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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 世間では夏季休暇の真っ最中であるトリスタニアはブルドンネ街にある巨大市場。 ハルケギニア各国の都市部にある様な市場と比べて最も人口密度が高いと言われる其処には様々な品物が売られている。 食料や日用雑貨品は勿論の事、メイジがポーションやマジック・アイテムの作成などに使う素材や鉱石、 そこに混じって平民の子供向けの玩具や絵本、更には怪しげな密造酒が売らていたりとかなりカオスな場所だ。 中には専門家が見れば明らかに安物と分かるような宝石を、高値で売っている露店もある。 様々な露店が左右に建ち並び、その真ん中を押し進むようにして多くの人たちが行き来していた。 市場にいる人間の内大半が平民ではあるが、中には貴族もおり、その中に混ざるようにして観光に来た貴族たちもいる。 彼らは母国とはまた違うトリスタニアの市場の盛況さに度肝を抜かれ、そして楽しんでいた。 見ているだけでも楽しい露店の商品を眺めたり、中には勇気と金貨を持って怪しげな品を買おうとする者たちもいる。 買った物が使えるか役に立つのならば掘り出し物を見つけたと喜び、逆ならば買った後で激しく後悔する。 そんな小さな悲喜劇が時折起こっているような場所を、ルイズは汗水垂らして歩いていた。 肩から鞄を下げて、右手には先ほど屋台で買った瓶入りのオレンジジュース、そして左手には街の地図を持って。 思っていた以上に、街の中は熱かった。暑いのではなく、熱い。 まるですぐ近くで炎が勢いよく燃え上がっているかのように、服越しの皮膚をジリジリと焼いていく。 左右と上から火で炙られる状況の中で、ガチョウもこんな風に焼かれて丸焼きになるのだと想像しながら歩いていた。 「…迂闊だったわ。こんな事になるんなら、ちょっと遠回りするべきだったかしら?」 前へ前へと進むたびに道を阻むかのように表れる通行人の間をすり抜けながら、ルイズは一人呟く。 霊夢や魔理沙たちに負けじと勢いよく『魅惑の妖精』亭を出てきたのは良いものの、ルートが最悪であった。 チクトンネ街は日中人通りが少ないので良かったものの、ブルドンネ街はこの通り酷い状況である。 観光客やら何やらで市場は完全に人ごみで埋まっており、それでも尚機能不全に陥っていないのが不思議なくらいだ。 普段からここを通っていたルイズは大丈夫だろうとタカを括っていたが、そこが迂闊であった。 一旦人ごみの中に入ったら最後、後に戻る事ができぬまま前へ進むしかないという地獄の市場巡りが待っていた。 人々と太陽の熱気で全身を炙られて意識が朦朧としかけ、それでも荷物目当てのスリにも用心しなければいけないという困難な試練。 ふと立ち止まった所にジュース屋の屋台がなければ、今頃人ごみの中で倒れていたかもしれない。 (こんな事なら帽子でも持ってきたら良かったわ。…でもあれ結構高いし、盗まれたら大変ね) ルイズは二本目となるオレンジジュースの残りを一気に飲み干してしまうと、空き瓶を鞄の中へと入れた。 鞄の中にはもう一本空き瓶と、もう二本ジュース入りの瓶が二本も入っている。 幸いにもジュース自体の値段は然程高くなかった為、念のために四本ほど購入していたのだ。 他にはメモ帳と羽根ペンとインク瓶、それに汗拭き用のハンカチとハンドタオルが一枚ずつ。 そして彼女にとって唯一の武器であり自衛手段でもある杖は、鞄の底に隠すようにしてしまわれている。 万が一の考えて持ってきてはいたが、正直杖の出番が無いようにとルイズはこっそりと祈っていた。 (私の魔法だと一々派手だから、一回でも使ったら即貴族ですってバレちゃうわよね) それでも万が一の時が起これば…せめて軽い怪我で済ませるしかないだろう。 地獄とも言える夏場の市場めぐりにも、終わりというものは必ず存在する。 自ら人ごみの中へと入ったルイズが歩き続けて数十分、ようやく人の流れが少なくなり始めたのに気づく。 三本目のジュースに手を付けようかとしていた矢先の幸運。彼女ははやる気持ちを抑えて前へと進む。 そして…―――、彼女はようやく地獄から脱出することができた。 「あっ…――やった。やっと、出る事が出来たわ」 予想通り、人ごみの途絶えた先にあったのは休憩所を兼ねた小さな噴水広場であった。 中央の噴水を囲むようにして日よけの為に植えられた樹と、その周りに設けられたベンチに平民たちが腰を下ろして一息ついている。 ハンカチやタオルで汗をぬぐう者、近くにある屋台で買ったジュースを味わっている者や談笑しているカップルと老若男女様々。 ザっと見回したところで二十数人近くがここで休んでいるのだろうか、市場を出入りする通行人もいるので詳しい数は分からない。 それでも背後にある地獄と比べれば酷く閑散としており、涼むには丁度良い場所なのは間違いないだろう。 ルイズはすぐ近くにあったベンチへと腰かけると、ホッと一息ついて肩の鞄をそっと地面へと下ろした。 そして鞄からハンドタオルを取りだすと、顔と首筋からびっしりと滲み出てくる汗をこれでもかと吸い取っていく。 「ふうぅ…っ!全く、冗談じゃなかったわよ…夏季休暇で市場があんなに盛況になるだ何て、今まで知らなかったわ」 先ほど潜り抜けてきた下界の灼熱地獄を思い出して身を震わせつつ、程よく湿ったハンドタオルを自身の横へと置く。 鬱陶しくしても人ごみのせいで拭けに拭けなかった汗を拭えた事である程度気分も落ち着けたが、今度は着ている服に違和感を感じてしまう。 この前平民に変装する為にと買った服も早速汗で湿ってしまったのだが、流石に服の中へタオルを入れる真似なんてできない。 生まれも育ちも平民の女性ならば抵抗はないだろうが、貴族として生まれ学んできたルイズには到底無理な行動である。 その為着心地はすこぶる悪くなってしまったものの、それもほんの一時だと彼女は信じていた。 (まぁこの気温ならすぐに乾くでしょうし、ほんのちょっとの辛抱よ) 丁度木の陰が太陽を遮るようにしてルイズが腰かけるベンチの上を覆っており、彼女の肌を紫外線から守っている。 周囲の気温はムワッ…と暖かいものの、それでも木陰がある分暑さは和らいでいる方だ。 もしもこの広場に樹が植えられていなければ、こんなに人が集まる事は無かったに違いない。 そんな事を思いつつも、ルイズは休憩ついでに鞄から三本目のジュースが入った瓶と携帯用のコルク抜きを取り出す。 「そろそろ飲み始めないと温くなっちゃうだろうし、冷たいうちに堪能しておかないと」 一人呟きながらもT字型のコルク抜きを使い、手慣れた動作でルイズはオレンジジュースのコルクを抜く。 そして抜くや否や最初の一口をクイッと口の中に入れて、そのまま優しく飲み込んでいく。 オレンジ特有の酸味と甘みが上手く混ざり合って彼女の味覚に嬉しい刺激を、喉に潤いをもたらしてくれる。 途端やや疲れていた表情を浮かべていたルイズの顔に、ゆっくりと微笑みが戻ってきた。 「んぅー…!やっぱり、こういう暑い日の外で飲む冷たいジュースっと何か格別よねぇ」 瓶を口から放しての第一声。人ごみの中で飲んだ時には感じられなかった解放感で思わず声が出てしまう。 涼しい木陰に腰を下ろせるベンチと、殆ど歩きっぱなしでいつ終わるとも知れぬ市場めぐりとではあまりにも状況が違いすぎる。 あれだけの人の中を今まで歩いた事の無かった彼女だからこそ、ついつい声が出てしまったのだ。 しかし…それを口にして数秒ほど経った後でルイズは変な気恥ずかしさを感じて周囲を見回そうとしたとき… 「おやおや、随分と可愛らしい貴族のお嬢様だ。こんな所へ一人で観光しにきたのかい?」 彼女の背後、樹にもたれ掛かって休んでいた青年貴族が突然話しかけてきたのである。 思わずその声に目を丸くした後、バッと声のした方へ振り向くと思わず自分を指さして「…私の事?」と聞いてしまう。 年齢はもうすぐ二十歳になるのだろうか、魔法学院はとっくに卒業している年の彼は貴族にしてはやけに安っぽい格好をしていた。 一応貴族としての体裁は整えているものの、ルイズが今着ている服と比べても格が低いのは一目瞭然である。 そして同じ貴族である自分に対しての軽い接し方からして、恐らく彼は俗にいう下級貴族なのだろう。 貴族の家の子として産まれても、その全員が順調な人生を送れるとは限らない。 とある家の三男か四男坊として生まれれば、親はある程度の教育だけ受けさせて家を追い出す事がある。 金の無い貴族の家では全員を魔法学院に入れさせる金も無いし、彼らの一生を養える余裕も無いからだ。 許嫁がいたり魔法の才能があれば別であるが、大抵は杖と幾つかの荷物を鞄に詰められて適当な街へ放り込まれてしまう。 彼らは魔法も中途半端であれば王宮の仕事が出来るほど頭も良くなく、精々文字の読み書きと掛け算割り算ができる程度。 王宮での勤めに必要なコネも知識もなく、ましてや宮廷の貴族達から一目置かれる程の魔法も使えない。 故に彼らの様な低級貴族は平民たちと共に暮らしており、共に同じ職場で働いて日銭を稼いでいる。 中には壊れた壁や床の修繕なども行っている者たちもおり、日々頑張って暮らしているのだという。 幸い中途半端な魔法でも平民たちには重宝され、その日の食事に困るような事態は起こっていない。 魔法学院へ入れる中級や上流階級の者たちは彼らを貴族の恥さらしと呼ぶ事はあるが、声を大にして批判することは無い。 皮肉にも貴族の恥さらしである彼らが平民たちに力を貸すことによって、貴族全体のイメージ向上へと繋がっているからだ。 井戸やポンプの修理をしたり、家の修理などのアルバイトも平民たちには好評なようである。 下級貴族達も無茶な金銭要求をしたりはせず、時にワインや手作りの料理とかでも良いという変わり者もいるのだとか。 きっと自分に声を掛け、あまつさえ貴族と看破してきた彼もその内の一人なのだろう。 そんな事を考えていたルイズに向けて、背後に青年貴族はクスクスと笑いながら喋りかけてくる。 「そう、君の事だよ。市場から命からがら!…って感じで出てきた時の君を見てね。…お嬢さん、外国から観光に来たお忍びの貴族さんでしょう?」 得意気になって勝手な事を喋ってくる下級貴族にルイズは苦笑いを浮かべつつ、 ――――違うわよこの三、四流の間抜け!私はトリステイン王国の由緒正しき名家、ヴァリエール家の者よッ!! …と、叫びたい気持ちを何とかして堪えるのに必死であった。 何の為にこんな暑い街中にまで繰り出し、そしてあの地獄の市場を超えて来たのか、彼女はその理由を改めて思い出す。 ここで怒りにまかせて自分の正体を暴露してしまえば、ここへ来た意味自体が無くなってしまう。 それだけは何とか避けようと必死になって、彼女は硬過ぎる作り笑顔を浮かべて下級貴族に話し掛けた。 「…そ!そそ、そうなのよ!この夏季休暇を利用して小旅行の…ま、まま真っ最中でしてねぇ…ッ!」 「……あ、あぁそうなんだ」 半ばヤケクソ気味ではあるが、不気味な造り笑顔と震えている言葉に下級貴族も軽く怯みながらそう返してくる。 ルイズ本人としてもあからさまに無理してると自覚していたので、すぐさま顔を横へ逸らしてしまう。 (何やってるのよルイズ・フランソワーズ。こんな所で爆発してたら本末転倒じゃないの…!) 閉じている口の中で歯を食いしばり、相も変わらず激しやすい自分にいら立ちを覚える。 そして気分を落ち着かせるように一回深呼吸した後、こちらを心配そうに見ていた下級貴族方へと振り向いた。 相手は気配からして自分が怒りかけていたのだと薄ら分かっていたのか、その表情は若干緊張に包まれている。 まだ笑みは浮かべていたものの、最初にこちらへ話しかけて来た時の様な軽い雰囲気はすっ飛んでいた。 ルイズは気を取り直すように軽く咳払いすると、こちらの出方を窺っている下級貴族に申し訳程度の笑みを浮かべて言った。 「ごめんなさいね、何分こう暑いものですから…苛立ってしまったの」 「…え?あぁ、いや…その、それなら…まぁ」 特別怒っているわけではなく、ましてや媚びているワケでもない微笑みに下級貴族は返事に困ってしまう。 暫し視線を泳がしつつ、言葉を選ぶかのように口を二、三度小さく開けた後でルイズに言葉を返す。 「こ、こちらこそ悪かったよ。変に子供扱いしちゃってて…」 当たり前じゃないの!…そう怒鳴りたい気持ちを抑えつつ、ルイズは言葉を続けていく。 「そうだったの。確かに私はまだ十六だけど、ご覧のとおり一人で旅できる程度には独り立ちできてましてよ」 エッヘンと自慢するかのように薄い胸をワザとらしく反らす彼女を見て、下級貴族は「は、はぁ…」と困惑してしまう。 しかし、どこの国から来たかまでは知らないが確かに留学を除いて十六の貴族が一人旅行などできるものではない。 国境を超える為の書類や費用等を考えれば子供には大変であろうし、何よりまず親が許さないだろう。 とはいえ例外もあり、将来自立する意思のある貴族の子なんかは率先して留学したり国外旅行へいく事もある。 それを考えれば自分の様な下級貴族にも自慢したくなる気持ちと言うのは、何となくだが理解する事はできた。 そりゃ安易に子ども扱いしたら怒るのも無理はないだろう。彼はそう納得しつつ改まった態度で彼女に言葉を掛ける。 「…にしても、この時期のトリスタニアへ遊びに来るとは…また随分と勇気があるようで」 「まぁね。本当は秋か冬にでも行こうって決めてたんだけど、どちらの季節とも大切な用事ができてしまったのよ」 そこから先数分程、思いの外自分の゙演技゙に釣られてくれた彼とルイズは話を続けた。 ガリアから来たという事にしておいて、国の雰囲気が似ているトリステインへ興味本位に遊びへ来たこと。 その興味本位で市場に入ったところ揉みくちゃにされて、危うく倒れかけたこと。 先ほどの市場はもう二度と御免であるが、リュティスと似ているようでまた違うトリスタニアが良い所だと熱く語って見せた。 無論ルイズは生粋のトリステイン人なのだが、これまで一度もガリアへ行ったことが無いという事はなかった。 リュティスには家族旅行で何度か行った経験もあり、それのおかげである程度のガリアの知識は頭の中にあったのである。 幸いにも相手は母国から出たことが無いような下級貴族であり、よっぽど下手しなければバレる事は無い。 ルイズは自分の言葉に気を付けつつも、顔は良いがタイプではない下級貴族の青年と暫しの会話を楽しんだ。 家族旅行で訪れた場所を思い出しながらガリアの事を話し、相手はそれを楽しそうに聞いている。 時間にすればほんの五分経ったころだろうか、黙って話を聞いていた下級貴族が口を開いて喋ってきた。 「いやぁ、貧弱な家の三男坊である自分がこうして君みたいな素敵な人から異国の話を聞けるとは…今日の僕はツいてるよ」 「あら、その顔なら街娘くらいはキャーキャー言いながら寄ってこないものなのかしら?」 ルイズがそう言ってみると、彼は苦笑いしつつ両肩を竦めるとすぐさま言葉を返した。 「そうでもないさ。僕たち下級貴族の男子になんか、御酌はしてくれるがそこから先に全く進みやしないからね」 何せ貴族は貴族でも。、金の無い下級貴族だからね。…若干自分をあざ笑うかのような言葉に、彼女も苦笑してしまう。 そんなこんなで話が弾んだところで、ルイズはそろそろ自分の『やるべき事』を始めようと決意した。 これまで以上に言葉を選び、かつ悟られない様に聞き出さなければいけない。 夏の陽気に中てられて、活気づいた王都の中にジワリジワリと滲む…新生アルビオン共和国に対する反応を。 ルイズは苦笑いを浮かべたままの表情で、ニカニカとはにかんでいる下級貴族へと話しかけた。 「それにしても、王都は本当に賑やかね。聞くところによると、あのアルビオンと戦争が始まりそうだっていうのに」 「アルビオン…?あぁ…ラ・ロシェールの事件でしょう、君よく知ってるねェ」 「トリステインへ行くときに、行商人から聞いたのよ。もうすぐこの国とあの国で戦が起こるって」 突然話の方向が変わった事に違和感を感じつつも、彼は何の気なしにその話に乗る。 ルイズもルイズで事前に考えていた『話の輸入先の設定』を言いつつ、聞き込みを続けていく。 「普通戦が起こるってなると王都でも緊張した雰囲気に包まれそうなものだけど…ここは真逆みたいね」 「まぁ時期が時期だよ。こんなクソ暑い季節の中で緊張したって、熱中症で倒れてたらワケないしな」 彼の言葉にルイズはまぁ確かに納得しつつ、いよいよ本題であるアルビオンへの評価を聞くことにした。 「…ところで、トリステインの貴族の方々にとって今のアルビオンが掲げる貴族による国家統治はどう思ってるのかしら?」 「んぅ?失礼な事を言うね異国のお嬢さん」 ルイズの質問に対し、まず彼が見せたのは薄い嫌悪感を露わにしたしかめっ面であった。 「いくら俺たちがこの先十年二十年生きられるかどうか分からん貧乏貴族だとしても、連中の甘言には乗らんさ」 「そうよね?私もアイツラの掲げる思想は嫌いだわ、王家を蔑ろにするなど…貴族がしてはならない行為よ」 「その通り。特にこの国の王家に関しては…たとえ奴らが金貨の山を差し出そうとも裏切るような事はしないつもりだ」 平民と共に暮らす貧乏貴族とは思えぬ…いや、逆に貧乏だからこそ王家を並みの貴族以上に崇めているのかもしれない。 近いうち女王となるアンリエッタの笑顔を思い出しつつも、ルイズはカンタンな質問を混ぜ込みつつ話を続けていく。 アルビオンと本格的な戦争が始まったら志願するのか、今後トリステインはかの国へどう対応すればいいべきか等々…。 ルイズなりに投げかけるそれを会話の中に自然に混ぜ込み、あたかも世間話のように見せかける。 そうこうして数分ほど話を続けていた時、ふと下級貴族の背後から複数人の呼び声が聞こえてきたのに気が付いた。 「オーバン!俺たち抜きで何ナンパなんかしてんだよー!」 「えっ…!?あ、あぁビセンテ、それにカルヴィンにシプリアル達も!」 何かと思ったルイズが彼の肩越しに覗いてみると、いかにもな若い下級貴族数人が少し離れた所から手を振っている。 皆が皆オーバンと呼ばれた青年貴族と同じように、貴族用ではあるが比較的安そうな服を着ていた。 「あら、お友達と待ち合わせしてたのね。それじゃあ、私はここらへんで…」 「え?あっ…ちょっと…!」 そんな集団が手をありながらこっちに来るのに気が付いたルイズは、話に付き合ってくれた彼に一礼してその場を後にする。 鞄を肩に掛けてベンチから腰を上げるや否や、呼び止めようとする彼に背を向けて早足で立ち去っていく。 オーバンも思わず腰を上げて追いかけようとしたものの、時すでに遅く名も知らぬ異国?の少女は人ごみの中へと消えて行った。 所詮自分は底辺貴族、物語の様なロマンスなど夢のまた夢という事なのだろう。 自分の前にサッと現れサッと消えて行った彼女を口惜しく思いつつも――――…ふと思い出す。 この広場で他の誰よりも目立っていた、あのピンクのブロンドウェーブに見覚えがあるという事を。 「あのピンクブロンド…うん?どっかでみた覚えがあるような、ないような…?」 それから少しして、あの広場から十分ほど歩いた先にある十字路の一角。 市場からの距離も微妙な為日中のブルドンネにしては人通りも大人しい、そんな静かな場所で景気の良い音が響いた。 それはパーティなどで勢いよくシャンパンのコルクを開けた時の様な音ではなく、思いっきり拳で硬いものを殴った時のような気持ちの良い殴打音。 何かと思って数人の通行人が音のした方へ視線を向けると、彼らに背を向けているルイズの姿があった。 どうやら、右手に作った拳でもって十字路に建てられた共同住宅の壁を殴りつけた直後だったらしい。 ギリギリと拳を壁にめり込まそうとばかりに力を入れている彼女の後ろ姿を目にして、人々は慌てて視線を逸らす。 その洒落た服装からして彼女がタダの平民ではなく、商家の娘かお忍びの貴族令嬢だと察したのであろう。 ――目があったら巻き込まれる。本能で゙ヤバイ゙と悟った人々は何も見なかったと言わんばかりに、早足でその場を後にしていく。 そうして周囲の注意をこれでもかと引いたルイズは、はふぅ…と一息ついてそっと右拳を壁から放した。 「結構力は抜いたつもりだけど…イタタ、木造でもこんなに痛いモノなのね」 後悔後先に立たずな事を呟きつつ右手の甲を撫でたルイズは、先程話に付き合ってくれた青年の事を思い出す。 もう少し話を続けていれば、今頃食事なりお茶の誘いでも出されていたに違いないだろう。 あの手の輩というものは大抵よさげな女の子に声を掛けて、さりげなく良い流れになったところで誘ってくるのだ。 そう考えるとあの友人たちの乱入は正にあの場を離れるには絶好のチャンスとも思えてくる。 彼らのおかげで程よくアルビオンに対する情報を聞けたうえ、良いタイミングであの場を後にすることができたのだから。 早速忘れぬ内にメモしておこうと鞄の中を漁りつつも、同時にルイズはほんの少し残念な気持ちを抱えていた。 「それにしても…案外私の髪の色を見ても、誰も私がヴァリエールの人間だなんて気づかないものなのねぇ」 あの下級貴族と言い、周りにいた平民も含めてみな自分の髪の色を見てピン!と来なかったのであろうか。 市場にいた時はともかく、誰かが一人くらい気が付いても良いはずである。少なくとも彼女はそう思っていた 昨日もそうであった。御忍びの貴族だと街娘にはバレてしまったが、家の名前までは言われなかった。 と、いうことは…ヴァリエール家は今の御時世民衆の間であまり知られていないのではないのか? そんな事を考えて落胆しそうになったルイズは、ふと思う。 「みんな知らない…っていうよりも、公爵家の娘がこんな所にいるワケないって思ってるのかしら?」 自分で言うのも何だが、下々の者たちからして見れば正にそうなのだろう。 確かに、名のある公爵家の人間――それも末の娘が一人で王都を出歩くなんて滅多に無い事である。 そう考えてみると、確かに自分を目にしてもその人が公爵家の人間だなんて思わないに違いない。 例えば王家の人間が平民に扮していても、誰もその人がこの国の中枢を担う人物だと気づかないのと同じだ。 「そうだとすれば…案外、私が立てた作戦も上手くいきそうな気がするかも…」 鞄からようやっとメモ帳を取り出し、何回かページを捲って何も書かれていない空白の頁を見つける。 そして何処かに落ち着いて文章を書ける場所が無いかと、しきりに辺りを見回した。 ルイズが今口にした『作戦』というのは、アンリ得た直々に命令された民衆からの情報収集のことだ。 これから一戦交える前に、人々はアルビオンに対しどのような反応を抱いているのかを調べるのである。 早速それを行うとした昨日、散々な結果で終わってしまったルイズに代わって魔理沙がそれを肩代わりする筈であった。 しかし、アンリエッタからの命令と言う事もあってこのままではいけないと感じた彼女は、自ら行動する事にした。 元々責任感もあるルイズとしては、あの黒白に頼り切るというのに一途の不安を感じたという事もあったが…。 とはいえ考えなしに行っても昨日の二の舞になるのは明白であり、そこで彼女はとある『作戦』を思いついたのである。 生粋の貴族として育てられたルイズにとって、一平民として民衆の中に紛れ込むのは非常に難しい。 ならば…敢えて彼女はその゙逆゙側―――ただのイチ貴族、それも国外から来た観光客として扮する事に決めたのである。 今の時期、王都を観光しにあちこちの国から様々な年齢の観光客が大挙して押し寄せている。 ルイズは敢えてその中に紛れ込み、アルビオンと戦争状態になった事をさりげなく民衆や下級貴族に聞き込む事にしたのだ。 さっき聞き込みをしたのは下級貴族であったが自分がトリステイン貴族だと気づかれず、うまく聞き取りを終える事かできた。 下級貴族ならば平民と同じ環境で暮らしているために彼らの世間話も耳にしているだろうし、情報に困る事も無い。 ついさっきは、ものの試しにと話しかけてみたが思いの外相手は自分の話に乗ってきてくれた。 とはいえ、流石に自分とは雲泥の差がある格下の貴族にああも気安く話しかけられたのは色々と大変だったらしい。 先ほどルイズが壁を殴ったのも、あの若干チャラチャラとした貴族を殴りたくて我慢した結果であった。 もしもあそこで我慢できずに暴発していたら、今頃すべてが台無しになっていたのは間違いない。 「よし…と!ひとまず一人目…とりかく今日は十人くらいトライしなくちゃね」 十字路を西の方へと歩いた先、そこにあるベンチでメモに情報を書き終えたルイズはパタンとメモ帳を閉じる。 そして取り出していたインク瓶と羽ペンをしまうとメモ帳も鞄の中に入れて、スッと腰を上げる。 ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの誰にも言えぬ秘密のミッションは、こうして幕を開けたのであった。 最初に彼女が選んだのは、ブルドンネ街の中央寄りにある大きな通りであった。 そこは通称『厨房通り』とも呼ばれている場所で、その名の由来である数多の飲食店が群雄割拠している場所だ。 主な客層は貴族やゲルマニアで商人などをしている平民であり、皆それなりに裕福な身なりをしている。 店のジャンルは基本トリステインで貴族が好んで食べる高級料理などであり、変化球の様にサンドイッチやデザート等の専門店もある。 どの店も通りを少し侵食するようにしてテラス席を設けており、日よけのした設置されたテーブルで美味しい食事にありついている。 無論平民や下級貴族など安くてお手頃な飲食店も規模は小さいものの存在し、市場に次いでかなりの人々が通りを行き交っていた。 ルイズは市場での経験を生かしてかなるべく通りの端を歩きつつ、王都の地図を片手に話しかけやすそうな人を探していた。 当然地図を持っているのは観光客を装う為であり、彼女自身王都で迷う心配など微塵もなかった。 現に周囲を見回してみると、今のルイズと同じように地図を手に通りを不安げに歩く貴族の姿がチラホラと見える。 若い者たちは地図と睨めっこしつつ歩いており、中には従者らしき者に道案内をさせている年配の貴族もいる。 彼らは大小の差はあれど軽い手荷物と地図からして、本物の観光客だというのが丸わかりだ。 そういう人たちに混じって、ルイズは大人しく…かつある程度物知りな平民か下級貴族に道を尋ねるついでに聞き込みをするつもりであった。 「…とはいえ、この人の流れだと上手く話しかけられるかしら?…って、あの平民ならいけそうかも」 周囲の人々を観察していたルイズは、ふと目に入った中年の平民男性に狙いを定めてみる。 どうやら人の流れから少し外れて、路地裏へと続く小さな横道の前で一休みしているらしい。 中年になってまだ間もないという外見の男性は、手拭いで首の汗を拭いつつ燦々と輝く太陽を恨めしそうに見つめている。 見た感じならば人もよさそうであるし、これなら少し会話した程度で揉め事が起こる心配は少ないだろう。 ほんの少し足を止めて様子見をしていた彼女は、早速その平民に話しかけてみる事にした。 「そこのアナタ、休憩中悪いけれどちょっと良いかしら?」 「…お?…んぅ、マントは無いようだけど…もしかしてお忍び中の貴族様…でよろしいかと?」 「えぇ、今は気兼ねなく旅行するためマントは外してあるの。紛らわしくてごめんなさいね」 マントを着けでおらず、しかしその居丈高な物言いと身なりで彼はルイズが貴族であると何となく察したらしい。 物分りの良い男にルイズもやや満足気に頷いてみせると、平民の男は「あぁいえ!こちらこそ…」と頭を下げる。 どうやら自分の目利き通り、貴族に対しての作法はある程度心得ているようだ。 それに安心したルイズも「別に気にしていないわ」と返しつつ、最初に道を尋ねる所から始める。 「初めて王都へ来て道へ迷ってしまったのよ。ここからタニアリージュ・ロワイヤル座へ行くにはどうしたら良いかしら」 「あぁ、ここからそこへ行くんなら…」 異国の貴族を装うルイズの尋ねに対し、平民の男もやぶさかではないという感じで説明を始めた。 そりゃルイズは黙っていれば本当に綺麗であるし、本性を露わにしなければ淑女の鑑にもなれる。 恐らくはルイズよりもこの街に精通している男の説明は、貴族である彼女でも感心する所があった。 彼の案内があればどんな方向音痴でも、必ず目的地にたどり着けるに違いないだろう。 丁寧な彼の道案内を聞いた後、ルイズは礼を述べてからいよいよ本題の聞き込みへと移った。 「ありがとう。…それにしても、この前あのアルビオンと一悶着あったというのにこの街は活気に満ち溢れているわね」 「んぅ、そうですか?まぁこことラ・ロシェールじゃあ距離があるし、第一もう終わった事ですしね」 「でも近いうちに戦争になるかも知れないのでしょう?怖くは無いの?」 「まさか!…というより戦争になっても、こっちまで火の粉が飛んでくる事は無いでしょうよ」 まぁ確かにその通りだろう。平民と一言二言会話を交えたルイズは内心納得しつつも頷いていた。 自分の『虚無』が原因でほぼ主力を失った今のアルビオンには、今更トリステインへ攻め入るだけの戦力は無いに等しいだろう。 流石に艦隊が全滅したという事はないのだろうが、少なくとも今のトリステイン艦隊が圧倒される程強くはないに違いない。 その後その平民に改めて礼を述べてその場を後にしたルイズは、転々と場所を変えながら聞き込みを続けた。 話しかけやすそうな平民や下級貴族に声を掛けて道を尋ねて、そのついで世間話を装ってアルビオンについての反応を聞く。 時には今のトリステイン王家に対する評価も耳に入れつつ、一時間ほど掛けて五人分の聞き込みを終える事が出来た。 ルイズは一旦人気の多い場所から離れ、路地に接地されたベンチに腰を下ろして聞き込みの内容を記録している最中だ。 遠くからの喧騒と、その合間へ割り込むように街路樹の葉と葉が擦れ合う音がBGМとなってて耳に入ってくる。 この時間帯は丁度ルイズが腰かけるベンチ側の道が陰になっており、良い涼み場にもなっていた。 「とりあえず決めた目標まであと半分…だけど、結構この時点でかなり枝分かれしてるのねぇ」 ルイズは羽ペンを傍へ置くと、書き終えたばかりの情報を確認し直してから一人呟いた。 彼女の言うとおり、街に住む人々から聞いた今のアルビオンとトリステイン王家への評価は以外にもバラバラだったのである。 ある下級貴族はアルビオンに対して徹底的な報復を唱え、その前にアンリエッタ王女はちゃんと玉座につくべきだと言ったり、 また平民の商人はあの白の国に関しては後回しでも良いから、まずは国を盤石にするべきだと言う慎重論もあれば、 いっその事この国をアルビオンに売ってしまえと言う、とんでもない爆弾発言まで出てきたのには流石のルイズもギョッとしてしまった。 中にはアルビオンと同じように王政ではなく、有力な貴族達による統治を現実的に唱えている者もいた。 それらを見返した後、彼女はこれらの情報を全てアンリエッタに見せるのはどうなのかと躊躇ってしまう。 一応彼女からは嘘偽りなく、ありのまま伝えて欲しいという事は手紙には書かれていた。 だがアンリエッタに伝える情報をルイズが吟味して、あまり過激なものは没にする…という事も不可能なことではない。 しかし彼女としては、それを――情報に゙色゙をつけるという行為にほんの少し抵抗があった。 街の人達のありのままの反応を知りたいアンリエッタの気持ちを、裏切る事になるのではないかと。 顔を俯かせたルイズは暫し頭を悩ませた後、情報を吟味するか否かの二者択一にぶつかってしまう。 「んぅ~…こういう時にレイムかマリサがいてくれれば、私の背中を押してくれそうなもんだけど…でもアイツラを頼るのもなぁ」 今はこの街のどこかにいるであろう二人の事を思い出した彼女は、一人悔しそうに呟く。 自分たちの世界が危機に陥っているというのにどこか暢気で、それでいてヤバい時には頼りになるあの二人。 良くも悪くもこの世界の常識が通用しない彼女たちなら、どう考えるのであろうか。 それを考えそうになっていたルイズは慌てて首を横に振り、今はそれを余所へ置くことにした。 「今はそんな事を考えてる場合じゃないわ。姫さまに送る情報の事も…もう半分を集めてからの方がいいかも」 ルイズはひとまずそれで納得すると羽ペンとインク瓶、そしてメモ帳を鞄の中へとしまい込む。 まだ自分で決めた目標の半分にしか達していない今考えても、仕方の無い事である。 忘れ物が無いかのチェックをした後、ルイズは残り半分を片付ける為に人気の多い場所への移動を始めた。 「…じゃあそろそろ私はこれで。道案内、感謝いたしますわ」 「うん、君も気を付けるんだぞ」 それから更に一時間と少し掛けて、八人目となる下級貴族の男性から話を聞き終えたルイズはその場を後にする。 今まで目にしてきた者達より少し年を取っているのであろうか、変にフランクな彼は背中を向けている自分に手を振ってくれている。 彼女もまた手を振って別れつつ、残り二人までとなった情報収集に終わりが見えてきた事にホッと一息ついてしまう。 一応聞き込み自体は何とかこなせてはいるものの、街中を移動するのにかなりの時間を要している。 場所によっては時間帯で人ゴミができることはあるし、通行禁止となってしまい遠回りせざるを得ない事が度々あった。 ルイズが今いる場所は最初の前半の五人に聞き込みをしたブルドンネ街から、チクトンネ街へと移っている。 まだ人の少ない場所と言えどもそこは王都、道を尋ねる封を装って聞き込みをするには充分な数の人はいた。 とはいえ世間話を装って聞き込むために人によって話が長引く事もあり、結果として今の様に一時間以上かけてようやく八人目なのである。 「何だかんだで意外と時間が掛かっちゃったわね…」 ポケットに入れていた懐中時計の短針と長針を睨みながら呟くと、すぐ近くにある建物から美味しい匂いが漂ってくるのに気が付いた。 丁寧に煮込んでいる最中のトマトソースと炒った玉葱から漂う甘い匂い、そして焼きたてのパンから漂うバターの香り。 時計の短針ば12゙を指しており、長針ば1゜を少し過ぎた所まで進んでいる。 どうやら既に御昼時へと突入しているらしい、そこらかしこの家から食事の匂いが通りに漂っている。 ルイズは自分の臭覚と舌を刺激する匂いに中てられてか、思わず空っぽになっている自分の腹を抑えてしまう。 「そういえば、朝食以降で口にしたのってジュースだけだったわね…」 程よくお腹が空き始めた自分の腹を哀しそうに撫でつつ、彼女はここから先はどうしようか悩んだ。 資金泥棒を追っている霊夢と情報収集をしてくれてるだろう魔理沙には十二時になったらなるべく『魅惑妖精』亭へ戻るようには言っている。 とはいえ゙なるべぐである為、もしかすればシエスタに話したように夕食時まで帰ってこないという可能性もある。 特に魔理沙は自分でも調べたい事があると言っていたので、霊夢と二人…もしくは一人で食べる事になるかもしれない。 何なら昼飯代くらいは捻出できるだけの余裕はあったが、それでも今あの二人に金を貸すのは心配であった。 だから一度お昼になったら『魅惑の妖精』亭で合流できるなら合流して、どこか程よく安くて美味い店を捜そうと考えていたのだ。 トリスタニアなら平民向けの大衆食堂であっても、そこそこ美味い料理にありつける。 これが外国とかだと量さえあればいいだろうという事で味が二の次になってしまうが、そこは食に煩いトリステイン人。 例え手持ちの少ない平民であっても、食事は万人の娯楽であれと言わんばかりに食べる方も作る方も味に拘る。 食材は無論、調味料や器具にも手を抜かずそれでいて誰にでも手が出せる安い値段で提供するのがこの国の流儀だ。 美食に飽きた外国の貴族が一番美味しいと言った食べ物が、トリステインの平民向け食堂で出されているサンドイッチだった…なんて逸話があるくらいなのだから。 それ程までにこの国はロマリア、ガリアと肩を並べるほどに食い物に関しては煩い国なのである。 「う~ん、あとちょっとだけどお腹減って来たし…軽く腹ごしらえした方がいいかもね」 ルイズ自身そろそろ何か口にしたいと思っていた矢先に、昼食時というタイミングには勝てなかった。 幸いチクントネ街にいるので店へ戻るのは然程時間はかからないしだろう。歩いたとしても十分程度であろう。 思い立ったら即行動…というほどでもないが、湧き上がってくる食欲に勝てるほどルイズは食に無頓着ではなかった。 すっと踵を返した彼女は『魅惑の妖精』亭のある通りへと向かってスタスタと軽快な足取りで歩き始める。 まだ任務の事が頭にはあったものの、今すぐにでも自分の目標を成し遂げなければいけないというルールは課していない。 少し昼食を取って、時間を改めれば良いだけと納得しつつ、何処で食事をしようかという事で頭がいっぱいになり始めていた。 ブルドンネ街ならば日中でも労働者向きの食堂なら営業しているし、何なら移動販売式の屋台でも良いだろう。 外で食べるには流石に暑すぎるが、お持ち帰りにして『魅惑の妖精』亭の一階で頂くのも悪くは無い。 サンドイッチかパスタ、それか選べるのは限られるだろうが思い切って肉料理でガツンと攻めてみるか? 牛肉より値段の低い豚肉か鶏肉のローストを厚めにスライスしたものと安いチーズをチョイスして、そこに弱い酒の肴にしよう。 酒をそのまま飲むのは苦手だがジュースやハチミツに割れば、強くなければ快適に飲める。 そんな事を考えて楽しく歩いていると、ふと彼女は右の方から誰かが走り寄ってくるような音に気が付いた。 気づくと同時に足を止めて、そちらの方へ振り向いた直後――その走ってきた人影がすぐ目の前にまで近づいてきていた。 既にぶつかるまで数秒も無いという瞬間の中、ルイズとその人影は当然のようにぶつかり―――小さく吹き飛んだ。 「え…?――キャッ!」 キョトンとした表情を浮かべた直後、突如右肩に伝わる痛みと共に両足が地面から離れたのに気が付き、 そう思った矢先には、勢いよく地面に尻餅をついてしまったルイズは悲鳴を上げて地面に倒れてしまう。 幸い鞄はしっかりと絞めていたおかげで中身が散乱、するというヘマをせずに済んだのは幸いと言えるだろう。 しかし右肩、臀部から背中にまで伝わる鈍い痛みはとても耐えられるものではなく、暫し仰向けになったまま呻くしかなかった。 陽の光ですっかり熱くなった地面の熱と痛みの両方を受けつつも、ルイズは何とか頭を上げて人影の方を見てみる。 ぶつかってきた人影の方は然程大丈夫だったのか、地面に尻餅をつきつつも何とか起き上がろうとしている最中であった。 人影はこんな真夏日和だというのに全身を隠すようなローブを身にまとっており、見てるだけでも暑苦しくなってしまう。 丁度フードの部分が顔と頭を隠している為に性別は判別できないものの、身長や体格だけ見ればルイズよりも二回り大きい。 いかにも『怪しい』という言葉を練りに練って人型に仕上げた様な人間であったが、ルイズは怖気もせずにその人影へと怒鳴る。 「イタタァ…ちょっと!そこのアナタ、何処に目を付けてるのよ!?」 「悪い…!少し急いでたもので…」 ルイズの抗議に対し口を開いた人影の声を耳にして、ルイズは少し驚く。 その声色は間違いなく女性、それも体格相応ともいえる二十代くらいのものであった。 てっきり男だと思っていたルイズは更に言おうとした抗議を止めて、思わず彼女の顔を見ようとしてしまう。 丁度自分より一足先に立ち上がった彼女を見上げる形となったルイズは、フードの下にある顔を目にする。 やはり声色から想像したよりも少し上程度の若い女性が、気の強そうな顔と薄いサファイアの様な碧眼で見下ろしていた。 流石に顔と瞳の色だけではどんな人間なのかまでは判断つかないものの、貴族に向かって「悪い」とは何て言い草だろうか。 お昼の事を考えてウキウキしていたところを水に差されたルイズが思わず怒鳴ろうとした直前女はスッと右手を差し出してきた。 突然目の前に突き付けられたその手に驚きつつ、掴めという事なのかと察した彼女はスッと女の手を握る。 すると予想通り。女は自分の右手に力を入れて、地面に倒れていたルイズを腕力だけで立ち上がらせる事が出来た。 まさか腕一本で自分を起こした女の腕力に、ルイズは思わず驚いてしまう。 一体どんな仕事に就けば、女であってもここまでの腕力が育ってしまうのだろうか? 目を丸くして感心している最中、女はフードを被ったまま頭を下げて謝罪の言葉を述べてくれた。 「申し訳ない、何分急いでいたモノで前を見ていなかったよ…」 「え?いや…ま、まぁ!幸い怪我は…してないし別にいいわよ。次はこういう事にならないよう気を付けなさいよ」 思いの外丁寧であったフードの女の謝罪にルイズは怒るタイミングを失ったことを苦々しく思うほかなかった。 てっきり自分を倒したまま「急いでいるから」といって逃げるのを想像していただけに、変な肩透かしをも喰らっている。 ひとまず女の謝罪を受け入れつつも、暫し苦みのある雰囲気を二人が包んだものの…それは長くは続かなかった。 女の背後―――先ほど暑苦しいローブの姿で走り抜けてきた路地裏から複数の足音が聞こえてくるのにルイズは気が付いた。 バタバタと喧しい靴音を響かせて近づいてくるその音にルイズが何かと思った直後、フードの女はそっと彼女に囁く。 「私はここを離れる。急で悪いが、お前も何も見なかった風を装ってここから歩いて立ち去るんだ」 「え?それってどういう――――…あ、ちょっと!」 制止する暇もなく、女は言いたい事だけ言うとそのままルイズが歩いてきた道の方へバッと走り去っていく。 思わず追いかけようとした彼女はしかし、路地裏から近づいてくる足音の主達がもうすぐで通りに出てくるのに気が付いた。 ―――お前は何も見なかった風を装ってここからに立ち去るんだ とてもふざけているとは思えない雰囲気が感じられた言葉にルイズは咄嗟に従う事にした。 どうしてか…と問われれば返事に困っていたかもれしないが、恐らくは「本能的に」という答えを出していたかもしれない。 そうしてフードの女とは反対方向の道――『魅惑の妖精』亭へと続く道を再び歩き始めたルイズの耳に聞き慣れぬ男たちの声が聞こえてきた。 「…クソ!あの女どこ行きやがった?」 「通りに出たんなら容易に見つけられると思ったが…身のこなしの速いヤツ!」 聞こえてきた二人分の男の声は聞いただけでも、相当に柄の悪い連中だと判別できるほどの言葉づかいである。 例え平民であっても、一体どんな教育を受ければあんなオラついた気配が濃厚に漂う声色が出せるのであろう。 それが気になったルイズが一瞬だけ顔を後ろに向けようとしたところで、新たに二人分の男の声が聞こえてきた。 「慌てるな、ここからそう遠くへは行ってない筈だ。手分けして探そう」 「この路地裏から出たのなら市街地方面に行ったかもしれん。あそこの路地は結構入り組んでいるからな。…俺とお前はあっちだ」 最初に聞こえてきたチンピラ風の声とは違い、明らかにちゃんとした教育を受けているかのような言葉づかいであった。 まるで軍でしっかりとした訓練を受けて来たかのような喋り方で、部下で露合う最初の二人に指示を飛ばしている。 それに対し最初の二人が「あ、はい!」だの「わかりました」と返事を返している事から、後の二人はリーダー格なのであろうか? 思わず一瞬だけ後ろを振り向こうとしたルイズはしかし、二人分の足音がこちらの方へ向かってくるのに気が付く。 動かそうとしていた頭を咄嗟に止めたところで、自分の横を二人の男が駆け抜けていくのが見えた。 先頭を走るのは先ほどガラの悪そうな喋り方をしていた奴であろうか、いかにもチンピラと言えるような恰好をした平民だ。 対してその後ろについて行っているのは彼よりかは多少の身なりの良い平民の男だ。年は前の奴より少し上であろうか。 幸い二人はルイズの事は横目で一瞥しただけで話しかける事も無く、彼女が進む方向へパタパタと走っていく。 ルイズは気づかれぬようじっと彼らの背中を見つつ、あの女の言葉が間違いのない忠告であったと理解した。 やがて残っていた二人は女が走っていった方向へと向かって行き、通りから物騒な気配が消えていく。 道の端っこで世間話に興じていた人々は何事も無かったように話しを再開しており、一見すれば平和そのものである。 しかし、ついさっきまで只者ではない平民の男連中がいたことには気づいているのか、何人かがその話をしていた。 無論、彼らの横を通り過ぎるルイズの耳は微かではある物のその話を聞きとっている。 しかし、大して面白くも無いのでしっかりと聞き流しつつも彼女ははぼそりと独り言を呟く。 「全く、姫さまからの任務と言い、資金泥棒といい、ヤクモユカリとその式達といい、さっきの女や男達といい…夏季休暇になっても休む暇がないのね」 一学生とは思えぬほどの多忙を前にして、彼女はどうしても愚痴を零したかった。 誰に聞かせるワケでもないし、ただ呟くだけなら罪にはならないだろうと思いながら。 「―――…で、その愚痴やら相談が混ざってごっちゃになった話を私達に聞かせたかったワケ?」 ルイズから今に至るまでの経緯を聞いた霊夢は終わるやいなや一言述べた後、一口分に切り分けた豚肉を口の中に入れた。 アップルソースの甘味とオーブンで皮をカリカリに焼いた豚バラ肉の旨味が上手い事マッチして、未だ洋食慣れしていない彼女の口内を刺激する。 ただ不味いと問われれば、間違いなく首を横に振る程度には美味しい料理だ。付け合せのパンもソースとの相性が良い。 そんな事を思いながら、未知なる組み合わせの料理を堪能する彼女の傍に置かれたデルフがルイズに話しかけてた。 『お前さんも色々苦労したんだねぇ。てっきり店で踏ん反り返りながら、オレっち達が帰ってくるのを待ってたと思ってたが…』 「アンタ達の前でそんな事してたら、速攻で弄られるから言われても絶対にしないわよ」 刀身をカタカタ揺らして笑うデルフにそう言って、ルイズも頼んでいたオムレツ・サンドウィッチを頬張った。 表面を軽くトーストしたパンで薄焼きのオムレツを挟んだもので、マヨネーズとトマトソースがパンに塗られている。 オムレツも薄焼きながらベーコンやジャガイモ、玉葱を刻んだものが入っていて中々面白くて美味しい。 何でもロマリア方面で良く作られる卵料理らしく、フリッタータと呼ばれるものだという。 早口で言うと舌を噛みそうな名前であるが、その名前に勝るほどに美味いオムレツである。 早速一つ目を平らげたルイズは、他にも頼んでいた厚切りベーコンのグリルを待ちつつジュースを一口飲んだ。 鞄の中に入れていた最後の一本ですっかり温くなっていたが、それでも捨てるには惜しい程にはまだ美味しかった。 「ずるいわねぇ、私とデルフ何て炎天下の中日陰を捜して情報収集してたってのに…アンタだけジュース買ってたなんて」 「私の場合は自分の口座に入ってたなけなしの金で買ったのよ。…っていうか、そこら辺に飲料用の井戸とかポンプがあるでしょうに」 ジト目で文句を言う霊夢にそう返しつつ、ルイズはチラリと店の外を一瞥する。 御昼時とあって多くの人が出入りしているが、未だあの黒白の少女――霧雨魔理沙は姿を見せずにいた。 「…ホント、魔理沙のヤツどこほっつき歩いてるのかしらねえ~」 「あんな服だから日射病でやられた…って事は無いと思うけど」 ルイズの目線で何となく察した霊夢は一言呟いて、料理と一緒に頼んでいたアイスティーに口を付ける。 彼女に言葉にルイズもなんとなく続けきながら、温いオレンジジュースをゴクゴクと飲み続けていた。 ルイズに霊夢、そしてデルフの二人と一本が今いる場所はチクトンネ街にある平民向けの大衆食堂である。 『向日葵畑』という何の捻りもない看板を掲げているこの店は、平民の他に下級貴族達も足を運んでいるのだという。 確かに店の中にはこんなに暑いのに丁寧にマントを付けた貴族たちが安い料理を美味しそうに食べている姿がチラホラと見える。 まぁシーリングファンが乃割っているおかげで外と比べれば涼しいのだが、こんな平民向けの店では酷く目立つ格好なのは間違いない。 更に目を凝らしてみれば、足元にバックパックを置いている貴族の客もいる。恐らく少ない金で旅を満喫しようと計画しているバックパッカーだろう。 外国から来た彼らからしてみれば、ある程度貴族の舌に合う料理をこんな店で食べれるのはさぞや嬉しい事であろう。 そんな店の隅っこ、すぐ傍に開きっぱなしの裏口があるおかげでそれなりに涼しいテーブル席でルイズと霊夢は食事を楽しんでいる。 最も、本来ならこの場に来ている筈の魔理沙が来ないために半ば待っている状態なのだが。 一応『魅惑妖精』亭の出入り口にメモを残しておいたのだが、果たして店の場所が分かるかどうか。 本人も今朝出ていく時には遅くなるかもと言っていたので、最悪来ない事だってあり得る。 まぁあそこから歩いて十分くらいの場所だし、余程の方向音痴か間抜けでなければ迷う事もないだろう。 店の人にも一応知り合いがもう一人来るとは伝えてあるし、既に自分たちは万全を尽くしたとしか言いようがない状態だ。 後は魔理沙の気分次第…という事なのである。 瓶入りのオレンジュースを飲み終えたルイズがウェイターにアイスティーの追加注文をしたところで、 付け合せのパンを食べようとした霊夢が何を思ったか、彼女に話を振ってきた。 「それにしても、アンタってやる時はやるわよねぇ」 「…?何の話よ」 「さっき話してたじゃない、自分も動いて情報収集したって話を……ハグッ」 「ちょ…アンタ!パンは手でちぎって…ってもう手遅れかー」 一瞬だけ分からず首を傾げたルイズにそう言うと、パンを手に持ってそのまま齧り付いた。 パンを千切らずそのまま口にしたところでルイズが顔を顰めたものの、霊夢は気にすることなく口で千切る。 こんな店だというのにバターの風味と甘みがしっかりとあるパンの味に、思わず笑いかけてしまう。 そんな彼女に呆れてため息をついたルイズへ、今度はデルフが話しかけてくる。 『まぁ方法としてはお姫様からの命令通り…ってワケじゃないが、情報収集のし方としては間違っちゃあいないね。 最も、娘っ子。お前さんの場合は平民に成りきるのは無理だって分かってたから、その方法しか手段が無いだろうし』 デルフからの評価にルイズは一瞬だけ口を閉じた後、小さなため息をついた。 「それ褒めてくれてるんだろうけど、アンタに言われると小馬鹿にもされてるような気がする」 『まぁ半々だね…っと、いきなり蹴るのはやめてくれよ』 ルイズからの指摘に彼が素直に返すと、刀身がおさまる鞘を彼女の靴で小突かれてしまう。 鞘越しとはいえ割と威力のある足に文句を言いつつ、デルフはカチャカチャと金具部分を鳴らして喋る。 思っていたより効いていないようなデルフの様子を見てルイズは二度目のため息をついて、コップに入ったお冷を飲んだ。 大きめの氷が幾つも入っている冷水が口内を潤し、喉にとおっていく時の爽快感。 暫し喉に残る清涼感にほんの一瞬浸る中、デルフに続くようにして霊夢も口を空けて話しかけてきた。 「まぁ私は別に良いとは思うわよ。それで情報が集まるんなら、むしろ良く考えたって褒めてあげるわ」 「…一応言っておくけど、褒めても何もあげないからね」 「じゃあ褒めるのはやめておくわ、けどまぁアンタもアンタで頑張ってくれるってのは私としても助かるし」 そんな会話の後で、先ほど口で千切って残り三分の二ほどになったパンをもう一口齧って見せる。 ハルケギニアの作法など知ったこっちゃないと言いたげな彼女の食べっぷりに、ルイズは頭を抱えたくなってしまう。 もしもここが平民向けの大衆食堂でなくてブルドンネ街のレストランだったら、追い出されても文句は言えなかっただろう。 その後、ルイズの頼んでいたアイスティーをウェイターが持ってきた所で霊夢も飲み物を頼んだ。 メニューの文字が分からないために他の客のドリンクを指さしての注文であったが、無事に伝わったらしい。 ウエイターは彼女の指さす先を見て「アイス・グリーンティーですね?」と確認した後、厨房へと戻っていった。 「グリーン・ティー…って、アンタがいつも飲んでる゙お茶゙の事?」 「そうよ。こっちの世界にも冷茶の類があっただけでも私としては結構助かってるわ~」 指さしていた客が美味しそうに飲む氷の入った『お茶』を見つめながら、彼女は嬉しそうに言う。 それを見ながらサンドイッチを食べようとしたルイズはふと、あの『お茶』に関しての事が思い出す。 「そういえば昨日スカロンも言ってたわねぇ、最近あの『お茶』のせいでお店の売り上げがどうとかって…」 「あぁ、確かそれを専門に出してる『カッフェ』っていう店のせいとか言ってたわね」 二人とも、街中を移動しているときには確かにそれらしきお店をチラホラと見かけている。 レストランや他の店に混ざってテラス席を出して紅茶や『お茶』、それに軽食などを提供していた。 スカロンが言っていた通り、確かにここ最近あぁいう店が貴族、平民問わず話題になっているのをルイズは知っている。 茶類専門の店という新しいジャンルという事もあって、以前ルイズも何度か足を運んだことはあった。 春が来る前の季節なうえにまだまだ寒い外のテラス席だった為、結構寒い思いをしたのは今でも記憶に残っている。 まぁその分頼んだ紅茶とクッキー、それにポテトポタージュが中々美味かったので悪い思い出ではなかった。 その事を思い出しつつ、ルイズはカッフェに対しての素直な評価を述べていく。 「まぁ彼には悪いけど、これからはあぁいう店が主流になるかもね。手軽に紅茶や軽食を楽しめるって意味では」 「そうよねぇ、私の神社にもあぁいう洒落た店があれば人が寄ってきそうな気がするわ」 「いやぁー、お前さんの神社の場合はそれよりも先に片付けるべき問題が山積みだろうに」 「うっさいわねぇ、アンタに注意される筋合いは…って、魔理沙!アンタいつの間に…」 自分の提案に横槍を入れてきた声がこの場にいない者のモノだと気づいた霊夢が声のした方へと顔を向けた時、 裏口から顔だけ出して覗いていた魔理沙にようやく気が付き、思わず大声を上げてしまった。 霊夢の声にルイズも気が付き、ニヤニヤと自分たちを見つめる黒白を見つけると席を立ち、彼女の傍へと近づいていく。 「マリサ!やっぱり来たか…って今までどこほっつき歩いてたのよ?」 「おぉルイズ。悪いねぇ、ちょいと人助けしたついでに色々ともてなしを受けててな…戻るのが少し遅くなったぜ」 若干怒っているルイズに対して、魔理沙はいつも通り悪びれてないような笑みを浮かべて返事をする。 相変わらずの霧雨魔理沙であったが、霊夢としてはあの黒白が人助けをしていたという言葉がにわかに信じ難かった。 「アンタが人助けですって?いっつも人の神社に来たらタダ飯頂きにくるアンタが?」 「ひどい事言うなぁ。お互い独り身なんだから、飯時くらいわいわいしながら楽しみたいだけさ?…まぁそれはさておきだな」 霊夢の辛辣な言葉に対しても笑みを崩さずそう返してから、彼女はここに至るまでの経緯を説明し始めた。 …要約すればこうだ。 朝食の後、ひとまず情報収集のためにブルドンネ街にでも足を運ぼうとした所で、一人の少女に出会った事。 少女の名はジョゼットと言い、ロマリアという国から出張してきた青年たちの付き添いのシスターである事。 彼女が道に迷っていたと言うので出会ったのも何か縁という事で、彼女の情報を頼りに泊まっているホテルを探した事。 歩いていくうちにブルドンネ街へと入り、川沿いにある一軒のホテルが彼女たちが泊まっているホテルだと知った事。 流れるようにしてそのまま中に入ってしまい、結果的に彼女の保護者らしい青年二人と知り合いになった事。 「…まぁ後はその二人にも経緯を快適な部屋で話してたら昼から用事があるって言うんで、私も一旦戻ってきたワケさ」 霊夢の隣に腰を下ろした魔理沙は最後にそう言って話を終えると、ナイフで切り分けたばかりのチキンステーキを口の中へと入れた。 ハチミツをベースに作ったソースを塗って焼かれた鶏肉は甘味と旨味が上手い事混ざり合い、美味しさを形作っている。 溢れ出る肉汁は付け合せのマッシュポテトにも合う。ここに白飯でもあれば束の間の付合わせに浸れたに違いない。 そんな事を思いながら、何故か一仕事終えたつもりになっている彼女は一緒に頼んでいたプチパエリアへと手を伸ばそうとする。 しかし、それよりも先に呆れた表情を浮かべるルイズの言葉によってその手は止まってしまう。 「なーにが一旦も出ってきたワケよ?…つまりアンタだけ美味しい思いしてたって事じゃないの」 「おいおい酷いこと言うなよルイズ。私がいなかったら今頃ジョゼットのヤツはまだ迷ってたと思うぜ?」 「まぁ実質辛い思いしてたのは私だけだから、精々アンタ達だけでいがみあってなさい」 お互いテーブル越しに辛辣な意見をぶつけあう光景に、デルフは面白さを感じているのか刀身を震わせている。 まぁ彼からしたら、相も変わらず仲が良いか悪いかの間を行き来する三人の姿はさぞ面白いのであろう。 『お前ら相変わらずだねぇ?…でもまぁ、これで娘っ子のやってた事は無駄に終わらなかったな。 何せレイム直々に指名した黒白がサボってたんだからねぇ。…マジメさで比べれば、娘っ子に軍配が上がったって事さ』 デルフの的確過ぎるる言葉を聞いて、魔理沙が初めて「むむ?」と声を上げて怪訝な表情をルイズ達に見せたものの、 すぐにまた元の笑みに戻すと、自分と霊夢の間にあるデルフの柄をポンポンと左手で軽く叩いて言った。 「そいつは言葉が過ぎるってもんだぜ、デルフリンガーよ。 昼飯を食べ終わったら、午前の分も含めてキッチリ情報収集するつもりなんだから」 「私は「これからする」って言ってるアンタよりも、「ここまでやってきた」っていうルイズの方が偉いと思うんだけど」 午前いっぱいまで実質的にサボっていた魔理沙への容赦ない霊夢の突っ込みは、相変わらず切っ先が鋭い。 ルイズがそんな事を思いながらアイスティーを一口飲もうとした所で、突っ込まれた魔理沙が彼女の方へと顔を向けたのに気が付く。 何か言いたい事があるのかと同じく顔を向けたところで、キョトンとした表情を浮かべる魔法使いがメイジに質問してきた。 「ちょっと待てよ?ルイズ…霊夢の言葉通りなら、もしかして外で色々何かしてたのか?」 「今頃気づいたの?…って、そういえばその事を話し終えた後でアンタが来たのよね」 霊夢に午前中の事を話していたルイズは、その時にはまだ魔理沙がいなかった事を思い出す。 「折角だから話してやりなさいよ。そしたらコイツだってやる気になるだろうし」 「ほぉ~、言ってくれるじゃないか?そこまで言うのなら、さぞや凄い事を成し遂げたんだろうな」 「…あまり期待しないでくれる?アレは私なりに考えた苦肉の策のようなものなのだから」 『いいねぇ、娘っ子の涙を誘う努力をもう一度聞けるなんて…俺が人間なら酒の肴にしたくなる』 三人と一本がそれぞれ一言ずつ喋った後に、ルイズは魔理沙へ向けて午前の中の事を説明し始めた。 昨日の件で情報収集は魔理沙に任せようとしたものの、結局納得がいかず自分の足で情報収集に挑んだ事。 そして昨日の失敗を元に考えた結果、平民ではなく国外から旅行でやってきた貴族に扮するという作戦を考え付いた事。 考えた本人自身がうまくいくかどうか分からなかったものの、思いの外うまくいき道を尋ねる振りをして情報収集ができた事。 ひとまず八人分程の情報が集まっているところまで話し終えた所で、興味津々で聞いていた魔理沙がニヤリと笑った。 それは事あるごとに浮かべているような、誰かを小馬鹿にする嘲笑ではない。じゃあ何かと問われれば…ルイズは言葉を詰まらせていただろう。 そんな彼女の心境を余所にニヤニヤと卑しくない笑みを浮かべる魔理沙は隣の霊夢に話しかける。 「なぁ霊夢よ、お前さんの言ってたルイズがこの手の仕事に向いてないって言葉は…見事に外れたな?」 「そうね。…こんな事なら、アンタに頼るより彼女に頭を使うようアドバイスしとけばよかったわ」 笑みを浮かべる黒白とは対照に、紅白は苦虫を噛んだかのような表情を浮かべて氷入りの『お茶』を一口啜る。 『虚無』という強大な力を持っていても、貴族のお嬢様ゆえに何処か不器用だと思っていたルイズは自分から動いたのだ。 霊夢本人はてっきり店で大人しくしているかと思っていたからこそ、彼女の行動力にはある程度感心したのである。 それと同時に、それを見抜けなかった自分と情報収集をサボっていた魔理沙に頼んでしまった事を悔しく思ってもいたが。 「え?…何?…これって、つまり…私が褒められてるって事?」 『何でそんな事をオレっちに聞くんだよ。そんな事しなくたって答えはとっくに出てるだろうに』 思いの外良い反応を見せた魔理沙と霊夢を前にして、思わずルイズはデルフに話しかけてしまう。 デルフもデルフでそっけなく返しつつ、戸惑うルイズの背中をそっと押し出す程度のフォローくらいはしてやった。 「あ…そう、そうなんだ。…なんか、我ながら上手く行ったと自分を褒めたくなってきたわ」 「平民に扮する…っていうのは失敗してるけど、まぁ情報収集はできたんだから結果オーライってヤツよ」 「そ、それは言わないでよ!…ワタシだって、できるならそれで収集してたわよ」 剣に背中を押されたおかげか、なんとなく自信がついてきたところで魔理沙の余計な一言が脇腹を突いてくる。 それを余計な一言だと思いつつ、まだまだ冷たいアイス・ティーの残りをクイッと飲み干し、ウェイターにおかわりを頼んだ。 その後、ルイズと魔理沙はそれぞれ頼んだ料理の味を楽しみつつも次は霊夢が何をしていたのか気になっていた。 他の二人は既に話していた分、彼女だけが何も喋らないでいるというのは不公平なのであろう。 料理をつつきながらも泥棒捜しはどうなったのかと聞いてくる魔理沙に、若干の鬱陶しさを覚えつつも霊夢は喋り始めた。 「残念だけど、特に進展はないわよ?…まぁ、ここ最近街中で子供が犯人と思われるスリが起きてるって話はチラホラ聞いたけどね」 「と、いうことは…まだこの王都に潜んでいるって事なの?」 ルイズの言葉にそうかもしれないわねぇと答えつつね霊夢は冷たい『お茶』を一口啜る。 盗まれた場所から通った道を含めてくまなく探してみたものの、お金を盗んだ子供たちの姿は見当たらなかった。 一応隠れられそうな場所も探しては見たが、いかんせん街全体が大きすぎるせいできりがない。 人が多いという事もあったが、何より太陽から降り注ぐ熱気と目が眩むほどの輝きが彼女の集中力を奪うのである。 いくら水を飲んだとしても、もつのは精々十分程度でそれ以上に時間が掛かれば気怠さと身体に纏わりつく汗でイヤになってくる。 しかも下手に空を飛べないので、霊夢はあの子供たちがいないかと街中を歩き回っていたのだ。 幻想郷の知り合いがその時の彼女の姿を見ていれば、きっと指を指して笑っていたに違いないだろう。 「全く…外は暑すぎるわ盗人どもはないわで、イヤになってくるわよホント」 ここへ来たばかりの春と比べてあまりにも暑いハルケギニアにうんざりしながら、霊夢は言った。 二杯目になる『お茶』の中を浮かぶ氷を眺めつつそんな事を呟く彼女へ続くようにして、ルイズも口を開く。 「確かに、今年は去年と比べて気温が高い気がするわねぇ…」 『そうだな。オレっちは剣だが鞘越しでもムンムン暑かったからな』 彼女の言葉にデルフも相槌を打ちつつ、そこへすかさず魔理沙も話しに割り込んでくる。 「ま、この街にいるならいずれ霊夢に尻尾を掴まれるのは問題だし、後は本人の頑張り次第だな」 「午前中サボってお菓子御馳走になってたアンタに言われなくても、絶対に捕まえて見せるわよ」 「なーに、午後からは見事名誉挽回を果たして見せるぜ」 自分の鋭い一言にも狼狽える事の無い魔理沙のポジティブさには、ある種見習わなければいけないのだろうか? 二人のやりとりを眺めていたルイズはそんな事を思いつつ、半分ほど減ったサンドウィッチにかぶりついた。 そんなこんなで話は続き、次第に話題は街中で何か面白いものがなかったかどうかに移っていった。 何処そこの通りで芸を披露していた者がいたとか、面白そうな店があったとか他愛の無い世間話の数々。 それに時折相槌を打ちつつついついデザートを頼もうとしていたルイズは、ふとシエスタの事を思い出す。 確か彼女は言っていた、明日のお休みにでも霊夢達と一緒に王都を歩き回ってみたいと。 その願いが叶うかどうかは分からないが、今その事を話して二人の反応を探る事はできそうだ。 結構楽しそうに話している二人へ割り込もうとしたところで、ルイズはふと思いとどまる。 …果たして、本来ならシエスタ自身が彼女らに聞くべきことを自分が代わりに言っていいものなのか? やろうとした寸前でそんな考えを抱いてしまった彼女は、無意味としか思えない悩みを抱えてしまった。 自分が先に問えば二人の意思をあらかじめ確認して、それをシエスタに伝える事が出来る。 しかし、それをやってしまうと夕食時に再開するであろう彼女をガッカリさせてしまうのではないだろうか? 他の貴族からしてみれば、ルイズが今悩んでいる事は大変どうでもいいいことなのは間違いない。 平民…それも学院で奉仕するメイドの事で、どうして自分たち貴族が頭を悩ませる必要があるのかと誰もが呆れるであろう。 ルイズとしてもそういう風に考えていたし別に先に言おうが言わまいかという迷いなど、どうでも良い事なのである。 しかし、一度考え込んでしまった悩みを頭から振り払うという事ができる程ルイズは器用ではなかった。 シエスタには霊夢や魔理沙たちの分を含めて、双方ともに大小区別なく貸し借りを作ってしまっている。 ルイズは一貴族としてしっかりと借りは返したいし、シエスタだって霊夢たちに受けた恩を返しきれてないと思っているに違いない。 だからこそ貴重な休日を、自分たちと一緒に過ごしたいと言っていたのであろうし、 それを考慮してしまうと、どうにもルイズは迷ってしまうのだ。 (私が気を利かせて聞いてみる?…それとも、サプライズっていう事でシエスタに言わせた方が良いのかしら…) おおよそ一般的な友達づきあいのしたことのないルイズにとって、その選択肢はあまりにも難しいものであった。 中途半端に残ったアイスティーを、その中に浮かぶ氷を眺めながらルイズは二つの選択肢を延々と比べてしまう。 聞くか?それとも言わせるか?―――誰にも聞けぬままただ一人ルイズは考え続け、そして…。 「―――…ズ?…ちょっとルイズ!」 「ひゃあ…っ!」 「お…っと」 突然霊夢に右肩を叩かれた彼女はハッと我に返ると同時にその体をビクンと震わせた。 そのショックでおもわず倒れそうになった中身入りのコップを魔理沙が掴んで、零れるのを何とか阻止してくれた。 驚いてしまったルイズは暫し呆然とした後で、再びハッとした表情を浮かべてテーブルへと視線を向けて、 飲みかけのアイスティーがテーブルに紅茶色の水たまりを作っていないの確認して、安堵のため息をついた。 そして、自分の肩を急に掴んできた霊夢の方へキッと鋭い視線を向け、抗議の言葉を口に出す。 「ちょっとレイム、いきなり肩なんかつかまれたら驚くじゃないの」 「そりゃー悪かったわね、まぁその前にアンタには二、三回声を掛けたんですけどね」 負けじとジト目で睨み返す霊夢の言葉に、魔理沙もウンウンと頷いている。 どうやら声を掛けられたのに気付かない程考え込んでしまったらしい、そう思ってから無性に恥ずかしくなってきた。 思わず赤面してしまうものの、気を取り直すように咳払いしてから霊夢の方へと向き直る。 「…で、私に声を掛けたって事は…何か聞きたい事でもあったの?」 「別に。ただアンタが何か考え込んでるのに気が付いたから、何してるのかって聞こうとしただけよ」 「あ、あぁ…そうなんだ」 てっきり大事な話でもあるのかと思っていたルイズは肩透かしを喰らってしまう。 薄らと赤くなっていた顔も元に戻り、ため息と共に残っていたアイスティーを飲み干して席を立った。 それを見て店を後にするのだと察した霊夢と魔理沙もよいしょと腰を上げて、忘れ物がないか確認し始めた。 最も、二人してルイズと違って荷物と呼べるものは持っていないので、身に着けているものチェック程度であったが。 霊夢はデルフを一瞥しつつ何となく頭のリボンを整え、魔理沙は膝の上に置いていた帽子をそっと頭に被っている。 テーブルの端に置かれた伝票を手に取り合計金額を確認し始めた所で、今度はデルフが話しかけてくる。 『ん?何だ、もうお勘定か?』 「えぇ。いつまでも長居できるわけじゃないしね。……あれ?結構値段を抑えられたわね」 伝票の数字と睨めっこしつつもルイズはデルフにそう返し、次いで予想していたよりも食事が安く済んた事に喜んでしまう。 いつもならそんな事はしないのだが、使える金が限られている今は伝票に書かれた金額で一喜一憂してしまう。 目の前にいる二人と一本はともかく、こんな姿をツェルプストーや学院の生徒に見られたら後日を何を言われるのやら… 同級生たちに指差されて嘲笑される所を想像して憂鬱になりながらもルイズは足元に置いていた鞄を肩にかける。 少し重たくなったような気がするそれの重量を右肩に掛けたベルト伝いに感じつつ、霊夢達を連れて外を出ようとした。 その時であった。ルイズと霊夢が入ってきた本来の出入り口の前に立つ、二人の衛士を見つけたのは。 「ん?ちょっと待って二人とも」 先頭にいたルイズがそれに気づき、彼女と共に店を出ようとした霊夢達を止めた。 右手に短槍、左手には何やら巻いて棒状にした何かのポスターを持っており、腰には剣を差している。 どうやら近くにいた店長である中年男性と、何やら会話をしているらしい。 お互いの表情は、今いる位置からでも血生臭い事は起こらないと確信できるほど平穏である。 一体何を話しているのだろうかと気になった時、霊夢と魔理沙もルイズの肩越しから彼らの姿を目に入れた。 「おや、衛士さんじゃあないか。こんな店に何の用なんだ?食事か?」 「そんな感じには見えないけど、近づいて何を話してるのか盗み聞きしてみる?もしかしたらあの盗人の事かも…」 「やめときなさいよアンタ達、下手にちょっかいかけて目ェつけられたら任務に支障が出るかもしれないじゃない」 二人の提案を即座に却下しつつも、内心ルイズも少しばかり何を話しているのかは知りたかった。 王都を守る衛士等もこういう店には来ることはあれど、基本的にそれは非番の時か食事を外で済ます時だけだ。 しかし今店長としているであろう会話は、控えめに考えても何か聞き込みをしているようにしか見えない。 もしかすれば霊夢の言うとおり、自分たちのお金を盗っていったあの少年の事について話している可能性も…無くはないだろう。 「ひとまず勘定はあそこで支払うから、もう少し…ってアレ?」 「もう少し待つ前に、もうどっかに行っちゃうらしいわね」 とりあえず彼らが去ってから勘定を支払おう…と提案しかけた直前に、衛士達は手を振って店を手で行った。 それに手を振りかえす店長らしき男の左手には、衛士の一人が持っていたポスターを握っている。 一体何だったのかと思いつつ、まぁいなくなったのなら気にすることも無いだろうとルイズは歩き出した。 彼女の後に続くようにして霊夢達も足を動かし、三人そろって店長のいるカウンターへと移動する。 「ご馳走様、お勘定を払いに来たわ」 手に持っていた伝票をカウンターに置くと、五十代半ばの店長はルイズに頭を下げた。 「おぉ旅の貴族様、どうもウチでお食事いただき誠にありがとうございます!では…」 店長が礼を述べて伝票を受け取ってから、ルイズは腰に下げている袋から食事代の金貨を出していく。 今はまだまだ袋は重いが、今残っている金額では王都で外食しながら泊まるのは一週間…切り詰めても二週間ももたない。 これが底をつけば自分のお小遣いは文字通りゼロになるし、最悪ドブネズミやら蝙蝠を捕まえて調理する必要に迫られてしまうのだろうか? そんな冗談を想像しつつも、それが現実になるまで後一週間程度しかないという事にルイズはゾッとしてしまう。 脳裏に浮かんだネズミ料理のイメージを振り払いつつ、店長が金貨を数えている間を待つ霊夢を一瞥した。 (私と魔理沙も気を付けなくちゃだけど、霊夢には早いところアイツを捕まえて貰わないとね…) 「…よし。金額に余分がありますので、五十スゥと七三ドニエの御釣りですよ貴族様」 「え?…あ、あぁそうなの。有難うね」 危うく店主の言葉を聞き逃すところであった彼女は慌てて返事をすると、店主がカウンターの下を漁り出した。 何をするかと思いきや、取り出したのルイズの顔よりもやや大きい鉄の箱であった。 取っ手と頑丈な錠前がついているのを見るに、どうやら御釣り用のお金が入っているらしい。 一緒に持っていた鍵で錠前を外して蓋を開けると、十秒もかからず店長は御釣り分の銀貨と銅貨をカウンターの上へと置いた。 「え~と、ひーふー…一応貴族様も御釣りが合っているかどうか確認をお願いしますよ」 箱の蓋を閉じた店主にそう言われて、ルイズはすぐにその二種類の硬貨を数えはじめる。 「…確かにさっき言ってた金額通り、それじゃあこのまま頂戴しておくわね」 「毎度ありです。今後近くを通った時はウチの店を御贔屓に」 貴族様からのお墨付きをもらった店長は満面の笑みで頭を下げて、いそいそと箱に鍵をかけ始める。 ルイズも袋に銅貨と銀貨を入れていき、最後の一枚となる銀貨を入れた所で、後ろにいた霊夢が声を上げた。 「あの、ごめんなさい。ちょっと良いかしら?」 「んぅ?何でございましょうか」 てっきりルイズの従者と勘違いしている店長が敬語でそう聞き返すと、彼女はある物を指さしてみせる。 それは先ほどやってきた衛士達が彼に渡していった、巻いたままにしているポスターであった。 「そのポスター…さっきまで来てた衛士達が置いていったけど…ちょっと気になってね」 「ん、あぁ…これですかい?」 霊夢の指差は先にあったポスターを見た店主がそう言ってポスターを手に取ると、 丁度真ん中の辺りで括っている紐を解きつつ、質問をしてきた彼女へ手短かに説明しはじめた。 「何でも、王宮の方で指名手配犯が出たからそれの似顔絵ってんで持ってきたんですよ」 「指名手配…ですって?」 「それまたエラく物騒で今更過ぎるな?この街で指名手配される奴なんて、それこそ星の数ほどいるだろうに」 解いた紐を足元のゴミ箱に捨てた店主の口から出た単語に、ルイズと魔理沙も反応する。 指名手配のポスター自体は別に珍しいものではないが、少なくともそういうモノが貼られるという事は滅多に無い。 「指名手配とはそれまた御大層じゃないの?」 流石の霊夢も聞き慣れぬ言葉に素直な感想を漏らすと、店長は「まぁ事情が事情ですしな」と返しつつ、 巻かれていたポスターを両手で広げながら更に衛士達から聞いた情報をそのまま彼女たちに伝えていく。 「今朝こっちの方で衛士姿の白骨死体が見つかった事件があって、それに関しての容疑者候補が一人上がったらしくてね、 それがどうやら…身内の衛士さんらしくて、しかも昨日から行方不明っていうだけで白骨死体を作った張本人扱いされてるらしいんですよ」 「何ですって?」 今朝、その現場の近くにいた霊夢は、下水道にたむろしていた衛士達やアニエスの姿を思い出した。 確かあの時、先に現場にいた人々は皆衛士姿の白骨死体がどうとか言っていたのは覚えている。 それから後の進展は全く聞いていなかったが、まさか今になってその話が出てくるとは思ってもいなかった。 しかし、彼の口から語られるその情報に違和感を感じたであろう彼女が一つ質問をしてみる。 「容疑者候補…?それって何か証拠とか…詳しい情報はないの?」 「さ、さぁ…そこまでは言ってませんでしたが。…あぁ、そうだ!これが容疑者候補とかいう衛士さんの似顔絵らしいですよ」 霊夢からの質問に店長は首を傾げつつも、自分の方へと向けていたポスターの表面を彼女たちの方へと向ける。 丁度ルイズの顔より少し大きいポスターに書かれていた似顔絵は、どうみても女性のそれであった。 「へぇ~…女性の衛士が犯罪ねぇー?何か色々ワケありそうだけど…」 ポスターに描かれているその顔を見て色々と勘ぐってしまう霊夢に、魔理沙がすかさず続く。 「きっとセクハラしようとしてきた同僚をうっかり……って、どうしたんだルイズ?」 しかし、自分たちの前にいるルイズがそのポスターの似顔絵を見て、様子が変なのに気付いてその言葉は止まってしまう。 店長も「貴族様、どうかしまして…?」と気遣うものの、彼女はそれを無視してじっと似顔絵を見続けている。 いかにも男の職場の中で働き、鍛えて来たかのような鋭い目つきに似合う厳つい表情。 青い髪に碧眼という、平民出とは思えぬ整った顔つきは下手すれば貴族と見紛う程の綺麗さ。 美しくさと強さを兼ね備えたかのような戦乙女のような女性の似顔絵を、ルイズは知っていた。 ここへ来る前―――そう、『魅惑の妖精』亭へと戻る道すがら、彼女はこの顔とそっくりの女性と出会ったのである。 時間にすればほんの一瞬であるが、突然通りに出てきたぶつかった記憶は今もはっきりと頭の中に残っていた。 「私の記憶違い?…ううん、違うわ…私、この顔の女性(ひと)と通りでぶつかって…―――……?」 独り言をぶつぶつと呟きながらポスターを見つめていた彼女は、ふと似顔絵の下に文字が書かれていたのに気が付く。 何かと思って視線をそちらのほうへ向けると、こんな文章が書かれていた。 ―――○○○○○○詰所所属衛士隊員『ミシェル』 ―――――同僚殺害及び軍事機密情報の売買に関わった疑いあり! ――――――この顔にピン!ときた方は、すぐに最寄りの衛士詰め所か警邏中の衛士に声を掛けてください 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 何事も、計画していた通りに事が進むわけではない。 原因は様々あれど、たった一つの―――それこそ些細なミスで計画自体が破綻する事さえある。 時にはそのミスが想定の範囲外という理不尽極まりない場所からやってくることも珍しくは無い。 そういう時に大事なのは決して狼狽えず、慌てず、騒がない。冷静に事実を受け止め、対処するほかないのだ。 あと一歩のところまで金を盗んだ少年を追い詰め、失敗した魔理沙もそうせざるを得なかった。 想定の範囲外としか言いようの無い『動く外的要因』を、どういう風に対処すべきか考える為にも。 例えその『動く外的要因』が――これまで見た事も無いような正体不明のスライム状の存在であったとしても、だ。 「―ッ!危ねッ…!?」 驚きの渦中にあった魔理沙は、こちらに向かって跳びかかってくる黒いスライムを見て慌てて後ろへ避けた。 それが正解だったのか、先程まで自分が立っていた場所にソイツが着地する。 するとどうだろうか。ソイツはまるで柔らかい餅の様に平べったくなり、液状の体が左右に広がっていく。 もしも横に避けていたらコイツの体に触れていたかもしれない。そう考えた魔理沙は己が運の良さに喜びたくなった。 とはいえ今はそんな事をする余裕など当然なく、彼女はもしもの事を考えて更に数歩後ろへと下がる。 「畜生、あと一歩だったってのに…何だか良く分からんが、惜しい所で邪魔なんかしてきやがって!」 着地を終えて、元の太い棒状の姿へ戻っていくソイツに悪態をつきつつ、魔理沙はスッと身構える。 その左手には先ほど懐から出した小瓶があり、いつでも投げつけられるようにはしている。 これを投げて瓶が割れれば即花火、瓶に詰めた『魔法』がいつでも作動する仕掛けだ。 相手との今の距離は二メイル程度。ここから投げれば瓶の破片が飛んできて怪我をする心配も無い。 魔理沙としては、折角良い所を邪魔してくれた謎の相手には是非とも自分の魔法をお見舞いさせてやりたかった。 本当はあの少年の手前に投げ落として、綺麗な花火を見せつけると同時に気絶させるつもりでいたのである。 それを邪魔されたからには、何としてでもあのどす黒く揺れる体の中に投げ込んでやろうと決めていた。 距離も十分、威力は…きっと申し分なし。心配する事など何一つ無い。 しかし…、魔理沙はすぐに左手の小瓶を投げつける事を躊躇ってしまう。 黄色い目を輝かせながら、ゆっくりと地面に跡をつけて這ってくる正体不明の相手に彼女はゆっくりと後ろに下がっていく。 後ずさる先に何もない事を確認しつつ、けれども近づいてくるヤツには細心の注意を払う事は忘れない。 別に目の前で蠢く黒い液体の体や、爛々と輝く黄色い二つの目玉が怖いワケではなかった。 問題は一つ。…あの液体の体の中で、上手く瓶が割れるのかどうかについてという事である。 『魔法』を詰めた小瓶は、うっかり自分の懐の中で暴発しない分には丈夫であり、 そこそこ力を入れて投げれば、瓶が割れ次第即座に発動する程度のデリケートさは持っている。 しかし…あのいかにもヌメヌメとして、嫌な意味で柔らかそうな体の中では投げつけても爆発しないのでは…と考えていたのだ。 (あいつの足元?…に投げれば簡単なんだろうが、それじゃあ私の腹の虫が収まらないんだよなぁ) 目の前の、良く分からない相手に勝つための最適な方法は既に分かっている。 しかしそれは自分の望んだとおりのセオリーではなく、今の彼女からしてみればあくまでも゙勝つ方法゙の一つでしかない。 望んでいる勝ち方は一つ、自慢の『魔法』を詰めこんだ瓶をあの怪物の体内で割らせて内部から思いっきり爆発させる事だ。 少年を気絶させるだけの筈だったこの『魔法』で、あのスライムみたいな怪物を即席花火に変えてやろう。 その為にもまずは相手を見極め、どのような攻撃をしてくるのか探らなければいけない。 突拍子も無く現れた敵の正体が何であれ、下手にこちらが先制を仕掛ければ何が起こるかわからない。 魔理沙は一定の距離を保ちつつ、その間にもこちらへと近づいてくるスライム状の敵をじっくりと観察する。 黒く半透明の体の中には内臓らしきものは見えず、唯一不透明の目玉は爛々と黄色い光を放ちながらこちらを睨む。 なめくじの様に地面を這いずっている為か、まるで絞りきれてない雑巾の様に地面を濡らしながら進んでいく。 しかもそれは決して綺麗とは言い難い黒色の液体であり、正直ただの水とは考えにくい。 恐らくあの不安定な体を構成できるだけの力は秘めているのであろうが、それがどういったものかまでは分からない。 先ほど跳びかかってきた時の事を考えると、その見た目以上に重くはないのだろう。 更に着地した際に不出来な煎餅の様に平たくなったのを見れば当然体も柔らかいのは一目瞭然だ。 「とはいえ、そこに変な弾力まであると…何か投げるのを躊躇っちゃうような…」 魔理沙はそんな事を呟きながら、左の中で落とさない程度に弄っている瓶の事を思う。 下手に相手に力を入れて投げて、それでポヨン!と跳ね返されてしまったらとんでもない事になる。 自分の『魔法』で自滅する魔法使いなんて、それこそパチュリーやアリスに笑われてしまう。 最も、ここにその二人はいないしそれを広める様な輩がいないのは幸いともいうべきか。 とにかく、今やるべきことは相手の体がどれほど柔らかいのか探る事に決まった。 「と、なれば…早速調べてみるとしますか。…楽しい夕食まで時間は無さそうだしな」 ひとまずの目標を決めた魔理沙は一人呟き、ひとまず左手の瓶を懐の中へとしまう。 勿論後で使うつもりなのだが、今からするべきことを考えると元の場所に戻していいと考えたからだ。 『魔法』入りの瓶をしまい戻した魔理沙は、サッと足元に落ちていた適当な大きさの石を拾う。 持っていた瓶よりかはやや大きく、彼女が投げるには手ごろな大きさともいえよう。 石を拾った魔理沙はスッと顔を上げて、近づいてくる化け物をその目で見据える。 こりから自分が攻撃するという事も理解していないのか、間にナメクジの如き速度で近づいてくる。 「さてと…それじゃあまずはお試しの投球――ならぬ投石開始といきますか!」 気合を入れるかのように一人そう叫んだ彼女は石を持つ手に力を込め、思いっきり怪物へと投げつけた。 いつも『魔法』入りの瓶を投げる時と同じように、頭上へと投げられた一個の石。 それは大きな弧を描き、まるでミニマムサイズの隕石の様に怪物の頭上へと落ちていく。 相手は落ちてくる石に気付いたのか、ギョロリと黄色い目玉を動かして頭上を仰ぎ見ようとする。 しかしそれよりも先に、魔理沙の投げた石ころがトプン…!と小さな音を立てて体の中に入ったのが早かった。 まるで池の中に放った時の様に石は怪物の体の中を、ゆっくりと沈んていく。 「成程、投げつけたものが弾かない程度には柔らかいのか……って、ん?」 望んでいた通りの結果が分かった事に魔理沙は頷こうとしたところで、怪物の身に異変が起きているのに気が付く。 魔理沙の手で石を体の中に取り込まされた相手が、その黒い体をプルプルと震わせ始めたのである。 まるで皿に乗ったプリンが揺れているかのように、全体を微かに振動させて何かをしようとしているのだ。 「お、やられたままじゃあ面白く無いってか?」 まだどんな手を使ってくるか分からない相手を、魔理沙は箒を両手に持って槍の様に構えて見せる。 その直後、怪物の胴体辺りまで沈んでいた石が沈むのをやめて、奇妙な事にその場で浮き始めたのだ。 これから何をするのかと心待ちにしていた魔理沙を前に、怪物は更に体を震わせる。 いよいよ来るか!と魔理沙はいつでも動けるように態勢を僅かに変えた――――その瞬間であった。 ヤツの胴体で浮いていたあの石が、大きな音を立てて弾丸のように発射されたのである。 「おぉッ―――…ットォ!」 さすがの魔理沙もこれには少し驚いたものの、回避できない速度と距離ではなかった。 いつでも動けるようにしていた彼女はスッと右に避けると、その横を結構な速度で石が通り過ぎていく。 数秒と経たぬうちに、背後から硬いモノが勢いよく割れる音が、広場へと響き渡る。 石がどうなったのか振り返るまでもないと、魔理沙は攻撃をしてきた相手をジッと見据える。 「コイツは驚いたぜ?てっきり跳びかかるだけしか能が無いと思っていたぶん、余計にな」 そう言って彼女は足元に落ちていた別の石ころを更にもう一つ拾うと、先ほどと同じく怪物へと投げつける。 今度は相手も投げられた石を見ていたものの、のろまな奴一匹だけでは避けようがない。 まるでついさっきの光景を写し取ったかのように石は体の中へと入り込み、そして胴体の辺りで止まる。 そして魔理沙に再び狙いを定めると、今度は体を震わせずにそのまま静止した状態で石を発射してきた。 「ほれキタ…―――ッと!」 今度は驚くことなく、彼女は余裕をもってその石ころをかわしてみせる。 再び背後から石の砕ける音が聞こえ、それと同時に魔理沙はニヤニヤと笑って見せた。 「てっきり脳無しかと思いきや、即座に反撃する程度の賢さはあるみたいだな…けれど」 私を相手にしたのが間違いだったな?彼女はそう言って、そのまま怪物の左側へ向かって走り出す。 その魔法使いな見た目とは裏腹に速い足を持つ彼女を、怪物は目だけでゆっくりと追いかけてくる。 やがて数秒と経たぬうちに、魔理沙は怪物の背後へと回り込む事が出来た。 相手も自分の背後にいると察知したのか、体を動かそうとしているのかプルプルと体を震わせ始める。 「へっ!今更動いたって―――はぁッ!?」 遅いぜ?そう言おうとした魔理沙は次の瞬間、またもや驚かされる事となった。 何と反対側にあるヤツの目玉が、あの黒い体の中を通って浮きあがってきたのだから。 これには流石の魔法使いも、面喰わざるを得ない程の事であった。 「おいおい、いくら骨が無いからってソレは反則ってヤツじゃないのか?」 僅かに一瞬の間に向きを変えた相手に魔理沙が悪態をついたところで、一足先にヤツが攻撃を開始した。 とはいっても先ほどの石ころ飛ばしとは違い、最初に現れた時に披露してみせた跳びかかりであったが。 それでも思いっきり体を震わせ、バネの用に跳んでくるどす黒いスライム状の怪物と言うだけでも相当ショックである。 こんなのがもし夜の森の中で出くわして跳びかかってきたのなら、誰もが腰を抜かすに違いない。 しかし御生憎ながら、霧雨魔理沙はその手の怪異にはすっかり慣れてしまっている身であった。 「そんなワンパターン、私に通用するかよ…――ッと!」 相手が跳びかかると同時に、魔理沙は両手で構えていた箒に力を込めてから勢いよくジャンプする。 するとどうだろう、彼女の力に応えて箒は魔法を吹き込まれ、そのまま彼女をぶらさげたまま浮かんでいく。 ほぼ同時に、跳びかかった怪物の体に彼女の靴先が僅かにかすったものの、渾身の跳びかかりをかわすことができた。 先ほどまで魔理沙がいた場所に着地したソイツは平べったくなった体を元に戻したところで、頭上から声が掛けられる。 「惜しかったなスライム野郎!外れたから景品は無しだぜー!?」 その声にギョロリと黄色い目玉を頭上へ向けると、空に浮かぶ箒にぶら下がる魔理沙がこちらを見下ろしていた。 まるで鉄棒にぶらさがる子供の様な姿はどことなく愛嬌はあるが、その顔に浮かべる笑みは年相応とは思えぬほど好戦的である。 彼女のその獰猛な笑みに怪物は何かを感じ取ったのか、再び跳びかからんとその体を震わせ始めた。 「おぉっと、それ以上ピョンピョンされたら厄介だから…手短に決着といこうじゃないか!」 そう言いつつ彼女は空いた左手で懐を探り、先程しまっていた『魔法』入りの小瓶を取り出して見せる。 まだ完成したばかりで試したことの無いそれを割らないよう注意しつつ、彼女はゆっくりと確実に狙いを定めていく。 狙うは勿論頭部…と思しきところ。あの黄色い目玉が前と後ろを行き来している場所だ。 無論、そこが弱点と断定しているワケではないが…今の所思いつく限りではそこしかない。 距離は十分、上から投げつけるので上手く行けば体内に投げ込んだ瓶が割れる事も不可能ではないだろう。 (狙いは充分…だけど、…はてさて割れなかったときはどうしようかな?……まぁ、『奥の手』はあるんだけどな) 魔理沙は万が一失敗した時の事を考えて、帽子の中に仕舞った自分の『奥の手』の事を思い出す。 まさかこんな相手に使うとは思っていなかったが、体内で割れなかったときの事を考えれば…コイツに頼らざるを得ないだろう。 とはいえ、極力使わないという選択肢は元から魔理沙の頭には無かった。 もしもうまく相手の体内に『魔法』入りの瓶が入って、それでも尚割れなければ『奥の手』の出番が来る。 そうなったのなら、帽子の中しまっている『奥の手』には怪物の介錯役を務めて貰うだろう。 花火の導火線を付ける為の火としては少し派手すぎる気もするが、多少派手でなければ面白く無い。 ―――何せ寂れた場所で華やかな花火を上げるんだ、火も程良く派手じゃなければつまらんだろう? 魔理沙は心中でそう呟くと瓶を持つ手を振り上げて、勢いよく眼下にいる怪物目がけて投げつけた。 グルグルと空中で回り、中に入った『魔法』を掻き混ぜながら瓶は怪物の脳天目指して落ちていく。 相手も投げつけられた瓶の存在に気付いて対策を取ろうとするが、いかんせん鈍いが為に間に合わない。 魔理沙の渾身の力を込められて投げつけられた瓶は、見事そのまま怪物の脳天から体内へと入っていった。 「よっしゃ!…って、おっとと…!」 思わずガッツポーズを取ろうとした魔理沙は、バランスを崩し損ねて箒を離しそうになってしまう。 慌ててバランスを取り戻したところで、彼女はハッと眼下にいる敵がどうなったのかを確認する。 脳天から『魔法』入りの瓶が入り込んだ敵は、意外な事に混乱しているようであった。 先程の様に即座に反撃はしてこず、体の中に入り込んだモノが気になるのかしきりに体を震わせている。 (まさか混乱しているのか…?脳も内臓もなさそうだってのに、一体どうなってるんだ…?) 単純な存在かと思っていた敵の意外な一面に驚きつつ、魔理沙は相手の体内にあるであろう『魔法』の事が気になった。 いつもの通り割れてくれているのなら、いまごろ体内からドカンとめでたい花火が上がる筈である。 それだというのに、一行の『魔法』が発動しないという事は…何かしらのトラブルが起こったという事なのだろうか? (まぁ、予想はしてたけどな。―――だからその分、) ―――備えはしてあるものなんだぜ? 心の中でそう呟いた彼女は、空いている右手で頭に被っているトンガリ帽子の中へと手を突っ込む。 そして数秒と経たぬうちに、彼女はその中から今の自分を形作る要素の一つであろうマジック・アイテムを取り出した。 黒い八角形の形をしたソレは、今の霧雨魔理沙にとってなくてはならいなモノであり本人が「これのない生活は考えられない」とまで語る代物。 それは小さきながらも一個の炉であり、山一つを消し飛ばす程の高火力から、一日じっくり煮込めるとろ火まで調節可能。 マジック・アイテムの名はミニ八卦炉。例え小さくとも、道教の神太上老君が仙丹を煉る為に使用した炉の名を借りた道具。 幻想郷においても、この炉から放たれる最大火力に勝るものはそうそういないであろう。 彼女は久方ぶりに持った気がする無機物の相棒に微笑むと、すぐさま八卦炉の中心にある穴を眼下の怪物へと向けた。 敵は動揺から立ち直ったのか、体内で浮かぶ瓶を送り返そうとしているのが見て取れた。 黄色く光る目玉をこちらに向けて、すぐにでも攻撃しようとその身を震わせている。 恐らく先ほどの石ころと同じように、体内に入り込んだ瓶をそのままこちらに射出する気なのだろう。 あの結構な速度で放たれたら最期。スライム状ではない自分の体で瓶が割れて…ドカン! 空中で箒にぶら下がったままと言う姿勢のまま花火に巻き来れてしまうのであろう。 本来なら慌てる所なのだろうが、魔理沙は相手に得意気な笑みを浮かべたまま回避する素振りすら見せない。 ――――何故なら、既にこの場での勝敗はついてしまっているのだから。 「物覚えは良さそうだったが、せめてもう少し小回りが利くような体であるべきだったな?」 勝者の笑みを浮かべる魔理沙は眼下の怪物にそう言って、火力を調節したミニ八卦炉から一筋の光が放たれた。 それはまるで暗雲と暗雲の僅かな隙間を通り抜けた太陽の光よりも、眩しく真っ直ぐな光である。 正しく目標へと一直線に進む光の線―――レーザーは矢よりも、そして弾丸よりも早く怪物の体を射抜いた。 レーザーは怪物の体である液体をものともせず、先に彼女が投げ入れていた瓶を勢いよく貫いて見せる。 火力を抑えられているとはいえ、ミニ八卦炉から放たれたレーザーは貫いた瓶をそのまま砕きさえした。 そして中に入っていた『魔法』は瓶という安全装置を無くし、その効果を発揮して見せる。 ミニ八卦炉のレーザーに射抜かれてから五秒と経たぬうちに、怪物の体内から光が迸る。 まるで何かが生まれ出て来るかのようにヤツの液体の体が歪に、そして不気味に膨らみ始めていく。 やがて迸る光が輝きを増してゆき、人が来なくなった広場を朝日のように照らし始める。 「やったぜ!…って喜びたいところだが、こりゃ私もヤバいか…?」 未だ箒にぶら下がったままであった魔理沙は、強くなっていく光に身の危険を感じ始めた。 こうして新しい『魔法』の実験をする時は、しっかりと距離をとる事が怪我一つせずに実験を済ませる秘訣である。 しかし今は状況が状況故、かなりの近距離で『魔法』を発動せざるを得なかったが、それが仇となったらしい。 魔理沙は手に持っていたミニ八卦炉を帽子の中に戻してから、慌てて高度を上げようとする箒に力を込める。 しかし…今更になって慌てた彼女が退避するよりも先に、怪物の体内で『魔法』が発動するのが速かったらしい。 持ち主をぶら下げたまま箒がグングンと上空へと進もうとした直後、怪物を中心に凄まじい『閃光』が広場を覆った。 無論、退避できなかった魔理沙はその『閃光』を、身を以て味わうことになってしまう。 「ッ――――!」 自分の周囲を一瞬で包み込む『閃光』に目の前が真っ白になった彼女は思わず悲鳴を上げてしまう。 だが不思議な事に、直接自分の喉から声を振り絞ったというのに自分の耳がその声を聞けなかったのだ。 まるで悪魔との契約で聴覚を奪われてしまったかのように、自分の耳が音を拾わなくなっている。 それに気づいた魔理沙は思わず混乱してしまったのか、一瞬箒を掴む手の力を緩めてしまう。 結果、彼女は高度十メイルという高さで箒を手放し――――成す術も無く落ちていく。 自分が落ちているという事を理解しながらも、目も見えず耳も聞こえないが為に受け身をとる事すら不可能だ。 聞こえなくなった耳を両手で押さえ、口から情けない悲鳴を上げて彼女は落ちるしかない。 後数秒もすれば、普通の魔法使いの体は硬いレンガ造りの地面に激突する事だろう。 いかに弾幕ごっこで鍛えているとはいえ、普通の人間である彼女にとってそれは致命傷となる。 何も見えず、何も聞こえず、自分たちのお金を奪った少年を捕まえるのを妨害した相手の正体すら知らず。 ただとりあえず倒したというだけで、このまま彼女は地に落ちてその命を散らしてしまうのか? 、地面まで後五メイル。人々から忘れ去られた王都の一角で墜落しようとした魔法使いの体は―――― 「全く、アンタって時々こんな命取りなミスをやらかすわよね?」 そんな言葉と共に上空から飛んできた霊夢の手によって、ギリギリの所で抱きかかえられた。 まるで鷹の急降下のように上空から街の一角へと入り、後三メイルという所で魔理沙を助け出したのである。 流石空を飛ぶことに関しては十八番とも言える彼女だからこそ、このような荒業はできないであろう。 仮にこの場に鴉天狗がいたとしても、人間の黒白を助ける道理何て微塵も無いのであるから。 そのまま着陸する飛行機の様にローファーの底が地面を擦り、周囲に土煙をまき散らしていく。 大切にしていた靴の底が擦られていく音と振動に、霊夢は何が何だか分からぬ魔理沙をキッと睨み付ける。 「ちょっと変な気配を感じてきて見たら…これで靴が駄目になったら弁償してもらうんだからね!」 「え…!?あれ?ちょっと待て、誰だ?私を抱きかかえた…じゃなくて、くれたのは?」 どうやらまだ何も見えていないせいか、自分が誰かに抱きかかえられているという事実を受け止めきれていないらしい。 瞼を閉じたままの頭をしきりに動かしながら、まだ聞こえの悪い耳で必死に周囲の音を拾おうとしていた。 やがて時間にして十秒未満ほどであったものの、ようやく霊夢の靴底は地面を擦るのをやめた。 まき散らしていた土煙は風に流れて霧散し、双月が薄らと見えてきた夕暮れの空似舞い上がっていく。 ようやく自分の体が止まった事に、霊夢は思わず安堵のため息をついた時であった。 タイミングよく、聴覚と視覚が若干戻ってきた魔理沙が聞き覚えのため息を耳にしてそちらの方へ顔を向けたのは。 「んぅ…?あれ?その溜め息…とぼんやり見える顔って――――もしかして、霊夢なのか?」 「わざわざアンタなんかを急降下してまで助けてやれるモノ好きで阿呆な人間なんか、私ぐらいしかいないでしょうに」 何となく状況を理解しかけている魔理沙に、霊夢はやや自虐を加えながら返事をした。 薄らと開き始めた瞼をゴシゴシと擦った黒白は、ジッと彼女の顔を凝視する。 一体何なのかと訝しんだ霊夢であったが、それから数秒してから魔理沙は「おぉッ!」と急に声を上げた。 何がおぉッ!よ?と突っ込む巫女を半ば無視しつつ、魔理沙もまた自分の足で地面に立った。 まだ足元がおぼつかないものの、ようやく目が見え始めてきたので転ぶことは無かった。 そのまま無事に『着地』できた霧雨魔理沙は、珍しく霊夢に笑みを浮かべて彼女に礼を言った。 「どうしてお前がここにいるのか知らんが…とりあえず助かったぜ霊夢」 「それはこっちのセリフよ。何で掃除サボって情報収集してたアンタが、こんな人気の無さすぎる所にいるのかしら」 気のよさそうな笑みを浮かべる黒白に対し、紅白の巫女は腰に手を当てて不機嫌そうな表情を浮かべている。 まぁ確かに、一応助ける余裕があったとはいえ下手すれば二人仲良く地面に激突していた可能性があったのだ。 流石の魔理沙もそれはしっかり理解しているのか、霊夢に「まぁそう怒るなって」と宥めつつも理由を話そうとする。 「いやなに、ちょっと色々ワケがあって得体の知れないヤツと戦ってたんだが…って、ありゃ?」 「どうしたのよ?」 ワケを話しながら、怪物が立っていたであろう場所へと目を向けた魔理沙が怪訝な表情を浮かべ、 彼女の表情の変化に気付いた霊夢も、そちらの方へと視線を向けつつも尋ねてみる。 「いや…私の『魔法』をぶつけてやった怪物の姿はどこにも見当たらなくて…もしかして、木端微塵に吹き飛んだのか?」 「怪物…?………!それってアンタ、もしかして―――――」 彼女の口から出た『怪物』という単語に、霊夢がハッとした表情を浮かべた――その時であった。 二人の左側から、ここにはやや無縁であろう何かが水の中に落ちたであろう音が聞こえてきたのは。 若干エコーが掛かっているかのようなその水音に、彼女たちはハッとそちらの方へと視線を向けた。 そこにあったのは、子供一人分通るのでやっとな排水溝であった。 灯りのついてない窓が幾つも見える共同住宅の壁に沿って作られているそれは、夜よりも暗い闇を入り口から覗かせている。 蓋であった錆びたグレーチングは近くに転がっており、何者かの手で取り外されたのであろう。 水音が聞こえてきたのはその排水溝からであり、音の大きさかして結構大きなモノが落ちたのかもしれない。 「排水溝?…っていうかアレ、蓋開いていない?」 「蓋?―――…っ、しまった!」 霊夢がそう言うと魔理沙は何か気づいたのか、慌ててそちらの方へと走り出した。 突然の行動に軽く目を丸くして驚きつつも、急に走り出した魔理沙の後をついていく。 排水溝の傍まで走り寄った魔理沙はそこで身をかがめると、帽子の中からミニ八卦炉をスッと取り出した。 そして火力をある程度弱目に調節しながら、発射口の方を排水溝の中へと向ける。 すると、とろ火よりやや強めにした炉から微かな火が出て、闇に包まれていた排水溝の入口周辺を照らす。 どうやらこの共同住宅の真下には下水道が通っているのか、数メイルほど下に薄らと地下を流れる川が見える。 魔理沙は炉の火をあちこちへ向けて何かを探しているが、目当てであったモノは見つからなかったようだ。 排水溝から見える下水道に動くモノが無いと分かると、軽い舌打ちをしてから炉の火を消して立ち上がった。 「あぁ~…くっそ、逃げられちまってたか」 「何に逃げられたのよ?その言い方だと、単なる人間相手じゃあなさそうって感じだけど」 悔しそうな表情を浮かべて呟く魔理沙に、霊夢がそんな事を言ってくる。 勘の良さゆえか、自分が明らかな人外を相手にしていたのを言い当てられた事に魔理沙は苦笑してしまう。 「はは…お前って本当に勘が鋭いよな?まぁその通りなんだがな」 「やっぱりね。こんな人が多い街のど真ん中で゙アイツら゙と同じような気配を感じたからもしかして…って思ったのよ」 気恥ずかしそうに頷く魔理沙に対し、霊夢は真剣そうな表情を浮かべてそう言った。 霊夢の言ゔアイツら゙という言葉の意味を魔理沙は理解できなかったのか、一瞬だけ訝しむも… すぐに彼女の言いたい事が分かったのか、その顔にハッとした表情を浮かべると「マジか」とだけ呟いた。 彼女の「マジか」という問いに対し霊夢は無言で頷くと、ある意味この街では聞きたくなかった単語をアッサリと口にした。 「んぅ、まぁ実物を見てないから断定はできないけど。多分、アンタが戦ったのはキメラ…なのかもしれないわ」 「えぇ、マジかよ?っていうか、こんな街中でか」 「私も信じたくはないわよ。…けれど、あの気配はタルブで感じたものと酷似していたわ…微妙に違うところもあったけど」 流石に驚かざるをえない魔理沙に、霊夢も頭を抱えたくなりながらも肯定せざるを得なかった。 いかに博麗の巫女といえども、まさかこんな街中であの怪物たちが放つ『無機質な殺意』を感じるとも思っていなかったのだから。 陽も暮れて、夜のとばりが降りようとしている寂れた広場の真ん中で、紅白の巫女はため息をつくほかなかった。 それから時間が幾ばくか過ぎ、すっかり夜の帳が落ちた時間帯。 王都の喧騒はブルドンネ街からチクトンネ街へと移り、まだまだ遊び足りないという人の波もそちらへと移っていく。 その街に数多くある酒場でも名の知れた『魅惑妖精』亭の二階で、ルイズは思わず叫び声を上げそうになってしまう。 「な…!何ですって!?キ…ムッ」 「バカ、声が大きいわよ」 聞かされた話の内容に驚いて叫びそうになった彼女の口を霊夢は自らの手で軽く塞ぎ、何とか大声を挙げずに済んだ。 試しにチラリと階段から一階の様子を見てみると、何人かがルイズの声に気付いてそちらの方へと視線を向けている。 しかし、どうせ酔っ払いの戯言だと思ってすぐに視線を戻し、酒を楽しんだりウェイトレスの仕事に戻っていく。 ひとまずこちらへ来る者がいないという事だけ知ると、大声をあげそうになったルイズの方へと視線を向けた。 「ただでさえ今は人が多いんだし、誰が聞き耳立ててるか知れないんだから気を付けて頂戴よ」 「わ、分かったわよ。でも、急に口を塞ごうとするから思わずアンタの親指を噛み千切りそうだったわ」 『娘っ子、それは冗談としちゃあ笑えないね。…ま、そうなってたら面白いっちゃあ面白いが』 二人のやり取りに壁に立てかけられたデルフも混ざりつつ、店中の人気が一階へと集中している二階の廊下には彼女たち意外誰もいない。 魔理沙は一階で自分たちを待っていたシエスタの相手をしつつ、料理を頼みに行ってくれている。 今は人がいないといっても何時誰かが来るかも分からないために、あの屋根裏部屋で話の続きと共に頂くことにしたのだ。 ルイズと霊夢の尽力で一通り綺麗になった今なら、ワインの上に舞い上がった埃が落ちる事もない。 一方で、自分たちとの夕食を楽しみにしていたシエスタへの言い訳を考える必要もあった。 彼女が今夜の夕食に霊夢たちを遊びに誘う事を知っていたルイズは、変な罪悪感を覚えずにはいられない。 何せ霊夢と魔理沙の二人が戻ってくるまでの間、自分と一緒に食べずに待っていたのだ。 余程自分たちと食事を共にして、ついで遊びに誘いたいという彼女の気持ちをルイズはひしひしと感じてしまっていた。 最も、ルイズまで待っていたのは単に先に食べてたらあの二人に鬱陶しい位に恨まれると思っていたからであったが。 ともかく、そんな彼女への言い訳を魔理沙に押し付けたルイズは霊夢から先ほどの事を聞いたばかりであった。 「でも…信じられないわ。まさか、よりにもよってこの王都にあんなのが潜伏しているだなんて…」 「信じようと信じまいと、そこにいるという事実は変わりないわ。現に、私だってアイツラの気配は感じてたしね」 『成程なぁ…だからマリサの帰りを待ってた時に、急に血相変えて飛び出したってワケか』 半ば事実わ受け止めきれてないルイズに、霊夢は自分がキメラ特有の気配を感じたと証言し、 そこへルイズと一緒に御留守番する羽目になってしまったデルフが相槌をうった。 魔理沙がキメラと思しき存在と戦い始めて数分経った頃に、霊夢は彼らから漂う気配を察知していたのである。 既に掃除を一通り済まして、客が入り始めた一階で彼女の帰りを待っていた時であった。 「あの時は驚いたわ。急に眼を鋭く細めたかと思えば「ちょっと外行ってくる」とか言って、出て行っちゃったんだから」 「まぁあん時はまさかこんな街中で…って驚いてたから、ワケを話すヒマも無かったわね」 『だからオレっちは置き去りにされてたというワケかい。理由は分かったが、ちょっと悲しいぜ』 「まぁでも…その時にはもう退散していたしアンタを持って行っても使い道はなかったわ」 ワケも話さず店を飛び出していった霊夢が今更ながらワケを聞き、納得するルイズとデルフ。 自分を持って行ってデルフに対し容赦ない返事をしてから、ふと右手を左袖の中へと入れた。 暫し袖の中を探ってから目当ての物を掴んだのか、一枚のメモ用紙を取り出してみせた。 「そもそも、魔理沙が戦っていうキメラらしき怪物が…これまた掴みどころのないヤツでねー…ホラ」 霊夢はそのメモ用紙に描かれている何かを一瞥した後、ルイズにも見えるように紙を差し出す。 どうやらその怪物のスケッチらしく、何やら黒くて丸い物体がこれまた黄色くて丸い目玉を爛々と輝かせている。 その隣には主役のキメラと比べてやや丁寧に書かれた魔理沙がおり、一見してキメラとの大きさを比べられるようになっていた。 しかし、その魔理沙がやけに丁寧に描かれていた為にどちらがスケッチの主役なのかイマイチ分からなくなってしまう。 「なにコレ?これがあの…タルブや学院近くの森で目にしたのと同じ仲間ってことなの?」 霊夢が見せてきた魔理沙画伯のキメラの姿に、ルイズは思わず拍子抜けしたかのような表情を見せてしまう。 キメラらしき怪物が出たと聞いて、てっきりタルブで対峙したようなおっかない化け物かと思っていたに違いない。 『まぁ待てよ娘っ子。こういう得体の知れない相手っていうのは、案外手強いもんなんだぜ?』 「…あぁそういえば、魔理沙が「私の『魔法』を一発喰らっただけで逃げやがって…」とか言ってたような」 『マジか。―――…って、あの黒白の瓶詰め『魔法』相手じゃあ誰だって逃げるぞ』 勝手に肩透かしを喰らっているルイズを戒めるデルフの言葉を霊夢がさりげなく否定し、デルフがそれに突っ込みを入れる。 誰もいない二階の廊下で魔理沙の帰りを待ちつつ、二人と一本は魔理沙が相手にしたキメラの話を続けていく。 「それにしても…コイツ手足も口もなさそうよね?それって、生物としてはどうなのかしら」 「確かにね。…魔理沙が言うには、なめくじみたいに地面を這いずったり体を飛び跳ねさせて移動してたらしいわ」 『成程ねぇ。なめくじには手足何てねえし、壁まで這える移動手段の一つとしてはたしかに持って来いだな』 霊夢の口からきいたキメラの移動手段を想像して、ルイズは思わず身震いしてしまう。 魔理沙程の身の丈がある黒い手足の無い怪物が、黄色くて大きい目玉を輝かせて地面を這いずりまわっている。 そして獲物を見つけるといざ狙いを定めて、その丸く不定型な体を跳ねさせて、頭上から襲い掛かってきて…。 成程、見た目は以前相手にしたキメラ程刺々しさはないが、不気味さだけはこちらの方に軍配が上がってしまう。 このキメラを造り上げであろう人間は生物学にも通用し、ついで人が不快や不気味に思う生物を造り上げる事に長けているようだ。 ルイズは直接お目にかかれなかったキメラの動きを脳内で思い描いていると、ふと気になった箇所を見つけた。 「そういえば…コイツの内臓ってどうなってるのかしらね?見た感じ内臓や心臓はおろか、脳すらなさそうなんだけど…」 「魔理沙が言うにはそういうのは見当たらなかったそうよ。目玉だけが唯一の臓器だったらしいけど」 「はぁ?何よソレ、コイツ本当にキメラなの?」 首を傾げるルイズの問いに霊夢があっさりと返事をすると、彼女は訝しんだ表情を見せる。 そりゃそうだ、いかにキメラであろうとも自分たち普通の生き物と同じく体を動かす内臓器官がなければまともに生きる事すらできない。 もしも目玉以外の臓器無しに行動できるのならそれは生物ではなく、それ以下の得体のしれぬ存在でしかない。 そんな存在が今王都の何処かにいるのだとしたら―――ルイズは先ほどよりも強い身震いを起こしそうになってしまう。 しかし、ルイズは敢えてそれを我慢し自分がこれから何をするべきなのかを考える事にした。 恐怖に震えるのは後でいつでもできるし、何より自分にはキメラと戦うだけの力は最低限備わっている。 ならば今は恐怖を押し殺し、怪物の退治の専門家である霊夢と今後の事について相談しなければいけない。 心の中でそう決断したルイズは体をキュッと強張らせて、こちらに訝しんだ表情を向ける霊夢へこれからすべき事を伝える。 「ひとまず、この事を姫さまに報告しなきゃ駄目よね?王都の中に、あんな怪物がいるだなんて許されないわ」 彼女の言うとおり、姿方は違えどタルブで猛威を振るった怪物と同種の存在がいるならば真っ先に報告すべきだろう。 幸い今のルイズにはアンリエッタへ伝える方法を確立しているため、報告自体は簡単に行えるに違いない。 しかし、これは自分の勘が冴えわたっている所為なのか、霊夢としてはそれはダメなような気がしたのである。 いつもならルイズの決定に同意していたのだろうが、何故か今回だけは自分の勘が『それは危険だ!』と判断したのだ。 だから彼女にしては珍しく気まずい表情を浮かべてから、ルイズにやんわりな返事をする。 「……うーん、確かに普通ならそうするんだけどね~?今の私的にはもうちょっと様子を見た方が良いような気がするわ」 「どうしてよ?もしかしたら。何処かの誰かがこんなナメクジみたいなヤツにお触れたら取り返しがつかいのよ!」 確かに彼女の言う通りであろう。相手が化け物ならば何時誰かに襲い掛かっても不思議ではない。 ましてやここは人口密集地帯である王都。何処から出現しても、暫く動き回れば哀れな犠牲者見つける事も容易いだろう。 それが自国の人間であるならば、尚更必死に訴えるのも無理はないだろう。同じ立場ならば寝る間も惜しんで捜し出し、退治するに違いない。 だから霊夢としてもルイズの決定に賛成したいところであったが、長年鍛えてきた自分の勘が危険信号を出している。 それを口にするのは少し難しかったものの、説明しなければルイズは納得しないだろう。 だから霊夢はどう喋って良いか少し悩んだものの、頭の中で思いついた事を少しずつ口にしていく事にした。 「何でかは分からないけど、、今回急に現れたキメラと思しき怪物の出現は単なる一つの出来事じゃない気がするのよ」 「……?単なる、一つの…?」 何を言っているのかイマイチ理解できないのか、急に喋り出した霊夢はルイズに怪訝な表情を向られてしまう。 デルフもどう解釈すればいいのか良く分からないのだろうか、静観に徹している。 口にした霊夢自身も自分が口にした言葉に頬を若干赤くしつつ、それでも説明を続けていく。 「まぁ、何て言えば良いのかしらね…ただ単純に、私達の刺客として放ったワケじゃあない気がするって言いたいワケ」 『!…成程、つまりあのキメラを操っているヤツとマリサとの出会いは、あくまで予想外だったってことか』 ここで一人と一本は理解したのかルイズはハッとした表情を浮かべ、デルフはカチャカチャと嬉しそうに金属音を鳴らして喋る。 ようやく自分の言いたい事を理解しかけてくれたと実感した霊夢は、更に喋り続ける。 「まぁ、どちらかといえばマリサを襲ったのはあくまでおまけじゃないか…って気がするのよ。 あくまでアイツを襲ったのは目的゙外゙であって、本来の目的はもっと別なんじゃないか…って私は思うの」 霊夢の主張を聞いて、ルイズも少しだけ考え込んでしまう。 「目的の、外…つまり目的外って事よね?じゃあ本来の目的って何なのかしら」 「それが分からないから「気がする」って言っただけよ」 まぁそれはそうか。霊夢の言葉にムッとしつつ納得すると、ルイズは手に持ったままのキメラのスケッチを今一度眺めてみる。 手足の無い不出来なナメクジの様な形をしたキメラは、一体なぜ王都の中に現れたのであろうか? そして…タルブと同じならば誰がこのキメラを操り、そしてマリサへ襲い掛からせたのだろう。 ルイズの脳裏に、タルブの戦いにおいて大量のキメラをけしかけてきた女、シェフィールドの姿が思い浮かぶ。 額に虚無の使い魔の証拠であるルーンを刻まれ、自らの神の頭脳―――ミョズニトニルンを自称していた黒髪の白肌の怪女。 もしかすればあの女も王都にいて、あわよくばキメラを用いて敬愛するアンリエッタの暗殺を目論んでいるかもしれない。 そうであるのならばやはり、一刻も早く手紙を使って王女殿下に今回の事を報告する必要がある。 頭の中で色々と想像してしまったルイズは、再び霊夢に報告するべきだという主張を提案した。 「まだ何もわかってないけれど、黙ったまましておくのもマズイ気がするわ。だからやっぱり、姫さまには報告だけでも…」 ルイズの提案に、今度は霊夢も暫し口を閉ざして考えてみる。 別に彼女の提案は至極真っ当なうえに正論であるし、何よりここは勝手知ったる幻想郷ではない。 現に自分たちから金を盗んだ少年一人捕まえられていないのだ、何せ地の利は盗人側ににあるのだから。 人里以上に迷宮じみた街の中でキメラを捜そうとしても、盗人同様一向に見つからない可能性がある。 しかも相手は人の道理の通じぬ化け物だ。こちらがグダグダと探している間にヤツの餌食になる人が出てくるかもしれない。 正直博麗の巫女としてこの手の怪物退治で他者の力を借りてしまうのは何かダサいような気もするが、 地の利が無い場所での何の手がかりも無しに探し回るなら、確かに報告ぐらいならしておいた方が良いかもしれない。 ザっと脳内でそう結論付けた彼女は、少々納得の行かない表情を浮かべつつも頷いて見せた。 「う~ん…一番良いのは、私だけで原因究明とキメラ退治で決めたいのだけれど…何か起こったら手遅れだしね」 「え?それじゃあ…」 困惑顔から一変、嬉しそうな表情を見せてくるルイズに「まぁ待ちなさい」と話を続けていく。 「でもあくまで報告にしておいた方が良いわ。もしもキメラを操ってるのが、タルブで見た女だったとしたら…」 「…!下手に動けば何をしでかすか分からない…って事ね」 霊夢の言葉に、ルイズは戦地となったタルブを縮小された地獄へと変えたシェフィールドの事を思い出す。 キメラを手下として使ったとはいえ、それを指揮してトリステイン軍を襲わせたのは紛れも無く彼女の仕業だ。 と、なれば…アンリエッタにそれを教えて街中に魔法衛士隊を派遣するよう事態にでもなったら…。 そこから先の事を想像しそうになったルイズは慌てて妄想を頭の中から振り払い、否定するほかなかった。 青ざめるルイズを見て彼女がどんな想像をしたのか察してか、デルフが金属音を立てながら余計な事を言い始める。 『相手は神の頭脳ことミョズニトニルンなうえにあんな性格だ、目的が何なのか分からんが大事にはなるかもしれん。 …オレっちの経験から言わせりゃあ、あの手の輩はどんだけ犠牲が出ようとも目的が遂げられればそれで良いってタイプの人間さね』 恐らくこの場に居る中では最も最年長であるデルフの言葉は、割と冗談では済まない様な気がした。 大量のキメラを用いて、タルブの人々や軍を襲ったあの女ならそれだけの事をしてもおかしくは無いだろう。 デルフのアドバイスにルイズは恐る恐る頷くと、真剣な表情を見せる霊夢が話しかけてきた 「とりあえず手紙は送るとして…ひとまずは静観に徹して欲しいって書いておいた方がいいわね」 「確かにそうね…姫さまなら、人々の事を案じて結構な人数を動かしちゃうかもしれないし…」 書くべきことは三つ。王都の中でキメラと思しき怪物と出会った事と、身の回りに気を付ける事。 そして相手に気取られぬように大捜索などは行わない事、ぐらいであろうか。 後は街中で収集した情報と一緒に送れば良いだろうと、ルイズはこれからやるべき事を決めていく。 とりあえず、手紙に関しては今夜中にでも書いて明日中に送った方が良いだろう。 どういう風に書くのかはペンを手に取った所で考えればいいとして、一番時間が掛かるのは情報だ。 結構な量を集めたのは良いが、自分の手で選別するかありのままの状態で送るかの二択を決めなければいけない。 いきなりウンウンと悩み始めた自分が気になった霊夢を相手に、ルイズはどうすれば良いかと聞いた所、 「そんなの簡単じゃない。一々選んでたらキリが無いし、全部ありのままに送っちゃいなさい」 …と物凄くアバウトで即決だが、非常に的確なアドバイスをしてくれた。 それを聞いた後でルイズは「そんな適当に…」と苦言を漏らしたが、それでも霊夢は言ってくれた。 「多分、あのお姫様なら自分に対しての批判が書かれても健気かつ前向きにやっていけると思うわよ? なーんか一見頼りなさそう雰囲気は感じるけど、あぁいうタイプの人間って挫折や困難があればある程成長するかもね」 何故か安心して頷けない様な言い方であったが、どうやら彼女なりにアンリエッタの事を褒めてはいるらしい。 雑な感じで喋っているが、その表情が険しくないのを見るに霊夢は霊夢なりに姫さまの事は少なからず認めているのだろう。 そう思っておくことにしたルイズは霊夢の提案にひとまず「考えてて置くわ」と返し、デルフの横に置いていた火かき棒を手に取った。 主に薪を暖炉の中に入れる為の道具であるが、当然二階の廊下にそんなものはない。 ルイズはいつも握っている杖よりやや太い火かき棒の持ち手を握りしめて、廊下の天井目がけて振りかぶった。 そのまま空振りするかとおもった火かき棒はしかし、その先端部が天井についている小さな取っ手に引っ掛る。 それを確認した後、火かき棒を握るルイズは腕に力を込めて火かき棒を下ろそうとする。 当然先端部が取っ手に引っ掛ったままのそれが彼女の言う事を聞くはずはなく、彼女の腕力に抵抗する。 しかしそれもほんの一瞬の事で、ルイズに力負けした火かき棒は天井の取っ手に引っかかったまま地面へと下りていく。 すると取っ手を中心に天井が長方形の形に開き、そのまま二階の廊下へとゆっくり降りていく。 たちまち天井に取り付けられていた仕掛け階段が、微かな埃と共に二人と一本の前に姿を現した。 やがて廊下まであと数サントという所で取っ手から火かき棒を外したルイズは、左手でグッと階段を廊下に設置させる。 ゴトン!というやや大きな音と共に隠し階段は無事展開が完了し、彼女たちの前に屋根裏部屋へと続く入り口が完成した。 一人で展開を終わらせたルイズは右手の火かき棒を再び壁に立てかけると、まるで一仕事終えたかのように一息ついた。 「ふぅ~!…ランから火かき棒を渡された時はどうすりゃいいのよ…って思ったけど、案外私でもできるものなのね」 『いやいや、普通はお前さんほどの女子が一人でどうこうできるもんじゃねぇぞ』 「ってうか、その小さな体の何処にあんな重そうな階段を展開できる程の筋力があるのよ」 良く考えれば凄い事をやってのけたルイズの言葉に、流石のデルフと霊夢も突っ込みを入れてしまう。 これだけ立派な隠し階段だと、確かに大の大人でなければ満足に展開させる事はできないだろう。 魔法を使うというのなら話は別になるが、知ってのとおりルイズはその手のコモン・マジックはできない。 と、なれば自分の腕力だけが頼りになるが彼女ほどの女子では到底無理な事には違い無いはずである。 それをいとも簡単にやってのけたルイズはやはり同年代の貴族達とは一味も二味も違うのだろう、主に体の鍛え方が。 呆然とするしかないデルフと霊夢からの突っ込みに対し、ルイズは「失礼な事言うわね?」と腰に手を当てて怒ったように言った。 「こう見えても幼少期から乗馬やらアウトドアやったりと、そんじょそこいらの学生よりかは体を強いってだけよ」 彼女の言う『アウトドア』というのは、ひょっとすればちょっとした『サバイバル』ではなかったのだろうか? 霊夢がそんな疑問を抱くのを余所にルイズは一足先に階段へと二段ほど上がって、それから霊夢たちの方へと振り返る。 「とりあえず、後の話は夕食でも食べながらしましょう。いい加減、お腹も空いてきたしね」 「…まぁそうね。これ以上立ち話も何だし、私も色々と落ち着いて考えたい事があるし」 ルイズの言葉に霊夢は何処か含みのある言葉を返しつつデルフを手に取り、彼女の後を続くように階段を上っていく。 一瞬霊夢の口から出た『考えたい事』に首を傾げそうになったが、すぐに自分たちの金を盗んだあの少年の事だと察する。 魔理沙が街中でキメラと戦う事になったキッカケの中に、その盗人の少年は出ていた。 街中で別の人の財布を盗もうとしたところで、魔理沙が気づき、少年はその場を逃げ出したのだという。 少年は必死に逃げ回ったものの、結局寂れた広場のような所で魔理沙は彼を追いつめたらしい。 しかしタイミングが悪くキメラが現れ、それに隙を見せてしまったところあっさりと逃げられてしまったのだという。 その後は話で聞いた通り怪物をひとまずは撃退したものの、結局少年は見逃してしまっている。 結果的に窃盗犯を見逃すことにはなったが、危険な怪物を一時撤退に追い込んだ魔理沙の事は責められないだろう。 最も、霊夢はそれを話す魔理沙に「もっと早く仕留めなさいよ」と愚痴を漏らしてはいたが。 きっとその事だと思ったルイズは、霊夢に話を合わそうとする。 「まぁ別に良いじゃない。…いや楽観視はできないけど、少なくともブルドンネ街にいるって証拠になるんじゃないの?」 「ん?…まぁそうなるんでしょうけど、だからといって隠れ家が分からない以上探すのは困難な事なのよ」 先ほどアンリエッタに送る手紙の件で言ったように、霊夢にはまだ王都の構造をイマイチ把握できていなかった。 街全体が大きすぎる為、空を飛んでも全体図を把握しにくいうえに上空からでは死角となる場所も多い。 地の利は完全に盗人側にある故に、このままでは盗まれた金を持ち逃げされてしまうかもしれない。 まるで残り時間のわからない時限爆弾ね。…霊夢が今の状況を内心で呟いた後、 ルイズはあと一段で屋根裏部屋…という所で足を止めて、再び霊夢の方へと振り返って質問した。 「だからと言って、アンタの性分なら急に出てきた化け物を倒してたでしょう」 「…まぁね。だけど、魔理沙よりかは絶対に素早く仕留めれた自身はあるわよ」 何を今更…と言いたい質問に、霊夢はため息をつきつつそう答える。 もしも自分が魔理沙の立場ならば、確かに少年の身柄を確保するよりも怪物を退治していたであろう。 ただ、彼女のように自分の『魔法』でヘマするようなバカなマネは絶対にしないという事だけは誓える。 さっさと怪物を始末して、そのうえで逃げ切れると思い込んでいる盗人を今度こそ捕まえる事ができただろう。 軽く頭の中でシュミレートしつつ、やはり失敗はしないだろうと確信した霊夢は、ここにはいない魔理沙への文句を口走ってしまう。 「大体、自分の『魔法』で九死に一生な体験する魔法使いなんて、恥ずかしいにも程があるわよ」 「流石霊夢、人の痛いところを容赦せず針で刺すように突いてきやがるぜ」 突然後ろから掛けられた相槌に一瞬硬直した後、霊夢はスッと振り返る。 そこにいたのは、階段の上から見下ろせる二階の廊下からこちらを見上げる魔理沙の姿であった。 所謂怒り笑い…というヤツなのだろうか、無理に作ったような苦笑いを顔に貼り付けている。 右の眉がヒクヒクと微かに動いているのを見るに、どうやら自分の言葉は丸聞こえだったらしい。 まぁそれで対して焦る必要も無く、振り返った霊夢は酷く落ち着いた様子のまま戻ってきた彼女の一声掛けた。 「あら、いたのね魔理沙」 「いやいや、いたのね…じゃないだろ、そこは普通焦るもんじゃないのか?」 思いの外話を聞かれても焦らない彼女を見て、思わず魔理沙本人は突っ込んでしまう。 二人のやり取りを一番上から見下ろしつつ、巫女に対する魔法使いの突っ込みにルイズは納得してしまう。 普通他人の文句を呟いておいて、その本人が気づかぬ間に傍にいたのなら普通は謝るなり焦るなりするものだ。 しかし霊夢の場合、そんな事など何処吹く風と言わんばかりに冷静でまるで自分は悪くないとでも言わんばかりである。 まぁ実際、彼女の事だから特に気にしてもいないのだろう。自分よりもそれを察しているであろう魔理沙はやれやれと首を横に振った。 「全く、一階から細やかな夕食セット三人前を運んで来たっていうのに、文句を言われちゃあ流石の私でもたまらないぜ」 そんな事を言う彼女の両手はお盆を持っており、その上には出来立てであろう湯気を立てる『細やか』な食事を載せている。 店の窯で焼いたであろうパンに、レタスとトマトのサラダ。 小さめのカップ入ったポテトポタージュと、メインに頼んでいたタニア鱒のムニエル。 ちょっとしたディナーにも見えるが、『魅惑の妖精』亭ならこれだけ頼んでも店らに置いてある古酒一瓶分よりも安い。 更に店では魚の保存があまりできない為に、魚料理となれば肉料理よりもお手頃価格で食べられる。 ルイズが選び、魔理沙が運んできた料理を一通り見た後で霊夢がポツリと呟く。 「一汁二菜…ご飯じゃなくてパンだけど、まぁ中々良さげなチョイスじゃないかしら?」 「いちじゅうにさい…?まぁ美味しそうなのを選んでみたけど、私としてはデザートが欲しかったところね」 聞き慣れぬ言葉に首を傾げつつ、財布の中の残金がそろそろ危うくなってきたのを実感してしまう。 デザートが無い事を惜しむルイズの言葉を聞いた所で、ふと霊夢は気が付く。 「ん?…ちょい待ちなさい。そのお盆の上の料理、どう見ても二人分しか無いように見えるんだけど」 「ように見える…というよりも、二人分しか乗せてないぜ。このプレートだと三人分は乗らないしな」 成程、魔理沙の言うとおりお盆は二人分のセットを乗せるだけで精一杯の大きさである。 という事は、先に二人分だけ持ってきてから最後に自分の分を持ってくるのであろうか? その時であった、二階の廊下にいる魔理沙の背後へと近づく人影に気が付いたのは。 一瞬誰?と思った霊夢とルイズはしかし、それが見慣れた少女であったという事がすぐに分かった。 「わぁー!こうして夜中に階段を見上げると、いかにも秘密の隠れ家って感じがしますねー」 魔理沙の背中越しに、隠し階段を見上げた黒髪の少女シエスタが目を輝かせて言う。 その両手には魔理沙と同じくお盆を持っており、その上にはこれまた同じような料理が載っている。 「シエスタじゃない、まさかわざわざ魔理沙の事手伝ってくれてるの?」 「まさかって何だよまさかって?…まぁ、そのまさかなんだけどな」 予想していなかったシエスタの登場にルイズは思わず声を上げ、魔理沙が代わりに言葉を返す。 その後でシエスタはコクリと頷き、次いで前にいる魔理沙の横を通って隠し階段を上り始めた。 「流石に三人前の料理は一度に運べませんからね。…ついでだから、運ぶのを手伝う事にしたんですよ」 流石学院でメイドとして働いているだけあってか、喋りながらもトレイを揺らすことなく屋根裏部屋へと上がってくる。 それより少し遅れて魔理沙も階段を上り始め、暫し丈夫な隠し階段の軋む音が当たりに響く事となった。 やがて一分もしない内に屋根裏部屋へと上がってきた彼女は、結構綺麗になった部屋の中を見て声を上げる。 まだ部屋の端っこには若干埃が溜まっているものの、近づかなければそれが舞い上がる事もないだろう。 「へぇー、これってミス・ヴァリエールとレイムさん達で綺麗にしたんですか?思っていたよりも綺麗になってるじゃないですか」 「だろ?何せあれだけの埃やら色々なアレやらは、全部ルイズと霊夢が片付けてくれたんだぜ」 「何で掃除を一サントも手伝ってないアンタが誇ってるのよ」 感心するシエスタに胸を張って説明する魔理沙にすかさず突っ込むルイズを余所に、 デルフを足元に置いた霊夢は暫し屋根裏部屋の中を見回したのち、前から目をつけていた大きな木箱の方へと歩いていく。 何が入っているのか分からないが、程よい重さのある長方形のそれは彼女一人でも楽に動かせる。 埃も掃除の時に落として雑巾がけもしているので適当なシーツでも上から掛ければ、即席の長テーブルの完成である。 最も、シーツはベッドに使っている物だけしかここにはないので完成に至ることは無いだろう。 少し音を立てながらも、部屋の真ん中辺りにまで木箱を押した霊夢は一息つきながらもルイズ達に声を掛けた。 「ふぅ…魔理沙にシエスタ、悪いけどそのお盆の上の料理をこの上に置いて貰えないかしら」 「あ、はい!ただいま」 霊夢からの要請にシエスタは慣れた様子で返事をし、次いで魔理沙も「はいよー」とついていく。 二人が料理を配膳していく間に、霊夢はちゃっちゃとイス代わりになりそうな木箱を見繕う。 といっても、既に掃除の時にある程度分けていたのためそこから適当なモノを選ぶだけである。 これはルイズかな?と腰ほどの大きさしかない木箱を運ぼうとしたところで、そのルイズ本人の声が後ろから聞こえてきた。 「まさかとは思ってたけど、木箱を椅子やテーブル代わりにする日が来るだなんて…」 「ん?何なら床に直接腰を下ろして食べたかったの?」 「まさか、アンタじゃああるまいし」 召喚して翌日以降、暫く目にした霊夢の食事姿を思い出しつつルイズは肩を竦めて言う。 ある程度掃除したとはいえ、流石に屋根裏部屋の床に食説食器を置いて食事しようとは思わない。 それならば、埃をしっかりと落として綺麗にした木箱をテーブル代わりした方がよっぽと衛生的である。 霊夢もそれは理解しているのか、ルイズの言葉に「まぁそうよね」と同じように肩を竦めて言う。 「でも学院食堂の床よりは暖かそうじゃない」 「築ウン百年物のフローリングと、伝統ある魔法学院の食堂の床を比較しないでくれる?」 霊夢の失礼な比較に文句を言いつつ、ルイズはシエスタたちがテーブルに置いていく料理を眺めてみる。 こんな繁華街の酒場の料理にしてはとても見栄えが良く、そして美味しそうなモノばかり。 我ながら良いチョイスした…と思った所で、ふとルイズはある違和感に気が付いた。 即席テーブルの上に並ぶ料理が、もう一人分あるような気がする。というか、ある。 「ちょっとシエスタ、何か料理が一つ…多い気がするんですけど」 「はい?あぁ、それ気のせいじゃないですよ。だって私の分の賄いもありますし」 自分の問いかけに対しそう返したシエスタにルイズは「あぁ、そう…」と納得しかけた直後、「え?」と目を丸くさせた。 少し慌てて、違和感を感じた場所へもう一度目を向ける。確かに、自分の頼んだメニューとは少しだけ違う。 サラダとスープは同じだが、パンは雑穀パンでメインの魚料理はラグドリアンナマズのフライになっている。 タニア鱒より安価なラグドリアンナマズは、フライにしてもムニエルにしてもおいしい魚だ。 そんな場違いな事を考えているルイズを余所に、準備を終えたシエスタは笑みを浮かべてルイズに話しかけてくる。 「実は戻ってきたマリサさんから、屋根裏部屋で食べるって聞いて…それで私も御同席しようと思ったんです。 最初はダメだって言われたんですが、ミス・ヴァリエールと先に御同席の約束をしていたと言ったら…まぁそれならといった感じで、はい」 一切隠し事をしていないかのような純粋で、今は厄介な笑顔を浮かべて言うシエスタ。 何がはい、なのか?心中でそんな事を思いつつもルイズは咄嗟に言い訳役を押し付けた魔理沙を方を見る。 自分の名前が生えす他の口から出た所で配膳を終えたばかりであった彼女は、お盆片手に肩を竦めた。 彼女の顔は苦笑いを浮かべており、いかにも「仕方なかった」と言いたい事だけは何となくわかった。 そしてルイズ自身背後からひしひしと感じる霊夢のキッツイ視線に、魔理沙同様肩をすくめるほかない。 シエスタは今の自分たちの状況を知らない、本当に無関係な一般市民だ。 更に彼女が自分たちとの夕食の同席を求めたのは、キメラが現れたという話を聞く前の事。 客観的かつ一般市民の目線から見れば、朝にしていた約束を勝手に破った非は当然こちらにある。 かといってこの街に現れた怪物の事を話し、下手に巻き込ませる事など言語道断である。 「さて、料理も配膳し終えましたし…私、水差しとコップを一階から持ってきますね」 既に夕食を共にする気満々の彼女はそう言い残して、軽い足取りで二階へと降りていく。 後に残るはルイズ達三人と、一言も喋らず状況見守っていたデルフだけ。 そして即席テーブルには湯気を立てる料理がずらりと並べられている。 「――――…一体どういう事なのよ?」 最初に口を開いた霊夢はそう言いながら、ルイズの方へと近づいていく。 約束の事を知らない彼女にとって、シエスタの同席は本当に想定の範囲外だったに違いない。 何せ先程、キメラの事やら盗人について今後どうしようかという話をしようと決めたばかりだったのだから。 無関係なシエスタがいたら話はできないし、無理に話して巻き込ませるワケにもいかない。 霊夢の鋭い睨みつけに、ルイズは思わず魔理沙に視線を向けるも彼女は肩を竦めて言った。 「私は一応無理だって言いはしたがな…結構無理に押し切られちまってこの有様よ」 『成程。…お淑やかな見た目とは裏腹に、押しには強いってワケか』 「何が成程、よ」 三人のやり取りを耳に入れつつ、ルイズはこれからの事を想像してため息をつきたくなった。 何せ夕食の同席だけでは済まない、シエスタの純粋で無垢な好意という相手と対峙しなければいけないのだから。 陽が沈み、双月が無数の星と共に夜空を照らし始めて数時間が経つトリスタニア。 チクントネ街の活気も最高潮に達し、それとバランスを合わせるかのように静まり返っていくチクントネ街。 文明の灯りは繁華街に集中し、まるで羽虫の様に多くの人々がそちらへと集まっていく。 ある労働者たちは酒場で安い酒と食事で乾杯をし、ある下級貴族は少し良い雰囲気の酒場で夕食を頂く。 ブルドンネ街のホテルからやってきた観光客たちは、夏の熱気に浮かれて王都の夜の顔を満喫している。 そんな賑やかながらも、どこか切ない一夏の夜で活気づくチクントネ街の―――地面の下。 レンガ造りの地面と分厚い石壁に隔てられた先には、王都の下水道が走っている。 地上の生活排水や生ごみ等が流れていく水は濁りきっており、とても人が住めるような環境ではない。 それでも地上から滅多に出ないドブネズミやゴキブリたちにとっては最高の住処だ。 冬は地上と比べて幾分か暖かく、そして時折通路に引っ掛る生ごみという御馳走まで手に入るのだ。 地上では鼻つまみ者とされ駆除されやすい彼らにとって、これ以上贅沢な環境は無いだろう。 王都の下水道を管理する処理施設の職員たちが使う通路と言う足場もあり、様々な場所へも行ける。 それこそ旧市街地の何もない貧相な下水道から、ブルドンネ街の豊富で新鮮な生ごみをありつける下水道まで、 時間は掛かるが、地上と違って恐ろしい天敵も少ないここは正に天国か楽園と例えられるだろう。 だが――今夜に限って、彼らはその身を潜めてジッと隠れる事に徹していた。 何かは良く分からないが、ここ最近になって現れた『怖ろしく見た事の無いモノ』に見つからない為に。 天井に取り付けられたカンテラが、仄かに汚れた水面を照らす下水道。 一定の間隔をおいてぶら下がっているそれは、この暗い場所を明るくするには少々役不足なのかもしれない。 丁度ブルドンネ街とチクトンネ街の境である場所の地下に造られた連絡通路の上で、シェフィールドはそんな事をふと考えてしまう。 背後から聞こえる激流の音をBGМは鬱陶しいかと思えるが、いざ考え事をしてみるとそれ以外の雑音を掻き消してくれて丁度良い。 いま彼女がいる場所は二つの街の下水が合流する場所で、更にその激流の上に造られた連絡通路に立っていた。 細かい格子の鉄板で出来た床から下を覗けば、白く波立つ激流がポッカリと空いた穴の中へと落ちていくのが見えるだろう。 この穴へ落ちていく水は更に地下を通って、処理施設が管理するマジック・アイテムで濾過されて綺麗な水へと戻っていく。 浄化された水はそのまま海へと戻っていくか、もしくは一部の井戸水として人々の生活用水に再利用される。 ここだけではなく、二つの街や旧市街地にも同じような穴がある為に余程の事が無い限り水害が起きる事は無いだろう。 そんな穴の上の通路に佇み、一人考え事に耽る彼女が何故こんな所にいるのであろうか? 別に考え事をするならこんな場所ではなく、地上で宿でも取ってそこで考えればいい筈だ。 実際シェフィールド自身は既に宿を取っているし、こんな場所よりもずっと環境の良い部屋である。 理由はたったの一つ―――彼女は待っていたのだ、自分の『手駒』が返ってくるのを。 そんな時であった、ふと後ろから何か大きな物体が地面を這いずるような音が聞こえてきたのは。 「…………ん?どうやら帰ってきたようね」 どうでもいい考え事に耽っていた彼女はすぐにそれを頭から振り払い、背後を振り返る。 振り返った先には、ブルドンネ側の下水道へと続く通路がある。 間隔を取って置かれている頼りない灯りに照らされた石造りの地面に、不自然な黒い影が映り込む。 おおよそ人とは思えぬ丸すぎるシルエットは、例えるならばナメクジやナマコに近いと言われればそう見えるかもしれない。 しかし、影に隠れた全身を見てしまえば誰もがこう思うだろう。こんな生物は見たことが無い、と。 そして…もしもこの場に、この怪物と地上で一戦交えたであろう普通の魔法使いがいれば怪物を指さして叫んでいたであろう。 こいつだよ、私の大捕物を一番いいところで邪魔した怪物は!―――と。 シェフィールドは足元に置いていたカンテラの取っ手を右手で掴み、ついで左手の指を鳴らして灯りを点ける。 彼女を中心にして周囲を明るくする文明の利器が、近づいてくる影の全身をその日で照らしだす。 手足のない丸く黒いスライム状の体に黄色い二つの目玉が、爛々と輝かせてシェフィールドの元へと近づいてくる。 普通なら悲鳴を上げて逃げ出すのであろうが、その怪物を照らしている本人は微動だにせずじっと凝視している。 それどころか、その口許に薄らと笑みを浮かべてそのスライムの様な存在へと近づいていくではないか。 対して怪物も近づいてくるシェフィールドを襲うつもりはないのか、プルプルとその体を揺らしていた。 怪物と後一メイルというところまで近づいたシェフィールドの額に刻まれたルーンが、微かに発光し始める。 やがて十秒と経たぬ内に額のルーンが、暗闇の中にでもハッキリと見えるようになるまで強く光り出す頃には、 地上で魔理沙に襲い掛かっていた怪物は、まるでしっかりとしつけのされた大型犬のように彼女の前で停止していた。 「ご苦労様。あの黒白には手痛い目に遭わされたようだけど…、まぁ『ノウナシ』の状態だとあれが限界よね」 怪物を見下ろしつつ一人呟くシェフィールドがもう一度左手の指を、勢いよく鳴らす。 パチン!と小気味の良い音が広い空間に木霊し、ゆっくりと時間を掛けて消えていく。 その音を聞いた直後だ。足元で大人しくしていた怪物はその体を揺らして、彼女の横を通り過ぎていく。 這いずるしか移動方法が這いずるしかないその丸い体で器用に前へ進みながら、チクントネ街側の下水道へと向かおうとしている。 シェフィールドも少し遅れて振り返り、向こう側へと行こうとする怪物の後姿をじっと見守っている。 あと少しでチクトンネ街側の下水道通路の境目の手前まで来たところで、怪物は這いずっていたその体をピタリと止めた。 下の激流が見える鉄板の通路から、石造りの通路へと切り替わる手前で止まった怪物は、じっと前方を見据えている。 すると、その前方の通路――少し遠くからコツ、コツ、コツ…と二人分の靴音が聞こえてきた。 距離からして、恐らく一分も経たぬ内に靴音の主は進行方向の先にいる怪物と鉢合わせする事になるだろう。 「全く、散々人にデモンストレーションさせた挙句に…自ら姿を現して来られるとはね…泣かしてくれるじゃないの」 シェフィールドはその靴音の主達を知っているのだろうか、慌てる素振りを全く見せていない。 それから二十秒程経った頃であろうか、ようやく彼女の前に足音の主達が暗闇の中から姿を現す。 やや時代遅れの灰色の羽根帽子に灰色のマントを羽織った貴族の男性で、顔に被っている仮面のせいで年までは分からない。 もう一人は、この下水道ではあまりにも不釣り合いな灰色のドレスとマント着飾った貴婦人で、彼女もまたその顔に仮面を被っている。 場所が場所で仮面を被っていなければ、モノクロ画で書かれた貴族夫婦のモデルとしてはうってつけの二人であろう。 何せ靴の先端から帽子の天辺までほぼ灰色なのだ、ちゃんと色付きで描けと注文してもそれを受けた画家はモノクロ画で描くしかないのだから。 シェフィールドは自分の前へ現れた二人組を見て、懐から懐中時計を取り出して見せる。 そしてワザとらしく蓋を開けると、少し離れている彼らへスッと今の時刻を見せながら話しかけた。 「十分も遅れてやって来るなんて、一体どこでナニをしてらっしゃったのかしら?」 「貴族でないアナタには少し分からないかも知れませんが、ゴタついた案件を片付けるだけでも結構な時間が掛かるものでしてよ?」 「あら、そうでしたの?…案外、そんなアホらしい恰好をするのに時間を掛けていたのでなくて?」 挑発的で聞く者が聞けば赤面しそうななシェフィールドの挑発に対し答えたのは、貴婦人の方であった。 自分の隣にいる灰色の貴族を庇うようにして前に出た彼女は、相手からの売り言葉に対し買い言葉で返してみせる。 それに対して、シェフィールドも再び挑発で返す…という悪循環に陥ろうとした所で、灰色の貴族が待ったを掛けた。 「おいおい、よさんかこんな所で!こんなしけた場所で喧嘩しても得られるモノはないんだぞ、キミたち」 「……失礼、見苦しい所をお見せしてしまいました―――灰色卿」 声だけでも仮面の下の顔が分かってしまう程のしわがれている老貴族――灰色卿の言葉に、貴婦人は大人しく引き下がる。 そして彼に一礼した後再び後ろへ下がると、次に灰色卿が一方前へ出てシェフィールドと向かい合った。 彼と向かい合うシェフィールドも灰色卿に軽く一礼し、彼らの前にいる怪物を一瞥しながら話し始めていく。 「これはこれは灰色卿自ら起こしに来られるとは…よっぽど、今回ご提供する商品がお気に召したのですね?」 「まぁな。先にくれた商品を潰してしまってからは少し時間を置こうとは思っていたが…一つ早急に片付けねばならない事ができてな」 彼女の言葉に灰色卿はそう答えて、自分たちの前にいる黒いスライム状の怪物――キメラへと視線を向けた。 そしてマントの下に隠れていた右手を上げると、後ろに控えていた貴婦人がスッと彼の横を通り過ぎていく。 鉄でできた床をハイヒールがコツ、コツ、コツ…と耳障りな音を立てて歩く灰色の貴婦人。 歩く最中に灰色卿と同じくマントの下に隠していた右腕を、シェフィールドの前に曝け出してみせる。 その右腕の先にある手にはどこへ隠していたのか、個人用の小さな旅行鞄の取っ手を掴んでいた。 やがてシェフィールドとの距離が二メイルという所で貴婦人は足を止めるとそこで鞄のロックを外し、中身がシェフィールドに見えるよう開ける。 開かれた鞄の中に入っていたのは、ぎっしりと詰め込まれたエキュー金貨であった。 暗い下水道でも尚黄金の輝きを忘れぬ金貨を前に、流石のシェフィールドもへぇ…と声を漏らしてしまう。 悪くは無い反応を見せてくれたシェフィールドを確認した後、貴婦人はスッと鞄を閉めて話し出す。 「まずは前金として四百エキューを差し上げます。貴女の提供したキメラがこちらの期待添えたら残りの後金三百エキューを…」 「つまり…合計八百エキューってことね…まずまずじゃない?ソイツの購入費としては少々釣り合わないけど」 おおよそ並みの貴族が手に入れたのならば、半年間はドーヴィルのリゾート地で遊び暮らせるだけの額である。 平民ならばそれだけの金額があれば私生活には絶対に困らないであろうし、節約すれは十年以上は働かずに暮らせてしまう。 だが…シェフィールド本人の見解としては、それだけの金額を積まれてもキメラの代金としては『割に合わない』と感じていた。 更に提供する際にこのキメラの『本体』もそっくりそのまま渡すようにと、敬愛するジョゼフからの伝言もある。 となれば…八百エキュー『ぽっち』で手放してしまうというのは、あまりにも不平等というものなのではないだろうか? 本当ならばここでその事を告げた後でしっかり説明をし、金額を上げるよう要求するのが普通であろう。 しかし正直なところ、シェフィールドにとって金というモノはダダを捏ねて欲しがるものでもなかった。 本当ならばキメラもただで渡して、その扱いに関しては素人な連中がどう扱おうのか見物したいのである。 あくまで金銭を要求するのは、相手側にちゃんとした取引だと思わせる為だ。 「失礼、灰色卿。…アナタは我々の提供するキメラを少し過小評価しているのではありませんか?」 だからこうして、ワザとらしく首を軽く傾げて灰色卿に質問をするのも演技の内であった。 最も…質問の内容に関しては演技の外であり、制作に携わった一人としての疑問であるが。 シェフィールドからの質問に対し老貴族は暫し唸ったのち、渋々と返事をする。 「まぁな。見た所このナリじゃあ我らが要求しているような仕事を満足にこなせるとは…思えん。 それに先の戦が原因で他の者たちはキメラに対して懐疑的になっておる、これ以上の捻出はちと難しいのだ」 彼が言いたい事は即ち二つ。要求する任務を達成できるのかという事と、財布の紐が硬くなってしまった事だ。 恐らく今回の八百エキューも灰色卿自身の口座から引き出したものに違いない、とシェフィールドは察する。 集団ならまだしも、例えトリステインの古参貴族でも八百エキューは充分に大枚の範囲内だ。 と、なれば…これ以上駄々を捏ねても金は出ないだろうと予測した彼女は、ひとまず八百エキューで治める事にした。 それよりも許し難いのは…最初に行っていた、あのキメラに要求した任務を達成できるのか…という事についてである。 これに関しては先にも述べた様に、制作に携わった人間の内一人としては一言申したい気分であった。 少なくとも以前渡したキメラとは、性能で天と地の差があるという事を教えてやらなければいけない。 「これはこれは…随分と心配性だこと。よっぽどそのキメラの形状に不満があるようですね? けれどご安心を、いまご覧になっている姿はいわば本気をだしていない不完全状態…私達は『ノウナシ』と呼んでいます」 不敵な笑みを浮かべるシェフィールドの口から出た言葉に、灰色卿はマスクの下で怪訝な表情を浮かべる。 『ノウナシ』…とは、これまた酷い呼び名である。恐らくは「能無し」か「脳が無い」のどちらか…或いは両方から取ったのだろう。 こうして目の前にいる個体を見てみると、黄色に光る目玉以外の臓器が体の中にあるとは思えない。 成程、確かに『ノウナシ』という呼び名はこのキメラにうってつけであろう。脳が無いから命令も伝わらない能無しなのだから。 そんな事を考えながらキメラを見下ろしていた灰色卿に、しかし…とシェフィールドは話を続けていく。 「最初に言ったようにそれはあくまで不完全状態でのあだ名、ならば…『ノウ』がないのなら゙戻しでやればいいだけの事」 彼女がそう言って左手を軽く上げると、そこから三度目のフィンガースナップを決めて見せた。 パチン!という音が下水道内に響き渡り、それは合図となって近くの暗闇に潜んでいた『何か』を引きずり出す。 一体何が起こるのかと訝しんでいた灰色卿たちは、シェフィールドの背後から近づいてくるその『何か』に気が付いた。 最初こそ遠すぎで何が何だか分からなかったものの、やがて『何か』が彼女の横にまで来たとき…その正体を知ってしまう。 「――…!灰色卿…!」 「これは…」 瞬間、それを目にした貴婦人は仮面の下からでも分かる程に驚愕し、灰色卿も動揺を見せてしまう。 それ程までにその『何か』はあまりにもインパクトがあり、そして見る者を震え上がらせる程におぞましいものであった。 二人の反応を目にし、ひとまずは上々と感じたシェフィールドは口の端を吊り上げ一礼しつつ言葉を放つ。 「こいつが『ノウナシ』から『ノウアリ』の状態になれば、あなた方のご期待に答えられる活躍をする事でしょう。 ご安心くださいな、灰色卿。こいつの得意とする専門分野は、今のアナタにうってつけである事に間違いは無い筈です」 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 床に落ちる水滴の音が、耳の奥にまで響いてくる。 まるでその音を聞いている者に起きろ、起きろ…と語りかけているかのように… 「――――…ん、こ…ここは?」 天井から滴り落ちる水の音に目を覚ました時、彼女の口からそんな言葉が出た。 無理もない。何せ部屋の仲は薄暗く、彼女の視界はその暗闇に慣れきってはいないのだから。 上半身を越こしながらも周囲を見回すと、背後には唯一の明かりであろう小さな提灯が、火を灯されて置かれている。 明りがある事を確認すると、暫し時間を置いて目が闇に慣れていき、ここがどんな場所なのか把握できた。 木造の格子がこの部屋と外を隔てており、出入り口であろう右端の小さな扉には南京錠が掛けられている。 自分が横たわっていた場所には、黒く湿っぽい畳が六畳ほど敷かれている。 布団の類は部屋の格子側の左端に置かれており、まるで病に斃れた老牛の様に畳の上に置かれている。 背後の提灯しか明りの類が無いこの部屋を一通り見回した後、 ここがどういう場所なのかある程度は理解した。 「これが俗に言う、座敷牢ってヤツかしら?」 彼女はポツリと呟きながら立ち上がり、その場でワケもなく軽い背伸びをした。 腰まで伸びた黒髪、紅い巫女装束にそれと別離した白の袖、下は袴ではなく赤色のロングスカートという和洋折衷な彼女は格子の方へと近づく。 何の遠慮もなく木製のそれへと左手で触れてみるが木そのものは特に腐ってはおらず、頑丈な格子の役目を果たしている。 「はてさて…どうして私は、ここにいるのかしらねぇ?」 明らかに尋常ではない場所にいながら暢気そうな口調でぼやきつつも、木製格子を触り続けている。 体感している気温の低さと薄暗さから地下にいるのだろうが、どうしてそんな所に閉じ込められのか、その理由が分からない。 「…っというか、私は今まで何をしてたんだっけか?」 まるで記憶を失ってしまったかのような言葉であるが、事実今の彼女には自分が誰なのかすら分からない状態である。 自分の名前が分からず、そして今まで何をしてきたのかすら忘れてしまうという感覚はどこか不気味なものだ。 「記憶喪失ってヤツなのかしら?成程、こりゃ確かにムズ痒くてもどうしようもないわね」 他人事のように今の自分の状態を述べてから、格子に背を預けるようにして腰を下ろす。 ここは冷たいが鍵が無いと出られない以上、無駄にじたばたしても仕方がない。したらしたで腹を減らしたうえで余計に疲れるだけだ。 体育座りで格子にもたれ掛かる彼女はお手上げと言いたげなため息をついて、天井を見上げた。 暗くて良く見えないが、恐らく格子と同じ木で組まれた天井からして上にある建物も木造だという事が分かる。 だからといってこの事態の解決の手立てにもならず、また憂鬱げなため息をつこうとした…その時であった。 ふと背後から、重く冷たい鉄扉を開けるかのような耳障りな音が聞こえてきたのは。 「えっ?……うわっ!」 その音と同時に振り返った彼女はしかし、視界を塞ぐほどの眩しい光を前にして咄嗟に目をつぶってしまう。 急いで立ち上がると同時に両手で光を遮りながらも目を開けて、光が差す方向に何があるのか確認しようとする。 最初は眩しすぎで何もわからなかったものの、闇に慣れようとしていた目が徐々に元に戻ろうとしている。 そうして右手だけで遮るほどに光に慣れ戻った彼女の目に入ってきたのは、後光を受けて佇む一人の゛女性゛であった。 まるで下界に降臨した神の様に眩い光を背に受けて立つその女性の頭には、大きなリボンが付けられている。 頭の右側のソレは色こそ分からないものの、かろうじて見えるシルエットはまるで大きな蝶のようだ。 「…アンタは?」 格子を隔てて彼女は女性に質問に投げかけるが、女性はその質問には答えない。 反応なしか…。そう思った彼女の心を読み取ったのか、女性はその口を開いて喋り出した。 ――――――さぁ、いよいよアンタの時代よ。―――を血に染める時代が始まるわ… 喋った。とはいえ、彼女の質問には応えてくれない。だけど言っていることはどうも穏やかではない。 背丈は大人の女性だというのに少女の様に澄んだ声が、物騒な言葉を紡ぎだす。 少し聞こえなかったところがあるも、どうにも嫌な予感が脳裏をよぎっていく。 その゛嫌な予感゛がよぎる際に脳に軽く接触したのだろうか、彼女は妙な頭痛を感じた。 「んっ…」 顔を顰めて目を細めつつも女性を捉える視線だけは決して逸らさず、見つめ続ける。 一瞬でも視線を逸らせば消えてしまうかもしれない。そんな確証のない実感を、彼女は感じていた。 「だから、アンタは誰なのよ?」 今度は少し言葉を荒げさせながらも、後光を受ける女性に質問を投げかけ続ける。 それが無駄になるだろうと思いつつも、悲しいかな彼女の予想とものの見事に的中した。 ―――――アンタには私の一部を託した。…そして、これまで抱えてきた負の感情も…全て! 格子越しの女性もまた言葉を途中で荒げ、彼女に向けて喋り続ける。 澄んだ声から出せるとは思えない恐ろしい゛何か゛を含んだ女性の言葉は、より先鋭化している。 そして、狭く暗い牢獄から解放されたかのような嬉しそうな喋り方が、格子越しの女性を異様なモノへと変えていく。 「な、にを……――…クッ!」 それと同時に、先ほど感じ始めていた頭痛が段々と酷くなっていくのに気が付く。 まるでその声に毒が含まれているかのように、女性が言葉を紡ぐたびに彼女の頭痛はどんどん深刻になっている。 ――――さぁ行きなさい。そして思い知らせるのよ!奴らにとって、『ハクレイの巫女』が如何に化け物なのかを! 格子越しに聞いていた彼女に向かってそう叫び、女性は光の中にゆっくりと飲まれ始めた。 それを望んでいるかのように女性は身じろぎ一つせず、彼女を見つめ続けながら光の中へと消えていく。 彼女をそれを見て目を見開き、頭痛が酷くなっていく頭の中であの女を逃がしてはならないと決意した。 あの女性は明らかに゛何か゛を知っている。自分が誰なのか、そして自分に何をさせようとしているのか…。 彼女はそれが知りたかった。頭の中にポッカリと空いている空白を埋めたいが為に。 しかし…追いかけようにも格子が二人を隔てている今は、それを精一杯掴んで叫ぶほかなかった。 「ま、待ちなさい……ッ!!――ン…――ウァ…ッ!?」 しかし…彼女が女性に対し叫ぶのを待っていたかのように、頭の中を占領している頭痛がより一層激しいモノへと変異した。 今まで脳味噌を軽く撫でられていたかのような痛みは一気に殴りつけるような激痛となり、それに耐えられなかった彼女はその場で膝をつく。 女性を飲み込んだ光は徐々にその輝きを失い、先ほどの様に一寸先も見えぬ闇へと戻っていく。 それすら気にすることができない程の激痛に襲われた彼女は、苦渋に満ちたうめき声を上げつつも両手で頭を押さえて痛みを堪えようとする。 だがそんな気休めにもならない行為で頭の激痛は取り除ける筈もなく、彼女の意識すら刈り取らんとするかのように頭の中を蝕んでいく。 「わ…たし…は……わた――し…は…!」 ――――――ワタシハイッタイ、ダレナンダ? その言葉を紡ごうとした彼女の声は、堪えきれなくなった痛みを開放するかのような叫び声へと変わった。 まるでこの世の全てを憎み、人前に出せぬ感情を吐露するかのような、悲しみと怒りに満ちた悲痛でありおぞましい絶叫。 自分の体の中の感情を全て叫びとしてぶちまけて、理性すら吐きだそうとしたその時――――彼女の脳裏に見知らぬ光景が映し出される。 瞼の裏に映るソレ等は不鮮明であり共通点すらなく、クッキー缶の中に入っていた写真をばらまくようにして、脳裏をよぎっていく。 ――後光に照らされてこちらを見やる、二人の女。 ―――黒く暗い森の中で自分に驚愕の表情を向ける、黒の体毛に人面の猿たち。 ――――何処かも分からぬ道の真ん中で、恐ろしいモノを見るかのような目つきで睨む人々。 ―――――滅茶苦茶になった田んぼの中で原型を留めぬ状態で蹲った八尺の大女と、血にまみれた自分の両手。 失いすぎている彼女には全く見覚えが無かったが、光景が変わるたびに胸の奥底からドス黒い何かが湧き出してくる。 光が失せた格子の向こうと同じか、あるいはそれ以上に濃いソレが、彼女の身体を内側から蝕んでいく。 不思議とその黒いソレに蝕まれる度に、頭を蝕もうとした激痛がゆっくりと、それでいて確実に鎮静されていく。 「ぅっ…――あぁ…っ――ーグ…!」 珠の様な汗を体から噴き出しつつ、頭痛に苛まれていた彼女は収まっていく激痛に、安堵のため息を漏らす。 その口からは若干艶やかな喘ぎ声を出し、頭を抱えていた両手が無意識に自分の体を抱きしめている。 まるでその黒いソレを抱擁し体を上下させて呼吸をするその姿は、背後から提灯に照らされるせいで変にいやらしい。 体の内側から湧き上がるソレはとどまる事を知らず、頭痛を和らげると同時に彼女の心と体を侵食していく。 だというのに不安は無く、むしろ拒むことなく全て受け入れてしまった方がいいのではないかとさえ思ってしまう。 このまま…この黒い何かに体を飲み込まれてしまうのだろうか? 光に飲まれた、あの女の様に…? ふとそんな考えが脳裏をよぎった瞬間、 またもや頭の中に記憶にない一枚の光景が映し出される。 ――――笑みを浮かべて、自分を見上げる笑っている黒髪の少女。 たったそれだけだ。写真をぶちまけ終えた後、クッキー缶の底に貼り付いていたかのような一枚の光景…。 しかしその光景は、さきほど彼女が瞼の裏で見たモノとは全く違う゛何か゛が含まれていた。 言うなればその゛少女゛は――――彼女をドス黒いソレから救おうとするかのような、白く眩い『光』とでも言うのだろうか。 既に黒一色に染まってしまった心を浄化するかのように、その白い『光』が彼女を内側から照らしていく。 痛みが消えて安堵していた彼女はその『光』に気が付くと同時に、ふと項垂れていた頭が無意識に天井を見上げる。 先程まで何も見えなかった暗闇だけの天井から差す、か細くもしっかりとした一筋の『光』が彼女の目に入った。 彼女は無意識に右手を上げてその『光』を、まるで蜘蛛の糸を掴もうとするかのように天井へと向ける。 届くはずのないその『光』を、取り上げられた玩具を取り返さんとする子供の様に彼女は必死に手を伸ばした。 そうして限界まで手を伸ばし切り、目に見える『光』が届かぬ存在だと知った時――――― それが目覚める切欠となった。 彼女が何処かも分からぬ牢獄で苦しみ、光を見つけた゛夢゛からの目覚めは。 ややコミカル色の強い鳩の喧しい鳴き声が、耳に入ってくる。 乱暴な目覚め方であった分、眠りについていた彼女を確実に起こしてくれる結果をもたらしてくれた。 「――――………」 目を開けて、木製の天井を見つめている彼女の耳に規則正しい音が聞こえてくる。 開いた目を軽く動かすついでに瞬きをした後、自分がベッドで横になっているのだと、背中に伝わる柔らかい感触で理解する。 ついで思っていたよりも柔軟に動く自分の頭を右に動かしてみると、先程の音の正体が壁に掛けられた鳩時計なのだと知った。 鳩は既に時計の中に入っているだろうが、、他に時計と思えるものがない為結論的にこれが鳩時計だと断定することにした。 ついでに視線をほんの少しだけ動かし、時計の短針の位置が『Ⅶ』と『Ⅷ』の間に、長針が丁度『Ⅵ』の位置を差しているのを確認する。 次に頭を左の方へ動かすと、窓越しに浮かぶ双月と暗い夜空に浮かぶ無数の星たちが見える。 どうやら今が何日なのかは知らないが、自分が夜になるまで寝込んでいたのは確かなのだと理解した。 一体誰が自分をここで寝かせてくれたのかは知らないが、部屋の造りからして身分相応の人間だという事が伺える。 「ん―よ、…っと!」 一通り周りを確認した後で、彼女は掛け声と身体に勢いを付けて横になっていた上半身を起こした。 それと同時に首から下まで覆っていたシーツが体から離れ、その下にあった紅色の巫女装束とその下に着込んだアンダーウェアが露わになる。 今までシーツとベッドに挟まれていたおかげか若干アンダーウェアが暑苦しいなと思いつつ、そのシーツを思いっきり横へとどけた。 袴の代わりに着けている紅いロングスカートも服と別離した白い袖も着けたままであり、変わった所は見られない。 一不満なのは、足に履いていた靴下もそのままであったせいなのか、その部分だけ汗で妙に濡れていて気持ちが悪い、というところか。 「まったく。どこの誰かは知らないけれど…せめて靴下ぐらい脱がしてくれなかったのかしら?」 溜め息をつきながら右足の靴下を脱ぐと、白色のソレを何処かにおける場所は無いかと辺りを見回す。 それと同時に左足の靴下を脱ぎおわった時、ふと天井を見上げた。 文明の光に照らされる部屋に置かれたベッドの上で、ポカンとした表情を浮かべる彼女。 時計が針を刻む規則的な音が支配する部屋の中、彼女の体は時が止まったかのように静止している。 そうして十秒ほど経過したところで上げていた頭を項垂れさせた彼女は、ポカンとした表情のままひとり呟く。 「どうして私は、こんな所にいるんだろ?」 呆然とする自分の口から出た言葉の通り、彼女はここに至るまでの記憶が欠落していた。 俗に言う記憶喪失とでもいうのだろうか。それがわかった途端、感じたくもない感覚を体が理解してしまう。 そう、まるで先程の゛夢゛と同じように…どうしようもできない不快感と、自分を思い出せないムズ痒さを。 そんな時であった。壁時計のすぐ横にあるドアから、規則的なノックの音が聞こえてきたのは。 木製のドアを優しく、それでいてこの部屋にいる人が気づく人為的なソレは、当然項垂れていた彼女の耳にも入る。 頭を上げた彼女は顔に掛かった自身の黒髪を後ろへかき上げつつ、こういう時はどうすればいいのか悩んでしまう。 そんな彼女を手助けするかのように、ドアの向こうで待っているでろあぅ人が、彼女へと声を掛けてきた。 「ねぇ、起きてる?貴女の部屋を警護してる人がね、貴女が起きたらしいって言ったから夕食を持ってきたの」 優しい鈴の音の様でいて、何処か儚さを含んだその女性の声に、暫し彼女は戸惑ってしまう。 とりあえずは声を出そうとするものの、「えっと…あの…」と妙に掠れた小声しか喉から出せない。 返事が聞こえていないのか、ドア越しに佇んでいるでろあう女性が怪訝な声で再度訪ねてくる。 「……?もしもし?」 「…えっ!あの、その…も、もういいわよ」 それにつられるようにして出た声が多少上ずっていたのが恥かしいと思ったのか、彼女の頬が赤くなってしまう。 そんな事をお構いなしに、返事を聞いた女性…ではなく部屋の前にいたであろう軽装のメイジがドアをゆっくりと開けた。 ドアを代わりに開けてくれたメイジに一礼しつつ、ドアの向こうにいた女性―――カトレアは両手でお盆を持ったまま部屋へと入ってくる。 「ありがとう。助かったわ」 メイジにお礼を述べつつ部屋に入ってきたカトレアが持つお盆の上には、夕食であろう食事が載せられている。 ベッドの上に腰を下ろしている彼女の視界からは見えないが、何やら美味しそうな匂いが鼻孔をくすぐってくるのを感じた。 カトレアは両手に持っていたそれをひとまずテーブルに置いてから、ベッドの上にいる彼女をみてクスクスと笑う。 「まぁ、あらあら?ごめんなさい。今の季節だと少しシーツが分厚かったのかしら」 一瞬何を言われているのか分からなかったが、彼女はカトレアの視線が自分の足元に向けられているのに気が付く。 それと同時に慌てて脱ぎ捨てたばかりの靴下を履き直しつつ、更に頬を赤く染めてしまう。 「え?…あ、いや…これはその…!」 「いいのよ別に。気負ってばかりじゃ体に悪いものね」 そう言ってカトレアはベッドへと腰かけ、振り返って彼女の体を上から下へと見回し始める。 まるで商品の何処にも傷が入ってないか確認する商人の様な動きに、彼女は何もできずにされるがままの状態だ。 一通り見たところで大丈夫と判断したのか、ほっと一息ついたカトレアが安堵した表情で話しかけてきた。 「良かった、もう目立った外傷は無さそうね。…貴女はどうかしら?」 ここで目を覚ます以前の事を忘れてしまっている彼女は、カトレアからの質問に即答はできない。 少し戸惑う素振りを見せてから、ひとまず頭の中で思いついた言葉を口に出してみることにした。 「え…?あの…アンタは?」 「あら、私の事を忘れちゃったのかしら…?でも大丈夫、すぐに思い出せる筈よ」 すまなさそうに言った彼女に対しカトレアはそう返すと、ふと自分の両手で彼女の右手を握りしめてきた。 突然の事に軽く驚きつつも、右手に伝わる両手からの温もりで振りほどく理由などなくなってしまう。 されるがまま右手を握りつめられている彼女に面と向かって、カトレアを口を開く。 「私はカトレア。覚えているでしょ?あの綺麗な川で出会ったこと、そこでお話したことを…」 その声と同じく、優しげでどこか儚い笑顔を浮かべるカトレアの言葉に、彼女はその口をゆっくりと開く。 「カト、レア……カトレア…―――――あっ」 自分の手を握ってくれている女性の名を覚束ない感じで一度、二度口に出した時…彼女の記憶に異変が生じた。 まるで歯車に油を差して動かしやすくするように、スルスルと潤滑な動きで忘れていた記憶を取り戻していく。 何処とも知れぬ森の中で、ふと自分に話しかけてきた桃色ブロンドの女性。 変な夢を見て悩んでいた自分に、のんびりとした態度で接してきた変わった空気の持ち主。 ――――そんな夢って…どんな夢かしら? ―――――まだ立っていられる内に、自分の足で歩いて散歩するのが昔の夢だったわ。 生まれつき体が弱く、それでも外の世界が見たくて飛び出した箱入り娘。 まるで無くしたパズルのピースを見つけ、それをまたはめ直していくように記憶が戻っていく。 それと同時に、自分を覆っていた不快感とムズ痒さの一部が剥がれ、消えていくような感覚を覚える。 「カト…レア…カトレアなの?」 時間すればほんの一瞬、頭の中で失くしていた記憶を再生し終えた彼女が、もう一度カトレアの名を呼ぶ。 そこには先ほどの覚束なさは無く、しっかりとした発音で箱入り娘の名前を口に出している。 彼女の異変に気付いたカトレアもまた微笑みを崩さぬまま、今度は身じろぎ一つしない彼女の体を優しく抱擁した。 それを振り払うようなことはせず、彼女はただ黙ってカトレアの抱擁を受け入れている。 「良かった。私の事は…ちゃんと記憶の奥底に隠れていてくれたのね…」 心の底から安堵しているかのような言葉に「…えぇ」という、小さな相槌だけを返した。 一時の抱擁が済んだあと、彼女はカトレアと向かい合う形で椅子に座っていた。 彼女は自分の目の前に置かれたトレイの上に載せられた゛夕食゛のメニューに、目を通していく。 バゲットは片手で掴めるサイズに切ったものを二切れ用意されており、それを乗せた皿の右下にバターも置かれている。 前菜のクルトン入りサラダには、ハーブやここの村で採ったという野菜がふんだんに使われており、黒胡椒ベースのドレッシングがかかっている。 飲み物にはコップに入った水が用意され、おかわり用であろう水差しも運ばれていた。 そしてメインであるシチューなのだが、恐らくこのメニューの中では一番に目を引くものであった。 やや薄いブラウンカラーのどんよりとしたスープの中に野菜やハーブ、鶏肉や茹でたミートボールに魚の切り身まで浮かんでいる。 野菜に至ってはサラダに使われているモノから、貴族が滅多に口にしないであろう根菜が一口サイズになって入れられていた。 食材の宝石箱…というよりもおおよそ人がいつも口にしている食べもののごった煮というシチューが、彼女の目の前に置かれている。 「驚いたでしょう?それ、タルブ村の名物で゛ヨシェナヴェ゛って言うらしいのよ。大丈夫、味は保障するから」 まるで自分が作ったかのように自慢するカトレアの言葉に、彼女は何も言わずにスプーンでシチューを一掬いしてみる。 掬われたスープからは山海の幸がブレンドしたかのような芳醇が漂い、彼女は有無を言わずにそれを口の中に入れた。 目で見るよりも更にサラッとしていたスープの味は、何も食べていなかった彼女の脳を思いっきり刺激し飲み込まれていく。 「どう?」 「うん………美味しい。美味しいわね」 カトレアに尋ねられつつもシチューから視線を逸らさずに答えた彼女は、抑え込んでいた食欲が動き始めたところだった。 まるで風石を入れて順調に飛び始めた軍艦の様に人によってはそれなりの速度でヨシェナヴェを口の中に入れていく。 野菜や根菜は十分煮込まれて柔らかくなっており、肉や魚からしみ出す旨味が彼女の胃袋を益々刺激させる。 やめられない、止められない。――――そんな言葉がいかにもに似合いそうな豪快な食べっぷりに、カトレアは嬉しそうに微笑んでいた。 「そんなに急いで食べなくても、おかわりなら厨房の人たちがたくさん作ってくれてるわよ?」 最後の一口で細かく刻んだ軟骨と玉葱の入ったミートボールを咀嚼し、飲み込んで一息ついた彼女に向けてカトレアがそう言うと… 彼女は「えっ、ホントに?」と呟いて嬉しそうな表情を浮かべたのを見て、箱入り娘はコロコロと笑った。 その後パンとサラダを片付け、もう二杯ほどヨシェナヴェシチューをおかわりしてから彼女の夕食は済んだ。 久方ぶりであろう食事を堪能した彼女は、安堵の表情を浮かべて給士が持ってきてくれた食後の紅茶を頂いている。 カトレアも同じように紅茶を飲んで、始めて目にしたであろう彼女の安堵した表情を見て微笑んでいた。 「ふぅ~…何か、すっごい久々にお腹いっぱいになれた気がするわ。本当にありがとう」 「あらあら、それは良かったわね。…でもお礼を言うならここの屋敷の主人と厨房の人たちに言ってあげた方がいいわね」 カトレアにお礼を言いつつ、彼女はお茶請けの菓子として出されたクッキーを一枚手に取って口の中に入れる。 バターの風味とサクサクとした食感、そしてソフトな甘さが口の中に広がっていく。 一通り咀嚼して飲み込んだところで、砂糖の入っていない紅茶を一口飲み、ホッと一息ついた。 夜の八時になって少し経つ夜の部屋で、二人は静かにゆっくりと食後のお茶を堪能している。 そんな時だった、腹も膨れて色々と頭の中で考えられる余裕がでてきた彼女が、カトレアへと話しかけたのは。 「ねぇ、今まで聞くのを忘れてたけど…今私達がいる場所はどこなの?」 「ようやく聞いてきてくれたわね。てっきりこのまま聞かれずじまいなのかと思ってたわ」 やや抜けたところを見せる彼女にカトレアは微笑み崩さぬままそう言い、次いで説明をしはじめた。 ここはラ・ロシェールというトリステインの一都市の近くに建てられた村で、タルブという名前で呼ばれているという事を。 そこまで聞いて、彼女はまたもや思い出せた事があったのか「…あっ」と声を上げてカトレアに話しかける。 「タルブって、もしかして貴女が行きたがっていた村じゃないの?」 「そう、ご名答。長い長い旅路の終着点にようやくたどり着いたというワケ」 カトレアはそう言って紅茶を一口飲んでから、今に至るまでの経緯の説明を再開する。 カトレアの説明で分かった経緯を、彼女なりに考えて三つの要約にすればこうなる。 一つ。自分とカトレアがコボルドに襲われた近隣の村人と少女の二人を助けたのが今日の朝方に起こった出来事。 二つ。コボルドとその頭であるというコボルドシャーマンを追い払ったのが自分だというのだが、あまり覚えていない。 カトレアと出会った所から、村人たちを殺そうとしていたコボルドに殴り掛かった所までは覚えているが、それから先の記憶がスッポリ抜け落ちている。 その事を聞いてみたところ…どうやらカトレアがあの老人と女の子と一緒に避難し、お供の護衛達を連れて戻った時にはコボルド達の姿はなかったのだという。 代わりに街道から少し横に逸れた草地の上で、強打したのか頭から血を流して倒れている自分がいたのだとか。 「意識は失っていたけど、幸い傷自体は大したこと無かったし水の秘薬を使ったから痛みも無いはずでしょう?」 「その代わり色々と覚えてる事を忘れちゃったのかもね」 カトレアの言葉にそう返しつつ綺麗な額を左手で撫でながら、彼女は薄茶色の紅茶をゆっくりと飲み始める。 熱い紅茶の苦味とミルクの風味、そして砂糖の甘味という三つの味が重なり合って口の中で渦巻いていく。 それをゆっくりと飲み込み、小さなため息をついてから彼女はまたも喋り出す。 「そして気を失った私をここ…タルブ村を収める領主、アストン伯とかいう人の屋敷までやってきたのが…三つ目」 「まぁ、そうなるわね」 質問に近い彼女の言葉にそう返して頷き、カトレアもまた紅茶をゆっくりと飲んでいく。 その後も話は続いたのだが、どうやらあの老人と少女がいた村にカトレアの護衛たちが半数ほど残っているらしい。 夜中にコボルド達が襲撃してくるのを警戒して残るよう命じたらしいのだが、まぁ妥当な判断だと彼女は思った。 タルブ領主のアストン伯も、近隣の村で起こったのだから他人事ではないという事で、駐留している国軍兵士達をその村へ出動させたのだという。 「まぁあれだけの人数なら流石のコボルド達も迂闊に襲ってはこない筈よ」 「油断は禁物っていう言葉があるけど、村人たちからしてみりゃ有難いかもね」 安心しきっているカトレアの言葉にそう返しながらも、彼女は窓越しの夜闇を見ながら紅茶を啜る。 温かな甘味が心を落ち着かせてくれるのだろうが、内心ではそうしてられんという気持ちが勝っていた。 カトレアや今日の事は思い出せたのはまぁ良かったが、それ以外の事は未だに頭の中に浮かんでさえ来ない。 一、二匹中ぶりな魚を釣り上げたのはいいが、本命の大物を釣り上げることができないでいる。 そしてそれを釣り上げる為の餌すら見つからず、さぁどうすればいいのかと頭を抱えているのが現状だ。 (せめてさっきの夢みたいに寝ている最中に思い出せれば…………あれ?) 思い出せない自分の事に頭を悩ませながら心の中でそう呟いた時―――彼女は思い出した。 ここで寝かされ、目覚める直前に見ていたあの悪夢の事を。 あの内容は、あの座敷牢みたいな場所で見たフラッシュバックの様な光景は何だ? あれこそ正に、今は忘れている自分の事につながる大事な手がかりじゃないのだろうか? 「――――――覚えてる…、覚えてるじゃないの!」 興奮のあまり、立ち上がりながら叫びんでしまった事に彼女自身が気が付いたのは、その直後であった。 急に立ち上がったせいか椅子が後ろに傾き、叫び声と同時に大きな音を立てて床に倒れたのを、外にいた護衛が聞き逃さなかった。 部屋から聞こえてきた二つの騒音に「何事ですか!」と、槍を模した杖を手にしたメイジがそう言って部屋に入ってくる。 自分が大きな音を立ててしまった事に気が付いた彼女は目を丸くしつつ、入ってきた護衛に驚く。 そしてメイジが両手に持つ戦闘用の杖を目にしてか、思わず両手を顔のところまで上げてどう言い訳するか悩んだ。 「え…あの?…その、つい…」 「私は大丈夫、ちょっと彼女のプライベートの事なの。…よろしくて?」 「………そうですか。では」 すかさずフォローしてくれたカトレアのおかげか、護衛も部屋に入ってきた以上の事をする気は無いようだ。 気を付けの姿勢をするとカトレアに向けて軽く敬礼し、踵を返して部屋から出て行く。 開いていたドアを閉めた後、ホッと一息ついた彼女は倒した椅子を元に戻して席に着き直した。 カトレアもまたふぅ…と軽く息を吐いて姿勢を直すと、その口を開く。 「で、何を覚えていたのかしら…?教えてくれない?」 「え…あぁ、そうね…」 カトレアからの質問に対し、彼女は素直に先程の夢の事を話すことにした。 「なるほど、確かに悪夢と言えばそうなるわねぇ…」 一通りの説明を聞き終えたカトレアはそう言って、話してくれた彼女の顔を見やる。 話している最中にその夢の内容を思い出してしまったのだろうか、話す前と比べてどことなく憂鬱な陰が差している気がした。 淹れなおした紅茶の湯気に当たっている顔は若干俯いており、カトレアの視線からでもその顔が暗い表情を浮かべているのがわかる。 無理もない。自分は言葉から悪夢の内容を想像するしかないが、それを話してくれる彼女はそれを夢の中の視界で見て、体感したのだから。 彼女の為とは言え、質問するのは早すぎたのだろうか…?遅い後悔を胸に抱きながらも、カトレアは慰めの言葉を掛ける。 「ごめんなさい、私も貴女の事が心配なのだけれけど…。やっぱり説明させるのは早すぎたかしら?」 顔をうつむかせていた彼女は相談相手に慰められた事に気づいてか、慌ててその顔を上げて首を横に振った。 「いや、違うのよ。――――ただ、どうにも夢の詳細を思い出せないのよ」 「思い出せない?」 彼女の口から出た新たな事実に、カトレアは思わず首を傾げてしまう。 「確かに私は何処か暗い場所にいて…何かイヤなモノを見た気がするんだけど、 『それが゛何処゛で、何を゛見た゛のか』が思い出せないの…それに、それだけじゃない… その後に何かを゛見た゛気もするんだけど…頭の中からその゛見た゛ものの正体がスッポリ抜け落ちてる…」 彼女はそう言って自分の両手で俯いた顔を覆い隠し、大きな溜め息をついた。 そんな彼女を見て憐れみの心を抱いてしまったであろうか、カトレアはテーブル越しに彼女の右肩に触れる。 ベッドの上で抱擁された時と比べやや寂しいものの仄かに暖かいその手が、触れている肩を優しく撫でていく。 肩を触られたことに気付いた彼女が顔を上げると、どこか寂しそうな微笑みを浮かべたカトレアと目があった。 「大丈夫…夢っていうものはね、見ている時と起きたばかりの時には鮮明に覚えているけど…ふとした事で忘れちゃうものなの。 良い夢の時だとちょっとショックだけれど、酷い悪夢を見たときには思いの外助かったと思うモノなのよ?」 「けれど…もしかしたら、私が誰だったのか思い出せそうだったのに…」 諭すようなカトレアの言葉に縋り付くかのような彼女に対し、カトレアは更に言葉を続けていく。 「人の頭の中って不思議なものでね…ふとした拍子に忘れてしまった夢の事を思い出してしまう事があるの。 それこそ昨日みた夢から幼い子供の頃に見たモノまで…だから、貴女もきっとこの先思い出すことがあるかもしれないわ」 不出来な生徒を励ます教師の様なカトレアの慰めの言葉を聞き入れつつも、それでも彼女は「でも…」と納得しきれないでいる。 そんな彼女を見て右肩に触れていたカトレアの手は彼女の両手を握り、泣きわめく赤子をあやすかのような声で「大丈夫よ」と呟いた。 「それなら、貴女が自分の事を思い出せる時まで私が傍にいてあげる。それで良いでしょう?」 「えっ?…ちょ、ちょっと待ってよ!…そんないきなり…」 カトレアの口から出た突然の提案に、流石の彼女も目を丸くして驚いた。 無理もない。何せまだ出会って一日もたってないであろう自分の傍にいてあげると言うのだから。 それに、今朝は弱っていた彼女をコボルド達との戦いに巻き込んでしまったのだ。 その負い目があってか、彼女はどうしてもカトレアの提案に対し肯定の意を出すことができない。 「記憶を失くして自分が誰なのかも分からない私なんて、 アンタの傍にいてもいても迷惑なだけじゃないの?それに… 今日の朝方だって血を吐いて弱ってたアンタに魔法を使わせちゃったし…」 「あのコボルド達の事なら大丈夫。それにアレは、私が自分で判断したことなのよ?貴女が負い目を感じることは無いわ」 そう言ってカトレアは席を立つと座っている彼女の背後に回り、その大きな背中をギュッと抱きしめる。 先ほど肩に触れた手よりも暖かい抱擁を再びその体で受けた彼女は、憂鬱だった心に何か温かいモノが入ってくるのを感じた。 それをどういう言葉で例えるべきなのか分からなかったが、彼女はその両目を閉じて背中に伝わる温もりを受け入れてく。 何も言わない彼女に対し、同じくただ黙って抱擁するカトレアは彼女の横顔を見やり、口を開く。 「それに、記憶を失ってる今の貴女には、どこも行くアテが無いのでしょう?尚更放っておけないわ。 これから私の傍にいて、色んなモノを見て、聞いて行けばきっと何か思い出せるかもしれない… 大丈夫。私のお屋敷は広くて書斎もあるし、御付の人達や私の゛お友達゛がいるから寂しくもないわ」 ――――――だから、一人で解決しようなんて思わないで。 最後にそう付け加えた一言には、どこか懇願の意思が秘められている気がした。 それを聞いて抱きついているカトレアを振り払い、立ち去れるほど彼女は強くも、また孤独に慣れてもいなかった。 カトレアからの一方的な要求に参ったと言わんかのようなため息をついてから、彼女は口を開く。 「確かにアンタの言うとおりかもね、どこにも行くアテなんてないんだし…」 その言葉を耳にしたカトレアは寂しげだった表情がパッと明るくなり、「良かったぁ…」と呟いて抱擁を解いた。 背中から伝わっていた温もりが離れるのは名残惜しいが、胸が当たるのか少し窮屈だったのでまぁ丁度良いかと思う事にしよう。 ホッと一息ついて、温くなってしまった紅茶を口に入れようとしたとき、嬉しそうにしていたカトレアがあっと声を上げる。 どうしたのかと思い、後ろを振り向くと神妙な面もちのまま立っているカトレアが、顔を向けてきた彼女のこんな事を聞いてきた。 「そういえば…貴女、名前も忘れていたのよね?いつまでも名無しのままだと、流石に貴女も困るだろうなぁって思って…」 カトレアからの言葉に彼女はあぁ、確かに…。と相槌を打ったと同時に、ふと頭の中に一つの単語が脳裏を過った。 それは先ほどの悪夢の中で゛聞いた゛であろう言葉であり、恐らくこの地では聞き慣れないであろう単語だと理解する。 思い出すと同時に思った。何故カトレアに名前を聞かれた時、その単語が脳裏を過ったのだろうと。 何故?どうして?その是非を問うか問わないかという前に、彼女は無意識に自分の口が開くのを感じた。 そしてそれが必然であったかのように…、 「―――――…ハク、レイ?」 「…え?今何て?」 開いた口から単語という名の鳥が、羽を広げて飛び立っていった。 それを間近で耳にしたカトレアも顔を上げて、首を傾げながら彼女に聞いてみる。 カトレアからの要求に彼女は暫し何も言わずに黙ってから、ようやくその口を開いて呟く。 「ハクレイ―――――……夢の中で、誰かが私をそう呼んでいた気がする…」 ハルケギニア各国の王宮は、基本日が暮れても多くの者たちがその中を行き来している。 王宮で職務を行う重鎮の貴族や魔法衛士隊の隊員であったり、掃除用具を持った給士だったりと多種多様な人々が歩き回っている。 まるでアリの巣の様に忙しなく動く人の流れは、夜が更けるまではけっして止まることは無い。 それ故に王宮へ侵入し、盗みを企もうとする不届き者などこの時代には殆どおらず、いてもすぐに見つかってしまうであろう。 捕まってしまえば運が良くて独房行き…悪ければその首が翌朝王宮の前で晒される事になるかもしれない。 美しくもおっかない。そんな場所である王宮の内側に作られた廊下を、霊夢と魔理沙の二人はテクテクと歩いていた。 夕食も済ませた彼女達は何か面白い事が無いのかと、退屈を凌ぐために宮殿内の散歩へと繰り出している最中である。 もっともそれを思いついたのは魔理沙で、霊夢自身はそれほど乗り気ではないものの退屈なのには変わりないので仕方なく彼女に同行していた。 既にアンリエッタの許可で、ある程度自由に歩き回れる事は知れ渡っているのか、警備の衛士達が見つけても咎められることはない。 むしろ歩いている途中で見つけたモノを指さしては何事か話している少女達を、物珍しそうな目で見つめる者がチラホラといるだけだ。 そんな奇異な視線をものともせず、王宮の中央部に造られた中庭を上から一望できる廊下をなんとなく歩いていた。 「そういえばさぁ、あのお祓い棒ってドコで手に入れたんだよ?」 初夏の夜風で金髪を揺らす魔理沙は、左手に持った帽子を人差し指でクルクル回しながらそんな事を聞いてきた。 朝方背負っていたデルフには部屋の留守を任せているので、心なしかかその足取りも軽くなっている。 一方の霊夢はそんな質問をされて一瞬だけキョトンとしたものの、すぐに思い出したかのような表情に変わる。 「あぁ、あれね。…確か大分前に魔法学院の一角で変な黒い筒に入ってたのを拾ったのよ」 「…呆れた巫女さんだぜ。いつも人の事悪く言っておいて、盗みを働くとはな」 「まぁそうよね。少なくともアンタにそうやって言われるつもりもないけど」 巫女の口から出た言葉に首を横に振りながら両肩を竦めて、知り合いの行った非行に形だけの非難を見せる。 思いっきり普段の自分を見ていないような素振りだが、それで一々怒る霊夢でもない。 淡々とそう返しつつ、今もアンリエッタが貸してくれた客室に置いてあるあの御幣の事を思い返す。 「第一、アレが置かれてた所はいかにも廃品置き場っぽかったからね。この私が拾って、善い行いの為に使ってあげてるのよ」 「じゃああのお祓い棒の唯一不幸だった事は、お前に拾われたって事ぐらいか?」 自分の行動をトコトン正当化しようとする巫女に苦笑いを浮かべつつも、魔理沙は「それにしても…」と言葉を続けていく。 まだ喋るのか…と思いかけた霊夢は口に出そうとしたその言葉を、普通魔法使いのの真剣な表情を見て寸でのところで止めた。 「あのお祓い棒ってさ、相当長いよな。お前が普段幻想郷で使ってるのと比べて、使いにくくないか?」 「ん~、そうかしらねぇ?特にそんな事を考えた事は無かったわねぇ~…ただ、変わってると言ってくれればそれに同意していたけど」 霊夢の勘が当たったのか、魔理沙のか口から続けて出たのは真剣な類の質問であった。 それに真面目な様子で答えつつ、あのお祓い棒自体がそれなりにユニークな代物だと思い出す。 「紙垂は薄い銀板でできてるし、棒自体も結構頑丈に作られててリーチもあるから、あれそのものがちょっとした武器としても使えるのよ」 「確かになぁ~。私も軽く触ってみたけど大して重量も無くて振り回そうと思えば楽に回せそうだったよ」 思い寄らぬ告白を交えた魔理沙の言葉に、いつの間に触っていたのかと心の中でぼやきつつも、ふと疑問に思った。 物置と言えど、どうしてあんな所にお祓い棒が…それも綺麗な状態のまま放置されていたのだろうかと、今になって思い始めてしまう。 しかもここハルケギニア大陸は思いっきり西洋文化の世界だ。間違ってもこの大陸に神社のような建物があるとは考えられない。 一応この大陸の外にもう一つ別の世界――ロバなんとかだっけか?――もあるらしいが、そこから来たのなら尚更宝物このような場所に置かれているだろう。 何故あんなゴミ捨て場の様な物置に置かれていたのかが、全く理解できない。 (とすると、考えられるのは…やっぱり誰かが『意図的に置いてった』のかしらね?) 霊夢は頭の中で、そんな芸当が出来る゛胡散臭い知り合い゛の顔を思い浮かべていた時であった。 今更な疑問の渦の中で思考しようとしてた彼女の耳に、邪魔をするかのような魔理沙の声が突っ込んできたのは。 「…あっ、おい霊夢!中庭の方にルイズとお姫様がいるぜ」 魔法使いのつり合いに妨害された巫女は、軽くため息をついてから声のした方へと目を向けた。 左手で手すりを掴み、右手で小さく階下の中庭を指さす魔理沙の姿が見える。 「全く、アンタって奴は一々良いところで声かけてくるわねぇ…」 「…?何だ?褒めてくれてるのかソレ?」 言った相手には分からないであろう愚痴をこぼしつつ、魔理沙の隣にまで移動して霊夢は階下へと視線を向ける。 確かに、魔理沙の言うとおり中庭中央部に造られたガゼボの中にルイズとアンリエッタがいた。 紅魔館でも見たことのあるようなテーブルとイスが置かれている西洋風あずまやに入って、何やら会話をしている。 ガゼボの四隅と天井に設置されたカンテラで会話しているのはわかるが、何を話しているのかまでは分からない。 大方、今朝やってきて帰っていったエレオノールと家族の事についての事なのかもしれないが、あくまでそれは憶測である。 近づけば何を話しているのか確実に分かるが、それに体力を注ぐ程今の霊夢の興味という名の琴線に触れてはいない。 ただ…隣にいる黒白が持つ興味という名の琴線は、触れるどころか思いっきり弾かれて振動していることだろう。 そんな事を思った霊夢は顔を顰めながらも、隣で好奇心を露わにした魔理沙に声を掛けた。 「…で、どうすんのよ?」 「そりゃ勿論、あんなのを見たら聞かぬは損ってヤツだろ?」 「少なくとも、私としては避けられる厄介事の類はゴメンなんだけど、ねぇ…?」 若干ドヤ顔な魔法使いにそんな事をこぼしながらも、霊夢は軽いため息をつく。 何でしてこう、今日という日はこんなにも厄介な事に一々巻き込まれなければいけないのだろうか? 霊夢は自分の運の無さを呪いつつも、心の中では魔理沙の言葉に少なからず同意していた。 (まぁ確かに…ルイズはともかくとして、何かあのお姫様も色々と抱えてるっぽいのよねぇ…) そんな二人が何を話しているのか?博麗の巫女以前に一人の人間、それも少女である霊夢。 興味は無いが多少気にはなるし、少なくとも彼女以上に年頃の少女らしい魔理沙は、もっと気になる事であろう。 「…じゃあ私は先に行ってるから、アンタも早く来なさいよね」 うんざりしたかのような口調でそう言った霊夢は手すりを掴んでいる手に力を入れて、そのままヒョイっと乗り越えてしまう。 まるで自分の腰ほどしかない柵を乗り越えるかのような軽い動作をした彼女の目に広がるのは、四メイル程下にある中庭。 足場なるモノは何一つなく、メイジでもない普通の人間ならば下手をしなくともよくて致命傷、悪くて死が待っている高さだ。 そんな高さから身を乗り出した霊夢はしかし、真っ逆さまに落ちる事無く空中でその体をふわふわと浮かばせている。 「アンタが首を突っ込んだんだから、何か言われた時にいないと面倒なのよ」 最後にそう言って、手すり越しに此方を見ている魔理沙を尻目に霊夢は中庭へと降りて行った。 この日彼女にとって幸いだったのは、この時の出来事を見ていた人間が魔理沙だけであったという事だろうか? 「やれやれ…相変わらず、動く時は早いんだよなぁ」 そう言って魔理沙は手に持ち続けていた帽子をかぶり直し、下へと続く階段へと歩き始める。 別に箒が無くても飛べることは飛べるのだが、それをしてしまうと霊夢に早く追いついてしまって面白味がない。 ここは慌てず騒がすゆっくり歩いて、今からどんな事が起こるのかと想像しながら向かってみるのも良いだろう。 「全く、今日は面白い出来事が沢山だぜ」 一人呟きながら、彼女は嬉しそうな足取りで階段を降りて行った。 一方で、アンリエッタとルイズは霊夢たちの事などつゆ知らずにガゼボの中で会話を始めようとしているところであった。 だがアンリエッタの表情から察するに…これから話す事は姫さまにとって、あまり芳しくない事だとルイズは察してしまう。 「御免なさいルイズ、詔を考えるだけでも精一杯だというのに外へ連れ出してしまって…」 「そんな…滅相もありません。姫さまからの相談ごとというのなら、いつでも乗ってあげますよ」 天井のカンテラ照らされた憂鬱げな表情のアンリエッタに対して、ルイズは微笑みながらもそう答える。 それでも幼馴染の顔は曇ったままであり、一体何を悩んでいるのだろうかと訝しんでしまう。 何せ結婚式を控えた身なのである。曇った顔色のままゲルマニアに嫁いでも、あの国の皇帝は機嫌を損ねてしまうかもしれない。 あの帝国を仕切る男、アルブレヒト三世の良くない噂の類を思い出そうとしたが…それを振り払うかのようにルイズは頭を横に振る。 (とはいえ、私も姫さまの事は言えないんだけどね…) 彼女は心の中でそう呟き、テーブルを中心に散らばっている丸まった白紙の事を思い返した。 夕食を食べ終えた後、ルイズは未だ『始祖の祈祷書』に清書できぬ詔の様な何かを白紙に書いては丸め、ゴミ箱に捨てるという作業を繰り返していた。 結婚式までまだ数週間程あるのだがそれでも詩のセンスが並みの貴族と比べて低いルイズにとって、あまりにも短すぎるのである。 しかも幼馴染であり敬愛するアンリエッタの結婚式なのだ、誰もが聞き惚れするかのような素晴らしい詔に仕上げなければいけない。 だけど悲しいかな。始祖ブリミルは彼女に座学と体力は与えたものの、魔法と裁縫…そして詩を考える才能を与える事を忘れていたらしい。 結果、詔と言えぬような酷い駄文が書かれた紙だった丸い物体が、ゴミ゛箱の中と言わず床に散乱する羽目になってしまった。 彼女がそれに気づいたのは、幸か不幸か部屋の前に立つアンリエッタがドアをノックし、ルイズに自分の名を告げた時であった。 詔を考えるのに夢中になり過ぎた結果、自らの手で作り上げてしまった醜態に流石のルイズも顔を赤くしてしまったのである。 しかし辺りに散らばったそれらを片付けるより先にドアの前で待ってくれているアンリエッタを待たせるわけにもいかない。 自分の名誉を優先し、姫さまを待たせる…という選択肢など端からないルイズは…『ドアを少しだけ開けて、部屋の中を見せない』ようにした。 (結果的にOKだったけど、部屋の中でお話ししましょうって言われてたらどうしようかと…) アンリエッタに微笑みを向けながらも、内心あの時の事を想いだして冷や冷やしているルイズ。 そんな彼女の心の内をかすかに読み取ったのであろうか、アンリエッタたが訝しむような表情を向けてくる。 「どうしたのルイズ?貴女も何か悩み事が…」 「えっ?あっ…いえ、何でもありませんよ?何でも…それより、相談したい事とは一体なんですか?」 幼馴染からの唐突な指摘に慌ててそう答えつつ、誤魔化すように話を進める。 特に引っ掛ったものを感じなかったのか、アンリエッタもそれ以上追及することはなかった。 「そう……実は、もうすぐ控えている結婚式の事でつい…」 「………?」 何が言いたいのかイマイチ良く分からず首を傾げたルイズに向けて、アンリエッタは喋り始めた。 「本当に私は、今のトリステインを放ってゲルマニアに嫁いで良いのか、分からないんです。 今トリステインはかつてない危機に置かれています。レコン・キスタの存在に内通者… 国内に潜む虫たちの排除すらままならぬこの状況の中で、私一人だけが他国へ逃げるなんて…」 「逃げるなんて、そんな…」 アンリエッタの口から出た告白に、ルイズはどう答えていいのか迷ってしまう。 確かに今はトリステイン王国が滅亡するかどうかの危機に置かれているのは事実だ。 内通者はいるわ、レコン・キスタはこっちと手を握るつもりが全くないわで良くない事づくめなのである。 そこまで考えた時、ふとルイズの脳裏に一つの仮定が思い浮かんだ。 (でも…だからこそ、せめて姫さまだけでも安全な所へ…ゲルマニアへ嫁がせるのかもしれない) ルイズのその考えは、トリステインの貴族として到底認められるものではなかったが、合理的に考えればあながち間違ってはいない。 トリステインと比べ大国であるゲルマニアは、航空戦力は劣るものの陸上戦力ではレコン・キスタの数十倍だ。 これと肩を並べ、また対抗できるのは同じく空海軍から陸軍に力を注ぎ始めたガリア王国くらいなものであろう。 悔しいが小国であるトリステインや連合皇国のロマリアの軍事力を馬と例えるならば、ゲルマニアとガリアは正に火竜である。 逆に言えば、アンリエッタがゲルマニアへ嫁げば少なくともトリステインが最悪の事態に陥ってもアルビオンの様に王家が滅ぶことも無い。 最も、ゲルマニアがこっちの思い通りにアンリエッタを大切にしてくれるかと言えば…正直不安しかないのもまた事実だ。 「それに、悩んでもいるのです。本当にこのまま、逃げるようにしてゲルマニアへ嫁いで良いのかと…」 「え…?――――あ、それは…えっと…その、どういう意味でしょうか?」 考えすぎて危うく思考の波に飲まれそうになったルイズを、アンリエッタの声が再び現実へと引き戻してくれる。 頭を横に振って中に溜まっていた雑念を払い落し、彼女は幼馴染が抱える二つ目の悩みを聞き始めた。 それを話そうとしてくれるアンリエッタの顔は先ほどと比べ何処か悲しげであり、今彼女の身体を軽く小突いたら目か涙が零れてきそうである。 無論、そんな不敬な事をするルイズではなかったが…その表情からアンリエッタが何を言いたいのかを察することができた。 しかしそれを口にして良いのかどうか少しだけ悩み、それでも言わなければならないと判断したルイズは恐る恐る口を開く。 「……もしかすると、ウェールズ様の敵討ち…なのですか?」 ルイズの言葉にアンリエッタは暫し無言であったが、やがてその目だけを彼女に向けると、コクリと頷いた。 やはりそうだったか。今朝の言葉から何となく思ってはいたが…ルイズが内心そう呟くのをよそに、アンリエッタは喋り始める。 「私は将来トリステイン王国の指導者となる者。ゲルマニアへ嫁いでもそれは変わりないでしょう。 それに今朝の言葉は、決して偽りではありません。あの世にいるであろうウェールズ様も、きっと…」 そこで一旦言葉を区切ると軽く深呼吸をし、ガゼボの中から見える夜の庭園を見回した。 トリステイン一の庭師たちが季節の花や植木を芸術的かつ均等に配置して作り上げた庭は、実に美しい。 まるで地面から一つの芸術品が生えて来たかのように、庭園の狭い空間にも馴染んでいる。 それらを眺めて、自らの心の中に生まれた葛藤と得も知れぬ憎しみを抑え込もうとしているのだろうか? 彼女の幼馴染であるルイズにもその気持ちは計り知れず、どんな言葉を掛けようかと悩んでしまう。 しかしその前にアンリエッタが何かを決意したかのようにまた軽い深呼吸をした後、話を再開した。 「けれど…何故か私の心は自分が思っている事と真逆の事を考えているのよ…? レコン・キスタが憎い。ウェールズ様を、アルビオン王家を滅ぼした逆賊たちを倒せ… それは夢の中や、家臣たちからアルビオン関係の話を聞く度に、古傷が疼くかの様に現れるの。 最初は抑え込めたその気持ちも、今ではうっかり口に出してしまいそうな程に、膨れ上がって…いるわ…」 話の最後で涙を堪えるかのような声になったのに気づき、思わずルイズは「姫さま…?」と不安げな声を上げる。 その声に反応するかのようにアンリエッタは庭園を向けていた顔をルイズの方へと向けた。 ―――――でもルイズ、私は大丈夫よ。 そう言いたげな健気な笑顔を、アンリエッタは浮かべたかったのだろうか。 しかしその目からは一筋の涙が頬を伝って流れており、目の端から滾々と涙が絶え間なく浮かび続けている。 まるで膨れ上がった感情を抑えようとして、抑えきれていないソレが体からにじみ出てきているようだとルイズは思った。 ルイズの表情を伺わなくとも、自分がどんな表情を浮かべているのか知っているのか、涙を流しながらしゃべり続ける。 「御免なさい…こんな情けない表情を見せてしまって、けれど…言ったでしょう? 段々抑えきれなくなってるのよ。…あの人を失った悲しみと、レコン・キスタが平然とのさばっている事実に対する怒り…。 その二つが、今すぐにでも私の体を内側から食い破って出てこようとしているのよ…」 「姫さま…」 こんな時にどういう対応をすればいいのか、ルイズには良く分からなかった。 時偶街の劇場で見る劇の中ならば、優しい言葉を投げかけて相手を微笑ませたり、激励して立ち直らせたりするものだ。 しかしここは現実であり、今目の前にいる実在の幼馴染は優しい言葉や激励だけではその泣き顔を笑みに変えてはくれないだろう。 ならどうする?このまま黙って彼女が勝手に泣き止むのを待つか? 下手に出ると何が起こるか分からないのであれば、そうしても良いがアンリエッタは悲しみを抱えたままになってしまう。 (せめて姫さまの幼馴染として、この悲しみをどうにか乗り越えてもらって…笑顔のままお嫁にいってもらいたいわ…) ルイズは十六年の経験から経た知識を総動員して、アンリエッタをどうにか励ます方法を考えようとするが全く思い浮かばない。 何せ彼女の涙はウェールズ王子を失った悲しみから来るものであって、初恋の人に裏切られた挙句に殺されかけたルイズにはその気持ちがいまいち理解できないのだ。 (諦めちゃダメよルイズ…きっと方法がある筈よ…姫さまを励まして笑顔を取り戻せる方法を…) そんな時であった、頭を抱えるルイズとはらはらと涙を流すアンリエッタの耳に、聞き慣れた少女の声が入ってきたのは。 「何よ、そんなにしょぼくれた顔しちゃって?」 「えっ…?…きゃっ!」 「ちょ…ちょっと、アンタいつの間に……!」 ふと上の方から聞こえてきたその声に反応したアンリエッタがまず小さな悲鳴を上げてしまう。 そしてルイズはというと、信じられないものを見るかのような目で視線の先にいる少女を凝視していた。 無理もないだろう。何せ、二人の視線の先には霊夢の頭…それも逆さになった状態で二人を見つめていたのだから。 もっとも体の方は二人の視界に入っていないだけで、ガゼボの上にいる霊夢が頭だけを出している状態である。 「全く、何やらまた厄介なモノ抱え込んでると思って来てみたら、そんな悲鳴をあげられるなんてね…っと!」 霊夢はそう言いつつ屋根から身を乗り出すと、猫の様に華麗な一回転して地面に降り立った。 そして、少しだけ膝に付いてしまった土を手で払いのけてから改めてルイズたちの方へと視線を向けた。 いつもの澄ました顔の彼女に対し癪に障るところがあったルイズは、盗み聞き…していたであろう巫女を指さしながら怒鳴った。 「…っていうかレイム!アンタはいつから上で盗み聞きしていたのよ!?」 「盗み聞きなんかしてないわよ、魔理沙の奴がアンタ達二人の姿を見つけて、私もちょっと興味が湧いてやって来ただけよ」 「あんの黒白…!」 霊夢の話を聞いてあの白黒もいると知ったルイズは珍しく悪態をつきつつ、一旦ガゼボの外に出て辺りを注意深く見まわした。 しかし夜中の庭園はガゼボからの灯りがあっても十分に暗く、あの特徴的な黒白の姿は見当たらない。 キョロキョロと頭を動かすルイズの隣にいる霊夢は、彼女の様子を見て魔理沙がまだここに来ていない事を察した。 「何?もしかして魔理沙のヤツが見当たらないっていうの?」 既に怒り心頭とも言えるようなルイズを見た霊夢は、小憎らしい笑みを浮かべて廊下から飛び降りる自分を見下ろす魔理沙の姿を想像してしまう。 大方何処かで道草でも食っているのだろう、一足先に行ってしまった自分と厄介事を抱えているであろうルイズたちのやりとりを何処かで観戦しながら。 (予想はしてたけど、やっぱりあの黒白に一杯喰わされたわねぇ…) 内心呟きつつも、あの黒白がやってきたら鳩尾に拳骨の一発でもぶち込んでやろうかと霊夢は思った。 そんな時であった。突然現れた霊夢に面喰ってしまったアンリエッタが口を開いたのは。 「あ、あの?…すいません、レイムさん…」 「……?何よ?」 「やっぱり、その…もしかしてなくても、私の話を、屋根の上で耳にしたんですよね…?」 どこか心配そうな表情を浮かべているアンリエッタからの質問に、軽いため息をついてから答える。 「まぁ、結婚式云々の事は放っておくにしても…アイツらやウェールズの事となるとねぇ…」 そう言った彼女の顔には、小難しいことを考えていそうな渋い表情が浮かんでいる。 かつてアンリエッタが学院に持ち運んできてくれた幻想郷縁起のおかげで、足を運ぶことになったアルビオン。 成り行きでルイズと合流し、結果レコン・キスタやスパイであったワルドと戦った挙句に皇太子のウェールズには返しようのない借りがある。 別に霊夢自身そういった貸し借りを余程大事にする事は無いが、あの皇太子と王女様が相思相愛だったというのは容易に想像できる。 だからこそ王女という足枷に動きを封じられ、復讐と抑制の狭間で右往左往して涙するアンリエッタの事をどうにも放っておくことができなかった。 (使い魔として召喚されるといい、今回の事といい…つくづく私は不幸の星の下に生まれて来たわね…) 博麗の巫女としての性と、少女としての自分に根付く好奇心…その両方を軽く呪いつつも、霊夢はまたもやため息をつく。 それからフッと頭を上げて、夜空に浮かぶ星々を目にしながらいつもの気怠そうな表情で言った。 「でも…アンタとは違って私にはそういう経験が無いし、アンタの隣に立って言えるような事なんて何一つないわ」 霊夢の口から出た言葉にアンリエッタは「そうですか…」と言って悲観に暮れる顔を俯かせる。 流石の霊夢でも駄目だったか。ルイズはそう思い、意気消沈した幼馴染の姿を見て何もできない自分に歯痒さを感じてしまう。 やはり第二者でしかない自分たちには、彼女が抱えている気持ちを理解することはできないのだろうか? しかし、そんな二人を余所に星空を見上げ続けていた霊夢は「でも…」という言葉を皮切りに、ゆっくりと喋り始めた。 「仮にもの話だけど、私がアンタの立場なら空の上にいるアイツ等をとっちめに行ってやるかもね」 その言葉にアンリエッタが目を丸くして顔を上げ、ルイズもハッとした表情で霊夢の方を見やる。 相変わらず夜空に目を向けている彼女であったがその顔は至って真剣なモノへと変わっており、目も笑っていない。 さっきまで気だるげな顔だっのに、一体どうしたのかとルイズが訝しみつつも今の状況打破し欲しいと願うしかなかった。 「人の恋人ごとその国を滅ぼした挙句に、今度は武力を盾にアンタたちの国を脅してるのよね? だったら二度とそんな真似が出来ないように、ボッコボコに退治してとっちめてやればいいのよ」 「―――え、えぇ…?」 「ボ、ボッコボコ…って、アンタ…」 そこまで聞いたところでアンリエッタが困惑気味な声を上げ、ルイズは目を丸くして霊夢が口にした言葉をうまく理解できていなかった。 確かに解決方法の一つとしては実に単純明快なのだろうが、それができれば苦労はしない。 アンリエッタは確かに復讐を望んではいるが、そうなれば手段はアルビオンとの戦争に至ってしまう。 彼女は恋人…それも公にできぬ人の仇を取る為だけに、戦力差がありすぎるアルビオンとの戦争を忌避しているのだ。 「ちょ、ちょっとレイム!アンタ、私達の話を聞いてたって言ってたわよね? 姫さまは確かにウェールズ様の仇を取りたいとは思ってるけど、そうなったら戦争になっちゃうのよ? 自分の復讐だけで起こす戦争で、多くの無関係な人が死ぬのを姫さまは恐れているの!分かる!?」 やや興奮気味に捲し立てたルイズの説明に、霊夢は多少引きながらも「ありゃ?そうなの…?」とアンリエッタに聞いてみた。 アンリエッタはそれに無言で頷き、それが肯定の意だと理解した霊夢はふ~ん…とやや興味なさげな表情を浮かべる。 分かっているのかいないのか、それがイマイチ分からないルイズは呆れたとでも言いたげなため息をつく。 しかし…そんなルイズを見て何か言いたい事でも思い浮かんだのだろうか、霊夢が一拍子おいて話しかけてきた。 「じゃあどうするのよ?…このままおめおめと泣き寝入りして、したくもない相手との結婚をしちゃうワケ?」 「…えっ?そ、それは…仕方ないじゃない、姫さまは王族なんだから…好きな相手と結ばれる事は少ないのよ」 望まぬ相手と結婚するであうろアンリエッタを見やりつつ、ルイズは申し訳なさそうに言う。 一方の霊夢は、そんな理由など知らんと言わんばかりの言葉を次々と口から紡ぎ出していく。 「人生で不条理な目にあって、その度にいちいち仕方ないで全部済ませてたら、死んだも同然の人生しかないわよ。 良い?人の一生なんてあっという間に終わる。その間に楽があれば当然の様に苦もある。無論、不条理なことも…。 けれどその不条理を全部仕方ないで済ませてたら、気づいた時にはそれまでに得たモノを全て失う羽目になってるかもね?」 真剣さと気だるげな気持ちが混ざった表情で喋り終えた霊夢に、ルイズは言葉を詰まらせてしまう。 彼女が語ったのはあくまで一人の人間の人生の話であり、生まれたときから貴族階級の頂点に立つアンリエッタはそれに当てはまらない。 王族ともなれば政略結婚や政争、宮廷内の謀略に巻き込まれて不条理な生き方をした者たちも数多くいる。 それは決して抗えぬ事であり、酷い言い方かもしれないが王族としての責務であり宿命でもあるのだ。 しかし…霊夢の言葉は王族であるアンリエッタを一人の゛人間゛として見ている事を意味しているのだと、ルイズは察する事ができた。 だからこそ王族という前提を無視して、彼女は話を進められているのだ。自分やアンリエッタとは違って。 そこまで考えたルイズはしかし、霊夢の言葉に同意できるほどハルケギニアの常識を捨ててはいなかった。 (けれど、そんな不条理を飲んで生きていくしかないのが王族なのよ…) アンリエッタの抱える逃れられない宿命を思いながらも、ルイズはキッと表情をきつくしてから口を開く。 「確かにそうかもしれない。だけども、そういう使命を背負って生き行くのが王族なの。それが此処での現実というヤツよ」 「それはアンタたちの視野が狭すぎるから、それしかないと錯覚しちゃってるだけじゃない。馬鹿らしいわね」 「なんですって…?」 身勝手ともとれる霊夢の言動にルイズはいら立ちを募らせてきたのか、その顔がより一層険しくなる。 王族という籠の中でしか生きられない鳥であるアンリエッタの事など、さほど気にもしていないような霊夢の見解。 幼い頃からアンリエッタの傍にいたルイズにとって、無遠慮な発言をする巫女を放っておくことなどできはしない。 対して霊夢はさほど気にならんと言わんばかりの涼しい表情を浮かべながら、ルイズと睨み合っていた。 そんな時であった。まるで山奥から怒涛の勢いで下ってくる水流の如き仲裁を図ってきた者が現れたのは。 「ま、待ってください…!何も私の事でお二人が喧嘩するなどあってはなりません!」 「…なっ、ひ…姫さま」 流石にこの雰囲気は不味いと察したのか、二人の間に分かつかのようにアンリエッタが間に入ってきた。 まるでゴールテープを切っていくマラソン選手の様に両腕を広げた姫殿下の御姿など、滅多に見られるものではないだろう。 一触即発気味であったルイズは突然の仲裁に思わず面喰らい、霊夢はただ何も言わずにスッと後ろに下がった。 ひとまず最悪の事態は回避できたと判断したアンリエッタは、ルイズと霊夢の二人を交互に見やりながら喋り出す。 「落ち着いて下さい二人とも…。私が悪いんです、私が…自分で解決すべき悩みを他人に頼ろうとしたばっかりに…」 「そんな事はありませんわ姫さま…!この私の考えが至らぬばかりに…」 (やっぱ関わらなきゃよかったかしら?…面倒くさいにも程があるわねぇ、このお姫さまは) 未だネガティブ思考から抜け出せぬアンリエッタを、妙案が未だに思い浮かばないルイズが慰めようとする。 そんな堂々巡りである二人を見てやる気が落ちたのか、霊夢は盛大なため息をついてから踵を返した。 自分の事を一向に決められず、何度も何度も悲観に暮れては他者に頼るしかない人間の相手をしていたら日が昇ってしまう。 (…というか、私をここへ誘った当の本人はドコ行ったってのよ…?あの泥棒魔法使いめ) ふと夜空を見上げつつも、こんな面倒事を見つけてくれた挙句に姿を隠した黒白に悪態をついた時であった。 「あっ…コラ、レイム!アンタ一人だけ言うだけ言って、帰るつもりなんじゃないでしょうね!?」 溜め息で気づいたルイズがその体から怒気を発しつつ、自分たちに背中を見せている霊夢に向かって怒鳴る。 しかしその怒鳴り声に身を竦ませるどころか振り向くこともせずに、霊夢はポツリと言った。 「アンタも程々にしといた方が良いわよ?何かあればメソメソ泣いたり、自分が悪いって言ってばかりのような人間の相手なんて」 「――――……ッ!!、あ、あ、あ、アンタねぇ…!!!」 さすがにこの一言で堪忍袋の緒が切れたのか、キッと目を鋭くさせたルイズは腰に差した杖を抜いた。 鳶色の瞳に怒りを滲ませ、杖の先を自身の使い魔であり巫女である霊夢の背中に迷いなく向けている。 「る、ルイズ…!いくら何でもそれは…」 「大丈夫です姫さま。できる限り調節して、アイツだけが煤だらけになるようにしますから…!」 アンリエッタからの制止されようが、怒り心頭であるはずのルイズは異様に冷めた声でそう返す。 杖を向けられている霊夢本人もルイズからの気配で察したのか、本日何度目かになるため息をついて後ろを振り向こうとした時―――― 「おぉ!色々と時間を掛けてやって来て見れば、何やら面白いことが起こりそうじゃないかッ!」 ふと対峙しようとした二人の頭上から聞き覚えのある知人の、楽しげな声が聞こえてきた。 嬉しそうに弾んだ調子のソレには、まるでサーカスの大道芸を前にしてはしゃぐ子供の様な無邪気さがある。 突然の声を耳にしたルイズとアンリエッタははハッとした表情を浮かべ、霊夢は「アイツめぇ…」とでも言いたげな苦々しい表情で頭を上げる直前… 小さな風を起こしながらも、庭園の柔らかい芝生の上に箒を手にした黒白の魔法使いこと魔理沙が降り立ってきた。 その背中にはいつの間にかデルフを担いでおり、恐らくアレを取りに行って時間でも掛けたのだろうか。 「待たせたなぁ三人とも。面白い話限定でなら、この魔理沙さんが相談に乗ってやるぜ!」 丁度ルイズと霊夢の間に着地した魔理沙が得意気に言った後に、彼女が背中に担いでいるデルフが喋った。 『何でぇマリサ、面白そうな厄介ごとがあると聞いてみりゃレイムに娘っ子…おっと、お前さんの言うとおりお姫様までいるじゃねぇか』 金具の部分をカチカチとやかましく鳴らしながら、デルフが少しエコーの掛かった声でそう言う。 それに対し魔理沙は既に浮かべている笑顔をより一層輝かせながら「だろ、だろ?」と嬉しそうに返した。 一方、そんな一人と一本の乱入者の流れ、というか雰囲気についてこれない三人がいた。 「ま、マリサ…アンタ…」 ルイズは霊夢と意見の違いで睨み合おうとした最中に、突然自分と彼女の間に図々しく表れた魔理沙に目を丸くしていた。 霊夢の話が正しければ、こんな事になったのも彼女が原因らしいのだが、当の本人は凄く楽しそうにしている。 まるで偶然通りがかった広場で、ピエロが大道芸をしているのを発見した子供の様な、嬉しそうな表情を浮かべていた。 一体何を期待して私と姫様の間に入ろうとしたのか?それを問おうとしたルイズが声を上げようとした時、それを遮るように魔理沙が喋り出す。 「おぉルイズ。さっきお姫さまと何か色々と面白そうな相談事してただろ?良ければ是非私にも教えてくれよ」 元気そうな笑顔を浮かべて空気も読まず…というよりも読む気すらない彼女の言葉にルイズはただただ目を丸くして何も言えずにいる。 アンリエッタはアンリエッタで突然の乱入者にビックリして、ルイズ同様その口から言葉が出ない状態となってしまった。 一方で、自分の好奇心を刺激してくれた二人が何も言わない事に状況を把握してない魔理沙は身勝手不満を感じていた。 「何だ何だ、私が来た途端に二人して黙るなんて?何か良からぬ話でもしてたのか?主に私方面の…―――って、うぉっ!?」 流石に空気を読まない魔理沙の行動を見かねたのか、その背中を見せつけられていた霊夢がさりげなく彼女の口を止めた。 止めたと言ってもただ単に左手で後ろ襟を掴んで強く引っ張っただけなのだが、それでも効果はあったようだ。 「何一人ペラペラと話してるのよ?この黒白!」 「ったく、だれか思えば霊夢かよ?…まぁ、お前が先に行ってくれたおかげで色々楽しいことになってるけどな」 「…は?アンタ今何て?……霊夢を先に行かせたですって?」 この場では失言としか言いようのない言葉を耳にしたルイズが、魔理沙の方へと詰め寄る。 魔理沙は一瞬だけ怪訝な表情を浮かべると、詰め寄ってきたルイズの方へと体を向け得意気な顔になって喋り出した。 「おうよ。さっき上の階からお前とお姫さまが話してたのを偶然見かけてな、それで何か面白そうだな~っと思っ…―――――」 「そりゃぁっ!!」 魔理沙がそこから先の言葉を言うよりも速く、 そして正確無比な制度でもってルイズの左ストレートが不躾な魔法使いの鳩尾に、容赦なくぶちこまれた。 悲鳴や呻き声を上げる間もなく、ルイズの一撃を喰らった魔理沙はそのまま背中から倒れる。 一見すれば死んだかのように思えるが、ピクピクと痙攣しつつも体が上下しているので気を失っているだけだろう。 「まぁ、今のは魔理沙が悪いわね」 仰向けに倒れた知人を見下ろしながら、霊夢が冷めた口調でそう言う。 『何だか良く知らんが…ま、確かにマリサが悪そうだな。ところで、誰かオレっちをそのマリサの背中から引っ張ってくれないか?』 魔理沙の背中からデルフもそう言って、ついでと言わんばかりに助けを乞うた。 それから一分と経つまもなく、霊夢が地面に倒れた魔理沙を起こす羽目となった。 流石に蹴飛ばして起こすのもなんだと思ったのだろうか、顔をペシペシと叩いて目を覚まさせる事となったが。 「ホラ、さっさと立ちなさいよ。面倒かけさせないでよね」 「ぅ、うぅ~、…何だって私がこんな目に…」 気絶から目を覚ました魔理沙はルイズから受けた突然の暴力を思い出しつつ、殴られた鳩尾を摩りながら呻いた。 受けた本人は、これが自らの好奇心が招いた結果だとは到底思っていないようである。 『イヤ~娘っ子からの話じゃあ、どう考えても悪いのはお前さんだと思うがね?』 「何だよデルフ?お前までルイズたちの味方になるのかよ」 魔理沙の心の内を読み取ったかのように、霊夢が左手に持っているデルフがカチャカチャ音を立てて喋る。 そんなインテリジェンスソードに、ようやく立ち上がることのできた魔理沙がそう言いながら苦々しい目で睨む。 目があるのかどうかも分からないデルフは魔理沙の睨みに対し笑っているのか、プルプルと鞘越しの刀身を震わせた。 『オレっちとしちゃあ、面白いモンが見れればそれに越したことはないんでね』 「こいつめぇ……って、うぉわッ!?」 悪びれもしないデルフに魔理沙が悪態をつこうとした時、後ろにいたルイズが彼女の後ろ袖を遠慮なく引っ張ってきた。 またもや後ろから引っ張られた魔法使いは何かと思って後ろを振り向くと、鋭い目つきをしたメイジが彼女を睨んでいた。 「ちょっとマリサ!そんな剣に構う暇があるなら、姫さまに謝りの一言でも言ったらどうなのよ?」 ルイズは冷静に、しかし確実に怒っている口調でそう言ってきたので、魔理沙はアンリエッタの方へと体を向ける。 魔理沙の乱入から今に至るまでただひたすら状況に置いて行かれてしまった彼女は、少しおどおどした様子でルイズたち三人と一本を見つめている。 しかし当の本人はあまり反省してなさそうな表情を浮かべつつ、鳩尾を押さえながら言った。 「う~ん…謝れって言われても、私はただここに泊めもらってる恩を返そうと思っただけなんだかなぁ」 「さっき上の階にいた時のアンタの顔、そんな事露にも思って無さそうな感じだったけど?」 「ついでに、さっき箒から降りて来た時も好奇心で突っ込んできた感じだったわね」 『お前さんは気付いてないだろうけど、オレっちを部屋から持っていく時に好奇心で殺される直前の猫みたいな顔してたぜ?』 言い訳がましい魔理沙の言葉に霊夢が突っ込みを入れて、ルイズがそれを肯定の意を述べた。 そしてついでと言わんばかりにデルフがそう言ったところで、今まで静かだったアンリエッタが口を開いた。 「あ、あの…二人とも、そんなに彼女の事を責めないであげてください」 「姫さま…!けれどコイツは…」 アンリエッタの口から出た許しを乞う言葉に、ルイズがためらいながらも反論の意を述べようとする。 しかしそれよりも先にアンリエッタが無言で首を横に振ることで、ルイズは何も言えなくなってしまう。 幼馴染が口を慎んだのを確認した後、アンリエッタがその口を開けてゆっくりと喋り出した。 「元はと言えば自分一人で解決すべき問題を、詔を考えている最中の貴女に振ってしまった私の責任です。 ですから好意で相談に乗ってくれたルイズ…そしてレイムさんと、マリサさんに頼ろうとしたのが間違いでしたわ」 あまりにも自虐的な印象が見えてしまうアンリエッタの謝罪に、すかさずルイズが反論しようとした。 そんな事はありません!とそう力強く叫ぼうとしたときであった…彼女の後ろから「そんなことはないさ」という言葉が聞こえてきたのは。 聞き覚えのある声に後ろを振り向いたとき、まだ鳩尾を押さえながらもしっかりと立っている魔理沙がアンリエッタを見つめていた。 顔はまだ笑顔のままであるが、さき程とは違いその笑みが好奇心由来のものではないという事だけはわかった。 それに気づいたルイズが彼女の名を呟くと、ルイズの方へ顔を向けてニコッと笑って喋り始める。 「今こうして王宮って立派で珍しい所に風呂付きで泊めさせて貰って、おまけに一日三食とおやつに紅茶までついてタダときた。 そこまでしてくれたヤツが悩んでいるところで見れば、流石の私だって気が引けてついつい相談にも乗りたくなるさ。 だからさ、これからも何か自分で解決できなさそうな悩み事とかあったら、この魔理沙さんに話してみてくれよな? まぁ、その日の気分次第だが…相談内容によっちゃあ博打の代打ちから妖怪退治まで何でもござれだぜ」 所々アンリエッタの知識に入っていない単語があったものの、彼女が自分に言いたい事だけは何となく理解できた。 「つまり…私に一宿一般の恩義を返すために、お礼がしたい…という事なのですね?」 アンリエッタからの言葉に、魔理沙は暫し口を閉ざしてからこう言った。 「まぁスッパリ切って要約するとそうなるな。あぁけど、さっきのは私の好奇心が七割ほどの原因だったけどな?」 「何よソレ!結局アンタの好奇心が原因じゃないッ!?」 魔理沙の口から潔く先程の事についての言葉が出ると、ルイズが勢いよく突っ込むと同時に飛びかかった。 急なことに流石の魔理沙も避けることはできず、つい口から「うぉっ!?」と素っ頓狂な声を上げてしまう。 彼女の上半身にしがみつくようにして組み付いたルイズに、流石の魔理沙も焦った様子でルイズに許しを乞い始める。 「わっちょっ…!おまえっ落着けルイズッ!話せば分かる、分かるからッ!!」 「分かるもんですかッ!この性悪黒白ォッ!」 「ちょ、ちょっと待って下さい二人とも!さすがにソレは危ないですよッ!?」 話せば分かると叫ぶ魔理沙に対し、絶対に許さんと言わんばかりにしがみつくルイズを見て、アンリエッタも止めに入る。 トリステイン王宮のど真ん中に位置する庭園で、出自の違う三人の少女達が喧嘩が元で絡まり合うという異様な光景。 きっとこれまでもこれからも、こんなおかしい光景に出合うという事は滅多にに無いであろう。 そんな三人を少し距離をおいた所で見ていた霊夢の耳に、デルフの声が入ってくる。 『何だ、随分おもしれー事になってるな!…で、お前さんは行かないのかい?』 「何かもうどうでも良くなったわ。ま、アイツが来てくれたおかげで…面倒事は楽に済んだ分良しとしましょうかね?」 イヤらしいデルフの言葉に霊夢は気だるげにそう言って、大きな欠伸を一つかました。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん アルビオン空軍工廠の街ロサイスは、首都ロンディニウムの郊外に位置している。 つい最近まで存在していた王家がこの国を治めていた頃から、王立空軍の工廠であった。 その為街全体が一つの工場となっており、街のアチコチで見える何本もの長い煙突が黒煙を空へと吐き出している。 アルビオンにある建物の中ではかなり大きい部類に入る製鉄所の隣には、木材が山と積まれた空き地が見えた。 製鉄所ほどではないが、赤レンガの大きな建物は空軍の発令所であり、その屋根には誇らしげに『レコン・キスタ』の三色の旗が翻っている。 だが、今のところここロサイスで一番目立っているのは発令所でも製鉄所でも無く、天を仰ぐばかりの大きな巨艦であった。 雨よけのための布が、旅のサーカス団が使うような巨大なテントのように、停泊した艦を覆っている。 アルビオン空軍本国艦隊旗艦『ロイヤル・ソヴリン(王権)号』――だがそれはもう旧名である。 『レキシントン号』――それがこの艦に付けられた新しい名前だ。 赤レンガが眩しい発令所の執務室に、二人の男女がデスク越しに向き合っていた。 「ふぅん…。私が留守にしている間、良くここまでの事が出来たわね。助かったわ」 デスクに負けず劣らず高級そうな回転椅子に腰掛けたシェフィールドが、ポツリと呟く。 彼女の冷たい視線の先にあるのは数枚の書類であり、一見する限り報告書のようである。 主な内容は先の戦の戦後処理などであり、具体的な戦死者数や雇った傭兵達に支払う料金の金額も記されていた。 そしてシェフィールドは、報告書が予想以上にうまく出来上がっている事を、若干嬉しく思った。 「いえいえ!貴方様のお手を煩わせぬようにと、一生懸命書き上げました!」 そんなシェフィールドと顔を合わせてデスクの前に立っている男、クロムウェルは思いっきり頭を下げて叫んだ。 このクロムウェルという男、一見すればただの司教に見えるが、実際は違う。 彼は此度の件で反乱を起こし、王党派を破滅に追いやった貴族派の指導者、オリバー・クロムウェルその人であった。 そして王とその一族が途絶えたこの国の新たな王として君臨する男でもあった。 今彼が座るべき椅子にふんぞり返って座っているシェフィールドは、彼の秘書である。 だが、いまこの光景を外で働いている将兵が見れば驚くに違いない。 この国を新たに治める皇帝が自分の秘書に頭を下げ、その秘書がタメ口で話しているのだから。 しかし、クロムウェルにとって目の前にいる秘書は、所謂『恩人』とも呼べる存在だ。 ※ 話せば長くなるが、クロムウェルという一人の司教が何故ここまで大きくたのにはちゃんとした理由がある。 始まりは二年前、届け物があってアルビオンから遙々ガリアの首都リュティスに赴いた時であった。 彼はちょっとした気まぐれで、酒場にいた物乞いに老人に一杯の酒を奢った。 安酒だが、物乞いには買えそうもないアルコール飲料を嬉しそうにチビチビと飲む老人はこう言った。 「司教、酒のお礼になにか一つ、願い事を叶えて差し上げよう。言ってごらんなさい」 もはや老い先長くもない老いぼれの口から出た予想外の言葉に、クロムウェルは笑みを浮かべて呟いた。 「そうだなぁ…――あぁ、王だ。アルビオン王家を滅ぼしてオレが新しい王になってみたい!」 「ほぅ…これまた珍しい。このようなご時世に王家を滅ぼして自ら王になりたいと?」 クロムウェルの言葉に、老人は興味津々と言いたげな笑顔を浮かべた。 その時のクロムウェルは酔っていた。酔っていたからこそとんでもない言葉が口から飛び出してしまう。 だが飛び出した言葉はそのまま冗談として空高く舞い上がることなく、老人の耳へと降り立った。 自分に酒を奢ってくれたこの司教の願い事を叶える為の、゛真実゛という名の竜となって…。 翌日――リュテイスの観光にでも行こうと部屋を出て一階のロビーに降りたとき、一人の女が声を掛けてきた。 「もし、そこの司教様?」 声から察するになかなかの美人だと感じたクロムウェルはそちらの方を振り向く。 そこにいたのは案の定美声に負けない程の美貌を持った黒髪の美女がいた。 ローブの上からでも分かる体のラインはちゃんとバランスが取れている。 しかし、体から発せられる雰囲気は冷たく、まるで大蛇に睨まれているようであった。 「…?私に何か御用でも?」 「えぇ御座いますよ。それもかなりお急ぎの御用でしてね…」 そんな美女に声を掛けられる覚えの無いその時のクロムウェルは、キョトンとした表情を浮かべていた。 だがクロムウェルの様子など気にも留めないのか、黒髪美女は喋りながらも彼に右手を差し出し、言った。 「ついてらっしゃいオリバー・クロムウェル。お前にアルビオン王家を滅ぼし、王になれる力を授けてやるわ」 これが、シェフィールドとの出会いであり、今の彼に至る人生の転機でもあった。 あれからもう早二年、念願適ってクロムウェルは自らが願った王になれる事が出来た。 無論その過程には色々と困難があったものの、シェフィールドの手助けで何とかやってこれた。 それらを思えばこの秘書に頭を下げる王の姿というのも、何処か納得できるモノがある。 ※ 一通り報告書を読み終えたシェフィールドは、手に持っていたそれをデスクの上に置いた。 「とりあえず今後の事だけれども…ちゃんと準備は出来ているのかしら?」 シェフィールドの言葉に、クロムウェルは水飲み鳥の如くへこへことお辞儀をする。 「えぇそれはもう!貴方様の持ってきてくれた計画書の通りに。…部隊の編成もじき終わります!」 アルビオン初代皇帝のコミカルな動きにシェフィールドは鼻で笑いながらも、口を開く。 「へぇ…でもそう簡単にうまくいくのかしらねぇ…。中には怪しんだ奴もいたんじゃない?」 その言葉を聞いた瞬間、クロムウェルは上下に動かしていた頭をピタリと止めた。 前に突進すればシェフィールドの腹に頭突きをぶち込ませる位置で止まった頭が、ゆっくりと上がる。 そして、上がった先にあったクロムウェルの顔には、意味深な笑みがうっすらと浮かんでいた。 「えぇ…確かに若手の将校共が一部異論を唱えましたが―――『コレ』で黙らせてやりましたよ」 そう言ってクロムウェルは、左手の中指にはめている指輪を右手の人差し指で軽く小突いた。 指輪の台座に嵌っている石は、まるで深い深い海の底と同じような色をしている。 それは見続けているだけで心を奪われてしまうような、美しくも危険な雰囲気を纏っていた。 クロムウェルの言っている意味を理解したシェフィールドは、その顔にハッキリとした笑みを浮かべた。 「上出来よクロムウェル。一国の主になったと理解したのかしら」 そう言った瞬間。コンコンという乾いたノックの音が部屋の中に響き渡った。 二人がそこで会話を止め、ノック音の発生源であるドアの方へ顔を向けた時、ドア越しに士官と思われる若い男の声が聞こえてくる。 「閣下!今日の会議に出席する者達が全員発令所に参られました!閣下もどうかご出席を!」 士官の言葉に、クロムウェルは二、三回軽く咳払いをした後、答えた。 「そうかそうか!では参ろうとするかな、我が国が今後行い政策を決める為に!」 低い、威厳に満ちた声は先程の強者に媚びへつらう痩せた司教のものではない。 そう…それはまるで、゛皇帝゛。数万の民と文武百官をその背に連れた皇帝のソレであった。 この国の今後を決める会議が行われようとしている発令所の向かい側には、二階建ての大きな倉庫がある。 倉庫の側面には旧アルビオン王国の紋章が描かれており、ここはかつて国が管理していた倉庫だと一目で分かる。 しかし周りにある建物と比べてみるとその倉庫だけ古びており、今も尚使われているという雰囲気はない。 倉庫の入り口である大きなゲートと各出入り口のドアには赤い鉄製のプレートが貼り付けられている。 雨風に当たってすっかり錆びてしまってはいるが、何とかプレートの書かれた文字は読むことが出来た。 ゛立ち入り禁止!倒壊の恐れあり!゛ 何年も前にあった爆発事故で閉鎖された倉庫に目を向ける者はこの一帯にはいない。 まだこの国が゛王国゛だった頃は取り壊しの案などが出ていたが、その王国もつい最近滅びた。 今やこの倉庫はそこにあるものの、誰から見向きされる事無くじっと佇んでいる。 もしこのまま何もされなければ、永遠とも言える時間の流れに身を任せてただの廃墟になるだろう。 しかし今日に限ってこの倉庫には久しい客がひとり、訪れていた。 ◆ その客は倉庫の二階にいた。 二階は事務室として使われていたのだろうか、一階と比べればかなり狭い部屋である。 机や椅子などは撤去されており、床も所々グズクズに腐っていて抜け落ちている箇所もある。 空気もジメジメとしており、既に役目を果たしていない亀裂だらけの天井から見える晴天と対照的な雰囲気を放っていた。 しかし女は、それを気にすることなくその部屋の窓から顔だけを出して何かを見つめていた。 彼女の視線の先には丁度発令所の執務室が丸見えであり、外いる者達はその事に誰も気づいていない。 当然発令所にいたシェフィートルドとクロムウェルも、その事に気づきはしなかった。 「あれがこの国の新しい指導者か。とんだ役者だな…――いや、人形か」 事の一部始終を見ていた女は、クロムウェルとシェフィールドのやり取りに対し、一言だけ呟いた。 亀裂だらけの天井から入ってくる陽の光に当てられた美しい金髪がキラキラと輝いている。 服装は長袖の白いブラウスに黒い長ズボンと、どうにも男にモテなさそうな服装だが、それで良かった。 彼女は所謂゛逆ナン゛の為にここまで来たのではなく、それどころか゛そこいらの人間゛にも興味は無かった。 「あんなのが皇帝では、この国は一年も経たずに終わりそうだ」 冷たい声でまたも呟き、彼女は自分の足下に置いてある大きなリュックの中へと手を伸ばす。 リュックは長旅などに用いられる軍用の物で、その中には幾つかの荷物や食料が入っていた。 何回か漁ってようやく目当ての物を見つけたのか、リュックの中から一冊のメモ帳を取り出した。 年季の入った牛革のメモ帳のページをペラペラとと捲り、真ん中辺りの所で止める。 そこには色々な事が書かれているが、その文字はハルケギニアで使われている物とは違う。 ここ『ハルケギニア大陸の存在する』世界とは『別の場所にある世界』では俗に「日本語」や「漢字」と呼ばれるものであった。 日本語と漢字で構成されたその内容はハルケギニア大陸各国の状況が事細かく記されている。 習慣、風習、宗教、政治、治安、軍備、経済、物価、伝統、食事、技術、人物…。 ありとあらゆる事が記されたそのメモ帳は、正に情報の宝庫とも言っていい。 そして驚くべき事に、この記録は彼女自身が直接見聞きして、記してきたのである。 「あんな人間が一人ここまで上り詰めたとは到底思えない。…今のところ、あの秘書が臭うな」 女はブツブツと呟きながらもいつの間にか手に持っていたペンで、すらすらとメモ帳に何かを書き始める。 その動きは速く、口が動くのと同時にペンがシュッシュッと音を立てて動き、記録を残していく。 やがて書き始めてから数秒もしない内にペンがメモ帳から離れ、新しい記録がそこに記された。 ゛アルビオンの新しい指導者となったオリバー・クロムウェルはただの小心者。 恐らく秘書を自称するシェフィールドが裏で暗躍したのだろうが、彼女単独の事とはとても思えない゛ 自分の書いた内容を今一度確認した後、女はメモ帳を閉じて鞄の中へと入れた。 その時であった、窓越しに何人もの男達の声が聞こえたのは。 ――…あ…に…女が!……発…所の方を…覗…てるぞ! ―――何…スパイ……知れん!引…捕らえるんだ! ――…いで鐘を鳴らせ!…周りの…に知らせ…いと! 声が途絶えた瞬間、辺りにカーンカーンと甲高い鐘の音が響き渡った。 これは見回りの兵士や歩哨などが持つ緊急事態用の小さな鐘で、周囲にやかましいくらいの音を響かせる。 それと同時に、それが鳴ったという事はそれ相応の緊急事態が起こったと他の兵士や将校に伝える事が出来るのだ。 事実鐘の音を耳にした何十人もの兵士達が、鐘の方へと走ってきていた。 「気づかれたか。まぁ別に良いのだがな」 一方の女はというと、すぐ傍にまで兵士が来ているというのに焦ることも恐れることもなかった。 ただリュックの口を紐で締めるとそれをゆっくりと担ぐと、その場でグルリ!と体を一回転させる。 一流ダンサーを思わせるような華麗な回転の後、何枚もの布が擦れる音が辺りに響いた。 ※ 「ここで間違いないな?」 上品ではあるもの、戦闘に適した服を着たメイジの士官が、後ろに入る下級士官に再度尋ねる。 「はい、先程二階から発令所を見ていた女がいるのをハッキリとこの目で見ました」 帽子を被り、その手に槍を持った伍長は上官の言葉に頷いた。 二人の周りには武器を持った数人の兵士と杖を持ったメイジがおり、誰もが緊張した表情を浮かべていた。 数分前、この倉庫の近くで緊急事態用の鐘が鳴り響いたのである。 発令所の方から駆けつけた将軍達が何事かと問いただしてみたところ、鐘を鳴らした伍長はこう応えた。 「大変です!あそこの倉庫の二階に発令所を見つめてメモをしていた女がいます!スパイかも知れません!」 ややけ興奮気味に喋る伍長の言葉に、将軍達はすぐさま気持ちを切り替えた。 先程までいざ会議という気持ちが嘘のように変わり、その場にいる兵士達にすぐさま指示を飛ばした。 そして今この倉庫に来ている者達はその指示を受け、まだ二階にいるかもしれない者が居るのか確認しに来ていた。 「良いか?訓練通りだぞ伍長、お前がドアを開ける…その後で私たちメイジ隊が中に突入する」 少し優しげな雰囲気を放つ上官の言葉に伍長は無言で頷き、次いでドアノブをゆっくりと捻った。 とっくの昔に鍵が壊れたドアのノブはすんなりと開き、瞬間伍長は勢いよくドアを開けた。 バタン!と勢いよくドアが壁に叩き付けられる音と共に数人の武装メイジ達が杖を構えて部屋の中に入った。 だがその瞬間、軽装のメイジ達は突然発生した空気の塊によって部屋の外に吹き飛ばされてしまった。 突然のことに、部屋の外で待機していた伍長含め平民出の兵士達は驚いた。 「なっ何だ…!?敵はメイジなのか…!それも風の…」 その場にいた一人の兵士がメイジ達の傍へと駆け寄るが、不幸なことにメイジ達は皆気絶していた。 まさかの事態に兵士達は狼狽え、誰も部屋の中を見ようとはしなかった。 「クソッ!お…おい、誰か銃を持ってないか!?メイジ相手の接近戦には銃が一番だ!」 彼らが思わぬ事態に慌てている中、部屋の中から女の声が聞こえた、 「いや、私はメイジじゃないぞ」 鋭く、ドスの利いた声を耳にした兵士達はすぐさま振り返る。 そこにいたのは――――「人」に限りなく近い姿をした「狐の亜人」であった。 白い導師服の上に青い前掛けを付けており、その前掛けには良くわからない記号の刺繍が施されている。 金髪が眩い頭には狐の耳を隠す為か白い頭巾を被り、その頭巾にこれまた謎の記号が書かれた紙を何枚も貼り付けていた。 顔は美しく均整が取れており、正に美人という言葉を体現したかのような美しさを持っていたが、浮かばせている表情は冷たい。 一見すれば異国の衣装を纏った狐の亜人であるが、兵士達が注目したのは亜人の「尻尾」であった。 太く、柔らかい毛並みを安易に想像できるその尻尾は天井の隙間から漏れる太陽光で、黄金に光っている。 もしあの尻尾だけを切り落としてその系統の好事家に見せれば、泣いて喜ぶに違いない。 しかし、兵士達が注目しているのは尻尾そのものではなく―――尻尾の数であった。 彼女の背後から見える大きな尻尾の数は九本―――そう九本であった。 一本だけでもかなり大きい狐の尻尾が九本、どれも立派な毛並みをしている。 そしてこれは兵士達の気のせいなのかも知れないが、その尻尾一本一本から禍々しい何かが漂っている気がした。 この大陸に様々な亜人はいるが尻尾を生やしている亜人は少ないし、生えていたとしても一本だけだ。 「それに…銃で殺される程、私は若くないんだが…?」 聞かれたわけではないが、狐の亜人は「誰か銃を持ってないか!?」と叫んでいた兵士に顔を向けて言った。 その瞬間、銃を求めていた兵士は「ヒゥッ…!」とか細い悲鳴を上げてバタリと倒れ、そのまま気を失ってしまった。 「む…、情けない奴め…。まぁ仕方ない、チンピラ程度の人間ならこれくらいで倒れて当然か」 狐の亜人は倒れてしまった兵士を見て目を細めたが、すぐに先程の冷たい表情に戻った。 他の兵士達はその亜人に攻撃を加えることも逃げる事も、それどころか喋ることも出来ずその場に立ちすくんでいる。 仮にも彼らは雇われた傭兵達とは違い、正規の士官学校で学び、死よりも辛い訓練を経た兵士である。 チンピラや盗賊はおろか、並みの傭兵にも引けを取らない彼らをチンピラ扱いしたのである、この亜人は。 「まぁ私とてここでは手荒にしたくないから、今日はこの辺りで帰らせて貰うよ」 狐の亜人は何処か見下した感じで言いながらゆっくりと兵士達に向かって歩き始める。 ギシュ…ギシュ…と湿り、半ば腐りかけている床が軋む音に兵士達は体をビクリと震わせた。 皆が皆その顔を蒼白にしており、恐怖を通り越した何かを感じていた。 「なぁに、怖れることはないさ。大抵の人間は私を見たら怖がるしな」 亜人は大袈裟に両手を横に広げ、兵士達との距離をドンドン詰めていく。 「もしそんなに怖れるのなら…笑い飛ばしてここにいない他人に言ってやればいいのさ」 もう兵士達と一メイルほどの距離に来たとき、狐の亜人―――八雲 藍は足を止めてこう言った。 「我ら一同、見事狐に化かされました。―――…ってね」 ◆ トリステイン魔法学院―――ルイズ・フランソワーズ・ド・ラ・ヴァリエールの部屋。 この学院内では、かなりの家名を持つ名家のお嬢様が寝泊まりしている部屋。 その部屋に置かれている、それなりに大きい本棚を一人の巫女が漁っていた。 どうやら本を探しているようなのだがお目当ての本が無かったのか、軽く一息つくと首を横に振った。 「ふぅ…無いわね。魔理沙が持ってきた本も探したんだけどね…」 巫女――霊夢は残念そうに言うとクルリと踵を返し、部屋の中を見回した。 本来は彼女を召喚したルイズの物であるこの部屋は、今や空き巣に入られたかのような悲惨な空間となっていた。 クローゼット箪笥、戸棚等々…開けられる場所は全て開放され、ルイズが大切に隠していた秘蔵の茶菓子が入った箱も幾つか発見していた。 つい数分前までは小綺麗だったこの部屋は、博麗霊夢というたった一人の人間が原因で、乱雑した雰囲気を放つ部屋と化してしまった。 最も、これが霊夢ではなく今この部屋のベッドで気を失っている魔理沙だったらもっと悲惨な空間となっていただろう。 「はぁ…これだけ探して無いとすれば。やっぱり気絶してる魔理沙が隠してるのか、もしくは紫が持ってったのかしらね…」 すでに探せる場所を探し終えた霊夢はそう呟き、今日何度目かになる溜め息をついた。 「…まぁ別に必要の無いモノだったけど…どうしてこうそういう時に限って見つからないのよ」 『そりゃお前さんが溜め息ばっかりついてるからじゃないか?』 霊夢のうんざりとした感じの独り言に、テーブルに置かれたデルフが応えた。 それに対して霊夢はキッと鋭い視線をデルフに向ける。 「溜め息をつくと幸せが逃げる…ってやつ?馬鹿馬鹿しいわね、だったら私は今頃不幸のどん底じゃないの」 霊夢の言葉がおかしかったのか、デルフはプルプルと刀身を震わせた。 『なーに言ってんだよレイム、オメーの服装センス自体が不幸さ。生まれついての不幸ってヤツさ』 デルフの遠慮のない一言は、絶賛不機嫌中の霊夢を怒らせるのに十分な起爆剤となった。 「へ~…成る程。じゃあアンタは、ちょっと衝撃を与えただけで壊れるような錆びた刀身になった事が不幸よね?」 霊夢はその顔に笑みを浮かべながらもえげつない事を呟くと懐を漁り始め、お札を手に取ろうとする。 それが何を意味するのか、ここ数日霊夢との会話で理解していたデルフはガタンガタンと刀身揺らしながら叫んだ。 『ワッ!やめろってオイ!…お前剣を殺す気か!?殺人ならぬ殺剣を犯すことになるぞ!えぇオイ!?』 哀れデルフリンガー、このまま霊夢お手製のお札で壊れてしまうのか…と思った瞬間。 「ん…むむむ…うぅん…うぅぅ…ん」 ふとベッドの方から呻き声と共に、今まで気絶していた魔理沙がようやく目を醒ました。 ゴシゴシと目を擦りながら眠たそうな顔で部屋を見回し、次いで大きな欠伸を一発かました。 「ふぁあぁ~…あれ?霊夢とデルフじゃないか…というかここってルイズの部屋だよな?」 半目がやけに可愛い顔でそう言いながらベッドから出ると、箪笥の上にあった帽子を手に取り、被った。 「おはよう魔理沙、アンタルイズに何かちょっかいでも掛けて殴られたんでしょう?」 「ん?…あぁそういえば突然ルイズに殴られたんだっけな…イテテ」 勘の良い霊夢に指摘された魔理沙はルイズに殴られた事を思い出し、その時の痛みが残っている額を撫でた。 「全く、アンタって余計な事さえ言わなきゃ割とマシなんだけどね」 目の前の白黒に呆れた霊夢の言葉に、魔理沙はムッとしつつも言い返す。 「失礼なヤツだぜ。私はタダ自分の好奇心に従ってただけさ!…ま、その結果がコレだけどな」 『格好良さそうな言葉を吐いてるつもりなんだが、イマイチ決まってねぇぞマリサ』 デルフはそう言いながら、プルプルとその刀身を震わせた。 ※ それから数十分後… とりあえず朝の掃除も終え、することが無かった霊夢はお茶を飲むことにした。 ついでいつもなら部屋にいない魔理沙も、折角だと言うことで霊夢のお茶を頂くことになった。 ベッドの上に置かれていたデルフはという、霊夢の手によってロープでグルグルに巻かれて喋ることが出来なくなったうえ、クローゼットの中に入れられた。 霊夢曰く、「四六時中喋られたら。休めるにも休めないのよ」…ということらしい。 ※ 「ふ~ん。そういやコルベールのヤツ、自分の掘っ立て小屋に色々変な物を置いてたわね」 霊夢は魔理沙の口から出る話を何となく聞きつつ、持参した自分の湯飲みに入れた緑茶を啜る。 先程まで開きっぱなし出会った部屋中の゛戸゛は全て閉じられ、元の綺麗でサッパリとした部屋に戻っている。 デルフが置かれていたテーブルにはこれまた霊夢が持参してきた急須に茶葉の入った袋が置かれていた。 ついでに、先程戸棚を開けた時に見つけたルイズ秘蔵の茶菓子も、ちゃっかりとテーブルの上に置かれていたりしている。 「それでよ、何となく気になった私は動かしてみたいと思ったんだが…ルイズに掴まれて結局何も出来ずじまいさ」 魔理沙は心底残念そうな表情を浮かべつつも霊夢の淹れてくれた緑茶を一口啜り、ルイズが隠していた茶菓子の一つであるクッキーを一枚手に取った。 ★ このクッキー、見た目は普通のチョコサンドクッキーではあるが、トリステイン王家の家紋である白百合のプリントがされている。 実はコレ、この学院に入ってきた入学生や無事に進級した生徒、そして卒業生しか貰えない学院からのプレゼントであった。 入学生達には歓迎の挨拶として、進級生達には新しい友達を迎える為に、卒業生達はここを巣立ってもあの時の気持ちを忘れないようにと… 実質的には単なる粗品だが、生徒達にとってこのクッキーはある種の特別な存在であった。 大抵の生徒達はクッキーをすぐに食べようとはせず特別嬉しい事があったり、友達を自分の部屋に迎え入れた時に食べるのである。 クッキーの入った箱には長期保冷用のマジックアイテムがついており、カビる心配もない。 味の方も、学院のコック長であるマルトーが腕によりを掛けて作ったこともあって非常に良い。 サクッとした食感に柔らかいバターの風味と、苦みよりも若干甘みの多いチョコクリームは正に一級の品である。 入学式の後にそれを一度食べたルイズも、受け取ったらすぐに食べる類の物ではないと気づき、今年は戸棚に入れて大事に保管していた。 戸棚から取り出して箱の蓋を開ける時――それは彼女にとってとても…とても大事な日を意味する。 ★ いつか来る青春の一ページを飾るであろうクッキーの一枚が…魔理沙の口の中へと入っていく。 サクサク…サクサク… 気持ちの良い音と共に粗食されるクッキーは、魔理沙の表情を緩ませた。 「ん~、なかなかイケるなこのクッキー。緑茶とはあまり相性が良くないが」 何処か多いような一言に、霊夢は表情を変えずに、クッキーを一つポイッと口の中に入れて粗食する。 サク…サク… 口に入れた瞬間、紅魔館や時折人里から妖怪退治のお礼にと貰う祝い物のそれとは違う代物だと霊夢は瞬時に理解する。 それと同時に、確かにこれは緑茶に合わないわね。と心の中で毒づいた。 「むぅ…確かに。これなら紅茶を…いや緑茶だから煎餅でも用意した方が良かったかしら。持ってきてないけど」 しかしあくまで緑茶の好きな霊夢は、紅茶を選ぶよりも緑茶を選んだ。 そんな巫女に、魔理沙は苦笑しつつも二枚目のクッキーは半分に割りつつその片方を口の中に入れる。 「ムグムグ…ゴク。…お前ってホント緑茶好きだよな、偶には紅茶の勉強でもしたらどうなんだ」 「アンタ神社の縁側でするアフタヌーンティーってそんなにステキだと思ってるの」 霊夢の言葉に、魔理沙は自らの脳内で想像してみた。 ある晴れた日の昼下がり、博麗神社の縁側。 白いティーカップの中には程よい熱さの紅茶、そのすぐ横にはサンドイッチやスコーンなどの軽食とお菓子。 そしてティーセットの傍には…神社の巫女である霊夢。 そこまで考えたとき、魔理沙は思わず吹き出してしまった。 「プッ…駄目だな。お前さんの神社にはやっぱりティーカップじゃなくて湯飲みが似合うよ」 急に吹き出した魔理沙に、霊夢は呆れた表情とジト目のダブルコンボを浴びせかけた。 「全く、どんな想像をしてたんだか―――――…あ、そういえば」 喋っている途中、ふと思い出した事があった霊夢は、真剣な表情になると魔理沙の方へ顔を向けた。 「魔理沙、ちよっと聞きたいことがあるんだけど?」 「ん?何だ霊夢。気が変わって紅茶の勉強でもしたくなったのか?」 魔理沙の勘違いに霊夢は何言ってのんよと突っ込みつつ、話を続ける。 「アンタがこの世界…というよりルイズの部屋に来てからここで日本語の本を見たことないかしら」 「本?」 「…本というより日記かしらねぇ。なんかこうボロボロで…汚れてた感じはするけど…見てない?」 霊夢の口からそんな言葉が出てくるとは全く思っていなかった魔理沙は、目を丸くしつつも首を横に振る。 「いや、そんな本なんて見たこと無いが…何だ霊夢、お前ここに来てから読書も趣味のひとつになったのか?」 魔理沙の茶化すような最後の言葉に、霊夢は素直に否定の意を述べる。 「違うわよ。ただちょっと遠出した際に気になったからちょっと部屋に持って帰ってきたんだけど、いつの間にか無くなってて―――」 そこまで言ったとき、ふと背後から聞こえてきたドアの開く音に、霊夢は口を止めて頭だけをそちらへ向けた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 今年初となる程の濃霧に包まれたトリスタニアは、街からずっと離れた場所から見ると霧の中に佇む遺跡群の様にも見える。 トリステイン王国の美術と技術が込められた街並みやその中心に位置する王宮も、霧の中ではその華やかさは上手く視認できないのだ。 『遠見』の魔法を自分の目に掛けたうえで望遠鏡を覗いて、ようやくブルドンネ街の建物が不鮮明に見える程だ。 王宮はトリスタニアにある建造物の中では一際大きいのだが、この濃霧の中では昼時であっても不気味な雰囲気を放っている。 無理もない。何せ、王都から徒歩で半日も掛かる山の頂上付近に造られた貴族御用達の別荘地から覗いているのだ。 見えるだけでも御の字であろう。 そして望遠鏡両手にタバサは思った。 自分はこんな人里離れた別荘地で、何をしているのかと。 隣で寝そべっている使い魔のシルフィードを余所に、望遠鏡でトリスタニアの王宮を覗き続ける自分に疑問を抱いていた。 本当ならばやむを得ぬ事情で前倒しとなった夏季休暇を機に、実家へ帰るつもりが唯一の友の手に引っ張られてこんな辺鄙な場所に来ている。 もう少し経てば夏季休暇を手に入れた王宮の貴族たちでごった返すここも、今はまだ閑散としていて人の気配は無い。 経費削減でシーズンにならなければ警備員は入ってこないと彼女は言っていたが、その情報はどこで仕入れたのだろうか? いつもの無表情でじっと望遠鏡を覗きながらも頭の中で疑問をグルグルと巡らせていると、後ろから声を掛けられた。 「タバサぁ~!ギーシュがお昼ごはんを作ってくれたわよ~」 二つ名である『微熱』に相応しい、活気と色気に満ちた自分とは対照的な唯一の友の声。 そして彼女が口にした単語の一つに、横になっていたシルフィードが頭をもたげると同時にタバサは後ろを振り向く。 案の定視界に移ったのは、友人のキュルケが一目で分かる程大きな胸を揺らしてこちら来ようとしている所であった。 褐色肌の顔に笑顔を浮かべる彼女の両手には、先ほど言っていだお昼ご飯゙であろう塩焼きにされた魚を刺した串が握られている。 「タニアマスの塩焼きだそうよ。ここら辺の川なら、素人でも簡単に釣れるんですって」 そう言って右手の二本―――程よい焼き加減のソレを差し出されたタバサは望遠鏡を足元に置いてから、遠慮することなく左の手で受け取る。 友人に受け取ったのを確認したキュルケは彼女の横にあるおおきな石に腰かけると、左手に持っていた一本にかぶりついた。 思いの外勢いのある友人に倣って、タバサも一本目の串を空いた右手で持つと豪快にかぶりつく。 やや淡泊味が強いものの塩との相性は良く、中々どうしてと思ってしまう程度には美味い。 その塩味が彼女の食欲を刺激したのか、目の色を僅かに変えたタバサはあっという間に一本目を平らげてしまう。 さて二本目を頂こうという所で、タバサは自分の横で待ち続けているシルフィードに気が付いた。 理性的な瞳がタバサが口にしようとしたタニアマスの塩焼きに向けられており、何かを言いたそうに口をモゴモゴさせている。 暫し二本目の焼かれた魚を凝視したタバサは、仕方ないと言わんばかりに小さなため息をつくと使い魔の口元に焼き魚を近づけた。 「ん~、美味しい!…それにしてもあのギーシュが釣りどころか、ワタ抜きや串打ちまでできるなんて初耳だったわねぇ~。 何でも領地が昔っから貧乏だとかで、兄弟そろって外で狩猟やら釣りとかしまくってたらしくてそれで鍛えられたのかしら?」 自分のをゆっくりと味わいつつ、口だけで器用に串から魚を引き抜くシルフィードを見ながらキュルケがぺちゃくちゃと喋っている。 タバサもそれに同意するかのように頷くともう一度後ろを振り返り、少し離れた所で焚火を囲っている二人の男女を見た。 「やっぱりタニアマスってのは、串に打って塩焼きにするのが一番良い食べ方だと僕は思うんだよ」 地面に差した串が倒れない様に見張っている金髪の少年―――ギーシュが、程よく焼けた一本を手に取った。 焚火のすぐ近くには同じように串打ちされたタニアマスが焼かれており、川魚特有の匂いを漂わせている。 「そおかしら?やっぱりこういう川魚は…ケホッ!すり身とかパイ包みで食べた方が美味しいと、思うけど…コホッ!」 そんな彼、もとい彼氏の言葉に怪訝な表情を浮かべた金髪ロールの少女――モンモランシーが、鼻を押さえながら言う。 川魚が焼かれる匂いか、はたまた煙たいのか口元を押さえつつも可愛らしい咳き込みをしている。 そう…今この場には、二週間前に偶然ルイズの部屋で鉢合わせした四人、 ――キュルケ、タバサ、モンモランシー、そしてギーシュの四人は今この別荘地で寂しい夏季休暇を過ごしていた。 今現在も王宮で匿われている、ルイズとその使い魔たちの動向を探る為に。 その為に今はまだ人っ子一人いない別荘地に忍び込み、こんなキャンプまがいの事をしているのであった。 本当なら街の中で張り込みをするべきなのだが、それではもしもの際にシルフィードを呼び出す事が困難になってしまう。 トリスタニアの上空は他の大型都市に倣ってしっかりとした警備体制が布かれており、幼体といえどもまず風竜は町の中に入ることは出来ない。 だからこんな山の頂上付近にある別荘地、それもシーズンオフで誰もいない所へ潜入して張り込んでいるのだ。 当初、キュルケに無理やり連れて来られたモンモンランシーは、「どうしてこんな所にいなきゃならないのよ!」と散々喚いていた。 しかし今では、近くにある川で綺麗な貝殻を探したり彼氏と一緒に釣りを楽しんだりでしっかりアウトドアを満喫している。 理由としては彼氏のギーシュがキュルケの意見に賛同している事と、その彼がちゃんとしたテントを街で借りてきたからだ。 ガリア陸軍でも採用しているという触れ込みのガリア製テントは、確かにどんなところに設置しても快適に過ごせる優れものだった。 レンタルといえどもその分値が張るのにも関わらず、自分の不満を取り除こうとしてくれるギーシュを無下にはできなかったのである。 それに彼女自身もルイズと霊夢、それにあの魔理沙の事は多少なりとも気にはなっていた。 「それにしても…この霧で本当に姫殿下の一団は出れるのかしらねえ…ムグッ…」 ギーシュから焼き上がったばかりの魚の串を受け取ったモンモランシーはそんな事を彼に聞きながら、一口頬張る。 キュルケとは違いおしとやかに魚の塩焼きにかぶりつく彼女を見つめながら、ギーシュはどうだろうね?と言いたげな首を横に振った。 「流石に式を三日後に控えたとあっては、無理にでも出発させなきゃならないけど…多分、今夜あたりには動くんじゃないかな?」 「ム…ッンッ!…まあ、その頃にはこの鬱陶しい濃霧も晴れてるでしょうしね」 一口目を丁寧に咀嚼し、飲み込んだモンモランシーはギーシュの意見にそう返すと、今度はキュルケの方へと視線を移した。 この張り込み計画を立案し、二週間経過しても尚その意思を保ったままである留学生は、タバサと仲良く肩を並べている。 その背中にモンモランシーが声を掛けようとした直前、それを察知したかのようにキュルケが一人先に口を開いた。 「心配しなくても、もしもあの三人までゲルマニアへ行く事になるのならその費用は私が持つわよ」 「ッ…!べ、別に私はそんな事聞いてないんですけどッ!?」 「声色で図星だってのがバレバレですわよ?」 咄嗟に叫んでしまったモンモランシーにそう返しながら二本目も平らげたキュルケが、頭と背骨だけが串に残ったソレをポイッと放り投げた。 あっという間に霧の中消えていった串は数秒置いて岩か何か硬いモノに当たったような音を、四人だけしかいない別荘地に響かせる。 「―――……見えた」 その音が響くのとほぼ同時であった、再度望遠鏡を覗き始めたタバサがポツリと呟いたのは。 タニアマスを一匹丸ごと呑み込んでご満悦のシルフィードがその声に首を傾げ、その次に反応したのはキュルケだった。 彼女は友人の呟いた言葉が何を意味しているのかそれを一番よく理解している。 「ちょっと貸して!」 咄嗟に目の色が変わった彼女はタバサの手から望遠鏡を掻っ攫うように取ると、素早く覗き込んだ。 タバサの声に気付いてか、焚火を囲っていたギーシュとモンモランシーも腰を上げて、早足でキュルケ達の方へ近づいてくる。 望遠鏡を覗くキュルケの視線の先にあるのは、トリステインの中心部である王宮。その上空であったが霧が深くてタバサの見えたであろう゛モノ゛が見えない。 それを察してか、遠見の魔法を両手の空いたタバサがキュルケの目に掛けて、彼女の目の倍率を上げた。 望遠鏡のレンズ越して、目に映ってきたのは霧の中王宮から飛び立っていく三つの人影。 その内の一つ、黒と白の人影に寄り添うようにしてしがみ付いているピンク色のブロンドを目にしたキュルケが、口元をニヤッと歪ませる。 「……とうとう姿を現したわね。―――――ルイズ」 望遠鏡を下ろしたキュルケがそう呟いた直後、タバサは甲高い口笛を短く吹く。 それは使い魔であるシルフィードへの、出発を知らせる合図であった。 ドアの向こうからは何も聞こえてこない。生きている者たちの気配や、゛奴ら゛の不気味な吐息さえも。 シエスタはそれ程分厚いとは言えないドアに近づけていた耳をそっと離してから、ゆっくりと後ろに下がり始めた。 学院で履いているローファーとは違い木の靴なので、ゆっくりと地面を擦るようにしてドアから距離を取ろうとする。 もしもここで足音を出してしまえば、足音を聞きつけた゛奴ら゛――ー名前も知らない怪物たちを招き入れさせてしまうかもしれない。 ましてや今ここにいる大勢の人たちすらその最悪の事態に巻き込んでしまうと考えれば、自然と摺り足で下がってしまう。 そうして器用な摺り足でドアから充分に離れた彼女はクルリと踵を返し、ゆっくりとした足取りで幼い弟妹達の元へと戻っていく。 「お姉ちゃん…」 「大丈夫、大丈夫よ。きっとお父さんとお母さんは安全な所にいるから…ね?」 まだ思考も体も未発達な子供たちは、今自分たちが置かれている状況に心底疲れ切っている。 無理もない。何せ今日という一日はシエスタを含め、タルブ村に住む多くの人々が危険な目にあったのだ。 思い返せば今日の未明、突如ラ・ロシェールの方から聞こえてきた激しい大砲の音でシエスタは目を覚ました。 二週間前。急遽前倒しとなった夏季休暇で故郷のタルブ村に戻って来ていた彼女にとって、その音は目覚ましとしてはかなり過激であった。 慌ててベッドから飛び起き、ほぼ同時に起きた家族全員で家の外に出て何が起こったのか確認しようとした。 そして、ドアを開けた先に見えたのは…濃霧の中、炎を上げて山の方へと墜落していく一隻の軍艦だったのである。 目視ではどの勢力かは分からなかったものの、望遠鏡で覗いていた村人が「ありゃアルビオンの軍艦だ!水兵が沢山飛び降りてる!」と叫んでくれた。 どうしてこんな所にアルビオンの軍艦が…?多くの村人がそう思ったが、ふと数日前に聞いた゛親善訪問゛の事を何人かが思い出した。 ラ・ロシェールの上空において大使を乗せた神聖アルビオン共和国の艦隊が、アンリエッタ王女の結婚式へ参加するためにやってくると。 そして出迎えに来たトリステイン艦隊と共にゲルマニアへ行く予定だったのだが…、では何故アルビオンの軍艦が炎上しながら墜落したのか? 皆が飛び起きた砲撃音に、炎上墜落するアルビオンの軍艦。シエスタたちは口にしなかったものの、きっとその場にいた者たちの答えは同じだったに違いない。 皆が呆然とした表情を浮かべている中、村の入り口付近に住んでいる若者が大声で何かを叫んでいるのが聞こえてきた。 「おい大変だ!ラ・ロシェールの方から人が何十人も…!!」 彼の言葉にシエスタたちがそちらの方へ視線を移すと、村の中へ入ってくる町の人々の姿が見えた。 ラ・ロシェールの人々は皆が慌てた様子で村の入り口であるアーチをくぐり、近くにいた村人達に何かを言っている。 こいつは只事じゃないぞ…。シエスタの父親は一人呟き、町から逃げて来たであろう人々の元へと走り出した。 シエスタは母親の指示で寝巻きから私服に着替えると、タルブ村の領主であるアストン伯を呼びに彼の屋敷へと急いだ。 自宅から徒歩で十五分程離れた所にあるこじんまりと屋敷の入り口では、既に何人かのアストン伯御付の貴族たちが集まっていた。 「あの、すいません!アストン伯は…」 「おぉシエスタか、アストン伯は今起きたばかりで急いで準備している。…で、村の方はどうなってるんだ」 そこで足を止めた彼女は、彼らの中で最も最年長である者に声を掛けた。 声を掛けられた方もシエスタの事は知っていので、すぐに彼女の前へ出てきてそう答えた。 どうやら彼らも先程の砲撃音と山の方へ墜ちていった船の事は知っていたようで、タルブ村の事を聞いてきた。 ラ・ロシェールから逃げてきた人々が村へ駆け込んできたという趣旨を伝えると、すぐにでもここへ連れて来るんだと彼がその場で判断した。 「アレだけ派手にアルビオンの船が墜落していったんだ。間違いなく戦が起きる、そうすればここタルブ村も巻き込まれてしまうぞ」 彼の提案に、平民を領主様の屋敷に入れてもいいのか?と部下の貴族たちとシエスタは怪訝な表情を浮かべたが、それは当然とも言える。 本来なら主であるアストン伯に許可の一つでも貰うべきなのだろうが、彼は自身満々の表情でこう述べてくれた。 「なーに、あのお方とはもうウン十年と付き合ってるが…きっとオレと同じ事を言うだろうさ」 その後シエスタは別の貴族が手綱を握る馬に相乗りして村へと戻り、やってきた町の人々とタルブ村の皆に屋敷へ避難するよう伝えた。 ラ・ロシェールからやってきた人たちがいち早く屋敷への道を通っていく中、シエスタは家族が待つ家へと戻った。 貴重品他、例え家が無くなっても大丈夫な類のモノを街で買ってもらった高い旅行用鞄に急いで詰め込んでから、弟妹達を連れて屋敷へと急いだ。 「シエスタは子供たちを連れて先に行っててくれ、俺と母さんは家の戸締りをしてから屋敷へ向かう」 戸棚の中から家の財産等を袋に詰めていく父の言葉に素直に従い、シエスタはなるたけ急いでアストン伯の屋敷へと走った。 再び徒歩十五分の道をぐずる弟妹達を連れて歩き、屋敷へ戻るとあの最年長の御付貴族の言葉通り、避難場所として開放されていたのである。 「歩けぬ者は屋敷の中に入るんだ!大丈夫なものはこれから山道を通って、隣の町へ避難するように!」 「おい、お前!お前は歩けるだろ!?…安心しろ、俺たちも一緒に仲良く歩くからな?」 お年寄りや子供、幼児を抱えている母親は屋敷の中へと通されていき、健康な者は山を越えた先にある隣町へ避難させるらしい。 確かに領主様のお屋敷と言っても収容人数には限界があるし、何より中へ避難しても安全とは言い切れない。 しかし、シエスタはともかくとして弟妹達にはそこまで歩ける程の体力はまだついていない。 抱っこしようにも自分一人では複数人の子供を抱えて山を越えるというのはあまりにも無謀な行為だ。 自分の一つ下の弟であるジュリアンがいてくれれば協力して歩けるが、今はトリスタニアの飲食店で奉公していて村にはいない。 とにかく両親と合流しない事には山へは入れない。そう判断した彼女は下の子達を連れて、屋敷に一時的に避難できるかどうか頼んだのである。 それを屋敷の入り口で見張っていた御付の貴族に相談したところ、すんなりと了承をもらったのであった。 「幸い屋敷の中はまだまだスペースがあるしな、とりあえずロビーにでもいてくれ。お前の両親が来たら声を掛けてやるから」 数人いる御付貴族の中では最年少の彼にそう言われて、シエスタとその弟妹達は一時的ではあるが何とか屋敷に入る事が出来た。 しかし、それから三十分…一時間と経っても両親は来なかった。 心配する弟妹達を励まし、大丈夫…きっと来るからね?と囁くシエスタをよそに二人は来なかったのである。 それどころか――――彼女たちは予想もしていなかった事態に巻き込まれ、地下に追い詰められてしまった。 屋敷へと駆け込んでくるトリステイン軍の兵士たちに、彼らを追って村からやってきた名も知らぬおぞましい゛怪物゛たち。 化け物を見て悲鳴を上げる人々と、何とか協力して足止めをしてくれた貴族たちに、地下へ避難しなさいというアストン伯の叫び。 使用人たちの扇動の元、シエスタは泣きわめく弟妹達を連れて、両親たちはどうしたのかという心配を抱えて、彼女たちは隠れたのである。 本来ならば食糧庫として使われている、アストン伯の屋敷の地下倉庫へと。 弟妹達の元へと戻ったシエスタは、ふとここへ隠れてから大分時間が経ったんと一人思った。 懐中時計何て高価な品は持っていないし、何よりこの地下倉庫は外の明りが入らないので体内時計さえ狂いそうになってしまう。 とはいえ、一緒に避難してきた御付の貴族やトリステイン軍の貴族達が懐中時計を持っているので、お願いすれば今が何時か教えてくれる。 つい数分前に聞いた時は午後四時だと教えてくれた。つまりここへ隠れてから、少なくとも十時間近く経とうとしている事になるだろう。 仄かな灯りしかない薄暗い空間である地下倉庫には、シエスタたちを含めて計三十人近い人々が隠れている。 その殆どが山越えのできないお年寄りや乳幼児、その子供たちの母親に屋敷で働く使用人たちであった。 だがここにいるのは、化け物たちが現れる前に屋敷の中へ避難していた四十五人中の内三十人。 後の十五人はどうなったのか?それを口にすることはおろか、今は考えたくもないとシエスタは思っていた。 「ママ…いつまでココにいれば良いの?僕、もうこんな暗いところにはいるのはイヤだよ…」 「大丈夫よ?すぐに、すぐに軍の兵隊さんたちが助けに来てくれるからね?」 「坊や、救助が来るまで暗い所に耐えれば…ワシの様な一人前の男になれるぞ」 暗い場所が嫌なラ・ロシェール出身の男の子に母親が優しく諭し、一人の老人が励ましの言葉を贈っている。 老人はシエスタと同じくタルブ村の出身だ。 昔から猟師として山を駆け回っていたのだが、数年前に手元を狂わせた仲間の矢を膝に受けてしまい、今は平和に暮らしていた。 「お婆さん、水をお持ちしましたよ」 「あぁすまんねえ…。こんな平民の私に気を使ってくれるなんて…」 「いえ、この程度の事でしたならばいつでも声を掛けてくださいね?」 別の一角ではアストン伯の屋敷で働いている使用人のメイドが、老婆に水の入ったコップを手渡している。 ここは食糧庫である為保存食や一部の野菜、それに水などの蓄えは元から十分にあった。 なのでここに長い間閉じ込められて食料が…という問題がすぐに発生する事は無かったものの、他の問題は山積みである。 今その問題を、一緒に避難してきたアストン伯御付の貴族たちと、避難せざるを得なかったトリステイン軍の兵士たちが話し合っていた。 トリステイン軍は王軍国軍共に数人のメイジと平民の兵士が、倉庫の片隅で地図を広げて御付の貴族たちと会議をしている。 「外はあの化け物どもがうろついている筈です。この人数で気づかれずに通るのは無理だし、強行突破などもってのほか…」 「分かっている。ここ状況下での上策は二つ。救助が来るまで立て籠もるか、人を派遣して助けを呼びに行くか…だ」 国軍の貴族士官が王軍の貴族下士官の言葉を遮りつつ、これからどう動こうか考えていた。 その彼らの意見に乗るかのように、御付貴族の内一人が小さく右手を上げて地図に書かれたアストン伯の屋敷周辺を左手の指で小突いた。 「しかしどうする。外の状況が分からん以上、迂闊に外へ出るのは自殺行為だぞ?」 「やはり誰かが偵察に行き、周囲が安全かどうか確認するしかないですね。…畜生、アイツらさえいなけりゃなぁ…」 彼が提示した問題に、国軍所属の平民下士官が親指の爪を噛みながら悔しそうに地図を睨んでいる。 無理もない。彼ら軍人は力なき人々を守る為に訓練し、武器を手に戦うのが仕事だ。 それがあの正体不明の゛怪物゛達に一方的に襲われ、あっという間にラ・ロシェールとタルブ村を奪われてしまったのである。 「しかし、あの゛怪物゛どもはどこから来たのだ?突然森の中から襲ってきたが…」 国軍の貴族士官の言葉に、王軍の貴族下士官が怒りを抑えるように膝を叩きながら言った。 「あれはアルビオンの連中が用意したに違いありません。でなければ、我々トリステイン人以外を襲わないのはおかしいですよ」 「親善訪問を装って奇襲を仕掛けてきたうえにあんな怪物まで用意するとは、何て卑怯な奴らだ!」 「今はもしもの事を語っても仕方ない。とりあえず我々ができる事は、最低二組か三組で外の偵察をするべきだろう…」 あの゛化け物゛たちの件で脱線しかけた会議を、この中で最も階級が高いであろう王軍の貴族士官が直しつつ提案を出した。 そんな会議を耳に、目にしながら避難している人々は僅かな期待を抱いている。 本来なら表へ出て戦わずに半日も会議に費やしている軍人たちに、愚痴の一つでも飛ばすものである。 しかし、つい一時間程前まで、ドア越しにあの゛怪物゛たちの呼吸音や足音が微かに聞こえてきたのだ。外へ出ても状況が改善するとは思えない。 仮にメイジ達がドアの前で陣形を組んで魔法を連発しても、精神力が尽きれば魔法も撃てなくなる。 それどころか、屋敷の外に大量にいるであろう゛怪物゛たちをおびき寄せる事になったら、中にいる人々まで仲良く死ぬ事になるだろう。 だからこそ軍人達は待っていたのだ。諦めたであろう゛怪物゛達の音がドア越しに聞こえなくなるのを。 そして…ここへ避難してから半日ほど経ってから、遂にそのチャンスが巡ってきたのである。 「――――…~ッ!ゴホッ、コホッ…!」 シエスタが耳を使って貴族たちの会議をこっそり聞いていた時、すぐ傍から鼓膜に突き刺さる様な咳の音が入り込んできた。 突然の事に思わず身を竦ませた彼女は何かと思い、周りにいた人たちと一緒に聞こえてきた方へ顔を向ける。 咳が聞こえてきた先にいたのは、顔をうつむかせて口元を押さえるピンクブロンドが目立つ貴族の淑女であった。 どうやら先程咳き込んだのは彼女らしく、両手で口を塞いで咳の音がドアの外に聞こえないよう配慮してくれている。 シエスタたちとは少し離れた壁際で腰を下ろしている彼女の傍には、他に三つの人影が彼女と並ぶように倉庫の床に座っている。 その三つの中で最も小さい少女が心配そうな表情を浮かべて女性の背中を小さな両手で摩り始めた。 見慣れぬ子だと一瞬思ったシエスタは、今咳き込んでいる女性貴族が近隣の村から連れてきたワケありの子だと思い出す。 何でも記憶を失っている状態で村の人たちに保護され、何を思ってか今はその女の人が保護を引き継いだのだという。 シエスタは彼女たちがタルブへ付いてから暫くして帰省した為、詳しい事までは知らないでいる。 しかし聞くところによると、この村へ辿り着く前に色々と厄介な出来事に巻き込まれてしまったのだとか。 「カトレアおねえちゃん、大丈夫?」 「ケホッ…え、えぇ…。大丈夫よニナ、ありがとう」 背中を摩ってくれたニナに、カトレアと呼ばれた女性は苦しそうな顔に無理やり笑みを浮かべて少女の方へと向き直る。 頭が動くと同時に、綺麗でありながらどこか儚さも感じさせるピンクブロンドの髪も揺れる。 シエスタは何故かその髪を見ていると、奉公している学院で良くも悪くも目立っているルイズの事を思い出してしまう。 しかしカトレア自身がヴァリエールではなくフォンティーヌを名乗っている事もあってか、シエスタは彼女がルイズの姉だとは知らないでいた。 「本当にすまんのうミス・フォンティーヌ…。こうなると分かっていたならば、もっと倉庫を綺麗にしておけば良かったわい」 「そんな事を言わないで下さいアストン伯。私が堪えれば良いだけの話ですから、ね?」 そんな二人を見ながらもう一人の影―――この屋敷の主である老貴族のアストン伯が申し訳なさそうに小声で謝る。 五十代にタルブの領主として来るまで王都で働いていた彼は、名領主としてこれまで頑張ってきた。 王都の政治家共がほとほとイヤになったという理由で領主になった老貴族は、この村で出世など眼中にないと言いたげな生活を送っている。 彼の元で働く貴族たちもここでの暮らしに満足しており、結果的にそれがタルブ村を平和な村として発展させる事となった。 そして、今回の騒動では真っ先に屋敷を避難場所として開放してくれた良心ある貴族だ。 タルブへは旅行で来たのだというカトレアを屋敷に迎え入れた責任もあってか、今は叱られて部屋の隅で縮こまる犬の様にシュンとしている。 領主だというのに、成す術も無く今の様な状況に陥ってしまったことに後悔の念を抱いていたのだ。 「ワシがもう少し若かったら、タルブ村へ侵入してきた怪物どもに一太刀浴びせてやれるというのに…」 一人消え入りそうな蝋燭の如き声でそう言いいながら、腰に差したままの杖を一瞥して無念そうに首を横に振る。 その姿を見てカトレアだけではなく、シエスタやタルブ村の人たちも元から沈んでいた表情を更に深く沈ませてしまう。 ニナだけはそういった他人の感情をうまく読み取れないのか、首を傾げて周りの大人たちを見回している。 「…?どーしたんだろう、みんな…?」 「あまり気にすることは無いわよニナ。その内アンタも、イヤになるほどそういうのを理解できるようになるから」 ポツリと呟いた少女の言葉に、それまで黙っていた三つ目の影が―――刃物の様な鋭さを見せる女性の声でそう言った。 またもや聞き慣れぬ声を耳にしたシエスタがそちらの方へ顔を向けるも、三人目の姿はハッキリと見えない。 偶然にも灯りの届かぬ所に腰を下ろしているせいか、倉庫の暗さと相まって曖昧なシルエットとなっていた。 一方謎の女性に嗜められたニナはというと、口の中に種を入れ過ぎたリスの様に頬をプクーッと膨らませた。 それに続いて顔の表情もキョトンとしたモノから、少し怒っているかのように目の端を小さく吊り上げてみせる。 ニナはその顔に子供らしい怒りの表情が浮かび上がらせ、隣にいた三人目をジロッと睨み付けた。 「…?どうしたのよ、そんなハリセンボンみたいな顔して」 「もー、ハクレイは鈍感なんだからぁ。ニナはね、ひとりだけくーきを読めないハクレイに怒ってるんだよ?」 覚えたてなのか、慣れない言葉を使いながらもニナはハクレイと呼ばれた三人目に声を抑えて怒る。 怒られた方は何故かニナの言葉を上手く理解できてないのか、首を軽く傾げながら頬を膨らませた少女と見つめ合っていた。 しかしこの時、シエスタは目を見開いて体を硬直させていた。 ―――この村に帰ってきてからは決して聞くことの無かったであろう、とある少女の名前を聞いて。 (ハクレイ…?ハクレイって―――もしかして、あのハクレイ?) 一体どういう事なのか、単なる空耳だったのか?いや、違う…確かにハクレイと聞こえた、それは間違いない。 見知らぬ少女の口から唐突に出てきたその名前に、シエスタが今日何度目かになる動揺を感じていた時であった。 「こらこら…ニナ、そう突っかからないの」 一方的となっている怒りを露わにしているニナを宥めるかのように、カトレアがその小さな体を抱っこした。 突然持ち上げられた事にニナは目を丸くして驚いたが、すぐに彼女の方へ顔を向けて「えー…だって~」と愚痴を漏らしている。 そんな少女にカトレアは軽い苦笑いを浮かべる。しかし直後、その顔がサッと陰りを見せて… 「ンッ―――――…ゴホッ、ゴホッ!」 「…おねえちゃん!」 「だ、大丈夫…ゴホッ!大丈夫…だから…ゲホッ!!」 再び咳き込みだしたカトレアを見て目を丸くしたニナは、自主的に彼女から離れるとまた背中を擦り始めた。 しかし今度は先ほどの咳とは違い、ニナがその小さな両手を必死に動かしても一向に止まる気配が無い。 カトレア自身も両手で口を押えて、出来る限り大声を出さないようにしている。 悪化しているカトレアの容態にシエスタを含む周囲の者たちが心配し始めたとき、ハクレイと呼ばれた女性がその腰を上げた。 座っていた時は分からなかったが、いざ立ってみると思いの外身長が高かったことにシエスタは軽く驚いてしまう。 「どうやら、そろそろ薬の時間らしいわね」 「…薬?」 未だに灯りの外にいる所為かそのシルエットしか分からない女性の言葉に、シエスタはつい呟いてしまう。 それを耳にしたのか、カトレアの傍にいたアストン伯が「説明する必要は無いと、思っておったが…」と言ってからシエスタに話し始める。 「実はミス・フォンティーヌは生まれつき体が弱くてのぉ…、定期的に飲む薬が幾つかあるんじゃよ。 あの゛怪物゛たちから避難する際にその薬を持ち忘れてきてしまったものの、まだ大丈夫かと思っていたんじゃが…」 「まぁ、そうだったんですか…!」 領主様からの話にシエスタは納得するかのように頷くと、まだ咳き込んでいるカトレアを見遣った。 生まれつき病弱な人は確かにいるものの、彼女ほど極端な人間だと領地から出るだけでも大変に違いない。 カトレアとは正反対に健康に育ったシエスタは、自分では測りきれぬ彼女の痛ましい姿に同情せざるを得なかった。 「ミス・フォンティーヌ、どうなされましたか?」 そんな時だ。床に腰を下ろしている人々の間を、ゆっくりとかき分けて数人の貴族たちがやってきたのは。 アストン伯の御付貴族や軍人ではなく、彼らはカトレアの警護として雇われている者たちであった。 本来ならもう数十人いるものの、タルブ村へ着く前にいた村近辺に出現したコボルド対策のために不在だったのである。 その為本来ならあり得ない少人数で警護していたのだが、地下倉庫へ避難する際にはそれが幸いした。 「あの、すいません…実はミス・フォンティーヌにはお薬が必要だと…」 「確かに、もうすぐ薬の時間でしたが…参ったな。あまりにも急だった為、ミス・フォンティーヌの部屋に置いたままなのだ」 人のよさそうなカトレアの人選らしい、リーダーと思しき優しい顔つきの貴族がシエスタの言葉に顔を顰めた。 その表情からは、本来守るべき主人の危機に何もできない自分を歯痒く思っているのが分かる。 シエスタはそんな彼の顔を見てどうにかできないのかと思いつつ、ふとア頭の中で思いついた事を口に出す。 「あの、確か水系統の魔法で『癒し』というスペルがあると聞いた事があるのですが…」 「『癒し』か…。確かにそれが効けば問題ないのだが、残念ながらこのお方の病には効果が全くないのだよ…」 彼の言葉にシエスタはどういう事かと聞いてみたところ、快く説明してくれた。 カトレアは生まれつき体が弱いうえに、体の中に巣食う病魔は体内の至る所で複数発生しているのだという。 過去にはシエスタの言う水魔法で治療を試みた事もあったが、一つの病魔をそれで消しても別の病魔が反応して新しい病魔を一つ作り出すのだ。 それを消してもまた別のが反応して増え、ならば複数人でと挑んだところ…今度は全身の病魔が一斉に暴れ出して命に係わるという始末。 結局多くの医者が匙を投げ、今はほんの気休め程度の魔法と大量の投薬治療で何とか体を維持しているのだという。 「特に今の様に咳き込んでいるときに魔法を使うと、逆効果になってしまうんだ」 「そんな…」 説明を聞き終えたシエスタは両手を口で塞ぎ、見開いた目でまだ咳き込んでいるカトレアを見つめていた。 単に病弱だったというだけではなく、不治としか言いようのない病に侵されていたとは流石に想像もできなかった。 そんなシエスタを一瞥しつつ、彼女に説明していた貴族は何かを決心したかのような表情を浮かべて口を開く 「こうなっては仕方ない、私達の内何人かが倉庫から出て薬を取ってこなければミス・フォンティーヌの容態が危ない」 彼の言葉に周りにいた貴族たちがウム!止むを得ん!と次々に頷いた直後、あの女性が小さく右手を上げた。 未だ灯りの外で立っているハクレイが、まるで最初からこのタイミングを狙っていたかのように口を開いだのである。 「ならその役目、私が引き受けても良いかしら?」 「ハクレイ、それは駄目だ。我々メイジでさえ油断すればやられる相手だ、なまじ戦えるとしても…」 「カトレアは行く宛ての無い私を受け入れてくれたのよ。だったら、その恩に報いらないと気が―――ん?」 自ら志願した彼女を諌めている貴族と話していたハクレイは、ふとスカートを誰かに引っ張られてしまう。 何かと思って足元へと視線を向けると、右手で口を押えたカトレアが空いた左手で彼女のスカートを引っ張っていたのである。 必死に咳を抑えているのか何も喋らない彼女はしかし、必死な表情をハクレイや護衛の貴族たちへ向けて首を横に振っている。 お願い行かないで、危険すぎるわ!…そう言いたくて仕方がないカトレアにしかし、彼女はその場で屈み腰になった。 一体どうするのかとシエスタが思った直後、ハクレイは自分のスカートを引っ張ったカトレアを優しく抱擁したのである。 両腕を背中にゆっくりと回し、まるで壊れ物を抱きしめるかのようにそっと自分の方へと引き寄せる。 突然の行為に周囲にいた者たちは目を見開いて驚いたが、ニナだけは何が何だか分からないのか首を傾げていた。 一方で抱擁されたカトレアも彼らと同様に驚くと同時に、その耳にハクレイの声を間近で聞いていた。 「確かにアンタの言いたい事も分かるわ。自分の危険の為に、他人を更なる危機に晒すなんてね…。 だけど私は…得体の知れない私を受け入れてくれたアンタの為なら、自分の命なんて惜しくないって思えるのよ」 ハクレイの言葉にしかし、カトレアは何かを言いたかったのだろうがされよりも先に激しい咳が押さえた口から漏れてしまう。 そんな彼女に自分の左手で優しく背中を摩ってから抱擁を解くと、ハクレイハは静かに立ち上がる。 彼女の顔には外にいるであろう゛怪物゛達に対する恐怖など、微塵も見えなかった。 「何、私一人だけじゃ行けそうにないからそんな危険は目には遭わない筈よ」 「ならば私達も一緒に、外へ出してもらえるかな?」 だから私に任せときなさい?意気揚々にそう言った直後、どこからか全く別の女性の声が聞こえてきた。 突然の声にハクレイと周りの貴族たちが顔を向けて、ついでシエスタも続くようにして顔を動かす。 そこにいたのは、先ほどまで地図を睨んで会議をしていた軍人たちの内唯一の女性兵士であった。 明らかな意志の強さが窺える顔に前をパッツンと切り揃えた金髪が天井の灯りに照らされ、暗い倉庫の中でキラリと輝いている。 国軍兵士の服を着ているがマントを着用して無いことから、平民の兵士だと一目でわかる。 彼女の周りには上官や部下であろう平民の兵士や貴族の下士官たちもいた。 「あっ!貴女はあの時の…!」 シエスタは突然横槍を入れてきたその女性に酷く見覚えがあり、ついつい大声を上げてしまう。 それは忘れもしない二週間近く前の事、従姉妹であるジェシカとトリスタニアで遊んだ日の帰りの出来事。 空に舞い上がり、落ちてきた血染めの赤いリボン、それを手にした彼女はあの日あの女兵士――否、衛士と出会ったのだ。 それがどうして今は国軍兵士の服と装備を身にまとってここにいるのか、シエスタには分からなかった。 「ん?お、誰かと思えば…シエスタじゃないか。どうしてこんなところに?」 「アニエスさん、知り合いですか?」 一方でその女兵士―――アニエスもシエスタの事を覚えていたのか、彼女の顔を見て目を丸くした。 それを見て隣にいた若い国軍兵士が不思議に思ったのか、そんな事を聞いてくる。 アニエスは「ただの知り合いだよ、気にするな」と手短に返すと、改めてシエスタに話しかけた。 「これから我々の何人かが、隣町まで退避した王軍、国軍本隊へ連絡を取って救助部隊の派遣を乞う事にした。 この地域の地理に詳しく尚且つ歩くのに支障が無いお前には、ガイド兼証人として我々についてきてくれないだろうか?」 ここにいる最上階級の士官の言葉を代弁するアニエスの言葉に、シエスタは一瞬言葉を詰まらせた。 日を跨ぎ、赤と青の双月が西の方角へと傾き始める時間は宵闇が支配する不穏な世界。 トリステイン王国のラ・ロシェール近辺の山道には、朝から立ち込めていた霧の一部が残ってまるで幽霊の様に漂っていた。 闇に紛れる白い霧は文明の一端である灯りを遮ってしまい、闇の向こうに潜んでいるかもしれないモノ達の存在を曖昧にする。 ただでさえ人の視界が効かぬ空間に漂う霧は人々を恐怖へと掻きたて、闇は声なき笑い声を上げる。 故に人は古来から闇を無意識に怖れ忌み嫌い、または崇拝の対象として拝んできたのだ。 そんな闇が支配する森の中、まるで巨人の様に高い木々の間を縫うように三つの影が飛んでいる。 一番前を行くのは、カンテラを取り付けた箒に腰かけて優雅に飛行しているいかにもな服装をした魔法使いであった。 ハルケギニアでは時代遅れと言っても良いトンガリ帽子を被り、自身満々な笑みを浮かべた顔はただ真っ直ぐに自分の進路を見据えている。 彼女のうしろには同じように放棄に腰かけた学生服の少女がおり、ピンクブロンドの髪がカンテラの光で輝いている。 腰には今の主流である小ぶりな杖を腰に差しており、前に腰かけている少女の帽子とは対照的だ。 その二人の後を―――正確にはカンテラの光を追うようにして、紅白の変わった服を着た黒髪の少女が飛んでいる。 左手には変わった装飾を着けた長い杖、背中には鞘に差した剣を背負っているという物騒極まりない状態だ。 少女の顔はいかにも眠たそうであり、時折小さな欠伸を口から出しながら空いた右手でゴシゴシと目を擦っている。 無理もない。何せ今日は昼から深夜である今になるまで、ほぼ無休で飛び続けているという状態なのだ。 黒髪の彼女はこれまでも長時間飛び続けたことはあったものの、今日みたいに半日近くも飛んだのは初めての事であった。 無論途中で小休止を入れていたのだが、飛行時間と合わせると休んだ意味が無いと言っても等しい程の小休止なのである。 だけど、それも致し方ないと黒髪の少女は思っていた。 自分たちが休めば休むほど、これから向かうに先にいるであろう連中が手に負えなくなる。 そして本来なら守れた筈であろう命が不条理に奪われると想像すれば、自然と体が動いてしまうのだ。 だからこそ彼女たちは急いでいた、この森を抜けた先に見えるであろうタルブ村への山道を目指して…。 人々が眠りに付いている筈であろう深夜。タルブ村と近隣の町を繋ぐその山道は静まりかえっていた。 いつもなら虫の音や周囲を縄張りにしている山犬や狼たちの遠吠えも、今夜に限って全くと言っていい程耳にしない。 遠くの山から微かに聞こえてくるだけであり、今日の山は不気味なほどの静寂に包まれていた。 「ここよマリサ。そこの看板のところで箒を止めて頂戴!」 先頭を行く箒に跨った二人の内ピンクブロンドの少女――ルイズが、箒を操っていたトンガリ帽子の魔法使い―――魔理沙に指示を出す。 魔理沙はそれに「OK!」と短い言葉で答えると、カンテラの灯りに照らされた案内板の前で箒を勢いよく止めた。 主の意思で止められた箒は宙で軽く揺れた後にピタリと止まり、その場でフワフワ…と浮遊し始める。 箒が浮遊したのを確認してからルイズはよっ!と可愛い掛け声と共に地面へ着地する。 魔理沙は今まで被っていた帽子を外してふぅ!と一息ついてから、目の前にある看板へと目を向けた。 「え~と…何々?―――駄目だな、何て書いてるか分からないぜ」 「もうっ、だったらそんな素振りしないでよ。……うん、間違いないわね、道なりへ下ればタルブ村に着くわ」 魔理沙の横に立つルイズが看板に目を通してそう言うと、下へと続く山道へと鳶色の瞳を向ける。 箒の先端部に吊り下げているカンテラの灯りでは、どこまでこの道が続いているのか見当もつかない。 ここを治めているアストン伯はちゃんとした人柄の領主らしく、本来なら荒れている筈の山道はしっかりと整備が行き届いていた。 樺の通りならば、道なりに進んでいけばその老貴族の屋敷に辿り着くはずである。 「多分ちい姉様はその屋敷の何処かにいる筈よ、まだタルブ村にいればの話だけど…」 「でもお前のお姉さんは生まれつき体が弱いんだろ?だったらこんな山道を、隣町まで踏破するのは無理なんじゃないか?」 道中でカトレアの事をルイズから詳しく聞いていた魔理沙は、背後の上り道を見遣りながら呟く。 その言葉にルイズは「だから見に行かなきゃならないのよ」と咄嗟に返事をする。 つい三十分前に立ち寄った隣町で盗み聞きした避難民や軍の話が正しければ、まだタルブ近辺に大勢の人が残っている。 自力で脱出できない彼らは゛怪物゛達に見つからない場所に隠れて、救助を今か今かと待ち続けているに違いない。 「軍が隣町にまで下がっていて、しかも同じくタルブやラ・ロシェールから避難していたのは元気な人たちばかりだった。 あのちい姉様なら逃げ切れた人々に混ざって避難せず、逃げられずに隠れるしかない人たちの傍にいるに違いないわ」 半ば憶測と願望の混じったルイズの言葉に、魔理沙は「成程なぁ」と頷いて見せる。 確かにそういう酔狂な人間がいてもおかしくないと思っているし、現に自分がそうであるからと魔理沙は疑いもしなかった。 もしも彼女の言うような儚い命で聖人としての役割を全うしているような人間ならば、是非ともそのお顔を拝見したい。 闇を抱えた山道を意思の強い瞳で睨み続けるルイズの後姿を見ながら、魔理沙はそんな事を思っている。 『でもよ、一直線と言えども流石にこの夜中の山道を歩くってのは危険じゃねーか?』 霊夢が背中に担いでるデルフリンガーが鞘から少しだけ刀身を出すと、カチャカチャと音を立てながら言う。 確かに、それは間違ってないとルイズは一人思いつつも口では「無理は承知よ」と強気な言葉を返す。 「一直線ならこのまま下ればいいだけの事じゃない。分岐してる道とかが無い分、変に迷う心配もない筈だわ」 『そりゃまた勇敢なご意見だ!…ま、オレっちは自分じゃあ動けないし、移動するのはお前らに任せたよ?』 「はいはい、分かったから少しは静かにしなさいっての」 そこまで言った所で、後ろで耳に響くダミ声と金属音を鳴らされた霊夢は素早くデルフを鞘に戻した。 再び山道が静かになったところで霊夢はふぅと一息つくと、顔を上げてぐるりと周囲を見回す。 本来ならば夜中でも色々と喧しい筈なのに、闇に包まれたこの山の中は不自然な程静寂に筒まれている。 それが少し気になったのか、再び魔理沙の箒に腰かけようとしたルイズに向かって口を開いた。 「…ちょっといいかしらルイズ?」 「―――?…何よ?」 「変な事聞くけどさ、なーんか森の中が静かすぎやしない?」 妖怪退治を生業とする巫女さんにそんな事を言われて、ルイズと魔理沙は自分たちのいる場所の異常さに気付く。 ルイズと魔理沙、それに霊夢の三人は住んでいる場所の周りには自然が密集している状態だ。 だからこそ夜の森という環境が、知らない人が想像する以上に耳に響いてくるというのを知っている。 「確かに変ね…こういう山の中、しかもこの季節なら虫の鳴き声でも聞こえてくる筈だけど…」 後ろにいるルイズの言葉に魔理沙もまた頷いてから、フッと頭上を見上げる。 今は風も止まっているせいか木々のざわめきも無く、箒に吊り下げてるカンテラの軋む音だけが聞こえていた。 それが却って彼女たちの周囲を不気味な空間へ変えていたが、はたしてそれに気づいているかどうかまでは分からない。 「案外…この先にいるっていう゛怪物゛の仕業かもな?」 ポツリ呟いた魔理沙の言葉にルイズがハッとした表情を浮かべ、霊夢は左手に持っていた御幣で自身の右手を軽く叩いた。 パシッ!という、邪気を打ち払えるかもしれない軽い音を不自然な森の中に響かせてから、彼女もまた呟く。 「だとしたら、思ってるよりも目的地の入口は近いって事で良いかしらね」 先ほどまで眠り目を擦っていたとは思えない程、その顔にはこれから進む先にある何かに警戒しているかのような緊張感が滲み出ている。 さっき自分の手を御幣で叩いたのは眠気覚ましだったのだろうか?そんな事を思いつつも、ルイズは自分の頬を軽く叩く。 ここから先は恐らく…何があってもおかしくはない危険地帯だろう。だとすれば、眠気の一つでも命取りとなるかもしれない。 そんな思いを胸に抱き、ヒリヒリと軽く痛む頬で眠気を消し去りながら腰に差した杖をスッと右手で引き抜いた。 「よっしゃ、ここで油を売っても仕方ないし…そろそろ下りるとしますか!」 「勿論よ!こんな不気味な山、さっさと下りちゃうわよ!!」 二人の様子を観察していた魔理沙はニヤリと笑ってそう言うと、杖を片手にルイズが威勢よく叫ぶ。 その勢いを殺さぬままサッと箒に腰かけると同時に、魔理沙がその場に浮かばせていた自身の箒をゆっくりと前へ進ませる。 カンテラの灯りに照らされる山道を頼りに進んでいく二人の後姿を見ながら、霊夢は一人ボソッと呟く。 「流石のアイツも、後ろに人乗せててこの暗い道だとスピードを緩めるモンなのねぇ~」 『山道を行くのと空を飛ぶとじゃあ勝手が違うからねぇ、そりゃ当然ってやつさ』 別に期待していたワケではないものの、デルフは律儀にも刀身を出して返事をくれた。 それに対して「ご丁寧にどうも」素っ気ない礼を述べると、デルフはカチャカチャと音を鳴らしながら喋り出した。 『にしても、あの二人…特に娘っ子は勇気があるもんだねぇ。やっぱり家族の事と、あのお姫さんの為かな?』 「まぁそうかもね。行くときにそのお姉さんの事を真剣に喋って――――――……ん?」 ふと喋っている途中で言葉を止めた霊夢は、怪訝な表情を浮かべてゆっくりと後ろを振り返る。 視界の先に広がるのは先ほどと同じく闇と霧に包まれた山道であり、一寸の光すら見えない。 霊夢が急に振り返った事とが気になったのか、デルフが『どうした?』と暢気そうに聞いてきた。 「いや…何か、誰かに見られてたような気がしたんだけど…気のせいかな?」 『お前さん、そんなのが分かるのかい?』 「いや、でも…何か背中をジロジロ見られてるような…首筋が違和感を感じたのよねぇ」 振り返って暗闇の山道をにらみ続ける霊夢が首を傾げていると、後ろからルイズの叫ぶ声が聞こえてきた。 「ちょっとレイム!何そんな所でジッと突っ立ってるのよ!?置いてくわよッ!」 再び頭を前へ向けると、大分離れた場所まで進んでいる箒に腰かけたルイズがコッチコッチと手招いている。 どうやらデルフと話していて、更に妙な違和感を感じている間に置いてけぼりされたようである。 別に暗いのが苦手というワケではないが、月の出ていない夜の山の中で置いてけぼりにされるというのは良いことではない。 「ハイハイ、わかったわよ~」 ほんの少し出ていたデルフを鞘に戻してからその場で少し宙に浮き、ホバー移動で二人の元へと急ぐ。 湿っぽくて冷たい風が肌と黒い髪に当たるのを感じながら、霊夢はルイズたちと共にタルブへの道を下りて行った。 やがて、ついさっきまで三人が立っていた場所は再び沈黙の闇に覆われてしまう。 このまま朝が来るまでここを訪れる者はいないと誰もが思うだろうが、実際には違った。 「ふふふ…ようやくおいでなすったわね」 看板が立っている場所から少し離れた所にある、ここ以外のどこにでも生えているような雑草で構成された草むら。 先程霊夢が振り返り睨んだその場所から、最も不似合であろう女の声が聞こえてきた。 爬虫類の様に冷たく、温かみを全く感じない声色を持つ女が闇の中から黒いローブを纏った姿で現れたのである。 まるでローブと共に闇の中から現れたかのように今の今まで姿を消していた女はゆっくりと歩きながら、先程まで三人がいた場所で足を止めた。 「今日という日の為に我が主が書き上げた脚本通り、この場にいるお前たちは今やあの人の劇を演じる役者でしかない…」 知らない者が聞けば気が狂ったとしか思えない女の独り言は不幸か否か、誰も耳にしていない。 灯りひとつないくらい山道のど真ん中で、彼女は立てられた看板の上に肘を乗せて下り道の方をじっと見つめていた。 先ほどまでここにいたあの三人の灯りは、彼女の掌の上に乗るかどうかの大きさにまで縮んでいる。 あのスピードで道なりに下っていけば、一時間と経たずにアストン伯の屋敷に辿り着く事だろう。 まるでオキアミを満載させた撒籠に群がる魚のように、あの三人はノコノコと屋敷へと近づくのだ。 この日の為に用意したのかと思えてしまうほど、他の゛連中゛と一緒に゛試験投入゛されている『奴ら』と出会う為に。 時間にして後一時間未満で見れるであろうかつてないショーを想像して、女性はニヤリと微笑んだ。 「精々あの人が喜ぶ程度に頑張る事ね。トリステインの゛担い手゛に、ガンダールヴとなった博麗の巫女さん?――――ム!」 そんな時であった。突如として彼女の額が、まるで命を持ったかのように青白く光ったのは。 黒いローブ越しの光は周囲の暗闇を払う程の力は無かったが、どこか神秘さに満ちた雰囲気を放っている。 一方で、額が光っている女さっきとは違い何かを感じ取ったかのような表情を浮かべている。 そして何を思ったのか、急いで自身の懐に手を突っ込み、そこからあるモノを取り出す。 暗闇の中、額から放たれる青白い光に照らされた゛モノ゛の正体は…デフォルメ調に作られた男の人形であった。 取り出した女はその人形を見て薄く微笑むと、青色の髪と顎鬚がチャームポイントと自負しているソレを自分の耳へと近づける。 まるで人形の言葉が聞こえるかのような子供じみた行動をする女の耳に、突如男の声が入り込んできた。 『聞こえるかな?余のミューズ、シェフィールドよ』 「……ッ!ジョゼフ様ッ、ジョゼフ様ですか…!?」 その声が聞こえてきた瞬間、それまで闇夜に紛れていたかのような女――シェフィールドの顔にサッと喜びの色が浮かび上がる。 こんな夜の山中に一人佇んで額を光らせ、更には人形を耳に当てて喜ぶ彼女の姿はさぞや不気味に見えるに違いない。 幸いだったのは、今は彼女以外この周辺に人がいないという事ぐらいであろうか。 「あぁジョゼフ様!こんな夜遅くに貴方様の声を聞かせてくれるなんて、嬉しい限りですっ!」 『いやぁー何、今夜は寝つきが悪くてなぁ…。ふとラ・ロシェールでの゛試験投入゛はどうなっているのかと気になっただけさ』 そしてもしも…シェフィールド以外に声が聞こえている者がいたとしたら、さぞや腰を抜かしていたに違いないだろう。 何せ低く威厳に満ちた男――ジョゼフの声は、女が耳に当てている人形の中から聞こえているのだから。 『それで、今はどうなっているのだ?』 「ハイ!今のところは順調と言って良いでしょう。町に展開していたトリステイン軍は今近隣の町であるゴンドワで防衛ラインを敷いております」 ジョゼフからの質問にシェフィールドは素早くかつ的確に伝えると、人形から笑い声が聞こえてきた。 例えるならば、自分の誕生日会の最中にサプライズイベントが起きてはしゃぐ子供が上げるような、喜びに満ちた笑いであった。 『そうであろう、そうであろう!何せトリステインの連中は、奴らの事など予想もしていなかっただろうしなぁ』 「えぇ。最も、国軍と王軍の殿がタルブ村で頑強に抵抗致しまして、投入戦力の内三分の一がやられました…」 『それは構わん、戦ではどうしても被害が出るからな。それに、その程度ならば補充分で間に合うだろう?』 「無論です、既にラ・ロシェール郊外の上空で待機している゛鳥かご゛が補充を送ってくれました」 嬉しそうな口調とは対照的なジョゼフの話に、シェフィールドは笑顔を浮かべて言葉を返していく。 彼の言葉の中に多くの人々が死んだと意味させるものがあるにも関わらず、ジョゼフは嬉しそうに喋っていた。 『よろしい、では余のミューズよ…明朝と同時にゴンドワへ奴らを前進させろ。 良いデモンストレーションになって、交渉中の買い手連中が大手を振って金を出してくれるだろう』 ジョゼフの口から出たその怖ろしい決定に、シェフィールドは満面の笑みを浮かべて「はい!」と頷く。 相変わらず彼女の顔は歓喜に満ち溢れている、まるでジョゼフの口にした言葉が何を意味するのか知らないかのように。 そんな時であった、暗闇の中でニヤニヤと笑う彼女がある事を思い出した。 「あっそうだ…ジョゼフ様、一つ朗報がございます」 「ん?朗報とは…」 突然変わった話に人形越しのジョゼフが怪訝な声を上げると、彼女はその゛朗報゛を口にした。 「はい、実は先ほどの事ですが――ようやくトリステインの゛担い手゛と、ガンダールヴ…もとい博麗の巫女がやってきました」 『…なんとッ!?それは真か!』 始めから嬉しそうに喋っていたジョゼフの声が、彼女からの゛朗報゛を聞いて更に嬉しそうなものへと変わる。 まるでふと立ち寄ったジェラート屋で、通算百万人目の客として迎えられた時の様な歓喜に満ちた声であった。 興奮を隠さぬジョゼフに、シェフィールドは人形越しだというのに顔を赤らめつつ報告を続けていく。 「まことですジョゼフ様。余計な黒白が一匹おりますが…何、余興の邪魔にはなりませぬでしょう」 『だがあの黒白はこの前の『ストーカー』を始末したのであろう?過小評価をしているとあの小娘が思わぬ穴馬になるぞ、余のミューズよ』 ジョゼフにそう言われて、彼女は「はっ!分かりました」と彼の言う゛黒白゛にも注意する事にした。 本来ならばあの程度の人間の勝利など偶然にも等しいのだが、尊敬すべき主がそう言うのならばそれに従うまでであった。 シェフィールドの返事にジョゼフは人形腰にうんうんと頷くと、ふと何かを思い出したかのように喋り出す 『ふふふ…それにしても、実験農場の連中も面白いモノを完成させたものだ! 模索している技術の中に、あえてガリアで研磨された技術と『風石』を組み込んで兵器とするとは… 予算も人材も好きに申せと言ってはいるが、まさか先の完成品よりも低予算であそこまで作り上げるとはな! 今回の゛試験投入゛で良い戦績が出れば、あいつらがハルケギニア中の紛争地で暴れまわる事になるぞ…!』 喋り終えた後に高らかと笑うジョゼフに、シェフィールドもコクリと頷く。 「それは同感ですね。――――ではジョゼフ様、そろそろ時間ですので…」 『うむ!分かった。では余のミューズよ…゛実況゛の方はよろしく頼んだぞ』 その言葉と共にシェフィールドは耳に当てていた人形を離すと、口の部分に優しくキスをした。 ここより遠い所にいる主の事を思いつつ、彼の期待に応えねばと決意しながら人形を懐に戻した。 そしてここからアストン伯の屋敷へと通じる下り道へと視線を移すと、その目をキッと細めて呟く。 「さぁ、アンタ達には頑張ってもらうわ。精々我が主が手を叩いて喜ぶように戦うんだよ」 シェフィールドの呟きと共に額の光が消え去り、それと同時に彼女の姿も闇の中へと掻き消える。 まるで最初からそこに存在しなかったかのように、周囲の山道には再び不安な静寂が戻っていた。 雲が出ている所為か、いつもならば夜の大地を照らしてくれる双月は夜空を見渡しても一向に見えない。 山を下りても尚暗闇は続き、ルイズたちは否応なしにカンテラの灯りを頼りに道を進むほかなかった。 整備された道とは対照的な左右の林からは、山の時と同じように自然の音というモノが一切聞こえてこない。 まるでここら一体の生態系が、森を覗いて全滅してしまったのではないかと錯覚してしまう程である。 その異様な静寂さはルイズに不安感を与える事となったが、彼女は同伴している霊夢達に待ってと言うつもりはなかった。 何故ならば、霊夢の前を飛ぶ魔理沙とルイズの二人が、大きな屋敷のシルエットを目にしたからだ。 闇に溶け込み同化したかのようなその三階建ては、ここを超えた先にあるだろう村の領主が所有する館。 即ち…ルイズは辿り着いたのだ。二番目の姉、カトレアがいるであろうアストン伯の屋敷に。 「――――…見えた、あの屋敷。…あれがアストン伯の屋敷よ!」 魔理沙の箒に腰かけたルイズがそう言ったのは、三十分以上の暗い山道を下りきってはや十五分足らずであった。 その言葉に二人の後をゆっくりとついてきていた霊夢がスピードを緩めて、やや強めのブレーキを掛けてその場で着地する。 霊夢が止まったのを確認した後に、彼女の近くまで戻ると魔理沙も箒を止めて、それを合図に後ろに乗っていたルイズが勢いをつけて着地した。 先ほどの山道とは違い、それなりに整備された芝生の感触が彼女のローファー越しの足に伝わっていく。 箒を止めた魔理沙もようやく地に足を降ろし、箒を片手にすぐ近くにある闇の中の屋敷を見上げた。 「へぇ~村の領主様の屋敷にしちゃあ、中々でかいじゃないか!これは思いの外掘り出し物とかありそうだぜ」 「いかにもヤバそうな感じが伝わってくる場所で減らず口叩けるのはアンタだけじゃないの?」 魔理沙の口からでは冗談とは思えない言葉にそう返しつつも、霊夢が二人の傍へと歩いてくる。 ルイズはいつでも呪文を唱えられるようにと杖を構えつつ、屋敷の周囲に異常がないか軽く見回してみた。 アストン伯の屋敷もアルビオンが放ったという゛怪物゛の襲撃を受けたのか、一部の窓が痛々しく割れている。 屋敷の入口周辺にはここで足止めしたであろうトリステイン軍の武器や旗などが、地面の上に散乱していた。 「どうやら、結構派手に戦ったようね。地面が殆ど武器や防具とかで足の踏み場もないわよ?」 「その通りね…けれど、何かおかしいわ。死体が一つも無いなんて…」 霊夢の言葉にそう返しつつも、ルイズは一つ気になる疑問を抱える事になった。 彼女が思うように、そこで戦ったであろう兵士や貴族たちの死体は見当たらないのである 最も、それは別に見たくも無いのだが…周囲の散らかり具合から確実に混戦が起きた事は、戦に疎いルイズにも理解はできた。 例え相手が゛化け物゛でも、敵味方混ざっての戦いならばどんなに少なくても双方に被害そのものは出る筈だ。 一体どういう事なのかと彼女が訝しんでいた時、箒から外したカンテラを手に持った魔理沙が驚いたような声を上げた。 「うわっ!…お、おいルイズ、これ見てみろよ!」 カンテラで自分の周囲を照らしていた彼女の声に、何事なのかとルイズと霊夢がそちらの方へ視線を移す。 びっくりしたような表情を浮かべる黒白が照らす先には、ボロボロになった布のようなモノが地面に錯乱していた。 「…?何よコレ?見たところ単なる布ってワケじゃあないけど…」 首を傾げた霊夢が一人呟きながらその内の青色の一枚を手に取り、興味深そうに触っている。 流石に霊夢程の事はできないルイズであったが、魔理沙のカンテラを頼りにして周囲に散らばる様々な布を見て回る。 見たところ黒色や茶色に赤色が多く、ところどころ強力な酸か何かで溶けたような跡が見られた。 それ以外を見れば色とりどりな薄めのボロい布にしか見えず、流石のルイズも不思議そうな表情を浮かべてしまう 「う~ん、何なのかしらねコレ?皆目見当がつかないわ」 「周囲の散らかり具合と比べれば何か意味があるとは思うんだが、私は探偵じゃあないしなぁ…」 ややふざけ気味な魔理沙の言葉に「はいはい」と適当に返した直後、霊夢がポツリと呟いた。 「あ!――――――……あぁ~、コレ…何なのか分かっちゃったわ」 何か見てはいけないモノを見てしまったかのような巫女の反応に、ルイズはそちらの方へと顔を向ける。 霊夢は先程手に取っていた青い布の端を両手で掴んで広げており、その顔にはイヤなモノを見てしまったような表情が浮かんでいる。 魔理沙も霊夢の様子に気が付いたのか、「お、どうしたんだよ霊夢?そんな珍しい表情浮かべてさぁ…」と言いながら近寄ってくる。 一方の霊夢は近づいてきた二人の方へと顔を向けると、スッとルイズの前に片手でクシャクシャにしし直した青い布を差し出した。 「え?どうしたのよ一体…」 「見れば分かるわよ、ルイズ。ここにいた連中がどういう目に遭ったのかをね…」 妙に意味深な事を言ってきた彼女に怪訝な表情を浮かべつつ、ルイズはその布を受け取る。 地面に落ちているモノと比べて、比較的綺麗なソレの両端部分を左右の人差し指と親指の端で軽く掴んでから横へと広げる。 バッ!と勢いよく広げられたソレは、ルイズと魔理沙の眼前に裏地の部分を見せつけた。 瞬間、二人はその目をカッと見開いて驚愕した。 最初にこれを見つけたであろう霊夢が何故あんな言い方をしたのか、それすらも理解してしまう。 無理もないだろう。この布――否、貴族の象徴でもあるマントに施された百合の刺繍を見ればイヤでも察してしまうのである。 これを着用していたであろう貴族たちのマントがこれだけ傷つけられ、地面に錯乱しているという事の意味を。 「な、なぁルイズ…まさかコレ――ここで戦ったと思う連中は…」 ルイズと同じように驚き察していた魔理沙の震える指が、マントの裏に施された百合の刺繍を向けられている 魔理沙にはその刺繍がどういうモノなのかまでは知らなかったが、マントの汚れ具合からはこの場で何が起こったのか察する事はできていた。 銀糸で縫われたトリステイン王家の象徴は、彼女のカンテラに照らされて鈍い輝きを放つ。 「う、ウソでしょ…じゃあこれって、王軍の騎士たちの…」 そしてルイズは知っていた。この刺繍が、王軍に所属する騎士達のマントにしか施されない特別なモノなのだと。 栄えある名誉そのものとも言える銀色の証が縫いこまれたマントが、ボロボロになって幾つも地面に散乱しているという事は……即ち―――― 『そう…ここにいた騎士たちはねぇ、みーんな殿の役目を果たして死んでいったさ。 でもまぁ、そのおかげで貴重な戦力を減らされたのは癪に来たけどねぇ』 その時であった――――――三人の頭上から、聞いたことのない女の声が聞こえてきたのは。 美しくもまるで爬虫類の様に冷たく血の通っていないかの如き声色に、悪意という名の香辛料が混ざった喋り方。 「――…ッ!?誰ッ!誰かそこにいるのッ!?」 ルイズはその声に驚きつつも咄嗟に頭上を見上げてみるが、目に入ってくるのは全てを吸い込むかのような闇だけ。 自然と不安を誘うかのようなその空間に右手の杖を向けたくなってしまうが、彼女はそれを理性で押しとどめる。 今の声そのものは、騎士達の遺留品を目にして不安になった自分が、闇の向こう側から聞こえてきたと錯覚しただけの幻聴だったのではないか? 一瞬そう思ったものの、ふと霊夢と魔理沙を見てみると彼女達も同じように頭上を見上げていた。 目を丸くした魔理沙は何が起こったのかと驚いているのか、何だ何だと言いながらキョロキョロ周囲を見回している。 そんな魔法使いとは対照的に、霊夢はこれまで見たことのないような真剣な目つきでジッと頭上を睨んでいた。 赤みがかった黒目を闇の中で鋭く光らせており、左手の御幣を強く握りしめ右手は懐の中に伸びている。 今の霊夢は何処から敵が来ても難なく倒せる――ー!直立不動のまま構えてもいない彼女の姿を見て、ルイズはそう思った。 「アンタたち…もしかして今の声が聞こえてたの?」 「おっ、ルイズも聞こえてたのか?こいつは意外だったぜ。てっきりここへ来る時に食べたキノコの幻覚作用かと…」 「黒白の言ってる事は放っておくとして…。アンタにも聞こえるっていう事は、ここまで来た甲斐はあったという事ね」 二人の様子を見てルイズがそう呟くと、二人もそれぞれの反応を示して見せてくれる。 そんな時だ。三人がそれぞれ確認をし終えた直後、再び謎の女の声が聞こえてきたのは。 『アンタの言ってる事は当たってるさ、そこの紅白。確かにアンタたちはここへ来た甲斐があったわ。 我が主を愉しませるちゃんとした娯楽を提供する為の、うってつけの役者として―――ね?』 「誰なの!?大人しく姿を現しなさいッ!!」 先程と同じく冷たい声の持ち主に向けて、ルイズは今度こそ声のする頭上を向けて自身の杖をヒュッと向ける。 風を切る程の速さで闇に向けられた杖の持ち手は震えておらず、ルイズはしっかりとした勇気を持って声の持ち主と対峙しようとした。 「ここにいた連中の顛末を知ってそうな素振りを見せてるって事は、それなりにここで悪いことをしてたって証拠だぜ?」 魔理沙もまた声が何処から聞こえた来たのか把握し、箒を両手で持つとその場で軽く身構えて見せる。 最初と先ほどのセリフから、足元と周囲に広がる惨憺たる現場を作り上げたのは謎の声の主だと理解している。 闇を睨み付けるその目からは僅かな怒りが滲み出ており、いざとなれば自分が懲らしめてやろうと強く思っていた。 そんな二人とは対照的に、霊夢は頭を動かして周囲の闇を威嚇するように睨みまわしている。 だがしかし…その瞳からは明確な敵意が滲み出ており、どこかにいるであろう声の主を探ろうとしていた。 (間違いなく私達が見えてる場所にいるんだろうけど…こうも暗いと分かりゃあしないわね…!) 霊夢は一人小さな舌打ちを口の中ですると、右手を入れていた懐から三枚のお札を取り出す。 少なくともこれまでの言動からして、謎の女は間違いなく今回の騒動に深く関わっているのは明らかだ。 だとすれば逃がすわけにはいかなくなったし、手荒な真似をして無傷で返さなくても良いという事にも繋がる。 「まぁ悪いことは言わんからさっさと出てきなさいよ?今なら無傷で済まない程度で許しといてあげるから」 お札を取り出した彼女は、他の二人同様その場で軽く身構えた直後―――再びあの女の声が聞こえてきた。 『無傷じゃあ済まない?小娘如きが誰に対してモノ言ってるんだい。 子供は子供らしく、少しは痛い目を見て―――――現実ってモンを知りな!』 「何を…?―――――…ッ!!?」 女が言葉の最後でそう叫んだ直後、霊夢はあの゛無機質な殺意゛を自分たちの頭上をから感じ取った。 まるで直前まで生命活動そのものを止めて、今再び息を吹き返して動き出したかのようにあの感情が見えぬ殺気が漂ってきたのだ。 そしてそれは、これまでその殺意を持った相手とは思えない程物凄いスピードでこちらへと迫ってこようとしている。 「ッ!――魔理沙!後ろへ避けてッ!!」 「ちょっ?レイ……きゃあ!」 誰よりも早くにそれを察知した霊夢は咄嗟にルイズのベルトを引っ張ると同時に、魔理沙に向かってそう叫んだ。 滅多に聞かないような知り合いの叫びと、突然後ろへと引っ張られて叫び声をあげるとルイズを見て、魔理沙は思わず言うとおりに従う。 それが本能的な行動だったのか、あるいは尋常ならざる巫女の叫びを信じたからだったのか。 魔理沙がその場から後ろへ飛ぶようにして下がった直後であった。 ――――上空から落ちてきた一本の槍が、地面に深々と突き刺さったのは。 下がると同時に持ち主がうっかり手から離したカンテラが派手を音を立てて砕け散り、中の灯りは地面に突き刺さる槍の刃先に掻き消されてしまう。 「ウォッ!な、何だ!?」 流石の魔法使いもこれには目を見張り、ほぼ自分の目の前へと落ちてきた銀色のソレを前に後ずさってしまう。 もしも霊夢が声を掛けてくれなければ良くて切り傷、酷くて串刺しになってた事を想像して、思わずその顔が真っ青になる。 ベルトを引っ張られて後ろへ倒れたルイズも同じように、空から降ってきた狂気に目を丸くしていた。 「ヤリ――――槍ィ…!?槍が空から降ってきたわよッ!?」 地面に尻もちをついたままの彼女は立ち上がるのを忘れて、降ってきた槍に驚いている。 槍の全長は二メイル程であり、地面に突き刺さっている刃の部分は突き刺すという事よりも振り回すのに特化したような形となっている。 装飾は無駄と言わんばかりに一切施されて無いが、鋭く輝く銀色は闇の中でもそ自らの存在を激しく主張していた。 その輝きを目にして、これは不味いと察したルイズは杖を手放してない事を確認すると急いで立ち上がる。 「槍が空から降ってくるっていう言葉があるがな…、今度はお手柔らかに飴玉でも降らして欲しいもんだぜ」 『いや、それは叶わねぇ願いになりそうだぜ。オメーら構えろ、上から何か降りて来るぞ!』 「ちょっ…、出てくるなら出てくるって言いなさいよね…!」 魔理沙もまた腰を上げると被っていた帽子の中に手を突っ込み、ミニ八卦炉を取り出しながら一人ぼやく。 そこへ今まで黙っていたデルフが鞘から刀身を出して叫び、霊夢を驚かせた直後―――それもまた勢いをつけて地面へ降り立った。 軽く、しかしそれなりの硬さをもっているかのような軽金属のガシャリ!という音を響かせて、『ソイツ』はルイズたちの前に姿を現す。 恐らく『ソイツ』が投げたであろう槍と同じ銀色の鎧は、二度見すればソレを纏っているのが人間ではないと理解できるだろう。 身長は霊夢よりも一回り大きいが胴体は細く、その胴体の臀部から生えている一メイル程の細長い尻尾をゆらゆらと揺らしている。 手足からは爪が生えているものの、相手を切り裂くというよりも大きな樹に引っかけて昇り降りすることに適した形だ。 頭を覆う兜のデザインはドラゴンの頭部を模したのであろうが―――ソレはあまりにも似すぎていた。 まるで小型種のドラゴンの頭を斧で切り落としてそれで型を取ったかのようで、人が被る為の防具としてはあまりお勧めできるデザインではない。 だがその兜の中には確実にソレを被っているモノがいた。『ソイツ』は人間のモノとは思えぬ黄色く丸い瞳を輝かせて、ルイズたちをジッと見据えている。 そして…、『ソイツ』の中では最も印象的であり最大の特徴とも言える箇所は背中であった。 本来なら何もついていないであろう背中の中心部には、緑色に輝く拳大の『風石』が埋め込まれているのだ。 その『風石』の力で浮いているのだろうか、『ソイツ』の背後には緑色に輝く三対の羽根を模した金属板がフワフワと浮遊している。 体と同じく銀色のソレは一見すれば虫の羽の様にも見えてしまい、ドラゴンを模したボディとはアンバランスにも見えた。 だが、『ソイツ』がどういうモノとして造られたのかを知ればむしろこのフォルムは正しいとも言えるだろう。 「正式名称は『ラピッド』。―――今のアンタ達には、最高のゲーム相手となるキメラさ」 その言葉と共に、つい先ほど降り立ったキメラの背後につくようにして黒いローブを纏った女が降り立つ。 髪の色は闇と同化してしまうかのような黒、死人のように白い顔は生気を放っている。 だがその目は凍てつくように冷たく、気弱な人間ならば睨まれただけでも心臓発作を起こしかねない程であった。 そんな彼女が降り立った後、ルイズは杖の先を向けたまま一歩前へ進み出た。 「キメラですって?」 「そうさ、複数の生物と人間を素体にして、兵器としての運用を目的に完成されたのがコイツというワケよ」 シェフィールドの言葉に、杖を構えたルイズの言葉にキメラの後ろに立つシェフィールドが丁寧に教える。 しかしそれは、現実ではありえないような姿の怪物を目にしたルイズを動揺させる事となった。 「人間を素体に…ッ!?―――う、ウソでしょう?そんなことが…」 だが彼女の口から出た゛人間を素体に゛という言葉を耳にして、思わず信じられないと言いたげな表情を浮かべてしまう。 「おいおい…あの女、中々物騒な事を口にしなかったか?」 「残念だけど私の耳にもハッキリ聞こえてきたわね…」 他の二人もまたシェフィールドの言葉を聞いており、魔理沙は目を丸くして目の前にいるキメラの姿をまじまじと見つめた。 確かに地面に刺さった槍に手を掛ける姿はどことなく人間味はあるものの、化け物の材料にされる前の姿など想像もつかない。 だからこそシェフィールドの言葉にはやや半信半疑ではあったが、一方で霊夢はそのキメラの後ろにいる女が悪い意味で゛本物゛だと察していた。 「でもあの女の雰囲気に目の色…多分、コイツなら平気で人間を材料にしてもおかしくはないわね」 『人は見かけによらねぇとは言うけど…確かにお前さんの言うとおり、ありゃ何人殺そうが平気な目ェしてるぜ』 霊夢の言葉に思わずデルフが留め具の部分を出して喋った時、それに気づいたシェフィールドが「おや?珍しいじゃないか」と声を上げた。 「ただの剣かと思いきや、まさかインテリジェンスソードとはねぇ。人も武器も見かけにはよらないものじゃない」 『へっ、ウルセェ!第一、お前さんだってその『風石』まみれの化け物を簡単に操れてるんだ。 間違いなく平民じゃあネェだろうが。ましてや並みのメイジでも無いのは明らか…早いとこ正体を見せやがれ!』 相手の売り言葉にデルフはあっさりと乗って言葉を返すと、何が可笑しいのかシェフィールドはフフ…と軽く鼻で笑う。 そしてルイズたちはというと、先ほどデルフの言葉を聞いてやはりこの女の仕業かと確信する。 ルイズは杖を持つ手により一層の力を込めると、不敵な笑みを浮かべるシェフィールドの白い顔に素早く狙いを定める。 どうして分かったのかは知らないが、あの剣の言葉が正しければこの女もまた今回の騒動の原因の一つなのである。 ラ・ロシェールとタルブ村を襲い、更にはトリステイン軍の騎士達すらその手に掛けたという『怪物』の軍団。 それを操っていたのが彼女だというのなら、トリステイン貴族の一員として敵意を露わにするほかないのである。 「アンタがこの惨憺たる状況を作ったのなら許しはしない…この私が、ここで死んだ騎士たちの無念を晴らしてあげるわ!」 ルイズの勇ましい言葉へ続くようにして霊夢と魔理沙の二人も身構えながら、シェフィールドに宣戦布告とも取れる言葉を送る。 「まぁ私は仇討とかするつもりはないけど、とりあえず辛うじて喋れる程度まで痛めつけてあげるわ」 「おーおー二人とも中々熱血で物騒じゃないか?まぁ私はアンタらの気が済んだ後で、コイツの顔に落書きでもしておこうかな?」 魔理沙はともかくとして、霊夢もまた目の前にいるシェフィールドに対して明確な敵意を見せている。 しかしシェフィールドは未だその顔から不敵な笑みを消すこと無く、戦闘態勢に入った三人と見つめ合っている。 まるで自分の勝利が最初から分かっているかのような、そんな余裕すら垣間見えた。 「まぁ、そう焦るんじゃないよ。…アンタたちにはこれからタップリ戦ってもらうんだからねぇ?」 そう言った直後―――シェフィールドの額が再び輝き出し、青白いその光を自分を睨み付ける三人に見せつけた。 「おいおい、怪物を伴って現れて…次は宴会で使えそうな隠し芸まで披露してきたぜ」 「あのねぇ…こんな時ぐらい真剣に―――って、あれ?」 魔理沙の冗談めいた言葉に流石のルイズが怒ろうとした時、彼女はシェフィールドの額の光に違和感を感じた。 この暗闇の中だったからだろうか、光り輝いているおかげでルイズの目には『額に刻まれている文字』が光っているように見えたのである。 その文字は掛かれている事は違うものの、霊夢を召喚し契約を交えてから彼女の右手の甲についているルーンと酷似しているような気がした。 「まさか……あの額の光は――…使い魔のルーン!」 一度そう思い込めば容易には否定することは出来ず、彼女は思わずその疑問を言葉として口から出してしまう。 彼女の言葉にシェフィールドは一瞬目を丸くしたかと思うと、ニィッ…と狐の様な笑みを浮かべた。 その動作すら不気味に思えたルイズがうっと呻いた直後、シェフィールドの口から笑い声が零れ始めたのである。 「アハハハハ!流石ばガンダールヴ゛の主、私の額のルーンを使い魔のルーンだと見破ってくれるとはねぇ?」 「…!アンタ、どうして私がガンダールヴだって事を知ってるのかしら?」 シェフィールドの言葉に、同じようなルーンを右手に持っている霊夢が真っ先に反応した。 少なくとも彼女がガンダールヴであるという事は、現時点でもってほんの十より少し上の人数しかいないのである。 「ふふふ…まあこれから付き合いになるんだし、そこの剣の言うとおり…自己紹介でもしておきましょうか」 霊夢の言葉に対して答えにならない返事をしてから、キメラより一歩前にまで出たシェフィールドが両手をバッ!と横に広げて名乗った。 「私の名はシェフィールド、ここ一帯にキメラを放った張本人にして――――゙神の頭脳゙こどミョズニトニルン゙のルーンを持つ者さ!」 三人の前に現れてから、初めて自らの名と素性を喋った瞬間―――彼女の周囲に五体のキメラ達が降り立ってきた。 先ほどと同じく銀色の鎧の銀色の槍を武器に持つキメラ、『ラピッド』の集団である。 最初に降りてきた一体目とは違い両手の槍を構えて、その刃先をルイズたちに向けてジッと待機している。 構え方そのものは正に人間であるというのに、何処か動物感のある容姿とはあまりにもギャップがあり過ぎていた。 「神の頭脳…ミョズニトニルン?…って、クソ!また降りてきやがったぜ!」 ここにきて名乗ってきた相手に首を傾げるよりも先に、更にキメラが増えた事に、魔理沙は舌打ちをする。 「゙神の頭脳゛に゛神の左手゙………という事は、あれも始祖ブリミルの使い魔のルーンだっていうの?」 一方のルイズは、相手の言っていだ神の頭脳゛という言葉にガンダールヴも゙神の左手゙と呼ばれていた事を思い出していた。 咄嗟にガンダールヴのルーンを持っている霊夢を見遣ると、彼女はシェフィールドの方を睨み付けながら言った。 「驚いたわね。まさか私以外にも始祖とやらのルーンを持ってるヤツがいたなんて」 「でも…だからって、こんな事をしでかすなんて…」 始祖の使い魔の事はあまり詳しくない彼女は、あの女が霊夢と同じく選ばれた者のみ使役できる使い魔だという事が信じられなかった。 かつてこの大陸に降臨し、人々の為に世界の礎を築いた始祖を支えたであろう偉大なる使い魔たち。 その内一つを受け継いだシェフィールドは、何処かで造ったであろうキメラを用いてアルビオンの侵略に加担している。 現実は良いことばかりではないとはいえ、始祖の使い魔という任を引き継ぐ事なった者がするべき所業ではないと彼女は思っていたのだ。 一方のデルフは何か思い出したかのように、ぶつぶつと一本で呟いている。 『あぁ……゙ミョズニトニルン゙かぁ。確かに、゙神の頭脳゛って呼ばれる程の能力は持ってたような…』 思わずシェフィールドのルーンを見た際に留め具を鳴らして出た独り言だったが、霊夢がそれを聞き逃さなかった。 「そういえばデルフ、アンタ確かブリミルの事知ってそうな感じだったわよね。何か覚えてることがあるの?」 霊夢の言葉に『いや…ちょっと、待ってくれ』と返した直後、『あっ、そうだ!』と嬉しそうな叫び声を上げた。 その叫びに他の二人も思わずデルフの方へ目を向けるがそれにはお構いなしに、デルフは嬉しそうにしゃべり出した。 『オマエラ、今のアイツには用心した方がいいぜ?確かあの手の人工物を操る事に関しては、人間以上だ。 その頭脳で魔道具を操る事に特化した使い魔。戦闘特化のガンダールヴとは正反対の性能だった筈さ』 喉につっかえていた魚の小骨が取れたかのように嬉々と説明し終えたデルフに対し、拍手を送る者がいた。 まるで出来の悪い生徒が、五分かけてようやく問題を解けた事を褒める教師がするような寂しい拍手。 思わず霊夢とルイズは魔理沙の方を見るが彼女は違うと言わんばかりに首を横に振る。 もしやと思い三人が一斉にシェフィールドの方を向くと、案の定キメラに囲まれた彼女が拍手をした下手人だった。 「良くできたわね。もしやとは思っていたけど…随分始祖の使い魔に詳しいインテリジェンスソードね?」 思いっきり小ばかにするような表情で拍手を終えたシェフィールドの言葉に、デルフは喧嘩腰で返す。 『へっうるせぇ!余裕ぶっこいていられのも今の内だぜ? オレっちやガンダールヴのレイムに、マリサと娘っ子がいりゃあそんな化け物なんぞ屁でもねぇぜ!』 「おいおい、戦う前から私たちが負けないような事言わないでくれよな?まぁ勝てないワケはないけどな」 「そんなの当り前じゃない!極悪非道なアルビオンに協力して姫さまとちい姉様…それにここに住む人たちを苛めるのなら、放っておけないわ!」 デルフに続いて魔理沙もそう言ってミニ八卦炉の発射口をシェフィールドに向けると、ルイズもまた魔理沙の隣に立って杖を構え直す。 黒白の言葉に対して色々突っ込みたい所はあったものの、絶対に負けられないという思いは奇遇にも一緒であった。 「とりあえず私の事も知ってるようだし…前にも似たような化け物とも戦ったことあるのよ。 アンタ、色々知ってそうじゃないの?まずは動けなくして今回の騒動を終わらせたら、是非ともお話ししようじゃないの」 そんな二人に続くのか続かないのか、構えたまま霊夢は御幣を剣のようして構え直すとシェフィールドにそう宣言する。 ガンダールヴの事を知っているうえに、更に奴がキメラと呼んでいる化け物と似たような存在と対峙もとい退治した事もある。 そしてこれまでの言動からみて、このシェフィールドという女は確実に幻想郷とハルケギニア間の異変に関わっているに違いない。 半ば思い込みという名の被害妄想に近い確信を得た霊夢は、不敵な笑みを浮かべて神の頭脳を持つ女を睨み付けていた。 深夜にも関わらずやる気満々で眠気などどこ吹く風の三人と一本と対峙する、シェフィールドと計六体のキメラ達。 それでも尚彼女は笑みを崩すことなく、むしろ気合十分なルイズたちを見て鼻で笑える程の余裕さえ見せている。 「ハン!まさかとは思うけど、この六体だけ倒せば良いと思ってるんじゃあないだろうね?」 「なんですって?」 「言ったでしょう?コイツらは兵器として造ったんだ。それならば、頭数を充分に揃えなきゃ戦力にはならないのさ」 自分の言葉に訝しんだルイズに見せつけるかのように、彼女はパチン!と指を鳴らす。 闇の中では不釣り合い過ぎる軽快な音が響き渡ると同時に、シェフィールドの額のルーンが再び輝き出す。 今度は一体…?ルイズが訝しんだ直後、今度は計四体ものラピッドが一斉に降り立ってきた。 「よ、四…ということは計十体って事!?」 「うへぇ、数を増やせば良いってもんじゃないだろうに…」 ルイズと魔理沙はシェフィールドより後ろに降り立ったキメラ達を見て、流石にたじろいでしまう。 今や計十体もの銀色の異形達によって囲われた屋敷前は、闇の中で煌々と鈍い輝きを放っている。 「数だけ増やすとはいかにもな奴がやりそうな手口ねぇ?しかもアンタの言い分だと、まだまだいるって事なんでしょうけど」 「何度でも言いな!どっちにしろまだまだ補充があるんだ、お楽しみはこれからってとこさ!」 霊夢は十体ものキメラとシェフィールドに警戒したまま、敵である彼女に言葉をよこす。 それに対してシェフィールドは腕を組んで余裕の姿勢を見せつけながら、声高らかにしゃべり出す。 「コイツラは明朝と共に隣町へ進撃を開始する事になってるのさ。アルビオン艦隊の前進と共にね。 そうなればトリスタニアまではほぼ一直線、お姫様が逃げようが逃げまいがアンタたちの王都はおしまいってワケさ!」 「トリスタニアを滅ぼすですって?そんなこと、させるもんですか!」 生粋のトリステイン王国の名家出身であるルイズはその言葉を聞いて、元から昂ぶっていた怒りを更に上昇させた。 感情が激しい起伏を見せ、まるで海の底から岩山が出てくるかのように勢いよく高くなっていく。 そんな彼女の様子を見てますます楽しそうで卑しい笑みを浮かべたシェフィールドは、言葉を続けていく。 「ならアンタたちだけでアルビオン艦隊に勝ってみる?それも一興かしらねぇ。 どっちにしろ、キメラも止めるのならばアタシを倒すか…もしくはコイツラの゙鳥かご゙を見つけてみなさい。 両方ともこなす事が出来なければ、アンタの小さな小さな故郷は化け物とアルビオンの艦隊に潰されるだろうねぇ―――――」 唄うような軽やかな声でもって、シェフィールドがそう言った直後であった。 「―――――成程。じゃあアンタが、コイツラの親玉って事で良いのかしら?」 今彼女たちが対峙する空間の外。闇に紛れた漆黒の森の中から、聞き覚えがあるようで無い女の声が聞こえてきたのは。 鋭く、それでいて女らしさが垣間見えるその声がした方へと、キメラ以外の四人と一本はすぐに反応した。 「ッ!何者――――な…ッ!?」 最初に声を上げたシェフィールドが声が聞こえてきた方角へと顔を向けた瞬間、゙ソレ゛は飛んできた。 黒い血しぶきを上げ、地面に叩きつけられたであろう衝撃で触覚が千切れ、赤い複眼を点滅させる黒く巨大な飛蝗の生首。 虫が苦手な人間ならば即気絶しておかしくないようなグロテスクな異形の生首が、彼女の足元に投げつけられてきたのである。 今まで余裕の表情を浮かべていたシェフィールドの顔には、ルイズ達が初めてみるであろう驚愕の色を浮かばせてしまう。 それ以前に、ルイズはいきなり飛んできたその異形の生首を目にして、思わず悲鳴を上げてしまう。 「キャアッ!な、何よアレ!」 「うわ…、お化けバッタか何かか…?」 魔理沙も同じように驚いたものの、霊夢だけはその飛蝗の生首を見て目を見開いていた。 何故ならあの頭部の形、かつて深夜の魔法学院で一戦交えて勝利した虫の怪物の頭と酷似していたからだ。 「アイツ…あの頭。じゃあ、アレもキメラだったっていうのかしら?」 今思い出せばあの姿形、複数の虫を無理やり混ぜ込んで何とか人型に収めた無理のある体。 あれこそキメラという名を冠するに相応しい存在に違いない、少なくとも目の前にいる十体のトカゲ人間もどきと比べれば。 そんな霊夢たちとは別に、余裕の表情を驚愕で崩していたシェフィールドは足元に飛んできたキメラの生首を見つめている。 通称名『コンプレックス』は、サン・マロンでのキメラ開発を再開させてから初めて完成に至った軍用キメラだ。 集団での対メイジを想定して多種多様なキノコ類から採取した複合毒粉に、ハルケギニア南部に生息する有毒昆虫の武器を有している。 以前からトリステインの他あちこちの諸侯国や辺境地で毒粉の威力を抑えてからテスト投入されており、既に兵器として充分使用可能との太鼓判が押されていた。 ここに投下された理由はあくまでアルビオン軍の支援としてではあり、持ち前のスピードと毒でトリステイン軍にそれなりの被害を与えているのだ。 そんなキメラの頭部を、まるで家の窓からゴミを投げ捨てるように放ってこられたのである。 戦い慣れていないメイジでは倒す事さえ困難であるというのに、その頭をもいで投げ捨ててきた見知らぬ相手はそれを成し得たのだ。 最初こそ驚いていた彼女であったが、自分が…ひいては我が主が想定していた計画の゙外側゙から来たであろうソイツに激しい敵意を抱き始めた。 本来ならば三人とキメラ達の戦いっぷりを、遠い場所で観戦してくれている自分の主に余興の一つとして見せてあげるつもりだったというのに…。 それを無遠慮に潰そうとしている相手に、彼女は憎悪しか見て取れぬ程の睨みをきかせて叫ぶ。 「ちぃ…っ何処のどいつだい!私の計画に横槍を入れてくるヤツは!?」 激昂するシェフィールドに呼応するかのように、十体のラピッドが一斉にコンプレックスの頭が飛んできた方へと槍を構える。 中には体内の『風石』を反応させて宙に浮いて空中から突き刺してやろうと、スッと槍の刃先を暗闇が支配する森の中へと向けた。 「大人しく出てきな!!そしたら無粋なアンタを、コイツラが串刺しにしてくれるさ…ッ!!!」 「―――――そう、じゃあ出てきてあげるわ。真上からね」 痺れを切らしたであろうシェフィールドがそう叫んだ直後、再び女の声が聞こえてくる――――彼女の頭上から。 瞬間、シェフィールドとルイズたちが思わず自分たちの頭上を見上げた直後、『彼女』が地上へと落ち始めているのが見えた。 闇の中で鈍く光る黒い髪とこの暗い空間の中でも目立ってしまう紅いスカートをなびかせて、青白く光る拳を振り上げた゛彼女゛が落ちてくる。 自身の頭より高く振り上げた青白く光る左手の拳は激しい殺気を放ち、それが殴り抜けるであろう対象への殺意を露わにしていた。 そして、今この場に居る人間の中で霊夢だけは感じていた。あの拳から漂う暴力的な霊力を。 自分のそれとは明らかに違う荒々しさと、人妖の双方すらも傷つけることの出来る凶悪さ。 その両方を今落ちてこようとしている霊力を゙彼女゛から感じ取った霊夢は、すぐに直感した。 ――――――――――このままでは、自分の前にいるルイズと魔理沙が大変な目に遭うと。 「―――…ッ!?」 赤みがかった黒目を見開いた彼女は軽く舌打ちすると、バッ!とルイズと魔理沙の前に躍り出る。 突然出てきた彼女の背中に二人が何かを言う前に霊夢は左手に持っていた御幣を突き出すと、左手に自らの霊力を集中させる。 そして、超短時間で練り上げた霊力を左手から御幣の先端部へと流し込み、即席の結界を作り出した。 無論即席であるが故に防御力はそれなりでもその場凌ぎにしかならない代物であったが、彼女としてはそれでも充分であった。 「―――…ッ!?ちぃっ!散れッッ!」 霊夢が結界を張り、シェフィールドがキメラ達にそう叫んで背後にある森の中へと跳躍した直後――ー落ちてきた女が地面を殴りつけた。 先ほどまでシェフィールドが経っていたすぐ傍を、青白く凶悪な霊力に包まれた右手の拳が芝生の生い茂る地面を抉っていく。 それを合図にしたかのように、シェフィールドの指示でもってキメラ達も後ろへ下がった瞬間、勢いよく地面が爆ぜた。 まるで女の拳そのものが爆弾となったかのように闇の中に激しい土煙が一瞬で周囲を包み込み、飲み込んでいく。 同時に地面を殴った衝撃で吹き飛んだ小石や地中の石つぶてが周囲に飛び散り、間一髪で退避したキメラの体にぶつかっている。 そして当然の如くルイズたちの元にもそれが届き、霊夢の貼った即席結界にぶつかっては激しい音を立てて跳ね返っていく。 「きゃあッ…!」 「うぉっ、何だ!?」 『ヤロ…!何て無茶苦茶な事しやがる…』 ルイズと魔理沙、それにデルフは突如乱入してきた女性の攻撃方法に軽く驚いていた。 霊夢が結界を張ってくれていなければ、周囲にいた自分達も怪我を負っていたに違いないからだ。 当然その攻撃で狙われていたシェフィールドは後ろへ下がり、更には土煙のせいでその姿すら見えない。 キメラ達は乱入してきた女を囲むようにして、主であるミョズニトニルンの命令通り周囲に散開している。 「デルフの言うとおりね。…全く、大した事してくれるじゃないの?」 一方の霊夢も、突然乱入してきたうえにこちらまで巻き込もうとした相手に僅かな苛立ちの意思を見せつけている。 理由としては、これからしばき倒して詳しい話を聞きたかった相手との戦いに、わざわざ横槍を入れてきたからであった。 おかげでシェフィールドは姿を消した上に、面倒くさいキメラ共をお土産代わりに置いて行ってくれている。 折角異変解決の手掛かりになるかもしれない女を見つけたというのに、見知らぬヤツのせいで逃げられてしまったのだ。 霊夢にとって、それは到底許せることではなかった。 「どこの誰かは知らないけれど、アンタの素性によってはタダで―――――なっ!?」 だからこそ、乱入してきた相手がどんな奴なのかと、薄れていく砂埃に目をこらした彼女は我が目を疑ってしまう。 彼女には信じられなかったのだ。よもやこんな西洋風の異世界で、゙自分と似たような恰好をした巫女服姿の女゙と出会ってしまった事を。 そんな彼女の後ろで突っ立っていたルイズと魔理沙も霊夢の反を見てタダ事ではないと悟ったのか、同じように目を凝らして見た。 最初こそ良く見えなかったが、それでも五秒…十秒…と時間が経っていくと同時にその姿が鮮明に見えていく。 「…っ!ちょっと、アレッ、あれって何なのよ!?」 そしてルイズもまた、砂ぼこりの向こうにいた乱入者の姿を目にして、思わす霊夢の姿と見比べながら叫ぶ。 同時に魔理沙も目を丸くして「何だありゃ…?」と、信じられないようなモノを見たような表情を浮かべていた。 だが、そんな三人よりも更に狼狽えていたのは、驚いたことに霊夢が背負っていたデルフリンガーである。 『んだと…?ありゃ、一体…どういうことだ…!?』 剣ゆえに声の抑揚でしか感情を表現できない彼の言葉には、動揺という名のスパイスがふんだんに盛られている。 それに気づいたのか、彼を背負っている霊夢がそれに答えるかのように「私だって、知りたいわよ…」と一人呟く。 「ねぇ…一つ聞きたいんだけど、アンタは一体何処の誰なの?」 「―――――奇遇ね。実は私も、それを知りたくて知りたくて仕方がないのよ」 砂ぼこりの向こうにいる相手へ問いかける霊夢に、『彼女』は地面を穿った右手の拳に付いた土を払いながらそう答える。 黒く硬そうな印象が見受けられるブーツに袴をイメージしたかのような紅のロングスカート。 腕には霊夢と同じく服と別離した白い袖に、彼女のそれより幾分か情報量の少ない巫女服を着込んでいる。 霊夢と比べやや色の濃い黒髪は長く、月明かりでもあればさぞやそれなりに綺麗な艶でも出していたであろう。 そしてその顔。霊夢とはまた違い鋭い刃物のような美しさを持つ顔は、『彼女』の黒みがかった紅い瞳を霊夢に向けている。 土煙が消え去り、霊夢達と『彼女』の間を遮るモノが無くなったところで『彼女』――――ハクレイは口を開いた。 「で、先に聞きたいんだけど…アンタ達と話をしていたシェフィールド…?とかいう女はドコにいるのかしら」 三人の体に漂う空気を読めてない様なハクレイの質問に、思わず霊夢が珍しく怒りを露わにして叫ぶ。 「アンタが今しがた脅かしたせいでね…、雲隠れならぬ森隠れしちゃったわよ!」 ―――瞬間、それまで様子を見守っていたキメラ…『ラピッド』達の内約半数の五体が一斉に動き出した。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 何処からか吹いてくる、涼しくて当たり心地の良い風が自分の頬と髪を撫でている。 それを認識した直後に、ルイズは何時の間にか自分が今まで意識を失い今になって目覚めた事を理解した。 「ン、―――――ぅん…?」 閉じていた瞼をゆっくりと上げて、その向こうにあった鳶色の瞳だけをキョロキョロと動かしてみる。 上、下、右、左…と色んな方向へ動かしていくうちに、自分の身体かうつ伏せになっている事に気が付く。 そして同時に一つの疑問が生じた。それは、今自分が何処にいるのかという事についてだ。 「………どこよ、ここ?」 重く閉ざしていた口を開いてそう呟いた彼女の丸くなった目には、異空間としか形容できない世界が広がっていた。 目に見えるものは全て、自分が横になっている床や天井すらもまるで雪のような白色に包まれた場所。 今自分の視界に映っている手意外に目立つモノはないうえに色も全て白で統一されている所為かその空間の大きささえ分からない。 ゜ ここは…?そう思って体を動かそうにも、不思議な事にどんなに手足へ力を入れても立つことはおろか、もがくことすらできない。 体が動かなければ立ち上がって調べる事も出来ないために、ルイズはその場で悶々とした気持ちを抱える事になってしまう。 「あぁ、もうッ。体が動かないんじゃあここが何処かも分からないわよぉ…たくっ!」 とりあえずは自由に動く顔に残念そうな表情を浮かべつつ、ルイズはそんな事を言った。 彼女の残念そうな呟きを聞く者は当然おらず、言葉の全てが空しい独り言として真っ白い空間に消えていく。 それから少ししてか、ふと何かを思い出したかのような顔をしたルイズがここで目覚める直前の事を思い出した。 シェフィールドと名乗る女がけしかけてきたキメラ軍団を、霊夢や魔理沙にちぃ姉様の知り合いと言う女性と共に戦っていた最中、 突如乱入してきた風竜に攫われて他の三人と別れた後に、彼女は風竜に乗っていた人物を見て驚愕していた。 ――――――ワルド…ッ!?やっぱり貴方だったのね! ――――――やぁルイズ、見ない間に随分とタフになったじゃないか トリステインを裏切り、あまつさえアンリエッタ王女の愛する人を殺した男との再会は酷く強引で傲慢さが見て取れるものであった。 それに対する怒りを露わにしたルイズの叫びに近い言葉も、その時のワルドには微塵も効きはしなかったようだ。 無理もない。何せその時の彼は竜の上に跨り、一方のルイズはその竜の手に掴まれている状態だったのだから。 どんなに迫力のある咆哮を喉から出せる竜でも、檻の中では客寄せの芸にしかならないのと同じである。 ――――私を攫ってどうする気?っていうか、さっさと降ろしなさいよ! ―――――それはできない相談だ。君がいないど彼女゛が僕を目指してやってきてくれないだろうからな 竜の腕の中でジタバタしながら叫ぶルイズに、ワルドは前だけを見ながらそう言っていた。 あの男の言う゛彼女゛とは即ち――あのニューカッスル城で、自分に手痛い目を合わせた霊夢の事に違いない。 少なくとも魔理沙とは面識が無いであろう、プライドが高く負けん気の強いこの男に手痛い目に合わせだ彼女゛といえばあの紅白しか思いつかなかった。 そんな事を思っていた直後、今まで自分をその手で掴んでいた竜がフッと握る力を緩めたのが分かった。 え?…っと驚いた時、竜の手から自由になったルイズの体はクルクルと回りながら柔らかい草地へ乱暴に着地した。 キメラ達との戦いで切られてボロボロになったブラウスに草が貼り付き、地面に触れた傷口が激しく痛む。 地面へ着地して二メイル程回ってから、ようやく彼女の体は止まった。 ボロボロになったルイズは呻き声を上げた蹲る事しかできず、立ち上がる事さえままならぬ状態であった。 そんな彼女を尻目に乗っていた風竜から飛び降りたワルドはスタスタと歩きながら、彼女のすぐ傍で立ち止まった。 足音であの男が近づいてきたと察したルイズはここに至るまで手放さなかった杖を向けようと手を動かそうとする。 しかし、そんな彼女のささやかな抵抗は一足先に自分の顔へレイピア型の杖を向けてきたワルドによって止められた。 ――――無駄だ。所詮学生身分の君じゃあ、元魔法衛士隊の私とでは勝負にならんぞ ――――…っ!そんなのやってみなきゃ…わからない、でしょう…が 体中がズキズキと痛み続ける中、自分を見下ろす男に彼女は決して屈しなかった。 少なくとも目の前の男に一発逆転を喰らわせだ彼女゛ならば、同じ事を言っていたに違いない。 痛む体に鞭を打ち、ワルドの杖などものともせずに立ち上がろうとした直前、彼女の目の前を青白い雲が覆った。 それがワルドの唱えた『スリープ・クラウド』だと気づこうとしたときには、既に手遅れであった。 ―――――大人しくしていろよルイズ?少なくとも、あの紅白が来るまではな 頭上から聞こえてくるワルドの言葉を最後に、ルイズは深い深い眠りについてしまう。 魔法による睡魔に抗えるワケもなく、急激に重くなっていく瞼を閉じたところで――――彼女の意識は途切れた。 再び目を覚ました時には、こんなワケのわからない空間にいた。 ここに至るまでの回想を終えたルイズは、眠る前に耳にしたワルドの言葉を聞いて悔しい思いを抱いていた。 どういう経緯で自分を見つけてたのかは知らないが、アイツがレコン・キスタについているのなら警戒の一つでもしておくべきであったと。 今更悔やんでも仕方ないと頭の中で思いつつも、心の中では今すぐにでもワルドに一発ブチかましてやりたいという怒りが募っている。 歯ぎしりしたくて堪らないという表情を浮かべていたルイズであったか、どうしたのかゆっくりとその表情が変わり始めた。 火に炙られて形が崩れていくチーズのように、凶悪な怒りの表情が神妙そうなモノへと変わっていく。 その原因は、彼女の目が見ているこの場所――――つまりこうして倒れている空間にあった。 「―――――にしたって、何で私はこんな所にいるのかしら?」 その言葉が示す通り、彼女自身ここがどういう所なのか全く分からなかった。 ワルドの『スリープ・クラウド』で眠った後でここにいたのだから、普通に考えればここは彼女の夢の中という事になる。 しかし、どうにもルイズ自身はこの変な空間が自分の夢の中だとは上手く認識できなかった。 無論根拠はあった。そしてそれをあえて言うのならば―――夢にしては、どうにも意識がハッキリし過ぎているのだ。 これが夢なら今自分の体は暗い夜の草地の上で倒れているはずなのだが、その実感というものが湧いてこない。 むしろ今こうして倒れているこの体こそ、自分の本物の体と無意識に思ってしまうのである。 まるでワルドに眠らされた後、何者かによってこのワケの分からない空間へと転移してしまったかのような…―― 「…って、そんな事あるワケないわよね」 自分の頭の中で浮かび上がってきた疑問に長考しそうになった彼女は、気を紛らわすかのように一人呟いた。 あまりにも馬鹿馬鹿しく。人前で言えば十人中十人が指で自分を指して笑い転げる様な考えである。 というか普段の自分なら今考えていたような゙もしかして…゙な事など、想像もしなかったに違いない。 第一、そんな事を追及しても現実の自分たちが直面している事態を好転できる筈もないというのに。 「とにかく、何が何でも目を覚まさないと…」 バカな事を考えるのはやめて現実を直視しよう、そう決めた時であった。 丁度彼女の顔が向いている方向とは反対から、コツ…コツ…コツ…という妙に硬い響きのある足音が聞こえてきた。 (………誰?) 突然耳に入ってきたその音に彼女は頭を動かそうとしたが、残念な事に頭も全く動かない。 その為後ろからやってくる゙誰がを確認することは叶わず、かといってそこで諦めるルイズではなかった。 (このっ、私の夢なら私が動けって思った時に動きなさいってのッ) 根性で動かそうとするものの、悲しいかなその分だけ視界が目まぐるしく動き回るだけである。 そうこうしている内に硬い足音を響かせる゙誰がは、とうとう彼女のすぐ傍にまで近づいてきてしまった。 一体何が起こるのかと緊張したルイズは動きまわしていた目をピタリと止めて、ジッど誰がの出方を疑う。 だが、そんな彼女が想像していた様な複数の゛もしかしたら゙とは全く違う事が、彼女の身に起こったのである。 ―――――聞こえるかい?遥か遠くの未来に生きる僕たちの子 それは、ルイズの予想とは全く異なった展開であった。 突然自分の頭の中に響き渡るかのようにして、若い男性の声が聞こえてきたのである。 「え…こ、声?」 流石のルイズも突然頭の中に入ってきたその声に驚き、思わず声を上げてしまう。 声からして二十代の前半か半ばあたりといったところだろうか、まだまだ自分だけの人生を築き始めている頃の若さに満ち溢れている声色だった。 ―――――――僕たちが託したこの世界で、過酷な運命を背負わせてしまった子ども達の内一人よ。…聞こえているかい? ルイズ目を丸くして驚いている最中、再びあの男性の声が聞こえてくる。 女の子であるルイズの耳には心地よい声であったが、こんな優しい声を持つ知り合いなど彼女にはいない。 これまで聞いたことのないような慈しみと温かさに満ちたソレは、緊張という名の氷に包まれたルイズの心を優しく溶かし始めている。 何故だか理由は分からなかったものの、その声自体に彼女の心を落ち着かせる鎮静作用があるのだろうか? 声を入れた耳がほんのりと優しい暖かさに包まれていくが、そんな゜時にルイズは一つの疑問を抱いていた。 それはこの声の主が、自分に向けて喋っているであろう言葉にあった。 遥か遠くの未来?過去な運命…? まるで過去からやってきた自分、ひいてはヴァリエール家の先祖が、自分の事を言っているかのような言い方である。 名家であるヴァリエールの血を貰いながらも、魔法らしい魔法を一つも使えず渋い十六年間を生きてきたルイズ。 そんな彼女をなぐさめるかのような謎の声にルイズはハッとした表情を浮かべた。 私を知っているのか?頭の中へと直接話しかけてくる、この声の主は…。 「あなた、誰なの…?」 思わず口から言葉が出てしまうが、声の主はそれに答える事無く話し続けてくる。 ――――――――君ならば、きっとこれから先の事を全て、受け止められる筈だ ―――――――――楽しいことも、悲しいことも、そして…身を引き裂かれるような辛いことも全て… そこまで言ったところで、今度はすぐ後ろで止まっていたあの足音が再び耳に入ってきた。 コツ、コツ、コツ…と硬く独特な音がすぐ傍から耳に入ってくるというのは、中々キツイものである 足音の主はゆっくりと音を立てながら、丁度ルイズを中心にして時計の針と同じ方向に歩いているようだ。 つまり、このまま後数歩進めば自分の頭の上を歩いて足音の主をようやく視界の端に捉えられるのである。 謎の声に安堵していたところへ不意打ちを決めるかのような足音に多少は動揺を見せたルイズであったが。喉を鳴らしてその時を待った。 ……三歩、四歩――――――そして次の五歩目で、上へ向けた彼女の視界に足音の正体が見えそうになった瞬間。 その足音の正体と思しき人影から漏れ出した眩い閃光が、ルイズの視界を真っ白に染め上げたのである。 まるで朝起きて閉めていたカーテンを開けた時の様に、突き刺すほどの眩い光に彼女は思わず目を細めてしまう。 「―――ッう!」 呻き声を上げたルイズは目に痛い程の光を見て、今度は何が起きたのかと困惑し始める。 そんな彼女を再び安心させるかのように、またもやあの゙謎の声゙が――――今度は直接耳へと入ってきた。 鼓膜にまで届くその優しい声色が、その鳶色の瞳を瞼で隠そうとしルイズの目を見開かせる。 「僕は、君みたいな子がこの世に生まれ落ちてくるのを待っていたんだ… 決して自らの逆境に心から屈することなく、何度絶望しようとも絶対に希望を手放すことなく生きてきた、君を―――――」 まるで生まれてから今日に至るまで、自分の人生を見守って来たかのような言い方。 そして、足音の正体から広がる光が見開いたルイズの視界を覆い尽くす直前。その声は一言だけ、彼女にこう告げた。 「水のルビーを嵌め…―――始祖の祈祷書を…――――君ならば…―――制御でき―――る…。 使い道を、間違え…――――あれは、多くの…人を――――無差別に…―――――――殺…せる」 まるで音も無く消え去っていくかのように遠ざかり、ノイズ交じりの優しい声が紡ぐ言葉は。 目の前が真っ白になっていくルイズの耳を通り、頭の中へと深くまるで彫刻刀で彫るかのように刻まれていった。 「――――――…はっ」 光が途絶えた先にまず見えたのは、頭上の暗い闇夜と地面に生えた雑草たちであった。 服越しに当たる草地の妙に痛痒い感触が肌を刺激し、草と土で構成された自然の匂いが彼女の鼻孔をくすぐる。 その草地の上でうつ伏せになっていると気が付いた時、ルイズは自分の目が覚めたのだと理解した。 「夢、だったの?…っう、く!」 一人呟きながら立ち上がろうとするも、まるで金縛りにあったかのように体が動かない。 そういえばワルドの『スリープ・クラウド』で眠らされたのだと思い出すと同時に、一つの疑問が湧く。 (ワタシ…どうして目を覚ませたのかしら?) 『スリープ・クラウド』は通常トライアングル・クラスから唱える事のできる高度な呪文だ。 スクウェアクラスの『スリープ・クラウド』ならば竜すら眠らせるとも言われているほどである。 ワルド程の使い手の『スリープ・クラウド』は相当強力であろうし、手を抜くなんて言う間抜けな事はしない筈だ。 なら何故自分は目を覚ませたのであろうか?ルイズがそれを考えようとしたとき、聞きなれた霊夢とデルフの声が耳に入ってきた。 「あんたねぇ…そういう事ができるなら最初に言っておいてくれない?全く…受け止めろとか言われた時は気でも狂ったのかと…」 『悪い悪い、何せオレっちを使ってくれるとは思ってなかったんでね』 軽く怒っている様子の巫女と、軽い気分で謝っているインテリジェンスソードのやり取りを聞いて、思わずそちらの方へ顔を動かそうとする。 『スリープ・クラウド』の影響か体は依然動かないままだが、幸運にも首と顔は何とか動かせるようになっていた。 ぎこちない動作で声が聞こえてきた右の方へ動かしてみると、霊夢とデルフがあのワルドと対峙しているのが見えた。 (……あっ、魔理沙!) その二人から少し離れた所で魔理沙が倒れているのが見えたが、見た所怪我らしいものは見当たらない。 ただこんな状況で暢気に倒れているという事は、おそらく自分と同じようにワルドの『スリープ・クラウド』で眠らされたのであろう。 レイピア型の杖を片手剣と同じ風に構えているワルドと、自分よりやや大きめの剣を両手で構えている霊夢。 その彼女の左手のルーンが微妙に輝いているのと、デルフの刀身が綺麗になっている事に彼女は気が付いた。 (レイム、それにデルフ…って、アイツあんなに綺麗だったっけ?…それに、レイムの左手のルーンが!) 見間違える程新品になったうあのお喋りな剣の刃先、『ガンダールヴ』のルーンを光らせる霊夢はワルドに向けている。 それはまるで、あのニューカッスル城で自分を寸でのところで助けてくれたあの時の彼女の様であった。 輝いている。あの小娘の左手のルーンが眩しい程に俺の目の前で輝いてくれている。 左のルーン…あの時、倒した筈のお前は何もかもをひっくり返して俺をついでと言わんばかりに倒してくれた。 あの時お前が剣を振るって遍在を斬り捨てていた時、お前の左手が光っているのをしっかりと見ていた。 光る左手――――それは即ち。かつてこの地に降臨した始祖ブリミルが従えたという四つの使い魔の内の一人。 ありとあらゆる武器と兵器を使いこなし、光の如き俊敏さで始祖に迫りし敵を倒していったという゛神の左手゙こと『ガンダールヴ』。 今、俺の目の前にはその『ガンダールヴ』を引継ぎ、尚且つ俺に負け星を贈ってくれた少女と対峙している。 こんなに嬉しかった事は、俺の人生の全てが変わった゛あの頃゙を経験してから初めての事だ。 何せこれまで思ってきた疑問の一つが、たった今跡形も無く解消したからだ。 ――――――…ルイズ、やはり君は…只者ではなかった。 「ほう…その左手のルーン、まさかとは思うがあの伝説の『ガンダールヴ』のルーンとお見受けするが?」 「……!へぇ、良く知ってるじゃないの。性格の悪さに反して勉強はしているようね?」 両者互いに距離を取った状態を維持しながらも、霊夢の左手のルーンに気付いたワルドが質問をしてきた。 霊夢はまさかこの男が『ガンダールヴ』の事を知っているとは思わなかったので、ほんの少しだけ眉を動かしてそう返す。 一方のワルドは相手の反応から自分の予想が当たっていた事を嬉しく思いながらも、冷静を装いつつ話を続けていく。 「まぁな。魔法衛士隊の隊長を務められるぐらいに勉強を積み重ねていると、古い歴史を記した書物をついつい紐解いてしまうんだ。 大昔にあった国同士の大きな戦の記録や、古代にその名を馳せた戦士たちの伝記…そして始祖ブリミルと共に戦ったという゛神の左手゙の話も…な?」 霊夢の左手に注視しながらもワルドは王立図書館でその手の本を漁っていた頃の自分を思い出していく。 あの頃はただがむしゃらに強くなりたいという思いだけを胸に、埃を被っていた分厚い本たちとの戦いが自分の日課であった。 しかしどんどん読み進めていき、読破した冊数を重ねていくうちに今の時代では学べぬ様な事を覚える事が出来た。 その当時天才と呼ばれていた将軍や大臣たちが編み出した兵法や戦術の指南書、後世にて戦神と崇められた戦士たちが自らの生き様を記した伝記。 元々ハルケギニアの歴史や兵達の活躍を元にした舞台や人形劇が好きだった事もあって、彼はより一層読書の楽しさを知る事となった。 そして水を吸うかの如くそれ等の知識を吸収していったからこそ、今のワルドという人間がこの世にいるのであった。 そういった本を片っ端から読み進めていく内に、彼はある一冊の本を手に取ることとなったのである。 巨大なライブラリーの片隅、掃除が行き届いていない棚に差さっていた埃に覆われたあの赤い背表紙に黄色い文字。 まるで黴の様に本を覆い隠しているソレを何となく手に取り、埃を払い落とすとどういった本なのかを確認した。 その時はただ単にその本が読みたかったワケではなく、ただこの一冊だけ忘れ去られているのがどうにも気になっただけであった。 背表紙についていた埃を手で拭うかのように払い取った後、すぐ近くの窓から漏れる陽光の下にかざした。 ――――『始祖ブリミルの使い魔たち』 ハルケギニアに住む者達なら言葉を覚え始めた子供でも名前を言える偉大なる聖人、始祖ブリミル。 六千年前と言う遥か大昔に四つの使い魔たちと共に降臨し、この世界を人々が暮らせる世界に造りあげた神。 そのブリミルと使い魔たちに関する研究データを掲載した本を、彼はその時手にしたのである。 最初埃にまみれていたのがこの本だと知ると、彼はこの場に神官や司祭がいなかった事を心から喜んでいた。 この手の本はその年の終わり、始祖の降誕祭が始まる度に増補改訂版が出る程の歴史ある本だ。 棚に差されていたのは何年か前に出て既に絶版済みのものであったが、これ自体が一種の聖具みたいな存在なのである。 つまりこの本を教会や敬虔深いブリミル教徒の前で踏みつけたり、燃やしたりするようなバカは…。 真っ裸で矢と銃弾と魔法が飛び交う戦場へと突っ込んでいくレベルの、大ばか者だという事だ。 何はともあれひとまず埃を払い終えたワルドは、この本を入口側の目立つ棚へ差し替える前に読んでみる事にした。 別に彼自身は敬虔深いブリミル教徒ではなかった故に、この手の本は読んだことが無かった。 まぁその時は時間に余裕があったし、ヒマつぶしがてらに丁度いいだろうという事で何気なくページを捲っていた。 しかし、その時偶然にも開いたページに掛かれていた項目は、若かりし頃の彼が持っていた闘争心に火をつけたのである。 「『ガンダールヴ』は左手に大剣を、右手に槍を持って幾多の戦士と怪物たちの魔の手から始祖ブリミルを守り通したという…。 そう、その書物に記されている通りならば『ガンダールヴ』に敵う者たちは一人もいなかったんだ。―――――――ただの一人もな?」 杖の先をゆらゆらと揺らすワルドがそこまで言ったところで、今度は霊夢が口を開く。 「だから私にリベンジしてきたってワケ?わざわざルイズまで攫って…随分な苦労を掛けてくれるわね?泣けてくるわ」 涙はこれっぽっちも出ないけどね。最後にそう付け加えた彼女はデルフを構えたまま、尚も動こうとはしなかった。 やろうと思えばやれる程度に横腹を蹴られた時のダメージは回復してはいるものの、それでもまだ本調子で動ける程ではない。 霊夢個人の意見としてはこちらから攻め入りたいと考えていたが、ワルドもまた同じ考えなのかもしれない。 両者互いに攻め込んでいきたいという欲求をただひたすらに堪えつつ、じりじりと距離を詰めようとしていた。 「まぁ、そうなるな。いかに少女といえどもあの伝説の『ガンダールヴ』と手合せできるのだ。 一人の戦士として是非とも生きた伝説と戦い、自らの強さがどれ程のものか試してみるのも一興というものさ」 「他人を巻き込んでまで私と戦いたいだなんて…随分な御趣味でありますこと」 皮肉たっぷりな霊夢の褒め言葉にワルドは「褒めるなよ」と笑みを浮かべて言葉を返したが、その目は全く笑っていない。 既に戦いの火ぶたは切って落ちる寸前の状態であり、次の瞬間には斬り合いが始まってもおかしくない状態にある。 一瞬たりとも目の離せぬ睨み合いの最中。、霊夢は自分の体に異変が起こり始めている事に薄々気が付いていた。 今に至るまでの移動や戦闘での疲労からズシリとした重みを感じていたというのに、不思議とその重みがゆっくりと消えていくのである。 まるで体の中の見えない重みが抜けていくかのように、体が徐々に軽く動きやすい状態へと変わろうとしている。 最初は何事かと思っていたものの、すぐにこの謎の現象の原因が自分の左手のルーンにあるのではないかと直感で悟った。 (この前は散々な目に遭わせて貰えたけど…どういう風の吹き回しなのかしら?) ワルドから一切目を離さぬまま、彼女は自分の左手のルーンに語りかける様にして心の中で呟く。 以前このルーンが勝手に光った時は見知らぬ声に誘導されたり、頭が割れる程の頭痛を送ってくれたりと散々だったというのに…。 それがどうだ、今はデルフ一本を構えて敢えて光らせた途端に今度は自分の体の中の疲労というか重りを取り除いてくれている。 このルーンがどういった仕組みで自分にそのような効果を付与してくれるか、今の彼女はイマイチ知らないのだが、 ただ今みたいに自分を手助けしてくれるというのなら、敢えて手を出してちょっかいを掛ける必要はないとそう判断していた。 (ま、これからマジでヤバい奴と斬り合うかもしれないし…頼んだわよ伝説のルーンさん?) 心中で軽く礼を述べたところで、それまで黙っていたワルドが再び口を開いて喋り出した。 「しかし、まぁ…君とはラ・ロシェールのスカボロー港で出会って以来、ちょっとした因縁ができているな。 よもやこんな物騒な場所にルイズと共に来ていたなんて、流石の私でもそれは予測すらできなかったよ?」 それはごもっともね。口には出さぬ同意として、霊夢はワルドの言葉にそっと頷く。 本来なら学生であるルイズが、最前線というヤバい場所にいるなんてありえない事なのであろう。 そんな事を思う彼女を余所にワルドは一息ついてから、話を続けていく。 「後退したトリステイン軍を偵察する為に艦隊を離れて、その道中の上空で君たちが戦っている姿を見たときは本当に驚いたよ。 何せ君やそこで倒れている黒白…そしてあのルイズが我が軍の味方だという化け物共と戦っていたんだ。あの時は思わず我が目を疑ってしまったものさ」 ワルドの話を聞いて、ようやく霊夢はシェフィールドが叫んだ言葉の意味を理解した。 そりゃ突然味方のライトニング・クラウドで自分の手駒を壊滅させられたら、怒鳴り散らしてしまうのも無理はないだろう。 「なるほど…最初から仕組んでた事ならあの女が取り乱す必要なんてないものね」 「どうやらあの叫びっぷりからみて、彼女と君たちの戦いを邪魔してしまったようだが…なに、君に貰った負け星を返さぬまま永遠の別れというのも自分に酷だと思ってね」 「失礼な事言ってくれるわね?私ぐらいならあんなのすぐに片付けてやったわよ。まぁそれを代わりに済ませてくれた事には礼を述べてあげるけど」 あの時のシェフィールドの取り乱してからの怒りっぷりを思い出した霊夢が軽く口元に笑みを作ると、ワルドもそれにつられて微笑む。 暫し無言の笑みを向け合った後、再び真剣な表情へと変わったワルドは軽く咳払いした後に杖を構え直した。 「改めて言うが、一人の戦士として伝説の『ガンダールヴ』であり私を二回も負かした君を見つけて…このまま見過ごすという事はできない」 「わざわざルイズを攫った挙句に、私を蹴り飛ばした後で改まる必要なんてあるのかしら」 まるで本物のレイピアの様に構えて見せるソレの先端部を見つめながら、霊夢はデルフの柄をギュッと握り直す。 ギリリ…という小さくも息が詰まりそうな音が柄を握る掌から漏れ出し、それに合わせて左手のルーンがその輝きを増していく。 長い話し合いの結果、既にある程度体力を取り戻していた今の霊夢ならばある程度渡り合えるほどになっていた。 キメラ達との戦いで悩んでいた急な頭痛もルーンのお蔭なのか、今はそのナリを潜めている。 ワルドは既にやる気十分な彼女を見ながら、呪文を詠唱して再度戦闘準備に取りかかった。 訓練のおかげで口を僅かに動かす程度で詠唱できるようになった彼の杖に、風の力が渦を巻いて纏わりついていく。 やがてその力は青白い光となって杖と同化し、光る刃を持つレイピアへとその姿を変える。 「『エア・ニードル』だ。一応教えておくが杖自体が魔法の渦の中心、先ほどのように吸い込む事はできんぞ」 青白い光で自らのアゴヒゲを照らすワルドの言葉に、霊夢はデルフへ向けて「本当に?」質問する。 『まぁな、でも安心しなレイム。今のお前さんには『ガンダールヴ』が味方してくれている、だからお前さんの様な剣の素人でも遅れは取らんさ。……多分』 「私としては遅れをとるよりも勝ちに行きたいんだけど?…っていうか、多分って何よ多分って」 喋れる魔剣のいい加減なフォローに呆れながらも、そんなデルフを構え直した直後―――――ー。 「それでは…ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド、あらためワルド―――推して参るぞ」 杖を構えたまま名乗ったワルドが、地面を蹴り飛ばして突っ込んでくると同時に霊夢もまたワルド目がけて突っ込む。 黒と緑、紅と白の影がほぼ同時に激突する音と共にデルフの刀身と『エア・ニードル』を構成する魔力が火花を散らした。 (レイム…!) 一方で、ワルドが気づかぬ内に目を覚ましていたルイズは二人の戦いをやや離れた所から眺める立場にいた。 動きたくても未だにその体は言う事を聞かず、指すらくわえることもできずにどちらかの勝敗を見守る事しかできない。 (折角運よく目覚めたっていうのに、これじゃあ意味が無いじゃないの!) 意識だけはハッキリしている歯痒さと、助けようにも助けに行けない悔しさを感じたルイズは何としてでも体を動かそうとした。 まるで見えない腕に抑え込まれているかのような抵抗感に押しとどめられながらも、それを払いのけようと必死に体をもがかせる。 他人が見れば滑稽に見える光景であったが、やっている本人の表情は真剣そのものかつ必死さが伝わってくる。 (動けッ!動きなさいよ…!今目の前に…ウェールズ様の、姫さまの想い人の仇がいるっていうのに…!) 敬愛するアンリエッタに罪悪感の一つを抱かせ、その後もレコン・キスタにのうのうと所属していたであろうワルド。 そして今はソイツに攫われた挙句に霊夢たちを誘き寄せる餌にされて、まんまと利用されてしまっている。 今体が動くなら霊夢の手助けをしてあの男に痛い目を合わせられるというのに、ワケのわからない金縛りでそれが叶わない。 体の奥底から、沸々と怒りが湧き上がってくる。沸き立つ熱湯が鍋から勢いよくこぼれ出すかのように。 (このまま何もできずに見てるなんて―――――冗談じゃ…ない、わよッ!!) 積りに積もってゆく苛立ちと憤怒が彼女の力となり、それを頼りに勢いよく右腕へと力を入れた瞬間。 杖を握ったまま金縛り状態になったその腕がガクンと震えた直後、不可視の拘束から開放された。 「…!」 突然拘束から解放された右腕から伝わる衝撃に驚いたルイズは、思わずそちらの方へと視線を向けた。 残りの手足と体より先に自由になった腕は、ようやっと動けた事を喜んでいるかのように小刻みに震えている。 (まさか、本当に動いたっていうの?) 未だ半信半疑である彼女が試しに動かしてみると、主の意思に応えて腕はその通りに動く。 腕の筋肉や骨からはビリビリとした痺れのような不快感が伝わって来るものの、動かすことの支障にはならない。 (一体、どういう事なの…?――――…!) 先ほどの夢といい、ワルドの『スリープ・クラウド』から目が覚めた事といい、今自分の身に何が起きているのだろうか…? そんな疑問を頭の中で浮かばせようとするルイズであったが、動き出した右腕の゙手が握っているモノ゙を見た瞬間、その表情が変わった。 ルイズ自身、ワルドが゙ソレ゛を自分の手から離さなかったのは一種の気まぐれだったのかもしれない。 魔法で眠らせている分大丈夫だと高を括ったのか、それともまもとな魔法が使えない『ゼロ』の自分だから安心だと思ったのだろう。 だとすれば、彼はこの状況で唯一にして最も重要なミスを犯したと言っても過言ではないだろう。 彼女本人としては、体の自由を取り戻し次第近くに゙ソレ゛が落ちていないか探す予定であったのだから。 (丁度良いわね…探す手間が省けたわ。けれど、一難去ってまた一難…次ばコレ゙をワルドの方へと向けないと…) 思わぬところで情けを掛けてくれたワルドに心のこもっていない感謝を送りつつ、ルイズはゆっくりと右腕を動かし始めた。 ゙ソレ゛を手に持った右腕を動かすたびに、力が抜けるような不快な痺れが片と脊椎を通して脳へと伝わっていく。 まるで幾つもの羽箒でくすぐられているかのような感覚に、彼女はおもわず手に持っだソレ゛を落としてしまいそうになる。 (我慢…我慢よルイズ!ほんの数サント、そう数サント程度動かすくらい何よ!?) 歯を食いしばりながらその不快感に耐える彼女は、ゆっくりと腕を動かしていく。 その手に持っだソレ゛―――――この十六年間共に生きてきた一振りの杖で、母国の裏切り者へ一矢報いる為に。 一方、密かに反撃を行おうとするルイズを余所にワルドは霊夢とデルフを相手にその腕前を発揮している。 魔力に包まれた杖で見事な刺突を仕掛けてくる彼と対峙する霊夢は慣れぬ剣を見事に使いこなしてソレを防いでみせる。 彼女の胸を貫こうとした杖はデルフの刀身によって軌道を逸らされる一方で、袈裟切りにしようとするその刃を『エア・ニードル』で纏った杖で防ぎきる。 『ガンダールヴ』の力で剣を巧みに操れる様になっている霊夢は、百戦錬磨の武人であるワルドを相手に互角の勝負を繰り広げていた。 「ほぉ。中々耐えているじゃあないか、面白いッ!」 ワルドからしてみればギリギリのタイミングで防ぎ、的確に剣を振ってくる霊夢の腕にある種の驚きを抱きながら呟いた。 彼の目から見てもこの小さな少女には体格的にも不釣り合いだというのに、そのハンデを無視するかのように攻撃してくる。 見ると左手の甲に刻まれた『ガンダールヴ』のルーンは光り輝いているのを見る分、彼女は今伝説の使い魔と同じ能力が使えているようだ。 「く…このっ!さっさと斬られなさいってのッ」 対する霊夢は、この世界へ来るまで特に興味の無かった剣をここまで使いこなせている自分を意外だと感じていた。 あくまで話し相手であったデルフは見た目からして彼女には似つかわしくないし、何より重量もそれなりにある。 背中に担ぐだけならともかく、鞘を抜いて半霊の庭師みたいな攻撃をしようとしても、録に使いこなせないであろう…普通ならば。 しかしルイズとの契約で刻まれた『ガンダールヴ』のルーンが霊夢に助力し、その小さな体でデルフを使いこなしている。 本当なら剣の振り方さえ碌に知らなかった彼女は歴戦の剣士の様にデルフを振るい、ワルドと激しい攻防を繰り返していた。 先ほど御幣で渡り合った時とは違ってワルドの一挙一動が手に取るように分かり、相手のフェイントを軽々と避けれる程度にまでなっている。 そして本来ならば相当重いであろう剣のデルフを使ってどこをどう攻撃し、どのように振ればいいのかさえ理解できている。 トリスタニアの旧市街地で戦った時も、ナイフなんて使ったことも無いというのにあれだけ使いこなせたのだ。 あながちこのルーンの事は馬鹿にできないと霊夢は改めて感じていた。 他にも彼女の体に蓄積していて疲労や頭痛の類は、まるで最初から幻だったかのように収まってしまっている。 それに合わせていつもと比べて体が軽くなった様な気がするうえに、この前ルーンが光った時の様な幻聴みたいな声も聞こえてこない。 これだけ説明すれは『ガンダールヴ』になって良かったと言えるのだろうが、霊夢自身はあまりそういう気持ちにはなれなかった。 (タダほど怖いモノは無いって良く言うけれども、そもそもこんなルーン自体刻まれちゃうのがアレだし…) ワルドと切り結びながらも体力が戻った事でそれなりの余裕を取り戻した彼女は、心の中で軽い愚痴をぼやく。 しかし今更そんな事を思っても時間が巻き戻るワケでもなく、今のところ使い魔のルーンも自分のサポートに徹してくれている。 今のところワルドとも上手く渡り合えている。ならば特に邪推する必要は無いと判断したところで、何度目かの鍔迫り合いに持ち込んでしまう。 眩い火花を散らして激突し合うデルフの刀身と、魔力を帯びたレイピア型の杖。 杖そのものが魔法の渦の中心となっている所為で、魔法を吸収する事のできるデルフは『エア・ニードル』を形成する中心を取り込むことは出来ない。 しかし、普通の剣ならば小さなハリケーンとも言える『エア・ニードル』を防ぐ事はできなかったであろう。 「ふぅ…!流石伝説の『ガンダールヴ』だな、この私を相手に接近戦で渡り合えたヤツは君を含めて四人目だ」 「ご丁寧に、どうも…!」 顔から汗を垂らすワルドの口から出た賞賛に対し、両手でデルフを構える霊夢はやや怒った表情を礼を述べる。 いくら『ガンダールヴ』で剣が使えるようになったと言っても、現状の実力差ではワルドの方に分があった。 二人を見比べてみると、霊夢がやや必死かつ怒っているのに対しワルドの顔には未だ笑みが浮かんでいる。 しかしその表情とは裏腹に彼女を睨み付ける目は笑っておらず、杖も片手で構えているだけで両手持ちの霊夢の剣を防いでいた。 彼は元々、トリステイン王家の近衛を務める魔法衛士隊の隊長にまで上り詰めただけの実力を持っているだけあってその杖捌きは一流だ。 例え片腕を無くした状況下で戦う事になったしても、相手に勝てる程の厳しく過酷な訓練を乗り越えてきたのだ。 それに加えてかつて霊夢に敗れてからというものの、毎日とは言わないが彼女を相手に戦って敗れるという夢を何度か見ている。 シュヴァリエの称号を持つ彼としては、ハルケギニアでは特別な存在であってもその前に一人の少女である霊夢に負けたという事実は思いの外悔しい経験だった。 だからこそ彼はその夢でイメージ・トレーニングの様な事をしつつも、あれ以来どのような者が相手でも決して油断してはならぬと心から誓っていた。 貴族、平民はおろか老若男女や人外であっても、自分に対し敵意を持って攻撃してくるものにはそれ相応の態度でもって返答する。 スカボロー港やニューカッスル城で味わった苦い経験を無駄にしない為に、ワルドは手を抜くという事をやめたのである。 「私自身、剣を使ったのはこれで二度目だけど今度は直に刺してやっても――――良いのよ…ッ!?」 そう言いながらワルドと正面から剣を押し合っていた霊夢は頃合いを見計らったかのように、スッと後ろへ下がった。 デルフを構えたままホバー移動で後退した彼女は空いている右手を懐に入れ、そこから四本の針を勢いよく投げ放った。 しかしワルドはこの事を予知していたかのように焦る事無く杖を構え直すと、素早く呪文を詠唱する。 すると杖の先から風が発生し、自分目がけて突っ込んできた針は四本とも空しく周囲へと飛び散らせた。 「悪いが今の私相手に小細工は…ムッ」 針を散らしたワルドが言い終える前に、霊夢は次の一手に打って出ようとしていた。 今度は左腕の袖から三枚のお札を取り出すと、ワルドが聞いたことの無いような呪文のようなものを唱えてから放ってきたのである。 針同様真っ直ぐ突っ込んでくると予想した彼は「何度も同じことを…」と言いながら再び『ウインド』の呪文を唱えようとした。 再び杖の先から風発生し、これまた針と同じようにしてお札もあらぬ方向へと吹き飛んで行った―――筈であった。 しかし、三枚ともバラバラの方向へと飛んで行ったお札はまるで意思を持っているかのように再びワルドの方へと突っ込んできたのである。 「何だと?面白い、それならば…」 これには流石のワルドも顔を顰め、三方向から飛んでくるお札を後ろへ下がる事で避けようとした。 お札はそのまま地面に貼り付くかと思っていたが、そんな彼の期待を裏切って尚もしつこく彼を追尾し続けてくる。 しかしそうなる事を想定していたワルドは落ち着いた様子で、再び杖に『エア・ニードル』の青白い魔力を纏わせていた。 直覚な動きでもって迫りくる三枚のお札が、後一メイルで彼の身体に貼り付こうとした直前。 ワルドは風の針を纏わせた自身の杖で空気を斬り捨てるかのように、力を込めて杖を横薙ぎに振り払った。 「――――…フッ!」 瞬間、彼の前に立ちはだかるようにして青く力強い気配を纏わせた魔力の線が横一文字を作り出し、 丁度そこへ突っ込むようにして飛んできたお札は全て、真っ二つに切り裂かれて敢え無くその効力を失った。 三枚から計六枚になったお札ははらはらと木から落ちていく紅葉の様に地面へ着地し、ただの紙切れとなってしまう。 「成程。斬り合い続けてもマンネリになるしな、丁度良いサプライズになったよ」 「………ッ!中々やるじゃないの」 軽口を叩く程の余裕を残しているワルドに、霊夢は思わず舌打ちしてしまう。 もう一度距離を取る為にと時間稼ぎついでに試してみたのが、やはり簡単にあしらわれてしまったようだ。 『うへぇ、お前さんも運が良いねぇ。奴さんのような腕の立つメイジ何て、そうそういないぜ…って、うぉわ!』 「あんたねぇ!私に向かって言う時は運が悪いって言うでしょうが、普通は!?」 一閃。正にその言葉が相応しい程に速い杖捌きに霊夢が構えているデルフが無い舌を巻いている。 その彼を今は武器として使っている霊夢は余計な事まで言う剣を揺らした後、溜め息をついて再びワルドの方へと視線を向けた。 目の前にいる敵は先程針とお札をお見舞いしたはずだというのに、それで疲れたという様子を見られない。 最もあの男相手に上手くいくとは思っていなかったが、こうもあしらわれるのを見てしまうと流石の霊夢も顔を顰めてしまう。 「しっかし、アンタもタフよねぇ?ニューカッスル城で散々な目に遭わせてやったっていうのに…」 「貴族っていうのはそんなもんだよ。私みたいな負けず嫌いの方が穏健な者より数が多い、ルイズだってそうだろう?」 平気な顔をしているワルドに向けてそんな愚痴を漏らすと、彼は口元に笑みを浮かべなからそう言ってきた。 彼の口から出てきた言葉と例として挙げてきたルイズの名に、「確かにそうね」と彼女も頷いてしまう。 「昔の貴族の事を記した本では、自身の名誉と誇りを掛けて決闘し合ったという記しているが…実際のところは違う。 自分の女を取られたとか、アイツに肩をぶつけられた…とかで、まぁ大層くだらない理由で相手に決闘を申し込んでいたらしい」 「…あぁ~、何か私もそんな感じで決闘をしかけられた事もあったわねぇ」 戦いの最中だというのに、そんな説明をしてくれたワルドの話で霊夢はギーシュの事を思い出してしまう。 まぁ面白半分で話しかけた自分が原因だったのが…成程、貴族が負けず嫌いと言うこの男の主張もあながち間違っていないらしい。 「だから、アンタもその貴族の負けず嫌いな性格に倣って私にリベンジ仕掛けてきたって事ね?」 「その通りだ。―――――だが、生憎時間が無いのでな。悪いが君との勝負は、そろそろ終わらせることにしよう」 「…時間?……クッ!」 何やら気になる事を呟いてきたワルドに聞き返そうとした直後、目にもとまらぬ速さでワルドが突っ込んできた。 一気に距離を詰められつつも、『ガンダールヴ』のサポートのおかげて、間一髪の差で彼の攻撃を防ぐ事ができた。 しかし今度はさっきとは違い完全に霊夢が押されており、目の前に『エア・ニードル』を纏った杖が迫ってきている。 ガチガチガチ…とデルフと杖がぶつかり合う音が彼女の耳へひっきりなしに入り、押すことも引くこともできない状況に更なる緊迫感を上乗せしていく。 「ッ、時間が無いって、それ一体どういう意味よ…!?」 「ん?あぁそうか、今口にするまでその事は話題にも出していなかったな。失敬した」 自分の攻撃を何とか防いだ霊夢の質問に、ワルドは思い出したかのような表情を浮かべながら言った。 それからすぐに逞しい髭が生えた顎でクイッと上空を指したのを見て、霊夢も自らの視線を頭上へと向けた。 霊夢にデルフとワルド、それに二人に気付かれぬまま目覚めたルイズと未だ眠り続けている魔理沙。 計四人と一本が今いるタルブ村にある小高い丘から見上げた夜空に浮かんでいる、神聖アルビオン共和国の艦隊。 旗艦である『レキシントン号』を含めた幾つもの軍艦が灯している灯りで、彼らの浮遊している空は人口の明りに包まれていた。 「あれが見えるだろう?私がここまで来るのに足として使ったアルビオンの艦隊だ」 「それがッ、どうしたって――――…まさか」 ワルドの言葉と先ほど聞いた「時間が無い」という言葉で、彼女は思い出した。 つい二十分ほど前に自分たちにキメラの軍団をけしかけてきていた謎の女、シェフィールドの言葉を。 ―――コイツラは明朝と共に隣町へ進撃を開始する事になってるのさ。アルビオン艦隊の前進と共にね。 ―――――そうなればトリスタニアまではほぼ一直線、お姫様が逃げようが逃げまいがアンタたちの王都はおしまいってワケさ! 奴が運び込んできたであろうキメラ軍団と共に進軍するであろう、アルビオンの艦隊。 それが今頭上に空中要塞の如く浮遊しており、そして先ほどワルドが口にした言葉が意味する事はたった一つ。 「成程…アンタが吹き飛ばした化け物の仲間と一緒に、あの艦隊も動き出すってワケね!」 「ム、なぜそこまで知ってるんだ?」 「アンタがやってきてルイズを攫う前に、あのシェフィールドって奴がペラペラ喋ってくれたのよ」 「…ふぅん。私の事を裏切り者と言った割には、髄分と口が軽いじゃないか」 そんな会話を続けていく中で、ワルドに押されている霊夢はゆっくりと自分の態勢を立ち直らせようとしていた。 さながら身を低くして獲物の傍へと近づくライオンの如く、相手に気づかれぬよう慎重な動きで足の位置を変えていく。 受けの態勢から押す態勢へと変える為に…ゆっくりと、気取られぬよう靴の裏で地面の草を磨り潰すようにして足を動かす。 その動きを続ける間にも決して怪しまれぬよう、自分の気持ちなど知らずして口を開くワルドにも対応しなければいけない。 「まぁ今はご立腹であろう彼女に、どう謝るのかは後で考えるとして…どうした?さっきみたいに押し戻したらどうだ?」 「アンタが自分の全体重使って押し付けて、くるから…か弱い少女の私じゃあ…これぐらいが、精一杯よッ」 (何ならもう一回距離を取って良いけど…、はてさてそう上手く行きそうにないわねぇ) 自分と目を合わせているワルドが足元を見ない事を祈りつつ、霊夢はこの状況を脱した後でどう動こうか考えていた。 無論その後にも色々と倒すべき目標がいるという事も考慮すれば、この男一人に体力を使い過ぎてしまうのも問題であろう。 (いくらルーンのおかげで体が軽くなって剣も扱えるとようになっても、流石にあの艦隊を一人で相手するのは無理がありそうだし…) 目の前の男を倒した後の事を考えつつも、足を動かして上手く一転攻勢への布石を整えようとしていた…その時であった。 アストン伯の屋敷がある森の方から凄まじい爆発音と共に、霊力を纏った青白い光が見えたのは。 まるで蝋燭の灯りの様についた光と、大量の黒色火薬を用いて岩盤を力技で粉砕するかのような爆発音。 一度に発生した二つの異常はこの場に居る者たちには直接関係しなかったものの、まるっきり無視する事はできなかったらしい。 「む?何事だ」 霊夢と睨みあっていたワルドは爆発音と音に目を丸くし、彼女と鍔迫り合いをしている最中にチラリと森の方へ顔を向ける。 そんな彼と対峙し、逆転の機会を作っていた霊夢も思わず驚いてしまっていたが、彼女だけはワルドには分からないであろゔモノ゙すら感じ取っていた。 「ん、これは…」 その正体は、さきほど森を照らしたあの青い光から発せられた、荒々しい霊力であった。 まるで鋸の歯の様に鋭く厳ついその力の波を有無を言わさず受け取るしかない彼女は、瞬時にあの森にいた巫女モドキの事を思い出す。 ルイズの姉に助けられたと称して風の様に現れ、一時の間共闘し自分と魔理沙の間に立ってキメラたちを防いでくれたあの長い黒髪の巫女モドキ。 今あの光から放たれる荒々しい霊力は、霊夢が感じる限り間違いなく彼女の物だと理解できた。 (間違いない…この霊力、アイツのだ…!けれどこの量…、一体何があったっていうのよ?) まるで内側に溜め続けていた霊力を、自分の体に負荷をかける事を承知で一気に開放したかのような霊力の津波。 それをほぼ直で感じ取ってしまった霊夢は、あの巫女モドキの身に何かが起こってしまったのではないかと思ってしまう。 仮に霊夢が今の量と同じ霊力を溜めに溜めて攻撃の一つとして開放すれば、敵も自分も決してタダでは済まない。 良くて二、三日は布団から出られないだけで済むが、最悪の場合は霊力を開放した自分の体は… ―――それは、あまりにも突然であった。 「…ファイアー…――――ボールッ!!」 森からの爆発音に続くようにして、ルイズの怒号が二人の耳に入ってきたのは。 特徴のあるその声に霊夢が最初に、次にワルドが振り返った時点でルイズは既に杖を振り下ろした直後であった。 辛うじて動く右手に握る杖の先を、時間を掛けてワルドの方へと向けた彼女はようやっと呪文を唱え、力弱く杖を振ったのである。 「ル…――――うわッ!」 咄嗟に彼女の名を口に出そうとした霊夢は、自分から少し離れた地面が捲れようとしているのに気付いてこれはマズイと判断した。 これまで彼女の唱えた魔法が爆破する瞬間を何度か見てきた事はあるが、今見ているような現象は目にしたことは無い。 だからこそ霊夢は危険と判断したのである。今のルイズが起こそうとしている爆発は―――この距離だと巻き添えを喰らうと。 「ルイズ…、ルイズなのか?馬鹿な…何故…!」 一方のワルドは目を見開き、信じられないモノを見るかのような表情を浮かべて驚愕している。 何せ自分の『スリープ・クラウド』をマトモに喰らって眠っていたはずだというのに、今彼女は目を覚まして自分と霊夢に杖を向けているのだ。 (まさか失敗…いや!そんな事は断じて……!) そして彼もまた、自分から少し離れた地面がその下にある゛何か゛に押し上げられていくのが見えた。 これはマズイ。そう判断した彼は後ろへ下がるべく霊夢との鍔迫り合いを中断せざるを得ない状況に追い込まれてしまう。 偶然にも、この時ワルドと似たような事を考えていた彼女もほぼ同時に後ろへ下がり、距離を取ろうとした時―――――――地面が爆発した。 捲れ、ひび割れた地面の隙間から白い閃光が漏れ出し、ルイズの魔力を込められた爆風が周囲に襲い掛かる。 爆風は飛び散った大地の欠片を凶器に変えて、その場から離れた二人へ殺到していく。 「グ!このぉ…!」 ワルドは咄嗟の判断で自身の周囲に『ウインド』を発生させて破片を吹き飛ばそうとする。 しかし強力な爆発力で飛んでいく破片は風の防壁を超えてワルドの頬や服越しの肌を掠め、赤い掠り傷を作っていく。 彼は驚いた。自負ではあるが自分の゛風゛で造り上げた防壁ならば、大抵のモノなら吹き飛ばすことができた。 平民の山賊たちが放ってくる矢や銃弾、組み手相手の同僚や山賊側に属していたメイジの放つ『ファイアー・ボール』など… その時の状況で避けるのが困難だと理解した攻撃の多くは、今自分が発動している『ウインド』で防いでいたのである。 ところがルイズの爆発の力を借りて飛んでくる破片の幾つかは、それを易々と通過して自分を攻撃してくるのだ。 幾ら彼女の失敗魔法の威力が強くとも、ただの地面の欠片―――それも雑草のついたものが容赦なく通り抜けていく。 これは自分の魔法に思わぬ゙穴゙が存在するのか?それとも、その破片を失敗魔法で飛ばしたルイズに秘密が…? そんな事を考えていたワルドはふと思い出す。彼女は自分の『スリープ・クラウド』で眠ったのにも関わらず、目を覚ましたことに。 ガンダールヴとなった少女を召喚し、他の有象無象のメイジ達は毛色が違いすぎるかつての許嫁であったルイズ。 (ルイズ、やはり君は特別なのか…?) 風の防壁を貫いてくる破片に傷つけられたワルドは、反撃の為に呪文を唱え始める。 今やガンダールヴ以上に危険な存在―――ダークホースと化したルイズを再び黙らせるために。 「うわ、ちょっと…うわわ!」 一方の霊夢は、辛うじてルイズの飛ばした破片をある程度避ける事に成功はしていた。 最もスカートやリボンの端っこ等は飛んでくる小さな狂気に掠りに掠りまくってボロボロの切れ端みたいになってしまったが…。 ワルドとは違いその場に留まらず後ろへ下がり続けていたおかげで、体に直撃を喰らう事は防ぐことができた。 その彼と対峙していた場所から二メイルほど離れた所で足を止めたところで、左手に持っていたデルフが素っ頓狂な声をあげた。 『お、おいおいこりゃ一体どういう事だ?何で『スリープ・クラウド』で眠ってた娘っ子が起きてんだよ』 彼の最もな言葉に霊夢は「こっちが知りたいぐらいよ」と返しつつ、再び両手に持って構え直す。 幸いにもワルドはルイズを睨み付けており、自分には背中を見せている不意打ちには持って来いの状況である。 どうやら彼女を眠らせた張本人も、これには目を丸くして驚いているようだ。霊夢は良い気味だと内心思っていたが。 「しかも目覚めの爆発攻撃ときたわ。…全く、やるならやるで合図くらい――…ってさっきの叫び声がそうなのかしら?」 最後の一言が疑問形になったものの、態勢を整え直した霊夢はワルドの背後へキツイ峰打ちでもお見舞いしてやろうかと思った直後。 「う―――『ウインド・ブレイク』…!」 倒れたままのルイズが再び呪文を唱え終えると、振り上げた杖をワルドの方へ向けて勢いよく下ろした。 今度はマズイと判断したワルドがバッとその場から飛び退いた瞬間、今度は激しい閃光と共に彼のいた空間が爆発する。 「ルイズ、二度目は無いぞッ!」 先程とは違い空間だけが爆発した為に攻撃範囲そのものは狭く、余裕で回避したワルドは杖を振り下ろして唱え終えていた『エア・ハンマー』を発動した。 彼の眼前に空気の塊が現れ、それそのものが巨大な槌となって再び攻撃を行おうとしたルイズの体と激突する。 「!?…キャアッ!!」 三度目の魔法を唱えようとしたルイズは迫ってくる魔法に成す術も無く、未だ起き上がれぬ小さな体が吹き飛ぶ。 小さな胸を圧迫する空気の槌は彼女を地上三メイルにまで押し上げた所で消滅し、彼女の体は宙へ放り投げられる。 このまま弧を描いて面に落ちれば、受け身も取れぬルイズは大けがを負う可能性があった。 「ルイズ!」 流石の霊夢もマズイと判断し、地面を蹴って勢いよく飛び上がった。 この距離ならば彼女が地面へ落ちる前に、余裕をもってキャッチできる。 「!――――やはり来たなッ」 だが、それを予測していたかのようにワルドが不敵な笑みを浮かべて後ろを振り返った。 無論彼の視線の先にいるのは、地を蹴飛ばしてルイズの下へ飛んで行こうとする霊夢の姿。 彼女はルイズを助けに前へ出たのだが、ワルドの目から見れば正に『飛んで火にいる夏の虫』でしかない。 この時を待っていたと言わんばかりに再び杖に『エア・ニードル』を纏わせると、目にも止まらぬ速さの突きを繰り出す。 人間の体など簡単に穿つ事のできる魔法が眼前に突き出された霊夢は―――焦ることなく、その姿を消した。 彼女の胴に『エア・二―ドル』が刺さる直前、その体が蜃気楼のように霧散したのである。 「ッ!?…スカボローで見た、瞬間移動か!」 消えた霊夢を見て咄嗟に思い出したワルドが再びルイズの方へと顔を向けるた時には、 まるで無から一つの生命体が生まれるようにして出現した霊夢が、丁度自分のところへ落ちてきたルイズをキャッチしていた所であった。 ワルドの魔法で打ち上げられ、霊夢の瞬間移動で空中キャッチされたルイズは助けてくれた彼女を見て目を丸くする。 これまでも何回か助けてくれた事はあったが、まさか間にいたワルドを無視してまで来てくれた事に驚いているのだ。 (でも、ワルドにやられて助けに来てくれるなんて…ニューカッスル城の時の事を思い出すわね…―――――…ッ!?) 自分よりやや太い程度の少女らしい腕に抱えられたままのルイズは場違いな回想を頭の中で浮かべながら、霊夢の方へ顔を向ける。 それは同時に、彼女の後ろにいたワルドが自分たちに向けてレイピア型の杖を向けている姿をも見る事となった。 当然のことだが、どうやら相手は待ってくれないらしい。まぁ当然だろうと思うしかないが。 「レイ――――…!」 「全くアンタってヤツは…、援護してくれるのでは良かったけどせめてアイツと距離を取ってから…」 「違う、違うって!アンタ後ろッ、ワルドが…!」 慌てた様子のルイズの口から出た名前に霊夢はハッとした表情を浮かべ、彼女を抱えて右の方へと飛んだ。 瞬間、ワルドの放った三本の『エア・カッター』が二人がいた場所を通り過ぎ、地面を抉ってタルブ村の方へと向かっていく。 まもたやルイズのせいで攻撃を外したワルドは舌打ちしながらも、冷静に杖の先を移動した二人の方へ向ける。 避けられた事自体はある程度想定済みであったし、何より『エア・カッター』程度の呪文ならばすぐにでも唱えられる。 それこそ自分の名前を紙に書き込むぐらいに、ワルドにとっては呼吸と同じぐらい造作もない事であった。 「また来るわ!」 「分かっ、てる…っての!」 抱えられたままのルイズが注意を促すと、促された霊夢はルイズの重さに堪えながらそう返す。 自分とほぼ同じ体重の少女を抱えたまま移動するというのは、流石に無理があったと今更ながら分かった。 それでも今の状況でルイズを降ろすという選択肢など選べるワケは無く、ワルドの攻撃を避けようとする。 だが相手も今の霊夢が動きにくいと察してか、杖から放ってきた三枚の『エア・カッター』が扇状になって飛んできた。 今二人のいる位置を中心に広がる空気の刃は、彼女たちを仕留めようと迫ってくる。 霊夢であるならば多少の無理だけでルイズを抱えたまま避けられるだろうが、その際に隙が生じてしまう。 目の前の相手は自分がその隙を見逃すはずもないであろうし、結界を張るにもその時間すら無いという八方塞がり。 即席結界でも近づいてくる『エア・カッター』を辛うじて防げるのだが、どっちにしろワルドには近づかれてしまうだろう。 ならば今の霊夢が取るべき行動はたったの一つ。左手に握る魔剣デルフリンガーの出番である。 『ッ!レイム、オレっちを前に突き出せ!』 「言われなくても、そうするわよ」 デルフの言葉に応えるかのように、霊夢はインテリジェンスソードを自分とルイズの前に突き出す。 先ほどみたいに魔法を吸収した後、近づいてくるであろうワルドを何とか避けるしかない。 そこまで考えていた時、その霊夢に抱えられていたルイズが意を決した様な表情を浮かべて右手の杖を振り上げた。 「ルイズ…?」 彼女の行動に気付いた霊夢が一瞬怪訝な表情を浮かべた瞬間、ルイズはそれを勢いよく振り下ろした。 ワルドが扇状に広がる『エア・カッター』を出してきてから、唱え始めていた呪文を叫びながら。 「『レビテレーション』ッ!」 コモン・マジックの一つであり、貴族の子として生まれた子供ならば年齢一桁の内に習得できるであろう初歩的な呪文。 幼少期のルイズも習得しよう必死になってと詠唱と共に杖を振り、その度に失敗して母親から叱られていた苦い思い出のある魔法。 そしてあれから成長した今のルイズは決意に満ちた表情でその呪文を詠唱し、杖を振り下ろしたのである。 自分と霊夢を切り裂こうという殺意を放って近づいてくる、ワルドの『エア・カッター』に向けて。 瞬間、二人とワルドの間を遮るようにして何もない空間を飛んでいた『エア・カッター』を中心にして、白く眩い閃光を伴う爆発が起きた。 「うわ―――…っ!」 『ウォッ!眩しッ…』 「むぅ!無駄なあがきを…!」 あらかじめ爆発を起こすと決めていたルイズ以外の二人とデルフは、あまりにも眩しい閃光に思わず怯んでしまう。 耳につんざく爆音に、極極小サイズの宇宙でも作れてしまうような爆発は当然ながら唱えたルイズと霊夢、そしてワルドには当たっていない。 精々爆発が発生する際に生じる閃光で、ほんの一瞬目くらましできた程度実質的な被害は無く。一見すれば単なる失敗魔法の無駄撃ちかと思ってしまう。 しかし、ルイズはこの爆発を彼に当てるつもりで唱えていたワケではなかった。―――彼が唱えた魔法に向けていたのである。 一瞬の閃光の後に爆発の衝撃で地面から土煙が舞い、それも晴れた後に視界が晴れた先にいた二人を見て、ワルドは軽く面喰ってしまう。 何せ先ほどまで彼女たちに向けて放った『エア・カッター』の姿はどこにも見当たらず、切り裂く筈だった二人も御覧の通り健在。 これは一体、何が起きたのか?疑問に思った彼はしかし、ほんの二秒程度の時間でその答えを自力で見つけ出した。 ルイズが唱えた魔法による爆発、その中心地に丁度いた自分の『エア・カッター』の消失。 よほどの馬鹿であっても、二つの゙過程゙を足してみれば自ずと何が起こったのか理解できるだろう。 「まさか、私の『エア・カッター』を破壊したというのか…?あの爆発で」 「こうも上手く行くとは思ってなかったけど、案外私の失敗魔法も捨てたモノじゃないわね…」 信じられないと言いたげな表情を浮かべるワルドの言葉に向けるかのように、霊夢から離れたルイズが感心するかのように口を開く。 いつも手入れを欠かさないブラウスやマント、母から受け継いだウェーブのピンクブロンドはすっかり汚れてしまっている。 右手にもった杖と肩に下げている鞄と合わせて見れば、彼女は家を勘当されて一人旅をしている元貴族のお嬢様にも見えてしまう。 だが、彼女の鳶色の瞳は鋭い眼光を放っており、視線の先にいるワルドをキッと睨み付けている。 以前のルイズ―――少なくともアルビオンへ行くまでの彼女ならばあの様に睨み付けてくる事はなかった。 睨み付けてくる彼女の姿を見ながらワルドが一人そう思っていると、ルイズは地面へ向けていた杖をスッと向けてきた。 「これからも、というか今でも普通の魔法を一度でも良いから使ってみたいとは思っているけど…今はこれが丁度良いわ。 だって、ウェールズ様を殺して、姫さまも泣かしたうえにレイムまで痛めつけてくれたアナタに…たっぷりお礼ができるもの」 まるで自分の居場所を見つけたかのような物言いに、流石のワルドも余裕を見せるワケにはいかなくなった。 一体どういう経緯があったかは知らないが…少なくとも今の彼女は、自分が知っているルイズとは少し違うという事である。 自分の二つ名にコンプレックスを抱き、常に頑張らなければいけないという重しを背負って泣いてばかりいた幼い頃のルイズ…。 アルビオンへ赴く任務の際に再会した時もあの頃からさほど見た目は変わらず、性格にはほんの少しの変化がついただけであった。 ところが今はそれに加えて魔法も格も上である筈の自分に杖を向けて、獰猛な目つきでこちらを睨み付けている。 …いや、その魔法も先ほど『エア・カッター』を失敗魔法の爆発で破壊したのを見れば自分が格上とは言い難かった。 まるで昨日まで他人にクンクンと鼻を鳴らしていた子犬が、たった一日で獰猛な大人の軍用犬に成長したかのような変わりっぷりだ。 「おーおー、アンタも言うようになってきたじゃないの」 「どこぞのお二人さんが傍にいる所為かしらね?私も大見得切った事が言えるようになってきたわ」 『っていうか、モロに影響受けてるってヤツだな。でも中々格好良かったぜ』 ワルドに啖呵を切ったのが良かったのか、横にいる霊夢の言葉にルイズがすかさず言い返す。 そんな光景を第三者の視点から見つめるワルドは、やはりルイズは変わったのだという確信を抱かざるを得なかった。 なぜ彼女はこうも短い期間であそこまで変われたのだろうか?そこが唯一の疑問ではあったが。 「変わったな、ルイズ。その性格も、魔法も…」 まるで蛹から孵化した蝶を外界へ放つときの様な寂しさを覚えたワルドは一人呟いた。 恋愛感情は無かったものの、彼女が幼い頃は許嫁として良く傍にいて面倒を見ていた思い出がある。 あの頃のルイズを思い出したワルドは、まさか彼女がここまで面白い成長の仕方をするとは思ってもいなかったのである。 だからこそ一種の寂しさというモノ感じていたのだが、それと同時に゙もう一つの確信゙を得る事となった。 幼少期はマトモな魔法が一つも使えぬ故に白い目で見られ、魔法学院では゛ゼロのルイズ゙と呼ばれて蔑まれていた彼女。 そのルイズが伝説の使い魔である『ガンダールヴ』のルーンを刻んだ少女を、自らの使い魔にしたという事実。 使い魔となった少女はこの世界では見たことも無い戦い方によって、自分は二度も敗北している。 ルイズの失敗魔法は幼き頃と比べて先鋭化の一途を辿り、とうとう自分の魔法をあの爆発で破壊する事にすら成功した。 今の彼女をかつて白い目で見、学院で゙ゼロ゙と蔑んでいた魔法学院の生徒たちが見ればどのような反応を見せるのだろうか? 少なくとも、今の彼女を見てまだ無能や出来損ないと呼ぶ者がいればソイツの目は節穴以下という事なのだろう。 「ルイズ、やはり君は特別だったんだ…!」 彼女たちに聞こえない程度の声量でワルドが小さく叫んだ瞬間…――――――― どこか心躍るような、ついつい楽しげな気分になってしまう花火の音と共に、彼らの頭上の夜空に虹色の星が幾つも舞った。 突然の事に三人ともハッとした表情を浮かべて、思わず頭上の夜空を見上げると俄には信じ難い光景が目に映る。 地上にいる自分たちを監視するかのように浮遊していた神聖アルビオン共和国が送り込んできた強力な艦隊。 並大抵の航空戦力では歯が立たないであろうその無敵艦隊の周りで、幾つもの花火が打ち上がり出したのだ。 パレードや町のイベントなどで使われる色鮮やかなそれ等は、この場においてはあまりにも場違いすぎる程綺麗であった。 「な…は、花火ですって?」 「これは一体何の冗談かしらねェ」 『少なくともオレ達の戦いを盛り上げてくれる…ってワケじゃあ無さそうだな』 いよいよワルドとの戦いもこれからという時にも関わらず、二人は夜空の打ち上がるソレを見て唖然としてしまう。 何せここは敵が占領しているとはいえ今は戦場なのである。そんな場所であんな賑やかな花火を打ち上げる事などありえなかった。 ルイズは目を丸くしてアルビオン艦隊の行動を見上げ、霊夢もまた何を考えているかも分からない敵の艦隊をジト目で見つめている。 デルフもデルフで敵が何の意図で花火を打ち上げたのか理解できず、曖昧な事を云うしかなかった。 しかし、そんな彼女たちの態度も目を見開いてアルビオン艦隊の花火を見つめていたワルドの言葉によって一変する事となった。 「馬鹿な…!まだ夜明け前だというのに……進軍の合図だとッ!」 「何ですって…?」 信じられないと言いたげな表情を浮かべる彼の口から出た言葉に、すかさずルイズが反応する。 霊夢もワルドの言葉に反応してその目を再び鋭く細めて、色鮮やかな光に照らされる艦隊を睨み付けた。 「どういう事よワルド、あれが進軍の合図だなんてッ」 「ウソだと思うか…?と言いたいところだが、あんなに賑やかな花火が合図とは思いもしないだろうな」 「まぁあの艦隊を指揮してる人間の頭がおかしくなった…とかならまだ納得はできそうね」 今にも自分に掴みかかりたくて堪らないと言いたげに身構えているルイズの言葉に、ワルドはそう答える。 それに続くようにして霊夢がそう言うと、構えたは杖を降ろさないままアルビオン艦隊の花火の事を軽く説明し出した。 アルビオン艦隊が、地上戦力として投下したキメラの軍団と共に進軍を開始する際の合図。 それは式典やおめでたい行事の時に使われる打ち上げ花火で行う事に決めたのは、艦隊司令長官のサー・ジョンストンであった。 最初の不意打ちが失敗した直後は発狂状態に陥っていた彼であったが、キメラが地上を制圧した後でその態度が一変した。 喉元過ぎれば何とやらという言葉の通り、危機的状況を脱する事の出来た彼は一気に調子に乗り出した。 そしてその勢いのまま、トリステイン王国への゙親善訪問゙用に積んでいた花火を進軍の合図に使おうと提案してきたのである。 当初は彼が搭乗する艦の艦長も何を馬鹿な事を…と思っていたが、結局のところ司令長官という地位を利用してごり押しで決定してしまった。 「これから悪しき王権に染まりきったトリステインを我々の手で浄化する前に、部下たちの景気づけに花火を打ち上げて進軍しようではないか!」 今やこの場が戦場だという認識の無い司令長官の言葉に、誰もが呆れ果てるしかなかった。 「…で、その結果があの花火って事ね」 「ソイツ、馬鹿なんじゃないの?」 「そう思うだろう?俺だってそう思うし、誰だってそう思う。それが正しい反応だ」 説明を聞き終えた後、三人ともが呆れたと言いたげな表情と言葉を述べて、遥か上空にある花火大会を見つめる。 ジョンストンという男が何をどう考えて花火を打ち上げようと考えたかは知らないが、なるほど合図としては良いかもしれないとルイズは思った。 トリステイン側に艦隊なり砲兵隊がいればあんなに目立つ的は無いだろうし、是が非でも沈めてやりたいと思うだろう。 しかし今この町にトリステイン軍はおらず、ここから数時間離れた所にある隣町で陣を張っている。 艦隊はほぼ無事であったものの、錬度では勝っていてもアルビオンの艦隊に勝てる確率は無いと言っていい。 悔しいことではあるが、敵の司令長官は勝てる算段があるからこそ有頂天になっているのだ。 ルイズは今にも歯ぎしりしそうな表情を浮かべている最中、ワルドはじっと彼女の背後―――夜闇に染まる森を見ていた。 鋭く細めたその瞳は何を見ていたのか突如意味深なため息をついたかと思うと、突然手に持っていた杖を腰に差したのである まるで戦いが終わったとでも言いたそうな静かな顔で杖を収めた男に、やる気満々の霊夢がデルフを構え直して口を開く。 「ちょっと、戦いはまだ終わってないわよ」 「生憎邪魔が入ってくるようだ。私としてはもうちょっと戦いたい所だったが…致し方ない」 「邪魔が…入ってくる?―――ッ!」 ワルドが口にした意味深な言葉を反芻した直後、霊夢は自分たちが背を向けている森の方からあの゙無機質な殺気゙が漂ってくる事に気付いた。 それも一つや二つではない。距離を取って移動しているようだが今感じ取れるだけでも十二近くはいる。 どうやらワルドとの戦いに神経を集中させ過ぎていた事と、気配の元どもが安全な距離を保って監視に徹していたので気がつかなかったようだ。 思わず背後の森へ視線を向けた霊夢の異変に気がついたルイズも、ワルドの言葉にあの森で戦ったキメラ達の事を思い出してしまう。 「邪魔が入るって…こういう事だったのね?」 「その通りだ。どうやら君たちも随分な女に目を付けられたな、しつこい女は中々怖いぞ?」 『話を聞いた限りじゃあ、お前さんも大概だぜ?』 憎き相手を前に水を差された様なルイズは悔しそうな表情を浮かべて、森の中にいるであろうキメラを睨み付ける。 一方のワルドもデルフの軽口を流しつつ、ゆっくりと後ろへ下がっていく。 彼女らとは反対に森の方へ目を向けていた彼は、闇が支配している木々の中でぼんやりと光る幾つもの丸く黄色い光が見え始めていた。 自分がここを離れるまで奴らが森から出ない事を祈りつつ、彼は静かに後ろへ下がっていく。 少なくともあの女の事だ。いつ頭の中の癇癪玉が暴発してキメラをけしかけてくるか、分かったものではない。 ルイズたちを優先して攻撃するのならばまだマシだが、最悪自分すら優先して攻撃されるのは勘弁願いたいところであった。 「君らとは一切邪魔が入らない場所で戦いたい。だから今回の戦いは、次回に持ち越し…という事にしようじゃないか」 「―――…!アンタねぇ…ッ自分から誘っておいて―――――ッ!?」 霊夢達と五~六メイルまで下がったワルドの言葉に霊夢が逃がすまいと突っ込もうとした矢先、空から突風が吹いた。 まるで外が強い暴風雨だというのにドアを開けてしまった時の様な、思わず顔を反らしたくなる程の強い風。 ルイズも悲鳴を上げて腕で顔をガードすると、それと同時に夜空から一匹の黒い風竜がワルドの傍へと降下してきたのである。 二人があっと言う間も無くワルドは風竜の背に飛び乗ると、スッと左手を上げて言った。 「一時のさようならだルイズ、それに『ガンダールヴ』のレイム。次に会う時は必ずトドメを刺す」 まるでこれから暫く会えないであろう友人に一時の別れを告げるかのような微笑みを浮かべ、上げた左手で竜の背を叩いた。 するとそれを合図にして風竜はワルドを乗せて上昇し、未だ地上にいる少女達に向けて尾を振りながら飛び去っていく。 ルイズはその風竜に杖を向けようかと思ったが、森の中で光るキメラ達の目に気が付いてその手が止まってしまう。 一方の霊夢はそんな事お構いなしに、デルフを持ったまま飛び上がろうとしたとき――――左手を照らしていたルーンの光がフッと消えた。 「こいつ…――ッ!…グッ!」 「レイム…!?」 瞬間、飛び立とうと地面を蹴りかけた彼女は足を止めると地面に両膝をついてしまう。 ルーンが消えた瞬間、それまで彼女を軽くしてくれていだ何がが消えてしまったかのように、体が重くなったのである。 正確に言えば――――体が忘れていた自分の重さを思い出した。と言うべきなのかもしれない。 まるで糸を切られてしまった操り人形の様に唐突に倒れた霊夢を見て、ルイズは彼女の名を呼んで傍へと寄っていく。 握っていたデルフを力なく草原の上に転がして、空いた両手で地面を押さえつけるようにして倒れてしまいそうになる自分の体を支えている。 『どうしたレイム!』 「くぅ…ッ、何か…知らないけど、ルーンの光りが消えたら…体が急に…ウゥッ!」 『ルーンの光りが、消えて……?―――!そうだ、思い出した』 ワルドを追撃しようとした矢先、唐突に苦しみだした彼女を見て流石のデルフも心配そうな声を掛けた。 それに対し彼女は苦しみつつも、素直に今の状態を報告するとまた何か思い出したのか、インテリジェンスソードは大声を上げる。 今この場においてはやや場違い感のある程イントネーションが高かったものの、それには構わずルイズが「どういう事なの?」と問いただす。 『『ガンダールヴ』のルーンは、発動中ならお前さんの手助けをしてくれるがあくまでそれは本人の体力次第だ。 無茶すればする分『ガンダールヴ』として戦える時間は短くなる。元々ダメージが溜まってた体で無茶してたんだしな それじゃあお前、ルーンの効果が切れちまうのも早くなっちまう。まぁあのキメラ達と散々戦ってたし、それ以前にここまで来るのにも体力使ってたろ?』 思い出した事を嬉しそうにしゃべるデルフを、何とか立ち上がる事の出来た霊夢がジト目で睨み付ける。 「アンタねぇ…それは、先に言っておきなさいよ」 『だから言ってるだろ?思い出したって。こうも長生きしてりゃあ忘れちまう事だってあるのさ』 自分を責める彼女の言葉に開き直ったデルフがそう言うと、霊夢はため息をついてデルフを拾い上げた。 ズシリ…と左手を通して伝わってくる重さは、さっきまで軽々と振り回していた事がついつい夢の様に感じてしまう。 ふと左手の甲を一瞥したが、さっきまであんなに煌々と光っていた『ガンダールヴ』ルーンはその輝きを失ってしまっている。 「重いわね。…っていうか、さっきまでアンタみたいに重たいのをあんだけ使いこなせてたのよね…私は」 自分の体を地上に繋ぎとめるかのような重さと、左手の重さを比べながら呟いた霊夢に向けてデルフが『そりゃそうだよ』と相槌を打つ。 『そりゃ、本来は鍛えられた大の大人が振り回す武器だ。お前さんみたいな娘の為に作られちゃあいねぇよ。 けれども、お前さんはちゃんと『ガンダールヴ』の力と共鳴して、あのメイジとほぼ互角まで渡り合えたんだぜ? そして『ガンダールヴ』の役目は主を命の危機から守る事―――レイム。お前と『ガンダールヴ』はあの時、確かに目的は一緒だったんだ』 デルフの長ったらしい、それでいて何処か説教くさい言葉を聞いたルイズがハッとした表情を浮かべる。 次いで彼を持っている霊夢の顔を見遣ると、幻想郷の巫女さんは面倒くさそうな顔をしていた。 「別にそんなんじゃないわよ。…ただ、あのいけ好かない顎鬚男が気に入らなかったってだけよ」 何より、アイツには色々と手痛い借りを返さなくちゃならなかったしね。 最後にそう付け加えた彼女の言葉にルイズは一瞬だけムスっとするものの、すぐにその表情が真顔へと変わった。 「まぁ…アンタならそう言うと思ってたわよ。っていうか、借りを返すってのなら私も同じ立場ね」 「そうね。……っと、何やかんやで喋ってたらちょっとヤバくなってきたじゃないの?」 ルイズの言葉にそう返してから、霊夢はシェフィールドが送り込んできたキメラ達のいる森の方へと歩き出す。 彼女があっさり踵を返して歩いていく後姿を見て、ルイズは「ワルドを追いかけないの?」と問いかけた。 「アイツは確かにムカつくけど、人間でもない凶暴なコイツらを野放しにしておく事はできないわよ」 仕方ないと言いたげな彼女は、闇の中で光るキメラ達の目を指さしながらツカツカツカと歩いていく。 既にワルドを乗せた風竜は夜空の中へと消え去り、艦隊から打ち上がる花火の光にもその影は見えない。 霊夢本人は何としてでも追いかけて痛めつけないと気が済まなかったのだが、『ガンダールヴ』の能力を使いすぎたせいで残りの体力は少ない。 それに、ここへきた目的はキメラを意図的に放って人々を手に掛けようとするアルビオン艦隊の退治なのである。 だからこそ霊夢は悔し涙を飲み込みつつ、次は自分たちを追撃しに来た異形達に矛先を向けることにしたのである。 「さてと、それじゃあまずは――この黒白を叩き起こす事が先決ね」 森の方へと歩いていた彼女は、ここへ来てから今に至るまでワルドの『スリープ・クラウド』で眠り続けている魔理沙の前で足を止めた。 あの男の言っていたとおり散々騒音を立てていたというのに、普通の魔法使いは使い慣れた自宅のベッドを眠っているかのように熟睡している。 黒のトンガリ帽子の下にある寝顔も安らかそのもので、人が散々戦っていた事などお構いなしという雰囲気が伝わっていた。 『まさか起こす気か?そりゃ、方法は幾つかあるけどよぉ』 「そのまさかよ、私とルイズが身を粉にする思いで戦ってたんだから次はコイツに頑張ってもらうわ」 「でもどうやって起こすのよ?確か『スリープ・クラウド』で眠った人は魔法を使わなきゃ起きないって聞くけど…」 これからやろうとすることに気付いたらしいデルフの言葉にそう答えていると、背後からルイズが話しかけてきた。 後ろを振り向いてみると何の気まぐれか、彼女の左手にはワルドとの戦いで最初に蹴り飛ばされた御幣が握られている。 まるで母の乳を吸う時期から脱した子供が木の棒を握った時のような無造作な持ち方であったが、一応は持ってきてくれたらしい。 「…ほら、コレあんたのでしょ?だから、その…持ってきてあげたわよ」 そして霊夢の視線が自分の左手に向けられている事に気が付いたルイズは、スッと左手の御幣を差し出してそう言った。 顔を若干左に反らして口をへの字にする彼女の姿を見て、霊夢は少しだけ目を丸くしつつ素直に受け取る。 時間にすれはほんの十分程度しか手放していなかったお祓い棒は、しっとりと冷たかった 「………ありがとう、助かったわ」 「お礼なんて、別にいいわよ…それより、早くその黒白を起こしちゃいなさい」 反らした顔を顰めさせて気恥ずかしい気分を隠そうとするルイズの後ろを姿を見ながら、霊夢もまた「分かってるわよ」と返す。 左手に握っていたままだったデルフを鞘に戻ししてから、右手に持つ御幣を静かに頭上まで振り上げる。 その動作と仰向けに倒れて寝ている魔理沙を交互に見て、゙嫌なモノ゙を感じたルイズが彼女に声を掛けた。 「ちょっと待ちなさい。アンタ、それで殴るつもりなんじゃ…」 「そんなんじゃないわよ。ちょっとショックを与えてやるだけよ」 ショック…?ルイズが首を傾げるなか、霊夢は体に残っている霊力の少しを御幣へと送り込んでいく。 これから行う事は然程霊力を使うわけでもなく、送り込むという作業はすぐに終了した。 「よっ――…っと!」 軽い掛け声と共に、霊夢は両手に持った御幣を目をつぶっている魔理沙の顔目がけて振り下ろした。 そこに殺意は無く振り下ろす時の速さも何かを叩き割るというより、子供が玩具のハンマーで同じ玩具の縫いぐるみを叩くような感じである。 そんなノリで振り下ろした御幣の紙垂部分が眠り続けている魔理沙の頬に当たった瞬間、紙垂から青い光が迸った。 薄い銀板で造られたそれ等は霊夢が御幣に送り込んだ霊力を魔理沙の体内へと送り、内側から刺激を与えていく。 刺激そのものはそれほど痛くはないものの、魔法と同様の力が体中をめぐる衝撃に流石の魔理沙も黙ってはいなかった。 「―――ッ……!?…ッイ、イテッ!な、何だよ!何だ!?」 紙垂から青い光が迸ったのと同時に目を開き跳ね起きた魔理沙は、小さな悲鳴を上げながら小躍りしている。 恐らく霊夢の霊力が思ったほど痛かったのだろう。痛そうに顔を歪めて小さく跳ねる姿を見て流石のルイズも顔を顰めてしまう。 「…何したのか全然分からないけど。アンタ、やり過ぎなんじゃないの?」 「別にいいのよ、コイツは丁度良い薬だわ」 「!…お、おい霊夢!お前か犯人はッ」 会話を聞かれてたのか、跳ねるのをやめた魔理沙が目をキッと鋭くさせて霊夢を睨み付けた。 もう体に送り込んだ霊力は消滅したのだろう。すっかり目を覚ました普通の魔法使いはその体から敵意を放っている。 無論、その敵意の向けられている先には面倒くさそうな顔をしている霊夢がいた。 「お前なぁ~…!いくら知り合いだからって、今のはマジで痛かった………って、あれ?ルイズ?はて…」 霊夢を指さして怒鳴ろうとしていた彼女はふと、その隣にルイズがいる事に気が付いてキョトンとした表情になった。 まだ彼女が眠る前はワルドの手の内であったから、ボロボロではあるが平然と立っているルイズに驚くのも無理はないだろう。 「アンタが眠っている間に私と、あと途中からルイズが入ってきてワルドとかいうヒゲオヤジと戦ってたのよ」 『そういうこと。お前さんが不意打ち喰らってグースカ寝てる間に、レイムと娘っ子が尻拭いしてくれったワケさ』 デルフも加わった霊夢からの説明を聞いて、ようやく理解する事の出来た魔理沙は「マジかよ」と言いたげな顔になる。 しかしどこか気に入らない事があるのか、やや不満げな表情を浮かべる彼女はもう一度霊夢を指さしながら言った。 「…まぁ事情は理解したよ。けれどな、だけどな?幾ら何でも起こすためだけにアレはないだろう、アレは!」 「まぁそうよね。もっと他に方法があったでしょうに」 魔理沙の言う「アレ」とは、正に先ほどの行為なのだろうと察したルイズも思わず彼女の意見に同意してしまう。 確かに『スリープ・クラウド』で眠った者はなかなか起きないと聞くが、あんなに痛がらせる必要があったのだろうか…? 「まぁ日頃の行いのツケだと思いなさい。…それに、アンタを起こしたのは手を借りたいからよ。ホラ、後ろ見てみなさい」 「ん?後ろ、……んぅ?―――――わぁお、これまた団体様御一行での登場か」 悪びれる様子も無い霊夢は後ろを指さすと同時に、後ろを振り向くよう魔理沙に指示をした。 彼女は知り合いの指が向いている方向に何があるのかと気になったのか、素直に後ろを振り向き、そして理解する。 何でこの巫女さんが寝ている自分を乱暴に起こしたその理由と、自分がこれから何をされるのかを。 振り返った視線の先、森の中で妖しく光る丸く黄色い光たちを睨み付けながら、魔理沙はフンと鼻で笑う。 「成程なぁ。つまり私を起こしたのは、お前がするべき化け物退治を私に丸投げするって事か?」 「そう言われるのは癪だけど、言われちゃったら言い返せないわねェ。ちょっとさっきの戦いで力を使い過ぎちゃったから…」 連戦はちょっとキツイかも…。最後にそう付け加えて、霊夢はため息をつきながら額に手を当てた。 『ガンダールヴ』が解除された影響で、体に蓄積されていた疲労が戻ってきたせいで万全とは言えない状態である。 かなり弱ってしまった巫女さんをニヤニヤと見ながら、地面に落ちていた箒を拾った魔理沙がその口を開く。 「こりゃまた珍しいな。妖怪モドキを前にしたお前さんの口からでるセリフとは思えないぜ」 「ソイツらだけじゃないわよ。ホラ、あの空の上のアルビオン艦隊だって最悪相手にしなきゃならないのよ?」 魔理沙の言葉にそんな横槍を入れてきたのは、空を指さしたルイズであった。 彼女の言葉に振り返っていた体を戻すと、既に花火を打ち上げ終えたアルビオン艦隊が遥か上空で動きだそうとしている最中だ。 とはいっても、魔理沙や他の二人が見ても止まっているように見えてしまう程ゆっくりであったが。 「…?私の目には停止しているように見えるんだが」 「そりゃあんだけ大きい艦となると動かすのにも時間が掛かるし、もしもアレを倒すんなら今しかチャンスが無いわ」 艦隊を指さしながら説明をするルイズの顔は、自分の国の首都を蹂躙しようとする艦隊への敵意が込められている。 普通に考えても、たった三人の少女だけであの規模の艦隊…それも精鋭と名高いアルビオン空軍の艦隊と戦う事などできない。 更に今彼女たちがいる地上では自分たちを追跡していたキメラ達が今にも森の中から出てきて、襲い掛かろうとしているのだ。 物量、力量共に敵側に分がある今の状態では、疲労困憊したルイズたちが勝てる可能性はほぼ無いと言っても良い。 普通の人間ならば、今は戦う時ではないと諦めて戦術的撤退を行っていたであろうが――――彼女たちは違った。 「………魔理沙、アンタはどう思う?」 ルイズが指さす艦隊を見上げながら、霊夢は隣にいる魔法使いに聞いた。 「そりゃ、お前…アレだよ?こういうのはアレだよな?ああいうデカブツほど『潰しがいがある』ってヤツさ」 頭に被る帽子の中からミニ八卦炉を取り出しながら、魔理沙は巫女にそう言った。 その顔にはこれから起こるであろう戦いへの緊張や恐怖という類の感情は、全く浮かんではいなかった。 笑顔だ。右手に箒、左手にミニ八卦炉を持った普通の魔法使いの顔には笑みが浮かんでいる。 それも戦いに飢えた狂人が浮かべるようなものではなく、ただ純粋にこれから始まる戦い(ステージ)に勝ってみせるという楽しげな笑み。 命を賭けた戦いだというのに、彼女の顔に浮かぶ笑みからは…ほんの少し難しい゙ハードモード゙で遊んでやろうというチャレンジ精神が見えていた。 「散々ここで化け物どもを放って、好き放題やったんだ。次は私゙たぢが好き放題させてもらう番だぜ」 最後に一人呟いてから、体を森の方へと向けた魔理沙はミニ八卦炉を構えた。 その彼女に続くようにしてルイズと霊夢も後ろを振り向き、それぞれ手に持った獲物を構えて見せる。 ルイズはスッと杖をキメラ達へ向け、霊夢は懐からスペルカードを取り出して臨戦態勢へと移っていく。 森の中に潜む異形達も準備が整ったか、滲み出る無機質な殺気がいつ敵の攻撃となって森から出てきても可笑しくは無かった。 「空の大物を沈める前に、まずはコイツラ相手に肩ならしといきますかな?」 二人と比べて、体力が有り余っている魔理沙がキメラ達に向けて宣戦布告を言い放った瞬間…。 木立を揺らしながら出てきたキメラ゙ラピッド゙がその銀色の体を輝かせ、手に持った槍を突き出しながら森から飛び出し―――――― ――――――空から降ってきた青銅色の゙何がに勢いよく押し潰されて、くたばった。 窓際に置いていた植木鉢が落ちて、偶然にもその下にいた不幸な人の頭に落ちるかのように、 その青銅色の゙何がに当たる気など全く無かったキメラは、突撃しようとした矢先に落ちて来だ何がに潰されたのである。 天文学的確率は言わないレベルではあるが、このキメラの運が底なしに悪かったという他あるまい。 「――――――…っな、なぁ…!?」 そんな突然の事態に対しも真っ先に反応できたのは、ミニ八卦炉をキメラに向けていた魔理沙であった。 物凄く鈍い音を立ててキメラに直撃してきたそれに驚き、ついさっきまで浮かべていた笑みは驚愕に変わっている。 「ちょっと…何アレ?」 「何よ?また別の新手でもやってきたワケ?」 『いや~、仲間を押しつぶす形で降りてくるようなヤツは流石にいないだろ?』 ルイズと霊夢も彼女に続いてキメラの上に落ちてきたソレに気付き、両者がそれぞれの反応を見せる。 そこにデルフも加わり、ほんの少しその場が賑やかになろうとした時、魔理沙に次いで声を上げたルイズが何かに気付く。 キメラの上に落ちてはきた青銅色の゙何か゛は、よくよく見てみれば人の形をしている。 やや細身ではあるが、物凄い勢いとキメラを押しつぶした事を考えれば相当の重量があるのだろう。 潰れたキメラの上に倒れ込むような体勢になってはいるが、少なくともルイズの目には彼女が傷一つ負っていないように見える。 青銅色の体には同じ色の鎧を纏っており、まるで御伽噺に出てくるような戦女神の姿はまさしく……… そこまで観察したところで、ルイズは思い出す。こんな『自分の趣味全開のゴーレム』を作り出せる、一人の知り合いを。 別段そこまで親しくは無く、かといって赤の他人とも呼べるほど縁は薄くない彼の名前を、ルイズは記憶の中から掘り起こすことができた。 「あれっ…てもしかして……ギーシュのワルキューレ?」 「あらぁ~?大丈夫だったのねぇルイズ」 彼の名と、彼がゴーレムに着けている名前を口にした直後――――三人の頭上から女の声が聞こえてきた。 三人―――少なくともルイズと霊夢は良く耳にし、あまり良い印象を持てない゙微熱゙の二つ名を持つ彼女の甘味のある声が。 本当ならばこんな所で聞くはずも無く、そして暫く目にすることも無かったであろう彼女の姿を思い出し、ルイズは咄嗟に顔を上げる。 そして彼女は見つけた。自分たちのいる地上より少し離れた上空から此方を見つめる青く幼い風竜と、 羽根を器用に動かしてその場に留まっている風竜の上にいる、三人の少女と一人の少年の姿を。 その内の一人、こちらを見下ろすように風竜の背の上で立って凝視している少女は、燃えるような赤い髪を風でなびかせている。 彼女の髪の色のおかげてある程度離れていてもその姿はヤケに目立ち、そして彼女自身もルイズたちにその存在をアピールしていた。 ここで出会う事など全く考えていなかったルイズはその髪を見て、目を見開いて驚いた。 「キュルケ!どうしてアンタがここに…!?」 「こんばんはルイズ。てっきりギーシュのゴーレムで大変な事になってたと思ったけど…」 とんだサプライズになってくれたわね。最後にそう付け加えて彼女――――キュルケは笑みを浮かべて手を振った。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん ゴンドアはトリステイン王国の領地内にある町でも、特に目立たない中規模な町だ。 最も近いラ・ロシェールからは徒歩で二時間、トリスタニアから行けば馬で行っても一日半近くは掛かる。 比較的平らな土地の上にはトリスタニアの三分の一程度の市街地と国軍の小さな砦があるだけだ。 強いて言えばそこから徒歩二時間もしない場所に『風石』を採掘できる鉱山があり、町に住む男たちの大半はそこで働いている。 若い者も力仕事ができる者は皆鉱山へ行くので、王都や地方都市へ出稼ぎに行く若者は比較的少ないと言っていいだろう。 採掘された『風石』はそのまま輸出されたり、町の加工場で削ってちょっとした民芸品として売られていたりもする。 『風石』は加工しだいによっては神秘的な緑色の光りを放つ事もあり、お土産としての人気はあった。 また知ってのとおり、『風石』は船や一部のマジック・アイテムを動かす素材としても使われているので、町の経済は富んでいると言っていいだろう。 その為『風石』の買い付けに来る商人は後を絶たず、国内外の貴族たちもラ・ロシェールか王都へ行くついでに足を運ぶことも多い。 王都や外国で流行っている類の品物も、港町と王都の間に位置しているおかげでそれなりに流通はしている。 王都トリスタニアと港町ラ・ロシェールの板挟みである事、『風石』の鉱脈に恵まれた事。 この二つがあるおかげで、ゴンドアという町は若者が少ない寂しい町にならずに済んでいるのだ。 だがしかし、その町は未だかつて経験した事のない危機に晒されていた。 疫病が蔓延したワケでもなく、ましてやドラゴンやオーク鬼などといった『生きた災害』と言われる幻獣や亜人達が襲撃したワケでもない。 それは遥か上空、白い雲とどこまでも続く青い空の中に浮かぶ゙白の国゙からやっきてた艦隊。 今や神聖アルビオン共和国からの使いと名乗る暴虐なる軍勢が、この平和な町に攻め込もうとしていたのである。 その日、時間は既に深夜だというのに町は日中以上の喧騒に包まれていた。 普段ならば賭場の店主ですら店じまいして寝ているというのに、街の至る所で大勢の人々が走り回っている。 無論その中にはこの町に住んでいる人間はおらず、奇妙な事に彼らよりも軍人達の方が多かった。 町の砦で働いている地元出身国軍兵士から遠い地方から来た者もいれば、王軍所属の若い貴族達もいる。 彼らは皆必死な表情を浮かべており、肌から滲み出る汗などものともせずに走り回っていた。 事が起こったのはその日の昼過ぎであっただろうか。 町の人々が未明に聞こえてきた大砲の音で何だ何だと目を覚ましてから、数時間がたった頃。 夜明けの砲撃は、きっと親善訪問に来てるアルビオン艦隊への礼砲だろうと朝食をつつきながら話している最中であった。 そのアルビオン艦隊を迎えに行っていたトリステイン艦隊が、急に町の方へ飛んできたのである。 町の者たちは皆驚いてか、食べていた朝食を後に家を飛び出したり窓から身を乗り出すなどして上空を通り過ぎていく艦隊に目をやった。 やがて艦隊は町のはずれにある草原で一旦停止した後に、その内一隻の小型艦が町の上空を飛び続けながら人々に説明をし出した。 曰く、親善訪問の為にやってきたアルビオン艦隊が我々を不意打ちしようとしてきた事。 幸いにも、偶然現地で訓練中であった国軍が新しく配備された対艦砲でもって援護してくれたといゔ幸運゙があった事。 その国軍の訓練を監査中であった王軍が、アルビオンに不可侵条約の意思なしと判断してアルビオンとの戦闘を開始した事。 敵となったアルビオン艦隊は予期せぬ地上からの砲撃により浮き足立っており、戦況は我が方に傾きつつあるという朗報。 そして我が艦隊は態勢を整え直すために暫しここで浮遊しているが、この町にまで戦闘が広がる可能性ば限りなく低い゙という報せ。 拡声用のマジックアイテムで伝えられる事実に、町の人々はどう反応していいのか当初は困惑していた。 無理もないだろう。何せアルビオンとはつい最近に不可侵条約を結んだばかりだと知っていたからだ。 アルビオンから来る商人達も皆「戦争にはならんさ!」と屈託ない笑みを浮かべながら言ってくれたというのに…。 とはいえ、一度始まった戦というものは止めようが無いという事は多くの人が知っていた。 過ぎたことを悔いるよりも、今できる事を思う。それが鉱山での採掘と『風石』の加工で鍛えられた人々の考えであった。 ならば善は急げと言わんばかりに町中の倉庫で眠っている『風石』を掻き集めて、この町へ来るであろう゛客゙を待つ事にした。 街のはずれに停泊する艦隊、そしてその艦を動かす為には大量の『風石』が必要なのである。 当然停泊したトリステイン艦隊を指揮する空海軍の使いがやってきて、『風石』の交渉にやってきた。 そこから先はとんとん拍子に進み、現金払いと小切手の半々で軍が購入した『風石』の輸送で町は朝から忙しくなった。 『風石』を満載した馬車が町の通りを占有し、ついでと言わんばかりにパンや干し肉にチーズといった食料まで売り始める商魂逞しい者までいた。 輸送や交渉の為に町へやってくる水兵や貴族の下士官たちは気前よく金を払い、焼きたてのパンやチーズを買っていった。 そんな風にして平時は静かであるこの町の朝は、トリステイン艦隊という思わぬ客のおかげでお祭り騒ぎとなっていた。 だがしかし、そんな嬉しくも美味しい祭りの気分はラ・ロシェールから撤退してきた国軍と王軍がやってきた事で一変した。 もうすぐ昼に差しかかろうとしている時間帯――――突如として二群の部隊が慌ただしい様子で町へと入ってきたのである。 朝の艦隊に続くようにして入ってきた彼らに町の人々はおろか、町にいた空海軍の者たちまで何だ何だと驚いた。 何せ殆ど無傷の王軍や国軍の兵士たちが、恐怖に染まった顔を冷や汗で濡らしながら町へと入ってきたのだから。 彼らが乗っている馬や幻獣達は何と対峙したのか、今にも町人や水兵たちに襲い掛からんばかりに興奮しきっている。 空海軍の兵士たちはもしやアルビオンに艦隊に押し負けられたのかと訝しんだが、それは違った。 否、正確に言えば半分は正解しており――――もう半分は外れだったのである。 それを彼らに教えてくれたのは、撤退してきた騎馬隊の中に混じっていた王軍のオリヴィエ・ド・ポワチエ大佐であった。 「おい、君!すまぬが、トリステイン艦隊はどこで一時停泊しているか?」 「え…?じ、自分でありますか?」 「当たり前だ、私の目の前でサンドイッチを大事そうに持ったまま呆然としておるのは君だけだぞ」 大軍を率いてきた彼は、町の入口で軽食を摂っていた水兵の一人に声を掛けたのである。 水兵はいきなりやってきて声を掛けてきた王軍の将校に「し、失礼しました!」と急ぎ敬礼すると、何用でありましょうかと聞いた。 ポワチエは当初それを言うのに躊躇したものの、周りにいた将校たちに目配せをしてから水兵にこう伝えた。 「至急艦隊指揮官のラ・ラメー侯爵に伝えてくれ!…アルビオン艦隊は未知の怪物を投入! 国軍と我が王軍は防戦に失敗、ラ・ロシェールとタルブ村の避難民を連れてこの町にまで後退してきたと伝えろ!」 ―――そして時間は今に戻る。 陸上部隊が避難民を連れて町へ来てから今に至るまでも、騒ぎは続いている。 しかしそれはお祭り騒ぎの様な嬉々とした雰囲気は無く、明日にも世界が滅びそうな切羽詰まった緊張感が漂っていた。 この町を抜ければ、後は王都トリスタニアへと直行する一本道。遮る山や森すらも無い整備された街道しかない。 だからこそ、ここで迫りくるアルビオン艦隊と奴らがけしかけたであろう゛怪物゛を食い止めなければならなかった。 「町の人間は残らず鉱山に避難させろ!歩けない者は誰かがおぶってやるんだ!」 「通りという通りにはバリケードを設置するんだ、早くしろ急げ!」 「……って、おいバカ!ゲルマニアがくれた対艦砲は敵艦隊から見えない場所に置けと言っただろうが!?」 「よし、掻き集めた『風石』と黒色火薬はトリステイン艦隊が駐留している場所へ運べ、鉱山の向こう側だ!」 深夜にも関わらず大勢の士官たちが大声で指示を出し、部下たちはそれに従って迅速に動いていた。 ある王軍の貴族下士官は魔法でもって町の通りに木材と石を混ぜた土のバリケードを作り出し、封鎖作業に取り掛かっている。 また別のところでは、これまた王軍に所属する若い貴族士官が民家に残っていた老夫婦を優しく諭しては、避難するように指示していた。 国軍の平民兵士たちも通りに並ぶ建物の中に一旦分解した中型のバリスタを運び入れて、慣れた手つきで組み立てている。 この中型バリスタは数本の矢を一度に発射する事ができるので、これ数台を屋内に設置すればそれだけでも簡単な要塞ができあがる。 町の住人の避難に合わせて、町そのものを一個の防衛施設として改造するのは容易ではない。 更に前進してくるかもしれない敵を迎え撃つために、戦力の何割かを町の入口に配置しているのだ。 元々はラ・ロシェールで足止めしつつ増援を待つという予定であった為に国軍、王軍、そして空海軍共に連れてきた戦力は少ない。 その結果、昼頃から始めて日付を跨いだ今になっても町の要塞化はようやく三部の二が終わったところである。 今敵が進攻してきた場合、この町で防衛線を行うのは極めて難しいという状況に変わりは無かった。 しかし、始祖ブリミルは彼らに祝福をもたらしてくれたのであろうか。 この様な危機的な状況の中、今日の昼過ぎに出動した王都からの増援部隊が遂に到着したのである。 新しい隊長の元に復活したグリフォン隊を含めた魔法衛士隊と、霧が薄まった事で到着の早まった竜騎士隊を含めた第一軍。 接近戦に特化した槍型の杖で武装した騎馬隊と、金で雇った傭兵たちと共に前進する前衛貴族部隊からなる第二軍。 貴族の比率がガリアに次いで多いトリステイン王軍ならではの増援に、町で籠城に備えていた者たちは歓喜の声を上げた。 だが、彼らが何よりも喜んだ原因はその軍勢を率いて出陣してきだ彼女゙がいたからであろう。 百合の国たるトリステイン王国に相応しき人物、先王が残した花も恥じらう麗しき王女。 そして本来ならば、二日後に迫った隣国ゲルマニアの皇帝と結婚する筈であった花嫁。 その゛彼女゛、アンリエッタ王女殿下が自ら部隊を率いてこの町を守りにやってきたのだ。 トリステイン王国を守る軍人ならば、彼女の姿を見て喜ばぬ者が奇異な目で見られる程であった。 ゴンドアからほんの少し離れた場所にある名も無き小高い丘。 そこで王都から出て、この町に集結しようとしている王軍を見つめるアンリエッタの姿があった。 彼女は今、民衆の前で見せるドレス姿ではなく慣れぬ軍服を身にまとい、気高き乙女しか乗せぬと言われるユニコーンに跨っている。 夜風ではためく紫のマントには金糸で縫われたユニコーンと水晶の紋章。それは間違いなく王女である事の証であった。 「殿下、遅れていた後続が順次到着中との事。このままいけば、夜明けの直前に全部隊の合流は無事終わるでしょう」 そんな時、黒毛の馬の乗ったマザリーニ枢機卿が、護衛の騎士達を伴って定期報告の為にやってくる。 人を使えばいいのに、彼直々にやってきたから無下にはできまいとアンリエッタは枢機卿の方へとその顔を向けた。 「…そうですか。到着してきた者たちはどうしていますか?」 軍服を身に付けた今の彼女に相応しいとも言える、何処か物憂げさと緊張感が混ざり合った表情を端正な顔に浮かべている。 まるで充分に悩みぬいた挙句に決めた自分の選択を、後になって本当に良かったのかと悩んでいるかのように。 マザリーニ自身はその表情の原因が何なのか大体わかってはいたが、あえてそれには触れることは避けようと思っていた。 「はっ!到着した部隊は町の中央に着き次第補給部隊から水を貰い、十分な休息をとるようにとの命令を出しております」 「わかりました。…それで、ラ・ロシェールとタルブ村を襲ったといゔ怪物゙の事は何か…」 アンリエッタからの了承とそれに続くようにして、先に展開していた地上勢力を追い出しだ怪物゛の事について聞いてみた。 彼女からの質問に待っていたと言わんばかりに彼はコクリと頷いて、スラスラとセリフを暗記したかのように喋り出す。 「現在は部隊と共に限界まで前線に留まり続けたポワチエ大佐を含む何人かの将校から情報を得ており、 それを元にイメージ図と対策法を考えていますが、何分全く遭遇したことのない未知なる相手との事で…む?」 町の中央で作戦会議の準備をしているであろう将校たちに代わって、申し訳なさそうに説明する枢機卿。 「いえ、無理もないでしょう…。むしろ、避難民をよくここまで連れて来れたと賞賛するべきでしょうね」 そんな彼の言葉を遮るように右手を顔のところまで上げたアンリエッタはそう言うと、また町の方へと視線を戻した。 町から王都へと続く街道には、出発が遅れた後続の部隊が次々と息せき切って入ってくる。 要塞化の作業に勤しんでいた兵士たちはアンリエッタに率いられてきた彼らを見て、口々に「王女殿下万歳!」と叫んでいく。 そんな兵士たちの歓声を聞いていると、マザリーニは自分の目を嬉しそうに細めていく。 本当ならばもしもの事を考えて、アンリエッタだけでもゲルマニアへ送り届けるつもりだったのだ。 ルイズ達がタルブへ向けて出発してから一時間後、タルブを放棄してゴンドアに最終防衛線を張ったという報告が届けられのである。 ラ・ロシェールどころかタルブ村まで破れては、王都までの道を遮るのはそのゴンドアという町一つしかない。 大した防衛設備が無いこの町ではアルビオンを足止めする事は難しいと、宮廷の貴族たちはそう結論づけたのである 勿論国中の国軍に出動命令を出したのは良いものの、全軍が揃うまでには最低でも四日はかかるという始末。 同盟を結ぶであろうゲルマニアも、援軍は一週間待ってほしいという回答を送ってきたのである。 故にアルビオンの魔の手が王都に戦火の嵐を巻き起こす前に、アンリエッタをゲルマニアへ移送しようと考えていたのだ。 だがしかし…彼女はそれを、あともう少しで移送の準備が済もうとしているところで反対した。 ウェールズの形見である『風のルビー』を嵌めた彼女は、自らの勇気を振り絞って叫んだのである。 ―――――私は…やはり私は王都に、いえこの国に残された人々を置いてゲルマニアへは行けませぬ! ―――――せめて我が国を侵略しようとするアルビオン艦隊と、奴らが放っだ怪物゛を駆逐してから皇帝の許へ嫁ぎます! アンリエッタは迫りくる敵に怯えていた宮廷の貴族達に向けて宣言し、自ら軍を率いて前線へ赴く事を決意したのである。 無論宮廷の貴族達は反対したものの、アンリエッタはその意見を自分の怒りの感情で封殺させた。 ――――――私はトリステイン王国の王女!貴方達宮廷貴族にとってお飾りであっても、この国の要たる者! ―――――――もしも私の意思で決めた出陣を食い止めようものならば、それ相応の覚悟はできているでしょうね? いつもの彼女からは考えられない静かに燃える炎の様な言葉に、枢機卿含めその場にいた宮廷貴族たちは何も言えなくなってしまった。 一方で将軍や魔法衛士隊の隊長達は、やる気を見せてくれたアンリエッタに士気を昂ぶらせて付いてきてくれたのである。 そんな彼女の怒りに火をつけたのは、ルイズと共にタルブへと向かったあの紅白の少女の言葉であった。 ―――――ルイズは自分なりに悩んで決めたっていうのに、アンタはただ状況に流されてるだけじゃないの。 悪いのは自分だって思い込んでるだけで、他の事は全部他人任せにしてジーッとしてただけじゃない。 ウェールズの事が悲しいんなら、ちょっとはレコンなんちゃらとかいう連中に怒りの鉄槌でも鉄拳でもぶつけてみなさい ―――最後はアンタの好きに決めなさい 今思い出せば随分腹の立つ言葉を好き放題に言って、会議室から立ち去って行ったあの少女に惹かれたワケではない。 ウェールズ皇子を殺し、あまつさえ今度はラ・ロシェールとタルブ村にも牙を向けたアルビオンと彼女の言葉を思い出して、アンリエッタは遂に゙キレ゙たのである。 アルビオンにここまで攻め込まれる口実を作ったのは自分であり、そしてそれを止める義務を持っているのも自分なのだ。 この国を旅立つ前に自分が種を蒔き、それから芽吹いた肉食植物を絶対に根絶やしにしなければならない。 トリステイン王国という大事な百合畑を命に代えてでも守り、侵略者の打倒をこの国で行う最後の罪滅ぼしとする為に。 そして今。前線にいる者たちの喜び振りを見れば、彼女の選択は正しかったのだとマザリーニはそう思えて仕方が無かった。 「殿下。貴女がこうして出陣したおかげでほら、兵士たちは皆戦意を取り戻しております」 「上手いお世辞を申しますね?私がいなくともあれ程の大増援を見れば、誰だって喜ぶものですよ」 つい本心から出てしまったマザリーニの言葉を無意識に世辞と受け取ってしまったのか、アンリエッタはその口を滑らせてしまう。 言い終えた直後で、ハッと気まずい表情を浮かべたものの一方のマザリーニはただただ苦笑いしているだけであった。 「……すいません、つい」 「なに、この老骨の身には慣れた事です。ただ、そう御自身の事を貶すのは良くありませぬぞ」 将兵達が見ておりますゆえ。最後にそう付け加えて、彼は後ろで控えている騎士達を横目で一瞥してみせる。 彼らは王女殿下と枢機卿のやりとりをじっと見つめながらも、不届き者が現れぬよう周囲にも気を配っていた。 勤勉かつ忠実な彼らの姿を同じく見つめながら、ふとアンリエッタはその口を開く。 「それにしても、人はほんの一押しの怒りだけでここまで来れるものなのですね…。 アルビオン王家の仇であるアルビオン共和国からの刺客を討ち果たすためとはいえ、私がこれ程の軍勢を率いたなんて…」 彼女は眼下に街道を行進していく将兵たちの列を見ながら、不安な雰囲気を見せる言葉を漏らす。 出陣する直前の苛烈さは大分大人しくなっており、いつもの優しいアンリエッタに戻りつつあった。 「お言葉ですが殿下、ここにいる将校たちは皆殿下同様アルビオンを討つが為に集結した勇敢な者達ばかりです。 例え殿下の命令で傷つき斃れたとしても…、彼らは貴女と共に戦えたことを誇りに思いながら死んでいくのだと思います」 そんな彼女を勇気づけるかのようにマザリーニが言うと、彼の後ろにいる二人の護衛がウンウンと頷いた。 枢機卿の慰めるかのような言葉にアンリエッタは口をつぐんでしまうと何かを言いたそうなもどかしい表情を浮かべている。 彼女の顔を見て何か自分にだけ言いたい事があると察したのであろうマザリーニは、自分の馬を彼女の傍へと近づけさせた。 幻獣の中でも一際目立つユニコーンと、一目で上等だと分かる黒毛の軍馬が横一列に並ぶ光景というものは中々珍しいモノだ。 そう思っていそうな護衛たちの視線を背後から感じつつも、隣へ来てくれたマザリーニの近くで彼女はポツリポツリと喋り出す。 「確かに私はウェールズ様を…アルビオン王家を滅ぼしたクロムウェル一派に報復したいという気持ちはあります。 けれども…やはり私の一時の恋から生まれたと言える争いに、大勢の人々がこれから死ぬと思うとどうも不安になってしまうのです…」 今の自分の複雑な心境を、隣にいる自分にだけ聞こえるように告白し終えた彼女をマザリーニは真剣な眼差しで見つめている。 王女の言葉にマザリーニは少し困った様な表情を浮かべながらも、ふと少しだけ考えてみた。 確かに彼女のいう事にも一理あるであろう。 レコン・キスタがウェールズとアンリエッタの関係を知っていたからこそ、あのタイミングで彼らは王政府打倒を掲げたのかもしれない。 アンリエッタの嫁入りを条件に、軍事同盟を結ぼうとしたゲルマニアの皇帝を激怒させる恋文を手に入れる為に…。 貴族派の自分たちにとって目の上のタンコブと化した王政府を倒せるうえに、小国のトリステインを孤立化させれるという一石二鳥の計画。 結果的には奴らの作戦はミス・ヴァリエールとその使い魔である少女の活躍によって、見事に頓挫する事となった。 それでも彼女は思っているのだろう。王族である自分が最初から叶わぬ恋を抱かなければ、この様な一連の事件は起きなかったのではと。 成程、確かに一理はあるだろう。 …あるのだろうが、やはりこの人はまだまだお若いからこそ、そういう風に考えてしまうのかもしれない。 「ふむ、成程。つまりは、自分が過去に抱いた恋心が全ての原因と…そう思っていらっしゃるのですな?」 「えぇ、私が実らぬ恋人に手紙など認めなければ、今頃アルビオン王家の方々も死なずに済んだのではと、そう思ってしまって…」 三十年近くも政治にその体と時間を費やしてきた彼の目には、今の自分がどう映っているのだろうか? 不思議とそんな事が気になってしまったアンリエッタに向けて、語りかける様にしてマザリーニが喋り出した。 「殿下…―――――殿下は、今日の天気がこれからどういう風になるか知っておりますか?」 「――――――…はぁ?」 彼が呟いた直後、その言葉に反応するのにほんの二秒程度の時間が必要であった。 全く脈絡も無く、急に明日の天気が気になった彼にアンリエッタは目を丸くして首も傾げてしまう。 後ろにいる騎士達も姫が首を傾げた事に気が付いたのか、何だ何だと言いたげに互いの目を見合っている。 「天気…ですか?」 「えぇ、そうです。日を跨いでしまいましたし、明日はちゃんと朝日が出るのかどうか気になってしまいましてな」 本気で天気の事を気にしているかのようなマザリーニに、アンリエッタはどう答えていいのか分からなかった。 何せこの様な事態を生んだのが自分なのではないかと話している最中に、狂ったのかと思えてしまう程別の話題を持ち出してきたのだ。 ここはふざけないで下さい!と怒るべきなのか、それとも困惑しつつも適当に明日の天気を言えばいいのだろうか? 目を丸くし、困惑を隠しきれぬ表情でアンリエッタが悩んでいる最中に、それはやってきた。 「―――…殿下!アンリエッタ王女殿下はこちらにおりまするか!!」 突如彼女たちの背後からそんな事を叫びつつ、グリフォンに跨った魔法衛士グリフォン隊の隊員が来たのは。 その叫び声に思わず考え込んでいたアンリエッタが後ろを振り返ると、グリフォン隊の者はすぐ近くにまで来ていた。 鷲の頭と翼に前足、獅子の体と後ろ脚という厳つい幻獣が足音を立ててこちらへ走ってくる姿は、中々怖ろしいモノである。 「そこのグリフォン隊の者、殿下に対し何用か?」 一体何事かと背後の護衛達が乗っている馬で道を塞ぐと、若い隊員とグリフォンの前に立ちふさがった。 自分よりもわずかに体格が大きい立派な軍馬二頭を前にして、乗り手と同じく青さが残るグリフォンは思わずその足を止めてしまう。 騎士たちと比べればまだまだ子供であるグリフォン隊の隊員は、突然止まった相棒からずり落ちそうになるのを何とか堪えていた。 「いかに伝える事があるとはいえ、幻獣に跨ったまま突っ込んでいれば大惨事になっていたぞ!」 「…、ッ申し訳ない。実は至急殿下に伝えたい事があるのだが…よろしいか!」 入隊して間もないであろう彼は護衛の騎士からの注意に対し素直に謝ると、次いで早口に捲し立てる。 隊員の要求に二人の騎士はコクリと頷いて、前方を塞いでいた自分の馬を後ろへと下がらせた。 素直に道を開けてくれた事にホッとしつつも、ずり落ちるようにして相棒のグリフォンから降りた隊員は早足でアンリエッタの傍へと向かう。 彼の焦った表情からは、何となくではあるが良い報せではないという気がしてならなかった。 「一体どうしたのですか?そんなに慌てて…」 「は、はい…!実は先ほど、タルブ村の方からやってきたという少女一名と数名の将兵が…救援を求めて…」 「…!詳しく話して貰えますか?」 ゙タルブ村゙―――。その単語を聞いて眉が無意識に動いたアンリエッタは、隊員に話を続けるよう要求する。 彼が言うには、今から十五分ほど前に撤退して無防備状態であるタルブ村の方角から数名の男女がやってきたのだという。 タルブ村の者は少女一人だけで、後は国軍の女兵士一名と同じく国軍の平民下士官二名、そして王軍の貴族下士官一名の計五名。 当初は敵の間諜かと疑っていたが、直後にタルブ村で防衛線を張っていた兵士と貴族士官たちの証言で彼らが本物だと判明した。 村人である少女が言うには件の『怪物』を避ける為に遠回りになる山道を通るために、案内役として兵士たちを先導したのだという。 余談ではあるが…少女の名はシエスタと言い、これは先に避難させられていた両親が彼女と再会した時に判明した。 そして彼女についてきた兵士たちの証言によると、タルブ村領主の屋敷の地下には未だ多くの人が取り残されているのだという。 隣町まで歩けない女子供に領主であるアストン伯を含めた年寄りが、当時見張りとして残っていた国軍、王軍の混成部隊と共に籠城している。 食料や水はあるものの何時『怪物』たちに気付かれるともしれぬ為に、すぐにでも救助部隊の編成をして欲しいと乞うているとのこと。 そこまで報告した後、若い隊員は一呼吸を置いて最後に報告すべき事を口に出した。 「そして…現在彼らと共にあのヴァリエール家の次女、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ様もいるとの事! 偶然にもタルブ村へ旅行で訪れている最中に、不幸にも今回の戦闘に巻き込まれてしまったようです! 幼少から続く持病のせいで容態は悪く、彼女の健康も考慮して一刻も速い救助部隊の編成と派遣を願う!との事です!」 ようやく報告を終えた隊員が顔を上げると同時に、アンリエッタはふとタルブ村の方角へと顔を向ける。 その顔にはアルビオンに対する敵意をより一層滲ませると同時に、方角の先にいるであろう幼馴染の事を思い出していた。 「ルイズ…もう少しだけ待っていて頂戴!」 誰にも聞こえない程度の声量で一人呟くと枢機卿の方へと顔を向け、すぐに命令を下した。 「マザリーニ枢機卿、すぐに救助部隊の編成を!」 ――――――気のせいだろうか、頭が痛い。 突如乱入してきた謎の女に対する自分の叫びから始まった戦いの最中、霊夢はそんな事を考えていた。 銀色の軽快な体で槍を振り回してくるリザードマンモドキのキメラを相手するのに集中しながらも、頭の中で疼くような痛みに悩まされている。 しかし戦いに支障がある程と言われればそうでもなく、かといって無視しながら戦えると言われればそれは嘘になってしまう。 後頭部の内側、自分の心臓と同じく弱点である頭から伝わってくる痛みは、彼女の神経を静かに逆撫でていく。 (別段痛くも無く、けれど無視するにはどうにも鬱陶しい…。ホント、イヤになるわね…) 心の中で呟きながらも前方のキメラを片付けようとしたとき、ふと頭上から漂ってくる殺気に思わずその場から後ろへと下がった。 瞬間、体内の『風石』で浮遊していた別の一匹が投げつけてきた槍が、先ほどまで霊夢の立っていた場所へと突き刺さる。 コイツらをけしかけたシェフィールドという女が言うように、兵器として造られているおかげで随分小賢しい連携をしてくる。 軽く舌打ちしながらも、右手に握ったお札を一枚上空へ投げつけるが、それはあっさりとかわされてしまう。 まるで釣り糸で引っ張られるかのように後ろへと下がったキメラの動きは、さながら操り人形の様な不気味さを醸し出している。 「テキトーに造られた化け物のクセに、ちょこまかと動くんじゃないわ…よッ!」 語尾を荒げつつも、間髪入れずに取り出した数枚のお札を一気に投げつけ、今度こそは上空のキメラに命中する。 防御力が低そうな白銀の鎧に貼り付いたお札が一瞬の間を置いて、キメラごと巻き込む程の凶悪な霊力を放出した。 哀れ上空のキメラは断末魔を上げる間もなく体の三分の二を失い、細かい肉片となって地面へと落ちていく。 「これで六匹目――――んでアンタで、七匹目ッ!!」 仲間の肉片で視界を遮られたキメラが足を止めた所を狙って、すかさずお札を取り出して投げつける。 先ほど投げたのと違い、霊夢の手から離れたソレは紙の媒体からお札の形をした青い霊力の固まりへと変異する。 そしてキメラの肉片を避けるようにして緩やかなカーブを描き、青いお札――ホーミングアミュレットがキメラの横っ腹を貫いた。 やられたキメラは咄嗟に金切り声を上げたものの、自分が攻撃を受けたという認識をした直後に体の内側から青い光が迸る。 体内に入り込んだアミュレットが霊夢の意思に従って暴走し、キメラの肉体は破片一つ残らず青い霊力に飲み込まれていった。 話の通じぬ妖怪や人外には一切容赦せず、通じても容赦する気のない霊夢らしい攻撃である。 七匹目まで始末し終えた彼女は一息ついてから再び身構えると、背中に担いだデルフが急に口笛を吹いた。 『ヒュゥー!やるねぇ、伊達にガンダールヴとして召喚されてないだけの事はあるよ!』 「そりゃ…どうも、うれしくて溜め息が出ちゃいそうだわ」 半ば無理矢理に使い魔となった身としてはあまり嬉しくない褒められ方ではあったが、とりあえず返事だけはしておくことにした。 先ほど数えたとおり今ので七匹始末したものの、残念な事に倒した直後から同じような奴が何処からともなくやってくるのだ。 それを証明するかのように、霊夢が倒したばかりの二匹の穴を埋めるようにして上空から新しい二匹が着地してきている。 彼女を含めて、今この場で戦っている四人のトータルを合わせれば最初のを含めて十五匹倒してはいるが、一向に減る気配はない。 今回の元凶であろうシェフィールドの言っていた事が正しければ、そう遠くない何処かに奴らの補充分の源が何処かにある筈なのだ。 本当ならコイツらを相手にするよりも先にそちらを潰す方がいいのだが、残念な事に今の霊夢にはそれが難しかった。 その理由らしいモノを上げれば、四つほどあると言えばある。 一つ目は、今彼女たちと戦っているキメラ―――ラピッドが思いの外手強いという事であろうか。 霊夢の経験から言えば、単体では大したことは無いものの数が揃えば脅威となる部類の相手であった。 体を覆っている鎧は薄く、デルフ曰く『体内の『風石』で飛ぶために鎧も体も軽くしてやがる』との事らしいがそれは間違ってないと思う。 現に今に至るまでの霊夢は何回かコイツラを蹴飛ばしてはいるが、体が紙細工なのかと思ったくらいに吹っ飛んだのである。 最もそれで与えられるダメージなど殆ど無傷に等しいものであり、時には体の中の『風石』を使ってそのまま飛び上がる奴もいた。 また『風石』で浮遊しているおかげか、浮いている間の直角的で非生物じみた動きに彼女は不気味さを覚えていた。 少なくと彼女がこれまで戦って相手や、この世界で戦ったキメラ達も含めてこの様な奇怪な動きをする相手はいなかった。 手に持っている槍もどこで槍術を学んできたのか、少なくとも無視できない程度のレベルだった。 振り回したり突いてきたりするのはもちろんの事、時にはジャベリンとして思いっきり投げてくる事さえあるのだ。 しかも宙に浮いている奴もここぞばかりに投げてくるということもあって、頭上と地上で二匹のラピッドを相手にせざるを得なかった。 背中にある羽根状の薄い六枚羽根みたいなモノは武器なのかどうなのか、それは未だに分からない。 デルフが言うにはあれも『風石』で浮かんでおり、本体に埋め込まれているモノと連動しているのだという。 だからアレも武器の一つだと霊夢は思ってはいた。少なくともコイツらを彩る飾りとしてはあまりにも無骨である。 更に言えば、知性の無さそうな怪物のクセにやたらとチームワークが良い。 最初、霊夢はこいつらの囲いから出ようとしたものの上空で待機しているのと地上のヤツらが、一斉に襲い掛かってきたのだ。 結果的に奴らの包囲からは逃れられなかったうえ、一度に四体ものラピッドを相手をする羽目になってしまった。 その後次々と来る敵の増援に痺れを切らした彼女は、瞬間移動で包囲から出ようと考えたがすぐにそれはダメだと悟った。 学院での戦いで使った瞬間移動は範囲が狭いうえに連発もできないので、逆に窮地に陥る可能性が高かったのである。 幸い、動きが気持ち悪い事と無尽蔵に飛んでくる事以外を除けば博麗の巫女である霊夢の敵ではなかった。 ――――――彼女の体調が万全であったのであらば。 「……ウ、クッ!」 一息ついてまた戦いを再開しようとしたとき、頭の中で疼いている痛みが彼女の痛覚を刺激する。 まるで俺を忘れるなと囁いているかのように、先程から彼女を悩ます軽い頭痛が一瞬だけ鋭利な刃物の様に痛みを増す。 その痛みのせいで体の力がフワリと抜け落ち、不甲斐ないと思いつつもその場で片膝をついてしまう。 『おいおい大丈夫か?さっきオレっちに訴えてきた頭痛はまだ痛むのかよ?』 「――――…ッあぁもう、さっきから何なのよこの頭痛は…?」 心配してくれるデルフの言葉に、霊夢は痛む頭を手で押さえながらもそれを紛らわすかのように呻く。 二つ目にこの頭痛であった。戦いに集中できないレベルでも無視するにしても少し難しい中途半端な頭の痛み。 まるで頭の中に文鎮でも仕込まれたかのようにズーンと頭が少しだけ重たく感じられてしまい、そのせいで霊夢自身上手く戦えないでいるのだ。 急に現れたこの痛みに最初は顔を顰めつつも無視していたのだが、時折今みたいにその痛みが激しい自己主張をしてくるのである。 そのせいで命に関わるような事にはまだあっていないものの、本調子で戦えない事自体が彼女にとって大きなストレスとなっていた。 本当ならどこか一息つける場所で休みたいのではあるが、生憎そんな暇すら許されないという状況である。 「…こんな奴ら。私の頭痛でもなけりゃ、一掃してやれるっていうのに…」 「そんな事を言える余裕があるんなら、まだまだ大丈夫だと私は思うぜ?」 悔しそうに呟いた霊夢の背後から、茶化すようにして魔理沙が言葉を返してきた。 ある意味ルイズ達と比べてこの場を走り回っているであろう彼女は右手にミニ八卦炉を持ち、左手には箒を握っている。 魔理沙が長年連れているであろう無機質な相棒たちは、複数のラピッドを相手に彼女を大立ち回りの舞台で踊らせていた。 ミニ八卦炉から発射されるレーザーが相手の体を鎧ごと貫き、見た目以上に硬くて痛い箒は体の軽い奴らを吹き飛ばしていく。 そして彼女が服の至る所に隠しているであろゔ瓶に詰めた魔法゙という三つの武器で、既に三匹のキメラ達を葬っている。 霊夢が倒した数の約半分にしか達していないものの、彼女やルイズと比べて激しく動き回っているのにも関わらずその顔には快活な笑みが浮かんでいた。 まるでアスリートが自分の好きなスポーツに打ち込んだ後の様な笑顔に、霊夢は思わず顔を顰めてしまう。 「アンタ…人が頭痛で苦しんでいるっていうのに、随分と楽しそうじゃないのさ?」 「そりゃまぁ、萃香が起こした異変の時みたいに地上で暴れまわるのは久しぶりだしな!」 楽しさ二倍ってヤツだよ!最後にそう付け加えながら、上空から突撃してきた一体のラピッドに向けてミニ八卦炉を向けた。 既に黒い八角形の炉の中でチャージされていた彼女の魔力が、直線形の太いレーザーとして勢いよく発射される。 ご丁寧に真っ直ぐ突っ込んできた相手は霊夢のお札と比べてあまりにも速い攻撃に対処しきれず、そのまま上半身をレーザ―で消し飛ばされてしまう。 残った下半身は突撃時の勢いを残したまま地面に激突し、血をまき散らしながらあらぬ方向へ激しくバウンドしていった。 「良し!これで五体目…っていうか、コイツらどんだけ用意されてるんだよ」 ひとまず目の前の危機を追い払ったところで顔の汗を拭いながら、背後の霊夢に向けて言う。 どうやら自分と同じく、どこからともなく湧いてくるキメラ達にキリが無いと判断したのだろうか。 そう思った霊夢はしかし、「そんなの知るワケないでしょ?」とぷっきらぼうに返しながらようやっとその腰を上げた。 「ただ、あのシェフィールドっていう奴の言った事が正しかったら、どこかにコイツらを送り出してる所か何かがあるはずよ」 「…?確か、゙鳥かご゛だっけか、そんな名前だったような…。けれど、それをどうやって探す気なんだって話だ」 『少なくとも、コイツらの包囲を脱しなきゃならんが、生憎それは無理そうだねえ』 霊夢の言葉に魔理沙が頭上キメラ達にレーザーで牽制しつつそう返し、ついでデルフも呟いてくる。 黒白と一本の言葉に霊夢は苛立ちを覚えつつも、左手に持つ御幣へと自らの霊力を注いでいく。 「そんなに無理無理言うんなら…ちょっとは手を動かせ…てのッ!!」 そして上空から投げつけてきたラピッドの槍に向けて、霊夢は勢いよく御幣の先端を突き出した。 彼女の霊力を注がれた御幣の先についた紙垂代わりの薄い銀板が、シャララと音を立てながら青白く発光していく。 直後。その銀板を中心に小さな結界が展開し、迫ってきた槍を投げ返すようにして弾き飛ばしたのである。 刺されば確実に致命傷となっていたであろう槍は大きく回転しながら、暗い森の中へとその姿を消した。 「お見事!本調子が出ないとか何だ言って、本当は手でも抜いてるんじゃないのか?」 真後ろで嬉しそうに叫んだ魔理沙の黄色い声が痛む頭の中で響き渡り、霊夢の顔をますます険しくさせる。 思わず魔理沙の形をした悪魔たちが、自分の頭の中で暴れまわってるのを想像してしまい、ついつい彼女自身も声を張り上げてしまう。 「えぇいもう…、一々真後ろで叫ばないでよ!こっちはたたでさえ頭が痛いんだから!」 そんな事を言いながら、ほんの一瞬だけ背後の魔法使いを睨んでやろうと振り返ろうとしたとき…デルフが怒鳴り声を上げた。 『おい、気をつけろッ!!゙羽根゙を飛ばしてきやがったぞ!』 よそ見しようとした自分への注意とも取れるその怒鳴りに、思わず視線を戻した彼女は思わず面喰ってしまった。 背中と背中を向け合っていた魔理沙もそちらへと視線を移し、同時に絶句する.。 その゙羽根゙を飛ばしてきたのは、先ほど霊夢に槍を弾かれた上空のラピッドであった。 唯一の武器だったであろう槍を失い、少しだけなら大丈夫だろうと霊夢が視線を外した隙にソレを飛ばしてきたのである。 いつの間にか地上に降り立ち、背中に内蔵された大きな『風石』と連動して自分の背後で浮遊する、六枚の羽根状の゙武器゙。 『風石』の力で緑色に輝く羽根の形をしたソレが風を切りながら回転し、目を見張って驚く霊夢と魔理沙に迫りつつあった。 「げッ、マジかよ!」 「クッ!」 凶悪な緑の光を放ちながら迫りくる刃に、思わずたじろいぐ二人の姿は珍しい光景であろう。 避ける暇が無いと判断したのか、魔理沙より先にその凶器の直撃を喰らうであろう霊夢が咄嗟の即席結界を張る。 録に霊力など込めておらず、完全に防ぎきるとは思えない御粗末な代物ではあったが、それなりに効果はあったようだ。 次々と飛んでくるブーメランは結界に当たるとその軌道を変えて、二人と一本の周りを音を立てて通り過ぎていく。 しかし丁度五本目を防ぎきった所で粉々に砕け散り、不幸にも最後の六本目が彼女と魔理沙へその牙を剥いた。 「うぁッ…!」 「れ…痛ッ!?」 『風石』の持つ力で回転する刃は結界を張っていた霊夢の左肩を勢いよく掠り、彼女の血をまき散らしながら回転を続けていく。 直撃とはいかないものの傷口から伝わる激しそのい痛みに慣れていないせいか、その口から呻き声を漏らしてしまう。 そんな霊夢に思わず声を掛けようとした魔理沙も、彼女の血を飛ばしながら回転凶器に右手の甲を思いっきり切り裂かれた。 「イテテ、ってうわ…、マジかこれ?スゲー痛いうえに見た目もエグイな…」 持っていたミニ八卦炉を思わず落としてしまうが、それにも構わず一瞬で血まみれの切創が出来た右手に彼女はその顔を真っ青にする。 それでもまだまだ余裕は捨てきれないのか、青い顔に苦笑いを浮かべつつも出血する傷口を見ながら呟いた。 「コイツぅ…よくもやってくれるじゃないの?」 『全く、手ひどくやってくれたもんだぜ!』 一方の霊夢は運よく掠り傷ですんだのではあるが、先ほどの頭痛と重なってしまいまたもや片膝をついてしまっている。 心なしか呼吸も荒くなっており、素人目に見ても限界が近くなっている事が察せられる程疲弊していた。 唯一無傷であったデルフはそんな二人を心配しつつも、相手のまさかな攻撃方法にある種の感心を感じていた。 一方で見事攻撃に成功したラピッドはというと、その背中に収まっている『風石』を力強く発光させている。 次は何をしてくるのか…?左肩の傷口を押さえつつ様子を見守っていると、ふとその背後からさっき聞いたばかりの音が聞こえてきた。 鋭い刃物を勢いよく振った時に聞こえてくるあの独特の風を切り裂く音、おもわず霊夢が後ろを振り返つた時―――魔理沙が叫び声を上げる。 「わっ、畜生!また戻ってきやがったぞ!?」 黒白の言うとおり、背後を振り返った霊夢の目にはあの六枚の羽根がUターンして戻って来るのが見えた。 今や凶悪に見える緑色の光を纏って、再び彼女たちを切り裂かんと悪魔の刃が迫ろうとしている。 「人が怪我してるってのに…!ちょっとは休ませろよな!?」 魔理沙が話の通じぬキメラ相手にそんな無茶ことを言いながらも、切創の付いた右手で地面のミニ八卦炉を拾おうとする。 対する霊夢も、今度は撃ち落としてやらんと左肩の傷を今は無視して懐からお札を取り出そうとした。 そしてラピッドのブーメランも、今度こそ二人の息の根を止めてみせると言わんばかりにその回転を強めて近づいてくる。 本物の殺し合いに慣れぬ幻想郷の少女二人と、人を殺すためだけに造られた怪物の飛び道具六枚。 決して相容れぬであろう対決、その雌雄は決したのは―――――― 「『ファイアー・ボール』ッ!」 ――――突如双方の間に割り込むかのように入ってきたルイズの魔法であった。 凄まじい閃光が二人と六本の間で走り、直後にそれが強力な爆風と黒煙と貸して霊夢達ごと周囲を包み込む。 本来なら゙火゙系統の攻撃魔法なのであるが、ルイズが唱えてしまえば広範囲かつ中々凶悪な爆発魔法へと変わってしまうのである。 「!?、ちょ、うわっ…ぷ!」 「る、ルイズおま…うわッ!ゲホッ!!」 激しい爆音を耳にしながら黒煙に包まれた二人は悲鳴を上げる間もなく煙に包まれ、咄嗟に目を瞑りつつも激しく咳き込んでしまう。 彼女たちを切り裂こうとしたラピッドのブーメランは爆風の煽りで槍と同様、六本それぞれがあらぬ方向へと飛んで消え去っていく。 最後の攻撃手段を吹き飛ばされたキメラは驚いたと言いたげに身を怯ませた直後、再びルイズが呪文を詠唱した。 「『エア・ハンマー』!」 勢いよく叫んだ彼女は右手握った杖を怯んだキメラの方へと振り下ろした瞬間、ソイツの足元が大きな音と共に爆ぜる。 ゛風゛系統の呪文であり、本当ならば魔法で固めた空気を不可視の槌として使う呪文だ。 しかし、それもルイズが唱えてしまえば槌にしてしまう空気ごと吹き飛ばしかねない爆発魔法となるのだ。 哀れルイズの爆発を足元で喰らったキメラは、口から黒煙を吐きだしながら力なくその場で倒れ伏してしまう。 背中で光っていた『風石』は完全に砕け散っており、武器も無い今の状態では起き上がっても脅威にはならないだろう。 最も、それは全身煤だらけでボロボロとなったソイツにまだ立ち上がって戦える気力があるかどうかの話だが。 「うわぁ~…霊夢も霊夢だが、ルイズもルイズで色々と酷いなぁ?」 魔理沙は自分と霊夢に不意打ちを喰わせてきたキメラが、ルイズの魔法であっという間にボロ雑巾と化した事に同情心すら抱きかけてしまう。 「それ、数分程前のアンタに掛けてやりたい言葉だよ」 『まぁアレだな?ここは三人とも色々アレって事で済ませとこうぜ?』 「アンタ達!何こんな状況で暢気なやり取りできるのよ!?」 そんな彼女に霊夢とデルフがささやかな突っ込みを入れていると、自分たちを援護してくれたルイズが傍へと駆け寄ってきた。 ルイズもまた他の二人と同じく無傷というワケでもなく、魔法学院の制服やマントには幾つもの切れ込みが入ってボロボロになっている。 その切れ込みから覗く肌にも赤い筋が残っており、場所によっては少しだけ出血が続いているような箇所すら見受けられた。 しかしそんな彼女の顔は緊張した表情を浮かべてはいたが、決して自分たちを囲うキメラに恐怖しているというワケではなかった。 近づいてきた彼女は魔理沙の右手にできた切創を見て、その目を見開いた。 「ちょっとマリサ!その右手の傷って大丈夫なの…!?」 「よぉルイズ。大丈夫だぜ、問題ない!―――――…って言いたいところなんだが、生憎物凄く痛いぜ…」 本当ならここで格好よく大丈夫とか言いたかったものの、体は痛みに対しては正直過ぎた。 右手の切創は最初見た時と比べより出血の量が増えており、ポタリポタリと指と指の合間や先っぽから血が遠慮なく垂れ落ちていく。 痛みも切られたばかりの時と比べジンジンと頭の奥にまで響くほど激しくなっており、心なしか魔理沙自身の顔色も若干悪くなっている。 ルイズはそんな魔法使いの右手の状態を見て一瞬顔を真っ青にしてしまうが、気を取り直すように首を横に振ると右手の杖を腰に差し、 空いたその手で王宮を出る際に持ってきていた肩掛け鞄を開き、その中身を必死に漁り始めた。 「もう!秘薬はそんなに持ってきてないんだから、気をつけなさいよね?」 そんな事をぶつくさ言いながら持ってきていた水の秘薬と包帯を取り出した彼女は、素早く魔理沙の応急処置を始めていく。 「そりゃまぁ、避けれるなら避けてたが…。ていうかコレくらい、包帯巻いてくれるだけで大丈夫だと思うんだが」 『当たり前だろ。娘っ子の秘薬が無けりゃあ、今頃出血多量で一大事だったぜ?』 一方の魔理沙はこういう生傷には慣れていないのか、止血しておけば大丈夫とでも言いたげな言葉に流石のデルフも呆れている。 幻想郷の弾幕ごっこでは体が傷つく事はあっても、今の様に大きくて後々命に係わるような傷ができるという事はそうそう無い。 言葉が通じぬ妖怪を退治する事もある霊夢はまだしも、基本戦いは弾幕ごっこである魔理沙にとって命のやり取りというものは少しだけ漠然とした存在であった。 だからこそ真剣な表情でキメラと戦っていた他の二人と違って、彼女だけは快活な笑みを浮かべていたのである。 暢気な黒白の態度にため息をつきたくなりつつも、ルイズはタオルを使って傷口周りの血を拭いていく。 その間にも霊夢は近づいて来ようとしているキメラ達に、お札と針を交互に使って牽制したり撃ち落としたりしていた。 針で目を潰し、その隙に投げたお札で一匹始末して更に近づいてくる別の個体には最初からお札の集中攻撃で距離を取らせる。 本来ならばこういう時を狙って一斉攻撃してきそうなもりであるが、生憎キメラ達はもゔ一人゙いる相手にも攻撃しなくてはならない。 その為霊夢が相手するのは二、三匹程度であり、その程度ならば魔理沙の応急処置が済むまで守る事など朝飯前であった。 (確かアイツは素手だったけど…大丈夫かしらね?) 接触してきたシェフィールドと自分たちの間に割って入ってきたあの巫女モドキは、今は自分たちの見えない場所で戦っていた。 ここからではあまり見えない森の中から、キメラ達が持っている槍で風を切る音と霊力で青く光る彼女の拳の光が見えている。 補充されて来るキメラ達の何匹かが彼女のいるであろう場所へ飛んで行っているので、まだ生きているのだろう。 「ちょっと、ちゃっちゃと済ませないよ。ソイツの応急処置に時間なんて掛からないでしょうに」 「分かってるって!…ホラ歯ァ食いしばりなさいよ?染みるから」 そんな事を思いつつ、魔理沙の手の甲に付いた血の汚れを拭っているルイズに声を掛けつつ、上空から降りてくるキメラ一体に牽制の針を投げつけた。 一方のルイズも荒い言葉で返しつつ、患者の手に付いた血を粗方噴き終えたところでようやく水の秘薬を塗れるようになった。 手のひらサイズの壺に入った軟膏にも見えるソレを一掬いすると、痛々しい傷口へと遠慮なく塗り始めた。 「おぉ頼む…ぜッ!?うわっ、ちょ…ヒャア!?痛いイタイ痛いッて!」 わざわざ薬まで塗ってくれるルイズに感謝の意を込めた言葉を言いきろうとしたところで、彼女は悲鳴を上げる。 右手の甲にできた一直線上の傷口を包み隠すように塗られた秘薬は、魔理沙自身が想定していた以上に染みる代物であった。 塗られた直後はヒンヤリとした冷気を感じ、それが一瞬で頭の奥に響くほどの熱いとも例えられる痛みに変わったのである。 水の秘薬は軟膏の中に入っている『水精霊の涙』と呼ばれる貴重なマジックアイテムが、塗られた個所の傷口を僅かな時間で直していく。 それ故に傷口に染みた際の痛みも半端なく、それを予想できなかった魔理沙は情けない悲鳴を上げてしまったのだ。 「我慢しなさいって!最初は痛いけどすぐに傷口が塞がって痛みも消えるから」 「イヤイヤイヤ…ッ!これはちょっと…何かに傷口を深く焼かれてるような…イデデデッ!」 秘薬を塗り終え、傷が開かないよう包帯を巻き始めたルイズの叱咤に、魔理沙は目の端に涙を浮かべながら呻いている。 滅多に見れないであろうその霧雨魔理沙の珍しい顔を見た霊夢、こんな状況なのにも関わらずニヤリとしてしまう。 「ほ~、ほ~…。いつもは粋がってる魔理沙さんも、中々可愛い表情を見せてくれるじゃないの」 明らかな嫌味とも取れる霊夢の言葉に、恨めしそうな顔をした魔理沙が「そ、そりゃどうも…!」と咄嗟に返事をする。 そんな二人のやり取りを目にして呆れつつも、黒白の右手に包帯を巻き終えたルイズは今まで援護してくれた霊夢に「終わったわよ!」と告げた。 自分の右手に包帯が巻かれた事の安堵感と、傷口が軟膏で痛むという二つの思いを感じつつも魔理沙はルイズに礼を述べた。 「おぉイテェ~…!応急処置ありがとなルイズ、でも今度からはもうちょっと優し目で頼むぜ」 「そんな事言える余裕があるんなら、軽く避けて反撃するくらいの事はしてほしいものね」 「まぁまぁそう言うなよ。それに、お前さんの爆発魔法の威力の程も見れたし、私として怪我の功名ってヤツだよ」 右手を摩りながら立ち上がった魔理沙が口にした゛爆発魔法゛という言葉に、ルイズがキッと目を鋭くする。 正直言って、この様な状況下においてルイズの『失敗魔法』は本人の予想以上にその効力を発揮していた。 彼女自身は掛けに近い感覚でキメラに杖をふるい呪文を唱えるものの、それ等は威力に差があるものの全て爆発する魔法に変わってしまう。 しかしその爆発はこれまでの失敗魔法同様何もない空間が突然爆ぜるのでキメラ達も急には動けず、犠牲になっている。 ルイズとしては、この二人に守られてばかりではなくこうして共に戦えるという事に不満は無かった。しかし… 「爆発魔法…ね、確かにそりゃアンタの言うとおりだし…ぶっちゃけ今は役に立ってくれてるけど…けれど」 「けれど?」 「やっぱりどんなスペル唱えても爆発しちゃうより、普通の魔法を使ってみたいのよねぇ…」 ルイズの悲痛な言葉を魔理沙はいまいち理解してないのか「まぁまぁ、そう卑屈になるなって…」とやる気のないフォローをしている。 そんな二人のやりとりを見て何をやっているのかと溜め息をつきそうになった霊夢であったが、敵はそれすら許してはくれなかった。 『三人とも、敵は待ってちゃくれないぜ!――――…今度は上から一体、あのブーメランを出してくるぞ!』 デルフの叫びに霊夢達が頭上を仰ぐと、彼の言うとおり上にいるラピッドが背中の『風石』を強く輝かせて背中の羽根を飛ばそうとしていた。 「…舐められたモンね。まさか私相手にさっきの攻撃がまた通じるとでも思ってるワケ?」 一度目ならまだしも、二度目の攻撃を喰らってやる程お人好しではない霊夢は、左手の御幣をキメラへと向けて霊力を溜め始める。 今度は相手の攻撃を防ぐ結界ではなく、その攻撃ごと相手を葬る為の霊力を放とうとした、その直前であった。 「そ…りゃあッ!」 どこからか聞こえてきた威勢の良い女の掛け声と共に、闇夜でよく見えぬ木立の中から物凄い勢いで一体のラピッドが吹っ飛んできた。 その影は霊夢達の頭上で攻撃を行おうとしたキメラを丁度良く巻き込み、軽い金属同士が勢いを付けてぶつかりあった時の様な甲高く激しい音が周囲に響き渡る。 あと少しで羽を飛ばせたラピッドはぶつかってきた仲間のせいで大きくバランスを崩し、同時に発射した六枚の凶器はあらぬ方向へ飛んでいく。 周囲の木々や同じラピッドたちにその羽根が次々と刺さっていくが、幸いにも丁度真下にいたルイズたちはその無差別攻撃からは免れていた。 「わ…っ!?」 秘薬と包帯を手早く鞄にしまい込んだルイズはキメラ同士が頭上で激しくぶつかり合う音と、すぐ近くの地面に刺さった羽根に身を竦ませる。 何時やられてもおかしくなかった応急処置が終わって安堵した瞬間の出来事であったが故に、ついつい気が抜けてしまっていたのだろう。 彼女に右手の怪我を処置してもらった魔理沙も目を見開いて驚きつつ、「おぉ…!?激しいぜ!」と苦笑いを見せている。 一方の霊夢は二匹仲良く揉みくちゃになりながら、木立の中へ消えていくキメラ達を一瞥してから、キッとある場所を睨み付ける。 それは吹っ飛ばされたキメラがいたであろう場所。あのキメラを威勢よく投げ飛ばしたであろう声の主がいる木立の中を。 「全く、どこの誰かは知らないけれど…援護する気があるなら、もっとマシな方法を選びなさいよ?」 下手すればルイズの努力が水の泡と化していたであろう事を考えながら、霊夢はその木立の方へと話しかける。 彼女の言葉にようやくミニ八卦炉を拾えた魔理沙と、右手に杖を握り直したルイズもそちらの方へと視線を向けた。 周囲に浮かぶキメラ達に警戒しつつもすぐ近くの木立を三人が見つめていると、キメラを投げ飛ばしたであろゔ彼女゛の声が聞こえてきた。 「…そりゃ悪かったわね?何せ、急に向かってきたもんだから投げるしかなかったのよ…!」 そう言って三人の前に現れたのは、突然ルイズ達とシェフィールドの前に現れた謎の巫女モドキ―――ハクレイであった。 長い黒髪と紅い巫女装束、そして霊夢のソレと酷似している服と別離した白い袖という衣出立ちは、確かにそう言われてもおかしくない。 そんな彼女は今、先ほどまでいたであろう木立から抜け出すようにして三人の前に走ってくると、そこでバッと身を翻した。 「たくっ…!コイツら以外としつこいわねぇ!」 そう呟きながら三人に背中を見せたハクレイは、次に彼女たちを庇うような形で拳を構えて見せた。 左手を前に突き出し、右手は腰に触れるか触れないかの位置で止めて先ほどまで自分がいた場所を警戒している。 一体何事かとルイズ達が思った直後、その彼女を追いかける様にして二体のラピッド達が飛びかかってきた。 四人に突き刺すようにして槍を向けてくる相手に対し、ルイズたちが行動を起こす前に先に構えていたハクレイが動く。 「せいッ、…ハァッ!」 腰の横で止めていた右手の拳に霊力を溜めると、彼女を槍で突こうとしたラピッドの胴へと勢いよく右アッパーを叩き込んだのだ。 丁度相手の頭上から攻撃しようとしたソイツはものの見事に彼女の青い拳を喰らい、その体がイヤな音を立てて鎧ごとへの字に曲がっていく。 見事なアッパーカットを喰らったキメラはその口から黒色の血反吐をぶちまけると、そのままぐったりとして動かなくなる。 攻撃を当てたハクレイはそのまま左足で地面を蹴ると、右の拳で貫いたキメラごとジャンプして一気に二匹目のラピッドへと近づいた。 一方の二匹目は、やられた仲間を持ったままこちらへ飛んでくる相手を両断しようとしているのか、両手に持った槍を思いっきり振り上げようとする。 だがそれを読んでいたのか、ハクレイはキメラを持ち上げている右手を少し引いて、一気にそれを前へと突き出す。 すると胴に刺さっていた彼女の右手がスッポリと抜けて、突き上げられたラピッドの体は勢いを付けて槍を振り上げた仲間と激突したのである。 折角攻撃をしようとした所でやられた仲間と衝突したキメラは大きくバランスを崩し、槍を振り上げたままその場で固まってしまう。 その隙を狙って作り上げたハクレイは左手に霊力を注ぎ、青色に光るする左の拳でもって二匹目の頬を殴りつけた。 頭部を覆う鎧が大きく凹み、その内側にある顔の骨が折れていく不吉で乾いた音が、彼女の耳に入ってくる。 それを気にすることなく左手に更なる力を込めていき、そして一気に殴りぬけた! 「吹ッ飛べ!!」 そんな叫びと共に左フックで殴り飛ばされたキメラは先にやられた仲間と共に、錐揉みしながら木立の方へと飛んでいく。 皮肉にも先程自分たちが出てきた所へと戻っていくとは、彼らの少ない理性では到底考えられなかった事であろう。 仲間がやられた事で補充として前へ出ようとしたもう一匹を弾き飛ばしながら、二匹のキメラは仲良く闇の中へと消えていった。 無事に二匹、余計に一匹殴り飛ばしたハクレイは地面に着地するとふぅと一息ついて右の袖で顔の汗を拭った。 魔理沙はそれを見ておぉ…っ!と声を上げたが、霊夢だけは彼女の手を包む霊力を見て顔を顰めている。 あの荒く、まるで鋸のような相手の体をズタズタに切り裂くかのような霊力で包まれた拳の一撃は、さぞや痛いであろう。 (あんなので殴られるくらいなら、本物の鋸で切られた方が…いや、どっちもどっちか。…でも、あの攻撃の仕方) そんな事を考えつつも、彼女はあの巫女もどきの攻撃にどこか見覚えがあった事を思い出す。 忘れもしない丁度二週間前近くの事。アンリエッタの結婚式だからと言って、ルイズが服を買ってくれたあの日。 ガンダールヴのルーンに導かれるようにして出会った。自分と瓜二つの恰好をした少女との戦い…。 そしてあの姿、紅い巫女装束に黒髪。―――――霊夢は二度も見ていたのだ、同じ姿をした女性を。 ガンダールヴのルーンに導かれるようにしてレストランを出る直前に、そして自分の偽物と相打った直後の夢の中で―――― 「………ッ」 チクリ、と後頭部の内側から微かな痛みを感じてしまう。 どうしてか知らないが、この女がやってきて一緒に戦い始めてから頭痛が起き始めた様な気がする。 気のせいと言われればそうなのかも知れないが、直前まで何とも無かった事を考えればそれはあり得ない様な気がした。 少なくとも今自分の体を襲う頭痛の原因に、後ろにいる巫女モドキの存在が関与しているのかもれしない。 そんな不確かな事を思いつつも、自分の気持ちなど微塵も知らない彼女に対して霊夢は身勝手な不満を抱いていた。 「全く、アンタは本当に何なのよ?」 「―――…?」 顔を顰めた霊夢の呟きが聞こえたのか、顔を拭っていたハクレイはキョトンとした表情を彼女の方へと向けた。 彼女がここを離れられない三つ目の理由、それは謎の巫女もどきことハクレイの存在である。 自分とよく似た巫女装束の姿をした彼女の存在が引っ掛って、仕方がないのである。 ド派手な登場でシェフィールドを逃がしてしまって霊夢に怒鳴られた後、彼女も流されるようにして三人と戦うことになった。 最初は突如現れた彼女に対してルイズが何者かと聞いてみたのが、あっさりと自分の素性を話してくれた。 曰く、自分は記憶喪失で何処で生まれたのかも分からず、名前すら知らないという事。 そしてこの村から少し離れた川でボーっとしているところを、カトレアと名乗る女性と出会い、色々あって彼女に保護してもらった事。 今は目の前の屋敷の地下で、村の人たちと一緒に避難している彼女を助ける為に外で戦っているという事を、ハクレイは手短に話してくれた。 それを聞いたルイズは、ここへ来る動機となった女性の名前を耳にしてキメラに魔法を放つのを忘れて彼女の掴みかかった。 「カトレア…?それじゃあやっぱり、ちぃ姉さまはあそこにいるのね!?」 「うわっ…ちょ!ま、まぁそうだけど…ちょっと危ない、危ない!」 戦いの最中にも関わらず詰め寄ってきたルイズに慌てつつも、ハクレイは話を続けていった。 隠れている最中に容態が悪化したカトレアの薬を取りに行く際に、屋敷から出て助けを呼びに行く者たちと一緒に地下を出た事。 彼らを見送った後、薬を手にしたところまでは良かったが屋敷内部にいたキメラ達に見つかって止むを得ず戦う羽目になったのだという。 その時はすぐに蹴散らしたが、待っていましたと言わんばかりに他の連中もやってきて戻ろうにも戻れなくなってしまい、 同行してくれていたカトレア御付の貴族たちに薬を渡して、彼女自身が囮役として屋敷の外に出てキメラ達と戦いつつも逃げていたらしい。 数時間掛けて奴らを撒いたのは良かったが屋敷周辺には奴らがいて戻れず、仕方なく隠れていたという。 それから今に至るまでハクレイは彼女自身の戦い方もあって三人とは距離をとっていたものの、キメラを相手に共闘する事となった。 ルイズ達は近づいてくる敵を魔法やお札といった飛び道具で撃ち落とし、ハクレイが少し離れた場所で拳を振るう。 そんな風に戦って約十五分、二十体近くを倒してはいるが未だに終わりは見えてこないという状況であった。 「それにしても、殴れど蹴れども幾らでも湧いてくるわねコイツラは…」 「やっぱりあのシェフィールドっていう女を黙らせるか、何処かでコイツラを保管してる場所か何かを潰さなきゃダメみたいね」 「アイツラの動きからしてそう遠くはないだろうけど、離れたら離れたであの屋敷に手を出すだろうし…」 息を整えつつも三人の傍へと寄ってきたハクレイと霊夢が、周囲にいる敵を睨みつつも何とか打開策を見つけようとしている。 自分たちの周りを囲うキメラ共は最初こそ無秩序に突撃して来たものの、倒した数が増えるごとに一体ごとの動きが慎重になっている。 恐らくは何処か自あの分たちの見えない所から、あのシェフィールドが操っているのかもしれないが断定することはできない。 「全く、今回の化け物といいあの女といい…良く分からない連中と戦ってばかりな気がするわね」 「それには概ね同意しますけど。個人的に一番得体が知れないのはアンタだと断言しておくわ」 ハクレイの愚痴に対し霊夢が言葉を返しながらも懐から新しいお札を取り出し、いつでも戦えるようにと態勢を整える。 霊夢としてはその見た目からして怪しいとは思っていたものの、ひとまずは信じられる味方として共に戦っているという状況だった。 一方のハクレイは霊夢の姿を見ても特に何も感じてはいないようだが、少なくとも無関心というワケではないらしい。 自分たちを囲っているキメラ達を睨みつつも、時折彼女の強い視線がチラチラと横目で見ている程度ではあったが。 とにもかくにも、今この状況を打開しない以上詳しいことは聞けないと理解しているからこそ、二人は肩を並べて戦っているのである。 そんな二人のやり取りを耳にしていたルイズは、身長と胸囲に差があり過ぎるもののどこか霊夢と似通っていると思った。 服装にも微妙な違いがあるものの、霊夢の来ている巫女装束と意匠が似ていて…言ってはなんだが、まるでそう―――゙親子゙の様な…。 「…って私、何を考えてるのよこんな時に」 「ん、どうしたルイズ?頭に毛虫でも乗っかったのか?」 首を横に振って頭の中の思考を払おうとした所で、それに気づいた魔理沙が声を掛けてくる。 包帯を巻いた右手は少し痛々しいものの秘薬が効いているのか、苦も無く動かしている所を見れば痛みが治まったのであろう。 自分が持ってきた道具が無駄じゃなかったことを確信しつつも、ルイズは彼女の言葉に「何でもないわよ」と言ってから耳打ちで言葉を続ける。 「ただちょっと…あの女の人の姿が、ちょっとだけアイツに似てるって思っただけよ」 「あぁ~、確かにそうだな。まぁ巫女さんの姿だから似ててもしょうがないと思うぜ、そこは」 自分の疑問に対して、やや適当な感じで魔理沙がそう答えた事にルイズは「そこが疑問なのよ!」とやや怒りつつ喋り続ける。 「そのアンタんとこの巫女装束を着た彼女が、ハルケギニアにいるって事事態おかしいと思わないの?」 「え?…あ、確かにそうか!ここって私とアイツにとっちゃあ異世界だもんな、バリバリ西洋の」 一瞬だけ怪訝になりつつ、すぐに明るい表情になった魔理沙の言葉に霊夢も「あっ」と言葉が出て思い出す。 確かにルイズ魔理沙の言うとおりだ。ここはハルケギニア、東洋の文化など全く見えてこない西洋感溢れる異世界。 本来なら目の前の巫女モドキが来ているような和風の巫女装束など、お目に掛かる事など無い筈なのである。 それを今更ながら理解した霊夢と魔理沙の二人は、場違いな服を着たハクレイの方を見遣る。 一方のハクレイもルイズの言葉を聞いて「そうなの?」と自分の事にも関わらず、首を軽く傾げながら言う。 周囲を囲うキメラにも警戒しなければいけないため彼女の顔は見れないが、その口調からは本当に不思議がっているのが分かった。 「え?…ま、まぁそうだけど…ていうか、アンタ自身の事なのにそのアンタが不思議そうに聞いてどうするのよ?」 「さっきも言ったけど私は何も覚えてないから、こんな姿をしてる理由も思い出せないのよ」 あぁそうか、さっきそんな事言ってたわね。戦いながら聞いていた彼女のいきさつを思い出して、ルイズ達は納得する。 けれどもそれはそれで謎がさらに深まってしまい、彼女自身の存在がより不鮮明になってしまう事となった。 しかし、だからといって今共に戦っている彼女に杖を向けるという事にはならない。 ひとまずはそう納得したルイズは杖を握る右手に更に力を込めて言った。 「だけど、今はそんな事を知る前にちぃ姉様やタルブ村の人たちがいる屋敷を守らないと…それが先決よ!」 「だな。確かに怪しいっちゃ怪しいが、だからといって敵を増やしても良いことは何もないぜ」 ルイズの言葉に魔理沙も同意し、霊夢も「そりゃそうね」と呟きながら御幣を遠くから睨むキメラ達の方へと向ける。 そして黒白に怪しいと言われたハクレイも、その三人と背中を合わすようにして静かに拳を構えて見せる。 遠くから様子を見守っていたラピッド達も再び動き出そうとしているのか、彼女たちの周りにいる数体が姿勢を低くしている。 恐らくあの姿勢から飛び上がるつもりだろうか?軽い想像を頭の中でしつつも霊夢は突き出した御幣に霊力を注ごうとした―――その時だった。 「………ん?――――何だ、急に肌寒くなってきたような…」 彼女の後ろでミニ八卦炉を構えていた魔理沙が、唐突にそんな言葉を口から出してきたのは。 突然何を言い出すのか?そう言いたかったルイズもまた、彼女と同様にブラウス越しの肌が冷たい空気に触れるのを感じた。 二人の言葉にハクレイも周囲の空気が冷たくなり始めたのに気づき、もしやキメラ達の仕業かと辺りを見回してみる。 だが不思議な事にキメラ達もその動きを止めており、姿勢を低くしていた奴らも腰を上げてキョロキョロと頭を動かしていた。 「アイツらも止まってる?ってことは、あのシェフィールドっていうヤツが何かを仕掛けたってワケじゃあなさそうだけど…ねぇれ…あれ?」 彼女に続いてキメラの異常に気が付いたルイズがそう言いながら霊夢にも話を振ろうとした時に、ようやく気が付く。 自分たちと同じく空気の異変に気付いたであろう彼女は、それまでキメラを睨んでいた目を頭上の空へと向けている事に。 一体どうしたのかとルイズが訝しんでいる一方で、霊夢は周囲に漂い始めたこの冷気に覚えがあった事を思い出していた。 かつて地上より遠く離れた雲の中、まるで御伽噺に出てくるような空に浮かぶ巨大大陸で体験した様々な出来事。 まだ幻想郷から紫が迎えに来る前に、帰る手がかりがないかとあのアンリエッタが持ってきた幻想郷録起を頼りに訪れた『白の国』 途中入った森の中の村に泊まり、色々あって行先が同じだったルイズと合流し裏口から入ったニューカッスル城。 アルビオン王党派最後の砦の中で、彼女は感じていたのである、肌を容赦なく刺してくるかのような冷気を。 そして知っていた。ルイズの護衛として同行し、まんまと王党派の中に紛れ込むことのできたあの男が放つ、この冷気の゙正体゙を。 (この冷気は間違いない、この空気が漂いだしてすぐに…あの後…ッ!) 目を見開き、あの時の出来事が脳裏を駆け巡っていく中で霊夢は思い出す。あの男の一言を。 ―――――何、君には永遠の眠りをあげようと思ってね そんな気取った言葉を放つ男には撃てそうにもない苛烈な雷撃に、間違いなく自分は追いつめられていたのだ。 自身の゛遍在゙を用いて一度は襲い掛かってきた、『閃光』の二つ名を持つ男に。 『…………ッ!!?クソ、やべェ!お前ら、その場に伏せろ!!』 そこまで思い出したところで、目を見開いた霊夢が他の三人へと顔を向けようとした直後。 不思議とそれまで黙り込んでいたデルフが、まるで堰を切ったかのような怒声で叫んだのである。 今まで黙っていたかと思えば急に怒鳴ったインテリジェンスソードにルイズ達三人が目を丸くした直後、霊夢が動いた。 突然叫んだデルフの言葉を一瞬理解できず驚いていたルイズの体を、腰に抱きつくような感じで地面に押し倒したのである。 「え、わ…っちょ!何すんのよイキナリ!?」 「えぇ…?おいおいお前ら、急に盛るのはナシ…ィグエェッ!!」 突然の霊夢の行動にルイズは赤面しながらも怒り、魔理沙はそれを茶化そうとしたものの上手くいかなかった。 ちょうど彼女の傍にいたハクレイに、後ろから勢いよく袖首を引っ張られて地面に倒されたからである。 ハクレイもハクレイで最初こそ唐突に叫んだ剣に驚いたものの、自分と似た姿をした少女の行動に何かイヤなモノを感じたのだ。 だからこそそれに倣うような形で近くにいた黒白の少女を地面を伏せさせたものの、少々強引過ぎたと伏せさせた後で思った。 しかし、結果的にデルフの叫びと二人の巫女がとった行動はこの場に居た四人を救う結果となる。 ルイズと魔理沙が無理やり地面に伏せさせられた直後、周囲に漂っていた冷気が更にその冷たさを増した。――――瞬間! 先ほどまで霊夢が凝視していた上空から眩い閃光と共に、空気が弾け飛ぶ激しい音と共に無数の雷撃が周囲に炸裂したのである。 「!?キャア…!」 霊夢に押し倒されて赤面していた顔を一変、真っ青にさせたルイズが悲鳴を上げる。 一方でその彼女を押し倒した霊夢は霊力を溜めていた御幣を頭上に掲げると、その先端部から再び結界を展開させた。 今度は即席ではなく、あらかじめ攻撃用に練っていた霊力であった為に守りは強固であり、こちらへと落ちてくる雷撃を弾いていく。 結界に弾かれる度に上空からの雷は激しい閃光と音と共に別方向に飛んでいき、その先にあった一本の木に命中する。 弾かれた雷撃が直撃した木は、轟音と共にあっさりと折れ曲がるとそのまま勢いよく燃え始めた。 アストン伯の屋敷にも雷が直撃し、まだ割れていない窓ガラスが割れて甲高い音と共に屋敷の外へ飛んでいく。 しっかりと整備された屋敷の芝生や周囲に散乱していたキメラの破片や放棄されたトリステイン軍の装備品も上空からの閃光で吹き飛ばされていく。 その中にはここへ来た時にルイズたちが見つけた王軍騎士達のマントもあり、それらは全て激しい雷撃で呆気なく消し炭と化していった。 そして当然、彼女たちを数の力で包囲していたキメラ達にも雷撃は容赦しなかった。 上空から走ってくる閃光は容赦なく奴らの体を鎧ごと貫き、目にもとまらぬ速さで黒焦げになったトカゲの丸焼きへと変えていく。 体をほぼ金属で覆っている事もあり、どんなに動き回っても時間稼ぎにすらならない。 中には無謀にも『風石』の力で飛び上がろうとした奴もいたが、所詮は無駄なあがきであった。 結果。自分たちの頭上で激しい音と共に閃光が奔った直後、トカゲの丸焦げ焼きが落ちてきた事に魔理沙は素っ頓狂な声を上げた。 「うぉわっ!…な、何だぜコレ!?一体全体、何が起こってるんだぜ…!?」 動揺のせいか変な語尾がついた彼女の言葉に答える者は誰もおらず、四人中三人は顔を地面へ向けている。 ただ一人、結界を張っている霊夢だけは霊力を結界へ補充しつつも、その目で闇夜の空を睨み付けていた。 『『ライトニング・クラウド』…!こいつはおでれーたぜ…まさかこのご時世に、ここまで使いこなせるヤツがいたとはな!』 デルフの言葉に、この雷撃が魔法だと察していたルイズはハッとした表情を浮かべた。 ライトニング・クラウド――――人口の雲を造り出し、それに冷気を流し込む事で強力な雷撃を発生させる魔法。 強力な魔法が多い゛風゛系統の中でも特に殺傷能力に秀で、詠唱者に要求される技術も高い上級スペル。 それをここまで凶悪で無差別な殺戮を行える程の魔法に変えられるメイジは、ルイズの中では少なくとも二人だけ知っていた。 一人目は我がヴァリエール家の母親。泣く子も黙るどころか踵を返して逃げ始める゙烈風゙の二つ名を持つ武人。 そして二人目はそのヴァリエール家と領地が近く付き合いもあり、かつては自分の婿と呼ばれ、裏切り者となった男――――ー そこまで思い出した時、それまで周囲を攻撃し続けていた雷撃がピタリと止んだのである。 最後の一撃がついでと言わんばかりに一匹だけ残っていたキメラを黒焦げにした後、その空から何も降ってこなくなった。 まるで最初から雷撃など無かったと言わんばかりの様に静まり返った空と、それとは反対に惨憺たる傷跡をつけられた大地。 ルイズ達四人以外を除き、周囲にいたラピッド達は文字通り全ての個体が黒く焦がされ、沈黙させられている。 治まったか…?誰ともなくそう思った時、雷撃が牙を剥かなかった木立の中から、あのシェフィールドが怒鳴り声を上げた。 『私゙たぢを裏切るつもりかい!?―――――ワルド子爵…ッ!』 恐らく安全圏から今までの戦いを眺めていたであろう彼女の言葉は、怒り一色に染まっている。 「ワルド子爵ですって…!?」 彼女が口にした聞き覚えのある名前に、ルイズが目を丸くして立ち上がってしまう。 同じく地面に伏せていた霊夢が貼っていた結界の外へと上半身が出てしまった直後、今度は彼女の周囲を風が包み込んだのである。 ウェーブの掛かったピンクブロンドが揺れ、ボロボロになったマントが風でバタバタと音を立てた時、彼女を見上げていた霊夢は気づいた。 ルイズの頭上。先程『ライニング・クラウド』が飛んできた上空から一つの大きな影が近づいて来ようとこている事に。 「…!ルイズッ…」 「え、あ、わ…ちょ―――キャアッ!!」 その叫びが届いた直前、意図的な風に体を包み込まれたルイズの身体が宙へと持ち上がる。 まるで目に見えぬ巨人の手に捕まれたかのように、彼女がどんなにもがいてもその拘束から逃れられない。 急いで御幣の柄を地面に勢いよく刺し、空いた左手でルイズを掴もうとした霊夢であったが、それは無駄な努力に終わってしまう。 空中でもがくルイズが、こちらへと左手を差し伸べてきた霊夢に右手を差し出そうとした瞬間。 腰を上げた霊夢が出し抜かれてたまるかと言わんばかりの顔で持って、ルイズの右手を掴もうとした直前。 雷撃が収まり、周囲の状況を確認していた魔理沙が宙に浮かぶルイズの頭上から迫る巨大な影に気付いた時。 頭を上げて状況を把握し、これは良くないと認識したハクレイが動き出そうとする前に。 そして想定していたシナリオへ土足で踏み込み、大事な゙主役゙を攫おうとする不届き者にシェフィールドが手を打つ寸前に―――。 「――――…ッアァ!!」 「ルイズッ!」 霊夢が手を掴もうとしたルイズは、物凄い突風と共に降下してきた黒い風竜の手に掴まれてしまう。 咄嗟に右手のお札を放とうとするものの、それを察知した竜は地面に降り立つことなく森の中へと飛び去っていく。 あっという間に遠くなっていくピンクブロンドの髪と同時に、彼女の目に゙その男゙が後ろを振り向く姿が映り込む。 かつてニューカッスル城で自分を追いつめてくれた、魔法衛士隊の一つグリフォン隊の元隊長だった男。 ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵が浮かべた大胆不敵な笑みを、霊夢の赤みがかった黒い瞳は見逃さなかった。 油断した…!苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた霊夢は、地面に刺していた御幣を引き抜いて立ち上がる。 あの竜に乗っていた男…見間違いでなければかつて自分を二度も襲ってきたワルド子爵だと思い出していた。 ニューカッスル城で痛めつけてやった筈なのだが、どうやらアイツ自身はまだまだ諦めてはいないようだった。 ルイズを攫ったのも返して欲しくば追いかけて来い!という意味なのだろうが、それにしてもどうしてここにいるのだろうか…? 一瞬だけそんな疑問を感じた彼女は、すぐにワルドがレコン・キスタのスパイだったという事を思い出す。 そしてあの男は、その気になれば自分やルイズのような少女の命に手を掛ける事すら躊躇しないという事も。 スカートに付いた土埃を払いつつ、頭の中をフルで動かしている霊夢に腰を上げた魔理沙が捲し立ててくる。 「お、おいおいッ霊夢!ルイズの奴が竜に攫われちまったぞ…!?ていうか、背中に誰か乗ってたような…」 「そんくらい、分かってるわよ。とりあえず乗ってた男を止めて痛めつけないと、ルイズの身に何が起こるか分かったもんじゃないわ」 魔理沙の言葉にそう返しながらも、霊夢はワルドが操る竜が飛んで行った林道を一瞥しつつも周囲の様子を探ってみる。 周囲を囲っていたキメラ達は既に全滅しており、幸いにも行く手を阻む障害は存在していない。 辺りに敵がいない事と、どこへ行けばいいかの確認を終えた彼女はソッと魔理沙に耳打ちする。 「魔理沙、アンタが先行してあの竜を止めてきて頂戴。私もすぐに追いつくから」 「分かった、分かったが…でもどうするよ?あのシェフィールドとかいうおばさんが私達を見逃してくれると思うか?」 『失礼な事言うもんじゃないよ!このガキ!』 「うぉっ…!失敬、聞こえてたか。じゃあ次言う時は、大声にしておくよ」 霊夢の提案に魔理沙は顔を顰めつつもそう言うと声が聞こえていたのか、闇の中からシェフィールドの怒鳴り声が聞こえてくる。 まさか聞こえていたとは思わなかった魔理沙が身を竦ませながらも尚も口を止めない所を見た霊夢は、そう簡単に逃がしてくれそうにないという確信を抱く。 それと同時に、先ほどのセリフとキメラを倒したのがワルドだと思い出した彼女は、闇の中にいるシェフィールドへと質問を飛ばした。 「さっきの攻撃…まさかとは思うけど最初からルイズを攫う為に計画してたワケじゃないわよね?」 『当たり前に決まっているじゃないの?全くあの子爵め、どういうつもりなんだいッ!!折角竜騎士の地位を授けてやったというのに!』 竜騎士…?アルビオン?ということは、ワルドは今回侵攻してきたアルビオン艦隊と共にやってきたのだろうか? 怒り散らすシェフィールドの返事を聞いた霊夢は、あのワルドがどうしてこんな所にいるのかを理解した。 まずワルドとシェフィールドは、今艦隊を率いてやってきているレコン・キスタという組織の仲間として繋がっでいだという事。 そしてどういう事か、本当なら介入してくる事の無かったワルドの乱入によりルイズが攫われてしまった。 今やるべきことは、あの邪魔をされて激怒しているシェフィールドの目を掻い潜ってワルドの手からルイズを助けに行かねばならない。 幸いにもキメラはルイズを攫う直前に『ライトニング・クラウド』のおかげで全滅している為逃げる事は苦ではない。 だがしかし、ルイズを助けにここを離れた場合…彼女の姉を含めてまだ多くの人がいる屋敷を見捨てる事にも繋がる。 残念な事だが。キメラを操る闇の中の女がわざわざ屋敷に手を出さずに待ってくれるとは思えなかった。 少しだけ俯いて考えた後、霊夢はスッと顔を上げて闇の中にいるシェフィールドへ声を掛けた。 「ねぇ、少し聞きたいんだけど。もし私と魔理沙がここから消えたら、あの屋敷はどうするのかしら?」 霊夢はすぐ傍にあるアストン伯の屋敷を指さしながら訊いてみると、彼女は『簡単なコトさ!』と叫んでから喋り出した。 『アンタ達が尻尾撒いて逃げるようなら、あそこに隠れている連中は私の憂さ晴らしで皆殺しにしてやるだけさ。もう釣り餌としての価値はないからねぇ』 「別に逃げるつもりはないんだどさ―、やる事と言う事が過激なんじゃないの?」 あぁ、やっぱり思った通りだ。予想できていた霊夢は溜め息をつき、魔理沙は゛釣り餌゛や゛憂さ晴らし゛という言葉を聞いて目を丸くしている。 キメラをけしかけてくる時点で、おかしな人間だとは思っていたのだがまさかそこまで多くの人をぞんざいに扱えるとは思っていなかったのだ。 そして、あの屋敷を守る為に自分たちより前に戦っていたであろうハクレイは信じられないと言いたげな目でシェフィールドの話を聞いていた。 三人中二人が似たような反応を見せたのを確認してから、霊夢はまたも口を開いた。 「…ちょっとルイズを助けて戻ってくるまで待ってて―――って言っても、通じないわよね?」 『―――アンタ、それは正気で言っているのかしら?だとしたら…随分巫山戯た言い訳だねぇ!』 思いっきりバカにしてるかのような嘲笑と共にそう言った直後、再び上空から銀色の影が三つ落ちてくる。 さっきここにいた奴らを全滅させたばかりだというのに、もう新しいラピッドが霊夢達の前に立ちはだかってきた。 キメラ達は地面に倒れた黒焦げの仲間たちを踏み潰しつつ、手に持った槍の刃先を向けてこちらに近づいてくる。 「クソっ、次から次へと…厄介事が文字通り空から舞い降りてきやがるぜ!」 悪態をついた魔理沙がミニ八卦炉を構え、それに霊夢も続こうとした直前…二人の前にハクレイの背中が立ちはだかった。 突然の事に二人が軽く驚いていると、仁王立ちになったハクレイが「早く行って」と霊夢達に言った。 「コイツラとシェフィールドとかいうヤツは私が相手をするから、アンタ達はあのルイズって子を助けに行きなさい」 「……良いの?アンタとアイツラの相性、どうみても悪いような気がするんだけど」 殿と屋敷の守りを引き受けてくれるハクレイに対して、霊夢は彼女とキメラを見比べながら真顔で言う。 彼女の言うとおり。相手は『風石』の力で自由に地上と空中を行き来する上に、飛び道具まで持っている。 それに対してハクレイ自身の武器は自分の手足だけという純粋な格闘家的戦法しか取れず、どう考えても相性が悪いとしか言いようがない。 先ほどの様に相手から近づけば話は別だが、あのキメラ達相手に同じ戦法が何度も通用するとは思えなかった。 だが当の本人もそれを理解したうえでここに残ると宣言したのであろう、心配を装ってくれる霊夢に「心配ないわよ」と素っ気なく返す。 「何もかも忘れて、得体の知れない私に手を差し伸べてくれたカトレアや、 何の罪もなくただ避難している人々にも、奴らが容赦なく手を出そうというのなら…、 それをしでかそうとした事を悔いるまで私は絶対に負けるつもりはないし、死ぬつもりもないわ」 黒みがかった赤い瞳でキメラ達を睨み付け、ゆっくりと拳を構え始めたハクレイは言った。 その後姿から漂う雰囲気と言葉に二人が何も言えずにいると、黙って聞いていたシェフィールドが甲高い笑い声を上げ始める。 まるで彼女の語った言葉を駄洒落か何かと勘違いしているかのような、腹を抱えている程の潔い笑いであった。 「ッハハハハ!こいつは傑作だねぇ。わざわざその程度の事で、死地に飛び込んできたっていうの? だったら教えてあげるよ。この私を怒らせ事に対する、死や屈する事よりも辛い…後悔ってヤツをさぁ…ッ!!」 最後まで笑いと憤怒が詰まったその言葉と共に、槍を構えていた三体のラピッドが一斉に飛びかかってきた。 銀色に光る槍と真っ赤な口の中を見せて向かってくるキメラ達に、霊夢と魔理沙はそれぞれり獲物を反射的に構える。 しかし、奴らが三人の方へと落ちてくる前に既に準備ができていたハクレイが急に右足で地面を踏んだのである。 唐突な行為に霊夢が一瞬怪訝な表情を浮かべたものの、その行動に理由があった事を即座に知る事となった。 分厚く、蹴られたら痛いと分かるブーツに自分の霊力を纏わせた彼女のストンプは、地面を爆ぜさせたのである。 緑の芝生が土と共に宙を舞い、ほんのわずかではあるが突撃しようとしたキメラ達の前に土の障壁を作り上げた。 結果、突撃しようとした敵はあと一歩という所で動きをとめてしまい、結果的にそれが霊夢達を動かすキッカケとなった。 「ッ!魔理沙、行くわよ!」 わざわざキメラを止めてくれたハクレイに行けとも言われていないし、目配せもされていない。 けれども彼女が取ってくれた行動で察した霊夢は、隣で目を丸くする魔理沙に声を掛けつつその体を浮かばせた。 地面から一メイル程度浮いているだけではあったものの、速く移動するのにはうってつけの飛び方である。 彼女は林道の方へと体を向けると重心をそちらの方へと向けて、超低空高速飛行で進みだす。 「……!!わ、分かったぜ!」 声を掛けられた魔理沙もハッとした表情で頷くと、左手で持っていた箒に急いで腰かける。 一瞬自分の力で浮きつつも箒に腰かけたところで、ふと言い残したことがあったのかハクレイの方へと顔を向けて一言述べた。 「悪いな、名無しの巫女さん。これで死んじまったらアンタのお墓に花の一本でも添えといてやるよ」 何やら縁起でもない事を彼女に伝え終えた魔理沙は、すでに林道へと入っている霊夢の後を追い始める。 霊夢と比べ速さには自信があった魔理沙らしく、箒に腰かける後姿はあっというまに闇夜の中へ消えていった。 ハクレイがキメラを足止めしてほんの十秒後、彼女たちは無事にここから抜け出せることができた。 突如やってきてルイズを攫っていったワルドに追いついて、とっちめる為に。 魔理沙の言葉を聞いた後、今更になって後ろを振り返った彼女は顔を顰めながら先ほどの言葉を思い出していた。 「…花一本て―――――…ガッ!?」 それは無事に二人を林道を向かわせる事ができた彼女の、唯一の油断と言っても良かった。 一瞬だけ振り返った直後、彼女の腰部分に一匹のラピッドが抱きつくような形でタックルをしてきたのである。 回避も間に合わず、諸に直撃を喰らった彼女は肺の中の空気が全て出て行ってしまったかのよう苦しさを味わいつつも、地面に倒されてしまう。 仰向けになった彼女が空っぽになった肺へ急いで酸素を取り入れつつも、何とかして腰に抱きついたキメラを引き剥がそうとした。 しかしそれを実行へ移す前に、芝生に付いていた白い袖目がけて左右のラピッド二体が何の躊躇いもなく槍で串刺しにする。 「えっ、ちょ…うわっ!」 鋭く鈍い音と共に文字通り地面へ釘づけけとなった袖に拘束されるような形で、ハクレイは身動きを封じられてしまう。 唯一足だけは動かせたものの奴らもそれを理解しているのか、タックルしてきたのも含めて三匹はその場からすっと後ろへ下がった。 蹴飛ばすこともできず、一瞬の隙を突かれて地面へ釘付けにされたハクレイはバツの悪そうな表情を浮かべて呟く。 「…あちゃー、言った傍からしくじったわねぇ」 「ふふ…何だい?大見得切った割には、随分な御姿じゃないの」 彼女が呟いた直後、すぐ近くからシェフィールドが面白おかしいモノを見るかのような口調でなじってきた。 今まで闇の中から耳にしていたその声は、今度はやけにハッキリと聞こえている。 今は近くにいるのか?ハクレイがそう思った直後、すぐ目の前の闇から滲み出るようにして黒いローブ姿のシェフィールドがとうとう姿を現した。 水に濡れた鴉の羽根の様な長い黒髪に死人の様な白い顔に微笑みを浮かべて、地面に倒れたハクレイを見下ろしている。 嘲笑っているとも取れるその笑みからは、少なくとも友好的とはとても思えぬ念が込められていた。 「うーん、実にいいモノねぇ。私の計画を散々無茶苦茶にしてくれた奴を、地面に釘付けにするってのは…」 周囲にキメラを侍らせている彼女は一人楽しそうにつぶやきながら、相手をまじまじと睨み付けている。 対してハクレイの方もこれからどうしようかと考えつつも、時間稼ぎのつもりで何か言おうとその口を開く。 「そうかしら?わざわざ槍で地面に張り付けにされてる身としては、あまりいい気分はしないんだけどね」 「アンタの意見なんか別に聞いてもいないよ。それに、平静を装っていられるのも今の内さ」 ハクレイの言葉に対してキッパリと言い放ったシェフィールドは彼女の傍へ近づくと、ジッと彼女の顔を見つめてきた。 近づけば近づくほど白く見える顔からは人間らしさが見えて来ず、彼女という一個人を不気味な存在に仕立てている。 そしてその目は、まるでこれから面白いショーが始まる事を心待ちにしているかのような子供が見せる目つきをしていた。 この様な状況では場違いとも思える目つきをしているシェフィールドを見て、ハクレイの体は言い様のない不安で強張っていく。 何だか分からないが…とにかく、何かイヤな事が起こる予感がする…! 心の中でそんな気持ちを抱いた彼女の心を読んだかのように、突如シェフィールドが小さく笑った。 「ふふ…アンタ、さっき言ってたわよね?あそこの屋敷に隠れてる連中には、絶対に手を出させないって」 「…!それがどうかしたのかしら?」 自分の顔を覗き込む彼女の口から起こり得るであろう出た言葉から、ハクレイは怪訝な表情を浮かべつつも察していた。 丁寧に作り上げた計画を無茶苦茶にされたという彼女の、それをぶち壊した自分に対する憎しみは並々ならぬモノに違いない。 だとすればそれに対しての゙報復措置゙は既に思いついており、今はそれを実行に移そうとしている直前なのだ。 そしてシェフィールドは、ハクレイがその゛報復措置゙の内容を察している事に気づいていた。 何が可笑しいのか、強張っているハクレイの顔を覗き込みながらも、シェフィールドは冷たく嗤う。 自分の――ひいては我が主が指すゲーム盤を乱した者は、例え誰であろうともそれ相応の代償を払う必要があるのだ。 そんな思いを氷の様に冷たい笑みから漂わせながら、シェフィールドは口を開いた。 「アンタは理解しているんだろ?―――無駄になっだ釣り餌゙は、水槽の魚にあげてやるべきだって。 丁度今、私の周りには飼っている魚たちがお腹を空かしているだろうから…きっと喜んで食べてくれるだろうねぇ」 「――――アンタ…ッソレ本気で言ってるワケ!?」 とうとう、彼女の口から出てしまった恐ろしい話を耳にして、ハクレイはその目をカッと見開いて叫ぶ。 彼女の赤い瞳からはこれから怒るであろう惨劇を何とか止めようとする必死さと、自分への憎しみがこもっている。 「ハァ…―――本気も本気よ?じゃなければ、私の怒りは収まりがつかないのよ」 それに気づいたシェフィールドは、堪らないと言いたげに肩を震わせながら恍惚に染まった溜め息をつきながらそう言う。 そこまで言った所で、ハクレイは袖に刺さった槍を何とか引き抜こうともがき始める。 しかし思っていた以上に深く刺さっている槍はビクともせず、逆に彼女の体力をジリジリと奪っていく。 ヤケクソ気味に自由な両足を動かすものの何の解決にもならず、ブーツが空しく空気を切っているだけであった。 ―――――これだ、これこそ今の私が望む最高の展開だ。 目の前でジタバタと暴れているハクレイを見ながら、シェフィールドは内心で歪んだ笑みを浮かべていた。 こうやって最後まで抗う彼女の目の前で、守ろうとした者達に無残な結末を迎えさせる。 屋敷の地下に隠れている連中は、さぞや耳に心地よい悲鳴を上げながらキメラ達に殺される事だろう。 そうして思う存分に絶望した所で抗うコイツも八つ裂きにし、そして私を裏切ったあの子爵も始末する。 そこまですれば我が主のゲーム盤は元に戻る。異端で不要な駒どもは粉々に砕いて燃やして捨てるのが相応しい。 「我が主のゲーム盤に横槍を入れた者は、皆等しく死すべき存在よ。女子供が相手だろうとね?」 キメラ達を動かす前に一言つぶやいたシェフィールドが、自分を睨み付けるハクレイの顔に触れる。 それ自体は単に彼女へ送る最期のスキンシップのつもりであり、他意は無かった。 だが、それが彼女と――――そしてハクレイが今置かれている状況を一変させうる引き金となった。 「…?――――――な…ッ!?」 シェフィールドの白い指がハクレイの顔に触れた直後、驚きを隠せぬような声と共にその指がピクリと揺れ動いた。 まるで今触ったモノが触れる事すら危険な毒物だと気づいた時の様な、明らかな動揺が見て取れる動き。 それに気づいたハクレイがシェフィールドの方へと顔を向けた時、彼女の表情がいつの間にか一変している事に気が付いた。 それまで笑みを浮かべていた顔は驚愕に染まり、不思議な事に彼女の額が青く発光している。 額の光を目を凝らして見てみると、どことなく何かの文字にも見えるのだが前髪で隠れていて良く分からない。 一体どうしたのかと訝しもうとしたとき、カッと目を見開いたシェフィールドが「あり得ない!」と叫びながら後ずさり始める。 額を光らせ、動揺を隠しきれぬ顔で後ろへと下がる彼女は張り付けにされているハクレイを見ながら、ぶつぶつ喋り出した。 「そんなバカな事…あり得ないわ。……――――には、そんな能力なんて無い筈なのに――――」 ついさっきまで自分を嘲笑っていた女が、今度は一転して狼狽えている光景にはある種の異様さが漂っている。 そんな思いを浮かべながらただ黙って見ているしかなかったハクレイに向けて、シェフィールドは一言だけ呟いた。 「一体、お前の身体に何があったというんだい?――――゛見本゛」 ――――――…見本? 彼女の口から出た一つの何気ない単語にしかし、ハクレイの心は酷く揺れ動いた。 まるで今の今まで忘れていたかった事を思い出してしまった時の様な、思わず呻きたくなってしまう程の動揺。 それを今まさに感じているハクレイは、自分の心臓の鼓動が早鐘の様に鳴りはじめた事に気が付く。 「゙見本゛―――――…って、アンタ一体…何を言ってるのよ?」 頭の中で直接響く鼓動の音に消えてしまう程の小さく掠れた声で、彼女は呟いた。 ハクレイに殿を任せて、霊夢と魔理沙の二人が林道に沿って飛び始めてから早五分。 未だルイズを攫って行ったワルドと彼が操る風竜の姿は見えず、ひとまず二人は道なりに飛ぶしかなかった。 アストン伯の屋敷からタルブ村へと続く林道もまた、その前にいた山道と同じく整備されている。 馬車が走っても車輪が岩で壊れないよう大きめの石は殆ど除去され、緩やかなカーブを描く平らな道がどこまでも続いている。 道の幅は十二メイル程で、両端には飛んでいる二人を生け捕りにしようとするかのように鬱蒼とした木立しか見えない。 二人は闇に慣れた目で木立に突っ込まないよう気を付けながら、ルイズの姿を探していた。 こういう時の灯りではあるのだが、先ほどの戦いで失ったカンテラが自分たちが持ってきていた唯一の灯だった。 一応闇に慣れたとはいえ、あった方が良いか?と問われれば当然あった方が良いと答えていたであろう。 しかし無いモノは無く。止むを得ず二人は暗い闇に包まれた道をただひたすらに飛んでいた。 霧が薄まったとはいえ月は顔を出しておらず、頭上の空には星の光とは思えぬ人口の光が幾つも見える。 林道に入って少ししてから見えたそれ等の光は、よくよく見てみれば巨大な船に取り付けられているものだと分かった。 恐らく、あれが今トリステインを侵略しようとしているアルビオンの艦隊なのだろう。時折敵の竜騎士らしきシルエットも見ていた。 だとすれば敵の集団かキメラの群れが自分たちのすぐ近くにいてもおかしくはないし、それと戦う暇など勿論ない。 故に二人はこうして、森の外から飛び上がろうとせず渋々といった表情でルイズを探していた。 「なぁ、ホントにあの巫女モドキさん一人にしておいても良かったのかよ?」 先頭を進む魔理沙が、腰かけている箒にゆっくりとカーブを掛けさせながら後ろを飛ぶ霊夢に話しかけた。 「……?何よ、アンタらしくないわねぇ。もしかして、去り際に行った自分の言葉に罪悪感でも持ったの?」 「まさか。ただ、いつもはああいうのに疑いを掛けるようなお前さんがアイツの肩を持つのはおかしいと思ってな」 霊夢の言葉にそう返してから、黒白は箒に微調整を掛けつつ自分がよく知る巫女さんがどんな返事をするのか期待していた。 てっきり適当な事を言うと思っていた彼女はしかし、五秒ほど経っても霊夢が言葉をよこさない事に気付くと怪訝な表情を浮かべる。 「………?霊夢?」 思わず待ちきれなくなった魔理沙が彼女の名を呼ぶと、少し悩んだ様な表情をした霊夢がポツリと口を開く。 「んぅ~…―――何でなの、かしらねぇ?イマイチ良く分からないわ」 「おいおい、らしくないな。何時ものお前さんならその場で物事をスッパリ考えて、キッパリ決めてるっていうのにさ」 「…こう見えても色々と悩んでるんのよ?まぁ、弾幕はパワーとか決めつけているアンタよりかは悩んでる回数は多いわ」 「お、言ってくれるなぁ~。月が見えない夜には気を付けておけよ?」 「アンタの場合存在そのものが賑やかなんだから、月が無くても平気だわ」 まるで博麗神社の縁側でしているようないつもの会話を、二人にとっての異世界であるハルケギニアの暗い林道でする。 今自分たちが置かれている状況を理解しているとは思えない光景であったが、ふと先行していた魔理沙が何かを発見した。 林道に沿って飛び始めてから更に十分が経過したところだろうが。 ようやく出口が見えてきて、タルブ村が見えてくるだろうという所で魔理沙が声を上げた。 「ん?……あっ、おい霊夢!いたぞッ、アッチだ!」 双方ともに自分のペースで進んでいた為に林道を先に魔理沙の呼びかけで、霊夢は少しスピードを上げる。 最後のゆるいカーブを曲がり切ったところで、周囲の闇とは違う魔法使いの黒い背中が見えたのでその場で急ブレーキを掛けて止まる。 靴先が少しだけ地面を蹴る同時に着地し、箒をその場で浮遊させて止まっている魔理沙の傍に寄っていく。 彼女の視線の先、林道出てすぐ近くにできている広場のような草地のど真ん中に、ルイズが倒れていた。 うつ伏せの状態で倒れている彼女は気でも失っているのか、体が微かに上下している意外動きを見せない。 周囲には上空の艦隊以外目立つモノは無く、不思議な事に彼女を攫って行ったワルドや風竜の姿はどこにも見当たらなかった。 何処かで自分たちが来るのを待ち伏せているのだろうが、それにしても罠としてはあまりにも分かりやすい。 「…ご丁寧に気まで失わせて放置してるぜ?どう思うよ」 「ん~確かに、トラップにしちゃ分かりやすいけど。あれじゃああからさま過ぎて近づきにくいわね~」 「とりあえずサッと近づいて助けるか?まぁ何が起こるのか察せるけどな」 「丁度良いところに人柱役の魔法使いが一人いるから、何が起こるか試せるわね」 「それは残念。私は『魔法使い』ではなく『普通の魔法使い』だから、人柱役にはなれませぬで候」 二人の少女が林道とタルブ村の境界線に立って、うつ伏せになって倒れている貴族の少女をどうするか話し合う。 周囲の状況から浮きすぎている会話を聞いていてもたってもいられなくなったのか、それに待ったをかける゛物゛がいた。 『おいおいお前ら、そんな半ば喧嘩腰な会話してる暇があんなら少し周りでも警戒でもしろよ』 「うわっ!」 霊夢が背中に担いでいたデルフが、今まで黙っていた分も合わせるかのようにしていきなり喋ってきた。 相も変わらず錆びついた刀身を少しだけ覗かせてダミ声喋る姿は、やはりというかどうも゛歳をとり過ぎた剣゛という表現がしっくりくる。 当然その声を間近で聞いた一応の持ち主はそれに身を竦めて驚き、次に恨めしそうに背中のインテリジェンスソードを睨み付けた。 「ちょっとデルフ、喋る時くらい何か合図でもしてから話してよね。一々驚いてたら寿命が縮むじゃないの」 「おぉ、そりゃいいな。デルフ、人間五十年と言う言葉があるから後五十回は驚かせ」 『んな事できるワケねーだろうが。…それはさておき、これからあそこで伸びてる娘っ子はどうするつもりなんだ?』 霧を掴もうとするかの如く途方もない二人の会話にピリオドを打ちつつ、デルフはいま差し掛かっている問題に話題をシフトさせた。 まぁコイツの言う事も確かか。そう思った霊夢も気を取り直して、ここから十メイル先で倒れているルイズを凝視する。 まずもって相手の罠だという認識の上で考えれば、阿呆みたいに近づけば確実に良くない事が起こるだろう。 「う~ん、アイツに声を掛けて起きてくれればいいんだけど…おーい!ルイズー!」 試しに自分の声で彼女を起こしてみようと聞こえる範囲で呼びかけてみるが、ルイズは微動だにせず倒れたまま。 ルイズの事だから眠っている可能性は低いかもしれないが、ひよっとすると魔法で眠らされているかもしれない。 そんな彼女の思考を読み取ったのか、霊夢が呼びかけて少ししてからデルフがカチャカチャとハバキの部分を動かしながら喋り出す。 『ありゃ恐らく魔法で眠らされてるなぁ。でなけりゃ呼びかけても目を覚まさないってのにも道理が付く』 「そういや、確か風系統の魔法か何かにそういうのがあったよな?確か『スリープ・クラウド』っていうのが」 『それだな。魔法から生み出せる特殊な雲で、上位のクラスが唱えたらドラゴンも一発で眠っちまうんだ。後は朝までスーヤスヤよ』 デルフの言う魔法に心あたりのあった魔理沙が、見事その呪文の名前を言い当ててみせる。 二人のやり取りを何となく見ていた霊夢はふと、黒白の頭上に何かがある事に気が付く。 闇夜のせいでその輪郭は曖昧ではあるが、まるで人の頭一つ分は覆い隠せそうな青白い雲が浮かんでいる。 不思議な雲は時折僅かに縮んだり大きくなったとまるで生き物用に動きながら浮遊していた。 「――――ねぇ魔理沙、その頭上の雲って…」 「ん?何だ霊夢。頭上の…って――――うぉわっ!?」 突然の指摘に魔理沙が頭上を見ようとした直前、その青白い雲がストンと彼女の頭に覆い被さってきた。 いきなり頭上から降ってきて自分の視界を隠してきた雲に魔理沙は思わず驚き、その場で大声を出してしまう。 まるで雲彼女の頭がそのまま青白い雲になってしまったような錯覚を霊夢が覚えていた時、デルフが声を上げた。 『―――ッ!不味いぞレイム、そいつがさっき言ってた眠りの雲だ!』 「何ですって?ということは…ちょっと、魔理沙ッ」 デルフの言葉に霊夢が声を掛けたときには遅く、雲が消えたと同時に魔理沙の体が崩れ落ちる。 まるで長時間張りつめていた緊張という名の糸が切れて崩れ落ちるかのように、彼女は仰向けになって地面へと倒れた。 事態が悪化したことに気付いた霊夢が急いで駆け寄ってみると、黒白の魔法使いは目をつぶって安らかに眠り始めている。 「ちょ…魔理沙、ナニ寝てるのよ?起きなさいって、この!」 急いで叩き起こそうと頬を叩いてみるが、まるで睡眠薬でも盛られたかのように起きる素振りを見せない。 「無駄だ。『スリープ・クラウド』で眠らされたら、その程度では起きはしないさ」 「―――…!」 そんな時であった。ルイズが倒れている方向から、あの男の声が聞こえてきたのは。 アルビオンでウェールズを殺し、ルイズを裏切り…そして自分に手痛い仕打ちをしてくれたあの男の声が。 地面に倒れ伏した魔理沙の方を見ていた霊夢がハッとした表情を浮かべて、すぐさま顔を上げる。 先程まで眠りに伏したルイズしか倒れていなかった場所、朝日や月が出ていればタルブ村と広大なブドウ畑が一望できていたであろう広場。 そこに黒い羽帽子に、金糸で縫われたグリフォンの刺繍が輝く黒マントに身を包んだ貴族の男が立っていた。 帽子のつばで顔を隠している男は、自身の存在が霊夢に気付いたことを知るのを待っていたかのように、自らの顔を上げた。 年の頃は二十代半ばといってもいいが、それを感じさせない口ひげのせいで三十代にも見えてしまう。 だが顔そのものはハルケギニアの基準では十分に美しく、かっこよさも兼ねている美形であった。 黙っていても平民の町娘や貴族の御令嬢まで声を掛けてくれるようなそんな男が、ジッと霊夢を睨み付けている。 まるで猛禽類の様に鋭く凶暴さが垣間見えるその瞳で、異世界からやってきた巫女さんを見つめていた。 マントの内側に自らの両手を隠し、これからの一手を読まれぬようにとその体を微動だにさせずに立ち続ける姿は獲物の出方を窺う鷹そのもの。 そんな相手に睨まれながらも霊夢は決してたじろぐことなく、男もまた自分よりも年下の少女を互いに゙敵゙として見つめ合っていた。 かつて二人はアルビオンにて戦い、結果として両者は勝ち星と負け星を一つずつ所有し合う事となったのだから。 「まさかとは思ってたけど、やっぱりアンタだったようね…ワルド」 「貴様とルイズたちに出会えた事は偶然だったが、これも始祖の定めというモノかな?―――ハクレイレイム」 眠りに落ちた魔理沙を足元に放置したままの霊夢の言葉に、ワルドはそう言ってマントから勢いよく右手を出した。 そしてその手で黒く光るレイピア型の杖を腰から抜き放つと、目にもとまらぬ速さで霊夢に突きつける。 流石魔法衛士隊の隊長にまで上り詰めた男。その一挙一動には、まるで隙というモノが見えない。 霊夢もワルドの動きに倣って身構えようとした直前、突拍子も無く彼女の体を風の壁とも言える程の突風が襲い掛かった。 「うわっ!?…っとと!」 突然の突風に彼女は驚いたものの、何とか両足を地に着けて堪えて見せる。 思わず両腕で顔を隠し、赤いリボンが風に煽られ揺れる音が耳に響く中でデルフが声を上げた。 『今のは風系統の初歩『ウインド』だな。けどあの野郎が放ったレベルのは、久しぶりに見たぜ…ッ!』 「つまり私は舐められてるって事?全く大したヤツじゃないの……って、わっ!」 デルフの助言にそう返しながらチラリと前を窺った瞬間、霊夢は思わず素っ頓狂な叫び声を上げてしまう。 彼女が突風で顔を隠していた間を使って、ワルドが一気に距離を詰めようと飛びかかってきたのである。 「随分とヒマそうじゃないかッ!」 まるで地上の獲物襲い掛かる猛禽のように、頭上から杖を振り上げて迫りくるワルド。 デルフと話していた自分を馬鹿にするかの彼の言葉に霊夢は舌打ちしつつも、懐から取り出したお札を右手で投げつけた。 ありがたいお言葉と霊力が込められた三枚の札はしかし、無情にも頭上のワルドに命中することは無かった。 もうすぐで当たろうとした直前に、本物のレイピアに当たる刀身の部分が光り輝く刃―――『ブレイド』と化した杖でもってお札を切り裂いたのだ。 哀れ六枚の紙くずとなったソレを見た彼女は目を見開きつつも、左手だけで持っていた御幣を両手持ちへと変えて後ろへと下がる。 その直後に先程まで彼女が立っていた場所のすぐ近くにワルドが降り立ち、次に息つく暇もなく霊夢へ切りかかっていく。 霊夢もまた攻めに来るワルドの動きを止める為に、敢えて横一文字の形に突き出した御幣でもって相手を迎え撃った。 瞬間、二人の少女が眠り落ちた空間に激しく甲高い音が響き渡った。 凶暴な目つきをした男が放つ魔法の刃と、異世界からの少女が張った結界に包まれた一振りの棒が激突している。 レイピア型の杖を包む緑色に光るワルドの『ブレイド』は、霊夢が御幣に張った青い結界と鍔迫り合いを起こしたのだ。 両者互いに地面に食い込まんばかりに足を踏ん張り、今にも押し返さんとしていた。 魔力と霊力。常人ならざる者たちの力のぶつけ合いは、周囲にこれでもかと凄まじい威圧感を放出させている。 「ッ!いきなりご挨拶な事ね?攻撃してくるんならちゃんと声掛けの、一つでもしろっての…ッ!」 「それは失礼。何せニューカッスル城にいた時の借りがあったものでね。それを返したまでの事さ」 「言って、くれるじゃないのぉッ」 霊夢は奇襲を仕掛けてきたワルドを睨み付けながらも、ローファーを履いた両足に力を込めてワルドの攻撃を防いでいた。 一方のワルドは必死に鍔迫り合っている霊夢を見下ろしながらも、杖を持つ手により一層の力を込めて御幣ごと叩ききろうとしている。 結界を張った御幣自体はしっかりと盾の役目を果たしており、ワルドの魔力で形作られた『ブレイド』を押しとどめている。 しかし魔法衛士隊の者として心身共に戦士として鍛え上げられた男に、自分は押されているのだと霊夢は自覚せざるを得なかった。 幻想郷では話の通じぬ妖怪相手には本気で挑むものの、これまで人や話の分かる人外とは弾幕ごっこで勝敗をつけてきた霊夢と、 片や魔法衛士隊の隊長としてこれまで数々の訓練と実戦経験を積み、必要とあらば殺人すらも躊躇しないワルド。 決められたルールの範囲内か自分より格下の相手と戦ってきた少女と、目まぐるしく状況が変化する戦場や何でもありな組手で場数を踏んできた男。 ワルドは知っていた。この様な状況下で、次はどういう一手を打てばいいのか。 相手の少女よりも長い人生の中で戦ってきた彼はそれを多くの先輩や敵達から受け、そして学んできた。 「――――ふん、やはり俺の考えは間違ってなかったな」 瞬きする事すら許されぬ状況の中で、霊夢と睨み合っていたワルドがポツリ呟いた。 その自信満々な言い方に相手をしていた彼女はそれが気に食わず「何がッ?」とすかさず言葉を返す。 『ブレイド』の扱いに長けたワルドの腕力に押されつつも、下手に動けばバッサリやられてしまうという状態に置かれている。 元々魔理沙やルイズと比べて体力の少ない霊夢にとって、今の様な鍔迫り合いを長引かせる気は無かった。 それでも宙に浮いたり他の武器やスペルカードを取り出す…などの隙を見せる事ができず両者互いに硬直状態となっている。 だからこそ自分と比べて余裕満々な男の言葉に苛立った彼女は、ついついそれに反応してしまう。 ワルドの狙いはそこにあったのだ。 飛び道具での戦いを得意とする少女を、自分の得意分野である白兵戦に持ち込めたのだから。 「ある意味ではルイズよりも苛烈なお前ならば、こうして喰らいついてきてくれるッ…とな!」 怒りに満ちた霊夢の瞳を見つめながらそう言いきった直後、ワルドは彼女の方へ掛けていた力を全て『抜いた』。 まるで憑き物がとれたかのように霊夢の御幣と対峙していた杖から魔力が抜け、緑の刃がフッと消え去る。 それと同時に、しっかりと杖を構えていた彼は背中から地面へ倒れるようにして素早く後ろへ下がったのだ。 一歩、二歩、三歩と早歩きのように足を後方へ動かして下がり出した彼の行動は、対峙していた霊夢にも影響を及ぼす。 「なっ――――うわ…っ!?」 直前までワルドと鍔迫り合いをしていた彼女は彼の突然の後退に、体が自然と前のめりになってしまう。 御幣を両手で持って『ブレイド』を防いでいたがゆえに、対峙していた側が急にいなくなった事で体のバランスを大きく欠いてしまったのである。 結果、御幣を前に向けた姿勢のまま前方に倒れかけた霊夢は、後ろへ下がって態勢を整えたワルドに大きな隙を見せる事となってしまった。 「白兵戦には、こういう駆け引きもあるッ!」 無防備に自分の方へ寄ってくる霊夢に教えるような口調でそう言うともう一歩下がり、そこから流れるようにして回し蹴りを叩き込む。 鍛え抜かれた足から放たれる技が彼女の脇腹に直撃し、その体が僅かに横へと曲がった。 「――――…」 直撃を喰らった霊夢は目を見開き、声にならない悲鳴を上げると同時に突然の息苦しさが彼女を襲う。 肺の中から空気が…!そう思った時には体が宙を舞い、そしてうつ伏せの状態で草地へと叩きつけられた。 左手から離れた御幣がクルクルと回転しながら夜空へと飛び上がってから、持ち主から五メイルも離れた地面に突き刺さる。 地面から生える背の低すぎる植物たちが露わになっている肌に触れて、僅かな痛みとむず痒さを伝えてくる。 しかしそれ以上に苦しかったのは、蹴られた衝撃で口から飛び出ていった空気を求めて、体が警報を鳴らしていた事であった。 「―――…ッハァ!ンッ…!クハッ…ッア!」 空いてしまった左手で胸を掻き毟るように押さえながら、何とか体の中に酸素を取り入れようとする。 無意識に目の端から涙が零れ落ちていくが、それを拭う暇がない程に体が酸素を欲していた。 体を丸くさせて必死に肩で呼吸する今の彼女の姿を見れば、幻想郷の住人ならば誰もが驚いていた事であろう。 『おいレイム、しっかりしろ!』 流石のデルフも普段の彼女からは想像もつかない姿に、思わず叫び声を上げる。 その声の出所が剣だと気付いたワルドは、ほぅ…と感慨深そうに息を漏らすと気さくな言葉を掛けた。 「成程。先ほどから聞こえていたダミ声はそれだったか。確か、インテリジェンスソード…とでも言えば良かったかな?」 口調そのものは、街角で友人と気軽な世間話しをしているかのような雰囲気が滲み出ている。 しかしそれを口にしているワルド本人は杖の先を蹲る霊夢へ向けて、彼女が次にどう動くのかを見極めている。 顔もまた真剣そのものであり、弱りつつある獲物に近づく猛獣のように慎重にかつ確実に勝てるよう注意を払っていた。 「しかし悲しきかな、そんな大きな剣は君の背中には不釣り合いに見える。何故君はそんなものを背負っているんだ」 「ゲホ…!ケホッ…悪い、けど…―――乙女の横っ腹に蹴りを、喰らわす奴…には…ゴホ、教えられないわね…」 大の大人が持つには丁度良いデルフのサイズとその持ち主を見比べながら、彼は疑問を口にする。 その合間に咳き込みつつも、必死に呼吸したかいもあってようやく落ち着きつつあった霊夢は、怒りを滲ませながら言った。 蹴られた横腹はまだ痛むものの、肺の中に空気が戻ってきた事である程度喋れるほどの余裕は取り戻せていた。 こちらの様子を窺うワルドを睨み付けつつ、手放してしまった御幣が丁度右斜めの所に突き刺さっているのを確認する。 紙垂代わりの薄い銀板がチラチラと鈍く輝いているのは、まるで持ち主にここだここだと告げているかのようだ。 しかし今の彼女にはそれを取に行ける程の余裕は無く、かといって今対峙している相手は生半可な奴ではないとも理解していた。 (コイツ相手には普通のお札や針じゃ対処できそうにないし、かといってスペルカードは…諸刃の剣ね) この男は強い。単にメイジとしての実力もそうだが、それを凌駕する程に人間としての強さも兼ね備えている。 既に二回も戦っているが、相手は確実にこちらの動きをしっかりと学んで、今の戦いに臨んできていた。 だとすれば、これまでの戦い方では今の相手に勝てるかどうか分からない。無論、勝つ気で戦うのが彼女であった。 しかしその可能性は良くて五分五分。目の前にいる男は、自分と同じ種族とどう戦えば良いのか知っている。 妖怪退治を主として来た霊夢は、その人間と戦い゙仕留める゛という事に関しては良くも悪くも素人であった。 魔理沙や咲夜の様な人間とは常にスペルカードで勝ち星を取ってきたが、それ以上の事まではしていない。 人間を守り、妖怪を退治して幻想郷の均衡を守る博麗の巫女としては、当然の事であろう。 しかし逆に言えば、妖怪ば仕留め゙られるものの彼女は自らの手で人の命を゛仕留め゙た事はないのだ。 それはつまり、スペルカードを一切用いない人間同士による真剣な殺し合い。 互いに自らの命を賭けて勝負し、激しい攻撃の末にどちらかが勝利し、どちらかが命を落とす。 スペルカードという安全なルールの中で戦ってきた霊夢にとって、目の前にいる男との相性は悪すぎたのである。 色んな意味で一期一会な雑魚妖怪達には有効である攻撃は、人間が相手となると事情が違ってくる。 知り合いでもある人型の妖怪や人間たち―――この男も含めて、一度見られてしまうとその゛パターン゙を読まれてしまう。 無論読まれたとしても避けれる程の実力が無ければ意味は無いのだが、運悪くワルドにはそれを避ける程の実力があった。 だから霊夢は今の相手にはお札や針は効き目が薄いと判断し、スペルカードによる弾幕は危険と安全の隣りあわせと判断したのだ。 (スペールカードなら多少は安全と思うけど…こういう殺し合いの場だと近づかれたら―――死ぬわね) 今まで編み出してきた結界やお札を併用した弾幕ならば、ごり押しで倒せる可能性はある。 しかし最悪そのパターンを読まれて回避され、近づかれでもしたらそれで御終い。文字通りのあの世行きなのだ。 御幣が手元にあればそれと手持ちの武器で何とかイケる気もするが、生憎それは五メイルも離れた所にある。 今立ち上がって瞬間移動なり飛んで取りに行けば、それを察しているであろうワルドの思う壺だろう。 ならば今の彼女は、ワルドと言う名のグリフォンによって隅に追いやられた猫なのだろうか? 抵抗力もできず、ただただ威嚇しつつも自分より大きい幻獣に身を縮ませるか弱い哺乳類なのだろうか? ――――――否、それは違う。彼女は持っていた、今の自分に残されている最後の『切り札』とも言えるモノが。 幻想郷から遥々このハルケギニアに召喚され、ルイズによって左手の甲に刻まれた『神の左手』と人々に語り継がれる使い魔のルーン。 六千年前に降臨した始祖ブリミルの使い魔の一人であり、ありとあらゆる武器、兵器を使いこなしたと言われる『ガンダールヴ』。 そのルーンこそが。今の霊夢が考えうる最後の切り札にして、今の状況を打開できる能力。 「使う事はまずないだろうと思ってたけど…、使わないと流石に不味いわよね…うん」 「……?一体何をするつもりだ?」 軽くため息をつきながら一人呟いた彼女に、ワルドは首を傾げた。 そんな彼を余所に霊夢は痛む蹴られた左の横腹を右手で押さえつつも、ゆっくりと立ち上がる。 痛みが引いたとは言え完全に消えたワケでもなく、ズキズキと滲む痛みに霊夢は顔を顰めながら苦言を呟く。 「イテテ…アンタねぇ、蹴るなら蹴るでもうちょっと手加減の一つでもしなさいよ」 「それは失礼。魔法衛士隊の組手は常に本気を出すのが鉄則だったのねでね」 少女の言葉にワルドは肩を軽く竦めつつも、動き出した相手に向ける杖を決して下げはしない。 まぁ当然かと霊夢は思いつつ、ようやく立ち上がれた彼女はふぅと一息ついてから再び身構えて見せた。 左横腹を押さえていた右手を離し、左手を右肩の方へスッと上げると丁度肩の後ろにあったデルフの柄を握りしめた。 錆び錆びの刀身に相応しい年季の入ったそれを霊夢の柔らかい手が触れたところで、デルフが話しかけてくる。 『……やるか?』 「手持ちじゃあ倒せるにしても危険だし、何より長物も使ってみたいしね」 今の自分には二つの行動を意味するような彼の言い方に、霊夢はそう答える。 相手が背負っている剣の柄を握ったのを見計らうかのように、ワルドは改めて杖を握りつめると呪文を唱え出した。 本当ならばいつでも仕留められたというのに、自分が再び態勢を整えるのを待っていてくれたのだろうか? 「だとしたら、随分律儀な事ね。……なら、そのお返しは倍にして返してやるわ」 決して隙を見せず、けれども自分を舐めているかのような態度を見せるワルドに贈るかのように霊夢は一人呟く。 そして柄を握る左手に力を入れると、錆びた刀身と鞘が擦れ合う音と共にインテリジェンスソードを勢いよく引き抜いた。 「ほう…随分と年季の入った骨董品じゃないか。売れそうにないがね?」 呪文を唱えていたワルドは、霊夢が抜き放った剣を見て、珍しいモノを見るかのような目で感想を述べた。 耳に障る音と共に鞘から出たデルフの刀身は、鍔から刃先にまでびっしりと黒い錆びに覆われている。 全体の形は霊夢の良く知る太刀に似ている片刃で、贔屓目に見ても彼女の様な少女が振るえる代物とは思えない。 しかし、そんな思い代物を今は左手一つで握りしめ、鞘から抜き放ったのは間違いなく目の前にいる少女であった。 「奇遇じゃない。私もコイツの全体を見たのは久しぶりだけど…やっぱりタダでも引き取ってくれそうにないわねぇ」 『うっせぇ!オレっちにだって色々あるんだよ、馬鹿にするんじゃねぇ!』 ワルドの感想に追随するかのように霊夢がそう言うと、流石のデルフも突っ込まざるを得なかった。 錆びついた身本隊に相応しいダミ声で怒鳴るインテリジェンスソードに、ワルドは嘲笑を浮かべながら口を開く。 「まぁどっちにしろ、私はこの前の借りを返す事も含めて―――全力で戦わせて貰うぞ!」 その言葉と共にワルドが杖を振り上げると、彼の目の前に風で出来た刃―――『エア・カッター』が出現した。 緑色に光るソレは出てきた一瞬だけその場で制止した後、かなりのスピードでもって霊夢とデルフに襲い掛かってくる。 まるで先ほど戦っていたシェフィールドのキメラを彷彿とさせるような攻撃である。ただし一度に出せる枚数はあちらの方が上だったが。 しかしあれから感じられる魔力と殺気は本物である。直撃しようものならサラシに張っている結界符など一発で消し飛んでしまうだろう。 幸い避ける事は造作もない程真っ直ぐに飛んできてくれる為、さっそく横へ飛ぼうとした矢先にデルフが叫び声を上げた。 『避けるなレイム!オレっちでエア・カッターを受け止めるんだ!!』 「はぁっ!?冗談じゃないわよ、あんなの受け止めたらアンタの方が負けて…」 『どっちにしろここで避けたら奴は撃ち続けてくるッ!いいからオレっちを信じろ!』 受け続けてくるのなら避けに避けて錆び錆びの刀身で斬りつけてやるのだが、妙に熱いデルフの言葉に霊夢はデルフの刀身を前へ向ける。 確証そのものは無かった。だが今まで聞いた事の無いようなデルフの言い方に彼女の勘が働いた。 (まぁどっちにしろ結界符はあるし、何かあった時は大丈夫よね…?) 先程の御幣とは違いデルフの柄を両手で持ち、迫り来る三枚の風の刃を待ち受ける。 それを見たワルドは、普通ならば気が狂っているとしか思えない霊夢の行動を見てバカな…と目を見開いていた。 「何をするつもりだハクレイレイム!そんなボロボロの剣で私の『エア・カッター』を防ぐつもりなのか…!?」 ふざけた真似を!―――最後に言おうとした一言を口に出す前に、その『エア・カッター』を受け止めるデルフが怒鳴り声をあげる。 『うるせぇっ!オレっちの事散々骨董品だのボロボロだの言いやがってぇ!こうなりゃ、トコトンやってやるぜ!』 「いやぁでもアンタ、ワルドの言う事も一理ある…って、―――――うわっ!?」 剣にしては怒りぼっく饒舌なデルフの吐露に霊夢が突っ込もうとした直前、ワルドの『エア・カッター』が彼の刀身と激突した。 純粋で鋭利な魔力の塊と錆びた刀がぶつかりあい、金切り声の様な音を立てて風の刃がデルフに食い込んでいく。 一見すればデルフの錆びた刀身を、『エア・カッター』の魔力が削り取っているかのように見えていた。 「デルフ…!って、ちょ…本当に―――」 ―――本当に大丈夫なの!?霊夢がそう叫ぼうとした矢先、驚くべき光景を二人は目にした。 一度に三枚もの『エア・カッター』を受け止めていたデルフの刀身が、急に光り輝き始めたのである。 まるで水平線の彼方から顔を出す太陽の様に眩しい光に、霊夢とワルドは思わず目をそむけそうになってしまう。 しかし、そんな二人の目を逸らさせまいと思っているのか、デルフは間髪入れず更なる驚愕の主観を彼女たちに見せつける。 光り出した自分の刀身と真っ向からぶつかり合っていた風の刃を、まるで吸い込むようにして吸収してしまったのだ。 「な、何だと…!?私の『エア・カッター』が!」 『へっへぇ、お生憎様だな?悪いがお前さんの魔法は美味しく頂いておくぜ』 目を見開いて驚くワルドに向けてデルフは得意気にそう言った瞬間、その刀身は光り輝くのをやめた。 光が収まった後、デルフを見続けていた霊夢とワルドは彼の変化に気が付く。 ついさっきまで見るに堪えない黒錆に覆われていた刀身は、闇夜の中で光り輝くほどに研ぎ澄まされていた。 まるでワルドの魔力を文字どおり゙喰らい゙、自らの糧としたかのように活き活きとした雰囲気を放っている。 「デルフ…アンタ、これ」 磨き抜かれた刀身に映り込む自分の顔を見つめながら、霊夢は驚きを隠せないでいた。 刀身はもちろんの事、鍔や自身が握りしめている柄も先程とは一変して新品と言わんばかりの状態になっている。 動揺を隠せぬ彼女の言葉に、デルフは綺麗になったハバキを動かしながら小恥ずかしそうに喋り出した。 『いやぁ~…なに、お前さんがオレっちで戦ってくれるというからついつい錆を取っちまったよ。 何せお前さんはあの『ガンダールヴ』なんだ。お前さんがオレっちで戦ってくれるというのなら、そりゃ本気にもなるさ。 まぁさっきの『エア・カッター』みたいな魔法はオレっちなら吸収できる。それだけは覚えといてくれよな?』 ―――『エア・カッター』が刀身に飲み込まれたのはそれだったのか。霊夢は先ほどの光景を思い浮かべて納得した。 成程、そんな能力とあの鋭利な魔力を取り込めるというのなら受け止めろと強く自分に言ってきたのも理由が付く。 けれどそういう事はあらかじめ言っておいて欲しいものだ。 「あんたねぇ…そういう事ができるなら最初に言っておいてくれない?全く…受け止めろとか言われた時は気でも狂ったのかと…」 『悪い悪い、何せオレっちを使ってくれるとは思ってなかったんでね』 何処か開き直ったように謝るデルフに顔を顰めつつも、霊夢はふと自分の左手のルーンを見遣る。 手の甲に刻まれた『ガンダールヴ』のルーンは、まるで錆を取り払ったデルフと歩調を合わせるかのように輝き始めていた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん ハルケギニアの主要都市の水道設備は、思いの外しっかりしているという事を知ってる人間は少ない。 場所にもよるが井戸から汲んだ水を直接飲める場所は多く、良質な水が飲める事を売りにしている土地もある。 およそ五百年前までは水まわりの環境は酷く、伝染病の類が発生したらそこから調べろとまで言われていた程だ。 そうした病気を防ぐため当時の王族は貴族たちに命じて研究させたところで、ようやく今の状態にまで漕ぎ着けたのである。 今では主な都市部には大規模な下水道が造られ、生活排水などはそこを通ってマジック・アイテムを使った処理施設へと辿りつくようになっている。 マジック・アイテムの力で浄化された生活排水は比較的綺麗な水となって地下の川から海の方へと流れていく。 最も最初に書いたように、それを知っているという人間は恐らく義務教育を受ける貴族ぐらいなものだろう。 その貴族でさえも、下水道はともかく各都市に必ず存在する処理施設の場所を知っている者は殆どいないに違いない。 都市部で生まれ育った平民ともなれば、水は綺麗なモノだと当たり前に考えている者さえいる。 彼らはかつて水そのものが病気の塊と呼ばれ、怖れられていた時代の人間ではないのである。 既に生まれた時から井戸の水は冷たくて美味しく、トイレは水洗式で清潔という幸せな時代の人間として生きているのだから。 彼らにとって、水はもう自分たち人間の友達で怖くないという概念が当たり前になってしまっている。 それは決して不幸な事ではないし、むしろあの世にいる先祖たちは良い時代になったと感心している者もいるだろう。 だからこそ惹かれるのだろうか、近年肝試しと称して若い貴族や平民たちが下水道へ踏み込むという事件が増えている。 大抵の者たちは自分たちの勇気を示すために、下水道へと足を踏み入れるというパターンだ。 基本的に下水道へは町の道路にあるマンホールか、街中の川を伝った先にある暗渠を通れば入る事はできる。 しかし、出入り口の明りがまだ見えている状態はともかく一時間も歩けばそこは地下迷宮へと早変わりする。 時に狭く、時には広くなったりと道の大きさは変動し、更には処理されていない生活排水に腰まで浸かる場所まであるのだ。 そうして当てもなく下水道を彷徨った挙句に方角を見失ない、気づいた時には闇の中。 若い貴族達…それも゙風゙系統が得意な者がいれば何とか風の流れを呼んで無事に出られる事もあるし、 平民の場合でも何とか地上のマンホールへと続く梯子を見つけて、命からがら脱出できた例もある。 しかし殆どの者たちは混乱して下水道を走り回り、結果として更に奥深くへと迷いこんでしまう。 更に錯乱して奥深く、奥深くへと潜り込んでしまい…そうして人知れず行方不明になった者たちが大勢いると噂されている。 その噂が更に尾ひれを付けて人々の間を泳ぎ回り、いつしか幾つもの都市伝説が生まれ始めた。 下水道に迷い込んだ若者を喰らう白い海竜や、地下に逃げ込んで頭が可笑しくなった殺人鬼が徘徊している…等々。 噂話が好きな若者たちの間でそんな話が語られ、そこから更なる話が創作されて他の人々へと伝わっていく。 そんな話を仲間たちと和気藹々と話す彼らはふと想像してしまうのだ、地下の下水道にいるであろう怪異の数々を。 いもしない怪物たちの存在を否定しつつも、もしかして…という淡い期待を抱いてしまう。 だが彼らは知らないだろう。人口といえども明りひとつ無い暗闇という存在が、単一の恐怖だという事を。 作り話と理解しつつも「もしかして…」という淡い期待を大勢の人々が抱く内に、その恐怖の中で゙架空゙が゙本物゙となり得るのだ。 そしてもしも…その様な場所で何かしら凄惨な事件でも起これば―――゙本物゙は人々の前へと姿を現すだろう。 その日のトリスタニアは、昼頃から不穏さを感じさせる黒雲が西の空から近づいてきていた。 人々の中にはその雲を見て予定していた外出をやめたり、雨具を取りに自宅へ戻ったりしている。 中には単に通り過ぎるだけと思い込む者たちもいたが、彼らの願いは惜しくも叶う事はなかった。 夕方になるとその黒雲から一筋の閃光が地面へと落ち、少し遅れて聞こえてくる雷鳴の音が人々の耳の奥にまで響き渡る。 そして陽が落ちる頃には王都の上空をも覆い尽くした黒雲から雨が降り始め、やがてそれは大雨となった。 雨具を持って来ていた者たちは落ち着いてそれを用意し、持っていない者たちは雨宿りのできる場所へと急いで非難する。 街中にある小さな坂や階段はたちまちの内に小さな川となり、慌ててそこを通ろうとする者たちは足を滑らせ転倒してしまう。 結果、急いで適当な店の中へ避難する人々の中にはより一層ずぶ濡れになっている者たちがいる。 トリスタニアのあちこちに作られた人口の川は大雨で流れが激しくなり、茶色く濁った水となって下水道へと流れていく。 もしも誤って川に転落しようものならば…少なくとも命は保証できない事は間違いないだろう。 日中の熱気が籠る王都を突然の大雨が冷やしていく様は、さながら始祖ブリミルの御恵みとでも言うべきか。 なにはともあれ人々の多くはこの天からの恵みに感謝の気持ちを覚えつつ、自分の体を濡らさぬよう屋根の下に避難していた。 夕方からの大雨で人々が慌てる中、一人の老貴族がお供も連れずにひっそりとチクトンネ街の通りを歩いていた。 顔からして年齢はおよそ六十代前半といった所だろうか、白くなり始めている髭が彼の顔に渋みというスパイスを加えている。 昼ごろの雲行きを見て大雨になると察していた為、持ってきていた黒い雨合羽のおかげで濡れる心配はない。 時間帯と空模様に黒い合羽のおかげで通りを歩く他の人たちの注目を集める事無く、彼はある場所を目指して歩いていた。 何人かはその貴族が気になったのか一瞬だけ見遣るものの、すぐに視線を前へ戻してスッと通り過ぎていく。 どうせチクトンネ街を一人で歩く老貴族なんて、この街に幾つかある如何わしい店が目的なのだろうと考えているのかもしれない。 老貴族としてはそんな゙勘違い゙をしてくれた方が、個人的に有難いとは思っていた。 何せこれから自分がするのは、少なくともトリステイン人――ひいては貴族達からしてみれば到底許されない行為なのだから。 だから時折すれ違う若い貴族たちが自分を気にも留めずに通り過ぎていく時には、内心ホッと安堵していた。 そして…自宅を出て一時間ぐらい経った頃だろうか、ようやく老貴族はこの大雨の中目指していた目的地へと辿り着く事が出来た。 そこはかつて、家具工房として開かれていた大きな工房であった。 しかじかつでという過去形で呼ぶ通り、今ではチクトンネ街の一角にある廃墟となっている。 十数年前に売上不振からくる借金を理由に経営者の貴族が首を吊り、そこから先はトントン拍子で倒産していった。 今は看板すら取り払われて敷地に雑草が生い茂り、野良の犬猫たちが多数屯する無人の建造物と化している。 何処かの誰かがこの土地を買ったという話も聞かない辺り、いずれは国が買い取って更地になる運命なのであろう。 今ではホームレスたちの住宅街と化している旧市街地と比べれば、更地にしやすいのは明白である。 「さて、と…いつまでもここにいても仕方ない。…入るとするか」 老貴族は一人呟くと入口に散らばったガラス片を踏み鳴らしながら、廃工房の中へと足を踏み入れる。 …そして、彼は気づいていなかった。ゆっくりと入口をくぐる自分を見つめる人影の存在を。 入り口から中へと入った老貴族は、まず工房内部が思いの外暗かったことに足を止めてしまう。 別段暗いのは苦手ではないがここは廃墟だ、万が一何かに躓いて怪我でもしてしまえば厄介な病気に掛かるかもしれない。 「やれやれ…大切な用事の為とはいえ、わざわざこんな所にまで来る羽目になるとはねぇ」 一人面倒くさそうに言うと、老貴族は腰に差していた杖を手に持つとブツブツと小さな呪文を唱え、ソレを振った。 するとたちまちの内に小ぶりな杖の先端に小さくも強い明りが灯り、彼の周囲を照らしていく。 工房の内部は老貴族が想像していたよりも、人がいた頃の名残を遺していた。 あちこちに置かれていたであろう道具や、工房から出荷する筈だった家具は当然持ち出されていたが、 中は比較的綺麗であり、一目見ただけでは数十年モノの廃墟とは思えない程である。 しかし、やはり廃墟と言うだけあってか荒廃している場所もあり、屋根の一部分が倒壊してそこから雨風が侵入している。 老貴族は脱ごうと思っていた雨合羽をそのままに工房の中を歩き始めると、この廃墟の先住者たちとも遭遇した。 雨が降っているせいか、この辺りに縄張りを持っている野良犬や野良猫といった動物たちが雨宿りの為集まって来ているのだ。 猫の場合は元々人に飼われていたペットか、犬ならば山に棲んでいたのが餌を求めて山から下りて来たのか… その真相自体は今の貴族にとってはどうでもよかったが、こうまで数が多いと流石に気になってしまうものである。 今歩いている長い廊下の端で寝そべっているのだけを数えても、犬猫合わせて十匹以上はいるような気がするのだ。 こちらに見向きもせずに湿気た廊下に寝そべる犬を見てそんな事を思っていた彼は、ふとある扉の前で足を止める。 今にも腐り落ちそうな木製のそれに取り付けられた錆びたプレートには『洗濯場』と書かれており、半分ほどドアが開いていた。 「……洗濯室。よし、ここだな」 老貴族は一人呟くと律儀にもドアノブを握ってから、そっとドアを開けた。 プレートと同じく、長い事風雨に晒されて錆びてしまっているソレの感触に鳥肌を立たせつつ洗濯室の中へと入る。 そこはかつて工房で働く職人たちの服を洗っていた場所なのだろう。 あちこちに外で使う為の物干し竿や洗濯物を入れる籠が乱雑に放置されて床に散らばり、 室内に設置されたポンプから流れてくる水を受け止めていたであろう大きな桶は蜘蛛の巣で覆われている。 窓ガラスは割れてこそいなかったものの酷いひび割れが出来ており、いずれは周囲に散らばってしまう運命なのだろう。 しかし廊下とは違って犬猫はおらず、それを考えると微かではあるが大分マシな環境とも言えるに違いない。湿気さえ我慢できればの話だが。 「ふ~ん……お、これか?」 洗濯室へと入った老貴族は明りを灯す杖を振って部屋を見回すと、隅っこの床に取り付けられだソレ゙を見つける事が出来た。 ゙ソレ゙の正体……――――それは大人一人分なら楽々と両手で開けて入れるほどの大きさを持つ鉄扉である。 床に取り付けられた扉は正しくこの工房の下―――つまりこの街の地下へと直結している隠し扉なのだ。 どうしてこんな工房の跡地に、そんな鉄扉が取り付けられているのかについては彼自身良くは知らない。 自殺した経営者が地下に用事があったのか、元々地下へと続く道が大昔に作られていたのか…真相は誰にも分からない。 とはいえ、彼にはそんな真相など゙この扉の先で済ます用事゙に比べれば実に些細な事である。 その鉄扉こそ老貴族がここへ来た理由の一つであり、 その理由を完遂させるためには扉を開けて先に進む必要があった。 いざ取っ手を掴んで開けようとした直前、老貴族はスッとその手を引っ込める。 多少錆びてはいるものの、特に何の変哲もない取っ手なのだが何故彼は急にそれを掴むのを止めたのだろうか。 その答えを知っている老貴族は思い出した様な表情を浮かべつつ、気を取り直すように咳払いをした。 「いかんいかん、すっかり忘れておったよ……え~と、確か――」 一人そんな事を呟きながら、一度は引っ込めた右手を床下の扉へ向けると、中指の甲で小さくノックし始める。 コンコン…と短く二回、次にコン…コン…コン…と少し間隔を空けて三回、そして最後にコン…コンコン…コン!と四回。 計九回も床下の扉から金属音を鳴らした老貴族はもう一度手を引っ込め、暫く無言になって扉を凝視する。 ノックされた扉は当然の様に無言を貫いている…かと思われたが、 「………新金貨が六枚、エキュー金貨は?」 突如としてその向こう側から、人――それも若い女性の声が聞こえてきたのである。 「エキュー金貨は四枚、それ以上も以下も無い」 老貴族は女性の声で尋ねられた意味の分からない質問に、これまたワケの分からない答えでもって返す。 そこからまた少しだけ時間を置くと、今度は声が聞こえてきた鉄扉がひとりでに開き始めたのである。 ギギギギ…と錆びた音を洗濯室を通り抜けて廊下まで響かせて、地下へと続く秘密のドアが周囲の埃を舞い上げて開く。 老貴族はその埃を避けるかのように後ろへ下がると、ヒョコッと何者かがドアの下にある穴から顔を出した。 それは頭からすっぽりとフードを被った、一見すれば男か女かも分からぬ謎の人影であった しかし老貴族は何となく理解していた。このフードの人物こそ先ほどドアの向こう側にいた女の声の主であると。 フードの人影は老貴族の考えを肯定するかのように、彼の方へ顔を向けるとその口を開いた。 「…アンタが先ほど合言葉を言った貴族か?」 影で隠れている口から発せられた声は高く、どう聞いても男の声には聞こえない、女らしい声である。 だが老貴族のイメージするような一般的な女性像とは違い、その声色には短刀の様な鋭ささえ感じ取れた。 老貴族は相手が女であるが決して只者ではないという事に内心驚きつつ、フードを被る女性へと気さくにも話しかける。 「うむ、左様。…この先にいる人物に渡したい物がある故にここまで来させてもらったよ」 「そうか、じゃあこちらへ。その人物が待っている場所まで案内する」 ひとまずお愛想程度の笑みを浮かべる老貴族に対し、女性はその硬い態度を崩そうとはしない。 まるでここが戦場であるかのように身を固くし、自分が来るのを待っていたのだとしたら彼女は゛その道゙のプロなのであろう。 彼女の素性はまるで知らないが、自分へここへ来るよう要求したあの男はまた随分と頼りになる用心棒を雇ったらしい。 女性の手招きで地下へと続く階段へと足を伸ばしながら、老貴族はほんのちょっと羨ましいと思っていた。 杖の明りをそのままに老貴族が地下へと続く階段を降りはじめると、背後から何かが閉まる音が聞こえる。 何かと思って振り返ると、自分にここへ入るよう手招きしたフードの女が再び扉を閉めた所であった。 扉が閉まった事で元々暗かった地下への階段は更に暗くなり、老貴族の杖だけが唯一の灯りとなってしまう。 まぁそれでもいいかと思った矢先、魔法の灯りで照らされているフードの女が懐から自分の杖を取り出して見せる。 そして先ほどの老貴族と同じ呪文を唱えると杖の先に灯りが付き、地下へと続く道がハッキリと見えるようになった。 「……貴族だったのか」 「正確に言えば元、だけどな。今は安い給料と酒だけが楽しみな平民だ」 意外だと言いたげな老貴族に対し、フードの女はそう答えて彼の横を通り過ぎる。 ゙元゙貴族のメイジ…という事は何らかの事情で家を追い出されたか、もしくは家を潰された没落貴族なのだろうか? そんな事を考えつつも、自分に代わって先頭になった女の「ついてこい」という言葉に老貴族は再び足を動かし始めた。 体内時計が正しく動いているのであれば、おおよそ二~三分くらい階段を降りたであろうか。 長く暗い階段の先にあったのは地上よりも遥かに湿度が高く、そして仄かに悪臭が漂う地下の世界だった。 レンガ造りの壁と床でできた通路はそれなりに広く、ブルドンネ街の大通りより少し小さい程度の道が左右に作られている。 天井から吊り下げられている魔法のカンテラがちょうど階段へと通じる出入り口を照らしており、妙に眩しい。 思わず視線を右に向けると五メイル先にも同じようなカンテラが吊り下げられ、それがかなりの距離まで続いている。 何の問題も無く作動しているマジック・アイテムを見て、老貴族はここが上の廃工房とは違い゙生きている゛事に気が付く。 次いで思い出す、ちょうどこの地下通路がある地上の近くには、トリスタニアの下水処理施設ずある事を 「ここは…処理施設で使われてる通路か」 「あぁ、処理施設の職員が問題発生時に下水道へ行く時に使うそうだ。右へ行けばそのまま施設まで行ける」 老貴族の呟きに女は勝手に答えると杖を腰に差してから、左の方へと顔を向けて歩き始めた。 足音を聞いて慌てて彼女の背中について行こうとした時、微かに水が激しく流れる音が聞こえてくるのに気が付く。 鼓膜にまで響くその激しい濁流の音に恐怖でもしたのか、ふと足を止めて呟いてしまう。 「まさかとは言わんが、あの濁流の音が聞こえてくる場所まで行くのかね?」 地上はあの大雨だ、水の流れは激しくなるだろうし音からして下水道は上より危険なのは間違いない。 そんな心配を相手が抱くのを知ってか、女は振り向きもせずに彼へ言った。 「心配しなくても、下水道まで行く必要は無い。ここから少し先にもう一つの地上へ繋がってる階段の所が目的地だ」 「…ふぅ、そうかね」 「……怖いのか?あの濁流の音が」 自分の言葉に思わず安堵のため息をついてしまう老貴族の姿を見て、彼女は無意識に口走ってしまう。 言った後で流石に失礼だったかと思った女であったが、以外にも言われた本人は怒ってなどいなかった。 むしろ怖いのか?と聞いてきた自分を不思議そうな目で見つめると、逆に聞き返してきたのである。 「じゃあ君は怖くないのかね?この脳の奥まで震えてきそうな濁流の音が」 「い、いや…確かに、この音が聞こえる場所までは行きたくはないが…」 老貴族からの質問返しに思わず言葉を詰まらせつつもそう返すと、彼は「それで良い」と言った。 「本能で「恐い」と感じるモノを、自分のプライドが傷つくという理由だけで否定したら自分を裏切る事になる。 キミ、それだけはしちゃあ駄目だぞ?そうやって自分を裏切ってたら本能が麻痺して、ここぞという時で命を落とすんだ」 そこから更に十分程歩いだろうか、五メイル間隔の灯りを頼りに地下通路を進んでいると一人の男が壁にもたれ掛っていた。 年は三十代くらいだろうか、明るい茶髪をまるで小さ過ぎるカツラの様に乗せているヘアースタイルは否応なしに目に入ってしまう。 足元には小旅行などに適したバッグが置かれており、時折そちらの方へも視線を向けて動かぬ荷物の安否を気にしている。 服装は街中の平民たちに扮しているつもりなのだろうが、周囲の様子に警戒している姿を見れば只者ではないと分かる。 良く見れば腰元には杖を差している。子供でも扱いやすい様設計された、最新式の取り回しやすい指揮棒タイプだ。 更に足を見てみれば木靴ではなく軍用のブーツを履いている。こんな場所では完全に扮する必要は無いという事なのだろう。 男は老貴族と女の姿に気付くとスッと壁から離れ、右手を上げながら気さくな様子で女に話しかけた。 「よぅ、おつかいは無事果たせたようだな仔猫ちゃん」 「バカにするなよ三下。さっさと仕事に入れ、私がここまで連れてきてやったんだぞ」 「おいおーい、そんなにカリカリするなっての?…ったく、おたくらの゙ボズは厄介なヤツを紹介してくれたもんだねぇ」 最初の方は女へ、そして最後は老貴族の方へ向けて男は軽い態度で二人に接してくる。 女はそんな男へ怒りの眼差しを向けていたが、敬語を使っていなかった彼女にも涼しい表情を向けていた老貴族は相変わらず笑顔を浮かべていた。 フードの中から睨まれている事に気が付いたのか、男は気を取り直すように咳払いをした後に足元のバッグを拾い上げた。 「ゴホン!さて、と…じゃあこんな辛気臭い所にいるのも何だし、さっさと本題に入っちまおうか」 そう言って男はバッグを左腕に抱えると右手で取っ手を掴んでロックを外し、バッグの中身を二人の前に見せびらかす。 まず最初に老貴族の目に入ったのは、大量のエキュー金貨が詰め込まれた五つのキャッシュケースであった。 五列の内一列に金貨が十枚入っており計二百五十枚のエキュー金貨、下級貴族が家賃の事を心配せずに二年も暮らせる額だ。 バッグの中を覗き込む老貴族を見て、男は「スゲェだろ?」と自慢げに聞いてみる。 しかし年相応の身分を持つ彼の気には少ししか召さなかったのだろうか、やや不満げな表情を見せて男に聞き返す。 「君゙たぢが支払うモノは金貨だけかね?そうだと言うのなら少し考えさせてもらうが…」 「…へっ!そう言うと思ったよ、けど安心しな?アンタが持ってきてくれだ商品゙の対価に見合う品は他にもある」 老貴族からの質問に男は得意気に答えるとバッグの中を漁り、金貨が詰まったケースの下から四つの小さな革袋を取り出した。 最初はそれが何だか分からなかったが、袋を目の前まで持ってこられるとそこから漂ってくる雑草の匂いで中身が何のかを察する。 「それは――――…麻薬か?」 老貴族の問いに男はニヤリ、と卑しい笑みで返すと袋の口を縛っていた袋を解き、中身を見せる。 革袋の中に入っていたのは乾燥させた何かの植物―――俗に乾燥大麻と呼ばれる麻薬であった。 「サハラの辺境地で栽培されて、エウメネスのエルフたちが作った純正品さ。ここまで運んでくるのも一苦労の代物なんだぜ?」 まるでセールスマンにでもなったのかように饒舌になる男に、老貴族は今度こそ顔を顰めてしまう。 女は最初から知っていたのか、フードに隠れた目から嫌悪感をハッキリと滲ませて男を睨んでいる。 「王都やリュティスでも中々お目に掛かれねぇ高級品だ、売っても一袋で入ってる金貨の倍は稼げちまう」 「……私は麻薬などやらない。持ってくる品物を間違えたな」 「おいおい固い事言うなって!…何もアンタ自身が吸わなくても、吸いたいってヤツは今やハルケギニアにはいくらでもいるだろ?」 老貴族の反応に男は肩をすくめてそう言う。 確かに彼の言うとおり、今や乾燥大麻…もとい麻薬はハルケギニアでちょっとした問題となっている。 昔から特定の薬草を乾燥したり、粉末化する事でできる特殊な薬の類は存在していた。 吸えばたちまち幸せな気分になったり、まるで鳥になって大空を飛び回るかのような高揚感に浸れてしまう。 しかしモノによっては副作用が強い物もあり、時として服用者の命すら奪うような代物さえ存在するのだ。 近年に入ってそうした薬物は毒物と定義づけられ、今では危険な嗜好品として取り締まり対象にまでなっている。 男が持ってきたサハラの乾燥大麻も当然麻薬の類であり、持っている事が知られればタダではすまない。 所持している事自体が犯罪であるが、何より麻薬というものは文字通り大金を生み出す魔法の薬なのである。 幾つか小分けにして人を雇い、繁華街にあるような非合法的な風俗店の経営者に店で売ってもらうよう頼み込めば、喜んで店の金で取引してくれる。 そして今バッグの中に入っている一袋分を丸ごと売るとすれば…男の言うとおりバッグの中に入っている金貨よりも稼げてしまうだ。 この様に使っても良し、売っても良しという麻薬は犯罪組織等の商品道具にもなる為、厳しい取締りが行われているのである。 仮に老貴族が持っていたとしたら良くて地位剥奪、酷い時にはチェルノボーグへの収監といったところだろうか。 そして自分で使わず、誰かに売ってしまうと…結果的に購入者の命を縮める行為に加担してしまうのである。 「悪いがそれを貰う気にはなれん。…だが、私もここまできた以上は手ぶらというワケにはいかんのでな」 だからこそ老貴族は首を縦に振らなかったが、からといってこのまま踵を返して帰るつもりはないらしい。 男が差し出してきた麻薬入りの革袋を丁重にお断りした後、彼は自分の腰元へと手を伸ばす。 マントで隠れていたベルト周りが露わになり、老貴族の腰に差さっているのが杖だけではないという事に女と男は気が付く。 老人が取り出したるもの…、それは硬めの紐でベルトと結んでいる小さめの筒であった。 ちょうどお偉い様が書いた様な書類を丸めてから入れるあの筒型の入れ物を見て、何をするのかと男は訝しむ。 そんな彼の前で老貴族は筒を両手に持ち、右手に掴んだ部分を捻ってみせると…ポン!という軽い音を立てて筒が開く。 二人が見守る中で老貴族は口が開いた筒を二、三回揺らすと…中から丸めた数枚の羊皮紙が出てくる。 かなり大きいサイズのそれを老貴族は男の目の前で開いて見せると、その紙に何が記されているのかがわかった。 「……!こいつは――」 「お前の゛ボズが喉から手が出るほど欲しがっていた空軍工廠の見取り図に、新造艦の設計図だ」 驚く男に老貴族が続くようにして言うと、思わず女も男の持つ羊皮紙を肩越しに覗き見てしまう。 たしかに老人の言うとおり、数枚の羊皮紙には建物の上から見下ろした様な図と軍艦の設計図が描かれている。 本来ならばトリステイン軍部が厳重に管理し、持ち込み禁止にしている筈の超重要機密な代物だ。 男とフードの女が軽く驚いく中、老貴族は肩を竦めながら話を続けていく。 「本来ならもっと欲しい所なのだが…私にこれを持っていくよう指示した男は絶対に渡す様言って来てな。 だから…まぁ、その程度の金貨じゃあ不十分だが…乾燥大麻は抜いて金貨二百五十枚でそれと交換しようじゃないか。 君たちぐらいの組織ならその見取り図と設計図さえあれば工廠に潜入して、艦の脆い部分に爆弾を仕込む事など造作ないだろう?…そう、」 ―――――…君たち、神聖アルビオン共和国の者ならばね。 老貴族が最後に呟いた組織の名前に、男…もとい今のアルビオンに所属するメイジはニヤリと笑って見せる。 確かにこのご老体の言うとおりだろう。これだけの情報があれば上は間近居なく破壊工作を行うよう命令を出すだろう。 上手く行くかどうかはまだ分からないが、成功すればトリステイン空軍へ致命傷に近い大怪我を負わせる事など造作もない。 「……へへ、アンタがそんなのを持ってきてるって知ってたら…金塊でも入れてくるべきだったかねぇ」 男は名残惜しそうに言うとバッグから麻薬入りの革袋だけを取り出し、金貨だけが残ったソレを老貴族へと差し出した。 「こんだけスゲェ情報をくれたんだ、まだ追加で金が欲しいってんならこの女を通してアンタに渡すが…いいのかい?」 「別に構わんさ。既に老後の資金を蓄えすぎている身、持ち過ぎれば色んな人間に狙われる」 「そうかい?金なんて多くもってりゃ損はしないと思うが…」 流石に対価に見合わぬ物を手に入れてしまったと感じている男の言葉に、老貴族は首を横に振りながら受け取る。 そしてお返しに手に持っていた見取り図と容器の筒を差し出し、逆に男はそれを貰い受けた。 金に対しそれほど執着心が無い老人を訝しみつつ、数枚の羊皮紙を筒の中に戻しながら男は言う。 「まぁこんだけ危ない橋を渡ってくれたんだ、クロムウェル閣下にはアンタの名前を伝えておくよ。 あのお方は寛大だからねぇ、この国とのケリが着いた暁にはあんたにさぞ素晴らしい席を用意してくれるだろうさ」 麻薬の入った革袋四つと見取り図や設計図が入った筒を両手に持った彼がそう言うと、老貴族は「期待しているよ」とだけ返す。 この地下通路で怪しい男と出会った老貴族の目的はこの言葉を境に、無事に済ます事が出来た。 老貴族の目的―――それはかつてレコン・キスタと呼ばれ、今は神聖アルビオン共和国と名乗る国の内通者になる事である。 目の前にいる男はスパイとして王都に潜り込んだ者たちの内の一人であり、こうして内通者となった貴族達から金と引き換えに機密情報を買っているのだ。 今のトリステインでは現王家に不満を抱えている者は少なくはなく、喜んで内通者となる者が多い。 スパイたちも大分前に――タルブでの戦闘が始まる前から王都へと潜入しており、これまで内通者候補の貴族を探して説得を続けていた。 途中トラブルが発生して仲間の一人が捕まったものの、未だ組織として王都で活動できるほどの力は残っている。 そして今正に、トリステインにとって最も知られたくないであろう情報がスパイである彼の手に渡ろうとしていた。 それから少し時間を掛けて男は手に持った荷物に紐を使い、ベルトに括りつけていた。 羊皮紙数枚が入った筒型容器はともかく、麻薬入りの革袋が意外に重くベルトがずり落ちかけているものの、 とくに気にするこ素振りを見せないスパイの男は、両手が空いたことを確認してからジッと待機している女へと話しかけた。 「…それじゃあ、お互いここで別れるとしようか。…お前はこの内通者様を出口まで送ってやれ」 「分かった。……よし、戻るぞ。そのまま来た道を…」 女は男の指示に頷いて、金貨入りのバッグを片手に持った老貴族と共に工房へ戻ろうとした直前―――。 「――――…動くなッ!!」 突如、老貴族と女が通ってきた道の方から聞き慣れぬ男の鋭い声が三人の動きを止めた。 「…ッ!?な、なんだ…――ッ!」 ベルトの方へ視線を向けていた男は突然の事に驚きつつ、慌てて顔を上げて前方を見遣る。 老貴族と女も急いで後ろを振り向き、誰が自分たちへ声を掛けたのかその正体を探ろうとする。 …声の主がいたのは五メイル後方…天井からの灯りに照らされたその姿は紛れもなくトリスタニアの平民衛士の姿をした男であった。 常日頃王都の治安を守る者としての訓練を受け、昼夜問わず不逞な輩から街を守り続けている衛士隊。 制服であり戦闘服でもある茶色の軍服に身を包み、その上から軽量かつ薄くて安価な青銅の胸当てを付けている。 だからだろうか思った以上にその足取りは早く、あっという間に驚く三人との距離を縮めてきたのだ。 男の年齢は四、五十代といった所だろうか、年の割にはまだまだ現役と言わんばかりの雰囲気をその体から放っている。 「衛士だと?一体どこから…―――――!」 「動くな!次に動けば右手の拳銃を撃つ、この距離なら杖を抜く前に当たるぞ!」 老貴族が慌てて腰の杖を手に取ろうとしたのを見て、衛士は右手に持った拳銃の銃口をスッと向ける。 火縄式の拳銃は引き金を引けばすぐに撃てる状態であり、それを見た老貴族は諦めて杖に近づけていた手を下ろす。 そして改めて自分へ銃を向ける男を上から下まで見直してみると、衛士はかなりの武器を引っ提げて来ているようだ。 衛士の男はその背中に年季の入った剣を背負っており、左手には右手のものと同じ拳銃が握られている。 そして腰には杖の代わりと言いたいのか、左右に一丁ずつ予備の拳銃までぶら下げているではないか。 これでは仮に銃撃を避けれたとしても、すぐに腰のソレを構えられて…バン!即あの世行きであろう。 それに衛士の言うとおり、この距離では杖を抜いて呪文を詠唱するよりも先に拳銃を撃たれてしまう、 良く他の貴族たちは拳銃を平民たちの玩具と嘲る事があるものの、実際はかなり厄介な代物だという事を知らない。 剣や槍、同じ飛び道具の弓矢等と比べて撃ち方から装填までの訓練は比較的簡単なうえ子供であっても訓練さえすれば扱う事ができる。 遠距離ならまだしも、数メイル程度の距離から撃たれてしまうとメイジは魔法を唱える暇もなく射殺されてしまうのだ。 魔法衛士隊の様に口の中で素早く詠唱できる者ならまだしも、並みの貴族ならばその距離で撃たれてしまうとどうしようもない。 過去、銃と言う武器を侮ったが故にその餌食となった貴族というのは何人もいる。 それ故に、銃は平民達が持つ武器の中では断トツの危険性を持っているといっても過言ではない。 「んだぁこの平民?そんな拳銃いっちょまえにぶら下げて、魔法に勝てるとでも思ってんのかよ」 老貴族はそれを知っているからこそ杖を手に取るのはやめたものの、もう一人の男は何も知らないらしい。 背中を向けている為にどんな表情をしているかまでは分からないものの、その声色には明らかな侮蔑の色が混じっていた。 男は笑いを堪えているかのように言うと何の躊躇いもなく杖を抜き取り、勢いよくその先で風を切ってみせる。 ヒュン…ッ!と鋭い音は威嚇のつもりなのだろうが、生憎相手が悪すぎたというしか無いだろう。 時折街中で酔って暴れる下級貴族を止めている衛士の男にとって、杖を向けられても平然とできるほどの度胸は育っていた。 衛士は前へ進めようとした足を止めて、その場で左手の拳銃を男の方へと向ける。 老貴族には見えなかったものの、杖と拳銃が向き合う姿は正に貴族と平民の対決を表現しているかのようだった。 もしも彼が撃たれるのを覚悟して振り向いてしまっていたら、きっとそんな事を口走っていたに違いないだろう。 暫し二人の間に沈黙が走った後、衛士の男が杖を向ける 「この距離で呪文を唱えて魔法を放てる暇はあるのか?やってみるといい、足に銃弾が直撃した時の痛みを教えてやる」 そう言って衛士が自分の顔面に向けていた銃口を足へと向けるのを見て、男はせせら笑う。 「……へっ、へへ!てめぇ周りが見えてないのか?今この場に居る貴族は俺とそこの爺さんだけじゃねぇんだぜ」 なぁ、仔猫ちゃんよぉ?男の言葉に、それまで手を出さずに静観していた女が一歩前へ歩み出る。 頭からすっぽりと被ったフードで顔も分からぬ女がその右手に杖を握っているのを見て、衛士の男は目を細める。 それを見て男は形成逆転と見て更に笑おうとしたが、その前に自分たちの仲間である彼女の異変に気が付いてしまう。 フードの女は杖の先を地面へ向けたままであり、呪文を唱えるどころか杖を衛士に向けてすらいなかった。 「お、おいおい!?何してんだよ、早くその平民を始末しろよ!それがお前の仕事だろ!?」 戦意を感じられない女に男は焦燥感を露わにして叫ぶものの、肝心の女はそれを無視しているかのように動かない。 まるで最初から自分には戦う意思が無いと証明しているかのようだが、一体どういう事なのか? 杖を相手に向けない女にここまで連れてこられた老貴族も訝しもうとしたところで、とうとう男が痺れを切らしてしまう。 「クソ―――…ゥオッ!?」 平民の衛士相手に銃を向けられていた事と、自分の味方である女が動かないという事に焦ってしまったのか、 こうなれば自分の手で…と考えた男が杖を構え直した直後、通路内に銃声が響き渡ると共に足元の地面が小さく弾けた。 頭の中まで揺さぶるかのような銃声に思わず老貴族はのけぞってしまい、足元を撃たれた男は情けなくもその場で腰を抜かしてしまう。 地面に尻もちをついてしまうと同時に杖を手放してしまったのか、木製の杖が先程の銃声よりも優しい騒音を立てて転がっていく。 「あ…俺の杖―――…っ!」 「その場から動くな。動いたら、どうなるか分かるな」 自分の傍を転がる杖を無意識に拾おうとした男を、衛士の鋭い声が制止させた。 慌てて声のした方へ顔を向けると、撃ち終えた左手の拳銃を腰に差した予備と交換し終えた衛士がこちらを睨んでいる。 こちらに向けられている銃口を見て男は悔しそうな表情を浮かべた後、小声で悪態をついてから小さく両手を上げた。 先程の銃声と地面を跳ねた銃弾を見て恐れをなしたのだろう、きっとあれで銃の怖ろしさというものを始めて味わったに違いない。 老貴族も抵抗すればどうなるか分かったのか、観念したと言いたげな表情で小さく両手を上げて降参の意を示して見せた。 衛士は腰を抜かした男へ銃口へ向けつつ老貴族の傍へ寄ると腰に差した杖を抜き取り、そっと地面へと転がす。 男はその様子を心底悔しそうに見つめながら、何もせずに傍観に徹していた女へとその矛先を向ける。 「てめぇ…!どういうつもりだよ、俺たちの仲間なんじゃ……ウッ!」 「…レコン・キスタの連中はもっと手練れの奴らを集めていたと思ってたが、お前みたいなチンピラだらけで正直助かったよ」 両手を上げながら罵っていた男に近づいたフードの女は、彼を黙らせるかのように後頭部を押さえつけながら言う。 杖を持っていない片手だけで大の男を黙らせる彼女を見て、衛士の男が彼女へ向かって初めて話しかけた。 「それにしても…こんな所で取引なんてするとはな?敵さんたちも中々良い場所を見つけてくれる」 「まぁ逆に人の多すぎる場所でやられるよりかはマシでしょう。こうして手荒な事をしても咎められませんしね」 とても敵同士とは思えぬフランクな会話を耳にして、老貴族と押さえつけられた男は驚いてしまう。 何せ自分たちの味方だと思っていた女が、会話から察するに平民衛士の味方だったのであるから。 「…な、何なんだお前?俺たちの味方じゃなくて…敵なのか?」 「そこは杖を俺に向けなかったところで気づくべきだったな。なぁミシェルよ」 「仰る通りです、隊長」 呆然とする男に衛士がそう言うと、ミシェルと呼ばれた女は頭に被っていたフードを外す。 フードの下に隠れていた顔は紛れも無く、トリスタニアの衛士隊で彼女が隊長と呼んだ衛士の部隊に所属するミシェル隊員であった。 王都トリスタニアのチクトンネ街にある,『魅惑の妖精』亭の一階。 そここで朝食を摂っていた最中、霧雨魔理沙は外から聞こえてくる音に違和感があるのに気が付いた。 夜が明けて暫く経つチクトンネ街から聞こえる人々の会話や足音の中に、奇妙な金属音が混じっているのである。 咀嚼していた薄切りベーコンを飲み込み、ふと窓の外へと視線を向けると、その金属音の正体が分かった。 謎の金属音は日々王都の治安を守る衛士隊の隊員たちが着こんでいる、安っぽい鎧の音であった。 しかも窓の外からチラリと見える彼らは妙に慌ただしく、そして何かに急かされているかのように走っている。 いつもとは少し違う光景を目にした魔理沙は、この時何かが起こっているのだろうかと思っていた。 具体的な事までは分からないが、それでも慌ててどこかへ向けて走っている彼らを見ればそう思ってしまうだろう。 口の中に残るベーコンの塩気を水で流し込みつつ、魔理沙は自分と同じタイミングで食べ終えた霊夢の意見を聞こうと考えた。 「……なぁ、今日は朝っぱらから騒々しくないか?」 「ん?そうかしら?」 突然そんな話を振られた霊夢は首を傾げつつ、魔理沙と同じように窓から外の様子を覗いて見せる。 通りのゴミ拾いや清掃、玄関に水を撒く人たちに混じって確かに何処かへ駆けていく衛士達の姿が見えた。 「あら、本当ね。確かあれは…衛士隊だったっけ?一体あんなに慌ててどうしたのかしらねぇ~」 「衛士隊…って、こんな朝っぱらから何かあったの?」 霊夢の言葉に、魔理沙よりも前に食べ終わって一息ついていたルイズも窓の外へと視線を向ける。 確かに二人の言うとおり、何人もの衛士達がパラパラと走っていく姿が遠くに見えている。 けれど何があったのかまでは当然分かる筈もなく、先程の霊夢を真似するかのように首を傾げて見せた。 暫し沈黙が続いた後、まず先に口を開いたのは最初に気が付いた魔理沙であった。 「……んぅー。分かってはいたが、ここからだと何が起こったのか全然分からんもんだな」 「でも一人二人ならともかく、結構な人数が走っていったんだし…何か事件でも起こったんじゃないのかしら」 ―――朝っぱらだっていうのにね?最後にそう付け加えたルイズの言葉に、 「……!事件ですって?じゃあ、もしかして…」 それまで静かにしていた霊夢がキッと両目を細め、ピクリと肩を揺らして反応する。 そしてルイズと魔理沙がアッと言う間もなく席を立ちあがり、突然外へ出る準備をし始めたのだ。 準備…とは言ってもする事と言えば飛ぶ前の軽い体操であり、持っていく物と言えばデルフ程度である。 突然軽い準備運動を始める彼女を見て、ルイズと魔理沙は怪訝な表情を浮かべて聞いてみることにした。 「ちょっと、いきなりどうしたのよレイム?……まぁ、考えてる事は何となく分かるけど」 『どうやらレイム的にも、あの兄妹にしてやられた事は相当屈辱だったらしいなぁ』 妙に張り切って軽い準備運動をする巫女さんを見て何となくルイズは察し、デルフもそれに続く。 恐らくは、衛士達が朝から大勢動いているのを見て、二日前に自分たちの金を根こそぎ盗んだ兄弟が見つかったのだと思っているのだろう。 確かにその可能性は無きに非ずと言ったところだろうが、決定的証拠が無い以上百パーセントとはいかないのである。 霊夢本人としては早いとこ雪辱を果たして、ついでアンリエッタから貰った資金と賭博で儲けた金を取り戻したいに違いない。 しかし、さっきも言ったように全く別の事件が起こっているだけなのではないかとルイズが言ってみても…、 「とりあえず行かなきゃ始まらないってヤツよ。さぁ行くわよ、デルフ」 『はいはい。オレっちはただの剣だからね、お前さんが持っていくんならどこまでもついて行くだけさ』 気を逸らせている彼女はそう言って、インテリジェンスソードのデルフを持って『魅惑の妖精』亭の羽根扉を開けて外へ出た。 そして一階だけ大きく深呼吸した後でデルフを片手に地面を蹴り、 そのまま街の上空へと飛び上がってしまう。 ルイズたちが止める暇もなく、あっと言う間に出て行った巫女さんとデルフに魔理沙は思わずため息をつく。 「まぁ霊夢のヤツも、何だかんだで結構根に持つタイプだしな。…財布を盗んだあの子供も、運が無かったよなーホント」 魔理沙はそんな事を喋りながら席を立つと朝食が盛り付けられていた食器を手に持ち、厨房の方にある流し台へと持っていく。 それに続くようにルイズも食器を持ち上げた事で、やや波乱に満ちた三人の朝食が終わりを告げた。 その後…片付けずに外へ出て行った霊夢の食器も流し場で洗い終えた魔理沙も外へ出ることにした。 別に霊夢の後を追うわけではない、今の住処―――『魅惑の妖精』亭のあるトリスタニアで情報収集をする為である。 「じゃ、私も昨日言われた通りに情報収集とやらをしてくるが…どういうのを集めればいいんだっけか?」 食器を洗い終え、一回に置いていた箒を右手に持った魔理沙からの確認にルイズは「そうねぇ~…」と言って答える。 「手紙に書かれて通りアルビオンやかの国との戦争に関する話題ね。それと…後は姫さまの評判とかもあれば喜んでくれるかも」 「分かったぜ。…後、ついでに私自身が知りたい事も調べて来るから帰りは遅くなると思うが…良いよな?」 「それは私が許可しなくても勝手に調べるんでしょ?別に良いわよ、知的好奇心を存分に満たしてきなさい」 「仰せのままに、だぜ」 そんなやり取りをしてから、魔理沙もまた霊夢と同じように店の出入り口である羽根扉を開けて外へ出ていく。 これからジリジリと暑くなっていくであろう街中へ出ていく黒白に手を振ってから、ルイズは踵を返して店の奥へと消えて行った。 どうしてルイズがするべき仕事を、魔理沙が請け負っているのか?…それにはやむを得ない理由があったのである。 全ての始まりは二日前くらい…色々ワケあって、アンリエッタの女官となったルイズに街での情報収集という仕事が早速舞い込んできた事から始まった。 アンリエッタが送ってきた書類には、街で王室の評判やタルブで化け物をけしかけてきたアルビオンの事やら色々集めればいいと書かれていた。 本当ならルイズ自身がやるべきことなのだろうが、平民の中に紛れ込んで情報収集するには彼女の存在は変に目立ってしまうのである。 ハッキリと言えば貴族としての教育がしっかりと行き届いている所為で、この手の仕事にはとても不向きなのだ。 その事が分かったのは昨日の午前中、チクトンネ街にある自然公園で情報収集を行った時である。 やる前はマントを外して変装すれば大丈夫だと思っていたものの、いざ始めるとすぐに彼女の素性がバレてしまう事に気が付いた。 当然だ。何せ平民に変装していても歩き方やベンチの座り方が、礼儀作法を学んだ貴族のままなのである。 それこそ面白いくらいに平民たち――特に同年代の女の子達は一瞥しただけでルイズが貴族だと言い当ててしまうのだ。 「あら!見てよあの貴族のお嬢様、御忍びで街中を散歩なのかしら」 「ホントだわ!あの綺麗で新品の御召し物に桃色のブロンド…きっと名家のお嬢様に違いないわね」 偶々横を通っただけでそこまでバレてしまったルイズは思わず身を竦ませてしまい、心底驚いたのだという。 その後もルイズ達は公園の中をあちこち移動して何とか情報収集をしようとしたが、潔い失敗を何度も何度も繰り返していく。 最初は魔理沙と霊夢にデルフが遠くからルイズの情報収集を見守っていたが、その内何秒でバレるか予想する勝負を始めてしまった程である。 もちろん、それがバレて怒られたのは言うまでも無いが…このままでは成果ゼロでその日が終わるのを危惧してか、一旦路地裏で何がダメなのか話し合う事となった。 無論、唯一人原因が分からぬルイズに霊夢達が一斉に指摘する場となってしまったが。 「もぉ、どうしてこうカンタンにばれちゃうのよ?」 「そりゃーアンタ、平民の格好してても態度が貴族なんだからバレるのは当り前でしょうに」 「あれだと自分の体に堂々と「私は貴族です」って書いて歩いてる様なもんだぜ?」 『娘っ子には悪いが、あんな上等な服着て偉そうに歩いてる時点でバレバレなもんだぞ』 「デルフまでそういう事言うワケ?…っていうか、この服ってそんなにおかしいのかしら…」 二人と一本からの総スカンを喰らったルイズは、怒るよりも先に訝しむ表情を見せて自分の服装を見直し、そして気が付いた。 この仕事を始める前に立ち寄った平民向けの服屋で買ったこの服だが、確かに周りの平民たちと比べると変に真新しい。 通りを歩く平民たちは、皆そこら辺の市場で買えるような安物の服を着ており新品の服を着ているという平民は少ない。 更にルイズの靴はしっかりとしたローファーなのに対し、通行人の大半…というか八割近くが木靴なのである。 そして極めつけにいえば、ルイズの体からこれでもかと高貴な雰囲気が滲み出ていることだろう。 顔つきといい髪の色やヘアースタイルといい、一々額や顔の汗をハンカチで拭い取る動作まで貴族のオーラを漂わせているのだ。 それはある意味、彼女が貴族としての素養を持っているという証明であるが、残念な事に平民の中に紛れるには不要なオーラである。 その事に薄らと気が付いたのは良かったものの、次にルイズが考えるのは解決方法であった。 「それにしてもこのままじゃあ埒が明かないし、何か良い案はないものかしら?」 「それなら私に良い考えがあるぜ?」 腕を組んで真剣に悩む彼女に救いの手を差し伸べたのは、以外にもあの魔理沙であった。 「え?あるの?」 「あぁ、簡単な事さ。落ち着いて聞いてくれよ?」 悩むルイズを見てか、この時魔理沙はとんでもない提案を彼女へ吹っかけたのである。 魔理沙の出した提案はズバリ一つ―――――今自分たちが居候してるスカロンの店の女の子として働くという事であった。 もしもルイズが『魅惑の妖精』亭でウエイトレスの女の子達に混じって如何わしい格好をして働いたら、そのオーラを掻き消せるかもしれない。 ルイズに御酌をされる相手も、まさか自分がトリステインで一、二を争う名家のお嬢様に御酌されるとは思ってもいないであろうし…。 御酌ついでに酔った客に色々話を吹っかれば、思いも寄らぬ情報をゲットできるという可能性も無くはないのだ。 「…何より働けばお給金を出してくれるだろうし情報も集められるしで、一石二鳥だろ?」 「う~ん…とりあえず右ストレートパンチか左ローキックのどちらが良いか答えてくれないかしら?」 「今のはちょいとしたジョークだ、忘れてくれ」 いかにも名案だぜ!と言いたげな表情を浮かべる魔理沙に、ルイズは優しい微笑みを顔に浮かべてそう返した。 それを聞いた普通の魔法使いは肩を竦めて自分の言ったことをそっくり撤回すると、二人のやり取りを見ていた霊夢が口を開く。 「大体、何でいきなりそんな提案が出てくるのよ?」 「いやぁホラ、昨夜一階で夕食を食べてた時にスカロンがぼやいてたんだよ。…後一人くらい女の子が来てくれないモノかしら…って」 『だからって貴族の娘っ子に突然あんな如何わしい服着させて平民にお酌させろってのは、そりゃいくら何でも無理過ぎるだろ』 「なっ…!し、失礼な事言うわないでよデルフ、私にだってそれくらいの事…は―――難しいかも」 霊夢と魔理沙に続いたデルフの容赦ない言葉にルイズは怒ろうとしたものの、咄嗟に昨夜の事を思い出して言葉がしぼんでしまう。 ひとまずは『魅惑の妖精』亭に泊まる事となった彼女は、一階で働く店の女の子たちの姿をしっかりとその目で捉えていた。 程々に露出の高いドレスに身を包んだ少女達は料理や酒を客に運び、彼らが出してくれるチップを回収していく。 その時に客の何人かがお尻や胸の方へと伸ばしてくる手を笑顔で跳ね除けているのを見て、あれは自分には無理だろうなと感じていたのである。 「…っていうか、許し難いわね。貴族である私の体を触ろうとしてくる相手の手を笑顔で離すなんて事自体が」 『だろうな。もし昨日の客共がお前さんの尻や…えーと、そのち…慎ましやかな胸に触ろうとした時点で相手は確実に痛い目見るだろうし』 思わず口が滑りそうになったのを慌てて訂正しつつ、デルフがそう言うとルイズはコクリと頷き…ついで彼をジロリと睨み付けた。 「あんた、今物凄く失礼な事言おうとしたでしょ?」 「はて、何がかね?」 「慎ましやか」は別に失礼じゃないのか…魔理沙がそんな事を思いながらすっとぼけるデルフを見つめていると、 「はぁ~…全く、アンタ達はホント考えるのはてんでダメなのねぇ?もう少し頭を使いなさいよ頭を」 それまで彼女たちの会話の輪から少し離れていた霊夢が、溜め息をつきながらルイズと魔理沙の二人にそんな事を言ってきたのだ。 当然、魔理沙とデルフはともかくルイズが反応しない筈がなく、彼女の馬鹿にするような言葉にすぐさま反応を見せたのである。 「何よレイム?子供のメイジ相手にしてやられたアンタが、私達をバカにできるの?」 「…!い、痛いところ突いてくるわねー。…あんな連中もう二、三日あればすぐにでも見つけてお金を取り返してやるっての」 ジト目でルイズ達を睨んでいた霊夢は、ルイズに一昨日の失敗を蒸し返されると苦々しい表情を浮かべてしまう。 その後、気を取り直すように咳払いをしてから何事かと訝しむルイズへ話しかけた。 「え~…ゴホン!…まぁ私達の言うとおりアンタが平民に混じって情報収集に向かないのは明白な事よね?」 「そりゃそうだけど、一々蒸し返さないで…って私もしたからお相子かぁ」 巫女の容赦ない指摘に彼女は渋々と頷くと、霊夢はチラリと魔理沙を一瞥した後に、ルイズに向けてこう告げた。 「私さぁ、思ったんだけど……何もアンタ自身が直接情報収集に行かなくてもよさそうな気がするのよねぇ」 「はぁ?それ一体どういう…―――」 突然の一言にルイズが驚きを隠せずにいると、霊夢は今にも迫ろうとする彼女に両手を向けて制止する。 「話は最後まで聞きなさい。…別にアンタが役立たずって言いたいワケじゃないのは分かるでしょうに。 私が言いたいのは、アンタや私以上に゙平民たちに紛れて情報収集できるプロ゙が今この場にいるって事なのよ。…分かる?」 自分の突然すぎる言葉にルイズが「えぇ?」と言いたげな表情を浮かべるのを見て、霊夢はスッと人差し指をある方向へと向ける。 その人差し指の向けられた方向へ思わずルイズもそちらへ顔を向けると、そこにいたのは見知った…というより見知り過ぎた少女がいた。 指さされた少女本人は少し反応が遅れたものの、思わず自分の指で自分を指して「私?」と霊夢に問いかける。 「えぇそうよ?こういうのはアンタが得意でしょうに、霧雨魔理沙」 「……えぇ!?私がかよ!」 霊夢の言ゔ平民たちに紛れて情報収集できるプロ゙にされた魔理沙は突然の決定に驚いたものの、 何を驚いているのかと勝手に決めつけた霊夢は怪訝な目で普通の魔法使いを見つめていた。 何はともあれ、勝手に情報収集係にされた魔理沙はその日から早速霊夢の手で平民の中へと放り込まれてしまった。 ルイズは突然のことにどう対応したらいいか分からず、デルフは面白い見世物と思っているのか静観に徹していた。 魔理沙は霊夢に文句を言おうとしたものの、それを予想していた巫女さんはこんな事を言ってきたのである。 ――本来ならルイズ本人がやれば良いんだけど結果は散々だったし、デルフは当然の様に動けない。 私はあの盗人兄妹を捕まえなきゃいけないし…となれば、アンタに白羽の矢が刺さるのは当然じゃないの こういう口げんかでは紫に次いで上手い霊夢に対し、魔理沙は苦々しい表情を浮かべる他なかった。 その時になって初めてルイズが「いくらなんでも魔理沙に頼むのは…」と失礼な擁護をしてくれたものの、あの巫女さんは彼女にこう囁いたのである。 ―――まぁ任せときなさいよ。コイツはコイツでそういうのを集めるのも得意だしさ。 それにアンタには、コイツが集めてきた情報をこっちの世界の文字で書類にするっていう仕事があるのよ とまぁそんな事を言って最終的にはルイズも納得してしまい、晴れて霧雨魔理沙は街中で情報収集をする羽目になってしまった。 最初は何て奴らかと思って少し怒っていた彼女であったが、冷静さを取り戻すと成程と自分に充てられた仕事に納得してしまう。 ルイズが平民の中に紛れるのは下手なのは散々見たし、であれば誰かが拾ってきた情報を紙に書いてアンリエッタに送る仕事しかないだろう。 そして、その情報を集める仕事を担当するのが自分こと――霧雨魔理沙ということなのである。 霊夢が自分達の金を盗んだ相手を執拗に捕まえようとするのは…まぁ俗にいう『負けず嫌い』というやつかもしれない。 本人もやられたままでは納得がいかないのは何となく分かるし、何よりあんだけ馬鹿にされてまんまと逃がしてしまったのである。 絶対自分には捕まえる役を譲ってはくれないだろう。無理やり奪おうとすれば…゙幻想郷式のルール゙に則った決闘が始まるのは明白だ。 (それに霊夢はこの世界の文字の読み書き何てできないだろうし、私ならアイツ以上に他の人間と接してるしな) まだ納得できないが、妥当と言うことか…。市場から聞こえる賑やかな声をBGMに、魔理沙はチクトンネ街の通りを歩きながら考えていた。 昨日、王都で降った大雨のおかげで道には幾つもの水たまりができ、青空に浮かぶ雲や横を通り過ぎる人々の姿を鏡の様に写していく。 こころなしか通りの熱気もそれまでと比べて涼しいと感じる気がした魔理沙は、天からの恵みに思わず感謝したくなった。 しかし、昨日の大雨ついでに起こったトラブルを思い出してしまい、感謝の念はひとまず横に置いて昨夜の出来事を思い返してしまう。 「それにして…昨日は本当に参ったぜ。当然の様に雨漏りしてきたし…やれやれ」 それは昨日の…雨が降る前の事で、藍が自分たちを『魅惑の妖精』亭の屋根裏部屋に押し込んだのが始まりであった。 紫にあの店で過ごせるようにしろと言われた彼女はその日の夕方にスカロンと話し合って決めたのだという。 その時には昼頃から王都の上空を覆い始めた黒雲から大雨が降ると察し、ルイズ達はそれから逃げるようにして店へと戻ってきていた。 幸い突然の土砂降りで服を濡らすことなく戻る事ができた三人と一本が店の入り口で佇んでいると、あの式が部屋まで案内してくれる事となった。 丁度開店時間で賑わい始める一階から客室がある二階に上がったところで、彼女はまず最初にしたのか゛ルイズ達への謝罪と弁明だった。 「すまん、スカロンと話し合ったのだが…今の季節はどの空き部屋も゙もしも゙の事を考えて入れないとの事らしい」 「えー、そうなの?じゃあ私が今朝寝てた部屋はどうなのよ。あそこは誰も泊まってなさそうな感じだったけど?」 申し訳なさがあまり感じられない藍の言葉に霊夢が異議を唱えたが、そこへルイズがさりげなく入ってきた。 「アンタ知らないの?あの部屋って今はシエスタの部屋なのよ」 「……え?何それ、私はそんな話全然聞いてなかったけど」 ルイズの口から出た意外な一言に霊夢が怪訝な表情を浮かべると、ルイズも目を細めて「本当よ」と言葉を続ける。 「昨日は気絶したアンタをベッドで寝かせる為に、ジェシカと同じ部屋で寝てくれたらしいわ」 「そうだったの。てっきり空き部屋があるかと思ってたけど…どうりで部屋が綺麗だったワケだわ」 「シエスタは魔法学院で穏やか~にメイドさんをしてたからな。…後でアイツにお礼でも言っておいた方がいいと思うぜ」 三人がそんな風に賑やかにやり取りするのを見ていた藍は、気を取り直すように大きな咳払いをして見せた。 それで三人が話し合うのを止めるのを確認してから、彼女はルイズの方へと体を向けて話しかける。 「んぅ…ゴホン!それでまぁ、お前たちが二階の部屋に泊まるのは無理だが…今の持ち金だけでは他の宿には泊まれないんだろう?」 式の質問は資金を盗まれ、今の所自身の口座にある貯金しかお金がないルイズへの確認であった。 ルイズはすぐに答える事無く、暫し今の預金でどれだけ泊まれるか簡単に計算してから藍へ言葉を返す。 九尾の式へと向けられたその顔は険しく、決して楽観できるような答えではないという事は察しがついた。 「…まぁ安い宿なら三泊四泊なら余裕でしょうけど、流石に夏季休暇が終わるまで連泊するのは無理ね しかもこの時期は国内外から旅行者が王都に来てるから、大抵の安宿はバックパッカーに部屋を取られてると思うし…」 「つまり三泊四泊した後は路上生活…って事か、いやはや~……って、うぉ!」 「余計な事言わないでよ、想像しちゃったじゃない!」 「こらこら、アンタ達。喧嘩は後にするか私の見えない所でやりなさいよ、全く」 ルイズの後を勝手に継ぐように魔理沙がそんな事を言うと、すぐさまルイズに掴みかかられてしまった。 見た目の割に意外と腕力のあるルイズに揺さぶられる前に話を進めたい霊夢によって、魔理沙は何とか危機を脱する事が出来た。 ホッと一息つく黒白と、そんな彼女をジッと睨むルイズを余所に彼女は藍は「話を続けて」と促した。 「一応、その事も含めてスカロン店長に話したら………暫し悩んだ後に゙とある゙一室を貸しても良いと許可してくれたよ。 少々手入れが行き届いてないが掃除すれば何とか住めるようにはなるし、窓もあってそれなりに風通しの良い部屋だぞ?」 右手の人差し指を立てて淡々と説明していく藍の言葉に、ルイズと魔理沙の顔に笑みが浮かび始めてくる。 てっきり申し訳ないが…と言われて追い出されるかと思っていたのだ、嬉しくないわけがない。 思ったよりも良い反応を見せる二人を見て藍もその顔に笑みを浮かべると、人差し指に続き更に親指立ててこう言った。 「…まぁこういう時は大なり小なり対価を払うべきだが、元々誰かが住むのを考慮してないから……金を払う必要は無いとの事だ」 「な、何ですって?」 全く予想していなかったサービスにルイズは喜び舞い上がるよりも、後退りそうになる程驚いた。 何せ自分の貯金を崩して宿泊代を払うつもりだったというのに、それをする必要が無いというのである。 ここまで来ると流石のルイズでも嬉しいという気持ちより先に、何か裏があるのではと勘ぐってしまう。 「ちょ…ちょっと待ってよ!流石にお金はいらないって…それ本当に部屋として使えるの?」 サービス精神旺盛過ぎる藍にルイズは思った疑問をそのままぶつけると、霊夢が後に続い口を開く。 「ルイズと同じ意見ね。…第一、紫の式であるアンタが口出してるんだから何か考えてるでしょうに」 『タダほど怖いモノはねーっていう法則だな』 彼女の辛辣な意見にデルフも諺で追従してくると、藍は微笑みを浮かべたまま二人へ言った。 「まぁお前たちがそう思うのも無理はないだろうな。けれど、一応人は住めるんだぞ」 そう言って藍は立てていた人差し指と親指を使って、パチン!と軽快に指を鳴らして見せる。 誰もいない廊下に軽いその音が響き渡り、一瞬で窓の外から聞こえる雨の音と一階の賑やかさに掻き消されてしまう。 突然のフィンガースナップに何をするつもりかと訝しんでいた霊夢達の頭上から突如、聞き覚えのある少女の声がくぐもって聞こえてきた。 「藍さまー、もう下ろしていいの?」 「!…これって、確かチェンっていう貴女の式の声じゃ…」 本来ならだれもいない筈の天井から聞こえてきたのは、藍の式である橙の声であった。 意外にも猫被っていた彼女の事が強く印象に残っていたルイズへ返事をする前に、藍は「いいぞ!」と頷いて見せる。 その直後…天井から鍵を開けた時の様な金属音がなったかと思うと、独りでに何かが天井から舞い落ちてきた。 ゆっくりと、まるで冬の夜空から降ってくる雪の様な――ーけれどもドブネズミの如き灰色のソレが、パラパラと落ちてくる。 偶然にもソレが目の前で落ちていく様を目にした霊夢は、見覚えのあったその物体の名前を口にした。 「これは…埃?―――――って、うわッ!」 彼女が言った直後、その埃が落ちてきた天井が物凄い音と共に落ちて来るのに気が付き慌てて後ろへと下がる。 魔理沙とルイズ、それにデルフも何だ何だとその落ちてくる天井を目にし――それがただの天井ではない事に気が付く。 木と木が擦れる音と共に天井から下りてきたのは、年季の入った階段であった。 「これって、階段…隠し階段か!すげーなオイ」 「『魅惑の妖精』亭って、こんなものまであるのね…」 自分たちの頭上から現れたソレを見て魔理沙は何故か嬉しそうに目を輝かせ、ルイズは呆然としていた。 「驚いたわね~、まさかこんな場末の居酒屋にこんな秘密基地じみたものがあるだなんて」 『うーん、この階段の年季の入りよう…オレっちから見たら、数年前かそこらに取り付けたものじゃねぇな』 霊夢も二人と同じような反応を見せていたが、それとは対照的にデルフはこの階段が古いものだと察していた。 隠し階段は『魅惑の妖精』亭となっている建物に最初から付けられていたのか、床を傷つける事が無いようしっかりと造られている。 もしも後から造られているのなら、よほどの名工でも無い限りこうも完璧な隠し階段を取り付けるのは無理ではないだろうか。 そのインテリジェンスソードの疑問に答えるかのように、藍はルイズ達へ軽く説明し始める。 「スカロンが言うにはこの店が『魅惑の妖精』亭という今の名前ではなく、 『鰻の寝床』亭っていう新築の居酒屋として建てられた時に造ったらしい」 おおよそ築四百年物の隠し階段なんだそうだ、と最後に付け加える様にして藍が言うと、 「まぁ結局、色々と問題が発生したから使ったのは開店から数年までだったらしいけどねー」 階段を上がった先にある暗闇からヒョコッと橙が顔を出して、必要もない補足を入れてくれる。 どうやら先ほどの声からして、自分が帰ってくる前にそこにいたのだろうと何となく察しがついた。 いらぬ説明を入れてくれた橙に礼を言う義理も無いルイズは暫し隠し階段を見つめた後、ハッとした表情を浮かべる。 「まさか私たちがこれから暫く寝泊まりする場所って…」 「まさかも何も、今橙のいる階段の先にある部屋がそうさ」 ルイズの言葉に藍がそう答えると、彼女は隠し階段の先を指さして言った。 「ようこそ『魅惑の妖精』亭の屋根裏部屋へ。…とはいっても、客室とは呼べない程中は乱雑だがな」 「…まぁ屋根裏部屋は秘密基地って感じがあって良いけどさぁ、流石に雨漏りするってなるとな…」 昨日の事を思い出していた魔理沙はそんな事を呟いて、屋根裏部屋へと通された後の事を思い出す。 結局、藍と橙に背中を押されるようにしてルイズ達はあの隠し階段の向こうにあった部屋で暫く寝泊まりする羽目となってしまう。 荷物は粗方持ち運ばれていたのだが、それを差し引いても屋根裏部屋は正に「長らく放置された倉庫」としか例えようがない程ひどかった。 部屋の隅には蜘蛛が巣を張ってるわネズミが梁や床の上を走り回るわで、挙句の果てには蝙蝠までいたのである。 「何よコレ!」と驚きと怒りを露わにするルイズに対し、藍は平気な顔で「同居人達だ」言ってのけたのは今でも覚えている。 流石にルイズだけではなく霊夢もこの仕打ちに対しては怒ったものの、魔理沙本人はそれでもまぁマシかな…程度に考えていた。 蜘蛛は箒で巣を蹴散らしてやれば出ていくだろうし、ネズミは罠でも張っておけば用心して顔を出してこなくなる。 蝙蝠に関しては…まぁこの夏季休暇が終わるまで同居するほかないだろう。 お金はほとんどないし行く当てもない、つまり結果的にはこの屋根裏部屋しか自分たちが寝泊まりできる場所は無いのだ。 それに昨日の外はあれだけの土砂降りだったのである、雨風がしのげる場所があるだけマシなのかもしれない。 元々倉庫として使われていただけあって、使っていないベッドが何個か置かれていたのは不幸中の幸いという奴である。 シーツは後からシエスタに言えば持ってきてくれるというし、スカロンたちも押し込んでそのまま…というつもりはないようだ。 最初は怒っていたルイズと霊夢も仕方ないと思ったのか、ひとしきり文句だけ言った後は一階で夕食を頂く事になった。 デルフも特に異議は無いのか、階段を下りる前に屋根裏部屋を見回していた魔理沙に「早くしろよー」と声を掛けるだけであった。 お金はお昼の内にルイズが財務庁から下ろしてきてくれたので、程々に美味いモノが食べる事が出来た。 しかし…問題はその後、夕食を食べ終わり少し酒を引っかけてから三階へ戻った時にそのアクシデントは既に起こっていた。 以前にもその勢いを増した雨風に勝てなかったのか、屋根裏部屋の天井から雨水が滴り落ちてくるという事態が発生していたのである。 ポタ、ポタ、ポタ…と音を立てて床を叩く幾つもの水滴は、当然ながら藍が持ってきてくれていたルイズ達の荷物を容赦なく濡らしていた。 これには流石の魔理沙とデルフも驚いてしまい、急いで荷物を二階に降ろしたのはいいもののそこから先が大変であった。 雨漏りを直そうにも外は大雨で無理だし、雨水を入れる為の器を探そうにも見当たらない。つまり手の打ちようがなかったのである。 結局…その夜はスカロンたちに事情を話して、仕方なく二階の客室を無理言って貸してもらう羽目になってしまった。 そこまでは良かったが、そこから後は色々と大変だったのである。良い意味で。 スカロンたちもまさか雨漏りを起こしていたとは知らなかったのか、明日――つまり今日にも大工を呼んで直してくれるのだという。 彼曰く「あなた達が屋根裏部屋に入らなかったら、気付かなかったかもしれないわぁ~」とも言っていた。 その時に屋根裏部屋を初めて見たというジェシカが、 「これも客室として使えるんじゃなーい?」 とか言ったおかげ…かどうかは分からないが、更に色々と手直しするかもしれないのだという。 ひとまず蝙蝠とかネズミやらを何とかした後でそれは考えるらしく、その駆除自体もまだまだ先になるのだという。 とりあえず雨漏りさえ何とかしてもらえれば、後は掃除をするだけで多少はマシになるだろう。 「まぁ、昨日みたいな散々な体験をしないのならそれに越したことはないがな……ん?」 苦く新しい思い出を振り返る魔理沙がひとり苦笑した時、ふと前方で誰かが道端でしゃがんでいるのに気が付いた。 それが単なる通行人か体調の悪い人間なら彼女もそこまで気にしなかったのか知れない。 しかし…少し前方にいるその人影はまだ十代前半と思しき少女であり、何より髪の色が明らかに周囲の人々から浮いているのだ。 彼女を一瞥しつつ、けれど声は掛る程ではないと思ってか横を通り過ぎていく平民たちの髪の色は大抵金髪か茶髪で、偶に赤色とか緑色も確認できる。 だがその少女の髪の色は、驚く事に銀色なのである。どちらかといえば白色に近い薄めの銀色といえばいいのだろうか。 陽光照りつける通りの中でその銀髪は光を反射しており、少し離れたところから見る魔理沙からしてみればかなり目立っていた。 そんな不思議な色の髪を腰まで伸ばしている少女は、通りを右へ左へと見回して何かを探しているらしい。 端正でしかしどこか儚げな顔に不安の色をありありと浮かび上がらせ、照りつける太陽の熱で額から汗を流しながらしきりに顔を動かしている。 魔理沙は少女が自分のいる通りへと視線を向けた時に顔を一瞥できたが、少なくともそこら辺の子供よりかはよっぽど綺麗だという感想が浮かんできた。 髪の色とあの綺麗な横顔…もしかすればあの少女は今のルイズと同じぐワケありの女の子゙なのかもしれない。 そこら辺は憶測でしかないが、思い切って本人に直接訊いてみればすぐに分かる事だろう。 とはいっても、見ず知らずの女の子に声を掛けた所で驚かせてしまうか逃げられてしまうかのどちらかもしれないが… 「ま、この私が興味を持ってしまったんだ。声を掛けずに素通り…ってのは性に合わないぜ」 彼女は一人呟くと昨日訪れた自然公園へ行く前に、目の前にいる銀髪の少女に声を掛けていく事にした。 どんな反応を見せてくれるか分からないが、せめて今は何をしてるか…とかどこから来たのかとか聞いてみたいと思っていた。 自分の興味に従い足を前へ進めていく魔理沙の気配を察知したのか、反対方向を向いていた少女がハッとした表情を彼女へ向けてくる。 しかし一度動いたら止まらないのが霧雨魔理沙である。自分目がけて歩いてくる黒白に銀髪の女の子は困惑の表情を浮かべた。 「あっ……ん、…っわ!」 それでもせめて立ち上がろうと思ったのか腰を上げたものの、足が痺れたのか思わず転げそうになってしまう。 幸い転倒する事無く慌てただけで済んだものの、その頃には魔理沙はもう彼女と一メイル未満のところまで近づいていた。 一体何が始まるのかと少女は無意識の体を硬くすると、黒白の魔法使いはおもむろに右手を上げて彼女に話しかけたのである。 「よぉ、何か探し物かい?」 「…………。…………」 突然自分に向けて挨拶しながらもそんな言葉を掛けてきた黒白に、少女は緊張気味の表情を浮かべて黙っている。 そりゃそうだ、例え同性同年代?の相手でも何せ見ず知らずの者が近づいてきたらそりゃ警戒の一つはするだろう。 対して、魔理沙の方は相手が見た事の無い相手であっても特に態度を崩すことなく、不思議そうな表情を浮かべている。 (ありゃ?ちょっと反応が薄かったかな…って、まぁ当たり前の反応だけどな) …反省する気は無いが、相変わらず私ってのはデリカシーとやらがなってないらしい。 これまで一度も省みた事が無い自分の短所の一つを再認識しつつ、黙りこくる銀髪の少女へ魔理沙はなおも話しかけた。 「いやぁ、ここら辺じゃあ見ない顔と髪の色をしてたもんだからつい声を掛けちゃって…、ん?」 「………たから」 最後まで言い切る前に、魔理沙は目の前の少女がか細い顔で何かを言おうとしてるのに気が付いた。 言葉ははっきりとは聞こえなかったが、口の動きで何かを喋っているのに気が付いたのである。 魔理沙が一旦喋るのを止めた後で、少女は気恥ずかしそうな表情を浮かべつつ上手く伝えきれなかったことを言葉にして送った。 「……わ、私―…そ、その…この街へは、初めて旅行へ…来たから」 多少言葉を詰まらせおどおどとしながらも、少女は素直な感じで魔理沙にそう言った。 それを聞いた魔理沙は少女が旅行客だと聞いて、ようやく不安げな様子を見せる理由がわかってウンウンと頷いて見せる。 「成程な、どうりで道に迷った飼い犬みたいに不安そうな顔してたんだな。納得したよ」 「なっ…!そ、それどういう事ですか!?べ、別に私はま、迷ってなんかいないし、第一犬なんかでも…―――……ッ!」 魔理沙の冗談は通じなかったのか、犬と例えられた少女がムッとした表情を浮かべて言葉を詰まらせながらも怒ろうとした時、 突如少女のすぐ後ろにある路地裏へと続く道から、本物の犬の鳴き声が聞こえてきたのである。 それを耳にした少女は驚いたのか身を竦めて固まってしまい、魔理沙は突然の鳴き声にスッと耳を澄ます。 「お、話をすれば何とやらか?まぁでも…この吠え方だと飼い犬とは思えないがな」 恐らく街の人々が出す生ごみ等を食べて生活している野良犬なんだろう、吠え方が荒々しい。 きっと仲間か野良猫と餌か縄張りの奪い合いでもしているのだろうが、朝からこう騒々しくしては人々の顰蹙を買うだろう。 「朝っぱらから大変元気で羨ましいぜ、全く。………って、どうしたんだよ?」 帽子のつばをクイッと持ち上げながら、そんな事を呟いた後で魔理沙は少女の様子がおかしい事に気が付く。 先ほどしゃがんでいた時とは違って両手で守るようにして頭を抱えて蹲ってしまっている。 一体どうしたのかと思った彼女であったが、尚も聞こえてくる野良犬の声で何となく原因が分かってしまった。 「もしかしてかもしれないが…お前さん、ひょっとして犬が苦手なのか?」 魔理沙の問いに少女はキュッと目をつむりながらコクコクと頷き…次いでおもむろに顔を上げた。 何かと思って魔理沙は、少女の顔が信じられないと言いたげな表情を浮かべているのに気が付く。 一体どうしたのかと魔理沙が訝しむ前に、少女は耳を両手で塞ぎながら口を開いた。 「え?あ、あのワンワン!って怖い吠え方をする小さい生き物も犬なんですか!?」 「…………はぁ?」 少女からの突然な質問に、魔理沙は答えるより前に自分の耳を疑ってしまう。 今さっき、恐い恐くないという以前の言葉に魔理沙は暫し黙ってから再度聞き直すことにした。 「……………スマン、今何て?」 「え…っと、ホラ!今後ろの道からワンワンって鳴いてる生き物も犬なんですか…って」 「イヤ、こういう場所でワンワンって鳴く生き物は犬しかいないと思うが」 「え、でも…犬ってもっと大きくて、人を背中に乗せたりもできて…あとヒヒーン!って鳴く動物なんじゃ…」 「それは馬だ!」 少々どころか斜め上にズレた会話の果てに突っ込んでしまった魔理沙の叫び声が、通りに木霊する。 これには素通りしようとした通行人たちも何だ何だと足を止めてしまい、少女達へと視線を向けてしまう。 思いの外大きな叫びに通りは一瞬シン…と静まり返り、時が止まったかのように人の流れが静止している。 路地裏にいるであろう野良犬だけが、一生懸命何かに対して吠えかかる声だけが鮮明に聞こえていた。 「知らなかった…、まさかあの小さくておっかない四本足の生き物が犬だったなんて…」 「はは…まぁ良いんじゃないか?世の中に犬を馬と思う人間がいても良いと思うぜ?」 それから暫くして、魔理沙は未だ呆然とする少女を先導するかのようにチクトンネ街の通りを歩き続けていた。 魔理沙は落ち込む少女ー顔に苦笑いを浮かべてフォローしつつ、馬を犬と勘違いしていた彼女に突っ込んだ後の事を思い出す。 最初何かの冗談かと思った彼女が少女の言葉に、思わず突っ込みを入れてしまった後は色々と大変であった。 何せ自分の怒鳴り声でそのまま尻もちついた彼女が何故か泣き出してしまい、魔理沙は変な罪悪感に駆られてしまう。 事情を知らぬ人間が見れば、気弱そうな銀髪の少女を怒鳴りつけて泣かした悪い魔法使いとして見られかねないからだ。 とりあえず平謝りしつつも、野良犬の鳴き声が怖いらしいので仕方なく彼女をそこから遠ざける必要があった。 移動した後も少女はまだ泣いていた為に放っておくことが出来ず、魔理沙は動きたくても動けないまま彼女の傍にいたのである。 大体小一時間ほど経った時に、ようやく泣き止んだ少女は頭を下げつつ魔理沙に自分の事を詳しく話した。 名前はジョゼット、以前はとある場所にある建物でシスター見習い…?として暮らしていたのだという。 しかし丁度一月前にある人達が自分を秘書見習いにしたいといって彼らの下で働き始めたらしい。 そして今日ばその人達゙の内一人で、自分が゙竜のお兄さん゙と呼ぶ人が今この街で働いているので、もう一人の人と一緒に会いに来たのだという。 「…で、その後は竜のお兄さんと会ったのはいいけど、調子に乗ってホテルから通りの方へ出ちゃって…」 「成程、それで路地裏に入り込んじゃって…挙句の果てに野良犬に追いかけられた結果…ワタシと出会ったというワケか」 自分が言おうとした言葉を魔理沙に先取りされてしまったのに気づき、ジョゼットは思わず恥ずかしそうに頷いた。 それで、竜のお兄さんやもう一人のお兄さんが心配しているから、急いでホテルに戻らなければいけないのだという。 魔理沙はそこまで聞いて、先程ジョゼットが道の端で不安そうな表情を浮かべていた理由が分かってしまった。 「はは~ん!つまり、帰ろうと思っても道が分からないから帰れなかったんだな?」 「……!」 容赦する気の無い魔理沙の指摘に、ジョゼットは思わず頬を紅潮させながら頷く。 その後は、何だかんだでジョゼットと彼女を拾ったお兄さんたちとやらに興味が湧いた魔理沙は少しばかり彼女に付き合う事にした。 つまりは乗りかかった船として、迷子のジョゼットをそのホテルまで連れていく事にしたのである。 「……にしても、大通りから少し離れただけでも大分涼しいんだな…」 先ほどの事を思い出し終えた魔理沙は、今歩いている小さめの通りを見回しながら一人感想を呟く。 賑やかな市場から少し離れているここの人通りはやや少ないものの、散歩をするにはうってつけの道であろう。 恐らく市場に行った帰りなのか、紙袋を抱えた平民たちの多さから見て自宅へ戻る際にここを通る者が相当いるらしい。 建物の影もあるおかけで真夏の暑い太陽から隠れるこの場所は、ちょっとした避暑地の様な場所になっているようだ。 魔理沙はそんな事を考えつつ箒片手に歩いていると、後ろをついて来るジョゼットが「あの…」と申し訳なさそうに声を掛けて来たのに気づく。 「ん?どうしたんだ」 また素っ頓狂な質問かと思ったが、それを顔に出さず魔理沙が聞いてみると彼女はオロオロしつつも口を開く。 「え…っと、その…ありがとう、ございます。初対面なのに、道に迷った私を助けてくれるなんて…」 「あぁ、その事か!そう気に病む事はないさ、この街って私の生まれ故郷よりずっと大きいしな、迷うのは無理ないと思うぜ?」 だからそう気に病むなよ?そう言ってコロコロと笑う魔理沙を見て、ジョゼットもその顔に微笑みを浮かべてしまう。 何だか不思議な女の子だと、ジョゼットは思った。 黒と白のエプロンドレスに絵本に出てくるメイジが被るようなトンガリ帽子にその手には箒。 子供のころに読んだ絵本ではメイジが箒を使って空をとぶ話はいくつもあるが、実際は箒で空は飛べないのだという。 ではなぜ箒なんか持って街中にいるのだろうか?そんな疑問が頭の中に浮かんできてしまう。 ――――まさかとは思うが、本当に箒で飛べるのだろうか?あのどこまでも続く青空を。 「……くす、まさかね」 「…?」 変な想像をしてしまったジョゼットは小さく笑ってしまい、それを魔理沙に聞かれてしまう。 しかし聞いた本人もまさか手に持っている箒の事を笑われたというのに気付かず、ただただ首を傾げていた。 そうこうする内に小さな通りを抜けて、魔理沙はジョゼットの案内でブルドンネ街の一角へと入っている事に気が付く。 周りを歩く人々の中にチラホラと貴族の姿が見えるし、何より平民たちの服装もチクトンネ街と比べれば小奇麗であった。 右を見てみると幾つものホテルや洒落たレストランがあり、まだ開店前だというのに美味しそうな匂いを周囲に漂わせている。 左には川が流れており、昨日の大雨の影響か水の色が土砂のせいで薄茶色に染まっていた。 チクトンネ街とはまた違うブルドンネ街の景色を二人そろって見とれかけたところで、慌てて我に返った魔理沙がジョゼットに聞く。 「あ、そういや…ここら辺で合ってるんだよな?」 「え…うん、路地裏で犬に出会う前に川を見ながら歩いたから…」 危うく目的を忘れかけた二人は何となく早足で前へと進むと、左側に小さな広場があるのに気が付いた。 どうやら川の水はそのまま道の下にある暗渠に流れていくようで、濁流の音が微かに穴の中から聞こえてくる。 地下へと続く暗い穴を一瞥した魔理沙がジョゼットの方へ顔を向けると、彼女は川を横切るようにして造られた左の広場を指さした。 そこから先は左へと進み、まだ人の少ない小さな広場を抜けたところでまたしても道の片方に川が流れていた。 ここには排水溝がすぐ真下にあるので、今度は川の流れに逆らって歩くような形となるらしい。 「なるほど…さっきの排水溝とはそれほど離れてないから、多分こことあそこの川の水は全部地下に流れてるのか?」 だとすればこの街の真下には、巨大なため池があるようなもんだな…と魔理沙がそんな想像をしていた時、 何かを見つけたであろうジョゼットが自分の横を通り過ぎ一歩前へ出ると、すぐ近くの建物を指さして叫んだのである。 「あった!あれ、あれだわ。あのホテルは川の傍にあったもの、間違いないわ!」 嬉しそうなジョゼットの言葉に思わず魔理沙もそちら方へ視線を向けると、彼女の言うとおりホテルが建っていた。 これまで通り過ぎてきたものとは違い、妙に新築の雰囲気が残るホテルの看板には『タニアの夕日』という名前が刻まれている。 「『タニアの夕日』…か、確かにここの屋上から見たら夕日は良く見えるかもな?…昨日を除いてだがな」 看板の名前を読み上げながら、さぞ昨日だけ名前負けしていたに違いないと思っていると、 「わはは!やったぁー、やっと戻れたぁー!あはははー!」 「ちょ…っ!?お、おい待てって!」 それまで大人しかったジョゼットが嬉しそうな笑い声を上げ、ホテルの入口目がけて走り出したのである。 周囲の人々の奇異な者を見る視線と、突然のハイテンションに珍しく驚いている魔理沙の制止を振り切って。 よっぽど嬉しかったのであろう、長い銀髪を振って走る彼女の後姿を見て、魔理沙はヤレヤレと肩を竦めて見せた。 「……ま、結局遅かれ早かれ中に入ってたんだし。仕方ない、私もついて行くとするか」 あのホテルの中にいるであろうジョゼットを連れてきた者たちがどんな人たちなのか知りたくなった魔理沙は、 もう大丈夫だろうと一人静かに立ち去るワケがなく、ジョゼットの後を追ってホテルの入口へと足を進めた。 一足先に入ったジョゼットに続くようにしてドアを開けた魔理沙は、思わず口笛を吹いてしまう。 「へぇ―、こいつは中々だな!ウチの屋根裏部屋が動物の住処に見えてしまうぜ」 笑顔を浮かべて辺りを見回す彼女の目には、二年前にリニューアルした『タニアの夕日』の真新しさが残るロビーが映っている。 流石ブルドンネ街のホテルという事だけあるが、何よりもロビーの隅にまでしっかりと手が行き届いているからであろう。 フロントやロビーの真ん中に配置されたソファー、そして建物の中に彩りを与えている観葉植物にも古びた所は見えない。 床にも埃の様な目に見えるゴミは魔理沙の目でも視認できず、まるで鏡面かと思ってしまう程に磨かれている。 少々ぼやけて見えるがそれでも自分の顔を映す床を見つめていた魔理沙の耳に、ふとジョゼットの声が聞こえた。 「お兄様!竜のお兄様ー!」 その声でバット顔を上げ、声のした方へ目を向けた先にジョゼットが手を振っているのが見えた。 丁度ロビーから上の階へと続く階段の手前で足を止めた彼女は、その階段の上にいる誰かに手を振っているらしい。 彼女の言ゔ竜のお兄様゙とやらがどんな人物なのか知りたい魔理沙は、すぐさま目線を彼女が手を振る方へと向ける。 階段を上った先にあるホテル一階の廊下、そこで足を止めてジョゼットと目線を合わせたのはマントを羽織った美青年であった。 魔理沙が今いる位置からでは詳細は分からないが、少なくともそう判断できるほど整った容姿をしている。 見えないのならもう少し近づこうかと思ったその時、ジョゼットを見つけたその青年も声を上げた。 「ジョゼット!ようやく帰って来たんだな、このやんちゃ者め。迷子になったのかと思ったよ」 軽く叱りつつも、その顔に安堵の笑みを浮かべる青年はそのまま階段を降りてジョゼットの方へと近づいていく。 そして十五秒も経たぬうちにロビーへ降りてきた彼を見て、ジョゼットもまた笑みを浮かべて言った。 「まぁ酷いわお兄様、私が報告しようとした事を先に言い当てちゃうなんて!」 「これから僕が直々に君を探しに行こうかと思ったけど、取り越し苦労で済んで何よりだよ」 「あら、そうでしたの?…だったらもう少し迷っていたら良かったかも知れませんわね」 悪戯っ気のあるジョゼットの言葉に青年は「こいつめぇ!」と笑いながら彼女の髪をクシャクシャと撫でまわす。 それに対しジョゼットは怒るでも嫌がるでもなく、頭を撫でられている仔犬の様に嬉しがっていた。 まるでカップルの様な慣れ合いを見て、魔理沙はやれやれと溜め息をついて肩も竦めてしまう。 この後はジョゼットをここまで連れてきた事を話して、ついでほんの少しお話でもしたいと思っていたが、これでは無理そうだ。 「とはいえ、このまま黙って去るのも私の性分じゃあないし―――はてさて…」 イチャつく二人の周りに出来た蚊帳の外で、一人考える魔理沙の姿にジョゼットは気が付いたのだろうか。 頭をやや乱暴に撫でられて笑っていた彼女はハッとした表情を浮かべると、すぐにロビーを見回し始める。 そして、ここまで一緒に来てくれた魔理沙がすぐそこまで来てくれていた事に気が付くと、彼女に手を振りながら呼びかけた。 「黒白のお姉さん!こっち、こっちにいる人が竜のお兄様だよ!」 「ん?―――………なッ」 少女が突然あげた声に青年と魔理沙は同時に互いの顔を見つめ、それぞれ別の反応を見せた。 突然ジョゼットに呼びかけられた魔理沙は少し驚きつつも箒を持つ右手を挙げて「よぉ、初めまして!」と気軽な挨拶をして見せる。 しかし青年は違った。彼もまた挨拶を返すつもりだったのだろうか、右手を少しだけ上げた状態のまま―――目を見開いて驚いていた。 それだけではなく、体を少し仰け反らせ声も漏らしてしまったが為に、魔理沙だけではなくジョゼットも青年の方へ顔を向けてしまう。 そして、ついさっきまで自分の頭を笑いながら撫でてくれた彼の表情の変わりっぷりに怪訝な表情で首を傾げ、彼に声を掛けた。 「……?お兄様?」 「――――…え、あ…!ゴホン!いや、何でもない」 ジョゼットの呼びかけが効いたのか、魔理沙を見て驚き硬直していた青年はハッと我に返り、 ついで誤魔化すように咳払いをしてそう言うと、ジョゼットよりも怪訝な顔つきをした黒白の方へと視線を向け直す。 一方の魔理沙は自分を目にしてあからさまに驚いて見せた彼の様子から、自分の勘がしきりに「怪しい!」と叫んでいる事に気付いていた。 まるで今顔を合わせるのはマズイと思った相手が目の前にいて驚き、一瞬遅れてそれを誤魔化す時の様なワザとらしい咳払い。 あれは…そう。紅魔館の門番をしている美鈴が居眠りしていて、咲夜が様子を見にきていたのに気が付いて慌てて目を開け咳払いした時のような手遅れ感。 湖上空でそれを目撃し、その後の顛末もばっちり見ていた魔理沙には目の前の青年が取った行動にそんな既視感を覚えていた。 問題は、互いに初めて顔を合わせるというのになぜ青年はそんな反応を見せたのか…である。霧雨魔理沙にとって、それは無性に気になる事であった。 (ちょっと挨拶だけして、後はお茶とかお茶請け―――ついで昼飯も頂いて帰る予定だったが…こりゃ思いの外、面白そうな事になってきたぜ) 三度のパン食よりも米食が好きな魔理沙は、遠慮なく自分の好奇心を優先する事にした。 場合によってはジョゼットを怒らせるかもしれないが、今の彼女にとって青年が何で驚いたのかを知りたくてたまらないでいた。 と、なれば即行動…と言わんばかりに魔理沙は今にもため息をつきそうな表情を浮かべると、肩を竦めながらジョゼットに話しかけた。 「おいおい、いきなりどうしたんだコイツ?私を見てびっくりするとは、随分な挨拶じゃないか」 「そうですよね?竜のお兄様、どうしたんですか急に驚いちゃったりして」 挑発とも取れる魔理沙の言葉に気付かず、ジョゼットも若干頬を膨らませて青年に先ほどの驚愕について聞いている。 まぁ見ず知らずの自分を助けてくれて、ホテルまでついてきてくれた恩人に対してあんな様子を見せれば、そりゃだれだって失礼だと感じるだろう。 とはいっても、それ程怒っている様には見えないジョゼットに応えるかのように、青年は再度咳払いをしながら言い訳を述べた。 「コホン、いやーすまないね君。僕はこれまで色んな女の子と知り合ってきたけど…一瞬君が女装をした男の子だと思ってね?」 「んな…ッ!お、おと…女装!?」 これを言い訳と捉える他者がいるのなら、そいつは色んな意味で世の中の中性的な女性の敵になるだろう。 最も言われた魔理沙自身は、自分が中性的だと一度も思ったことが無いし霊夢達幻想郷の知り合いからもそういう風に見られたことは無い。 だがジョゼット以上に見ず知らずの男に何も言ってないのに驚かれ、初っ端からそんな言い訳をされたら怒るよりも先に驚くしかなかった。 そして青年の声はロビーにいた客やフロントの係員たちの耳にも入ったのか、皆一斉に魔理沙達へ視線を向けている。 「お、お兄様…!なんて酷い事言うんですか!どう見てもこの人は女の子でしょう!?」 「そう怒るなよジョゼット、今のはロマリアじゃあちょっとした褒め言葉みたいなもんさ」 流石のジョゼットも周囲から注がれる視線と恩人に対する無礼な発言に対して、顔を真っ赤にして青年に怒鳴っている。 しかし一方の青年は先ほど目を見開いて驚いていた時とは全く違い酷く冷静であり、その整った顔に不敵な微笑みを浮かべて言葉を返す。 次いで、先ほどまでの自分と同じように驚き硬直している魔理沙へ「すまなかったね」と手遅れな謝罪を述べてから話しかけた。 「さっきも言ったよう、僕はこれまで色んな女の子と出会ってきたが…君みたいに男の言葉を使う快活な子と出会ったのは初めてでね。 つい中性的で綺麗だと遠回しに褒めたつもりだったのだが、君の耳にはとんでもない侮辱として届いてしまったようだ。その事については謝るよ」 照れ隠しの様な、それでいて相手を小馬鹿にしているとも取れる笑みを浮かべる青年に魔理沙はどう返せばいいか迷ってしまう。 とりあえず苦虫を噛んだうえで無理やり浮かべた様な笑みを顔に浮かべつつ、いえいえ…とか適当な言葉を口にしようとした所で彼女は気づく。 自分の顔を見つめる青年の両方の瞳…左は鳶色で右は碧色と、それぞれの色が違う事に気が付いたのである。 「ん?その目は…」 「あぁ、これかい?僕と初めて会うの人は真っ先にその事を聞いてくるから、いつ聞いてくるのかと心待ちにしてたんだ」 恐らくこれまで何度も聞かれているのだろうか、若干の皮肉を交えながらも青年はサッと教えてくれた。 自分の両目の色が違うのは生まれつき虹彩の異常があるらしく、そのせいで幼少期は色々と待遇が悪かったのだという。 「ハルケギニアじゃあ僕みたいな『月目』は縁起が悪い人間扱いされるし、おかげでしょっちゅう冷や飯を食わされたもんだよ」 「ふぅーん…冷や飯云々はどうでもいいが、私は綺麗だと思うぜ?なりたいかと言われれば別だけどな」 手振りを交えて軽い軽い説明をしてくれたジュリオに魔理沙もまた毒と本音を混ぜて素直に月目を褒めた。 女である自分をさらりと女装男子扱いしたイヤな奴ではあるが、良く見てみればまるで丁寧に磨かれた宝石の様に綺麗なのである。 青年は魔理沙が褒めてくれたことに対しありがとうと素直に礼を述べ、さっと右手を彼女の前に差し出した。 突然の右手に一瞬何かと思った彼女であったが、すぐに察して自分の右手で彼の差し出す手を握る。 手袋越しの手は少々くすぐったいものの、握力から感じるに自分に対してあまり警戒はしていないようであった。 互いの顔を見つめあい、暫し無言の握手が続いたところで魔理沙は自分の名を名乗る。 「私は魔理沙、霧雨魔理沙だ。街中で迷ってたジョゼットを見つけた普通の魔法使いさ」 「魔法使い?メイジじゃなくて…?」 「ここら辺の人間には名乗る度に似たような疑問を抱かれてるが、誰が言おうともメイジじゃあなくて魔法使いなんだ」 「成程、面白いヤツだよ君は。それに名前も良い」 隠すつもりが全くない魔理沙の自己紹介に青年は笑いながらも頷いて、次に自分の名を名乗った。 「僕の名前はジュリオ、ジュリオ・チェザーレ。ワケあって今はトリステインへ出張している普通じゃないロマリア神官さ」 「おいおい、人の名乗りを模倣するかと思いきや…何て自己主張の激しい奴なんだ」 「いかにもメイジですって格好しておいて、わざわざ魔法使いとか主張する君も相当なもんだぜ?」 互いに笑顔を浮かべつつ、棘のある会話をする二人の間には自然と和やかな雰囲気が漂っている。 それを見守っていたジョゼットは、ジュリオが魔理沙を男子扱いした時の一触即発の空気が変わった事にホッと一息つくことができた。 緊張に包まれていた周囲の空気も元に戻るのを感じつつ、ジュリオは魔理沙からここに来るまでの出来事を聞く事となった。 興味本位でホテルの外に出て、街中を歩いていたら野良犬に追いかけられて道に迷った事。 そして偶然通りがかった魔理沙に助けられて、トコトコ歩きながらようやくここへ辿り着くまでの話を聞いてジュリオはウンウンと頷いた。 「キミには助けられたようなものだね。まさかトリスタニアに、キミみたいに親切な魔法使いさんがいるとは予想もしていなかったよ」 「何といっても私は魔法使いだからな。自分が興味を抱いたモノにとことん付き合うのは職業柄のさだめ…ってヤツさ」 「おや?僕の知らない世界では魔法使い…というのは職業として扱われているらしいねぇ。どこに行ったらなれるんだい?」 「残念だがこの業界はライバルが少ない程に得なんでな、なりたいなら自分で方法を探してみな」 そこまで言った所で、いつのまにか魔法使いに関しての話になってしまったのに気づいた二人はクスクスと笑う。 出会ってまだ十分も経たないというのに、すっかり打ち解けたかのような雰囲気になってしまっているからだろうか。 二人して明確な理由が無いまま暫しの間笑い続け、それから少ししてジュリオが共に落ち着いてきた魔理沙へ話しかけた。 「改めて言うが本当に助かったよ。トリスタニアは以外に複雑な街だし、性質の悪い平民たちもいるしね」 「あぁ確かに…路地裏とか結構入り組んでるし、いかにもチンピラって奴らもあちこち見かけてるな」 念には念を入れるかのようなジュリオの言葉に魔理沙は納得するかのように頷きつつ、ついでジョゼットの方へ目を向ける。 恐らくこの世界の人間でも珍しい銀髪に小さな体躯。もしも自分と出会わずに夜中まで迷い続けていたら大変な事になってたかもしれない。 そう考えると自分はとても良い事をしたぜ!…と誰に自慢するでもなく内心で踏ん反り返っている。 一方のジョゼットは自分を見つめてニヤニヤする魔理沙に首を傾げた思った瞬間、 ハッとした表情をその顔に浮かべると慌てて頭を下げて、ここまでついてきてくれた彼女へお礼を述べた。。 「あ、あの!助けてくれて本当にありがとうございます、キリサメ・マリサ…さん!」 「別にタメ口でもいいぜ?でも゙さん゙付けは別に嫌いじゃあないし、嬉しいけどな」 魔理沙の言葉に頭を上げたジョゼットは暫し考えるかのように体を硬直させた後、再度頭を下げて言い直した。 「じゃ、じゃあ…ここまでついてきてくれて、ありがとう。マリサ、さん」 「ははは、そうそうそんな感じでいいんだよ!…っていうか、別に言い直さなくたっていいんだけどな」 律儀にも言葉を訂正してお礼を述べてくれたジョゼットに魔理沙は苦笑するしかなかった。 彼女としてはほんのアドバイス程度だったのだが、どうやら真面目に受け取ってしまったらしい。 ちょっと言い過ぎたかな?魔理沙がそう思った時、それはジュリオの背後――先程まで彼がいた一階から聞こえてきた。 「ジョゼット、無事だったのですね!」 「え…あっ、せ…―――セレンのお兄さん!」 ジュリオと比べ微かに低く、しかし十分に若いと青年の声に真っ先に振り向いたジョゼットは、真っ先にそう叫んだ。 遅れてジュリオも背後を振り返り、魔理沙は視線を動かして階段を降りてくる青年の姿が目に入る。 「あれは…?」 「彼は…セレン。ここへジョゼットを連れてきた騒ぎの張本人にして、もしかすると…彼女の身を一番案じてた人さ」 「…!成る程、ジョゼットが言ってたもう一人のお兄さんってアイツの事なのか」 思わず近くにいたジュリオに訪ね、返事を聞いた魔理沙はここに来る前にジョゼットが言っていた事を思い出す。 年の程は良く分からないものの、階段の上からでも分かる程にその背丈は大きかった。 恐らくジュリオと比べて一回り大きいがそれでいて痩せているためか、一見するとモデルか何かだと見間違えてしまう。 ジュリオのそれと比べてやや濃い色の金髪をショートヘアーで纏めており、窓から漏れる陽の光で反射している。 そして何よりも一番目についたのは、ジョゼットがセレンと呼んだ青年の表情から『優しさ』のようなものが溢れ出ていた事だ。 『優しさ』――或いは『慈悲』とも言うべきか、とにかく彼の顔には『怒り』や『悲しみ』といった負の感情…というモノが一切見えないのだ。 普通なら勝手にホテルから出て、街で迷ってしまったジョゼットを怒るべきなのだろうが、その予想は惜しくも外れてしまう。 優しい笑みを浮かべる金髪の青年セレンが階段を降り切ると同時に、ジョゼットが彼の下へ走り出す。 セレンは駆け寄ってくる少女を自らの両腕と体で優しく抱きとめると、繊細に見える銀髪を優しく撫でてみせたのである。 「あぁジョゼット、まさか探しに行く前に帰ってきてくれるとは…始祖に感謝しなければなりませんね」 「はい、仰る通りです!…けれど、始祖のご加護だけではなく、それにマリサさんにも!」 「?…マリ、サ…?もしかすると、そこにいる黒白のトンガリ帽子の少女ですか?」 ジョゼットの口から出た聞き慣れぬ名前にセレンは顔を上げ、ジュリオの後ろにいる魔理沙へと視線を向ける。 それを待っていたと言わんばかりに魔理沙は左手の親指でもって、自分の顔を指さしてみせた。 「そ!ジョゼットの言うマリサさん…ってのはこの私、普通の魔法使いこと霧雨魔理沙さ!」 「普通の、魔法…使い?メイジではなく?」 魔理沙の自己紹介で出た゛魔法使い゙という言葉に彼もまた首を傾げ、それを見たジュリオがクスクスと笑う。 「セレン、そこは疑問に感じるでしょうが彼女にとってはそれが至極普通なんだそうですよ」 「…ほぉ、成程!つまり変わっているという事ですね?…嫌いじゃあありませんよ、そういうのは」 笑うジュリオの言葉にセレンもまた微笑みながら返すと抱きとめていたジョゼットを少しだけ離して魔理沙と向き合う。 一方の魔理沙も自分の顔を指していた親指を下ろすと、今度は彼女の方からセレンへ向けて右手を差し出す。 それを見てセレンも気持ちの良い笑顔を浮かべながら、自分の両手でもって彼女の手を優しく包み込むように握手する。 「ジョゼットの知り合いになったばかりの私だが、以後お見知りおきを…ってヤツで頼むぜ」 「えぇ勿論。…私の名はセレン、セレン・ヴァレンです。今日、貴女という素晴らしい人、貴女を出会わせたくれた始祖の御導きに感謝を」 互いに気持ちの良い握手をする最中、ふと魔理沙はセレンの首からぶら下がる銀色のアクセサリーに気付く。 それは彼女のいる世界では良く見るであろう十字架とよく似た、敬虔なブリミル教徒が身に着ける聖具であった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 「全く、昨夜は随分と騒いでくれたじゃないか?」 『魅惑の妖精亭』二階にある客室の一つ、八雲藍は部屋の中にいる三人を睨みつけながら言った。 服装は霊夢と魔理沙が良く知る道士服姿ではないが、頭から生える狐の耳で彼女が紫の式なのだと一目でわかる。 そして彼女は怒っていた。本気…と呼べるほどではないが、少なくとも鋭い眼光をルイズ達に見せるくらいには怒っていた。 先ほどこの店の一階で思わぬ再開を果たした後、出された食事を手早く食べさせられた後にこの部屋へと連れ込まれてしまったのである。 助けてくれそうなジェシカとスカロンは彼女を信頼しているのか、それとも何かしらの゙危機゙を本能的に察したのだろう。 今夜の仕込みと片づけが終わるとさっさと寝てしまい、シエスタも店の手伝いがあるので今はベッドでぐっすりと寝息を立ててる。 つまり、逃げる場所は無いという事だ。 霊夢は部屋に一つしかないシングルベッドに腰掛けて、右手に持った御幣の先を地面に向けて何となく振っており、 魔理沙とルイズはそれぞれ椅子に腰かけ、テーブルに肘をついてドアの前で仁王立ちする藍を見つめている。 博麗の巫女であり、彼女ともそれなりに知り合いである霊夢はスーッと視線を逸らして話を聞いている。 あの紫の式だというのに主と違って融通が利かず、人間には上から目線な彼女の説教をまともに聞く気はないのだろう。 一方で魔理沙は気まずそうな表情を浮かべてじっと視線を手元に向けつつ、軽く口笛を吹いて誤魔化そうとしていた。 霊夢以上に目の前の式が好きになれない彼女にとって、これから始まる説教は単なる苦行でしかない。 そしてルイズはというと、唯一三人の中でキッと睨み付けてくる藍と睨み合っていた。 とはいっても、実際には緊張のあまり身動きできない為に目と目が合ってしまっているだけであったが。 お喋りなインテリジェンスソードのデルフも今は黙り込み、微動だにすらしないまま大人しく鞘に収まって壁に立てかけられたている。 三人と一本。昨夜この近辺で子供のスリ相手に大騒ぎした三人は一体の式を前に大人しくなってしまっていた。 両腕を胸の前で組む藍はこちらをじっと見つめるルイズと視線を合わせたまま、こんな質問をしてきた。 「お前たちに一つ聞く、…一度幻想郷へと帰り、この世界へ戻ってくる前に紫様に何か言われなかったか?」 そう言って霊夢と魔理沙を睨み付けると、視線を逸らしたままの霊夢がボソッと呟いた。 「言われたわよ?今回の異変を解決するにはルイズの協力が必要不可欠だって…」 「そういやーそんな事言われてたな。…後、私にはしばらく白米は口にできないって言ってたっけな?あの時は―――」 「霊夢はともかく魔理沙、お前に関しての事はどうでも良い。私が聞きたいのは、お前たち三人に向けて紫様が言った事だ」 無意識に空気を和まそうとした二人の会話をもう一段階怒りそうな藍が遮ると、今度はルイズの方へと話を振る。 「…というわけだ。あの二人はマジメに答える気はないようだが、お前はちゃんと覚えているだろう」 自分を睨み付けるヒトの形をした狐に睨まれたルイズは、ハッとした表情を浮かべて自分の記憶を掘り返す。 それは今からほんの少し、アルビオンから帰ってきた後に幻想郷へと連れていかれ紫と散々話をしたこと、 翌日に霊夢の神社とやらで゙これから゙の事を話し合い、念のためには魔理沙を押し付けられてハルケギニアへ戻る事となった事。 そしてルイズは思い出す。魔理沙が来た後、紫が学院の自室へと続くスキマを開ける前に言っていた事を。 彼女が自分たちを見下ろし、心配そうに言っていたのが印象的だったあの説明。 それを頭の中で思い出し、忘れてしまった部分は省略と補正でどうにかして、一つの説明へと作り直していく。 藍がルイズに話を振ってから数秒ほどだろうか…少し返事が遅れたものの、ルイズは口を開いてあの時聞かされた事を喋り出す。 「た、確か…能力を使って戦うのは良いけど、あまり人目に触れると大変な事になる…って言ってたような…」 「……少し違うが、まぁ大体合っているな」 少々しどろもどろだったルイズの回答に藍は自分なりに褒めてあげると、今度は霊夢と魔理沙を睨みつけながら話を続けていく。 「彼女の言った通り、紫様はこの世界ではいつもの異変解決と同じ感じで暴れ回るなと言った筈だ 特にこの世界の人間…彼女を除いた貴族、平民含むすべての人間にはなるべく自分たちの力を見せるな。…と」 それがどうだ?最後にそう付け加えると、二人はバツの悪そうな表情を浮かべて思わずそっぽを向いてしまう。 確かに、昨日は魔法学院とは比べ物にならない大勢の前で箒で飛んだりしていたし空も自由に飛び回っていた。 幸いあの時はスペルカードもお札も使わなかったので良かったが、そうでなければ彼女の怒りはこれだけでは済まなかっただろう。 九尾狐からの大目玉をくらわずに済んだ二人は、しかし今は素直に胸をなで下ろす事はせずにじっと藍の睨みを我慢していた。 紫ならともかく、彼女の場合融通が利かなすぎて安易に冗談を言おうものなら普通に怒ってくるのである。 主が傍にいるのなら彼女が上手い事間に入ってくれるのだが、当然今は幻想郷でグータラしていることだろう。 よって霊夢と魔理沙の二人が取れる行動は、何となく彼女の話を聞きながら視線を逸らし続ける事であった。 二人がそっぽを向き続け、流石にこれは不味くないかと感じたルイズが少しだけ慌て始めた時、 キッと目を鋭くして睨み続けていた藍は一転して諦めたような表情を浮かべて、大きなため息をついた。 「まぁ…した事と言えば空を飛んだだけで、この世界では別に珍しい事では無い。大衆の前でスペルカードを使うよりかはマシだな」 そう言ってから肩を竦めてみせると、それを待っていたと言わんばかりに霊夢達は藍の方へと視線を向ける。 「何だ何だ、お前さんにしてはやけに諦めが早いじゃないか?悪いモンでも喰ったのか?」 「そうね。……っていうかそれくらいしか目立ったもの見せてないし、怒られる方が理不尽極まりないわ」 「………お前らなぁ」 まだ許すのゆの字すら口に出していないというのに、ここぞばかりに二人は口達者になる。 単にあっさり許した藍に驚く魔理沙はともかく、霊夢の反省する気ゼロな言葉に流石の式も顔を顰めてしまう。 そして相変わらず変わり身の早い二人を見て額に青筋を浮かべつつ、藍は怒る気力すら失せてしまう。 下手に怒鳴っても彼女たちに効かないのは明白であるし、霊夢の場合だと逆恨みまでしてくるのだから。 そんな式の姿にルイズは軽い同情と憐れみの気持ちを覚えつつも、ふと気になる疑問が一つ脳裏に浮かぶ。 それを口に出そうか出さないかと悩んだところで、その疑問を質問に変えて藍聞いてみた。 「えーと、ラン…だったけ?ちょっと質問良いかしら?」 「ん?いいぞ、言ってみろ」 丁寧に右手を顔の横にまで上げたルイズの方へと顔を向けた藍は、コクリと頷いて見せる。 急な質問をしてきたルイズに何かと思ったのか、霊夢達も口を閉じて彼女の方へ視線を向けた。 「単純な質問だけど、どうしてここのお店で人間のフリして働いてるのよ?」 「……ふふふ、ルイズ~。それはコイツにとっちゃあ凄くカンタンな質問だぜ?」 しかし藍が口を開く前に、口から「チッチッ…」という音を鳴らしながら人差し指を振る魔理沙に先を越されてしまう。 ルイズと霊夢は突然意味不明なことをし出す魔理沙に奇異な目を向けつつ、彼女は藍に代わって質問に答えようとした。 「答えは一つ、それはコイツが人間のフリしてこの店の人間を頂こ…うって!イテテ!冗談だって……!?」 「冗談でも言って良い事と悪い事ぐらい、言う前に吟味しろ」 最も、得意気に言おうとした所で右の頬を強く引っ張ってきた藍に無理矢理止められてしまったのだが。 一目で怒ってると分かる表情で魔法使いの頬を抓る式の姿を見て、幻想郷の連中に慣れてきたルイズは思わず身震いしてしまう。 そしてあの魔理沙が有無を言わさず暴力に晒される光景に、目の前にいる狐の亜人がタダものでないという事を再認識した。 「じゃあ真剣に聞くけど、何でアンタみたいなのがわざわざ人間の中に紛れて…しかもこの店で働いてるのよ?」 藍の暴力という矛先が魔理沙へ向いている間に、すかさず霊夢もルイズと同じような質問をする。 ただし先の質問をしたルイズとは違い、彼女の体からあまり穏やかとは言えない気配が滲み出ている。 霊夢からしてみれば、式といえども妖怪の中では群を抜く存在である九尾狐が人間との共存などおかしい話なのだ。 古来から大陸を中心に数多の国を滅ぼし、外の世界においても最も名が知られているであろう九尾狐。 人間なんて餌か玩具程度としか見なさないようなヤツが、どうしてこんな場所で人間と暮らしているのか? 妖怪を退治する側である霊夢としては、彼女がここにいる真意…というか目的を知りたいのであった。 そんな霊夢の考えを察したのか、彼女の方へと顔を向けた藍は魔理沙の頬を抓るのをやめた。 彼女の攻撃か解放された魔理沙が頬を摩りながらぶつくさ文句を言うのを余所に、霊夢と向き合ってみせる。 ベッドに腰掛けたままの霊夢と、この部屋にいる四人の中で唯一立っている藍。両者ともに鋭い目つきで睨み合う。 人間と妖怪、食われる側と食う側、そして退治する側とされる側。共に被食者であり捕食者である者たちの間から漂う殺気。 その殺気を感じたのかルイズと魔理沙の二人が緊張感を露わにするのを余所に、まず最初に藍が口を開いた。 「…まぁそうだな、お前からしてみれば私が何か企んでいると思っているんに違いない。…そう思ってるんだろう?」 「まだ手ェ出してない内にゲロっといた方が良いわよ?今なら半殺しよりちょっと易しい程度で済ましてあげるから」 「落着けよ。紫様の式である私がこの世界で人を喰いたいが為にいないなんて事はお前でも理解できるだろ」 「そこよ、紫のヤツが何を考えてアンタを人の中に放り込んだのか…その意図を知りたいの」 人差し指を突き付けてそう言う霊夢に、藍は「初めからそう言え」と言ってからそれを皮切りにして説明し始める。 それは八雲紫が、式である彼女に任命しだ任務゙の事と、ここで働く事となった経緯についてであった。 八雲藍の分かりやすく、そして的確な事情説明は時間にすれば三十分程度であったか。 途中話を聞くだけの側である霊夢達が、ここが藍が寝泊まりしてる寝室だと知ってから勝手に物色し始めたり、 そして見つけたお茶と茶請けを勝手に頂いたり…というハプニングはあったものの、何とか無事に聞き終える事ができた。 「なるほどね~、紫のヤツもまぁ…アンタ相手に無茶な命令してくるわねぇ」 「紫様の考えている事もまぁ納得はできるが、…それよりも人の菓子を平気で食うお前の神経が理解できん」 「概ね同意するわね。私も自室にこっそり隠しておいた大切なお菓子を食べられたから」 最初は疑っていた霊夢も、これまでのいきさつと藍が街のお菓子屋から買ってきたであろうクッキーとお茶のお蔭ですっかり丸くなっている。 藍も藍で一応は止めようとしたものの、下手に騒いでも得にはならない為止むを得ず見逃すしかなかった。 そんな彼女と相変わらず暴虐無人な霊夢を見比べて、ルイズは人の姿をした狐の化け物についつい同情してしまう。 「それにしてもさぁ、紫も考えたもんだよな。この異変を利用して、魔法技術を幻想郷に広めようだなんて」 『実力のある者ほど危機を好機と解釈して動く。お前さんの主は相当賢いねぇ』 王都で購入したであろうお茶を啜っていた魔理沙が口を開くと、今まで黙っていたデルフもそれに続く。 どうやら藍の話を聞くうちに危険ではあるものの話が通じる者と判断したのか、いつもの饒舌さを取り戻していた。 藍も幻想郷では目にした事の無い喋る剣に興味を示しているのか、デルフの喧しい濁声には何も言わない。 まぁ嫌悪な関係になっては困るので、ルイズ達としてはそちらの方が有難かった。 八雲藍が主である紫に命令されてこのハルケギニアへと来た目的は大まかに分けて二つ。 一つはこの世界と幻想郷を複雑な魔法で繋げ、゙何がを企てようとしている異変の黒幕の情報を探る事。 いくら霊夢が異変解決の専門家であったとしても、流石に幻想郷よりも広大な大陸から黒幕を探し当てるのを難しいと判断したのか、 自分の式をこの世界へと送りつけて、今はハルケギニア各国で何かしら不穏な動きが無いか探らせているらしい。 ただ、本人曰く「この世界は業火に変わりそうな煙が幾つも立ち上っている」とのことらしい。 そして二つ目は、魔理沙が言ったようにこの世界の発達した魔法技術が幻想郷でも使えるか調査しているのだという。 各国によりバラつきはあるらしいが、今の段階でも外の世界の魔法より遥かに洗練された技術と彼女は褒めていた。 「そーいえばそうよね。…あの涼しい風を発生させてた水晶玉もマジック・アイテムだったし」 「だな。この世界の魔法は私達ほど独創性は無いが、呪文自体は固定化されてるし便利と言えば便利だぜ?」 以前、その魔法技術がもたらした涼風の恩恵を受けた事のある霊夢と魔理沙も彼女の言葉に納得している。 「幻想郷にそのまま持ち込んでも十分使えるが、こちらなりに改良すれば格段に便利になるかもしれないぞ」 「そーいえば紫も似たような事言ってたわね。ヨウカイ達の生活向上だとか何とかで…」 説明を終えて一息ついていた藍に続くようにして、少し嬉しそうなルイズが紫との会話を思い出す。 別に彼女がこの世界の魔法を作ったわけではないが、それでも敬愛する始祖ブリミルから賜わった魔法が異世界の者に認められたのだ。 貴族、ひいてはメイジにとってこれ程…というモノではないが嬉しくないワケがなく、その顔には笑顔が浮かんでいる。 嬉しそうに微笑んでいるルイズを一瞥しつつも、その時紫か言っていた事を思い出した霊夢はふと藍に質問してみた。 「でも、妖怪たちの為に研究するなら私や人里で住んでる人たちにはその恩恵を分けてやらないつもりなの?」 「まずは身内から…という事だ。里の人間に不用意に技術を渡せばどういう風に利用されるか分かったものじゃない」 「魔法使いの私としても、人里中に似非魔法使いが溢れるっていうのは感心しないなぁ」 「っていうか、さりげなく自分も恩恵にありつこうとしてるのがレイムらしいわね…」 藍の口から出た厳しい回答に魔理沙とルイズがそれぞれ反応を示した後、暫し部屋に静寂が流れる。 開け放たれた窓の外から見える王都は既に賑わっており、静かな部屋の中に喧騒が入り込む。 暫しの沈黙の後、口を開いたのは壁に立てかけられていたデルフであった。 『…で、お前さんはこの王都に来たのはいいものの寝泊まりする場所が確保できず、やむを得ず住み込みで働くことにしたと…』 「うむ。時期が悪かったのもあるが…ここまで活気のある都市へ来るのも久々だったからな」 先程の説明の最後で教えた事を反芻するデルフの言葉に頷いて、はぁ…と切なげなため息を口から洩らす。 そのため息の理由を何となく察することのできたルイズたちの脳裏に「トレビアン」と呟いて体をくねらす大男の姿が過る。 「…大分お疲れの様ね。まぁ無理もないと思うけど」 「性格に関して言えばこの界隈では一番真っ当な人間だと思うんだが、如何せん性格がアレでは…」 「トレビアン、だろ?そりゃーあんなのと四六時中いたら気も滅入ると思うぜ」 幻想郷では絶対にお目にかかれないであろうスカロンの存在に、霊夢と魔理沙も疲れた様子の藍に同情してしまう。 何せどんなに性格が良くてもあの見た目なのである、あれでは初対面の人間はまず警戒するだろう。 (酷い言われようだけど、でもあんな容姿だと確かに仕方ないわよねぇ) ルイズは口にこそ出さなかったものの、大体霊夢達と似たような考えを心中で呟いた時である。 突然ドアをノックする音が聞こえ、思わず部屋にいた者たちがそちらの方へ顔を向けた直後、小さな少女がドアを開けて入ってきたのは。 やや暗い茶髪の頭をすっぽり包むほどの大きな帽子を被り、少し高めと思われるシンプルな洋服に身を包んだ十代くらいの女の子。 あの廊下で足音一つ立てず、ドアの前にいきなり現れたと思ってしまうような少女の闖入にルイズは思わず「女の子…?」と口走ってしまう。 そして驚く彼女に対して、霊夢は少女の体から漂ってくる気配ど獣の臭い゙から少女の正体をいち早く察する事ができた。 「ふ~んふふ~んふ…――――えっ!?な、何でここに巫女がいるの?それに、黒白も!?」 「巫女?黒白?何、貴女もコイツラの親戚なの?」 八重歯を覗かせる口から鼻歌を漏らしながら入ってきた少女は部屋に入るなり、霊夢達の姿を見て酷く驚いてしまう。 ルイズはその驚きようと、少女の口から出た単語で霊夢達と関係のある人物だと疑い、奇しくもそれは的中していた。 霊夢と魔理沙の姿を目にして先程の嬉しげな様子から一変、冷や汗を流しながら狼狽える彼女にベッドから腰を上げた霊夢が傍へと歩み寄る。 「まぁアンタとは藍と顔を合わせるよりも前に出会ってたから、どこかにいるだろうとは思ってたけど…っと!」 怯えた様子を見せる少女のすぐ傍で足を止めた霊夢はそんな事を言いつつ、そのままヒョイッと少女が着ている服の後ろ襟を掴み上げた。 身長は一回り小さいものの、少なくとも軽々と持ち上げられる程軽くは無いはずなのに…霊夢は少女を片手で掴み上げている。 何処か現実味の薄いその光景にルイズが軽く驚く中、持ち上げられた少女は両手足を振り回して抵抗し始めている。 「わ、わわわわぁ…!ちょッ放してよ!」 「…あ、ちょっとレイム!そんな見ず知らずの女の子に何てことするのよ!」 ルイズの最な注意にしかし、霊夢は反省するどころかルイズに向けて「何を言ってるのか?」と言いたげな表情を浮かべていた。 「見ず知らずですって?アンタ忘れたの?コイツがアンタの部屋に来た時の事を」 「………?私の、部屋…。それって、もしかして魔法学院の女子寮塔にある私の自室の事?」 『レイム。今のその嬢ちゃんの姿じゃあ娘っ子には分からないと思うぜ?』 霊夢の意味深な言葉にルイズが首を傾げるのを見てか、デルフがすかさず彼女へ向けて言った。 彼もまた気配から少女の正体を察して思い出していた。かつて自分を異世界へと運んでくれるキッカケとなった、小さくて黒い使者の姿を。 「はぁ…全く。変装するくらいならもう少し技術を磨いてからにしなさいよね?」 デルフの忠告に霊夢はため息をつきながら少女へ向かってそんな事を言うと、彼女が頭に被っている帽子に手を伸ばす。 恐らくこの世界で藍が買い与えたであろう帽子は妙にふわふわとした触り心地で、決して安くはない代物だと分かる。 その帽子を掴み、さぁそれをはぎ取ってやろう…というところで霊夢は未だ一言も発していない藍へと視線を向ける。 自分を見つめる彼女の目が鋭い眼光を発しているが、何も言わない所を見るにこのままこの少女の゙正体゙をルイズの前で明かしても良いという合図なのか? そんな事を思った霊夢は、一応確認の為にと腕を組んで沈黙している藍へ確認してみることにした。 「……で、ご主人様のアンタが何も言わないのならコイツの正体を念のためルイズに教えてあげるけど…良いわよね?」 「まぁお前のやり方は問題があると思うが、これも良い経験になるだろう。その子の為にも手厳しくしてやってくれ」 「そ、そんなぁ!酷いですよ藍様ー!」 霊夢を睨み続ける藍からのゴーサインに少女が思わずそう叫んだ瞬間、 彼女が頭に被っていた帽子を、霊夢は勢いよく引っぺがしてやった。 文字通り帽子がはぎ取られ、小さな頭がルイズたちの目の前で露わになる。 その直後、その頭から髪をかき分けるようにしてピョコリ!と勢いよく一対の黒い耳が出てきたのである。 頭髪よりもずっと黒い毛色の耳は、まるで…というよりも猫の耳そのものであった。 「え?み、耳…ネコ耳!?」 少女の頭から生えてきた猫耳に目を丸くしてが思わず声を上げてしまった直後、 間髪入れずに今度は少女が穿いているスカートの下から、二本の長く黒い尻尾がだらりと垂れさがった。 頭から生えてきた耳と同じく猫の尻尾と一目でわかるその二尾に、流石のルイズも口を開けて驚くほかない。 「こ、今度は尻尾…!二本の…って、あれ?二尾…猫耳…黒色…?」 しかし同時に思い出す、霊夢が言っていた言葉の意味を。 二本の尻尾に黒い猫耳。形こそ違うが、似たような特徴を持っていた猫と彼女は過去に会っていた。 アルビオンから帰還した後、霊夢とデルフからガンダールヴのルーンについて話し合ったていた最中の事。 あの猫は唐突にやってきたのである、まるで手紙や荷物の配達しにきたかのように。 そして自分とデルフは誘われ、彼女は帰還する事となったのだ。自分にとっての異世界、幻想郷へと。 あの後の色んな意味で刺激的すぎる出来事と体験を思い出した後、ルイズはようやく気づく。 目の前にいる猫耳と二尾を持つ少女と、かつて出会っていた事に。 「え?ちょっと待って、じゃあもしかして…あの時の猫ってもしかして」 「もしかしなくても、あの時の猫又こそコイツ――式の式こと橙のもう一つの…っていうか正体ね」 ルイズか言い切る前に霊夢が答えを言って、猫耳の少女――橙をパッと手放した。 ようやく怖ろしい巫女の魔の手から解放された橙は目の端に涙を浮かべながら藍の元へ一目散に駆け寄る。 「わあぁん!酷いよ藍さま~、帰って来るなりこんな目に遭っ……うわ!」 てっきり諌めてくれるかと思って近づいた橙はしかし、今度は主の藍に首根っこを掴まれて驚いてしまう。 正に仔猫の様に扱われる橙であったが、元が猫であるので驚きはするが別に痛みは感じいない様だ。 一方、近寄ってきた橙を掴んだ藍は自分の目線の高さまで彼女を持ち上げると目を細めて話しかけた。 「橙、私がこうして怒っている理由はわかるよな?」 「は、はい…」 藍の静かな、しかしやや怒っているかのような言い方に橙は借りてきた猫の様に委縮しながら頷く。 「前にも言ったが、この店での仕事がある日は私の言いつけ通り外出は一時間までと決めた筈だな」 「仰る、通りです…」 「うん。……じゃあ、今は外へ出てどれくらい経ってる?」 「一時間、三十分です」 「正確には一時間三十五分五十秒だ」 そんなやり取りをした後、冷や汗を流す橙へ藍の軽いお説教が始まった。 「…やれやれ、誰かと思えば式の式とはね。…まぁ藍のヤツがいるならコイツもいるよな」 静かだが緊張感漂う藍のお説教をBGMにして、魔理沙が一人納得するかのように呟く。 最初のノックの時こそ誰かと思ったものの、ドアを開けて自分たちに驚いた所で彼女も正体には気が付いていた。 デルフや霊夢と比べてやや遅かったが、この世界で何の迷いもなく自分の事を黒白を呼ぶ少女なんて滅多にいない。 それに実力不足から来る抑えきれない獣の臭いもだ、あれでは正体を見破れなくとも怪しまれる事間違いなしだろう。 そんな事を思いながら、しょんぼりと落ち込む橙を見つめてお茶を飲む魔理沙にふとルイズが話しかけてくる。 「それにしても意外ねぇ。あの女の子の正体が、あの黒猫だったなんて」 「まぁあの二匹に限っては獣の姿の方が正体みたいなもんだしな、そっちの方が学院にも潜り込めると思うしな」 驚きを隠せぬルイズにそう言った所で説教は済んだのか、藍に首根っこを掴まれていた橙が地面へと下ろされた。 少し流す程度に訊いていた分では、どうやらあらかじめ決めていた外出時間を大幅に過ぎていた事に怒っているのだろう。 腰に手を当てて自分の式を見下ろす藍は、最後におさらいするつもりなのか「いいか、橙」と彼女へ語りかける。 「私か紫様にお使いを頼まれた時でも外出時間はきっかり一時間までだ。いいな?」 「はい、御免なさい…」 橙も橙で反省したのか、こくり頷いて謝るのを確認してから藍が「…さぁ、彼女の方へ」とルイズの方へ顔を向けさせた。 魔理沙と話していたルイズは、突然自分と橙を向き合わせてきた藍に怪訝な表情を見せてみる。 一体どういう事かと問いかけてくるようなルイズの表情を見て、藍は橙の肩に手を置きつつ彼女へ自己紹介を始めた。 「まぁ名前は言ったと思うが、この子は橙。私の式で…まぁ霊夢達からは式の式とか呼ばれているがな」 「ど、どうも…」 先ほどの怒っていた様子から一変して笑顔を浮かべる藍の紹介に合わせて、橙もルイズに向かって頭を下げる。 スカートの下で黒い二尾を大人しげに揺らしてお辞儀をする彼女の姿に、ルイズもついつい「こ、こちらこそ」と返してしまう。 別に返す必要は無かったのだが、霊夢や魔理沙、そして藍と比べて随分かわいい橙の雰囲気で和んだとでも言うべきか… 元々猫が好きという事もあったルイズにとって、橙の存在そのものは正に「愛らしい」という一言に尽きた。 橙も橙でルイズが自分に好意を向けてくれている事に気づいてか、頭を上げると申し訳程度の微笑みをその顔に浮かべる。 「やれやれ、化け猫相手に笑顔なんか向けちゃって」 そんな一人と一匹の間にできた和やかな雰囲気をジト目で見つめながら、霊夢は一言呟く。 霊夢にとって猫というのは化けてようがなかろうが、時に愛でて時に首根っこを掴んで放り投げる動物である。 神社の境内や縁側で丸くなってる程度なら頭や喉を撫でて愛でてやるのだが、それも猫の行動次第だ。 それで調子に乗って柱や畳に粗相しようものなら、箒を振り回してでも追い払いたい害獣として扱わざるを得ない。 更に化け猫何てもってほかで、長生きして妖獣化した猫なんて下手な事をされる前に退治してしまった方が良い。 とはいえ、相手が藍の式である橙ならば何も知らないルイズ相手に早々酷いことはしないだろう。 そんな時であった。自分の方へと視線を向けてニヤついている魔理沙に気が付いたのは。 面白そうな事を見つけた時の様なニヤつきに何かを感じた霊夢は、キッと睨み付けながら彼女へ話しかける。 「何よ、そんなにジロジロニヤニヤして」 「いやー何?基本他人の事にはそれ程気を使わないお前さんでも、人並みに嫉妬はするんだな~って思ってさ」 「はぁ?私が嫉妬ですって?」 テーブルに肘をつきながら何やら勘違いしている黒白に、霊夢は何を言っているのかと正直に思った。 大方橙のお愛想に気をよくしたルイズをジト目で見つめていたから、そう思い込んでしまったのだろう。 無視してもいいのだが、ルイズたちにも当然聞こえているので後々変な勘違いをされても困る。 多少面倒くさいと思いつつも、魔理沙に自分の考えが間違っている事を丁寧に指摘してあげることにした。 「別に嫉妬なんかしてないわよ。ただの化け猫相手に愛想よくしても何も出やしないのに…って呆れてるだけよ」 「…!むぅ~、私を藍様の式だと知っててそんな事言うのか、この巫女が~」 「ちょっとレイム、いくらなんでもそれを本人の目の前で言うとか失礼じゃないの!」 霊夢の辛辣な言葉に真っ先に反応した橙は反論と共に頬を膨らませ、ルイズもそれに続いて戒めてくる。 彼女の勢いのある暴言に、ショーを見ている観客気分の魔理沙はカラカラと笑う。 「いやぁ~ボロクソに言われたなー橙、まぁ今みたいにルイズに色目使うと霊夢に噛みつかれるから次は気を付けろよ」 『お前さんがレイムのヤツをからかわなきゃ、こんな展開にはならなかったと思うがな』 「全くその通りだな。何処に行っても変わりないというか、相変わらず過ぎるというか…やれやれ」 魔理沙の言葉にすかさずデルフが突っ込み、藍は霊夢に跳びかかろうとする橙を押さえながら呆れていた。 「―――良い?言うだけ無駄かもしれないけど、これからは自分の言葉に気を付けなさいよね!」 「はいはいわかったわよ、…全く。―――あっそうだ」 その後、襲い掛かろうとした橙に変わってルイズに軽く注意された霊夢はふと藍にこんな事を聞いてみた。 「そういえば…アンタの式はどこほっつき歩いてきたのよ?アンタと再会したばかりの時には見なかったけど…」 「ん?そうか、まだお前たちには話してなかったな。……橙、ちゃんど調べ物゙はしてきたな?」 霊夢からの質問に忘れかけていた事を思い出したかのように、藍は背後に控えていた橙へと呼びかける。 尻尾を若干空高く立てて、警戒している橙はハッとした表情を浮かべると自分の懐へと手を伸ばす。 『お?……何か取り出すみたいだな』 その様子から何をしようとしているのか察したデルフが言った直後、橙は懐から一冊のメモ帳を取り出して見せた。 彼女の手よりほんの少し大きいソレは、まだ使い始めて間もないのか新品のようにも見える。 ルイズたちの前で自慢げに取り出したソレを、橙はこちらへと顔を向けている自分の主人の前へ差し出す。 「藍様、これを…」 「うん、確かに受け取ったぞ」 橙からメモ帳を受け取った藍は真ん中くらいからページ開き、ペラペラと何度か捲っている。 そして、とあるページで捲っていた指を止めると今度は目を右から左に動かしてそこに書かれているであろう内容を読み始めた。 「……?何よ、何が書かれてるのよそんな真剣に読んじゃって」 無性に気になった霊夢が藍にメモ帳を読んでいる藍に聞いてみると、彼女は顔を上げてメモ帳を霊夢の前を突き出す。 読んでみろ、という事なのだろうか?怪訝な表情を浮かべつつも霊夢はそれを受け取ると、最初から開いていたページの内容に目を通した。 ルイズと魔理沙も霊夢の傍へと寄って何だ何だと目を通したが、ルイズの目に映ったのは見慣れぬ文字ばかりである。 「何よこれ?…あぁ、これってアンタ達の世界の文字ね。で、何て書かれてるのよ?」 魔理沙には難なく読めている事からそう察したルイズは、霊夢に質問してみる。 「ちょい待ちなさい―――ってコレ、もしかして…」 「あぁ、間違いないぜ」 逸るルイズを抑えつつメモ帳に書かれていた内容を理解した霊夢に、魔理沙も頷く。 一体何がどうなのか分からないままのルイズは首を傾げてから、後ろで見守っている藍へと話を振る。 「ねぇラン、このメモ帳には何が書かれてるのよ?私には全然分からないんだけど」 「昨日お前たちから金を盗んだという子供とやらに関する情報だ。…まぁ大したモノは無かったがな」 「へぇ、そうなんだ…って、え!そうなの?」 自分の質問に藍が特に溜めもせずにあっけらかんに言うと、ルイズは一瞬遅れて驚いて見せた。 昨日彼女と一緒に霊夢を運んだ際に、何があったのかと聞かれてついつい口に出してしまっていたのである。 その時はまだ霊夢の取り合いだと知らなかったので、自分たちの素性はある程度隠してはいたのだが、 きっと自分達の事など、最初に見つけた時点で誰なのか知っていたに違いない。 「酷いですよ藍様ー!せっかく身を粉にして情報を集めたっていうのに」 「そう思うのならもう少し良い情報を集めてきなさい。そこら辺の野良猫に聞いても信憑性は低いんだから」 自分が持ってきたモノを「大したことない」と評されて怒る橙と、諌める藍を見てルイズはそんな事を思っていた。 しかし、どうして自分たちの金を盗んだ子供とは無関係の彼女達がここまで調べてくれるのだろうか? それを口にする前に、彼女と同じ疑問を抱いたであろうデルフがメモの内容へ必死に目を通す霊夢達を余所に質問した。 『しっかし気になるねぇ~、昨日の件とは実質的に無関係なアンタらがどうしてここまで首を突っ込むのかねぇ?』 「…あっ、それは私も思ったぜ?人間同士の争いには無頓着なお前さんにしてはらしくない事をする」 「まぁ書かれてる内容自体は、大したことない情報ばっかりだけどね」 「うわぁ~ん!巫女にまで大したことないって言われた!」 霊夢にまでそう評されて怒る橙を余所に、藍は「そりゃあ気になるさ」と彼女らしくない言葉を返した。 「何せ盗られた金額が金額だからな。…確か、三千二百七十エキューか?お前たちにしては持ち過ぎと思うくらいの大金だな」 一回も噛むことなく満額言い当てた藍の言葉を聞いて、霊夢と魔理沙は一瞬遅れたルイズの顔を見遣ってしまう。 金を盗られた事は話していても、流石に金額まで言わなかったルイズは首を横に振って「言ってないわよ?」と答える。 藍は三人のやり取りを見た後、どうして知っているのかと訝しむ彼女たちに答えを明かしてやる事にした。 「何も聞き耳を立てているのは人間だけじゃない、街の陰でひっそりと暮らすモノ達はしっかりとお前たちの会話を聞いてたんだ」 「…成程ねぇ、だから橙を外に出歩かせてたワケね」 藍の明かしてくれた答えでようやく理由を知った霊夢が、彼女の隣で頬を膨らます化け猫を一瞥する。 化け猫であり妖獣である橙ならば猫の言葉が分かるし、それならメモ帳に書かれていた内容も理解できる。 とはいっても、その大部分が書く必要もない情報――どこそこのヤツと喧嘩したとか、向かいの窓の娘に一目惚れしてる―――ばかりであったが。 「大部分の情報がどうでもいいうえに、有用なのも、私でもすぐに調べられそうな情報ばかりなのが欠点だけどね」 「それ殆ど褒めてないでしょ?ちょっとは褒めてあげなさいよ、可哀想に」 「まぁ所詮は式の式で化け猫だしな、むしろ気まぐれな猫としてこれで精一杯てヤツだな」 「わぁー!寄ってたかって好き放題に言ってくれちゃってぇー!!」 「こらこら橙、コイツラに怒るのは良いがもう少し声は控えめにしないか」 容赦ない霊夢と魔理沙のダメ出しと、調べて貰っておいてそんな態度を見せる二人に呆れるルイズ。 そして激怒する橙を宥める藍を見つめながら、デルフはやれやれと溜め息をつきながら一人呟いていた。 『こんだけ騒がしい中にいるってのも…まぁ悪くは無いね。少なくともやり取りだけ聞いてても十分ヒマはつぶせるよ』 壁に立てかけられている彼はシッチャカメッチャカと騒ぐ少女たちを見て、改めて霊夢の元にいて悪くは無かったと感じた。 多少扱いは荒いが言葉を間違えなければ悪い事にはならないし、何より話し相手になってくれるだけでも十分に嬉しい。 以前置かれていた武器屋の親父と出会うまでは、鞘に収まったままずっと大陸中を移動していた。 南端にいたかと思えば、数か月もすれば北端へ運ばれて…サハラの国境沿いにあるガリアの町まで運ばれた事もある。 何人かは自分がインテリジェンスソードだと気づいてくれたが、生憎自分の゙使い手゙となる者達では無かった。 戦うこと自体はあまり好きではない。しかし、剣として生きているからには自分を使いこなせる者の傍にいたい。 そして、できることならば自分を戦いの場で振るってほしいのだ。 そんな風に出会いと別れを繰り返し、暇で暇で仕方ないときに王都に店を持つ親父と出会えたのは一種の幸運であった。 ゙使い手゙ではなかったが自分を一目見て正体を看破しただけあって、武器に関しての知識はあった。 話し相手として申し分ないと思い、暫く路地裏の武器屋で過ごした後に色々あって魔法学院の教師に買われてしまった。 それなりに戦えるようだが゙使い手゙ではなかったし、メイジが一体何の冗談で買ったのかと最初は疑っていたのである。 (そんで、まぁ…色々あってレイム達の許へ来たわけだが…まさかこの嬢ちゃんが『ガンダールヴ』だったとはねぇ) 今にも跳びかからんとする橙に涼しい表情を見せる巫女さんを見つめながら、デルフは一人感慨に浸る。 何ぜ使い手゙どころか剣を振った事も無いような華奢な彼女が、あの『ガンダールヴ』ルーンを刻まれていたのだ。 かつて『ガンダールヴ』と共にいた彼にとって、霊夢という存在は長きに渡る暇から解放してくれた恩人であったが、第一印象は最悪であった。 最初の出会いは最悪だったし、その後も一人レイムの知り合いという人外に隅から隅まで容赦なく調べられたのである。 まぁその分いろいろと『おまけ』を付けてくれたおかげで、ルイズと霊夢たちが喧嘩した時の仲直りを手伝えたからそれは良しと思うべきか?。 (いや、良くはないだろうな。…でも、久々にオレっちを振るってくれるヤツが現れただけマシってやつか) もしもし人の形をしているならば首を横に振っていたであろう彼は、まだ記憶に新しいタルブでの出来事を思い出す。 ワルドという名の腕に覚えのあるメイジとの戦いは、久しぶりに心躍る出来事であった。 霊夢も自分と『ガンダールヴ』の力を存分に使って振るい、これまで溜まっていた鬱憤を見事拭い去ってくれたのである。 かつての記憶は忘れてしまったが、以前自分を使ってくれた『ガンダールヴ』よりも直情的な戦い方。 けれどもあのルーンから伝わる力に、どれ程自分の心が震えたことか。 あれのおかげか知らないが、ここ最近になってふと忘れていた昔の事をぼんやりと思い出せるようになっていた。 といってもそれを語れるほどではなく、ルイズ達にはその事を話してはいない。 (あーあ、懐かしかったなーあの力の感じは。オレを最初に振るってくれだ彼女゙と同じで――――ん?彼…女…?) そんな時であった、心の中でタルブの事と朧気な昔の記憶を思い出していたデルフの記憶に電流が走ったのは。 まるで永らく電源を入れていなかった発電機を起動させた時の様に、記憶の上に積もっていたノイズという名の埃が振動で空高く舞い上がっていく。 その埃が無くなった先に一瞬だけ見えたのだ、どこかの草原を歩く四人の男女の影を。 (誰だ…お前ら?――イヤ違う、知ってる。そうだ…!憶えてる、憶えてるぞ…) 誰が誰なのかをまだ思い出せないが、それでもデルフの記憶の片隅に断片が残っていた。 それがビジョンとして一瞬だけ脳内を過った事で、彼は一つだけある記憶を思い出す。 そう、自分は『ガンダールヴ』とその主であるブリミル…その他にもう二人の仲間がいたという事実を。 どうして、この瞬間に思い出したかは分からない…けれど、それを思いだすと同時にある事も思い出した。 これは長生きの代償で失ったのではなく、何故か意図的に忘れようとしたことを。 (でも…なんでだ?どうしてオレ、この記憶を゙忘れようどしたんだっけ?) 最も、その理由すら忘れてしまった今ではそれを思いだす事などできなかったが… それが彼の心と思考に、大きなしこりを生むこととなってしまった。 霊夢達の容赦ないダメ出しで怒った橙を宥め終えた藍は、彼女は後ろに下がらせて落ち着かせる事にした。 式の式である彼女は完全にへそを曲げており、頬を膨らませながら霊夢達にそっぽを向けている。 そりゃあ本人なりに主からの命で必死に調べた情報を貶されたのだ、つい怒りたくなるのも分かってしまう。 ご立腹な橙と、その彼女と対照的に落ち着いている霊夢たちを交互に見比べながらルイズはついつい橙に同情していた。 一方で霊夢と魔理沙は、盗まれた金額の多さに疑問を抱いた藍の為にこれまでの経緯をある程度砕いた感じで話している。 既にルイズの許可も得ており、まぁ霊夢達の関係者ならば大丈夫だろうと信じたのである。まぁそうでなくとも話さざるを得なかった思うが…。 霊夢としても、一応は紫の式に出会えた事でこれまでの出来事を報告しておこうと思ったのだろう。 幻想郷からこの世界に戻って来た後から、どうしてあれ程の大金を持っていたについてまで。 軽い手振りを交えつつあまり良いとは言えない思い出話に藍は何も言わずに、だがしっかりと耳を傾けて聞いていた。 語り終えるころには既に時間は午前九時を半分過ぎた所で、窓越しの喧騒がはっきりと聞こえてくる。 背すじを伸ばそうとふと席を立ったルイズは窓の傍へと近寄り、すぐ眼下に広がる通りを見てある事に気が付いた。 どうやらこの一帯は日中のチクトンネ街でも比較的活気がある場所らしく、窓越しに見える道を多くの人たちが行き交っている。 日が落ちて夜になればもっと活気づくだろうし、この店が比較的繁盛しているというのもあながち間違いではない様だ。 老若男女様々な人ごみを見下ろしながら、そんな事を考えていたルイズの背後から藍の声が聞こえてくる。 「成程、私がこの国の外を調べている内に色々とあったようだな」 「色々ってレベルじゃないわよ。全く、どれだけ命の危険に晒されたか分かったもんじゃないわ」 話を聞いて一人頷く藍を余所に、霊夢は苦虫を噛んでしまったかのような表情を浮かべながらこれまでの苦労を思い出していた。 思えば今に至るまでの間、これまで経験してきた妖怪退治や異変解決と肩を並べるほどの困難に立ち向かっているのである。 特にタルブ村で勝負を仕掛けてきたワルドとの戦いは、正直デルフと使い魔のルーンが無ければ最悪死んでいた可能性もあったのだ。 今にしてあの戦いを思い出してみれば、良くあの男の杖捌きについてこれたなと自分でも感心してしまう。 そんな風にして霊夢が感慨にひたる横で、今度は魔理沙が藍に話しかける番となった。 「それにしても意外だな。まさかタルブで襲ってきたシェフィールドが、元からアルビオン側だったなんてな」 「……!それは私も思ったわ」 魔理沙の口から出た言葉に窓の外を見つめていたルイズもハッとした表情を浮かべて、二人の話に加わってくる。 タルブ村へ侵攻してきたアルビオンの仲間として、キメラをけしかけてきた悪党であり『ミョズニトニルン』のルーンを持つ謎の女ことシェフィールド。 未だ彼女の詳細は何もわからない状態であったが、その女に関する情報を藍は持っていたのだ。 聞けばその女、何と今のアルビオンのリーダーであるクロムウェルの秘書として勤めているというのである。 「てっきりあの女が黒幕の一端かと思ったけど、案外身近なところにご主人様はいたんだな」 「う~ん、アルビオンが近いって言われると何か違和感あるわね。そりゃアンタ達には近いでしょうけど」 ルイズとしても、自らを始祖の使い魔の一人と自称していた彼女の主が誰なのか気にはなっていた。 もし藍の情報通りクロムウェルの秘書官であるなら、あの元聖職者の野心家が主という事になるのだろう。 即ち、アルビオン王家を滅ぼしあまつさえこの国を滅ぼそうとしたあの男が、自分と同じ゙担い手゙であるという証拠になってしまう。 そんな事を想像してしまい、思わず背すじに悪寒が走りかけたルイズへ藍がさりげなくフォローを入れてくれた。 「まぁ事はそう単純ではないのかもしれん。あの男が本当にその女の主なのか、な」 彼女の口から出た更なる情報にルイズはもう一度ハッとした表情を浮かべ、霊夢の眉がピクリと動く。 「それ、どういう事よ?」 「少なくともあの二人のやり取りを見ていたのだが、どうもアレは主従が逆転していたように見えるんだ」 そう言って藍は、アルビオンでの偵察中に見た彼らのやり取りを出来るだけ分かりやすく三人へ伝えた。 秘書官だというのに始終偉そうにしていたシェフィールドに、ヘコヘコと頭を下げて彼女に媚び諂うクロムウェルの姿。 主従が逆転したどころか、初めからそういう関係としか言いようの無い雰囲気さえ感じられたことを彼女は手短に説明する。 「じゃあ待ってよ。それじゃあクロムウェルっていう奴は、最初からその女の言いなりだったっていうの?」 「あぁ。少なくとも弱みを握られて仕方なく…という雰囲気ではなかったし、操られているという気配も感じられなかったな」 「ちょ…ちょっと待ってよ。じゃあ何?最初からクロムウェルはあのミョズニトニルンの手下だって事なの?」 流石のルイズも何と言ったら良いのか分からないのか、難しい表情を浮かべながら考えている。 もし自分の言った通りならばアルビオン貴族達の決起や王族打倒、そしてトリステインへの侵攻も全てあの女が仕組んだことになってしまう。 クロムウェルという名のハリボテの教会を隠れ蓑にして、『神の頭脳』はこれまで暗躍してきたというのか? そんな考えがルイズの頭の中を駆け巡っている中、魔理沙はふと頭の中に浮かんだ疑問を藍にぶつけている。 それは先ほど彼女が考えていた『クロムウェルという男が゙担い手゙だという』事に関してであった。 「なぁ、アイツは自分を始祖の使い魔の一人って自称してたんだが…もしかしてクロムウェルが…」 「う~む、それ以前に私はアルビオンであの男を見張っていたのだが、とても魔法を使える人間とは思えんな」 「ルイズの例もあるし、もしかしたら普通の魔法は使えないんじゃないの?」 それまで黙っていた霊夢も小さく手を上げて仮説を唱えてみるが、藍は首を横に振って否定する。 「少なくともメイジ…だったか、彼らからある種の力は感じてはいたが…あの似非指導者からは何の力も感じられなかったぞ」 藍の言葉を聞き、それまで一人考えていたルイズばバッと顔を上げて彼女の方を見遣る。 「……それってつまり、クロムウェルがただの平民だって事?」 「ハッキリと断言できる程の材料は無いが、そういう力が無ければそうなのかもしれん」 「じゃあ、シェフィールドの主とやらは…別にいるっていう事なのかしら?」 霊夢の言葉に、ルイズが「彼女の言う通りなら…それもあり得るかも」と言うしか無かった。 藍の言うとおり、とにもかくにも真実を探すための材料というモノが大きく不足してしまっている。 今のままシェフィールドについて話し合っても、当てずっぽうの理論しか出てくるものが無い。 最初から関わりの無い橙を除いて、四人と一本の間に数秒ほどの沈黙と緊張が走る。 何も言えぬ雰囲気の中で、最初にその沈黙を破り捨てたのは他でも藍であった。 「…しょうがない、この件に関しては私が追加で調査しておこう。色々と引っ掛るしな」 「あ、ありがとう、わざわざ…」 「礼には及ばんさ。それよりも一つ、お前に関して気になることを一つ聞きたいのだが」 彼女がそう言うとそれまで黙っていたルイズが礼を述べるとそう返して、ついでルイズへと質問しようとする。 この時、霊夢からこれまでの経緯を聞いていた彼女が何を自分の利きたいのか、既にルイズは分かっていた。 タルブでアルビオン艦隊と対峙した際に伝説の系統である『虚無』の担い手として覚醒した事。 彼女はそれに関する事を聞きたいのだろう、『虚無』とはどういうものなのかを。 「分かってるわ。私の『虚無』について、聞きたいのでしょう?」 「流石博麗の巫女を使い魔にしただけのことはある。…察しの良い奴は嫌いじゃない」 自分の言いたい事を先回りされた藍がニヤリと笑うと、ルイズはチラリと霊夢の顔を一瞥する。 今からでも「仕方ないなー」と言いたげな、いかにも面倒くさそうな表情を浮かべた彼女はルイズの視線に気が付き、コクリと頷いて見せた。 彼女としては特に問題は無いようだ。念のため魔理沙にも確認してみるが彼女もまたコクコクと頷いている。 …まぁ彼女たちはハルケギニアの人間ではないし、何より敵か味方かと問われれば味方側の者達だ。 不本意ではあるが、これからも長い付き合いになるだろうし、情報は共有するに越したことは無い。 その後は、渋々ながらも藍に自分が伝説の系統の担い手として覚醒した事を教える羽目になった。 王宮から受け賜わった何も書かれていない『始祖の祈祷書』のページが、アンリエッタから貰った『水のルビー』に反応して文字が浮かび上がってきたこと。 そこには虚無に関する記述と、『虚無』の魔法の中では初歩の初歩と呼ばれる呪文『エクスプロージョン』のスペルが載っていたこと。 その呪文一発でもって、頭上にまで来ていたアルビオン艦隊を壊滅させてしまったという驚愕の事実。 そして昨日、アンリエッタが自分の身を案じて『虚無』の魔法を使うのを控えるように言われた事までを、ルイズは丁寧に説明し終えた。 「成程、『虚無』の系統…失われし五番目の魔法ということか」 「まぁ私から言わせれば、あれは魔法というよりも世界の粒に干渉して意のままに操ってる…っていう感じが正しいわね」 「ちょっと、折角始祖ブリミルが授けてくれた系統を「する程度の能力」みたいな言い方しないでよ」 始祖の祈祷書に書かれていた内容をルイズの音読からきいていた霊夢が、さりげなく自分の主張を入れてくる。 少々大雑把な考えにも受け取れるが、確かに聞いた限りでは魔法と言う領域を超えているとしか言いようがない。 この世界に普遍する゙粒゙をメイジが杖を媒介にして干渉することで、四系統魔法が発動する。 『虚無』の場合はそれよりも更に小さな゙粒゙へと干渉し、艦隊を飲み込んだという爆発まで起こす事が出来るのだ。 もしもその力を自由に使いこなす事が出来るのであれば、それを魔法と呼んでいいものか分からない。 ルイズが自分たちの味方であるからいいものの、もしも彼女が敵側であったのならば… それこそ人間でありながら、幻想郷の妖怪たちとも平気で渡り合える力の持ち主と戦う羽目になっていたに違いない。 (全く、人の身にはやや過ぎた力だと思ってしまうが…今は爆発しか起こせないのが幸いだな) 現状ではルイズか今使える『虚無』の力はエクスプロージョンただ一つだけ。 あれ以来ルイズの方でも始祖の祈祷書のページを捲ってみたのが、他の呪文は何一つ記されていなかったのだという。 それを霊夢達に話し、今の所一番『虚無』に詳しいであろうデルフにどういうことなのかと訊いた所… ――――新しい呪文?そんな簡単にホイホイ出せるほど『虚無』ってのは優しい呪文じゃねェ。 必要な時が迫ればそん時の状況に最適な魔法が祈祷書に記される筈だ、それだけは覚えておきな …と得意気に言っていたらしいが、藍はそれを聞いてその本を造った者の用心深さに感心していた。 霊夢達から聞いた限りでは、『虚無』の力は例え一人だけであっても軍隊と対等かそれ以上に戦う力を持っている。 使い方によっては人の身で神にもなり得るし、その逆に全てを力でねじ伏せられる悪魔にもなってしまう。 大きすぎる力というモノは人の判断力と理性を鈍らせ、やがてその力に呑み込まれて怖ろしい化け物と化す。 外の世界ではそうして幾つもの暴虐な権力者が生まれては滅び、次に滅ぼしたモノがその化け物と化していくという悪循環が起こっている。 ここハルケギニアでも同様の悪循環が生まれつつあるが、少なくとも外の世界程破滅的な戦争が起こっていないだけマシだろう。 とにかく、もし『虚無』の力の全てを一個人が手にしてしまえば…どんな恐ろしい事が起こってしまうか分からないのだ。 (恐らく、『虚無』を作り上げ…更に祈祷書を書いた者は理解していたのだろうな。人がどれ程゙強力な力゙というモノに弱いのかを) かつて最初に『虚無』を使ったという始祖ブリミルの事を思いつつ、藍はルイズに質問をしてみる事にした。 「それで、現状はこの国の姫様から『虚無』を使うのは控えるよう言われているんだな?」 「えぇ。…少なくとも、街中であんな恐ろしい大爆発を起こそうだなんて微塵も思ってないわ」 「ならそれで良い。お前の『虚無』に関する事は私の方でも調べておこう。紫様にも報告を…」 そんな時であった、椅子に座っていた魔理沙がスッと手を上げて大声を上げたのは。 「…あ!なぁなぁ藍、ちょいと聞きたい事があるんだけど…良いかな?」 改めてルイズの意思を聞いた彼女は納得したように頷くと、会話が終わるのを待たずして今度は魔理沙が話しかけてきた。 少しだけ改まった様子の黒白に言葉を遮られた藍は、彼女をジッと睨みつつも「何だ、言ってみろ」と質問を許す。 「そういやさぁ、紫のヤツはどうしたんだよ?ここ最近姿を見かけなくなったような気がするんだが」 「んぅ?…そういえばそうねぇ、アイツなら何かある度に様子見に来るかと思ってたけど」 魔理沙の口から出た意外な人物の名前に霊夢も思い出し、ついでルイズも「そういえば確かに…」と呟いている。 今回の異変の解決には時間が掛かると判断し、ルイズを協力者にして霊夢をこの世界に送り返した挙句、魔理沙を送り込んだ張本人。 ハルケギニアへと戻った後も何度か顔を見せては、色々ちょっかいを掛けてくるスキマ妖怪こと八雲紫。 その姿を最後に見てからだいぶ経っているのに気が付いた魔理沙が、紫の式である藍に質問したのである。 魔理沙の質問に藍は暫し黙った後、難しそうな表情を浮かべながらゆっくりと、言葉を選びながらしゃべり出した。 「うーむ…私としても何と言ったら良いか。…かくいう私も、今は紫様がどこでどうしているのか把握できないんだ…」 「…?どういう事なのよ?」 最初何を言っているのか理解できなかったルイズが首を傾げて聞くと、藍は「言葉通りの意味だ」と返す。 彼女曰く、それまでやや遅れていたが定期的に藍の許へ顔を見せに来ていた紫が来なくなったのだという。 当初は何かしら用事があるのだろうと思っていたが、それ以降パッタリと連絡が途絶えてまったらしいのである。 「えぇ~、何よソレ?何かもしもの時の連絡手段とか用意してなかったワケ?」 「一応何かがあった際は他の式神を鴉なんかの小動物に憑かせて連絡する手筈だったのだが…どうにもそれが来なくて…」 「おいおい!お前さんがそこまで困ってるって事は結構重大な事なんじゃないか?」 流石に音沙汰なしで帰る方法も無いためにお手上げなのか、あの藍が困った表情を浮かべている。 これには霊夢と魔理沙も結構マズイ事態だと理解したのか、若干焦りはじめてしまう。 話についてこれなくなっていた橙も主の主の事でようやく話が追いつき、困惑した様子を見せている。 一方のルイズは、始めて耳にする言葉を聞きつつも今の彼女たちが緊急の事態に陥っている…という事だけは理解できた。 確かに、この世界と幻想郷を繋げた紫が来ないという事は…何かがあった際に彼女たちはこの世界から出られないだろう。 魔法学院で例えれば深夜まで居残りをさせられて、ようやく自室に到着!…と思った瞬間、鍵を無くしていた事に気付いた状態であろう。 どこで落としたのか分からないし、深夜だから鍵を作ってくれる鍵屋さんも呼ぶことができない。 そんなもしも…を頭の中でシュミレートし終えた後で、ルイズはようやく彼女たちが焦る理由が分かった。 「うん、まぁ確かに部屋の鍵を無くしたら焦るわよね。私の場合アン・ロックの魔法も使えないし」 「私達の場合は、アイツ自身がマスターキーなうえに合鍵も作れないという二重の最悪なんだけどね」 「おい!紫様だって今回の件は久しぶりに頑張ってるんだ、そう悪口を言うモノじゃない」 「久しぶりって所が紫らしいぜ」 「全く、アンタ達は本人がいないなのを良い事に……ん?」 霊夢と魔理沙がこの場にいない紫への評価を口にする中、橙がルイズの傍へと寄ってくる。 ついさっきまで藍の傍にいた彼女へ一体何なのかと言いたげな表情を浮かべてみると、向こうから話しかけてきてくれた。 「アンタも大変だよねぇ、いっつもあの二人と付き合わされてさぁ」 「あ…アンタ?」 何を喋って来るかと思えば、自分の事を貶してくれた霊夢達への文句だったようだ。 それよりも自分を「アンタ」呼ばわりしてきた事に軽く目を丸くしつつ、ひとまずは質問に答える事にした。 「ん、んー…まぁ大変っちゃあ大変だけど、流石にあんだけ個性があると勝手に慣れちゃうわよ」 「へぇ~…そうなんだ。貴族ってのは皆気の短いなヤツばかりだと思ってたけど、アンタみたいなのもいるんだね」 「それは私が変わっちゃっただけよ。…っていうか、その貴族である私をアンタ呼ばわりするのはどうなのよ?」 自分と橙を余所に、紫の事で話し合っている霊夢達を見ながらルイズかそう言うと橙は首を傾げて見せる。 その仕草が余計に可愛くて、しかし傾げた後に口から出た言葉には棘があった。 「……?私は式で妖怪だし、アンタは人間。妖怪が人のマナーを守る必要なんて特にないよね?」 「…!こ、この娘…」 正に猫を被っているとはこの事であろう。藍や霊夢達の前で見せていた態度とはまるっきり違う橙の姿にルイズは戦慄する。 更に彼女たちへ聞こえない様に声を潜めている為、尚更性質が悪い。 思わぬ橙の一面を見たルイズが驚いてる最中、橙は更に小声で喋り続ける。 「それにしてもさぁ、紫様も結構無責任だよねぇ。私と藍様をこんな人間だらけの世界で情報収集を押し付けちゃうし…」 「あら、私はそう無茶な命令だと思っていないわよ?」 「う~んどうかしらねぇ?貴女はともかくランの方は意外、と…………ん?」 主の主が自分たちへ処遇に文句を言う橙へ返事をしようとしたルイズは、ある違和感に気付く。 それはもしかするとそのまま無視していたかもしれない程、彼女には物凄く小さく…けれども目立つ変な感じ。 幸いにも橙へ言葉を返す前に気付けた彼女は、自分が気づいた違和感の正体を既に知っていた。 ………今自分が喋る前に、誰かが橙に話しかけた? 窓越しの喧騒と霊夢達の話し声に混じって、女性の声が橙に言葉を返したのである。 それは気のせいではなく、確実に耳に入ってきたのである――――自分橙の背後から、ひっそりと。 朝っぱらだというのに、誰もいない背後から聞こえてきた女の声にルイズは思わず冷や汗を流しそうになってしまう。 隣にいる橙へと視線を向けると、途中で言葉を止めてしまった自分を見て不思議そうな視線を向けている。 その目と自分の目が合ってしまい、何となく互いに小さな会釈した後で再び視線を霊夢達の方へ向け直す。 妖怪である彼女なら何か気づいていると思ったが、どうやらあの猫の耳は単なる飾りか何からしい。 そんな事を思いながらも、ルイズは背後から聞こえてきた女の声が何なのか考えていた。 (…こんな朝っぱらから幽霊とか…でもこの店、夜間営業だからそういう類は朝から出るのかしら?) そんなバカみたいな事を考えながらも、しかし間違っても幽霊ではないだろうと思っていた。 もしその手の類ならば自分よりも先にここにいる幻想郷出身の皆々様が先に気付くはずだろうからだ。 幻聴という線もあるが第一自分はそういう副作用が出る薬やポーションなんて服用してないし、疲れてもいない。 いや、現在進行中で精神疲労は溜まっているがまだまだ体は元気で、昨日はバッチリ八時間も睡眠している。 それなの何故、女性の声が聞こえたのだろうか?後ろを振り向く前にその理由を探ろうとして、 「もぉ~。聞こえてるのに無視するなんて傷つくじゃないのぉ」 「うわっ――――ひゃあッ!?」 背後から再び女性の声が聞こえると同時に何者かにうなじを撫でられ、素っ頓狂な悲鳴を上げた。 その悲鳴に隣にいた橙は二本の尻尾と耳を逆立てて驚きのあまり飛び跳ね、そのまま後ろへと下がる。 単にルイズの悲鳴で驚いたのではなく、彼女の後ろにいつの間にか立っていた『女性』を見て後ずさったのだ。 「…わっ!ちょ何だ何だ―――って、あぁ!」 「………全く、アンタっていつもそうよね?いないないって騒いでる所で驚かしにくるんだから」 議論をしていた霊夢達も何だ何だと席を立ったところで、魔理沙がルイズの背後を指さして驚いている。 霊夢も霊夢で、彼女に背後に現れた女性に呆れと言いたい表情を浮かべてため息をついていた。 うなじを撫でられ、思わずその場で前のめりに倒れてしまったルイズが背後を振り向こうとした時、 それまで若干偉そうにしていた藍が恭しくその場で一礼すると、自分の背後にいる人物の名を告げた。 「誰かと思えば…やはり来てくれましたか、紫様」 「え…ゆ、ユカリ…じゃあ?」 「貴女のうなじ、とっても綺麗でしたわよ?ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール」 そう言いながら彼女―――八雲紫はルイズの前に歩いて出てくると、すっと右手を差し出してくる。 白い導師服に白い帽子という見慣れた出で立ちの彼女の顔は、静かな笑みを浮かべながらルイズを見下ろしていた。 呼ばれて飛び出て何とやら…というヤツか。ルイズはそんな事を思いながらも一人で立って見せる。 別に彼女から差し出された手を掴んでも良かったのだが、以前睡眠中の自分を悪戯で起こした事もあった妖怪だ。 どんな罠を仕組まれてるか分からないし、それを考えれば一人で立って見せる方がよっぽど安全なのだ。 「あら、ひどい娘ね。折角私が手を差し伸べてあげたのに」 「そりゃーアンタがルイズのうなじを勝手に撫でたうえに、いっつも胡散臭い雰囲気放ってるからよ」 やや強いリアクションでがっかりして見せる紫に傍へよってきた霊夢が突っ込みを入れつつ、彼女へ話しかけていく。 「っていうか、アンタ今まで何してたのよ?ここ最近ずっと姿を見なかったし、こっちは色々あったのよ」 「そうらしいわね。さっきこっそり、あなた達が藍に報告してるのを盗み聞きしてたから一通りの事は知ってるわよ」 「そうですか…って、えぇ?それってつまり、随分前からこっちに来てたって事じゃないですか!」 どうやら主の気配に気づかなかったらしい藍が、目を丸くして驚いて見せる。 何せさっきまで紫が来ない来ないと困惑して様子で話していた所を、全て彼女に聞かれていたのだ。 「ちょっと驚かそうと思ってたのよ。何せこうして顔を見せに来るのも久しぶりだし、皆喜んでくれるかなーって…」 「喜ぶどころか、何でもっと速く来なかったってみんな思ってるぜ?」 「まぁちょっとは心配しちゃったけど。さっきの盗み聞き云々聞いてたら、そんな事思ってたのが恥ずかしくなってくるわね」 「私にも色々あったのよ、それだけは理解して…って、ちょっと霊夢?そんな目で睨まないで頂戴よ」 頬を掻きながら恥ずかしそうな笑顔を見せる紫の言葉に、魔理沙がすかさず突っ込みを入れる。 先程まで藍達に混じって多少焦っていた霊夢もそんな事を言いながら、紫をジト目で睨んでいた。 そりゃあんだけ心配それた挙句に、あんな登場の仕方をすればこんな反応をされても可笑しくは無いだろう。 彼女の式である藍もまた、主の平気そうな様子を見て苦笑いを浮かべるほかなかった。 「まぁでも、これで元の世界に帰れないっていうトラブルはなくなったわよね?……って、ん?」 ルイズは一人呟きながら隣にいる筈の橙へ話しかけようとして、ふといつの間にかいなくなっている事に気が付く。 紫がうなじを撫でた時にびっくりして後ろへ下がっていたが、少なくともすぐ隣にいる位置にいた筈である。 じゃあ一体どこに…?ルイズがそう思った時、ふと後ろで小さな物音がした事に気が付き、おもむろに振り返った。 丁度自分の背後―――通りを一望できる窓に抜き足差し足で近づこうとしている橙がいた。 姿勢を低くして、二本足で立てるのに四つん這いで移動する彼女は何かを察して逃げようとしているかのようだ。 いや、実際に逃げようとしているのだろう。ルイズは何となくその理由を察していた。 何せ先ほど口にしていた人間への態度や、主の主…つまりは紫に対する批判が全て聞かれていたのだから。 正に沈みゆく船から逃げ出すネズミ…いや、そのネズミよりも先に逃げ出そうとする猫そのものである。 ここは一声かけて逃げ出すのを防いでやろうか?先ほど「アンタ」呼ばわりされたルイズがそう思った直後、 「さて、色々あるけれど…まずは―――…橙?少し私とお勉強しましょうか」 「ニャア…ッ!?」 「あ、ばれてたのね」 逃げ出そうとする橙に背中を見せていた紫の一言で逃亡を制止されて身を竦ませた橙を見て、ルイズは思った。 もしも八雲紫から逃げる必要が迫った時には、なるべく気絶させる方向に持っていこうかな…と。 トリステイン南部の国境線にある、ガリア王国陸軍の国境基地。通称『ラ・ベース・デュ・ラック』と呼ばれる場所。 ハルケギニアで最大規模の湖であるラグドリアン湖を一望できるこの場所は、ちょっとした観光スポットで有名だ。 四季ごとにある祭りやイベントにはガリア、トリステイン両方も多くの人が足を運び賑わっている。 その為湖の周辺には昔から漁業で生計を立てる村の他にも、観光客を受け入れる為の宿泊施設も幾つか建てられている。 特に夏の湖はため息が出るほど綺麗であり、燦々と輝く太陽の光を反射する湖面は正に宝石の如し。 釣りやボートにスイミングなどで湖を訪れる者もいれば、とある迷信を信じて訪れるカップルたちもいるのだ。 ここラグドリアン湖は昔から水の精霊が棲むと言われる場所であり、実際にその姿を目にした者たちもいる。 そして、この湖で永遠の愛を誓ったカップルは、死が二人を分かつまで別れる事は無くなるのだそうだ。 そんな素敵な言い伝えが残るラグドリアン湖の夏。今年もまた多くの人々がこの地に足を踏み入れる……筈だった。 しかし、今年に限ってそれは無理だろうと夏季休暇を機にやってきた両国の者たちは同じ思いを抱いていた。 その理由は、それぞれの国のラグドリアン湖へと続く街道に設置された大きな看板に書かれていた。 ―――――今年、ラグドリアン湖が謎の増水を起こしているために湖への立ち入りを禁ず。 ――――――尚、トリステイン(もしくはガリア)への入国が目的の場合はこのまま進んでも良しとする。 看板を目にし、増水とは一体どういう事かと納得の行かぬ何人かがそれを無視して街道を進み…そして納得してしまう。 書かれていた通り、ラグドリアンの湖は一目見てもハッキリと分かるくらいに水が増えていた。 湖畔に沿って造られていた村や宿泊施設は水に呑まれ、ボートハウスは屋根だけが水面から出ているという状態。 ギリギリでガリア・トリステイン間の街道にまで浸水していないが、時間の問題なのは誰の目にも明らかである。 国境を守備する両国軍はどうにかしようと考えてみるものの、大自然の脅威というものに対して有効な策が思いつかない。 ガリア軍では土系統の魔法で壁を作るなどして何とか水をせき止めようと計画していたが、湖の規模が大きすぎてどうにもならないという始末。 日々水かさが増えていく湖を見て、ガリア陸軍の一兵卒がこんな事を言った。 「もしかすると、水の精霊様が俺たち人間を追い出そうとしてるのかもな」 聞いたものは最初は何を馬鹿な…と思ったかもしれないが、後々考えてみるとそうかもしれないと考える様になった。 ここが観光地になったのはつい九十年前の事で、その以前は神聖な場所として崇められていたという。 しかし…永遠の愛が叶うという不確かな迷信ができてから一気に観光地化が進み、それに伴い様々な問題が相次いで発生した。 魚や貝類、ガリアでは主食の一つであるラグドリアンウシガエルの密漁や平民貴族問わずマナーの無い若者たちのドンチャン騒ぎ。 そして極めつけはゴミのポイ捨て。これに関してはガリアだけではなくトリステインも同じ類の悩みを抱えていた。 人が来れば当然モラルのなってない者達が来るし、彼らは自分たちで作ったゴミを平気で捨てていく。 まだ小さい物であれば近隣の村人たちでも拾う事が出来るが、まれにとんでもない大型の粗大ゴミさえ放置されている事もある。 そうなると村人たちの手ではどうしようもできないので、仕方なく軍が出動して回収する羽目になるのだ。 キャンプ用具や車輪の部分が壊れた荷車ならともかく、酷い時には大量の生ゴミさえ出る始末。 ゴミのポイ捨てを注意する看板やポスターもあちこちに置いたり貼ったりするが、捨てる者たちは皆知らん顔をして捨てていく。 そんな人間たちが湖で騒ぐだけ騒いでゴミも片付けずに帰っていくだけなら、そりゃ水の精霊も激怒するかもしれない。 精霊にとってこの湖は自分の家の庭ではなく、いわば湖そのものが精霊と言っても差し支えないのだから。 「ふーむ…。久しぶりに来てみれば、中々面白い事になってるじゃないか」 ガリア側の国境基地。三階建ての内最上階に造られた会議室の窓から湖を眺めて、ガリアの王ジョゼフは一言つぶやく。 その手に握った望遠鏡を覗く彼の目には、屋根だけが水面から見えるボートハウスが写っている。 去年ならばこの時期はリュティスから来た貴族たちがボートに乗り、従者に漕がせる光景が見れたであろう。 しかし今は無残にもそのボートハウスは水没しており、それどころかすぐ近くにある漁村も同じ目にあっていた。 「俺がラグドリアン湖に来るのは六…いや三年ぶりか、あの時は確か…園遊会に出席したのだったな」 トリステインのマリアンヌ太后の誕生日と言う名目で行われたパーティーの事を思い出して、彼はつまらなそうな表情を浮かべる。 ガリアを含む各国から王族や有力貴族たちが出席したあの園遊会は、二週間にも及んだはずだった。 招待された貴族達からしてみれば有力者…ひいては王族と知り合いになれる絶好の機会だが、ジョゼフにはとてもつまらないイベントであった。 その当時はガリア王として出席したが、当時から魔法の使えぬ゙無能王゙として知られていた彼に好意を持って接する貴族はいなかった。 精々金やコネ目当ての連中が媚び諂いながら名乗ってきた事があったが、生憎彼らの名前は全部忘れてしまっている。 その時の彼は園遊会で出された美味珍味の御馳走を食べながら、リュティスを発つ二日前に買っていた火竜の可動人形の事が気になって仕方がなかったのだ。 手足や首に尻尾や羽根の根元などの関節が動く新しい人形で、三年経った今ではシリーズ化してラインナップも揃って来ている。 元々そういう人形に興味があった彼はシリーズが出るごとに買っているし、今も最初に買った火竜は大切に保管している程だ。 「あの時は良く陰で無能王だか何だか囁かれて鬱陶しかったが、今では余の二つ名としてすっかり定着しておるな」 「お言葉ですがジョゼフ様、無能王では三つ名になってしまいますわ」 クックックッ…くぐもった笑い声をあげるジョゼフの背後から、指摘するような女性の声が聞こえてくる。 そう言われた後で真顔になった彼はフッと後ろを振り向いた後、今度は口を大きく開けて豪快に笑いだした。 「フハハハ!確かにそうであるな、お主が指摘してくれなければ今頃恥をかくところであったぞ。余のミューズよ」 「お褒めの言葉、誠にもったいなきにあります」 ジョゼフから感謝の言葉を言われた女性――シェフィールドはスッと一礼して感謝の言葉を述べる。 以前タルブにてキメラを操って神聖アルビオン共和国に味方し、ルイズ一行と対峙した『神の頭脳』ことミョズニトニルンの女。 今彼女の体には所々包帯が巻かれており、痛々しい傷を受けたことが一目で分かる。 笑うのを止めたジョゼフはその傷を一つ一つ確認しながら、こちらの言葉を待っている彼女へと話しかけた。 「報告は聞いたぞ?どうやら思わぬイレギュラーのせいで手痛い目に遭わされたようだな」 「…はい。私が万事を尽くしていなかったばかりに、不覚のいたりとは正にこの事です」 明らかな落胆を見せるシェフィールドは、ジョゼフの言葉でこの傷の出自をジワジワと思い出していく。 忘れもしない、アストン伯の屋敷の前で起こった。今も尚腹立たしいと思えてくるあのアクシデント。 本来ならやしきの傍にまでやってきたトリステインの『担い手』―――ルイズとその使い魔たちの為にキメラをけしかける予定であった。 まだ本格的な量産が始まる前の軍用キメラのテストと、自分の主であるジョゼフを満足させるために、 彼女たちをモルモット代わりにしてキメラ達の相手をしてもらう筈だったのである。 ところが、それは突如乱入してきた謎の女によって滅茶苦茶にされてしまった。 謎の力でキメラ達を蹴って殴ってルイズ達に助太刀し、当初予定していた計画が大幅に狂ってしまったのである。 それだけではない、味方であったはずのワルド子爵が乱入してきたのは予想もしていなかった。 おまけと言わんばかりにライトニング・クラウドでキメラの数を減らされたうえに、あろうことかルイズまで攫って行ったのだ。 それが原因で彼女の使い魔であるガンダールヴの小娘とメイジと思しき黒白すら見逃してしまったのである。 そこまで思い出したところで、シェフィールドはもう一度頭を下げるとジョゼフにワルドの処遇について訪ねた。 「ワルド子爵の件につきましては、貴方様の許しがあれば自らのけじめとして奴を処分しますが…どうしましょう」 シェフィールドからの質問に、ジョゼフは暫し考える素振りを見せた後…彼女に得意気な表情を見せて言った。 「う~ん…まぁ彼とて以前あの巫女と担い手のせいで手痛い目に遭わされたのだろう?なら彼がリベンジに燃えるのは仕方ない事だ」 「ですが…」 「今回だけは許してやろうじゃないか、余のミューズよ。…ただし、もし次に同じような邪魔をすれば――子爵にはそう伝えておけ」 自分の言葉を遮ってそんな提案をだしてきたジョゼフに、彼女は仕方なく頷いて見せる。 敬愛する主人の判断がそうであるなら従わなければいけないし、何より彼もあの子爵に次は無いと仰った。 本当なら今すぐにでも殺してやりたかったが、そのチャンスはヤツが生きている限りいつまでも続くことになるだろう。 シェフィールドはそういう解釈をして心を落ち着かせようとしたとき、 「――ところで余のミューズよ。最初に妨害してきたという謎の女についてだが…あの報告は本当か?」 「え?………あっ、はい。あの黒髪の女については…信じられないかもしれませぬが、本当です」 一呼吸おいて次なる質問を出してきたジョゼフの言葉に、彼女は数秒の時間を掛けてそう答えた。 ワルドよりも先に現れ、ルイズ達と共にキメラと戦ったあの長い黒髪の巫女モドキ。 異国情緒漂う衣装を着た彼女は、ルイズを捕まえたワルドを追いかけた霊夢達を逃がすために自ら囮となった哀れな女。 アストン伯の屋敷の地下に避難していた弱者どもを守っていた、腕に自信のある御人好し。 そんな彼女の前で屋敷に避難する者達を殺してやろうと企んでいた時―――シェフィールドは気が付いたのである。 これから苦しむ巫女もどきの顔を何気なく撫でた時、額に刻まれた『ミョズニトニルン』のルーンが反応したのだ。 それと同時に頭の中に入り込んでくる情報は、目の前にいる女が人ではなく人の形をした道具であったという事実。 今現在自らが指揮を執って研究し、そのサンプル――゙見本゙として一体の魔法人形と巫女の血を組み合わせて作った人モドキ。 その時の衝撃もまた思い出しながら、シェフィールドは苦々しい表情でジョゼフに告げた。 「あの巫女モドキは姿かたちこそ違えど、間違いなく…私が゙実験農場゙で造り上げだ見本゙そのものでしたわ」 自分自身、信じられないと言いたげな表情を浮かべる彼女にジョゼフはふむ…と顎に手を当ててシェフィールドを見つめる。 彼もその゙見本゙の事は知っていた。サン・マロンの゙実験農場゙でとある研究の為の見本として造られ、そして処分される筈であった存在。 かつてアルビオンで霊夢の胸を突き刺したワルドの杖に付着した血液と古代の魔法人形『スキルニル』から生まれた、博麗霊夢の贋作。 彼女を元にして実験農場の学者たちに゙あるもの゙を造らせる為、シェフィールドば見本゙を生み出したのだ。 この世界に現れた彼女がどれほど強く、そしてその力を手中に収め、制御できることがどれ程すごいのかを。 ゙見本゙はそのデモンストレーションの為だけに生み出され、そして研究開始と共に焼却処分される予定だった。 しかしその直前にトラブルが発生じ見本゙は脱走、実験農場の警備や研究員をその手に掛けてサン・マロンから姿を消してしまった。 「あの後『ストーカー』をけしかけたが失敗し、招集した『人形十四号』がヤツを見つけたものの…」 「えぇ、まんまと逃げられてしまいましたわ」 キメラの他に、こちらの味方である『人形』の事を思い出したシェフィールドは苦々しい表情を浮かべる。 あの時は何が何でも止めて貰う為に、成功すればその『人形』にとっで破格の報酬゙を与える予定であった。 だが…後々耳にしたサン・マロンでの暴れっぷりを聞く限りでは、止められたとしても『人形』が生きていたかどうか… まぁ仮に死んでしまったとしても使える駒が一つ減るだけであり、いくらでも代わりがきく存在である。 シェフィールドの表情から悔しそうな思いを感じ取りつつも、ジョゼフは顎に手を当てたまま彼女への質問を続けていく。 「ふむ…それで、一度は見逃しだ見本゙とお主はタルブで再会を果たしたのだな?」 「はい。…正直言えば、私としてもここで再会したのはともかく…あそこまで姿が変わっていた事に動揺してしまいました」 ジョゼフからの質問にそう答えると、彼女はその右手に持っていた一枚の紙を彼の前に差し出す。 何かと思いつつもそれを受け取ったジョゼフは、その紙に描かれていた女性の姿を見て「おぉ…」と呻いて目を丸くさせた。 「何だこれは?余が゙実験農場゙で見た時は、あの少女と瓜二つであった筈だぞ」 ジョゼフの目に映った絵は、長い黒髪に霊夢とはまた違った意匠の巫女服を着る女性――ハクレイであった。 恐らく今日か昨日にシェフィールド自身の手で描いたのだろう、所々急いで描き直した部分もある。 きっと記憶違いで実際とは異なる部分もあるだろうが、それでも『ガンダールヴ』となったあの博麗の巫女とは違うのが良く分かる。 「身長はあの巫女よりも二回り大きく、ジョゼフ様とほぼ同じ等身かと思われます」 「成程…確かにこう、絵で見てみると本物の巫女より中々良い体つきをしてるではないか!」 シェフィールドの補足を聞きつつ、ジョゼフはハクレイの上半身――主に胸部を指さしながら豪快に言う。 若干スケベ心が見える物言いに流石のシェフィールドも顔を赤くしてしまい、それを誤魔化すように咳払いをして見せる。 「…こほん!とにかく、その絵で見ても分かるように明らかに元となっている巫女の姿とはかけ離れています」 「ふぅむ、袖や服の形などは若干似ていると思うが。…まぁ別物と言われれば納得もしてしまうな」 冗談で言ったつもりが真に受けてしまった彼女を横目で一瞥したジョゼフは、ハクレイの姿を見て改めてそう思った。 報告通りであるならば戦い方も大きく違っていたらしく、シェフィールド自身も単なる人間かと最初は思っていたらしい。 そりゃそうだ。元と瓜二つであった人形が、一年と経たぬうちに身長が伸びて体つきも良くなった…なんて事、誰が信じるか。 ましてやそれが『スキルニル』ならば尚更だ。あれは血を媒介にして元となった人間を完璧にコピーしてしまうマジック・アイテム。 メイジならばその者が使える魔法は一通り使えるし、平民であっても何か特技があればそれを見事に真似てしまう。 それが一体全体どうして、元の人間からかけ離れた姿になってしまったのか?それはジョゼフにも理解し難かった。 「して、余のミューズよ。今後その゙見本゙に関して何かするつもりなのか?」 「はっ!サン・マロンの学者たちに原因を探るよう要請するつもりですが…それで解明するかどうか」 「うむ、そうか。…ではグラン・トロワにある書物庫から全ての資料持ち出しを許可する。何が起きているのか徹底的に探るのだ」 シェフィールドの言葉を聞いたジョゼフは、即座に国家機密に関わるような事をあっさりと決めてしまった。 本来ならば宮廷の貴族達でも滅多に閲覧する事の出来ない資料を、学者たちは邪魔な書類や審査を待たずにも出せるのである。 流石のシェフィールドもこれには少し驚いたのか、「よろしいのですか?」と真顔でジョゼフに聞き直してしまう。 「構わん、どうせ埃を被っているのが大半だろう?ならば学者どもの為に読ませてやるのも本にとっては幸せと言うものさ」 口約束であっさりと決めてしまったジョゼフの顔には、自然と笑みが浮かび始めている。 まるで新しいおもちゃを買ってもらった子供か、新しい楽しみをみつけた時の様なそんな嬉しさに満ちた笑み。 彼女はそれを見て察する。どうやら我が主は件の巫女もどきに大変興味を示したのだと。 だからこそ学者たちの為に書物庫を開放し、徹底的に調べろと命令されたに違いない。 自分の欲求を満たす為だけに国の機密情報を安易に開放し、あろう事か持ち出しても良いという御許しまで出た。 常人とは…ましてや王として君臨している男とは思えぬ彼ではあるが、だからこそシェフィールドは惹かれているのだ。 自らの行為を非と思わず、誰に何を言われようとも我が道を行き続けるジョゼフに。 面白い事を見つけ、喜びが顔に表れ始めている主人を見て、シェフィールドは微笑みながら聞いてみた 「随分ど見本゙に興味を持たれましたのね?」 「そりゃあそうだとも、何せただの人形だったモノがここまで変異する…余からしてみれば大変なサプライズイベントだよ」 シェフィールドからの質問に両手を大きく横に広げながら答えつつ、ジョゼフは更に言葉を続けていく。 「それに…報告書の通りならばヤツは最後の最後でお主が率いていたキメラどもを文字通り『一掃』したのだろう? ならば今後我々の前に立ちはだかる脅威となるか調べる必要もある。…とにかく、今は情報が不足しているのが現状だ。 ひとまず資料からこれと似た前例があるか調べつつ、タルブを含めトリステイン周辺に人を出してその巫女もどきの情報を探し出せ。 ゙坊主゙どもにはまだ気づかれていないだろうが、念には念を入れて今後゙実験農場゙の警備も増強する旨を所長に伝えておけ」 彼女が出した報告書の内容を引き合いに出しつつ、トリステインへ探りを入れるよう命令しつつ、 最近問題として挙がってきていだ実験農場゙の警備増強に関しても、あっさりとその場で決めてしまった。 これもまた、宮廷貴族や軍上層部の者達と話わなければいけない事だがジョゼフはその事はどうでも良いと思っていた。 自身の地位と金にしか興味の無い宮廷側と、未だ自分に反感を持つ軍側の人間どもでは話がつかない。 ならば勝手に決めてしまえば良い。どうせ自分のサインが書かれた書類を提示すれば、連中は不満を垂れながらも結局はなぁなぁで済ましてしまう。 だが奴らとしては、かつて自分達が゙無能゙と嘲笑ってきた王の勝手な判断には確実な怒りを募らせるだろう。 それもまた、王であるジョゼフにとっては些細な楽しみの一つであった。 つい数年前まで自分を嘲笑っていた貴族共の前でふんぞり返って見せるのは、中々面白いのである。 「では、今後はヤツの情報収集を行うのは把握しましたが…トリステインの担い手と周りいる連中についてはどういたしましょう」 主からの命令に了承しつつも、シェフィールドはタルブで艦隊を壊滅させたルイズの事について言及する。 あの少女が前々から虚無の担い手だという事は理解していたが、まさかあそこで覚醒するとは思ってもいなかった。 おかげでトリステインを侵略する筈だったアルビオン艦隊は旗艦の『レキンシントン』号を含めその大半を失い、 更に貴族派の者達から粛清を免れていた優秀な軍人を、ごっそり失う羽目になってしまったのである。 シェフィールド個人としては、いつでも手が出せるような状態にしておきたいとは思っていた。 少なくともアストン伯の屋敷で対峙した時点でこちらの味方になるという可能性はゼロであり、 尚且つ彼女の使い魔である霊夢やその周りにいる黒白の金髪少女は、明らかに脅威となるからである。 彼女の言葉で報告書にも書かれていたルイズの虚無の事を思い出したジョゼフは数秒ほど考えた後、 まだ覚醒したばかりのトリステインの担い手を脅威と判断したのか、彼はシェフィールドに命令を下す。 「そうだな…確かに無警戒というのもよろしくない。゙坊主ども゙も必ずこの時期を狙って接触してくるだろうしな」 「では…」 「うむ、余のミューズよ。ここからなら歩いてでもトリステインへ行けるし、何より今は夏季休暇の季節であるしな」 「流石ジョゼフ様。この私の考えを汲み取ってもらえるとは光栄です」 自分の考えを読み取って先程の命令を取り消してくれた事に、シェフィールドは思わず膝をついて頭を垂れてみせた。 巫女もどきの件は他の人間なり手紙を使えば伝えられるし、実験農場の学者たちは基本優秀な者ばかりを登用している。 無論国家機密の情報をリークする・させるというミスも犯さないだろうし、彼らならば問題は起こさないだろう。 それより今最も警戒すべきなのは、ここにきて虚無が覚醒したトリステインの担い手にあるという事だ。 あの少女の出自は大方調べてあったし、覚醒するまではそれ程厳重に監視するほどでも無いという評価を下していた。 しかし、二年生への進級試験として行われる春の使い魔召喚の儀式において、その評価は百八十度覆されたのである。 よりにもよってあの小娘は、大昔にその存在すら明かす事を禁忌とされた巫女――即ち『博麗の巫女』を召喚したのだ。 当初は単なる偶然の一致かと思われたが、監視要員を送る度にあの少女――霊夢が博麗の巫女である証拠が増えていった。 この世界では誰も見たことが無いであろう見えぬ壁に、先住魔法とは大きく異なる未知の力に、魔法を介さず空を飛ぶという能力。 そして、古くからこの世界の全てを知っている゙坊主ども゙が動き出したのを見て、シェフィールドとジョゼフは確信したのだ。 虚無の担い手である公爵家の小娘が、あの博麗の巫女を再びこの世界に召喚したのだと。 それから後、ジョゼフはシェフィールドや他の人間を使って監視を続けてきた。 幾つかのルートを経由して、霊夢に倒されたという元アルビオン貴族だったという盗賊から彼女の戦い方を知り、 何らかの事情でアルビオンへと赴こうとした際には人を通して指示を出し、ワルド子爵に彼女の相手をさせ、 更に王党派の抜け穴からサウスゴータ領へと入ってきた霊夢に、マジックアイテムで操ったミノタウルスをけしかけ、 それでも駄目だった為、かなりの無理を押して貴族派に王宮を不意打ちさせても、結局は逃げられてしまった。 最も…その時再戦し子爵から一撃を貰い、彼の杖に付着した血のおかげでこちらは貴重な手札を手にしたのだが…。 とにもかくにも、それ以降は事あるごとに彼女たちへ刺客を送り込んでいった。 ある時はトリステイン国内にいる憂国主義の貴族達にキメラを売っては適度に暴れさせ、 いざ巫女に存在を感づかせて片付けさせるついでに、彼女の戦い方をより詳しく観察する事ができた。 自分たちより先に巫女の存在を察知していだ坊主ども゙は未だ接触を躊躇っており、実質的に手札はこちらが多く持っている。 それに今は、その巫女に対抗するための゙切り札゙もサン・マロンの実験農場で開発中という状況。 二人の周りにいつの間にか現れた黒白の少女と件の巫女もどき…、そしてルイズの覚醒が早かった事は唯一の想定外であったが、 そういう想定外の状況をも、このお方は一つの余興として楽しんでいるのだ。 決して余裕を崩す事の無い主にシェフィールドは改めて尊敬の意を感じつつ、 今すぐにでもトリステインへ赴くため、ここは別れを惜しんで退室しようと再び頭を垂れた。 「ではジョゼフ様。…このシェフィールド、すぐにでもトリステインで情報収集を…」 「うむ、頼んだぞ余のミューズよ。まずは王都へと赴き、アルビオンのスパイたちと接触するのだ。 奴らなら最近のトリステイン情勢を詳しく知っているだろうし、何よりあの国の゙内通者゙にも紹介してくれるだろう」 陰で『無能王』と蔑まれる自分に恭しく頭を下げてくれる彼女を愛おしげに見つめながら、その肩を叩いてやった。 シェフィールドもまた、自分を必要としてくれる主の大きく暖かい手が自分の肩を叩いた事に、目を細めて喜んでいる。 その状態が数秒ほど続いた後…ジョゼフが手を降ろした後にシェフィールドも頭を上げて、踵を返して部屋を出ようとしたその時… 「………あっ!そうだ、待ちたまえ余のミューズ!最後に伝えるべき事を忘れておった」 「――…?伝えるべき…事?」 最後の最後で何か言い忘れていた事を思い出したのか、急にジョゼフに呼び止められた彼女は彼の方へと振り向く。 いよいよ部屋を出ようとして呼び止めてしまったのを恥ずかしいと感じているのか、照れ隠しに笑いつつ彼女に伝言を託す。 「以前キメラの売買で知り合った、トリステインの『灰色卿』へ伝えろ。お前さんたちに御誂え向きの『商品』がある…とな」 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん トリスタニアのチクトンネ街にある自然公園から、少し出たところ。 繁華街にある公園として、芝生や植木の整備がちゃんと行き届いている敷地の向こう側と言えば良いか。 公園とは対照的に放置された為にできた小さな雑木林を挟んだ先には、旧市街地が存在している。 半世紀も前に放棄されたそこはすっかり荒れ果て、ちょっとした遺跡と言っても過言ではない。 最も、繁華街との距離が近い為か、人がいたと思われる目新しい痕跡が大量に残っていた。 雑貨店の安物絵具で描かれたであろう建物の落書きは、芸術家を気取る若者の浅ましい欲望が垣間見える。 かつては大流行しているファッションを大衆に見せつけていたであろうブティックのショーウインドウは、内側から破壊されていた。 飛び散ったガラスは道路に四散したまま放置され、もはや過去の栄光すら映し出すことも無いだろう。 そんな退廃的かつ物悲しい雰囲気が漂う廃墟群の路地裏で、霊夢は体を休めていた。 「う~ん、護符がもうボロボロね…っていうかもう使えないし」 先程までいた公園跡地よりも、人の気配を大分感じられるようになった場所へと身を移した霊夢は一人呟いた。 「全く、護符はいくらでも作れるけど…こんな調子で消費してたらすぐにストックが無くなるわね」 彼女はそう言って自らの着ている服を捲り、その下に巻いているサラシへと手を伸ばす。 無論肌に直接巻きつけている白く細長い布を外すのではなく、その上に貼られている何枚かの護符を剥がす為だ。 弾幕ごっこで被弾しても軽症で済むように張られた長方形のお札のあちこちには、見るも無残な焦げ跡が付いている。 札の端っこや中央に書かれていた゛ありがたい言葉゛は自分の弾幕に被弾した際に消滅しており、もはや護符としての役目は果たせない。 ため息をつきながらも焦げたお札を剥がしていく霊夢は、ついでにと周囲の気配を軽く探ってみる。 少し歩けば人が多すぎる繁華街にたどり着けるとは思えないこここには、隠れる場所など腐る程あった。 それを留意してはいるものの、割れたショーウインドの奥や薄暗い路地裏からは何の気配も感じられない。 博麗の巫女である霊夢がこんな場所で警戒している理由…それは彼女に襲い掛かってきた自身の偽者が原因だった。 何者かに導かれるように訪れた公園で戦い、今の様な非常に面倒くさい状況を作り出した傍迷惑なパチモノの巫女。 そして自分よりも接近戦に長けたアイツに距離を詰められた瞬間、直前に放っていたスペルの光弾が偽レイムの傍で爆発。 偽者と一緒に吹き飛ばされた直後の記憶は曖昧ではあるが、ふと気づけば荒れ果てた雑草の中で気絶していた。 目を覚ました後に慌てて辺りを見回したが、不思議な事に偽者の姿は何処にも見当たらなかった。 一体どこに消えたのであろうか?そう思いつつも彼女は公園跡地を離れ、今いる場所へとその身を移して今に至る。 (今の状態で下手に攻撃喰らっちゃう事を想定すれば…楽観視できる状況じゃないわね) 霊夢は剥がし終えた゛元゛護符を足元に捨てながら、これからどう動こうか考えていた。 今の彼女の脳内は、二つほど浮かんできた考えの内どれか一つを選ぼうと目まぐるしく動いている。 一つ目は微妙に手強かった偽者を捜しだしてしっかりと退治する。ついで、可能ならば事情聴取らしい事もやりたい。 ヤツは何も覚えてないと言ったが、今までの襲い掛かってきた連中とは明らかに違うのだ。詳しく追及してみても損は無いであろう。 二つ目はルイズたちがいるであろう繁華街へこのまま戻り、彼女らと再会して自分が体験したことを話すか。 それを聞いた二人が偽者捜しを手伝うと言い出しそうだが…まぁ捜してくれるだけなら十分にありがたい。 しかし二つ目のそれを考えていたところで、それは無いなと言いたげに首を横に振る。 ルイズはともかく魔理沙まで来られると、十中八九厄介な事になると霊夢は思っていた。 森での戦いでは命を助けてくれたから良いものの、次はあの様なヘマはしないし何より人気の多い場所がすぐ近くにあるのだ。 あの黒白の魔法使いが弾幕の火力を調節するとは思えないし、相当派手な戦いになるのは火を見るより明らかである。 しかも魔理沙の「騒ぐ」はこの世界の常識では「花火」と呼べるほどに騒々しい弾幕のオンパレードだ。 下手に騒いで人が来ればややこしくなるし、うまく偽物を倒したとしても人が来てややこしくなるのは変わりない。 (やっぱり学院で倒した蟲の時みたいに、一人でやるしかないか……って、あれ?) 二つ目の考えをあっさりと放棄して偽者を自分だけで倒すと決めた瞬間、霊夢は気づく。 彼女にしては珍しくハッとした表情を浮かべ、自分の手を懐や服と別離した白い袖の中へと忍ばせる。 布の擦れる音と共に彼女の左手は五秒ほど動き、やがて諦めるかのように引っ込めた。 一つ目の選択肢を選んだ彼女が今になって気づいた事。それは手持ちの武器が殆ど無くなってしまったという事であった。 今日は何も起こらないだろうとお札も針も、そしてスペルカードですら最低限の分しか持ってきていない。 そして、先程の戦いにおいて持ってきていた分が底をついてしまったのに、霊夢自身が今になって気が付いたのである。 (迂闊だったわね…こんな事になるとわかってたら、もうちょっと持ってきた方が良かったかしら?) 朝の自分を軽く恨みつつ、彼女は唯一の武器であり今のところ有効打にならないだろうスペルカードを何枚か取り出す。 今手元にあるコレだけでも充分に戦える自信はあったのだが、相手は自分自身と言っても良い。 少し一戦を交えた程度だが、あの偽物が自分と同じくらいの回避能力を持っていることだけは理解していた。 今手元にあるカードは、今の魔理沙でも十分に避けれるであろう単調なモノばかりである。 最も、スペルカードを知らない者から見れば最大の脅威と言えるが、弾幕ごっこに慣れている人妖ならば今の霊夢に言うだろう。 「そんな弾幕じゃあ、Easyモードが限界だよ」と スペルカードがダメならば肉弾戦という手もある。しかし、生憎にもそちらの方は偽者に分があるらしい。 別に苦手というワケでも無いし、どちらかと言えば幻想郷の妖怪相手でもそれなりに戦える。 だからといって得意ではなく、魔理沙や紅魔館のメイド長の二人は霊夢よりも上手だ。 星形やレーザー系統の弾幕をよく放つ魔理沙は素手の戦いでも強いし、箒を武器にして殴り掛かってくることもある。 彼女とは何回か戦った事のある霊夢も、黒白の魔法使いが手足のみの喧嘩に強い事は知っていた。 そして紅魔館のメイド長に関しては…何というか、ズルに近いものがある。 正直に言わなくても、あの銀髪メイドが正面から来ることは殆どないだろうから。 というよりも、霊夢自身彼女との接近戦は御免こうむりたいものがある。 彼女が持っている能力は霊夢が知っている中ではかなり厄介で心臓に悪いという、非常に悪質なものだ。 そして接近戦を避けたい理由はズバリ、彼女が一番得意とする獲物のナイフにあった。 霊夢の御幣や魔理沙の箒とは違い、見た目と殺傷能力がストレート過ぎる青い柄の刃物。 一人のメイドが持つには少々危なっかしい凶器を、彼女は体のどこかに何十本か隠し持っている筈だ。 弾幕として大量の刃物を一気に投げつけてくる姿を見れば誰だって不思議に思うだろう。 あのメイド長は一体何処からあれ程の゛キョウキ゛を取り出し、どうやって一斉に投げつけているだろうか?…と。 (まぁ、そのタネは複雑に見えて単純なんだけどね…―――って、アッ…) いつの間にやら幻想郷にいる顔見知りの事を思い出していた霊夢は、ふと我に返る。 こんな何時襲われても仕方ない時に、あまり親密になりたくない人間二人の事を思い出しているのだろうか。 霊夢は無に等しい反省を覚えつつ体を動かそうとしたとき、ふと自分が地面に座っている事に気が付く。 どうやら自分でも知らぬ内に胡坐をかいて座っていたらしく、それに気づいた彼女の顔に思わず苦笑いが浮かぶ。 「何か…私が思ってる以上に体が疲れてるのかしらね?」 脳内に浮かび上がる言葉をそのまま口に出した霊夢はその場で顔を上げ、空を仰ぎ見る。 気が付くと青かった空に朱色がほんのりと混じり、夕焼けの空を作り上げている。 水彩絵の具で描いたような雲の群れは夕日に照らされ、焼きたてのパンを思わせる色合いだ。 今の霊夢がいる場所周辺は今の時間は陽が入らないせいか、ここへ来た時よりも更に薄暗くなっている。 ここが幻想郷なら、後二時間ほどもすれば陽が完全に落ちて妖怪たちの時間が始まるであろう。 「あぁ、もうそんな時間なのね…どうりで疲れるわけか」 一人呟きながら重くなった腰を上げた霊夢は、その場でゆっくりと欠神する。 両手を天高く掲げ、無垢と言える程に綺麗な腋を晒す彼女の姿を見る者は生憎な事に一人もいない。 ここに来るまで数々の異常事態に見舞われた彼女にとって、今は身体の力を抜くのに丁度いい時だった。 「さて…本当にどうしようかしら」 上げていた両手下ろし、一息ついた霊夢はそう言ってこれからの事を考える。 お札と針が切れ、スペルカードはあまり頼りにならないものばかり。 偽者を捜して倒そうと思えば倒せるがその分苦戦するだろうし、何より無駄に痛い思いをするのは御免だ。 自分のそれとほぼ同じ霊力で包んだ左手に殴られるところを想像して、霊夢はその身を震わせる。 戦っていた時は一度も喰らわなかったが、アレをまともに受けていたら人間と言えど軽傷では済まないだろう。 しかも霊力に包まれている最中は、剣になるどころか盾の役目も務めているらしい。 最初に公園跡地で見つけた霊夢が奇襲代わりにとお札を投げつけたのだが、何とそれを左手一つで防いだのだ。 あの光景を見たのならば誰だって、直接喰らわずとも相当危険な左手だと認識できるだろう。 しかも自分の身を守ってくれる護符すら貼りつけてない今は、殺してくださいと言ってるようなものだ。 つまり、最終的に倒すつもりではあるアイツと戦うのなら、今の状態では非常に苦しいのである。 せめてお札と針を目いっぱい装備して護符も貼り直し、保険として強力なスペルカードも欲しいところだ。 「どっちみち倒すつもりだけど、やっぱりルイズ達のところか、もしくは学院へ一旦帰った方が良いかな?」 心の中でこれからの事を考え終えた霊夢は一人呟き、路地裏からひょっこりとその身を出す。 同じように荒んだ状態のまま放置された通りの真ん中に佇み、改めて周囲を見回した。 旧市街地の大きさはブルドンネ街と比べれば、あまりにも小さい。 ブルドンネ街が三とすれば、ここは三分の二程度しかないのである。 通りを挟むようにして共同住宅が建てられているが、そこから人の気配は感じられない。 目を凝らしてみれば建物の幾つかに大きな罅が入っており、まるで蚯蚓腫れの様に建物全体を蝕んでいる。 「人がいないとこんなに荒むなんて、まるでこの街の人間すべてが座敷童みたいね」 周囲にある他の建物や道路にも小さなひび割れがあり、それに気づいた霊夢はポツリと呟く。 大多数の者たちが新しい街へと移り住み、ここに残されたのは僅かな人々と退廃の空気。 その人々は職を持たぬ浮浪者や犯罪者たちであり、彼らが街の為に何かをする筈もない。 故にこの場所は死んだような気配を醸し出し、ここに住む者たちはそれに慣れてドブネズミのような生活を営む。 移り住んだ者たちは目をそらし続け、新しい住処で人生を謳歌しつつこれからの発展を願い続ける。 古い過去を捨てて、現在から未来を築くのが最善か? それとも醜い現実から目をそらし、古き良き過去を選んだ方が良いのだろうか? 二つの疑問をまとめて抱いた霊夢は頭を横に振り、それを払いのけた。 彼女はこの街で生まれ育ったわけではないし、何よりここで生きていくという気も無い。 どっちにしろ霊夢にとって、トリスタニアという都はあまり良い場所とは思えなかった。 (ルイズや魔理沙はどうか知らないけど…あたしには人里ぐらいが丁度いいわ) 旧市街地の通りに佇み続ける彼女がそう思った時。――――それは聞こえてきた。 ―――――捜せ それは急な戦いから離れ、一時の休息を堪能していた彼女にとって青天の霹靂であった。 「……ん?」 くたびれきった通りを歩こうとした霊夢の耳に、誰かの声が聞こえてくる。 まるで男性と女性のそれが混じったような声のせいで、相手の性別が何なのかわからない。 それでも霊夢はキョトンとした顔を浮かべて振り向いたが、後ろには誰もいない。 通りの端に生えた雑草が風でフワフワと揺れているだけで、生物の影すらないのだ。 一体何なのか?そう思った時、またしても声が囁いてきた。 ―――――戦え 「誰…誰かいるの?」 考える暇もなく聞こえてくる性別不明な声に対し、霊夢は何となく声をかけてみる。 男女混合のせいか酷いノイズになりかけている声と比べ、彼女の声はあまりにも綺麗だ。 気の強さと清楚さが伺える美声は誰もいない旧市街地に響き渡るが、返事は無い。 きっと神の如き天から見下ろせば、誰もいない通りで一人声を上げる巫女の姿は奇妙であろう。 遠くから聞こえてくるアホゥアホゥというカラス達の鳴き声は、そんな彼女をあざ笑っているかのようだ。 何なのだろうか。そう思った時、霊夢はハッとした表情を浮かべる。 思い出したのである。いま体験している出来事がつい一時間ほど前にもあったという事を。 (そういえば、レストランを出る直前に…) 心の中で呟いて思い出そうとしたとき、またも声が聞こえてくる。 ―――――殺せ 何処からか聞こえてくる声は、博麗の巫女へ物騒な事を囁いてくる。 通算で三回目となる声はしかし、先に出てきた言葉よりも過激さが増していた。 (はぁ?…殺す?何を殺せばいいのよ) 常人なら怯える筈の声に対し、嫌悪感丸見えの表情を顔に浮かべた霊夢は心の中で突っ込みを入れる。 既によく似た異常事態を体験してきた彼女にとって、これはもう動揺する程の事でもない。 だからこそもしやと思い、ふと自分の視線から外れていた左手に目をやった。 何も持っていない彼女の左手の甲。そこに刻まれているルーンが青白い光を放っている。 左全体ではなくルーンだけが光っているその光景は、誰の目から見ても異常としか認識されないであろう。 事実、ついさっきまでいたレストランでこれを見た霊夢はおろか、その場にいたルイズや魔理沙も驚いていたのだから。 (ホント参るわぁ…どうしてこう、落ち着いてきたって時に厄介事が舞い降りてくるのかしら) 二番煎じに近い謎の声に対し、そろそろ辟易に近い何かを感じ始めた時であった。 ―――――殺せ 四度目となる声を聞いた直後、ふと頭に痛みが走るのを感じた。 まるで頭の中を直接指で突かれたような感触を覚えた彼女の右手は、無意識に頭を押さえる。 時間にすれば一瞬であったそれに、思わず怪訝な表情を浮かべた瞬間―――それは始まった。 「……――――…つッ!!」 一瞬だけ感じたあの痛みが先程より何倍も強いモノとなって、彼女の頭の中を巡り始めたのである。 狂った野獣と化した刺激は彼女の頭を走り回りながら、縦横無尽に引っ掻きまわしていく。 突然であり強烈な頭痛に流石の霊夢も声を上げ、頭を抱えてその場に蹲ってしまう。 人気のない旧市街地の通りに人が倒れる音が響きわたるも、それを聞いて駆けつけてくる者など当然いない。 先程までウンザリしたとような表情を浮かべていた彼女の顔には、苦痛の色がハッキリと見えている。 文字通り廃墟の中にいる霊夢はたった一人だけで、痛みに苦しんでいた。 「あぁっ…つぅっ、…イタ…あぁっ…!」 傍から見れば頭を抱えて土下座しているように見える彼女の口から、苦しげな喘ぎ声が漏れている。 彼女の声を聞く者が聞けば、今感じている痛みがどれぐらいのものかある程度分かるかもしれない。 それ程までに、今の霊夢は自身の想像を軽く超えていた強烈な痛みに襲われていた。 唐突な刺激に声も出せず、状況把握すらできない彼女に追い打ちをかけるかのように、再び声が聞こえてくる。 ―――――殺せ 「ぁあっ!…あぁあぁっ!!」 五度目となる声は霊夢の頭の中に響き渡り、それが痛みをより激しいものへ変化させる。 喘ぎ声は小さな叫び声となり、蹲っていた彼女の体から力が抜けてその場に倒れ伏した。 それでも尚止むことは無い頭痛に頭を掴む指の力を強め、横になった体が魔意識に丸まっていく。 投げ出された両足の膝が丁度の顎に当たりそうなところで動きが止まる。けれど痛みは止まらない。 頭の中を直接フライパンで叩かれているかのような痛みは彼女の体を蝕み、心さえも汚し始める。 胎児の様に丸まった霊夢の叫び声には涙声が混じり始めたその姿は、痛みに屈しかけているとも言えた。 最も、それに屈したところで痛みが消えるモノならばとっくにそうしているだろうが。 しかしどう屈せばいいのか、そもそも何故こんな事になっているのかさえ彼女には分からなかった。 そして、なぜ自分がこんなに目に遭うのかという理不尽さを抱いた霊夢は… (何よ…私が一体なにをしたっていうのよ……何を…!) 叫んだ。そう、痛みに潰されそうな心の中で 姿すら見せない正体不明の声の主と、自身の頭を這い回る激痛に対して叫んだのだ。 それが奇跡的にも、六度目となる謎の声は彼女の叫びに応えたのである。 ―――――武器を、持て 耳を通して激痛走る頭の中に、再び声が聞こえてくる。 男か女とも知らぬその声はしかし、五度目のそれと違い無駄に頭痛を刺激しなかった。 まるで痛む部分だけを避けるかのように、身体を丸めた霊夢の耳に入ってくる。 そして一呼吸置くかのように数秒ほどの時間を空けて、謎の声は彼女に囁き続ける。 ―――――相手を突きさす槍や、切り裂く剣を見つけ出し、その手に持て (武器を……―――手に、持て…?) 先程のそれとは違う声の言葉に、霊夢がそう呟いた直後であった 「―――――はっ!…――あ―イタ…?―…っぅあ…えぇ…?」 今まで彼女の頭を蝕んでいた激痛が、何の前触れもなくフッと消えたのである。 まるで肩の荷を下ろした時の様な間隔に襲われた彼女は、閉じていた目をカッと見開かせる。 次いであんぐりと開いた口から酸素を取り入れて吐き出すという事を何回か繰り返し、忙しげに深呼吸を行う。 ガッシリと力を入れていた手の指から力を抜きながら自分の頭を擦り、もうあの痛みが過去のモノになった事を理解した。 丸めていた体からも力が抜けたかと思うと、皮膚から一気に滲み出てきた汗が彼女の服に染みこんでゆく。 「消えた…の?」 確認するかのように一人呟いた時、彼女の額から一筋の冷や汗が垂れ落ちる。 常人ならば泣き叫んでいたで痛みを味わいながら、霊夢はその目から何も零してはいない。 その代わりと言うのだろうか?最初に落ちた一粒を始まりにして、何粒もの汗が彼女の顔を伝って地面に落ちていく。 右腕を下にして寝転がっているせいか、顔から滴り落ちる大量の汗が彼女の右肩を濡らし始めていた。 「一体何だっていうのよ、今のは」 これ以上倒れていても意味はない。そう判断した霊夢は立ち上がる。 季節が夏に近いという事もあってか、既に彼女の体は冷や汗でぐっしょりと濡れていた。 「あ~…何だって今日は、こんなにも運が悪いのかしら?」 服まで汗まみれの彼女は嫌悪感が混じるため息をつきつつ、先程の言葉を思い返す。 彼女を一分ほど苦しめた突然の頭痛を消し去ったであろう声は、武器を手に取れと言っていた。 それもわざわざ左手で取れと細かい注文をしていたのも、当然覚えている。 一体なぜあんな事を言った来たのか?そもそも頭痛の原因は何だったのだろうか? 「考えれば考えるほど泥沼に浸かるなんて事は…これが初めてね」 何がどうなっているのだろうか?理解不能な状況に見舞われている霊夢は無意識に頭を掻き毟る。 冷や汗で濡れた髪に触れた途端、冷たさよりも先に不快感が湧きあがってくる。 さっきまで唐突な頭痛に苦しめられた彼女の息は荒く、立っているだけで精一杯という感じだ。 「…何かもう、やる気とか戦意がバカみたいに無くなっちゃったわ」 足がふらつくのを何とか堪えつつ、霊夢は気怠そうに呟く。 本当ならまだ近くにいるかもしれない偽者探しと行きたかったが、生憎そうもいかなくなった。 手持ちの武器は少なく、それに追い打ちをかけるかのごとき強烈な頭痛と武器を探せとかいう変なアドバイス。 そして頭痛が治まった後に出てきた大量の汗で、全身びしょ濡れという悲惨な状態。 色んな事がいっぺんに起きたおかげか、今の霊夢にやる気というモノは無くなっていた。 「とにかく、学院へ帰れたらお風呂に入ってすぐ寝よう。また頭が痛まないうちに…」 心が真っ青になりつつある彼女は一人呟きつつ、未だに光り続ける左手のルーンへと目をやる。 まるで数匹の蛇がのたくって出来たようなソレは、ルイズの使い魔である何よりの証拠。 そしてこれまで出会ってきたこの世界の住人たちの話を聞いて、何て読むのかは聞いていた。 ガンダールヴ。今から約六千年前…゛始祖ブリミル゛というメイジが使役していたらしい使い魔。 ありとあらゆる武器や兵器を使いこなし主人を守ったその姿から、「始祖の盾」やら「神の左手」という異名があるらしい。 しかし今の霊夢には、どうにも鬱陶しい事このうえない呪いのルーンだった。 「ガンダールヴだか何だか知らないけど…いい加減光るのをやめてくれない?」 彼女はそう言って、光る左手を光っていない右手でペシペシと叩いた。 それで光が止まる事もなく、煌々と輝くルーンを相手に苛立たしい気持ちが湧き上がってくる。 人や動物に物が相手ならまだしも、使い魔のルーンに対し怒りを覚える使い魔はきっと彼女が初めてであろう。 最も、霊夢自身は誰が何と言おうとルイズの使い魔になる気は全くないので仕方ないとしか言えない。 「このまま一生…って事はないと思うけど、何時になったら消えるのかしら」 叩いてどうにかなるモノではないと感じた霊夢は忌々しげに呟き、チクトンネ街へ向けて歩き始める。 力を抜けばふらついてしまいそうな両足で地面を踏みしめる彼女は、このルーンをどうしようか悩んでいた。 このままバカみたいに光り続けてくれたら目立つだろうし、今後の生活にも影響してくる。 想像してもらいたい。左手が光り続ける博麗霊夢の一日を。 朝起きて、顔を洗おうとすると光手が光っているのに気付き何かと思い見てみると、目にしたのはガンダールヴのルーン。 服を着てルイズや魔理沙と一緒に食堂へ向かい、朝食を食べている最中にも光り続ける左手。 朝食が終わり部屋に戻ってデルフと暇潰しをしている最中にも、空気を読むことなく光る使い魔の証。 お昼になれば一足先に食堂へと入り、後から入ってきたルイズたちに向けて光りの尾を引く左手を振る霊夢の姿。 午後は軽くお茶を嗜んでから昼寝をしたいというのに、無駄に神々しく光るルーンでベッドに寝転がっても中々寝付けない。 夕食を食べ終え風呂に入ってからの就寝でさえもルーンは光り続け、疲れ切った彼女の顔をいつまでも照らしている。 博麗霊夢にとって何の変哲もない一日は、ルーン一つで異常なモノへと変貌してしまうだろう。 「少なくとも…今夜までにはどうにかしないと」 左手が光り続けるかもれしれないこれからの人生を想像し、身震いした霊夢は小さな決意を胸に秘めた。 とりあえずルーンの事は一応ルイズに聞くとして、どうやって光を止めるのか考えなければいけない。 彼女がそれを知っていれば苦労はしないが、それはないと霊夢自身の勘が告げていた。 今日はとにかく自分の考えている事とは違う方向に動き過ぎているうえに、まだそちらの方へ進み続けている。 本来ならルイズや魔理沙と一緒に学院行きの馬車に乗っていたかもしれないのに、実際には廃墟の中に一人いる始末。 ただの買い物目的で街へ赴いたというのにこんな事になってしまった事自体、運が悪いとしか言いようがないだろう。 つまりルイズの所へ行っても今の状況が良い方向に向くとは限らない。彼女の勘はそう告げているのだ。 だからといって何かしら動かなければ状況は変わらないし、ルーンが光ったままでは鬱陶しいにも程がある。 じゃあどうすればいいのだろうか?それを考えようとした霊夢はしかし、既にその答えとなるヒントを自分で出していたことに気づく。 無論それを覚えていた彼女は暫し顔を俯かせたのち、盛大なため息をついた。 結局のところ、それが今一番考えられる最善の答えかという感想を心中で漏らしつつ、一人呟く。 「やっぱり…見つけちゃったのなら何とかしとかないと、ダメなのかしらねぇ?」 面倒くさい仕事に取り掛かる前の愚痴と言える言葉が出た瞬間… ―――――来る 見計らったかのように、性別すらハッキリしない謎の声が聞こえてきた。 通算七回目となるそれには、六回目までには無かった何かが含まれている。 ここで聞こえた今までの声は淡々と話しかけてくるような感じだったのだが、今の声は違っていた。 まるで誰かに注意するかのような、僅かではあるが焦燥と警戒心に近い何かをその声から感じ取ったのである。 霊夢は何処からか聞こえてくる声に対し何も言わず、ただその場で軽く身構える。 既に彼女は気づいていた。妙な懐かしさが感じられる殺気が背後から近寄ってくる事に。 「わざわざ其方から来てくれるなんて。随分御親切じゃないの」 後ろにいるであろう相手に、霊夢は心のこもっていないお礼を述べた。 その直後、後ろの方から此方へと近づいてくる足音が聞こえてくる事に気づく。 ゆっくりとした歩調で足を進める相手の殺気は、酷いくらいに冷たい何かが含まれている。 そして、殺す意味は知らないがとりあえず殺せばどうにかなるだろうという投げ槍的な適当さも感じられた。 そんな相手が近づいてくるのにも関わらず、身構えたままの霊夢は暢気そうに言葉を続けていく。 「丁度こちらも捜そうと思ってたんだけど、色々と可笑しい事があったから帰ろうとおもってた最中なのよ」 気楽そうに話しかける彼女の姿は、まるで故郷の友人と異国の地で出会ったかのようだ。 しかし、相手から漂ってくる殺気がそれで消えるはずもなく足音は段々と大きくなっていく。 背中を向けているために正確な距離は分からなかったが、そんな事はどうでもよかった。 ただ、後ろの相手がどのタイミングで一気に近づくか、今の霊夢にとってそれが一番の悩み事であった。 そんな時、またしても謎の声が聞こえてくる。 ――――武器を、取れ 「で、その可笑しい事ってのがね、何処からか声が聞こえ来るのよ」 しつこいくらいに囁いてくる謎の声を無視するかのように、霊夢は後ろの相手に話しかける。 体が石になったかのようにじっと身構え、自分が捜そうとして向こうから来た相手の出方を待っていた。 その間にも足音は近づいてくるのだが、彼女は振り返ろうともしない。 ただじっと体を動かさず、相手がどうでてくるか背中越しに伺っている。 ひしひしと感じられる殺気をその身に受けながら、霊夢はまたもその口から言葉を出した。 「――もしかして、その声が聞こえる原因は…アンタにあるのかしら?」 霊夢がそう言った瞬間だった、聞こえ初めて一分ほどが経つであうろ足音に変化が起こったのは。 先程までの霊夢が何を言っても止まる事の無かった足音のテンポが…一気に速いモノへと変わったのである。 ゆっくりと歩いていた感じのソレはあっという間に早歩きへと変わり、足音の主は霊夢の方へと近づいてきたのだ。 その時になってようやく霊夢は素早く振り返り、慣れた動作でもって急ごしらえと言える結界を自身の目の前に展開する。 幻想郷にいる人間の中ではトップに入るほど結界のプロであり、尚且つ博麗の巫女である彼女作りだす結界。 見た目は青白い半透明の板であってもその防御力は桁外れであり、ちょっとやそっとの攻撃では壊れない程度の強度はある。 しかし、振り返った先にいた相手はその結界の程度を把握していたのだろう。 霊夢と同じように光る゛左手゛を勢いよく前に出し、それを結界へと突き刺した。 直後、鏡が割れるような耳に良くない音が人気のない通りに響き渡る。 霊夢の結界をいとも簡単に突破した相手の゛左手゛は力強く放たれた矢の如く、その指先でもって霊夢の顔を貫かんと迫ってくる。 だがあと少しというところで゛左手゛が不自然に揺れ動き、眼前で停止した指先を霊夢はジッと凝視していた。 結果的に割れる事は無かった結界だが、相手の先制攻撃を完璧に防ぐ程度の力は無かったらしい。 数秒ともいえぬ短い時間で作られたそれの真ん中に突き刺さった相手の左手があり、そこを中心にして結界に罅が入り始める。 薄い氷を割るような音が微かに聞こえるなか、酷く落ち着いている霊夢は相手に向けてこう言った。 「もしそうなのなら手加減は出来ないけど、それ相応の事をしたんだから恨まないでよね」 「――――面白い事言うじゃないの。…それなら」 彼女の口から放たれたその要求に対し相手―――偽レイムは淡々と返しつつ言葉を続ける。 「私がアンタを殺しても、恨むのは無しってことよね?」 「あら、悪いけど私は恨むわよ。だって何も知らないままで死ぬのは嫌ですから」 不気味なくらいに赤色に光る瞳に睨まれながらも、霊夢は自分の事を棚に上げて宣言した。 互いに左手を光らせ、その身を退かせることなく罅割れていく結界越しに睨み合う二人の霊夢。 どちらかが倒れるまで終わる事のない戦いが、今まさに始まろうとしている。 そんな時であった。偽レイムの手が突き刺さった結界が、音を立てて盛大に弾け飛んだのは。 少女と少女の戦いの始まりを告げるゴングの音は、あまりにも綺麗で儚い音色だった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん