約 16,299 件
https://w.atwiki.jp/gokousen/pages/5.html
建造報告はレシピではなく、こちらにしてください!
https://w.atwiki.jp/koriyamawiki/pages/16.html
村雨型航空戦艦 村雨型航空母艦とは、もともと戦艦であった村雨型を航空機の重要化により航空母艦に改造しているものである。 一番艦 村雨 現在改装中。試作程度になりそうだが、初の改造空母としては良い出来になりそう。改造前は霧雨型と同時に出来た為、例の赤煉瓦半ブロックステルスである。また、改装後も赤煉瓦半ブロック装甲になる予定であり、予定図面を見ると海が燃えているように見える。かっこいい。 二番艦 白狐 現在改装中。また、こちらは空母の名前の規則に反している為、白狐の白と雨を組み合わせて「白雨」(しらあめ)となる予定である。また、こちらは霧雨型の改装直後に建造された為、赤煉瓦半ブロック装甲は廃止、代わりに石半ブロック装甲を採用している。 三番艦 青龍 現在改装中。こちらも、空母の名前の規則に反している為、青龍の青を蒼にして雨を組み合わせ、「蒼雨」(そうう)となる予定。全体的にフォルムが独特であり、艦載数が増えるかどうか、というのが非常に心配である。 年表一覧
https://w.atwiki.jp/flightglide/pages/690.html
ライカク級航空母艦 Raikaku-class Carrier (雷郭) 基本情報 種別 航空母艦 命名規則 前級 次級 設計 サカエ工廠 所属 メル=パゼル共和国 製造 X隻 世代 第三紀 性能諸元 全長 XXmlt 全高 XXmlt 機関 トウゴ型エンジン 2基ア式浮遊機関肆型 1基液化ドブルジャ管 機関最大出力 67500ps x227200lc x1 最高速度 150km/h 航続距離 XXgaias 武装 12fin連装両用砲 4基8門5.5fin連装対空砲 8基16門空雷発射管 艦首6基 補助装備 戦闘機レイカ 12機偵察機メイワ 2機 乗員 1200名 - 概要 艦名 竣工 最後 一番艦 ライカク(雷郭) 620年 不明 二番艦 メイカク(鳴郭) 628年 不明 メルパゼルの国産軽空母。 航空艦隊思想が失墜した後、メルパゼル空軍は早急なる防空戦略の見直しに直面していた。 同空軍は「600年号令」により空中艦艇を中心とした艦隊の大編成を行い、その嚆矢として620年に竣工した最初の空母がライカクだ。 610年から620年までの10年間に渡りアーキル連邦の軽空母であるティトラットを貸与され、空母の運用経験を積んでからのデビューとなった。 ライカクはメルパゼルにとっては未だ慣れない大型艦であったため、アーキル連邦の造船所で建造された。 アーキル人の熟練工と、メルパゼルのエリート工員、技術者などが建造に関わり、通常の2倍の時間をかけてゆっくりと建造された。 ここで得られたノウハウは、いままで大きな進化のなかったメルパゼル造船能力を開花させる基となったのは明らかだろう。 メルパゼルは最終的に複数の空母を所有するビジョンを持っており、ライカクはバダダハリダと並んで最重要戦略兵器に位置づけられた。 帝国軍の察知できない空域から戦闘機や攻撃機を派遣するため、メルパゼル製空母の存在を知らない帝国軍はしばらく混乱に陥った。 彼女の晴れ舞台は628年に勃発した、パルエ初の空母同士による艦隊戦、シルクダット会戦であった。 + Description Description must be less than 300 words - 兵装 ADJUSTMENT + Armament ADJUSTMENT
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/2401.html
553 :ひゅうが:2013/12/29(日) 02 02 19 大陸日本ネタSS――「米空母マフィアにアイをこめて、あるいは傾向と対策と時々喜劇」 ――西暦1920年代から30年代にかけて、アメリカ合衆国海軍は大きな苦悩に直面していた。 対日戦勃発時の海軍の戦力不足が理由である。 日本海軍の自主的軍縮宣言によって8割程度におさえられているものの、日英同盟という強固な関係が米軍の全力投入をためらわせていたのだ。 通称を「鉄血の絆」あるいは「クロスアンドライジングサン」といわれる海洋同盟の片方への対抗上、アメリカ海軍は大西洋艦隊を対日戦に全力投入できない。 そのために一度の決戦によって日本側主力艦隊を撃滅し、一気に日本本土へと侵攻する「オレンジ・プラン」といわれる作戦が策定されていた。 だが、その最終段階において日本側が用意した切り札がアメリカ海軍を大いに迷わせていた。 日本陸海軍「列車砲兵軍団」こそがその脅威の名であった。 日本本土は戦略物資のほとんどを算出するという北米大陸と同様の豊かな資源地帯である。 また、食糧自給率も150パーセントを超えており慢性的な飢餓に苦しむ中華中原への食糧供給基地としての役割を果たしているほどだった。 そのため、対日戦においては政治的中心地たる帝都東京への直接攻撃と関東地方への侵攻作戦が予定されていたのだが、そのためにはどうしても通らねばならぬ関門があったのだ。 「日本本土近海の海上交通路の遮断」 「ことに対馬・関門・豊予・紀淡・津軽・宗谷の五海峡の封鎖」 「日本の工業力の破壊」 これがその内容であった。 このためには、超大型爆撃機の集中投入がまず考えられる。 だが、日本側は本土の工業力でいくらでも迎撃機を量産できるだろうし、そのような悠長なことをしていれば英国や日本の友好国となったドイツに後ろから殴りかかられてしまう。 そのため、艦隊の投入による直接攻撃が考慮された。 だが、そこに立ちはだかったのが列車砲兵軍団と、彼らの親玉である要塞砲部隊であったのだった。 何しろ、彼らが保有するのは戦艦用の41センチ砲を改造した巨大な列車砲が約200~300門、さらには上に挙げた五海峡にはそれぞれ100門ともいわれる無数の要塞砲が配備されている。 特にやっかいなのが、日本本土の主要要塞には多くのトンネルが掘られており、そこから要塞全域を網羅するように鉄道の軌道が慎重に海からの死角になるようなところに張り巡らされていることだった。 それは、艦隊による直接攻撃を試みたとしても、すぐに鉄道を通じて全土から大量の巨砲が集結し、速やかに坑道網を通じて陣地変換を行いながら海上へ巨弾を見舞うことを意味する。 300門、数で言えば簡単だ。 しかし、それは1隻あたり12門と仮定しても25隻もの超弩級戦艦の砲撃に匹敵する。 それらが、高所からの正確な観測を得て砲撃を加えるのだ。 堅固な要塞陣地に対するには最低でもその5倍の火力を海上から投入するのが定石である。 列車砲であることを考慮したらそのハードルはいくらか下がるのだろうが、要塞陣地に集中していたらあらぬ方向から砲撃を浴びて対処不能になることは確実である。 「どうやって対処せよと?わが戦艦部隊に死ねというのか!?」 それが、日本本土における大演習で明らかになった概要を聴いた米海軍首脳の心からの叫びだった。 「戦艦のみではこれに対抗できない。」 という結論に米海軍が達するのは当然であった。 ――混乱した米海軍が、航空戦艦やロケット砲艦といういわば「ゲデモノ」に手を出したのは、こうして考えれば当然であったのかもしれない・・・ 最後に、このとばっちりを受けて苦労したことで、ようやく空母の専門家として出世することができたある人物の言葉をもって本稿を閉じたいと思う。 「我々はこうして空母機動部隊を建設することができた。しかし、それは合衆国海軍航空隊から対艦攻撃能力を大きく奪う結果となった。 英国流に言えば、『魚雷はとても高価である』 この一言、あのキング長官が忌々しそうに吐き捨てたあのくそったれな陸軍の言葉がすべてを物語っているといえるだろう。」 なお、日本側が掘った坑道は、米軍が戦前に想定した20分の1以下の距離であるという事実を付記しておく。 出口と上空から見えるレールを敷いた「見せ金」をご丁寧に敷設し、日本側は「見せ金」としての列車砲軍団の価値を大きく高めていたのだった。
https://w.atwiki.jp/navalcraftsfj/pages/34.html
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/13967.html
登録日:2009/05/26 (火) 19 51 27 更新日:2024/04/05 Fri 22 07 50 所要時間:約 9 分で読めます ▽タグ一覧 八八艦隊 兵器 加賀 戦艦 空母 聯合艦隊 航空母艦 軍事 軍艦 読み かが 加賀は旧大日本帝国海軍が保有していた航空母艦。 加賀型戦艦を改造して造られた改造空母で、命名規則に反して戦艦同様に旧国名の艦名を持つ。 真珠湾攻撃に参加した6空母の一隻。 竣工1928年3月31日 戦没1942年6月5日 除籍1942年8月10日 基準排水量 26,900t→38,200t 全長 238.5m→247.65m 全幅 29.6m→32.5m 最大速力 27.5ノット→28.3ノット 航続距離 8,000カイリ/14ノット →10,000カイリ/16ノット 乗員 1,269名 兵装 20cm(50口径)連装砲2基4門→20cm単装砲10門 20cm(50口径)単装砲6門→12.7cm連装高角砲8基16門 45口径12cm連装高角砲6基12門→25mm連装機銃11基22門 来歴 1920年、帝国海軍は長門型戦艦の拡大ハッテン…発展型として加賀型戦艦の建造に着手した。 しかし、1921年のワシントン軍縮会議により各国の保有戦力に制限が制定されてしまった為、進水こそしていたが戦艦としての艤装を身に纏うことなかった。 当初は起工済の戦艦の中で最も強力な加賀型の船体を確保しておく為に加賀型を空母改装の本命としており、加賀の空母改装案は天城型より先に検討され、様々な形の改装図が残されている。 しかし検討が進むにつれ、より船体が大きくて飛行甲板長が長く取れる上に、海軍が大正7年の時点で空母に必要と考えていた30ktの速力発揮が可能なことをふくめて、より空母に適した能力を持つ「天城型」が空母改装対象艦として最終的に選択されることになり、「加賀型」二隻はいずれも廃艦する方針が固められた。(*1) ※後世においても加賀の速力については様々言われていたが、実際のところ加賀の速力が艦隊行動や空母としての能力に悪影響をもたらしたという証言や資料はない。 後々、空母が30ktもの高速を出すと安定性を著しく損ない発着艦の際に極めて危険であったとする見方もでてきている。実際30ktで発着艦を行った空母はおらず成功例もない。しかも近年、真珠湾攻撃前の新型魚雷輸送の際の運用記録から明らかに28.3kt以上の速力を発揮していたとして偽装スペック説もでてきており、実際には30kt近く出せたのではとも言われている(偽装スペックについては米国のミリタリーオタクの青年が自費出版した本が出所と思われる)。 しかし、1923年関東大震災が発生。 条約に則り、横須賀で航空母艦に性転k…改造中だった巡洋戦艦「天城」が竜骨ボッキリという船にとっては死に等しい大打撃を受け廃棄が決定。 廃棄予定で係留されていた「加賀」を代艦とした。 なぜ加賀が選ばれたのか詳細ははっきりしないが、おそらく土佐の工事が遅れていた事が原因であるとされる。 なお、土佐は標的艦として「ポスト・ユトランド戦艦」の防御力データの提供をした後、艦名の由来となった土佐国・高知県沖ノ島沖に没した。 艦容の変遷 大型航空母艦設計のノウハウを持っていなかった帝国海軍は、 同時期改造中の赤城と共に様々な試験的技術を導入し、 空母の在り方を模索した。 最初期の加賀は、三段重ねの飛行甲板に、 重巡並の主砲を多数備えた異形の空母だった。 これは、最初期の航空機の性能は低く、 偵察などの補助的な任務を期待されていたことに起因する。 そう、 本 命 は 主 砲 だ っ た の だ 。 しかも赤城は後述の予算不足で主砲の半分を捨てたが 加賀は最期まで 主 砲 1 0 門 維 持 。 全く役立たずのまま終わったのは秘密だ。 ちなみにアメリカの同期であるレキシントン級も重巡並の主砲を備えていたが特に使われず、サラトガは修理のついでに両用砲に換装している。 一方でフランスの同期であるベアルンは軽巡並の主砲と水中魚雷発射管を搭載していた。 三段の甲板のうち、まともに使えたのは当然ながら一番上の段だけ。 発進にかろうじて三段目が利用できたものの、二段目は複葉機ですら発進出来ないアイデア倒れの代物だった。 また、ケツに煙突を配置したせいで排煙が気流を乱し、着艦に悪影響を及ぼす欠陥があった。 しかも煙路沿いは高温で夏季においては居住不可となる場合もあり、ついたあだ名が「海鷲の焼き鳥製造機」である。 ???「七面鳥ですって!?冗談じゃないわ!」 後の大改装で三段式の飛行甲板を廃止。全通式に改められた。 ケツにあった煙突も右側面に移され、排煙問題も解決。 新たに島型艦橋が設けられた。 そして、速力も若干向上した。 …とはいえ、まだまだ空母としては不満はあったのだが排水量が猛烈に増えたため致し方なし、という事になった。 その代わり積載性が非常に高く、同時期の空母としては世界最高峰クラスであり 他にも巡洋戦艦出身の赤城に比べると安定感などに長けており波浪などには強く、真珠湾攻撃の初期案では加賀航空隊と翔鶴型に一・二航戦の精鋭パイロットを満載して向かう予定であった。 ???「オイ、蒼龍と飛龍からパイロットだけ引き抜こうってのか?上等じゃあないか…」 整k…大改装で見違えるほどの性能向上を果たし、見違えるほど近代的な艦容へと変貌した。 やれば出来る子! ちなみに某ブラウザゲームが流行りだしてから「加賀が大改装で予算をバリバリ貪り食ったから改装予算が足りなくなって、赤城の改装が不十分なものになった。」と言われるようになったが、実はこうした記述のある資料はない。逆に空母に改造する時に「赤城に予算を優先して使われていた事もあり加賀の改装はなかなか進まなかった」と記述している資料ならあったりするのだが…(*2) 二次改装時の工数がどの艦の改装工数よりも多かった事などから、 きっと沢山予算を食べたに違いない(まぁ確かに)→赤城は二次改装時に予算不足で改装が中途半端になった(事実)→加賀に優先して予算が割り振られて赤城は後回しにされた(事実)→この際加賀の改装に費用を使い過ぎたからじゃないか? といった感じで一部でこの説が唱えられるようになったのが広まったと思われる。 実は赤城の予算不足の直接的な原因は昭和12年の建艦計画によるもの。(*3)(*4) 最も「なぜ赤城の改装が新艦建造と被ってしまったのか」と言うと「加賀の改装が優先されて赤城は後回しにされたから」なので、加賀に優先して予算が割り振られたことが原因の一つだったりすることもまた間違いではないのだが。 ※改装費用自体は赤城の方が多く使っている。(詳細は赤城の項目を参照) ただし、加賀が赤城より優先されたのはこの二次改装の時だけであり空母改造工事の際は赤城が加賀の改装費をつまみぐ(ry…赤城に改装費用が優先して使われており、加賀の改装が遅々として進まず、未完成のまま竣工(*5)、残工事が多かった為、竣工から実際に艦隊配備されるまで1年半以上かかっている。また「焼き鳥製造機」状態の加賀の改善は予算不足を理由に二次改装の時まで目処が立たなかったのだが、赤城はしっかりと近代化改修を受けている。最終的に天城型が本命として選ばれたんだから赤城優先は当然じゃね?とか言ってはいけない当然加賀は初陣の際も某煙突を引っ提げて戦闘をこなしている。 初期の加賀の改善が優先されていたら上海事変で鳳翔と共に"世界初の実戦投入された空母"という栄誉は受けられなかったであろうし、 そうなれば実績のない加賀が二次改装で優先されたかは微妙なところ、ある意味後回しにされ先に大失敗しておいたのが功を奏したという捉え方もできる。 艦内風紀 他の艦艇の例にもれず、加賀の艦内風紀もよろしくなかった。大型艦名物のシゴキや居住性の悪さ、備品・食料の横領やいじめの横行、また日中戦争における連日の出撃が搭乗員や乗組員のモラル意識の低下を招いていたようで、元加賀搭乗員の著書内でその無法地帯ぶりが記されている。 そのため、後世において加賀の艦内風紀は風通しの悪い大型艦の中でも特に乱れていたとされるが、"鬼の甲板長"板倉光馬曰く 「大型艦の陰湿な気風はどこも一緒」 …実際には他艦も大体似たようなものだった。 板倉氏が風紀改善に努めた結果、加賀の艦内風紀は他の大型艦より早期に改善され穏やかになっている。 しかし昔から戦記などにおいても風紀最低の艦として書かれることが多かったためか、"加賀=陰湿な艦内いじめ"というイメージは根強い。(*6)僚艦が第二次大戦期の栄光の空母機動部隊旗艦として国内外から人気が高いこともあってか、比較するように黎明期の欠陥やパラオでの触礁(セイロン沖海戦不参加)、ミッドウェー海戦で最初に被弾し(エンタープライズ機約30機が加賀に殺到)一番多くの戦死者を出したなどのマイナス面ばかりがクローズアップされ、引き立て役や汚れ役にされることもしばしばある。(*7) また「加賀の艦内食が不味かったのが風紀が悪かった要因のひとつ!」と言う説を唱える人が一部いるが、実はこれを裏付ける証言や資料は何処にも残っておらず、証拠も根拠もない事実無根のデタラメ。逆に、大型艦水準として豪華な食事であったと言う記録は多数残されている。 そもそも艦載機の操縦者の消費カロリーは凄まじいため、空母の艦内食は他大型艦に比べても高水準なものなのである。現場を知らない上官が空母の艦内食を削減しようとした際も、空戦訓練を体験させ、削減案を撤回させたという話があるほど。 と言うか、葛城のように特別な事情でもない限り、ただでさえ荒れやすい大型艦の艦内食が風紀悪化の一因になるほどマズイとかあり得ません… この『加賀の主計メシマズ説』も「赤城の艦内食は機動部隊随一の美味しさであった。」という評価と比較し、通常水準以上の食事であるにもかかわらず相対的に過小評価された、というのが現実である。 戦歴 上海事変では、装甲巡洋艦『出雲』率いる第三艦隊で鳳翔と共に一航戦を編成、旗艦としておよそ2ヶ月の戦闘航海を行った。 その戦闘中、1932年2月22日、蘇州偵察に飛んだ加賀の攻撃機隊・小谷隊が米義勇兵のボーイング戦闘機に襲われており、 攻撃機隊を率いた指揮官・小谷進大尉が頭部と胸部に被弾し機上戦死、小谷機の射手を務めた電信員・佐々木節郎一等航空兵が脚部に貫通銃創を負うなどの被害を出しながらも、戦闘機隊の生田乃木次大尉、黒岩和雄三等航空兵曹、武藤一夫一等航空兵曹らの攻撃によりこれを撃墜している。加賀航空隊の初撃墜戦果となったこの機体は米義勇飛行士ロバート・ショートが操縦するボーイング218であったのだが、実はショート氏は純粋な民間義勇飛行士ではなく米国の退役陸軍パイロットであり、義勇兵として他国の戦争に参加したこの行動は国法に触れる違法行為であった。 ちなみに加賀航空隊の初撃墜戦果であるのは確かなのだが、この頃の第一航空戦隊は母艦ではなく陸上に設けた前進基地を利用しており、この時も前進基地からの発進だった。しかしこの運用法少し問題を抱えている。 この時代の航空機は行動半径100kmせいぜいの木製複葉機。全金属製機が主流となってからは簡単なカバーを掛けるだけで放置できるようになったが、木製機を陸上で運用するには格納庫が必須だったのだ。事実、母艦の格納庫を利用していた緒戦に比べて、陸上の前進基地を利用し始めてからの機体は露天に駐機しなければならない事から気温の変化と湿気、日光による紫外線の弊害を受け急速に痛み、その性能低下は顕著であったという。 そのため、2月26日に行われた杭州飛行場での大規模な「航空撃滅戦」では攻撃前日に航空隊を母艦に引き上げて整備し、あえて母艦から発進させている。 ※木製機体に対する不満の声は他にもある。被弾した場合木製骨格は部分修理が出来ず一発の被弾で主翼換装に至る例もあり、特に木製プロペラの被弾に対する脆弱さが批判されていた。また鉛弾頭の機関銃弾は全金属製機の外板に浅い角度で当たると弾き飛ばされてしまうことから、機体を金属製に変えることで防御面での期待もあり、このため三式艦戦には空力的利点や発動機冷却の観点からではなく、『防弾』目的でカウリングの装備が要求されている。 上海事変における鳳翔・加賀航空隊の活動により、日本海軍航空隊は木製機との訣別を含め、将来の軍用機開発の指針を得た。 1937年8月15日、日華事変における最初の任務は中国空軍基地の集中爆撃であった。南京、広徳、蘇州の三ヶ所の飛行場を目標とし、 九四式艦上爆撃機16機 九六式艦上攻撃機13機 八九式艦上攻撃機16機 合計45機を投入する大規模作戦であったが、この時「戦闘機不要論」を唱える上層部の意向から護衛戦闘機の随伴のない裸の攻撃隊のみで目標に向かった。 結果として、広徳の爆撃に向かった八九式艦攻は、広徳飛行場上空で待機していたカーチス・ホークⅢに乗った"高志航"率いる飛行大隊、カーチス・ホーク戦闘機約20機の待ち伏せ攻撃を受け、6機が撃墜、被弾した2機も帰還途中で杭州湾に不時着となり、初戦にして一気に8機の攻撃機を失ってしまう これに衝撃を受けた海軍航空隊は実用化間もない最新機「九六式艦上戦闘機」の派遣を要請、戦闘機隊を配備しやっと敵機と渡り合えるようになり、それ以後各地で激戦を繰り広げる事となる。結果加賀の艦載機隊は世界最凶の練度を誇る化け物に育った。 例を上げると飛龍などで大活躍した友永丈市。 また赤城の村田少佐や進藤分隊長、翔鶴の高橋飛行隊長、瑞鶴の嶋崎飛行隊長など、大戦時に各空母に配備されていた指揮官クラスのパイロットは大戦以前に加賀航空隊として空母航空戦の腕を磨いた者が多い。(第二次世界大戦以前にまともに戦闘経験がある空母は鳳翔、加賀、龍驤くらいなので当然と言えば当然だが) 他にも、単葉航空機の実験場として活躍し日本の航空機技術の向上に一役買った。 上海事変や日華事変において加賀航空隊が戦った相手は、コルセア、カーチス・ホークⅡ&Ⅲ(いずれも米国製)、I-16(ソ連)、グラディエーター(英国)、ドボアチン(仏国)、ユンカースK47(スウェーデン製・Ju87スツーカの前身的機体)。 ハインケルHe111A(独国)、ノースロップ2E(米国)、攻撃機だとカーチスA-12シュライク(米国)などの世界各国の戦闘機や爆撃機である。更にパイロットも他国のエースを教官として訓練を行ってきた中華民国(現台湾)空軍、フライングタイガースを始め各国の義勇兵、鍛えられもするだろう。 ちなみに加賀は一連の戦闘の中、1937年11月11日にノースロップ2Eに攻撃を仕掛けられた経験がある。 この時加賀の距離3000メートルの地点に水柱が立ち、攻撃を行った敵機に対し機銃・高角砲による対空戦闘が実施され緊迫の事態にあった。命中弾はなく被害は0、攻撃機3機の内2機が九六艦戦により撃墜されているが、これにより本艦は敵機に狙われた最初の空母になった。 長く戦闘に従事していたが、戦域が内陸に移り始めたため航空作戦は陸軍航空隊に任せることになり、1938年12月11日、母港佐世保に入港。約1年4ヶ月にわたる合計13回の作戦航海を無事終えた。 赤城の改装が終わると、赤城とローテーションを組んで第一航空戦隊旗艦を担う。 アメリカとの開戦が不可避の情勢に近づきつつあった頃には、龍驤と組んで演習にて連合艦隊のシンボル・戦艦長門と対峙。 かつて戦艦であった頃、長門型を超えるために発案された加賀は空母となっても熟達した艦載機隊の強烈な命中精度もあり 長門を一方的に叩き伏せ、空母の力を見せつけた。 太平洋戦争 加賀は開発の遅れていた魚雷を輸送する為、最後に単冠湾に向け出港した。(一番容量が大きく、必要な魚雷を一気に運べる空母だったため) 一足先に出発した機動部隊の面々を追いかけ出港した加賀の岡田次作艦長は、出港のおよそ2時間後、航空兵たちを艦橋の前に整列させると遠くに見える陸地を指さし 「あれは四国である。本艦はただいま重要な任務を帯びて某地へ航行中である。諸氏のうち何人かが、否、艦の全員が再び故国を見ることがかなわぬことになるやもしれない。ただいまより日本の本土に別れを告げる」 そう述べた。すべての乗員が陸地に向けて大きく手を振り、大きな声で叫ぶ者、黙々と手を振る者、それぞれのやり方で二度と土を踏めないかもしれない母国に別れを告げていた。 1941年11月24日、単冠湾にて機動部隊の航空兵たちは旗艦赤城に召集され、この時初めて 「米太平洋艦隊が停泊する真珠湾に開戦と同時に奇襲攻撃し、米国民の戦意を失わせ、早期講和に持ち込む。」 という方針が伝えられた。模型を使い、真珠湾周辺の防空陣地や飛行場、艦船の位置を示しながら、細かく作戦内容が説明され、加賀の攻撃隊は真珠湾に浮かぶフォード島周辺の戦艦群を攻撃するという方針も伝えられた。 11月26日午前6時、艦隊はハワイに向けて出港。艦内には大音量で軍艦マーチが流され、外では出撃を祝うかのように戦艦や巡洋艦が択捉島の山並みに向けて砲撃をしており、砲弾で氷雪が吹き飛ばされる光景は実に壮観であったと言う。 12月6日、真珠湾攻撃の2日前、夕食時の搭乗員室では艦長から整備員まで多くの関係者が参加した盛大な送別会が開かれた。飛行隊長を務める橋口喬少佐は、 「この酒宴を最後に、攻撃終了まで一切のアルコールを禁止する。だから今夕は心ゆくまで飲んで英気を養ってほしい」 そう訓示し、一同は作戦成功を祈って乾杯。 上下関係が厳しい海軍ではあるがこの日ばかりは無礼講の宴となり、部下に頭からビールを浴びせられた艦長や飛行隊長が、逃げ惑う姿が見られたという。 12月8日早朝、艦隊はハワイ沖に迫っていた。この時の朝食は普段の質素な食事と異なり、赤飯に尾頭付きと豪勢で美味なもので、艦内の緊張と士気は高まっていた。 程なくして第一次攻撃隊183機による真珠湾攻撃が開始された。 この真珠湾攻撃において加賀航空隊は最も激戦区と予想された地域に投入され、そして15機の未帰還機を出した。 空母六隻の合計で29機のところ、過半数を超える未帰還を出した計算になる。加賀の航空隊が如何に練度を信頼され、無茶ぶりを受けたかがお分かりいただけるであろう。 この攻撃後、艦内には出撃した航空兵"全員分"の昼食が用意してあった。予定時刻を過ぎても戻らない航空兵たちの冷えきった昼食を、誰も片づけようとしなかったという。(*8) その後加賀は一旦内地に帰ると、トラックに進出。ラバウル・カビエン・第二次ラバウル・ポートダーウィンを転戦。 ラバウル・カビエン攻略における功績は非常に大きく、緒戦の快進撃の一翼を担った。 しかしパラオに戻った時に港で座礁して傷を負う。座礁後もしばらく前線に立つが結局内地に戻り補修。 MO作戦への参加も検討されたが、翔鶴・瑞鶴の練度向上優先で参加見送りとなり、復帰したのはMI作戦であった。 運命の1942年6月5日、楽観的な気分で今日も勝てる感丸出しで適当な索敵を行っていたつけか、午前7時22分にエンタープライズから発艦したドーントレス隊の猛襲を受ける。 直掩の零戦はミッドウェー島からの攻撃隊への対処中で低空におり、高空から急降下爆撃を仕掛ける相手への対処は不能、一瞬のスキを突かれた形となった加賀には最も多くの敵機が殺到し9発の爆撃が投下される。 爆撃投下直前に敵の雷撃に対する回避行動をとっていた加賀になす術はないように思われたが、岡田艦長の一喝で右に転舵し急降下爆撃を3度かわし対空砲火で反撃を行った。しかし一歩及ばず、4発目が命中。艦橋付近のガソリン車に直撃した一発が特に致命的であり司令部が一瞬で全滅。最終的に4発の命中弾をくらった。(5発または10発以上という証言もあり)被弾後も機銃に飛び付き反撃を試みた者もいたが、壊れたのかポンポンと一発ずつしか弾が出ず、反撃と言うにはあまりに弱々しいものだったという。 護衛にあたっていた榛名からは7度に渡る爆発が観測され、副長が生存者を諦めるほどの状態であった。16時25分にメインのガソリン庫に引火し、二度の大爆発を起こし轟沈。 駆逐艦乗組員からは雷撃処分したという証言もあり、アメリカの資料においても駆逐艦『萩風』によって雷撃処分とされている。混乱の最中にあった為、目撃証言が一致せず その沈み様は判然としない。 加賀とほぼ同時に蒼龍が急降下爆撃3発を浴び、すぐに放棄が決定するほどの損傷を負い轟沈。 赤城は急降下爆撃のダメージこそそこまで深刻ではなかったものの、兵装転換中で火気厳禁状態のところに爆撃を浴びたため、爆弾や魚雷が連鎖爆発してしまいそれが致命傷となり処分せざるを得なくなった。 唯一生き残った飛龍も決死の反撃でヨークタウンを撃破するが、数の差は如何ともしがたくやはり大破し雷撃処分。 空母時代の幕を開けた栄光の存在は一瞬で全滅し、日本の前途を闇に包むのに十分な傷となったのであった… 現代における加賀 さすがに日華事変時のスーパーエースで、大日本帝国海軍の栄光の時代に大暴れした加賀は、 連合艦隊の象徴である長門(*9)・戦後メジャーになった世界最大の戦艦大和同様に襲名は難しいと思われていた…のだが、最近の潮流を反映してか いずも型護衛艦の2番艦として「かが」の名を採用した。 護衛艦史上最大の全通甲板装備のヘリ空母に、かつて南雲機動艦隊の一員として暴れた艦の名前を付けたのである。 そして30防衛大綱でSTOVL機運用能力の付与が決定。1番艦の「いずも」に続いて改修が行われる予定とされる。 フィクションでの加賀 戦略シミュゲーではシナリオにもよるが、序盤戦は十分に柱として活躍できることが多い。 提督の決断シリーズなどでは砲撃空母加賀や、本来の姿である八八艦隊三番艦加賀として活躍できたりもする。砲撃空母はACのロマンアセンとかそういうレベルの実用性である。 ただ、空母としては色々と問題があった史実が反映されてか最終的には一線を退くこともままある。 架空戦記では、八八艦隊物語では戦艦として就役するなど、空母としてより戦艦としての方が扱いが大きい。 空母としては紺碧の艦隊あたりで登場したが、紺碧では空母隊で真っ先に被弾して落伍している。 まあ、半端な改装空母より長門型を超える戦艦としての方がよく書きやすいしね… 何にせよ大和や改大和型その他諸々のほうが強いのでそのカマセという役割にはなるが。 一方、妹の土佐は名前だけ使われた超超ド級航空戦艦として無双していた。 艦隊これくしょんでも登場。当初は最大の積載量を誇り、最強空母として君臨していた。 装甲空母や赤城が暴れている今でも、なかなかに上位の強さを維持している。 詳しくはこちら。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 建造時は空母運用も航空機開発も手探りの状況だったからなぁ しゃーない -- 名無しさん (2014-03-26 04 13 12) 二段目の甲板はそもそも艦橋と大砲を置くためのスペースだったから、ここから飛行機が飛ぶことなんて想定していない -- 名無しさん (2014-03-26 05 02 42) 戦艦譲りの防御力…とおもいきやあっけなく沈む。改装空母だからか -- 名無しさん (2014-10-22 17 04 03) 火災が激しく船体の放棄が原因。同じ状況なら、どんな空母でも助からない -- 名無しさん (2015-01-14 18 14 35) PS2のヤマトのゲームでは拡散波動砲持ち。他の同型艦と比べて入手条件はシビア。 -- 名無しさん (2015-02-16 23 52 30) ザ・戦犯。 -- 名無しさん (2015-02-16 23 57 36) 70年の時を越えてオカエリナサト -- 名無しさん (2015-08-29 10 08 57) そういえば最近、艦これで加賀使ってないなぁ……。もっぱら龍s(蒼龍&飛龍)+翔鶴だったから。翔鶴がかわいいから仕方ないじゃないか! -- 名無しさん (2015-12-09 15 33 22) そういや、空母に改装した際に機関室のドアが内側から開けられなくなっちゃって、改善される予定だったけど、卑怯者だから(帝国軍人は敵から逃げない、よって逃げるためのドアなど不要)という理由で結局そのまんまになったって逸話は本当なのか? -- 名無しさん (2016-01-01 10 53 34) 予算のアレは憶測とは違うんじゃないかな。何もいえねーの通り二次改装の予算を先に使っちゃってその時赤城に金回せなくなった結果改装できなくなったのは事実なわけだし -- 名無しさん (2016-01-12 00 23 09) 「加賀の改装が優先されたことで」というならその通りだけど「加賀の改装に費用を掛けすぎたから」というのは違うんでは…実際には赤城の方がお金かけられていたようですし。艦これwikiでは工期の長期化による人件費増と、一部改装内容が原因(?)かもとしているけどどうなんだろう -- 名無しさん (2016-01-30 13 42 18) 今度のかがは轟沈しないことを祈る。サクテキノテヌキ、ダメ、ゼッタイ -- 名無しさん (2016-01-30 13 56 33) 護衛艦かがのマークがすごい美しい。カッコイイとかじゃなく美しい -- 名無しさん (2017-01-18 10 57 18) 現代の方はF-35Bを20機程度運用できるように改修されて空母化するみたいだな -- 名無しさん (2020-07-27 01 39 47) 提督の決断3だと三式弾の仕様のおかげで新規設計艦を除く全艦艇の中で最高の対空能力を持つ空母になるという…… -- 名無しさん (2020-07-27 02 35 33) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6862.html
88: 加賀 :2021/01/21(木) 21 30 18 HOST softbank126159222026.bbtec.net 戦後三週目 南太平洋海戦参加空母 第一航空戦隊 『瑞鶴』 零戦×30 九九式艦爆27 九七式艦攻27 一式艦偵×9 『瑞鳳』 零戦×21 九七式艦攻×9 第二航空戦隊 『隼鷹』 零戦×18 彗星×12 九七式艦攻×18 『飛鷹』 零戦×18 彗星×12 九七式艦攻×18 『龍鳳』 零戦×18 一式艦偵×12 正規空母は『瑞鶴』一隻のみ。『加賀』『蓬莱』(捕獲した『サラトガ』)は内地で修理と改装中のため不参加。 二航戦は二艦隊所属のため近藤艦隊へ。『飛鷹』は機関故障せずに参加。更にガダルカナル島空襲の任もあったので最新鋭の彗星を搭載。 また『龍鳳』もドーリトル空襲の時、被弾せずそのまま改装工事が終わり戦列化へ。 一式艦偵は二式艦偵の事、41年に偵察機としてまず採用されたため。 なお、『瑞鳳』はSBDに爆撃されて中破、早々と戦線離脱したので三艦隊は『瑞鶴』のみで戦う羽目になる。
https://w.atwiki.jp/kyouyayamatoteikoku/pages/24.html
紅鳳型航空母艦 ref( 全長 372m 全幅 38m 全高 41m(電探含む) 飛行甲板長さ 316m 八八建艦計画で海軍がリーベル合衆国から輸入した船体で建造した空母です。 就役した当初では帝國海軍空母の主力でしたが直後、綺峰型航空母艦の建造が始まり現在では準主力艦となってしまいます。 この空母の特徴としては艦橋がとても細く出来ていることです。当時艦橋を建造した際資材が不足気味で節約しようということでこの細さになりました。 エレベーターも3基ありますが結構小さいのが問題となりました。 搭載機数は50機前後で格納庫が3段になっています。 この格納庫にも問題があり二段目以降天井が低くなり載せられる艦載機が限られてしまいました 1、2番艦の紅鳳と蒼鳳(そうほう)はスエズ戦争にも出撃し戦闘は無かったものも偵察機の発艦現地での航空訓練等を行いました その後スエズ戦争は終結し結ばれた条約により紅鳳と蒼鳳を含む艦隊がスエズ運河での平和活動のため派遣されました この紅鳳型航空母艦はその後も2隻建造され計4隻で3、4番艦の龍鳳と黒鳳は東シナ海近海で警戒任務に付いています
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/32442.html
登録日:2015/06/28 (日) 00 04 11 更新日:2023/08/25 Fri 09 07 01 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 出オチ 大日本帝国 大日本帝国海軍 大鳳 空母 航空母艦 装甲空母 軍事 軍艦 大鳳(たいほう)とは、かつて大日本帝国が建造、保持していた航空母艦である。 2隻の建造が予定されていたが、予算不足の為に実際に建造されたのは大鳳のみで同型艦は無い。 「大鳳」という名は「大きな鳳凰」というそのまんまの意味。 本来「鳳」は概ね改装空母に与えられる名前(*1)だが、大鳳は最初から空母として計画された艦である。 起工:1941年7月10日 進水:1943年4月7日 就役:1944年3月7日 喪失:1944年6月19日 除籍:1945年8月31日 基本性能諸元 基準排水量:29,300t 公試排水量:32.400t 満載排水量:37,270t 全長:260.6m 最大幅:36.3m 水線幅:27.7m 吃水:9.59m 機関:ロ号艦本式重油専焼水管缶 8基 艦本式オールギヤード・タービン 4基4軸推進 最大出力:160,000hp 最大速力:33.3kt 航続距離:18kt/10,000海里 燃料搭載量:5,700t 乗員:2,038名 兵装:65口径九八式10cm連装高角砲 6基12門 九六式25mm(60口径)3連装機銃 17基51門 九六式25mm(60口径)単装機銃 20基 94式高射装置 二式二号電波探信儀一型 2基 三式一号電波探信儀三型(*2) 装甲: 飛行甲板:95mm 装甲甲板装甲:55mm(機関室周辺) 90mm(弾薬庫周辺) 舷側: 55mm(機関室周辺) 160mm(弾薬庫周辺) 搭載機数:60機+補用1機 飛行甲板:257.5m×30.0m 150.0m×20.0m(装甲部) 昇降機数:2基 前級:翔鶴型航空母艦 次級:雲龍型航空母艦 改大鳳型航空母艦(計画のみ) 建造までの経緯 第二次大戦を目前に控えた1939年。日本。 大日本帝国海軍は最早軍事的衝突が不可避となりつつあったアメリカの建艦計画「第二次ヴィンソン案」に対抗する海軍軍備計画として「第4次充実計画(④計画)」の策定を繰り上げ、軍備増強に努めていた。 その計画の中には「W102」という27,000t級の空母が1隻含まれていた。 このW102こそ、後に「大鳳」と呼ばれることになる航空母艦の原型であった。 この頃、海軍強国の間では航空機の急速な発達に伴って空母の重要性が増していたが、空母の防御力はあまりにも脆弱で、飛行甲板に攻撃を受けてしまうと発着機能を喪失してしまう危険があった。 この弱点を克服したのが搭載機数を犠牲に飛行甲板を装甲化した「装甲空母」で、これを真っ先に実用化したのはイギリスであり、史上初の装甲空母たるイラストリアス級航空母艦である。 勿論日本でも装甲空母の建造が叫ばれ、紆余曲折の末、W102にはG-12、G-13の2つの案が出され、最終的にG-13を多少の修正したものが決定案とされた。 そして1941年7月1日。 戦艦榛名や伊勢、空母瑞鶴などの名艦を建造してきた神戸川崎造船所で大鳳の建造が開始された。 設計と特徴 基本的な構造は帝国海軍空母の傑作たる翔鶴型航空母艦に準じた艦隊型空母だが、大鳳最大の特徴は飛行甲板が装甲化された「装甲空母」であるということに尽きる。 飛行甲板が装甲化された分重量が増し、重心が上がってトップヘビーになることへの懸念(*3)から艦内甲板は1層減らされ、艦内の容積も減らされたので搭載機数が原型の翔鶴型よりも低下した。仕方ないね。 乾舷は艦の大きさに比べて低いものの、一応飛龍と同等くらいにはある。 外見上の特徴として艦首が飛行甲板と一体化した「エンクローズド・バウ(*4)」が帝国海軍としては初めて採用された。 これは乾舷が低いので艦首が波を被って浸水、凌波性が悪化しないようにする為。 艦橋と煙突が一体化したアイランドは大きな傾斜煙突が目を引く。 これまでの正規空母では右舷の飛行甲板下に湾曲煙突を配置しているのがトレンドだったが、大鳳でこれをやると海面が近すぎて浸水の恐れがあったので、バランス悪化を覚悟して上方排煙の煙突とした。 このタイプのアイランドはレキシントン級やヨークタウン級などの欧米の空母によく見られる構造で、商船改装空母の飛鷹型航空母艦で試験的に設置してから大鳳、信濃に採用された。 欧米の空母と違って煙突が外側に傾斜しているが、元々予定していた直立型だと排煙で気流が乱れて着艦の妨げになることが風洞実験で指摘されたことによる。 また、アイランドで右寄りに重量が増した分、飛行甲板を左寄りに配置してバランス取りを図っている。 ちなみに大鳳は計画案の1つとして「その防御力を以て敵側の攻撃圏内に単艦で進出、味方攻撃隊の行動距離を延長する中継基地」としての運用構想もあったが、航空機が著しい発展を遂げた為に廃案となった。 この場合の大鳳は単艦で前線まで突入せねばならない為、敵水上艦用に15.5cm砲6門を装備する予定だったらしい。 艦載機運用能力 装甲化した代償として搭載機数が翔鶴型よりも落ちているが、これは装甲甲板にしたことによる重心低下のため艦内容積が減少し、格納庫が大きく出来なかったことと、本艦が運用を予定していた艦載機がこれまでの零戦や九七式艦攻ではなく、より大型の烈風や流星の仕様(*5)の運用を想定、計算された為。 とはいえ、格納庫は翔鶴型と同じ2層構造で面積も9割以上とさほど狭くなっている訳ではないので、零戦や彗星、天山など従来の艦載機ならば70機以上搭載可能という説も存在している。 逆に航空燃料は翔鶴型496tに対して大鳳1,000tと2倍に増加している。これもやはり新鋭機の燃料搭載量が増加していたためであった。 この他にも800kg爆弾90発、250kg爆弾468発、60kg爆弾468発、九一式航空魚雷改六型45本の搭載が可能であるが、弾薬庫の誘爆が致命傷となった加賀の戦訓から大鳳は艦爆を減らして艦戦を増やす方向にシフトしていたので、フルに搭載されることはなかったと思われる。 艦載機の大型化に伴い、飛行甲板には最新式の三式制動装置が装備され、昇降機もより大型機向けのサイズになった。 カタパルトの開発も進められていたのだが、残念ながらこちらは実用化が間に合わなかった。 防御力 全257.5m×30mの飛行甲板の内、前後の昇降機間の150m×20m部分が装甲化されていて、20mmDS鋼板上に75mmCNC鋼鈑が張られた構造となっている。その防御力は500kg爆弾の急降下爆撃に耐えることが可能とされる。 昇降機部分は25mmDS鋼鈑を2枚重ねたものが張られていたが、これは甲板と同じ防御を施すと昇降機能に支障が出ると判断された為。 元々軍令部の要求は「800kg爆弾の急降下爆撃に耐えうる装甲」を要求していたが、その場合だと排水量が4万t越えとなり、他艦の建造に影響が出ると艦政本部が判断したことで妥協案の「500kg爆弾防御」となった経緯がある。 主要部には16mm高張鋼と32mmCNC鋼鈑による水平防御と、160mm~55mmのCNC鋼鈑による垂直防御が施された。 これは求められた防御力が「機関室は高度3000mからの800kg爆弾と距離1200m~20000mでの6インチ砲弾に耐えること」、「弾薬庫は高度3000mからの1000kg爆弾と距離1200m~20000mでの8インチ砲弾に耐えること」であった為で、その要求には十分答えた防御を持つ。 また、水中防御は主要部が3重底、更に液体層と空気層を組み合わせた物になっている。 TNT換算で300kgの炸薬をもつ魚雷に耐えうる防御力だが、米軍が使用している航空魚雷「Bliss-Leavitt Mk13」は後期型のトーペックス系炸薬だとTNT換算で400kg以上の破壊力を発揮するので、水中防御には不安が残る結果となった。 大鳳も帝国海軍航空母艦の常として閉鎖式格納庫で内側からの爆風を逃がしづらい構造だが、翔鶴型で採用されていた「爆風が生じると舷側の鋼板が外れて爆風を逃がす」構造は大鳳にも引き継がれたが、やはり実戦で役に立つことはなかった。 機動力 機関は翔鶴型に準じた物を採用、最大出力も同じく16万馬力。 しかしスクリューが若干大きくなり、大和型戦艦のように副舵と主舵の2枚を前後に分離設置していた。 重量が増加しているので速力ではやや翔鶴型に劣るが、航続距離は若干延びている。 攻撃力 対空兵装として帝国海軍の十八番、九六式二十五粍三連装高角機銃と同単装高角機銃、そして秋月型駆逐艦に装備された六五口径九八式一〇糎高角砲、所謂「長10cm高角砲」を空母として唯一装備している。 最大射程14,000m、最大射高11,000m、初速1,000m/秒、発射速度15発/分と対空火器としてはそこそこ優秀な性能だが、当然砲戦には向いていない。 もっとも、帝国海軍には砲戦に参加してそれなりの戦果を挙げた猛者や、20cm砲を搭載した元戦艦 元巡洋戦艦がいたりするのだが… 本来ならば高角砲の数を翔鶴型と同じ8基16門揃える筈だったが、飛行甲板が装甲化されたことによる重量増加の為に6基12門に減らされた。 ちなみに搭載された25mm単装機銃は固定装備された物ではなく、艦載機の発艦後に昇降機で飛行甲板に持ち運び、固定する移動式であった。 その他 アイランド上部の前後に1基ずつ、計2基の二式二号電波探信儀一型(21号電探)を装備している。 これは対空警戒用の電探(レーダー)で、単機の航空機なら70~80km、編隊なら100km先、水上艦艇は20km先まで探知可能な電探で、見た目的には「花魁のかんざし」と不評であったが性能は好評であった。 より小型軽量の三式一号電波探信儀三型(13号電探)が搭載されていたとも言われていたが、こちらは否定的な意見が多い。 ちなみに装甲化のしわ寄せで格納庫だけでなく兵員室も狭くなってしまっていたが、本艦はハンモックではなく天井収納式の2~3段ベッドだったらしい。 総合 大鳳は搭載機数こそ低下しているものの、技術的には大日本帝国海軍製の航空母艦の集大成であった。 ようやく実用化への一歩へ乗り出した烈風、流星などの新鋭機の運用を想定し、後続の空母の雛形となる大鳳は空母らしからぬ重防御を備えた「不沈空母」として劣勢に立たされていた状況を打破する大日本帝国海軍機動部隊最後の切り札として大きな期待を背負っていたのだ。 活躍 太平洋戦争の勃発で工期を繰上げさせられたが、無事に竣工。 就役後、大鳳はいきなり栄光の第一航空戦隊旗艦に任命された。 海軍の最後の切り札、歴代空母の集大成たる不沈空母として建造された大鳳への期待が窺えるというものである。 そして就役から3ヶ月後の1944年6月15日、遂に初陣の時がきた。 マリアナ諸島に侵攻したレイモンド・エイムズ・スプルーアンス大将率いる第5艦隊を撃滅するべく、小沢治三郎中将指揮の下で大鳳は第一機動艦隊を率いてマリアナ沖に出撃した。「あ号作戦」の発令である! これこそ1944年6月18日から20日に掛けて行われた史上最大の空母同士による大決戦、「マリアナ沖海戦」であった。 日本側はアメリカとの圧倒的戦力差を覆すべく、戦前から研究していた必勝戦術「アウトレンジ戦法(*6)」で戦いに臨む。 「イヤーッ!」つ零戦 「グワーッ!」 「イヤーッ!」つ九九式艦爆 「グワーッ!」 「イヤーッ!」つ彗星艦爆 「グワーッ!」 「イヤーッ!」つ九七式艦攻 「グワーッ!」 「イヤーッ!」つ天山艦攻 「グワーッ!サヨナラ!」 ナムアミダブツ!これは海軍大学校が編み出したとされる禁断の戦法、アウトレンジ・タクティクス! ボム・スリケンとギョライ・ダートを立て続けに受けたアメリカ海軍第5艦隊=サンは爆発四散! 日本とのイクサによって米艦隊は手も足も出ずに壊滅した。 日本の勝利である。勝利に貢献した大鳳の名は栄光と共に大日本帝国国民に永遠に語り継がれるであろう。(大本営発表) 大東亜共栄圏を実現した暁には追記・修正をお願いします。 △メニュー 項目変更 -アニヲタWiki- だったら良かったんだけどなぁ… え?「知ってた」?うん、まぁ… 実際のマリアナ沖海戦は日本の完全敗北、機動部隊は事実上壊滅する結果となった。 それも航空機の9割と翔鶴、飛鷹といった主力空母を一方的に失うという最悪の形で。 さて、肝心の大鳳なのだが… たった1発の魚雷で沈没していた もう一度言う。 潜水艦のたった1発の魚雷が命中して沈没してしまった。 敢えてもう一度言おう。 1944年6月19日午後4時28分。 装甲空母大鳳は、 たった1発の魚雷が原因で沈没してしまったのだ。 大鳳は不沈空母ではなかったのか。 そう、大鳳は帝国海軍の技術の粋を結集した艦である。 確かに魚雷に対する防御に不安はあったが、その耐久力には魚雷が一発二発当たったところで沈むような欠陥がある訳ではない。 事実、命中した魚雷は大鳳の装甲を貫いてはいない。 原因は魚雷命中の衝撃で航空燃料用のガソリンタンクが破損、漏出したガソリンが気化・充満し、胴体着艦した戦闘機の火花で引火・爆沈したことだった。 魚雷が貫通したかどうかの違いはあれど、これは翔鶴の最期も同じ。 だが、この大鳳の最期はいくつもの不運と必然が重なった末の惨劇であった。 主なものとして 護衛の駆逐艦と巡洋艦の数が少なく、敵攻撃圏外であることを過信して見張りが徹底されていなかった(*7) ガソリンタンクは当時未成熟の電気溶接が用いられたが、継ぎ目の強度に問題があった ガソリンタンクの位置がエレベーターの真下で機銃弾薬庫の横。後部タンクに至ってはエレベーターの真下かつ魚雷庫、爆弾庫の横という誘爆を招き易い配置 被雷の衝撃で艦載機用昇降機も故障して途中で停止していて、発着艦が最優先として開口部を塞ぐ作業に工作兵が総動員された 閉鎖式の格納庫なので気化したガソリンが外に逃げず艦内に充満、最大の換気口となる昇降機の開口部も塞がれてしまっていた ガソリンが充満した状況では防毒マスク着用の上で火花に気を付けねばならず、作業が進まなかった 格納庫の天井は装甲化された飛行甲板なので爆圧が逃げられず、閉じ込められた爆発のエネルギーが艦の下部にまで向かった 爆発の衝撃で機関部の注冷ポンプの管接手が外れ、各機械が焼損してしまった 機関部の消防管も通信も機能せず、艦橋は「機関部員は火災で全滅」と判断したこと という運だけでなく、ダメージコントロールの未熟さに起因するものであった。 要約すると、大鳳のダメージコントロールには「揮発性ガスが漏洩し、それが充満して引火・爆発する可能性が考慮されていなかった」ということ。 そもそもガソリンタンクや管接手の破損は熟練工の不足と部品品質の低下にあった。 当時の日本国内では熟練の工員も徴兵され、工場で働いていたのは素人同然の未熟な工員ばかりという有様で、納品された機械部品の質が原因の不具合はあちこちで報告されている状態だった。 更に大鳳は工期繰上げがされた影響がもろに現れており、日本を発った時点で既にガソリンの漏洩事故を起こして死者を出し、マリアナ沖海戦の2ヶ月前にシンガポール・セレター軍港に入港する際にも舵取装置の故障や配電盤火災で一時操舵不能になるなど、最期を示唆するかのような深刻な問題を露呈していた。 興味深い話として、大鳳沈没の2年前に珊瑚海海戦で撃沈されたアメリカの空母レキシントンも大鳳とほぼ同じ理由で放棄・雷撃処分されている。 だが、アメリカはレキシントン喪失の原因を徹底的に調査、ダメージコントロール上の教訓としていた。 実際の成果としてアメリカは特攻などで大破させられた艦は多くとも、同じ理由で喪失する艦を出すことはなかった。 当時の日米のダメージコントロールへの理解の差はしばしば取沙汰されるが、ここでもその差が如実に現れたといっても過言ではないだろう。 大鳳の喪失後、その教訓は艦内にある可燃物の徹底的な排除やガソリンタンクの防御の徹底、消防設備の見直しなどとの生き延びた艦艇の防火対策の強化に活かされた。 マリアナの敗戦で最早まともな機動部隊の編制は不可能となったが、エンガノ岬沖海戦で囮として出撃した瑞鶴を中心とする小沢艦隊は激しい攻撃に晒されながらも囮の役割を完遂したことからもそれが窺える。 現在、大鳳の沈没は科学技術振興機構(JST)のまとめている失敗知識データベース「失敗百選」の一つに選ばれ、その教訓を今に伝えている。 改大鳳型航空母艦 【予定性能諸元】 基準排水量:30,360t 公試排水量:35,800t 全長:261.5m(飛行甲板長) 水線長:257m 全幅:28m 吃水:9.6m 機関:4軸減速タービン 8缶 出力:160,000hp 速力:33.3kt 乗員:1,800名 兵装:65口径九八式10cm連装高角砲 8基16門 九六式25mm(60口径)3連装機銃 66挺 搭載機数:61~75機 先述したように大鳳は同型艦が無い。 しかしミッドウェーでの大敗を期に「⑤計画」を改めた「改⑤計画」では改大鳳型航空母艦5隻の建造が予定されていた。 改大鳳型は読んで字の如く大鳳の設計に改良を加えた物で、主に水中防御の強化、高角砲や機銃の増加、船体及び飛行甲板の延長、飛行甲板への電動揚弾筒と電動揚魚雷筒の設置etc...などの点で変更が行われている。 搭載数は大鳳と同じ計61機だが、これも大鳳同様烈風、流星などの大型機での計算で従来の艦載機なら約75機の格納が可能ではないかと言われている。 本来なら1番艦となる5021号艦が呉海軍工廠にて1944年から翌45年に起工を予定していたが、より工期の短い雲龍型の優先され、最終的に1943年の第三戦備計画の策定で建造が中止されてしまった。 まあ、予定通りに起工しても竣工は1947~48年予定なので完成は絶望的だが。 創作での大鳳 何の活躍もなく沈んだ日本最強最後の空母を惜しむ人が多いのか、仮想戦記等では人気がある。 …らしい。 最近ではこんなものも。 その胸は平坦であった 余談 甲板表面と迷彩の謎 大鳳の甲板表面の仕上げについて未だに議論となるのが、飛行甲板の構造である。 第1の論点は 甲板の表面は木張りか、装甲か? という点。 第2の論点は 甲板の木製部分はラテックス加工されていたのか? という2つの点が未だによくわかっていないのだ。 一応改大鳳型の計画や写真の具合から甲板表面は木製説が優位なようだが、ラテックス加工説は物証こそ無いものの神戸川崎造船所の証言が根拠となっている。 逆に言えばそれしか根拠がないとも言える困った状況なのだ。 模型などでも会社によってカラーが異なる始末なので、是非とも論争に一石を投じる証拠の登場を願いたい。 そして、全くわかっていないのが大鳳の迷彩塗装。 「あ号作戦」時の大鳳は大戦後期の日本空母と同じく迷彩塗装が施されていたということがわかっているが、そのデザインや塗装を担当した高塚義雄士官は大鳳と共に戦死、終戦時のゴタゴタで資料も残っていなかった。 果たしてどのような姿だったのかは今は誰にもわからない。ひょっとしたら我々の知る大鳳とは全く異なる姿だったのかもしれない。 潜水艦アルバコア 大鳳沈没の原因となったガトー級潜水艦7番艦アルバコアは、大鳳以前にも駆逐艦大潮と漣、軽巡洋艦天龍を撃沈した歴戦の潜水艦だった。 大鳳を狙った魚雷は6発で、内2発が命中コースだったが1発は小松幸男兵曹長の彗星が捨て身の体当たりで防いだものの、残り1本が大惨事のきっかけとなった。 その後アルバコアは1944年11月7日、北海道函館市(当時は椴法華村)の津軽海峡近辺の恵山岬灯台沖で九三式機雷に触雷、沈没している。 ダメージコントロールに自信がある方は追記・修正をお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 仮に爆沈の運命を免れたとしても、肝心の艦載機が未熟練パイロットと旧式機ばかりでは、結局はレイテの囮が一隻増えるだけだったろうな -- 名無しさん (2015-06-28 00 47 19) アメリカは大鳳と翔鶴の沈没を把握してなかったって本当?おかげでエンガノ岬がオーバーキルになったと聞いたことがあるが -- 名無しさん (2015-06-28 01 52 45) G14型 -- 名無しさん (2015-06-28 04 44 58) ダメコンに関しては、未だに日本企業最大の弱点のひとつだからなあ。ここまでくるともう民族性としか言いようがないかも。 -- 名無しさん (2015-06-28 07 02 08) 就役が1944年じゃどのみち活躍は無理だろ そもそもアメちゃんの空母が沈みにくいのは制空権と制海権を維持し続けられるからだし、エセックス級は魚雷2本で転覆する欠陥があるけどもうそのころには戦力差が開きすぎて日本の潜水艦も雷撃機も近づくことさえままならない。日本は悠長にダメコンなんてしてる暇がないからなあ -- 名無しさん (2015-06-28 08 50 24) 沈まずにエンガノ岬にもいたらなあ・・・米兵「shit!ジャップの空母は化け物か!?」ってことで戦史に名を刻めたかも知れんけどなあ・・・ -- 名無しさん (2015-06-28 15 22 11) まぁこのころには運も何もかも日本には残っていなかったということよな -- 名無しさん (2015-06-28 15 48 24) 航空戦で一番肝心な戦闘機がいつまで経ってもゼロ戦のまんまじゃ、空母がいくらあったって七面鳥からは逃れられないのが -- 名無しさん (2015-06-28 18 04 21) でも烈風量産できる国力あったらそもそも戦争してないしなあ けどこんだけすごい戦果挙げてるアルバコアが最後は機雷で地味に散るのも物悲しいな -- 名無しさん (2015-06-28 20 21 19) 「おおとり」って読んだことある奴挙手 -- 名無しさん (2015-06-28 21 15 26) マリアナは乙事件で行動が全部筒抜けだからな、そもそも潜水艦で大型艦艇雷撃は殆ど奇跡に近い産物だし -- 名無しさん (2015-06-29 11 11 21) 少し前にでた艦船キットは不人気でどこでも投げ売りされてたけど某ゲームで出て以降高騰して笑う、世界の軍艦コレクションも人気だったしある意味今が大鳳の最盛期なんじゃないかね -- 名無しさん (2015-06-29 11 18 11) 正直空母は構造上どうしても引火しやすいんだから運が悪いと本当にどうにもならない プリンストンなんか制空権、制海権掌握してる中爆弾一発で沈んでるし -- 名無しさん (2015-08-08 16 48 17) そもそもガスが充満してる危険な状態にもかかわらず後方に下げず無理に戦闘続行させたのが沈没の本質 こんなことしてたらエセックス級でも沈む。 でなぜ戦闘続行させたかというとマリアナ海戦での正規空母は翔鶴、瑞鶴、大鳳の三隻のみで翔鶴が被雷し大鳳も離脱すると海戦そのものが破たんしてしまうから 結局戦力に余裕がないと細かなとこにもツケが回ってくるという話 -- 名無しさん (2015-10-09 15 49 11) 装甲空母という、敵と殴り会うことを前提にした艦種と、アウトレンジ戦法という敵の攻撃を受けないことを前提にした作戦が絶望的にかみあってないのがまた悲劇。 -- 名無しさん (2023-08-24 19 43 17) 架空戦記でも機動部隊の一翼としてならともかく大鳳として活躍している作品はあまり思い当たらない。爆弾に耐えられても魚雷には耐えきれないし、なにより大鳳だけ耐えられても他の空母がやられてしまっては意味が無い。戦艦ならともかく空母で突出した性能の艦が一隻あっても意味が無いってことかねえ -- 名無しさん (2023-08-25 09 07 01) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/fweo/pages/301.html
概要 サプサン級空母とはオソロシ重工が設計し、オソロシア、レメバ、デルタの3カ国で採用されたオソロシ重工初の空母である。 こんな描くのがめんどくさい艦艇が急遽作られた背景には同盟国と近い、オーシア連邦の航空戦力拡大に"対応"する為である。 また、従来のオソロシアの空母はオーシア製だったのも理由の一つだ。 スペック サプサン級原子力空母 基準排水量74,086トン以上 満載排水量約100,000トン 全長 340m 最大幅 75m 水線幅 40m 吃水 10.1m 最大速力 30ノット 乗員 3000人 計画数 10隻 建造数 5隻 兵装 ケルベロスCIWS(30㍉ガトリング砲内蔵)3基(デッドアイ社の製造したCIWS。) 40mm機関砲 2基 RAM 3基 レーダー spy-3 1基 武器管制や航空管制に必要な諸設備 搭載機数 最大90機 常時75機 艦載機には主にK-K4cを搭載している。 まだ具体的な編成は決まっていないが、オソロシア海軍の第一艦隊にプルっチン空母の代わりとして配備される予定である。 同型艦 1番艦 サプサン 艦番号 211 レメバ 2番艦 プーさん 艦番号 210 オソロシア 3番艦 卐大和 艦番号 213 デルタ 4番艦 プーニン 艦番号 214 オソロシア 5番艦 プルーリン艦番号 215 オソロシア 6番艦 プッチン 艦番号 216 オソロシア 7番艦 プルルル 艦番号 217 オソロシア 8番艦 プルーニン艦番号 218 オソロシア 9番艦 レッドナイト艦番号 219 オソロシア 10番艦 プティン 艦番号220 オソロシア いやぁ久々にwiki書いたわ byプーさん(死んだ)