約 5,650 件
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/12.html
ひらなり の部屋 自己紹介 こんにちは、ひらなりです!! 出身は広島で、ずっと横川の近くの町に住んでおります。街も近く、修道大学にも近く、最高の場所に家がある気がします☆趣味は、ビリヤードです!!始めてからまだ1年ぐらいしかたってませんが、ぼちぼち出来ます☆ 最近関心のあることは、サッカーのチャンピオンズリーグです!!サッカー好きの僕にとっては、堪らない試合の数々で、この時期一番の楽しみです☆ 今、卒論に向けて考えていることは、スポーツに関わる子どもへの指導についてです。指導が子どもにどのような影響を及ぼしているのか、悪い指導は何なのか、などに興味があります。まだまだ曖昧ですが、これから少しずつつめていきたいです。 あと、サークルですがワンダーフォーゲル部に所属しております!!春と夏に日本の有名な山に登ってます☆あとは、わいわい遊んでます。3月のはじめに熊本の阿蘇山に登る予定です☆ ☆メニュー☆ ひらなり07春の読書ノート|トップページ 自己紹介というラインはクリアしています。でも自己開示が十分でないなあ。別に強制はしませんが、しん・ぷっちょ・黒いベンチ・ミック・大将の皆さんは、ずいぶん自己開示しています。こういう文章を書くと、それ自体で自分を見つめることになるし、それを読んでくれた他者とより深いコミュニケーションができますよ。 -- 管理人 (2007-02-22 15 50 03) はじめまして!はじめまして!猫っす!山登りといえば父に付き合わされて転勤先の山々をよく登りました。自分的お勧めは北陸の白山と四国の石鎚山っす!良い指導法、悪い指導法。指導法の意味によっては人や状況によって影響も変わってくる深いテーマですね。でもきっと根本的に通じる部分とかもあるんでしょうね。興味深いっす! -- 猫 (2007-02-28 02 09 54) ひらなりはサッカー好きなんですね。俺もサッカーみるのもするのも好きです。やるのは下手です…(^_^;)みるのもひらなりほどではないと思うので教えてやって下さいm(_ _)mこれからもよろしくo(^-^)o -- ながちゃん (2007-03-01 19 23 23) サッカーは見てもやっても面白いよね☆去年の冬は部室で毎日みんなでウイニングイレブンやったな~(^。^)y-.。o○ -- 黒いベンチ (2007-03-01 20 15 43) この前のゼミ発表後の討論をもとにして、もう一度読書ノートをリライトしてください。 -- 管理人 (2007-05-21 15 08 11) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/35.html
日本の何人の人たちが無知の知という言葉を知っているだろうか。これは、かの有名なソクラテスが唱えたもので、ソクラテスは当時、相当の知者であり、並ぶものは誰もいないと神にも告げられるほどのものであった。しかし、ソクラテスはそれに不満を持ち続けた。何せ彼には知らないことが山ほどあったし、そのことで、到底自分を唯一無二の知者と思うことができなかった。 そこで、ソクラテスは有名な「対話」という行為繰り返すことになる。ここでもソクラテスを納得させる知者はいなかった。ここでソクラテスは気づく。じぶんには、知らないことあるということを知っている。つまり、「無知の知」をさとることになる。これがソクラテスが「無知の知」に至った過程であるが。この無知の知が、現代においてとても必要であると感じた。それは、大きなところでいえば、危機管理の場でのことである。 そもそも、危機管理が問題に成りだしたのは、阪神淡路大震災からである。世の中では、自衛隊の派遣が遅かっただとか、海外から来た救助犬をうまく使えなかっただとかいろいろある。それは、自分たちがなすべきことがわかっていないことを知らず、知った気になってのうのうと生活していたつけといっても過言ではないだろう。もし、このときに「無知の知」というものを自覚していたとしたら、もっと効果的な準備ができていたに違いない。私たちは無知だ。と、思い込むことによって、さまざまなことの「準備」ができる。無知の知は日々の生活において確実に生きるものなのだということを教えられたような気がしました。
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/19.html
*大将の卒業への道程 早速の課題 鬼の管理人さんから早速宿題をもらいました(-_-;) 調べたことについて少しづつでもUPしていこうと思います。 ☆メニュー 大将|トップページ|大将の読書ページ 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/36.html
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/7.html
しん の部屋 自己紹介 どーも、岡山より来ました、しんです。 生立ちを簡単に。四方を山に囲まれた自然豊かな地に、鉄鋼職のおとんと保育士のおかんの間に生まれる。幼少期は非常に内気でいつもおかんの影に隠れているような子。しかし、小学2年の時に何かがはじけたようで今の性格へと変貌。やさしさが売りの少年は平和に育つのだが、中学入学を期に一転。そのやさしさが仇となり、いじめに遭う。約一年の苦悩の日々(地元ではダークエイジと呼ぶ)を送るが、今となっては良い経験だったとネタにできるほどに。しかし、その間学校を休まなかったのは今でも不思議に思う。高校へ進学するとより学校に積極的になり、クラス委員に毎年就任。3組の父と呼ばれるほどの信頼を得る。相談や頼み事を多数受けるが、またもその積極さが仇となり、肝心の勉強が疎かに。導かれるように浪人時代へ進むことになるのだが、この時代こそが今の自分を形成している。真剣に自分と向き合い、そのときの考え方やものの見方などは貴重な財産となった。そして、流れついたのが今のこの場所である。 現在は、ラーセミスタッフや学外のボランティアサークルの副代表(次期代表)をしています。バイトはある珈琲屋でしていて、家賃や生活費もそこから賄っています。 長所は、責任感のあること。性格上何が何でもやり抜きたいと感じてしまうようです。短所は、集合時間が守れないことと自分に尽くせないこと。前者は若干長所と矛盾していますが、事実なので早く修正すべきと自負しています。後者は永遠の課題ともいえ、他人の為なら頑張れるのですが、自分のこととなると…甘いと言うか。そのため痛い目にあうこともしばしば。 趣味は、部屋いじりと麻雀です。日夜快適な空間を探求しております。最近では「部屋の緑化」に努めている次第です。あと麻雀は、その美学に惚れ込み、麻雀自体が好きです。腕前はまだまだ半人前なのですが。 卒論のテーマは、『教師の話術』を考えています。教師という職業は特別で、数ある職業の中でも、大多数の前で自分の意見や考えを述べる場所と権利を持っているのは、政治家と教師くらいです。だったら、「話のプロ」であるべきだと思うのです。現在、学力低下や学級崩壊などが問題視されている今だからこそ、教師には話術が必要なのです。ほら、話の上手い先生の授業って聞き入ってしまいますよね。そんな教師になりたいという意味も込めて、考えていきたいと思っています。 ☆メニュー☆ しん07春の読書ノート|トップページ|シンゴ日記 けっこう皆、自己開示しているので喜んでいます。ルソーは、『エミール』のなかで、人間に最初に芽生える感情は「利己心」であり、そのあとに「利他心」が形成されると説きました。利他的な人間を悪く言う人は少ないので、誰でも、利他的でありたいと思い、意欲ある人はそのように行動します。しかし、個人としての力量は力量として、クールに身につけておかないと、大きなスケールで他人の役に立つこともできません。僕自身は、教育学専攻のアクティブな学生たちは、もっと自分のことに貪欲であってもいいと思っていますが・・・そういうことだって研究テーマになりますよ。 -- 管理人 (2007-02-20 12 32 09) はじめまして!はじめまして!猫っす!自己紹介読ませていただきました。麻雀は詳しくないので適当なことは言えないけど、部屋の緑化ってのはいいね!自分の部屋でゆったりくつろげるっていいな~とかって狭い狭い5.5畳の狭い部屋で思うわけですよ(苦笑) -- 猫 (2007-02-27 10 19 13) しんはいるだけですごい存在感をもっていると関わる事が多くなった最近よく感じます。卒論のテーマ面白そうですね。しんの話す言葉は聞き入ってしまうような力をもっていると思います。僕も話しのプロである教員像は理想であるのでわかった事があったら参考にしたいので教えて下さいm(_ _)mこれからもよろしくo(^-^)o-- ながちゃん (2007-03-01 19 41 14) 話術ですかあ。話す内容もさることながら、立ち居振る舞いや表情なんてのもえらく重要ですよね‥僕自身、最近人前で話す機会が増えたような気がするので、今度東京にスピーキングスキルのセミナーを受けに行こうかなんて考えています。 -- フェノロサ (2007-03-14 02 04 12) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/23.html
ながちゃんの読書ノート 『数に強くなる』 畑村洋太郎著 岩波新書 2007年 この本の中で著者畑村氏は、数に強い人とは、物事から数を引き出して、自分の実現したいことの道筋に載せて、加工し、発展させることの出来る人。つまり「数を作れる人」だと述べている。数を作るとは1つ例を挙げるとすると、ふと階段を上っていて今何段上ってきたか気になったとする。何段か気になるが、正確な情報がない、こうした場合、段差、地面から自分の足元までの高さを引き出しから引き出し、引き出した数で段数を導きだすという動作の事である。これでは正確な答えがでないのでは?という人もいるだろう。それでいいのである。畑村氏は数を作る動作ができるかどうかが最も大切で、数を作るという動作を行い、トライアンドエラーを繰り返すことにより、数の感覚が磨かれ、徐々に答えとの誤差がなくなり、数に強くなることができると述べている。ただし、エラーについての感覚として、「倍、半分は許される。桁違いはいけない。」とし、桁違いのような違いは見逃してはいけないと述べている。わたしは、今まで、数というものは物事の指標となるため、正確なものでなければいけないという感覚があり、エラーについて過敏に反応してしまう所があった。この感覚がわたしを数から遠ざけていたのではないかと感じ、これからは、「倍、半分は許される。桁違いはいけない。」という感覚を持ち、数を作る動作を積極的に行い、数に強い人間になり、また自分が指導者となったとき、数に強い人間を育成していこうと思った。 ☆メニュー☆ ながちゃん|ながちゃんの卒論レジュメ|トップページ
https://w.atwiki.jp/giin/pages/469.html
政党 名前 よみ 住所 TEL FAX Mail HP Blog Tw FB Yt テスト 山田 太郎 やまだ たろう てすとてすとてすとてすとてすとてすとてすとてすと 999-8888-9999 999-8888-9999
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/39.html
『スラムダンクな友情論』 この本は、漫画『スラムダンク』をはじめ、いくつかの有名な映画や小説の一場面、印象的な登場人物の言葉もとに、著者である齋藤孝さんが、「友情とは」「自分とは」何なのか独自の目線で書かれている。この本を読むまで、私の中の「友情」というものは何か照れくさいような、いつも一緒っていうか、ちょっと言葉に出すのが恥ずかしいような感情さえ持っていた。しかし、この本を読むにつれて、私の中にある「友情」の意味が変わっていくのを実感した。 齋藤氏が「友情」の意味について常に強調していたのが、「クリエイティブな関係」ということである。『スラムダンク』の桜木花道と流川楓の関係がまさにそうである。この二人は決して仲良しと呼べる関係ではない。一緒に遊びに行くわけでもないし、目を合わせるだけで、いつもけんかになる。しかし二人の共通の目的であるバスケットの全国制覇を成し遂げようとする上で、この二人はお互いから何かを学び合い、刺激し合い自分達を高めていった。これこそが、齋藤氏のいう「クリエイティブな関係」である。齋藤氏は、「自分の力が実力以上に出るような「張りのある関係」は、お互いを高め合うクリエイティブな関係だ。なれ合うことのないライバルこそ「真の友」というべき相手だ。」と本文で語っている。仲の良い悪いは別として、「こいつにだけは負けられない」「こいつがいるから上を目指すことができる」常に緊張感という良い意味での張りが生まれている関係。これが「友情」なのだと。
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/32.html
『道をひらく』 松下幸之助 著 この本を読み、著者の松下幸之助氏はナショナリストであるという印象を受けた。 というのも、松下氏はこの著書の中で「日本よい国」と説き、自国の文化や伝統、思想に対する愛を大いに語っているからである。 ナショナリズムといえば明治期に広まった国粋主義のような、排外的な愛国主義をイメージしてしまうこともあろう。しかし、松下氏のナショナリズムはこの国粋主義とは少し違う。国に対する「愛し方」が違う、そういった印象を受けた。 松下氏が国政を見据える姿勢は憂慮や批判などの「why」「but」の姿勢ではない。そこにあるのは、どうしたら愛する祖国をよりよいものに変えていけるか、という「how」の姿勢である。 例えば、255、265ページの文章、『他人事ではない。わが事である。わが事の思いで、今一度、政治を吟味したい。(中略)そして個人として、また国民としてのわが身のあり方を静かにふりかえってみたい。』 『求めずして己を正す態度というものをいま少し養ってみたい。個人としても、団体としても、また国家としても。そこに人間としての、また国家としての真の自主独立の精神があると思うのだが―。』 これら2つの持論は松下氏がhowの姿勢で自らに語り続けた結果、たどり着いたものであろう。そして得られた結論は「個人レベルで国政を見据え、日々自身を省みるべきだ」というもの。これは、松下氏がこの著書の随所に「われわれ」「個人」「お互い」という言葉を散りばめ、再三、民主主義の重要性や自主独立の精神を謳っていることからも分かる。 ただ単に祖国への愛を強調するだけでなく、愛する祖国のために何ができるかを考えること。whyやbutの姿勢でなく、howの姿勢を持ち、個人レベルで自身や国政を省みること。この点に国粋主義とは「愛し方」が違う、と形容した訳がある。 この「道をひらく」という本から、松下氏なりのナショナリズムを垣間見た気がした。稚拙
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/33.html
ミック