約 5,650 件
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/31.html
『道をひらく』 松下幸之助 著 この本を読み、著者の松下幸之助氏はナショナリストであるという印象を受けた。 というのも、松下氏はこの著書の中で「日本よい国」と説き、自国の文化や伝統、思想に対する愛を大いに語っているからである。 ナショナリズムといえば明治期に広まった国粋主義のような、排外的な愛国主義をイメージしてしまうこともあろう。しかし、松下氏のナショナリズムはこの国粋主義とは少し違う。国に対する「愛し方」が違う、そういった印象を受けた。 松下氏が国政を見据える姿勢は憂慮や批判などの「why」「but」の姿勢ではない。そこにあるのは、どうしたら愛する祖国をよりよいものに変えていけるか、という「how」の姿勢である。 例えば、255、265ページの文章、『他人事ではない。わが事である。わが事の思いで、今一度、政治を吟味したい。(中略)そして個人として、また国民としてのわが身のあり方を静かにふりかえってみたい。』 『求めずして己を正す態度というものをいま少し養ってみたい。個人としても、団体としても、また国家としても。そこに人間としての、また国家としての真の自主独立の精神があると思うのだが―。』 これら2つの持論は松下氏がhowの姿勢で自らに語り続けた結果、たどり着いたものであろう。そして得られた結論は「個人レベルで国政を見据え、日々自身を省みるべきだ」というものである。これは、松下氏がこの著書の随所に「われわれ」「個人」「お互い」という言葉を散りばめ、再三、民主主義の重要性や自主独立の精神を謳っていることからも分かる。 ただ単に祖国への愛を強調するだけでなく、愛する祖国のために何ができるかを考えること。whyやbutの姿勢でなく、howの姿勢を持ち、個人レベルで自身や国政を省みること。この点に国粋主義とは「愛し方」が違う、と形容した訳がある。 この「道をひらく」という本から、松下氏なりのナショナリズムを垣間見た気がした。稚拙
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/26.html
大見出し シンゴ日記 メニュー しん
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/37.html
櫻井 弘『上手な話し方が面白いほど身につく本』中経出版2000年 「話術」をテーマに挙げているのでそれに関する本を…と思っていたのですが、なかなか見つからず結局実用書になってしまいました。大体言葉を発してこそ話術であって、文で表現するのはねえ。ってことで、まずは基礎を学ぶ意味でこの本を。 一番感じたのは、話術はかなり深いぞって事です。まず言葉っていうのは無限にあってその中から選び並べ、文をつくる。更にここから声の抑揚、話の間、顔の表情、目の動きなどが加わり、またそれらを状況や相手によって使い分ける。ここまで出来て初めて話術な訳です。 この本で筆者が最も重点を置いていたのが、相手を意識することでした。相手がいてこその話なのですから、当たり前といえば当たり前ですが。相手を想定した上での話し方、そのリアクションを見るのではなく観察すること。実践しているようでなかなか意識できてないことを再認識させられました。このテーマでおもしろかったのが、実に日本人らしい尊敬とか相手を傷つけないテクニックを散々述べていること。相手を操作、支配するというとカッコ良いんですが、なんとも相手のご機嫌を伺うようで謙虚な日本人が背景に映し出されてました。社会で生きるってこういうことなんでしょうね。 また、話し上手って言われる人は「必要なときに、必要な人に、必要なことを、必要なだけ」話せる人のことと定義していました。まさに究極って感じですが、おしゃべりと違うわけですから、納得させられました。ゼミなどで目指したい部分ですね。そして同時に聞き上手でもあるみたいです。聞くのは誰でも出来る事ですけど、その返しとか返答などは話術が必要ですよね。相互理解するため、コミュニケーションを図る意味では重要な要素です。余談ですが、先日懐かしさから教育テレビをたまたま見ていると、「あいづち」をテーマにした番組をしていました。3、4年生向けぐらいでしょうか、お兄さんとチビッ子が話をしながら「うんうん、それから?」「なるほどね~」なんて言いながら、あいづちの良さを説明している訳です。それは驚きました。まさかそんな事までテレビで教える時代なのかと。それはコミュニケーション能力が大事になったってことでしょうか、逆にコミュ二ケーション能力が乏しくなったってことでしょうか。 話術を考えていくと、人と関わる上でこれほど実用的なことはないと思います。細かいテクニックの話もありますが、そういった認識を出来たのが収穫です。
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/20.html
西島央 『部活動 その現状とこれからのあり方』 学事出版 2006年 内海和雄 『部活動改革』 不味堂出版 1998年 『部活動 その現状とこれからのあり方』を読んで。 まずこの本を読んでの素直な感想を書きます。 この本の導入部とも言うことの出来る部活動の歴史についての部分を読み、驚きました。私が普段何気なく口にしている「部活動」と「クラブ活動」は本質的に違うといったことが書かれているのです。私は中学生時代にしか部活動をしていませんでしたが、その3年間の中でいいことも悪いことも含めて様々な経験をしてきました。また器械体操という特殊な競技をしていたことから、特殊な競技ならではの経験もしました。そういった経験の中から部活動を取り巻く環境の変化や問題点はよく把握しているつもりでした。しかし部活動についての基本的な知識については全くといっていいほど知らなかったことに衝撃を受け、自分の至らなさを痛感しました。 次に本題です。この本は筆者が部活動について長い時間をかけて、様々な角度から生徒に対しての調査を行い、その調査に基づいたことのみが書かれています。筆者があげた問題に対して、この調査結果を基に筆者が考察していくといった形が取られています。 ☆メニュー☆ 大将|トップページ|大将の卒業への道程 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/2.html
メニュー 管理人室|告知板| しん|ぷっちょ|黒いベンチ| フェノロサ|ながちゃん| ひらなり|ミック|大将| 髭|ノーチキン|猫| 広場 トップページ
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/40.html
8月14日 明日からサークルの合宿です。最後の合宿というわけになるんですが、暇な時間が多いので本を読んでみようと思っています。 ところで、大学の生活で得るものとは何だろう。私たちは学生であって勉学のために大学に行っている事は間違いない。しかし、それ以上にこれから社会において大切なことを学ぶ場だと考える。それが具体的に何なのかはよくわからないが、最近はそういったことをよく考えるようになった。 7月30日 なんというインターバル…久しぶりです。 この間はゼミコン楽しかったです。また企画しますんでよろしくお願いします。さて、夏も本番ということで、暑いですね…。クーラーをかけて地球温暖化に手を貸してしまっています。この素晴らしき地球を守らなければ!と、思うのですがね…。 さて皆さん、死ぬのって怖くないですか?考えてみてください。ほら、うつになってきますよね?最近地球に巨大な隕石が衝突するムービーを見たのですが、そこに私がいたらと思うと… 人間のすごいことは死を恐れることが出来、死を考えることが出来ることだと思った。なんだかなー… 5月21日 相変わらず課題に向けた読書に悪戦苦闘している毎日です。なんだかこの本の感想だけで卒論並みの感想文が書けてしまいそうなので、範囲を絞ることにした。これでうまくまとめられるといいのだが…。 今日は友達からイギリスのロックバンド、マルーン5の新譜を聞かせていただいた。こう見えても私、洋楽好きである。個人的には、1stのアルバムのほうがオシャレで好きであり、ダンサブルな曲が増え、路線変わったな。とちょっぴり悲しい…。 とは言え、私の英語能力は中学生の平均以下なので歌詞はさっぱりである(泣) 音楽は心で聴くものだよ! 5月18日 最近ゼミの課題に取り組もうと、わざわざアマゾンで注文した本が届いた。 今回は、ただ読むだけでなく、大事と思うページにしおりを挟む努力をしている。 しかしこの本、作者の熱意がこもっているのだろう。まだページ数が三桁に達していないにもかかわらず、しおりの数が予想を超えた数になってしまった。まるで辞書のようである。 おそらく、そこまで重要ではないところまでしおりを挟んでしまっているのだろう…。先が思いやられる(泣) 5月17日 なんだかみんな書き込まなくなったので試しに新しいページを作ってみました。 ここには日常で気づいた事や思ったことを不定期且つ乱雑に書き込んでいきたいと思います。(笑) 最近はゼミの時間がとても楽しみに感じてきた。みんなの発表を聞くたびに考えさせられたり、独りでうなずいたりしてしまう。 大学に入ってこういった機会を求めていたのかなと思ったりもする。これからは、みんなとガッツリと意見を酌み交わせるような間柄になりたいものだ。 そのためにも、まずは自分の課題をこなさなければ(汗) そういえば、このゼミは自分にとってほぼ初対面の方ばかりだ。飲みの席でも開いて親睦を深めたいものだ。
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/8.html
ぷっちょ の部屋 自己紹介 神奈川県生まれの広島育ちです☆ 香椎由宇ちゃんと全く同じ生年月日&出身ですww ☆趣味はジャズダンス(高校までやっていました。今は・・・)、読書、映画鑑賞、ドライブ、文通、旅行・・・などです。読書は江戸ものが大好きで、宮部みゆきの江戸ものはすべて持っています。諸田玲子さんのお鳥見女房シリーズや、畠中惠さんのしゃばけシリーズも大好きです。映画は、友達と観るのもいいですが、一人で観に行くのも好きです。ドライブは、四月にやっと初心者マークが取れるので、少しずつ遠くへ行ってみたいです。いつか横浜まで行きたいです。 文通・・・このハイテクな時代に・・・と思われるかもしれませんが、小学校の担任の先生や引っ越してしまった友達と文通しています。手紙っていいですね。ケータイはすぐに連絡が取れますが、誰が書いても同じ文字ですが、手紙はその人のためだけに相手が書いてくれた生きてる文字なので、心がこもっていて私は大好きです。 旅行は、横浜によく一人で行きます。親戚がいるので、買い物に付き合ってもらったり、TDL・TDSに行ったりします。サークルを引退したら、またぶらっと一人旅をしようと思います。やはり、こちらには無いものがたくさんあって、とても面白いです。こういう生き方、暮らし方があるんだ~と考えさせられるものが多いです。 趣味はこんな感じでしょうか。また随時手を加えて行こうと思います。 ☆最近関心のあること・・・ 最近というか、年柄年中なのですが、おいしいものが大好きです。市内のおいしいお店があれば教えてください。 他には、自分って何なんだろう・・・と最近よく考えます。なんで生まれてきたんだろう、何をやってもイマイチだし、中途半端で自分は何の取り柄もないし、誇れるものも無い。せっかく親が生んでくれたのに、こんなんじゃぁ・・・。でも生まれて存在してるからには、何かしら役に立つことがあるはずだよね?と、そういうことばかり考えてしまいます。これから少しでも解決のヒントを見つけていけたらと思います。 ☆今、卒論に向けて考えていきたいテーマ・・・ 高校二年頃からスポーツする中高生に興味があり、何か役に立てることは無いかと考え続けて早三年。スポーツ栄養学やメンタル、リハビリに興味があります。まだまだ漠然としていて、絞ることはできませんが、いろんな本を読んだり、資料を集めたりして、的を絞って行きたいと思います。 今近所の整形外科でバイトをしていて、リハビリやトレーニングで中高生のスポーツ傷害が少しずつ治っていくのを間近で見て、リハビリの機械やトレーニングを組むトレーナーってすごいなと身近に感じています。知り合いのトレーナーさんや針師さんからも、いろいろ情報を仕入れられたらなと思います。 ☆メニュー☆ ぷっちょ07春の読書ノート|トップページ エリクソンの説くところでは、10代の終わりから20代にかけてはアイデンティティー・クライシスの時期といわれます。「自分て一体何?」と悩む時期だというのです。僕自身は、たしかに悶々としていた時期がありました。しかし、大学に勤めて学生を見ていると、そういう学生がどんどん少数派になっているように感じます。その大きな原因は、「ネアカでなければいけない」という社会的な圧力によって、「悩む」ことを抑圧しているからだと思います。僕的には、そういう悩む姿勢には好感が持てますね。「悩むこと」=「思うこと」=「学び」ですから。もちろん、自分を責める必要はありませんし、悲観的な考え方は百害あって一利なしです。次の本を紹介しておきます。M.セリグマン『オプティミストはなぜ成功するか』講談社文庫 -- 管理人 (2007-02-20 12 15 39) はじめまして~はじめまして!猫です!自己紹介読みました。手紙、いいよね~。自分なんかもう手紙を書くなんて年賀状くらいで(って手紙じゃない・・・か?)ほとんど書いたこと無いけど、自分の高校時代の初恋のあの人にもし手紙かけたら・・・とか、中二のときに転校で離れ離れになってしまったあいつは元気にしてるだろうか・・・とか、ふっとたまにむしょうに「手紙」を書きたくなる時って、あります。それ以外にも誰に宛てるでもなく自分の心境とかを文章にしてそっと封筒にしまってみるってのもなかなかおつかもしれません。何故生まれてきたのか・・・とても哲学的問いですね。そしてきっと答なんてない。それでも「これ!」って思えるような、答ではないかもしれないけど方向性というか、そう思えるものが見つかればきっと迷わずに生きてける、そんな気もして考えたりして、そこでまた迷ったり・・・難しいっすね(苦笑)でも自分の存在価値ってんなら「友達」っていますよね?人によってその価値観って大きく変わってくるかもしれないけれど、自分を認めてくれて、自分も信じることが出来る。誰かに必要とされたり、誰かを必要としたり、それはお互いの存在の証明であって相手にとっても、そして自分にとっても自分自身の存在価値なんじゃないかなって思いました。う~ん、話ずれたかなあ(苦笑) -- 猫 (2007-02-27 10 44 39) まずはじめにこの前は誕生日おめでとうございましたm(_ _)mぼくも友達がいる京都には一度一人旅をした事があります。ぼくもまたお金と時間ができたら一人旅したいと思ってます。これからよろしくo(^-^)o-- ながちゃん (2007-03-01 19 30 10) 整形外科でバイトですか。すごいなあ。僕も以前スポーツジムでバイトしていたのでスポーツ科学や栄養学の知識はちょっぴりカジりましたよ。スポーツ科学なんかは奥が深いうえに非常に身近なものなので勉強してても楽しいですよね‥おいしいお店‥ザどん福屋広島駅前店なんかいいですよ!来てたね‥ -- フェノロサ (2007-03-14 22 32 15) フェノロサ!!ザどん・・・ほんまにあの時はびっくりしたよ。バイトには慣れた??頑張ってねww -- ぷっちょ (2007-03-21 20 44 13) 名前 コメント
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/24.html
齋藤 孝『スラムダンクな友情論』文藝春秋、2002年。 高橋 繁行+中国電力エネルギアマネジメントスクール『中国電力陸上部は、なぜ強くなったのか』南々社、2006年。
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/22.html
https://w.atwiki.jp/shudosohma/pages/30.html
産経新聞『じゅく~る』取材班:『学校って、なんだろう』:新潮文庫 2004年 「学校って、なんだろう?」それはテレビや新聞、雑誌とか、いろんなところで、いろんな場面で語られてきた話題だろう。そこは勉強する場所かもしれないし部活や友達と時間を過ごせる場所かもしれない。そしてこのことを考えたとき、一人一人考えることは違うだろうし、まただからこそとても深いテーマになるのだと私は考える。もしこの本を読むことで、また学校について違った考え方や視野を持って考えることができればと考えこの本を読むことにしたのである。 しかしながらこの本を読んでいると現代の学校の抱える問題の多いこと。不登校はもちろんいじめや教育困難校で苦悩する教師や、今の学校の抱えている問題はとても多く、そこには子どもはもちろん、教師、親もその問題の渦中にいるのである。そしてこの本は問いかけるのである。「学校って、なんだろう?」。これだけの問題を抱え、なお学校という場所が存在する理由とは? 学校教育法には小、中、高校それぞれに応じて教育の目標が書かれている。それは基礎学力を身に付けることであったり、自主・自律の精神を養うと言ったものであり、しかしながらこうした目標を達成する場はもはや学校だけに限定されないのである。そんな中改めて学校の存在理由・意義を問われてももはやこれと言った答えを出すことは難しいのかもしれない。そして存在理由を明確に示すことのできない学校からは子どもたちは離れてゆくのである。 「学校って、なんだろう?」。今自分自身のことを振り返ってみて考える。自分にとって学校は生活の中心だった。朝は8時には登校して、夕方は部活があれば8時とか、9時になることだってある。そして自分がそうして過ごしてきたことに疑問を感じたことはなかった。学校とはそういう場所だと思っていた。自分にとって学校は学生である自分がいるべき場所だった。私は考えるのである学校は必要とされている、と。必要な場所であると。登校拒否をしている子どもの全てが学校の存在を否定しているのではない。むしろその多くは行きたくても行けないのだという。それは家庭環境に思わぬ問題があったり、それこそ一人の人間としての居場所を感じられなかったり、それでも不登校の例に見る子どもたちは学校へ行きたいのだという。勉強や友達作り、経験の獲得は学校に限らず確かにもっと別の場所でもできるのかもしれない。しかしそれ以上に学校という場所はその「存在」を必要とされているのである。 今、小、中学校の自由選択化が進められる中、総合的な学習の時間や自由選択性の導入で学校は変わってきている。ただ私の思うに、それでもともすればそれらの役割を他の場所に取って変わられるのは変わりないだろう。それ以上に私が必要だと考えるものは子どもたちにとって必要とされる場所であることである。それは単純に快適な場所ということではないはずである。居場所かもしれないし、人間関係かもしれないし、なにか熱中するもののためかもしれない。つまり学校は子ども一人一人が「参加する」場である必要があるのだと思う。子どもが必要とするのは子ども「を」必要とする場なのではないか、私はこの本を読んでそのように感じた。 河野 啓:『よみがえる高校』;集英社 2000年 先の『学校って、なんだろう』では不登校のこどもについても触れられていたのだが、どうやら高校を中退した子どもたちを全国から受け入れているという高校があるということだったので、その本を次に読むことにした。その高校は北星学園余市高等学校。全国で不登校になってしまった子どもをはじめ、様々な問題を抱えて高校を中退した、もしくは中退せざるを得なかった子どもたちを受け入れている高校で、やはりこの本を読む中でも生徒の数だけ難しい問題が登場している。どうにも各人の想像にお任せするしかないが、とてつもないようなところな気もする。 とにかく私はこの本を読むことにした。いくつもの涙あり苦難あり時に笑いあり(?)のエピソードの中に私は何回か考えを巡らせることになる。例えばこの本の中にはこうしていくつもの「いい話」が挙げられているが、では果たしてこの高校からは中退者は出ていないのだろうか?何故この高校は生徒たちを生き返らせるのか?とか色々である。 どうだろう、行き場所を求めて、居場所を求めてこの学校に来たとき、それでもどうしようもなくてこの高校を退学する生徒がいたとする。彼らはどうしているのだろうか?もし本当に今学校を取り巻く問題について考えるのであれば、どうしても「いい話」に隠れている部分について考える必要があると私は考えたのである。残念ながら調べてみたもののこれと言って余市高校の中退等に関するデータは得られなかったが、読み進めてゆく中にもこの本の中にも確かに中退者のことが書かれている部分があった。それが全てではないのは当然のことだが、その中でもこの高校を中退して強く生きている人たちがいることに驚いた。そして彼らは一様に中退しはしたものの、この余市高校での時間を大切に思っているようなのである。では、何故この高校は子どもたちを生き返らせたのだろう?という疑問が出てくる。こんなことを考えながら読んでいるとあることに思い至った。それはこの高校に通っている子どもたちはある意味似たものを、もしかしたら同じ者をお互い持っているのではないかということである。それは境遇だったり、体験だったり、感情だったり、どこかは分からないしここが、というものでもないと思うのだが、やはりどこかしら似たものをお互いがもっているのではないかと思うのである。だからこそお互い共感できたり、認め合えたり、ひいては自分の居場所、存在価値、自身を取り戻すことができるのではないだろうか?そしてそこから自信や前に進もうとする意思とか、そういったものを見つけることができたから彼らはこの高校で生き返り、またこの高校を出てもそのことを忘れずに、元いた場所に戻れるのかもしれない。 「ここには決して投げない教師がいる。ここには喜びがある。そして同じ泥の中からはいあがろうともがいている仲間がいる・・・」 「前の学校では自分はいつも死んでいるようだった」 「この学校は学校という名を付けているが、人間が人間となるために手助けをしてくれる場所です」 少なくとも、この高校にはこどもたちにこのように語らせる何かがあるのである。 教育とはいったいなんだろうか?私にはとても難しい問いのように思われる。ただ、ひとつ思うのは、学校においての教育とは人と人の関係の上にこそ成り立つものであると。この本を読んで私はそう感じたのである。