約 449,913 件
https://w.atwiki.jp/karasama/pages/82.html
- 【人あれば餌あり】 「人あれば餌(え)あり」という言葉がある。 人にはそれぞれ見合った餌の量がある、という意味らしい。 いくら腹が減ったからと言ってバケツに10杯の飯は喰えない。 人間が一度に食べられる食事の量は、どんな空腹のときでも、 平素の食事量と、大した差はない。 それだから、人間の社会生活は成り立っている。 月給20万円の人間は、天が月20万円の生活で足りるように、 その人間の方を作っているのである。自分が月40万円の生活に ふさわしいように変わらなければ、収入がそれに見合って上がったりはしないものだ。 ところが、われわれのようなフリーの職業は、自分が変わらないうちに、 収入の方がボコボコ変わることがあるから困る。 特にマンガ家はこの収入の変動が著しい。 どうみても、せいぜい月に30万〜40万円の人間的価値しかない者が、 数百万円の収入を得たりする。こうなると、収入と人格のあいだで軋みが生じ、 結果、グズグズと人格の方が崩壊するのである。 hideやねこぢるがそうだったとは言わない。 しかし、ねこぢるの訃報を数人の同業者に伝えたとき、 皆が口々に言ったのが「仕事しすぎたんじゃないのかなあ」という言葉だった。 手塚・石ノ森クラスの売れっ子時代の忙しさを見れば、 ねこぢるの忙しさなんざ、と思うが、彼女にとっては、 マンガは余技くらいにして、インドあたりを放浪しているのが自分に似合っている、 と思っていたのでは、と想像できる。 バブル時期に自分の餌の適量を心得ないで、 オカシクなってしまった人物をいっぱいみている。 hideやねこぢるの死は悲劇だが、自分の餌の適量を越えた時点で、 今度のことのレールは既に敷かれていたのではないだろうか。 『裏モノの神様』(幻冬舎文庫)P.122〜123 発端は、「人あれば餌あり」という言葉は本当にあるのかという疑問からだったんだけど、 そんな言葉は、辞書・辞典にも見つからなければ、ネットの検索でも引っかからない。 字面として近いのは、開高健『最後の晩餐』の「華夏、人あれば食あり」くらいか。 で、この唐沢俊一の独自ことわざであるらしい「人あれば餌あり」は、 かなりトンデモない内容で、唐沢の説明によると、 「人あれば餌あり」とは、「人にはそれぞれ見合った餌の量がある」という意味で、 そこから「人間的価値」や「人格」にふさわしい「月給」「収入」があるという話を展開する。 年功序列と能力評価による昇給のことならば、 「天が月20万円の生活で足りるように、その人間の方を作っているのである」と、 会社などではなくいきなり「天が」でてくるのがわけがわからないし、 「天が」介入しているというのならば、フリーの職業であっても、 「30万〜40万円の人間的価値しかない者が、 数百万円の収入を得たりする」ような事態が発生しないでもよさそうなものだが。 そもそも収入を、能力や成果ではなく、 人間的価値や人格にリンクさせようというのが無理がある。 マンガ家のような職業ならば、成果によって収入は大きく変動し、 それにともなう生活水準の変化に本人が適応するのが難しい ということはあるかもしれない。 しかし、それを「30万〜40万円の人間的価値しかない者が、数百万円の収入」とか 「収入と人格のあいだで軋みが生じ、結果、グズグズと人格の方が崩壊」と表現し、 故人である「hideやねこぢる」を貶めるのは、あんまりだろう。 唐沢俊一の文章では、 いったんは「hideやねこぢるがそうだったとは言わない」と書いていたので安心していたら、 結局は「hideやねこぢるの死は悲劇だが、自分の餌の適量を越えた時点で、 今度のことのレールは既に敷かれていた」としてしまっている。 つまり、彼ら 2 人とも「自分の餌の適量を心得ないで、オカシクなってしまった人物」であり、 人間的価値や人格に見合わない高収入を得ていたのが悲劇の原因という結論なのだ。 (ちなみに、スレへの書き込みには hide 関係のツッコミや唐沢俊一は音楽関係に弱いという指摘も多い。 これについては、別エントリを後日立てる方がよいかも)。 「人あればここに土(ど)あり、土あればここに財あり」 (大学) にしても、 「生物には餌あり」(講談・清水次郎長、落語・能狂言の他、落語家の円丈とか)にしても、 唐沢俊一の書いた「人あれば餌あり」とは違って、 他人のことを「人間的価値や人格に見合わない高収入」だの人格崩壊だのと、 僻み根性丸出しで攻撃するための言葉ではないことは確かなようだが。 トンデモない OLD
https://w.atwiki.jp/thoughtform/pages/46.html
思念体に関連する病理 解離 ! 正確な医学的知識をお求めの場合は、専門家の指示や、医学的に正確な資料をご参照下さい。 解離(Dissociation)とは、無意識的防衛機制の一つで、ある精神活動を自身から切り離すことである。 その中には誰にでも普通にある正常な範囲のものから、障害として扱われる段階までを含んだ幅広い解釈があるが、通常は、解離性障害、さらにはそのなかでも代表的な解離性同一性障害(Dissociative Identity Disorder/以下DID)を、あるいはその症状を指して使われることが多い。 解離自体は防衛的適応とされるが、解離性障害は強いストレスによりそれらが過剰化またはコントロールを失うことで起こる、心因性の障害とされる。 DIDは、切り離した感情や記憶が成長して、別の人格となって表に現れるものである。かつては多重人格障害と呼ばれていた。 アメリカ精神医学会 (American Psychiatric Association) の精神疾患の分類と診断の手引 (DSM-5) でのDIDの診断基準は以下の通りである。 ・2つまたはそれ以上の、他とはっきりと区別されるパーソナリティ状態によって特徴づけられた同一性の破綻で、文化によっては憑依体験と記述されうる。 同一性の破綻とは、自己感覚や意思作用感の明らかな不連続を意味し、感情、行動、意識、知覚、認知、および/または感覚運動機能の変容を伴う。 これらの徴候や症状は他の人により観察される場合もあれば、本人から報告される場合もある。 ・日々の出来事、重要な個人的情報、および/または心的外傷的な出来事の想起についての空白の繰り返しであり、それらは通常の物忘れでは説明がつかない。 ・その障害は、広く受け入れられた文化的または宗教的な慣習の正常な部分とは言えない。 注:子供の場合、その症状が想像上の遊び友達(イマジナリーフレンド imaginary friend)、または他の空想的遊びとしてうまく説明されるものではない。 ・この障害は物質(例:アルコール中毒時のブラックアウトまたは混乱した行動)または他の医学的疾患(例:複雑部分発作)の生理学的作用によるものではない。 正常範囲の解離として、憑依現象(日本では狐憑きなど)や宗教性の一時的トランス状態は、その人が住んでいる文化圏で普通に受け入れられているものならDIDではなく、そもそも障害とはみなさない。没入や白昼夢、金縛りや金縛り中の体外離脱体験などもこれに含まれる。 また、DIDでも記憶が共有されている、別人格がふだんは表には現れないなどで、社会生活に支障が無く、本人も苦痛を感じていないのであれば障害とは扱わない場合がある。 健忘を含まない、病的な自我同一性の混乱は、離人感・現実感消失症(Depersonalization disorder/離人症とも)や、特定不能の解離性疾患に分類する。 解離において幻覚、幻聴とされるものは、解離した当人の一部や別人格等の内言、および白昼夢のように知覚される。 当人はこれを現実とは異なるものと認識している場合が多く、統合失調症などの幻覚のように確信的であったり、まとまりのなさが生じることは少ない。 また、「頭の中に特定の存在がいる」や「しばしば自分を覗く影が見える」など、対象がある程度一貫していることも多い。 統合失調症に特徴的な「させられ体験」(何者かに強制的に操られている、など外から何らかの干渉を受けると感じる体感)も解離では起こりにくいが、「別人格に体が動かされる」といった体感が生じることはあり、判別が難しい。 2018年に改訂されたICD-11では、解離によるこれらの体験を「解離的侵入(dissociative intrusions)」と呼び、これらを認知・情緒・知覚・運動・行動に及んで主となる人格の機能を妨げる、しばしば嫌悪感のあるものとした。 解離 - Wikipedia 解離性障害 - Wikipedia 解離性同一性障害 - Wikipedia 精神疾患の分類と診断の手引(書籍) 解離性障害のことがよくわかる本 影の気配におびえる病(書籍) わかりやすい「解離性障害」入門(書籍) ICD-11(WEB)
https://w.atwiki.jp/ikuzi/pages/43.html
●障害福祉サービス‐国・都・町 身体・知的・精神障がい者(児)に、様々な福祉サービスを支援します。 <内容> 【障害福祉サービスの流れ】 相談・申請 市町村の窓口または相談支援事業者に相談をします。 サービス(介護給付・訓練等給付)が必要な場合、市町村に申請をします。 調査 調査員が本人または保護者と面接をして、現在状況等について調査をします。 審査・判定 調査の結果及び医師の診断書を基に、瑞穂町障害程度区分判定等審査会で審査・判定が行われ、障害程度区分が決められます。 決定(認定)・通知 障害程度区分等を基にサービスの支給量等が決定され、障害福祉サービス受給者証が交付されます。 契約 サービスを利用する事業者を選択し、利用に関する契約をします。 サービスの利用開始 障害福祉サービス受給者証を提示してサービスを利用し、原則として月額負担上限額内の利用者負担(1割)を支払います。 【障害程度区分】 障害程度区分とは、障がい者に対する介護給付の必要度を表わす6段階の区分(区分1(低)~6(高))です。 106項目の調査を行い、障害程度区分判定等審査会で、障害程度区分を認定します。 【介護給付・訓練等給付 】 障害福祉サービスは、介護の支援を受ける場合に「介護給付」、訓練等の支援を受ける場合には「訓練等給付」に位置付けられ、それぞれ利用の際のプロセスが異なります。 ただし、訓練等給付は、基本的に18歳以上の障がい者を対象としています 【月額負担上限額】 サービスを利用した場合、原則費用の1割を負担していただきます。ただし、世帯(住民票の世帯)の所得等に応じて、月額負担上限額を定めています。(月額負担上限額表参照) 施設等でサービスを利用する場合、食費や光熱水費等は全額自己負担です。 ◆障害福祉サービス表(介護給付) サービス名 サービスの内容 居宅介護 (ホームヘルプ) 自宅で入浴や排泄、食事の介護、 自宅での生活全般にわたる介護サービスを行います。 重度訪問介護 重度の肢体不自由があり常に介護が必要な人に、 自宅での介護から外出時の移動支援までを総合的に行います。 行動援護 知的障がい又は精神障がいにより、 行動が困難で常に介護の必要な人に、 外出時の移動の支援や行動の際に生じる危険回避のための 援護等を行います。 重度障害者等 包括支援 常に介護を必要とする人の中でも 介護の必要性がとても高い人に、 居宅介護等の障害福祉サービスを包括的に提供します。 短期入所 (ショートステイ) 自宅で介護を行う人が病気の場合等に、 短期の入所による入浴、排泄、食事の介護等を行います。 生活介護 常に介護を必要とする人に、 主に日中に障害者支援施設等で行われる 入浴、排泄、食事の介護や、創作的活動、生産活動の 機会の提供等を行います。 ※18歳未満の人は、児童福祉法に基づく 施設給付の対象となります。 療養介護 病院等の施設で、主に日中に機能訓練や 療養上の管理、看護、介護、日常生活上の援助等を行います。 ※18歳未満の人は、 児童福祉法に基づく施設給付の対象となります。 児童デイサービス 障がい児に対して、施設に通っての日常生活における 基本的な動作の指導や集団生活への適応訓練等を行います。 共同生活介護 (ケアホーム) 日中に就労又は就労継続支援等のサービスを利用している 知的障がい者又は精神障がい者に対し、地域の共同生活の場において、入浴や排泄、食事の介護等を行います。 (基本的に18歳以上の人を対象としています) 施設入所支援 介護が必要な人や通所が困難な人で、 自立訓練又は就労移行支援等のサービスを 利用している人に対して居住の場を提供し、 夜間における日常生活上の支援を行います。 ※18歳未満の人は、 児童福祉法に基づく施設給付の対象となります。 ◆障害福祉サービス表(訓練等給付) サービス名 サービス内容 自立訓練 (機能訓練・生活訓練) 自立した日常生活や社会生活ができるよう、 身体機能や生活能力向上のための訓練を、 一定期間の支援計画に基づき行います。 就労移行支援 就労を希望する人に、就労に必要な知識や能力の向上のための訓練や職場実習等を、一定期間の支援計画に基づき行います。 就労継続支援 (A型・B型) 一般企業等で雇用されることが困難な人に、 働く場の提供や、就労に必要な知識や能力の向上のための 訓練を行います。 共同生活援助 (グループホーム) 日中に就労又は就労継続支援等のサービスを 利用している知的障がい者又は精神障がい者に対し、 地域の共同生活の場において、相談や日常生活上の 援助を行います。 <条件> 身体障害者手帳、愛の手帳、または精神障害者保健福祉手帳の交付を受けている方が対象です。 <手続きに必要なもの> 申請書 印鑑(認印) 身体障害者手帳、療育手帳又は精神障害者保健福祉手帳 問い合わせ 市町村の福祉課障害福祉係 2009年8月現在の内容です
https://w.atwiki.jp/allgames/pages/639.html
象龍 解答 解答の順に取っていけばクリアできます。 難しいと思われる単語は意味も載せます。単語の意味は指定が無ければexcite辞書より転載しています。 ステージ14、15の解法が雑な気がします。綺麗に解けた方は一報下さい。 +ステージ1 勝利 期待 不気味 自然 議題 +ステージ2 面積 生産 近辺 清流 高熱 続出 +ステージ3 印象 標高 牧草 家畜の飼料として栽培される草。 特例 景品 調味料 句読点 文につける句点と読点(とうてん。ひとまとまりの文の最後に句点を、また、文中に読みやすく正確な理解を助けるために読点をつける。) +ステージ4 観賞 不思議 無残 残酷なこと。気の毒なこと。 散歩 念願 自治会 町内や団地など同一地域の居住者または民間団体が、自分たちの社会生活を自治的に運営していくために作る組織。 +ステージ5 満開 関心 試験管 化学・医学などの実験に使用する、細長い透明のガラス容器。 海底 配置 受信 +ステージ6 果報 運のよいこと。また、幸せなさま。 動物 制定 過度 適切な程度を超えていること。度を過ごすこと。 基本 悪評 平常 授受 授けることと受けること。受け渡し。やりとり。 炭素 +ステージ7 統合 布教 宗教を広めること。 失格 豊富 転居 住居を変えること。引っ越し。やどがえ。転宅。 預金 団子 穀類の粉をこねてまるめ、蒸したり、ゆでたりした食品。あん・きなこなどをつけて食べる。「だんご」のこと。 余分 留守 外出して家にいないこと。「るす」と読む。 静養 +ステージ8 発達 挙手 牧場 望遠鏡 栄養 登録 味覚 要求 天然 衣類 +ステージ9 街路 町なかにある広いみち。 天候 印刷 無残 有害 念願 歴史 山菜 隊列 隊を組んで作った列。 栄転 今までよりもよい地位に転任すること。 改行 文章などの区切りで、行を改めること。 +ステージ10 黒帯 柔道や空手などで、有段者が締める黒い帯。また、有段者のこと。 分散 通例 一般の習慣。世間のならわし。通常の例。 熱湯 結末 音量 南極 旗色 戦いの形勢。はたいろ。 航空機 松林 松の木の林。「まつばやし」と読む。 投票 +ステージ11 「季」を捨てる。 帰省 夏期休暇などに、故郷に帰ること。故郷に帰り父母の安否を問うこと。「きせい」と読む。 発芽 積雪 折角 努力・尽力・期待が空しくなって残念に思う意を表す。「せっかく」のこと。 兆前 ある物事が起きる前ぶれ。(「前兆」の項より)「前兆」の間違い、プログラムミスと思われます。 建国 車輪 最低 位置 浴場 熱心 +ステージ12 減益 利益が減ること。 発刊 書物などを印刷して世に出すこと。また、新聞・雑誌などを新しく出版すること。 底力 鳥居 神社の参道入り口などに立てる門。 弱虫 絵具 絵に色をつけるのに使う材料。特に、日本画・水彩画・油絵用の、溶いて使うものをさす。(「絵の具」の項より)「えのぐ」と読む。 米俵 宿雨 連日降りつづく雨。前夜からの雨。「しゅくう」と読む。 転筆 書法の一。横画から縦画に、縦画から跳ねに転じるように、筆鋒が急に変化すること。(goo辞書より)「てんぴつ」と読む。 加舎 「かや」または「かしゃ」と読むらしい。オンライン辞書では単体で意味は載っていない。検索では地名か姓でヒットすることが多かった。 夢中 漁船 +ステージ13 評判 好敵手 スポーツ・勝負事などで、力量が同程度で、戦うのに恰好(かつこうの相手。ライバル。) 悪所 山道や坂道などの、特に険しい所。遊蕩(ゆうとうする場所。) 団体 過度 小平 建築で、長方形のこと。(goo辞書より)「こひら」と読む。 停留 米蔵 係員 連続 常典 変わらないきまり。「じょうてん」と読む。 布教 +ステージ14 肺活量 「小」を捨てる。 手創 負傷。特に戦いで負ったきず。「てきず」と読む。 仮設 ある期間だけ臨時に設置すること。 規模 演劇 「郵」を捨てる。 対策 冊子 書いたものや印刷したものをとじたもの。 片間 「かたま」と読む。オンライン辞書には載っていない。兵庫や長野の地名らしい。 優待 手厚くもてなすこと。他よりも大切に扱うこと。 裏腹 正反対なこと。「うらはら」と読む。 書留 郵便物の引き受けから配達までの各過程を記録し、確実な送達を図る扱い。郵便物をなくしたり、棄損した場合には差出人に賠償がなされる。「かきとめ」と読む。 「装」を捨てる。 +ステージ15 「沿」を捨てる。 相棒 装備 作詞 店内 宝石 奮起 提供 「盟」を捨てる。 神聖 簡素 蒸発 片側 律蔵 三蔵の一。仏教の聖典の中で、戒律に関するものの総称。「りつぞう」と読む。 筋骨 筋肉と骨格。体格。 「調」を捨てる。
https://w.atwiki.jp/jp-summons/pages/747.html
じんるい 新世界において、知性を持ち社会生活を営む各種族のうち、魔物を除いた者たちの総称。 人間、エルフ、ドワーフ、獣人、竜人などで構成される。 人間以外の各種族はまとめて亜人と呼ばれることもあるが、この呼び名を嫌う者もいるため注意が必要である。 ○人間 新世界で最も個体数の多い種族。他種族と比べて目立った特技は無いが、人々を束ねる能力に長けている他、繁殖力が高く新陳代謝が活発な種族と思われる。 なお異世界から転移してきた三国家は、転移時点で人間種のみで構成されていた。 平原を住処とし、燃料を得るために森を刈る習性を持つ。 ○地球人(ヒト) 日本ごと地球から転移してきた人類種。我々ヒトを指す。構成は主として日本民族であるが、転移前に在住していた少数の他国人も含まれる。見た目上は新世界における人間と区別がつかないが、新世界の人類や他の転移国家人と違い魔力を一切持たない。このため魔力を探知する魔法や装置に反応しない一方、魔法を使う事も出来ない。(*1) 特殊事例として神職や仏僧や修験者が魔法素養に開花したすることもあるようだが、稀である。 魔力が無いのは新世界人類や他の転移国家人と違い、魔力を生み出し体内に貯める器官が存在しないためで、魔法の源である魔素が体内に入っても、そのまま排出されてしまう。このため他種族や魔物、魔族の組織を接種した場合に起きる「変質魔素中毒症」に陥る事もない。 人類中、最も高度な文明を築いている。 ○ユグド人 惑星ユグドから転移してきた人類種。グラ・バルカス帝国人。見た目上は新世界における人間および地球人と区別がつかないが、新世界人類と同じで魔力を生み出し体内に貯める器官が存在するため、僅かながらに魔力を持つ。このため他種族や魔物、魔族の組織を接種した場合に起きる「変質魔素中毒症」に陥ると考えられる。 ○エルフ 尖った耳を持つ種族。他の種族より魔力量が大きいため、新世界では優性種と見なされることも多い。また全体として非常に長寿である。(精神年齢は外見に準拠する) 森を住処とし、竜を刈る習性を持つ。 ハイエルフは寿命がほぼ無限であり、魔力も非常に高い。 ○ドワーフ 身長が低く体格の良い種族。手先が器用でものづくりを得意としている。 山を住処とし、人間同様に森を刈る習性を持つ。 寿命もエルフほどではないが人間などと比べると高い。 ○獣人 獣のような頭部を持つ種族。屈強な肉体と剛腕で知られる。モチーフとなった動物によっていくつかの下位区分が存在する。 主に平原と山岳部を住処としている。 頭部がまんま獣な獣人もいれば、ラノベなどによく登場する獣耳が生えただけの者もいる。 ○竜人 竜の神々の眷属となる種族。人間より身長が高く、鱗に覆われた頑丈な肉体を持つ。魔力もハイエルフ並の水準で、竜種を使役することができるなど、個体としての能力は非常に高い。 エルフ同様、主に森を住処としていた。 ○鬼人 グラメウス大陸に生息する種族。頭部に角が生えている。 ○有翼人 南方世界に生息する種族。白黒一対の翼を背中に持つ。魔力量は一定以上だが、国際会議に帆船で訪れるなど文明水準は低いと考えられている。 ○魔族 魔物のうち特に高い知能を持つ者たち。強大な魔力を持ち、背中の翼を使って飛行することもできる。魔物由来の種族なので人類に含まれるかは怪しい。 ○木人 長い年月を過ごした木が神の祝福によって魂を宿し知的生命体になった者たち。自然を愛し人類文明に対して一切の干渉を行わない。独自の言語を操るため、エルフがいないと意思疎通は不可能。 ○光翼人 古の魔法帝国を建国し、全世界を統べた種族。魔力量で他種族を大きく引き離している。魔法を使う時のみ光翼が現れるのが特徴で、普段の容姿は人間と全く同じ。実際には鳥のような翼が背中から生えているが、一定以上の魔力がある時は実体を持たない。 作中では人類に含まれず、他種族と分けて扱われる。 関連項目 用語|人間|種族間連合 ※既存の[[コメント]]に返信する場合、返信したいコメントの左側にチェックを入れて下さい。 過去のコメント 名前 ここを編集 〔最終更新日:2024年01月21日〕
https://w.atwiki.jp/boy-from-oz/pages/15.html
コメントログ * オズ中毒者の皆様 ケアセンターへようこそ! -- (natuko) 2006-12-05 17 49 05 * おはようございます。 ここはなんでも書いていいのかな??? 自分が見た回の記憶がすでにあいまいで(号泣)、 natuko様にはいつも楽しませていただいているのに お役に立てず全くもって面目ない・・。 たまたま見つけた感想レポで朝っぱらから涙しているわたくし・・ まだ泣ける自分がコワイ・・コワすぎる、爆笑。 私は(色々あるけど)ライザとピーターが恋に落ちる場面と、 ストロベリーダイキリのラブラブなところが大好きでしたが みなさんの深いレポのおかげで、グレッグが亡霊で現れるところと、 今日また新たに、クリスがピーターに別れを告げる場面に 心を鷲づかみにされてしまいました・・・遅っ、笑。 どんなに自分が悲しいときでも、それを隠して 人を楽しませたり、明るく振舞ったピーター・・・。 どうやら私は、坂本ピーター、この舞台はもとより、 ピーター・アレンにも恋をしてしまったようです・・・・・ ・・・・・さてと、冷汗。ここで少しは解毒できたところで そろそろ(本日の)社会生活にもどろうと思います・・・。 ・・・でもまた、すぐ戻ってきちゃったらごめんなさい、爆笑。 ・・・ビバ、ケアセンター! ケアセンター、万歳! -- (○母) 2006-12-08 09 46 34 - - ○母様 br() br()公演が終わった今、再演限定で作ったブログ「Refuge」をあまり引っ張るのもどうかな、でも舞台の思い出は語り尽くせないし・・・ということで、こんなサイトを作っちゃいました。 br()それに、どんなに素晴らしい舞台も記憶はいつか薄れていくもの。ということで、「オズに関連したことを全て記録したい」サイトです。 br()どうぞ、なんでも書き込んでくださいね。 br()後から思いついたことなどを書き込むための、「オズなんでも語り」というコーナーもありますので、どうぞよろしく。 -- (natuko) -- (natuko) size(80%){2006-12-08 13 40 24} 第1場のストーリー、詳細に加筆して下さった方、ありがとうございました。すごい記憶力ですね。私はこの方面全然ダメでして。歌詞もせりふも勝手に自分流に脚色してしまうという特技を持っていまして。(( _ ) -- (natuko) 2006-12-11 11 44 20 natukoさま初めまして。ストーリーに手を入れた者です。一応初演から再演を何度も観てメモを取ってたりしておりましたので(つまり重症なOZ中毒者ですね・(笑))、結構詳しく加筆することが出来ました。ただ、第一場と第二場の切れ目がイマイチわからなくて、途中で止めています。ヤングピーターが引っ込んだ所までが第一場、クリスが出てくる所からが第二場かなあと思っているんですがどう思われますか?私の解釈でよろしければ、また加筆させていただきに来ますね。 -- (usaco) 2006-12-11 19 35 59 usaco様ほんとうにありがとうございます。第1場と第2場の分け方は、その方がいいですね。後の場面も続けてお願いできたら、とても助かります。残すからにはなるべく正確を期したいので、私だけではちょっと無理です。どうぞよろしくお願いいたします。 -- (natuko) 2006-12-11 22 26 08 natuko様任されました!と言いたいところですが、すごいプレッシャーです。実はメモも整理されてないので、まあ、暗闇でちょこちょこ書いてたのもあるんですが、歌詞と台詞に力を入れてチェックしてたので、穴はたくさんあると思います。ですので、一応メモを整理しつつ私が書き込むものに、フォロー入れてくださる方がいらっしゃればありがたいです。時間はかかると思いますけど、とりあえずがんばりまーす。 -- (usaco) 2006-12-12 21 43 51 usaco様プレッシャーをおかけして申し訳ありません。私も土台となる部分は担わしていただきますので、気長にお願いしますね。他の部分もぽちぽち書き込んで下さる方もいらっしゃるので、再々演までに仕上がればいいくらいな気持ちで進めてまいりましょう。 -- (natuko) 2006-12-13 23 59 32
https://w.atwiki.jp/anti_m/pages/16.html
■性質 オーディションで落選したのを「見る目がない」と全て事務所のせいにする。 ミュージックオーディションに年齢詐称して応募する 歌と無関係の国民的美少女コンテストに応募、ハクをつけたがる 「デ部」「鯛焼き親善大使」などと自ら意味不明なネームバリューをつける Blogで、プライベートな部分、自分にとっての歌の存在意義、理由、位置付けを全く書かない。 人一倍プライドが高く、目立ちたがり屋で自己陶酔が激しい。 自発的に起こしファンに半強要させるMay nコールを、ファンの要望なしに積極的に行うなど自尊心が強い 上記と自分を目立たせ知名度を上げる事を最優先とし、その為に他への擦り寄るアピールを必死に行う。歌はあくまでその為の手段。 ポジションにあわせて都合よく自己アピールの内容を変えたり追加する。 売名の為に相手をランク付けし、格上には擦り寄り、格下には見下す態度を取る→ ■売名の為に擦り寄った一覧 やたらと親韓である → ■親韓気質 ■自己愛性パーソナリティ障害の特長 1. あからさまな傲慢さ 尊大で横柄な、また大げさで相手に軽蔑的な態度をとります。 社会生活での慣習や規則をバカにし、自分には愚かで的はずれな規則だとあざ笑います。 自分の高潔さを他人が見のがすことには怒り出しますが、他人のそういうことに対しては全くの無関心です。 2. 対人関係での搾取 当然の権利だと考えています。常に相手に対して自分を特別扱いするよう求めます。 はずかしげもなく、自分が目立つためや願いを叶えるために他人を利用するのは当然のことと考えています。 3. 誇大性 えっ?と思うようなの空想をしたり、成功や美、愛に関する未熟で自己満足的な想像に浸りがちです。 客観的事実はどうでもよく、事実を勝手に曲げ、自分に対する錯覚を必要とあらばうそをつくこともかまわない。 4. 自己像の賞賛 自分は価値があり、特別で(ユニークでなくても)大いなる称賛を受けるに 値する人間だと信じていて、誇大的で自信に満ちた行動をとります。 しかし、それに見合うような成果を収めることは少ないです。 他人にはわがままで、軽率で、おおちゃくな人間だとみられているにもかかわらず、自分の価値を信じています。 5. 他人へのわざとらしさ 過去の対人関係はいいように記憶が変えられています。 受け入れることができない過去の出来事や苦しみは簡単に作り直されます。 6. 合理化のメカニズム 自己中心的で周囲に対して思いやりに欠けた行動を正当化するために、 もっともらしい理由を付けようとする。それらは欺瞞的で浅はかなものです。 7. 偽り みえみえのうそをつきます。失敗をしてもすぐに埋め合わされ、プライドはすぐに復活します。 8. 無頓着 いっけん冷徹で無感動な自分を演じます。 逆に、軽快で楽天的であるが、自己愛的な自信が揺さぶられるといかりや恥の感情や空虚感が表に出てきます。 141 名前:最低人類0号[sage] 投稿日:2012/06/21(木) 14 32 02.46 ID q9so9eem0 ダメインさんは見た目がブス以上に性格が最悪 コンテストに年齢詐称して出るわ、落選したのを逆恨みするわ 実力ある他歌手はカメラの前でも平気で睨むわ 自分のブログで自画取りなんちゃってアイドル写真載せるわ ナルシーで性悪で傲慢で、酷いったらありゃしないな 142 名前:最低人類0号[sage] 投稿日:2012/06/21(木) 20 16 01.79 ID y5PwkWhF0 [2/2] あの顔面で自分から美少女コンテスト応募するような女だし 中学生の時から歳誤魔化して大人を騙すような奴が性格良いわけないわな 中林名義の頃のブログから あたしすぎょーい! 夏休みで生まれ変わりました♪ (あ、今までもイイ子だけど★笑) とか しかし、あたしってイイお母さんになりそうッ(p・∀・q) とあたし凄いでしょ?な性格の悪さが滲み出てるし 143 名前:最低人類0号[sage] 投稿日:2012/06/21(木) 23 03 14.95 ID vK+n/71V0 幼児返りしてるの☆もあたし幼い☆も中林名義からだから 昔から痛い子だったんだろな… 145 名前:最低人類0号[sage] 投稿日:2012/06/22(金) 08 55 59.70 ID +VJDyxRz0 仮にもアーティストを名乗りながら自画自賛するようなタイプの奴は成長せんよ 部員とかいう現実を見ない振りする狂信者にチヤホヤされて一緒に消えていくのがお似合いさ 上へ
https://w.atwiki.jp/ik-ben-wakei/pages/196.html
「好きこそものの上手なれ」というように、能力の発達には、精神的な要素が深く関わっている。膠着状態に陥った勝負では、最後に勝つのは、精神的に頑張った方であろう。 このようなことは誰でも知っているのだが、しかし、ではどうやったら精神的な要素を向上させることができるか、という点については、解明が極めて難しい。 家庭教師とか、サークルなどで後輩に教えたことがある人であれば、この人は、もっと意欲をもって取り組めば、絶対に伸びるのに、どうしても、意欲が感じられない、だから、伸びないんだ、というような感想をもったことがあるに違いない。しかし、意欲を高めることは、極めて難しい。特に意識しなくても、意欲が高まってしまう場合もあるし、その逆もある。 次のような経験をした者も少なからずいるだろう。以前の学生のレポートにあった意見である。 元々数学や物理が得意で英語や世界史が苦手であったが、担任の教師(数学担当)と全くあわず、数学を見るのも嫌になり、世界史の教師が好きだったので得意になれるように努力し、また、英語も自分で頑張ってみようという気になった。その結果、偏差値が著しく上昇した。こういう経験は、程度の差はあれ、多くの人がもっているのではなかろうか。つまり、教師の好き嫌いで、その教科が好きになったり、嫌いになったりし、また、それが成績に影響する。 Q 人間が誰でも、「知的好奇心」を持っていて、学習意欲を先天的にもっているのだろうか。それとも、学習意欲は、後天的なものなのだろうか。 小さな子どもは、大抵、次のような態度を見せる。 何か知らないものがあると、口に入れてみる。 言葉を覚えると、「これ何?」と繰り返し聞く。 これは決して教えられるわけではない。 しかし、大きくなるに従って、口に入れなくなるし、また、何でも知りたがる好奇心は喪失していく。何故だろうか。 この点については毎年議論している。 まず小さい頃から比較して好奇心の低下があるかどうか。多くの学生はやはり好奇心は低下している感じているようだ。もちろん、かなり多く知識が蓄積されたから、一見好奇心がなくなっているように見えるが、さまざま新しいことを知りたいと思うことはあるから、決して好奇心は低下していないという学生もいる。 心理学の研究によれば、好奇心というのは経験したことのない未知のことに対する知りたいという欲求であるから、知ってしまえば好奇心はなくなる。従って、多くの知識を蓄積すればその面での好奇心が薄らぐことは明らかである。 しかし、いくら多くの知識を蓄積しても、わからないことはたくさんあり、わからないことを自覚すれば、好奇心は沸くはずであるのに、わからなくても「知らなくてもいい」と妥協する姿勢が出てくる。もちろん、誰もがすべてのことに好奇心が沸くわけではなく、好き嫌いが生じるだろうから、知らなくてもいいという感覚が出てくることは自然である。だが、教育を受けている中で、教えられるはずの教育内容に対して、好奇心が沸かない部分もたくさん出てくるとしたら、それは教育の質の問題として吟味されなければならない。 4-5 飴と鞭、褒美か侮辱か 4-5 飴と鞭、褒美か侮辱か 人間は社会的動物であると言われるように、お互いに依存しあいながら生きている。したがって、他の人にどのような評価をされているかは、重要な意味をもっている。また評価が公になったり、評価が評価以上のものを意味したりすることもまた大きな影響をその人に与える。極めて自立的な人は別として、多くの場合、人から高く評価されたり、その評価が公表されたり、また、評価に基づいて報奨が与えられることで、そのひとのやる気が形成される。また逆に悪く評価されたり、罰せられたりすることを恐れるから、そうならないように頑張るという側面も普通に見られることである。前に説明したピグマリオン効果はそれに関係している。 現在の教育は、さまざまな評価システムがあり、評価を利用した競争システムになっているが、それはこのような人間の感性を利用した制度であると言えよう。 また、制度ではなくても、個人的なレベルでのやり方もある。 成績が上がったら小遣いをもらえる、褒美に何か買ってもらえる、という経験がある人は少なくないだろう。このような態度をとる親はけっこう存在する。しかし、長期的にその効果はあるのだろうか。 教師がそうした教え方をしたらどうだろうか。 ある小学校の教師が、子どもが問題を解けると、いろいろものをあげる指導をしていた。例えば「めんこ」など。それを喜ぶ生徒もいたが、中には侮辱されたように感じる生徒もいた。しかし、教師はそれに気づくことがなかった。 そういうことをする教師が、教え方が上手で、生徒を授業の中で引きつけていることは、あまり考えられないであろう。その教師は、とても教え方がまずく、実際に何を教えているのか、子どもたちにはよく理解できなかった。そして、親が他のクラスのノートと自分の子どものノートを比較して、同じ教材なのに、まったくノートが違っていて、他のクラスのノートは、やっていることが一目瞭然であった。 この担任は、父母の運動で学年末をもって交代せざるをえなくなったのだが、その後も、相変わらず「めんこ」を配る授業は止めていないようだった。ここまではっきりやらなくても、「飴と鞭」の方式を取入れている教師はいるだろう。成績を貼りだすのも、「飴と鞭」の一つであろう。 Q 「飴と鞭」は、意欲を向上させるのだろうか、あるいは低下させるのだろうか、または、条件によって異なるのだろうか。 4-6 態度 4-6 態度 「態度」は学校教育上、重要な位置を占めている。「態度の良い」子は、「良い子」とされ、同じ点数なら、態度の良い生徒がいい成績を得る可能性も高いに違いない。最近、文部省の強調している「新しい学力観」にしても、単なる知識ではなく、「考える態度」を形成することを意味している。 しかし、本当に「態度のよい」生徒は「良い子」なのだろうか。また、「態度」がいいと、成績が向上したり、高い評価を得るのにふさわしいことなのだろうか。 もちろん、「態度が悪い」ことを、「よい」ことよりも、ずっといいことだと考える人はほとんどいないだろうが、「態度がいい」から、能力がある、あるいは、能力か高まる、と考えることが妥当なのか、簡単には言えないだろう。また、「態度」を重視する教育観は、典型的には、「形」を重視する教育になる。「行進」「整列」授業を受けるときの「姿勢」「服装」等。もっとも極端になるのと、質問をするときや分かったときの手をあげる角度を指定したりすることもある。 45度で手をあげる人の方が能力が高まる、などと言えば、多くの人が笑うに違いない。 しかし、次のようなことはどうだろうか。 「新しい学力観」と言われる、10数年前からの文部省学習指導要領の中心概念は、従来の学校が知識の伝達に終わっていたとして、これからは、新しい事態に対して、積極的に関われる、自分の頭で考えることができる能力が必要で、資料等使用して、考える態度を形成することを求めているのである。教育の目標として「態度形成」を設定するのが妥当か、という問題になる。 第一の考え方は、「態度」とか、「意欲」は、結局、伝えることが不可能であり、伝えたと思っていても、それは、外観に過ぎない、従って、確実に伝えることができる「知識」や「技能」が教育の目標であり、その結果として、「態度」や「意欲」は付随するものである、とする。 第二の考え方は、教育は「自立」させることが最終的な目標だから、むしろ、知識の伝達などは、手段に過ぎない。社会に蓄積された膨大な知識を伝えることは、不可能であり、学校で伝えるものは、その極々一部に過ぎない。従って、むしろ、学校卒業後、自分の力で知識を習得できるような能力を獲得させることが学校教育の目標となるのであって、それには、「態度」形成は不可欠である、と考える。 戦後の教育及び教育学の世界では、態度をめぐる問題は度々論争の対象になってきた。その代表的な例が前にあげた広岡氏の構造論である。広岡構造図では、態度が学力の中心になっている。従って態度の形成が教育の最も重要な目標になるわけである。しかし、態度の形成は極めて主観的であるし、その測定が困難であるから、明確な基準で確かな知識なり学力を形成することが難しい。そのことが批判され、計測可能性を重視する立場から、学力を再構成する考え方が出されたのである。しかし、その後、落ちこぼれや学校の荒れという事態に直面して、生徒たちの「乱れ」が表面化するに及んで、単に知識としての学力を保障しようとしても無理であり、その土台になっている意欲や態度を重視しなければらないという意見も制度登場し、いまでも論争になっている。 現在の文部科学省は態度を非常に重視する立場になっている。 1997年11月に出された「教育課程審議会」のまとめからいくつか引用しておこう。 ア 各学校段階の役割の基本 各学校段階の役割の基本については、次のように考えた。 幼稚園においては、幼児の欲求や自発性、好奇心を重視した遊びや体験を通した総合的な指導を行うことを基本とし、人間形成の基礎となる豊かな心情や想像力、ものごとに自分からかかわろうとする意欲、健全な生活を営むために必要な態度の基礎を培う。 小学校においては、個人として、また、国家・社会の一員として社会生活を営む上で必要とされる知識・技能・態度の基礎を身に付け、豊かな人間性を育成するとともに、様々な対象とのかかわりを通じて自分のよさ・個性を発見する素地を養い、自立心を培う。 中学校においては、個人として、また、国家・社会の一員として社会生活を営む上で必要とされる知識・技能・態度を確実に身に付け、豊かな人間性を育成するとともに、自分の個性の発見・伸長を図り、自立心を更に育成していく。 高等学校においては、自らの在り方生き方を考えさせ、将来の進路を選択する能力や態度を育成するとともに、社会についての認識を深め、興味・関心等に応じ将来の学問や職業の専門分野の基礎・基本の学習によって、個性の一層の伸長と自立を図る。 盲学校、聾学校及び養護学校においては、幼稚園、小学校、中学校及び高等学校に準ずる教育を行うとともに、障害の状態を改善・克服するために必要な知識や技能等を養い、個性を最大限に伸長し、社会参加・自立に必要な資質や能力の育成を図る。*20) この部分は各学校段階の基本的な役割を整理した部分であるが、必ず「態度」の形成が入っている。 学習態度が学習効率に影響を与えることは、多くの人が実感しているだろう。だから、良い態度が必要であり、積極的な態度を形成することが大切であることを否定するひとはほとんどいないと思われる。ではなぜ、態度の強調が問題となるのか。 それは先述したように、学校の目標とはそれに応じた「評価」が伴うものであり、知識を身につけさせることが、その検証としてどの程度学力が身についたか評価を行い、成績が付けられる。しかし、態度はそのような評価が可能かどうか、もし可能ではないとしたら、それは明示的な教育の目的・役割ではなく、前提的な認識であると考えた方がよいからである。
https://w.atwiki.jp/epolitics/pages/322.html
説明及び注意事項(最終更新日:2009/06/02)目次(関連ページ一覧) 近代憲法の原則個人の尊厳 近代立憲主義 特殊な「人権」論の概要フェミニズムと近代憲法学 国際人権と国内人権の関係 女子差別撤廃条約における「人権」 法社会学・ソフトロー法社会学 日本国憲法で保障されている「人権」に関する整理「人権」に関する基本的事項 平等原則に関する整理 私人間における権利の保障「憲法の私人間効力論」の概要 憲法の基本的人権の保障規定の私人間(一般市民同士の間)への適用 日本国憲法に関するQ&A憲法99条の憲法尊重擁護義務が国民を対象としていないのはなぜでしょうか? 国家による「人権保護義務」というのは、どこまでを指すのでしょうか? 説明及び注意事項(最終更新日:2009/06/02) ①このページに関しては、全てまとめ管理人が書いています。管理人は法律の専門家ではありませんので、やや捉え方に問題のある記述などをしてしまう場合もあります。 ②質問・情報提供や間違いの指摘等ありましたら、こちらのコメント欄までお願いします。 目次(関連ページ一覧) テーマ別まとめ メインページ 近代憲法の原則 個人の尊厳 近代憲法の基本原理としては、「個人の尊厳」というものが存在します。 これは、「人は独立な人格として尊重され、多数派もそれを安易に奪ってはならない」というものであり、詳しく説明すると以下のようになります。 国家や社会のために個人があるのではないということです。あくまでも個人を守るために国家があり、社会があるのです。だからその主従を逆転させてはいけない、ということです。そういう価値観が実は日本国憲法の根底にある価値観であって、それを「個人の尊厳」とか、「個人の尊重」といっています。日本国憲法で最も大切な考え方は、この個人の尊厳とか、個人の尊重という考え方です(伊藤真「伊藤真の憲法入門」p.42)。 参考サイト 憲法は、国家を縛る?-立憲主義のはなし1- 民主主義と立憲主義2-表現の自由がない世界 民主主義と立憲主義3-個人の尊厳をまもるために 近代立憲主義 Ⅰ 2つの意味 立憲主義には、広狭2つの意味がある。広義では、政治権力あるいは国家権力を制限する思想あるいは仕組みを一般的に指す。「人の支配」ではなく「法の支配」という考え方は広義の立憲主義に含まれる。古代ギリシャや中世ヨーロッパにも立憲主義があったといわれる際に言及されているのも、広義の立憲主義である。 他方、狭義では、立憲主義は、近代国家の権力を制約する思想あるいは仕組みを指す。この意味の立憲主義は近代立憲主義ともいわれ、私的・社会的領域と公的・政治的領域との区分を前提として、個人の自由な活動と公共的な政治の審議・決定とを両立させようとする考え方は密接に結びつく。2つの領域の区分は、古代や中世では知られていなかったものである(長谷部恭男「Jurist増刊 憲法の争点」p.6)。 Ⅱ 近代立憲主義の意義 近代国家は、各人にその属する身分や団体ごとに異なった特権と義務を割り当てていた封建的な身分制秩序を破壊し、政治権力を主権者に集中させるとともに、その対極に平等な個人を析出することで誕生した。社会生活を規律する法を定立し、変更する排他的な権限が主権者の手に握られた以上、社会内部の伝統的な慣習法に依存する中世的立憲主義はもはや国家権力を制約する役割を果たし得ない。近代国家成立後になお意味を持つ立憲主義は、国家権力を外側から制約する狭義の立憲主義、つまり近代立憲主義のみである。近代立憲主義によれば、本来の政治権力の保有者である人民が政府を組織し、権力の行使を政府に信託(trust)するに際しては、すべての権力の行使を委ねたわけではなく、人民の権利と自由を保護し、公益を実現するために必要な限度でのみ委ねている。 近代立憲主義に基づく憲法を立憲的意味の憲法ということがある。こうした憲法は、政府を組織し、その権限を定めると同時に、個人の権利を政府の権限濫用から守るため、個人の権利を宣言するとともに、国家権力をその機能と組織に応じて分割し、配分する(権力分立)(長谷部恭男「Jurist増刊 憲法の争点」p.6)。 Ⅲ 近代立憲主義の生成と普及 近代立憲主義は、近世ヨーロッパで誕生した。宗教改革後の宗派間の激烈な対立を経験し、他方で大航海を通じて多様な異文化に触れ、価値観・世界観の多元性を事実として受け入れざるを得なくなった人々は、通約不能incommensurableな価値観・世界観を抱く人々が、それにも関わらず協働して社会生活の便宜とコストを公平に分かちあい、人間らしく生きる社会をいかにして構築するかという課題に直面した(2つの価値観は、お互いに優劣をつけることができず、しかも等価でもないとき、通約不能である。通約不能な複数の価値について優劣を論ずることに意味はない)。近代立憲主義は、この課題に対する応答として生まれたものである。 その基本的な手立ては、人々の生活領域を私的なそれと公的なそれとに区分することである。私的な領域では、各人の価値観・世界観に沿って生きる自由が保障される。他方で、公的な領域では、価値観・世界観の違いにかかわらず、社会全体に共通する利益(公共の福祉)を実現する方策が、冷静かつ理性的に審議され、決定されなければならない。特定の価値観が公益を審議・決定する場をも占拠し、その決定に基づいて政治権力が私的な生活の場にまで介入するならば、それ以外の価値観を抱く人々が、その決定を公正な決定として受け入れることはないであろうし、価値観の区分に従った深刻な対立を社会内部に引き起こすことになりかねない。公私を区分する立憲主義は個人の自由を保護するだけではなく、公益に関する効果的な審議と決定の過程をも保障する。 こうした手立てを実現する具体的手段として、思想・表現等の個人の自由の保障、政治と宗教の分離、平等な選挙権の保障、議会での公開の審議と決定の手続、違憲審査制等、多様な仕組みが憲法典に基づいて制度化される。 公私の区分をせず、特定の価値観・世界観によって人々の生活が隅々まで統制される社会としては、前近代社会のみならず、現代の共産主義社会やファシズム社会を典型例としてあげることができる。20世紀末の冷戦の終結は、立憲主義が共産主義に勝利したことを意味する(長谷部恭男「Jurist増刊 憲法の争点」p.6-7)。 特殊な「人権」論の概要 フェミニズムと近代憲法学 フェミニズムを法学との関係でおおざっぱにくくると、リベラル・フェミニズムとラディカル・フェミニズム以降のフェミニズムがあり、両派は「女性の地位」に関する現状認識と最終的な目標は類似していますが、問題解決のための方法論に大きな差があり、リベラル・フェミニズムはリベラリズム・立憲主義・中立国家・「普遍的」人権という、近代憲法学の枠組みの中での問題解決を目指し、ラディカル・フェミニズム以降のフェミニズム的志向をもつ法学では「中立国家・「普遍的」人権などは、現実にある家父長制社会を温存させることに国家が協力している」と認識して、特殊な「人権」「差別」概念を採用すべきだと主張する事も多いようです。 近代憲法学の基調はリベラリズムであり、国家権力=公権力がその主たる批判対象であって、社会的(経済的・家族・性的)権力は元来その枠外に置かれてきた。この理論枠組みは社会主義法思想によって最初の深刻な挑戦を受けたが、憲法学の主流が今日でもリベラリズムの系譜であることに変わりはない。 フェミニズムを、男性の享受する権利を女性にまで拡張することをめざすリベラル・フェミニズムとして理解する限り、それは主流憲法学の基本的枠組みに収まる。だが、女性の従属の構造的要因を家族・性関係における従属に共通して求めた第二波(現代)フェミニズムとして捉えると、フェミニズムないしフェミニズム的志向をもつ法学(以下、フェミニズム法学)と主流憲法学は緊張関係に入る。フェミニズム法学は、国家が男女を形式的に平等に扱ってもなお存在し、かつ憲法学が埒外に置いてきた男女の社会的(家族・性的)支配関係の批判と解消を、しばしば法の力にも訴える事によって目指すからである(中里見博「ジュリスト増刊 憲法の争点」p.36)。 女性の排除を理由に「普遍的」人権の虚偽性や人権主体のジェンダー・バイアスを批判してきたフェミニズム法学は、憲法学の主流の立場すなわち人の理性や自立能力によって人権を基礎付け、人権内容をも限定する傾向には懐疑的であり、両者は相容れないようにも思える。 フェミニズムによる公私二元論批判は、それが私的(家族・性的)関係への法介入を要請する以上、「多様な考え方を抱く人々の公平な共存を図るために、生活領域を公と私に区分」しようとする「立憲主義」と特に衝突する可能性がある(中里見博「ジュリスト増刊 憲法の争点」p.36)。 そういったラディカル・フェミニズムの論者として、日本で最も有名なのが「反ポルノ」運動の理論的支柱であるキャサリン・マッキノンですが、その理論の背景は、リベラリズムの基本原則である中立国家論を否定している(日本や米国などの憲法に見られるリベラルな人権論を否定して、別種の人権概念を主張している)という所から来るようです(詳しくは、参考サイトの「北米社会哲学学会報告」を参照)。 北米社会哲学学会報告3/フェミニズムによる中立国家リベラリズム批判 macska dot org http //macska.org/article/236 フェミニズムの立場からいち早くリベラルな中立国家を批判したのは、キャサリン・マッキノンだった。彼女は主著『Toward a Feminist Theory of the State』において、リベラリズムが想定する中立国家は幻想であり、「中立」という建て前のもと、実際には現実にある家父長制社会を温存させることに国家が協力しているではないか、と主張した。たとえば、「表現の自由」の名のもとにポルノグラフィを横行させることは、女性を男性支配の元に置いたままにすることと同義であり、真の社会正義を実現するためには、国家は中立の看板を下げ積極的に差別や抑圧の除去--たとえばポルノグラフィの取り締まり--に手を付けなければならない、というのがマッキノンの論理だ。 しかし、邦訳も多数出版されているマッキノンの代表作たるこの著作がいまだに邦訳されていないことにも象徴されるように、マッキノンや彼女に追従する(あるいは反論する)フェミニストたちの主張は「ポルノや売買春をどうするか?」といった特定の社会的論争における立場としてばかり注目を集め、中立国家論への異議申し立てとして正当に扱われることは少ない。 北米社会哲学学会報告5/売買春、フェミニズム哲学、承認をめぐる闘争 http //macska.org/article/240 マッキノンの提唱するフェミニズム法哲学は、性別間に手続き的な平等ではなく実質的な平等を実現するために、現実に女性が抑圧されていることを直視し、法が積極的に性差別を解消すべく介入することを主張する。 マッキノンらによる「フェミニズム法哲学」は何を置いても女性が現実に経験している差別的待遇(とかれらがみなすもの)に即して構想されるため、具体的にどのような行動が必要とされるのか分かりやすい。売買春やポルノグラフィの話は置いておくとしても、たとえばセクシュアル・ハラスメントを「女性が平等に教育を受ける権利や労働する権利に対する侵害」として平等権の問題として提起したり、家庭を「私的領域」とみなしてきた風潮を批判して夫婦間のレイプやドメスティック・バイオレンスを公が介入すべき「社会問題」として訴えるなど、フェミニズム法哲学がリベラルな国家に与えた影響は大きい。 参考サイト フェミニズム - Wikipedia リベラル・フェミニズム - Wikipedia 北米社会哲学学会報告2/結婚制度、リベラリズム、中立原理の限界 macska dot org 北米社会哲学学会報告3/フェミニズムによる中立国家リベラリズム批判 macska dot org 北米社会哲学学会報告5/売買春、フェミニズム哲学、承認をめぐる闘争 macska dot org 「準児童ポルノ」違法化キャンペーン 神は細部に宿り給う 国際人権と国内人権の関係 →国際人権条約/国際人権と国内人権の関係(国際人権の裁判規範性) 女子差別撤廃条約における「人権」 本条約の最大の特徴は、たんに法制上の平等の確保だけでなく、「男女の事実上の平等」(de facto equality)(4条1)、すなわち社会生活の現実における平等の実現をめざしたところにある(これは2条(a)にいう男女平等の「実際的な実現」(practical realization)と同義語と解される)。すでに法制上の差別の撤廃が完了している現状に鑑みれば、問題は事実面で不平等にあるからである。その解消のため本条約は、【従来必ずしも「差別」(discrimination)とはされなかった「区別」(distinction)をも禁止】するとともに(1 条)、平等の促進のための「暫定的な特別措置」(積極的優位措置、いわゆるアファーマティヴ・アクションあるいはポジティブ・アクション)をとることを認めつつ(4条1)、さらに男女の固定化された役割分担の観念、すなわち「男女の定型化された役割に基づく偏見及び慣習その他あらゆる慣行」の撤廃を求めた(5条(a))。この最後の要請は【結局は人の社会的意識の変革をも求めるものであって、そこに本条約の際立った革新性がみられる】(これらの規定により本条約がその漸進的達成をめざしたものと解すことの一つの理由とされているが、他方、条約はそれを「遅滞なく追求すべき」ものとしている(2条)(杉原高嶺「国際法学講義」p.465) 法社会学・ソフトロー 法社会学 参考サイト <要約>日本における法継受・法創造についての研究の現状と課題※リンク先PDF注意 日本国憲法で保障されている「人権」に関する整理 「人権」に関する基本的事項 人権の中身には、参政権、平等原則、自由権、社会権の4つがあります。 このうち、参政権は(基本的に)自国民にのみ与えられる権利です。 平等原則に関する整理 参考サイト 平等権に関する整理 平等原則(権利の平等)と平等権(平等の権利) - ポストモダンな日々。 基本権保護義務論 - ポストモダンな日々。 私人間における権利の保障 「憲法の私人間効力論」の概要 憲法とは、近代立憲主義の理解に従えば、国家(政府)を造る社会契約であり、国家・国民間を規律するものである。しかし、自由国家観の下、市民階級を中心として経済活動が自由になされると、資本主義の発達は貧富の差の拡大をもたらし、大工場・巨大企業・有力な団体といったいわゆる社会権力が登場してきた。まずは立法や行政における解決が望まれるとしても、それがなされないときに憲法及び司法は無力なのかが問われだした。 そこで、ドイツを中心に、社会的権力による「人権侵害」を憲法の課題にすべきか、という論点が現れてきた。憲法(基本的人権、基本権、人権)の私人間(第三者)効力論である(君塚正臣「Jurist増刊 憲法の争点」p.66)。 憲法の基本的人権の保障規定の私人間(一般市民同士の間)への適用 判例・通説は、間接的に私人間の行為を規律しようとする見解の間接適用説になっていますので、法律によっては適用されます。 基本的には、憲法の基本的人権の規定は、公権力との関係で国民の権利・自由を保護するものであると考えられてきました。 特に自由権は、「国家からの自由」として、国家に対する防御権であると解するのが通例です。 そのため、憲法の基本的人権の保障規定は、私人間(一般市民同士の間)では関係ない、という見解に繋がりそうですが、実際はそうでもありません。 学説は、①非適用説②直接適用説③間接適用説と分かれています。 非適用説は、憲法は国家と国民との間の関係を規定しているのだから私人間には全然適用されない、という学説。 直接適用説は、憲法の人権規定も私人間に全部適用できるという学説。 但し、この学説には批判が加えられていて、それを行う事によって、逆に私人間の行為に国家権力が介入することになってかえって息苦しくなる、それは本末転倒ではないのか?と言われています。 そのため、規定の趣旨・目的ないし法文から直接的な私法的効力を持つ人権規定を除き、その他の人権(自由権ないし平等権)については、法律の概括的条項、とくに、公序良俗に反する法律行為は無効であると定める民法90条のような私法の一般条項を、憲法の趣旨を取り込んで解釈・適用することによって、間接的に私人間の行為を規律しようとする③間接適用説が、判例・通説になっています。 日本国憲法に関するQ&A 憲法99条の憲法尊重擁護義務が国民を対象としていないのはなぜでしょうか? 日本国憲法第99条 [憲法尊重擁護の義務] 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。 学説は、以下の3種類があるようです。 ①国民がこの義務を負わないことを意味するのではなく、他の条文から見ても国民が憲法の尊重・擁護の義務を負うことは当然であるという見解。 ②憲法が国家権力の行使に制限を加えるという性格上、公務員に尊重擁護義務を課す事によって国民のために権力の濫用を防ごうとするもの。したがって、国民には尊重擁護義務を課していないのは当然であるという見解。 ③日本国憲法は、国民が憲法の最終的擁護者である事を自覚しつつも、徹底した自由主義・相対主義の立場に立ち、憲法に対する忠誠の要求の名の下に国民の自由が侵害される事を恐れた結果であり、国民が明記されていない事には積極的意義があるという見解(ドイツの「闘う民主主義」とは違い、反憲法、反民主主義の思想の自由すら憲法は認めているという帰結を導く)。 このうち、③の見解では、公務員が現行憲法を尊重し擁護する事を前提に、開かれた憲法の推進力たる国民に対しては、憲法前文、11条、12条および97条によって、日本国憲法をより発展させ、次代に継承させる義務があると解釈するようです。 参考サイト 日本国憲法第99条 - Wikipedia 国家による「人権保護義務」というのは、どこまでを指すのでしょうか? http //www2.jura.niigata-u.ac.jp/~hr-zemi/resume/2005/20050707.html A)近代人権の論理 国家の二つの義務: ①人権尊重義務(国家自らが人権を侵害しない) ②人権保護義務(法律や警察など、人権保護のための制度をつくる) 憲法に書いてあることは国家のとる行動の基本原則(Ex.権力分立と法の支配)であった。 人権保護義務の幅は広いから、それについては国家の広範な裁量を認めざるを得ない ⇒人権に関しては法律で定めることで人権侵害の防止、救済をはかる 公権力による人権侵害とは別に、私人間の人権侵害というものが存在し、それは国家の人権保護義務の対象になります。 狭義では、この人権保護義務による救済対象となった部分に刑罰法規や行政罰を設けられますが、最終的には国家権力に実現してもらう民事訴訟等による金銭賠償・謝罪広告なども、救済手続きとして含まれると解釈する事も可能です。
https://w.atwiki.jp/ff11_gameproject/pages/182.html
中島「それじゃまた明日な」 遊佐「おう」 今日は結構楽しめたな……。慣れない生活に意外と疲れてたのかも。 中島が仲良くしてくれるおかげで学校生活が苦じゃないのはありがたい。 遊佐「けど、あいつをいじってしまうんだよな」 一応感謝しておこうか。俺の遊び相手として。 ……………………。 遊佐「まじかよ……」 お天道様! いきなりこの仕打ちですか!? 遊佐「困った。お金が無い」 サイフの中身がからっぽに近い。銀行の預金だってもう殆ど無い。 使いすぎた……。ゲーセンに食堂にカラオケ等など。 マイ、ペアレンツはぁ! 遊佐「生活費が無くなりそうだ……」 かといってここで親に頼むのも……悔しい。 遊佐「うーん」 金といえば稼ぐのが当たり前であるのは言うまでもない。 遊佐「ん? まてよ」 そういえばましろがうちの学校はバイトしていいとか言ってたな。 生徒手帳で確かめてみるか。 遊佐「えーっと、何々」 第四十二項・アルバイトについて 我校においては社会生活においての………… …………よってアルバイトを許可するものである。 但し学校側の許可を申請すること。 遊佐「申請すればいいのか……」 まずバイトを見つけるのか申請が先なのか……。 遊佐「中島かましろにでも聞いてみるかな」 多分申請が先だろうけど。 遊佐「バイト、するしかないだろうな」 案ずるより産むがやすし。なんとかなる 遊佐「はず……」 というわけでお休みなさーい。 遊佐「ん……」 目は開いているが体が動かない……。これは金縛り!?く……息をしているのかしていないのかもわからない。く、苦しい。 落ち着け。これは脳が起きていても体を動かす部分が起きていないということらしい。 まずは体を動かすことに集中するんだ。 指先を動かす。 遊佐「ぐ……」 ぬぐぐ…… 遊佐「ぷはぁ!」 急に体が解放される。 遊佐「……朝からめっちゃ疲れた」 これ時々なるんだよな……。 ましろ「おはよー」 遊佐「おはよ……」 聖「朝から疲れているな」 聖が俺が疲れているのを見抜いて尋ねてくる。 遊佐「朝から金縛りにあってな」 ましろ「えー、金縛り?」 遊佐「時々眠いときになるんだよ。起きないといけないけど眠いときとか」 ましろ「ならないよー」 遊佐「俺だけなのかな……」 今まで誰も同意してくれた人がいないのでちょっとさみしい。 遊佐「あ、そういえば聞きたい事あるんだけど」 ましろ「何?」 遊佐「生活費が底をつきそうなのでバイトしようと思うんだけど」 ましろ「バイトするの? 生活費って……どうしたの?」 心配そうに見つめてくる。 遊佐「それはいいとして……申請ってどうやるの?」 ましろ「私、申請したことないからわかんない」 聖「それは担任に聞いてみればいいだろう」 遊佐「それはそうなんだけどおぉ!?」 話している途中に後ろから何かがぶつかってきた 前によろめいてしまう。後ろを振り向くと 遊佐「また霞ちゃんか……」 霞「あはは、ちょっと驚かそうと思って」 体当たりまでしなくていいだろう。 ましろ「あ、昨日の子」 聖「ああ、階段での」 二人とも気付いた様子だ。 霞「おはようございます先輩」 遊佐「何で俺にはタメ口で二人には敬語なんだ?」 霞「わかんない」 この娘はまったく……。 聖「霞といったか」 霞「はい?」 聖「前を直した方がいい」 霞「あっちゃー。さっきぶつかった時かな」 聖が霞に注意する。うん、多分これが正しいよな? 霞が服を直している。 遊佐「やっぱ担任に相談するかな。中島はあてになりそうにないし」 霞「何を?」 遊佐「ああ、バイトしようと思ってさ。申請の方法わかんなくって」 霞「あー、それなら私覚えるよ」 遊佐「覚えてる?」 ましろ「新入生は説明されたんじゃない? 私達もされたけど覚えてないよ」 なるほど。新入生ならまだ覚えているのも納得できる。 霞「確か担任に用紙をもらって、ちょこちょこっと書いて担任に出せば大丈夫」 遊佐「なるほど。結局は担任に話さなきゃ駄目か」 転入してすぐというのもなんか嫌なんだけどさ。 ましろ「バイト出来る所見つけたの?」 遊佐「まだ何も探してない」 霞が何かを思いついたように迫ってくる。 霞「そうそう! 確か駅前の喫茶店でアルバイト募集って張ってあった気がするよ!」 まるで今にも走り出しそうにうれしそうにする霞。 遊佐「き、喫茶店か……」 喫茶店ね…… 。 遊佐「それってどんなとこ?」 ましろ「私知ってる。喫茶店っていっても軽く食事が出来るような所だよね」 聖「このまえ一緒に行った所か」 聖とましろが喫茶店について教えてくれる。 霞「そうですそうです!」 遊佐「ふむ。申請ってどのくらいかかるのかな?」 霞「二日くらいで受理されるはずだよ」 二日くらいか……。うーん。早くしないとまずいしな。 遊佐「とにかく今は行動するかな」