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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん トリスタニアの時刻は、既に昼の十二時を迎えていた。 街の各所にある大衆食堂にレストラン、そして露店からは美味しそうな匂いが漂ってくる。 丁度腹を空かした人々は各々が気に入った店へと入り、腹を満たす。 平民や下級、中級の貴族たちは自宅で食べるか、もしくは仕事で得た雀の涙ほどの賃金や年金だけで十分に食べれる場所へと足を運ぶ。 露店や食堂はたちまち賑やかになり、人々は笑顔を浮かべて始祖ブリミルから与えられし糧に感謝の念を送る。 それなりの地位と領地を持つ上級貴族たちは貴族専用のレストランへと足を運び、この国の安泰を願ってフルコースランチを頂く。 三つ星シェフの手によって作られた仔羊のソテーを頬張る彼らの顔にもまた、笑みが受かんでいる。 こうして見ると浮かべる笑みの意味はバラバラではあるものの、誰もが皆笑顔を浮かべて昼食を頂いている。 それは正に、「食べる」という行為が何事もなく行えることを有難いと思っている証拠でもあった。 気温は高く太陽も眩しくなってきたが、それよりも人々が浮かべる笑顔の方がはるかに眩しい。 もしもこの街に旅の絵描きが訪れているのなら、きっと人々が浮かべる笑顔を一つの絵としてメモ帳に描いている頃だろう。 自分の昼食を食べるのも忘れて絵を描くのに夢中になった彼は、きっとこう思うに違いない。 『あぁ、この国は平和なんだな――――』と。 そうして街が笑顔で溢れている中、とあるブティックの二階にある一室で、ルイズは落胆の表情を浮かべ項垂れていた。 「あぁ~…駄目だわ。全然、思い浮かばないじゃないのぉ…」 椅子に座った彼女の目の前に置かれた大きな丸テーブルの上には、鞄に入れて持参してきたメモ帳と【始祖の祈祷書】が置かれている。 ルイズは今、幼馴染であるアンリエッタ王女とゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の結婚式で詠みあげる詔を考えている最中であったが、何を書こうか未だに悩んでいた。 デルフにこの事を説明してから一週間ほどが経つが、一ページ分どころか未だ一文字も書けないでいる。 もしもこの詔が授業でいつも出るレポートや作文であるのなら、ルイズなりの文章で書いたモノを素直に提出するだろう。 しかし…これは幼少のころから共に遊び笑い合った幼馴染が隣国のゲルマニアへ嫁に行く事を盛大に祝う詔だ。 いつも提出しているレポートの様な文章では無理だとルイズは理解していたが、それと同時に自分の文才の無さに嘆いてもいた。 ここへ来てから何とか書こうとしてそれでも書けず、既に四十分近くもの時間が経過していた。 「こんな調子じゃあ、姫様の結婚式に間に合わないっていうのに…」 「わざわざ鞄に入れて持ってきた本は何なのかと思ったが、まさか例の祈祷書だったとはな。感心するなぁ」 苦悩が垣間見える言葉を呟くルイズとは対照的に、向かい側の椅子に座っている魔理沙は面白いものを見るような目で向かい側の椅子に座るルイズに言った。 その言い方にムッとしたのか、不機嫌な表情を浮かべたルイズは魔理沙の方へとその顔を向ける。 「そこまで言うのならアンタが書いて…イヤ、下手に任せたら適当に書いちゃいそうだからやめとくわ」 ルイズは途中まで言って、魔理沙の性格なら自分の代わりに詔「じゃない何か」を書きそうな気がしてきたので、言うのはやめた。 「それは残念だ。今なら何か良い詔とやらが書けそうな気がするんだがな」 魔理沙はニヤニヤと笑いながらそう言うと、最後に確認するかのようにルイズは質問した。 「…アンタ、この世界の文字とか…もう書けるようになったの?」 ルイズの問いに、魔理沙は軽く頷きながら返事をする。 「意味は分からないが、とりあえず見様見真似で書くことは出来るぜ?」 彼女の口から出た答えに、やはり書かせなくてよかったとルイズは安堵した。 ブルドンネ街の中央通りから少し外れた所に、今ルイズ達の居るブティックがある。 この店は基本一人の客に対し数人の店員が対応し、服のリクエストからサイズの調整までを身振り手振りで教えてくれるのだ。 客層は主に商家の平民から下級の貴族までとトリステインではかなり幅広いのだが、客層の三分の二が魔法学院から来る生徒たちであった。 将来この国を支える貴族の卵たちはここで舞踏会などの行事用に着る服やドレスを発注したり、店内で販売しているアクセサリーを買ったりしている。 そのアクセサリーの一つ一つも店側で雇っているデザイナー達が作ったモノで、手作りなので値段もそこそこ高い。 しかしそれ故にオリジナリティーに溢れており、値段の方も貴族の子供たちが青春時代の記念にと買える程度に設定されている。 トリスタニアを遊び場とする貴族の子ども達にとって、正に流行の発信場とも言えるところだ。 その店の二階部分には幾つか部屋があり、今二人がいる控室は階段を上ってすぐ右手にある。 大きな観音開きの窓の傍に丸テーブルと椅子が二つ、そしてテーブルの下にゴミ箱が置かれているだけで他の家具は見当たらない。 精々テーブルの上に羽ペンが数本入ったペンケースとインク瓶、それにメモ帳兼こぼしたインクをふき取るための紙が置かれているだけだ。 部屋の中に明りを灯すものが無いのは基本夕方頃には店を閉めるからであり、決して売り上げが悪いワケではない。 その代わりなのか天井には大きなファンが取り付けられており、魔法によって羽根が回転して風を作り出す仕掛けとなっている。 この部屋は順番待ちをしている客や客の友人などが控える為の部屋であり、無礼がないよう中はちゃんと綺麗にされている。 魔理沙は窓から入ってくる微妙な風を受けながら窓の外から見える通りを眺め、ルイズは回転しているファンのちょうど真下でアンリエッタへの詔をなんとか書こうと奮闘している。 時折思い出したかの様に魔理沙が色んな話を持ち出し、ルイズは羽ペン片手に返事をしたり突っ込んだりしていた。 しかしその部屋にいるのは彼女達だけで、二人と一緒にいる筈の霊夢はどこにも見当たらない。 そもそも何故ルイズと魔理沙がこんなところにいて、あの巫女がいないのか…? それにはちゃんとした理由があった。 ルイズと魔理沙が詔について会話をしてからしばらくして、ふと誰かがドアをノックしてきた。 突然のノックに魔理沙は一瞬誰なのかと思ったが、ルイズは慣れた様子でドアの方へと顔を向け「どうぞ」と言った。 その声が聞こえたのか、ドアの向こうにいた店のボーイが「失礼いたします」と言ってドアを開け、部屋に入ってくる。 利発そうな容姿のボーイは店が用意した専用の服を着た平民で、しっかりとした教育を受けているのかルイズと魔理沙に対し恭しく頭を下げた。 「ミス・ヴァリエールにミス・マリサ。ミス・レイムの゛着替え゛が終わりましたので、最後のお目通しをお願い致します」 「あら、もう一時間経ったのね…。わざわざご苦労様」 ここにいない巫女の名前を口にしたボーイの言葉に、ルイズはそう言って満足げに頷くと鞄から財布を取り出し、そこからエキュー金貨を二枚ほど取り出した。 ルイズが金貨を手に取ったと同時にボーイも頭を上げるとその顔に笑みを浮かべ、ルイズの方へとスッと白手袋をはめた右手をそっと差し出す。 「やっぱりこの店は最高ね。平民の従業員もしっかりしているから嫌いになれないわ」 彼女はそう言って、差し出されたボーイの手のひらに金貨を置くとテーブルの上にあった始祖の祈祷書やノートを鞄に入れて部屋を後にした。 それに続いて魔理沙も部屋の隅っこに置いていた箒を手に取って出ようとした時、ふとボーイのすぐ横で足を止めた。 足を止めた魔理沙に前方のルイズとすぐ横にいるボーイがキョトンとした表情を浮かべると、魔理沙は何かを探すように懐に手を入れた。 「おぉ、あったあった!」 ゴソゴソという音が辺りに五秒ほど響いたところで、何かを見つけた魔理沙が大声を上げた。 その顔には喜びの色が浮かんでおり、一体何なのかと魔理沙以外の二人は怪訝な表情を浮かべる。 黒白の魔法使いが懐から取り出したのは…小さな包み紙に入った一個の飴玉であった。 白い包みに水色の斑点模様がついた包み紙に入った飴玉は、ゴルフボール程では無いにせよ普通の飴玉よりも若干大きい。 そして、金貨や銀貨どころか銅貨二枚で買えそうなそのお菓子を彼女は先にルイズの金貨が乗ったボーイの手の上に置いた。 「ま、チップの代わりに食べといてくれ」 魔理沙はその顔に笑顔を浮かべてそう言うと、ボーイを残したまま部屋のドアを閉めた。 パタンという音ともに閉じられたドアの向こうから聞こえてくる二人分の足音を耳に入れながら、ボーイは視線を下に落とす。 キラキラと輝くエキュー金貨が二枚に、何味かも知らされていない正体不明の飴玉…それが彼の手の上にあった。 金貨はともかく、飴玉を渡されるとは思ってもいなかった彼はただただその顔に苦笑いを浮かべた。 「まぁ偶には、こういうのも良いかな?」 ボーイはそう言って金貨と飴玉を、ポケットの中にしまいこんだ。 入れた瞬間、心なしか少しだけ元気になったような気がした。 部屋を出た後、後をついてきた魔理沙にルイズは開口一番先程の事を口にした。 「全く、何をするかと思ったら飴玉なんてね…」 「別に良いじゃないか。きっと初夏の思い出になると思うぜ?」 対して魔理沙はルイズの後ろを歩きつつ、彼女の言葉に笑顔を浮かべて返事をする。 ルイズはそんな黒白の態度に小さなため息をつきつつも、目の前に見える階段をゆっくりと降り始める。 (さてはて、レイムの奴はどんな姿になったのかしら…?) ルイズはひとり呟きながら、一階にいるであろう紅白巫女の事を思い浮かべて心の中でひとり呟く。 背後に魔理沙を従えて歩く彼女の顔には、期待に満ちた笑みが浮かんでいた。 店のメインフロアがある一階に降りてきたルイズと魔理沙は近くにいた女性従業員の言葉に従い、奥にある試着室へと向かう。 そこには既に他の女性従業員が二人いて更にその向こうには姿こそ見えないものの、二階にはいなかった霊夢がいた。 何やら話し合いをしていた彼女らは、やってきたルイズたちに気づいて振り向くと頭を下げた。 「これはこれはミス・ヴァリエール。貴女様のご注文通り、彼女は生まれ変わりましたよ…文字通りの意味でね?」 やけに気取った喋り方をする右の従業員の言葉と共に彼女らはスッと横にどき、ルイズたちに゛今゛の霊夢の姿を見せた。 そしてルイズと魔理沙は…彼女の言葉に嘘偽りは無かったと目を丸くして驚く。 何故ならそこには、文字通り゛生まれ変わった゛博麗霊夢がいたのだから。 赤いセミロングスカートの代わりに履いているのは、足首まで隠す黒のロングスカート。 スカートと同じ色の服と別離していた白い袖は身に着けておらず、代わりに纏うは新品の匂いが仄かに漂う白のショートブラウス。 そして袖や服と同じく彼女の外見的特徴の一つであった赤いリボンは外されていて、代わりにスカートと同じ色のショートハットを被っている。 黒のロングヘアーを白いリボンでポニーテールにし、以前よりも若干サッパリとした印象を放っていた。 そんな容姿を持った少女が、つい一時間ほど前まではこの街ではかなり目立っていた存在だったのだ。 もしも着替える前の彼女を知らぬ者たちに、その事を詳しく説明してもすぐには信じないであろう。 霊夢を召喚しもう二ヶ月近くも一緒にいるルイズと、霊夢とは数年の付き合いがある魔理沙がそう思ったのである。 それ程までに彼女のイメージがガラリと変わった。――――否、変わり゛過ぎてしまった゛。 「ご予約の際に承った注文通り、これからの季節に合わせて当店の既製服でコーディネイトいたしましたが…どうでしょうか?」 二人して驚いている姿を目に入れながら、左にいた女性従業員がルイズの顔色を伺うかのように問う。 「これは…もう完全に別人ね」 店員の問いに答えるかのように、ルイズはその顔に苦笑いを浮かべながら呟く。 装い新たな霊夢の姿を見て、やはり彼女に新しい服を着させたのは正解だったと改めて思いながら。 「く、くく…え~っと、どちら様だったっけ?」 一方の魔理沙は、意地悪そうな笑みをその顔に浮かべて霊夢に向けてそう言った。 黒白と同じくモノクロな印象漂う服装とは対照的な、どっと疲れた゛元゛紅白の表情を見て笑いを堪えながら。 「私の服が変わっただけで、何がそんなに可笑しいのかしら…」 着慣れぬブラウスの襟を左手で摘みながら、霊夢は照れ隠しするかのように呟く。 しかし色々と従業員にまとわりつかれた所為なのか、その顔には疲労の色が浮かんでいた。 ※ 場所は変わって、ブルドンネ街中央に建てられた市中衛士隊の詰所本部。 街の各所にある詰所と比べ二回りもでかい砦の様な外観を持つここには、総勢五十人近くもの平民出身の衛士やその関係者がいる。 市内で有事が起こった際には増援の衛士を派遣し、事件の規模が大きければ大きいほど重要な場所となってくる。 有事を起こした下手人がメイジであった場合は王宮から魔法衛士隊が駆けつけてくるが、その間は衛士たちが命がけで下手人の逃亡を阻止しなければならない。 衛士たちの方も下手人を逃がしては市民の命と自分の給料と出世に関わるので、文字通り命を懸けて日夜街に潜む悪と戦っているのだ。 その詰所本部の中にある一室で、女性衛士のアニエスがテーブルに突っ伏していた。 彼女の顔にはこれでもかと言わんばかりに疲れの色が浮かんでおり、医者が見れば彼女の睡眠時間が短いことにすぐ気づくであろう。 本来は過去にあった事件の記録などを閲覧する為の部屋で、彼女は空気が抜けて萎んでいく風船のようにため息をついていた。 部屋の中には多数の本棚があり、その棚の中にある本には過去トリスタニアで発生した事件の詳細が事細かに記録されている。 しかし長方形の木製テーブルにはそれらしい本が一冊もなく、テーブルの上には突っ伏しているアニエスの上半身だけが乗っていた。 どうしてここに彼女がいるのかというと、その理由はあるのだが実際のところそれ程大したモノでもない。 ただ、この時間帯には多くの衛士たちが詰所本部の中にいるので、一人でいられる唯一の場所がここだけであったからだ。 まぁこの時間帯ならばこんな部屋に来る者もいないだろうと、アニエスはこの部屋で昼寝をすることにしたのだ。 しかしいざ寝ようとしても中々寝付けず、窓を開けて部屋の中に風を入れても目を瞑って夢の世界へ入る事も出来ない。 誰も呼びに来ないせいか気づけば一時間という貴重な休憩の時間を、テーブルに突っ伏しているだけで終わらせてしまった。 「はぁ~…」 結局眠れなかったか。彼女は心の中でそう呟いてからゆっくりと上半身を起こす。 「…!っうぐぅ…!」 瞬間、腰の方から襲ってきた刺激が脊椎を通って頭に到達し、うめき声と共にトロンとしていた彼女の両目を無理やり見開かせた。 まだ二十代前半だというのに疲労の溜まった腰の関節がパキポキと音を立て、彼女の体に強烈な刺激を与えたのである。 その音がハッキリと耳に入ってきた彼女はハッとした表情を浮かべて部屋を見回し、誰もいないことに安堵してため息をついた。 「なんてこった。まさか二十代にしてこんな体になってしまうとは…」 アニエスは自分の体に向けて「情けない」と叫びながら鞭打ちたい気分に駆られた。 いくら衛士隊として鍛えていると言われても結局は人間であり、体の疲労には耐え難いものがある。 しかも女性である為か男性隊員の倍より努力し、体を鍛えなければいけないのだ。 普通なら女性は男性よりもある程度優しく扱われる筈だが、ここではそんな常識は通用しない。 女性だからという理由で生ぬるい訓練をしていては、街に潜む悪党外道な犯罪者を捕まえるどころか碌に近づく事さえできないのだから。 だからこそ彼女は努力した。 いつか果たそうと心に誓う一つの゛願い゛を胸に秘めて。 「本当なら休暇でも貰いたい所だが…貰ったとしても気になって休めそうにないな…」 彼女はそう言って、今からもう二週間ぐらい経とうとしている出来事を思い出した。 あの日…月が隠れた夜に「鑑定屋」がいるという場所を、物乞いの老人゛だった゛者に案内してもらった時の事だ。 そこは、旧市街地の中にある古びた扉の先にあった。 古びた階段を物乞いの老人を先頭にアニエスとその同僚であるミシェル、そして彼女らが所属する部隊の隊長という順で降りていく。 明りに照らされた階段を降りるのは造作なく、老人を含め誰一人転ぶ事もなく降りた先に作られた部屋へとたどり着いた。 「これはこれは。今夜は少し変わったお客が、三人も…」 扉を開けて待っていたのは、椅子に座って薄い本を読んでいた初老の男性であった。 外見で判断すれば四十代後半から五十代半ばなのだろうが、顔に刻まれた皺の数はそれ程多くもない。 白が混じっている茶色の髪をオールバックにしており、顔に浮かぶ表情も非常に穏やかなものであった。 着ている服もゲルマニアにいる平民出身の上流商人が好むような長袖の白いブラウスの上に黒いベストを羽織り、ズボンは茶色の革モノといった組み合わせだ。 「我が主。ご覧のとおり今日は衛士隊の者が三人…見てもらいたい物品があるとの事で」 ここまで案内してくれた老人がそう言うと、男性はアニエスたちの顔を見てウンウンと頷く。 「逮捕しに来た…って感じじゃあ無いな。ウン」 男はそう言うと座っていた椅子から腰を上げ、机の前にいる老人の傍に立った。 平均的な共同住宅の一室と比べて少し大きめ程度の部屋の中には、人がまともに住める環境が作られていた。 書類や本が置かれた大きな机と比べてやや小さめなベッドをはじめとして洋服ダンスやクローゼットもあり、奥にはキッチンかバスルームへ続くであろうドアが見える。 部屋の両端にそれぞれ二つずつ壁に沿って置かれている本棚は五段もあり、その中に本や書類などがこれでもかと納められている。 もはや年代物と化した古い石造りの床の上に赤茶色の絨毯を敷いていて、その場で座っても苦にはならないだろう。 部屋自体が地下にあるという利点と魔法で動くシーリングファンのおかげで室温は暑過ぎずまた寒過ぎることもなく、申し分はない。 しかし部屋を照らす明りが天井の二箇所から吊り下げられているカンテラだけなので、部屋全体の雰囲気はかなり薄暗い。 もしもここに普通の人が住むのであらば、壁の方にもカンテラを取りつけるべきであろう。 「まぁお客なら歓迎するよ。ようこそ、旧市街地にある『鑑定屋』――――もとい『私の部屋』へ」 男は目の前にいる三人の客にそう言って、両手を思いっきり横に広げた。 客と認められたアニエスとミシェルは、隊長の言っていた゛噂゛が本当なのだと今確信した。 『旧市街地の何処かにいるという盲目の老人に金貨を渡すと、元学者がやっているという鑑定屋へと案内してくれる』 その噂は、何処で誰が言い始めたのかは知らない。 ただ消えることも広がることもなく、チクトンネ街に住む平民たちや下級貴族達の間でハチドリの様に忙しなく飛び回っている。 そして噂というのは人から人へと伝わる度に尾ひれがつくもので、この話もまた例外ではなかった。 曰く…その元学者はガリアで何かの研究をしていたのだが事故により職を失ってトリスタニアにやってきた。 曰く…彼はハルケギニアやアルビオンといった大陸を歩き回った平民で、古今東西の出来事を知っている。…など、飛び回る内に様々な姿へとその身を変えていた。 その変化した噂の中には盲目の老人は幽霊で、彼の後ろをついていくとあの世へ連れて行かれるといったオカルト要素が入り混じったものまで存在する。 ある貴族は単なる怪談話だと笑い、ある平民は実際にいるのだろうと心躍らし、ある浮浪者はその老人を見たことがあると嘯く。 結局はどれが真実かは誰もわからず、今でも真夜中の酒場でそれを話し合う者たちがいる。 何人かは酒の勢いでテンションが上がり、その噂が真実なのかどうか確かめるべく旧市街地へ赴くのだが大抵は何の収穫も無しに戻ってくる。 例え酔っていたとしても廃墟が立ち並び、歩く屍のような姿になった浮浪者や街に住めない犯罪者たちの巣窟にそう長時間といたくはないのだろう。 何せ昼間でも恐ろしい雰囲気を放っている場所なのだ。真夜中ならば尚更であろう。 「どれくらいかは分からんが…これで足りるか?」 部屋の主人からの歓迎に隊長は懐を漁って手のひらに収まる程の革袋を取出し、机の上に放った。 体を机の方に向けた男がその袋の口を締めていた紐を解くと、中から六枚ほどの新金貨が転がり出てきた。 それに続いて銅貨と銀貨がそれぞれ二枚ずつ袋からその姿を出し、合計十枚の貨幣が机の上でその存在をアピールしている。 たったの十枚だけであるが、この十枚だけで下級貴族が一週間ほど仕事もせずに暮らしていける程の金額になるだろう。 「先月出た俺の給料の残りだ。これで調べてくれるくらいのことはしてくれるだろ?」 隊長の質問に、部屋の主は机の上に出した貨幣を手に取りながらも答える 「コレは趣味でやってるから金は充分なんだが……まぁ、明日のランチは美味しそうなものが食えるよ」 遠まわしに礼を言われた隊長は微かな笑みをその顔に浮かべつつ、今日ここへ来た目的を彼に告げた。 「今日は、アンタに見せたいものがあってここへ来たんだ」 隊長はそう言ってまたも懐を漁り、ここへ来る途中アニエスとミシェルにも見せた゛ある物゛を男と老人の目の前で取り出した。 それは先程貨幣が入っていた革袋と同じサイズのもので、その中には青い水晶玉の破片が入っていた。 破片の大きさはコガネムシ程度しかなく、うっかり落としてしまうとこの薄暗い部屋で見つけるのは困難を極めるだろう。 「実は昨日、ブルドンネ街の方で妙な事件があってな…現場を調べていたらこんなものを見つけたんだ」 隊長はそう言って袋から破片を取出し、男の目の前に突き出した。 男はその破片を見て怪訝な表情を浮かべたが、それを手に取ろうとはしない。 「これよりもっと小さいのを最初に見つけたんだが不思議な事に溶けて無くなっちまってな、それで気になって現場を調べてみたら溶けて無いコイツを見つけたのさ」 訝しむ男を前にして話を続ける隊長に、後ろにいるアニエスは彼が『最初に見つけた破片』の事を思い出した。 昨日起こった『妙な事件』の現場で見つけた小さな破片は、あの後一分も経たずに溶けて無くなってしまった。 後に残ったのは青色の小さな泡と、それを掴んでいた隊長の指から上がる白い煙だけだった。 あの後、別に火傷の心配はないと隊長自身が言ってひとまずは現場にあった遺体と内通者としての証拠品である書類などを持って詰所へと戻った。 しかし帰ってきて直後…隊長が「スマン、忘れ物をした」と言って現場であるホテルへ戻り、一時間もしないうちに帰ってきた。 その時はなんとも思わなかったのだがその翌日に隊長からの手紙を読み、旧市街地へと来たアニエスとミシェルはその破片を見て驚いた。 何せ最初に見つけたモノよりもおおきい破片を、隊長は一人現場に戻って見つけ出していたのだから。 「あの後部屋のどこかにまだあるんじゃないかと思ってな、箪笥やクローゼットの裏とか下を見てみたらドンピシャッ!ってワケさ」 まるで推理小説に出てくる少年探偵の様な軽い口調で得意げに言った彼を見て、二人は思った。 あぁ、この人は探偵業とかやりたかったんだろうな――――と。 そんな風に彼女が回想の最中にいる間に、隊長から詳しい話を聞いていた男はその顔を顰めていた。 先程の怪訝なそれから一変した事を見逃す三人ではなく、この破片に関して彼は確実に何か心当たりがあると察した。 表情を変えた男は顎に手を添えて何か考えた後、横にいた老人に声を掛けた。 「君、右の棚の三段目から四、五年前のレポートを取ってくれ。…あぁロマリアじゃなくてガリアのヤツな?」 「了解です。我がある…―先生」 ゛先生゛と呼ばれた男に命令された老人は自分の言葉を途中で訂正しつつ、懐から杖を取り出した。 ここへ通じる錆びたドアを開き灯りを作って階段を照らしてくれたその杖の先を、老人は自らの顔に向ける。 アニエスたち三人は老人がこれから何をするのかもわからず首をかしげると、彼はぶつぶつと呪文を唱え始めた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 数十年ほど前までは人が訪れていたであろう、公園と呼ばれていた広い敷地。 今はベンチすら取り外され、放置された雑木林や雑草がこの地を支配している。 もうすぐ真夏だというのに何処か薄ら寒い何かを漂わせており、人が近寄らないであろう環境を作り上げている。 敷地内に吹く風は市街地と比べれば若干涼しいが、その風に揺らされている林や雑草が不気味な音を奏でていく。 きっと三流劇団が演じるホラー劇よりも怖いと感じてしまうそんな場所のあちこちに、誰かがいた痕跡が色濃く残っていた。 一見すれば良くわからないが、目を凝らしてみれば目が不自由な人以外にはわかる程の痕が付いている。 碌に整備すらされず、好き放題に伸びている林の木々には何本もの針が刺さっている。 放置された自然さが漂う雑木に食い込んだ針は鈍い銀色を放ち、あまりにも不自然すぎる空気を醸し出していた。 雑草が生い茂っているはずの地面にも不自然で小さなクレーターがいくつも出来ているが、モグラの仕業ではないだろう。 小さな爆竹を地面に埋め、何らかの方法で爆発させれば作れそうな穴は、どう考えても動物の手で作れる代物ではない。 何故そう言い切れるのかといえば、答えはすぐにもでも言えるだろう。 雑木林に針を投げつけ、地面に小さなクレーターを作ったのはたった一人の人間。 このハルケギニアで異国情緒漂う衣服を身に着け、赤みがかった黒い瞳と黒髪を持つ十代後半の少女。 右手に持った数本の針で、まだまだ自然を傷つけようとしている者は、博麗霊夢という名を持っていた。 「…よっ!」 霊夢はその口から小さな掛け声を上げ、右手に持った針を勢いよく投げつける。 本来は妖怪退治の為に作られた銀色のソレは風や重力に捕らわれる事無く、真っ直ぐに飛んでゆく。 薄い布きれから硬質的な人外の皮膚まで貫ける先端部分が向かう先には、これまたもう一人の゛霊夢゛がいた。 そっくりさんというレベルでは例えられない程似すぎているもう一人の霊夢(以降、偽レイム)は、こちらへ向かってくる針に対しその場でしゃがみ込む。 腰を低くした姿勢になった事で彼女の顔に突き刺さっていたであろう針は標的を刺すことが出来ず、空しくもその頭上を通過した。 標的に避けられた針は投げられた時と同じスピードのまま、偽レイムの背後にあった雑木に突き刺さる。 刃物が通る程度の硬い物に刺さった時の様な音が周囲に響いたが、それを投げた霊夢は一向に気にしない。 それどころか、相手が隙を見せたことを好機だとさえ思っていた。 今の彼女は、針を陽動用の囮武器として使っているのだ。一々気にしていたらキリがないのである。 そして、針を避ける為に腰を低くした偽レイムを叩くための時間を手に入れた彼女は、すぐさま行動に移った。 ローファーを履いた足で地面を蹴飛ばしつつ二、三メイル程もあった相手との距離を一気に詰める。 自身の力である『空を飛ぶ程度の能力』でもって地面から数サント程浮き上がり、ホバー移動の要領で偽レイムへと近づく その時になって、隙を作ってしまった事に偽者が気づいた直後、既に本物は二回目の攻撃を行う直前であった。 相手の懐へと入った霊夢はその場で瞬時に着地、次いで息つく暇もなく右足を振り上げる。 風を切り裂く鋭い音と共に振り上げられた右足の爪先は、偽レイムの顎を打ち砕かんとしていた。 しかし、甘んじてそれを受け入れる気は無いのか、すれば偽物ではあるが同じ姿を持つ相手の動きを先読みしていたのだろうか。 偽者は自身の顎に目がけて迫ってくる霊夢の右足を、咄嗟に動かした右手で見事に受け止めたのである。 本来なら相手の顎を蹴り上げ、そのまま空中で一回転する筈だった霊夢は勢いに任せて左足も上げてしまい、結果… 「わっ!」 口から素っ頓狂な声を上げて宙に浮いてしまった彼女は、背中から地面に落ちてしまう。 まだ地面に残っていた雑草がクッションとなったものの、それに気づいたり背中を襲う微かな痛みに苦しむ暇すらない。 そんな事をしていれば逆に隙を取られてしまったが為に、その隙を逆手に取った相手の反撃が来るからだ。 彼女の右足を掴んでいる偽レイムは空いている左手で握り拳を作り、それから力を溜めるようにスッと振り上げる。 直後、その左手が青白く光り始めると同時に只ならぬ気配が周囲に漂い出した。 そこから漂ってくる気配は霊夢にとって最も知っている力であり、同時にそれが危険だとも理解していた。 (結界で包まれた拳で殴られるとか、冗談でもお断りよ!) 足を掴まれた彼女は心中で呟きつつも小さな舌打ちをし、偽レイムに掴まれていない方の足に力を入れる。 ピアノ線で引っ張られているかのように指先を天へ向けた左側のソレを、霊夢は勢いよく動かし始めた。 まだ動く足がある事に気が付いた偽レイムは攻撃を中断してそちらの方へ目を動かした瞬間、キツイ一撃が彼女のこめかみにヒットした。 「ぐぅ!」 まさかの攻撃に偽レイムは痛みに悶える声を口から出して、右足を掴んでいた手の力を緩めてしまう。 とりあえず無茶苦茶に動かした左足が偶然にも相手に直撃し、霊夢の右足は無事解放された。 一撃をもらった偽者が右のこめかみを両手で押さえながらよろめいている間に、すかさず体勢を整えて距離を取る。 (今のは惜しかったかしらね。もう少しで蹴り飛ばせるところだったけど) 針やお札が入っている懐に手を伸ばしつつ、次はどう仕掛けようか策を練っていた。 戦い始めてから既に五分近くが経過したが、偽レイムがどのような戦い方をするのか霊夢は既に把握していた。 偽者ではあるがお札や針と言った飛び道具を持っていないのか、基本は接近戦を仕掛けてくる。 使用してくる体術などは霊夢本人が覚えているものである為、先を読んで回避する事自体は容易い。 しかし、相手の方もこちらと同じなのか先程の様にカウンターを取られてしまうのだ。 そして霊夢自身も相手にカウンターを仕掛けるので、ちょっとした無限ループになっていた。 遠距離からお札や針などを投げても簡単に避けられてしまい、今に至るまで決定打を与えられないでいる。 スペルカードという手もあるが、持ってきている枚数が少ないうえ威力が低めのカードばかりという始末。 そして偽レイムの回避能力と゛光る左手゛から繰り出される攻撃の威力を直に見ている霊夢は、どう戦おうか慎重に考えていた。 自分と同じ回避能力を持った相手ならば、今持ってるスペルで弾幕を放っても全て避けられるのはこの目で見なくともわかる。 ならば近づいてボコボコすれば良いのかもしれないが、今の彼女はそれを行う事にある種の躊躇いを感じていた。 別に自分と同じ顔だから殴れないし蹴れないというナルシスト的な理由では無く、偽者が持つ゛光る左手゛が原因である。 (何にしてもあの結界包みの手は厄介ね、あんなの一発でも喰らったらただじゃ済まないわ) 霊夢は相手との距離をジワジワと離しつつ、あの左手から放たれる攻撃の凄さを思い出す。 それはこの戦いが始まって直後の事。 突如跳びあがった偽レイムを返り討ちにせんと勢いよく針を投げつけた時であった。 跳ぶ以前に光っていた左手をサッと胸の前に突き出し、霊夢の放った四本の武器を゛弾いた゛のである。 普通ならば突き出した手の甲にグッサリと突き刺さっていた針は勢いよく吹き飛び、見失ってしまった。 飛んで行った針に霊夢がアッという声を上げて軽く驚いた時、偽レイムが彼女の目の前に着地していた。 そして胸の前に出していた左手を振り上げたのが目に入った瞬間、彼女は反射的に後ろへ下がった。 青白い光を帯びたその手が勢いよく振り下ろされ、まだ昼方にも関わらず霊夢の身体を青白く照らす。 下がっていなければ唐竹の如く両断されていたかもしれない霊夢は、直に感じたのである。 あの手の光は非常に危険だ、下手に当たれば碌な目に遭わない…と。 そうして下手に近づけず、ただイタズラに針とお札を消費しながら今の現状に至る。 これからどうしようか。霊夢がそう思った時、ふと相手の様子が都合の良い事になっているのに気が付く。 「う゛っ…あぅ…」 先程こめかみにキツイ一撃を貰った偽レイムは頭を左手で抱えながらふらついており、回復する様子は無い。 その姿はまるで大音量のノイズで耳元で聞かされたかのように、うめき声を上げて苦しそうにしている。 左手の光も水を掛けられた焚き火の様に消えており、 今ならば追撃を行っても返り討ちに会う可能性は少ないだろう。 (これぞ…正に好機、といったところね) 心の中で嫌な笑みを浮かべつつ、霊夢は懐から一枚のスペルカードを取り出した。 相手との距離は約五メイル程度、やろうと思えば瞬間移動で後ろから殴りかかる事もできる。 しかし、後ろへ回った途端に襲い掛かられては元も子もないのでこのままキツイ一撃でトドメを刺すのがベストだと判断した。 取り出したカードが丁度欲しかったモノだと確認した後、霊夢は軽い深呼吸を行いつつも今に至るこれまでの経緯を軽く思い出す。 ただルイズと一緒に街へ出かけただけで、このような事態になってしまったのは流石の霊夢も予想していなかったのである。 (今日は色々とあったうえに、その大半が未だ解けぬままなんて納得いかないにも程があるわ) 自分の身に降りかかった不条理すぎる謎に憤りを感じつつ、自分の偽物へトドメを刺すべくスペルカードを頭上に掲げた。 まるで断頭台の上に立った処刑人のように振り上げられた腕には、一枚の薄いカード。 この世界に存在するどのカードよりも特徴的なソレは、正しく姿を変えたギロチンの刃そのもの。 無数の罪人たちの命をただ無意識に狩り続けた鉄の塊であったそれは、今まさに一人の罪人を裁こうとしている。 そう、処刑人の立場となった霊夢にとって自分の偽者など罪人として相応しい存在であった。 「このまま放置して下手な事されたら風評被害もいいとこだし、さっさと滅されなさい」 あの世へ旅立つ罪人へ冷たすぎる言葉を送り、彼女はカードに記された名前を告げる。 それこそが死刑宣告。本物の処刑人よりも冷たい霊夢の声が、周囲に響き渡った。 「霊符…『夢想妙珠』」 頭より上にカードを掲げながらそう言った途端、周囲の空気が一変する。 まるで霊夢の力が体内から外へ排出されたかのように、霊力の波が彼女の周りを包み込む。 それに気づいてか、まだ頭を押さえている偽レイムがハッとした表情を浮かべてそちらの方へ目を向けた。 宣言者である巫女を包む不可視のベールはやがて彼女の頭上へと舞い上がると、その姿を作り始める。 時間にすれば二秒にも満たないあっという間の速さでもって、霊力の塊は数個の色鮮やかな球体へと姿が変化した。 「無駄な時間を割きたくないし、これで終わりにさせて頂戴」 大小様々なカラーボールとなった霊力を背後に控えさせた霊夢は、ようやく立ち直った偽レイムへと言い放つ。 その瞬間であった。球状の霊力が偽レイムへの突撃を始めたのは。 先程まで投げていたお札や針に比べれば速度は遅いものの、そのスケールと威力は明らかに桁違いだろう。 霊夢が持つスペルカードの中でも比較的接近戦に優れた虹色の光弾で形勢される弾幕は、確実に偽者へと飛んでいく。 一方の偽レイムは迫りくる光弾に身構えつつもダメージが残っているのか、僅かだが足元がふらついている。 今の状態なら最初の様な跳躍やできないだろうし、使えたとしても瞬間移動をするには遅すぎる。 同じくして霊夢も身構えていたのだが、自分の勝利が確実なものになったと感じていた。 今に至るまで幾つもの戦いを経験してきた彼女がそう思うのも、無理はないだろう。 だが、事態は突如として彼女が予想していなかった方へ動き出す。 あと一メイルほどで光弾が当たろうとした瞬間、偽レイムはその両足で地面を蹴った。 ほんの数分程度の戦いであったが、霊夢が見た限りでは今まで跳躍するときに同じ動作をとっている。 しかし、窮地に立たされた偽者はバネの様に上へ跳び上がる事はしなかった。 勢いよく地を蹴った彼女の向かう先には、迫りくる光弾と―――――既に勝ったつもりでいる霊夢の姿。 そう、偽レイムは地面を蹴って前進したのである。 自分の命を刈り取ろうとする相手へ目がけて。 「ウソッ!?」 一体何をするのかと思っていた霊夢は、予想もしていなかった事だけに思わず目を丸くしてしまう。 そして、その予想もしていなかった偽レイムの行動が、戦局を大いに変えたのだ。 地面を蹴った時の衝撃を利用して勢いよく前転した瞬間、偽レイムの頭上を色とりどりの光弾が通り過ぎる。 先頭の巨大な光弾が先程まで偽レイムのいた場所に落ち、盛大な音を立てて爆発した。 ついで二発目と三発目の光弾も周囲の地面に落ち、最初と同じように爆発する。 最後尾の方にいた赤く小さな光弾は地面に落ちることはなく、何事も無いかのようにスーッと飛んでいく。 しかし。何処へと飛んでいくその光弾を、霊夢は見送ることが出来ない。 何故なら、瞬時に立ち上がった偽レイムが再び左手を光らせて突っ込んできたのだから。 二人の距離は僅かに一メイル。少し歩けばお互いの鼻が当たってしまう程の至近距離だ。 「ちっ…、中々しつこいじゃないの!」 一瞬のうちに距離を詰められた霊夢は舌打ちしつつ、地面を蹴って後ろへ下がろうとする。 本来ならお札や針を取り出していただろうが相手が相手だ、精々悪あがき程度の効き目しかないだろう。 下手に攻撃をして一瞬で距離を詰められるより距離を取って態勢を整えた方が妥当だと、この時思ったのである。 しかし…ホバリングや瞬間移動が間に合わないと判断し、跳び上がった事が却って裏目に出てしまう。 相手が攻撃ではなく様子見を選んだのだと認識した偽レイムは、一気に霊夢との距離を詰めようとする。 先程と同じように地面を強く蹴の飛ばし、光る左手を突き出した姿勢で突撃してきた。 まるで剣先の様な形にした指先を向けて飛んでくる姿は、たった一つしか無い命を奪おうとする処刑人の槍。 その切っ先は赤錆と血でなく、魔はおろか人さえも滅する事の出来るような青白い光に覆われている。 (何よコイツ。さっきの回避といい攻撃方法といい、随分と魔改造されてるわね…!) 一メイルという短くも長くも無い距離を一瞬で詰めてきた自分の偽者に、霊夢は今になって脅威と感じた。 自分と同じような弾幕を使えなくとも左手一本で自分を追いつめてくる相手を、彼女は初めて見たのである。 何処の誰かは知らないが、こんな偽者を送り込んだ奴は余程悪質な人間か格闘好きの脳筋野郎なのだろう。 もしくは――――― (今回の異変を起こした黒幕が…ってのなら話が早くて良いんだけど?) 心の中でそんな事を思った直後、ふと偽レイムの後ろから赤い発光体がやってくるのに気が付いた。 鞠を二回りほど大きくした様なそれは煌々と輝きながら、物凄い速度でもって二人の方へと突っ込んでくる。 「え?――――げっ…!!」 発光体の正体が何なのかすぐに気が付いた霊夢は目を見開き、ギョッと驚いてしまう。 今の霊夢にとってあの発光体は頼もしい存在であったが、あまりにもタイミングが悪すぎた。 「?……あっ」 彼女の表情を見て偽レイムも気づいたのか、ハッとした表情を浮かべて後ろを振り向いた瞬間―――――― 数十年ほど前までは人が訪れていたであろう、公園と呼ばれていた広い敷地。 その敷地の一角が突如、小さな爆発音とそれに見合う程の小さな赤い閃光に包まれた。 霊夢が発動したスペルカード「霊符『夢想妙珠』」によって出現した色とりどりの光弾たち。 先程偽レイムへと殺到した光弾の中で最後尾にいた赤い光弾が、今になって爆発したのである。 仕込まれていた追尾機能でもってUターンし、指定された相手の背中のすぐ近くで。 結果、目標であった偽レイムの近くにいた霊夢自身もその爆発に巻き込まれる事となったが。 (ホント、今日は厄日ね…こんなにも痛い目に遭うなんて) 偶然とタイミングの悪さが重なった結果、偽者と一緒に吹き飛んだ霊夢はひとり毒づいた。 ◆ 霊夢が今いる場所とは地対照的なトリスタニアのチクトンネ街で、ルイズと魔理沙は八雲紫と邂逅していた。 まさかの出会いに二人は霊夢の事を忘れてしまい、知らず知らずの内に足を止めてしまっている。 軽い会話と喧嘩の後、紫はルイズの方へ向けてとある言葉を送り付けていた。 それはここで出会ってから初めてになるであろう、かなりの真剣さが滲み出た話題であった。 「不発弾の様な貴女を、今の霊夢がいる場所へ行かせるのは危険極まりないわ」 左右を建物に挟まれたそこで、八雲紫はルイズへ向けてそのような事を言った。 その言葉は彼女との距離がそれ程離れていないルイズの耳にしっかりと入り込んでいる。 「な…ど、どういう意味なのよそれ!」 敵軍の将兵を爆発する事すらできない不良品と同列に扱われた彼女は、軽い怒りを露わにした。 霊夢を追っていた二人の前に現れた紫はルイズの態度に良い反応を示しつつ、その言葉に応える。 「言葉通りの意味ですわ。望むときに爆発せず、忘れ去られた時に無関係な人々をその力で八つ裂きにする…無差別な存在」 それが今の貴女よ。最後にそう付け加え、幻想郷の大妖怪はその目をルイズに向けた。 先程の様な冷静さとは打って変わって怒りに狼狽える様子を見せ、鳶色の瞳からは憤りの気配を感じられる。 自分の望む反応を面白いくらいに見せてくれる彼女に対し、紫は心中と顔に笑みを浮かべてしまう。 「…っ何が可笑しいのよ!人が怒ってる最中に笑うなんて!」 「別に?ただ、今の貴女みたいに豹変するような人間は見てて楽しいものがありまして…」 「…っ!?」 その言葉を聞いた瞬間、ルイズは手に持っている杖を再び紫の方に向けた。 既に頭の中にまで怒りが浸透し始めている今の彼女は、他人に暴力を振るう事を躊躇しないだろう。 だが、人形の様に均整の取れた顔を歪ませた少女を前にして、八雲紫は尚も笑みを浮かべ続ける。 これから起こり得るであろう事態を予測している筈だというのに、他人事のようにルイズをジッと見つめていた。 一方のルイズも、使えもしない魔法をすぐに放てるようピンク色の綺麗な唇を僅かながらに動かしている。 並の平民やメイジはともかく、ルイズの事を良く知る者たちならば今の彼女を刺激する様な事は絶対に避けようとするに違いない。 もはや問答無用。と言わんばかりの空気が辺りを包もうとした時―――― 「…あ~…スマン、ちょっと質問よろしいかな?」 蚊帳の外にいた魔理沙が手に持っていた帽子を頭に被りつつ、その口から言葉を発しする 誰がどう見ても一触即発と言えた空気の中に横槍が入り、ルイズと紫のふたりは咄嗟にそちらの方へ顔を向ける。 空気を読めと言われるかもしれない魔理沙であったが、それを気にすることなく紫の方へ視線を向けた。 それだけで自分に用があると察した大妖怪は、先制を取る様にして魔理沙へ話しかける。 「こんなにも危なっかしい空気の中で私に聞きたいことがあるなんて、きっと余程の事ですわね」 「お前だけが危なっかしいのなら、何があっても私は口を塞ぐ気は無いぜ」 「相変わらず自分勝手な娘ですこと。まぁそういうところはキライじゃ…」 「ちょっとマリサ!何人の間に割り込むような事してるの!」 唐突な会話が本格的に始まる前に、それを制止するかのようにルイズが叫ぶ。 少なくともこの場にいる三人の中では気が短い方であろう彼女に対し、魔理沙は落ち着いて対応する。 「ここは落ち着こうじゃないか、これ以上機嫌を損ねて私まで巻き込まれたら大変な事になってしまう」 「何が大変な事よ?人の気も知らないで、ヘラヘラと傍観してる癖に」 「これはヒドイ!…と言いたいところだが…悔しくも図星だな」 「とりあえず形だけでも貴女の心中、察しておきますわね」 怒りの言葉に苦笑する魔理沙と微笑み続ける紫を尻目に、ルイズは言葉を発し続ける。 「せっかくの休日だっていうのに突然レイムがおかしくなるし、それにそれに…それ…に…」 「――……?それに?」 怒り狂った牛の群れの如き怒声のラッシュを黒白の魔法使いに浴びせていたルイズの口が、突然その動きを止めた。 急に喋るのをやめてしまったルイズを見て、他の二人は思わず不思議そうな表情を浮かべてしまう。 魔理沙に至ってはネジを限界まで巻いたというのに全く動かないカラクリを見たような気分を味わい、首を傾げている。 それにつられて紫も傾げようとした時、ルイズはその顔にハッとした表情を浮かべた。 どうした?と彼女以外の二人の内一人が尋ねようとしたとき、一足先にルイズがその口を開けて喋り出す。 だが彼女が発した言葉の向かう先にいたのは魔法使いではなく、境界を操る程度の人外であった。 「ユカリ、さっきアンタ何て言ったの?」 「……?質問の意味が良くわかりませんわ」 いきなり閉じてすぐに開いた思えば、出てきたのは即答不可能な質問。 流石の八雲紫も、これには投げかけられた質問を質問で返すほかなかった。 「ん~と、確か私の魔法がどうたらこうたらっていうところで…」 「えぇと…あぁ」 相手に杖を向けているルイズの言葉に、紫は何かを思い出したかのようにポン!と手を叩く。 「『望むときに爆発せず、忘れ去られた時に無関係な人々をその力で八つ裂きにする…無差別な存在』―――と言いましたわね」 「…あれ?」 先程述べた言葉を一字一句間違うことなく喋りなおした紫に対し、ルイズはキョトンとした表情を浮かべる。 それから五秒もしない内にまた思い出したのか、ハッとした表情を再度浮かべなおしながら口を開く。 「あ…違った。…何だったかしら?その一つ前の言葉…」 爆発した怒りの所為で一時的に忘れているルイズはそんな事を言いつつ、何とか思い出そうとする。 だが「一つ前」というキーワードで思い出した魔理沙が、以外にもルイズが忘れていた言葉を口に出した。 「『不発弾なオマエを行かせたら、今の霊夢が大往生』…だったような気がするぜ」 冗談という名のソースを少し入れた魔法使いの言葉は、ルイズの目を見開かせた。 もはや紫の言った事とは大分かけ離れているが、それでも忘れていた言葉を思い出させるのに充分だったようだ。 「あ…あぁっ!それよソレ!その言葉だったような気がするわ!」 「良くそれで思い出せましたね。…まぁ思い出せたのなら別に良いのですけど?」 ようやく思い出せたことに嬉しそうなルイズとは反対の紫はため息をつきつつ、「それで…」と呟き話を続ける。 「その言葉がどうかしたのかしら?」 「…ねぇユカリ。今レイムが何処にいるのか、アンタ知ってるんでしょ?」 「どうして私が全てを知っている。という気でいるのかしらねぇ?」 「だって私たちがこんな所にいるのも、急にレイムがおかしくなって何処かへ行ったからなのよ」 その言葉を聞いた直後、紫は何気なく目を瞑ると「ふぅ…」と軽いため息をついた。 季節外れの木枯らしと思ってしまうそのため息を後、彼女の顔に再び笑みが戻ってくる。 春のそよ風のような柔らかい笑みは、かえってルイズの身構えた体を無意識に強張らせてしまう。 彼女は知っているからだ。今浮かべている笑みが単なるハリボテだということを。 このまま三人して無言の状態が続くかと思われた時、ため息をついた紫がその口を開いた。 「確かに私は霊夢が何処へ行ったか、そして今は何をしているのか…ある程度把握はしているつもりよ」 未だ柔らかい笑みを浮かべてそう行った紫に対し、ルイズは「やっぱり」という言葉で返す。 折角の休日であるというのに突如左手のルーンが光り出す、ワケもわからず何処かへと消え去った霊夢。 アルビオンで死の危機に直面した時に見たあの光を再び見ることになったルイズは、今になって思っていた。 きっと゛何か゛が起こっているのだ。 自分と魔理沙は気づかず、けれど彼女にだけはわかる゛何か゛に。 「何でそういう事を早く私に教えないのかしら?」 「今の貴女なら教えてあげれそうだけど。さっきの貴女だと怒るのに夢中だから教えないでおこうと思ってたの」 挑発とも取れる彼女の言葉にルイズは顔を顰めつつ、冷静さを装って言葉を返す。 「…多分傍迷惑な住人二人と喧しい剣が一本いるおかげかもね。昔と比べて、自分が少し柔らかくなったのは自覚してるのよ」 「ちょっと待てぃ。少し聞き捨てならない事を聞いた気がするぜ」 ルイズがそこまで言った時、後ろにいた魔理沙がストップを掛けてきた。 どうやら何か言いたい事があるらしく、親切にも彼女はそちらの方へ顔を向けて「何よ?」と聞いてみた。 「傍迷惑で喧しいのは霊夢とデルフだけだろ?レイムはこの前、散々な事をやらかしてたしな。それに比べて私は…」 「何寝ぼけた事言ってんのよ?レイムと一緒に私のクッキー食べてたアンタは立派な共犯者だわ」 言葉で形勢されたカウンターに「冷たい奴だなぁ」と、一人愚痴を漏らす魔理沙から目を逸らしたルイズは紫との会話を再開する。 「で、アンタがレイムの居場所を知ってるというのなら…話はわかるわよね?」 「まぁ貴女が言いそうな事は、大体予想できるわ。そしてこれからやろうとしている事も…」 ルイズの質問をすぐに返した紫にルイズは頷き、次に発するであろう言葉を待った。 しかし…数秒ほどおいて発せられた紫の言葉。 それは、ある種の期待感を抱いていた彼女の気持ちを裏切るのに十分な威力があった。 「―――だからこそ、今の貴女を霊夢のもとへ行かせるわけにはいきませんのよ?」 貴女の安全の為にね。言葉の最後にそう付け加えた直後、一陣の風が紫の背中を乱暴に撫でつけた。 夕闇が着々と迫りつつあるチクトンネ街の風は初夏の香りを漂わせつつ、三人の体を通り過ぎる。 それはまるで、ルイズに対する警告とも思える程勢いのある風であった。 本来なら一人の学生として平和に暮らしていたであろう彼女が、非日常の世界へ踏み込まないように。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん その日、王都トリスタニアにはやや物騒な恰好をした衛士たちが多数動き回っていた。 夏用の薄いボディープレートを身に着けた彼らは、市街地専用の短槍や剣を携えた者たちが何人も通りを行き交っている。 それを間近で見る事の出来る街の人々は、何だ何だと横切っていく彼らの姿を目にしては後ろを振り返ってしまう。 街中を衛士たちが警邏すること自体何らおかしい所はなかったが、それにしても人数が多すぎた。 いつもならば日中は二、三人、夜間なら三、四人体制のところ何と五、六人という人数で通りを走っていくのだ。 イヤでも彼らの姿は目に入るのだ。しかも一組だけではなく何組も一緒になっている事さえある。 正に王都中の衛士たちが総動員されているのではないかと状況の中、ふと誰かが疑問に思った。 一体彼らの目的は何なのかと?そもそも何かあってこれ程までの人数が一斉に動いているのかと。 勇敢にもそれを聞いてみた者は何人もいたが、衛士たちの口からその答えが出る事はなかった。 それがかえってありもしない謎をでっちあげてしまい、人々の間で瞬く間に伝播していく。 曰く王都にアルビオンの刺客が入り込んだだの、クーデターの準備をしている等々……ほとんどが言いがかりに近かったが。 とはいえありもしない噂を囁きあうだけで、誰も彼らの真の目的を知ってはいない。 もしもその真実が解決される前に明かされれば、王都が騒然とするのは火を見るよりも明らかなのだから。 朝っぱらからだというのに、夜中程とはいえないがそれなりの喧騒に包まれているチクトンネ街。 ここでもまた大勢の衛士たちが通りを行き交い、通りに建てられた酒場や食堂の戸を叩いたりしている。 一体何事かと目を擦りながら戸を開けて、その先にいた衛士を見てギョッと目を丸くする姿が多く見受けられる。 更には情報交換の為か幾つかの部隊が道の端で立ち止まって会話をしている所為か、それで目を覚ます住人も多かった。 煩いぞ!だの夜働く俺たちの事を考えろ!と抗議しても、衛士たちは平謝りするだけで詳しい理由を話そうとはしない。 やがて寝付けなくなった者たちは通りに出て、ひっきりなしに走り回る衛士たちを見て訝しむ。 彼らは一体、何をそんなに必死になって探し回っているのだろう?……と。 そんな喧騒に包まれている真っ最中なチクトンネ街でも夜は一際繁盛している酒場『魅惑の妖精』亭。 本来なら真っ先に戸を叩かれていたであろうこの店はしかし、まだその静けさを保っている。 あちこちで聞き込みを行っている衛士たちも敢えて後回しにしているのか、その店の前だけは素通りしていく。 基本衛士というのはその殆どが街や都市部の出身者で構成されており、それ以外の者――地方から来た者――は割と少数である。 つまり彼ら衛士の大半も俗にいう「タニアっ子」であり、当然ながらこの店の知名度はイヤという程知っている。 この店の女の子たちが抜群に可愛いのは知っている。当然、その女の子たちを雇っている店長が極めて゛特殊゛なのも。 もしも今乱暴に戸を叩けば、あの心は女の子で体がボディービルダーな彼のあられもない寝間着姿を見ることになるかもしれないからだ。 想像しただけでも恐ろしいのに、それをいざ現実空間で見てしまった時にはどれだけ精神が汚されるのか……。 衛士たちはそれを理解してこそ敢えて『魅惑の妖精』亭だけは後回しにしてしているのだ。 しかし、彼らの判断は結果的に彼ら自身の『目的』の達成を遅らせる形となってしまっていた。 『魅惑の妖精』亭の裏口、今はまだ誰もいないその寂しい路地裏へと通じるドアが静かに開く。 それから数秒ほど時間をおいて顔を出したのは、目を細めて警戒している霧雨魔理沙であった。 夏場だというのに黒いトンガリを被る彼女は相棒の箒を片手にそろりそろりと裏口から外の路地裏へと出る。 それから周囲をくまなく確認し、誰もいないのを確認した後に裏口の前に立っている少女へと合図を出した。 「……よし、今ならここを通って隣りの通りに出られるぜ」 「わかりました……、それでは行きましょう」 魔理沙からのOKサインを確認した少女――アンリエッタは頷きながら、彼女の後をついてゆく。 その姿は、いつも着慣れているドレス姿ではなく黒のロングスカートに白いブラウスというラフな格好だ。 ブラウスに関しては胸のサイズの関係かボタンを全て留めていないせいで、いささか扇情的である。 彼女はその姿で一歩路地裏へと出てから、心配そうに自分の服装を見直している。 「……本当にこの服をお借りして大丈夫なんでしょうか?」 「へーきへーき、理由を話せば霊夢はともかくルイズなら許してくれるさ。あ、帽子はちゃんと被っといた方がいいぜ?」 元々霊夢の服だったと聞かされて心配しているアンリエッタに対し、魔理沙は笑いながらそう答える。 彼女の快活で前向きな言葉に「……そうですか?」と疑問に思いつつも、アンリエッタは両手で持っていた帽子を被る。 これもまた霊夢の帽子であるが、幸い頭が大きすぎて被れない……という事はなかった。 服を変えて、帽子まで被ればあら不思議。この国の姫殿下から町娘へとその姿を変えてしまった。 最も、体からあふれ出る品位と身体的特徴は隠しきれていないが……前者はともかく後者は特に問題はないだろう。 本当にうまく変装できてるのか半信半疑である本人に対し、コーディネイトを任された魔理沙は少なからず満足していた。 念の為にとルイズ化粧道具を無断で拝借して軽く化粧もしているが、それにしても上手いこと変装できている。 恐らく彼女の顔なんて一度も見たことのない人間がいるならばこの女性がお姫様だと気づくことはないだろう。 少なくとも街中で彼女を探してあちこち行き来している衛士達は、その部類の人間だろう。ならば気づかれる可能性は低い。 単なる偶然か、それとももって生まれた才能なのか?アンリエッタの変装っぷりを見て頷いていた魔理沙は、彼女へと声を掛ける。 「ほら、そろそろ行こうぜ。ま、どこへ行くかなんてきまってないけどさ」 「あ、はい。そうですね。ここにいても怪しまれるだけでしょうし」 自分の促しにアンリエッタが強く頷いたのを確認してから、魔理沙は通りへと背を向けて路地裏の奥へと入っていく。 アンリエッタは今まで通った事がないくらい暗く、狭い路地裏から漂う無言の迫力に一瞬狼狽えてしまったものの、勇気を出して足を前へと向ける。 二人分の足音と共に、少女たちは太陽があまり当たらぬ路地裏へと入っていった。 それから魔理沙とアンリエッタの二人は、狭くなったり広くなったりを繰り返す路地裏を歩き続けていた。 トリスタニアは表通りもかなり入り組んだ街である。それと同じく路地裏もまた易しめの迷路みたいになっている。 かれこれ数分ぐらい歩いている気がしたアンリエッタは、ふと魔理沙にその疑問をぶつけてみることにした。 「あの、マリサさん?一体いつになったら他の通りへ出られるんでしょうか?」 「ん……あー!やっぱり不安になるだろ?最初私がここを通った時も同じような感想が思い浮かんできたなぁ~」 不安がるアンリエッタに対しあっけらかんにそう言うと、軽く笑いながらもその足は前へと進み続けている。 前向きすぎる彼女の言葉に「えぇ…?」と困惑しつつも、それでも魔理沙についていく他選択肢はない。 清掃業者のおかげで目立ったゴミがない分、変に殺風景な王都の路地裏を歩き続けた。 しかし、流石に魔理沙という開拓者のおかげで終着点は意外にも早くたどり着くことができた。 数えて五度目になるであろうか角を右に曲がりかけた所で、ふとその先から人々の喧騒が聞こえてくるのに気が付く。 アンリエッタはハッとした先に角を曲がった魔理沙に続くと、別の通りへと続く道が四メイル程先に見えている。 何人もの人々が行き交うその通りを路地裏から見て、ようやくアンリエッタはホッと一息つくことができた。 そんな彼女をよそに「ホラ、出口だぜ」と言いつつ魔理沙は先へ先へと足を進める。 それに遅れぬようにとアンリエッタも急いでその後を追い、二人して薄暗い路地裏から熱く眩い大通りへとその身を出した。 「……暑いですね」 燦々と照り付ける太陽が街を照らし、多くの人でごったがえす通りへと出たアンリエッタの第一声がそれであった。 王宮では最新式のマジックアイテムで涼しい夏を過ごしていた彼女にとって、この暑さはあまり慣れぬ感覚である。 自然と肌から汗が滲み出て、帽子の下の額からツゥ……と一筋の汗が流れてあごの下へと落ちていく。 これが街の中の温度なのかとその身を持って体験しているアンリエッタに、ふと一枚のハンカチが差し出される。 一体だれかと思って手の出た方へと目を向けると、そこには笑顔を浮かべてハンカチを差し出している魔理沙がいた。 「何だ何だ、もう随分と汗まみれじゃないか。そんなに外は暑いのか?」 「……えぇ。ここ最近の夏と言えば、マジックアイテムの冷風が効く屋内で過ごしていたものですから」 魔理沙が出してくれたハンカチを礼と共に受け取りつつ、それで顔からにじみ出る汗を遠慮なく拭っていく。 そうすると顔を濡らそうとしてくるイヤな汗を綺麗さっぱり拭き取れるので、思いの外気持ちが良かった。 「マリサさん、どうもありがとうございました」 汗を拭き終えたアンリエッタは丁寧に畳み直したハンカチを魔理沙へと返す。 それに対して魔理沙も「どういたしまして」と言いつつそのハンカチを受け取ったところでアンリエッタがハッとした表情を浮かべ、 「あ、すいません。そのまま返してしまって……」 「ん?あぁそういえば借りたハンカチは洗って返すのがマナーだっけか。まぁ別にいいよ、そんなに気にしなくても」 「いえ、そんな事おっしゃらずに。貴女にもルイズの事で色々と御恩がありますし」 「そ、そうなのか?それならまぁ、アンタのご厚意に甘えることにしようかねぇ」 肝心な時にマナーを忘れてしまい焦るアンリエッタに対して魔理沙は大丈夫と返したものの、 それでも礼儀は大切と教えられてきた彼女に押し切られる形で、魔法使いは再びハンカチを王女へと渡した。 預かったハンカチは後日洗って返す事を伝えた後、アンリエッタはフッと自分たちのいる通りを見回してみる。 日中のブルドンネ街は一目見ただけでもその人通りの多さが分かり、思わずその混雑さんに驚きそうになってしまう。 今までこの通りを通った事はあったものの、それは魔法衛士隊や警邏の衛士隊が道路整理した後でかつ馬車に乗っての通行であった。 こうして平民たちと同じ視点で見ることは全くの初めてであり、アンリエッタは戸惑いつつも久しぶりに感じた゛新鮮さ゛に胸をときめかせてすらいる。 老若男女様々な人々、どこからか聞こえてくる市場の喧騒、道の端で楽器を演奏しているストリートミュージシャン。 王宮では絶対に聞かないような幾つもの音が複雑に混ざり合って、それが街全体を彩る効果音へと姿を変えている。 アンリエッタはそれを耳で理解し、同時に楽しんでいた。これが自分の知らない王都の本当の顔なのだと。 まるで子供の様に嬉しがっていた彼女であったが、その背後から横やりを入れるようにして魔理沙が声を掛けた。 「あ~……喜んでるところ悪いんだが……」 彼女の言葉で意識を現実へと戻らされた彼女はハッとした表情を浮かべ、次いで恥かしさゆえに頬が紅潮してしまう。 生まれて初めて間近で見た王都の喧騒に思わず゛自分が為すべきこと゛を忘れかけていたのだろう、 改めるようにして咳ばらいをして魔理沙にすいませんと頭を下げた後、彼女と共にその場を後にした。 暑苦しい人ごみを避けるように道の端を歩きつつも、アンリエッタは先ほど子供の様に喜んでいた自分を恥じている。、 「すいません。……何分、平時の王都を見たのはこれが初めてでした故に……」 「へぇそうなのか?……それでも何かの行事で街中を通るときはあると思うが?」 「そういう時には大抵事前に通行止めをして道を確保しますから、自然と私の通るところは静かになってしまうんです」 アンリエッタの言葉に、魔理沙は「成程、確かにな」と納得している。 良く考えてみれば、今が夏季休暇だとはいえ人々で道が混雑する王都を通れる馬車はかなり限られるだろう。 いかにも金持ちの貴族や豪商が済んでいそうな豪邸だらけの住宅地に沿って作られた道路などは、馬車専用の道路が造られている。 それ以外の道路では馬車はともかく馬自体が通行禁止の場所が多く、他国の大都市と比べればその数はワースト一位に輝く程だ。 実際王宮から街の外へと出る為には通りを何本か通行止めにしなければならず、今は改善の為の工事が計画されている。 魔理沙も馬車が通りを走っているのをあまり見たことは無く、偶に住宅街へ入った時に目にする程度であった。 「こんなに人ごみ多いと、馬車に乗るよか歩いたほうが速いだろうしな」 すぐ左側を行き交う人々の群れを見つめつつも呟いてから、魔理沙とアンリエッタの二人は通りを歩いて行く。 やがて数分ほど歩いた所でやや大きめの広場に出た二人は、そこで一息つける事にした。 「おっ、あっちのベンチが空いてるな……良し、そこに腰を下ろすか」 魔理沙の言葉にアンリエッタも頷き、丁度木陰に入っているベンチへと腰を下ろす。 それに次いで魔理沙の隣に座り、二人してかいた汗をハンカチで拭いつつ周囲を見回してみた。 中央に噴水を設置している円形の広場にはすでに大勢の人がおり、彼らもまたここで一息ついているらしい。 ベンチや木の根元、噴水の縁に腰を下ろして友人や家族と楽しそうに会話をしており、もしくは一人で空や周囲の景色を眺めている者もいた。 そんな彼らを囲うようにして広場の外周にはここぞとばかりに幾つもの屋台ができており、色々な料理や飲み物を売っている。 種類も豊富で食べ物は暖かい肉料理から冷たいデザート、飲み物はその場で果物を絞ってくれるジュースやアイスティーの屋台が出ている。 どの屋台も売り上げは上々なようで、数人から十人以上の列まであり、よく見ると下級貴族らしいマントを付けた者まで列に並んでいた。 魔理沙はそれを見て賑やかだなぁとだけ思ったが、彼女と同じものを目にしたアンリエッタは目を輝かせながらこんな事を口にした。 「うわぁ、アレって屋台っていうモノですよね?言葉自体は知っていましたが、本物を見たのは初めてです!」 「え?あ、あぁそうだが……って、屋台を見るのも初めてなのか!?」 「えぇ!わたくし、蝶よ花よと育てられてきたせいでそういったモノに触れる機会が今まで無くて……」 アンリエッタの言葉に一瞬魔理沙は自分の耳を疑ったが、自分の質問に彼女が頷いたのを見て目を丸くしてしまう。 思わず自分の口から「ウッソだろお前?」という言葉が出かかったが、それは何とかして堪える事ができた。 魔理沙は驚いてしまった半面、よく考えてみれば王家という身分の人間ならば本当に見たことが無いのだろうと思うことはできた。 (子はともかく、親や教育者なんかはそういうのをとにかく低俗だ何だ勝手に言って見せないだろうしな) きっと今日に至るまで王宮からなるべく離れずに暮らしてきたかもしれないアンリエッタに、ある種の憐れみを感じたのであろうか、 魔理沙は座っていたベンチから腰を上げると、突然立ち上がった彼女にキョトンとするアンリエッタに屋台を指さしながら言った。 「折角あぁいうのが出てるんだ。何ならここで軽く飲み食いしていってもバチは当たらんさ」 「え?え、えっと……その、良いんですか?」 突然の提案に驚いてしまうアンリエッタに「あぁ」と返したところで、魔理沙は自分が迂闊だったと後悔する。 確かに豪快に誘ったのはいいものの、それを手に入れる為のお金を彼女は持っていなかったのだ。 今日もお昼ごろになった所で用事を済ませたルイズや霊夢と合流して、三人一緒にお昼を頂く筈であった。 その為今の彼女の懐は文字通りのスッカラカンであり、この世界の通貨はビタ一文入っていない。 それを思い出し、苦虫を噛んでしまったかのような表情を浮かべる普通の魔法使いに、アンリエッタはどうしたのかと声を掛ける。 「あ……イヤ、悪い。偉そうに提案しといて何だが、今の私さ……お金を全然持ってなかったのを忘れてたぜ」 「……!あぁ、そういう事なら何の問題もありませんわ」 申し訳なさそうに言う魔理沙の言葉に王女様はパッと顔を輝かせると、懐から掌よりやや大きめの革袋を取り出して見せた。 突然取り出した革袋を見てそれが何だと聞く前に、アンリエッタは彼女の前でその袋の口を縛る紐を解きながら喋っていく。 「実は私、単独行動をする前にお付きの者に何かあった時の為にとお金を用意してもらったんですよ。 とは言っても、ほんの路銀程度にしかなりませんが……でも、あそこの屋台のお料理や飲み物なら最低限買えるだけの額はあると思うわ」 そう喋りながらアンリエッタは紐を解いた袋の口を開き、中にギッシリと入っているエキュー金貨を魔理沙に見せつける。 何ら一切の悪意を感じないお姫様の笑顔の下に、一文無しな自分をあざ笑うかのように黄金の輝きを放つエキュー金貨たち。 てっきり銀貨や銅貨ばかりだと思っていた魔理沙は息を呑むのも忘れて、輝きを放ち続ける金貨を凝視するほかなかった。 「……なぁ、これの何処が路銀程度なのかちょいと教えてくれないかな?」 「…………あれ?私、何か変な事言っちゃいましたか?」 呆然としつつも、何とか口にできた魔理沙の言葉にアンリエッタは笑顔のまま首を傾げる他なかった。 やはり王家とかの人間は庶民とは金銭感覚が大きく違うのだと、霧雨魔理沙はこの世界にきて初めて実感する事ができた。 ひとまず代金を確保する事ができたので、魔理沙はアンリエッタを伴って屋台を巡ってみる事にする。 食べ物と飲み物の屋台はそれぞれ二つずつの計四つであったが、それぞれのメニューは豊富だ。 最初の屋台は肉料理系の屋台で、いかにも屋台モノの食べやすい料理が一通り揃っており、香ばしい匂いが鼻をくすぐってくる。 スペアリブや鶏もも肉のローストはもちろんの事、何故かおまけと言わんばかりにタニアマスの塩焼きまで並んでいる。 もう一つはそんなガッツリ系と対をなすデザート系で、今の季節にピッタリの冷たいデザートを売っているようだ。 今平民や少女貴族たちの間で流行っているというジェラートの他にも、キンキンに冷やした果物も売りの商品らしい。 横ではその果物を冷やしているであろう下級貴族が冷やしたてだよぉー!と声を張り上げている姿は何故か哀愁漂うが印象的でもある。 下手な魔法は使えるが碌な学歴が無い彼らにとって、こういう時こそが一番の稼ぎ時なのであった。 「さてと、メインとなるとこの屋台しか無いが、うぅむ……どのメニューも目移りするぜ」 「た、確かに……私も見たことのないような名前の料理がこんなにあるなんて……むむむ」 すっかり王女様に奢られる気満々の魔理沙は、アンリエッタと共に屋台の横にあるメニューを凝視している。 一応メニューの横にはその名前の料理のイラストが小さく描かれており、文字が分からなくてもある程度分かるようになっている。 無論アンリエッタは文字の方を見て、魔理沙はイラストと文字を交互に見比べながらどれにしようか悩んでいた。 屋台の店主とバイトであろうエプロン姿の男女はそんな二人の姿を見て微笑みながら、その様子をうかがっている。 それから数分と経たぬ内、先に声を上げたのは文字を見ていたアンリエッタであった。 「私はとりあえず……この料理にしますが、マリサさんはどうしますか?」 彼女はメニュー表に書かれた「羊肉と麦のリゾット」を指で差しつつ、目を細める魔理沙へと聞く。 そんな彼女に対して普通の魔法使いも大体決めたようで、同じようにメニューの一つを指さして見せる。 「んぅ~そうだなぁ、大体どんな料理なのかは絵を見れば察しはつくが……ま、コレにしとくか」 そう言って彼女が選んだメニューは真ん中の方に書かれた「冷製パスタ 鴨肉の薄切りローストにレモン&ソルトペッパーソースを和えて」であった。 いかにも屋台向けな料理の中でイラストの方で異彩を放っていたからであろう、上手いこと彼女の目を引いたのである。 メニューが決まれば後は注文するだけ、という事でここは魔理沙が鉄板でソーセージを焼いていた男にメニューを指さしながら注文を取った。 「あいよ、その二つでいいね?それじゃあ出来上がりにちょっと時間が掛かるから、その間飲み物でも頼んできな」 「成程、隣に飲み物系の屋台がある理由が何となく分かったぜ。じゃあお言葉に甘えさせてもらうよ」 まさかの協力関係にある事を知った魔理沙は手を上げて隣の屋台へと足を運ぼうとした所で、彼女から注文を聞いた店員が慌てて呼び止めてきた。 「っあ、お嬢ちゃん!ゴメンちょいと待った!ウチ前払いだったから、悪いけど先にお金払っといてくれるかい」 「お、そうか。じゃあそっちのア……あぁ~、私の知り合いに頼んでくれるかい?」 「あ、は……はい分かりました。それじゃあ私が――」 危うく名前を言いかけた魔理沙に一瞬ヒヤリとしつつも、アンリエッタは金貨入りの革袋を取り出して見せる。 幸い顔でバレてはいないものの、流石に名前を聞かれてしまうとバレる可能性があったからだ。 何せ実際に顔を見たことがなくとも、自分の肖像画くらいは街中で見かけたことがある人間はこの場にいくらでもいるだろう。 先に名前の事で相談しておくべきだったかしら?……軽い失敗を経験しつつも、アンリエッタは生まれて初めてとなる支払いをする事となった。 「えぇっと……お幾らになるでしょうか?」 「んぅと、リゾットとパスタだから……合わせて十五スゥと十七ドニエだね」 「え?スゥと…ドニエですか?」 一般的な屋台価格としてはやや強気な値段設定ではあるが、それなりのレストランで出しても大丈夫な味と見栄えである。 それを含めての強気設定であったが、値段を聞いたアンリエッタは目を丸くしつつも革袋の中からお金を取り出した。 「あの、すいません……今銀貨と銅貨が無いのですが……これは使えるでしょうか?」 「ん?え……エキュー金貨!?それもこんなに!?」 そう言って差し出した数枚の金貨を見て、店員は思わずギョッとしてしまう。 新金貨ならともかくとして、まさか一枚あたりの単位が最も高額なエキュー金貨を数枚も屋台で出されるとは思っていなかったのだ。 調理や盛り付けをしていた他の店員たちも驚いたように目を見開き、本日一番なお客様であるアンリエッタを注視した。 一方でアンリエッタは、突然数人もの男女からの視線を向けられた事に思わす動揺してしまう。 「え?あの……ダメでしたか?」 「だ…ダメ?あ、いえいえ!充分ですよ……っていうかそんなにいりませんよ!この一枚だけで充分です!」 そう言って店員はアンリエッタが取り出した数枚の内一枚を手に取ると、「あまり見せびらかさないように」とアンリエッタに小声で注意してきた。 「ここ最近ですけど、何やらお客さんみたいに大金を持ち歩いてる人を狙って襲うスリが多発してるそうなんですよ。 犯人の身元は未だ分からないそうですから、お客さんもこんなに大金持ち歩いてる時は気を付けた方がいいですよ?」 親切心からか、店員が話してくれた物騒な事件の話にアンリエッタは「え、えぇ」と動揺しつつも頷いて見せる。 それに続くように店員も頷くと彼は「店からお釣り取ってくる!」と仲間に言いながらその場を後にして行った。 その後、別の店員から注文の品ができるまでもう少し待ってほしいとと言われた為、魔理沙と共に飲み物を決めることにした。 暫し悩んだ後でアンリエッタが決めたのはレモン・アイスティーで、魔理沙はレモンスカッシュとなった。 「はいよ、コップに入ってるのがアイスティーでこっちの大きめの瓶がレモン・スカッシュね!」 「有難うございます」 アンリエッタは軽く頭を下げて、魔理沙が飲み物の入ったそれぞれの容器を手にした時であった。 先ほど料理を頼んだ屋台から自分たちを読んでいるであろう掛け声が聞こえた為、急いでそちらへと戻る。 すると案の定、アツアツのドリアと冷静パスタが出来上がった品を置くためのカウンターに用意されていた。 「はいお待ちどうさん!ドリアの方は熱いから気を付けて!あ、食べ終わったお皿はそこの返却口に置いといてね」 「あっはい、分かりました。はぁ、それにしても中々どうして美味しそうですねぇ」 ツボ抜きしたタニアマスを串に通しながらも快活に喋る女性店員から説明を聞きつつ、二人は料理の入った木皿を手に取った。 オーブンから出したばかりであろうドリアは表面のチーズがふつふつと動いており、焼いたチーズの香ばしくも良い匂いが漂ってくる。 対して魔理沙の冷製パスタも負けておらず、スライスされた鴨肉のローストと特性ソースがパスタに彩を与えている。 どうやらトレイも一緒に用意されているようで、魔理沙たちはそれに料理と飲み物に置いてどこか落ち着いて食べられる場所を探す事にした。 広場には人がいるもののある程度場所は残っており、幸いにも木陰の下に設置された木製のテーブルとイスを見つけることができた。 「良し、ここが丁度いいな。じゃ、頂くとするか」 「そうですね……では」 脇に抱えていた箒を傍に置いてから席に座り、トレイをテーブルの上に置いた魔理沙はアンリエッタにそう言いながらフォークを手に取った。 木製であるがパスタ用に先が細めに調整されたそれでいざ実食しようとした、その時である。 ふと向かい合う形で座っているアンリエッタへと視線を移すと、彼女は湯気を立たせるドリアの前で短い祈りの言葉を上げていた。 「始祖ブリミルよ、この私にささやかな糧を与えてくれた事を心より感謝致します……―――よし、と」 短い祈りが終わった後、小さな掛け声と共にアンリエッタはスプーンを手に取って食べ始める。 久しぶりにこの祈りの言葉を聞いた魔理沙も思い出したかのように、目の前のパスタを食べ始めていく。 暫しの間、互いに頼んだ料理に舌鼓を打ちつつ。三十分経つ頃には既に食べ終えていた。 「ふい~、美味しかったなぁこのパスタ。冷製ってのも案外イケるもんだぜ」 レモンスカッシュの残りを飲みつつも、ちょっとした冒険が上手くいった事に彼女は満足しているようだ。 アンリエッタの方も頼んだドリアに文句はないようで、ホッコリした笑顔を浮かべている。 「いやはやこういう場所で物を食べるのは初めてでしたが、おかげでいい勉強になりました」 「その様子だと満更悪く無かったらしいな?美味しかったのか」 「えぇ。味は少々濃い目で単調でしたが、もうちょっと野菜を加えればもっと美味しくなると思いました」 マッシュルームとか、ズッキーニとか色々……と楽しそうに料理の感想を口にするアンリエッタ。 魔理沙は魔理沙でその姿を案外美味しく食べれたという事に僅かながらの安堵を覚えていた。 あんなお城に住んでいるお姫様なのだ、てっきり口に合わないとへそを曲げるかと思っていたのだが、 中々どうして庶民の料理もいける口の持ち主だったようらしく、こうして心配は無事杞憂で済んだのである。 (ま、本人も本人で楽しんでるようだしこれはこれで正解だったかな?) 初めて食べたであろう庶民の味を楽しんでいるアンリエッタを見ながら、魔理沙は瓶に残っていた氷をヒョイっと口の中へと入れる。 先ほどまでレモン果汁入りの炭酸飲料を冷やしていたそれを口の中で転がしつつ、慎重にかみ砕いてゆく。 その音を耳にして何だと思ったアンリエッタは、すぐに魔理沙が氷を食べているのに気が付き目を丸くする。 「まぁ、氷をそのまま食べているの?」 「んぅ?あぁ、口の中がヒンヤリして夏場には中々良いんだぜ。何ならアンタもどうだい?」 「ん~……ふふ、遠慮しておきますわ。もしもうっかり歯が欠けたら従徒のラ・ポルトに怒られちゃいますから」 「なーに、かえって歯が丈夫になるさ。まぁ子供の頃は何本か折れたけどな」 暫し考える素振りを見せた後で、微笑みながらやんわりと断るアンリエッタに、魔理沙もまた笑顔を浮かべもながら言葉を返す。 真夏の王都、屋台の建てられた広場で休む二人は、まるで束の間の休息を満喫しているかのようだ。 傍から見ればそう思っても仕方のない光景であったが、そんな暢気な事を言ってられないのが現実である。 何せ今、王都のあちこちにアンリエッタを探そうとしている衛士が徒党を組んで巡回している最中なのだから。 そしてアンリエッタは今のところ――本来なら自分の身を守ってくれる彼らから逃げなければいけない立場にある。 どうして?それは何故か?詳しい理由を未だ教えられていない魔理沙は、ここに至ってようやくその理由を聞かされる事になった。 軽食を済ませてトレイ等を返却し終えた二人は、日中はあまり人気のない裏通りにいた。 活気があり、飲食店や有名ブランドの店が連なる表通りとは対照的な静かな場所。 客足は少々悪いが静かにゆっくりと寛げる食堂に、素朴な手作りの日用雑貨や外国製の安い服がうりの雑貨屋など、 観光客ではなくむしろ地元の人々向けの店がポツン、ポツンと建っているそんな場所で魔理沙はアンリエッタから『理由』を聞かされていた。 「獅子身中の虫だって?」 「はい。それもそこら辺の虫下しでは退治できないほどに成長した、アルビオンの息が掛かった厄介な虫です」 「……成程、つまりはあのアルビオンのスパイって事か。それも簡単に倒せない厄介なヤツだと」 最初にアンリエッタが口にした言葉で、魔理沙は゛虫゛という単語の意味を理解することができた。 獅子身中の虫――寄生虫を想起させるような言葉であるが、本来は国に危機をもたらすスパイという意味で使われる。 そして彼女の言葉を解釈すれば、そのスパイはそう簡単に豚箱にぶちこめるレベルの人間ではないようだ。 同時に魔理沙は気が付く、彼女を探し出している衛士達から逃げているその理由を。 「まさか?今街中をうろつきまわってる衛士たちってのは、そいつの手先って事か?」 思いついたことをひとまず口にした魔理沙であったが、アンリエッタはその仮説に「いいえ」と首を横に振った。 「彼らは上からの命令を受けて、あくまで純粋に私を保護する為に動いているだけです」 「そうなのか?じゃあこうして人目のつかない所をチョロチョロ動き回る必要は無さそうだが……事はそうカンタンってワケじゃあないってか」 アンリエッタの言葉に一度は首を傾げそうになった魔理沙はしかし、彼女の表情から複雑な理由があると察して見せる。 魔理沙の言葉にコクリと頷いて、アンリエッタはその場から見る事の出来る王宮を見上げながら言った。 「酷い例えかもしれませんが、これは釣りなんです。私を餌にした……ね」 「釣りだって?そりゃまた……随分と値の張った餌だな、オイ」 自分では気の利いた事を言っているつもりな魔理沙を一睨みみしつつも、彼女は話を続けた。 今現在この国にいる少数の貴族は神聖アルビオン共和国のスパイ――もとい傀儡として動いている事が明らかになっている。 無論彼らの動向はほぼ掴んでおり、捕まえること自体は容易いものの彼らを捕まえたとしても敵の情報を知っているワケではない。 しかし一番の問題は、その傀儡を操っているであろう゛元締め゛がこの国の法をもってしても容易には倒せない存在だという事だ。 「この国の法を……って、王族のアンタでも……なのか?」 「流石にそこまでの相手ではありません。しかし、今すぐ逮捕しようにも手が出せない相手なのです」 この国で一番偉い地位にいる少女の口から出た言葉に、流石の魔理沙も「まさか」と言いたげな表情を浮かべている。 そんな彼女に言い過ぎたと訂正しつつも、それでも尚強大な地位にいるのが゛元締め゛なのだと伝えた。 誇張があったとはいえ、決して規模が小さくなってない゛元締め゛の存在に魔理沙は苦虫を噛んでしまったかのような表情を浮かべてしまう。 「……最初はちょっと面白そうな話だと思ってた自分を殴りたくなってきたぜ」 「貴女を半ば騙して連れてきた事は謝ります。ですが自分への八つ当たりは、過去へ跳躍する方法が分かってからにしてくださいな」 「んぅ~……まぁいいさ。どうせ過去の私に言って聞かせても、結果は同じだと思うしな?」 そんなやり取りの後、アンリエッタは再びこの国に蔓延るスパイについての話を再開する。 アルビオンから情報収集を頼まれたであろう゛元締め゛がまず行ったのは、傀儡役となる貴族たちへの声掛けであった。 ゛元締め゛が最適の傀儡と見定めた貴族は皆領地経営で苦しみ、土地持ちにも関わらずあまり金を稼げていない貧乏貴族に絞っている。 お金欲しさに領地に手を出して失敗している者たちは、その大半が楽して大金を稼ぎたいという邪な思いを持っているものだ。 彼らの殆どはその土地ではなく王都に住宅を建てて暮らし、儲からない領地と借金を抱えて日々を暮らしている。 そういった人間を探し当てるのに慣れた゛元締め゛は、前金と共に彼らの前に現れてこう囁くのである。 ―――この国の機密情報を盗み取ってアルビオンに渡せば億万長者となり、かの白の国から土地と欲しい褒美を貰えるぞ……――と。 無論これを聞かされた全員がそれに賛同する筈はないだろう、きっと何人かは゛元締め゛を売国奴と罵るだろう。 しかし゛元締め゛は一度や二度怒鳴られる事には慣れており、シールのように顔に張り付いた不気味な笑みを浮かべて囁き続ける。 こんな国には未来はない、いずれは大国に滅ぼされる。そうなる前にアルビオンへとこの国を売り渡し、今のうちの将来の地位を築くべき――だと。 「おいおい……いくら何でもそれはウソのつき過ぎだろ?ちよっと物騒だが、別に無政府状態ってワケでもないだろうに」 そこまで聞いたところで待ったを掛けた魔理沙であったが、彼女の言葉にアンリエッタは自嘲気味な笑みを浮かべてこう返した。 「知ってますか?このハルケギニア大陸に幾つかある国家の中に、王家の者がいるのに玉座が空いたままの国があるそうですよ? 王妃は夫の喪に服するといって戴冠を辞退し、まだ子供の王女に任せるのは不安という事で年老いた枢機卿にすべてを任せてしまっている国が……」 不味い、被弾しちまったぜ。――珍しく自分の言葉を間違えた気がした魔理沙は、知り合いの半妖がくれた黒い飴玉を口にした時のような表情を浮かべて見せた。 「あー……悪い、そういやここはそういう国なんだっけか?」 わざとらしく視線を横へ逸らすのを忘れが申し訳なさそうに謝った魔法使いは、件の飴玉を口にした時の事も思い出してしまう。 おおよそ人が食べてはいけないような味が凝縮されたあの飴玉を食べてしまった時の事と比べれば、この失言も大した事ではないと思えてくる。 「まぁそんな状態もあと少しで終わりますので心配しないでください。それよりも先に片付けねばならない事があるのですから」 とりあえずは謝ってくれた魔理沙にそう返しつつ、アンリエッタはそこから更に話を続けていく。 自分が仕える国から機密情報を盗み出せば、大金と褒美を得られるぞ。 そんな甘言を囁かれても、大半の貴族は囁いた本人を売国奴として訴えるのが普通であろう。 しかし゛元締め゛は知っていたのだ、例えをトリステイン貴族でなくなったとしても金につられてくれるであろう貴族たちの所在を。 ゛元締め゛はそうした貴族達だけをターゲットに絞り、根気よく説得しては自分の手駒として情報を集めさせたのである。 一方で傀儡となった者たちはある程度情報を集めた所で゛元締め゛からアルビオン側の人間との合流場所を知らされる。 そしてその合流場所へと行き観光客を装った彼らから報酬を受け取り、情報を渡してしまえば立派な売国奴の出来上がりだ。 後は逮捕されようが殺されようが構いやしないのである。今のアルビオンにとって、この国の貴族は本来敵として排除するべき存在。 ましてや金に目が眩み機密情報を平気で渡すような輩など、信用してくれと言われてもできるワケがない。 結局、゛元締め゛の言いなりになっている貴族たちは目先の利益に問われた結果、最も大事な゛信用゛を失ってしまったのである。 「そんならいくら尻尾振ったって意味なくないか?第一、貴族ってそんなに金に困ってるのか?」 「王家である私やヴァリエール家のルイズはともかく、貴族が全員お金に困らない生活をしてるってワケではありませんしね」 下手すればそこら辺の平民よりも月に消費するお金が多いのですから、アンリエッタは歯痒い思いを胸に抱いてそう言う。 国を運営していくのに綺麗ごとでは済まない事は多いが、日々の生活に困窮する貴族の数は年々増えつつある。 最初こそそれは学歴がなくまともな職にもつけない下級貴族たちが主流であったが、今では中流の貴族たちもその中に入ろうとしていた。 「領地経営だって軽い気持ちでやろうとすれば必ず痛い目を見て、そこで生まれた負担金は経営者の貴族が支払ねばなりません。 想像と違って上手くいかない領地の経営に、身分に合わぬ浪費でどんどん手元から無くなっていく財産に、そこへ割り込むかのように増えていく借金……。 今ではそれなりの地位にいる者たちでさえお金が無いと喘いでいる今の世情を利用して、゛元締め゛は甘い蜜を吸い続けているのです」 華やかな王都の下に隠れる陰惨な現実を語りながらも、アンリエッタはさらに話を続ける。 そうして幾つもの人間を駒として操り、アルビオンに情報を渡す゛元締め゛本人は決してその尻尾を出すことは無い。 自らは舞台裏の者としての役割に徹し、例え傀儡たちが死のうともその正体を露わにすることはなかった。 ……そう、ヤツは決して表舞台には姿を現さないのだ。――余程の゛緊急事態゛さえ起こらなければ。 「――成程、アンタがやろうとしている事が何となく分かってきた気がするぜ」 「何が分かったのかまでは知りませんが、私の考えている通りならば後の事を口にする必要はありませんね?」 ゛緊急事態゛という単語を聞いた魔理沙は彼女の言わんとしている事を察したのか、ニヤリとした笑みを浮かべてみせた。 一方のアンリエッタも、魔理沙の反応を見て自分の言いたい事を彼女が察してくれたのだと理解する。 両者揃ってその口元に微笑を浮かべ、互いに同じことを考えているのだと改めて理解した。 「成程な、釣りは釣りでも随分とドでかい獲物を釣り上げる気のようだな?」 「まぁ、あくまで餌役は私なんですけね?」 最初こそ自分を殴りたいと言って軽く後悔していた魔理沙は、今やすっかりやる気満々になっている。 権力を隠れ蓑にして他人を操り、自分の手は決して汚そうとしない゛元締め゛を釣りあげるという行為。 ヤツは余程の事が起こらない限り姿を見せない。そんな相手を表舞台に引きずり出すにはどうすればいいのか? その答えは簡単だ。――起こしてやればいいのである、その余程どころではない゛緊急事態゛を。 例えばそう、何の前触れもなくこの国で最も重要な地位についている人間が失踪したりすれば……どうなるか? 護衛はしっかりしていたというのに、まるで神隠しにでも遭ってしまったかのように彼らに気取られず姿を消してみる。 するとどうだろうか、絶対かつ完璧であった護衛の間をすり抜けて消えてしまった要人に彼らは大層驚くだろう。 一体どこへ消えたのか騒ぎ立て、やがて油に引火した炎のように騒ぎはあっという間に周囲へ広がっていく。 やがて要人失踪の報せは他の要人たちへと届き、各地の関所や砦では緊急事態の為通行制限がかかる。 そのタイミングでわざと教え広めるのだ、要人の姿をここ王都で目撃したという偽の情報を。 当然それが仕掛けられたモノだと気づかない第三者たちは、そこへ警備を集中配置して情報収集と要人確保の為に動く。 そこに来て゛元締め゛は焦り始めるのだ。――なぜ、こんなタイミングであのお方は姿を消したのだと。 恐らく彼は自分の味方へと疑いを向けるだろう。この国の王権を打倒せんと企んでいるアルビオンの使者たちを。 彼らは味方だがこちらの意思で完全に動いているワケではない、彼らには彼らなりの計画がしっかり用意されている。 もしもその計画の中に要人の誘拐もしくは暗殺が入っており、尚且つそれを自分に知らせていなかったら……? まるで底なし沼に片足を突っ込んでしまった時のように、゛元締め゛はそこからずぶずぶと疑心暗鬼という名の沼に沈むほかない。 疑いはやがて確信へと変貌を遂げて、本人を外界へと引きずり出すエネルギーとなるだろう。 それ即ち、アルビオンの人間と直接話し合うために゛元締め゛自らがその体を動かして外へと出るという事を意味するのだ。 今まで自分に火の粉が降りかからぬ場所で多くの貴族たちを動かし、気楽に売国行為をしていた゛元締め゛。 しかし、ふとしたキッカケで彼らに疑いを持ち始めた゛元締め゛は、自ら動いてアルビオンの人間たちに問いただしに行く。 それが仕組まれていた事――そう、要人が消えた事さえ彼を表舞台に上がらせる為の罠だという事にも気づかず。 そして食いついた所で釣りあげてやるのだ。強力な地位を利用して国を売ろとした男と、それに関わる者たち全てを。 「それが今回、私に仕える者が提案した『釣り』のおおまかな流れです」 表の喧騒から遠く、時間の流れさえゆったりとしたものに感じられる人気の無い路地裏で、アンリエッタは今回の作戦を教え終えた。 そんな彼女に対して珍しく黙って聞いていた魔理沙は面白そうに短い口笛を吹いたのち、「成程な」と一人頷く。 「餌も上等なら、釣り針や竿も最高級ってヤツか?この国の重役なら絶対に動揺すると思うぜ?」 「それはそうでしょうね。何せ今はこの王都に通常よりも倍の衛士たちが入ってきていますから」 魔理沙の言葉にアンリエッタそう返しつつ、ふと表の通りから聞こえてくる喧騒に衛士達の走り回る音も混じってきているのに気が付く。 規律の取れた軍靴が一斉に地を踏み走る音靴は、彼らが六人一組で行動している事を意味する音。 きっとそう遠くないうちにも、この路地裏にも捜査の魔の手が伸びるのは間違いない。 アンリエッタは魔理沙と目配せをした後で自ら先頭に立ち、隠れ場所を探しつつ街の中を進んでいく。 途中表通りへと繋がっている場所を避けつつ、彼女は衛士に見つかってはいけない理由も話してくれた。 「ここまでは計画通りです。しかし……もしここで衛士達に見つかり、捕まってしまえば全てが無に帰してしまいます。 恐らく私が確保されたという報告は、すぐにでも゛元締め゛の耳に届く事でしょう。そうなれば後はヤツの思うがまま、 アルビオンの使者とすぐに仲直りした後で、持てるだけの情報を持たせて彼らを白の国へと送った後で、すべての証拠を隠滅―― そして持ち帰った情報で彼らはわが国で戦争を始めるつもりなのです。ゲルマニアやガリアの僻地で起きているモノと同じ形式の戦争を……」 戦争だって?――王女様の口から出た物騒な単語に、流石の魔理沙も眉を顰める。 トリステイン自体が幻想郷程……とは言わないが相当平和な国だというのは彼女でも理解している。 平和とはいっても化け物に襲われたりこの前はあのアルビオンとかいう国が攻めてきたりしたが、それは一般大衆にはあまり関係ないことだろう。 現にこの街に住んでる人々はかの国と実質戦争状態にあるというのに、いつも変りなく暢気に暮らしている人間が大半を占めているのだ。 そんな平和なこの国で――彼女の言い方から察するに最低でも国内で――戦争が起こるなどとは、上手いこと想像ができないでいる。 それに魔理沙自身、ちゃんとしたルールに則った争い……つまりは弾幕ごっこが戦いの基本となった幻想郷の出身者という事もあるだろう。 深刻な表情をして国で戦争が起きるかもしれないと呟くアンリエッダの言葉に肩を竦め、信じられないと言うしかなかった。 「おいおい戦争って……いくらなんでも、そこまで発展したりはしないだろ?」 「確かに貴女の言う通りです。王政の管轄領地やラ・ヴァリエ―ルなどの古くから仕える者たちの領地で起こりえないでしょう、――しかし 「しかし?」 「管理の行き届かない領地、つまりは僻地で戦争が起きる可能性は決して無いとは言い切れないのですよ」 深刻な表情のまま言葉を終わらせたアンリエッタに、魔理沙は口から出かかった「マジかよ」という言葉を飲み込む事はできなかった。 そしてふと思った。この世界では、ふとした拍子や失敗で簡単に戦争が起こってしまうのではないのかと。 011 そんな気味の悪い事を考えてしまった魔理沙は、アンリエッタに続くようにして自らも重苦しい表情を浮かべてしまう。 いつも何処か得意げなニヤつき顔を見せてくれている彼女には、あまりにも不釣り合いかつ真剣な顔色である。 今の彼女の表情を霊夢やアリス、パチュリーといった幻想郷の知人が見ればきっと今夜の夜空は物騒になるだろうと誰もが笑うに違いない。 幸か不幸か今はそんな奴らもいないので、彼女は恥かしい思いをすることもせず気兼ねなく真剣な表情を浮かべることができていた。 アンリエッタはアンリエッタでこれからの作戦の成否で国の運命が掛かっていると知っているためか、魔理沙以上に真剣な様子を見せている。 魔理沙と出会う前はサポートがいてくれたおかげで何とか王都まで隠れる事はできたが、ここからが正念場というヤツなのだろう。 お供の魔法使い共々衛士たちに捕まり、正体がバレてしまえば――最悪敵である、あの゛男゜にこちらの出方を読まれる恐れがある。 元締め――もといあの゛男゛は馬鹿でもないし、間抜けでもない。秀才であり、なおかつ政敵との戦いにも打ち勝ってきた強者だ。 でなければこの国であれだけの地位――トリステイン王国の法と裁きを司る高等法院の頂点に立てはしないだろう。 無論スパイとして発覚する以前に賄賂の流通があったという話は聞くが、それだけで検挙できるのならここまでの苦労はしない。 一度は地の底に這いつくばり、血の涙も枯れてしまう程の努力を積み重ねてきた末の結果とも言うべき輝かしくも陰影が残る功績。 自らの欲と目的を達成するためには殺人すら含めたありとあらゆる手段を尽くし、自分に都合の悪い情報は徹底してもみ消してのし上がっていく。 彼の裏の顔を知ろうと迂闊にも接近し過ぎてしまい、文字通り消された密偵の数は恐らく二桁近くに上るであろう。 その一方では法の番人として国の法整備や裁判等に尽力し、先代の王や若かりし頃の枢機卿が彼を百年に一度の人材と褒めたたえている。 表と裏。人間ならばだれしも持っているであろう二面のギャップが激しすぎる彼は、そう簡単には捕まらないであろう。 だからこそこの事態をチャンスにして捕まえ、そして聞き質さなければいけない。 ―――――幼子であった頃の自分を、まるで本物の父親に様にあやしてくれた貴方の笑顔は作り物だったのかと。 (その為にも今は絶対に捕まらないよう、気を付けないと……) 愛するこの国の為、どうしても聞き出さなければいけない事の為、アンリエッタは改めて決意する。 アンリエッタからこの任務の大切さを今更聞き、重責を負ってしまった事を実感している霧雨魔理沙。 二人して人気のない裏路地で屯する形となり、アンリエッタはこれからどう動こうかという相談をしようとしていた――が、 そんな彼女たちを不審者と判断しないほど、トリスタニアは平和ボケしているワケではなかった。 それは二人の背後、裏通りから大通りへと続く路地から何気ない会話と共にやってきたのである。 「バカ言ってんじゃねえよ?大金張ったルーレットでそんな命知らずみたいな芸当できるワケが……ん?」 「だからさぁ、本当なんだって!そりゃもう信じられない位正確に……って、お?」 ギャンブル関係の話をしながらやってくる二人組の男の声を聞いて咄嗟に振り向いたアンリエッタは、サッと顔が青くなる。 彼女に続くようにして魔理沙もまた振り向き、丁度自分たちに気づいた男たちと目を合わせる形となってしまった。 声の正体はこの王都にも良くいるようなチンピラではなく、むしろそのチンピラにとっては天敵ともいえる存在。 お揃いの軽い胸当てに夏用の半袖服と長ズボンに、市街地での戦いに特化した短槍を手に街の治安を守るもの。 鎧の胸部分に嵌め込まれているのは、白百合と星のエンブレム。そう、トリスタニアの警邏衛士隊のシンボルマークだ。 二人そろってそのエンブレムの付いた胸当てを身に着けているという事は、彼らが衛士隊の人間であることは間違いない。 自分たちの姿を見て足を止めた衛士達を前に、アンリエッタはすぐに魔理沙の手を取りその場を去ろうと考える。しかし、 「あーちょい待ち。そこの黒白、確かぁ~キリサメマリサ……だったっけ?」 「え?確かに私だが……何で知ってるんだよ?」 間が悪く、彼女の手を取ろうとした所で衛士の一人が魔理沙の名前を出して呼び止めてきたのだ。 魔理沙は見知らぬ他人に名を当てられて目を丸くしており、片方の衛士も「知り合いか?」と相棒に聞いている。 「いえ、ちょっと前にこの子が取り調べられましてね、その時の調書担当が自分だったんだよ」 「――あぁ、そういえばいたなアンタ。随分前の事だったから記憶に残ってなかったぜ」 彼の言葉で思い出したのか、魔理沙が手を叩きながら言った所で衛士は彼女の隣にいるアンリエッタにも話しかけた。 「で、そこにいる君は誰なんだい?ここらへんじゃあ見たこと無さそうな雰囲気だけど?」 「あ、その……私は――」 まさか話しかけられるとは思っていなかったアンリエッタは、どう返事したらいいか迷ってしまう。 衛士の表情から察するに、ちょっとしたナンパ程度で声を掛けたのではないとすぐに分かる。 あくまで仕事の一環として――少なくとも今伝えられている事態を考慮して――声を掛けたのは一目瞭然だ。 もう片方の衛士も言葉を詰まらせているアンリエッタに、怪訝な表情を見せている。 迷っている時間は無い。そう直感したアンリエッタに、魔理沙が救いの手を差し伸べてくれた。 「悪い悪い、衛士さん。こいつは私の知り合いなんだよ」 「知り合い?」 「あぁ、今日王都に遊びに来るっていうから私がちょっとした観光役をやらせてもらってるんだよ。なぁ?」 いつもの口調で衛士と自分間に入ってきてくれた魔理沙の呼びかけに、アンリエッタは「え、えぇ!」と相槌を打つ。 その様子に衛士二人は怪訝な表情を崩さず、しかし「まぁそれなら良いが……」という言葉に安堵しかけた所で、 「じゃあ突然で悪いが、その帽子外して俺たちに顔を見せてくれないかい?」 一番聞きたくなかった質問を耳にして、アンリエッタは口から出そうとしたため息を、スッと肺の方へと押し戻す。 まさか言われるとは思っていなかったワケではない、それはポカンとした表情を衛士達に向けている魔理沙も同じであろう。 少なくとも今の彼らにとって、帽子を目深に被った少女何て誰であろうが職務質問の対象者となるに違いない。 かといって帽子を外して堂々と街中を歩くのは、「私を捕まえてくださーい!」と市中で裸になって踊りまくるのと同義である。 裸になるか帽子を被るか、たとえ方は少々おかしいが誰だって帽子の方を選ぶのは明白だ。 だからアンリエッタも帽子を被り、ちゃんと変装までしたうえで――衛士たちに職質されるという不運に見舞われた。 今日の運勢は厄日だったかしら?いつもならお抱えの占い師から聞く今日の運勢の事を現実逃避の如く考えようとしたところで、 それまで黙っていた魔理沙もこれは不味い流れだと察したのか、自分の頭の上にある帽子を取りながら衛士達に声を掛けた。 「帽子か?そんなもんいくらでも取ってやるぜ?ホラ!」 「お前じゃねえよ、バカ。ホラ、お前さんの後ろにいる黒帽子を被った連れの子さ」 霧雨魔理沙渾身(?)のギャグをあっさりと切り捨てた衛士の一人が、丁寧にアンリエッタを指さして言う。 もしも彼らが今ここで彼女の正体を知ったら、きっと彼女を指した衛士は間違いなく土下座していたに違いない。 しかし悲しきかな、今のアンリエッタにとって自らの正体を晒すのは自殺行為である。 よって幸運にも彼は何一つ事実を知ることなく、余裕をもってアンリエッタ指させるのであった。 魔理沙の誤魔化しをあっさりとすり抜け、自分に帽子を外しての顔見せ要求する冷静な衛士達。 これには流石のアンリエッタも何も言い返せず、ただた狼狽える事しかできない。 しかし、時間が待ってくれないように衛士達も一向に「イエス」と答えてくれない彼女を待つつもりは無いらしい。 指さしていない方の衛士が怪訝な表情のままアンリエッタへ一歩近づきながら、彼女の被る帽子の縁を優しく掴みながら言う。 「……黙ってるっていうのなら、こっちは不本意だが無理やり帽子を取るしかないが?」 「……ッ!?そんなの、横暴では――ッ!?」 咄嗟に彼の手から逃れるように叫ぶと後ろへ下がり、まるでぎゅっと両手で帽子の縁を掴む。 まるで天敵に出会ったアルマジロの様に見えた魔理沙であったが、流石にそれをこの場で言えるほど空気が読めないワケではなかった。 とはいえ流石にここは間に入らないとまずいと感じたのか、再びアンリエッタの前に立ちはだかり何とか衛士を宥めようとした。 「まぁまぁ落ち着いてくれって!この暑さでイライラしてるのは私だってよ良く分かるぜ?」 「暑さでイライラがどうのこうのじゃないんだ。あくまで仕事の一環として彼女の顔をよく見ておきたいだけだ」 「そんな事言って、ホントは美人だったらナンパしたいだけだろ?例えば……今日一緒にランチでもどう?……ってさ?」 魔理沙はここで相手の注意をアンリエッタから自分に逸らそうと考えたのか、煽るような言葉を投げかけていく。 流石にナンパという単語にムッとしたのか、独身であろう衛士は目を細めると「馬鹿にするなよ」と言いつつ、 「俺は二児の父親で、ついでに今日の昼飯は女房が作ってくれたベーコンとチーズのサンドウィッチとマカロニのクリームソテーなんだぞ?」 「……おぉ、スマン。アンタの事良く知らずにナンパとか言って悪かったぜ」 「おめぇ!何奥さんとのイチャイチャっぷりを告白してんだよッ!」 独身どころか既にゴールインしていたうえに愛妻弁当の自慢までされてしまい、流石の魔理沙も訂正せざるを得なくなってしまう。 一方で指さしていた衛士は何故か彼に突っかかったのだが、所帯持ちの相方は「僻むんじゃねぇよ」と一蹴しつつ魔理沙へと向き直る。 「とにもかくにもだ、別に持ち物検査までしようってワケじゃないんだ。そこの嬢ちゃんが自分で自分の帽子を外すくらい何て事無いだろう?」 「まぁそりゃそうなんだが…ってイヤイヤ、そこがさぁちょいとワケありでダメなんだよなぁ~これがさぁ……」 衛士として正論を容赦なくぶつけてくる相手に対して、魔理沙は何とかそれをかわそうと次の一手を考えようとする。 しかし、どう考えても今の状況を上手いことかわせる方法などあるワケもなく、彼女が言い訳を口にする度に衛士たちは顔をしかめていく。 (まぁ逃げる手立てはいくらでもあるんだが、そうなると絶対後で碌な目に遭わないしなぁ~……あぁでも、そういうのも面白そうだなぁ) 右手に握る箒を一瞥しつつ、アンリエッタの前では絶対言ってはいけない事を心中で呟いていた――その時であった。 まず先手を打って逃げようかと考えていた魔理沙と狼狽えるアンリエッタが、上空から落ちてくる゛ソレ゛に気が付く。 一方の衛士達も上から落ちてきた゛何か゛が視界の端を横切って地面へ落ちていくのに気が付き、一瞬遅れてそちらへと目を向ける。 瞬間、四人の人間がいる細いに植木鉢の割れる音が響き渡り、鉢の中で育てられていた花と土が地面へとぶちまけられていた。 それが植木鉢だったと四人ともすぐに理解できたが、問題はそれがなぜ上空から落ちてきたのかだ。 「……?何だ、コレ……植木鉢?――って、うわっ!何だアレッ!?」 「…………?上に誰か――って、ウォッ!?」 まず最初に魔理沙が首を傾げ、彼女に続くようにして家族持ちの衛士が頭上へと視線を向け――二人して驚愕する。 何故ならば、先に落ちてきた植木鉢に続くようにして建物の屋上から分厚い布が風で舞い上がったハンカチのように落ちてきたのだから。 ハンカチと例えたが、ここがハルケギニアであっても流石に大人二人を容易に隠せるサイズはハンカチではない。 恐らく雨が降った際に濡れたら困る物を覆い隠す為の布として、屋上に置いていたものであろう。それがヒラヒラと広がりながら落ちてきたのだ。 布はその大きさながら落ちるスピードは思ったよりも速く。魔理沙は咄嗟に背後にいたアンリエッタの手を取って後ろへと下がる。 「……ッ!まずい、下がれッ!」 「きゃっ……」 アンリエッタが悲鳴を上げるのも気にせず後ろへ下がった直後、布は彼女たちが立っていた場所へと舞い落ちた。 それだけではない。丁度彼女たちが立っていた所よりも前に立っていた衛士達も、もれなくその布を頭からかぶる羽目になったのである。 「うわわッ、な……何だこりゃっ!」 「クソッ!おい、お前らそこにいるんだろ?何とかしてくれッ!」 布は以外にも大きさに見合ったそれなりの重量をしていたのか、衛士達を覆い隠したまま彼らを拘束してしまったのだ。 まるで絵本に出てくる子供だましのお化けみたいに、頭から布を被った姿で両手らしい二つの突起物を出して動く衛士達。 姿をくらますなら今しかない……!そう判断した魔理沙はアンリエッタの手を取り何も言わずに彼女と共にこの場を去ろうとした直前、 「おい君たち、裏通りへ出たら僕が今いる建物の中へ入ってくるんだ!」 先ほど植木鉢と思わぬ助っ人となった布が落ちてきた建物の屋上から、透き通る程綺麗な青年の呼び声か聞こえてきた。 突然の呼びかけに二人は足を止めてしまい、思わず声のした頭上へと顔を向ける。 するとどうだろう、逆光で顔は見えないものの明らかに若者と見える金髪の青年が、建物の屋上から半ば身を乗り出してこちらを見つめていた。 アンリエッタは思わず「誰ですか?」と声を上げたが、魔理沙だけは青年の声を聞いて「まさか……?」と言いたげな表情を浮かべる。 彼女には聞き覚えがあったのである。その青年の、少年合唱団にいても不思議できないような綺麗な声の持ち主を。 屋上の青年は魔理沙たちが自分の方へと視線を向けたのを確認してから、次の言葉を口にした。 「近辺にはすでに多数の衛士達が巡回している、捕まりたくないなら大人しく僕の所へ来るんだ!いいね?」 「あ、ちょっと……まさかお前――って、おい待てよ!」 言いたい事だけ言った後、魔理沙の制止を耳にする事無く彼は踵を返して姿を消した。 屋上があるという事は建物の中へと入ったのだろうが、それはきっと「中で待っている」という無言の合図なのだろう。 魔理沙は内心聞き覚えのある声の主の指示に従うがどうか一瞬だけ考えた後、思わずアンリエッタへと視線を向ける。 「……何が何やら全然分かりませぬが、逃げ切れるのならば彼のいう通りに従った方が賢明かと思います!」 「正気かよ?でもお互い様だな、私もアイツの指示に従うのが良さそうだと思ってた所だぜ」 アンリエッタの大胆な決断に一瞬だけ怪訝な表情を見せた魔理沙は、すぐにその顔に得意げな笑みを浮かべてそう言った。 二人はその場で踵を返すとバッと走り出し、未だ巨大な布と格闘している衛士達を置いてその場を後にする。 「お、おい何だ!一体何が起こってるんだ!?」 「クソ!おい、誰でもいいからコレをどかすのを手伝ってくれ!」 狭い通りに響き渡る衛士達の叫び声で他の人が来る前に、少女たちは自らの背を向けて立ち去って行った。 再び裏通りへと戻ってきた魔理沙たちは、衛士達の声で早くも集まっている人たちを尻目に隣の建物へと入る。 そこはどうやら平民向けのアパルトメントらしく、玄関には騒ぎを聞きつけたであろう平民たちが何だ何だと出てきている最中であった。 ちょっとした人ごみができている場所を通りつつ中へと入ることができた二人へ、声を掛ける者が一人いた。 「こっちだ、こっちに来てくれ」 「ん?あ、そっちか」 魔理沙は一瞬辺りを見回した後で、先ほど声を掛けてくれた青年がいる事に気が付く。 こんな季節だというのに頭から茶色のフードを被っており、その顔は良く見えないものの口元からして笑っているのは分かった。 築何十年と立つであろう古い木の廊下をギシギシと鳴らしつつ、魔理沙とアンリエッタの二人は青年の元へと駆け寄る。 「どこのどなたか存じ上げませんが、助けていただき有難うございます。……あ、その――今はワケあって帽子を……え?」 まず初めにアンリエッタが頭を下げて礼を述べようとしたところで、フードの青年は右手の人差し指を口の前に立てて「静かに」というサインを彼女へ送る。 その意味をもちろん知っていたアンリエッタが思わず目を丸くして口を止めると、次いで左手の親指で背後の廊下を指さした。 「ここは人が多すぎます。この先に地下を通って外の水路へと出れますので、詳しい話はそこで致しましょう」 そうして共同住宅の奥にあった下へと階段の先にあったのは、古めかしい地下通路であった。 上の建物と比べても明らかに長年放置されていると分かる通路を、魔理沙とアンリエッタの二人は興味深そうに見回してしまう。 「まさかただの共同住宅の下に、こんな通路があるだなんて……」 「あぁ、しかも見たらこの通路。一本じゃなくて迷路みたいになってそうだぜ?」 軽く驚いているアンリエッタに魔理沙がそう言うと、彼女は普通の魔法使いが指さす方向へと視線を向ける。 確かによく見てみると通路は一直線ではなく三つほど横道があり、単純な構造ではないという事を二人に教えていた。 そんな二人を横目で見つつ、青年はさりげなく彼女たちに自分の知識を披露してみる事にした。 「五百年前、ブルドンネ街の拡大工事で造られた緊急避難用の通路を兼ねた防空壕……とでも言いましょうか?」 「……!避難用、ですか?確かに私も、そういった場所があるという話は聞きましたが、まさかここが……」 「えぇ。当時のハルケギニアは文字通り戦乱の世でしたからね、王都にもこういった場所が造られたんですよ」 ――ま、結局目的通りの使われ方はしませんでしたけどね。最後にそう言って青年は笑った。 アンリエッタはかつて母や枢機卿から聞かされていた秘密の隠し通路の一端を目にして、驚いてしまっている。 「マジかよ?この通路は築五百年って、どういう方法で造ったらそんなに保てるんだ……」 対して魔理沙の方はというと、五百年という月日が経っても尚原型をほぼ完全に留めているこの場所に、好奇心の眼差しを向けていた。 その後、二人は青年の案内でそれなりに入り組んだ通路を五分ほど歩き続ける事となった。 地上と比べれば空気は悪かったものの、ところどころに地上と通じているであろう空気口があるおかげで酷いというレベルまでには達していない。 最も、一部の通路は地面が苔だらけで歩きにくかったりと天井の一部が崩れ落ちていたりと散歩コースとしては中々ハードな通路であった。 それでも青年の案内は正しく、更に十分ほど歩いた所でようやく外の光を拝める場所へと出る事ができた。 「さぁ外へ出ました。ここならさっきの衛士達も追ってくることは無いでしょう。とはいえ、油断はできませんけどね?」 青年がそう言って指さした場所は、確かに人気のない静かな通りの中にある水路であった。 魔理沙がとりあえず頭上を見上げてみると、先ほどまでいた裏通りとは微妙に違う街並みが見える。 恐らくここも王都の中、それもブルドンネ街なのであろうが、魔理沙自身は見える建物に見覚えはなかった。 「ここは?」 「東側の市街地だ、昔から王都に住んでいる人たちが住人の大半さ。……とりあえず、ここから出るとしようか」 魔理沙の質問にそう答えると、青年は傍にあった梯子を指さして二人に上るよう指示を出す。 そうして青年、魔理沙、そして最後にアンリエッタの順で梯子を上り、三人は東側市街地へと足を踏み入れる。 確かに彼の言う通りここには地元の者しかいないのだろう、他の場所と比べて人気はあまり感じられない。 一応水路に沿って立ち並ぶ家や共同住宅からは人の気配は感じられるが、家の中でのんびりしているのか出てくる気配は全くなかった。 以前シエスタが案内してくれた裏通りと比べても、まるで紅魔館の図書館みたいに静かだと思ってしまう。 とはいえそこは街の中、よくよく耳を澄ましてみれば色んな音が聞こえてくることにもすぐに気が付く。 遠くから聞こえてくる繁華街や市場からの明るい喧騒と小さな水路を流れる水の音に、時折家の中から聞こえてくる家庭的な雑音。 それらが上手い事重なり合って聞こえてくるが、それでも尚ここは静かな所だと魔理沙は思っていた。 そんな彼女を他所に、アンリエッタはローブの青年に改めて礼を述べていた。 「誠に申し訳ありませんでした。どこのどなたか存じ上げませぬが、まさか助けて頂けるなんて……」 「いえ、礼には及びませぬよ。困っている女の子を見捨てるのは、僕の流儀に反しますからね」 帽子は被ったままだが、それでも下げぬよりかは失礼だと思ったのか軽く会釈するアンリエッタ。 それに対し青年もそれなりに格好いいヤツしか言えないような言葉を返した後、「それよりも……」と彼女の傍へと寄る。 「僕は不思議で仕方がありませんよ。貴方ほど眩いお方が、どうして街中にいたのかを……ね?」 「……?それは一体、どういう――――ッア!」 「あ!」 青年の意味深な言葉にアンリエッタを首を傾げようとした、その瞬間である。 一瞬の隙を突くかのように青年が素早い手つきで彼女の被る帽子を掴むや否や、それをヒョイっと持ち上げたのだ。 まるで彼女の髪の毛についた落ち葉を取ってあげたように、その動作に全くと言っていい程迷いはなかった。 流石の魔理沙も突然の事に驚いてしまい、一拍子遅れる感じで青年へと詰め寄る。 「ちょ……おっおい何してんだよお前!?」 「別に何も。ただ、彼女みたいな素敵なお方がこんな天気のいい日に黒い帽子何て被るもんじゃないと思ってね?」 詰め寄る魔理沙に青年は何でもないという風に言い返して、自身もまた被っていたフードを上げたその顔を二人へと晒して見せた。 夏だというのにやや厚手であったフードの下から最初に目にしたのは、やや白みがかった眩い金髪。 ついでその髪の下にある顔は声色相応の美貌を持つ青年のものである。 一方で自分の予想が当たっていた事に対して、魔理沙は喜ぶよりも先に青年を指さしながら叫んだ。 「あー!やっぱりお前だったか!?」 「ちょ……マリサさん!あまり大声は――って、あら?貴方、その目は?」 思わず大声を上げてしまう魔理沙を宥めようとしたところで、アンリエッタはふと青年の目がおかしいことに気が付く。 右の瞳は碧色なのだが左の瞳は鳶色で、つまりは左右で目の色が違うのだ。 所謂オッドアイという先天的な目の異常であり、同時にハルケギニアでは「月目」とも呼ばれている。 「月目……ですか?」 それに気が付いた彼女は、知識の上で知ってはいても初めて見る月目につい口が開いてしまう。 すぐさまハッとした表情浮かべたものの、青年は「いえ、お気になさらず」と彼女に笑いかけながら言葉を続ける。 「生まれつきのモノでしてね、幼少期はこれで色々と貧乏クジを引いたものですよ。ま、今では自分のアイデンティティの一つなんですがね?」 何より、女の子にもモテますし。最後に一言、そう付け加えて青年こと――ジュリオ・チェザーレは得意げな笑みを浮かべて見せた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん もうすぐ太陽が沈み、夜の帳が訪れようとしている時間帯の幻想郷 博麗神社の境内には霊夢とルイズ、それに幻想郷の住人もとい霊夢との面識がある者達がちらほらといた。 紅魔館からは館の主とその従者、永遠亭からは薬師とその弟子が境内に集まっていた。 従者と弟子を除いた薬師と主人の二人は、八雲紫から話があると言われ神社へやってきている。 鴉天狗と魔法の森に住む白黒魔法使いの二人もいるが、彼女らは話に興味があって残っただけで、所謂招かれざる客というものだ。 しかし招かれた客達は、その者達に対して何も言うことはなかった。 「いやぁ~、異世界人だからどんな姿をしてるかと思えば…普通の人間と変わりは無いんですね」 鴉天狗の文はひとり呟きながら写真機で霊夢とルイズの写真を撮っている。 パシャ、パシャ、という音と共にルイズの身体がビクリと震えている。どうやら少し怯えているようだが無理もない。 何せ気が付いた時には鈴仙や文…そして何よりレミリアといった、ルイズにとって見慣れない存在がこの神社へ来ていたからだ。 ◆ 今から大体四十分前ぐらい… ルイズが目を覚ましたとき、兎耳を生やした亜人の少女、鈴仙が枕元にいる事に気づいた。 白い肌に人工的な感じを漂わせる銀髪と真紅の瞳…そして何よりも目立つのがヒョロッとした兎の白い耳。 黒いブレザーと白いプリーツスカウトを身に付けており、ブレザーの左胸部分には白い三日月のバッジを付けている。 「あら、ようやく起きたんですね」 目を覚ましたものの、未だ起きあがっていないルイズに微笑みつつ、鈴仙は声を掛けたがルイズは安心出来なかった。 亜人の中には一部を除いて人とよく似た姿の種族はいるものの、基本的には人間の敵である。 すぐさまルイズは起きあがり杖を手に取ろうとしたのだが、それより先に鈴仙が彼女の肩を掴んだ。 「あぁちょっと待ってください。これから体温を測りますので」 「ちょっ……ちょっと何よこれ?」 そう言って鈴仙は肩を掴んでいない右手に持っている細長い物体の先端をルイズの額に向けた。 「大丈夫ですよ。ちょっと体温を測りたいだけです」 見たこともない物を見てルイズは軽く焦ったが、それを無視して鈴仙は手に持っている物体の真ん中にある小さなボタンを押した。 ルイズは思わず目を瞑ったが、痛みも何も感じないことを確認し恐る恐る目を開けた。 「う~ん、幻想郷の人間と比べたら若干体温が高いわね…」 目を開けると既に鈴仙はあの変な物体を持っておらず、何かメモをしている。 一体あれは何だったのかとルイズは首を傾げそうになったが、ハッとした顔になると枕元に置いてある杖に手を伸ばそうとした。その時… 「どうやら、もう目を覚ましていたようね」 静かな雰囲気を持つ声と共に知らない女性が入ってきたため、ルイズは思わずそちらの方へ視線を移してしまう。 「あ、お師匠様」 その声を聞いた鈴仙はパッと笑顔を浮かべて立ち上がった。 部屋に入ってきた女性の灰色がかった銀髪は、鈴仙のソレと比べれば大分自然的な美しさを持っていた。 それよりもまず最初にルイズの目に入ったのがその女性の着ている服であった。 良い言い方ならとてもユニーク、悪い言い方ならば酷く奇抜で理解しがたいデザインだ。 服の上半分の右側は赤で左側は青色、下半分はその逆であった。 服全体と、頭に被っている赤十字マークがある青帽子には星座のような刺繍もある。 (一体どうなってるのよレイムの世界のファッションセンスは…民族衣装にしては奇抜すぎるわ) ハルケギニアにはないユニークな永琳の服を見てルイズは頭を抱えそうになった。 「…体温が少し高いというだけで異常は見受けられません」 「そう。ご苦労様…」 そんなルイズの気を知らず永琳は弟子である鈴仙から報告を聞き終え、ルイズの方へ視線を向ける。 これで今日の朝方、紫に頼まれていた「ルイズの身体に異常が無いか調べる」という仕事は何の問題もなく終わらせることが出来た。 といっても永琳達が神社に来たのはルイズが目を覚ます数時間前である為、事実上結構な時間が掛かったことになる。 鈴仙はともかく永琳としては思ったより時間を掛けたのだから何か面白い物でも見れたらいいなと思っていたが、結局何の異常も無く少しだけ落胆していた。 人間でも妖怪でもない―蓬莱人―の内一人である永琳にとって、外の世界とは違う異世界の人間を調べるという事はちょっとした楽しみなのである。 (後の楽しみといえば…この血液だけね) 永琳は心の中で呟きつつ、ポケットから小さなカプセルを取り出した。 カプセルの中身はルイズの血液サンプルで、弟子の鈴仙が直ぐに持ってきてくれたのだ。 ルイズが寝ている間に採血し、尚かつバレないよう止血処置を施したためルイズ本人も気が付いてはいない。 (帰って分析してみたら何が出るのやら…) 永琳はそう思いつつ手に持ったカプセルをポケットに突っ込み、ルイズの方へ身体を向けた。 ルイズはというと上半身だけを起こして鈴仙と永琳をじっと見つめていた。 ある程度の緊張感を孕んだ鳶色の瞳を見て、とりあえず永琳は自分の顔に笑みを浮かべてこう言った。 「そういえば自己紹介がまだでしたわね。私は永遠亭で薬剤師を勤めている八意永琳。そしてこの娘は弟子のウドンゲといいます」 ◆ そして時間は今に戻り… 「…そういえば、お前さん大分柔らかくなってないか?」 楽しそうに写真を撮っている文の後ろ姿を眺めつつ、魔理沙は横にいるレミリアに話し掛けた。 「失礼な。私はこう見えても自分の体には自信を持ってるんだけど?」 一方のレミリアは、魔理沙の言った゛柔らかい゛という言葉にムッとした。 妙に可愛い仕草をする吸血鬼を見て魔理沙は軽く笑いつつ言った。 「ハハ…違う違う、性格だよ、性格」 「……?性格ですって」 レミリアはというと魔理沙の言葉にいまいち判らなかったのか首を傾げてみせた。 「あぁ、いつものお前ならあの時の咲夜を止めたりなんかしないだろう?」 魔理沙はそう言いつつ、目を覚ましたルイズが霊夢の所にやってきた時の事を思い出した。 ◆ 「おはようと言ったら言いのかしら…それとも今晩は?」 「うぅん…多分おはようよ。―――で、貴女は誰?」 「おぉ、こいつが噂の異世界人とやらか?まるで人形みたいじゃないか」 霊夢はようやく起きて自分の所へやってきたルイズの方へと近寄りつつ、冗談気味にそう言った。 一方のルイズはそんな冗談に真面目な答えを言いつつ、霊夢の近くにいた魔理沙へと視線を移した。 もうすぐ夕日が沈む時間帯だというのに未だ暢気にお茶飲んでいた魔理沙はルイズの姿を見て嬉しそうな表情を見せた。 ルイズは魔理沙の服装から一瞬メイジかと思ったが(マントがないので貴族ではないと一目瞭然)命の次に大事な杖すら手に持っていない。 もしかしたら何か特殊な――仕込み杖の類かも知れないと思い、すぐさま魔理沙が手に持っている箒の方へと視線が移った。 しかし、どこからどう見てもタダの箒にしか見えず、とりあえずルイズは詳しく聞いてみることにした。 「貴女、見たところメイジっぽい服装してるけど杖は持ってないし…とにかく名前を言ってくれないかしら?」 「まぁ自己紹介はするさ。でも先に名前を名乗ってくれないと困るぜ。うっかり先に名前を言って呪われたら大変だからな」 呪いなんて出来ないわよと思いつつ、ルイズは自らの名を名乗った。 「ルイズ――――ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールよ」 彼女のフルネームを聞いた魔理沙は少しだけ目を丸くしたが、すぐに元の表情に戻った。 「………う~ん、わかった。とりあえずルイズって呼ばせて貰うぜ」 結局それかい!―――っと、突っ込む気にもならないほど疲れていたルイズはとりあえず魔理沙の言葉に頷いた。 それを了承と受け取った魔理沙もまた頷くと被っていた黒い帽子を取り、自己紹介をした。 「私の名は霧雨魔理沙。見ての通り人間で…普通の魔法使いさ」 うだつの上がらない表情で魔理沙の自己紹介を聞いていたルイズは゛魔法使い゛という言葉にキョトンとした。 「魔法使い?メイジじゃなくて?」 「あぁ、普通のメイジならぬ普通の魔法使いさ」 メイジも魔法使いも同じ意味なのに…と思いつつルイズは不思議そうな顔になって首を傾げた。 そんなルイズを余所に、霊夢はふとある事に気づき魔理沙に話し掛けた。 「そういえば魔理沙、アリスの姿が見あたらないんだけど?」 「え?…あぁそういえばアイツ、今日はパチュリーに聞きたいことがあるって言ってたな」 もったいない奴だぜと呟きつつ魔理沙は空を見上げるた。もうすぐ日が沈む時間帯である。 カーカーと鳴きながら飛んでいく鴉の群れを見つつ、ふと魔理沙は霊夢にこんな事を聞いてみた。 「そういえばさ霊夢…射命丸の奴は何処いったんだよ?」 「射命丸ならちょっと写真機の調整してくるとかいって戻っていったわ」 魔理沙と同じく沈み行く太陽を見つめつつ、霊夢はその質問に答えた。 「じゃあ永琳と鈴仙はどうした?あいつらなら社務所の中だろ」 その質問には霊夢ではなく、ルイスがご丁寧に答えてくれた。 「あの二人ならすぐ戻ってくるとか言って人里とかいう所に行ったわよ…」 というよりこんな辺鄙な所に人が住んでるのね…と呟きつつルイズもまた夕日を眺めた。 三人で幻想郷の夕日を眺めつつ、魔理沙がポツリと呟いた。 「なぁ霊夢、大丈夫なのか?文と永琳が来たんなら間違いなくアイツもお前の顔を見に来るぜ」 少し心配そうな魔理沙の言葉を聞きながらも、霊夢もまた魔理沙と同じ事を考えていた。 「…多分大丈夫でしょ?紫もなんとか出来たって言ってたし」 面倒くさそうに霊夢は言いつつ、お茶を啜ってたそんな時――彼女は訪れた。 ―――今晩は霊夢に魔理沙。それと異世界人 ガラスで出来た鈴の様な綺麗な少女の声が何処からか聞こえてきた。 まずルイズがその声に素早く反応し、立ち上がると辺りを見回し始める。 魔理沙もまた何かを感じ取ってルイズと同じく立ち上がった。 一方の霊夢はというと縁側に座っているもののその眼は鋭くなっていた。 だが社務所から見える範囲にはその声の持ち主の姿は見あたらず、何処にいるのかさえ判らない。 ――――随分警戒しているようね。貴方達が思っている程今の私は怒ってはいないわ それに今夜は色々と神社で話し合いがあるって。あのスキマ妖怪が言ってたでしょう? 再び何処からか声が聞こえ、ルイズの不安を益々募らせていく (姿が見えない…一体何処から聞こえてくるというの?) ルイズは姿の見えない相手に戸惑いつつ、杖を手に取りいつでも詠唱できるよう準備した。 ただ霊夢と魔理沙だけは、特定の部分――陽が当たらず影となっている場所――を凝視していた。 霊夢は目を鋭く光らせ、魔理沙もまた帽子のつばを上げて見つめている。 すると突然、何処からともなく三匹の黒い蝙蝠が飛んできて、境内の真ん中をグルグルと飛び回り始めた。 時間が経っていく内に次第に四匹、五匹、六匹、七匹…と増え始め、蝙蝠の群れが段々と黒い渦となっていく。 その光景を見てルイズはたじろぎながらも、杖を持つ手の力を緩めずいつでも蝙蝠の群れに魔法を放てるよう準備した。 蝙蝠の群れは暫く境内の真ん中で大きな黒い渦を作っていた。 しかし太陽が段々と沈んで行き、神社の境内が薄暗くなったとき――変化が起こった。 「あっ…蝙蝠が…」 ルイズはその光景に目を丸くし驚くが、無理もないであろう。 何せ先程まで大きな渦を作っていた蝙蝠の群れが影と共に瞬時に消え失せてしまったのだから。 一体何が起こったのかとルイズが思った瞬間――自分のすぐ近くから声が聞こえてきた。 「杖を使う魔法使いなんて久しぶりね―――粉々にしたらどれ程怒り狂うのかしら?」 随分と嬉しそうに言いつつ、その声の主である少女はルイズの杖の先端をつついた。 「…っ!?」 ルイズは咄嗟に後ろに下がるとその少女の姿を見て、これでもかと言うぐらいにカッと目を見開く。 そこにいたのは、まるで人形かと見紛うばかりの紅い瞳の可愛い少女がいた。 薄ピンクの可愛いドレスを身に付け、頭には紅いリボンがついたドレスの色と同じナイトキャップを被っている。 そこだけ見れば本当にただの少女であった。―――しかし、ルイズは咄嗟に少女の背中に何かが生えている事に気が付いた。 下手すればルイズの身体幅よりも大きい一対の黒い蝙蝠の羽が生えている。 ルイズはその翼を見て目を見開いたのだ―――この娘、人間じゃない!と。 驚くルイズを見てか、少女はまるで嘲笑うかのように自分の口を三日月の様に歪めた。 口の中には、一目でわかる程度の犬歯が生えていた。 ルイズはそれを見て、一瞬だけ自分の頭の中を閃光が走っていったのに気が付いた。 翼などは無いが、自分の中の知識が正しければあれ程大きい犬歯を持った亜人はたった一種しかいない。 「吸血―――――― 目の前にいる亜人の名前を叫びつつ、ルイズは咄嗟に杖を少女の方に向けて自分の失敗魔法をぶつけようとした。 霊夢と比べれば多少劣るが、それなりにルイズは色々と鍛えている。 座学や簡単なポーションの作り方は勿論、乗馬や杖の早抜きといった事も一通りこなしていた。だというのに… ――――鬼ィ!………ッッ!」 気づけばルイズは――――― 「随分達者な運動神経ね?」 いつの間にか後ろにいた咲夜に杖を持っていた方の手を捻り上げられていた。 捻り上げられた手から伝わってくる鋭い痛みに耐えながらも、ルイズはなんとか後ろを振り向く事できた。 ルイズの手を掴んでいる咲夜は顔に人を小馬鹿にしたような薄い笑みを浮かべていた。 痛みに耐えながらも、ルイズはなんとか口を開いて咲夜を怒鳴りつける。 「なっ…、誰よ貴女は!?は…離し――」 「離したら、お嬢様を傷つけるつもりなんでしょ?全く、手癖の悪い子猫ね」 しかし、言い終わる前に咲夜はルイズの言葉を遮ると、ルイズの手を掴んでいない方の手で小さなナイフを取り出した。 今まで黙っていた魔理沙はナイフを使って何かしようとしている咲夜に、声を荒げた。 「おい、よせよ咲夜…!」 「別に傷ものにしようだなんて思ってないわ。ただ手癖が悪いようだから少しだけ動かなくさせるだけよ」 咲夜は軽い感じで魔理沙にそう言うと、ナイフを逆手に持ち替えた。 それを見た霊夢が今にも身体を動かそうとしたとき、何者かが咲夜を制止した。 「咲夜、そこまでにしておきなさい。どうせ放しても私に害を与えないわ」 その声の主は魔理沙や霊夢でもなく、ルイズの目の前にいた吸血鬼であった。 吸血鬼に制止された咲夜は一瞬だけ考えるような素振りを見せた後、「仰せのままに」と言ってルイズを解放する。 持っていたナイフも瞬時に消え、魔理沙は安堵したかのように溜め息をついた。 解放されて思わず杖を取り落としたルイズを横目で見つつも、霊夢がふと口を開いた。 「どうやら、紫の言ってた事は本当みたいね」 それはルイズに出はなく吸血鬼に対しての言葉であり、吸血鬼もまた言葉で返した。 「あいつの言葉に踊るのは癪だが、そうでもしないと本末転倒さ」 霊夢は吸血鬼の口から出た「そうでもしないと本末転倒」という言葉に眉をしかめた。 「……?どういう事よ、本末転倒って」 「庭を荒らす連中を怒りにまかせて消してしまえば。理不尽にも庭ごと消滅してしまうのよ」 吸血鬼はそう言うとルイズの方へと顔を向け、垂直の瞳孔を持つ紅い瞳がルイズの鳶色の瞳を見つめ始めた。 まるで何かを見定めているかのように、吸血鬼は全神経を自分の目に集結させている。 「……ふぅん?常人よりちょっと上の苦労を積み重ねてるようね…しかし、それでいて決して報われていない…」 自分の瞳を凝視しつつ何かブツブツ独り言を言っている吸血鬼を警戒しつつ、ルイズは取り落としてしまった杖を拾おうとした。 しかし、それよりも先に吸血鬼がその杖を拾い上げてしまい、その両手で弄くり始めた。 「この杖はお前の苦労を知っている。だからどんなに傷つこうがお前の手許にいるのさ」 吸血鬼はそんな事を呟きながら人差し指でルイズの杖をなぞった後、それをルイズの方へと放り投げた。 ルイズは咄嗟にその杖をキャッチしたが、先程と違って吸血鬼の方へと杖を向ける気は失せていた。 自分に顔に向けられている紅い瞳と、小さな身体には不似合いなほどの大きな蝙蝠の羽が威圧感を放っている。 ハルケギニア狡猾な亜人としてのイメージがある吸血鬼のイメージにはそぐわない、吸血鬼であった。 そんなルイズの様子を見て吸血はその顔に笑みを浮かべ、彼女に向かって話し掛けた。 「ようやくわかってくれた様ね?私は貴女に危害は加えないし、貴女は私に危害を加えない それは何故か――?…そうなるように運命が進んでいるからよ。まるで分刻みのスケジュールの如く… 今この時だけは、だれも傷つかないように定められているの。…でも、それは決して誰にもわからない。 だけど―――私にはそれがわかるのよ。そしてわかるからこそ操ることも出来る――― ―――それがこのレミリア・スカーレットの能力よ」 吸血鬼、レミリアは自らの自己紹介を交えつつもそう言った。 ルイズは自己紹介にただただ呆然とするしか無かった。 レミリアは、自分の話を聞いて呆然としている少女に向けて、微笑みを浮かべる。 「ようこそルイズ・フランソワーズ、感謝するわ。わざわざ霊夢を連れて来てくれて。お陰で乗り込む手間が省けたわ」 ☆ レミリアが自己紹介をした後、霊夢はルイズにある程度の説明をする事となった。 「まぁ確かにコイツは吸血鬼だけど無闇に人を襲うような事はしないわよ。多分」 とりあえずはその言葉に安心したルイズは、それでも吸血鬼に近づきたくないのか霊夢の後ろにいた。 そして文と永琳達が戻ってくるまでレミリアは睨んでみたり腕を上げるといった何気ない動作でルイズを怖がらせていた。 「どうやら貴女の世界でも吸血鬼は随分と恐ろしい存在なのね」と笑い転げたところで、霊夢に叩かれた。 それから数十分後、まるで見計らっていたかのように戻ってきた文が記念写真にとルイズと霊夢を撮影し始めた。 それからすぐにして永琳達も神社の方へ戻ってきたのを見て、これは何かあるなと思った魔理沙は神社に残ることにした。 ついでに、どうせならと思って先程話し合いとか何とか言っていたレミリアに聞いてみたところ。 「話し合い?えぇ、あるわよ。霊夢とその側にいるルイズとかいう奴に言いたい事があるらしいわ」 「ふ~ん、じゃあ何で永琳やお前達までいるんだよ?」 魔理沙の質問に、レミリアは少し不満そうな表情を浮かべつつ、こう言った。 「知らないわよ。アイツはアイツで色々と秘密にしてるし」 レミリアからの返答を聞いた魔理沙は自然と肩を竦めた。 ◆ そして時間は今に戻り… 「ホント…ちょっとしたビックリと自己紹介だけで良く済ましたもんだな。この前まではカンカンだったのに」 数日前のレミリアを知っていた魔理沙はつい数十分前までの事を思い出しつつ、そう言った。 異世界に乗り込んでるわーと意気込んでいたレミリアを知っていた魔理沙は、あの時の彼女がどれ程怒っていたのかよく知っていた。 ――――あなたは許せるかしら?他人に自分の庭を飾るのに一番大切な物を勝手に奪われ、 尚かつその庭を守るレンガに落書きをするような下衆共を あの言葉を聞いて帰宅した魔理沙は、食事を取るのも忘れて寝てしまった。 しかし、目を瞑ってもあの時のレミリアの顔が瞼の裏に浮かび上がり寝るに寝れなかったのだ。 その時と比べれば大分柔らかくなったなぁ~と魔理沙は思っていた。 一方のレミリアは納得いかない、と言いたげな顔をしつつこんな事を言った。 「私は弱すぎる奴を徹底的に潰すのは好きじゃないの。やるならもっと大きい奴じゃないと気が済まないわ」 「大きい奴…?」 魔理沙はレミリアの言葉に首を傾げつつも、最近博麗神社に訪れるようになった鬼の事を思い浮かべた。 そんな時、ルイズ達のいる方から元気そうな声が聞こえてきた。 「ほらほらぁ~、ちゃんと笑顔になってくれないと良い写真になりませんよ?」 「っていうか何よその機械は…?さ、さっきから何か変な音が聞こえてくるんだけどぉ…」 見たこともない写真機に少し怖がっているルイズの姿を見つつ、文は楽しそうに撮影している。 人里から戻ってきていた永琳と鈴仙は社務所の縁側に座りつつ、その様子を眺めていた。 「客寄せパンダ…というのは彼女の事を示すんでしょうね」 写真機のフラッシュとシャッター音に怯えているルイズを見て、鈴仙はポツリと呟いた。 何の感情も伺えない瞳でルイズを見ていた永琳は、弟子の発言にこう答えた。 「どうかしらねぇ、私にはパンダというより猫みたいな感じがするわ。…アメリカンショートヘア、もしかするとアメリカンカールかしら?」 「種類まで言うんですか…まぁでも確かに、猫耳つけたら似合いそうですね」 真剣そうな永琳に鈴仙は冷や汗を流しつつも、猫という答えにはある程度納得していた。 そんな弟子の言葉に、永琳はその顔に妖しい笑みを浮かべるとこんな事を言った。 「猫耳ね…本人から許可が取れたら付けてみようかしら?」 永琳の言葉に、鈴仙は首を傾げた。 「…え、なんで許可を貰う必要があるんですか?猫耳といったらあの猫耳バンドでしょ?」 弟子の発言に、永琳は首を振ると自身満々に喋り始めた。 「そんな偽モノじゃあ駄目よ、ちゃんとした猫の耳を自分の耳として使えるように移植して…」 「えぇ!?まさか本物の猫耳をつけようと言うんですか!」 そんな風に各々が神社の境内で過ごしている内にどんどんと辺りは暗くなっていく。 そろそろかがり火でも焚こうかしらと霊夢が思った丁度その時、ふと上空から聞き慣れた女性の声が聞こえてきた。 「――――どうやら、呼んでいた者達は全員来ているようね」 最初に気が付いた鈴仙がすぐさま空を見上げてみると予想通り、八雲紫が隙間から顔を覗かせていた。 紫に気づいたレミリアは不満そうな表情を浮かべつつ、紫に話し掛ける。 「遅かったわね八雲紫。一体何処で油を売っていたのかしら?それに西行寺の亡霊も来てないわよ」 ついでレミリアは以前紅魔館での話し合いに来ていた幽々子が来てない事を紫に言った。 「幽々子は幽々子で色々とすることがあるのよ―…っと!」 喋りつつも空中に出来た隙間からぬるりと出てきた紫はゆっくりと境内に降り立った。 鈴仙に続いて気づいた他の者達も紫の方へと視線を向け、まず最初に魔理沙が声を掛けた。 「よぉ紫。何か面白そうな事になってるじゃないか?私も混ぜてくれよ」 黒白の魔法使いが愛嬌のある笑顔で手を振ってそう言うと、ルイズの傍にいた文も紫に声をかけた。 「これはこれは紫さん。神社の方で何やら面白そうな事があると聞きましたが…どうやら本当みたいですね」 「あら、魔理沙にカラスの文屋までいるじゃないの?こうなるなら、貴女たちも呼んでおくべきだったわね」 紫は肩を竦めながらそんな事を言うと、ルイズの傍で面倒くさそうな表情を浮かべている霊夢が話し掛けてきた。 「何だか…ちょっとした大事になってるんじゃないの?」 霊夢の言葉に、紫はすこし呆れたと言いたげな表情を浮かべつつこう答えた、 「それに今頃気づくなんてね…貴女はもう少し危機感を持った方がいいわよ?」 次に紫はルイズの方へと近寄り、彼女に話し掛ける。 「今晩はルイズ。幻想郷の空気には慣れたかしら?」 「うぅ…郷に入りて郷に従えって言葉は知ってるけど…実を言えば気絶直前だわ」 うだつの上がらないルイズの顔を見て、紫はコロコロと笑った。 「見慣れぬ郷に慣れるのには時間が掛かるものよ。まぁもうすぐ貴女は元の世界に帰るけど」 紫の口から出た「元の世界に帰れる」という言葉を聞き、ハッとした顔になる。 「え?もとの世界って…ハルケギニアに帰れるという事?」 「まぁその前に幾つか教えておきたい事があるわ」 そんなルイズを見て紫は微笑みつつも、こう言った。 「貴女と霊夢が…今後ハルケギニアでするべき事をね?」 ◆ トリステイン王国首都、トリスタニアのブルドンネ街。 狭い道に老若男女が行き来し、道の端では露店が出ていて商人達が今日も稼ごうと声を張り上げている。 比較的海に近い国のためか魚やムール貝などの海鮮食品が無加工状態で手に入るのだ。 更に塩などはロマリアの次に比較的安価で売られている為。街の人々は調味料に困ったりはしない。 酒場やレストラン、宿屋も街のあちこちにあり他国の名のある貴族達もブルドンネ街に観光目的だけで訪れる事も少なくはない。 そんな街の一角に、大きな噴水が設置された広場があり、この街では公共の場として市民達に愛されていた。 毎日毎日色んな人達がこの広場で休み、街の喧噪や何処からか流れてくるラッパや合唱を聞いて空を仰ぐ。 今日は珍しく人がいないものの、何処からか聞こえてくるバイオリンの繊細な音色に耳を傾けている少女が一人いた。 「あら、今日はバイオリンの音が聞こえてくるわ」 果物が二、三個入った茶色い袋を両手で抱えながら、シエスタは誰に言うとでもなく呟いた。 彼女は魔法学院で給士として働いている彼女であるが、着ている服はいつものメイド服ではない。 茶色のスカートに木の靴、そして草色の木綿のシャツ。シエスタが実家を出る際に持ってきた私服である。 今日は久々に休みが取れた為、こうして私服姿で街を歩いていた。 お使い以外に滅多に街へ来ることの無いシエスタにとっては、唯一の楽しみでもある。 生まれ故郷が首都から離れた村ということもあって、トリスタニアは娯楽に溢れていた。 それに、チクトンネ街には母方の叔父が店を開いており、袋に入っている果物もその叔父と店の人達にあげるためのものである。 シエスタは早くに店に着きたいなーという一心で広場を通ってチクトンネ街の方へ行こうとしたとき、ふと誰かが声を掛けてきた。 「よぉよぉお嬢ちゃん。なんだか嬉しそうだけどどうしたの?」 やけに軽い感じの声を耳に入れたシエスタが振り返ると、そこにはやけに軽い服装の男が三人もいた。 最近街で流行っている男性向けの黒いシャツを着こなし、真鍮のネックレスを首からぶら下げている。 後の二人も同じような服装ではあるが、誰一人としてマントをつけていない事から貴族ではないようだ。 「えっと…、あなた達はもしかして、私に声を掛けたんですか?」 今まで見たことがない感じの男達に、シエスタは怪訝な顔つきになった。 一方の男達もシエスタの言葉にウンウンと頷くと先頭の一人が口を開いた。 「そぉだよ。…いやぁー実はオレ達新しく出来たカッフェていう店に行こうと思ったんだけれど男三人だとどうにも、ね…? だからさー、偶然出会った美しい君と一緒にお茶を飲みたいと思って…あぁお代は勿論僕達が支払うから」 男は長々と喋りつつも流し目を送り、キョトンとしているシエスタの気をなんとか引こうとしている。 しかし、今まで出会ったことのないタイプであった為か、シエスタはその流し目に気づかなかった。 「すいません、ご厚意だけは受け取りますけど何分急いでますので…」 申し訳なくそう言いつつ、自分を口説こうとした男に向かってシエスタは頭を下げた。 ついこの間、モット伯に手を掴まれたシエスタは、見知らぬ異性に対してある程度の警戒心を抱いていた。 早くここから立ち去らなければいけないと思い、シエスタは早足でこの場を立ち去ろうとした。 しかしそんな彼女の手を、男達は突拍子もなくいきなり掴んだ。 「ちょっと待ってよぉ~。別に誘拐しようなんて気は無いんだってば」 「は、離してください…!」 いきなり手を掴まれたシエスタは襲いかかる不安をはね除けるために手を振り解こうとした。 しかし男は手の力を更に強め、後ろにいた二人がシエスタを周りを囲もうとした。その時―――! ヒュン――――ガッ! 「イィ゛ィッ!」 突如どこからか勢いよく飛んできた小さな物体がシエスタの手を掴んでいた男の後頭部に直撃した。 男は頭を抑えつつその場にヘナヘナと尻もちをついた。 「おっ…オイ、どうしたんだよ!…って、何だコリャ?」 倒れた仲間に驚いた一人が傍へ近寄り、その近くに水色の小さな水晶玉が転がっているのに気がつく。 水晶玉といっても半分ガラス細工のような物であり、所謂゛ビー玉゛と呼ばれる代物である。 その時、彼らの後ろから快活だと思わせる元気な少女の声が耳に入ってきた。 「それが此処でのナンパか。ハッキリ言ってそれだと普通の女は引くぜ?少なくとも私は一発殴りたい気分になる」 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん トリスタニアを覆う巨大な城壁、かつては王家同士の内戦や他国との戦いで見事に敵軍を押しとどめた立派な防壁。 それぞれ方角ごとにある城門とは別に、これまた大きな駅舎が街側の方に建てられている。 今現在に至るまで何回かの増改築を繰り返した駅舎は、上級貴族の豪邸にも引けを取らぬ立派な造りの建物であった。 外側には馬車を停める為の厩や駐車場もあり、建物としての規模では相当大きな部類に入る。 国内外から駅馬車や個人の馬車で来る者たちは皆一度はこの駅舎の中へと入り、役員たちと軽い話をするものである。 勤務する者たちも今となっては平民の方が多く、特に近年稀にみる人材不足の影響で平民もデスクワークをするようになっていた。 かつては平民がそのような職業に就いてはならぬという法律があったものの、先王の代で愚法として廃止されている。 そのお蔭で辺境地に暮らす平民の子供たちの中には、地元の教会などで神父から文字や数字を覚えて街へ出稼ぎに行く者たちも増えていた。 魔法学院で働くメイドたちもそういった者たちが多く、トリスタニアは若者が集まる街として最近他国でも話題に上がっている。 しかしそれが原因で一部地域では若者が返ってこず、年寄りだらけの過疎地域が増えているのもまた事実であった。 そして出稼ぎに出た若者たちほど、多くの人員がいなければ成り立たない駅舎の様な建物で雑用係やデスクワーカーとして働く運命なのである。 トリステインだけではなく、今ハルケギニアの各国で起きている地方問題に関わっているその駅舎の内の一つ。 ゲルマニア側にある北部駅舎では、貴族平民問わず多くの人々が受け付け窓口に並んでいた。 一応貴族と平民とで受付窓口は二つに分けているものの、その列は窓口から十メイルも離れた出入り口まで続いている。 ガリア側への交通ルートがある南部駅舎と同じく、休日祝日はごった返すことで有名であるが、ここまで並ぶことは滅多に無い。 その原因はたったの一つ。それは先日大々的に報じられたアンリエッタ王女とゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の結婚式中止にあった。 理由はまだ明らかにされていないものの、そのお触れが出されてからはこうして返金に来る者たちが駅舎へと訪れている。 「はい、返金ですね。承りました、少々お待ちを…」 「うむ…よろしく頼むよ」 いかにも裕福な貴族がチケットを受付窓口で渡し、窓口に座る受付嬢がチケットの番号と貴族の名前を元に返金対応を進めていく。 彼は有事の際の返金対応をしっかりとしてくれている駅馬車会社からチケットを買っていたので、後は黙っているだけで良い。 それよりもその貴族が最も心配している事は、急に中止のお触れが出たアンリエッタ王女の結婚式の事であった。 成り上がりのゲルマニア皇帝と結婚せずに済んだのはまぁ良かったが、それでも結婚式が中止になるという事例は滅多にある事ではない。 歴史的にも王族の関わる結婚式が中止になったという事例は、この六千年の中で指を数える程度しか起こっていないのだ。 先のアルビオンの裏切りといい、王女殿下の結婚式の中止といい、今年は何故か妙に騒がしくなっている。 「これまで自分の人生はずっと平凡だと思っていたが…」 「……はい?」 「あっ…何でもない、ただの独り言だよ。…ゴホン、君は職務に戻りたまえ」 先の見えない不安からか、無意識のうちに口走った胸中の言葉を誤魔化すように、わざとらしい咳をした。 彼だけではなく、この場へ来ている貴族の大半が皆似たような不安を抱えている。 中には貴族派に乗っ取られたアルビオンとの戦争が始まるのではないかと、そう推測する者もいた。 確かにそうだろう。タルブ村で裏切ったアルビオンの訪問艦隊が全滅した後、アルビオン側の大使が宣戦布告の通知を王宮へ突きつけたのである。 そしてトリステイン王国もその通知を快く受け取り、今では神聖アルビオン共和国と名を変えたあの白の国とは戦争状態にある。 しかし、これをゲームに例えればアルビオン側はボロボロなのに対し、トリステイン側は殆ど無傷と言っても良い状態にあった。 トリステイン側は親善訪問に出ていた主力艦隊はほぼ無傷であり、損失した艦の補充も既に準備できている。 地上戦力は件の化け物騒ぎでそれなりの損害が出ているものの、致命的と呼ぶには程遠いくらいであった。 対してアルビオン側は親善訪問に出ていた『レキシントン』号含めた、主力艦隊を丸ごと喪失。 加えて輸送船に載せていた地上部隊を合わせて、計四千もの戦力がトリステイン軍の捕虜となったのだ。 このご時世ここまで損害が出過ぎると、アルビオン側の指導者がトリステインへの裏切りを謝ったうえで指導者としての座を辞すべきであろう。 だが宣戦布告以降アルビン側からの連絡は一切なく、まるで死んでしまった仔犬の様に黙ってしまっている。 不特定多数の者たちが、共通した悩みを抱えている空間と化した駅舎一階受付口の丁度真上にある、二階待合室。 全三階である北部駅舎の二階は、貴族専用ではあるが馬車の発車をゆっくり休みながら待てる場所となっている。 一階とは別の貴族専用のお土産売り場や、お茶や軽食が食べれるカッフェに小さいながらもブティックや本屋も設けられている。 既に夏季休暇の時期に入っているので、平日や虚無の曜日などよりも多くの貴族たちが出入りしていた。 その一角にある『麦畑の片隅』という、一風変わった名前でありながら洒落たレストランがあった。 トリステインの地方にある農家をイメージをした外観に似合った、トリステイン地方料理と紅茶がウリの店である。 王都や都市ではお目に掛かれぬような素朴で、悪い言い方をすれば田舎者が食べるような料理の数々。 それでも味は決して悪くは無く、むしろ珍しい地方料理が食べれるという事で王都の貴族達も時折足を運ぶ程である。 パンも街で食べられているような白パンではなく、雑穀や胡桃が入った変わり種のパンが厨房の窯で焼かれている。 そして各地方から取り寄せた茶葉で淹れた紅茶は、国外からやってきた観光客にも一定の人気があった。 はてさて、そんな店の隅には四つほどの個室が設けられている。 主に貴族の家族や数人単位で観光に来た外国の貴族たちが自分たちのペースで楽しく食事を楽しめるようにと用意されているのだ。 部屋のつくりは平均的な中流貴族が暮らすような部屋より少し上程度ではあるが、掃除はキッチリとされている。 既に昼食の時間帯に差しかかった店内は忙しく、当然のように個室も全て満室となっていた。 その内の一室、右端にある『風の個室』というネームプレートが扉に取り付けられた個室の中でルイズたちがいた。 当然の様に霊夢と魔理沙の二人もいたが…意外な客も一人、彼女たちの食事に同席していた。 「にしたって、駅舎の中にこんな豪華な店があるなんてなぁ~」 先程店の給士が運んできてくれたチキンソテーをナイフで切り分けた魔理沙が、天井を軽く見上げながら呟いた。 シーリングファンが回る夏の個室はやや暑いと思っていたが、そこはやはり貴族様専用の店というところか。 店で雇っているメイジが造った氷から放たれる冷気がファンで室内に充満していて、ほんの少しではあるが涼しかった。 氷は溶けた水滴が落ちない様に器に入れられており、今のところ氷の真下にコップを置く必要はなさそうである。 「それにしても、この前ルイズと一緒に行った店には、これよりもっとスゴイマジックアイテムがあったような…」 「あぁ、そういえばあったわね。あぁいうのが神社にもあれば、一々゙アレ゙を用意する必要が無くなるのに」 魔理沙の言葉に、タニアマスのムニエルを食べていた霊夢が思い出したかのように相槌を打つ。 二人の会話を聞いて、上座の席にいるルイズが呆れた風な表情で会話に入る。 「そんなの出来るワケないじゃないの。あのマジックアイテム、幾らすると思ってるのよ?」 「へぇ、アレってそんなに高いんだ。結構簡単に作れそうなもんだと思ってたけど…」 「アレを一つ購入しただけでも、波の貴族なら半年分の給料がフッ飛ぶレベルよ」 「成程、それならこのレストランの天井にある氷とシーリングファンの方が安く済むというワケか」 割り込んできたルイズに不快感を抱くことなく、彼女の方へと視線を向けた霊夢が意外だという感じで呟く。 ついで魔理沙も笑顔で会話に混ざりながら、大雑把に切り分けたチキンソテーを豪快に頬張る。 バターと一緒に炒めたピーナッツの風味と塩コショウがうまいこと鶏のモモ肉とマッチして、口の中を小さな幸せで包んでくれる。 ウェイトレスはこの料理を「田舎農場の平民夫人が作る、バターとピーナッツのチキンソテー」という長ったらしい名前を読み上げていた。 その名の通り、メインにモモ肉に炒めたピーナッツに付け合せは茹でたトウモロコシだけといういかにも田舎らしい料理である。 しかしその地味な見た目とは裏腹に味はしっかりしており、これを作ったシェフの腕の良さをこれでもかとアピールしていた。 (ふぅ~ん…まぁ確かに、ちょっと素朴な味付けで悪く無いが。……これだけだとご飯とは合わないだろうな~) 嬉しい気持ち半分、この世界へ来てから一口も食べていない白飯への想いを募らせながら、 見た目とは裏腹な美味しい料理に、舌鼓を打っていた。 「それにしても、まさかアンタ達三人とこうして食事する羽目になるなんてね」 そんな三人の食事風景を見ながら、丁度ルイズと向かい合う席に座っていた意外な客こと…モンモランシーが口を開いた。 メインに頼んだ猪のスペアリブを半分ほど食べ終えたところで、彼女は神妙な面持ちで言う。 一方の三人…特にルイズは何を今更と思ったのか、怪訝な表情を見せて自分と向かい合っているモンモランシーに話しかける。 「どうしたのよいきなり?」 「いや、だって…そこまで深い関わり合いが無かった貴女とそこの二人と一緒に、こうやって食事をするなんて思ってもいなかったから」 ルイズからの質問に彼女はそう答えると、薄いレモンの輪切りが入ったソーダをクイッと一口飲んだ。 豚肉の匂いとソースの風味で占領されていた口の中へと、弾けるような炭酸水の甘味が綺麗に洗い落していく。 そして程よく主張するレモンの爽やかな風味が、やや鈍くなりかけていた食欲をもう一度促進させてくれる。 一口飲んだところでコップを離し、ホッと一息ついたモンモランシーが残り半分の豚肉を食べようとした直前、 付け合せのコーンサラダを食べ終えた霊夢が、ティーカップを持ったまま口を開いた。 「っていうか、元を正せばアンタが無理言って私達との相席を頼んできたのが原因じゃないの?」 「……それは言わないで頂戴、私だってできればやりたくなかったんだから」 容赦ない指摘にフォークとナイフを持った手を止めたモンモランシーは、ジロリと霊夢を睨みながら言った。 まるでカエルを睨む蛇の様なモンモランシーの目つきに対し、ジト目の霊夢も全く引く様子を見せない。 両者互いに軽く睨み合う中、蚊帳の外であるルイズと魔理沙は亜互いの顔を見あいながら似たような事を思っていた。 「私思うのよ。霊夢の言葉って、誰にでも容赦しないからすぐ火が点いちゃうんだって…」 「それには同意しちまうな。霊夢のヤツはあぁ見えて、人付き合いが少ないから慣れてないんだよ」 両者互いに思っていた事を口にした後も、二人のにらみ合いはそれから一分ほど続いていた。 そもそも、どうしてルイズたちはこうしてモンモランシーと食事をする事となったのか。 時を遡れば今から一時間前、幾つかの諸事情で王宮を離れる事となったルイズが二人を連れて故郷に帰る時に起こった。 結婚式も中止となり、ひとまずは大丈夫という事で長かった王宮での生活が終わる事となった。 出ていく際の荷造りの時、王宮の図書室から本を持ち出していた魔理沙のせいで、時間が大幅に遅れたものの、 給士たちの手伝いも借りて荷造りを終えたルイズは、二人を伴って故郷のラ・ヴァリエールへと一旦帰る事となった。 既に夏季休暇の時期に入っており、キュルケやギーシュたちも一旦は故郷へと帰る予定であった。 彼女たちも大丈夫だという事で解放され、多少後ろ髪惹かれつつもキュルケとタバサは一足先に王宮を後にしている。 ギーシュの方は荷造りを終えた後、給士から手渡された手紙を見て慌てて出て行ったのだという。 一体どこからの手紙かと興味津々な魔理沙が聞いてみた所、トリスタニアにあるアウトドアショップからだという。 テントやキャンプなどに使う器具や道具などの販売、レンタルを行っている店でルイズも店の名前くらいは知っていた。 唯一残っていた…というより、慌てて出て行ったギーシュに放って行かれたモンモランシーが詳しい話をしてくれた。 「あぁ…多分アイツがレンタルしてたテントの延滞料金ね。キュルケの提案でアンタ達のいた王宮を監視してた時に使ってたから…」 ギーシュに置いていかれたせいで多少怒り気味に話した彼女に、ルイズはあぁ…と納得した。 一応監視の話はキュルケから聞いていたので驚きはしなかったが、テントの話までは初耳であった。 その後、モンモランシーも故郷に帰るという事で魔法衛士隊員が学院から持ってきてくれた荷物片手に王宮を後にした。 少しして、ルイズ達も執務を途中で抜け出してきたアンリエッタにお礼と挨拶をしてからブルドンネ街へと入っていった。 王宮と外を繋ぐ大きな門を歩いて出てから暫くして、街中に充満する茹だるような暑さに霊夢が呻き声を上げた。 「クッソ暑いわね…」 「そりゃ夏だしね。暑いのは当たり前じゃないの」 『いやー娘っ子、街中に陽炎がでる程暑いのが当たり前とか言われたらお手上げさね』 自分の荷物が入った旅行鞄を左手に、そしてデルフを背中に担いで汗だくの顔を右手で煽る霊夢にルイズがそう返すと、デルフがすかさず突っ込みを入れた。 トリステイン、特に王都はこの時期になると外国から来た観光客が気温の高さに驚くのはいつもの事である。 道幅の狭さもあるが、ブルドンネ街だけでも人口の密集率が多さと合わさって街全体が熱気に包まれるのだ。 「にしたって、この前来た時はこんなに熱くなかったぜ?」 黒い服を着てるせいか、霊夢以上に熱さで茹だっている魔理沙が帽子を仰ぎながら涼しい顔をしているルイズに苦言を漏らす。 「だって、あの時は初夏だったでしょ?あれくらいで音を上げてたら、タニアっ子にはなれないわよ」 「こんなに暑い所で暮らすなら、ならなくてもいいぜ…」 『全くだな。オレっちは別にそういうのは感じはしないが、見てるだけでも暑いって分かるよ』 うんざりした風に言ってから、ハンカチで顔の汗を拭く魔理沙を見てルイズは内心ホッとしていた。 てっきりこんな暑さどうってこと無いとか言うと予想していたが、思っていた以上に彼女たちは人間らしい。 (正直に言えば、まぁ確かに暑いっちゃあ暑いわよねぇ…) 一見汗をそれ程掻いて無さそうに見える彼女であったが、着ているブラウスの内側は既に汗だく状態であった。 何せそのまま着ている魔法学院の制服は長袖なのだ、それで暑くないとか言ってたら頭がおかしい思われるだろう。 魔法学院指定のブラウスには一応半袖のモデルはあるし、ルイズも予備のブラウスにと一着持っている。 しかし、王宮で匿われる際に魔法衛士隊員が持ってきてくれた鞄の中にはそれが無かったのだ。 おそらく入れ忘れか何かなんだろうが、そのお蔭てこうして体の内側から蝕んでくる汗に苛なむ羽目になっている。 (ラ・ヴァリエールとかなら、こんなに暑い思いはせずに済むんだけど…) そろそろ額から滲み出てきた汗をハンカチで拭いつつ、トリステイン最北端にある自分の故郷をふと想った。 これから二人を連れて帰るべき場所、王都から駅舎の貴族専用長距離馬車で最低でも二日は掛かる距離にある遠き我が家。 広い草地を通り抜けていく涼しい風を想像しながらも、ルイズは暑さでバテかけている二人を励ます。 「まぁ暑いのは王都とか都市部ぐらいなもんだし、地方に行けばちゃんと涼めるわよ」 「えぇ…?あぁ、そういえばこれからアンタんとこの家に帰るんだったっけ?確か…ラ・ヴァリエールだったわよね」 ルイズの言葉に、王宮を出る前に彼女が言っていた事を思い出した霊夢がその名を呟く。 「ラ・ヴァリエール。…トリステインの北側の端に位置する領地で、私の父ヴァリエール公爵が治めている土地よ」 霊夢の言葉にコクリと頷いた後、ルイズはヘトヘトな二人を伴ってブルドンネ街を歩き始める。 ここから歩いて一時間近くも掛かるであろう、北部駅舎へ向かって。 それから後は、色々なトラブルに見舞われ到着が遅れに遅れる事となった。 ただでさえ気温が高いというのに、最短ルートで北部駅舎行くためには人口に比べて道幅が狭い大通りを歩くしかないのである。 流石のルイズも歩き始めて十五分程度でバテてしまい、他の二人はそれより前に暑さでどうにかなりそうな状態にまで追い詰められた。 止むを得ず通りを出た広場で小休止しようにも、木陰や日陰の場所は占領されてまともに涼めずじまい。 幸い屋台や広場を囲うようにしたレストランや果物屋では冷たいジュースなどを売っていた為、街中で行き倒れる羽目にはならなかった。 三人とも二本ずつ絞りたての冷たいジュースを飲み、広場を出た後も苦難の道のりであった。 通行人同士の喧嘩で通りが一旦封鎖されるわ、平民が干していた洗濯物のシーツが三人の頭に覆いかぶさってくるわでトラブル続き。 一体全体、どうして駅舎へ行くだけなのにこうも大変な目に遭わなければいけないのかと…ルイズは駅舎に辿り着いた時にふと思った。 そうこうして北部駅舎の玄関に辿り着き、一部窓口で物凄い行列を横目で一瞥しつつルイズは別の窓口で切符を購入した。 行先は無論ラ・ヴァリエール着の長距離切符三人分。長旅で疲れない様にランクの高い馬車をその場でチャーターしたのである。 「馬は二頭で屋根付き、国産シートとシーリングファンにクールドリンク及び食事付き。それを一両貸切でお願いね」 最初、彼女からの注文を聞いた受け付け嬢は「は?」と言いたげな表情を一瞬浮かべ、ついで彼女がヴァリエール家の人間だと理解した。 本当ならば切符の値段も去る事ならば、高ランクの馬車を予約も無しに借りるなど…並みの貴族であってもお断りされる事間違いなしだ。 しかし、行先であるラ・ヴァリエール領を治める貴族の家の者ならば断ることは失礼に当たる。 「は、はい。かしこまりましたミス・ヴァリエール…!ただいま業者に問い合わせますので暫しお待ちを…!」 受付嬢の近くにいた駅舎の職員数人がルイズの注文を急いでメモして、慌てて何処かへと走っていく。 予約も無しに高ランク馬車の貸切りは相当無茶な注文であったが、当然その分の支払いも相当な額になる。 しかし、ルイズの要望に応えるとなるとそれ相応の負担も付くために、業者側も上げたい手を中々上げられない依頼であった。 数分後、業者への問い合わせが終わった一人の職員がシュルピスに本社を置く馬車会社が要望通りのモノを貸し出せるとルイズに報告した。 「ただ…先程のメンテナンスで車軸の交換が必要と診断されたので、修理に時間が掛かるとの事です」 「そうなの?でもまぁ大丈夫よ、乗せてくれるのならいくらでも待てるから」 まるで自分の足を踏んでしまったかのように必死に頭を下げる職員に、ルイズは軽く微笑みながら言う。 彼女の後ろにいた霊夢達は、まだ十六歳であるルイズにヘコヘコと頭を下げる職員を見て軽く驚いている最中であった。 「なんていうか…ルイズの家って本当に凄いんだな~…って改めて思うわ」 「そりゃあなんたって、ここの王家と相当繋がりが深いし当然だろ?」 『まぁぶっちゃければ、娘っ子ぐらい名家じゃないとあぁいう事はできそうにないしな』 改めてルイズが公爵家の人間だという事を改めつつ、二人と一本が軽い驚きと関心を示しているのを横目で一瞥し、 思いの外、自分の家が特別なのだと再認識していた。 その後、二階のレストランで食事を摂りつつ時間を潰して欲しいと言われた。 持ってきていた荷物は受付で預かって貰い、当然ながら安全面を考慮してデルフもお預かりされる事となってしまった。 「多分、暇を持て余したらペチャクチャ喋ると思うし、その時は鞘に納めて黙らせといて頂戴」 このクソ暑い中、それまで喋っていたデルフと暫しの別れが出来る霊夢は遠慮も無く、鞘に収まったデルフを差出し、 カチャカチャとひとりでに動くデルフを見て、給士は大変な仕事を任されたと感じつつそのインテリジェンスソードを預かるほかなかった。 「は、はぁ…かしこまりました」 『ひっでぇコト言うな~…、まぁでも許す。何せお前は俺の久方ぶりの゙相棒゙だしな』 一方のデルフは相も変わらず冷たい霊夢にそんな軽口を叩きつつ、『まぁ楽しんで来い』と心の中で軽く手を振る。 それが通じたのかどうかは知らないが、荷物と一子に金庫へと運ばれていくデルフに巫女も小さく手を振っていた。 そうして、身軽になったルイズたち三人は古い階段を上って二階のフロアへと入った。 貴族専用の待合スペースでもあるそのフロアは、流石『貴族専用』と謳うだけあって、中々綺麗な造りをしている。 「土産売り場に小さな本屋…後はレストランまであるとは。こりゃあちょっとした小さな通りが、宙に浮かんでる様なもんだぜ」 「そういえばそうよね、…だからって道幅の狭さに対して人の多さまで再現しなくたっていいのに」 店や廊下を出入りする国内外の貴族達を見ている魔理沙の一言に、霊夢が余計な一言を入れつつ頷く。 彼女のいう事もあながち間違っておらず、お昼の掻き入れ時という事もあってか、多くの貴族たちが廊下を行き交っている。 多少なりとも二階は涼しかったが、人ごみだけは相変わらずな廊下を歩いて、席の空いているレストランを探していた。 しかし時間が時間という事もあってかどこも満席であり、空席があっても予約済みの席と言う有様。 一度すべてのレストランを見て回り、二階のロビーへと戻ってきたルイズたちはどうしようかと頭を抱えるほかなかった。 「どうするのよ?このままだと、食べずじまいで此処を出る羽目になるわよ」 「う~ん…一応、馬車側の方でも軽食は出してくれると思うけど…ちょっと勿体ないような気もするし」 こういう場所で食べれる物と言うのは、基本的に外国の貴族でも満足できるような美味しい料理だと相場が決まっている。 ロマリア人の次に食を愛するトリステイン人のルイズにとって、この様な場所で食事を摂れないというのには不満があった。 「とりあえずもう一回巡ってみようぜ?もしかしてたら空席が出来てるかもよ」 そんな彼女の内心を察したのかもしれない魔理沙の言葉に彼女は頷き、もう一度レストランめぐりをしてみたところ… 見事『麦畑の片隅』という看板の店で、丁度空きができた所を彼女たちは目撃する事が出来た。 恐らくロマリアから来た観光客の貴族たちが食事を終えた直後なのだろう。 ルイズと然程年が離れていない様に見える貴族の少女達が各々「チャオ!」と言って入口の給士に手を振って立ち去っていく。 今がチャンスと感じたルイズは、貴族の子達が離れたのを見計らって、頭を下げていた給士に声を掛けた。 「ちょっと良いかしら?そこのギャルソン」 「…!はい、貴族様。当店でお食事でございましょうか?」 何かと思い頭を上げた彼は、目の前にいる少女が貴族だと知って再度頭を下げて要件を尋ねてくる。 ひとまずは「申し訳ございませんが…」と言われなかったルイズは、後ろにいる霊夢達を見やりながら「三人、いけるかしら?」と聞き返す。 ルイズの目線に気付き、彼女の肩越しに霊夢達を見た給士はあぁ…と納得したようにうなずく。 「丁度今、外国からいらした貴族様方が使用していた個室が空きましたので…よろしければそちらをご案内いたします」 接客業を務める人間の鑑とも言える様な眩い笑顔を浮かべて、給士は三人を店の入口へと案内した。 ひとまずは店へ入った彼女たちは、食器等の片づけで少し待ってほしいと言われ、 まぁそんなに時間は掛からないだろうと、大人しく順番待ちの時に座るソファに腰を下ろしていた時…。 「ちょっと!どういう事よ!?二重予約しでかして私の席が無くなってしまうなんてッ!」 「大変申し訳ありませんお客様…!こちらの手違いでこの様な事になってしまうとは…」 先ほど給士が笑顔で頷いてくれた店の出入り口から、ヒステリックな少女叫び声が聞こえてきたのである。 何だ何だと既に食事を頂いている貴族たちの何人かが入口の方へと顔を向け、ルイズたちもそれにならって入口の方へと視線を向ける。 自分たちのいる順番待ちの部屋からは先ほど叫んだ少女の姿は見えず、このレストランのオーナーであろう中年の貴族が、平民の給士と一緒に頭を下げているのが見えた。 二人そろって年下のお客に頭を下げる姿を見つめながら、霊夢が苦虫を食んでいるかのような表情を浮かべつつ口を開く。 「何なのよ?せっかくの昼食時にあんな金切り声で叫んでるのは?」 「さぁ…?でも何となく、聞き覚えのあるような声だな」 魔理沙が興味津々といった様子でそう呟くとおもむろに立ち上がり、入口の方へと歩き出した。 何の迷いや躊躇も無くスタスタと軽い足取りで入口へ向かう彼女を見て、咄嗟にルイズが止めようとしたが間に合わず、 「ちょっと…!」と言ってソファから腰を上げた時には、入口の方へと戻った魔理沙と叫び声の主がほぼ同時に声を上げた。 「ちょっ…!何でアンタがこんな所にいるのよ!?」 「おぉ、もしやと思って顔を見てみれば…やっぱりお前さんだったかモンモランシー!」 お互い暫しの間、顔を見せる事は無かったと思っていたのだろう。 まるでもう二度と出会わないだろうと誓った矢先に街中で鉢合わせしたかのように、二人は奇遇な再開に驚いていた。 魔理沙が声の主の名を呼んだことで他の二人も入口へと向かい、そしてあの金髪ロールが特徴の彼女もルイズたちを見て目を見開く。 「はぁ…?ちょっと待ってよ、一体どういう事があれば…こんな茶番みたいな事になるワケ?」 ――――それを言いたいのは私の方よ、モンモランシー…。 思わず口から出しそうになった言葉を何とか口の中に閉じ込めつつ、ルイズは大きなため息をついた。 ルイズの後に歩いてやってきた霊夢も、ルイズと同じく魔法学院の制服を着た彼女を見てあぁ…と二回ほど小さくうなずく。 「あぁ、道理で聞き覚えがあると思ったら…随分とお早い再会を果たせたわね?」 「全くだわ…あぁもう」 唖然とするモンモランシーを見つめながら、他人事のような言葉を吐く霊夢にルイズは頭を抱えたくなった。 やっぱり自分は色々な厄介ごとに直面する運命を始祖ブリミルに『虚無』の力と共に授けられたのであろうか? 現実逃避にも近いことを考えつつ、ルイズは目を丸くしているモンモランシーに次はどんな言葉を掛けたらいいか悩んでいる。 そして、先ほどまでモンモランシーに誤っていた店長の貴族と給士は何が何だか分からず困惑していた。 予期せぬ再会であったものの、モンモランシーの怒りはこちらに向くことは無かった。 話を聞く限りモンモランシーが予約していた普通のテーブル席の様で、自分たちが運よく入れた個室席ではないようである。 無論ルイズも食事を取り上げられた彼女の前でうっかりそれをバラす事はせず、穏便に立ち去ってもらいたかった。 しかし…またもやそんなルイズの前に災難は立ちはだかったのである。霧雨魔理沙という快活に喋る災難が。 「しっかし、お前さんも災難だな?こっちは運よく個室席とやらを―――…ウグ…ッ!?」 「この馬鹿…!」 口の中に拳を突っ込まんばかりの勢いで彼女の口を塞いだものの、時すでに遅しとは正にこの事。 黒白を黙しらせてモンモランシーの方へと顔を向けた時、そこにば野獣の眼光゙としか言いようの無い目つきでこちらを睨む彼女がいた。 その目つきは鋭く、獲物を見つけた肉食動物の様に体に力を入れてこちらへゆっくりと近づくさまは、紛う事なき野獣そのものである。 流石の魔理沙や、一人離れて様子を見ていた霊夢もモンモランシーが何を考えているのか気づく。当然、ルイズも…。 「ル――――」 「何でアンタと一緒に昼食を食べる必要があるのよ?」 「まだアンタの名前を言いきってすらないじゃない!…っていうか、私が腹ペコみたいな決めつけしないで頂戴!」 「あっ…御免なさい。じゃあアレね、私達の個室席に無理矢理入りたいっていうのは私の勘違いだったのね」 「いや、ワタシはそれを頼もうとしたんだけど…」 「アンタ腹ペコどころか、物凄い厚かましいわねぇ」 そんな会話の後、当然と言うか定めと言うべきか…二人の口喧嘩が『麦畑の片隅』の入口で繰り広げられた。 ルイズは「アンタに席を分けてやる義理はないじゃないの!」と言うのに対し、モンモランシーは「アンタ達の事助けに行ってあげたじゃないの!」と返していく。 流石にタルブでの顛末を詳しく話すことは無かったものの、当事者であったルイズも彼女があの場で治療してくれたのは知っている。 しかし、だからといってそれ以前――少なくとも霊夢を召喚するまで彼女から受けた嘲笑や罵りが帳消しになったワケではない。 それを指摘してやると、それを思いだしたモンモランシーは「グッ…」と一歩引いたものの…暫し考えた素振りを見せて再び口を開いた。 「わ、若気の至りってヤツよ!…あの時はアンタがあんなにスゴイって知らなかったんだもの!」 「去年と今年の春までの事を若気の至りって呼ばないわよ!」 双方とも激しい罵り合いに、モンモランシーに頭を下げていた給士とオーナーの貴族は震えあがっていた。 給士はともかくとして今まで人間相手に杖をふるったことの無い中年のオーナーにとって、火竜と水竜が目の前で喧嘩している様な状況に何もできないでいる。 店の内外にいた貴族たちも何だ何だと口喧嘩を聞いて駆けつけてきて、ちょっとした人だかりまでできている始末。 下級、中級、上級。単身、カップル、家族連れ。そして老若男女に国内外様々な貴族たちがどんどん近寄ってくる。 そんな光景を目にして、この騒動を引き起こした魔理沙は無邪気に騒いでいた。引き起こした本人にも関わらず。 「おーおー…何だか騒がしい事になってきてるじゃないか」 「アンタがバラさなきゃあ穏便に済んだ事じゃないの、全く…」 流石にこれ以上騒いでは昼食どころではないと察したか、ようやく博麗の巫女が重い腰を上げる事となった。 人間同士のイザコザは完全に彼女の専門外ではあったが、解決方法は知っている。 「ほら二人とも、口げんかはそこまでしときなさい」 いよいよ口喧嘩から髪の掴み合いに発展しそうになった二人を、霊夢がそう言ってサッと引き離す。 突然の介入は二人同時に「何するのよッ!」と丁寧にタイミングを合わせて叫んで来たので、咄嗟に耳を塞ぎながら霊夢は二人へ警告する。 「アンタ達ねぇ、そうやって喧嘩するのは良いけどそろそろやめとかないと食事どころじゃなくなるわよ?」 「はぁ?一体何を……あっ」 彼女に指摘された初めて周囲の状況に気が付いたルイズは目を丸くして困惑し、モンモランシーも似たような反応を見せていた。 どうやら本当に周りが見えていなかったらしい。霊夢はため息をつきたくなったが、辛うじてそれを押しとどめる。 (まぁルイズの性格であんなに怒ったらそうなるのは分かってたし、モンモランシーも似たような性格だからね…) そんな事を思いながらも、ようやっと頭が冷えてきた彼女たちに霊夢は至極落ち着きながらも、まずはモンモランシーに喋りかける。 「まず聞くけど、どうしてこの店に拘るのよ?予約してた席が無くなったんなら、さっさと他の店で空いた席を探せば良いじゃない」 「え?…えっと、それは…うぅ」 至極もっともな霊夢の言い分にモンモランシーは何か言いたげな様子であったが、悔しそうに口を噤んでいる。 それを見てルイズは自分の味方になってくれている霊夢にエールを送り、店の者たちはホッと胸をなで下ろしていた。 マントを羽織っていないのでルイズの従者という扱いの彼女であったが、平民であれ何であれこの騒ぎを鎮めてくれるのであれば誰でもよかった。 一方で、店の外にいる貴族たちの何人かがモンモランシーを止める霊夢を見て「平民が貴族を諭すなどと…」という苦々しい言葉が微かに聞こえてくる。 霊夢はそれを無視しつつも、何か言いたそうで決して口外できない風を装っているモンモランシーを見て、何か理由があるのだと察していた。 彼女のもどかしそうな表情と「気付いてほしい…」と言いたげな目つきを見れば、誰だって同じように気づくであろう。 一体何を抱えているのか?面倒くさそうなため息をついた霊夢はモンモランシーの傍に近づくと、すぐさま彼女が耳打ちしてきた。 耳元から囁かれるモンモランシーの神経質な声にむず痒さを覚えつつ、彼女が大声で言えない事をヒソヒソ声で伝えていく。 「この店ってさぁ、北部駅舎の飲食店の中で比較的安い店だって知ってる…?」 「知らないわねェ?でもまぁ、ルイズなら知ってそうだけど…」 「そう…。それでね、この時間帯に出るランチセットは…一応値段的にはそれなりに働いてる平民でも気軽に頼めるお手軽価格なの」 ま、平民はここへは入れないけど。…最後にそう付け加えて、ご丁寧に説明してくれた彼女に霊夢は「…で?」と話の続きを促す。 「それで、まぁ…アンタに話すのも恥ずかしいけれど、世の中にいる貴族にはそういう低価格で程よい豪華な食事を楽しみたい層がいるのよ」 「それがアンタってワケ?何処かで聞いたけど…アンタの家は領地持ちなんでしょう。だったら金なんていくらでも持ってるんじゃないの?」 霊夢の指摘にモンモランシーは暫し黙った後、巫女さんの顔を気まずい表情で見つめながらしゃべり始めた。 「この際だから、アンタにも話しておこうかしらね?貴族には、二通りの存在がいる事を…」 「…?」 突然そんな事を言い出したモンモランシーに首を傾げると、彼女は勝手に説明を始めていく。 「このハルケギニアにはね、お金と仲良しな貴族と…お金に縁のない不幸な貴族がいるの。 例えば前者を挙げるとすれば、ルイズのヴァリエール家や、キュルケの所のツェルプストー家が良い例よ?」 「…あぁ、確かに何となく分かるわね」 唐突に始まったものの、やけに丁寧なモンモランシーの説明に霊夢は納得したように頷きつつ、引き続き話を聞いていく。 「そして、後者の例を挙げれば…私の実家のモンモランシ家や、ギーシュのグラモン家ね。 グラモン家は代々軍人の家系で、アイツの父親はトリステイン王軍の元帥の地位にいる程の御人よ。 だけど、過去に行われた山賊やオーク鬼退治のなんかの出征の際に見栄を張り過ぎて、金を殆ど使い果たしてると言われてる… あと…モンモランシ家は、えーと…干拓に大失敗して領地の半分がペンペン草も生えぬ荒野になっちゃって、経営が大変なのよ」 自分の家の経営事情を気まずそうに説明したところで、彼女は霊夢に説明するのを止める。 とはいえ、この説明だけでも十分にモンモランシーの財布が小さい理由が分かってしまった霊夢は、多少なりとも同情しそうになった。 「何ていうか…その、貴族って意外と大変なのね」 「やめてよ。嬉しいけどそういう同情の仕方はやめてよ」 気休めにならないが、すっかり気分が萎れてしまった霊夢からの慰めにモンモランシーは複雑な気持ちを抱くしかなかった。 その後、更に詳しくモンモランシーから話を聞くとどうやら彼女も帰省する為にここの馬車を利用するのだという。 とはいえルイズの様にチャーターできるワケもないので比較的安く、尚且つ長旅となる為にせめてここで美味しいモノを…と思ったらしい。 席自体は数日前に手紙で予約していたモノの、店側のミスで一般席は全て埋まってしまい、彼女以外の予約席もあって二時間待ちという状態。 それに輪をかけてチケットを取っている馬車の発車時刻は一時間半後という、不幸としか言いようのない状況に陥っているのが今の彼女であった。 モンモランシーの口からそれを直接聞いた霊夢は、大分落ち着いたものの未だご立腹なルイズに丁寧に伝えた。 「…というわけで、個室の席は四つあるから相席させて欲しいって言ってきてるけど…どうするの?」 「何よそれ?そんなら同じフロアの土産売り場で売ってるサンドイッチやジュースとか買って、食べとけば良いじゃないの」 非の打ちどころの無いルイズの正論にしかし、モンモランシーはそれでも必死に食い下がる。 まるで絞首台の前に立った罪人が必死に抵抗するかのように、彼女はルイズを説得しようとしていた。 「そんなの味気ないじゃない!それに…アンタだって知ってるでしょうに?ウチの領地の特産物がジャガイモぐらいしか無いの!?」 今にも怒り泣きしそうな忙しい表情で叫んだモンモランシーの言葉に、ルイズはそういえばそうだったわねぇ…と思い出す。 諸事情で干拓に失敗したあの領地で安定して育てられる野菜と言えば、ジャガイモぐらいしか耳にしたことがない。 年に何回かは別の野菜が王都の市場にまで運ばれては来るが、同じく運ばれてくるジャガイモの出荷量と比べれば小鳥の涙程度。 そのせいかモンモランシー領で暮らす人々の食事は貴族平民問わずジャガイモはメインの野菜である。というかジャガイモしかない。 時折他の領地から運ばれてきて、高い値段が付く他の野菜を食べる事はあれど、朝昼夕の基本三食には必ずジャガイモがついてくる。 魚はともかく、肉類などは十分に領地内での確保に成功しているが、それらがどんなに美味そうな料理になっても忌々しいジャガイモが隣にいるのだ。 茹でたジャガイモ、マッシュポテト、ポテトサラダ、フリット(フライドポテト)…。ゲルマニア人もびっくりなくらい、モンモランシー領はジャガイモに塗れていた。 だからこそ彼女は必死なのだろう、夏季休暇で芋地獄の故郷へ戻る前に王都の華やかな食事にありつきたいのだと。 有名ではない地方から来た貴族程、王都へ足を運んだ際には食事にはある程度金を惜しまないと聞く。 そこには、モンモランシーの様に偏った食事しかない地方に住まう自分の待遇を一時でも忘れたいが為の現実逃避でもあるのだ。 ルイズは悩んだ―――確かにモンモランシーは、あの時タルブへ嫌々来ながらも、キュルケ達と共に残ってくれていた。 それに、王宮で自分の『虚無』を明かそうとした時、まあつっけんどんながらも口外しないという約束までしてくれたのである。 以上の二つの事を思い出してみれば、なるほど彼女と相席になってもまぁ別に悪くは無いと思えてしまう。 だが、そんな考えが出てきたところでハッとした表情を浮かべたルイズは、慌てて首を横に振った。 先程自分が言ったように、入学当初からは暫く彼女から散々嫌味を言われていたのだ。 それもついでに思い出してしまうと、不思議と体の奥底から゙許せない…゙という意思が湧き上がってくる。 自分を馬鹿にしていた入学当初のモンモランシーと、自暴自棄ながらもアルビオン艦隊と戦うと決めてくれたタルブ村のモンモランシー。 二人のモンモランシーの内どれを選んだら良いのか…?それに悩んでしまい、ついつい無言になってしまう。 そんな彼女を見かねてか、はたまた空腹が我慢できないレベルになってきたのか…それまで黙っていた魔理沙がその口を開いた。 「別に良いんじゃないか?この際昔の事を忘れて、これからの事を考えながら食事っていいうのも?」 今に至る騒動を生み出した張本人は、脱いでいた帽子を手で弄りながら葛藤するルイズにそう言った。 その言葉にモンモランシーがハッとした様な表情を浮かべて魔理沙を見遣り、一方のルイズはそれでも不満気なまま彼女に反論する。 「つまりアンタは、今まで馬鹿にされてた事を水に流せって言いたいワケなの?」 「そう言ってるワケじゃあないさ、偶にそんな事言う奴もいるけど、人間自分が馬鹿にされた事は中々忘れられないもんさ」 自分が過去に、どれだけ『ゼロ』と揶揄されてきたのか知らないくせに。そう言おうとしたルイズに対し、 普通の魔法使いは彼女の内心を読み取ったかのような言葉を、彼女に投げかけた。 そんな事を言われてしまうと口の中から出ていきそうになった言葉を、出そうにも出す事が出来なくなったルイズ。 魔理沙はルイズが静かになったのを確認した後、手に持っていた帽子をかぶり直して一人喋り出す。 「でも、お互いそうやっていがみ合ったままじゃあ色々と疲れちまうもんだぜ? ワタシだって霊夢の事は今でもライバル視してるけど、いつもは仲良く接してるのをお前は見てるだろ? それと同じさ。いざとなったらアンタの頬を抓ってやる覚悟だが、 今はその時じゃあないからお互い仲良くいきましょう…って感じだよ お互い鉢合わせたら即喧嘩なんて…モンモランシーもお前も、疲れててしまうじゃないか」 魔理沙の言葉にルイズは「そもそも喧嘩を起こした張本人のアンタが言う事…?」という疑問を抱いていたが、 小さな頭で少しだけ考えてみると、確かに彼女の言う通りなのかもしれないという確信もゆっくりゆっくりと浮上してくる。 「ちょっと魔理沙、何で私がアンタといっつも仲良しみたいな事言ってるのよ?」 「なーに言ってんだよ霊夢。私が遊びに来た時には良くお茶と茶菓子を分けてくれるじゃあないか」 何やら言い争いをしている霊夢達を余所に、ルイズは再びどうするか悩んでいた。 多生揉めてでも店から追い出すか、それとも一時の間だけ昔の事を忘れて彼女と同席するか…。 二つの内一つしか選べぬ選択肢を目の前に出された彼女は、あともう数分だけ時間が欲しいと言いたかった。 しかし、これ以上は店側も待てないのか「お客様…」と蚊帳の外にいたオーナーがおずおずとルイズに声を掛けてくる。 自分を含めて霊夢や魔理沙たちも腹を空かせてているだろうし、何よりチャーターしている馬車の事もある。 もうこれ以上の猶予は無い。そう悟ったルイズは…以前デルフが言ってくれたあの言葉を思い出した。 ――――ちっとは大目に見てやろうぜ。そうでなきゃいつまでも溝は埋まらねぇぞ? 以前霊夢と喧嘩になった際、いつもはからかう側のインテリジェンスソードが自分に語りかけてくれたあの言葉。 それが脳裏を過った後、待合室の天井を仰ぎ見たルイズは軽い深呼吸をした後にモンモランシーの方へと顔を向ける。 モンモランシー…入学当初は自分を『ゼロ』と呼んで自分を馬鹿にしていた彼女であったが、今ならそんな事さえしないだろう。 何故なら彼女は目撃したのだから。二度と指を差して笑えぬ、自分の中に隠されていたあの怖ろしい『力』を。 (…確かにコイツには色々と嘲笑われたけど、あの時はまだ何も゙知らなかっだものね…キュルケや、私さえも…) そう思うと、不思議と彼女のしてきた事がほんのわずかだが゙些細な事゙だったのだと思えるようになってくる。 「……ルイズ?――――…っ!」 こちらのをジッと見つめたまま黙っているルイズに、モンモランシーは声を掛ける。 その声で止まっていた自分の体が動き出したかのように、ルイズは右手の中指と人差し指でピースを作り、モンモランシーの眼前へと出した。 突然のことに少し驚きを隠せなかったものの、そんな事お構いなしにルイズは彼女に話しかけた。 「モンモランシー、二よ?三分の二で手を打つわ」 「三分の…二?アンタ、急に何を言ってるのよ…?」 イマイチ彼女の真意を把握できぬ事に、モンモランシーは首を傾げてしまう。 自分でも何を言っているのかと呆れたくなる気持ちを抑えて、ルイズはもう一度口を開いた。 「割り勘よ。アンタが予約してた席代をそのまま、私達の個室料金にぶち込みなさい。 アンタには一年生の頃から色々とされたけど、今回は…今回だけはそれを別の所に置いといて上げるわ… ――――後、絶対に勘違いしないでよね?アンタと今から仲直りしようってワケじゃない。お店の事を考えてそれで丸く収めるって事よ」 忘れないで頂戴。右手の指二本を震わせながら、ルイズは最後にそう付け加える。 それはルイズなりに決断した、モンモランシーへの譲歩であった。 ――――時間は戻り、食事を終えて支払いも済ませた彼女たちはモンモランシーを先頭に歩いていた。 食欲を満たし、イライラも落ち着いた彼女は満足げな笑みを浮かべ、自慢のロールを揺らしながら駅舎一階のロビーを進んでいく。 個室の席代はやや高くついたものの予算の範囲内であったし、何より楽しみにしていたランチセットよりも上の料理を食べる事が出来たのである。 不幸中の幸い、という言葉こういう時の為にあるのだろう。幸せな満腹感に満たされながら、モンモランシーはそんな事を思っていた。 「…ふぅ~…全く、店側の手違いで昼食が食べ損ねるかと思ってたら…まさかこうもアンタ達と偶然再会するとは思ってなかったわ」 「偶然は偶然だけど、望まぬ偶然よ。全く…」 そんな彼女の後をついて行くように、浮かぬ顔で歩くルイズは思わず苦言を漏らしてしまう。 本当ならば、霊夢と魔理沙の三人で軽くこれからの事を話し合いながら食事をするつもりだったというのに… 偶然にもあの店で予約を取っていて、手違いで無かった事にされたモンモランシーと出会ったせいで色々と予定が狂ってしまった。 一応出てきた食事には満足したものの、自分よりも幸せそうな彼女を見ていると今更ながら苛立ちというモノが募ってきてしまう。 好事魔多し…という言葉を何かの本で目にしたことがあるが、正に今の様な状況にピッタリな言葉には違いないだろう。 (まぁ予想はついてたけど…思ったよりちょっとは溝が深いようね) 一時は和解できたと思っていたモノの、少し浮かれているモンモランシーの背中をジッと睨んでいるルイズの後姿。 それをジト目で見つめながら後に続いていた霊夢が心中でそんな事を呟いていると、先程返却してもらったデルフが話しかけてきた。 『にしたって奇遇なモンだねぇ?あん時の金髪ロールの嬢ちゃんとこうやって再会するとはねェ』 「まぁお互いそそれを嬉しいとは思ってい無さそうだけどね?」 先ほどまで駅舎で預けられていて、魔理沙からいきさつを聞いたテン入りジェンスソードに霊夢は相槌を打つ。 てっきり預けられていた不満が出てくるのかと思いきや、きっと荷物を預かってくれた職員が話し相手にでもなってくれたのだろう。 預ける前よりかは少しだけ良くなった機嫌を剣の体で表しているのか、時折独りでにカチャカチャと動いている。 (まぁそれ程気になるワケではないけど、鬱陶しくなったら鞘越しに刀身を殴って黙らせりゃあ良いか) デルフにとってあまり穏やかではない事を考えながら、ルイズとモンモランシーの後をついていく。 ふと自分の後ろを歩く魔理沙を見てみると、しきりに視線を動かして駅舎一階の中や造りを興味深そうに観察している。 霊夢は然程気にはしないものの、こういういかにも洋風な造りの建物など幻想郷では指で数えるほどしかない。 一番大きい洋風の建物と言えば紅魔館ぐらいなものだし、人里でもこういう感じの建物は本当に少ないのだ。 だから、まだまだ好奇心が旺盛な年頃の彼女が夢中になる気持ちは分かる。分かるのだが… 天井やら人列が並ぶ受付口に目がいってしまう余り、そのまま別の所へ行ってしまうのは…流石に声を掛けるべきなのだろう。 「ちょっと魔理沙、アンタどこ行くつもりよー」 「…え?おぉ…っと、危ない危ない!」 霊夢の呼びかけで、ようやってルイズ達から離れかけた彼女は慌てて彼女の方へと駆けてくる。 ルイズもそれに気づいたのか、はぐれかけた黒白に「何やってるのよ?」と軽く呆れていた。 それから少しだけ歩いて、ルイズたちはロビーを出た先にある三番ステーションへと足を運んでいた。 全部三つあるステーション――つまり駅馬車の乗り降りをする場所の中で、唯一国外へと出ない馬車の発車場である。 その分割安ではあるが、いかにもグレードの低そうな駅馬車ばかりが集められていた。 無論ルイズがチャーターした馬車があるのは、国内外の行き来可能で一流業者が集められている一番ステーションだ。 なら何故ここを訪れたのかと言うと、これから領地へ帰るモンモランシーがここの馬車に乗るからであった。 「チケットを予約していたモンモランシーよ。馬車の準備は出来ているかしら?」 ステーション内に設けられた別の受付を担当している職員に、モンモランシーはそう言ってチケットを見せる。 まだここで働き始めたであろう青年職員は、チケットに書かれた氏名、番号、有効期限を確認するとモンモランシーにチケットを返す。 「確認が終わりました。ミス・モンモランシーの予約している駅馬車は二番プラットホームの馬車です」 「うん、有難うね」 良い旅を、チケットをしまって受付を後にした彼女の背中に担当職員は声を掛けた。 彼女がその声に軽く右手を振った後、ルイズたちも多くの人が行き交う三番ステーションの通路を歩き始める。 ステーションの左側は外へ直結しており、真夏の太陽の光と照りつけられている地面がその目に映っている。 外と繋がっているせいか夏の熱気も流れ込んできて、駅舎の中であるというのに再び肌からじわりじわり汗が滲む程に暑かった。 ハルケギニアの夏に未だ慣れていない霊夢と魔理沙の二人は、この建物の中では感じることは無いと思っていた熱気に怯んでいるものの、 ステーション内で客の荷物を詰め込む馬車の御者や書類片手に走る職員に、客の貴族や平民たちは平気な様子で行き来している。 「あーくそ…、折角涼しい場所で食事できたと思ったら、まさか外の熱気がここまで来るとは…」 「いっその事メイジの魔法なりでここに冷たい風でも吹かせてくれればいいのにね」 幸せな気分から一転、またもや汗だくとなっていく二人の愚痴を後ろから聞きながら、 ルイズと自分が乗る馬車の方へと歩いていくモンモランシーの二人も、少しワケありな会話をし始めていた。 「それにしても、アンタはともかく…ワタシまでこんな数奇な出来事に見舞われるなんてね」 「は?何よイキナリ…」 突然そんな事を呟いたモンモランシーに、ルイズは怪訝な表情を浮かべる。 まさかちょっと過去の事に目をつぶって、昼食を共にしただけで自分と仲良くしたいと思っているのか? 本人の耳に聞こえたら間違いなく決闘騒ぎになるような事を思っていたルイズであったが、それを口に出す事は無かった。 「だってそうじゃない?アンタが使い魔召喚の儀式で異世界出身の巫女さんを呼んじゃうし、アルビオン王国が倒れて… お次は魔法学院で色々と騒ぎがあった末に夏季休暇の前倒し…かと思えば、キュルケ達と一緒にアンタ達の素性を調べたり、 そんでテントの中で籠ってたかと思えば、シルフィードの背に乗ってレコン・キスタの艦隊が上空に浮かぶタルブ村まで連れてかれて… んでなし崩し的に私までアンタ達と一緒にその艦隊と戦う羽目に成ったり…と思いきや、アンタのあの゙光゙で艦隊が全滅…してからの王宮での監視生活」 …これが数奇な出来事じゃなくて何になるの?最後にそう付け加えて喋り終えた彼女は、何となく肩をすくめる。 まぁ確かに彼女の言っている事に間違いはないだろう。ルイズはひの顔に苦笑いを浮かべつつ軽くうなずいて見せた。 それでも、自分や霊夢達が直に体験してきた事と比べれば幾分か優しいというのは、言わない方が良いのだろうか? 頭の中でそんな二者択一の考えを巡らせている中、喋り終えたばかりのモンモランシーがまたもやその口を開いた。 「あぁでも…私にとってその中でも一番衝撃な事といえば……数日前に聞かされだアレ゙よね?」 「……!あぁ、あの事ね」 彼女が口にした『数日前』という単語で、ルイズもまだアレ゙を思い出す。 それはトリステイン人であり、この国の貴族でもある二人にとって最も衝撃であり、何よりもの朗報であった。 先王の遺した一人娘であり、他国からもトリステインに相応しき一輪の百合とも称される美しき王女。 そしてヴァリエール家のルイズとは幼馴染みであり、トリステインの女性たちにとっての憧れでもある、アンリエッタ・ド・トリステイン。 以前は王女として北部の隣国帝政ゲルマニアへの皇帝へと嫁ぐはずだった彼女は、近いうちに女王として戴冠式を挙げる予定である。 つまり、永らく座る者のいなかった玉座へと腰を下ろすために、アンリエッタは王冠を被りこの国を背負う女王陛下となるのだ。 ゲルマニア皇帝との結婚式が中止になったのもこれが原因であり、トリステインが彼女を留まらせる為の救済策。 そして、これからレコン・キスタもとい…神聖アルビオン共和国との戦争の為に、国内の結束力を高める為に必要な儀式でもあった 惜しくも王家の嫁を迎え入れられなかったゲルマニアだったが、代わりにトリステインはゲルマニアとの軍事同盟を結んでいる。 その為ゲルマニアはトリステイン王国に武器、兵器等を正規の手続きをもって売れるようになり、 トリステイン軍も王軍、国軍を再編して同盟国と同様の陸軍を創設する為のノウハウを教える為の人材をゲルマニアに要求できるようになった。 伝統を保守し、尊重するトリステインではあるものの軍部は先のラ・ロシェールでの戦闘で意識を改めており、 新式とは言えないが比較的新しいゲルマニア軍の兵器を買えるうえに、陸軍創設の際にもゲルマニアと言う大先輩が教えてくれる。 トリステインは新しい女王が就任し、ゲルマニアは軍事的にもトリステインを指示できる立場となり、互いに面子を守れるという結果に終わった。 …とはいえ、王宮内部では既に戴冠式の予定日まで決まっているが、未だ民衆や王宮で働いていない貴族達には知らされていない。 ルイズたちが聞いた話では夏季休暇の終わる数週間前に戴冠式が発表され、丁度長い夏休みが終わると同時に式が行われるという。 その為街中では結婚式が中止になった事でそれを不安に思う者たちが大勢いたが、そこまではルイズたちの知る所ではなかった。 「まさか、あの姫さまがいよいよ女王陛下にならなれるなんて…段々遠くなっていくわね…」 流石のルイズも声を抑えつつ、自分の幼馴染が色んな意味で高い場所にいるべき人となっていく事に切ない感情を抱いていた。 マザリーニ枢機卿からその事を聞かされた時は嬉しかったものの、時間が経ってしまうと妙なもの悲しさが心の中に生まれてくる。 先王亡き当時…マリアンヌ王妃は戴冠を拒み、アンリエッタはまだ幼すぎるとして戴冠の事はこれまでずっと保留にされてきた。 その為トリステイン王国は、今まで玉座に座るべき王が不在という状態の中で大臣や将軍たちが一生懸命国を動かしていた。 特にロマリアからやっきてた枢機卿の働きぶりは凄まじく、彼がいたからこそ今日までトリステイン王国は生き残る事が出来たと言っても過言ではない。 だから冠を被るのに充分な年齢に達したアンリエッタが王となるのは喜ぶべきことであり、落ち込む理由は何一つ無いはずなのである。 「ちょっと、なーに暗い顔してるのよ?」 そんなルイズを慰めるように、刺すような視線を向ける霊夢がポンポンとルイズの背中を軽く叩いてきた。 突然のことに目を丸くした彼女は思わずその口から「ヒャッ…!」と素っ頓狂な悲鳴を上げてしまう。 一体何をするのかと後ろにいる巫女さんをを睨んだが、彼女はそれを気にせず言葉を続けていく。 「アンタとアンリエッタが幼馴染なのは知ってるし、まぁ遠い人間になるのは分かるけど…アンタだってアイツからあの書類を貰ったじゃないの?」 その言葉に、ルイズは受付で預かってもらっている旅行鞄の中に入れた『あの書類』の事を思い出した。 そう遠くないうちに女王となる幼馴染から頂いた、一枚の許可証。 書面にアンリエッタ直筆の証とも言える花押がついた、女王陛下直属の女官であるという証を。 それは数日前の事、キュルケやモンモランシー達と共にアンリエッタと『虚無』の事について話していた時であった。 一通り喋り終えた後、魔理沙の口から出た何気ない一言のお蔭で彼女はルイズたちに話をす事が出来たのである。 「残念な事に…敵は王宮の中にもいるのです。―――――獅子身中の虫という、厄介な敵が」 女王になる前だというのに、既に悩みの種が出来つつある彼女は残念そうに言ってから、その゙獅子身中の虫゙について説明してくれた。 古き王政を打倒し、有力な貴族による国家運営を目指しているレコン・キスタの魔の手はアルビオン王国が倒れる前から世界中に伸びていたのである。 ゲルマニアやガリア王国、果てにはロマリアの一部貴族達は貴族派の内通者として暗躍し、国が表沙汰にしたくない情報を横流ししていたのだという。 トリステインもまた例外ではなく、既に一部貴族が貴族派に加担している者が出ており、挙句の果てにスパイまで逮捕している。 各国と自国の状況から考えて、不特定多数もしくは少数の貴族たちが貴族派の者と接触しており…最悪彼らの企てに協力している可能性があるというのだ。 「そんな事になってたのですか…?ワルド元子爵の様な裏切り者が他に…」 「まだ断定できるほどの状況証拠があるワケではないのだけれど…決していないとも言いきれないのが今の状況よ」 その話を聞いたルイズはふとアルビオンで裏切ったワルドの事を思い出し、アンリエッタも悲しそうな表情を浮かべて頷く。 彼女にとってワルドは恋人の仇であり、ルイズは自分の一途な想いを裏切った挙句、タルブで霊夢の命を奪おうとまでした男だ。 実力差はあるものの、あの男と似たような思考で裏切ろうとしている者たちがいるという可能性に、ルイズは自然と自分の右手を握りしめる。 「…だからルイズ。貴女はこれから自分の覚醒した力を公にせず、ここにいる者たちだけの秘密として心の中にしまっておいてください」 「!―――殿下…」 アンリエッタの言葉にルイズが反応するよりも先に驚いたのは、マザリーニ枢機卿であった。 彼はルイズの今後について知らなかったのか、アンリエッタの口から出たルイズへの指示に目を丸くしている。 枢機卿に続くようにして、ルイズも「しかし、姫さま…!」と信じられないと言いたげな表情で幼馴染に詰め寄った。 「私は…自分の力となった『虚無』を、姫さまの為に役立てたいと思っています…それなのに…」 「分かってるわルイズ、貴女の気持ちは良く分かる。けれども…いいのです。恐らくその力は、貴女の身に災いを持ってくるやも知れませぬ」 「構いません。既にこの身は『虚無』が覚醒する前から幾つもの災難を体験しています…今更災いの一つや二つ…」 拒否の意を示す為に突き出したアンリエッタの右手を、ルイズは優しく払いのけながら尚も詰めかける。 咄嗟にアンリエッタは枢機卿へと目配せするものの、老齢の大臣は静かに自分の目を逸らしてみて見ぬふりを決め込んでいた。 「枢機卿!」 「姫殿下、誠に失礼かと思いますが…今は一人でも多く信頼できる人材が必要だと…私は申し上げましたぞ」 これ以上心許せる友を巻き込みたくないアンリエッタと、今はその気持ちを押し殺して仲間として加えるべきと進言するマザリーニ。 友の為に国益を損する事に目を瞑るのか、それとも国益のために友の身を危険な場所へと赴かせるのか。 どちらか一つを選ぶことによって、ルイズの今後は大きく変わる事になるかもしれない。 「いやはや、ルイズの奴も苦労してるんだな~」 「そうね。幾つもの災難に見舞われてきただなんて…まぁ私に身に覚えがないけれど」 「多分ルイズの言う『災難』の内半分は、絶対にアンタ達が原因だと思うわよ?」 緊張感漂う部屋の中で、二人仲良くとぼけている霊夢達にモンモランシーはさりげなく突っ込んでいた。 その後は色々あり、役に立てぬというのなら杖を返上するというルイズの発言にアンリエッタが根負けする事となってしまった。 『虚無』が覚醒する以前は、魔法が使えぬ故に『ゼロ』という二つ名を持っていた彼女が、自分の為に働きたいとという気持ちが伝わったのだろうか。 アンリエッタは安堵している枢機卿に丈夫な羊用紙を一枚用意するよう命令した後、自分の前で跪いているルイズの左肩をそっと触る。 「ルイズ、貴女は本当に…私の力となってくれるのね」 「当然ですわ、姫さま。これまで姫さまに与えて貰って御恩の分、きっちりと働いて見せます」 顔を上げたルイズの、決意と覚悟に満ちた表情を見て、多少の不安が残っていたアンリエッタも力強くうなずいて見せた。 「……分かりました。ならば、『始祖の祈祷書』と『水のルビー』は貴女にもう暫く預かってもらいます。 しかしルイズ。貴女が『虚無』の担い手であるという事はみだりに口外しては駄目よ。それだけは約束してちょうだい それと、何があったとしても…タルブの時に見せた様な魔法とは言えぬ超常的な力も、使用する事は極力控えるようにして」 アンリエッタからの約束に、ルイズは暫しの沈黙の後…「分かりました」と頷いた。 その頷きにホッと安堵のため息をついたと同時に、マザリーニが持ってきた羊皮紙を貰い、次いで机に置いていた羽ペンを手に取る。 「これから先、貴女の身分は私直属の女官という事に致します」 羊皮紙にスラスラと何かしたため、最後に花押を羊皮紙の右端につけてから、ルイズの方へと差出した。 「これをお持ちなさい。ルイズ・フランソワーズ」 自分の目の前にあるそれを手に取ったルイズは、素早く書面に書かれた文章を読んでいく。 後ろにいた霊夢と魔理沙も肩越しにその書類を一目見たが、残念な事にどのような内容なのかは分からなかった。 しかしルイズにはしっかりと書かれていた内容を読むことができ、次いで軽く驚いた様子で「これは…!」と顔を上げる。 「私が発行する正式な許可証です。これがあれば王宮を含む、国内外のあらゆる場所への通行が可能となるでしょう」 それを聞いて霊夢達の後ろにいたギーシュやモンモランシーは目を丸くしてルイズの背中を凝視する。 アンリエッタ王女が正式に発行した通行許可証。それも王宮を含めた場所の自由な出入りができる程の権限など並みの貴族には滅多に与えられない。 例えヴァリエール家であってもセキュリティーの都合上、王宮への訪問には事前の連絡が必要なのである。 その過程丸ごとすっ飛ばせる程の権限を、あの『ゼロ』と呼ばれていたルイズのモノとなったことに、二人は驚いていたのである。 一方のキュルケは、トリステイン貴族でなくとも喉から手が出るくらい欲するような許可証を手にしたルイズを見て、ただ微笑んでいた。 実家も寮の部屋も隣であった好敵手が、自分の目の前でメキメキと成長していく姿を見て面白いと感じているのであろうか? タバサは相変わらずの無言であったが、その目はジッとルイズの後姿を見つめていた。 そんな四人の反応を余所に、アンリエッタは説明を続けていく。 「…それと警察権を含む公的機関の使用も可能です。自由が無ければ、仕事もしにくいでしょうから」 既に許可証を受け取っていたルイズは恭しく一礼した後、スッと後ろへ下がっ。 一方で、アンリエッタの話を聞いて大体の事が分かった魔理沙はまるで自分の事の様に嬉しそうな表情を浮かべてルイズに話しかける。 「おぉ、何だかあっという間にルイズと私達は偉くなってしまったじゃないか?」 「凄いわねぇ…私はともかく、魔理沙には渡さない様にしておきなさいよ」 次いで霊夢も興味深そうな表情と「私はともかく…」という言葉に、ルイズはすかさず反応した。 「正確に言えばこの許可証が効くのは私だけであって、アンタ達が持ってても意味ないわよ?」 この二人の手で悪用される前に最低限の釘を刺し終えた彼女は、最後にもう一度確認するかのように許可証に目を通す。 アンリエッタのお墨付きであるこの書類が手元にある以上、自分はアンリエッタと国の次に位置する権力を手に入れたのである。 ルイズとしては、ただ純粋に苦労しているアンリエッタの為に何かお手伝いができればと思っていたのだが…。 (流石にこんなものまで貰えるだなんて、思ってもみなかったわ…) そんなルイズの気持ちを読むことができないアンリエッタは、最後にもう一度話しかけた。 「ルイズ…それにレイムさんとマリサさん。貴方達にしか頼めない案件が出てきたら、必ずや相談いたします。 表向きはこれまで通りの生活をして、何か国内外の行き来の際に困ったことがあればそれを提示してください 私の名が直筆されたこの許可証ならば例え外国の軍隊に絡まれたとしても、貴女たちへの手出しは出来なくなるはずです」 そして時間は戻り、モンモランシーがこれから乗る馬車が駐車されている二番プラットフォーム。 四頭立ての大きな馬車はもうすぐここを出るのか、平民や下級貴族と見られる人々が続々と馬車の中へと入っていく。 馬車の後部にある荷物入れには、御者と駅舎の荷物運搬員が積み込んだ旅行鞄などの大きな荷物がこれでもかと詰め込まれている。 鞄の持ち手などにしっかりと付けられたネームタグがあるので、誰がどの荷物なのかと混乱する手間は省けられそうだ。 そんな馬車を前にして、モンモランシーは昼食を共にしてここまで見送りに来てくれたルイズ達三人と向き合っていた。 ルイズはこれまで彼女に嘲られていた事を思い出してか渋い表情を浮かべており、どう解釈しても好意的な表情には見えない。 「まぁ今日は…色々と世話になっちゃったわね。…ともかく、夏季休暇が明けたらこの借りはすぐに返すことにするわ」 「本当ならアンタに今まで笑われた分の借りも請求したいところだけど、正直ここで数えてたらキリがないからやめておくわ」 「…!そ、そう…助かるわね」 まだ気を許していないルイズの刺々しい言葉にムッとしつつも、今度はレストランで仲介役をしてくれた霊夢に視線を向ける。 ルイズの使い魔であり、こことは違う異世界から来たという彼女の視線はどこか別の方へと向いている。 何か彼女の興味を引くものがあったのか、はたまた単に興味が無いだけなのか…そこまでは流石に分からなかった。 これは普通に声を掛けた方が良いのか、それとも無視した方が良いのだろうか?モンモランシーはここへ来て、些細な葛藤を覚えてしまう。 「………え、え~と…あの―――」 「あぁ、ゴメンゴメン…てっきり私の事は無視するかと思ってたからつい…で、何よ?」 「…挨拶するつもりだと思ってたけど、気が変わったから良いわ。御免なさい」 「別に謝る必要なんて無いんじゃないの?」 「それアンタが言うの?普通は逆じゃない?…はぁ、もういいわよ!」 と、まぁ…然程自分の事を気にしていなかった霊夢に詰め寄りたい気持ちを何とか堪えたモンモランシーは、 最後に三人いる知り合いの中で、唯一笑顔を向けてくれている魔理沙へと顔を向けた。 まぁどうせ碌でも無い事を考えてるに違いない。そう思いながらも口を開こうとするよりも先に、魔理沙が話しかけてきた。 それは、先にルイズと霊夢に話しかけていたモンモランシーにとって、少しだけ意外な言葉を口にしてきたのである。 「いやぁー悪いな。折角タルブの時には助けに来てくれたっていうのに、コイツラが色々と不躾で…」 「え…?」 右手の人差し指で前にいるルイズたちを指さしながら言った魔理沙に、モンモランシーは思わず変な声が出てしまう。 てっきり先の二人に負けず劣らずの失礼な言葉を投げかけられると思っていただけに。 「ちょっとマリサ、アンタ自分の事を棚に上げて私を不躾な人間扱いするとはどういう了見よ?」 腰に手を当てて怒るルイズに同意するかのように、霊夢も「全くだわ」と相槌を打つ。 しかしモンモランシーからして見れば、この場で最も不躾なのは今の二人に違いは無いと思っていた。 一方の魔理沙も二人がご立腹という事を気にすることなくカラカラと笑った。 「ハハッ!まぁこんな風に自分の事を省みない二人だが、ここは私の笑顔に免じて穏便にしておいてくれないかな?」 「ん…ま、まぁ別にそれ程…一応は昼食の際に同席を許してくれたし、最初から起こるつもりなんて無かったわよ」 ルイズ達とは違う無邪気な子供が見せるような笑みと、利発的な魔理沙の声と言葉に自然とモンモランシーは気を許してしまう。 昼食を摂ったばかりで気が緩んでしまっているという事もあるのだろう、今の彼女には黒白の魔法使いが『自分に優しい人間』に見えていた。 仕方ないと言いたげな表情でひとまず熱くなっていた怒りの心を冷ましてくれたモンモランシーに、魔理沙は「悪いな」と礼を述べてから、再度彼女へ話しかける。 「まぁ…お前さんには夏季休暇が終わった後にでも、ちょいと頼みたい事があるしな」 「頼みたい事ですって?」 突然彼女の口から出た言葉にモンモランシーは怪訝な表情を浮かべる。 気分を害してしまったと思った魔理沙は少し慌てた風に「いやいや、そう難しいことじゃないさ」とすかさず補足を入れる。 「ちょっと前にアンタが『香水』って二つ名で呼ばれるくらい香水やポーション作りに精通してるってのを聞いてさ、それで興味が湧いてね」 「ふ~ん、そうなの?…で、その私に頼みごとって何なのよ」 少し警戒しつつも、そう聞いてきたモンモランシーに魔理沙は元気な笑顔を浮かべながら、゙頼みごどを彼女へと告げた。 その直後であった。モンモランシーの乗る馬車の御者が、出発を告げるハンドベルを盛大に鳴らし始めたのは。 モンモランシーを含めた貴族、平民合わせて計八名を乗せた中型馬車がゆっくりと駅舎から遠ざかっていく。 魔理沙は頭にかぶっていた帽子を手で振りながら、どんどんと小さくなる馬車へ別れを告げていた。 正確に言えば、彼女にとって大事な゙約束゙を漕ぎ着ける事の出来たモンモランシーへと。 「じゃあまたな~!ちゃんと約束の方、忘れないで覚えておいてくれよぉ!」 満面の笑みを浮かべて帽子を振り回す魔法使いの背を見ながら、ルイズはポツリと呟いた。 「レイム、私思うのよね」 「何よ?」 「多分私達三人の中で、今一番『悪魔』なのはマリサなんじゃないかなって」 ルイズの言葉に霊夢は暫しの沈黙を置いてから、「そりゃあそうよ」とあっさりと肯定の意を示した。 馬車が出る直前、御者が鳴らすハンドベルの音と共にモンモランシーは魔理沙とそんな約束をしたのである。 「この夏季休暇が終わったらさ、アンタがポーションや香水を作ってる所とか見せてくれないか。 それに、ここの世界のそういう関連の本も詳しく知りたいしな。美味しいお菓子も私が用意するし、どうかな?」 気分を良くしていたモンモランシーには、魔理沙との約束を断る理由など無かった。 彼女は知らなかったのだろう。霧雨魔理沙と言う人間が、借りると称してどれだけの本を持って行っているのを。 霊夢はともかく、ルイズもまた学院の図書室や王宮の書庫からごっそり本を持って来た彼女の姿を何度も目撃している。 そして、彼女の次のターゲットとなるのは…三年生や教師等を含めても魔法学院の中で最もポーションに詳しいであろうモンモランシーなのだ。 人の皮を被った悪魔の様な魔法使いの背中を二人の話を聞いて、それまで黙っていたデルフが哀れむような声で呟いた。 『あらら、あのロールの嬢ちゃん可哀想に。一体どんなことをされるのやら…』 「人聞きの悪いこと言うなよデルフ。私はアイツに何もしないさ、本を借りたいという事を除いて…だけどな?」 デルフの声で魔理沙は帽子をかぶり直し、振り返りながらそう言った。 その笑みは先ほどモンモランシーに見せたものと変わらない、実に純粋な笑顔であった。 それから十分も経つ頃には、今度はルイズたちがここを出ていくべき立場となっていた。 もう馬車の修理も済んでいるだろうという事で、ルイズは他の二人を連れて一番ステーションを目指している。 「チケットとかは無くてもいいのか?モンモランシーののヤツは用意してたけど…」 「私達の場合ヴァリエール領までチャーターしてるから、そういうのは駅舎の人たちが用意するから大丈夫よ」 魔理沙からの質問に手早く答えつつ、ルイズは持つべき荷物が無い身軽な足取りでドンドン前を進んでいく。 預かってもらっている荷物ならば既に馬車へ運ばれているだろうし、無かったら無かったで持って来させればいいだろう。 そんな事を考えながら足を動かしていると、ふと一番後ろにいた霊夢が声を掛けてきた。 「…それにしても、アンタんとこの実家に帰ってきてるのかしらねぇ?」 霊夢の言葉にルイズは顔を後ろにいる彼女へ向けつつ、足を動かしたまま口を開く。 「まだ分からないわ。…けれど、ここ近辺にいないとすれば…ラ・ヴァリエールに帰ってる可能性は否めないわね」 『?…一体何言ってるんだお前ら、オレっちは単なる帰郷だけとしかマリサから聞いてないが…』 「あぁ、ごめんごめん。そういやぁお前には詳しく話してなかったっけか」 そこへすかさず割り込んできたデルフに魔理沙がそう言うと、お喋り剣は「ひでぇ」とだけ呟いて刀身を震わせた。 「そう簡単に震えないでよ。ちゃんとアンタにも分かるよう説明してあげるから」 自分の背中でブルブルと微振動するデルフを軽く小突きつつ、ルイズが故郷へと帰るもう一つの理由を彼に話し始める。 ルイズが霊夢達を連れて故郷ラ・ヴァリエールへと変える理由。それは彼女の一つ上の姉、カトレアを探す為でもあった。 ヴァリエール家の次女として生まれ、幼い頃から不治の病と闘い続けている儚くも綺麗な女性。 あのルイズも彼女には愛情を込めて「ちぃ姉様」と呼んでおり、ヴァリエール家の中で一番愛されている人と言っても過言ではない。 その彼女が父から貰ったラ・フォンティーヌを出て、タルブ村へと旅行に行ったという話は長女のエレオノールから聞かされていた。 しかし、不幸にもタルブ村は親善訪問で裏切ったアルビオン軍との戦闘に巻き込まれ、カトレアも従者たちと共に戦場のど真ん中で取り残されてしまったのである。 ルイズは彼女を助ける為、そして大事な姉と敬愛するアンリエッタと母国を傷つけようとするアルビオンと戦う為、霊夢達と共にタルブ村へと飛び込んだ。 その後はキメラを操るシェフィールドと言う女との戦い…カトレアの知り合いだという、霊夢と所々似ている服を着た謎の黒髪の女性の加勢。 裏切り者ワルドの急襲に呼んでもいない加勢に来てくれたキュルケ達と――――艦隊を吹き飛ばす程の力を持つ、『虚無』の担い手としての覚醒。 たった一夜にしてこれだけの事が起こり、エクスプロージョンを発動してアルビオン艦隊を沈黙させたルイズはあの後すぐに気を失った。 目が覚めた後、トリステイン軍に保護されたルイズはタルブの隣にある町ゴンドアで目が覚め、援軍の総大将として来ていたアンリエッタと顔を合わせる事が出来た。 最初こそ「なんという無茶な事を…」と怒られてしまったが、その後すぐに「けれど、無事でよかったわ」と優しい抱擁をしてくれた。 霊夢やキュルケ達も無事保護されており、ホッと一息ついた後…ルイズはアンリエッタに「あの…ちぃ姉様はどこに…?」と訊いてみた。 タルブ村の領主、アストン伯の屋敷の前でキメラを操るシェフィールドとの戦いで加勢してくれたあの黒髪の女性が屋敷の中にカトレアがいると言っていた。 戦いが終わった今ならばきっと彼女も屋敷から連れ出され、自分と同じようにこの町で休んでいるかもしれないと、ルイズは思っていた。 しかし、現実はそう簡単に二人を会わせることは無かった。 確かにカトレア他屋敷の地下室に籠城していた者たちは救出部隊によって保護されていた。 だが彼女自身はルイズが近くにいたことはいらなかったのか、もしくは迷惑を掛けられまいと思ったのだろうか。 アンリエッタも知らぬ間にカトレアは従者たちを連れて、町の中で立ち往生していたトリスタニア行きの馬車でゴンドアを後にしていたのである。 その事を知ったアンリエッタがすぐさま使いの者を出したものの時既に遅く、その馬車を発見したのは王都の西部駅舎であった。 彼女を乗せた馬車の御者に聞いてみるも、確かにトリスタニアでカトレアらしき人物を乗せたという情報を掴むことができたが、 何処へ行ったかまでは聞く事が出来なかった為、カトレアの行方はそこで完全に途絶えてしまったのだ。 「姫さまは引き続き人を使って探してくれるって言ってるけど、もしかしたら自分の領地に帰ってるかもしれないし…」 「あー、それはあるかもな。こういう時に限って、流石にここにはいないだろうって所に探し人はいるもんだしな」 やや重い表情で゙もしかしたら…゙の事を喋るルイズに、魔理沙も申し訳程度のフォローを入れる。 確かにそれはあるかもしれない。ルイズはラ・フォンティーヌでゆっくりとしている一つ上の姉を想像しつつ、コクリと頷いた。 本当ならば実家に手紙でも送ってカトレアがいるかどうか確かめて貰えばいいのだが、そうなれば両親まで彼女の身に何が起こったのかを知ってしまう。 彼女の事を大事にしている両親の事だ。きっと父親である公爵は驚きのあまり気絶して、母親はそんな父を引っ張って王都までくるかもしれない。 何よりカトレア自身が、たかが自分の為にそこまで心配しないで欲しいと願っているかもしれない。 やや自棄的とも言える彼女の献身的な性格をしっているルイズだからこそ、敢えて手紙での確認は控えたのである。 長女のエレオノールなら何か知っているかもと思い、アカデミーに確認の手紙を送ったりもした。 しかし、ここでも始祖ブリミルはルイズを試してきたのかアカデミーから返ってきた返信は、エレオノールの同僚からであった。 ヴァレリーという宛名で送られてきた手紙によれば、エレオノールは数日前にとある遺跡の調査でトリステイン南部へと赴いているのだという。 『風石』を採掘する前の地質調査の際に発見されたものらしく、どんなに早くても来月までは王都に帰ってこないのだという。 更に、遺跡はかの始祖ブリミルと深く関っている可能性が高い為にロマリアの゙宗教庁゙との合同調査として機密性のグレードが上げられ、 仮に遺跡の場所を教えて手紙を送ったとしても、手紙はその場でロマリア人に絶対燃やされる。…との事らしい。 「となれば、一刻も早くラ・ヴァリエールに帰って…ちぃ姉様がいるかどうか確認しないと…」 身近に頼れる者が霊夢と魔理沙、そして自分では動く事ができないインテリジェンスソードのデルフという二人と一本という悲しい状況。 しかし彼女らのおかげで何度も危険な目に遭いつつも、今こうして生きていられているという実績がある。 だからこそルイズは決意を胸にラ・ヴァリエールへと帰る事を決めていた、行方をくらましたカトレアを探すために。 しかし現実はまたしても、ここでルイズの足を止めようと新たな防壁を展開しようとしていた。 それは彼女の『エクスプロージョン』でもってしても消し飛ばせない…否、したくてもできない王家の花押付きの手紙として。 しっかりとした足取りで、ルイズたちが一番ステーションへと続く観音開きの扉を開けた先で待っていたのは、 入ってすぐ横にある御者たちの休憩スペースにいた、一人の若い貴族であった。 「失礼。ミス・ヴァリエールとその御一行と御見受けしますが…」 「…ん?」 突然横から声を掛けられたルイズは足を止めて、そちらの方へと顔を向ける。 まだ二十歳を半ば過ぎたかそうでない年頃の貴族の姿を見て一瞬、ルイズはナンパか道を尋ねてきた旅行者かと最初は思った。 しかし初対面である男が自分をヴァリエール家の人間だと知っていたうえ、霊夢と魔理沙たちの事まで知っている。 という事は即ち、自分たちが何者であるかしったうえで彼は声を掛けてきた…という事になる。 見た感じレコン・キスタからの刺客、という風には見えない。 「一体どなたかしら?これから故郷へ帰る前の私に一声かける程の用事があって?」 「えぇ。アンリエッタ王女殿下から直々のお手紙を、貴女様に渡すようにとの事で急遽こちらへ来ました」 「…!姫様から?」 聞き覚えのあり過ぎる名前を口にすると共に、青年貴族は懐から一通の封筒をルイズの前に差し出した。 封筒には宛名が書かれていないものの、その代わりと言わんばかりに大きな花押が押されている。 それに見覚えがあったルイズはすぐさまそれを手に取ると封筒を開けて、中に入っている手紙を読み始めた。 その一方で、何が何やら良く分からぬ霊夢は突然声を掛けてきた青年貴族に話しかける事にした。 「ちょっと、アンタは誰なのよ?これからこんなクソ暑い街から出ようって時に邪魔してくるなんて」 「それは失礼。しかしながら、ミス・ヴァリエールと貴女達は今からこのクソ暑い街でやってもらわねばならぬ事がありますので…」 遠慮のない霊夢の言い方に動じる事無く、涼しい表情を浮かべた青年貴族は肩を竦めてそう言った。 彼が口にしだやって貰わねばならぬ事゙という意味深な言葉に、彼女は怪訝な表情を浮かべる。 そして同時に思い出す。以前虚無の事を離した際、ルイズがアンリエッタ直属の女官になった時のことを。 (そういえばアンリエッタのヤツ、何か用事があれば任せるとかなんとか言ってたけど…いやいやまさか) いくら何でもタイミングがあまりにも悪すぎる。そんな事を思っていた霊夢の予感は、残念なことに的中していた。 手紙を一通り読み終えたルイズが最後にザっと目を通した後、彼女は手紙を封筒に戻し、それを懐へとしまい込んだ。 そして自分に手紙を渡してくれた青年貴族へ向き合うと、キッと睨み付けながら鋭い声で話しかけた。 「この手紙に書かれていた最後の報告文とやら…間違いないんでしょうね?」 「その点に関してはご安心を。特定多数の者たちからの証言と、市街地での目撃情報が合致していますので」 「………そう、分かったわ。ありがとう、わざわざ届けに来てくれて」 ほんの一瞬の沈黙の後に来たルイズからの礼に、青年貴族は「どういたしまして」と頭を下げる。 そして今度は、一体何が起こってるのかイマイチ良く分からないでいる霊夢達へと体を向けてからルイズは二人へある決定を告げた。 「帰郷は中止よ」 突然告げられたルイズに対し、先に口を開いたのは魔理沙であった。 「は?それって…一体…」 「文字通りの意味よ。ちぃ姉様を探すためにも、そして姫さまからの願いを叶える為にも、帰郷は中止するわ」 聞き間違う事の無いように、ルイズがはっきりとそう告げた直後――――13時丁度を報せる鐘が駅舎の中に鳴り響いた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん サン・レミ寺院の塔の鐘が大きな音を立てて鳴り響かせて、時刻が十一時になったと報せている。 昔、それも家に置けるサイズの小さな時計が出来るまで寺院の鐘は人々にとって大切な存在であった。 今ではそこら辺の雑貨屋に行けば小物サイズの目覚まし時計が格安で手に入り、懐中時計は貴族たちの必需品となっている。 事実鐘の音を耳にする人々は寺院に目を向ける事は無く、またある者は懐からわざわざ懐中時計を取り出して時間を確認する。 この時代の人々にとって、既にサン・レミ寺院の鐘は大昔の異物――博物館に飾るべき対象にまで成り下がっていた。 しかし悲しきかな…ただの鐘にされが理解できるはずも無く、また博物館の人間もわざわざ寺院の鐘を飾ろうとすら思わないだろう。 時代遅れの古鐘は今日も街の人々に時刻を報せる。それを真摯に聞く者がいないという事も知らずに。 そんな鐘の音が聞こえてくるチクトンネ街の中央広場を、シエスタに連れられたルイズ達一行が横断していた。 「ミス・ヴァリエール、ここら辺は人が多いですから気を付けてくださいね」 「一々言わなくても大丈夫よシエスタ。私達もうんざりするほどここを通って来たんですから」 自分の達の方へ視線を向けながら声を掛けてくれるシエスタに、ルイズ達は人ごみに揉まれつつ歩いている。 その後ろにいる霊夢と魔理沙の二人は、無数の人々でできた弾幕の様な混雑をかわしながらも、何やら話し合っている。 「全く…次はどこへ案内するのかと思いきや、まーたこんな人間だらけの場所に連れて来るなんて…」 「まーいいじゃないか、ずっとあの通りにいたらそれこそこんな場所なんか通りたくない…なんて思っちゃうからな」 丁度良い塩梅だぜ。と最後に付け加えた魔理沙は目をつぶって笑いながら、右からやってきた衛士をスッと前へ行く事で回避する。 霊夢も霊夢でデルフを背負ったまま、左からやってきた散歩中の小型犬をほんの一瞬宙に浮いて避けて見せた。 そのせいで彼女の頭が人ごみからヒョコッと出てしまったが、幸いそれに気づく者はいない。 飼い主であろう貴夫人と連れの者たちはお互い会話に華を咲かせていたので、見られる事は無かった。 お互い、通りがかってきた危機を軽やかに回避して見せた後で、それを後ろから見ていたルイズがポツリ呟いた。 「アンタ達って、偶に涼しい顔してスゴイ避け方するのね…」 「え?…ハハハ!なーに、伊達に霊夢と競い合って異変解決はしてないからな。この程度の人ごみは楽勝さ」 ルイズの呟きに気付いた魔理沙は一瞬怪訝な表情を浮かべたもの、すぐに快活な笑い声と共にそう言ってのけた。 「良く言うわね。いっつも私の邪魔ばっかしてきて痛い目見てる癖に、そんな一丁前な態度が取れるなんて」 「まぁそう言うなって霊夢。…それに、一つ前の月の異変の時にはお互い良い具合に相打ちだったぜ?」 魔理沙の言葉で、迷いの竹林でアリスとのコンビを相手にして紫と共に痛い目に遭った事を苦い思い出が蘇ってしまう。 「う、うるるさいわね…第一、アンタだって最後のスペルカード発動した際にアリスごと…」 「ちょっ…!こんな所で言い争うのはやめて頂戴よアンタ達!」 『いーや、無理だね娘っ子。…こりゃあ、暫し人ごみの中で立ち往生だ』 対する霊夢はそんな魔理沙の言葉に溜め息をつきつつそう言うと、魔理沙も負けじと返事をする。 霊夢の反応を見て、この先の展開が何となく読めたルイズが止めようとするも、デルフは既に止められない事を悟っていた。 そんな時であった、これから始まろうとする知り合い同士の口喧嘩にシエスタが待ったを掛けたのは。 「…あ、ちょ…ちょっとみなさーん!そんな所で足を止めてたら他の人にぶつかっちゃいますよー!?」 いざ言い争おう…という所でシエスタに呼びかけられて、思わずそちらの方へと視線を向けてしまう。 私服姿のシエスタはアアワ…と言いたげな表情を浮かべつつも、上手い具合に衝突しそうになる他人と上手にすれ違いつつこちらへと向かってくる。 伊達にトリスタニアの人ごみを経験していないのか、平民だというのにその身のこなしには殆ど無駄がない。 そんな彼女の妙技(?)を三人が眺めている内に、とうとうシエスタが自分たちの元へとやってきた。 「ふぅ、ふぅ…もぉ、どうしたんですか?こんな人ごみのど真ん中で止まっちゃうなんて。…迷ったりしたら大変ですよ?」 「あぁ御免なさいシエスタ。ちょっとこの二人がどでもいい言い合いを始めそうになったけど、貴女のおかげで阻止できたわ」 少し息を切らせつつ理由を聞いてくる彼女にルイズはそう答え、シエスタはそれに「?」と首を傾げてしまう。 霊夢と魔理沙はというと、シエスタの邪魔が入ったおかげか言い争う気を無くしてしまったらしい。 互いに相手の顔を見つつも、まぁここで言い争っても仕方ない…と言いたげな表情を浮かべていた。 「?…何だか良く分かりませんが、まぁ誰かにぶつかって大事にならず済んだのなら大丈夫ですよ」 「それなら問題ないわよシエスタ。少なくともこの程度の人ごみ何て、私にとってはそよ風みたいなモンだから」 「まぁ確かにそうよね。アンタならちょっと体を浮かせば何でも避けれるだろうしね」 何が何だかイマイチ分からぬまま、ひとまず安堵するシエスタに霊夢は平気な顔をして言う。 それに続くようにしてルイズも一言述べた後、シエスタが「さ、急ぎましょうか」と言って踵を返した。 「今はまだ大丈夫だろうですけど、お昼時になったらきっと入るのが大変になりますから」 「…大変な事?おいおい、何だか不穏な物言いだな。一体私達を何処へ連れていく気なんだ?」 シエスタが口にした「大変」という単語に反応した魔理沙が、三十分程前から気になっていた事を質問する。 魔理沙の問いにシエスタは暫し悩んだ素振りを見せた後…「あそこです」とある場所を指さした。 咄嗟に魔理沙と霊夢は彼女の指差す方向へと視線を向け、デルフも鞘から刀身を少し出して何か何かとそちらへ視線(?)を向ける。 そこから一足遅れてルイズもシエスタの指さす方向へと目を向けて―――そこにある『建物』を見て怪訝な表情を浮かべた。 今から三十分ほど前までは、ルイズ達はシエスタの案内で王都の静かな通りを歩いていた。 夏季休暇中にも関わらず平穏で、大通りの喧騒などどこ吹く風のそんな場所はとても歩き心地が良かった。 そして…その通りにあるヘンテコな商品を扱う小さな雑貨屋を見ていた時に、シエスタが小さな悲鳴を上げたのである。 何事かと思った三人がシエスタの傍へ集まると、そこには店の壁に掛けられた柱時計を見つめる彼女の姿があった。 ―――…!どうしたのよシエスタ。そんな急に悲鳴なんか上げて… ――――あ、あぁミス・ヴァリエール!すいません、次に案内する場所をすっかり忘れていました! ルイズの問いにそう言ったシエスタが指差した先には、その柱時計。 単身が十を、長針が六の所に差し掛かった時計から小さな鳩が出てきて、ポッポー!と鳴いている。 どうやら時刻は十時半になったらしい。それを知った霊夢が次に彼女へと話しかけた。 ―――それがどうしたのよ?十時半になったらその案内する場所が閉まっちゃうの? ――――あー…いえ、別にそういう事じゃないんです…タダ、入るのが凄く難しくなっちゃうというか… ―――――何だ何だ、何か面白そうな予感がしてくるぜ。…で、次は何処へ案内してくれるんだ? 返事を聞いていた魔理沙もそこへ加わると、シエスタは嬉しそうな笑みを浮かべて「これから案内します」と言って店を出ていく。 結局その場では聞く事は叶わず、一体どこなのかと訝しみつつ三人は彼女の後をついていくしかなかった。 それからあの通りを経由して再び人で溢れかえった大通りへと戻り、そしてチクトンネ街の中央広場まで戻ってきた。 シンボルマークである噴水広場を少し出た所には、トリスタニア王宮と肩を並べるほどに有名な建物がある。 トリステインの文化の象徴の一つであり、貴族だけではなく平民からも多大な支持を得ている大型の劇場。 長い長い歴史の中で幾つもの傑作、怪作、迷作が生み出され、無名有名様々な役者たちが演じてきた芸人達の聖地。 だからこそ、シエスタがその建物を指さした時にルイズは怪訝な表情を浮かべたのである。 霊夢と魔理沙の二人を、あのタニアリージュ・ロワイヤル座につれて行くのはどうなのか―――と。 「…それが私の表情の真意よ」 「真意よ。…じゃないわよ、滅茶苦茶失礼するわねぇ~?」 ルイズから怪訝な表情を浮かべた理由を聞いた霊夢は、苦虫を噛んだ様な表情を浮かべて苦々しく言った。 夏の鋭い陽射しを避けられる陰が出来ている劇場の入口周辺に屯し、シエスタと魔理沙も傍にいる。 劇場へと入る人々は貴族、平民問わず何だ何だと一瞥はするもののすぐに視線を逸らして中へ入っていく。 入り口を警備している警備員たちも二人ほどルイズ達へと視線を向けて、じっと見張っている。 その鋭い視線を背中にひしひしと受けつつも、霊夢は腰に手を当てて不機嫌さを露わにしていた。 「第一、私と魔理沙が劇を大人しく見れないって前提で考えてるのは流石に失礼よ」 「…ん~まぁ確かにそうよね、そこは悪かったわ。…でも、アンタ達ってオペラとか演劇とかって興味あるの?」 ぷりぷりと怒る霊夢に平謝りしつつも、ルイズはさりげなくそんな事を聞いてみる。 その質問に霊夢は暫し考えると、真剣な表情を浮かべながらルイズの出した質問に答えた。 「いや、そういうのは趣味じゃないわね。…魔理沙は?」 「あー私もそういうのはガラじゃないなー。人里でお菓子とかもらえる紙芝居なら好きなんだが…」 霊夢に話を振られ、ついでに答えた魔理沙の言葉を聞いて、ルイズは額を押さえながら「オォ…もう」と呻くほかなかった。 やはり…というか…なんというか、やっぱりこの二人にはそういうものを嗜める人間ではないらしい。 み、ミス・ヴァリエール…と心配してくれるシエスタを余所に、ルイズは更に質問をぶつけてみる。 今度は霊夢だけではなく、ついでに答えてくれた魔理沙にも同じ質問をする。 「一つ聞くけど…アンタ達、狭い席に大人しく座って…劇見ながら二時間程じっとしていられる自信ってあるの?」 それを聞いた二人は、一体何を質問してくるのやらと思いつつも魔理沙がスッと手を挙げて即答した。 「まぁ一人静かに本を読む時は、大体それぐらいの時間は余裕で消費するから大丈夫だぜ」 「…悪いけど、劇場内でのマナー一覧には上演中の読書は禁止されてるわ。第一、劇が始まったら照明が消されるし」 ルイズからの返答に魔理沙は「マジか」と呟き、次いで霊夢が質問に答えてくれた。 「まー、その劇とやらが面白ければ良いわよ。つまらなかったら目を瞑って昼寝でもする…そういうモノなんじゃない?」 「アンタ今、この劇場に対して滅茶苦茶失礼な事言ったわねェ…」 霊夢の容赦ない一言を聞いて、ルイズは苦々しい表情を浮かべつつ周囲の視線が一斉に霊夢へ向いたのに気が付く。 劇場へと入っていく貴族―――それも明らかに中流や上流と分かる年配や四十代貴族たちの鋭い批判の眼差しに。 彼からしてみれば、この歴史ある劇場の席で居眠りする事など…絶対にしてはならない行為の一つなのである。 ルイズも幼少期の折に、初めてここで劇を観賞する前に母親からしつこく注意されたものだ。 例えどんなにつまらない寸劇や三文芝居だとしても、貴族であるからには最後までそれを見届ける義務がある。 これから劇を見るだけだというのに真剣な表情でそんに事を言ってくる母に、自分はキョトンとしながらも頷いていた。 霊夢に呆れるついで昔の事を思い出していたルイズはそこでハッと我に返り、誤魔化すように咳払いする。 「ン…ンゥ…コホン、コホン!」 「……?どうしたのよ、いきなりワザとらしい咳払いなんかして」 突然の咳払いが理解できなかったのか、何をしているのかと呆れた表情を浮かべる霊夢を余所にルイズはその後ろへと注意を向ける。 本人は気づいていないようだが、彼女の背中にはこれでもかと入り口で屯している他の貴族達からの鋭い視線が注がれている。 先ほどの彼女の発言を聞いてしまったのだろう。これぞトリステイン王国の貴族…といった裕福な身なりの者達が目を鋭く光らせていた。 良く見れば、腰に差した杖の持ち手に利き手を添えている者達までいる始末。 もしもここから先、霊夢か魔理沙…もしくはデルフのどちらかが失礼な発言を重ねれば…どうなるか考えなくても分かってしまう。 しかし流石の貴族たちも、こんな王都のど真ん中で歴史ある劇場に無礼な発言をした者たちを懲罰したりしないだろう。 …というよりも、少し生意気な平民を脅かしてやろうと近づいて霊夢達に下手な事を言えば…何てことは想像したくも無い。 今アンリエッタから請け負っている任務の事を考えれば、大きな騒ぎを起こす事などとんでもない下策なのである。 そこまで考えたルイズが考えた選択は、ここから一刻も速く離れるという事であった。 その為にはまずやるべきことは唯一つ…此処まで連れてきてくれたシエスタに、謝る事であった。 「…あーシエスタ、悪いけど…まだレイムたちにはタニアリージュ・ロワイヤル座の劇は難しいと思うのよ…」 「―――?は、はぁ…」 霊夢と同じく自分の咳払いの意図が分からず、小首を傾げるシエスタに顔を向けたルイズは彼女へそっと話しかける。 普段のルイズならばこんな感じで平民に話しかけはしないものの、相手があのシエスタなのだ。 わざわざ自分の貴重な休日を潰してまで、街を案内すると張り切っていた彼女が一番お薦めだと思うのはここに違いないからだ。 タニア・リージュ・ロワイヤル座は平民も気軽に劇を見る事の出来る場所で、尚且つ平民の女性にとって舞台を見るという事は一種の贅沢なのである。 前から霊夢達をここへ連れていきたいと考えていたのなら、自然と申し訳ない気持ちになってしまう。 そんな事を考えていたルイズであったが、あったのだが…――――――― 「あの、ミス・ヴァリエール。…実はここへ案内したのは、劇を一緒に見ようとか…そんな事の為じゃないんです」 「――――――…え?」 ――――惜しくも、そのもし分けない気持ちは単なる思い過ごしとなって霧散してしまう。 今の自分にとって間違いなく寝耳に水なシエスタの言葉に、ルイズは目を丸くするほかない。 霊夢と魔理沙の二人も、予想外と言わんばかりの「えっ」と言いたそうな顔をシエスタへと向けてしまう。 そんな三人に申し訳なさそうな表情を見せつつ、一人空気が違うようなシエスタは話を続けていく。 「だって皆さん、そろそろお腹が空いてきた頃合いでしょう?だからここで美味しいモノ食べていきませんか? 実はここのレストランで食べられるパンケーキセット…安くて美味しいって平民の女の子達の間で評判なんですよ」 どうやら近頃の平民の女の子たちの間では、劇よりもパンケーキセットが人気なようだ。 同じ少女でも貴族と平民、両者の流行には大きな差がある事をルイズは再認識せざるを得なかった。 タニアリージュ・ロワイヤル座は今日も午前中から貴族やら平民達が、娯楽を求めてやってくる。 観音開きになっている門をくぐり、窓口に並んでチケットを買い、そして劇や芝居…時には演奏を聞くために奥へと入っていく。 そして観終った者達は再び門をくぐって出ていくか、あるい館内に設けられたレストランで優雅な食事を楽しむ。 レストランも貴族向け、平民向けと分けられているものの、そこはトリステインの歴史ある劇場内の飲食店。 平民向けであろうとも彼らが自宅の食卓では食べられない様な料理を、手の届く価格で提供しているのだ。 そうして満足ゆく体験を経て去っていく者たちの大半は、いずれまた戻ってくる。 またあの時の芝居や劇で体験した感動を、あのレストランで食べた料理をもう一度…という希望を抱いて。 彼らの様なお客は業界ではリピーターと呼ばれ、そして彼らは今も尚増え続けている。 このようにして、タニアリージュ・ロワイヤル座は不景気や災害に負けず今日まで続いているのだ。 過去二十回にも及ぶ増改築を続け、伝統を残しつつ新しさを取り入れた劇場として外国の観光客にも人気がある。 その内の中では比較的新しく改築した場所と言えば、丁度二年前に上流貴族専用の『秘密の入口』であろう。 『秘密の入口』は劇場の地下一階、丁度裏手の通りにある緩やかなスロープから外へ入る事が出来る。 緩いL字型の下りスロープを下りた先には、比較的大きめの馬車止めが幾つも用意されていた。 元々は過去の芝居や劇で使われていた大型の道具を置くための巨大物置部屋として使われていた。 スロープもその道具を一旦外へ出し、同じく地上の搬入口を運ぶために造られたものなのだという。 しかし近年、魔法を用いた演出などが増え始めるとそれ等の大道具は時代遅れの代物として見なされ、 更に同じ時期に、王宮で大事な官位についている貴族から「お忍びで入れる入口はないかと」という要望を出してきたのである。 当時の館長を含め劇場を運営する貴族達が一週間ほど会議した結果、地下の馬車止め場が造られる事となった。 最も、それまでそこに仕舞っていた道具は幾つかのパーツに解体して別の場所に保管するか廃棄される事となったのだが…。 何はともあれ、地下の入口が造られてからは更に貴族の客が増え結果的に劇場にはプラスの結果となったのである。 そして今日もまた…当日予約ではあったものの、一台の大型馬車がスロープへと入ろうとしていた。 外の通りからスロープの間には黒い暗幕が掛けられ、入口の横には槍と警棒で武装した警備員たちが厳しく見張っている。 その暗幕を抜けた先には壁に取り避けられたカンテラに照らされたスロープが、地下の馬車置き場まで続いている。 御者が馬の速度を落としつつそのスロープを無事下りきると、近くで待機していた警備員が御者へと指示を飛ばす。 「ようこそいらっしゃいました!ミス・フォンティーヌの御一行様ですね、五番ホームまで進んでください!」 「あぁ、分かったよ」 警備員の指示に従い、御者は馬を前へ進ませて五番ホームへと向かわせる。 廊下に沿って天井に取り付けられた大型のカンテラが地下を照らしているせいか、かなり明るい。 既に他の馬車が止まっているホームの中にはハーネストを外された馬が馬草を食んでいたり、留守を任された御者の手で体を洗われている。 聞いた話では全部約六台分の馬車が入るらしいが、成程貴族たちの間では中々人気なようだ。 横目で見る限り、馬車に描かれている家紋や紋章はどれもこの国ではそれなりの地位を持っている家のものばかりである。 その殆どには御者や係の者がついて細かい整備や清掃などを行っており、とても劇場の地下とは思えない様な光景が広がっていた。 それからすぐに、警備の者に言われた通り、要人達を乗せたその馬車を五番ホームへと入れていく。 コの字型ホームの一番奥で馬を停めると、付近で待機していた数人の係員たちが駆けつける。 一人が手早くハーネストを外して馬を更に奥へと移動させると、もう一人が御者に水の入ったコップを手渡しながら話しかけた。 「暑い中お疲れさん。…連絡済みだと思うが、当日予約だから馬の手入れや馬車の整備はできないよ!」 「あぁ問題ないよ!ウチのご主人様はそういうので一々臍を曲げたりしないお方だしな…あぁ、どうも」 係員からの注意に御者はそう答えつつ、額の汗を拭いながら差し出されたコップを受け取って水を一口飲んでみせる。 ここまで二時間近く、王都の交通事情に苦戦しながらも馬車を走らせてきた彼にとって、差し出された水はとても美味しかった。 王都の中で飲める水の中ではこれほどまで冷たく、のど越しの良い水が飲めるのはきっと王都ぐらいなものだろう。 そんな風にして御者が係員からの御恵みを受ける中、別の係員が馬車のドアの前に立つ。 事故防止用の鍵が内側から開かれる音が聞こえるとその場で気を付けの姿勢をした後、レバータイプのドアノブへ手を掛ける。 馬車に取り付けるドアノブとしては間違いなく高級な類であろうそれをゆっくりと握り、かつ力を入れてレバーを下ろしていく。 ガチャリ、金属的な音を立ててレバーが下りたのを確認した係員が意を決してドアを開けていくと――――突如、小さな影が飛び出してきた。 「うわっ、な…何だ?」 予想していなかった影の登場にドアを開けた係員は驚きのあまり声を上げてしまい、影のとんだ方向へと視線を向ける。 馬車から数十サント離れた煉瓦造りの地面の上、カンテラで薄らと照らされたそこにいたのは…一匹のリスであった。 以前彼が街中の公園で見た事のある個体より少しだけ大きいソイツは、口をモゴモゴと動かしながら係員の方へと視線を向けている。 嫌、正確には彼の背後――――馬車の中にまだいるであろう自分の『飼い主』の姿をその目に捉えていた。 そうとも知らず、自分を見つめていると思っていた係員が何て言葉を掛けていいのかと思っていた最中、 「あらあら、御免なさいね。…この子ったら、いつも真っ先に馬車の中から出ちゃうのよ…」 …と、背後から掛けられた柔らかい女性の声にハッとした表情を浮かべ、慌てて馬車の主の方へと振り返る。 振り返った先にいたのは、右足を馬車の外から出そうとしている女性―――カトレアであった。 その顔に浮かぶ笑みに少し困ったと言いたげな色が滲み出ているのに気が付いた係員は、慌てて頭を下げて謝罪を述べようとする。 「も、申し訳ありませんミス・フォンティーヌ!馬車の中に入っていたリスに気を取られて、つい…!」 「あぁ、いいのよ私の事なんて。…それよりも、その子が何処に行ったのか真っ先に確認してくれて有難うって言いたいわ」 「……えぇ?」 貴族を怒らせたらどうなるか、それを何度も間近で見てきた彼の耳に聞いたことの無い類の言葉が聞こえてしまう。 思わず我が耳を疑ってしまい、怪訝な表情を浮かべて顔を上げる彼を余所にカトレアは右手を差し出して口笛を吹く。 すると…キョロキョロと辺りを見回していたリスが彼女の方へと顔を向け、タッと走り寄ってくる。 リスは彼女の身に着けているスカートをよじ登り、そのまま服を伝って彼女が差し出した掌の上へとたどり着く。 カトレアはそんなリスの頭を優しく撫でながら、キョトンとする係員に詳しい説明をし始めた。 「この子、見慣れない場所へ行くとついつい興奮しちゃうのか…まっさきに外へ飛び出してしまうの。 まだ怪我が治ってないから外へ出るのは危険なのに、でも自立したいって気持ちは私なんかよりもずっと強い」 羨ましくなるわね。ふと最後にそんな一言が聞こえたような気がした整備員は、怪訝な表情を浮かべてしまう。 しかし今は仕事の真っ最中であった為、気のせいだと思う事にしてカトレアへの案内を再開する事にした。 「で、ではミス・フォンティーヌ。ご予約して頂いた劇の上演まで残り一時間を切っておりますので、こちらへ…」 「あら、丁度良い時間ね。じゃあお言葉に甘えて…あぁ、その前に一つよろしいかしら?」 リスを馬車の中へ戻したカトレアが係員についていこうとした所で、彼女は何かを思い出したかのような表情を浮かべる。 彼女の言葉に何か要望があるのかと思った係員は、改めて姿勢を正すと「可能な限りで」で返した。 「私たちが乗ってきた馬車の周りを、少し高めの柵で囲っておいて貰えないかしら」 「柵、でありますか?」 「えぇ。ホラ、ちょうどあそこで馬を囲ってるのとおなじような……」 カトアレはそう言いながら、彼女から見て右手にある四番ホームで馬が出ない様に囲ってある鉄製の柵を指さす。 係員達は一瞬お互いの顔を見合ったものの、まぁそれくらいなら…という感じで彼女の案内役が代表して頷く。 「わかりました。他の係員たちに言って倉庫から余っている柵を持ってこさせます」 係員のその言葉を聞いたカトレアは嬉しそうに手を叩くと、彼に礼を述べた。 「そう、有難うね。…じゃあ、馬車の中にいる『あの子達』に言っておかないと」 次いで、彼女の口から出た『あの子達』という言葉に係員が首を傾げそうになった所で、 カトレアはドアが僅かに開いている馬車の中へと優しげな声を掛けた。 「じゃあみんな。私が戻ってくるまでの間、柵の外から出ずに遊んでいるのよぉ~!」 彼女が大声でそう言った瞬間、馬車のドアを開けた大勢の小さな影が続々と飛び出してくる。 案内役を含めた係員たちが何だ何だと驚く中で、何人かがその正体が何なのかすぐに気が付く。 馬車の中に潜み、そして出てきた影の正体は――――大中小様々な動物たちであった。 「え…!?」 「ど、動物…それも、こんな…」 係員たちは目の前の光景が信じきれないのか何度も目を擦り、激しい瞬きを繰り返している。 それ等は先ほどのリスよりも二回りも大きく、そして様々な種類がいた。 先に飛び出してきたリスを含め、一体この馬車の中はどうなっているのかと疑う程の動物たちが五番ホームを占領していく。 可愛い猫や雑種と思しき中型犬に混じってトラの赤ちゃんが地面に寝そべり、小熊がその隣で座っている。 亀がゴトゴトと地味に喧しい音を立てて歩き回り、そのままとぐろを巻いて休んでいる蛇の体をよじ登っていく。 あっという間に周りよりも騒がしくなってしまった五番ホームの真ん中で、カトレアは動物たちを見回しながら「みんなー」と声を掛けた。 「少しさびしいと思うけど。御者のアレスターが一緒だから、何かあったら彼の言う事を聞くのよ。わかった?」 その瞬間…驚いたことに、彼女の言葉にそれぞれが自由気ままにしていた動物たちは一斉に彼女の方を見たのである。 眼前の蛇を蛇と視認していなかった亀も足を止めて彼女の方へと身体を向け、蛇は首をのっそり上げてコクリと頷いてみせた。 まるでサーカスの動物ショーを見ているかのような光景に係員たちが呆然とする中、カトレアはその笑顔のまま案内役の係員に話しかける。 「それじゃあ、案内してもらおうかしら」 「………あ、え?…あッ!は、はい!こちらです」 あっという間に劇場地下の一角が小さな動物園と化した事に一瞬我を失っていた係員は、慌てて返事をした。 再び自分の足元で思い思いに寛ぐ動物たちを踏んだり蹴ったりしないよう細心の注意を払いながら、カトレアへの案内を始める。 幸い劇場のロビーへと続いている扉はすぐ近くにあり、一分も経たずに扉の前まで彼女連れてくる事ができた。 そこまで来たところでカトレアはまた何か思い出したのか、アッと言いたげな表情を浮かべて馬車の方へ顔を向ける。 今度は一体何かと思った係員たちがそれに続いて馬車の方へ視線を向けた直後、何人かがギョッとした。 カトレアが出て、動物たちが出てきた馬車の中から、ヌッと大きな頭の女が重たそうな動作で出てきたのである。 まるで目覚めたばかりで古代の遺跡からゆっくりと這い出てくる魔物の様に、その一挙一動が無気味であった。 何せその女の頭の大きさたるや、女の体と比べればまるで子供がギュッと抱きついているかのようにアンバランスなのだ。 地下の照明が微妙に薄暗いという事もあってか、その頭がどういう事になっているのかまでは良く分からない。 それがかえって不気味さを増長させており、係員たちの何人かは女からゆっくりと後ずさろうとしている。 動物たちも馬車から出てきた女に驚いたのか、寝ていた者たちはバッと体を起こして馬車との距離を取ろうとしていた。 係員たちも突然の巨女に対応ができず、ただただ唖然とした様子で見守っていると―――女が言葉を発したのである。 「ニナー、もう大丈夫だから…大丈夫だから、とりあえず私の頭に抱きつくのは、いい加減やめなさい」 「…え?……あれ、もうついたの?」 その不気味さとは対照的に、冷静さと大人びた雰囲気が垣間見える声に呼応するかのように、今度は少女の声が聞こえてくる。 何と驚く事に、ようやく言葉足らずを卒業したかのような幼い女の子の声は、女の頭がある部分から発せられた。 不安げな様子が見て取れる言葉と共に、女の頭の天辺からニョキ…!と女の子の顔が生えてきたのである。 瞬間、その様子を間近か照明の逆光でシルエットしか分からなかった係員たちは小さくない悲鳴を上げてしまう。 ちょっとした混乱が続いている五番ホームの中、係員たちの恐怖を余所にカトレアはその女に声を掛けた。 「ニナ、ハクレイ。あぁ御免なさい!あなた達に声を掛けるのを忘れていたわ」 「あー別に大丈夫。ちょっとニナが動物たちを怖がり過ぎてて、私の頭にしがみついてて…馬車から出るのに苦労したけど」 カトレアの言葉に女は軽い感じでそう言うと、自分の頭に抱きついている少女、ニナをそっと引っぺがして見せた。 そこになって、ちょっとした恐慌状態に陥りそうになった係員たちは、ようやく巨頭の女の正体を知る事となったのである。 女、ハクレイは引っぺがしたニナの両脇を抱えたままカトレアの傍まで来ると、そこで少女をそっと地面へ下ろす。 一方のニナはと言うとハクレイの背後でじっと様子を窺っている動物たちを、見張っているかのように凝視していた。 そして凝視するのに夢中になっているあまり、下ろされた事に気が付いていない彼女の肩をハクレイはそっと叩いて見せる。 ポンポンと少し強く感じられる手の感触でようやく下ろされた事に気が付いたニナは、ハッとした表情でハクレイの顔を見上げた。 「ホラ、これでもう大丈夫よ」 「だ…大丈夫って…何が大丈夫だってぇ~?」 肩を竦めて言うハクレイに、ニナは子供らしい意地を張りながら生意気に腕を組んでみせる。 その子供らしい動作にハクレイはもう一度肩を竦め、カトレアはクスクスと笑おうとしたところでハッと気づく。 ふと周囲に目をやれば、いつの間にか自分たちを中心に奇異な目を向ける者たちが数多くできていた。 係員をはじめとして、自分たちと同じく客として来たであろう貴族達も目を丸くし、足を止めてまで凝視している。 馬車に乗せてきていた動物たちも何匹かが主の方へと目を向けていた。 ザッと見回しただけでも実に十以上の視線に晒されているカトレアは、流石に焦りつつも頭を下げて彼らに謝罪をして見せた。 「…えーと、その…変にお騒がせさせてしまい、大変申し訳ありませんでした」 多少おざなりであったがそれで良かったのか、貴族の客たちは各々咳払いしたりしてその場を後にする。 係員たちも何人かが頭を下げるカトレアと同じように頭を下げて、各自の仕事を再開していく。 先程までいつも以上に賑やかだった地下の馬車置き場は、再びいつもの喧騒を取り戻していた。 カトレアが連れてきた動物たちの鳴き声と、五番ホームを囲う柵を用意する係員たちの姿を除けば、であるが。 ――――あら、懐かしい劇ね。一体何時ぶりだったかしら? どうして彼女たちがタニアリージュ・ロワイヤル座に来たのか…それは朝食を食べているカトレアの一言から始まった。 昨夜のドタバタ騒ぎから夜が明けて、腹を空かせていたハクレイがオムレツを口に入れようとした時か、 それともカトレアの横に座り、手作りフルーツヨーグルトのおかわりをお手伝いさんに頼もうとした時かもしれない。 朝陽に照らされた庭で寛ぐ動物たちに餌をやり終えたカトレアが、ポストに届いていたお便りを読みながら、そんな事を呟いたのである。 中にチーズとハムが入ったオムレツをそのまま口の中に入れたハクレイが口を動かしながら「はひがぁ?(何が?)」と聞く。 何気にマナーのなってないハクレイをお手伝いがジトーと睨むのを見て苦笑いしつつ、カトレアは彼女の問いに答える。 ―――ここから少し離れた所にあるタニアリージュ・ロワイヤル座っていう劇場で懐かしい劇がリバイバルされるらしいのよ。 まだ私が小さい時…故郷の領地にいた頃に一度だけ、とある一座が王都まで行けない人たちの為に出張上演してくれたっけ… その言葉を皮切りに、カトレアは食事の手を一時止めてハクレイ達に当時見た劇の事を話してくれる。 劇は王道を往く騎士物で、世間を知らない貴族の御坊ちゃまが一人前の騎士として御尋ね者のメイジを退治する話なのだという。 苦労を知らず下らない事で一々怒る主人公が多くの人々から時に厳しく、時に優しくされつつも騎士として鍛え上げられていく。 やがて同期のライバルや教官から騎士道とは何たるかを学び、最後は自身の母を手に掛けた貴族崩れのメイジと一騎打ちを行う。 これまで培ってきた戦い方や技術を凌駕する貴族崩れの男の攻撃に苦戦しつつも、主人公は機転を利かせつつ攻めていく。 その戦いの末に杖を無くしてしまった二人は互いに護身用の短剣を鞘から抜き放ち、そして――――…。 ―――それで…? ――――そこまで言ったら、もしも同じ劇を見た時に面白味が無くなっちゃうでしょ? そこまでも何も、物語の大半を語っておいてそこでお預けするというのは正直どうなのだろうか? 既に手遅れな事を言っておいてクスクスと笑うカトレアをジト目で睨みつつ、ハクレイは朝の紅茶を一口飲む。 ミルクを入れて口の中を火傷しない程度に温度を下げた紅茶はほんのりと甘く、優しい味である。 カップを口から離し、ホッと一息ついたハクレイを余所に同じくカトレアの話を聞いていたニナが彼女に話しかけていた。 「でも何だか面白そうだよね~、でもリバイバルって何なの?」 「リバイバルっていうのはねぇ、昔やっていたお芝居とか演奏会とかをもう一度やりますよーっていう意味なの」 カトレア曰く、この手の演劇や芝居などは日が経つにつれ新しい物へと変わっていくのだという。 稀に何らかの理由で発禁処分にされたりでもしない限り、大抵は短くて三か月長くて半年は同じ劇が見れるらしい。 終了した物を見るには今言っていたリバイバルか、金持ちの貴族ならばワザワザ劇団を雇って見ているのだとか。 「…で、アンタがさっき言ってた劇は当時の貴族の子供に人気だったからリバイバル…っていうワケね」 「そうらしいわね。まぁでも、タニアリージュ・ロワイヤル座でリバイバルされるのなら相当に人気だと思うわ」 まぁ実際、面白かったしね。最後に一言付け加えた後、カトレアは手に持ったフォークで付け合せのトマトを刺した。 一口サイズにカットされたソレを口元にちかづけいざ…という所で、彼女はハッとした表情を浮かべて手を止める。 カトレアへ視線を向けていた他の二人とお手伝いさんたちが訝しもうとしたその時…彼女は突如「そうだわ!」と大声を上げた席を立った。 突然の事にカトレアを除く全員が驚いてしまう中で、彼女は名案が閃いたかのような自信ありげな顔でハクレイ達へ話しかける。 「何ならこれからその劇を見に行きましょうよ、ここ最近はずっと家の中にいたし…ニナも窮屈そうにしていたし」 「え?本当に良いの!?」 あまりにも突然すぎる提案にニナはたじろぎつつも、ほぼ同時のサプライズに嬉しそうな表情を浮かべる。 ここ王都に入ってからというもの、街中の込み具合からニナは庭を除いてここから出た事がなかったのだ。 多少自分の身は守れる程度に強いハクレイは別として、一日中カトレアと共にこの別荘の中で過ごしている。 年頃の子供にとって、猫の額よりかは多少でかい庭だけが外の遊び場というのは窮屈だったのだろう。 しかも彼女が連れてきていたという動物のせいで、彼女が満足に遊べるような状態ではなくなっていた。 そんな今のニナにとって、外に出られるというチャンスはまたとない刺激を得られるチャンスであった。 自分の嬉しそうな様子に笑みを浮かべるカトレアに対し、ニナはついでと言わんばかりにお願いをしてみる。 「ねぇねぇお姉ちゃん、そのついでで良いからさー…その~…」 「……?―――…あぁ!」 勿体ぶった言い方をするニナの表情と、彼女の事を日がな一日見ていたカトレアはすぐに言いたい事を察してしまう。 「良いわよニナ、時間に余裕があるなら帰りに王都の公園にでも寄っていきましょうか?」 「――…ッ!わーい!やったー!」 カトレアからのOKを貰ったニナは余程嬉しかったのか、その場で席を立つと嬉しそうにジャンプして見せた。 ニナの反応を見てふふふ…と笑っていたカトレアは、次いでハクレイにも行けるかどうか聞いてみる。 「ねぇハクレイ、貴女はどうかしら?……まぁ、貴女はちょっと忙しい所を邪魔するかもしれないけれど…」 「…うーん…………貴女の提案ならまぁ…断るのはどうかと思うしね…けれど、」 少し表情を曇らせながら訊いてくるカトレアに、ハクレイは暫し黙った後で軽く頷きながらも言葉を続けた。 「せめてその手に持ったままのフォークに刺さったトマト、食べるかどうかしてあげなさいよ」 彼女の今更な指摘に、カトレアはハッと自分の右手に握られたフォークへと目をやる。 持ち主に食べられる事無く放置されていたトマトから滴る赤い果汁は、まるで涙と例えるべきか。 今になって食べる途中であった事を思い出したカトレアは思わずその場で頬を赤く染めて、お淑やかにそのトマトを口の中へと入れた。 そんなワケで、カトレアはハクレイとニナ…それに連れてきていた動物たちを伴って劇場へとやってきたのである。 当初はお手伝いさんたちが何も動物まで連れて行くのは…、とカトレアに苦言を呈したのであるが… 「この子たちもニナと同じで、あまり広い所で遊ばせてあげれていないから…」 …という理由をつけて別荘側の方で比較的大型の馬車を借りた後、劇場へ当日予約を伝えてもらった。 基本的にタニアリージュ・ロワイヤル座の地下馬車置き場を利用するには前日までの予約が無ければ使用する事はできない。 しかし、元々それなりの上級貴族が利用する『風竜の巣穴』を通せば空きがあれば当日予約が通るのである。 かくしてカトレアの考えていた通りに事は運び、こうして劇場に入る事はできたのだが…。 「予想以上に、すごい人だかりねぇ…」 「そうねぇ、こればっかりは何となく予想がついてたけど…予想の範囲をちょっと超えてたわ」 ロビーへと通じる階段を上り、踊り場の所で足を止めているハクレイとカトレアの二人は少し面喰っていた。 何せロビーから少し下の踊り場から見上げるだけでも、一階にいる人々の賑わいが少し喧しいレベルで聞こえてくるのである。 見上げた先に見える無数の人影が忙しなく行き来し、シルエットだけでも千差万別だ。 マントと思しきものをつけていれば、掃除道具であろうモップを肩に担いで横切る人影もある。 中には明らかに高値と見えるドレスを着た貴婦人の影が、お供と思しきシルエットを数人連れて横切っていく。 さぞやロビーは物凄い人ごみであろうとハクレイは思ったのか、緊張で息を呑もうとしたその時… 「…ふふ、ふふふ」 突然、後ろにいるカトレアの押し殺すような笑い声が聞こえたのに気が付き、そちらへと視線を向けてしまう。 「どうしたのよ?急に笑ったりなんかして」 「え?いや、別に大したことじゃ無いのよ?ただね…まるで何か…踊り場の上が小さな劇場に見えてしまってね…」 何が可笑しいのか、笑いを少しだけ堪えるようにして言う彼女の言葉に、ハクレイはもう一度視線を元へ戻してみる。 そして踊り場の上からしきりに行き交う人影たちを見つめていると、彼女の言葉の意味が何となく分かってきた。 こうして様々な姿形の人影が交差していく様子が見れる踊り場は、確かに小さな劇所に見えてしまう。 それはここが歴史ある劇場である故に設計者が意図して作ったものなのか、はたまた長い歴史の中で偶然に生まれた場所なのか。 真実を知ることはこの先決してないかもしれないが、不透明な真実を探すのもまた一興と言う奴なのだろう。 まぁ最も、落ち着いて腰を下ろせる席が無い分劇場としてはかなりランクは低い事は間違いない。 暫し踊り場の上から一階へと通じる出入り口を見上げた後、気を取り直すようにしてハクレイが軽く咳払いをした。 「……そろそろ上りましょうか?」 「そうね。…ホラ、ニナもこっちにいらっしゃい」 「はーい!」 カトレアの呼びかけに、少し下の方で壁に掛けられている絵を見ていたニナが元気よく返事をする。 そうして三人そろった所でカトレアを先頭にして階段を上がり、ロビーへと続く入り口をくぐっていく。 やがて彼女たちの姿も人ごみに紛れ、踊り場から見上げられる人影の一つとなっていった。 ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールは、誇り高きヴァリエール公爵家の末娘である。 末っ子であっても、そんじょそこらの二流三流の家と違いしっかりとした教育を受けられる立場の人間だ。 貴族としての教養は勿論のこと座学、作法、流行りのダンスの踊り方に…当時は全くダメだったが魔法の練習も、 更に一通り文字の読み書きができる年頃になったところで、法律に関するものや子供向けの難しい魔法の専門書を与えられてきた。 その甲斐あってか、魔法と体格を除いて今では何処に出しても恥ずかしくない、立派な貴族の子供として成長したのである。 ハルケギニアの共用語であるガリア語は勿論、ゲルマニアやロマリアの言語なども読み書きできる程になっていた。 そんな家の子である彼女は、離乳食の頃から十分に良い物を食べて育ってきた。 材料はほぼヴァリエール領で採れたものを使い、取り寄せにしても全てが一級品の代物。 シェフも王宮勤務から王都で一躍名を馳せた者達を出来る限り採用し、料理にも十分な趣向を凝らしている。 それこそ王宮顔負けの豪華な食事から、トリステイン各地の故郷料理と様々なメニューを口にしてきた。 故に今の彼女は、自分が口にした料理が本当に美味しいかどうかを見分けられる確固たる自信を持っている。 プロのソムリエには負けるだろうが、おおよそ並みの貴族には負けないだろうという…程度であったが。 「何よコレ…中々どうして、美味しいじゃない…」 ―――彼女の味覚はこれでもかと言わんばかりに激しく反応していた。 今先程ナイフで切り分け、フォークに刺して口へと運んで咀嚼し、飲み込んだモノが『本当に美味しいモノ』だと。 目の前にはまるでクレープの様でいて、しかしクレープと呼ぶにはやや厚い生地のパンケーキ。 それが三枚ほど重ねるようにして更に盛り付けられ、その上からチョコソースやら苺ジャムを掛けられている。 更にはトドメと言わんばかりに専用のスプーンで一掬いしたアイスクリームが、皿の端に添えられていた。 最初見た時は掛け過ぎだろうと思ったが、意外や意外それらが全て上手い事パンケーキの味を盛り上げているのだ。 薄めで枚数の多いパンケーキに対し、やや過剰なソースとアイスクリームは上手い事計算されて添えられている。 恐らくこれを考案したパティシエ…もしくは料理人は、相当パンケーキに精通しているに違いない。 そうでなければ、ここまで美味しいパンケーキを平民向けの値段で作るというのは簡単に出来ないだろう。 ルイズは口の中に広がる幸せを堪能ししていると、同じパンケーキを食べていたシエスタが嬉しそうに話しかけてきた。 「どうですかミス・ヴァリエール?その様子だと、お口に合って貰えたようですが」 「えぇ。…それにしても意外だったわね。まさかあのタニアリージュ・ロワイヤル座で、こんな美味しい物が安く食べられるなんて…」 シエスタの言葉にルイズは満足そうに返事をしつつ、お茶を飲みながらふと視線を上へ向ける。 見上げた先にあるのは劇場二階の通路があり。多くの貴族たちがチケットを片手に忙しそうに行き交っていた。 再び視線を戻して周囲を見回してみると、そこは街中にありそうな洒落た感じのリストランテの中。 今食べているパンケーキやガレット、サンドイッチといった軽い食べ物を紅茶やジュース等と一緒に頂く店。 現にルイズ達の周りの席では、主に平民の客たちが席に座って好きな物を飲み食いしている。 それだけなら普通の飲食店であったが、ルイズ本人としてはこの店のある場所に信じられないという気持ちを半ば抱いていた。 そう…この店があるのは劇場一階の一角…つまり、タニアリージュ・ロワイヤル座の中なのである。 劇場に入って右へ少し歩いた所、巨大な窓から燦々とした陽射しで照らされレた一角にその店は建っている。 最初にそれを見たルイズはまさか歴史あるこの建造物の中にそんなモノがあるという事自体が信じられなかった。 シエスタが言うには、ちょうど今年の春にオープンした店らしく平民の女の子たちの間で人気なのだという。 中にはここのスイーツ目当てで劇場へ入る者も多いようで、チケットを買わずにここへ直行する者もいるらしい。 「知らなかったわ、まさかあのタニアリージュ・ロワイヤル座がこんな事になってたなんて…」 シエスタから軽く話を聞いた時は、信じられないと言いたげな表情を浮かべるしかなかった。 当初はこのリストランテにかなりの難色を示したが、貴族である彼女からしたら至極当然の反応であろう。 まだお芝居目当てに来るならまだしも、たかがスイーツ目当てで来るというのは流石に度し難いとしか言いようがない。 しかもよくよく見てみれば、店の席には平民に混じって年若い貴族の女性までいるではないか。 恐らく下級貴族…かもしれないが、いくら給付金が少ないからと言ってこんな店に入るとは貴族の風上にも置けない。 だから最初は、シエスタがお薦めしたパンケーキセットを前にしても好印象を持てなかった。 しかし…これが蓋を開けてびっくり、本当にこれが平民向けのパンケーキかと疑う程美味しかったのである。 それはルイズだけではなく、他の二人もまた同じような感想を抱いていたようだ。 「…いやーコイツは美味しいなぁ!このアイスクリームも、程良い清涼感をだしてるぜ」 二枚目のパンケーキを半分ほど食べたところで、アイスクリームに手を出していた魔理沙が嬉しそうに感想を漏らす。 いつも頭に被っている帽子を膝の上に乗せて、夢中になってパンケーキセットを頂いている。 黒白の嬉しそうな反応を見て、ルイズもまだ手を付けていなかったアイスクリームをフォークで切り分けて、口の中へと運ぶ。 「ふぅん…ン……ふぅーん、成程…焼きたてのパンケーキには丁度良いお供かも…」 彼女の言うとおり、確かに申し訳程度のアイスクリームも決してメインに負けない魅力を持っていた。 味は至って普通のバニラなのだが、しっかりと冷えたそれは熱くなった口の中を冷やすのに丁度良いのである。 そんな風にしてバニラアイスを堪能する二人と、それを嬉しそうに見守るシエスタを余所に霊夢もパンケーキを堪能していた。 「ふ~ん…まぁこういうのも偶には悪くないわね。わざわざ自分で作ろうとは思わないけど」 彼女にしては珍しく嬉しそうな表情を浮かべて、パンケーキをフォーク一本で器用に切り分けていく。 切り分けた分をフォークで刺し、苺ジャムを付けて口の中へと運び…咀嚼、そして飲み込む。 その後でセットのドリンクで頼んでいたアイス・グリーンティー…もとい冷茶をゆっくりと口の中へと流し込む。 「…ん…ふぅ~……あぁ~、やっぱりこういう洋菓子には…緑茶とかは合わないものなのね」 飲み終えた後で残念そうな表情を浮かべてそう言うと、彼女の足元に置かれたデルフが話しかけてきた。 『なぁレイム、お前さんナイフは使わないのかい?』 「ナイフ?別に良いわよ、フォーク一本で済むならそれに越したことは無いじゃないの」 使った形跡が一つも無く、テーブルの上で物言わず輝くナイフを尻目に霊夢はフォークだけで食べ進んでいく。 ルイズ達を含めて他の客たちがしっかりとナイフで切り分けていく中で、彼女は一人我が道を進む。 その光景と言葉にルイズは呆れたと言いたげな表情を浮かべ、シエスタは苦笑いを浮かべるほかなかった。 それから三十分ほど経った頃であろうか、昼食代わりのパンケーキを食べたルイズ達はロビーの一角で休んでいた。 売店で買った瓶入りのジュースを片手に休憩用のベンチに腰かけ、人ごみを眺めながら賑やかな会話を楽しんでいる。 「ふぅ…まさかこの私が、あんないかにもな平民向けのスイーツ相手に屈する日が来るとは思ってなかったわ」 「そう言ってる割には、結構美味しそうに食べてたじゃないの」 「そりゃそうよ、美味しい物を美味しそうに食べるのは世の中の常識みたいなものじゃない」 無念そうな響きが伝わってくるルイズの言葉に反応した霊夢に対し、ルイズはそんな事を言って返す。 二人が会話し始めたのを切欠に、炭酸入りレモン水を飲んでいた魔理沙も面白そうだなと感じて会話に混ざってきた。 「にしても、ここのパンケーキは変わってるんだな~。あんなに色々と乗っけてるヤツを見たのは正直初めてだったぜ」 「実際私もあんなのは初めて見たわね。もっとこう…私の想像してたパンケーキはシンプルな感じだったのよね」 ルイズはそんな事を言いながら、頭の中でメープルシロップとバターがトッピングされた分厚いパンケーキを想像してしまう。 学院に入る前、そして入った後にも何度か食べた事のあるそれは、あのパンケーキ程ド派手ではなかった筈である。 改めて世の中の広さを再認識した所で、アイスティーに口を着けていたシエスタも嬉しそうに話しかけてきた。 「私もシンプルなのは好きですが…アレだって中々負けていないでしょう?」 「そうなのよねぇ~…ちょっと色々味を付け過ぎな感じもするけど…特にしつこいって所はなかったしね」 シエスタの言葉にそう返しながら、ふとルイズは今いる場所から劇場を軽く見回してみる。 自分たちが今いる一階では先ほどまでいたリストランテを含め、軽食などを販売している売店があった。 シエスタが言うには、お芝居などを見ながら食べられるドリンクやちょっとした料理を注文できるのだという。 何時ごろ出来たのかは知らないが、少なくともルイズが幼少期の頃にはそういった物は無かった。 ここは単に芝居や劇を干渉する為だけの施設であり、それ以上でもそそれ以外でも無かった建物である。 しかし、こうして多くの平民たちが劇場へと入っているのを見るには時代が変わったと見ていいのだろうか。 文明社会としては当然の事なのであろうが、正直ルイズとしては微妙な気持であった。 トリステインの貴族は伝統としきたりを何よりも愛する、それ故に今のタニアリージュ・ロワイヤル座に対してはどうかと思う所がある。 本来ならば館内にリストランテや芝居の観賞中に飲み食いできる売店など、許されない筈だ。 だが…結局のところ、それを是正する筈の貴族達も利用しているのを見るに後世の伝統として残っていくのだろう。 きっとこれまで築いてきた伝統やしきたりも、当時は受け入れられなかったものなのであろうから。 (実際、私だって劇場内で食べれるパンケーキに喜んでたしね…) トリステイン貴族としての理想と現実との板挟みに、ルイズは一人静かに悩むほかなかった。 その後、腹も満たして一息ついた少女達は暫し劇場内を見学して回る事にした。 ガイドはいないものの、幸いにもルイズとシエスタの二人という劇場に足を運んだ者たちがいるのである。 最も、ルイズは幼少期の頃に足を運んだっきりな為、当時と比べかなりリニューアルされている館内を興味深そうに見回していた。 「へぇ~…あちこち変わってるのねぇ、てっきり変わってないままかと思ってたけど」 チケット売り場の近く…円形に置かれているソファに腰かけながら、彼女は出入口の真上に掛けられた大きな絵画を眺めている。 それは恐らく近くの噴水広場から描かれたであろう、タニアリージュ・ロワイヤル座の大きな油絵であった。 ほんの気持ち程度であるがライトアップされている為、劇を見終えて出るときにはその絵に気付く人は多いだろう。 少なくとも幼い頃に両親連れられてきたときには、あのような迫力のある絵画は飾られていなかった筈である。 今ルイズが腰を下ろしているソファもまた、彼女の記憶には無かった物だ。 昔のロビーは今の様にそこら辺に落ち着いて座れる椅子やソファなど無く、お客さんは全員立ちっぱなしであった。 流石に観賞用の席はあったものの、劇が始まるまではロビーで佇み好きで、足が疲れてしまった腰は何となく覚えている。 そして長い事立ち続けられず、ロビーの隅でひっそりと腰を下ろしていた老貴族達の姿も記憶の片隅に残っていた。 幼いながらも当時は少し可哀想と感じていた彼女は、自分と同じように腰を下ろして休んでいる貴族達を見回してみる。 貴族も平民も皆購入したチケットを手にソファに座り、書かれた番号の劇場が開くまで談笑したりして一息ついている。 「……成程、時代に合わせてリニューアルっていうのも…悪くないものなのね」 そんな事を一人呟いていると、チケット売り場の方からやや大きめなシエスタの声が聞こえ来た。 思わずそちらの方へ視線を向けてみると、霊夢と魔理沙…ついでにデルフを相手に色々と案内しているらしい。 「ここがチケット売り場です。ここで観たい劇や演奏会のチケットを買うんですよ」 「おぉー!夏季休暇という事だけあってか、結構な列ができてるな~」 シエスタの指さす先、幾つもの行列が出来ているそこへと目を向けた魔理沙も何故か嬉しそうな声を上げる。 彼女の言うとおり、今は夏季休暇という事あってかその時期限定の劇や演奏会を見ようと客たちが列を成していた。 ふとよく見てみると、平民と貴族の列が一緒になっているようで列によってはチラホラとマントを羽織った貴族の姿も見える。 ここもまた記憶に違う所だ。昔は平民と貴族で列が分けられていたのだが、どうやら今は一緒くたになっているようだ。 先ほどソファの事で喜んでいた彼女は一転表情を曇らせ、流石にあれはどうなのかと難色を示していたる しかし、よくよく見てみると貴族たちの方は皆揃いも揃ってマントと服がいかにも安物である事に気が付く。 安い店でズボン、ベルトでセット売りにされてるようなブラウスを着て、安い布で仕立てられたようなマントは薄くて破れやすそうだ。 そして今いる位置では後ろ姿しかみえないが、恐らく自分よりも四、五歳程度の若者なのであろうと推測できる。 そこから見るに、平民と同じ列に並んでいるのは貴族…であっても、下級貴族であろうとルイズは断定した。 成程。平民と同じ通りのアパルトメントに暮らし、国からの給付金も少ない彼らは劇を見るにも平民席を選ばざるを得ないらしい。 ルイズは一人納得したように頷きつつ、その顔には貴族であるというのに生活に困窮している彼らに同情の気持ちを浮かべる。 その下級貴族達とは天と地の差もあるであろう名家のルイズが一人頷くのを余所に、霊夢は列を見てため息をついていた。 「よくもまぁ、あれだけ面倒くさそうなのに並べられるわねぇ…劇とかそういうのって楽しいのかしら?」 『そりゃあ文明人ならそういうモノに惹かれるものさ。普段は本でしか読めない様な物語を、役者が再現してくれるんだからな』 霊夢の言葉に対し、まるでお前は文明人じゃないと言いたげなデルフの物言いに彼女はムッとした表情を浮かべる。 そして文句を言おうと背中に担いだ彼に顔を向けようと上半身を後ろへ向けようとした、その時であった。 「言ってくれるわねぇ?剣の癖に…って、わわっ…と!」 「おっと!」 体を捻ったタイミングが悪かったのか、丁度通りがかった初老の男性貴族とぶつかってしまったのである。 幸い二人とも転倒する事無く、その場で軽くよろめく程度で済んだのは幸いであろうか。 何とか転ばずに済んだ霊夢はホッと一息ついた所で、彼女の声で気が付いたルイズ達が傍へと駆け寄ってきた。 「ちょっとレイム、アンタ何やってるのよ!」 「…?そんな怒鳴らなくても大丈夫よルイズ、良くも悪くもコイツのお蔭でバランスが取れたようなもんだから」 『オレっちって重りになるか?結構軽めだっていう自信はあるんだがな』 怒鳴るルイズの意図に気付かず首を傾げる霊夢は、そう言って背中のデルフを親指で指してみせる。 どうやら本人は誰にぶつかったか知らないらしい、そこへすかさずシエスタが指摘を入れてくれた。 「違いますよレイムさん、後ろ…後ろ!」 「後ろ?……って、あら。もしかしてアンタがぶつかってきた張本人なの?」 「逆よ逆!」 顔を合わせて真っ先に自分は悪くないと主張する彼女に、ルイズは反射的に突っ込みを入れる。 その際に大声を出してしまったせいか、周りにいた人々が何だ何だと彼女たちの方へと視線を向け始めた。 彼らは皆、声の中心にいた者達から何となく状況を察した者からざわざわとよどめき始める。 「なぁシエスタ、何か周りの人間が私達の方を見てる様な気がするんだが…いや、こりゃ見られてるな」 「そ、そりゃ当り前ですよ…!」 視線に気づいたもののその意味が分からぬ魔理沙とは対照的に、シエスタは焦っていた。 今の時代、貴族にぶつかっただけで無礼打ちに遭う平民は消えたものの、それは即座に謝ればの話だ。 もしもぶつかった貴族に失礼な態度でも取ろうものならば…死ぬことは無いにせよ、確実に痛い目に遭ってしまう。 そんな事など微塵も知らないであろう霊夢は、ようやく自分が悪いのであろうと理解する。 「あー…何かこの感じ、私が悪いって事で正解なのかしら?…って、わわわわ!ちょっと、胸倉掴まないで…!」 「なのかしら…じゃなくて!アンタが百パーセント悪いのよ!」 『オレっちは剣だから使うヤツが悪い…って事で、見逃してくれよな』 胸元を掴み上げながら怒鳴るルイズの迫力に、流石の霊夢もたじろいでしまう。 そこへすかさずデルフが無実を主張するという…、カオスな光景を前にして、ぶつかられた初老の貴族が声を上げた。 「あー…そこの桃色ブロンドの御嬢さん。私は平気だから、そこの黒髪の娘を放してあげなさい」 その言葉にルイズと霊夢はおろか、魔理沙やシエスタもえっと言いたげな表情を浮かべた。 特にルイズは自分の耳を疑っているのか、初老貴族の方へ顔を向けると目を丸くしている。 「え?…えっと?…その、もう一度言ってもらえませんか?」 「だから私は平気だから、放してあげるといい。…不可抗力の事なら、怒るのも理不尽というヤツだしね」 聞き直してきたルイズにも丁寧で、かつ優しげな笑みを浮かべながら言いなおす。 彼女に胸倉をつかまれていた霊夢も、てっきり怒られると思っていたばかりに怪訝な表情を見せている。 …その後、ルイズの手から解放された霊夢が頭を下げて謝った事でその場は何とか収まりを見せた。 あの優しい初老の貴族は霊夢達に向けて、まるで自分の孫娘に知恵を授けるように… 「私のように優しい貴族は少ないだろうから、これからは気をつけなさい」 …と言って、これから急ぎの用事があるからと言って劇場の奥へと早足で立ち去って行く。 その後ろ姿を見て許されたのだと理解したルイズはホッと一息つき、シエスタは今に泣き出しそうな表情を浮かべてその場で腰を抜かしてしまった。 霊夢も霊夢で二人の様子を見て、これからは少しだけ気を付けようと珍しく反省の心を見せている。 彼女たちを見ていた群衆たちもホッとしたり、つまらなそうな表情を浮かべて自分たちのするべき事へと戻っていく。 アクシデントを避けられた事をルイズを含めた大勢が静かに喜ぶ中、魔理沙だけはマイペースであった。 「いやー、あの博麗霊夢が頭を下げて謝る姿を拝めるとはな。滅多にお目に掛かれぬ光景だったぜ」 『流石マリサだ。一触即発の空気だったっていうのに、物見遊山の気分だったとは』 「まぁホラ、あれだよ?喉元過ぎれば何とかってヤツさ」 「アンタねぇ…」 何事も無かったかのように笑う魔理沙を見て流石のデルフも呆れてしまい、ついで霊夢もムッとした表情を浮かべる。 しかし彼女が突っかかろうとする前に、その必要は無いと言わんばかりにルイズの怒鳴り声が魔理沙に襲い掛かってきた。 「ちょっとマリサ!もしかすればとんでもない事になってかもしれないっていうのに、何なのよその態度はッ!」 「え?あ、いや…ま、まぁ良いじゃないか?そのとんでもない事になってたかもしれないっていうのは、過ぎた事なんだし…」 「あんな事故、レイムじゃなくてアンタだったとしても起こり得る事なんだから!アンタも気をつけなさいって言いたいのッ!」 そんな風にして一分ほどルイズの説教が続いた所で、流石の魔理沙もこれは堪らんと感じたのだろう。 「分かった、分かった!悪かったよ」と両手を挙げた所で、ルイズもようやく怒鳴るのを止めた。 「はぁ…はぁ…何か、久しぶりに怒鳴った気がするわ…」 「で、でもミス・ヴァリエール。こんな所で怒鳴るのはマナーに反するんじゃ…」 顔から汗を垂らし、肩で息をする自分へ投げかけられたシエスタの言葉でルイズはハッと我に返る。 そして周囲を軽く見回した所で、怒鳴った事を誤魔化すようにゴホンと軽く咳払いしてみせた。 「ま、まぁ分かったのならそれでいいわよ…!…以後気を付けなさい」 「ルイズが言うなら仕方ない、心の片隅に留めておくぜ」 「まぁ一々こんな騒ぎが起こるっていうんなら、気を付けた方がいいわよね」 魔理沙に続くようにして霊夢も頷きながらそう言ってくれたおかげて、ルイズも説教を終える事ができた。 「ふぅ…!さてと、ちょっと脱線しちゃったけど…シエスタ、他に案内したい場所ってあるかしら?」 「え?あ、あぁすいませんミス・ヴァリエール…!え、えっとその…後、一つだけあります!」 何故謝るのだろうかという疑問は捨てて、ルイズはシエスタが次につれて行く場所がどこなのか聞こうとする。 「―――――……イズ!ルイズッ!」 ――――――…その時であった。劇場の喧騒に負けないと言わんばかりに、 彼女の耳に聞き慣れた…けれど久しく耳にしていなかった「あの声」が、必死に自分の名を呼んでいるのに気が付いたのは。 幼い頃から一日をベッドの上で過ごし、いつも領地の外の世界を夢見ていた儚くも美しい家族の声。 声を耳にしただけで、自分よりも綺麗で長いウェーブの掛かったピンクのブロンドが脳裏を過っていく。 家族の中では誰よりも優しく、幼少から落ちこぼれであった自分に寄り添ってくれた大切な人。 そして…今自分が誰よりも探していたであろう彼女の声に、ルイズは勢いよく後ろを振り返った。 振り返った先に見えるは、先ほどシエスタが霊夢達に紹介していたチケット売り場。 先ほどまで自分たちに視線を向けていた人々は再び売り場へと視線を戻し、列を作ってチケットを買い求めている。 ルイズは鳶色の瞳を忙しなく動かし声の主を探る。右、いない。左、ここもいない。 今のは幻聴だったのか?やや早とちりともとれる考えが脳裏を過ろうとした所で、ふと彼女は視線を上へ向ける。 チケット売り場の真上は二階の貴族専用席へと続く廊下があり。ロビーからでも廊下を歩く貴族たちの姿を見上げられる。 「……あっ」 そして彼女は真っ先に見つけた。廊下の手すりを両手で掴み、こちらを見ている桃色の影を。 自分よりも立派なピンクのブロンドウェーブが揺れて、陽の光に照らされている。 彼女もまたルイズが自分を見つけてくれた事に気が付いたのか、ニッコリと優しい笑みを浮かべた。 花も恥じらう程の笑顔…とは正に、彼女の為にあるような言葉なのではとルイズは錯覚してしまう。 そんな気持ちを抱きながらも、ルイズは自分を見下ろす彼女の名…ではなく、幼い頃から使っていた愛称を大声で叫んだ。 「ちいねえさま?…ちいねえさまッ!!」 「……ッ!あぁルイズ!やっぱり貴女だったのね、小さなルイズ!」 突然の大声に今度は霊夢達が驚く中、カトレアは眼下の少女が自分の妹であった事に喜び、更に呼びかける。 今までどれだけ心配していたかというルイズの気持ちを知らずして、小さな妹の名を呼び続けた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 世の中、自分が決めた物事や予定通りに事が進むことは早々無い。 スケジュール帳に書いている数十個もの予定を全てこなせる確率は、予定の数が多い程困難になっていく。 特に旅行や帰郷のような現地に行くまで詳細が分からない様な行事なら、急な予定変更など頻繁に起こってしまう。 単に都合が合わなかっただけなのか、はたまた始祖ブリミルがうっかり昼寝でもしていただけなのか…。 とにかく、運が悪ければほぼすべての予定が駄目になることもあるし、その逆もある。 そして、カトレアを探すために霊夢達を連れて故郷へ帰ろうとしていたルイズは、急な用事でその帰郷を取りやめている。 折角チャーターした馬車もキャンセルし、わざわざ確保してくれた駅舎の人たちに頭を下げつつ彼女は不満を垂れる仲間たちを連れて駅舎を後にした。 町を後にしようとした彼女たちの足を止めたのは、アンリエッタ直筆の証拠である花押が押された一通の手紙。 だがその手紙が、今のルイズにとってむしろプラスの方向へと働いた事を、二人と一本は知らなかった。 「一体全体どういう事なんだルイズ、何で今になって帰郷をとりやめたんだよ?」 ブルドンネ街の熱気に中てられ、頭にかぶっている帽子を顔を扇ぐ魔理沙はいかにも文句があると言いたげな顔で前を歩くルイズに質問する。 彼女たちは今、駅舎で預かってもらっていた荷物を全て持っている状態で、それぞれ旅行かばんを片手に大通りから少し離れた場所へと来ていた。 ルイズはまだ片手に空きがあるものの、魔理沙は右手に箒を持っており、霊夢は背中に喧しいデルフを担いでいる。 駅舎を出てからは空気を呼んでか黙ってくれているが、そうでなくとも何処かで休まなければ暑さでバテしまうだろう。 思っていた以上にキツイトリスタニアの夏を肌で感じつつ、霊夢もまた黙って歩くルイズへと声を掛けた。 「っていうか、あの貴族は何だったのよ?何か私達が見てないうちに消えてたりしたけど…」 「それは私も知らない。ただ、姫さまがよこした使いの者だって事ぐらいしか分からないわ」 霊夢からの質問にはすぐにそう答えたルイズは、自分に帰郷を中止させた手紙を渡したあの青年貴族の事を思い出す。 いざラ・ヴァリエールへ…という気持ちで一番ステーションへと入ってすぐに、声を掛けてきた年上の彼。 軽い雰囲気でこちらに接してきて、アンリエッタからの手紙を渡してきたと思ったら…いつの間にか姿を消していた。 王宮の関係者なのはまず間違いないであろうが、魔法衛士隊や騎士とは思えなかった。 まるで家に巣食うネズミの様に突然現れ、やれ大変だと騒ぐ頃には穴の中へと隠れて息を潜めてしまう。 礼を言う前に消えた彼の素早い身のこなしは、素直に賞賛するすべきなのか…それとも怪しむべきなのか。 そんな事を考えつつも、ルイズは手紙の最後に書かれていたカトレアの行方についての報告を思い出す。 あの手紙の最後の数行に書かれていた報告文には、この街には既にいないと思っていた大切な家族の一員の事が書かれていた。 もしもあの手紙が渡されずに、一足先にラ・ヴァリエールへと帰っていたら…当分会えることは無かったのかもしれない。 (この手紙に書かれている事が本当ならば、ちぃ姉様は今どこに…?) 未だ再開できぬ姉に思いを馳せつつ、ルイズは大通りの反対側にある路地の日陰部分でその足を止めた。 大通りとは違い燦々と街を照りつける太陽の光は、ここと大通りの間に建っている建物に阻まれている。 そこで住んでいる者たちは悲惨であろうが、そのおかげで王都にはここのような日陰場がいくつも存在してた。 「ここで一旦休みましょう。後…ついでに色々と教えたい事があるから」 「そうか。じゃあ遠慮なく…ふぅ~」 ルイズからの許しを得て、手に持っていた箒と旅行鞄を置いた魔理沙は目の前の壁に背を任せる。 ほんの少し、ひんやりとした壁の冷たさが汗ばむ魔理沙の服とショーツを通り抜けて、肌へと伝わっていく。 それが彼女の口から落ち着いたため息を出させ、同時に暑さで参りかけていた心に余裕を作っている。 一方の霊夢も背中のデルフを壁に立てかけ、左手に持っていた鞄を放るようにして地面を置くと、同じく鞄を置いたルイズへと詰め寄った。 「で、一体アイツの渡した手紙に何が書かれてたの?素直に言いなさい」 「言われなくてもそうするつもりよ。……ホラ」 睨みを利かせた霊夢に寄られつつも、ルイズは涼しい顔で懐に仕舞っていた手紙を取り出して二人に見せつけた。 封筒に入っていたその一枚で、彼女に姉を探すための帰郷を中止させる程の文章が書かれているのだろう。 しかし霊夢と魔理沙は相変わらずハルケギニアの文字が読めない為に、とりあえずは困った表情をルイズに向ける他なかった。 「…ワタシ、ここの文字全然読めないんだけど」 「右に同じくだぜ」 「まぁ大体予想がついてたわ。…デルフ、出番よ」 二人の反応をあらかじめ分かっていた彼女は、霊夢の背中にいる…インテリジェンスソードに声を掛ける。 ルイズからの呼びかけにデルフは『あいよー』と間延びした返事と共に鞘から刀身の一部を出して、カチャカチャと金具部分を鳴らし始めた。 恐らく霊夢の肩越しに手紙を読んでいるのだろう、時折彼の刀身から『ふむふむ…』というつぶやきが漏れてくる。 『なるほどなぁ~、初っ端から御大層な仕事と情報を貰ってるじゃないか、娘っ子よ』 「お、何だ何だ。何だか面白そうな展開になってきたじゃないか」 『まぁ待てよマリサ。今からこのオレっちが親切丁寧に手紙の内容を教えてやるからな』 そして一分も経たぬうちに読み終えたデルフは、急かす魔理沙を宥めつつも手紙の内容を説明し出した。 彼が言うには、まず最初の一文から書かれていたのはトリステインの時となったアルビオンの今後の動きについてであった。 艦隊の主力を失い、満身創痍状態のアルビオンはこの国に対し不正規な戦闘を仕掛けてくると予想しているらしい。 つまり、正攻法を諦めて自分たちの仲間を密かにこの国へと送り込み、内部から破壊工作を仕掛けてくる可能性があるというのだ。 それを恐れたトリステイン政府と軍部はトリステインの各都市部と地方の治安強化、及び検問の強化などを実地する予定なのだとか。 当然王都であるトリスタニアの治安維持強化は最大規模となり、アンリエッタ直属のルイズもその作戦に協力するようにと書かれているのだという。 本当に親切かつ丁寧だったデルフからの説明を聞き終え、ようやく理解できた霊夢はルイズへと話しかける。 「なるほど、大体分かったわ。それで、アンタはどこで何をしろって具体的に書かれてるの?」 「書かれてたわ、…身分を隠して王都での情報収集って。何か不穏な活動が行われてないか、平民たちの間でどんな噂が流れてるとか…」 夕食に必要な食材を市場のど真ん中で思い出すかのように呟くルイズの話を聞いて、魔理沙も納得したようにパン!と手を軽く叩いた。 「おぉ!中々悪くない仕事じゃないか。何だかんだ言って、情報ってのは大切だしな」 魔理沙からの言葉にしかし、ルイズはあまり嬉しくなさそうな表情をその顔に浮かべながら彼女へ話しかける。 「そうかしら?こういう仕事は間諜って聞いたことがあるけど…何だか凄く地味な気がするのよね」 「…そうか?私はそういうの好きだぜ。…意外と街中で暮らしてる人間ほど、ヤバい情報を持ってるって相場が決まってもんさ」 慰めとも取れるような魔理沙の言葉にルイズは肩をすくめつつ、これからこなすべぎ地味な仕事゙を想像してため息をつきたくなった。 てっきり『虚無』の担い手となった自分や霊夢達が、派手に使われるのではないかと…手紙の最初の一文を読み始めた時に思っていたというのに。 そんな彼女を見かねてか、説明を終えて黙っていたデルフがまたもや鞘から刀身を出してカチャカチャと喋りかけた。 『まぁそう落ち込むなよ娘っ子。その代わり、お前のお姉さんがこの街にいるって分かったんだからよ』 「…あぁそういやそんな事も言ってたわね。じゃあ、そっちの方もちゃんと教えなさいよデルフ」 彼の言葉に現在行方知れずとなっているルイズの姉、カトレアの行方も書かれていたという事を思い出した霊夢がそちらの説明も促してくる。 彼女からの要求にデルフは一回だけ刀身を揺らしてから、手紙の後半に書かれていた内容を彼女と魔理沙に教えていく。 ゴンドアから出て行方知れずとなっていたカトレアは、王宮が出した調査の結果まだこの王都にいる事が発覚したという。 彼女の容姿を元に何人かの間諜が人探しを装って聞いた所、複数の場所で容姿が一致する女性が目撃されている事が分かったらしい。 しかし一定の場所で相次いで目撃されているならまだしも、全く接点の無い所からの報告の為にすぐの特定は難しい状況なのだとか。 だが、もう少し時間を要すればその特定も可能であり、仮に彼女が王都を出るとなればそこで引きとめる事が可能と書かれていた。 今の所彼女の身辺にレコン・キスタの者と思われる人物の存在はおらず、王都には観光目的で滞在している可能性が高いのだという。 『まぁ療養の可能性もあり…って追記で書かれてるな、ここは』 手紙の最後に書かれていた一文もキッチリ読み終えた所で、今度はルイズが口を開く。 「とりあえず…まぁ、ちぃ姉様が無事なようで何よりだったわ」 「そりゃまぁアンタは良かったけど、そこまで分かっててまだ見つからないのって可笑しくないか?」 魔理沙が最もな事をいうと、ルイズも「まぁ普通はそう思うわよね」と彼女の言い分を肯定しつつもちょっとした説明を始めた。 「でもハルケギニアの王都とか都市部って意外に大きいうえに人の出入りも激しいから、普通の人探しだけでも大変だって聞くわよ」 「そりゃそうよね。こんだけ広い街だと、よっぽどの大人数でもない限り端からは端まで探すなんて事できやしないだろうし」 「ふ~ん…そういうもんなのかねぇ?」 ルイズの説明に霊夢が同意するかのように相槌を打ち、二人の言葉に魔理沙も何となくだが納得していた。 実際カトレアの捜索に当たっている間諜はルイズに手紙を渡した貴族を含め数人であり、尚且つ彼らには別件の仕事もある。 その仕事をこなしつつの人探しである為に、今日に至るまで有力な目撃情報を発見できなかったのだ。 「とりあえず、ちぃ姉様の方は彼らに任せるとして…私達も間諜として王都で情報収集するんだけれども…」 ルイズは自分の大切な二番目の姉を探してくれる貴族たちに心の中で感謝しつつ、 アンリエッタが自分にくれた仕事をこなせるよう、封筒に同封してくれていた長方形の小さな紙を懐から取り出した。 その紙に気付いた魔理沙が、手紙とはまた違うそれを不思議そうな目で見つめつつルイズ質問してみる。 「…?ルイズ、それは一体何なんだ?」 「これは手形よ。私達が任務をこなすうえで使うお金を、王都の財務庁で下ろすことができるのよ」 魔理沙の質問に答えながら、ルイズは手に持っていた手形を二人にサッと見せてみた。 形としては、先ほど駅舎で馬車に乗る人たちが持っていた切符や劇場などで使われるチケットとよく似ている。 しかし記入されている文字や数字とバックに描かれたトリステイン王国の紋章を見るに、ただのチケットとは違うようだ。 「お金まで用意してくれるなんて、中々太っ腹じゃないの」 「流石にそこは経費として出してくれるわよ。…まぁ額はそんなに無いのだけれど」 「どれくらい出せるんだ?」 何故か渋い表情を見せるルイズに、魔理沙はその手形にどれ程の額が出るのか聞いてみた。 「四百エキュー。金貨にしてざっと六百枚ぐらい…ってところかしら」 「……それって貰いすぎなんじゃないの?わざわざ情報収集ぐらいで…」 渋い顔のルイズの口から出たその額と金貨の枚数に、霊夢はそう言ってみせる。 しかしそれでも、彼女の表情は晴れないでいた。 その後、いつまでもここにいたって仕方ないということで三人はお金を下ろしに財務庁へ向かう事にした。 銀行とは違い手形は財務庁のみ使えるもので、ハルケギニアの手形は国から直にお金を下ろす為の許可証でもある。 受付窓口でルイズが手形を見せると、ものの十分もしないうちに金庫から大量の金貨が運ばれてきた。 思わず魔理沙の顔が明るくなり、霊夢もおぉ…と唸る中ルイズはしっかりと枚数確認をし、その手で金貨を全て袋に入れた。 ズシリとした存在感、しかし決して苦しくは無い金貨の重みをその手で感じながらルイズは金貨の入った袋をカバンの中に入れる。 さて出ようか…というところでルイズの傍にいた霊夢と魔理沙へお待ちください、と受付にいた職員が声を掛けてきた。 何かと思いそちらの方へ三人が振り向くと、ルイズのそれより小さいながらも金貨の入った袋が二つ、そっとカウンターへと置かれた。 「これは?」 「この番号の手形を持ってきたお客様のお連れ様二人に、それぞれ二百七十エキュー渡すようにと上から申し付けられておりまして…」 霊夢からの質問に職員がそう答えると、カウンターの上へ置かれた一つを魔理沙が手に取り、中を改めてみる。 「うぉっ…!これはまた…随分と太っ腹だなぁ…」 「えぇっと…どれどれ………!確かにすごいわね」 魔理沙の反応を見て自分も残った一つを確認してみると、開けた直後に新金貨が霊夢の視界に入ってくる。 ハルケギニア大陸の全体図が中央にレリーフされている新金貨はエキュー金貨同様、ハルケギニア全土で使用できる通貨だ。 新金貨二百七十エキューは、枚数にして丁度四百枚。王都在住の独身平民ならば一月は裕福に暮らせる額である。 魔理沙が財務庁で貰えた金貨に喜ぶなかで霊夢は誰が自分たちに…と疑問に思った瞬間、ふとアンリエッタの顔が浮かんできた。 そういえばアルビオンからルイズを連れ帰った時にもお礼を渡そうとして、結局茶葉の入った瓶一つだけで済ませていた。 更にはタルブへ行ったときも、何やかんやあってルイズとこの国を結果的に助けたのだから…その二つを合わせたお礼なのだろうか? (あのお姫様も後義な物よねぇ~…?まぁもらえる物なら、貰っておくにこした事はないけど) 王族と言うには少し気弱一面もあるアンリエッタの事を思い出しながら、霊夢は仕方なくその金貨を貰う事にした。 アルビオンの時まではそんなにこの世界へ長居するつもりはなかったし、幻想郷へ帰ればそれで終わりだと思っていた。 しかし幻想郷で起こっている異変と今回の事が関わっている所為で、しばらくはこの異世界で過ごす事になったのである。 となれば…ここで使える通貨を持っていても、便利になる事はあれ不便になる事はまずないだろう。 「こんな事になるって分かってたんなら、素直に金品でも要求してればよかったわね…」 「…?」 アルビオンから帰ってきたときの事を思い出して一人呟く霊夢に、魔理沙は首を傾げるほかなかった。 ともあれ、大きなお小遣いを貰う事の出来た二人はルイズと一緒に財務庁を後にした。 「さてと、とりあえず貰うもんは貰ったし…」 「早速始めるとしましょうか。色々と問題はあるけれど…」 「…って、おいおい!待てよ二人とも」 財務庁のある中央通りへと乗り出したルイズと霊夢が早速任務開始…と言わんばかりに人ごみの中へ入ろうとした時。 金貨入りの袋を懐へしまった魔理沙が、慌てて二人を制止する。 「?…どうしたのよ魔理沙」 一歩前に出そうとした左足を止めた霊夢が、怪訝な表情で自分とルイズを止めた黒白へと視線を向けた。 ルイズもルイズで、今回の情報収集を遂行するのに大切な事を忘れているのか、不思議そうに首を傾げている。 そして魔理沙は、こんな二人にアンリエッタがくれた仕事をこなせるのかどうかという不安を感じつつ、 少し呆れた様な表情を見せながら、出来の悪い生徒を諭す教師の様に喋り出した。 「いや、まさか二人とも…その格好で街の人たちから情報収集をするのかと思って…」 「―――…!…あぁ~そうだったわねぇ…」 魔理沙がそれを言ってくれたおかげて、ルイズはこの任務を始める前に゙やるべき事゙を思い出す。 一方の霊夢はまだ気づいていないのか、先ほどと変わらぬ怪訝な顔つきで「何なの…?」と首を傾げていた。 そんな彼女に思い出せるようにして、今度はルイズが説明をした。 「失念してたけど、手紙にも書いてたでしょう?平民の中に混じって、情報収集をするようにって」 「…!そういえば、そうだったわねぇ」 先ほどのルイズと同じく失念していた霊夢もまた、その゙やるべき事゙を思い出すことができた。 今回アンリエッタから与えられた情報収集の仕事は、『平民の中に混じっての情報収集』なのである。 だからルイズが今着ている黒マントに五芒星のバッジに、いかにも安くは無いプリッツスカートにブラウス姿で情報収集なんかすれば、 自分は「貴族ですよー!」と春告精のように大声で叫びながら飛び回っているのと同じようなものであった。 更に霊夢の場合髪の色も珍しいというのに、服装何て道化師レベルに目立つ巫女服なのである。 魔理沙はともかく、この二人は何処かで別の服を調達でもしない限り、まともに任務はこなせないだろう。 デルフから聞いた手紙の内容をよく覚えていた魔理沙がいなければ、最初の段階で二人は躓いていたに違いない。 「―――…って、この服でも大丈夫なんじゃないの?」 しかし、ルイズはともかく最も着替えるべき霊夢本人は然程おかしいとは思っていなかったらしい。 覚えていた魔理沙や、思い出したルイズも本気でそんな事を言っている巫女にガクリと肩を落としそうになってしまう。 「…これって、まず最初にする事はコイツの意識改善なんじゃないの?」 「まぁ、霊夢も霊夢であまり人の多い所へは行かないし…仕方ないと言えば、そうなるかもなぁ~」 「何よ?人を田舎者みたいに扱ってくれちゃって…」 呆れを通り越して早速疲れたような表情を浮かべるルイズが、ポツリと呟いた。 それに同意するかのような魔理沙に霊夢が腰に手を当てて拗ねていると、すぐ背後からカチャカチャと喧しい金属が聞こえてくる。 ハッとした表情で霊夢が後ろを見遣ると、勝手鞘から刀身を出したデルフが喋り出そうとしていた。 『それは言えてるな。いかにもレイムって田舎者……イテッ!』 「アンタはわざわざ相槌打つために、喧しい音鳴らして刀身出してくるんじゃないわよ!」 妙に冷静なルイズの言葉に同意しているデルフを、霊夢は容赦なく背後の街路樹に押しつけながら言った。 まるでクマが木で背中を掻くような動作に、思わず通りを行き交う人々は彼女を一瞥しながら通り過ぎていく。 その後、怒る霊夢を宥めてから魔理沙は二人の為に適当な服を見繕う事にしてあげた。 幸い中央通から少し歩いた先に平民向けの服屋が幾つか建ち並んでおり、ルイズ程の歳頃の子が好きそうな店もある。 しかし何が気に入らないのか、ルイズは魔理沙や店員が持ってくる服を暫し見つめては首を横に振り続ける動作を続けた。 「何が気に入らないのよ?どれもこれも良さそうに見えるんだけど」 「だって全部安っぽいじゃない。こんなの着て知り合いに見つかったら、恥かしくて死んじゃうじゃない」 いい加減痺れを切らした霊夢がそう言うと、ルイズはあまりにも場違いな言葉を返してくる。 これから平民の中に紛れるというのに、安っぽい服を着ずして何を着るというのだろうか? ルイズの服選びだけでも既に二十分が経過している事に、霊夢はそろそろ苛立ちが限界まで到達しかけていた。 彼女としてはたかが服の一着や二着で何を悩むのか、それが全く分からなかいのである。 そんな彼女の気持ちなど露知らず、ここぞとばかりに貴族アピールをするルイズは更に我が侭を見せつけてくる。 「第一、こんな店じゃあ私の気に入る服なんてあるワケないじゃないの。もっとグレードの高い店にしなきゃ…」 「アンタねぇ…良いから早く選んで買っちゃいなさいよ、ただでさえ店の中もジワジワ暑いっていうのに」 「何よ?アタシのお金で買うアタシの服に文句付けようっていうの?」 いよいよルイズも堪忍袋の緒が千切れかけているのか、巫女の売り言葉に対し買い言葉で返している。 ルイズの言動と、霊夢の表情から読み取れる彼女の今の心境を察知した魔理沙が「あっやべ…!」と小さく呟く。 それから服を持ってきてくれていた店主に向き直ると、四十代半ばの彼に向ってこう言った。 「店主!もう少しグレードあげても良いから、今より良い服とか無いかな?」 初めて会った客だというのにやけに馴れ馴れしく接してくる少女に、店主は一瞬たじろぎながらも返事をした。 「え…?い、いやまぁ…あるにはあるけれど…出荷したばかりの品だからまだ出してなくて…」 「ならそれの荷ほどきしてすぐに持ってきてくれ。じゃないとこの店が潰れちまうぜ?…物理的に」 「……それマジ?――あぁ、多分マジだなこりゃあ、ちょっと待ってろ」 彼女の口から出たとんでもない発言に一瞬彼女の正気を疑いかけた店主は、 その後ろであからさまな気配を出している霊夢とこれまた苛立ちを募らせているルイズを見てすぐさま店の奥へと走っていった。 どうやら、この夏の暑さが二人の怒りのボルテージを上げているのは確からしい。 ハルケギニアの暑さに慣れてない霊夢は相当苛立ってるが、それ以上の苛立ちをルイズは何とか隠していたらしい。 ルイズは杖こそ握ってないし霊夢はその両手に何も持ってないが、二人していつ素手で喧嘩を始めてもおかしくない状況であった。 「おいおい落ち着けよ二人とも。こんな所で喧嘩したって余計に暑くなるだけだろ?」 「うるさいわねぇ、一番暑そうな格好してるアンタに言われたくないわよ」 「そうよ。こんなクソ暑い王都の中でそんな黒白の服着てるなんて…アンタ頭おかしいんじゃないの?」 珍しくこの場を宥めようとする魔理沙に対し、二人はまるでこの時だけ一致団結したかのように罵ってきた。 『…だとよ?どうするよマリサ、このままこいつらの罵りを受け入れるお前さんじゃないだろ?』 二人の容赦ない言葉とこの状況を半ば楽しんでいるデルフの挑発に、流石の魔理沙も大人しくしているのにも限界が来ていた。 「……あのなぁ~お前らさぁ…いい加減にしとかないと私だって…!」 嫌悪感を顔に出した彼女が店内でも被っていたトンガリ帽子を脱いで、懐からミニ八卦炉を取り出そうとした直前、 店の奥に引っ込んでいた店主が大きく平たい袋を抱えながら、血相変えて飛び出してきた。 「ちょ…!ちょっと待って下さい!貴族の女の子も着ているような服がありましたから…待って、お願いします!」 祖父の代から継いで来た小さな店が理不尽な暴力で潰される前に、何とか客が要求していた服を持ってきたようである。 今にも死にそうな顔で戻ってきた店主を見て、キレかけていた魔理沙は慌てて咳払いしつつ帽子をかぶり直した。 「あ~ゴホン!……悪いな、わざわざ迷惑かけて…それで、どんな一着なんだ?」 何とか冷静さを取り戻した普通の魔法使いは気を取り直して、店長に聞いてみる。 「えぇと、生産地はロマリアで…こんな感じの、貴族でも平民でも気軽に着られるようなお洒落なものなんですが…」 魔理沙からの質問に店長は軽い説明を入れながら、その一着が入っているであろう袋を破いて中身を取り出して見せた。 「…あっ」 瞬間、隣の巫女さんと同じく暑さで苛立っていたルイズは店主が袋から取り出した服を見て、その顔がパッと輝いた。 実際には輝いていないのだろうが、すぐ近くにいた霊夢とデルフの目にはそう見えたのである。 店主が店の奥から出したるそれは、今まで彼や魔理沙が出してきた服とは格が違うレベルのものであった。 今来ている学院のものとは違う白い可愛らしい感じの半袖ブラウスに、短い紺色のシックなスカートという買ってすぐに着飾れる一式。 文字通りの新品であり、更にこの店のレベルとはあまりにも不釣り合いなそれに、ルイズの目は一瞬で喜色に満ちる。 態度を一変させて怒りの感情が隠れてしまったルイズを見て、霊夢は疲れたと言いたげなため息をついてから店主へ話しかけた。 「へぇ…中々綺麗じゃないの。っていうか、あるんなら出しなさいよね、全く…」 「いやぁ~すいません。何せ今日の朝届いたもんでしたので。店に飾るのは夕方からにしようと思ってまして」 店主も店主で何の罪もない先祖代々の店を壊されずに済んだと確信したのか、営業スマイルを彼女に見せつけて言い訳を口にする。 それから彼は、不可視の輝きを体から放ちながらブラウスを触っているルイズにこの服とスカートの説明を始めていく。 ロマリアの地方に本拠地を構えるブティックが発売したこの一セットは、貴族でも平民でも気軽に着れるというコンセプトでデザインされているのだという。 先行販売しているロマリアでは割と人気になっているらしく、今年の冬に早くも同じコンセプトで第二弾が出るとか出ないとか…。 「一応貴族様向けに袖本に付ける赤いタイリボンがありまして、この平民向けにはそれが無いだけなのでデザインに差異はないかと…」 「なるほどなぁ、確かに良く見てみるともうちょっと彩が欲しいというか…赤色が恋しくなってくるなぁ」 店主の説明に魔理沙が相槌を打ちつつ、すっかり気分を良くしたルイズを見て内心ホッと一息ついていた。 一時は彼女と霊夢の怒りと面白がっていたデルフの挑発に流されてしまいそうだったものの、何とか堪える事が出来た。 実際には怒りかけていたのだが、今のルイズを見ているとそれすらどうでも良くなってしまうのである。 (いやはや…喉元過ぎればなんとやらというか、ちょっと気が変わるのが早いというか…) 聞かれてしまうとまた怒りそうな事を心の中で呟きながら、魔理沙はチラリと横にいる霊夢の方を見遣る。 ルイズはあのブラウスとスカートで良いとして、次は巫女服以外まともな服を着た事の無い彼女の番なのだ。 多分散々待たされた霊夢の事だから、適当な服を見繕ってやれば素直にそれを着てくれるだろう。 しかし困ったことに、魔理沙の目ではこの巫女さんにどんな服を着せてやればいいのか全く分からなかった。 そもそも彼女に紅白の巫女服以外の服を着せたとしても似合うのだろうか?多分…というかきっと似合わないだろう。 知らず知らずの内に、自分の中で霊夢は巫女服しか似合わない…という固定概念ができてしまっているのだろうか? そんな事を考えている内に、自然と怪訝な顔つきになっているのに気が兎つかなかった魔理沙に、霊夢が声を掛けてきた。 「どうしたのよ、まるで私を人殺しを見るようなような目つきで睨んでくるなんて…?」 「えぇ?何でそんな例えが物騒なんだよ?…いやなに、お前さんにどんな服を用意したらいいかと思って―――」 「その必要なんか無いわよ。替えの服ならもうとっくの昔に用意してくれてるじゃない」 ルイズの奴がね。最後にそう付け加えた霊夢は、足元に置いてあった自分の旅行鞄をチョンと足で小突いて見せた。 彼女の言葉で、それまで゙あの事゙を忘れていた魔理沙も思い出したのか、つい口から「あっ…そうかぁ」と間抜けそうな声が漏れてしまう。 それは、まだタルブでアルビオンが裏切る前に王都で買ってもらっていたのだ、アンリエッタの結婚式に着ていく為の服を。 「あの時散々ルイズと一緒になって笑ってたくせに、よくもまぁ忘れられるわね。こっちは今でも覚えるわよ?」 「…鶴は千年、亀は万年。そして巫女さんの恨みは寿命を知らず…ってか。いやぁ~、怖いもんだねぇ」 あの時指さして笑ってた黒白を思い出して頬を膨らます霊夢を前に、魔理沙は苦笑いするしかなかった。 それから一時間後―――――魔理沙を除く二人はどうにかして平民(?)の姿になる事が出来た。 ルイズは店の佇まいに良い意味で相応しくなかったロマリアから輸入されてきたブラウスとスカートを身にまとっており、 霊夢は以前アンリエッタの結婚式があるからという事でルイズに買ってもらった服とロングスカートに着替えている。 とはいっても本人は不満があるらしく、左手で握っている御幣で自分の肩を叩きながら愚痴を漏らしていた。 「それでまぁ、結局これを着る羽目になっちゃったけど…」 「別に良いじゃないの。似合ってるわよそれ?魔理沙と色が被っちゃってる以外は」 そんな霊夢とは逆に思わぬ場所でお宝見つけたルイズは上機嫌であり、今にもスキップしながら人ごみの中へ消えてしまいそうだ。 彼女の言葉を聞いてブラウス姿の霊夢が背中に担いでいるデルフが、またもや鞘から刀身を出して喋り出す。 『あぁ~、そういやそうだな。よく見れば黒白が二人もいるなぁ』 「そいつは良くないなぁ、私のアイデンティティーが損なわれてしまうじゃないか」 「いや、アンタのアイデンティティーがそれだけとか貧相過ぎない?」 丁度ブルドンネ街とチクトンネ街の境目にあるY字路。貴族と平民でごったがえしている人通り盛んな繁華街の一角。 その中にある旅行者向けの荷物預かり屋『ドラゴンが守る金庫』の横で、三人と一本はそんなやり取りをしていた。 服屋でお気に入りの一セットを手に入れたルイズは上機嫌で店を出た後、持ってきていた鞄を何処かへ預けるつもりでいた。 ハルケギニアの各王都や首都には旅行者や国外、地方から来た貴族や旅行者がホテルや宿に置くのを躊躇うような貴重品を預ける為の店が幾つかある。 無論国内の貴族であるルイズも利用することは出来る。しかし、これから平民に扮するルイズはブルドンネ街にあるような貴族専用の店などはまず利用できない。 その為チクトンネ街かに比較的近い所にある旅行者向けの店を幾つかあたり、ようやく空き金庫のある店を見つけた。 幸いトリステイン政府が要求している防犯水準を満たしている店であった為、変装を兼ねてこの店の戸を叩いたのである。 荷物を預け、服装も変えたルイズは二人を伴って店を出たのはそれからちょうど一時間後の事であった。 何枚にも渡る書類の手続きと料金の説明、そして荷物の中に危険物が入っていないかの最終確認。 チクトンネ街の近くにあるというのに徹底した検査を通って、三人の荷物は無事金庫へと預けられることとなった。 ルイズは旅行かばんの中に入れていた肩掛けバッグの中に始祖の祈祷書と水のルビーと、当然ながら杖を隠し入れていた。 霊夢も念のためにとデルフと御幣、それにお札十枚と針三十本、それにスペルカード数枚を鞄から懐の中に移している。 魔理沙は手に持った箒と帽子の中のミニ八卦炉だけと意外に少ない。ちなみに、三人が貰ったお金は三人ともしっかり袋に入れて持ち歩いていた。 店の横で一通りのやり取りを終えてから、ふと何かにか気付いたのか魔理沙がすぐ左の霊夢へと声を掛けた。 「…それにしても、このY字路人が多いなぁ。それによく見てみると、ブルドンネ街にいた平民たちと違っていかにも労働者っぽいのが…」 「えぇ?あぁ本当ね」 別段気にしてはいなかったが魔理沙にそんな事を言われて目を凝らしてみると、確かにいた。 いかにも肉体系の労働についてますとアピールしているような、平民らしき屈強な労働者達が通りを歩いている。 「あぁ、アレ?さっきの店の中で地下水道を工事するって張り紙が貼ってあったから、その関係者なんじゃないの?」 「おっ、そうなのか。悪いなわざわざ……ん?」 通りを歩く人たちより一回り大きい彼らが歩いて去っていく姿を見つめていると、ルイズが丁寧に説明を入れてくれた。 わざわざそんな事を教えてくれた彼女に、魔理沙は何か一言と思って顔を向けたが…何やら彼女は忙しいご様子である。 間諜の仕事を務める為の経費が入った袋を睨みながら、何やら考え事をしていた。 「どうしたんだよ、そんな深刻そうな顔してお金と睨めっこしてるなんてさぁ」 「あぁこれ?実はちょっとね、姫さまから貰った経費の事でちょっと問題があるなーって思ってたの」 「ちょっと、ここにきてそれを言うのは無いんじゃないの?っていうか、どういう問題があるのよ」 魔理沙の問いにそう答えたルイズへ、着なれぬ服に違和感を感じていた霊夢も混ざってくる。 黒白とは違い少し睨みを利かせてくる紅白に少したじろぎながらも、彼女は今抱えている問題を素直にいう事にした。 「経費が足りないのよ。四百エキュー程度じゃあ良い馬を買っただけで三分の二が消えちゃうわ」 ルイズの放ったその言葉に、二人は暫し顔を見合わせてから霊夢がまず「馬がいるの?」とルイズに聞いてみた。 巫女からの尋ねにルイズは何を言っているのかと言いたげな表情で頷くと、今度は魔理沙が口を開く。 「いや、馬は必要ないだろ?平民の中に紛れて情報収集するんだし、何かあったら飛べば良いじゃないか」 「何言ってるのよマリサ。馬が無かったら街中なんて移動できないし、第一空を気軽に飛べるのはアンタ達だけでしょうが」 『そいつぁ言えてるな。息を吸って吐くように飛んでるからなコイツラは…ってアイテテ!』 魔理沙の言葉を的確かつ素早くルイズが論破すると、デルフがすかさず相槌を打ってくる。 鞘から出ている刀身を御幣で軽く小突きつつ、良い馬が変えないとごねるルイズに妥協案を持ちかけてみることにした。 ルイズの言うとおり、確かにこの街は広いしあちこちで情報収集するんら自分用の移動手段が必要なのだろう。 「だったら安い馬でも借りなさいよ。買うならともかく、借りるならそれほど値段は掛からないでしょうに」 巫女の提案にしかし、ルイズはまたもや首を横に振る。 「それは余計に駄目よ。安い馬だともしもの時に限って役に立たないわ。それに安いと馬具も酷いモノばかりだし…」 どうやら周りの道具を含め、馬には相当強いこだわりがあるらしい。 半ば自分たちを放って一人喋っているルイズを少し置いて、霊夢は魔理沙と相談する事にした。 「どう思うのアンタは?移動手段はともかく、これから身分を隠しての情報収集だってのに…」 「いやぁどうって…私は改めてルイズが貴族なんだな~って思ってるが、まぁ別に良いんじゃないか?」 「別に良いですって?多分アイツがいつもやってるような感じで散財したら、今日中にあの金貨が無くなるわよ!」 自分と比べて、あまり今の状況を不味いと感じていない魔理沙に軽く怒鳴り声を上げる。 一方のルイズも、二人があまり聞いていないという事を知らずどんどん自分の要求をサラサラと口に出していく。 四百エキュー程度では到底叶わない様な、いかにも貴族と言いたくなる要求を。 「…それに、宿も変な所に泊まれないわ。このお金じゃあ、夏季休暇が終わる前に使い切っちゃうじゃない!」 ルイズの口から出てその言葉に、彼女を置いて話し合っていた二人も目を丸くしてしまう。 金貨が六百枚も吹き飛んでしまうという宿とは、一体どんなところなのだろうか…。 「そ、そこは安い宿で良いんじゃないか…?」 流石の魔理沙もこれから平民に紛れようとするルイズの高望みに軽く呆れつつ、一つ提案してみる。 しかしそれでもルイズは頑なに首を縦に振らず、ブンブンと横に振りながら言った。 「ダメよ!安物のベッドで寝られるワケないじゃない。それに…―――」 「それに?」 何か言いたげなところで口を止めたルイズに、霊夢が思わず聞いてみると……―――。 突如ビシッ!と彼女を指さしつつ、鬼気迫る表情でこう言ったのである。 「ゴキブリやムカデなんかが部屋の中を這いまわってて、ベッドの下にキノコが群生してる様な部屋を割り当てられたらどうするのよ?」 その言葉に暫しの沈黙を入れてから、霊夢もまたルイズの気持ちが手に取るように分かった。 もしも彼女が異性で、尚且つ安宿だから仕方ないと割り切れればルイズの我儘に同意する事は無かっただろう。 しかし彼女もまた少女なのである。虫が壁や床を這いまわり、キノコが隅に生えているような場所で寝られるわけが無いのである。 暫しの沈黙の後、霊夢は無駄に決意で満ち溢れた表情でコクリと頷いて見せた。 「成程。馬はともかく、宿選びは大切よね。…うん、アンタの言う事にも一理あるじゃないの」 納得した表情で頷いてくれた霊夢にルイズの表情がパッと明るくなり、思わず彼女の手を取って喜んだ。 「そうよねレイム!貴族であってもなくてもそんな場所で寝られないわよね!?」 『心変わりはぇーなぁ、オイ!』 まさか彼女が陥落するとは思っていなかったデルフが、すかさず突っ込みを入れる程すんなりとルイズの味方になった霊夢。 もはやこのコンビを止める者は、この国の王女か境界を操る程度の大妖怪ぐらいなものであろう。 「いやぁ~、虫はともかくキノコがあるんなら別にそっちでも良いんだけどなぁ~…」 何となく意気投合してしまった二人を見つめつつ、魔理沙はひとり静かに自分の意見を呟いていた。 しかし哀しきかな、彼女の小さな呟きは二人の耳に入らなかった。 ―――…とはいっても、ルイズが財務庁で貰った資金ではチクトンネ街の安宿しか長期間泊まれる場所は無い。 逆に言うと情報収集を行う活動の中心拠点としてなら、この町は正にうってつけの場所とも言えるだろう。 国内外の御尋ね者やワケありの者たちも出入りするここチクトンネ街は、昼よりも夜の方が賑わっている。 酒場の数も多く、それに伴い宿の数も多いため安くていいのなら止まる場所に困ることは絶対にない。 アドバイスはあっただろうが、アンリエッタもそれを誰かに言われて安心して四百エキューをルイズに託したのだろう。 唯一の失敗と言えば、ルイズとその傍にいる霊夢がそれを受け入れられたか考えなかった事に違いない。 「くっそ~…一体どこまで歩くつもりだよ」 あと二時間ほどで日が暮れはじめるという午後の時間帯。 霊夢に渡されていたデルフを背中に担いでいる魔理沙は、右手の箒を半ば引きずりながらブルドンネ街を歩いていた。 最初こそいつものように右手で持っていたのだが、この姿で持ってたら怪しいという事で霊夢からあの剣を託されてからずっとこの調子である。 穂の部分が路面の土を掃きとり、綺麗にしていく姿に何人かの通行人が思わず振り返り、彼女が引きずる箒と地面を見比べていく。 本人が無意識のうちに行っているボランティア行為の最中、魔理沙は思わず愚痴が出てしまうものである。 「っていうか、高い宿の値段設定おかしいだろ。一泊食事風呂付で、20エキューって…」 『まぁあぁいう所は金持ちの貴族向けだからなぁ、着飾った平民でもあの敷居を跨ぐのは相当勇気がいるぜ?』 そんな彼女の独り言に対し、律儀か面白がってか知らないがデルフが頼みもしない相槌を背中から打ってくる。 霊夢なら鬱陶しいとか言ってデルフを叩くかもしれないが、魔理沙からしてみれば自分の愚痴を聞いてくれる相手がいるようなものだ。 喋る時になる金属音や喧しいダミ声はともかくとして、身動き一つ出来ぬ話し相手に彼女は以外にも救われていた。 はてさて、ルイズと霊夢は自分たちの理想に合った宿を探していくも一向に見つからず、通りを歩き続けていた。 あれもダメ、これはイマイチと宿の人間に難癖をつけてはまた別の宿を…という行為を繰り返して既に一時間半が経過している。 魔理沙の目から見てみれば、多少ボロくともルイズの言う「虫とキノコに塗れた部屋」とは程遠い部屋もあったし、霊夢もここなら…と頷く事もあった。 しかしそういう所に限って立ちはだかるのが値段である。しっかり人を雇って掃除も欠かしていない様な所は平民向けでも相当に値が張ってしまう。 情報収集の仕事は夏季休暇の終わりまでこなさねばならず、今の持ち金だけではチクトンネ街にあるようなボロ宿にしか止まれない。 そしてそういうボロ宿は正に、廃墟まで十歩手前とかいう酷いものしかない為に、三人と一本はこうして王都の中をぐるぐると歩き回っているのである。 これは流石に声を掛けてやらないと駄目かな?そう思った魔理沙は、二人へ今日で何度目かになる妥協案を出してみることにした。 「なぁ二人ともぉ…!もういいだろ~…そろそろ適当に安い宿取って休もうぜ?」 「何言ってるのよマリサ。西と南の方は粗方調べ尽くしたけど、まだ北と東の方が残ってるからそっとも見てみないと」 「だからってこう、暑い街中を歩き回ってたらいい加減バテちまうよ…!」 自分の提案にしかし、尚も自分の理想に適った宿を探そうとするルイズに少し声を荒げてしまう魔理沙。 そして言った後で気づいて、慌てて「あぁ、悪い」と平謝りしたが、以外にもルイズは怒らなかった。 むしろ魔理沙の言葉でようやく気付いたのか、額の汗をハンカチで拭いながら頷いて見せた。 「まぁそうよね…、ちょっと休憩でも入れないと流石に倒れちゃうわよね」 買ったばかりのブラウスもやや透けてしまう程汗まみれになっていた彼女は、今まで暑さの事を忘れていたのだろう。 その分を取り戻すかのように「暑い、暑い」と呟きながら、周囲に休める場所があるのか辺りを見回し始めた。 ウェーブの掛かったピンクのブロンドヘアーが左右に動くのを見つめつつ、今度は霊夢が魔理沙へ話しかける。 「あら、アンタも偶には気の利いたことを言うじゃないの。もう少ししたら私が言うつもりだったけど」 いつもの巫女服とは違うショートブラウスに黒のロングスカートという自分と似たような見た目に違和感を覚えつつ、魔理沙は言葉を返す。 「そうか?私は結構こういう事に気が回る性格だと自負してたんだがなぁ」 「いつもは先に突っ走るようなアンタのどこにそんな部分があるのよ?私見たことが無いんだけど」 ルイズが休むことを了解してくれたことでも幾分か余裕を取り戻せた黒白に、同じく汗だくの霊夢がすかさず突っ込みを入れた。 帽子の下の顔はルイス背に負けず劣らず汗に濡れており、彼女もハンカチで自分の顔を拭っている。 どうやら彼女も相当我慢していたらしいようで、ブラウスの胸元のボタンを一つ外しつつ王都の気温に愚痴を漏らし始めた。 「にしたって、何でこんなに暑いのよ?幻想郷でも夏は暑いけど、ここと比べてたら無性に恋しくなっちゃうわ」 『そりゃ多分、建物が密集してるせいなのはあるかもな。後は人口の多さだな』 丁寧にご教授してくれたデルフの言葉に霊夢はふと周りを見てみる。確かに、彼の言うとおりである。 煉瓦造りの建物がまるで列に並ぶ巨人の様に街の至る所に建っており、避暑地や涼む場所が限られているのだ。 それに加えて、狭い大通りを明らかに多すぎる通行人たちが通るせいで通りそのものもちょっとしたサウナと化している。 「何でこうも人と建物が多いのよ、もうちょっと皆離れた場所で暮らしたいとは思わないの?」 霊夢はわざわざこんなクソ暑いところですし詰めになって暮らしているような人たちの気持ちを理解できず、ついそんな事を言ってしまう。 幻想郷の人里はこれ程の活気はないものの、その分夏はここと比べれば涼しいし夜は夜風が気持ち良い。 ましてやそこから離れた場所の博麗神社に住んでる彼女にとって、王都の暑さと人口に納得ができないのである。 こんな所で暮らしていては頭と体が熱で茹で巫女になってしまうと、半ば冗談ではあるが思っていた。 「私ならこんな所で暮らすくらいなら、多少物騒でも街の外に一軒家でも建てさせてそこで暮らしてやるのに…」 『そこは自分で建てるんじゃなくて、建てさせるのかよ…どこまでいっても厚かましいな』 「まぁそっちの方が霊夢らしいと言えば、霊夢らしいしな」 どんなに夏の太陽に悩まされようとも、決して忘れないその厚かましさにデルフが呆れて魔理沙も笑う。 そんな二人と一本へ、ルイズの「あそこに休める所があったわよー」という声が聞こえてきたのはそれからすぐの事であった。 ルイズが休憩場所として選んだのは、下級貴族や平民向けの居酒屋であった。 建物の外見と内装共にルイズの太鼓判を得ている分、かなり綺麗でお洒落な造りの場所である。 お洒落と言ってもいかにも子供向けではなく、酒を嗜み始めた若者でも気軽に入れるような軽くもしっかりとした子洒落た内装。 天井から回る氷入りの大きなシーリングファンが店内を涼し、外の熱気に中てられた客をもてなしてくれる。 入って店の右奥にはルーレットギャンブルが行われており、そこから漏れてくるパイプの紫煙が妖しげな雰囲気を放っていた。 外の暑さから一時的に逃れる為店へと入ったルイズ達であったが、宿探しを一旦中断したワケではなかった。 涼しい店内に体を癒され、冷たいドリンクと軽食で落ち着いた三人はどこがいーだのあそこにしろだのと話し合っている。 しかしどんなにルイズか高い宿が良いと言っても、そこへは必ず゙手持ちの金゙という問題が立ちはだかっていた。 貴族が宿泊するような良い宿ならその分値段も張り、今持っている四百エキューでは夏季休暇の終わりまで宿で過ごせないのだと言い張る。 一体金貨六百枚が吹き飛ぶような宿とはどんな所なのだろうか。そんな疑問を抱きつつ霊夢と魔理沙は別に安い宿でも良いんじゃないかと妥協案を出す。 それでも尚首を縦に振らぬ霊夢と魔理沙はここへ来て、改めてルイズが貴族のお嬢様なんだなーと再認識する。 平民に混じっての情報収集だというのに、高級な宿に泊まるつもりでいる彼女に何を考えているのかと、霊夢は思っていた。 そんな時であった。頼んでいたアイスチュロスを齧っていた魔理沙が、ルイズの肩越しに見える賭博場を発見したのは。 店に入った時は気付かなかったものの、ふと鼻腔をくすぐる紫煙の臭いに気が付くと同時に目に入ってきたのである。 そこでは昼間から酔っぱらった男や、水仕事であろう女が卓を囲ってチップを取ったり取られたりの戦いを繰り広げている。 彼女の視線が自分を見ていないのに気付いたルイズも思わずそちらの方を見た所で、魔理沙が話しかけてきた。 「なぁルイズ、手持ちの金じゃあ休暇が終わるまで高い宿に泊まれないんだよな?」 「え?そうだけど」 突然そんな質問をしてきた黒白に少し困惑しつつも答えると、魔理沙は意味ありげな笑みを見せてきた。 まるで我に必勝の策ありとでも言わんばかりの笑みを見て、ルイズは怪訝な表情を浮かべる。 一体何が言いたいのかまだ分からないのだろう、そう察した普通の魔法使いは言葉を続けていく。 「安い宿はダメで、手持ちの金で高い宿に泊まりたい…。そして、あそこには賭博場がある」 そこまで言ったところで、彼女が何をしようとしているのか気づいたルイズよりも先に、霊夢が声を上げた。 「アンタ、まさかアレ使って荒稼ぎしようっての?」 「正解!」 丁度自分が言おうとしていた所で先を取られたルイズがハッとした表情で巫女を見ると同時に、 魔理沙が意味ありげな笑みが得意気なものへと変わり、勢いよく指を鳴らした。 「いやぁ~、これは中々良いアイデアだろうって思ってな、どうかな?」 「う~ん…違うわねェ、バカじゃないのって素直に思ってるわ」 霊夢のジト目に睨まれ、更に容赦ない言葉を受けつつも魔理沙は尚も笑みを崩さない。 本人はあれで稼げると思っているのだろうが、世の中それくらい上手ければ賭博で人生潰した人間なぞ存在しない筈である。 それを理解しているのかいないのか、少なくともその半々であろう魔理沙に流石のルイズも待ったを掛けてきた。 「呆れるわねぇ!賭博っていう勝てる確率が限られてる勝負に、この大事なお金を渡せるワケないじゃない!」 「大丈夫だって。まず最初に使うのは私の金だし、それでうまいこと行き始めたら是非ともこの霧雨魔理沙に投資してくれよな!」 ルイズの苦言にも一切表情を曇らせる事無くそう言った彼女は席を立つと、金貨の入った袋を手に賭博場へと足を踏み入れた。 それを止めようかと思ったルイズであったものの、席を立つ直前に言っていた事を思い出して席を立てずにいた。 確かにあの魔法使いの言うとおりだろう。今の所持金で自分の希望する宿へ泊まるのなら、お金そのものを増やすしかない。 そしてお金を増やせる一番手っ取り早い方法と言えば、正にあのルーレットギャンブルがある賭博場にしかないだろう。 頭が回る分魔理沙と同じ考えに至ったルイズは、魔理沙の後ろを姿を苦々しく見つめつつもその体を動かせなかった。 『あれまぁ!ちょっと一休みしてた間に、随分面白い事になってるじゃねーか』 「デルフ!アンタねぇ、本当こういう厄介な時に出てくるんだから!」 そんな時であった、霊夢の座る席の横に立てかけていたデルフが二人に向かって話しかけてきたのは。 店のアルヴィー達が奏でやや明るめの音楽と混じり合うダミ声に顔を顰めつつ、ルイズは一応年長である彼を手に取った。 「話は聞いてたでしょう、アンタもあの黒白に何か一言声を掛けて止めて頂戴よ!」 『えぇ?…そりゃあ俺っちもアイツがバカなことしようとしてるのは何となく分かるがよぉ、元はと言えばお前さんの所為だろう?』 頼ろうとした矢先でいきなり剣に図星と言う名の心臓を刺されたルイズは思わずウッ…!と呻いてしまう。 いつもは霊夢や魔理沙に負けず劣らずという正確なのに、ここぞという時で真面目な言葉を返してきてくれる。 それで何度かお世話になった事があったものの、こうも正面から図星を指摘されると何も言えなくなってしまうのだ。 「まぁそれはそうよね、アンタがタダこねてなきゃあアイツだって乗り気にはならなかっただろうし」 「うむむ…!アンタまでそれを言わないでくれる…っていうか仕方ないじゃない、なんたって私は……ッ」 公爵家なんだし…と、最後まで言おうとした直前に今自分が言おうとした事を思い出し、慌てて口を止めた。 こんな公の場でうっかり自分の正体をばらしてしまうと、平民に紛れての情報収集何て不可能になってしまう。 そんなルイズを余所に、霊夢はチラッと賭博場のディーラーへ話しかけている魔理沙の背中を一瞥して言葉を続けた。 相変わらずどこに行っても馴れ馴れしい態度は変わらないが、こういう場所ではむしろ役に立つスキルなのだろう。 ディーラーの許可を得て次のゲームから参加するであろう普通の魔法使いは、周囲の視線と注目をこれでもかと集めていた。 本は盗むは箒で空を飛ぶわ性格は厚かましいという三連で、碌な奴ではないと霊夢は常々思っている。 しかし、霧雨魔理沙唯一の長所は厚かましい性格から来る馴れ馴れしさもあり、時折自分も羨ましいと思う事さえある。 あれがあるからこそ、霧雨魔理沙と言う人間は自分を含めた多くの人妖と関係を築けたのだから。 ちゃっかり卓を囲む大人たちと仲良くなろうとしている魔理沙を見つめつつ、霊夢はポツリと呟く 「………まぁでも、アイツなら何とかしてくれるんじゃない?」 「へ?どういう事よそれ」 唐突な霊夢の言葉にルイズが首を傾げると、巫女は「そのまんまの意味よ」と言ってすかさず言葉を続けた。 「アイツ、幻想郷じゃあ偶に半丁賭博の予想とかやってるから…結構な場数踏んでると思うわよ」 彼女の言葉にルイズが魔理沙のいる方へ顔を向けたと同時に、ルーレットが再び回り始めた。 魔理沙はまず自分が持っていた金貨三十枚…二十エキューばかりをチップに換えて貰う。 金貨とは違い木製の使い古されたチップを手に、空いていた席に腰かけた魔理沙はひとまずは十エキュー分のチップを使ってみる事にした。 ルーレットには計三十七個の赤と黒のポケットがあり、彼女と同じように他の男女がチップを張っている。 ひとまずは運試し…という事で、魔理沙も一番勝っているであろう客と同じポケットに自分のチップを張ってみる。 張ったのは黒いポケット。奇遇にも自分のパーソナルカラーのポケットに、魔理沙は少しうれしい気分になる。 「ん?おいおい何だ、没落貴族みたいな格好したお嬢ちゃんまで参加すんのかい?」 先に黒の十七へチップを張っていた五十代の男は、新しく入ってきた彼女を見ながらそんな事を言ってきた。 良く見れば魔理沙だけではなく、何人かの客――勝っている男に次いでチップの多い者たちは皆黒の方へとチップを張っている。 「へへッ!ちょいとした用事で金が必要になってな、まぁ程々に稼がせて貰うよ」 この賭博場に相応しくない眩しい笑顔を見せる魔理沙がそう答えると、他の所へ入れていた客も黒のポケットへ張り始める。 とはいってもチップの一枚二枚程度であり、自分が本命だと思っている赤のポケットや数字にもしっかりとチップを入れていた。 「困るなぁ!みんな俺の後ろについてきたら、シューターがボールを変えちまうじゃないか」 悪びれぬ魔理沙と追随する他の客達に男が肩をすくめた直後、白い小さな木製の玉を手にしたシューターがルーレットを回し始めた。 瞬間、周りにいた客たちは皆そとらの方を凝視し、一足遅れて魔理沙もそちらへ目を向けた所で、いよいよボールが入れられる。 一周…二周…とボールがカラカラ音を立ててルーレットのホイールを走り、いよいよ三週目…というところでポケットの中へと転がり込んだ。 ほんの数秒沈黙が支配した直後、男女の歓声と溜め息を交互に賭博場から響き渡ってくる。 思わずルイズと霊夢も腰をほんの少し上げてそちらの方を見てみるが、どこのポケットにボールが入ったかまでは分からない。 魔理沙の賭博を呆れたと一蹴していたルイズも流石に気になり、頭を左右に動かしながら魔理沙の様子を見ようとしていた。 「こっちは上手く見えないわね……って、あ!あのピースしてるのってもしかして…」 「もしかしてもなくてアイツね。まぁあんなに嬉しそうにしてるんだから結果は言わずともって奴ね」 しかし、我に勝機ありと自分のお金で賭博に挑んだ魔理沙が嬉しそうに自分たちへピースを向けている分、一応は勝ったらしい。 少し背中を後ろへ傾けるような形で身をのり出し、自分たちへピースしている彼女は「してやったり!」と言いたげである。 シューターのボールが入ったのは、黒いポケットの十四番。 魔理沙と黒に本命を張っていた客たちには、賭けていたチップの二倍が手元へ帰ってくる。 十エキュー分だけ出していた魔理沙の元へ、二十エキュー分のチップが返ってきた。 「おぉ~おぉ~…お帰り私のチップちゃん、私が見ぬ間に随分と増えたじゃないか!」 「ぶっ!我が子って…」 まるでおつかいから帰ってきた我が子の頭を撫でる母親の様にチップを出迎える魔理沙に、勝ち馬の男は思わず吹き出してしまう。 この賭場のある店へ通い続けて数年、ここで破産する奴や大金を手にする者たちをこの目で何人も見てきている。 しかし、突然入ってきた没落貴族の様な姿をした彼女もみたいな客は初めて目にするタイプの人間であった。 見ればここに他の客たちも何人かクスクスと笑っており、堅物で有名なシューターも苦笑いしている。 「まぁ大事なチップってのは俺たちも同じだが、次は別のポケットを狙った方がいいぞ。ここのシューターは厳しいぜ?」 「言われなくてもそうするぜ」 笑いを堪える男からの忠告に魔理沙も笑顔で返すと、チップを数枚赤のポケットへと置いてみる。 それを合図に他の客たちも黒と赤のポケット、そして三十七もある数字の中から好きなのを選んでチップを置き始めた。 魔理沙が賭博場に入ってから二十分間は、正にチップを奪い奪われの攻防戦が続いた。 客たちも皆負けてたまるかとチップを出し惜しみ、慣れていない者たちは早々に大負けしてテーブルから離れていく。 一発で大勝利を掴んでやると言う愚か者は大抵数回で敗退し、大分前からテーブルを囲んでいた客たちはちびちびとチップを張っている。 魔理沙もその一人であり、すっかりここでのルールを把握した彼女も今は勝負に打って出ず慎重にチップを稼いでいた。 シューターも客たちのチップがどのポケットに集中的に置かれているのか把握し、時折替えのボールに変えて挑戦者たちを惑わそうとする。 ボールが変われば安定して入るポケットも変わり、その都度客たちは他の客のチップを使わせて入りやすいポケットを探っていた。 そんなこんなで一進一退の攻防を続けていくうちに、魔理沙のチップは七十五エキュー分にまで増えている。 周りの客たちも、一見すればまだ子供にも見えなくない彼女の活躍に目を見張り、警戒していた。 彼らの視線を浴びつつも、黒の十六へと三十エキュー分のチップを置いた黒白の背中へルイズの歓声がぶつかってくる。 「す、すごいじゃないのアンタ!まさかここまで勝ってるなんて…!」 「だから言ったじゃない、コイツはこういうのに慣れてるのよ」 最初こそテーブル席から大人しく見ていたものの、やがて魔理沙が順調にチップを増やしている事に気が付いたのか、 今は彼女のそばについて手元に山の様に置かれたチップへと鳶色の輝く視線を向けていた。 ついでに言えば、霊夢も興味が湧いてきて仕方なしにデルフを片手にルイズの傍で魔理沙の賭けっぷりを眺めている。 「へへ…だから言ったろ?大丈夫だって。こう見えても、伊達に賭博の世界に足を突っ込んでないからな」 彼女からの褒め言葉に魔理沙は右腕だけで小さなガッツポーズをすると、あまり自慢できない様な事を自慢して見せた。 客たちが次々とチップを色んなポケットへと置いていくのを見つめつつ、ふと魔理沙はルイズに声を掛けた。 「あ、そうだ…何ならルイズもやってみるか?」 「え?――――あ、アタシが…?」 一瞬何を言ったのかわからなかったルイズは数秒置いてから、突然の招待に目を丸くして驚いた。 思わず呆然としているルイズに魔理沙は「あぁいいぜ!」と頷いて空いていた隣の席をバッと指さして見せる。 さっきまでそこに座っていた男は持ってきていた貯金を全て失い、途方にくれつつ店を後にしていた。 そんな負け組の一人が座っていた椅子へ恐る恐る腰掛けたルイズは、シューターからチップはどれくらいにするかといきなり聞かれる。 座って数秒もせぬうちにそんな事を聞かれて戸惑ってしまうが、よく見ると既に他の客たちはチップを置き終えていた。 「おいおい!今度はまた随分と可愛らしい挑戦者じゃないか。お前さんの知り合いかい?」 「まぁな、ちょいとここへ足を運んできたときに知り合って今は一緒にいるんだ。ちなみに、そいつの後ろにいるのも私の知り合いだ」 勝ち馬男は頼んでいたクラッカーを片手に魔理沙と親しげに話しており、彼女も笑顔を浮かべて付き合っている。 ついさっき知り合ったばかりだというのに、彼女は既に周囲の空気に馴染みつつあった。 その様子を不思議そうに見つめているとふと周りの客たちが自分をじっと見つめている事に気が付く。 どうやら魔理沙を含め、いまテーブルを囲っている人たちは急に参加してきた自分を待っているようだ。 これはいけない。謎の焦燥感に駆られたルイズはとりあえず手持ちの現金の内三十エキュー分を、チップに変えて貰う事にした。 どっしりと幸せな重量感を持つハルケギニアの共通通貨として名高いエキュー金貨が、シューターの手に渡る。 そして息をつくひまもなく、そのエキュー金貨が全て木製の古いチップとなって自分の手元へ帰ってきた。 金貨とはまた別の重みを感じるそのチップを貰ったのはいいが、次にどのポケットへ置くか悩んでしまう。 何せ計三十七個の番号を含め黒と赤のポケットまであるのだ、ギャンブルに慣れていない彼女はどこへ置けばいいのか迷うのは必然と言えた。 「ひ、ひとまずさっき魔理沙がいれてたポケットへ…」 周りからの視線に若干慌てつつも、ルイズは手持ちのチップをごっそり黒色のポケットへ置こうとした直後―――― いつの間にか賭博場へと足を運んでいた霊夢が彼女の肩を掴んで、制止してきたのである。 「ちょい待ち、アンタ一回目にして盛大に自爆するつもり?」 突然自分を止めてきた彼女に若干驚きつつ、一体何用かと聞こうとするよりも先に彼女がそんな事を言ってきた。 ルイズはいきなりそんな事を言われて怒るよりも先に、霊夢が矢継ぎ早に話を続けていく。 「あんたねぇ…折角あれだけの金貨を払ったっていうのに、それ全部黒に入れて外れたらパーになってたわよ」 「えぇ?そんな事はないでしょうに、だって番号はともかく…黒と赤なら確率は二分の一だし、それに当たったら―――ムギュ…ッ!」 彼女の言葉に言い訳をしようとしたルイズであったが、何時ぞやのキュルケの時みたいに人差し指で鼻を押されて黙らされてしまう。 霊夢はそんなルイズの顔を睨み付けながら、宿題を忘れた生徒を叱り付ける教師の様に彼女へキツイ一言を送った。 「そんなんで楽に勝てるのなら、世の中大富豪だらけになってても可笑しくないわよ。ったく…」 指一本で黙った彼女に向かってそう言うと空いていたルイズの左隣の席に腰かけ、右手に持っていたデルフをテーブルへと立てかけた。 清楚な身なりの少女には似合わないその剣を見て、何人かの客が興味深そうにデルフを見つめている。 しかしここでインテリジェンスソードという自分の正体バラしたら厄介と知ってるのか、それともただ単に寝ているだけなのか、 先ほどまで結構賑やかであったデルフは、まるで爆睡しているかのように無口であった。 ひとまず人差し指の圧迫から解放された鼻頭を摩りながら、ルイズは自分の横に座った霊夢に怪訝な表情を向けた。 「…レイムまでなにしてんのよ」 「もうすぐ日暮れよ?魔理沙みたいにチマチマ張ってたら真夜中まで続いちゃうじゃないの」 彼女の言葉にルイズは懐に入れていた懐中時計を確認すると時刻は15時40分。確かに彼女の言うとおり、もうすぐ日が傾き始める時間だ。 夏のトリステインは16時には太陽が西へと沈み始め、18時半には双月が空へと上って夜になってしまう。 その時間帯にもなればどの宿も満室になってしまうし、そうなればお金を稼いでも野宿は免れない事になる。 「うそ…こんなに過ぎてるなんて…」 「だから私が手っ取り早く稼いで、早く良い宿でも取りに行きましょう。お腹も減ったし、そろそろお茶も飲みたくなってきたわ」 時刻を確認し、もうこんなに経っていたのかと焦るルイズを余所に霊夢は腰の袋から金貨を取り出した。 出した額は五十エキュー。少女の小さな両手に乗っかる金貨の量に、客たちは皆自然と目を奪われてしまう。 シューターもシューターで、まるで地面の雑草を引っこ抜くかのように差し出してきた金貨に、思わず手が止まっている。 「何してるのよ?早く全部チップに換えてちょうだい。こっちは早いとこ終わらせたいんだから」 「え?あ、あぁこれはどうも…失礼を…」 ジッと睨み付けてくる霊夢からの最速にシューターは慌てて我に返ると、その金貨を受け取った。 五十エキュー分の金貨はとても重く、これだけで自分の家族が一週間裕福に暮らせる金貨がある。 思わず顔が綻んでしまうのを抑えつつ、受け取った金貨を専用の金庫に入れてから、その金額分のチップを霊夢に渡した。 年季の入った五十エキュー分のソレを受け取り自分の手元に置いた霊夢へ、今度は魔理沙が話しかける。 「おーおー、散々人の事バカとか言っておいてお前さんまでそのバカの仲間に加わるとはな」 「言い忘れてたけど、バカってのは真っ先に賭博場へ突っ込んでいったアンタの事よ?私とルイズはその中に入らないわ。…さ、回して頂戴」 得意気な顔を見せる黒白をスッパリと斬り捨てつつ、霊夢はチップを張らぬままシューターへギャンブルの再開を促した。 勝手に仕切ろうとする霊夢に周りの客たちは怒るよりも先に困惑し、シューターは彼女からの促しに答えてルーレットを回し始める。 「あっ…ちょっ…もう!」 霊夢に止められ、チップを張る機会を無くしてしまったルイズが彼女を睨みつけようとした直前―――――気付いた。 ホイールを走る白いボールを見つめる霊夢の目は、魔理沙や他の客たちとは違ゔ何か゛を見つめている事に。 客達や魔理沙は皆ポケットとボールを交互に見つめて、どの色と数字のポケットへ入るか見守っている。 だが霊夢の目はホイールを走る白いボールだけを見つめており、ポケットや数字など全く眼中にない。 まるで海中を泳ぐアザラシに狙いを定めた鯱の如く、彼女の赤みがかった黒い瞳はボールだけを追っていた。 表情も変わっている。見た目こそは変わっていないが、何かが変わっているのにも気が付いた。 一見すればそれはこの賭博へ参加する前の気だるげな表情だが、その外面に隠している気配は全く違う。 ルイズにはまだそれが何なのか分からなかったが、ボールを追う目の色からして何かを考えているのは明らかである。 「レイ…」 参加した途端に空気を変えた彼女へ声を掛けようとしたとき、大きな歓声が耳に入ってきた。 何だと思って振り向いてみると、どうやら赤の三十五番ポケットへボールが入ったらしい。 番号へ本命を張っていた者はいないようだが、魔理沙を含め赤に張っていた者達が嬉しそうな声を上げている。 シューターが彼女の張っていた三十エキューの二倍…六十エキュー分のチップを配った所で、魔理沙はすっと右手を上げた。 「ストップ、ここで上がらせて貰うよ。チップを換金してくれ」 「おぉ、何だ嬢ちゃんもう上がるのか。勝負はこれらだっていうのに、もしかしてビビったのかい?」 「私の知り合いが言ってたように今夜は宿を取らないといけないしな。何事も程々が肝心だぜ」 彼女と同じ赤へ張っていて、チップを待っている勝ち馬男が一足先に抜けようとする魔理沙へ挑発の様な言葉を投げかける。 しかし、賭博の経験がある魔理沙はそれに軽い返事をしつつ近づいてきたウエイトレスに今まで稼いだチップ――約105エキュー分を渡す。 どうやら換金は彼女の担当らしい。その両手には小さくも重そうな錠前付きの鉄箱を持っており、脇には金貨を乗せるためのトレイを抱えている。 彼女はチップを手早く数えると持ってきていた鉄箱を開けて、これまで見事な手つきで中に入っていた金貨をトレイの上に乗せていく。 「アンタもう抜けちゃうの?あんだけ勝ってたのに」 そんな魔理沙へ次に声を掛けたのは、彼女と交代するように入ってきたルイズであった。 思わぬ稼ぎ手となっていた黒白が一抜けたことを意外だと思っているのか、すこし信じられないと言いたげな表情を浮かべている。 「まぁもうちょい張ればと言われればそうするがな、何せ霊夢のヤツが出てきたらなぁ…」 換金を待つ魔理沙のその言葉に、ルイズを含め周囲の客たちがチラリとモノクロな乱入者を一瞥する。 一見すれば黒のロングスカートに白いブラウスという、そこそこ良い暮らしをしている平民の出で立ちという今の霊夢。 髪と肌の色、そして聞き慣れぬ名前を除けばそこまで珍しくない姿であったが、あまりギャンブルとは縁が無さそうに見えてしまう。 しかし…ギャンブルのギの字も知らずにいきなり大損しかけたルイズを制止したり、かと思いきや参加するや否や場の主導権をあっという間に奪ってしまっている。 何よりも、その眼光から漂う雰囲気はある程度娯楽として楽しんでいた魔理沙とは全く違う真剣な意気込みが感じられた。 まるで獲物に狙いを定めた狩人の様に、誰よりも真剣にこのギャンブルを挑むつもりでいるのだ。 「何よ、私の顔に何かついてるの?」 周囲から浴びせかけられる視線に霊夢が鬱陶しそうに言うと、さっと皆が目を逸らす。 彼女に慣れているルイズだけは「アンタは相変わらずね…」と苦笑いし、魔理沙はカラカラと笑って見せた。 そうこうしている内に換金が済んだのか、魔理沙の横にいたウエイトレスが「お待たせしました」と声を掛けて彼女の前にトレイを差し出す。 手元にあった全チップ。百五エキュー分の金貨がぎっしり積まれた純銀のトレイを前に、客たちは皆喜色の唸り声を上げる。 無論この金貨が自分たちのものではないという事は知っていたが、どうしてもその顔に笑みが浮かんでしまうのだ。 次こそは自分たちが、あのトレイの上に盛られた金貨を献上される番になると想像して。 ルイズと霊夢はその中に入っていなかったものの、二人ともそれぞれ違う反応を見せていた。 一足先に降りた魔理沙に誘われたルイズは、こんな通りの店ではお目に掛かれない様な金貨の山を見て目を丸くしている。 「うわっ、あの二十エキューが一こんなに…」 「これも上手な引き際を心得ていたからこその結果さ。下手なヤツはここでもう一勝負して瓦解するんだぜ?」 素直に驚いてくれている彼女へ一丁前な事を言いつつ、魔理沙はトレイの上の金貨を袋の中へ入れていく。 金貨同士が擦れ合う音、手の中に山盛りの金貨と膨らんでいくと同時に重くなっていく袋。 そのどれもが幸せだと思えてくるほど、今の魔理沙はとっても清々しい気分でギャンブルと言う戦場から離脱した。 後に残っているのは他の客たちと、素人同然のルイズと油断ならぬ雰囲気を周囲へと霊夢に――実質的な敵であるシューター。 客たちの視線がまだ魔理沙の腰の袋を向いているのに気づき、シューターが気を取り直すかのように軽い咳払いをする。 それで我に返る事ができた者たちの中には、今度は自分が第二の彼女となる為に大勝負に打って出ようとするもの。 敢えて場の雰囲気に流されず赤と黒どちらかに少数のチップを張る者、そしてそろそろ退くべきかと思案する者達がいた。 数字と二色のポケットにチップが置かれていく中、ルイズもまた数枚のチップを右手に何処へ置くべきかと考えている。 ポケットは三十七までの番号と黒と赤の計三十九。色へ張れば二倍、数字へ張って当たりさえすれば三十五倍のチップが返ってくる。 魔理沙の様に慎重かつ大胆に責めるのなら断然赤と黒どちらかだろうが、一気に勝負を決めるのなら数字を狙うべきだろう。 ただし確率は三十七分の一。他の客たちも大当たりには期待していないのか数字には一、二枚程度しか置いていない。 (大丈夫、大丈夫よルイズ…魔理沙のようにチョビチョビ張っていけば…大負けすることは無い…筈) 魔理沙の勝負を見ていたルイズもここは敢えて勝負には打って出ず、二色のどちらかに賭けようとしていた。 宿を取る為に時間は限られているが、他の客たち…特に勝っている者たちと同じ色に張っていけば負ける事は無いはずである。 ついさっきまでギャンブルを「呆れた事」と斬り捨てていたルイズは、今や完全に賭博で勝つ為に集中していた。 ――――だからであろうか、ポケットを見るのに夢中で霊夢に一切注意を払い忘れていた事に気が付かなかったのは。 「何迷ってるのよ?時間が無いって言ってるでしょうに」 ポケットと睨めっこするルイズに呆れるかのような言葉を投げかけて来た直後、左隣からチップの山が目の前を通過していくのに気が付いた。 それは彼女が手元に置いていた残り二十五エキュー分のチップの山をも巻き込み、数字のポケットがある場所へと進んでいく。 「は…?」 ルイズは目の前の光景が現実と受け入れるのに数秒の時間を要し、そしてそれが致命傷となってしまう。 周りの客達やシューターもただただ唖然とした表情で、夥しい数のチップを見て絶句する他なかった。 自分のチップの山ごと、ルイズのチップを数字のポケットへと置いた霊夢はふぅっ…と一息ついてから、シューターへ話しかけた 「ホラ、さっさと回して頂戴。時間が無いんだから」 「え?――――…あ、あ…はい!」 彼女からの催促にシューターはルイズと同様数秒反応が遅れ、次いで慌ててルーレットを回し始める。 霊夢へ視線を向けていた客たちも慌てて回り出すルーレットへと戻した直後、ルイズの口から悲鳴が迸った。 「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ッ!!あ、あああああああああんた何をぉッ!?」 その悲鳴は正に地獄へと落ちる魔女の断末魔の如き、自らの終わりを確信してしまった時のような叫び。 頭を抱えながら真横で叫んだルイズに霊夢は耳を塞ぎながらも「うるさいわねぇ」と愚痴を漏らしている。 「すぐ近くで叫ばないで欲しいわね。こっちの鼓膜がどうにかなっちゃいそうだわ」 「アンタの鼓膜なんかどうでもいいわよッ!…っていうか、一体なにしてくれるのよ?コレ!」 元凶であるにも関わらず自分よりも暢気でいる彼女を睨み付けつつ、ルーレットを指さしながらルイズは尚も叫んだ。 魔理沙がついさっき丁寧にやり方を見せてくれたというのに、この巫女さんはそれを無視して無謀な勝負に出たのである。 それに、まだ赤と黒のどちらかで大勝負していたなら分かるが、よりにもよって数字のポケットへと全力投球したのだ。 当たる確率は三十七分の一。それ以上も以下も無い、大枚張るには無謀なポケット達。 魔理沙の勝っていく様子を後ろから見て、やらかした霊夢の制止を無駄にせぬよう慎重に勝とうとした矢先にこれである。 彼女と自分のチップ、合わせて七十五エキュー分のチップはもはやシューターの手によって回収されるのは、火を見るより明らかであった。 ボールは既にホイールを回るのをやめ、数あるポケットのどれか一つに入ろうとしている音がルイズの耳に否応なく入ってくる。 「なっんてことしてくれるのよアンタはぁ!?私の大切な三十エキューが丸ごとなく無くなっちゃったじゃないの!」 今にも目をひん剥かんばかりの勢いで耳をふさぎ続ける霊夢へ詰め寄るルイズの耳へ、あの白いボールがポケットへ入る音が聞こえてくる。 もはや後戻りすることは出来ず、何も出来ぬまま一気に七十五エキューも失ってしまったのだ。 一体この怒りはどこへぶつけるべきか、目の前の巫女さんへぶつけてみるか?そう思った彼女の肩を右隣から掴んできた者がいた。 誰なのかとそちらへ顔を向ける前に、肩を掴んできた魔理沙が霊夢へと詰め寄るルイズを何とか宥めようとする。 「まぁまぁ落着けってルイズ、何はともあれ勝ったんだから一件落着だろ?」 「な、なな何ががッ!一件落着です…―――――……って?……あれ?」 この黒白まで自分の敵か、そう思ったルイズは軽く激昂しつつ彼女へ掴みかかろうとした直前――――周囲の異変に気が付く。 静かだ、静かすぎる。まるで周りの時間が止まってしまったかのように、ルーレットの周囲にいる者達が微動だにしていない。 客達やシューターは皆信じられないと今にも叫びそうな表情を浮かべて、先ほどまで回っていたルーレットを凝視していた。 ふと魔理沙の方を見てみると、彼女はまるでこうなる事を予想していたかのような笑みを浮かべており、右手の人差し指がルーレットの方へと向けられている。 「ボールがどのポケットに入ったか見てみな?霊夢の奴が私以上の化け物だって事がわかるぜ」 彼女の言葉にルイズは思わず口の中に溜まっていた唾を飲み込んでから、ゆっくりと後ろを振り返った。 …確認してから数秒は、ルイズも他の者達同様何が起こったのか理解できずその体が停止してしまう。 何故なら彼女の鳶色の瞳が見つめる先にあったのは、三十七分の一の奇跡が起こった事の動かぬ証拠そのものであったからだ。 そんな彼女たちを観察しながらニヤニヤしている魔理沙は、勝負を終えて一息ついていた霊夢へ茶々を飛ばしている。 「それにしても、賭博での勘の冴えようは相も変わらずえげつないよなお前さんは?」 「アンタがちゃっちゃっと大金稼いでくれてたら、こんな事せずに済んだのよ」 それに対し霊夢はさも面倒くさそうに返事をしつつ、ルーレットのボールが入ったポケットをじっと見つめていた。 彼女の目が見つめているポケットは、先ほどのゲームでボールが入った赤の三十五番。 三十五……巫女である霊夢を待っていたかのように、年季の入った白いボールが入っていた。 これで七十五エキューの三十五倍――――二千六百二十五エキューが、ルイズと霊夢の手元へと一気に入ってきたのである。 ――――――自分は一体、本当に何者なんだろうか? ここ最近は脳裏にそんな疑問が浮かんできては、毎度の如く私の心へ不安という名の陰りを落としてくる。 何処で生まれ、育ったのか?どんな生き方をしてきたのか?記憶を失う前はどれだけの知り合いがいたのか? 記憶喪失であるらしい私にはそれが思い出せず、私と言う人間を得体の知れない存在へと変えている。 カトレアは言っていた。ゆっくり、時間を掛けていけば自ずと思い出せる筈よ…と。 彼女は優しい人だ。私やニナの様な自分が誰なのか忘れてしまった人でも笑顔で手を差し伸べてくれる。 周りにいる人たちも皆…多少の差異はあれど皆彼女に影響されていると思ってしまう程優しく、親切だ。 そんな彼女の元にいれば、時間は掛かるだろうがきっと自分が誰なのか思い出すことも可能なのかもしれない。 だけど、ひょっとすると…自分にはその゙時間゙すらないのではないか? 何故かは知らないが、最近―――多くの人たちが暮らす大きな街、トリスタニアへ来てからはそう思うようになっていた。 王都トリスタニアは、トリステイン王国の中でも随一の観光名所としても有名な街だ。 街のど真ん中に建つ王宮や煌びやかな公園に、幾つもの名作が公開されたタニアリージュ座は国内外問わず多くの事が足を運ぶ。 無論飲食方面においてもぬかりは無く、外国から観光に来る貴族の舌を唸らせる程の三ツ星レストランが幾つもある。 店のシェフたちは日々己の腕を磨き、いつか王家お墨付きの店になる事を夢見て競い合っている。 平民向けのレストランも当たり外れはあれど他国と比べれば所謂「アタリ」が多く、外れの店はすぐに淘汰されてしまう。 外国で売られているトリスタニアのガイドブックにも「王都で安くて美味しいモノを食べたければ、平民が多く出入りする店へ行け」と書かれている程だ。 それ程までにトリステインでは貴族も平民も皆食通と呼ばれる程までに、舌が肥えているのだ。 無論飲食だけではなく、ブルドンネ街の大通りにある市場では国中から集められた様々な品が売りに出されている。 先の戦で当分は味わえないと言われてプレミア価格になったタルブ産のワイン、冷凍輸送されてきたドーヴィル産のお化け海老。 シュルピスからは地元の農場から送られてきた林檎とモンモランシー領のポテトは箱単位で売っている店もある。 他にもマジックアイテムやボーションなどの作成に必要な道具や素材なども売られ、貴族たちもこの市場へと足を運んでいた。 他の国々でもこういう場所はあるのだが、トリスタニアほどの満ち溢れるほどの活気は見たことが無いのである。 ガリアのリュティスやゲルマニアのヴィンドボナなどの市場は道が長く幅もある為に、ここの様な密集状態は中々起こらないのだ。 だからここへ足を運ぶ観光客は怖いモノ見たさな感覚で、ちょっとしたカオスに満ちた市場へ足を運ぶ事が多い。 そんな市場の中、丁度真ん中に差しかかった太陽が容赦なく地上を照りつけていても多くの人が出入りしていく。 老若男女、国内外の貴族も平民も関係なく色んな人たちが活気ある市場を眺めながら歩き続け、時には気になった商品を売る屋台の前で止まる者もいる。 その中にたった一人―――外見からして相当に目立っているハクレイも、人ごみに混じって市場の中へと入ろうとしていた。 周りにいる人たちよりも頭一つ大きい彼女は、自分の間を縫うように歩く人々の数に驚いていた。 「凄いわね…。こんなに人がたくさんいるなんて」 彼女は物珍しいモノを見るかのような目で貴族や平民、そして彼らが屯する屋台などを見ながら足を進めている。 そして、ここでば物珍しい゙姿をした彼女もまた、すれ違う人々からの視線を浴びていた。 市場では物珍しい品や日用品がズラリと並び、あちらこちらで客を呼ぶ威勢の良い掛け声が聞こえてくる。 どこかの屋台で焼いているであろう肉や魚が火で炙られる音に、香ばしい食欲を誘う匂いが人ごみの中を通っていく。 ふと右の方へ視線を向ければ、串に刺して焼いた牛肉を売っている屋台があり、下級貴族や平民たちがその横で美味しそうな肉に齧り付いている。 屋台の持ち主であろう人生半ばと思える男性は、仲間から肉を刺した串を貰いそれを鉄板の上で丁寧に焼いているのが見えた。 「わぁ……――っと、とと!いけないけない…」 油代わりに使っているであろうバターと塩コショウの匂いが鼻腔に入り込み、思わず口の端から涎が出そうになるのをなんとか堪える。 こんな講習の面前で涎なんか垂らしてたら、頭が可笑しいと笑われていたに違いない。 その時になってハクレイは思い出した。今日は朝食以降、何も口にしていなかったのを。 懐中時計何て洒落たものは持っていないが、太陽の傾き具合で今が正午だという事は何となくだが理解していた。 自分が誰なのかは忘れてしまったが、そんなどうでもいい事は忘れていなかった事に彼女はどう反応すればいいか分からない。 ともあれ、今がお昼時ならばカトレアがいる場所へ戻った方がいいかと思った時…ハクレイはまた思い出す。 それは自分の失った記憶ではなく今朝の事、ニナと遊んでいたカトレアが言っていた事であった。 「そういえば…お昼はニナの事を調べもらうとかで、役所っていう場所に行ってるんだっけか…?」 周囲の通行人たちにぶつからないよう注意しつつ歩きながら、ハクレイは再確認するかのように一人呟く。 空から大地を燦々と照りつける太陽の熱気をその肌で感じつつ、何処かに涼める場所を探す為に市場を後にした。 ―――カトレア一行が一応戦争に巻き込まれたゴンドアから馬車で離れ、王都へ来てからもうすぐ一月が経とうとしている。 タルブを旅行中にアルビオンとの戦いに巻き込まれ、地下へと隠れ、王軍に救出されてゴンドアまで運ばれたカトレア。 しかし彼女としては誰かに迷惑を掛けたくなかったのか、程々に休んだあとで従者とニナを連れて馬車で町を後にしたのである。 ハクレイは救出された時にはいなかったものの、何処で話を聞いてきたのかカトレアが休んでいた宿へフラリとやってきたのだ。 謎の光によりアルビオンの艦隊が全滅して三日も経っていない頃の夜、あの日は雨が降っていた。 艦隊を焼き尽くした火は粗方鎮火し終えていたものの、この天からの恵みによって完全に消し止める事ができた。 そのおかげでタルブ村や村の名物であるブドウ畑が焼失せずに済んだというのは、トリスタニアへついてから聞く事となる。 軍の接収した宿で御付の従者に見守られながらベッドで横になっていた彼女の元へ、ずぶ濡れの巫女さんが戻ってきてくれた。 自分の為にあの恐ろしい怪物たちと真っ向から戦い、行方知れずとなっていたハクレイの帰還に彼女は無言の抱擁で迎えてあげた。 「おかえりなさい。今まで何処にいたのよ?こんなにも外が土砂降りだっていうのに…」 「ごめんなさい。このまま消えるかどうか迷った挙句…気づいたらアンタの事を探してたわ」 こんなにも儚い自分の事を思って、助けてくれた事に感謝しているカトレアの言葉に彼女は素っ気なく答えた。 その後、ニナからも熱い抱擁ついでのタックルを喰らいつつもハクレイは彼女の元へと戻ってきた。 御付の従者たちや自分と一緒にカトレアの薬を取に行って、無事に届けてくれた護衛の貴族達からは大層な褒め言葉さえもらった。 「お前さん無事だったのか?あんな化け物連中と戦ったっていうのに、大したモノだよ」 「百年一度の英雄ってのはお前さんの事か?とにかく、本当に助かったよ。ありがとな」 「カトレア様がこうして無事なのも、全てはお前さのお蔭だな。感謝する」 十分な経験を積み、 護衛としてそこそこの実力を得た彼らからの感謝にハクレイは当初オロオロするしかなかった。 何せ彼らの魔法もあの怪物達には十分効いていたし、実質的にカトレアを助けたのは彼らだと思っていたからである。 なにはともあれ、思わぬ歓迎を受けてから暫くしてカトレアたちは前述のとおり静かにゴンドアの町を後にした。 町にはアンリエッタ王女が自ら軍を率いてやって来てはいたが、業務の妨げになると思って挨拶はしないことにしていた。 屋敷へ泊めてくれたアストン伯にお礼の手紙をしたためた後、足止めを喰らっていた王都行きの駅馬車を借りて彼女らは町を出た。 本当なら直接顔を合わせて礼を言うべきなのだろうが、彼もまたアンリエッタと同じく戦の後の処理に追われていたため敢えて邪魔しないという事にしたのである。 無論機会があればまたタルブへと赴いて、きちんとお礼をするつもりだとカトレアは言っていた。 幸い町と外を隔てるゲートを見張っていた兵士たちも連日の仕事で慌ただしくなっていたのか、馬車の中を確認もせずに通してくれた。 そうして騒がしい町から離れた一行は、ひとまずはもっと騒がしい王都で一時休憩する事となる。 王都から次の目的地でありカトレアの実家があるラ・ヴァリエールと言う領地までは最低でも二日はかかるという距離。 カトレアの体調も考えて夏の暑さが引くまでは王都の宿泊できる施設で夏を過ごした後にヴァリエール領へと戻るという事になった。 その間従者や護衛の者たちも一時の夏季休暇を味わい、カトレアはタルブ村へ行く途中に預かったニナの身元を調べて貰っている。 そしてハクレイはというと、特にしたい事やりたい事が思い浮かばずこうして王都の中をふらふらと歩き回る日が続いていた。 「みんなは良いわよねぇ。私は自分の事が気になって気になって…何もできないっていうのに」 大きな噴水がシンボルマークとなっている王都の中央広場。トリスタニアの中では最も有名に集合場所として知られている。 その広場の周囲に設置されたベンチに座っているハクレイは、自分の内心を誰にも言えぬが故の自己嫌悪に陥っていた。 ここ最近は、カトレアの従者が用意していだ別荘゙の中に引きこもっていたのを見かねたカトレアに外へ出るよう言われたのである。 無論彼女は善意で勧めているのは分かってはいるが、それでも今は騒音の少ない場所でずっと考えたい気分であった。 「とはいえ、お小遣いとかなんやでお金まで貰っちゃったし…ちょっとでも使わないと失礼よね?」 ハクレイはため息をつきつつも、腰にぶら下げている小さめのサイドパックを一瞥しつつ呟く。 茶色い革のパックにはカトレアが「王都の美味しいモノを食べれば元気になるわ」と言って渡してくれたお金が入っている。 枚数までは数えていないが、中に納まっている金貨の額は八十エキューだと彼女は渡す時に言っていた。 その事を思い出しつつ改めてそのサイドパックを手に持つと、留め具であるボタンを外して蓋を開ける。 パックの中には眩しい程に金色の輝きを放つ新金貨がずっしりと入っており、ハクレイは思わず目をそらしてしまう。 「このお金なら美味しいモノも沢山食べれるって言ってたけど、何だか無下に使うのはダメなような気が…」 そう言いつつ、ハクレイはこれを湯水のごとく消費してしまうのに多少躊躇ってはいた。 これは消費すべき通貨なのだと理解はしていたが、比較的製造されたばかりの新金貨は芸術品かと見紛うばかりに輝いている。 試しに一枚取り出しじーっと見つめてみるが、その輝きっぷりはまるで小さな太陽が目の前にあるかのようだ。 再び目を背けながら手に持っていた一枚をパックの中に戻してから、ハクレイはこれからどうするか悩んではいた。 時間は既に昼食時へと入っており中央広場にいても周囲の民家や飲食店、それから屋台から美味しそうな匂いが漂ってくる。 それらは全て彼女の鳴りを潜めていた食欲に火をつけて、瞬く間に脳の中にまで入っていく。 八十エキューもあれば、ちゃんと節制すれば平民のカップルは三日間遊んで暮らせるほどである。 そんな大金を腰のパックに入れたハクレイは、何か食べないと…と思いつつ本当にこの金貨を使って良いモノかとまだ思っていた。 「そりゃあカトレアの言うとおり何処かで食べてくれば良いんだけど、一体どこを選べばいいのやら………ん?」 一人呟きながらどこかに自分の興味を惹くような店は無いかと探している最中、ふと広場の中央に造られた噴水へと視線が向く。 百合の花が植えられた花園の真ん中にある大きな水かめから水が噴き出し、それが花園の周りに小さな池を作っている。 ハクレイはその噴水から造られた池に映っている自分の顔を見て、自分の頭の中に残っている悩みの種が首をもたげてきた。 腰まで届く長い黒髪に、やや黄色みがある白い肌。そして黒みがかった赤い目はハルケギニアでき相当珍しいのだという。 カトレアとの生活で彼女の従者からそんな事を言われていた彼女は、改めて自分が何者なのか余計に知りたくなってしまう。 けれどもそれを知っている筈の自分は全ての記憶を失い、自分は得体の知れない存在と化している。 それを思いだしてしまい難しい表情を浮かべようとしたハクレイは…次の瞬間、ハッとした表情を見せた。 まるで家の何処かに置いて忘れてしまった眼鏡の場所を思い出したかのような、ついさっきまでの事を思い出した時の様な顔。 そんな表情を浮かべた彼女は慌てて首を横に振ってから、水面越しに見る自分の顔を睨みつけながら呟く。 「でも…あのタルブで出会ったシェフィールドっていう女なら、何か知っているかもしれない…」 彼女はタルブの騒動の際、あの化け物たちを操っていたという女の事を思い出していた。 シェフィールド…。不気味なほど白い肌にそれとは対照的に黒過ぎる長髪と服装は今でも忘れられない。 彼女が操っていたという化け物たちのせいで多くの人たちが犠牲になり、カトレア達までその手に掛けさせようとしていた。 良くは知らないがそれでも次に会ったらタダでは済まさない程の事をしたあの女と彼女は戦ったのである。 その時はカトレアを探しに来ていたという彼女の妹とその仲間たちを自称する少女達と共闘した。 周りが暗くて容姿は良く分からなかったものの、声と身長差ら十分に相手が少女であると分かっていた。 しかし途中で乱入してきた謎の貴族にその妹が攫われ、ハクレイ自身が囮となって仲間たちに後を合わせた後、捕まってしまった。 キメラの攻撃で地面に縫い付けられ、運悪く手も足も出ない状況にに陥った時…あの女は自分へ向けてこう言ったのである。 ―――――そんなバカな事…あり得ないわ。……――――には、そんな能力なんて無い筈なのに―――― ――――――一体、お前の身体に何があったというんだい?――――゙見本゛ 何故か額を光らせ、信じられないモノを見る様な目つきと顔でそんな事を言ってきたのである。 言われた方としては何が起こったのか全く分からないし、当然しる筈も無い。但し、その逆の立場であるあるあの女は何かを知っていたのだろう。 でなければあんな…有り得ないと本気で叫んでいた表情など浮かべられる筈が無いのだから。 「本当ならば、その時に詳しく聞く事ができたら良かったけど…」 ――――――あの後の事は、正直あまり覚えていなかった。 あの女が自分の事を゙見本゙と呼んだ後の出来事だけが、ポッカリと穴が出来たかのように忘れてしまっているのだ。 忘れてしまった時の間に何が起こり、どの様な事になったのか彼女自身が知らないでいる。 ただ、気づいた時には疲労のせいか随分と重たくなってしまった体は木漏れ日の届かぬ森の奥で横たわっていた。 目が覚めた時にはあの女はおろか、自分がどこにいるのかも分からず…思い出そうにもその記憶そのものが抜け落ちている始末。 暫し傍にあった大木に背を預けて思い出そうとしても、単に頭を痛めるだけで何の進展も無かった。 そして彼女にはそれが恐ろしかった。呆気なく自分の頭から記憶が抜け落ちて行ってしまったという事実が。 自分ではどうしようもできない゙不可視の力゙が自分の記憶を操っている――――そんな恐ろしい考えすら思い浮かべていたのである。 その後はほんの少しの間、自分でもどうすれば良いのか分からない日々を過ごした。 森を捜索していた兵士たちの話から、カトレアを含めタルブ村の人たちが何処へ避難したかを知った時も真っ先に行こうとは思わなかった。 自分の頭から忘れてはいけない事が抜け落ちた事にショックし続けて、まるでを座して死を待つ野生動物の様に彼女は森の中で休んでいたのである。 けれども、それから暫くして落ち着いてきたころにカトレアやニナ達の事が気になってきて、ようやく避難先の町へ行くことができた。 最初はただ様子だけを遠くから見るだけと決めていたのに、結局彼女を頼ってしまい今の様な状況に至ってしまっている。 カトレアは屋敷の傍で起こった騒ぎの事は知らなかったようで、ハクレイ自身もまだその事を―――その時の事を忘れたのも含め――話す覚悟は無かった。 はぐらかす様子を見て離したくないと察してくれたのだろうか、出会った時以来カトレアもタルブでの事を話さなくなった。 ニナはしつこく何があったのだと話をせがんでくるが、カトレアやその従者たちがうまいことごまかしてくれる。 「…けれども、いつかは話さないと駄目…なのかしらね?」 水面に映る自分の顔を見つめながらもハクレイが一人呟いた時、ふとこんな状況に似つかわしくない音が鳴った。 ―――……ぐぅ~!きゅるるるぅ~ 思わず脱力してしまいそうな間抜けな音が耳に入った直後、ハクレイは軽く驚きつつも自分のお腹へと視線を向ける。 アレは明らかに腹から鳴る音だと理解していた為、まさか自分のお腹から…?と思ったのだ。 恥かしさからかその顔を若干赤くさせつつも自分のお腹を確認したハクレイであったが、音を出した張本人は彼女ではなかったらしい。 「あ…あぅう~…」 「ん?………女の子?」 今度は背後から幼く情けない声が聞こえ、後ろへと振り返ってみると…そこには一人の女の子がいた。 年はニナより三つか四つ上といったところか、茶髪のおさげを揺らしながらじっと佇んでいる。 まだ幼さがほんの少し残っている顔はじっとハクレイを見上げながらも、翡翠色の瞳を丸くしていた。 服は白いブラウスに地味なロングスカートで、マントを身に着けていないからこの近所に住んでいる子供なのだろうか? そんな疑問を抱きつつ、自分を凝視して動かない少女を不思議に思いながらもハクレイはそっと声を掛けた。 「どうしたの?私がそんなに珍しいのかしら?」 「え…!あの…その…」 見知らぬ、そして見たことない格好をした大人突然声を掛けられて驚いたのだろうか、 女の子はビクッと身を竦ませつつも、何を話したら良いのか悩んでいると…再びあの音が聞こえてきた、女の子のお腹から。 ―――――ぐぅ~…! 先ほどと比べて大分可愛らしくなったその音に女の子はハクレイの前で顔を赤面させると、彼女へ背を向ける。 てっきり自分の腹の虫化と思っていたハクレイはその顔に微かな笑みを浮かばせると、もう一度女の子へ話しかけてみた。 「貴女?もしかしお腹が空いてるの?」 彼女の質問に対し女の子は無言であったものの…十秒ほど経ってからコクリと一回だけ、小さく頷いて見せた。 首を縦に振ったのを確認した後、彼女は女の子の身なりが少し汚れているのに気が付く。 ブラウスやスカートは土や泥といった汚れが少し目立ち、茶色い髪も心なしか油っ気が多い気がする。 ここに来るまで見た子供たちは平民であったが、この女の子の様に目で分かる汚れていなかった。 更によく見てみると体も少し痩せており、まだ食べ盛りと言う年頃なのにそれほど食べている様には見えない。 (家が貧乏か何かなのかしら…?だからといって何もできるワケじゃあないけれど…あっ、そうだ) 女の子の素性を少し気にしつつも、その子供を見てハクレイはある事を思いついた。 彼女はこちらへ背中を向け続けている女の子傍まで来ると、落ち着いた声色で話しかけた。 「ねぇ貴女。良かったら…だけどね?私と一緒に何か美味しいモノでも食べない?」 「……え?」 見知らぬ初対面の女性にそんな事を言われた女の子は、怪訝な表情を浮かべて振り返る。 いかにも「何を言っているのかこの人は?」と言いたそうな顔であり、ハクレイ自身もそう思っていた。 「ま、まぁ確かに怪しいと思われても仕方ないわよね?お互い初対面で、私がこんな格好だし…」 言った後で湧いてくる気恥ずかしさに女の子から顔を背けつつも、彼女は尚も話を続けていく。 「でも…そんな私を助けてくれたヤツがいて、ソイツが結構なお人よしで…私だけじゃなくて女の子をもう一人…、 たがらってワケじゃないし、偽善とか情けとか言われても仕方ないけど…何だかそんな身なりでお腹を空かしてる貴女が放っておけないのよ」 自分でも良く、こんなに長々と喋るのかと内心で驚きつつ、女の子から顔をそむけながら喋り続ける。 もしもカトレアがこの場にいたのなら、間違いなくこの女の子に施しを与えていたに違いないだろう。 どんな時でも優しさを捨てず、体が弱いのにも関わらず非力な人々にその手を差し伸べる彼女ならば絶対に。 そんな彼女に助けられたハクレイもそんな彼女に倣うつもりで、お腹を空かせたあの子に何かしてやれないだろうかと思ったのだ。 しかし、現実は意外と非情だという事を彼女は忘れていた。 「だから…さ、自己満足とか言われても良いから…――――…って、ありゃ?」 逸らしていた視線を戻しつつ、もう一度食事に誘おうとしたハクレイの前に、あの女の子はいなかった。 まるで最初からいなかったかのように消え失せており、咄嗟に周囲を見回してみる。 幸い、女の子はすぐに見つかった。…見つかったのだが、こちらに背中を向けて中央広場から走って出ていこうとしていた。 恐らく周囲の雑踏と目を逸らしていて気付かなかったのだろう、もう女の子との距離が五メイルも空いてしまっている。 「……ま、こんなもんよね?現実ってのは…」 何だか自分だけ盛り上がっていたような気がして、気を取り直すようにハクレイは一人呟く。 ニナもそうなのだが、子供が相手だとこうも上手くいかないのはどうしてなのだろうか? 自分と同じく彼女に保護されている少女の顔を思い出したハクレイは、ふとある事を思い出した。 「そういえば、カトレアは「お姉ちゃん」って呼んでべったりと甘えてるのに…私は呼び捨てのうえに扱いが雑な気もするわ」 子供に嫌われる素質でもあるのかしらねぇ?最後にそう付け加えた呟きを口から出した後、腰に付けたサイドパックへ手を伸ばす。 (仕方がない。無理に追いかけるのもアレだし…何処か屋台で美味しいモノ食べ――――あれ?) 気を取り直してカトレアから貰ったお小遣いで昼食でも頂こうと思ったハクレイの手は、金貨の入ったパックを掴めなかった。 軽い溜め息を一つついてから、パックをぶら下げている場所へ目が向いた瞬間――――思わず彼女の思考が停止する。 無い、無かった。カトレアから貰った八十エキュー分の金貨が満載したサイドパックが消えていた。 パックと赤い行灯袴を繋ぐ紐だけがプラプラと風に揺られ、さっきまでそこに何かがぶら下げられでいだと教えてくれている。 まさか紐が切れて何処かに落とした?慌てて足元を見ようとしたとき、通行人の大きな声が聞こえてきた。 「おーい、そこの小さなお嬢ちゃん!手に持ったパックから金貨が一枚落ちたよ~!」 「――――…は?」 小さなお嬢ちゃん?パック?金貨?耳に入ってきた三つの単語にハクレイはすぐさま顔を上げると、 自分の背後でお腹を鳴らし、逃げるように走り去ろうとしていた女の子が地面に落ちた金貨をスッと拾い上げようとしている最中であった。 両手には、やや大きすぎる長方形の高そうな革のサイドパックを抱えるように持っているのが見える。 それは間違いなく、カトレアからお小遣いと一緒に貰った茶色い革のサイドパックであった。 「ちょっ……―――!それ私の財布なんだけど…ッ!?」 驚愕のあまり思わず大声で怒鳴った瞬間、女の子は踵を返して全速力で走り出した。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 夏季休暇真っ最中のトリスタニアがチクトンネ街の一角にある、居酒屋が連なる大通り。 夜になれば酒と安い料理…そして女目当てに仕事帰りの平民や下級貴族達でごったがえすここも、今は静まり返っている。 繁華街という事もあって人の通りは多いものの、日が暮れた後の喧騒を知る者たちにとっては静か過ぎると言っても過言ではない。 それこそ夜の仕事に備えて日中は洞窟で眠る蝙蝠の様に、夕方までぐっすり快眠できる程に。 そんな通りに建っている居酒屋の中でも、一際売り上げと知名度では上位に位置するであろう『魅惑の妖精亭』というお店。 比較的安くて美味く、メニューも豊富な料理に貴族でも楽しめる数々の名酒、際どい衣装で接待してくれる女の子達。 この周辺に住む者達ならば絶対に名前を知っているこの店も、日中の今はシン…と静まり返っている。 しかし、その店の二階にある宿泊用の部屋では、数人の少女達が別室で寝ている者たちを起こさない程度の声で話し合っている。 そしてその内容はこの店…否、このハルケギニアという世界に住む者達には理解し難いレベルの会話であった。 シングルのベッドにクローゼットとチェスト、それにやや大きめの丸テーブルに椅子が置かれた部屋。 その部屋の窓際に立つ霊夢は、ニヤニヤと微笑む紫を睨みながら彼女に質問をしている。 いや、それは窓から少し離れたベッドに腰掛けるルイズから見れば、゙質問゙というよりも゙尋問゙や゙取り調べ゙に近かった。 「全く。アンタっていつもいないないって話してる時に鍵って平気な顔して出てくるわよね」 「あら?酷い言い方ね霊夢。貴女たちが困っているのを、私が楽しんで眺めていたって言いたいのかしら?」 「あの式の式の文句が丸聞こえだった…ってことは、そうなんじゃないの?」 「失礼しちゃうわね。私は橙が文句を言っているのに気が付いたから、結果的に出てくるのが遅れちゃったのよ」 「それじゃあ結局、私達がいないないって騒いでたのを傍観してたんじゃないの!」 「こらこら、ダメよ霊夢?そんなに怒ってたら若いうちから色々と苦労する事になるわよ」 怒鳴る霊夢に対して冷静な紫はクスクスと笑いながら、ついでと言わんばかりに彼女を茶化し続ける。 自分に対し文句を言っていた橙に勉強と言う名の説教をしていた時も、その笑顔が変わる事は一瞬たりとも無かった。 そして、あの霊夢をこうして怒らせている間も彼女はその余裕を崩すことなく、笑いながら巫女と話し合っている。 あれが強者が持つ余裕というものなのだろうか? いつもの冷静さを欠いて怒る霊夢と対照的な紫を見比べながら、ルイズは思っていた。 きっと彼女ならば、ハルケギニアの王家やロマリアの教皇聖下が相手でもあの余裕を保っていられるに違いない。 そんな事を考えながらジーっと二人のやり取りを見つめていると、壁に立てかけていたデルフが話しかけてきた。 『よぉ娘っ子、そんなあの二人をまじまじと見つめてどうしたんだい?嫉妬でもしてんのか?』 「嫉妬?なにバカな事言ってるのよアンタ、そんなんじゃないわよ」 『じゃあ何だよ』 「いや…ただ、ユカリの余裕っぷりがちょっと羨ましいなぁって感じただけよ」 『…?あぁー、成程ねぇ』 留め具を鳴らす音と共に、デルフは彼女が凝視していた理由を知った。 確かに、あの金髪の人外はちょっとやそっとじゃあ自身の余裕を崩す事はないに違いない。 人によってはその余裕の持ち方が羨ましいと思ったりしてしまうのも…まぁ分からなくはなかった。 しかし、それを羨ましいと目の前で言うルイズが彼女の様になれるかと問われれば…。 本人の前では刀身に罅が入るまで口に出せない様な事を考えながら、デルフは一人呟く。 『…けれどまぁ、ああいうのは経験だけじゃなくて持って生まれた素質も関係するしなぁ』 「どういう意味よソレ?」 『いや、お前さんには関係ない事だ。忘れてくれ』 どうやら聞こえていたらしい、こりゃ迂闊な事は言えそうにない。 自分の短所を暗に指摘してきた自分を睨み付けてきたルイズを見て、デルフは改めて実感する。 幸いルイズ自身は昨晩から連続して発生している想定外の事態に疲れているのか、自分の真意には気が付いていないようだ。 このまま追及されずに、何とかやり過ごせそうだと思った矢先、 「要するにデルフは、短気で怒りっぽいルイズが紫みたいになるのは無理だって言いたいんだろ?」 「へぇ、そう……って、はぁ?ちょっと、デルフ!」 『魔理沙、テメェ!』 そんな彼に代わるのようにして、ルイズたちのやりとりを見ていた魔理沙が火付け役として会話に割り込んできたのだ。 椅子に座って自分たちと霊夢らのやり取りを眺めていた魔法使いは、何が可笑しいのかニヤニヤと笑っている。 恐らくは暇つぶし程度でルイズを煽ったのだろうが、デルフ本人としては命に関わる失言なのだ。 「いやぁー悪い、悪い。今のルイズにも分かるように丁寧に言い直してやったつもりなんだがな」 『だからっておま――――…イデッ!』 反省する気ゼロな笑顔でおざなりに頭を下げる彼女にデルフは文句を言おうとしたものの、 ベッドから腰を上げて近づいてきたルイズに蹴飛ばされ、金属質な喧しい音を立てて床に転がった。 「この馬鹿剣!人が朝からヘトヘトな時に馬鹿にしてくるとかどういう了見なの!?」 『いちち……!お前なぁ、そうやって一々激怒するのが駄目だってオレっちは言ってんだよ!』 「何ですって?言ってくれるじゃないのこのバカ剣!」 床に転がった自分を見下ろして怒鳴るルイズに対し、流石のデルフも若干怒った調子で文句を言い返す。 伊達に長生きしていない彼にとって、短所を指摘して一方的に怒られることに我慢ならなかったのだろう。 意外にも言い返してきたデルフに対しルイズも退く様子を見せる事無く怒鳴り返して、床に転がる彼を拾い上げる。 「今すぐこの場で訂正しなさい、じゃなかったらアンタの刀身をヤスリで削るわよ!」 『ヤスリだと?へ、面白れぇ!やれるもんならやってみやがれ、そこら辺の安物じゃあオレっちは傷一つつかないぜ!』 もはやお互い一歩も引けず、一触即発寸前の危ない空気。 どちらかが折れるかそれとも最悪な展開に至ってしまうのか、という状況の中で。 この争いを引き起こした張本人であり、最も安全な場所にいる魔理沙は驚きつつもその笑顔を崩していない。 むしろ二人の言い争いを楽しんでいるのか、楽しそうにお茶を啜っている。 「ははは、喧嘩は程々にしとけよおま―――…ッデ!」 「争いを引き起こした張本人が何観戦に洒落込もうとしてんのよ!」 しかし、始祖ブリミルはそんな魔法使いの策略に気付いていたのだろう。 ルイズの使い魔としで神の左手゙のルーンを持つ霊夢からの、容赦ない鉄拳制裁が下された。 死なない程度に後頭部を殴られた魔理沙は殴られた場所を手で押さえて、机に突っ伏してしまう。 頭に被っていた帽子が外れて床に落ちるものの、今はそれを気にせる程の余裕は無いらしい。 呻き声を上げながら机に顔を伏せる彼女を見下ろし、鋭い目つきで睨む霊夢は魔理沙を殴った左手に息を吹きかけている。 「全く、アンタってヤツは目を離した途端にこれなんだから」 「イテテ…!だからって、おま…!あんなに強く殴る必要があるのかよ…」 「私はそんなに強く殴った覚えはないわよ」 今にも泣きそうな魔理沙の抗議に対し、しかし霊夢は涼しい表情で受け流す。 どうやら殴った加害者である巫女と、被害者の魔法使いとの間には認識の違いがあるらしい。 しかし、第三者から見てみればどちらが正しい事を言っているのかは…まぁ一目瞭然と言うヤツだろう。 「さっきの一発、絶対普段からのうっぷん晴らしで殴ったわよね」 『だろうな。流石のオレっちでも、あんな風に殴られたら怒るより先に泣いちゃうかも』 突然の殴打に一触即発だったルイズとデルフも、流石にアレは酷くないかと魔理沙に同情してしまっている。 その魔理沙のせいで言い争いをする羽目になった二人から見ても、霊夢の殴打は間違いなぐやり過ぎ゙の範囲なのだ。 霊夢の一撃で先ほどまで騒がしかった部屋が静まり返る中、紫が三人と一本へ話しかける。 それは、ちょっとした諸事情で部屋にいないこの部屋の主とその従者に代わっての注意喚起であった。 「朝から賑やかな事ね。けど、あんまり騒がしいと後で藍に怒られますわよ。 あの娘も色々とここで人間相手に信用を築いているし、その努力がパァになったら流石の彼女も怒るわよ?」 笑顔を絶やさず自分たちを見つめて喋る紫に、霊夢は面倒くさそうな表情で「分かってるわよ」とすかさず返す。 ルイズも同様に、紫の式が静かに怒っていた時の事を思い出してコクリと頷いて見せる。 魔理沙は未だ机に突っ伏して呻いているが、頭を押さえていた両手の内右手を微かに上げた。 大方「分かってるよ」と言いたいのだろうが、さっきルイズ達を煽っていた所を見るに理解していないようにも見える。 最後に残ったデルフは三人がそれぞれ答えを返して数秒ほど後に、留め具を鳴らして言葉を出した。 『んな事、百も承知だよ。最も、レイムが殴るのを止めなかったお前さんも大概だがな』 「あら、随分と口が悪い剣なのね。まぁそのお蔭でこの娘たちと仲良くやれてるんでしょうけど?」 「それどういう意味よ?」 デルフの冷静な指摘に対しても、その笑みを崩さぬ紫が彼に返した言葉にすかさず霊夢が反応し、 再び嫌悪な空気が流れ始めたのを感じ取ったルイズは、たまらずため息をついてしまいたくなってしまう。 そして彼女は願った。できるだけ、藍と橙の二人が自分と霊夢たちの荷物を手に速く帰ってこれるようにと。 現在このハルケギニアを訪問している八雲紫の式である八雲藍とその式の橙。 本来この部屋を借りている彼女たちは今、ルイズたちが言い争うこの部屋にはいない。 二人は紫からの命令を受けて、昨晩ルイズたちが大きな荷物を預けた店『ドラゴンが守る金庫』へと足を運んでいる。 理由は勿論、その店に預けているルイズ達三人の荷物を取りに行って貰ってるからだ。 念のため藍がルイズの姿に化けて荷物を出してもらい、その後で橙と一緒に運んでくるらしい。 ルイズ本人としては不安極まりなかったが、今の状況ではやむを得ない選択であった。 本当ならば任務の為に長期宿泊する宿を見つけてから荷物を取り出しに行く予定であったが、肝心の資金が盗まれてそれは不可能。 とはいえ一度出された任務はこなさなければと考えていたルイズに、話を盗み聞きしていた紫がこんな提案をしてきたのである。 ―――ならここに泊まれば良いんじゃないのかしら?丁度他の部屋は余裕があるんでしょう? ―――――えぇ?ルイズはともかく、博麗の巫女たちと一緒に…ですか? ―――別に貴女には彼女たちを手助けしろだなんて言ってないわ、寝泊まりできる場所を確保してあげなさいって事よ 当初は主の提案に難色を示した藍であったが、結局は主からの命令に従う事となった。 橙も何か言いたそうな顔をしていたが、その前にされていた説教が大分効いたのか何も言うことは無かった。 「けれども、今の私達なんて文無しでしょう?泊まりたくても泊まれないじゃないの」 「いや、お金に関してなら私の口座に…少しだけなら残ってたと思うわ」 とはいえ、荷物はあっても任務をこなす為に必要な経費が無くなってしまった事に代わりは無い。 霊夢がそれを指摘すると、ルイズはこの夏季休暇に使う事は無いだろうと思っていた手札を彼女に明かす。 本来ならどん詰まりの状況なのだろうが、幸いルイズには財務庁の方で口座を開いていたのである。 口座…といっても実際には実家から送られてくる月々のお小遣いで、大した金額は入っていない。 それでも並みの平民にとっては半年分働いて稼いだ額と同じ金額であり、宿泊代は何とか捻出できる程にはある。 「あるといっても、三人分で一週間泊まれるかどうかの金額しかないけどね」 「それまでは並の人間らしい生活は遅れるけど、それ以降は物乞いデビューってところね」 「……冗談のつもりなんでしょうけど、今はマジで洒落にならないから言わないでよ」 今の自分たちにとって最も笑えない霊夢の冗談に突っ込みを入れつつ、ふと紫の方へと困った表情を向けてみる。 ここに自分たちを泊まらせるよう式に命令した彼女なら、きっと自分の手助けをしてくれるかもしれない。 そんな甘い期待を胸に抱いたルイズは手に持っていたままのデルフをベッドに置くと、いざ紫に向かって話しかけた。 「ゆ―――」 「残念ですが、お金の事に関しては貴女と霊夢たち自身の手で解決しなさい」 「うわ最悪、読まれてたわ」 『そりゃお前さん、あたりめーだろ』 すがるような表情から一転、苦虫を踏んだかのような苦しい表情を浮かべてしまう。 まぁダメで元々…という感じはしていたが、こうもストレートかつ百パーセントスマイルで拒否されるとは思ってもいなかった。 ついでと言わんばかりに放たれるデルフの突っ込みを優雅にスルーしつつ、ルイズは紫へ話しかけていく。 「どうして駄目なのよ?アンタなら自分の能力でいくらでも金貨を出せそうじゃないの」 「その通りね。私のスキマが…そう、゙王宮の金庫゙とここを繋げば…それこそ貴女に巨万の富を授ける事はできるわ」 「……成程、その代わり私が世紀の大泥棒になるって寸法ね」 自分の質問に目を細めてとんでもない返答をした紫に、ルイズは彼女を睨みながら冗談で返す。 大抵の人間が言えば冗談になるような例えでも、目の前にいるスキマ妖怪が言うと本気に思えてしまう。 「ちょっとアンタ、ルイズに何物騒な事吹き込んでるのよ」 そこへ紫の事は…少なくとも自分より詳しいであろう霊夢がすかさず彼女へと噛みついてくる。 まぁ妖怪退治を本業とする彼女の目の前であんな事を言ったのだ、そりゃ警戒するつもりで言うのは当たり前だろう。 そんな事を思って霊夢の方へと視線を向けたルイズは、そのまま彼女と紫の会話を聞く羽目になった。 「冗談よ霊夢。貴女ってホント、いつまで立っても人の冗談とかジョークに対して冷たいわよね」 「アンタは人じゃないでしょうが。それにアンタの性格と能力を知ってる私の耳には、本気で言ってるようにしか聞こえないわ」 「まぁ怖い!このか弱くてスキマしか操れない様な私が、そんな怖ろしい事をしでかすとでも…」 「しでかすと思ってるから、こうして警戒してるのよ私は」 ワザとらしく泣き真似をしようとする紫にキツイ調子でそう言った霊夢の言葉に、ルイズ達も同意であった。 ルイズ自身彼女と知り合って行こうしょっちょうちょっかいを掛けられていたし、デルフは幻想郷に拉致されている。 魔理沙も紫の能力がどれだけ便利なのかは間近で見ていた人間であり、そして彼女が最も油断ならない妖怪だと知っている。 霊夢に至っては、いわずもがな…というヤツだ。 結果的にスキマ妖怪の言葉に誰一人信用できず、霊夢は疑いの眼差しを紫へと向けている。 二人の近くに立つルイズに、殴られたダメージが癒えつつ魔理沙も顔を上げて紫を見つめていた。 流石に分が悪いと感じたのか、それともからかうのはそろそろやめた方が良いかと感じたのか…。 三人の視線を直に受けていた紫はその顔に薄らと微笑みを浮かべると、両肩を竦ませた。 「流石にそんな事はしないわ霊夢。…けれど、貴女たちにお金の支援をすることはできないと再度言っておくわ。 私の能力を使えば確かに楽に集まるけれど、それを長い目で見たら決して貴女たちに良い結果をもたらさないしね」 ようやく聞けた紫からのまともな返答に、ルイズは「…まぁそうよね」と渋い表情を浮かべて納得する。 昨晩は霊夢が荒稼ぎして手に入れた大金を盗まれたせいで、とんでもないどんちゃん騒ぎに巻き込まれてしまった。 変に荒稼ぎせずに、アンリエッタが支給してくれた経費で長期宿泊できる宿を探していればこうはならなかったに違いない。 というか、あの少年は自分たちが派手に稼いだのを何処かで見ていたに違いないだろう。 そんなルイズの考えている事を読み取ったのか、紫は笑顔を浮かべたまま考え込んでいるルイズへと話しかける。 「藍の話を聞いた限りでは、貴女たち…というか霊夢が賭博で色々と派手にやらかしたそうね?」 思い出していた最中に不意打ちさながらに入ってきた紫の言葉に、ルイズは思わず頷いてしまう。 「…そうよね。よくよく考えてみたら、昨日あんだけド派手な大勝してたら…そりゃ寄ってくるわよね」 「ちょっとルイズ、それはアンタの我儘を叶える為に張ってあげた私の苦労を台無しにする気?」 「いや、お前さんはそんなに苦労してないだろうが」 反省しているかのようなルイズに、昨日稼いだ大金を即日盗まれた霊夢が苦言を漏らすも、 ようやく後頭部の痛みが和らいできた魔理沙が恨めしそうな目で彼女を睨みつけながら突っ込みを入れられてしまう。 そこへデルフもすかさず『だな』と、短くも魔法使いの言葉に便乗する意思を見せる。 流石に魔理沙デルフにまでそんな事を言われてしまった霊夢は機嫌を損ねたのか、口をへの字に曲げてしまう。 「何よ、昨日は一発勝負大金稼いでやった私に対する仕打ちがこれなの?失礼しちゃうわね」 「…というか、博麗の巫女としての勘の良さを賭博で使う貴女が巫女としてどうかと思うわよ…霊夢?」 そんな時であった、昨日の事を思い出していた彼女へ紫がそう言ってきたのは。 さっきまでと同じ調子に聞こえる声は、どこか冷たさと鋭さを併せ持ったかのような雰囲気を霊夢は感じてしまう。 それを機敏に感じ取った霊夢の表情がスッ青ざめたかと思うと、ゆっくりと紫の方へと顔を向ける。 そこに八雲紫は佇んでいたが、帽子の下にある笑顔には何故か陰が差している気がする。 他の二人とデルフも先ほどの彼女の声色が微妙に変わっているのに気が付いたのか、怪訝な表情を浮かべて二人を見つめている。 「あれ?どうしたのかしら二人とも…何かおかしいような」 青ざめる霊夢と微笑み続ける紫を交互に見比べていたルイズが言うと、そこへ魔理沙も続いて呟く。 「あちゃ~…何か良くは知らんが、あれは紫のヤツ…今にも怒りそうだな」 『まぁ声の色にちょっとドスが入っているっぽいからな…ありゃ相当カッカしてると思うぜ』 これまでの経験から何となくスキマ妖怪が起こるっているであろうと察した魔理沙がそう言うとデルフも同じような言葉を呟き、 両者の意見を聞いた後でもう一度紫の笑顔を見たルイズは、 「え、え…何ですって?」と軽く驚いてしまう。 一瞬にして部屋の空気が代わった事に気が付かず、微笑み続けている紫は霊夢に喋り続けていく。 「貴女、昨日は随分と荒稼ぎしたそうね?それこそ、店の人間を泣かすくらいに」 「あ、あれはルイズが良い宿に泊まりたいって言うから、それでまぁ…ん?」 珍しく焦った表情を霊夢が若干慌てた様子で昨日の事を説明する中、紫がふと自分の頭上にスキマを開いた。 人差し指で何もない空間に入れた線がスキマとなり、数サント程度の真っ暗な空間が二人の間に現れる。 そのスキマと微笑み続ける紫を見て直感で゙ヤバい゙と感じたのか、更に焦り始めた霊夢が説明を続けていく。 「だ…だってしょうがないじゃないの!ルイズのヤツには、色々と借りがあっ――――…ッ!!」 言い切る前に、突如聞こえてきた鋭くも激しい音で紫とデルフを除く三人が身を竦ませて驚いた。 傍で聞いていたルイズと魔理沙、そして言い訳を述べようとした霊夢の目に音の正体が移り込む。 霊夢の足元へ勢いよく突き刺さったのは、普段から紫が愛用している白い日傘であった。 折りたたまれた状態のソレの先はフローリングの床に突き刺さり、僅かにだが横にグワングワンと揺れている。 まず最初に口が開けたのは意外にも霊夢ではなく、現在彼女の主であるルイズであった。 「は?日…傘?」 一体どこから…?と一瞬思ったルイズは、すぐに紫の頭上に開いたスキマへと視線を向ける。 彼女の予想通り、日傘を投げ槍の様に出したであろうスキマの゛向こう側゙にある幾つもの目が霊夢を睨んでいる。 明らかにその目は不機嫌そうな様子であり、それが今の紫の心境を明確に物語っているかのようだ。 『おぉ…こいつはちょっと、洒落にならんってヤツだな』 「いやいや、これは相当怒ってるぜ…?」 流石の魔理沙も今まで見たことないくらい怒っている紫に戦慄しているのか、自然と後ずさり始めている。 とある異変の後で紫と知り合った彼女にとって、紫がこれ程怒る姿を見るのはここで初めてであったからだ。 そして、その怒りの矛先である霊夢は…ただただこちらを見下ろす紫を見上げている。 まるで蛇に睨まれた蛙の様に身動き一つ取れないまま、こちらへスキマを向ける彼女の言葉を待っていた。 「あの、ゆ…――」 「――そういえば、ここ最近は貴女の事を色々と甘やかし過ぎていたかしらねぇ?」 自分の名前を呼ぼうとした霊夢の言葉を遮って、紫はわざとらしい調子で言う。 これまで幾度となく妖怪と戦い退治し、異変解決もこなしてきた博麗霊夢はそれで何となく察した。 久しぶり…というか多分、十年ぶりに八雲紫からのありがたーい゙御説教゙を受ける羽目になるのだと。 「久しぶりねぇ。私がこうして、あなたに博麗の巫女とは何たるかを教えるのは」 そう言って紫は先ほど自分の日傘を射出したスキマから一本の扇子を出し、それを右手で受け取る。 紫が愛用しているそれは何の変哲もない、人里にあるちょっとお高い品を扱う店で購入できるような代物。 キッチリと閉じている扇子で自分の左手のひらを二、三回と軽く叩いてみせた。 「藍が帰ってくるまで、私と昔教えた事の復習をしてみましょうか?霊夢」 「――…と、いうわけで今も゙御説教゙は継続中と言うワケなのよ」 ――――そして時間は過ぎ、もうすぐお昼に迫ろうとしている時間帯。 ルイズたちの荷物を橙と共に持って帰ってきた八雲藍は、ルイズから何が起こったのか聞かされた。 彼女たちのすぐ近くでは、今も閉じた扇子を片手に持つ紫が拗ねたように顔を晒している霊夢に説教している。 最初は昨晩の博打において、巫女としての勘の良さを博打で使ってボロ儲けした事について話していた。 そこから次第に発展して、ルイズや魔理沙にデルフからこの世界での彼女の不躾な行動を聞き出し、 それを説教のネタにして長々と喋り続け、かれこれ藍と橙が戻ってきてからも彼女の゙御説教゙は続いていた。 今はルイズから部屋に隠していたお菓子を無断で食べたことについての説教をされているところである。 「…大体、貴女は普段から巫女としての心を持たないから…そうやって安易に手を出しちゃうのよ」 「むぅ~…だってあのチョコサンド、凄く美味しそうだったのよ?それをすぐに食べないなんて勿体ないじゃない」 「その食い意地だけは認めますけど、やっぱり貴女はまだまだ経験不足なのねぇ」 そんな二人の説教…と言うにはどこか緩やかさが垣間見えるやり取りを眺めつつ、 ルイズから事のあらましを聞き終えた八雲藍は呆れた…とでも言いたいかのように天井を一瞥した後、その口を開く。 「成程、帰ってきたときに見た時はかなり驚いたが……まぁ身から出た錆と言う奴だな」 「まぁ、アンタの言葉は外れてはいないわね。…それにしても、あのレイムがあんな大人しくなるなんて」 重い荷物を担いで戻ってきた彼女はベットに腰かけながら、横で話してくれたルイズに向けて開口一番そう言ってのける。 ついでルイズもそれに同意するかのように頷き、あの霊夢がマジメに説教を受けている事に驚いていた。 何せ召喚してからといもの、傍若無人かつそれなりに強かった博麗霊夢が借りてきた猫の様に小さくなっている。 召喚してからというものほぼ彼女と一緒に過ごし、彼女がどういう人間なのか知ったルイズにとって意外な発見であった。 「ルイズの言う通りだな。アイツなら誰が相手でも居丈高な態度を見せるもんだとばかり思ってたが…」 更に…自分よりも霊夢と一緒にいた回数が多いであろう魔理沙もルイズと同じような反応を見せている。 きっと彼女も、大人しく紫の説教を受けている霊夢の姿なんて一度も見たことがないのだろう。 今はその両腕で抱えているデルフも鞘から刀身を出して、魔理沙に続くようにして喋りはじめる。 『まぁレイムのヤツには丁度いいお灸になるだろ。…それで性格が直るワケはないと思うがな』 「そりゃーあの博麗霊夢だからねぇ、むしろあの性格は死ぬまで直らないんじゃないかなー」 やや鼓膜に障る程度の喧しい金属音混じりの言葉に、今度は式の式である橙がクスクスと笑いながら言う。 先ほど藍と一緒にルイズの荷物を持って帰って来た彼女は、叱られている霊夢の姿を見てざまぁ見ろとでも思っているのだろうか? まぁさっきまで散々掴まれられたり文句を言われたりもしていたので、まぁそういう気持ちになっても仕方ない。 そう思っているのか藍も彼女を窘める事はせず、見守る事に徹していた。 そんな橙は今、紫が来るまで来ていた洋服ではなく霊夢達が見慣れている赤と白が目立つ服に着替え直している。 元は変装用にと藍が服を与えたのだが、今回の説教で紫から甘やかしてると判断されて没収されていた。 まぁ元々着ていた服も一部分を除けば洋服であるし、尻尾と耳をどうにか隠せれば何とか誤魔化せるだろう。 藍ならば自分の力でそれ等を極小に縮める事は出来るが、まだまだ力不足な橙にそれ程の芸当はできない。 その為荷物を取りに行った時はフードつきのコートを頭からすっぽり被り、上手く隠して日中の街中へと出ていた。 ただ本人曰く…「帰るときには気絶しそうなくらい暑かった」とも言っていたが…。 「あの服なら尻尾をスカートの中に入れてても痛くなかったし、便利だったのにな~…」 「確かに…あんなコートを頭から被って真夏日の街中で出るなら、あの服を着ていく方がいいと思うぜ」 『だな。夏真っ盛りの今にあんなん着てて歩いたら、その内日射病でバタンキューだ』 橙が羽織り、今は入口の傍に設置されているコートハンガーに掛けられているそれを見て、魔理沙とデルフも頷くほかない。 あれを着れば確かに耳と尻尾は隠れるのだろうが、間違いなく体中から滝の様な汗が流れるのは間違いないだろう。 何せ外は涼しい格好をした平民たちもしきりに汗を流し、日射病で倒れぬようしきりに水分補給をする程の暑さ。 それに加えて狭い通りを大勢の人々が歩き回ってるのだ。汗をかかない方が明らかにおかしいのである。 当然、橙の傍にいて彼女の様子を見ていた藍も魔理沙と同じことを思っていたようで、腕を組んで悩んでいた。 「う~ん、私は甘やかしたつもりはないのだがなぁ。ただ、あの子の事を思って服を用意しんだが…」 「そういえば、甘やかす側は偶に違うと思いつつも他の人から見ると甘やかしてるって見える時があるらしいわね」 真剣に悩んでいる彼女の姿を見て、ルイズは現在行方知れずの二番目の姉との優しい思い出を振り返りつつ、 常に厳しくキツい思い出しかない一番目の姉が彼女に言っていた言葉を思い出していた。 そんな風にして四人と一本が暇を潰している間、いよいよ霊夢と紫の楽しい(?)お話が終わろうとしていた。 「…まぁその分だとあまり反省してなさそうだけど…これに懲りたらちょっとは自分を見直しなさい。いいわね?」 「そんなの…分かってるわよ。何かしたら一々アンタの説教を聞くのも億劫だし」 長い説教をし終えた紫は最後にそう言って、目を逸らしつつも大人しく話を聞いていた霊夢へ説教の終わりを告げる。 対する霊夢も相変わらず顔を横に反らしたまま捨て台詞を吐いてから、クルッと踵を返して紫に背を向けてしまう。 一目見ただけでご立腹な巫女の背中に、紫は苦笑いしつつ彼女の左肩にそっと自分の左手を乗せた。 ついで、幾つものスキマを作り出せるその指で優しく撫でられると流石の霊夢も何かと思ってしまう。 「まぁ貴女は貴女でちゃんと頑張っているし、人間っていうのは叱られてこそ伸びるものよ」 そんな彼女へ、紫はまるで教え子を諭す教師になったかのような言葉を送る。 さっきまであんなに説教してきたというのに、しっかりフォローを入れてきたスキマ妖怪に霊夢は思わず彼女の方へ顔を向けてしまう。 そして自分だけでなく、それを傍目で眺めていたルイズと魔理沙もそちらの方へ顔を向けているのにも気づいていた。 途端に何か、得体のしれぬ気恥ずかしさで頬に薄い赤色が差した巫女はそれを誤魔化すように紫へ話しかける。 「……その言葉と、今私の肩を撫でまわしてる事にはどういう関係があるのよ」 「あら?肩じゃなくて頭のほうが 良かったかしら。昔みたいに…」 「まさか……もう子供じゃああるまいし」 そう言って霊夢は右手で紫の左手を優しく肩から離して、もう一度踵を返して今度は紫と向き合う。 既に気恥ずかしさは何処へと消え去り、いつもの調子へと戻った彼女は腰に手を当ててご立腹な様子を見せている。 「第一、ルイズや式はともかくとして魔理沙のヤツがいる前で昔の事なんか言わないでよ。からかいの種になるんだからさぁ」 「おぉ、こいつはひどいなぁ。私だけのけものかよ」 「でも不思議よね?霊夢の『ともかく』って実際は『どうでもいい』って事だからあんまり嬉しくないわ」 「まぁその通りだな」 『でもぶっちゃけ、この巫女さんに関われるよかそっちの方が幸せな気がするとオレっちは思うね』 自分の言葉に続くようにして魔理沙とルイズ、それに藍とデルフが相次いで声を上げる。 その光景に紫がクスクスと小さく笑いつつ、キッと三人と一本を睨み付ける霊夢へ話を続けていく。 「あら?そうは言っても過去は否定できませんわよ。今も私の頭の中には、幼少期の可愛い貴方の姿が…」 「だーかーらー!!昔のことは言わないでって言ってるでしょうが!」 「あぁ~ん、ダメよ霊夢ぅ~!公衆の面前よぉ~」 今となっては相当恥ずかしい昔の思い出を掘り返されたことに、霊夢は紫へ怒鳴りながら迫っていく。 紫自身も慣れたもので、今にも掴みかからんとする妖怪退治の専門家に対しての余裕っぷりを見せつけている。 一方で霊夢からのけもの扱いされた魔理沙は、紫の口からきいた意外な事実にほぉ~…と感心していた。 彼女としてもあの博麗霊夢がどのような幼少期を過ごしたのか気になってはいたが、それを聞いたことが無かったのである。 以前ふとした時に思いついて聞いてみたのだが上手い事はぐらかされてしまい、聞けずじまいであった。 妖精や天狗たちの噂で、自立できるまであの八雲紫が世話をしていたという話は耳にしていたが、あまり信用してはいなかった。 だが、その噂の中に出てくる大妖怪本人が言った事ならば…まぁちょっとは信用できるだろうと思うことができた。 「へぇ~、やっぱ噂は本当だったんだな。幼い頃の霊夢と一緒に過ごしたっていうのは」 魔理沙がそう言うと、紫と同じく幼少期の霊夢を知る藍が「…まぁ事実だしな」と主人の言葉が正しいと証明する。 「まぁ我々からしたらほんの一瞬であったが、幼いアイツへ紫様が直々に色んな事を教えていたのは覚えてるよ」 「へぇ~…それって意外ねぇ?あんな他人に冷たいレイムにそんな過去があるなんてね」 『どんなに冷酷、狡猾、残酷な人間でも乳飲み子や物心ついたばかりの時ってのは可愛いもんなんだぜ?』 「ちょっとデルフ、まるで私が犯罪者みたいな事言ってたら刀身にお札貼り付けて封印してやるわよ」 藍からの証言を聞いたルイズは自分の使い魔の意外な過去に驚き、デルフがとんでもない事を言ってしまう。 そして変に耳の良い霊夢がすかさず釘を刺しに来ると、彼はプルプルと刀身を震わせて笑っている。 これまで何度も同じような脅し文句を言われてきたのだ、彼女が冗談混じりで言っているのかどうか分かっているようだ。 実際霊夢自身も半分程冗談で言ったので、それを読み取って笑っているデルフに「全く…」と苦笑するしかない。 「すっかり慣れちゃってるわね。この喧しい魔剣モドキは…ったく」 そう言いながら彼女は魔理沙が抱えている彼の元へ近づくと、中指の甲で軽く鞘の部分を勢いよく叩いた。 カンカン…という軽い音ともに鞘は僅かに揺れ、またも刀身を震わせたデルフが霊夢に向かって言葉を発する。 『おっ…と!鞘はもっと大事に扱ってくれよな、それがなきゃオレは黙れないし一生抜身のままなんだぜ』 「別にアンタがそうなら構わないわよ。だって私はアンタじゃないんだしね」 『こいつは手厳しいや。こりゃ暫くは黙っておいた方が身のためだね』 「あら?アンタも大分懸命になったようね。感心感心」 互いに軽口で返した後で霊夢は微笑み、デルフもまた笑うかのようにまた自らの刀身を震わせた。 偶然だったかもしれないが、デルフのお蔭で部屋に和やかな空気が戻った後…思い出したように魔理沙が口を開く。 「まぁアレだな。これを機に霊夢も昔の可愛い自分を思い出して私達に優しくしてくれればそのう―――…デデデデッ!」 空気が和んだところで、通り過ぎたばかりの地雷原へと突っ込んだ魔理沙の頬を霊夢が容赦なく抓った。 デルフを持っていたことが災いしてか、避けるヒマもなく攻撃を喰らった彼女の目の端へ一気に涙が溜まっていく。 対して霊夢の表情は先ほどの微笑みを浮かんだまま止まっており、それが異様な雰囲気を作り出している。 「それ以上口にしたら、アンタにはもう一度痛い目に遭ってもらうわよ。いいわね?」 「も、もうとっくにされてる…ってア…ダァッ!」 「ちょっとレイム、マリサを擁護するつもりは無いけれどこれ以上騒がしくしたらスカロンたちが起きちゃうわよ」 自分の過去を茶化そうとする黒白に個人的制裁を加える霊夢に、流石のルイズが止めに入った。 今までちょっとだけ忘れていたが、一応この階では今夜の営業に備えてスカロンやジェシカ達が寝ているのである。 もしも変に騒ぎ過ぎて起こしてしまえば、怒りの形相でこの部屋へ殴りこんでくるかもしれない。 人間の中には寝ている途中に起こされる事を極端に嫌い、憤怒する者たちがいる事を彼女は知っているのだ。 しかし、そんな理由で少し慌てているルイズにそれまで黙っていた紫が「あら、それは大丈夫よ」と言葉を発した。 「こんな事もあろうかと、この部屋の中だけ静と騒の境界を弄っておいたから多少騒いでも問題ないわ」 紫の発したその言葉に「え?」と言いたげな表情を向けたルイズは、意味が良く分からなかった為に彼女へ質問する。 「つまり…それって霊夢を特に止める必要は無いって事?」 「まぁ、そうなるわね。あくまでも多少だけど」 自分の質問に対する紫の答えを聞いた後、ルイズはもう一度霊夢達の方へ顔を向けて言った。 「………というわけよ。だから…まぁ程々にしてあげてね」 「いや、ルイズ…程々って―――イダダダダダタァッ…!」 あっさりとルイズに見捨てられた魔理沙は彼女へ向けて右手を差し出そうとするが、 それを許さない霊夢の容赦ない攻撃によって宙を乱暴に引っ掻き回し、涙目になって悲鳴を上げてしまう。 そんな彼女の左腕の中に抱えられたデルフは鞘越しの刀身を震わせていたが、それは恐怖から来る震えであった。 ――やっぱり今の『相棒』はとんでもなくおっかないと、そんな再認識をしながら。 その後、魔理沙が解放されたのは一、二分ほど経った後だった。 流石にこれ以上耐えるのは無理と判断したのか、両手を上げて霊夢に降参を伝えると彼女はあっさりと手を放したのである。 「まぁこんだけやればアンタも今だけは懲りてるだろうし、なにぶん私の手がつかれちゃうわ」 「……機会があったら、是非とも昔の事を話してもらいたいぜ」 抓られていた頬を押さえる涙目の魔理沙がそう言うと、霊夢は「まぁその内ね」と彼女の方を見ずに言葉を返す。 最も、彼女の言う「その内」というのはきっと…いや絶対に訪れることは無いのだろう。 そう確信した魔理沙はいずれ紫本人から話を聞いてみようと思いつつ、 頬を抓ってくれた霊夢と共犯者のルイズには、いずれとびっきりの『お返し』をしてやろうと心の中で固く誓った。 さっきあれ程酷い事をしたというのに平然としている霊夢に、心の中で何かよからぬ事を企んでいそうな魔理沙。 そんな二人をベッドに腰掛けて見つめるルイズは、相変わらず仲が良いのか悪いのか良く分からない彼女たちにため息をついてしまう。 思えばこんな二人と同じ部屋で暮らして寝ている何て事、一年前の自分には想像もつかない事だろう。 あの頃は『ゼロ』という不名誉な二つ名と共に苛められて、何度挫けそうになりながらも必死に頑張っていた。 実家から持ってきた荷物の中に入っていたくまのぬいぐるみと、それに付いていたカトレアからの手紙だけを頼りに文字通り戦ったのである。 ――『あなたならできるわ。自分を信じて』という短い一文は、自分に戦えるだけの活力を与えてくれた。 それから一年後の春。今こそ見返してやろうと挑戦した使い魔召喚の儀式を経て―――ご覧の有様となったわけである。 (何度も思ってきたけど、ハルケギニアの中でこれ程波乱万丈な青春を過ごしてる女の子何て私ぐらいなものなんじゃない?) 今やこのハルケギニアと繋がってしまった異世界での異変を解決する側となったルイズは、思わず我が身の不幸を呪ってしまう。 確かに使い魔は召喚できたのだが、始祖ブリミルは一体何の因果で自分に霊夢みたいな巫女を押し付けてきたのだろうか? 更にそれから暫くして今度は彼女の世界へ連れ去られ、ワケあって魔理沙という騒がしい魔法使いとも暮らしていく羽目になってしまった。 (あの二人の相手をするだけでも忙しいのに、しまいには私があの『虚無』の担い手なんてね…) そして、どうして自分が始祖の使いし第五の系統の担い手として選ばれたのか…? 『虚無』に覚醒して以降、これまで何度も思った疑問を再び思い浮かべようとした直前、 それまで三人を無視して自分の式から長い長い話を聞いていた紫の声が、思考しようとするルイズの耳の中へと入ってきた。 「ふふふ…どうやら私が顔を見せていない間に、随分と進展があったようねルイズ。それに霊夢も、ね」 明らかに自分へ向けられたその言葉に気づくまで数秒、ハッとした表情を浮かべたルイズが声のした方へと顔を向ける。 案の定そこにいたのは、何やら満足気な笑顔を浮かべて自分を見下ろす紫の姿があった。 「この世界で伝説と呼ばれている『ガンダールヴ』の力に、系統魔法とは違う第五の系統『虚無』の覚醒。 私の思っていた通り、霊夢を使い魔として召喚しただけの力量はちゃんと持っていたという事なのね」 閉じた扇子で口元を隠し、笑顔で話しかけてくる紫にルイズは多少困惑しつつも「あ、当たり前じゃない」と弱々しく言葉を返す。 「この私を誰だと思って…って本当は言いたいところだけど、正直『虚無』の事は喜んでいいたのかどうか…」 「…?珍しいわねルイズ。いつものアンタなら胸を張って喜ぶだろうって思ったのに…紫が褒めたからかしら」 「早速失礼な事を言ってくる霊夢は置いておいて…確かに彼女の言うとおり、もう少し胸を張ってもバチは当たらないと思うわよ?」 さっき叱られたばかりだというのにいきなり自分に喧嘩を売ってくる霊夢に肩を竦めつつ、紫はルイズにそう言ってあげる。 『虚無』に目覚め、アルビオン艦隊を焼き払ってこの国を救った人間にしては、ルイズはやけに謙虚であった。 アンリエッタから無暗な公表は避けろと言われてるからなのだろうが…、そうだとしても変に謙虚過ぎる。 霊夢の言うとおり、いつもの彼女ならば前もって自分がどういう人間なのか知っている彼女や紫に対して、 「どう、スゴイでしょ?」とか「ようやく私の時代が来たわ!」とか強気になって言いそうなモノなのだが……。 「今まで苛められてた分を強気になってやり返してやろう…とかそういう事言いそうだと思ってたのに」 「失礼ね、私がそんな事すると思ってたの?…っていうか、姫さまに公にするよう禁止されてるからどっちにしろ不可能だし」 勝手な自分のイメージを脳内で組み立てていた霊夢を軽く注意した後で、ルイズは他の皆に向かってぽつぽつと喋り始めた。 それは『虚無』の担い手として覚醒し、初めて『エクスプロージョン』詠唱から発動しようとした時の事である。 「レイム、マリサ。私がタルブ村でアルビオンの艦隊に向けて『エクスプロージョン』を放った時のこと、憶えてる?」 突然話題を振ってきたルイズに霊夢と魔理沙は互いの顔を一瞬見遣った後、二人してルイズの方へ顔を向けて頷く。 あれから少し経ったが、今でもあの村で感じたルイズの力はそれまで感じたことがない程のものであった。 それまで彼女の失敗魔法を幾度となく見てきた霊夢でさえも、魔法を発動する直前に思わず身構えてしまったのである。 極めつけはあの威力、魔理沙もそうだがあの小さな体のどこにあれだけの爆発を起こせる程の力があったのだろうか。 「正直あれは驚いたわね。まさか土壇場であんな魔法をぶっつけ本番で発動して片付けちゃうなんてね」 「全くだぜ。おかげで私の活躍する機会が無くなってしまったが…まぁその分あんな爆発魔法を見れたから十分満足してるよ」 「成程。魔理沙はともかくとして、霊夢ともあろう者がそれ程感心するのならさぞやすごい魔法なのでしょうね」 思い出していた霊夢に魔理沙も同調して頷くと、藍から『虚無』の事を聞いたばかりの紫は興味深そうな表情を見せている。 まだ実物を見ていない為に詳しい事は分からないが、あの霊夢と魔理沙が多少なりとも感心しているのだ。 是非とも近いうちに生で見てみたいと思った紫は、尚も浮かばぬ表情をしているルイズの方へと顔を向けて話しかける。 「でも見た所、貴女自身はその『エクスプロージョン』という魔法を、あまり撃ちたくはなさそうな感じね」 「…姫さまの前では虚無の力を役立てたいって言ったけど、またあれだけの規模の爆発を起こせと言われたら…ちょっとね」 アルビオンの艦隊を飲み込んだあの光が脳裏に過らせて、ルイズは自分の素直な気持ちを彼女へ伝える。 ふとある時、ルイズは口にしないだけでこんな事を考えるようになった。 もしもアンリエッタの身か…トリステインに大きな危機が訪れるというのならば、止むを得ず虚無を行使するかもしれない。 しかし、そうなれば次に唱えて発動する『エクスプロージョン』は何を飲み込み…そして爆発させるのだろうか? そして何よりも怖いのは―――タルブの時と同じように上手く『エクスプロージョン』を操れるかどうかであった。 「何だか怖くなってきたのよ。もしも次に、あの魔法を使う時には…タルブの時みたい上手ぐコントロール゙できるのか…って」 「あら?それは初耳ね」 顔を俯かせ、陰りを見せるルイズの口から出た言葉に紫はすかさず反応する。 先ほどの藍の話では『エクスプロージョン』の事は出たが、その中に彼女が口にした単語は耳にしていなかった。 しかし霊夢にはルイズの言う事に少し心当たりがあったのか、以前デルフが言っていた事を思い出す。 ――あぁ…―――まぁそうだなぁ~…。娘っ子が『虚無』を初めて扱うにしても、手元を狂わせる事は…しないだろうなぁ ――不吉って言い方は似合わんぜマリサ。もし娘っ子が『エクスプロージョン』の制御に失敗したら… ―――――俺もお前らも、全員跡形も無く消えちまう…文字通りの『死』が待っているんだぜ? エクスプロージョンを唱えていたルイズを前にして、あのインテリジェンスソードはそんなおっかない事を言っていた。 その後、しっかりと発動できたルイズを見て少々大げさだったんじゃないかと思っていたが…。 まさか彼の言う通り、下手すればルイズがあの魔法のコントロールに失敗していた可能性があったのだろうか。 今更ながらそう思い、もしも゙失敗しだ時の事を想像して身震いしかけた霊夢はそれを誤魔化すようにデルフへ話しかける。 「ちょっとデルフ、アンタあの時…ルイズの『エクスプロージョン』が制御に失敗したらどうとか言ってたけど…まさか――」 『あぁ、みなまで言わなくても言いたい事は分かるぜ?』 霊夢の言葉を途中で遮ったデルフは、自身が置かれているテーブルの上でカチャカチャと音を鳴らしながら喋り始めた。 『お前さんと娘っ子が考えてる通り、確かにあの『エクスプロージョン』は下手すると制御に失敗してたと思うぜ? 何せ体の中の精神力――まぁ魔力みたいなもんを一気に溜め込んで、発動と共にそれを大爆発に変換するからな。 詠唱して十秒も経ってないのなら大した事無いがな、あの時の娘っ子みたいに長々と詠唱した後で失敗してたとするならば… そうだな~、娘っ子を除くありとあらゆる周囲のモノが文字通りあの爆発に呑み込まれて、消えてただろうな。それだけは間違いないぜ』 軽々と、まるで街角で他愛もない世間話をするかのようにデルフがおっかない事を言ってのける。 その話を聞いていた霊夢はやっぱりと言いたげにため息を吐くと、同じく話を聞いていたルイズたちの方へと顔を向けた。 「だ、そうよ?…まぁあの魔力の集まり方からして相当危ないってのは分かってたけど…」 話を聞き終わり、顔色が若干青くなっていた魔理沙とルイズにそう言うと、まず先に魔理沙が口を開いた。 「し…周囲のモノって…うわぁ~、何だか聞いただけでもヤバそうだな」 『でもまぁ、虚無の中では初歩中の初歩だしな。詠唱してた娘っ子もそうなると分かってたと思うぜ…だろ?』 今になって狼狽えている黒白向かってそんな事を言ったデルフは、次にルイズへと話しかける。 デルフの意味ありげな言葉に霊夢達が彼女の方へと視線を向けると、ルイズは青くなっている顔をゆっくりと頷かせた。 「まぁ…ね。……あの時、呪文を唱え終えて…いざ杖を振り上げようとしたときにね…浮かんできたの」 「浮かんできた?何がよ?」 最後の一言に謎を感じた霊夢が怪訝な顔をして訊ねてみると、ルイズはゆっくりと喋り始めた。 あの時、『エクスプロージョン』を放とうとした自分には『何が視えていた』のかを。 いざ呪文を発動しようとした時に『エクスプロージョン』どれ程の規模なのか理解したのだという。 それは自分を中心に周囲にいる者たちを焼き払い、遥か上空にいるアルビン艦隊をタルブごと一掃する程の大爆発を引き起こすと。 だからこそ彼女は選択した。これから解放するべき力を何処へ流し込み、そして爆発させるのかを。 勿論その目標は頭上の艦隊であったが、そのうえでルイズは更に攻撃対象から゙人間゛を取り除いたのである。 そこまで話したところで一息ついた彼女に、おそるおそるといった様子で魔理沙が話しかけてきた。 「じゃああの時、うまいこと船の動力と帆だけが燃えて墜落していったのって…まさかお前が?」 「えぇ、その通りよ。…ぶっつけ本番だったけど、思いの外うまくいくものなのね」 彼女からの質問にルイズは頷いてそう答えると、あの時の咄嗟の判断を思い出して安堵のため息をつく。 どうやら彼女自身も、そんな土壇場で良く船だけを狙って攻撃できた事に驚いているらしい。 以前アンリエッタの前で、この力を貴女の為に使いたいと申し出た時とはまた違う印象を感じるルイズの姿。 やはり虚無の担い手である前に一学生である彼女にとって、人を殺すという事は極力したくないようだ。 まぁそれは私も同じよね…霊夢はそんな事を思いながら、ベッドに腰掛けている彼女に向かって言葉を掛ける。 「にしたってアンタは大した事やってるわよ?何せあれだけの爆発魔法を使っておきながら、船だけを狙ったんだから」 「そうそう…って、ん…んぅ?」 突如、あの博麗霊夢の口から出た賞賛の言葉で最初に反応したのは、言葉を掛けられたルイズ本人ではなく魔理沙であった。 思わず相槌を打ったところでその言葉を霊夢が言ったことに気が付いたのか、丸くなった目を彼女の方へと向けてしまう。 黙って話を聞いていた藍と橙もまさかと思っているのか、怪訝な表情を浮かべている。 ただ一人、八雲紫だけは珍しく他人に肯定的な言葉をあげた霊夢を見てニヤついていた。 「え…う、うん…?ありがとう…っていうかどうしたのよ、急に褒めたりなんかして?」 そして褒められたルイズもまた魔理沙たちから一足遅れて反応し、怪訝な表情を浮かべて聞いてみる。 基本他人には冷たい言葉を向ける彼女が、どういう風の吹き回しなのだろうかと疑っているのだ。 そんなルイズから思わず聞き返されてしまった霊夢は「失礼するわね」と少し怒りつつも、そこから言葉を続けていく。 「特に深い意味なんて無いわよ。…ただ、アンタはあの時ちゃんと自分の力をコントロールして、船を落としたんでしょ? そりゃ失敗した時のもしもを聞いて青くなったりしたけど、そこまでできてたんなら心配する必要なんか無いでしょうに。 アンタはしっかりあの『虚無』をちゃんと扱えてたんだし、変にビクついてたらそれこそ次は失敗するかも知れないじゃない」 霊夢の口から送られたその言葉に、ルイズはハッと表情を浮かべて彼女の顔を見つめる。 いつもみたいにやや厳しい口調ではあったが、要点だけ言えばあの時『虚無』をうまく扱えたと彼女は言っているのだ。 珍しく他人である自分を褒めた霊夢に続くようにして、目を丸くしていた魔理沙もルイズに言葉を掛けていく。 「まぁちょっと意外だったが、霊夢の言うとおりだぜ?自分の力なのに使う度に一々ビクビクしてたら、気が持たないしな」 「…あ、ありがとう。励ましてくれて…」 あの魔理沙にまで言葉を掛けられたルイズは、気恥ずかしそうに礼を言うとその顔を俯かせる。 まさか霊夢だけではなく、あの魔理沙にまで優しい言葉を掛けられるとは思っていなかったルイズは嬉しいとは感じていたが、 二人同時に優しくされるという事態に今夜は雨どころか、雪と雷とついでに槍まで降ってくるのではないかと思っていた。 そんな三人のやり取りを少し離れた位置で眺めていたデルフも、カチャカチャと刀身を揺らしながら彼女に言葉を掛ける。 『まぁ初めてにしちゃあ上々だったぜ。味方はともかく、敵の命まで奪わないっていう芸当何て誰にでもできることじゃない。 そこはお前さんの隠れた才能があったからこそだと思うし、ちゃんと目標を決めて魔法を当てたってのは大きいぜ? 娘っ子、お前さんにはやっぱり『虚無』の担い手として選ばれる素質がちゃんとあるんだ。そこは確かだと思っといてくれ』 「……もう、何なのよさっきから?揃いも揃って私を褒め称えてくるだなんて」 デルフにまでそんな事を言われたルイズの顔がほんのり赤くなり、それを隠すように顔を横へと向ける。 しかし、赤くなった顔は薄らと笑っており、霊夢達は何となく彼女が照れているのだと察していた。 そんな微笑ましい光景を目にしてクスクスと笑いながら、紫は同じく静観していた藍へと小声で話しかける。 「ふふ…どうやら私が思っていたより、仲が良さそうで安心したわ」 「ですね。霊夢はともかくあの霧雨魔理沙とあそこまで仲良く接するとは思ってもいませんでしたが…」 主の言葉に頷きながら、藍もまたルイズと仲良く付き合っている二人を見て軽い驚きを感じていた。 照れ隠しをするルイズを見てニヤついている魔理沙と、顔を逸らした彼女を見て小さな溜め息をついている霊夢。 そして鞘から刀身を出したまま三人を見つめるデルフという光景に、不仲な空気というものは感じられない。 先程ルイズから聞いた話では大切にとっておいたお菓子を食べられたとかどうかで揉み合いになったらしいが、 そこはあの喋る剣が上手い事彼女を説得して、何とかやらかしてしまった霊夢達と和解させたのだという。 剣とはいえ伊達に長生きはしてないという事なのだろう。彼曰く自身への扱いはあまりよろしくないらしいが。 「ちょっとは心配してたけど、今のままなら異変が解決するまで不仲になる事はないと思うわね」 「仰る通りだと……あっ、そうだ!紫様、少々遅れましたが…これを」 まるで成長した我が子を遠い目で見るような親のような事を言う紫の「異変解決」という言葉で何か思い出したのか、 ハッとした表情を浮かべた藍は懐に入れていた一冊のメモ帳を取り出し、それを紫の方へと差し出した。 最初は何かと思った紫は首を傾げそうになったものの、すぐに思い出しのか「あぁ」とそのメモ帳を手に取った。 「ご苦労様ね、藍。いつまで経っても渡されないから、てっきりサボってたものかと思ってたわ」 「滅相もありません。紫様が来てから少しドタバタしました故、渡すのが遅れてしまいました」 「あら、頭を下げる必要は無いわ。私だって半分忘れかけてたもの」 紫はそう言って手に取ったメモ帳をパラパラと捲ると、偶然開いたページにはハルケギニアの大陸図が描かれていた。 その地図にはハルケギニアの文字は見当たらず、紫にとって見慣れた漢字やひらがなで幾つもの情報が記されている。 国や地方、そして各街町村の名前まで……。 紫の掌より少しだけ大きいメモ帳に『びっしり』と、それこそ虫眼鏡を使えば分からぬほどに。 王立図書館に保管されている大陸図と比べると怖ろしい程精密であったが、見にくい事このうえない大陸図である。 もしもここにその大陸図が置いてあれば、紫は迷うことなくそちらの方を手に取っていただろう。 一通り目を通した紫はメモ帳を閉じると、ニコニコと微笑みながら藍一言述べてあげた。 「藍…書いてくれたのは嬉しいけどもう少し他人に分かるように書いてくれないかしら?」 「すみません、書いてる途中に色々調べていたら恥ずかしくも知的好奇心が湧いてしまいまして…」 申し訳なさそうに頭を下げた藍にため息をついた後、気を取り直して紫は他のページも試しに捲ってみる。 その他のページにはハルケギニアで広く使われているガリア語で書かれた看板等を書き写し等、 一般の人から聞いたであろ与太話やその国のちょっとした事に、亜人達のおおまなかスケッチまで描かれている。 特に魔法関連に関しては綿密に記されており、貴族向けの専門書と肩を並べるほどの情報量が載っていた。 最初に見た地図を除けば、自分のリクエスト通りに藍はこの世界の情報を収集していた。 その事に満足した紫はウンウンと満足気に頷くと、こちらの言葉を待っている藍へと話しかける。 「…まぁ概ね良好の様ね。…しかも、この世界の魔法については結構調べてるんじゃないの?」 「はい。この世界の魔法は広く普及しています故、情報収集には然程時間はかかりませんでした」 「それにしてもこの短期間で良く調べたられたわ。さすが私の式という事だけあるわね」 「いえ、滅相も無い。紫様が渡してくれたあの『日記』があったからこそ、効率よく進められたものです」 藍はそう言って視線を紫からベッドの下、その奥にある一冊の本へと向ける。 今から少し前…霊夢達の居場所を把握し紫が連れ帰った後、藍もまた幻想郷に呼び戻されていた。 暇してただろうから…という理由で博麗神社の居間に座布団を用意した後、紫直々にあの『日記』渡されたのである。 その『日記』こそ、とある事情でアルビオンへと赴いた霊夢がニューカッスル城で手に入れた一冊。 本来ならハルケギニアには存在しない日本語で書かれた、誰かが残したであろう『日記』であった。 ――『ハルケギニアについて』…?紫様、これは… 霊夢と侵食されていた結界へ応急処置を施した後、彼女の見ていない場所で藍はその『日記』を渡された。 表紙の日本語で書かれた見慣れぬ単語が、あの異世界のものだと知った彼女を察して、紫は先に口を開いて行った。 ―――霊夢が召喚したであろう娘の部屋に置いてたわ…後は喋る剣もあったけど、そっちは私が調べておくわ そう言って彼女は右手に持っていた剣――デルフリンガーを軽く揺すってみせた。 その後、藍をスキマでハルケギニアに戻した紫は霊夢とまだ狼狽えていたルイズから詳しい話を聞き出す事となった。 異世界人であり、尚且つ学生としても優等生であろう彼女のおかげであの世界についての大まかな事はわかったらしい。 しかし所詮は一個人だ。あの世界の事を全て知っているという事はないだろう。 だから藍は橙と共にハルケギニアに居続け、現在も情報収集を継続して行っている。 『日記』のおかげで国や地方の名前も比較的速くに分かったし、何より危険な情報も事前に知る事ができた。 「あの『日記』のおかげで、この世界では危険視されている亜人と下手に接触せずに済んだのは良い事だと私は思ってます」 亜人のスケッチを興味深そうに眺めている紫を見て、藍は苦虫を噛み砕くような顔で呟く。 「あら?このオーク鬼やコボルドはともかく、翼竜人…や吸血鬼なんかとは話が通じそうな感じだけど…」 「とんでもありません。ハッキリ言って、彼奴らの宗教観では我々妖怪との共存も不可能ですよ」 スケッチに書かれている翼人を目にして、藍はゲルマニアの山岳地帯で奴らに追いかけ回された事を思い出してしまう。 最初は人の姿をして友好的なコミュニケーションを取ろうとしたが、かえってそれが仇となってしまったのである。 悠々と大きな翼を使って飛ぶ翼人たちが自分に向けてどんな事を言ったのかも、無論覚えていた。 ―――立ち去れ下等な人間よ。さもなくば我々は精霊の力と共にお前の命を奪って見せようぞ こちらの言葉に全くを耳を貸さない姿勢に、あの地面を這う虫を見るかのような見下した表情と目つき。 きっと自分が来る以前に、大勢の人間を殺してきたのだろう。それこそ畑を荒らす虫を踏みつぶすようにして。 「まぁ無理に波風立てる必要は無いと思い戦いはしませんでしたが、あんな態度では人との共存など不可能かと…」 「そう。……あら?」 命からがら逃げた…というワケでもない藍からの話を聞いていた紫は、ふとルイズ達の方で騒ぎ声がするのに気が付いた。 先ほどまで和気藹々とルイズを褒めていた二人の内魔理沙が、何やら彼女と揉め事になっているらしい。 …とはいっても、その内容は至ってシンプルかつ非常に阿呆臭いものであった。 「だから、私の虚無が覚醒した記念とやらで飲み会をしたい気持ちは分かるけど…何で私がアンタ達の酒代まで負担しなきゃいけないのよ!」 「まぁ落着けよルイズ、そう怒鳴るなって」 先ほど照れていた時とは打って変わり、顔を赤くして怒鳴るルイズに魔理沙は両手を前に突き出して彼女を宥めようとする。 彼女の言葉が正しければ、恐らくあの魔理沙が持ち金の無い状態で今夜は一杯…とでも言ったのだろう。 ルイズもまぁ、それくらいなら…という感じではあるが、どうやらその酒代に関して揉めているらしかった。 「何もお前さんにおごらせるつもりはないぜ?ちょっとの間酒代を貸してもらうだけで……―――」 「だーかーらー!結局それって、私のなけなしの貯金を使って飲むって事になるじゃないの!」 とんでもない事を言う魔理沙を黙らせるようにして、ルイズは更なる怒号で畳み掛けていく。 すぐ傍にいる霊夢は思わず耳を塞ぎ、至近距離で怒鳴られた魔理沙はうわっと声を上げて後ろに下がってしまう。 しかし、幻想郷では霊夢に続いて数々の弾幕を潜り抜けてきた人間とあって、それで黙る程大人しくはなかった。 思わす後ずさりしてしまった魔理沙はしかし、気を取り直すように口元に笑みを浮かべる。 まるで我に必勝の策ありとでも言いたげな顔を見てひとまずルイズは口を閉じ、それを合図に魔理沙は再び喋り出す。 「なぁーに、昨日の悪ガキに奪われた金貨を取り返せればすぐにでも返してやるぜ。やられっ放しってのは性に合わないしな」 「…!魔理沙の言う通りね。忘れてたけど、このままにしておくのは何だかんだ言って癪に障るってものよ」 彼女の言葉で昨晩の屈辱を思い出した霊夢の『スイッチ』が入ったのか、彼女の目がキッと鋭く光る。 思えば…もしもあの少年をしっかり捕まえる事ができていれば、今頃上等な宿屋で快適な夏を過ごせていたはずなのだ。 そして何よりも、自分がカジノで稼いだ大金を世の中を舐めているような子供盗られたというのは、人として許せないものがある。 「今夜中にあの悪ガキの居場所を突きとめてお金を取り戻して、この博麗霊夢が人としての道理を教えてあげるわ!」 「その博麗の巫女として相応しい勘の良さで乱暴な荒稼ぎをした貴女が、人の道理とやらを他人に教える資格は無くてよ」 「え?…イタッ」 左の拳を握りしめ、鼻息を荒くして宣言して霊夢へ…紫はすかさず扇子での鋭い突っ込みを入れた。 それほど力は入れていなかったものの、迷いの無い速さで自身の脳天を叩いた扇子が刺すような痛みを与えてくる。 思わず悲鳴を上げて脳天を抑えた霊夢を眺めつつ、紫はため息をついて彼女へ話しかける。 「霊夢?貴女とルイズ達からお金を奪ったっていう子供から、そのお金を取り戻す事に関して私は何も言わないわ。 だけど、取り戻す以上の事をしでかせば―――勘の良い貴女なら、私が何も言わなくとも…理解できるわよね?」 「……分かってるわよ、そんくらい」 先ほどまで浮かべていた笑顔ではなく、少し怒っているようにも見える表情で話しかけてくる紫の方へ顔を向けた霊夢は、 流石に反省…したかはどうか知らないが、少し拗ねた様子を見せながらもコクリと頷いて見せる。 一度ならず二度までも霊夢が大人しくなったのを見て、ルイズは内心おぉ…と呻いて紫に感心していた。 どのような過去があるのか詳しくは知らないが、きっと彼女にとって紫は特別な存在なのだろう。 子供の様に頬を膨らませて視線を逸らす霊夢と、それを見て楽しそうに微笑む八雲紫を見つめながらルイズは思った。 少し熱が入り過ぎていた霊夢を落ち着かせた紫は、若干拗ねている様にも見える彼女へそっと囁いた。 「まぁ…これからはダメだけど、手に入れちゃったものは仕方ないしね…貴女なら五日も掛からないでしょう?」 紫が呟いた言葉の意味を理解したのか霊夢はチラッと彼女を一瞥した後、再び視線を逸らしてから口を開く。 「…う~ん、どうかしらねぇ?この街って結構広いから…。でもま、子供のスリっていうなら大体目星が付くかも」 「お!霊夢がいよいよやる気になったか?こりゃ早々に大量の金貨と再会できそうだぜ」 「だからっていきなり今夜から飲むのは禁止よ。私の貯金だと宿泊代と食事代で精一杯なんだから」 昨晩自分に負け星をくれた少年を捕まえ、稼いだ金貨を取り戻そうという意思を見せる霊夢。 そんな彼女を見て早くも勝利を確信したかのような魔理沙と、そんな彼女へ忘れずに釘を刺すルイズ。 仲が良いのか悪いのか、良く分からない三人を見て和みつつ紫は最後にもう一度と三人へ話しかける。 「霊夢…それに魔理沙。ルイズがこの世界の幻と言われる系統に目覚めた以上、この世界で何らかの動きがある事は間違いないわ。 それが貴女たちにどのような結果をもたらすかは知らないけれど、いずれは貴女たちに対しての明確な脅威が次々と出てくる筈よ」 紫の言葉に三人は頷き、ルイズと霊夢は共にタルブで姿を現したシェフィールドの事を思い出していた。 あの場所で起きた戦いの後に行方をくらませているのなら、いずれ何処かで出会う可能性が高いのである。 最初に出会った時は森の中であったが、もし次に出会う場所がここ王都の様な人口密集地帯であれば、 けしかけてくるであろうキメラが造り出す、文字通りの『惨劇』を食い止めなければならないのだ。 「その時、最も頼りになるのが貴女たち二人…その事を忘れずにね?無論、その時はルイズも戦いに加わってもいい。 前にも言ったように脅威と対峙し、戦いを積んでいけばいずれは…今幻想郷で起きている異変の黒幕に辿り着く事も夢じゃないわ」 その事、努々忘るるなかれ。最後に一言、やや格好つけて話を終えた紫は右手に持っていた扇子で口元を隠してみせる。 これで私からの話は以上だ。…というサインは無事に伝わったのか、ルイズたちは暫し互いを見合ってから紫へと話しかけていく。 「あ、当たり前じゃない。何てったって私は霊夢を召喚した『虚無』の担い手なんだから!」 「ふふふ…貴女の事は楽しみだわ。その新しい力をどこまで使いこなせるか…結構な見ものね」 腰に差していた杖を手に取り、恰好よく振って見せたルイズの勇ましい言葉に紫は微笑んでみせる。 「まぁ異変解決は私の仕事の内の一つでもあるしな。最後の最後で私が黒幕とやらを退治していいとこ取りして見せるぜ」 「相変わらず勇ましさとハッタリが同居してるわねぇ?でも…ルイズと霊夢の間に何かあったら、その時は頼みましたわよ?」 「そいつは任せておいてくれ。気が向いた時には私が助け船を出してあげるよ」 頭に被っている帽子のつばを親指でクイッと上げる魔理沙に苦笑いを浮かべつつ、紫は彼女に再度『頼み込んだ』。 自分の手があまり届かぬこの異世界で、唯一自分の代わりに二人を手助けしてくれるかもしれない、普通の魔法使いへと。 そして最後に、面倒くさそうな表情で紫を見つめる霊夢が口を開いた。 「まぁ…今年の年越しまでには終わらせてみせるわよ。いい加減にしないと、神社がボロボロになっちゃいそうだしね」 恥かしそうに視線を逸らす霊夢を見て、それまで黙っていたデルフが鞘から刀身を出して喋り出した。 『まぁそう焦るなって。そういう時に限って、結構な長丁場になるって決まってんだからよ』 「誰が決めたのか知らないけど、決めた奴がいるならまずはソイツの尻を蹴飛ばしに行かないとね」 デルフの軽口に霊夢が辛辣な言葉で返した後、そんな彼女へクスクスと紫は笑った。 彼女にとっては初めてであろう自分以外と一緒に暮らすという体験を得て、ある程度変わったと思っていたが…。 そこは流石に我が道を行く霊夢と行ったところか、今回の異変をなるべく早くに終わらせようという意思はあるようだ。…まぁ無ければ困るのだが。 とはいえ、藍と霊夢達の情報を合わせたとしても…解決の道へと至るにはまだまだ知らない事が多すぎる。 デルフの言うとおり、長丁場になるのは間違いないであろうが…それは紫自身も覚悟している。 だからこそ彼女は何があっても、霊夢達の帰る場所を無くしてはならないという強い意志を抱いていた。 例えこの先…――――自分の体が言う事を聞かなくなってしまったとしても、だ。 「じゃあ…言いたい事も言って貰いたいもの貰ったし、私はそろそろ退散するとするわ」 そんな決意を抱きながら、ひとしきり笑い終えた紫はそう言って部屋の出入り口へと向かって歩き出す。 手に持っていた扇子を開いたスキマの中に放り、靴音高らかに鳴らして歩き去ろうとする彼女へ霊夢が「ちょっと」と声を掛けた。 「珍しいわね、アンタが私の目の前で歩いて帰ろうとするなんて」 首を傾げた巫女の言葉は、ルイズとデルフを除く者達もまた同じような事を思っていた。 いつもならスッと大きなスキマを開いてその中へ飛び込んで姿を消す八雲紫が、歩いて立ち去ろうとする。 八雲紫という妖怪を知り、比較的いつもちょっかいを掛けられている霊夢からしてみれば、それはあり得ない後姿であった。 霊夢だけではない。魔理沙や紫の仕える藍と、彼女の式である橙もまた大妖怪の珍しい歩き去る姿に怪訝な表情を向けている。 「あら?偶には私だって地に足着けてから帰りたくなる事だってありますのよ。それに運動にもなるしね」 「そうかしら?そんな恰好してて運動好きとか言われても何の説得力も無いんだけど、っていうか熱中症になるんじゃないの?」 怪訝な表情を向ける二人と二匹へ顔を向けた紫がそう言うと、話についていけないルイズが思わず突っ込んでしまう。 彼女の容赦ない突込みに魔理沙が軽く噴き出し、紫は思わず「言ってくれるわねぇ」と苦笑してしまう。 これには流石の霊夢も軽く驚きつつ、呆れた様な表情を浮かべてルイズの方を見遣った。 「アンタも、結構私よりエグイ事言うのね。…っていうか、私以外にアイツへあそこまで言ったヤツを見たのは初めてよ?」 「そうなの?ありがとう。でもあんまり嬉しくないわ」 「別に褒めちゃあいないわよ」 そんなやり取りを始めた二人を見て、藍は「お喋りは後にしろ」と言って止めさせた。 苦笑して部屋を出れなかった紫は一回咳払いした後、突っ込みを入れてくれたルイズへと最後の一言を掛けてあげた。 「まぁ偶には歩きたいときだって私にもあるのよ。丁度良い運動にもなって夜はぐっすり眠れるしね? ルイズ…それに霊夢も偶には魔理沙みたいにたっぷり外で動いて、良い夢の一つでも見て気分転換でもすればいいわ」 ちょっと名言じみていて、全然そうには聞こえない忠告を二人に告げた紫は右でドアノブを掴む。 外からの熱気を帯びていても未だに冷たさが残るそれを捻り、さぁ廊下へと出ようとした――その直前であった。 「………あ、そうだ。ちょっと待って紫!」 捻ったドアノブを引こうとしたところで、突如大声を上げた霊夢に止められてしまう。 突然の事にルイズと魔理沙もビクッと身を竦ませ、何なのかと驚いている。 一方の紫はまたもや部屋を出るのを止められてしまった事に、思わず溜め息をつきそうになってしまうが、 だが何かと思って顔だけを向けてみると、いつになく真剣な様子の霊夢が自分の前に佇んでいるのを見て何とかそれを押しとどめる。 何か自分を引きとめてまで言いたい…もしくは聞きたい事があったのか?そう思った紫は霊夢へ優しく話しかけた。 「どうしたの霊夢?そんな大声上げてまで私を引きとめるだなんて…もしかして私に甘えたいのかしら?」 「違うわよバカ。…ちょっと聞いてみたい事があるから引き止めただけよ」 「聞きたい事…?」 ひとまず軽い冗談を交えてみるもそれを呆気なく一蹴した霊夢の言葉に、紫は首を傾げる。 そして驚いたルイズや魔理沙、式達もその事については何も知らないのか巫女を怪訝な表情で見つめていた。 「どうしたのよレイム、ユカリに聞きたい事って何なの?」 そんな彼女たちを勝手に代表してか、一番近くにいたルイズが思わず霊夢に聞いてみようとする。 ルイズからの質問に彼女は暫し視線を泳がせた後、恥ずかしそうに頬を小指で掻きながらしゃべり始めた。 「いや、まぁ…ちょっと、何て言うか…藍には話したから知ってると思うけど、私の偽者が出てきたって話は覚えてる?」 「それは、まあ聞いたわね。でもその時は痛手を負わせて、貴女も気絶して御相子だったのよね」 以前王都の旧市街地で戦ったという霊夢の偽者の話を思い出した紫がそう言うと、霊夢もコクリと頷いた。 「まぁ実は…それと関係しているかどうか知らないけれど…タルブで私達を助けてくれたっていう女性の話も聞いたわよね」 「それも聞いたわね。確か…キメラを相手に共闘したのでしょう?」 霊夢からの言葉に紫は頷きつつ、彼女が何を聞きたいのか良く分からないでいた。 いつもはハキハキとしている彼女が、こんなにも遠回しに何かを聞こうとしている何て姿は始めて見る。 「そういえば…確かにあの時は色々助かったわよね。結局、誰なのかは分からなかったけど」 「だな。何処となく霊夢と似てた変なヤツだったが、アイツがいなけりゃお前さんは今頃ワルドに拉致されてたかもな」 「やめてよ。あんなヤツに攫われるとか想像しただけで背すじが寒くなるわ」 あの時、タルブへ行こうと決意したルイズと彼女についていった魔理沙も思い出したのかその時の事を語りあっている。 しかしこの時、魔理沙が口にした『霊夢と似ていた』という単語を聞いた藍が、怪訝な表情を浮かべて霊夢へ話しかけた。 「ん?…ちょっと待て霊夢。私も始めて耳にしたぞ、どういう事なんだ?」 「…んー。最初はその事も言うつもりだったんだけど、結局この世界の人間かも知れないから言わずじまいだったのよ」 藍の言葉に対し彼女は視線を逸らして申し訳なさそうに言うと、でも…と言葉を続けていく。 しかし…その内容は、話を聞いていた藍と紫にとっては到底『信じられない』内容であった。 「実はさ…昨晩の夢にその女が出てきて、妖怪みたいな猿モドキを殴り殺していくのを見たのよ。 何処か暗い森のひらけた場所で…四角い鉄の箱の様な物が周囲を照らす程の炎を上げてる近くで… 赤ん坊の面をした黒い毛皮の猿モドキたちが奇声を上げて出てきた所で…私と同じような巫女装束を着た、黒髪の巫女が――…キャッ!」 言い切ろうとした直前、突如後ろから伸びてきた手に右肩を掴まれた霊夢が悲鳴を上げる。 何かと思い顔だけを後ろに振り向かせると、目を見開いて驚くルイズと魔理沙の間を通って自分の肩を掴んでいる誰かの右腕が見えた。 そしてその腕の持ち主が八雲藍だと分かると、霊夢は何をするのかと問いただそうとする。 「こっちを向け、博麗霊夢!」 「ちょ……わわッ!」 しかし、目をカっと見開き驚愕の表情を浮かべる式はもう片方の手で霊夢の左肩を掴み、無理矢理彼女を振り向かせた その際に発した言葉から垣間見える雰囲気は荒く、先程自分たちに見せていた丁寧な性格の持ち主とは思えない。 思わずルイズと魔理沙は霊夢に乱暴する藍に何も言えず、ただただ黙って様子を眺めるほかなかった。 橙もまた、滅多に見ない主の荒ぶる姿に怯えているのか目にも止まらぬ速さで部屋の隅に移動してからジッと様子を窺い始める。 そして藍の主人であり、霊夢に手荒に扱う彼女を叱るべき立場にある八雲紫は―――ただ黙っていた。 まるで機能停止したロボットの様に顔を俯かせて、その視線は『魅惑の妖精亭』のフローリングをじっと見つめている。 『おいおい一体どうしんだキツネの嬢ちゃん、そんな急に乱暴になってよぉ?』 「今喋られると喧しい、暫く黙っていろ!」 この場で唯一藍に対して文句を言えたデルフの言葉を一蹴した藍は、未だに狼狽えている霊夢の顔へと視線を向ける。 一方の霊夢は突然すぎて、何が何だか分からなかったが…流石に黙ってはおられず、藍に向かって抗議の声を上げようとした。 「ちょっと、いきなり何を―――」 するのよ!?…そう言おうとした彼女の言葉はしかし、 「お前!どうしてその事を『憶えている』んだ…ッ!?」 それよりも大声で怒鳴った藍の言葉によって掻き消された。 突然そんな事を言い出した式に対し、霊夢の反応は一瞬遅れてしまう。 「え?――……は?今、何て――」 「だから、どうしてお前は『その時の事』を『まだ憶えている』と…私は言っているんだ!」 しかし…今の藍はそれすらもどかしいと感じているのか、何が何だか分からない霊夢の肩を揺さぶりながら叫ぶ。 紫が境界を操っているおかげで部屋の外へ怒鳴り声は漏れないが、そのせいなのか彼女の叫び声が部屋中へ響き渡る。 目を丸くして驚く霊夢を見て、これは流石に止めねべきかと判断した魔理沙が彼女と藍の間に割り込んでいった。 「おいおいおい、何があったかは知らんが少しは落ち着けよ。…っていうか紫のヤツは何ボーっとしてるんだよ?」 「あ…そ、そうよユカリ!アンタが止めなきゃだれ…が……―――…ユカリ?」 仲介に入った魔理沙の言葉にすかさずルイズは紫の方へと顔を向けて、気が付く。 タルブで自分たちを助け、そして霊夢の夢の中にも出て来たというあの巫女モドキの話を聞いた彼女の様子がおかしい事に。 ルイズの言葉からあのスキマ妖怪の様子がおかしい事を察した霊夢も何とか顔を彼女の方へ向け、そして驚いた。 霊夢が話し出してから、急に凶暴になった藍とは対照的に沈黙し続けている八雲紫はその両目を見開いてジッと佇んでいる。 その視線はジッと床へ向けられており、額から流れ落ちる一筋の冷や汗が彼女の頬を伝っていくのが見えた。 今の彼女の状態を、一つの単語で表せと誰かに言われれば…『動揺』しか似合わないだろう。 そんな紫の姿を見た霊夢は変な新鮮味を感じつつ、言い知れぬ不安をも抱いてしまう。 これまで藍に続いて八雲紫という妖怪を永らく見てきた霊夢にとって、彼女が動揺している姿など初めて目にしたのである。 あの八雲紫が動揺している。その事実が、霊夢の心に不安感を芽生えさせる。 そして土の中から顔を出した芽は怖ろしい速さで成長を遂げ、自分の心の中でおぞましい妖怪植物へと変異していく。 妖怪退治を生業とする彼女にもそれは止められず、やがて成長したそれが開花する頃には――心が不安で満たされていた。 「ちょっと、どういう事?何が一体どうなってるのよ…」 押し寄せる不安に耐え切れず口から漏れた言葉が震えている。 言った後でそれに気づいた霊夢に返事をする者は、誰一人としていなかった。 文明がもたらした灯りは、大多数の人々に夜と闇への恐怖を忘れさせてしまう。 暗闇に潜む人ならざる者達は灯りを恐れ、しかしいつの日か逆襲してやろうと闇の中で伏せている。 だが彼らは気づいていない。その灯りはやがて自分達を完全に風化させてしまうという事を。 東から昇ってきた燦々と輝く太陽が西へと沈み、赤と青の双月が夜空を照らし始めた時間帯。 ブルドンネ街の一部の店ではドアに掛かる「OPEN(開店)」と書かれた看板を裏返して「CLOSED(閉店)」にし、 従業員たちが店内の掃除や今日の売り上げを纏めて、早々に明日の準備に取り掛かっている。 無論、ディナーが売りのレストランや若い貴族達が交流目的で足を運ぶバーなどはこれからが本番だ。 しかしブルドンネ街全体が明るいというワケではなく、空から見てみれば暗い建物の方が多いかもしれない。 その一方で、隣にあるチクトンネ街はまるで街全体が大火事に見舞われたかのように灯りで夜空を照らしている。 街灯が通りを照らし、日中働いてクタクタな労働者たちが飯と酒に女を求めて色んな店へと入っていく。 低賃金で働く平民や月に貰える給金の少ない下級貴族たちは、大味な料理と安い酒で自分自身を労う。 そして如何わしい格好をした女の子達に御酌をしてもらう事で、明日もまた頑張ろうという活力が湧いてくるのだ。 酒場や大衆レストランの他にも、政府非公認の賭博場や風俗店など労働者達を楽しませる店はこの街に充実している。 ブルドンネ街が伝統としきたりを何よりも重んじるトリステインの表の顔だとすれば、この街は正に裏の顔そのもの。 時には羽目を外して、こうして酒や女に楽しまなければいずれはストレスで頭がどうにかなってしまう。 夜になればこうしてストレスを発散し、翌朝にはまた伝統と保守を愛するトリステインへ貴族へと戻る。 古くから王家に仕える名家の貴族であっても、若い頃はこの街で羽目を外した者は大勢いることだろう。 そんな歴史ある繁華街の大通りにある、一軒の大きなホテル…『タニアの夕日』。 主に外国から観光にきた中流、もしくは上流貴族をターゲットにしたそこそこグレードの高いホテルである。 元は三十年前に廃業した『ブルンドンネ・リバーサイド・ホテル』であり、二年前までは大通りの廃墟として有名であった。 しかし…ここの土地を購入した貴族が全面改装し、新たな看板を引っ提げてホテルとしての経営が再開したのである。 ブルドンネ街のホテルにも関わらず綺麗であり、外国から来るお客たちの評価も上々との事で売り上げも右肩上がり。 この土地を購入し現在はオーナーとして働く貴族も今では宮廷での政争よりも、ホテルの経営が生きがいとなってしまっている。 そんなホテルの最上階にあるスイートルームに、今一人の客がボーイに連れられて入室したところであった。 ロマリアから観光に来ているという神官という事だけあって、ボーイもホテル一のエースが案内している。 「こちらが当ホテルのスイートルームの一つ…『ヴァリエール』でございます」 「……へぇ、こいつは驚いたね。まさか他国でもその名を聞く公爵家の名を持つスイートルームとは、恐れ入るじゃないか」 ドアを開けたボーイの言葉で、ロマリアから来たという若い客は満足げに頷いて部屋へと入った。 白い絨毯の敷かれた部屋はリビングとベッドルームがあり、本棚には幾つもの小説やトリステインに関係する本がささっている。 談話用のソファとテーブルが置かれたリビングから出られるバルコニーには、何とバスタブまで設置されていた。 勿論トイレとバスルームはしっかりと分けられており、暖炉の上に飾られているタペストリーには金色のマンティコアが描かれている。 荷物を携えて入室してきたボーイは、その後このホテルに関するルールや規則をしっかりと述べた後に、 「それでは、何が御用がございましたらそちらのテーブルに置いてあるベルをお鳴らし下さい」 「あぁ、分かったよ。夏季休暇の時期にこのホテルへ泊まれた事は何よりも幸運だとオーナーに伝えておいてくれ」 「はい!それでは、ごゆっくり御寛ぎくださいませ」 自分の説明を聞き終えた客の満足気な返事に彼は一礼して退室しようとした、その直前であった。 「……アッ!忘れてた…おーい、そこのボーイ!ちょっと待ってくれ」 「?…何でございましょうか、お客様」 部屋を後にしようとするボーイの後ろ姿を見て何かを思い出した客は、手を上げてボーイを引きとめる。 閉めていたドアノブを手に掛けようとした彼は何か不手際があったのかと思い、急いで客の所へと戻っていく。 「すまない、コイツを忘れてたね……ホラ」 「え?」 自分の所へと戻ってきたボーイにそう言って客は懐から数枚のエキュー金貨を取り出し。彼のポケットの中へと忍ばせる。 最初は何をしたのか一瞬だけ分からなかったボーイは、すぐさま慌てふためいてポケットに入れられた金貨を全て取り出した 「ちょ、ちょっと待ってください!いくら何でも、神官様からチップを貰うのは流石に…!」 ハルケギニアでは今の様に客がボーイやウエイトレスにチップを渡す行為自体は、然程珍しい事ではない。 しかし、ボーイにとってはお客様の前にロマリアから来た神官という立場の彼からチップを貰うなと゛、大変失礼なのである。 だからこそこうして慌てふためき、何とか理由を付けてエキュー金貨を返そうと考えていた。 しかし、それを予想してかまだまだ青年とも言える様な若い神官様は得意気な表情を浮かべてこう言った。 「なーに、安心したまえ。それは日々慎ましく働いている君へ始祖がくれたささやかな糧と思ってくれればいいだろう。 それならブリミル教徒の君でも神官から受け取れるだろう?この金貨で何か美味しい物でも食べて自分を労うと良いよ」 少し無理やりだが、いかにも宗教家らしい事を言われれば敬虔なブリミル教徒であるボーイには反論しようがない。 それによく考えれば、このチップは彼が行為で渡してくれたものでそれを突き返すのは逆に不敬なのかもしれない。 暫し悩んだ後のボーイが、納得したように手にしたチップを懐に仕舞ったのを見て客はクスクスと笑った。 「そうそう、世の中は酷く厳しいんだから貰える物は貰っておきなよ?人間、ちょっとがめつい程度が生きやすいんだから」 「は、はぁ…」 そして、とても宗教家とは思えぬような現実臭い言葉に、ボーイは困惑の色を顔に出しながらコクリと頷いた。 今までロマリアの神官は指で数える程度しか目にしていない彼にとって、目の前にいる若い神官はどうにも異端的なのである。 自分とほぼ変わらないであろう年齢にややイマドキな若者らしい性格…そして、左右で色が違う両目。 俗に『月目』と呼ばれハルケギニアでは縁起の悪いものとして扱われる両目の持ち主が、ロマリアの神官だと言われると変に疑ってしまう。 とはいえ身分証明の際にはちゃんとロマリアの宗教庁公認の書類もあったし、つまり彼は本物の神官…だという事だ。 まだ二十にも達していないボーイは世界の広さを実感しつつ、改めて一礼すると客のフルネームを告げて退室しようとする。 「そ…それでは失礼いたします―――…ジュリオ・チェザーレ様」 「あぁ、君も気を付けてな」 若い神官の客―――ジュリオは手を振って応えると、ボーイはスッと退室していった。 ドアの閉まる音に続き、扉越しに廊下を歩く音が聞こえ、遠ざかっていく頃には部屋が静寂に包まれてしまう。 ボーイが退室した後、 ジュリオはそれまで張っていた肩の力を抜いて、ドッとソファへと腰を下ろす。 金持ちの貴族でも満足気になる程の座り心地の良いソファに腰を下ろして辺りを見回すと、やはりここが良い部屋だと思い知らされる。 生まれてこの方、これ程良い部屋に泊まった事が無いジュリオからしてみればどこぞの豪邸の一室だと言われても納得してしまうだろう。 ロマリアでこれと同等かそれ以上のグレードのホテルなど、海上都市のアクイレイアぐらいにしかない。 ひとまず寛ごうにも部屋中から漂う豪華な雰囲気に馴染めず、溜め息をつくとスッとソファから腰を上げた。 そんな自分をいつもの自分らしくないと感じつつ、ジュリオはばつが悪そうな表情を浮かべて独り言を呟いてしまう。 「ふぅ~…あまり褒められる出自じゃない僕には身に余る部屋だよ全く…」 「仕方がありません。何せ宗教庁直々の拠点移動命令でしたからね」 直後、自分の独り言に対し聞きなれた女性の声がバルコニーから突拍子もなく聞こえてくる。 何かと思ってそちらの方へ顔を向けると、丁度半開きになっていたバルコニーの窓から見慣れた少女が入ってくるところであった。 長い金髪をポニーテールで纏め、首に聖具のネックレスを掛けた彼女はジュリオの゙部下゙であり゙友達゙でもある。 変な所から現れた知人の姿にジュリオはその場でギョッと驚くフリをすると、ワザとらしい咳払いをして見せた。 本来なら先程までの落ち着かない自分を他人に見せるというのは、彼にとっては少し恥ずかしい事であった。 自分を知る大半の人間にとって、ジュリオという人間ばクールでいつも得意気で、ついでにジョークが上手い゙と思い込んでいるのだから。 幸い目の前の少女は自分が本当はどんな人間なのか知っていたから良かったが、それでも見られてしまうのは恥ずかしいのだ。 「あ~…ゴホン、ゴホ!…せめて声を掛ける前に、ノックぐらいしてくれよな?」 「ふふ、ジュリオ様のばつの悪そうな表情は滅多に見られませんからね、少し得した気分です」 「おやおや、そこまで言ってくれるのなら見物料金を取りたくなってくるねぇ~」 僕は高いぜ?照れ隠しするかのようにおどけて見せるジュリオの言葉に、少女がクスクスと笑う。 一見すればジュリオと同年代の彼女はバルコニーからホテル内部へ侵入したワケだが、当然どこにも出入り口は見当たらない。 このホテルは五階建てで中々に高く、外付けの非常階段は格子付きで出入り口も普段は南京錠で硬く閉ざされており、外部からの侵入は出来ない。 本当ならば堂々と入り口から行かなければ、中へ入れない筈である。 しかし、ジュリオは知っていた。彼女には五階建ての建物の壁を伝って登る事など造作も無いという事を。 幼い頃に孤児院から引っ張られて来て、自分の様な神官をサポートする為に血反吐も吐けぬ厳しい訓練を乗り越え、 陰ながら母国であるロマリア連合皇国の要人を援護し、時には身代わりとして死ぬことをも厭わぬ仕事人として彼女は育てられた。 そんな彼女にとって、五階建てのホテルの壁を伝って移動する事なんて、平坦な道を走る事と同義なのである。 「…にしたって、良くバルコニーから入ってこれたね。このホテルって、通りに面しているんだぜ」 「幸い陽は落ちていましたし、通行人に気付かれなければ最上階までいく事など簡単ですよ。…ジュリオ様もやってみます?」 「いや、僕は遠慮しておく」 やや悪戯っぽくバルコニーを指さして言う彼女に対し、ジュリオはすました笑顔を浮かべて首を横に振る。 それなりに鍛えているし、体力には自信はあるがとても彼女と同じような真似はできそうにないだろう。 その後、部屋の中へと入った少女が窓を閉めたところで再びソファに腰を下ろしたジュリオが彼女へと話しかけた。 「…それにしても、一体どういう風の吹き回しだろうね?僕たちをこんな豪勢な部屋に押し込めるだなんてね」 「確かにそうですね。上の判断とはいえ、この様な場所に拠点を移し替えるとは…」 彼の言葉に少女は頷いてそう返すと、今朝ロマリア大使館から届いた一通の手紙の事を思い出す。 まだそれほど気温が高くない時間帯に、ジュリオと少女は宿泊していた宿屋の主人からその手紙を受け取った。 母国の大使館から届けられたというその封筒の差出人は、ロマリア宗教庁と書かれていた。 ハルケギニア各国の教会へと神父とシスターを派遣し、ブリミル教の布教を行っている宗教機関であり、 その裏では特殊な訓練を施した人間を神官として派遣し、異教徒やブリミル教にとっての異端の排除も行っている。 ジュリオと少女も宗教庁に所属しており、共に『裏の活動』を専門としている。 …最もジュリオはかなり゙特殊な立場゙にある為、厳密には宗教庁の所属ではないのだが…その話は今置いておこう。 ともかく、自分たちの所属する機関から直々に送られてきた手紙に彼は軽く驚きつつ何かと思って早速それに目を通した。 そこに書かれていたのは自分と少女に対しての移動命令であり、指定した場所は勿論今いるホテルのスイートルーム。 突然の移動命令で、しかもこんな場末の宿屋から中々立派なホテルへ泊まれる事に彼は思わず何の冗談かと疑ってしまう。 試しに手紙を透かしてみたり逆さまにしてみたが何の変化も無く、どこからどう見ても何の変哲もない便箋であった。 しかもご丁寧にロマリア宗教庁公認の印鑑とホテルの代金用の小切手まで一緒に入っていたのである。 ――――う~ん、これってどういう事なのかな? ―――――どうもこうも、私からは…宗教庁からの移動命令としか言いようがありません 正式に所属している少女へ聞いてみるも彼女はそう答える他無かったが、納得しているワケではない。 何せ手紙には肝心の理由が不可解にも掛かれておらず、命令だけが淡々と書かれているだけなのだから。 とはいえ命令は命令であり、移動先のホテルも豪華な所であった為拒否する理由も得には無い。 二人は早速荷造りをした後で宿屋をチェックアウトし、ジュリオは小切手をお金に変える為にトリステインの財務庁へと向かった。 少女は今現在も遂行中である『トリステインの担い手』の監視を夕方まで行い、夜になってジュリオと合流して今に至る。 手紙が届いてから半日が経ったが、それでも二人にはこの移動命令の明確な理由が分からないでいた。 「明日、大使館へ赴いて移動命令の理由が聞いた方がいいかと思いますが…」 「いやいや、所詮大使館で働いてる人達は宗教庁の裏の顔なんて知らないだろうさ」 少女の提案にジュリオは首を横に振り、ふと天井を見上げると右手の指を勢いよくパチンと鳴らす。 その音に反応して天井に取り付けられたシーリングファンが作動し、豪勢なスイートルームを涼風で包み始める。 ファンそのものがマジックアイテムであり、一分と経たぬうちに部屋の中に充満していた熱気が消え始めていく。 「流石は貴族様御用達のスイートルームだ、シーリングファンも豪勢なマジックアイテムとはねぇ」 ヒュー!っとご機嫌な口笛を吹いて呟いた後に、ジュリオはソファからすっと腰を上げてから少女に話しかけた。 「まぁ理由は色々と考えられるが…もしかすれば゙担い手゙ど盾゙と接触する為…なんじゃないかな?」 「…ジュリオ様もそうお考えでしたか」 「トリステインの゙担い手゙はタルブで見事に覚醒できたんだ、ガリアだってもう黙ってはいないだろうしね」 少女の言葉にジュリオはそう返してから、監視対象であったトリステインの担い手――ルイズの行動を思い出していく。 ワケあってトリステインの王宮で保護されていた彼女が行った事は、既にジュリオ達もといロマリアは周知していた。 使い魔であるガンダルールヴと、イレギュラーである通称゙トンガリ帽子゙こと魔理沙と共にタルブへ赴いたという事。 そしてそこを不意打ちで占領していたアルビオン艦隊を、あの『虚無』で見事に倒してしまったという事も勿論知っている。 無論アルビオンの侵略作戦において、あのガリア王国が密かに関わっている事も…。 「まだ見かけてはいませんが、ガリアも担い手の動向を確かめる為に人を派遣する可能性は高いですね」 「だろうね。…しかも今の彼女は、このハルケギニアにおいては最も特殊な立場にある人間でもあるんだから」 ジュリオはそう言って懐から小さく折りたたんだ一枚の紙を取り出し、それを広げて見せる。 その紙には一人の少女の姿が描かれていた。本屋で参考書を漁っているであろうトリステインの担い手ことルイズの姿が。 ロマリア宗教庁がルイズをトリステインの担い手と睨んだのは彼女がまだ学院へ入る前の事。 トリステインのラ・ヴァリエールにある教会の神父が、領民たちの話からこの土地を治める公爵家の三女が怪しいと踏んだのである。 すぐさま神父の報告を受けて宗教庁は人を派遣し調査させた結果、可能性は極めて高いという結論に至った。 系統魔法はおろかコモン・マジックすら成功せず、集中すると唱えた魔法は全て爆発魔法に変わってしまう特異な失敗例。 当時彼女の教育を担当した家庭教師は彼女を不真面目と決めつけ、ロマリアの聖アルティリエ神学校に入れようという話さえ出た程である。 ハルケギニアでも屈指のスパルタ魔法学校として有名であるが、宗教庁からしてみれば正に願ったり叶ったりのチャンスであった。 結局のところその話はお流れになってしまったものの、以後ロマリアはルイズを要監視対象と定めて監視し続けている。 魔法学院への入学が決まった際に、『学院へ入学したくない!』と駄々を捏ねた事。 そんな彼女へ両親は『せめて、貴族の作法と社交を覚えていらっしゃい』と言って娘を無理やり馬車へ押し込んだ事。 授業開始早々に゙着火゙の呪文を唱えて大爆発を起こし、それ以後他の生徒達から『ゼロ』という二つ名をつけられ嘲られた事。 ありとあらゆるルイズの動向を何人もの人間が監視し続け、そして進級試験を兼ねた使い魔召喚の儀式で宗教庁は大きく揺れた。 ―――――トリステインの担い手が人間、それも゙博麗の巫女゙を召喚した。 この報告が当時学院で監視任務を行っていたコックから送られてきた直後、長く続いた疑問がようやく確信へと変わったのである。 伝説が正しければ人間を使い魔として召喚できるのは虚無の担い手だけであり、召喚された者は虚無の使い魔としての恩恵を授かる。 だが…それ以上に宗教庁が揺れたのは彼女の使い魔となっだ博麗の巫女゙―――即ち霊夢の存在が大きかった。 この世界に住む人々の多くは知らない。かつて大昔、始祖とその使い魔たちと共に戦った巫女の話を。 始祖とは明らかに異なる力でもって魔を祓い、使い魔たちと共に始祖の詠唱を守ったと言われる伝説の巫女。 何者かによって意図的に隠蔽され、ブリミル教の本拠地であるロマリアにおいてもそれ相応の権力を持たぬ者しか知る事のできぬ『真実』。 宗教庁の裏の顔を知る者でも、六千年も隠蔽され続けている真実を知っているのは幹部クラスの神官達だけだ。 一介の工作員であるコックがそれを知っていたのは、彼が以前博麗の巫女に関する記述を集める任務に就いていたからである。 今も尚発掘される大昔の遺跡からは、時折博麗の巫女に関する本や巻物等の記録媒体が発見されている。 その多くが六千年前の伝説を元にした創作話であるが、ロマリア側はそれを秘密裏に回収し続けているのだ。 ともあれ、トリステインの担い手であるルイズが博麗の巫女をガンダールヴとして召喚したのは重大な事であった。 ジュリオや少女をはじめとした人員と予算の増加が決定され―――、そして今に至る。 「それにしても…博麗の巫女だけではなく全く想定外のイレギュラーまで出て来るとはね」 「゙トンガリ帽子゙の事ですか?彼女は゛盾゙と比べて非常にフレンドリーですから、此方のペースに―――…ん?」 そんな時であった、先程自分が入ってきたバルコニーへと続く窓から小突くような音が聞こえてくる事に気が付いたのは。 ジュリオもそれに気づいたのか二人してそちらの方へ顔を向けてみると、そこには小さなお客様がいた。 嘴でコツン、コツンと窓を小突いているのを見るに、どうやら先ほどの音はこのフクロウが出していたようである。 「…ふ、フクロウ?」 「んぅ?あぁ、何だネロじゃないか!」 少女には見覚えがなかったが、どうやらジュリオとは縁のあるフクロウだったらしい。 彼はそのフクロウの名前を呼ぶと窓を開けて、小さなお客様を優しく抱きかかえて見せる。 フクロウも彼に触られるのは悪くないとか感じているのか、腕の中で大人しくしている。 互いに慣れている様子を見て、思わす少女は質問してしまう。 「ジュリオ様、そのフクロウは…」 「ん?あぁ、紹介がまだだったね。こいつはネロ、ペット…かと言われればちょっと違うけどね」 そう言ってジュリオは、ネロとの出会いを彼女へと軽く説明し始めた。 ネロは今から一、二ヶ月ほど前にとある山道の脇で蹲っていたのを仕事の帰りで歩いていたジュリオが見つけたのだという。 怪我をしていた為、このままでは助からないと思ったらしい彼はそのフクロウを抱きかかえて山を下りた。 それから獣医の話を聞いて適切に治療して傷が治った後、今ではすっかりジュリオのペットとして良く懐いている。 とはいえケージに入れて飼ってるワケではなのだが、それでも彼とは一定の距離をおいて傍にいるのだ。 ジュリオが呼びたいと思った時に口笛を吹けば、どこからともなくサッと飛んでくるのである。 「今じゃあこうして好きな時に抱えられるし、フクロウってこうして見てみると可愛いもんだろう?」 「は、はい…」 まるで縫いぐるみの様に抱きかかえられる猛禽類を見て、思わず唖然としてしまう。 恐らく、ふくろうをここまで我が子の様に手なずけてしまうのはハルケギニアでも彼だけだと、そう思いながら。 そんな少女の考えを余所に、ジュリオは急に自分の元を訪ねてきたネロの頭を撫でながら話しかける。 「それにしても、お前はどうしてここへ来たんだ?念の為大使館には置いてきたけど………ん?」 頭を撫でながら返事を期待せずに聞いてみると、ネロはおもむろにスッと右脚を軽く上げた。 何だと思って見てみたところ、猛禽類特有のそれには小さな筒の様な物が紐で括りつけられているのに気が付く。 思わず何だこれ?と呟いてしまうと、傍にいた少女もまたネロの脚に付けられた筒を目にして首を傾げてしまう。。 「どうしました…って、何ですかソレ?」 「ちょっと待ってくれ…今外す。……よし、外した」 ジュリオは慣れた手つきでネロの脚に巻かれていた紐を解き、掌よりも一回り小さい筒をその手に乗せる。 筒は見た目通りに軽く、試しに軽く振ってみるとカラカラカラ…と中で何かが動く音が聞こえてくる。 暫し躊躇った後、ジュリオはその筒を開けてみると中から一枚の手紙が丸められた状態で入れられていた。 「……手紙?」 思わず口から出てしまった少女の呟きにジュリオは「だね」と短く答えて、それを広げて見せる。 広げられた便箋の右上に、見慣れた宗教庁とロマリア大使館の印鑑が押されているのがまず目につく。 つまりこれは宗教庁が大使館を通し、ネロを使って自分たちへ手紙を送ってきたという事になる。 ネロの脚に手紙を取り付けたのは大使館だろうが、よくもまぁフクロウの脚に手紙入りの筒を取り付けられたなーと感心してしまう。 まぁそれはともかく、手紙の差出人についてはジュリオも何となく分かっていたので早速手紙の本文を読み始めてみる。 内容は今日届いた拠点の移動命令に関する事が書かれていとの事らしい。 ワケあってその理由はギリギリまで伏せられ、ようやくこの手紙を送る許可が下りた事がまず最初に書かれていた。 (やれやれ…僕の見てぬ所で勝手に決めてくれちゃって…下の人間ってのは辛いもんだよ全く) 自分達の都合など考えてもくれない宗教庁上層部への悪態をつきつつ、ジュリオはその『理由』に目を通し―――そして硬直した。 それはジュリオや少女…否、ロマリアの国政に関わる者にとっては信じられないモノであった。 例えればこの国の王女が誰の許可も無しに変装して、王宮を飛び出すくらい信じられない事態と同レベルである。 いや、こっちの場合は無理に周りの者たちの首を縦に振らせてるので質の悪さでは勝ってるのだろうか? どっちにせよ、最悪な事に変わりはない。 そんな事を思いつつも、手紙の内容で頭の中の思考がグルグルと掻き混ぜられる中、 「全く…!よりにもよって、何でこう忙しいときにコッチへ…――!」 「ど…どうしたんですか?急に怒りだしたりして…」 ジュリオは悪態をつくと、突然の豹変に驚く少女へ読んでいた手紙を差し出した。 彼女は慌ててそれを受け取るとサッと素早く目を通し―――瞬間、その顔が真っ青になってしまう。 「じ…ジュリオ様、これって―――」 「皆まで言うなよ?言われなくたって分かってるさ。けれど、もう誰にも変えられやしないんだ…」 少女の言葉にそこまで言った所で一旦一呼吸入れたジュリオは、最後の一言を呟いた。 ―――゙聖下゙が御忍びでトリスタニアへ来るっていう、事実はね その一言は少女の顔はより青ざめ、思わず首から下げた聖具を握りしめてしまう。 ジュリオはこれから先の苦労と心配を予想して長いため息をつくと、自分を見つめる少女から顔を逸らす。 二人が二人とも、この手紙に書かれだ聖下゙の急な訪問と、身分を省みぬ彼の行動にどう反応すればいいか分からぬ中―― ジュリオの腕の中に納まるフクロウは、自分がその手紙を運んで来てしまったことなど知らずして暢気に首を傾げていた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん チクントネ街から旧市街地の間を横切るようにして造られた一本の水路がある。 この水路もまた地下への下水道へと続いており、人通りの少なさもあってか地下へと続く暗渠が他よりもやや不気味な雰囲気を醸し出している。 また、水路と道路には三メイル以上の段差があるせいか通行人が落ちないようにと鉄柵が設けられている。 普段は旧市街地と隣接している場所であるためか人気も無く、水の流れる音だけがBGМ代わりに水路から鳴り響いている。 一部の人間の間では、王都で川の流れる音を静かに聞きたいのならこの場所と囁かれているらしいが冗談かどうか分からない。 まぁ最も、すぐ近くには共同住宅が密集している通りがあるので完全に人の気配がしない…という日はまず来ないだろう。 そんな静かで、活気ある繁華街と棄てられた廃墟群の間に挟まれた水路には、今多くの人間が押しかけていた。 それも平民や貴族達ではなく、安い鎧に槍と剣などで武装した衛士隊の隊員たちが十人以上もやってきているのである。 年齢にバラつきはあれど、彼らは皆一様に緊迫した表情を浮かべて柵越しに水路を見下ろしていた。 彼らの視線の先には、水路の端に造られた道に降りた仲間たちがおり、彼らは一様に暗渠の方へと視線を向けている。 暗渠の中にも既に何人かが入っているのか、一人二人出てくると入り口で待つ仲間たちと何やら会話を行う。 そして暗闇の奥で何かが起こった――もしくは起こっていた?――のか、入口にいた者達も暗渠の中へ入っていく。 衛士達が何人もいるこの現場に興味を示したのか、普段はここを訪れない者たちが何だ何だと押し寄せている。 近くの共同住宅に住む平民や下級貴族たちが大半であり、彼らは衛士達が張った黄色いロープの前から水路を覗こうと頑張っていた。 ハルケギニアの公用語であるガリアの文字で「立ち入り禁止」と書かれたロープをくぐれば、それだけで罪を犯した事になってしまう。 ロープを挟んで平民たちを睨む衛士たちに怯んでか、それとも罪を犯すことを恐れてか誰一人ロープをくぐろうとしない。 張られている位置からでは上手く水路が見れないものの、それでも衛士達の間から漏れる会話で何が起こったのか察し始めていた。 「なぁ今の聞いたか?地下水道の出入り口で白骨死体が見つかったらしいぜ」 「しかも聞いた限りじゃあ衛士隊の装備をつけてたって…」 一人の平民の話に若い下級貴族が食い付き、それに続いて中年の平民女性も喋り出す。 「殺人事件?…でも白骨って、じゃあ殺されてから大分経つんじゃないの?」 「いや…それがここの下水道近くに住んでるっていうホームレスが言うには、ここ最近死体なんて一度も見なかったらしいぞ」 女性の言葉に旦那である同年代の平民男性がそう返し、他の何人かが視線をある人物へ向ける。 彼らの目線の先、ロープの向こう側で一人の男性衛士から事情聴取を受けているホームレスの男性の姿があった。 いかにもホームレスのイメージと聞かれた大衆がイメージするような姿の中年男性は、気怠そうに衛士からの質問に答えている。 朝っぱらだというのに喧騒ならぬ物騒な雰囲気を滲ませている一角を、博麗霊夢は屋上から見つめていた。 そこそこ良かった朝食の直後にここへ向かう衛士達の姿を見た彼女は、とある淡い期待を抱いてここまで来たのである。 淡い期待…即ち自分のお金を盗んでいったあの兄妹の事かと思っていた彼女は、酷くつまらなそうな表情で地上を眺めていた。 「何よ?てっきりあの盗人たちが見つかったのかと思ったら…単なる殺人事件だなんて」 『単なる、と言い切っちゃうのはどうかと思うがね?お前さんたちが寝泊まりしてる場所からここはそう遠くないんだぜ』 デルフの言葉で彼が何を言いたいのかすぐに理解した霊夢は口の端を微かに上げて笑う。 「どんな殺人鬼でも、あの店を襲おうもんならスグに襲ったことを後悔するわね」 『随分自身満々じゃないか…って言っても、確かにお前さんたちと遭遇した殺人鬼様は間違いなく不幸になるだろうな』 「んぅ~…それもあるけど、何よりあそこにはスカロンが店を構えてるし大丈夫でしょ?」 半分正解で半分外れていた自分の言葉を補足してくれた霊夢に、デルフは『あぁ~』と納得したように笑う。 確かに、どんなヤツが相手でも人間ならば間違いなく『魅惑の妖精』亭の店長スカロンを前に逃げ出す事間違いなしである。 タダでさえ体を鍛えていて全身筋肉で武装しているというのに、オネェ言葉で若干オカマなのだ。 見たことも無い容疑者が男だろうが女だろうが、スカロンが前に立ちはだかれば大人しく道を譲るに違いない。 それを想像してしまい、ついつい軽く笑ってしまったデルフに気を取り直すように霊夢が話しかける。 「まぁ今の話は置いておくとして、普通の殺人事件でこんなに衛士が出てくるもんなのかしら?」 『確かにそうだな。…何か事情があるんだろうが、にしたって十人以上来るのはちょっとした大ごとだ』 道路の上にいる人々と比べて、建物の屋上に霊夢の目には衛士達の動きが良く見えていた。 その手振りや身振りからしても、自分たちと同じヒラか少し上程度の衛士が死んだ゙だげの事件とは思えない。 道路の上から現場を指揮する隊長格と思しき隊員が、数人の隊員に人差し指を向けて急いで何かを指示している。 少し苛ついている感じがする隊長格に隊員たちは敬礼した後、人ごみを押しのけて街中へと走っていく。 暗渠へ入っていった隊員達の内二人が上から大きな布を掛けた担架を担ぎ、慎重に歩きながら出てきた。 まるで大きくていかにも骨董的な割れ物を運ぶかのような慎重さと、人が乗せられているとは思えない程の凸凹が見えない布。 きっとあれが、の中で死んでいたという衛士隊員の白骨死体なのだろう。 入り口にいた隊員の内一人がその担架の方へ体を向け、十字を切っている。 それに続いて何人かが同じように十字を切った後、担架は水路から道路へと出られる梯子の方まで運ばれていく。 恐らく別の何処かに運ぶのだろう、隊長格の隊員が他の隊員と一緒に鉤付きのロープを水路へ落としている。 そんな時であった、突如繁華街の方向から猛々しい馬の嘶きが聞こえてきたのは。 何人かの隊員たちと野次馬が何事かと振り返り、霊夢もまたそちらの方へと視線を向ける。 そこにいたのは、丁度手綱を引いて馬を止めた細身の衛士が慣れた動作で馬から降りて地に足着けたところであった。 『何だ、増援?…にしちゃあ、一人だけか』 「もう必要ないとは思うけど…あの金髪、どこで見た覚えがあるような?」 地上にいる人々とは違い、霊夢の目には馬から降りたその衛士の背中しか見えなかった。 辛うじて髪の色が金髪である事と、それを短めにカットしているという事しか分からない。 それが無性に気になり、いっその事降りてみようかしらと思った彼女の運が良い方向へ働いたのだろうか。 馬を下りたばかりの衛士は、別の衛士に後ろから声を掛けられて振り返ったのである。 髪を少し揺らして振り返ったその顔は―――遠目から見ても女だと分かる程に綺麗であった。 猛禽類のように鋭い目つきで後ろから声を掛けてきた同僚と一言二言会話を交えて、水路の方へと向かっていく。 霊夢と一緒に見下ろしていたデルフが『へぇ~女の衛士かぁ』ぼやくのをよそに、霊夢は少々面喰っていた。 何故ならその女性衛士と彼女は、今より少し前に顔を合わせていたからである。 「あの女衛士、確かアニエスって言ってたような…」 まさかこんな所で顔を合わすとは思っていなかった霊夢は、案外にこの街は狭いのではと感じていた。 一波乱どころではない騒ぎに巻き込まれたアニエスが元の職場に戻れたのは、つい今朝の事である。 軍部からの演習命令で一時トリステイン軍に入り、そのままタルブでの戦闘に巻き込まれた彼女は散々な思いをした。 アルビオンとの戦いが終わった後もタルブやラ・ロシェールでの戦闘後の処理作業に追われ、 更に戦闘開始直後に出現した怪物を間近に見たという事で、数日間にも渡って取り調べを受け、 やっと衛士隊への復帰命令が来たと思えば、王都へ戻る際の馬車が混雑したり…と大変な目にあったのだ。 そうして王都に戻れたのは今朝で、幸いにも書類に書かれていた復帰までの期日には間に合う事が出来た。 彼女としては一日遅れる事は覚悟していたものの、早めにゴンドアを出ていて良かったとその時は胸をなで下ろしていた。 駅舎の警備をしている同僚の衛士達と一言二言会話をした後で、手ぶらでは何だと思って土産屋で適当なモノを幾つか購入し、 すっかり緑に慣れてしまっていた目で幾つも建ち並ぶ建物を見上げながら、アニエスは第二の故郷となった所属詰所へと戻ってきた。 ふと近くにある広場にある時計で時刻を確認してみると丁度八時五十分。彼女にしては珍しい十分前出勤となる。 いつもならばもっと早い時間に出勤して、昨日残した書類の片づけや鍛錬に時間を使うアニエスにとって慣れない時間での出勤だ。 とはいえ立ちっ放しもなんだろうという事で彼女は玄関の傍に立つ同僚に敬礼し、中へと入る。 そして彼女の目の前に広がっていた光景は―――慌てて緊急出動しようとする大勢の仲間たちであった。 まるで王都に敵が攻めて来たと言わんばかりに装備を整えた姿の仲間数人が、急ぎ足で彼女の方へ走ってきたのである。 彼らの鬼気迫る表情に思わずアニエスが横にどいたのにも気づかず、皆一様に外へと出ていく。 いつもの彼女らしくないと言われてしまう程身を竦ませたアニエスが何なのだと目を丸くしていると、後ろから声を掛けて来た者がいた。 ――あっ!アニエスさんじゃないか、戻ってきたんですか!? その声に後ろを振り向くと、そこには衛士にしては珍しく眼鏡を掛けた同僚がいた。 彼はこの詰所の鑑識係であり、事件が起きた際に現場の遺品や被害者のスケッチなどを担当している。 まだ鑑識になって日は浅いものの、若いせいか隊長含め仲間たちからは弟分のように可愛がられている。 その彼もまた衛士隊の安物の鎧と鑑識道具一式の入ったバッグを肩から掛けて、外へ出ようとしていたところであった。 アニエスは彼の呼びかけにとりあえず右手を上げつつ、何が起こったのか聞いてみることにした。 ―――あぁ、今日が丁度復帰できる日なんだ。…それよりも今のは何だ?どうにもタダ事ではなさそうだが… ――――それが実は僕も良く知らないんですが、今朝未明に衛士隊隊員の死体が発見されたそうで… ―――――何だと?だがそれにしては騒ぎ過ぎだろ、こんなに騒然としてるなんて…隊長は何て? ふとした会話の中でアニエスが何気なく隊長の名を口にした途端、鑑識の衛士ばビクリと身を竦ませた。 単に驚いただけではないというその反応を見て、アニエスは怪訝な表情を浮かべる。 鑑識の青年衛士も、顔を俯かせて暫し何かを考えた後……ゆっくりと顔を上げて口を開いた。 ―――実は、隊長はその…昨晩の夕方に退勤して以降、行方が分からなくて…自宅にもいないそうなんです… ――――な…ッ!? ―――――それで、発見された白骨死体が衛士隊員だという事で…みんな――― ――――――勝手な想像をするんじゃないッ! ちょっとどころではない死地から帰ってきて早々に、どうしてこんな良くない事が起きてしまうのか。 アニエスは自分の運の無さを呪いながらも大急ぎで支度を整え、鑑識から現場を聞いて急行したのである。 場所はチクトンネ街と旧市街地の間にある川で、既に何人もの衛士達が書けてつけているとの事らしい。 本当なら応援はもういらないのだろうが、それでもアニエスはわざわざ馬を使ってまで現場へと急いだ。 そうして現場へとたどり着いた時、既に件の白骨遺体は水路から上げられる所だったらしい。 馬を降りて一息ついた所で、既に現場で野次馬たちを見張っていた同僚に声を掛けられた。 「おぉアニエス、戻ってきたのか?…すまんな、復帰早々こんなハードな現場に来てくれるとは」 「野次馬相手なら幾らいても足りなくなるだろう?それより、例の遺体はどこに……ん、あっ!」 同僚と軽く挨拶しつつ、痛いはどこにあるのかと聞こうとしたところで彼女は群衆がおぉっ!声を上げた事で気が付いた。 そちらの方へ視線を向けたと同時に、水路にあった被害者が引き上げられようとしていたのである。 アニエスは失礼!と言いながら野次馬たちを押しのけてそちらへと向かう。 何人かが押すなよ!と文句を言ってくるのも構わず進み、ようやく目の前に引き上げられたばかりの担架が見えた。 野次馬を防いでいる衛士達が咄嗟に止めようとしたものの、同僚だと気づくとロープを持ち上げてアニエスを自分たちの方へと招いた。 「戻ってきたのかアニエス、大変だったらしいな」 「その話は後にしてくれ、それよりここの現場担当の隊長格は?」 仲間たちの言葉を軽く返しつつそう言うと、水路に残っている部下たちにも上がる様指示していた上官衛士が前へと出てくる。 「俺の事…ってアニエスか!エラい久しぶりに顔を見た様な気をするが、よく帰ってこれたな」 「あっ、はい!奇跡的に傷一つ負わずに戻ってこれました。…それで、被害者の身元は分かったのですか?」 彼女が良く知る隊長とはまた別の管轄を持つ彼の言葉にアニエスは軽く敬礼しつつ、状況の進展を探った。 キツイ仕事から帰ってきたというのに熱心過ぎる彼女に内心感心しつつも、上官衛士は首を横に振りつつ返す。 「今の所俺たちと同じ服装をした白骨死体…ってだけしか分からんな。軍服と胸当てだけで身分証の類は持っていなかっ たから尚更だ。それに俺たちだけじゃあ骨で性別判断何てできっこないし、何より白骨死体にしては妙に綺麗すぎる。ホラ、見てみろ?」 彼はそう言うと共に担架の上に掛かった布を少しだけ捲り、その下にある白骨をアニエスへ見せてみる。 最初は突然の骨にウッと驚きつつも、恐る恐る観察してみると…確かに、上官の言葉通り洗いたての様に真っ白であった。 まるで死体安置所で冷凍保管されていた遺体から肉を丁寧に落として、骨を漂白したかのように綺麗なのである。 別に腐って乾燥した肉片とかついている黄ばんだ骨が見たいわけではないのだが、それでもこの白さはどことなく異常さが感じられた。 思わずまじまじと見つめているアニエスへ補足を入れるかかの様に、上官は一人喋り出す。 「第一発見者の浮浪者がここら辺を寝床にしてるらしくてな、昨夜は濁流に飲み込まれないよう旧市街地にいたらしい。 それでも、今朝見つけるまであんな綺麗な骨は絶対に無かった…と手振りを交えながら話してくれた。」 上官の言葉にアニエスはそうですか…と生返事をした後、ふと気になった事を彼へと質問する。 「…それならば、この骨は昨夜の暖流で流れて来たのでは?」 「可能性は無くは無いが、それにしては変に綺麗すぎる。見てみろ、この白さなら好事家が言い値で買うかもしれんぞ」 仮にも同僚であった者に対して失礼な例え方をしているとも聞こえるが、彼の表情は真剣そのものであった。 茶化し、誤魔化しているのだろうとアニエスは思った。実際今の自分も冗談の一つぐらい言いたい気持ちが胸中にある。 この骨が自分の管轄区の、粉挽き屋でバイトしていた自分を衛士として雇ってくれた隊長だと思いたくはなかったのだ。 今のところは身元が全然分からないという事で安堵しかけているが、それでも不安は拭いきれない。 もやもやと体の内側に浮かんでいるそれを誤魔化すかのように、アニエスは口を開く。 「それで、身元の特定作業はもう行っているのですか?」 「あぁ。今日欠勤している者を優先的に調べているが…ここは王都だ、全員調べるとなると明日の昼まで掛かる」 アニエスからの質問に上官は肩をすくめてそう言うと、アニエスは仕方ないと言いたげにため息をつく。 欠勤者だけではなく、非番の者まで調べるとなれば…文字通り街中を駆け巡らなければいけないのだ。 これが単なる殺人事件ならばここまで大事にはならないが、殆ど傷がついていない白骨という奇怪な状態で見つかっているのだ。 もはや衛士である前に、一介の平民である自分たちが対応できる事件としての範囲を超えてしまっている。 持ち上げていた布をおろし、アニエスの方へと向いた上官は渋い表情を浮かべたまま言った。 「一応魔法衛士隊にも報告はしておいたが、正直今の国防事情では来てくれるかどうか…だな」 「確かに、平時ならばメイジが関与していると考慮して動いてくれますが…今はアルビオンと戦争が間近という状況ですし」 上官の言葉にアニエスは頷く。彼女の言うとおり、今はこうした街中の事件で対応してくれる魔法衛士隊は別の任務に就いている。 大半は新しく補充された新人隊員達に訓練を施し、更に有事に備えて軍や政府関連の施設の警備を優先するよう命令されている筈だ。 となれば、いくら怪奇的な事件だとして出動を乞うても「今は衛士隊だけで対応せよ」という返事が返ってくるのは間違いないだろう。 今はドットクラスメイジの手を借りたいほどに、王宮と軍が忙しいのはつい数日前までそこに所属していたアニエス自身が知っている。 先の会戦で主な将校を何人も失った王軍と、戦力に余裕のある国軍を統合させた陸軍の創設及び部隊の再配置で更に忙しくなるだろう。 それが本格的に行われる前に衛士隊へ復帰する事ができたアニエスは、思わずホッと安堵したくなった。 ―――しかし、そこで彼女は胸中に秘めていた『願い』を思い出し、内心で安堵する事すら自制してしまう。 もしも、この騒ぎに乗じて正式に軍に配備されていれば――――自分はもっと『王宮』へ近づく事ができたのでは、と。 トリスタニアの象徴でもあるあの宮殿の中に眠るであろう『ソレ』へとたどり着ける、新たな一歩になっていたかもしれない。 そこまで考えた所で彼女はハッと我に返り、首を横に振って今考えていた事を頭から振り払う。 (今はそんな事を考えている場合じゃないだろうアニエス。もう過ぎた事だ…今は、目の前の事件に集中しなければ) ひょっとすると、自分の体と頭は自分が思っている以上に疲れているのかもしれない。 「…少なくとも今できる事は情報収集です。可能ならば、私もお手伝いします」 そんな事を思いつつ、それでも担架に乗せられた白骨の正体を知りたい彼女は上官に申し出た。 「できるのか?それなら頼む。今は猫の手も借りたい状況だ、是非ともお願いしよう。後、お前んとこの隊長と出会ったらボーナス給弾むよう言っておく」 疲れているであろう彼女に上官は冗談を交えつつ許可すると、アニエスは「はっ!」と声を上げて敬礼する。 直後に彼女は踵を返し、野次馬たちの向こう側で同僚が宥めている馬の所へ向かおうとした、その時であった。 急いで馬の所へ戻ろうとする彼女の視界の端に、紅白の人影が一瞬だけ入り込んできたのである。 「ん?………何だ?」 思わず足を止めて人影が見えた方向へ視線を向けると、そこにあるのは屋上付きの建物であった。 個人の邸宅ではなく、一階に雑貨屋などがある共同住宅らしく窓越しに現場を眺めている住人がチラホラと見える。 しかし窓からこちらを覗く人々の中に紅白は見えず、屋上を見てみるも当然誰もいない。 だが彼女は確かに見た筈なのである。何処かで見た覚えのある、紅白の人影を。 「気のせいだったのか、それとも単に私が疲れすぎているだけなのだろうか…」 納得の行かないアニエスは一人呟きながらも馬の所へ辿り着くため、再び野次馬たちを押しのける小さな戦いへと身を投じた。 『さっきの口ぶりからして知り合いだったらしいが、声かけなくても良かったのかい?』 「アニエスの事?別に良いわよ。知り合いだけど親しいってワケではないし、向こうも忙しそうだったしね」 水路からの喧騒が小さく聞こえる路地に降り立ったばかりの霊夢へ、背中に担いだデルフがそんな事を言ってきた。 昨日の雨で出来た水たまりをローファーで軽く蹴り付けつ道を歩く彼女は、大したことじゃ無いと言いたげに返す。 建物と建物の間に出来ているが故に道は陽が遮られており、幾つもの水たまりが道端にできている。 それをローファーが踏みつけると共に小さな水しぶきがあがり、未だ乾いていないレンガの道を更に濡らしていく。 「あんな事件は衛士に任せといて、今はあの盗人兄妹を捕まえて金を取り返すのが最優先事項なのは、アンタも分かってるでしょうに」 『オレっちは手足が無いから持ってても意味ねェけどな』 鞘に収まった刀身を震わせて笑う彼に、霊夢は「アンタは良くても私達がダメなのよ」と返す。 いくら子供であっても、あれ程の大金を一気に使おうとすれば大なり小なり人々のちょっとした話題になるのは明白である。 そうであるなら楽なのだが、明らかに手慣れている感じからして常習犯なのは間違いないだろう。 と、なれば…盗んだ大金で豪遊などせずに、小分けにして生活費にするというのなら探し出せる難易度は一気に高くなる。 「とりあえず昨日はルイズと大雨のせいで行けなかった現場に行って、アイツらを捜すかそれに関する情報を集めないとね」 『成程、容疑者が確認の為に現場へ戻るっていう法則を信用するのか』 デルフがそう言うと共に陽の当たらぬ路地から出た霊夢は、目に突き刺さるかのような光に思わず目を細める。 途端、まるで空気が思い出したかのように夏の熱気へと変わり彼女と服を熱し始めた。 「いくら私でも手がかりの一つか二つ無いと分からないし、何か収穫の一つでもあればいいんだけどねぇ…」 ハルケギニアの夏の気候に慣れぬ彼女は未だ活気の少ない通りへと入りつつ、デルフに向けて呟く。 霊夢としては、そう都合よくあの兄妹二人の内一人が現場へ戻っているとはあまり思ってはいなかった。 ただ何かしらの証拠や、あの近辺にいる住民へ聞き込みをして情報が手に入ればと考えてはいたが。 霊夢のそんな意見に、デルフはほんの一瞬黙ってからすぐさま口を開いた喋り出す。 『とはいってもなぁ、ソイツらが手練れの常習犯なら現場には戻らないと思うぜぇ?』 「それは分かってるよ。だけどこっちは明らかな情報不足なんだし、私が動かなきゃあゼロから先には進まないわ」 諦めかけているようなデルフの言葉に彼女はやや厳しめに返事しつつ、通りを歩いていると、 ふと三メイル先にあるベンチに腰かける、短い金髪が似合う見知り過ぎた顔の女性がいるのに気が付いた。 その女はこちらをジッと睨んでおり、その瞳からは人ならざる者の気配を僅かにだが感じ取る事ができる。 『あの女…って、もしかしてあの狐女か?』 「その通りの様ね。アイツ、一体何用かしら」 気配に見覚えがあったデルフがそこまで言った所で、バトンたったするかのように霊夢が口を開いて言った。 敵意は感じられないが、昨日見た彼女の豹変ぶりをを思い出した霊夢は若干気を引き締めて女へ近づいていく。 金髪の女は何も言わずにじっと霊夢とデルフを睨み続け、彼女と一本が後一メイルというところでようやく口を開いた。 「やぁ、盗人探しは順調に進んでるかい博麗霊夢よ」 「残念ながら芳しくない。…って言っておくわ、八雲藍」 自分の呼びかけに対しそう答えた霊夢にベンチの女―――八雲藍もまた目を細めて睨み返す。 それでこの巫女が怯むとは全く思ってもいなかったし、単に自分を睨む彼女へのお返しみたいなものであった。 両者互いに力ませた目元を緩ませないでいると、霊夢の背にあるデルフが金属音を鳴らしながら喋り出す。 『おいおい堅苦しすぎるぜお前ら?…って言っても、昨日は色々あったから仕方ないとは思うがよ』 昨日ルイズたちと一緒に、藍の豹変と何かに動揺する紫を見ていたデルフの言葉に霊夢が軽く舌打ちしつつ視線を後ろへ向ける。 「だったら少し黙っててくれない?ただでさえ暑いっていうのにそこにアンタの濁声まで加わったら参っちゃうわ」 『ひでぇ。…でもまぁ許す、今はお前さんが俺の使い手だしな。じゃあお言葉に甘えて少し静かにしておくよ』 随分な言い様であったがそれで一々怒れる程デルフは生まれたばかりではなかったし、経験もある。 背中越しに感じる霊夢の気配から、ベンチの狐女に昨日の事を聞きたいのであろうというのは何となく分かる事が出来た。 デルフは彼女の剣として、ここは下手に口を出さすのはやめて大人しく黙っておくことにした。 それから数秒、静かになったデルフを見てため息をついた霊夢は再び藍の方へと視線を向ける。 特徴的な九尾と狐耳を縮めて人に化けた彼女もまたため息をつきき、自分の隣の席を無言で指さす。 ―――そこに座れ。そう受け取った霊夢はデルフを下ろすとベンチに立てかけて、藍の横に腰を下ろした。 太陽の光に照らされ続けた木製のそれは熱く、スカート越しでも容赦なく彼女の背中とお尻へと熱気が伝わってくる。 せめて木陰のある場所に設置できなかったのか。そんな事を思っていた霊夢へ、早速藍が話しかけてきた。 「昨日の夜は悪かったな。まさか雨漏りしていたとは考えてもいなかったよ」 「……そうね。でもまぁ、そのおかけで昨日はマトモな部屋で寝れたし結果オーライって事で許してあげるわ」 「何だその言い方は?もしかすれば私に仕返ししてかもしれないって言いたいのかお前は」 「あら、仕返しされたかったの?何なら今この場でしちゃっても良いんだけど」 「やれるものなら…と言いたいがやめておけ、こんな所で騒げば今度こそ紫様の堪忍袋の緒が音を立てて切れるぞ」 「それなら遠慮しておくわ。アンタが怒るよりもそっちの方が十倍怖いんですもの」 そんな短い会話の後、ほんの少しの間だが二人の間を沈黙が支配した。 お互い本当に言いたい事、そして聞きたい事をいつ口に出そうか迷っているのかもしれない。 いつもならば霊夢が先陣切って口を開きたいのだろうが、昨日久々に姿を見せた紫の動揺を思い出してか口を開けずにいる。 これまで色んな所で彼女の前に現れては、色々なちょっかいを掛けてきた大妖怪こと八雲紫。 並の妖怪なら名を聞いただけでも怯んでしまう博麗の巫女である彼女を前にしても、常に余裕満々で接してきた。 ちょっかいを掛け過ぎた霊夢が激怒した時もその余裕を崩す事なく、むしろ面白いと更にちょっかいを掛けてくる事もあった。 だからこそ霊夢は変に気にし過ぎていた。まるで世界の終わりがすぐ間近だと気づいてしまった時の様な様子に。 ブルドンネ街では市場が始まったのか、遠くから人々の活気づいた喧騒が耳に入ってくる。 一方で夜はあれだけ騒がしかったチクントネ街は未だ静かであり、時折二人の前を人々が通り過ぎていく。 きっと市場へ買い出しに行くのだろう、手製の買い物袋を手に歩く女性の姿が多い。 年の幅は十代後半から六十代までとかなり広く、何人かが集まって楽しげな会話をしているグループも見られる。 そんな人たちを見ながら、霊夢と同じく黙っていた藍は意を決した様に一呼吸おいてからようやく口を開いた。 「やはり気になっているんだろう、私が急にお前へ掴みかかった事が」 「それ意外の何を気にすればいいっていうのよ。滅茶苦茶動揺してた紫の事も含めて、昨日から聞きたかったのよ?」 藍の言葉に待っていましたと言わんばかりに霊夢は即答し、ジッと九尾の式を見据えた。 それは昨日――霊夢たちの前に紫が現れた時の事。 紫は言いたい事を言って、霊夢たちも伝えたい事を伝え終えていざ紫が部屋を後にしようとした時であった。 何気なく霊夢は昨日見た変な夢の事を話した直後、まるで興奮した獣の様に藍が掴みかかってきたのである。 突然の事に掴まれた本人はおろかルイズと魔理沙に橙も驚き、思わず霊夢は紫に助けを求めようとした。 しかし、紫もまた藍と同様に―――いや、もしくは式以上におかしくなっている彼女を見て霊夢は目を丸くしてしまった。 前述した様に、まるで世界の終わりを予知したかのように動揺している紫の姿がそこにあったのだ。 ――――ちょっと、どういう事?何が一体どうなってるのよ… 面喰った霊夢が思わず独り言を言わなければ、ずっとその状態のままだったかもしれない。 まるで見えない拘束か立ったまま金縛りに掛かっていたかのように、数秒ほどの時間をおいて紫はハッと我に返る事が出来た。 それでも目は若干見開いたままであったし、額から流れる冷や汗は彼女の体が動くと同時に更に滲み出てくる。 紫はほんの少し周囲にいる者たちを見回して、皆が自分を見ている事に気が付いた所で誤魔化すように咳払いをした。 「…ごめんなさい。少し暑くてボーっとしていたみたい」 「ボーっと…って、貴女明らかに何かに動揺していたんじゃないの?」 いつも浮かべる者とは違う、苦々しさの混じる笑顔でそう言った彼女へ、ルイズがすかさず突っ込みを入れる。 ルイズは紫が『何に』動揺していたのかまでは分からなかったが、それでも暑すぎてボーっとしていた何て言い訳を信じる気にはなれなかった。 あの反応は霊夢の言葉を聞き、その中に混じっていた『何か』を聞いて明らかに動揺していたのである。 そんなルイズの突っ込みへ返事をする気は無いのか、紫は霊夢に掴みかかっている藍へと声を掛けた。 「藍、霊夢を放してあげなさい。彼女も嫌がってるだろうし」 「え――…?あ、ハイ。ただいま…」 気を取り直した紫の命令で藍は正気に戻ったかのように大人しくなり、霊夢の両肩を掴んでいたその手を放す。 九尾の狐にかなり強く掴まれてジンジンと痛む肩を摩る霊夢は、苦虫を噛んだ時の様な表情を浮かべて痛がっている。 そりゃ式と言えども列強ひしめく妖怪界隈でもその名が知られている九尾狐に力を込めて肩を掴まれれば誰だって痛がるだろう。 大丈夫なの?と心配そうに声を掛けてくれるルイズに霊夢は大丈夫と言いたげに頷くと、キッと藍を睨み付けた。 「アンタねぇ…、一体どういう力の入れ方したらあんなに強く掴めるのよ」 「それは悪かったな。…だが、こっちも一応そうせざるを得ない理由があるんだよ」 「理由…ですって?どういう事よソレ」 霊夢の言葉に肩を竦めつつ、藍は若干申し訳なさそうな表情を浮かべつつもその言葉には全く反省の意が見えない。 まぁそれは仕方ないと想おうとしたところで、彼女は藍の口から出た意味深な単語に食いつく。 どんな『理由』があるにせよ乱暴に掴みかかってきたことは許せないが、それを別にして気になったのである。 あの八雲藍がここまで取り乱す『理由』が何なのか、霊夢は知りたかった。 早速その『理由』について問いただそうとした直前、彼女よりも先に紫が藍へ向けて話しかけたのである。 「霊夢、藍とする話が急に出来たから少し失礼するわね」 「え?あの…紫さ――うわ…っ!」 突然の事に霊夢だけではなく藍も少し驚いたものの、有無を言えぬまま足元に出来たスキマの中へと落ちてしまう。 藍が大人しく飲み込まれてしまうと床に出来たスキマは消え、傷一つ無い綺麗なフローリングに戻っている。 正に神隠しとしか言いようの無い早業にルイズと魔理沙がおぉ…と感心している中、霊夢一人だけが紫へと食い掛かった。 「ちょっと紫、何するのよイキナリ。これから藍に色々聞きたい事があったっていうのに!」 明らかに怒っている霊夢にしかし、先ほどまでの動揺がウソみたいに涼しい表情を見せる紫は気にも留めていない。 「御免なさいね霊夢。これから色々藍と話し合いたい事ができたから、今日はここらへんで帰るとするわ」 「ちょ…!待ちなさいってッ!」 彼女だけは行かせてなるものかと思った霊夢が引きとめようとする前に、紫は右手の人差し指からスキマを作り出す。 まるで指の先を筆代わりにして空間へ線を書いたかのようにスキマが現れ、彼女はそこへ素早く入り込む。 たった数歩の距離であったが、霊夢がその手を掴もうとしたときには既に…スキマは既に閉じられようとしていた。 このままでは逃げられてしまう!そう感じた彼女はスキマの向こう側にいるでうろ紫へ向かって大声で言った。 「アンタッ!一体何を聞いたらあんな表情浮かべられるのよ!?」 「……残念だけど、今回の異変に関さない情報は全て後回しと思いなさい。博麗霊夢」 届きもしない手を必死に伸ばす霊夢へ紫がそう告げた瞬間、藍を飲み込んだモノと同様にスキマはすっと消え去った。 後に残ったのは霊夢、ルイズ、魔理沙にデルフ…そして何が起こったのか全く分からないでいる橙であった。 消えてしまったスキマへと必死に左手を伸ばしていた霊夢は、スキマが消える直前に中にいた紫が自分を睨んでいたと気づく。 ほんの一瞬だけで良く見えなかったものの、いつもの紫らしくない真剣さがその瞳に映っていたような気がするのだ。 まぁ見間違いと誰かに言われればそうなのかもしれない。何せ本当に一瞬だけしか目を合わせられなかったのだから。 結局、あの後紫と話をしてきたであろう藍が何を言い含められたのかまでは知らない。 昨日は屋根裏部屋やら雨漏りやらで聞くに聞けず、霊夢自身もその後の出来事で忙しく忘れてしまっていた。 そして今日になってようやく、暇を持て余していたであろう彼女がわざわざ自分を誘ってきたのである。 据え膳食わぬは何とやら…というのは男の諺であるが、出された料理が美味しければ全部頂いてお土産まで貰うのが博麗霊夢だ。 だからこそ彼女はこうして自分を待ち構えていた藍の隣に座り、今まさに遠慮なく聞こうとしていた。 昨日、どうして自分が夢の中で体験したことを口にしただけであの八雲藍がああも取り乱し、 そして紫さえもあれ程の動揺を見せた理由が何なのか、博麗霊夢は是非とも知りたかったのだ。 「…で、教えてくれるんでしょう?私が見た夢の話を聞いて何で『覚えてる』なんて言葉が出たのか」 霊夢の口から出たその質問に、藍はすぐに答えることなくじっと彼女の顔を見つめている。 まるで言うか言わないべきかを見定めているかのように、真剣な表情で睨む霊夢の顔を凝視する。 両者互いに睨み合ったまま十秒程度が経過した頃だろうか?ようやくして藍が観念したかのように口を開いた。 「私の口から何と言うべきか迷うのだが、…お前は夢の中で自分とよく似た巫女を見たのだろう?」 「えぇ、何かヤケに殴る蹴るで妖怪共をちぎったり投げたりしてような…」 最初の一言からでた藍からの質問に、霊夢は夢の内容を思い出しながら答える。 あの夢の事は不思議とまだ覚えていたし、細部はともかく大体の事は今でも頭の中に記憶が残っていた。 彼女からの返答を聞いた藍は無言で頷いた後、ほんの数秒ほど間を置いてから再び喋り始める。 そして、九尾の式の口から出たのは霊夢にとって衝撃的と言うか言わぬべきかの間の事実であった。 「要だけかいつまんで言えば、恐らくその巫女はお前の一つ前…つまりは先代の巫女の筈だ」 「…は?先代の…巫女ですって?」 少し渋った末に聞かされたその答えの突然さに、霊夢は目を丸くする。 思わず素っ頓狂な声を上げる霊夢に藍は「あぁ」と頷きつつ、雨上がりの晴れた青空を仰ぎ見ながらゆっくりと語っていく。 それは人間にとっては長く、妖怪である彼女にとってつい昨日の様な出来事であった。 「今から二十年前の幻想郷での出来事か、今のお前より年下の少女が新しい博麗の巫女に選ばれた。 霊力、才能共に十分素質があり、何より当時の先代が幼年の頃の彼女を拾って修行させいたのも大きかった。 何よりあの当時は今と比べて雑魚妖怪共による集団襲撃が相次いでいたからな。なるべく早く次代を決めざるを得なかった」 藍の話をそこまで聞いて、霊夢は成程と幾つもある疑問の一つを解決できた事に満足に頷いて見せる。 つまりあの夢の内容はその先代巫女とやらが妖怪退治をしていた時の光景を夢で見たのであろう。 そこまで考えたところでまた新しい疑問ができたものの、それを察していたかのように藍は話を続けていく。 「お前が言っていた人面に猿の体の妖怪の事なら、当時私も現場にいたから良く覚えてる。 それで、まぁ…実はその当時既に幼いお前さんを紫様が少し前に拾って来ていてな、 気が早いかもしれんが、何かあった時の跡取りにと二十二なったばかりの先代巫女にお前の世話を押し付けていたんだ。 まぁ紫さま自身ようやく赤ん坊から卒業したばかりのお前さんの面倒を見てたり……後、妖怪退治にも連れて言ったりもしてたな」 勿論、紫様がな。最後にそう付け加えて名前も知らぬ先代巫女の名誉を守りつつもそこで一旦口を閉じる。 一方で、そこまで話を聞いていた霊夢はこんな所で自分の出自に関する事が出てきた事に少し衝撃を受けていた。 放して欲しいとは言ったが、まさかこんな異世界に来てから幻想郷で告白するような事実を告げられたのであるから。 藍も雰囲気でそれを感じ取ったのか、若干申し訳なさそうな表情を浮かべて彼女へ話しかける。 「流石に堪えるか?…すまんな、お前の出自に関してはお前が色々と落ち着いてから話そうと紫様と決めていたんだが…」 「…ん、まぁー大体自分がそうじゃないかなって思ってたりはしてたけどね?両親の事とか全然記憶にないし」 今はここにいない紫の分も含んでいるであろう藍からの謝罪に、霊夢はどういう感情を表せばいいか分からない。 確かに彼女の言うとおり、今現在も続いている未曾有の異変解決の最中にカミングアウトするべき事じゃなかったのは明白である。 恐らく異変を解決した後で、更に自分が年齢的にも精神的にも大きくなった時に話すつもりでいたのだろう。霊夢はそう思っていた。 最も霊夢自身は両親がいないという事実を何となく察していたし、一人でいて特に不自由する事もなかったが。 しかしここでふと新たな疑問がまた一つ浮かぶ。霊夢はそれをなんとなく藍に聞いてみることにした。 「んぅ~…でも私、その先代の巫女とやらと一緒にいた記憶がスッポリ抜け落ちたかの如く無いのよねぇ~」 「……………まぁ大抵の世話は紫様がして、巫女はそういうのを面倒くさがって全部あのお方に任せていたからな」 しかしこの時、霊夢の質問を――ー先代の巫女と一緒にいたという記憶が無い―と聞いて一瞬だけ表情が変わるのを見逃さなかった。 それを見逃さなかった霊夢であったが、その内心を読み取ることは出来ずひとまず彼女に話を合わせることにした。 「…?……んぅ、まぁ例え私が紫にそういうのを押し付けられたとしても確かにそうするかもね」 「まぁオムツはやら離乳食は卒業したばかりであったし、大して世話は掛からなかった…とも言っておこうか」 「そういうのを、普通にカミングアウトするのやめてくれないかしら?」 藍からしてみればほんの少し前の幼い昔の霊夢と、成長して色々酷くなった今の霊夢を見比べながら彼女は言う。 そんな式に苦々しい表情を向けつつも、霊夢は昨日から悩んでいた事が幾つか取り除かれた事に対してホッと安堵したかった。 どういう理由かまでは知らないが、どうやら自分は昔見たであろう血なまぐさい光景とやらを夢で見たのだという。 そしてあの巫女モドキはこの世界の出身者ではなく、同じ幻想郷の同胞――それも自分の先代である博麗の巫女であるかもしれない事。 何故今になって、こんな厄介かつ長期的な異変に巻き込まれている中でこのような事態が起こったのかは分からない。 解決すれはする度に新しい疑問が湧きあがり、霊夢の頭の中に悩みの種として埋められてしまう。 そして性質が悪い事にそれはすぐに解決できるような話ではなく、それでも異変解決を生業とする身が故に自然と考えてしまう自分がいる。 (全く…チルノや他の妖精たちみたいな能天気さでもあれば、そういう事に対して一々気にもせずに済んだのかもしれないわね) 知性が妖精並みに低くなるのは勘弁だけど。…そんな事を思っていた霊夢は、ふと頭の中に一つの疑問を藍へとぶつける。 それは、かつて自分の前に巫女もどき―――ひいてはその先代の巫女かもしれない人物についての事であった。 「じゃあ聞きたいんだけど、私とルイズ達が私とそっくりな巫女さんに会ったって言ったでしょう」 「あぁ、そういえばそんな事も言っていたな。確か夢の中に出てきた先代巫女と瓜二つだったのだろう?」 「だから聞きたいのよ。どうしてこんな異世界に、先代の巫女とよく似たヤツがいるのかについて」 「…………」 意外な事にその質問を耳にして、藍は先程同様すぐに答える事ができなかったのだ。 まるでとりあえずボタンは押したは良いものの、答えがどれなのか思い出そうとしている四択クイズのチャレンジャーの様である。 それに気づいた霊夢が怪訝な顔を浮かべて彼女の顔を覗き込もうかと思った、その直後であった。 「―――悪いが…それに関しては私の知る範囲ではないし、紫様も同様に答えるだろうな」 「つまり、あの巫女もどきの存在は完全にイレギュラー…って事でいいのよね?」 大分遅れて答えを口にした彼女に怪訝な視線を向けつつも、霊夢は念には念を入れるかのように再度質問する。 藍はそれに対し「そうだ」と頷くと、もう話は終わりだぞと言うかのようにベンチからゆっくりと腰を上げた。 彼女が立ち上がると同時に霊夢も視線を上げると、金髪越しの陽光に思わず目を細めてしまう。 「私が確認しない事には分からないが、生憎未だ見つかってない。最も、何処にいるか皆目見当つかんがな」 「そう…じゃあ私とルイズ達はいつもどおり異変解決に専念するから。アンタは巫女モドキを捜す…それでいいわよね?」 「それでいい。何か目ぼしい情報があれば教える、それではまた今夜にでも…」 互いにするべき事と任せるべきことを口に出した後、藍は霊夢が歩いてきた道を歩き始める。 市場へ向かう人の流れに逆らうように足を進める九尾の背中を、霊夢は無言で見つめていた。 やがて通りの横に造られている路地裏にでも入ったのか、人ごみとと共に彼女の姿は掻き消されたかのように見えなくなった。 霊夢はそれでも視線を向け続けた後、一息ついてから立ち上がり横に立てかけていたデルフを手に取る。 太陽に熱されて程よく暖まった鞘に触れた途端、それまで黙っていた彼は鞘から刀身を出して霊夢に話しかけた。 『余計なお節介かもしれんが、お前さんあの狐の話を端から端まで信じる気か?』 いつものおちゃらけた雰囲気とは打って変わって、ややドスの利いたその声に霊夢は無言で目を細める。 ほんの数秒目と思しき物が分からないデルフと睨み合った後、彼女は溜め息をつきつつ「まさか」と返した。 「アイツといい紫といい、何か私に隠してるってのは分かってるつもりだけど…一番問題なのはあの巫女もどきよ」 『あの狐がお前の前の代の巫女と姿が一致してるって言ってたあの長身の巫女さんの事か』 デルフもタルブで助太刀してくれた彼女の後姿を思い出しつつ、藍が言う前に霊夢より一つ前の巫女と似ているのだという。 しかしここはハルケギニアであって幻想郷ではない。ならばどうしてこの世界にいるのか、その理由が分からない。 文字通り情報が圧倒的に不足しているのだ。 まだ親の顔すら分からぬ赤ん坊に、魔方陣を一から書いてみろと言っている様なものである。 恐らく藍や紫たちも同じなのであろうし、この謎を解くにはもう少し時間が必要なのかもしれない。 そしてデルフにとってもう一つ気になる疑問があり、それは今すぐにでも霊夢に問う事ができた。 さてこれから何処へ行こうかと思っていた彼女へ、デルフは何の気なしに『なぁレイム』と彼女に話しかけたのである。 『アイツらは随分と一つ前の巫女を覚えてたようだが、お前さんの先輩だっていうのに肝心の本人は全く覚えてないってのか?』 「ん…?そりゃ、まぁ…そんな事言われても本当に物覚えがないのよねー。…まぁ私がこうして巫女やってるから何かがあったんだとは思うけど」 『何かって?』 霊夢の意味深な言葉にデルフが内心首を傾げて見せると、彼女はお喋り剣に軽く説明した。 博麗の巫女は継承性であり、基本は霊力の強い女の子を紫か巫女本人が跡取りとなる少女を探す…のだという。 当代の巫女は跡取りの少女に霊力の操り方や妖怪との戦い方、炊事選択などの一人で暮らせる為の知恵を授けなければいけない。 そして当代が何らかの原因で命を落とした場合は、一定の期間を置いて跡取りの少女が次代の巫女となるのだという。 「私の代で妖怪との戦いは安全になったけど…昔は一、二年で死んでしまう巫女もいたらしいわ」 『ほぉ~…そりゃまた、随分とおっかないんだなぁ?お前さんの暢気加減を見てるとそうは思えんがね』 一通り説明した後、暢気に聞いていたデルフが感心しつつも漏らした辛辣な言葉に彼女はすかさず「うっさい」と返す。 まぁ確かに彼の言うとおり、スペルカードや弾幕ごっこのおかげで幻想郷全体がひとまず平和になり、自分もその分暢気になれる余裕ができたのだろう。 時折そうしたルールを理解できないくらい頭が悪い妖怪が襲ってくる事はあるが、これまで余裕で返り討ちにしている。 幻想郷で起きた異変で対峙してきた連中は幸いにも弾幕ごっこで挑んできてくれたし、それなりにスリリングな勝負を味わってきた。 (まぁ弾幕って綺麗だし避けるのも中々面白いけど…ハルケギニアの戦い方と比べれば何て言うか…命の張り合いが違うというか…) だがその反面、この世界での戦い方と比べれば幻想郷側である霊夢も多少相性の悪さを覚えていた。 弾幕ごっこは基本被弾しても多少の怪我で済むし、当てる方が加減をすれば無傷で相手との雌雄を決する事ができる。 だがその反面、最低怪我だけで済む命の保証された戦いはハルケギニアの血生臭い命のやり取りとは『真剣さ』に決定的な差がある。 例えれば、鍛え抜かれた剣と槍を持った鎧武者相手に水鉄砲と文々。新聞を丸めたモノで勝負を挑むようなものなのだ。 相手がキメラなら霊夢も容赦なしで戦えるが、ワルドの様な人間が相手ではそう簡単に命を奪うような真似は出来ない。 もしもあの時、自分ではなく魔理沙がワルドの相手をする羽目になっていたら――――…そこで霊夢は考えるのをやめる。 慌てて頭を横に振って考えていた事を振り払うと、そこへ間髪入れずにデルフが話しかけてきた。 『…それにしてもお前さん、結局一昨日の事はあの二人に話さなくて良かったのかい?』 最初は何を言っているのかイマイチ分からなかったが゙一昨日゙という単語でその日の出来事を振り返り、そして思い出す。 そう、一昨日の夜…自分たちのお金を盗んだ少年をいざ気絶させようとしたときに、何故か巫女もどきが突っ込んできたのである。 おかげで気を失うわ、あの少年にはまんまと金を持ち逃げられるわで散々な目に遭った。 さっきまでデルフ言った『暢気発言』のせいで変に考えすぎてしまっていたせいで、ほんの一瞬だけ忘れてしまっていたらしい。 その時魔理沙の元にあったデルフが知っているのは、昨日他の二人が寝静まった後に顛末を聞かせてくれと頼んできたからだ。 霊夢本人としてはあまり自分の失敗は話したくなかったものの、あんまりにもせがむので仕方なく教えたのである。 その事を思い出せた霊夢はあぁ!と声を上げてポンと手を叩き、ついでデルフに喋りかける。 「まぁ説明しようかなぁ…ってのは思ってたけど、下手に一昨日ここで出会ったって言うのは何か不味い気がしてね」 『それは案外正解かもな?あの狐、あまり騒ぐのは良しとしてないようだがそれもあくまで『大多数の人が見ている前』だけかもしれん』 「……それってつまり、藍のヤツがあの巫女もどきを見つけ次第どうにかしちゃうって言いたいの?」 霊夢の言い訳にデルフはいつもの気怠そうな声とは反対に、きな臭さが漂う事を言ってくる。 やけに過激な発言なのは間違いないし、そこは霊夢も言いすぎなんじゃないかと諭すのが普通かもしれない。 しかし、彼女もまたデルフの言葉を一概に否定できるような気分ではなかった。 昨日、あの巫女もどきと似ているという先代の巫女が出てきた夢の話だけで掴みかかってきた藍の様子。 物心つくまえの自分が見たという光景を夢で見ただけだというのに、あの反応は誰がどうも見てもおかしかった。 とてもじゃないが、自分が昔の巫女を夢で見たというだけであんなに驚くのははっきり言って異常としか言いようがない。 それを聞いて酷く動揺し、豹変した藍を無理やり連れて部屋を後にした紫も加えれば…何かを隠しているのは明らかであった。 そして、その先代の巫女と姿が似ていると藍が言っていた巫女もどき。 彼女が街にいるのなら藍よりも先に見つけ出して、色々彼女の出自について聞いてみる必要があるようだ。 やるべき事を頭の中で組み立てた彼女はデルフを背負い、市場の方へと歩きながら彼にこれからの事を話していく。 「ひとまず金を盗んだ子供を捜しつつ、あの巫女もどきもできるだけ早く見つけ出して話を聞いてみないと」 『だな。お前さんのやるべき事が一つ増えちまったが…まぁオレっちが心配する必要はなさそうだね』 「まぁね。ついでにやる事が一つできただけなら、片手間程度ですぐに済ませられるわ」 暗にルイズや魔理沙たちに相談する必要は無いという霊夢の意見に、デルフは一瞬それはどうかと言いそうになる。 確かに彼女ぐらいならば、今抱えている自分の問題を自分の力の範囲内で片付ける事が出来るかもしれない。 しかし知り合いに相談の一つぐらいしても別にバチは当たらんのではないかと思っていたが、彼女にそれを言っても無駄になるだろう。 変に固いところのある霊夢とある程度付き合って、ようやく分かってきたデルフは敢えて何も言わないでおくことにした。 ここで自分の意見を押し連れて喧嘩になるのもアレだし、何より今の彼女は自分を操る『使い手』にして『ガンダールヴ』なのである。 彼女がよほどの間違いを起こさなければ咎めるつもりは無いし、間違っていれば咎めつつもアドバイスしてやるのが自分の務めだ。 だからデルフはとやかく霊夢に意見するのはやめて、ちょっとは彼女の進みたい方向へ歩かせてみることにしたのである。 (全く、今更何だが…つくづく風変わりなヤツが『ガンダールヴ』になったもんだぜ) デルフは彼女に背に揺られながら一人内心で呟くと、霊夢より一つ前――自分を握ってくれたもう一人の『ガンダールヴ』を思い出そうとする。 昨日、ふと自分の記憶に変調が生じて以降何度も思い出そうとしてみたが、全然思い出す事が出来ない。 まるでそこから先の記憶がしっかりと封をされているかのように、全くと言って良い程浮かんでこないのである。 少なくとも昨日の時点で分かったのは、かつて自分を握った『ガンダールヴ』も女性であった事、 そして彼女と主である始祖ブリミルの他に、もう二人のお供がいた事だけ…それしか分かっていないのだ。 しかも肝心の始祖ブリミルと『ガンダールヴ』の顔すら忘れてしまっているという事が致命的であった。 (それにしてもまいったねぇ。相談しようにも内容が内容だから無理だし、他人の事をとやかく言ってられんってことか) 自分と同じように一つ前の巫女の顔を知らない霊夢と同じような『誰にも言えぬ事』を抱えている事に、彼は内心自嘲する。 互いに多くの秘密を抱えた一人と一本はやがて人ごみが増していく通りの中に紛れ込みながら、ひとまずはブルドンネ街へと足を進めた。 それから時間が幾ばくか過ぎて、午前九時辺りを少し過ぎた頃。 『魅惑の妖精』亭の二階廊下、屋根裏部屋へと続く階段の前でルイズはシエスタと何やら会話をしていた。 しかしシエスタの表情の雲行きがよろしくない事から、あまり良い話ではなさそうに見えるが…何てことは無い。 「…と、いうわけであの二人は外に出かけてるのよ」 「そうなんですか、お二人とも用事で外に…」 今日と明日の貴重な二連休をスカロンから貰った彼女が、ルイズ達三人を連れて外出に誘おうと考えていたらしい。 しかし知ってのとおり霊夢達はそれぞれの用事で既に外へ出ており、早くとも帰ってくるの昼食時くらいだろう。 暇をしていたルイズが空いた水差しを手に階段を降りたてきたころでバッタリ出会い、そう説明したばかりであった。 「まぁマリサはともかく、レイムは泥棒捜しで忙しいだろうし断られたかもしれないけどね?」 「あっ…そうですよね、すいません。…レイムさん達に王都の面白い所を色々見せてあげようと思ってたんですが、残念です…」 ルイズの言葉で彼女達の今の状況を思い出したシエスタハッとした表情を浮かべ、ついで頭を下げて謝った。 どうやら彼女の中では色々と案内したい所を考えていたらしいようで、かなりガッカリしている。 落ち込んでいる彼女を見てルイズも少しばかり罪悪感という者を感じてしまったのか、ややバツの悪そうな表情を浮かべてしまう。 普通なら魔法学院のメイドといえども、貴族である彼女がこんな罪悪感を抱える理由は無い。 しかしシエスタとは既に赤の他人以上の関係は持っていたし、何より彼女にとって自分たちは二度も我が身の危機を救ってくれた存在なのだ。 そんな彼女が自分たちにもっと恩返しをしたいという思いを感じ取ったルイズは、さりげなくフォローを入れてあげることにした。 「ん~…まぁ幸い明日も休みなんでしょう?アイツら遅くても夕食時には帰ってくるだろうし、その時に誘ってみたらどうかしら」 「え、良いんですか!でもレイムさんは…」 途端、落ち込んでいた表情がパッと明るくなったのを確認しつつ、 気恥ずかしさで顔を横へ向けたルイズは彼女へ向けて言葉を続けていく。 「アイツだって、一日休むくらいなら文句は言わないでしょうに。…案外泥棒も見つかるかもしれないしね…多分」 「ミス・ヴァリエール…分かりました。じゃあ夕食が終わる頃合いを見て話しかけてみますね!」 「そうして頂戴。まぁアンタが空いた食器を持って一階へ降りる頃には、安いワイン一本空けて楽しんでるだろうけどね」 ひとまず約束をした後、ルイズは何気なくシエスタの今の食事環境と昨夜の苦い体験を思い出してしまう。。 この夏季休暇の間、住み込みで働いている彼女の食事は三食とも店の賄い料理なのだという。 賄いなので量は少ないのかもしれないが、少なくとも自分たちの様に余分な酒代が出る事は絶対に無いだろう。 昨日は魔理沙の勢いに押し負けて安いワインを一本を頼んだつもりが、気づけばもう一本空き瓶がテーブルの上に転がっていたのである。 安物ではあるが安心の国産ワインだった為にそれ程酷く酔うことは無かったものの、その時は思わず顔が青ざめてしまった。 幸い王都では最もポピュラーな大量生産の廉価ワインだったので、大した出費にはならず財布的には軽傷で済んで良かったものの、 あの二人がいるとついつい勢いで二杯も三杯も飲んでしまう自分がいる事に、ルイズは思わず自分を殴りたくなってしまう。 ただでさえ金が盗まれた中で簡単にワイン瓶を二本も空けていては、一週間も経たずに財布が底をついてしまうのだ。 (本当ならこういう時こそ私がキチッと節制するべきだっていうのに…あいつらに流されてちゃ意味ないじゃないの) 「…?あ、あの…ミス・ヴァリエール?」 霊夢が泥棒を見つけて、アンリエッタから貰った資金を取り返すまでは何としてでも少ない持ち金だけで耐えなければいけない。 ある意味自分の欲との戦いに改めて決意したルイズが気になったのか、シエスタが首を傾げている。 シエスタ…というか他人の目かから見てみると、ルイズの無言の決意はある意味シュールな光景であった。 その後、今日は霊夢達を外出に誘えなかったシエスタはひとまず私物等を買いに店を後にし、 手持ち無沙汰なルイズは誰もいない一階で、旅行鞄の中に入れていた読みかけの本の続きを楽しむことにした。 本自体は春の使い魔召喚儀式の前に買った魔法に関する学術書であり、霊夢が来てからは色々と忙しく集中できる機会がなかったのである。 故にこうして屋根の修理で騒がしくなってきた屋根裏部屋ではなく、静かな一階で久々に読書を嗜もうと考えたのだ。 藍の式である橙も用事なのか店にはおらず、ジェシカ達住み込みの数名は今夜の仕事に備えて就寝中。 スカロンは起きているが、昨日の雨漏りを治す為に呼んで来てくれた大工数人と共に屋根の上に登って修繕作業の真っ最中である。 丁度霊夢と魔理沙が外へ出た後ぐらいにやってきた大工たちに腰をくねらせてお願いし、難なぐ難のある゙助っ人として急遽加わる事になったのだ。 本当なら手伝わなくても良い立場だというのに、わざわざ工具箱を持って意気揚々と梯子を上っていった彼はこんな事を言っていた。 「長年お世話になって来たんですもの、このミ・マドモワゼルが誠心誠意を込めて直してあげなきゃ店の名が廃るってものよ!」 寝る前に様子を見に来たジェシカやシエスタに向けられた彼の言葉は、確かな重みがあった。 最も、その大切な言葉も彼のオカマ口調の前では呆気なく台無しになってしまうのだが。 ともあれ今の屋根裏部屋はその作業の音で喧しく、とてもじゃないが読書はおろか仮眠すら取れない状態なのである。 故にルイズはこうして一階に降りて、作業が終わるまで暇を潰そうと決めたのだ。 幸いにも店内は外と比べてそれ程暑くはなく、入口と裏口の窓を幾つか開ければ風通りも大分良くなる。 水もキッチンにある水入りの樽から拝借するのをスカロンが許してくれたが、無論飲みすぎないようにと注意された。 しかし外にいるならばともかく屋内ならそれほど汗もかかない為、ルイズからしてみれば余計な注意である。 五分、十分と時間が経つたびに捲ったページの枚数を増やしつつ彼女は熟読を続ける。 例えまともな魔法が使えなくとも知識というものは、自分に対してプラスの役割を付加してくれるものだ。 逆に魔法の才能があるからといって学ぶことを怠ってしまうと、魔法しか取り得の無い頭の悪い底辺貴族になってしまう。 かつて魔法学院へ入学する前に一番上の姉であるエレオノールが、口をすっぱくしてアドバイスしてくれたものである。 普段から母の次に恐ろしく厳しい人であったが、ツンとすました顔で教えてくれた事は今でも記憶の中に深く刻み込まれていた。 だからこそ入学した後も教科書だけでは飽きたらず自ら書店に赴き、底辺貴族なら見向きもしない様な専門書を買うまでになっている。 霊夢を召喚する前の休日にする事と言えば専門書を開き、夕食の後はひたすら魔法の練習をしていた。 今のルイズから見れば成功する筈の無い無駄な努力であったが、それでもあの頃はひたすら必死だったのである。 その時の苦い思い出と努力の空振りが脳裏を過った彼女はページを繰る手を止めて、その顔に苦笑いを浮かべて見せる。 「思えばあの時の私から、大分成長した…というか変わっちゃったものねぇ」 誰にも見られる筈の無い表情を誤魔化すように呟いた彼女は、ふと今の自分は読書に耽って良いのかと考えてしまう。 今は親愛なるアンリエッタ王女――近々女王陛下となる彼女――の為に、情報収集を行わなければいけない時なのである。 本当ならば霊夢達に任せず、自分が先頭に立って任務を遂行しなければいけないというのに…。 折角貰った資金は賭博で増やした挙句に盗られ、更に平民に混じっての情報収集すら上手くいかないという始末。 結局情報収集は霊夢の推薦で魔理沙に任してしまい、自分のミスで資金泥棒を逃がしてしまった霊夢本人が責任を感じて犯人探しに出かけている。 それだというのに自分は何もせず、悠々自適に広くて風通しの良い屋内で読書するというのは如何なものだろうか。 その疑問を皮切りに暫し悩んだルイズは読みかけのページに自作の栞を挟み込むと、パタンと本を閉じた。 決意に満ちた表情と、鳶色の目を鋭く光らせた彼女は自分に言い聞かせるように一人呟く。 「やっばりこういう時は私も動かないとダメよね?うん、そうに決まってるわ…そうでなきゃ貴族の名が泣くというものよ」 閉じた本を腕に抱えた彼女は一人呟きながら席を立ち、着替えや荷物のある喧しい屋根裏部屋へと戻り始める。 まだ釘を打つ音や金づちによる騒音が絶え間なく聞こえてくるが、着替えに行くだけならば問題は無いだろう。 今手持ち無沙汰な自分が何をすればいいのか…という事について既に彼女は幾つか考えていた。 とはいってもそのどちらか一つを選ぶことがまだできてはおらず、一人呟きながらそれを決めようとしている。 「まずは…情報収集かしら?…それとも頑張って資金泥棒を捜すとか…うーんでも、うまくいくのかしら」 傍から見れば変な人間に見えてしまうのも気にせず、一人悩みながら二階へと続く階段を上ろうとした…その時であった。 「おーい、誰かいないかぁ?」 階段のすぐ横にある羽根扉の開く音と共に、若い男性の声が聞こえてきたのである。 何かと思ったルイズが足を止めてそちらの方へ顔を向けると、槍を手にした一人の衛士が店の出入り口に立っていた。 気軽な感じで閉店中である店の羽根扉を開けてこっちに声を掛けて来たという事は、この近くの詰所で勤務している隊員なのだろう。 外は暑いのか額からだらだらと汗を流している彼は、ルイズを見つけるや否や「おぉ、いたかいたか」と笑った。 ルイズはこの店に衛士が何の様かと訝しむと、それを察したかのように二十代後半と思しき彼がルイズに話しかけてくる。 「いやーすまないお嬢ちゃん、少し人探しに協力してもらいたいんだが…いいかな?」 「お…お嬢ちゃんですって?」 「―――!…え、え…何?」 いきなり平民に「お嬢ちゃん」と呼ばれたルイズは目を見開いて驚いてしまい、ついで話しかけた衛士も驚いてしまう。 生まれてこの方、平民からそんな風に呼ばれたことの無かったルイズの耳には新鮮な響きであった。 だが決してそれが耳に心地いい筈が無く、むしろ生粋の貴族である彼女にとっては侮辱以外の何者でも無い。 本来ならば例え衛士であっても、不敬と叫んで言いなおしを要求するようなものであったが… 「う……うぅ……な、何でもないわよ」 ついつい激昂しそうになった自分の今の立場を思い出すことによって、何とか怒らずに済んだのである。 今の自分は任務の為にマントはつけず、街で買ったちょっと裕福な平民の少女が着るような服装で平民に扮しているのだ。 だからここで無礼だの不敬だのなんて叫んで、自分が貴族であるという事を証明する事などあってはならないのである。 故にこうして怒りを耐え凌いだルイズは怒りの表情を露わにしたまま、何とか激昂を抑える事が出来た。 危うく怒ったルイズを見ずに済んだ衛士は「あ…あぁそうかい」と未だ怯みながらも、懐から細く丸めた紙を取り出した。 一瞬だけそっぽを向いていたルイズが視線を戻すと同時に、タイミングよく彼も紙を彼女の前で広げて見せる。 その紙に描かれていたのは、見た事も無い男性の顔のスケッチであった。 年齢はおおよそ四~五十代といったところか、いかにも人の上に立っているかのような顔つきをしている。 自分の父親とはまた違うが、もしも子供がいるのならいつもは厳格だが時には優しく我が子に接する父親なのだろう。 そんな想像していたルイズが暫しそのスケッチを凝視した後、それを見せてくれた衛士に「これは?」と尋ねた。 「ウチの詰所じゃあないが別の詰所担当の衛士隊隊長で、昨日から行方不明なんだ。 それでもって…まぁ、今も所在が分からないうえに自宅の共同住宅にもいないからこうして探しているんだよ」 「衛士隊の隊長が行方不明ですって?」 「あぁ。…それでお嬢ちゃん、この顔を何処かで見た覚えはないかい?」 丁寧にそう教えてくれた衛士はルイズの言葉に頷くと、改まって彼女に見覚えがあるかと聞いた。 またもやお嬢ちゃん呼ばわりされたことに腹を立てそうになったものの、何とか堪えてみせる。 「み…!みみみみみ、見てないわよ、そんなへ―…男の人は」 思いっきり衛士を睨み付けつつも、彼女は歯ぎしりしそにうなる口を何とか動かしてそう答えた。 危うく平民と言いかけたが幸い相手はそれに気づかず、むしろ怒ってどもりながらも言葉を返してきたルイズに驚いているようだ。 まぁ誰だってルイズのやや過剰気味な返事を前にすれば、思わず面喰ってしまうのは間違いないだろう。 「そ、そうかい…はは。まぁ、もしも見かけたんなら最寄りの詰所にでも通報してくれ」 自分を睨み付ける彼女を見て後ずさりながらも、衛士は最後にそう彼女に言ってから踵を返し店を出ようとする。 たった一分過ぎの会話であったというのに疲労感を感じていたルイズが落ち着きを取り戻すのと同時に一つの疑問が脳裏を過り、 それが気になった彼女は自分に背中を見せて通りへ向かうおうとする衛士に再度声を掛けた。 「そこの衛士、ちょっと待ちなさい」 「え?な、何だよ?」 「ちょっと聞きたいんだけど、その行方不明になった隊長さんと言い…何か朝から事件でも起きてるのかしら?」 「え……な、何でそんな事聞きたいんだよ?」 呼び止められた衛士は、単なる街娘だと思っているルイズからそんな事を言われてどう答えていいか迷ってしまう。 振り返って顔を見てみると、先程まで腹立たしそうにしていたのが嘘の様に冷静な表情を浮かべているのにも気が付いた。 これまで色んな街娘を見てきた彼にとって、ここまで理性的で意志の強さが見える顔つきの者を目にしたことが無かった。 だからだろうか、彼女からの質問を適当にいなしてここを後にするのは何だか気が引けてしまう。 今ここで忙しいからと無下にしてしまえば、それこそ彼女からの『御怒り』を直に受けてしまうのではないかと…。 ほんの少しどう答えていいか言葉を選んでいたのか、難しい表情を浮かべていた彼は周囲を見てから彼女の質問にそっと答えた。 今朝がたに浮浪者からの通報で、衛士隊の装備を身に着けた白骨死体が水路から発見されたこと。 死体には外傷と思しき瑕は確認できず、また第一発見した浮浪者も発見の前日や数日前には目撃したことがなかったのだという。 そして昨晩、先ほどのポスターに書かれていた顔の主である衛士隊隊長が行方不明の為、白骨の事もあって全力で探しているらしい。 短くかつ分かりやすい説明で分かったルイズはルイズは「成程」と頷き、説明してくれた衛士に礼を述べる。 今朝の朝食時に見た何処かへと走っていく衛士達が何だったのか、今になってようやく知る事ができたのだから。 「ありがとう、大体分かったわ。…じゃあ今朝見た衛士達の行先はそこだったのね」 「あぁ、何せ通報受けたのはウチの詰所だったしな、もう朝っぱらからテンテコ舞いさ。じゃあ、そろそろ…仕事の途中でな」 本当にさっきまでの腹立たしい彼女はどこへ行ったのかと言わんばかりに、落ち着き払ったルイズに目を丸くしつつも、 こんな所で油を売っていてはいかんと感じたのか再び踵を返し、今度はちゃんと羽根扉を閉めて大通りへと出る事ができた。 思わずルイズも後を追い、羽根扉越しに見てみると今度は外――しかもこの店の屋根の上にいるスカロンへと声を掛けるところであった。 「おぉーい、スカロン店長ぉー!ちょっと聞きたい事があるんだが、降りてきて貰えないかぁー?」 「はぁ~いィ!…御免なさいね皆さん、ミ・マドモワゼルはちょっと下へ降りるわよ~!」 その声が届いたのか、数秒ほど置いて頭上からあの低い地声を無理やり高くしたような声のオネェ言葉が聞こえてくる。 そこで視線を店内へと戻したルイズは壁に背を預けてはぁ…とひとつため息をついた。 危うく貴族としての『地』が出てしまいそうになった事を反省しつつ、結局これからどうしようかという悩みをまたも抱えてしまう。 平民を装って話すだけでも自分にはキツイと言うのに、一人で街へと繰り出して情報収集などできるのかと。 さっきの衛士はまだ良い方なのだが、街へ行けば確実に彼より柄の悪い平民にいくらでも絡まれてしまうだろう。 そんな相手を前にして、自分は平民として装い続けられるのか?迷わず『はい』と答えたいルイズであったが、そうもいかないのが現実である。 「………結局、レイムの言った通り私はこの仕事に向いてないんだろうけど。…だからといっではいそうですが…なんてのは癪だわ」 結局のところ、あの二人に任せっきりにするというのは、自分の性に合わない。 先程はあの衛士のせいで上りそびれた階段目指して、今度こそ外へ出ようとルイズは壁から背を離す。 その時であった、入口の方から階段の方へ向こうとした彼女の視線に『何か』が一瞬映り込んだのは。 タイミングがずれていたなら間違いなく見逃していたかもしれない、黒くて小さい『何か』を。 それはゴキブリともネズミとも言えない、例えればそう…縦に細く伸びた人型――とでも言えばいいのだろうか。 一瞬だけだというのに本来ならお目に掛からないであろうその人型を目にして、思わずルイズは視線を向け直してしまう。 しかし彼女が慌てて入口の方へ視線を戻した時、既にあの細長い影の姿はどこにも無かった。 「ん?………え?何よ今のは」 ルイズは周囲の足元を見回してみるが、どこにもそれらしい影は見当たらない。 それどころかネズミやゴキブリも見当たらず、開店前の『魅惑の妖精』亭の一階は清掃がキチンと行き届いている。 (私の見間違い?…いえ、確かに私の目には見えていたはず) またや階段を上り損ねたのを忘れているかのように、彼女は先程自分の目にしたものがなんだったのか気になってしまう。 だけども、どこを見回してもその影の正体は分からず結局ルイズは探すのを諦める事にした。 認めたくはないが単なる見間違いなのかもしれないし、それに優先してやるべきことがある。 ルイズは後ろ髪を引かれる思いを抱きながらも、二階へと続く階段を渋々と上り始めた。 外の喧騒よりも大きいスカロンと衛士のやり取りをBGMにして、ひとまずは何処へ行こうかと考えながら。 ……しかし、彼女は決して目の錯覚を起こしてはいなかったのである。 彼女が背中を向けている店の出入り口、羽根扉下からそれをじっと見つめる小さな影がいた。 それは全長十五サント程度であろうか、小動物程度の小さな体躯を持つ魔法人形――アルヴィーであった。 人の形をしているが全身木製であり、球体関節を持っているためか人間に近い動きもこなす事が出来る。 何より異様なのは頭部。本来なら顔がある部分には空洞が作られ、そこに小さなガラス玉の様なものが収まっている。 青白く不気味に輝くガラス玉はまるで目玉の様にギョロリと動き、ルイズの後ろを姿をじっと見つめていた。 やがてルイズの姿が見えなくなると、アルヴィーは頭の部分を上げて周囲を見回してから、スッと店の出入り口から離れる。 横では衛士とスカロンが会話をしているのをよそに、小さな体躯にはあまりにも大きすぎる通りを横断し始めた。 人通りが多くなってきた為か、アルヴィー視点では巨人と見まがうばかりに大きい通行人達の足を右へ左へ避けていく。 少々時間が掛かったものの二、三分要してようやく反対側の道へ辿りついた人形は、そのままそさくさと路地裏へと入る。 日のあたらぬ狭い路。ど真ん中に放置された木箱や樽を器用に上り、陰で涼んでいる野良猫たちを無視して人形は進む。 やがて路地裏を抜けた先…人気の全くない小さな広場へと出てきた所で、元気に動いていたアルヴィーがその活動を急に停止させる。 まるで糸を切られた操り人形のように力なく地面に倒れた人形はしかし、無事主の元へとたどり着くことは出来た。 人形が倒れて数十秒ほどが経過した後、コツコツコツ…と足音を響かせて一人の女性が姿を見せる。 長い黒髪と病的な白い肌には似合わぬ落ち着いた服装をした彼女は、地面に倒れていたアルヴィーを拾い上げた。 前と後ろ、そして手足の関節を一通り弄った後、クスリと微笑むと人形を肩から下げていた鞄の中へとしまいこむ。 そして人形が通ってきた路地裏を超えた先――『魅惑の妖精』亭の方へと顔を向けて、彼女は一人呟く。 「長期戦を覚悟していたけど、まさかこうも簡単に見つかるなんて…全く、アルヴィー様様ね。 人形ならば数をいくらでも揃えられるし、何より私にはその人形たちを自在に操れる『神の頭脳』があるんだからね」 そんな事を言いながら、黒い髪をかきあげた先に見えた額には使い魔のルーンが刻み込まれている。 かつて始祖ブリミルが使役したとされる四の使い魔の内『神の頭脳』と呼ばれた使い魔、ミョズニトニルンのルーン。 ありとあらゆるマジック・アイテムを作り出し、そして意のままに操る事すらできる文字通り『頭脳』に相応しき能力を持っている。 そしてこの時代、そのルーンを持っているのは彼女―――シェフィールドただ一人だけであった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 八雲紫は夢を見ていた。ほんのちょっと前の出来事で、けれども決して取り戻せないとわかってる昔の思い出。 冬眠の時に見る近くて遠い世界の出来事ではなく、自分が造りあげ、そして残酷で優しい仕組みを持ったこの世界での思い出。 彼女たち妖怪にとって「ほんのちょっと前」と軽く言える月日は人間にとって十数年前と言うそれなりに長い月日の過去。 あの頃の記憶を夢の中で見ていた紫は、幻想郷と外の世界の境目である博麗神社の境内に立っていた。 「………ちょっと暑くなってきたわね」 彼女はこれを夢の中と知っていながらも、身に着けている白い導師服をそろそろ季節外れだという事に気が付く。 あの時と同じだ。夢の中と同じく季節が春から初夏へと移ろいゆく時期、自分は確かにここにいた。 肌を撫でる゙暖かい゙気温が緩やかに、しかし確実に゙暑い゙熱気へと変わっていくそんな時期。 今目の前に見える『数十年前の博麗神社』の中にいる、まだまだ幼く放ってはおけない゙彼女゙の様子を見に来ていたのである。 白色ながらも、頭上の太陽と境内の大理石を反射する熱気という挟み撃ちで流石の八雲紫もその顔に一筋の汗を流してしまう。 「参ったわね、夢の中だというのに…こうも暑いと感じてしまうなんて…――ーそういえば、この時は…」 衣替えはやっていたのかしら?一人呟きながらも、彼女は右手の人差し指で何もない空間にスッと『線を引く』。 瞬間、人差し指で引いた線が縦へ大きく開いだスキマ゙となり、幾つもの目玉が彼女を覗く空間から愛用の日傘が飛び出てくる。 紫は右手でその日傘を掴むと、まるで役目を終えたかのように゙スキマ゙は閉じ、跡形も無く消滅した。 「…確か、この年は外の世界の影響を少し受けてしまっていたのよね?あの時は…色々と大変だったわぁ」 ゙彼女゙の先代―――つまり一つ前の巫女がいた頃の当時を思い出しながら、傘を差した時――― 懐かしくて愛おしくて―――今の゙彼女゙も思い出してほしい、当時の幼ぎ彼女゙が背後から声を掛けてきた。 「あっ、ゆかりー!ゆかりだー!」 今の゙彼女゙に聞かせたら、思わず赤面して耳を塞いでしまうような舌足らずな声。 日傘を差し終えたばかりの紫はその声に後ろを振り向くと、小さな巫女服を着た女の子がこちらへ走ってくるのが見えた。 まだまだ年齢が二桁にも達していない子供特有の無邪気な笑顔を浮かべ、服と別離した白い袖を付けた腕を振り回しながらこちらへと駆けてくる。 やや茶色みがかった黒髪と対照的な赤いリボンもまだまだ小さいが、却ってそれがチャームポイントとなっていた。 笑顔で駆けつけてくれた小さな゙彼女゙に思わずその顔に笑みを浮かべつつ、紫ば彼女゙の体をスッと抱きかかえる。 妖怪としてはあまり体力がある方とは言えないが、それでも゙彼女゙の体重は自分の手には少し軽かったと紫は思い出す。 「久しぶりねぇ…お嬢ちゃん。元気にしていたかしら?」 「うん!」 ゙彼女゙は快活に頷き、ついで小さな両手で自分を抱いている紫の頬を触ってくる。 ようやく柔らかい皮膚の下にある骨の硬い感触が少しだけ伝わってくる゙彼女゙の手。 いずれはこの小さくも大切な世界の一端を担う者の手はほんのりと暖かく、微量ではあるが霊力の感じられる。 まるで素人が見よう見まねで作った枡の、ほんの僅かな隙間から漏れ落ちる酒のように゙彼女゙の力が放出されている。 この夢の中ではまだまだ幼い子供である゙彼女゙が、霊力を制御できるほどの知識や技術を知ってはいなかった事を紫は思い出す。 (そういえば、この頃はまだまだコントロールしようにもできなかったっけ…) 霊力でヒリヒリと痛む頬と、今の自分の状況をを知らずに無邪気に障ってくる゙彼女゙の笑顔を見て紫は苦笑いを浮かべる。 こうして夢の中で思い出してみれば、やはり゙彼女゙には恵まれた素質があったのだとつくづく納得してしまう。 それは後に、この夢の中より少しだけ大きくなった彼女の教師兼教官役となった紫自身の思いでもあった。 (まぁ、後々教師役となる私が言ってしまうと…色眼鏡でも付けてるんじゃないかってあの娘に言われてしまいそうだけど…―――…ん?) 夢の中でそんな事を思いつつ、まだまだ小さい゙彼女゙を抱きかかえていた紫は、ふと背後に何者かの気配を感じ取る。 それは自分を除いて今この場に居る人間の中で最も力強く、下手すれば誰彼かまわず傷つけようとする凶悪な霊力の持ち主。 故に妖怪だけではなく人間からも怖れられ、゙彼女゙と共に暮らしていた三十一代目博麗の巫女の気配であった。 「あら、何やら胡散臭い気配がすると思ったら…アンタだったのね」 まるで刃物の様に研ぎ澄まされ、少しドスを利かせれば泣く子が思わず黙ってしまう様な鋭い声。 その声も今は共に暮らしている小さかっだ彼女゙がいるおかげか、どこかほんのりと落ち着いた雰囲気が漂っている。 ここが夢の中だと自覚してはいるものの、実に十数年ぶりに聞いた三十一代目の声に紫の頬も自然と緩んでしまう。 「あらあら、随分大人しくなったわね?ちょっと前までは、境内に足を踏み入れただけで威嚇してきたというのに…」 「人を獣みたいに言うなっての」 口元を袖で隠しながら呟いた紫に、巫女は苛立ちをほんの少し見せた言い方でそう返した直後、 「あっ、お母さん!」 紫が抱きかかえていだ彼女゙がそう叫んで地面に着地すると、まるで脱兎の如き足の速さで巫女の下へと駆け寄っていく。 そして巫女の近くまで来ると一旦足を止め、自分を見下ろす巫女を中心にグルグルと走り回る。 「こらっチビ!あんたねぇ、朝食が済んで早々神社の外へ出るなってアレほど…ちょ、人の話を聞けっての!」 何やら巫女ば彼女゙に軽いお説教をしてやりたいのだろうが、肝心の゙彼女゙は忙しなく動き回っている。 紫はそんな二人に背中を見せていたが、その時の光景は夢として見る前の現実でしっかりと目にしていた。 両手を広げて笑顔で走り回る幼ぎ彼女゙と、そんな彼女にほとほと呆れながらもほんの少しだけ口元を緩ませていた巫女。 ゙彼女゙がこの幻想郷の住人となったのは、この夢の中では半年も前の事。 寒い寒い冬の山中。外の世界へと通じる針葉樹の森の中で、゙彼女゙は巫女に助けられた。 その時、周囲に転がっていた炎上する鉄塊と身に着けていた服で、外の世界からやってきた者だと一目で分かった。 当然の如く身寄りなどいるはずもなく、右曲折の末に゙彼女゙は巫女の下で育てられことになる。 なし崩し的に゙彼女゙と暮らし始めてからというものの、孤独に暮らしていた巫女は他人というモノを初めて知ることが出来た。 三十一代目には色々と問題があり、人里との付き合いも希薄であった故に゙彼女゙を受け入れてくれた時、紫は安堵のあまり胸をなで下ろしたものである。 (懐かしいわね…何もかも。―――夢とは思えないくらいに…) 背後から聞こえる楽しそうな゙彼女゙の嬌声を耳に入れながら、紫はその場に佇んでいた。 今夢で追体験しているこの日は、自分と巫女…そしで彼女゙にとってとてつもなく大きな転換点とも言える日。 当時の紫は思っていた。やむを得ない事情で三十一代目となった巫女の為に、゙彼女゙の今後を決めておかねばならないと。 制御しきれぬ力を抱え、一度タガが外れれば狂犬となってしまう巫女を助けようとして…幼ぎ彼女゙に次代の巫女になって貰うという事を。 そして、それが原因で巫女との仲違いとなり――――結果として、彼女を幻想郷を消さねばならなくなったという過ち。 いまこうして立って体感している世界は全て自分の過去であり、拭える事のできない過ち。 それを分かっていながらも、紫は心のどこかでこれが現実であれば良いのにと願っていた。 まるで人間が無茶な願いを流れ星に込めるように、最初から叶う筈がないとと知っていながら。 目を開けて最初に見たものは、自分の棲家―――マヨヒガの見慣れた天井であった。 天井からぶら下がる電灯を寝るときに消すのがいつも面倒で、いつの日か改装したいと思っている忌々しい天井。 そして頭を動かして周囲を見回せば案の定、マヨヒガの中にある自分―――八雲紫の部屋である。 夢の過去から戻ってきた紫は早速自分の体を動かそうとした瞬間、胸の中を稲妻が駆け抜けるようにして痛みが走った。 「―――――…ンッ!」 思わず呻き声を上げてしまった彼女は、これが原因で自分は目をさましたのだと理解する。 全く酷い寝起きね…。心の中で愚痴を漏らしつつ、ふと自分はどうして布団で寝ているうえに体がこんなに痛むのか疑問に思った。 自分の記憶が正しいのであれば、トリスタニアで霊夢を探していたルイズと魔理沙に彼女の居場所を教えた後で、幻想郷に戻ってきたのは覚えている。 思いの外苦戦していた霊夢に助太刀しようかとあの時は思っていたが、あの二人ならば大丈夫だろうとその場任せる事にしたのだ。 そしてハルケギニアを後にし、然程時間を掛けずに自分の棲家へ戻ったのは良かったが……そこから先の記憶は曖昧であった。 まるで録画に失敗したテレビ番組の様に、そこから先の記憶がプッツリと途切れているのだ。 「確かあの後は…マヨヒガに戻ってきたのは覚えてるけど……その後は…――」 「本棚の整理をしていた私を無意識にスキマで引っ張ってきて、半ば無理やり看病させてたのよ」 思い出そうとした紫に横槍を入れるかのように鋭く、それでいて冷たい声が右の方から聞こえてきた。 その声に彼女が頭だけを動かすと、丁度襖を開けた声の主が天の川の様に白く綺麗な髪をなびかせて入ってくる。 紺と赤のツートンカラーの服に、頭には赤十字の刺繍が施されたナースキャップ。そして寝込んだ自分へと向ける射抜くような瞳。 かつては月の頭脳と崇められ、今は裏切り者として幻想郷に住まう月人にして…不老不死の蓬莱人―――八意永琳。 幻想郷を支配する八雲紫自身も、油断ならない奴と思っていた彼女が何故ここに…?寝起きだった紫はそんな疑問を浮かべてしまう。 そして寝起きだったせいか、ついつい表情にもその疑問が出てしまったのを永琳に見らてしまった。 「……その顔だと、記憶にございませんって言いたそうじゃないの?」 彼女からの指摘でその事に気が付いた紫はハッとした表情を浮かべ、それを誤魔化すかのようにホホホ…と笑った。 「あらやだ、私とした事がうっかりしていましたわね……ふふ?」 「まぁ私も連れてこられた直後に見た貴女を見て驚いてしまったから、これで御相子という事にしましょう」 そう言って永琳は紫の枕元に腰を下ろすと、彼女に「体を起こせる?」と聞く。 ここは威勢よく頷いてスクッと上半身を起こしていきたいところなのだが、生憎先ほどの痛みではそれも難しいだろう。 ほんの数秒ほど考えた紫が首を横に振ったのを見て、永琳は小さなため息をついてから彼女の肩に手を掛ける。 「とりあえずもう少し寝かせておくのが良いけど、生憎そうも言ってられないから手伝うわ」 「あら?何か物騒な言い方じゃないの―――…ってイテテ…!」 幸い永琳の介助もあってか、紫は何とか上半身を無事起こす事が出来た。 まだ胸はチクチクと痛むものの、気にかかる程度で立ったり歩いたりする程度には何の支障にもならない程である。 「全く…貴女ともあろう妖怪が、こんなみっともない醜態をあのブン屋天狗に見られたら一大事よ?」 「完璧に見える者ほど、その裏では醜態を晒している者ですわ……ふぅ」 ようやく布団から出て来れた紫は、永琳が着せてくれたであろう寝巻をゆっくりと脱ぎ始めた。 汗を吸い、冷たくなった紺色のそれを半分ほど脱いだところで、ジッとこちらを見ている永琳へと視線を向ける。 向けられたその視線から紫の言いたい事を察した永琳は、キッと目を細めて言った。 「着替えなら自分の能力で出せるでしょう。ちょっとは自分で動きなさい」 「……まだ私、何も言ってないんですけど?」 あわよくば着替えを取ってくれるかもと思って向けた視線を一蹴された紫は、愚痴を漏らしながらスキマを開く。 いつも身に着けている白い導師服と下着、それにいつも身に着けている帽子がスキマから零れ落ちてくる。 「それぐらい、視線で分かるわよ。……姫様も似たような視線を向けてくるから」 「あちゃ~…既に予習済みだったというワケねぇ?」 用済みとなったスキマを閉じた紫は既に慣れっこだった永琳にバツの悪そうな笑みを浮かべて、手早く着替えを済ませた。 着替えを済ませた紫はその後、じっと見守っていた永琳と共にマヨヒガの廊下を歩いていた。 彼女曰く「長話になるだろうから居間で話したい」と言っており、まぁ確かに空気が籠っているさっきの部屋で話すよりマシなのだろう。 紫自身は別にあの部屋でも良かったのだが、特に拒否する理由も無かったのでほんの少し痛む胸をそのままに廊下を歩いていた。 廊下に面した窓から見える空は、外の世界で良く見る排ガスのような曇天であり、ふとした拍子で雨が降ってしまいそうである。 「それにしても、話したい事って一体どういうお話なのかしら」 「貴女なら、仮に私が逃げたとしても捕まえられるでしょう?だったら慌てる必要は無いというものよ」 部屋を出て十秒ほどしたところで繰り出した紫の質問にしかし、永琳は答えをはぐらかす。 まぁ確かにその通りなのだが、不思議とマヨヒガの中にいる彼女は威厳があるなぁ…と紫は思った。 ついついそんな事を思ってしまった事が可笑しいのか、クスクスと笑いながら再び永琳に話しかける。 「私の家のはずなのに、何故だか貴女の方がマヨヒガの事を知ってそうね?」 半分冗談で言ったつもりであったが、永琳はやれやれと言いたげな顔で肩を竦めて、 「そりゃあ一月と半分も貴女の看護で監禁されていたのよ、ここの掃除や炊事をしていく内に大体の事は把握できたわ」 あっさりと言い放ってくれた事実に、流石の紫もその場で足を止めてしまう。 「――――…一月と、半分…?」 真剣な様子で言われた言葉に、紫は思わず目を丸くし怪訝な表情で反芻してしまう。 てっきり一日か数日の間気を失っていただけかと思っていたというのに、彼女の口から告げられた事実は予想の範囲をほんの少しだけ超えていた。 「何よ、てっきり数百年か千年ほど眠っていたと思ったのかしら?」 「…奇遇ね。貴女とは真逆の方向で考えていましたわ」 そんな相手の様子を見かねてか、自分なりの冗句を飛ばした永琳に紫は気を取り直しつつも言葉を返した。 一体自分の身に何が起こったのだろうか…?そんな疑問がふと頭の奥底から湧いてくる。 幸いにも心当たりはある。今抱えている異変の初期に゙あの世界゙への侵入を試み、霊夢を召喚したであろう少女の遭遇。 その時に出会い、襲い掛かってきたあの白い光の人型。それを追い払うために一撃お見舞いする時にもらった、あの一太刀…。 (でもまさか…傷自体はすぐに治ったし、あれ以降特に体調には変化は無かったけどねぇ) 心当たりと言えばそれくらいなものだし…もう一つあるとすれば、少し賞味期限が切れた芋羊羹を茶菓子に食べた程度である。 とはいえ妖怪がその程度で倒れて一月過ぎも倒れてしまうと、それはそれで物凄い名折れになってしまうが。 (もしかしてこの前、スキマに隠してて忘れてた最中を食べたのがいけなかったのかしら…?) 思い当たる節がそれくらいしかない紫が、寝起きの頭をウンと捻りながら思い出そうとしており、 永琳はそんな彼女の心の内を読んだかのように呆れた目で見つめつつ、心の中では別の事を考えていた。 (どうやら、本当に憶えてないらしいわね…この様子だと) 暢気な妖怪だと思いつつ、やはりその姿から滲み出る『余裕』とでも言うべき雰囲気に永琳は感心していた。 去年の秋、永夜事変と呼ばれるようになったあの異変で顔を合わせて以降、油断ならない相手だと認識している。 あの巫女とは違いどこか浮ついていて、時折何をやっているのかと思う事はあっても、常にその体から『余裕』が滲み出ていた。 例えるならば剣術に長けたものが相手の目の前でわざとおふざけをし、いざ切りかかってきた瞬間にそのまま一刀の元に切り伏せてしまう『余裕』。 傲慢とも取れる強者だけが持ち得る『余裕』を放つ八雲紫は正に、いかなる戦いでも勝ちを手に取る事の出来る真の強者。 博麗の巫女以上に警戒すべき妖怪であり、この幻想郷で生きていく上では絶対に逆らってはいけない支配者なのである。 (けれど、どうやら゙相手゙の方が一枚上手だったようね…) 無意識のスキマで連れ去られ、半ば強引に彼女の治療をさせられていた永琳は紫の容態を把握していた。 あの日…永遠亭の自室で空いた時間を利用した本棚の整理していた最中に、彼女はスキマによってここへ連れて来られた。 突拍子も無く足元の床を裂くようにして現れたそのスキマには、流石の永琳でも避ける暇は無かったのである。 しかし、結果的にそれがマヨヒガの玄関で倒れていた紫を助けることに繋がり…信じられない様な事実さえ知ることができた。 恐らく彼女はそれを自覚していないかもれしない。もしそうであるならば今の異変に深く関わるもうあの世界への評価を数段階上げなければいけない。 いまその世界にいる博麗霊夢…ひいては幻想郷そのものに、これまでとは次元の違う異変を起こした異世界――ハルケギニアを。 「……あっ、こんな所にいたんですかお二人とも!」 マヨヒガの廊下で立ち止まった二人が各々別の事を考えていた時、二人の耳に聞きなれた少女が呼びかけてきた。 咄嗟に紫が前方へと顔を向けると、そこにいたブレザー姿の妖獣の姿を見て「あら!」と声を上げる。 二人へ声を掛けた少女もとい妖獣は永琳と同じく月に住む兎――玉兎にして、彼女の弟子である鈴仙・優曇華・イナバであった。 足元まで伸ばした薄紫色の髪、頭には変にヨレヨレでいつ千切れても可笑しくなさそうな兎耳が生えている。 この場に居る三人の中では最も名前が長くそして頼りなさそうな雰囲気を放っているが、その能力は三人の中では最も性質が悪い。 とはいえ本人はそれを悪用するほどの大胆さは持たず、それを仕出かす性格ではないので今は永遠亭で大人しく過ごしている。 そんな彼女が何故この永遠亭にいるのだろうか?その疑問を知る前にひとまずは挨拶をしてみることにした。 「誰かと思えば、永遠亭のところの臆病な……え~っと、月兎さん…?じゃあありませんか」 「え?あ、あの…月兎とは言わないんだけど…それはともかくとして、お久しぶりです紫さん」 紫が自分の種族名を呼び間違えたことを指摘をしつつ、鈴仙は目の前にいる大妖怪におずおずと頭を下げる。 無論彼女たち月の兎の正しい呼び方は知っているが、そこを敢えて間違えてみたが彼女は怒らない。 やり過ぎればそれはそれで面白いモノが見れそうなのだが、それは自分の手前いる彼女の師匠が許さないであろう。 「あら、優曇華じゃないの。もしかして、待てない゙お客さま゙に促されたのかしら?」 鈴仙の師匠である永琳が右手を軽く上げつつ、何やら気になる単語を口にしている。 ゙お客様゙…?自分の隙間が無意識に連れ込んだというのは、永琳だけではなかったのか…? 小さく首を傾げつつも、ひとまず紫は次に喋るであろう鈴仙の言葉を聞いてから口を開くことに決めた。 「はい…、この天気だと雨が降りそうなので手早く済ませたいと…後、姫様もまだ起きないの?とかで…」 「あらあら…どうやら私が寝ている間に、御大層な見舞い客達が来てくれたようねぇ」 二人の話を横から聞いていた紫は、頼りない玉兎が口にした言葉で永琳の言ゔお客様゙の姿を何となく想像する事が出来た。 自分が居間へ来るのを首を長くして待っているのだろう、ならばここで時間を潰している場合ではない。 笑顔を浮かべながらそう言った紫にしかし、永琳は苦笑いの表情を浮かべてもう一度肩を竦めて見せる。 「まぁ、そうね。貴女が倒れたと聞いて、何人かが見舞いに来てくれているけど…けど、」 「けど?」 「今日は今まで眠っていた分、たっぷりと話すことになるでしょうから、喉を潤すのを忘れないで頂戴」 案内役が二人となり、やや狭くなった廊下を歩いていると窓越しに何か小さな物が当たったような音がする。 何かと思い目を向けると、丁度曇天から振ってきた幾つもの水滴が窓を叩き始めた所であった。 彼女の後ろにいた鈴仙も聞こえ始めた雨音に思わず兎耳が動き、窓の方へと顔を向ける。 これから梅雨入りの季節である、恐らくこの雨は連日続く事になるだろう。 「雨、降ってきちゃいましたね。…まぁ何となく予想はついてましたけど」 「いけないわねぇ。これれじゃあ雨が降ったら困るお客様が、家に帰れなくなってしまうわね」 他人事のように喋る紫が足を止めたのに気付いてか、一人前を歩いていた永琳が溜め息をついてしまう。 居間まではもう目と鼻の先であり、そんなところで雨なんか眺めている紫に彼女は「早くして頂戴」と急かす。 「きっとその゛雨が降って困るお客様゙は、待ちに待ちすぎて苛ついているわよ?」 永琳が後ろの二人へと顔を向けながら続けて言った直後―――前方から幼くも恐ろしい少女の声が聞こえてきた。 「―――残念だけど、私は怒っていないわよ。何せ、ようやく御寝坊さんのスキマ妖怪に会えたのですから」 「…!――――わっ…と!」 突然聞こえてきたその声に永琳が後ろへ向けていた顔を戻した瞬間、すぐ目の前に小さくて凶悪な口があった。 流石の永琳もこれには驚いたのか、声が裏返ったのも気にせず数歩後ろへと下がってしまう。 永琳に自らの口を見せた少女は彼女の驚きぶりにクスクスと笑いながら、背中に生えている蝙蝠の羽根をパタパタと動かしてみせる。 「ふぅ…全く、驚かせるなら私じゃなくて八雲紫にしてくれないかしら?」 「そのつもりだったけど、アンタのそのクールぶった表情を崩してみたくなってね?」 良い表情(カオ)を見れたわ。――最後にそうつけ加えた少女は背中の羽根を動かすのをやめて、永琳の後ろにいる妖怪へと視線を向ける。 紫は後ろへ下がった永琳の肩越しにその少女の姿を見て、久しぶりに顔を合わせた知り合いに挨拶をするかのように声を掛けた。 「あら!お久しぶりねェ、私が寝ている間に何回お見舞いに来てくれたのかしら?」 「………三回、そして今日を合わせて四回目。奇遇な数字だと思わない?―――――四よ、四」 「とても素敵な数字だと思いますわ。―――貴女が凍土の様に冷たい怒りを溜めこんでいるのが分かるから」 「何なら、今から外で貴女の寝ぼけた頭をハッキリさせるお手伝いでもしてあげようかしら。…この程度の雨なら、蚊に刺されるのと同じだからね」 クールに皮肉をぶつけたつもりが、あっさりと自分の心の内を読まれてしまった少女は犬歯の生えた口を歪ませて言う。 二本の犬歯が目立つその口は、外の世界で未だ尚その名声を保ったまま、幻想の者となった悪魔の証明。 数多の妖怪たちがいる幻想郷の中では新米とも言える種族であり、弱点も多いことながらそれらを自らの力でカバーする程の実力。 霧の湖の中心に立つ巨大な洋館―――紅魔館の主にして、運命を操る程度の能力を持った永遠に幼き紅い月。 それが今、八雲紫と相対している少女―――レミリア・スカーレットである。 「はいはい、そこまでにしておきなさい。これ以上話をややこしくしないでちょうだい」 寝起きの八雲紫と、隠し切れぬ怒りを体から滲み出しているレミリア・スカーレット。 とりあえず両者の行動を見過ごすしていては話がややこしくなると感じてか、すかさず永琳が仲介役となる。 紫はともかくとして、いきなり自分たちの間に立った薬師を、その紅い瞳でキッと睨み付けた。 「何よ、コッチは三回以上も無駄足を運んだのよ?コイツに文句の一つくらい言っても許してはくれないのかしら」 「それだけなら別にいいけど、貴女の場合そこから先の段階まで一っ跳び到達するから止めたのよ…。それに、貴女も貴女よ」 「あら、私は特に喧嘩を売るつもりはありませんでしたのに」 右手でレミリアを制した彼女はそう言ってから、左手で制している紫にも苦言を呈する。 先ほど口にした言葉をもう忘れたのか、という風に肩を竦めて見せる大妖怪に永琳は思わず自分の眉間を抑えたくなってしまう。 そんな紫を見てとうとう呆れてしまったのか、レミリアはため息をつきつつ言った。 「…まぁいいわ。今回はアンタも病み上がりだってソイツから聞いたし、この怒りはひとまず保留にしておいてあげる」 だから、次は無いからね?吐き捨てるように言ってから、レミリアは踵を返して目の前の襖を静かに開けた。 先ほど動かしていた時より縮んでいる羽根は小刻みに動いており、それなりに機嫌が悪いのは明らかであろう。 並大抵の人間や妖怪ならその羽根の動きで彼女の今の状態を読み取り、恐怖で震えてしやまうかもしれない。 しかし、八雲紫や永琳程の実力者の目には…おかしいことにどうにもその羽根が可愛く見えてしまうのであった。 「……ふふ」 パタパタと揺れ動く黒い蝙蝠の羽根に紫が思わず微かな笑い声を口から漏らした直後、レミリアの顔がすっと後ろを振り向く。 気づかれちゃった…?一瞬そう思った紫ではあったが、幸運にも彼女の耳には入らなかったようだ。 「ほら、何やってるのよ。アンタがを覚ますのを首を長くして待ってたのは、私やそこの薬師だけじゃあないのよ?」 「それは大変ね。主役が遅れては、物語の本筋が進まないのと同じ事だわ」 吸血鬼の呼びかけに紫は笑顔を浮かべたままそう答えると、再び居間へと向けて歩き始める。 レミリアが空けた襖の向こう、自分の記憶が正しければその先にはマヨヒガの居間がある。 彼女と永琳に弟子の玉兎…そしてその兎が゙姫様゙と呼んだ未だ見ぬ゙お客様゙を含めた複数人の見舞い客。 きっと彼らは自分の事を待っているのだろう。今現在、あの世界と自由に行き来できる自分から情報を得る為に。 「一月と半分ぶりのお話ですもの、たっぶりと口を動かしたいものだわ」 紫は一人呟きながら、わざわざ出迎えにきてくれたレミリアの後をついていくように足を進めた。 (全く、一時はどうなる事かと思ったわ…) 一触即発の空気を無事に抜き終えた永琳は、内心ホッと一息胸を撫で下ろす。 最初に両者互いに言葉の売買を始めた時はどうしようかと思ったモノの、思いの外上手くこの場を収める事が出来た。 この先にいるのはあの吸血鬼の従者と、この異変に興味を見せ始めた永遠と須臾を操る自分の主。 そして紫とは古い付き合いである華胥の亡霊ともう一人―――彼女と共にやってきた規格外の゙来客゙がいる。 どうして彼女がわざわざ八雲紫の元へ見舞いに来たのか、本来なら目を覚ました紫に自分の許へ呼び出せる立場にあるというのに。 本人は紫に直接話したい事があると言って、今日で三回目の見舞いに来てくれていた。 『さぁ~?私に聞かれても分からないわよぉ。でもまぁ、彼女なりに紫を気遣ってくれてるんじゃない?』 思わずその゛来客゙を最初に連れてきた亡霊に聞いても、そんな返事しかしなかった。 埒があかずその゙来客゙本人に聞いてみるも、彼女も彼女であの八雲紫に話があると言って見舞いに来たの一点張り。 紫とはまた別に厄介な、自分の考えを曲げない断固たる意志と威圧感を体から放ちながら゙来客゙は言った。 『ちゃんと貴女方にも伝えます。けれども、一番話を聞くべき本人が眠っていては意味がありません』 つまりは八雲紫に直接口頭で伝えるべき事があるらしいが、それが何なのかまではイマイチ分からないでいる。 しかし永琳は何か予感めいたものを感じていた。あの゙来客゙が紫の前で口にすることは、決して自分たちには関係ない事ではないと。 そんな風にして永琳が襖の向こうにいるであろゔ来客゙の後姿を思い浮かべていた時、情けない声が背後から聞こえてくる。 「あ、ありがとうございます師匠。全く地上の妖怪同士のイザコザってのは危なっかしいものですね」 「それを言う暇があるなら、せめて私が動くより先に止める事をしてみなさい…」 声の主、弟子の鈴仙が前を進む妖怪と悪魔を見遣りながら言ってきた言葉に、永琳はやれやれと肩をすくめた。 薬学の覚えも良く頭の回転は速いし、自分の能力の使い方や運動神経も良しで、彼女は決して出来の悪い弟子ではない。 ただどうも臆病なのが致命的短所とも言うべきか、ここぞという所で動かないのである。 先ほどの紫とレミリアが相対した時のような場面に出くわすと、何というか空気に徹してしまうのだ。 特に自分がいなくても誰かが代わりに止めてくれると思っていると、尚更に。 無論この前の異変の様に後に引けなくなれば押してくれる。呆気なくやられてしまったが。 「師匠の私としては、貴女のその臆病さを改善しないといけないって常々思います」 「えぇ~…でも、でもだって怖いじゃないですか?あの八雲紫と吸血鬼の間に入るなんてぇ~…!」 鈴仙は元々白みが強い顔を真っ青にし、ワナワナと体を震わせながらついつい弱音を吐いてしまう。 吸血鬼や亡霊の従者たちとは違い、ここぞという時に臆病さが前に出て全く動いてくれない玉兎の若弟子。 いずれ落ち着いた時が来れば、その臆病さを克服できる゙何がをさせなければいけないと、永琳は心の中のメモ帳に記しておくことにした。 トリステイン王国の首都、トリスタニアのチクトンネ街にある一角。 通称゙食堂通り゙と呼ばれるそこは、文字通り幾つもの飲食店が店を構えていた。 ブルドンネ街のリストランテやバーとは違い、主に下級貴族や平民などを対象とした店が多い。 今日も仕事へ行く下級貴族たちが朝食を済ませ、急ぎ足で後にしていった食堂にはそれを埋め合わせるかのように平民の客たちが来る。 その大半が劇場や役所の清掃員や、夜間の仕事を終えて帰宅する前の食事といった感じの者たちが多い。 したがって客の大半は男性であり、この時間帯ば食堂通り゙を財布の紐がキツイ男たちが行き来する事になる。 そんな通りにあるうちの一軒、主にサンドイッチをメインメニューにしている食堂「サンドウィッチ伯爵のバスケット」という店。 朝食セットを選べば無料でスープとサラダが付いてくる事で名の知れたここには、今日もそれなりの客が足を運んでいた。 カウンター席やテーブル席、そしてテラス席にも平民の男たちが占有して大きなサンドイッチを頬張っている。 それはおおよそ女性や婦女子が食べるような小さなものではなく、いかにも男の料理らしいボリューミーなものばかりだ。 程々にぶ厚いパンに挟みこまれているのは、これまた分厚いハムステーキや鶏肉に、目玉焼きのひっついたベーコンなど… 入っている野菜も野菜でトマトやピクルス、レタスなどもいかにも男らしく大きめに切られて肉類と一緒に挟みこまれている。 更に、少し財布の紐を緩めればトリステイン産のパストラミビーフのスライスを二十枚も入れた豪勢なサンドイッチも食べられるのだ。 そんな店の外、テラス席に座った二人の平民の男たちがサンドイッチを片手に何やら話をしていた。 「なぁおい、この前のタルブ村で起こったっていう『奇妙な艦隊全滅』の話しの事なんだが…―――…ムグッ」 「あぁ、知ってるぜ?何でも、大声じゃあ言えないが親善訪問直前で裏切ったアルビオンの艦隊が火の海になったって事件だろ?」 同じ職場の同僚もとい友人にそんな事を言いながら、彼は頼んでいたロブスターサンドを豪勢に頬張る。 ロマリアから直輸入されたレモンの汁とオリーブオイルが利いたドレッシングが、朝一から彼にささやかな幸せを与えてくれる。 ほぼ同年代の友人が食うサンドイッチを見つつ、自分が頼んだ目玉焼きサンドに胡椒を振り掛けながら相槌を打つ。 この平民の男が言う『奇妙な艦隊全滅』の噂は、トリスタニアを中心にトリステインのあちこちへ広がりつつあった。 噂の根源は既に行方知れずであるものの、多くの者たちがトリステイン軍の兵士や騎士達からその話を聞いている。 証言者である彼らは先日親善訪問護衛の為にラ・ロシェールへと出動し、その一部始終を見ていたのだから。 曰く、親善訪問の為にやってきたアルビオンを艦隊が、わざわざ迎えに来たトリステイン艦隊を突如裏切り、攻撃してきたのだという。 しかし、事前に警戒していたトリステイン艦隊司令長官はギリギリでこれを回避、被害を最小限に留めたのた。 不意打ちが失敗したアルビオン艦隊は追撃しようとしたものの、郊外の森で『偶然訓練の最中であった』トリステイン国軍が助太刀の砲撃。 ゲルマニアから貰った対艦砲によってアルビオン艦隊は士気を挫かれたものの、白旗を上げるどころか見たことも無い怪物たちを地上へ放ったのである。 国軍の兵士曰く「あまりにも身軽連中だったと話し、ラ・ロシェールで警護についていた騎士は「亜人でもない、幻獣でもない怪物に我々は浮足立った」と悔しそうに呟いていた。 森から砲撃していた国軍は止むを得ずラ・ロシェールまで後退し、警護の為町へ訪れていた王軍と合流したものの…。 化け物たちの勢いはそれでも止まらず、とうとう王軍も町を放棄してタルブ村まで撤退するが、そこでも抑えきれなかったらしい。 避難し遅れていた村人やラ・ロシェールの人々を連れて王軍、国軍は少し離れたゴンドアまで撤退し、そこに防衛線を築いた。 王軍、国軍の地上戦力二千と、アルビオン艦隊との正面衝突では負けると判断し後退していたトリステイン艦隊を合わせれば三千の勢力。 対する敵は国軍からの砲撃を喰らったものの無傷とも言えるアルビオン艦隊と、トリステイン軍の偵察が確認した地上戦力を合わせて四千。 千という差はこの戦いではあまりにも大きく、更に国軍と王軍を退けた化け物がいる以上トリステイン軍は万全を期して敵を待ち構える事にした。 ところがどうだ、敵は怪物たちを使ってタルブ村を乗っ取った後ピタリと前進をやめたのである。 偵察に出た竜騎士曰く、まるでそこが終着駅であるかのように化け物たちは進むのを止めてタルブ村やラ・ロシェールを徘徊していたのだという。 この時王軍代表の将校として指揮を執っていたド・ポワチエ大佐はその報告に首を傾げたが、なにはともあれ敵は前進を止めた。 彼はそのチャンスを無駄にすまいと王宮へ伝令を飛ばし、町そのものを使った防衛線をより強固にするよう命令した。 その内日が沈み、日付けが変わる頃には即席の要塞と化したゴンドアへ、ようやくアンリエッタ王女率いる増援が到着したのだ。 たちどころに士気が上がり、籠城していた者たちは皆歓声を上げ、アルビオン王家を滅ぼした侵略者たちをここで食い止めて見せると多く者が誓った。 しかし、彼らの予想に反して空と地上で行われる激しい攻防戦が始まることは無かった。 圧倒的に精強な艦隊と無傷の地上戦力に、見たことも無い怪物たちを操っていたアルビオンが勝ったわけではなく、 かといって防衛線を固め、王女率いる増援を迎え入れたトリステインが勝利したと言われれば、本当にそうなのかと首を傾げる者たちがいる。 その多くが実際の光景を目にしたトリステイン軍の兵士や将校達と、彼らよりも間近でソレを目にしたアルビオン軍の捕虜たちであった。 出動した魔法衛士隊の隊員はその時目にした光景を、「一足早い夜明けが来たのかと思った」と証言している。 一方でアルビオン側の捕虜…とくに甲板にいた士官たちはこう証言している。「我々の目の前に小さな太陽が生まれ、船と帆を焼き払った」と――――。 それが『奇妙な艦隊全滅』こと『早すぎた夜明け』―――――アルビオン側の捕虜たちの間で『唐突な太陽』と呼ばれる怪現象だ。 アンリエッタ率いる増援が町へ到着し、息を整えていた時に…突如ラ・ロシェールの方角から眩い光が迸ったのである。 そのあまりに激しい光に繋がれていた馬や幻獣たちは驚き、乗っていた兵士や将校たちを振り落としかねなかったそうな。 この時多くの者たちが何の光だとは叫び戦き、あるモノはアルビオン軍の新兵器かと警戒し、またある者は夜明けの朝陽と勘違いした。 光は時間にして約一分ほどで小さくなっていき、やがて完全に消えた後…代わりと言わんばかりに山を照らす程の火の手が上がり始めたのである。 急いで出動した偵察の竜騎士が見たのは、ついさっきまでその威圧漂う偉容で空を飛んでいたアルビオン艦隊が、一隻残らず火の手を上げて墜落していく姿であった。 艦首を地面へ向けてゆっくりと落ちていくその姿は正に、太陽の熱で翼を焼かれた竜の様に呆気ない艦隊の゙最期゙だったという。 当初トリステイン側は、アルビオン艦隊が火薬の不始末か何かを起こして爆発を起こしてしまったりのかと思っていた。 だがそれにしてはあまりにも火の手が激しく、最新鋭の艦隊がこうも簡単に沈むとは到底考えられない。 更に不思議な事に、墜落現場へと魔法衛士隊や竜騎士隊が一番乗りしてみるとアルビオン側の者たちは殆ど無傷だったのだという。 何人かが墜落する際の騒ぎで怪我した者はいたが、輸送船に乗っていた地上戦力も含めて死者はいなかったのである。 いくら何でもそれはおかしいと多くの者たちが思い、士官や司令長官達に尋問を行った所…奇妙な証言をする将校たちがいた。 彼らは皆あの巨艦『レキシントン』号に乗船していた者達で、先頭にいた彼らはあの光を間近で見ていたのだ。 その内の一人であり、王党派よりであった『レキシントン』号の艦長ヘンリー・ボーウッドが以下の様に証言している。 「あの時。いざゴンドアへ向けて前進しようとタルブ村を超えかけた所で、私は遥か真下から強い光が迸るのを見た。 まるで暗い大海原で見る灯台の灯りの様に眩しく、遥か上空からでもその光を目にする事が出来た。 何だ何だと私を含め多くの士官たちが駆けより、とうとう景気づけに酔っていた司令長官まで来た直後―――あの光が迸った。 小さな太陽とはあれの事を言うのだろうか、最初我々の頭上に現れたソレに目を焼かれたのかと錯覚してしまった程眩しかった。 私自身の口と周りにいた士官仲間や司令長官、そして周りにいた水兵たちの悲鳴が一緒くたになり、耳に不快な雑音となる。 そうして一通り叫んだところでようやく光が消え去り、焼かれる事の無かった目で周囲を見回した時……辺りは火の海になっていた。 そこから先は八方塞がりだったよ。帆は焼け落ち、船内の『風石』も燃え上がって…緩やかに地面へ不時着するほか手段がなかった」 彼を始め、尋問で話してくれた多くの者たちがある程度の差異はあれど同じような証言をしている。 突如自分たちの頭上に太陽と見紛う程の白い球体の光が現れ、船の甲板と帆に船内の『風石』だけを焼き払って消え去った。 艦隊が成す術もなく墜落していった原因はこれであり、調べてみたところ確かに『風石』だったと思われる灰の様なものも確認している。 この不可解な現象に流石のトリステイン王国の政治上層部も素直に喜んでいいのか分からず、更なる調査が必要だと議論の真っ最中であった。 一方で軍上層部―――俗にいう制服組の一部には「奇跡の光」と呼んで、余計な犠牲が出ずに済んだことを喜ぶ者たちがいた。 自軍の艦隊はほぼ無傷であるのに対し、敵側となったアルビオンは『レキシントン』号をはじめとする精鋭艦隊をゴッソリ失ったのである。 地上戦力は国軍、王軍の現役将校たちを含め約五百名以上が亡くなったものの、戦略上ではさしたる被害にはならない。 ―――――…とはいえ、此度の戦には不可解な現象が幾つも起きており。 アルビオン艦隊の全滅と共に姿をくらました怪物たちや、例の光に関しては早急なる調査が必要である。』…とのことです」 「ご苦労でしたマザリーニ枢機卿。…さて、と…ふぅ」 妙に長かった報告書をやっと読み終えたマザリーニ枢機卿が一息つくと、アンリエッタは右手を軽く上げて礼を述べた。 場所は執務室、白をパーソナルカラーとしているトリステイン王宮の中では異彩を放っている渋い造りとなっている一室である。 ゴンドアから戻ってきてから幾何日、ようやく戦闘後の事後処理が済みかけていると実感しつつ、まだまだ気は抜けないと実感してしまう。 報告書にも書かれていたが、今回ラ・ロシェールとタルブで起きた戦闘は一言でいえば゙奇怪゙であった。 トリステインの情報網には全く引っ掛らなかった謎の化け物たちに、艦隊を全滅させた謎の光。 そして艦隊が無力化されたと同時に、まるで霞の様に姿を消してしまった怪物たちの事など…数え上げればキリがない。 形式的には勝利したものの、枢機卿を含めた多くの政治家たちにとって、腑に落ちない勝利とも言えよう。 「とはいえ…我が国を無粋にも侵略しようとした不届き者どもを退けられた事は、素直に喜びたいところですわ」 アンリエッタは枢機卿の読んでいた報告書の内容を頭の中で反芻しながら、ソファの背もたれに自らの背中を沈ませた。 王宮に置かれている物だけあって程々に柔らかく、硬い背もたれは緊張続きだった体を優しく受け止めてくれる。 ついで肺の中に溜まっていた空気を軽く吐き出していると、自分の口ひげを弄るマザリーニが話しかけてきた。 「左様ですな。それに我々の手の内には彼奴らがこの国で内部工作を行っていた証拠もあります」 「そうですね。今私達の両手には杖と短剣が握られており、相手は丸腰の上手負いの状態…しばらく何もないことを祈りましょう」 アンリエッタはマザリーニの言葉にそう返すと姿勢を改め、自分と枢機卿の前にいる゙者達゙へと話しかけた。 「そしてルイズ、レイムさんにマリサさん――そして他の方々も…此度の件は、本当に助かりました」 「えっ…?あのッ…その、姫さま…そんな、貴女の口から賛辞を言われる程の事は…」 暖かな笑みと眼差しと共に口から出た彼女の賛辞は、向かいのソファに座るルイズ、霊夢、魔理沙の三人の耳にしっかりと届いた。 あの戦いから幾何日か経ち、すっかり元気を取り戻したルイズは親友からの礼に思わずたじろいでしまう。 ルイズは先ほどの報告書でも出ていた『艦隊を全滅させた奇妙な光』を放ったのは自分だと確かに憶えている。 しかし…だからといってあの光を―――『エクスプロージョン』を自慢していい類の力だと彼女は思っていなかった。 だから今、こうしてアンリエッタに褒められても素直に喜ぶことができないでいた。 一方でルイズの右に腰を下ろした霊夢はティーカップを持っている左手を止めて、チラリと横目でルイズを見遣る。 (全く、変なところで不器用なのね) 自分の横で若干慌てながらもシラを切ろうとしている彼女の姿に、おもわず肩を竦めたくなってしまう。 唇に紅茶の熱い湯気が当たるのを感じながら、謙虚な態度を見せるルイズに思わず言葉を投げかけた。 「良かったじゃないの、アンリエッタに褒められて?アンタもあんだけ、気合入れてぶっ放した甲斐が……」 「……ッ!ちょ…レイム、その事は喋るなって言ったでしょうに…!」 いきなり真相を喋ろうとしていた巫女を制するかのように、ルイズは咄嗟に大声を上げた。 体は小さくとも、まるで成熟したマンティコアの様な大声で叫ばれた霊夢は、思わず顔を横へ逸らしてしまう。 反射的に怒鳴ってしまった後、それに気づいたルイズがハッとした表情を浮かべた直後、今度は魔理沙が絡んでくる。 「ほうへんふぉんするなひょ?ひゃいひょひゃびびっひゃけど、あへはふぅーふぅんひまん―――――ウグゥ……ッ!?」 「口にお菓子咥えたまま喋るなッ!」 霊夢とは反対方向に座っていた普通の魔法使いは、茶請けのフィナンシェを口に咥えたまま喋っていた。 結果的にそれがルイズの怒りに触れてしまい、張り手の様に突き出された右掌で無理やりフィナンシェを口の中へと突っ込まれてしまう。 幸いにもフィナンシェは半分ほど食べていたおかげで、喉に詰まるという最悪のハプニングに見舞われることは無かった。 自分のペースで食べる筈だった硬めの焼き菓子が、一気に押し込まれるという突然の出来事。 たまらず目を見開いて驚いた魔理沙は辛うじて飲み込み、急いで手元のコップを手に取り中に入っていた水を一気に煽った。 しっかりと冷たいそれが口の中で滅茶苦茶になったフィナンシェを解し、何とか空気が入る余地を作る。 そして水をゆっくりと飲み、柔らかくなったお菓子を口の中で噛み砕いていきゆっくりと嚥下していく。 時間にすればたった三秒ほどであったが、魔理沙にとってこの三秒は人生の中で五本指に入る程の危機であった。 「ウッ―――く、…ゲホッ!お、おまえなぁ…なにもいきなりあんなことをするなんて…!」 「悪いけどさっきのアンタからは、非しか見えなかったからね?」 「そうねぇ。むしろ、トリステイン王家の傍にいるトリステイン貴族を前にして流石にあれは無茶だわ」 何とか飲み込めたものの多少咳き込みながら恨めしい視線を向けてくる魔理沙に、ルイズは冷たくあしらう。 まぁ確かに彼女の言うとおりであろう。その様子をルイズたちの後ろから眺めていたキュルケが、頷きながら続く。 そこへギーシュもウンウンと同じように頷きながら、薔薇の造花が目立つ杖で口元を隠しながら魔理沙をジッと睨み付けた。 「全くだよ。こともあろうに、王女殿下の目の前であのような態度…!場所が場所なら大変な事になっていたよ」 本人としては十分決まったであろうセリフにしかし、魔理沙は怯えるどころか面白そうな表情を浮かべている。 ついさっきまでお菓子で窒息死しそうになった癖に、相も変わらず霧雨魔理沙は元気のようだ。 「お、何だ何だ?決闘騒ぎにでもなってくれるのか?」 「それなら安心しなさい。ギーシュのヤツ、そこの巫女さんに喧嘩吹っかけといて呆気なく負けてるから」 楽しそうな表情を浮かべる黒白に対し、彼氏の隣に立っていたモンモランシーが呆れた表情を浮かべて言った。 「も、モンモランシー…それは言わないでおくれよ…!」 「はは、そう心配するなよ。あの霊夢に喧嘩を売ったっていうなら、それだけでも十分凄いぜ。まぁ痛い目も見ただろがな?」 一方でガールフレンドに梯子を外されたギーシュに、魔理沙は満面の笑みを浮かべながら彼を励ます。 「もぉ~…!何やってるのよアンタ達はぁ…!」 「ま、まぁこれは元気があって大変よろしいというか…心配する必要はないといいますか…あはは…」 四人のやり取りを横目で見やりながらルイズは怒りを露わにし、アンリエッタはそんな彼女に寄り添うかのように苦笑いでフォローを入れる。 一昔前のルイズなら魔理沙たちに激怒していただろうが、今では一応注意こそすれ怒り過ぎると却って逆効果になると知ってからはそれ程怒ることは無くなっていた。 とはいえ、大切な姫様の御前というのに良くも悪くも自分のペースを崩さない魔理沙と、それにつられてしまうキュルケ達に頭を抱えたくなってしまった。 そして霊夢はスッと一口紅茶を飲んでから…自分の後ろにタバサへと話しかけた。 「今ここで騒がしくしてるのが、アンタみたいに静かだったらどれ程良かったかしらね?」 「……そうでもない」 ずれたメガネを指で少し直しながら、青い短髪の少女はボソッとそれだけ呟いた。 ルイズと霊夢達の事が気になり、彼女たちの後を追いその秘密を知ってしまったキュルケ、タバサ、モンモランシーにギーシュ。 この四人もまた先日、あの戦の後にトリステイン軍に保護され、王宮の中で一時的に暮らしている。 『エクスプロージョン』で艦隊を全滅させた後、気絶したルイズや疲労困憊していた霊夢達と共にトリステイン軍に保護されたのだ。 当初は何故魔法学院の生徒がここにいるかと問われたものの、そこは口八丁なキュルケ。 学院の夏季休暇が前倒しになったという事実を利用して、タルブ村への観光くんだりで戦いに巻き込まれたと説明してくれていた。 よもやルイズと共に来ていた霊夢と魔理沙…それに前とは変わってしまったルイズを追いかけて来たとは言わなかった。 その後全員がゴンドアへと連れて行かれ、以降あの戦の事を知る重要参考人として王宮で監禁生活を送っている。 「あ~…―――ゴホンッ!」 魔理沙が端を発し、盛り上げていた会話はしかし、アンリエッタの背後から聞こえてきた咳払いによって中断させられる。 何かと思いルイズと霊夢、それにアンリエッタも後ろを見遣ると、渋い顔をしたマザリーニ枢機卿が口に当てていた握り拳をそっと下ろした。 「……あー、お話し中のところすみませぬが、そろそろ静かにしてもらえますかな?」 まだ話は続いている途中です故。最後にそう付け加えた後、魔理沙につられていたキュルケ達は思わず背すじをピッと伸ばしてしまう。 流石平民の身にして、伝統あるトリステイン王国の枢機卿にまで登り詰めただけあって、その言葉には不可視の重圧があった。 ルイズとアンリエッタも崩れかけていた姿勢を正し、その一方で魔理沙は咳払いでこの場を黙らせてしまった枢機卿に思わず感心する。 「へぇ~?見た目はヒョロヒョロとしてるけど、中々強かな爺さんじゃあ…――――」 「失礼ですが!私はこう見えても、まだまだ四十代ですのであしからず」 態度を正さぬ魔理沙の口から出だ爺さん゙と言う単語に流石のマザリーニもムッとしてしまったか、 キッと彼女の顔を睨みつけながら、さりげなく自分の年齢をカミングアウトした。 「――――――…あぁ~悪い、次からは誰かを褒める時は年齢を聞いてからにするよ」 流石の黒白の魔法使いもこれはバツが悪いと感じたのか、視線を逸らして申し訳なさそうに謝った。 枢機卿の睨み付ける鋭い目つき、まるで獲物を見つけた猛禽の様な睨みが普通の魔法使いを怯ませたのだろうか。 何はともあれ、アンリエッタの前で好き放題していた魔理沙には彼の目つきは丁度良い薬となったようだ。 (流石ですマザリーニ枢機卿…!) ルイズが内心で彼にエールを送る中で霊夢は茶を飲み、タバサは相変わらずジッと佇んでいた。 ひとまず、自分が入り込んだおかげで部屋が再び静かになったのを確認してから、マザリーニは小脇に抱えていた書類をアンリエッタに手渡す。 「では殿下、この書類の方に件の内容が記しておりますので」 「有難うございます枢機卿。…さて」 何やら気になる事を言った彼から書類を受け取ったアンリエッタは、まず軽く目を通し始めた。 読みやすいよう小さい画板の様な板に留められている書類の内容を目で追いながら、不備が無いかチェックする。 そして書類を受け取って十秒ほど経った頃であろうか、アンリエッタはルイズたちの前でその口を開いた。 「神聖アルビオン共和国艦隊旗艦。『レキシントン』号艦長、ヘンリー・ボーウッド殿からの追加証言……」 タイトルであろう最初の一文に書かれた文字を、アンリエッタはその澄んだ声でスラスラと読み始める。 報告書自体はものの五分程度で読み終える程のものであったが、書かれていた内容はルイズを大いに驚かせた。 以下、要点だけを挙げれば報告書には以下の様な内容が記されていた あの『レキシントン』号の艦長を勤めていたというボーウッドと言う将校の他、何人かの士官が一人の少女を見たのだという。 丁度タルブ村からアストン伯の屋敷へと続く道がある丘の上で、杖を片手に呪文を唱えていたというピンクブロンドの少女を。 更に彼女の周りには幼い風竜が一匹、そして彼女とほぼ同年代と思える五人の少女に一人の少年の事まで書かれている。 何だ何だと船の上から望遠鏡でみていた矢先、呪文を唱えていた少女が杖を振り下ろしたと同時に―――あの『奇妙な光』が発生した。 そして最後に、ボーウッド殿は地上にいた少女達が何者なのか興味を抱いている…という一文で報告書は終わっている。 自ら報告書を読み終えたアンリエッタはまたもやふぅと一息ついて報告書をテーブルに置き、ついで手元のティーカップを持ち上げる。 まだほんのりと湯気が立つそれを慎重に飲む姿を目にしつつ、最後まで聞いていたルイズは目を丸くして口を開く。 「……そ、そこまでお調べになっていたんですか?」 「ゴンドアにいた私達も見ていた程なのよルイズ。隠し通せる思っていたら随分と迂闊だったわね」 ため息をつくよりも驚くしかなかったルイズを尻目に、喉を潤したアンリエッタは微笑む。 モンモランシーとギーシュもルイズと同じ様な反応を見せていたが、キュルケは「まぁそうですよね」と肩を竦めながらそう言った。 何せあの規模の艦隊をたったの一撃で全滅させたのだ。調べられないと思う方が可笑しい話である。 タバサは相も変わらず無表情で突っ立っているだけであったが、その目が微かに呆然としているルイズの背中へと向いていく。 彼女も彼女であの光を発現させた彼女に興味ができたのであろうが、その真意は分からない。 一方で、霊夢と魔理沙の二人も意外とこちらの事情が筒抜けであった事にそれなりに意外だったらしい。 お互いの顔を一瞬だけ見合わせてから、こちらに笑みを向けるアンリエッタにまずは魔理沙が話しかけた。 「こいつは驚いたぜ、まさかあの『エクスプロージョン』の事まで知ってたなんてなぁ」 「『エクスプロージョン』…?爆発?それがあの光の名前なんですの?」 「ちょ、バカ…アンタ!そこまで言う必要はないでしょうに!」 先に口を開いた黒白はさっきまでのシュンとしていた様子は何処へやら、再び快活な表情を浮かべている。 アンリエッタは魔理沙の口から出た単語に首を傾げ、その言葉が出るとは予想していなかったルイズが咄嗟に反応してしまう。 三人の間にほんの少し入りにくい空気ができたのだが、それを無視する形で霊夢が話に割り込んできた。 「それで何?確かにあの光とやらはルイズが唱えたのは確かだけど、だからって何になるのよ」 「いえ…特に。けれども、あの光のおかげで我々は無駄な出血を抑えて勝利する事ができたので、お礼をと思い」 「別にそういうのは良いわよ。私達だって、別にアンタに頼まれて行ったワケじゃないんだから」 「そう言うと思いましたよ。…まぁ確かに、色々な理由があってそれをするのも難しいという事もありますが…」 今まで口元に近づけていたティーカップをソーサーへと置いた彼女は、やる気の無さそうな目でジッとアンリエッタを見つめる。 特に敵意とかそういうものを感じさせない瞳を見返しつつ、微笑みを崩さぬまま彼女は霊夢の質問に答える。 しかしアンリエッタの返事を聞いた彼女は左手をヒラヒラ振りながらそう言うと、ドカッとソファの背もたれにもたれ掛かった。 アンリエッタの方も霊夢にあっさりと拒否された事に気を悪くせず、ほんのすこし苦笑いする程度である。 だが霊夢と魔理沙のアンリエッタに対する態度に納得がいかなかったのか、ギーシュだけはギリギリと奥歯を噛みしめていた。 本来ならば、例え元帥の息子であっても何も無ければ入る事すら許されぬトリステイン王国の王宮。 その中で、事もあろうに先王の忘れ形見であるアンリエッタ王女殿下に対しての口の悪い二人に、彼は静かな怒りを募らせている。 「き、君たちは全く以て…!姫殿下を前にして何たる口の利き方かね…!」 「ギーシュ、あまり気にしたら駄目よ。この二人なら多分ロマリアの教皇聖下の前でも、絶対に態度を崩さないと思うわ」 「きょ…!?い、いやぁルイズ、いくらなんでも……イヤ、この二人がこことは違う世界から来たのなら確かに…そうかもしれない」 そんな彼を宥めるかのようにルイズがとんでもない例えを出してきたところで、多少は納得する事が出来ていた。 最も、そうであったとしても自分が敬愛する姫殿下に対する態度だとは思えぬという認識を変えることは無かったが。 そんな二人をよそに、霊夢はアンリエッタとの話で出てきだ色々な理由゙というものに疑問が湧いた。 「理由ですって?何だか穏やかな感じじゃあなさそうだけど…」 巫女さんからの疑問に、アンリエッタの表情が微笑みから一転渋いものへと変わる。 それに気づいてかギーシュの方へと視線を向けていたルイズも彼女の方へ向き直り、魔理沙も何だ何だと注視した。 キュルケ達も視線をそちらの方へ向けて、あっという間にこの場の主役がアンリエッタの手に移る。 アンリエッタは、ルイズたちが自分の方へと顔を向けてくれたのを確認した後、ゆっくりと喋り始めた。 「ええ…。―――…確かに、アルビオンの艦隊を全滅させた貴女たちの功績は褒め称えるべきものです。 例え私の命令で行かなかったとしても、一国の主たる王族である私は貴女たちに多大な感謝と報酬を授ける義務があります」 まだ話の途中であったが、一息つこうと口を止めたアンリエッタの合間を縫うように魔理沙が「そりゃ嬉しいなぁ」と零した。 「お姫様のご厚意と言うなら、受け取ってあげても良いかな…って思っちゃうぜ」 「アンタの場合そんな事言われなくても、ここの本を手当たり次第に盗んでいきそうじゃないの」 ニヤニヤしてる魔理沙に向けて、ジト目の霊夢が彼女の日頃の行いを思い出して突っ込みを入れた。 「盗んでるんじゃないぜ、借りてるだけだ。だから」 「アンタ達、ちょっとは緊張感ってものを持ちなさいよ」 キリの良い所でたまらずルイズがストップを入れたところで、アンリエッタは再び話を再開する。 「多大な、本当に大きな戦果です。…特に、ルイズ・フランソワーズ。 あなたと、レイムさんたちが成し遂げた戦果は、ハルケギニアの歴史の中で類を見ぬものです。 本来ならルイズ、貴女には領地どころか小国を与え、大公の位を与えてもよいくらい。 そして、レイムさんたちにも…貴女たち二人は貴族ではありませぬが、特例として爵位を授けることぐらいできましょう」 「―――…ッ!?い、いけません姫さま!こんな危険な二人に爵位を授けるなどと…!」 「ちょっ…ひどくないかしら、その言い方!」 「随分ストレートに拒否したなぁおい」 幻想郷の二人に爵位を授ける…。それを聞いたルイズがすかさず拒絶の意を示し、流石の二人も驚いてしまう。 博麗霊夢と霧雨魔理沙の二人と一緒に過ごしてきたルイズだからこそ、ここまで拒絶することができるのだろう。 だからといって、それを駄目だと言うのにあまりにも全力過ぎやしないだろうか? 「アンタねぇ…もうちょっとこう、オブラートに包みつつ必要ないですって言えないの?」 「だってあんた達に爵位何て授けたら、それこそ何に悪用されるか分かったもんじゃないわよ…!特に魔理沙は」 「……あぁ、成程。アンタの考えてる事は大体分かったわ」 「ちょっと待て…!それは流石に聞き捨てならんぞ」 最後に付け加えるようにして魔理沙の名が出た時、霊夢はルイズがあそこまで拒絶した意味を理解した。 魔理沙に貴族の位を与えようものなら、確かに色々とトリスタニアから消えていくに違いない。主に本とマジックアイテムが。 キュルケやギーシュたちも今日にいたる幾日の間に魔理沙の事を霊夢からある程度教えてもらっていた為、何となく理解していた。 「まぁ例えなくても盗みに行きそうだけど…ほら、ちゃっちゃっと話を続けて頂戴」 「え…?あ、はい…すみません」 唯一理解してない本人の怒鳴り声を聞き流す事にした霊夢は、苦笑いを浮かべるアンリエッタに話の続きを促す。 いきなり大声を上げたルイズに驚いていた彼女は気を取り直しつつ、再び話し始めた。 「ルイズ…報告書でも書いていた通り、あの光が出現する直前まで杖を振っていたのは貴女でしょう? ならば教えてくれるかしら?タルブでアルビオン艦隊と対峙した貴女が、あの時何をして、何が起こったのかを」 単刀直入にあの光――『エクスプロージョン』の事を問われ、ルイズはどう答えていいか迷ってしまう。 幾らアンリエッタと言えども、あの事を素直に言っていいのかどうか分からないのである。 「そ、それは……あぅ…」 回答に窮し狼狽える親友を見てその内心を察したのか、アンリエッタはそっと寄り添うように喋りかける。 「安心して頂戴ルイズ。私も枢機卿も、ここで貴女から聞いたことは絶対に口外しないと始祖の名の許に誓うわ」 アンリエッタがそう言うと、マザリーニもそれを肯定するかのようにコクリと頷く。 確かに、この二人なら何があったとしても決して自分の秘密を余所にバラす事は無いだろう。 それでも不安が残るルイズは、後ろにいるキュルケ達の方へと視線を向けると、彼女たちもコクコクと頷いていた。 「まぁ私から乗りかかった船だしね。それに貴女が船頭なら怒りはするけど沈みはしないだろうし、付き合ってあげるわ」 先祖代々の好敵手でもあり、実家も部屋もお隣のキュルケがこれからの事を想像してか自身ありげな笑みを浮かべて言う。 次いでモンモランシーも、戸惑いを隠しきれないのか二度三度と口をパクパクさせた後、勢いよく喋り出す。 「私は何も見てなかったし、聞かなかった!だ、だからアンタのあの事は黙っといてあげるわよ!」 半ば自暴自棄気味な宣言にキュルケがニヤついている中、今度はギーシュが薔薇の造花を胸の前に掲げて、声高らかに宣言した。 「同じく、このギーシュ・ド・グラモンも!彼女ミス・ヴァリエールの秘密については一切口外しない事をここに誓います!」 「…グラモン?グラモンといえば、あのグラモン元帥の御家族なのですか?」 「左様。彼はあのグラミン伯爵家の四男坊であります」 まるで騎士のような堅苦しい姿勢でそう叫んだ彼の名を耳にして、アンリエッタが思い出したようにその名を口にする。 そこへすかさずマザリーニが補足を入れてくれると、ギーシュは自分が褒められた様な気がして更に姿勢を硬くしてしまう。 まるで胡桃割り人形のように固まってしまった彼氏を見かねてか、モンモランシーが声を掛けた。 「ちょっと、アンタ何でそんなに自慢げに気をつけしちゃってるのよ?」 「い、いやーだって、だってあのアンリエッタ王女の前で枢機卿が僕の事を紹介してくれたんだよ?」 「全く、相変わらずの二人ねぇ……ん?」 一人改まっているギーシュにモンモランシーが軽く突っ込みを入れているのを余所に、今度はタバサがルイズの肩を叩いた。 何かと思い後ろへ視線を向けると、先ほど見た時と違わず無表情な彼女がじっと佇んでいる。 「…?……どうしたのよタバサ」 急に自分の肩を叩いてきた彼女にルイズがそう聞いてみると、タバサは右手の人差し指をそっと唇に当てた。 たったそれだけして再び彼女の動きは止まったが、今のルイズにはそれが何を意味するのか大体察する事が出来る。 「もしかして…黙っておいてくれる…ってこと?」 思わずそう聞いてみると彼女はコクリと小さく頷き、そっと人差し指を下ろす。 他の三人と比べてあまりにも小さく、そして目立たないその誓いにルイズはどう反応したらいいか、イマイチ分からなかった。 そんな彼女をフォローするかのように、一連の出来事を隣で見ていたキュルケが嬉しそうに話しかけてくる。 「良かったじゃないのヴァリエール。タバサなら絶対に他言無用の誓いを守ってくれるわよ?」 「というか、私も私だけど…アンタもよくあれだけの小さな動作で把握できたわね…」 「ふふん!こう見えても彼女とは一年生からの付き合いなのよ?もうすっかり慣れちゃったわよ」 思わず嫉妬してしまう程の大きな胸を張りながら、キュルケは自慢気に言った。 互いに入学当初から出会い、今では二人で一緒にいるほど仲が良いと言われているのは伊達ではないらしい。 噂ではタバサの短すぎる一言で何を言いたいのか察する事ができると囁かれているが、あながち間違いではないようだ。 「まぁいいわ…で、後は…」 ひとまずはあの場に居だ元゙部外者達が自分の秘密を守ってくれると確認できたルイズは、ふと自分の左にいる霊夢を見遣る。 カップの中に入っていた紅茶を飲み終えた幻想郷の巫女は、ふと自分の方へ目を向けてきたルイズの視線に気づく。 ―――――――今更どうしようも無いが、まぁひとまずは言っておいた方が良いだろうか? 鳶色の瞳から垣間見える感情でルイズの意図を察した霊夢は、コホン!とワザとらしい咳ばらいをした後、ルイズと目を合わせて言った。 「安心しないさいな。アンタが仕出かしちゃった事は、墓場までは無理だけどなるべく言わないでおいたげるわ」 傍目から見れば、割とクールな感じで秘密にする事を誓った霊夢であったものの、 「…そこは普通「墓場まで持っていくわ」じゃないの?ってか、なるべくってどういう意味よなるべくって…」 「まぁ良いじゃないか。人の口に戸は立てられないモノだし、そっちの方がまぁお前らしくていいと思うぜ」 思ってたのと少し違う言葉に思わずルイズは突っ込みを入れてしまい、魔理沙は嬉しくない賞賛をくれた。 二人の反応を見て「私らしいってどういう事よ…?」と気分を害した霊夢を余所に、ついで魔理沙も親指を立ててルイズの前で誓いを立てる。 「というわけで、私もお前さんの事は喋らないでいるが…まぁ口が滑った時は笑って許してくれよ?」 口の端を吊り上げ、悪戯好きな彼女らしい笑みを浮かべた魔理沙の誓いに、ルイズもまた笑顔で頷いた。 「分かったわ。……とりあえずアンタの口には常時テープを貼るか包帯を巻いておいてあげるから」 「アンタの場合だと、本気でそれを実行しそうね。…まぁ止めはしないけど」 「おぉう、軽い冗談のつもりで言っただけだが…怖い、怖い」 ――――ー口は災いの元っていうが、案外今でも通用する諺だな。 普段からの自分を棚に上げながら、魔理沙は他人事のように笑いながら思った。 その後、ルイズは自分の口からアンリエッタへあの光の源――『虚無』の事について詳しく説明する事となった。 彼女から頂いた『始祖の祈祷書』と『水のルビー』が反応し、自分があの伝説の『虚無』の担い手であったと判明した事。 古代文字が浮かびあがっちた祈祷書に、あの光――『エクスプロージョン』の呪文が記されていた事。 そしてそれを唱え、発動して一瞬のうちにアルビオン艦隊を壊滅させた事までルイズは事細かにアンリエッタに話した。 「『虚無』の系統…か。まさか僕が生きている内に、お目に掛かれたなんてなぁ…」 ルイズの説明をかの聞いていたギーシュは思わず独り言を呟いてしまうが、キュルケ達も同じような感想を抱いている。 六千年続いていると言われるハルケギニアの歴史の中では、『虚無』はかの始祖ブリミルだけが持つと言われている伝説の系統。 歴史書を紐解けば、時折『虚無』と思しき普通の魔法とは思えぬ゙奇跡゙を起こした者たちがいと記録はあれど、それが本当かどうかまでは分からない。 所詮は大昔にあった出来事。その事実がただの文字となってしまえば、その゙奇跡゙が本物かどうかは誰も知ることはできない。 だから貴族たちの中には始祖ブリミルを信仰こそするが、始祖が使いし幻の系統を信じる者たちは少ない。 実際キュルケやモンモランシー達もその信じない方の人間であり、本当に『虚無』があるとは信じていなかった。 しかし、ルイズが唱えたあの『エクスプロージョン』を見てしまった以上、もう信じないなど口が裂けても言う事はできないだろう。 たった一人の人間―――それも今まで『ゼロ』という二つ名で揶揄されていた少女が、艦隊を壊滅させるほどの爆発を起こした。 それこそ正に、歴史書や聖書の中に記されている゙始祖の御業゙という表現が一番似合うに違いない。 ルイズからの話を聞き終えたアンリエッタは、一呼吸おいてからそっとルイズに語りかける。 それは母であるマリアンヌ太后から聞かされた、ずっと昔から語り継がれている始祖と王家に関係する昔話であった。 「知ってる?ルイズ。始祖ブリミルは、自らの血を引く三人の子に王家を作らせ、それぞれに指輪と秘宝を遺したの。 我がトリステインに伝わっているのは、以前貴女に渡した『水』のルビーと…世界中に偽物が存在する始祖の祈祷書よ そしてハルケギニアの各王家には、このような言い伝えがあります。始祖の力を受け継ぐ者は、王家から現れると……」 そこで一旦喋るのを止めたアンリエッタは、マザリーニから水の入ったコップを手に取る。 丁度コップの真ん中くらいにまで注がれたソレをゆっくりと飲み干した後、ルイズは怪訝な表情で口を開く。 「しかし、私は王家の者ではありません。けれど、私は『虚無』の呪文を発動できた…これは一体どういうことなんですか?」 「ルイズ、ヴァリエール公爵家は元を辿れば王家の庶子。なればこそ公爵家なのですよ」 「あっ…」 ルイズが抱いた疑問を、水を飲み終えたアンリエッタが一瞬のうちに解してしまう。 確かにヴァリエール家は古くからトリステイン王家との繋がりは深く、古い歴史の中で個人間の゙繋がり゙もある。 だから、正式には王家の一族とは認められていないが、その血脈は確実にルイズの中に根付いているという事だ。 「ねぇ魔理沙、庶子ってどういう意味よ?」 「要は正式に結婚していない両親から生まれた子供さ。それだけ言えば…、後は分かるだろ?」 「…あぁ、大体分かったわ。ついで、ルイズとアンリエッタが私達を睨んでる理由も」 左右に座っている霊夢と魔理沙の不届きな会話は、王家と公爵家の眼光によって無理やり止められる。 確かに庶子という意味を砕けた言葉で言ってしまうと、王家の立場的には色々とまずいのである。 必要のない事を口に出そうとした魔理沙が黙ったのを確認してから、アンリエッタは軽い咳払いをして再び話し出す。 「あなたも、このトリステイン王家の血を引き継いでいる身。『虚無』の担い手たる資格は十分にあるのです」 そう言ってから、今度は気まずさゆえに視線を逸らしていた霊夢の左手の甲についたルーンを一瞥する。 「レイムさん、貴女の左手の甲に刻まれたルーンは…私の推測が正しければ、かの『ガンダールヴ』のルーンとお見受けしますが…」 「ん…?良く知ってるじゃないの。そうよ、オスマンの学院長が言うには、ありとあらゆる武器兵器を使いこなせる程度の能力とか…」 以外にもガンダールヴの事を知っていたお姫様に、霊夢は彼女の方へとキョトンとした表情を向けて言う。 アンリエッタは霊夢の言葉にコクリと頷くと、そこへ補足するかのように書物で得た知識を言葉として伝えていく。 「王宮の文献によれば、始祖ブリミルが呪文詠唱の時間確保の為だけに、生み出された使い魔とも記されています」 「……なーるほど、確かに『エクスプロージョン』の詠唱は…長かったような気がするわね」 あの時の様子を思い出した霊夢が一人呟くと、そこへすかさずルイズがアンリエッタへと話しかける。 「では、私は間違いなく『虚無』の担い手なのですね…?」 「そう考えるのが、正しいようね」 半ば最終確認のような自分の言葉にアンリエッタが肯定した直後、ルイズは深いため息をついた。 ルイズはこれまで、魔法が使えず多くの者たちから見下されながらも自前の強い性格と努力で、それなりに平凡な人生を歩んできた。 しかし二年生の春、使い魔召喚の儀式で霊夢を召喚してしまった以降、彼女の運命は大きく変わり始めている。 幻想郷という霊夢が住まう異世界の危機に、戦地と化したアルビオンへの潜入、そして許嫁の裏切り。 霧雨魔理沙という黒白に、謎のキメラ軍団とシェフィールドという謎の女…―――『虚無』の復活。 春から夏の今に至るまで、ルイズは自分が歩んできた十六年間の間に積み重ねた人生よりも濃厚な出来事に遭遇している。 平民はおろか、並みの貴族でさえも経験した事の無いようなそれ等は同時に彼女を危険な目に遭わせていた。 そしてそんな彼女を畳み掛ける様にして、今度は自分があの『虚無』の担い手だと発覚したのである。 (まぁ魔法が使えるようになったのは素直に嬉しいけれど、よりにもよって『虚無』の担い手だなんて…一体どうすればいいのかしら) タルブ村での時と比べ、それなりに平常心を保っているルイズは突然手渡された力をどうするか悩み、ため息をついたのだ。 これがまだ四系統のどれか一つならば、家族や他の者たちに充分自慢できたかもしれない。 しかし…六千年も前に失われ、幻と化した『虚無』の担い手になったと言っても、一体何人がそれを信じてくれるか…。 さらに言えば、あの光を自分か作りましたと告白すれば、今に良くない事が起こるかもしれないという予感すらしていた。 ため息をつくルイズの、そんな心境を読み取ったのかアンリエッタは顔を曇らせて彼女と霊夢たちへ話しかける。 「さて…これで私が、貴女たちの功績を褒め称えるという事ができない理由が分かりましたね? 仮に私が恩賞を与えれば、必然的にルイズの行ったことが白日の下に晒してしまう事となる…。 それは危険な事です。ルイズ、貴女が始祖の祈祷書から手に入れた力は一国ですらもてあますものよ。 ハルケギニア一の精強と謳われたあのアルビオン艦隊でさえ、手も足も出す暇なくたった一発の光で消滅させた…。 それがもし敵にも知れ渡れば、彼らはなんとしてでも貴女達の事を手中に収めようと躍起になるでしょう。敵の的になるのは私だけで十分」 そこまで言ったところで一旦言葉を止めたアンリエッタを、タバサを除くルイズやキュルケ達貴族は強張った顔で見つめていた。 確かに彼女の言うとおりだろう。恩賞や褒美を授ける際には必ずその貴族の功績を報告する絶対義務がある。 過去にはやむを得ぬ事情で真実とは違う偽りの功績を称え、王家の為に暗躍していた貴族たちもいた。 しかしルイズたちの場合は軍人でないうえに、学生である少女達が何故最前線にいて、しかも恩賞まで授かられるのか? それを疑問に思う貴族は絶対に出てくるであろうし、そうなればありとあらゆる手を使って調べる者たちも出てくるだろう。 当然、敵であるアルビオン側もその事を知って八方手を尽くして調べ、必要とあらばルイズを攫うかもしれない。 (ウチの国じゃあ、ちょっと前まで゙御伽噺の中のお姫様゙とか呼ばれてたけど…、なかなかどうして頭が回る器量者じゃないの) キュルケは学院訪問の際に見た時とは印象が変わり始めているアンリエッタに、多少なりとも関心を示していた。 一方で、霊夢と魔理沙の二人もそこまで考えていたアンリエッタになるほど~と納得していた。 最も、魔理沙はともかく霊夢としては所詮は一時滞在でしかないこの世界で爵位をもらっても使い道が無いとは思っていたが。 (まぁそれである程度今より便利になるならそれも良いと思うけどね~) 一瞬だけ手元に出てきて、すぐに手の届かぬ場所へと消えた爵位に中途半端な未練を彼女は抱いてた。 そんな霊夢の心境を知らぬ魔理沙は、ふとアンリエッタの話を聞いて疑問に思った所があるのか「なぁちょっと…」と彼女に話しかけた。 「はい、何でしょうか?」 「さっき敵の的になるのは自分だけで十分…とか言ってたけど、それだと現在進行形で狙われてます…って言い方だなぁーと思ってさ」 魔理沙の口から出たこの言葉で、ある事実に気付いたルイズとギーシュがハッとした表情を浮かべる。 ついで霊夢も緩くなっていた目を鋭く細め、顔を曇らせて黙っているアンリエッタへと向けた。 「姫さま…もしかして…」 「えぇ、残念な事に…敵は王宮の中にもいるのです。―――――獅子身中の虫という、厄介な敵が」 その直後、執務室に置かれていた大きな柱時計の針が十二時を指すと同時に甲高い時鐘の音が鳴の響く。 ゆっくりと、それでいて確実に時が進んでいると教えるかのように…柱時計は執務室にいる者たちすべてに時を告げていた。 「…あら、誰かと思えば御寝坊さんなこの屋敷の主さまじゃないの」 襖を開け、レミリアと並んで居間へと入った紫の目に入ったのは、 まるで我が家の様に寛いだ様子で茶を飲んでいた、腰より長い黒髪を持つ小さなお姫様であった。 左手には茶の入った来客用の湯飲みに、右手にはこれまた戸棚に置いていた塩饅頭を一つ持っている。 お茶はともかくとして、恐らく饅頭の方は無断で持ってきたのだろう。そう判断しつつ紫はそのお姫様に軽く会釈した。 「こんにちは、良い雨ですわね。ところで…そのお饅頭はどこから持ってきたのかしら」 「あぁこれ?永琳に何か無いって言ったら持ってきてくれたのよ。中々良い饅頭じゃない……あ~ん」 そう言った後、お姫様は右手に持っていた白いお菓子を躊躇なく口の中に入れ、そのままむぐむぐと咀嚼していく。 本来ならば、屋敷に置かれていた物を無断かつ目の前で食べる事自体相当失礼な事であろう。 ましてやその主はかの八雲紫。下手すれは死より恐ろしく辛い目に遭ってから追い出されても、文句は言えないだろう。 だが、その饅頭を無断頬張る黒髪のお姫様の顔には嬉しそうに笑みが浮かべている。 まるで自分があの饅頭を食べること自体が悪い事と思っていないかのように、見た目相応の少女の笑み。 彼女にとって自分が欲しい、食べたい、やりたい事はすぐ目の前にあり、誰にもそれを邪魔する資格は無いと信じている。 それは彼女にとって当然のことであるし、常人たちの様にそれを実行する為に越えねばならない壁など存在しないのだ。 黒髪のお姫様こと――――蓬莱山 輝夜は、つまるところ我が侭なのであった。 「ングッ…―ン…―…ふぅ。お茶との相性もピッタシだし、これを買ってきた貴女の式はとても有能ね」 うちのイナバと交換してあげたいくらいだわ。食べた後にお茶を一口飲んでから、輝夜は満面の笑みで紫に言った。 家主である紫の許可なしにお菓子を食べたうえで、罪の意識すら感じさせない言葉に紫は「相変わらずですわね」と言う。 かつては月の姫として、何一つ不自由ない生活の中で暮らしてきたがゆえに培った、自分本位な性格。 それは今や彼女を縛る足枷ではなく、輝夜という月人のアイデンティティとして確立されていた。 だから紫は怒らなかった。仮に゙際限なぐ怒ったところで彼女は反省するどころか、コロコロと笑い転げるだろう。 例え、それで文字通り゙八つ裂ぎにされてしまうおうとも、彼女にとっては単なる゙治る怪我゙で済んでしまうのだから。 「全く、貴女は相変わらずですわね」 「残念だけど、この性格は月の頃からずっと続いてるから変えようと思っても単なる徒労で終わっちゃいそうだわ」 呆れを通り越した苦笑いを浮かべる紫に輝夜はそう言うと、もう一口湯飲みの茶を啜る。 その時、座卓を挟んだ先の縁側からフワフワ~と浮遊しながら紫の古くからの友人が姿を現した。 水色に月柄という少し変わった着物を纏い、頭には死者の頭に着ける三角布とふわっとした丸帽子を被っている。 何やら楽しそうに鼻歌を口ずさみながら、窓に当たる雨粒が少々喧しい縁側から居間へと入ろうとしたとき、 ふと右へ向けた視線の先に、今日までの間ずっと目を開けなかった親友の姿を見て紫の友人―――西行寺 幽々子は思わず「あら!」と声を上げた。 「紫じゃないの!もしかして、今起きたところなのかしら?」 足を畳から浮かせた状態のまま、ふわふわと自分の傍にまで近づいてきた亡霊の姫君に紫は右手を上げてあいさつする。 「おはよう幽々子。どうやらその様子だと、随分と退屈していたんじゃないかしら?」 「勿論よ。眠り込んでいる間は幽体離脱でもして、私の所に遊びに来てくれると思ってたもの」 「それは出来たとしても、流石に遠慮していたとおもうわよ?」 とんでもない事をサラッと言ってのけた幽々子に、紫の横にいたレミリアがジト目で睨みながらさりげなく突っ込みを入れる。 まぁ彼女の言う事も間違いではない。うっかり魂だけで冥界へ行くという事は、飢えたライオンの檻の中に身を投げるようなものだ。 心の中では同意しつつも、敢えて口には出さなかった紫はとんでもない冗談をかましてくれた幽々子に苦笑いしていた。 幽々子も幽々子で本当に冗談のつもりで言ったのだろう、「それはそうよねぇ」と言ってコロコロと笑う。 「相変わらず楽しそうよねぇ、あの亡霊姫…―――――………お?」 それを座卓の上に肘を付きながら見ていた輝夜が、ふと背後から感じた気配に思わず顔を縁側の方へと向ける。 輝夜の声に紫たち三人と――後から入ってきた永琳と鈴仙の二人も縁側の方へと視線を向ける。 彼女たちの目が見ている先、窓越しに空から落ちてくる梅雨の雨が見える縁側に――――――゙彼女゙はいた。 左右で長さの違う緑色のショートヘアーに、頭にばこの世界゙とは違ゔあの世゙における重要な職務に就く者のみが被れる帽子。 右手には悔悟棒と呼ばれる杓を握っており、それもまだ彼女゙という存在を確立する為に必要な道具の内の一つ。 身長は紫より低いものの、レミリアよりかは大きい。だというのに周囲の空気は彼女から発せられる気配に蝕まれていく。 永琳の後ろにいた鈴仙は思わず口の中に溜まっていた唾をのみ込み、幽々子に突っ込んでいたレミリアは渋い表情を浮かべる。 畳に足が着いていなかった幽々子もいつの間にか浮かぶのを止め、縁側に立づ彼女゙を見つめていた。 そしで彼女゙へ向けて恭しく頭を下げるとスッと横へどき、目覚めたばかりの紫の掌を上に向けた右手で指す。 「御覧の通り、八雲紫はたったいま目覚めてございましてよ」 幽々子の言葉に゙彼女゙もまた頭を下げて一礼すると、ゆっくりと右足から今の中へと入っていく。 永琳は自分と輝夜にとって最も遠い位置にいて、そして最も自分たちを嫌っているであろゔ彼女゙に多少なりとも警戒している。 一方で輝夜は他の皆が立っているにも関わらず一人腰を下ろしたまま、六個目になる塩饅頭をヒョイッと手に取った。 そんな輝夜を無視する形で、居間へと入っだ彼女は座卓を壁にして紫と見つめ合う。 名前と同じ色の瞳を持つ紫と、何もかも見透かしてしまいそうな澄んだ宝石のような緑色の瞳を持づ彼女゙。 互いに視線を逸らさず、静かなにらみ合いを続けたまま。゙彼女゙が先に口を開く。 「お久しぶりですね、八雲紫。何やら、随分と手痛い目に遭ったようですね」 「まぁそれは薬師から耳にしましたけど、わざわざ格下である私の見舞いに来てくれるとは…随分情けを掛けられたものですわね?」 ―――――閻魔様?最後にそう付け加えた後、紫はフッと口元を歪ませ笑う。 対しで彼女゙、大妖怪から閻魔様と呼ばれた少女―――――四季映姫・ヤマザナドゥは笑わない。 ヤマザナドゥ(桃源郷の閻魔)は無表情と言ってもいいくらい感情の欠けた表情で、じっと紫を睨み続けていた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん