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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん チクトンネ街から少し出ると旧市街地の入り口があるが、そこから先は殆ど人気が無い。 人々が集う飲食店や酒場も無いここは、既に放棄されて久しいと言っても良いくらいの場所であった。 唯一目につくものと言えば、かつては多くの人を迎えたであろうアーチが立てられた入り口とその真下に作られている一つの台座だ。 旧市街地へ入ろうとするものを拒むかのような古びたアーチにはどんな事が書かれ、台座の上にはどんな像が置かれていたのだろうか。 それを知る者はこの場におらず、知っている者もきっとここへ戻ってくることは無いだろう。 文字通り死した大地とはこの街の事を示すに違いない。今のここは活気を失い、座して滅びを待つ者たちの吹き溜まりだ。 こんな場所へ何の用事も無しに訪れる者は、きっと余程の変わり者ぐらいであろう。 しかし、今日は始祖が気まぐれにも救済の手を差し伸べたのか、二人の少女がこの街へ入ろうとしている。 孤独死を静かに待つ老人の如きそんな場所に、ルイズと魔理沙の二人は佇んでいた。 「レイムの居場所はわかったけど…何でよりにもよって旧市街地に来なきゃいけないのよ」 魔理沙の後ろにいる彼女はそう呟き、旧市街地の入り口を軽く見回す。 ルイズの顔には苦虫を踏んでしまったかのような表情が浮かべており、入りたくないというオーラが身体から漂っている。 ある程度トリスタニアを知っている彼女は、ここがどれ程危険な場所なのか把握していた。 犯罪者や浮浪者の溜まり場であり、尚且つ崩壊寸前の建物が幾つも放置されているという立ち入り禁止の土地。 実際は立ち入り自由なのだが、ルイズは意識してこの旧市街地に近寄る事を今の今まで避けていた。 しかしそんな彼女とは対照的に、ルイズの前にいる魔理沙は楽しげに口を開く。 「へ~…トリスタニアってこんな場所もあるのか。今の今まで知らなかったよ」 彼女はそう言うと顔を上げ、自分たちよりも十メイル程上にある木造のアーチと、そこに取り付けられている赤錆びた鉄看板を見つめる。 風雨に晒されるばかりか虫に喰われた箇所が痛々しいアーチは、いつ崩れてもおかしくは無い。 そしてアーチの上部にある広いスペースに取り付けられている鉄製の看板には、きっと歓迎の言葉が書かれていたのだろう。 しかし、それもまた数十年の歳月をかけてアーチより更に汚れ、今では屑鉄として処理されるしかないガラクタと化していている。 一見すればお化け屋敷の入り口だと錯覚してしまうそれを魔理沙は興味津々といった目で見つめ、一方のルイズは嫌悪感たっぷりの瞳で睨みつけていた。 「しっかし相当古い所だよな~。幻想郷にある数多の廃屋が結構まともだと思えてくるぜ」 上げていた顔を下ろし魔理沙がルイズに向かってそう言うと、すぐにルイズは口を開く。 「ふーん…それほどの良い家ばかりなら是非とも見せてくれない?ここより酷かったらタダじゃ済みませんけど」 隣の少女へ嫌味を含めて送ったルイズの言葉はしかし、「おっと、そう言われると自身が無くなってしまうな」と呆気なく返される。 ここで自分の言葉に乗ってくれるかと思っていたルイズは、ムッとした表情を浮かべて魔理沙を見やる。 そんな自分とは対照的にニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべる魔法使いを見て、彼女は不満気な顔のままため息をついた。 「ユカリのヤツ…まさか適当な事言って、あたし達から今のレイムを引き離してるんじゃないのかしら?」 ルイズはそう言って、ここへ至るのまでの経緯を軽く思い出そうと脳内で時を巻き戻し始めた。 ◆ ゛霊夢は今旧市街地にいる。行くというのならできるだけ早く行った方がいいわよ?゛ ついカッとなったルイズに足を踏まれ続けていた八雲紫は、痛みに耐えながらも二人にそう教えていた。 当初はルイズがあまり役に立たないという事で、姿を消した霊夢を追いかけるなと警告した大妖怪。 しかし、戦力外扱いされた本人はそれで見事に憤り、結果自分をけなした妖怪にキツイ一撃を与える事に成功した。 本当は拳骨をお見舞いしたかったが失敗し、半ば自棄的に足を踏みつけたのが功を成したと言える。 両者一歩も引かぬ光景を魔理沙が傍観する中、ルイズはこれからの決意を紫に伝えたのだ。 それを聞いて根負けした…ワケでは無いのかもしれないが、紫は微笑んだのである。 まるで戦場へ赴く事を決意した我が子を見る母親の様に、優しくも何処か遠い場所を見つめているかのような微笑みであった。 「そこまで言うのなら教えない、と言うワケにはいきませんわね」 紫はこちらを凝視するルイズに向けてそう言って、今の霊夢がいる場所を教えてくれたのだ。 いつもと違いやけにあっさり話してくれたことに二人は疑問を持ち、一回だけ魔理沙がその事について尋ねていた。 「珍しいな?いつものお前なら難しい言葉でも出して退散すると思ったんだが」 黒白の質問に、紫は鼻で笑いつつ丁寧に答えてくれた。 「知ってるかしら?貴女達を含めた周りの者たちが思うほど、私は悪質ではありませんの」 無論、仏の様に優しくもありませんけどね。最後にそんな言葉を付け加えた後、紫はその口を閉じた。 その後、彼女は「少し用事があるから」という理由で自ら開いたスキマを使ってその場を去ってしまった。 一体何の用事なのかと一時は訝しんだのだが、それを考えるよりも優先すべき事がありすぐに忘れてしまった。 その優先すべき事を消えたばかりの妖怪から聞いたルイズは魔理沙と一緒に、チクトンネ街からある場所へと向かった。 日が暮れるにつれて人混みがきつくなっていく通りを抜けた彼女らは、ここ旧市街地までやってきたのである。 ◆ そして時間は戻り、廃墟群の前にたどり着いたルイズと魔理沙が入り口の前で佇む今に至るのであった。 「…まぁ紫の言う事が本当かどうかは知らないが、すごい所が街中にあるもんだな」 ルイズの言葉にとりあえず肯定の意を示しながらも、魔理沙は旧市街地の入り口周辺を見回している。 とりあえず応えてみたという魔理沙の言葉に目を細めるが、まぁ彼女が驚くのも無理は無いと感じていた。 ブルドンネ街やチクトンネ街と比べやや古い空気を残す街並みは、時代に取り残された証拠と言っても過言ではない。 時と共に増え続ける人口によって不便になる水回りの環境や狭い通りは、人々を新しい街へ移住させるきっかけともなったのだから。 ハルケギニア大陸の主な国々の首都や王都にも旧市街地はあるが、トリスタニアの様に明らかな廃墟化はしていない。 ガリアのリュティスは幾年もの工事で平民たちの不満をある程度取り除き、ゲルマニアのヴィンドボナでは家屋を取り壊して工場を作った。 聖都ロマリアでは最近になって難民たちの生活場所になり、アルビオンのロンディニウムには今も多くの人々が暮らしている。 そんな中であっという間に過疎化が進み、犯罪者や働く気のない浮浪者たちのたまり場となった場所は、ここトリスタニアだけだ。 更に旧市街地自体はいまだ原型を保っている事と多くの人が今も出入りしているという理由で、立ち入り禁止の看板さえ立てられない現状。 碌な整備もされないせいで通りも建物も荒れに荒れた今では、何も知らない異国の人間が見れば驚くのも無理はない。 何せハルケギニアでも有数の観光名所である王都の中に、場違いとも言える廃墟が存在しているのだから。 しかし観光客の中にはこういう場所が好きだという人達がいる事を、ルイズは雑学の一つとして知っていた。 (実際に目にするのは初めてだけど、コイツの性格を知ってると墓荒らしの類かと思えてくるわね) 初めて訪れる旧市街地にワクワクを隠せない魔理沙を見ながら、ルイズはそんな事を思っていた。 魔理沙が旧市街地をこの街の名所(?)の一つとして見ていたが、その一方でルイズはあまり縁起の良くない場所と思っていた。 先程呟いた言葉が示すように、今更ながら紫の情報は本当なのかと疑い始めていたのである。 最初に聞いたときは早く霊夢の所へ行かねばと急いでいたが、ある程度落ち着いた今ではその気持ちも薄らいでいる。 そして、段々と冷静さを取り戻す彼女はぽつぽつと思い出していた。ここ旧市街地に関するあまり噂の数々を。 肝試し気分で深夜にここを訪れた若者たちが浮浪者たちに襲われ、そのまま帰らぬ身になったという話。 地下水道に潜むゴーストや、謎の病原菌が蔓延しているという都市伝説の類。 当時の王家が隠したという財宝が、今もどこかに隠されているという美味すぎる噂。 他にもあるかもしれないが、少なくともルイズが知っている旧市街地の噂はそれ程多くは無い。 だが腰を入れて探そうと思えば…百科辞典一冊分は無いにしても、それなりの情報は手に入れられるだろう。 それ程までにこの場所は怖ろしいくらいに怪しく、暇つぶしのネタにもってこいの土地であった。 しかしルイズからして見れば絶、ここは対に近寄りたくない忌み嫌われた場所なのは違いないのだ。 本当ならば自分の前にいる異世界人にもそれを教えたい所であったが、彼女はそこで悩んでいた。 (どうしよう…コイツに教えたらもうレイムを捜すどころじゃ無くなる気がするわ) もしも目の前の相手が魔理沙以外の人間なら、ここの噂を聞いて予想通りの反応を見せていただろう。 例えば、若者たちが行方不明とかゴーストの話を聞かせれば多少なりとも自分の気持ちを理解してくれるに違いない。 だが、魔理沙やこの場にいない霊夢の二人にそんな事を話しても、それで怖がるという場面が想像できないのである。 むしろそれで怖がる自分を馬鹿にしたり、予想よりもずっと斜め上の反応を見せてくれるのではないかと危惧していた。 霊夢は鼻で笑ってくるだろうし、魔理沙に至っては話を聞き次第本当かどうか確認しに行くだろう。 実際にそうなるかどうかはわからないが、少なくともルイズはそういう事になるなと予想していた。 自分の話に斜め上の反応を見せてくれるかもしれない二人の姿を想像し、ルイズは無意識に呟いてしまう。 「言えるワケ無いわよね、面倒事になるのなら…」 「お、面倒事ってなんだ?何やら随分と面白そうな話がありそうじゃないか」 あまりにも意味深すぎる彼女の言葉に対し魔理沙が反応するのは、必然としか言いようがなかった。 「えっ?――あ、うぅ…」 まるで子供の様に無邪気な瞳で見つめられるルイズはしまったと後悔しつつ、どう答えようか迷ってしまう。 思い切ってここの噂を話そうか、もしくは何でもないと言って誤魔化すか。 正直言ってどちらの方を選んでも良くない事が起こりそうだと、この時の彼女は薄々感じていた。 仮に噂話を教えてしまうとなると、この黒白が唐突な探検を始める事は碌に考えなくとも予想できる。 かといって何もないと言えばこちらの根が折れるまで問い詰めてくるだろうし、そうなればここで立ち往生してしまう。 旧市街地へ来たのはあくまでも霊夢の捜索をする為で、都市伝説の真相を確かめに来たのではないからだ。 どんな言葉で返そうか迷っている彼女は、ふと先程の出来事を思い返す。 それは霊夢の様子がおかしくなった直後に、ガンダールヴのルーンが光り出したことであった。 (何でルーンが光ったのかわからない…けど、良くない事が起こりそうな気がするわ) 彼女は心の中で呟きつつ、自分の心が不安に包まれていくのを感じてしまう。 契約直後とワルドの魔の手から救ってもらった時以外、あのルーンが光ったところを今まで見たことが無かった。 不思議に思ったが本人曰く、自分の能力に関係していると言っていたのでそれが答えなのかもしれない。 しかし契約直後はともかくとしてアルビオンの時にはそれを光らせ、見事な剣術を見せてくれた。 何であの時にガンダールヴの力が働いたのだろう?あの日から二ヶ月近くも経つが、ルイズは今でも疑問に思っている。 当の本人にそれを聞いてもわからないと言っていたし、幻想郷に帰った時も答えらしい答えは見つからなかった。 ただ…異変解決の為に霊夢と一緒に自分の世界へ戻ろうとした直前、紫はこんな事を言っていた。 「この答えは今出てこないが、後で自ずと出てくるかもしれない」と。 (今回の事…もしかして、それが答えに繋がるのかしら?) ほんの少しだけ過去の出来事を思い出していたルイズは、何回か瞬きをしてから現実へと意識を戻す。 そして後悔する。面白い情報を探り出そうとしている黒白の魔法使いが、すぐ傍にいたことを忘れていたのだ。 「何を黙ってるんだルイズ?黙ってても私は何処へも行かないぜ」 自分の返事に期待しているであろう魔理沙の言葉に、彼女はため息をつきたくなった。 知り合いが大変な目に遭ってかもしれないというのに、この魔法使いはくだらぬオカルト話に浮かれている。 他人との付き合い方も幼少の頃に学ばされたルイズにとって、あまり見過ごしておける人間ではなかった。 (でもここで喰いかかると色々面倒な事になりそうだし…どうしようかしら) 呆れてはいるものの、答えがみつからない事にルイズが頭を悩ませている時―――゛彼女゛は現れた。 まるで突風のようにやってきた゛彼女゛は燃え盛る炎の様な髪を揺らし、ルイズへと近づいていく。 考え事をしているルイズは背後から来る気配に気づかず、ルイズの方へ視線を向けている魔理沙も同様であった。 人々の活気と雑踏が遠くから聞こえるこの場所で靴音を鳴らし、赤い髪の少女はルイズたちへ近づいていく。 ルイズと同じデザインのローファーを履いた足で、ある程度近づいた少女はスッと息を吸い込み…ルイズたちに話しかけた。 「あらあら?何かと思えば…ヴァリエールと怪しげな黒白が肝試しの準備をしてるじゃない」 背後からの声にルイズは驚いた。まるで灼熱の中で踊る炎の女神を連想させる、美しいその声に。 そして何より、どうして声の主である゛彼女゛がこの様な場所へとやってきたのだろうかという疑問を覚えてしまう。 ルイズと同じタイミングで気づいた魔理沙も声の主を見てから、意外だと言いたげにアッと声を上げる。 この世界…というより魔法学院へ来てからというものの、゛彼女゛の赤い髪を忘れたことはなかった。 それ故に他の生徒たちが呟いていた゛彼女゛の名前と、持っている二つ名もしっかりと覚えている。 「それを羨む事は無いけれど、もう学院に帰らなくて大丈夫かしら?」 目の前の二人がそれぞれリアクションを見せた所で゛彼女゛こと、キュルケは尋ねてきた。 浅黒い肌に似合うその美貌、怪しげな微笑を浮かべながら。 「き…キュルケ!」 「ハロローン、今夜も良い双月が見れそうねヴァリエール」 急いで振り返ったルイズがその名を呼ぶと、キュルケは右手を軽く上げて挨拶をする。 驚愕の態度を露わにしている彼女と比べ、余裕綽々といったキュルケの顔には笑みが浮かぶ。 怪しげな雰囲気を放ちながら何処か他人を小馬鹿にしているような嘲笑にも似たソレを見て、ルイズは顔を顰める。 ルイズとキュルケ。この二人の仲が悪いという事は、魔法学院の中では知らない者の方が少ないくらいだ。 何せ先祖代々争ってきたのだ。犬と猿、ウツボとタコの間柄と同じく゛相性の悪い組み合わせ゛なのである。 それでも新しい世代である二人の仲は何も知れない者が見れば、それ程悪いというものではない。 どちらかの機嫌が悪くなければ軽く話し合う事はあるし、同じ席でお茶を飲むこともあった。 少なくとも今の所は、かつてのように恋人を奪い合ったりその果てに殺し合うという事は無くなったのは確かだ。 最も、今の状況では殺し合いといかなくても、両者の間で壮絶な口喧嘩が起こりそうな雰囲気があった。 「何しに来たのよ。派手好きなアンタがこんな所に来るなんて」 「別にぃ~?ただチクトンネ街で遊んでたら、眼の色変えた知り合いが旧市街地へ走って行ったからついつい…」 自分の質問に肩を竦めながらしれっと答えたキュルケに、ルイズは唇を噛みそうになるがそれを堪える。 ただでさえ厄介な状況に陥っているうえに追い討ちをかけるかの如く現れた今の彼女は、予想外のイレギュラーだ。 そして彼女の言葉から察するに、どうやら自分と魔理沙を追いかけてここまで来たのだとすぐにわかる。 軽く驚いた表情を浮かべたままのルイズは、今回の事に彼女が首を突っ込んでくるのではないかと危惧していた。 魔理沙への返事を一時保留にしつつどう答えようかと思ったその時、後ろから余計な声が聞こえてきた。 「おぉ、誰かと思えばいつもタバサと一緒にいるヤツじゃないか」 「ちょっ…!?あんた!」 よりにもよってこんな時に空気を読まない魔理沙の発言に、ルイズは血相を変える。 いくらなんでも自分とキュルケの間に流れる雰囲気を察せれると思っていたが、全くの期待外れであった。 黒白に「ヤツ」と呼ばれたキュルケは笑みを崩さないものの、その体から発する気配に変化が生じる。 今まで穏やかだったそれに、弱火の如き僅かな怒りが混じり込む。 魔法は使えないが、メイジであるが故に相手の魔力を感じられるルイズは思わず舌打ちしたくなる。無論、魔理沙に向けて。 霊夢が消えたうえにこれから彼女を捜そうという時にキュルケが絡んでしまうと、もはやどうしたら良いか分からなくなってしまう。 それを避けようとしていた矢先に魔理沙の言葉である。舌打ちどころか鞭打ちでもしてやりたい欲望に駆り立てられる。 生憎にも鞭を持っていないのでしたくてもできないが、場違いな発言をした黒白に怒鳴る事はできた。 「アンタ、この場の空気も読めないの!?わざとアイツを怒らせるような事言って!」 今まで堪えていた分も合わせて怒鳴ったルイズであったが、魔理沙は涼しげに対応してくる。 「いやぁー悪い悪い、名前は覚えてたし悪気は無かったんだがなぁ」 「どこが「悪気は無かった」よ?さっき喋った時に嬉しそうな表情浮かべてたじゃない」 キュルケを「ヤツ」と呼んだ時の彼女の顔を思い出しながら、ルイズは言った。 痛い所を突かれたと感じたのか、魔理沙は左手で頭を掻きながらその顔に苦笑いを浮かべてしまう。 しかしそこからは反省の色が全く見えず、ルイズは歯ぎしりしそうになるのを抑えつつ怒鳴り続ける。 「大体ねぇ、今からレイムを捜そうっていう時に何で真面目になろうって思わないの!?」 「それはお前が、ここら辺の面白そうな話を知ってると思ったからさ。実の所霊夢よりも、そっちの方が気になってるんだぜ?」 「…~っ!アンタってヤツはホント…」 悪びれることもなくそう言い放った魔理沙にキツイ一発でもかましてやろうかという時であった。 突如二人の間に挟まれるようにして、キュルケが話に割り込んできたのである。 「ねぇねぇ、あの紅白ちゃんが消えたってどういう事かしら?何か気になるんですけど?」 その言葉に応えようとした瞬間、相手が誰なのか気づいたルイズは目を見開いてサッと口を止めた。 右手で口を押えたものの直前「あっ…!」と小さな声が漏れてしまい、その様子を見ていたキュルケはニヤニヤと笑う。 まるで相手の言質を取った悪徳商人が浮かべるようなそれを見せながら、彼女はゆっくりとルイズに近づいていく。 意味深な笑みを浮かべて近づいてくる同級生にルイズは後退ろうとするが、相手の足の方が速かった。 後ろへ下がろうとする前にゼロ距離と呼べるほどまでに近づいたキュルケは、ルイズを見下ろすような形で口を開く。 「そういえば…貴女達をチクトンネ街で見た時、あの娘の姿は無かったわね…―――――何かあったの?」 「そ、それをアンタに言う義務が何であるのよ。普通はな、無いでしょうが…!」 いつも詰め寄られる時とは違いあまりにも距離が狭いため、ルイズは言葉を詰まらせながらもそう答える。 それに対しキュルケはただただため息をつくと、今度は魔理沙の方へ視線を向けた。 「お、この私に質問かな?」 「まぁ、そうね。普通の子供なら簡単と思える質問だから…正直に答えてくれる?」 「あぁ良いぜ?何でも言ってみな」 キュルケが質問をする相手を変えた事にルイズは戸惑いを隠しつつ、面倒事にしないで欲しいと心の中で魔理沙に願う。 ここで今の状況を全部知られてしまえば、赤い髪の同級生はなし崩し的に自分から巻き込んでくるだろう。 常に面白い事を探求し一日一日を情熱的に生きる彼女なら、絶対的な興味を示すことは間違いない。 それ程までに自分と霊夢たちが解決するべき゛異変゛は非日常的であり、色んな意味で壮大なのである。 しかしルイズからしてみれば、その゛異変゛はできるだけ誰にも知られたくないものであった。 一部の人間にはある程度話していたが、それでも最低限自分と霊夢たち幻想郷の者たちだけで解決しようと決めていたのである。 もし異変とは無関係な人間にこの事が知られてしまえば、今以上に面倒な事になるのは目に見えていた。 (素直に教えるとは思えないけど、頼むからキュルケが絡んでくるような事言わないで頂戴…!) そんな事を必死に願う彼女を他所に、魔理沙とキュルケの話は続く。 「じゃあ聞くけど、あの紅白ちゃん…もといハクレイレイムは何処に行ったのかしら?」 「別にどうって事無いぜ?ただ昼食先のレストランでルイズと口論した霊夢が勝手にいなくなっただけさ」 ついに始まったキュルケの質問にしかし、魔理沙はあっさりと嘘をついた。 どうやらあまり面倒事にしたくないのは彼女も同じらしく、薄い笑みを浮かべて疲れたような表情を作っている。 しかし、微妙に勘の鋭いキュルケがそんな嘘を簡単に信じる筈もなく、怪訝な表情を浮かべて口を開く。 「本当にタダの喧嘩なのかしら?チクトンネ街を走っていたこの娘は大分必死な顔してましたけど?」 すぐ傍にいるルイズの頭を指差しながら、尚も質問し続けるキュルケに対し、魔理沙は肩をすくめて言った。 「まぁあの時のコイツも霊夢も相当イラついてたからな、あの後冷静になって怒りすぎたと思って走ってたんだよ」 同居人である私はその後をついていっただけさ。最後にそんな言葉をつけ加えてから、これで良いかと言わんばかりに肩をすくめる。 二度の質問をしたキュルケは三度目を行わず、はぁ…と短いため息をついた。 「そう…じゃあ単なる喧嘩で、貴女達はこんな辺鄙な所へ来たってワケかしら?」 「結果的にはそうなったな。もっとも、こんな所を知らなかった私としては良い勉強になったよ」 口から出る言葉に落胆の色を隠したキュルケに向けて、魔理沙はキッパリと言い切る。 二人に挟まれる形でお互いの様子を見ていたルイズはキュルケの方を睨みつつも、心の中で親指を立ていた。 無論、向ける相手は自分の後ろにいる魔理沙だ。 (ナイスよマリサ!アンタ、やればできるじゃないの) 口に出せはしないが、うまい事誤魔化してくれた黒白にとりあえずの感謝を述べる。 色々と面倒事が片付き、学院に帰ったらしつこく聞かれるかもしれないがそれは後で考えればいい。 今回の異変を解決する霊夢ならどんなに問い詰められようが、真実を教えることはないだろう。 そして霊夢や自分程とも言えないが、自分のたちの秘密を教えたくないのは魔理沙も同じなのは違いない。 例えもう一度聞かれたとしても、今の様に誤魔化してくれるだろう。 先程までならそう思えなかったが、キュルケのやりとりを見た今なら信じられるとルイズは思っていた。 後は突然のゲストを丁重に返して霊夢を見つければ、事態は収束するに違いない。 狸の皮算用とも言える脳内での作戦会議に満足していたルイズはふと魔理沙に肩を叩かれた。 まるで繊細過ぎるガラス細工を扱うかのように叩かれた彼女はどうしたのかと思い、振り返ってみた。 後ろに控えていた魔理沙は薄らとした笑みを浮かべながら、右目だけを忙しく瞬かせている。。 金色の瞳に見つめられているルイズは一体何なのかと疑問を覚えたが、それは一瞬で解消されることとなった。 先程まで魔理沙を見つめていたキュルケは落胆しているせいか、目を瞑ってため息をついている。 その隙を狙った彼女は瞬きを使い、ルイズにある事を伝えているのだ。 最初はそれに気づかなかったルイズだが、魔理沙の笑みを見た途端に彼女の言いたいことが分かったのである。 彼女はある要求をしていたのだ。本人曰く霊夢よりも興味が湧くという゛面白そうな話゛を聞きたいが為に。 うまくいったら、さっき言ってた噂とやらを教えてもらうからな―――― 言葉を出せぬ今の状況であっても、魔理沙は自分の興味が向くモノに興味津々のようだ。 無言の眼差しからそれを読み取ったルイズは目を細めながらも、前向きな答えを出してみようかと考えていた。 (まぁ、キュルケを追い払った後で色々と聞かれそうだけど…どうせなら霊夢を捜しながらって条件でも出そうかしら?) 後ろの魔法使いにどんな返事をよこそうかと思っていた時、絶賛がっかり中のキュルケが話しかけてきた。 「あぁ~あ、期待して損しちゃったわ。アンタらの喧嘩如きでこんな所へ来る羽目になるなんて…」 「…そう思うのなら早く学院に帰ったらどうよ?アタシたちはレイムを見つけたら帰る事にするから」 「アンタとあの紅白の喧嘩は見れるものなら見てみたいですけど…確かに、もう帰らないと夕食を食べ損ねてしまうわね」 これ幸いと言わんばかりに畳みかけるかの如くルイズが囁く、それに従うかのような彼女は言葉を返す。 もしかすると「面白そうだからついていくわ」という言葉が出てくるかと思っていたが、そうならなかった事にルイズは安堵する。 本心はどうなのか知らないが、何かあれば必ずからかってくるいつものキュルケは鳴りを潜めている。 逆にいつもより大人しい分何を考えているのか不安であったが、それは杞憂で終わって欲しいと願っていた。 このまますぐに帰ってくれれば、面倒な事がもっと面倒な事態にならないで済むのだから。 「じゃあ私たち、これからレイムを捜しに行くから…ほら行くわよマリサ」 「出来れば置いて帰りたいが、まぁ今回は探検ついでに付き合ってやるぜ」 いつまでも自分を見続ける同級生にそう言って、ルイズは旧市街地に入ろうとする。 そして、さっきの瞬きで伝えた約束を忘れるなと言いたげな事を呟きながら魔理沙もそれに続く。 一方のキュルケは完全に興味を失ったのか、去りゆく二人に向けてただただ左手を振っていた。 ルイズの考えている通りにいけば、傍迷惑な同級生は真っ直ぐ学院に帰ってくれるだろう。 しかし、良い事が二度も続けば三度目もまた良い事になるという保証は無い。 幸運が連続で訪れた時、それを帳消しにするほどの不幸が降ってくるのだ。 サプライズ的な危機を乗り越え、消えた使い魔を捜しにルイズは旧市街地へと踏み込み――― 知り合い捜しよりもこの場所を調べつくしたい衝動に駆られた魔理沙もまた、快調な足取りでもってルイズに続き―――― 自分が想像していたものとは違う現実に、一人ガッカリしていたキュルケがさて帰ろうかと踵を返す―――その時であった。 歩き始めたルイズたちから約五メイル先にある雑貨屋だった建物の入り口である、大きな木造ドア。 雨風に長年晒され、もう取り換えられる事の無いであろう両開きのそれ。 ここへ入り込んだルイズと魔理沙にとって、特に目を見張るものでは無い廃墟の一部。 瞬間――――そのドアが物凄い音を立てて、勢いよく吹き飛んだ。 まるで上空に浮かぶ戦艦から放たれた大砲の弾が、木の小屋に直撃したかのような轟音が辺りを包み込む。 突然の事と音に二人は大きく体を震わせてその場で立ち止まり、背中を見せていたキュルケも何事かと振り返る。 内側から吹き飛んだドアは土煙を上げながら旧市街地の通りを滑り、二メイル程進んだ後にその動きを止めた。 碌な清掃が行われていない分土煙の勢いはすさまじく、ドアのある場所を中心に空高く舞い上がっていく。 夕日の所為で赤く見える土煙を凝視しながらも、体が固まったルイズはぎこちない動作で魔理沙に話しかける。 「何よ…?アレ…」 「……さぁ、何なんだろうな?」 対する魔理沙も驚いているのか、目を丸くしたままじっと佇んでいる。 全く予想していなかった事に二人の体は動かず、まるで石像になったかのように静止していた。 しかしそこから離れたところにいたキュルケだけは驚いただけで済んだのか、ルイズたちの方へゆっくりと近づいていく。 何が起こったのかと言いたげな表情を浮かべて近づく彼女であったが、ふとその足が止まる。 キュルケだけではない、呆然としていたルイズと魔理沙の二人も、何かに気づいたかのような表情を浮かべる あんなに勢いよく舞い上がった土煙はあっという間に薄くなり、旧市街地に静寂が戻り始めていく。 そんな中、三人は煙越しに人影を見つけたのである。 地面に倒れたドアの上に尻餅をつくかのような姿勢のまま、人影は動かない。 すぐ近くにいるルイズたちの目にもぼんやりとしか映らず、誰なのかすらわからないでいる。 そして二人よりも遠くにいるキュルケの目には単なる黒いシルエットにしか映っていないのだ。 一体何なのだろうかと彼女は訝しむが、それは以外にも早くわかる事となった。 突如ドアが吹き飛び、ルイズたちの視界を遮るかのような煙が舞い上がって十秒が経過しただろうか。 最初は勢いよく舞ったものの、徐々に薄くなっていった砂煙は初夏の風に煽られて一気に消し飛ばされてしまった。 それによって単なるシルエットにしか見えない人影は姿を隠し切れず、三人の前にその正体を曝け出す。 直後、ルイズと魔理沙の二人は目を見開きアッと驚いた。 人影の正体。それは、一人の少女であった。 土にまみれても尚華やかさを失わない、赤く大きなリボン。 汚れてはいるが確かな清々しい白色の袖は、服と別離している。 黄色のリボンに控えめな白のフリルを飾った赤い服は彼女が巫女である事を示す、証拠の一つ。 ハルケギニア大陸では滅多にお目にかかれない黒髪は、土を被ってもその艶やかさを保っていた。 ルイズと魔理沙、そして二人の後ろにいるキュルケは知っていた。 何せ黒髪の少女の名を、三人はすっかり頭の中に刻み込んでいるのだから。 「……レイム!」 そして我慢できないと言わんかのように、ルイズがその名を叫んだ。 少し大きな声であった為か近くにいた魔理沙は勿論、ある程度離れたところにいたキュルケの耳にも入っていた。 「レイム…?じゃあアレって…」 キュルケはその声を聞きながらもまた歩き始め、ゆっくりと二人の背後へ近づいていく。 一応気づいてはいたのか、魔理沙は首を少し後ろへ動かして歩いてくるキュルケの方へ視線を向ける。 自分の方へと目をやった彼女に気づき、少しだけ荒くなった呼吸を整えつつキュルケは話しかけた。 「何だか知らないけど、アンタたちの捜してた紅白ちゃんが見つかったわね」 「私としてはもう少し隠れてもらいたいと思ってたんだがな…?」 キュルケの問いに対して魔理沙は、知り合いが見つかった喜びよりも、楽しみを奪われたかのような落胆の言葉を返した。 さぁこれから捜しに行こう、という時にこの展開だ。さしもの魔理沙もこれにはガッカリせざるを得ない。 そんな二人のやり取りを尻目に、ルイズはもう一度口を開いて声を上げようとした。 だがその前に、゛レイム゛と呼ばれた少女は無表情な顔をゆっくりと、彼女たちの方へと向け始める。 まるで老朽化しつつある歯車のようにゆっくりとした動きに、ルイズは怪訝な表情を浮かべた。 「レイム…?」 訝しむ声に気づいて他の二人もそちらを見やり、何か様子がおかしい事に気が付く。 まさか怪我でもしているのか?゛レイム゛を見つけて最初に声を上げたルイズがそう思った時だ。 ゛レイム゛と呼ばれた少女は、五秒もの時間を使って動かした顔を三人の方へと向け終える。 夕焼けに黒髪を照らされ、尻餅をついたままの彼女は、間違いなく三人が知る博麗霊夢そのものだ。 そう、霊夢そのものであった。 鮮血のような、赤色の瞳を爛々と光らせている以外は。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん ルイズは生まれてこの方十六年、これ程厄介なサプライズを体験したことは無かった。 自分や姉、そして家族の誕生日会などでは、嬉しくも恥ずかしいと感じたサプライズなイベントを経験してきている。 サーカスの一座が芸を見せてくれたり、御呼ばれされた手品師が誕生日プレゼントを消したり増やしてくれたりと、その方法も様々… 時には恥ずかしい思いをしたし、嬉しいと感じた事もあった。今となっては、絵画にして額縁に飾っておきたい思い出達。 けれども、今この場で―――最前線と化したタルブ村の外れで体験したサプライズは、ルイズにとって厄介であった。 それ自体は決して迷惑ではない。何せ、過程はどうあれ結果的には思わぬ助太刀になったのだから。 問題はそのサプライズを送ってきた四人の男女の内の一人で、恐らく残りの三人をここまで引っ張ってきたであろゔ厄介゙な隣人。 出身地も、入学した魔法学院の寮室も隣同士という全く嬉しくない数奇な縁で結ばれている褐色肌に燃えるような赤い髪のゲルマニアの少女。 ――――そして、今この場にいる事などあり得ない筈の彼女が姿を現した。 連れてきた三人のうち、最も親しく背の小さい親友の使い魔である風竜のシルフィードの背に乗ってやってきたのである。 ルイズ、霊夢、魔理沙の三人とデルフの一本にとって、それは突然の出来事であった。 森から出てきて自分たち三人に攻撃をしようとしたキメラが、空から降ってきた青銅のワルキューレに押し潰されたのである。 まるで薄い鉄細工の様に潰れたキメラの哀れな姿と、落ちてきたにも関わらず目立った傷が無い青銅のワルキューレ。 ルイズは勿論、やる気満々であった魔理沙や霊夢もこれには意表を突かれ、思わず何が起こったのか理解する事ができなかった。 そしてルイズがそのワルキューレの正体に気が付いた時、満を持して彼女は上空から現れたのである。 「キュルケ!どうしてアンタがここに…!?」 「こんばんはルイズ。てっきりギーシュのゴーレムで大変な事になってたと思ったけど…とんだサプライズになってくれたわねェ」 シルフィールドの背の上に立ってこちらを見下ろしているキュルケは、笑顔を浮かべてルイズたちに手を振っている。 その隣には彼女の親友であるタバサも降り、自分の使い魔である幼い風竜の耳元(?)に顔を近づけて、何かを喋っているのが見えた。 霊夢と魔理沙の二人もルイズに続いてキュルケ達の存在に気づき、目を丸くしながらも声を上げていた。 「ちょっと、ちょっと…あれってキュルケとタバサじゃないの…?何でここにあの二人が来てるのよ」 「おぉ本当だ!コイツは嬉しいねェ、援軍にしてはちょっと遅い気もするがな」 「――~ッ!そんなワケ無いでしょうがッ!!――――って、ちょっと!何降下してきてるのよ!?」 これまであの二人―――正確にはキュルケに色々と絡まれていた霊夢は鬱陶しい相手を見るかのような目つきで彼女たちを睨む一方で、 魔理沙は何を勘違いしているのか、嬉しそうな声色でシルフィールドの上にいる少女達を見上げている。 一方のルイズはそんな黒白に怒鳴ろうとしたが、ゆっくりと地面へ降りていくシルフィールドに気づいてそちらの方にも怒鳴り声を上げた。。 どうやら先ほどタバサが指示したらしく、ルイズの怒鳴り声に怯むことなく風竜は三人から少し離れた場所へと降下していく。 結果、十秒と経たずに着地したシルフィードの背からタバサとキュルケの二人がバッと飛び降り、そのまま軽やかに地面へと降り立った。 流石にここまで来ると事情を聞かずにはいられないのか、ルイズは二人の名を呼びながら近づいていく。 「キュルケ!タバサ!」 「はろろ~ん、ルイズ!こんとな所で会うなんて奇遇じゃないの?」 「今は夜」 学院指定のブラウス越しでも分かる程大きな胸を揺らして着地したキュルケは、またもや手を上げてルイズに二度目の挨拶をする。 そこへすかさずタバサが短く、的確な突っ込みを入れると、更にもう二人分の声がシルフィールドの背の上から聞こえてきた。 「す、凄い!僕のワルキューレが…何だか良く分からないモノを倒してるぞ…!」 「どう見てもただの事故に見えるんだけど…って、本当に降りる気なの?アタシは嫌よ!?」 声色からしてキザなうえに自己陶酔的な雰囲気を放つ少年の声に、キュルケやタバサとも違う何処か神経質的な少女の声。 その声に酷く聞き覚えのあったルイズはすかさずキュルケ達の後ろにいるシルフィードへと、視線を向ける。 案の定青い風竜の背中から身を乗り出していたのは、『青銅』のギーシュと『香水』のモンモランシーの二人であった。 「ギーシュとモンモランシー…ッ!?何でアンタ達までここに…」 知り合いとはいえ、先の二人と比べたら交流の薄かったこの二人が来ているなんて予想のしていなかったルイズは、 頭上でキュルケを見つけた時よりも大きく素っ頓狂な声を上げて、彼らの名を呼んだ。 「んぅ?おぉ、ルイズじゃないか!一体こんなところで何をやっているんだね!」 「『こんな所で何をやっているか』何て…それって私達も同じような立場に置かれてるわよね?」 先ほど青銅のワルキューレを空から落としたであろう少年は先程のキュルケと同じように手を振って、ルイズに挨拶している。 彼の隣にいる金髪ロールが眩しいモンモランシーは周りの異様さに気が付いているのか、恐怖を押し殺したような表情を浮かべていた。 「……これは一体どういう事なんだ?というか、何でタバサやキュルケ達がこんな所へ来てるんだよ」 流石の魔理沙と霊夢も、ギーシュやモンモランシーまで来たところを見て怪訝な表情を見せる。 そして、本当なら全くの無関係であろう彼女たちがこんな危険な場所まで来ている事に疑問を抱かざるを得なかった。 「さぁ?私にもさっぱり分からないわ。ただ…何となく面倒くさい予感はするけど」 黒白の言葉に対しての答えではないが、同じく何が何だか分からない霊夢も肩を竦めつつやれやれと言いたそうに首を横に振る。 『やれやれ。お前さんたち、今日は本当にツイテないようだね~』 「そういうのは言わなくていいわよ。……とにかく、ルイズだけじゃあアレだし私達も話を聞きに行きましょう」 「えぇ~?私もかぁ?……と言いたいところだが。生憎私も久しぶりに二人と話したいし、ついて行ってやろうじゃないか」 デルフの嫌味満々な言葉に忌々しく思いながらも、彼女たちの方へと詰め寄っていったルイズの下へ行こうとした。 只でさえ厄介な状況だというのに、これ以上ややこくしなってしまう前に事情を聞いておかねばならない。 一方の魔理沙も先ほどまで森をにらんでいた時とは打って変わって軽いノリでそう言うと、クルリと踵を返して霊夢の後ろを歩き出す。 ――――――この時、二人ば明確な敵゙がいる森に背を向けていた。 本当ならば魔理沙か霊夢のどちらかがすぐに対応できるよう、森を見張っておく必要があるのである。 しかし、命を賭けた戦いの経験が薄い魔理沙はそれを怠り、霊夢に関しては即時対応ができる為に背中を見せられる余裕があった。 初戦ならばまだしも既に戦ったことのある異形の動きを把握している彼女にとって、怖れる相手では無くなっていた。 相手が人間ならば状況は違っていただろうが、話しの通じぬ異形ならば遠慮なしで屠れる。そう判断していたのである。 まだまだ体には『ガンダールヴ』の能力を行使した副作用で疲労が残ってはいたが、それ自体がデメリットにはならない。 だからこそ今の様に敵にを背を向けられる余裕が出来ていたのだが…――――それが却って、危機を呼び込む結果となった。 「……?―――…ッ!?レイム、マリサッ!後ろッ!」 二人の会話に気付いたルイズが後ろを振り向き、その鳶色の瞳を見開いて叫んだ直後… 背後から幾つもの枝の折れ、葉が擦れる激しい音に二人は後ろを振り向き、思わず魔理沙は「うわっ!」と驚いた。 彼女たちの頭上、丁度地上から二~三メイル程まで飛び上がったキメラ『ラピッド』が三体、獲物を振り上げて森から飛び出してきたのである。 闇夜に輝く銀色の薄い鎧が煌めき、鋭い刃先を持つ槍を上から突き刺そうとするかのように霊夢と魔理沙に襲い掛かろうとしていた。 「二人とも、伏せてッ!!」 ルイズは手に持っていたままだった杖をキメラ達へと向けて、間に合わないと知りつつ呪文を詠唱し始めた。 キュルケやギーシュ、モンモランシーは突然出てきた異形に驚いているのか目を見開いてキメラ達を見つめている。 魔理沙は魔理沙で迎撃が間に合わないと察したのか、「うぉお…!?」とか叫びながらルイズたちの方へと倒れ込もうとしていた。 しかし、あらかじめこうなると予想のついていた霊夢は手に持ったままであったスペルカードをスッと頭上に掲げて見せる。 まるで興味のないパーティーで催されたビンゴ大会で、一番早くに上がった自分のカードを掲げるかのように、 大したことではないと言いたげな余裕と傲慢さでもって、スペルカードの宣言と共にキメラ達を始末する――――筈であった。 「…霊符『夢想妙じ―――――」 「―――――ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」 だがしかし、彼女がスペルを宣言するよりも早くに一つの呪文を詠唱し終えた少女がいた。 まるで湖の底の様に暗く静かで、氷の様に冷たい声色を持つ少女の声に霊夢の気だるげなスペル宣言が止まってしまう。 ここでスペルカードを宣言しなければ間違いなく彼女はキメラの持つ武器の餌食になってしまうが、それはあり得ない未来となってしまった。 何故ならば、背後から風を切る物凄い音と共に三本の『氷の矢』が彼女の真横を通り過ぎ、 霊夢と魔理沙を襲おうとしていたキメラ達の胴にブチ当たり、勢いよく森の方へと吹き飛ばされていっただから。 「…は?」 「大丈夫?」 突然の事に何が起こったのかイマイチ把握しきれていない霊夢の背中に、先ほどの呪文を唱えた少女が声を掛けてくる。 後ろを振り向くと、目を丸くして唖然としているキュルケの横にいたタバサが杖を掲げていた。 自分の身長より大きな杖の先は、先ほど放った『ウインディ・アイシクル』の余韻なのか白い冷気を放出している。 「まさか、アンタが助けてくれたの?」 思わず口から出してしまった霊夢の質問に、タバサはコクリと頷く。 眼鏡越しに見えるやる気の無さそうな目や顔の表情とは裏腹に、杖を向けて呪文の詠唱と発動は驚くほど早かった。 キュルケやルイズなんかの同年代の子たちと比べれば、明らかに゙何か゛が違っているような気がする。 最も、今の霊夢にはそれが何なのかまだ分からなかったが。 伏せて避けようとしていた魔理沙も状況が変わったのを知ってか、顔を上げるとタバサに向かってニヤリと微笑んだ。 「へへ、わりぃなタバサ。また返す気の無い借りを一つ作っちまったな」 「別に気にしないでいい」 「いや、そこは怒るところなんじゃ…っていうか、アレは一体何なのよ!あの化け物たちは!」 二人のやりとりを聞いて思わず突っ込もうとしたモンモランシーが、ふと先ほどのキメラ達を思い出して叫ぶ。 少なくとも彼女の記憶の中では、あの様な亜人や幻獣などを図鑑やホントなどで目にした記憶は無かった。 「う~む…どうなんだろう。少なくとも動作から見て、ゴーレムやガーゴイルの類では無いと思うけど…」 一番傍にいたギーシュはそんな事を言いながら、先ほどタバサの『ウインディ・アイシクル』で吹き飛んだキメラ達の様子を思い出した。 頑丈にしたガーゴイルやゴーレムならばあの程度の魔法などでは、吹き飛んで行ってもまたすぐに起き上がってきているに違いない。 けれども先ほど森の中へ戻されていった三匹は一向に戻ってこないし、あの動きでゴーレムの類と言われても信じないだろう。 そんな風にしてギーシュとモンモランシーが、先ほどの化け物達に関する場違いな考察に入ろうとした時…、 彼らよりも前にいたキュルケが二人の間に割りこけ様なかたちで、声を掛けてきた。 「二人とも、そんなに悩まなくたってここに証人がいるじゃないの」 そうよね、ルイズ?最後にそう付け加えて、キュルケは目の前にいる桃色髪の少女へと緯線を向ける。 既に赤い髪の同級生に視線を向けていたルイズは彼女の目を睨み付けると、いかにも言いたく無さそうな渋い顔つきになった。 まぁ無理もないだろう。何せ自分たちは恐らく彼女たちだけの問題に、わざわざ首を突っ込んできたのだから。 しかしキュルケはその事を理解したうえで、敢えて首を突っ込んでやろうという意気込みを持っていた。 一応親友としてついてきてくれたタバサはともかく、彼女の企みに巻き込まれてる形となったギーシュとモンモランシーは違うのだろうが… 「安心しなさいな。別に貴女達の邪魔をしにきたワケじゃないんだから」 ちっとも安心できないキュルケの言葉に、ルイズは当然ながら「信用できるワケないじゃない」と素っ気なく返す。 「何処からつけて来たのか知らないけど、アンタ達には今回の事は関係ないわよ」 「知ってるわ。でも私は最近の貴女と傍にいる二人の事が気になるから、ここまで来てあげたのよ?」 静かに憤るルイズの事など露知らずに、今にもしな垂れかかりそうなキュルケの物言いにその二人―――霊夢と魔理沙が顔を向けた。 「私達の事、ですって?」 「お、何だ何だ。もしかして、私の直筆サインを杖に書いて貰いたいとかかな?」 「それは有難くお断りさせて頂くわ。…まぁ、貴女達の゙正体゙を知りたくてここまで来たってのは、先に言っておきましょうか」 魔理沙のサインをハッキリと断りながらも、キュルケは笑顔を浮かべたまま二人にそう言い放った。 瞬間、それまでキュルケを見つめていたルイズと霊夢、そして魔理沙の三人は思わずその目を丸くしてしまう。 「ふふ、その表情。…何か隠し持ってそうね?」 三人の変化を間近で目にしたキュルケは上手く行ったと言いたげな言葉と共に、クスリと微笑んだ。 表情こそはいつもの彼女が浮かべているような、どこか人を小ばかにした艶めかしさが垣間見える笑顔である。 しかし細めたその目は一切笑っておらず、刺すような視線が霊夢と魔理沙の二人をじっと睨みつけていた。 「!………それって、一体どういう意味なのかしら?」 「そう睨まなくても良いんじゃないの?この前のトリスタニアで、散々変なところを見せてくれたっていうのに…そうよね?」 「あぁ、まぁそうだな。そういやあの時に色々見られてたモンなぁ~…ははッ」 意味深に睨み付けてくる霊夢の言葉にそう返すと、今度は彼女の隣にいる魔理沙の方へと話を振る。 先に話しかけた巫女さんとは違い、黒白の魔法使いはトリスタニアの旧市街地で起きた出来事を思い出して呟くが、その目線は自然と横へと逸れていく。 タバサとモンモランシー、それにギーシュもその事は事前にキュルケから聞いていたので、然程驚きはしなかった。 しかし、そこへ待ったを掛けるようにして慌てた様子を見せるルイズが割り込んできた。 「ちょ…ちょっとキュルケ!アンタねぇ、そんな下らない事に為にこんな危険な場所まで来たって言うの…!?」 「下らない事なんかじゃあないわよ、ヴァリエール。少なくとも私にとってはね?」 霊夢達と自分の間に入ってきたルイズの言葉に嫌悪な雰囲気を感じつつ、それでもキュルケはその口を止めはしない。 まるで彼女の暴発を誘うかのように、得意気な表情を浮かべてペラペラとお喋りを続けていく。 「貴女とレイム、それにそこの黒白が怪しいのは前々からだったし、この前のトリスタニアでは色々と見せてくれたじゃないの。 それに…私だけじゃない。タバサにモンモランシー…それにギーシュだって、みんな貴女が召喚した巫女さんと居候の事を怪しんでるわ。 学院長とミスタ・コルベール辺りは何かを知っていそうですけれど、私は直接貴方の口から聞きたいのよヴァリエール…。分かるでしょう?」 後ろにいるタバサたちを見やりながら喋り終えたキュルケに、ルイズは渋い顔をしてしばし考え込む様な素振りを見せ……首を横に振った。 「…悪いけど、今は教えられないわ。今は、ね?」 彼女の意味深な言い方にふとキュルケは前方にある森の方へと視線を向け、あぁ…と頷く。 確かに彼女の言うとおりであろう。今このような状況で、悠長に話をしている場合ではないのは流石のキュルケでも察する事ができた。 「ま、まさか…あんなのが二体三体もいるってワケなの…?何なのよコイツラ…」 「まだ良く分からない事が多いけど、戦わないと駄目なんじゃないかなぁ?…多分」 モンモランシーやギーシュは慌てて杖を手に取り、霊夢と魔理沙の二人も森の方へと視線を向けて再び臨戦体勢へと移っている。 タバサはタバサで片手持ちであった節くれだった杖を両手で持ち、呪文を詠唱し始めていた。 シルフィードもその頭を持ち上げて、森の方にいるであろゔ敵゙に歯をむき出しにして唸り始めている。 「そうよねぇ…。あんな得体の知れない怪物に命を狙われてる中で、長々と説明しているヒマはないんですものね」 キュルケも腰に差していたルイズのそれより細く華奢な造りをした杖を手に持ち、その先で風を切りながら森の方へと向ける。 「そういう事。少なくとも、詳しいことはコイツラを倒した後でね」 やる気満々と言わんばかりのキュルケにそう言った後、ルイズは一人小さなため息をつく。 「まあ遅かれ早かれバレるとは思っていたけど、まさかアンタの他にも三人いたとは思わなかったわ…」 残念そうな表情でそう言いながらも、手に持っていた杖を再び森の方から現れようとする敵に突きつける。 計七人と一匹、そして一本という少数戦力に対し、相手は少なく見積もって計五、六体の異形達。 『へへッ、何だ何だ?険悪ムードから一転して、共闘とは心が弾むねェ』 「少なくとも、私はまだまだ険悪なままなんですけどね?」 一触即発な空気の中、空気を読まないデルフに霊夢が軽く起こった瞬間――――― それを合図にして、森の中からキメラ『ラピッド』達が数体纏めて飛びかかってきた。 「――――゙試験投入゙開始から、早くも十時間越えたな…」 船特有の揺れで、唯一の灯りであるカンテラの灯りに当たりながら学者貴族の青年クレマンは一人呟いた。 ハルケギニアでやや珍しい茶髪にゲルマニア出身の母から受け継いだ褐色肌が、カンテラの灯りに照らされて黒く輝いている。 彼は手に持った懐中時計で時間を確認した後、それを懐にしまいこむと思わず止まっていた書類仕事を再開し始める。 今、この船の中―――特に今いる部屋の中は、驚くほどに静かである。今、地上で行われている事と比べて… そんな事を考えながらペンを走らせていた彼は、突然ドアの方から聞こえてきたノック音でその手を止めてしまう。 「おーい、紅茶淹れてきてやったぞ。両手塞がってるから、そっちから開けてくれぇ」 木で出来たドアを軽く蹴る音と共に、外の風を吸いに出ていた同僚であるコームの声がドア越しに聞こえてくる。 「おぉそうか。じゃあちょっと待っててくれ、すぐ開ける」 時折不安定な揺れ方をする船内の中で書類と悪戦苦闘していたクレマンは一言返してから、ここ数時間座りっぱなしであった椅子から腰を上げた。 それから大きな欠伸と共に背伸びをしてから、しっかりと作られた板張りの床を靴音で鳴らしつつ部屋の出入り口をサッと開ける。 開けた先にいたのは、いかにもマジメ君という風貌をした緑髪に眼鏡を掛けた青年の貴族が立っていた。 彼が両手に持つ皿の上には、熱々の紅茶が入ったマグカップが二つに五、六切れのハムサンドウィッチを乗せた皿が乗っていた。 「サンキューなクレマン。…紅茶を淹れてくるついでにサンドウィッチも貰ってきたから、ここらで休憩といこうや」 「そりゃあいい。この゙試験投入゙が始まってからひっきりなしに報告書と戦ってたしな、バチは当たらんだろ」 意味深な単語を口から出しつつもクレマンはコームの持ってきてくれたサンドウィッチを一切れ手に取り、勢いよく齧る。 しっとりと柔らかく、小麦の風味が出ているパンと、それに挟まれているハムとトマトにマヨネーズという具が舌を優しく刺激してくる。 口の中に広がる暫しの幸福を堪能しつつ、しっかりと咀嚼してから飲み込んだクレマンは満足そうなため息をついた。 「ふぅ…!流石最新鋭の艦だけあるな。こんな夜食程度のサンドウィッチでも、中々どうして美味いとはな」 「空海軍じゃあこんなサンドウィッチでも、食べられるのは士官様ぐらいなもんらしいぜ?」 クレマンの言葉に続くようにしてコームが言うと、彼は持っていたトレイを部屋の中央にあるテーブルへ置いた。 それから紅茶の入ったマグカップを一つ手に取ると、息を吹きかけてから慎重に飲み始めている。 クレマンも彼に倣ってカップの取っ手を掴み、湯気の立つそれに優しく息を吹きかけていく。 そんなこんなで、男同士の慎ましやかな深夜のお茶会を堪能しているとふとコームがポツリと呟いた。 「ほぉ…!それにしても、サン・マロンの幹部方は、随分大胆な事をし始めたもんだな」 「全くだな。新作の『ラピッド』のお披露目ついでとか言って、よりにもよってあのレコン・キスタに貸し出すとは考えてもいなかったぜ」 若い世代の貴族らしい砕けた喋り方で会話をする光景を歳を取った貴族が見たのならば、思わずその顔を顰めてしまうであろう。 しかし、平民が使うような喋り方を彼らは躊躇なく使っているものの、その口調とは別に中身はちゃんとした学者の卵である。 正規の試験と面接を受けて、晴れてガリア王国のサン・マロン―――通称『実験農場』研究として選ばれた身でもあるのだ。 そんな彼らが今いる場所は、その『実験農場』が所有している最新鋭の試験用小型輸送艦―――通称『鳥かご』の中にある一室。 ガリア陸軍の新基準として艦隊戦ではなく地上戦力の空中輸送と偵察に特化した、この時代ではまだ変わり種と言える船である。 今この船は『実験農場』の上層部からの命令で、『新型キメラの実戦テストを兼ねた試験投入』の為にトリステインのラ・ロシェールへと派遣されていた。 船員及び駆り出された研究員たちは『実験農場』特別顧問である゙女性゙からの命令を受け、トリステイン軍に対しキメラによる攻撃を実地している。 その為現在トリステインに侵攻しているレコン・キスタの艦隊に手を貸している状態なのであるが、それを気に留める者は殆どいなかった。 船そのものはアルビオンの艦隊から大きく離れた場所に隠してあるし、この計画の事をしっている者はアルビオン側は指で数える程度。 当然トリステイン王国も、まさかお隣の大国であるガリア王国の研究機関が、自分たちを攻撃しているなどと夢にも思っていないであろう。 「しっかし、トリステイン側もエラく粘ってるなぁ。日が落ちるまでこっちが持ってきた戦力の三分の一を片付けてるんだからさぁ」 「最初のパニックはラ・ロシェールまで続いたが、タルブ辺りで態勢を整えられたのが原因だろう。トリステインはああ見えても精鋭揃いだしな」 熱い紅茶をゆっくりと啜りながら、コームは同僚が見ていた報告書を一枚手に取って満足げな表情を浮かべている。 船外へ出ている゙偵察員゙による報告は、キメラのみの戦力投入によるトリステイン側とキメラ側の被害状況を淡々と綴られていた。 最初の投入地点であるトリステイン軍側の砲兵陣地で起こったパニックが、ラ・ロシェールにいる駐屯軍にまで波及した事。 しかし、タルブ村で態勢を整えられてしまいその結果にキメラ側がそこそこの被害を被ってしまったものの、何とか占領できた事。 他にも、現在ラ・ロシェール周辺に複数潜伏している偵察員たちが、リアルタイムで報告書を送ってきているのだ。 その報告書を確認し、まとめる役割を務めていたのがクレマンであった。 彼自身の気持ちとしては研究に参加しその完成と量産決定の決議を見届けていた身として、キメラの活躍報告が届けられるのは素直に嬉しかった。 しかし、書類仕事の専門家ではなかった彼にとって膨大な数のソレを相手にするのには、まだまだ経験が足りなかったようである。 「自分たちの研究成果が活躍してくれるのは嬉しいけど、こう報告書の数が多いとな…―――ん?」 クレマンはそんな愚痴をボヤキながら、二つ目のサンドイッチにかぶりつこうとした時であった。 ふと、丁度部屋の真上にある甲板が騒がしくなってきたのに気が付き、コームと共に天井を見上げてしまう。 薄暗い天井から漏れる声は複数人あり、声から察して甲板で観測任務についていた船員たちであろう。 その船員たちが何を言っているのかまでは分からなかったが、何やらタダ事ではないという事だけは分かった。 「何だろう?甲板が妙に騒がしいな…」 「確かに。…ひょっとして、何か地上で大きな動きがあったのかも」 不思議そうな表情で天井を見つめていたコームがそう言った直後、ドアの外から何人もの足音が通りすぎていった。 やがてドア越しに幾つもの靴音が通り過ぎていき、それまで静かであった船内が一気に喧騒に包まれていく。 二人は互いの不思議そうな表情を浮かべる顔を見合わせ、ドアの方へと視線を向けた。 「な、何だ…?」 「分からんが…とにかく、何かあったんだろう。ちょっと見てくるわ――――…って、うおッ!?」 首を傾げるクレマンに向けてそう言い、席を立ったコームがドアを開けようとした時、 物凄い勢いで開いたドアが彼の鼻頭を掠め、思わず後ずさろうとしたあまりそのまま背中から倒れて床に尻もちをついてしまう。 危うく彼の鼻を傷つけようとしたのは同じ『実験農場』に所属する先輩で、ややパーマの掛かった金髪と小太りな体が特長的なオーブリーだった。 彼は牛乳瓶の底の様な眼鏡がずれてるのにも構わない程慌てた様子で、ドアを開けて最初に見えたクレマンに捲し立ててきた。 「おいクレマン、緊急だ!緊急連絡!特別顧問のシェフィールド殿が試験の終了及び、現空域から撤退しろとの事だ! これからすぐに船の発進準備に移る。お前らも地上へ派遣された偵察員への撤退連絡作業に加わるんだ、早くしろ!」 突然そんな事を捲し立ててきたオーブリーに、クレマンは目を丸くして驚くほかなかった。 つい一時間ほど前に届いた連絡文には実験の終了や撤退を匂わせるような事は書かれていなかったハズである。、 「え…!?ちょ、ちょっと待って下さい先輩、試験終了ってどういう事ですか!それに―――」 しかし、困惑する後輩には構っていられなぬ言いたげに彼の前に肉付きの良い右掌を突き出してから、オーブリーは口を開く。 「質問は後で聞く、今は緊急を要する事態だ!もう他の連中も動いてる、お前もそこで倒れてるコームも早く動け」 頼んだぞ!…最後にそう言ってから、小太りの先輩は踵を返して甲板へと続く廊下を走り去って行った。 いきなりドアを開けて来たかと思えば、物凄い喧騒で捲し立てて去っていった先輩に、二人はただただ聞く事しかできなかった。 まるで風の様にオーブリーが現れ、消えていった一分後にようやく立ち上がったコームが口を開く。 「な、何だよ…一体、何が起こったっていうんだ?」 「…さぁ?俺に聞くなよ」 騒がしくなっていく船内の中で、二人の研究員はついていく事ができないでいた。 まるで激しい濁流に巻き込まれたかのように、急変した状況に流されるがままとなってしまっている。 それと同時に、先ほど慌ただしくやって来て去って行った先輩の様子と、周囲の喧騒は絶対に只事ではないという事。 それだけが何となく分かっているせいで、妙な胸騒ぎだけを感じていた。 「―――――まぁ、私達まで首を突っ込んじゃった貴女たちの今の状況の事は…良く分かったわ」 先程自分の火で燃やした『ラピッド』の形見とも言える左腕の切傷を睨みながら、キュルケはルイズから聞いた話を理解していた。 ついさっき、自分に襲い掛かってきた最後の一体を仕留める前にソイツが飛ばしてきた羽根の様な刃でつけられたのである。 六枚も飛んできて当たったのは幸運にもたった一枚であったが、彼女的には「不覚を取った」と言いたい気持であった。 幸い傷自体は浅く出血もそんなにしてはいないし、絶対に頼もしいとは言えないが『水』系統の魔法で治療してくれる子がいる。 薄らと血が流れる傷口を眺めていたキュルケはふと、嫌悪感を隠さぬ顔で地面に転がる異形の躯へと視線を移す。 彼女の放った『ファイアー・ボール』によって焼き殺されたソイツは、体にまとう銀色の鎧が黒く煤けている。 口や体のあちこちから黒い煙が立ち上っている所を見るに、恐らく本体まで焼けてしまっているに違いない。 体の中までは流石に生焼け状態かもしれないが、まず生きていないのは確実であろう。 他にもキュルケが倒したのを含め、計五体ばかりのキメラ――『ラピッド』達が物言わぬ死体と化していた。 ある一体は口の中をタバサが放った『ウインディ・アイシクル』が貫かれ、別の一体はルイズの失敗魔法で黒焦げとなっている。 これら三体のキメラ達の倒され方は、まぁルイズを覗いてメイジが使う魔法での戦い方としてはオーソドックスな方であった。 しかし、四体目は黒白の自称゙魔法使い゙が魔理沙がその手に持っていた黒い八角形のマジック・アイテムによって倒されている。 それも普通の倒され方ではなく、『マジックアイテムから出た極太の光線で体の三分の二を失う』という壮絶な最期であった。 本人にあれが何かと聞いた時は「これが私の魔法だぜ!」と、自分の正体を正直バラしてくれた。 そして五体目、ルイズの使い魔である霊夢を相手にしたキメラは『手を出す前に消し飛ばされ』ている。 自分たちが姿を見せる前に戦っていたであろう彼女は、疲れた様子で右手に持った一枚のカードをかざして、一言呟いただけ。 「―――霊符『夢想妙珠』」 一言。そう、たった一言だけで彼女の周りから色とりどりで大小様々な光る玉が現れたのだ。 かつて『土くれ』のフーケがゴーレムで襲った時にそれを見ていたキュルケとタバサは、それを目にしていた。 ギーシュとモンモランシーの二人はそれを見るのが初めてであった為、目を丸くして驚いていた。 光る玉たちは霊夢の周囲を飛んでいたかと、彼女へ迫ろうとしていたキメラに向かって殺到したのである。 その後の事を例えるならば――――まるで獲物を仕留めるべく、喰らいつく狼の群れの如し。 上下左右から迫りくるその光る玉の力によって、キメラは文字通り『手を出す前に消し飛ばされ』たのだ。 「前の決闘でも不可思議な事をしてくれたが…。き、君の力は一体何なんだ…?」 全てが片付いた後、一度彼女と戦ったことのあるギーシュがおそるおそるそんな質問をしていた。 疲れたと言いたいような大きなため息をついた彼女はゆっくりと後ろを振り返り、視線の先にいた彼へ一言… 「コレ?霊符『夢想妙珠』っていう弾幕よ。中々綺麗でしょ?そんでもって、使い勝手も良いのよ」 ――――ま、ホーミングの精度が良すぎるのも偶に傷なんだけどね? 最後にそう付け加えて説明した彼女は、右手に持っていたカード―――『夢想妙珠』のスペルカードをペラペラと振って見せた。 魔理沙と同じく、彼女もまた自分の正体を隠す気は無かったようである。 そんな風に先程まで起こっていた戦いの事を思い出していると、すぐ傍でモンモランシーの声が聞こえてきた。 「―――…ょっと、聞いてる?」 その声に慌てて横を向くと、自分の真横で杖を片手に持つモンモランシーが少し怒った表情を浮かべて立っていた。 「モンモランシー?どうしたのよ、そんなにいきり立って」 「どうしたのよ、じゃないわよ。こっちは『癒し』の使い過ぎで参ってるっていうのに」 恐らくさっきの戦いで傷ついた皆を治療してくれているのだろう。魔法の使い過ぎで少し疲れている様な感じが見えている。 きっとモンモランシー本人も、ここに来るまで自分の魔法で誰かを治療するという経験は無かったはずである。 「あらごめんなさい、ちょっと考え事を…それで、何?治療してくれるのかしら」 「そうよ…ってちょっと、わざわざ近づけて見せつけないでよ!」 キュルケはややご立腹な彼女に平謝りしつつも、左腕の切傷をそっ…と自分より背の低い彼女の顔へと近づけた。 モンモランシーは自分の目の前で見せつけられる生々しい傷を見て、小さな悲鳴を上げて思わず後ろへと下がってしまう。 しかしまぁ直してもらえるならそれに越したことは無いと、その後は素直にモンモランシーからの治療を施してもらう事となった。 杖から発せられる青い光がキュルケの腕の傷を癒している最中、ふとモンモランシーはそこらで倒れているキメラたちを見つめている。 「それにしても、コイツら一体何なのよ。私達まで襲ってくるなんて…」 「多分ルイズ達と一緒にいたから、味方だと思って攻撃してきたんじゃないかしら?」 生まれて初めて見るであろう人とも幻獣ともつかない不気味な姿の怪物を見て、彼女は青ざめた表情を浮かべている。 モンモランシー本人は先頭に参加しておらず、傍にいたギーシュも彼女と自分を守るのに必死であった。 とはいっても自分たちが地上へと降りる前に護衛にと出しておいたワルキューレが落ちて、戦いが始まる前に出てきた一体を押しつぶしてくれたので、 実質的に何もしてないとは言えず、モンモランシーも戦いが終わった後にこうして不慣れながらも手当てをしてくれている。 「全く…何で私がこんな目に遭わなきゃいけないのよ…ったく、もう…。―――はい、終わったわよ」 「ちょっと!叩かないでよ――――ってアレ?…痛く、ないわ」 今日一日起きた出来事を思い出していたモンモランシーは無事治療を終え、元通りに治ったキュルケの腕をトンッと軽く叩いた。 てっきりそれで塞いだ傷口が痛むかと思ったキュルケであったが、驚いたことに腕の内側から突き刺すような痛みは襲ってこない。 それはつまり腕に出来た切傷が完全に塞がっている事を意味しており、キュルケは目を丸くしてしまう。 「綺麗に治ってる…。貴女、医者にでもなれるんじゃないの?」 「フン!そうお膳立てしても、アンタが私達を厄介ごとに巻き込んだのには変わらないからね」 「あら、酷いことを言うわね?貴女だって、彼女たちの事は気になってたんでしょう?」 「私はギーシュのついでよ!つ・い・で!!」 キュルケの賛辞を言われても、モンモランシーは不機嫌な態度を変える事は無かった。 そもそも彼女がルイズとその周りいる紅白の使い魔に、怪しい黒白の居候の事を調べたいと言わなければ、こういう面倒事に巻き込まれはしなかった。 最初はコソ泥みたいにルイズの部屋を漁っていた時に無理やり誘われ、その次は不便な山中で一日中王宮を監視。 はたまたその次は、ウィンドボナで執り行われる王女殿下の結婚式についていくであろう彼女たちを尾行――と、思いきや… 何故かラ・ロシェール方面へと単独へ向かい始めた三人を追って、霧の中シルフィードの背に乗せられて無理やり尾行に付き合わされる。 挙句の果てには、何故かゴーストタウンならぬゴーストビレッジと化しているタルブ村で、正体不明の怪物に襲われ、 そして極め付けは、頭上の夜空に悪夢としか思えないような悪名高いアルビオン貴族派の艦隊が、トリステインへ攻めてきている事だ。 「私、多分生まれて初めてここまで不幸な目にあった事がないわよ。…ん?」 思い出せば思い出すほど碌な目に遭っていないモンモランシーに、キュルケが優しくその肩を叩いた。 まるで血の滲むような思いで仕事を成し遂げた部下に「お疲れ様」と労う上司がするかのような、そんな方の叩き方。 夏だというのに夜霧で冷えている右肩に、キュルケの温かな手の温もりにモンモランシーは彼女の方へと顔を向ける。 視線の先にいたキュルケは笑みを浮かべていた。我が子を褒める母親が浮かべる優しい笑みを。 いつも浮かべているような人を小馬鹿にする笑みではない事に、モンモランシーは思わず「な、何よ…?」とたじろいでしまう。 そんなモンモランシーに優しい笑みを向けたまま、キュルケはそっと口を開き…つぶやいた。 「良かったじゃないの?後々歳を取った後に、子供たちに語れる武勇伝が一日に幾つも出来て」 「――――――…アンタって、本当に上等な性格してるわね」 優しい笑みの内側に、最大限の嘲笑を込めていたキュルケの言葉に、 モンモランシーは怒りより先に、どこにいても変わらぬ留学生に対して苦笑いを浮かべるしかなかった。 そんな様子を少し離れた所から不思議そうに見ていたギーシュは、ポツリと言葉を唇の隙間から洩らす。 「…あの二人、髄分長い事話し合っているじゃないか?」 「そうね。もっとも、言ってることばお互い仲良じって感じとは程遠いけどね」 彼の返事を期待していなかったであろう独り言に、ルイズは先程まで切り傷が出来ていた足を不安げに触っている。 本当ならば自分で持ってきた水の秘薬を使えば良かったのだろうが、アレはアレで相当傷口に染みる代物である。 それに対してモンモランシーの魔法なら傷口に痛む事もないので、遠慮なく治療してもらったのだ。 最も、当の本人にその事を伝えたら…「事あるごとに私を『洪水』とか呼んで小馬鹿にしてる癖に…」と愚痴を聞かされてしまったが…。 (だって本当の事じゃないの。洪水並みのお漏らししたって有名な癖に…) 助けてくれたのは良いもののどこか自分と似たり寄ったりな彼女の事を思いながら、ルイズはとある方向へと視線を向ける。 その先にいたのは霊夢とデルフ、そして魔理沙とタバサに地に足着けている風竜シルフィードだった。 タバサとシルフィードに霊夢は先程の戦いは無傷で、魔理沙もまた服に掠った程度で済んでいる。 キュルケと何やら揉めているモンモランシーと違い、三人と一本と一匹の間に漂う雰囲気は…どこかほんのりとしていた。 いつ頭上のアルビオン艦隊がこちらに砲塔を向けて来るやも知れぬ状況だというのに、である。 「…にしても、お前は良いよな大した怪我がなくて。私だけだぜ?ルイズにあの痛い薬を塗り込まれたのは」 「お生憎様ね。私だってその秘薬が痛いって事は大分前にルイズから教えてもらっているから」 魔理沙は右手の甲を隠すようにルイズが巻いてくれた包帯を睨みつつ、霊夢に愚痴をこぼしている。 それに対して霊夢も、疲れているとは思えない様な睨みと笑みを見せて魔理沙に噛み付いていた。 一見…いかにも掴み合いが始まりそうな嫌悪な雰囲気ではあるが、丁度二人の間にいるタバサは全く動じていない。 まるで丈夫な鉄柵の向こう側から野良犬と野良猫の喧嘩を見つめているかのように、一人の傍観者と化している。 しかし右腕に抱いている大きな一振りの杖はいつでも使えるようにと、左手の指がしっかりと掴んでいる。 『へへッ、流石レイムだぜ。あんだけ戦いまくって、まだあんな口喧嘩できる余裕があるとはな…なぁ、お前さんもそう思うだろ?』 「きゅいィ~?」 その一方で霊夢が一旦地面に置いていたデルフが二人の口喧嘩を眺めながら、面白おかしそうにシルフィードへと話を振る。 しかし人語はかろうじて通じてもその言葉を喋れぬ風竜のシルフィールドは、ただただ不思議そうに首を傾げるしかなかった。 霊夢と魔理沙の事を見慣れてしまったルイズも別に二人が仲違いしているワケではないという事を知っているので、動じる事はなかった。 むしろ相も変わらず元気な二人を見て、まぁまだあんな余裕があるのねぇ…と溜め息をつきたい気持ちで一杯になってしまう。 「な、なぁ…ルイズ?あの二人の口喧嘩、止めないで良いのかい?何だかイヤな事が起きそうな気がするんだが…」 そんな彼女の耳に、ギーシュの不安げな言葉が入ってくると彼女はそちらの方へと顔を向けて言った。 「あぁ?それなら大丈夫よギーシュ。…あの二人、何か事あるたびにああして言い争う形で話し合ってるから」 「い、いつも…?君、良くそんな二人と一緒にあの狭い部屋で暮らせるもんだねぇ。したくはないけど、感心するよ」 最後に余計な一言が混ざったギーシュの言葉に、ルイズはどうもと手を軽く上げて返事をしてから、ふと頭上を見上げた。 ラ・ロシェールとタルブ村の上空。本来ならトリステイン王国の領空内である空を、我が物顔で居座るアルビオン艦隊。 アルビオン王家を滅ぼしたうえに、あまつさえ今度はトリステイン王家をも滅ぼそうと企んでいる不届き者たちの集まり。 それだけではあき足らず、おぞましい異形のキメラ達をけしかけて自分の大切な家族の一人まで傷つけようとした。 かつて『ロイヤル・ソヴリン』号と呼ばれ、今は『レキシントン』号と名付けられている巨大戦艦がゆっくりと動き始めている。 周囲に大小様々な軍艦を妾達の様に集結させた艦隊は、後十分もすれば自分たちの真下を通過するだろう。 恐らく、そこからが勝負となるのだ。勝率があるかどうかすら分からないそんな危険な勝負が。 「…さてと、そろそろ準備しとかなきゃダメかしらね?」 一人そう言って背伸びしたルイズは、腰に戻していた杖を手に取るとまるで演奏指揮者の様に軽く先端を振った。 その行為そのものに特に意味は無い。だが強いて言えば、それは心の奥底から湧き出てくる゙恐怖心゙の裏返しとでも言えば良いのだろうか。 やはりというか、なんというか…最終的には上空のアルビオン艦隊を止めなければどうにもならないらしい。 疲労している霊夢と魔理沙に自分の三人だけで、あれにいざ挑むとなってくると流石に二の足を踏みそうになってしまう。 だからこそルイズは、自分の今の心境を誤魔化すために杖を振っていた。 「準…備――てっ…。え!?ちょっと待てよ!まさか君たちは本当にあの…あの艦隊と真正面からやり合うつもりかね!?」 ルイズの言葉と、進行方向の関係上こちらへ近づいてくるアルビオン艦隊を交互に見比べながら、ギーシュは叫んだ。 彼の叫び声と口から出た言葉に、いがみ合っていたキュルケ達や小休止していた霊夢達の耳にも届いてしまう。 しかしそんな事お構い無しと言いたげなルイズはギーシュが大声を上げたことを気にもせずに、振っていた杖の動きを止めた。 ピタッと綺麗に止まった彼女の古い相棒の先端の向く先には、こちらへ近づこうとしている『レキシントン』号。 個人の力ではどうしようもないような威圧感を漂わせるその軍艦へ、彼女は無言で一方的な宣戦布告を突きつけたのである。 「無謀だルイズ!君のやろうとしている事は、そこら辺の棒きれ一本で腹を空かした火竜と戦うようなものなんだぞ?」 「別にアンタ達に手伝え何て言ってないわよ。元はと言えば私とレイムたちで決めた事だしね」 必死な顔で゙無謀な行為゙を止めようとするギーシュに向けてそう言うと杖を下ろし、今までずっと肩にかけていた鞄をゆっくりと地面へ下ろしていく。 持っていく時は軽いと感じたソレも、体の中に疲れが溜まっている所為なのか酷く重たいモノへと変わっている。 そして自分の体や髪、服と同じくらいに土埃に塗れた鞄が地面から生える雑草たちを押しつぶして地面へと下ろされた。 荷物を降ろした途端、フッと軽くなった肩を揉みながらホッと一息つく。 その姿を見て先程までキュルケといがみ合っていたモンモランシーが、まるで機嫌の悪い仔犬のように突っかかってきた。 「ちょっとルイズッ!アンタ馬鹿じゃないの!?いくらアンタの使い魔と居候がスゴクたって、艦隊に勝てるワケなんか…」 「勝てる勝てないの問題じゃあないのよモンモランシー。アンタだって私の話聞いてたでしょ?あの艦隊は、このまま王都を滅ぼすつもりなのよ」 「……ッ。そりゃ聞いてたわよ!だけど、だけど…こんなの相手が悪すぎるじゃないの!?」 彼女が最後まで喋り終える前に自分の言葉でそれを止めてきたルイズに、モンモランシーは突然一択しか選べぬ選択肢を突き付けられた気分に陥ってしまう。 あのキメラ達との戦いが終わった直後、キュルケ達四人はルイズ達から今起きている状況をある程度教えてもらっていた。 アルビオンからやってきた親善訪問の艦隊が、突如裏切って迎えに来たトリステイン艦隊を攻撃してきた事。 攻撃してきたアルビオンの連中はその勢いを借りてあのキメラ達を地上へ放ち、迎え撃とうとしたトリステインの地上軍を蹴散らした事。 そして偶然にも、自分の一つ上の姉であるカトレアがタルブ村を訪問している最中で、不幸にもアストン伯の屋敷で多くの村人たちと共に立て籠もっている事。 自分は姉を助ける為に、霊夢と魔理沙は人を襲う異形達を駆逐し、それを操っているアルビオンを倒すためにここへ来た、という事。 そして最後に…アルビオンの艦隊は夜明けと共にキメラの軍団を率いて前進し、最終的にはトリスタニアを攻め落とそうとしている事を…、 ルイズは四人に伝えていたのである。 そして今、迫りくる最後にして最大の敵たちをルイズ達三人は戦おうとしているのだ。 ルイズと同じくトリステイン出身であるギーシュと、モンモランシーは彼女がやろうとしている事にはある程度の理解を示している。 トリステイン王国の貴族として生まれた以上、母国と王家に害を為す者には断固たる意志を持って戦わなければいけない。 しかし…未だ学生の身である彼女たちにはやはり頭上に浮かぶ相手はあまりにも大きく、そしてその傲慢さを持てる程の強さを持っている。 例え彼女―――ルイズが使い魔である霊夢と、居候の魔理沙と共に戦ったとしても勝てる確率は恐らく―――二桁の数字にすらならないだろう。 「ルイズ、悪いことは言わない。僕らじゃあアレは止められない、蟻数匹が暴れ牛に戦いを挑むようなものだ!」 この時ギーシュは、かつて『ゼロ』と呼んで蔑ろにしていたルイズを思い留まらせようとしていた。 特に親しい間柄というワケではないが、知り合いである彼女が…一人の女がこれから地獄に片足突っ込もうとしているのだ。 だがそんなギーシュの説得に対し、ルイズはつまらなさそうに鼻を鳴らして鞄の蓋を止めていたボタンを外している。 「アンタらしくないわねギーシュ?いつものアンタなら、王家の為に喜んで命を差し出そう!って言いそうなのにね…」 「そりゃアンタがそこまで変わったら、流石のギーシュだって止めに入るって事ぐらい分からないのかしら、ヴァリエール?」 蓋を開けた鞄を漁っていたルイズの言葉に対しそう返したのは、背後のギーシュではない。 モンモランシーのいる方向から聞こえてきたその声にルイズがスッと顔を上げると、赤い髪と大きな胸を揺らして歩いてくるキュルケの姿が目に映った。 「何があったのかしらないけどねぇ、そうやって格好つけるのはやめなさいヴァリエール」 顔を上げたルイズに対し、普段とは違う真剣味のある声色と、彼女には似合わぬ真顔で喋るキュルケ。 いつもとは違うギャップを見せる彼女に、ギーシュとモンモランシーの二人は硬直してしまう。 ルイズの後ろにいる霊夢達もこれまで見たことのないキュルケの様子に、思わず視線を向ける。 「…キュルケ?」 ルイズもルイズでまるで豹変したかのような真顔を見せるライバルに、ルイズは怪訝な表情を浮かべてしまう。 やがて一分もしないうちに彼女のすぐ傍にまで来たキュルケは、腕を組んだ姿勢のまま淡々と喋り始めた。 「貴女、今自分が何を相手にしようとしているのか…分かっているの?」 「…貴女に言われなくても、分かってるわよ。今から私が、とんでもなく馬鹿な事をしでかそうしている事ぐらい」 「なら下手に言わなくても良いわね。でも、そこまで理解しておいて何で抗おうとするのかしら?」 キュルケは右手の握り拳から親指を一本立てて、背後の『レキシントン号』をその親指で素早く指さした。 ルイズが鞄を降ろす前よりも少しだけ近くなったその巨大戦艦へとルイズが視線を向ける前に、それを遮るようにしてキュルケが質問する。 「答えて頂戴ヴァリエール。―――――大方そこの怪しい二人に、何か言われたんでしょう」 「おいおい…!ちょっと待てよ。それは酷い誤解ってモンだぜ?」 彼女のその言葉を耳にした魔理沙が聞き捨てならんと言いたげに一歩前に出て、慌てるように言った。 魔理沙に続いて霊夢も何か言いたい事があるのか、一歩前に出る…どころかキュルケの方へとツカツカと歩き出した。 体から薄らとした怒りの雰囲気を放ちながら、ムスッとした表情で歩いてくる霊夢の姿…。 一方のキュルケは待っていましたと言わんばかりにその顔に緩やかな笑みを浮かべて、近づいてくる巫女さんの方へと身体を向けた。 そしてとうとう、キュルケとの間が一メイルにまで縮まった霊夢はその顔を上げて、自分より身長が上のキュルケをキッと睨みつける。 「アンタ、もしかして私と魔理沙がルイズを戦わせるように仕向けた…って言いたいのかしら?」 「えぇそうよ?ヴァリエールは典型的なトリステインの貴族だけどねぇ、こんな事を仕出かすような命知らずやバカじゃあなかったわ」 怒りの気配を放つ霊夢のムスッとした軽い怒り顔にも動じる事無く、キュルケは自慢の赤い髪を掻きあげながらそう返事をした。 髪を掻きあげられるほどの余裕に満ちていると思ったのか、霊夢はそのムスッとした顔に嫌悪感を付加させて喋り続ける。 「残念だけどね、ルイズはアンタが考えてるほどバカじゃないわ。アンタだって聞いてたでしょう?アイツが元々ここへ来たのは、自分の目的があったからよ」 「それはついさっき聞いてるから分かってるわ、でもそれは単なる無謀と言う行為よ。たった三人で艦隊に挑んで勝てるとでも思ってるのかしら?」 売り言葉に買い言葉。お互い一歩も引かぬ強気な者同士の言い争いに傍にいた魔理沙は思わずたじろいでしまう。 「お、おぉ…過去に何があったかは知らんが、霊夢の奴も相当カッカしてるぜ」 「君、君…!そんな暢気に解説してる暇があるなら、ちょっと止めてみようとかそんな努力をしてみないかね?」 「んぅ~どちらかというとこのまま見ておきたいが…まぁ確かに、あんなデカブツがすぐ近くまで飛んできてるしなぁ」 「ちょっと!そこは悩むところなの…!?」 すぐ傍にまで命が危機が迫っている状況の中でも、魔理沙は決して己のペースを崩すことなく、 突っ込みを淹れてくるギーシュやモンモランシーにまだ軽口をぼやける余裕は残っていた。 タバサは相も変わらず無口で、地面に垂らしたシルフィードの尻尾の上に腰を下ろしてジッとキュルケと霊夢を見つめている。 そして、二人の言い争いの原因でもあるルイズは鞄の中に入れていた手を引っ込ませると、その場でスクッと立ち上がった。 重くなってしまった腰を上げたルイズは再び軽い背伸びをした後、キュルケの方へと顔を向けるとその口から出る言葉で彼女の名を呼んだ。 「…キュルケ」 「あらルイズ。いよいよ教えてくれる気になったのかしら?彼女たちに何を吹き込まれたのかを…ね?」 突如話に加わろうとして来るルイズに、キュルケは嬉しさのあまり小さく両手を叩いて笑顔を浮かべた。 そして、喋った言葉の中にあった「吹き込まれた」というのを聞いて、霊夢は思わがその顔を顰めてしまう。 「ルイズ、アンタが出てくる必要は無いわよ。すぐにコイツとの話は終わらせるから、準備でも…―――…ッ?」 自分の前へ出ようとしたルイズを手で止めようとした霊夢はしかし、遮ろうとした自分の腕を下げたルイズにこんな事を言われた。 「ごめんレイム、ちょっと静かにしててくれる?この分からず屋に、ちゃちゃっと説明して終わらせるわ」 まるで聞き割れの無い生徒を諭しに行く教師の様な表情と口調でそう言うと、彼女は霊夢の一歩前へと進み出た。 一方の霊夢は、先程までと比べて妙に落ち着いているルイズを見て一体何を喰ったのかと訝しんでしまう。 本人が彼女の今の心境を知ったら殴られそうであったが、幸いにも口にしていない為ルイズの耳に入る事は無い。 そんな風にして、キュルケの話し相手が霊夢からルイズへと流れるようにして変わる。 微笑みを浮かべて腕を組むキュルケと、そんな彼女を下から睨み上げるルイズに―――動く背景の様なアルビオンの艦隊。 あまりにも奇怪で危機的な状況の中でも二人は決して動じず、両者ともに自分のペースで話し始めた。 「さてと…アンタには何処から話して良いのやら…でもまぁ、アンタにはとりあえず言っておきたい事があるの」 「ふふん!その言い方だと…何か面白そうな事を言ってくれそうじゃないの。良いわ、言ってみなさい」 「勿論言ってあげるわよ。アンタの言ゔ無謀な行為゙をするだけの理由をね」 未だ余裕癪癪なキュルケに対し、ルイズは瞼を鋭く細めたまま話を続けていく。 ギーシュやモンモランシーの目から見れば、それはいつも学院で目にしている二人の言い争いの場面を思い出させた。 だがそんな彼らの意思に反して、ルイズはキュルケの微笑みを見てもかつて程怒ってはいなかった。 「じゃあ教えてもらおうじゃないの。この二人に何を吹き込まれて…命知らずな事をしようと思ったのかを」 「ちょっとアンタ。いい加減にしないと前の時みたいに蹴飛ばすわよ」 あくまで彼女の使い魔と居候を敵視しているキュルケに、その使い魔である霊夢がいよいよ怒ろうとした直前、 彼女を睨み上げていたルイズはふぅ…と一息ついてから……キュルケの言ゔ命知らずな行為゙をする理由を告げた。 「―――ムカつくのよ。ただ単純に」 「………はぁ?何ですって?」 「単純にムカつくって言ってるのよ。あの空の上でふんぞり返ってるレコン・キスタの連中がね」 キュルケは予想していなかったであろうルイズの口から出た言葉に、思わず自分の耳とルイズの口を疑ってしまう。 しかしそんな彼女に聞き間違いではないという事を教える為に、ルイズは目を鋭く細めてもう一度言った。 細めた瞼の隙間から見える鳶色の瞳は気のせいか、キュルケの目には激しい怒りを湛えているかのように見えてしまう。 そして彼女の言葉はキュルケの傍にいた霊夢や魔理沙にタバサ、そしてギーシュやモンモランシーの耳にも届いていた。 「む…ムカつくからってだけで、あの艦隊に戦いを挑もうとしてたの…?」 「ま、まぁ…怒りっぽいルイズらしいと言えば言えるけどね」 「怒りの気持ちで、人はどこまでも強くなれる」 モンモランシーとギーシュは、どこかルイズらしいその理由に呆れつつも苦笑いし、 相も変わらず無表情なタバサはポツリと、何処ぞの偉い人が言ったような格言みたいな言葉を呟いた。 一方で、キュルケに敵視されていた霊夢と魔理沙もルイズの告白に反応を見せていた。 「…ここに来て、ようやっとぶちまけてきたわねぇ」 先ほど露わにしていたキュルケへの怒りはどこへやら、霊夢はやれやれと言いたげに肩を竦めて見せた。 しかし実際のところ、ここに至るまでやりたい放題やってきた連中を倒す目標としては一番お似合いである。 本人は家族を助ける為だったりと、アンリエッタの為に戦おうと色々理由付けはしていたが本心では色々とムカついていたのだろう。 (まぁでも、私としてはそれを咎めるつもりはないし…ムカつくから戦り合うってのは至極単純で悪くはないわね) 霊夢がそんな風にしてぶっちゃけたルイズを見ていると、後ろにいた魔理沙がニヤニヤと笑みを浮かべながら話しかけてきた。 「まぁ良いんじゃないか。そっちの理由の方が流石お前さんを召喚した人間らしいと思うぜ」 「それ、どういう意味よ?」 「いや、別に気が付かないならいいさ。心の中にそっとしまっておいてくれ」 人を苛つかせる様な二ヤついた顔で意味深な事を呟いた魔理沙に、霊夢はキッと鋭い睨みをお見舞いする。 しかしそんな睨みは普通の魔法使いには全く利かず、ニヤついた顔を反らしただけに終わった。 そんな風にして五人が様々な反応を見せている間、ルイズとキュルケの話は続いていた。 「ヴァリエール、貴女…さっきのは本気で言っているのかしら?」 「本気に決まってるじゃないの。じゃなきゃアンタになんか自分の本音をぶちまけたりはしないわよ」 ルイズの睨みに対し、その顔から微笑を消して真剣な表情を浮かばせるキュルケが彼女と口論を始めている。 二人の間に漂い始めた近づきがたい気配は周囲に散り出し、周りの者たちは皆口が出せない様な雰囲気を作っていく。 そんな事露も知らないキュルケは、ルイズの口にした『自分の本音』という言葉を聞いてフンッと鼻で笑いながら言った。 「へぇ…?じゃあ家族を助けるっていうのは単なる口実って事に……」 「誰も口実だなんて言ってないわよツェルプストー!私はねぇ、ちぃ姉様も助ける為にここへ来てるのよ!!」 自分の言っている事をイマイチ理解できてないであろうキュルケに、ルイズは強く言い返す。 突然大声で怒鳴ってきた彼女に思わず口をつぐんでしまうものの、すぐに気を取り直して喋り出した。 「……じゃあ何?アンタはここにいる家族の一人を助けて、ついでにムカつくアルビオン艦隊を倒しに来たって事なの?」 「バカだと思うでしょう?無理だと思うでしょう?残念だけと゛、私は大マジメなのよ。ツェルプストー」 キッチリと自分の今の意思を伝え終えたルイズは、自分と見つめ合うキュルケの表情が変わっていくのをその目で見た。 真剣な眼差しと真剣な表情が一瞬で変わり、目を丸くさせて信じられないと言いたげな怪訝なモノとなっていく。 「どう、分かったでしょう?私はレイムとマリサに誑かされてるワケじゃないって事を」 「……まぁね、大体分かったわ。けれどルイズ、貴女―――変わったわね?」 両手を小さく横へ広げてハイ話は終わりと言いたげなルイズに、キュルケも肩を竦めながらポツリと呟いた。 キュルケとしては、ただ『ムカつく』から圧倒的すぎる相手と戦おうとするルイズの事が信じられないでいた。 かつてのルイズは名家であるヴァリエールの生まれでありながら、魔法の才能に恵まれず常にそのことで頭を抱えていた苦悩者。 多少怒りっぽいところと高いプライドが珠に瑕であったが、それでも一人の貴族としては彼女ほど出来た者は二年生には指で数える程しかいない。 魔法では勝てても乗馬の技術や運動神経ではあと一歩の差を空けられ、座学に関しては自分よりも一歩も二歩も先を歩いている。 『土くれのフーケ』のゴーレムと戦った時の様な発作的な無茶をする時はあったが、基本的には体と頭が同時に動くのがルイズであった。 例えるならば自分は頭よりも先に体が動き、タバサは体より先に頭が動く。しかしルイズは頭で考えつつ体も的確に動かしていく。 もしも魔法の無い世界で生まれていたのならば、彼女…ルイズは天才と呼ばれる人間にまで成り上がっていたかもしれない。 少なくとも自分のライバルとして彼女の右に出る者はいないだろう。キュルケは今までそう思っている。 だからこそこれまでツェルプストーの者として彼女を馬鹿にしてきたものの、基本的には良きライバルとして彼女を見ていた。 もしもルイズがまともな魔法が使えるようになった時、いつかは決闘を申し込んでみたいと望んでいる程度に…。 しかし今目の前にいるルイズは、少なくとも自分が見知ってきていた彼女とは何処か別人のように見えていた。 戦地に取り残された家族を助ける為に…というのならともかく、ただ単純に『ムカつく』からアルビオンの艦隊を戦おうとする無茶振り。 だがそれを宣言してくれた彼女の怒りは驚くほど冷静であった。いつもなら火山が噴火するかの如く怒り散らすあのルイズが。 無論性格は自分が知っているままだ。だけども、今の彼女ば何かに影響されている゙かのように自らの感情に従いつつ冷静に動いている。 自分に悪口を言われて突っかかった時や、フーケのゴーレムに単身挑んだ時のような発作的な怒りではない。 まるで我に必勝の策ありとでも言いたいかのような、そんな絶対的な『強気』を今のルイズから僅かに感じられるのだ。 ……では一体、何が彼女をここまで強気にさせているのか?キュルケは無性にそれが気になって仕方が無かった。 「ねぇルイズ、一つ聞いても良いかしら?」 「あによ。もうアンタに今話す事は話し終えたと思うけど?」 一度気になれば聞かざるを得ない。そう思ったキュルケは喋り終えて一息ついていたルイズに再び話しかける。 ルイズもルイズでまた話しかけてきたキュルケに軽くうんざりしつつも、彼女の質問に付き合う事にした。 「一つ聞くけど……貴女がそこまであの艦隊を倒すって言って聞かないのなら―――当然あるんでしょう?」 「……何がよ?」 「あのアルビオン艦隊を倒すことのできる、俗に゙必勝の策゙ってヤツ」 ほんの少しもったいぶってからルイズにそう告げたキュルケの顔には、笑みが戻っていた。 それはルイズを小馬鹿にする類のものではなく、いつか話のタネになりそうな面白そうな事を見つけた時の笑顔。 ヒマを持て余していた荒くれ者が、美しい女を見つけた時の様な無邪気と邪悪が入り混じったようなそんなニヤついた表情である。 それを顔に浮かべたキュルケの質問にルイズはほんの少し顔を俯かせ――――勢いよくバッと上げた。 何処か邪悪なキュルケの笑みにも負けぬと言わんばかりの、ドヤ顔をその顔に貼り付かせて。 まるで咄嗟に思いついた計画が思い通りに行くと信じて仕方がない盗人が浮かべるような、確固たる自信に満ち溢れた表情であった。 「――――ある。それも、゙出来立てホヤホヤ゙の必勝の策がね」 彼女の言葉は表情と同じくらい、あるいはそれ以上の自信に満ち溢れている。 はたしてそれが本当に成功するのかどうか分からない…しかも本人いわぐ出来たてホヤホヤ゙と豪語した。 本来作戦というモノはある程度の時間を掛けて練り上げ、修正していく事で限りなく完璧な作戦へと仕上がっていくものだ。 だからこそ、ルイズの言う゛出来たてホヤホヤ゙という急造の作戦が上手く行くかどうか分からなかったか。 「へぇ、そうなの…―――成程、貴女も言うようになってきたじゃないの」 しかし、キュルケは変な確信をここに来て持ち始めていた。彼女が提案した作戦が上手く行くという確信を。 それがどこから来たのかは分からない。しかし今のルイズにはそれを実行に移し、成功へと導くだけの力があるように思えてしまう。 否、思えて仕方がないと言えば良いだろうか。とにかく、キュルケは先ほどとは違いルイズの評価を大きく変えていた。 本当は色んな隠し事をしているルイズの後を追って、こんな危険な場所へと突撃し、 そして今度は無謀な戦いを行おうとした彼女を止めようとしたキュルケは…ここに来て新しくその目標を変えた。 「面白い。…だったら、貴女の言う作戦とやらに私達も混ぜさせてもらえないかしら?」 「えぇっ!ちょ…ちょっとキュルケ!?アンタ一体どういうつもりなのよ!」 ルイズと同じく自身満々な笑みを浮かべてそう宣言したキュルケに叫んできたのは、モンモランシーであった。 てっきりルイズを止めてくれるかと思いきや、何があったが急に彼女と同調してしまったのを見て驚きを隠せないでいる。 「聞いた通りよ。何だかルイズには必勝の策とやらがあるから、それを見てみたいな~って思っただけよ」 「そんないい加減な…!だからって君は、何も僕達まで巻き込まなくても良いんじゃないかね?」 「まぁ私も無理に誘っちゃった事もあるしね、何ならタバサに頼んで安全な所まで逃げれば良いんじゃないの?」 モンモランシーに続いてギーシュも非難めいた言葉を放つが、キュルケの顔には反省の意思は浮かんでいない。 それどころか妙に開き直った様子で腰を手を当てると、ギーシュたちに向けて別付き合わなくても良いという主旨の言葉さえ口に出した。 しかし、平民ならばまだしもトリステイン貴族の二人…特にギーシュにその言葉は意外と効いたのか、 少し悩むように顔をうつむかせた後、彼は怯えを隠し切れぬ顔を上げて首を横に振った。 「いや…そ、それはできないぞ!僕だってトリステイン王国の貴族だ、戦ってもいない敵に背中を見せて逃げる事はできないぞぉ!」 半ば自暴自棄が入ったその叫びと共に腰に差していた薔薇の造花を付けた杖を手に取り、バッと上空の『レキシントン』号へと向ける。 それは彼なりの意思表示と言うやつなのだろう、ともあれ半端ではあるがそれなりの覚悟を決めたギーシュにキュルケは「上出来じゃない」と笑った。 「ちょ…ちょっとちょっと!ギーシュまで何やってるのよ!」 一方のモンモランシーはあっさりと意思を変えたギーシュに掴みかかったが、ギーシュは戦々恐々としながらも自分の考えを喋っていく。 「ご、御免よモンモランシー…けれども、あのルイズが戦うって言ってるんだ。それなのに男の僕が逃げてはグラモンの名が廃れてしまう…」 「そういう事よ。さっきも言ったけど、別に強制はしてないわ。生き残るって事も立派な戦いの内…ってよく言うじゃない」 自分のガールフレンドに言い訳をするギーシュの肩を軽く叩きながらも、キュルケはどちらかを選ぶよう勧めている。 このままタバサに頼んで安全圏まで非難するか、それともギーシュと残って圧倒的な敵と戦うかの二つに一つしか選べぬ選択。 ひとまずギーシュのシャツの襟を掴んでいた両手を離したモンモランシーは、少し考えたところでタバサに向かって話しかけた。 「タバサ、アンタはどうす…」 「私はどっちでも構わない。…だけど、キュルケが残るのなら私も残る」 ―――退路は絶たれた。頭を抱えたい事実にモンモランシーは悔しそうな表情を浮かべ、ため息をついてしまう。 確かに逃げたいのは山々だ。けれども、皆が残るという中で自分だけ逃げるのは…人として、貴族として腰が引けてしまうのだ。 「さてと、そろそろ時間も無いようですし答えを聞かせて貰おうかしら?」 更に悩んでいる所へ追い打ちをかけるようにして返答を促してくるキュルケ。 もはや悩んでいる暇はない。断崖絶壁から飛び降りるような気持ちで、モンモランシーは目を瞑って叫んだ。 「良いわよ!やってやろうじゃないの!?どうせ乗り掛かった船よ、最後まで突きあってあげるわよォッ!」 もはやヤケクソとしか言いようの無いモンモランシーの意思表示に彼氏のギーシュはたじろぎ、キュルケは「最高ね!」とコロコロ笑った。 それを離れた所から見ていたタバサはホッと小さなため息をついて、後ろで休んでいたシルフィードに目配せをする。 ―――準備しておいて。主からのサインと判断した幼き風竜は「キュイ」と短く鳴いて、コクリと頷いて見せた。 ひとしきり笑った所で、キュルケは自分の後ろで様子を見ていたルイズ達三人の方へと振り返った。 「さてと、これで全員参加だけど、アンタの言う作戦が少人数で事足りるって事あるワケないわよね」 「…キュルケ。何で今更になって手助けしてくれるのかしら?」 「何で…って?そりゃ貴女アレよ、私の性格と家名を知ってれば自ずと答えが出てくるってヤツよ」 キュルケからの確認を質問で返してきたルイズに、キュルケは考える素振りも見せずにそう答えた。 しかしそれでもイマイチ分からなかったのか、不思議そうに小首を傾げるルイズを見て彼女は説明していく。 「私はツェルプストー。常にヴァリエール家のライバルとして、その隣で生きてきた。 領地も隣り、そして所有する農場や牧場も隣で保有している兵力の数で争っているそんな仲。 ヴァリエールの事なら何でも知っているし、知らない事があってはならない。戦じゃあ情報も大切だしね。 だから私も知らなきゃいけないのよ。そこの紅白ちゃんを召喚して以来、変わってしまった貴女の事を…ね?」 さいごの「ね?」の所で軽くウインクして見せたキュルケを見て、ルイズは感動と軽い怯えを感じていた。 「そ、それってつまり…アレよね?俗にいうストー…」 「はいはい、これ以上話してる時間は無いでしょうに。とっとと始めちゃいましょう」 あと少しでキュルケを怒らせそうになった言葉を言いかけたルイズを遮りつつ、彼女の後ろにいた霊夢が大声を上げる、 霊夢としては空気を読んで止めたワケではなかったものの、彼女が言うように残された時間は少ない。 頭上を見上げてみれば、もうすぐあの『レキシントン』号が頭上を通過してくるほどまでに近づいてきている。 「おぉ~おぉ~、コイツはでかいな!こんなに大きいのなら、潰し甲斐があるってモンだぜ」 「言うのは簡単だけどさ…、いざこうして間近で見てみると中々迫力があるわね」 近づいてくる巨大戦艦を暢気に見上げる魔理沙と、場違いな発言をする霊夢の二人は既に戦闘態勢を整えていた。 魔理沙はいつでも箒に乗って飛べるように身構えており、霊夢も万全とはいえないもののある程度体力を取り戻している。 『レイム、分かってるとは思うが『ガンダールヴ』の能力を使うのは流石に無理そうだけど…いけるか?』 「私を誰だと思ってるのよ。地上では散々剣を振るったけど…次は私の十八番で戦うから問題ないわ」 デルフの言うように『ガンダールヴ』能力は使えないが、恐らく次の戦い舞台はあの戦艦の周囲――つまりは空中。 地上からでも既に随伴している竜騎士の姿が見えており、艦隊の間を縫うようにして飛び回っている。 「大物にほどよい小物…こりゃ間違いなくハードだが楽しいステージになりそうだな」 「とりあえず、あの竜に乗ってるのは人間だろうし…何だか面倒な事になりそうね」 二人して、向こうから迫りくる戦いに気合を入れていざ飛び立とうとした―――その時であった。 「ちょっと待ちなさい二人とも。悪いけど、突撃はちょっと待ってくれないかしら」 「えッ?」 いざ地面を蹴ろうとしたその時になって、こちらに背中を向けていたルイズが制止したのである。 突然の事に霊夢は思わず体の動きを止めて、何やら鞄を漁っているルイズの方へと視線を向けた。 魔理沙の方は既に箒で宙を浮いていたものの足が地に付くギリギリの高度を保ちながら、止めてきたルイズへと声を掛ける。 「お?何だ何だ?どうしたんだよルイズ。私達でアレを相手にするんじゃな無かったのか?」 「まぁ確かに、最初の作戦の時はストレートにそれで行くつもりだったけど…ちょっと試してみたい事ができたのよ」 急にそんな事を言ってきた彼女に霊夢と魔理沙はおろか、キュルケ達も思わず不思議そうな表情を浮かべてしまう。 ついで霊夢たちがやろうとした事をルイズがサラッと認めた事に、思わずギーシュとモンモランシーはその顔が青くなった。 「何だろうね?ルイズの言う「試してみたい事」って」 「さぁ、分かるワケないでしょうに。―――まぁ、正面突破よりかはマシだと祈りたいけどね」 純粋に不思議がっているギーシュとは対照的に、どこか投げ槍的なモンモランシーは先ほど飛び上がろうとした霊夢達を思い出して身震いした。 いくらなんでもあの二人が異様に強い力を持っているとしても、無数の竜騎士とアルビオン艦隊へ突っ込む事なんて考えてもいなかったのだ。 例えるならば、ちょっと戦える程度の強いメイジが「今ならだれでも倒せる筈!」と叫んで、エルフたちのいるサハラへ突っ込むようなものである。 そんな恐ろしい例えが頭の中へ浮かんだ時に、丁度突っ込もうとした二人の内黒白の方が話しかけてきた。 「お、どうしたんだよそんなに身震いさせて?風邪でもひいたのか」 「別に風邪とかひいてないわ。むしろ平気な顔して突っ込もうとしたアンタたちの方が、何かの病気なんじゃないの?」 「生憎だが、私は健康的な魔法使い生活をしてるから。そういう心配は御無用だぜ」 ――――そういうことじゃ無いっての!心の中で叫びつつも、モンモランシーは勘違いしている魔理沙をキッと睨む。 そして、ルイズの言う「試したい事」が自分たちにとって安全なものでありますようにとひたすら願っていた。 その一方で、霊夢はゴソゴソと鞄を漁っているルイズにキュルケと一緒になって問い詰めていた。 「で、どういう事なのよ?『試してみたい事』って…私はそんなの聞いてないんだけど?」 「まぁ確かに、アンタには話してないわね。…けれどまぁ、何て話して良いのやら…」 いざ参る!というところで止められた霊夢はやる気を削がれてしまったのか、気怠そうな表情をルイズを睨んでいる。 一方のルイズも、その『試したい事』をどういう風に説明すればいいのか悩んでいた。 「ふ~ん…ってことはつまり、貴女が言った「試したい事」って即ぢさっき言ってたら゙出来たてホヤホヤの作戦゙の事ね?」 「はぁ?何よソレ。折角好き放題やってた連中の鼻頭を叩き折ろうって時に、わざわざ水を差すだなんて…どういう了見よ」 「伝達ミスによる指揮系統の混乱」 そんな二人の間に割って入るようにしてキュルケがおり、彼女の隣にはようやっとこっちへ来たタバサもいる。 二人は霊夢と魔理沙は知らず、ルイズだけが知っているその「試したい事」が…彼女が先ほど言っていだ出来たてほやほやの作戦゙なのではと察していた。 「まぁそう怒るもんじゃないわよ紅白ちゃん?で、ルイズ…貴女の言う「試したい事」で、私達はなにをすれば良いのかしら?」 一方のキュルケは内心突撃を敢行しようとした好敵手が一歩手前で止まってくれたことに、内心ホッと一息ついている。 いくら今のルイズが恐ろしいくらい勝ち気だからといって、敵のど真ん中へ突っ込むなんて命がいくつあっても足りないだろうからだ。 だから突撃をやめた事に関して特に何も言うことなく、ルイズがこれからしようとしている事を笑顔で見守っている。 何をするかによっては自分も手伝うという意気込みを交えながら、鞄を漁り続ける彼女に話しかけたのである。 だが、話しかけてきたキュルケに対してルイズが返した言葉は予想外のモノであった。 「いや、多分これは…ワタシ一人で出来ると思うから、周囲に敵が来ないかだけ見てくれれば良いわ」 鞄を漁っていた手を止め、中に入れていたであろう道具を一つずつ両手で取り出したルイズからの返答に、キュルケ達は驚いた。 無理もないだろう。彼女が言った事を解釈すれば――あの魔法が使えない『ゼロ』ルイズが、一人でアルビオン艦隊を止めて見せる。という事なのである。 まだ霊夢や魔理沙…それに協力を申し出たキュルケやタバサ達の力を借りれば、一桁であっても勝率と言うものはあるかもしれない。 だが彼女はそれを自らの手で大丈夫といって跳ね除けた。一桁だった勝率を限りなくゼロにまで下げる行為を、いとも容易く行ったのである。 「ちょ…ちょっと、馬鹿言いなさいなルイズ!いくら何でも、貴女一人だけじゃあ…」 「そうよルイズ!いくら失敗魔法が爆発だからって、空の上にいる戦艦を撃ち落とそうとか考えてるんじゃないでしょうね!?」 すかさずキュルケとモンモランシーが、とち狂った(ようにしか見えない)ルイズを再び説得し始めた。 その二人に背中を向けているルイズは「…うん」や「そうだけど…」と先程の威勢の良さはどこへやら、歯切れの悪い相槌を打っている。 しかし…そんな相槌を繰り返す裏で、彼女は右手で鞄から取り出していた指輪を左手の薬指にゆっくりと嵌めていく。 指輪に台座に嵌った宝石は、まるで澄んだ海の水をそのまま固めたような青く神秘的な輝きを放っている。 「モンモランシーの言うとおりだよルイズ。『レキシントン』号クラスの戦艦じゃあ…ちょっとやそっとの爆発じゃ大したダメージにはならないぞ!」 「………?」 自分のガールフレンドに同調するかのようなギーシュの隣にいたタバサは、この時ルイズが指にはめた指輪の事に気が付いた。 そして、彼女の左腕には…同じく鞄へ入れていたであろう古ぼけた一冊の本が抱えられている事にも。 まるでお化け屋敷の中で拾って来たかのような、誰からも忘れ去られて朽ちていくしかない現れな運命に晒された一冊。 そんな本をまるで腹を痛めて産んだ我が子の様に腕で抱えているルイズの姿は、タバサの目には何処か奇妙に映っていた。 そして…素っ頓狂な事を口にしたルイズに、当然の如く霊夢と魔理沙の二人も反応していた。 何せ、正々堂々と突っ込もうとした矢先に急に止めに入られたかと思いきや――今度は自分一人で倒してみるという始末。 別にこの二人でなくとも、気が狂ったとしか思えないルイズにちょっと待てと言いたくなるのも無理はないだろう。 「ちょっとアンタ、馬鹿にしてはいないけどさぁ、…何処かで頭でも打ってるんじゃないの?」 「それを言うなら、毎度毎度トチ狂ったような弾幕をヒョイヒョイと避けてるお前さんのも相当なモンだぜ?」 『このバカッ!今はそんな事いってる場合じゃねぇだろ。…にしても一体どうしたってんだ娘っ子、急にあんな事言うなんてよぉ?』 霊夢と魔理沙だけではなく、デルフからも問い詰められてから、ルイズはようやっとその顔皆の方へと向ける。 目前に迫りつつあるアルビオン艦隊を倒せると豪語し、今度はソレを他人ではなく自分の力だけで倒して見せるという狂言を放ったルイズ。 ついさっきまで、皆に背中を向けて何かをしていた彼女の顔には――――二つの表情が入り混じっていた。 まるで十六歳まで平和に生きていた少女が、ある日天からの導きで始祖の生まれ変わりだと告げられたかのような…信じられないという驚愕。 そして自らの始祖の力を用いて、これから多くの人たちをその力で導かなくてはいけないという――否応なしに受け入れるしかない決意。 二つの表情が入り混じり、どこか泣き笑いか苦笑いとも取れる表情を見せるルイズは霊夢達に向かって口を開いた。 「レイム―――信じてくれないだろうけどさぁ?……あの吸血鬼の言葉、本当に当たってたみたい」 そう言ってルイズは、左腕に抱えていたボロボロの本―――『始祖の祈祷書』を右手に持ち、左手でページをゆっくりとひらいていく。 青い宝石の指輪―――『水のルビー』を嵌めた左手で、触れただけで壊れてしまいそうなその本のページをひらいた直後――― まるでこの時を待っていたかのように…『水のルビー』と『始祖の祈祷書』が眩く光り出したのである。 「何、ワルド子爵が戻ってこんだと…?」 空いた手持ちのグラスに、秘蔵のワインを注いだばかりのジョンストンは伝令が伝えに来た情報に首を傾げた。 先程帰還した偵察の竜騎士隊から伝令を承った水兵は、お飾りの司令長官の言葉に「ハッ!」と声を上げて報告を続ける。 「偵察隊の一員として加わったワルド子爵は、他の者たちが気づいた時には姿を消していたとのことです!」 「んぅ…、一体どういう事だ?誰も子爵が消えた所を見ていないというのか」 「それに関しては、子爵は竜の調子が悪いと言って最後列を飛んでいた為に確認が遅れたとのこと!」 「成程、……まぁ良い。子爵も祖国への情が湧いたのだろう、放っておきなさい……ンッ」 一水兵として、模範的な敬礼を崩さぬまま報告する若き水兵とは対照的なジョンストンはそう言って、グラスに注いだワインを飲み始めた。 既に酔っているのか彼の頬はほんのりと赤く染まっており、水兵の鼻は彼の体から仄かなアルコールの臭いを嗅ぎ取っている。 グラスに並々注いでいたワインの半分を一気に飲み込んだジョンストンは、そこでグラスを口から離した。 「プハァッ…!」と場末の酒場で仕事の後のワインを煽る労働者の様な酒臭い息を吐いて、伝令に話しかける。 「この状況、もはや子爵一人裏切っただけでは戦況など覆らん!我々を止めるモノなど一人もおらんからな!」 「りょ…了解しました!伝令は以上です!」 半ば酔っぱらっているジョンストンに怯みながらも、伝令は最敬礼した後自分の持ち場へと戻っていく。 まだまだ入って間もない若者の背中を見ながら、赤ら顔の司令長官はブツブツと独り言を呟きながら残ったワインをちびちびと飲み始めた。 「全く、これだから外国人は…何を考えているかわからんわい…まぁよい、これでワシは…閣下に英雄として称えられて…フフフ…」 既に酔いの段階が爽快期に突入しているジョンストンの姿は、『レキシントン』号の甲板の上では異様な存在に見える。 事実周りでキビキビと動きまわる水兵や下士官、士官や出撃直前の竜騎士たちは彼を奇異な目で見つめていた。 そんな中でただ一人、『レキシントン』号の艦長でボーウッドはお飾りの司令長官に背を向けてただひたすらに夜空を見ている。 彼の思考は既にこの艦隊の進む先にいるであろう敵――ゴンドアで籠城するトリステイン軍とどう戦うか、その方法を練っている最中であった。 「…その報告は確かか?」 「はい、偵察から帰ってきた竜騎士の話によれば間違いなく王軍の増援が来ているとの事です」 ジョンストンへ報告した者とは別の水兵が、ジッと夜空を見つめているボーウッドに淡々と報告していく。 ワルド子爵がいなくなった後も偵察隊は任務を続行し、見事その務めを果たしていた。 「ふぅむ…、街で縮こまっているというトリステイン艦隊が死にもの狂い攻撃してくれば、こちらも無傷で勝てるという戦いではないな…」 果たしてこの艦を含めて、何隻生き残るか…。心の中で呟きながら、彼はようやく背後で酔っている司令長官の方へと視線を向けた。 トリステイン艦隊がゴンドアで縮こまり、キメラにより止むを得ず撤退した地上軍からの攻撃も無い故に順調な進軍。 最初の交戦で何隻か失ったものの、未だ神聖アルビオン共和国の艦隊が今この周辺にいる戦力の中で最も強い事は変わっておらず、 有頂天になったジョンスントンは先ほどの進軍開始の合図として打ち上げた花火で更にテンションを上げてしまい、とうとうワインを飲み始めたのである。 最初こそそれを諌める者はいたが、あろうことか彼は杖を抜いて「司令長官のささやかな一杯に口出しする気か!」と逆上したのだ。 こうなっては誰も止める者はおらずボーウッドも、そのまま酔っていてくれれば作戦に口出ししてくる事はないと放置している。 (まぁ最も、トリステイン軍との交戦が開始したら…酔いなど吹っ飛んでしまうだろうけどな) 精々今の内に喜んでいるといい。軽蔑の眼差しを司令長官殿に向けながら、ボーウッドが心の中で呟いた直後――― 『レキシントン』号の見張り台から、地上の様子を見張っていた水兵が双眼鏡を片手に大声を上げた。 「タルブ村の高台にて、謎の発光を確認!繰り返す、謎の発光を確認!」 ルイズの指に嵌められた『水のルビー』と、古ぼけた『始祖の祈祷書』。 彼女が鞄の中にこっそりしまっていたとのステイン王家の秘宝が、まるで地平線から顔を出す太陽の様に眩い輝きを放っている。 あまりにも激しいその輝きは、当然の様に周囲にいる者たちの目を容赦なく眩ませていく。 「ちょ…!?ちょっと、ちょっと!今度は何?何が起きてるのよ!?」 突如、ルイズの手元から迸った激しい光にモンモランシーは手で目を隠しながら悲鳴を上げた。 しかし彼女の疑問に答える者は誰もいない。いや、正確に言えば皆が皆それに答える程の余裕が無かったと言えばいいか。 ギーシュとキュルケも彼女と同じように突然の光に目が眩み、あのタバサさえも目を瞑って顔を光から反らしている。 シルフィードは器用に前足で顔を隠して、きゅいきゅいきゅい~!?と素っ頓狂な鳴き声で喚いていた。 「うぉっ!眩しッ…っていうか、何だこりゃッ!?」 「くっ…ルイズ、アンタ…!」 そして霊夢と魔理沙の二人もまたルイズが手にした二つの秘宝から発する光に目をつむるほかなかった。 だが、それでも光は防ぎきれず魔理沙は両腕で目を隠したうえで更に顔まで反らしている。 霊夢もこの黒白に倣って同じような事をしたかったが、それを敢えて我慢して彼女はルイズの様子を見守っていた。 それは彼女が先ほど…『始祖の祈祷書』と呼ばれていたあのボロボロの本を開く前に呟いた言葉が気になったからである。 ――――……あの吸血鬼の言葉、本当に当たってたみたい (あの吸血鬼…もしかして、レミリアの事?) 久々に聞いた様な気がする紅魔館の幼き主人の名前が、ルイズの口から出たのには少し驚いてしまった。 そして思い出す。かつて彼女と共に一度幻想郷へと帰ってきた際の集会で、あの吸血鬼――レミリア・スカーレットが言っていた事を。 ――霊夢の左手には貴方達の種族が『伝説』と呼んで崇める存在が使役した使い魔のルーンが刻まれているんでしょう? という事は、貴女にはそいつと同等の力をもっているという事じゃないかしら。貴女がそれを自覚していないだけで かつてこの地に降臨し、この世界を作り上げた始祖ブリミル。その始祖が使役した四つの使い魔の内『神の左手』ガンダールヴ。 そのルーンは今や霊夢の左手の甲に刻まれ、かつては千の敵を屠ったという力でワルドとも互角に渡り合えた力。 そして…そのルーンを持つ霊夢――ーひいては使い魔を使役するルイズは、つまり―――――…。 レミリアの言葉を思い出して、思考の波へ埋もれかけた霊夢はハッとした表情を浮かべると首を横に振る。 (でも…ルイズの事と今の光には何の関係が――――…ん?) 霊夢が心の中で呟いていた最中、それまで周囲を乱暴に照らしていた光がスゥ…と小さくなり始めた。 まるで東から昇ってくる太陽が、ゆっくと西の空へと沈んでいくかのように光はゆっくりとその激しさを失っていく。 そして一分と経たぬうちにあんなに激しく迸っていた乱暴な光は姿をひそめ、それに気づいたキュルケ達がようやっと目を空けられるようになった。 「な、何だったのよ今のはぁ~…?」 「さ、さぁ…。けれど、ルイズが手に持っている本から光が出てきた様に僕には見えたが…」 もうウンザリだと顔で叫んでいるモンモランシーが落ち込んだ声で放った質問に、未だ困惑から抜け出せないギーシュが曖昧に答える。 彼の言ゔ光の源゙であろう『始祖の祈祷書』は今や、ルイズの顔を寂しく照らす程度の光しか放っていない。 それでも、ページが光っているだけでもボロボロの本は今やその見た目以上の価値を持っている事は明らかであろう。 「ちょっとちょっと…!ヴァリエール、今の光は何なのよ?…っていうか、その光ってる本は一体…」 「う~ん…ちょっと待って頂戴キュルケ。…こればっかりは、私もどう説明したら良いか…――――ん?」 光が収まった事でようやく目をつむるのをやめたキュルケが、真っ先にルイズへ質問する。 しかし、光を発した二つの道具をカバンから取り出したルイズもいまいち把握してない様な事を言おうとしたとき、その表情が変わった。 眩い光を放った二つの秘宝の内の一つ―――『始祖の祈祷書』の開いたページ光に目がいったのである。 否、正確に言えば何も書かれていなかったページに現れていた『発光する文字』に。 「何…?これ?」 本来なら結婚するアンリエッタ王女とゲルマニアの皇帝へ送る詔を清書するために用意された白紙のページ。 ゴワゴワで少しページの端を引っ張っても破れてしまいそうな紙の上に、光文字がいつの間にか綴られていたのである。 しかも光っている事を抜きにその文字は、普段ルイズたちが目にするどの文字とも似て非なるものであった。 ルイズの怪訝な言葉に気付いたのか、ルイズが左手に持っている『始祖の祈祷書』のページを横から見た。 「ん…?ちょっと待って!…これってもしかして……文字が光ってるの?」 一番近くにいたキュルケが声を上げると、モンモランシーや霊夢達も何だ何だと周囲に集まってきた。 「えぇ、ちょ…何よ?このボロボロの本はマジックアイテムか何かっていうの?っていうか、何で光ってるの?」 「いや、だから僕に聞かれても答えようが…」 モンモランシーの目から見て使い方も分からないそのボロボロの本が見せた意外な一面に驚き、 彼女に次々と疑問を吹っかけられているギーシュは首を横に振りながら、ただただ呆然とした表情で祈祷書を見つめている。 「おっ?ルイズ、これってお前が中々出来なかったて言ってた詔か?中々良さそうじゃないか。全然読めないがな」 「違うわよこの黒白!」 「今は魔理沙の事なんか放っておきなさい。で、ルイズ…これって一体どういう事なのよ?急にあのボロボロな本がこんな事になるなんて」 魔理沙は魔理沙で何かを勘違いしているのか、的外れな感想でルイズを怒らせていた。 そんな二人の間に割り込む形で霊夢がルイズの前に出て、彼女に何が起こったのかを聞こうとする。 ルイズは一瞬言葉を詰まらせるものの、やがて決心がついたのかフゥッと一息ついてから淡々と話し始めた。 「レイム…それがちょっと、私にも良く分からないのよ。…さっき気絶している時に変な夢で誰かが『指輪を嵌めて、祈祷書を開け』って…」 「気絶しているときに見た夢?あぁ、ワルドに攫われた後の事ね」 「何、何々?何か面白そうな話が聞けそうな気がするんだけど?」 ルイズの言う事に心当たりのあった霊夢がその時の事を思い出し、キュルケのレーダーが二人の話に気を取られた時… 霊夢の少しだけ蚊帳の外にいたタバサがルイズの持つ『始祖の祈祷書』のページへと目を向けると、ポツリと呟いた。 「これ…もしかして古代のルーン文字…?」 タバサの言葉に祈祷書を持っていたルイズは再びページへと目をやり、コクリと頷いた。 彼女の言うとおり、ページの上で光る見慣れぬ文字は全て古代の人々が文字として使っていたルーン文字である。 「確かにそうだわ…これって大昔…つまり私達のご先祖様が使ってたっていう文字だわ」 「古代ルーン文字って…ちょっとちょっと、何で貴女がそんなスゴイモノを持ってるのよ?」 「おいおい何だ。詔かと思ったら、これまた随分とスゴイものが書かれていたじゃないか!」 マジック・アイテムの蒐集が趣味である魔理沙はここぞとばかりに目を輝かせている。 何せ魔導書にもなりそうにないボロボロの本が一変して、古代の貴重な文明の一端を記しているマジックアイテムへと早変わりしたのだから。 黒白が喜んでいる一方でルイズはゆっくりと、人差し指で文字を追いながらゆっくりと読み始めた。 幸いにも古代史の授業をしっかりと真面目に受けていた事と、祈祷書に書かれている文字の状態が良かったからなのだろう。 「『…序文。これより我が知りし真理をこの書に記す。』…」 その一文と共に、ルイズは自らの世界にのめり込んでいく幼子の様に祈祷書の文字を読んでいく。 背中で見守る知り合いたちを余所に、…そして唯の一人険しい表情で自分の背中を見つめている霊夢の事など露知らずに…。 ―――この世のすべての物質は、小さな粒より為る。 ――――四の系統はその小さな粒に干渉し、かつ影響を与え、変化せしめる呪文なり。 ―――――その四つの系統は、『火』『水』『風』『土』と為す。 「つ、つまりどういう事なんだい…?」 「私達がいつも使ってる魔法は、この世界にある小さな粒を刺激して行使できてるって事を書いてるのよ?」 分かりなさいスカポンタン。イマイチ分かっていないギーシュに、マジメに聞いているモンモランシーが文句と共に補足する。 そんな二人をよそに、ルイズははやる気持ちを何とか抑えて次のページを捲っていく。 「っていうか、何でこんなボロボロの本なんかにそんな御大層なことが書かれてるのよ?」 「それは、すぐに分かると思う」 キュルケが最もな疑問を口にし、タバサはそれに短く答えつつもルイズの横に立って文字を目で追っていた。 一方のルイズはまるで耳が聞こえなくなったかのように周囲の喧騒に惑わされる事無く、祈祷書の内容を読んでいる。 ―――神は我に更なる力を与えてくれた。 ――――四の系統が影響を与えし小さな粒は、更に小さな粒より為る。 ―――――神が我に与えし系統は、四の何れにも属せず。 ――――――我が系統は更なる小さき粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。 「……゙我が系統゙?つまりコレを書き残したヤツってのは四系統の魔法よりも更に上位の魔法使…メイジだったって事か」 ルイズが読む『始祖の祈祷書』を聞いていくうちに、最初はおちゃらけていた魔理沙も真剣な表情へと変わっている。 本の状態から考えてこの著者が存命していたのは大昔―――それも、人間なら気の遠くなる程の。 そんな大昔にこの分を後世の者達へ遺して死んでいった者は、なんの意図を込めているのだろうか? 魔理沙の頭の中に浮かんだ知的好奇心はしかし、祈祷書を読むルイズによって解決されてしまう。 ―――――四にあらざれば零。 ――――――零すなわちこれ『虚無』。 ―――――――我は神が我に与えし零を『虚無の系統』と名づけん。 ルイズの口からその一節が言葉として出てきた瞬間、四人のメイジは一斉の目を丸くした。 まるでジグソーパズルのピースのように、前の一節と合致するその文章。 平民すら知っているこの世界でメイジが仕える四つの系統魔法に属さぬ、もう一つの魔法。 その実態は果てしなく遠い過去へ取り残され、今や誰もその正体すら知らぬ謎のベールに包まれている『五つ目の系統』。 かつてこの地に降臨した始祖ブリミルしか使いこなせなかったと言われ、神の力とも呼ばれた『虚無』 「ねぇギーシュ?今、虚無の系統ってルイズ言ったわよね?」 「あ、あぁ…僕も聞いたよ間違いない」 目を丸くしたモンモランシーは、同じような目をしたギーシュに自分の聞き間違いでないかどうかを確認している。 タバサは無言であったもののその口はほんの少し開かれ、丸くなった目と合わせてどこか間抜けな表情を浮かべていた。 そしてキュルケは、突然光る文字が現れ、伝説の系統が書かれていたそのボロボロの本と、それを持っていたルイズを交互に見比べている。 先程まで成長したなと感心し、手で触れるもののほんのちょびっとだけ離れた彼女が、一気に手の届かぬところへ行ってしまったかの様な喪失感。 今、光文字で覆い尽くされた古びた羊皮紙の本へと視線を向ける彼女の背中は、まるでルイズとは思えぬ程別人に見えてしまう。 ルイズのライバルであり、常に彼女の隣りに付き纏う筈だった自分は、とっくの昔に置いて行かれてしまっていたのだろうか? 「ルイズ、貴女は一体…」 キュルケが何かを言おうとする前に、ルイズは更にページを捲って新しい文を読み始める。 まるでそれが今の自分がするべき使命だと感じているかのように、キュルケの声は届いていない。 ただ、己の鼓動だけがやたらと大きく聞こえた。 ―――これを読みし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐ者なり。 ――――またそのための力を担いしものなり。『虚無』を扱う者はこころせよ。 ―――――志半ばで倒れし我とその同胞のため、異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ。 ――――――『虚無』は強力なり、また、その詠唱は永きにわたり、多大な精神力を消耗する。 ―――――――詠唱者は注意せよ。時として『虚無』はその強力により命を削る。 ―――したがって我はこの書の読み手を選ぶ ――――たとえ資格なき者が指輪を嵌めても、この書は開かれぬ。 ―――――選ばれし読み手は『四の系統の指輪』を嵌めよ。さればこの書は開かれん。 そこまで読んだところで、ルイズは深呼吸をした。 まるで戴冠式に臨む王位継承者のように、自分を待ち受けているだろう運命を想像したときのように…。 そして自分の言葉一つで国の生き死にを左右する程の力を得る事の覚悟を、受け入れるかのように―――― 深く、そして長い深呼吸の末にルイズは序文の最後に書かれた者の名を、ゆっくりと告げた。 「―――――――ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・・ヴェー・バルトリ…」 ルイズとシルフィードを除く、その場の誰もが驚愕を露わにした。 モンモランシーとギーシュは言葉も出せないのか、互いに見開いた目を合わせながら硬直している。 無理もないだろう。何せこれまで歩んできた人生の中で最も刺激的な体験を既に幾つもこなしているうえで、更に超弩級的な話まで聞いてしまったのだ。 限界まで回っていた頭の中の歯車がとうとう煙を上げてしまい、ただただ驚くことしかできない状態なのである。 「マジかよ…?ルイズのヤツ、確かに他の連中とは違う魔法を使うとは思ってたが、正に『みにくいアヒルの子』ってやつだな…」 「…………」 一方で、以前にルイズの゙失敗魔法゙を間近で見ていた魔理沙は思わぬ事実を聞いて目を丸くしていた。 そして子供の頃に聞いた外の世界の童話を思い出し、話の主役であるみにくいアヒルの子―――もとい白鳥と今のルイズの姿を重ね合わせていた。 (成程ね…、レミリアや紫の言っていた通りだった…という事ね) 霊夢は霊夢で、怪訝な表情を浮かべつつもルイズが『始祖の祈祷書』を開く前に言っていた言葉に納得していた。 「る、ルイズッ!ちょっと、これは一体どういう事なのよ……ッ!?」 驚愕と同時にルイズの肩を掴んだキュルケは、余裕を取り繕う暇も無く彼女に問い詰めようとする。 しかしルイズは口を開くことはせず、自分の肩を掴むキュルケの手を優しく取り払うとスッと軽い動作でその腰を上げた。 この時、タバサは気が付いた。ルイズがあらかじめ指に嵌めていた指輪の正体を。 最初にそれを目にした時は似たようなアクセサリーの類かと思ってはいたが、あの文章を聞けば誰もが彼女と同じ答えに達するであろう。 青く光る宝石の指輪。それはトリステイン王家に古くから伝わる『四系統の指輪』の一つ、『水』のルビー…だと。 唯一の疑問は、何故名家と言えどもまだまだ子供でしかない彼女がそれを持っているのかという事だが、それは本人に聞かねば分からない。 「ルイズ、それはもしかして――――…゙『水』のルビー゙なの?」 「タバサ…!」 もう一人の親友が口にしたその言葉にキュルケは思わず大きな声を上げてしまう。 彼女は認めたくなかったのだろう。本に書かれていた内容を思い出し、これからルイズに降り掛かるであろう運命を。 したがって我はこの書の読み手を選ぶ たとえ資格なき者が指輪を嵌めても、この書は開かれぬ。 選ばれし読み手は『四の系統の指輪』を嵌めよ。さればこの書は開かれん。 彼女が指に嵌めている、本と同じく青色に輝く宝石が台座に嵌った指輪。そしてその通りに開かれた本。 そしてそれを開き、読みし者がこれから受け入れるしかないであろう運命が、決して楽ではないという事。 だからキュルケは不安だった。いつも自分の事だけで精一杯で、それでも必死に背伸びして頑張ってきたルイズの゙これから゙が。 しかしそんなキュルケの大声も空しく、立ち上がったルイズは二人の方へと顔を向けると、 「―――ごめん、二人とも。詳しい話は私達の頭上にあるアイツらを片付けてからにして頂戴」 二人に向かってそう言ったルイズは、右手に持った杖を頭上のアイツラ―――もといアルビオン艦隊へと向ける。 この十六年、苦楽を共にし、異世界へも一緒に行った古い友人の様な杖をルイズはしっかりと握り、魔力を込めていく。 何度呪文を唱えようとも失敗し、その度に大きな爆発を起こしつつも決してその爆発で折れる事は無かった。 そして今は、今までそうしてきた様に魔力を込めているが…これから唱えていくであろう呪文は初めて詠唱するもの。 今まで見てきた呪文の中で、恐らく最も長いであろうその魔法が何を起こすのかまでは良く知らない。 けれども…唱え終わり、杖を振った後に起こり得るべき事象はルイズには予測できた。 何故ならば、左手に持った『始祖の祈祷書』にはその魔法の呪文の横に名が記されていたのだから。 その名前を見た時、彼女は確信した。今まで自分が爆発させてきたのは、決して失敗では無かったという事を。 ただ、やり方が分からなかっただけなのだ。 魔法の才能があると見出された子供が、いきなりスクウェアスペルの魔法にチャレンジするかのように。 ―――――以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。 ――――――初歩中の初歩。『エクスプロージョン(爆発)』 (私の魔法は失敗じゃなかった…!ちゃんと唱えるべき呪文があったんだ!) ルイズは胸の内で歓喜の叫び声を上げると、ついではやる気持ちを抑えようと軽い深呼吸をする。 『始祖の祈祷書』に書かれていた事が確かならば、指輪を嵌めて祈祷書の内容を読むことのできた自分は、まさに『虚無』の担い手ではないのか? 幻想郷で出会った吸血鬼のレミリア・スカーレットが言うとおりに、自分の本当の力はこれまで目覚めていなかったのかもしれない。 あの世界では一際強力な力を宿した人間の霊夢を召喚し、あまつさえ彼女は伝説の使い魔『ガンダールヴ』となっている。 そして、ワルドに眠らされた時に見たあの変な夢。 あの時、夢の中で自分に話しかけてきた男の人は確かに言っていた。『水』のルビーを嵌めて、『始祖の祈祷書』を開け、と。 見ていた時にはハッキリと聞こえなかったあの言葉が、今になって鮮明に思い出せる。 確かに、鞄の中にはお守りの代わりにアンリエッタから貰った『水』のルビーと『始祖の祈祷書』を入れていた。 その事を何故、あの夢の中にいた男の人は知っていて、それを身につけページを開けと伝えてきた理由までは知らない。 所詮は夢の中…と言えばそれで良いのだろうが、ルイズにはあの男の人が『単なる夢の中の存在』だとは思えなかった。 今にして思い出してみると、耳に入ってくるあの人の声色やしっかりとした靴音は、夢とは思えないくらいに生々しかったのである。 まるでワルドの魔法で気を失った自分の意識だけが、どこか別の空間に移っていたかのような…。 そして夢から覚める前に、彼はこんな事を言っていた。 ――――君ならば…―――制御でき―――る…。 ――――使い道を、間違え…――――あれは、多くの…人を――――無差別に…―――――――殺…せる 君ならば制御できる。そして、多くの人を無差別に殺せる…と。 目覚めた直後は何を言っていたのか分からなかった。 しかし夢で言われたとおりに指輪を嵌め、ページを開いた祈祷書に書かれている゙エクスプロージョン゙の名と呪文を見て、確信した。 (どうしてかは知らないけれど、きっとあの男の人はこれの事を言っていたんだ。私が上手くその力を制御して、アルビオン艦隊を止めろって…) 頭上に迫るアルビオン艦隊。その進む先には大好きなカトレアがいるであろう屋敷に、王都トリスタニア。 後退したトリステイン軍ではあれを防ぎきれるかどうか分からない、もし破られればトリステインは一方的に蹂躙されるかもれしない。 (なら、私がやるしかない。こんなタイミングで、『虚無』の使い手だと発覚した私が…止めるしかないのよ) だからこそ彼女は祈祷書に猿された呪文を唱えるのだ。その小さな背中にあまりにも大きすぎる荷物を背負って。 杖を振り上げ、遠い遠い歴史の中に冴えて言った伝説の呪文を唱えるその後ろ姿はあまりにも危うげで、しかしどこか勇猛さえ垣間見えた。 ―――エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ ルイズの口から低い詠唱の声が漏れ出している。 その声は妙に落ち着いていており、子供のころから唄っている子守唄の様にしっかりとした発音。 キュルケやモンモランシーもその詠唱を聞いて口を閉ざし、今やそれを静聴する観客の一人となっている。 既にアルビオン艦隊は間近にまで迫ってきており、近づけば近づくほど船の周囲で警戒にあたっている竜騎士たちに見つかりやすくなる。 タバサはその時の為に呪文を耳に入れつつもその視線は上空へと向けて、近づいてくる艦隊と竜騎士に警戒していた。 一応この中で唯一の男子であろうギーシュも警戒に当たっていたが、恐らく一番頼りないのも彼なのも間違いない。 何にせよ気づかれれば一触即発。ハルケギニア一の竜騎士とうたわれるアルビオンの竜騎士隊との戦いは避けられないであろう。 「全く、あっちはあっちで盛り上がってるぜ。私のこの逸る気持ちを放っておいてさぁ」 ルイズの落ち着いた声と聞き慣れぬ呪文の詠唱が周囲に聞こえる中、魔理沙は口をとがらせて上空を睨んでいた。 森の中では上手く戦えず、ワルドには眠らされた挙句にようやく自分らしい戦いが出来ると思いきや…ルイズからのお預けである。 本当ならばルイズはルイズで呪文を唱えている間にひとっ飛びでもして、あの艦隊と竜騎士たちに喧嘩を売りに行きたい気分だというのに…。 まるでエサ皿を前に「待て」と言われた飼い犬の様に大人しくしていた魔理沙であったが、彼女がそう易々という事を聞くはずがなかった。 ルイズが艦隊へと杖を向けて詠唱し、キュルケ達がそんな彼女の背中を黙って見ている状況。 五人の後ろにいた魔理沙はキョロキョロと辺りを見回すと、音を立てずにそっと箒に腰かけようとする。 「まぁいいか。ルイズはルイズで頑張れば良いし、私はちょっくらちょっかいを掛けにでも…―――…って、うぉっ!?」 そして、そんな事を呟きながら飛び立とうとした彼女は…後ろにいた霊夢に襟を掴まれて強制着陸してしまう。 幸いにも飛び立とうとする直前であった為に、地面にしりもちをつくという情けない姿を掴んできた相手に見せる事はなかった。 「全く…アンタは何、そう他人事みたいに言って、一人で突っ込もうとするのよ?ったく、世話が焼けるわね」 世話の焼ける子供を相手にする年上のようなセリフを言ってきた霊夢を、魔理沙は苦虫を噛んだ様な表情で睨み付ける。 「……おい霊夢、コイツは一体どのような了見かな?自分一人だけ満足するまで戦っておいて、私の時だけ邪魔するのは良くないと思うぜ?」 「アンタとは違って私は別に戦いが好きってワケじゃないわよこの弾幕バカ」 ルイズの詠唱を邪魔せぬ程度の声量で、二人は喧嘩にならない程度の口げんかと会話を同時に進めていく。 一方でルイズの詠唱を見守っていたタバサがチラリと霊夢たちの方を垣間見るが、二人はそれに気づかずに会話を続けていた。 「にしたってよぉ、本当は私等三人でアレを倒すつもりだったっていうのに…まさかルイズ一人に取られるとはなぁ」 霊夢に止められて一旦は諦めが付いたのか、箒に腰かけるのをやめた魔理沙が未練がましく呟く。 そんな彼女を見ていた博麗の巫女は、相も変わらずドンパチ好きな知り合いにため息をつきつつも話しかけた。 「別に邪魔するつもりじゃあ無かったのよ。ただ、今ルイズが唱えているあの呪文の事で、ちょっとイヤな予感を感じただけよ」 「……!ちょっと待て、お前さんの言ゔイヤな予感゙ってのはあまり耳にしたくは無いんだが…私を引きとめたって事はそんなにヤバイのか?」 勘の良さに定評のある霊夢の口から出た言葉に、魔理沙が物騒なモノを見るかのような表情を浮かべてしまう。 しかしそんな魔法使いに構うことなく、彼女は上空の艦隊を見上げながら呟いた。 「何が起こるのかまではまだ分からないけど…これはちょっと、洒落にならない事がおこるかもね?」 「マジかよ…」 いつも暢気にしている霊夢が真剣な表情で呟いた言葉に、魔理沙はようやく大変な事が起ころうとしている事に気が付く。 事あるごとに鋭い勘を働かせ、異変解決に勤しんできた霊夢の真剣な様子と物言いは決してバカにできないと知っているからだ。 「まぁアンタも私も、何かあったときはお互い動ける様にはしときましょうか」 「何か私だけお預けを喰らった気分だが、しゃーない!これは借りにしておくからな」 ルイズの口から漏れ続ける、失われし系統『虚無』の呪文が耳に入ってくる状況の中、魔理沙はふと気が付く。 霊夢の左手の甲に刻まれたルーン―――今は休眠状態にある『ガンダールヴ』のルーンが、薄らと光り出した事に。 「んぅ~…?何だぁ、船首が騒がしいぞぉ…」 お気に入りのワインを五分の二ほど飲んだジョンストンが騒ぎに気付いたのは、それ程遅くは無かった。 最初の奇襲が失敗し、待ち伏せしていたトリステイン軍の伏兵に地上から攻撃された後、彼は気つけ薬として酒を飲んでいた。 最初はエールを軽く一杯チビチビと飲んでいたが、切り札であるキメラ軍団の活躍を聞いてから、エールの入った瓶はすぐに空になった。 部屋にあったエールを一瓶飲み干し、タルブ村一帯まで占領したという情報が入ってきてから、彼はとうとう秘蔵のワインに手を出したのである。 それから後はトントン拍子に酔ってしまい、花火を打ち上げてそれを進軍の合図にしたりと既に気分は勝利者の状態なのであった。 今の彼は周りの水兵や将校達からは放っておかれている状況であったが、程よく酔っている今の彼にはどうでも良いことでしかない。 しかし、そんなジョンストンではあったが船首に集まっている何人かの将校を見つけることは出来ていた。 『レキシントン』号に乗船したている士官や艦長のボーウッドまで船首から首を出して、望遠鏡で何かをじっと見ている。 まるで子供の頃に親に買ってもらった望遠鏡で星空を眺めるかのように、一生懸命右目をレンズに当てて地上の様子を観察しているのだ。 大の大人…ましてやボーウッド程の軍人が子供じみた真似をしているのを見て、思わずジョンストンは口の端をゆがめて笑ってしまう。 (全く、この私の前であれ程偉そうなに振舞っておいて、自分は部下たちを引き連れてトリステインの田舎観察とはな) 既に頭の中も酒気に中てられたジョンスントンは、そんな事を思いながら「ハッ!」と小さな笑い声を上げる。 しかし、笑うと同時に気にもなった。あのボーウッドや士官たちは自分たちの仕事ほ放っぽり出してまで、何を必死に見ているのだろうか? 「……うぅ~む。一体なんだ、何を見ているのだ?…気になる、気になるぞ」 呂律が回らなくなってきた口で一人ぶつぶつと呟きながら、ジョンストンは少し危なっかしい足取りで艦長たちの方へと歩いていく。 途中何人かの水兵が彼の背中に声を掛けてきたものの、それ等を無視してお飾りの司令長官はボーウッドの下へとたどり着いた。 「おぉうボーウッドよ、夜空の上から眺める地上とやらは綺麗かな?」 「……!サー、ジョンストン司令。一体何用でございますか」 背後から酔っ払いのジョンスントンに声を掛けられたボーウッドは、慌てて彼に向かって直立し、次いでビシッと敬礼を決めた。 他の士官たちも酔っぱらった司令長官が来た事に気が付いたのか、皆望遠鏡を下ろしてから急いで敬礼をしていく。 相変わらず生真面目なヤツらだと思いながら、ジョンストンは赤くなった顔でニヤニヤ笑いつつボーウッドの左手の望遠鏡を指さして言う。 「いや何、アルビオン共和国が王国だった頃から働いてると君たちが子供の様に望遠鏡を覗く姿に興味が湧いてね。…で、どうだい?星でも見えるのかい?」 酔いの勢いもあってか、朝方の弱気な態度が消えたジョンスントンへの苛立ちを隠しつつ、ボーウッドは敬礼の姿勢を崩さぬままこう答えた。 「いえ実は…先程からタルブ村の小高い丘の上で、怪しい動きを見せている者たちがおりまして」 「何だと?少し借りるぞ」 ボーウッドの報告を聞いて笑顔が一転怪訝な表情へと変わったジョンストンはそう言った後、彼の手から望遠鏡をひったくった。 お飾りとはいえ司令長官の命令には逆らえず、他の士官仲間たちが残念に…と言いたそうな表情を向けてくる中、ボーウッドはひたすら冷静を装っている。 アルビオン王国時代から空軍が愛用し続ける望遠鏡を手に取った司令長官は、他の者達かしていた様に船首から地上の様子を観察した。 最初こそどこにいるか探る為に十秒ほどの時間が掛かったものの、森へと通じる小高い丘にボーウッドの言ゔ者達゙の姿を発見する。 「おぉ、あヤツらか…。ふむ、確かに怪しいな…ひぃ…ふぅ…合わせて七人…おぉ小さいが風竜もいるなぁ」 ジョンストンが望遠鏡越しに覗く先には、怪しい七人と一匹の青い風竜――――ルイズたちが見えていた。 その内五人がマントを羽織っているのを見て貴族だと気が付くが、望遠鏡越しに見ても軍人とは思えないほど身の細い者達ばかり。 更に残りの二人の内一人…黒髪の少女は異国情緒漂う変な格好をしており、紅白の衣装は夜中と言えども酷く目立っている。 「あれは一体何のつもりだ?まさかたったの七人で我が艦隊を止めるとでも…いや、まさかな」 ジョンストンの独り言から、彼も自分たちが見ていたモノを発見した事に気が付いた士官の一人が、咄嗟に説明を入れた。 「実は船首で地上警戒に当たっていた水兵が彼女らを見つけまして…我々も何た何だと見ていたのです」 「そうか……ん?」 「どうしました?」 望遠鏡は下ろさず、そのまま士官の説明を聞いていたジョンストンは、ふとある事に気が付く。 その七人の内唯一男子であろう派手なシャツを着た少年を覗き、六人がそれなりいい年の美少女だという事に。 「ふぅむ、ここからだと顔は良く見えんが。流石はアルビオン謹製の望遠鏡!この距離でも相当綺麗な乙女ばかりと辛うじて分かるぞ!」 「……そ、そうですか」 聞いてもいないのにそんな事まで言ってくるジョンスントンに、士官たちは声を上げなかったものの皆呆れた表情を浮かべている。 ボーウッドもボーウッドで冷静を装いつつも、自分に絡んできた酔っ払いをこれからどうしようか考えあぐねていた。 そんな風にお荷物な司令長官に呆れてしまっていた時、その司令長官であるジョンストンが怪訝な表情を浮かべて言った。 「いや…待てよ、七人の内の一人だけ…ピンク色?の頭の少女…あれは何を…杖を向けて、呪文を唱えているのか?」 実況するかのように望遠鏡越しに見える少女の様子を喋っていたジョンストンの言葉に、ボーウッドたちは再び船首から身を乗り出した。 目まぐるしく状況が変化しているのは、何もアルビオンやトリステイン軍、そしてルイズ達だけではない。 霊夢や魔理沙たちもまた、この戦場と呼ぶにはあまりにも静かすぎる空間の中で目まぐるしい状況の変化を味わっていた。 ―――オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド 「……何これ?一体どうなってるの?」 『始祖の祈祷書』に現れた虚無のスペルを唱えるルイズの声が響き渡る中、ふと雑音の様な巫女の声。 薄らと光り出した左手の甲に刻まれた使い魔の証――『ガンダールヴ』のルーンを見て、霊夢が怪訝そうに呟いたのだ。 今のところ持てる力を使い切ってお休み状態になっていた筈だというのに、まるで息を吹き返したかのように光り始めたのである。 「おいおいどうしたんだよ霊夢?何だか知らんが、使い魔のルーンがやけに調子良さそうじゃないか」 霊夢よりも先に気が付いていた魔理沙は、元気?を取り戻していく使い魔のルーンを見つつ、面白いモノを見るかのような目で言った。 「まるで他人事みたいに…まぁアンタには他人事だろうけどね。……って、うわッ…ちょ…何これ、力が…」 そんな黒白を無視せずに悪態をつこうとした霊夢はしかし、ルーンの発光と共に自分の身に異変を感じ、思わず驚いてしまう。 気のせいなのだろうか。否、気のせいと思いたいのか、ルーンからほんの僅かだが力が湧き出しているののに気が付いたのだ。 まるでスコップで掘った地面の穴から温泉が徐々に滲み、湧き出てくるようにゆっくりと自分の体の中をルーンから流れる力で満たされていく。 (ちょっと嬉しい気持ち半面、気持ち悪いわねェ…―――でも、そういえば一度だけ…) 一体どういう気まぐれなのか、恐らく体力を使いすぎた自分を労わってくれているであろうルーンに、霊夢は複雑な気持ちを感じてしまう。 そもそも使い魔のルーンに感情何てあるのかどうかすら知らなかったが、ふと彼女は思い出す。一度だけ、今と似たような状況に遭遇したことが。 ルイズに召喚されたばかりの頃、まだ紫が迎えに来る前の事。あのアンリエッタが持ってきた幻想郷録起を手掛かりに、アルビオンへ赴いた時の事。 偶然見つけた浮遊大陸の底に出来た大穴、そこを通って辿り着いた森で出会った長耳に金髪の少女。 昼食を頂いた後で襲い掛かってきたミノタウロスに止めを刺そうとした直前、杖を手にした彼女が唱えた呪文。 (あの時とは違うけど…似ている。彼女の呪文は心が安らいで…消えてたルーンがまた戻ってきて…そしてルイズのこの呪文は…――――…ッ!?) 『ガンダールヴ』のルーンを通して、自分に力を与えてくれている。そこまで考え付いた時、霊夢は気が付いた。 呪文を唱えているルイズの体から漂ってくる魔力が、際限なく膨れ上がっていくのを。 ――――ベオーズス・ユル・スヴェエル・カノ・オシェラ ルイズが詠唱を続けていくごとに、彼女の体の中に蓄積していく魔力が膨れ上がりつつも一定の形へと姿を変えていく。 まるで地面から盛り上がった膨大な土の山に緑が生い茂り、巨大な霊峰へとなっていくかのような、魔力の突然変異。 そうとしか言いようの無い魔力の形成が、年端もいかぬルイズの体内で起こっている事に、霊夢と魔理沙は――いや、キュルケ達も薄々気が付いていた。 「霊夢…!こいつは…」 「一々言わなくても良い、分かってるわよ」 先ほどルーンが光っていた事を小馬鹿にしていた魔理沙は、真剣な表情でルイズを見つめている。 魔法使いであるが故か、この世界の魔法使い…もといメイジであるルイズの魔力に気付いて、額から冷や汗が流れ落ちた。 「お前さんの勘が当たったなぁ?何が起こるかまでは分からないが…もし、あれだけの魔力を攻撃に使ったら…」 そこから先の言葉を唾と一緒にグッと飲み込んだ彼女を見て、霊夢は思わず背中に担いでいたデルフに喋りかける。 「ちょっとデルフ、これ一体どういう事よ?ルイズのヤツ、虚無の魔法がどうたらとか言って、呪文を唱えてるだけどさぁ…」 始祖の使い魔について妙に詳しかったこの剣の事だ、きっと何か知っているかもれしない。そんな期待を抱いて、話しかけた。 『……………。』 しかし、ワルドと戦いだしたときはあんなに饒舌だったインテリジェンスソードは、その口?を閉ざしていた。 眠ってるわけではないのだろうが、あのお喋りな剣が黙りこくっていることに霊夢は不安を感じてしまう。 「――……ちょっと、聞いてる?デルフー?」 『―――…え?あ、あぁ悪りぃ悪りぃ!俺とした事が久々の『虚無』の呪文を聞いて呆気に取られちまったぜぇ…!」 念のためもう一度声を掛けた直後、まるで止まっていた時が動き出しすのようにデルフが喋り出した。 暫しの沈黙を破ったインテリジェンスソードの声には抑揚がついており、その言葉からは嬉しそうな響きが混じっている。 霊夢はため息をつきつつも、変に嬉しそうなデルフを鞘から抜くと面と向かって彼に話しかけた。 「ちょっとアンタ、その様子だとルイズが今唱えてる『虚無』とかいうのに詳しそうじゃないのよ。何か知ってるの?」 彼女の質問はしかし、テンションが上がっているデルフの耳?には入らず、彼は一人捲し立てている。 『いやー何!あの娘っ子が『虚無』の担い手だったとなはぁ…、まぁ人間のお前さんを召喚して『ガンダールヴ』にしちまったんだから…当然―――ッウォ!』 ダミ声と金属音が一緒くたになって重なり合い、下手くそな音楽になりかけた所で、苛立った霊夢が思わずデルフを地面へと突き刺した。 雑草を切り裂き、程よく固い土と土の合間に入り込むようにめり込んだところで、ようやっとデルフは我に返る事ができた。 「だぁーかぁーらぁーッ!私はその『虚無』とやらを詳しく知りたいワケ!アンタの一人語り何てどうでもいいのよ!」 ハッキリとした苛立ちを顔に浮かべた霊夢の怒気を感じ取った魔理沙が、「おぉ、怖い怖い」とデルフと彼女を交互に見つめて笑っている。 その間にも詠唱を続けるルイズの体から漂う魔力は先鋭化していっており、魔理沙の笑顔もどことなく硬い表情であった。 『わ、分かった分かったって…ったく、おっかねぇなぁレイム。ちゃんと説明するつもりだったんだよ』 「だったら今質問するからそれに答えなさい。…ルイズが今唱えてるのが『虚無』だとして、『エクスプロージョン』ってどういう魔法なのよ」 『えぇ?……あぁ、思い出した。確かにそうだな、この呪文は確かに『エクスプロージョン』のだな。『虚無』の中でも初歩中の呪文だ』 霊夢の質問にデルフがそう答えると二人からちょっとだけ離れていた魔理沙がふらりと近づき、デルフに質問を投げかける。 「なぁデルフ。ルイズが今唱えてる呪文…名前からして爆発系の魔法なんだろうが、あの魔力の貯め方だと相当な威力が出るんだろ?」 普通の魔法使いからの質問には、なぜか数秒ほど考える素振りを見せてから、金具を動かして喋り出した。 『あぁ…―――まぁそうだなぁ~…。娘っ子が『虚無』を初めて扱うにしても、手元を狂わせる事は…しないだろうなぁ』 「手元を狂わせる…?何だよ、何かヤケに不吉な言い方だな?」 『不吉って言い方は似合わんぜマリサ。もし娘っ子が『エクスプロージョン』の制御に失敗したら…』 そこでまたもや喋るのを止めたデルフの沈黙の間に入るようにして、 ――――ジェラ・イサ・ウンジューハガル・ベオークン・イル… ルイズの詠唱が辺りに響き渡った直後、意を決した様に言った。 『―――――俺もお前ら全員。跡形も無く消えちまう…文字通りの『死』が待っているんだぜ?』 直後、そこで詠唱を止めたルイズは一呼吸置いた後にアルビオン艦隊へと向けた右手の杖を軽く振り上げた。 すると彼女の体内で溜まっていた魔力の塊が一気に杖へと流れ込み、ルイズの体内から魔力を削り取っていく。 そして…体内に溜まっていた魔力をほんの僅かだけ残し、残りが全て杖へと注がれた瞬間。 ルイズは振り上げたその杖で、頭上のアルビオン艦隊を斬り伏せるようにして―――振り下ろす。 直後。詠唱と共に練り上げられたルイズの魔力は『エクスプロージョン』として発動し、その効果を発揮した。 「ん…―――――ッ」 「うぉ…――――ッ!」 『おぉッ…!』 眩しい、眩しすぎる。 ルイズが発動した『エクスプロージョン』を一目見ようとした霊夢と魔理沙は、偶然にも同じ感想を抱いていた。 最も、それを言葉として出すよりも先に二人して小さい悲鳴が口から漏れ出し、目の前を覆い尽くす白い閃光に目を瞑らざるを得なかったが。 魔理沙はともかくとして霊夢は目の前を覆う白い光に目をつぶり、顔を背けつつも何が起こったか把握しようとしている。 「何これ…!眩しい…、ちょっと魔理沙!」 「私に聞かないでくれ!今は目ぇ瞑ってるだけでも精一杯なんだからさぁ…!」 しかし、彼女の目で見えるのはすぐ横にいる魔理沙と地面に突き刺したままのデルフだけで、ルイズとその近くにいたキュルケ達は見えない。 魔理沙も魔理沙で直視すれば失明の危険すらある程の眩しい光と対峙する勇気はないのか、必死に顔を背けていた。 「ちょ…ッ!何よこれ、何が起こったっていうの!?」 「!…キュルケ、アンタ…さっきまで立ってた場所にいるの?」 その時であった。彼女たちのいた場所からあのキュルケの叫びが聞こえてきたのは。 姿は見えないにしても会話を邪魔するような騒音が無いために、姿は見えずとも彼女と自分の声だけは鮮明に聞き取れていた。 「れ、レイム…何だか、大変な事になっちゃっってるわねぇ…!?」 「こんな時に楽しそうに喋れるアンタの気楽さを見習いたいもんだわ…!」 ギーシュやモンモランシーと一緒に、ルイズの傍にいたであろう彼女は自分達よりもっと大変な目に遭っているかもしれないが、 珍しいモノが見れたと思っているのか、抑揚のついた声で話しかけてきたキュルケに霊夢は思わず苛立ちの声を上げてしまう。 「で、ルイズはどうなの、無事なのッ!?」 「大丈夫!ルイズはいる、僕たちの傍にいるよ!モンモランシーは気を失っちゃったけどね!」 「タバサも大丈夫、私の傍にいるわ!」 ついで確認したルイズの安否にはギーシュが答え、自分のガールフレンドが倒れた事も報告してくる。 キュルケも無口であるタバサの安否を確認し、彼女の使い魔であるシルフィードが返事替わりに「きゅいー!」と一鳴きした。 ひとまずこの場に居た全員の安否を確認した霊夢は、光の発生源であろうルイズの事を思って舌打ちした。 「くっそ…!ルイズのヤツ、こんな事が起こるっていうなら先に言っておきなさいよ!」 『なぁに、この閃光は長くは続かないぜレイム。娘っ子のヤツは無事に『エクスプロージョン』を成功させたぜ!』 思いっきり理不尽な物言いをする霊夢を励ますかのように、唯一目を瞑る必要すらないデルフが、嬉しそうな様子でそう言った直後―――光が晴れ始めた。 まるで霧が晴れていくようにして薄まっていく光が彼女たちの視界から消え失せ、周囲は再び夜の闇に包まれていく。 「…光が消えた?………――ん?…―――…ッ!」 光が晴れた事で、無事に視界が元に戻った霊夢はふと頭上を見上げ―――――目を見開き絶句した。 「お、やっと光が晴れ……て…――――…はぁッ!?―――えぇ…ッ?」 彼女の隣にいた魔理沙もようやく視界を取り戻した直後、彼女に倣うかのように頭上を見上げ、驚愕する。 そして信じられないと言わんかのように何度も両目を擦り、もう一度頭上を見上げて驚いて見せた。 「………ははっ、何よコレ?」 「―――――…どういう事なの」 キュルケは目立った反応こそ見せなかったものの、明らかに引き攣った笑みを浮かべて夜空を見上げていた。 タバサもまた動揺を抑える事ができず、丸くなった目でゆっくりと地面へと落ちていぐソレ゛を見つめている。 「る…る、る…ルイズ…?ま、まさか君が…君がやったのかい…゙アレ゙を」 気を失ったモンモランシーを抱きかえているギーシュは限界まで見開いてしまった目で、すぐ横にいるルイズを見つめた。 アルビオン艦隊が゙いだ場所へ杖を向けたままの姿勢で固まっている彼女は、ジッと夜空を見上げている。 暗い闇に包まれていた地面を照らす太陽の様に激しく燃え盛る炎が幾つも舞い、落ちてくる夜空を。 『ほっほぉ~?奴さんたちの被害を見るに…娘っ子のヤツ、相当溜めてたみたいだねぇ?』 ルイズとモンモランシーを除いた皆が驚きを隠せぬ中で暢気に喋るデルフは、夜空に浮かぶ炎へと視線を向ける。 夜空に浮かぶ炎の正体。それは見るも無残に炎上するアルビオン艦隊であった。 全ての艦の帆に、甲板に火がつき、その灯りで地上を薄らと照らしてしまうほどに燃え盛っている。 そして不思議な事に、あれだけ快調に進んでいた艦船群全てが、艦首を地面へ向けて墜落していくのだ。 まるで火山灰に巻かれ、成す術も無く地上へ落ちていく渡り鳥のように。 「冗談だろ…?まさか、これ全部、ルイズのあの魔法一発で…」 「少なくとも、幻想郷であんなの使ったら…大変な事になるわね」 自分たちを照らしつつ緩やかに墜落していくアルビン艦隊を見つめながら呟いた魔理沙に、霊夢が相槌を打つ。 魔理沙も魔理沙で破壊力のある弾幕を放つことはあったが、ルイズが発動したであろう『エクスプロージョン』は格が違った。 あれはあくまでも弾幕ごっこで使う弾幕であり、それ以上でもそれ以下でもない。しかし、目の前の艦隊を全滅させた『エクスプロージョン』は違う。 弾幕ごっこは人と妖が対等に戦える遊戯かつ幻想郷流の決闘でもあり、どんな弾幕でも避けれるチャンスはあるが、あの『虚無』にはそれが無かった。 一方的な攻撃かつ徹底的な破壊、それが一瞬で行われる。妖怪ならまだしも、人間の少女であるルイズがあの魔法を幻想郷で放てば一大事になるだろう。 均衡を保っていた人間と妖怪のパワーバランスが崩壊してもおかしくはない、ルイズが見せてくれた『虚無』はそれだけの力を持っていた。 『そう、これが『虚無』の一端。かつてこの地に降臨して、今の世の礎を築いた始祖ブリミルが使っていた第五の系統さ』 唖然とする二人を見ていたデルフがまるで自慢するかのように言った直後、キュルケが悲鳴を上げた。 「ルイズ!ちょっと、大丈夫…!?」 「う、うぅん…ん…」 見れば先ほどまで二本足で立っていたルイズは糸が切れた人形の様に、地面へと倒れている。 悲鳴を上げたキュルケは彼女の傍に寄り添い体を揺するが、ルイズ本人は呻き声を上げるだけで一向に目を開けない。 「ルイズ!」 霊夢の隣にいた魔理沙も気になったのか、ルイズの使い魔である知り合いよりも先に彼女の下へと走る。 一方の霊夢も一足遅れて近づこうとしたが、ふと甲板と帆を炎上させて墜落していく『レキシントン』号を見て、苦々しく呟いた。 「何が魔法よ…!こんなの、魔法のレベルを超えてるじゃない。私から言わせれば……強いて言わせれば―――――」 ――――――『粒を操る程度の能力』だわ…! 最後の言葉を心の中で叫んだ彼女は、デルフをその場に突き刺したままルイズの下へと駆けていく。 霊夢は思い出していた、ルイズが読んでいた『始祖の祈祷書』に書かれていたであろう内容を。 この世の物質は小さな粒から為り、四系統の魔法はその粒に干渉し、『虚無』はそれより更に小さな粒に干渉できる。 ならばルイズが放った『エクスプロージョン』は、その小さき粒を刺激し変化させ、艦隊の周囲で爆発させたのだ。 だから彼女はルイズの゙魔法゙を、幻想郷で言ゔ能力゙と位置付けた。 使い方次第では神にも大妖怪にも為り得る、強大過ぎるルイズの『虚無』を。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 昼の喧騒で賑わうトリステイン王国の首都トリスタニア。 商売も仕事もこれからという時間の中、ブルドンネ街のとある通りに建てられた一件のレストラン。 平民から下級貴族までが主な客層であるこの店も、書き入れ時をとっくに過ぎて閑散とした雰囲気を漂わせている。 しかし個々の諸事情で昼食の時間に食べそこなった人達が席につき、店が振る舞う料理やデザートの味をゆっくりと楽しんでいた。 木製の小さなボールに入ったサラダを、ゆっくりと口に入れて咀嚼している若い貴族の女性。 ハチミツを塗ってからオーブンでじっくり焼いた骨付き肉にかぶりつく、平民の中年男性。 常連なのか、カウンターの向こうにいる店長と談笑しながらフルーツサンドイッチを味わっている魔法衛士隊の隊員。 窓から見える野良猫同士の喧嘩を眺めるのに夢中になって、思わずレモンティーをこぼしてしまう平民の少女。 食べている物や行動などはバラバラであるのだが、彼らには皆一つだけの共通点がある。 それは、一日という忙しくも長い時間の合間に『自分だけの時間』を作って、ゆったりと過ごしているという事だ。 大勢の人々が忙しそうに行き交う場所から閑散とした場所へ、その身を移して一息つく。 そうすることで゛自分゛という存在を改めて自覚し、色んな事を考える時間ができるのだ。 仕事の事や気になるあの人との関係から、これから何をしようかな。といった事まで人によって考えている事も全部違う。 短くもなるし長くもなる『自分だけの時間』の間にその答えに辿り着く者もいれば、答えが出ずに悩み続けていく者もいる。 中には最初から考える事をせず、ただ単に体を休ませている者もいるがそれは決して間違った事ではない。 仕事や人間関係といった気難しい事を一時的に投げ捨ててわがままになる事も、また大切なのだ。 そんな風にして各々の時間が緩やかな川の流れの様に進んでいく店の中で、ルイズたちは昼食を取っていた。 「それにしてもホント、今日はどういう風の吹き回しかしらねぇ」 「……?どういう意味よ、それは?」 ふと耳に入ってきた霊夢の言葉に、ルイズはキョトンとした表情を浮かべて食事の手を止める。 口の中に入る予定であったフライドミートボールと、それを刺しているフォークを皿に置いた彼女は一体何なのかと聞いてみる。 「事の張本人がそれを知らないワケないでしょうに」 質問を質問で返したルイズの言葉に霊夢は肩を竦めると手に持っていたカップを口元に寄せ、中に入っている紅茶を一口だけ飲む。 そこでようやく思い出したのか、何かを思い出したような表情を浮かべたルイズがその口を開く。 「あぁわかった。アンタの服の事でしょう?」 ルイズの口から出たその言葉に、霊夢は正解だと言いたげに頷きながらもカップを口元から離す。 安物のティーカップに入っていたそれはルイズの部屋にある物と比べて味は劣るものの、それでも美味い方だと彼女の舌が判断した。 上品さと素朴さを併せ持つ一口分の紅茶を口の中でゆっくりと堪能した後に、喉を動かしてそれを飲み込む。 口に入れた時よりも少しだけぬるくなった赤色の液体が喉を通っていく感触を感じた後、霊夢はホッと一息ついた。 「今更過ぎるけどお前ってさぁ、本当に緑茶でも紅茶でも美味しそうに飲むよな」 その様子をルイズの隣で見つめていた魔理沙は、コップ入ったオレンジジュースをストローで軽くかき混ぜながらそんな事を呟く。 まるで目玉焼きの目玉部分の如き真っ黄色な液体は、一口サイズの氷と一緒にコップの中でグルグルと回っている。 しかし幾らかき混ぜても液体そのものが糖分の塊なので、氷が溶けない限り味が変わることは無いだろう。 黒白の言う通り、本当に今更過ぎるその質問に霊夢は若干呆れながらも返事をした。 「アンタの頼んだジュースと違って、お茶なら熱しても冷やしても美味しいし、色んなものに合うから飲めるのよ」 「でも一日中お茶ばっかり飲んでるってのもどうかと思うわね。私は」 霊夢がそんな事を言っている間にお冷を口の中に入れていたルイズはそれを飲み込みんでから、思わず横槍を入れてしまう。 軽い突っ込み程度のそれは投げた本人が想定していた威力よりも強くなり、容赦なく紅白巫女の横っ腹に直撃した。 「私が何を飲んだって別に良いじゃないの。アンタには関係ないんだしさぁ」 ルイズの突っ込みに顔を顰めてそう返しつつ、霊夢はもう一口紅茶を飲んだ。 そして何を勘違いしたのか、魔理沙は意地悪そうな笑みを浮かべてルイズの肩を軽く叩く。 「やったなルイズ、今回の勝負は私たちの完全勝利で終わったぜ」 「アンタは何と戦ってたのよ?」 自分には見えない不可視の敵と知らぬ間に戦っていたらしい魔理沙の言葉に、ルイズは怪訝な表情を浮かべた。 その直後、話が逸れてしまった事を思い出した彼女はアッと小さな声を上げて再度霊夢に話しかける。 「それで、まぁ話は戻るけど……アンタの服の事だったわよね?」 「そうそうその事よ。まったく、魔理沙のせいで話が逸れる所だったわ」 さっきのお返しか霊夢はそんな事を言いながら、ルイズの隣に座っている普通の魔法使いを睨みつける。 しかし博麗の巫女に睨まれた魔法使いは微動だにせず、やれやれと言わんばかりに首を横に振ってこう言った。 「元を辿れば、お前が紅茶を飲んだ所で話が逸れ始めたと私は思ってるんだがなぁ~」 「まぁこの件はどっちも悪い、という事にしておきましょう。これ以上話が逸れたら面倒だわ」 これ以上進むとまた騒いでしまいそうな気がしたルイズはその言葉で無理やり締めくくり、コップに残っていたお冷をグイッと飲み干した。 自分たちの論争が第三者の手によって終止符を打たれてしまった事に、二人は目を丸くしてルイズの方へと顔を向ける。 突然自分に向けられた二人分の視線をまともに受けた彼女は少しだけ気まずそうに咳き込むと、今度こそ本題に移った。 「で、服の事についてなんだけど…」 ルイズはその言葉を皮切りに何で霊夢の為に新しい服を購入してあげたのか、その理由を話し始めた。 ハルケギニア大陸において小国ながらも古い歴史と伝統を誇るトリステイン王国の首都、トリスタニア。 国の中心である王宮がすぐ目の前にあるという事もあって、その規模はかなりのものだ。 平日でも大通りを利用する市民や貴族の数が変わることは無く、常に大勢の人々が行き交っている。 ブルドンネ街やチクトンネ街などの繁華街には大規模な市場があり、今日の様な休日ともなれば火が付いたかのように街が活気に満ち溢れる。 その他にもホテルやレストランなどの店も充実しており、特にこの時期は他国からやってきた観光客が狭い通りを物珍しそうに歩く姿を見れるものだ。 ガリアのリュティスやロマリアの各主要都市に次いで人気のあるトリスタニアには、他にも色々な場所がある。 かつての栄華をそのまま残して時代に取り残された郊外の旧市街地に、各国から賞賛されているトリステインの家具工場。 芸の歴史にその名を残す数多の劇団を招き入れたタニア・リージュ・ロワイヤル座は、今も毎日が満員御礼だ。 そんな首都から徒歩一時間ほど離れた所に、ハルケギニアの基準では中規模クラスに入る地下採石場がある。 周りを十メイルほどもある木の柵に囲まれた敷地の真ん中には大きな穴があり、そこを入った先にある人工の洞窟が採石の場所となっていた。 土地の大きさはトリステイン魔法学院の三分の一程度の広さで、主な仕事は地下から切り取ってきた岩を地上に上げる事である。 地下から運び出された岩は馬車に乗せられ、首都の近郊に建てられた加工場で石像や墓石などにその姿を変える。 ここで働いているのは街や地方からやってきた平民の出稼ぎ労働者や石工、警備の衛士に現場監督である貴族達も含めておよそ九十人程度。 ガリアやゲルマニアとは国土の差がありすぎるトリステインでは、これだけの人数でも充分に多い方だ。 一つの鉱山や採石場に二十人から四十人程度はまだマシな方で、地方では十人から数人程度で運営している様な場所もあるのだから。 そこから場所は変わり、加工場と採石場を繋ぐ唯一の一本道。 鬱蒼とした木々に左右を挟まれたようにできた横幅七メイル程度の道も、かつては広大な森林地帯の一部に過ぎなかった。 今からもう四十年前の事だが当時は誰も見向きすることはなく、動植物たちが安寧に暮らせる場所であった。 しかし…今は採石場となっている場所で良い鉱石が見つかった途端、人々は気が狂ったかのように木を倒し草を毟って森を壊していった。 そして森に古くから住んでいた者たちを無理やり排除して、人は文明の一端であるこの道を作ったのである。 そんな歴史を持っている道を、馬に乗った二人の男が軽く喋り合いながら歩いている。 薄茶色の安い鎧をその身に着こんだ彼らは、採石場を運営している王宮が雇った衛士達だ。 市中警邏の者たちや魔法学院に派遣されている者達とは違い、彼らは皆傭兵で構成されている。 その為かあまりいい教育は受けておらず、常日頃の身なりや素行はそれなりの教育を受けた平民なら顔を顰めるだろう。 しかし雇われる前に傭兵業を営んでいた彼らの腕利きは良く、文句を言いつつも仕事はしっかりとこなすので王宮側は仕方なく雇っているのが現状であった。 「全く、こんな休日だってのに採石場警備の増援だなんて最悪だよな?」 二人の内先頭を行く細身のアルベルトは左手で手綱を握りつつ、後ろにいる同僚のフランツにボヤいている。 アルベルトとは違い体の大きい彼はその言葉にため息をつく。アルベルトが日々の仕事に対し文句を言うのはいつものことであった。 「仕方ないだろ。他の連中は皆非番で、事務所にいたのは俺たちだけだったんだ」 「だからってわざわざ採石場まで行かせるかよ。あそこの警備担当はヨップが率いてる分隊だろうが」 空いている右手を激しく振り回しながらそう喋る彼の言葉を、フランツは至極冷静な気持ちで返した。 「そのヨップの分隊にいたコンスタンとダニエルが今日でクビになったから、俺たちが臨時で行くんだ」 同僚の口から出た予想していなかった言葉に、思わず彼は目を丸くした。 「どういう事だよ?あいつ等なんか下手な事でもしたのか?」 「正にその通り。…コンスタンはこの前、高等法院から視察に来たお偉いさんの足を踏んじまったろ?あれのツケが今になってきたのさ」 「うへぇ…マジかよ」 コンスタンの酒飲みは悪いヤツではなかったし、何よりこの前負けたポーカーの借りをまだ返していなかった事を彼は思い出す。 後ろにいるフランツの言葉を聞き、惜しい顔見知りを失ったとアルベルトは心の中で呟いた。 「あんなに面白い奴をクビにするなんて、酷い世の中だ。…で、ダニエルの方は?」 アルベルトは職場から消えてしまった顔見知りの事を惜しみつつも二人目の事を聞くと、同僚は顔を顰めて言った。 「アイツの事なんだが…何でも教会のシスターに手ぇ出しちまったんだとよ」 「シスター!?それはまた…随分派手だなぁオイ」 女遊びが激しかったアイツらしい最後だと彼が思った、その時である。 「全く、女に手を出すのは良いが幾らなんでも――ん?」 ダニエルの事を良く知っていたフランツが彼に対しての文句を言おうとした直後、四メイル前方の茂みから何かが飛び出してきた。 それはボロ布のようなフード付きのローブを、頭から羽織った身長160サント程度の人間?であった。 「な、何だ!…人?森の中から出てきたぞ…?」 先頭にいたアルベルトは驚いたあまり手綱を引いて馬を止めると、目の前に現れた者へ警戒心を向けた。 この一帯は道を外れると、急な斜面や深さ三メイル程もある自然の溝が至る所にある樹海へと入ってしまう。 それに加えて九十年近くの樹齢がある木々が空を覆い隠しているので、並大抵の人間ならあっという間に迷い込む。 更に視界を奪うほどに生い茂った雑草や少し歩いた先にある野犬の縄張りの事も考慮すれば、無用心に森へ入って生きて帰れる確率はそれほど高くはない。 その事を知っていれば、どんな人間でもわざと道を外れて森に立ち入ろうとは思わないだろう。 しかし、今二人の目の前に現れた者は間違いなく茂みの…その奥にある森から姿を現したのだ。 雇い主である王宮側から森の事を教えられた者たちの一人であるアルベルトが警戒するのも、無理はないと言える。 それはフランツも同じであったが、少なくとも彼ほどの警戒心は見せていなかった。 「まぁ落ち着けアルベルト。とりあえず話しかけてみようじゃないか」 彼よりもこの仕事を大事にしているフランツはそう言うと馬を歩かせ、アルベルトの前へと出る。 フードのせいで性別はわからないが、人間であるならば話は通じるだろうと彼は思っていた。 無論もしもの時を考えて、左の腰に携えた剣の柄を右手て掴んみながらも目の前にいる相手へと声をかける。 「すまんがお前さんは誰だい?見た感じ旅人って風には見えるんだが…」 まずは軽く優しく、なるべく相手が怖がらない様に話しかけてみる。 このような場合下手に脅すように話しかけると、相手が逃げてしまう事をフランツは経験上知っていた。 彼の声にローブを羽織った者はピクリと体を動かした後、ゆっくりとだがその足を動かして二人の方へ近づいてきた。 てっきり喋り出すのかと思っていたフランツは予想外の行動に少しだけ目を丸くしつつも、すぐに左手のひらを前に突き出しその場で止まるよう指示を出す。 彼の突き出した手が何を意味するのか知っていたのか、ローブを羽織った者は一メイル程歩いた所でその足をピタッと止めた。 うまくいった。彼は動きを止めた相手を見て内心安堵しつつ、ここがどういう場所なのかを説明し始めようとする。 「悪いがここは王宮の直轄でね?関係者以外の立ち入りは――――」 禁止されているんだ。彼はそう言おうとしたが、最後まで言い切ることができなかった。 喉に何か詰まったわけでもなく、ましてや目の前にいる相手が投げつけたナイフで喉を切り裂かれた――という突飛な話でもない。 彼の言葉を中断させたその゛原因゛は、先程ローブを羽織った者が出てきた茂みから現れた。 ゛原因゛の正体は野犬でも狼でもなく、本来なら王都との距離が近いこのような場所には滅多に現れない存在であった。 全長二メイルもある゛原因゛は太った体には似つかわぬ俊敏な動きで道の真ん中に飛び出してくると、目の前にいる一人の人間をその視界に入れる。 そしてローブを羽織った者が後ろを振り返ると同時に゛原因゛は体を揺らしながら、聞きたくもない不快な咆哮を辺りに響かせた。 「ふぎぃっ!ぴぎっ!あぎぃ!んぐいぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!」 もう逃げられないぞ! 人間にはわからない言葉で゛原因゛はそう叫んでから威嚇のつもりか、右手に持った棍棒を振り回しはじめる。 それと同時にローブを羽織った者の後ろにいるアルベルトが、今まで生きてきて何十回も見てきた゛原因゛の名前を口にした。 「お、オーク鬼だ!!」 彼がそう叫んだと同時にフランツが右手に掴んだ剣の柄を握り締め、それを勢いよく引き抜く。 刃と鯉口が擦れる音ともに引き抜かれたソレの先端は一寸のブレもなく、獲物を振り回す亜人の方へと向けられた。 彼の表情は厳ついものへと変貌しており、目の前に現れた亜人に対して容赦ない敵意を向けている。 「そこのお前、早くこっちへ来るんだ!」 先程の優しい口調とは打って変わって、ローブを羽織った者へ向けてフランツは叫ぶ。 しかしその声が聞こえていなかったのか、ローブを羽織った者は微動だにしない。 それどころか、目の前にいるオーク鬼と対峙するかのように何も言わずに佇んでいるのだ。 だが、身長二メイルもある亜人と身長160サント程度しかない人間のツーショットというのは、あまりにも絶望的であった。 どう贔屓目に見たとしても、勝利するのは亜人の方だと十人中十人が思うであろう。 「アイツ、何を突っ立ってる…死にたいのか?」 まるで街角のブティックに置いてあるマネキンの様に佇む姿を見たアルベルトが、思わずそう呟いた瞬間―― 「ぎいぃぃぃぃッ!」 もう我慢できないと言わんばかりに吠えたオーク鬼はその口をアングリ開けて、ローブを羽織った者に向かって一直線に走り出した。 二本足で立つブタという姿を持つ彼らの口に生えている歯は見た目以上に強く、ある程度硬いモノでも容易に噛み砕くこともできる。 その話はあまりにも有名で、とある本に火竜の分厚い鱗諸共その皮膚を食いちぎったという逸話まで書かれている程だ。 それほどまでに凶悪な歯を光らせながら走り、目の前にいる獲物の喉へと突き立てんとしていた。 二人の衛士たちはそれを見てアッと驚き目を見開くがその体だけは動かない。 あと少しでオーク鬼に喉笛を噛み千切られるであろう者が目の前にいても、すぐに動くことができなかった。 そんな彼らをあざ笑うかのように、オーク鬼は走りながらも鳴き声を上げる。 「ぷぎゃあっ!いぎぃ!」 オーク鬼は知っていた。大抵の生き物は。喉を食いちぎればカンタンに殺せると。 そこへたどり着くまでの過程は難しいものの、そこまでいけば相手はすぐに死ぬ事を知っている。 だから森で見つけたこの人間も、喉を噛み千切ればすぐにでも食べられる。 縄張り争いで群れから追い出され、腹を空かせたまま森の中を徘徊していた彼は自らの食欲を満たそうと躍起になっていた。 三日間もの耐え難い空腹で理性を失い、すぐ近くに武器を持った人間が二人もいるというのにも関わらず襲いかかった。 たったの一匹で人間の戦士五人分に匹敵するオーク鬼にとって、たかが二人の戦士など問題外である。 それどころか、オーク鬼は二人の戦士と彼らの乗ってる馬ですら自分が食べる食糧として計算していた。 目の前にいる人間を殺したら、次はあいつらを襲ってやる。 食欲によって理性のタガが外れたオーク鬼はそう心に決めながら、最初の獲物として選んだ人間に飛びかかろうとした瞬間… 目が合った。 頭に被ったフードの合間から見える、赤色に光り輝くソイツの『目』と。 まるで火が消えかけたカンテラの様に薄く光るその『目』の色は、どことなく血の色に似ている。 物言わぬ骸の傷口から流れ出る赤い体液のような色の瞳から、何故か禍々しい雰囲気から感じられるのだ。 そして、そんな『目』が襲いかかってくる自分の姿をジッと見つめている事に気が付いたオーク鬼は、直感する。 ―――――こいつ、人間じゃない! 心の中でそう叫んだ瞬間、オーク鬼の視界の右下で青白い『何か』が光った。 その光の源が、目の前にいる゛人間ではない何か゛の『右手』だとわかった直後。 オーク鬼の意識は、プッツリと途絶えた。 ――――…と、いうワケなのよ。判った?」 無駄に長くなってしまった説明を終えたルイズは、一息ついてから話の合間に頼んでおいたデザートのアイスクリームを食べ始める。 カップに入った白色の氷菓は丁度良い具合に柔らかくなっており、スプーンでも簡単にその表面を削ることができた。 ルイズはその顔に微かな笑みを浮かべつつ、一匙分のアイスが乗ったスプーンをすぐさま口の中にパクリと入れる。 「まぁ大体話はわかったわね…アンタが何であんな事をしてくれたのか」 一方、三十分以上もの長話を聞かされた霊夢はそう言って傍にあるティーカップを手に持つと中に入っている紅茶を一口飲む。 話の合間に新しく注いでもらった熱い紅茶は喉を通って胃に到達し、そこを中心にしてゆっくりと彼女の体を温めていく。 緑茶とは一味違う紅茶の上品な味と香り、そして体の芯から温まっていく感覚を体中で体感している霊夢は安堵の表情を浮かべている。 そんな風にして一口分の幸せを堪能した彼女は再びカップをテーブルに置くと、ルイズの隣にいる黒白の魔法使いに話しかけた。 「ねぇ魔理沙、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」 「…ん、何だ?」 霊夢に名前を呼ばれた彼女は、サンドイッチを口に運びかけたころでその手を止める。 魔理沙がこちらに顔を向けた事を確認してから、霊夢はこんな質問を投げかけた。 「アタシが着てる巫女服って…ルイズが言うほど変わってるかしらね?」 「…う~ん、どうだろうなぁ?私はそんなに変わってるとは思わなくなったが」 その質問に、魔理沙は肩を竦めながら言った後に「だけど…」と言葉を続けていく。 「ハルケギニア人のルイズがそう思うのなら、この世界の基準では変わってるのかもしれないな」 自分の質問にあっさりと即答した魔法使いの返答を聞き、霊夢は思わず目を細めてしまう。 そんな二人のやりとりを自信満々な笑みを浮かべて見ていたルイズが、追い打ちをかけるかのように口を開く。 「まぁ私としてもアンタには色々と借りがあったしね。それを一緒に返したまでの事よ」 彼女の口から出てきたそんな言葉を聞き、霊夢はふと彼女が話してくれた゛二つの理由゛を思い出し始める。 ルイズが霊夢に新しい服を買ってあげた゛二つの理由゛の一つめ。 それは近々行われるアンリエッタとゲルマニア皇帝の結婚式にある。 かの神聖アルビオン共和国の前身であるレコン・キスタの出現とアルビオン王家の危機に伴い、帝政ゲルマニアとトリステイン王国は同盟を組む事となった。 アルビオン王家が滅ぼされれば、有能な貴族だけで国を支配してやると豪語する神聖アルビオン共和国が隣の小国であるトリステインへ攻め込んでくるのは明らかである。 巨大な浮遊大陸からハルケギニアでは無敵と評される大規模な空軍と竜騎士隊が攻め込んで来れば、トリステインなどあっという間に焦土と化すだろう。 そうならない為にもトリステインは隣国に同盟の話を持ち込み、ガリアに次ぐ大国の誕生を望まないゲルマニアはその話に乗った。 幾つかの協議を行った末にゲルマニア側は、もしトリステイン国内で大規模な戦争が起こった際に自国から援軍を出すことを約束した。 それに対しトリステインの一部貴族はあまり良い反応をしなかったが、異論を唱えることは無かったのだという。 精鋭揃いではあるが小国故に軍の規模が他国と比べて小さいのが悩みのタネであったトリステインにとって、倍の規模を持つゲルマニアの存在は心強い。 一方のトリステインは、王宮の華であるアンリエッタをゲルマニア皇帝アルブレヒト三世のもとに嫁がせる事を約束した。 その結婚式に関しては一つのアクシデントが起こり、ルイズと霊夢はそのアクシデントの所為でトリステインの国内事情に巻き込まれたのである。 最もルイズは自ら望んで巻き込まれたのに対して、霊夢は偶然にも巻き込まれただけに過ぎないが。 まぁ結果的にそのアクシデントは二人の力で無事解決し、晴れてトリステインとゲルマニアの同盟は締結される事となった。 そして、丁度来月の今頃にゲルマニアで行われる手筈となった結婚式に、ルイズは詔を上げる巫女として招待される事となった。 幼いころからアンリエッタの遊び相手として付き合ってきた彼女は、幼馴染でもある姫殿下から国宝である『始祖の祈祷書』を託されている。 トリステイン王室の伝統で、結婚式の際には祈祷書を持つ者が巫女となって式の詔を詠みあげるという習わしがある。 そんな国宝をアンリエッタの手で直々に渡された彼女はこれを受け取り、巫女としての仕事を承った。 ルイズが行くのなら、形式上彼女の使い魔であり現役の巫女である霊夢もついて行くことになるのだが…そこで問題が発生する。 霊夢がいつも着ている巫女服、つまりは袖と服が別々になっているソレに問題があった。 ハルケギニアでは比較的珍しい髪の色や、他人とは付き合いにくい性格は多少問題はあるがそれでも大事にはならないだろうルイズは思っている。 むしろ性格に関しては、付き合えば付き合うほど良いところを見つけることができると彼女は感じていた。 表裏が無く、喜怒哀楽がハッキリと出て誰に対してもその態度を変えない霊夢とは確かに付き合いにくい。 事実、召喚したばかりの頃はある意味刺々しい性格に四苦八苦していたのはルイズにとって苦々しい思い出の一つだ。 しかし霊夢を召喚してから早二ヶ月、様々な事を彼女と共に体験したルイズはそれも悪くないと思い始めていた。 部屋の掃除は今もしっかりとしているし部屋にいるときはいつもお茶を出すようにまでなっている。 相変わらず刺々しいのは変わりないが、慣れてくるとそれがいつもの彼女だと知ったルイズは怒ったり嘆いたりする事は少なくなった。 だが、それを引き合いに出しても彼女の服だけにはどうしても問題があるのだ。 王家の結婚式において、礼装であってもなるべく派手な物は避けるという暗黙のルールが貴族たちの間にある。 着ていく服やマントの色も黒や灰色に茶といった地味なもので装飾品の類は一切付けず、杖に何らかの飾りを付けているのならばそれも外す。 ドレスであってもなるべく飾り気の少ない物を選び、決して花嫁より目立ってはいけないよう注意する。 式を挙げる側もそれを知ってか花嫁花婿ともに華やかな衣装に身を包み、周りに自分たちの存在をこれでもかとアピールするのだ。 もしも間違って派手な衣装で式に参加してしまえば、王家どころか周りにいる貴族達から大顰蹙を買うことになる。 事実過去にタブーを犯した怖いもの知らず達が何人かおり、後に全員が悲惨な目に遭っていると歴史書には記されていた。 そして不幸か否か、霊夢の服はそのような場において確実に目立つ出で立ちだ。 服と別々になった袖や頭に着けたリボンは勿論の事、何よりも目立つのが服の色である。 紅白のソレはある程度距離を取ろうが否が応にも目に入り、着ている人間がここにいると激しく主張している。 街の中ならともかく、そんな服を着て結婚式に参加しようものならば顰蹙どころかその場で無礼だ無礼だと騒がれてドンパチ賑やかになってもおかしくはない。 しかも持ってきた着替えも全て似たようなデザインの巫女服であった為、ルイズは今になって決めたのである。 この際だから、霊夢に服でも買ってあげようと。 「幻想郷だとそれほど変わってるって言われる事は無かったのに…」 ルイズの話した゛二つの理由゛の一つ目を思い出し終えた霊夢がポツリと呟いた愚痴に、ルイズはすかさず突っ込みを入れた。 「言っておくけどここはハルケギニア大陸よ。アンタのところの常識で物事測れるワケないでしょうに?」 辛辣な雰囲気漂う彼女の突っ込みにムッときたのか、霊夢は苦虫を踏んでしまったかのように表情を浮かべる。 そんな表情のまま紅茶を一口飲むと、薄い笑みを顔に浮かべてこんな事を言ってきた。 「だったら何も知らせずに服屋に連れていって、イキナリ別の服を着させるのがハルケギニア大陸の常識ってワケね」 「…何よその言い方は?」 薄い嫌悪感漂う笑顔を浮かべる霊夢の口から出たその言葉に、ルイズは目を思わず細める。 両者ともに嫌な気配が体から出ており、下手すれば静かな雰囲気漂うこの店で弾幕ごっこでも起きかねない状態だ。 しかしそんな気配が見えていないというか場の空気を読めていない黒白の魔法使いが、霊夢の方へ顔を向けて口を開く。 「まぁ別に良いじゃないか。これを機にお前も袖が別途になってない服を着ればいいんだよ」 魔理沙がそう言った直後。睨み合っていた二人の目が丸くなると、その顔を彼女の方へ向けた。 二人同時にして同じ事を行ったために魔理沙は軽く驚いた様子で「え?何…私何か悪い事でも言ったか?」と呟き狼狽えてしまう。 それに対し霊夢は軽いため息を口から吐くと、出来の悪い生徒に諭すかのような感じで魔理沙に話しかける。 「全く服に興味が無いわけでもないし、貰えるのなら貰うわよ。タダ程嬉しい物はないしね」 彼女はそう言って一息ついた後、「でもまぁ…その理由がねぇ…」と話を続けていく。 「元の服じゃ自分が変だと思われるから別のを買ってやる…って理由で服を貰ってさぁ。喜ぶワケないじゃないの」 隠す気が全くない嫌悪感をその目に滲ませた霊夢は、ルイズの顔を睨みつけた。 以前王宮へ参内した際に同じような目つきで睨まれた事があったルイズは思わず怯みそうになるが、それを何とか堪える。 霊夢を召喚してかれこれ二ヶ月近く一緒にいる彼女は、ゆっくりとではあるが彼女の性格に慣れ始めていた。 一方ルイズの隣にいる魔理沙は滅多に見ないであろう知り合いの表情に軽く驚きつつも、それを諌める事は無い。 霊夢と出会い知り合ってから数年ほどにもなる彼女は、別に怒ってるワケではないとすぐに感じていた。 何せ喜怒哀楽がすぐに態度で出るような彼女だが、本気で怒るような事は滅多にないのだ。 一見怒っているように見える今の状況も、魔理沙の目からして見れば今の霊夢は゛怒っている゛というより゛呆れている゛のだ。 相変わらず素直ではなく、下手な言い回ししかできないルイズに対して。 (まぁ本気で怒ってるなら怒ってるで、もっとヒドイ事言うからなコイツは) 魔理沙は心の中でそんな事を思いながら、尚もルイズの顔を睨みつけている霊夢の方へと顔を向けた。 相変わらず嫌悪感漂う目つきではあるものの、ただ睨みつけているだけで何も言おうとはしない。 やがてそれからちょうど一分くらい経とうとしたとき、黙っていた三人の中で先に口を開いたのは霊夢であった。 「…でもさぁ。その後に教えてくれた゛二つの理由゛の二つ目を聞いたら、怒るに怒れないじゃない?」 彼女はそんな事を言って軽いため息をついてから、もう一度その口を開く。 「アンタが二つ目の理由だけ話してくれたら、私だって発散できないこの嫌悪感を抱かなかったんだけどねぇ」 霊夢は未だ素直になれないルイズへ向けてそんな言葉を送りつつ、゛二つの理由゛の二つ目を思い出し始めた。 ルイズが霊夢に新しい服をプレゼントした二つ目の理由。それは俗にいう『お礼』と呼ばれるモノである。 まだ付き合って二ヶ月ちょっとではあるが、ルイズは春の使い魔召喚の儀式で呼び出した彼女には色々と助けられた。 盗賊フーケのゴーレムに踏まれそうになった時や、アルビオンで裏切り者のワルドに殺されそうになった時。 自分の力ではどうしようもなくなった瞬間、彼女はルイズの傍にやってきてその身を守ってきた。 それが偶然に偶然を重ねた結果であっても、彼女は自分を助けてくれた霊夢にある程度感謝の気持ちがあったのである。 いつも何処か素っ気なく部屋で一人のんびりと過ごしているそんな彼女に、ルイズはこれまでのお礼がしたかったのだ。 (ホント、素直じゃないんだから…) 二つ目の理由を思い出し終えた霊夢はもう一度ため息をつくと、困ったような表情を浮かべた。 先程彼女が呟いた言葉の通り、一つ目の理由だけで服を貰っても嬉しくは無くただただ嫌なだけだ。 単に他人の見栄だけで貰った服を着てしまえば自分は着せ替え人形と同じだと、彼女は思っていた。 しかし二つ目の理由を聞いてしまった以上、ルイズから貰ったあの服を無下にする事はできなくなってしまう。 彼女、博麗霊夢は幻想郷を守る博麗の巫女であり何事にも縛られない存在ではあるが、元を辿れば人間の少女である。 誰かにお礼を言われれば嬉しくもなるし、服にも全く興味が無いというわけでもない。 正直ルイズから服を貰えた事に喜んではいたが、それと同時に素直でない彼女に呆れてもいた。 その呆れているワケは今朝、朝食の後に街へ行こうと誘ってきた時の口論にあった。 今思えばいつもと違って妙に食い下がっていたし、自分を街に連れて行こうとした際の言い訳もおかしかった。 きっとこの事をサプライズプレゼントか何かにしたかったのだろう。そう思ったところで霊夢はまたもため息をつく。 (最初から下手な言い訳なんかしなくたっていいのに) 彼女は心の中で呟きつつ、こちらの様子を伺うかのようにジッと見つめているルイズの方へ顔を向けた。 先程の言葉の所為か均整のとれた顔は心なしか強張っており、鳶色の瞳にも緊張の色が伺える。 恐らく何も言わない自分が怒っているのだと思っているのだろうか。 (別に怒ってなんかないわよ。失礼なやつね…) 霊夢はまたも心の中でそんなことをぼやきつつ、ようやくその口を開けて自分の意思を伝えようとする。 別に言い訳なんかしなくても良い。今までのお礼として服を貰える事は自分にとっても嬉しい事だから、と。 「大体。下手な言い訳なんかしなくたって最初から…―――…って…――――あれ?」 その直後であった。゛異常゛が起きたのは――――――――― 喋り始めてからすぐに彼女は気が付いた。そう、突如自分の身に起きた゛異常゛に。 彼女は喋るのを途中で止めて、目の前にいた二人がどうしたと聞いてくる前に席を立つ。 最初は気のせいかと思ったがすぐにその考えが自分の甘えだと気づき、頭を動かして周りの様子を見回す。 今自分たちがいる店内で食事を取っている客たちの声。魔法人形たちの奏でる音楽。 カウンター越しに平民の店主と仲良く話し合っている貴族の男と、窓越しに見える通りを行き交う大勢の人々。 そして、不思議そうな表情を浮かべて霊夢に何かを話しかけているルイズと魔理沙の姿。 「…………?…………………」 「………!…………?」 二人とも口を動かしているもののその声は一切聞こえてこず、まるでカラーの無声映画を見ている様な気分に霊夢は陥りそうになる。 それを何とか堪えつつ、腰を上げたその場で見える光景を一通り見る事の出来た彼女は瞬時に理解した。 つい゛先程まで゛自分の耳に入ってきた音という音が、今や゛聞こえなくなってしまった゛という事に。 まるでこのハルケギニアから音だけを綺麗に抜き取ったかのように、何も聞こえなくなってしまったのである。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん ベッドに身体を沈め、瞼を閉じて何も見えない夢の世界に入り込んだルイズを待っていたのは、女性の声であった。 ――――まだ何も解決はしていないわ。むしろこれからってところね ルイズはその声に聞き覚えがあった。八雲紫の声だ。 霊夢と魔理沙のいる幻想郷を創った大妖怪で、同時にこれからのルイズの生活を大きく変えるであろう存在。 彼女の声には妙なエコーが掛かっており、瞬時にこの言葉が三日前のもの――つまりは過去の事なのだと理解した。 四日前、幻想郷に霊夢と共に連れてこられ、一日の時を置いてから紫が何人か集めて小さな会合を開いた。 それは今後の霊夢が何をするべきかを的確に指示し、同時にルイズはその内容に驚愕したのである。 その時の事をふと思い出しそうになったが、その前に再び紫の声が夢の世界を漂うルイズの頭の中に入り込んできた。 ――――――確かに貴女がゲートを開いた。でもそれを乗じて結界を侵食したのは、貴女よりも遥かに上の存在 …つまり貴女は鍵だったのよ。貴女だけの力では貴女のいる世界と幻想郷をすぐに繋げることなんて至難の業よ? 事実、わたしだっても見つけるのと繋げるのには相当苦労したしね 紫がそう言った後、今度は幼くも何処か危険な雰囲気を孕んでいる声が聞こえてきた。 ―――つまり、「貴女を煮ようが焼こうが異変は解決しない」という事よ。むしろもっと悪化するかもね その声にまたもや聞き覚えがあったルイズの身体を寒気が走り、無意識に自分の身体を軽く抱きしめた、 レミリア・スカーレット――――幻想郷で紅魔館という巨大な館の主をしているという吸血鬼。 最初に出会ったときは吸血鬼だということに驚きはしたが自己紹介の後、こんなことを言ってきた。 「安心しなさい。苛立ちはしているけれども、今の私は貴女にそれ程の殺意は抱いていないわ」 そんな事を言われる前に杖を向けてお付きのメイドに腕を捻り上げられたうえ、ナイフを向けられた後にこの言葉である。 絶対嘘でしょ。と思いつつも彼女の身体から溢れ出る威圧感にそのときのルイズはただただ頷くことしか出来なかった。 今度は、やけに落ち着いた感じの声が聞こえてきた。 ―――要は、逆に貴女を私たち側に引き入れて霊夢の案内役を兼ねた仲間になって欲しいということよ この声の主は八意永琳と名乗る薬師であったとルイズは覚えていた。 次に、紫の声が再び頭の中に響いてきた。 ――――流石月の頭脳といったところかしら?こちらの考えは大体予想していたようね 苦笑しながらもそう言った紫に、永琳は肩をすくめながらもこたえる。 ―――――ついさっき思いついた事を口にしたまでの事よ。頭のお堅い吸血鬼とはワケが違うわ 小馬鹿にするかのような永琳の言葉に、すぐさまレミリアが殺気の篭もった目つきで永琳の顔を睨み付けた。 ――…おまえ。この私を怒らせたいの? 段々と恐ろしくなっていくその場の雰囲気を止めたのは、一人の亜人と人間の少女であった。 ―――お嬢様。それくらいで怒っていては軽く見られてしまいますよ ミニスカートのメイド服を着た銀髪の少女は、落ち着いた口調でレミリアを宥めた。 レミリアはメイドの言葉にすぐさまハッとした顔になると、軽く咳払いをした。 ――いけないけない…あれだけ熱くなるなとパチェに言われてたわね…助かったわ咲夜 咲夜と呼ばれたメイドの少女はレミリアに頭を下げた。 ――し、師匠…何もこんなところで挑発しなくても良いじゃないですか…? 一方、兎の耳を頭に生やした鈴仙は少し怯えた声で永琳にそう言った。 自分の弟子の言葉に永琳は笑顔を浮かべ、されど何も言わずに肩をすくめた。 そんな時、一触即発寸前だったというのに何も言わずにその様子を眺めていた霊夢が、ふと口を開いた。 ――――つまり、私はこのルーンをつけたままあの世界にまた戻れっていうわけね 少し嫌悪感が混じった言葉を口から出しつつ、霊夢は左手の甲についた使い魔のルーンを紫に見せる。 それは、ハルケギニアでは神として崇められている始祖ブリミルの使い魔、ガンダールヴのルーンであった。 紫は霊夢の言葉に頷くと、ルイズの方へ顔を向けて喋り始めた。 ―えぇそうよ。…キッカケとはいえ、幻想郷とハルケギニアを繋いだ力を持った彼女の力は凄まじい。 恐らくは今後、そんな彼女を狙って色んな連中がやって来る。 そしてその中に、今回の異変を起こした黒幕と深く関わっている連中が混じるのも間違いないわ。 つまり彼女の傍にいれば、自ずと黒幕の方からにじり寄ってくるって寸法よ。 今度はレミリアの声がルイズの頭の中に響いてくる。 ――貴女の運命は今正に急展開と言って良いほどの動きを見せている 博麗の巫女を使い魔にする程の力を持っているのに、自分を卑下する事は無いわ それに… そこまで言って一息ついた後、レミリアは次のような言葉を口にする。 それは、幻想郷の住人達を前にして多少なりとも狼狽えていたルイズに自信を付けさせる程度の威力を有していた。 ――霊夢の左手には貴方達の種族が『伝説』と呼んで崇める存在が使役した使い魔のルーンが刻まれているんでしょう? という事は、貴女にはそいつと同等の力をもっているという事じゃないかしら。貴女がそれを自覚していないだけで… パチンッ! ◆ 「ん…んぅう…」 耳の中から入ってきた強烈な音に、ルイズは夢の世界から無理矢理締め出されてしまう。 それは乾燥した小さな薪が火に炙られて弾ける音で、すぐに暖炉から発せられているのだとわかった。 妙に重たい瞼を無理矢理こじ開け、柔らかい手の甲で両目を擦りつつもルイズは上半身をゆっくりと起こそうとした。 しかし、ルイズの体は脳から伝わってくる命令に反して一向に起きあがろうとしない。 どうしたことかと思ったが、すぐにその原因が隣で寝ている魔理沙の腕が原因だと判明した。 長袖、長ズボンの青い寝間着を着ている彼女の頭を、ルイズは思わずどつきそうになる。 そうなる前に、軽く力を入れれば腕をどけれると知り、すぐさまそれを実行した。 ルイズの体に乗っかっていた魔理沙の腕はあっさりとどけられ、ルイズは上半身を起こす事が出来た。 上半身を起こしたルイズは枕元を探り、懐中時計を手に取った。 霊夢を召喚する前に街で買った物で、色々な細工が施されている。 まだ半分寝ぼけているルイズはとろんとした目で時計をトントンと軽く指で小突く。 すると懐中時計の中に仕込まれていたマジックアイテムが作動し、時計の針が光る。 暗いところでも時間がわかる時計で、裏にはメイドイン ガリアという文字が刻み込まれていた。 「午前4時50分。大分早起きしちゃったわね…」 時刻を確認し、大分早くに起きてしまったことにルイズは苦虫を踏んでしまったかのような気分になった。 きっと授業の最中に居眠りしてしまうだろうし、二度寝出来るほどの時間もない。 そんなルイズとは対照的に、彼女の隣で魔理沙はぐっすりと寝ており、更にはブツブツと寝言も呟いている。 「うふふふ…に勝ったぜ…うふ、うふ、うふふふふふふふ…」 まだ知り合って日が浅いが、少なくともうふふ…など彼女には似合わない笑い方であろう。 一体どんな夢を見てるんだと思ってたルイズは、ふとベッドから少し離れた所に置かれた大きなソファーへと視線を移した。 滅多に来ない来客用にと置いている大きなソファーで、毛布にくるまった霊夢が寝ていた。 ※ 一昨日の晩、シエスタが持ってきてくれた夕食を食べてからしばらくし、そろそろ就寝の時間帯となった頃。 入浴を済ませたルイズはネグリジェ姿に、後の二人は幻想郷から持ってきたそれぞれの寝間着(魔理沙はパジャマで霊夢は寝巻き)に着替えて寝ようとした。 そんな時、ふと霊夢がルイズと一緒に寝ていたベッドを見つめながら、こんなことを呟いた。 「流石に三人も入ると左右で寝る奴が危ないし、何よりすし詰めになるんじゃない?」 霊夢の言葉に、ルイズも同意するかのように頷いた。 ベッドはそれなりに大きく、やろうと思えば三人とも同じベッドで横になる事が出来る。 だがギュウギュウ詰めになってまでも同じベッドで寝る必要など三人には無い。 さてどうしようかとルイズ達が思ったとき、ふと霊夢が部屋の一角に置いていたソファーへと近寄った。 柔らかい素材で出来たソファーは触り心地も良く、ベッドの代わりとして使っても問題は無い。 ※ そんなわけで霊夢がこのソファーで寝るようになってから早二日が経っている。 魔理沙はというとルイズの隣で寝ることとなったが本人は一切文句を言わなかった。 むしろ「こんな大きなベッドで寝られるなんて夢のようだぜ」と喜んでいた。 ルイズは最初だけそのことに難色を示したものの、異性ではなく同性ならば大丈夫だとすぐに納得した。 何よりそれを断ると魔理沙の寝る場所が無くなってしまうので、実際には納得しなければならないという表現が正しい。 まぁ距離を置いて寝てくれるので、ルイズも彼女の隣で寝ることに関してはある種の安心を感じていた。昨日までは… 「流石に体の上に腕とか足とか乗せられたら安眠も出来ないわねぇ…っと」 ルイズはそんなことを呟きながらベッドから出ると、暖炉の傍に置かれたイスに腰掛けた。 もうすぐ夏が到来するがトリステインの早朝は気温が寒く、暖炉の火が未だに欠かせないのである。 勿論昨日の夜からずっと火をともしているわけではなく、寝る前にちょっとした火種を暖炉の中に入れていたのだ。 それは石から出来た使い捨てのマジックアイテムで強い衝撃を与えた後、長い間空気に触れさせると自然発火を起こすのである。 つい最近になって街で流行始めた物で、トリステインの人々から重宝されているのだ。 大きさによって火力も違い、この魔法学院で支給されている物はかなり小さめの物だ。 小さい物だと発火するのに時間が掛かり、ついてもすぐに消えてしまうがその上に枯れ草や薪を置いていれば長持ちしてくれる。 「ホント…これって便利よねぇ…ふわぁ~」 ルイズは日々進化しつつあるマジックアイテムの恩恵に欠伸をしながら感謝しつつも、薪を一本手に取り暖炉に放り入れた。 暖炉の名かで何かが弾ける音を上げつつ燃え上がる炎を見つめていたルイズは、ふと先程の夢の内容を思い返す。 (何で今になって数日前の事を夢なんかで見たのかしら…) もしかしたら昨日のアレが原因なのかも知れないと思ったルイズ、ふと昨日の事を思い出し始めた。 ◆ 昨日の朝食後。ルイズと霊夢、そして魔理沙が学院長室へと赴いた時の事であった。 長い階段を上り終えて学院長室へとやってきたルイズたちを待っていたのは、ミスタ・コルベールと学院長であるオールド・オスマンであった。 というよりそれ以外の誰がいるのかとルイズは思いつつ部屋に入り、霊夢と魔理沙もそれに続いた。 霊夢はともかく、魔理沙の姿を見た二人は目を丸くし、ミスタ・コルベールがルイズに質問を投げかけてきた。 「ん?ミス・ヴァリエール、金髪の少女は誰なのですか?初めて見る顔ですが…」 ルイズがその質問に対して返事をする前に、魔理沙が頭に被っていたトンガリ帽子を取って二人に挨拶をした。 「私は霧雨 魔理沙。見ての通り普通の魔法使いだぜ」 年相応の少女の元気そうな声で形作られた言葉を耳にし、オールド・オスマンがある疑問を感じた。 その疑問はコルベールも感じており、ルイズもまた初めて魔理沙と出会ったときに感じたものと全く同じである。 「普通の魔法使い…とな?」 今まで見たことのない不思議なモノを見た後のような呟きに、魔理沙は思い出したかのように言った。 「あっ、そういえばこの世界ではメイジって言うんだっ…―――ムググッ!」 このバカ!と叫びつつ、ルイズは咄嗟に魔理沙の口を右手で無理矢理押さえつけた。 突然のことにコルベールはキョトンとしたものの、オールド・オスマンはそれを見てホッホッホッ…と笑い始めた。 「えぇよ、えぇよ、ミス・ヴァリエール。儂はもうある程度の事はわかっておる」 優しそうな微笑みを浮かべながらそう言ったオスマンに、霊夢が目を細めた。 「アンタ…もしかすると最初から気づいてたのかしら?―――私と魔理沙が何処から来たのか」 霊夢の口から出た言葉にルイズは思わず魔理沙の口を覆っていた手を離し、まさかそんなことが、と思った。 しかしそんなルイズとは逆に、霊夢は笑い続けているオスマンに鋭い視線を向けている。 そんな霊夢の視線の中にある質問に応えるかのように、オスマンは笑うのを一旦止めて言った。 「君の事は前々から調べておったが、これでようやく答えがわかったというものじゃ」 オスマンは杖を手に持ち、軽く呪文を詠唱すると戸棚に向けて杖を振る。 直後、戸棚がひとりでに開き中から古めかしい一冊の分厚い本が飛んできた。 「おぉ、やっぱり杖を使う魔法使いは中々様になってるなあ…。―――ん?それって、まさか…幻想郷録起じゃないか」 魔理沙はこの世界に来て何度目かになるハルケギニアの魔法に目を輝かせていたが、その視線が本の方へと移る。 年季が入り、色褪せてしまってはいるがその本のタイトルに見覚えがあった。 こんな所で目にしようとは思っていなかった魔理沙は、無意識的にその本のタイトルを口に出してしまう。 「…!あ、あなたにもこの文字が読めるのですか!?」 それを聞いたコルベールは驚愕を露わにし、一方のオスマンは予想的中と言わんばかりに顔に笑みを浮かべた。 「やはりお主も、彼女と同じくこことは違う場所の生まれの者のようじゃのう」 そこまで言われて観念したのか、霊夢はやれやれと言わんばかりに首を横に振る。 ルイズはというと、二人のことを何処まで話したら良いのか悩んでいた。 これに関して紫に「信用出来ない、又は口の軽い人間には絶対に話さないように」と厳しく言われている。 しかしルイズはこの二人を教師としてちゃんと信頼しているし、何よりちゃんと他言無用の誓いは守ってくれそうだ。 そこまで考えたルイズはまず最初に霊夢の方へ視線を向けた。 すぐに此方を見ていることに気が付いた霊夢はルイズの方へと顔を向け、コクリと頷いた。 どうやら彼女の方も、学院長にこれ以上の隠し事は不可能だと判断したようだ。 霊夢からのOKサインも貰い、ルイズは大きな溜め息をついた後に口を開く。 「…わかりました。とりあえず話せることだけは話しましょう。 ただ、他言無用で御願いします。この二人の事をよく知っている者からの忠告ですので」 出来る限り事が重要なのだと思わせるためにルイズは少し強めの口調で言った。 オスマンとコルベールはお互いの顔を見合わせた後、頷いた。 「良いじゃろう。…そもそも人間を使い魔にする時点で何かしらあるとは思ってはいたが。どうやら事はそれ程軽くは無さそうじゃな」 先程の笑顔とは打って変わって真剣な表情でそう言ったオスマンに対し、コルベールもまた真剣な表情を浮かべて頷く。 「えぇ、何せ伝説と謳われる始祖の使い魔の゛ルーン゛が蘇ったのですからね…。確かに事は重要ですな」 ☆ まずはルイズの話から始めることとなった。 彼女は二人の教師に霊夢と魔理沙が幻想郷という、この世界とは全く別の世界の住人であることを最初に説明した。 その事を話している最中オスマンとコルベールは目を丸くして驚いていたが、まぁ無理もないだろう。 何せ異世界など普通は劇や小説に出てくるフィクションの存在なのだ。普通なら誰も信じないに違いない。 (私だってその事をユカリに聞かされた時に驚いてたしね) あの時の事を思い出しながらも、ルイズは話を続けていった。 そしてアルビオンから戻ってきて翌日の夜、一度は迎えが来て霊夢と共にその世界へ赴いたのだが事情があってすぐに戻ってきたということも話した。 だが、幻想郷にほぼ丸一日いて゛すぐ゛という表現はおかしいのだがそれは致し方ない。 実は自分と霊夢がいない間、紫の式(使い魔と似て非なる存在らしい)達がルイズと霊夢の姿に化けて一日だけ代わりを務めていたのだという。 その事についてはあまり言わないで欲しいと紫に言われていたので、ルイズは全て話すといいながら少しだけ事実を歪めることになった。 「そして昨日の明け方に、レイムの知り合いであるマリサが幻想郷からやって来たのです」 ルイズが丁寧に説明した後、魔理沙は右手をヒラヒラと振った。 「まさか異世界に来れるとは思ってなかったが、まぁとりあえずよろしく。…ってところだ」 笑顔でそう言った魔理沙を見て、来なければ良かったのにと霊夢が心の中で呟いていた。 二人にはハルケギニアで『するべき事』があり、それが終わり次第元の世界に戻るという事を話してルイズの説明は終わった。 『するべき事』も含めて最後までルイズの話を真剣に聞いていたコルベールは未だに信じられないと言いたげな表情を浮かべている。 何せ教え子の召喚した人間が異世界人だったのである。驚くなと言う方が無理な話だ。 「しかし…ガンダールヴのルーンや異世界の住人といい、どうしてこう私は世紀の珍事にであえるのでしょうか?」 「それはお主がまだまだ未熟だからじゃ。もう少し年を取れば寛容にもなれる」 しかし、そんな彼とは対照的にオスマンは落ち着いた表情でコルベールに言った。 そんなオスマンの態度が気になって仕方なかったのか、ふとルイズはこんな事を聞いてみた。 「失礼なことをお聞きしますが…、オールド・オスマン。貴方は驚かれないのですか?」 その言葉に、オスマンは笑いながらこう言った。 「儂はこれでも随分と長生きしてきたからのぅ。思ったよりも世界が広いということぐらいとっくに知っておる」 オスマンのその言葉に、学院長は数百年近く生きているという噂があったことをルイズは思い出した。 (もしかしたら…あのユカリみたいな存在なのかも…) 溢れんばかりの笑顔でヒゲをしごいているオスマンを見て、ルイズはそんな事を思った。 ルイズの話が終わった後、今度はオスマンとコルベールの話す時間となった。 「さてと…次はワシ等の番じゃな。…此所はミスタ・コルベールに話して貰おう」 「わかりました。オールド・オスマン」 学院長に御指名されたコルベールは頷き、その時の事を丁寧に話し始める。 ◇ それは霊夢がルイズと共に幻想郷へ戻った日の事。 コルベールは研究室として使用している掘っ立て小屋で、ある作業に取り組んでいた。 それは今彼が発明した装置の欠点を隅の隅まで調べつくし、それを直すというものである。 気分も良いためか順調に進み、ここいらで少し休もうかなーと思っていた時、思わぬ客が来訪した。 コンコン、コンコン! ふと誰かがドアからノックする音が聞こえ、コルベールはそちらの方へ顔を向ける。 この所にお客さまとは珍しいなと思いつつもドアを開けて、一体誰が来たのか確認した。 「この掘っ立て小屋に住んでるって聞いたけど…本当だったようね」 紅白の変わった服を着込んだ黒髪の少女を見て、すぐさま相手が霊夢だとわかった。 その後、アルビオンから良く無事に帰ってきてくれたと言ってからとりあえず用件は何なのかと聞いてみた。 コルベールにそんなことを聞かれ、霊夢は思い出したかのように、 「あぁ、そういえばコレ…アンタには何なのかわかるかしら?」 そう言って霊夢は自身の左手の甲をコルベールの眼前にまで持ってきた。 突然の事に最初は何が何だか、わからなかったが、すぐに彼女の手の甲に何かが刻まれていることがわかった。 それが何なのかすぐにわかり… コルベールは手に持っていた薬品入りのフラスコを思わず取り落としそうになってしまった。 ◇ 「そう、私が最初に見たガンダールヴのルーンが…彼女の手の甲にしっかりと刻まれていたのです!」 「お、落ち着いてくださいミスタ・コルベール…」 役者の様に両手を振り上げて叫ぶコルベールを落ち着けるかのようにルイズか宥めようとする。 しかし彼がハイテンションになるのも無理は無いであろう。何せガンダールヴである。 伝説と呼ばれ、本当に実在するのかどうかも胡散臭いと一部では言われているのだ。 「なんというか…お前って案外大変な事になってるんだな…」 「出来れば今すぐアンタにこのルーンを移植してやりたいわ」 半ば躁状態とも言えるコルベールを見つめつつ、魔理沙は同情するかのように霊夢に話し掛けた。 一方の霊夢はというと手の甲についたルーンを指でなぞりつつ、苦々しげに言った。 流石のオスマンも、段々ハイになっていく教師を見て、やれやれと言いたげな顔をしている。 「う~ん…まぁ落ち着きたまえミスタ・コルベール…少し聞きたい事があるのじゃが?」 「はい、何でしょうかオールド・オスマン!」 コルベールの過剰な反応にオスマンは苦笑しつつも、とりあえず聞いてみることにした。 「その、何だね?ガンダールヴの能力というのは…見ることが出来たのかのぅ」 オスマンの言葉を聞き、コルベールと魔理沙にそれなりの変化があった。 コルベールは笑顔のまま表情が固まり、魔理沙は゛能力゛という言葉に反応した。 「ん?…霊夢のルーンには何かスゴイ能力とかついてるのか」 興味津々な魔理沙を見てオスマンはコホンと咳払いした後、ガンダールヴの能力を軽く説明した。 「う~ん、つまり何だ?ただでさえ強いコイツが武器を持ったら更に強くなるということか」 「大体そういう事じゃのう。してミスタ・コルベール…武器は持たせてみたのかね?」 意外と理解力の早い魔理沙に感心しつつも、オスマンは話を続けるよう促す。 しかし、先程から表情が固まっているコルベールはなんとか口だけを動かして渋々と話し始めた。 「えー、あの…その…色々とミス・レイムから話を聞いた後、 学院長から貰ったあのインテリジェンスソードを持たせてみたのですが…」 ◇ 「……お、あったあった」 鞘に収まった古めかしい太刀をチェストの中から取りだしたコルベールは、思わず声を上げた。 その声に霊夢もコルベールの側へと近寄り、彼の持っている物へと視線を移す。 霊夢が自分の傍へやってきたのを確認したコルベールは、まずゆっくりと鞘から太刀を引き抜いた。 錆が浮き出てとてもじゃないが質屋でも買い取ってくれなさそうなボロボロの刀身を見て、霊夢は目を丸くした。 以前何処かで…そう、確かここの学院長とか言う老人と初めて顔を合わせたときに… 「…?あれ、その鞘に入った太刀って…もしかして」 霊夢が何かを思い出したかのようにそう言った瞬間。 ひとりでに太刀の根本部分がカチカチと音を立てて動き出し――― 『お!なんでぇなんでぇ!今更外に出してくれたって礼は言わねぇぞ!』 ―――耳に障る声でしゃべり出した。 その声を聞いた霊夢はすぐさま、この太刀の名前を思い出した。 「デルフリンガー…だっけ?アンタまだ捨てられてなかったの?」 錆びてる癖に口から出る言葉が生意気な喋る武器に、霊夢は呆れた風に言った。 それを見逃すデルフではなく、すぐさま霊夢に噛みついてきた。 『あぁ!テメェはあんときの生意気な小娘じゃねぇか!!どの面下げて俺の前に現れやがった!?』 以前喋っている途中に無理矢理鞘に収められた事もあってか、 人間ならばすぐさま殴りかかってきそうな雰囲気を刀身から発しながらデルフは怒鳴る。 「別にアンタに会う為に、こんな場所に来たわけじゃないんだけど?」 しかしそれをものともせず霊夢は冷たく言い返したところで、コルベールが仲介に入った。 「まぁまぁ、ここは落ち着いてください…」 「私は落ち着いてるわよ。むしろ怒ってるのはそっちの剣じゃないの」 『何だとこの野郎!!』 霊夢の何気ない言葉に、デルフはまたもや怒った。 彼女の言葉に一々突っかかるデルフに、コルベールは溜め息をつく。 これがインテリジェンスソードであって良かったと内心思っていると、霊夢が話し掛けてきた。 「ねぇコルベール…一体こんな剣なんか取り出して何だっていうの?」 「あぁ、まだその事を話していませんでしたね…」 霊夢の言葉にコルベールはそう言うと、突然デルフリンガーを霊夢の方へ差し出した。 突然の事に霊夢は何が何だかわからず、首を傾げるとコルベールが言った。 「以前学院長が言ってましたでしょう。ガンダールヴはそのルーンの力で、ありとあらゆる兵器と武器を扱えるという事を」 コルベールの説明を聞き、あぁそう言えばそんなことを言ってたわね。と霊夢は呟く。 そして自分の前に差し出されたやかましい武器を一瞥した後、コルベールの方へ視線を向ける。 「…まさかこの剣で試してみようってワケ?」 霊夢は嫌悪感丸出しの表情を浮かべて聞いてみるが、コルベールはウンウンと頷く。 一瞬どうしようかと迷った挙げ句、仕方なく霊夢はデルフリンガーを手にすることにした。 別に貰うワケじゃないし、ほんのちょっと手に取るだけなら構うまいと思ったのだ。 「まぁ…ちょっとだけよ―――…っと」 不満そうな声でそう言いつつ、コルベールからデルフリンガーを受け取る。 しっかりとした重さが手に伝わり、思わず取り落としそうになったが霊夢はなんとか堪えた。 「あの…どうですか?何か変化はありましたか…」 デルフリンガーを手に持った霊夢に、コルベールはそんな事を聞いてみた。 もし伝説通りならば、すぐさま武器の正しい使い方が分かり、一瞬のうちに超一流の使い手になるという。 しかし、霊夢の口から出た言葉はコルベールが全く予想していないものであった。 「…いや、別にこれといった事はないけど…」 気怠げな表情を浮かべてそう答えた霊夢に、コルベールは首を傾げた。 (おかしいな…一体どういうことだ?) 全く予知していなかった自体にコルベールが頭を悩ませている、デルフがまたもや怒鳴り始めた。 『おいテメェ!その手で俺に触るなっ………て―――――…ん?』 最初こそ大声で怒鳴ったデルフリンガーではあるが、すぐにしぼんでいく風船のように声が小さくなっていった。 一体どうしたのかと霊夢は思ったが、耳を澄ますと何やらブツブツと独り言を言っていることに気がついた。 『一体コイツは…左手から…いや、まさか…でも…ということぁ…』 「何よコイツ?…もうそろそろ寿命かしら」 ほぼ本気で霊夢がそんな事を言った瞬間、再びデルフが大声で怒鳴った。 『…おでれーたぁ!!まさかこんな小娘が…ガンダールヴだったとぁなぁ!!』 ◇ 「…で。そのインテリジェンスソードが態度を変えて、彼女に懐いたというワケか…?」 話を聞き終えたオスマンは、盛大な溜め息をついた後コルベールにそう聞いた。 コルベールの方も申し訳ないと言いたげな表情を浮かべて頭を下げた後、口を開く。 「は、はい…結局、ガンダールヴの能力は見れませんでしたが…」 オスマンはそれを聞いてふむぅ…と唸った後、ルイズ達の方へと視線を向けた。 「ミス・ヴァリエール。お主はガンダールヴとしての彼女を見ておるか?」 学院長から出た質問に、ルイズはアルビオンのニューカッスル城で見た光景を思い出した。 あの時、殺されたと思っていた霊夢が剣を片手に裏切り者と化したワルドの遍在を倒してくれたのである。 その事を思い出しながらもルイズは恐る恐る答えた。 「は、はい…。ですけど、なぜルーンが光らなかったのは私にも…」 正直言って、ルイズ自身もコルベールから話を聞いて疑問に思ったのである。何故ルーンが発動しなかったのか。 彼女が裏切り者の遍在を倒した所を見ていたルイズにとって、それが唯一の謎であった。 だがその疑問に答えられる者は今この場におらず、三人の間に沈黙が漂っていく。 そしてガンダールヴであるのにも関わらずその能力が発動しなかった霊夢は何も言わず、ただボーっと窓から外の景色を眺めていた。 こうして部屋の中に冷たい空気が充満しようとした時、まるで場の空気を読めなかったのか魔理沙がその口を開いた。 「何だ。ルーンはついてるのにその能力が発動しないとは、思わぬ興ざめだぜ……ってイタッ!」 そんな言葉が口から出た瞬間、脊椎反射とも言える速度で魔理沙の方へと振り向いた霊夢が彼女の頭を叩いた。 景気の良い音ともに後頭部にキツイ一撃を貰った黒白の魔法使いはその場で頭を押さえて屈みこんでしまう。 「人を動物みたいに扱うなっての」 頭を叩いた張本人である霊夢の言葉と共に冷たい空気は何処へと消え去り、気を取り直したようにオスマンが口を開いた。 「…とりあえずガンダールヴとしては覚醒しておるのじゃろう?なら、もうしばらくは様子見せんとな」 老齢の学院長はそう言うと大きな咳払いをしてから、真剣な面持ちで喋り始める。 「とりあえずこれで話は終わりじゃが…良いか皆の者よ?今日の話は他言無用で頼むぞ。 迂闊にも誰かに話せばたちどころに広がるからのぅ。そこらへんには気をつけるのじゃ ―――無論。ミス・ヴァリエールの後ろにいる二人もな」 オスマンとの約束に、オスマンを除く四人はコックリと頷いた。 「わかっておりますオールド・オスマン。他言無用ですね」 コルベールは真剣な面持ちでそう答え、 「はい。このことは誰にも伝えません」 ルイズもまた揺らがない程の真剣な瞳をその目に宿らせてそう答え、 「…わかったわ。まぁ下手に話して群がられるのもイヤだし」 霊夢はそんな二人とは対照的な気怠そうに言い、 「そうか、ここで人気者になりたいのならペラペラと喋ればいいのか!」 ――ただ一人、魔理沙だけは冗談を大量に含めてそう答えた。 無論、空気を読めなかった発言をした魔理沙は、他の四人からキッと睨まれ、 「冗談だよ…そうカッカするなって?」と慌ててそう言った。 その後、オスマンは軽く咳払いをするとルイズに話し掛けた。 「あと、ミス・ヴァリエール。お主はこれからどうするかね?」 「…どういうことですか」 突然そんな事を聞かれて意味がわからない。と言いたげな表情を浮かべているルイズに、オスマンは説明を始めた。 「ミス・マリサはこの世界に来てまだそれ程時間も経っておらん、どうせならここにいる方が良いじゃろうて」 オスマンの言葉を聞いて、ルイズはここへ来る事になった理由を思い出した 「あ、はい!ですから学院長…何とかしてマリサをここへ置いてやれないでしょうか?」 ルイズの要求に、オスマンは長いあごひげを弄りながら考えた後、それに了承した。 「良いじゃろう。では昼食の際に彼女がここで暮らせる゛理由゛を作っておこう」 「えっ!ほ、本当ですか!?」 その言葉を聞き、まず最初に驚いたのがルイズであった。 一体どうして、顔を合わせてまだ数分しかたっていない相手を見てそんな事が決めれるのか。 そんなルイズの言いたいことがわかったのか、オスマンは笑いながら口を開く。 「ミス・ヴァリエール。お主は儂がそこまでする理由が何処にあるのかと言いたいのじゃな?」 そんな事を言われるとは思ってもいなかった彼女はその言葉に驚き、目を丸くしてしまう。 「えっ…?は、はい…一応」 「そうじゃろうな。今の若い者はそんな事を考えんじゃろう…」 ルイズの答えに、オスマンは何度も頷いてそう言うと、イスから腰を上げて背後にある窓の方へと振りむいた。 窓の外では青い空を下地に白い雲が流れ、小鳥たちが群れを成して空を飛んでいる。 そんな光景を話の途中に見て目を細めつつも、オスマンは口を開いて喋り始めた。 「しかし、だからといって他人を信じる事をやめ続けていれば。いずれ人の心は惨めになって行く。 もはや今の時代でも嘘や策謀が大陸中に渦巻いておる。数百年すれば人は嘘しかつかなくなるじゃろうな…」 空を見つめているオスマンの言葉は何処か重々しく、部屋の中の雰囲気は段々と重くなっていく。 確かに今のハルケギニアは昔と比べれば詐欺商法等が増えたと言われる。 ずっと前に偽物の宝の地図に騙されていた霊夢もまた、その言葉に納得していた。 オスマンは部屋の雰囲気がどん底にまで落ちる前に、再び喋りだす。 「だから儂は決めたのじゃ…自分が信用できる人間だと信じた者は、とりあえず信じきってみよう。とな?」 見事言いきったオスマンの表情には、深い深い慈悲の色が滲み出ていた。 ルイズとコルベールは、この歳で学院長を勤める程の者だと。尊敬した。 その後、ルイズが霊夢と魔理沙を連れて学院長室を出ようとした時―― 「ミス・ヴァリエールよ…部屋を出る前に一つだけ聞いて良いか?」 ドアノブに手を掛けようとしたルイズは、オスマンの方へと振り向いた。 そしてオスマンは、ルイズの返事を待たずして質問を投げかけてきた。 「今のお主は、既に普通の存在ではないと自覚しておるかな?」 その質問にルイズは一瞬だけ考える素振りを見せた後、こう答えた。 「自覚していますわ。これだけ不思議な現象に見舞われているんですもの」 ルイズの答えを聞き、オスマンは満足そうに笑った。 「さすがは…伝説の使い魔を持つうえに異世界の者と交流を持ってしまった者だわい。肝が据わっておる」 ◆ 「伝説の使い魔…ねぇ」 学院長の言っていたその言葉を、ルイズは暖炉の炎を見つめながら復唱した。 確かに、自分はとある異世界にとっての中枢である巫女を始祖の使い魔といわれているガンダールヴとして召喚した。 そしてその巫女のいた世界の住人から、自分には何か潜在的な力を有しているとまで言われたのである。 生まれてこのかたこれ程褒められた事が無かったルイズが鼻を伸ばすには充分な理由であった。 最も、自分の体にあるはずのその゛潜在的な力゛は未だに自分の体の中で眠り続けているのだろう。 「確かに私は普通じゃないわ…魔法だっておかしいし。何よりこんなものまで託されるんだから」 自分に言い聞かせるかのように呟き、テーブルに置いていた古ぼけた本へと視線を移す。 それは以前、ルイズが尊敬するアンリエッタ姫殿下から受け取った『始祖の祈祷書』だ。 トリステイン王室では、伝統として王族の結婚式の際には貴族より選ばれし巫女が用意される。 そして巫女は、この始祖の祈祷書を手に式の詔を詠みあげる習わしがあるのだ。 本来なら学生の身分でこのような重役に就ける事自体、奇跡と言っても良い。 最初にこれを手渡されたとき、ルイズは目を輝かせ、自信に満ちあふれた表情で了承した。 そんなこんなで、自分の尊敬する姫殿下の結婚式で詠みあげる詔を考えることになったのだが… 不幸か否かルイズには詔、もとい詩を書く才能が無かった。 例えば、四大系統魔法の一つである゛火゛に関しての詩を書かせればこんな風になる。 「炎は熱いので、気をつけること」 まるで火を扱うマジックアイテムに付属している取り扱い説明書の如き注意書き。 そして゛風゛に関する詩は「風が吹いたら、樽屋が儲かる」。ことわざである。 このように、その発想は無かったと他人に言わせる詩をルイズは書くことが出来るのだ。 単に詩の神様に微笑まれることがなかったのか、それとも一種の才能なのか。 どちらにしろ、今のルイズは気むずかしい詔を考えられる程目は覚めていなかった。 ただ、今日の朝食は一体何が出るのかと考える事は出来たが。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん それは、少年の放ったエア・ハンマーで魔理沙とルイズが吹き飛ばされる五分前の事。 彼女たちと同じくしてカトレアから貰ったお小遣いを見知らぬ少女に全額盗まれたハクレイは、その子を追っていた。 広場で偶然にも出会った女の子に盗られたソレを取り返すために、彼女はあれから王都を走り回っていたのである。 最初に盗まれたと気づいた時には、追いかけようにも人ごみに足を阻まれて思うように進むことが出来なかった。 少女の方もそれを意識してか、体の大きい彼女には容易に通り抜けられない人ごみに混じって追ってくる彼女を何度も撒こうとした。 幸い運だけはある程度良かったのか、 ハクレイは必死に足を動かしたり通りの端を歩くなどして少女を追いかけ続けていた。 二人して終わらぬ鬼ごっこのような追いかけっこを延々と、されど走ってないが故に大した疲労もせずに続けていた。 「こらぁ~…はぁ、はぁ…!ちょっと、待って、待ちなさい!」 そして追いかけ続けてから早数時間。大地を照らす太陽が傾き、昇ってくる双月がハッキリ見えるようになってきた時間帯。 人ごみと言う人ごみを逆走し、体力的にも精神的にもそろそろ疲れ始めてきたハクレイはまたも人ごみを押しのけていた。 一分前に再び女の子の姿を見つけた彼女は、いい加減うんざりしてきた人ごみを押しのけながら歩いていく。 幸い周りの通行人たちと比べて身長もよく、女性にしては程々に体格が良いせいか容易に流れに逆らう事ができる。 しかし少女も頭を使うもので、ようやっとハクレイが人ごみを抜けるという所でUターンして、もう一度人ごみに紛れる事もあった。 だがハクレイもハクレイで背が高い分すぐに周囲を見回して、逃げようとする少女を見つけてしまう。 正にいたちごっことしか言いようの無い追いかけっこを、陽が暮れても続けていた。 周りの通行人たちの内何人かが何だ何だと二人を一瞥する事はあったが、深入りするようなことはしてこない。 少女とって幸いなのは、そのおかげでこの街では最も厄介な衛士に追われずに済んでいた。 彼女にとって衛士とは恐ろしく足が速く、犯罪者には子供であってもあまり容赦しない畏怖すべき存在。 だから追いかけてくる女性の声で気づかれぬよう、雑音と人が多い通りばかりを使って彼女は逃げ続けていた。 しかし彼女も相当しぶとく、今に至るまであと一歩で撒けるという瞬間に見つかって今なお追いかけ続けられている。 一体どれほどの体力を有しているのだろうか、そろそろ棒になりかけている自分の足へと負荷を掛けながら少女は思った。 両手に抱えたサイドパック。あの女性が持っていたこのパックには大量の金貨が入っていた。 これだけあれば美味しいパンやお肉、野菜や魚が沢山買えて、美味しい料理を沢山作れる。 いつも硬くなって値段が落ちたパンに、干し肉や干し魚ばかり食べているじ唯一の家族゙にそういうものを食べさせてあげたい。 毎日毎日、何処かからお金を持ってきてそれを必死に溜めている゙唯一の家族゙と一緒に、ご飯を食べたい。 だから彼女は今日、その家族と同じ方法でお金を手に入れたのだ。 自分たちの幸せを得る為に『マヌケ』な人が持っているお金を手に入れ、自分たちのモノにする。 少女は知らなかった。世間一般ではその行為が『窃盗』や『スリ』という犯罪行為だという事が。 「待っててね、お兄ちゃん…!『マヌケ』な女の人から貰ったお金で、美味しい手料理を作ってあげるからね!」 自らの犯した罪を知らずに少女は微笑みながら走る、逃げ切った先にある唯一の家族である兄との夕食を夢見て。 「あぁ~もぉ!あの子とニナはいい勝負するんじゃないかしら…!」 その一方で、ハクレイは延々と続いている追いかけっこをどうやって終わらせられるのか考えようとしていた。 追えども追えどもあと一歩の所で手が届かず、かといって見逃す何てもってのほかで追い続けて早数時間。 いい加減あの子を捕まえて財布を取り戻した後で、軽く叱るかどうかしてやりたいのが彼女の願いであった。 しかし少女は自分よりもこの街の事に詳しいのだろう、迷う素振りを見せる事無くあぁして逃げ続けている。 本当ならすぐにでも追いつけられる。しかしここトリスタニアの狭い通りと明らかにそれと不釣り合いな人ごみがそれを邪魔していた。 しかも日が落ちていく度に通りはどんどん狭くなっていき、その都度少女の姿を見失う時間も増えている。 (普通に走って追いつくのが駄目なら、何か別の方法でも見つけないと……ん!) 心の中ではそう思っていても、それがすぐに思いつくわけでもない。 一体このイタチごっこがいつまで続くのかと考えていたハクレイは、ふと前を走る少女が横道にそれたのを確認した。 恐らく他の通行人たちで狭くなり続けている通りを抜けて、人のいない路地から一気に逃げようとしているのだろうか? (…ひょっとすると、今ならスグにでも捕まえられるかも?) 「ちょっと、御免なさい!道を空けて貰うわよ」 「ん?あぁ、おい…イテテ、乱暴に押すなよテメェ!」 咄嗟にこれを好機とみた彼女は前を邪魔する通行人たちを押しのけて、少女が入っていった路地の入口を目指す。 途中自分のペースで自由気ままに歩いていた一人の若者が文句を上げてきたが、それを無視して彼女は少女の後を追おうとする。 「コラ!いい加減観ね――――ング…ッ!!」 しかし。いざそこへ入らんとした彼女の顔に、子供でも両手に抱えられる程の小さな樽がぶつかり、 情けない悲鳴とも呻きにも聞こえる声を上げて、そのまま勢いよく地面へ仰向けに倒れてしまう。 「うぉ…っな、何だよ…何で樽が?」 先ほど彼女に押しのけられ、怒鳴っていた若者はその女性の顔にぶつかった樽を見て驚いていた。 幸い樽の方は空であったものの、それでも目の前の黒髪の女性――ーハクレイには大分大きなダメージを与えたらしい。 目を回して仰向けになっている彼女にどう接すればいいのか分からず、他者を含めた何人かの通行人が足を止めてしまう。 その時、樽を投げた張本人である少女が路地から顔を出し、ハクレイが気絶しているのを確認してから再び通りへと躍り出る。 最初こそハクレイの読み通り、路地から逃げようとした少女であったが、道の端に置かれていた小さな樽を見て即座に思いついたのだ。 ここで不意の一撃を与えて気絶させるなりすれば、上手く逃げ切れるのではないのかと。 そして彼女の予想通り、投げられた樽で地面に倒れたハクレイが起き上がる気配はない。 (ちょっとやりすぎだったかも…ごめんね) 樽は流石にまずかったのか?そんな罪悪感を抱きつつも少女は何とかこの場から離れとようとしていた。 ハクレイとの距離はどんどん伸びていく。四メイル、五メイル、六メイル…。 倒れたハクレイを気遣う者達とそうではない通行人たちの間を縫うように歩き、距離を盗ろうとする。 しかし少女は知らなかった。ハクレイは決して気絶していたワケではないという事を。 (うぅ~ちくしょぉ~!中々やるじゃないの、あの子供ぉ…) 思いっきり樽をぶつけられた彼女は、あまりの痛さとこれまで蓄積していた疲労で立とうにも立てずにいた。 重苦しい気だるさが全身を襲い、下手に気を緩めてしまえば今にも気絶してしまう程である。 それでもカトレアが渡してくれたお金を取り戻すのと、それを盗んだ女の子を止めなければいけないという使命感で、 辛うじて気絶するのは避けられたものの、そこから後の行動ができずにいるという状態であった。 そういうワケで身動きが取れないでいる彼女は、ふと自分の耳に大勢の人たちがざわめく声が入って来るのに気が付く。 (でも、何だか騒がしいわね?野次馬が周りにいるのかしら) 目を瞑っているせいで周りの状況が良く分からないが、そのざわめきから多くの人が囲んでいるのだろうと推測する。 無理もない、何せ街中で幼女に樽を投げつけられて気絶した女はきっと自分が初めてなのだろうから。 きっとここから目を開けて、何とか立ち上がって追いかけようとしても恐らく間に合いはしないだろう。 あの意外にも頭が回る少女の事だ。今が好機と見て残った力で逃げ切ろうとしているに違いない。 彼女にとって、それはあまりにも歯痒かった。カトレアの行為を無駄にし、あまつさえ見知らぬ少女の手を前科で汚させてしまう。 もっと自分がしっかりしていれば、きっとこんな事にはならなかった筈だというのに…。 (せめて、せめて一気に距離を詰めれる魔法みたいな゙何か゛があれば…――――ん?) ―――――めね、全然だめよ。貴女ってはいつもそうね 無力感と悔しさの二重苦に直面したハクレイはこの時、野次馬たちのそれとは全く別の『声』耳にした。 それは外から耳が広う野次馬たちのざわめきとは違い、彼女の頭の中で直接響くようにして聞こえている。 (何、何なのこの声は?) ――――――昨日も言ったでしょう?霊力はそうやってただぶつける為の凶器じゃないの 性別は一瞬訊いただけでもすぐに分かる程女性の声であり、声色から何かに呆れている様子が想像できてしまう。 そして、ハクレイはこの声に『聞き覚えがあった』。カトレアでもニナのものでもない女性の声を、彼女は知っていたのである。 (何が何だか分からないけど…知ってる!私はこの声を何時か…どこかで聞いたことが…) ――――霊力にも様々な形があるけど、貴女の場合それは攻撃にも防御にも、そして移動にも利用できるのよ。俗に言う器用貧乏ってヤツよ? 声の主はまるで覚えの悪い生徒へ指導する教師の様に、同じ単語を話の中に何度も混ぜながら何かを説明している。 そして奇遇にもその単語―――『霊力』がどういう風に書き、用いる言葉なのかも。彼女は知っていたのだ。 (一体、これはどういう……――――!) 突如自分の身に起き始めた異変に困惑しようとした直前、ハクレイの頭の中を何かが奔り抜けた。 まるで電撃の様に目にも止まらぬ速さで、そして忘れられない程の衝撃が彼女の脳内を一瞬の間で刺激する。 それは彼女の脳を刺激し、思い出させようとしていた。―――今の彼女が忘却してしまったであろう知識の一つを。 (何…これ…!頭の中で、何かが…゙設計図のような何か゛が完成していくわ…!) 突然の事に身動き一つできず、ただ耐える事しかできないハクレイの脳内に、再び女性の声が響き渡る。 ――――貴女の霊力の質なら、きっと地面を蹴り飛ばしてジャンプしたり壁に貼り付くなんて事は造作ないと思うわ。 ――――ただ大事なのはやり方よ?足が着いている場所に霊力を流し込むイメージをするの。そう…思い浮かべてみるのよ? その長ったらしい説明の直後、気を失いかけた彼女は永らく忘れていた知識の一つを取り戻す事が出来た。 先ほど自分が欲しいと願っていた、一気に距離を詰められる魔法の様な知識を。 「ん―――んぅ…」 「お、うぉわ!」 集まってきた野次馬に混じってハクレイを間近で見ていた若者は、彼女が急に目を覚ました事に驚いてしまう。 それで急ぎ後ずさった彼を合図に彼女がムクリと上半身を起こすと、他の者達も一様にざわめき始めた。 何せてっきり気を失ったと思っていた女性が急に目を開けて、何事も無かったかのように体を起こしたからである。 そんな思いでざわめく群衆を無視しつつ、ブルブルと頭を横に振るハクレイはあの少女が何処へいったのか確認しようとした。 当然ながら近くに姿は見えない。恐らく自分を囲んでいる群衆に紛れて逃げようとしているのか、あるいは既に… 「ま、どっちにしろ手ぶらじゃあ帰れないわよね」 一人呟いた後で腰に力を入れて、スクッと先ほどまで倒れていたのが嘘の様に立ち上がることができた。 さっきまであんなに疲れていたというのに、その疲労の半分が体から消え去っていたのである。 何故なのかは彼女にも分からない。何か見えない力でも働いたのか、それともあの謎の声が関係しているのか… 色々と考えるべきことはあったが、今からするべき事を思えば横に置いてもいい事であった。 周りにいる人々が何だ何だとざわつく中、彼女に肩をぶつけられて怒っていた若者が困惑気味に話しかけてくる。 「あ、アンタ大丈夫か…?さっき女の子にアンタの顔ぐらいの大きさがある樽をぶつけられてたが…」 「ん…心配してくれてるの?まぁそっちはそっちで痛いけど大丈夫よ。それよりも、私の近くに女の子が一人いなかった?」 「え…えっと?あぁ、そういや確か…アンタに樽ぶつけた後にあっちの通りへ走っていったが」 てっきり怒って来るのかと思っていた彼女は少しだけ目を丸くしつつも、自分のすぐ近くにいた彼へ女の子を見なかったかと聞いてみる。 その質問に最初は数回瞬きした若者は困惑しつつも、ハクレイの背後を指さしてそう言った。 やはり自分が気を失っている間に逃げる算段だったようだ、彼女はため息をつきつつも若者が指さす方向へと身体を向ける。 案の定少女が通って行ったであろう通りは人で溢れてしまっており、今から走っても見つけるのは無理に近いだろう。 「あちゃぁ~…やっぱり逃げられたかぁ。…ていうか、今からでも追いつけるかしら?」 「追いつけるって、さっきの女の子をか?」 「他に誰がいるのよ。…ともかく、どこまで逃げたのかは知らないけれど…」 まずは一気に詰めなきゃね。そう言ってハクレイはその場で軽く身構え、体の中で霊力を練り始めた。 周囲の喧騒をよそ丹田から脚へと流れていく力を、地面と同化させるように足の指先にまで流し込んでしまう。 やがて下半身を中心に彼女の霊力が全身に行きわたり、その体に常人以上の活力で満たされていく。 彼女は段々と『思い出し』ていく。それが何時だったかはまだ忘れたままだが、かつて今と同じように事をしていたという事を。 (不思議な感じたけど、こうやって身構えて…霊力を溜めるのって懐かしい感じがするわね) まだ見覚えの無い懐かしさに疑問を抱きながらも、ハクレイの全身に霊力が回りきる。 そして…さぁこれからという所で彼女は背後の若者へと顔を向け、話しかけた。 「あ、そうだ…そこのアンタ。ちょっと後ろへ下がっといたほうが良いかもよ?」 「は?後ろに下がれって…なんでだよ」 「何でって…そりゃ、アンタ――――――」 ――――今から軽く『跳ぶ』為よ。 そう言って彼女は若者へ涼しげな表情を向けながら言った。 「―――…った、やった!逃げ切れた…!」 サイドパックを両手で抱えて走る少女は、人ごみの中を走りながら自らの勝利を確信していた。 あの路地に逃げようとした矢先に見つけた樽が、思いの外この状況を切り抜けるカギになったらしい。 現に投げ飛ばしたアレが顔に直撃し、道のド真ん中で倒れた黒髪の女性は追いかけて来ない。 それが幼い少女に勝利を確信させ、疲れ切った両足に兄の元へ帰れるだけの活力となった。 「待っててお兄ちゃん…!すぐにアタシも帰るからね…」 はにかんだ笑顔で息せき切りながら、少女はトリスタニアに作った『今の家』までの帰路を走る。 柔らかいそうな顔を汗まみれにして、必死に足を動かす彼女を見て何人かが思わず見遣ってしまう。 永遠に続くかと思われた人ごみであったが、終わりは急に訪れる。 大人たちのの間を縫って通りを走っていた少女は、街の広場へと入った。 王都に幾つか点在する内一つである広場は、すぐ後ろにある通りと比べればあまりにも人が少ない。 日中ならまだしも、この時間帯と時期は男や若者たちは皆酒場に行くものである。 現に夜風で涼もうとやってきている老人や、中央にある噴水の傍でお喋りをしている平民の女性たちしか目立つ人影はない。 確かに、こう人の少ないところは涼むだけにはもってこいの場所だろう。女や酒を期待しなければ。 「あ、通り…そうか。抜けれたんだ…」 まるで樹海の中から脱出してきたかのような言葉を呟きながら、少女は肩で息をしながら近くのベンチへと腰かける。 このまま『今の家』に帰る予定であったが、追っ手がいなくなったのと落ち着いて休める場所があったという事に体が安心してしまっていた。 先ほどまでは何時あの女性が追いかけてくるかと言う緊張感に苛まれて逃げていた為に、幼い体に鞭打っていたのである。 けれども、今は誰も追ってこないし、落ち着ける場所もある。それが彼女の緊張感をほぐしてしまったのだ。 「ちょっと、ちょっとだけ…ちょっとだけ休んだら、お家に戻ろうかな…ふぅ?」 ベンチの背もたれに背中を預けながら、少女は暗くなる空へ向かって独り言をつぶやく。 肩で呼吸をつづけながら肺の中に溜まった空気を入れ替えて、夜風で多少は冷えた夏の空気を取り込んでいく。 薄らと見え始めている双月を見上げながら、彼女は今になってある種の達成感を得ていた。 各地を転々と旅しつつも、お金が無くなった時は兄がいつも新しいお金を取ってきてくれる。 自分も手伝いたいと伝えても、兄は「お前には無理だ、関わらなくても良い!」といつも口を酸っぱくして言っていた。 でも、これで兄も認めてくれるに違いない。自分にも兄のお手伝いができるという事を。 未だ両手の中にある金貨入りのサイドパックを愛おしげに撫でて、兄に褒められる所を想像しようとした―――その時であった。 つい先ほど彼女が走ってきた通りから、物凄い音とそれに続くようにして人々の驚く声が聞こえてきたのは。 まるで硬い岩の様な何かを思い切り殴りつけた様な音に、少女がハッとして後ろを振り返った瞬間、彼女は見た。 通りを行き交う人々の頭上を飛び越えてくる、あの黒髪の女性―――ハクレイの姿を。 ロングブーツを履いた両足が青白く光り、あの黒みがかった赤い瞳で自分を睨みつけながら迫ってくる。 自分たちの頭上を飛び越えていくその女性の姿に人々は皆驚嘆し、とっさに大声を上げてしまう者もチラホラといる。 少女は驚きのあまり目を見開き、咄嗟に大声を上げようとした口を両手で押さえてしまう。 「ちょ、何アレ!?」 「こっちに跳んでくるわ!」 噴水の近くにいた女たちが飛んでくるハクレイに黄色い叫び声を上げて広場から逃げていく。 お年寄りたちも同じような反応を見せたものがいたが、何人かはそれでも逃げようとはしなかった。 三者三様の反応を見せる中で、勢いよく跳んできたハクレイは少女のいる広場へと降り立った。 青く妖しく光るブーツの底と地面から火花が飛び散り、そのまま一メイルほど滑っていく。 これには跳んだハクレイ自信も想定していなかったのか、何とか倒れまいとバランスを取るのに四苦八苦する。 「おっ…わわわ…っと!」 まるで喜劇の様に両腕を振り回した彼女は無様に倒れる事無く、無事に着地を終えた。 周囲と通りからその光景を見ていた人々が何だ何だとざわめきながら、何人かが広場へと入ってくる。 彼らの目には、きっと彼女の今の行為が大道芸か何かに見えているに違いない。 「…すげー、今の見た?あっこからここまで五メイルくらいあったぞ」 「魔法?にしては、杖もマントも無いし…マジックアイテムで飛んだとか?」 「さっきまで光ってたあのブーツがそうかな?だとしたら、俺も一足欲しいかも…」 「っていうかあの姉ちゃん、スゲー美人じゃね?」 暇を持て余している若者たち数人がやんややんやと騒いでいるのを背中で聞きつつ、少女は逃げようとしていた。 今、自分が息せき切って走ってきた距離を一っ跳びで超えてきたハクレイは、自分に背中を向けている。 だとすれば逃げるチャンスは今しかない。急いで踵を返して、もう一度人ごみに紛れればチャンスは…。 そんな事を考えつつも、若者たちが騒いでいる後ろへ後ずさろうとした少女であったが―――幸運は二度も続かなかった。 「ふぅ~…こんな感じだったかしらねぇ?何かまだ違和感があるけど――――さて、お嬢ちゃん」 「…ッ!」 一人呟きながら自分の足を触っていたハクレイはスッと後ろを振り返り、逃げようとしていた少女へ話しかける。 突然の振り返りと呼びかけに少女は足を止めてしまい、騒いでいた若者達や周囲の人々も彼女を見遣ってしまう。 相手の動きが止まったのを確認したハクレイは、キッと少女を睨みつけながらも優しい口調で喋りかける。 「お互い、もう終わりにしましょう。貴女だって疲れてるでしょう?私も結構疲れてるし…ね?」 「で、でも…」 相手からの降伏勧告に少女は首を横に振り、ハクレイはため息をつきながらも彼女の傍まで歩いていく。 そして少女の傍で足を止めるとそこで片膝をつき、相手と同等の目線になって喋り続ける。 「私は単に、貴女が私から盗んだモノを返してくれればいいの。それだけよ、他には何もしない」 「…他にも?」 「そうよ。貴女がやったことは…まぁ『犯罪』なんだけど、私は貴女を付き出したりしないわ」 本当よ?そう言ってハクレイは唖然とする少女の前に右手を差し出して見せる。 周囲にいて話を聞いていた人々の何人かが、何となくこの二人が今どういった状況にいるのか察する事ができた。 大方、この女性から財布か何かを盗んだであろう少女を諭して、盗られたモノを取り返そうとしているのだろう。 王都は比較的治安が良いが、だからといって犯罪が一つも起こらないなんて事は無い。 大抵は盗賊崩れや生活に困窮している平民、珍しいときは身寄りのいない子供や貴族崩れのメイジまで、 様々な人間が大小の犯罪に手を染めて、その殆どが街の衛士隊によってしょっぴかれてきた。 中には目の前にいる少女の様な子供まで衛士隊に連れて行かれる光景を目にした者も、この中には何人かいる。 残酷だと思われるが、犯罪で手を汚ししてしまった以上はたとえ子供であっても小さい内から大目玉を喰らわせなければいけない。 痛い目を見ずに注意だけで済ましてしまえば、十年後にはその子供が凶悪な犯罪者になっている可能性もあるのだから。 そう親兄弟から教えられてきた人たちは、どこかもどかしい気持ちでハクレイと少女のやりとりを見つめていた。 「なぁ…あの女の人、衛士呼ばないのかねぇ?物盗りなんだろ?」 「物盗りといってもまだまだ幼いじゃないか、ここでちゃんと諭してやれば手を洗うだろうさ」 「甘いなぁお前さん、そんなに甘い性格してる月の出ない夜に財布をスラれちまうぜ!」 「でもいくら犯罪者だとしても、あんな小さい子を衛士に突き出すってのは少し気が引けちゃうよ…」 少女に詰めよるハクレイを少し離れた位置から眺める人々は、勝手に話し合いを始めていた。 幾ら犯罪者には厳しくしろと教わられても、流石にあの少女ほどの子供を牢屋に閉じ込めるのはどうかと思う者達もいる。 そういう考えの者達と犯罪者には鉄槌を、という者達との間で論争が起こるのは必然的とも言えた。 さて、そんな彼らを余所に少女はハクレイの口から出た、ある一つの単語に首を傾げていた。 「犯…罪?何それ…」 まるで他人のお金を取る事を悪い事だとは思っていないその様子に、ハクレイは苦笑いしながら彼女に説明していく。 「う~ん…何て言うかな、そう…私の財布ごと何処かへ持っていこうとした事が…その犯罪っていう行為なのよ?」 「え?でも…お兄ちゃんが言ってたよ。僕たちが生きるためには金を持ってる奴から取っていかないと――って…」 「お兄ちゃん…。貴女、他にも家族がいるの?」 思いも寄らぬ兄の存在を知ったハクレイがそう聞いてみると、少女はもう一度コクリと頷く。 彼女が口にした言葉にハクレイはやれやれと首を横に振り、何ゆえに少女が窃盗を悪と思っていないのか理解する。 恐らく彼女の兄…とやらは何らかの理由で窃盗を稼業としていだろう。この娘がそれを、普通の事だと認識してしまうくらいに。 あくまで推測でしかないがもしそうなら自分の財布を返してもらい、見逃したとしても根本的な解決にはならない。 日を改めた後に、また何処かで盗みを働いてしまうに違いない。そして行く行くは、別の誰かの手によって…… そこまで想像したところでハクレイはその想像を脳内から振り払い、少女の顔をじっと見つめる。 自分を見つめるその顔には罪悪感など微塵も浮かんでおらず、まるで磨かれたばかりの真珠のように純粋で綺麗な眼。 ここで財布を取り返して逃がしたとしても、罪悪感を感じていなければまたどこかで同じ過ちを繰り返してしまうだろう。 きっとカトレアなら、ここでこの娘とお別れする事はない筈だと…そんな思い抱きながら、ハクレイは少女に話しかける。 「ねぇ貴女、もし良かったら私をお兄さんのいる所へ案内してくれないかしら?」 「え…お兄ちゃんの…私達が『今いる』ところへ?」 何故か目を丸くして驚く少女に、ハクレイはえぇと頷いて彼女の返事を待った。 もしここにカトレアがいたのなら、少女が何の罪悪感も無しに罪を犯すきっかけとなった兄を諭していたかもしれない。 例えそれがエゴだとしても…いつかは破綻する生活から助け出すために、きっと説得をしに行くに違いないだろう。 半ばカトレアを美化(?)していたハクレイは、ふと少女が丸くなった目で自分を凝視しているのに気が付いた。 一体どうしたのかと訝しもうとした直前、少女はその体を震わせながらハクレイへと話しかける。 「わ、私達をどうするの?お兄ちゃんと私を、どうしようっていうの…?」 「…?別にどうもしない。ただ、ちょっとだけアナタのお兄さんと話がしたいだけよ」 急な質問の意図がイマイチ分からぬままハクレイはそう答えると、突き出していた右手をスッと下ろす。 しかし、それを聞いた少女の表情は次第に強張っていき、一歩二歩…と僅かに後ろへ後ずさり始める。 それを見たハクレイはやはり警戒されているのかと思いながらも、尚も諦める事無く彼女へ語りかけた。 「逃げなくてもいいのよ?本当に、私は『何もしない』わ…ただ、アナタのお兄さんに盗みをやめるよう説得したいだけなの」 「…!」 何がいけなかったのか、彼女の説得に今度は身を小さく竦ませた少女が大きく後ずさる。 その様子を見て若干流石のハクレイでも理解し始める。彼女が自分におびえているという事に。 下がった先にいた一人の野次馬がおっと…!と声を上げて横へどき、急に様子が変わった少女を大人たちが不思議そうな目で見つめる。 少女を見つめる者たちの何人かがこう思っていた。一体この少女は、何を怯えているのかと。 彼女の前にいる黒髪の女性は酷く優しく、その様子と喋り方だけでも衛士に突き出す気は端から無いと分かる。 しかし少女は怯えていた。まるで女性の背後に、幽霊が佇んでいるのに気が付いているかの様に。 ただの通りすがりであり、少女との接点が無い周りの大人たちは少女が何に怯えているのかまでは知らなかった。 そして少女に財布を盗られ、ここまで追いかけて来たハクレイも彼女が何故自分を怖れているのかまでは理解できずにいる。 ―――しかし、ハクレイを含めだ大人゙たちには、決してその怯えの根源が何なのかを知ることは出来ないであろう。 何故なら、少女が何よりも怖れていたのは…『何もしない』と言い張る大人なのであるから。 かつて少女は兄に教わった、自分たちの天敵が大人であるという事を。 自分たちが生きていくうえで最も警戒すべき存在であり、出し抜いていかなければいけない相手なのだと。 ―――良いか?大人を信用するなよ。アイツらは意地汚くて狡猾で、俺たちを子供だからっていつも下に見てるんだ! ――――俺とお前だけで生きているのがバレたら、大人たちは必ず俺たちを離れ離れにしようとするに違いない。 ―――――特に、俺たちが孤児だと勘づいて親切にしてくる大人には絶対気を許すな! ――――――そういう奴こそ「大丈夫、『何もしない』よ」と言いながら、俺とお前を適当な孤児院にぶちこもうとするんだ! ――――もしそういう大人に出会ったら、お前も腰にさした『ソレ』を引き抜いて戦うんだ! ―――――俺たちは決して弱者なんかじゃない!舐めるなよっ!…という意思を込めて、呪文を唱えろ! 脳裏によぎる兄から聞かされたその言葉が少女に恐怖を芽生えさせ、右手が懐へと伸びていく。 そうだね大人は敵なんだ。こうやって優しい言葉で自分たちを騙して、離れ離れにさせようとする。 決めつけとも、大人を知らぬ子供のエゴとも取れるその考えに支配された彼女には、これから起こす事を自分では止められない。 ただ、守りたいがゆえに…この一年間兄に守られ共に暮らしてきた少女にとって、唯一の家族であり頼れる存在でもあった。 それを何の気なしに奪おうとする大人たちとは戦わなければいけない。例えそれが、見た事ない力を使う女の人であっても。 「ちょっと、どうしたのよ?そんなに怯えた顔して…」 そんな少女の決意がイマイチ分からぬまま、ハクレイは怪訝な表情を浮かべて少女に話しかける。 少女の背後にいる群衆も互いの顔を見合わせながら、少女が何をしようとしているのか気になってはいた。 そして…この場に居る大人たちが彼女が何をしようととしているのか分からぬまま、少女はついに動き出す。 大事な家族を守る為、これからも続けていきたい二人の生活を明日へ繋ぐためにも、彼女は一本の『ソレ』を懐から取り出し、天に掲げる。 『ソレ』はこのハルケギニアにおいて最も目にするであろう道具であり、今日までの世界を築き上げてきた力の象徴。 同時に、平民たちにとっては最強の力であり、畏怖するべき貴族たちが命よりも大事と豪語する―――…一振りの杖である。 後ろにいた観衆に混ざり込んだ誰かが、少女が天に掲げた杖を見た小さな悲鳴を上げる。 誰かが「あのガキ、メイジだ!」と怒鳴ると、少女を囲んでいた平民たちは慌てて距離を取り始めた。 正に「美しい花には棘がある」という諺そのものだ、あんな小さな子がメイジだったとは誰もが思っていなかったのだろう。 例えどんなに小さくとも、杖を持っていて魔法を唱えられるのなら大の大人であっても簡単にねじ伏せてしまう。 魔法の恐ろしさを十分に知っている彼らだからこそ、杖を見たとたんに後ろへ下がれたのだろう。 一方で、少女から最も近いところにいるハクレイは周囲の反応と杖を見てすぐに少女がメイジなのだと理解していた。 まさかこんなに小さくてかわいい子がカトレアと同じメイジだったのだと思いもしなかったのである。 そして新たな疑問も沸き起こる。何故彼女は魔法が使えるというのに、こんな犯罪に身をやつしているのか? アストン伯やカトレア、そして彼女の取り巻き達の様な貴族たちとの付き合いしか無かったハクレイはまだ知らないのである。 世の中には、マントを奪われあまつさえ家と領土すら奪われだ元゙貴族達も相当数がいる事に。 少女は自分を見て硬直している相手と平民たちを交互に凝視つつ、もう数歩後ろへと下がっていく。 逃げる気天!?そう思ってかハクレイは、慌てて少女の足を止めようと立ち上がろうとした。 「……ッ!アナタ…ッー――!」 「来ないで、私に近づいちゃダメ!」 立ち上がった瞬間を狙ってか、少女はこちらに向けて手を伸ばそうとするハクレイへ杖の先端を向けた。 幼年向けであろう、普通のよりもやや短い杖の鋭そうな先が彼女の額へ向いている。 ここから魔法が飛んでくるのを想像して怯えているのか、はたまた相手を刺激せぬようにしているのか、 ハクレイはその場でピタリと足を止めつつ、されど視線はしっかりと少女の方へと向いていた。 彼女にはワケが分からなかった。少女が杖を隠し持っていたメイジであった事と、このような事に手を潜めている事。 そして、何故急に怯え出した彼女に杖を向けられているのかも…ハクレイには分からなかった。 だがそれで少女を説得する事を彼女は諦めてはおらず、むしろ何が何でも止めなければと改めて決意する。 周囲の平民たちと同じように、ハクレイもまた魔法が日常生活や攻撃としても十分使えるという事は知っていた。 だからこそ、少女が下手に魔法を使わぬよう穏便に説得しようとしのである。 「ちょっと待ってよ?どうしたのよ一体…」 「だ、だから近づかないでって言ってるでしょ!?」 しかし、少女の内情を知らない彼女の説得など初めから効くはずもなかった。 より一層冷静になるよう心掛けてにじり寄ろうとしたハクレイに気づいて、少女はそう言いながら杖を振り上げる。 周りにいた平民たちは皆一様に悲鳴を上げて、更に後ろへと下がっていく。 メイジが杖を振り上げる事は即ち、これから魔法を放ちますよと声高々に宣言するのと同じ行為である。 何人かの平民がまだ少女の傍にいるハクレイへ「何してる逃げろ!」や「杖を取り上げろ!」と叫ぶ。 今のハクレイには、逃げる暇や杖を取り上げる時間も無い。あるのはただ放とうとされる魔法を受け入れるしかない現実だ。 だが…タダで喰らう彼女でもなく、すぐさま体を身構えさせて少しでも目の前で発動される呪文を防ごうとした。 それと同時に、少女は杖を振り下ろした。口から放ったたった一言の呪文と共に。 「イル・ウインデ!」 「え?…うわぁッ!」 口から出た短いスペルと共に、ハクレイの足元で突如小さな竜巻が発生したのである。 唱えた魔法は『ストーム』という風系統の魔法。文字通り指定した場所に竜巻を発生させるだけの呪文だ。 詠唱したメイジの力量と精神力によって威力に差は出てくる。そして少女に力量は無かったが、精神力だけは豊富にある。 その為、彼女が発生させた竜巻は大の大人一人ぐらいなら簡単に飲み込み、吹っ飛ばす程の力は有していた。 まさか足元から来るとは予測していなかったハクレイは呆気なく竜巻に巻き込まれてしまう。 何の抵抗も出来ずに透明な竜巻の中で回るしかない彼女は、さながらルーレットの上を走るボールの様だ。 「わ・わ・わ・わわわ…ワァーッ!」 グルグルと竜巻の中をひとしきり回った彼女は、勢いよく竜巻の外へと吹き飛ばされる。 地上で見守っていた人々とほぼ同時に悲鳴を上げたハクレイが飛んでいく先には、広場に面した共同住宅があった。 丁度窓越しに食事や酒、読書を嗜んでいた人々がこっちへ向かってくる彼女に気が付き、慌てて窓から離れていく。 後数秒もあれば、吹き飛ばされたハクレイは哀れにも勢いよく共同住宅の壁に叩きつけられてしまうだろう。 (不味いわね…!流石にこれは―――でも、今ならイケるかも?) ここまでされてから初めて危機感を抱いたハクレイはしかし、たった一つの解決策を持っていた。 このまま勢いよく今日住宅に突っ込んでも、決してダメージを受けずにいられる方法を。 激突まで後二メイルで時間にすればほんの僅かだが、それだけあれば充分であった。 既に手足の方へと霊力は行きわたっている。ただ一つ気にすることは、背中からぶつからないように気を付ける。 (全ては神のみぞ知る…ってヤツかしら!) 心の中でうまい事成功しなければという決意を抱いて、真正面から共同住宅へと突っ込み…―――そして。 「おっ!―――よっと!」 瞬時に青白く発光した手足でもって、共同住宅の壁へと『貼り付いた』のである。 てっきりぶつかるかと思っていた群衆は彼女が見せてくれた大道芸じみたワザに、驚愕の声を上げた。 その声に思わず顔を背けていた人々に、共同住宅の住人達も窓越しに壁へ貼り付くハクレイの姿を見て驚いている。 暫しの間広場で彼女を見つめている人々はざわめいていたが、何故かその外野から幾つもの拍手が聞こえてきた。 恐らく何かの催しだと勘違いした通りすがりの者なのだろうが、最初から最後まで見ていた者達には酷く場違いな拍手に聞こえてしまう。 そしてハクレイ自身は何で拍手が聞こえてくるのか分からず、そしてこうも『上手く行った』事に内心ホッと安堵していた。 「いやぁ~…できるって気はしてたけど、まさか本当にできるとは思ってもみなかったわ」 右手と両足を霊力で壁に張り付けたまま、左腕の袖で顔の冷や汗を拭う彼女の胸は興奮で高鳴っていた。 実際、彼女がこのワザに『気が付いた』のは先ほどここまで跳んでくる前に聞こえたあの謎の声のお蔭である。 あの女性の声は言っていたのだ、自分の霊力なら、地面を蹴り飛ばしてジャンプしたり壁に貼り付くなど造作ないと。 だからあの時、目を覚ましてすぐにジャンプできたりこうして壁に貼り付いて激突を回避したのである。 最初こそ一体何なのかと訝しんでいたが、今となってはあの声の主に感謝したいくらいであった。 もしもあのアドバイスがなければ、今頃この三階建ての建物に叩きつけられていたに違いない。 「とはいえ…流石にあの勢いだと。イテテテ…手がヒリヒリするわね」 そう言ってハクレイは、赤くなっている左の掌を見つめながら一人呟く。 実際のところ成功する確率は五分五分であり、彼女自身失敗するかもという思いは抱いていた。 まぁ結局のところ上手くいったのだが勢いだけは殺しきる事ができず、結果的に両手がヒリヒリと痛む事となったが。 彼女は気休め程度にと左の掌にフゥフゥと息を吹きかけようと思った時、後ろから自分を吹き飛ばした張本人の叫び声が聞こえてきた。 「ど、どいてぇ!どいてよー!」 恐怖と悲痛さが入り混じったその叫びと共に、群衆の動揺が伺えるどよめきも耳に入ってくる。 何かと思いそちらの方へ視線を向けてみると、あの少女が手に持った杖を振りかざしながら人ごみの中へと消えようとしていた。 右手には杖、そして左手には自分から盗んでいったカトレアからのお金が入ったサイドパック。 恐らく魔法による攻撃が失敗に終わったから、せめて必死に逃げようとしているのだろうか。 「まずいわね…何とかして止めないと」 このまま放っておけばカトレアから貰ったお金を全て無くしてしまううえに、あの少女を説得する事もできない。 何としてもあの少女を止めて、もう二度とこんな事をしないようにしてやらなければ、いつかは捕まってしまうだろう。 その時には彼女のいう兄も…だから今ここで捕まえて、何とかしてあげなければいけない。 何をどうしてあげればいいのか、どう説得すれば良いのか分からないが放置するなんて事はできない。 改めて決意したハクレイは群衆をかき分けて逃げる少女を確認した後、自分の右隣にある建物へと視線を移す。 恐らくここと同じ共同であろう四階建てのそこからも、窓越しに自分を見つめる人々がチラホラと見えている。 マントを着けている事から貴族なのだろうが、皆いかにも人生これからという若者たちばかりだ。 「あそこまでなら、届くかしらね?」 そう呟いてた後、彼女は両足と右手の霊力にほんの少しアクセントを加え始める。 今この建物の壁に貼り付いている霊力を変異させて、正反対の『弾く』エネルギーへと変換していく。 それも『今の』彼女にとって初めての試みであり、そして何故かいとも簡単に行えることができる 何故そんな事がでるきのかは彼女にも分からないし、生憎ながら考える暇すら今は無い。 今できる事はただ一つ。自分が忘れていた自分の力を使って、あの娘を止める事だと。 (距離はここから二、三メイル…まぁいけるかしら) 目測で大体の距離を測りつつ、彼女は両足と右手へと霊力をより一層込めていく。 少なすぎても駄目だし、多すぎれば最悪向こうの建物の壁にぶち当たるかもれしない。 必要な分の霊力だけをストックして、一気に解放させなければあの建物の壁に貼り付く事など不可能なのである。 向こうの共同住宅に済む若い貴族たちが窓越しに自分を見つめて指さし、何事かを話し合っているのが見えた。 一体何を話しているのかは知らないが、間違いなく自分に関して話しているという事は分かっていた。 「とりあえず、窓から顔を出さなければそれに越した事はないけど…」 跳び移るのは良いが、最悪窓を割るかもしれないが故にハクレイは内心でかなり緊張している。 時間にすればほんの十秒足らず。その間に手足へ一定の霊力を込められたハクレイは、いよいよ準備に移った。 壁に貼り付けている右手をグッと押し付け、青白い霊力を掌へと流し込んでいくさせていく。 両足も同様に、際どい姿勢で張り付けているブーツ越しの足裏へ掌と同じように霊力を集中させる。 これで準備は整った。後は彼女の意思次第で、壁に『貼り付く』力は『弾く』力へと変化する。 目測も済ませ、覚悟も決めた。後残っているのは、成功できるかどうかの力量があるかどうか、だ。 短い深呼吸をした後、ほんの一瞬脱力させた彼女はグッと手足に力を込めて、跳んだ。 それは外野から人々の目から見れば、空中で横っ飛びをしてみせたも同然の危険な行為であった。 群衆はまたもや驚愕の叫び声を一斉に上げ、彼女が飛び移る先にある建物の住人達は急いで窓から離れ始める。 何せ隣の建物に張り付いていた正体不明の女がこちらへ跳んでくるのだ、誰だって逃げ出すに違いないであろう。 まさか、窓を破って侵入してくるのでは?そんな恐怖を抱いた人々とは裏腹に、ハクレイの試みは思いの外上手くいったのである。 「ふ…よっ…―――――――ットォ!!」 まるで壁に『弾かれた』かの様に横っ飛びをしてみせた彼女は、無事に下級貴族たちの住むワンランク上の共同住宅の壁へと見事貼り付く。 てっきり今度こそぶつかるかと思っていた地上の人々は、壁に貼り付いた彼女の姿を見て再び驚きの声を上げた。 その声に窓から離れていた住人の下級貴族達も何だ何だと窓へ近づき、そして驚く。 何せ隣の建物から跳んできた女が壁に手と足だけで貼り付いているのだから、驚くなという方が無理である。 途端若い貴族たちは争うようにして窓から身をのり出し、その内の何人かがハクレイへと声を掛けた。 「おいおいおい!こいつは驚いたな、まさか珍しい黒髪の女性がこの辛気臭い共同住宅に貼り付くだなんて!」 「そこの麗しいお姉さん。良かったらこのまま僕の部屋に入ってきて、質素なディナーでもどうですか?」 得体が知れないとはいえ、そこは美女に飢えた青春真っ盛りの下級貴族たち。 見たことも聞いたことも無い方法で壁に貼り付くハクレイに向かってあろうことか、必死にアプローチを仕掛けてきた。 そんな彼らに思わずどう対応してよいか分からず、困った表情を浮かべつつ彼女は通りの方へと視線を向ける。 少女は既に人ごみの中に入ってしまったものの、目印と言わんばかりに人ごみが大きく動くのが見えた。 それは遠くから見つめるハクレイへ知らせるように移動し、この広場から離れようとしている。 「あそこか。でも流石にここからだと届かないし、ようし…!」 少女の大体の一を確認した彼女は一人呟いてから、今自分が貼り付いている共同住宅を見上げた。 四階建てのソレには屋上が設けられているらしく、手すり越しに自分を見下ろす下級貴族たちが数人見える。 恐らく夕涼みに屋上へ足を運んでいたのだろう、何人かはその手に飲みかけのワイン入りグラスを握っていた。 今彼女がいる場所からは丁度三メイル程であろうか、゙少し頑張れ゙ばすぐにたどり着ける距離である。 「んぅ~…ほっ!よっ!」 もう一度手足に力を込めたハクレイは、霊力を纏わせたままのソレで器用に共同住宅の壁を登り始めた。 まるでヤモリのようにスイスイと壁に手足を貼り付かせて登る女性の姿と言うのは、何とも奇妙な姿である。 窓や屋上からそれを見ていた下級貴族達や広場で見守っている平民たちも、皆おぉ!とざわめいた。 一体全体、何をどうしたらあんな風に壁を登れるのか分からず多くの者たちが首を傾げている。 その一方で、下級とはいえ魔法に詳しい下級貴族たちの驚きはかなりのもので、部屋にいた者たちの殆どが顔を出し始めていた。 「おいおい!見ろよアレ?」 「スゲェ、まるでヤモリみてぇにスイスイと登っていきやがる…」 それ程勉強ができたというワケでも無かった者達でも、あんなワザは魔法ではない事を知っている。 じゃああれは何なのだと言われてそれに答えられる者はおらず、彼女が壁を登っていく様は黙って見るほかなかった。 「は…っと!…ふぅ、大分慣れてきたわね」 「わっ、ホントに来ちゃったよこの人!」 時間にすればほんの十秒程度であっただろうか、ハクレイは無事屋上へ辿り着く。 やはり夕涼みに来ていたらしく、ほんの少しのつまみ安いワインで宴を楽しんでいた若い貴族達は皆彼女に驚いている。 無理もないだろう。女が手と足だけで壁に貼り付いて登ってやってきたのならば、誰だって驚くに違いない。 そんな事を思いながら驚く貴族たちを余所に屋上へ足を着けたハクレイは、意外な程この『力』を使える事に内心驚いていた。 最初にエア・ストームで吹き飛ばされ、貼りついた時と比べれば彼女は格段に『慣れ』始めている。 まるで水を得た魚のように物凄い勢いで『忘れていたであろう』知識を取り戻し、活用していた。 (まぁ今は便利っちゃあ便利だけど…うぅん、今はこの事を考えるのは後回しよ) そこまで思ったところで首を横に振り、彼女は屋上から周囲の光景を見下ろしてみる。 既に陽が落ちようとしている時間帯の王都の通りは人でごったがえし、繁華街としての顔を見せかけている最中だ。 眼下の喧騒が彼女の耳にこれでもかと入り込んでくる中、ハクレイは必死に逃げる少女の姿を捉える。 屋上からの距離はおおよそ五~六メイルぐらいだろうか、屋上から見下ろす通りの人々か若干小さく見えてしまう。 ここから先ほどのように壁に貼り付きながら降りることも可能だろうが、その間に逃げられてしまう可能性がある。 最悪壁に貼り付いている所を狙われて魔法を叩きつけられたら、それこそ良い的だ。 一気に少女の近くまで飛び降りてみるのも手だが上手くいく保証は無く、そんな事をすれば他の人たちにも迷惑を被ってしまう。 彼女の理想としてはこのまま一気にあの娘の傍に近づいて杖を取り上げてから捕まえたいのだが、現実はそう上手く行かない。 次の一手はどう打てばいいのか悩むハクレイを余所に、少女は彼女が屋上にいる事に気付かず必死に通りを走っている。 今はまだ視認できものの、進行方向にある曲がり角や路地裏に入られてしまうとまたもや見失ってしまうだろう。 「さてと…とりあえずどうしたらいいのかしらねぇ?」 策は思いつかず、時間も無い。そんな二つの問題を突き付けられたハクレイは頭を悩ませる。 屋上の先客である下級貴族たちは何となくワインやつまみを口にしながらも、そんな彼女を困惑気味な表情で眺めていた。 彼らの中に突然壁を登ってきた彼女に対して、無礼者!とか何奴!と言える度胸を持っている者はおらず、 床に敷いていたシートに腰を下ろしたまま、持ち寄ってきていた料理や酒をただただ黙って嗜む他なかった。 まぁ暇を持て余している身なので、これは丁度良い余興だと余裕を見せる者も何人かはいたのだが。 さて、そんな彼らを余所に次にどう動くべきか考えていたハクレイであったが、そんな彼女の目に『あるモノ』が写った。 その『あるモノ』とは、今彼女がいる屋上の向こう側に建てられている二階建ての建物である。 少し離れた場所からでも立てられてからかなりの年月が経っていると一目で分かるそこは居酒屋らしい。 彼女には読めなかったものの、『蛙の隠れ家亭』と書かれた大きな看板が入口の上に掲げられている。 どうやらまだオープンしてないらしく、ドアの前では常連らしい何人かの平民たちが入口の前で屯っていた。 そしてハクレイが目に付けたのは、その居酒屋であった。 「あそこなら、うん…さっきのを応用してみればうまい事通りへ降りられるかも?」 一人呟きながらハクレイは手すりへと身を寄せると、スッと何の躊躇いもなく手すりの向こう側へと飛び越えていく。 彼女を肴に仕方なく酒を飲んでいた者たちの何人かは突然の行動に驚き、思わず咽てしまう者も出る。 手すりの向こう側は安全を考慮して人一人が立てるスペースは作ってあるが、それでも足場としては心もとない。 彼女が何を決心して向こう側へ行ったかは全く以て知らなかったが、かといって放置するほど冷たい者はいなかった。 「おいおい、何をしてるんだ君は?危ないぞ!」 「え…?え?それ私に言ってるの?」 「君しかいないだろ!?いまこの場で危険な場所に突っ立っているのは」 見かねた一人がシートから腰を上げると、後ろ手で手すりを掴んでいるハクレイに声を掛ける。 大方飛び降り自殺でもするのかと思われたのだろうか、慌てて自分の方へ顔を向けたハクレイに若い貴族は彼女を指さしながら言う。 思わぬところで心配を掛けられたハクレイは慌てながら「だ、大丈夫よ大丈夫!」と首を横に振りながら平気だという事をアピールする。 「別にここから飛び降りるってワケじゃないから、本当よ?」 「…?じゃあ何でそんな所に立ってるんだ、他にする事でもあるっていうのかね?」 その言動からとても自殺するとは思えぬ彼女に、若い貴族は肩を竦めつつも質問をしてみる。 彼女としてはその質問に答えるヒマはあまり無かったものの、答えなければ止められてしまうかもしれない。 そんな不安が脳裏を過った為、ハクレイは両足に霊力を貯めながらも貴族の質問に答える事にした。 「まぁ何といえば良いか。『飛び降りる』ってワケではないのよ。ただ…―――」 「ただ?」 「―――――『跳ぶ』だけよ」 首を傾げる貴族に一言述べた後に、彼女は右足で勢いよく屋上の縁を蹴り飛ばした。 彼女が足に穿いている立派なロングブーツが勢いよく縁を蹴りあげ、纏わせていた霊力が爆発的なキック力を生む。 その二つの動作を同時にこなす事によって、彼女の体は驚異的なジャンプ力によって屋上から飛び上がったのである。 彼女の傍にいた若い下級貴族は突然の衝撃と共に飛び上がったかのように見えるハクレイを見て、思わず腰を抜かしてしまいそうになった。 他の貴族たちもこれには腰を上げると仲間に続くようにして驚き、屋上からジャンプしていった彼女の後姿を呆然と見つめている。 「な、な、な…なななんだアレ?なぁ、おい…」 「お…俺が知るかよ!あんなの系統魔法でも見たことが無いぞ…!」 後ろの方で様子を見ていた二人の貴族がそんなやり取りをしている中、その場にいた何人かがハクレイの後姿を追いかける。 ここから約二メイル程ジャンプしていった彼女は、微かな弧を描いて向こう側の居酒屋の方へと落ちていく。 誰かがハクレイを指さしながら「あのままじゃあ看板にぶつかるぞ!」と叫び、それにつられてハッとした表情を浮かべてしまう。 しかし幸運にも、彼の予想はものの見事に外れる事となった。 屋上からジャンプしたハクレイは青白く光るブーツを、人で満ち溢れた通りに向けて飛び越えていく。 地上にいる人々は気づいていないのか、何も知らずに通りを行き交う人々の姿というものは中々にシュールな光景だ。 そして、思っていた以上に即行だった行動が上手くいった事に内心驚きつつも、着地の準備を整えようとしていた。 次に目指すはあの共同住宅と向かい合っていた居酒屋―――の入口の上に掲げられた看板。 入り口からでも見上げられるように少し地上に向けて傾けられているソレ目がけて、彼女は落ちていく。 角度、霊力、スピード…共に良好。…だが何より一番大切なのは、勢いよく顔から激突しないよう気を付けることだ。 しかし、それは今の彼女にとっては単なる杞憂にしかならなかった。 「よ…ッ!…っと!わわ…ッ」 丁度看板と建物の間に出来たスペースへ綺麗に降り立った彼女は、着地と同時に驚いた声を上げる。 原因は今彼女が着地したばしょ、傾けて設置されている看板がほんの少し揺れたからであった。 流石に人一人分の体重までは支えきれないのか、看板と建物を繋ぐロープがギシギシとイヤな音を立てる。 ついでその音が入り口付近で開店を待つ客たちにも聞こえたのか、下の方からざわめきも聞こえてきた。 「流石に長居はできないか…っと!」 このままだと看板を落としかねないと判断したハクレイは独り言を呟き、急ぎこの上から離れる事を決める。 しかし、その前に確認する事があった彼女は何かを探るように周囲を見回すと、追いかけている少女の姿をすぐに見つけた。 それは前方、それまでの通りと比べてかなり人通りが少ないそこを必死で走る彼女の後姿。 どうやら杖はしまっているらしく、何か小さなモノを大事にそうに抱きかかえて走っているのが見える。 ――――…追いついた!彼女の魔法攻撃で大分距離を離されていた彼女は、ようやくここまで近づけることが出来た。 まだ少女の方は気が付いておらず、もう大丈夫だろうと思ってやや走る速度も心なしか落ちているように見える。 距離は大体にして約十一、二メイルといったところだろうか、ここから先ほどのように跳んだ後にダッシュすれば良い。 幸い人の通りはまばらであり、着地地点が良ければ誰も怪我させずに跳ぶことだって可能だ。 そうなれば善は急げ、再び足に霊力を溜めようとしたハクレイであったが…―――そこへ思わぬ妨害が入った。 妨害は地上で何事かと訝しんでいた客でも、ましてや先ほどまで彼女がいた共同住宅の屋上からではない。 今の彼女が立っている場所、ちょうど建物の二階にある窓を開けた中年男からの怒声であった。 「あぁオイコラァッ!てめぇ、ウチん店の看板を踏んでなにしてやがる!」 「…え!?…わ、わわッ!」 突然背後から浴びせられた怒鳴り声にハクレイは身を竦ませると同時にその場で倒れそうになってしまう。 元から人が立つには不自由な場所だった故なのだが、それでも辛うじて転倒することだけは阻止できた。 倒れそうになった直前で、辛うじて掴めたロープを頼りに立ち上がると慌てて後ろを振り返る。 そこには案の定、店の人間であろう男が開けた窓から上半身を乗り出しながら自分を睨み付けていた。 「テメェ!そこはウチの看板だぞ!さっさとそこから降りやがれ、潰れちまうだろうが!?」 「い、いや…ごめんなさい。でも、すぐにどくつもりで…あ!」 上半身と一緒に出している左腕をブンブンと空中で振り回しながら怒鳴る男の形相には鬼気迫るモノがあった。 怒りっぷりからして恐らくは店長なのだろう、そう察してすぐに謝ろうとしたハクレイはハッとした表情を浮かべる。 そしてまたもや慌てながらもう一度振り返ると、通りを歩いていた人々が後ろからの怒声に何だ何だと視線を向けていた。 酒場へ行くであろう平民の労働者や若い下級貴族に、いかにも水商売をやっていますといいたげな恰好をした女たち。 そして案の定『あの娘』も振り返ってこちらを見つめていた、金貨入りのサイドパックを大事に抱えたあの少女が。 自分の魔法で蹴散らしたと思っていた女の人がすぐ近くにまで来ている事に気づき、目を見開いて凝視している。 気のせいだろうか、ハクレイの目にはその瞳にある種の感情が宿っているように見えた。 距離がありすぎてそれが何なのかは分からなかったが、少なくとも好意的な感情ではないだろう。 そう思ってしまう程、少女の見開いた瞳が自分に向けて刺々しい視線を向けていた。 少女とハクレイ。暫しの間互いの瞳を数秒ほど見つめ合った後、先に体が動いたのは少女の方であった。 「―――…ッ!」 口を開けて何かを叫んだ少女は急いで踵を返し、全力で走り出したのである。 近くにいた通行人の何人かが突然走り出した少女へと思わず視線を向けてしまうが、止めようとはしなかった。 「あ……――ま、待って…待ちなさいッ!」 少女が走り出した事で同じく我に返ったハクレイは、左足で勢いよく看板を蹴り付ける。 貯めてはいたものの、練りきれなかった霊力が彼女の足にジャンプ力と破壊力を与えてしまう。 結果、薄い材木で造られた看板は彼女の刺々しい霊力に耐えきれる筈もなく…窓から身を乗り出していた店主の目の前で、惨事は起こった。 「お、オレが五年間溜めたお金でデザインしてもらった店の看板がぁああぁぁああああぁぁ!!」 程々に厚い木の板が割れるド派手で乾いた音が周囲に響き渡ると同時に、男の悲痛な叫び声が混じった。 呆気なく砕け散った五年分の売り上げが注がれた看板゙だっだ木片は、バラバラと地上へと落ちていく。 何が起こったのかイマイチ分からない入口の客たちももこれには流石に慌てて店の周りから一斉に逃げ出してしまう。 周りにいた通行人たちは派手に割れた看板へと注目してしまうが、それを踏み台にしたハクレイにはより多くの視線が注がれていた。 その場にいた大半の者たちは皆頭上を仰ぎ見ていた、地上よりほんの少し上まで上がってしまったのである。 「うわ…ヤバ!跳びすぎちゃったかしら?」 そう、あの看板を思わず踏み砕いてしまうほどの力で跳んだ彼女は、看板の上から五メイル程まで跳んでしまっていた。 逃げる少女を見て、咄嗟に霊力を調節せずに跳んでしまった事がこうなってしまった原因かもしれいな。 でなければやや垂直ながらもここまで高くは跳べなかっただろうし、蹴り付ける際に看板まで壊してしまう事はなかっただろうから。 咄嗟にやってしまった事とはいえ、人が大切にしていたモノを壊してしまった事に彼女は妙な罪悪感を抱いてしまう。 「流石にあれは弁償しないとダメよね?…とにかく、この状態から早くあの娘を捕まえないと」 しかし、だからといって今はそれに浸り続ける事は許されず、彼女は急いで通りの方へと視線を向ける。 幸い必死に走る少女の姿はすぐに確認する事が出来、先程よりも更に人通りが少なくなった通りを全力疾走していた。 後方では足を止めて自分を見上げている人が多かったが、少女がいる場所は何が起こったのかまだ知らないのだろう。 それと同時に、十メイル以上まで跳んだハクレイの体はそこから三メイル程上がった所で一旦止まり、そこから一気に地上へと落ち始める。 すぐさま視線を地上へと向ける。幸いにも自分の事を上空で見守ってくれていた人々は彼女が落ちてくると瞬時に察してくれたのだろう。 丁度自分が落ちるであろう場所にいた人々が急いでそこからどく事で空きスペースという名の着地地点ができる。 人々がそこから下がってすぐに、十メイル以上もジャンプしたハクレイは地上へと戻ってこれた。 ブーツに纏っていたやや過剰気味な霊力のおかげで怪我をすることも無く、硬いブーツと地面がぶつかりあう音が周囲に響き渡る。 それでも完全に相殺する事はできなかったのか、ブーツを通して彼女の足に痺れるような痛覚がブワ…ッと足の指から伝わってくる。 「……ッ痛ゥ!流石に十メイルは無理があったかしらぁ…?」 痛む右足へと一瞬だけ視線を向けた後、すぐさま少女を捕まえる為の準備を始めた。 先ほど看板を蹴った時の様な間違いは許されない、下手をすればあの少女を傷つけかねないからだ。 慎重かつできるだけ素早く霊力を練っていくハクレイは、先ほど上空からみた光景を思い出す。 少女との距離は十メイル以上は無く、周りにも巻き添えになってしまうような人はあまりいなかった。 それならばここから直接跳んで、上から抱きかかえるようにして捕まえる事も可能かもしれない。 捕まえた後は自分が怪我をしても良いので何とか受け身を取って、まずは財布を取り返す。 その後はまだ曖昧であったものの、ひとまずはこんな事を二度としないように説得しようと考えていた。 誰かに大人のエゴだとしても、例えメイジであったとしてもニナと同い年の子供が犯罪に手を染めてはいけないのだから。 (待ってなさい、今すぐそっちへ行くわよ) 心の中で呟き、改めて捕まえて見せると決意した彼女は霊力の調節を終えた右足で地面を勢いよく蹴る。 それと同時に彼女の体は宙へ浮いたかと思うと、そのまま一気に少女がいるであろう方向へ跳びかかった。 得体の知れぬ自分を助けてくれたカトレアの意思を尊重し、そして彼女が渡してくれたお金を取り戻すために。 しかし、この時彼女は『ミス』をしていた。至極単純で、確認すべき大事な事を忘れていたのである。 それさえやっていれば恐らくあんな事故は起こらなかったであろうし、少女を捕まえて無事お金も取り戻せていたに違いない。 この時は早く捕まえなければという焦燥を抱いてしまったが故に、慌てて跳びかかってしまったのである。 だが…正直に言えば、誰であろうとまさかこんな事故が起こる等と思っても見なかったであろう。 何せ、偶然にも少女は自分と同じように財布を盗って追われていた兄と遭遇し、 ついでその兄も、服装こそまともだが空を飛んで追ってくるという霊夢の姿を目にしたうえで、 その霊夢が杖の様な棒で兄の頭を叩こうとしたが故に、押し倒すようにして二人揃ってその場で倒れた瞬間…。 丁度跳びかかってきたハクレイと霊夢が仲良く空中衝突したのだから。 霊夢も霊夢で兄を追いかけるのに夢中になって反応が遅れてしまったことで、事故は起こってしまったのである。 結果的に、仲良くぶつかった二人はそれぞれ明後日の方角へと墜落してしまう羽目となった。 無論双方共にかなりのスピードでぶつかったのだ、当然の様に気を失って、互いに追っていた者達を見失ってしまう。 運勢は正に神の気まぐれとしか言いようの無い程の変則ぶりを見せてくれる。 幸運続きかと思えば突然不幸のどん底に落ちたり、不幸の連続から急な幸運に恵まれる事もあるのだ。 そして今回、この追いかけっこで勝利を制したのは小さな小さな兄妹。 彼らは無事(?)に、自分たちを追いかけてくる鬼を撒いて暫くは幸せに暮らせるだけのお金を手に入れたのだから。 ざぁ…ざぁ…!ざぁ…ざぁ…!という木々のざわめく音が頭の中で木霊する。 まるで大自然から起きろとがなり立てられている様な気がした霊夢は、嫌々ながらに目を覚ました。 渋々といった感じに瞼を上げて、妙な違和感が残る目を袖でゴシゴシとこすった後、ほんの少しの間ボーっと寝転がり続ける。 それから十秒、二十秒と経つうちに自分が今どこで寝転がっているのか気づき、ムクリと上半身を起こして一言… 「――――――…ん、んぅ…?何処よ、ここ?」 頭の中で想像していたものとはまったく違っていた辺りの風景に、彼女は目を丸くして呟く。 予期しきれなかった思わぬ衝突で気を失った彼女が目を覚ました場所は、何故か闇に覆われた針葉樹の中であった。 流石の霊夢も目を覚ませば王都で倒れていただろうと思っていただけに、思わぬ展開に面喰っている。 それでも博麗の巫女としての性だろうか、何とか冷静さを取り戻そうとひとまず周囲の様子を確認しようとしていた。 「えーと、確か私は何故か街にいた巫女モドキと空中でぶつかって…それで気絶、したのよね?」 気絶する直前の事を口に出して確認しながらも、彼女は周囲を見回してここがどこなのか知ろうとする。 やや高低差のきつい地形と、そこを埋めるようにしてそびえたつ細身の巨人の様な樹齢に何百年も経つであろう樹木たち。 辺りが暗すぎる為にここが何処かだか詳しく分からなかったが、これまでの経験から少なくとも山中であろう事は理解できる。 それに闇夜の中でも薄らと分かる地形からして、少なくとも人の手がそれ程入ってないであろう事は何となく分かった。 「まさか、ぶつかったショックで意識を無くしたまま飛んでって山奥まで…って事はないわよね?」 そうだとしたら自分が夢遊病だというレベルを疑う程の事を呟きながら、彼女はゆっくりと立ち上がる。 遥か頭上の闇夜で揺れる針葉たちの擦れる音は、不思議と耳にする者の心に妙なざわめきを生んでしまうものだ。 風で絶え間なく揺れ続け、喧しい音を立てる葉っぱは人をじわりじわりと追い詰めていく。 止むことを知らないざわめきはいつしか、それを聞く者に対しているはずの無い存在を想起させる一因と化す。 今こうして木々がざわめいているのは、天狗や狐狸の悪戯だと考えてしまい冷静な判断ができなくなってしまうのである。 実際には単なる風で揺れているのだとしても、焦燥と見えない恐怖でそうとしか考えられなくなってしまう。 (まぁ外の世界ならともかく、幻想郷だと本当に狐狸や天狗の悪戯だったりするけど…) 彼女自身何度も経験したことのある妖怪たちの悪戯を思い出しつつ、ひとまずここがどこなのか探り続ける。 妖怪退治を生業とする彼女にとって闇夜など毛ほどに怖くもない。むしろそこに妖怪が潜んでいるのなら退治にしにいくほどだ。 だからこそまともに視界が効かぬ中、ひっきりなしに木々のざわめきが聞こえていても動じる事などしていないのである。 とはいえ、このまま気の赴くまま動いてしまっては迷ってしまうのは必須であろう。 足元もしっかりと見回しつつ、霊夢は何か目印になるようなものがないか闇の中をじっと睨みつけていた。 まるで闇の中に潜んでいる不可視の怪物と対峙するかのようにじっと凝視しながら、あたりを見回していく。 しかし、彼女の赤みがかった黒い瞳に映るのは闇の中に佇む針葉樹や凸凹の山道だけである。 何処なのかも知れぬ山中で立ち往生となった霊夢は一瞬だけ困った様な表情を浮かべたものの、すぐにその顔が頭上を見上げる。 まるで空を突き刺さんばかりに伸びる針葉樹の隙間からは、森の中よりもやや薄い夜空が広がっている。 幸いにも彼女が空へ上がるには十分な隙間は幾つもあり、ここよりかは幾分マシなのには違いない。 「んぅ~…面倒くさいけど、誰かが待ち伏せしてるって気配は無いし…しゃーない、飛びますか!」 寝起きという事もあってか気だるげであった霊夢は仕方ないと言いたげなため息をつくと、その場で軽く地面を蹴りあげた。 するとどうだろう。彼女の体はそのまま宙へと浮きあがり、ふわふわ…という感じで上空目指して飛び上がっていく。 そして三十秒も経たぬうちに、空を飛ぶ霊夢は無事濃ゆい闇が支配する森の中から脱出する事が出来た。 地上と比べて風の強い空へ浮かんでいる彼女は、容赦なく肌を撫でていく冷たい風に思わずその身を震わせる。 「ふぅ~…やっばり夏とはいえ、こう風がキツイと肌寒い…ってあれ?」 針葉樹の枝を揺らす程の強い風におもわずブラウス越しの肩を撫でようとした霊夢は、ある違和感に気づく。 感触がおかしい。ルイズに買ってもらったブラウスの感触にしては妙に生々しかったのである。 思わず自分の両肩へと視線を向けた直後、霊夢は今の自分がルイズから貰った服を身に着けていない事に気が付く。 無論、一糸纏わぬ生まれたまま…ではない。今の彼女が身に着けている服、それはいつもの巫女服であった。 紅白の上下に服と別離した白い袖、後頭部の赤いリボンと髪飾り。そしていつもの履きなれた茶色のローファー。 いつもの着なれた巫女服を身に纏っていたという事実に今更になって気が付いた彼女は、目を丸くして驚いている。 何せついさっきまで大分前にルイズが買ってくれた洋服一式を着ていたというのだ、おかしいと思わない筈がない。 「…ホントにどういう事なの?だって私は気絶する直前まで……う~ん?」 流石の彼女も理解が追いつかず、思わず頭を抱えそうになったとき―――ふと、ある考えが頭の中を過った。 こうして落着ける場所まで来て、良く良く考えてみればこの意味不明の状況を全てそれに押し付ける事ができる。 「――――まさか…ここは夢の中ってオチじゃないわよね?」 首を傾げた霊夢は一人呟いた後で、ここでは自分の疑問に付き合ってくれる者がいない事にも気が付いた。 あの巫女もどきとぶつかった後、呆気なく気を失ってしまったのは理解していたので、きっと現実の自分は今も意識を失っているのだろう。 それならば今自分が体験している出来事は、全て自分の夢の中という事で納得がいく。 闇夜の森の中で目を覚ましたのも、いつの間にか巫女服になっていたのも全て夢だというのなら説明する必要もない。 「な~んだ、それなら慌てる必要も無かったじゃないの。馬鹿馬鹿しい」 ひとまず今の自分が夢を見ているという事で納得した霊夢は、安堵の色が混じる溜め息をつきながら空中で仰向けになった。 空を飛ぶことに長けた霊夢らしい特技の一つであり、何かしらする事がなければ幻想郷でもこうして寝転がる事が多い。 今が日中で快晴ならば風で流れゆく雲を間近で見れるのだが、当然ながら今は夜である。 しかも月すら雲で隠れているせいで、眺めて見れれるものは闇夜だけと言う情緒もへったくれもない天気。 だが今の霊夢は綺麗な夜空は見たかったワケではなく、今の自分が夢を見ているだけという事に安心しているのだ。 「最初は何処ここ?とか思ってたけど、夢ならまぁ…特にそれを考える必要はないわねぇ」 上空よりも暗い闇に包まれた地上に背を向けながら、彼女は気楽そうに言った。 ここが夢の中ならば何もしなくても目を覚ますだろうし、変に動き回れば夢がおかしくなって悪夢に変わる事もある。 だからこうして空中で横になって、そのまま夢が覚めるまで目でもつぶって見ようかな?…と思った所で、 「……そういえば、私とルイズたちの財布を盗んでいったあのガキはどうしてるのかしら?」 ふと、自分が気を失って夢を見る原因の一つとなったあのメイジの少年の事を思い出した。 ルイズと魔理沙は魔法で吹き飛ばれさていたし、自分はあの巫女モドキとぶつかってしまっている。 となれば誰もあの少年を追う事などできず、アイツはまんまと三千エキュー以上の大金を盗まれてしまったことになる。 そんな事を想像してしまうとついつい悔しくなってしまい、その気持ちが表情となって顔に浮かんでしまう。 まぁここなら誰にも見られることは無いのだが、それでも悔しい事に代わりは無い。 あの時、もっと前方に警戒していれば何故かは知らないが自分に突っ込んできた巫女モドキもよけられた筈なのだから。 「うむむ…まぁ所詮は過ぎた事だし、どんな言い訳しても結局は負け犬の遠吠えね」 心の内に留めきれない程の悔しさを説得するかのような独り言をぼやきながら、それでも霊夢は未だあのお金を諦めきれないでいた。 あれだけの大金があるならばまともな宿にだって長期宿泊できたし、何より美味しい食べ物やお酒にもありつけた筈なのだから。 それをまんまと盗んでいったあの子供は、今頃自分たちの事を嘲笑いながら豪遊している事だろう。 街で買ってきた安物ワインとお惣菜で乾杯し、実在していた自分の妹へ今日の追いかけっこをさも自分の武勇伝として語っているに違いない。 無論、それは霊夢の勝手な妄想であったのだが、考えれば考える程彼女の苛立ちは余計に溜まっていった。 「……何か考えただけでもムカついてきたわね?私としても、このままやられっ放しってのも癪に障るし…」 そう言いながら空中で仰向けに寝ころばせていた上半身を起こした後、グッと左手で握り拳を作る。 お金の事を考えていると、ついついあの少年が自分に向かってほくそ笑んでいると思ったからであった さらに言えば、霊夢自身このまま世の中舐めきったあの子供に黒星を付けられている事も気に入らなかったのである。 「まず夢から覚めたら捜索ね。あのガキをとっ捕まえてからお金を取り返して、余の中そうそう甘くないって事を教えてやらなくちゃ」 器用にも夢の中で夢から覚めた後の事を考える彼女の脳内からは、アンリエッタから依頼された仕事の事は一時的に忘れ去られていた。 「ん?…何かしら、あのひ―――って、キャア!」 そんな風にして、やや私怨臭い決意を空中で誓って見せた彼女であったが…、 突如として視界の隅で眩い閃光のような光が瞬いたかと思った瞬間―――耳をつんざく程の爆発音で大いに驚いてしまった。 ビックリし過ぎたあまり、そのまま落ちてしまうかと思ったが何とかそれを回避した彼女は、音が聞こえた方へと視線を向ける。 「…ちょっと、いくら何でも夢だからって過激すぎやしないかしら?」 爆発音の聞こえてきた方向を見た彼女は一言、ジト目で眺めながら一人呟いた。 それは丁度彼女がいま立っている場所から前方五十メイル程であろうか、針葉樹から爆炎の柱が小さく立ち上っている。 爆炎に伴い周囲の光景が暴力的な灯りにより照らされ、火柱よりも高い針葉樹が不気味にライトアップされていた。 「一体何のかしら?あの派手な爆発音からして何かよろしくないものが爆発したような雰囲気だったけど…」 すぐさま空中での姿勢を元に戻した霊夢は、乱暴な焚火がある場所へと目を向けて分析しようとする。 火の手が立ち上っているという事は人が係わっている可能性は高いが、それにしては勢いが強すぎだ。 恐らく何かしらの事情があってあんな火柱とは呼べないレベルのものができたのだろうが、きっと余程の事があったに違いない。 「――むぅ…ここは夢の中だと思うんだけれど、何でかしら?体が言うとこを聞かない様な…」 博麗の巫女としての性なのだろう、何かしら異常事態を目にしてしまうとつい無性に気になってしまうのだ。 例えこれが夢の中だとしても、面倒くさいと思ってしまっても、それでも気にせず現場へ赴きたくなってしまう。 「…うぅ~!どうせ夢の中だから何もないだろうけど…まぁ念の為を考慮して…行ってみようかしら?」 地上であるならば、灯りひとつない山道を歩くだけでも相当な時間を要する。 それに対し、霊夢の様にスーッと空から飛んでいく事が出来れば時間も然程かかることは無い。 距離にもよるが、今回の場合ならばたったの二、三分程度ヒューッと飛んで行けばすぐにでも辿り着く程度だ。 「…!あれは?」 火が立ち上っている場所のすぐ近くまで飛んできた彼女は、眼下で何かが盛大に燃えているのを知った。 全体的なシルエットはやや四角形っぽいものの、その四隅には車輪が取り付けられている。 それが山中の少し開けた場所で盛大に横転しており、ついで勢いよく燃え盛っていたのである 一瞬馬車の類なのかと思ったものの、それを引いていたであろう馬は見当たらない。 逃げてしまったのか、それとも馬車みたいな何かを襲った存在の喰われてしまったのか… そこまでは彼女の知るところではなかったし、今の彼女には別に考えるべき事があった。 夢の中の出来事とはいえ、こんな光景を目にしてしまっては無視したり見なかったことにするのは彼女的に難しかった。 それにもしかすると、まさかとは思うが…これが夢ではなく現実に起こっている事なのだとすれば、 そこまで考えた所で、霊夢は面倒くさそうなため息を盛大についてみせた。 結局のところ、夢の中だとしても自分は博麗の巫女なのだという現実を改めて思い知った彼女なのである。 「夢の中とはいえ…流石に見過ごすのは良くないわよ…ねぇ?」 一人呟いた彼女はやれやれと肩を竦めながら、そのままゆっくりと燃え盛る馬車モドキの傍へと降り立つ。 着地まで後数メートルという所から馬車モドキを燃やす炎の熱気は凄まじくなり、彼女の肌に汗が薄らと滲み出てくる。 服で隠れている肌にもはっきりと伝わってくる熱気が、目の前で燃え盛ってる炎がどれだけ凄まじいモノなのかを証明している。 「うっ…これはひどいわ。中に人がいたとしても、これじゃあ流石に…」 顔に掛かる熱気を服と別離している左腕の袖で塞ぎながら、彼女は周囲に何か落ちていないか見回してみる。 もしもこの馬車モドキに人が乗っていたとするならば、何かしら証拠の一つはある筈だ。 そう思って辺りを見回してみたのだが、周囲の地面には何も散らばっておらず、粘土交じりの土だけしか見えない。 「まぁ特に期待はしてないけど…それにしたって、誰がこんな事をしでかしてくれたのかしら?」 彼女自身それ程真面目に探していなかった為、今度は馬車モドキを燃やしたであろう犯人を捜し始める。 どういう方法でここまで燃やしたかは知らないが、少なくとも生半可なやり方ではここまでの惨事にはならなかっただろう。 先ほどと同じように周囲と頭上へ視線を向けて探ってみるが、当然の様に怪しい者や人影は見つからない。 まぁこれも予測の範囲内であった霊夢は一息ついた後、目を閉じて周囲の気配を探るのに集中し始める。 相手が何であれ、まだ近くにいるというのなら何かしらの気配を感じられる筈である。 それは霊夢が本来持つ勘の良さから来るモノなのか、それとも先天的なハクレイの巫女としての才能の一つなのかまでは分からない。 だが、異変以外の妖怪退治の仕事があった際にはこの能力を使って、隠れていたり物や人に化けた妖怪を見破ってきた。 今回もまた、何処かで馬車モドキが燃えているのを眺めているであろう『何か』を探ろうとした彼女であったが、 意外にも早く、というか呆気ない位に…馬車モドキをここまで酷い状態にしたであろう『モノ達』を見つけたのである。 「………ん?―――――!これって…もしかして妖怪?」 彼女は今立っている方向、十一時の方向に良くない気配―――少なくとも人ではないモノを感じ取った。 気配の先にあるのはモノへと続く鬱蒼とした茂みであり、時折ガサゴソと揺れている。 気配と共に滲み出ている霊力の質と量からして、相手が下級程度の妖怪だと判断する。 (夢の中とはいえ、まさか久しぶりに妖怪と戦うだなんて…働き過ぎなのかしら?) そんな事を考えながら彼女は目を開けると、気配を感じ取った方向へと視線を向けつつスッと懐へ手を伸ばす。 懐へ忍ばした右手が暫く服の中を物色した後、目当てのモノを掴んでそれを取り出した。 彼女が取り出したモノ―――それは霊夢直筆のありがたい祝詞がびっしりと書かれたお札数枚であった。 右手が掴んできたお札をチラリと一瞥した霊夢はホッと一息ついた後、左手に持ち替えて軽く身構えて見せる。 「てっきり夢の中だから無かったと思ってわ、…まぁ無くても何とかなりそうだけどね」 経験上今感じ取れてる霊力の持ち主程度ならば、そこら辺の木の棒ではたいたり直に触れるだけでいい相手だ。 御幣程とまではいかないがただの棒きれでも霊力は伝わるし、直接タッチできれば直に霊力を送り込んで痛めつけられる。 とはいえ、お札があると無いとでは安心感が違う。遠くから攻撃できるのであればそれに越したことは無い。 お札を左手に持ち、戦闘態勢を整えた霊夢は先手必勝と言わんばかりにお札を一枚、茂みへと放った。 彼女の霊力が入ったお札は、一枚の紙切れから霊力を纏った妖怪退治の道具へと変わり、一直線に突っ込んでいく。 このまま真っ直ぐ行けば、茂みの中に隠れているであろうモノは霊夢からの先制攻撃を喰らう事になる。 そうなれば、妖怪を殺す為だけに作られたと言えるお札の力で、呆気なく倒されてしまうだろう。 投げた霊夢自身もすぐに片が付くと思っていた。何だかんだ言っても、やはり戦いは手短に済ませた方が良い。 しかし…予想にも反して相手は寸でのところで茂みから飛び出し、彼女の一撃をギリギリで避けたのである。 彼女がこれまでの妖怪退治で聞いたことの無いような、鳴き声とは思えぬ奇声を発しながら。 「オチャカナ!オチャカナ!」 「…!」 まさか、あの距離で攻撃を避けられるとは思っていなかった霊夢は思わずその目を丸くしてしまう。 そしてすぐに、飛び出してきたモノの姿を燃え盛る火で目にし、奇声を耳にして相手が人語を解す存在だと理解する。 茂みから飛び出してきた妖怪は、全身が黒い毛皮に身を包んだ猿…とでも言えばよいのだろうか。 全体的な姿は幻想郷でも良く目にするニホンザルと似ているものの体格は一回り大きく、そして毛深い。 手足の指は五本。しかしそれが猿のものかと言われれば妙に違和感があり、どちらかと言えば人間のものに近い。 何よりも特徴なのは、ソイツの顔はどう見ても猿ではなく、人間…しかも、乳幼児程度だという事だろう。 まだ生まれて一年も経っていない、乳飲み子の様なふっくらとした優しげな顔。 しかし、人外としか言いようの無い毛深く大きな猿の体にはあまりにも不釣り合いな顔である。 そんなアンバランスな、しかし見る者を確実に恐怖させる姿は正に妖怪の鑑といっても良い。 最も、妖怪は妖怪でも紫やレミリアと比べれば遥か格下の低級妖怪…としてだが。 茂みから姿を現したソイツの姿を目にした後、霊夢はやれやれと言いたげな様子でため息をつく。 あの馬車モドキを炎上しているから、てっきり下級は下級でも一癖も二癖もある様なヤツかと思っていたが、 何でことは無い、大方長生きし過ぎた猿がうっかり妖怪化してしまった程度の存在だったのだ。 「何が出てくるかと思いきや、まさか妖獣の類だなんてハッタリも良いところね」 そんな軽口を叩きつつも、少し離れた場所でダラダラと両手を振ってこちらを凝視する妖獣相手に身構える。 相手が妖怪としては大したことはないにせよ、相手が妖怪ならば退治するに越したことは無い。 幸い人語は解するにしてもこちらと会話できる程の知能を持ち合わせているようには見えなかった。 「夢の中とはいえ、妖怪退治をする羽目になるとはね…」 そんな事を呟きながらも、いざ目の前の猿モドキへ向けて再度お札を投げようとした――――その時である。 妖獣が出てきた茂みの方、先ほどのお札が通り過ぎて行った場所から再び奇怪な鳴き声が聞こえてきた。 しかもそれは一つではなく、明らかに数匹が纏まって鳴いているかのような、耳に来る程の声量である。 一体なんだと霊夢が攻撃の手を止めた瞬間、あの茂みの中から似たような個体が二、三匹飛び出してきた。 顔立ちや毛並みに僅かな違いがあるが、全体的な特徴としては最初に出てきたのと酷似している。 突然数を増やした妖獣に攻撃の手を止めてしまった霊夢はその顔に嫌悪感を滲ませながら妖獣を見つめていた。 「うわ…何よイキナリ?人がこれから退治しようって時にワラワラ出てくるなん……て?……――――ッ!」 そんな愚痴をぼやきながらも、まぁ出てきたのなら探す手間が省けたと攻撃し直そうとした直前――――感じた。 先程妖獣たちが出てきた茂みの向こう――墨で塗りつぶされたかのような黒い闇に包まれた森。 彼女はそこから感じたのである。恐らくこの妖獣たちがここへ来たであろう原因となった、怖ろしい程に『凶暴』な霊力を。 恐らく妖獣たちに対してであろう殺意と共に流れ出てくるソレを察知している霊夢は、思わずそちらの方へと視線を向ける。 まだこの霊力の持ち主は姿を見せていないのだが、その気配を霊夢より一足遅く感じ取ったであろう妖獣たちは、皆そちらの方へ体を向けていた。 (…何なのこの霊力の濃度、紫程じゃないにしても…コレって私より…いや、それとはまた別ね) 一方で、攻撃の手を止め続けている霊夢は感じ取れている霊力とその持ち主が気になって仕方が無かった。 その霊力はまるで相手の肉を骨ごと噛み砕く狼の牙の様に鋭く、そして生かして返す気は無いと断言しているかのような殺意。 人外に対する絶対的な殺意をこれでもかと詰め込んだ霊力に、霊夢は知らず知らずの内に一層身構えてしまう。 そして…霊夢が無意識の内に身構え、妖獣たちが茂みの向こうへと叫び声を上げた瞬間―――『彼女』は現れた。 霊夢の動体視力でしか捉えられない様な速さで森から飛び出した『彼女』が、一番前にいた妖獣へ殴り掛かる。 殺意が込もった凶暴な霊力で包まれた右の拳が、赤子そっくりな妖獣の顔を粘土細工の様に潰してしまう。 一瞬遅れて、炎で照らされた空間に血の華が咲き誇り、それを合図に『彼女』は周りにいる妖獣たちへ襲い掛かった。 妖獣たちも負けじと叫び、意味の分からぬ人語を喋って『彼女』へ飛びかかり―――そして殴られ、潰されていく。 分厚い毛皮に包まれた体に大穴が空き、拳と同じく霊力に包まれた左足の鋭い蹴りで手足が吹き飛ぶ。 正に有無を言わさぬ大虐殺、圧倒的強者による妖怪退治とは正にこの事だ。 そんな血祭りを、少し離れた所で眺めていた霊夢は思った。――――どちらが本当の妖怪なのだと。 『彼女』は確かに人間だ。霊力の質と量からして妖怪ではないのだすぐに分かる。 しかし、あぁまで残酷かつ野獣のような戦い方をしているのを見ると、どちらが化け物なのか一瞬戸惑ってしまうのだ。 「アイツ、本当に何者なのよ?」 一人呆然と眺め続ける霊夢は、妖獣を殺していく『彼女』へ向かった懐疑心を込めながら言った。 最初に会った時は手助けしてくれて、その次は何の恨みがあるのか人様にぶつかってきて…。 そして今自分の目の前…夢の中で猿の妖獣たちを、まるで獲物に食らいつく野獣の様に引き裂いていく―――あの巫女モドキへと。 暗く、熱く、そして血に塗れてしまった自分が夢から覚めたと気づいたのはどれぐらいの時間を要したか。 ついさっきまで夢の中にまでいたかと思って起きた時には、既に霊夢の体は慣れぬベッドの上で横になっていた。 目を開けて、これまた見慣れぬ天井をボーッと見つめ続けて数分程して、ようやくあの夢が覚めたのだと気が付く。 首元まですっぽりと覆いかぶさる安物勘が否めないカバーをどけて、霊夢はゆっくりと上半身を起こして自分の体を確認する。 今身に着けているのは気絶する直前まで来ていた洋服ではなく、その下に巻いていたサラシとドロワーズだけのようだ。 そして、今自分が妙に安っぽくてそれでいてあまり埃っぽくない部屋の中にいるという事を理解して、一言述べた。 「…どこよここ?」 夢の舞台も妖怪が出てくる変な森の中であったが、起きたら起きたで見た事の無い部屋で寝かされている。 まぁあのまま街中で気絶したままというのも嫌ではあるが、だからといってこうも見た事の無い場所でいるというのも不安なのだ。 そんな事を思いながら、部屋を見回していた霊夢はふとその薄暗さに気が付いて窓の方へと視線を移す。 しっかりと磨かれた窓ガラスから見えるのは、すっかり見慣れてしまったトリステインの首都トリスタニアの街並み。 今自分がいる部屋の向こう側で窓を開けて欠伸をしている男が見えるので、恐らく二階か三階にいるのだろう。 そこから少し視線を上へ向けると、並び立つ建物の屋根越しに空へ昇ろうとしている太陽が見えた。 幻想郷でも見られるそれと大差ない太陽の向きからして、恐らく今は夜が明け始めてある程度経っているのだろう。 (そっかぁ~、つまりは…あれから一夜が経っちゃったて事よね?) まんまと自分やルイズたちのお金を盗んでいったあの子供の事を思い浮かべていた、ふと窓から聞き慣れぬ音が聞こえてくるのに気が付く。 窓ガラス越しに聞こえる街の生活音はまだまだ静かで、しかし陽が昇るにつれどんどん賑やかになろうとしている雰囲気は感じられる。 通りを掃除する清掃業者と牛乳配達員の若者同士の他愛ない会話に、軒先に水を撒いている音。 普段人里離れた神社に住む霊夢にとっては、夜明けの街の生活音というのはあまり聞き慣れぬ音であった。 「まぁ、嫌いってワケじゃあないんだけど……ん?」 そんな事を呟きながら何となく窓のある方とは反対方向へ顔を向けた時、 出入り口のドアがある方向に置かれた丸いテーブル。その上に、自分がいつも着ている巫女服が置かれているのに気が付いた。 ご丁寧に御幣まで傍らに置かれているところを見るに、きっと自分をここまで連れてきてくれたのは親切な人間なのだろう。 しかし疑問が一つだけある、どうして自分の巫女服一式がこんな見知らぬ部屋の中に置かれているのか。 そして気絶する直前まで着ていた洋服が消えている事に霊夢つい警戒してしまうものの、身を震わせて小さなくしゃみをしてしまう。 恐らく昨晩は下着姿で過ごしたのだろう、いくら夏とはいえいつも寝巻姿で寝る彼女の体は慣れることができなかったらしい。 (まぁ、別段おかしなところは感じられないし…着ちゃっても大丈夫よね?) 霊夢はそんな事を思いながらゆっくりと体を動かし、ベッドから降りて巫女服を手に取った。 「うん…良し!あの洋服も悪くは無かったけど、やっぱりこっちの方が安心するわね」 手早く巫女服に着替え、頭のリボンを結び終えた彼女はトントンとローファーのつま先で床を叩いてみる。 トントンと軽い音といつもの履き心地にホッとしつつ、最後に御幣を手にした彼女はひとまずどうしようかと思案した。 御幣はあったもののデルフがこの部屋に無いという事は、恐らく魔理沙はすぐ近くにいないという可能性がある。 それにルイズの安否もだ。彼女がいなければ幻想郷で起きた異変を解決するのが困難になる。 最後に目にした時は、無事に藁束に落ちた所であったが、少なくともあれからどうなったのかはまでは分からない。 もしかしたらこの家?のどこか、別室で寝かされているかもしれない。そんな事を考えながら霊夢は窓から外の景色を眺めていた。 通りを行き交う人の数は昨夜と比べれば酷く少なく、本当に同じ街なのか疑ってしまう程である。 「とりあえずここの家主…?にお礼でも言った後、ルイズたちを探しに行った方がいいわよね」 ひとしきり身支度を整え、何となく外の景色を眺めていた彼女がぽつりとつぶやいた直後であった。 まだドアノブにも触れていないドアから軽いノックの音が聞こえた後、「失礼します」と丁寧な少女の声が聞こえてくる。 何処かお偉いさんのいる場所で御奉公でもしていたのだろう、何処か言い慣れた雰囲気が感じられた。 (ん、この声って…まさか) 何処がで聞き覚えのある声だと思った時にはドアノブが回り、ガチャリと音を立てて扉が開かれる。 ドアを開けて入ってきたのは、霊夢と同じ黒髪のボブカットが特徴の、彼女とほぼ同い年であろう少女であった。 そして奇遇にも、霊夢と少女は知っていた。互いの名前を。 「もしかして、シエスタ?」 「あっ!レイムさん、もう起きてたんですか!」 ドアを開けて入ってきた彼女の顔を見た霊夢がシエスタの名を呟き、ついでシエスタも彼女の名を呼ぶ。 いつもの見慣れたメイド服ではなく、そこら辺の町娘が着ているような大人しめの服を着ている。 ドアを開けて入ってきたシエスタは静かにそれを閉めると、既に着替え終えていた霊夢へと話しかけた。 「レイムさん、怪我の方は大丈夫なんですか?ミス・ヴァリエールが言うには頭を打ったとか何かで…」 「え?…あぁ、それはもう大丈夫だけど、ここは…」 シエスタが話してくれた内容でひとまずルイズかいるのを確認しつつ、ここがどこなのかを聞いてみる。゛ 「ここですか?ここは『魅惑の妖精亭』の二階にある寝泊まり用のスペースですよ」 「魅惑の、妖精………あぁ、あのオカマの…」 彼女が口にした店の名前で、霊夢は寝起き早々にシエスタの叔父にあたるこの店の店主、スカロンの事を思い出してしまった。 以前、魔理沙が街中でシエスタを助けた時にこの店を訪れた時に出会って以来、記憶の片隅にあの男の姿が染み付いてしまっている。 その気持ちが顔に出てしまっていたのか、再び窓の方へ視線を向けた霊夢に苦笑いしつつ、 「はは…まぁでも、あんな見た…―変わってても性格は本当に良い人なんですけどね…」 少し言い直しながらも、シエスタは見た目も性格も一風変わった叔父の良い所の一つを上げていた時であった。 「シエスタ―いる~?入るよぉ~」 先程とは違いやや早めのノックの後、声からして快活だと分かる少女がドアを開けて入ってくる。 シエスタと同じ黒髪を腰まで伸ばして、彼女と比べればやや肌の露出が多めの服を着ている。 遠慮も無く入ってきた彼女は既に起きてシエスタと会話していた霊夢を見て、「おぉ~!」とどこか感心しているかのような声を上げて喋り出す。 「あんなにぐったりしてたから、まだ寝てるかと思いきや…いやはや丈夫だねぇ~!」 「ジェシカ、アンタか…」 頭に巻いた白いナプキンを揺らして入ってきた少女の名前も、当然霊夢は覚えていた。 スカロンの娘でシエスタの従姉妹に当たる少女で、確かここ『魅惑の妖精亭』でウェイトレスとして働いている。 彼女のやや大仰な言い方に、霊夢は怪訝な表情を浮かべつつもその時の事を聞いてみる事にした。 「何よ、気絶してた時の私ってそんなにひどかったの?」 「そりゃぁ~もう!ルイズちゃんと今ウチで働いてる旅人さんが連れてきた時は、死んでるかと思ったよ」 「ジェシカ、いくら何でも死んでるなんて例え方しちゃダメよ…それにルイズちゃんって…」 両手を横に広げてクスクス笑いながら昨日の事を話すジェシカを、シエスタが窘める。 ジェシカそれに対してにへらにへらと笑い続けながらも、「いやぁ~ゴメンゴメン」と頭を下げた。 そのやり取りを見ていた霊夢は、本当に二人の血がつながってるとは思えないわね~…と感じつつ、 ふと彼女の言っていだ旅人さん゙とやらと一緒に自分を連れてきてくれたルイズの事が気になってきた。 ルイズがここにいるのならば、成程この『魅惑の妖精亭』に巫女服が置かれていたのも納得できる。 実は彼女が持っていた肩掛け鞄の中に、もしもの時のためにと巫女服を入れてもらっていたのだ。 巫女服の謎を解明できた霊夢は一人納得しつつも、ジェシカに話しかける。 「そういえば…ルイズと後一人が私を運んできてくれたそうだけど…ルイズはここに?」 「うん、そーだよ。今はウチの店の一階で一足先に朝ごはん食べてると思うから…で、アンタも食べる?」 霊夢の質問にジェシカはあっさり答えると、親指で廊下の方をさしてみせる。 その指さしに「もう大丈夫か?」という意味も含まれているのだろうと思いつつ、霊夢はコクリと頷く。 不思議な事に、あの巫女もどきと結構な速度で衝突したというのに頭はそれほど痛まない。 まぁ痛まないのならそれに越したことは無いのだが、残念な事に今の彼女には考えるべき事が大量にあった。 自分たちの金を盗んでいった子供の行方やら、魔理沙とデルフの事…そして、さっきまで見ていたあの悪夢の事も。 解決すればする程自分の許へ舞い込んでくる悩みに霊夢は辟易しつつも、まずはすぐ目の前にある問題を片付ける事にした。 そう、ここにいるであろうルイズから昨夜の事を聞きながら、朝食で空腹を満たすという問題を。 「そうね、それじゃあ遠慮なく頂こうかしら」 「それキタ。んじゃあ案内するよ、シエスタは部屋の片づけよろしくね」 「お願いね、それじゃあレイムさんは、ジェシカと一緒に一階へ行っててくださいね」 ジェシカが満面の笑みを浮かべながらそう言うと、シエスタに片づけを任せて霊夢と共に部屋を後にした。 最も、この部屋の中で直すべき場所と言えばベットぐらいなものだろうから然程時間は掛からないだろう。 『魅惑の妖精亭』の二階の廊下はあまり広いとは言えないが、その分しっかりと掃除が行き届いているように見える。 ジェシカ曰く二階の半分は店で働く女の子や従業員の部屋で、街で部屋や家を借りれなかった人たちに貸しているのだという。 もう半分は酔いつぶれた客を寝させる為の部屋らしいが、今年からは宿泊業も始めてみようかとスカロンと相談しているらしい。 「それに関してはパパも結構乗り気だよ?何せウチのライバルである゙カッフェ゙に差をつけれるかもしれないしね」 「う~ん、どうかしらねぇ?部屋はそれなりに良かったけど、肝心の店長があんなだと…」 「ぶー!酷い事言うなぁ。あれでも私の父親なんだよ、性格はあんなで…いつの間にか男好きにもなっちゃったけど」 霊夢の一口批判にジェシカが口を尖らせて反論した後、二人そろって軽く苦笑いしてしまう。 シエスタを置いて部屋を出た霊夢は、二階の狭い廊下を歩きながら先頭を行くジェシカに質問してみた。 「そういえば、何でシエスタがここで働いてるの?まぁ間柄上、別におかしい事は無いと思うけどさぁ」 「…あぁーそれね?まぁ…何て言うか、シエスタの故郷の方でちょっと色々あってね」 先程とは打って変わって、ほんの少し言葉を濁しつつもジェシカが説明しようとした時、 すぐ目の前にある一階へと続く階段から、聞きなれた男女の声が二人の耳に入ってきた。 「さぁ~到着したわよぉ~!ようこそ私達のお店、『魅惑の妖精亭』へ!」 最初に聞こえてきたのは、男らしい野太い声を無理やり高くしてオネェ口調で喋っている男の声。 その声に酷く聞き覚えのあった霊夢は、すぐさま脳内で激しく体をくねらせる筋肉ムキムキの大男の姿が浮かび上がってくる。 朝っぱらからイヤなものを想像してしまった霊夢の顔色が悪くなりそうな所で、今度は少女の声が聞こえてきた。 「おぉー!…相変わらずお客さんがいなくて閑古鳥が鳴きまくってるような店だぜ」 『突っ込み待ちか?ここは夕方からの店だろうから今は閑古鳥もクソもないと思うぞ』 あまりにも聞き慣れ過ぎてもう誰だか分かってしまった少女の言葉に続いて、これまた聞きなれた濁声が耳に入る。 その三つの声を聞いた霊夢は、先頭にいたジェシカの横を通って一足先に階段を降りはじめた。 見た目よりもずっとしっかりとしたソレを少し軋ませながらも、軽やかな足取りで一階にある酒場を目指す。 思っていたよりも微妙に長かった階段を降りた先には、想像していた通りの二人と一本がいた。 「魔理沙!…あとついでにデルフとスカロンも」 「ん?おぉ、誰かと思えば私を見捨てて言った霊夢さんじゃあないか!」 「……それぐらいの軽口叩ける余裕があるなら、最初から気にする必要は無かったわね」 階段を降りてすぐ近くにある店の出入り口に立っていた魔理沙は、階段を降りてきた彼女を見て開口一番そんな事を言ってくる。 まぁ実際吹き飛んだ彼女を見捨てたのは事実であったが、別に霊夢はそれに対して罪悪感は感じていなかった。 「おいおい…酷い事言うなぁ、そうは言っても私かあの後ぞうなったか気にはなっただろ?」 「別に?ルイズはともかく、アンタならあの風程度でくたばる様なタマじゃないしね」 今にも体を擦りつけてきそうな態度の魔理沙にきっぱり言い切ってやると、次に彼女が手に持っていたデルフを一瞥する。 インテリジェンスソードは鞘だけを見ても傷が付いているようには見えず、これも心配する必要は無かったらしい。 そんな事を思っていると、考えている事がバレたのか鞘から刀身を出したデルフが霊夢に喋りかけてくる。 『おぅレイム、大方「なんだ、全然無事じゃん」とか思ってそうな目を向けるのはやめろや』 「ん、そこまで言えるのなら元から心配する必要は無かったようね。気苦労かけなくて済んだわ」 『…なんてこった、それ以前の問題かよ』 魔理沙ともども、最初から信頼…もとい心配されていなかった事にデルフがショックを受けていると、 霊夢に続いて階段を降りてきたジェシカが「へぇー!珍しいねェ」と嬉しそうな声を上げて、デルフに近づいてきた。 「インテリジェンスソードなんて名前は聞いたことあったけど、実物を見るのは始めてだよ」 『お?初めて見る顔だな。オレっちはデルフリンガーっていうんだ、よろしくな』 「あたしはジェシカ、アンタとマリサをここへ連れてきてくれたスカロン店長の娘よ」 『はぁ?スカロンの娘だって?コイツはおでれーた!』 流石に数千年単位も生きてきて、ボケが来ているデルフでもあのオカマの実の子だとは分からなかったらしい。 信じられないという思いを表しているかのような驚きっぷりを見せると、そのジェシカの父親がいよいよ口を開いた。 「いやぁ~ん!酷い事言うわねェー!ジェシカは私のれっきとした娘よぉ~!」 朝方だというのにボディービルダー並の逞しい体を激しくくねらせながら、『魅惑の妖精亭』の店長スカロンが抗議の声を上げる。 そのくねりっぷりを見てか、刀身を出していたデルフはすぐさま鞘に収まり、スッと沈黙してしまう。 いくらインテリジェンスソードと言えども、スカロンの激しい動きを見ればそりゃ何も言えなくなってしまうに違いない。 デルフにちょっとした同情を抱きつつも、ひとまず霊夢はスカロンに挨拶でもしようかと思った。 「おはようスカロン、まだあまり状況が分からないけれど…昨日は色々と借りを作っちゃったらしいわね」 「あぁ~ら、レイムちゃん!ミ・マドモワゼル、昨日は心配しちゃったけど…その分だともう大丈夫そうねぇ~!」 尚も体をくねらせながらもすっかり元気を取り戻した霊夢を見やってて、スカロンはうっとりとした笑みを浮かべて見せる。 相変わらず一挙一動は気持ち悪いが、シエスタの言うとおり性格に関しては本当にマトモな人だ。 何故かくねくねするのをやめないスカロンに苦笑いを浮かべつつ、霊夢は「ど、どうも…」と返して彼に話しかける。 「そういえばスカロン、ルイズもここにいるってジェシカから聞いたんだけど一体どこに―――」 「ここにいるわよ。…っていうか、一階に降りてきた時点で気づきなさいよ」 彼女の言葉を遮るようにして、店の出入り口とは正反対の方向からややキツいルイズの言葉が聞こえてくる。 霊夢と魔理沙がそちらの方へと視線を向けると、厨房に近い席で一足先に朝食を食べているルイズがこちらを睨み付けていた。 「おぉルイズ、無事だったんだな」 「くっさい藁束の上に落ちて事なきを得たわ。その代償があまりにも大きすぎたけど」 霊夢よりも先に魔理沙が左手を上げてルイズに声を掛けると、彼女も同じように左手を顔の所まで上げて応える。 その表情は沈んでいるとしか言いようがない程であり、右手に持っている食いかけのサンドイッチも心なしかまずそうに見えてしまう。 彼女の表情から察して、結局アンリエッタから貰った分すら取り返せなかった事を意味していた。 結局一文無しとなってしまった事実に、霊夢はどうしようもない事実に溜め息をつきながらルイズの方へと近づいていく。 「その様子だと、アンタもあのガキどもを捕まえられなかったようね」 「…言わないでよ。私だって追いかけようとしたけど、結局藁束から抜け出すので一苦労だったわ」 自分の傍まで来ながら昨日の事を聞いてくる巫女さんに、ルイズはやや自棄的に言ってからサンドイッチの欠片を口の中に放り込む。 魔理沙もルイズの様子を見て何となく察したのか、参ったな~と言いたげな表情をして頬を掻いている。 「そういえば貴方たち、昨日お金をメイジの子供に盗まれたのよねぇ~そりゃ落ち込みもするわよぉ」 「あーそいやそうだったねぇー。まぁここら辺では盗み自体は珍しくないけど…まぁツイテないというべきか…」 そんな三人の事情を昨夜ルイズに聞いていたスカロンとジェシカも、彼女たちの傍へと来て同情してくれた。 ルイズとしては本当に同情してくれてるスカロンはともかく、「ツイテない」は余計なジェシカにムッとしたいものの、 それをする気力も出ない程に落ち込んでいたので、コップの水を飲みながら悔しさのあまりう~う~唸るほかなかった。 「そう唸っても仕方がないわよ。それでお金が戻って来るならワケないし」 「じゃあ何?アンタは悔しくなんか…無いワケないわよね?」 「当り前じゃない。とりあえずあの脳天に拳骨でも喰らわたくてうずうずしてるわ」 霊夢も霊夢で決して諦めているワケではなく、むしろ今にも探しに行きたいほどである。 しかし、一泊させてくれたスカロンたちに礼を言わずにここを出ていくのは気が引けるし、何よりお腹が空いていた。 人探しには自信がある霊夢だが、自分の空腹が限界を感じるまでにあの子供を探せるという保証はないのである。 それにタダ…かもしれない朝食を食わせてくれるのだ、それを頂かないというというのは勿体ない。 「んじゃ、私は厨房でアンタ達の朝メシ用意してくるから」 「ワザワザお邪魔しといて朝ごはんまで用意してくれるとは、嬉しいけどその後が怖いな~」 一通りの挨拶を済ましてから厨房へと向かうジェシカに礼を述べる魔理沙。 そんな彼女がここに来るまで…というよりも昨夜は何をしていたのか気になった霊夢はその事を聞いてみる事にした。 「魔理沙、アンタ吹っ飛ばされた後はどこで何してたのよ?さっきスカロンに連れて来られてたけど…」 「それは気になるわね。私は藁束から出た後で道端で気絶してた霊夢を見つけてたけど、アンタの姿は見てないわ」 「あぁ、あの後不覚にも風で飛ばされて…まぁ情けない話だが気絶してしまってな…」 黙々と食べていたルイズもそれが気になり、魔理沙の話に耳を傾けつつサンドイッチを口の中ら運んでいく。 彼女が説明するには、ルイズが箒から落ちた後で少し離れた空き地に不時着してしまった殿だという。 その時に頭を何処かで打ったのか、靴裏が地面を激しく擦った直後に気を失い、デルフの声で気が付いた時には既に夜明けだったらしい。 慌てて箒とデルフを手に吹き飛ばされる前の場所へ戻ったが案の定霊夢たちの姿は付近に無く、当初はどうすればいいか困惑したのだとか。 何せ気を失って数時間も経っているのだ、あの後何が起こったのか知らない魔理沙からしてみればどこを探せば良いのか分からない。 『いやぁー、あれは流石のオレっちでもちょっとは慌てたね』 「だよな?…それでデルフととりあえず何処へ行こうかって相談してた時に、用事で外に出てたスカロンとばったり出会って…」 「で、私達が『魅惑の妖精亭』で寝かされているのを知ってついてきたってワケね」 デルフと魔理沙から話を聞いて、偶然ってのは身近なものだと思いつつルイズはミニトマトを口の中にパクリと入れた。 トマトの甘味部分を濃くしたような味を堪能しながら咀嚼するのを横目に、霊夢も「なるほどねぇ」と頷いている。 しかしその表情は決して穏やかではなく、むしろこれから自分はどう動こうかと ひとまずは魔理沙が王都を徘徊せずに済んだものの、今の彼女たちの状況が改善できたワケではない。 ルイズがアンリエッタから頼まれた任務をこなす為に必要なお金と、ついで二人のお小遣いは盗まれたままなのだ。 しかも賭博場で荒稼ぎして増やした金額分もそっくり盗られているときた。これは到底許せるものではない。 だが探し出して捕まえようにも、こうも探す場所が広すぎてはローラー作戦のような虱潰しは不可能だ。 そんな事を考えているのを表情で読み取られたのか、魔理沙が霊夢の顔を覗き込みながら話しかけてくる。 「…で、お前さんのその顔を見るに昨日の借りを是非とも返したいらしいな」 「ん、まぁね。とはいえ…ここの土地は広すぎでどこ調べたら良いかまだ分からないし、正直今の状態じゃあお手上げね」 「でも…お手上げだろうが何だろうが、盗ませたままにさせておくのは私としては許しがたいわ!」 肩を竦めながらも、如何ともし難いと言いたげな表情の霊夢にミニトマトの蔕を皿に置いたルイズが反応する。 盗まれた時の事を思い出したのだろうか、それまで落ち込んでいたにも関わらず腰を上げた彼女の表情は静かな怒りが垣間見えていた。 席から立つ際に大きな音を立ててしまったのか、厨房にいたジェシカやスカロンが何事かと三人の方を思わず見遣ってしまう。 自分の言葉で眠っていたルイズの怒りの目を覚まさせてしまった事に、彼女はため息をつきつつもルイズに話しかける。 「まぁアンタのご立腹っぷりも納得できるけど、とはいえ情報が少なすぎるわ」 「スカロンも言ってたな…最近子供が容疑者のスリが相次いで発生してるらしいが、まだ身元と居場所が分かってないって…」 思い出したように魔理沙も話に加わると、その二人とルイズは自然にこれからどうしようかという相談になっていく。 やれ衛士隊に通報しようだの、お金の出所が出所だけに通報は出来ない。じゃあ自分たちで探すにしても調べようがない等… 金を奪われた持たざる者達が再び持っている者達となる為の話し合いを、ジェシカは面白いモノを見る様な目で見つめている。 彼女自身は幼い頃からこの店で色々な人を見てきたせいで、人を見る目というモノがある程度備わっていた。 その人の仕草や酒の飲み方、店の女の子に対する扱いを見ただけでその人の性格というモノがある程度分かってしまうのである。 特に相手が元貴族という肩書をもっているなら、例え平民に扮していたとしてもすぐに見分ける事が出来る。 父親であるスカロンもまた同じであり、だからこそこの『魅惑の妖精亭』を末永く続けていられるのだ。 「いやぁー、あんなにちっこい貴族様や見かけない身なりしてても…同じ人間なんだなーって思い知らされるねぇ」 「そうよねぇ。ルイズちゃんは詳しい事情までは教えてくれなかったけど、お金ってのは大切な物だから気持ちは分かるわ」 「そーそー!お金は人の助けにもなり、そして時には最も恐ろしい怪物と化す……ってのをどこぞのお客さんが言ってたっけ」 そんな他愛もない会話をしつつもジェシカはテキパキと二人分のサンドイッチを作り、皿に盛っていく。 スカロンはスカロンで厨房の隅に置かれた箱などを動かして、今日の昼ごろには運ばれてくる食材の置き場所を確保している。 その時であった、厨房と店の裏手にある路地を繋ぐドアが音を立てて開かれたのは。 扉の近くに立っていたジェシカが誰かと思って訝しみつつ顔を上げると、パッとその表情が明るくなる。 店に入ってきたのは色々とワケあってここで働いている短い金髪が眩しい女性であった。 昨夜、ルイズと共に霊夢をこの店を運んできだ旅人さん゙とは、彼女の事である。 「おぉ、おかえり!店閉めてからの間、ドコで何してたのさ?みんな心配してたよー」 「ただいま。いやぁ何、ちょっとしたヤボ用でね?…それより、向こうの様子を見るに三人とも揃ってる様だな」 ジェシカの出迎えに右手を小さく上げながら応えると、厨房のカウンター越しに見える三人の少女へと視線を向ける。 相変わらず三人は盗まれたお金の事でやいのやいのと騒いでおり、聞こえてくる内容はどれも歳不相応だ。 もう少し近くで聞いてみようかな…そう思った時、いつの間にかすぐ横にいたスカロンが不意打ちの如く話しかけてきた。 「あらぁー、お帰りなさい!もぉー今までどこほっつき歩いてたのよ!流石のミ・マドモワゼルも心配しちゃうじゃないのぉ~!」 「うわ…っと!あ、あぁスカロン店長もただいま。…すいません、もう少し早めに帰れると思ってたんですが…」 体をくねらせながら迫るスカロンに流石の彼女のたじろぎつつ、両手を前に出して彼が迫りくるのを何とか防いでいる。 その光景がおかしいのかジェシカはクスクスと小さく笑った後で、ヒマさえできればしょっちゅう姿を消すに女性に話しかけた。 「まぁ私達もあんまり詮索はしないけどさぁ、あんなに小さい娘もいるんだからヒマな時ぐらいは一緒にいてあげなって」 「そうよねぇ。あの娘も貴女の事随分と慕ってるし尊敬もしてるから、偶には可愛がってあげないとだめよ?」 「…はは、そうですよね。昔から大丈夫とは言ってますが、偶には一緒にあげなきゃダメ…ですよね」 ジェシカだけではなく、くねるのをやめたスカロンもそれに加わると流石の女性も頷くほかなかった。 彼女の付き人であるという年下の少女は、女性が店を離れていても何も言わずにいつも帰ってくるのを待っている。 時には五日間も店を休んで何処かへ行っていた時もあったが、それでも尚少女は怒らずに待っていた。 少女も少女でこの店の手伝いをしてくれてるし、女性はこの店のシェフとして貴重な戦力の一人となってくれている。 休みを取る時もあらかじめ事前に教えてくれているし、この店の掟で余計な詮索はしない事になっていた。 それでも、どうしても気になってしまうのだ。この女性は何者で、あの少女と共に一体どこから来たのだろかと。 本人たちは東のロバ・アル・カリイエの生まれだと自称しているが、それが真実かどうかは分からない。 (…とはいえ、別に怪しい事をしてるってワケじゃないから詮索しようも無いけれど) 心の中でそんな事を呟きつつ、肩をすくめて見せたジェシカが出来上がった二人分のサンドイッチを運ぼうとしたとき、 「あぁ、待ってくれ。…そのサンドイッチ、あの二人に渡すんだろ?なら私が持っていくよ」 と、突然呼びとめてきた女性にジェシカは思わず足を止めてしまい顔だけを女性の方へと振り向かせる。 突然の事にキョトンとした表情がハッキリと浮かび上がっており、目も若干丸くなっていた。 「え?いいの?別にコレ持ってくだけだからすぐに終わるんだけど…」 「いや何、あの一風変わった二人と話がしてみたくなってね。別に良いだろ?」 「う~ん?まぁ…別にそれぐらいなら」 女性が打ち明けてくれた理由にジェシカは数秒ほど考え込む素振りを見せた後、コクリと頷いて見せた。 直後、女性の表情を灯りを点けたかのようにパッと明るい物になり、軽く両手を叩き長良彼女に礼を述べる。 「ありがとう。それじゃあ、あの三人が食べ終えたお皿も片付けておくからな?」 「ん!ありがとね。私とパパは今やってる仕事が終わったら先に寝るから、アンタも今夜に備えて寝なさいよね」 ジェシカからサンドイッチを乗せた皿を受け取った女性は、彼女の言葉にあぁ!と爽やかな返事をしつつ厨房を出て行こうとする。 霊夢達へ向かって歩いていく女性の後姿を見つめていたジェシカも、視線をサッと手元に戻して止まっていた仕事を再開させた。 彼女よりも前に仕事に戻っていたスカロンの視線からも見えなくなった直後、霊夢達へ向かって歩く女性はポツリ…と一言つぶやいた。 「全く…あれ程バカ騒ぎするなと紫様に釘を刺されていたというのに。…何やっているんだ博麗霊夢、それに霧雨魔理沙」 先程までジェシカたちと気さくな会話をしていた女性とは思えぬ程にその声は冷たく、静かな怒りに満ち溢れている。 そしてその表情も、先ほどまで彼女たちに向けていた笑顔とは全く違う、人間味があまり感じられないものへと変貌していた。 まるで獲物を見つけた獣が、林の中でジッと息をひそめているかのような、そんな雰囲気が。 「…?―――――…ッ!これは…」 最初にその気配に気が付いたのは、他でもない霊夢であった。 魔理沙やルイズ達とこれからの事をあーだこーだと話している最中、ふと懐かしい気配が背後からドッと押し寄せてきたのである。 「んぅ?…あ…これってまさか…か?」 『……ッ!?』 ある種の不意を突かれた彼女が口を噤んだことに気が付いた魔理沙も、霊夢の感じた気配に気づいて驚いた表情を見せた。 テーブルの下に置かれてそれまで楽しげに三人の会話を聞いていたデルフの態度も一変し、驚きのあまりかガチャリと鞘越しの刀身を揺らす。 唯一その気配を感じられなかったルイズであったが、この時三人の急な反応で何かが起こったのだと理解した。 「ちょ…ちょっと、どうしたのよアンタ達?一体何が起こったのよ」 朝食を食べ終えて水で一服していたところで不意を突かれた彼女からの言葉に、魔理沙が首を傾げなからも応える 「いや、゙起こっだというよりかは…゙感じだと言えばいいのかな」 『あぁ…感じたな。それも物凄く近いところからだ』 彼女の言葉にデルフも続いてそう言うと、丁度厨房に背を向けていた霊夢もコクリと頷いて口を開いた。 「近いなんてモンじゃないわよ……多分これ、私達のすぐ後ろにまで来てるわよ」 切羽詰まった様な表情を浮かべている霊夢の言葉にギョッとしたルイズが、咄嗟に後ろを振り向こうとしたとき……゙彼女゙は口を開いた。 「やぁ、見ない間に随分と彼女との仲が良くなったじゃあないか。…博麗霊夢」 冷たく鋭い刃物のようなその声色に覚えがあったルイズが、ハッとした表情を浮かべて後ろを振り返る。 そこに立っていたのは、黒いロングスカートに白いブラウスと言う昨日の霊夢と似たような出で立ちをした金髪の女性が立っていた。 厨房へと続く入口の傍に立ち、こちらを睨み付けている彼女は、昨日気絶して路上に倒れていた霊夢を一緒にここまで運んできてくれた人である。 気を失って倒れていた彼女をどうしようかと悩んでいた時に、突如助けてくれてこの店で一晩過ごせるようにとスカロン店長に頼み込んでくれたのだ。 そんな優しい人…というイメージを持ちかけていたルイズには、彼女が自分たちを睨んでくるという事に困惑せざるを得なかった。 ここは、どう対応すればいいのか?鋭い眼光に口を開けずにいたルイズを制するように最初に彼女へ話しかけたのは霊夢であった。 「何処にいるかと思ったら、案外身近なところで潜伏していたようね」 「まぁな。お前たちが散々ここで大騒ぎしなければ私だって静かに自分の仕事だけをこなせてたんだがな」 「…え?え?」 初対面の筈だと言うのに、女性と霊夢はまるで知り合いの様な会話をしている。 これには流石の霊夢も理解が追いつかず、素っ頓狂な声を上げて霊夢と女性の双方を交互に見比べてしまう。 そんなルイズを見て女性は彼女の内心を察したのか、二人分のサンドイッチを乗せた皿をテーブルの置いてから、サッと自己紹介をしてみせた。 「お初にお目にかかかります、私の名前は八雲藍。幻想郷の大妖怪八雲紫の式にして九尾の狐でございます」 右手を胸に当てて名乗った女性―――藍は、眩しい程の金髪からピョコリ!と獣耳を出して見せる。 ルイズの記憶が正しければ、それは間違いなく狐の耳であった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 「だからこそ、今の貴女を霊夢のもとへ行かせるわけにはいきませんのよ?貴女の安全の為にね」 程よい涼しさを持った風が吹くチクトンネ街の人気無い通りに、八雲紫の言葉が響き渡る。 綿が入った枕の様に柔らかな笑みを浮かべた彼女の言った事に、ルイズは信じられないと言いたげに目を丸くする。 かつて有無を言わさず、霊夢と共に自分を幻想郷へと連れ込んだ大妖怪の口から出た言葉とは思えなかったのだ。 「…どういう事よ。それ…?」 「さっきも同じような言葉を使いましたけど…文字通りの意味よ」 突然おかしくなった霊夢から今に至るまでのアクシデントに遭遇し、尚かつ落ち着いてきたルイズの言葉に対し紫は簡潔に返事をする。 その言い方から何か喋りたいことがあるらしいと悟ったルイズは何も言わず、とりあえずは彼女に向けていた杖を下ろす。 先程とは違い怒る気も失せてしまった今の彼女には、妖怪と言えど他者に杖を向ける気は一寸ほども無くなっていたのである。 ルイズ自身を含む貴族達にとって、名誉と命の次に大事なそれを腰に差した所を見て紫は「ふっ…」と息を吐く。 まるで安堵しているかのようなその動作に魔理沙とルイズが注目したところで、紫はその口を開いた。 「ようやく下ろしてくれたのね。これであの爆発にビクつく必要も無くなったわ」 彼女の口から出た言葉はしかし、ルイズと魔理沙の安心を招かせることは無かった。 「…嘘をつく気が無いと確信できるほどの、清々しい嘘ね」 「むしろ、お前が何かに恐怖する姿を思い浮かべてみるのが困難な事だぜ」 トドメと言いたげな魔理沙の言葉の後、ほんの二、三秒程度の沈黙を入れて紫は口を開く。 「――――貴女たちの過大評価に一応は喜んでおきますけど、…逸れてしまわない内に話を戻しましょう」 自分の言葉で話が脱線しかけたのに気が付いたのか、こちらを凝視する二人にそう言った。 二人の内ルイズがその言葉でハッとした表情を浮かべると、紫に向かってこんな質問を投げかける。 「それでどういう事なのかしら?私の安全の為が文字通りの意味って…」 その表情を怪訝なモノへと変えたルイズからの質問に紫は「何処から話せば良いかしら?」と言いつつ、最初に一言を口に出す。 「今回の異変で最も重要な人物は霊夢ではなく、実のところ貴女だと私は思ってるの」 「―――…何だって?」 色の濃い金髪を陽光に照らされた紫の言葉にまず驚いたのは、意外にもルイズではなく魔理沙であった。 唐突な介入者の言葉にルイズが咄嗟に振り返ると、少しだけ目を丸くした魔法使いの姿が目に入った。 声も表情も驚いた素振りを見せていることから、紫の口からあのような言葉が出るとは思っていなかったらしい。 ルイズがそう感じた所で言った方も同じような考えだったのか、魔理沙に話しかけてきた。 「あらあら、まるで死にかけの恋人を見捨てろと言ったかのような反応をしてるわねぇ?」 「えっ?こい…ムグッ」 紫の口から出た「恋人」というワードをルイズが真似て言おうとしたが、魔理沙が慌ててそれを止める。 咄嗟に動かした左手でルイズの口を塞いだ彼女は、焦るようにこう言った。 「イ、イヤッ…!そんなもんじゃないぜ?ただ、お前の口からそんな言葉が出たことにちょっと驚いただけさ」 それが言いたかっただけなのか、魔理沙はホッと一息ついてからルイズの口を自由にする。 時間にして数秒だが鼻呼吸しかできなかったルイズは軽く深呼吸した後、恨めしい目つきで魔理沙を一瞥した。 魂魄四、六回程度生まれ変わっても恨み続けるかのようなメイジの視線に対し、魔法使いは何も言わずにただ肩を竦める。 恨むならお前の前にいる妖怪を恨んでくれ。そう言いたげな笑みを浮かべながら。 一方、ここまでの原因を作ったであろう妖怪は何が可笑しいのか暢気にもコロコロと笑っていた。 口を塞がれたルイズと口を塞いだ魔理沙の二人には理解できないが、どうやら彼女にとっては面白いやり取りだったらしい。 五秒ほど笑った後、気を取り直した紫は魔理沙の口から出た言葉に少し遅い返事を送った。 「ふふふ…貴女がそれで良いのならそういう事にしておきましょうか」 先程までやけに慌てていた魔法使いに対しそう言ってから、今度はルイズに話しかけようとする。 未だ恨めしそうな目つきのままコチラに顔を向けているルイズに恐怖する筈もなく、紫は遠慮無しにその口を開く 「さて…貴女も魔理沙と同じようにおかしいとは思わないかしら…私の考えに」 質問を出す側から出される側に回った彼女は数秒ほど黙った後、「確かにそうね」と言って頷いた。 霊夢や魔理沙と同じく幻想郷出身であり今回の゛異変゛の被害者側である八雲紫が、何故自分の身を案じるのだろうか? 強いて言えば加害者側に位置する自分の身の安全を優先する理由を、今のルイズには思いつくことができない。 それでも何か返答らしきものを出さねばと思い、自慢の頭脳を少しだけ動かして自身の意見を述べた。 「仮に私が被害者側ならば…優先するべきは同じ側の命かしら?」 「うん、実に人らしい人として模範的な答えですわ。ただ…」 あまりにも典型的過ぎるけど。最後にそう付け加えた紫の言葉にルイズは思わず顔を顰めてしまう。 そんな彼女を更に煽ろうとはせず、紫は口を閉じることなく話を続けていく。 「私が貴女の身の安全を、霊夢よりも優先するその理由の一つ…それは幻想郷を知る唯一のハルケギニア人だからよ。 霊夢をこの世界に召喚して使い魔契約を行った事により、結果としてこことは違うもう一つの世界の存在を知ってしまった。 そして貴女が召喚の際に開いたゲートの力を利用して今回の異変の゛黒幕゛が、幻想郷を覆う博麗大結界に干渉… 既に霊夢が何処へ行ったのか把握していた私は彼女と一緒に貴女を連れて帰り、結界の一時修復と異変が起きている事を伝えた」 そこまで言った所で彼女はホッと一息つき、何故か顔を上げて空を仰ぎ見る。 彼女の動きについついツラれてしまったのか、ルイズもフッと顔を上げたが…見えた先にあるのは単なる青空であった。 僅かではあるが段々と赤くなっていく青空の中を無数の雲がゆっくりと歩く牛の様に前進していく。 魔理沙は二週間近く、そしてこの場にいない霊夢は二ヶ月近く見てきたトリスタニアの空模様は、ルイズにとって何千回も見てきた変哲のない物。 一体どうして、彼女は空を仰ぎ見たのだろうか?ルイズの頭の中をそんな疑問が光の速さで過っていった。 ルイズ自身がその疑問に気づくことはなく、上げていた顔を下ろした紫は何事も無かったかのように話を続けていく。 「少なくとも、゛黒幕゛は私たち側の事情を良く知る人物が貴女だと分かっている筈よ?―――――…まぁ、あくまで推測の域を出ないけどね」 唐突に聞こえてきた言葉でハッとなったルイズはすぐさま顔を下ろし、紫の言葉を脳内でリピートさせる。 不敵を笑みを浮かべている妖怪の話は彼女にとってまさかと思うレベルではあるが、それをあっさり否定することができない。 何故なら霊夢と共に彼女らの世界である幻想郷へと赴き、再びこの世界へ戻ってきてから色んな事が立て続けに起こったのだから。 突如学院に現れたという蟲の怪物の話を霊夢から聞き、それから間もなくして近くの山中で自分達に襲い掛かってきた亜人と思しき存在。 16年間生きてきた中で最も不思議な体験が現在進行中であるルイズにとっても、つい最近のアレは怖ろしい思い出だった。 そして…蟲の怪物の話の際彼女が言っていた、老貴族の幻影の事。 仮面を付けていたらしく顔はわからなかったそうだが、もしかするとソイツがあの怪物たちをけしかけたのではないか? 事実、蟲の怪物は貴族の声に従っていたようなそぶりを見せていたと霊夢も言っていた。 だとすれば、森で霊夢どころか自分や魔理沙にも襲い掛かってきた怪物を操っていたのも… 「何とまぁ、私が話してる最中に考え事とは…きっと余程の事ですわね」 その時であった。いつの間にか思考の渦に飲まれていたルイズに、紫が何気なく声を掛けたのは。 「えっ…?――あ…」 彼女の言葉に今の状況を思い出したのか、ルイズは目を丸くして我に返る。 一歩間違えれば場違いな考察を一人で行っていたかもしれない彼女はほんの少し頬を赤く染め、首を何回か横に振った。 今考えるべきではないという事でも無いが、後回しにしよう。 心の中でそう決めたルイズは改まった様子で再度紫の方へ視線を向けた時、彼女の顔色が変わっている事に気が付いた。 それは先程まで浮かべていたのと同じ不敵な笑みであったが、最初の時のそれとは雰囲気が少しだけ変わっていた。 両目を柔らかく瞑り、綺麗な口元を緩く歪ませたその顔からは僅かではあるが不気味な気配が漂い始めていたのである。 一見すれば優しい笑みを浮かべている八雲紫の中にある人ならざる気配を、ルイズは察知していた。 (な…何よ、一体どうしたっていうの?) さしものルイズもこれには恐怖よりも焦りを感じ、無意識に動いた足が彼女をゆっくりと後退させる。 いくら魔法を使えるメイジといえども恐れているのだ。八雲紫という人とよく似た容姿を持つバケモノの本質を。 例え花も恥じらう美貌を持っていても分かる者には分かるのである。妖怪が放つ、毒気の様な不気味な雰囲気というのは。 しかし彼女の後ろにいる魔理沙は気づいていないのか、何故か後ずさりしているルイズに首を傾げた。 何かあったのかと思い一人ニヤニヤしている紫の方を見つめるが、特に変わったことは無い。 強いて言えば、胡散臭いいつもの柔らかな笑みがもっと胡散臭くなっただけである。 だとすれば何でルイズは後退るのだろうか?疑問に思った彼女は暢気にも本人へ直接聞いてみることにした。 「おいおいルイズ、霊夢みたいに何か見えない物でも見えたのか?足が勝手に動いてるぜ」 「…うぅっ!?」 人の気も知らず気軽に話しかけてきた黒白に、ルイズはどう返事をしたら良いか分からず言葉を詰まらせる。 予想外の事に喉から変な声が出てしまった直後、彼女の代わりと言わんばかりに紫がその口を開く。 「どうやら私の笑顔を怖がっているらしいわね。タダ笑っていただけだというのに」 「―――っていうか、私が怖がるような笑みを浮かべる理由を教えてくれないかしら…?」 口元を手で隠しつつも喋ってくる紫に対し、怪訝な表情を浮かべるルイズはそう言った。 「う~ん、そうねぇ~………まぁこの際だから言っておきましょうか」 彼女の返事に紫は数秒ほどの時間を置いた後、唐突にその口を開いて喋り始める。 こうなったら何でも来い!心の中で叫んだルイズは紫の口から出る言葉を迎え撃たんとしていた。 だがそれは、彼女にとって絶望とも言える一つの確信を得させる事となったのである。 「貴女たちに襲い掛かってきたバケモノが黒幕の一端だと考えている事に、私は喜んでいるのよ」 彼女――八雲紫は全てを知っているのだと。 「―――――」 「……ぇっ!?」 その言葉を聞いた瞬間、ルイズの表情が怪訝なモノから唖然としたソレへと一変した。 鳶色の両目をゆっくりと見開き、それに合わせて口をあんぐり小さく開けたその顔からは驚きの色が垣間見える。 彼女の後ろにいる魔理沙はというと…その口から素っ頓狂な声を上げ、次いでルイズと同じような表情を浮かべた。 二人して声が出ぬ状況の中、その原因を作り出した紫はキョトンした表情を浮かべている。 「…どうしたのよ二人とも?まるで「何で知ってるのよ」って言いたそうな顔じゃない?」 「――…っ!?い、言ってくれてありがとう。今、本当にそう思ってるところだから」 紫が口を開いたことで硬直状態から抜け出せたルイズは、敵意丸出しの表情で言葉を返す。 確かに彼女の言葉通りである。少なくともルイズは何で知っているのかと疑問に思っていた。 蟲の怪物の話を霊夢から聞いた時や森での体験の時、少なくとも近くには紫はいなかった。 律儀にもデルフを返しに来た夜の時は、霊夢が帰ってくる前の事で彼女が怪物の事を知っている筈がない。 森での事もあの場にいた自分と霊夢にデルフ、そして襲ってきた怪物を倒した魔理沙の三人と一本だけしか知らないのである。 ハッタリの可能性も一瞬だけルイズは考えたが、それは無いだろうと自らの手で斬り捨てた。 仮にそうであるならば、わざわざ「バケモノ」という単語など口に出す必要は無いのだから。 そこまで考えた所で、ルイズの次に硬直から脱した魔理沙が口を開く。 怪訝な表情を浮かべて紫に話しかける彼女の姿は、いつも気楽に生きている少女とは思いにくい。 「もしかしてとは思うが…ずっと見てたって事なのか?それだったら随分酷薄なやつだと私は思うよ」 探りを入れるかのような魔理沙の質問に、少しだけ考えるそぶりを見せた紫はあっさりと質問に答える。 「まぁ゛見ただけ゛という言い方が正しいわね。あくまで゛見ただけ゛で゛見ていた゛わけではないの」 紫の返答によって、ルイズは苦虫を踏んでしまったかのような表情を彼女に見せつける。 一体何処にいたのかすら分からなかったが、彼女の言葉が本当であるのならば相当ひどいことに違いは無い。 ルイズがその気持ちを言葉として出す前に、偶然にも同じことを思っていた魔理沙が彼女の言葉を代弁してくれた。 「゛見てた゛と゛見た゛の違いはともかくあの時の私たちを傍観してだけとは、お前はやっぱりとんでもない妖怪だぜ」 まぁ、別に助けて貰う必要もなかったけど。最後にそう付け加え、魔理沙は苦笑いしつつ肩を竦める。 その姿には先程口を開いたときの緊張感は無く、ルイズの知っている彼女に戻っていた。 確かに彼女の言う通りだ。あの時魔理沙が助けてくれなければ、傷を負った霊夢と一緒にあの世へ逝っていただろう。 (でも元を辿れば、あの怪物を倒したマリサのマジックアイテムを持ってた私のおかげって事にもなるのかしら?) 九死に一生を得たあの時の事を軽く思い出していたルイズであったが、そんな彼女の耳に再び紫の声が入ってくる。 「まぁそこは私も同意しますけど。あれを゛見て゛私の心中に一つの考えが浮かんだの」 紫はそう呟いて右手の人差指をグルグルと軽く回した後、その指でもってルイズを差した。 丁度顔の手前で手首を曲げた姿で指差してきた相手に、彼女は脊椎的な反射でたじろいでしまう。 いきなり指差してくるとは何事かとルイズが聞いてみようとする前に、紫は彼女が゛聞きたい゛であろう事を口にする。 「これ以上霊夢や私たちの異変解決に巻き込まれれば、貴女の命が持たない――ってね」 「なっ…!?」 それを聞いた瞬間、全く予想すらしていなかった言葉にルイズは今まで以上に驚愕する事となった。 突如霊夢がおかしくなった時や、いきなり紫がやってきて今に至るまでの目まぐるしい数々のアクシデント。 常人ならば休憩が必要かもしれない非日常なシーンの連続の中で、今日一番彼女が驚いた言葉であろう。 「わ、私の命って…どういう事なのよ!」 他人ならぬ他妖怪に自分の命がどうと言われた所為か、ルイズは声を張り上げて怒った。 今までは何とか堪えつついつの間にか消えていた紫への怒りが、今になって沸々と蘇ってくる。 怒りやすい自分の性格を砂の城と例えられた事は、今考えても相当許しがたい事だ。 というよりも何故あの時の襲撃を゛見た゛だけである彼女が、自分の命についてとやかく言ってくるのだろうか。 先程魔法を放った時は多少やってしまったという感じはあったが、今の彼女ならば遠慮なく自分の魔法をお見舞いできる。 少しだけ理不尽な妖怪を粛清せんと心の中で決めたルイズが自分の杖に手を伸ばそうとした直後、それを制止するかの如く魔理沙が喋った。 「おいお いおい…話が見えてこないぞ。どうしてルイズの命が危ないっていうんだよ?」 黒白からの質問に、紫はフッと鼻で笑いながらもすぐに答えをよこす。 まるで良い悪戯を思いついた大人が浮かべるような笑みを二人に見せつけながら、彼女はルイズに言った。 「あの時…すぐ近くにいた貴女ならわかるでしょう?…霊夢に寄り添い、子猫の様に怯える事しかできなかったあの娘の事は」 自分に向けて送られたその言葉で、彼女はあの時の事を一瞬で思い出した。 ◆ 霊夢に攻撃を浴びせてきた怪物に襲われたとき、ルイズは確かな恐怖を感じていた。 それはアルビオンでワルドとその遍在達に襲われた程ではないが、あの時の恐怖はそれと全く別物だ。 ワルドは人間であったし、スクウェアメイジという圧倒的存在から来る威圧感に恐怖していた。 彼は結果的に助けに来てくれた霊夢に倒され、今となっては大分前の出来事に過ぎない。 しかし、森で襲ってきた怪物からは本能からくる嫌悪感が恐怖の源であった。 シルエットだけは人らしいものの、いざ蓋を開けてみれば中にいるのは非日常的なモンスター。 オーク鬼やコボルドと言った獣らしい亜人たちとは比べ物にならないグロテスクな容姿。 右腕が無かったのにも関わらず霊夢を苦しませた挙句、自分たちにも牙を向けるその執拗さ。 そして、地面に転がった霊夢へ近づいた時…こちらへゆっくりと近づくヤツの姿を間近で見ていた。 麻薬中毒者のようにギョロギョロと忙しなく動く目玉。 生者を地獄へ誘う死神の笛の如き、シュルシュルと聞こえる呼吸音。 見る者の心をジワジワと染み込むように侵していく毒々しい皮膚の色。 左腕には霊夢の身体を穢した毒の詰まっている、鋭い爪。 絵本に出てくる。という例えが通用しない怪物を前にして、ルイズは本能的な恐怖を体験した。 フーケに羽交い絞めにされた時や、ワルドのライトニング・クラウドを喰らいそうになった時とは全く違う恐怖。 人が本来持っているであろう異形への恐ろしさと、ソイツの手に掛かって死んでしまう事への嫌悪。 そして…何故自分や霊夢達がこの様な怪物に殺されなければならないのかという理不尽さ。 ――――やだっ…!こっち来ないでよぉ!わたし達が何したっていうのよ!? それ等三つの要素が揃っていた時、ルイズは叫んだのである。 ◆ 「でもまぁ、貴女が怯えるのも確かな事と思うわ。私だってあんな怪物が出てくるとは予想範囲から少し外れていましたし」 軽く暗い回想に浸っていたルイズに向けて、紫は肩を竦めつつも慰めるかのような言葉を彼女に投げかける。 しかしトラウマとして記憶に残っているのだろうか、暗い表情で俯いているルイズはその言葉に反応しない。 その後ろにいる魔理沙は珍しく何も言うことなく、目の前にいる二人を交互に見合っていた。 「だけど…出てきた以上は今後もああいうのが出てこないとは限らないし、その時にまた怯えていれば貴女の命の保証は出来ない」 「…ちょっと待て。その言い方じゃあ、まるで私や霊夢がコイツを見捨てるって事になるぜ」 軽い雰囲気でそう言った紫に、流石にムッとした表情を浮かべる魔理沙が異議を唱えた。 そんな彼女の言葉に対し自分のペースを崩すはずもない紫は、手早く返事をする。 「別に貴女と霊夢がこの娘を守らないとは思っていませんわ。―――ただ、あの森の時の様にシンプルな攻め方でしたらね」 「シン…プル…?」 予想外の単語を聞いて無意識に呟いたルイズへ「そう、シンプル」と相槌を打ちつつ、紫は話を続けていく 「二度目もあって一体だけなら不意打ちを仕掛けても今の霊夢が後れを取るとは思わないし、魔理沙も負ける程弱くは無い。 だけどあの怪物が単なる様子見として放たれたのなら、相手はもっと手駒を増やすとは思わないかしら? 仮に相手が異変の黒幕ならば、貴女を捕まえるか…最低でも始末しようと思うのならば一体だけで攻撃しても勝敗は目に見えてる。 けれども、数を増やしてしまえば倒すのはともかく貴女を守るのに二人が手間取るどころか霊夢の様に隙を見せてしまい後ろから一撃…なんてことも有り得るわ」 紫はそこまで言って一旦口を止めるとホッと息をつき、またも喋り始める。 「無論、貴女は異変が解決するまで部屋に引き籠れ…とは言いません。けれど、多少の自重はしなさい。 貴女が自分の魔法で霊夢達と一緒に戦えずただただ怯えていても、何の役にも立たないの。 偉そうなうえに悪い事を言いますけど。もし今後も怯えるだけなら、霊夢の傍につくような事はやめなさいな。 あの娘は誰かを守りながら戦う…って経験は殆ど無いし、あの娘自身鬱陶しいってことは多少思ってるかもね?」 とどのつまり、臆病者は引っ込んでいろという冷たい紫の言い方に、魔理沙は異議を唱えようとしてやめた。 自分が見知っている者の中では一番冷たくて酷いであろうあの巫女なら、そんな事を思っていても不思議ではない。 だがそれを言われた当の本人は酷く落ち込んでいるのか、顔を俯かせたまま微かに両肩を震わせている。 泣いているのか?一瞬だけそう思った魔理沙はしかし…すぐにそれが勘違いだと気づき、ギョッと驚いた。 肩の震えに付いていくかのようにサラサラと揺れる桃色のブロンドヘアーからは、悲しみの雰囲気は伝わってこない。 否…悲しみどころかそれとまったく別の、言わば発火性の強い油の如き気配を読み取ったのである。 それを読み取った魔理沙は以前に一度だけ経験した゛ある出来事゛を思い出し、すぐに後退れるよう無意識に身構えた。 何時爆発するかもわからない存在と化したルイズと距離を置くことは、自分の身を守るのと同義である。 当時その場にいた霊夢と一緒に゛ある出来事゛を体験した彼女にとって、これは咄嗟の行動であった。 (触らぬ神に祟りなしとはこの事か?…いや、この場合は人か…もしくはルイズで良いかな?) 地面に置いていた箒を手に取りつつ、二人の動きを見てみることにした。 「どうしたのかしら、ルイズ・フワンソワーズ。身体が震えていますわよ?」 一方の紫は、これから何が起こるか知っているうえでルイズの出方を伺っているのだろうか。 面白い物を見るかのような目でもってルイズに話しかけいるが、それこそ火に油を注ぐようなものだ。 油を大量に加えた火は並大抵の獣より凶悪であり、人間はおろか妖怪でも下手をすれば致命的な火傷を負う。 そして今、油を注がれた小さな日は燃え盛る炎となって紫の体へと牙をむかんとしていた。 「…………しら」 紫が話しかけてきてから十秒も経たぬうちに、ルイズがひとり呟いた。 最もその声は小さく、大妖怪の耳をもってしても最後の部分しかまともに聞こえなかったが。 ともかく、ルイズが反応を見せてくれたことに良しと感じたのか、彼女は首を傾げつつ口を開く。 「ん?今なんて言ったの?良く聞こえませんでしたわ」 妖怪からのリクエストを、ルイズは律儀にも言葉として答える。 「……言いたいことは…それだけかしら?」 体の震えを止めることなく、顔を俯かせたままのルイズは言い直す。 この場にいる三人の中では一番小さい両手に作られた握り拳が微かな音を上げている。 あぁ、もう取り返しがつかない。魔理沙は心中でそう呟きつつもゆっくりと後ろへ下がり始めた。 以前にもあんな調子のルイズを見て、襲われた彼女にとってこの展開は非常に危険で駄目な展開であった。 しかし襲われる相手が余裕の笑みを浮かべる大妖怪という事か、その顔にはうっすらと笑みが浮かんでいる。 (さて、先程の爆発かこの前の素手…どっちが来る?両方ってのも面白そうだぜ) 「…えぇそうよ。怯えるだけなら霊夢たちの邪魔をせずに安全な場所にいて欲しいと…私は言いましたの」 これから自身の目に映るであろうルイズと紫の姿を思い浮かべている魔理沙を尻目に、紫はルイズに言い放つ。 戦力外通告とも言えるその冷たい言葉にルイズは「そう…」とだけ呟いた瞬間、その足をゆっくりと動かした。 魔法学院お墨付きのローファーを履いた彼女の足が向かう先には、微笑み浮かべる大妖怪の姿。 ゆっくりと、だが確実に紫へと近づくルイズは顔を上げることなく、その口を開く。 「成るほ、ど…こ、この私が…ヴァリエール出身のき、貴族である私を戦力、外…あつか、いなんてねぇ…」 もはや限界に達しているのか、言葉を詰まらせながら喋るルイズを見て魔理沙は思い出す。 あの時もこうであった。今はまだマシな方だが、ルイズが゛爆発゛するのは後十秒程度といったところか。 自らの経験をもとにそう予測した魔理沙であったが、その時はすぐに起こった。 魔理沙が自分の脳内で勝手な予測を立てた直後、今まで歩いていたルイズはその足を一気に速めたのである。 ゆっくりとしたテンポを奏でていた足音が一気に早くなり、紫との距離をあっという間に縮めていく。 これにはさすがの紫も表情を変えてしまのうか、今までの笑顔から一変したキョトンとしたモノとなる。 一方の魔理沙は思っていた以上に早かったルイズの゛爆発゛に対し、そのまま一発かましてしまえと心の中で叫ぶ。 そして相手まで後五十サントというところで、ルイズは握り締めていた右手を振り上げ、 「言って…くれるじゃない…――のぉっ!」 紫の胴体部目がけて勢い良く殴り掛かったのである。 小柄な見た目と比べ対照的な程運動神経の良い彼女の右手は、今や強力な怒りという名の大爆弾。 当たれば一発、妖怪であっても紫ほどの存在なら悶絶する事は間違いないであろう。 紅魔館の門番や鬼といった面子だと蚊に刺された程度のパンチは、紫のような日ごろから鍛えて無いような奴には効果覿面だ。 更にそれを喰らう本人は身構える事すらしておらず、今から回避しようにも手遅れなのは決定事項と言える。 恐らく霊夢も見たことが無いであろう紫が悶絶する姿を想像し、魔理沙は思わず笑みを浮かべてしまう。 だが。現実は非情だという言葉があるように、そううまくいく事は無かった。 「あら?」 暴風雨に吹かれて飛んできた紙袋を避けるかのように、紫は自らの左手を腹の前に出す。 直後、ちょっと認識できる程度の速度で襲ってきたルイズの拳は見事妖怪の掌に直撃したのである。 少し人間離れした紫の反射神経に対し流石の魔理沙も驚きを隠せず、アッと大きな声を上げてしまう。 その声に顔を上げたルイズはピクリと左の眉を動かし、残っている左手の握り拳を振り上げようとする。 「図星を突かれて悪戯とは、頂けませんわね。思ったより見苦しい人ですこと…」 しかし次の手は既に読まれていたのか、ルイズの動きを見た紫は一人呟きながらスッと自身の右腕を動かす。 結果、勢いよく振り下ろそうとしたルイズの左手が紫の右手に掴まれ、その場でピタリと静止した。 まさかこれで終わりか?魔理沙がそう思った直後、ルイズはバッと左足を上げる。 突然の動きに紫が怪訝な表情を浮かべた瞬間、その足が目にも止まらぬ速さで下ろされた。 「?…――うっ!」 それを目で追おうとした瞬間、彼女は自分の右足に激痛が走ったのに気づきその顔を苦痛で歪めてしまう。 一体何なのかと顔を俯かせたところ、先程振り下ろしたルイズの足が自分の足を踏んでいるのだと気が付く。 ローファーを履いたルイズの足が踏んだもの、それは自分の腕を掴み上げた大妖怪八雲紫の足。 自分を戦力外扱いした八雲紫への仕返しとして放たれた彼女のストンプは、思いのほか効果抜群だったようだ、 いつも澄ましたような紫が珍しく痛い目を見たことに、魔理沙は後の事を考えが「おっ、スゲェ」とルイズに賞賛の言葉を贈った。 孤独の野次馬と化した黒白の声を耳に入れつつ、ルイズと紫の二人はキッと真正面から睨み合う。 身長の関係からか、紫は自分の足を踏む少女を見下す格好となるがそれでもルイズは動じない。 今まで俯かせていた顔にはため込んでいた憤怒を解放させており、見る者に恐怖を覚えさせる。 両目に嵌る鳶色の瞳でもって人の形をした人外を睨み上げるその姿を見れば、誰が臆病者と呼ぶだろう。 人知と科学的常識では説明できない力を操る八雲紫の足を踏む彼女こそ、俗にいう勇者ではないのか? それなりの硬さを持つルイズのローファーは紫のロングブーツをグリグリと踏み続け、その下にある指にまで攻撃している。 一度現れれば全てを破壊する竜巻と化したルイズを睨みつける紫の頭にも、自ら退くという選択肢はないようだ。 先程まで浮かべていた不敵な笑顔は痛みをこらえる苦笑いへと変わっている事から、攻撃事態はかなり効いたらしい。 両目からは微かな怒りの気配が放たれており、この場に霊夢がいるなら驚いていただろう。 時に柔らかくも胡散臭い笑みの下に怒りの色を滲ませる事はあれど、今の様に痛み堪える苦笑いの表情は滅多に見ないのだから。 強い者ほど常に笑顔を浮かべると幻想郷録起にも書かれているが、彼女も例外ではないようだ。 たとえルイズの踏み付けが思っていた以上に痛くとも、八雲紫は笑顔を崩すことなく彼女を睨みつけている。 お互い引くに引けなくなった状況から十秒近く経過した後、そこで変化があった。 指先の痛みが段々と酷くなっていくのを感じていた紫が、足の力を弱めないルイズに話しかけてきた。 「成る程…これが貴女の返答というワケね」 「…えぇ。ついで、人を臆病者と罵ったアンタへの攻撃…って事もあるけどさぁ」 ひたすら痛みに堪えているのか苦笑いを浮かべる顔で右の眉をヒクヒクと動かす紫の言葉に、ルイズはすぐさま返事をする。 今まで好き放題に言われていたルイズは今ここで鬱憤を解消せんと、その口から言葉を放出し始めた。 「確かに今までの私は臆病だった。それに間違いは無いわ。 生まれたころから魔法が使えないからと幼少時に母親からスパルタ教育されて、辛い時はいつも逃げていた。 学院に入っても魔法が使えないという理由でイジメの的にあって、それに抗うことなくただ受け流してきたわ。 それで一年生の夏頃に゛ゼロのルイズ゛っていう不名誉なあだ名を貰ったのよ。おかげでイジメがもっと酷くなったけど。 辛くて耐えられない時はいつも自室に籠って夢見てた。いつか私だってスゴイ事ができるって。 誰にも真似できないような、自分にのみ許された゛何か゛がきっとあるって…そう信じてたのよ」 そこまで言ってから一息分の休みを入れて、再びルイズは喋り出す。 まるで喋るごとに憑きものが落ちていくかのように、彼女の顔から怒りの表情が薄くなっていく。 「そして二年生へと進級する際に行う使い魔召喚の儀式で、私はレイムと出会った。 黒い髪に蝶みたいな赤いリボン。この世界じゃ考えられないくらいに派手な紅白の衣装と分離した白い袖。 私とほぼ同年齢だというのにとても同世代の人間とは思えないくらいに冷たい性格の異世界少女。 召喚したばかりの頃は酷いヤツだと思ってたけど。今じゃそんな事滅多に思わない。 確かにアイツは酷いけど。二ヶ月近く一緒にいれば案外良いヤツじゃないかって…不覚にも思えてくるの」 話の方向が自らの過去から霊夢の事へと移っていく彼女の脳内を、召喚からアルビオンまでの出来事が過っていく。 魔法学院の自室で使い魔やこれからの事を説明した時。自分の魔法を失敗だと思わなかった事。 連れて行った街で東方のお茶を買わされた事や、フーケのゴーレムから自分を守ってくれた時。 話してもいないのに何故か任務で赴いたアルビオンで再開した時に、自分を守る代わりに怪我を追ってしまった事。 その怪我の所為で裏切ったワルドに致命傷を与えられたのにも関わらず、ただ震えていた自分を助けてくれた紅白の彼女。 「アイツと出会ってからは、色々と面倒な借りまで沢山作って来たわ。 今日はそれを返す為に新しい服を同じようなモノばかり着てるアイツに買ってあげた。けど、それでもまだ足りない。 私をフーケの攻撃から救ってくれたり、トリステインの裏切り者まで倒してくれたアイツへの借りは大きすぎるのよ。 それに、アンタが見ていた森での時はただただ怯えるだけで、戦うどころか泣いていたのは事実。 でもね…、もう決めたのよ。――――次は絶対に逃げたり怯えたりしないって」 霊夢を召喚して以来、ルイズは彼女の所為で色々とイヤなことがあった。 それこそ今まで生きてきた中で、数多くいる人間の中には霊夢みたいな冷たくて酷い奴がいるのだとさえ思った。 だがそれを差し置いても、今の彼女を見捨てて大人しくしていろと言われてはいそうですかと従う事はできない。 仮に従ったとして、もしも霊夢が自分の目の届かぬ所で死ぬような事があればルイズは悔やむであろう。 そしてルイズの考えを聞けば、アイツが死ぬ瞬間は思い浮かばんと魔理沙は言いそうだが、それは違う。 霊夢だって異世界の中核をなす博麗の巫女でなければ、ただの少女だ。 普通の人間と同じく傷だって負うし疲れる事もあり、そして致命傷を喰らえばそのまま死ぬことだって有り得る。 ニューカッスル城でワルドに刺され、森の地面に倒れ苦しむ彼女の姿を見てきたというのに、その時手助けの一つもできなかった そして紫に異変解決を手伝ってほしい言われたのにも関わらず戦いに怯え、結果彼女自身から臆病者と呼ばれる始末。 だから、この時のルイズは改めて決心していた。 これからどんな事が起こり、体験しようとも…怯えたり泣きわめく事はしない。 霊夢達の世界が抱えた未曾有の異変を解決する為に、異変の゛きっかけ゛となった自分も杖を手に取り戦おうと。 もう後には引き返せないであろうルイズの決意表明を聞き、紫の顔が無表情となる。 まるで自分の心を閉ざしたかのような冷たい眼差しでもって、ルイズの顔を見つめていた。 「――――言うだけなら簡単ですけど…。貴女の様な貴族に、これからの人生を棒に振るかもしれないような事を…体験できるかしら?」 話の途中に口を挟むような事はしなかった紫の言葉は、まるで契約書に書かれている注意事項である。 自らの家名が刻まれた判子を押す前に、本当に契約をするかどうかの瀬戸際で教えられる唯一の折り返し地点。 ここで引き返せば契約は無かったこととなるが、承諾すれば何が起こるかもわからないであろう。 しかし、紫の言葉によって興奮した今のルイズは彼女の言葉に戸惑うことなく口を開く。 「舐めないで頂戴。―――何せこの私は、博麗の巫女を召喚した貴族なんですから」 怖気づくことなく吐き出したルイズの返事に、紫はフッと微笑んだ。 今日、この世界へ来てから結構な数の笑顔を浮かべていた。 だがしかし、今浮かべている微笑もにはそれまで浮かんでいた不敵さや柔らかさ、そして胡散臭さは無い。 その微笑の裏に隠れているのは、ほんの一握りの安堵。 一人で戦う事を好む霊夢の為に戦ってくれるという少女の存在に、紫は安堵していたのである。 (こんなにもあの子…霊夢を大切に思ってくれるような人間がこの世にいたなんてね) ――――ハルケギニアに酔狂という言葉があれば、きっと彼女の為にあるのかしら? 紫は一人そう思いながら、揺ぎ無い決意に満ち溢れる鳶色の瞳を見つめていた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん あぁ。やっぱり今日は、あまりにも運が良い方に向いてこない。 一人で片付けるはずだった問題に三人もの異分子が紛れ込み、個人的に歓迎できない事態へと変化している。 他人というのは好きでもないが嫌いでもなく、まぁ自分がイラつくような事をしなければ危害を加えたりはしない。 もしも自分の邪魔をしたり過度のちょっかいを掛けてくるというのならば、それ相応の対応をとるだけのこと。 しかし悲しきかな、今の自分をイラつかせる相手は…下手な行動一つで死んでしまうかもしれないのだ。 (そのまま座ってなさいよ…!っていうか、何で後ろに下がろうとしないの?) 自らが直面している状況に憤慨の思いを吐露しつつ、霊夢は心の中で祈りを捧げている。 彼女に安全祈願を向けられているのは、ワザワザ自分から危険な事をしようとしているルイズであった。 先程、唐突な奇襲を仕掛けてきた偽レイムのすぐ横にいる今の彼女は、いわば大きな爆弾。 油で塗れた導火線に火がつき、大爆発を起こす様な事があれば今よりも更に面倒くさい事になってしまうだろう。 無論霊夢自身も下手に動くことができず、相手の動きを観察している。 そして火種である偽レイムはというと、光り輝く赤い目で霊夢を凝視し続けていた。 まるで油の切れたブリキの人形みたいに少し身構えた姿勢のまま、本物である彼女がいた場所に佇んでいる。 ナイフを投げ捨て、素手で殴り掛かってきた事には驚いたが、今では驚く暇も無い。 馬鹿みたいな冷静さを纏わせたその顔と目と…そして体からの気配を察知した霊夢は、改めて思った。 コイツは危険だ。早いうちに何とかしないと命に関わるぞ―――と。 「とはいっても…今の状況で動いたらルイズだって動くだろうし」 しかし霊夢はそれでも攻撃を仕掛けようとは思わず、右足の靴でトントンと地面を叩きながらどうしようかと思考する。 お札や弾幕と違い、慣れない武器を使ってアレを短時間で倒せるとは思えず、ましてやあのルイズが近くにいるという状況。 下手に接近したら巻き込まれるだろうし、何より爆発しか出せない彼女の魔法は危険なのだ。 ぶっ倒してやると意気込んで突撃し、無駄な死で人生の終わりを迎えたくは無いのである。 「かといってこのままだとルイズが勝手に攻撃しそうなのよねぇ」 いよいよもって立ち上がろうとするルイズの姿を見て、彼女はうんざりしたと言いたげにため息を突く。 この年の四月に始まり、今もなお続く幻想郷での異変を引き起こした名家生まれの末っ子の少女。 彼女が下手に動いて死ぬような事があれば、元から難しい異変解決は更に難易度を増す。 (このままじゃ埒が明かないしし…性に合わないけど、突っ込んでみようかしら?) ナイフを握る手に力を込め、待ちかまえる相手に切りかかってみようかと思った。その瞬間であった。 「ファイアー…ボール!」 偽レイムの後ろから、艶やかな女の声が呪文としての形を成して聞こえててくる。 一体何なのかと思ったか、偽レイムとルイズがハッと後ろを振り向いた瞬間、両者共に驚愕の表情を浮かべた。 そんな二人の近くにいた霊夢も、先の二人と同じ様な表情でもって飛んできた『ソレ』を凝視する。 彼女らの方へと真っ直ぐに飛来してくる『ソレ』の正体…それは轟々と燃える、大きな火の玉であった 牛の頭程の大きさの物体が、燃え盛りながら突っ込んでくる。 『ファイアー・ボール』…それは四系統ある内で、最も戦いに優れると言われる火系統の魔法。 放ったメイジの力にもよるが並み以上の者であれば、この魔法はかなり恐ろしい武器へと変貌する。 「っ…!」 「きゃっ」 当たったモノを焼き尽くすかのような極小サイズの太陽が、こちらへと飛んでくる。 それを先に理解したのは偽レイムであり、彼女はその場で地面を蹴って勢いよく横へと跳ぶ。 一方、立ち上がったばかりのルイズは偽レイムほど体が動かない為か、小さな悲鳴を上げてもう一度地面に倒れた。 実技はてんで駄目であるが座学には自信がある彼女は、ファイアー・ボールが怖ろしい魔法だと知っている。 流石に自分を狙っているワケは無いと思ってはいたが、直撃する可能性は大いにあった。 だからこそ地面に倒れたのが、結果としてその選択肢が彼女の命を救ったとも言っていいだろう。 二人の人間に避けられた火の玉は真っ直ぐに…その先にいる霊夢目がけて飛んでいく。 妖怪退治や異変解決をこなしてきた彼女も、流石にこの時は驚かざるを得なかった。 何せ大きな火の玉がかなりの速度で飛んでくる。それに対し彼女の勘が先程よりも凄まじい警鐘を鳴らしている。 「ちょっ!まっ…!」 慌てたような声を上げつつその場しのぎの結界を貼り、何とかその玉を跳ね返そうとする。 ある程度の疲労が溜まっていた上に火の玉の速度も速い故、回避が間に合わないと判断したのだ。 しかし、僅かな時間でくみ上げた薄い結界は、火の玉を防ぐという役目を果たす事はなかった。 何故なら火の玉は、霊夢の結界に当たるまで後一メイルというところで急に止まったのだ。 まるで走っている馬車の手綱を引いて急ブレーキを掛けたかのように、ぐっとその球体が大きく揺れる。 突然の事に霊夢がキョトンとした表情を浮かべる暇もなく、ストップした火の玉がゆっくりとバックし始めた。 一体何事かと思った瞬間、火の玉の速度が再度上がり、先程避けた二人の内一人の方へと飛んでいく。 その一人こそルイズよりも先に相手の攻撃を察知し、回避していた偽レイムであった。 「なっ…くっ!」 先程と同じ勢いでこちらに突っ込んでくる火の玉を見て狼狽えたのか、彼女の目が一瞬だけ丸くなる。 しかしすぐに元に戻ったかと思うとその場で軽く身構え、火の玉を迎え撃とうとする。 その様子を見て何か可笑しいと思ったのだろうか、偽レイムに向けてこの場にいる一人が声を上げた。 「残念ですけど。私のファイアー・ボールはいくら避けても無駄でしてよ」 艶やかな声と、火の玉と同じ色をした赤く燃えるような色のロングヘアーに褐色の肌。 その特徴を持つ彼女―――キュルケがそう言った直後、小さな爆発音が周囲に響き渡る。 地面に倒れていたルイズがそちらの方へ向けると、すぐ後ろで黒い煙がゆっくりと薄暗い空へと上っていく。 まるでそこだけ切り取ったかのように煙が立ち込める場所は、身構えたばかりの偽レイムが立っていたところ。 つまり、原因は知らないが偽レイムとぶつかったファイアー・ボールが爆発したのだと考えるのが妥当だろう。 「あらあら、どうしたのかしらヴァリエール?また倒れるくらいにここの地面が好きになった?」 そんな時であった、思わぬ援護をしてくれたキュルケが声をかけてきたのは。 明らかに挑発と取れるそれにルイズはムッと表情を見せると上半身だけを地面から上げ、口を開く。 「この馬鹿ツェルプストー!下手したらアタシが火達磨になるところだったじゃないの!?」 「御免なさいねヴァリエール。貴女は見た目通りに素早いから避けてくれると思ったのよ」 「…それって、アタシが小さいって事かしら?」 甲高いルイズの抗議に対し、勝者の余裕を見せるキュルケは前髪をかき上げつつ言葉を返す。 助けられたのは良いが同時に馬鹿にされている事に、ルイズの表情は険しくなっていく。 親友であり好敵手である彼女の顔色を見て、キュルケはふぅ一息ついた。 「全く、せっかく助けてあげた私に文句垂れるなんて…貴族としてのマナーが成ってないわね」 「いやいや、当たったら火達磨になるような魔法をぶっ放されたら誰だって怒るぜ?」 見事なまでに自分の行いを棚に上げるキュルケに、横にいた魔理沙が静かに突っ込みを入れる。 黒白の魔法使いの顔に喜びの色が浮かんでいる事から、キュルケのファイアー・ボールを見れたことに満足はしているようだ。 それで今更と言わんばかりに突っ込むその姿は、裁判所の証言台で犯人を非難する元共犯者である。 自分の事を擁護してくれたが、キュルケを止めようともしなかった魔理沙を睨みつつ、ルイズは苦言を漏らす。 「マリサ。…言っとくけどそんな顔してキュルケを非難しても、全然嬉しくないわよ」 「私は自分の感情に素直な人間だからな。キュルケの魔法を見れてついつい喜んでるだけだよ」 「あら、以外と面白い事言うじゃないの?いいわねぇ、キライじゃないわそういう性格」 「…先に言っとくが、私にそういう性癖は無いからな」 「ちょっと!私を置いて何二人で和気藹々と話し合ってのよ!」 勝利の後のムードを漂わせる二人の間で板挟みとなるルイズの叫び。 それを離れた所から見つめている霊夢一人だけが、目を細めて警戒し続けている。 (よくもまぁ、あんなに騒げるわね。まだ終わってもいないというのに…) 彼女は既に気づいていた。あの程度の攻撃ではまだヤツを仕留めきれないと。 何せ自分と瓜二つなのである。それならば、キュルケの魔法でやられるとはそう考えられない。 いつでも動けるようにと身構えた姿勢を崩さぬ彼女であったが、そんな時に限って邪魔が入るものだ。 「私がうまく避けられたからいいものの、下手したらトリステインから永久追放されてたわよ!?」 「それって私たち以外の第三者でもいないと無理じゃないかしら?」 「確かにそうだな。下手に喋って共犯者扱いでもされたら堪らないぜ」 「ちょっと待ちなさい。さっきのアンタはどう見ても、キュルケの凶行を許した共犯者じゃない?」 「まぁアレだよ。どっちにしろお前は怪我一つしなかったし、結果的に問題なしという事で…」 多少の安心感を取り戻したルイズが怒鳴り、キュルケと魔理沙はマイペースで彼女の相手をする。 一見、ちょっとしたガールズトークをしているようにも見える中、霊夢が一人呟く。 「そんなにお喋りしたいなら、このまま帰ってくれると有難いんだけどねぇ…」 変に盛り上がり始めたルイズ達の耳に入る巫女の言葉は、氷水のような冷たい雰囲気を放っていた。 場の空気を白けさせるような彼女に対し、背中を見せていたキュルケがゆっくりと振り返る。 「ちょっと~、一人放置されてるからって拗ねるの…は―――――…ッ!?」 大方挑発でもしてみようかと思っていた彼女の顔が突如として、驚愕の色に染まる。 そして、急に言葉が途切れた事に不思議がった後の二人もそちらを見やり、同じ反応を見せた。 「嘘でしょ…あんなの喰らって…まだ…」 目を見開き、小さな両手で口を押えたルイズに同調するように、魔理沙も口を開く。 「流石霊夢とそっくりなだけあるぜ。往生際の悪さまで同じとはな…」 似すぎるのも問題だな。最後にそう言い加えた魔法使いの苦笑いは、場の空気を読んでいた。 薄くなる黒煙の中、霊夢が目にしたのは赤く光る双眸であった。 どうやら攻撃してきたキュルケではなく、自分を優先的に殺したいのだと彼女に自覚させる。 「成る程…今のアンタにとって、他の三人はもう視界に入らないってことなのね」 ゆっくりと空に舞い上がっていく煙の奥にいるであろう相手に、博麗の巫女は囁く。 それを合図にしてか、しっかりとした歩みで煙の中から゛彼女゛は再び霊夢の前に現れた。 両の拳を青白く光る結界で覆い、煤けた巫女装束と頑丈なロングブーツをその身に纏った霊夢と瓜二つの少女。 ただ一つ違うところは赤く光る両目と、頭に着けたリボンが無くなっているという事だ。 前者は元からであったが、後者の方は恐らくキュルケの魔法を防いだ代償として消し飛んだのだろう。 年相応とは思えぬ彼女の力の一部を正面から喰らったうえでそれだけで済むならば、安いものかもしれない。 しかし、その代償を支払ったことにより彼女――――偽レイムの印象は本物と比べ大きく変化していた。 先程までリボンで拘束され、ようやく自由を得た黒髪がサラサラと風に揺られている。 まるで黒いカーテンの様に波打ち模様を見せる髪に霊夢は何も言わず、ナイフを構える。 すると不気味に光り輝いているガンダールヴのルーンがより強く輝き、彼女の顔左半分を青白く照らしつける。 …武器を取れ―――構えろ―――斬りつけ、倒せ――― 頭の中で性別不明としか言いようのない声を聞きな゛から、霊夢はひとり「言われなくても…」と呟く。 これ以上事態が悪化すれば面倒な事にもなり得るし、何よりルイズたちという厄介な存在もいる。 だからこそ彼女は決意した。今手に持っている武器を用いて、勝負に打って出てやると。 彼女の動きにつられて偽レイムも腰を低くしたところで、霊夢は行動に出た。 「そこまでして私と戦いたいというのなら、こっちから相手してやるよ」 最後の警告と言わんばかりの言葉を吐き出した霊夢は、ナイフ片手に突撃した。 対する偽レイムも、結界に包まれた左手にグッと力を入れた後、地面を蹴飛ばすようにして跳躍する。 離れた所から見ていたルイズたちハッとした表情を浮かべ、両者の決着を見届けようとした。 その瞬間であった。まるで見計らったように霊夢がその場で足を止めて、飛び上がったのは。 偽者とは違って能力によって足が不自然に地面から離れ、スッと跳び上がった偽レイムの方へと飛んでいく。 次いで左手のナイフを逆手に持ち替えると空いている右手を前に突き出し、左手を腰元に寄せて力を入れる。 ふと顔を上げれば、自分よりも高く跳んだ偽レイムが交差した両腕を光らせ、こちらに向かって落ちてくるのが目に入る。 ガンダールヴのルーンが光る左手により一層の力を込めた霊夢はその場で動きを止め、逆手のナイフを勢いよく振り上げる。 それと同時に偽レイムも左の拳を勢いよく振りかぶり、本物の頭へと力強く殴り掛かった。 昼方から夕暮れまでの、数時間通して続いた巫女とミコの戦い。 その決着はあまりにも一瞬でつき、そしてあまりにも納得の行かない終わりを迎えた。 既に陽が落ちかけ、赤と青の双月が大陸の空へ登ろうとしているこの時間。 人が消えた旧市街地へと続く入り口で、パッと赤い花びらの様な血が飛び散った。 まるで情熱を具現化させたような真紅の薔薇と同じ色の体液が、薄暗い空に舞い上がる。 それに混じるかのように、おおよそ空を飛ぶとは思えぬ五本の突起物を付けた丸い物体がクルクルと回転しつつ、地面に落ちていく。 妙に柔らかく、それでいて生々しい嫌な音を立てて落ちてきたのは―――――人間の゛左手゛。 手の甲に穴が空き、そこと切られた手首部分からドクドクと赤いを血を流す、彼女の一部゛だった゛モノ。 ついで浮き上がっていた血の雨が地に落ち、ぴたぴたぴた…と雨の様な水滴音を奏でている。 嫌というほどルイズたちの耳に赤い雨の音が入ってきて数秒後であった。――――偽レイムの叫び声が聞こえたのは。 「ウワァァアアッ…!!ウゥ…アァアアアアッ…―――――!」 おおよそ少女の上げる叫びとは思えぬ程、それは痛みに泣きわめく悲鳴ではなく、むしろ堪えようとして上げる怒号に近い。 相手に手首から下を切り落とされた彼女はそこを右手で押さえつつ、彼女は涙すら流さず叫び声を上げている。 今の彼女を真正面から見ている者がいたのならば、これ程不気味な光景は滅多に無いと感じた事であろう。 そして今の自分が完全に不利だと悟って撤退しようとするのか、偽レイムは呻き声を上げつつも弱々しく立ち上がる。 本来ならば生死に関わる致命傷のうえに、左肩に刺さったままのナイフを通して流れる血の量も含めれば、いつ死んでもおかしくはない。 それでも彼女は立ち上がると左肩のナイフをそのままに、よろよろと歩きながら近くの路地裏へと向かっていく。 足をもたつかせ、夜の帳に包まれた狭い隙間へと逃れるその身を見つめる者は、誰一人としていない。 何故なら今のルイズたちには、それよりも先に気になる者を見つめていたのだから。 そう…偽レイムの左手を切り落とす直前に、彼女に頭を殴られ血を流す博麗霊夢の姿を。 「れ…レイム…」 鳶色の瞳を丸くさせたルイズは丁度自分たちの足元で着地し、その場に腰を下ろしている巫女に、恐る恐る声を掛ける。 震える声で自らの名を呼ぶ彼女に、頭から血を流し続ける霊夢は力の籠っていない声でぼそぼそとした言葉を返す。 「想定外だったわ。まさか…瞬間移動する…霊力も残ってなかったなんて……ね…」 「だったら最初からスペルカードなり使っとけば、そんな大けがしなくても済んだんじゃないか?」 その顔に自嘲的な笑みを浮かべて喋る彼女に、今度は魔理沙が口を開く。 気取ろうとしているがルイズと同じように声が震え、その腕が彼女の体を支えようと前へ前へと動いている 左手から力を抜き、握ったままのナイフを地面に落とした霊夢は、そんな魔法使いにも声を掛ける。 今まで光っていたガンダールヴのルーンはいつの間にか既にかその輝きを失い、ただのルーンへと戻っていた。 「相手が相手よ…上手く避けられて…返り討ちに、あったら…元も子も無いじゃないの…」 「…っというか、最初から全部話してればこういう事にはならなかったでしょうに?」 「ばか…言う、んじゃ…――ない、わよ…」 ルイズたちの後ろから聞こえてくるキュルケの横槍に、霊夢は苦々しい言葉を贈ろうとする。 しかし、偽レイム程でもないがそれなりの怪我を負った彼女には、これ以上喋る力は残っていなかった。 「アンタたちと、一緒なら……まだ、一人の…方が…―――――」 せめて最後まで言い切ろうとした直前、かろうじて開いていた瞳がゆっくとり閉じ、霊夢は意識を失った。 ルイズは悲鳴の様な声を上げて彼女の名を叫び、箒を落とした魔理沙が倒れ行く巫女の体を支える。 流石の魔法使いもこの時ばかりは焦った表情を浮かべ、霊夢の名を呼んでいる。 残されたキュルケは、今になって偽レイムがいなくなった事に気づくが、それは後の祭りというモノ。 ほんの少しだけ驚いた表情を浮かべて辺りを見回すが、もう何処にもいないと知るやため息をつく。 今の彼女は何処へ消えた得体の知れぬ偽者よりも、目の前の三人の事が知りたかった。 生まれた時から好敵手であり、これまで学院で何度も戦ってきたヴァリエール家の末女であるルイズ。 しかし彼女は変わった。自分の目に入らぬ場所で好敵手は、今や得体の知れぬ少女の一人と化していた。 彼女は知りたかった。先祖から続く因縁の相手がどういう状況にいるのか。 視界を覆う濃霧の様な幾つもの謎を振り払い、自分の近くで何が起きているのか知りたい。 それは人間が本来持つ好奇心を人一倍強く持って生まれた、キュルケという少女の望みであった。 しかし、今ここでそれを問いただすという事をする気も無かった。 生まれてこの方、ある程度好き放題に生きてきた彼女でもこの場の空気を読めてないワケではない。 「全く、こんな状況で流石に根掘り葉掘り聞くってワケにいかないわよね?」 そんな事をルイズたちの後ろで一人呟きつつ、彼女はこれからどうしようかと考え始める。 そんな時、彼女の耳にこの場では似合わぬ声が聞こえるのに気付き、すぐに振り返る。 日も暮れて、初夏の暑い熱気が涼しい冷気へと変わっていく旧市街地。 自分たちよりも一人頑張り、そして傷ついて倒れた巫女の名が響き渡る中… 振り返ったキュルケが目にしたものは、こちらへと駆けてくる衛士たちの姿であった。 時間をほんの少し遡り、数分前――――― キュルケが偽レイムへファイアー・ボールを放つ前の出来事――――― 珍しくジュリオの気分は高揚していた。初めて目にする存在を前にして。 ましてや、それが国を傾かせる程の容姿を持つ美女の形をしているのなら尚更であった。 場所が場所ならちょっと一声掛けていたかもしれない。彼はそんな事を思いつつ、女に話しかける。 「こんなにも良い夜に会えるなんてね。正にグッドタイミング…って言葉が似合うかな?――無論、君にとってもね」 「あぁそうだな。私は人間に好意を抱く程度の良心を持ち合わせてないがね?」 ジュリオの前に佇む美女、八雲藍は突き放すかのようにキッパリ言うと、一息ついて喋り始める。 「あまり時間を取りたくないので単刀直入に聞くが―――アレはお前たちの差し金か?」 「…二人目の゛巫女゛の事だろう?残念だけど、僕としてもあんなのは想定外だったよ」 藍の質問に彼は首を横に振った後、その場から右に向かって歩き始めた。 履いている白いロングブーツが石造りの床を当蹴る音は、静寂漂う夜の中では不気味な雰囲気を漂わしている。 だがそれを゛小さくした゛耳で聞いている藍には何の効果も無く、むしろジュリオに対しての警戒を一層強めた。 「ホント困るよね。あぁいう細部までそっくり…ていうのは、遠くから見ると本当にわからないんだ」 場の空気が悪い方へ進んでゆく中で、ジュリオは先程の質問をそんな言葉で返す。 しかし、それは予想の範囲内だったのだろうか。藍はあまり疑うことをせず次の質問を投げかける。 「まぁそうだな。そこはひとまず同意しておくとして…お前はなぜ足を動かしている?」 「だって立ちっぱなしだと足が棒になってしまうだろう?別に何処かへ行こうってワケじゃない」 大げさそうに両腕を広げながらそう答えた彼に、藍は首を傾げつつもこう言った。 「そうかな?じゃあ、お前の歩く先に扉が見えるのは私の目の錯覚という事になるが…」 ―――生憎健康には自身がある。最後にそんな言葉を付け加えた直後、ジュリオは微笑みがら言葉を返す。 「別に逃げるっていうワケじゃないけどさぁ…まぁ今日はこのくらい―――ッという事で!」 言い訳がましい言葉を口から出し終えた直後、彼は唐突に地面を蹴って走り出した。 まるで天敵から逃げるウサギとも思える彼の行く先には、屋上から建物の中へと続く扉がある。 幸いにも扉は開いており、下の階へと続く階段が彼の目に映っている。 (あと一メイル―――…ッ!) ほんの少しで屋上から屋内へ入れるというところで、背筋に冷たい物が走った。 まるで首筋に刃物突き付けられた時の様に、その場で足を止めろと自身の本能が暴れ叫ぶ。 しかし一度走り出してすぐには足を止められる筈もなく、やむを得ずその場で倒れ込んだ。 階段まであと数サントというところの位置で倒れ込んだ彼の眼前に、三本もの赤い刃物が地面に深々と突き刺さっていた。 ナイフにしては極端と言えるほどに菱の形をしたそれ等は、稀に東方の地から輸入される暗殺用の武器と瓜二つである。 ジュリオ自身仕事の関係で何度か目にしてはいたが、目に良くない影響を与えそうな程毒々しい赤色ではなかった。 「お前、人間にしては中々良いじゃないか」 倒れ込んだ自身の背中に掛けられる、藍の冷たい声。 それに反応したジュリオはついつい頭だけを後ろへ向けた瞬間。彼はあり得ないモノを目にしてしまう。 奇妙な帽子を被っている頭にはイヌ科の動物と同じ耳と、臀部からは九本もの狐の尻尾が生えていたのだ。 金色の髪の中に紛れ込むようにして出ている耳は、尻尾を見れば狐のモノだとすぐにわかる。 そして尻尾の方は女の美貌に負けぬくらい立派であったが、何処か怖ろしい雰囲気が漂ってくる。 まるで今までボールだと思っていた物が爆弾だったのだと気づいた時のような、体中の毛が逆立つ恐怖。 ジュリオはそんな恐怖を今、僅かながらに目の前の彼女から感じ取っていた。 「驚いたよ…薄々勘付いてはいたが、まさか本当に人間じゃあ無かったとは」 無意識の内に口から出たその言葉を、九尾としての正体を見せた藍はその場から動かずに返す。 「勘が良いな。大抵の人間は、単に小さくしただけの尻尾と耳にすら気づかないモノだが…」 「仕事の都合上、動物とは付き合いがあるからね。君の体から漂ってきた獣特有の臭いでただモノじゃないと思っただけさ…」 頭に生えている狐耳をヒクヒクと軽く動かす彼女に、ジュリオは笑いながら言う。 しかし彼の口から出た「獣特有の臭い」という言葉に彼女は表情を曇らせ、九本の尻尾が不機嫌そうに揺れる。 「お前の言う通り、見た目から判断すれば獣の物の怪だが…あまり狗や狸の類と一緒にしないでくれ」 意外にも身近な動物の名を耳に入れながらも、藍の苦言に「わかった、わかった」と言いつつ、ジュリオは立ち上がる。 階段まで後少しというところだが、警戒されている今動けば碌な目に遭わない事は、火を見るよりも明らかだ。 「…で、僕は何も知らないし、君たちと話すことは今は無い。―――そんな僕に、君は用があるんだね?」 少し砂埃がついたズボンを手で軽くはたきつつ、そんな事を聞いてみる。 その質問に九尾の女は油断するような素振りを一つとして見せず、居丈高な素振りでもって返す。 「別に私とてこれ以上聞くことは無い。ただ、少しだけ顔を合わしてもらいたい゛お方゛が一人いるだけだ」 彼女の返答に一瞬だけ怪訝な表情をを浮かべたジュリオだったが、すぐに笑みが戻ってくる。 だがそれに良くないものを感じ取ったのか、若干心配性な彼女の方が怪訝な表情を浮かべてしまう。 「ん…おいおい?何をそんなに怖がってるのさ」 両手を横に広げた彼の言葉に、それでも油断はできぬと判断した九尾の顔は、未だに硬くなり続ける。 そんな彼女と対面しながら、先程逃げようとした者とは思えぬ態度でもって、ジュリオは喋り続けた。 「まぁ突然表情を変えて、すぐに戻したのには理由があったんだよ。君はおろか、僕にとっても単純な理由がね?」 言い訳にもならない弁に藍は「理由?」と首を傾げ、ジュリオは「そう、単純な理由」と返す。 そして彼曰く゛単純な理由゛を口から出す為か一回深呼吸死をした後… 言葉にすれば、短いとも長いとも言えぬ゛理由゛を、彼は告げた。 「僕にもいるんだよ。君たちの様な【異邦人】と話をしたい、とても大切な゛お方゛が」 ―――――その瞬間であった。旧市街地の方角から、小さくも耳をつんざく爆発音が聞こえてきたのは。 獣の耳を持つがゆえに音に敏感な藍は唐突な音に目を見開き、その身を大きく竦ませる。 ジュリオもまたビクッと体を震わせ、驚いた表情を浮かべつつも、音が聞こえてきた方へと目を向けた。 先程まで霊夢達がいたであろう旧市街地の入り口周辺から、黒い煙が上がっていた。 彼に続いて顔を向けた藍もまたその顔に驚愕の表情を浮かべ、旧市街地の方を見つめている。 「あれは…!」 「おやおや。思ってた以上に、彼女たちは派手好きなようだ」 無意識に出たであろう藍の言葉にそう返しつつ、彼は右手に着けた手袋を外そうとする。 左手の人差指と親指で白い手袋の薬指部分だけを摘み、勢いよく上とへ引っ張る。 たった二つの動作だけで行える行為の最中にも、藍は気にすることなく旧市街地の方を見つめていた。 相手がこちらに気づいていない事を確認してから、彼は意味深な笑みを浮かべつつ、口を開く。 「しかし、あれだけ派手だと直にここも騒がしくなる。どうだい?今日はお互い、ここで身を引くという事で…」 「…っ!何を―――――…ッッッ!?」 ―――――言っている。再び自分の方へと振り向こうとする藍が全てを言い終える直前、 ジュリオは右手の゛甲゛を静かに、彼女の目に入るよう見せつけたのだ。 その瞬間であった。藍の目が見開いたまま止まり、言葉どころかその体の動きさえ停止したのは。 まるで彼女の体内時計のみを止めたかのように微動だにせず、ジュリオの右手の゛甲゛を見つめている。 否、正確に言えば…その甲に刻まれた゛光り輝くルーン゛を見て、彼女の体は止まったのだ。 「言っただろう。僕は仕事の都合上、動物との付き合いがあるって」 ジュリオは一人喋りながら、左手の人差指で右手の゛ルーン゛を軽く小突いて見せる。 まるで蛇がのたくっている様にも見えるソレは青白く光り、薄闇の中にいる二人を照らしていた。 「バケモノであれ何であれ…少なくとも君が動物だったという事実は、僕にとって本当に良い事だよ」 何せコイツを見せれば、すぐに逃げられるんだから。余裕満々のジュリオがそう言い放つと同時であった。 フッと意識を失った藍の体が、力なく前に倒れ込んだのは。 まるで激務の後にベッドへ横たわるかのように、その動作に何ら不自然性すらない。 ただ一つ、ジュリオの右手に刻まれた゛ルーン゛を見てしまった―――という事を除いて。 そのジュリオ自身はフッと安堵のため息をついて藍の傍へ寄るとその場で中腰になり、ルーンがある右手を彼女の前にかざす。 手袋の下に隠していた白い肌と゛ルーン゛を露わにした右手でもって、規則的で生暖かい息吹きに触れる。 ついで彼女の表情がゆったりとした寝顔を浮かべている事を確認した後、ゆっくりとその腰を上げる。 既に陽が三分の二も沈み、空に浮かぶ双月がその姿をハッキリと地上に見せつけ始めていた。 幼いころから見慣れてきたその空を眺めつつ、ジュリオは一人呟く。 「もう少し待ってててくれよ。君たちはともかく、僕たちにはもう少しだけ準備する時間が欲しいんだ」 君たちから離れはしないけどね。そう言って彼は踵を返し、ドアの方へと歩いていく。 昼の熱気を消し去るような涼しい夜風を身に受け、何処かから聞こえてくる馬の嘶きを耳に入れながら。彼はその場を後にする。 まるで初めからこうなるべきだと予想していたかのような、優雅な足取りで。 地上に初夏の熱気をもたらした陽が沈み、ようやく夜の帳が訪れてきたチクトンネ街。 昼頃の暑さが日暮れとともに多少の鳴りを潜め、涼しい風が吹いてくるこの時間。 今宵もまた、ここチクトンネ街は夜の顔とも言える部分をゆっくりと出し始めていた。 そんな街の中心を走る大通りの隅を歩きながら、二人の少女が楽しそうに談笑していた。 二人の内一人…腰まで伸ばした黒色の髪が街頭に照らされ、艶やかな光を放っている。 もう一人はボブカットにしており、一目見れば長髪の少女と比べ何処なく控えめな性格が垣間見えていた。 「…でさぁ、一通り見たんだけど…あのカッフェって店はそう長く持ちはしないだろうね!」 「はぁ…そう、なんだ…」 長髪の少女、ジェシカは大声で喋りながら、ボブカットの少女で従姉のシエスタの肩をパンパンと軽く後を立てて叩く。 ジェシカとは違い大人しい所が目立つ彼女は、自分の従妹の大声が迷惑になっていないか気にしているようだ。 実際繁華街と言ってもまだこの時間帯に騒ぐような人はいない為か、何人かが自分たちの方をチラチラと見ているのに気づく。 そんな事を気にしながらも、大人しい彼女は大声で喋る従妹の言葉に適度に相槌を打っている。 別にジェシカ自身酒で酔っているワケでも無く、どちらかと言えばそういうのに強い少女だ。 単に彼女が目立ちたがり屋なのと、そうでなければいけない仕事をしている関係でその声が大きいのだ。 一方のシエスタは騒がず目立たずお淑やかに努めるよう心掛けているので゜、二人の性格は正に正反対と言っても良い。 だからだろうか、他人から見れば酔っぱらったジェシカが素面のシエスタに絡んでいるようにも見えた。 「話に聞けば老若男女誰でも気軽に入れるって宣伝してるけど、出してる品物は若者向きなんだよ」 「そりゃあ…あそこは、結構若い人たちとかが住んでるし…」 人目を気にせず笑顔で喋るジェシカはシエスタの肩を叩きつつも、世間話を楽しんでいる。 大事な家族であり放っておけないくらい魅力的な従姉は苦笑いを浮かべて、そんな言葉を返す。 そんな彼女にジェシカは「わかってないなぁ…」と呟いて首を横に振ると、自分の言いたい事をあっさりと口に出した。 ここやブルドンネ街を含めたトリスタニアには、色んな人たちが色んな目的を持って街中を移動する。 そういう場所ではあまり下手な事を表立ってしてはいけず、注意しなければいけない。 「…例えばさっき話したように、老若男女誰でも入れるといって若者向けの料理とお茶しか出さない店がそうさ」 彼女はそこで一呼吸おいて話を中断し、隣にいるシエスタの反応を少しだけ伺ってみる。 従姉の顔は相変わらず苦笑いであったが、話自体に嫌悪感や鬱陶しさを感じていないのがすぐにわかった。 これは続けても良いというサインか。一人でそう解釈したジェシカは口を開き、先程の続きを始めた。 「まぁあそこで出してる東方からのお茶っていうのが、は割とお年寄り向けとは聞くけど…それ以外はてんで駄目だし なにより、あの店の内装も今時の子をターゲットにした感じの作りなんだから。本当、矛盾に満ちた店だったわ。 でも料理とかデザートは割と美味かったのは足を運んで良かった~…とは思ったけどね。それとこれとは話が別というものよ。 とにかく、私が言いたいのは老若男女何て言う曖昧な嘘じゃくなてハッキリと、若者向けの店ですって宣伝すればいいという話!」 わかった?最後にそう言い放ち、自信に満ちた表情を横にいるシエスタへと向ける。 恐らく優しい従姉は「そんなヒドイ言い方は…」と苦言を漏らすに違いないがまぁそれも良いだろう。 久しぶりに会えた上に一日中二人きりっで遊べたのだ。せめて見送る最中にこういうやり取りをしても罰は当たるまい。 …とまぁ、そんな事を考えながら振り向いたジェシカであったが、横にいたシエスタは彼女の顔を見てはいなかった。 ジッと前方を見据えたままその場で足を止めた彼女の表情には苦笑いではなく、怪訝な色が浮かんでいる。 「ジェシカ…あれ…」 どうしたのかと聞く前にシエスタはポツリと呟き、少し進んだ先にある大きな十字路を指差した。 それにつられたジェシカも顔を前に向けると、従姉が足を止めた理由が、なんとなく分かったのである。 ついで彼女自身も怪訝な表情を浮かべ、視線の先にあるいつもとは違う通りの様子を見て、一人呟いた。 「何だいアレ…あっ、衛士隊の馬車…?何でこんな所に…?」 二人の視線が向けられた先にある大きな十字路の前で、多くの人たちが足を止めていた。 その理由はジェシカ口にした通り、この街の平和を守っている衛士隊御用達の馬車が堂々と通りを移動していた。 トリステインの王家の家紋である白百合の刺繍が中央に施された荷車を見れば、その馬車が一目でどこのモノなのかは分かった。 雨が降った時に使われるミルク色の幌を付けた荷車の周りには、薄い鎧を身にまとう衛士が数人仁王立ちで佇み、誰も近づけさせないようにしている。 荷車を牽引するのは何故か栗毛の軍馬一頭で、衛士たちに前方を守られながら蹄を鳴らしてゆっくりと歩いている。 当然一時的に通行を止められた人々は馬車とそれを守る衛士隊に向けて、不平不満を出していた。 「おいおい、どういう事だよこりゃ!何で馬車が通り切るまで通行止めになるんだよ!?」 「何があったか知らないけど、こっちは急いでるんだ。ちよっと脇を通るくらい良いじゃねぇか」 「衛士さん、衛士さん!酒の肴として何があったか教えてくれよ?このままじゃあ、故郷から来た友人を待たせちまうんだわい!」 「ちょっとちょっと!通行止め何てされゃあアタイが仕事に遅れちゃうわ!そうなったらアンタたちが責任とってくれるのかい!?」 老若男女のうえに地方や他国訛りの言葉が飛び交う中で、衛士たち慣れた様子で対処している。 とはいっても石化したようにその場で突っ立っているだけだが、誰一人突破しようと思うものはいない。 各々が利き手で槍を持って仁王立ちをしている姿を見れば、武器を持たぬ者なら喧嘩を吹っかけようとは思わないだろう。 一体何が起こったのかわからぬまま、二人は目の前の光景を見つめている。 そんな中で、ふとジェシカが何かを思い出したかのような表情を浮かべ、ついで口を開いた。 「あっ…う~ん、参ったねぇシエスタ」 突然そんな事を従妹に聞かれた彼女は「えっ、何が…」と返す。 街中での珍しい景色に見とれていた従姉の様子にため息を突きつつも、ジェシカは言葉を続ける。 「学院行きの馬車だよ、馬車!このまま足止め喰らってたら…今日の分は到底間に合いそうにないって」 出来の悪い生徒に教える教師の様な態度で話す彼女に、シエスタはアッと驚いて思い出す。 ブルドンネ街には結構な規模の馬車駅があるが、陽が沈み始めると荷車を引く馬たちを厩へ入れてしまう。 しかもシエスタの仕事場であるトリステイン魔法学院行きは、今の時間帯なら一時間後に動く馬車が最後の便となる。 これを逃せば簡単には学院へ戻れず、厩で高い料金を払って馬を一頭借りなければ行けない羽目になってしまうのだ。 「どうしよう…私が帰らなかったら心配する人たちもいるし…それに明日の御奉公もできないわ」 明日の事を考えて呟くと、シエスタの顔が段々と不安染まり始める。 それを見てどうにかできないかと考えるジェシカであったが、一向に良い案が浮かばない。 「ここからブルドンネの駅まで行くのに大分時間かかるし、何よりこの様子だと遠回りしなくちゃあ駄目だよコレは…」 群衆と衛士たちの押し問答を見ながら、別々の様子を見せる二人の黒髪少女。 熱気と怒号に満ちた通りを冷やすかのように吹く冷たい風が、少女たちや人々の体を撫でていく。 そんな時であった。ゆっくりと通りを進む荷車の中から、『ソレ』が舞い上がったのは。 まるで『ソレ』自体が魂を持ってしまったかのようにスルリと、滑らかに波打ちながら飛び出した。 衛士たちは周りの民衆に警戒し、通りの民衆は衛士たちを睨みつけていた為に気づくモノは一人もいない 「―……?ねぇ、ジェシカ…アレ」 最初に気が付いたのは、どうやって帰ればいいのか悩んでいたシエスタであった。 少し強めの風が吹き荒ぶ街の空を舞い上がっていく細長く赤い何かを、彼女は目にしたのである。 従姉の言葉に何なのだろうかと顔を上げ、ついで『ソレ』を目撃した。 人口の光に照らされた赤い『ソレ』は、まだ何者にも汚されていない星だらけの夜空を飛んでいる。 それはまるで、力を得た鯉が真紅の龍となって飛び立つかのように、波打ちながらも舞い上がっていく。 風向きが空の方へ向いていれば、それは何処までも…それこそ空よりずっと上にある星の海へと旅立っていただろう。 「アレって一体…あ、風向きが変わって…」 「コッチに…」 しかしソレの行く先は不幸にも地上、夜空と違い自然を失って久しい人々の文明圏へと落ちていく。 白いフリルをはためかせて地上へと降りていく赤いソレは何の因果か、彼女たちの元へ向かっている。 自分達の方へと落ちてくる事に気が付いた二人の内シエスタが、反射的に両腕をスッと上へ伸ばした。 学院で掃除や炊事などの仕事をしているにも関わらず、彼女の肌は真珠のように白く美しい。 そんな手に吸い込まれるようにして落ちてきた『ソレ』が、見事の彼女に掴まれてしまう。 『ソレ』を手にしたシエスタが最初に感じたことは、『ソレ』が何かで゛濡れている゛事と―――――異常なまでの゛既視感゛。 まるでいつも何処かで見ていたと錯覚させる『ソレ』の正体がわからず、シエスタは首を傾げそうになる。 しかしその錯覚は従妹の…ジェシカの一言によって掻き消された。 「ソレって、…まさか――――あのレイムって子のリボンじゃ…」 「えっ―――――――」 従姉の言葉に目を丸くさせた彼女は慌てた風に、リボンと呼ばれた『ソレ』をもう一度凝視する。 赤を基調としている為に、白いフリルや模様がよく目に入る目立ちやすいデザイン。 自分の記憶が正しければ『ソレ』…否、赤いリボンは確かにルイズの使い魔として召喚された霊夢のリボンだ。 それに気が付いたと同時にシエスタは、何がこのリボンを゛濡らしていた゛のにも、気が付く。 シエスタはリボンを持つ両手の内左手だけを離し、恐る恐る掌に何が゛付いている゛のか確認した。 数匹の蛾が纏わりつくカンテラの下にいる彼女の目に入ったのは、リボンと同じ色をした―――自分の左手だった。 無意識の内に小さな悲鳴を漏らし、ジェシカは咄嗟に口を押さえて驚愕の意を表している。 本当ならリボンを投げ捨てているだろうが、律儀にもシエスタは手に持ち続けたままソレを眺め続けている。 目を見開き、恐怖で若干引きつった表情でリボンを持つ彼女の姿は、傍から見れば相当なモノだろう。 同僚や上司から綺麗だな、羨ましいと言われていた白い手は、真っ赤な色に染まっている。 それもトマトやペンキとは思えぬほど変に生暖かく、僅かに鉄の様な臭いをも放つそれの正体を、二人は知っていた。 そしてその疑問を恐る恐る口にしたのは、意外な事にリボンを手にしたシエスタ本人であった。 「これって…まさか………――――血?」 彼女の口から飛び出た言葉に、ジェシカは即座に返す言葉を見つけられず狼狽えている。 ただただ口を押え、両手を血で濡らした従妹の背中越しから、そのリボンを見つめ続けていた。 シエスタの頭の中に疑問が浮かぶ。どうしてこんな所で彼女のモノを見つけ、手に取る事が出来たのか。 本来の持ち主は何処へ行ったのか、そして付着した血は誰のものなのか。 運命の悪戯とも言えるような偶然さで霊夢のリボンを手にした彼女の脳内を、知りようのない疑問が巡っていく。 シエスタの後ろにいるジェシカも見慣れぬ血を間近で見たせいか、口を押えて絶句の意を保ち続けている。 静寂に包まれた二人に声を掛ける者はおらず、皆が皆自分の為だけに足を進めて動き続ける。 「おい、お前たち。そのリボンを持って何をしている」 リボンを手にして一分も経たぬ頃…誰にも見向きされず、見咎められない二人に声を掛けた者がいた。 それは鎧とも呼べぬ衛士用の装備を身に纏った金髪の女性―――アニエスであった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん その後、霊夢達はアーソンとアニエスに連れられて生殺し状態となっている被害者ことカーマンの前に立っていた。 全身のほぼ氷に覆われ、まるで芋虫のような状態となってしまった貴族を見て、流石のゼッサールは息を呑んでしまう。 彼も最初にそれを見たアニエス同様死んでいるかと思ったが、ぎこちない動作で顔を上げたソレと目が合ってしまったのである。 予想外の見つめ合いに視線を逸らす事も出来ない彼は、そのまま背後にいるアニエスへと質問を投げかけた。 「これが…被害者の貴族殿かね?」 「はい、既に死んでいられるようにも見受けられますが…まだ辛うじて生きてはおります」 「生きてはいるって…しかし、これでは…」 自身の質問に答えたアニエスの言葉に、彼は信じられないと言いたげな表情を浮かべてようやく視線を逸らした。 職業上悲惨な状態となった死体は幾つも見てきたつもりだが、この様な状態になってまで生きている者など初めてみたのである。 無理も無い、何せここ数十年のトリステインではこの様な状態になる者が出来るほどの戦争などなかったのだ。 幸い吐き気を堪える事はできたが、もはや安楽死させるしかない者からの直視というものは中々辛いモノがある。 一方の霊夢はというと、その視線をジッと足元に転がる老貴族…ではなく、一番奥に見える大きな扉に目を向けていた。 自分を取り押さえた警備員たちが下水道がどうこうと言っていたので、恐らくあの扉の向こうは外に通じているのだろう。 正直な所、今の霊夢は自分が最初に見つけた初老の貴族の事よりもそのドアの向こう側が気になって仕方が無かった。 (彼にこんな仕打ちをしたであろうヤツは気配からしてここにはいないだろうし…やっぱり、あの扉から外へ出たんでしょうね) 最初にここへきた時にもとりあえずその扉を開けようとしたのだが、駆けつけた警備員たちに止められてしまっていた。 それでも無視して開けようとして、ドアノブを捻った所で更にやってきた警備の者達に取り押さえられてしまったのである。 その後はデルフを取り上げられて頭を押さえつけられながら、警備室に連行されそうになったのは今思い出してもハラワタが煮えくり返ってしまう。 (まぁあの後すぐに追いかけてきてくれたルイズのお蔭で助かったけど…結局ドアの向こうには行けずじまいだったのよね…) 今からでもドアの前にいる警備員を押し退けていけないものかと、そんな無茶を考えていた彼女の肩を、何者かが掴んできた。 ドアの方へと注目し続けていた彼女は「ひゃっ!?」と驚いてしまい、慌てて振り返ってみるとそこには怪訝な表情を見せるアニエスがいた。 「…ど、どうした?そんな急に、驚いて…」 どうやら急に驚いたのは彼女も同じだったのか、ほんの少し身を竦ませている。 驚かされた霊夢は溜め息をつきつつも、ジト目でアニエスを睨みつけた。 「そりゃーアンタ、人が考え事してる時に肩なんか叩かれたら誰だって驚くわよ?」 「む、そうだったのかそれはスマン。…それよりも、先にお前を連れて来いと言ってきた貴族様の顔を見てやれ」 「貴族さま?…って、あぁ」 アニエスの言葉に視線を床へと向けた彼女は、あの初老の貴族が自分の方へ顔を向けているのにようやく気がついた。 今にも砕け散ってしまいそうな程魔法で生み出された氷に包まれた彼の顔は、醜くもどことなく儚さが垣間見える。 恐らく彼自身も気づいているのだろう。自分はもう長くは生きられない事と、死が間近に迫っているという事も。 そして彼は最初にここへ来た霊夢を呼びつけたのだ。その少女の姿に反して、鋭い目つきを見せていた彼女を。 死にかけの状態に瀕したカーマンは、自分を見下ろす少女へ向けてその口をパクパクと微かに動かしていく。 凍り付いていく顎の筋肉を懸命にかつ慎重に動かし、ひたすら霊夢に向かって口を動かし続けている。 まるで望遠鏡越しにしか見えない程遠くにいる人間が覗いている者に向けて行うジェスチャーの様に、その動きには必死な気配があった。 「……よっと」 そして彼の視線と口の開閉から何かを感じ取ったのか、彼女は突然その場にしゃがみ込んだのである。 床に転がる彼とできるだけ視線を合わせた後、自身の左耳を彼の口元へと傾けていく。 突然の行動にアーソンは一瞬止めようかどうか迷い、結局はそのまま見守る事にした。 アニエスやゼッサールも同じなようで、周りにいる他の衛士達同様これから彼女が何をするのか気になってはいた。 耳を傾け、自らの話を聞いてくれようとする霊夢へ向けてカーマンは蚊の羽音並のか細い声で喋り出したのである。 「―――、――――…?」 「……私は単なる通りすがりの巫女さんよ。…まぁ今はワケあってこの国にいるけど」 カーマンが一言二言分の小さな言葉を出した後、その数倍大きい声で霊夢が返事をする。 アニエス達には彼が何を言っているのかまでは聞き取れないが、ここへ彼女を呼び出したからには何かワケがあるのだろう。 そう思ったアニエスは霊夢に続いてしゃがみ込み、彼女の隣で話を聞こうとソット耳を傾けたのである。 「―――――、―――――」 「いや、見てないわ。私が駆け付けた時にはもう誰もいなかったし…」 続けられる問いに霊夢は首を横に振るのを見た後、彼は更に質問を続けていく。 「――――、――――――――」 「…成程。確かに、ここから逃げようとって思うならそこしかないわよね?」 風前の灯の様な彼の小さな言葉に彼女は納得したようにうなずき、下水道へと続く扉を注視する。 そして数秒ほどで視線を元に戻したところで、再び彼女に話しかけた。 「―――――、―――――――――」 「…?ズボンの右ポケット…?ここかしら…」 「あっ…おい、勝手に被害者に触るんじゃない」 何かお願いごとでもされたのか、急に彼のズボンの方へと手を伸ばしそうとた霊夢をアニエスが咄嗟に制止する。 すんでの所で停止した所で彼女は後ろにゼッサールへと顔を向けて、「どうします?」と指示を仰いだ。 ゼッサールはほんの数秒悩んだ後、先にズボンへと手を伸ばした霊夢に何を言われたのか聞いてみた。 「スマン、彼は今何と…?」 ゼッサールからの問い霊夢は彼を無言で睨み付けたものの、あっさりと話してくれた。 「…自分はもう長くない。だから死ぬ前に頼みたい事があるから、ポケットを探ってくれ…って言ってたのよ」 「そうか…頼む」 霊夢を通して初老貴族の要求を聞いた彼は、アニエスの肩を軽く叩いて許しを出す。 これをOKサインだと判断した彼女はコクリを頷いてから、霊夢に代わってズボンの右ポケットを探り始める。 薄い氷に包まれたズボンはとても冷たく、今にも自分の手までも凍ってしまいそうな程だ。 夏であるにも関わらずその体はゆっくりと温度が下がり、薄らと肌に滲んでいた汗すらもひいていく。 このまま探し続けていたら本当に凍ってしまうのではないかと思った矢先であった、アニエスが「…あった」という言葉と共に何かをポケットから取り出したのは。 それは霜の点いた革袋で、袋越しにも分かる出っ張りから中身が何なのかは容易に想像できた。 霊夢に代わって袋を取り出したアニエスが念のため口を縛っていた紐を解くと、中から金貨が数枚程零れ落ちた。 慌ててそれを拾うと掌の上に置いて、様子を見ていた他の三人にもその金貨を見せてみる。 「…これって金貨?袋の中にもまだ結構な量が入ってるけど」 霊夢が袋の中にある残りの金貨を見つめていると、再び初老貴族が何かを言おうとしているのに気が付く。 少し慌てて耳を傾けると、彼はか細い声で彼女に何かを伝え始めたのである。 先ほどとは違い、それは少しだけ長く感じられた。 頭の中に残された理性を総動員させたかのように、彼は霊夢の耳に遺言とも言える頼みごとを伝えていく。 正直なところ、それを聞くのが霊夢でなくとも良かったかもしれない。 しかし霊夢自身はそれを聞き捨てる事無く耳を傾け、彼が残りの命を消費して喋る事を一字一句受け止めている。 その表情に決してふざけたものなどなく、ただ真剣かつ静かに聞き届けていた。 やがて言いたい事は終わったのかカーマンが口を動かすのをやめると、霊夢はスッとアニエスの方へと顔を向ける。 彼の言葉が気になったアニエスは「どうした?」と霊夢に尋ねると、彼女は彼が言っていた事を口にした。 「そのお金でブルドンネ街三番通りの裏手にピエモンっていう男がやっている店があって、そこで三番の秘薬を買ってほしいと言っていたわ…」 「秘薬?その袋の中の金貨でか?」 「一応店自体は存在しています。…あの男、違法かつ高値を吹っかけてきますが秘薬生成の腕は本物です」 霊夢を通じて語られるカーマンからの言葉に、ゼッサールは袋の中身を一瞥しながら怪訝な表情を浮かべる。 そこへすかさず街の地理に精通したアーソンが補足を入れた事で、ゼッサールはある程度納得することができた。 確かに彼…もとい少女の言うとおりブルドンネ街の三番通り裏手には、そういう名前の男がやっている秘薬店は存在する。 非合法なうえにバカみたいな値段で秘薬を売っているが、表通りで売っているポーション屋よりも効果があるというのは結構な数の人が知っていた。 最も、その秘薬を調合するのにサハラ産の麻薬を使っている…という黒い噂もあるにはあるのだが。 今は多忙で無理だが、いずれは徹底的に調べてやると改めて意気込むアーソンを余所に、 アニエスはそれだけではないと、霊夢にカーマンの言っていた事は他にはないかと尋ねていた。 「…それで、そこで秘薬を買ったらどうすると言っていた?」 その問いに霊夢はコクリ頷いて「もちろんあったわ」と答えた後、少し言葉を選びつつもしゃべり始めた。 「あぁ~、確か…しぇる…じゃなかった、シュル…ピス…だったかしら?ここから少し離れた場所にある街にあるアパルトメントまで届けて欲しいって…。 名前は―――…そう、『イオス』だったわ。そこの三階の一室に住んでる自分の奥さん…アーニャっていう人に、届けてくれないか…って私に言ってきたわ」 慣れない発音に戸惑いつつも、最後まで言い終えた霊夢にアニエスは「そうか」とだけ返す。 彼女にはカーマン氏の身元は話しておらず、本来なら自分たちしか知らない情報の筈であった。 という事は、今話してくれた事は全て彼から伝え聞いたことであるのは間違いないだろう。 霊夢をとおしたカーマンの遺言を聞き終えたアニエスは、スッとアーソンとゼッサールの二人へと視線を向ける。 どうしますか?―――視線を通して伝わる彼女の言葉に答えたのは、同じ衛士隊のアーソンではなく、魔法衛士隊のゼッサールであった。 「彼もまた私と同じくトリステインの貴族。ならばその願いを応えてやるのが死にゆく者への弔いとなりましょう」 「…でしたら、秘薬の方は?」 「えぇ、住所さえ教えていただけたら私が秘薬を買い、そして彼の奥方へ届けます」 我が家名と、貴族の誇りにかけて。最後にそう付け加えると、彼は人の良さそうな笑みを浮かべて言葉を続ける。 「…とは言いましても、一貴族がそんな酔狂な事をするかと疑われればそまでですがね」 「いいえ、貴方なら信用できます。確証はないですが、信頼できる人だ」 軽い自虐とも取れるゼッサールの言葉にアニエスは首を横に振ると、彼に金貨の入った革袋を差し出してみせる。 一衛士からの賞賛に彼はただ「そうか、ありがとう」とだけ返し、数秒の間を置いてその革袋を受け取った。 掌の上にズシリとした微かな重みを感じつつ、渡されたソレを開けて再度中身の確認を行う。 ちなみに、最初にアニエスが紐解いた際にこぼれ出た分は受け渡す直前に戻している。 それでも念のためにと彼女の方へと視線を向けるが、それは相手も察しているのか大丈夫と言いたげに頷いて見せた。 受け取るモノをしっかりと受け取った後で、ゼッサールは自分を見上げる初老の貴族へと視線を向ける。 いつ息を引き取ってもおかしくない彼は、呆けた様な表情を浮かべていた。 一体彼が今何を考えているのか分からぬが、それでもゼッサールは死にゆく同胞に対しての礼儀を欠かさなかった。 軍靴鳴らしてつま先を揃え、腰から抜いたレイピア型の杖を胸元で小さく掲げた彼は落ち着き払った声で彼に別れを告げる。 「では少し時間は掛かるかもしれませぬが…貴方の遺言、しっかり叶えてみせましょうぞ。カーマン殿 自分と比べれば家は低く、決して裕福な生活では無かったものの、貴族として大先輩である彼への告別の言葉。 その言葉と顔を見て本気だと理解できたのか、呆けた表情から一変して穏やかな笑みを氷の張りつく顔に浮かべた彼は必死に口を動かし――― ――…あ・り・が・と・う…。 声無き言葉を彼に送った直後、その顔に穏やかな微笑みを浮かべたまま―――カーマンはその頭をガクンと項垂れさせた。 直後、氷に大きな罅が入った時のような耳障りな音と共に彼の後頭部に、大きな一筋の亀裂が入る。 それを見た霊夢は思わす「あっ…!」声を上げた彼の傍に寄ろうとするが、寸前にその足が止まってしまう。 彼女だけではない、アニエスやアーソン…ゼッサールを除くその場にいた衛士達も息を呑んでカーマンの遺体を見つめている。 正確には亀裂の入った彼の後頭部の隙間から夥しく溢れ出てくる、おぞましくも明るい赤色の血を。 まるで切込みを入れた果実から溢れ出る果汁の様にそれは彼の耳を伝い、赤い絨毯を鮮やかな赤で染めていく。 一切の動きを止めた彼に代わるかのように流れ出る鮮血が、薄暗い赤の上を伝って小さな血だまりを作る。 それを黙って見降ろす霊夢達の背後、突如として陰惨な光景には似つかわしくない活発な声が聞こえてきた。 「通るわよ…って、いたわ!こっちよマリサ!」 「おぉそっちか…やれやれ、ちょっと遠回りした気分だぜ」 『気分も何も、実際遠回りしてたとおもうぜ』 目の前に広がる光景とは剥離した少女達の声とそれに混じる男の濁声に、アニエスたちは思わず背後を振り返ってしまう.。 それに一歩遅れる形で霊夢も振り返ると、そこには案の定聞きなれた声の主たちがいた。 見慣れぬ書類一枚を片手に握った彼女は息を荒く吐きながら、じっと自分を睨んでいる。 その彼女の背後、廊下の曲がり角からはいつものトンガリ帽子を被った魔理沙がヒョコッと顔を出している。 直接目にしていないが、先ほどの濁声からして彼女の手には鞘に収まったデルフが握られているのが様に想像できた。 「ルイズ…それにマリサも?」 「おぉこれはミス・ヴァリエール…って、どうしてこんな所へ?」 二階のラウンジに閉じ込められていたルイズと魔理沙の姿を見て霊夢は怪訝な表情を浮かべ、 前もって事件の報告を聞いていたゼッサールも、目を丸くして驚いている。 「ミス・ヴァリエール!一体どうして…!?」 「おいっ!どこのどいつだ、彼女らを二階から出した馬鹿はッ!」 そんな二人に対して、現場を任されていた衛士の二人は目の端を吊り上げて怒鳴り声を上げた。 アニエスは怒りよりも先に困惑の色を浮かべて、ここまでやってきたルイズ達を見つめている。 一方でアーソンは曲がり角の向こう側にいるであろう部下たちに聞こえる程の怒号を上げた。 その怒声に部下である一人の衛士が慌てて彼の前に駆けつけ、敬礼の後に事の詳細を彼に教えよとする。 「は、はっ!実はミス・ヴァリエールはアンリエッタ王女殿下から特別な書類を貰っている事が判明しまして…」 「特別な書類?王女殿下から…?」 若干体を震わせる彼の報告にアーソンではなくゼッサールが驚くと、タイミングよくルイズがその書類を見せようとした。 「はい。実は私、姫殿下から女官として行動できる為の特別な許可……を……?」 手に持っていた書類を掲げてゼッサール達に見せようとしたルイズはしかし、途中でその言葉を止めてしまう。 その鳶色の瞳はただ真っ直ぐとアニエスたちの後ろ、霊夢のすぐ背後にある死体を見据えていた。 途中で言葉が止まったルイズを見て訝しんだ魔理沙もすぐにその死体に気付き、息を呑んでいるようだ。 「マジかよ…」と彼女にしては珍しい反応を見せて、視界の先で床に転がる白く赤いソレを見つめている。 「ルイズ」 言葉を失い、ただただ死体を見つめているルイズを見て流石に心配してしまったのか、 真剣な表情を浮かべたままの霊夢が彼女の名を呼ぶと、それに呼応するかのようにルイズは口を開く。 「ね、ねぇレイム?…もしかしてそこに転がってるのは――――」 「そうね。確かにお昼頃にぶつかった初老の貴族その人…だったわ」 最後まで言い切る前に、やや残酷とも思える淡々とした感じで言葉を返した瞬間、 ルイズの手から滑り落ちた書類が廊下の絨毯へと落ちる静かな音が、静かくて暗い天井に吸い込まれていった。 王都の中心部に位置するトリステインの王宮は、日が暮れても暫くは多くの人が外へと続くゲートをくぐっていく。 ゲートの前は厳重に警備されており、王宮所属の平民衛士や貴族出身の騎士たちが通る者の持ち物チェックなどを行っている。 やや過剰とも思えるセキュリティであったが、場所が場所だけにそれを大っぴらに批判出来る者はいなかった。 今日もまた多くの貴族たちが従者に鞄を持たせつつ持ち物を受けて、呼んでいた馬車に乗って自宅に帰っていく。 彼らの大半は王宮内で書類仕事を行っており、街の近郊に建てられた豪邸を買ってそこで暮らしている。 領地の運営等は代理任命した他の貴族に一任しており、彼らはもっぱら王宮で書類と睨めっこの日々を続けていた。 そしてその貴族たちの列とはまた別の列には、いかにも平民と一目でわかる者達が書類片手に並んでいる。 書類は往復可能な当日限定の通行手形であり、それを手にしている彼らは王宮の警護を一人された衛士達であった。 朝から働き、つい一時間前に夜間警備の者達と交代した彼らはこれから街で安い飯と酒で乾杯しに行く所なのである。 「ホイ、通行許可証。今から二時間、目的は夕食だ」 「あいよ。……それじゃあ、この前お前らが美味い美味いって絶賛してた屋台飯買って来てくれよ」 「おう、分かったよ」 顔見知りである夜間警備の同僚の手で書類に印を押してもらい、ついでそれを折りたたんで懐へとしまう。 次に持ち物検査をし、持ち出し厳禁の物を所持していない事を確認してからようやく外へと出られるのである。 これで暫しの間自由となった彼らは一人、あるいは数人のグループを組んで次々と繁華街の方へと歩いていく。 彼らの足が向かう先は唯一つ、美味い飯と安い酒に綺麗な女の子他達が大勢いるチクトンネ街だ。 トリスタニアが昼と夜で二つの表情を持つのと同じように、王宮もまた夜の顔を見せていく。 昼と比べて警備員の数が三割増しとなり、一部のエリアは固く施錠されて出入りを禁止される。 庭園や渡り廊下にはかがり火が灯され、衛士や騎士達が槍や杖を片手に警備を行っていた。 王宮内部の警備人員も増えて、槍型の杖を装備する騎士達が隊列を組んで絨毯の敷かれた廊下を歩いていく。 鉢合わせてしまった侍女たちは慌てて廊下の隅に下がって道を譲り、通り過ぎる騎士達に頭を下げた。 その光景を上階の廊下から眺めていたのは…この王宮に住まう若く麗しき姫君、アンリエッタであった。 ほんの少し手すりから身を乗り出して廊下を歩いていく騎士達を眺めていると、後ろからマザリーニ枢機卿の声が聞こえてくる。 「殿下、騎士団長殿から夜間警備の準備が完了したとの事です」 「…そうですか。でも報告しなくて大丈夫ですよ枢機卿?私はしっかり見ていましたから」 マザリーニからの報告にアンリエッタはそう返すと手すりから身を放しと、彼を後ろに付けて自らの寝室へ向けて歩き始める。 距離にすればそれ程遠くはない所にアンリエッタの新しい執務室があるのだが、そこへ至る過程が大変であった。 「…!一同、アンリエッタ王女殿下に向けて敬礼!」 「「「はっ!」」」 「…夜間警備、ご苦労様です。その調子で頑張ってくださいね」 途中すれ違った衛士達は立ち止まると勢いよく敬礼し、 「貴女は先週入ったばかりの新入りさんでしたね。どうですか、ここでの仕事は?」 「え?…えっと、大丈夫ですけど…」 「そうですか。…もし分からない事があれば、遠慮なく先輩方に質問してもよろしいですからね」 「いえ、そんな…こうして姫殿下に心配して頂けるだけでも、お気持ちを十分に感じられますから…」 顔を合わせた侍女が新入りの者だと気づけば、ちゃんとやれているかどうか聞いてあげている。 聞いてあげる…とはいっても単に一言二言程度であったが、それでも王族の者に話しかけられる事は滅多に無い事なのだ。 衛士達はもとより、侍女は不可思議な申し訳なさとしっかりとした嬉しさを感じていた。 そんな風に通りがかる者達に一々声を掛けていくと、自然と時間がかかってしまう。 本当なら歩いて十分で辿り着くはずの執務室の前に辿り着くのに、十五分も掛かってしまった。 「ふぅ…少し前なら然程時間も掛からなかったけど。…けれども、不思議と不快とは思わないわね」 「臣下に気を配るのも王女の定めというものですが、流石に衛士や侍女にまで一々声を掛けるのは」 「あら?少なくともあの人たちは政や会議の大好きな方々よりもずっと私に役だっていますのに?」 ドアの前でそんな会話を一言二言交えた後に、アンリエッタはドアの前にいる騎士に向かって軽く右手を上げた。 それを合図に騎士はビシッと敬礼した後にドアの鍵を上げるとノブを捻り、なるべく音を立てぬようにドアを開けた。 ドアを開けてくれた騎士にアンリエッタはニッコリと微笑みを向け、そのまま執務室へと入っていく。 それに続いてマザリーニも主に倣って頭を下げて入室すると、騎士はソッとドアを閉めた。 今後女王となる彼女が書類仕事をする際に使われる執務室は、歴代の王たちが仕事をしてきた場所である。 立派な暖炉に書類一式とティーセットを置いても尚スペースが余る執拗机に、着替えを入れる為の大きなクローゼット。 入り口から右を向けば壁に沿って大きな本棚が設置されており、収まっている本には埃一つついていない。 そして執務の合間にやってきた客をもてなす為の応接間は勿論、今は閉じられているもののバルコニーにはロッキングチェアまで置かれている。 極めつけは部屋の隅に設置された天蓋付きのダブルベッドであった。シングルではなく、ダブルである。 執務室…にしてはあまりにも豪華過ぎる執務室を見回してみたアンリエッタは、少し呆れたと言いたげなため息をついてしまう。 「今日で五回目のため息ですな。何か執務室にご不満でも?」 「いえ、不満…というワケではないのだけれど…正直執務室にあのような大きなベッドは必要ないのではなくて?」 相も変わらず今日一日のため息を数えている枢機卿にも呆れつつ、彼女は部屋の隅に置かれたダブルベッドを指さす。 「シングルならまだ分かりますよ。でもダブルで天蓋付きだなんて…あからさま過ぎて破廉恥ではありませんか?」 「…私も詳しくは知りませぬが、歴代の王の中には名家の女性と親密になる必要もありました故…」 隠すつもりの無いマザリーニからの言葉に、アンリエッタ思わず顔を赤くしてしまう。 そして何を思いついたのか、ハッとした表情を浮かべると恐る恐る彼に質問をしてみた。 「歴代…とは、私の父も?」 「いえ。もし入っていたとしたら、先王の死因が病死ではなく王妃様との揉め事になっておりますよ」 「それを聞いて安心しました。…あぁいえ、あまり安心はできませんが」 アンリエッタは父である先王があのベッドの上で゙極めて高度な交渉゙を行っていない事に安堵しつつも、 これから自分があのベッドの置いてある部屋で執務をするという事に、多少の抵抗を感じていた。 ひとまずマザリーニには明日にでもベッドをシングルかつシンプルな物に変えるよう頼んでいると…ふとドアがノックされた。 アンリエッタがどうぞと入室を許可すると、ドアを開けて入口に立っていた騎士が失礼しますと言って入ってきた。 怪訝な表情を浮かべた彼は敬礼をした後で気を付けの姿勢をして、アンリエッタに入室者が来ている事を報告する。 「殿下、お取込み中すいません。ただ今姫様に報告があるという事で貴族が一名来ておりますが如何いたしましょう?」 「それなら問題ありません。彼を通して上げてください」 「え…あ、ハッ!了解しました!」 思いの外早かったアンリエッタからの許可に騎士は慌てて敬礼する。 そして再び廊下へと出ると、彼と交代するかのように痩身の中年貴族が身を縮みこませて入ってきた。 黒いマントに黒めの服装と言う闇夜にでも紛れ込むのかと言わんばかりの出で立ちをしている。 年齢は五十代後半といった所か、一見すれば四十代にして老人と化しているマザリーニと同年齢に見えてしまう。 ややおっとりしと雰囲気を醸し出す顔には緩めの微笑みを浮かべて、アンリエッタ達に頭を下げて挨拶を述べた。 「夜分失礼いたします。姫殿下、それに枢機卿殿も…」 「そう過剰に頭を下げずともよろしいですわ『局長』殿。…わざわざ忙しい中呼びつけたのは私なのですし」 薄くなってきた頭頂部を見つめつつ、アンリエッタは自らが『局長』と呼んだ痩身の男へもう少し態度を崩しても良いと遠回しに言ってみる。 しかし痩身の男は頭を上げると「いえ、滅相もありません」と言って自らの謙遜をし続けてしまう。 「私の所属する部署を立ち上げてくれた貴方の御父上である先王殿の事を思えば、つい自然と言葉を選んでしまうものなのです」 「…そうですか。私の父の事を思っての事であれば、そう無下にはできませんね」 自身の父であり、歴代の王の中でも若くして亡くなった先王が再び出てきた事に、アンリエッタは神妙な表情を浮かべてしまう。 平民に対して比較的優しい政策を取っていた先代のトリステイン国王は、有能であれば例え下級貴族であっても重要な地位に就かせていた。 今こうして夜分に部屋へと呼びつけた痩身の彼も、その時に創立された『特殊部署』の指揮担当として採用されたのである。 その後、一言二言の言葉を交えた後で三人は応接間のソファに腰を下ろしていた。 一番最初に入室したアンリエッタが指を鳴らして点灯させた小型のシャンデリアが、部屋を眩く照らしている。 「ふむ、この応接間に入るのも久々ですなぁ。長らく人が入っておらぬようですが、しっかり手入れが行き届いてる」 「そうですな…ところで殿下、あの剥製に何か気になる所でも?」 「あぁいえ。鷹や極楽鳥はともかくとして…風竜の仔なんて一体どこで手入れたのかと気になりまして…」 マザリーニはふと、アンリエッタが応接間のの飾りとして置かれている剥製に視線が向いている事に気が付いた。 彼女の趣味ではなかったが壁や部屋の隅には、鷹や仔風竜の剥製が躍動感あふれる姿勢で飾られている。 良く見てみれば、隅に置かれている台座付きのイタチの剥製は毛皮の模様を良く見てみると幻獣として名高いエコーであった。 注文したのか、はたまた歴代の王の誰かが直接狩ってきたのか…今となっては知る由も無い。 ちょっとした見世物小屋みたいね…。あちこちに飾られた剥製に思わず目を奪われていると、 それを見かねたであろうマザリーニが咳払い…とまではいかなくとも彼女に声を掛けた。 「あの、殿下…気になるのは分かりますが、今は局長殿の報告を聞くのが先かと」 「…あ、そう…でしたね。失礼いたしました」 「いえいえ。何、そう焦る必要はまだありませぬのでご安心を」 枢機卿からの指摘でハッと我に返れた彼女は慌てて頭を下げてしまう。 それに対して痩身の男――局長も頭を下げ返した後、ゴソゴソと自らの懐を探り始める。 暫しの時間を要した後、彼がそこから取り出したのは幾つかの封筒であった。 全部計三枚、どれも王都の雑貨店で売られている様な手製の代物である。 星や貝殻のマークが散りばめられたそれらは、痩身かつ五十代の男には似つかわしくないものだ。 それを懐から取り出し、テープ目の上に置いた局長は落ち着き払った声でアンリエッタに言った。 「ここ最近、タルブでの会戦終了直後から『虫』の動向を探った各種報告書です。どうぞ御検分を」 「…………わかりました」 彼の言葉にアンリエッタは一、二秒ほどの時間を置いてからそれを手に取ってみる。 糊付けされた部分を指で剥がして封筒を開けると、中には三、四回ほど折りたたまれた紙が入っていた。 一見すれば手紙に見えるその一枚を、アンリエッタは丁寧に開いていく。 やがてそれを開き終える頃には、彼女の手の中にはちゃんとした形式で書かれた報告書が完成していた。 そこに書かれていたのは局長が『虫』というコードネームをつけている相手の、ここ最近の動向が書かれている。 アンリエッタがそれを読み始めると同時に、局長は静かにかつ淡々と報告書の補足を入れ始めた。 「これまでの『虫』は自身に火の粉が及ばぬよう、細心の注意を払っておりましたが…ここ最近はそれに焦りが生じております。 財務庁口座内にある預金の移動や分散などの額にその焦りが見られ、会戦後に引き出し額が右肩上りになっているのが分かりますか?」 局長の説明にも耳を傾けつつ、報告書に書かれている事を目に入れながらもアンリエッタはコクリと頷く。 報告書に書かれているのは『虫』が財務庁に預けている口座預金が、やや激しく減り続けている事に関して書かれている。 不可解な口座からの引き出しに次いで、その金を国内外の各所にある銀行等に預けているのだ。 正確な額こそは調査中であるが、すでに『虫』が国の口座内で暖めていた全預金内の五分の三以上はあるのだという。 それだけの額を持っているとなると…王族を別にすればかのラ・ヴァリエール家の全財産に相当するとも言われていた。 そしてこの国随一名家を引き合いに出せる程の大金が幾つかの手順を経て、国内外へと移動していく。 今後軍の再編などで財政を盤石にしたいトリステインとしては、この悪事を見逃す事など到底できなかった。 「これまでは複雑な手順、そして幾つものルートを経て幾つかの外国へ送金しており、追跡が困難だったのですが… 先週からはまるで開き直ったかのようにそれらを全て単一化させて、一つの外国の財務庁へとせっせと送金しております」 そんな説明を後から付け加えつつ、局長は懐から一枚のメモ用紙を取り出しテーブルに置く。 アンリエッタとは報告書から目を離し、マザリーニもそちらへと視線を向けてメモに何が書かれているのか確認する。 用紙に書かれていたのは四つの時刻であり、一見すれば何を意味しているのか分かりにくい。 しかしマザリーニはこの時刻に見覚えがあったのか、もしや…と言いたげな表情を浮かべて局長を見遣る。 分からないままであったアンリエッタが「これは…」と尋ねると、局長はまず一言だけ「移動手段ですよ」とのべた後に説明していく。 「王都発ラ・ロシェール行きの駅馬車と、中間地点にある道の駅で馬を借りれる時刻、そしてラ・ロシェールから出る商船の出航時間…」 そこまで聞いてようやくアンリエッタは気が付いた。このメモに書かれている時刻に、『何か』が運ばれていたという事を。 「…!運び出す者への指示…という事ですか?しかし、これを一体どこで…」 「それもつい先週です。『虫』の館から急いで出てきた不審人物を局員が追跡し、落としていったそれを拾い上げたのです」 「御手柄ですな。…それで、その不審人物はどうしたのですかな?」 自分たちが知らぬ間に思わぬ情報を提供してくれた彼に礼を述べつつ、マザリーニはその後の事を聞いてみる。 しかし、それを聞かれた局長は残念そうな表情を浮かべると、その首を横に振りながら言った。 「どうやら追跡されていたのを『虫』側も気づいたのでしょう。道の駅にいた仲間と思しき男に胸を刺され、即死でした」 その言葉に二人が思わず顔を見合わせた後、局長は自分の考えと合わせて事の経過を報告した。 今回の件で殺されたのは二年前に『虫』の小間使いとして働いていた平民で、最近金に悩んでいたらしい。 恐らくそこを元主の『虫』にそそのかされたのだろう。早い話、こちらの動きを探る為の捨て駒にされたのである。 「『虫』は我々の存在を知っている側。自分のしている事が御法度だと自覚していれば確実に監視されているだろうと警戒する筈です」 「だから今回、その元小姓を利用して監視がついているかどうか確認しようと…?」 信じられないと言いたげなアンリエッタの言葉に、局長はゆっくりと頷いた。 その頷きを肯定と捉えた彼女は目を丸くすると、狼狽えるかのように右手で口を押さえてしまう。 此度の件の機密上『虫』と呼称してはいるが、その『虫』と呼ばれる者に彼女は色々と助けられてきたのだ。 先王の代から王宮勤めで功績を上げて、幼子だった自分を抱いてくれたという話も彼や母の口伝いで聞いている。 普段の仕事も宮廷貴族としては至極真面目であり、今やこの国の法律を司る高等法院で重要な地位に就いている身だ。 その地位も貧乏貴族であった若い頃から築き上げてきた業績があってこそであり、並大抵の金を積んでも手に入る物ではない。 アルビオンとの戦争が本格的に決まった際には、色々と言い訳を述べて遠征を中止するよう提言してきたが、それも全て国の為を思っての事。 歴史を振り返れば、遠征の際には莫大な出費が掛かるもの。事実今のトリステインには自腹で遠征をできる程の財力は無い。 今は財務卿や同席している枢機卿がガリア王国に借金の申請をしており、これから数十…いや半世紀は借金の返済に追われる事だろう。 下手をすれば自分の自分の子の代にも背負わせてしまうであろう借金の事を考えれば、彼が遠征に反対する理由も何となく分かってしまうというもの。 だからアンリエッタも彼――『虫』の事を内通者として疑いつつも、心の中では違うと信じていた。信じていたのだ しかし、その儚い希望は局長の報告によって、いとも容易く打ち砕かれてしまったのである。 「……………。」 「殿下…」 残念そうに項垂れるアンリエッタを見て、マザリーニは「そのお気持ち、分かります」と言いたげな表情を浮かべてしまう。 流石の局長もこのまま話を続けていいのかと一瞬躊躇ったものの、心を鬼にしてなおも報告を続けていく。 「そ、それでは続きですが…その元小姓を殺した男は、逃げようとした所を駐在の衛士に取り押さえられましたが…目を離した隙に」 「…隠し持っていた毒を飲んで自殺、でよろしいですね」 気を遣いつつも報告を続けていく局長はしかし、最後の一言を顔を上げたアンリエッタに奪われてしまう。 直前まで項垂れていた彼女の顔は苦々しい色を浮かべてはいるが、疲れているという気配は感じない。 前に進もう、という意思を感じさせる瞳に一瞬局長は唖然とした後、慌てつつも「あ、そうです」と思わず口走ってしまう。 その言葉にアンリエッタは小さなため息と共に頷き、報告書の最後の行に目を通した。 「小姓を殺し、服毒自殺した男は身分証明できる物を持っておらず身柄不明。…これはプロとみて良いのでしょうか?」 「プロ…と言っても自殺できる度胸のあるプロの鉄砲玉と見てください。男については追々こちらで調べるとして…ここで二枚目に移りましょう」 アンリエッタの質問にそう答えると、局長はテーブルに置いていた二枚の封筒の内もう二枚目を手に取って彼女に渡す。 ドラゴンとグリフォンのイラストが描かれた男の子向けの封筒を開き、アンリエッタは中に入っている報告書を取り出した。 そして一枚目と同じように開き、最初の数行を読んだところでギョッと驚いてしまう。 封筒の中に入れられていた羊皮紙には、彼女が予想していなかった内容が書かれていたのだから。 驚いた彼女を見てマザリーニもその羊皮紙の内容へと目を向け、次いで「これは…」と言葉を漏らしてしまう。 ただ一人、この手紙を持ち込んだ局長だけは落ち着き払った態度で二人からの言葉を待っていた。 それに気づいたのか、アンリエッタはスッと顔を上げると手に持った羊皮紙を指さしながら彼に聞いた。 「あの、局長これは…」 「明日の午後から明後日の夕方、殿下がシャン・ド・マルス練兵場の視察があると聞き、此度の『作戦』を提案致しました」 局長からの返答にアンリエッタは何も返せず、もう一度羊皮紙へと目を戻すほか無かった。 彼女が今手に持つその紙の上には、穏やかとはいえないその『作戦』の手引きが書かれている。 どんな言葉を口にしたら良いか分からぬ彼女へ、局長は申し訳なさそうな表情を浮かべて言葉を続けていく。 「『虫』がある程度焦りを見せていると言っても、ヤツは未だにその化けの皮を脱ごうとする気配はありません。 今回提案した『作戦』はいわば貴女を使った囮作戦。奴と、一時的に奴の配下になっている連中を炙り出す為のものです。 殿下には視察を終えた後、道中休憩を取る予定である道の駅で私の部下と共に王都へいち早く戻って貰います。」 文面にも書かれてはいたが、いざこうして書いた本人の口から言われるとまた違うショックを受けてしまう。 大胆かつ急な作戦にアンリエッタが何も言えずにいると、それをフォローするかのようにマザリーニが局長に質問した。 「しかし、それでは護衛を担当する魔法衛士隊や騎士隊のもの、ひいては王都警邏の者が騒ぎますぞ…」 「大いに結構。いなくなったときには王都中で殿下の大捜索『ごっこ』をしてもらいたい」 ――――何せ、それがこの『作戦』の狙いなのですから。 マザリーニからの質問で局長は最後に一言加えた後、この『作戦』の主旨を説明していく。 「今回提案した作戦において重要なのは、今も尚高みの見物をしている『虫』を表に引きずり出す事です。 先ほども話したようにヤツは今焦りを見せておりますが、狡賢く知略に長けている故に今はまだ鳴りを潜めています。 ですが奴といえども、王家である貴女が奴の知らぬ存じぬ所で消えれば、いくら『虫』といえどもそこから来るショックは相当なものでしょう そして今、『虫』の手元にいる配下の大半はこの国の出身ではなく、かの白の国――あのアルビオンからやってきた連中です。 彼らは今現在『虫』の指示で動いていますが、それは本国からの指示だからであって、彼ら自身は『虫』に忠誠を誓ってはいません。 その気になれば今は派手に動かない『虫』の意思を無視して大胆な行動に移れるでしょうが、『虫』はそれを望んでおれず絶らず彼らを牽制している。 アルビオンの者たちも、一向に動かない『虫』に痺れを切らしかけている。……そんな現在の状況下で、殿下が失踪した!などという情報が流れれば…」 局長が最後に口にした自分の失踪と言う言葉を聞いて、アンリエッタはようやく彼の言いたい事に気が付く。 ハッとした表情を浮かべ、羊皮紙を握る手に自然と力が入り、その顔には微かだが怒りの色が滲み出てくる。 「つまりはこの私を釣り餌に見立てて、双頭の肉食魚を釣ろうという魂胆なのですね?」 「そういう事です。衛士隊や騎士隊の者達には、盛り上げ役として頑張ってもらいます」 流石にこれは怒るだろうと思っていた局長は、微かな怒りを見せるアンリエッタに頭を下げつつ言った。 黙って聞いていたマザリーニも流石に怒るのは無理も無いと思ってはいたが、同時に効果的だという評価も下していた。 影武者を用意するという方法もあったであろうが、相手が『虫』ならばそれがバレてしまう可能性が高い。 そうなればすぐに仕組まれた計画だと気づかれて、作戦が台無しになってしまう。 「……分かりました。多少…どころではない不安は多々残りますが、貴方の事を信用すると致しましょう」 「ありがとうございます殿下。我々も最善を尽くして此度の作戦を成功させてみせますゆえ」 まだ怒っているものの、一応は納得してくれたアンリエッタに局長は深々と頭を下げる。 確かに彼女の不安は仕方ない物だろう。作戦の概要を見たのならば尚更だ。 そんな作戦に彼女は協力してくれるというのだ、失敗は絶対に許されない事となった。 局長は作戦の人員配置をどうしようとかと考えを巡らせつつ、下げていた頭をスッと上げる。 「では詳しい事は明日の朝一番に…それでは最後となりましたが、その三枚目の封筒を…」 彼はテーブルに置かれた最後の一枚…先の二枚よりも二回り大きい茶色の封筒を手に取り、アンリエッタへと手渡した。 彼女はそれを受け取り封を切る、その前に気が付いた。封筒の中に入っているのは一枚の紙ではない事に。 恐らく自分の指の感触が正しければ、最低でも十枚ぐらいだろうか?少なくとも数十枚の紙が入っている気がした。 「あの、局長。これは…?」 「先月殿下から許可を頂いた、当部署の人員を増加に関して、我々が在野から探し当てた者達のリストです」 自分の質問にそう答えた局長の言葉に、アンリエッタは今度こそ封を切って中身を取り出してみる。 案の定、中に入っていたのはこの広い世界のどこかにいるであろう人間の個人情報が書かれた紙であった。 最初に目に入ってきたのは、用紙の左上に描かれた褐色肌の男の似顔絵であり、顔立ちからして四~五十代のゲルマニア人であろうか? 似顔絵の下には詳しい個人情報が記載されており、その一番上の行には彼の名前であろう『オトカル』という人名が書かれていた。 個人情報もかなり詳細に書かれており、彼が元ゲルマニア陸軍の軍事教官で現在は早めの余生を過ごす為ドーヴィルで暮らしている様だ。 それと同じような似顔絵と個人情報でびっしり覆われた紙が最初の彼を合わせて、十二枚も封筒の中に入っていたのである。 アンリエッタは十秒ほど書類を見た後に次の一枚を捲り、もう十秒経てば捲り… それを繰り返して局長の持ってきた書類を確認していると、それを持ってきた本人が口を開いた。 「殿下も知ってはおられますが我が部署では貴族、平民の身分は必要ありませぬ。唯一求めているのはいかに゙有能゙か?それだけです。 最初の一枚目の元教官は平民ですが、現在もゲルマニア南部の紛争地帯で活躍している幾つかの精鋭部隊を育て上げた有能な教官であります。 そして今姫様が確認している女性貴族は元『アカデミー』の職員で、方針に反する『魔法を用いた対人兵器』を自作したとしてクビになり、現在は王都の一角にある玩具屋で働いてます」 局長の説明を聞きつつもアンリエッタは書類と睨めっこし、マザリーニも「失礼」と言ってその中から一枚を抜き出して読み始める。 確かに彼の言うとおり、この書類に名前が載っている人間の経歴は貴族や平民といった枠組みを超えていた。 現在服役中である開錠の名人に思想的にはみ出し者となっているが総合的に優秀な成績を持つ魔法衛士隊の隊員に、平民にして貴族顔負けの薬学知識を持っている女性。 一体どこをどう探せばこれだけのイロモノを集められるのかと聞きたくなるほど、多種多様な特技を持つ変わり者たちがピックアップされていた。 今現在国内にいる無名の人材たちを眺めつつ、アンリエッタは思わず感心の言葉を口に出してしまう。 「それにしても良くこれだけ探せましたね。特に条件付けはしていませんでしたから、ある程度幅が広がったのもあるでしょうが…」 「情報を探る事は我々の十八番ですので。この時の事を想定して常に一癖も二癖もある人物にはマークをしておりましたので」 成程、どうやら自分から許しを得る前にある程度人材探しをしていたのか、随分と用意周到な人だ。 並の宮廷貴族より準備万端な局長に感心しつつ、アンリエッタは一旦書類から顔を上げて満足気のある表情で頷いた。 「分かりました。貴方の部署はこれまで日陰者でしたし、ここまで調べてくれていたのなら私から言う事はありません」 「では人材確保はこのまま進める方針で?」 「えぇ、お願いします。ただ、軍に属している者については少し上層部の将軍方とお話する必要はありますが」 王女から直々の許しを得た局長ホッと安堵した後に、慌てて頭を下げると彼女に礼を述べた。 アンリエッタはそれに笑顔で返してから、一足遅れて書類を見ているマザリーニはどうなのかと促してみる。 老いかけている枢機卿も先ほどの彼女と同じく書類から一旦視線を外し、それから局長を見てコクリと頷いて見せた。 それを肯定と受け取ったのか、局長は枢機卿にも礼を述べるとすぐさまこれからの方針を話していく。 「それでは軍属の者以外に関しては我々からアプローチをかけます故、軍部との説得は何卒朗報を期待いたします」 「分かりました。今の将軍方なら、今回の増員計画にも賛成してくれる事でしょう………って、あら?」 アンリエッタもアンリエッタ局長とそんな約束を交えた後再び書類へと目を戻し、ラスト一枚の人物が女性である事に気が付いた。 まるで収穫期の麦の様に金色に輝く髪をボブカットで纏め、鋭い目つきでこちらを睨んでいるかのような似顔絵が印象的である。 経歴からして平民であるのはすぐに分かるが、王都にあるいちパン屋の粉ひき担当から王都衛士隊の隊員という経歴は変に独特であった。 しかし衛士になってからの業績は中々であり、女だというのにも関わらず衛士としては非常に優秀という評価が書かれている。 他の九人と比べればやや地味ではあるが、その経歴故に気になったのかアンリエッタは局長に彼女の事を聞いてみる事にした。 「あの局長殿?彼女は…」 「ん?あぁこの人ですか。実は彼女は私が見つけましてな、彼女には是非とも我々の元で『武装要員』」として働いて貰いたい思ってましてな…確か愛称は、ラ・ミランと言いましたかな?」 「ラ・ミラン(粉挽き女の意)…?」 愛称と言うよりも蔑称に近いその呼び名を思わずアンリエッタが復唱すると、局長はコクリ頷きながら言葉をつづけた。 「ラ・ミランのアニエス。王都の平民や下級貴族達の間では下手な男性衛士よりも怖れられております」 ――――貴女、少し長めの旅行をしてみる気はないかしら? あの八雲紫が夜遅く帰ってきた魔理沙の元に現れるなり、そんな事を聞いてきたのは午前一時を回った頃だろうか。 何の前触れも無く人様の家の中、しかもベッドの上に腰かけていたのである。まぁ何の前触れも無く人の目の前に現れるのはいつもの事だが。 パジャマに着替えて、歯も磨き終えて髪も梳き、眠たくなるまで読もうと思っていた本を片手にした彼女は最初何て言おうか迷ってしまった。 何せこれから入ろうとしたベッドを事実上占拠されてしまったのだ、旅行とは何か?と質問すれば良いのか、それとも抗議すれば良いのか良く分からず、結局のところ… 「人がこれから寝ようって時に、何やら面白そうな話題を持ちかけてくるのは反則じゃないか?」 「あら失礼、今からの時間帯は私たちの時間帯だって事を忘れてないかしら」 そんなありきたりな会話を皮切りにすることしかできず、しかし彼女が持ちかけてきた話をスムーズに聞く事が出来た。 結果的にそれが功をなしたのか、晴れて霧雨魔理沙は霊夢と共にルイズのいるハルケギニアへと赴く事となったのである。 朝のブルドンネ街は、昨晩の華やかさがまるで一時の夢だったかのように静まっていた。 夕暮れと共に開き、夜明けと共に終わる店が多い故に今の時間帯のブルドンネ街と比べれば一目瞭然の差があった。 それでも人の活気は多少なりとあり、繁華街に店を持つ雑貨屋やパン屋などはいつも通り商売をしている。 通りの一角にあるアパルトメントの入り口では大家が玄関に水を撒き、たまたま通りかかった野良猫がそれを浴びて悲鳴を上げる。 そこから少し離れた広場では主婦たちが朝一番の世間話に花を咲かせ、その後ろを小麦粉を満載した荷馬車が音を立てて通っていく。 もしもこの国へ始めて来た観光客が見れば、この街が夜中どんなに騒がしくなるかなんて事、想像もつかないに違いないだろう。 そんな極々ありふれたハルケギニアの街並みを見せる日中のブルドンネ街の一角にある店、『魅惑の妖精』亭。 夜間営業の居酒屋であり、他の店と比べて可愛い女の子達が多い事で有名な名店も、今はひっそりとしている。 ここだけではない。この一帯にある店は殆どがそうであり、まるで時間が止まったかのように活気というものがない。 店で働く人々は皆家に帰ったか、もしくは店内にある部屋で軽い朝食を済ませてベッドで寝ている時間帯だ。 『魅惑の妖精』亭もまた例に漏れず、住み込みの店員達は皆今夜の仕事に備えてグッスリと眠っている。 その店の屋根裏部屋…長い事使っていなかったそこに置かれたベッドの上で、霧雨魔理沙は目を覚ました所であった。 「………九時四十五分。てっきり一、二時間ぐらい経ってるかと思ったが、あんがい寝れないもんなんだな」 黒いトンガリ帽子をコートラック掛けている意外、いつもの服装をしている彼女は持っていた懐中時計を見ながら呟く。 ルイズと霊夢の三人で朝食を済まし、そのすぐ後に用事があると言って出て行った二人と見送ってから丁度四十五分。 特にする事が無かったのでベッド横になっていたら自然と眠っていたようで、今二度寝から目覚めたばかりなのである。 しかし寝起き故にハッキリしない頭と妙に重たい瞼の所為で、ベッドから出たいという欲求が今一つ湧いてこない。 いっその事このまま三度寝を敢行しようかとも思ったが、流石にそれは怠け過ぎだろうと自分に突っ込んでしまう。 (流石に三度寝となるとだらけ過ぎになるし、寝ている最中にどちらかが帰ってきたら何言われるか分からんしな) そういうワケで魔理沙は一旦軽く体の力を抜いて一息つくと、勢いをつけて上半身を起こした。 「ふぅ…ふわぁ~…」 ウェーブとはまた違う寝癖が一つ二つ出ている髪を弄りながら、彼女は口を大きくあけて欠伸をする。 次いでゴシゴシの目を擦るとベッドから降りて、朝の陽光が差す窓を開けてそこから通りを見下ろした。 霊夢が綺麗にしてくれた窓際に右肘を置いて顔だけを窓から出すようにして、外の空気を口の中に入れていく。 横になっていた時と比べて瞼は随分と軽くなった気はするが、頭の方はまだまだ重いという物を感じを否めない。 「うぅ~ん、まぁ一時間もすりゃ直ってるだろうし…なぁデルフ、って…あいつは霊夢が持っていっちゃったか」 二度寝から目覚めたついでにデルフと下らない世間話をしようかと思った所で、今はここにはない事を思い出す。 ただ一人取り残された普通の魔法使いはため息をつくと、顔を上げて王都の青空を仰ぎ見て呟いた。 「あれから二日経ったが…街が広いせいかあんな事があったっていうのに平和なもんだぜ」 澄んだ青空に白い雲、その下にある平和な街並みを交互に見比べながら、彼女は思い出す。 二日前にこの街最大の劇場で起きた、異様かつ奇怪な殺人事件が起こったという事を。 …二日前、ここ王都最大の劇場タニアリージュ・ロワイヤル座でその事件は起こった。 男性の下級貴族が一人、劇場内で奇怪的な惨殺死体となって発見されたのである。 被害者は無残にも手足をもがれ、更に夏だというのにも関わらず全身をほぼ氷で覆われているという状態で。 当然警備員たちが発見したその直後に劇場は緊急封鎖、公演予定だった劇は全て中止となってしまった。 最初こそ責任者と駆けつけた衛士隊の指示で全員が外に出れなかったが、一部の貴族が開放を強請してきた為に止むを得ず開放。 結果的に残ったのは、第一発見者とその関係者だけであった。 そしてその第一発見者こそが博麗霊夢であり、関係者は魔理沙とルイズ達である。 一昨日の騒動を振り返りつつ、その時がいかに大変だったのか思い出した魔理沙は溜め息をついてしまう。 「全く、もう二度と無いかと思ってたが…まさか一度ならず二度までも取り調べを受けるなんて…」 現場検証が終わり、被害者の遺体を最寄りの詰所に搬送した後霊夢達一同は当然の様に取り調べを受けるハメになってしまった。 ルイズやその姉であるというカトレアという名の女性は普通に聞き込みだけで済んだが、全員が衛士達の思うように進むワケがない。 魔理沙は先に取り調べのキツさを知っていたので、答えられる事に関しては素直に答えてスムーズに事を済ませることができた。 折角の休日を台無しにしてしまったシエスタは常に半泣き状態だったらしく、逆に心配されたというのは後で聞いた。 カトレアと一緒にいたニナという女の子の取り調べはしても意味が無いと衛士は判断したのか、別の部屋で迷子担当の女性衛士と一緒にいたらしい。 そして魔理沙自身も気になっていたあの霊夢と何処か似ている巫女服の女も、答えられる分の質問にはあっさり答えてすぐに終わった様である。 しかしその一方で霊夢は強面の衛士達に囲まれても尚我を失わず、強気な態度でもって彼らと論争したのだという。 一緒にいたデルフ曰く、最初こそ大人しくしてたらしいのだが、取り調べ担当者の威圧的な態度が気に入らなかったらしい。 まぁ霊夢らしいといえば霊夢らしい。お蔭で一時間で終わる筈だった取り調べは三時間近くまで延長される事になってしまった。 結果的にその日は二十二時辺りに解放され、カトレア一行とはその場で別れる事となった。 ルイズはカトレアから今現在の所在地を聞き、ついで姉もまた妹に所在地を聞いて目を丸くしていたのは今でも覚えている。 「…珍しいわねルイズ?貴女がそんな所に泊まっているだなんて」 「え?えーと、まぁその…これには色々とワケがありまして…」 「ふふ、別に怪しがってるワケじゃないのよ。若いうちは色んな場所へ行っておけば良いと思っただけ」 そんなやり取りをした後で劇場前の詰所で解散、ルイズ一行は絶賛営業中だった『魅惑の妖精』亭へと帰ってこれる事が出来た。 店の方でも今日起こった事件の事が話題になっていたのか、帰って来るなり店長のスカロンと娘のジェシカが詰め寄ってきたのである。 ジェシカはともかくスカロンは奇怪な叫び声を上げて自分たちを抱擁しようとしてきたので、入って早々慌てて避ける羽目になってしまった。 ルイズはおろかシエスタまで一緒になって避けた後で、「あぁん、酷い!」と嘆きつつも彼は無事に帰ってきてくれた事を喜んでくれた。 「もぉお~心配したのよ貴方たちィ!…でも、その様子だと取調べだけで済んだ様でミ・マドモワゼルも安心したわぁ~!」 「結構大事だったらしいけれど…、まぁアンタ達ならシエスタも含めて無事だろうとは思ってたよ」 スカロンのオーバーすぎる喜びの舞いと、それに対して落ち着きを見せているジェシカを見て本当に親子かどうか疑ってしまう。 何はともあれ無事に帰ってきたその日は夕食を摂る元気も無く、四人とも死んだように眠るほかなかった。 …それから二日が経った今日、朝のブルドンネ街はいつも通りの静けさを取り戻している。 「何もかもいつも通りならそれはそれで良いんだろうが、霊夢はともかくルイズはどうなんだろうなぁ~…」 頭上の空から眼下道路へと視線を変えた魔理沙は、朝早くから外出しているルイズの事が気になってしまう。 昨日はあんな事件があったという事で凹んでいたのか、一日外に出ず屋根裏部屋で考え事をしながら過ごしていたのを思い出す。 流石に死体を間近で見てしまったという事もあって食欲も無かったが、それは仕方ない事だろう。 仕事柄そういうのを見慣れている霊夢はともかくとして、あれだけ損壊した死体を見たのだ。 むしろそれを見た翌日からガツガツと平気な顔して飯食ってる姿を見たら、逆に心配してしまうものである。 しかし今日の朝食に限っては、少し無理をしてでも口の中に食べ物を突っ込んでいたような気がしていた。 ジェシカが用意してくれていたサンドウィッチを一口食べてはミルクで半ば飲み込むようなルイズの姿は記憶に新しい。 今朝見たばかりの出来事を思い出した魔理沙は、ふと彼女が何処へ行くために外出したのか何となく分かってしまった。 「もしかしてアイツ、一昨日教えてもらったお姉さんのいる所へ行ったのかねぇ?」 劇場で出会ったルイズの姉カトレア。ウェーブの掛かった桃色の髪以外は、ルイズとは正反対の姿をしていた女性。 衛士隊の詰所で別れる直前に互いの居場所を教え合っていた事を、魔理沙は思い出す。 魔理沙と霊夢はその場所について聞き覚えは無かったものの、どうやらルイズはその場所を知っているらしい。 姉からその場所を聞いたルイズは、納得と安堵の表情を浮かべていたのである。 それが何処にあるのか魔理沙には皆目見当がつかなかったものの、恐らくはこの王都内にいる事は間違いないだろう。 でなければ学院のマントをバッグに詰めた以外、軽い服装で街の外なんかに出るワケはないのだから。 一体何の用があってそこへ赴くのかは良く知らないが、きっと久方ぶりの姉妹二人きりの時間としゃれ込みたいのだろう。 今の自分には全く無縁なそれを想像してしまい、それを取り払うかのように慌てて首を横に振る。 「はぁ…全く、縋れるお姉さんがいるヤツってのは羨ましいねぇ。………って、お姉さん?あれ?」 自分の口から出た『お姉さん』という単語を耳にして、魔理沙はふと思い出した。 カトレアとは別に出会ったことのある、ルイズのもう一人の姉―――エレオノールの事を。 ルイズよりもややキツイ釣り目と、彼女以上の平らな胸と顔を除けばカトレア以上に似てない箇所が多かったルイズのもう一人の姉。 王宮でルイズの頬を抓っていた光景を思い出した魔理沙はカトレア比較してしまい、思わずその顔に苦笑いを浮かべてしまう。 「あぁ~…何というか、アレだな。ルイズのヤツって優しい姉と厳しい姉の両方がいて色々と恵まれてるんだなぁ~…」 改めて自分とは全く正反対なルイズの家庭環境に、普通の魔法使いは何ともいえない表情を浮かべてしまう。 これまで聞いた話から察するに両親は健康だろうし、飴と鞭の役割を担ってくれるお姉さんたちもいる。 家がお金持ちというのは共通しているのだろうが、正直魔理沙本人としてはそれはあまり口にしたくない事であった。 実家の事を思い出しそうになった魔理沙はハッとした表情を浮かべると、急に自分の頬を軽く叩いたのである。 パン!と気味の音を立てて気合を入れなおした彼女は、考えていた事を忘れる様にもう一度首を横に振る。 「あぁヤメだヤメ!家の事を思い出してたらあのクソ親父の事まで思い出すからもうヤメヤメ!」 自分に言い聞かせるかのように叫びつつ、二度三度と頬を軽く叩き、何とか忘れようとする。 その叫び声に気づいてか通りを歩く人々の何人かが顔を上げて、一人頬を叩く魔理沙を見て怪訝な表情を浮かべて通り過ぎていく。 その後、魔理沙が落ち着けるようになったのは数分が経ってからであった。 やや赤くなった頬を摩りつつ、ベッドに腰を下ろした彼女は溜め息をついて項垂れていた。 「はぁ…何だかんだで私も相当疲れてるっぽいな。…ルイズはともかく、霊夢があんなにいつも通りだっていうのに」 まだまだ一日はこれからだというのに疲れた気がして仕方がない彼女は、ふとここにはいないもう一人の知り合いの事を思う。 多少落ち込んでいた所を見せていたルイズ違い、流石妖怪退治を専業とする博麗の巫女と言うべきだろうか。 彼女や自分よりも被害者を間近で見ていたにも関わらず、昨日は朝から夜までずっと外で飛び回っていたというのだ。 恐らく被害者を無残な目に遭わせたヤツの正体を何となく察したのであろう、そうでなければ彼女がここまで積極的になるワケがない。 しかも大抵は部屋に置きっぱなしで合ったデルフも持って行っている辺り、結構本腰を入れて探しているのだろう。 魔理沙自身も、被害者の損壊具合を聞いて相手は人間ではないのだろうと何となく考えてはいた。 こういう時は彼女に負けず劣らず自分も探しにいくべきなのだろうが、生憎な事に肝心の『アテ』がここにはない。 幻想郷ならばある程度土地勘も聞くので何かが起こった時には何処を捜すべきか何となくわかるものの、ここはハルケギニアだ。 まだ王都の広さになれない魔理沙にとっては、何処をどう探していいか分からないのである。 霊夢ならばそこらへん、持ち前の勘の良さと先天的才能でどうにもなるのだろうが、自分はそこまで勘が良くないという事は知っている。 無論、並みの人よかあるとは思うのだが…霊夢のソレと比べれば文字通り月とスッポン並みの格差があるのだ。 「…まぁ、そういう考えはアイツからしてみれば単なる言い訳に聞こえるんだろうなぁ~」 そう言いながら魔理沙は窓から離れ、そのまま階段を使って一階にある手洗い場へと下りていく。 このまま屋根裏部屋に居ても、仕方がないと思ったが故に。 少しして用を済まし、手洗い場から出てきた彼女はハンカチで手を拭きながら備え付けの鏡で髪型を整えていく。 「全く気楽なモンだよ。ま、それを含めて全部博麗霊夢の強みの一つってヤツなんだがね」 目立っていた寝癖を手早く直すと再び屋根裏部屋へと戻り、新しい服を用意してソレに着替えて始める。 それを手早く終えるとそこら辺の木箱の上に置いていた帽子とミニ八卦炉を手に取り帽子の中に仕舞う。 ミニ八卦炉を中に収めたトンガリ帽子は妙に重みが増すものの、それを被る本人にとっては既に慣れた重さであった。 「今の所アイツが何を捜してるのかまでは、良く知らんが…知らんから私も無性に気になってくるぜ」 そして壁に立てかけていた箒を手に取ると、先ほどまで寝起き姿であった魔理沙がしっかりとした身だしなみをして佇んでいた。 「まぁ特にすることは無いが…無いからこそいつも通りアイツの後を追ったってバチは当たらんだろうさ」 最後に持ち運んでいた鞄の中から幾つか『魔法』入りの小瓶を取り出しポケットに詰め込んでから、再び一階へ戻っていく。 「鬼が出るか蛇が出るか?…いや、この世界なら竜も出たっておかしくはないぜ」 先ほどまで沈みかけていた自分の気持ちを、水底から引き上げる様な独り言を呟きながら。 軽快な足取りで静かな一階へ辿り着いた彼女は、ふと厨房の方にある裏口を通ってみようかなと思った。 いつも出入りに使っている表の羽根扉は目の前にあり、そのまま五、六歩進めば通りに出られるというのにも関わらず。 所謂というモノなのだろう。それとも今日だけは普段と違う場所から店の外に出たいと考えたのだろうか。 「…まぁこの店の裏手には入った事ないからな、一目見ておくのも一興ってヤツかな」 自分を納得させるかのように呟きながら羽根扉の方へと背を向けて、彼女は厨房の方へ入っていく。 綺麗に掃除されたタイル張りの床を歩き、フックに掛けられた調理器具などを避けつつ裏口へ向かって進む。 やがて二分と経たない内に厨房は終わり、魔理沙は店の裏側へと入った。 どうやら裏口だけではなく、ちょっとした物を置くための廊下も作ってあるらしい。 表の二階と比べてやや埃っぽさが残る廊下の左右を見渡してみると、左の方に外へと続くドアがある。 「…ふーん、成程。食材とかは全部あそこの裏側から運び入れてるってコトかねぇ?」 そんな事を一人呟きながら少し広めの廊下を進み、裏口の前でピタリと足を止めた。 丁度扉の真ん中にはガラス窓が嵌め込まれており、そこから店の裏にある路地裏を覗き見る事が出来る。 やや大きめに造られている道からして、やはりここからその日の食材を搬入しているのだろう。 道の端で丸くなっている野良猫以外特に目立つモノが無いのを確認してから、彼女は普通のドアを開けた。 途端、朝早くだというのにすっかり熱せられた外の空気が入り込み、廊下の中へと入り込んでくる。 一瞬出るかどうか躊躇ったものの、すぐにそんな考えを頭の中から追い出して彼女は外へと出ようとした。 今も尚微かに残る頭の中のもやもやを忘れようと、いざ王都の真っただ中へと踏み込もうとした彼女は、 「キャッ…!」 「うぉッ!?…っと、ととッ」 ドアを開けた途端、突如横から走ってきた何者かと接触してしまい、最初の一歩が台無しになってしまった。 走ってきた何者かは小さな悲鳴をあげて後ろに倒れ、魔理沙は手に持っていたドアノブのお蔭で倒れずに済んだ。 それでも崩してしまった態勢を直しきれずそのまま地面にへたり込むと、一体何なのかとぶつかってきた者へと視線を向ける。 夏真っ盛りだというのに頭から鼠色のフードを被っており、先程の悲鳴からして女性だというのは間違いないだろう。 しかし顔までは分からないので、もしかすれば少女の美声を持った少年…という可能性もあるにはあるだろう。 「イッテテテ…どこの誰かは知らんが、走る時ぐらいはしっかり前を見てもらわないと困るぜ」 苦言を漏らしながら立ち上がった魔理沙はローブ姿の何者の元へと近づき、そっと手を差し伸べる。 「す、すいません…急いでいたモノで………あっ」 「お………え?」 自分からぶつかってしまったのにも関わらず親切な魔理沙に礼を言おうと顔を上げた瞬間、頭に被っていたフードがずり落ち、素顔が露わになる。 手を差し伸べられるほど近くにいた魔理沙はその下にあった素顔を見て、思わず目を丸くしてしまう。 ルイズだけではないが、まさかこんな場所で再開するとは思っていなかった魔理沙は思わずその者の名を口に出してしまう。 「アンタもしかして…っていうか、もしかしなくても…アンリエッタのお姫様?」 「……お久しぶりですね、マリサさん」 魔理沙からの呼びかけにその何者―――アンリエッタはコクリと頷きながら魔理沙の名を呼び返す。 しかしその表情は緊張と不安に満ちていた。これから起こる事が決して良い事ではないと、普通の魔法使いに教えるかのように。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 日中ハルケギニアの空を照らし、気温を上げていた太陽が暮れようとしている時間。 人々の中には空を見上げ、赤みを増していく太陽と、薄らと見えてきた双月を眺めながら帰路につく者もおり、 これからが本番と言わんばかりにテンションが上がり、友人たちと今夜は何処の酒場に行こうかと相談する若者たちや、 そして街中の惣菜や市場には夕食の惣菜や材料が並び、それを求めて足を運ぶ老若様々な大勢の人たちがいた。 ブルドンネ街の酒場では日中寝ていた人々がようやく目をさまし、今夜の開店準備に勤しみ始めている。 店によっては待ちきれない呑兵衛たちが固く閉じた扉の前で屯して、下らない雑談に花を咲かせて笑っている。 その中には下級貴族や異国から来た観光客たちもおり、今夜もこの街は大賑わいする事間違いなしであろう。 しかし、その日のブルドンネ街はそれよりも少し前からある場所が賑わっていた。 とはいっても、そこは実質的にブルドンネ街の一部と言って良いタニアリージュ・ロワイヤル座であった。 地図上ではチクトンネ街に入っているものの、王都で一番の劇場があるせいで日中と言わず年中賑わっている。 チケットは安いものの、酒場の安いワインや料理と女の子に金を使う連中にとってかなり無縁な場所である事は間違いない。 一方で、その連中からチップと称してお金を貰っている女の子達にとっては、数少ない娯楽とスイーツを一度に楽しめる場所となっている。 だが、その賑わいは普段多くの人が目にしている喜びや嬉しさに満ちたものではない。むしろ喧騒に近かった。 ついさっきまで人々が上っていた階段には何人もの衛士達がおり、槍や剣を片手に周囲を警戒している。 劇場前の噴水広場には何頭もの馬が留められており、時折衛士の一人がそれに跨って街中へと走っていく。 馬だけではなく、街中から掻き集められたのかと言わんばかりの数になった衛士達が集結し、劇場とその周辺に屯しているのだ。 彼らに占領された広場は自然的な封鎖状態となり、ここを通ろうとした人々は何事かと困惑するしかない。 中には急ぎの用事で通ろうとした者たちが、半ば喧嘩腰で衛士を問い詰めたりしていた。 「おいおいふざけんじゃねェよ?こっちは急ぎで、こっから回り道すんのにいくら時間が掛かると思ってんだ!」 「申し訳ありませんが今は通行止めをしていますので、迂回してください」 衛士達は研修で教えられた言葉を高性能なガーゴイルのように発しつつ、通行者達を止めている。 中には平民の衛士なんて怖くないと、無理やり通ろうとした者たちもいたが…それは無謀と言うより馬鹿に近い行為だったらしい。 軽い気持ちでロープを超えた者は、例え下級貴族であっても衛士達に身動きを封じられ、その手をロープで縛られていった。 「え!?…ちょっ、俺が悪かったよ…悪かったって!?だから逮捕だけは…」 「黙れこの野郎!一々手間取らせやがって。…おい、コイツを最寄りの詰所に連れてけ」 「ま、待て待て!僕はこうみえても貴族なんだけど!?」 「残念ですが今は貴族様であっても、現場に不法侵入した場合一時的に拘束するよう命令が出ていますので…」 平民も貴族もまとめて捕縛されて連行される光景を見て、人々は誰もロープを超えようとはしなくなった。 大人数で突撃すれば無理やり通れるかもしれないが、それをすれば衛士達と全面的にぶつかる事になる。 そうなれば殴られ蹴られて逮捕されるだろうし、誰もがそんな痛い目に遭ってまで通りたいとは思っていなかった。 何人かは諦めて踵を返したが、残った人々は野次馬として何が起こったのか探ろうしていた。 劇場のロビーへと続く扉の前には、誰も開けるなと言わんばかりに黄色く太いロープが張られていた。 ロープには黄色の下地に黒い文字で『立ち入り禁止!』と書かれた看板が下がっており、その周囲を更に数人の衛士達が警備している。 現場の指揮を執っているであろう中年の衛士が一人の部下を呼びつけて、何やら会話をしていた。 「…それで、魔法衛士隊は出てくれるのか?三十分前から進展を聞いてないぞ」 「はっ!先程の報告ではド・ゼッサール隊長率いるマンティコア隊の一個分隊が増援として来るとの事ですが…」 「この時間帯の交通事情でも、魔法衛士隊なら十分くらいで来るか?」 首に掛けた紐付きの懐中時計で時刻を確認しつつ、早いとこ彼らが来てくれる事を祈っていた。 ここ最近不穏な事件が続いている王都であったが、今回の件に関してはそれとは明らかに格が違っている。 まず事件が発生したのはここタニアリージュ・ロワイヤル座であった。それも、真昼間から堂々と。 しかも被害に遭ったのは貴族であり、それが事件を大事にさせる原因ともなった。 今現在の被害者の状態といい、その被害者の近くにいたといゔ少女゙の狂言といい、衛士達だけでは対処できるものではない。 劇場従業員からの通報で現場に急行した最寄詰所の隊長はそう判断し、各詰所と魔法衛士隊にまで応援を要請したのである。 結果的に本部を含めて計四つの詰所とマンティコア隊から各一分隊の増援が派遣され、劇場周辺が衛士達によって占拠されてしまったのだ。 部下から報告を聞いた隊長はふぅ…と一息ついてから、スッと空を見上げる。 そろそろ上空からマンティコアに跨った貴族たちが現れてもおかしくなかったが、一向にその姿は見当たらない。 事件の起きた場所が場所だけに貴族の増援が欲しいというのに、そういう時に限って中々来ないものなのだろうか? そんな事を思いながら、通報で食べ損ねた遅めの昼飯の事を思い出しながら彼は懐からパイプを取り出しつつ言った。 「全く…こんな忙しい時期に限って、どうしてこう連日奇怪な事件が起こるんだか…」 「奇怪な事件…?先日の下水道の件ですか?」 部下の言葉に彼は「あぁ」と頷きつつパイプに煙草を詰めると口に咥え、懐からマッチ箱を取り出す。 そしてマッチを一本取り出すとそれを箱の側面で勢いよく擦るが、一回だけやっても火はつかない。 二回…三回…と必死に擦り。ようやく四回目でマッチ棒の先端に火が点いた。 小指よりも小さい火種を絶やさぬよう注意を払いつつ、それをパイプに詰めた煙草に着火させる。 モクモクと火皿から煙をくゆらせ始めたのを見てから彼はマッチの火を消して、足元へと投げ捨てた。 その一連の行動を見ていた部下は苦笑いしつつ、地面に捨てられたソレを広いながら上司に話しかける。 「相変わらず火付けの悪い道具ですな。まぁ便利といっちゃあ便利ですがね」 「そこのカンテラや松明で着火なんてしてたら、俺が先に火傷しちまうよ。…あぁ、それは捨てといてくれ」 妙に扱いの荒い上司の命令に彼は「了解、了解」と言いながら背後にあったゴミ箱へとマッチ棒を投げ捨てる。 そんな時であった、煙をくゆらせて一服していた彼に背後から話しかけてきた女性がいたのは。 「相変わらずの煙草好きですねぇ、タニアリージュ担当のアーソン隊長殿」 快活かつ、鋭さを秘めた女性に自分の名を呼ばれた隊長――アーソンは、フッと振り返る。 そこにいたのは、王都の衛士達の間ではすっかり有名人となった女衛士のアニエスが近づいてくるところであった。 「あぁアニエス、お前さんも来てたのか。それならすぐに話しかけてくれば良かったのに」 「すいません。実は私個人でどうしても片付けておきたい用事がありましたので…今来た所なんです」 立場的には上司の一人であるアーソンに軽く敬礼しつつ、アニエスは劇場ロビーへと続く入り口へ視線を向ける。 つい数時間ほど前までは大勢の人で溢れかえっていたロビーを、衛士達が忙しそうに走り回っている。 ある者は何人かの部下に指示を出し、またある者は従業員や警備員達に事情聴取を行っている。 アニエスたち衛士にとって見慣れた光景であったが、まさかこれをこの場所で見る事になるとは思っていなかった。 場所が場所だけに、入り口から見ているとまるで演劇の一シーンの様に見えてしまう。 そんな事を考えつつ、ふと気になった事ができたシエスタはそれをアーソンに聞いてみる。 「そういえばアーソン隊長、劇場内にいた客たちはどこへ…?」 「今回の件で関係ありそうな人間以外、全員帰したよ。俺的にはそれは不味いと思ったんだが…」 彼女に質問に対し、口元からパイプを放した彼は気まずそうな表情を浮かべる。 大方、劇場に来ていた貴族の客たちのが中に脅しまがいの文句を言った者が何人かいたのだろう。 平民には滅法強い自分たちだが、貴族が相手となると余程の事が無い限り頭が上がらくなってしまう。 つい先ほど出たような命令が無い限り、下級貴族であっても任意同行を拒まれてしまう事も多々ある。 自分たち衛士の世知辛い事情を知っていたアニエスも渋い表情を浮かべつつ、肩を竦める。 「全員に聞き込みするとなると時間が掛かりますからね、仕方がありませんよ…それで、被害者の情報は?」 ひとまず話を置いておき、彼女は今回の事件の要である被害者の事を聞いてみる。 それに対し答えたのはアーソンの横にいた隊員であり、彼は脇に抱えていた資料をアニエスへと差し出す。 少し小さめの張り紙サイズの薄い木版にピン止めされている書類には、一人の貴族の情報が書かれている。 アニエスはルを右から左へと走らせて流し読みすね最中に、隊員は補足するかのように付け加えてきた。 「゙まだ゙本人の意識が残っているので名前からの特定は容易でした。…といっても、自分の様な安月給の衛士でも気が滅入るものでしたがね」 「領地無し…今はシュルピスのアパルトメントで病気の妻を介護しつつ給金暮らしか。…これは酷いな」 報告書に書かれていた内容は、貴族であっても決して裕福にはれないという現実を記していた。 彼の名はカーマン。領地は無く、今はシュルピスの南側にあるアパルトメント『イオス』の三階の一室に妻と暮らしている。 年は五十後半。とある三流家名の末っ子として生まれ、二十代の頃に雀の涙ほどの金貨を貰って領地から追い出される。 その後はトリステイン各地を放浪しつつ日雇い仕事で金を溜めて、三十代前半で今の妻と出会い、交際を経て結婚。 結婚後は定職に就こうと意気込んでトリステイン南部の一領地で国軍に志願し、国境沿いの砦に配属されていた。 しかし四十代の米に妻が病気で倒れたのを切欠に退役し、退職金と共にシュルピスへと引っ越す。 それから今に至るまで日々病状が悪化する妻の介護に明け暮れ、今は僅かな給付金で生きているのだという。 報告書を読み終えたアニエスは悲哀に満ちたため息をつきつつ、アーソンへと話しかける。 「…それで、被害者は今どこに?」 「最初に発見された避難用通路だ。…というより、下手に動かせんのが現状だがね」 「…それは一体、どういう意味で?」 やや意味深な言葉にアニエスは首を傾げたが、すぐにその理由を知る事となった。 彼女が案内されたのは、一階ロビーの左端の避難通路の奥であった。 忙しなく同僚たちが行き交っていて狭くなったソコを横断して、暗い廊下をアーソン達と共に歩く。 そこにも衛士達の姿があり、聞き込み調査や書類の確認をしながら横切っていく。 入ってすぐの時は単に暗い廊下だなーと思っていた彼女であったが、すぐにそれは変わってしまう。 歩いて数分暗い経ったであろうか、廊下の至る所に物が置かれているのが見えるようになった。 小さな物は使えなくなった椅子や大きなものは雑用品が入っているであろう木箱。 本来なら倉庫か物置にでも入れておくような雑多な道具が、これでもかと放置されている。 流石の衛士達もこれには四苦八苦しているのか、皆一応に物を避けながら歩いていた。 「これで避難通路なのですか?どう見てもすぐに通り抜けられるような感じではありませんが…」 「まぁ長い事使われていなかったらしいからな。そりゃー物置にするのは流石に駄目だとは思うが」 アニエスの言葉にそう答えつつ、アーソンはこの頃ふくよかになってきた体を補足しつつ廊下を進んでいく。 やがて物置と化していた部分を通り過ぎ、一旦従業員用の明るい通路を渡って現場へと急ぐアニエス。 再び暗い廊下へと踏み入れると、壁に文字の刻まれたプレートが埋め込まれているのに気が付く。 埃を被ったそれは丁寧な字で『この先、避難用下水道』と書かれており、もう現場が目前だという事を知る。 確かに、周りにいる数人の衛士達はその場で待機して周囲を警戒していた。 「アニエスこっちだ。この曲がり角の向こうの先に被害者がいる」 「あ、はい」 ふと前にいたアーソンに声を掛けられた彼女は返事をしながら頷き、そちらの方へと足帆進める。 丁度曲がり角の手前で足を止めた彼と彼の部下は、アニエスに見てみろと言わんばかりに視線を右へずらしていく。 この先に被害者がいるのだろうか?アニエスはそんな事を思いつつ、軽い足取りで角を曲がる。 自分が常駐する詰所内や、巡回や非番時に街の角を曲がるかのようないつもの動作でもって。 …しかし、その角の向こうにあったのはおおよそ彼女の現実からかけ離れた光景が広がっていた。 最初、それを目にした彼女はソレを見て『氷の彫刻』かと勘違いしてしまった。 何故ならば暗い廊下に転がっているそれは氷に包まれており、一見すればそれが人だとは思えなかったからだ。 「何だ、アレ?」 アニエスは素直に思った言葉を口にすると、二人の衛士が見張っているソレへと近づいていく。 手足の様な突起物は見当たらず、唯一目につくのは造りものにしては精巧過ぎると言っていいほどリアルな男の頭。 まるで甲羅から首だけを出した亀のような状態のソレを見て、誰が人だと思うだろうか しかし彼女はすぐに気が付く、これがどれだけ悲惨な状態に陥った人間の姿なのであると。 出来る限り傍へ寄って正体が何なのか知ろうとする前に気付けたのは、ある意味運が良かったと言うべきか。 「……?………――――……ッ!これは…」 アニエスがようやく気付いたのは、その頭がゆっくりと瞬きをしてからだ。 そして同時に、薄い氷に包まれたその頭の目が未だその輝きを失っていない事に気が付く。 つまるところ、これはまだ人として生きている状態なのだ!この様な悲惨な姿であっても。 ソレへ背中を向けて極力見ない様にしている見張り達の前で狼狽える彼女へ、アーソンが声を掛ける。 「気づいたか?」 「き、気づいたか…ですって?これ…これは一体何が?」 初見の物ならば誰もが思うであろう疑問を言葉にしたアニエスに、彼はソレから目を逸らしつつ答えていく。 「詳しい事は良く分からんが、かなりの威力を持った風系統と水系統の合わせ魔法を喰らったようだ。 手足は第一発見者が見た時点で無かったらしい。…相手は余程のメイジで、しかも相当イカレてる奴だな」 半ば憶測であったが、アーソンはこちらに向かって顔を向ける七割り氷漬けの男を一瞥する。 見えてるかどうかも分からぬ目を此方へと向け、僅かに凍ってない唇を動かして何かを喋ろうとしていた。 それに気付いた彼はハッとした表情を浮かべ、「ドニエル!」と少し後ろに控えていた若い衛士を呼びつける。 仲間たちと何やら話していたであろう三十代半ばの衛士すぐにアーソンの元へと駆け寄り、スッと綺麗な敬礼をした。 「被害者がまた喋ろうとしている、至急何を言ってるか調べてくれ」 「了解、暫しお待ちを」 この現場では隊長である彼の言葉に従い、肩から下げていた小型バッグからメモ帳と羽ペンを取り出す。 そして被害者の傍で屈むと口許へ耳を近づけ、微かに聞こえてくるであろう声を必死に聞き取り始めた。 耳を傾ける一方で、ペンを持つ手は忙しなく動いて、メモ帳にスラスラと何かを記している。 「あれは何を?」 「文字通りの聞き取りさ、といっても…一方的に喋ってる事を書き連ねてるだけだがな」 首を傾げそうになったアニエスにアーソンはそう返して、ついで詳しく話してくれた。 手足を失い体の外側もほぼ凍り付き、唯一動かせる頭も決して無傷とは言い切れない状態だ。 そんな中で意識すらハッキリしていないのか、ここ数時間の内何回か助けを求めるかのように喋り出すのだという。 呟いた中に自身の名前が入っていたおかげで彼が下級貴族だと分かったものの、得られた有用な情報はそれだけだ。 後は記憶すら混濁しているのか、ワケの分からない事を呟いているだけらしい。 詳しい事は分からないが、平民であっても彼が手遅れなのは何となく分かるような状況だ。 「……ひょっとすると、このまま楽にしてやったほうが良いのでは?」 「俺もそう思うが、最終的な判断は魔法衛士隊の隊長が来てからだ」 聞く度に嫌気がさしてくる被害者の情報にシエスタが思わず苦言を呈したところで、聞き取りは終わったらしい。 メモ帳と羽ペンをしまい、立ち上がったドニエル隊員かアーソンとアニエスの許へと寄ってくる。 「聞き取り終わりました!」 「御苦労、それで…本名の次に有用な情報は得られたか?」 隊長の言葉に若い彼は少しだけ苦渋に満ちた表情を浮かべた後、首を横に振る。 自分たちとしては、被害者にこのような仕打ちをした容疑者の事を知りたかったが…どうやら高望みであったらしい。 軽くため息をつくアーソンを見てこれは言わなければいけないと感じたのだろうか、ドニエルは言葉を続けた。 「ただ一言だけ、気になる事を粒呟いていまして…」 「気になる事?」 「『自分を最初に見つけてくれた黒髪の子は何処か?』…と」 その言葉を聞いてアーソンは苦虫を噛んだかのような表情を浮かべ、背後の廊下へと視線を向ける。 急に視線を変えた彼に訝しむアニエスをよそに、彼は頭の中にその゙黒髪の子゙の顔を思い浮かべた。 第一発見者として警備員に捕まり、狂犬の様に騒ぎ立てていたあの少女の顔を。 最初に彼女と再会した時、霊夢は何かの冗談かと思いたくなってしまったのは確かな事であった。 とはいってもついこの間事件現場にいるのは見かけたし、いずれは鉢合わせるだろうと思ってはいた。 王都は案外広いようで狭く、しかも今街で起きている奇怪な出来事は衛士達もかなり首を突っ込んでいる。 であるならば、遠からず二度目の体面を果たすであろうと何となく予想していたのだ。 最も、それが今日の出来事になってしまうという事だけは予想しきれなかったが。 そして霊夢と同じように、アニエスもこれは何の悪戯かと目の前にいる少女達を見つめている。 アーソンの命令で第一発見者だという少女を連れて来いと言われ、ここへと足を運んできた。 一階ロビーから階段を上り、ラウンジへと着いた彼女の前に見知った顔が大勢いたのである。 まさかこんな所で再会すると思っていなかった…という気持ちは、霊夢もまた同じであった。 「…まさか、アンタとこうして顔を合わせる日がまたくるなんてね…」 「奇遇だな。私も今そんな事を思っていたところさ」 霊夢とアニエス。互いに鋭く細めた目で互いを睨み合い、一言ずつ言葉を述べ合う。 傍から見れば実に殺伐としているだろうが、不思議な事にそこからは敵意というものは感じられない。 二人して普段からこんな感じだからなのだろう、すっかり自然体と化してしまっている証拠であった。 「何も知らない人が遠くから一見したら、何時殴り合いが始まってもおかしくない光景って言いそうね…」 「で、でもルイズ…いくら何でもアレは見ててちょっとハラハラしてくるわ…」 それを少し離れた所から呆れた風な様子で見つめるルイズに対し、傍らのカトレアは心配していた。 劇場一階ロビーの階段を上がってすぐの所にある、二階貴族専用のラウンジ。 ちょっとした談話スペースであるそこは、数時間前の賑わいはとっくに消え去ってしまっている。 今は第一発見者とその関係者として、霊夢とルイズ達はそのラウンジに閉じ込められていた。 まぁ閉じ頃られているといっても、衛士達が周囲を囲んで見張っているだけなのであるが。 幸い二階にもお手洗いはあり、今はカトレアの連れであるハクレイがニナをトイレに連れて行ったばかりである。 喉が渇けば一階から水差しを持ってきてくれるとも言っていたので、一応不便な箇所は見当たらなかった。 それでも、第一発見者である霊夢にとってこれは納得の行かない事であった。 「私に犯人を追わせずにルイズ達ごと監禁して、それで今あの悲惨な男に会わせたいだなんて…随分身勝手じゃないの」 「知るかよ。第一、お前が第一発見者だって事をついさっき知ったばかりだぞ」 霊夢の苦言に対してそう一蹴して返すとその場で踵を返し、階段の方へと歩いていく。 ついて来いと言いたげなその背中を見て察したのか、霊夢もその後を続く。 自分達を後に、アニエスに連れられてロビーを後にする彼女を見て今しか無いと思ったのか。 それまで敬愛する姉の傍らにいたルイズが立ち上がり、アニエスに「待ちなさい!」と声を掛けてきた。 「第一発見者としてレイムを連れていくのは良いとして、ついでだから私も連れていきなさい!」 「ルイズ、いきなり何を言いだすの貴女は?」 突然一歩前へ進み出て名乗りを上げた妹に、カトレアは驚いてしまう。 事情をよく知らぬカトレアでも、衛士達の話を盗み聞きして何となくだが状況は知っていた。 この劇場で何らかの事件が発生し、それが一筋縄ではいくような簡単な事件ではないのだと。 ラウンジからロビーを見下ろし、慌ただしく行き交う衛士達や彼らから事情聴取を受けている従業員たちの姿を見て何となく理解する事はできた。 そしてこれまた色々とワケがあって、ルイズがハクレイと良く似たレイム…という子を使い魔として召喚した事も教えてくれていた。 使い魔と主は一心同体、余程の事が無ければ互いに離れる事が無いというのは常識である。 しかし…だからといって何も゙見てはいけない様な物゙を、わざわざ見に行く必要があるのだろうか? やや過剰にも見える程動員されている衛士達とその物々しさから、カトレアは何か異常な事が起きたのだろうと察してはいた。 それを知って知らずか、使い魔の後を追おうとしているルイズを彼女は制止したのである。 そして後を追われようとしている霊夢も彼女の言いたい事を察したのか、後をついてこようとしているルイズを止めようとした。 「別にアンタまで来なくていいじゃないの。呼ばれたのは私だけなんだし…っていうか、何でワザワザついて来ようとするのよ?」 「でも…!…あ、ちょっと…!」 スパスパと鋭利な刃物のような言葉を投げかけてくる霊夢に反論しようとしたルイズであったが、 その前にアニエス他、階段の前で待機していた二人の衛士に周りを囲まれてその場を後にしようとする。 「すいませんが暫し彼女を借ります。そうお時間は掛けないので…」 「…と、いうわけでちょっくら現場に行ってくるからデルフの事宜しく頼むわよ~」 待ったと言いたげに手を伸ばしたルイズにアニエスが詫びの言葉を入れ、霊夢が暢気そうに魔理沙への言葉を残していく。 霊夢の代わりに再びデルフを持っていた魔理沙がそれに応えるかのように、元気そうに右手を振って返事をする。 「おぉーう!隙が出来たら私も抜け出してお前ン所へ行くからな~」 『相変わらず知的そうな姿しといて法律ってモンを知らないねぇ、お前さんは?』 楽しげな顔で物騒な事を言う魔理沙にデルフは呆れつつ、視線をチラリとルイズの方へと向ける。 そこでは先ほどから少し離れた場所で様子を見ていたシエスタが、彼女と話をしている最中であった。 「さっきは何であんな事を言ったんですか?わざわざ事件現場に赴く…だなんて」 「レイムから聞いたでしょ?被害者らしい貴族の男が、一階で肩をぶつけてしまった初老の男だったって」 シエスタスからの質問に対し、ルイズは行けなかったことへの不満を露わにしつつ思い出す。 数時間前…まだ劇場がいつもの活気で賑わい、ルイズたちがカトレア一行と出会う前の事…。 その時霊夢とぶつかり、彼女の不遜な態度にも怒らなかった紳士の鑑とも言うべきあの初老の貴族。 霊夢曰く、その彼が言葉にするのも醜い状態で廊下に転がっているのだという。 シエスタがその事を思い出して顔を青くするのを余所に、ルイズは言葉を続ける。 「アイツが嘘を言ってるとは思わないけど…信じろって言われてもそう信じれることじゃないでしょ?」 数時間前に出会い、軽く一言二言言葉を交えた紳士が今や被害者という扱いを受けているのだ。 現実とは思えない出来事を眼前にして、ルイズは本当の事を自分の目で知りたいのだろう。 例えそれが吐き気を催す程酷い状態であったとしても…それを現実だと受け入れる為に。 確かに彼女の言う事も分からなくはないと、魔理沙は少なくない共感を得た。 「まぁルイズの言うとおりだな。私だって気になる事を調べられないていうのは、何だか癪に障るんだよなぁ」 「でも…レイムさんが言ってたじゃないですか?結構酷い状態だったって…」 「ソレはソレ…所謂自己責任ってコトでいいじゃないか?ルイズだって覚悟して行きたいって言ったんだし」 シエスタの反論に普通の魔法使いはそう返し、ルイズの方へ顔を向けて「だろ?」と話を振ってくる。 突然の事に多少反応が遅れたものの、魔理沙からの問いにルイズは緊張した面もちで頷く。 「ま、まぁそれは当然よ。…吐くかどうかは、直接見てみないと分からないけど…」 ルイズの返答を聞いて魔理沙はニヤリと笑い、彼女の肩をパシパシと軽く叩いて見せた。 「…な?この通り本人はとっくに覚悟決めてるんだぜ」 『まぁ吐いても別に文句は言われんだろうさ。白い目で見つめられそうだけどな』 「…なんで決めつけてくるのよ。後、私の肩を無暗に叩かないでくれる?」 デルフの余計なひと言に文句を言いつつも、肩を叩いてくる魔理沙の手を払いのける。 のけられたその右手を軽くヒラヒラと動かして悪い悪いと言いつつ、黒白は話を続けていく。 「…でもま、ここからは出られそうにないし何もできない事に代わりはないけどな」 『絵空事は好きに思い描けるが、それを忠実に実行する事程難しい事はないってヤツだよ』 あっけらかんと事実を述べてくる彼女とデルフにムッとしつつ、ルイズは不屈の意志を露わにする。 「でもこのまま大人しくしてたら手遅れになっちゃうじゃないの。何かいい方法は無かったかしら…?」 「ルイズ…貴女、本当に行くつもりなの?」 そう呟いて周辺を警備している衛士達を見つめていると、それまで黙っていたカトレアが言葉を投げかけてきた。 敬愛する姉の言葉にルイズはスッと顔を向けると、それを合図にしたカトレアが喋り出す。 「そこの黒白…マリサさんの言う事には私も賛同できるわ。私だって、色んなことを自分の目で見てみたいもの。 けれど…貴女が今から目にしたいというモノは、おおよそ誰もが見てみたいと言うようなものじゃないかもしれない…というのも事実よ」 やや遠回し的ではあるものの、彼女の言いたい事は何となく理解する事はできた。 確かに、自分これから目にしたいというモノは並の人間が物見気分で目にするようなものではないだろう。 むしろ平和な社会ではおぞましいモノとして忌避され、目をそむけて見ない振りをする類のものかもしれない。 世の中にはそういうモノを見て興奮する人間がいるらしいが、 当然ルイズにそのような趣味は全く無い。 実際にソレを見てしまえば顔を真っ青にして卒倒してしまうかもしれないし、吐いてしまうかもしれない。 それでもルイズは知りたかった…否、霊夢の傍に生きたかったのである。 自分と魔理沙たちには上辺だけを語り、自分の私見を述べる事を控えた彼女だけが知ってるであろう事実を 突拍子も無く何かを感じ取り、脇目も振らずに現場へと直行した彼女が何を感じ取ったのか。 これまで抱えてきた幾つかのトラブルを自分たちにはあまり語らず、あくまで個人の問題として片付けてきた霊夢。 彼女は何かを知っているに違いない。この劇場で起きた、奇怪な事件の裏に隠された真実を。 …とはいえ、彼女の元へ辿り着くには今のところ色々と大変なのは火を見るより明らかだ。 どうやら魔法衛士隊が現場に到着するまでの間は、自分たちはこのラウンジで待機する事になっている。 一階へと通じる階段にはもちろんの事、それ以外の劇場のあちこちに衛士達が屯している。 その間を巧妙に掻い潜って霊夢の元へ行くとなると…かなり無理なのは明白であった。 貴族の強権で無理やり…というワケにもいかない。そんなのが通じたのは四十年も前も昔の事である。 今では許可さえあれば、平民の衛士でも学生相手ならば『公務執行妨害』の名のもとに拘束できてしまうのだ。 最も、それは学生側も相当暴れなければ滅多にそうならないし、ルイズ自身ここで暴れようなどという気は微塵も無い。 ただ…いつもの態度で通しなさいと言っても、彼らは決して道を譲ることは無いだろう。 簡単には通してくれそうにも無く、ましてや実力行使などもってのほかで八方塞りと言う状況。 それでもルイズ自身諦めきれないのは、色々と異世界からやってきた者たちの悪影響を受けたからであろうか? 手段が思いつかぬ中、それでも何かないかと考えているルイズを見て、魔理沙は微笑みながら話しかけてきた。 「なんだなんだ?普段はあんなに仲が悪そうなのに、いざってなるとアイツの事が気になって仕方がなくなったのか?」 「え?…ち、違うわよこの馬鹿。…っていうか、何でそんな想像ができるのよ」 突然魔理沙にそんな事を言われたルイズは一瞬慌てながらも、すかさず反論を投げ返す。 しかしそれを受け取った魔理沙は何故か怪訝な表情を一瞬だけ浮かべ、またすぐに笑みを浮かべて見せる。 今度は先ほどとは違い、他人の良からぬ秘密を知った時の様な嫌らしい笑顔であった。 「あぁ~…成程な、そういうことか。…つまり、お前さんにはソッチの気があるってことか?」 「…?そ、ソッチ…?」 今度はルイズが黒白の言葉の意味をイマイチ理解できずにいると、デルフが余計な一言を挟んでくれた。 『いやー娘っ子、多分お前さんの考えてた事とマリサの考えてた事は全然違うと思うぜ~』 「え?それって一体…」 魔理沙の腕に抱かれるデルフはルイズが首を傾げるのを見て、もう一言アドバイスする事にした。 『つまり…魔理沙が言いたいのは、お前さんはレイムの事―が…あり?―――いでッ…!?』 「うおぉッ…!?」 しかしそのアドバイスは最後まで言い切る前に理解したルイズに勢い掴まれ、床に叩きつけられた事で途切れてしまう。 二階のラウンジに鞘に収まった剣が勢いよく叩きつけられ、派手で重厚な音が周囲に響き渡る。 これには流石の魔理沙も驚いたのか、地面に横たわる(?)デルフを見捨てるかのように後ずさってしまう。 周りにいた衛士達や様子を見ていたシエスタ、カトレアも何事かと一斉にルイズの方へと視線を向ける。 地面に転がるデルフをやや怖い目つきで睨むルイズへ向かって、カトレアが驚きながらも話しかける。 「ちょ…ちょっとルイズ、貴女どうしたの?」 敬愛する姉からの呼びかけに彼女はハッとした表情を浮かべると、すぐに顔を上げて応えた。 「あ、いえ…ちいねえさま。大丈夫…大丈夫です、何の問題もありませんわ」 インテリジェンス―ソードを思いっきり床へ叩きつけて、挙句に怒りのこもった目で睨みつけていて何が大丈夫なのか。 久しぶりに見たであろう妹の癇癪に狼狽えるカトレアを見て、流石に剣相手に怒り過ぎたと思ったのだろう。 ルイズは自分で床に叩きつけたデルフを拾い上げると、軽く咳払いしてから彼に話しかけた。 「…コホン。とにかく、私はマリサが思ってるような意味で言ってないって事は理解しておきなさい」 『あぁ、肝に銘じとくぜ。…イテテ、だけど流石にアレはキツイぜ』 「身から出た錆ってヤツよ。アンタ自身は憎たらしいくらいにピッカピカだけどね」 今回ばかりはいつも涼しい顔をしているデルフも、苦悶の呻き声を上げている。 まぁあれだけ激しい仕打ちを受けたのだから、無理も無いだろう。 珍しく反省の様子も見せる彼を目にして、ある意味事の発端者である魔理沙がちょっかいを掛けてきた。 「まぁ日頃から色々と毒を吐いてるしな。これを機に自分を改めてみたらどうかな?」 「…その言葉、デルフに代わって私がそのまま返してやるわ」 デルフ以上に反省の色を見せぬ黒白に呆れつつも、ルイズは直前に考えていた事へと意識を切り替えていく。 魔理沙とデルフの所為で脱線しかけていた直面の問題を思い出し、その事で再び頭を悩ませる。 とはいえ、彼女が思いつく限りの事は既に考え切ってしまっている。 それらは全て上手く行くという可能性は低く、結局の所ここで大人しくしているのが一番ベストな選択だろう。 ルイズ自身できればそうしていたかったが、同時に霊夢が目にしたモノを自分の目でも確認したかった。 探究心と好奇心、それに使い魔であり共に異変を解決する間柄となった筈の霊夢に置いて行かれるという微かな怒りが心の中で混ざっていく。 そう簡単に発散できないその感情を心の中で渦巻かせて、ルイズはやるせないため息をついてしまう。 溜め息に混じる感じとったのだろうか、ルイズの表情を察してやや真剣な顔をした魔理沙が話しかけてくる。 「…その様子だと、霊夢に置いてかれた事が結構ショックだったそうだな」 『娘っ子の性分から考えりゃあ、自分だけ隠し事されててレイムだけが知ってるってのが気に食わんのだろうさ』 「ふ~ん…。まぁ霊夢のヤツって、大体自分だけで抱え込んだ問題を大抵は自分の力だけで解決しちゃうからな」 これまで幻想郷の異変で幾度と無く霊夢の活躍を見てきた魔理沙には分かるのか、デルフの補足にウンウンと頷いている。 いつもは神社の縁側でお茶飲んでグータラしてるあの巫女は、何かが起こった時だけは機敏に動き回るのだ。 そして基本的には誰にも頼らず単独で黒幕の元へと飛び、チャッチャと異変を解決してしまうのが博麗霊夢という人である。 だから今回の件も、ルイズや自分には頼らずさっさと片付けようとする未来が思い浮かんでしまう。 最も、ここはハルケギニアなので幻想郷とは勝手が違うだろうが…それは些細な問題であろう。 そんな風に一人何かに納得する魔理沙を余所に、ルイズは自らが抱えているデルフへと話しかける。 「デルフ、アンタもここから理由を付けて出られそうな案とか思い浮かばないかしら?」 『ここを出るどころか、そもそも手足が無い剣のオレっちにソレを聞くのかい?ふぅー…』 自分一本だけでは身動きすらままならないデルフはルイズの要求に対して、暫し考え込むかのような溜め息をつく。 カチャ、カチャ…と喋る度に動いている留め具の部分を適当に鳴らしてから――ふと、ある事を思い出した。 『…なぁ娘っ子。お前さん、とりあえずここから出てレイムの元へ行きたいんだったっけか?』 「…?そうだけど」 何を今更再確認などと…そう言いたげな様子を見せるルイズにデルフは言葉を続ける。 『だったら一つ…行けるかどうかは知らんがそういう事ができそうな方法があるぜ』 「え?それ本当なの?」 『あぁ。…でもその顔から察するに、あんま信じて無さそうだな』 剣の口(?)から出たまさかの言葉に、ルイズはやや半信半疑な様子を見せていた。 何せありとあらゆる方法を考えて駄目だったというのに、今更どんな方法があるというのだろうか。 そう言いたげな雰囲気が空けて見えるルイズの顔を見て、デルフは『まぁ聞けや』と更に話を続けていく。 『その方法は…まぁ、スッゴい今更かもしれんが、お前さんはとっくにその方法を『持って』るんだよ』 「…はぁ?」 やや躊躇いつつも留め具から出したその言葉に、ルイズの表情は「何を言っているのだこの剣は」という物へと変わる。 対してデルフの方はルイズの反応を大体予想していたのか、まぁそうなるわな…と思いつつ喋り続けた。 『忘れたのかい?…ホラ、ちょっと前に大切な友人から貰ったあの゙書類゙の事を』 「…?゙書類゙…って―――――…あっ」 デルフの留め具から出だ書類゙という単語を耳にして、ようやく彼女も思い出したらしい。 ハッとした表情を浮かべたルイズはひとまずデルフを魔理沙へと渡し、次いで慌てた様子で自身の懐を探り始めた。 ルイズとデルフのやり取りを見ていた魔理沙も、それでようやく思い出したのか。 「あぁ」と感心したかのような声を上げ、ポンと手を叩いてからニヤリと笑って見せた。 「そういや…そういのも貰ってたっけか?今の今まで使い道が無かったから、流石の私も忘れかけてたぜ」 「まぁ、そりゃ…モノがモノだから無暗に使うワケにも…いかないわよ!」 魔理沙の言葉にルイズは懐を漁りつつ、目当てのモノを『魅惑の妖精』亭に置いてきてない事を祈っていた。 今彼女が探しているものは…もしも何か、最悪の事が起こったらいつでも使えるようにと直に持っていたのである。 ブラウスのポケットを探り終えたルイズは少しだけ顔を青くしつつ、次にスカートのポケットへと手を伸ばしたところ――― 「……あったわ」 ポケットへと突っ込んだ指先に触れる羊皮紙の感触に、彼女はホッと安堵しつつ呟いた。 すぐさまそれを人差し指と親指で摘み、慎重かつ素早くポケットの中から取り出して見せる。 それは数回ほど折りたたまれた羊皮紙であり、見た目でも分かる程の紙質の良さは決して安物ではないと証明している。 微かに震えだした指先で慎重に紙を開いていくと、それは一枚の゙書類゙へと姿を変えた。 その゙書類゙を見て魔理沙もパッと嬉しそうな表情を浮かべ、ルイズの肩を数回叩いて喜んでいる。 その書類はかつて、ルイズがアンリエッタ直属の女官となった際に貰ったものであった。 女官としての仕事を行っている最中、不都合な事があった際に提示すれば特別な権限を行使できる魔法の一枚。 今まで特に使い道が思い浮かばず懐へ忍ばせ続けていたその魔法を、ルイズは今正に取り出したのである。 「おぉ、やっぱり持ってたのか!でかしたなー、ルイズ」 「あ、当たり前じゃない…ってイタ、イタ!ちょっとは加減にしなさいよこの馬鹿!」 魔理沙としては加減したつもりなのだろうが、ルイズにとっては結構痛かったらしい。 自分の肩を乱暴気味に叩く魔理沙の手を払いのけつつ、ルイズは改まるかのように咳払いをしてみせた。 「コホン…とりあえず、この書類の権限を上手い事使えば階段前の彼らは通してくれるかも…」 「それでダメなら、ダメになった時の事は考えてるのかい?」 「流石に通してくれないって事はないかもしれないけど…まずはやってみなきゃ始まらないわよ」 いざ見せに行こうというところで不安なひと言を掛けてくる魔理沙を睨みつつ、ルイズは階段の方へと歩いていく。 その間にも数回咳払いしつつもサッと身だしなみを整え、ついで軽い呼吸でもって自身の意識をサッと切り替えてみせた。 三人の衛士達が槍を片手に階段の近くで待機しており、何やら軽い雑談をしている最中だ。 やがてその内一人が近づいてくるルイズに気が付き、すぐに他の二人も彼女の方へと視線を向ける。 何か言いたい事でもあるのかと思ったのか、真ん中にいた一人が近づいてくるルイズに話しかけた。 「ミス・ヴァリエール。何か我々に御用がおありでしょうか?」 「あぁ、自分から話しかけてくれるなんて気が利くわね。悪いけど、ここを通してもらえないかしら」 話しかけてきた衛士に軽く手を上げつつ、ルイズはサラッと本題を要求する。 その突然な要求に二十代後半と見られる若い衛士は数秒の無言の後、口を開いた。 「…?お手洗いでしたなら、二階にもあった筈ですが…」 「お手洗いじゃないわ。私も一階に下りて、事件現場を視察に行きたいの」 「あぁすいません。そうでした…って、え?」 ある意味大胆すぎるルイズの要求に話かけた衛士はおろか、横にいた二人も目を丸くしてしまう。 例え衛士であっても、それなりの地位を持つ貴族の命令はある程度聞かなければならない。 それがヴァリエール家のものであるなら尚更だが、今回だけは特別として命令を聞く必要は無いと言われていた。 通してくれと要求された衛士はその事を思い出すと慌てて首を横に振りつつ、ルイズに通せない事を伝えようとする。 「も、申し訳ありませんが特別命令が発布されておりまして、許可が無い限り誰も通すなと厳命されているんです…」 「あらそうなの?でも大丈夫よ、私もアナタたちにここを通しなさいと命令できる立場にいるんですもの」 ルイズはあっけらかんにそう言うと、先ほど取り出した書類をスッと彼の前に差し出して見せた。 衛士は目の前に出されたその一枚へと視線を移し、そこに記されている内容を声を出さずに読んでいく。 幸い彼は衛士の中でもそれなりに高い地位にいるので、文字の読み書きはできる方であった。 横にいた同僚たちも何だ何かと横から覗き見し、やや遅れつつも内容に目を通していく。 やがて記されていた内容を読み終え、最後にそれを記入した者の名とそれに寄り添うかのように押された白百合の印へと目を通す。 確認し直すかのように何回か瞬きをした後、書類を見せるルイズに向けて改めて敬礼をした。 「し、失礼いたしました!」 それと同時に後ろにいた同僚たちも続いて同じように敬礼したのを見届けてから、ルイズは口を開く。 「一目で分かってくれれば大丈夫よ。…じゃ、後ろにいる黒白も一緒に連れていくからそこんトコはよろしくね」 「は、はい!お気をつけて!」 サラッと自分を連れて行く事も許可できたルイズに、魔理沙は嬉しそうな表情を浮かべている。 「コイツは嬉しいねぇ。てっきりシエスタたちと一緒に御留守番かと思ったが」 「アンタだって一応ば関係者゙何だし、第一アンタだって見に行きたいんでしょ?」 「まぁ嘘じゃないと言えば嘘になるな。どっちにしろ助かったよ」 一言二言言葉を交えた後で魔理沙はデルフを脇に抱えると、近くに置いてあった自分の箒を手に持った。 喧しくて中々重い剣とは違い無口で軽い相棒を右手に、いざルイズの傍へと行こうとする。 そんな時であった、それまで一言も発さず状況を見守っていたシエスタが言葉を投げかけてきたのは。 「ま、待ってください二人とも!一体どこへ行くんですか!?」 「何処って…そりゃお前、霊夢の元に決まってるだろ?後、被害者になったっていう貴族がどういうヤツなのかも見に行くがな」 「え?でも、でも何でワザワザ見に行こうとするんですか?後でレイムさんに聞けばいいじゃないですか…」 知り合いの呼び止めに魔理沙が足を止めてそう返すと、彼女は首を横に振りつつ言った。 まぁ確かにシエスタの言うとおりであろう。しかし彼女は未だ、霊夢という良くも悪くも独り走りが好きな少女の事を良く分かっていない。 自身の言葉を常人らしい正論で突き返された魔理沙は頬を左の小指で掻きつつ、何て言おうか迷っていた。 「う~ん…そうだな。…これは私の経験則なんだが、霊夢のヤツだとあんまりそういう事をせがんでも言ってくれる人間じゃないしな」 「と、いうと…」 『つまり、あの紅白が見聞きしたことをそのまま教えてくれる保証は無いってマリサのヤツは言ってるのさ』 ま、オレっちの目にはそこまで酷いヤツには見えんがね?最後にそう付け加えたのは、デルフなりの優しさなのであろうか。 それに関しては特に意義は無いのか魔理沙も「ま、そういう事さ」で話を終えて、再びシエスタに背を向ける。 「それに私自身気になったモノは自分の目で見て、耳で聞きたい性分なんでね。…ま、知識人としての性ってヤツだ」 「アンタの何処が知識人なのよ?」 顔だけをシエスタへと向けて自慢げに自分を上げる魔理沙に、ルイズは冷静に突っ込みを入れた。 それでもまだ納得が行かないのか、シエスタは首を横に振りつつ「それでも…」と縋るように言葉を続ける。 「それでも、やっぱり変ですよ!レイムさんも言ってたでしょう?被害者の貴族様はかなり酷い状態だって。 周りにいる衛士さん達の話を聞く限りでは、あの人は嘘を吐いてないって事も何となくですが分かります… それでも、それでもレイムさんと同じ場所へ行くんですか?わざわざ、誰もが目を背けたくなるようなモノを見に…」 やや過剰とも思えるシエスタの引きとめに、流石の魔理沙もどう返せばいいか迷ってしまう。 まさかここまで自分とルイズの事を心配してくれるなんて、流石に想定の範囲外であった。 ルイズ本人としても、シエスタの言う事は平民、貴族を抜きにしても真っ当な言葉である事には違いない。 (確かに…わざわざ事件現場を見に行く学生ってのも、やっぱりおかしいんでしょうね) わざわざアンリエッタから貰った書類を使ってまで見に行こうとする自分と魔理沙は、さぞや奇異に見えるのだろう。 そんな事を思いつつ、それでも尚現場へ赴きたいルイズが魔理沙の代わりにシエスタへ言葉を返す。 「…何だか悪いわねシエスタ。平民のアンタにそこまで言われるとは思わなかった。 正直、アンタの言ってる事は至極マトモだし少し前の私なら、わざわざ見に行こうなんて思いもしなかったし…」 申し訳ないと言いたげな笑みを浮かべるルイズに、シエスタは「じゃあ…」と言い掛けた言葉を飲み込む。 最後まで聞けなかったが彼女の言いたい事は分かる。――じゃあ、どうして?だと。 その意思を汲み取ったルイズはほんの数秒シエスタから視線を外した後、それを口に出した。 「どうして…?と言われたら、そうね…多分、言っても分からないし無関係のアンタに言ったら駄目なんだと思う…」 「言ったら、ダメ…って?」 「文字通りなのよ。理由を言ったら、多分非力なアンタまで厄介な事に巻き込まれちゃうから」 視線を逸らし、言葉を慎重に選びながらしゃべるルイズにシエスタは首を傾げてしまう。 数秒程度の無言の後、ルイズはシエスタの方へと顔を向けてそう言った。 その言葉を口にした声色と、真剣な表情は決して冗談の類を言ってるとは思えない。 平民であり物騒な出来事とはあまりにも無縁なシエスタにもそれは分かる事ができた。 ルイズの言った事に目を丸くして半ば呆然としているシエスタに、話しは異常だと言いたいのか。 彼女へ背中を向けると「じゃ、また後で」という言葉を残して階段を下りようとする。 「待ちなさい、ルイズ」 しかし、その直前であった。それまで沈黙を保っていたカトレアが、自分の名を呼んだのは。 先ほどの自分と同じくいつもの柔らかさを抑えた低音混じりの声で呼び止められた彼女は、思わず振り返ってしまう。 いつの間にかシエスタの横にまで移動していた姉は、先ほどの声とは裏腹に心配そうな表情を浮かべてルイズを見つめていた。 「ちぃねえさま…」 その表情とあの声色で、彼女が今の自分を心配しているのは痛い程分かっている。 けれども互いに何を言って良いか分からず、暫し見つめ合ってから…ルイズが「ごめんなさい」という言葉と共に踵を返した。 そして急いでこの場から離れようとやや急ぎ足で、やや大きな音を立てて階段を下りていく。 「…あ、おいちょっと待てよ!」 『―…と、まぁそんな感じでこの場は後にさせてもらうぜ。トレイに言ってるお二人にもよろしく言っといてくれ』 黙って様子を見ていた魔理沙はハッとした表情を浮かべ、デルフと箒を手に彼女の後を追っていった。 その彼女の腕の中でデルフは後ろにいる二人にそう言いつつ、魔理沙と共に一階へと下りて行ってしまう。 後に残されたのは呆然とするシエスタと心配そうな表情を浮かべるカトレアに、どうすれば良いのか分からない数人の衛士達。 一階では下りてきたルイズ達に何事かと駆けつけた衛士達が声を上げ、暫し揉めた後に急いで道を譲っている。 ガヤガヤと騒がしくなる一階とは身体に、二階ラウンジには沈黙が漂っている。 皆が皆どのような事を言っていいのか分からぬ故に誰も喋らず、それが更なる沈黙を作っていく。 そして、そんな彼らの中で第一声を上げたのは…先ほどまでここにいなかった二人の内一人であった。 「…何だか、色々と厄介な事があったそうね」 聞き覚えのあるその女性の声に、カトレアがハッとした表情で振り返る。 ラウンジの奥、トイレへと続く曲がり角の手前にその女性―――ハクレイは立っていた。 用を足し終えたニナと手を繋ぐ一方で、真剣な表情を浮かべてラウンジにいる者たちを見つめていた。 「…それにしても、人の縁っていうのは色々と数奇なモノよね~」 アニエスを先頭にして再び現場へと向かう最中、霊夢はそんな一言をポツリと漏らしてしまう。 しっかりと明りが灯された一階通路のど真ん中で放った為か、通路を行き交う衛士たちの何人かが二人の方へと視線を向ける。 それにお構いなく歩き続けるアニエスは、暢気に喋る霊夢に「あんまり大声で喋るなよ」と注意しつつ彼女の話に言葉を返していく。 「私の方こそ驚いたぞ。まさかこんな所でミス・フォンティーヌやお前達と再会できるなんて夢にも思っていなかったんだ」 「…そんでもって、彼女らが私達の知り合いだったって事もでしょう?」 自分の言葉に付け加えるかのような霊夢の一言に、アニエスは「まぁな」とだけ返しておくことにした。 そこから暫し無言であったが、このまま黙っているのはどうなのかと思った霊夢がアニエスへ話しかける。 「そういえばアンタ、どうしてタルブにいたルイズのお姉さんやシエスタの事を知ってたのよ?」 「…ん?あぁそうか、お前さんには話しておくべきか」 霊夢からの疑問に対してアニエスはそえ言ってから、軽く深呼吸した後でざっくばらんに説明をしてくれた。 あの村の周辺で戦争が始まる直前に、一時的に衛士隊から国軍へ入るよう命令が届いたこと、 命令通りに軍へと入って新兵たちの仮想上官として訓練を行い、簡単な任務を遂行している内に何と戦争が勃発。 不可侵条約を結ぼうとしたトリステイン空軍はアルビオン艦隊の不意打ちに驚きつつも、これを何とか回避、 一方で訓練中であった国軍は空軍の援護と称して用意していた大砲で砲撃し、地上から敵艦隊を攻撃したのだとか。 「へぇ~…あそこでそんな戦いが起こってたのね」 「…最も、あそこで貴族平民問わず決して少ない数の将兵がワケの分からん連中に襲われて命を落としたがな」 「ワケの分からん連中…?何よソレ、そっちの方が気になるわね?」 「…あぁイヤ、スマン。そっちの方は教えられない事になっている」 アニエスからの話を聞いていた霊夢は納得したように頷きつつ、同時に彼女の言う『ワケの分からん連中』の正体を既に知っていた。 つまりアニエスは軍の一員としてあのタルブにいて戦争に参加し、そして奴らの放ったキメラに襲われたのだろう。 霊夢が一人ウンウンと微かに頷いて納得する中で、アニエスは話を続けていく。 結果的に突如現れたその『ワケの分からん奴ら』に襲われて地上部隊は敗走し、アニエスと幾つかの部隊はタルブ村まで後退。 そしてアストン伯の屋敷の地下へと村民たちと共に避難し、そこでカトレア一行と出会ったのだという。 その後は夜を待ってから、隣町にまで後退したであろう仲間たちを呼ぶ為に彼女を含めた兵士たちが脱出を決行。 周辺の山を越える為の水先案内人として、偶然にもその中で最も若く丈夫であった地元民のシエスタが選ばれたのだという。 「…成程、アンタとシエスタはそこで顔を合わせってるってワケね」 「正確に言えば、そこで二度目だったんだが…まぁその話は後でいいだろう」 「…二度目?」 アニエスの意味深な言葉に、霊夢は思わず首を傾げてしまう。 それを余所にアニエスは話をそこで切り上げ、彼女を後ろに更に廊下を進んでいく。 その通路は数時間前に霊夢が通った廊下とは違いしっかりと掃除が行き届いており、雰囲気も暗くはない。 あの不気味な通路があったとは思えぬ程ちゃんとした場所でも、それでもあの通路とはほんの少し距離がある程度であった。 霊夢自身はこの通路へ入る前にアニエスからの説明で、一応は現場へと続いているという事だけは教えてもらっていた。 最初は自分をだまして尋問か取り調べでするつもりかと思っていたが、どうやらそうではないらしい。 多少遠回りにはなるらしいが、それでも時間を計ればほんの数秒程度の差しかないのだとか。 「あともう少し歩いたら通路の横に扉があるから、ソレを通って現場近くの廊下にまで出るぞ」 「…ん、分かったわ」 忙しそうに劇場内を行き来する衛士達を横目で見つめながら、霊夢は右側の壁へと視線を向ける。 確かにアニエスの言うとおり、自分たちから見て通路右側の壁に古めかしい扉が取り付けられていた。 見ただけでも年季の入りが分かるソレのノブをアニエスが手に持ち、捻る。 そのまま前へと押し込みドアを開けると、ドアとドアの間に出来た隙間から男達の話し声が聞こえてきた。 恐らく見張りについている衛士達なのだろう。言葉遣いだけでも何となくその手の人間だと分かってしまう。 (見張っている最中に無駄話などと…まぁでも、それぐらいなら特に咎める事じゃあないな) アニエスは心の中で肩を竦めつつ、そのまま無視してドアを開けようとした…その時であった。 彼女が今最も意識の外に追いやりたかった『問題』を彼らが口にしてしまったのは。 「…そういえば、お前さぁ。昨日配られたポスターの顔ってさぁ、やっぱり…」 「しー、それはあまり言わん方が良いぞ。俺たちの仲間なんだし、アイツと親しいアニエスもここにいるんだしな」 最初こそソレを無視して開けようとしたアニエスの手がピタリと止まり、ドアを少し開けた状態のまま固まってしまう。 後ろにいた霊夢もその話し声を耳にしており、一体何を話してるのかと気になったのだろうか、 アニエスの横に移動するとそこから少し耳を傾けて、 何を話しているのか聞き出そうとしていた。 衛士達は扉を開けてすぐ右にいるのだろうか、話し声がやたら大きく聞こえてくる。 声からして二人。互いの口ぶりから結構親しい間柄のようだ。 「…それにしても、アニエスのヤツも大変だろうなー。何せ隊長が行方不明で、おまけにミシェルが指名手配されてるしな」 「っていうか、何であんなすぐに指名手配が出たんだろうな。普通ならもっと時間掛かるだろうに」 「そこだよな?ってか、ウチの所の隊長もその指名手配に首を傾げてたなー…だって結構マジメだったし」 「だよな。俺なんて今年の初めに、警邏中に油売ってたら思いっきり尻を蹴飛ばされたよ」 「ははは!お前さんらしいぜぇ~」 まるで場末の酒場でしている様な会話に、流石のアニエスも我慢できなくなったのか、 危機を察した霊夢がスッと身を引くのと同時に、思いっきり開け放って見せた。 丁度扉の近くにいた一人の衛士が急に開いたソレを見て身を竦ませつつも、彼女の名を叫んだ。 「おぉっ…!?な、何だよアニエス!危ないじゃねぇか!」 「悪かったな。勤務中だというのに下らん話しをしていた連中がいたもんでな、少し驚かせてやったんだよ」 驚く同僚に詫びを入れたアニエスは次いで右の方へと視線を向けて、そこにいた二人の衛士を睨み付ける。 二人して二十代半ばだろうか、まだ入って一年であろう彼らはドアの向こうから姿を現した彼女に驚いていた。 「え…!ちょっ…いたのかよお前!」 「…このままお前らの間抜け面に思いっきり拳を埋めてやりたいが…今は仕事中だ。…私の気が変わらんうちに持ち場へと戻れ」 「わ…わかった、わかったよ!」 驚く二人に人差し指を突き付けるアニエスにビビったのか、もう一人がコクコクと頷きながらその場を後にした。 残った一人も彼の背中を追い、そのままロビーの方へと走り去ってしまう。 その情けない背中を見つめつつも、霊夢は静かに怒っているアニエスに話しかけた。 「やけに怒ってたわね、何か気になる事でもあったの?」 「仕事中に油を売っていたのもあるが…今はちょっとな、忘れておきたい事を思い出されたんだ」 「忘れておきたい…?」 「今の仕事に集中できんって事だよ」 またもや首を傾げそうになった霊夢にそう言って、アニエスは踵を返して廊下の奥へと進んでいく。 先ほどとは違い明りの殆どない、薄暗いその廊下を。 その後ろ姿を見つめる霊夢は、何かしらの事情があるのだろうという事だけは何となく理解していた。 (気になるっちゃあ気になるけど…今はそれを一々聞ける程時間の余裕は無さそうね) 今抱えている『何か』を記憶の片隅に置いている彼女に声を掛けられる前に、霊夢はその後をついていく。 もう一度この薄暗い廊下の向こうにいる、氷漬けにされた男の許へ。 アニエスと霊夢が下水道へと続く通路がある曲がり角へ辿りついたのは、それから一分も経ってないであろうか。 曲がり角の手前には見張りであろう若い衛士と隊長らしき中年の衛士がおり。それに加えて魔法衛士隊員も二人ほどいた。 薄く安そうな鎧を纏った衛士達とは違い、ある程度上質な服にマンティコアの刺繍が入ったマントを羽織っている。 こに至るまで平民の衛士達ばかり見てきた霊夢は、見慣れぬ貴族たちを指さしながらアニエスに聞いてみた。 「誰よアイツら?アンタ達のお仲間?」 「そうとも言うな、所属は物凄く違うが。…今回事件の起きた場所と被害者が原因で、ここに派遣されてきた魔法衛士隊の連中だ」 霊夢の質問にそう答えるていると、中年衛士のアーソン隊長と話していた魔法衛士隊の隊長らしき男が近づいてくる二人に気が付いたらしい。 貴族にしてはヤケに穏やかな表情を浮かべた彼は、わざわざアニエスたちの方へと近づいてきたのだ。 それに気が付いたアニエスはその場で足を止めると、近づいてくる隊長にビッ!見事な敬礼をして見せた。 突然の礼に何となく足を止めてしまった霊夢は少し驚いたものの、それを真似して敬礼する程彼女はマジメではない。 敬礼もせず、ましてや頭を下げる事も無く見物に徹する事にした巫女さんを余所にアニエスは彼の名前を口にした。 「魔法衛士隊所属マンティコア隊隊長ド・ゼッサール殿!わざわざお越し頂き、誠に恐縮です!」 「やぁ、君が噂のラ・ミラン(粉挽き)かい?…成る程、噂に違わぬ鋭い美貌に…何より、体も十分に鍛えてある。女だてら良い衛士だ」 返す必要も無いというのに、わざわざ敬礼を返しつつもゼッサールはアニエスの満足そうに頷いてみせる。 そして、彼が粉挽きと呼んだ彼女の横に立って此方を見つめている霊夢の存在に気が付いてしまう。 「おや?君は…確かどこかで見たことがあったかな?」 先に現場に到着していた衛士達や、自分たち魔法衛士隊隊員たちとは明らかに見た目や雰囲気が違う。 そんな少女を無視できるはずも無く、質問を飛ばしてきたゼッサールに霊夢は少し面倒くさがりながらも軽い自己紹介をした。 「まぁお互い初対面じゃないのは確かね。…名前は博麗霊夢、それを聞いたら思い出すでしょう?」 「…レイム?…レイム、レイム…レイ……ん、アァッ!」 自己紹介を聞き、暫し彼女の名を反芻していたゼッサールはすぐに思い出す事か出来た。 それは今から少し前、アルビオンが急な宣戦布告を行ってきた際の緊急会議で王宮に呼び出された時…。 大臣や将軍たちの終わりの無い会議の最中に突如乱入してきた、紅白の少女が彼女であった。 確かあの時は自分とは縁のあるヴァリエール家の御令嬢がいた事も、記憶に残っている。 思い出したと言いたげな表情を浮かべるゼッサールを見て、霊夢は「どうよ?」と聞く。 それに「あぁ」と頷いて見せると、二人が知り合いだという事に気が付いたアーソンが彼の方へと顔を向ける。 「ゼッサール殿、この少女の事を見知っていて…?」 「ん、…あ、あぁ!まぁな、少し前に知り合う出来事があってな…まぁ友達って呼べるほど親しくもないがね」 訝しむ彼とアニエスに片目を竦めつつそう言うと、自分を見上げる霊夢を指差しながらアーソンへと聞いた。 「…で、彼女が被害者を最初に発見した少女なのかね?」 「え、えぇ。駆けつけた警備員たちが被害者の眼前にいた彼女を見ております」 ゼッサールからの問いに 軽く敬礼しながら答えると霊夢も思い出したかのように「そうなのよぉー」と相槌を打ってきた。 「最初、私を容疑者だと勘違いしたのか手荒な事をしようとしてきたのよアイツラ? 全く失礼しちゃうわ。相手が化け物ならともかく、この私が人殺しなんてするワケないのに…!」 失礼極まりないわね!最後にそう付け加えて一人怒っている彼女を見てゼッサールは思わす苦笑いしてしまう。 いきなり容疑者扱いされて怒るのは当たり前だろうが、警備員たちも人を見て判断するべきであっただろう。 何がどう間違えれば、こんなに麗しい見た目をした彼女を人殺しなどと呼べるのであろうか。 最初に見かけたときは少し遠くからでイマイチ分からなかったが、こうして間近でみれば何と可愛い事か。 この大陸では珍しい黒髪とそれに似合う紅く大きいリボンに、異国の空気を漂わせている変わった服装。 彼自身の好みではなかったが、それでもこのハルケギニアでは一際珍しい姿は彼の目を引き付けたのである。 しかし、あまりに観すぎてしまったせいか、少し前の出来事を思い出して怒っていた霊夢に気付かれてしまった。 「全く……って、何ジロジロ見てるのよ」 「え?あ、いや…失礼した。こうして間近で見てみると変わった身なりをしていると思ってね」 「…何だか久しぶりに指摘された気がするわ」 一貴族とは思えない程丁寧なゼッサールからの指摘に、霊夢は苦々しい表情を浮かべてしまった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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曲Data Lv BPM TOTAL NOTES 平均密度 ★4 154.14-154.14 790 6.42Notes/s 譜面構成・攻略 譜面画像