで怒らんで、それこそ丸い心を保ちましょうや。 779 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/08(日) 00 57 04 ID 4I+oH72ZO 先の話だけど郭侃、伯顔、拡廓帖木児の扱いでまた揉めるんだろうな 780 770 sage 2007/04/08(日) 01 52 22 ID /v/LzJsE0 <紀元前> 11世紀:牧野の戦(周武王)、三監の乱(周公旦) 10世紀: 09世紀: 08世紀:犬戎の乱 07世紀:葵丘の盟(桓公 管仲)、泓水の戦(楚成王)、城濮の戦(晋文公 先軫) 06世紀:邲の戦(楚荘王)、鞍の戦(郤克)、鄢陵の戦(晋厲公 苗賁皇)、呉楚戦争(闔閭 伍子胥) 05世紀:呉越戦争(勾践 范蠡)、晋陽の戦(趙襄子) 04世紀:桂陵の戦(田忌 孫臏)、馬陵の戦(田忌 孫臏) 03世紀:燕斉戦争(楽毅、田単)、長平の戦(白起)、抗秦名将(信陵君、李牧、項燕)、陳勝呉広の乱(章邯)、楚漢戦争(項羽、韓信) 02世紀:白登山の戦(冒頓単于)、呉楚七国の乱(周亜夫)、石に立つ矢桃李言わざれども下自ずから蹊を成す(李広)、対匈奴戦争(衛青、霍去病)、百聞は一見に如かず(趙充国)、 01世紀: <紀元後> 01世紀:赤眉の乱(樊崇)、緑林の乱(光武帝)、大樹将軍(馮異)、矍鑠たる翁(馬援)、虎穴に入らずんば虎子を得ず(班超) 02世紀:鮮卑大人(檀石槐)、黄巾の乱(皇甫嵩) 03世紀:官渡の戦(曹操)、鳳や鳳や(鄧艾)、破竹の勢い(杜預) 04世紀:(王猛、慕容垂)、淝水の戦(謝玄) 05世紀:最初の可汗(社崙) 06世紀:六鎮の乱(爾朱栄) 07世紀:薩水の戦(乙支文徳)、玄武門の変(唐太宗)、(李靖)、高句麗遠征(李勣) 08世紀:タラス河畔の戦(高仙芝)、安史の乱(郭子儀) 09世紀:黄巣の乱(李克用)、五代名将(李存勗) 10世紀:南唐遠征(柴栄)、陳橋の変(趙匡胤)、千載不決の議(趙匡義) 11世紀:澶淵の盟(遼聖宗) 12世紀:方臘の乱(童貫)、靖康の変(呉乞買)、抗金名将(岳飛 、韓世忠) 13世紀:世界征服(チンギスハーン、ツルイ、スブタイ、ムカリ、モンケ、ウリャンハタイ、バヤン、郭侃)、抗元名将(完顔陳和尚、孟珙、呂文煥)、崖山の戦(張世傑) 14世紀:紅巾の乱、鄱陽湖の戦(洪武帝)、北伐(徐達、ココテムル) 15世紀:靖難の変(永楽帝)、大航海(鄭和)、土木の変(エセン、于謙) 16世紀:庚戌の変(アルタン)、万暦の三征 17世紀:サルフの戦(ヌルハチ)、寧遠の戦(袁崇煥)、李自成の乱(呉三桂)、三藩の乱(康熙帝) 18世紀:十全武功(乾隆帝) 19世紀:阿片戦争(林則徐、関天倍)、太平天国の乱(曽国藩、李鴻章) 11世紀~19世紀に区切って百の天下分け目の決戦(政変含む)を揚げ、 そこから百選を決めようと思ったが戦例を集めるのに飽きた。 「中国(史の)名将」なら二十五史に載ってればおkということで宜しかろう。 「中国(人の)名将」なら先秦以前のは明らかな夷狄以外はゆるく、 漢族成立後は拓跋、慕容、耶律、完顔、愛新覚羅等の連中を一人残らず排除すれば良い。 778 俺は○氏の論の何を 770で否定し、攻撃し、批判したのでしょうか? 「(彼にとって)判りきったことを俺が言ったのが、 彼を無知であるかのように扱うことと同じであり、 それが彼の矜持を傷付けた」と言われても謝る気はありません。理不尽だ。 また俺に対する彼の謝罪をも求めておりません。そもそも争いになるのがおかしい。 彼自身が自分自身に謝ればこの件はそれで終りとして頂きたい。 781 ◆RQdk7scN8s 2007/04/08(日) 02 25 24 ID BRC5l4KI0 なんか行き違いがあったようだけど、原因は 771のレスですかね。 ○氏は落ち着いてくださいね。 カッカしている理由はいまひとつ忖度できませんが、語気を強めることもないと思いますよ。 前に自分をなだめてくれたのに、らしくないですね。 また異民族枠の議論だから、 770氏もまとめる方向の対案を示せばベターでしたね。 とりあえず、自分が契丹特殊枠入れときましたので、異論ある人はそれを外せば良いし、 また候補からこれは、と思う将を格上げすればよろしかろう。 草原王朝については、各々モチベーションも違うだろうから、よりよい妥協点を探すしかないのでしょう。 できれば、これからも論拠と対案は併せて提示いただけると助かると思います。 特に反対が無ければ、この線で南宋へと突入したいと思います。 五代に長々とつき合わせて申し訳なかったことです。 782 ○ sage 2007/04/08(日) 04 32 23 ID m5io4n1t0 770さん、◆oOLAqFKRBさん、◆RQdk7scN8sさんお手間取らせて申し訳ない。 別に自論を否定されたとは思っていませんよ。 自分は皆でいろいろと前向きに思案すればいいかなと思っていますし。(念のため) 770さんが>彼自身が自分自身に謝ればこの件はそれで終りとして頂きたい。 と仰ってる様に自分はかなり冷静さを欠いていたのはあるかも… 770さん不愉快な思いをさせまして申し訳なかったです。 出来れば最初のレスに 770さんが 定義に対する自論を提示して頂ければ有り難かった部分はあります。 (しつこいとか怒らないでくださいね) 781 五代に長々と~ いやー自分は五代に大した知識の無い方なので◆RQdk7scN8sさんのレスはいい勉強になりました。 雑談もかなり入れちゃいましたけどねw 783 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/08(日) 05 07 40 ID F0HzLaWF0 最近見始めたんだけど、晋の厲公とかも入ってるんだなあ 784 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 18 55 59 ID FOH6MPFEO 777 一応、確認しておきたいのですが、 505案であれば、 金末期の金将の戦いは入りますが、元の外征は外れます。 しかし、この案ならば、異民族の金将による自国内の戦いは入らない。 されども元の漢人武将であれば、一般的な感覚からすると中国領土外での 活躍であっても評価する――と解釈して宜しいんですか? このスレでは基本的に、防衛戦よりも領土拡大を高く評価するので、 守勢云々は外しても変わらないと思います。 元という王朝がなければ征服王朝も含め、中国統一後の領土拡大に貢献した人物は、 戦場が中国本土外であっても、評価に入れるにすれば、 民族に拘る必要がない基準になるのですが…。 785 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/08(日) 19 59 41 ID iqf5zjHk0 784さん 伝わりにくい書き方ですんません。 俺の意図としては中国領土外での活躍は除外、です。 つまり中国本土に攻め入ったトゥルイは入り、バトゥなどは西域で大暴れしてるけどもアウト、という感覚で。 あと郭侃などの両方に戦功がまたがっている人物も、基本的に中国本土での戦果のみ、ということで。 俺は民族の枷は可能なら無視したい派ですが、戦場が中国以外におかれる場合は除外と言う姿勢で書いてます。 ただ、俺なぞの案にとらわれる必要はないですよ。 784さんがこうだと思ったらその武将を推挙して、それについて皆で論ずればいいと思います。 786 ◆RQdk7scN8s 2007/04/08(日) 21 51 00 ID BRC5l4KI0 あらためて読み返していて気がついたので 自分の考える五代~北宋枠の10選を訂正します。 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆師道、楊延昭、李継遷 (契丹枠として)耶律徳光 楊業は息子の方がどちらかというとすごい感じ… というか、記録が少なすぎてわかりづらい。 不確定なところがあるので、申し訳ないが息子に譲ってもらうとして かわりに、楊師厚を入れました。 (忘れていたなんて、とても口に出して言えない…ガクブル) 787 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/08(日) 22 30 43 ID FOH6MPFEO 785 スミマセン、頭の中では次の時代に移っており、そちらに意識が行ってました。 この時代の10選は私個人としては、 786で異存がないです。 漢や唐、宋に明であれば、中国本土外の地域であってもカウントし、 中国本土征服後の清朝であっても、中国本土外の戦い、 (他国との戦い)が外されるのは、可哀想だと思うんです。 元朝の問題がうまく処理されたら、 777案をもって このスレの中国の武将の定義になると思ったまでです。 私としては、少しの修正、補足で、すべての時代で通用する、 定義となりえると感じたので、あえて意見させてもらいました。 788 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/09(月) 00 22 27 ID 7CdWDV6X0 787さん 777を全時代に適応できる汎用定義にすることについてアップデート。 ・中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 唐の李靖の突厥討伐、清の策稜らのジュンガル討伐を認める、ということで。 まだまだ完全な定義足りえないのは承知ですが、そこは諸兄に任せます。 本音を言うと他の人が完璧な定義を持ち出してくれると助かるんやけど、怠慢はよくないわな。 786◆RQdk7scN8sさん、 五代・北宋の10選は異議なしです。 次はいよいよ南宋時代、いろいろと各自の自論がぶつかりそうですな。特にモンゴルがらみで。 789 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/09(月) 00 51 34 ID rTbI/Ux70 <審査条件> 〇、其の人物が名将である。 一、其の人物が中国人である。 二、其の事跡が中国史である。 三、其の場所が中国領である。 <優先順位> 一:審査条件を全てクリア。 二:審査条件を二つクリア。 三:審査条件を一つクリア。 例えば、甲と乙が候補に残り、どちらか一つを決めるとする。 其の場合、審査条件の〇の比較で甲>乙だったとしても、 優先順位のクリアで甲<乙の場合は乙を入選とする。 これで如何だろうか? 790 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/09(月) 19 47 09 ID TnVZNl3/0 楊延昭は名将というには実績が少ないような気がする。 潘美を入れたほうがいいように思う。 791 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/10(火) 21 40 26 ID UAtebvBkO 流れ止まっちゃってるな 792 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 08 25 09 ID 3jvERdIMO どの武将も一長一短で悪く言えば小粒だから 時代もマイナーで語れる人が少ないんだよ 793 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 09 29 51 ID qimM40B0O 792 でも◆oOLAqFKRB.氏の超得意分野だろ南宋とモンゴル武将 794 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 18 50 21 ID FXlcrX3a0 これで 岳飛、韓世忠、孟珙、完顔陳和尚、張弘範、郭侃 成吉思汗、木合黎、速不台、伯顔、拡廓帖木児 この中から一人落として終わりだろ。 795 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/11(水) 20 35 25 ID +N39LNeU0 韓世忠はこの中ではちょっと見劣りするんじゃなかろうか 796 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 21 04 37 ID 6rx9YgF50 793 まあなんですか。超、というか最も得意とする時代やね。 で、俺的10選を挙げさせていただくと 宗沢 岳飛 完顔宗望(オリブ) 完顔宗弼(ウジュ) 拖雷(トゥルイ) 速不台(スブタイ)もしくは木華黎(ムカリ) 孟珙 伯顔(バヤン) 阿朮(アジュ)もしくは兀良合台(ウリャンハタイ) こんな感じで。ココテムルは徐達のライバルやし、明朝頭に送るべきと するとだいたいの10人が決まると思うわけやが、どーでしょ。あと韓世忠 入れるんやったらむしろ劉錡を入れたい。正史でウジュの拐子馬を破った のは多分この人一人か・・・あと岳飛も野戦で勝っとるかな。 797 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 21 11 15 ID qimM40B0O 俺は南宋とモンゴル武将が超得意分野な ◆oOLAqFKRB.氏の推薦文とか読みたいし、南宋・金・元のいろいろな話とかも聞いてみたい 折角、定義について話し合ったんだし、みんなで議論しようよ 798 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 21 18 26 ID 6rx9YgF50 拖雷(トゥルイ) チンギスの第四子、オゴタイの同母弟。チンギスの後継者と目されたが その座を兄・オゴタイに譲った。燕京に盗賊が出るという話を聴きみずから 取り締まりに出馬、賊十六人を斬り捨てる。 巳丑年(って何時?)の夏八月、オゴタイが京城に帰ると即位式を行う。 翌年秋、オゴタイの金朝征伐にトゥルイも兵を率いて従軍、天城堡を破り 蒲城県を抜き、金の完顔合達が西に赴いている隙を突いて黄河を渡り、 鳳翔を撃つ。引き返してきた合達に攻め立てられ不利となるがここで トゥルイが兄を助けて奮戦、合達を斥ける。翌年春、洛陽を落とし 河中の諸城を抜いた。 オゴタイは官山に還ると文武百官、諸侯王を集め、彼らに向かって言った。 「人は言う、国家の損害は実に寇敵によってもたらされると。今、金はいまだ 倒れず。我らの敵なり。諸君、寧ろ謀はないか?」対するにトゥルイが 投降した金人の献策を紹介して強く推した。オゴタイは大いに喜び、 諸王大臣たちを呼び寄せて「(金伐は)かつて父が志し有りながら果たせなかった。 今トゥルイが能くこれを言う、これぞ真に賽因(大いに好ましいこと)なり!!」 オゴタイは即断即決、大軍を発した。 オゴタイは碗子城から南下し、黄河を渡り、洛陽を向けて進発。 斡陳那顔(アッチンナヤン?)率いる左軍を淮南経由で進発させ、 トゥルイの右軍は鳳翔から渭水を超えて宝雞経由で出陣させる。トゥルイは 小潼関を抜き、宋との国境線を通って漢水の下に出た。計画によれば翌年二月、 金の王帥が汴京に遷るはずだった。トゥルイは南宋に部下を派遣して 金朝を挟撃しようと求めたのだが、なにを血迷ったか宋の上層部は使者を 殺してしまう。激怒したトゥルイは「やつらは以前苟夢玉が結んだ同盟関係を どう思っているのか!? 自ら喰らい(多分領土のこと。確証ないが)自ら叛くとは!!」 キレたトゥルイは兵を分かって南宋の諸城堡を攻め下し、長躯漢中まで攻め入って四川を襲い、 閬州を陥とし、南部を打ち据えてようやく軍を還した。そして金の王帥を 房州で補足、武当山で追いついて先鋒部隊三千で金兵十万の中に突撃、 均州まで奔らせる。どれほど激しい戦いぶりだったかは漢水が騎兵の死体で 埋め尽くされたという記述から類推できるかと。トゥルイは部下に千人を つけてオゴタイのもとに派遣、報告し、オゴタイは金の王帥を取り逃したことを 責めたが、部下がいないところでトゥルイを慰労、迅速に京師・官山に引き上げた。 799 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 21 20 00 ID 6rx9YgF50 トゥルイ続き 漢水にとどまったトゥルイは金の大将・合達と鄧州で交戦、金軍の伏兵二十万を 見抜き隘路に拠して敵を待つ。このときトゥルイの兵は四万だったが、 間諜の報告によると金軍も二十万全員が兵士というわけではなく、かなりの 数の輜重部隊が存在することを知って強気の攻めに出る。十二月、禹山で 金軍と交戦、わざと逃げて見せて北に引き寄せる策を使うがこれは失敗。 それならと今度は火計を仕掛け、これが大当たり。合達らは鄧州に奔走し、 トゥルイは三日間の猛攻でこれを撃滅。北に追い立てて部下に三千騎を 与えて追撃させるも、翌朝の霧で視界を遮られた蒙古軍は金軍の奇襲を 受け、珍しい敗戦を経験する。トゥルイは敗戦の部下(札刺)を罷免して 野里知給歹(読めん)に替えた。まもなく金軍を破る。 壬辰(やからそれじゃ分からんのよ)春、トゥルイは陝西・四川・河南の 難路を強行突破して着実に版図を広げる。北に還りつつあるトゥルイに一矢を 報いようと金の合達は歩・騎兵合わせて十五万の大軍で追撃に出た(二十万で三千に負けたくせに)。 このときトゥルイの軍は1万3千。総軍馬から下りて塹壕を掘り、金軍の攻勢を しのぎにしのいで持久戦に持ち込んだ。日暮れ、軍中に「敵の休息したところを撃つ。 夜、鼓を騒がしく鳴らすのがこれだ」と命令。時にオゴタイが黄河を渡り、親王クオンブカら 万騎をつれてやってきた。空に大寒波到来、大雪も降り、金人は凍えて動けず、 顔色も青ざめて到底戦うどころの話ではなくなる。そこを好機と見たトゥルイ(およびオゴタイの援軍)が 襲撃をかけ、曰く「機を失うべからず。やつらは城内に逃げ込んだ。未だ囲むは易からず。 大敵を前に、況や敢えて父君のごとくあれ!!」奮撃して三峰山を抜き、大いに金軍を破る。 さらに十里に渡って追撃し、流血が道を染めざるは無し。金の精鋭はここにおいて尽く失われた。 予衆を狩って雎州まで走り、伏兵が立っても逆に是を潰滅させる。 鈞州に逃げた合達に従うは数百騎。蒲阿は汴に逃走し望京橋に至ったが、蒙古に擒らわれる。まもなくオゴタイが到着、 戦地にとどまって視察し、トゥルイに「はたして汝でなかったなら、この大勝利はなかったであろう」と賞賛した。 諸侯王がオゴタイに進言して曰く「誠に聖愉(?)です。しかるにトゥルイの功、社稷に著しいかと」 それはオゴタイとトゥルイの後継者争い(争ってないけど)でトゥルイを支持したものの言だった。 トゥルイは従容として曰く、「臣に何の功がありましょうや。この天の威、皇帝の福なり」その言には 聞いたものすべてを佩腹させるものがあった。トゥルイはオゴタイに従い、鈞州を抜き、宿敵合達を 殺し移刺蒲阿、完顔陳和尚をも屠る。更に許州を攻め、これも抜く。 オゴタイの先鋒として河南諸郡平定に奔走し、四月、半渡から真定に入り、 中都を過ぎて北口に出る。夏の官山に還った。 五月、オゴタイが身体に変調をきたし、六月、いよいよ病篤くなる。 トゥルイは天地の神々に祈りを捧げ、代われるものならオゴタイと自分の身を代えよと叫んだ。 怪しげなシャーマンを呼びつけて病気治癒の祭祀を執り行わせたりとかなり 必死で兄を心配する。数日が経過してオゴタイがやや回復すると、トゥルイは一緒に北に還り、 阿刺合的思の地にいたる。そこでトゥルイのほうが病魔にやられ、逝去。 本当にオゴタイの代わりに死んだ。享年四十余歳。英武皇帝と諡号を贈られた。廟号は睿宗。 チンギス時代の武功、オゴタイ時代の河北計略における活躍などから人望頗る厚く、 それゆえ以後蒙古の嫡流はトゥルイ家から選出されることとなった。 800 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 22 45 06 ID oZd1YRNi0 速不台の華々しい戦績は西方遠征ってイメージがあったんで、 777の定義からすると資格なしかと思ってた・・・対金戦でもけっこう功績があるのかな? ◆oOLAqFKRB.さんの推薦文が楽しみですね。 801 ○ sage 2007/04/11(水) 22 46 03 ID t4yNDFjl0 ◆oOLAqFKRBさん 乙です すいません劉?の?の部分は本来、何となっているのですか? 自分のボロPCでは劉 になっちゃってるもので・・・orz それと韓世忠はなんか嫁さんとセット扱いされてる様な気がしますが… 自分はですね張弘範を推します。あと阿里海牙(アリハイヤ)の評価はどんな感じですか? >最も得意とする時代やね。 いやいや自分の中のイメージでは十分、超が付きますよ。 前々スレから得意な時代と言ってましたし。 あとですね 788で >中国統一政権下における外征で活躍した武将もカウントする。 >唐の李靖の突厥討伐、清の策稜らのジュンガル討伐を認める、ということで。と仰ってますが 郭侃はフラグの西方遠征に従い、ペルシア、バクダード、アッバース朝のカリフを降伏させ、 シリアへ侵入して十字軍と戦った功績も審議の範疇に入れるのでしょうか? 中国統一政権下における外征は東アジア(ベトナムを含む)に限定するにしてはどうかなと個人的には思っています。 諸兄、◆oOLAqFKRBさんいかがでしょうか? 802 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 22 55 10 ID oZd1YRNi0 801 脇からですいません。劉キ[金奇]になってます。 803 ○ sage 2007/04/11(水) 23 04 49 ID t4yNDFjl0 802 なるほど劉キ[金奇]ですか。 802さんご親切にありがとうごさいました。 804 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 23 42 42 ID soE3kzWL0 貼っておきます 南宋・金~元 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、 拡廓帖木児(ココテムル)、 【候補】 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 、 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範、范仲淹、チュウ師道 張俊、呉?、呉リン、劉錡、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、耶律斜軫、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、張弘範、脱脱(トクト)、呂文煥 796 自分もココムテルは、この次の時代のリストに並べる人物だと思う 時代で区分してるしね 805 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 23 50 29 ID Bvy9586Q0 李庭芝、候補にも入れなかったっけ?別にいいけど 806 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/11(水) 23 51 02 ID 3jvERdIMO 郭侃は元の武将でしょ。だったらOKでない? 10選入り確定ですな 807 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/11(水) 23 55 30 ID R5Kxdx8b0 速不台 通称スブタイ・バアトル。兄貴・フルコンとともにやたら勇猛、頑強で騎射 を善くした。少年時代、強盗を槍で刺し殺しその一族郎党を遁走させたという 逸話を持つ。 兄貴が将となったので人質の意味でチンギスの傍仕えとなる。壬申(?)年、 金伐戦に参加。恒州攻めで真っ先に城壁を登り、城を落とす。まもなく投降者 滅吉里を部下に加え、蟾河の戦いで一戦にして二将を擒らえる。さらに欽察部 と玉峪で戦いこれを破る。 イスラム討伐から還るとまた欽察討伐を上奏、許される。太和嶺のどてっ原 に工兵を動員して穴を開けさせ、欽察部の予想を超える場所から突撃をかける。 縦横に奮戦するスブタイ軍の前に欽察の軍は潰滅、遁走した。現地の余衆を ことごとく降し、これらの土地を占領下に置き、阿里吉河で斡羅思部の大、小 密赤思老と戦い、一撃のもとに彼らを投降させる。阿速部を獲って帰還。 征西前に東伐戦に参加、撒里畏吾特勤、赤閔ら諸部を倒し、徳順、鎮戎、 蘭州、会州、洮州、河州を抜いて母馬五千を獲て朝廷に献ずる。チンギス 逝去のため第二次征西は一事見合せとなった。 オゴタイが即位すると公主を娶わせられ、皇室の一員に連なる。潼関攻撃 に従軍、利なく、オゴタイが怒った時、勝敗は兵家の常、功を立てて埋め合 わせすればよろしい、とトゥルイに救われた。トゥルイの節度下に入り河南 経営を任される。牛頭関で金将・完顔合達の軍数十万とはちあわせるも、軍 を三峰山に集合させて持久戦の構えを見せる。おりからの大雪と大寒波に乗 じて猛攻をかけ、敵のほとんどを殺しつくすという大戦果をあげる。つーか ここはトゥルイ伝に同じ、でいいんやが。これにより金の対北方戦はまったく 振るわなくなる。翌年夏、トゥルイが官山に帰還するとスブタイが統帥権を 譲渡され、黄河北方に逃れる金主を黄龍岡に追撃、撃破して首級万余を挙げる。 最終的に金軍を蔡州に追い詰め、汴を降し、后妃および珍宝の数々を手に入れ オゴタイに献上、1234年の蔡州の戦いを見届けてのち、バトゥの副将として 征西に出る。これ以降はヨーロッパ戦線での戦いやから必要ないかと。 808 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 00 19 59 ID KgSsk+G50 801 すんません。確かにヨーロッパ遠征組のことを忘れとりました。 征西はモンゴルの仕事やから無視していいか、とか思っとったら郭侃おったし。 788 の定義やと確かにヨーロッパでの戦功も込みになりますわな。 そーすっと郭侃が確定確実に昇格、郭侃を落としたいわけとは違うけど、 やっぱりヨーロッパは違和感あるしなぁ。 ○さんの言うとおり東アジア圏に収めとくほうが無難か。 そこらへん、諸兄の意見はどんな感じなんやろ。 809 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 00 51 14 ID gfCpSYNA0 1曹操=後漢末 2李克用=唐末 3拡廓帖木児=元末or北元≠明初 4呉三桂=明末or清初 810 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 00 59 00 ID HyfEY1CkO 東アジア圏に収めるとか枠を決めてしまう方が違和感ある。 強すぎてヨーロッパまで届いちゃったってだけで基本的には歴代王朝が行ってきた外征と同じように考えていいのでは。 811 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 01 09 11 ID PdOk3TRp0 というか、南宋滅ぼす前、フビライによる元朝の成立前のモンゴル帝国は 世界帝国ではあっても中国統一政権という枠には当てはまらないんでは? 元朝以前のモンゴルは 777でいうところの「征服王朝の先行政権」にあたると思われるので、 ・征服王朝の先行政権における武将の場合、中国本土に攻め入って領土を攻め取るか橋頭堡を作り、 そのうえでのちに来る征服王朝の樹立に貢献した武将を資格ありとする。 に適合する、金もしくは南宋攻略での功績に限って評価すべきでは? あと拡廓帖木児について、徐達の遠征を撃退したのって既に北方に逃亡した後ですし、 777の ・異民族武将に関しては守勢(中国からの侵略に対する防衛戦)で高名な武将であっても除外 にあたって候補外になるんではないのでしょうか?詳しい業績まではわかってないんで見当外れかもしれませんが・・・ 812 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 01 36 49 ID gfCpSYNA0 周 BC1046~BC256 ↓ ● 秦 BC256~BC206 ↓ ● 楚 BC206~BC202 ↓ ● 漢 BC202~8 ↓ ○ 新 8~23 ↓ ● 漢 25~220 ↓ ○ 魏 220~265 ↓ ○ 晋 265~420 ↓ ○ 宋 420~479 ↓ ○ 斉 479~502 ↓ ○ 梁 502~557 ↓ ○ 陳 558~589 ↓ ● 隋 589~618 ○禅譲による交代 ●放伐による交代 813 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 01 38 08 ID gfCpSYNA0 隋 589~618 ↓ ○ 唐 618~907 ↓ ○ 梁 907~923 ↓ ○ 唐 923~936 ↓ ○ 晋 936~946 ↓ ○ 漢 947~950 ↓ ○ 周 951~960 ↓ ○ 宋 960~1279 ↓ ● 元 1279~1368 ↓ ● 明 1368~1644 ↓ ● 清 1644~1912 ○禅譲による交代 ●放伐による交代 814 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 08 40 10 ID DNpsFED/O 811 それでもモンゴルは東西両方で活躍してる奴多いしなぁ 815 ○ sage 2007/04/12(木) 09 27 23 ID 9MPvgVfh0 【確定組】 宗沢、岳飛、完顔宗望(オリブ) 、孟[王共]、郭侃 【候補】 李庭芝、忽必烈(フビライ) 、完顔宗弼(ウジュ) 、伯顔(バヤン) 阿朮(アジュ) 、韓世忠、杜杲、張弘範 張俊、呉?、呉リン、劉キ[金奇] 、虞允文、李顕忠、楊存中、僕散忠義 徒単合喜、宗翰(ネメガ)、史天沢、兀良合台(ウリャンハタイ) 劉整、脱脱(トクト)、呂文煥、 孟sル、完顔陳和尚、 bヨ雷(トゥルイ) 速不台(スブタイ)、木華黎(ムカリ) もし候補から抜けてる人物がいる場合は補修お願いします 814 取り敢えずは推薦文挙げて貰ってからアレコレ議論してみては? 816 ○ sage 2007/04/12(木) 09 30 56 ID 9MPvgVfh0 連投ですいません 五代~北宋・遼 李存勗、柴栄、趙匡胤、楊師厚、狄青、李存審、狆師道、楊延昭、李継遷 (契丹枠として)耶律徳光 楊延昭より潘美を入れたほうがいいように思うと言う意見もありますが 取り敢えず以上の十名を確定でということで宜しいですか? 817 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 10 44 17 ID 6PWL2b6B0 バヤンは確定に入っていいと思うんだけどなあ。 818 ○ sage 2007/04/12(木) 14 35 33 ID 9MPvgVfh0 すいません自分が 801で 中国統一政権下における外征は東アジア(ベトナムを含む)に限定するにしてはどうかな? と提案しましたがまだ結論が出ていないのに 815で勝手に 郭侃を確定入りにしちゃってますがよかったのかな? 817さんの仰る様に伯顔(バヤン)は確定入りでいいと思います。 819 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 17 04 33 ID LWmQ/ydr0 郭侃はオゴタイ時代に百戸長として対金戦争に従事しているし 晩年でもフビライの下で南宋戦に従事しているので 中国の名将扱いにしてもいいと思う。 中近東での戦果は別モノとして考えればいいし。 820 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 17 51 13 ID DNpsFED/O 815 あまり詳しい訳じゃないからなんとも言えないけど、チンギスが居ないのは何故? 彼の頃のモンゴルも 777の「征服王朝の先行政権」として良いんだよね チンギスの中華方面の戦績だと他のモンゴル武将に見劣りするから? 819 郭侃は「征服王朝の先行政権」の「漢人武将」だから、 西方の戦績が考慮されて確定にいたのだと思ったんだが、無しにするの? 821 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 20 53 48 ID agTVIqMpO 820 せめて 784-785、 788を読んでもらえませんか? その上での話なら、それはそれで話し合いをしますが… 822 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 19 22 ID 40NYG0oU0 確定枠の人やけど、孟〔王共〕の紹介文落としていいかいな。 今更いらんなら控えるけども、好きなんでどーせなら開陳したいなーと。 823 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 21 24 02 ID oljSW7kuO ぜひお願いしやす!! あとチンギスハーンは候補入り可能なの? 824 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 34 08 ID 40NYG0oU0 そんじゃ孟珙の1 曽祖父・孟安、祖父・孟林は岳家軍の将帥として功績を挙げ、父・孟宗政は 制置使・趙方麾下の有力な将帥という武門の家に育つ。若くして優れた才覚 を見せ、團山の戦いで父とはぐれたとき、それを見つけるや単騎金軍の重囲 に突撃、これを破って父を救った。翌日の敵の動きを予測して父に献策、これ を見事的中させて金軍を破るという戦術眼も備える。制置使趙方に謁見し、 一見して只者で無いと直感した趙方より異例の抜擢を受けた。 父が唐・鄧・蔡三州の壮士二万を募って編成した“忠順軍”を受け継ぐ。6年、 金の武仙と5回にわたって交戦、ことごとく捷ち、将校452名、兵士33万余 を俘虜とし、44万の民衆を解放した。功績により顎州江陵府副都統制となる。 端平元年、元軍と連携しての蔡州の役にあたって、元の総帥タチャルのもとに 兵糧2万石を届け、意気投合してタチャルと義兄弟の契りを交わした。忠順軍 を率いて戦役に参加、元の漢人諸侯・張柔が流れ矢に当たって落馬しそうになると 二度に渡ってこれを救った。金軍が老人や稚児を殺して絞った油で放つ“人油砲” を使うと道士を派遣してこれを諭し、人油砲の使用をやめさせた(やめるんかい)。 端平元年正月、蔡州の役で金を滅ぼす。金主・完顔守緒は自ら火をつけて自殺 したので、遺骨をタチャルと分かち、帰国した。功により建康府都統制兼権侍衛馬行事職司。 制置使趙方(この時期は趙葵か?)により襄陽兼鎮北軍の都統制に任命される。 鎮北軍で壮士を募り、兵士一万五千人を獲て隟北、樊城、新野、唐、鄧に配備する。 まもなく枢密院より武器を授かる。 翌年、皇帝に謁見。「卿は名将の子、忠勤に励み国に礼を尽くし、蔡州に金を 滅ぼす。功績昭著なり」との褒め殺しに「これは宗廟社稷の威霊、陛下の聖徳と 三軍の将士の労によるところ。臣はなにほどのこともしておりません。臣、 陛下に願わくは民衆に寛容であり、人材を蓄え、機会を待たれますよう。臣は 所詮武辺の士、戦を望み和議を望まず」と答え、厚い賞与を下賜される。 端平三年、元軍が薪州を攻めると呂文徳とともに現地に急行、囲みを解く。 さらに逆撃して襄陽を攻めるも、江陵の形勢が危急を告げたのでそちらに向かい、 元の寨24個を一夜のうちに覆滅して大勝する。嘉熙元年、顎州諸軍都統制となる。 825 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 36 35 ID 40NYG0oU0 元の大将テモチエ(?)が漢陽から、大将クオンブカが淮甸から南宋領に侵入、 現地の将士は逃亡し、投降し、あるいは敗北する。孟〔王共〕が現地に到着する と民衆は「わが父きたれり」と喜んだ。孟〔王共〕は楼上に帷幕を構え、防衛戦の 指揮をとり、失われた諸州を取り戻した。将士は毎月の苦戦に苦しみ、病人、 けが人が後を断たず。孟〔王共〕は彼らに医師を遣わし、その厚遇に将士は感涙した。 嘉熙二年春、枢密副都承旨、京西湖北路安撫制置使を授かる。郢州、荊門軍を回復し、 十二月、冢頭、樊城、郎神山を攻撃、ことごとく捷つ。翌年正月信陽軍、樊城、 襄陽を回復し、枢密都承旨、制置使となる。光化軍、息州、蔡州を降す。降ったものの 中から百余人を選抜、忠衛軍を創建する。 襄陽がどれだけ重要な地であるかを説明、兵士十万の常駐を請うも認められず。 とりあえず先鋒軍を置く。元のタハイが80万の大軍を擁して蜀土に攻め入ると、 孟〔王共〕は塞を増設し戦艦を分布して防衛ラインを築き上げる。結果元軍は 侵攻できずに撤退、翌年、子爵に封ぜられた。防衛ラインを三層に分けてそれぞれ の州郡に千~一万の精兵を置くことを上奏するも、やはり認められず。王堅、 劉整らを派遣して元の造船所に焼き討ちをかけ、船材と食糧を焼く。淮以下五県から 精兵を359人を募り、“寧武軍”と名付ける。 その後江陵にあって各地の防衛ラインに増援を送ったりいろいろと活躍するも、 孟〔王共〕自身が具体的に戦争の描写があるのはここまで。あとは元軍が攻めて きても孟〔王共〕が守りに出ると向こうから逃げ去るのでほとんど交戦してない。 とにかく上奏するはしから潰されて、武勲の割に相当不遇やった人。死後忠襄と 謚され、吉国公を追贈された。廟号は威愛。 ・・・だいぶ省略、割愛しました。 特に後半の先頭描写がない部分はガリッと削ったけどまあ、いいでしょ。 で、 チンギスは入らんと思う。 「先行政権の武将で、かつ中国本土の領土を切り取るか橋頭堡を作る」 かしてないと資格なしやから。 領土を一時的に取っても引き上げるとまた中国側に取り戻される、を繰り返しよった チンギス時代の蒙古は資格なしっちゅーことになるかなと。 826 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/12(木) 21 40 05 ID 40NYG0oU0 825 変換ミス。先頭描写ってなんや、俺。 戦闘描写です、すんません。 827 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 21 43 29 ID agTVIqMpO 基本的には自分自身が、その人物が中国の武将であると確信し、 名将であると考えるのであれば、推薦するべきだと思います。 鉄木真が中国の名将であると考えるのであれば、推薦文を書き込んで下さい。 その意見が通る、通らないは別問題ですから。 828 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 21 57 32 ID gfCpSYNA0 冒頓単于 拓跋珪 社崙可汗 木杆可汗 耶律阿保機 完顔阿骨打 鉄木真 努爾哈赤 全部outで。 あと、三衒の決めた定義が気に入らないなら終わるまで待つことだな。 829 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 22 12 51 ID DNpsFED/O 821 失敬 となると、 788の定義で郭侃の西方の戦績は考慮外という事になるのですかね 彼が参加した西方遠征はモンゴルの中華統一(≒南宋滅亡)以前のことだし 830 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 22 35 49 ID oljSW7kuO 824-825 ◆oOLAqFKRB氏ありが㌧ やっぱチンギスハーンは資格無しですか 831 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 22 48 57 ID 6PWL2b6B0 チンギスはあんまし中国支配に熱心じゃなかった感じだしなあ。 ムカリならともかく。 832 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 23 02 33 ID agTVIqMpO 830 ですから、鉄木真が中国の名将であると考えるなら、推薦文を書き込んで下さい。 モンゴル統一の為の戦いは入らない、中国本土内の戦闘なら入るも、 その地域を複数年支配し続けてる(短期間ではなく、次の代まで支配する) その条件をクリアしていれば、説得力がますと思いますよ。 833 ○ sage 2007/04/12(木) 23 04 34 ID 9MPvgVfh0 820 テムジン時代のタタル、ケレイト、ナイマン、メルキトの諸部族を破り、 モンゴル高原全体を支配や 金、ホラズム・シャー朝を征服やジャラールッディーンを撃破など 功績はすごいのですが、定義に適合しないと思いましたので候補に入れませんでした。 孟[王共]= 孟sルなんだあまり詳しくないのですいません… 834 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 10 35 ID uB3PX48c0 チンギス・カン 第一次対金戦 内蒙古で金軍を破る 第二次 黄河以北の全域を蹂躙。免れたのは中都を含む十一の 都市のみ。講和成立後、内蒙古に撤退。 第三次 軍を派遣し中都を攻略。 西へ出かける前にかつての燕雲十六州に相当する地域は確保しているから 「中国本土を切り取り橋頭堡を築いた」ことにはなると思うが。 835 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 11 47 ID oljSW7kuO 832 ??? 俺はチンギスハーンを推薦するつもりも中国の名将として 扱うつもりも端からないんだけど… なんか勘違いしてない? 836 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 13 29 ID CZs6aAA10 こら 他人が考えて書いたことを自分が考えたように書くもんじゃない 前にも何度かあったね みっともない 837 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 14 40 ID CZs6aAA10 836は 833 838 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 18 18 ID JPGjroiF0 821 郭侃は最終的に元にいたんだよね? 名将か否か判断するのに○○時はのぞくなんておかしい。途中どこにいようが関係ない、 趙亡命時の楽毅だけをみて燕時代を無視するのと同じだろ 全体を見て判断しないといけないと思う 839 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/12(木) 23 24 08 ID DNpsFED/O 833 まあ、あの定義だとチンギスもありにはなるはずでは、と思っただけでして 確かに完全に遊牧民だし西征で有名だけど、統一王朝の先行政権を開いて中華地域で戦っているのは事実なんで 840 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/12(木) 23 29 26 ID agTVIqMpO 835 ならばスレ違いですね。ここは中国の名将を選ぶスレなんですから。 841 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/13(金) 20 38 52 ID eTh9VGg00 人がおらんよーなので、人寄せの意味も含めて紹介文落とします。 張弘範(字は仲疇。○さんが推すゆった名将やね) 張柔の第9子。よく馬槊を使い、かつ詩文の才にも長けた。二十歳のとき、 兄が順天路をはなれることになると代行を任され、民吏の諸問題をたちどころ に採決して人々を感服させる。蒙古の軍がやってきて暴力を振るうと弘範は 杖刑をもって彼らを痛めつけた。順天路に彼がいる間、蒙古と言えども非道な 真似はできなかった。 中統三年、行軍総管とされる。合必赤親王が済南の李壇討伐に向かうと副将 として従軍、弘範が城の西に野営地を置くと、李壇が兵を発した。諸将が色めき 立つ中弘範は一人冷静で、「我、険地に営す。壇すなわち我に弱を見せ、必ず 奇兵をもって襲い来る。我の謂わざれども悟るものなり」として準備を進める。 弘範の策を知らずに攻め寄せた李壇の軍はあるものは壕に埋まり、あるものは 伏兵にやられて全滅した。弘範の勝報を聞き、張柔は「真にわが子なり」と喜んだ。 至元元年、兄が出世したことで順天路の守りを任されることとなった。翌年、 洪水で家は流され、到底租税が納められる状態ではない。しかしそれを言って 聞くような朝廷の文人どもでもない。弘範は直接京師に赴き、フビライに面と 向かって説教。フビライも話の分かる人で、「それを問うなかれ」と謝罪した。 至元六年、南宋の襄陽(せっかく孟珙が必死こいて取り戻した要地)を囲む。 万山に回回砲を据え付け、試し撃ちをしようとした瞬間、南宋軍が攻め寄せた。 部下たちは弘範を置いて城に逃げ込む体たらく。「敵を前にしてあえて退くと いうものには死を!!」との叫びに偏将・李庭が飛び出し、他の将がそれに続く。 弘範は二百騎を長く布陣させ、「我の鼓を聞く、すなわち進め。鼓なかりせば 動く勿れ」南宋軍が突出してくるが、弘範の軍は動かず、南宋軍は再び進んだ かと思えば退却した。南宋軍の士気が低下していることを見抜いた弘範は鼓を 鳴らし、弘範の軍千人が一斉に襄陽を襲う。南宋軍は奔潰した。 面倒なので、こっからアジア歴史事典の丸写し。 南宋討伐に参加し、各地に転戦したが、とくに張世傑の水軍を焦山に破り、 戦艦80艘を奪った功が大きい。毫州万戸に任ぜられ、抜都(英雄)の名を 下賜される。南宋の首都、杭州臨安府陥落ののち軍を還すが、翌1278年、張 世傑、陸秀夫らが衛王を立てて皇帝とし、元朝に反抗したので討伐軍の総帥 となり、水陸二万の軍を率いて南進し、まず文天祥を擒らえ、つづいて張世 傑らの水軍を崖山に破った。こうして輝かしい武功を立てて79年凱旋した が、まもなく病没した。謚は献武。 842 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/13(金) 21 44 40 ID PpLGyfJ60 孟[王共]は全時代の十人でも入るなあ 843 ◆RQdk7scN8s sage 2007/04/13(金) 21 48 39 ID GvRJnFDj0 842 入るでしょうねぇ。 彼に皇帝たるの地位があれば、かなり強固な国家体制を作れたことでしょう。 前線の一司令官は戦略的な視野や構想力より、戦術的な手腕が必要だけど 孟珙はその両方を兼ね備えた稀有な人物といえるから。 844 ○ sage 2007/04/13(金) 23 26 01 ID yKT0Xcnd0 ◆oOLAqFKRBさん 乙です 843 ◆RQdk7scN8sさん古巣での活躍ぶり(?)拝見してますよ。 (もし別人ならごめんなさい) 張弘範は、阿朮(アジュ)、伯顔(バヤン)の元で華々しい活躍を見せ、 更に南宋を滅亡に追いやったのは彼の力に因るものが大きいかと思います。 あと阿里海牙(アリハイヤ)なんかも自分は推したいですね。 845 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/13(金) 23 31 58 ID +sNzR0sV0 この時代区分は、全世界全時代の十人に入るようなのがうろついてますよね 846 ◆oOLAqFKRB. 2007/04/14(土) 00 47 00 ID VTU7cCbT0 842さん、◆RQdk7scN8sさん、 孟珙を高く評価してくれて中国史で一番孟珙が好きな俺としては 嬉しい限りです。本当に、彼が構想しある程度までは完成させた防衛 ライン(完成しなかったのは朝廷の援助を受けられなかったから)が 機能している間は、孟珙死後までモンゴル、元朝も南宋に手を出せん かったわけやし、完全に自由な権限さえ与えられれば南宋長久の策が 実現したかも知れんのですよ。長期戦になったとしたら攻めあぐねる 元朝と対等以上の講和が結べたかも知れんし、後任が軍事の分からん 賈似道のバカでなかったら、と心から思うところです。ちなみに俺の中 で中華史上名将ベスト3は孟珙、李靖、韓信の三人で、奥ゆかしい性格 と優れた教養から孟珙を一位に押し上げたいところ。まぁ俺の中での ランクづけやからそうではない、という意見の諸兄も多々おるやろーけど。 ○さん アリハイヤですか。 彼もアジュの副将格でいろいろ活躍してますね。アジュが襄陽・樊城の 要地を陥として一旦帰還した後も南征を続け、東西58州(56州?) を切り取ったつわもの。しかも性格は温厚で戦場でも無闇な殺戮を戒め、 占領した土地の人々をいたわって租税を軽くして人々から賛美された 広義での名将。張弘範もやけど○さんは人民をいたわる名将が好きなん かなーと個人的に思ったりしますが、どーなんでしょか。 847 名無しさん@お腹いっぱい。 sage 2007/04/14(土) 02 44 23 ID h02UpDZjO で、郭侃は確定でいいのかね? 848 ○ sage 2007/04/14(土) 03 22 05 ID YWuWyns60 846 ◆oOLAqFKRBさん レス㌧あんた領土切り取り杉やろ、なんて思っていますアリハイヤ。 845さんのご指摘通り凄いのがゴロゴロし杉なんですけどねw 自分の名将ベスト3は韓信、孫武、岳飛というところですかね。 韓信は頭の中が普通じゃないし、孫武はマルチ杉、岳飛は戦上手なだけでなく忠義の塊ってとこに魅力を感じます。 それに孟sルもかなりのやり手で狄青みたいに上司さえに恵まれていれば 良かったのにそこら辺が悔やまれてならないっていうのが自分の印象です。 >人民をいたわる名将が好きなんかなーと個人的に思ったり~ はいそうです。 自分の場合は基本的に農民など下層出身で尚且つ義理人情に厚いか忠義の人で、 そのくせ戦争には滅法強い(奇策を得意としたり、読書家なら尚良い)という人物が好みのタイプですね。 岳飛、狄青、薛仁貴とか、あと楽毅、徐達なんかも好きです。 849 ○ sage 2007/04/14(土) 03 29 36 ID YWuWyns60 847 諸兄が郭侃の西征での功績を含めるべきというなら確定でいいと思います。 850 名無しさん@お腹いっぱい。 2007/04/14(土) 07 12 11 ID 9iDv5RQB0 「誰某が名将としてどの程度か」と問うならば、 全ての手柄を斟酌してその手腕を量るべきだろう。 一部だけ切り抜いて量ることなど不可能だし意味がない。 そもそも漢人でも戦歴をぶつ切りにされるというのはおかしな話である。 蒙古帝国が中国ではない、というのは判る。 だが彼を選外とするのは「漢人が中国人ではない」と言ってることと同じだ。これはおかしい。 民族の一個人として見れば、その手柄の立てた場所とか相手を区別して云々する必要はない。 それに1127年の靖康の変で宋は南北支那の統一王朝としての面目を完全に失っている。 燕雲十六州を支配したのみの遼を北朝と呼ぶことは難しいかもしれないが、 中原を完全に支配した金はそう呼んで差し支えないだろう。 支那史のお約束通りに考えるならば、 その金は1234年に蒙古の攻撃で滅んでいるので、北朝としての天命は蒙古勢力に移行したのだ。 以後の西征は紛れもなく北半分の統一王朝の遠征であるので除外する必要はない。 その論理は無茶だと言うならば、五胡の蛮兵や、統一した隋以前の北朝の指揮官、唐の外国人の客将は全て除いて頂きたい。