約 1,243 件
https://w.atwiki.jp/greatpeak/pages/57.html
初心者向けセオリー 準備編 ☆稜線東側脇ルートをとる カムコルス連峰では、常に北西から風が吹きつけている。 従って、稜線上や稜線西側・北側脇のルートは強風で活動できない日が多く、また突風による滑落の可能性も高い。 それに比べ稜線東側・南側の脇を通過するルートは風が弱く、だいたいは行動できるため、最初はこのルートをおすすめしたい。 しかしキャンプ設置に適した完全に安全な雪原が少ないか、場合によっては全くないこともあるので、整地セットや予備のテントは必須。 また雪崩や落石によってその地点のテントが全て破壊されると、その中の物資も全て失われるので、食料や日程に余裕を持たせる必要がある。 登山中 ☆こまめに天気図を見る 特に風には常に注意を払おう。風が強いと移動速度が減少し体力を消耗しやすくなる。極端だが6月なら天気図は風だけ見ていればいい。 25m/s以上の風が吹くと目に見えて移動速度が減少するため、単純に大変危険。そのまま日が落ちれば更に行動速度は落ちてしまう。 そんな状況で雪崩や滑落によって遭難したり重症者が出たりすると、まともに捜索隊も出せず、最悪何日にも及ぶビバークで隊員はばたばたと死んでしまう。 こまめに天気図を見て、風が強くなりそうな場合には極力テント待機させよう。 ちなみに6月でも多少雪が降り行動が鈍るが、風が弱ければ行動しても問題ない。 ☆岩壁や雪壁で「どうしても進めません」と言われたら 隊の登壁能力が足りないと、壁を登り降りすることができない。 隊の登壁能力は、実は隊員一人ひとりの登壁能力の累積ではなく、その隊の中で一番高い登壁能力を持った隊員一人だけで決定される。 つまり低ランクの隊を壁の向こう側に登らせたいときには、優れた登壁能力を持つ隊員を一人だけ異動させることで低ランク隊でも素早い登壁が可能になる。 ☆高度7000m以上での行動 無酸素の場合、大体高度7000mあたりから凍傷にかかりやすくなる。 凍傷にかかる原因は、高高度に長時間滞在することと、気温が低い中での作業だ。 つまり隊員がすぐに凍傷になってしまうため、このあたりからルート工作はあまり実を結ばなくなる。 そして、高度7000m付近以上でのテント設営もあまり意味がない。 というのも、気温が低すぎる上に高高度なため、たとえテントの中にいても凍傷が進行してしまうからだ。 もちろん悪天候で身動きの取れない中ビバークするよりは遥かにマシだが、そうなりそうなときは素直に移動を諦めよう。 つまり、7000m手前あたりにアタックキャンプを設け、風や降雪の弱い日の早朝にアタックを開始するのが最良と言える。 ちなみに軽度の凍傷になっても登ることは可能なので、体力に余裕があり登頂まであと少しならば積極的に登頂させよう。 登頂後
https://w.atwiki.jp/wangel/pages/339.html
こんにちは。 MGWVが有雪組と無雪組に分かれて同時期に行いました3月山行です。 私たち有雪組は、3月12日から1泊2日の日で八ヶ岳(メインピークは硫黄岳)に登って参りました! ※予備日込みで最大山中4日の行程を想定していましたが、天候に恵まれたため2日で下山することができました。 今回のルートですが、 茅野駅より美濃戸口(登山口)へ→美濃戸山荘を経由して赤岳鉱泉でテント泊(3/12) 赤岳鉱泉からピストンで硫黄岳ピークアタックを目指して樹林帯を抜け、赤岩の頭を経由して稜線に出て予定通り硫黄岳のピークを踏みました。(3/13) その後は同じルートを下り同日中に下山しました。 初日(12日)、入山時点では雪が降っていて視界もあまり良くなかったため、雪の中でのアイゼンワークとテント設営を強いられました。 しかし幸いなことに風が弱かったので吹雪などにはならず、それなりのコンディショニングで雪上技術訓練合宿で学んだことを実践しました。 次の日(13日)、前日の気象予想通り天候は良好でした。 AM6時、周りが明るくなり始めてから全体で出発しました。 その後は読図やトラバースに気をつけながらルートに沿って歩き、約2時間半かけて樹林帯を抜けました。 場所によっては足場が狭く2点支持が必要な個所や、キックステップを多用する必要がある個所もありましたが アイゼン、ピッケルワークを使いながらゆっくりと登っていきました。 残雪期ということもあり、夏のコースタイムよりも1.5倍近くの時間がかかりました。 ↓ルート状況です。 途中ピッケルの持つ向きや雪崩が発生しやすい危険個所、アイゼンワークのポイントなどをリーダーに指摘されました。 色々と勉強になりました。 稜線に出ると、そこは壮大な景色が展開されていました。 正直、慣れない雪山で足がちょっと疲れていましたが、この瞬間本当に来れてよかったと思いました。 風は強烈に吹き荒れていましたが、稜線上を歩んでいるときはどこを見ても絶景でとても楽しかったです。 ↓稜線でわかひこも荒ぶっていたようです …と、このような形で今回の山行は行われました。 大きなけがもなく無事有雪組も無事に山行を終えることができて本当によかったです。 今回の山行にはOBの山口さんと大平さんが同行してくれて、自分たちの山行を大きくサポートして頂きました。 どうもありがとうございました。 次は5月の個人山行になると思います。 それまでは勧誘期間と、体力、知力をつける時間になります。 自分なりに頑張りたいです。 みなさん、お疲れさまでした。 有雪での山行報告を致しました、杉田でした。
https://w.atwiki.jp/wangel/pages/430.html
参加メンバー L.大野 真幸(3年) SL.進藤 大聖(2年) M.杉田 翔(4年)、田中 純平(4年)、曽我 卓也(1年) 幕営地 8/5赤石小屋(テント泊) 水場あり、テン場は狭いため早くいかないとてんとをはれない可能性もあり。 8/6荒川小屋(テント泊) 水場あり。テン場は広い。 8/7千枚小屋(小屋泊) 水場あり、小屋は食事付用と素泊まり用に分かれている。素泊まり用は小屋から少し離れているところにあり。 メインピーク 赤石岳(3120.1M) 悪沢岳(3141M) 天候 8/5晴れ→曇り→雨 8/6曇り→晴れ 8/7晴れ 8/8晴れ 危険箇所 中岳避難小屋から悪沢岳の稜線上と悪沢岳から千枚小屋の稜線上はがれ場であり三点支持をしなければいけない箇所もあり。天候は安定していたが強風時や雨天時などには特に足元には注意。 留意事項 交通アクセスが悪い。金銭面で少し負担がかかる。 畑薙第一ダム以北は稜線上以外ではドコモでも携帯の電波が通じない。 東海フォレスト送迎バスに乗る場合は3000円を事前に支払い貴社が契約している山小屋に必ず1泊小屋泊をすることが条件である。 東海フォレスト送迎バスはピーク時には臨時バスの運行もあり。 赤石小屋のテン場は10張程度しか張れないため狭く、山小屋は広いため小屋泊をする可能性もあり。 千枚小屋は素泊まり用と食事つき用の小屋に分かれており、素泊まり用の小屋は小屋から3分程離れたところにある。 感想 南アルプス南部ということで近年では計画されていない個人山行を夏前で計画しました。全体としてはアクセスが非常に悪く、夜行バスでは寝る環境が最悪だったため、睡眠時間を大いにとることができず、初日の行程はハードでした。しかし、ルートは整備されており、天候にも恵まれたため、読図をしたり、景色を十分に堪能したりする余裕があり、個々の役割に集中する時間は作れました。また来年、後輩が夏前に同じ山域で山行を出してくれることを期待しています。 報告者 大野
https://w.atwiki.jp/00ads/pages/12.html
Tire.5重戦車。 アメリカHTルートを進む場合はここから直進する方が最短距離 でも、MTルートをTire.7まで進めるとM4E2からも開発可能 ゲーム中では非常に「弱い弱い」という代名詞であるが、慣れている人だと非常に厄介になる(特に同格だと) 落ち着いて狙えば大丈夫なのです(´・ω・`) ■攻撃評価 最終砲である「76 mm Gun M1A1」は貫徹:126mm+ダメージ115と、重戦車としては中戦車に似ている。 ・・・というより、Tire.6MTのM4E2やM4E8の砲とほぼ一緒と考えてよい。 発射速度は速く、だいたい3.7秒くらいで連射が可能。 砲の能力としては、中戦車のそれと一緒であるが、 車高が非常に高く、俯角も取れるので、起伏が高い所から頭を出して稜線射撃をやると効果的 実際に対峙すると「あいつ・・・砲塔だけだして撃ってきやがる(´;ω;`)」というのを狙うこととなる ■機動評価 重戦車としては良好で、中戦車に追従していくことが可能。 中戦車とともにラッシュをかけてくると、ちょっと厳しい ■防御評価 前面装甲と側面装甲の数値差に絶句・・・(´・ω・`) 側面の大きな車体のほとんどの装甲が44mmと相模ゴムの某製品のように激薄です(´・ω・`) 側面装甲のかなり広い面積を44mmで占められる(黄色の部分) 正面装甲は83mmと同格では硬い部類に入るのだが、 側面装甲が薄いため、KV-1のような大胆な昼飯角度が実質的に取れず、結論としてKV-1より装甲は脆弱と言える ただし、攻撃評価でも記述した「稜線射撃」の場合、砲塔装甲102mm(+曲線的な避弾経始)で、防御能力は底上げされる。 ■傾向と対策 このTire帯からアメリカ戦車は「頭が固くて、俯角も良好」という特性から、稜線射撃や車体を積極的に隠すプレイスタイルが目立ってくる。 こうしたプレイスタイルに対しては、基本的に抜ける部分は砲塔上部のキューポラを狙う以外になくなるので、 この場合は正面から真っ向勝負を仕掛けない工夫が必要となる。 ・・・具体的には (1) 防御線を下げて誘う(or側面を取りにいく) (2) 複数の場合は、なるだけクロスファイアになるように側面を取りに行く それでも正面から対峙しなければいけない場面が多くなる。 その場合は、車体上面の左側(ちょっと飛び出た位置)を狙うと比較的貫徹する確率はあがる。 なお、普通の戦車では弱点の王道である「車体下部」は、装甲102mm+傾斜装甲=抜けないという罠なので要注意。
https://w.atwiki.jp/saffran_kai/pages/17.html
2009年 2月1日 氷ノ山 山スキー 参加者4名 前夜発、中国道加西SAに夜10時集合~山崎IC下車~国道29を北上 (途中、戸倉スキー場駐車場で仮眠、やまめ茶屋で車1台デポ)~国道482~若桜スキー場着 2月1日8時の始発リフトに乗る(一番南側のリフト、2本乗り継ぐ) ~スキー靴(つぼ足)で三の丸展望台より少し南の稜線へ上がる~山頂へピストン10時55分 氷ノ山山頂、11時半下山~三の丸展望台着~夏道の坂谷コースを下山~林道合流~やまめ 茶屋着14時20分 2月1日5時半起床、やまめ茶屋で私の軽自動車1台をデポし、ヒルビラさんの車で氷ノ山若桜 スキー場着。準備を整え8時の始発リフトに乗る。リフト2本乗り継ぎ下りた地点での天気は曇り、 風もやや強く上部はガスがかかっている様子だったので、ここで先にスキーシールを着け、 ザックの両側にスキーを固定させた。リフトを降りたすぐ左手の林の中の尾根をつぼ足(スキー靴) で登り始める。や急な登りのすぐ左側は斜面になっていて、かなり下の方まで落ちている。 (コケたら下まで落ちてくだろうなあ~)稜線まで上がると広々としている。三の丸展望台の少し南側 1時間もかからなかった。風は幾らか治まってはきたが視界は半径50m?位。ここからはヒルビラ さんのGPSに大変お世話になる。スキーをつけ、シール徒行、15分ほどで三ノ丸展望台着。 (下山はここでコースが分かれる)ここから山頂まではアップダウンがつづく。雪が少ないか、稜線で 風が強い為からか笹が完全に雪に隠れていない。ゲレンデの固いバーンの様。目印になる様なもの は視界に入らず、ただ、ただ広い雪原・・。リンデアンドリング? 山頂着10時55分。3,4組のスキー、スノーシューの登山者とすれ違った。 山頂避難小屋で30分ほど休憩を取り、いよいよ下山!三ノ丸までのアップダウンはピークを避け ながら巻き道にスキーを滑らせるが、稜線から外れた登り斜面の雪は軽すぎて深い!!砂の斜面 の様だ。何とかここを抜け出して三ノ丸までは好みのスタイルとなった。テーラーさんはスキーで ガンガン登る!やはり体が大きいと違うな・・。 ヒルビラさんはシールを付けコツコツと登っていく。やっぱりこれが正統派?! ご老公は肩にスキーを担いで登る。これも長距離はツライ・・。私はシールを付けるのが面倒になり ザックにスキーを固定させた。山スキーはこれを面倒がるのが最も良くない!・・ほぼ同時に三ノ丸 展望台着。 ここからは夏道の坂谷コースを下る予定だが、この視界ではコースの目印になるものは何も見え ず、地図ではここから尾根が幾つも延びている。夏にある程度下山路を確認しておいた方がいいだ ろう。GPSと地図を頼りに小刻みに滑り始める。広く緩やかな緩斜面・・間のいい樹林のブナ林が 現れると、赤いテープと番号のふられた鉄板が木に付けられていて、トレースもある。コースは間 違っていなかった。安心したところで少し休憩を取る。硬いバーン、から少しずつ新雪?深雪? のふかふかの斜面と変わる。さらに下ると突然植林に変わり、木の密度も濃くなりパチンコ台の ピンの間を滑る・・より、抜ける・・の言葉の方が適当かと。林道と合流すると次はXCスキーだ。 林道の下りが緩すぎるのでストックで漕ぎながら板を走らせる。14時20分やまめ茶屋着。 デポしていた軽自動車に4人のスキーと4人が寿司詰めで乗り込み氷ノ山スキー場へ無事戻った。 今回は私が「山スキーがしたい!」の希望にヒルビラさんが計画を立ててくれました。 広々としたブナ林の斜面を晴れた日にもう一度のんびり滑りたいと思う。 それにしてもヒルビラさんはスキーを履くと登りも下りも早く、 「つらい~、しんどい~、休憩しよう~」も聞こえてこない・・スキーには不思議な力が あるらしい・・・・? みゆき
https://w.atwiki.jp/rac-web/pages/24.html
2011年1月1日~2日 澤井(2007卒)単独で夜叉神峠から鳳凰三山へ行ってきました。 年末に84のメンバーで山行に行く予定だったのに、代休申請が取り消され不参加に。。。 それからパートナーが見つかるわけもなく、仕方なく単独行。 年末から塩見を狙うも、二つ玉低気圧と寒波の予報に断念して、年が明けてからもっとも冬型の影響を受けなさそうな南アルプスへ。 大晦日の夜、実家から戻って紅白もろくに見ずに就寝。 元旦4時に起床、快適に環八を飛ばして中央道へ。 あっさりと芦安入口のローソンに着く。 ちょうど初日の出の時間だった。 夜叉神ゲートまではスタッドレスだけで入れた。 駐車場も結構がらがら。 装備を整えて、一人登山道へと踏み入れる。 登山道に入るとすぐに雪を踏むようになるが、5cm程度の積雪。 夏と同じペースで夜叉神峠まで上がる。 ↑峠からは、白峰三山がデーンと姿をあらわす。 この上ない晴天に恵まれ、静寂な山は快い。 尾根上はところどころ吹き溜まりですね程度の積雪。 ダブルストックでぐいぐいと高度を稼ぐ。 杖立峠を過ぎるとだんだんと風が強くなり、雲が広がってきた。 冬型が強まって雪雲が流れてきたのだろう。 山火事跡からは白峰三山も雲に隠れてしまった。 ↑すっかり太陽も雲の中 インナー手袋一枚では指先が寒く、毛手袋を併用する。 やっと指先に血流が戻った頃に南御室小屋に着いた。 まだ午前中で、これから撤収して下山するパーティーもいるくらいだ。 樹林の近くにちょうどよいサイトが空いていたので、そこに張ってしまう。 南御室では水が出ているので、融雪の必要がない。 雪山で融雪の必要がないのは、かなり大きなメリットだ。 天気も冴えずに、上の様子を見に行く気にもなれず、昼食にラーメンを作ったり、 昼寝をしたりして時間をつぶす。 夕方近くなって、天候が回復してきたので、携帯が使えるところまで上がって、最新の気象情報を入手。 冬型は強まるものの、南アなら大丈夫そうだ。 単独なので夕食はα米。 食事を済ませて、酒を飲んで、あとはひたすらラジオを友に夜をすごす。 早く寝ても早起きしてしまうと寒いだけなので、20時頃に就寝。 夜中に起きて外を見てみると、満天の星空。 明日のアタックも快適かもしれない。 2日目。特に目覚ましは掛けずに寝たのだが、5時前に目が覚めた。 寝ようにも寝られないし、何もしないのも寒いだけなので、早速調理。 と言っても、α米なのでお湯を沸かすだけ。 ひたすら、テルモスに入れる紅茶を作ったりして、テント内を暖める。 結局1時間ほどで出発準備も整った。 表はまだ暗いけれども、出発するかな? 6時過ぎに出発。 まだまだヘッ電は必携だ。 少し行くと先行に追いついた。 意外と早く出発している人がいるものだ。 次第に明るくなっている東の空に追われるようにしてペースを上げる。 アタック装備だけなので身軽だ。 ちょうど砂払岳に出たところでご来光。 ちょうどいいタイミングだった。 白峰三山も紅く燃え絶景だ。 ↑モルゲンロートに染まる薬師岳。 薬師岳小屋から森林限界を越えて稜線へ飛び出すとすごい強風だ。 ゆっくりせずに、観音岳へのコルへと下る。 岩陰で小休止を取って、再び烈風の稜線へ。 陽が昇るにしたがって、次第に風も弱まってきた。 尾根上は雪面がクラストしていて歩きやすいが、一旦樹林帯に入るとラッセルとなる。 古いトレースも吹き溜まりでは消えてしまっていて、深いところで腿のラッセル。 賽の河原が見えたところで、赤抜沢の頭直下をトラバースして賽の河原を目指した。 地蔵岳直下には鳳凰小屋から来たと思われる登山者が見える。 しかし、これが大失敗。 樹林帯のトラバースが吹き溜まりになっていて、ひどいラッセル。 何とか尾根に逃げて、賽の河原に下りきる。 オベリスクの直下まで岩を登ってみる。 凍てつく花崗岩に雪がまとわりつく模様は、ここが確かに2800を越える稜線上だと気づかせてくれる。 しかし、今日はポカポカ陽気だ。 のんびり休憩したいところだけど、今日中に夜叉神まで下るにはうかうかしていられない。 今度はしっかり赤抜沢の頭まで登り返して稜線を辿る。 ↑オベリスクのバックに八ヶ岳を望む。 行きにつけたトレースも、ところどころ消えかかっていて、再びルートファインディングとなる。 朝のように風も強くなく、快晴の下、白峰三山や富士山を眺めながらの稜線漫歩。 どうやら、観音岳から先には登山者は上がってこなかったようで、静寂の雪山を楽しめた。 なんとまぁ、もったいないこと。 観音岳まで戻ると、後はべたべたのトレースを辿るだけ。 意外に早く、南御室のテントサイトに戻れた。 風もないので、外でスペースを贅沢に使ってパッキングして下山開始。 今日も登ってくる登山者が結構多い。 いいペースで歩けて、杖立峠で1本入れただけで夜叉神ゲートまで下り立った。 芦安までは安全地帯ではないので、のんびりせずに芦安まで下る。 芦安入口のローソンでのんびり休憩。 ほったらかし温泉~甲州街道で帰京。 ~参考記録~ 1/1 夜叉神ゲート7 38~8 26夜叉神峠~9 37杖立峠(大崖頭山直下)~11 02苺平~11 32南御室小屋 1/2 南御室小屋6 16~7 13薬師岳~9 00地蔵岳~10 12観音岳~ 11 10南御室小屋11 50~12 16苺平~12 55杖立峠~ 13 33夜叉神峠~13 56夜叉神ゲート
https://w.atwiki.jp/greatpeak/pages/75.html
地形画像逆引き アイス・クリフ 岩壁 ガレ場 スノーブリッジ スラブ 雪原 セラック帯 デブリ ナイフリッジ ピーク ピナクル 氷河 氷雪壁 モレーン 稜線 ロッククリフ
https://w.atwiki.jp/arma3mentaikocoop/pages/22.html
最終更新日 2019年04月10日 用語集 -目次を開く COOP用語集 戦闘号令 作戦用語 地形用語 その他用語 [部分編集] COOP用語集 Missions (ミッションズ) サーバー上で読み込むMissionファイルを選択すること。Missionを終了するという意味でも使用される。 reassign (リアサイン) 役職スロットを選択し直すこと。 ブリーフィング 出発前に作戦概要を話し合い、どのように行動するのかを打ち合わせすること。 デブリーフィング 作戦終了後にお互いの状況や判断理由などを報告し、評価することで次回以降の作戦をより効果的に進めることができるように話し合うこと。 PAK (ぱっく) Personal Aid Kit (ファストエイドキット)Doctorのみが使用可能な治療アイテム。全ての異常状態から回復できる。止血が完了していれば使用可能。 [部分編集] 戦闘号令 Contact (コンタクト) 接敵。交戦はしていないが、敵を発見したということ。 Engage (エンゲージ) 交戦。 Under Fire (アンダー・ファイア) 敵の攻撃を受けている状態。 Incoming (インカミング) 敵が急接近してきたということ。 Covering Fire (カヴァリング・ファイア) 援護射撃。(軍隊)味方を守るために制圧射撃を行う。(警察)味方を守るために攻撃態勢を維持する。 Suppression Fire (サプレッション・ファイア) 制圧射撃。敵の排除ではなく、敵の行動を妨害するための攻撃。 Cease Fire (シース・ファイア) 「撃ち方止め」の号令。これが聞こえたら直ちに射撃を中止すること。 Friendly Fire (フレンドリーファイア) 友軍誤射。 Blue-on-Blue (ブルー・オン・ブルー) 友軍誤射。軍事用語。 KIA (ケー・アイ・エー) Killed in Action - 作戦行動中の死亡。戦死。 MIA (エム・アイ・エー) Missing in Action - 作戦行動中の行方不明。 [部分編集] 作戦用語 AO (えーおー) Area of Operation - 作戦地域。 AP (えーぴー) Attack Point - 攻撃地点。攻撃を行う基点。 CP (しーぴー) Checkpoint - 作戦上重要な要所であり、一帯を制圧する必要がある場所。 WP (うぇいぽいんと) Waypoint - 経由地点。移動の目安に使用する。 RP (らりーぽいんと) Rally Point - 集合地点。 LZ (えるぜっと) Landing Zone - 着陸地点。ヘリコプターの着陸地点となる場所。 DZ (でぃーぜっと) Drop Zone - 降下地点。パラシュートやファストロープなどの航空機が着陸を行わず人員や貨物を下ろす場所。 G/O (げっとあうと) Get Out - 降車地点。 EVAC (えゔぁっく) Evacuation - 撤退地点。車両や航空機による歩兵の回収地点。 SP (えすぴー) Search Point - 偵察実行地点。 PL (ふぇーずらいん) Phase Line - 統制線。進行管理などに使用する。 NAI (ない) Named Areas of Interest - 地域名。行くかどうかは未定だが、命名する地点。 TAI (たい) Target Areas of Interest - 目標地点。攻撃を行うために命名した地点。 必成目標 必ず達成すべき目標のこと。 望成目標 達成できることが望ましい目標。 [部分編集] 地形用語 Tree Line (つりーらいん) 森林境界線。森林と開豁地の境目。 稜線 (りょうせん) 山の峰から峰へ続く線。尾根。稜線は空際線ともなりやすいので、稜線を超えるときは注意すること。 空際線 (くうさいせん) 地平線、稜線と空との境目の線。シルエットがもろに現れ、人であると認識されやすいので注意せねばならない。 開豁地 (かいかつち) 遮蔽物のない広く開けた地形。移動には適さないので交戦地域では避けて通ること。 遮蔽 (しゃへい) 敵の視線と射線を遮ること。遮蔽物 - 頑丈な人工物、大きな岩、木、地形など。 掩蔽 (えんぺい) 敵の射線を遮ること。掩蔽物 - こちらの存在がわかってしまうが、攻撃から身を守れる物。防空壕、装甲車など。 隠蔽 (いんぺい) 敵の視線を遮ること。隠蔽物 - 敵の視線は遮るが、敵の攻撃は遮れないもの。煙幕、薄い壁、植物の葉。 [部分編集] その他用語 バニラ Arma 3純正のアイテムやユニットのこと。純正品とも言う。 固定翼機 一般的な航空機。機体が前進することによって揚力を得る。 回転翼機 ヘリコプターのこと。翼の回転によって揚力を得る。 制空権 (せいくうけん) 航空優勢の有無。制空権を確保することで、地上部隊は敵航空機に怯えることなく作戦を遂行できる。 FARP Forward Area Refueling/Rearming Point (or Forward Arming Refueling Point)前線燃料弾薬補給所。
https://w.atwiki.jp/hana11re/pages/22.html
北アルプスの花の山旅 1988年7月 朝仕事を終えると、すぐ上野発九時半の金沢行きに乗る。六時間近くかかって富山駅に着いた。電鉄富山線に乗って有峰口で降りる。雨である。タクシー代がどの程度かかるか駅員に聞いてみたら一万二千円もするという。それならばということで駅員の斡旋してくれた旅館に泊る事にした。五〇〇〇円なりで朝食なし。旅館なのにずいぶん貧弱な夕食だった。なんとカレーライスだけとは!! ただ、こちらは徹夜の仕事明けで長い時間電車内でも眠れず睡眠不足だったので、簡単に食事を済ませてすぐに寝るにはちょう度よかったかも知れない。朝おばさんにおにぎりを作ってもらい、旅館前でバスを止めて乗ったのが七時〇五分。折立着は八時〇〇分。無料休憩所では売店のお婆さんが周りをほうきで掃いていた。今朝はこのバスが一番の到着だそうだ。私を入れて総勢二十一名だった。8時10分出発 9時35分三角点着。 かなり苦しむと思ったが以外と早く三角点に到着した。ここまで来れば後は大したことはない。太郎平の辺りは青空だが薬師岳はガスで見えない。時々太陽が顔を出すとさすがに暑い。少し行くと期待したとおりニッコウキスゲのお花畑。振り返ると有峰湖がかすんで見える。イワイチョウ、チングルマ、コバイケイソウetc。森林限界を過ぎると小石の詰まった歩道をゆくことになる。コイワカガミが目につきだすと、やがて太郎平。時刻は十一時四〇分。小屋で缶ビール五〇〇円也と水を分けてもらう。若い元気な娘さんたちの笑顔の挨拶もきちんとしていて気持ちが良い。これから一夏アルバイトで過ごすそうだ。セキレイが二羽小屋前で遊んでいた。 十二時二〇分小屋を出発。午後二時頃を予定していただけに、あとの行程がだいぶ楽になった。水を補給して少し重くなったザックを気にしながらも、のんびり行くことにする。北の俣岳の稜線に出ると薬師岳は依然雲の中だが、赤牛岳、水晶岳、鷲羽岳、三俣蓮華岳と懐かしい山々が現れた。目の前真ん中の小台地が雲の平だ。汗をかいた肌に快い風。多めの雲の間から青空があちこち顔を出す。まずまずの天気。昨日電鉄富山線の車内で三人連れの中年女性行楽客が“今日はたくさん降ってもいいから明日だけは晴れて!”と都合の良いことをいっていたが、立山に泊って早朝の青空の下、展開する大景観に満ぞくしたことだろう。今頃は黒部アルペンルートをケーブルカーに乗ってるかもしれない。 岩に腰をおろして、つい時を過ごしてしまった。北の俣岳にはそれでも午後二時一八分に到着した。何の変哲もない山頂を下って一〇分位したところで、登山道のど真ん中にテントを張っているバカ者がいた。ポツリと雨が落ちてきたが大した事は無さそう。しかし先を急ぐ気持ちが少し強くなる。まもなく赤いヤッケにショートパンツ姿の単独行のおっさんがやって来た。ザックカバーも大きく万全である。重そうな三脚。今朝三俣蓮華を発ってきたという。時刻は三時半。小屋到着はどうみても六時半頃だ。そんなに遅い到着スケジュールで良いのか、少し心配になる。 急にガスが引いて青空が広がる。雲の平を見下ろして水晶、赤牛岳をその周りに見ながら、中俣乗越を過ぎた五郎の中腹辺りに平なスペースを幸運にも見付けてテントを張ることにした。五時を過ぎて酒盛りだ。幸せ!! 翌朝四時四五分出発。深いガス。雨具を付けて登りにかかる。昨日は軽快だったのに今日は体が重い。やはり昨日無理しすぎたか? 食欲がないので朝飯を十分とることができなかった。それでも一時間苦しんでようやく待望の山頂に達した。もちろん視界ゼロ。小休して出発。黒部カールを下って行く途中雷鳥の親子に会った。ゾロゾロと雛が寄り添って続く。親子連れを見たのは初めての事で感激。そのうち子供達を先に行かせて親鳥が擬傷行為を始めた。羽をきちんとたたまず、みずから傷ついてビッコをひく真似をして相手の気を引き、その間に子供達を逃がそうという行為である。何とも涙ぐましく早々にその場を立ち去った。 八時ちょっと前に黒部五郎小屋に着く。ビールを所望してから食欲の無いのをカバーできるメニューがないか尋ねると、若い娘さんが出てきて『それではお茶漬けを作ってあげましょう』と奥へ引っ込んだ。やがて出来上がったお茶漬けはワサビがきいてとてもおいしい。小屋の主人は三〇〇円でいいという。人なつこく親切な白ひげのおじさんである。昨夜この小屋に三名泊り、先ほどカールの下りで会ったのはその内の一人らしい。後の二人はまだ寝ているという。小屋の前はコバイケイソウが群落を成しており見事である。白ひげの小屋の主人は、昨日黒部源流を歩いてきたそうだ。そして今日は五郎山頂からカールを下るルートではなく、稜線上を南に行くルートを検分、補修に見回ってくると言っていた。 小屋の横から三俣蓮華を目指す。稜線に出るとガスがスゥーッと引いて夏山が姿を現した。太郎から北の俣岳、そして黒部五郎の全姿。昨日隠れていた薬師岳が巨大な山容を見せている。その右に赤ザレが印象的な赤牛岳、そして水晶、鷲羽岳と続く景観を楽しんでいると、屈強のお兄さんが一人ザックの雨蓋にアイゼンをくくりつけ、手にピッケルを持って現れた。結構、さまになっている。扇沢から入山して針の木雪渓を登り、峠を越えて奥黒部ヒュッテに泊った後、黒部川上の廊下ぞいに高天ケ原まで来て温泉につかり、更に黒部源流を溯行して黒部五郎小屋にたどりついたと言う。途中相当のヤブコギを余儀無くされたようだ。あとで双六小屋脇のベンチで話しを聞いたが、大阪から来た既に四〇才を過ぎた好漢であった。 ピッケル氏が先に発ってすぐに、もう一人の小屋に泊った娘さんが上がってきた。昨夜は小屋のオヤジさんが源流でとってきたイワナの骨酒をみんなで飲んだのだそうだ。つい飲み過ぎて薬までもらったと表情はいま一つさえない。中津川の某山岳会のメンバーだと言っていた。かなり山なれしている感じだ。 三俣蓮華岳の山頂は懐かしかった。去年はガスで視界はまるっきり無かったが、今回は時々晴れてまずまずの展望。双六岳へは稜線沿いに進む。彼女はトラバース道を行くべく下りていった。お花畑が散在した楽しいルートである。ピッケル氏と私は前後して稜線を行く。このルートもなかなかお花が豊富である。笠ケ岳がほんのわずかの間姿を見せてくれたが、それっきりだった。南の方は雲が晴れない。しかし水晶岳や鷲羽岳はずっと道連れになってくれた。 少し小屋の方へ下り過ぎたかなという所でピッケル氏と別れて双六岳へ向かう。ほんのわずかの踏跡をたどってやがて広大な稜線に出た。万一ガスにまかれた時の目印などを探しながら万全を期して頂上に向かう。山頂でまた雷鳥に会った。メス二羽とオス一羽。雲の平側にひらけた景観をしばらく楽しんで下山する。 小屋の前の野外テーブルでは彼女が食事の用意をしていた。彼の方はそのベンチにゴロり横になっていた。ビールとラーメンを小屋に頼む。今日は持参した食料がなかなか減らない。彼女は自分でインスタントラーメンを作って食事を済ませると、笠ケ岳はあきらめて鏡平に下るといって出発していった。彼の方は今日は双六小屋泊りで明日笠ケ岳へ行くつもりらしい。テントを張って軽く食事を済ませるとシュラーフにもぐり込んだ。遅くなってから若い女の子が一人近くにテントを張り出した。最近は女子の単独行が多くなってきている。 次の日は雨。出発は五時四五分。完全に雨だが、それでも視界はそんなに悪くない。ルートの確認はとれる。迷うことなく笠ケ岳に向かってGO。 新穂高温泉から鏡平分岐までは去年登ってきた道である。この辺は高山植物がいっぱい。初めてミヤマダイモンジソウを見たのがこの場所だった。あの時の感激が忘れられない。分岐に咲き誇る花をめでた後、稜線をそのまま進む。雨の中、少しガスッているので緊張する。誰にも会うこともない。秩父平には八時ちょっと過ぎに着いた。しかし、どうも落ち着かない。食事もあまり進まない。とにかく今日の行程の半分は過ぎた。気を取り直して出発する。秩父平から異様な形をした岩稜を左に見ながら、急な雪渓を踏んで再び稜線に立った。 稜線歩きは晴れていれば最高なのに残念である。所々で東側についたトラバース道を行くと、風が横なぐりで雨が頬を打つ。笠新道分岐に来て一瞬ドキリとした。ペンキマークのついた下りルートが雪壁でさえぎられている。しかも急傾斜の雪壁である。その下部はガスの為、どんな形状か皆目見当がつかない。この道は帰り道だ。明日ここまで戻ってここから下山するコースなのだ。 そのうちガスが晴れて全体がはっきり見え出した。尾根の南面がカール状にえぐられて杓子平へと続いている。良く見ると下降点直下の雪壁の左隅にルートらしいのがある。ザックを置いて空身で探索してみた。そしてようやくなんとか下れそうだと分かって気持ちが落ち着いた。さあ、笠ケ岳山荘まではもう間もなくである。路傍の草花が急に優しく見えてきた。 それから一時間ほどでテント場に着いた。十一時一〇分。山頂はもちろん山荘がどこにあるのか分からない。時間をかけてやっとテントサイトを見付け、テントを張り終えると岩ゴロを跳び伝って更に上部へ上がって行った。山荘はかなり上の方にあった。早速ラーメンを頼む。小屋のお兄さんが出てきて、わざわざストーブをこちらに寄せてくれた。今日初めての客だと言われた。野菜や色々な具がたくさん入ったうまいラーメンだった。おかげで持参のザックの中のラーメンが減らない。 食べ終えると小雨の中を山頂に向かった。ほんの一五分位、岩くずの登山道を行くとケルンの立つ山頂である。例によって心の中で皆に感謝すると涙が出てきた。そして四囲に向かって万歳する。細長い山頂を往復してすぐに下山だ。雨が少し強くなってきた。ついでに小笠にも登ってからテント場に戻る。水場は雪渓の下すぐの所にあった。ポリタンに一杯詰めてテントに戻ると雨が更に強くなってきている。見るまにテントの下を小さな川となって流れ出した。急いでテントを安全な所に移す。濡れたズボンを脱いでオーバーパンツにはき換え、セーターを着てシュラーフにくるまった。一時間も横になっていたが雨はますます強くなる一方だ。明るい内に夕食を済ませることにして、酒を温め、ちびりちびり始める。シチューを温め終わった所で火を消した。風が強い、これ以上は危険である。 そのうちテントの入口の部分に水がたまりだした。手ぬぐいで水を含みとりテント外へ絞り出す。かいだし終わってやれやれと思っていると又すぐにたまりだした。これはたまらない、一晩じゅうこんな事をしてはいられないと、いろんな事を試している内に運良く雨が小降りになってくれた。今の内にと、オシッコに出たり水を絞り出したり息つく暇もない。去年双六小屋テント場で幕営した時も強い風で少し濡れたが、今回はかなりの豪雨だった。テントの水をかいだしていて、うっかりオーバーパンツまで濡らしてしまった。水濡れには十分な注意が必要で、その対策も考えておかねば大変なことになりかねない。今回シュラーフカバーはザックの軽量化のため持参しなかったのだが、やはり必要だ。そうでなかったら、表地にゴアテクスかエントラントを使ったシュラーフが欲しい。ラジオの予報は明日も雨で始まり、後曇りという。先程までの豪雨で登山道が荒れて通行が難しくなるような事があったら大変だ。そうならない事を祈って、まずは寝ることにした。 朝テントをたたんで出発したのが七時。霧雨でもレインスーツは付けた。笠新道分岐まで来ると何故かホッとした。悪天の稜線歩きでは何が起こるか分からない気持ちが強かったのだろう。きのう確認しておいた雪壁のルートを慎重に降りて行く。カール内の下部の雪渓に降りてきてやっと安心。杓子平までは残雪の多いルートをゆくが、そこから尾根を越えて樹林帯に入ると完全に別世界となる。アルペンの世界ともお別れである。 左股谷の車道が見え出して、それが手に届く所まで来ると適当な場所で休憩だ。ふと上を見るとカモシカがジッとこちらを見詰めているではないか!! 親子連れである。逃げ去ることもなく、そのうちそこへゴロリと横になった。危険でないと判断したのだろう。 車道に出てから発電所の建物のわきでレインウェアを脱ぐ。散々五々登山者が行く。新穂高温泉では勿論湯につかった。実に五日ぶりである。なかなか清潔な大衆浴場で湯量もまずまず。売店の食堂で定食を頼む。一〇〇〇円也。冷えたビールをキュッとやるとほてった体にしみわたる。そしてタクシーをおごり松本駅まで一気に飛ばして一万円也。 トップへ
https://w.atwiki.jp/greatpeak/pages/33.html
地形一覧 様々な地形の説明 アイス・クリフ 岩壁 ガレ場 スノーブリッジ スラブ 雪原 セラック帯 デブリ ナイフリッジ ピーク ピナクル 氷河 氷雪壁 モレーン 稜線 ロッククリフ