約 103,416 件
https://w.atwiki.jp/retrogamewiki/pages/1098.html
今日 - 合計 - 空想科学世界ガリバーボーイの攻略ページ 目次 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 基本情報 [部分編集] ストーリー [部分編集] 攻略情報 [部分編集] Tips [部分編集] プチ情報 [部分編集] 関連動画 [部分編集] 参考文献、参考サイト [部分編集] 感想・レビュー 名前 コメント 選択肢 投票 役に立った (0) 2012年10月09日 (火) 14時02分13秒 [部分編集] ページごとのメニューの編集はこちらの部分編集から行ってください [部分編集] 編集に関して
https://w.atwiki.jp/oreyomesakusei/pages/51.html
製作者 零zero カード名 レジスタンス 科学者の少女 属性 光 星 3 種族 魔法使い族 ATK 1200 DEF 1000 効果 1ターンに1度、手札を1枚墓地に送る事でデッキから「サイバーエルフ」と名のつくカード1枚を手札に加える事ができる。 自分フィールド上に「英雄」と名のつくモンスターが存在する時、このカードは攻撃の対象にならない。 PRポイント
https://w.atwiki.jp/arasuzisouzou/pages/107.html
162 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします。[] 投稿日:2008/04/30(水) 12 09 47.52 ID EqoBvqbP0 科学忍者隊ガッチャマンFighter レッドインパルス創設の経緯を詳しく紹介するドキュメンタリィ番組。 ラストに南部博士のカエルダンスを収録。
https://w.atwiki.jp/amizako/pages/199.html
第三章 !-- タイトル -- 天才論 !-- -- 自然研究者の中にはとくに天才を要望するのであって、天才が出でて初めて研究 が|進捗《しんちよく》し、天才が出でざれば|停頓《ていとん》するのである。天才は出ずる事がはなはだまれで あり、天才はまた|薄幸《はつこう》である。おそらくその時代においては理解出来ない議論を|吐《は》 く故でもあろうが、時の経過とともに|尊敬《そんけい》されるのである。天才は正に科学史を綴 る人である。|凡庸《ぼんよう》は単に科学を持続けるに役立ち、科学を横に|濃《みなぎ》らせることは出来 ても前進させることは出来ない。天オは果たしてその出現を期待し得べきものであ ろうか、また天才は|栴檀《せんだん》の|二葉《ふたば》より|香《かん》ばしというがごとく、幼少よりして|聡明《そうめい》なる ものであろうか、筆者の思索は|低迷《ていめい》する。 天才は先天的要素を|如実《によじつ》に備えたものであるともいう。天才は生れながらにして |凡庸《ぼんよう》とは全く異なった|頭脳《ずのう》を保ち、苦することなくして常人を|凌駕《りようが》して意表に出で るともいう。また天才は絶えざる労作の結果、その位置を|克《か》ち得るものともいう。 結局は努力の結晶により、他人より|優《すぐ》れたる効果を|挙《あ》げるものであるという。仏国 科学者ブッフォン Buffon は、 !-- ここから引用 -- 天才は辛抱強いという一つの優れて大なる才能に外ならぬ。 Le genie n est qu une plus grande aptitue `a la patience. Buffon !-- ここまで引用 -- と叫んで、天才は後天的要素を充分備えたものであるという。この論を是とする にしても|辛抱《しんぼう》強く研究し得るという才能も一種の天オであるかも知れない。しかし ながら、現在自然研究に携る人の中にも単に辛抱強く、一つの事にのみ携って研究 に|没頭《ぼつとう》している人でも、天才とは考えられぬ人がいるのである。天才の才能中には 一種の見通しのごときものが必要で、よし一つの事物を研究しても、これを辛抱強 くやりとげる場合には、必ず大なる効果が|齋《もたら》されるという自信が出来なければな らぬのである。またついにこの自信ある見通しがあればこそ、|熱意《ねつい》も生じ、辛抱強 く働くことが出来るのである。 とにかく、外観からすれば全く努力の結晶のごとき態度も、本人は行き着くまで の手段としか考えていないともいえるのである。筆者はこの見通しの出来るものを 天才の要素として考えたいのである。 パスツール L.Pasteur は|血清療法《けつせいりりょうほう》を発明したその開祖として全く天才的の学者 として尊敬されるが、彼の手掛けた最初の二つの実験--狂犬病と羊の脾脱疽病 --はいかにして彼が手を染めたのであろうか。門外漢は全くその選択が偶然的で あるかのごとくに感ずるが、彼の手掛けたこの二つの病気の処理こそ、現在のもっ とも反応いちじるしき実験であるという。彼はそれを知っていたのではない、偶然 に|取扱《とりあつか》った二つの実験がもっとも容易に|認定《にんてい》し得べき実験と一致したのである。こ の実験を手掛けたことによって彼の手法は全く天才的の|技禰《ざりよう》が認められたのである が、彼は数多き他の実験に|一瞥《いちべつ》も与えなかったかということに疑問を有する。世の 中には極めて多くの研究すべき病菌があり、手を染める場合にいかなる病菌に接す るか、偶然論にては答え得ないものでも、天才パスツールは研究にもっとも容易な る二つのものを選び出したのである。 天才なるが故に、知らずしてもかようなものを選び出すことが出来たというか、 偶然選び出したるが故に彼は天才となったといえるか、いずれにもせよ、偶然論的 立場を以てしては全く当てはまらないのである。 また天才が極めて神秘的な存在であって、天才は初めからその研究が出来る、出 来ないの区別が|洞察《どうさつ》出来るのであって、出来ると思えばこそ着手するのであり、し かももっとも容易に実験し得るものを選定出来ると考えるに到っては、あまりに天 才を過信し過ぎる|嫌《きらい》がある。即ち天才にかほどまでの能力あるは信じ難いところで ある。然らば天才は単なる努力者であるかというに、筆者は決してさようとは思わ ぬのである。思うに天才に|附与《ふよ》されたるもっとも大なる才能は直覚的行動であろう。 この直覚的行動が極めて神秘的なるかのごとくに考える人もいるかも知れぬが、実 はさように考えることも不当なることを、まず弁ぜんとするものである。 よくよく直覚なるものは、理由なくしてしかも説明することの出来ない判定能力 である。また今少しく言葉を代えていうならば、過去の経験による綜合判断と称し ても差支えないものである。たとえば甲の人がある風景を見て、ここはいつか見た ことのある風景と同じである、|然《しか》もそれが|何所《どこ》にあったか、またいつ見たかは思い 出すことは出来なくとも、確かに同じものを見たことがあるというのは、全く過去 に見たという経験が再び意識上に上ったことである。 人間の意識は極めて複雑で、あるものを見た場合に、必ずこれと類似な|旧《ふる》い経験 が浮び上って来るのも当然であり、これらのことから全く|理窟《りくつ》はなしに判断の出来 るものである。これは程度の低い一種の直覚的判断といわれるであろう。この直覚 力の発達している人には|凡庸《ぼんよう》の考えるよりもよき判断、よき結論が得られる。即ち 一種の|閃《ひらめ》きとして判断の|結着《けつちやく》が行なわれるともいえるのである。この過去経過の即 時に|蘇《よみがえ》らし得る能力は全く天才の充分に具えた能力であって、何も神秘なることも、 不可思議なることも含まれてはいないのである。 天才に附与された能力の中には、従来人々の考えた体系の外に、別の体系が考え られるということがある。即ち我々のいう狂人は全く、一般人とは異なった考え方 を持っているものであるが、そこに|統轄性《とうかつせい》がない。天才に於ては同じく一般人と異 なった考え方を持つというよりは、狂人的考えを持っているが、その上に統轄性を 充分備えているのである。天才と狂人との区別はここにあるごとくに思われる。天 才は狂人と隔ることがわずかで非常の類似をもっているには相違ないが、この統轄 性いわば秩序性ある言動が相違点である。しかしながら、物の考え方はおそらく全 く同じ|轍《てつ》にあると考えてもよい場合が多いのであろう。 物の考え方は、外界に存する事物に接して脳中に生ずる印象、連想、進展等であ るが、その方法については、狂人、天才の行き方は|凡庸人《ほんようじん》と極めて異なるのである。 天才は自然研究者あるいは芸術家として大なる働きを示すのは古来からの歴史を見 れば判ることであり、その他の部門に携る場合においては全く狂人扱いされること は当然である。この狂人的思索は全く常人の企て及ばぬ|境致《きようち》に突入するために、そ の力量を重視するのであって、ある時は体系として無から有を生ずることがある。 しかも科学者、芸術家のみに於て天才が|厚遇《こうぐう》されるということは、全く独力を以て 仕事が行なわれるという特権に|起因《きいん》するとも考えられる。周囲の人とはいかに悪い 交際をしてもよい、他人の言動は一切|聴《き》かなくてもよいという立場にあること、一 人の気持をそのままわがままに発展できるという|境遇《きようぐう》なればこそ、天才も生ずるの である。外部から制肘したり、一言動を|束縛《そくばく》したりしては天才の能力は発揮出来ない。 これは意識的に行なうばかりではない、無意識的にも社会の状勢がそのごとくであ れば決して天才は生まれるものではない。天才といえども社会に|棲息《せいそく》する一人間で ある以上、社会の無形的|圧迫《あつばく》が影響しないということはない。その無形的の事物が 天才をして、その能力を|発揮《はつき》させないのである。したがって天才の出現する時代に は同時に数名の者が現出する事があり、また出ない時には皆目一人も出ないのである。 この天才の出現に関しては全く一方には社会的状勢というか、天才の出現し得る |素地《そじ》のあることが要求される。文化の流れが適当に|進展《しんてん》するところ、天才が現われ て文化をますます高調たらしめるようにも感ぜられる。文化は起伏ただならぬもの であり、ある時には咲き誇った花園も、一通り花が咲いてしまうとまた|幾何《いくばく》かの時 日を待たなければならぬと同じように、文化の花園においても絶えず、百花|捺乱《りようらん》た ることはないのである。ある時期1それには長短の差はあろうがーを経過すれ ば、やがて|凋落《ちようらく》の運命に遇うのである。全盛に向わんとする時、天才は出ずるに反 し、凋落を|辿《たど》る時期においては天才は影を|潜《ひそ》めるのである。 おそらく天才の種は常に|蒔《ま》き|散《ち》らされてあるのであろうが、その生長はよき畑を 得なければならぬのであろう。乾地に蒔かれたる種、|荊棘中《けいきよく》に蒔かれたる種、いず れも生長することは出来ない。|温床《おんしよう》に|蒔《ま》かれたるもののみ、自由にしかも豊かに伸 び上ることが出来るのである。即ち天才の出現する準備的要素には、よき温床とよ き肥料とを必要とする。天オは内に向かってわがままであると同時に、外に向かっ てもわがままである。その育つ環境のいかん、|摂取《せつしゆ》する養分、即ち社会的状勢に充 分左右されてしまうのである。 この点において一般人がいかに努力し、いかに|辛抱強《しんぼうづよ》さを以てするともある程度 までの成功は|克《か》ち得るにしても、考え方において異なった系統を組み立てるまでに は達し得ないのである。この意味においては一般人は労作において天才に到達する ことは不可能である。全く天才はその思索の傾向において、常人とは異なり、狂人 のそれと似通う点多きにかかわらず、天才としての才能は思索の|統轄《とうかつ》であって、か くて科学として常人の開拓し得ざる新天地が出現するのである。狂人は正に思索の 統轄なく、たんに考えること、いうことは常人の意表に出でるかも知れぬが、なん ら建設的に、またなんら従来の科学の拡張に|寄与《きよ》すべきところがないのである。 ロンブロゾオ C.Lombroso によると、すべての天才はいずれも狂人であり、狂人 にして労作し得るものとなす。一見この二者における行動の中には多くの類似点を 見出すのである。しかしながら、彼のいう天才は全く狂人の列に置いて、天才の狂 人的言動のみを|挙《あ》げてもっばら天才的頭脳の傾向を|滅却《めつきやく》せんとする主張は筆者の賛 成し得ないところである。 以上述べたるがごとく、天才には天才としての|風貌《ふうぼう》があり、あたかも狂人に似た るところもあれど、その精神的労作においては全く異なったものを持っているので ある。狂人の動作は全く、我々の夢の中における|挙動《きよどう》のごとく、全く|統轄的要素《とうかつてきようそ》を 欠くのを常とする。人々は夢の中において、すべて重力の法則を|無視《むし》したがごとき 現象を|是認《ぜにん》して決して不思議と思ったこともなければ、数十年前に死んだ両親と対 談してなんら疑惑を持たないのである。夢の中における我々の言動は全く理想を|超 越《ちようえつ》したものであり、おそらく狂人の行動と|軌《き》を一にするものであろう。 然るに天才の思索の中に系統が立派に立っていることである。たとえば科学上の 問題としても、従来知られたることがいずれの範囲であり、将来開拓さるべき方向 が|奈辺《なへん》にあるかを察し、その言わんとすることに全く条理あるものである。この点 が全く狂人と異なるのであるが、科学者の中にも先入主を|固守《こしゆ》して、決して他人の 論説には耳を傾けず、いやしくも古来の説以外に対しては|賛意《さんい》を表せず、新説を以 て狂気の|沙汰《さた》となす人士においては、天才よりも全く狂人の列に接近するのである。 科学者の中には天才も狂人も二者ながら存在していると見られるのである。 かかることは歴史上屡々あったことであり、天才と狂人との|作為《さくい》はその識別 に困難はあれども、科学発達の見地よりすれば科学系統を拡張すると否とにあるも のであるから、この点に照合すればよい。立派な科学的研究においても十年、二十 年の歳月を経てようやく学会に認められたという労作も少なくないのである。即ち 天才の真価が認められないことが多いのである。 天才の仕事は全く学会の諸会貝に対しては、新事実であり、理解すべき範囲外で あるために、|罵署護諺《ばりざんぼう》されて|葬《ほうむ》り去られることが屡々であり、天才は狂人と して顧みられなくなる。天才はこの意味においては、全く不幸で一生を暮した例は いくらでもある。またあまりに順調に進むものの方がかえって仕事は|凡庸《ぼんよう》で、不幸 にして物質に恵まれざる者のかえって大なる仕事の出来た例は非常に多いともいえ る。いずれにもせよ、天才の仕事は直ちに世人に評価されないことのあるを知るの である。現在は科学者も多く、学会も多士済々にて、明正なる会員の備っている条 件においては、天才の功績もただちに認められる時運に接しているようではあるが、 その点は断定的にさようであるとは言えないのである。 学会における業績の判定はもっばら当時生存する科学者によって行なわれる。し たがって当時の学会に優秀なる判定者なき時には、当時の評価が|妥当《だとう》を欠くことは 当然であり、いかなる天才といえども一般に認められることは出来ない。即ち天才 の認められぬことを|嘆《なげ》いた文句は屡々聞かれるのである。しかしながら、研究 の業績は論文として留めて置くならば、いずれの日か有識者が出でて来て、必ず取 り上げる機会があるのである。古来多くの天才の中にはかかる運命に|遇《あ》った者が多 くある事に気がつくであろう。天才といわず優秀科学者はかような|覚悟《かくご》だけは持っ ていなくてはならぬ。また学会においても、その問題に直接携っておる人が常にい る訳ではなく、当時その方面に優れた人がいないと評価されることも、あるいはそ の当を得ないこともあるかも知れない。またその方面の人はいてもかえって|嫉《そねみ》から、 その研究を事実に|悪《あし》ざまに言わぬともかぎらぬ。要するに、天才の業績はあまりに 尋常性から掛け離れているために理解が出来ないのである。 天才はいかにして生れ出でて来るであろうか。天才は極めて数の少ないものであ る。およそ人間を分類して見るに、平凡というか、通常とかいう人間がもっとも多 く、優れた人および低能なる人間の数はいずれも少ない。いわば確率曲線を以て分 類出来るのである。即ち天才なるものが少数である事は自然の法則であり、また多 くの人の間には必ず少数の天才が生存すると考えなければならない。然も天才に階 級があって、十年に一人出る程度の天才か百年に一人出る程度の天才かという区別 もあるであろう。 かように少ない人間が出るについては、果してかかる人間のためにのみ教育制度 があるべきであるか、一般|凡庸《ぼんよう》の人間に制度の備わるべきかをいえば、諸人は|異口同音《いくどうおん》にその凡庸のために教育を確立せよというに違いないであろう。しかし、実際 の学の発達は天才のみにて保持されるという有様であるから、十年に一人の天才を 現出せしむれば以て|冥《めい》すべしである。かかる学校教育の是非はとかく|穏健《おんけん》に取扱う ことを主とするものであるから、はなはだ不徹底には相違ないが、もちろん天才教 育を主とすることは要望されなければならない。 この天才教育なるものは以上述べたごとく、極めて少数のためには適当であるが、 大部分の人間には不向きである。仏国は天才教育の本家のごとく見える。 |中学校《リセー》を 卒業すればバカロレアの試験を受ける、これは国家試験で上級の学校に進む資格試 験である。これを|及第《きゆうだい》しなければ上級の学校には行けない。上級の学校には大学と 専門学校の二系統があるが、大学は上級普通教育を主として、いかなる人士も|聴講 することが出来る。ただしバカロレアの試験を通っていなければ正当の学生として 講義に出席し、大学を卒業することが出来ないのは当然である。専門学校の中にも 高等教授学校《エコールノルマル・シユーペリオルー》と|綜合工学校《ポリテクニツク》とが|屈指《くつし》の優秀学校として認められている。即ちノ ルマリアンとテクニシアンとが幅をきかしているのである。いずれも歴史的に見て 優秀な学者を|輩出《はいしゆつ》している故にほかならぬ。かかる学制によって仏国では人士の養 成に努めているのであるが、これが直ちに天才教育ということは出来ない。むしろ 教育は逆効果を示しているのではないかとさえ思われる。天才の生ずるのはむしろ 民族といおうか、社会構成とでもいおうか、その方にあるのであって、社会は人間 の|完壁《かんぺき》を論ずる前に天才的人士の業績を賞し、民族は天才的行為を尊敬するからで ある。 天才の出現は全く社会的要望であるということが出来る。世間の|風潮《ふうちよう》が天才を育 てしむるごとき態度を示さなければ、決して天才の大成は行なわれないのである。 日本の社会においては天才を重んずる傾向よりも、人間の欠点を探し出すことに|努《つと》 めるようである。また人間がわずかの欠点もなく完壁に達成されることを望んでお るかのごとくである。確かに|儒教的《じゆきよう》完壁はおそらく数十年、死ぬまでを費して修養 することに迫られ、天才的才能を|発揮《はつき》すべき時機を|抑圧《よくあつ》してしまうのではないかと 思われる。あるいは社会が|事勿《ことなか》れ主義を主張して偉人を|抜擢《ばつてき》することをよくせずし て、いたずらに|凡庸《ぼんよう》の|徒《と》と相具するために、天才も|腐《くさ》ってしまうのである。全く社 会の天才に対する冷淡からの問題である。即ち良き事にも動ぜず、悪しき事にも制 裁を加えない結果である。 学会の批判がまた天才の発育を|妨《さまた》げる。日本人は人を|賞《ほ》める事は決してしない。 悪口をいうことに|長《た》けていると見えて、発達せんとする|発芽《はつが》も直ちに|潰《つぶ》される。偉 大なる天才はあるいはなんら|障害《しようがい》を|蒙《こうむ》らないかも知れないが、いかなる仕事といえ ども出来たては赤児のごとく、その腕を|捻《ひね》り|上《あ》げんと試みる。然も自己の不明から その不当なるを|詰《なじ》る者さえ出現する。これは彼の間違った先入主的判断からである。 かかる状勢にては、いかなる業績の発育も難かしい。花園はわがままの犬に荒され ることが屡々である。学会は清き花園である。凡庸は天才の芽の生い出でるの を|監視《かんし》するはもちろん、その発育を助長せしめる態度でなくてはならない。 少なくとも世界各国を|通覧《つうらん》して、天才の出現する国は決っているのである。それ はいわゆる文明国と呼ばれる欧洲の諸国である。オリンピック競技に於ても|目覚《めざま》し き選手の出るのも同じく欧洲諸国である。これらは正に各人の特長を伸ばす社会組 織であると考えるほかはない。科学の発達も天才も競技選手として送り出すと同じ である。ただし知的競技は肉体的競技ほど明らかに勝敗を決することが難かしい。 もしも知的優秀性が明らかに決定出来るに於ては、必ずや一層の発展が出来ると同 時に、天才の価値も充分明らかになると思われる。 世の中の|諺《ことわざ》に、「十で|神童《しんどう》、十五で|才子《さいし》、二十過ぎれば|只《ただ》の人」、ということがあ る。小さい時には天才と騒がれた人間も年の経過とともに、|没落《ぼつらく》して成人の後には なんら常人と変りがなくなるという例の多いことをいったものである。天才という ものはさほど沢山いるのでもないという|誠《いましめ》であり、また同時に偉い人も|没落《ぼつらく》して|凡庸《ぼんよう》に化することのあるを|諷刺《ふうし》したものであるともいえる。確かに二十歳過ぎにも未 だ天才と考えられる人が四十歳頃になると常人になったり、二十歳頃まではなんら |頭角《とうかく》を表わさなかった人が、それからめきめき腕を上げて偉くなる人もある。この へんの消息は果していかなることを物語るものであろうか。ラ・ロッシュ フコオ La Rroche Foucault がいったように、 !-- ここから引用 -- 神は自然の中に色々な樹木を植えたように、人間の中にも色々な才能を置き並べた。 だからそれぞれの才能はそれぞれの樹木と同じように特有な質と働きとを持ってい る。だから、どんな良い|梨《なし》の木でも、極く普通の|林檎《りんご》の実すらつける訳にもいかない し、またどんなに|秀《すぐ》れた才能でも極く普通の才能と同じ仕事すらしでかす訳にはいか ない。 !-- ここまで引用 -- 即ち才能が早く現れても年を経るにつれて|凡庸《ぼんよう》と同じくなるものが多いというこ と、また才能も分業的である結果は、しばしば年が成長してから、各自の特種な才 能が鶉蝋と現われて来るのである。もちろん今日においては分業的の才能を必要と するのであって、二十歳頃まではただの人であって差支えないが、それから人の追 従出来ない技禰を示せばよいのである。ただし才能の根本にはいずれにも共通なも のの存在するを忘れてはならぬ。自然研究者中天才として、各部門に尊敬される人 が出現するであろうが、その根本をなすものはなにものであるかというに、これは すべての事実を綜合し、体系づけ得る能力である。 確かに自然研究として一つ一つの現象を見極めなく解析し、我々の目前に事実と して示すといえども、その技巧、労作については|賞讃《しようさん》は|惜《おし》まないが、その人を天才 として|賞揚《しようよう》することはいかがであろうか。およそ天才なるものは、以上の措置が出 来るというよりも、得られた事物を取り上げ綜合してここに体系を出現せしめ得る 才能を持っているのである。 狂人は常人と異なって、従来ない考え方を案出することはあっても、組織的なら ざるところが異なるのである。狂人の案出した例として、「熱は圧力によって生ずる」 という問題を|固守《こしゆ》してすべてを|証明《しようめい》しようとする。地球の内部は高圧であることは だれも認める。即ち高圧なるが故に高温である、物を|摩擦《まさつ》すれば熱が生ずる、即ち 圧力をかけて摩擦するから熱が生ずるのであるという。狂人は身辺のある特種現象 に目をつけて万象を解決せんとする。また「太陽は冷たい」などという論も現われ る。地上から昇って行くと空気は|冷却《れいきやく》状態にある。したがって太陽に近づくに従っ て冷たいならば、太陽本体は正に冷却されたものの極でなければならぬという。地 上を離れて上昇する場合、空気の冷たきことの一事を以て太陽へまでも延長しようと する。狂人は|頑《がん》として自説を固守して、裁判までにも持ち出した例は最近の出来事 である。 天才の考えは確かに一面狂人と似たところがあるといえども、ただちに旧系統を 思い出すことが出来るのである。従来の系統は天才も常人も優れた多くの人が考え、 多年の批判を経て出来上ったものである。今日その体系を改正せんと試みても、根 本的というよりはむしろ、研究途次にある部分から入り込むことの方が多いのであ る。即ち事実として認定される部分の中に|曖昧《あいまい》のところがあれば、それから入り込 み得るのである。事実の中に例外を認めて一時を|弥縫《びほう》する態度は全くよろしくない、 例外のあるところから我々は自然現象の|闡明《せんめい》に突入出来るのであって、そこからし てなお一層|麗《うるわ》しい現象に直面出来るのである。 天才の多くは努力したものであるか否かと云う議論は筆者の再三述べたことであ るが、世人の中には|辛抱《しんぼう》強き人士を以て天才と早合点するものもなきにしもあらず である。天才の要素としては、学の有無、智の|多寡《たか》よりも|超越《ちようえつ》して、あたかも無よ り有を生ずるがごとき才能を|発揮《はつき》しなければならぬ。ヴォーヴナルグは、 !-- ここから引用 -- 学無きは精神の|欠陥《けつかん》に|非《あら》ず また智は天才の|証左《しようさ》にも非ず。 Ni l ignorance n est d efault o esprit, ni le savoir n est preuve de g enie. Vauvenargues !-- ここまで引用 -- といったが、確かに天才は知識の蓄積によって達せられるものではないのである。 むしろ知識の蓄積をよぎなくされる時においては、天才は|消滅《しようめつ》するのである。学校 教育はむしろ知識の蓄積を|強《し》いるために、|可惜《あたら》天才の出現を拒否するとも考えられ るが、また大天才はかかる|障壁《しようへき》を乗り越して、進展するところにその本領があると も考えられる。天才の本領は正に自然現象中より得られた事実をいかに体系づける かという思索であり、常人の企て及ばない体系を案出するところに偉大さがあるの である。古来の天才学者はすべてかかる動作をあえて行なったが故に、この言をな すのである。天才の定義としてとくに自然研究に携る者に対して、筆者は、 !-- ここから引用 -- 科学として新しき体系を樹立する者 これ天才なり。 !-- ここまで引用 -- という。その行動が常人と異なり、いわゆる狂人と例を同じゅうしても、その仕 事が全く、自然現象中の事実をある考えの下に系統づけ得るならば、これ疑いもな く天才である。天才の中にも大きさにおいてまた|多岐《たき》にわたる事実を系統づけ得る ものは大天才と呼ぶほかはあるまい。また自然現象中より事実の|摘出《てきしゆつ》に大なる才能 を持ち、我々をして知識を豊富にせしめる人士がいても、これはよき研究者であっ ても天才と呼ぶことを|躊躇《ちゆうちよ》する。事実の摘出はもちろん必要であるが、これよりは 精神的活動たる体系を組立てる労作を優位に置くからである。即ち天才の出現が科 学の|拡張《かくちよう》を豊かにする結果にほかならない。新しい体系は全く無より有を作り出し たるがごとくに感ぜられる。否、感ぜられるのみならず、実際無より発足して有形 的に|齋《もたら》せたのであろう。この行為ほど人間文化として貴きものは、またとないので ある。 一般に天才を目指さすに、普通人よりも|優《すぐ》れた能力のあるものを以てするが、自 然研究者にとっては、単に努力的に労作してもこれは駄目である。何故かといえば 科学は、かかる行動で一部分しか目的が到達されないからである。 然るに従来日本の学会の風潮の中には単に労作をなすことを尊しと考え、飛躍的 仮説の創造のごときは、あるいはかかる行動の出来ない人が多かった故でもあろう か、|評価《アプレシエート》されることが少なかったのである。確かに無より有を生ぜしめる努力の中 には全く独自的色彩の|発露《はつろ》することは争われぬ事実であって、その自己的行動を|卑《いやし》 めたものである。即ち科学は人類共有のものであり、|猥《みだ》りに自己的意志を|挿入《そうにゆう》する ことは|目漬《ぼうとく》であるとさえ考えていたように思われる。したがって自然の研究におい ても、全く従来確められた事実を延長し、範囲を拡げることは差支えないが、当時 までに確立された事実に疑いを持ち、あるいは|毀損《きそん》して新しき系統を作ることは禁 じられたがごとき状勢であったのである。かかる学風の下においては決して天才は 出でることはないのであり、学的には全く外国の属国的立場にあったと称して差支 えないのである。 この主張に|附随《ふずい》するものと考えられるのは、従来の科学は全く欧米諸国にて研究 されたるものが、欧語(とくに英語)により輸入されたものであるから、欧語にて 書かれたるものは真理を伝えるが、日本文にて認められたるものにはなんら価値な しと無意識に信じられていたがごとくである。今日といえども欧語にて認めてこそ 研究論文であると考えている人がないでもない。この心理的傾向は正に科学は人類 共通のものであるがために、己の研究したものも世界科学人に知らせる義務がある と考える結果でもあろう。 確かに一面にはこの考えにも意味があるが、欧米人が自国語で書いて世界的と成 るに反し、日本人に大なるハンディキャップのあるは、いずれの日か克服出来るで あろうか。この問題に関してとくに大切なることは、たんに小事実の報告を欧文に てなすよりも、大なる思索的所物を欧文にて認めることである。然るに今日日本の 科学人は欧語の習得はますます低下する」途を辿りつつあるのであって、おそらく 思索的態度の結果優秀なる|仮説《かせつ》の脳中に現出し、これによって事実を系統づける試 みが生じても、これを欧文を通じて充分に発表することが出来得るかは全く疑問で ある。たんなる事実的報告においては、その可能性は充分にあるにしても、|思索《しさく》的 論文においてその意味を徹底せしめることははなはだ困難であると考えられる。然 らばいかにすればよいかというに、まず日本に思索的に優秀なる労作を作ることが 第一であるには違いないが、その次には日本語によって発表して世界的に認められ る努力をすることである。 今日世界において学術語として認められる言葉は数種あるが、|惜《お》しいかな日本語 は未だ認められていないのである。これは|創作権《プリオリテイ》の問題であって、いかに日本人が 研究し、いかに日本人が自らの研究を日本語にて発表するもなんら世界的に価値な く、発見の|栄冠《えいかん》は永久に彼らのものとなる現状である。即ち日本科学の優秀さある いは世界共有の科学の進歩は全く、日本語をして世界語たらしむる努力である。日 本語をローマ字化せんとする努力も、|仮名文字《かなもじ》化せんとする努力も、一方には漢字 を覚える|栓桔《しつこく》から|免《まぬが》れることも確かであろうが、日本学術を世界的になすという大 望までが含まれているのである。いずれにもせよ、日本人の自然観、科学思想を世 界科学界に自由に|横溢《おういつ》せしめることははなはだ大切なことである。 天才の出現はむしろまれであり、その出現を待ち設けることは一切に不可能であ る。また天才は当時の人々から敵対されることがないでもない。そのいうところ、 その|為《な》すところは従来の体系から見れば相容れないところがあるからであり、旧系 統保持者から見れば|無《な》くも|哉《がな》の存在であるから。|予言者《よげんしや》は故郷に貴ばれぬという|諺《ことわざ》 があるごとく、天才はその生国よりは外国においてより良く|評価《ひようか》されるという例も ある。また天才の業績といえども、その時代にただちに評価されるとは限らない。 学会の人々にその業績を評価すべき能力がなければ致し方のないことである。これ らの問題に関してはその部門に良き研究者の|陸続《りくぞく》として輩出する場合に於てのみ|正鵠《せいこく》を得るといえるのである。 日本における自然の研究はその歴史浅く、わずかに徳川時代にその|痕跡《こんせき》があると も考えられるが、真の発達は明治以後である。今日といえどもある種の研究は世界 の標準にまで達し得たものもあろうが、多く追従の出来ないものもある。しかし、 この優れたものとても世界に|先駆《せんく》するを必要とし、幾多の研究者、学習者あれども、 いずれも|団栗《どんぐり》の|脊《せ》くらべにて、その部門の第一人者を出さざる限り、日本科学の優 秀さを示す訳にはいかないのである。 これはあたかもオリンピック競技会に於て第一等を|獲得《かくとく》するや否やの類似のごと くである。世界的競技会に於て、日本人が第一人者となるもならざるもなんら影響 なしと|泰然《たいぜん》たる人士も、実際競技場において競技会の第一等を日本人が勝ち得たる 時の感じは、全く日本に生まれたるを喜ぶほかはない。君が代の|吹奏《すいそう》とともに日の 丸の高く|蒼空《あおぞら》に|翻《ひるがえ》るを望む者、だれか感激なくして見送ることは出来ようか。ある 人は競技を以て青少年の行なう|遊戯《ゆうざ》類似の行動と思うかも知れぬが、それにしても、 |感激《かんげき》は筆紙につくしがたいものである。ましてや学問の|争覇戦《そうはせん》において勝を占めた る場合、全く心を動かさざるものがあるであろうか。 自然研究の競争は一刻も休むことなく行なわれているものである。その国の文化 施設が適当でなければ、天才は出現してこないのである。その道に携るものの|安閑《あんかん》 として日を送るべきではない。五十年に一人の天才を出すためにすべての学会は|渇仰《かつごう》しているのである。日本国の|津々《つつ》|浦々《うらうら》までも探し出して天才の出現を心掛けなけ ればならない。 現今の教育制度は大学を除いて、すべて上級学校の受験を目的とするかのごとく である。試験あるが故に勉強するということは一般に大なる|通弊《つうへい》である。この欠点 を|匡正《きようせい》するために、|敢然《かんぜん》と立って試験を|眼中《がんちゆう》に置かない主義の学校もあったが、結 局上級学校に入れぬという|痛《いた》い|目《め》に遭い父兄等の攻撃に遇って改悪(?)が|余儀《よざ》な くされたという。これは現今の制度上の問題である。また父兄の|虚栄心《きよえいしん》の結果でも あり、また社会的欠陥でもある。結局学力のいかんよりは大学を卒業することが目 的で、借金をしてまでも大学を出そうとする。統計によれば東京帝国大学で学生の 二五パーセントは家庭以外からの援助金を得て勉強しているという。筆者は家庭以 外から絶対に金銭の援助を受くべからずとはいわぬが、あまりに大学を卒業せんと する念願の強さに驚くものである。これは確かに大学卒業生という美名に|憧《あこが》れるこ とと、社会が単にその肩書によって区別をするという|弊《へい》から生じたものである。 なお日本有数の会社において社員の出世、--おそらく上級社員--を標準とし て統計を取ったところが、小学校のみを卒業したものと、大学を卒業したものとを 比較するに、その数に於て約半分半分であるということがかつて報告された。|而《しこう》し てその説明として、会社においては決して学閥的色彩のないことが証明出来たと いっているが、筆者の見るところにおいては、この事実は全く学閥あることを|如実《によじつ》 に示すとしか受取れないのである。それは小学校を卒業した人数と大学を卒業した 人数との差が|隔絶《かくぜつ》しているからいうのである。 東京市内における小学校数は約六百なるに反し、大学の数は十にも足らぬのであ る。卒業生一ヵ年の数を比較するに、小学校卒業生がおそらく五千人あるに対し、 大学卒業生は約五百人程度であろうから、約十分ノ一程度である。 然るに会社において小学卒業生にて上級社員が約半数であるということは全く大 学卒業者に対してはなはだしき|優遇《ゆうぐう》が|齋《もたら》されているということになる。これは一 方に|頭脳《ずのう》良きものは、小学教育に満足せずして、無理しても上級学校に入学すると いうことも考えられることには相違ないが、以上の統計をそのままに|鵜呑《うの》みして、 社会が大学出のみを|尊重《そんちよう》しないといっても|承知《しようち》出来ないのである。 かように社会までが学校卒業の有無について甲乙をつけるにおいては、父兄たる ものの、争って子弟を上級学校に入れんとするは火を見るよりも明らかなことであ る。 父兄が自己の子弟に高級なる教育を施さんとする意志は誠に|尊重《そんちよう》すべき動機なれ ども、その|出世栄達《しゆつせえいたつ》をのみ図って、自己の|困窮《こんきゆう》までも|犠牲《ぎせい》にし、また子弟の頭脳ま でも|顧《かえり》みずして、|驚馬《とば》に|鞭打《むちう》つごとき|振舞《ふるま》いに出ずることはいかに考えても正道に |確歩《かくほ》するとは思えない。子弟の学に携わらんことを|願望《がんぼう》するはよし、子弟を苦しめ て父兄の|虚栄《きよえい》を満足する行為は|睡棄《だき》すべきものである。 仏国における制度のごとく、大学の講義はすべて公開とし、何人といえども学欲 あるものは|聴講《ちようこう》差支えなしという制度は誠に理想的である。しかしながら、極めて 多人数が押しかけるかと思うと決してさようではない。学を好むものは東西いずれ も極めて少数なのに驚く。学生は単に卒業証書を得んがために毎日通学するのであ る。この意味を以てしては、天才の出ずるということはむしろ不可思議とさえ考え られるのである。 天才なるが故に入学試験には落第する、日常の学校の作業の中には良き点を取る 学課のみではない。学校制度は正に天才を殺すともいえるのである。学校は天才を |育《はぐく》むところではなく、|凡庸《ぼんよう》をある程度まで引き上げるのであるというならば、とも かく、天才にとっては現今の教育制度は全く|迷惑《めいわく》である。天才は五十年に一人、百 年に二人という程度ならば、かかる人間を標準にする必要なしと|嘯《うそぶ》く態度が現在の 教育方針である。
https://w.atwiki.jp/s1202011/pages/26.html
5月26日 1、遺伝子発現の制御が生命活動にとって大変重要である理由を述べなさい。 ○細胞の分化(別の種類の細胞に分かれること、骨とか耳とか) ○必要なときに必要なものを作ることができ、経済的である。 2、オペロンを構成する2個の重要な部位を述べなさい。 リプレッサー、オペレーター 3、DNAポリメラーゼとRNAポリメラーゼを比較し 共通な点と、相違なる点を挙げよ。 共:5’から3’の方向にしか合成できない 異:Dポは3’末端が必要で、それを作り出す酵素とかいろいろ必要 Rポは自力でプロモーターを見つけて、複製を開始できる。 D太郎「んで、特別問題なるものがここにある。 いらネェ。。。」 かのこ「まぁそうおっしゃらず。。。それでは、まず関連する問いの2番からご説明いたしましょう。」 か 「遺伝子発現のためには、プロモーター領域にRNAポリメラーゼがつく必要がありますよねっ? そして、RNAポリメラーゼはDNAを読み取り、m-RNAを合成します。 次にm-RNAはスプライシングを受け、体裁を整えられてから、リボソームへと渡されます。 リボソームはm-RNAからの情報をもとに、t-RNAを並べていきます。 このとき、t-RNAには対応するアミノ酸がくっついています。 アミノ酸はt-RNAが並んだ順番通りに結合していき、タンパク質を形成します。 この一連の流れがこそが生命科学における「セントラルドグマ」(中心教義?)であり、遺伝子発現の過程であります。」 D 「あえて聞こう、何故プロモーター領域が必要となる?」 か 「なるほど。RNAポリメラーゼがDNAにくっつくには、実はある特別な接着剤が必要なのです。その接着剤は「基本転写因子」と呼ばれていて、DNAプロモーター領域に存在する、特別な配列(TATAboxとかCCAATboxとか)に結合します。その接着剤により、RNAポリメラーゼはDNAに結合し、はれて転写が開始されるというわけです。」 D 「よろしい、次へ参ろうぞ」 か 「は、はいっ!」 か 「それではっ、2番の補足説明に移ります。 オペレーターとは、プロモーター領域と一部重複する領域なのですが。このオペレーター、リプレッサータンパク質を引き寄せてしまいます!(プロモーターがRNAポリメラーゼを引き寄せるように。。) 引き寄せられたリプレッサータンパク質はオペレーター領域に結合しますが、そうすると。。。 あれれ???な状態になってしまいます。 オペレーターはプロモーター領域に重複しているので、プロモーター領域にはRNAポリメラーゼが結合できません。よって、遺伝子発現も抑制されます。 なんらかの物質が結合することによって、リプレッサーは形状変化を起こしプロモーター領域から離れます。そうすると遺伝子発現が開始されます。 混乱するといけませんが....物質が結合することによって、オペレーターに結合するリプレッサーもありますよ。 要はリプレッサーがオペレーターから離れれば発現開始です。 この抑制を引き起こすタンパク質を「リプレッサー(タンパク質)」 抑制を指示するDNAの領域のことを「オペレーター(領域)」とそれぞれ呼びます。 DNA的には下図のような感じですっ。(左が上流です) =======[リプレッサータンパク質のコード領域]==[オペレーター/プロモーター領域]==[目的のタンパク質のコード領域]======== ではメインディッシュの4番を見てみましょう! 4、ラクトースオペロンの変異により、ラクトース存在下でもラクトース分解酵素の発現が抑制されました。この変異体の変異の部位が 1)「リプレッサー」2)「オペレーター」3)「プロモーター」 のそれぞれのとき。どのような変異が生じたと考えられますか? 1)リプレッサー ○乳糖が結合しても、オペレーターに依然として結合してしまう変異。 ○リプレッサータンパク質遺伝子のプロモーターが過活性になり。常識的な量の乳糖をはるかに超えるリプレッサーが作り出される変異。 ○リプレッサータンパクの乳糖結合部位が変異してしまう変異。 (乳糖が結合できないと、オペレーターから離れません!) 2)オペレーター ○乳糖結合で変異したリプレッサー(本来離れるべき)を受容してしまう変異。 ○リプレッサー以外のタンパク質を受容してしまう変異。 3)プロモーター ○RNAポリメラーゼを呼べなくなる変異。 ○ってかプロモーターがだめになったらオワリですね、RNAポリメラーゼを呼べるような変異だったら結構ですが。 とまぁ、考えたらいろいろ出てきそうですが。ざっとこんなものです。このあたりで、生命科学が????になった雰囲気があったので、能う限り詳しく解説しましたが、テストに出るのかなっ? 大丈夫ですか?D太郎さん?」 D 「Zzz…….」
https://w.atwiki.jp/anatafcollege/pages/45.html
┏━━━━━━━━━━━━┓ シエルタ大学 1号館 ┣━━━━━━━━━━━━┻━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┓ 1号館を中心にして両隣に2号館と3号館、裏に士官学校があり、一般に「シエルタ大学」と聞いてイメージするのはここ。 自然科学部の本拠地があり、日夜最先端の技術研究が行われている。 他学部との交流も盛んに行われており、複数分野にまたがる技術や知識を持った職員はここに在籍することが多い。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛ 関連人物 学部長 ディスティ・ノヴァ教授 ボンドルド卿 助手 結月ゆかり 助手 ナナチ 生徒里見蓮太郎 姉帯豊音 北野誠一郎 爆豪勝己 上条当麻 ロロナ シロエ イリヤ 佐倉杏子
https://w.atwiki.jp/goukakutuuti2009/pages/401.html
実践女子大学 生活科学部 3-126
https://w.atwiki.jp/goukakutuuti2009/pages/94.html
千葉工業大学 情報科学部 1-379
https://w.atwiki.jp/zairin/pages/44.html
13 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/16(水) 23 27 33 ID RZD9mIiS ザイリン「イスペイル(チラッ)、紫ザイリン酸の応用でルージ君人形の複製を作ってほしいのだが(チラッ)」 イスペイル様「(なんだあのチケットは)ダメだダメだ!ここの近所にも強硬派の刑事がうろついているんだぞ! そんなあからさまな変態向けの研究なぞできるか!」 ザイリン「そうか……残念だな…この全並行世界科学者フェスタのチケットあげようと思ったのになあ(チラッ)」 イスペイル様「(り、理性を保て私!)そ、そんなあからさまでこの私を釣るなどと」 ザイリン「レアものなのになあ…。他の人にあげちゃおうかなあ(チラッ)」 イスペイル様(無性に欲しい…無性に……) 14 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 00 29 21 ID zGT7hehH 影丸「ザイリン君、そのチケットを譲ってくれ(霧子さんを誘う口実を…)」 ザイリン「いいえ、ダメなんですよ」 シズカ「あたしに譲る気はないかい?(サコン先生を口説くネタだ!)」 ザイリン「申し訳ないがお断りする!」 遷次郎「老い先短いワシに譲るつもりはないかのう~?」 ザイリン「す…すみませんけれども…」 ロン「僕にはくれないのかな?ルージ君の水浴び写真と交換でどう?」 ザイリン「汚いなロン、さすが汚い!だが私は譲らない!」 イスペイル様「はぁ…どうしよう…科学フェスタか…」 イスペイル兵L「イスペイル様~!お久しぶりです!」 イスペイル様「お前は兵士L!何スレぶりだろう?帰って来てくれたか!」 イスペイル兵L「はい、あちこちの並行世界を駆け回ってレアグッズをかき集めてきました!」 イスペイル様「レアグッズ?」 イスペイル様「という訳で、科学フェスタのチケットは兵士Lから受け取った」 ザイリン「なっ…なんですとぉぉ!?」 イスペイル様「ま、諦めろ。フンフン~♪科学フェスタか~楽しみだ♪」 ザイリン(だが他にもチケットを欲しがっている科学者はいる!そっちに頼めば或いは…) ノーザ「ザイリンの奴、また妙なこと企んでやがるな~」グダグダ 翔子「27歳のくせして落ち着きないですよねぇ~」ゴロゴロ サスページ「いやいや、君達にもしっかりしてもらわないと…」 剣司「そろそろ休憩時間終わりっすよ!」 15 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 01 04 04 ID R2SLYphO 14 翔子「まあ私は一騎君のおいなりさんがゲット出来れば、何でも良いんですけどねぇフヒヒw」 サスページ「翔子さんの場合はもうちょっと年相応の少女らしく…(泣)」 ノーザ「諦めろ、翔子は中身オッサンだ」 剣司「人がキレる前に仕事して下さいよ!」 プロ子「あら?カノンやりましたわね!」 カノン「何の話だ?」 プロ子「一騎のアレを見たんでしょう?一番乗りですわね(・∀・)」ニヤニヤ カノン「わ、私はお、おいなりさんなど見てはいないからな(///)」 プロ子「あら~♪一言もわたくし言っておりませんわよ、おいなりさんとはねオホホホ!」 カノン「しまったorz」 プロ子「そんなカノンに一つ教えますわ。この国の夜這いとはご存知かしらね?」 カノン「よばい?」 プロ子「何でも女性から男性の元へ忍んで行き、求愛することですのよ。(当然逆の場合が主流なんですけどね)」 カノン「!!」 プロ子「まあ大事な部分も見たことですし…カノンも責任を取っては如何です(・∀・)」 カノン「ううっ…」 プロ子『ザイリンが役に立ちませんでしたが、これで楽しめそうですわ』 16 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 14 19 34 ID oeH92xJp ギル「いきなり呼びつけて何の用だ」 ローサ「うちの店も仕込みが終わってないのに」 イスペイル様「実はお前たちに良い儲け話があるのだ。このイベントに出店する気は無いか?」 ギル「全並行世界科学フェスタか」 イスペイル様「うちはザイリン酸を売り出そうと思うのだが、他にも目玉が欲しいと思ってな。新入りだし」 ギル「新商品を出してみるか…。他の世界の科学も開発に応用出来そうだ」 ローサ(私もお婿さん候補を物色しなきゃ♪) 17 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 17 37 08 ID R2SLYphO 弓教授「光子力発電機とバリアー煎餅の出展を考えてますよ」 霧子「ウチは家庭用エンジェルウォールで充分アピールできるさ」 杏奈『ちゃんとセットしてるのに下着盗まれるのは何故!?』 ルージ「なんか勉強になりそうだな…科学フェスタに行ってみたいや」 ミィ「あ、バカ!そんな事言ったら…」 ザイリン「なら私が君を連れて行こう!ルージきゅーーん!!」 ルージ「うわあああ!」 ミィ「変態中将は一人で行きなさーーいっ!乙女の無限ぱーんち!!」 ザイリン「あ~れ~」 イスペイル様「何を出展しようかな~♪実験に使えそうな物いっぱい買ってこよ~♪」ワクワク ジョシュア「子供の遠足じゃありませんよ…」 プロ子『ある意味子供なんですけどね』 20 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 18 45 01 ID VuZNtFH0 最近のロボ作品だとラインバレルのレイチェルとかか イスペイル兵L「全並行世界科学フェスタのチケットはこちらでーす、今なら定価の85%でお売りしますよ!」 カギ爪「これは楽しそうだ。お友達の分も買って行きましょう」 宙「うるせーから親父にも買ってってやるかな」 朱音「我々も並行世界の科学を理解したい」 ゲイナー「並行世界の先端テクノロジーが見られるのか」 アスラン「ちょっと興味あるな…(最先端の毛生え薬が見つかるかも…)」 ヴェリニー「Lもしばらく見ないうちに、商魂たくましくなったわね」 ヴェリ兵C「結婚したら、よく稼ぐ旦那になってくれそうニャ~ニャんちゃって」 イスペイル兵T「(ガビーン)」 ヴェリ兵C「あニャ、T、いたのかニャ?」 イスペイル兵T「う、うっさい、定期連絡に帰ってきただけだ!フン!」バタン ヴェリ兵C「なんですかニャ、あいつ?」 ヴェリニー「これまたパターンにはまっちゃったわね」 ヴェリ兵A「ここにも鈍い子がいたんですね!」 ヴェリ兵B「もー、ここ、ツンデレとニブちんばっかり…」 21 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 20 31 02 ID R1qomn8x イスペイル様「いや~♪楽しみで昨日はなかなか寝付けなかったぞ」ワクワク 弓教授「奇遇ですね、私も同じですよ」 サコン「全平行世界科学者が一同に集うお祭り…壮観は間違いなしですね」 遷次郎「かっかっかっ。子供心を持ち続ける事こそ科学者の資格じゃよ」 霧子「おや?ロン先生は何を書いてるのかな」 ロン「珍道中スレ講座を纏めてまして。いつか出版出来たらなと」 ルージ「サコン先生のお供で参加できるなんて…楽しみだなぁ」 ミィ「あんまりキョロキョロしないでよ!」←無理やりロン先生のお供 ジョシュア『ぼ(ryマッドな人が多くて僕は影が薄いです!』←イスペイル様の助手として 【フェスタ会場内】 ルージ「先に見学して良いってサコン先生も太っ腹だなぁ」 ミィ「自分も見学したいだけだと思うけどね」 ルージ「ははは。ここは…えーとOGブースか」 白衣男「フフフ…ブラックホー○エンジンは今回展示だけですよ」 覆面男「クロスゲートの研究、それも私だ」 年増女「私のAI○を見て…凄いでしょう」ハァハァ 死ぬ死ぬ詐欺「いらっしゃーい。TD搭載のゴスロリオン1/72スケールを限定5体販売中でーす」 檸檬「うふふ…」 展示品17番「あの…私はなんで机に並べられちゃってあるでごんすか?」 赤毛女「ゲシュ○ンストMK-Ⅲに搭載のクレイモア、レプリカですが威力は本物と同じでしてよ」 眼鏡「ふむ…興味深いですね。分解しても宜しいですか?」 双子兄「わーっ!!馬鹿止めろ!」 巨乳娘「ごめんなさいごめんなさい!」ペコペコ ルージ「楽しいけど……カオスな場所だね」 ミィ「……疲れたわ」グッタリ 22 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 20 41 06 ID p9zJqDLW 21 上から シュ○・シラ○ワ ユー○ス・○ッツォ エ○デ・○ッテ ○ィリオ・プレ○ティ レ○ン・ブロウ○ング ラミ○・ラ○レス マ○オン・ラ○ム ラ○ジ・モン○ーヤ ラ○ル・○レーデン ○ズホ・サ○キ でFA? 偽ワイリー「ははは、どうだ!ワシのトリ○ティエネルギーこそ最高だ!!」 タングラム「………」 イスペイル様「どうした?」 タングラム「あのエネルギーは…いずれ銀河を戦乱に導きます」 イスペイル「そうなのか?」 23 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 21 10 01 ID oeH92xJp ルージ「ここから先は乳幼児お断りだってさ」 ミィ「あたし達は乳幼児じゃないから大丈夫よね♪」 何かのゲージ「……」 謎の門「……」 ルージ(何かとてつもなくヤバイ感じがする) 水色の髪の女「ここは子供の進入が禁止されている」 ミィ「あたしはもう乳幼児じゃないわ!犯罪者みたいに言わないで」 割烹着の似合う男「好奇心の強い奴は特に危険だ。そこの門を下手にいじると 多重人格になったり地球が消えたりするんだ」 ルージ(ちょっと興味が出てきた) 水色女「ところで、そろそろ経口摂取するエネルギーが足りなくなってきた」 割烹着男「もうすぐお昼か…」 24 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 22 31 14 ID R2SLYphO 23 水色の女って誰かな? 男はジョッシュ父だと思うけど… (フェスタ会場内) ジョシュア『僕(ryお昼なので食事ブースへやって来ました』 イスペイル様「ううむ…全平行世界の料理が楽しめるとは。期間中ずっと滞在したい位だな☆」 ジョシュア「楽しみですね。…ってイスペイルさんはバーチャロイドじゃないですか」 イスペイル様「(ギクッ)ま、まあ機械体の科学者用メニューも豊富だという意味だ!」 ジョシュア「なるほど」 謎食通「ふふっ、我が料理とくと味わっていただこうか」 親分「チェストー!(魚の活け作り)」 ローサ「…良い男はこないわねぇ」 春風ロリ「えへへ♪ラ・ギアス風クリームシチューはこちらでーす♪」 ユキコ「お待たせしました、ごゆっくりどうぞ」 ツンデレ「私のお粥……食べきる事ができて?」 某コック「ル○ちゃーん三番さん秘伝ラーメン上がりだよ!」 ギル「話題沸騰中の月見ギルバーガー!食わなければ末代までの恥だ!」 ジョシュア「…知ってる顔もありますね」 イスペイル様「あいつらはどうやってここまで来たのだ…」 (いんでぃくす☆) ザイリン「はぁ…チケットを捌き損ねた」 ノーザ「馬鹿だな、さっさと売払っちまえばいいのによ」 翔子「行ってみたらいいじゃないですか。ルージ君も行ってるんですし」 ザイリン「ダイモンに連れて行って貰わなければ無理だな…」 ノーザ「そりゃ諦めろ」 ザイリン「やだやだ!ルージ君のいない生活なんて耐えられないもん!」ジタバタ 翔子「見苦しいですねぇフヒw」 ザイリン「ルージきゅんだって私と会えず寂しい思いをしてるのに!」 (再びフェスタ会場内) ルージ「あはは!すっごく楽しいや!」 ミィ『変態中将から離れてるだけで、ルージがいつもの五倍(ミィ主観)明るいわ…』 27 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 23 44 48 ID brgEx36q キラ「転売してたチケットが一枚余ったから僕も来てみたよ」 ジョシュア「多分求めてるものは…ありそうですねここなら」 キラ「うおおおぉぉぉー!本物の○ーチャルボー○だあああ!」 ジョシュア「お、落ち着いて下さいキラさん!これゲーム機ですか?妙な形してますね」 キラ「これはかつて某花札屋から発売されてものだが当時は爆死もいいとこだったんだ。だがダイモンから別の世界でもの凄い進化を遂げたバー○ャル○ーイがあると聞いていたけど…」 ジョシュア「僕達がいる世界のゲーム機も結構凄いと思いますが…」 キラ「何はともあれせっかくの試遊台だから、やってみなきゃね。ソフトは…これでいいかなっと」 ジョシュア「見れば見る程置き場に困りそうな形状ですねぇ」 キラ「oh...my life is game」 ジョシュア「突然何言ってるんですか!?」 元OZ「おや…それに興味を示すとは、なかなか目が高い方ですね」 ジョシュア「これどんなゲーム機なんですか?」 元OZ「某獅子の王博士協力の元、始祖文明エスの技術を余す事なく使った我が社の救世主です」 キラ「ア…I love you...」 元OZ「このゲーム機にはシークレットとして今までサンドイッチされたいと思った人達のデータを第6感レベルまで体感できる機能がありまして」 マヨネーズ女「こ、こ、この馬鹿ホ○ス!急に景気良くなったと思ったら!」 バチコーン ズルズル ジョシュア「な、なんか…連れていかれちゃいましたね…」 キラ「Peace of eros...」 ジョシュア「こっちもこっちで連れていかれてますね…」 28 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/17(木) 23 50 49 ID R1qomn8x 22 全問正解 つ【ウンコ部長写真集】 【夜のホテル】 イスペイル様「いや今日は科学の素晴らしさを堪能できた!」 ロン「全くですね」 サコン「明日も楽しみですね。もっとも帰らなくてはならないのが残念ですが」 イスペイル様「よし!明日も張り切って楽しむか!」 ジョシュア「イスペイルさんは買い物を控えて下さいよ…」 イスペイル様「…今なんと?」 受付「お二人様で一室とさせて頂いております。何分全平行世界から沢山のお客様がいらっしゃいまして…」 サコン「当然ですね。この集まりようは尋常じゃありませんから」 受付「ご理解を宜しくお願いいたします」 イスペイル様「………」 ミィ「…でなんで私がルージと同室なのよ!」 ルージ「仕方ないじゃないか…サコン先生とロン先生が研究始めちゃったんだし…」 ミィ「(ぐいっ)この線から入ったら乙女の丸焼きにするわよ!」 ルージ「分かったよ」 ジョシュア「寝るときくらいスーツ外したらどうですか?」 イスペイル様「私に中の人などいない!」 ジョシュア「そんなに正体見られるのが嫌なら、僕廊下で寝ますけど…」 イスペイル様「ミ○トじゃあるまいし、廊下で愚痴られても困る!」 ジョシュア「…はあ」 ジョシュア「…目隠しは分かりますけど、手を縛るのは…これじゃ眠れませんよ」 イスペイル様「無意識に外すだろう。悪いがそれで寝てくれ」 ジョシュア「眠れませんよ…」 イスペイル様「いいから寝ろ」 ジョシュア「………」 イスペイル様「ん?」 ジョシュア「……zZZ」 イスペイル様「寝とるじゃないか…全く」 (かっちゃん) ルイス(いすぺいる)「明日も早いですし…わたしもねむく……くぅー」 30 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/18(金) 04 31 09 ID mjDOvpG9 (ホテルの別室) キラ「It's a wonderful world…!」 アスラン「おいキラ、いい加減に帰って来い」 キラ「うーん!並行世界の科学は実に素晴らしいね!僕一生ここで暮らしたいよ」 アスラン「お前はちゃんと働け。コネなら幾らだってあるだろうが」 キラ「それでも!守りたいニート生活があるんだー!」 アスラン「…キラ、お前って奴は…」 キラ「いやあ、アスランがホテルに部屋を取っといてくれて本当に助かったよ。 他の部屋は満杯だし、今日の寝床をどーしようか困ってたんだよね。やっぱり君と僕は最高の親友だよ」 アスラン「段々お前との友情が疑わしくなって来たぞ、俺は」 キラ「君が育毛剤を探しに来たことはちゃんと黙っててあげるよ。友達の秘密は漏らさないから安心してね」 アスラン「余計なお世話だ!!」 キラ「ところで…あの人は何やってるんだい」 ガドヴェド「むむ、ラースエイレムとな…こちらはセレスチアル・リアクターとやらか…何!多元世界補完計画!? おおっ…これはきっと同志もお喜びになるに違いない…!」 アスラン「チケットを買ってくれたカギ爪の為に、おみやげを選んでいるんだそうだ」 キラ「暑苦しい人だねぇ。アスランも何だってあんなむさ苦しいオヤジと同室する気になったんだか」 アスラン「俺のせいじゃない!偶々フロントで一緒になっただけだ!二人以上でなければ部屋が取れないって言うから…!」 ガドヴェド「少年よ!」 キラ「って、はい?」 ガドヴェド「ちょっと聞きたいんだが、若い奴らの土産には何を買ってやればいいと思う? すまんが、この歳になると若い連中が喜ぶ物がわからんでな」 キラ「そーですねぇ…ミハエル君には妹大図鑑でも買っておけばいいでしょ。 カロッサ君にはルゥちゃんにプレゼント出来るようなアクセサリーとか、あるいはトレーニング機器とか。 メリッサちゃんとファサリナさんはミハエル君のアンドロイド辺りでしょうかね。ウーさんには股間を隠すロバを最優先で」 アスラン「言いたいことは色々あるが、俺は突っ込まないぞ、キラ」 ガドヴェド「おお!実に参考になった…貴様は見所があるな少年!まるでミハエルを見ているようだ!」 キラ「やめてよね。僕は彼じゃないんです、僕にはミハエル君みたいに現実の女の子は不要なんです」 アスラン「…いや、お前には現実の女が必要だよ。ラクスみたいな厳しい子が」 31 名前: それも名無しだ [sage] 投稿日: 2009/09/18(金) 10 09 46 ID MJv8p3ad ※トロンベスペシャル(目ん玉飛び出るような値段) イスペイル様(ゴクリ…食べたい……でもこの値段はいんでぃくすが傾きかねん…) ???「トロンベスペシャル1つ。こちらの方へ」 イスペイル様「奢ってもらえるのは有り難いが…」 過ち「私は子どもの為に探し物を3つ探している。2つは確保出来た。 しかし最後の1つはどうあっても不可能であった」 イスペイル様「この会場ですら見つからぬのか」 過ち「ソレを与えるには我が子の体を一から作り直さねばならぬのだ。これも過ち… だがザイリン酸とやらを応用すれば叶うかもしれぬ」 イスペイル様(この研究は極秘だ。特にミィやシンシアには…) 32 :それも名無しだ:2009/09/18(金) 17 05 29 ID ehxE4t0l 28の勝手な続編 サコン「ヒック…いやあロン君との科学談義は知的好奇心をくすぐられますねぇ…ウイッ」 ロン「本当です…ウイッ…自分とは異なる知識の持ち主との意見交換は…ゲプッ…」 サコン「そうだ!イスペイルさんにも伺いたい所ですね!…ウイッ」 ロン「それはいい!…ゲフッ…今から呼んできましょ…ウィーッ」 サコン「じゃあ私(コケッ)…あたた」 ロン「お酒が随分とす…(バタン)はは…僕も少し飲みすぎた…かな」 サコン「1+1は2です。二人で肩を…ウィー…くんでいけば…ヒック」 ロン「さすが…ゲプッ…行きますか!…ウィッ」 いすぺいる「くぅー…」 ジョシュア「…zZZ」 ドンドンドン! いすぺいる「ふぇっ!」 イスペイルサン!ワタシタチトカガクダンギシマショー オサケモアリマスヨー いすぺいる「うー…もう夜中の3時なのに。酔っ払いは迷惑です…」 ジョシュア「…うーん」 いすぺいる「(ビクッ)」 ジョシュア「…zZZ」 いすぺいる「ふう…」 ドンドンドン! オキテクダサイヨー カガクダンギデスヨー いすぺいる「ああもう!寝れないですよぉ!」 ジョシュア「ん…」モゾモゾ イスペイル様「(マスクのみ装着)こらっ!大の大人が夜中に騒ぐな!」 サコン「すみまへ~ん、せっかくだはら科学談義しましょうよ~」 ロン「意見交換でふよ~飲みながらね~」 イスペイル様「酔っ払いがやかましい!さっさと寝ろ!」 サコン「そんなほといわふに~」 ロン「けひけひしないで~」 イスペイル様「えーい!(ガチャ)ミナール…じゃないミルナリオンハンマー!」ピコンピコン! サコン「うぎゃー」バタ ロン「みぎゃー」バタン いすぺいる「ふぅ、これで寝れますね…ふわぁ~」 ジョシュア「…なんかうるさい……あれ?」 いすぺいる「!!」 ジョシュア「(目隠し外れてる)…なんでルイスさんが?」 いすぺいる「二度目のミルナリオンハンマー!」ピコン ジョシュア「ふぎゃっ」 いすぺいる「はぁはぁ…目隠しが外れてるなんて…さすがKYです…」 (翌朝) ジョシュア「おはようございます…」 イスペイル様「…おはよう」 ジョシュア「…変な夢を見て頭がズキズキするんですが」 イスペイル様「知らん」 ジョシュア「はあ」 イスペイル様『お陰であれから寝れなかったじゃないか!』 34 :それも名無しだ:2009/09/18(金) 18 00 41 ID 8n5Y3Bl+ ルナマリア「キャサリンさんの店で勝負下着選んでくれば良かった!」 ミラ「女は下着じゃないわ、ハートで勝負!それに」 シホ「私達が盗聴してるから安心して行くんだぞ」 ルル「邪魔が入りそうなときは即排除しますから」 真矢「どっからでも敵は狙撃するよ!安心して!」 ルナマリア「あ、ありがと、でも盗聴は止めて」 シン「じゃ、俺、ルナマリアと映画行ってくるから」 マユ「そうそう、お兄ちゃんも少しはルナマリアさんを構ってあげればいいんだよ」 シン「なんだよ、それ」 ステラ「気をつけてねー。いってらっしゃーい!」 ザイリン「私もルージ君とデートしたいよー早く帰ってきてよルージきゅ~~ん!!」ジタバタ 翔子「ノーザさん、背中のポッケのアレの出番ですよ!」 ノーザ「よし、ルージが戻るまでコイツでしのいどけ」つ【ルージパンツ】 ザイリン「うん…クスン…ルージきゅん…」くんかくんか ラクス「その四次元マントは便利ですね。キラの大事なものを捨て、いえ預けてよろしいですね?」ポイポイ ノーザ「勝手に入れんなよ、ゴミ箱じゃねーんだから!」 翔子「フヒw見事にギャルゲとエロ同人ばかりですね」 ラクス「私を置いていった罰です♪」 【フェスタ会場】 ルージ「いよいよ帰るのか…はぁ」 弓教授「ルージ君、元気がないな」 霧子「帰った途端、うっかり中将が突撃してくるだろうからね」 ミィ「ねむ…ふぁぁ」 イスペイル様「ふぁ…」 遷次郎「この二人は眠そうじゃの」 ミィ(隣のルージが気になって眠れなかったなんて、言える訳ないじゃない!) ロン「僕たち、何で廊下で寝てたんでしょう?へっくし!」 サコン「…へくしょん!お陰で風邪気味ですよ」 35 :それも名無しだ:2009/09/18(金) 18 04 48 ID MJv8p3ad フェスタ会場でザイリンが突撃してきたら、 ルージの純粋な防衛本能に応えて謎の無限力が発動したかもしれん。 よかったよかった。 36 :それも名無しだ:2009/09/18(金) 18 09 41 ID vpe0VCBg ここ最近ジョシュアといすぺいる様にフラグが立ちかけてるような さすがジョシュア、いろんな意味でKY 37 :それも名無しだ:2009/09/18(金) 19 22 46 ID 3XTawGmh カドヴェド「科学フェスタのお土産です。まずは同志に」 カギ爪「おお!新しい義手ですか!」 カドヴェド「これさえあれば岩も切り裂き、豆も摘めますぞ」 カギ爪「有難うございます。今日の晩御飯は煮豆にしましょう」 カロッサ「ガドヴェド!オレのは!」 ガドヴェド「カロッサにはトンファー型ダンベルだ。ボタン一つで重さが変わる優れものだ」 カロッサ「おおーっ!オレいっぱい訓練する!」 ガドヴェド「ウーにはこのカメレオンタイツ。透明だが肝心な部分が隠れる、全裸マニアの必需品だ」 ウー「不本意だ。それでは全裸の意味が…」 ファサリナ「まあまあ。わたくしにもありますかぁ?」 ガドヴェド「時流香水調合セットだ、気が効かなくて申し訳ないが」 ファサリナ「うふふ……嬉しいですわ」 ガドヴェド「メリッサには動物翻訳機を。これで好きなだけ動物とお話するといい」 メリッサ「うん…」 ガドヴェド「…でミハエルはどこへ?」 ファサリナ「…お友達と会うとかで外出を」 ミハエル「こ、こんな貴重な物を!」 キラ「家に置いとくとラクスに処分されちゃうからね。たまに使わせてくれるかい?」 ミハエル「有難う!喜んで貸させて貰う!」 キラ「脳波転送映像機…これがあれば記憶の中の貴重なワンショットが」 ミハエル「いつでもどこでも色褪せる事なく見れて、写真やDVDに複写できるのか…キラさん!」 キラ「なんだい?」 ミハエル「グッジョブ!」 キラ「イエー!!」
https://w.atwiki.jp/hitoshi517/pages/25.html
担当:長谷川高士 ついに僕担当の部分を全部訳しました。やったぜ。2007-12-09 一番下にコメントフォームを作りました。自由に書いてください。名前はなくても結構です。 §2 科学的認識と仮説2007-12-09 Scientific cognition and hypothesis ①科学的認識は法則的な認識であって,未知の事象に対して予言的な能力をもつような普遍的な認識をめざすものである。 The scientific cognition can be stated as a nomological cognition, which aims a universal cognition that has predictive ability against unknown object. 科学上の命題というものは,その真否が原理的にはいつか客観的に定めうるようなものでなくてはならない。 Scientific proposition must be able to objectively define its truthfulness in principle at some day in the future. 科学的認識の目ざすのは,条件さえ同じならば常に同じ事象が生ずるという法則を明らかにすることであって,原理的に再現不可能な1回キリの個性的な事件を問題とするものではない。 Scientific cognition aims to elucidate laws that same phenomena happens under the same circumstance at any time and count incident that happens only once and can not principally reproducible for nothing. そのことは地球の歴史や生命の起源,生物の進化など自然の歴史を論ずる科学についてもいえることである。 This can also state at science that discuss history of nature such as a geometric history of earth, origins of life, evolution of life. これらの科学は,はじめのうちは,ほかの科学分野の研究手段を利用して歴史的な事象を記述するにとどまるにせよ,やがてそのような階段をこえて地球の進化の中に一般的な法則を見出さなければならないわけである。 These sciences, although first describe the historical phenomenon by using research method of other field, must step up these stairs and find general laws among evolution of earth. 地球上に生命が発生しえたのは,地史上のある特定の時期に限られたとしても,その時期においてどのようにして生命が発生しえたかということを明らかにすることが問題なのであって,同じ条件さえととのえば同じような歴史が進行することを暗に前提としているのである。 Even though life could come into existence in a one specific season in the history of earth, the problem is how to elucidate life could be generated, which implicitly postulated that same history goes off under the same circumstances. だからこそそれらの歴史的な科学の研究においても実験的な研究が重要な位置を占めるのである。 Therefore, experimental study also plays an important role even in the field of study of historical science.} ②法則的認識は,仮説を実験的に検証することによってのみ行なわれる。 Nomological cognition is achieved only through verifying a hypothesis experimentally. 上の命題は,科学がすでに知られている諸現象の解釈によってなりたつものではないこと,ある解釈が科学上の理論・法則となるためには,まずその解釈を仮説として提起して,それを改めて実験的に検証しなければならないことを意味するものである。 Above proposition means that science does not consist of interpreting various phenomenon of already known, and before one interpretation becomes theory or law, primarily it needs to propose a hypothesis and verify experimentally again. 科学上の命題は個々の事象を扱うものでなく,対象に関する法則的認識を問題とするものであるから,その命題はすでに知られた事象のみでなく一連の未知の事象についての規定,予言をも含むものである。 Because scientific proposition not treat/handle individual phenomenon, but treat nomological cognition against an object, its proposition contain not only contain already known phenomenon, but also contain rule or prediction against array of unknown phenomenon. したがって,それらの未知の事象がその命題の予言するところと一致するかどうかをしらべることによって,その命題の真否をチェックすることが可能なはずである。 Therefore, its proposition can be checked by verifying its unknown phenomenon whether it agree with prediction of proposition. ③ 科学上の理論・法則・仮説は,実験によってその真否を問うことができるような具体的・一義的な内容をもつものでなければならない。 Scientific theory, law, hypothesis must include an unambiguous and concrete content, which can be asked truth or false through experimentation. これまでの授業研究では,しばしば,理論とか仮説とか呼ばれるものが一義的・具体的な内容をもたず,そのため実験を行なってもその仮説の真否のきめてのつかないようなことが少なくなかった。 Study of the classroom education heretofore, theory or hypothesis frequently does not have an ambiguous and concrete content, as a result, the truthfulness of its hypothesis could not be determined by experiments. 科学上の理論・法則というものは未知の具体的な事象について予言的能力を有するからこそ存在価値があるのであて,仮説はそのような法則・理論を志向するものとしてのみ存在理由があるのである。 Scientific theory or law has an existence value because it has prophetic ability to unknown concrete phenomenon, and hypothesis has only reason for existence aspiring such law or theory. ④仮説はその理論的予言が一連の実験的事実と一致することがたしかめられ,その真実性がたしかめられたと考えられると,それは理論あるいは法則とよばれるようになる。 A hypothesis is called a theory or law when its truthfulness is thought to be confirmed by the correspondence of a strain of experimental facts. 科学上の命題というものは,すでに経験された有限の事象にもとづいて未知の無限の事象についてまで規定し予言するものであるから,原理的にいえばその真実性は絶対的には保障されえない筈であるが,科学の歴史の教えるところによれば,十分に吟味された数少ない実験によって確認された理論や法則がきわめて広い通用性・有効性をもつことは明らかである。 Because scientific theme prescribe and predict unknown unlimited phenomenon on the basis of already experienced limited one, its truthfulness should not absolutely be able to guaranteed in principle, however, according to the saying of the lessons of scientific history, it is clear that theory or law which is confirmed by only a few experiments of well considered have enormously large currency and effectiveness. しかし,また一方,上述のごとき有限の実験事実から見出された理論や法則を無批判にうけいれることがしばしば重大なあやまりをひきおこすことも科学史的な事実であって,この辺のかねあいを論理的にあらかじめ規定することは不可能である。 However, on the other hand, uncritical acceptance of above stated theory or law discovered by limited experimental facts frequently invoke serious error/mistake, that is the facts on the history of science. Thus, it is impossible to logically prescribe a balance between these. ニュートンの力学の諸法則は比較的数少ない実験によって定立され,その後多くの理論的・実験的研究の基礎となってその真実性・有効性がたしかめられたが,なおかつ相対性理論や量子力学によってその限界性が明らかにされたことはよく知られた事例である。 Each laws of Newton’s dynamics established from comparably a few experiments, and confirmed its truthfulness and effectiveness by becoming fundamental of many theoretical or experimental studies whereafter, it is also well known case that its limitation is elucidated by relativism or quantum mechanics. 仮説が法則・理論とよばれるようになっても,その真実性は限界をもったものであることを忘れないことが重要である。このことは科学教育にとっても基本的に重要なことである。 It is important not to forget that when a hypothesis become to be called a law or theory, its truthfulness has limitation. This is basically important for scientific education. ⑤仮説には,(A)長期にわたってその真否を直接的に検証することはむずかしいが,暫定的にその仮説が真であるとの仮定のもとにその上に理論をきずくものと,(B)比較的容易に,直接その真否をたしかめることができるが対象に積極的に問いかける方策として便宜的・一時的に設定されるものとがある。この後者を作業仮説とよび,前者だけを仮説をよぶことがあるが,この論文ではとくに断らない限り両者を含めて仮説とよぶことにする。 There is two type of hypothesis; (A) although its truthfulness is difficult to verify directly over a long period of time, a theory is established under assumption of the hypothesis that is tentatively true, and (B) although its truthfulness is comparably easy to verify directly, a hypothesis is formed temporally or descriptive purpose as a method for asking positively. 作業仮説というのは,その研究が一応完結し論文がまとめられたときには,すでにその真否が実験的に明らかにされるようなものであって,研究者が対象に問いかけるために一時的・便宜的に設定されるものである。 Working hypothesis is a hypothesis which would confirm experimentally when the study is at least done and finish their thesis. Working hypothesis is temporally and conveniently established to ask object. そこで,このような(作業)仮説の存在は一般にはあまり意識されないので,仮説といえば,前者,つまり,「アボガドロの仮説」とか「光の波動(粒子)仮説」のようにかなり長期にわたって実験的確証といえるものをもたないが,一応その仮説を真なりと仮定して設定し,その上に理論をきずいて研究を発展させるために役立つもののことだけをさすことが多かった。 Thus, the presence of such (working) hypothesis is not generally conscious, usually hypothesis means former, in other word, hypothesis mostly indicated like “Avogadro’s hypothesis” or “light-wave hypothesis”, which they do not have certified by experiment for many years, however, suppose the hypothesis is tentatively true, and then established the theory that is useful for developing study. しかし,筆者は,一般に仮説というものが科学的認識の上で決定的な役割をはたすものであるという観点から,あえて作業仮説をも仮説の中に含めることにしたのである。 However, the author decided dares to include working hypothesis as one of the hypothesis, from the view point that hypothesis generally play a critical role for scientific cognition. しばしば仮説と予想とのちがいが問題になるので一言しておくと,仮説は大なり小なり一般的な理論・法則の成立を予想することであるのに対し,予想というのは未知の個々の事象についての判断である。 I have to mention for the difference between hypothesis and prediction because that can frequently be an argument, hypothesis is predicting establishment of general big or small theory or law, on the other hand, prediction is a judgment for unknown phenomenon. 「あしたは晴になるだろう」というのは個別的判断であって予想ではあるが仮説とはいえない。 “Tomorrow would be a fine day” is an individual judgment, though it is a prediction but it can not be a hypothesis. しかし,「これこれの理論がなりたつと思われるから,これこれの事象がおこるだろう」というのは,仮説とそれにもとづく予想であって,この仮説はそれにもとづく一連の予想がすべて正しいことが確認されることによって仮説の正しさが認められることになるのである。 However, a thought “this theory could be composed, then that would happen” is a hypothesis and prediction based on that, this uprightness of hypothesis is admitted through confirmation of prediction, which based on that hypothesis are all correct. なお,ニュートンが「私は仮説を作らない」(non fingo hypothese)と述べた科学史上有名な言葉があるが,この言葉はデカルト学派を念頭にして書かれたものであって,ここにいう仮説は「実験的検証不可能なたわごと」というような意味である。 In addition, Newton stated famous word on the history of science that “I don’t make any hypothesis” (non fingo hypothese) , however, this words were for considering Cartesian scholars and their hypothesis means “things that can not verify by experiment”。 ニュートン自身,光の光子仮説などについてくわしい研究をのこしているのである。 Newton himself remains intimate study for light’s photon hypothesis and so on. ⑥ 予想や仮説は,その真否を自然(対象)に問いかけることによって,外面的・偶然的な自然(対象)との接触のみでは認識されたりまったく知られえないような自然(対象)の側面を積極的に明らかにする効果をもつものである。 Prediction or hypothesis have the positive effect of shed a light on the side of nature (object) that can not be able to cognize only by touching external or occasional nature (object) by asking its truthfulness. 人間が外面的・偶然的に知りうる自然(対象)は多くの場合きわめて一面的なものであって,自然(対象)の他の側面については積極的にそれを知ろうとしなければ知られないことが少なくない。 Nature (object) that a man could be known exteriorly and accidentally /by its appearance and chance, in many cases, extremely monochromatic, and for other side of nature (object), it could inclined/mostly not to be perceived unless actively learn/search. たとえば,日々の経験からすれば,この大地は平らなものであって球状のものとは思われない。 For example, from the daily experience, this ground is flat and hard to think it is spherical. 太陽は毎日われわれ(地球)のまわりをまわっているように見えて,大地(地球)が動いているとは思われない。 Sun seems to go around us (the Earth), it is hard to think this ground (the Earth) is moving. それは人間が大きな地球の一小部分に生活し,地球を外から眺めることが出来ないからである。 It is because a man lives in small part of big Earth, it is impossible to view from the outside the Earth. このように予想・仮説の設定は,偶然に一面的に提要される事実のみによる一方的な判断をこえた正しい判断を可能にするのである。 In this way/As mentioned, setting of prediction and hypothesis allow right /correct judgment over the one-sided judgment by the facts given coincidentally and monochromatically. ⑥すでに知られた一連の事実をどう解釈し,そこからいかなる理論・法則を導くべきかということは,多くの場合一義的にはきまらない。それらの解釈のどれが正しいかは,新しい実験によって検証してみることが必要である。 In many case, it can not unambiguously be concluded how can it construe from array of facts of already known and which theory or law should be constructed/lead. It requires verification through new experiment to judge which of these construe are true. もともと有限の事象から無限の規定を含むような正しい理論・法則を一度に一義的に導きだすということは一般に困難なことであって,すでに知られている事実がいかに多くともさまざまな解釈の可能性がのこっているものである,そこで,次に実験的検証が必要になるのであって,科学はしばしば誤解されるように事実→理論という形で進歩するものではなく,仮説→実験(事実)→仮説→実験(事実)のくりかえしの形でのみ進歩していくのである。 Originally, it is generally difficult to draw on/evolve correct theory from the limited objects to right/correct theory that include unlimited prescription/provision/regulation by once and unambiguous, and usually it remains many possibility of interpretation although how many already known facts exist, thus, that require experimental verification next, science is, frequently misunderstand, not evolved by the form of “facts to theory”, but evolve only by the repeating form of “hypothesis to experiment (facts) to hypothesis to experiment (facts)” 科学教育の場合でも同じことである。 It is same in the case of science education. 従来の理科教育では,最初に一連の実験事実を示して,次にそれらの事実から一つの理論を帰納的に導きだすことによっておわるという方法が,帰納(法)的な教育方法として理想的なものと考えられ広く用いられてきたが,最初に示された実験事実がいかに典型的であっても,それをどう理解するかということは多くの場合一義的にはきまらないのである。 The method which shows an array of experimental facts first, and then end with inductively forming a theory was thought to be an idealistic one for inductive education (nal) method and widely used, although experimental facts shown at first could no matter how typical it were, how to comprehend that facts is usually not decided unambiguously. 少なくともそのように思われるものである。 At least it is thought to be. 教えられるべき事柄についてまだほとんど知らない生徒たちであっても,その対象について素朴な常識的な考え方をもっていることはまれではない。 It is not a rare case even students who know few about the thing to be teach have simple common sense view/way of thinking/ about its object. それは多くの場合,あまり論理的なものではなく,ときと場合によって解釈をかえるほどに流動的なものである。 In many case, that is not logical and elusive to such extent that they change their interpretation according to its time and occasion. そこで生徒たちは最初に新しい「実験」事実を見せられたときにも,かれの常識的な考え方をもとにしてその新しい事実をも何とか包み込むような新解釈を考えつくことが少なくないのである。 Then when students are shown new “experimental” facts first, not negligible numbers of them conceive the idea of some new interpretation which manages to enclose the new facts, based on their common-sense thinking. ところが,教科書や教師のほうはそんなことにはおかまいなしに,「これらの実験事実から……ということが分る」などと結論し,それ以外のことは考えられないような態度を示すのである。 However, a textbook or teacher do not conceder such thing and conclude such as “these experimental facts suggest...” and posture that there exist nothing other than the conclusion. これでは「実験」事実をたてとしながらひどいおしつけを行なっていることになり,生徒の心の中に何となく納得のいかないものを残すようになるのは当然である。 This becomes a stiff intrusive enforcement using “experimental” facts, thus it is no surprise that students feel something unconvincing in their mind. これにくらべればあからさまに「科学者が研究したところではこういうことがいえるそうだ。だからこれをおぼえておけ」式のオシツケの方が生徒の考える意欲を喪失させない点からいって,はるかに無害であるということもいえるであろう。 Comparing this, a type of overt enforcement which say “Remember this, because scientist’s study conclude so” is much less harmful for the extent that would not deprive the will of thinking students themselves. ⑧ 実験とは,自然認識を目標として,自然と自分とを統御して,自然に問いかける意識的主体的な活動である。 Experiment is a conscious and proactive activity which asks the nature by governing nature and self, aiming cognition of nature. このことは既に最初にもふれたことであるけれども,科学および科学教育における仮説と実験との意義と関連してここで再びとりあげておくことが必要であるように思われる。 Although this was already mentioned in the first part, it seemed to reconsider/ pick up related to significance of hypothesis and experiment about science and science education. 従来の科学教育においては「実験」というものの本質がまちがって考えられ,そのため混乱をきたしていることが少なくないと思われるからである。 It seems not negligible number of confusion induced by misunderstanding of the essence of ‘experiment’ in science education heretofore. 上の命題は一般に考えられているように,実験というものは単に実験装置を動かして,自然現象を生起させるということではないということを言おうとしたものである。 Above proposition tried to propose that experiment means not just activating experimental instrument and inducing natural phenomenon, as generally thought to be. いくら実験装置を動かしてみたところで,その行為でもって目的意識的に自然に問いかけるという主体が確立されているのでなければそれは実験とはいえないのである。 Even if the experimental instruments were activated, it would not said to be experiments if the action is based on independence, which ask the nature with sense of purpose have not established. チンパンジーや幼児が実験装置を動かしてみても,それはかれらにとって実験とはいえないということは明らかであろうが,従来学校の理科室などで行なわれている「実験」にも基本的にはこれと何ら変わらない場合がきわめて多いことに注意すべきである。 Although if a chimpanzee or a child activates experimental apparatus, it is obvious that that is not an experiment for them, however, we also have to take care of traditional school lab class “experiment”, which basically nothing more in many cases. 教師実験でも児童(生徒)実験でも,多くの子どもたちは,何故そのような道具を使って,そのような「実験」をやるのか,その「実験」によってどんな考えの真否を明らかにしようとしているのか一向に理解せずに,「実験」を眺めたり,指示のままに手足を動かしているだけということが多いのである。 Either teacher’s experiment or student experiment, a lot of students do not understand why using such instrument, such performing such “experiment”, and what kind of idea would be verified by the “experiment”, but just seeing the “experiment”, moving their foot and hands according to the instruction given. 科学教育における実験を真にその名に値するものとするためには,それらの実験をすべての生徒にとって目的意識的なもの,自然にイエスかノーかを問いかけるものとして明確に意識させなければならない。 To make truly deserving of the name of the experiment of science education, these experiments must be clearly cognized that these are with sense of purpose, which means asking nature pros or cons, for all students. つまり実験の前には必ず生徒の1人1人に予想(仮説)を立てさせて,それでもって自然に問いかけるようにしなければならないのである。 In other words, before every experiment, prediction (Hypothesis) must be made by every student, thus one can ask the nature. ⑨1人の人間がある概念の持つ意味や,それらの概念の間に成立する法則・理論の内容が十分よく理解しえたということは,彼がそれらの概念や法則を用いて,その領域内にある未知の現象を正しく予言できるようになったということである。 The meaning of one could be able to understand meaning of a conception and contents of law/theory formed by these conceptions adequately is that one can correctly predict an unknown phenomenon included in the field by using these concept or law,. 科学上の理論や法則は比較的簡潔な言葉によって表現されているから,その表現を覚え込んでしまうことは比較的容易なことである。 Scientific theory or law is expressed in comparatively simple words, therefore it is relatively easy to memorize these expressions. しかし,それらの理論や法則にはそれに関して行なわれた従来の諸研究のすべてが含蓄されているのであって,多くの場合,その内容を理解することは容易なことではない。 However, these theory or law includes all the result of every study heretofore about that, thus in many case, it is not easy to understand its content. したがって,科学教育では,具体的な事実についてその理論・法則がいかなることを問題にし,いかなる予言能力をもつものであるかを知らせることが必要になる。 Therefore, science education requires informing what matters to for the theory or law, and what kind of predictability they have for specific facts. そこでわれわれの目標とする科学教育では,教育目標とする内容について,予想・実験・予想・実験……と何度でもくりかえし,ついにはすべての生徒がその概念と法則とを用いて,実験の結果が正しく予想できるようになるまで,問題をくりかえし与えなければならない。 Then, for our science education goal, problems, which is for educational goal, shall be given repeatedly as many times as needed, i.e.; repeating the process of prediction, experiment, prediction, experiment, again and again until finally all the student become correctly predicting the result of the experiment by using its concept and law. そうしなければ,少なくとも授業の中ですべての子供たちに目標とした概念や法則を確実に見につけさせたとはいえないからである。 Otherwise, it is hard to say making all the children acquired the concept or law aimed to teach at least in class for sure. やっと翻訳終わりです。 大変でした。 さらに追加しました2007-12-09 すこしずつですがちゃんとすすんでます。 あんなにあったのに、あと少しです。 もちろんここから先は手伝ってもらわないとできませんが、叩き台かなーと。 追加しました2007-12-09 少しずつですがやってます。 追加しました2007-12-09 自分で言うのもなんですが、これすごく訳すの大変です。 ただ、読んでいくとなんだかすごいことが書いてあるのがよくわかります。 再投稿しますが2007-12-09 誰かが消しちゃったのでもう一回書き直します。 質問版は使わず、本編に質問を書いていってもらう形式にしたいと思っています。 なんでかっていうと質問版みるの面倒だから。 その代わりといっては何ですが、プラグインでコメントをつけるのでこれにて質問したりコメント返したりしようと思います。 Scientific cognition と Scientific recognition の違いは? Scientific cognition とScientific Recognitionの違いは? -- なし (2007-10-03 12 24 24) Cognitionというのは、全く知らないものを知覚する、Recognitionというのはすでに心の中や考えの中にあるものをもう一度見つけるという違いがあります。群衆の中から知り合いをみつけるなんていうのはRecognitionです。今回の場合はすでにわかっているものを再認識する過程ではないということでCognitionを使っています。 -- Takashi (2007-10-03 12 28 55) 了解しました。でも,私の辞書には,cognitionは載っていなかったです。 -- 名無しさん (2007-10-03 13 16 33) コメントフォームは助かります。消したのは,私です。申し訳ありませんでした。でも,再入力して頂けてよかったです。コメント入力の欄をもう少し大きくしていただけると,助かります。1行では見ずらいです。それから,英文の文字の大きさはもう少し大きく出来ますか。 -- 菊田隆史 (2007-10-03 13 24 19) 科学教育は,scientific educationとscience educationのどちらがいいですか。 -- 菊田隆史 (2007-10-03 13 33 53) 「⑤この後者を作業仮説とよび」以降はこれからですか。 a theory is established under assumption of the hypothesis is tentatively true は,hypothesis taht is tentatively true では, -- 菊田隆史 (2007-10-03 13 41 34) hypothesis that is tentatively true です。 -- 菊田隆史 (2007-10-03 14 27 30) Cognitionは少々マニアックな単語です。アルクには載っていますが,この言葉自体を採用したのはnativeのハビエル君の勧めによっています。 -- Takashi (2007-10-04 15 46 34) コメント欄は大変申し訳ないのですがこれ以上大きくできないようです。 -- Takashi (2007-10-04 15 52 33) 英文の大きさについては修正できるかもしれません。やり方は書いてないので探してみますが。 -- Takashi (2007-10-04 15 53 15) 科学教育についてはnative checkの際に諮ってみる必要があると思いますが、science educationだと思います。文中では違っていたと思いますので、直しておきます。 -- Takashi (2007-10-04 15 55 56) とりあえず訳した部分について載せています。指摘された部分については考え直してみます。なんか変だという感じはしていたので。 -- Takashi (2007-10-04 15 58 52) 今のところ、文字の大きさを変えることができないようです。形式そのものを少しいじってみる必要がありそうです。 -- Takashi (2007-10-06 11 18 19) やっと、はじめて見ました。The scientific cognition can state as a nomological cognition stateha -- koba (2007-10-14 22 42 20) どっか押したら投稿失敗。stateは他動詞じゃないのかな。初歩的質問ですが。 -- koba (2007-10-14 22 46 27) can be stated ですね。 -- Takashi (2007-10-30 07 02 41) お名前 「科学的認識と仮説」の英訳に対するコメント }