約 16,299 件
https://w.atwiki.jp/cfvg/pages/3772.html
ダークイレギュラーズ - デーモン グレード〈3〉 ノーマルユニット (ツインドライブ!!) パワー 11000 / シールド - / クリティカル 1 自【V】【LB4】:[CB1]《ダークイレギュラーズ》がこのユニットにライドした時、コストを払ってよい。払ったら、あなたのヴァンガードを1枚選び、そのターン中、パワー+10000/☆+1し、あなたの《ダークイレギュラーズ》のヴァンガードかリアガードを2枚まで選び、あなたの山札からそのユニットと同名のカードを3枚まで探し、ソウルに置き、その山札をシャッフルする。 自【V】:このユニットがヴァンガードにアタックした時、【ソウルチャージ】(1)し、そのバトル中、このユニットのパワー+1000。 永【V/R】:盟主(共通するクランがないあなたのユニットがいるとアタックできない) フレーバー:アレが現れた世界は、魔界の炎に焼き尽くされる。 順位 選択肢 得票数 得票率 投票 1 使ってみたいと思う 2 (50%) 2 弱いと思う 1 (25%) 3 強いと思う 1 (25%) 4 面白いと思う 0 (0%) その他 投票総数 4 能力もクラン特性と噛み合ってて実用的。ただ、ダンタリアンと比べるとCB1は微妙に重い…か? (2014-01-11 09 58 50) アシュレイ能力に+αあるわけだからCB1は避けられないな。ただ、どっちかというとペイルやジェネシスの方が使いこなせそう… (2014-01-11 12 05 33) コメント
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/6845.html
883: 加賀 :2021/01/14(木) 23 08 37 HOST softbank126159251078.bbtec.net 「敵機直上ォォォォォォォ!! 急降下ァァァァァァァ!!」 「ッ!?」 見張り員の報告に山口は思わず艦橋から出て双眼鏡を上空に向ける。上空では零戦隊の包囲網を抜けたSBD20数機が一斉に急降下をしようとしていた。 「馬鹿な……」 山口の見てる前で20数機のSBD隊は急降下を開始、狙ったのは艦隊から離れていた『飛龍』ではなく『赤城』『蒼龍』『翔鶴』だった。その周囲を対空・対潜ち強化され護衛巡洋艦に改装された『五十鈴』『長良』等が必死に対空砲火を撃ち上げていたがそれを嘲笑うかのようにSBD隊は急降下を続け最適位置で腹に抱えた1000ポンド爆弾を切り離した。 ヒュゥーッと風切り音が鳴り響く、その音は第一航空艦隊の全乗員に聞こえたかのように思える。 一発目、至近で水柱、二発目、これも至近で水柱。そして三発目は『赤城』の中部飛行甲板に突き刺さった。1000ポンド爆弾は待機していた九九式艦爆を叩き割り、一瞬の間を置いてその力を解放した。 刹那、地響きかと思う程であり飛行甲板にいたパイロットや整備員達、艦橋にいた要員達は吹き飛ぶ中部エレベーターを目撃する。中部エレベーターがあった箇所から炎が顔を出す。その炎は断続的に爆発していく。格納庫の床に転がっていた250キロ爆弾や航空魚雷が次々と誘爆したのである。 『赤城』は瞬く間に猛火に包まれた。その光景は『蒼龍』と『翔鶴』も同様だった。『蒼龍』は三発の1000ポンド爆弾を食らった。『翔鶴』は五発の1000ポンド爆弾をまともに食らい、しかも一発は艦橋を破壊し5月に着任したばかりの艦長有馬大佐以下艦橋にいた全員が瞬く間に戦死した。 残ったのは上空が厚い雲に覆われた海上にいた『加賀』と7機のSBDに襲われながらも全弾回避した『瑞鶴』に山口少将が乗艦する『飛龍』だけだった。 (瞬く間に……三隻がやられたか……) だがそれでもと山口は直ぐに決断し艦橋に戻り発した。 「八戦隊旗艦『利根』に発光信号。『飛龍』の二航戦司令部は健在なり。残存空母と共に全航空機を以て敵艦隊を撃滅する」 そして山口は無電を発信させた。 『我、航空戦ノ指揮ヲ取ル』 「刺し違えてでも一隻は沈める……このままじゃあ帝国海軍は末代まで舐められるぞ!!」 『はいッ!!』 斯くして山口は残存空母を率いてスプルーアンスの機動部隊に決戦を挑むのである。 884: 加賀 :2021/01/14(木) 23 09 48 HOST softbank126159251078.bbtec.net 先程の御詫びとして『信濃』√のミッドウェー海戦の三空母被弾場面をお送りします。 『翔鶴』の状況が一番ひでぇや……
https://w.atwiki.jp/new2souennokanntai/pages/327.html
ベリハの1-5に勝つには、何の値を高い艦隊にすれば効果的ですか?対潜が大きいのか、雷撃が大きいのか、はたまた火力なのか。対潜と雷撃両方なんですか?それとも、戦技? - 名無しさん (2018-11-11 16 26 44) どちらかと言うと攻撃に気を回すより、先にバカスカ撃たれる雷撃に耐える事が優先だと思われます。 - 名無しさん (2018-11-12 17 57 39) あの雷撃を耐えるのですか。かなりHP高めないと辛くないでしょうか? - 名無しさん (2018-11-12 20 38 34) 雷撃を食らう前に倒すか、雷撃に耐えて倒すかになりますが、前者はよほど強化が済んでないと無理ですよね。で、後者ってことになると、戦技(スリガオや牽制、防壁)で耐える方向じゃないと、配備で耐える方向にすると攻撃力が足りませんね。 - 名無しさん (2018-11-13 16 03 32) ハードのボスの攻略法ありますか?艦の配置などご教授いただきです。 - 名無しさん (2018-11-10 07 55 35) 伊ー9極は、強いんでしょうか? - 名無しさん (2018-11-09 20 56 06) 図鑑更新待ちですが、劣化版伊58といった感じではないかと思っています。あくまで総力戦報酬の極艦なのでサルベージ数十回のおまけ極艦のように強いということはないと思います。 - 名無しさん (2018-11-09 21 59 57)
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/32223.html
登録日:2015/05/19 (火) 23 00 34 更新日:2024/03/07 Thu 08 22 13 所要時間:約 5 分で読めます ▽タグ一覧 大日本帝国 大日本帝国海軍 正規空母 空母 航空母艦 軍事 軍艦 龍驤 龍驤(りゅうじょう)とは、かつて大日本帝国が建造、保有していた航空母艦である。 戦闘詳報では「竜驤」と記す部隊もあった。 「龍驤」というのは「龍が天に昇っていく様」を表す言葉で、『三国志』蜀史 諸葛亮伝に由来する。 この名を持つ艦としては2代目。先代は明治時代に熊本藩がイギリスに発注、後に明治政府に献上された装甲コルベットだった。 初代龍驤は創設期の日本海軍の旗艦として有史初の御召艦を務めており、由緒正しい名前であると言えよう。 経歴 起工:1929年11月26日 進水:1931年4月2日 竣工:1933年5月9日 戦没:1942年8月24日 除籍:1942年11月10日 基本性能諸元(*1) 公試排水量:10,150t → 12,732t 全長:175.39m → 176.62m 全幅:20.3m → 20.78m 吃水:5.56m → 7.08m 機関:ロ号艦本式重油専焼水管缶 6基 艦本式ギヤード・タービン 2基2軸推進 最大出力:65,000hp 最大速力:29.0kt 航続距離:14kt/10000海里 燃料搭載量:2,943t 乗員:924名 兵装: 【新造時】 八九式12.7cm(40口径)連装高角砲 6基12門 九三式13.2mm(76口径)四連装機銃 6基24門 【最終時】 八九式12.7cm(40口径)連装高角砲 4基8門 九六式25mm(60口径)3連装機銃 6基18門 九六式25mm(60口径)連装機銃 2基4門 搭載機数:36機+補用12機 飛行甲板:158.6mm×23.0m → 156.5m×23.0m 昇降機数:2基 建造までの経緯 1922年。留まることを知らない海軍強国の海軍軍拡に対し、日米英仏伊の5ヶ国はワシントン海軍軍縮条約を締結することでしばし休息の時を得た。 所謂「海軍休日(ネイバル・ホリデイ)」である。 しかし、保有枠が米英に比べて少ないことに強い不満を抱いていた日本は抜け道探しに奔走、その結果が特型駆逐艦の誕生や大型巡洋艦の発展であった。 日本の空母保有枠も例外ではなく、米英の135,000tに比べその6割の81,000tではあった上、既に54,000t分を赤城と加賀の改装に費やしてしまっていた。 そこで目を付けたのが、「排水量10,000t以内の小型空母は規制の対象外」という点であった。 10,000t以内の空母を量産すればアメリカやイギリスとの戦力差を埋めることが出来ると考えた日本は早速計画を実行に移した。 元々龍驤は旧式化した水上機母艦若宮の代艦であったが、この制限対象外にぶち込む為、帝国海軍初の空母鳳翔の設計を基に排水量9,800t、搭載機数24機の小型空母として建造が開始された。 だが、世界は無慈悲であった。 ロンドン海軍軍縮会議で制限が強化される運びとなり、10,000t以下の空母も81,000tの枠内に含まれることになった。 こうなると龍驤を10,000t以下に抑える必要がなくなり、設計は変更された。 そして1933年5月9日、政治と外交に振り回されつつも横須賀海軍工廠にて正規空母・龍驤は就役した。 設計と特徴 青葉型重巡の船体を基にした10,000tクラスの小さい船体だが、航空母艦としての分類は一応正規空母である。 小型空母特有の全通式のフラットトップ(*2)の飛行甲板が特徴的。特に龍驤は艦橋の真上で飛行甲板が切れているので上から比べても解りやすい。 実験的な意味合いの強かった鳳翔と違って龍驤は当初より実戦的な空母として設計されている。 ただ、上記のように元々の龍驤は排水量9,800tの予定であり、運の悪いことにロンドン会議で規制が強化された時には既に完工寸前で船体の拡張など既に不可能な状態だった。 だが、ここで誰が思い立ったか、鶴の一声が。 「上に伸ばせばいいんじゃね?」 「いいね、採用。」 そうして完成したその姿は各々でググっていただきたい。 扶桑型戦艦や三景艦もかくやという、小さな船体に溢れんばかりの箱を載せたような逆三角形の、トップヘビーなど知らんと言わんばかりのあまりにも独特過ぎるシルエットは見る者を不安にさせること間違いなし。 実際、就役当初の龍驤は安定性を大きく欠き、当時の乗員は 「転舵中に昇降機から空を見上げたつもりが水平線が見えてるんですがそれは」 と証言している。ホントよく転覆しなかったな… その後は1934年の「友鶴事件(*3)」でトップヘビーの脅威が露見した為、 船体からはみ出ていた高角砲を6基から4基に減らす バラスト代わりに予備の燃料タンクを兼ねたバルジを新設する(*4) などの改修を行った。 だが、龍驤は翌年の1935年10月にもっと大きな事件の当事者となった。 岩手県沖で演習中の艦隊が台風と接触し、艦隊の大半が何らかのダメージを被った「第四艦隊事件」である。 この事件で艦橋圧壊のダメージを負ったのを契機に二度目の改修工事が行われ、 煙突の位置を低めに置く 錘として船底にキール(竜骨)を設ける 飛行甲板を削る などの改修が行われた。 この改修で吃水を7.08mに引き上げる等の改善に成功したが、それでもなお転覆とは紙一重の恐怖が付き纏ったという。 艦載機運用能力 龍驤の搭載機数はおおよそ36機。補用として更に12機の運用が可能だった。 小型なので他の正規空母に比べればかなり少ないが、精々27~30機程度の瑞鳳型(祥鳳型)や千歳型などの改装空母よりは流石に多い。 ただ、飛行甲板はそれらに比べて30~40m程も短く、格納庫も小さいので大型化していく航空機の進化にはついていくのは難しいだろう。 そもそも龍驤が建造されていた頃の航空機と言えば複葉機だったので仕方ないっちゃあ仕方ない。長生きすれば鳳翔や龍鳳のように延長してもらえたのかもしれないが… 防御力 防御力を維持しつつ、少しでも排水量を減らす為に当時最新技術だった電気溶接が導入された。 しかし日本の溶接技術はまだまだ未熟だった為、防御力は計画より二割減という結果に終わり、「第四艦隊事件」で吃水の低い龍驤は強烈な波浪で艦橋が凹み、大規模な改装を行う羽目になった。 機動力 速力は最高29ktと大型の正規空母程ではないが改装空母や特設空母などよりは大分速い。 ついでに言うとアンバランスさが幸いしたのか、旋回性は良かったらしい。 攻撃力 20cm単装砲を積んでるやつもいることだし、まあ一応触れておこう。 生まれついての空母なので火力は対空兵装程度しかない。 一応高角砲の水平射撃で軽巡由良や駆逐艦夕霧と共同でオランダ軍の輸送船や武装商船を、単艦では蘭軍哨戒艇を撃沈した記録が残っている。 だからどうしたというものでもないが。 その他 龍驤の厨房設備は高雄型重巡の物の改良型でとても優秀であったらしく、本艦以降の艦艇に広く採用されたという。 え?居住性はどうかって?お察しください。 なお、龍驤は訓練が大変厳しい(*5)ことでも知られ、「赤鬼、青鬼でさえ『龍驤』と聞いただけで後ずさりする」と噂された程だった。 その甲斐あって搭乗員は「雷撃の神様」こと村田重治少佐など熟練揃いだったが、日米開戦が目前になると熟練搭乗員を根こそぎ南雲機動艦隊に引き抜かれ、寄せ集めの未熟な搭乗員だけで太平洋戦争に臨まなくてはならなくなった。 余談だが、日本を代表するエースパイロットの一人である「零戦虎徹」こと岩本徹三は元々龍驤の整備員だったが後に搭乗員に志願、一時期は龍驤で訓練していたこともあった。 岩本徹三以外にも「大空のサムライ」坂井三郎も龍驤で発着艦訓練を受けた経験がある。もっとも、坂井が空母搭乗員を経験したのはこれが最初で最後だが。 総合 どう贔屓目に見ても、龍驤は失敗作としか言いようがない。 だがしかし、この龍驤での失敗と経験があったからこそ後続の空母建造や改修のノウハウを得たという点で大きなアドバンテージを持つという大きな評価点があることは見逃せない。 また、機動部隊黎明期の空母だけあって大戦中にエースとなった熟練搭乗員にはこの龍驤で経験を積んだ者も多い。 特に艦上爆撃機が初めて配備されたのはこの龍驤が初めて(*6)で、帝国海軍艦爆隊の歴史はここから始まっているのである。 そういう意味では、龍驤もまた鳳翔のように「空母の母」と言えるのではないだろうか。 活躍 龍驤は鳳翔、加賀と共に(*7)第一航空戦隊を編成、日華事変に参加した。 この日華事変こそ龍驤の初陣であり、三隻の活躍は世界に大きく報道された。 その後は搭乗員の育成を行っていたが、太平洋戦争が目前に迫ると主要な搭乗員は根こそぎ真珠湾攻撃に赴く南雲機動艦隊に引き抜かれ、龍驤に来るのは未熟な搭乗員ばかり、しかも零式艦上戦闘機の配備が間に合わず、艦載機は旧式の九六式艦上戦闘機であった。 欠陥だらけの空母に未熟な搭乗員に旧式戦闘機とか、こんなので活躍出来る訳が… 大活躍でした。 これは開戦時に竣工していた空母の内、主力の6隻が全てハワイに向かい、鳳翔は本土防衛、瑞鳳は訓練中で、南方作戦に投入出来る空母は龍驤ただ1隻であった為で、龍驤以外の航空戦力は長大な航続距離を誇る零戦を保有している基地航空隊しかなかった。 猛将・角田覚治中将指揮の下、開戦当初の12月8日から南方ではダバオ飛行場爆撃、レガスピー攻略作戦、ダバオ攻略作戦、アナンバス攻略作戦、バンカ・パレンバン攻略作戦、アンダマン・ビルマ攻略作戦、インド洋機動作戦、マレー作戦、スラバヤ沖海戦、北方ではアリューシャン攻略、ダッチハーバー空襲など、八面六臂、縦横無尽の大活躍を演じた。 小型空母でここまで働いたのは龍驤以外には無く、ようやく日本に帰ることが出来たのが4月23日だというのだからその働きぶりが窺える。 特にマレー半島とシンガポールでは基地航空隊の零戦と共に英空軍を圧倒し、陥落に大きく貢献した。 アリューシャン列島攻略の頃には念願の零戦も配備され、空母隼鷹と共にMI作戦(*8)の陽動としてアリューシャン列島を攻略するAL作戦に臨んだ。 この時、ダッチハーバー攻撃に参加し、ほぼ無傷で墜落した1機の零戦(*9)が後にアメリカ軍が回収・徹底分析したアクタン・ゼロとして戦争に大きな影響を与えることを知らずに… ミッドウェー海戦後は第三艦隊に配属され、飛鷹、隼鷹と共に壊滅した第二航空戦隊に編入された。 そして1942年8月24日、出撃準備が整わなかった空母瑞鳳に代わって翔鶴、瑞鶴ら一航戦と共に第二次ソロモン海戦に臨む。 ガダルカナル島に上陸する陸軍の支援を行う為に龍驤は分遣隊を率いて飛行場攻撃を行っていたが、艦隊を分散させ過ぎていた為に孤立。 空母サラトガ所属の攻撃隊による集中攻撃を受けて指揮を執っていた将校も全滅、遂にガダルカナル島北方の海域に散った。 図らずも囮となった形の龍驤に気を取られていた米軍は翔鶴と瑞鶴ら機動部隊本隊を見過ごしており、日本側は米機動部隊を叩き潰せる絶好のチャンスだったのだが、戦果は不死身の空母エンタープライズを中破させたのみで開戦以来の南方作戦で活躍した龍驤の戦没に見合った対価とは言えず、第二次ソロモン海戦は日本の敗北に終わった。 決して高い性能を持った空母ではなかったが、日本海軍の歴史の中でも「殊勲艦」と呼ぶに相応しい一生であったと言えるだろう。 同型艦 最初期の空母だけあって鳳翔と同じく同型艦は無い。 ただ、船体は青葉型重巡を基に建造されたので、そういう意味では遠い親戚と言えるかもしれない。 創作での龍驤 正直に言って影は薄い。 しかし、かわぐちかいじ氏の漫画「ジパング」では史実よりも長生きし、イギリス相手に大立ち回りを演じてみせた。 結局は撃沈されるものの、沈没まで大きくクローズアップされている。 近年ではブラウザゲーム「艦隊これくしょん -艦これ-」にて実装。公式からも大きくピックアップされている。 本ゲームにおいては艦種が航空駆逐艦軽空母になっており、横須賀出身なのに何故か関西弁を喋るのが特徴。 詳しくはこちらへ。 余談 何故かチェコ版Wikipediaの龍驤の記事が異様に詳しく書かれていることが有志によって確認されている。 扶桑が海外で大人気なのと同じような理由だろうか? 龍驤を見て「危険が危い」と感じた方は追記・修正をお願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] チェコ語版Wikipediaの龍驤の記事を見てみたけどどういう事なの…アレ、下手すりゃ日本語版より充実してるんじゃ… -- 名無しさん (2015-05-19 23 20 25) チェコ語版見てきた。こいつぁすげぇや・・・ -- 名無しさん (2015-05-20 07 50 18) 転舵中に空を見たら水平線が見えたってどういうことなの -- 名無しさん (2015-05-20 17 00 55) ↑バイクとかならカーブすると内側に傾くだろ?龍驤はその傾斜が異常。 -- 名無しさん (2015-05-20 21 50 25) お、RJか? -- 名無しさん (2015-05-21 00 38 22) ↑3 同じく転舵中にほぼ横倒しになった米の超トップヘビー駆逐艦がいたなぁ、そいつはそいつで「何度も」傾斜70度を計測したとかなんとか -- 名無しさん (2015-05-21 01 02 25) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/carriercommand2/pages/17.html
航空母艦について 計器説明 コンパス(上一番左) 空母の機首の方位を示す。 駆動力(上左から2番目) 航空母艦の速度、スラスター、エンジンの状態を示す。 コンパス(上左から3番目) 空母の機首方位と船体傾斜を示す。 深度ソナー(上左から4番目) 深度が浅い箇所を表示する。 非常警報(上左から5番目) 上のボタンで警報を発令する。下のボタンで警報を停止する。 ナビゲーション(下一番左、3番目、5番目) 地図を表示する。基本、風、雨、霧、海流、深度の情報を表示する。 エンジン操作ボタン(下左から2番目) 上のボタンでエンジンスタート、下のボタンでエンジンストップ。 サイドスラスターボタン(エンジンボタンの下) 横方向に移動できる。主に接弦用。 後退ボタン(サイドスラスターボタンの下) リバースギア切り替え。 計器(下左から4番目) 速度、スロットル、サイドスラスターの量を表示。 計器(手前一番左) エンジン回転数、エンジン温度、残燃料を表示。 ハンドルロックスイッチ(手前右) かじを現在の状態で固定する。 機首方位維持スイッチ(手前右) 現在の機首方位を維持する。ズレた場合は自動で修正する。 ナビゲーションライトスイッチ(手間右) 空母のナビゲーションライト点灯を切り替える。 ヘッドライトスイッチ(手前右) 空母のヘッドライト点灯を切り替える。 ヘッドライト上方向、下方向ボタン(手前右) 空母のヘッドライトの上下を調節する。
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/13948.html
登録日:2009/05/26(火) 20 07 42 更新日:2023/01/05 Thu 19 30 59 所要時間:約 2 分で読めます ▽タグ一覧 1943 ミッドウェー海戦 兵器 大日本帝国海軍 空母 聯合艦隊 航空母艦 軍事 軍艦 飛龍 飛龍の反撃 飛龍(ひりゅう)とは、大日本帝国海軍が所有していた空母の一隻である。開戦当時から空母赤城と共に活躍するも、ミッドウェー海戦にて沈没した。 竣工1939年7月5日 戦没1942年6月6日 除籍1942年9月5日 全長216.9m 速度34.5n 排水量17.300t 本来は蒼龍の姉妹艦だったが、諸事情により再設計される 完成後、第二航空戦隊の旗艦に就役する 船体は蒼龍のデータを元に再設計されており、復元性・防弾処理など全体的に向上している また、この飛龍を元に後の雲龍型空母が設計、建造された。 経歴 1941年 他艦艇と共に米軍真珠湾基地を強襲、当面の作戦行動を不可能にする 1942年 ミッドウェー海戦勃発 正規空母赤城・加賀・蒼龍三隻が被弾炎上する中、飛龍は単艦スコールの内に逃れていたため健在だった。 そんな中飛龍の艦長は単艦になりながらも戦うことを決意、索敵機が発見した空母「ヨークタウン」に狙いを定め攻撃隊を発進させた。 運良く相対した米空母「ヨークタウン」は既に一度被弾し応急処置をとられただけで、耐久力は手負いの状態であった。 せめて一矢報いるべく飛龍攻撃隊はヨークタウンに猛攻を仕掛け、航行不能・大破に追い込む しかし3対1の戦力差は大きく、千ポンド爆弾四発の直撃を受け飛龍は大破。しばらく浮いていたものの後に海中へと姿を消していった… この際、艦長も運命を共にしている 単艦でありながら反撃に出た飛龍の姿は、敵軍であった米軍も賞賛する程のものだったという… なお、飛龍の反撃を受けて大破した空母ヨークタウンは自力航行ができずにおり、他艦によって真珠湾へ曳航されていたが後の7日に伊168潜水艦がこれを発見。雷撃を喰らいトドメをさされている。 1999年 後に、アメリカの深海調査会社により、ミッドウェー付近の深海4800mに眠る飛龍の姿が発見されたという。 フィクションでの活躍 何と言っても悲惨な敗戦であるミッドウェーで見せた意地の反撃は大きく、扱いは総じて良い。 艦隊これくしょんにも登場している。 しかし、初期スペックは赤城・加賀の一航戦相手には厳しく、蒼龍ともども軽空母並と評されるほどになってしまう。 ただし、それは最初期の話。育てて改二となれば相当な能力を獲得する。運もかなり良いのでぜひ育てたい。 使用BGMにも「飛龍の反撃」という曲があるほどであり、決して冷遇はされていない。 二次創作では赤城や加賀のキャラが強いせいか食われがちで、史実の武勲の割にあまり目立たなくなっている気も… 多聞丸LOVE。 追記・修正お願いします。 △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 映画「太平洋の嵐」では完全に主役メカ。 -- 名無しさん (2020-10-23 14 07 51) 艦長じゃないぞ?決断したのは二航戦司令官山口多聞少将 -- 名無しさん (2021-10-14 23 24 12) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/teitoku_bbs/pages/5940.html
927: 加賀 :2019/10/13(日) 20 36 18 HOST p2761248-ipngn200907osakachuo.osaka.ocn.ne.jp 空母瑞鶴(第二次大改装) 基準排水量 39000トン 満載排水量 42000トン 全長 280メートル 全幅 32メートル 機関 58式水管ボイラー×8 58式蒸気タービン×4 最大速力 35ノット 武装 58式54口径127ミリ単装速射砲(史実73式)×4 58式50口径76ミリ連装速射砲×6 20ミリ連装機関砲×12 搭載機 FJ-2×36機 流星改27機 S-58×6機 翔鶴型の二番艦『瑞鶴』の第二次大改装である。第一次改装は朝鮮戦争前の事でこの時は流星が搭載出来るよう高さ等の改装をしていた。しかし、第二次大改装はジェット機に対応出来るための改装だった。本来であれば『瑞鶴』は朝鮮戦争後には退役して後継空母がある筈だった。 しかし、日本軍の復活は良かったものの下村等との激突(主に教育や経済面)で『瑞鶴』の代艦は御破算となりじゃあどうするかとなった時、GF参謀長に就任した松田中将がふと漏らした言葉から始まった。 「ならほぼ作り替えて長く運用するしか無いでしょう。確か史実の腹黒紳士も『ヴィクトリアス』を作り替えていましたし」 この一言で海軍も腹を括り『瑞鶴』を長期改装する事に決定。その予算確保のため『伊勢』『日向』を退役させたりする。 最大の特徴は全長を23メートルも延長させフォレスタル級で余ったボイラーとタービンを無料で供給してもらった。アメリカも『瑞鶴』改装のため(日本へのご機嫌取りに近い)に予算や兵器のライセンス許可や供給を行い改装を支えた事で『瑞鶴』は先に改装をしていた『信濃』共々、1959年に再度就役した。 就役後は横須賀に配備され広報活動や訓練に従事しつつソ連崩壊まで運用された。 なお、極東危機の時は『長門』共々に現役に復帰。対馬沖を航行する戦艦『長門』、空母『瑞鶴』『信濃』を捉えた写真は今日まで有名な一枚となる。 928: 加賀 :2019/10/13(日) 20 37 18 HOST p2761248-ipngn200907osakachuo.osaka.ocn.ne.jp 酒に酔って調子に乗って書いてしまった……
https://w.atwiki.jp/aniwotawiki/pages/13952.html
登録日:2009/05/26(火) 19 50 12 更新日:2024/02/21 Wed 18 43 36 所要時間:約 8 分で読めます ▽タグ一覧 もと巡洋戦艦 ネウロイ 兵器 大日本帝国海軍 空母 聯合艦隊 航空母艦 補助艦艇 赤城 軍事 軍艦 航空母艦 赤城とは、大日本帝国海軍が保有していた航空母艦。 同型艦に天城(未完)がある。 主に太平洋戦争において機動部隊の旗艦として任じられたが、1942年ミッドウェーにて敵攻撃により大破炎上し、雷撃処分された(*1)。 ▽目次 建造経緯 単一甲板に至るまで 赤城の二次改装 日中戦争時代 空母中心の航空艦隊結成 赤城の戦果と終局と日本海軍航空隊崩壊の序曲 日本海軍航空隊の運命とIF 艦船データ 建造経緯 日本海軍が計画した八八艦隊計画により、天城型巡洋戦艦2番艦として呉工廠にて建造進水した。然しながら、完成前の1922年(大正11年)にワシントン海軍軍縮条約を締結したことから、巡洋戦艦として完成させることは不可能となった。条約に従って廃艦処分を回避する為、ワシントン条約では補助艦艇とされていた航空母艦として天城型巡洋戦艦は改造される事となった。 しかし天城は関東大震災により竜骨を損壊し、破棄処分となった(*2)。 単一甲板に至るまで 赤城を空母に改装するにあたり問題となったのが、その形状であった。当時は空母が出来たばかりの時代であったためどのような空母にするか検討した結果、イギリスのフューリアスを参考に三段式甲板を採用することとされた。 これは、発艦と着艦を同時に行うために考案されたもので、上段を190mの着艦専用とし、中段を戦闘機発艦用、下段を攻撃機発艦用と考えたものであった。また甲板上の艦橋は邪魔として、上部甲板に釣りさげる形で設置された他、煙突は右舷舷側から大きく下に湾曲したものを装備した。 赤城完成当時の航空機は航続能力が充分ではなかった為、空母であっても砲撃戦闘になりうるとの判断から、20cm連装砲が中段に備えられた。 しかし実際に運用してみると20cm砲は邪魔でしかなく、三段甲板は無用の長物で有ることが判明し、航空機の発達と伴に「加賀」及び「赤城」は、大近代化改修工事が行われることとなった。 改装空母の本命とされた赤城(天城型)は基本的に加賀より優先して改修が行われており、空母化に際しては予算不足を加賀の改装費を流用するなどして補い、「焼き鳥製造機」状態の加賀の改善は予算不足を理由に延び延びになる中で近代化改修を行っていた。 だが、この改修中に上海事変が勃発した為これに参戦することが叶わず、またこの戦闘航海により運用する上で問題が多過ぎる事がしっかり認識されたため、二次改装は加賀が優先される事になった…これが赤城に悲劇をもたらす事になる。 赤城の二次改装 加賀の二次改装が終了した後、1935年10月から赤城は佐世保工廠において二次改装を施され、排水量も公試41300tとなった。この時不評だった三段甲板は全通式甲板となり、下二段は格納庫となった。また煙突は一つに纏められ右舷中央部に設置された。艦橋は煙突との兼ね合いから左舷中央部に配置されたが、これは乱流が起き、事故が多発した為不評であった。しかも排煙が艦橋に入り込みやすく、見張りに支障をきたす事もあったとされる。 また、排気が流れ込む場所に居住区を作ってしまったため、窓を開けられなくなってしまい、結果、衛生状態が悪化。赤痢や結核などの病気が蔓延し、「人殺し長屋赤城」なる不名誉なあだ名がつけられたという。ちなみに旧石炭庫を居住スペースにするなどしていた為艦内が迷路状態になるおまけつき。 昭和9年に立て続けに起こった友鶴事件、第四艦隊事件に起因する艦艇の大規模性能改善工事に人手をとられ、昭和13年には新艦建造費(マル3計画)に予算をとられて改装前より不具合が増え「人殺し長屋」と化すなど踏んだり蹴ったりであった。 しかも赤城は加賀に比べて工期が長く、その分工員たちも長く雇わねばならない事もあり、改装範囲を出来るだけ最小に止めたにもかかわらず改装費用は加賀のそれを上回っている。(*3) 本来赤城の改装要求は加賀同様7項目だったのだが、前述の通り予算不足のため、改装要領について海軍省と軍令部で話し合い、結果、"対空兵装強化については、高角砲の換装は見送る"、"撤去する20センチ連装砲2基の換わりに、舷側部への砲廓式20センチ単装砲の増設は実施しない"、"機関部の大幅な改正は行なわない"などが決められ、武装は一切触れられなかった為、真珠湾攻撃時には、参加空母中最も対空火力が貧弱であった。唯一、近接防御力だけは25ミリ連装機銃14基装備と僚艦より強化されている。 僚艦に比べて改装範囲は少ないのだが、機関部や武装の改修以外は同じ位、場合によっては僚艦より手の込んだ改装を行っているところもいくつかある。 ひとつは昇降機。赤城は中央部に1基増設したのだが、元々ある前部昇降機は縦長で、この型式では格納庫に艦載機を出し入れするとき艦載機の向きをその都度変えなくてはならず、運用上不具合があった。このため前部昇降機を横長のものに改正したのだが、この改装のため最上甲板の昇降機の孔の大規模な補強工事が必要となり、甲板面のみならず、外板にも相当な補強工事が実施された。(加賀は前部に1基のみ増設) また飛行甲板における木甲板部分。加賀や蒼龍・飛龍らとは違い、赤城の甲板はほぼ全面"木甲板"にされていた。木甲板にするには甲板を構成する鋼鈑に多数の孔を開け、大量の木材をコーキングしながら敷き詰め、ボルト止めするという工程が必要で、工費(人件費)・工期・資材が余計に掛かってしまう。そのため加賀などは滑り止め、遮熱、着艦時の緩衝材として必要な部分(格納庫部分・着艦区域)だけ木甲板化し、他の改装域に予算と人手を回していたようなのだが…そうすると赤城は何故か余り必要のない艦首・艦尾部分まで木甲板にしている事になる。理由としては「艦載機の艦首からの逆着艦」を考慮したのではとも言われている(赤城の艦橋が中央部にあるのも「逆着艦の為」との説もある)のだが、逆着艦はあまり現実的ではなかったようだ。人手不足と予算不足の中でこうした工事を行ったためか、「木製の板の隙間を埋める防水充填剤が板と板の間からはみ出てそれが甲板上に黒く硬くなって残る」など赤城の飛行甲板の仕上がりはかなり雑だった。 格納庫部分は上・中段を艦首方向に延長しただけでなく下段格納庫まで延長し新規追加された中部エレベーターと接続させていた。(加賀は上・中段のみ延長)ただし下段格納庫の延長は行われておらず、エレベーターと接続させただけという説もある。ちなみにこの下段格納庫は長さ53m・幅12mと零戦5機(零戦二一型の幅は12m・翼折り畳で11m、全長は9.06m)が何とか入る程度だったので、「補用機格納庫として使ったのではないか」と言われている。 日中戦争時代 赤城は長らくドックで改装を行っていた為、日中戦争における功績は加賀、龍驤、鳳翔らとは大きく差がある。と言うか、赤城が改装を終えた時には既に戦域がだいぶ内陸に移行しており、航空作戦は陸軍航空隊の手に移り航空母艦からの航空作戦は本来終了していた。加賀が出撃していた時も、母艦からではなく陸上に設けた前進基地から空母航空隊を発進させる事があったように、パイロット達からすれば不安定な空母を使わなくて済むならその方が良い訳で… まあ、ようするにわざわざ赤城が出撃する必要性はなかったのである(*4)。 空母中心の航空艦隊結成 その巨体も相まって、三段空母の時の赤城(*5)は長門(*6)と当時の少年たちの人気を二分しており、後の戦記やゲーム、アニメなどでも出てくるようになる程有名な空母であった。 当初、艦隊内での空母の地位は高いものではなく、敵主力艦攻撃の戦力として期待されていた存在ではなかった。そもそも歴史の浅い艦種であり、どう運用していけばいいか分からない最初期はとりあえず索敵が主任務とされていたが、当時実際に挙げた戦果は少ないものの、「空母さえ潰してしまえば観測機による戦艦の弾着観測が一方的有利」という現実は日米両軍ともに早期から認識されており、空母航空戦力の有効さを疑う余地は昭和初期、すでにして無かった。 もっとも、1935年(*7)位の航空戦力はエースが操る最新鋭機(もちろん複葉機)でも魚雷艇を沈めるのがやっと(*8)。 が、昭和8年頃から航空機の性能増大から主力艦に与える打撃力の向上が著しいものとなり、空母のみならず、戦艦にも大きな戦果を望める事が明らかになると、空母の位置づけも変化していく。 蒼龍型・翔鶴型が「敵空母と刺し違える」ことを主任務として計画・整備されていた一方で、後述の「主力部隊」に赤城と加賀が含まれたのも、「空母の航空戦力で敵戦艦に打撃を与える事」が期待できたからである。 具体的には赤城と加賀それぞれ、「敵戦艦一隻を撃沈、ないし三隻を撃破」することを求められていた。 (*9) 米国は1939年の大演習において、単一指揮官が指揮をとる空母集中運用が空母航空兵力による防空、制空、攻撃時の打撃力向上に極めて有効であると認識し、空母は「決戦兵力の中核」扱いとなり始めていた。これに対し、日本も遅れをとってはいたが空母の集中運用を独自に進め始めていた。 1940年、この時の空母の運用方針は敵空母部隊の撃破を目的とする「機動航空部隊」、敵戦艦の攻撃を主任務とする「決戦部隊(*10)」、主力艦の直衛を行う「直衛部隊」の3つに分割しての運用が考慮されていた。 しかし同年、赤城飛行長の淵田少佐が「航空主導の航空による艦隊決戦」を構想、一航戦司令官の小澤治三郎少将の許可を得て「母艦航空隊の集中攻撃」を研究項目に加え、一連の演習結果から「空母を集中運用しなければ大規模な航空兵力の円滑な運用は困難である」とし、小澤少佐の賛同を得て1940年6月9日、「航空隊編成に関する意見」を海軍大臣宛に正式に提出。 1941年4月には第一航空艦隊が建制として編成される。(*11) この一航艦は空母を中心兵力として独立編成された世界最初の艦隊である。 また一航艦の司令官には第一艦隊、第二艦隊と同格の中将があてられた、つまりこの時初めて空母部隊が公的にこれらの艦隊と並ぶ決戦兵力扱いとなったのだ。(*12) そして赤城は、加賀と共に航空艦隊の中核である一航戦となり、小型の艦橋で司令部を置きづらくあまり旗艦向きではなかった加賀と比べ艦橋の層が一つ多くて司令部を置き易く、また通信設備も幾らか優れていた事から一航戦旗艦に任命される。淵田中佐(*13)、村田少佐(*14)、板谷少佐(*15)の三飛行長を保有すると言う異例の高待遇を受け、正に航空艦隊の中心的存在となった。 赤城の戦果と終局と日本海軍航空隊崩壊の序曲 開戦と同時にハワイを空襲した赤城以下の第一航空戦隊は、敵主力を壊滅させ、ハワイ作戦本来の目的である、「南方への攻略妨害の阻止」を達成せしめる。 更に、MI作戦までに至る間、ウェーキやラバウルへの攻略支援のみならず、オーストラリアのポートダーウィンと、セイロン島・コロンボとトコンマリーを大空襲している。 ハワイ・オーストラリア・インドは米英が戦争計画として定めた「レインボー5」や「ABDA(南西太平洋方面連合軍最高司令部。当地の米英蘭豪の統合司令部)」にて、「策源地」とされており、本来戦場として想定していなかった場所である。 特にシンガポールやラバウル失陥、ニューギニア進攻といった、続く劣勢から国民士気が低下していたオーストラリア国民にとって、本土攻撃である一航戦のポートダーウィン攻撃は国民をパニック状態に至らしめ、ABDA司令部の作戦指導に相当な影響を与えた(*16)。 1942年、無敵を誇った赤城は意気揚々とミッドウェーへ出撃する。ミッドウェー海戦は誰もが日本海軍勝利を疑わず、山本GF長官でさえ愛人(山本長官は妻子持ちである)に『ちょっとばかり全軍を指揮してくる。今回は面白く無いだろうから、終わったらすべて捨てて二人になろう』という手紙を堂々と送るほどの余裕であった(死亡フラグ)。 だが、そもそも作戦からして日本に都合が良く出来ており、南雲中将が「空母航空隊全体の著しい練度低下」などを理由に作戦の延期を意見するなど、現場の人間からは不安の声も少なくはなかったようだ。 「とにかく飛ばせる機体からじゃんじゃん飛ばせ」な米国の必死の攻撃が謀らずしも連続攻撃となり、索敵から攻撃、防空、全て丸投げされていた南雲機動部隊はこれを捌ききれなくなった。赤城は敵機が直上にいるにもかかわらず、気づかなかったのか回避も対空砲火による反撃も一切行うことなく2発の爆弾を受ける。 被弾直後は機関部へのダメージはなく、十分復旧可能な範疇であった筈なのだが、機銃や魚雷に誘爆、更に燃料に引火、甲板は火達磨となり、大破行動不能。最終的には雷撃処分となった。 こうして赤城率いる空母機動部隊は大きく勢力を減ずることとなる。約半年という短い栄光であった。 ミッドウェーに第一航空戦隊が散った事は日本海軍の連戦連勝神話を崩壊させ、太平洋戦争そのものの行方を変えてしまった。 これを境に日本海軍の戦機は失われ、戦争に敗北したのであった。 日本海軍航空隊の運命とIF MI作戦以降、日本海軍は3か月ほどの大混乱を経て、空母の大拡張を実施することを決定。この時期に信濃や伊勢型戦艦などの空母・航空戦艦などへの改装が決定している。 また、主力四隻を失った第一航空戦隊は解隊されるが、第五航空戦隊所属の翔鶴・瑞鶴を第一航空戦隊として中核に据え、「第三艦隊」として新たな空母部隊が建制として編成された。 しかし、予想外に早く連合国側の反攻が南東方面で開始され、それに対応した結果、海軍航空隊は消耗戦を余儀なくされる。 この戦いの中、海軍は整備・運用コストのみならず、喪失した際のリスクを鑑み、空母部隊よりも基地航空隊に戦力としての軸足を移していく。 そして昭和18年半ばに発令された、「大東亜戦争 帝国海軍第三段作戦」において、日本海軍は主力戦力を基地航空隊とすることを決定。 水上艦隊はその補助戦力と位置づけられることとなり、大増勢が計画・実施される(航空隊の練度が低下したと言われる原因の一つは戦前の十倍以上に達するこの大増勢が大きな要因である)基地航空隊の基地群の間を泳ぐ遊撃戦力として活用されることとなる。空母部隊に付いては昭和20年年初に攻勢作戦である「神武作戦」が中止されるまで可能な限り積極的な運用がなされることとなる。 もともと、苛烈な攻撃を仕掛けまくって「もう戦いたくない」と米国に思わせ講和を結ぶ短期決戦に賭けていた日本にとって防戦一方でずるずると戦争が長引くことは敗北への道に他ならなかった。 空母航空隊として何らかの戦果を上げたのは南太平洋海戦まで、ただしこれも村田重治などのベテランを喪失しながら一時的に太平洋戦争における稼働可能な米空母を0にしたに止まり、本来の戦争目的を達するには至らなかった(但し、後に第三艦隊の航空部隊はラバウルに投入され、「い」号作戦などで戦果を収めている)。 赤城を含めた第一航空戦隊の練度は当時『世界最高峰』(誇張なし)と謳われ、米軍を恐れさせていた。その無敵ぶりは日本海軍航空隊関係者にマリアナ沖海戦での大敗後、『昔年の第一航空戦隊さえ健在なら……(´;ω;`)』と嘆かれるほどで、機体性能差を物ともしない超エースが揃っていた証であった。 後世の戦史家の間で『たとえミッドウェーの破局が無くても、絶対どこかでエセックス級の軍団に負けるから結局は同じさ( ´Д`)なにか?』と良く言われるが、赤城達が健在ならば、搭乗員の練度は最低でも飛行時間が1000時間、最高練度の者は2000時間に達するような怪物級である。 実際に質・量ともに絶望的に差が開いたはずの末期でさえベテラン勢は練度で性能差をねじ伏せていたので、一部の戦史家や、当事者達の間では『エセックス級とF6Fヘルキャットの登場前に戦争が終わった可能性も存在する!』とさえ言われていた。 このように、日本海軍は赤城達の戦没後、彼女達の見せた栄光の影を追い続けた。彼女達が健在時に見せた栄光に酔いしれていた上層部は、突貫工事で作った大鳳にその使命の再現を託していたし、マリアナ沖海戦の敗戦までの間、空母機動部隊を使い潰した。 とうとうミッドウェー後の日本の空母機動部隊には、赤城のように、祖国に栄光をもたらすモノは出現せずじまいであった。それは日本海軍が緒戦で見た栄光からは考えられない凋落の末路であり、マリアナ沖海戦敗戦時、誰もが思った。『昔年の第一航空戦隊さえ健在なら……』と。 艦船データ 起工 1920年12月6日 進水 1925年4月22日 竣工 1927年3月25日 戦没 1942年6月6日 除籍 1942年9月25日 竣工時(1927年) 排水量 (公)26900t 全長 261.21m 全幅 29.0m 吃水 8.07m 甲板長 190.2×30.5m(上部) 出力 131200hp 最大速力 31.0kt 航続距離 8000浬(14kt時) 乗員 1297名 主罐 ロ号艦本式罐重油焚×11基同石炭重油混焼×8基 燃料積載量 重油3900t石炭2100t 主機 技本式オールギヤードタービン8基4軸推進 武装 50口径三年式20cm連装砲×2基同単装砲 6門45口径12cm連装高角砲×6基留式7.7mm機銃×2挺 搭載機 三式艦上戦闘機×12機 予備機×4機一三式艦上攻撃機×24機 予備機×4機一〇式艦上偵察機×12機 予備機×4機合計 60機 第二次近代化改装後 排水量 (公)41300t 全長 260.67m 全幅 31.32m 吃水 8.71m 甲板 249.2m×30.5m 出力 133000hp 最大速力 31.2kt 航続 8200浬(16kt時) 乗員 2000名 主罐 ロ号艦本式罐重油焚19基 燃料積載量 重油5770t 主機 技本式オールギヤードタービン8基4軸推進 武装 (略) 搭載機 零式艦上戦闘機×18機 予備機×3機九七式艦上攻撃機×27機 予備機×3機九九式艦上爆撃機×18機 予備機×3機合計 72機 余りに薄いので、全面的に書き換えますが、問題が有れば宜しくお願いします。 貴方様の携帯に、追記修正というプロパガンダを流し、この項目を刻み付けるのであります! △メニュー 項目変更 この項目が面白かったなら……\ポチッと/ -アニヲタWiki- ▷ コメント欄 [部分編集] 赤城を爆撃した4機の艦爆は加賀を狙った隊が連携に失敗してヤケクソに攻撃してきたのが成功したんだよな…なのに何一つ非難されないんだな米軍って -- 名無しさん (2016-01-31 20 00 42) ↑エンタープライズのマクラスキー隊な。そりゃ同じ隊で加賀と赤城を沈める大戦果立てれば非難できんだろ。おまけに爆撃した人は飛龍にもとどめ刺してるし -- 名無しさん (2016-01-31 20 59 22) 戦争が終わった可能性の下りは流石に身贔屓が過ぎるとしか… -- 名無しさん (2016-01-31 21 14 13) 「ごはんがおいしい」、主計に勤めていたといううちの爺様も言っていた。間違いない。・・・結核で療養兼ねて後方送りになったので人殺し長屋もたぶん間違ってない・・・(白目 -- 名無しさん (2017-01-18 10 06 02) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/1942_fhsw/pages/522.html
※正面左が翔鶴、右は同型艦の瑞鶴 艦種記号 CV 弱点 飛行甲板 概要 日本軍の航空母艦。この型としては翔鶴と瑞鶴が建造された。翔鶴と瑞鶴の武装は同じ。 アメリカ軍の空母と異なり操舵席に対空砲が装備されていない。その代わり視界が良く、全面を見渡すことができる。 史実 翔鶴は1944年6月のマリアナ沖海戦で被雷沈没。 姉妹艦の瑞鶴も1944年10月のエンガノ岬沖海戦(レイテ沖海戦)で沈没。 翔鶴 キルログ表記 翔鶴 座席 1番席 警鐘 警鐘 レーダー有 2番席 八九式 12.7cm連装高角砲 2基 九六式 25mm3連装高角機銃 2基 レーダー有 3番席 八九式 12.7cm連装高角砲 2基 九六式 25mm3連装高角機銃 2基 レーダー有 4番席 八九式 12.7cm連装高角砲 2基 九六式 25mm3連装高角機銃 2基 レーダー有 5番席 八九式 12.7cm連装高角砲 2基 九六式 25mm3連装高角機銃 2基 レーダー有 瑞鶴 キルログ表記 瑞鶴 座席 1番席 警鐘 警鐘 レーダー有 2番席 八九式 12.7cm連装高角砲 2基 九六式 25mm3連装高角機銃 2基 レーダー有 3番席 八九式 12.7cm連装高角砲 2基 九六式 25mm3連装高角機銃 2基 レーダー有 4番席 八九式 12.7cm連装高角砲 2基 九六式 25mm3連装高角機銃 2基 レーダー有 5番席 八九式 12.7cm連装高角砲 2基 九六式 25mm3連装高角機銃 2基 レーダー有 コメント 日本空母ではワシントン軍縮条約破棄を前提に1から設計された最初の空母(飛龍は蒼龍2番艦から条約破棄により設計変更している)、排水量制限が無くなり飛龍までのノウハウ蓄積もあって、当時世界でもトップクラスに優秀な空母として完成した。特に発動出力16万hpは、かの大和をも上回る。作中でもその出力は高速性として遺憾無く発揮されるが、同時に日本空母共通の弱点である艦直上への対空火力の欠如・1番席火器の欠如も引き継いでいるので1人乗りだと不安が残る。また艦体が細めのせいか、転舵時に発着艦に与える影響も大きく、後進の事故率はシャレにならない。また頑丈さではやはり米空母に1歩譲るため、隠密・回避の重要性も高いままであり、高性能であるものの運用にはコツのいる艦であるといえる。 -- 名無しさん (2014-02-01 20 13 28) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/aquarianagetcg/pages/3102.html
Break Card [[E.G.O.]] 2F/2C [[マシン]] 3/3/4 [[シールド]]/[[チャージX]] Xはあなたの[[支配エリア]]のネームに「ブレイブ」を含むE.G.O.のカードの枚数の合計に等しい。 このカードが[[セット]]された場合、≪あなたの[[デッキ]]≫から、ネームに「ブレイブ」を含むE.G.O.のカード1枚、または「超絶絶断剣 ネオカイザーブレード」1枚を選び、対戦相手に見せる。 その後、そのカードをあなたの手札に加える。その後、あなたのデッキをシャッフルする。 ≪あなた≫は、ネームに「ブレイブ」を含むE.G.O.のカードを[[ファストカード]]のタイミングで使用宣言可能。 No.2688 Rarity R Illustrator K2商会 Expansion 望刻の塔 カード考察 このカードはブレイクカードであり「超融合」の文言も含まれていないので超融合機神“G-ブレイブカイザー”の合体パーツではないものと思われる。 (おそらく「超融合“ブレイブ~”」パーマネントカードが合体してG-ブレイブカイザーになるというコンセプトなので) 「E.G.O.の」と断っているのは恐らく超融合魔神“ブラック・ブレイブカイザー”がいるためだろう。 エクストリームスタイルに対応させた斎木インダストリー代表取締役社長“斎木 麗名”にしか見えないが、超融合機神“G-ブレイブカイザー”主体のデッキでは下位互換ではない。 とりあえずシールドが付いているのは優秀。 チャージ能力は明らかに弱いが、社長は出したターンチャージ0であることもあるがブレイブベースはチャージ1が約束されているので下位互換とは言えない。 サーチできるカード種類が狭まってはいるが超融合機神“G-ブレイブカイザー”と超絶絶断剣ネオカイザーブレードがサーチできれば実質問題ない。 おまけに超絶絶断剣ネオカイザーブレードの威力が1点上昇することが意外に大きい。 カイザー、ベースで5+2点与えられることになり3回本体に撃てば21点の致死量である。 コストを度外視すればベース4枚引けば勝てる計算である。(実際にはベースの2コストがかかるが素でカイザーやブレードを引く可能性もあるため決まることは少なくない。 また、「≪あなた≫は、ネームに「ブレイブ」を含むE.G.O.のカードをファストカードのタイミングで使用宣言可能。」の一文はそれなりに強力。 マシンを積むデッキが少ないことなどのお陰でファストのタイミングで横取りブレイクは期待できないが、 キャラ除去等でパワーが無駄になりそうであればそのコストを使ってベースを重ねブレイクしてサーチしたり、 アグレッシブを持った勢力のマシンを勢力アタックにレスポンスでカイザーでブレイクしてダメージを減らしたりできたり、 カイザーをブレイブなパーマネントでプロジェクト・ファスト・エフェクトから守れたり、 超融合戦闘機“ブレイブジェット”でイニシアチブをつけたり、カイザーならブレイクスルーをつけて無理矢理本体にダメージを与えたりコンバットトリックできる点が特に強い。 (ジェット複数出せないから一回だけだけどネ… さすがに超絶絶断剣カイザーブレードはかっこいいポーズをとらなければいけないのでファストのタイミングでは使用できません。残念…