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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 「ふーむ…いやぁ全く。こういう時はどうすりゃあ良いのかねぇ?」 霧雨魔理沙は考えあぐねている、今日一日をこれからどう過ごせば良いのかと。 気温は高し、されで外は天晴れと叫びたくなるほど快晴であり、ずっと屋根裏部屋の中で過ごすのは損だと感じてしまう。 こういう時は多少暑くとも外へ出て思いっきり汗をかき、帰ったらシャワーなり水浴びをしてサッパリしたくなる。 少なくとも彼女はそう思っていた。今はこの場にいない霊夢とルイズはそういう人間ではないが。 それに今日は外へ出て調べものをしようと思っていた所であり、ついさっきも裏口から外へ出ようと思っていた所なのである。 しかしタイミングが悪いというべきか今日の運気が下がっていたかどうかは知らないが、それは成し得なかった。 別に裏口のドアにカギか掛かっていたワケでもなく、ましてやドアを開けた先の路地が汚物やゴミに塗れていたわけではない。 鍵はちゃんと開いていたし、路地は近年王都で台頭し始めている清掃業者のおかげで十分と言えるほど綺麗にされている。 じゃあ何故彼女は外へ出ず、こうして屋根裏部屋に戻ってきているのか?答えはたった一つ。 それは突然の来訪に対応せざるを得なかったからである、絶対に無視したり蔑ろにするべきレベルでない人物の。 あの霧雨魔理沙が…否、きっと霊夢以外の人間――ルイズやこの世界の者たち―ならば絶対に驚愕してしまうだろう。 そして誰もが信じないだろう。まさかこんな繁華街の一酒場の屋根裏部屋に、かのアンリエッタ王女がいるという事など。 一体何故来たのか?そもそも何の目的でこんな所までやって来たのか…その他色々。 ひとまず聞きたい事が多すぎて何を最初に言えば良いのか分からない魔理沙に、ベッドに腰かけるアンリエッタが申し訳なさそうに口を開く。 「いきなりですいませんマリサさん。…私としてはちゃんと事前に知らせてから来たかったのですが…」 「ん?あぁ別に気にするなよお姫様。まぁ、急に来られたのは本当にビックリしたが、ルイズがいたらそれだけじゃあ済まなかったろうし」 今に項垂れてしまいそうなアンリエッタにフォローを入れつつ、魔理沙はふどもしも゙の事を考えてしまう。 もしもこここにルイズがいたのならば、今頃急にやって来たアンリエッタの前で会話もままならない程動揺していたに違いない。 しかし、霊夢ならばそれこそいつもの素っ気無い態度で彼女に『何しに来たのよ?』と言う姿が目に浮かんでくる。 今は有り得ぬ゙もしも゙の事を考えていた魔理沙はすぐさまそれを隅へ追いやり、ひとまずアンリエッタに話しかけた。 「しかし、アンタも物好きだよな?ワザワザ私達を呼びつけるんじゃなくてそっちから来るだなんてさ」 「その事については申し訳ありません。けれど、本当に複雑な事情がありまして…」 「……複雑な事情、ねぇ?まぁ外の騒がしさを考えれば、何か厄介ごとに巻き込まれた…ってのは分かるけどな」 アンリエッタの言葉に魔理沙はそう言いながら窓の方へと近づき、そこから通りを覗き見てみた。 先程まで静かな朝を迎えていたチクトンネ街の通りはアンリエッタが来てから五分と経たず、数十人もの男女を騒々しくなっている。 それもただの平民ではない。ボディープレートと兜を装備し、その手に市街地戦向けの短槍を手にした衛士達だ。 彼らは二人一組か四人一組となって行動しており、路地や通りを行き交う平民に聞き込み調査を行っていた。 中には扉が閉まっている酒場のドアを強めにノックして店の人間を起こしてまで聞き込んでいるのを見るに、相当力が入っている。 隊長と思しき衛士が何人かの部下に命令か何かを飛ばしており、それを聞いて敬礼した彼らは急ぎ通りを走り去っていく。 一体何を…いや、誰を捜しているのか?その答えを既に魔理沙は知っていた。 「もしかして、じゃなくても…色々と複雑な事情がありそうだな」 その言葉にアンリエッタは何も言わず、ただ黙って頷いて見せる。 やっぱりというかなんというか…、思わぬところで面倒事に巻き込まれたモノだと魔理沙は思った。 思いはしたが、しかしその顔には薄らとではあるが笑みが垣間見えている。 ―――今この王都で何かが確実に起きているのだ。それこそお姫様が直接動かねばならない程の事が。 一昨日の出来事と合わせて、改めて何かが起きつつある場所に自分がいるという状態に、彼女は喜んでいたのだ。 自身ありげな笑みを浮かべた魔理沙はアンリエッタの横に腰を下ろすと、親しい友人に話しかける様な調子で口を開いて見せる。 「にしてもさぁ、一体何用で来たんだよ?ルイズと霊夢は野暮用でいないしさぁ。私に出来る事なんて限られてるとおもうが?」 「それは…」 魔理沙からの質問にアンリエッタは暫し悩んだ後、ここまでやってきた目的の一端を魔法使いへ告白する事となった。 今この場で説明すべき事をし終えるのに、五分以下の時間があれば十分である。 アンリエッタから事情を聞き終えた魔理沙は、これは増々厄介ごとにっにてきたと改めるほかなかった。 「…成程。…とにもかくにもアンタがここへ来た目的は何となく分かったぜ」 そう言って溜め息をついた彼女はベッドから立ち上がり、暫し何かを考え込むようなそぶりを見せつつも、先ほど彼女に言われた事を思い出す。 青天の霹靂…と例える程でも無かったが、それでも 一昨日までは何となく平和な日々を過ごしていた魔理沙には到底信じられない様なお願いであった。 アンリエッタが魔理沙に頼んできた事、それはエスコート。つまりは護衛の仕事であった。 護衛…それもこの国で最も重要な地位を持つ少女の護衛である。失敗すれば生きてはこの国から出られないであろう。 そんな重要な仕事をアンリエッタ親しい間柄であるルイズ…にではなく、魔理沙に直接頼んできたのである。 さすがの霧雨魔理沙もこれには二つ返事で了承しかねるのか、一人気難しそうな顔を浮かべんて悩んでいた。 如何に彼女と言えども、この国の象徴たる少女に自分の護衛をして欲しいと頼まれればこうもなるだろう。 暫し考え込んでいた魔理沙であったが、痺れを切らした彼女は自分に守ってほしいと頼み込んできた王女からの意見を聞くことにした。 「けれど本当に私で良いのか?ルイズならアンタか頼み込んできた仕事をこころよく引き受けてくれそうなモンだが?」 その質問に暫しの沈黙が続いた後…『えぇ』と肯定し、少し離れた所から自分と見つめ合う魔理沙に向かって言う。 「はい。…というよりも、ルイズには今回の事をなるべく黙っていたいのです」 「ルイズにはナイショ…だって?」 彼女の口から出た信じられない言葉を耳にした魔理沙は思わずその言葉を反芻してしまう。 霊夢と一緒に見ても十分中の良かった二人の内片方の口から出るとは思っていなかった言葉である。 それからまたもや数秒程の無言を間に挟み込んでから、魔理沙が意を決してアンリエッタにワケを聞いてみる。 「なぁ…一体どういう事が説明してくれないか。わざわざルイズにまで秘密にする事って一体…?」 魔理沙からの質問に対し、深々と頭を下げつつもアンリエッタは全てを語る事まではしなかった。 「今はまだ多くを語れません。…ただ、もしルイズを今の段階で関わらせてしまえばあの娘を深くガッカリさせてしまうのよ」 「だったら尚の事アイツを頼った方が良いんじゃないか?何かワケがあったのは分かるが、通りの騒ぎを見れば無断で抜け出したのか何となく分かるぜ?」 相も変わらずルイズを大切に思いつつも何処か不器用なアンリエッタの言葉に、魔理沙は外を指さしながら言う。 それでもアンリエッタは理由を言えないのか、申し訳なさそうな表情で首を横に振るばかりであった。 中々に口が堅いお姫様相手に、流石の魔理沙もこれ以上はダメだと判断したのだろうか。 参ったと言いたげに大きな溜め息一つついてから、軽く両手を上げつつ「わかった、わかった」と言って彼女の願いを聞く事にした。 「とにかく今のアンタが結構なワケありで、尚且つその理由をルイズに話す事はできないが…私には護衛役になってくれ。そう言いたいんだな?」 「一方的な願いだというのは承知しております。短くとも今夜中には、ワケを話せると思いますので、どうか…」 渋々といった感じで自分の願いを承ってくれた魔理沙に対して、アンリエッタは申し訳なさそうに頭を下げながら礼を述べた。 王家、それも実質的にはこの国のトップである少女が下げた頭からは、本当に申し訳ないという悲痛な思いが漂ってくる。 流石の魔理沙でもそれを感じ取って、本当なら今すぐにも理由を打ち明けたいという彼女の気持ちが伝わってきてしまう。 ましてやこの国の人間ではない自分にこんな対応を見せてくれているのだ、それを無下にできるほど霧雨魔理沙は非道ではなかった。 バツの悪そうな表情を浮かべる魔理沙は頬を少し掻きつつも、頭を下げているアンリエッタに声を掛けた。 「んぅー…まぁいいや。アンタには色々と貸しがあるし、何より最後まで隠しっぱなしにする気はなさそうだしな」 その言葉にアンリエッタは顔を上げ、一転して明るい表情を浮かべて見せた。 「…!それじゃあ…」 「暇を潰そうと思っていた矢先にこれだからな。丁度良い暇つぶし替わりにはなるだろうさ」 「マリサさん、あり…ありがとうございます」 やっと嬉しそうな反応を見せてくれたアンリエッタにそう言ってみせると、彼女は優しく魔理沙の手を取って握手してくれた。 常日頃森の中へと入り、キノコや野草を採取して、色々な薬品に触れてきたが、それでも毎日のケアを欠かさずにしている自分の手と比べ、 アンリエッタの手はとても柔らかくて綺麗で、その肌触りだけで生まれや育ちも自分とは全く違うのだと、魔理沙は改めて認識してしまう。 その後、魔理沙は改めてアンリエッタから護衛の詳細を聞く事となった。 長くても短くても今日中に夜中まで衛士や騎士達に捕まることなく、街中で潜伏できる場所で一緒にいて貰いたいとの事。 最初魔理沙は「隠れるなら街の外へ出た方が見つかりにくいだろ?」と提案してみたが、それは却下されてしまった。 アンリエッタ曰く外へと通じる場所は全て厳重な警備が敷かれており、正規の出入り口には魔法衛士隊までいるらしい。 その為外へ隠れる事は不可能であり、実質的に彼らが巡回する街中に隠れるほかないのだという。 「何も二、三日隠れるワケではありませんから、どこか彼らの目が届かない場所があれば良いのですが」 「とはいっても相当難しいぜ?アンタを捜してるのなら、そういう場所まで目を通せるだけの人員は出してるだろうしな」 二人してベッドに腰を下ろして考えていると、ふと窓の外から激しくドアをノックする音が聞こえてきた。 その音を耳にして魔理沙は思い出す。衛士達の何人かが、店を閉めている酒場のドアを叩いていた事を。 まさかこの店までおってきたのか?…彼女はベッドから腰を上げるとすぐさま窓から外を見下ろしてみる。 しかし『魅惑の妖精』亭の入口には誰も立っておらず、もしや…と思って右隣りの店へと視線を向ける。 案の定その店の入り口には三人ほどの衛士が立っており、先頭に立っている男性衛士がドアを強めにノックしていた。 店の店主は寝ているのだろうかまだ出てこないのだが、衛士達の様子を見るに何時ドアを蹴り破られても可笑しくは無い。 そして店の中へと押し入り、粗方探し終えた暁には――この店にも同じことをしてくるのは明白であった。 アンリエッタは彼らに見つかってはいけないと言っている以上、するべき事はたったの一つしかない。 「ひとまず、この店…と言うより一帯から離れた方が良さそうだな」 「そうですね。…あ、でもすいません…今私が着ているドレスが…」 魔理沙の言葉にアンリエッタも続いて頷いたものの、ふと自分の着ている服の事を思い出した。 一応上からフードを被っているものの、衛士達の目に掛かればすぐに看破されてしまうだろう。 現にドレススカートの端っこであるフリル部分がはみ出ており、これではフードの下からドレスを着ていますと主張しているようなものである。 「…そっか、まぁ持ってないのは一目でわかるが、着替えとかは?」 「すみません。何せここまで連れてきてくれた者達からなるべく身軽になるよう言われたので着替えの持ち合わせは…」 一応ダメ押しで着替えの有無を確認した魔理沙であったが、案の定というか予想通りの答えが返ってくる。 まぁお姫様の着替えとなると、どれも繁華街の中では目立ってしまうだろうから使えなかったかもしれない。 「とはいえこのままドレスで出ていくのは危ないし、何かお姫様が着れるような服は――――…ありそうだな」 魔理沙はそんな事を考えつつもとりあえず屋根裏部屋を見渡してみると、ふと隅に置かれた三つの旅行用鞄に気が付いた。 三つとも大きさは大体同じであるものの、外見を見れば誰の鞄なのかはすぐに分かる。 「…?どういたしました?」 「あの鞄なら姫様でも着れるような服があるだろうし、ちょっくら調べてみるぜ」 魔理沙はそう言って鞄の方へと近づくと、一番右に置かれた高そうな旅行鞄へと手を伸ばす。 如何にもこの世界でブランド物として扱われていそうな高い旅行鞄の持ち主はルイズである。 ルイズの制服…少なくともシャツとプリッツスカートだけならばアンリエッタが身に着けても怪しまれる心配は少なくなるかもしれない。 そう思って鞄を開けようとした魔理沙はしかし、寸での所である事に気が付いてしまう。 ――――ちょっと待て?アンリエッタの体格的だと色々無理じゃないか?主に胸囲的に。 ふとそんな考えが脳裏を過った後、思わず魔理沙はバッと振り返ってみる。 そこにはタイミングよくフードを脱いで、見慣れたドレス姿になったばかりのアンリエッタが立っていた。 見比べるまでも無くルイズ以上…もしかするとあのキュルケよりも僅差で勝っている程大きな胸がドレス越しに主張している。 魔理沙自身あまり他人の胸でどうこう言った事はなかったものの、その圧倒的大きさに思わず唸ってしまいそうになった。 そして胸だけでなくヒップやウエストもバスト程主張していないが、ルイズ以上だというのは一目で分かってしまう。 (ルイズの鞄から服を取り出す前に確認しといて良かったぜ…) 親友の体で悲惨な目に遭いかけた危機からルイズの服を救って見せた魔理沙は、その左隣にある鞄へと目を向けた。 茶色字でいかにも手入れしていなそうな鞄であり、取っ手付近には墨で『博麗霊夢』と目立つような書かれている。 流石にアンリエッタにあの巫女服を着せるのは目立つ目立たない以前に怒られるような気がした、主にルイズと霊夢の二人に。 どっちにしろ、アンリエッタ程胸の大きくない霊夢の服ではサイズが合わなくで色々危うい゙事になるのは火を見るより明らかだ。 霊夢の巫女服なんて着せられんわな…そう思った魔理沙はしかし、ここで少し前の出来事を思い出した。 そう…あの日、ルイズが姫様との結婚式があるからといって巫女服しかない霊夢にプレゼントしたあの服を。 (あれなら…何とか行けそうかな?どっちにしろ私の服じゃあ姫さまのサイズに合いそうにないしな) 左側に置いていた自分の鞄には触れぬどころか視線も向けぬまま、魔理沙は霊夢の鞄へと手を掛ける。 手慣れた動作でロックを外すと鞄を開き、そこに入っているであろう目当ての服を捜して巫女服やら茶葉の入った缶やらをかき分けていく。 紅と白、紅と白…と紅白しか目立たない鞄の中では、対称的なモノクロカラーのソレはすぐに見つける事ができた。 「おぉあったぜ!これを探してたんだよコレを」 「あのマリサさん?コレ…とは私の着替えの事でしょうか?」 鞄を少しだけ探り、両腕に抱え上げたのが何なのか気になったアンリエッタは魔理沙の肩越しに彼女の言ゔコレ゙覗き見てみる。 それは鞄の中をほぼ占領していた紅白の中では一際目立つ、白いブラウスと黒のスカートであった。 白と黒、というのは魔理沙の服と似てい入るがこちらの方が大分涼しげに見える。 ふと彼女が空けていた鞄の中にも視線を向けてみると、スカートと同じ色をした帽子まで入っていた。 「まぁ、随分とシンプルだけど良さげな感じね。…ところでマリサさん、ひよっとしてそのか鞄の持ち主って…」 「あぁコレか?まぁ中を見てみれば分かるが霊夢の鞄だよ。巫女服だらけだから誰にでも分かると思うけどな」 「そうですか…って、えぇ!?それって少しまずいのでは…」 「大丈夫だって安心しろよ。霊夢のヤツもソレはそんなに着る事はないし、秘密にしてればバレはしないさ」 鞄の中を覗き見した際に一瞬だけ見えた巫女服に気付いたアンリエッタの質問にね魔理沙は笑いながら答えて見せる。 それから少し遅れで驚いて見せたアンリエッタは、魔理沙が手に持っている霊夢の服を見て至極当然の事を聞いた。 しかし魔理沙はそれに対して笑いながら大丈夫と言いつつ、アンリエッタにその服と帽子一式を手渡した 「……うーん、分かりました。私自身文句を言える立場にはありませんもの」 魔理沙に代わって霊夢の服を腕で抱える事になったアンリエッタは暫し躊躇ったものの、止むを得なしと意を決したのだろうか、 その目に強い眼差しを浮かべてそう言ってのけた彼女は、ひとまず着替えをベッドの上に置いてからドレスへと手を掛ける。 そして勢いをなるべく殺さぬよう遠慮なくドレスを脱ぎ、その下に隠れていた胸を揺らしつつも下着姿に早変わりして見せた。 ソレを近くで見ていた魔理沙は改めて思った。やはり彼女は、脱いだ先にある体は流石に王家なのだと。 「……やっぱデカいなぁ」 「―――…?」 小声で呟いた為聞こえはしなかったものの、珍しい物を見るかのような目で此方を凝視する彼女が気になるのか、 怪訝な表情を浮かべつつも、アンリエッタは魔理沙から手渡された霊夢の服へと着替え始めた。 結果として彼女が服を着るのはスムーズに終わったものの、その後が大変であった。 要点だけ言うと、霊夢とアンリエッタのサイズが微妙に合わなかったのである。主に胸囲が。 「何だか…ちょっとサイズが小さめなんですのね…?」 「マジかよ」 折角着終えたというのに胸の部分がやや窮屈そうに張りつめているブラウスを見て、魔理沙は思わず唖然としてしまう。 いつも一緒にいる三人の中では霊夢が比較的大きいと思っていただけに、微妙なショックを覚えていた。 それを余所に少し窮屈気味にしていたアンリエッタであったが、それもほんの一瞬であった。 「…ま、いいわ。別に着れないってワケじゃないのだし」 いいのか!結構寛容なアンリエッタの判断に、魔理沙は思わず内心で突っ込んでまう。 まぁ本人が良しとするならそれでいいのだろう。着られている服としては堪ったものではないだろうが。 しかしここで魔理沙が一息ついた隙を突くかのように、アンリエッタは「こうしたらもっと良いかも…」と言って胸元を触り始めている。 一体何をしようかと視線を向けた時、そこには丁度シャツのボタンを一つ二つと外す彼女の姿が目に入ってきた。 無理にボタンを留めていたせいでシャツによる束縛が緩くなっていき度に、胸の谷間が露わになっていく。 三つ目を外そうとした所で流石にこれ以上は不味いと判断したかの、ボタンを二つ外した所でアンリエッタは満足そうにうなずいて見せた。 王族の人なのに随分と大胆な事をするなーと驚く一方であった魔理沙は、同時に彼女が取った行動に成程なーと感心してしまう。 ボタンを外したことにより、清楚なデザインであったシャツが胸の谷間を強調しているかのような…いかにも夜の女が着そうな服へと早変わりしている。 実際にはそういう風に見える、程度であるが…こうして見直してみると繁華街で暮らしている水売りの女性にも見えなくない。 そして何よりも面白い事は、そんな服を着ているにも関わらずアンリエッタの美しさが殆ど崩れていないという事にあるだろう。 むしろドレスの時と比べて扇情的な雰囲気を醸し出しているので、男にとって大変目のやり場に困るのは間違いなしだが。 感心の目を向ける魔理沙に気付いたのか、アンリエッタは少しだけ顔を赤くすると自分の胸元を見ながら喋り出す。 「多少無理はあるかもしれませんが、人の借りものですし…何よりちょっとした変装になるかと思いまして…」 「へぇ~…王族の人だからけっこうお淑やかだと思ってたが、中々どうして似合っているじゃないか?」 「え?そ、そうでしょうか…?その、こういう服は初めて着ますので正しいのかどうかはわかりませんが…ありがとうございます」 流石に自分でも恥ずかしいと感じているのか、照れ隠しするアンリエッタに魔理沙は苦笑いしつつ賞賛の言葉を送った。 何故かそれに困惑しつつも、アンリエッタは恐る恐るといった感じで礼を述べたのであった。 その後、もしも衛士達がここまでやってきた時に見つかっては不味いという事でドレスとフードは隠す事なった。 屋根裏部屋に元々置いてあった木箱の中で幾つか蓋の開くものがあったが、中は案の定埃に塗れている。 蓋を開けた途端に舞い上がる埃を見て二人は目を細めたものの、それに怯むことなくアンリエッタはフードを箱の中へと入れた。 「私の目から見てもそのフード含めて結構上等なモノそうだが、こんな場所に入れといて良いのか?」 いくら本人が良いと言ったとはいえ、流石の魔理沙も明らかに特注品であろう高級ドレスを埃だらけの環境に置いておくのはどうかと思ったのだろうか。 最初にフードを入れたアンリエッタは、再び舞い上がる埃に軽く咳き込みつつも頷いてみせた。 「ゴホ…構いませぬ。もしも見つかってしまった後の事を考えれば…ケホッ!…ドレスの一枚や二枚、ダメになったとしても…コホンッ!安いものですわ」 「……そうか」 やはりワケあり、それも相当なモノだと改めて理解した魔理沙は手に持っていたドレスを箱の中へと入れる。 この国の象徴である白百合の様な純白の色のドレスには埃が纏わりつき、その白色を汚していく。 それを見下ろしつつも蓋を閉めようとした魔理沙は、ふとアンリエッタが呟いた独り言を耳にしてしまう。 「埃に纏わりつかれる純白のドレス……皮肉ね。今この国と同じ状況に置かれるだなんて」 悔しさがありありと滲み出ている表情でドレスを見下ろす彼女を横目で見やりつつ、魔理沙は蓋を閉めていく。 彼女は一体何に対して悔しみを感じているのか?そしてこの国の今の状況とは一体? やはり単純な面倒事ではなさそうだなと魔理沙は感じつつ、同時にこれは大事になるかもしないという危惧を抱いたのであった。 …このタイミングで最愛の姉であるカトレアとの再会を果たすなんて、運命の女神と言うヤツはどれだけ悪戯好きなのだうろか? ここ最近のルイズはそんな事を考えながらも、何もせずにじっと過ごしていた。 無論、事前にカトレアがこの街に滞在しているという事は知っていたし、いずれは本腰を入れて探すつもりであった。 しかし今は姫様から仰せつかった任務があるし、何よりも魔理沙が戦ったという正体不明の怪物の件もある。 更に最悪な事に、一昨日あのタニアリージュ・ロワイヤル座でその存在を裏付けるかのような惨殺事件さえ起こったのだ。 昨日は死体を見たショックで何もできなかった自分とは違い、霊夢は事件の謎を追って街中を飛び回っていたという。 ならば自分も落ち込んでいるワケにはいかず、彼女と一緒に王都に潜んでいる゙ナニガを捜し出すべきなのである。 それが霊夢を召喚した者として、そしてガンダールヴの主として自分が果たすべき責務というものではないのだろうか? 「――――…だっていうのに、私はこんな所で何をしてるのかしら?」 「…はい?」 「あ、な…何でもないわ!」 検問という事で通るのに身分証明が必要という事で学生手帳を渡した後、許可が出るまで待っている最中にぼーっとしてしまっだろう。 ここに至るまでの過程を軽く思い出すのに夢中になってしまったあまり、口から独り言が漏れてしまったようだ。 学生証の写しを摂っていた詰所の下級貴族の怪訝な表情を見て、ルイズは何でもないと言わんばかりに首を横にふっしまう。 何でも無いというルイズの言葉に肩を竦めながらも、見張りの彼は身分証明の確認が済んだ事をルイズへ告げる。 「お待たせいたしましたミス・ヴァリエール。どうぞ、横のゲートを通って中へお入りください」 学生手帳を返した下級貴族はそう言って詰所内の壁に設置されたレバーの持ち手を握って、それを下へと下ろしていく。 するとルイズの目の前、彼女をここから先へ通さんとしていたかのように立ちはだかっていた通行止めのバーが、上へと上がっていく。 細長くやや部厚めの木で出来たバーが上がる様子を眺めつつ、ルイズは衛士代わりの下級貴族に礼を述べた。 「ありがとう。こんな所にヴァリエール?って感じで疑われるのを覚悟していたから助かったわ」 「いえいえ、何せ今年の夏季休暇はここに『特別なお方』がお泊りになっておりますからね」 あの人の家元を考えれば、ヴァリエール家の者がここにいると勘づくのは分かっていましたよ。 最後にそう言ってルイズに軽く敬礼をしてくれたのを見届けた後、ルイズはゲートを通ってその向こう側へと入る。 そしてそこで一旦足を止めて背後を振り返ると、彼女は一人ポツリと呟いた。 「『風竜の巣穴』…か。確かにパンフレット通り…良い景色が一望できそうね」 王都の街並みを一望できる小高い丘の下に建てられたリゾート地の入り口で、ルイズはホッと一息つく。 ルイズがここへ来た理由は一つ、一昨日別れたカトレアに会いに行くためである。 別れ際に彼女からここの居場所と、ご丁寧にもどこの別荘に泊まっているという事も教えてくれた。 わざわざ教えてくれなくとも場所さえ教えてくれれば自力で探せそうなものだが…と、当時のルイズは思っていたのである。 しかし、それが単なる迂闊であったという事は初めてここを訪れたルイズは身を持って知る事となった。 「ちょっとした規模のリゾート地かと思ったけど。…成程、こうも同じような建物ばかりだと迷っちゃうわよね…」 カトレアから手渡されたメモと地図が載ったパンフレットを片手に道を歩く彼女は、似たようなデザインが続く別荘を見てため息をついた。 一応細部や部屋の様相が違うという事はあるだろうが、外見だけ見ればどれも似たようなものである。 それが何件も続いている為、中庭に誰も出ていなければ何処に誰がいるか何て分からないに違いない。 幸い各別荘の入口には数字が書かれた看板が刺さっており、何処が何番の別荘だと迷う事は無いだろう。 ルイズはメモに書かれている「12」番の看板を捜して、別荘地の奥へ奥へと進んでいく。 「今が五番で次が六番だから…って、この先道が二つに分かれてるのね」 「5」番目の看板が目印の、オリーブ色の屋根が目立つ別荘の前で足を止めたルイズは、ふと前方に分かれ道がある事に気が付く。 次の別荘は隣にあったものの、どうやら七番目と八番目の別荘は左右に分かれているらしい。 右の方には『8』が、左には『7』の番号が振られた別荘がそれぞれ宿泊施設としての役目を果たしている最中であった。 どちらの別荘にも貴族の家族が泊まりに来ているようで、右の別荘の芝生では幼い兄弟が楽しそうにキャッチボールをしている。 ボール遊びといってもそこは貴族の子供、平民の子から見れば結構アクロバティックな球技と化していた。 思いっきり上空へと投げたボールを受け取る子供が『フライ』の呪文を唱えて見事にキャッチし、次いで空中から投げつける。 それを先ほど投げた子が『レビテーション』の呪文を唱えて勢いを殺し、難なくボールを手にしてみせる。 兄弟共に楽しそうな笑み浮かべて汗を流して遊ぶ姿は、例え魔法が使えるとしても平民の子供と大差は無い。 それを若干羨むような目で見つめていたルイズは、左の別荘の方へも視線を向けてみる。 左の別荘の芝生ではこれまた幼い姉妹が魔法の練習をしており、子供用の小さな杖を一生懸命振って魔法を発動させようとしていた。 ルイズが今いる位置からでは聞き取れなかったが、彼女たちの周囲で微かなつむじ風が起こっている事から恐らく『風』系統の練習なのだうろ。 子供の幼い舌では上手く呪文を唱えられないのであろう、必死に杖を振る姿がなんとも昔の自分にそっくりである。 ただ違う所は一つ。彼女らは一応風を起こしているのに対し、自分はどれだけ杖を振っても成果が出なかった事だ。 (あの時自分の系統が何なのか気付いてたら…って、そんな事考えても仕方ないわよね) 幼少期の苦い思い出を掘り越こしてしまった気分にでもなったのであろう、ルイズは沈んだ表情を浮かべつつも首を横に振って忘れようとする。 自分がここを訪れた理由は一つ。幼少期の苦い思い出を堀り越こす為ではなく、カトアレに会いに行く為だ。 その後、すぐに気を取り直したルイズは芝生で遊んでいた子供たちの内、魔法の練習をしていた姉妹に聞いてみる事にした。 最初こそ怪しまれたものの、今日はマントを身に着けていた為不審者扱いされずに何とか道を聞く事ができた。 どうやら「12」番の看板が刺さった別荘は彼女たちがいる左側にあるようで、二人して道の奥を指さしながら教えてくれた。 ルイズは「そう、助かったわ。ありがとう」とお礼を言って立ち去ると、姉妹は揃って「じゃあねぇ!」と手を振りながら見送ってくれた。 彼女も笑顔で手を振りつつその場を後にすると、左側の道路を奥へ奥へと進んでいく。 その間にも何人かの宿泊客達と出会い、軽い会釈をしつつも「12」番の看板目指して歩き続ける。 やがて数分程歩いた頃だろうか、もうすぐ行き止まりという所でようやく探していた番号の看板を見つける事ができた。 「十二番…ここね」 少しだけ蔓が絡まっている看板に書かれた数字を確認した後、ルイズは臆することなく芝生へと入っていく。 綺麗に切りそろえられた芝生、その間を一本の線を走らせるようにして造られた石造りの道をしっかりとした足取りで歩くルイズ。 他と同じような造りの二階建ての別荘からは人の気配があり、ここを利用している人たちが留守にしていないという何よりの証拠である。 看板は合っている、留守ではない。それを確認したルイズはそのまま道を進んで玄関の方へと歩いていく。 一分と経たない内に玄関前まで来た彼女は軽く深呼吸した後、ドアの横に付いた呼び鈴の紐を勢いよく引っ張った。 直後、ドア一枚隔ててチリン、チリン…という鈴の音が聞こえ、誰かが訪問してきたという事を中の人々に知らせてくれる。 呼び鈴を鳴らし終えたルイズはスッと一歩下がった後に、このドアを開けてくれるであろう人物を待つことにした。 すると、一分も経たない内に呼び鈴を聞きつけたであろう誰かが声を上げたのに気が付く。 「…~い!少々お待ちォー!」 ドア越しに軽快な足音を響かせてやってきた誰かは、ゆっくりとドアを開けてその姿を現す。 その正体は市販のメイド服に身を包んだ、四十代手前と思われる女性の給士であった。 薄黄色の髪を短めに切り揃え眼鏡を掛けている彼女は、ドアの前に立っていたルイズを見て「おや」と声を上げる。 「おやおや、これは貴族様ではございませぬか?…して、この別荘に何か御用がおありでしょうか?」 丁寧に頭を下げつつも、ルイズがどのような目的でこの別荘のドアを叩いたのか聞いてくる給士の女性。 ルイズは丁寧かつ仕事慣れした彼女の挨拶に軽く手を上げて応えつつ、単刀直入にここへ来た目的を告げた。 「今ここを借りているち…カトレア姉様に会いに来たの。ルイズが来たと伝えて頂戴」 「…ルイズ!?…わ、分かりました。すぐにお呼び致しますので、どうぞ中へ…」 基本的に宿泊している貴族の名を明かすことは無いこの場所において一発で名前を当て、尚且つルイズという名を名乗る。 この国の重鎮であるヴァリエール家の事を多少は知っていた給士はハッとした表情を浮かべ、すぐさまルイズを家の中へと招いた。 カトレアが現在泊まっている別荘の中へと入ったルイズは、給士の案内でハイってすぐ左にある居間へと通される。 大きなソファーと応接用のテーブルが置かれたそこには彼女とは別にカトレア御付の侍女が一人おり、部屋の隅の観葉植物に水をやっている所であった。 丁度その時ルイズに対し背を向けていたものの、ルイズはポニーテルにした茶髪と鳥の羽根を模した髪飾りを見てすぐに誰なのかを知る。 「ミネアさん、ミネアさん。お客様が来られましたよ」 「あっはい……って、ルイズ様!?ルイズ様ですか!」 給士がその侍女の名前を口にする彼女――ーミネアはクルリ振り向き、ついでその後ろにいたルイズを見て素っ頓狂な声を上げてしまう。 そりゃまさか、こんな所で自分の主の妹様にお会いする等と誰が予想できようか。 驚きのあまりつい大声を出してしまったミネアはハッとした表情を浮かべて「す、すまいせんつい…!」と謝ろうとした所で、ルイズが待ったと手を上げた。 「別に良いわよミネア。貴女が驚くのも無理はないかもしれないんだから」 「あ…そ、そうですか…。でも驚きました、まさかルイズ様とこんな所でお会いするだなんて…」 ルイズが学院へ入学する少し前に、地方からカトレア御付の侍女として採用されたミネアとの付き合いは決して長くは無い。 けれども無下にできるほども短くも無く、こうして顔を合わせば親しい会話ができる程度の仲は持っていた。 その後給士の女性は居間起きたばかりだというカトレアを呼びに二階へと上って行き、 居間で彼女を待つ事となったルイズにミネアは紅茶ょご用意いたしますと言って台所へと走っていった。 結果居間のソファに一人腰を下ろしたルイズは、すぐに下りてくるであろうカトレアを待つ間に今をグルリと見回してみる事にした。 全体的に目立った装飾は施されていないものの、貴族が泊まれる別荘というコンセプトを考えれば確かに泊まりやすい場所には違いないだろう。 最近の貴族向けのホテルではいかに豪勢な装飾を施すかで競争になっていると聞くが、ここはそういう俗世の嗜好とは無縁の場所らしい。 どらかといえばあまり装飾にこだわらず、街から少し離れた静かな場所で休みを過ごしたいという人には最良の場所なのは間違いないだろう。 そんな風に素人なりの考えを頭の中で張り巡らしていたルイズの耳に、彼女の声が入り込んできた。 「あら、こんな朝早くから一体誰が来たのかと思ったら…やっぱり貴女だったのねルイズ!」 「ちぃねえさま!」 慌てて腰を上げて声のした方へ顔を振り向けると、そこには眩しくて優しい笑顔を見せるカトレアの姿があった。 いつものゆったりとした服を着て佇む姿に何処も異常は見受けられず、あれから二日間は何事も無かったようである。 最も、ルイズとしてはあれ以来何か変な事があったのなら驚いていたかもしれないが、それも単なる杞憂で済んでしまった。 まぁ何事も無ければそれで良く、ルイズは何事も無い二番目の姉の姿を見てホッと安堵しつつ、彼女の傍へと近寄る。 カトレアもまるで人に慣れた飼い猫の様なルイズを見て安心したのか、近寄ってきた彼女の体をそのまま優しく抱きしめてしまう。 「あぁルイズ、私の小さなルイズ。いつ見ても貴女は愛くるしいわねぇ」 「ちょ…ち、ちぃねぇさま…!う、嬉しいですけど…!何もこんな所で…ッ」 突然抱きしめられたルイズは嬉しさと恥ずかしさからくる照れで頬が赤面しつつも、姉の抱擁を受け入れている。 服越しに感じる細めの体と優しい香水の香りに、自分とは比べ物にならない程大きくて柔らかい二つの胸の感触。 特に胸の感触と圧迫感の二連撃でどうにかなってしまいそうな自分を抑えつつ、ルイズはカトレアからの愛を受け入れ続けている。 これがキュルケや他の女の胸なら容赦なく押し退けていたが、流石に自分の姉相手にひんな酷いことは出来ない。 むしろここ最近苦労続きの身には何よりものご褒美として、彼女は顔に押し付けられている幸せを安らかに堪能していた。 そしてふと思う。今日は自分一人だけで姉のいる此処へ訪問するという選択が正しかったという事を。 (ここに霊夢たちがいなくて、本当に良かったわ…死んでもこんな光景見られたく無しいね) その後、互いに一言二言の会話を交えたところで準備を終えたミネアがティーセットをお盆に載せて戻ってきた。 朝と言う事もあって軽い朝食なのだろうか、小さいボウルに入ったサラダとベーグルサンドがお盆の上にある。 カトレア曰く「食材等もここの人たちが用意してくれてるの」と言っており、今の所不自由は無いのだという。 確かに、サラダに使われてる野菜や焼き立てであろうベーグルを見るに食材には気を使っているのが一目でわかる。 平民にも食通が多いこの国では貴族の大半は美味しい物を食べ慣れており、酷い言い方をすれば舌が肥えているのだ。 そうした貴族たち専門の宿泊地で食材に気を使うというのは、呼吸しないと死んでしまうぐらい常識的な事なのであろう。 姉からの説明でそんな事を考えていたルイズの耳に、今度は元気な幼女の声が聞こえてきた。 「おねーちゃん!……って、この前の小さいお姉ちゃん?」 カトレアと比べてまだ聞き慣れていないその声にルイズが声のした方―――厨房の方へと顔を向ける。 するとそこに、顔だけをリビングへと出して自分を見つめている幼女、ニナの姿があった。 彼女は見慣れぬ自分の姿を見て多少驚いてはいるのか、そのつぶらな瞳が丸くなっているのが見て取れる。 カトレアはリビングへとやってきたニナを見て、嬉しそうに笑い掛ける。 「あぁニナ。今日は私の大切で可愛い妹が朝早くから来てくれているの。ついでだから、一緒に朝ごはんを頂きましょう?」 「え?…う、うん」 いつもは元気な返事をするであろうニナは、見慣れぬルイズの姿を見つめたまま曖昧な返事をする。 その姿はまるで元からいた飼い猫が、新参猫に対して警戒しているかのようであった。 カトレアもニナの様子に気が付いたのか、優しい微笑みを浮かべつつ言葉を続けていく。 「大丈夫、怯える事なんてどこにもないわよ。こう見えても、ルイズは私より気が利く子なんですから」 「ちょっ…急に何を言うのですかちぃねえさま?」 やや…どころかかなり持ち上げられてしまったルイズは、カトレアの唐突な賞賛に赤面してしまう。 嬉しくも恥かしい気持ちが再び胸の内側から込み上がる中で、ついつい姉に詰め寄っていく。 カトレアはそんなルイズの反応を見てクスクスと笑いつつ、呆然とするニナの方へと顔を向けながら一言、 「ね、そんなに怖くは無いでしょう?」と不安な様子を見せるニナに言ってのけた。 ニナもニナでそれである程度ルイズを信用するつもりになったのだろうか、コクリと小さく頷いて見せる。 それを見て良しとしたカトレアもコクリと頷き返してから彼女の傍へと近寄り、優しく頭を撫でながら「良い子ね」と褒めてあげた。 「それじゃ、頂きますをする前に手を洗いに行きましょうか?」 、 「……うん」 「あ、私も一緒に…」 カトレアの言葉に頷くと、彼女の後に続くようにして洗面場の方へと歩いていく。 それを見ていたルイズもハッとした表情を浮かべて席を立つと、若干慌てつつも二人の後を追って行った。 その後、成り行きで三人仲良くてを洗い終えたルイズ達は居間で朝食を頂く事となった。 スライスオニオンとハムの入ったベーグルサンドとサラダは朝食べるのにうってつけであり、紅茶との相性も良い。 「どうしらルイズ?味は保証できると思うけど、量が少なかったらパンのおかわりもあるけど…」 「あ、いえ。大丈夫ですよちぃ姉さま、私はこれくらいでも十分ですし…それに御味の方も、とても美味しいです」 勿論実家のラ・ヴァリエールや魔法学院での朝食と比べれば品数は少ないが、ルイズ自身朝はそれ程食べるワケではない。 自分の質問に素早く答えたルイズにカトレアは微笑みつつ、サラダのドレッシングで汚れたニナの口元に気が付く。 「あらニナ、そんなに慌てて食べなくてもサラダは逃げませんよ?」 「ムグムグ……はぁ~い!あ、じじょのおねーさん!パンのおかわりちょーだい!」 カトレアは無論小食であるので問題は無く、食べ盛りであるニナは少し物足りないのか侍女達からおかわりのパンを貰っている。 貴族らしくお淑やかに頂くルイズ達とは対照的にがっついているニナの姿に、侍女達は元気な子だと笑いながらバゲットから焼きたてのパンを皿の上へと置く。 ニナはそれにお礼を言いつつ置かれたばかりのパンを掴むとそのまま齧りつく…事は無く、一口サイズに千切って口の中へと放り込む。 きっとカトレアから教わったのだろう。この年の子供で平民だというのに食事のマナーを覚えているニナに流石のルイズも「へぇ…」と感心の声を上げてしまう。 それを耳にしたであろうカトレアが、妹の視線の先にニナがいる事で察したのか嬉しそうな笑みを浮かべながら言った 「偉いわねニナ。妹のルイズが貴女の綺麗な食べ方を見て感心してくれてるわよ?」 「え、ホントに?」 「え?いや…そんな、別に…ただ平民の子供だからちょっとだけ感心だけよ」 まるで本当の母親のように褒めてくれたカトレアの言葉に、ニナは嬉しそうな瞳をルイズの方へと向ける。 ニナが褒められたというのに何故か気恥ずかしい気持ちになってしまったルイズは、照れ隠しのつもりで手に持っていたサンドウィッチに齧り付いた。 シャキシャキとした食感と仄かな甘味のある玉葱と少し厚めにスライスされたロースハムの旨味、 そしてベーグルに塗られたマヨネーズの酸味を口の中で一気に感じつつ、ルイズは久方ぶりなカトレアとの朝食を楽しんでいた。 朝食が済んだあと、侍女たちが食器を片づける中でニナは中庭の方へと走っていった。 何でもカトレアが連れてきている動物たちもそこにいるようで、餌やりは既に終わっているのだという。 「やっぱりというか、なんというか…連れてきていたんですね?」 「えぇ。何せこんな長旅は初めてだから、あの子達にも良い教養になると思ってね」 侍女が出してくれた食後の紅茶を堪能しつつ、ルイズはお茶請けにと用意された見慣れぬ焼き菓子を一枚手に取った。 元はトンネルの様な形をした菓子パンであり、表面には雪の様に白い粉砂糖が降りかけられている。 それを侍女に六枚ほどスライスしてもらうと、生地の中にナッツやレーズン等のドライフルーツが練り込まれている事にも気が付いた。 トリステインでは見た事の無いお菓子を一切れ手に取ったルイズはすぐにそれを口にせず、暫し観察してしまう。 それに気が付いたのか、カトレアは微笑みながらルイズと同じく一切れを手にしながらそのお菓子の説明をしてくれた。 何でもゲルマニアやクルデンホルフを初めとしたハルケギニア北部のお菓子らしく、始祖の降臨祭の前後に食べられるのだという。 「本来は降臨祭の三、四週間ほど前に焼き上げてそこからからちょっとずつスライスして食べていくらしいわよ。 それでね、降臨祭が近づくにつれてフルーツの風味がパンへ移っていくから、ゲルマニアでは… 「今日よりも明日、明日よりも明後日、降臨祭が待ち遠しくなる」…っていう謳い文句で冬には大人気のお菓子になるらしいの」 カトレアからの豆知識を耳にしつつ、ルイズは大口を開けて手に持った菓子パンをパクリと齧りついてしまう。 いかにもゲルマニアのお菓子らしく表面は固いものの、内側のパン生地はしっとりしていて柔らかく、そしてしっかりと甘い。 恐らく長期保存の為に砂糖やバターを一般的なお菓子よりも大量に使っているという事が、味覚だけでも十分に分かってしまう。 そこへドライフルーツの甘みも加わってくると甘みと甘みのダブルパンチで、口の中が甘ったるい空間になっていく。 「どうかしら、お味の方は?」 「は、はい…その、とっても甘くてしっとりしていて…でもコレ、甘ったるいというか…甘いという名の暴力の様な気が…」 平気な顔して一切れを少しずつ齧っているカトレアからの質問にそう答えつつ、ルイズは齧りついた事に後悔していた。 本場ゲルマニアではどういう風に齧るのかは知らないが、多分姉の様に少しずつ食べるのが正しいのだろう。 少なくともトリステインの繊細かつ味のバランスが取れたお菓子に慣れきったルイズの舌には、この甘さはかなり辛かった。 「ン…ン…、プハッ!…ふうぃ~、とんでもない甘さだったわ」 その後、齧りついた分を何とか飲み込む事ができたルイズはコップに入った水を一気飲みしてホッと一息ついていた。 ルイズと違い少しずつ齧り取っていたカトレアはそんな妹のリアクションを見て、クスクスと楽しそうに笑っている。 「あらあら、貴女もコレを初めて食べた私と同じ轍を踏んじゃったというワケなのね?」 「ま、まぁ…そういう事みたいですね。正直ゲルマニアの料理は色々と食べてきましたが、あんなに甘ったるいのは初めてでしたわ」 決して自分を馬鹿にしているワケではないと分かる姉の笑いに、ルイズも釣られるようにして苦笑いを浮かべてしまう。 ハルケギニアでは比較的新しい国家であるゲルマニアには、他の国よりも名のある保存食が多い事で有名である。 ひとまずルイズは一切れ飛べた所でもう大丈夫だと言って、カトレアは残った菓子パンを下げるにと侍女に告げた。 「もしお腹が減ったら貴女たちで分けて食べても良いわよ。…ついでに後一枚だけ残しておいてくれたら助かるわ」 ようやく手に取った一切れを食べ終えたカトレアの言葉に、菓子パンの乗った皿を下げる侍女はペコリと一礼してから居間を後にする。 周りにいた侍女たちにももう大丈夫だと言って人払いさせた後、彼女はルイズと二人っきりになる事ができた。 ニナは中庭で動物たちと一緒に遊んでおり、暫くはここへ戻ってくる事はないだろう。 ご丁寧にドアを閉めてくれた侍女の一人に感謝しつつ、ルイズはゆっくりとカップに入った紅茶を飲んだ。 これも宿泊場の支給品なのだろうが、中々グレードの高い茶葉を用意してくれたらしい。 朝食の後に食べてしまった甘ったるいあの菓子パンの味を、辛うじて帳消しにしようとしてくれる程度には有難かった。 暫し食後の紅茶を堪能していると、何を思ったのかカトレアが話しかけてきたのである。 「さて…貴女がここへ来たのは、何も会うのが久しぶりな私の顔を見に来たってワケじゃないのでしょう?」 紅茶が半分ほど残ったカップを両手に、カトレアは一昨日の出来事を思い出しながらルイズに質問をした。 いきなりここへ来だ本題゙を先に言われてしまったルイズは、どんな言葉を返そうか一瞬だけ迷ってしまう。 確かに彼女の言うとおりだ。ここへ来た理由は、久しぶりに顔を合わせる家族に会いに来ただけ…というワケではない。 ルイズはどんな言葉を返したらいいか一瞬だけ分からず、ひとまずの自身の視線を左右へと泳がせてしまう。 しかしすぐに言いたい事が決まったのか、決心したかのようなため息をついた後で、カトレアからの質問に答えることにした。 「信じて貰えないかもしれませんが…一昨日の事は、色々と複雑な事情があったからこそなんです」 霊夢や魔理沙たちの事を、カトレアには何処から何処まで喋れば良いのか分からない今のルイズには、そんな言葉しか考えられなかった。 そんな彼女の姉は妹の返事に「『信じて貰えないかもしれない』…ねぇ」と一人呟いてから、ルイズの方へとなるべく体を向けつつも話を続けていく。 「荒唐無稽でなければ、貴女の言う事は大概信用できるわよ?」 「ちぃねえさまなら本当に信じてくれるかもしれませんが…でもやっぱり、ねえさまに話すのは危険だと思うんです」 「…!危険な事、ですって?」 ルイズの口から出た「危険」という単語に、カトレアはすかさず反応してしまう。 少しくぐもってはいるものの、中庭の方からニナの笑い声が微かに聞こえてきた。 それよりも近い場所からは侍女たちが後片付けしている音が聞こえ、二つの音が混ざり合って二人の耳に入り込んでくる。 今の二人にとって雑音でしかないその二つの音を聞き流しつつも姉妹は見つめ合い、それからまずルイズが口を開いた。 「いや、別にねえさまに直接身の危険が及ぶとか、そういうのではありませんが…でも、もしかしたらと思うと…」 「身の危険って…、誰が好き好んで私みたいな病人を襲うというのかしら?」 「あまり自分の身を軽く考えてはいけません。ちぃねえさまだってヴァリエール家の一員なんですから!」 自嘲気味に自分を軽視するカトレアに注意しつつも、ルイズは更に話を続けていく。 「ねえさまも見知っているとは思いますが、レイムとマリサの二人とは今切っても切れない様な状態にあります。 何故…かと問われれば答えにくいんですが…今本当に、色々な問題を抱えちゃってるんです…」 「レイム、それにマリサ…うん、覚えているわ」 愛する妹の口から出た人名らしき二つの単語を耳にして、、カトレアは一昨日の出来事を思い出す。 あの時、確かにルイズの近くにはそういう名前の少女が二人いたのを覚えている。 時代遅れのトンガリ帽子を素敵に被っていた金髪の少女がマリサで、中々にフレンドリーであった。 いかにも物語の中に出てくるようなメイジの姿をしていたが…、 どちらかと言えば平民寄りであり、初見であるニナや自分にも気さくな挨拶をしてくれていた。 そしてもう一人…黒髪で見た事も無い異国情緒漂う――もう一人の居候とよく似た格好をした、レイムという名の少女。 あの時はマリサと比べ口数も少なく、考え事をしていたかのようにじっとしていたあの少女。 彼女が背負っていたインテリジェンスソードが、代わりと言わんばかりに喧しい声で喋っていた事は覚えている。 ハルケギニアでも見慣れた姿をしていたマリサとは何もかも違っていた、レイムの姿。 今はこの場に居ない『彼女』を何故かしきりに睨んでいた事も、同時に思い出す。 「しかし、あの二人と貴女にどんな縁ができちゃったのかしら?私、そこが気になってくるわ」 「…少なくとも、あの二人がいなかったら一昨日の事件にもそれほど関わりたいとは思わなかったかもしれません」 …何より、命が幾つあっても足りなかったかも…―――と、いう所までは流石に口にできなかった。 いくらなんでも済んだこととは言え、霊夢達には命の危機を何度も救ってもらっている…なんて事までは言えない。 逆に言えば、アイツラの所為で色々と危険な目に遭っている…という考えは否めないが。 (まぁこれまでの経緯を全部言っちゃうと、ねえさまが心配しちゃうしね) いざカトレアと対面した今は、霊夢達との経緯を何処からどう詳しく話せばいいか悩んでいた。 春の使い魔召喚の儀式で霊夢を召喚してしまい、それから命がけでアルビオンまで行って戻ってきた所か? 彼女たちがこの世界の人間ではなく、幻想郷とかいう異世界に住んでいるという所からか? (…駄目ね、何処から話しても多分ねえさまには余計な心配をさせちゃうわ) 今振り返ってみても碌な目に遭っていない事を再認識しつつ、ルイズは頭を抱えたくなった。 霊夢一人だけでも結構大変な毎日だったというのに、そこへ来て幻想郷と言う彼女の住処まで半ば強引に拉致され、 挙句の果てに何故か自分の世界と関係してその世界が崩壊の危機を迎えているという、自分には重荷過ぎる事を説明され、 更にその原因を引き起こしている黒幕はハルケギニアに居ると言われて、なし崩し的に霊夢と異変解決に乗り出す事となり、 そこへ更に状況を悪化させるかのようにスキマ妖怪が魔理沙を連れてきて、魔法学院の自室には三人の少女が住むことになった。 三人いるおかげで部屋は手狭り、魔理沙が持ってきた大量の本が部屋の二隅を今も尚占領されている。 そして自分たちを戻ってきたのを見計らっていたかのように訪れる、危機、危機、危機! 奇怪な異形達にニセ霊夢、そしてアルビオンのタルブ侵攻と虚無の使い魔ミョズニトニルンに…ワルド再び。 これだけでも頭の中が一杯になりそうなのに、王都では奇怪な事件が現在進行中なのである。 我ながら大きな怪我を一つもせずにここまで生きて来られたな…ルイズは自分を褒めたくなってしまう。 しかしその前に思い出す。今はそんな事を一人で喜ぶよりも、先にするべき事をしなければならないのだと。 ふと気づくと、自分の横にいる姉は何も言わずに考え込んでいる自分の姿に怪訝な表情を見せている。 自分だけの世界に入ろうとしていたルイズはそこで気を取り直すように咳払いしつつ、話を再開していく。 「ま、まぁとにかく!あの二人とは色々あり過ぎて…どこから説明すれば良いのかわからないんです」 これは本当であった。正直霊夢達が来てからの出来事が濃厚過ぎて、どこからどう話しても結局カトレアに心配を掛けてしまう。 とはいえこのまま何も言わず…かといって幻想郷の事を話そうものなら、彼女もまた今回の件に首を突っ込ませてしまうに違いない。 一体どうしようかと今もまだウジウジと悩むルイズを見て、カトレアは何かを思い出したのだろうか? あっ…小さな声を上げると手に持っていたティーカップをテーブルに置くと…パン!と自らの両手を合わせてみせた。 何か思いついたのだろうか?大切な姉を巻き込みたくないというルイズの意思を余所に、妙案を思いついたカトレアはルイズに話しかける。 「そうだわルイズ!私、アナタと再会したら聞きたいとおもってた事があったのよ?」 「…?き、聞きたい事…ですか?」 突然そんな事を言われたルイズは半分驚きつつも、姉の口から出た言葉に興味を示してしまう。 カトレアも『えぇ』と嬉しそうに頷くとスッと顔を近づけて、『聞きたい事』を口にした。 「私の家にいるもう一人の居候から聞いたのだけれど…貴女はその二人と一緒に゙あの時゙のタルブにいたのよね? なら、この機会に教えてくないかしら?貴女達がどうしてあんな危険な場所へ赴いて、何をしようとしていたのかを…ね?」 ルイズとしては彼女の口から出ることは無いだろうと思っていた言葉を聞いて、何も言えずに固まってしまう。 …あぁ、そういえば今ねえさまの所にあの巫女モドキがいるんだっけか?そんな事を思い出しながら、ルイズはどう説明しようか悩んでしまう。 朝だというのに夏の陽光に晒されて、今日も水準値よりやや高い気温に包まれた王都トリスタニアがブルドンネ街。 こんなにも暑いというのに平常通りに市場はオープンし、今日も多くの人々がこの街を出入りしていた。 タオルやハンカチに日傘などを片手に狭い通りを歩く市民らの顔からは、これでもかと言わんばかりに汗が滲み出ては流れ落ちていく。 夏に入ってからというものの、街中のジュースやアイスクリームを販売するスタンドの売り上げは日々右肩上がり。 今日も木陰に設置されたジューススタンドには、キンキンに冷えた果汁百パーセントのジュースを目当てに人々が列を作っている。 とある通りに面したレストランでも、冷製スープなどが話題のメニューとして貴族平民問わず話のタネになっていた。 更にロマリア料理専門店ではそれに触発されてか、冷たいパスタ…つまりは冷製パスタという創作料理が貴族たちの間で話題となっている。 そのロマリアからやってきた観光客たちからは困惑の目で見られていたが、それを気にするトリステイン人はあまりいなかった。 どんなに暑くなろうとも、その知恵を振り絞って何とか耐え凌ごうとする人々でひしめきあうブルドンネ街。 その一角…大通りから少し離れた先にある小さな広場に造られた井戸の前で、霊夢はジッと佇んでいた。 額や髪の間から大粒の汗を流しながら一人呟いた彼女の視線の先には、井戸の横に設置された看板。 ガリア語で『飲み水としてもご利用できます!』と書かれた看板を睨み付けながら、背中に担いだデルフへと声を掛ける。 「デルフ…この看板で良いのよね?」 『んぅ?あぁ、飲み水としても使えるって書いてあるから、問題なく飲めると思うぜ?』 ま、保証はせんがね。と釘を刺す事を忘れないデルフの言葉に頷きつつ、霊夢は井戸の傍に置かれた桶を手に取った。 それを井戸の中へ躊躇なく放り込む。少しして、穴の底から桶が着水する音が聞こえてくる。 それを聞いて小声で「よっしゃ」と呟いた彼女は、ロープを引っ張って滑車を動かし始めた。 カラカラと音を立てて滑車は回り、井戸の中へと落ちた桶を地上へと引っ張り上げていく。 やがて水を満載した桶が井戸の中から出てくると、霊夢は思わず目を輝かせてその桶を両手で持った。 袖が濡れるのも気にせず中を覗き込むと、驚く程冷たく澄み切った水が桶の中で小さく揺れ動いている。 思わず上げそうになった歓声を堪えつつも、彼女は桶を器に見立ててゆっくりと中の水を飲み始めた。 ゴクリ、ゴクリ…と喉を鳴らす音が広場に聞こえた後、満足な表情を浮かべた博麗の巫女がそこにいた。 「いやー!生き返った生き返った!やっぱこういう時は冷たいお茶か…次に冷たい水よねぇ~」 数分後、井戸の横にある木の根元に腰を下ろした霊夢はそう言って、傍らに置いた桶をペシペシと叩いて見せた。 中には数えて四杯目となる水がなみなみと入っており、彼女に叩かれた衝撃でゆらゆらと小さく揺れ動いている。 本来ならば桶の独占は禁止されているものの、幸いな事にこの広場には彼女とデルフ以外誰もいない。 それを良い事に霊夢は今この時だけ、井戸の桶をマイカップみたいに扱っていた。 「今回は有難うねデルフ、アンタのおかげでそこら辺で干からびてるトカゲやミミズの仲間入りせずにすんだわ」 潤いを取り戻した彼女は満面の笑みを浮かべて看板を呼んでくれたデルフに礼を言いつつ、片手で水を掬っては鞘から出した彼の刀身に水を掛けている。 『そりゃーどうも。…ところでいい加減、オレっちの刀身に水かけるのやめてくんね?』 「何でよ?アンタ体の殆どが金属なんだから一番涼みたいんじゃないの?」 『そりゃまぁ冷たいのは冷たいが、できればその桶に水一杯張ってさーそこに突っ込んでくれるだけでいいんだが…』 「そんな事したら私が水を飲めなくなっちゃうから駄目」 デルフの要求を笑顔で拒否した霊夢は、それから暫くの間デルフの刀身に水を掛け続けてやった。 それから三十分程経った頃、ようやく満足に動けるだけの休息を取った彼女は左手に持った地図と睨めっこをしていた。 ルイズの鞄から無断で拝借しておいたこの地図は、王都トリスタニアのものである。 主な通りやチクトンネ街とブルドンネ街の境目の他、御丁寧にも旧市街地の通路も詳細に描かれていた。 霊夢はそれと空しい睨めっこを続けつつ、ついさっき特定できた現在地からどこへ行こうかと悩んでいる最中である。 「んぅ~…。何でこう、道が幾重にも分かれてるのかしらねぇ?人里なら路地裏でも単純な造りしてるってのに…」 『人が多く住めばその分家や建物を増やさなきゃならんしな。その度に新しくて小さな道が幾つも生まれていくもんなのさ』 幻想郷の人里とは人工も規模も圧倒的過ぎるトリスタニアの複雑的で発展的な構造に苦虫を噛んだかのような表情を見せる霊夢に対し、 桶に張った水に刀身を三分の一程刀身を入れているデルフは落ち着き払った声でそう返す。 殆ど鞘に入れられていた事と太陽の熱気の所為で熱くなってしまった刀身を冷ますには持って来いであろう。 「…そうなると、考え物よねぇ。発展っていうヤツは」 デルフの言葉に霊夢は嫌味たっぷの独り言を呟きつつ、食い入るように地図上に記された路地裏を見回していく。 大通りや人通りの多い地域は分かりやすいが、路地裏や脇道等は結構複雑に入り組んでいる。 主要な通り等はあらかじめ名前付いているらしく、すぐ近くの大通りには『サミュエル通り』と黒字で大きく書かれている。 勿論霊夢に読める筈も無いのだが、辛うじて文字の形と並びだけで何となく区別する事は出来ていた。 一昨日シエスタに案内してもらった公園が隣接する小さな通りにも名前があるらしい。 名前があるならまだマシであったが。生憎これから調査の為に入るであろう街中の裏路地には名前など全く持っていなかった。 まるで土から芽生え出てくるよう芽のように名前の付いた通りからいくつも生まれる小さな道には誰も興味を示さないのであろう。 何時の頃かは知らないが、きっと大昔に名前を貰えなかった道はそのまま一つ二つと増えていき…結果、 地図で記されているような、幾重にも分かれた複雑な裏路地群を形成していったのであろう。 そんな事をふと考えてしまっていた霊夢はハッとした表情を浮かべると、咳払いして気を取り直しつつもう一度視線を地図へと向ける。 ブルドンネ街とチクントネ街、そして旧市街地も合わせれば実に百に近い数の裏通りや路地が存在している。 そしてこの広い街の何処かにいるのである。今現在霊夢とデルフを、この炎天下の下に曝け出している奴らが。 アンリエッタから渡され、霊夢が増やした金貨を盗んでいった少年に、一昨日劇場で惨殺事件を起こしたであろう黒幕という二つの存在。 明らかに人間がやったとは思えない手口で殺されたあの老貴族の事を思うと、どうしても体が動いてしまうのである。 そして件の少年に関しては…この手で金を取り戻したうえで鉄拳制裁でもしない限り、死んでも死にきれない。 こうして行方をくらましているスリ少年を捜しつつ、惨殺事件の黒幕をも探さなければいけなくなった霊夢は、 こんなクソ暑い炎天下の中を、デルフと共に動かなければいけなくなったのである。 「…全く、季節が春か秋なら手当たり次第に探しに行けるんだけどなぁー」 『おー、おっかねえな~?となるれば、あの小僧も間が良かったって事だな』 日よけの下で忌々しく頭上の太陽を見上げる霊夢の言葉に、デルフは刀身を震わせて笑う。 彼の言うとおり、霊夢達から見事お金を盗むのに成功したあの少年は本当にタイミングが良かったのだろう。 幻想郷以上に暑いトリスタニアの夏では霊夢も思うように動けず、それが結果として少年の発見を遅れさせている。 最も、この前魔理沙に見つかったらしいので恐らくそう遠くない内に見つかるに違いない。 そうなったら何が起こるのか…それを知っているのは始祖ブリミルか制裁を加えると宣言している霊夢だけだ。 遅かれ早かれ捕まるであろう少年の運命に嗤いつつ、デルフはついでもう一つ彼女が抱えている問題を口にする。 『それにあの子供だけじゃねぇ。この前の貴族を返り討ちにしたっていうヤツも探さないとダメなんだろ?』 デルフの言葉に霊夢はキッと目を細めると「そりゃそうに決まってるじゃない」と返した。 一昨日、タニアリージュ・ロワイヤル座で起きた貴族の怪死事件についてはまだ人々に知らされてはいないらしい。 昨日は閉館していたモノの、今朝仮住まいを出てすぐに其処の前を通りかかると、平常通り多くの人々でごった返していた。 あんな事が起きたというのに、たった一日空けただけで大丈夫だと責任者は思ったているのだろうか? 幻想郷の人里で同じような事件が起きたら一大事で、諸悪の根源が捕まるか退治されるまで閉館し続けるのは間違いないだろう。 そして博麗の巫女である自分が呼ばれて、それに釣られるようにして鴉天狗がスクープ目当てで飛んでくる。 そんなもしもを一通り考えた後、ここが改めて幻想郷とは違う常識で動いてるのだと再認識せざるを得なかった。 人が死んでいるというのに何も知らされず、人々はいつものように劇を見て満足して帰っていく。 その姿はあまりにも暢気であり、例え真実を知っても彼らは其処で死んだ初老の男の事など気にも留めないだろう。 中にはお悔やみを申し上げる者もいるだろうが、きっと大半は「あぁ、そんな事があったんだ」で済ませてしまうに違いない。 あのカーマンと言う貴族の男はそんな光景をあの世から眺めて、一体何を思うのだろうか。 自分の死で街中がパニックにならない事を安堵するのか、それとも人を何だと思っていると怒るのだろうか? 「…仮に私なら、まぁ怒るんだろうなぁ」 『え?何が?』 思わず口から独りでに出た呟きを聞いてしまったであろうデルフに、霊夢は「ただの独り言よ」と返す。 そレに対しデルフはそうかい、と返した後無言となり、半身浴(?)を楽しむ事にした。 霊夢は霊夢で腰を下ろしたまま空を見上げて、自分に礼を言って死んでいったカーマンの事を思い返す。 病気を患った妻の為に薬を買えるだけの金を用意したところで、無念の死を遂げた初老の彼。 そんな彼の事を思うと、やはりあのような目に遭わせた存在を見過ごすワケにはいかないのである。 「見てなさいよ。相手が化け物だろうが人間だろうが…タダじゃあすまさないんだから」 夏の空を見上げながら、霊夢はまだこの街の地下にいるかもしれないもう一人の黒幕、 窃盗少年よりも厄介なこの黒幕が何処にいるのかは、カーマンの最期の言葉で大体の目星は付けている。 そこは王都の真下、地上よりも入り組んでいるであろうラビュリンスの如き地下下水道である。 彼が死の間際口にした言葉で、少なくともあのような仕打ちをした存在が地下に逃げたという事だけは分かっていた。 地図に記されていないものの、いま彼女らが腰を下ろす地面の真下にもう一つの世界が存在するのである。 霊夢としては今抱えている二つの問題の内、厄介な地下の方を先に済ませたかった。 少年の方も気になって仕方がないが、そちらと比べれば文字通りの犠牲者が出ない分後回しに出来る。 あの初老の貴族を殺したモノが何であれ、あんな殺し方をする以上マトモなヤツではないだろう。 これ以上被害が出る前にヤツが潜んでいるであろう地下世界へと一刻も早く潜入して正体を確かめた後、対処する必要があった。 「もしも相手が人間なら縛り上げて衛士に突き出してやるけど…何かそうならない気がするのよねぇ」 『おいおい、縁起でも無い事言うなよ?って言いたいところだが…まぁ確かにそんな気がしてくるぜ』 意味深な霊夢の言葉にデルフも渋々と言った感じで肯定せざるを得なかった。 霊夢とデルフ―――――特に霊夢は長年異変解決をこなしてきた経験がある故に、その気配を感じ取っている。 ここ最近、王都トリスタニアでは人々の見てない所で何か良くない事が連続して起こっているという事を。 それは日中や夜間の軽犯罪が多発している事ではなくそれより深い、まず並みの人間が感知できない不穏な『何か』だ。 相次いで発生している怪死事件に、魔理沙が街中で出くわしたという正体不明の妖怪モドキ。 それらがどう関係しているかはまだ説明は出来なかったが、それでも彼女はこの二つが決して無関係ではないという確信を抱いていた。 博麗の巫女として長い間妖怪や怪異と戦い続けてきた彼女だからこそ、そう思っているのかもしれない。 しかし、彼女とは違いハルケギニアの存在であるデルフも彼女と同様の事を思っていたようである。 『お前さんも思ってるかどうかは知らんが…なーんか最近、変な事がたて続けに起こってると思わないか?』 「あら、奇遇じゃない。私も同じような事を考えていた所よ…っと!」 意外と身近な所にいた賛同者…ならぬ賛同剣の言葉にほんのちょっと喜びつつ、博麗霊夢はようやくその重い腰を上げた。 夏の日射で奪われた体力を取り戻した彼女はその場で軽い体操をした後、桶に入れていたデルフを手に取る。 「…というワケで、これから地下へ突入するつもりだけど…勿論一緒に来てくれるわよね?」 『オレっちに拒否権なんか無いうえでそれを言うのか?…まぁいいぜ、お前さんはオレっちの『ガンダールヴ』だしな』 水も滴る良い刀身を太陽の光で輝かせながら、デルフは拒否しようがない霊夢の問いにそう答えて見せた。 かくして霊夢とデルフは王都の地下を調べる事にしたのだが、事はそう上手く運ばない。 彼女らが地下へと入る為にそこら辺の適当な水路から入る…という事自体が難しくなっていたからだ。 「やっぱりいるわよね?こんなクソ暑いのに律儀だこと」 井戸のあった広場を抜けて、ブルドンネ街の一通りにそって造られている水路の傍へと来ていた。 そこはアパルトメントや安い賃貸住宅が連なっている住宅街があり、その真ん中を縫うようにして水が流れている。 平民や下級貴族が主な住民であるこの地区も今は日中の為か、閑散としている。 今は人気の少なくて寂しげな場所となっているが、霊夢としてはそちらの方が有難かった。 何せこの通りを流れる川には、地下水道へと続く大きなトンネルがあるのだから。 この王都に数多く存在する地下へと続く入口の内、一つであった。 あの井戸のある広場から最短で来れる場所であり、穴の大きさも十分なので入るにはうってつけの場所である。 しかし、霊夢本人はというとその穴へと飛び込まず歯痒そうな表情を浮かべて道路の上から眺めていた。 その理由は一つ。彼女よりも先にやって来ていたであろう衛士達が数人、地下へと続くトンネルを見張っていたからである。 先ほど彼女が口にした「やっぱりいるわよね?」というのも、彼らに対しての言葉であった。 デルフも鞘から刀身を少しだけ出して、彼女がついた悪態の原因を見て口笛を吹いて見せた。 『ヒュー!流石衛士隊と言った所か、平民の集まりと言えどもお前さんの一歩先を行ってたようだねぇ』 「平民がどうのこうの何て私は興味ないけど、でもあぁやって集まられると素通りできないじゃないの」 軽口を叩くデルフを小声で叱りつつ、霊夢は地下へと続いているトンネル前にいる衛士達を観察してみる。 数は五、六人程度が屯しており、装備している胸当てや篭手等は夏用の軽装型であろうか。 男性ばかりかと思いきや、その内三人が女性の衛士でありトンネルの入り口近くの陰で休んでいるのが見える。 兜の代わりに青色のベレー帽を頭に被っている。まぁこんな猛暑日に兜なんか被ってたらすぐに立てなくなるだろうが。 武器は手に持っている槍と腰に差している剣だけのようで、やろうと思えば強行突破など簡単かもしれない。 しかし、人数が人数だけに何かしらの不手際を起こししてしまうとアッと言う間に取り押さえられてしまうだろう。 そうなればまた詰所につれて行かれるのは確実だろうし、面倒な取り調べをまたまた受ける羽目になるのだ。 一昨日夜の事を思い出して苦い表情を浮かべる霊夢に、デルフが話しかける。 『この分だと、衛士さん方も犯人が地下にいると踏んで他の入口もこんな感じで見張ってるような気がするぜ』 「確かにね。…でも、それにしたって今日はヤケに厳重過ぎない?」 ここへ来る途中、霊夢は複数人で街中を移動する衛士達の姿を三度も見ている。 真剣な表情を浮かべて人ごみの中を歩いていく彼らの様子は、明らかに『何か』を捜しているかのようであった。 『衛士がか?確かに、特にこれといったイベントのある日でも無さそうなのにな』 霊夢が口にした疑問にデルフも同意した所で、反対側の道路から他の衛士の一隊が来るのに気が付く。 五人一組で街を警邏している最中なのだろう。水路にいる仲間たちと同じ装備をしている彼らは同僚たちに声を掛けた。 「おーい!そっちはどうだー?」 「成果なしだ!そっちはー!?」 自分たちを見下ろしながらそう聞いてきた男性衛士に対し、水路にいる女性衛士の一人が言葉を返しつつ質問も返す。 それに対し男性衛士は大袈裟気味に首を横に振ると、女性衛士は額の汗を腕で拭いつつ彼との話を続けていく。 「最新の情報だとチクトンネ街でそれらしい人影が目撃されたらしいから、そっちの方へ回ってみてくれー!」 「わかったー!水分補給、忘れるなよー!」 そんなやり取りの後、道路側の衛士達は水路にいる同僚へと手を振りながらチクトンネ街の方へと走っていく。 対する水路側の衛士達も全員、走り去っていく仲間に軽く手を振りながら見送っていた。 大声でやり取りしていた衛士師達に通りがかった通行人たちの内何人かが何だろうと騒いでいる。 その輪に混ざるつもりは無かったものの、霊夢もまた彼らが何を言っていたのか気になってはいた。 「人影…って言ってたから探し人なのは確実だけれども…まさか一昨日の犯人を?」 『どうだろうな。王都のど真ん中で貴族を殺したヤツが相手なら、あんな風に悠長にしてるワケはなさそうだが』 「でも、他に理由は無さそうじゃない?」 デルフの疑問を一蹴しつつも、霊夢は踵を返してその場を後にしようとする。 ここが使えないと分かった以上やるべきことは唯一つ、下見していた他のトンネルへと行く事だ。 「ひとまず私達は地下へ行かなきゃダメなんだから、まずは安全な入口を見つける事を優先しないと…」 『…ここがあんな感じで見張られてるとなると、他のも粗方警備の衛士がついてると思うがね』 「ここは馬鹿みたいに大きいのよ?そしたらどっか一つだけでも見落としてる場所があるでしょうに」 『王都の衛士隊がそんなヘマやらかすとは思えんが…まぁオレっちはただの剣だし、お前さんの行きたい場所に行けばいいさ』 自分の意思をこれでもかと曲げぬ霊夢の根気に負けたのか、デルフの投げやりな言葉に「そうさせてもらうわ」と彼女は返す。 まぁデルフがそんな事を言わなくても決して足を止める気は無かったのだろう、そさくさと大通りの方へと戻っていく。 大通りを挟んで南の方に二か所、そこから更に西を進んだ通りに同じような地下へと通じるトンネルがあるのは知っていた。 とはいえ流石の霊夢でも大通りから近い場所はとっくに衛士達がいるだろうと、何となく予想だけはしている。 しかし、だからといってこのまま命に係わる程暑い地上を捜しても見つかるものも見つからない。 今探している相手は地下に潜んでいると知っているのだ。だとしたら何としてでもそこへ行く必要がある。 「どっか警備に穴空いてる箇所とか、あればいいんだけどなぁ~…」 建物の陰で直射日光を避けて歩く霊夢は一人呟きながら、暑苦しいであろう大通りへと向かっていく。 一体全体、どうしてこの街に住んでる人々はあんなぎゅうぎゅう詰めになりながらもあの通りを使うのだろうか? 冬ならともかく、こんな真夏日にあんなすし詰め状態になってたら、何時誰かが熱中症で死んでもおかしくは無い。 そんな危険な場所を今から横断しようとする事実で憂鬱になりかけた所で、ふと霊夢は思いつく。 「…いっその事、こっから次のトンネル付近まで飛んで行こうかしら?」 主に空を飛ぶ程度の能力、名前そのままの力にしてあらゆる重圧、重力、脅しすら無意味と化す能力。 博麗の巫女である霊夢に相応しいその能力を行使すれば、あの大通りを苦も無く横断できであろう。 さすがに飛び続けていれば怪しまれるかもしれないか、この街は屋上付きの建物が結構建てられている。 屋上や屋根を伝うようにして飛んで行けば、そんなに怪しまれない…かもしれない。 この王都では余程の事が無い限り使わなかったが、今正に空を飛ぶべきだと霊夢は思っていた。 決意したのならば即行動、それを体現するかのように霊夢は自身の霊力を足元へと集中させていく。 彼女の体内を流れるその力を感知したのか、それまで静かにしていたデルフは『おっ?』と声を上げて反応する。 『何だい?こっから次の目的地まで一っ飛びするつもりかい?』 「そのつもりよ、こんな照り返しで限界まで熱くなってる道路の上に立っていられないわ」 頭上に浮かぶ太陽をに睨み付けながらそう答えると、彼女の体はフワリ…と宙へ浮いた。 ここら辺の動作は幼少期からやっているお蔭で、今では息を吸って吐くのと同じくらい簡単にこなしてしまう。 足が地面から数十サント離れたところで、霊夢は周囲に人がいないかどうか確認する。 幸い通りは閑散としており、ここから五分ほど歩いた先にある大通りの喧騒が聞こえてくるだけだ。 準備を済ませ、目撃者となるであろう他人もいない事を確認した後、いよいよ霊夢は飛び上がろうとする。 「ん…―――…!」 既に体を浮かせ、後は入道雲の浮かぶ青く爽やかな空へ向かって進むだけでいい。 幻想郷と然程変わりない色の空へといざ飛び上がろうとしたその時――――霊夢はその体の動きをビクリと止めた。 突如脳内を過った微かな、それでいて妙に鋭い痛みのせいで飛び上がるタイミングを失ってしまう。 霊夢は突然の頭痛に急いで地面に着地すると、右手の指で右のこめかみを抑えてしまう。 これにはデルフも驚いたのか、鞘から刀身を出して唐突な頭痛に悩む彼女へと声を掛ける。 『おいおい!いきなりどうしたんだよレイム?』 「ン…わっかんないわ。何か、こう…急に頭痛がして…――――…ム!」 急な頭痛に困惑する中、デルフに言葉を返そうとした最中に彼女は気が付く。 別段体に異常は無いというのにも関わらず起こる急な頭痛の、前例を体験している事に。 つい二日前、あのタニアリージュ・ロワイヤル座でも体験したこの痛みの原因が、あの゙女゙にあるという事も。 そして今、霊夢は感じ取っていた。すぐ後ろ…建物建物の間に造られた細道からその゙女゙の気配を。 突然過ぎる上にタイミングが悪過ぎる出会いに、霊夢は軽く舌打ちしてしまう。 (何の用があるか知らないけど…ちょっとは空気ってモンを呼んでくれないかしら…?) 他人に対して無茶な要求をする博麗の巫女に続いて、デルフもまた背後の気配に気が付く。 慌てて視線(?)を背後へ向けた直後、その気配の主が横道から姿を現した姿を現したのである。 『…おいおいレイム、こいつぁはとんでもないお客さんのお出ましだぜ?』 「えぇそうね。…っていうか、アンタに言われなくても気配の感じでもう分かってるんだけどね」 デルフの言葉にそう返すと、霊夢は未だジンジンと痛む頭のまま…後ろへと振り返る。 そこにいたのは彼女が想像していた通り、あの刺々しい気配の持ち主―――ハクレイであった。 「二日ぶり…と言っておきましょうか、私のソックリさん…っていうか、偽物さん?」 「…二日ぶりに顔を合わす人間に対して、その言い方はないんじゃないの?」 好戦的な霊夢の買い言葉に対し、暑さで若干バテているかのようなハクレイは気怠そうな様子でそう返す。 炎天下の猛暑に晒された王都の片隅で、二人の巫女は再び相見える事となった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 時間が午前から午後へと移り変わってから一時間が経ったばかりであろう時間帯。 一行に人の減らぬ王都の建物や掲示板などに、衛士達がなにかを貼っている光景を多くの人々が目にしていた。 何をしているのとかと気になった者たちが率先して調べてみると、それは女性の似顔絵が描かれてたポスターであった。 似顔絵の女性はやや強気な表情であったが、十人中何人かは確実に一目ぼれするであろう綺麗な顔立ちをしている。 青い髪に碧眼という特徴にも男たちは興味を示しつつポスターを見直して―――そして愕然した。 ―――○○○○○○詰所所属衛士隊員『ミシェル』 ―――――同僚殺害及び軍事機密情報の売買に関わった疑いあり! ――――――この顔にピン!ときた方は、すぐに最寄りの衛士詰め所か警邏中の衛士に声を掛けてください そのポスターは、似顔絵の元となったであろう女性の指名手配ポスターだったのである。 一体このミシェルと言う名の美人衛士は、何の理由があってそんな重犯罪を犯したのだろうか? 多く男達がそんな反応を抱きつつポスターに釘点けになり、通りがかった他の平民たちも何だ何だとそちらの方へと足を運ぶ。 やがてポスターの貼られている場所には大きな人だかりが出来、多くの人々の目と記憶に『ミシェル』の名と顔が焼きついて行く。 似顔絵自体の出来も非常に良かった事が仇となったのか、ポスターに書かれた絵だけでも見に来る者たちも何人かいる。 そして人が集まればそれだけで幾つもの意見が生まれる、つまるところ、街中で人々の議論が始まったのだ。 ある者は彼女を見て是非ともお近づきになりたいと願い、ある者は彼女を捕まえて賞金にありつこうと企み、 またある者はこんな綺麗な人が同僚殺しなんかの重犯罪を犯すワケはない、これは何かの陰謀だ!と騒いでいる。 終わりの見えない議論は延々と続き、それだけでも元から喧しい王都は更喧しくなっていく。 そんな耳に良くない場所なりつつある街中を歩きながら、ルイズ達は人だかりのできている場所へと目を向けていた。 彼女、そして霊夢や魔理沙達の視線に先にあるのは、ブルドンネ街にある小さな広場の――中央に建てられた情報掲示板である。 普段は王宮から発布されたお知らせや、近所にある本屋が品切れしていたモノや新品の本などが入荷してきた時、 同じく近くにあるベーカリーなどが焼き立てのパンを店に出す時間帯などをポスターに書いて貼り出している掲示板だ。 しかし今は、それらの情報がかすんでしまう程綺麗な指名手配犯のポスターを一目見ようと多くの人々が訪れている。 そんな騒がしくなりつつある広場を通りから眺めていると、それまで黙っていた魔理沙が口を開いてこう言った。 「…にしたって、指名手配犯が出たってだけでこうも賑わえるモンなのかねぇ?」 「まぁ指名手配自体王都で出るのは珍しいかも。地方だと色んな犯罪者が手配されてるそうだけどね」 魔理沙の言葉にルイズがそう返すと、先ほど昼食を頂いた店で見せて貰ったポスターの事を思い出す。 中央にデカデカと書かれていた青い髪の女性『ミシェル』の顔と、その下に添えられた罪状と指名手配のお報せ。 そしてあの似顔絵とそっくりの顔を持ったフードの女と、彼女を追っていたであろう謎の男達。 彼女はひょっとすると、あのポスターに描かれている『ミシェル』だったのではないのだろうか? と、すれば…あの男たちは何だったのであろうか?少なくとも、そこら辺の平民よりまともな人間ではなさそうだった。 彼らが探していたのは間違いなくあのフードの女性だったのであろうが、彼女は何故逃げようとしていたのだろうか。 そうして幾つもの疑問が脳裏を過り続け、またもや思考の渦に足を突っ込みそうになったルイズは慌てて頭を振った。 突然そんな行動した彼女に霊夢と魔理沙が首を傾げるのをよそに、ルイズは余計な事を考えようとした自分を叱る。 (何を考えてるのよルイズ。私の記憶違いなのかもしれないし、第一彼女か『ミシェル』だったとして、私に何ができるっていうの?) ただでさえ厄介な事案を複数抱え込んでいるルイズにとって、これ以上の厄介ごとは正直ゴメンであった。 スリの犯人はまだ見つかっていないし、情報収集は今になって始めたばかりで手紙一通すら送れていない。 そこへ更に重ねるようにして厄介ごとであろうモノに首を突っ込んでいては、やるべき事もやれなくなってしまう。 第一、通りでぶつかっただけの自分がこの広い王都で彼女と何とか再会し、追われていた理由を問うべき道理など全くない。 気になるのは気になるが、これ以上の問題を抱えることをルイズはしたくなかったのである。 (…所詮ただ道でぶつかっただけ、私が首を突っ込んでも仕方ない事よ) ポスター前に集まっている人々の姿を見つめながらそう自分に言い聞かせていた時であった、魔理沙が声を掛けてきたのは。 「どうしたんだルイズ?そんないつも以上に悩んでいる様な表情見せるなんて」 「魔理沙?…別に、何でもないわよ」 恐らく、自分が『ミシェル』と思しき女性に出会ったことを一番話してはならないであろう黒白の呼びかけに、彼女は平静を装って返す。 しかし、それに対して普通の魔法使いは「えー、そうか?」と怪訝な表情を浮かべて首を傾げて見せる。 「私にはなーんか色々考え事してるように見えたんだけどな?」 「…ふ、ふん!考え事や悩み事ならもう十分足りてるわよ」 「んぅ~そりゃそうか、今の私達って色々と問題を抱えちゃってるしな。主に霊夢のおかげで」 「うっさい、この黒白」 本当に霊夢より勘が鈍いのか、割と鋭い指摘をしてくる魔理沙のルイズの平静さに若干罅が入りかける。 幸い余計な一言のおかげで霊夢が横槍を入れてくれた為、魔理沙の話し相手も勝手に彼女へと移っていく。 二人の喧嘩混じりの会話を聞きながら、ルイズは内心ホッとため息をついた。 もしも魔理沙に今日通りでぶつかった女性が指名手配された女衛士と似ていたと言っていたら、大変な事になってたかもしれない。 霊夢曰く、自分よりも面白く厄介な事に首を突っ込みたがるらしい彼女ならば、真っ先にその女性を捜そうと言っていた事だろう。 そうなったら情報収集どころの話ではなくなるし、下手すればこの王都にいられなくなっていたかもしれない。 ひとまずは回避できた未来を想像していたルイズは、ホッと安堵のため息をついた。 ふと霊夢達の方を見てみると既に静かな口喧嘩は終わっており、お互い平穏な買いをしている。 「…そういやアンタ、道に迷った女の子が泊まってるっていうホテルの部屋ってどれくらい綺麗だったのよ」 「そうだなぁ、アソコを普通とするならスカロンの店は間違いなく倉庫レベルになっちゃうだろうなー」 『失礼な事言うなぁお前さん、ちったぁ無料で泊めさせてもらってる恩義くらい感じろよ?』 「魔理沙、それ本気で言ってるワケ?…実際今は倉庫で寝泊まりしてるようなものだから洒落になってないわよ」 『いやいや、突っ込むところが違うだろ』 途中からデルフも混ざった二人と一本の会話を聞いて、ルイズも何となく霊夢の言葉に頷いてしまう。 今日はスカロンが雨漏りを直してくれたものの、確かにあそこはどう見ても…少なくとも今は倉庫であるのは間違いない。 正直言って彼女自身もイヤなのではあるが手持ちの金が限られている今、一番費用が掛かる宿泊代が浮くのは嬉しいのである。 だから今の所ルイズも我慢はしているのだが、この二人は自分の気持ちをすぐに口に出してしまうようだ。 まぁスカロンや『魅惑の妖精』亭の人間がいないこの場所でなら確かに言いたい放題だろう。 とはいえ流石に本音を垂れ流して貰っては困る為、ルイズはほんの少し注意してあげることにした。 「全く、アンタ達…倉庫なのは本当の事だけどスカロン達の前でそんな事いわないでよね?」 「それはわかってるわよ。だけどあんな場所に押し込んでおいて、文句を言うなってのは無理な事じゃない」 「まぁそれはそうよね。…っていうか、押し込んだのはアンタん所から来たあの狐なんじゃないの」 『そういやそうか、本人はスカロンに許可取ったっていうが…多少の悪意はありそうだよなぁ~』 デルフの言葉に霊夢がそれはあり得ると思った。その時であった―――― 「ふぅ~ん?中々言ってくれるじゃないか、剣の癖して口も達者とは恐れ入る」 ルイズ達の進む方向から、その狐の声が聞こえてきたのは。 突然の声にまずはルイズが足を止め、次いで霊夢がルイズに向けていた顔を前へと向ける。 そのにいたのは案の定…何処から姿を現したのか、自分たちの前へ立ちはだかるようにしてあの八雲藍が佇んでいた。 九尾と耳を限界まで縮めた人の姿にラフな服装という出で立ちで両腕を組んで、呆れたと言いたげな表情を浮かべている。 今も尚多くの人の往来が激しい通りの真ん中であるのにも関わらず、その存在感はイヤにハッキリとしていた。 霊夢は咄嗟にルイズの前へ――無論相手がやる気ではないのは理解していたが――出て、彼女へ話しかける。 「アンタ…一体何時からいたの?私でも気づかなかったんだけど」 「修行不足が目立つな霊夢。少しお遊び程度で、お前たちが昼食を終えた時から後を追っていただけだ」 「式の仕事だけじゃなくてストーカーまでこなすとは…流石は九尾狐といったところだぜ」 霊夢の問いかけに藍はあっさりと自白し、そこへ魔理沙がすかさず茶々を入れる。 こんな時にそんな冗談は…と言おうとしたルイズは、黒白の顔を見て思わず口をつぐんでしまう。 魔理沙がその顔に浮かべているのは笑みであったが、それはいつも見せているような人を小馬鹿にしたような笑みではない。 まるで張りつめたピアノ線の様に緊張を露わにし、一度力を入れればすぐにでも歯をむき出して笑う一歩直前の笑顔。 そして霊夢も構えてはいないものの、相手が『下手に動けば』すぐにでもその袖の中へと手を伸ばすであろう。 さっきまでお昼ご飯を食べて、とりあえず『魅惑の妖精』亭に戻ろうかと歩いていた最中だというのに…。 たった一人――彼女たちと同じ世界から来た藍が現れただけで、二人はその気配がガラリと変わってしまった。 指名手配がどーだの屋根裏部屋がどーたらと話していたのが、つい直前の事だと想えなくなってしまう。 多くの平民、そして貴族が往来する通りのど真ん中で睨み合う三人に囲まれたルイズの喉は、潤いを求めてしまう。 言葉が噤んでしまったついでに、開きっぱなしだった口から空気が入り込み、中途半端に喉が乾いてしまったのである。 ルイズは慌てて口を閉じて唾液で潤そうとするが、自身が一番緊張しているためか中々うまくいかない。 それでも何とか痒みすら訴えてくる乾きを消すことができた彼女は、霊夢の背中に差したデルフへと話しかけようとする。 「で…デルフ…」 『まぁそう焦るなって娘っ子、ここでバカ起こせばどうなるかぐらい…コイツらだって理解してるさ』 「ふぅー、全くだな。…失礼な事を言っていたから少し怒っただけだというのにでこうも身構えられてしまうとはな」 緊張するルイズを宥めるデルフの言葉に藍はため息をついてそう言うと、組んでいた腕をすっと下ろした。 途端、自分達に向けられていた存在感が薄れ、彼女もまた通りを歩く人々の中に混ざり込んでしまう。 それを察知して霊夢もため息をついて構えを解き、魔理沙はいつもの人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべ直している。 二人も楽な姿勢になったのを確認してから、藍は彼女たちへ近づきつつ肩を竦めながら話しかけてきた。 「それにしてもお前らまだ構える事は無いだろう。てっきりここで弾幕ごっこを仕掛ける手来るかとおもったぞ?」 「バカ言わないでよ。…第一、アンタなら手を出さなくても幻術やらの類で私達をどうにでもできるでしょうに」 お互い言葉の端々に刺々しい雰囲気を漂わせるものの、すぐに争いが始まるという雰囲気は全くない。 魔理沙との会話もそうであるのだが、幻想郷の住人達は会話だけでも刺々しいのが文化なのであろうか。 何はともあれ、物騒な事にはならないだろうと理解したルイズはついつい安堵のため息をついてしまう。 「はぁ~…何でこう、昼食が終わったばかりのタイミングでヒヤヒヤさせられちゃうのよ」 「全くだな。まぁお互い好戦的な性格なうえに戦る時は戦るから正直私も冷や汗かきそうだったぜ」 安堵すると同時に出た自分の文句にそう言いつつ、魔理沙がルイズの傍へと近づいた。 さっきまで自分の前に出てきた霊夢同様、ただならぬ緊張感のこもった笑みを浮かべていた普通の魔法使い。 それなのに今はいつもの人を小馬鹿にしそうな笑顔でもって、他人事のようにさっきの出来事を語っている。 ルイズはそれに腹立たしい気持ちを抱いたのか、ニヤニヤする彼女へ向かって「アンタもアンタよ」と非難言葉を向けた。 「まぁそう怒るなよルイズ。流石のアイツらだってここで暴れるなんて事をしないなんて想像がつくだろう」 「そりゃそうだけど…だったら、何でアンタも霊夢に混じってあんな野獣みたいな笑みを浮かべてたのよ」 ルイズの言葉に一瞬キョトンとするもすぐに思い出したのか、暫しう~ん…と唸った後で彼女はこう答えた。 「まぁ何というか…その場のノリだな。格好良かっただろ?」 「…アンタ、本当に最高な性格してるわね」 「その言葉、お前さんの口から出た私への最良の賞賛として覚えておくよ」 ある意味霊夢とは別方向で厄介な彼女に呆れつつも、最高の皮肉を込めた言葉をルイズは送る。 しかしそれでも魔理沙は気にしてもいないのか、逆にお礼まで言われてしまったのだが。 その後、自分たちを追跡していた藍と合流してルイズ達はそのまま『魅惑の妖精』亭へと戻ってきた。 既に朝から取りかかっていた屋根の修繕は終わったのか、店の屋根には人影は見えない。 後一、二時間もすれば店の開店準備が始まるだろうと思いつつ、ルイズが羽根扉を開けると、 「あっ、ミス・ヴァリエールにレイムさんと魔理沙さん…それにランさんも!」 ちょうど開けてすぐ近くにあるテーブルの上に大きく膨らんだ紙袋を下ろしたシエスタと鉢合わせる事となった。 どうやら見たところ、彼女も時同じくして帰ってきたところなのは一目瞭然である。 ルイズは店に入ってすぐ近くにいたシエスタに若干驚きを隠せないでいるのか、おっ…と言いたげな表情を浮かべている。 「あぁ、シエスタじゃないの。…ただいま、で良いのかしら?」 「見れば分かるでしょうに。どこをどう見てもただいまで合ってるじゃない」 「…こういう時。、どんな顔すれば良いか分からないんだけど」 とりあえず口にしてみた自分の言葉に突っ込んでくる霊夢にそう返しつつ、シエスタの元へ近づいていく。 彼女もあの暑い炎天下の中で、私物やら何やらを購入してきたのであろう。 額や顔には汗が滲んでおり、目の錯覚か平民向けの安い服が汗で薄らと透けているようにも見える。 次にテーブルに置いた紙袋の中身を一瞥しようとしたところで、ふと話しかけられてしまう。 「それにしても奇遇ですよね。…まさか三人一緒だけじゃなくて、ランさんも一緒にいるだなんて」 「え?え、えぇまぁね。ちょっと昼食終わった街中歩いてた時にバッタリ鉢合わせちゃったのよ」 すぐにシエスタの言葉に返事しつつも、ルイズは袋の中身が気になったのかそれを聞いてみることにした。 「そういえばシエスタ。結構重そうな紙袋だけど何買ってきたのよ?」 人差し指をテーブルの上の紙袋に向けてそう聞いてきたルイズに、シエスタは「これですか?」と袋の口を開けた。 「特に貴族様が気になるような物は買ってないのですが、そうですねぇ…例えばコレとか」 そんな事を言いつつ、音を立てて紙袋を漁るシエスタが取り出したのは一本の歯ブラシであった。 木製の持ち手に歯磨き用に調整された馬の尾の毛を組み合わせてつくられている小型ブラシである。 一昔前までは少しお高くついたものの、今では王都にも工房がいくつも出来ているため平民たちの間でも普及し始めている代物だ。 「前使ってた歯ブラシが少しバカになってきたので、思い切って新品を買ってみたんですよ」 まるで新しい玩具を買ってもらった子供の様に微笑みながら歯ブラシをルイズに見せつけてくるシエスタ。 普及し始めた値段が低くなってきたとはいえ、値段的に平民が歯ブラシをそうそう何度も買い替えるのは難しいのだ。 シエスタが袋から取り出した歯ブラシに興味をしめしたのか、ルイズの後ろにいた霊夢達も彼女の近くへ集まってくる。 「へぇ、一体どこへ行ってのかと思いきや…新しい歯ブラシを買いに行ってたのねぇ」 「つまり…あの袋の中は新品の歯ブラシで一杯という事か」 「いやいや、そんなワケないでしょうに」 霊夢に続き、阿呆な事を言った魔理沙にルイズはすかさず突っ込みを入れてしまう。 それを見たシエスタも苦笑いを顔に浮かべつつ歯ブラシをテーブルに置くと、話を続けながら袋を漁っていく。 「ははは…まぁ歯ブラシだけじゃなくて、学院生活で使う日用品とか色々新調しようと思って…ホラ、例えばこういうのとか」 そう言いながら紙袋からスリッパやクシ、紅茶用のマグカップなど数々の品をテーブルに並べていく。 これには貴族であるルイズもおぉ…と驚きの声を上げてしまい、霊夢達と一緒にその様子を眺めてしまう。 結果…一分と経たず丸テーブルの上は、彼女が購入して来た日用品で占領されてしまった。 「うわぁ、これは圧巻ねェ」 「今までは古くなってきた物を誤魔化して使ってた来たから、自分でも変な新鮮感を覚えちゃいますよ」 思わずそう呟いてしまったルイズに、シエスタは自分の子ながらエッヘンと胸を張ってしまう。 平民向けといえど、これほどピカピカの新品を前にすれば気分が良くなるのも無理はないだろう。 流石魔法学院で働くメイド。微々たる程度だが、そんじょそこらの平民よりかは金回りが良いのだろう。 そんな事を思いつつも、魔理沙はシエスタの新しい日用品を見下ろしながら何気なくこんな事を言った。 「まぁ本となると別だが、こういうモノはある程度使い古したら思い切って新品に変えるのもアリだしな」 「えへへ…。さすがにこれだけ買い揃え目るのにお給金一月分の五分の二ぐらい使っちゃいましたけどね」 「アンタのお給金がどれくらいが分からないけど、そこまでしたら気持ち良いだろうに」 「そうですね。思い切ったところまでは良いんですが、何か今になってやりすぎたかなーって思う所もありまして…」 霊夢の問いかけに嬉しさ反面、若干の後悔が滲み出てる彼女の言葉にルイズは変に納得してしまう。 確かにお金があり過ぎると、購買意欲が薄いものにまでついつい手が出てしまい、後で何故買ったのかと自問してしまうのだ。 最もルイズ自身はそういう経験は少ないものの、魔法学院ではそれで後悔している生徒を良く目にすることがある。 下手に親から大量の仕送りを貰う生徒程無駄遣いをして、次の仕送りの日まで地獄を見ることになるのだ。 (まぁぶっちゃけ、私も人の事を指させる立場じゃあ無いのよねぇ) とはいえルイズも、つい先日までは大量に貰った資金で情報収集を兼ねたバカンスに繰り出そうとしたのだ。 平民と貴族とでは贅沢のハードルに差があり過ぎるものの、今になって考えてみると後悔してしまう。 高くていいホテルに泊まらず、そこら辺のそこそこ良い宿に泊まっていれば、スリに遭わずに済んだかもしれな いというのに。 アンリエッタから貰った資金をむざむざ盗まれてしまった資金の事を思いだそうとしたところで、彼女は首を横に振った。 (…後悔後先に立たず。過ぎた事を今になって悔やんでも仕方のない事よルイズ) その後、テーブルに広げた日用品を紙袋に戻し終えたシエスタと共にルイズ達は二階へと上がった。 会話に参加してこなかった藍は既に厨房で今夜の仕込みを初めており、一階からそれらしい音が聞こえている。 「でもまだ誰一人起きてきて無いよな?アイツ、よっぽど暇してるようだぜ霊夢」 「少なくとも迷子を案内した後でそのままやるべき事サボってたアンタにそれをいう資格は無いとおもうけど?」 怪談を上った後、誰もいない二階の廊下を見て魔理沙が呟き、霊夢がそこへ突っ込みをいれる。 まぁ彼女の突っ込みは何も悪くないだろうとルイズが思った所で、シエスタが声を掛けてきた。 「じゃあ私、これから買った物の整理があるのでことまずこれで…次は夕食の時にでも」 「ん?…えぇ、また夕食時にね」 両腕で紙袋を抱えつつ、器用にドアを開けたシエスタからの言葉に霊夢が顔を向けて左手を振る。 それに対し手を振る代わりに笑顔を送った後、彼女はスッと寝泊まりしている部屋へと入っていった。 ドアが閉まりきるところまで見て再びルイズ達の方へ向いたところで、彼女は一人呟き始める。 「夕食時って言ってもねぇ、今夜も盛況になりそうだし大変よねぇ~…こういう所で働くっていうのは」 「流石博麗の巫女とかいう自由業やってるだけあるな。お前の言葉には全力で納得できないぜ」 「それをアンタが言っても全然説得力ないわね?…それと、シエスタは今日と明日休み貰ってるらしいから平気よ」 ルイズは他人の事を言えない魔理沙に容赦ない突っ込みを入れつつも、 下げっ放しになっていた三回への隠し階段を上りながら彼女たちに今日のシエスタの事を話していく。 「それは初耳だな。恥かしがらずに言ってくれれば良かったのに」 「その前に私達がどっか行っちゃったから言うに言えなかったんじゃないの?」 シエスタが休暇を取っていた事にそれぞれ反応を見せつつ、ルイズに続くようにして階段を上っていく。 見た目同様、やや細めながらもしっかりとした造りをしていると感じさせてくれる階段を軋ませて屋根裏部屋へと入る。 「ただいまー…ってのは何か変な感じだけど……って、あら?」 階段を先に上っていたルイスズは、部屋に入った所ですぐ目の前に置かれていた道具に気が付いた。 それはやや使い古した感じのある部屋掃除用の大きな箒と塵取り、それに一枚のメモ用紙が箒に下に置かれている。 「ほうき…?」 目の前に置かれている掃除道具の名前を呟きながらそこまで歩いていく彼女の背後から、 続いて部屋に入ってきた霊夢もその箒とメモ用紙に気が付き、キョトンと首を傾げた。 「どうしたのよルイズ…って、なんなのその箒?…とメモ?」 疑問が聞いて取れる霊夢の言葉と同時に箒の下のメモを手に取ったルイズは、ざっと書かれいた文章を読んでみる。 文章を追うようにして目を左から右へ、右から左へと目を走らせて速読していくる その時になって、一番後ろにいた魔理沙も何だ何だとやや急ぎ足で屋根裏部屋へと上ってきた。 「おぉ、どうしたんだルイズのヤツ…って、何だその箒?私達が起きた時には無かったような…」 「多分そのメモ用紙に何か書かれてるんだ思うんだけど…どんな内容なのかしらねェ?」 魔理沙の言葉に霊夢はそう返しつつ 、ルイズがメモを読み終えるのを待っていた。 本当ならば肩越しに覗いて自分も読みたいのだが、生憎この世界の文字は全く分からないのだ。 隣にいる黒白なら解読ぐらいしてそうなものだが、霊夢本人からしてみれば蛇がのたくったような記号にしか見えないのである。 だからこうしてルイズが読み終えるのを我慢して、終わったら何が書いてあったのか聞こうと思っていた。 まぁ聞かなくとも読む相手がルイズなら、そのまま素直に教えてくれるだろうが。 そんな事を思いつつ待った時間は、ほんの二十秒程度であろうか。 メモ用紙に書かれていた文章を最初から最後まで丁寧に読み終えたルイズは、ふぅと溜め息をついてから口を開く。 「わざわざメモで書き残して置く事かしら?」 「ちょっとルイズ、何が書いてたのか教えてくれないかしら?」 すっかり拍子抜けしてしまったと言いたげなルイズの顔を見て、霊夢は早速問い詰めてみる。 彼女の問いにルイズはサッと手に持っていたメモを、何も言わずに彼女へ手渡した。 何気なくメモ帳を手に取った霊夢であったが、当然何が書かれているのか分からなかった。 「…差し出されても、読めないんですけど?」 何も言わないルイズに霊夢が肩をすくめてそう言うと、その背中からデルフが話しかけてきた。 『んぅ…ふむふむ、まぁ娘っ子の言うとおり大した事は書いてないね』 「あぁ、そういやアンタがいたわね。変に静かだったから寝てたのかと思ってたわ。…で、何が書かれてたのよ」 金属音を鳴らすデルフに霊夢がそう返しつつ、メモの内容がどういったものなのかも聞いた。 『別にどうってことはないが、掃除道具は置いとくから綺麗にしたら…って事だけしか書いてないよ』 「何よソレだけ?それなら別に口で伝えればいいじゃない、たくっ」 書かれていた事が本当に単純な内容だっただけに、霊夢は足元の箒を見ながらそう言った。 まぁ何かタイ逸れた事が書かれていたとしても困っただけなのだが。 しかし、確かに掃除が必要な程この屋根裏部屋が結構汚れている事だけは確かである。 霊夢は部屋の端っこで小さく積もっている埃や、先住者の証である蜘蛛の巣を見ながらもその箒を手に取った 「…まぁ暫くここでタダで寝泊まりできるんだし、ちょっとは綺麗にしとかないといけないわよね」 箒を持って彼女はそう言って背負っていたデルフを床に下ろすと、魔理沙がおぉ!と声を上げた。 「おぉ、霊夢がその気になったか。これで今夜は綺麗な屋根裏部屋でグッスリ安眠できるな」 「アンタも手伝いなさいよ。タダでさえ掃除する箇所が多いんだから、猫の手でも借りたいぐらいなのよ」 すでに勝負はついたと言いたげな笑みを浮かべる魔理沙に、霊夢はすかさず手伝うように誘う。 彼女の言うとおり屋根裏部屋は相当汚れており、全部を綺麗にするのには結構な時間が掛かるうだろう。 始める前からすでに自分に任せて楽しようとしてる黒白を睨む霊夢を前に、しかし魔理沙はその態度を崩そうとはしなかった。 「勿論手伝ってはやりたいがね、何せ私にはこれからサボってた仕事をしなきゃならないしさ」 「仕事?あぁ…」 一瞬だけ何を言っているのかと訝しんだ霊夢は、すぐに魔理沙の言いたい事を理解する。 「呆れた!わざわざ掃除したくないってだけで姫さまから託された仕事を理由にするなんて!」 「おぉっと、誤解しないでくれルイズよ。私だって、スカロンが掃除道具を置いて行ったことなんて予想してなかったんだぜ?」 彼女に続いてルイズも気づいたのか、呆れと僅かな怒りが混じった表情で魔理沙に詰め寄ろうとする。 しかし魔理沙は近づいてくるルイズをスルリと避けて、二階へと降りる階段の方へと走っていく。 危うく踏みそうになったデルフを軽く飛び越えた彼女はそのまま階段を降り始め、頭だけ見えている状態で二人の方へ顔を向けた。 「まぁ掃除をサボる分、二人にとって価値のある情報を持ってくるから期待しといてくれよな?それじゃっ」 「あっ、ちょっと!」 ルイズが待ちなさいと彼女を制止する前に、魔理沙はそのまま音を立てて階段を降りてしまう。 慌てて階段の傍へ行った頃には、既にあの黒白は一階へと続く階段を降りていくところであった。 まるであと一歩の所でネズミを逃した猫の様なルイズの姿を見て、背後のデルフがカタカタと刀身を揺らして笑う。 『カッカッカッ!黒白に一抜けされたようだな娘っ子―――って、イタタタ』 「一抜けとか言わないでくれる?まるで私がやろうとしてる事が罰ゲームみたいに聞こえるじゃないの」 失礼な事を言う鞘越しのデルフを箒の柄で軽く叩いてから、霊夢もルイズの傍へと近寄る。 ルイズの方も近づいてくる彼女に気が付いたのか、スッと後ろを振り返る。 自分を見下ろす霊夢の眼差しと、その左手に持つ箒を見た彼女はふぅ…と溜め息をついてしまう。 「…猫の手も借りたいって言ってたけど、貴族の手ってその猫の手よりも役に立たないと思うけど?」 「貴族だろうが公爵家だろうが箒で床を掃く事くらいできるでしょうに。とりあえず手は貸しなさい」 そう言って左手の箒を差し出してきた霊夢に、ルイズは何か言いたそうな表情を向けたものの、 彼女一人では流石に今日中には終わらないと察したのか、観念するかのように箒を手に取った。 その後の掃除は、色々と問題を抱えながらもなんとか二人でこなしていった。 ひとまず箒と一緒に置いてあった塵取りが屈まなくても使える三つ手のものだった為、ルイスでも難なく掃き掃除ができている。 最初は掃く力が強すぎて埃を飛ばしてしまっていたが、そこは霊夢がアドバイスする事で何とかする事が出来た。 時折「まさか公爵家の私が掃除何て…」と今の自分に驚いているようだが…まぁ放っておいても害はないだろう。 一方の霊夢は一階から持ってきたバケツに水を入れて、雑巾で窓ガラスやら使えそうな木箱に纏わりついた埃を拭いていく。 この屋根裏部屋には人数分のベットはあったものの、何かしら書く際の机やイスの類は見つからなかった。 だからその代わりに程よい大きさの木箱を使うつもりなのであるが、その事に関してルイズはやや不満を抱いてはいた。 「えー?テーブルやイスなら、ランかスカロン辺りに頼めば用意してくれそうだけど…」 「まぁ一応は念のためよ。第一、床を掃いても辺りが埃まみれじゃあ意味が無いわ」 それを聞いてルイズも「まぁ確かに…」と思いつつ、慣れない箒を動かしながら埃を塵取りへ集めている。 彼女が最初の時よりもちゃんと掃き掃除が出来ている事に満足しつつ、霊夢はふと近くに置いたデルフへと視線を向ける。 喧しいお喋り剣は埃舞う場所でわざわざ刀身を晒して汚したくないのか、始めてからずっと沈黙を保っていた。 近くの壁に立てかけられているその姿は、まるで屋根裏部屋に放置された骨董品の武器の様だ。 刀身自体は真新しくなったが、鞘自体は変わってない為に真新しさが分からず、全く以て意味が無い。 とはいえ本人(?)はそれを口にすることは無いので、然程気にしてはいないのかもしれない。 そこまで考えていた所で、自分は何馬鹿な事を考えているのかと首を横に振った。 (まぁ私はアイツ自身じゃないんだし、憶測で考えても仕方ないんだけど) 心中で呟きつつ、しかし雑巾をバケツの中でギュッと絞っている最中もふとデルフの事を考えてしまう。 それは彼女には似つかわしくない好感情からではなく…ここ最近辺に沈黙が増えた事への違和感であった。 (そういえばアイツ、最近喋らない時が増えて来たけど…何か悩みでもあるのかしら?) ちょっと前までは隙あらば喧しい濁声で場を騒がしくしていたが、今では変に黙っている事が多い。 声を掛ければ普通に反応してくれるし、余計に喋らないのであればこちらの耳にも負担を掛けずに済む。 しかし、声を掛けなくとも十分騒がしい彼を知っているだけに、霊夢は違和感を感じていたのである。 (…とはいえ、悩み事って言われても剣が何を悩んでるのか…全然分からないわね) 性格と喋り方からして人間ならば間違いなく人生経験豊富で口の悪いおっさんであろうデルフリンガー。 しかし彼は人間ではなく剣であり、その中でも一際特殊と言われているインテリジェンスソード。 普段から何を考えて、そしてどうそれを解決しているのかなんて人間である霊夢には中々分かるものではない。 仮にそれを告白されたとしても解決できるかと言われれば難しいかもしれないし、してやる義理は…一応はあるかもしれない。 その時であった…。 「……お?どうしたレイム、オレっちの事なんかじっと見つめちゃったりしちゃってさぁ」 まるで本物の剣の様に何も言わず、壁に立てかけられているデルフの姿を凝視する霊夢の視線に気が付いたのか、 金属音を軽く鳴らして刀身を鞘から僅かに出した彼は、明るい調子で霊夢に話しかけてきた。 まさか話しかけて来るとは思っていなかった霊夢は少し驚きつつも、彼の話しかけに応じる。 「別に何でもないわよ。ただ、アンタが何か考え込んでるかのように黙ってるのが気になっただけ」 「……?イヤ、別に何か考え込んでて黙ってたってワケじゃあ無いんだがなぁ」 自分の言葉に対してデルフの返事に、霊夢は怪訝な表情を浮かべてしまう。 その顔が「どういう事よ?」と問いかけているのに察し、デルフはそのまま言葉を続けていく。 「ホラ、人間だって昼寝するだろ?…それと同じで、オレっちも思考を閉じて頭を休ませてたってワケ」 「頭もクソもない癖に何人間ぶってるのよ、この馬鹿剣が」 さっきまで真剣に考えていた自分を気恥ずかしいと思いつつも単に休んでいただけというデルフに怒りを覚えた霊夢は、 彼の傍に近寄ると靴先で軽く小突きつつ、これからは定期的に蹴って起こしてやろうかと邪悪な計画を思いついていた。 後一時間もすれば日が暮れて赤と青の双月が顔を出すであろう時間帯のブルドンネ街。 日暮れが迫りつつも人の混雑は殆ど変わらず、貴族平民共に多くの人々が暑い通りを行き来している。 陽が落ちると共に看板を下ろして閉店する店のほとんどはこの時間帯がピークであり、必死に客を呼びこんでいた。 パン屋では焼き上がったばかりのバゲットや白パンを夕食用として店の入り口にだし、売り子や店の従業員が声を張り上げる。 とある惣菜屋ではシチューや肉料理、ラタトゥイユといった料理が出来上がり、それを待っていた客たちが我先に注文していく。 たった一つの通りだけでもこれだけ活気があるのだ。他の通りでもここと同じかそれ以上の人々で賑わっていた。 そんな暑苦しくも、どこか微笑ましい光景が見れる通りを霧雨魔理沙は箒を脇に抱えて、メモ帳と羽ペン片手に歩いていく。 黒色が多い服ではさぞや夏の王都は暑いだろうが、彼女は意に介した風もなくテクテクと足を動かしている。 その視線は手に持ったメモ帳に書いた内容と睨めっこしているが、通行人の誰かとぶつかる様子は無い。 むしろ視線は前を向いていないというのに、彼女は平然と人を避けながら通りを歩いているのだ。 伊達に幻想郷で様々な人妖との弾幕ごっこを通して戦ってきた経験が、ここで無駄に生きているようだ。 さて、そんな魔理沙であったが自分でメモ帳に書いた内容に何故か自己評価をつけようとしていた。 「う~ん、とりあえずあの手紙に書かれた通りの情報は集めた筈だが―――もうちょい集めた方が良いかも…かな?」 インクの乾いたペン先でページをトントンと軽く叩きながら、集めた情報の量に不満を感じていた。 そこに書かれている内容は、午前中ルイズが街の人々や下級貴族から集めていた情報と似通っている。 主に奇襲を仕掛けてきたアルビオンへの反応や、これからのトリステインの事に関する事などであった。 彼女自身、ルイズと比べて高いコミュニケーション能力が役に立っているのか、既に二ページ程使ってしまっている。 しかし魔理沙としては、まだまだ物足りないという思いを抱いていた。 情報と言うものは同じ話題でも人によって大きく脚色され、時には嘘さえ平気で混ぜてくる奴もいる。 単なる道案内でも、心底イジワルなヤツに聞けば間違った道を進んでしまう事もあるのだ。 「…まぁ、今集めてる情報の類ならそういう心配は必要ないと思うけどなぁ…」 メモ帳に記された、聞き込みにOKしてくれた人々の情報を読み直しながら魔理沙は一人呟く。 ルイズが集めたものと同様、やはり人の数だけ同じ質問をしても別々の答えが返ってくる。 とはいえ時間の許す限り集めても、全てが役に立つというワケじゃない。 ここに掛かれている事をルイズの前で読み上げるとすれば、無駄に多く集めても自分の苦労が増えるだけだ。 かといって二ページ分は少し心許ない気がする彼女は、後一ページ分程集めてみようかとも考えてはいた。 幸い人の通りは多いし、道案内を装ってついでに質問すれば多少なりとも収穫はあるだろう。 「しかし、時間的にはちょっと難しいかねぇ?あんまり時間かけると夕食を先に済まされそうだし…」 彼女は空を見上げ、夕焼けの色が目立ち始めた空を一睨みしつつひとまず道の端っこへと移動する。 そこで一旦足を止めた彼女は辺りを見回し、気前よく自分と会話してくれそうな人を探し始めた。 (まぁ一ページ分とまでいかなくとも、できるだけ情報を拾ってからルイズ達の所へ帰るとしますか) 心中でひとまずの目標を定めた魔理沙は、適当な話し相手はいないかしきりに視線を動かす。 元々ルイズの為に情報収集する筈だったものの、当初の予定が狂って結局今になって始めている自分。 アンリエッタから渡された資金を盗んだ子供を捜す為、自分よりもめまぐるしく街中を雨後回っていたであろう霊夢。 そして座して情報を待つ筈が自分から情報を集めに行ったルイズ達から見れば、自分一人だけがサボっていると見られてしまっているだろう。 特に霊夢は間違いなく思っていそうだが、それは止むを得ず人助けをしていたからであって実質的な不可抗力でしかない。 更に案内したホテルにいた助けた少女の保護者達に僅かにだがもてなされ、気づいた時にはとっくにお昼時だったのだ。 亀を助けた浦島太郎の様に、まぁちょっとだけお礼を…とか言っていたら三百年間程海の底にいたのと同じことである。 「まぁ浦島太郎と比べたら、私の方が数倍マシなんだろうけどな。……お、あそこにいる兄ちゃんとか良さそうだぜ」 子供のころに絵本で知った哀れな釣り人の話を引き合いにだした所で、魔理沙は丁度良さそうな話し相手を見つけた。 いかにも平民と言う出で立ちだが、近くの屋台で買ったであろう瓶ジュースを飲んでいる姿は観光客には見えない。 まぁ簡単な手荷物一つ持ってない所を見るに明らかなので、魔理沙にとっては絶好の情報提供者である。 (さてと、まずは旅行者を装って適当な道を聞いてから…さっきと同じような質問かな?) 魔理沙は彼に狙いを定めつつ、彼に聞くべき事を念のためおさらいしていく。 聞くべきことは大きく分けて二つ、神聖アルビオン共和国についてどう思っているのか、 そして今のトリステイン王国をどう思っているのか…、ただそれだけである。 今に至るまで数えて十二人に同じような質問をしてきたが、答えは様々であった。 例え平民であっても愛国的か、もしくは売国的とも言える様な返答が返ってくるのだから。 (この二つの質問だけでも、人によって大きく分かれるからな…聞いててつまらくはない) 言い方や個人が持っている思想を含めば十人十色である返事を思い出しながら、魔理沙は男の方へと向かっていく。 人と話すのは嫌いではないし、それが親しい相手ときたらもっと嫌いではなくなる。 もしも霊夢が情報収集をしたとしても、ルイズや彼女のようにうまくやりこなせはしなかったに違いないだろう。 ある程度男の傍へ近づいた魔理沙は、とりあえず声を掛けようとした―――その時であった。 丁度彼の左斜め後ろにある路地裏へと続く横道から、いかにも怪しくて小さな手がスッと出てきたのは。 明らかに大人の手ではなく、少し離れた位置にいる魔理沙の目にも子供のソレだと分かるくらいに小さかった。 突然闇の中から出てきた子供の手に驚いたのもほんの一瞬、間を置かずしてその小さな手が何かを持っている事にも気が付く。 何も知らない人間から見れば、ただ単に少しだけ見栄えをよくした木の枝に見えるかもしれない。 しかし、この世界に住む人間たちならば誰もが知っているだろう。あの木の棒は権力者の象徴にして唯一絶対の武器であると。 そして…この世界に来て暫く経つであろう魔理沙も知っていた。あの木の棒は紛う事なきメイジが魔法を行使する為に使う杖なのだと。 (ん…あれって、杖か…?) 思わずその場で足を止めた魔理沙はその杖へと怪訝な視線を向けてしまう。 声を掛けようとした男は未だ気が付いておらず、まだ半分ほど残っているジュースをチビチビと飲んでいる。 そして彼の背後から見える子供の手は、握っている杖をまるで指揮棒の様に軽やかに振って見せた。 直後、杖の先端がボゥッ…と青白く発光したかと思いきや、男の腰も同じように発光し始めたのである。 少し驚いてしまう魔理沙をよそに本人は気づいていないのか、通りを歩く女性たちに目をやっている始末。 その間にも子供の手が発光する杖をゆっくりと動かすと、男の発光していた腰――正確には腰に付けていた革袋が彼の体から離れてしまう。 魔理沙の掌にはあと少しで収まらない程度の大きさの革袋が不気味な光を放ちながら、フワフワと宙を浮いたのである。 「なっ…!」 ギョッとする魔理沙の事は見えていないのか、杖を持つ手はその袋を手繰り寄せるかのように杖を動かしていく。 恐らくその袋は財布か何かなのであろう、魔法の力で宙に浮く袋は今にも重量で落ちしまいそうなほど不安定な浮き方をしている。 男は尚も気づく様子を見せず、ジュースを酒代わりにして日が暮れゆく王都の通りをボーっと眺めている。 対して、何が起こっているのか全て見ていた魔理沙は、ここでようやく何が起こっているのか理解した。 (魔法を使った盗みで子どもの手…って、これってもしかしてこの前の…!?) 今正に声を掛けようとした相手がメイジであろう者からお金を奪われると察した魔理沙は、ついで思い出す。 二日前に、自分たちからお金を奪っていったのは――――魔法を使う子供であったという事を。 そして脳裏に再び聞こえてくる。あの少年の傲慢ちきな言葉が。 ―――喜べ!お前らが集めた金は、俺とアイツで有意義に使ってやるから、じゃあな! 得意気にそう言って、まんまと逃がしてしまったのは魔理沙にとっても苦い思い出であった。 そして今、その苦い思い出を作ってくれたであろう少年が――別人という可能性も拭えないが――が盗みを働こうしている。 魔理沙は瞬時に判断する。今自分の目の前で悪行を繰り返そうとする少年にどのような制裁を与えればいいのかを。 (何だかんだで、私にも色々とツキが回ってきているようで嬉しいぜ。それとも…ただ単に私の運勢が良いだけかな?) 彼女は心中でそう呟いた後、手に持っていたメモ帳とペンを懐に仕舞い、脇に抱えていた箒を右手で握りしめる。 使い慣れた木の触り心地に思わず笑みを浮かべた彼女は、その足でバッと地面を蹴って走り出した。 これまた使い慣らした靴底が煉瓦造りの地面を蹴り、軽快な音を連続的に立てていく。 目指す先には路地裏へと続く横道―――杖を持つ手の持ち主が潜んでいる場所であった。 「ん?…って、おわ!?」 当然そのすぐ傍にいた男は走ってくる彼女に気が付いて、慌ててその場から飛び退ってしまう。 それが原因か、はたまた位置的に姿の見えなかった魔理沙が走って来るのに気が付いた窃盗犯の集中力が切れたのか、 あと一歩でその掌の上に落ちる筈であった男の財布は、哀しいかな少々喧しい金属音を立てて地面に落ちてしまう。 それと同時に袋の口を縛っていた紐が緩んだのか銀貨や銅貨、そしてわずかなエキュー金貨が地面へとぶちまけられる。 男が突然あげた大声と、その金貨の音で周囲の人々は、何だ何だとそちらの方へと目を向けてしまう。 そして何人かが、路地裏への入り口で杖を構えた者の姿を目にすることとなった。 「…ッ!畜生…」 路地裏にいたであろう盗人は仕事が失敗終わり、更に周囲の目が自分へ向けられているのに気が付いたか、 汚い言葉を口走りながら踵を返し、すぐさま灯りの無い道へと姿をくらまそうとする。 「おぉ!上手くいったぜ。ありがとな、おっさん」 魔理沙は盗まれそうになった男に一声かけると、そのまま犯人の後を追って路地裏へと入っていく。 対して男は何が起こったのか分からないまま、地面にばらまかれたお金を拾うのに必死にならざるを得なかった。 王都トリスタニアのブルドンネ街といえど、路地裏ともなれば人気は無いし灯りもない。 夕暮れに差しかかった今の時間帯は陽の光が入ってこず、薄暗く不気味さを纏っている。 それも後数時間経てば夜の帳が訪れ、二人分程度の横幅しかない道は暗闇が包み込んでしまうだろう。 そんな路地裏を、財布を盗もうとした犯人―――ルイズ達から金貨を奪った少年は必死に走っていた。 まだ小さな両足を懸命に動かし、その途中で道に置かれていた空き瓶を蹴飛ばしつつも決して速度を緩めない。 道の端で寝ころんでいた猫たちが突然の足音に顔を上げ、近づいてくる少年に威嚇をして彼が来た方へ走っていく。 少年は暫く道が真っ直ぐなのを知ると一瞬だけ顔を背後へ向けて、追っ手が来ていないか確認する。 ……いない。既に二回ほど角を曲がった為に、背後に見えるのは薄暗く狭い道だけだ。 誰も追って来ていないのを確認した彼が再び前へ視線を向けると速度を少しだけ落とし、右へと進む角を曲がる。 それから数分程走った後、正念は広場らしき広くひらけた場所へと出てきた。 どうやら広場として使われていたのは昔の事なのか、人の気配は全くといっていいほど感じない。 ボロボロのベンチが二つに、大通りのソレと比べて錆が目立つ街灯は一つだけ。 時間で中のマジックアイテムが作動する街灯は未だついておらず、広場は薄暗い。 奥には別の路地裏へと続く道があり、自分が来た道を覗けば周りは全て共同住宅の壁で塞がれている。 王都のど真ん中であるというにまるで戦場跡地のように暗く、そして静かであった。 小さく聞こえる大通りの喧騒とのギャップは、あまりにも激しい。 外国人が見れば、なぜトリスタニアだというのにこうも暗い場所があるのかと驚くかもしれない。 少年はそんな広場で一旦足を止めると、誰も追って来ていないのを知ってからふぅと一息ついた。 ここまでずっと走り続けていたためか息は上がり、汗まみれの体が妙に気持ち悪い。 肩をほんの少し上下させて呼吸する少年は、ふと近くにあるベンチに視線を向ける。 …少しだけなら大丈夫だろうか?誰も追って来ていないという気の緩みからか、そんな事を考えてしまう。 本当ならば少し奥に見える道から広場を出て、そこから別の大通りに出て姿をくらますべきなのだが…、 しかし走り続けた小さな体は休憩を欲しがっており、自分も心も休むべきと訴えている。 「…ちょっとぐらいなら、良いかな?」 一人呟いた少年はそのままベンチの方へと歩みを進め、束の間の小休止を―――― 「おぉ、休憩か?まぁあんだけ走り続けてたんなら、無理はないと思うぜ」 ―――しようとした直前、頭上から聞こえてくる少女の声に彼はその場で足を止めてしまう。 そして慌てて声のした方―――つまり自分を見下ろせるであろう自分の目の前にそびえたつ一軒の共同住宅を見上げた。 十メイル近くもある共同住宅の屋上。その上に立って、こちらを見下ろす影が一人。 夕焼け空を後光に、時代遅れのトンガリ帽子と右手に持った箒のシルエットが地上からでもはっきりと見て取れる。 顔までは分からなかったが、声からして間違いなく少女だという事は少年にも分かっていた。 少年を見下ろすトンガリ帽子の少女こと霧雨魔理沙は、相手が動かないのを見てその足を動かす。 木製の滑りやすい屋根に上手い事たっていた右足を何もない宙へと出し、そのまま一気にジャンプする。 結果、魔理沙の体は何もない宙を一瞬だけ浮いたかと思いきや、そのまま地上へと落ちていく。 アッ!と少年が驚き、これからの事を想像して目を背けようとする前に彼女が右手に持つ箒がその力を発揮する。 魔理沙の体が地面と激突する前に箒は握られたまま浮遊し、そのまま彼女の体をも浮かしてしまう。 てっきり地面とぶつかるかと思っていた少年はその光景に息を呑み、その場から動けなくなってしまう。 やがて宙に浮いた魔理沙は重力に従ってゆっくりと着地し、両足に穿いた靴が芝生すらない地面を踏みしめる。 そうして自分と同じ地上にまで降りてきたところで、ようやく少年は魔理沙の顔を間近で目にする事が出来た。 白い肌に金髪、そして青い瞳というこの近辺では特に目立っているとは言える特徴は無い。 しかし、トンガリ帽子にエプロンドレスという時代遅れも甚だしい格好と葉裏腹にその顔は中々綺麗であった。 もしも然るべき教育や作法を学べば、どこに出しても恥ずかしくない令嬢になれるかもしれないだろう。 そんな場違いな事を考えつつも、突然現れた魔理沙に対し身動き一つできない少年に魔理沙はほくそ笑んだ。 「へへっ?私が身投げをするとで思ってたのかい、ソイツは甘い見通しだったな坊主」 思わず目をそむけそうになった自分をからかっているのか、魔理沙は凶暴さが垣間見える笑みを浮かべている。 その言葉にハッと我に返った少年は、目の前の少女に見覚えがある事を思い出した。 忘れもしない、二日前の夜…。思わぬ大金を手に入れるキッカケを作ってくれたあの三人組の一人に彼女がいた事を。 「お前…まさか僕の事忘れてなかったのかよ?」 僅かに足を動かして後ずさり始める少年に、魔理沙は笑みを浮かべたまま「それはこっちのセリフだぜ」と答える。 「てっきり忘れられてたかと思ってたが、案外覚えてくれているようで助かるよ」 「何が助かるんだよ?…それはそうと…イヤ、もしかしなくてもやっぱり僕からあの金を取り戻そうとするんだろ」 「それ以外何があるんだ?茶会でも開いて「あの時はしてやられましたなー」って笑いあうつもりだったのかい?」 後ずさる少年についてくかのように、彼女も一歩一歩ゆっくり前へ進んで彼に近づいていく。 少年は腰に差していた杖を手に取り、対する魔理沙も懐へと手を伸ばす。 両者の距離は一メイル。魔法を放とうとしても近すぎる為に、呪文を詠唱している間に杖を取り上げられてしまうだろう。 互いに睨み合う状況の中、魔理沙の方へと勝利の天秤が傾いている。 その事を相手も知っているのか、箒片手の魔理沙は一歩一歩確実に少年の方へと近づいていく。 対する少年も杖を向けたまま後ろへと下がり、いつ呪文を唱えればいいか様子を窺っている。 キッと目を細めて自分を睨み付ける彼の姿に、どうやら抵抗する気はあるのだと察した彼女は笑顔を崩さぬまま話しかける。 「まぁ私も子供相手に暴力をふるうつもりは無いさ。…盗んだ金を全額返してくれるのなら穏便に済ませるぜ?」 「は!そんなの誰が信じるかよ。どうせ俺を衛士たちの所に連れてって牢屋に放り込むんだろう!」 「んぅ~まぁ…大人しくしてくれないのなら連れてく必要はあるかな?…ただし、私と一緒にいた二人の元へな」 未だ強気な少年の文句に魔理沙はそう返して、次いで意地悪そうな笑みを浮かべて「それでもいいのか?」と聞いた。 「そこら辺の衛士よか、あの二人に詰め寄られる方がずっと怖いぜ?…それでも、言う事聞くつもりは――――…なさそうだな」 ルイズと霊夢の前に引っ立てればさぞや壮絶な事になるだろうと想像して、ついつい笑みを浮かべてしまった魔理沙は、 それでも尚抗う態度を見せる少年を見て、これは一筋縄ではいかないと感じた。 「当り前だろ!あんな大金滅多に手に入らないんだ、そう易々と返してたまるかよ」 杖を構え直してそう叫ぶ少年に、魔理沙は自分の頬を小指でかきつつ「はぁ…」と溜め息をついた。 「ソイツは参ったなぁ~、私としてはあまり乱暴はしたくないんだぜ?…疲れるし、一々小言を投げつけてくる奴もいるしな」 その顔に苦笑いを浮かべつつそんな事を言う魔理沙に、少年は「だったら見逃してくれよ」と強気な態度そのままに言う。 当然ではあるが魔理沙は首を横に振って拒否の意を示し、懐に入れていた左手から小瓶を一つ取り出しながらも言葉を返した。 「無理な相談だな。ここで運よく再会してしまった以上、お前さんは私に捕まるしかないんだぜ?」 中に何が入ってい目のか分からない魔理沙の手の小瓶に目を向けつつ、少年はジッと身構え続ける。 魔理沙も相手がやる気だと察したのか、彼女もまた身構えて相手の出方を窺おうとした…その時であった。 自分の後方―――外界を隔てている共同住宅の方から聞き慣れぬ激しい音が聞こえたのは。 まるで錆びついて動かなくなっていた扉を力押しで開けた時の様な、何が破損した時の様な妙に心臓に悪い音。 思わずその音が何なのか気になった魔理沙は何事かと振り返ってしまい、そして呟く。 「…何だこりゃ?」 彼女の視線の先に見えたのは、微かな土煙を上げて地面に倒れたばかりの小さなグレーチングがあった。 共同住宅の壁の下部にある排水溝の蓋であったろうそれが取り外されて、地面に転がっていた。 鉄でできたそれはずっと昔に取り付けられて以降放置されていたのか、黒錆に覆われている。 魔理沙はそれを一瞥した後、すぐに排水溝の方にも視線を向ける。 グレーチングで誰かが入らないよう蓋をされていた排水溝の中は、闇で満たされている。 大きさからして子供が誤って入ってしまう心配はなさそうだが、何故か魔理沙の心に不安が生まれてくる。 別に闇が怖いわけではない。問題は何故急に大きな音を立ててグレーチングが外れたかにあった。 少なくとも、ここへ辿り着いて少年と対峙した時にはまだ蓋はついていたし、外れる気配もなかった筈である。 しかし、突然の事に目を丸くしていた魔理沙の姿は少年にとってまたとないチャンスを与えてしまう。 相手は急に外れた排水溝の蓋を気にしており、ほんの少しだが自分は視界から外れている。 戦いに関して少年は素人であったが、これを逃げられるチャンスとして大いに有効活用する事はできた。 彼は今いる位置から数メイル先にあるもう一つの道へと、ゆっくり近づいていく。 抜き足、差し足、忍び足…と煉瓦造りの地面を靴底で滑るようにして音を立てずに移動しようとする。 クッ!」 「あ!おい しかし、思っていた以上に魔理沙の耳が良かったことを彼は知らなかった。 喧騒が遠くから聞こえる寂れた広場で微かに聞こえる足音に気が付いたのか、魔理沙が再び少年の方へと顔を向けたのである。 「………、待てコラ!?」 気づかれた!少年が悔しそうな表情を浮かべて走り出し、魔理沙が逃げる相手に叫んだのはほぼ同時であった。 咄嗟に左手に握っていた小瓶を振り上げて投げようとした彼女よりも、走る少年の方に軍配が下る。 魔理沙に攻撃される前に何とか道へと入った彼は、そのまま一気に路地裏を駆けていく。 「んぅ…、畜生!このまま逃がしてちゃあ私の名が廃るってもんだぜ」 対する魔理沙もわざわざ追い詰めたというのに、自分の不注意で逃がしてしまった事に納得がいかなかった。 視線を外した時には、てっきり魔法で攻撃してくるだろうと思っていただけに、何故か無性に悔しかったのである。 振り上げたままの小瓶を懐に戻した魔理沙は、箒は使わずそのまま走って少年を追いかけようとした。 幸いまだそんなに遠くへは行っていないだろうし、足が速いのなら箒を使って空から捕まえてしまえばいい。 未だ勝機あり、そう考えている魔理沙も少年と同じ道へと入ろうとした―――その時であった。 丁度道の出入り口の地面から、彼女が想像していないような謎の物体が現れたのは。 「―――な…ッ!?」 突然の事に思わず二メイル程前で足を止められた魔理沙は、驚きながらもその物体を凝視する。 それはまるで、地面より下――彼女の足下を流れている水道から出て来たかのような液体の体を震わせている。 形はまるで子供が造ったようなお地蔵さんみたいで、横にやや太い棒状の体を持つ黒いスライムと言えばいいのであろうか。 更に液体状で黒色…と聞いただけで何やら人体には良くなさそうな手なのは一目瞭然であった。 全長はほぼ魔理沙と同じであるが、常時不安定な体を大きく揺らしているためにうまく大きさを目測できない。 これだけの特徴でも十分に不気味であったが、それ以上にその物体の不気味さを引き立てているのが゙両目゙であった。 魔理沙の顔がある位置に合わせるかのようにして、彼女の頭ほどの大きさのある黄色い球体が驚く彼女を見つめている。 時折ギョロギョロと動いてはいるが、それは目というにはあまりにも無機質であり、目では無いと否定するには位置が変であった。 その目と思しき二つの黄色い球体はじっと魔理沙を見据え、液体の体を震わせている。 ――――何だ、コイツは? 一時的に少年の事を頭の隅に追いやった魔理沙が、冷や汗を流して呟く前に、 その黒いスライム状の物体は、呆然と立ち尽くすしかない彼女へと跳びかかったのである。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページルイズと無重力巫女さん 「―――……ん、んぅ~……――ア、レ?」 少年――トーマスが目を覚ました時、まず最初に感じたのは右の頬から伝わる痛みであった。 ヒリヒリと微かな熱を持ったその痛みは目を覚ましたばかりにも関わらず、彼の目覚めを促してくる。 「……くそ、イッテなぁ――――って、あ?」 余計なお節介と言わんばかりに目を細めながら、ついでトーマスは自分の体が今どういう状態に陥ってるのか気づく。 両手を後ろ手に縛られているらしく、両手首から伝わる感覚が正しければロープ……それも新品同然の物で拘束されているようだ。 まさかと思い慌てて頭だけを動かして何とか足元を見てみると、手と同じように両足首もロープ縛られている。 幸い頭だけは動かせたが、不幸にも彼の窮地を救う手立てにはならない。 「クソ、マジで監禁されちまってるのかよ……」 悪態をつく彼が頭を動かして見渡しただけでも、今いる場所が何処かの屋内だという事は嫌でも理解できた。 自分の周りには古い棚や木箱が乱雑に置かれており、少なくとも人が寝泊まりする様な部屋ではないのは明らかである。 窓にはしっかりと鉄格子が取り付けられており、そこから入ってくる太陽の明かりが丁度トーマスの足を照らしていた。 (どこかの建物の中にある物置かな?……それも廃棄されて相当経ってる廃墟の) 妹と共に色々な廃墟で寝泊まりしてきたトーマスは部屋の雰囲気からしてここが廃墟ではないかと、推測する。 確かに彼の推測は間違ってはいない。ここはかつて、とある商人が街中に作らせた専用の倉庫であった。 主に外国から輸入した家具や宝石を取り扱っており、当時のトリステイン貴族たちにはそこそこ名が知られていた。 しかし、ガリア東部での行商中にエルフたちと麻薬の取引をしたことが原因でガリア当局に拘束、逮捕された後に刑務所入りとなってしまった。 今はエルフから麻薬を購入したとしてガリアの裁判所から終身刑が言い渡され、トリステイン政府もそれを了承した。 今年で丁度九十歳になるであろうその商人の倉庫だった場所は、今や少年を閉じ込める為の監獄と化している。 上手いこと予想を的中させていたトーマスはそんな事露にも気にせず、とりあえずここから脱出する方法を模索しようとする。 しかし、頭だけは動けても両手両足を縛られている状態では動きたくても動けないのが現実であった。 (クソ、せめて足が自由ならなぁ) 手足を縛られている状態ではこうも満足に動けないという事を、トーマスは初めて知ることになった。 精々頭を動かしながら身をよじる事しかできず、まるで疑似的に手足を切り落とされたかのような不安を感じてしまう。 しかし、よしんば足が拘束されていなくとも自分がここから脱出できる可能性はかなり低いに違いない。 見たところロープを切れるような道具は見当たらず、あったとしてもここに投げ込んだ連中が持って行ったに違いない。 そこで彼は思い出してしまう、恐らくここへ連れ込んだであろうあの大人たちの姿を。 (畜生、アイツらめ……!何が大人を舐めるな!だよ?それはこっちのセリフだっての) 気を失う直前、自分を気絶させた男の言っていた言葉を思い出し、苦虫を噛んだ時のような表情を浮かべてしまう。、 もしもここから出られたのならば、妹の元へ戻る前にアイツらへ仕返ししてやらなければ気が済まない。 いくら自分が子供でも、あそこまでコケにされて泣き寝入り何て、微かに残るプライドが許してくれないのだ。 ――とはいえ、今の状態でそんな事を考えても取らぬ狸の皮算用のようなものである。実行に移すためにはここを脱出しなければいけないのが現実だ。 「……でも、その前にこの縄を何とかしないと――って、ん?」 自分の手足を縛る忌々しいロープをどうにか外せないかと考えようとしたところで、ふと彼はこちらへ近づいてくる気配に気が付く。 徐々に近づいてくる靴音から人間、それも複数人が一塊になって近づいてくるようだ。 ――まさか、アイツら様子を見に来たのか?そう思ったトーマスはひとまず目を開けて気絶した振りをする。 それから一分と経たぬうちに、男たちの乱暴な会話が聞こえてきた。 「へへっ、ようやく捕まえられたぜ!この裏切り者がッ」 「それでどうするんですかコイツ?気絶してるとは言え目ェ覚ましたら厄介になるかもしれませんよ?」 「一応何かあった時に口を封じたい奴を入れておく部屋があるから、そこにぶち込んでおこう。杖はちゃんと没収しておけよ!」 そんな会話をしながら男たちはドアの前で足を止めると、扉を閉めているであろう鍵を外して重たい鉄の扉を開けた。 ギイィ~!……という耳障りな音が部屋に響いた後、自分が横たわっているのに気が付いたであろう男の内一人が声を上げる。 「へ?おい、このガキは何だよ?」 「昨日ダグラスの荷物を盗んだってガキじゃねぇの?まだ気を失ってるみたいだが……」 「おいお前ら、そんなヤツは放っておけ。今はこの女をぶち込むのが先だ」 (女……?いや、まさか……) 彼らのやり取りに嫌な想像が脳裏をよぎった後、男たちは何か重たいものを持ち上げる様な音がして――直後、彼らが部屋の中に『何か』を投げ入れてきた。 一瞬の間をおいてその『何か』は、ドサリと運の良いトーマスのすぐ背後の床を転がる事となった。 何て乱暴な、と男たちに抗議したい気持ちを抑えつつもトーマスは声を堪えるのに必死であった。 しかし投げ入れられた女の方はついさっきまで気を失っていたのだろうか、地面に横たわった所で初めてその声を耳にした。 「う!……ぐぅ」 (女の人の声、でもこれは妹じゃない……もっと年上だ) 幸いにも嫌な想像が想像で終わったことに安堵しつつ、トーマスは女が身内よりも年上だという事を理解する。 できれば体を後ろへと向けて確認したいが、気配からして男たちがドアの前にいる為迂闊な事はできなかった。 「にしたってこのガキ、昨日からここにぶち込まれてるんならそろそろ目ェ覚まして騒ぎそうなモンだがな」 「どうせ寝てるだけだろ。まぁ俺達にはあんま関係が無いから無理に起こす必要もないだろ。んじゃ、そろそろ閉めるぞ」 (……っへ、そうバカみたいに騒いで逃げれるなら苦労はしねぇよバカ) 起きているとも知らず自分に生意気な言葉を投げかける大人たちをトーマスは鼻で笑う。 それからすぐにドアの閉まる音が室内に響き渡り、男達の靴音は遠くの方へと向かっていき、やがて聞こえなくなった。 もう大丈夫かと思いつつも、それから一分ほど待ってからようやくトーマスは口を開くことができた。 閉じていた口から新鮮な空気を吸っては吐き、上手くやり過ごせたことに安堵する。 「はぁ、はぁ……!クソッ、アイツらまたやって来るんだろうな。次は――」 「――次は、何をされるっていうんだ?お前みたいなそこら辺の子供が」 突然の声に自分の心臓が大きく跳ね上がった様な気がしたトーマスは、目を見開いて硬直してしまう。 そしてすぐに声が背後から聞こえてきたことに気が付き、丁度自分の横に転がっている女性の方へと体を向ける。 それは彼の予想通り、自分の妹ではなかったが。明らかにそこら辺のいた町娘という感じの人間でもない。 青い髪をボブカットでまとめている彼女の服装は、おおよそ王都の男たちをその気にさせるような女らしいモノではなかった。 軍用の装備一式、それもこの町の警邏を行っている平民衛士隊のモノであるのは一目瞭然である。 トーマス自身何度も間近で見たことのある衛士達が身に着けている服や装備などは、何となくではあるが覚えていた。 その記憶通りの装備を身に着けている青髪の女性はトーマスにラ中を見せたまま、彼に話しかけてくる。 「何をやったかは知らないが、あいつらに絡まれたって事は相当怒らせるような事をしたっていう事か?」 「……は!それはこっちのセリフだぜ。アンタだってそこら辺の町娘には見えない、その装備って衛士隊のものだろ?」 質問を質問で返す形になってしまったが女性はそれに怒る事は無く、数秒ほど時間を置いて「元、だ」と声を上げる。 「ワケあって色々とアウトな事をしてしまってな、多分今はお尋ね者として同僚たちに追いかけられてる身だ」 「何だよそれ?汚職とか横領でもやったの?」 「……まぁ、そうなるな。本当は穏便に済ますつもりが、酷いことになって雇い主が私の事を血眼になって探してる筈だ」 「雇い主って……アンタ、俺よりめっちゃヤバそうじゃねえか」 上には上がいるというが、まさか自分よりも危険な事に手を染めた人間が目の前に出てくるとは。 (まぁそれを言うなら、オレやこの女をつれてきた連中も同じようなモンか……) たった一回スリに失敗しただけで、こうも危険なヤツと同じ部屋で監禁されるとは夢にも思っていなかった。 罪悪感は無かったものの、これから自分はどうなるのかと考えようとした所で、女か゛声を掛けてきた。 「さて、私の事は一通り話したんだ。次はお前が私に話す番だろう?」 「俺が?多分アンタと比べたら随分つまらない理由で連中に捕まっちまったんだよ」 「つまらくても、お前みたいな子供が奴らに捕まったんだ。どういった理由でそうなったのか、話してくれても構わんだろう?」 そう言いながらも女性は器用に体を動かし、同じく横になっているトーマスと向き合った。 その時になって初めて彼女の顔を見た少年は、想像と違っていた事に思わず困惑した表情を浮かべてしまう。 「……?どうしたんだ、そんな不思議そうなモノを見るような目をして」 「いや、てっきり殴られてる痕とかあるのかなーって思ってさ」 「あんなチンピラみたいな連中でも、一応は貴族の端くれって事だよ。やってる事は盗賊並みだけどな」 貴族の端くれ?あのチンピラみたいな言動してたやつらが?トーマスの頭の中に新たな疑問が生まれる中、女性は「あ、そうだ」と言って言葉を続ける。 「お互い名も知らぬままだと色々不便だろう。私はミシェル、元トリスタニアの衛士隊員さ」 「…………お、俺はトーマス。ただのトーマスだよ」 こんな状況の中にも係わらず、勇ましい微笑みを浮かべながら自己紹介をしたミシェルを前にして、少年もまたそれに続くほかなかった。 何処とも知らぬ廃屋の中、本来ならば捕まえ、捕まえられる立場の二人は身動き一つ取れぬ状況の中で何となく互いに自己紹介をする。 それはとても奇妙なところがあったが、鉄格子から入ってくる陽の光がその場面にドラマチックな彩を添えていた。 時刻は午前を過ぎ、昼の十二時へと差し掛かろうとしている時間帯。 昼飯時だと腹を空かせた街の人間や観光客たちは、ここぞとばかりに飲食店を目指して街中をさまよい始める。 店側も店側でここぞとばかりに店匂いに包まれて、それに食指が触れた者たちはさぁどの店にしようかと辺りを見回す。 そんな光景が見渡せるトリスタニアの南側大通りに設けられた広場で、霊夢は欄干に寄りかかる様にして眼下の水路を眺めていた。 年相応と言うにはやや大人びた表情を見せる彼女の顔には、ほんの微かではあるが不満の色が見え隠れしている。 背後から聞こえてくる賑やかで喜色に満ちた喧騒を無視するかの様に、一人静かに流れる水路を見つめている。 そんな彼女の様子を見て耐えきれなくなったのか、足元に立てかけていたデルフが鞘から刀身を少しだけ出して彼女に話しかけてきた。 『どうしたレイム、お前さんいつにも増して落ち込んでるようだな。さっきまでそれなりにやる気満々だったっていうのに』 「デルフ?いや、どうしてこう世の中っていうのは私に色々と難題を押し付けてくるのかなーって考えてただけよ」 『……まぁ、色々あって本当にやろうとしてた事が後回しになっちまったていう所では同情しちまうね』 落ち込む様子を見せる『使い手』の言葉を聞いて、今のところ中立だと自覚していたデルフもそんな言葉を出してしまう。 今の彼女の状況は、本当にやろとしていた事が色々なトラブルがあった末に全く別の仕事にすり替わってしまったのだ。 最初こそまぁ仕方なしと思っても、落ち着いた今になって振り返ってため息をつきたくなるという気持ちは何となく分からなくもない。 「そもそも私の専門は妖怪退治とかであって、悪党退治とかじゃないのに……しかも助けを頼んできた方も悪党とかどういう事なのよ?」 『まぁ化け物も悪党も何の関係も無い人に危害を加えるって共通するところがあるから良いんじゃないのか?』 「人間相手だと一々手加減しなくちゃいけないじゃない。それが一番面倒なのよねぇ」 霊夢の刺々しい言葉を聞いてデルフは「おぉ、怖い怖い」と刀身を震わせて静かに笑った。 丁度その時であっただろうか、背後から聞きなれた少女の声が自分を呼び掛けてくるのに気が付いたのは。 「レイムー今戻ってきたわよー」 その呼びかけに振り返ると、右手を軽く上げながら小走りで近づいてくるルイズの姿が見えた。 左腕には抱えるようにして茶色の紙袋を持っており、少し遠くから見ただけでも決して軽くないのが分かる。 霊夢は欄干から離れると、足を止めたルイズに傍まで来つつ「わざわざ悪かったわね、お昼ご飯」と労いの言葉を掛けた。 「私に適当なお金渡してくれれば、そこら辺の屋台で適当に見繕うくらいの事してあげたのよ?」 「アンタに一任したらしたで、色々変なモノ選んできそうでちょっと怖かったのよ」 「失礼な事言ってくれるわね?さすがの私でも飲み物は全部お茶で良いかって思ってたぐらいよ」 「そういうのが一番怖いのよ」 お互い刺々しくも軽い微笑みを交えてそんなやり取りをした後、霊夢がその紙袋を受け取った。 見た目通り紙袋の中身はそれなりに重量があったようで、腕にほんの少しの重みが伝わってくる。 ふと紙袋に視線を向けると、何やらエビやホタテといった海鮮物を描いたイラスト――もといスタンプがついている事に気が付く。 「そういやアンタ、この袋の中って何が入ってるのよ」 「ちょっとここから数分歩いた所に美味しそうな海鮮料理屋があったから、そこでテイクアウトしてきたのよ」 そう言って彼女は霊夢がもっている紙袋の口を開けると、分厚い包み紙にくるまれた料理を取り出して見せる。 お皿代わりにもなるのだろうその包み紙の隙間からは、確かにエビや魚といった海の幸の匂いが微かに漂ってきた。 更にそういった海鮮物を甘辛なソースで炒めたのであろう、鼻腔をうまい具合にくすぐってくるので思わず嬉しくなってしまう。 あれだけ大量の店があるというのに、その中からこれを選んできたルイズに霊夢は「悪くないわね」と素直な感想を漏らした。 ルイズもそれに「ありがとう」と返して包みを紙袋に戻したところで、ふとある事が気になった霊夢はルイズにそのまま話しかける。 「そういえばアンタ、お金はどうしたのよ?手持ちが少なくなってきたって言ってなかったけ?」 その質問にルイズは何やら意味深な笑みを浮かべつつも、ふふふ……と笑って見せた。 「こういう時に家族が傍にいてくれるっていうのは、こんなにも心強い事なのね」 「は?アンタ何言ってるの?」 意味の分からない答えに霊夢が怪訝な表情を浮かべた所で、ルイズは懐から小さな革袋を取り出した。 初めて見るその革袋に彼女が首をかしげたところで、ルイズは誰にでも分かる説明を入れていく。 「今日ちぃねえさまの所を出るときにね、せめてこれだけでも持っていきなさいって言われて金貨を何枚か渡してくれたのよ」 そう言って得意げに革袋を揺らして見せるルイズに、霊夢もまた得意げな笑みを浮かべる。 「あぁー成程、家族っていうのはそういう意味だったのね。何よ?アンタも結構器用な正確してるわねぇ」 「アンタと一緒にしないでくれる?私の場合はただ単に私の事を大切に思ってくれる人が身近にいるっていう安心からの笑みなのよ」 『まぁ何はともあれ、娘っ子のお姉さんのおかげで昼飯がありつけるんなら感謝しとくに越した事はないな』 それまで傍観していたデルフも二人の会話に入り、和気あいあいとした空気が完成しようとした所で―― 横槍を刺してくるかのように、二人の背後から何か大きなモノが着地する音が聞こえてきたのである。 思わずギョッとした表情を浮かべた二人が後ろを振り向くと、そこにはこの面倒くさい事態を招いてくれた張本人ことハクレイとリィリアの二人がいた。 「ごめん、ちょっと時間が掛かったけど戻ってきたわよ。ホラ、もう下りなさい」 「ふ、ふぇ……」 その内の一人であるハクレイはそう言いながら、背負っていたリィリアを地面へと下ろした。 彼女以上にこの事態の元凶であるリィリアは相当怖い体験をしてきたのか、両足が微かに震えている。 きっとここに戻ってくるまでハクレイと一緒に屋根伝いに飛び回っていたであろう事は、容易に想像できた。 それを想像してしまったルイズはおびえているリィリアに軽く同情しつつも、ハクレイに話しかける。 「ご苦労様。ところで、ここに着地してくる時はどこから飛んできたの?」 ルイズからの質問に、ハクレイは暫し辺りを見回してから「あっちの塔から」と指さしたのは、南側の時計塔であった。 それを聞いてそりゃおびえるワケだと納得しつつも呆れてしまい、やれやれと首を横に振る。 「そりゃまあ、アンタの背中の上なら大丈夫だろうと思うけど。この歳の子には滅茶苦茶恐怖体験じゃないの?」 「いや、その……アンタたちがどこにいるのか探してたついでにそのまま降りてきたから……ごめん、やっぱり怖かった?」 ルイズの言葉でようやく自分の失態に気が付いたハクレイからの呼びかけに、リィリアは怯えながらも頷く事しかできないでいた。 その様子を見ていた霊夢は「何やってるんだか」とため息をついて見せた。 その後、気を取り直してお昼ご飯にしようという事で場所を替える事にした。 先ほど買い出しに出た際にルイズが良さげな場所に目を付けていたようで、歩いて五分と経たぬうちにたどり着くことができた。 場所は飲食店が連なる通りの手前にある小さな横道、そこを歩いた先には猫の額ほどの広場があったのである。 「えーっと…あぁここだわここ。ホラ、丁度良く木陰の下にテーブルと椅子があるでしょう」 「私個人の感想かもしれないけど、この街って結構多いわよねこういう場所」 「そりゃアンタ、ここがトリステイン王国の首都……だからかしらねぇ?」 そんなやり取りをしつつもテーブルが綺麗なのを確認してから、買ってきた昼食をパッとテーブルに広げた。 紙袋から昼食の入った包み紙を四つ取り出してそれぞれに渡してから、ここへ来る前に買っておいたドリンクも手渡していく。 ルイズとリィリアはジュースで、霊夢とハクレイには最近人気になりつつあるというアイスグリーンティーであった。 そしてリィリアに続きハクレイもルイズから飲み物を受け取った時、キンキンに冷えた瓶の中に入っている液体の色を見て顔をしかめて見せる。 「……ねぇ、何これ?なんだか中に入ってる液体が薄い緑色なんだけど」 「お茶よ。アンタレイムとよく似てるんだから好きでしょう?」 「…………??」 ルイズの言葉にハクレイが顔を顰めつつ霊夢の方を見てみると、確かに彼女の持っている瓶の中身も同じ薄緑色であった。 改めてお目に掛かる事になった良い匂いのする包み紙を手に持ちつつ、霊夢が「そういえば、これって何なの?」とルイズに質問する。 「ふふん、まぁ開けてからのお楽しみよ」 霊夢の質問に何故か得意げな様子でそう返してきたルイズに訝しんだ霊夢は、早速自分の分の包み紙を開けて見せる。 すると中から出てきたのは、やや長めに切ったバゲットに具材を挟み込んだサンドイッチであった。 『ほぉ~、サンドイッチだったか』 「その通り。店先を通った時に店員に「試しに如何?」って試食したときに凄い美味しかったのよ」 そう言ってルイズも自分の分のサンドウィッチの入った包み紙を外していく。 ハクレイとリィリアも彼女に続いて包み紙を外し、中から出てきたバゲットサンドが意外と大きかった事にリィリアは息を呑んでしまう。 「へぇ、意外と食べ応えありそうじゃない。貴女はどう、食べきれそう?」 「え?う、うん……大丈夫、だと思う」 ハクレイからの問いにリィリアは不安を残しつつもそう答えて、自分の眼科にあるサンドウィッチを見回してみる。 軽くトーストしたバゲットに切り込みを入れて、その中に海老やら魚を色とりどりの野菜と一緒に炒めた物が挟み込まれている。 具材自体も塩コショウで味付けしただけのシンプルなものではないという事は、匂いを嗅かがずともすぐに分かった。 それに気が付いた霊夢はバゲットの中を開きつつも、ルイズにそれを聞いてみる事にした。 「この色とスパイシーな匂い、ソースが結構強いわね……っていうか、色からしてソースの圧勝よね?」 霊夢の言う通り、ソースと一緒に炒められたであろう具材はややオレンジ色に染まっている。 匂いもただ単にスパイシーだけだという単純さはなく、それに紛れてフルーティな甘さも漂ってくる。 「そうなのよ。何でもドラゴンスイートソースっていう創作ソースで、トリステイン南部が発祥の地って聞いたわ」 結構甘辛くておいしかったわよ?ルイズはそう言いつつ真っ先に口を開けてサンドウィッチを口にした。 白パンと比べてかなり硬いバゲットを、ルイズは何の苦もなく一口分を噛みちぎる。 そして口の中でモゴモゴと咀嚼し、飲み込んだところでホッと一息つく。 「あぁこれよこれ。基本辛いんだけど、酸味が効いてる旨味と甘みは試食で食べたのと同じだわ」 珍しく鳶色の瞳を輝かせながら一言感想を述べてくれた彼女は、すぐに手元のジュース瓶を手に取って口に入れる。 その様子を見て他の三人はまぁ食べても大丈夫かと判断したのか、各々手に持っていたソレを口にした。 猫の額ほどしかない街中の広場にて咀嚼音が響き渡ると同時に、三人はそのソースの味を知ることになる。 最初にそれを口にしたのは、初めて口にするであろう味に困惑の表情を隠しきれていない霊夢であった。 「うわ、何コレ?最初に唐辛子とかの辛味が来て、その後に蜂蜜……かしら?それ系の甘味が来るわねぇ」 『成程、名前にスイートってついてるのはそれが理由か』 口直しにお茶を飲む霊夢の傍らでデルフが一人(?)納得する中、他の二人もそれぞれ感想を口にしていく。 「まぁ何て言えばいいかしら、甘辛?っていうのかしらねぇ、海鮮だけじゃなくて肉料理とかにでも合いそうな気がするわ」 「か、辛い……」 ハクレイはルイズと同じで特に違和感は感じていないのか、フンフンと機嫌良さそうに頷く横で、 まだまだ子供であるリィリアにとっては早すぎた味なのだろう、甘味や旨味より若干強い辛味に参ってしまっていた。 その後、何やかんやありつつ十分ほどで食べ終えたところで霊夢は「アンタもアンタで、変わったモン買ってきたわねぇ」とルイズに言った。 「……?どういう意味よソレ。あの後何やかんやで完食したじゃないの」 「まぁ文句の類じゃないわ。実際あのソースといい中の具材もしっかりおいしかったしね」 てっきり批判されるかと訝しんで目を細めたルイズに言いつつ、彼女は食べたばかりのサンドイッチの味を思い出す。 確かにソース自体の個性は相当強かったものの、それに負けないくらい中に入っていた具材も美味しかった。 千切りにしたキャベツとパプリカに人参、それに一口サイズにした白身魚とロブスターのフライ。 それらが上手いことあの甘辛ソースと絡みつつ、それでいてそれぞれの味が損なってはいなかったのは覚えている。 土台であるバゲットもほんのり甘く、サンドイッチにしなくともそれ単体で食べても美味いパンだというのは霊夢でも理解していた。 「具材本来の味を残したまましっかりソースと絡んでたから、そこそこ美味しかったのよね。後、野菜も新鮮だったし」 「でしょ?正直トリステイン人の私も初めて口にするソースだったけど、新しくて美味しい発見に今の気分は上々よ」 そんなこんなで両者ともに満足している中で、静かに食べ終えていたハクレイもお気に召したようで、 包み紙の隅に残っていたソースを指で掬って舐めとる姿に、ヒィヒィ言いつつ食べ終えたリィリアは若干引いていた。 「舐めたい気持ちはわかるけど……コレ、結構辛いよ?」 「そう?まぁもうちょっと大きくなったら分かるわよ。きっと」 『街の雰囲気がちょいと物騒だっていうのに、ここは平和で良いねェ』 各人各様な反応を示しつつ、昼食を終えた彼女たちを眺めながらデルフはポツリ呟く。 それは本心から出た感想なのかそれとも皮肉のつもりで口にしたのか、彼の真意を問いただすものはいない。 しかしデルフの言葉通り、昼食時の賑やかなトリスタニアの街中に不穏な空気が混じっているのは事実であった。 多くの人で賑わい、美味しそうな匂いと空気を漂わせる通りを何人もの衛士達が人々に混じって移動していた。 彼らは街中を警邏するには不似合いな程――此処では重武装とも言える格好で――しきりに周囲を見回しながら足を前へと進める。 その内の何人かは別の通りからやってきた仲間衛士達と鉢合わせると、情報交換を交えた報告を互いに行う。 互いに身を寄せ合い、通行人に聞かれないよう小声で話し合う姿は彼らの横を通る人々に疑心を抱かせる。 大抵の者たちはすぐにそれを忘れて通り過ぎるが、好奇心旺盛な人はわざわざ彼らに近づいて何かあったのかと聞き質そうとする。 しかし衛士達はそれどころではないと言いたげに彼らを手で追い払い、中には「あっちへ行ってろ、邪魔だ」と乱暴な言葉を口にする者もいた。 人々は何て乱暴な……と顔を顰めつつも、衛士を怒らせても碌な事は無いと知っている為渋々その場を後にしていく。 通行人を追い払い、話すべきことが済んだら再び彼らは二手や三手に分かれて街中へと散っていくのだ。 そんな光景をデルフだけではなく、ルイズや霊夢たちもここへ来るまでの間に何度も目にしている。 一体彼らはそこまでの人数を動員して何をしているのかと気になったと言われれば、彼女たちは首を縦に振っていただろう。 しかし、優先的に非行少年の救出と財布事情を解決せねばならない二人にとって、それは後回しにしてもいいと判断していた。 まさか衛士達がリィリアの兄を捕まえる為だけにここまで必死になってるとは思えなかったからだ。 ――というか、たかだかスリしかしてないような子供相手に総動員なんかしたら必死過ぎって事で後世の笑いものにされるわよ ――――逆にそこまでして捕まえようとしてるのなら、捕まえる瞬間がどんなモノか見てみたいわね ここに来るまでの道中、妹の目の前でそんな不吉かつ暢気な事を口にしていた二人であったが、 もしもここで、ルイズが興味本位で衛士達に何があったと聞いていれば、今頃彼女たち――少なくともルイズはハクレイ達を置いてその場を後にしていただろう。 賑やかな喧騒に包まれながらも昼食を終えた霊夢は、瓶に入っていたお茶を名残惜しそうに飲み終えた。 最初は瓶入りで大丈夫かと訝しんでいた彼女であったが、幸いにもそれは杞憂だったらしい。 店の人間がルイズに手渡すまで氷入りの容器に入れられていたであろうそれは、キンキンに冷えつつも美味しかった。 ちゃんとお茶と本来の味を残しつつも冷たいそれは、熱い街中で頂く飲み物としては間違いなく最高峰に違いない。 そんな感想を内心で出しつつも飲み終えてしまった彼女は、残念そうに瓶をテーブルに置くと早速他の三人と一本の話を切り出した。 「――さてと、昼食も食べ終えたしそろそろ面倒ごとを片付ける時間にしましょう」 「あ、そうだったわね。……で、ハクレイ?」 「んぅ?あぁ、大丈夫よ。アンタたちの言った通りこの子と一緒に怪しい場所に目星をつけてきたから」 霊夢の言葉に食後のジュースで和んでいたルイズも気持ちを切り替えて、ハクレイに話を振っていく。 丁度リィリアが食べきれなかった分を完食した彼女は紙ナプキンで口を拭いつつ、懐から丸めたタウンマップを取り出した。 ルイズが昼食の買い出しに向かい、霊夢がデルフと一緒に暇を潰していた間、ハクレイはリィリアを連れて情報収集に出かけていたのである。 探した場所は彼女が兄トーマスと最後に別れた場所を中心に、建物の屋上や路地を歩き回って探していた。 時折道行く人々に妹の口から兄の特徴を伝えて、見ていないかと聞きつつも彼の行方を追っていくという形だ。 当初は時間が掛かるのではないかと疑っていたハクレイであったが、それは些細な心配として済んでしまったのである。 テーブルの真ん中に丸めたソレを広げて、広大な王都の中の一区画を指さした。 そこはブルドンネ街とチクントネ街の丁度境目にある、大型の倉庫が立ち並ぶ倉庫街である。 ブルドンネ街でもチクトンネ街でもないこの一帯は四角い線で囲まれており、その中に長方形の建物が全部で八棟もある。 霊夢はすぐに他の場所と違うと感じたのか「ここは?」と尋ねると、ルイズがすかさずそれに答える。 「倉庫街ね。主に王都で商売している豪商や商会の人間がここの倉庫とかで商品の管理を行ってるのよ」 「倉庫街?じゃあこの四角い線で囲ってる建物全部が倉庫なの?随分リッチよねぇ」 「まぁ全部全部機能してるってワケじゃないわよ、確か今使われてるのは……五棟だけだった筈……あ」 肩を竦める霊夢の言葉にルイズが使われている倉庫の数を思い出し、そして気が付く。 同じタイミングで彼女もまた気が付いたのか、納得したような表情を浮かべてハクレイへと視線を向ける。 「つまり、その使われていない三つのどこかに……」 「その通りね。まだどこかは把握しきれていないけど、八つ全部を調べるよりかは楽でしょ」 「じゃ、次にやる事は……そこがどこなのか、ってところね」 ハクレイは得意げに言ったところで、霊夢はおもむろに右の袖の中から三本の針を取り出して彼女の前に差し出した。 一瞬怪訝な表情を見せたがすぐにその意図を察したのか、ハクレイは彼女の手からその針を受け取り、それで地図に描かれた倉庫を三つ刺していく。 テーブルの上に置かれた地図、その上に描かれた倉庫へと勢いよく針を刺す姿を見て、ルイズは不安そうな表情を浮かべる。 何せ彼女がハクレイに貸していた王都の地図は、彼女が魔法学院へ入学して以来初めて街の書店で買った思い出の品だったからだ。 魔法学院の入る生徒の大半は地方から来るためか、入学してやっと王都へ入れたという者も決して少なくはない。 ルイズは幼少期に何度か王都へ行ってはいたが何分幼少の頃であり、工事などで変わっている場所も多かった。 だからルイズも他の生徒たちに倣いつつ、ヴァリエール家の貴族として良質な羊皮紙に地図を描いてもらったのである。 値は張ったが特殊な防水加工を施している為水に強く、実際街で迷ってしまった時には自分の道しるべにもなってくれたのだ。 そんな思い出の品に、情け容赦なく力を込めて針を刺すハクレイを見て不安になるのは致し方ないことであった。 「ちょ、ちょっとレイム。あのタウンマップ結構質の良い紙で作ってるから高かったんだけど?」 「大丈夫よ。針の一本二本刺した程度で使い物にならなくなるワケじゃないし」 「えぇ?いや、まぁそうなんだけど……っていうか、そこは三本って言いなさいよ?まぁでも、インクで丸つけられるよりかはマシよね」 半ば諦めるような形で呟いた所で、針を三本差し終えたハクレイが「できたわよ」と声を掛けてきた。 その声に二人はスッと地図を除き込むと、確かに三棟の倉庫にそれぞれ一本ずつ針が刺されている。 倉庫街はブルドンネとチクトンネのそれぞれ二つの街へ行ける出入口が用意されており、 一本道を挟み込むようにして左右四棟ずつの大きな倉庫が建てられている。 「最初はここ。ブルドンネ街からみて左側の一番手前の倉庫。新しい感じがしたけど入り口の前に「空き倉庫」っていう看板が立ってたわ」 ハクレイは説明を交えながらそこを指さすと、ルイズが「なら空き倉庫で間違いないわ」と言った。 「ここの倉庫は基本広いけど、使うには王宮に高額の賃貸料を払わないといけないから」 『まぁこういう馬鹿でかい倉庫を建てときゃ、大規模な商会とかは金払ってでも喜んで借りたいだろうしな』 デルフの相槌が入ったものの、それを気にする事無くハクレイは他の二つをぞれぞれ指さしつつ説明を続けていく。 彼女曰く、あと二つの倉庫は明らかに長年使われていない分かる程ボロボロだったらしい。 まるで竜巻が通った後と例えられるほど、もう倉庫としては機能し得ない程だという。 「あくまで私の感想だけど、あそこまでボロボロだと人を隠す場所としても不向きだと思うわ」 『まぁそこは直接オレっち達が見て判断するとして、そこは簡単に入れる場所なのかい?』 デルフの言葉にルイズが首を横に振りつつ、「ちょっと難しいかもね」と否定的な意見を出した。 「先に見てきてくれた二人ならもう知ってると思うけど、あそこって使用してる人間以外が入れないよう警備の人間がいるのよ」 「へぇ、倉庫番まで用意してくれるなんてアンタんとこの国って随分優しいのね」 「そんなモンじゃないわよ。連中はあくまで商会とか商人が金で雇ってるだけの人間で、まぁ形を変えた傭兵団よ」 ルイズ曰く、国に直接警備の依頼をすると維持費がバカにならない為安上がりな傭兵団に商品の見張りをさせているのだという。 一応トリステイン政府も商人たちと協議したうえでこれを認めており、倉庫街周辺に傭兵たちがうろつくようにもなったのだとか。 「まぁ協議って言ったって、大方言葉の代わりに賄賂が飛び交ったんでしょうけどね」 「それにしても、そんな奴らを見張りに立たせて商品でも盗まれたりしたらどうするのよ?」 ハクレイの口から出た最もな質問に、ルイズはピッと人差し指を立てながら答えて見せる。 「だからこそ傭兵団を雇ってるのよ。もしも仲間の内誰か一人でも盗みを働いたら、そいつら全員が信用を失う事になるわ」 『アイツらは商人だから情報の流通も早い。奴らが盗人っていう情報も早く伝わるって事か』 恐ろしいねぇ!と刀身を震わせて笑うデルフを放っておきつつ、ルイズはハクレイとの話を再開する。 「人数はどれくらいいたか、わかってる?」 「大体目視できただけでも外に二十人程度ね、未使用の倉庫周辺ににも数人が警備についてた」 「団体様じゃないの。仕方ないとはいえ、まずはアンタのお兄さんを救うためにソイツらを何とかしないとダメじゃない。面倒くさいわねぇ」 人数を聞いた霊夢が何気ない気持ちでリィリアにそう言うと、彼女は申し訳なさそうに顔を俯かせてしまう。 恐らく暗に「アンタのせいで大変な目に遭いそうだわ」と言われたのだと勘違いしたのだろうか? いくら彼女たちが悪いとはいえそれは言い過ぎだろうと思ったルイズは、目を細めつつも彼女に文句を吐いた。 「アンタねぇ?いくら何でもそこまでいう事は無いでしょうに。もうちょっとオブラートに包みなさいよ」 「……アレ?私何か悪い事でも言った?」 「――アンタはもうちょっと言い方に気を付けた方が良いと思うわよ」 謂れのない非難に首をかしげる霊夢を見て、ルイズは勘違いしてしまった自分を何と気恥ずかしいのかと責めたくなった。 そんなルイズの言葉の意味が分からぬまま怪訝な表情を浮かべる霊夢は、他の二人と一本に思わず聞いてしまう。 「私、何か悪い事でも言ったの?」 『自分の言った事が微塵も他人を傷つけないと思ってないこの言い方、流石レイムだぜ』 「少なくとも年下の子供相手に掛ける言葉じゃないって事だけは言っておくわ」 ハクレイとデルフからも駄目出しされた彼女は、更に怪訝な表情を浮かべるしかなかった。 並大抵の人間が、今から一時間後に自身の身に何が起こるかという事を完全に予測する等不可能に近いだろう。 メモ帳に書かれたスケジュールがあっても、それから一時間までの間にアクシデントが起きる可能性がある。 例えば近道が工事中で仕えなかったり、急な病で病院に搬送されたり、もかすれば交通事故に巻き込まれて――。 そうなればスケジュール通りこなす事は難しくなるだろうし、最悪スケジュールそのものを変更せざるを得ない。 それは正にギャンブルに近い。丁か半、一時間後に何かが起こるかそれとも起こらぬのか……蓋を開けねば分からない。 しかし、世の中賭博みたいな構造では思うように社会の歯車が回らなくなるのは火を見るより明らかだろう。 だからこそ人々はスケジュールを完璧にこなす為、大小さまざまな努力をして一時間後の出来事を確実なモノとする。 近道が使えないのならば、いつもより早く家を出て多少遠回りになっても一時間後に目的地に辿り着けるよう頑張る。 きゃうな病にはならないよう普段から健康に気を使い、病院とは無縁な生活を送る事を常に心掛ける。 そして不慮の事故に巻き込まれないためにも身の回りを警戒して、確実に目的地へと到着する。 完全に予測する事が不可能ならば、自らの努力でもって不確実を確実な現実へと変える。 そうして人々は弛まぬ努力をもって社会を作り上げてきたのだ。 しかし、どんなに排除しようとしても゛予測できない、不確実な未来゛というモノは必ず人々の傍に付いて回る。 まるで人の周りを飛び交う蚊のように、隙あらば生きた人間に噛みつき、予測できないアクシデントを引き起こす。 現に今、アンリエッタと魔理沙の二人の身はその゛予測できない゛状況下に置かれているのだから。 ブルドンネ街の繁華街、下水道から流れてくる大きな水路の傍にあるホテル『タニアの夕日』。 その玄関前まで歩いてたどり着いたアンリエッタ、魔理沙、そして先頭を行くジュリオの三人はそこで足を止めた。 「さ、到着しましたよ二人とも」 自信満々な表情と共に歩みを止めてそう言ったジュリオは、すぐ横に見える大きなホテルを指さして見せた。 彼の言う二人とも――アンリエッタと魔理沙はそのホテルを見て、互いに別々の反応を見せる事となる。 「あぁ~、安全な場所ってのはここの事だったか」 「え?あの……ここって、ホテルですか?」 一度ここを訪れた事があった魔理沙は久しぶりに見たようなホテルの玄関を見て納得しており、 一方のアンリエッタは今の自分には全く無縁と言って良いであろう場所に連れて来られて困惑しきっていた。 「その通り。ホテルの名前は『タニアの夕日』、ブルドンネ街との距離も近く交通の便に優れているホテルです」 アンリエッタの怪訝な表情を見て、ジュリオは咄嗟にホテルの簡単な紹介をしたが…… 「……あ、いえ。そんな事を聞いたワケではありませんよ。どうして私をこんな所にお連れしたのですか?」 彼女は首を横に振り、若干不満の色が滲み出させたまま彼の真意を問いただそうとする。 しかし、ジュリオはこの国の王女の鋭い眼光にも怯むことなく肩を竦めながらこう返した。 「あぁ、その事でしたか。その答えでしたら……直接私が止まっている部屋へ来て頂ければ分かりますよ」 そう言いながら彼はホテルの入り口まで歩くと、重々しいホテルのドアを開けて二人に手招きをする。 しかしこれにはアンリエッタは勿論、ここまで彼を信用していた魔理沙までもが怪訝な表情を浮かべて自分を見つめている事に気が付く。 (……やっぱり、疑われちゃうよな) 内心そんな事を呟きながらも、ジュリオ自身もここで信用しろというのは無理があると思っていた。 『お上』からの指示とはいえ、ちゃんと手順を踏んでアンリエッタ姫殿下と接触するべきだったのではないだろうか。 今が絶好のタイミングだとしても、アポイントメントも無しに連れてくるというのは礼儀に反するというヤツだろう。 とはいえ、あの『お上』が絶好とまで言ったのである。多少の無茶を通すだけの代価は確実に取れるに違いない。 (まぁ、二人の状況とここまで連れてきた以上後はこっちのもんだし、『お上』に会ってくれれば彼女たちもワケを察してくれるだろう) ――少なくとも、アンリエッタ姫殿下はね。 内心の呟きの最後に一言そう付け加えつつ、彼はもう一度肩を竦めながら二人に向けて言った。 「すまないが僕にも色々事情がある。けれど、この先に待っている人は絶対に君たちを助けてくれるさ」 アンリエッタからエスコートの依頼を受けて、彼女を伴いながら街中を彷徨っていた霧雨魔理沙。 ふとした拍子で衛士達にアンリエッタの素性がバレると思った矢先、ジュリオの助太刀を事なきを得る事となる。 しかし謎多き月目の彼は驚く事にアンリエッタの正体を知っており、しかもその事について全く驚きもしなかった。 ――お前、どうしてお前がアンリエッタの事知ってるんだよ? ―――おや?外国人の僕がこの国のお姫様の事を知らなかった思ってたのかい?それは心外だなぁ ――――いやいや!そういう事じゃねぇって!?どうしてお前がアンリエッタが変装してた事を知ってたって聞いてんだよ!? 最後には言葉を荒げてしまった魔理沙であったが、ジュリオはそんな彼女に「落ち着けよ」と宥めつつ言葉を続けた。 ――実は僕も、この白百合が似合うお姫様に用があったんだよ ――――私に……ですか?一体、あなたは…… 自分の正体をあっさりと看破し、更には用事があるとまで言ってきた謎の少年の存在。 アンリエッタが彼の素性を知りたがるのは、至極当り前だろう。 そしてジュリオもまた、彼女にこれ以上自分の正体を隠そう等という事は微塵も考えていなかった。 ――申し遅れました。僕はジュリオ・チェザーレ、しがないロマリア人の一神官です 彼はアンリエッタの前で姿勢を正した後、恭しく一礼しながら自己紹介をした。 アンリエッタはその名を聞き軽く驚いてしまう。ジュリオ・チェザーレ、かつてロマリアに実在した大王の名前に。 かつては幾つかの都市国家群に分かれていたアウソーニャ半島を一つに纏め上げ、ガリアの半分を併呑した伝説の英雄。 その者と同じ名前を持つ少年を前にして固まってしまうアンリエッタに、頭を上げたジュリオはさわやかな笑顔で言葉を続けた。 ――色々と僕に聞きたい事はあるでしょうが、今しばらく私についてきてくださらないでしょうか? ――――……ついていくって、一体何処へ……!? ――今夜貴女と彼女が泊まれる安全な場所へ、ですよ。今のあなた達では、こんや泊まる所を探すのも一苦労しそうですからね その後、ジュリオはアンリエッタと魔理沙を連れてここ『タニアの夕日』にまで来ることができた。 東側の住宅地からここまで移動するのには、それなりの苦労と時間を要するものであった。 地上の道路や裏路地の一角には衛士達が最低でも二人以上屯しており、怪しい人間がいないが目を光らせていたのを覚えている。 恐らく魔理沙たちを逃がした際の騒ぎが伝達されたのだろう、そうでなければ末端の衛士達があんなに警戒している筈がないのだ。 (トリステイン側も必死なんだろうな。もしもの時に探しておいた地下道がなけりゃあ危なかったよ) 途中何度か地下の通路を通ってショーットカットや遠回りの連続で、早一時間弱……ようやくホテルにたどり着くことができた。 今のところ周辺には衛士達の姿は見当たらない。恐らく街の中心部から外周部を捜索場所を移したのかもしれない。 何であれ、ここまでたどり着けたのは前もって計画していたルートを用意していた事よりも、運の要素が強かったのであろう。 ともあれ、こうして無事に二人を――少なくともアンリエッタを連れて来れた事で自分の仕事は成功したも同然であろう。 最も、そのお姫様には相当警戒されてしまっているのだが……まぁこれはやむを得ない事……かもしれない。 (全く、あの人も無茶な事命令してくれたもんだよ……ったく!) 「さ、とりあえず中へどうぞ。外にいては衛士達に見つかるやもしれません」 内心では自分にこの仕事を任せた『お上』――もとい゛あの人゛に悪態をつきつつも、 警戒する魔理沙たちの前でさわやかな笑顔を浮かべつつ、ホテルのドアを開けて彼らを中へと誘う。 新品のドアを開けた先には、綺麗に掃除された『タニアの夕日』のロビーが広がっている。 「…………」 「………………」 「おや?入らないのですか?」 しかし悲しきかな、ジュリオに警戒している二人は険しい表情を浮かべたまま中へ入ろうとはしなかった。 思ってた以上に警戒されてるのかな?そう考えそうになったところで、二人は互いの顔を見合う。 「アレ……どうする?」 「色々疑わしき事はありますが、ここまで来たのなら……やむを得ないでしょう」 「……だな」 一言、二言の短いやり取りの後、彼女たちは渋々といった様子でホテルの入り口を通った。 通るときにジュリオを鋭い目つきで一瞥しつつも、二人は慎重な様子のままロビーの中へと入っていく。 色々問題はあったものの、魔理沙たちはジュリオからの誘いに乗ったのである。 「……ま、結果オーライってヤツかな」 少女たちの背中を見つめつつ、ジュリオは二人に聞こえない程度の小声でそう呟く。 とはいえ、入ってくれればこちらのモノだ。彼は安堵のため息を吐きつつも二人の後へと続いた。 全四階建ての内最上階に部屋がある為、一同は階段を上って部屋まで行く羽目になった。 しっかりと掃除の行き届いた階段を、三人は靴音を鳴らしながら上へ上へと進んでいく。 やがて散文もしないうちに最上階までたどり着いた所で、先頭にいたジュリオが魔理沙たちから見て右の廊下を指さす。 「部屋の名前は『ヴァリエール』。この部屋一番のスイートルームですのでご安心を」 「私が『ヴァリエール』という部屋の名前を聞いて、貴方を信用できるほどのお人好しに見えますか?」 魔理沙以上に自分へ警戒心を向けているアンリエッタからの返事に、彼はただ肩を竦める。 軽いジョークのつもりだったのだが、どうやら彼女の警戒心を随分強めてしまっていたらしい。 コイツは思ったより重大な事だ。そう思った所で今度は魔理沙が突っかかるようにして話しかけてきた。 「おいジュリオ、ここまで来たんならもうそろそろ話してくれても良いだろ?」 「話す?一体何を?生憎、僕のスリーサイズは本当に好きになった女の子にしか教えない事にしてるんだ」 「ちげーよ、何でお前がアンリエッタの正体を知ってて、しかもこんに所にまで連れてきたかって事だよ!」 自分のボケに対する魔理沙の的確な突っ込みと質問に、ジュリオは軽く笑いながらも「そろそろ聞いてくると思ったよ」と言葉を返す。 「まぁ確かに、もう話してもいい頃だが……部屋も近い、良ければそこで話そうじゃないか? 僕と君たちがここにいるまでの経緯を一から話すよりも先に、この廊下の先にある部屋の前にたどり着いちゃうからね」 そう言って彼は先程指さした方の廊下の突き当りへ向かって歩き出し、二人もその後をついて行く。 確かに彼の言う通り、彼がワケを話すよりも部屋までたどり着く方が早かったのは間違いない。 元々この最上階には二部屋しかないのだろう。廊下の突き当りの手前には、観音開きの大きな扉があった。 「こちらです、では……」 その言葉と共にジュリオはドアの前に立つと身だしなみを軽く整えた後、スッと上げた右手でドアをノックする。 コン、コン、という品の良いノックを二回響かせて数秒後、ドアの向こうにある部屋から少女の声が聞こえてきた。 「ど……どちらさまでしょうか?」 「お届け゛者゛を持ってきた、ただのしがない配達屋さ」 その言葉から更に数秒後、少し間をおいてから掛かっていたであろうドアのカギを開く音が聞こえてきた。 軽い金属音と共にドアノブが勝手に回り、部屋の中から銀髪の少女をスッと顔を出してきた。ジョゼットである。 まるで初めて巣穴から顔を出した仔リスのように不安げな様子を見せていた彼女は、目の前にいたジュリオを見てパッと明るい表情を見せた。 「や、ジョゼット。ちゃんとあのお方の注文通りお届け゛者゛を連れてきたよ」 「お兄様!って……あっマリサ!」 「よ、ジョゼット。……っていうか、お届け゛モノ゛って……」 久しぶりに会ったような気がしたジョゼットに呼びかけられて、思わず魔理沙も右手を上げてそれに応える。 ジョゼットも数日ぶりに見た魔理沙に微笑もうとした所で、彼女の横にいたアンリエッタに気が付き、怪訝な表情をジュリオに向けた。 「あの、お兄様……この人が、その?」 「あぁ。……そういえば、あの人は今?」 「待っていますよ。そこにいね人と食事でもしながら……という事でついさっき自分でランチを頼んでました」 「ランチを自分で?うぅ~ん……あの人、付き人がいないと本当に自由だなぁ」 そんなやり取りを耳にする中で、アンリエッタは彼らが口にする゛あの人゛という存在が何者なのか気になってきた。 少なくともこんなグレードの良いホテルでランチを気軽に頼める人間ならば、少なくとも平民や並みの貴族ではない。 では一体何者か?その疑問が脳裏に浮かんだところで、彼女と魔理沙はジュリオに声を掛けられた。 「さ、どうぞ中へ。ここから先の出来事は、あなたにはとても有益な時間になる筈です。アンリエッタ王女殿下」 流石最上階のスイートルームというだけあって、『ヴァリエール』の内装は豪華であった。 まるで貴族の邸宅のような部屋の中へと足を踏み入れた二人は、一旦辺りを見回してみる。 (流石に公爵家の名を冠するだけあって、部屋もそれに相応なのね) アンリエッタは王宮程ではないものの、名前に負けぬ程には豪華な部屋を見て小さく頷いた一方、 以前ここへ来たことのある魔理沙は、以前見たことのある顔が見当たらない事に怪訝な表情を浮かべていた。 「んぅ……あれ?セレンのヤツ、どこ行ったんだ」 「セレン?その方は一体……」 『こちらですマリサ』 聞きなれぬ名前が彼女の口から出た事に、アンリエッタが思わず訪ねようとした時であった。 部屋の入り口から見て右の奥にあるドア越しに、青年の声が聞こえてきたのである。 その声に二人が振り向くと同時に、後ろにいたジュリオとジョゼッタが二人の横を通ってそのドアの前に立つ。 まるで番兵のように佇む二人は互いの顔を見合ってからコクリと頷き、ジュリオが二人に向かって改めて一礼する。 「さ、どうぞこちらへ」 短い言葉と共にドアの横へと移動する二人を見て、アンリエッタはドアの傍まで来ると、スッとドアノブを掴み――捻った。 すんなりとドアノブが回ったのを確認してから彼女はゆっくりとドアを押して、隣の部屋へ入っていく。 次いで彼女の後ろにいた魔理沙もその後に続き、ドアの向こうにあった光景に思わず「おぉ」と声を上げてしまう。 そこはダイニングルームであったらしく、長方形のテーブルの上には幾つもの料理が並べられていた。 恐らくジョゼットが言っていたランチなのだろう、ホウレン草とカボチャのスープはまだ湯気を立てている。 そして部屋の一番奥、上座の椅子に背を向けて座っている青年を見て魔理沙は声を上げた。 「おぉセレン、お前そんな所で格好つけて何してんだよ」 「あぁマリサ。イエ、少しばかり緊張していたもので……何分貴方の横にいるお方がお方ですから」 魔理沙の呼びかけに対し青年はそう返した後ゆっくりと腰を上げて、彼女たちの方へと体を向ける。 瞬間、一体誰なのかと訝しんでいたアンリエッタは我が目を疑ってしまう程の衝撃に見舞われた。 思わず額から冷や汗が流れ落ちたのにも構わず、彼女は咄嗟に魔理沙へと話しかける。 「あ、あのッマリサさん!こ、この方は……!?」 「私がさっき言ってたセレンだよ。――――って、どうしたんだよその表情」 アンリエッタの方へと何気なく顔を向けた魔理沙も、彼女の顔色がおかしい事に気が付く。 そんな彼女を気遣ってか、上座から離れてこちらへと近づくセレンは「大丈夫ですよ」とアンリエッタに話しかける。 「此度ここに来たのは、あくまで私事の様なものです。ですから、肩の力を抜いてもらっても……」 「……っ!そんな滅相もありません、あ、貴方様を前にして、そんな……ッ!」 近づいてくるセレンに対し、アンリエッタは何とその場で膝ずいたのである。 それも魔理沙の目にも見てわかるような、相手に対して敬意を払っている事への証拠だ。 「え?え……ちょ、何がどうなってるんだよ?」 何が何だか分からぬまま自分だけ放置されているような状況に魔理沙が訝しんだところで、 彼女のすぐ近くまでやってきたセレンは申し訳なさそうな表情で彼女に言葉をかけた。 「マリサ、私はここで貴女にウソをついていた事を告白せねばなりませんね」 彼はそう言って一呼吸置いた後、穏やかな笑顔を浮かべながら自らの本名を告げる。 「貴女に名乗ったセレン・ヴァレンはいわば偽名。ワケあって名乗らざるを得なかった名。 そして私の本当の……母から貰った名前はヴィットーリオ、ヴィットーリオ・セレヴァレと申します。」 セレン――もといヴィットーリオの告白に、この時の魔理沙はどう返せば良いか分からないでいた。 しかし彼女はすぐにアンリエッタの口から知る事となるだろう、彼の正体を。 この大陸に住む全ての人々の心の支えにして、魔法文明の礎を気づいたともいえる祖を神として崇めるブリミル教。 その総本山としてハルケギニアに君臨する、ロマリア連合皇国の指導者たる教皇に位置する者だという事を。 前ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん タニアリージュ・ロワイヤル座の二階は一階ロビーとはまた別にラウンジが用意されていた。 下の階ほど広くは無いが、貴族専用であるためか幾つかの観葉植物とソファーが置かれているさっぱりとした造りである。 基本的に二階の観覧席等に平民は座れず、また下級貴族にとっては少し高いと感じる値段なのだろうか、 二階にいる者たちは皆しっかりとした身なりをしており、立ち振る舞いのそれは立派なトリステイン貴族だ。 チケット売り場も二階に移設されているので、少し小腹を満たそう…と思わない限り一階へ降りることは無い。 精々手すり越しにロビーのあちこちを眺めつつ、劇を観終ったらあそこで紅茶でも飲もう…と考える程度であった。 紳士淑女達は下の喧騒とは対照的に穏やかに会話し、両親に連れられた子供たちは静かに上演時間を待っている。 そんな時であった、ふと一階ロビーへと下りられる階段の方から騒ぎ声が聞こえてきたのは。 まだ年若い…それこそ学生と言っても差し支えない少女の怒鳴り声と、警備員であろう青年との押し問答だろうか。 何だ何だと何人かがそちらの方へ視線を向けると、案の定その押し問答が丁度階段の前で行われていた。 「ちょっと、アンタ何してるのよ?通しなさい!」 「困りますお客様!こちらは貴族様方専用のラウンジがありますので、立ち入りの方は…」 「アンタねぇ…!私の髪の色だけで私が誰なのか理解しなさいよッ!」 少女はウェーブの掛かったピンクのブロンドヘアーを振り乱しながらそう叫んでいる。 その髪が目に入った貴族たちは瞬間目を丸くし、一斉に互いの顔を見合わせながらざわめき始めた。 トリステインの貴族であるならば、文字の読み書きを覚え始めた子供でも知っているからだ。 あの髪の色が、この国において王家と枢機卿に続く権威を持つ公爵家の証であるという事を。 しかし入って間もなく、地方から出稼ぎで王都へ来た年若い警備員は知らないのか酷く困惑している。 そんな彼でも目の前を少女を目にした背後の貴族達がざわめき始めたのに気が付き、焦りに焦ってしまう。 もしもここで下手な対応をすればクビの可能性もあるし、安易に通してしまえばクレームが飛んでくるかもしれない。 突然の選択肢と、尚も怒鳴る少女を前に彼は焦燥感に駆られて、自分一人では対処できないと断定した。 そうなれば次にする事は応援の要請…彼は通せと怒る少女に両掌を見せて、焦りの見える声でしゃべり始める。 「で、では少々お待ちくださいませ。今上の者を呼んでまいりますので、暫しのお待ちを…」 「ルイズ!」 そんな時であった。ラウンジから少し奥の通路から少女同じ色の髪を持つ女性が走ってきたのは。 彼女よりも長く手入れの行き届いたピンクブロンドがシャランと揺れて、周りにいる人々の視線をそちらへと向けさせる。 走るには適していないロングスカートの中で足を必死に動かし、女性は少女の許へと近づいていく。 彼女の姿は紛う事無き美しさに満ちていたが、同時に砂上の楼閣の様な儚さを垣間見る者たちも何人かいた。 そして彼らはハッとする。今女性が発していた少女の物と思しき、ルイズと言う名に酷く聞き覚えがある事を。 もしも彼女が口にした名前が少女の物であるならば、あの二人は、まさか…? そう思っていた彼らに答えを提示するかのように、自身の名を呼ばれた少女――ルイズは叫んだ。 「ちいねえさま!やっばりちいねえさまなんですねッ!?」 彼女は自分の前に立ちはだかっていた警備員の横を無理やりすり抜けて、ラウンジの中へと入っていく。 そして自分と同じように走り寄ってくる女性――カトレアの腰を掴むようにして、熱い抱擁をした。 「あぁルイズ!間違いなく貴女なのね?私の小さな妹!」 カトレアもまた、目の前にいる少女が自分の妹なのだと改めて分かり、同じく熱い抱擁を返す。 この時身長差故か、丁度彼女の豊かな胸がルイズの顔にギュッと押し付けられたのはどうでも良い事だろう。 二人の熱い再会を余所に、周りにいた貴族たちは両者の名前を耳にしてまさかまさかと顔を見合わせている。 あのピンクのブロンド…やはりあの二人は、この国にその名を轟かせるヴァリエール公爵家の姉妹…! まさかこんな所でヴァリエール家の者たちと出会う等と思ってもみなかった彼らは、ただ驚くほかなかった。 しかし…そんな彼らに驚く暇さえ与えんと言わんばかりに、今度は数人分のざわめきが一階からやっくるのに気が付く。 今度は何だと思い何人かがルイズとカトレアから目を放しそちらへ視線を向けて見てみると、見た事の無い紅白の服を着た黒髪の少女がそこにいた。 先程までルイズを通らすまいと奮闘していた警備員はもう無理だと感じたのか、階段の隅っこで縮こまってしまっている。 そんな彼を無視して、黒髪の少女は乱暴な足取りでラウンジへと入り、ルイズ達の方へ近づいていく。 マントを着けていない故に貴族ではないと一目見て分かるが、かといってただの平民には見えない。 では役者かと大勢がそう思った時、その黒髪の少女が心地よさそうに抱き合っているルイズへと声を掛けた。 「ちょっと、ちょっとルイズ!何…って、誰よその女の人は」 彼女の近くにいた貴族たちは、思わずギョッとしてしまう。 例え王家であっても余程の事は無い限りある程度の礼節を持って接する程、ヴァリエール家は古くからこの国に貢献している。 だからこそ、そんな事実など微塵も知らぬかのように乱暴に呼んだ黒髪の少女に、驚かざるを得なかったのだ。 きっととんでもない事になるに違いない…と思っていた所、呼ばれた本人であるルイズは平然とした様子で黒髪の少女へと話しかけた。 「…え?あ、レイム!見つけたのよ、行方不明になってたちいねえさまを…ホラ!」 「え?ちいねえさま…って、全然「ちい」っていう感じには見えないんだけど…」 公爵家の末娘にレイム…と呼ばれた黒髪の少女――霊夢はルイズと抱き合っているカトレアを見て首を傾げてしまう。 一方のカトレアは、ルイズの口から出た不穏な単語を耳にして怪訝な表情を浮かべてしまう。 突然の事に驚くあまり、ただざわめく事しかできないほかの貴族達であったが、 そこへ更に畳み掛けるようにして、今度は一階にいた魔理沙とシエスタの二人もラウンジへと入ってきたのである。 「ルイズ、いきなりどうした…って、おぉ!何か色々と大きくなったお前のそっくりさんみたいなのがいるなー」 「ちょ…ちょっと皆さん駄目ですよ!こ、ここは貴族様専用のラウンジだっていうのにぃ~…」 トンガリ帽子を被ったままの魔理沙はルイズとカトレアを見比べて、そんな事を言っている。 一方のシエスタは今いる場所が二階の貴族専用フロアだとしっている為か、顔を青ざめさせていた。 今にも泣き出してしまいそうな彼女の姿は、他の貴族達からしてみればいかにもな平民の反応である。 平然としている霊夢達に対し、シエスタが焦りに焦っていると、一階から数人の警備員たちが駆け込んできた。 「コラァー!お前たち、ここは貴族様方専用のエリアだぞ!さっさと一階に戻らんか!」 「ひぃっ、御免なさい!ワザとじゃないんです!これにはワケが…」 「言い訳は下で聞くとして、ひとまずそこの紅白と黒白…お前たちも来い!」 警棒を片手に怒鳴る年配警備員の怒声に、シエスタは悲鳴を上げて頭を下げてしまう。 そんな彼女の言葉を他の若い警備員が遮りつつ、霊夢と魔理沙にも下へ降りるよう呼びかけた。 シエスタは今にも首を縦に振って従いそうであったが、それに対してその紅白と黒白は「何だコイツ?」と言いたげな表情を浮かべている。 警備員たちも大事なお客様である貴族たちの前か、何が何でも一階へと下ろそうという気配が滲み出ている。 まさか、このラウンジで一悶着が…という所で、警備員から見逃されたルイズが口を開いた。 「待ちなさいあなた達!そこの三人は私の知り合いよ?私の許可なく連れて行くのは許さないわ」 突然の制止に年配の警備員がムッとした表情を彼女へと向け、そして気が付く。 身なりとしてはやお洒落な服を着ている平民の少女に見えたが、その髪の色と鳶色の瞳を持つ顔で思い出したのである。 従業員たちの間に配られている『重要顧客リスト』の中に、彼女と同じ顔を持つ公爵家令嬢の似顔絵があった事を。 「…!あ、あなた様はまさか…」 「騒がせてしまった事は謝るわ。けれどつれて行くのは勘弁して欲しいの、それでよろしくて?」 咄嗟に敬語へと変えた年配の彼が言おうとした事を遮りつつ、ルイズは命令を下す。 それは普段霊夢達と過ごしているルイズとは違う、ヴァリエール公爵家令嬢としての命令。 例え平民の服を着て、マントを外していたとしてもその姿勢と言葉には確かな力が垣間見えている。 長年劇場で働き、様々な貴族を見てきた彼は暫し無言になったのち、ルイズの前で気を付けの姿勢を取って言った。 「失礼しました!貴女様の付人なら、我々もこれ以上干渉は致しません」 隊長格である彼の言葉に後ろにいた後輩たちがざわめく中、ルイズは「よろしい」と満足そうに頷いた。 「じゃあ通常業務に戻って頂戴。色々と騒がせてしまったわね」 「いえ、何事も無ければ問題ありません。…ホラお前たち、下へ戻るぞ。…お前はさっさと壁から背を離せ」 ルイズからの謝罪を笑顔で受け取った年配の警備員は笑顔で頭を下げると、後輩たちを連れて下へと戻っていく。 ついで状況に置いてかれ、階段の上で硬直していた見張りの警備員をどやしつつ、彼は階段を降りて行った。 何人かの後輩警備員たちはルイズをチラチラと見やりつつ、渋々といった様子で先輩の後をついていく。 それから数秒が経ったか、もしくは一、二分程度の時間を所有したのかどうかは定かではない。 人が変わったかのように丁寧な対応をしたルイズに驚いていた魔理沙は、恐る恐るといった様子で彼女に話しかけた。 「あ、あのさ…、お前本当にルイズなのか?」 「…?なに頭おかしい事言ってるのよ、私は私に決まってるじゃない」 「やっぱりルイズだったか。うん、何だか安心したぜ」 ある意味失礼極まりない魔理沙からの質問に、先程とは打って変わっていつもの調子でルイズは言葉を返す。 それを聞いた魔理沙は安心し、ついで霊夢も納得したかのようにウンウンと頷く。 「成程。さっきの変に丁寧過ぎる対応も含めてアンタなのね」 「……一応私も貴族何だから、滅茶苦茶失礼な事言ってるって事は自覚しておきなさいよね?」 人を誰だと思っていたのかと突っ込みたくなるような事を言う巫女さんにそう言いつつ、ルイズはシエスタの方へと視線を向ける。 そこにはすっかり腰を抜かして、尻餅をついてしまっている彼女の姿があった。 「シエスタは大丈夫…じゃなさそうね」 「ひえぇ…み、ミスぅ~」 今にも泣きそうなシエスタに、ルイズはどういう言葉を掛ければ良いか悩んでしまう。 何せ彼女にとって貴重な休日を潰してまで霊夢達に街を案内してくれたというのに、それが大事になってしまったのだ。 ひとますせ腰を抜かしてしまってい彼女を起こして、それからカトレアの事について話せるところまでは話してみよう。 そう思った彼女が手を差し伸べる直前、その真横がスッとルイズのものでない女性の手が差し伸べられた。 えっと思ったシエスタが顔を上げると、穏やかな笑みを浮かべるカトレアがルイズの横に立っていた。 最初はその差し出された手の意味が良く分からず、ほんの数秒間硬直していたシエスタであったが、 すぐにその手が自分に向けられてる事に気が付いたのか、彼女は慌てて立ち上がりカトレアに向けて勢いよく頭を下げた。 「も、もうしわけありません!貴族様の御手を煩わせるような事をしてしまい…」 「いえ、私の方こそ御免なさいね。色々驚かせてしまったようで…」 「え…?そ、そんな滅相も…!……ん、あれ…?」 謝罪を途中で止めたカトレアの言葉に、シエスタは尚も食らいつくようにして謝ろうとする。 その時に下げたばかりの頭を上げようとした直前、彼女はカトレアの顔を見てハッとした表情を浮かべた。 暫し顔を上げた状態のまま固まったシエスタは、ゆっくりと彼女へ質問をした。 「もしかして…ミス・フォンティーヌさん…なのですか?」 その言葉にカトレアの隣にいたルイズはえっ?と言いたげな表情を浮かべ、次いでシエスタの方へと視線を向ける。 どうしてシエスタがちいねえさまの事を…?そんなルイズの疑問を解決させるかのように、カトレアはニコリと微笑んでこう言った。 「ふふ…ようやく思い出してくれたのね。タルブ村のお嬢さん?」 「…!やっばり、貴女さまだったのですね!」 その口から出た言葉にシエスタは満面の笑みを浮かべ、先ほどとは打って変わってカトレアと優しい握手を交える。 カトレアの両手を自分の手で包み込むようにして握手して、互いに優しくも柔らかい笑みを浮かべ合う。 突然の事に今度はルイズが驚く番となり、霊夢達もカトレアの言った言葉に目を丸くしていた。 「…今のは何かの聞き間違いか?今シエスタの事を、タルブ村のお嬢さんだって…」 「えぇ、言ってたわね。そこん所は私の耳にもハッキリと聞こえたわ」 『いや~…こいつはおでれーた。良く世界は広いよう狭いって言葉を耳にするがねぇ~』 これには霊夢だけではなくデルフも驚いているのか、彼女に続いて鞘から刀身を少しだけ出して呟いた。 それに続く…というワケではないが、カトレアの発言に驚いていたルイズも和気藹々と再会を喜ぶ二人を見ながら口を開く。 「まさかあの村の名前を今になって聞くだなんて…思ってもみなかったわ」 タルブ村…それは今のルイズ達にとって、一つの契機とも言える事態が重なり合った場所だ。 多数の羽目らと戦い、霊夢がガンダールヴとして力を発揮してワルドと死闘を繰り広げ、キュルケ達に霊夢らの正体がバレ…。 そして…――――――今まで長い間休眠状態であった、自分の虚無がその力を見せてくれた場所なのだから。 まさかあのシエスタが、あの村の出身者などとルイズ達は夢にも思っていなかったのである。 驚きの中にある彼女たちをよそに、シエスタは久しぶりに見るカトレアとやりとりをしている。 「心配しましたよミス・フォンティーヌ。急にゴンドアから姿を消してしまったんですから、領主のアストン伯様も心配してましたし」 「それは御免なさいね。本当は挨拶でもして立ち去ろうと思ってけど、あの時はアストン伯も多忙そうだったから」 「それならそうと言ってくれれば、アストン伯様もちゃんと時間を取ってくれたと思いますが…」 「わざわざ私なんかの為に時間を取らせるのも悪いと思っただけよ」 その話を横で聞いていたルイズは、今になってカトレア失踪の秘密を知る事となった。 やはりというか何というか…、相も変わらず自分の二番目の姉は色々と人を心配させているらしい。 昔から彼女はこうであった。自分の事など気にしないでと言いつつ、勝手にフェードアウトしてしまう事が多かった。 別の領地から父や母、姉の知り合いたちが遊びに来た時も気づいたらフラッと自室に戻ってしまう事があり、 自分がいては迷惑になってしまうと思っているのか、パーティの類にも殆ど出た事が無いのである。 更に父から領地を受け賜わっており、それに合わせて名字も変えている所為で彼女がヴァリエール家の人間だと気づかない人たちもいるのだ。 本人もわざわざ進んでヴァリエール家の者だと名乗らないため、相手も「あーヴァリエールの隣の…」という認識しか持たずに接してしまう。 結果的に初めて彼女を前にして、その特徴的な髪の色を見てもしや…と思い尋ねたところで発覚する…という事も度々あるらしい。 恐らくシエスタの言っている件も、あの戦いの後処理に追われていたアストン伯の事を思ってなのだろう。 本人は最善を尽くしたと思っているのだろうが、自分を含めて周りの人間を酷く心配させてしまうのが彼女の短所でもあった。 それを幼少期の頃から知っていたルイズは安堵のため息をついてしまい、相変わらずな姉に注意をする。 「シエスタの言うとおりですよ、ちいねえさま?私だって凄く心配したんですから」 「あら、御免なさいねルイズ。確かに色々と大変だったけど、こうして無事にいられるなら何よりよ」 「そんな事無いですよ!だって大変だったっていっても…あんなに怪物だらけな状況になってて………あ!」 自分の注意を笑って誤魔化すそうとする彼女に注意するあまり、ルイズは自分の口が滑った事に気が付いてしまう。 そしてルイズの言ったことで気づいたのか、カトレアとシエスタは彼女に怪訝な表情を向けている。 タルブ村を襲った怪物…つまりキメラに関してはまだ世間に公表されていない。 平民はおろか、この劇場内や街中にいる貴族たちですらあの村に起こった出来事を知らないのだ。 その事実を知っているのは軍部かその他の関係者…つまりタルブ村にいた人々ぐらいなものである。 カトレアとシエスタの二人は、あの夜ルイズ達がタルブにいたという事実をまだ知らない。 もし知られてしまったら、シエスタはともかくカトレアからは間違いなく「何て危険な事を…!」とお叱りを受けるだろう。 どうしようかと考えるハメになったルイズが思わず霊夢達へ視線を向けようとした時、背後から声が聞こえてきた。 「カトレア―…ってあれ?アンタ達、何処かで見た様な…」 初めて聞く声ではないが、まだ聞き慣れていない女性の声にルイズだけではなく、霊夢達もギョッとしてそちらへ視線を向ける。 カトレアとルイズの背後…劇場二階の貴族専用のお手洗いへと続く曲がり角の前で、巫女装束を着た女性――ハクレイが立っていた。 その左手で見た事の無い幼女の手を引いて出てきた彼女は、カトレアの傍にいるルイズ達を見ながらそんな事を聞いてくる。 「……ッ!」 その姿を視認した直後、微かな頭痛を感じた霊夢が痛みで目を細めてしまう。 まるで直接脳を針でチョンチョンと刺されているかのような、決して無視できない程度の頭痛。 痛みのあまり思わず人差し指で額を抑えていると、魔理沙とデルフがその異変に気が付いた。 「ん?おいおいどうした霊夢、急に辛そうな様子なんか見せて」 「別に…何でもないわよ。ただちょっと、急に頭が痛くなったというか…」 『急に?…って、そういや前にもこういう事なかったけか?』 一人と一本の心配を余所に、霊夢は急な頭痛と戦いながらもハクレイの方をジッと睨み付ける。 相手もそれに気づいたのかハッとした表情を浮かべて、彼女の方へと顔を向けてきた。 暫しジッと見つめていたハクレイであったか、何かを思い出したのか「あぁっ!」と声を上げた。 「…やっぱり!アンタ達、タルブ村でカトレアを助けに来たっていう子と一緒にいた――――…って、イタァッ!?」 最後まで言い切る直前、突如前方から投げつけられた空き瓶が彼女の額に直撃する。 瓶が割れる鋭い音が周囲に、次いでハクレイが勢いよく仰向けに倒れる鈍い音が辺りに響き渡った。 彼女が手を繋いでいた幼女――ニナは突然の事に「え、えぇ…!?」と目を丸くして驚いている。 これには霊夢と魔理沙、それにデルフだけではなく流石のカトレアも両手で口を押えて驚愕するしかない。 一体何が起こったのか瓶が投げつけられたであろう方向へと目を向けると、そこには荒い息を吐く妹の姿があった。 「そういえば…アンタもあの時いたのよねぇ…!」 「る、ルイズ!?あなた、何を…ッ」 そこら辺に置いてあった空き瓶を投げつけたであろう彼女は、右手を前に突き出した姿勢のまま一人呟く。 彼女の傍には空き瓶の持ち主であった青年貴族が、何が起こったのかとルイズとハクレイの二人を必死に見比べている。 明らかに自分の妹が投げつけたのだと理解して、カトレアも大声を出してしまう。 魔理沙は隠そうとするどころか自らカミングアウトする形となってしまったルイズに、あちゃ~と言いたげな苦笑いを浮かべていた。 「あららぁ…ここぞという所で、私達の知ってるルイズが出ちゃったな」 「出ちゃったな…じゃないですよ!?あわわわ…と、とりあえずお医者様を呼ばなきゃ…!」 『いやぁ~それには及ばないぜ?見ろよあの女を、頭に瓶が当たったっていうのにピンピンしてるぜ』 魔理沙とは対照的に慌てるシエスタを宥めるかのようにデルフがそう言うと、 痛みに堪えるかのような呻き声を上げつつ仰向けに倒れていたハクレイがヒョコッと上半身を起こしたのである。 「イテテテッ…!ちょっと、いきなり何すんのよ?」 「…!アンタねぇ、それはこっちのセリフよ!」 当たった個所が多少赤くなっているものの、ハクレイは何もなかったのかのように平然としている。 それが癪に障ったのか、いつもの調子に戻ったルイズはズカズカと足音を立ててハクレイの元へと歩いていく。 鬼気迫る表情で歩く彼女は余程怖ろしいのか、周りにいた貴族たちは慌てて後退り彼女へ道を譲ってしまう。 ハクレイの傍にいたニナもヒッ…と小さな悲鳴を上げて、彼女の背中へそさくさと隠れた。 「折角人が隠し通そうとしたところに…何で!空気を読もう…って事ができないのよぉ!」 「く、空気…!?空気って一体何の…って、あわわわわ!」 ハクレイの抗議など何するものぞと言わんばかりにルイズは彼女のアンダーウェアを掴み、強引に揺さぶって見せる。 ルイズの腕力が凄いのか、それともハクレイの体重が軽いのかただ為すがままに揺さぶられていた。 ニナがそれを見て泣きそうな顔になり、周りの貴族達や霊夢らが流石に止めようと思ったところで… 「る、ルイズッ!止めなさい!」 「え…キャッ!」 カトレアの制止する言葉と共に、ルイズの体がひとりでに浮き始めたのである。 丁度地面から五十サント程度であったが、それでも彼女の凶行を止めるには十分であった。 これにはルイズも堪らず悲鳴を上げてしまい、空中でジタバタと手足を動かすほかない。 突然の事に霊夢達もハッとした表情を浮かべ、次いでカトレアの手にいつの間にか杖が握られている事に気が付いた。 どうやら妹の凶行を止めようと、自ら杖を用いて魔法を行使したようだ。 カトレアの『レビテーション』によって宙に浮かされたルイズはまともな抵抗ができぬまま、姉の傍へと飛んでいく。 そうして自分の近くまで来たところで魔法を解除し、ようやく地に足着けたルイズの両肩をやや強く掴んで叱り付けた。 「駄目じゃないのルイズ、彼女は私の大事な付き人なのよ?それをあんな乱暴に…」 「うぅ…!で、ですが…」 「ですがもヘチマもありません!」 しかし叱り付けると言っても、大勢の人から見ればそれは出来の悪い生徒を諭す教師のように優しい叱り方である。 それでもルイズには効いたのか、グッと口から飛び出しそうになった抗議の言葉を飲み込みつつジッと堪えていた。 「あ、やっばり貴女も…あの!私の事、憶えてますか?」 「んー?………あっ、アンタは確か…シエスタだったわよね。無事だったの?」 珍しいカトレアからの叱りを受けるルイズとは別に、霊夢達はハクレイの傍へと寄ってきていた。 一方のハクレイは自分の方へと近づいてくる少女達に狼狽える中、シエスタが真っ先に彼女へ話しかける。 少し前に面識があったと言うシエスタの顔を見て、アストン伯の屋敷の地下で出会った時の事をすぐに思い出した。 そしてハクレイの口から出た相手の名前を耳にして、後ろに隠れていたニナもヒョッコリと顔を出し、パーっと輝かしい笑顔を浮かべる。 「あっ!シエスタおねーちゃん!」 「ニナちゃん!良かったぁ、貴女も無事だったのね」 まさかの再会に両者ともに笑顔を浮かべ、次いで互いに手を取り合って喜んでいる。 その光景を余所に、魔理沙デルフ…そして霊夢の二人と一本は今になって知った事実を前に呆然としていた。 「……なぁ霊夢。ハルケギニアって幻想郷よりずっと広いと思うが、意外と狭いもんなんだなぁ~」 『いやいや、これは流石に狭いというか…運命の悪戯か何かだと思った方が良いと思うぞ?』 苦笑いを浮かべ、シエスタとニナの二人を見つめる魔理沙に対しデルフが呆然とした様子で言う。 確かにこの剣の言うとおりだろう…と、痛む頭を手で押さえながらも霊夢はルイズとカトレアの方へと目を向ける。 まずはじめに彼女の姉がタルブへと赴き、あの戦いに巻き込まれた。 それより前に送った手紙が原因で、ルイズと自分たちはタルブへと赴く羽目となり、 何やかんやであの戦いが終わった今――――あの村にいた人間と剣が一堂に会しているのである。 世界は思ったよりも狭いと言うにはあまりにも狭すぎて、もはや偶然に偶然が重なった結果と解釈した方がまだ説得力があるくらいだ。 「もしも、これが運命の悪戯とかなら…帰ったらレミリアのヤツを問い詰めてやるわ」 今頃幻想郷で夏を堪能しているであろう紅魔館の主の事を思い浮かべつつ、視線を前へと向ける。 彼女の目線の先、そこにいたのは…体を起こして自分を見上げる霊夢に気付くハクレイであった。 互いに細部は違えど紅白の巫女装束を身にまとい、向かい合う姿はまるで…そう――――姉妹の様にも見えた。 「…で、少し訊きたいんだけど―――――アンタは一体、誰なのかしら?」 「前にも聞いたわね、その質問」 何時ぞやの時と同じセリフを耳にして、ハクレイは怪訝な表情を浮かべてそう返すほかなかった。 何やら上が騒々しい…。薄暗い天井を見上げながら一人の初老貴族はそう思った。 どんな事が起こっているのか…とまでは分からないものの、その騒々しい気配だけが天井をすり抜けてくる。 気配の出所からしてロビーに面した二階からだろうか、それとも一階のロビーなのか。 先ほど自分とぶつかってしまった少女達の事を思い出そうとしたところで、耳障りな男の声が横槍を入れてきた。 「おや、どうかなされましたかな?」 「……いや、何も。ただ上が騒々しいなと気になっただけだ」 顔に滲み出ている欲の皮が声帯にまで悪影響を与えているかのような声で尋ねられ、初老貴族は首を横に振る。 彼の目の前にいる商人風の男は、そのネズミ顔にニンマリとした笑みを浮かべつつ中断してしまった話を続けていく。 「では、約束通り貴方の雇い主が゙我々゙に渡したい物を持ってきてくれたという事なのですね?」 「ああ。…これがお前たちの欲しがってる゙書類゙だ」 初老貴族はそう言って懐に手を入れると、封筒に入れた書類を一枚ネズミ顔に差し出した。 ネズミ顔は貴族の背後と自分の周囲を見回した後、サッと見た目通りの素早い手つきでその封筒を受け取る。 そして目にも止まらぬ速さで封を切ると書類を一枚取り出し、これまた目を忙しくなく動かして物凄い勢いで流し読んでいく。 最後に書類の右端に押された白百合の印がある事を確認してからサッと封筒に戻し、そのまま自分の懐へと入れた。 ネズミ顔はもう一度周囲を見回してから、封筒を渡してくれた初老貴族に笑みを浮かべながら礼を述べる。 「ヘヘ…こいつは上々ですな、まさかここまで質の良い情報を用意してくれますとはねぇ」 「用意したのは私ではなぐ雇い主゙の方だ。…それに、タダでソレを渡すワケではないのは…知っているだろ?」 「そりゃあ勿論」 おべっかを使っても尚表情崩さない初老貴族にムッとする事無く、ネズミ顔は腰のサイドパックからやや膨らんだ革袋を取り出す。 それを素早く彼の前に差しだし袋の口を開けると、その中に入っているモノを拝見させる。 ネズミ顔の持つ革袋の中身は、今にも袋から零れ落ちちそうな程のエキュー金貨であった。 「コイツば運び屋゙をやってくれた貴族様の報酬でさぁ。この袋の分だけで、平民の六人家庭が優に一年は暮らせますぜ」 そう説明するネズミ顔から袋を受け取りつつ、中の金貨が本物であると確認してから懐へと入れる。 貴族が袋を受け取ったのを見て、ネズミ顔はヒヒヒ…と卑しくも小さな笑い声を上げた。 その笑い声に顔を顰めながらも、初老貴族は暖かくなった懐を触りつつ聞き忘れていた事を口にする。 「私の分の報酬は貰ったが゙雇い主゙の分の報酬は、無論忘れてはいないだろうな?」 「えぇそれは勿論。あのお方が我らの国へ…ついで『最後の手土産』を持参して来られたのならば、それ相応の褒美と領地を与えましょうぞ」 とても一商人が与える事のできないような事を言うネズミ顔の言った言葉の一つに、初老貴族は怪訝な表情を浮かべる。 「…『最後の手土産』?それは初耳だな」 「おぉっと、口が滑ってしまいしたな。しかしながら、我々も詳しくは聞いておりませんのであしからず」 …どうやら自分の゙雇い主゙…もとい守銭奴のタヌキ男は色々と秘密を抱えているらしい。 自分に取引を持ちかけてきた時のふてぶしさを思い出しながら、初老貴族は両手を挙げてそう言うネズミ顔との話を続けていく。 「これで互いに取引は済んだ。後はそちらで言われた通り…」 「分かっておりますよ。アンタはこのままロビーから…で、私はこのまま踵を返して下水道へ…」 ネズミ顔の言葉に初老貴族は彼の肩越しに見えている、灯りのついていない曲がり角を見やる。 自分の背後で賑わう劇場の一部とは思えぬ程、その角は暗かった。 この角を曲がって少し歩くと突き当りに大きな扉があり、そこを通ると下水道へと続く道がある。 本来は有事の際の避難用通路の一つとして造られたものなのだが、今では通路の灯りすら消して放置されていた。 更に従業員たちも滅多によりつかない為か何処か埃っぽく、通路の端には木箱や予備のイスなどが無造作に置かれている。 もはや緊急用の避難通路と言う役割は果たせておらず、とりあえずといった感じで倉庫代わりにされてしまっていた。 そして初老貴族…もとい彼を゙運び屋゙に指定しだ雇い主゙は敢えてここを取引場所として指定したのである。 「いやーそれにしても、まさか劇場でこんな取引を大胆に行えるとは…あのお方はこの場所を良く知っておられる」 ネズミ顔は懐にしまった封筒を服越しに摩りながら、ヘラヘラと笑っている。 彼が初老貴族から受け取った封筒とその中に入っていた書類の正体…、それは軍からの報告書であった。 主に王軍の所属から、新しく大規模編成される陸軍の所属となる軍艦の各状態を纏めたものだ。 船体の状況や武装と設備の変更から、転属に伴う名称変更まで事細かに書類に記載されている。 中には専門家が読めばその艦の弱点が分かるような事まで書かれており、本来ならば安易に持ち出されるものではない。 実際この書類も全て写しであり、本物は王宮の中枢部にて厳重な金庫の中に眠っている。 彼がこうして封筒に入れて持ち出せたのは、゙雇い主゙がその書類を確認できる権限を持っているからだ。 それでも写した事がばれれば、あの地位にいたとしても逮捕からの裁判は絶対に免れないだろう。 自身に降り掛かるリスクを考慮したうえで、それでもあの゙雇い主゙はこれを取引材料として用意したのである。 目先の欲に目が無い単なるバカか、捕まらないという自身を持ったヤツでなければここまでの事はできないに違いない。 そしてそれを大金と引き換えに受け取ったネズミ顔の商人も、決して只者ではない。 この国とも親交が深かったアルビオン王家を討ち、貴族中心の政治体制を敷く事になったかのレコン・キスタからの使者。 今や神聖アルビオン共和国と大仰に呼ばれる白の国からやってきた、諜報員の内一人なのである。 「先の戦いで艦隊の半分を失ったものの、この書類があれば奴らも我々の苦しみを知る事となるでしょうなぁ…ヘヘ」 ネズミの様な前歯を見せて笑う男の口ぶりからして、そう遠くない内に何かしら仕掛けるつもりでいるらしい。 何せ国の平民を盾にした卑劣極まる戦法で王権を打倒しており、更にラ・ロシェールでは不意打ちまでしてきた卑劣漢の集まりである。 トリステインがガリアやゲルマニアと同じ王軍から陸軍主導の体制へと移る前に、痛手を負わせたいのだろう。 正直初老貴族にとって、彼らの思想自体理解し難いものであった。 (我ら貴族にとって王家とは何物にも代えられない存在、それをないがしろにして何が貴族なのだろうか?) 目を鋭く細めて睨んでいるのを見て何を勘違いしたのか、ネズミ顔は卑しい笑みを浮かべたまま話しかけてくる。 「どうです?この際貴殿もクロムウェル陛下の治める神聖共和国で働いてみませんかな?」 「あぁいえ結構。このような事に手を染めた身であっても、私はあくまでトリステイン王国の貴族ですので」 何を言っているのかと悪態をつきたいのを堪えつつ、彼はネズミ顔の提案を一蹴する。 大体、わざわざ国名に゙神聖゙などという肩書きを付けている時点でまともでは無いと公言しているようなものだ。 誘いをあっさりと断られつつ、それでもネズミ顔はニヤニヤとした笑みを顔に貼り付けながら話を続けていく。 「ヒヒ…売国行為なんぞに手を染めておいて良く言いなさる。この国もいずれ我らが共和国の一つになるというのに…」 「…むぅ」 痛い所を突いてくる相手に彼は目を細めるものの、これ以上話しを続けるのは流石に危険だと判断した。 ゙雇い主゙曰く、ここにはあまり人が来ないそうだが…だからといって話し声を出し続けて良いというワケではない。 こんな暗い場所でヒソヒソと話し声が聞こえたら、余程用心深い人間でもなければ誰かと訝しんで近づいてくるかもしれないのだ。 それに、こんな貴族と呼ぶにはあまりにも容姿と態度が卑しいヤツを相手にするのも疲れてきたのである。 初老貴族は軽く二人を見回して周囲に誰もいないのを確認すると、尚も笑っているネズミ顔に解散を告げる事にした。 「とにかく、お互い受け取るモノは受け取ったんだ。これ以上、ここに長居するのは危険だろう」 「んぅ?…確かにそうですなぁ。では今回はここでお開きという事で…」 相手も彼の言う事の意味を理解したのだろう。軽く辺りを見回してからそう言って、スッと踵を返して歩き始める。 下水道へと続く曲がり角を曲がる際、彼は相手が結構な猫背であったことに気が付いた。 顔はネズミだというのに猫のように背中を若干丸めて歩く姿は、さながら商人の姿をした浮浪者である。 貴族たるものならば歩く時の姿勢はおろか、普通に立っている際にも猫背にならないよう厳しい教育をうけるものだ。 彼自身も幼少の折には両親から厳しく教えられてきたこともあって、今でも猫背にならないよう気を付けている。 それだというのに、今自分の前を立ち去ろうとしているネズミ顔の何とみすぼらしい後ろ姿か。 (貴族は貴族でも、私とは住んできた世界が違うのだろうな…最も、その事を考えたくはないがな) 最初から最後まで貴族として認めたくない男であったネズミ顔の背中から視線を逸らし、彼もまた踵を返す。 視線の先には、陽光に照らされた廊下。賑やかな喧騒が聞こえてくる劇場内の通路がある。 横切る人影はないものの、きっとここを出て角を一つでも曲がればすぐに劇や芝居を観賞しに来た人々に出会えるだろう。 色々と気にかかかる事はあるものの、ひとまず゙雇い主゙から頼まれた仕事を済ませる事は出来た。 後は報告を済ませてから駅馬車を予約して、手に入れたこの金貨を持っであの店゙へ行けば…『アレ』が手に入る。 年だけ無駄に取って、領地も金も無い自分には今まで手の届かなかった『アレ』で…遂に長年の『悲願』を達成できるのだ。 (姫殿下とこの国にはとても失礼な事をしてしまったが…全て終わった暁には、自首を――――…ッ!?) その時であった。背後の曲がり角から、あの卑しい男の悲鳴と激しい足音が聞こえてきたのは。 何かと思って背後を振り返ると、あのネズミ顔の男が曲がり角から慌てて姿を現した所であった。 角から完全に姿が出た所で足がもつれたのか、大きなを音を立てて仰向けに倒れてしまう。 何が起こったのかと聞く前にネズミ顔は隠し持っていた杖を抜いて、曲がり角の方へと突きつけながら叫びだした。 「ち…近づくんじゃねェ!俺はめ、メイジなんだぞ…ッ!?」 身分を隠しての潜入だというのに杖を抜き、鬼気迫る表情を下水道の方へと向けて叫ぶネズミ顔。 どうしたのかと声をが蹴る隙すら見つからない状況に、彼はただジッと曲がり角の方へと目を向けるしかない。 ふとその時、曲がり角の向こうから何やら聞き慣れぬ音が聞こえてくるのに気が付いた。 まるで液状の何かに命を吹き込み、それを引き摺らせているかのような普段決して耳にしないであろう異音。 それを聞いて只事ではないと判断したのか、彼もまた専用のホルスターから使い慣れた杖を抜く。 握りやすいようグリップに改良を加えてある一本の相棒を角の方へと向けつつ、ネズミ顔の元へ近づいていく。 コイツを助けるのは癪であったが、もしも彼の身に何か起これば今回頼まれた仕事はパーとなってしまう。 せめてここから逃げる手伝いでもしてやろうと思い、腰を抜かしたヤツに立てるかどうか聞こうとした。 「おいお前、どうし………た?」 しかしその直前で曲がり角の向こうを見てしまい、呼びかけを最後まで言い切る事ができなかった。 …正確には、曲がり角の向こう側…下水道へと続く扉の前にいた『ソレ』を目にして。 ―――――それは、正に晴天の霹靂とも言うべき突然の出来事であった。 「……ん?」 二度…いや三度目となるハクレイとの体面を果たしていた霊夢は、不穏な気配を感じ取る。 すぐさまハクレイから視線を逸らした彼女は、どこからその気配が漂って来ているのか探ろうとした。 二階のラウンジ…自分たちを興味深そうに眺める貴族たちの中には、その気配の根源は感じられない。 ならば下かと思った彼女はスッとその場を離れて手すりの方へと近づは、一階ロビーを見下ろし始める。 「…?どうしたんだ霊夢。急にそんな顔つきになって…」 「ちょっと黙ってて。………あっちかしら?」 魔理沙の呼びかけに対しぶっきらぼうに返すと、彼女から見て左の方へと視線を向け、少し身を乗り出してみる。 二階からでは多少見難かったものの、どうやら左の方にも奥へと通じる通路があるようだ。気配はそこから漂ってくる。 後ろで黒白が「ひでぇ」と苦笑いするのを余所に、少し身に言って見ようかと思った所で…、 「どうしたのよ?」 「え…うわっ!」 「うぉっ…と!」 ヌッ…と横から自分の顔を覗いてきたハクレイに驚き、思わず後ずさってしまい、背後にいた魔理沙とぶつかってしまう。 次いで魔理沙の手に持っていたデルフが床に落ちて、鞘越しの刀身から『イテッ!』というくぐもった悲鳴が聞こえてくる。 「…そこまで驚くモノかしら?」 「普通は誰でも驚くモノだっつーの!…ッたく!」 あくまで故意ではなかったと言いたいハクレイに、霊夢は驚いたのを誤魔化すように悪態をつく。 完全によそ見していたとはいえ、まさか見ず知らず(?)の相手にここまで近づかれるというのは、初めての事であった。 滅多に見せないであろう霊夢の驚くさまを見て、カトレアに夢中であったルイズも異変に気が付いたのだろうか、 少しカトレアに待っててと言った後、イヤな目つきでカトレアの付き人を睨む霊夢に話しかけた。 「一体どうしたのよレイム?」 「あぁ、ルイズ。…イヤ、ちょっと私の勘違いであって欲しい気配を感じてね…」 その言葉に気配?と首を傾げるルイズに霊夢はえぇ…と返し、だけど…と言葉を続けていく。 「もしもこれが勘違いじゃなかったら、今すぐにでも手を打たないと…大変な事になるわね」 そう言った彼女の表情が、いつも見せる気だるげなモノか真剣味を帯びたモノへと変わっていく。 今霊夢が感じ取っている不穏な気配…。それは決して、この王都…ましてや劇場の中で察知してはいけない物。 この世界に住む人や亜人達とも相容れないであろう異形達の発する、人工的に造られたであろう『無感情な殺意』。 それを彼女は今劇場の一階の左方…そこから入れる通路からジワリジワリと感じ取っていたのだ。 それは暗い中で一見すれば、ゴミ捨て場にあったようなローブを身に纏った人間に見えた。 どこかの下級貴族がもう流石に駄目だと思って捨てた様な、浮浪者しか見向きしない様な襤褸の塊。 頭からその襤褸をすっぽりと被った『ソレ』は、ズリ…ズリ…と黒いブーツで床を引きずりながらこちらへと向かってくる。 ブーツだけではない。ローブの隙間から垣間見える『ソレ』の手や顔は、黒いペンキに塗れているかのように黒い。 そして何よりも異常だったのはその黒々とした『ソレ』顔の部分で黄色く光る、二つの目玉にあった。 …大きい。人間のものにしては大き過ぎるであろうその目玉は、クリケットボールぐらいあるのだろうか。 それを爛々と輝かながら近づいてくる光景を見れば、だれだってネズミ顔の様な反応を見せるに違いない。 事実、それを目にした彼自身も何とか喉から出そうになった大声を堪えたのだから。 杖を持っていない方の手で口を押さえつつ、彼は今度こそ取引相手へと声を掛けた。 「おい、何だコイツは?」 「し、しらねェよ…!曲がり角を曲がった先に立ってて…あ、あぁあの目で俺を睨んできたんだ!」 声を裏返しながら叫ぶ彼に手を差し伸べつつ、初老貴族は得体の知れない『ソレ』に話しかけた。 「おい貴様!どこの誰かは知らんが、人間ならば今すぐにその正体を現せ!」 手を差し伸べられたネズミ顔が「か、かたじけいな!」と礼を述べるのを聞き流しつつ、相手の出方を待つ。 相手が平民ならば、心配する事無く指示通りに従うだろう。 しかし相手は予想通り全くいう事に応じず、尚も足を引きずりながらこちらへと向かってくる。 まるで冬の時期に上演するようなホラー劇に出てくるゾンビみたいに、無言でこちらへと迫りくる『ソレ』。 ただ黄色い目玉を光らせて闇の中にいるだけで、中々の恐怖を醸し出していた。 既に奴との距離は一メイルを切ろうとしており、流石に焦った彼は杖を持つ手に力を込めて言った。 「止まれ、止まるんだ!これ以上近づけばどうなるか分かるだろう!?」 「…へ、ヘヘッ!そうでさぁ、こっちはメイジ二人なんだ!怖がることなんて何もありゃあしねえッ!」 それまで腰を抜かして怯えていたネズミ顔が一転して、強気な態度で『ソレ』に杖を突きつけた。 性格はともかくとして、杖の持ち方からして実践慣れしているであろう彼の物を合わせて、相手は二本の杖を突きつけられている事になる。 平民でなくとも並大抵の貴族ならば、この時点で杖を抜くよりも先にまずは両手を上げて平和的な対話を望むだろう。 余程自分に自信があるか、もしくは有利不利が分からぬ馬鹿でもなければ抵抗する気なんてなくなる筈なのだ。 …それでも尚、自分たちのへと近づいてくる『ソレ』は決してその体を止めようとはしない。 メイジを二人相手にしているというのに、それでも尚微動だにせずゆっくりと…しかしかく実にこちらへと迫りくる。 これはマズイ。何かは良く分からないが、自分たちはとんでもないモノを相手にしているのかもしれない。 直感的にそう感じた初老貴族は『ソレ』に向けていた杖を下ろすと、ネズミ顔の肩を叩いて逃亡を促そうとした。 「おい…何だか知らんがコイツはマズイ気がする。ここは一気に走って逃げた方が…」 「…へ、ヘッ!何かは知りはしませんが、生き物ならば魔法は効く筈だ!」 しかし肝心のネズミ顔自身は退く気など毛頭ないのか、杖の先を向けたまま口の中て呪文を詠唱し始めた。 口内詠唱…それも高等軍事教練で覚えさせられるレベルの早く、正確な詠唱で魔法を構築していく。 逃げようと提案した初老貴族が止める間もなく、ネズミ顔の持つ杖の周りを冷気が帯び始める。 大気中の水分を『風』系統の魔法で冷やし、氷結させて一本の氷柱へと変化させていく。 それを一本につき三秒で生成し、十秒経つ頃にはすでに三本の氷柱が出来上がり、ネズミ顔の周囲を浮遊していた。 『風』系統と『水』系統の合わせ技であり、『ファイアー・ボール』や『ウィンド・ハンマー』に次ぐ攻撃魔法…『ウィンディ・アイシクル』。 詠唱の力量しだいによっては無数の氷の矢を放ち、硬度も自由に調節できる攻撃特化の魔法である。 攻撃準備は既に整ったのか、余裕を取り戻したネズミ顔は杖のグリップを握る手に力を込めて狙いを定めた。 狙いはもちろん自分たちへ近づく襤褸を纏った正体不明の相手であり、その黄色く大きな二つの目玉。 彼の周りを浮遊していた氷柱も一斉にその先端を『ソレ』へと向けて、主の命令を今か今かと待っている。 まさかここでぶっ放すつもりか?そう思った初老貴族は咄嗟にネズミ顔を止めようとした。 「おい、よせッ!こんな所で魔法を放てば流石に音で気づかれる…!!」 「心配しなさんな、ぜーんぶアイツに当てりゃあ良い。氷柱が肉に刺さる程度なら、そう大きな音は出ませんぜ」 中々に物騒な事を言い放った後、相手の制止を振り切る形でネズミ顔は氷柱へと一斉発射を命じる。 瞬間、それまで『ソレ』に向けられていた三本の氷柱が目にも止まらぬ速さで目標目がけて発射された。 人の手で投げられたダーツよりも速く、拳銃から放たれた弾丸よりも僅かに遅いスピードで氷柱は飛んでいく。 その鋭く尖った先端の向かう先にいる『ソレ』は、避けようという素振りすら見せていない。 最も、避けようと思った所で一メイルあるか無いかの距離で放たれれば避けようなど無いのだが。 他の二本より僅かに先行していた一本の氷柱が『ソレ』の右肩を襤褸と一緒に貫き、鈍い音が暗闇に響き渡る。 次いで二本目が『ソレ』の左肩を容赦なく貫き、最後の三本目が勢いよく胴体へと突き刺さった。 それがトドメとなったのか、それまで杖を突きつけられても微動だにせず迫ってきていた『ソレ』は体を大きく仰け反らせてしまう。 流石の初老貴族もおぉ…!と声を上げた直後、『ソレ』は氷柱が突き刺さったままの状態で仰向けに倒れてしまった。 魔法の氷柱から漂う冷気によって、夏場だというのにヒンヤリとした空気が流れる暗い廊下。 ドゥ…と鈍い音を立てて倒れた『ソレ』を見てネズミ顔は笑みを、初老貴族は目を丸くして見つめていた。 「…やったのか?」 「やったかどうかはまだ分かりはしませんが、確かな手ごたえはありましたぜ」 相手の不安げな問いに、倒れた相手に杖を向けたままネズミ顔は得意気に返事をする。 確かに彼の言うとおり、三本の氷柱が見事刺さったヤツ…『ソレ』は仰向けになったままピクリとも動かない。 当たり所が悪かったか、もしくは死んだふりをして油断を誘おうとしているのか…。 そのどちらかもしれないし、ひょっとすればもう死んでしまっているのかもしれない。 ひとまず自分たちに迫ろうとしていた危機を拭い去れた事に、初老貴族は溜め息をついて安堵したかったが、 すぐに今の状況下でこれはマズイと判断したのか、やや焦った表情を浮かべてネズミ顔に話しかけた。 「しかし、コイツは不味い事になってきたな。やむを得なかったとはいえ人殺しとは…」 「まぁ仕方ありませんさ。それに相手がどうあれ、場合によっちゃあ口を封じなきゃいけませんでしたしねぇ」 相手の正体が未だ分からぬ中、殺めてしまった事に少なくない罪悪感を抱く貴族に対し、ネズミ顔は平気な顔をしている。 確かに彼の言う通りなのだろうが、それでも『口封じ』で平然と人を殺せると宣言する事に対しては同意できなかった。 一難去って再びその顔に笑みを取り戻したネズミ顔をややキツめに睨み付け、首を横に振って忘れる事にした。 「お前さんに対しては色々と言いたい事はあるが…ひとまずはお前が手に掛けた相手を………ん?」 その時であっただろうか、 自身の耳に何かが溶ける様な音が聞こえてきたのは。 まるで氷の塊を充分に熱した鉄板の上に置いた時の様な、水の塊が水蒸気を上げながら溶けていくあの特徴的な音が。 ネズミ顔にもそれは聞こえているのか怪訝な表情を浮かべた彼と顔を見合わせてしまう。 それからすぐに気が付いた。音の出所が自分たちの背後、先ほど地面へと倒れた『ソレ』から聞こえてくる事を。 先ほど倒れた『ソレ』の足元から出ていた異音に次ぐ新たな異音に、初老貴族は何かと思って音が聞こえてくる背後へと振り返る。 彼らは目を見開き、口を大きく開いて絶句するほか無い。 振り返った先で起こっていた光景は、二人の想像の域を遥かに超えていたのだから。 そして、灯りの消えた廊下からロビーにまで響く男たちの悲鳴が聞こえたのは、それから間もない事であった。 ルイズ達にとってそれは突然の事で、霊夢にとっては自らの『嫌な予感』が的中した事を意味していた。 突如、それまで文化的で平和な雰囲気が漂っていた一階ロビーから物凄い叫び声が響き渡ったのである。 通常業務を行っていた窓口の嬢や警備員、平民貴族問わず劇を見に来た御客たちはビクッと身を竦ませた。 ロビーの一角にあるレストランからは謎の絶叫を後追いするかのようにカップの割れる音が二度、三度と聞こえてくる。 各所に設置されたソファーに腰をおろし休んでいた者たちはギョッとし、中には慌てて立ち上がる者さえいた。 劇場は一階、二階ともに沈黙に数秒間支配され、次いで一階にいた者たちは悲鳴が聞こえてきた方へと顔を向ける。 彼らが視線を向けた先にあったのは、普段は従業員さえ滅多に使わない非常用通路があった。 華やかなロビーの左端にある、灯りの消えた薄暗い廊下は絶叫など無かったと言わんばかりに沈黙を保っている。 それがかえって不気味さを増しており、傍にいた者たちは恐る恐るといった感じで廊下の入口から離れようとする。 やがて静寂から小さなざわめきが生まれ、劇場各所に配置されていた警備員たちが次々とロビーにやってきた。 当然二階のラウンジにいた貴族達も何だ何だとざわめき始め、中には従業員に説明を求む者さえいる。 「お、おいそこの君!今の悲鳴は…な、何なのか説明したまえ!」 「あ…その、いえ…申し訳ございません貴族様。我々に皆目見当がつきません…」 しかしながら彼らも全く事情を把握できておらず、頭を下げて謝るしかないという状況であり、 何人かは「ただ今調べております」や「至急警備の者が原因を究明致しますゆえ…」といった返事をしている。 その時であった、ふと一階を見下ろせる手すり付近から何人かの小さな悲鳴が聞こえてきたのは。 何だと思った者達が後ろを振り向こうとした直前に、先ほど場を騒がせていたヴァリエール家の令嬢が「レイム!」と叫び声を上げ、 それとほぼ同時に、あの紅白服の少女―――令嬢がレイムと呼んだ者――がいつの間にか手にしていた剣と一緒に手すりを飛び越えたのである。 これには流石の貴族達も目を丸くせざるを得ず、先陣に倣うかのように驚きの声を上げる者までいた。 いくら館内とはいえ二階から一階までかなりの高さがあり、勢いよく手すりを飛び越えれば軽傷では済まない。 しかし…これから一階で悲惨な事が起きると予見した彼らの意に対して、飛び越えた本人である霊夢は気にも留めていなかった。 彼女にとってこれくらいの高さから飛び降りて無事に着地する事など、息を吸って吐くのと同じくらい簡単なのだから。 二階の手すりを飛び越えて空中に身を躍らせた彼女は、足を下へ向けてロビーへと落ちていく。 上の悲鳴で気が付いたのか、自らの着地地点にいる何人かの下級貴族たちが慌ててその場から下がろうとする。 (こういう時は落ちてくる私を拾い上げてくれる人が一人でもいそうな気がするんだけど…現実って厳しいわねぇ~) 博麗霊夢にしてはやけにロマンチストな事を想像しつつも、彼女は自らの能力をコントロールして着地の準備を瞬時に整える。 長年の妖怪退治と異変解決で培ってきた経験と、先天的であり鋭利過ぎもする才能がそれを可能にする。 そして地面まで後一メイルという所で彼女の体は重力の縛りから逃れ、ふわり…とその場で浮いて見せたのだ。 これには慌ててその場から離れた下級貴族や、遠巻きに見ていた平民たちがおぉ…!と驚きの声を上げた。 『フライ』や『レビテレーション』が使えるメイジであれば彼女と同じような事はできるが、それでも並大抵のメイジにはできない。 高速詠唱や口内詠唱の高等技術が無ければ、両足の骨を折って無残な姿を衆目に晒す事になってしまうからだ。 「よっ…と!……あっちね」 そんな大衆の視線など気にする風も無く降り立った彼女は、手に持っていたデルフを背負うと悲鳴の聞こえてた方へと視線を向けた。 悲鳴が聞こえて来たであろう場所には、一階にいたであろう警備員や従業員たちが様子を見ようと集まってきている。 霊夢はそちらの方へ素早く体を向けると、床を蹴り飛ばすようにして走り出した。 自称魔法使いの癖に結構な体力馬鹿である魔理沙よりかは劣るものの、それなりに速く走れる自信はある。 まるで亀かナメクジの様に、ゆっくりと廊下へ入っていこうとする警備員たちの間を通って、彼女は一足先に薄暗い廊下へと入り込む。 「ん?…あ、おい君!待ちなさい!」 『あー無理無理。ウチの相棒はそういう呼びかけに対して全然聞かんからねぇ』 背後から止めようとする警備員の呼びかけをデルフが代わりに答えつつ、霊夢は恐れもせずに廊下を一直線に進む。 その彼に続いてもう一人が呼び止めようとしたところで、彼女の姿は曲がり角の向こうへと消えてしまった。 (それにしても、明るいのと暗いのとどっちが良いかって聞かれたら、やっばり明るい方がいいわね) まるで日の暮れた路地裏みたいな薄暗い廊下を走りながら、ふと霊夢はそんな事を思った。 節電か何かなんだろうか、灯りの点いていない廊下はまるで同じ劇場の中とは思えない位雰囲気が違う。 しかも最初の角を曲がってからというものの、使っていない椅子や大きな木箱が廊下の端に無造作な感じで置かれている。 恐らくずっと前に置かれたままなのだろう、それ等には決して薄くない量の埃が積もってるいるのが一目で分かる。 ロビーや二階のラウンジが普通の劇場ならば、今いるここはさながら閉館して暫く経った廃墟の様である。 とはいえ、仕事の都合上そういう暗い所に赴く事が多い彼女にとっては屁でも無い程度の暗さだ。 霊夢は廊下の端に置かれた荷物を避けて進んでいたがそれが鬱陶しくなってきたのか、ゆっくりと体を宙に浮かせた。 それからチラリ後ろを見遣り、誰もついてきていないのを確認して「よし」と呟いてからそのまま前へ進み始める。 廊下の天井と、一定の間隔で左右の壁に取り付けられているカンテラとの距離に気を付けつつ、スイスイと飛んでいく。 『おいおい、大胆な事をするねぇ?誰かに見られたらどう説明するんだい?』 「別に誰も見てないんだから飛んでるじゃないの。…っていうか、結構な数の人間が飛べるんだしどうとても説明つくわよ」 面倒くさがりな霊夢の言い訳にデルフは暫し黙ったのち、「そりゃそうか」と一言だけ呟いた。 やがて邪魔な障害物も疎らになった所で着地した彼女は、目の前にある曲がり角を睨み付ける。 そして目を数秒ほど閉じて何かに集中した後でチッ…と舌打ちし、苦虫を噛んだ様な表情を浮かべて言った。 「クソ…!さっきまでこの近くから気配が感じ取れたんだけど、かなり薄くなっちゃってるわね」 『つまり、もうこの劇場内にはいないってコトか?』 「何処かに隠れてる可能性も否めないけど、私相手にこう短時間で隠れられるとは思えないけど……って、ん?」 昨日に続き、気配の主をまたもや見失ってしまった事に悪態を付きつつ、霊夢は前方の曲がり角へと足を進める。 少なくともあの角の向こうに何か証拠でもあればいいなと思っていると、ふと場違いな空気が自分の体を過った事に気が付く。 冷たい、まるで三月初めの朝一番に頬を撫でてくる風の様に冷たかった。 詳しい月日は知らないものの今のハルケギニアは夏真っ盛り、そんな空気が流れるワケがない。 突然の冷風に思わず身構えた霊夢に続くようにして、デルフもその場の空気が変わった事に気が付く。 『なんだぁ?この季節感ゼロな冷たい空気は?』 「確かに。いくら建物の中とはいえ、まるで氷の様に冷たいわね」 『…気を付けろよレイム。お前さんも気づいてると思うが、この風…あの角の曲がった先から流れてきてるぜ』 デルフの言葉に「御忠告、どうも」と返しつつ、彼女は左手を右手の袖の中に入れつつ曲がり角を目指して歩き始める。 確かに彼の言うとおり、今この廊下に流れている季節はずれな冷たい風は曲がり角の向こうから流れてきている。 そこな『何があるのか』はまだ分からないものの、少なくとも『何もない』という事はなさそうだ。 デルフは抜かないものの、いつでも行動に移せるよう身構えたまま曲がり角へと進む。 一歩進むごとに冷気はその強さを微かに増してゆき、夏用の巫女服を通して体を冷やしてくる。 暑いから一転し、寒いと訴えてくる体を半ば無視しつつ霊夢はいよいよ角を曲がろうとする。 そこで一旦足を止めて、軽く深呼吸して息を整えた後…思い切って角の向こうへと飛び出した。 …しかし、その先に広がっていた光景は彼女が想像していたものよりも遥かに異常であった。 曲がり角の向こう、劇場から避難用の下水道通路へと続いているその廊下。 角の向こうまで届くほどの冷気を放っていたであろう原因は、突き当りにある扉の近くに転がっていた。 何故それが原因だと思ったのか、霊夢でなくともそれを見た者ならば誰もがそう思うだろう。 それは真夏だというのにまるで酷く吹雪く雪山に放置されていたかのように、氷や霜に塗れていたからだ。 元の形が何なのか分からない程の状態になっているソレの体からは、凍てつくような冷気が漂ってくる。 夏場だというのに寒い程の冷気を放つという事は、恐らく魔法で形成されたものなのだろう。 最初はその『何か』が気配の主かと思っていたが、すぐにそれは違うと判断できるほどに気配を全く感じないのだ。 となれば、先ほどまでいたであろう気配の主が廊下に転がっている『何か』を氷漬けにしたのであろうか。 そんな事を考えつつその『何か』が何なのかを調べようとした直後、目の前でその『何か』が動いたのである。 スッと足を止め、右袖の中に入れていた左手で針を取り出した彼女はいつでも攻撃できるよう警戒した。 まるで不格好な芋虫の様に鈍い動きを見せる『何か』は、動く度に纏わりついた氷や霜が音を立てて剥がれていく。 暗く静かな廊下に響き渡る中、霊夢は落ち着き払った態度で目の前の『何か』がどういう行動を取るのか待っていた。 (気配からして化け物の類じゃなさそうだし、けどもしもこれが…人間だとするならば…) 脳裏にそんな考えを過らせたのがいけなかったのか、その『何か』は自らの頭と思しき部分をゆっくり上げたのである。 流石の霊夢もそれには多少驚くなかで、頭を上げた『何か』の顔を見て目を見開いて後ずさってしまう。 「…!」 『コイツは…コイツは確か…』 それを同じく目にしたであろうデルフも、狼狽えるかのような言葉を漏らしてしまう。 原型が分からぬ状態まで氷に覆われた体になってしまった今、唯一自由であった頭を動かして霊夢達を見つめる『何か』。 その正体は名こそ分からぬままであったが、その年を取った顔はついさっき見た覚えのあるものであった。 一階のロビーで自分とぶつかってしまったあの初老の男性貴族、その人だったからだ。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 一方、そこから大きく場所は変わってチクトンネ街にある゛魅惑の妖精亭゛。 今はシエスタと休日を楽しんでいるジェシカと、その父スカロンが営んでいる夜間営業の飲み屋だ。 夜になれば大繁盛するこの店も今は出入り口を硬く閉じており、外からの侵入者を拒んでいる。 それは周りにある他の飲み屋も同じで、寂しい空気が通りに吹き荒んでいる。 店の者たちにとって朝と昼は就寝の時間である為、ここでは昼夜逆転が当たり前であった。 最も、今は午後三時。あと二、三時間もすれば彼らの稼ぎ時がチクトンネ街の雑踏や喧騒と共に訪れる。 その為か気の早い者たちから順にベッドからその身を起こし、支度を始めていく。 特に゛魅惑の妖精亭゛では早寝早起きが基本の為か、店の中は既に騒がしくなってきていた。 いよいよ夕方が迫ってくるであろうこの時間、店の者たちはもぞもぞと起きて開店準備を始める。 店で働く女の子たちは寝間着から際どい衣装に素早く着替て、テーブルを拭いたり等店内の掃除をする。 生憎と店の看板娘の一人であるジェシカは休みであったものの、その分チップを稼げると彼女たちは笑い合っていた。 一方厨房で働いてる者たちはというと、ブルドンネ街の方から運ばれてきた今日一日分の食材を倉庫にしまうなどの力仕事をしている。 氷を満載した運送業者の馬車から降ろされる食材やワインはしっかりと鮮度が保たれており、痛んだものは見当たらない。 店の裏口に止められた馬車から食材を運び出す者たちの殆どが男であったが、その中に女性が一人だけいた。 眩しいくらいの金髪をボブカットにしており、髪と同じ色をした切れ長の両目。 遠目からなら美青年と見間違えてもおかしくない美しい顔立ちの彼女は、周りの男性たちと同じ服を身に纏っていた。 市販の物と比べてやや厚めのブラウスに黒い長ズボンと、調理場で動きやすい出で立ちをしている。 本当なら服の上に妖精の刺繍施された薄緑色のエプロンを着けるのだが、今は店のカウンターに置いていた。 今は業者が運んできた食材を厨房の者たち総出で運ぶのが仕事であり、調理場に立つのはまだまだ先の事である。 そしてこの店は料理などの仕事を基本男性に任せている為、彼女の存在は思いのほか目立っていた。 現に、通りから荷物を運ぶ様子を垣間見ていた人たちの内何人かがその場に留まり、遠くからジッと女性を見つめている。 しかし彼らの大半がその仕事ぶりを見たいが為ではなく、彼女の顔をもっと見たいためにその足を止めていた。 どこぞの貴族令嬢と言われれば思わず納得してしまう程の美貌を持った女性が、自分たちと同じ場所で働いている。 女に飢えている男たちはその光景と顔を見るだけで満足であり、その内の何人かが決心した。 今日は絶対この店へ足を運んで、あの素敵な女性にお酌をして貰おうと。 それを心に誓った男たちは軽い足取りでその場を離れ、自宅に置いてある貯金を取りに人ごみの中へと消えていく。 しかし悲しきかな、彼らは知らなかった。 彼女がウエイトレスではなく、滅多に厨房から出てこない皿洗いの仕事をしている事に。 「何だ、お前さん皿洗いなのに随分と人気があるようだぜ?」 「そうか?私としてはあまり気にしてないんだが…」 男たちの視線に気づいていたコックの一人が茶化すように、店内から出てきた女性に話しかける。 彼の言葉に気づいて軽く微笑みながらも、彼女は言葉を返した。 「でもまぁ、それで金持って店に来てくれるのなら悪くはないな。―…だろ?」 麗しい顔からは想像できない冷たさを孕んだ返事に、話しかけたコックは思わず苦笑いをしてしまう。 (そういやぁ…コイツとあの女の子がウチに来てからもう二ヶ月近く経つのか) 彼はふと思い出したかのように心中で呟き、これまでの事を思い出し始めた。 性格自体は生真面目で仕事熱心で、皿洗いの癖に店で出しているメニューのレシピもすぐに覚えてしまったほど料理の腕も良い。 しかし時折、今の様な冷たい言葉を遠慮なく呟くこともある為かあまり人が寄ってくるような人柄ではない。 更にここで働く前は東方から来たという旅人だった所為か、思い出したように三回ほど仕事を休んで姿を消した事があった。 一回目は半日で二回目は一日程度ではあったが、先週の三回目は女の子を店に置いて五日ほど何処かへ行っていた。 本人曰く「ここ一帯の地形や生態系を調べている」と言ってはいるが、真相は全くわからない。 休む時は事前に言ってくれるし、休んでいた分を返すように仕事も頑張ってくれるが、それがかえって怪しさを募らせている。 だがこの店…否、ここチクトンネ街の飲み屋で働いている大抵の人間はそれなりの゛ワケ゛を持っている。 程度の差はあれど殆どの人間はその゛ワケ゛を隠しているし、詮索されることを嫌う。 それほどまでに隠したい゛ワケ゛を、無理矢理聞き出そうというのはあまりにも失礼な事だ。 いつの頃からかは知らないが、ここチクトンネ街にはそのような暗黙のルールが存在する。 無論この店を経営するスカロンもそのルールに従い、彼女の休暇届を笑顔で受け取っている。 もともとは宿を探していた事がここで働くキッカケだったせいか、スカロン自身も無理に働かせようとは思っていないらしい。 置き去りにされる女の子も一人でいるのは慣れているのか、彼女が居ぬ間はその埋め合わせをするかのように働いている。 屋内でも大きな帽子を被った不思議な子であったが、これもまぁ無理に詮索はしなかった。 ただ…やはり気になるのか、ジェシカをはじめとした店の何人かが秘密を探っているとかいないとか。 「…それじゃあ、私は次の荷物を取ってくるからお前もそれを運んでくれよ」 そんな風にして、一人回想に耽っていた時であった。耳元に彼女の声が入ってきたのは。 彼はハッとした表情を浮かべ、思わず落としそうになった食材入りの木箱をグッと持ち上げる。 箱を落として貴重なお給金が減るのを回避できたコックはホッと一息ついてから、頭だけを後ろへ向ける。 視線の先に、新しい木箱を軽々と持ち上げる女性の姿があった。 「ランの奴…力もあるしそれなりに面白いが、人を驚かせるのも上手いよな」 下手すれば減給をくらっていた彼は恨めしそうに女性―…否、八雲藍の背中に向けてそう呟いた。 「よっ――と、…ふぅ」 馬車の荷台から運び上げてから店内の倉庫にまで置き終えた藍はその場で一息つく。 汗一つかいていない額を無意識に右腕で拭いつつも、ふと倉庫の中を一通り見回す。 「それにしても…相変わらずスゴイ量だな」 ゆっくりと頭を動かしながらも彼女はポツリと、感想らしき言葉を口から漏らす。 あと三時間近くに迫った開店から夜明けの閉店まで、店を盛り上げてくれる一日分の食材たちが狭い倉庫に置かれていた。 これ等はすべて営業時間内に使い切り、無理な場合は従業員たちの賄いとして利用される。 ゛魅惑の妖精亭゛はここ一帯では非常に有名な店であり、納品される食材の量とそれの消費速度はかなりのものだ。 その為今倉庫に置かれている食材も五分の一だけを残して、全てが客の胃袋に収まってしまう。 だがその日その日で売り上げが変わる様に、食材が余らない時と異常に余ってしまう事もある。 ブルドンネ街にある飲食店等では、マジックアイテムを使って保存させる事が出来るという。 こことは違い上流階級の貴族や成功を収めた商人を相手にする店では、冷凍庫とも言える場所の存在は必要不可欠だ。 しかし、下町であるチクトンネ街にあるような店にはそんな気の利くアイテムが無く、あったとしてもそれを維持する金が無い。 使い切れなかった食材は保存ができず、ここを含めた大半の店では一日に出される生ごみの量も少しばかり多い。 だがこの世界の人々の衛生面は意外とキッチリしており、ちゃんと決められた場所にゴミが捨てられている。 そのゴミを始末するのは役所が雇った清掃業者と飼い主のいない犬猫に、カラスやネズミと言った動物たちだ。 もし両者を天秤に掛ければ、金を要求する業者なんかよりも無償でゴミを処理してくれる動物たちの方が幾らか自然に優しいのは間違いない。 この地に住まう人々もそれを理解しているのか、動物たちにあまり手を出すと言った光景を見たことが無いのだ。 結局のところ、人は何処まで文明が進んでいったとしても、動物との共存は必要不可欠なのだろう。 「貴族や平民を抜きにしても大差ないのだな。人間の生活というのは」 自分以外誰もいない倉庫の中で、藍は呟く。 思っていた以上にこの世界の人々が、しっかりしていることに感心しながら。 そんな時であった、開けっ放しのドアの先から聞きなれた男の声が聞こえてきたのは。 「ホラホラァ~…貴方たち、ちゃんと腰をキュッ!と引き締めて持ち上げなさい!」 野太い声では非常に気持ち悪いオネェ言葉で話す男に心当たりがあった彼女は、思わずそちらへ振り向く。 開いたドアの先にあるのは、今いる倉庫や厨房に裏口といった場所を繋いでいる従業員専用の廊下だ。 そして、路地裏側に取り付けられている窓から先程の声の主であるスカロンの後ろ姿が見えている。 彼の近くには大きな箱を持っている二人の店員がおり、何やらトラブルを起こしかけてスカロンに叱られているようだ。 スカロンは器用に腰だけをくねくねと動かして喋っており、それを窓越しに見ている藍は思わず苦笑してしまう。 何故だかあれを見ていると、人気のない田んぼや畑に時折出てくる白いアレを思い出してしまうのだ。 「本人には失礼だが…何度見ても、あの動きは不気味だな」 色々と条件付きではあるが、ここに住まわせてくれているスカロンに向けて呟いた時であった。 「ニャア…」 「……?」 ふと足元から、猫の鳴き声か聞こえてきた。 何かと思い後ろへ向けていた頭をそのまま下へ動かしてみると、茶色の猫がチョコンと座っていた。 まるでキチンと躾けられた飼い猫の様にその場から動かず、けれど尻尾だけは左右に軽く振っている。 それに体の汚れと臭いからして、恐らくはチクトンネ街の残飯や生ゴミを餌にする野良猫の一匹だろう。 トリスタニアに住んでいる動物の中ではネズミと人間、そしてカラスや犬に次いで生息数の多い猫が、今自分の足元にいる。 その事実に気づいた藍は一瞬だけ驚いた表情を浮かべるも、それはすぐに暖かい笑みに変わった。 この時間帯は換気の為に窓を開けっぱなしにしているので、こうして野良猫が紛れ込んでくることがある。 ネズミならともかく猫が入ってくると爪で引っ掻かれる事もある為か、見つけ次第軽く叩いて追い出すのが基本であった。 「どうした?今の時間に入ってきても何もやらんぞ?」 しかし、店内に不法侵した猫の目撃者である藍は一人喋りかけつつも、よしよしと猫の頭を撫で始めた。 犬はともかく猫はそれほど嫌いではない彼女にとって、野良猫が一匹店内に紛れ込んでも錯乱することは無い。 何より彼女と一緒にいる゛あの子゛が゛あの子゛だ。猫嫌いになる要素が全くなかった。 だからこうして今の様に、余裕満々といった態度で野良猫を触る事もできる、 しかし規則は規則なので店内から追い出す必要がある、無論暴力を振るわずして。 もしも間違って蹴飛ばしたり殴ったりしてしまえば゛あの子゛は泣くだろうし、自分に怒りもするだろう。 そこまで考えていた時点で、藍はこの野良猫を極めて安全な方法で店内から追い出す事を選んだのである。 「一体どこから入ってきたのか知らないが、今度は夜明けにでも来た方が良いよ?」 頭をなでながらも、藍は゛あの子゛に話しかける時と同じような優しい声と言葉遣いで野良猫に話しかけている。 もしもこの光景を別の誰かが見ていたのなら、怪しいと思われても仕方のない事であろう。 何せ言葉の通じない動物と話し合っているのだ。余程の猫好きでなければ見慣れぬ光景であることには違いない。 遠まわしに寝床へ戻れと言われた野良猫はその言葉に対し、口を開けて一声鳴いた。 「…ミャ~ォウ…オゥオゥ…ミィ~ウ」 それは誰が聞いても単なる猫の鳴き声、人の耳では決して解読する事の出来ぬ彼らだけの言語。 「―――――…何?」 しかしそれをすぐ傍で耳にした藍の表情は、穏やかな笑みから瞬時に怪訝なものへと一変した。 もし彼女の豹変を他人が見ていたらこう思うだろう。まるで猫の言わんとしている事がわかっているかのようだと。 だが、それは決して間違ってはいない。 理解しているのだ。目の前の猫が何を伝えようとしているのか。 そしてその内容が、数時間後に迫ってきた店の仕事よりも優先すべき事だというのも。 表情を変えた藍は真剣な眼差しのまま足元の猫を抱きかかえると立ち上がり、そのまま廊下へと出る。 「あの子にこう伝えといてくれないか?゛店に残っておけ゛…と」 全く暴れようともしない野良猫の頭を最後に一回だけ撫でてそう言った後、スッと両腕の力を抜いた。 藍の腕から解放された猫はストッと床に着地したのち、すぐ横にある階段を上り始めた。 彼女からの伝言を、二階にある仮の居室にいるであろう゛あの子゛に伝えるために。 時刻が午後の三時に達し、落陽の時を間近に控えたチクトンネ街の一角。 人々は朝や昼と比べて気温がゆっくりと下がっていくのを肌で感じつつ、狭い通りを行き交っている。 少し歩いけばブルドンネ街の方へ行けるここは人の通りが他と比べて割と多く、当然活気もあって激しい。 平民の中に混じってマントを付けた貴族の姿も見られ、中には従者を連れて通りを歩く者たちもいる。 そんな場所を、魔法学院の制服を着た桃色ブロンドの少女とトンガリ帽子を被った金髪の少女が走っていた。 時折通行人の肩にぶつかりながらも二人は足を止める事は無く走り続けており、その様子から只事ではないと推測できる。 これが劇や小説ならば、少女達は人身売買の商人たちから逃げている。正にその状況がピッタリと当て嵌まる程だ。 肩をぶつけられた通行人たちはギョッした顔で振り向くも、すぐに前を向いて人ごみの中へ消えていく。 現実はフィクションの様に甘くはなく、例え悪いヤツに追われていてもヒーローのように助けてくれる人なんて殆どいないのである。 しかし、通りを走る少女たちは゛逃げている゛のではなく゛追っている゛のだ。 いきなりおかしくな事を口走り、何処かへと走って行ってしまった紅白巫女を見つけるために。 チクトンネ街の一角を走る彼女らは、小さなトンネルの前でその足を止めた。 共同住宅の真下に出来ているこの抜け穴の高さは五メイルで横幅は四メイル、そして長さは十メイル程度。 トンネルの中に照明はなく暗いのだが、そこを抜けた先にある通りから漏れる光がハッキリと視認できる。 彼女ら以外は今は誰もいないそのトンネルの入り口で、桃色ブロンドの少女ルイズは息を整えた。 そこらの貴族よりかは体力に自身があるのだが所詮は人間の女子、男性や男子と比べればその体力は少ない。 気温はゆっくりと下がりつつあるが未だに街中は暑く、ここに来るまで走り続けていた事もあってかなり疲労していた。 そんな彼女の後ろから、その手に箒を持って走ってきた魔理沙がいかにもヘトヘトといった様子でやってくる。 ルイズと同程度かそれ以上に体力への自信がある彼女なのだが、如何せんトリスタニアの空気に慣れていないらしい。 幻想郷の人里ではお目にかかれない程激しい人ごみの中を走ってきたおかげで、今ではルイズより疲労困憊していた。 「走れど走れど出口の見えぬような人ごみの先にあったのは…トンネル、か」 まるで詩人のようにそんな言葉を呟きつつルイズの傍へやってくると足を止め、彼女はその場に箒を置いて座り込んでしまう。 次いで頭に被っている帽子を手に取るとそを団扇代わりにして汗だらけの顔の前で扇ぎ、涼を取ろうとする。 その様子を横目で見つめつつ、ルイズはふと顔を上げると恨めしそうにこんな事を呟いた。 「全く、レイムのヤツは何処に行ったっていうのよ!」 トンネル側の壁に手をつきながら、彼女はついさっきまで一緒にいた霊夢の事を思い浮かべる。 ルイズたちが街中を走る羽目となった原因を作った者が彼女であり、またルイズたちが探している人物も彼女であった。 突然おかしくなって店を出ていった彼女を追いかけていたのだが、チクトンネ街に入ったところでその姿を見失ってしまったのである。 それまでの道中も決して楽なものではなく、この人ごみの中でどれだけ苦労したことか。 しかも二人してまだまだ子供と言える体格なので、ここまで来るのにかなりの体力を消費していた。 「こっちだって色々聞きたいことがあったって言うのに…」 ルイズはまたも呟きつつ、レストランの中で起きた事を軽く思い出す。 昼食を終えて話をしつつデザートを食べていた最中、急に霊夢の様子が豹変した。 気怠そうな表情から目を丸くして驚いたものへと変わり、突然席を立ったのだ。 予想だにしていなかったことに、ルイズと魔理沙は驚いて何なのかと聞いてみたが霊夢は一向に返事をしない。 無視しているというよりまるで耳が聞こえなくなったように、彼女はこちらに見向きもしなかったのである。 一体どうしたのかと思った瞬間、次なる異常事態が霊夢の体に起こった。 何と彼女の左手に刻まれたガンダールヴのルーンが、突如として光り出したのである。 アルビオンへ赴いた時ぶりに目にしたそれに、ルイズは心の底から驚いた。 何せあの時、裏切り者と化したワルドとその遍在たちを相手に一瞬で形勢を逆転してしまったのだ。 もしもあの時彼女が来てくれなかったら、今頃自分はここにいなかっただろう。 それを自覚しているルイズとその彼女を助けた霊夢の二人にとって、あの時の事は忘れられない出来事となった。 故に、あの時は心の底から驚いていた。 そこまで思い出し終えた時、すぐ近くにいた魔理沙が「しかし…奇妙だよなぁ?」と呟いた。 「あのルーンが急に光り出したかと思うと、アイツの様子がますますおかしくなったんだから…」 帽子を団扇代わりにしている彼女の口から出た言葉に、ルイズはハッとした表情を浮かべる。 「そうよ…ルーンが光り出してからだわ。アイツがおかしくなって店を出て行ったのは…」 魔理沙本人も自覚していなかったであろう思わぬ助言に、ルイズは思い出した。 ルーンが光り出してしばらくした後に、霊夢の表情がまたも豹変したのである。 まるで目の前を歩いていた人間が突然、魔法を使わずして空に浮かび上がった瞬間を見たかのような表情。 そう、実際にはあり得ないモノや出来事に遭遇した時のように、眼を見開いたのだ。 次いで「私の…声?」とよくわからない事を呟くと、バッと後ろを振り向いた。 その時は魔理沙と一緒にそちらの方へ目を向けたのだが、そこには誰もいなかった。 しかし霊夢には何かが見えていたのか、その゜口からは「アンタ…誰なの?」とか「アンタは…何なの?」と更に意味不明な言葉を呟いていた。 これには流石の魔理沙もおかしいと感じ始め、霊夢の肩を揺さぶってやろうと立ち上がる瞬間。 「アンタは―――――――…私?」 霊夢はその言葉を呟き、目にも止まらぬ速さで店を飛び出した。 呆然とする魔理沙と驚いた表情を浮かべたルイズを残して、街の中へとその身を投げ込んだのである。 「それにしても、あいつが脇目も振らずに走る姿は生まれてこの方初めて見たぜ…」 ルイズが思い出し終えた時、偶然にも同じことを思い出していた魔理沙がポツリと呟く。 その言葉を聞いたルイズは何かに気づいたのか、無意識に「アッ」という言葉が口から出てしまう。 突然の声に魔理沙はキョトンとした表情を浮かべてどうした?と聞く前に、彼女は「もしかしたら」と話し始める。 「この前怪物と戦った時みたいに、何かの気配を感じて…」 ルイズがそこまで言った直後、二人の背後から小さな拍手の音が聞こえてきた。 まるで誰も見向きしない人形劇に、せめてものお情けを言わんばかりの一人分の寂しい拍手。 手と手が織りなす単調かつシンプルなリズムの音にルイズは身体ごと、魔理沙は首だけを動かして振り返る。 彼女らの背後にあったのは別の通りへと続くトンネルであったが、その中で拍手をしつつこちらへ向かってくる影があった。 ドレスのような服を身にまとっているそのシルエットは一見貴婦人に見えるものの、貴族の象徴であるマントはつけていない。 腰の所まで伸びた長い金髪は入り口からの光で輝き、熟練した美容師でもあれほど綺麗にするのは難しいだろう。 拍手をしているのは彼女だとわかったが、一体どこの誰だろうか? 二人がそう思った時…――――― 「中々良い推察ね。ルイズ・フランソワーズ」 こちらへ向かってくる影自身が、その答えを声にして教えてくれた。 まるでガラス細工の様に繊細で綺麗な女性の声が、ルイズたちの耳に入ってくる。 その声に聞き覚えがあったルイズは目を丸くし、魔理沙は「何だ、お前か」と呟き一息ついた。 「久しぶりにこちらへ来てみたら、なんとまぁ…私の考えていた通りになっているじゃないの」 少なくとも二人が知っているであろうその人物は一人呟きながら、とうとうルイズたちの前へとその姿を現した。 ドレスと思っていた服は教会の司祭が着ているような導師服で、その上に青い前掛けを付けている。 頭にかぶっている白い帽子についている赤いリボンは、一見すると「∞」の形をしている。 このハルケギニアでは珍しい服装をした女性は、世界中の花々が恥じらうほどの美貌を持っていた。 名家の令嬢としての清楚さを持ったルイズや子どもらしい清々しさを秘めた魔理沙とはまた違う美しさを秘めている。 ルイズは知っていた。それ程までに麗しい女性の名前を。 彼女の隣にいる魔理沙、そして今この場にいない霊夢に何をするべきか指示した、人の形をした人外。 そして、ヴァリエール家の末女であり魔法学院区の生徒であったルイズを、非日常の世界へと招いた境界のモノ。 「ヤクモ…ユカリ?」 ルイズの口から出たその名前に目の前の存在、八雲紫は微笑んだ。 まるで絵画の中の貴婦人が浮かべるような優しいそれは、何処か人間味に薄れている。 暖かさよりも何処か薄ら寒さを感じさせる笑みに、ルイズと魔理沙は動じることなく見つめていた。 二人が何も言ってこない事に満足してか、紫はウンウンと小さく頷いてからその口を開く。 「言ったでしょう?…あのルーンが、今回の異変を早期解決するための手がかりだって」 そう言って彼女は、今の今まで閉じていたその目をゆっくりと開ける。 数百数万数億もの人々を惑わし操って来たであろう金色の瞳は、顔の笑みとは対照的な怪しさを孕んでいる。 まるでこれから起こりうるであろう事態を予測し、そしてそれを待ち望んでいるかのように笑っていた。 人ならざる美しさとこの世のモノとは思えぬ怪しさを、そこから溢れんばかりに滲ませて。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん それは時を遡って、丁度二日前の夕方に起こった出来事である。 場所は丁度ブルドンネ街の中央から、やや西へ行ったところにある大通りを兄のトーマスと一緒に歩いてた時らしい。 陽が暮れるにつれて次々と閉まっていく通りの店を横切りながら彼女――妹のリィリアは兄から今日の゛成果゛を聞いていたのだという。 「今日は中々の大漁だったぜ。まっさか丁度上手い具合に道が封鎖してたもんだよなぁ~?理由は知らないけど」 「それでその袋いっぱいの金貨が手に入ったの?凄いじゃない!」 リィリアはそう言って兄を褒めつつ、彼が右手に持っている音なの握り拳程の大きさのある麻袋へと目を向ける。 袋は丸く膨らんでおり、中に入っている金貨のせいで表面はゴツゴツとした歪な形になっていた。 何でも急な封鎖で立ち往生していた下級貴族から盗んだらしく、銀貨や新金貨がそこそこ入っているらしい。 兄が盗んだ時、リィリアは危険だからという理由で゛隠れ家゛にいた為彼がどこにいたのかまでは知らない。 とはいえ妹として……唯一残っている家族の身を案じてかどこで盗んだのか聞いてみることにした。 「でもお兄ちゃん、道が封鎖してたって言ってたけど……一体どこまで行ってきたの?」 「チクントネの劇場前さ。あそこは夕方になったら金持った平民がわんさか夜間公演の劇を見に集まってくるしな」 「え?チクトンネって、この前変な女の人たちに追われてた場所なのに……お兄ちゃんまたそこへ行ったの!?」 トーマスの口から出た場所の名前を聞いたリィリアは、数日前に見知らぬ女の人から財布を盗んだ時のことを思い出してしまう。 あの時は手馴れていた兄とは違い初めて人の財布を盗んだせいか、危うく捕まりそうになってしまった苦い経験がある。 最後は偶然にも兄と合流し、自分を追いかけていた女の人と兄を追いかけていた空飛ぶ女の子が空中で激突し、何とか撒く事ができた。 しかし゛隠れ家゛に戻った後に待っていたのは大好きな兄トーマスからの称賛……ではなく、説教であった。 以前から「お前は俺のような汚れ事に手を突っ込むなよ?」と釘を刺されていた分、その説教は中々に苛烈であった事は今でも思い出せる。 その日の夜はゴミ捨て場で拾った枕を濡らした事を思い出しつつ、リィリアは兄に詰め寄った。 「お兄ちゃん、昨日ブルドンネ街で大金持ってた女の子の仲間に追われたって言ってたのに、どうしてまたそんな危ない場所に行くのよ!」 「だ……だってしょうがないだろ!王都は他の所よりも盗みやすいんだ、稼げる時に稼いでおかないと……」 年下にも関わらず自分に対してはやけに気丈になれるリィリアに対し、トーマスは少し戸惑いながらもそう言葉を返す。 それに対してリ彼女は「呆れた」と呟くと、兄に詰め寄ったまま更に言葉を続けていく。 「その女の子たちが持ってた三千エキューもあれば、十分なんじゃないの!?」 「お前はまだ子供だから分かんないかも知れないけどさ、お金ってあればある程生きていくうえで便利なんだぜ?」 開き直っているとも取れる兄の言葉に、リィリアはムスッとした表情を兄へと向けるほかなくなる。 卑しい笑みを浮かべて笑う兄の顔は、かつて領地持ちの貴族の家に生まれた子どもとは思えない。 しかしそれを咎めることも、ましてや魔法学院にも行ってない自分にはそれを改めよと説教できる資格はないのだ。 自分が丁度物心ついた時に両親が領地の経営難と多額の借金で首を吊って以来、兄トーマスは自分を守ってきてくれた。 両親の親族によって領地から追い出され、当てもない旅へ出た時に兄は自分の我儘を嫌な顔一つせず聞いてくれたのである。 お腹が減ったといえば農家の百姓に頭を下げてパンを貰い、山中で喉が渇いたと喚けば自分の手を引いて川を探してくれた。 そして今は自分たちが大人になった時の生活費を゛稼ぐ゛為に、わざわざ盗みを働いてまで頑張ってくれているのだ。 自分は――リィリアはまだ子供であったが、兄のしていることがどんなにダメな事なのか……それは自分が財布を盗んだ女の人が教えてくれた。 しかし、だからといって兄の行いを妹である自分が正す事などできるはずもない。 いくらそれが悪い事だからといっても、これで自分たちは糧を得てきたのである。今更それをやめて生きていく事など難しすぎる。 ここに来る道中行く先々で色んな人たちから冷遇を受けてきたのだ。やはり兄の言う通り、大人は信用できないのかもしれない。 自分たちの事など何も知らない大人たちはみな一様に笑顔を浮かべ、上っ面だけ笑顔を浮かべて可哀そうだ可哀そうだと言ってくる。 兄はそんな大人たちから自分を守りつつ、遥々王都まで来た兄は言った。――ここで俺たちが平和に暮らしていけるだけの金を稼ぐんだ。 得意げな表情でそんな事を言っていた兄の後姿は、それまで読んだ事のある絵本の中の騎士よりも格好良かったのは覚えている。 結局、することはいつもの盗みであったがそれでも他の都市と比べれば倍のお金を手に入れる事ができた。 懐が暖かくなった兄は余裕ができたのか、屋台で売られているようなチープな料理を持って帰ってきてくれるようになった。 持ち帰り用の薄い木の箱に入っている料理は様々で、サンドウィッチの時もあればスペアリブに、魚料理だったりスモークチキンだったりと種類様々。 王都の屋台は色んな料理が売られているらしく、また味が濃いおかげで少量でもお腹はとても満足した。 偶に安売りされてたらしい菓子パンやジュースも持って帰ってきてくれたので、王都での生活はすごく充実していた。 本当ならここに住めばいいのだが、兄としてはもっともっとお金を稼いだ後でここから遠く離れた場所へ家を建てて暮らすつもりなのだという。 「ドーヴィルの郊外かド・オルニエールのどこかに土地でも買って、そこで小さな家を建てて……小さな畑も作ってお前と一緒に暮らすんだ。 貴族としてはもう生きていけないと思うけど、何……魔法が使えれば地元の人たちが便利屋代わりに仕事を持ってきてくれるだろうさ」 そう言って自分の夢を語る兄の姿は、いつも陰気だった事は幼い自分でも何となく理解する事はできた。 今思えば、きっと兄自身も自分のしている事が後々――それが遠いか近いかは別にして――返ってくるであろうと理解していたに違いない。 それでもリィリアは応援するしかないのだ。自分の為に手を汚してまで幸せをつかみ取ろうとしている、最愛の兄の事を。 ……しかし、そんな時なのであった。そんな兄妹の身にこれまでしてきた事への――当然の報いが襲い掛かってきたのは。 「全くもう!ここで捕まったらお兄ちゃんの幸せは無くなっちゃうんだから気を付けないと!」 「分かってるって――…って、お?あれは……――」 通りから横へ逸れる道を通り、そのまま隠れ家のある場所へと行こうとした矢先、トーマスの足がピタリと止まったのに気が付いた。 何事かと思ったリィリアが後ろを振り返ると、そこにはうまいこと上半身だけを路地から出した兄の姿が見える。 一体どうしたのかと訝しんだ彼女は踵を返し、彼の傍へ近寄ると同じように身を乗り出してみた。 「どうしたのよお兄ちゃん?」 「リィリア……あれ、見てみろよ。ここから見て丁度斜め上の向かい側にある総菜屋の入り口だ」 兄の指さす先に視線を合わせると、確かに彼の言う通り少し大きめの総菜屋があった。 幾つもある出来合いの料理を量り売りするこの店は今が稼ぎ時なのか、仕事帰りの平民や下級貴族でごった返している。 その入り口、トーマスの人差し指が向けられているその店の入り口に、何やら大きめの旅行カバンが置かれていた。 「旅行カバン……?どうしてあんな所に?」 「さぁな。多分何処かの旅行客が平和ボケして地面に直置きしてるんだろうが……チャンスかも?」 「え?チャンスって……ちょ、ちょっとお兄ちゃん!?」 トーマスの口から出た゛チャンス゛という単語にリィリアが首を傾げそうになった所で、彼女は兄のしようとしている事を理解した。 妹がいかにもな感じで置かれている旅行カバンを訝しむのを他所に、懐から杖を取り出したのである。 「お兄ちゃん、ダメだよあのカバンは!あんなの変だよ、こんな街中でカバンだけ放置されてるなんて絶対変だって……!」 「大丈夫だって、安心しろよ。この距離と通りの混み具合なら、上手くやれる筈さ」 妹の静止を他所に兄は呪文を唱えようとした所でふと何かを思い出したかのように、妹の方へと顔を向けて言った。 「リィリア、もうちょっと奥まで行って隠れてろ。もしも俺が何か叫んだ時は、形振り構わずその場から逃げるんだぞ」 「お兄ちゃん!」 「大丈夫、もしもの時だよ。……今夜はこれでお終いにするさ、何せお前と俺の将来が掛かってるんだからな」 この期に及んでまだ稼ぎ足りないと言いたげな兄の欲深さに、リィリアは呆れる他なかった。 それでも彼が自分の為を思ってしてくれていると理解していた為、言うことをきくほかない。 「もう……」とため息交じりに言う妹がそのまま暗い路地の奥へと隠れたのを確認した後、トーマスは詠唱した後に杖を振る。 するとどうだ、トーマスの掛けた魔法『レビテーション』の効果を受けた旅行カバンが、一人でに動き出した。 最初こそ少しずつ、少しずつ動いていたカバンはやがてその速度を上げ始め、一気に彼のいる横道へと向かっていく。 ずるずる、ずるずる……!と音を立てて地面を移動するカバンに通りを行く人の内何人かが目を向けたが、すぐに人込みに紛れてしまう。 通行人の足にぶつからないよう上手くコントロールしつつ、尚且つ気づかれないようなるべく速度を上げて引き寄せる。 そうして幾人もの目から逃れて、旅行カバンは無事トーマスの手元へとやってきたのである。 「よし、やったぜ」 軽いガッツポーズをしたトーマスは、そのままカバンの取っ手を掴むと妹が入っていた暗い路地の奥へと入っていく。 流石に今いる場所で盗んだカバンを開けられないため、少し離れた場所で開ける事にしたのだ。 そして歩いて五分と経たぬ先にある少し道幅のある裏路地にて、二人は思わぬ戦果の確認をする事となった。 「お兄ちゃん、そろそろ開きそう?」 「待ってろ。後はここのカギを……良し、開いた」 防犯の為か二つも付いていたカバンの鍵を、トーマスは手早く『アンロック』の魔法で解錠してみせる。 小気味の良い音と共に鍵の開いたそれをスッと開けると、まず目に入ってきたのは数々の衣服であった。 どうやら本当に旅行者のカバンだったようだ、王都の人間ならばわざわざ自分の街でこれだけの服は持ち歩かないだろう。 トーマスとリィリアは互いに目配せをした後、急いで幾つもの服をカバンから出し始める。 この服を売りさばく……という手もあるが物によって値段の高低差があり過ぎるうえ、選別する時間ももどかしい。 だから二人がこの手の大きな荷物を盗んでから最初にする事は、金目のものが入っているかどうかの確認であった。 「おいリィリア、見ろ。見つけたぞ!」 カバンを物色し始めてから数分後、先に声を上げたのはトーマスの方であった。 彼はカバンの中に緯線を向けていた妹に声を掛けると、服の下に隠れていた小さめの革袋を自慢気に持ち上げて見せる。 そして二度、三度揺すってみるとその中から聞こえてくるジャラジャラ……という音を、リィリアもはっきりと聞き取ることができた。 何度も聞き慣れてはいるが耳にする度に元気が湧いてくる音に、妹は自身の顔に喜びの色を浮かべて見せる。 「凄い、まさか本当にあっただなんて……」 喜ぶと同時に驚いている彼女に「そうだろう」と胸を張りつつ、トーマスは袋の口を縛る紐を解く。 二人の想像通り、袋の中から出てきたのはここハルケギニアで最も普及しているであろうエキュー金貨であった。 少なくとも五十エキューぐらいはあるだろうか、旅行者が何かあった時の為に用意しているお金としては十分な額だろう。 「小遣い程度にしかならないけど……今夜はお前と一緒に美味しいものが食えそうだな」 「もう、お兄ちゃんったら」 思いもよらないボーナスタイムで気を良くする兄に、リィリアは呆れつつもその顔には笑顔が浮かんでしまう。 リィリアは兄の言葉に今から舌鼓を打ち、トーマスは妹の為に今日は安い食堂にでも足を運ぼうかと考えた時――その声は後ろから聞こえてきた。 「あー君たち、ちょっと良いかな?」 「……ッ!」 背後――それも一メイル程の真後ろから聞こえてきたのは、若い男性の声。 二人が目を見開くと同時にトーマスはバッと振り返り、妹をその背に隠して声の主と向き合う形となった。 そこにいたのは二十代後半であろうか、いかにも優男といった風貌の青年が立っていたのである。 青年は前髪を左手の指で弄りつつも、野良猫のように警戒している二人を見て気まずそうに話しかけてきた。 「……あ~、そう警戒しないでくれるかな?ちょっと聞きたいことがあるだけだから」 青年の言葉に対して二人は警戒を解かず、いつでも逃げ出せるように身構えている。 特にトーマスは、気配を出さずにここまで近づいてきた青年が『ただの平民ではない』という認識を抱いていた。 「何だよおっさん?俺らに聞きたい事って……」 「おっさんて……僕はまだ二十四歳なんだが、あぁまぁいいや。……いやなに、本当に聞きたい事が一つあるだけだからね」 警戒し続けるトーマスのおっさん呼ばわりに困惑しつつも、彼はその゛聞きたい事゛を二人に向けて話し始めた。 「実はさっき、僕が足元に置いていた筈の荷物が消えてしまってね。探していた所なんだよ……あ、失くした場所はここから近くにある総菜屋の入り口ね? それでね、適当な人何人かに聞いてみたら路地の中に一人でに入っていった聞いて慌てて後を追ってきたんだが……君たち、知らないかい?」 男は優しく、警戒し続ける二人を安心させようという努力が垣間見える口調で、今の二人が聞かれたくなかった事を遠慮なく聞いてきた。 リィリアはその手で掴んでいる兄の服をギュッと握りしめつつもその顔を真っ青にし、トーマスの額には幾つもの冷や汗を浮かんでいる。 彼の言う通り自分たちはその荷物とやらの行方を知っている。いや、知りすぎていると言っても過言ではない。 何せ彼が探しているであろう荷物は、先ほどトーマス自身が魔法で手繰り寄せて盗み取ったのであるから。 つい先ほどまで有頂天だったのが一変し、窮地に追い込まれた兄妹はこの場をどう切り抜けようか思案しようとする。 だがそれを察してか、はたまた彼らがクロだと踏んだのか男は彼らの後ろにあったカバンを見て声を上げた。 「ん、あれは君たちの荷物かい?」 「へ?あ、あぁ……そうだよ」 てっきりバレたのかと思っていたトーマスはしかし、男の口から出た言葉に目を丸くしてしまう。 どうやら男はこんな場所に置かれていたカバンと自分たちを見て、それが自分の荷物だと思わなかったらしい。 よく言えば重度のお人好しで、悪く言えば単なるバカとしか言いようがない。 きっと自分たちがまだ子供だから、盗みなんてするはずが無い…思っているのかもしれない。 もしすればこのまま上手く誤魔化せるのではないかと思ったトーマスであったが……――世の中、そう甘くはなかった。 「そうか、そのカバンは君たちの物なのか~……ふ~ん、そうかぁ~」 トーマスの言葉を聞いた男はそんな事を一人呟きつつ、懐を漁りながら二人のそばへと近寄りだした。 更に距離を詰めようとしてくる男に二人は一歩、二歩と後退るのだが、男の足の方が速い。 兄妹のすぐ傍で足を止めた男はその場で中腰になると、懐を漁っていた手でバッと何かを取り出して見せる。 それは一見すれば極薄の手帳のようだが、よく見るとそれが身分証明書の類である事が分かった。 表紙には大きくクルデンホルフ大公国の国旗が描かれており、その下にはガリア語で゛身分証明゛と書かれている。 男はそれを開くとスッと兄妹の前に開いたページを見せつけながら、笑顔を浮かべつつ唐突な自己紹介を始めた。 「自己紹介がまだだったね。僕の名前はダグラス、ダグラス・ウィンターって言うんだ。まぁ詰まるところ、旅行者ってヤツさ」 「……そ、それがどうしたってんだよ?俺たちと何の関係が……」 「――君。その鞄の右上、そこに小さく彫られてる名前を確認してみると良いよ」 自分の反論を遮る彼の言葉に、トーマスの体はピクリと震えた。 リィリアもビクンッと反応し、相も変わらずニヤニヤと笑う男の様子をうかがっている。 対する男――ダグラスはニコニコしつつも兄妹の後ろにあるカバンを指さして、「ほら、確認して」と言ってくる。 仕方なくトーマスはゆっくりと、自分の服にしがみついている妹ごと後ろを振り返り、カバンを確認した。 丁度都合よく閉まっていたカバンの外側右上に、確かに小さく誰かの名前が彫られている事に気が付いた。 最初はだれの名前がわからなかったかトーマスであったが、目を凝らさずともその名前が誰の名前なのかすぐに分かった。 ――ダグラス・ウィンター 血の気が引くとはこういう事を言うのか、二人してその顔は一気に真っ青に染まっていく。 「ね?その名前、実は俺が彫ったんだよ。いやぁ、中々の手作業だったんだ」 心ここにあらずという二人の背中に、聞いてもいないというのにダグラスは一人暢気にしゃべっている。 しかしその目は笑っていない。口の動きや喋り方、表情に身振り手振りで笑っている風に装っているが、目だけは笑ってないのだ。 限界まで細めた目で無防備に背中を見せるとトーマスと、警戒しているリィリアが次にどう動くのかを窺っている。 無論トーマスとリィリアの兄妹もダグラスの冷たい視線に気が付いており、動くに動けない状態となっていた。 トーマスは咄嗟に考える。どうする?今すぐ妹の手を取ってここからダッシュで逃げるべきか? 既に自分たちが盗人だとバレてしまっている以上、どうあっても誤魔化しが効かないのは事実だ。 ならば未だ狼狽えている妹の手を無理やりにでも取って、脱兎の如く逃げ出すのが一番だろう。 幸いこの路地は程よく道が幾つにも分かれており、上手くいけば彼――ダグラスを撒ける可能性はある。 これまで足の速さと運動神経の良さのおかげで、バレたときにはうまく逃げ切れていたし、何より魔法も使える。 今回も大きなミスをしなければ、背後にいる得体の知れない観光客から逃れることなど造作もないだろう。 (唯一の不安材料は妹だけど……けれど、今更置いて逃げる事なんかできるかよ) 盗みがバレたせいで未だ目を白黒させているリィリアを一瞥しつつ、トーマスは自身の右手をベルトに差している杖へと伸ばす。 同時に左手をそっと妹の方へと動かして、胸元で握り締めている両手を取ろうとした――その時であった。 ふと目の前、暗くなった路地の曲がり角から突如、自分たちよりも二回りほど大きい褐色肌の男が姿を現したのである。 突然の事にトーマスは慌てて両手の動きを止めて、リィリアは突如現れた大男を見て「……ひっ」と小さな悲鳴を上げてしまう。 男はダグラスよりもずっと屈強な体つきをしており、いかにも日頃から鍛えていますと言わんばかりのガタイをしている。 筋肉男――マッチョマンと呼ぶに相応しいほど鍛えられた肉体を、彼は持っているのだ そんな突然現れたマッチョマンを前に二人が驚いて動けない中、その男はスッと視線を横へ向け、ダグラスと顔を合わせてしまう。 そしてダグラスに気が付いた瞬間、男はパッと顔を輝かせると面白いものを見たと言いたげな声で彼に話しかけたのである。 「ん……おぉ、いたいた!おぉいダグラス!盗人はもう見つけたのか?」 「やぁマイク。ようやっと見つけたよ。まさか僕のカバンを盗むなんてね、大した泥棒さんたちだよ」 「ん?あぁ、このガキどもが犯人ってワケか!はっはっは!まさかお前さんともあろう男が、こんなチビ共に盗まれるとはな!」 「よせよ、まさか本当に盗まれるだなんて思ってなかったんだからさぁ」 まるで一、二ヵ月ぶりに顔を合わせた親友の様に話しかけてくる褐色肌の男――マイクに対して、タグラスも同じような言葉を返す。 そのやり取りを見てトーマスは更なる絶望に叩き落される。何ということだろう、自分は何と愚かな事をしてしまったのだと。 冷静に考えれば確かにあのカバンは怪しかった。景気よく稼いだせいですっかり調子に乗っていた自分は、その怪しさに気づけなかった。 その結果がこれである。自分だけではなく妹のリィリアをも危険に晒してしまっているのだ。 妹を危険に晒してしまった。……その事実がトーマスに突発的な行動を起こさせきっかけになったかどうかは分からない。 ただ愛する妹を、唯一残った肉親をせめてここから逃がそうとして、小さな頭で素早く考えを巡らせ結果かもしれない。 「……ッ!うわぁあぁあぁッ!」 「お兄ちゃん!?」 「うぉッ!?何だ、この……離せッ!」 トーマスは自分たちの目の前で景気よく笑うマイクに向かって、精一杯の突進をかましたのである。 無論自分よりも倍の身長を持つマイクにとっては、突然見ず知らずの子供が叫び声をあげて両脚を掴んできた風にしか見えない。 しかし、大の男二人に至近距離まで近づかれた状態では、これが最善の方法なのかもしれない。 ここまで近づかれては杖を取り出してもすぐに取り上げられ、最悪二人揃って捕まる可能性の方が高い。 ならば小さな頭で今考えられる最善の方法を、一秒でも早く実行に移す他なかった。 「走れリィリア!ここから急いで逃げるんだッ!」 「え……え?でも、」 「俺に構うな!さっさと逃げろォッ!」 「……ッ!」 兄の突然の行動に体が硬直していたリィリアは、彼の叫びを聞いて飛び跳ねるかのように走り出す。 大男とその足を必死に掴む兄の横を通り過ぎ、暗闇広がる路地をただただ黙って疾走する。 「あっ!お、おいきみ――って、うぉ!?」 後ろからダグラスの制止する声が聞こえたが、それは途中で小さな叫び声へと変わる。 五メイルほど走ったところで足を止めて振り返ると、トーマスは器用にも足を出して彼を転ばせたのだ。 哀れその足に引っかかってしまったダグラスは道の端に置いてあったゴミ箱に後頭部ぶつけたのか、頭を押さえてうずくまっている。 ここまでした以上、何をされるか分からぬ兄の身を案じてか、リィリアは「お兄ちゃん!」と声を上げてしまう。 それに気づいてか、顔だけを彼女の方へ向けたトーマスは必至そうな表情で叫ぶ。 「バカッ!止まるんじゃない!早く、早く遠くへ――……っあ!」 「この、野郎ッ!」 トーマスが目を離したのをチャンスと見たのか、マイクはものすごい勢いで拳を振り上げる。 振り上げた直後の罵声に気づき、彼が視線を戻したと同時にそれが振り下ろされ、リィリアは再び走り出した。 直後、鈍く重い音と子供の悲鳴が路地裏に響き渡ったのを聞きながら、リィリアは振り返る事をせずに走り続ける。 いや、振り返る事ができなかった。というべきであろうか、背後で起きている事態を直視する勇気は、彼女に無かったのだ。 涙をこぼしながらただひたすらに路地裏を走る彼女の耳に聞こえてくるは、何かを殴りつける鈍い音と、マイクの怒声。 「このガキめ、大人を舐めるな!」 まるでこれまでの自分たちの行動が絶対的な悪なのだと思わせるかのような、威圧的な言葉。 それが深く、脳内に突き刺さったままの状態でリィリアは路地裏を駆け抜け、夜の王都へとその姿を消したのである。 「最初に言ったけど、もう一度言うわ。自業自得よ」 リィリアから長い話を聞き終えた後、霊夢は情け容赦ない一言を彼女へと叩きつけた。 それを面と向かって言われたリィリアは何か言い返そうとしたものの、霊夢の表情を見て黙ってしまう。 ムッと怒りの表情とそのジト目を見てしまえば、彼女ほどの小さな子供ならば口にすべき言葉を失ってしまうだろう。 威圧感――とでも言うべきなのであろうか、気弱な人間ならば間違いなく沈黙を保ち続けるに違いない。 そんな霊夢を恐ろし気に見つめていたリィリアの耳に、今度は背後にいる別の少女が声を上げた。 「まぁ霊夢の言う通りよね。少なくともアンタとアンタのお兄さんは被害者だけど、被害者ヅラして良い身分じゃないもの」 彼女の言葉にリィリアは背後を振り返り、ベンチに腰を下ろして自分を見下ろしている桃色髪の少女――ルイズを見やる。 最初、リィリアはその言葉の意味がイマイチ分からなかったのか、ついルイズにその事を聞いてしまった。 「それって、どういう……」 「そのままの意味よ。散々人の金盗んでおいて、一回シバかれただけで白旗を上げるなんて、都合が良すぎなの」 「でも……あぅ」 ふつふつと湧いてくる怒りを抑えつつ、冷静な表情のまま相手に言い放つルイズの表情は冷たい。 眩い木漏れ日が綺麗な夏の公園の中にいるにも関わらず、彼女の周囲だけまるで凍てつく冬のようである。 もしもここに彼女の身内や知り合いがいたのならば、きっと彼女の母親と瓜二つだと言っていたに違いない。 その表情を見てしまったリィリアはまたもや何も言い返せず、黙ってしまう。 ほんの十秒ほどの沈黙の後、リィリアはふとこの場にいる三人目の女性――ハクレイへと目を向ける。 彼女もまた財布を盗まれた被害者であり、さらに言えばそれを盗んだのが自分だったという事か。 普通に考えれば助けてくれる可能性など万一つ無いのだが、それでも少女は救いの目でルイズの横に立つ彼女へと視線を送った。 ハクレイはというと、カトレアから貰ったお金を盗んだ少女が見せる救いの眼差しに、どう対応すれば良いのかわからないでいる。 睨み返すことはおろか、視線を逸らす事さえできず、どんな言葉を返したら良いのか知らないままただ困惑した表情を浮かべるのみ。 そんな彼女に釘を刺すかのように、ルイズと霊夢の二人も目を細めてハクレイを睨みつけてくる。 ――同情や安請負いするなよ?そう言いたげな視線にハクレイは何も言えずにいた。 (やっぱり、カトレアを連れてくるべきだったかしら?) 自分一人ではどう動けばいいか分からぬ中、彼女は自分の選択が間違っていたのではないかと思わざる得なかった。 それは時を遡る事三十分前。丁度霊夢とハクレイの二人が互いの目的の為に街中で別れようとしていた時であった。 色々一悶着があったものの、ひとまず丁度良い感じで別れようとした直前に、あの少女が彼女たちの前に姿を現したのである。 ――今まで盗んだお金を返すから、兄を助けてほしい。そう言ってきた少女は、あっという間に霊夢に捕まえられてしまった。 ハクレイとデルフが制止する間もなく捕まえられた彼女は悲鳴を上げるが、霊夢はそれを気にする事無く勝ったと言わんばかりの笑みを浮かべていた。 「は、離して!」 「わざわざ姿を現してくれるなんて嬉しい事してくれるわね?……もしかして今日の私の運勢って良かったのかしら?」 いつの間にか後ろへ回り込み、猫を掴むようにしてリィリアの服の襟を力強く掴んだ彼女は、得意げにそんな事を言っていた。 そして間髪いれずに路地裏へと連れ込むと、襟を掴んだままの状態で彼女への「取り調べ」を始めたのである。 「早速聞きたいんだけど、アンタのお兄さんが何処にお金を隠したのか教えてくれないかしら?」 「だ、だからお金は返すから……先にお兄ちゃんを!」 「あれ、聞いてなかった?私はお金の隠し場所を教えてもらいたい゛だけ゛なんだけど?」 最早取り調べというより尋問に近い行為であったが、それを気にする程霊夢は優しくない。 ハクレイとデルフが止めに入っていなければ、近隣の住民に通報されていたのは間違いないであろう。 ひとまずハクレイが二人の間に入ったおかげでなんとか場は落ち着き、リィリアの話を聞ける環境が整った。 最初こそ「何を言ってるのか」と思っていた霊夢であったが、その口ぶりと表情から本当にあった事だと察したのだろう、 ひとまず拳骨を一発お見舞いしてやりたい気持ちを抑えつつ、ため息交じりに「分かったわ」と彼女の話を信じてあげる事にした。 その後、姉の所に出向いているであろうルイズにもこの事を報告しておくかと思い。ハクレイに道案内を頼んだのである。 彼女の案内で『風竜の巣穴』へとすんなり入ることのできた霊夢は、ハクレイにルイズを外へ連れてくるように指示を出そうとした。 しかしタイミングが良かったのか、丁度カトレアとの話が済んで帰路につこうとしたルイズ本人とバッタリ出くわしたのである。 「丁度良かったわルイズ。見なさい、ようやっと盗人の片割れを見つけたわ」 「えぇっと、とりあえずアンタを通報すれば良いのかしら?」 「……?何で私を指さしながら言ってるのよ」 そんなやり取りの後、ひとまず近場の公園へと場所を移して――今に至る。 「それにしても、イマイチ私たちに縋る理由ってのが分からないわね」 リィリアから話を聞き終えたルイズは彼女が逃げ出さないよう睨みつつ、その意図を図りかねないでいる。 当然だろう。何せ自分たちが金を盗んだ相手に、兄が暴漢たちに捕まったというだけで助けてほしいと懇願してきたのだから。 本来ならばふざけるなと一蹴された挙句に、衛士の詰所に連れていかれるのがお約束である。 いや、それ以前に衛士の元へ駈け込んで助けて欲しいと頼み込めばいいのではなかろうか? まだ幼いものの、それが分からないといった雰囲気が感じられなかったルイズは、それを疑問に思ったのである。 そして疑問に思ったのならば聞けばいい。ルイズは地面に正座するリィリアへとそのことを問いただしてみることにした。 「ねぇ、一つ聞くけど。どうしてアンタは被害者である私たちに助けを求めたのよ?」 「え?そ……それは…………だから」 突然の質問にリィリアは口を窄めて喋ったせいか、上手く聞き取れない。 霊夢とハクレイも何だ何だと傍へ近寄って来るのを気配で察知しつつ、ルイズはもう一度聞いてみた。 「何?ハッキリ言いなさいな」 「えっと……その、お姉さんたちがあんなに大金を持ってたから……」 「大金……?――――ッァア!」 一瞬何のことかと目を細めてルイズは、すぐにその意味に気づいたのかカッと見開いた瞳をリィリアへと向ける。 限界近くまで見開かれた鳶色のそれを見て少女が「ヒッ」と悲鳴を漏らす事も気にせず、ルイズはズィっとその顔を近づけた。 「も、も、もしかしてアンタ!私たちの三千近いエキュー金貨の場所を、知ってるっていうの!?」 「はいはいその通りだから、落ち着きなさい」 興奮するルイズの肩を掴んでリィリアと離しつつ、霊夢は鼻息荒くする主に自分が先にリィリア聞いた事を伝えていく。 「まぁ要は取り引きってヤツよ。ウソか本当かどうか知らないけど、どうやら兄貴が何処に金を隠しているのか知ってるらしいのよ。 それで私たちから盗んだ分はすべて返すから、代わりに兄貴を助けて……次いで自分たちの事は見逃して欲しいって事らしいわ」 霊夢から話をする間に大分落ち着く事のできたルイズは「成程ね」と言って、すぐに怪訝な表情を浮かべて見せた。 「ちょい待ちなさい。兄を助ける代わりにお金を返すのはまぁ分かるとして、見逃すってのはどういう事よ?」 「アンタが疑問に思ってくれて良かったわ。私もそれを聞いて何都合の良いこと言ってるのかと思ったし」 「少なくともアンタよりかはまともな道徳教育受けてる私に、その言葉は喧嘩売ってない?」 顔は笑っているが半ば喧嘩腰のようなやり取りをしていると、二人の会話に不穏な空気を感じ取ったリィリアが口を挟んでくる。 「お願いします!盗んだお金はそのまま返すから、お兄ちゃんを……」 「まぁ待ちなさい。……少なくともお金を返してくれるっていうのなら、あなたのお兄さんは助けてあげるわ」 逸る少女を手で制止しつつ、ルイズは彼女が持ち掛けてきた取引に対しての答えを返す。 それを聞いてリィリアの表情が明るくなったものの、そこへ不意打ちを掛けるかのようにルイズは「ただし」と言葉を続けていく。 「アンタとアンタのお兄さんを見逃すっていう事はできないわ。事が済んだら一緒に詰所へ行きましょうか」 「え?なんで、どうして……?」 「どうしても何もないわよ。だってアンタたちは盗人なんですから」 二つ目の条件が認められなかった事に対して疑問を感じているリィリアへ、ルイズは容赦ない現実を突きつけた。 今まで見て見ぬ振りを決め込み、目をそらしていた現実を突き決られた少女はその顔に絶望の色が滲み出る。 その顔を見て霊夢はため息をつきつつ、自分たちが都合よく助けてくれると思っていた少女へと更なる追い打ちをかける。 「第一ねぇ、盗んだモノをそっくりそのまま返して許されるなら、この世に窃盗罪何て存在するワケないじゃない」 「で、でも……それは……私とお兄ちゃんが生きていく為で、」 「生きていく為ですって?ここは文明社会よ。子供だからって理由で窃盗が許されるワケが無いじゃない。 アンタ達は私たちと同じ人間で、社会の中で生きていくならば最低限のルールを守る義務ってのがあるのよ。 それが嫌で窃盗を生業とするんなら山の中で山賊にでもなれば良いのよ。ま、たかが子供にそんな事できるワケはないけどね。 第一、散々人々からお金を盗んどいて、いざ身内が仕事しくじって捕まったら泣いて被害者に縋るような半端者なんだし」 的確に、そして容赦なく現実を突きつけてくる博麗の巫女を前にリィリアは目の端に涙を浮かべて、顔を俯かせてしまう。 流石に言いすぎなのではないかと思ったルイズが霊夢に一言申そうかと思った所で、それまで黙っていたデルフが口を開いた。 『おぅおう、鬱憤晴らしと言わんばかりに攻撃してるねぇ』 「何よデルフ、アンタはこの生意気な子供の味方をするっていうの?」 『まぁ落ち着けや、別にそういうワケじゃないよ。……ただ、その子にも色々事情があるだろうって事さ』 「事情ですって?」 突然横やりを入れてきた背中の剣を睨みつつも、霊夢は彼の言うことに首をかしげてしまう。 デルフの言葉にルイズとハクレイ、そしてリィリアも顔を上げたところで、「続けて」と霊夢は彼に続きを言うよう促す。 それに対しデルフも「お安い御用で」と返したのち、彼女の背中に担がれたまま話し始めた。 『まぁオレっち自身、その子と兄さんの素性なんぞ知らないし、知ったとしてもこれまでやってきた所業を正当化できるとは思えんさ。 どんな理由があっても犯罪は犯罪だ。生きていく為明日の為と言いつつも、結局やってる事は他人から金を盗むだけ。 それじゃ弱肉強食の野生動物と何の変りもない、人並みに生きたいのであればもう少しまともな道を探すべきだったと思うね』 てっきり擁護してくれるのかと思いきや、一振りの剣にまで当り前の事を言われてしまい、リィリアは落ち込んでしまう。 何を今更……とルイズと霊夢の二人はため息をつきそうになったが、デルフはそこで『ただし、』と付け加えつつ話を続けていく。 『今のような状況に至るまでにきっと、いや……多分かもしれんがそれならの理由はあっただろうさ。 断定はできんが、オレっち自身の見立てが正しければ、きっとこの子一人だけだったのならば盗みをしようなんざ思わなかった筈だ。 親がいなくなり、帰る家も失くしてしまった時点で近場の教会なり孤児院を頼っていたに違いないさ』 デルフの言葉で彼の言いたい事に気が付いたのか、ハクレイを除く三人がハッとした表情を浮かべる。 霊夢とルイズの二人は思い出す。あの路地裏でアンリエッタからの資金を奪っていった生意気な少年の顔を。 リィリアもまた兄の事を思い浮かべていたのか、冷や汗を流す彼女へとルイズが質問を投げかけた。 「成程、ここまで窃盗で生きてきたのはアンタのお兄さんが原因だったってことね?」 「……!お、お兄ちゃんは私の為を思って……」 「それでやり始めた事が窃盗なら、アンタのお兄さんは底なしのバカって事になるわね」 あれだけの魔法が使えるっていうのに、そんなことを付け加えながらもルイズはため息をつく。 いくら幼いといえども、自分たちに見せたレベルの魔法が使えるのならば子供でも王都で雇ってくれる店はいくらでもあるだろう。 昨今の王都ではそうした位の低い下級貴族たちが少しでも生活費を増やそうと、平民や他の貴族の店で働くケースが増えている。 店側も魔法を使える彼らを重宝しており、今では平民の従業員よりも数が増えつつあるという噂まで耳にしている。 もしも彼女のお兄さんが心を入れ替えて働いていたのならば、きっとこんな事態には陥っていなかったであろう。 「才能の無駄遣いって、きっとアンタのお兄さんにピッタリ合う言葉だと思うわ」 『まぁ非行に走る前に色々とあったってのは予想できるがね。……まぁあまり明るい話じゃないのは明らかだが』 ルイズの言葉にデルフが相槌を入れつつも、リィリアにその話を聞こうと誘導していく。 少女も少女でデルフの言いたいことを理解しているのか、顔を俯かせつつも話そうかどうかと悩んでいる。 どうして自分たちが盗人稼業で生きていく羽目になったのか、その理由の全てを。 少し悩んだ後に決意したのか。スッと顔を上げた彼女は、おずおずとした様子で語り始めた。 両親の死をきっかけに領地を追い出され、兄妹揃って行く当てもない旅を始めた事。 最初こそ行く先にある民家や村で食べ物を恵んでいた兄が、次第に物を盗むようになっていった事。 最初こそ食べ物や毛布だけであったが次第に歯止めが効かなくなり、とうとう人のお金にまで手を出した事。 常日頃口を酸っぱくして「大人は危険」と言っていた為に自分も感化され、次第に兄の行為を喜び始めた事。 ゆく先々で他人の財産を奪い続けていき、とうとう王都にまでたどり着いた事。 そこで兄は大金を稼ぎ、二人で暮らせるだけのお金を手に入れると宣言した事。 そして失敗し、今に至るまでの出来事を話し終えたのは始めてからちょうど三分が経った時であった。 「……なんというか、アンタのお兄さんって色々疑いすぎたのかしらねぇ?」 三人と一本の中で最初に口を開いたルイズの言葉に、リィリアは「どういうことなの?」と返した。 ルイズはその質問に軽いため息をつきつつも座っていたベンチから腰を上げて、懇切丁寧な説明をし始める。 「だって、アンタのお兄さんは大人は危険とか言ってたけど。普通子供だけで盗んだ金で家建てて生きていくなんて無茶も良いところだわ。 それに、普通の大人ならともかく孤児院や教会の戸を叩けたのならきっと中にいたシスターや神父様たちが助けてくれた筈よ?」 ルイズの言葉にリィリアは再び顔を俯かせつつ、小声で「そいつらも危険って言ってたから……と話し始める。 「お兄ちゃんが言ってたもん、大人たちは大丈夫大丈夫って言いながら私たちを引き離してくるに違いないって」 以前兄から教わった事をそのまま口にして出すと、ルイズの横で聞いていた霊夢がため息をつきつつ会話に参加してくる。 「孤児院や教会の人間が?そんなワケないじゃないの、アンタの兄貴は疑心暗鬼に駆られすぎなのよ」 「ぎしん……あんき?」 『つまりは周りの他人を疑い過ぎて、その人達の好意を受け止められないって事だよ』 デルフがさりげなく四文字熟語を教えてくるのを見届けつつ、霊夢はそのまま話を続けていく。 「まぁ何があったのか大体理解できたけど、それで非行に走るんならとことん救いようがないわねぇ きっとここに至るまで色んな人の好意を踏みにじってきて、そのお返しと言わんばかりに金を盗って勝ったつもりになって……、 それで挙句の果てに屁でもないと思っていた被害者にボコられて捕まったんじゃ、誰がどう考えても当然の報いって考えるわよ普通」 肩を竦めてため息をつく彼女の正論に、リィリアはションボりと肩を落として落胆する。 流石の彼女であっても、ここにきてようやく自分たちのしてきた事の重大さを理解したのであろう。 デルフも『まぁ、そうなるな』と霊夢の言葉に同意し、ルイズは何も言わなかったものの表情からして彼女に肯定的であると分かる。 しかしその中で唯一、困惑気味の表情を浮かべてリィリアを見つめる女性がいた。 それは霊夢たちと同じく兄妹……というかリィリアに直接お金を奪われた事のあるハクレイであった。 少女に対し批判的な視線と表情を向けている霊夢とルイズの二人とは対照的に、どんな言葉を出そうか悩んでいるらしい。 確かに彼女とそのお兄さんがした事が許されないという事は、まず変わりはしない。 けれどもルイズたちの様に一方的になじる気にはなれず、結果喋れずにいるのだ。 下手に喋れずけれども止める事もできずにいた彼女であったが、何も考えていなかったワケではない。 幼少期に兄と共に苛酷な環境に身を置かざるを得なくなり、非行に走るしかなかった少女に何を言えばいいのか? そして兄と共に二度とこんな事をしないで欲しいと言わせるにはどうすれば良いのか?それをずっと考えていたのである。 彼女はここに来てようやく口を開こうとしていた。一歩前へと踏み出し、それに気づいた二人と一本からの熱い視線をその身に受けながら。 「?どうしたのよアンタ」 「……あーごめん、今まで黙ってて何だけど喋っていいかしら?」 軽い深呼吸と共に一歩進み出た自分に疑問を感じたルイズへ一言申した後、リィリアの前へと立つハクレイ。 それまで黙っていたハクレイの言葉と、かなりの距離まで近づいてきたその巨躯を見上げる少女は自然と口中の唾を飲み込んでしまう。 何せここにいる四人の中では、最も背の高いのがハクレイなのだ。子供の目線ではあまりにも彼女の背丈は大きく見えるのだ。 唾を飲み込むついで、そのまま一歩二歩と後ずさろうとした所で、ハクレイはその場でスッと膝立ちになって見せる。 するとどうだろう、あれ程まで多が高過ぎて良く見えなかったハクレイの顔が、良く見えるようになったのだ。 「……え?あの」 「人とお話をする時は他の人の顔をよく見ましょう。って言葉、よく聞くでしょう?」 困惑するリィリアに苦笑いしつつもそう言葉を返すと、ハクレイは若干少女の顔を見下ろしつつも話を続けていく。 「私の事、覚えてるでしょう?ホラ、どこかの広場でボーっとしてて貴女に財布を盗まれた事のある……」 霊夢やルイズと比べ、年頃らしい落ち着きのある声で話しかけてくる彼女にはある程度安心感というモノを感じたのだろうか。 それまで緊張の色が見えていた顔が微かに緩くなり、自分と同じくらいの視点で話しかけてくるハクレイにコクコクと頷いて見せた。 「うん、覚えてるよ。だからまず最初にお姉さんに声を掛けたの。だってもう片方は怖かったから……」 「おいコラ。今聞き捨てならない事をサラッと言ってくれたわね?」 自分の方を見つめつつもそんな事を言ってきた少女に、霊夢はすかさず反応する。 それを「やめなさいよ」とルイズが窘めてくれたのを確認しつつ、ハクレイは話を続けていく。 「さっき、貴女のお兄さんを助けてくれたらお金はそっくりそのまま返すって言ってたわよね?」 「……!う、うん。私、お兄ちゃんがどこの盗んだお金を何処に隠しているのを知って……――え?」 食いついた。そう思ったリィリアはパっと顔を輝かせつつ、ハクレイに取り引きを持ち掛けようとする。 しかしそれを察したのか、逸る彼女の眼前に右手の平を出して制止したのだ。 一体どうしたのかと、リィリアだけではなくルイズたちも怪訝な表情を浮かべたのを他所にハクレイはそのまま話を続けていく。 「別にお金の事はもう良いのよ。私がカトレアに貰った分だけなら……あなた達が良いなら渡してあげても良い」 「え?それ……って」 「はぁ?アンタ、この期に及んで何甘っちょろい事言ってるのよ!?」 三人と一本の予想を見事に裏切る言葉に、思わず霊夢がその場で驚いてしまう。 ルイズは何も言わなかったものの目を見開いて驚愕しており、デルフはハクレイの言葉を聞いて興味深そうに刀身を揺らしている。 まぁ無理もないだろう。何せ彼女たちから散々許されないと言われた後での言葉なのだ。 むしろあまりにも優しすぎて、ハクレイにそんな事を言われたリィリア本人が自身の耳を疑ってしまう程であった。 流石に一言か二言文句を言ってやろうかと思った矢先、それを止める者がいた。 『まぁ待てって、そう急かす事は無いさ』 「デルフ?どういう事よ」 突然制止してきたデルフに霊夢は軽く驚きつつも自分の背中にいる剣へと声を掛ける。 『どうやら奴さんも無計画に言ってるワケじゃなそうだし、ここは見守ってやろうや』 何やら面白いものが見れると言いたげなデルフの言葉に、ひとまず霊夢は様子を見てみる事にした。 彼女の後ろにいるルイズも同じ選択を選んだようで、二人してハクレイとリィリアのやり取りを見守り始める。 「え……?お金、くれるの?それで、お兄ちゃんも助けてくれるっていうの……?」 相手の口から出た言葉を未だに信じきれないのか、訝しむ少女に対しハクレイは無言で頷いて見せる。 それが肯定的な頷きだと理解した少女は、信じられないと首を横に振ってしまう。 確かに彼女の思う通りであろう。普通ならば、金を盗まれた相手に対して見せる優しさではない。 盗まれた分のお金は渡し、更には兄まで助けてくれる。……とてもじゃないが、何か裏があるのではないかと疑うべきだろう。 リィリア自身盗んだお金を返すから兄を助けてほしいと常識外れなお願いをしたものの、ハクレイの優しさには流石に異常を感じたらしい。 少し焦りつつも、少女は変に優しすぎるハクレイへとその疑問をぶつけてみる事にした。 「で、でも……そんなのおかしいよ?どうして、そこまで優しくしてくれるなんて……」 「まぁ普通はそう思うわよね。私だって自分で何を言っているのかと思ってるし」 彼女の口からあっさりとそんに言葉が出て、思わずリィリアは「え?」と目を丸くしてしまう。 そして疑問に答えたハクレイはフッと笑いつつ、どういう事なのかと訝しむ少女へ向けて喋りだす。 「私が盗まれた分のお金はそのまま渡して、ついでにお兄さんも助けてあげる。それを異常と感じるのは普通の事よ。 だって世の中そんなに甘くないのは私でも理解できるし、そこの二人が貴女のお願いに呆れ果ててるのも当り前の事なんだし」 優しく微笑みかけながらも、そんな言葉を口にするハクレイへ「なら……」とリィリアは問いかける。 ――ならどうして?最後まで聞かなくとも分かるその言葉に対し、彼女は「簡単な事よ」と言いながら言葉を続けていく。 「あなた達の事を助けたいのよ。……まぁ二人にはそんなのは優しすぎるとか文句言われそうだけどね」 暖かい微笑みと共に口から出た暖かい言葉に、それでもリィリアは怪訝な表情を浮かばせずにはいられない。 何せ自分は彼女に対して財布を盗んだ挙句に魔法を当ててしまったのだ、それなのに彼女は助けたいと言っているのだ。 普通ならば何かウラがあるのではないかと疑うだろう。リィリアはまだ幼かったが、そんな疑心を抱ける程には成長している。 「でも、そんなのおかしいわ?だって、私はお姉ちゃんに対してあんなに酷いことをしたのに……」 疑いの眼差しを向けるリィリアの言葉に対して、ハクレイは「まぁそれは忘れてないけどね?」と言いつつも話を続けていく。 「だから私は今回――この一度だけ、あなた達の手助けをするわ。一人の大人としてね。 あなた達兄妹が泥棒稼業から手を洗って、まともに暮らしていくっていうのなら……今後の為を思ってあなた達に私の――カトレアがくれたお金を託す。 何なら孤児院や、身寄り代わりの教会を探すのだって手伝おうとも考えてるわ。少なくともそこにいる人たちならば、あなた達を助けてくれると思うから」 ハクレイはそう言った後に口を閉ざし、ポカンとしているリィリアへとただ真剣な眼差しを向けて返事を待っている。 少女は彼女の言ったことをまだ完全に信じ切れていないのか、何と言えばいいのか分からずに言葉を詰まらせている。 それを眺めている霊夢は彼女の甘さにため息をつきたくなるのを堪えつつも、最初に言っていた言葉を思い出す。 ――この一度だけ。つまりは、あの兄妹に対して彼女はたった一度のチャンスをあげるつもりなのだろう。 彼女が口にしたようにバカ野郎な兄と共にまともな道を歩み直せる、文字通りの最後のチャンスを。 ルイズもそれを理解したようだったが、何か言いたそうな表情をしているに霊夢と同じことを考えているらしい。 確かに子供といえど犯罪者に対して甘すぎる言葉であったが、犯罪者であるが以前に子供である。 自分と霊夢は少女を犯罪者として、彼女は犯罪者である以前に子供として接しているのだ。 だから二人して甘々なハクレイに何か一言突っついてやりたいという気持ちを抑えつつ、リィリアの答えを待っていた。 そして件の少女は、ハクレイから提示された条件を前に、何と答えれば良いか迷っている最中であった。 今まで兄と共に生きてきて、大事な事を全て決めてきたのは兄であったが、その兄はこの場にいない。 だから自分たち兄妹の事を自分が決めなければいけないのだ。 リィリアは閉まりっぱなしであった重い口をゆっくりと開けて、自分を見守るハクレイへと話しかける。 「本当に……本当に私たちの、味方になってくれるの?」 「アナタがお兄さんと一緒になってこれから真っ当に生きていくというのになら、私はアナタ達の味方になるわ」 少女の口から出た質問に、ハクレイは優しい微笑みと真剣な眼差しを向けてそう返す。 そこには兄の言っている「汚い大人」ではなく、本当に自分たちの事を案じてくれる「一人の大人」がいた。 そして彼女はここにきてようやく思い出す、これまでの短い人生の中で、今の彼女と同じような表情と眼差しを向けてくれた人たちが大勢いたことを。 ある時は通りすがりの旅人に果物やパンを分けてくれた農民、そしてタダ配られるスープ目当てに近づいた教会の人たち。 ここに至るまで通ってきた道中で出会った人々の多くが、自分たちの事を本当に心配してくれていたのだと。 しかし兄は事あるごとに彼らを見て「信用するな」と耳打ちし、その都度必要なものだけを奪って彼らの親切心を踏みにじってきた。 兄は自分よりも成長していた、だからこそ自分たちを領地から追い出した親戚たちの事が忘れられなかったのだろう。 結果的にそれが兄の心に疑心暗鬼を生み出し、他人の善意を踏みにじる原因にもなってしまった。 その事を兄よりも先に理解したリィリアは、目の端から流れ落ちそうになった涙を堪えつつ――ゆっくりと頷いた。 ハクレイはその頷きを見て優しい微笑みを浮かべたまま、そっと左手で少女の頭を撫でようとして――。 「…って、何心温まる物語にしようとしてるのよッ!?」 「え?ちょ……――グェッ!」 二人だけの世界になろうとした所で颯爽と割り込んできた霊夢に、見事な裸絞めを決められてしまった。 あまりに急な攻撃だった為に何の対策もできずに絞められてしまったハクレイは、成すすべもない状態に陥ってしまう。 突然過ぎた為か流れそうになった涙が完全に引っ込んでしまったリィリアは、目を丸くして見つめている。 それに対してルイズは彼女の傍に近寄りつつ、「気にしなくていいわよ」と彼女に話しかけた。 「まぁあんまりにもムシが良すぎるから、ただ単にアイツに八つ当たりしてるだけなのよ」 「え?八つ当たりって……あれどう見ても絞め殺そうとしてるよね?」 「大丈夫なんじゃない?ねぇデルフ、アンタもそう思うでしょう?」 『イヤイヤ、普通は止めろよ!?ってか、そろそろヤバくねぇかアレ?』 霊夢から無理やり手渡されたのであろう、ルイズの言葉に対し彼女の右手に掴まれたデルフが流石に突っ込みを入れる。 確かに彼の言う通りかもしれない。自分より小柄な霊夢に絞められているハクレイはどうしようもできず、今にも落ちてしまいそうだ。 デルフの言う通りそろそろ止めた方がいいのだろうが、正直ルイズも彼女の横っ腹にラリアットをかましたい気分であった。 確かにあの兄妹は犯罪者であるが以前に子供だ、牢屋にぶち込むよりも前に救済をしたいという気持ちは分かる。 しかしだからといってあの時金を盗まれた時の屈辱は忘れていないし、自分たちの他にも大勢の被害者がいるに違いない。 それを考えれば懲役不可避なのだろうが、やはり本心では「まだ子供だから」という気持ちも微かにある。霊夢はあるかどうか知らないが。 ともかくハクレイはその「まだ子供だから」という元で兄妹にチャンスを作り、兄妹の一人であるリィリアはそれを受け入れた。 まだ納得いかない所は多々あるがそれをハクレイにぶつける事で、ルイズと霊夢の二人もそれに了承したのである。 ひとまずは満足したのか、虫の息になった所でようやく解放されたハクレイを放って、霊夢はリィリアと対面していた。 ハクレイと似たような顔をしていながらも、彼女よりも怖い表情を見せる霊夢に狼狽えつつも、少女は彼女からの話を聞いていく。 「じゃあ先にお金は返してもらうとして、アンタのバカお兄さんを助けたらルイズの紹介する教会か孤児院に入る事、いいわね?」 「う、うん……それで、他にも盗まれたお金とか一応……あなた達に渡す、それでいいの?」 「そうよ。アンタたちが他の人たちから盗んだお金は私たちが……まぁ、その。責任もって返すことにするわ」 多少言葉を濁しつつもひとまず条件を確認し終えた所で、今度はルイズが話しかける番となった。 彼女は言葉を濁していた霊夢をジト目で一瞥しつつもリィリアと向き合いは、咳払いした後真剣な表情で喋り始める。 「まぁ私たちはそこで伸びてるハクレイと違ってあなた達に甘くするつもりはないけど、貴女は反省の意思を見せてる。 その貴女がお兄さんを説得できたのならば、私もアナタたちがやり直すための準備くらいはしてあげるわ。 でも忘れないで頂戴。貴族である私の前で約束したのならば、どんな事があっても最後までやり遂げる覚悟が必要だってことを」 わざとらしく腰に差した杖を見せつけつつそう言ったルイズに、リィリアは慎重に頷いた。 その杖が意味することは、たとえ幼少期に親を失い貴族で無くなった彼女にも理解できた。 リィリアの頷きを見てルイズもまた頷き返したところで、彼女は「ところで」と話を続けていく。 「一つ聞きたいんだけど、どうして私たちを頼る前に衛士の所に行かなかったのよ? いくらアンタ達がここで盗みをやってるって情報が出てても、流石に子供が誘拐されたとなると話しくらいは聞いてくれそうなものだけど……」 先ほどから気になっていた事を抱えていたルイズからの質問に、リィリアは少し考える素振りを見せた後に答えた。 「えっとね……実はあの二人を探す前にね、今日の朝に詰め所に行ったの」 「え?もしかして、子供の戯言だとか言われて追い返されたの……?」 人での少なくかつ教育の行き届いていない地方ならともかく、王都の衛士がそんな雑な対応をするのだろうか? そんな疑問を抱いたルイズの言葉に対して、リィリアは首を横に振ってからこう言った。 「うぅん、何か詰め所にいた衛士さんたちが皆凄い忙しそうにしててね。私が声を掛けても「ごめんね、今それどころじゃないんだ」って言われたの」 「忙しい……今それどころじゃない?」 「あぁ、そういえば今日は朝からヤケにばたばたしてたわねアイツら」 何か自分の知らぬ所で大事件が起きたのであろうか?首を傾げた所で霊夢が話に入ってきた。 彼女の言葉にルイズはどういう事かと聞いてみると、朝っぱらから街中で大勢の衛士が動き回っていたのだという。 「何でか知らないけどもう街の至る所に衛士たちがいたり、走り回ってたりしてたのよ。 しかもご丁寧に下水道への道もしっかり見張りがいたから、おかけでやるつもりだった捜索が台無しよ。全く……」 最後は悪態になった霊夢の言葉を半ば聞き流しつつも、ルイズはそうなのと返した後ふと脳裏に不安が過る。 この前の劇場で起こった事件もそうだが、ここ最近の王都では何か良くないことが頻発しているような気がしてならない。 そういう事を体験した身である為、ルイズは尚現在進行中で何か不穏な事が起きている気がしてならなかった。 街中の避暑地に作られた真夏の公園の中で、ルイズは背筋に冷たい何かが走ったのを感じ取る。 その冷たい何かの原因が得体のしれない不穏からきている事に、彼女は言いようのない不安を感じていた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 若干男っぽい口調のその声を聞き、男達とシエスタは振り返った。 そして一瞬だけ、目の前にいる金髪の少女は、絵本の中から出てきたメイジかと錯覚してしまった。 今だと四十代くらいになる世代のメイジが被っているような黒い帽子に、白と黒を基調としたドレスの上に純白のエプロン。 左手には少女の身長と比べればかなり長い箒を持っている。 そして右手の平にビー玉が数個ほど乗っているのに気づいた男(ビー玉をぶつけられた奴)は、キッと少女を睨んだ。 「おい、この俺にビー玉ぶつけたのは嬢ちゃんの仕業か!」 シエスタとは違い、少し汚い言葉遣いで少女に向かってそう叫んだ。 実はこの男、自分に危害を加える者なら老若男女関係なく平気で殴りかかる性格の持ち主であった。 つまりは、女子供もその気になれば平気で殴ることが出来るひどい人間である。 「あぁそうだぜ。自分に惚れていると思って女を口説く奴は好きじゃないんでね」 ドスのきいた男の言葉に意に介した風もなく少女はそう言った。 その言葉に男が憤り、勢いよく立ち上がり殴りかかろうとした。 「このガk―「ちょっとマリサァ!アンタこんな所にいたのね!」 そんな時、シエスタの背後から誰かの怒鳴り声が聞こえてきた。 今度は何だと思いつつ男達は振り返り、貴族の少女がこっちにもの凄い勢いでやってくる事に気づき驚いた。 一方のシエスタはその貴族とはある程度顔見知りであり、咄嗟に彼女の名前を呼んだ。 「ミス・ヴァリエール!」 「ゲ、やべぇよ…貴族だ!」 シエスタの近くにいた一人がそう言うと他の二人も焦り始めた。 「クソ…と、とりあえず逃げようぜ!」 ビー玉をぶつけられた男がそう言うと、彼の近くにいた仲間がそれに頷いた。 「あぁ。何せ最近の貴族連中はおっかないからな…」 その言葉を締めに、まず最初の一人が真っ先に広場から出て行った。 次いで残りの二人も唖然としているシエスタとの別れを惜しみつつ、先に逃げた仲間の後を追った。 後に残ったのはシエスタと突然やってきたルイズ、そしてマリサと呼ばれた金髪の少女だけであった。 途中からやってきたルイズはゼェゼェと息を切らせつつ、目の前にいる少女に怒鳴った。 「はぁはぁ…ちょっとマリサ!アンタ何かやらかしてたわね!?」 「何言ってるんだよルイズ。あいつらが先に何かやらかしてたのさ」 少女は先程と変わらぬ涼しい表情でそう言い、シエスタの方へと顔を向けた。 「えっ…?な、私の顔に何か付いてるんですか?」 シエスタは突然自分の顔を見知らぬ少女に見つめられ、キョトンとしてしまう。 そんなシエスタの表情を見てか、少女は微笑んだ。 「いや何、あんなチンピラ連中に絡まれて大丈夫だったかなーって思っただけさ」 少女はそう言ってカラカラと笑った。頭上で輝く太陽の様に眩しい笑顔を浮かべて。 「あ…、そうですか。あの、危ないところを、助けていただいてどうもありがとうございます…えっと―名前は?」 シエスタは頭を下げてお礼を述べると同時に名前を尋ねると、少女はグッと突き立てた指を自分の顔に向けて、言った。 「私は霧雨魔理沙。見ての通り、普通の魔法使いさ!」 少女―魔理沙がシエスタにそう名乗った時、今度は頭上から広場にいる三人が既に聞いた事のある声が聞こえてきた。 「あら、騒がしいと思って来てみれば魔理沙とルイズ、それにシエスタもいるじゃないの」 その声を聞いた三人が頭上を見上げると、霊夢が空の上から見つめていた。 ▼ 午前十時のチクトンネ街は、トリスタニアの繁華街と言って良いほどの賑わいを見せていた。 今日が虚無の曜日と言うこともあり、他国からの観光客の姿も垣間見える 中央広場から少し離れたところにはいかがわしい酒場や賭博場などが密集しており、治安の悪さも伺える。 そんな地域の一角に、「魅惑の妖精亭」という可愛いらしい名前の店があった。 営業時間や客に出す酒や料理等は周りにある酒場とは同じだが、この店には長所が一つだけあった。 「ほっらほら~!見てよこのキャミソール。一ヶ月前に注文した特注品よぉ~!」 その体格に似合わない女言葉を使う店長のスカロンが、大きな手で白いキャミソールを手に取り、シエスタ達に見せた。 「わぁ、とっても綺麗ですね!…あ、このマークって店のロゴですよね」 確かに特注品とだけあってか、中々良いデザインのキャミソールだとシエスタは思った。 純白のそれは着る者の魅力を存分に引き出してくれるに違いない。 更によく見てみるとキャミソールの胸元部分には店の刺繍が小さくはいっている。 「良くわかったわねシエスタちゃん。そう、今夜から妖精ちゃん達に着せてみようと思うのよぉ」 スカロンの言うとおり、これ一着だけではなく彼の足下には色違いのキャミソールが何着も入っている箱があった。 ちなみに彼の言う妖精ちゃんとはここで働くウェイトレス――つまりは女の子達の事である。 そう、ここ魅惑の妖精亭の長所は「女の子達がいかがわしい格好で働いている」という事だ。 男なら誰もが目を奪われてしまう服装で可憐な少女がお酒や料理を運んで着てくれたら、まずチップを渡してしまうだろう。 一日たっぷりと働いてきた男達にとって、ここは目を休めるのに絶好の場所であった。 大きな手で白いキャミソールを振り回しているスカロン。 そんな彼の姿をルイズ、霊夢、魔理沙の三人は席に座って眺めていた。 ◆ 数時間前…魔法学院にあるルイズの部屋。 幻想郷からこの世界へ帰ってきてからほんの一時間しか経ってない頃だった。 異世界の住人である魔理沙を連れて再びこの世界へ戻ってきたルイズと霊夢は早速魔理沙の事を学院長に紹介しようとした。 しかし教師の一人から聞いてみると、偶然にも学院長は急用で外出しており明日の朝まで帰ってこないのだという。 仕方なく魔理沙には今日一日おとなしく部屋にいてもらう事をルイズが言おうとした時、ふと一人の給士が伝言を携えてやってきた。 とりあえずルイズはドアから顔だけを出してその伝言を聞いた瞬間、彼女の脳内スケジュールに急な予定が組み込まれた。 「レイム、今から王宮に参内するから準備をして頂戴」 伝言を聞き終え、ドアを閉めたルイズは部屋にいた霊夢にそう言った。 突然のことに霊夢は何が何だかわからない顔になったが、それを気にせずルイズは乗馬用の鞭を手に取った。 その時、部屋の片隅で風呂敷に包んで幻想郷から持ってきた本のタイトルを確認していた魔理沙がルイズの方へと振り向いた。 「王宮だって?やっぱり魔法の世界は凄いぜ。本の中でしか見たことのない王宮があるとはな」 幻想郷ではあまり耳に入れない「王宮」という言葉とその存在に早速興味津々になった魔理沙を見た霊夢は彼女の方へ顔を向けた。 「魔理沙、代わりに行ってきてくれないかしら?私は留守番してるから」 霊夢の言葉に魔理沙はそちらの方へ顔を向けると、まず真っ先に霊夢の嫌そうな表情を見ることになった。 「ん…何だ霊夢?お前随分と嫌そうな顔をしてるな。まぁいつもの事だが…」 「私としちゃあ用事が無いしね。一緒に行くのならアンタの方が速く着くし」 「正にその通りだな。少なくともお前よりは速い」 「レイム!マリサはともかくアンタは絶対私についてきなさい」 魔理沙がそう言った直後、のんびりとイスに座ってお茶を飲んでいる霊夢に少し怒ったルイズが詰め寄ってきた。 「はぁ…?なんでよ」 目の前にいる桃色ブロンド少女の言葉を理解できていない霊夢は首を傾げた。 一方のルイズは、そんな紅白の巫女に溜め息をつき、仕方なく説明し始めた。 その瞳は自信満々に輝いている。もしかしたらルイズは他者に何かを説明する事を楽しんでいるのかも知れない。 「いい?今更だろうけど今の貴女はガンダールヴ。つまりは私の使い魔なのよ。 何であろうと使い魔は主人の命令を聞き、そして主人の顔を立てる役者的存在でもある。 それにユカリも言ってたでしょう?アンタと私は出来るだけ… …って――何処行くのよ!?」 自信満々な表情を浮かべて説明しているルイズは、席を立って部屋を出ようとした霊夢に向かって叫んだ。 一方の霊夢はそんなルイズとは対照的に嫌悪感丸出しの表情でルイズにこう言った。 「くだらないわねぇ。そんなんだからアンタ、友達が一人もいないんじゃないの」 霊夢の心ないその一言に、ルイズは目を見開いて怒鳴った。 「な、何ですって…!」 「それに紫がなんと言おうと決めるのは私よ。…まぁ、アンタの身に何か起こったら助けに行くかもね」 「おいおい霊夢…」 霊夢はそう言うと魔理沙の制止を振り切り、ドアノブを捻って部屋を出ようとしたが…それは出来なかった。 突如ドアに一本の隙間が現れ、そこから白い手がニュッと出てきた。 それに気づくのが遅かった霊夢は、ドアノブを握っていた手を掴まれ捻り上げられた。 「くっ…!」 「いけないわねぇ霊夢。私は言ったはずよ―――」 捻り上げられた手から伝わってくる痛みに霊夢は軽く呻き、今度は女の声が聞こえてきた隙間を睨み付けた。 両端を赤いリボンで綺麗に装飾した隙間や、先程の声に覚えのあったルイズは、アッと声を上げて後ずさる。 隙間から出ていた手は、すぐに霊夢の手を離し隙間の中へと戻っていった。 しかし一息つく間も無く、今度は隙間から見る物に溜め息をつかせるほどの美貌を持った金髪の美女が出てきた。 知ってのとおり、その女性の名は八雲 紫。幻想郷を創り出した妖怪達の賢者である。 上半身だけ出していた紫は下半身も隙間の中から出し、床に降り立つ。 紫が出てきた隙間は主人の意思に従い消滅する。 「これからしばらくは使い魔として厄介になるんだからお互い仲良くしなさいって」 隙間から出てきた紫は子供を叱る親のような顔でそう言うも、霊夢は納得のいかない表情を浮かべている。 紫は溜め息をつくと次にルイズの方へ近寄り、落ち着き払った声で彼女にこう言った。 「貴女も貴女よ。ちょっとばかし覗いてみたら…全く、掛ける言葉を選びなさいな」 「で…でも」 「でももヘチマも桃もないわ。要はもっと他人に優しい言葉を掛けなさいと言ってるのよ」 反論する暇さえ見せずそう言った紫の表情は真剣であった。 「あ…あぅ…」 紫の真剣そうな表情にルイズは無意識のうちに反論する勇気を失ってしまい、あぅあぅと呻いた。 その姿はまるで、真夜中の路地裏で親とはぐれて寂しそうにうずくまる子猫のようであった。 (ふ~ん…紫の奴もあんな表情を浮かべられるんだな) 一人置いてけぼりにされていた魔理沙は本の整理に戻りつつ紫の真剣そうな表情を珍しそうに見ていた。 霊夢はというと肩をすくめつつ溜め息をつくとドアから離れ、先程自分が座っていたイスにもう一度座り直した。 ルイズのあぅあぅという声しか聞こえないこの部屋の空気は、段々と冷めていくかのように見えた…そんな時。 「ぷっ、くく…」 ふと頭上から押し殺すかのような笑い声が聞こえルイズは首を傾げた。 何だと思い頭を上げると、そこには笑いを必死に堪えている紫がいて――――― 「ふふ…うふふ…――――アッハハハハハ!!」 ――――――案の定、彼女は笑い始めた。 「 !? 」 突然の事に一番近くにいたルイズは目を見開いて驚いた。 「うぷっ…!ゴホッ…!」 飲みかけであった自分のお茶を口に含んでいた霊夢は思わず吹き出しそうになりながらもなんとか堪えた。 「えっ…?……デッ!?」 魔理沙は手に持っていた本を思わず取り落としてしまい、不幸にもその本の角が右足の小指に直撃した。 他の二人はともかく一番酷い目にあった魔理沙は右足を押さえながらその場に蹲ってしまった。 「ゴホ…ちょっと紫、いきなり何なのよ?ビックリしたじゃない…ゴホ…」 霊夢は咽せながらも未だに笑い続けている紫を睨み付けた。 一方の紫は笑いを堪えながらも、霊夢の質問にそう答えた。 「あははは…イヤ何、ちょっとこの娘の反応があまりにも可愛かったからね…うふふ」 「な…何ですってぇ!」 その答えにルイズは憤ったが、ようやく笑いが収まってきた紫はルイズに言った。 「だって…アハ…私は別に怒ってないのに…フフフ…あんなにしょぼくれてるのを見てつい…ハァ」 「というかさぁっ…イテテ!お前の真剣な表情が…っ!般若に見えたんじゃないのかよ…って、イタタ!」 紫の言葉を聞いた魔理沙は、ジンジンと痛む小指を押さえつつ紫に突っ込んだ。 その後全員が落ち着いてから、紫はルイズに言った。 「まぁ…霊夢が貴女の使い魔になったとしても霊夢は霊夢のままよ。さっきみたいな上から目線の言葉は控えた方が良いわ」 面と向かってそう言われ、ルイズはハッとした顔になった。 今の霊夢は自分の使い魔ではあるがそれでも相手が相手だ、その様な事で自分に懐くわけでもない。 (もしかしたら私、自分がとんでもない存在だと知って自信を持ってたのかも?) ルイズはそう心の中で呟くと幻想郷に来た際、吸血鬼のレミリアに言われた事を思い出した。 ―――今霊夢の左手にはお前達が『伝説』と呼んで崇める使い魔のルーンが刻まれている。 という事は、貴女にはそれ程の力があるという事じゃないかしら?貴女が気づいていないだけで 運命を操り、そして見る事の出来る彼女の言葉に、ルイズは知らず知らずのうちに自信がでてきたのである。 しかしその事実は結果として、霊夢を単なる使い魔として見てしまいそうになった原因にもなってしまったのだ。 (うぅ…自信過剰という言葉は、正にこういう時の事ね…) 「わ、わかったわ…」 ルイズは渋い顔をしつつも紫の言葉に納得して頷いた。 頷いたルイズを見て紫もまたコクリと頷き、今度は霊夢の方へと顔を向けた。 「貴女も些細な事で機嫌を損ねない事ね。もうちょっと寛容になってみなさい?」 紫の諭すような口調に、とりあえず霊夢は「考えとくわ」と言っておいた。 次に紫は魔理沙の方へ顔を向け、少々厳しい口調で言った。 「全く、人間の中で良く霊夢を知ってる貴女ならもっと早くに仲裁ぐらいは出来たんじゃないの?」 「私を信用しすぎてないか?それにお前が直接来たんだからもういいだろう」 笑顔で開き直った魔理沙に紫は溜め息をつくとフッと笑い、パンパンと手を叩いた。 「まぁいいわ。これで話は終わりよ…じゃ、次は貴方達の行きたいところへ行きなさい。何か用事があるんでしょう?」 紫がそう言うとルイズはハッとした顔になり、霊夢の方へと顔を向けた。 霊夢は面倒くさそうな表情を浮かべつつも頷くと、ルイズに言った。 「ま、部屋に閉じこもっててもなんだしね。…だけど命令とかは絶対に御免被るよ?」 彼女の口から出たその言葉に、紫は笑顔を浮かべた。 「ふふ…流石霊夢ね。物分かりが良くて私も助かるわ」 そしてその言葉を了承と受け取ったルイズもまた頷き、今度は魔理沙の方へ顔を向けた。 「ん?何だ、私も連れて行ってくれるのか」 ルイズの鳶色の瞳に見つめられている魔理沙はまだ痛みが残る足を押さえながらも彼女の言葉を持った。 そして、ルイズの口から出た言葉は魔理沙を知っている者なら「言うだけ無駄な気がする」と言わすものであった。 「ん~と……まぁアンタは残っててもいいわよ。別にアンタは使い魔とかじゃなくて居候みたいなもんだしね」 「おいおい、私には冷たいんだな」 てっきり、「一緒に付いてきて」と言われるかと半信半疑で思っていた魔理沙は驚いた振りをしつつ笑顔でこう言った。 「まぁいいや、なら私は一人で行くとするか。ちょっと観光にも行きたいしな」 自信満々にそう言った魔理沙に、ルイズは何を言うかという顔つきになった。 「面白い事言うわね、仮に一人で言っても門前払いが………ん?どうしたのユカリ」 一方の紫はというと、何処に行ってもいつもの白黒ねぇ、と呆れつつ溜め息をついていた。 そんな彼女に気づいたルイズは首を傾げたところ、紫はルイズに言った。 「ルイズ…魔理沙も連れて行ったらどうかしら?魔理沙ならそこら辺をぶらつかせるだけでもいいし」 大妖怪の口から出た言葉を耳に入れたルイズは、怪訝な顔つきになった。 「え?何でよユカリ。余計に一人付いていったって騒がしいだけだわ。それに行くのは王宮よ、粗相があっては困るわ」 ルイズの言葉に紫ではなく霊夢が溜め息をつくと、ルイズに話し掛けた。 「私は別に良いけど。魔理沙が一人で行くとなると粗相どころじゃないわよ」 「レイムまでそんな事言うの?どうせ一人で行ったって門前払いだっていってるに…」 ルイズがそこまで言ったとき、紫が楽しそうにこう呟いた。 「厳重に閉じられた扉を吹き飛ばし、借りていくと言って無断で本を盗むあの魔理沙が、門前払いで済むのかしらねぇ?」 突然そんな事を言ってきた紫にルイズはハァ?と言いたげな顔になった。 そんなルイズ達を見てか、魔理沙は得意気にこんな事を言ってきた。 「人聞き悪いぜ。私は盗んでるんじゃなくてちょっと借りてるだけさ」 魔理沙の口から出たその言葉に、ルイズの身体が一瞬だけ硬直した。 そしてすぐに硬直が解いた後、ゆっくりと首を霊夢の方に動かし「本当なの…?」と質問してみた。 「まぁ大体合ってるわね。あと吹き飛ばすのは門番の方かしら?」 霊夢はあっさりと答えてくれた。 結局、仕方なしにルイズは霊夢と魔理沙の二人を連れて王宮へ行くことにした。 紫もその後用事があるといってスキマを使って幻想郷へと帰って行った。 霊夢は自力で空を飛び、魔理沙は箒に乗って飛んで行く。 ハルケギニアでは『箒で空を飛ぶ』という事が無いので、ルイズは箒に乗って空を飛ぶ魔理沙の姿を見て驚いた。 まぁ最も、霊夢はそんなルイズに向けて「幻想郷でも箒で飛ぶのはコイツだけよ」と言っていたが。 幻想郷から来た二人の後ろ姿を、ルイズは馬に乗って追い掛けたらすぐに街へたどり着くことが出来た。 ルイズは霊夢と魔理沙の二人―――特に魔理沙には絶対自分たちの側から離れないよう言っていた。 「良い?街の中で目立つような事しないでね。特に変な技とか能力を使うなんて事は、絶対にやめて頂戴」 「変な、とは失礼だな。私は極々普通の魔法をいつも使ってるんだがな」 魔理沙とそんな会話を交えつつ、三人は王宮へ行くため街の大通りへと出た。 しかし結局はそれが失敗となり、魔理沙の姿を大通りで見失ってしまった。 ルイズとしてはそのまま王宮へ行きたかったのだが、下手に放っておいて騒ぎになるのは御免である。 仕方なく霊夢は空から、ルイズは市内を走り回って捜す羽目になってしまった。 結果、ルイズが魔理沙の姿を見つけた時には案の定、街のチンピラ三人に絡んでいた。 その場は貴族であるルイズが乱入したことにより事なきを得て、魔理沙が自己紹介をしていた直後…。 魔理沙の傍にいた黒髪の少女が一足遅く飛んできた霊夢の姿を見て嬉しそうにこう言ったのだ。 「あ、レイムさんじゃないですか!」 「やっぱりシエスタだったわね。もしかして魔理沙、アンタが助けたの?」 「あぁ、なんか今にも空を飛びそうな程の軽い連中が絡んでたからな」 霊夢にそう言われ、魔理沙は自信満々にそう答えた。 二人の傍にいたシエスタは、彼女らのやり取りを見てふと頭に浮かんできた疑問を口に出した。 「あの、つかぬ事をお聞きしますが…お二人はお知り合いなんですか?」 恐る恐る尋ねてきたシエスタに、霊夢はぶっきらぼうな表情を浮かべて答えた。 「別に友達ってほど仲良くはないけど…まぁ知り合いといえば知り合いね」 「相変わらず冷たい奴だなぁ。そう言っても何だかんだで一緒にいる癖に」 「何言ってるのよ?アンタの方から寄って来るくせに」 魔理沙の口から出た言葉で思わず喧嘩腰になりかけたものの、その場はルイズが慌てて抑えたことでどうにかなった。 その後、ルイズは二人を連れてその場から去ろうとしたが、ふとシエスタが三人に声を掛けた。 「あ、待ってくださいミス・ヴァリエール」 「ん?何かしら」 シエスタに呼び止められ、ルイズはシエスタの方へと顔を向けた。 「あの…今から私、チクトンネ街にある叔父の店に行くんです…」 突然何を言うのかと思い、ルイズは首を傾げた。 シエスタは指先をモジモジと弄くりながらも、一呼吸置いてこう言った。 「えっと…だから、そのお店で何かお礼が出来ると思いますので、だから…」 本当のところ、ルイズはすぐにでも王宮へ参内したかった。 しかし、心優しい少女の親切を踏みにじることも出来ず、なし崩し的にそのお店へ行くことになった。 だが…想像して欲しい。 今までこんな街で暮らした事のなさそうな清楚な田舎少女の叔父が経営する店というのを… 大抵の者は、八百屋、雑貨屋、地方の料理を出すリストランテ―― その他諸々と、殆どの者が想像するだろう。 だから、シエスタを少しだけ知っていた霊夢は目を丸くし、ルイズはえーっと少しだけ驚いた。 「紹介します。叔父のスカロンさんです」 自信満々な表情でそう言うシエスタの後ろで、スカロンと呼ばれた男はクネクネと腰を動かした。 「あっらぁ~、シエスタちゃんを助けてくれたのがこんな素敵な女の子達だなんてぇ~。…うぅん、トレビアーン♪」 清楚な田舎少女の叔父が女口調で喋っていて、如何わしい店の店長をしているなんて、誰が想像しようか。 「私は霧雨魔理沙。見ての通り普通の魔法使いをやってるぜ」 「魔法使い…メイジじゃなくて?」 「前半は正解だが、後半はハズレだぜ」 「あっらぁ~♪随分ユニークなお嬢ちゃんだこと!」 ただ、魔理沙だけは特に気にしてもいないようだ。 ◆ そして時間は今に戻り… スカロンの様な男性に会った事が無い霊夢は嫌そうな目でずっと彼を見つめている。 一方の魔理沙は、霊夢とは逆にスカロンを「面白い人」と認識して面白そうに見つめていた。 二人に挟まれるようにして座っているルイズはそんな二人をじっと見ていた。 「本当、ハルケギニアって変なのが勢揃いね。あんな恥ずかしい服を着せられたら堪らないわ」 スカロンの持っているキャミソールを見つつそう言った紅白巫女に、魔理沙が反応した。 「でも年がら年中そんな恰好してるお前よりかは大分マシだと思うがな」 狙いが正確すぎて的を貫いた魔理沙の突っ込みに、流石のルイズも頷いた。 「そうねぇ。大体私から見てみたらアンタの方が随分おかし……ってイタッ!」 「おっと!」 ルイズは最後まで言いきることができずに霊夢に頭を叩かれた。 同時に魔理沙も攻撃したのだが、こちらに咄嗟に避けられてしまっていた。 「っさいわねぇ…。大体、腕は見せてないでしょうに」 そこまで霊夢が言ったとき、後ろから誰かの声が聞こえてきた。 「ハイ、当店自慢のサンドイッチを持ってきたよ」 元気そうな少女の声と共に、軽食を載せたお盆がテーブルの上に置かれた。 チーズ、ハム、そして新鮮なレタスを軽く焼いた食パンで挟んだそれを見て、霊夢は振り返った。 そこにいたのは、少しおとなしめの服を着た太眉の少女が顔に笑顔を浮かべて立っていた。 ストレートの黒髪が窓から差し込んでくる陽の光に当てられ眩しく輝いている。 「あぁ、お金はいらないよ。これはシエスタを助けてくれたお礼さ」 じゃ、ゆっくりしていってね。と最後にそう言って厨房へと戻っていった少女の名はジェシカ。 スカロンの娘であり、シエスタの従妹であった。 シエスタとは正反対の快活な性格で、店で働く他の女の子達のリーダー的存在でもある。 彼女が去った後、テーブルに置かれたサンドイッチを最初に手にしたのは魔理沙であった。 早速一口目を口に入れて咀嚼し飲み込んだ後、「中々美味いな」と言った。 その言葉に釣られてか霊夢もサンドイッチを一つ手に取り、モグモグと食べ始めた。 「うん、簡単だけど良い味してるわね」 霊夢も素直な感想を述べたところで、ようやくルイズもサンドイッチを手に取り一口食べた。 ゆっくりと咀嚼して飲み込んだ後、彼女もまた感想を述べた。 「あ、美味しい…」 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエール。 誇り高きヴァリエール公爵家の長女であり、現在は王立魔法研究所「アカデミー」の研究員として働いている。 公の場でもない限りは家族や知人、仕事場の同僚や上司からはエレオノールと短く呼ばれている。 そんな彼女は今、王宮に匿われたという二つ下の妹であるルイズを訪ねて、ここ王宮へ足を運んでいた。 「御朝食前の訪問、まことに申し訳ありませんでした。アンリエッタ姫殿下…」 「いえ…そんな。家族の為をと思っての訪問ならば仕方がないというものです。ほら、頭をお上げになって…」 ルイズが寝ていた部屋にいたアンリエッタに向けて、恭しく頭を下げたエレオノールは謝罪の言葉を述べた。 それをソファに腰かけながら見ていたアンリエッタはそう言いつつも姿勢を楽にするよう促す。 一方、エレオノールに喧嘩を売りかけた霊夢と傍観していた魔理沙、デルフは部屋の隅っこでそれを眺めている。 霊夢は先ほどからずっと不機嫌な表情のままであったが、魔理沙の方はエレオノールの後ろ姿を興味深そうに見つめていた。 「しっかしな~、意外だったぜ。あのルイズに姉がいたなんてな」 『だな。てっきり一人っ子かと思えば、あんな美人の金髪ねーちゃんがいたとは』 流石に今は大声で喋る場面ではないと察したのか、二人とも変に小声で会話をしている。 そんな二人の会話を聞いて、ふとどうでもいい疑問が脳裏に浮かんできた霊夢がデルフに質問を投げかける。 「……じゃあそこの黒白も、アンタの言うところに美人に入るってワケ?」 『馬鹿言え。オレっちは子供になんか興味ねぇよ』 そんな言葉を返したデルフに、今度は笑いを堪えるかのような表情で魔理沙が話しかける。 「というより、女がいてもそのカッコじゃあ誰にも寄り付かれそうにないけどな」 『だな。何せ外見だけは、単なる剣だし』 そう言ってデルフは金具の部分をカチカチと震わせ笑うような動作を二人に見せる。 魔理沙の小声とは違い、カチカチという金属音が緊張に満ちる静かな部屋の中に響き渡った。 (あ、アンタたち…何でそんなに暢気な会話してられんのよぉ~…!?) そんな二人と一本のやりとりを姉の後ろに立ったまま聞いているルイズは、内心気が気ではなかった。 何せこんな空気の中でもあの二人と一本は、何の気なしにお喋りしているのだから。 しかも我がヴァリエール家では゛二番目゛に怖い長女のエレオノールと、敬愛するアンリエッタ姫殿下がいるこの部屋の中で、堂々と。 そもそも、この二人と一本を姉に会わせるつもり気はルイズにはなかった。 アンリエッタと話している最中、部屋に入ってきた侍女からエレオノールがやってきたと聞かされ思わず腰を抜かしそうになった。 確かに街中で襲われ、王宮で匿われてると知ればヴァリエール家の誰かが来るという事は予想していた。 しかしよりにもよってこんな朝早くから、長女のエレオノールが訪問してくるなど思いもしていなかったのだ。 だからルイズはアンリエッタの声を振り切って部屋を出て、霊夢たちに言おうとしていた。 今日は自分が直接来るまであてがわれた部屋にいてほしい、と…王宮の中を全力で走った。 そして…全てが手遅れという状況で――――霊夢たちと姉が、パッタリ廊下で遭遇したという状況に入り込んでしまったのである。 あの廊下で出会った後、ルイズは霊夢と魔理沙の自己紹介を簡潔に済ませていた。 霊夢は自分が春の使い魔召喚の儀式で召喚した使い魔であり、魔理沙はふとした事で知り合った゛ハルケギニアを流浪している、没落貴族の子゛―――だと。 ルイズとしては家族に真実を教えて巻き込むわけにもいかず、やむを得ず魔理沙の方にはぶっつけ本番のフェイクを入れることになってしまった。 ―――人間の使い魔、ですって?……それに没落貴族何て…。 ―――――ルイズ、変な出自の者と関わるなとお母様に何度も言われたでしょう? 人間の使い魔と聞いてエレオノールは目を丸くしたものの、魔理沙のフェイクに釣られてそちらの方に気を取られてしまった。 名家であるヴァリエール家の三女ともあろうものが…出自の分からぬ没落者と親しいどころか、共にいるなんて下手すればスキャンダルのネタとなる。 それを指摘している姉の言葉に、次はどう言おうかと困惑していたルイズへ黒白の魔法使いが助け船を出してくれた。 ―――いやぁ、実はちょっとした事情で二人が危ないところを手助けしてな、お礼として居候させてもらってるんだよ。…だろ? ―――――…まぁ、そう調子づかれて言われるのは悔しいけど、事実は事実ね ルイズの意図を察した魔理沙はルイズのフェイクに見事乗っかり、霊夢もそれに便乗して頷く。 巫女の言うとおりあの森でキメラから助けてくれたのは事実なので、嘘じゃないと言えば嘘じゃないのである。 そうこうして誤魔化そうとしている内に、部屋に置いてきたままにしてしまったアンリエッタがやってきてくれた。 流石のエレオノールも姫殿下の前では流石に頭を下げた後、立ち話もなんだと言われ……今に至る。 (ど、どうしよう…?姫さまはもう慣れてるからいいとして、姉さまは…) この中でただ一人エレオノールの事を知っているルイズは、ソファに座る彼女が姿勢を正すだけでも失神しそうになる。 だが肝心の姉はそんな声など耳に入っていないかのように、姫様との会話を続けている。 「まぁそうだったのですか!…わざわざヴァリエール公爵から様子を見に行ってほしいと…」 「はい。無論私も報せを聞いて、このように無礼を承知して妹の様子を見に来た次第であります」 アンリエッタに進められて向かい側のソファに腰を下ろしたエレオノールは、ここへ来た理由を話していた。 ルイズたちが襲われたその日の深夜に、ヴァリエール家に向けて竜騎士が伝令の為に飛んだ。 あっという間にヴァリエール家へとたどり着き、竜騎士から報せを聞いたヴァリエール公爵はあわや失神しかけたのだという。 それを執事や公爵夫人が何とか支えつつも、公爵は伝令の騎士にアカデミーにいるエレオノールへ見舞いに行くよう伝えた。 夜を徹してアカデミーへと飛んだ騎士は、何事かと寝床から出てきたエレオノールに…こう伝えたのだという。 「ヴァリエール家末女のルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール様が昨晩、旧市街地で何者かに襲われ怪我を負い…現在王宮で治療中とのことです!」 「……で、血相変えて王宮へ来たのは良いのですが…」 エレオノールはそう言って振り返り、すぐ後ろで待機しているルイズを見やる。 それに反応して元々硬かったルイズの姿勢が更に硬くなり、まるでくるみ割り人形の様にかしこまってしまう。 「ま、まぁ…伝達ミス…ですよ…。よくある事です、よね?…ハ、アハハ…」 恥ずかしそうに両手で胸を押さえつつも、アンリエッタは我が身の事の様に恥かしげな笑顔を見せる。 大方騎士の方が慌てていて伝令の内容を一部省いてしまった結果なのだろう。 とすれば今回の事は王宮側のミスであるのだが、それを察したかのようなエレオノールはアンリエッタの方に向き直り、口を開く。 「いえいえ、大切な妹が無傷であったというのなら。故郷にいる家族も胸をなで下ろせます」 笑顔を浮かべてそう言ったエレオノールであったが、そんな彼女の言葉に続くようにして、後ろから声が聞こえてきた。 「残念ね。怪我人ならここに一人いるわよ?」 刺々しい声の主は、一人エレオノールに不機嫌な意思を露わにして立っていた霊夢であった。 腕を組んで仁王立ちという姿勢でルイズの姉を睨み付けるその体からは、博麗の巫女としての威圧感を漂わせている。 霊夢の声を聞いてビクッと体を震わせたルイズは物凄い勢いで振り返ると、早歩きでの彼女の元へと駆けよる。 そして腕を組んでいたその両肩を掴むと、この世の終わりが来たかのような表情で詰め寄ってきた。 「ちょっ…あ、アンタ!?エレオノール姉さまになんて口のきき方を…!」 「えっ?な、なによっ…?…ワタシ何か悪いことでも言ったのかしら?」 一方の霊夢は悪気が無いかのような表情でそう言ってのけるのを聞いてから、ルイズは姉の方へと頭を向ける。 エレオノールはこちらに後頭部を向けていて表情は窺い知れないものの、それが余計に恐怖を煽りたてる。 しかし彼女の予想に反して、姉の反応は思った以上に淡泊過ぎた。 「あら。そうだったのね?悪かったわ」 「……え?…あの……姉、さま?」 振り向くことは無かったが、穏やかな声で訂正の言葉を述べてから、スクッと腰を上げた。 あの姉とは思えぬ態度と言葉にルイズは表情が自然と引き攣ったものへと変わり、得体の知れぬ恐怖に身を震わせる。 一方霊夢と魔理沙、それにデルフもルイズの様子に何か嫌ものを感じたのか、怪訝な表情を浮かべた霊夢がその口を開く。 「何よ?アンタのお姉さんって、キザな奴かと思えば案がい……ムゥッ!」 しかしその言葉を言い終える前にルイズが付きだした右手で口を塞がれ、思わずその目を見開く。 自分の口を塞いだルイズの顔には、何かに怯える恐怖の色がこれでもかとにじみ出ている。 流石の霊夢もこれには何かあると察して喋るのを止め、魔理沙とデルフもそれに倣って暫く黙っている事にした。 一方のアンリエッタは、腰を上げたエレオノールを前に何かを思いついたのか、ふとこんな事を口に出す。 「あの…もし時間に余裕があるようでしたなら、本日の朝食はここで食べていかれませんか?」 その言葉に霊夢の方を向いていたルイズの顔が驚愕と共に再び姉たちの方へ向けられる。 姫殿下からの提案にエレオノールはわざとらしく驚いた表情を浮かべ、ついで「よろしいのですか?」と訊ねる。 「えぇ。遥々アカデミーから来られたのですから、久しぶりに姉妹水入らずの食事でも楽しんで頂けたらどうかと思って…」 「あの…えっと…姫さま…」 「有難うございます。ルイズとは入学以来長期休暇の時にしか会えなくなってしまったものですから!」 蚊の羽音の様な掠れた声でアンリエッタに話しかけようとしたルイズはしかし、姉の快活な声に妨害されてしまう。 エレオノールの返事を聞いて良しと判断したアンリエッタは、最後にルイズの方へと顔を向ける。 「じゃあルイズ、二十分後に朝食の準備に入るよう厨房の者に言いつけておきますね」 笑顔を浮かべたアンリエッタにそう言われた彼女は、思わず「は、はい…」と頷いてしまう。 幼馴染の反応を見て満足したのか、一人納得しつつ席を立ったアンリエッタは部屋の出入り口へと向かう。 それを見計らったかのように部屋の外にいた護衛の魔法衛士隊員がドアを開けて、主が出てくるのを待っていた。 部屋の外まであと一歩のところで立ち止まると後ろを振り返り、腰を上げたエレオノールとルイズに軽く一礼する。 それに続いてヴァリエール家の二人がすかさず頭を下げたのを確認して、彼女は霊夢と魔理沙の二人に視線を移す。 「それでは…しばらく暇な生活が続くかもしれませぬが。何かあれば給士を通してお申し付け下さいね」 白百合の様な美しく清楚な笑顔でそう言われた魔理沙はおぉっ!と片手を上げて応え、ルイズに掴みかかられている霊夢も軽く右手を上げた。 二人の返答を確認したアンリエッタがもう一度軽く頭を下げた後に、ようやく護衛を伴って退室した。 最後尾にいた衛士隊員がついでのようにドアを閉めると、部屋の中が静寂に包まれる。 誰も何も言わず、されとて口を開こうともしないので、部屋の中は一気に息苦しい場所へと変わりつつあった。 そんな時であった…、早朝から王宮を訪問してきたエレオノールが行動を起こしたのは。 腰を上げていた彼女はルイズたちにその顔を見せる事なく、急に出入り口の方へと歩き出した。 「……?…あの、エレオノール姉さま…お手洗い…ですか?」 ドアの閉まったとそこで足を止めた姉に、この空気の中で喋りたかったルイズはふと話しかける。 霊夢と魔理沙も彼女の後姿を追い、一体どこへ行くのだろうかと思った……その直後。 ――――――カチン、という音と共に部屋のドアノブに付いた内鍵が掛けられたのは。 『「「「―――――…えっ?」」」』 三人と一本は、奇跡とも呼べる反応で殆ど同じリアクションをして見せる。 しかしそんな彼女たちを余所に全く顔色が伺えないルイズの姉は更にもう一つの内鍵であるドアガードも立たせてしまう。 ドアの上部についているそれを立たせることで二つの内鍵が掛かり、事実上この部屋は密室と化した。 いまエレオノールを除く三人が王宮の廊下へ出るためには、彼女をどかして二つの内鍵を何とかして開けるほかない。 しかし今のルイズにはそれを行えるほどの度胸もなく、霊夢たちもまた嫌な何かを感じて動けずにいた。 そんな三人を無視するかのように、鍵をかけたエレオノール本人は何も言わずただじっと佇んで自らの背中を見せつけている。 「えっと、その――姉、さ「ちび。この、ちび…!」――――…っえ?」 何かしゃべらなければいけない。そう思ったルイズはしかし、直後に自らの選択が間違っていたと知らされた。 「………ちび。こ……こ、こっこっこの、ち、ちび…ちびルイズが…っ!」 自分の言葉を遮るかのように、今までうってかわって吃音が激しくも、ドスのきいた姉の声が部屋の中に響き渡る。 その声に喋ろうとしたルイズは無意識に体が跳ね、ついで生まれたての仔鹿の様にブルブルと体が震えだす。 ルイズが跳ねたおかげで彼女の手から解放された霊夢も、豹変したかのようなエレオノールの声に思わずその場で軽く身構えてしまう。 「な、なんだ……ちびルイズって、おいおい…」 魔理沙は状況がいまいち理解できず、ルイズの姉の口から出た゛ちびルイズ゛という言葉に驚いていた。 先ほどまで自分の妹に対して、あんなに柔らかかった女性の口から出ない言葉だと認識しているのだろう。 そして気づいてもいない。魔理沙が思い込んでるエレオノールという人間のイメージそのものが、大間違いであるということに…。 「アカデミーでの研究が忙しい私どころか、ラ・ヴァリエールにいるお父様とお母様にまで心配を掛けさせて…!」 一人静かに、怒気を孕んだ言葉を口から紡ぎだしながら平らな胸のところまで持ち上げて右手の拳を握りしめる。 ギリリ…!という音が響くと同時にルイズの口からヒゥッ…!と小さな悲鳴が漏れ、自然と後ずさってしまう。 流石の魔理沙も本能的な危機を感じたのか、先ほどから喋らなくなったデルフを両手で抱え、部屋の隅っこへと逃げ始める。 霊夢はその場で身構えたまま動けずにいたせいか、他の二人と比べてエレオノールとの距離が近い位置にいた。 そして彼女は予想していなかった。エレオノールという人間が、ルイズよりも数段恐ろしい存在だという事を。 「挙句の果てに、姫殿下との話に割り込んでくる性質の悪い使い魔を召喚したうえに、没落貴族もどきと友達になるなんて…!!」 その言葉を言い終えた後に勢いよく振り返ったエレオノールの顔を見て、三人は思わずその身を竦ませた。 アンリエッタと話していた最中…どころか、霊夢と魔理沙に廊下で遭遇した時とも違う鬼のように目を吊り上げた厳しい表情。 スマートで細い体のドコから出てくるのか分からない程の怒りが魔力となって動かしているのか、眩しいブロンドヘアーが風も無く揺らめく。 その姿はまさしく、ヴァリエール家三女のルイズが知る長女エレオノールが割りと本気で怒った時の状態であった。 「…ッ!?ひ、ひぇ…ッ!!」 激怒した姉に睨まれたルイズは蛇に睨まれた蛙のごとくその場で固まり、悲鳴を上げる事しかできない。 「ま、まぁまぁ…こんな所なんだし、姉妹で仲良くやろうぜ?なっ…?な?」 魔理沙はそんなルイズを見ながらどうかこの姉妹の騒動に巻き込まれないようにとデルフを抱えたまま部屋の隅っこで苦笑いをしている。 巻き込まれる事は無いと心の中で思いつつも、万が一の事を考慮してか自然と小声になってしまっていた。 (……あぁ。…あの顔、どこかで似たようなのを見たことがあると思ったら…やっぱりルイズの姉なのね) 一方、ヴァリエール家の姉妹喧嘩に一番巻き込まれる危険性のある霊夢は、暢気にもそんな事を考えていた。 先程の吃音や怒った時の顔といい、成り行きで盗賊を捕まえてしまった時の事を思い出してしまう。 あの時、フーケを難なく気絶させた後で人質にされていたルイズも、エレオノールと同じような怒り方をしていた。 怒った時に出る吃音癖なんて珍しいと後になって思っていたが、どうやら姉譲りの癖だったらしい。 (まぁ、今はそんな事考えるよりも…二人の喧嘩に巻き込まれないようにしないと…) その時であった、今まで仁王立ちしていたエレオノールがその右足を前へ動かしたのは。 動作、足音ともに普通のなのだがそれすら恐ろしいのか、ルイズの体が更に後ろへ後ずさろうとしている。 しかし妹の後退よりも姉の前進は早く、丁度彼女にぶつかりそうだった霊夢は「おわ…っ!?」と声を上げて壁に身を寄せた。 ツカツカツカ…とハイヒールがカーペット越しの床を踏む音と共にルイズの傍へとやってきたエレオノールは、彼女の歩を思いっきりつねりあげた。 「いだい!やん!あう!ふにゃ!じゃ!ふぁいだ!」 あのルイズが何の文句も言えずに、姉のされるがままという光景に霊夢と魔理沙はただただ目を丸くして見つめている。 高慢で気が強く、時には二人をその場の勢いで気絶させた事もあった彼女は、涙をホロリとながして折檻に耐えていた。 「ちびルイズ!貴女は一体学院で何を学んできたというのよッ!?」 「あびぃ~~~、ずいばぜん~~~、あでざばずいばぜん~~~~…!」 「あ、あれだな?一種の愛情…ってやつだよな?」 『だな。叱咤も折檻も愛情の裏返し…ってヤツだ』 魔理沙とデルフがそんな会話をひそひそとし始めた中で、霊夢は一人呟いた。 「上には上がいるっていう言葉を作ったヤツは、きっとあぁいうのを見て思いついたんだろうねぇ…」 朝食の時間が終わり、生徒たちが各々の自室へと戻っていくトリステイン魔法学院の朝の風景。 街から遠く離れているのだが、騒ぎの概要を耳にしたせいか危機感を抱いている生徒は少なくない。 その影響か今日の授業は全て中止となり、教師たちは朝食後に全員集合して重要会議を開いている最中である。 盗み聞きしたという生徒の話では、夏季休暇を前倒しして生徒たちを全員帰宅させた方が良いという意見も出ているのだとか。 更に生徒たちを動揺させ理由の一つに、王宮から魔法衛士隊の一個中隊が魔法学院警護の為にやってきたというのもある。 これは昨晩王宮へ参内したオールド・オスマン学院長が、魔法学院で起きた怪事件を話したことが原因であった。 トリステイン王国の明日を担う貴族子弟たちがいる場所である故か、魔法学院がちょっとした軍事拠点になろうとしていた。 一男子生徒たちは学院のあちこちにいる魔法衛士隊員に興奮やまぬ様子で、中には隊員の一人にサインをせがむ者もいた。 そんなこんなで魔法学院にも不穏な空気が混ざりつつあったが、生徒たちの間では一つの話題が生まれていた。 「ねぇ聞いた?今回の騒動…あの゛ゼロ゛のルイズと使い魔が関わってるんだって」 「使い魔って…あの変な紅白の服着て、見たことない魔法でミスタ・グラモンを倒してのけたっていう黒髪の少女…?」 この学院で学んでいる少年少女たちは、はやくも昨日の騒ぎを騒ぎを起こしたルイズたちの事を噂し合っているのだ。 朝食の前にこの学院の生徒が巻き込まれた、という話を聞いた当初は動揺していたが巻き込まれた生徒の名を聞いて皆が納得していた。 「あぁ、あの゛ゼロ゛のルイズか…。まぁ最近、使い魔の紅白と怪しい黒白含めて騒がしかったからな」 「何か揉め事起こすような気がすると、前々から思ってたんだよなぁ…」 良くも悪くも召喚してから話題になっていた霊夢と、急に現れた魔理沙の事も生徒たちの話の中に混じっている。 この魔法学院では異分子とも言える自由奔走過ぎる二人の性格と名前は、生徒たちの間で瞬く間に知られていた。 そんな風にして、陰でひそひそと悪口を言われている霊夢と魔理沙が居候しているルイズの部屋。 昨晩のうちに三人分の荷物とデルフを持ち出され、寂しくなったそこにキュルケとタバサが侵入していた。 「うぅ~ん…やっぱりダメねぇ!粗方向こうに持ってかれてるわ…」 クローゼットに顔を突っ込んでいるキュルケは、本棚の方を調べている相棒のタバサに聞かせるように愚痴を漏らす。 ルイズのそれよりサイズが大きい黒のプリッツスカートに隠された尻を振りながら、クローゼットの中を物色している。 彼女の褐色肌の手は、中に仕舞ってあるルイズのドレスや外出用の高い服を掻き分けて、何かを必死に探していた。 対してタバサはというと…右手に杖を持ったまま自分の身長より高い本棚を、感情が見て取れない碧眼で見つめている。 「タバサぁ~!…何かそっちの方は目ぼしいものとかあったかしら?」 クローゼットに上半身まで突っ込みかねないキュルケにそう聞かれると、タバサは右手の杖を軽く振った。 自分の耳にかろうじて聞こえる程度の声で呪文を詠唱していたおかげか、小さな風が吹いて本棚から一冊の本が飛び出す。 その本は風に巻かれて宙に舞い、風に絡まれてタバサの手の中へとゆっくり落ちていく。 胸の前に差し出した両手の上にやや小ぶりな、それでいてしっかりと重みのあるハードカバーの本が着地する。 ルイズの性格なのか、上段にささっていたのにも関わらず埃はそれほどついておらず、手入れも行き届いていた。 僅かに被っていた埃をフッと息で吹き飛ばし、上から下まで表紙に目を通したの後、彼女はポツリと呟く。 「……あった」 「そうよねぇ…まったく、せめて面白そうなモノ一つくら……って、えぇ!ウソでしょぉ!?」 友人の言葉に若干反応が遅れたキュルケは勢いよく顔をクローゼットから出すと、タバサの方へと走り寄る。 燃えるような赤く長い髪を揺らし、自分の頭より若干小さい胸を揺らして近づいてくるその姿にタバサは僅かに慌てつつもその場から右に動く。 その空いたスペースにキュルケがやってくると、彼女の方を見上げて手にした本の表紙を口にした。 「……゛烈風伝説゛」 「―――――――は?」 タバサの口から出た本のタイトルを聞いたキュルケは、二秒ほど硬直した後にそんな声しか出せなかった。 ふと視線を落として友人の持っている本の表紙を見てみると、マンティコアに跨った騎士の絵がデカデカと描かれている。 その絵の上に先ほどタバサが口にしたタイトルが書かれており、自分の記憶が正しければ実在した騎士が主人公のノンフィクションもののお話だったはずだ。 友人の視線が表紙の方に向いていると気づいたのか、タバサはいつもの無表情さで聞いてもいない本の説明を始める。 「三十年前に実在していたというマンティコア隊隊長の活躍を綴ったノンフィクションもので、今でも騎士たちの間で絶賛されてる人気作…」 「それぐらい知ってるわよ。第一、そんなトリステインのお国自慢の本なんて今でも重版されてるでしょうに?」 長ったらしくなりそうだった説明を途中で斬り捨てたキュルケがそういうと、タバサは「違う」と短すぎる返事をした。 「これは二十五年前に出た初版で。今はもう絶版してる、コレクター落涙ものの一品」 「……え?あ、あぁ…そう、そうなの…」 駄目だ、ついていけない。タバサの言葉を聞いてそう判断したキュルケは、この部屋へ来た目的を少し忘れそうになりつつもほぉ…と溜め息をつく。 その時であった。ドアを開ける音と共に、耳に入っただけで誰か分かる知り合いの声が聞こえてきたのは。 「ちょっとアンタたち…。何勝手にルイズの部屋に入ってんのよ?」 レアな本と出会いを果たしたタバサと、そんな彼女に呆れつつあったキュルケが何かと思い部屋の入口へと視線を移す。 そこにいたのは、ドアを少し開けて顔だけを部屋に入れた゛香水゛の二つ名を持つ生徒…モンモランシーであった。 本人いわくチャームポイントであるブロンド巻き毛の左半分をルイズの部屋に入れて、呆れた表情で二人を見つめている。 「何か騒がしいなぁと思ってドアノブを捻ってみたら…。…ったく、これだからゲルマニアの貴族ってイヤなのよ…」 「あらあら?それはごめんあそばせ。…で、何か用でもあるのかしら?」 ジト目で睨んでくるモンモランシーに軽く返すと同時に、キュルケは彼女に話しかけてみた。 それに対して「それはこっちのセリフよ!」と、若干怒り気味の返事をよこしたモンモランシーの巻き毛が逆立っていく。 しかし、キュルケ相手に怒っても仕方ないのかと感じたのか…大きなため息ついてから「まぁわからなくもないわね…」と言ってから言葉を続ける。 「アンタたちが今のルイズの部屋に入って探してるモノなんて、大体想像がつくわよ」 巻き毛が元に戻ったモンモランシーの口から出たその言葉に、キュルケはあらあら…と意味深な笑みを口元に浮かべる。 その笑みに何かイヤな気配を感じたのか、モンモランシーの口から関わり合いになりたくない…という言葉が出ようとした時だった… 「何だ何だ?もしかして君たちも、ルイズの使い魔やあの居候の事を調べてるのかね?」 モンモランシーの背後から、これまたキュルケとタバサが聞いたことのある男子生徒の声が聞こえてきた。 青年合唱団にでも入れそうな程であるが、やや自己性愛な性格の持ち主だと想像できるナルシスト気味な少年の声。 耳にした二人は突然の事に目を丸くしつつも、モンモランシーはというと慌てて後ろを振り向き「ば、馬鹿!余計な事に首突っ込まないでよッ!?」と注意する。 先程の声と彼女の様子で、後ろに誰がいるのかわかってしまったキュルケは怪しげな笑みを浮かべて、部屋の入口へと歩き始める。 モンモランシーは近づいてくる同級生に気づいていない様子で、背後にいる男子生徒をその場から排除しようと奮闘していた。 「もう…っ!さっさと私の部屋へ行って……って、あ!」 何やら部屋に入ってこようとした誰かを押し出そうとしたところで、キュルケは半開きになっていたドアを開け放つ。 そしてその先にいたのは、ブロンドのショートヘアーに特注らしいキザっぽい制服を着たギーシュがいた。 「おはようギーシュ・ド・グラモン。朝っぱらから彼女とやいのやいのと揉め合ってて楽しそうねぇ?」 からかうようなキュルケの言葉にギーシュは恥ずかしそうな笑みを顔に浮かべ、モンモランシーは何かを諦めたかのように頭を抱える。 微笑みをその顔に浮かべる自分のすぐ傍に、本を棚に戻したタバサがやってくるのを確認してから、またもやギーシュに話しかけた。 「……さ・て・と♪あの二人―――――レイムとマリサについて何か知ってそうな感じねぇ?良ければ、この私にご教授してくれませんこと?」 モンモランシーの部屋は、一見すれば実験室かと疑ってしまうほどのアイテムが至る所に置かれている。 ポーションを作る際に用いる調合用の薬品が並べられている棚や、フラスコなどの実験器具が入れられている箪笥。 そして極めつけには今まで作ってきたであろうポーションの調合レシピが記されたメモ用紙が数十枚ほど出入り口から見て右側の壁にベタベタと貼り付けられている。 ルイズやキュルケ。タバサとはまた違う異様な内装の部屋だが、主であるモンモランシーは特に気にしていないようだ。 そんな部屋の中で、キュルケとタバサ。そしてモンモランシーとギーシュという四人のメンバーでお茶会を開いていた。 授業が中止となって暇をもてあそんでいるのだろう。他の部屋にいる生徒たちの何人かが似たような事をしている。 元々はギーシュと二人きりで楽しむはずだったのだが、彼が余計なことに首を突っ込んでしまったが為に、今はこうしてキュルケ達もお招きしていた。 彼女たち二人も暇だったので、まんざらではなかった様子だが。むしろだけの理由でルイズの部屋を荒らしている理由にはならないだろう。 そして紅茶を四人分淹れ終え、茶菓子の入った箱を開けたところでようやくキュルケは喋ってくれた。 昨日の夜に自分とルイズたちが学院にいなかった事と、ルイズたちが何故王宮で匿われているのかというその理由を。 「―――…なるほど。アンタたちが校則を犯してまで、ルイズの部屋に侵入した理由が何となくわかったわ」 話をは聞き終えたモンモランシーは、そう言いながら右手に持っていたティーカップをソーサーの上に置き、ふぅ…と一息ついた。 隣に座るギーシュもわかっているのかいないのか、「なるほど…」と一人呟きながら自分の杖を弄っている。 一方のタバサはずっと俯いたままげっ歯類の様にお茶請けのクッキーを忙しそうに食べている。 「信じられないかもしれませんけど、それが私の体験した出来事の全てですわ」 キュルケはそう言って残っていた紅茶を飲むとホッと一息つき、カップをソーサーの上に置く。 時計の音と閉じた窓の向こうから聞こえる鳥たちの囀りだけが響き渡る部屋の中は、ほんの一瞬だけ沈黙に包まれる。 このままでは空気が重くなると感じたのか、意外にも杖を弄っていただけのギーシュが声を上げた。 「しかし、そう言われてもねぇ…?あのレイムと、彼女のそっくりさんが戦っていたから、と言われても…はいそうですかとカンタンに頷けるわけないだろ?」 彼の言う事も最もであろう。ましてや、その話を語ってくれたのが魔法学院でも随一の目立ちたがり屋であるキュルケだ。 それにどんなにリアルな証言を語ろうにも、証拠となるモノが無ければ誰が話してもそれが実話だと信じきれないだろう。 だが、そこまで言った時であった。何かを思い出したかのように、ハッとした表情を浮かべたギーシュがブツブツと一人呟きだす。 「いや、まてよ……他人そっくりの……生き写しの様な………」 「ちょっとちょっと?何よ、何々…?アンタ、まさか心当たりでもあるワケ?」 唐突に変わったギーシュの様子に、やや食い気味になったキュルケが身を乗り出して彼の傍に寄る。 それに反応して「ちょっと…!?」とモンモランシーが怒りつつも、一応彼氏である男の言葉に耳を傾けていた。 一方のタバサもお茶飲みつつ目だけをギーシュの方へ動かし、彼の次の言葉を待っている。 「思い出したぞ…゛スキルニル゛だ」 ようやく思い出した彼の口から出たその名前に、キュルケとモンモランシーは思わず首をかしげてしまう。 その二人を見てギーシュはもったいぶるかのような咳払いをしてから、゛スキルニル゛についての説明を始めた。 ゛スキルニル゛とは…古代ハルケギニアで作られたマジックアイテムの一つであり、見た目はただの人形である。 人間の血を与えることによって、人形がその人間とほぼ寸分違わぬ姿に変身するのだという。 単に変身するだけではなく、性格や仕草にこまかい癖、そして元となった人間が体得した技術まで真似するのだという。 古代の王たちはこのスキルニルを大量に用いて兵士の人形を作り、文字通りの戦争ごっこに興じたという話まで残されている。 「人間そっくりに変身できる人形で戦争ごっこなんて、古代の王様たちは随分と良い趣味してらしたのね?」 ギーシュからの説明を一通り聞き終えたキュルケはそう言って、紅茶をゆっくりと啜っていく。 それに同意するかのようにモンモランシーも軽頷き、タバサは全く表情を変えないまま紅茶の無くなったカップを持ち続けている。 「少なくとも…僕が思いつくのはそれだけなんだが…。ただ、゛スキルニル゛そのものは入手経路が限られてるんだよ」 話し終えて紅茶を飲んでいたギーシュは次にそんな事を言いつつ、またもや説明を再開する。 まず゛スキルニル゛自体は市場などに出回ることはなく、普通は各国の王宮やトリステインのアカデミーの様な厳重な施設で保管されているのだという。 稀にハルケギニア各地で発掘される古代遺跡や古い墓から出土してくる事があり、墓荒らしに盗られる事もあるのだとか…。 無論平民はおろか並みの貴族には゛スキルニル゛の所持は許されておらず、発覚した場合には各国ごとに厳しい処罰が用意されている。 「まぁ、モノがモノだからね。そりゃ悪用されたら厄介な事件に発展する可能性だってあるんだぜ?」 「ハイハイ、貴方のウンチクはもう充分よ。つまるところ、私は見たらいけないモノに遭遇した…ってワケね?」 キュルケのその言葉に、今まで黙っていたモンモランシーが「どういう意味よソレ?」と聞いてくる。 彼女の質問にはすぐに答えず、カップに残っていた冷めた紅茶を飲み干したキュルケはふぅ、と一息ついてから喋り出す。 「昨日見たあの紅白の偽モノさんがスキルニルであれ何であれ、 貴族平民問わず安易に関わるべき事じゃない、…ということよ。 特に私の様な一学生が、興味や好奇心で首を突っ込むのも…ね?」 最後に軽いウインクをして喋り終えたところで、タバサを除く二人の顔色が変わった。 ギーシュは迂闊な事を口走ってしまったと思っているのか、気まずそうな表情を浮かべて腕を組んでいる。 モンモランシーはというと口を小さく開けたままポカンとしていたが、ふと何か思いついたかのような表情になった。 「ま、まぁ…貴女の言う事が本当だとしてよ。何であのヴァリエールと怪しい二人が、そんなのに襲われるのよ…?」 自身を椅子の背もたれに預けて寛いでいるキュルケを指さしながら、モンモランシーは質問をぶつけてくる。 しかし…部屋の主からの質疑に対し、応答した相手はキュルケではなかった。 「――――…もしかすれば、ルイズの傍にいるその゛二人゛が原因かもしれないねぇ…」 モンモランシーの隣に座るギーシュが腕を組んだ姿勢のまま、天井を見上げながら一人喋った。 一応彼氏である男の言葉にモンモランシーははぁ?と言いたげなのに対し、キュルケの顔にはまたも嬉しそうな表情が浮かび上がる。 いつの間にかカップをソーサーに置いていたタバサも顔を上げて、目の前にいるギーシュをじっと見つめていた。 三人もの女子生徒に見つめられて思わず顔が赤くなりかけた彼であったが、モンモランシーが目の前にいることに気付いてひとまずは咳払いをする。 まるで気を直すかのようなその動作をを、三人の顔を見回してからギーシュは喋り始めた。 「―――OK。とりあえず言いたいことはあの二人…つまりミス・レイムとミス・マリサの事だ。 三人ともわかってるとは思うけど、ルイズの部屋にいる彼女たちは何かが僕たちとは゛違う゛。 無論見た目は人間であるし、食べるものだって同じだ。けれど…僕らと違うのはそこじゃない。 まず最初の違いに気付いたのは。…恥ずかしい事だが、ミス・レイムとヴェストリの広場で決闘した時の事だ」 ひとまずそこまで言ったところで一息つくように紅茶を一口飲み、話を続けていく。 「あの時僕…いや、僕たちが見たのは彼女が瞬間移動したことと、見たことのない魔法で僕のワルキューレを撃破したことだ」 そうだろ?三人の同意を求めるかのような彼の言葉にキュルケとタバサは頷いたが、モンモランシーだけは首をかしげた。 あの時…一年生のケティとギーシュをぶちのめし、夕食の為に部屋へ降りてギーシュと再会するまで、ずっと自室にいたのである。 だからヴェストリの広場で決闘していた事は知っていたが、その詳細までは知らなかったのだ。 「何よソレ?そんなのアタシ初耳なんだけど?」 三人の顔を見比べながら怪訝な表情を浮かべる彼女に、ギーシュが決闘の様子を軽く説明する。 ついでに、負けたあたりのところをキュルケが補完してくれた為、モンモランシーはあの日のギーシュが妙に慌てていた理由が今になって分かった。 「だっさいわねぇ貴方。あんな見ず知らずの子に決闘吹っかけて負けて脅されて、恥ずかしくないの?」 「いやいやモンモランシー!彼女のあの怖い笑顔を見たらそりゃ、いくら僕でもそうせざるを得なかったんだって!第一あれは彼女の方から…」 「はいはい、カップル同士のイザコザはそこまでにして頂戴。今話したいことはそこじゃないでしょ?」 思わず喧嘩になりそうだった二人を仲裁しつつ、キュルケは話を続けるようギーシュに促す。 とりあえず一旦言い争いを止めたギーシュはもう一度咳払いしつつ、説明を再開する。 「え~っと、まぁそれから二日ほどしてからかな、僕は彼女が何者なのか気になったんだ。 勿論好意的な意味ではなくて…僕のワルキューレを撃破したあの魔法や瞬間移動が何なのか…という事だ。 ひとまず図書室で調べてみたけど、少なくとも僕の調べた範囲では該当する魔法は無かった。 ……いや、今になって思い始めてる。あれは本当に僕たちの知る゛魔法゛だったのか?…と」 ギーシュがそこまで喋ると、モンモランシーが横槍を入れるかのような言葉を投げかける。 「゛風゛系統の魔法とかじゃないのかしら。ほら?召喚の儀式のときに空だって軽々と飛んで見せ……あ」 喋り終える前に、彼女は自分の言った言葉の中にある矛盾に気づいた。 それを察したギーシュはモンモランシーに軽く頷いてから再び説明を続ける。 「――そう、彼女が初めて僕たちの前で空を飛んだ時に、 瞬間移動をして僕の背中を蹴った時も、攻撃した時にも…杖を持っていなかった。 僕たちメイジと杖は、使い魔以上に一心同体の存在であり、なくてはならない存在だ。 杖を失くしたり壊れたりすれば魔法が使えず、文字通りただの人間になってしまう。 しかしミス・レイムは、杖を使わず未知の攻撃を仕掛けてきた。これが意味する事は何か? 即ち、彼女が僕たちの゛既知の範囲外の存在゛だという事なんじゃないかな?比喩でもなんでもなく…」 そこで話は終わりなのか、ほぉ…と溜め息をついたギーシュは楽な姿勢になって口を閉ざす。 暫しの間静寂が部屋の中を支配したが、彼に続くようにモンモランシーが口を開いた。 「せ、先住魔法とかはどうなのよ?あれって確か、杖を使わずに―――」 「先住魔法は私達の魔法以上に長ったらしい詠唱が必要なうえに、普通の人間には扱えないそうよ?」 常識的な結論を導き出そうとする彼女に対し、腕を組んで黙っていたキュルケが退路を断つかのように否定する。 あくまで教科書レベルの知識であったが、先住魔法を使うのはエルフたちの様な亜人だけ…というのはこの世界の常識だ。 もはや何も言えなくなってしまったモンモランシーに代わり、ギーシュがまたも喋り出す。 「…ミス・マリサも怪しいと言えば怪しいな。何よりも、あの箒で空を飛ぶという事。 みんなは「そういうマジックアイテムもあるんだろ?」と言ってるが、何でワザワザあんなモノを使って飛ぶんだろうか?」 そこまで言ったところで右手を上げたキュルケがギーシュの口を止め、代わりに彼女が喋る。 「それと気になることがもう一つ。彼女がハルケギニアでの基本的な知識の大半を、知らないという事よ? 例え流浪の身であっても、あの年の娘なら私達と同じような教育をされてるはずじゃない。 ところが彼女、少なくとも一般的な社会常識は身に着けてるようだけど…多分、『ここの魔法』系統の知識はまだからっきしよ」 一部の言葉を強調したキュルケに、モンモランシーが「どういう事なのよ?」と聞いてきた。 本日何回目かになる彼女からの質問に、キュルケは落ち着いた様子で話し始める。 「あの黒白、以前授業中に使い魔たちに混じってメモを書いてたのよ。 確か授業の科目は土で…一年で覚えた゛土゛系統『錬金』の説明と、 人の代わりに軽作業を行えるゴーレムをいかにして作り出すか…だった…かしらねぇ? ともかく、黒白は先生の言葉と授業内容を聞き逃すまいと楽しそうにメモしてたわ。 まるで『異国』から人間が、現地の人々からの面白い話を聞いてメモするかのように…ね?」 「僕の様な゛土゛系統専門のメイジはおろか、学院にいる生徒なら充分熟知してた内容だったね」 キュルケの説明に補足するかのように、ギーシュが一言入れる。 同じ授業に出席していたタバサがそれに同意するかのように頷いたが、尚も食い下がるモンモランシーが「だったら…」と喋り始めた。 「だったら、何で誰もそれを指摘しないの?学院長は何か知ってそうだけど…どうして誰も気にしないのよ!?」 「そんなの決まってるんじゃない?――――『気にしない』んじゃなくて、『気にしようとしない』のよ、みんな」 最後は声を荒げつつも言い終えたモンモランシーであったが、キュルケはその顔に笑みを浮かべたまま返事をした。 自分の言葉にポカンとした彼女を見て軽く満足しつつ、キュルケは更に言葉を続けていく。 「確かにあの二人はここでは異質な存在よ。けれど、それ以上の事はしてこない…。 つまり、私達の様に気付いた人間以外は、彼女たちが無害だから気にせずに『放置』しているのよ。 紅白は召喚の儀式とギーシュとの決闘以来学院で目立った問題は起こしていないし、基本私達とは関わろうとしない。 まぁ、ちょっとしたトラブルで私の頭を蹴ってきたことはあったけど…、その借りはいつか返すとするわ…」 そこまで喋ってから一旦軽く息を吐いて吸いなおしたのちに、話を再開する。 「黒白は逆に、私たちの中に混じろうとしているわね。自らの異質さを表面に出しつつも、性格と口達者さで誰もそれに気付いてない。 中には気づいている連中もいるとは思うけど、全体的に見れば私達を含めて少数だし、その少数が動くとは思えないわね。 あの黒白は正直口が上手いし見た目もそれなりに良いから、一部の生徒たちは好意的だって聞いたこともある。 それは彼女が自らの異質さで自分たちに危害を加えず、友好的なコミュニケーションとして使ってくれるからよ。 もしもあの紅白みたいに召喚直後から問題起こしてくれれば、多少なりとも警戒はしていたでしょうけど…ね?」 キュルケがそこまで言ったところで、今まで黙っていたタバサがポツリと呟いた。 「結局のところ、単に゛珍しい゛から誰も問題に触れず…『気にしようとしない』」 これでわかったかしら?タバサの一言につけ加えるよう言った後に、キュルケの話は終わった。 少なくともハルケギニアの常識の範囲内で結論づけようとしたモンモランシーも参ったのか、やや憔悴した顔で頷く。 「結論付ければ何?…つまりルイズや貴女達が襲われたのは、あの使い魔と同居人が怪しいからって事なのよね?」 「まぁ結論付けるには証拠が足りませんけど。可能性は無きにしも非ず…ってところね」 明らかに厄介な事に気づいてしまったと言いたげな彼女を見て頷きながら、キュルケは茶請けのクッキーを口に入れて頬張っている。 それを横目に見ながら、項垂れつつある彼女を励まそうとギーシュが優しい声で語りかける。 「まぁ途中で軽く話が逸れつつあったけど…大丈夫だよ、僕のモンモランシー。この僕がいる限り、何も怖い事なんかないさ」 健気にも励ましてくれる彼に、モンモランシーは「気遣いは嬉しいけど、アンタは頼りないわねェ…」と言われている。 相変わらずの二人にキュルケはふふっ…と軽く笑い、次いで思い出したかのように頼りないと言われた彼氏に話しかけた。 「そういえばギーシュ、貴方に聞きたいんだけど。あの時どうしてあんな言葉が出てきたのよ?」 「ん?何だい、僕が何か君たちの気に障るような事を言ったのかな?」 「いやぁ違うわよ。ホラ、私とタバサがルイズの部屋で二人の事を調べていた時に―――…あら?」 その時であった、ふと部屋の外から甲高い警笛の音が聞こえてきたのは。 ここ魔法学院では聞き慣れぬその音に四人が窓の方へと視線を向け、何事かと思い始める。 警笛は一旦止まっては、また吹き続けるという事を何回も繰り返している。まるで何かを集めるかのように…。 いや、実際に集めているのだ。今魔法学院に駐屯している魔法衛士隊の隊員たちを。 警笛が鳴り始めてから数十秒が経ってから、ドアの向こう側が騒がしくなってきた。 幾つものドアが開く音と共に何人かの生徒たちが廊下へ出て何処かへと走っていく。 外では相変わらず警笛が鳴り続け、しまいには火竜に跨った魔法衛士隊隊員が一人窓を横切って飛んで行った。 流石のキュルケもこれには驚いたのか目を丸くし、部屋の主であるモンモランシー「ちょっとぉ!次から次へと何なのよ!?」と叫んでいる。 一方のタバサはスッと席を立って窓へと近寄ると、何のためらいもなく観音開きのそれを両手で開け放った。 「た、タバサ…ッ?」 「彼女は、一体何をするつもりで…!」 友人の唐突な行動にキュルケは声を上げ、いつの間にか部屋の入口近くへと下がっていたギーシュもそれに続く。 タバサはそれを気にせず窓から身を乗り出して左右の安全を確認してから、竜騎士が飛び立っていった方向へと顔を向ける。 警笛が鳴り続ける魔法学院の敷地を、そろいのマントを来た魔法衛士隊の隊員たちが走っている。 彼らは皆ある一定の場所へと向かっており、空を飛ぶ幻獣を使い魔として使役している者は一足先に急行していた。 ふと真下から男の怒鳴り声が聞こえてきた為、何かと思い視線を真下へ動かすと、衛士隊の隊長格と思われる貴族が何かを指示している。 「庭園にて不審な男を発見した!第二、第三班はここに残って寮塔の警備にあたれッ!!」 「―――…全く、朝っぱらからこの私を怒らせないで頂戴よルイズ」 ただでさえ今はイライラしているというのに。最後にそう付け加えて、エレオノールはフォークに刺したオレンジを口に入れた。 デザートであるクレープの付け合せとして出てきた糖漬けの柑橘類は甘酸っぱく、クレープともマッチしている。 それを租借し、飲み込むまでの動作は魔法学院の生徒たちと比べれば恐ろしい程に上品だな~と、ルイズは思っていた。 「……ルイズ、返事は?」 一方で、紅茶の入ったカップを手に持ったまま返事もしない妹に、姉が再びその口を開く。 「ふぇっ?あ、は、ハイッ!エレオノール姉さま!…ンゥッ!」 我に返り慌てて返事をした彼女はその勢いのに任せ、流れるような動作でカップの中身を口の中に入れていく。 幸いな事に、中の紅茶がかなり温くなっていたようなのでコメディ劇の様なハプニングは起こらずに済んだ。 冷えて微妙な味になってしまったソレを全て飲み干したルイズはカップをソーサーの上に置き、ホッと一息つく。 今現在、王宮で匿われているルイズが寝泊まりしている王宮内の客室。 それなりの家名を持つ者しか宿泊を許されないこの部屋で、ヴァリエール家の長女と三女が朝食をとっている。 二人とも既にデザートの方へ手を付けており、王宮の専属パティシエが作ったクレープに舌鼓を打っている最中だ。 しかし長女のエレオノールはともかくとして、三女のルイズはこの朝食が始まる前から物凄い緊張のせいで頭がどうにかなりそうであった。 「今回は誤報で済んだから良かったものの、報せが本当だったなら今頃どうなっていたやら…」 貴女はまだ学生の身なのよ?最後にそう付け加えて紅茶をゆっくりと飲む姉にルイズは謝罪を述べる。 「も、申し訳ありません姉様…」 朝食が来る前から地味に続いているエレオノールからの説教を、ルイズはただただ聞いていた。 今日も一日これからだというのに、侍女たちが部屋の壁に控えている中で気まずい朝食が続いている。 そして、その様子を壁一枚越し…つまりは隣に設けられた小さな部屋の中で聞いている二人の少女と、一本がいる。 本来は侍女の待機室として使われているこの部屋にテーブルが置かれ、そこで霊夢と魔理沙が朝食をとっていた。 アンリエッタの気遣いか、ルイズたちと同じメニューと二人分のティーセット、それに白パンが何個か入ったバスケットが置かれていた。 「それにしても、あのルイズが反論も無しにこう言われ放題とはなぁ。アム…ッ!」 薄い壁から漏れてくる姉妹の会話に耳を傾けている魔理沙が一言呟き、ナイフで切り分けた厚切りベーコンをフォークに刺して口に入れる。 頭に被っている帽子は部屋の入口に置いてある帽子スタンドに掛けられており、窓から入る陽光に照らされている。 「見た目もそうだけど、今のルイズを数倍格上げしたような性格してんのよ?そりゃ頭が上がらないわよ」 『第一、魔法学院に入る前からあんな風に叱られてんなら尚更だぜ?』 何故か苛ついた様子で食事をとっている霊夢が言葉を返し、それに相槌を打つかのようにデルフが喋る。 部屋の一番奥に設置されたこぢんまりとした椅子の上に置かれたインテリジェンスソードは、二人の食事を淡々と見つめている。 そんな風に隣の部屋と格差のある朝食が続いている中、苛々を募らせていた霊夢がついに小さな爆発を起こしてしまう。 今まで堪えていた゛何か゛を開放するかのようにはぁ~っ…、と大きなため息をついて、バスケットに入っている白パンを一個乱暴に手に取った、 「それにしても、何なのよアイツは?私の事を使い魔使い魔って好き放題言ってくれちゃって…」 あわれ犠牲者となった白パンを両手で勢いよく毟りながら、霊夢はここで朝食をとる理由となった数十分前の事を思い出す。 エレオノールの怒りが爆発し、ルイズが頬を抓られてしまったあの後…。 霊夢や魔理沙たちも巻き込まれる形で五分ほどの説教を聞いてから暫くして、ようやく給士たちが朝食の準備にやってきてくれた。 時計を見ればキッカリ二十分が経過している。紅魔館の妖精メイドたちが呆れ返る程ここで働く者たちはしっかりしていると、この時の霊夢は思った。 最初に入ってきた給士がフォークやナイフにスプーン、そしてグラス類などを乗せたワゴンを部屋に入れ、次にテーブルクロスを持ったメイドが入ってくる。 二人掛かりで部屋の中央に置かれたテーブルにクロスを敷き、素早い動作でワゴンに乗せたスプーンやコップをその上に置いていく。 「ほぉ~こりゃまた見事だな。やっぱり、こういう場所だと下の人間ほどテキパキと働いてるんだな」 面白いものを見ているかのような顔で魔理沙がそう言うのを尻目に、ふと何かに気付いたエレオノールがクロスを敷いたメイドに話しかけた。 ガリア沿いの小規模な街から御奉公に来た十代後半の緑髪のショートヘアが眩しいメイドの少女は、何でございましょうかと尋ねる。 「貴女、二人分ほどスプーンやグラスが多いのはどういう事なのかしら?」 「はて…?姫殿下から頂いた連絡では、きっちり四人分の用意をするようにと仰せつかっておりますが?」 「四人分?まさかとは思うけど、あの使い魔と従者の分…ということなのかしら?」 エレオノールはそう言って横目で霊夢と魔理沙を見やると次いで振り返り、後ろにいるルイズを睨み付ける。 姉に睨み付けられたルイズはハッとした表情を浮かべ、何て言葉を出していいのか一瞬分からず口をつぐんでしまう。 「つまりアンタが言いたいのは…貴族様の素晴らしい食卓に、私達の様な人間が入る余地は無い…って事でしょう?」 その時、思いも寄らぬ助け舟――――…から大砲を撃ってきたのは、意外にも壁の傍に立っている霊夢であった。 足元にデルフを立てかけている彼女は、腕を組んだままルイズの姉をジトー、っとした目で睨み付けている。 だが使い魔のやることに一々腹を立てるつもりはないのか、エレオノールも負けじと「良く分かっているじゃない?」と言い返す。 「この娘がどういう扱い方をアナタ達にしたか知らないけれど。下手に勘違いしてない分、゛人間の使い魔゛としては良くできてるわね」 「…というか、四六時中何かに苛ついてるようなアンタに睨まれながらのご飯なんて、コッチからゴメン被るわ」 穏やかな一室が不穏な空気に包まれるのを察知したルイズはしかし、エレオノールに横目で睨まれ何も言えなくなってしまう。 そんな一触即発という状況の中で、ルイズの姉と睨み合っていた霊夢は大きなため息をついて、ふと隣の部屋へと続く扉を見やる。 すぐ横にあるその扉を後ろ手で少し開けて振り返り、中の部屋がどうなっているか確認したの後、動きが止まっていた給士に声を掛けた。 「さて、そろそろお腹もすいてきたし……ねぇ、そこの給士さん?」 「え…あ、は…はい…何でしょうか?」 「隣の部屋が空いてるようだから、私とそこの黒白の朝ご飯をそっちに持ってきてくれない?」 霊夢からの要求に給士はどう答えていいか分からず、ついついエレオノール達の方へ顔を向けてしまう。 それに対しエレオノールはメガネを人差し指で掛け直しつつ、ぶっきらぼうな表情で言った。 「今、この部屋の主は私の妹であるルイズよ。返答を乞いたいのなら彼女に聞きなさい」 姉の口から出た言葉にルイズは一瞬戸惑いつつも、すぐに給士の方へ顔を向けて「わ…分かったわ。持ってきて頂戴」と伝える。 ルイズの言葉を聞いて恭しく一礼した給士は同伴していたメイドに要件を伝えて、厨房へと向かわせた。 その後…エレオノールの事は妹のルイズに任せた霊夢はデルフを持って隣の部屋へ移り、 珍しく何も言わずに黙っていた魔理沙も、愛想笑いをルイズたちに向けながら霊夢の後を追っていった。 ……そうこうして時間が過ぎ、今に至る。 「にしても、あの時私は黙ってたけどさぁ…よくもまぁお互い暴発せずに済んだよな?」 トマトソースが掛かっていたオムレツを食べ終えた魔理沙に聞かれ、口に放り込んだ白パンを飲み込んだ霊夢が口を開く。 「空きっ腹で怒って朝食が滅茶苦茶になったりしたら、余計にお腹が空いちゃうじゃない」 向こうだって同じよ。最後にそんな言葉を付け加えながら、左手に持っていた白パンの片割れも容赦なく口の中に入れる。 学院のそれと比べれば、小麦の風味が濃いそれを口の中で味わいながらも、スプーンで掬った野菜のコンソメスープをゆっくりと啜る。 一口分のサイコロサイズに切ったニンジンやジャガイモはじっくり煮込んでいるおかげか柔らかく、それでいて程よい歯ごたえもある。 琥珀色のスープの味も申し分無く、一緒に入れている適量の塩コショウが食欲を促進させてくれる。 厚切りベーコンも焼いた際に余分な油を落としているので、多少分厚くとも最後まで美味しく食べられる。 流石に隣の部屋のルイズたちと食べているモノは同じなので、料理自体に不満などなく、むしろ太鼓判を押したくなるほどの出来だ。 「――ン、クッ…。それにしても、やっぱりこういう場所だけあってか料理にも金を掛けてるのは、学院と同じなのね」 スープと一緒に咀嚼したパンを飲み込んだ霊夢はやや満足気味な表情を浮かべて、一人呟く。 学院の厨房で働いているマルトーの料理と比べても遜色ない出来に、先ほどの苛々も徐々に消えつつあった。 人間、怒っている時に案外上手いモノを喰ったら上機嫌になってしまうものである。特にお腹が空いているような時には。 「だな。…でもまぁ、このクレープと比べたらマルトーのアップルパイの方が点数差で勝つなぁ~」 喉に刺さっていた魚の骨がうまいこと抜けた時の様な安堵感を覚えつつ、クレープを食べ始めた魔理沙が言った。 クレープなのに何故中に包むべきフルーツやクリーム等を、生地の上へご丁寧に乗せているのかという疑問を抱きながら。 そんな風にして二人が和気藹々と食べている一方…。 デザートも食べ終え、食後の紅茶を堪能しているルイズは姉のエレオノールから色々と聞かれていることがあった。 「それにしても…人間の使い魔だなんて、生まれて初めて見たわね」 あの巫女の憎たらしい視線を思い出して僅かな怒りを思い出しつつ、エレオノールは率直な感想を述べた。 一方のルイズも紅茶をちびちびと飲みつつも、ひとまずは静かにして姉の様子を窺っている。 「貴女は色々と昔から変わってたけど…一体全体、何で人間なんか召喚できたのよ?」 「ん~?…どうしてでしょうか?ちゃんと手順通りにコントラクト・サーヴァントをして…あんなヤツが出ちゃったので…」 自分の口からでた質問に、すぐさまそう答えたルイズを見てエレオノールはため息をついた。 「まったく!幼い頃からまともなコモン・マジックすら使えなかった貴女が、使い魔の召喚であんなのを呼び寄せちゃうなんて!」 そう言ってエレオノールは、ティースプーンで砂糖の入った紅茶をゆっくりと掻き混ぜる。 姉の態度にまたもや怒られると感じたルイズは席に座ったまま頭を下げたまま次の言葉を待ち構えた。 しかし…彼女の口から出た言葉の一言目はルイズの予想を、良い意味で裏切る形となる。 「ま、まぁでも…魔法が使えなかった貴女が、召喚に成功して無事に進学できた分…良かったとは、思うべきかしら?」 顔を僅かに横へ向けつつも放った姉の言葉は罵りではなく、二年生になれた事を褒めるものであった。 それを聞いて目を丸くしたルイズは顔を上げ、そっぽを向くおエレオノールの顔をまじまじと見つめる。 てっきり「このおちび!」という言葉と共に叱られるかと思っていたので、色んな意味で面喰ってしまっていた。 幼少期は事あるごとにおちびおちびと呼ばれ頬を抓られ、叱られていたというのに…。 「え…?あの、姉様…今の言葉は?」 姉の口から出た自分への褒め言葉が信じられないのか、ルイズはもう一度確認するかのように聞いてみる。 しかし、その言葉にハッとした表情を浮かべて、慌てて妹の方へと顔を向けた。 「…っ、勘違いしないでちょうだいルイズ。良い?召喚に成功できたからとはいっても、貴女はこれからも努力を怠ってはいけないのよ?」 先程の褒め言葉を隠すかのように言ったエレオノールは砂糖を混ぜ終えた紅茶を飲み始める。 そしてすぐに口元から離すとソーサーに置き、コホンと軽く咳払いしてからまたもや口を開いて喋り始めた。 「言いたい事は山ほどあるけど…とりあえず朝食が終わったら、 お母様とお父様に手紙を書いて無事だという事を教えてあげなさい。 姫殿下に頼んで竜騎士に手紙を届けてくれるよう、私からも進言しておくわ。 良い?すぐに手紙を書くのよ。二人とも今頃ラ・ヴァリエールのお屋敷で心配していると思うから」 「あ…ハイ!――――ん、あの、姉様」 姉からの命令にルイズはすぐさま返事をした後、ふと疑問に思ったことがあった。 返事をしてすぐ質問をしてきた妹に紅茶を飲みながらも、エレオノールは「何かしら?」と聞く。 少し考えるよなそぶりを見せてから、ルイズはおずおずと口を開く。 「その…勿論、ちいねえさまにも手紙を出した方が良いですよね?」 ルイズがそんな事を言った瞬間、カップを持っていた姉の右手が微かに揺れた。 幸い中身をこぼしはしなかったが、その動揺するかのような動きをルイズは見逃さなかった。 「あの、姉様?」 「……あの娘は今、ラ・フォンティーヌにもラ・ヴァリエールの実家にもいない。だから手紙は出さなくていいわ」 「………ッ!」 ルイズに向けてそう話すエレオノールの表情は、何か悩んでいるかのようなモノへと変わっていた。 その顔を見て脳裏に嫌な゛何か゛よぎり、彼女の体が無意識に立ち上がってしまう。 後ろへと押しのけられた椅子は一瞬の猶予の後に、大きな音を立ててカーペットを敷いた床の上に倒れる。 「ま、まさか…ちいねえさまは…ちいねえさまは…?」 「馬鹿な事を考えないで頂戴ッ!」 思わず口から出たルイズの叫びをかき消すように、エレオノールが大声を上げる。 その声に、そしものルイズも驚いたのだろうか、ひっ…と小さな悲鳴を上げてその場で縮こまってしまう。 エレオノールのすぐ傍にいた侍女も驚きのあまりか、その場で身体を震わせている。 そんな事を気にせず、大声を上げたエレオノールはルイズに向かって「人の話は最後まで聞きなさい。良いわね?」と言い聞かせる。 姉の注意にルイズは先ほどの叫びとは比較にならない小さな声で「ハイ…」と答え、控えていたメイドが起こしてくれた椅子に座りなおした。 妹が座り直したところで小さな溜め息をついたエレオノールは、教え子に諭すような感じで喋り始める。 「とりあえずあの娘は変わりないわ。良い意味でも、悪い意味でも…」 「そう、ですか…」 最初の一言目を聞いて、先程嫌な゛何か゛がよぎったルイズの脳裏に、こんどは『ちぃ姉様』の姿が思い浮かぶ。 物心ついた時からベッドから上半身だけを起こした状態で、幼い頃の自分を可愛がってくれた。 生まれた時から難病に苛まれ…それでも優しく健気に、誰よりも明るく振舞っていた。 学院へ入学する前、実家を離れるときにも父と同じく魔法が使えぬとも決して挫けるなと励ましてくれたのである。 『大丈夫よルイズ。貴女ほど気丈な娘なら、きっと始祖ブリミルも微笑んでくださるわ』 まだまだ小さい自分の体を抱きしめながら頭を撫でてくれたことを、自分は今でも忘れていない。 「ちいねえさま…」 時間にすればほんの数秒ほどの思い出に浸っているルイズに水を差すかのように、エレオノールは話を話を続ける。 「私が両方の領地にいないと言ったのは…、あの娘が始めて旅行をすることになったからなのよ…。 もっとも、私だって…つい数日前にお父様からの手紙で初めてその事を知ったから、今はどこにいるのやら…」 エレオノールの口から出てきた゛旅行゛という言葉に、ルイズはえぇっ!と驚いた声を上げてしまう。 「りょ、旅行ですか…でも、あの体で…」 「無論。知ってたら実家に帰ってでも止めてたけど…。 あの娘、いつの間にか上手いこと両親と周りの人間を説得しちゃったらしいのよ。 まぁ国内だけの旅行だけで済んだし、目的地も手紙に書いてあったから何かあっても動けるとは思うわ」 エレオノールの説明にルイズは安堵のため息をつきつつ、ふと目的がどこなのか気になった。 それを察してか、すっかり温くなってしまった紅茶を一口飲んでから、エレオノール言った。 「目的地はラ・ロシェール近辺の村であるタルブ…そこの領主アストン伯の屋敷、らしいわ」 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 人の運勢と言うのは基本、極端に傾くという事は滅多に無い。 運が良い時期が続けば続くほど後々運勢が急に悪くなり、かと思えば不幸の連続から突如幸運に恵まれる事もある。 天気と人の気持ちに次いで、運勢というモノは人が読み当てるには難しい代物であり、占いを用いたとしても確実に当たる保証はない。 当たるも八卦、当たらぬも八卦とは良く言ったものである。どちらの結果になっても占いの吉凶はその人の運勢からくるものなのだから。 運が良い人ならば凶と出てもそれを跳ね除けられるし、逆に運が悪ければどんな事をしても結果的には凶で終わってしまう。 そして、最初にも書いた通り運勢という代物は決して極端にはならない。 運が良い事が続けば続くだけ、それを取り立てるかのように不幸が連続して襲ってくるものなのだ。 夕暮れ時のトリスタニアはチクトンネ街。夜間営業の店がドアのカギを開けて客を呼び込もうとしている時間帯。 日中の労働や接客業を終えた者たちが仕事終わりの一杯と美味い料理、そして可愛い女の子を求めて次々に街へと入っていく。 夏季休暇のおかげで地方や外国から来た観光客たちも、ブルドンネ街とは対照的な雰囲気を持つこの場所へと足を踏み入れる者が多い。 街へと入る観光客は中級や下級の貴族が多いのだが、中には悠々とした外国旅行を楽しめる富裕層の貴族もちらほらといる。 母国では名と顔が知られてる為にこういった繁華街へ足を踏み入れられない為に、わざわざここで夜遊びをするために王都へ来るという事もあるのだ。 彼らにとって、地元の平民や下級貴族たちが飲み食いする者はお世辞にも良いモノとは言えなかったが、それよりも新鮮味が勝っていた。 炭酸で味を誤魔化している安物のスパークリングワインや、大味ながら食べ応えのあるポークリブに、厨房の食材を適当に選んで切って、パンに挟んだだけのサンドイッチ。 普段から綺麗に盛り付けされた料理ばかりを目にし、食してきた富裕層の者たちにとっては何もかもが目新しいものばかり。 盛り付けはある程度適当で、食べられればそれで良いという酒場の料理に舌鼓を打っていく内に、自然と笑ってしまうのであった。 そんな明るい雰囲気が漂ってくるチクトンネ街の通りを、一人の少年が必死の形相でもって走っている。 短めの茶髪に地味なシャツとズボンという出で立ちの彼は、まだ十五歳より下といった年であろうか。 そこら辺で仲間と話している平民の男と比べてまだまだ細い両腕には、いかにも重そうな革袋を抱ている。 陽も落ち、双月が空へ浮かぶ時間帯。日中と比べて気温は少し下がったものの、少年の顔や服から露出している肌や汗にまみれている。 無理もない。何せこの少年は両腕の袋を抱えたまま、かれこれ三十分以上も走り続けているのだから。 ここまで走ってくるまで何度もの間、少年は何処かで足を止めて休もうかと悩んだ事もあった。 しかし、その度に彼は首を横に振って走り続けた。――――袋を取り返そうとする゙アイヅから逃れる為に。 赤みがかった黒目に、珍しい黒髪。そして悪魔の様に悠然と空を飛んで追いかけてくる゙アイヅは今も尚自分を追いかけてきている。 捕まれば最後…袋を奪われた挙句衛士達の手で牢屋に行けられてしまうに違いない。 自分だけならまだ良い。だがしかし、彼には守らなければ行けない最後の一人となってしまった肉親がいる。 彼女一人だけでは、自分の庇護無くして生きていく事なんてできやしないだろう。 「捕まるワケには…捕まるわけにはいかない…!」 最悪の展開の先に待つ、更に最悪な結果を想像した少年は一人呟き、更に走る速度を上げていく。 袋の中に入っだモノ゙―――金貨がジャラジャラ…という大きな音を立て続けており、それが彼に勇気を与えてくれる。 この袋の持ち主であっだアイヅは言っていた。…三千エキュー以上も入っていると。 つまりコイツさえ手に入れてしまえば―――手に入れる事が出来れば、暫くはこんな事をしなくて済む。 ほとぼりが冷めたら王都を離れて、ドーヴィルみたいな療養地やオルニエールの様な辺境で安い家を買って、家族と一緒に暮らそう。 畑でも作って、仕事を見つけて、一年前のあの日から奪われていた幸福を取り戻すんだ。 「―――…ッ!見つけたわよ、そこの盗人!!」 揺るぎない意思を抱いた彼が改めて決意した時、後ろの頭上から゙アイヅの怒鳴り声が聞こえてきた。 突然の怒鳴り声に少年を含めた周りの者たちは足を止めて、何だ何だと頭上を見上げている。 吃驚して思わず足を止めてしまった少年は口の中に溜まっていた唾を飲み込み、意を決して振り返った。 「さっさと観念して、私たちのお金を返しなさい…この盗人が!」 振り返ると同時に、袋の持ち主であっだアイヅ―――――博麗霊夢が上空から少年を指さしてそう叫ぶ。 黒帽子に白いブラウス、そして黒のロングスカートという出で立ちで宙に浮く彼女の姿は、何ともシュールなものであった。 一体何が起こったのか?それを知るには今からおおよそ、三十分程の前の出来事まで遡る必要があった。 事の発端を起こしたとも言うべき霊夢がニヤニヤと笑う魔理沙と気まずそうなルイズを伴って、とある飲食店から出てきた所だった。 いつもの巫女服とは違う姿の彼女はその両手に金貨をこんもりと入れた袋を持ったまま、カウンターで嘆く店主に向かって別れの挨拶を述べた。 「じゃ、二千六百二十五エキュー。しっかり貰っていくからね?」 「に…二度と来るんじゃねェ!それ持って何処へなりとでも行きやがれ…この悪魔ッ!」 余裕癪癪な霊夢の態度に店の主は悔し涙を流して、ついでに拳を振り上げながら怒鳴り返す。 その様子を店内で見守っている客たちは、霊夢と同じ賭博場にいた者達やそうでない者達も関わらず、皆呆然としている。 無理もない。何せいきなりやってきた見ず知らずの少女が、ルーレットでとんでもない大当たりを引いてしまったのだから。 当初は彼女に辺りを引かせてしまったシューターが慌てて店主を呼び、ご容赦願えないかと霊夢と交渉したのである。 何せ二千六百エキュー以上ともなるとかなりの大金であり、この店の二か月分の売り上げが丸ごと彼女に手に渡ってしまうのだ。 ここは上手いこと妥協してもらい、二千…とはいかなくともせめて五百までで許してくれないかと頭を下げたのである。 「お、お客様…何卒ご容赦願いまして…ここはせめて五百エキューで勘弁して貰えないでしょうか?」 「二千六百二十五。――…それ以下は絶対に無いし、逆に言えばそこまでで許してあげるからさっさと換金してきなさい」 「れ…レイム。いくら何でもそれは欲張り過ぎの様な…」 「無駄無駄。賭博で勝った霊夢相手に交渉なんて、骨折り損で終わるだけだぜ?」 しかし霊夢は絶対に首を縦に振る事はせず、交渉は平行線となって三十分近くも続いた。 いきなりの大金獲得という現実に認識が遅れていたルイズも流石に店主に同情し、魔理沙もまた彼に憐れみを抱いていた。 事実霊夢は店の人間が出す妥協案を聞くだけ聞いて無視しており、考えている素振りすら見せていない。 店側は、何とかゴネにゴネて追い出す事も出来たが…そうなると客の信用を失うことになる。 数年前から始めたルーレットギャンブルはこの店を構えている場所では唯一の賭博場であり、常連の古参客たちもいる。 そんな彼らの前で、大当たりを引いた客を追い出してしまえば彼らも店の賭博を信じなくなるだろう、 そうなれば人づてに今回の話が街中に知れ渡り、結果的にはこの店――ひいては今まで築き上げてきた信頼さえ失ってしまう。 十五年前からコツコツと続けてきて、今日までの信頼を得ている店主にとっては、それは店の売り上げ金と同列の存在であった。 しかし、今はどちらか一つを差し出さねばならないのである。二か月分の売上を目の前に少女に上げるか、風評被害を覚悟に追い出すか…? そして店主にとって、どちらが愚かな選択なのかハッキリと分かっていた。 『いやぁ~!それにしても、随分と荒稼ぎしたじゃねぇかレイム。店の人間がみんな泣いてたぜ?』 「あら、アンタ起きてたの?何も喋らなかったから寝てるか死んでるかと思ったわ」 半年分の功績を持ち逃げされた店を後にして数分してからか、今まで黙っていたデルフがようやく喋り出す。 今にも自分の肩を叩いてきそうな勢いで話しかけてくる剣にそう返しつつ、霊夢は両手に持っていた大きな革袋へと視線を向ける。 先ほどの店にあった賭博場で得た二千六百二十五エキューが二つに分けられて入っており、重さ的にはそれ程変わらない。 「ね、ねぇレイム…ホントに持ってきちゃって良かったの?勝ってくれたのは嬉しいけど…後が怖い気がするんだけど?」 そんな彼女の肩越しに金貨満載の袋を見つめていたルイズが、冷や汗を流しつつそんな事を聞いてきた。 あれだけ贅沢な宿じゃ眠れないとか言っておきながら、いざ大金を手にした途端にかなり気まずそうな表情を見らてくれる。 「何言ってるのよ?アンタがお金無いと良い宿に泊まれないっていうから、わざわざ私が大当たりを引いてやったっていうのに…」 「いやいや…!だからってアンタ、アレはやりすぎよ!?」 怪訝な表情を見せる霊夢にルイズは慌てて首を横に振りつつ、最もな突っ込みをしてみせた。 確かに事の発端は自分だと彼女は自覚していたものの、だからといってあんな無茶苦茶な方法に打って出るとは思っていなかっのたである。 それと同時に、あのタイミングでどうやって大当たりを引けた理由にも容赦ない突っ込みを入れていく。 「大体ねぇ、シューターの使ってたボールのパターンを覚えて、しかも自分の勘で数字に張ったなんて…それこそ無茶苦茶だわ!」 人の少ない通りで、両手を振り回しながら叫ぶルイズに霊夢は面倒くさそうに頬を掻きながらも話を聞いている。 店を出てすぐにルイズは聞いてみたのである、どうやってあんなドンピシャに当てられたのかを。 その時は久しぶりの博打と大勝で気分が良かった霊夢は、自慢げになりながらもルイズが叫んだ事と似たような説明をした。そして怒られた。 「別に良いじゃないの?だって勝ったんだし、魔理沙みたいにチビチビ張ってたらそれこそ時間が掛かるし…」 「…それじゃあ、そのインチキじみた勘とパターンとやらが外れてたらどうするつもりだったのよ」 「はは!そう心配するなよルイズ。霊夢の奴なら、どんな状況でも勝ってたと思うぜ?」 二人の会話に嫌悪な雰囲気が出始めたのを察してか、すかさず魔理沙が横から割り込んでくる。 「マリサ、アンタまでコイツの擁護に回るつもりなの?」 突然会話に入ってきた黒白へキッと鋭い睨みを利かせるも、魔理沙はそれをものともせずに喋り出す。 「そういうワケじゃないさ。ただ、コイツの場合持ち前の勘が良すぎて賭博勝負じゃあ殆ど敵なしなんだぜ?」 「……そうなの?」 「ちなみに…一時期コイツが人里の賭博場で勝ちまくって全店出禁になったのは、ここだけの話な」 「で…出禁…?ウソでしょ…っ!?」 訝しむルイズは手振りを交えつつ幻想郷で仕出かした事を教えてくれた魔理沙の話を聞いて驚くと、思わず霊夢の方へと視線を向けた。 当の本人はムスッとした表情で此方を睨んでいるものの、出禁になるまで勝てる程の人間には見えない。 しかし、現にたったの七十五エキューで大勝した所を見るに、決して嘘と言うワケではないのだろう。 暫し無言の間が続いた後、ルイズは気を取り直すように咳払いをした。 「……ま、まぁ良いわ。アンタの言うとおり、ひとまずはお金もゲットできたしね」 「やけに物わかりが良いじゃない?まぁそれならそれで私も良いけど」 突っ込みたい事は色々あるのだが、大金抱えたまま街中で騒ぐというのはあまり宜しくない。 できることなら宿に…それも貴族が泊まれる程の上等な部屋を手にいれてから、聞きたい事を聞いてみよう。 そう誓ったルイズは、ひとまず皆の手持ち金がどれだけ増えたのか軽く調べてみる事にした。 最初にギャンブルに挑戦し、程よい勝利を手に入れた魔理沙は三百七十五エキュー。 これだけでも相当な金額である。長旅ができる程の商人が寛げるそこのそこの宿なら夏季休暇が終わるまで宿泊できるだろう。 次に…突如乱入し、恐らくあの店の金庫からごっそり金を巻き上げたであろう霊夢は桁違いの二千八百九十五エキューだ。 ただしルイズの三十エキューも張った金の中に入っているので、それを半分に分けた千四百四十五エキューを彼女に渡す事となる。 丁度金貨の袋を二つに分けて貰っていたので、ルイズは霊夢の右手の袋をそのまま頂く形で金貨を手に入れる。 結果…。変装する際に購入した服の代金で三十エキュー減っていたが、その分を埋めてしまう程の大金が一気に舞い込んできた。 「これで私の所持金は…千八百十五エキュー…うわぁ、なんだかすごいことになっちゃったわ」 巫女さんの手から取った袋のズッシリと来る嬉しい重みに彼女は軽く冷や汗を流しつつ、自然とその顔に笑みが浮かんでくる。 一方の霊夢は軽くなった右手で持ってきていた御幣を握ると、ため息をつきながらも左手の袋へと視線を向けていた。 「その代わり私の手元に千四百四十五エキューまで減ったけどね。…何だか割に合わないわねェ」 『へっ、店の人間泣かすほどの大金持っていったヤツが良く言うぜ』 彼女の言葉に軽く笑いながら突っ込みを入れているのを眺めつつ、ルイズは金貨入りの袋を腰のサイドパックに仕舞いこむ。 パックは元々彼女が持っていたもので、遠出をする時には財布代わりに使えたりと何気に便利な代物である。 黒革のサイドパックとそれを繋いでいる腰のベルトは共に丈夫らしく、大量の金貨の重量をものともしていない。 これなら歩いている途中にベルトが千切れて、金貨が地面に散乱する…という最悪の事態はまず起こらないだろう。 「とはいえ、財務庁かどこかの安全な金庫に三分の二くらい置いといた方がいいわね…」 天下の回りもの達を入れたパックを赤子を可愛がるかのように撫でながらも、ルイズは大通りへと出る準備を終えた。 ひとまずは霊夢達のおかげで、個人的には少ないと思っていた資金を大量に増やす事が出来た。 その二人はどうだろうかと振り返ってみると、魔理沙も既に準備を終えて霊夢と楽しそうに会話している。 「それにしても、私と霊夢にしちゃあ幸先が良いよな。何せ今日だけで数百エキューを、一気に三千エキュー以上に変えたんだぜ?」 「むしろ良すぎて後が怖くならないかしら?アンリエッタからの任務何てまだ始めてもないんだし」 箒を肩に担ぎつつ、金貨の入った袋をジャラジャラと揺らしながら喋る魔理沙に、霊夢は冷めた様子で言葉を返している。 魔理沙はともかく、彼女は金貨がこんもりと入った袋の紐を直接ベルトに巻き付けており、ルイズの目から見ても相当危なっかしい。 この二人に財布的な物でも買ってやったほうがいいかしら。ルイズは一人思いつつも、この大金を手に入れてくれた巫女さんをじっと見つめていた。 今更ながら、やはりあの霊夢が狙って三十五分の一に大博打に勝ったとは未だに信じにくかった。 しかし、すぐにでも欠伸をかましそうな眠たい表情を見せる巫女さんのおかげて幾つもの窮地を助けられたというのもまた事実なのだ。 ギーシュや土くれのフーケに、裏切り者のワルド子爵にキメラ達との数々の戦いでは、歳不相応な程の戦い方を見せてくれた。 やはり魔理沙の言うとおり、彼女には常人には理解しがたい程の勘の良さがあるのだろうか。 「……ちょっと、ナニ人の顔をジロジロ見てるのよ」 「え?…い、いや何でもないわよ」 そんな事を考えている内に自然と霊夢の顔を凝視している事に気付かず、怪訝な顔をした彼女に話しかけられてしまう。 ルイズはそれを誤魔化すように首を横に振ると、気を取り直すかのように軽く咳払いしてから、大通りへと続く道へ体を向けた。 「さぁ行きましょう。ひとまずお金は用意できたから、ちゃんとしたベッドがある宿を探しに行くわよ」 「分かったぜ。…にしても、この時間帯でまだ部屋が空いてる宿ってあるのかねぇ?」 「無かったら困るのは私達よ。大量のお金を抱えたまま道路で野宿とか考えただけでも背すじに悪寒が走るわ」 魔理沙の言葉にそう答えつつ、さぁいざ宿を探しに大通りへ――――という直前、突如デルフが声を上げた。 『―――レイム、来るぞ!』 鞘から刀身を出す喧しい金属音と共に自分を担ぐ霊夢の名を呼んだと同時に、彼女は後ろを振り返る。 そしてすぐに気が付く。いつの間にか背後一メイルにまで近づいていた見知らぬ少年の存在に。 自分の腰の大きな袋――金貨入りのそれへと伸ばしていた彼の右手を目にも止まらぬ速さで掴み、そして捻り上げた。 「……!おっ…と!」 「うわ…わぁっ!」 流れるような動作でスリを防がれた少年が、年相応の声で悲鳴を上げる。 少年期から青年期へと移り変わり始めてる青く未来のある声が奏でる悲鳴に、ルイズたちも後ろを振り向く。 「ちょっと、一体何…って、誰よその子供!?」 「スリよ。どうやら私が気づいてるのに知らないでお金を盗ろうとしたみたいね。そうでしょ?」 驚くにルイズに簡単に説明しつつ、霊夢はあっさりとバレて狼狽えている少年を睨み付けつている。 魔理沙は魔理沙で、幻想郷ではとんと見なくなっだ光景゙に手を叩いて嬉しそうな表情を見せていた。 「ほぉ!霊夢相手にスリを働く奴なんて久しぶりにお目に掛かるぜ」 「そうなの?…っていうかここはアンタ達の故郷じゃないし、アイツが盗人にどんな仕打ちをしたか知らないけれど…」 結構酷いことしてそうよね…。そう言いながら、ルイズは巫女さんに捕まってしまっている少年へと視線を向ける。 年は大体十三、四歳といったところか、身なりは綺麗だがマントをつけていない所を見るに平民なのだろうか。 服自体はいかにも平民が着ていそうな質素で安い服装だが、ルイズの観察眼ではそれだけで平民か貴族なのかを判断するのは難しかった。 しかし、だからといって霊夢にその子を自由にしてやれと指示するつもりは無かった。 子供とはいえ見知らぬ人間が彼女に対してスリを働こうとしたのだ、それもこんな暗い時間帯に。 少年の方も否定の言葉を口にしない辺り、本当に霊夢のお金を掠め取ろうと企てていたと証言しているようなものだ。 犯罪を犯した子供にしてはやけに口静かであったが、その代わり少年の顔には明らかな焦燥の色が出ている。 恐らくこれから自分が何処へ連れて行かれるのか理解しているのであろう。当然、ルイズもそこへ連れて行くつもりだった。 「…さてと、ちよっとしたハプニングはあったけどその子供連れて行くわよ」 「どういう意味よ?まさか飯でも食わせて手を洗いなさいとか説教垂れるつもり?」 出発を促すルイズに霊夢がそんな疑問を飛ばしてみると、彼女は首を横に振りながら言った。 「まさか、゙衛士の詰所゙よ。今の時期なら牢屋で新しいお友達もできるだろうから楽しいと思うわよ?」 「……!」 ワザとらしく、「衛士の詰所」という部分だけ強調してみると、少年はその顔に明確な動揺を見せてくれた。 実際この時期、衛士の詰所にある留置場にはこの子供を可愛がってくれる連中が大量にぶちこまれている。 夏の時期。彼らは蒸し暑い牢屋の中で気を荒くしつつも、新しくぶち込まれる犯罪者たちに゙洗礼゙浴びせたくてうずうずしている… 貴族でありそういった場所とは無縁のルイズでもそういう類の話は知っており、一種の噂話として認識していた。 そうなればこの子供がどうなるのか明白であったが、そこまではルイズの知るところではなかった。 仮にこの子供が貴族だとしても、大なり小なりの犯罪を犯そうとしたのならそれ相応の罰は受けるべきである。 霊夢とデルフも同じような事を考えているのだろう。彼女は「ほら、ちゃっちゃと行くわよ」と少年を無理やり連れて行こうとしていた。 それに対し少年は靴裏で地面を擦りながら無言で抵抗しつつ、ふと魔理沙の方へと視線を向けた。 「ん?何だよ、そんないたいけな視線なんか私に向けて。…もしかして私に助けてほしいのか?」 少年の目線に気が付いた彼女はそんな事を言いながら、気まずそうな表情を見せる。 ルイズの視線では彼がどんな表情を浮かべているのかは知らないが、きっと自分を助けてくださいという切実な思いが込めているに違いない。 あの黒白の事だ、自分が盗まれてないという事で情けを掛けるのではないだろうか? そんな想像をしたルイズが、とりあえず彼女に釘を刺そうと口を開きかけたところで、先に霊夢が魔理沙へ話しかけた。 「放っておきなさい、どうせ人様の金を盗むような奴なんか碌でもない事考えてるんだから」 「それは分かってるよ。……という事で悪いな少年、霊夢相手に盗みを働こうとした自分自身を恨めよな」 …どうやら、二人の話を聞く分でも釘をさす必要は無かったようだ。 無言の救難メッセージを拾われるどころか、そのまま海に突き返されたかの如き少年はガクリと項垂れてしまう。 その様子を見てもう逃げ出すことはしないだろうと思ったルイズが、大通りへと続く道へと再び顔を向けた時、 「あ……あの、―――すいません」 「ん?」 それまで無言であった少年が自分の手を掴む霊夢に向けて、初めてその口を開いた。 まだ何かいう事があるのかと思った霊夢は心底面倒くさそうな表情のまま、目だけを少年の方へと向ける。 彼はそれでも自分の話を聞いてくれると感じたのか、機嫌の悪い犬を撫でるかのように慎重に喋り出した。 「す、すいませんでした…も、もう二度としないから…見逃して下さい、お願いします」 「ふ~ん、そうなんだ。――――そんなこと言いたいのならもう黙っててよ、鬱陶しいから」 ひ弱そうな彼の口から出た言葉に霊夢はあっさりと冷たい反応で返すと、少年は食い下がるようにして喋り続ける。 「お願いします、どうか見逃して下さい。僕が捕まるとたった一人の家族が…妹がどうなってしまうか分からないんです、だから…」 「――――ほぉ~ん、そういう泣き落としで私に見逃して貰おうってワケね?」 ゙妹゙という単語に少し反応したのか、霊夢は片眉をピクリと不機嫌そうに動かしつつもバッサリ言ってやった。 「確かにアンタの妹さんとやらは可哀想かもね?――――アンタみたいなろくでなしが唯一の家族って事に」 確かに、概ね同意だわ。――彼女の言葉に内心で同意しつつも、ルイズはほんの少し同情しかけてしまう。 自分がヴァリエール家末っ子だという事もある。イヤな事もあったが、何だかんだで家族には大事にされてきた。 だからだろうか、卑怯な手だと思いつつも少年の帰りを待っているであろゔ妹゙という存在を考えて、彼を詰所につれて行くのはどうかと思ってしまったのである。 (でも…ここで見逃したらまた再犯するだろうし、やっばり連れて行った方が良いわよね) けれども、家族がいるという情けで助けるよりも法の正義の下に叱ってもらった方が良いとルイズは思っていた。 下手に見逃せば、今度は取り返しのつかない事になるかもしれないし、幸いにも盗みは未遂に終わっている。 いくら衛士でもこの年の子供を牢屋にぶち込みはしないだろうし、きっと厳重注意で許してくれるに違いない。 危うく少年の泣き落としに引っ掛りそうであったルイズは気を取り直すように首を横に振ってから、彼へと話しかけた。 「だったら最初からこんな事をしないで、ちゃんとした仕事を見つけた方が妹さんとやらの為じゃないの?」 それはほんのアドバイス、犯罪で金稼ぎをしようとした子供に対する注意のつもりであった。 だが、少年にとってはそれが合図となった。――――本気で相手から金を奪う為の。 「――――…………良く言うぜ、俺たちの事なんか何も知らないくせに」 「…え?」 「俺とアイツがどれだけ苦労して来たか、知らないくせに…!」 先ほどまでのオドオドした姿からは利くとは思わなかった、必死にドスを利かせた少年なりの低い声。 突然のそれに思わず足を止めたルイズが後ろを振り向いた時、彼の左手に握られている゙モノ゙に気が付く。 一見すれば細長い木の棒の様に見えるソレは、ハルケギニアでは最も目にする機会が多い道具の一つ。 ルイズを含めた魔法を使う貴族―――ひいてはメイジにとって命と名誉の次に大事であろう右腕の様な存在。 彼女の目が可笑しくなっていなければ、少年の左手に握られている者は間違いなく―――杖であった。 そして、それをいつの間にか手にしていた少年の顔には、自分たちに対する明確な゙やる気゙が見て取れる。 正にその表情は、街中であったとしてもお前たちを魔法で゙どうにかしでやると決意がハッキリと見て取れた。 レイム!マリサ!…デルフ!最初に気が付いたルイズが、二人と一本へ叫ぶと同時に、少年は呪文を唱えながら杖を振り上げ――― 「ちょっとアンタ、後ろでグチグチうるさ―――――…ッ!?」 『うぉ…マジかよ、ソイツの手を離せレイム!』 彼の手を握っていた霊夢がその顔にハッキリとした驚愕の表情を浮かべ、デルフの叫びと共に手を放してその場から飛び上がる。 まるで彼女の周りに重力と言う概念がないくらいに簡単に飛び上がった所を見て、ようやく魔理沙も少年が握る杖に気が付く。 「うわわ…!マジかよ!」 今にでも振り下ろさんとしているソレを見て霊夢の様な回避は間に合わないと判断し、慌てて後ろへと下がる。 振り下ろされた時にどれ程の被害が出るかは分からなかったが、しないよりはマシだと判断したのである。 二人と一本が、時間にして一瞬で回避行動に移ったところでルイズも慌ててその場に伏せると同時に、 「『エア・ハンマー』!」 天高く振り上げた杖を振り下ろすと同時に、少年の周囲を囲むようにして空気の槌が暴れ回った。 威力はそれ程でもないが、地面や壁どころか何もない空間で乱舞する空気の塊は凶暴以外の何ものでもない。 「きゃ…っ!ちょ、ちょっと何しているの、やめなさい!」 「ったく!相手がメイジだなんて、聞いてないぜ!?」 少し離れて場面に伏せていたルイズは頭上を掠っていく空気の塊に小さな悲鳴を上げつつ、当たる事がないようにと祈っている。 対する魔理沙は場所が大通り以上に狭い故に綺麗に避ける事ができず、吹き荒れる風に頭の帽子を吹き飛ばされそうになっていた。 多少不格好ではあったものの、帽子の両端を手で押さえながらも彼女はギリギリのところで『エア・ハンマー』を避けている。 一方で、デルフと共に上へと逃げ場を求めた霊夢は既にルイズたちのいる路地を見下ろせる建物の屋根に避難していた。 デルフの警告もあってか一足先に五メイル程上の安全圏まで退避した彼女の右手には御幣、そして左手には鞘に収まったデルフが握られている。 「全く、泣き落としが効かないと感じたら即座に実力行使…ガキのクセに根性据わってるじゃないの」 『まぁ追い詰められた人間ほど厄介なものは無いって聞くしな』 土埃をまき散らし、空気の槌が暴れ回る路地を見下ろしながらも霊夢はため息交じりにそう言った。 これからどう動くのかは決めていたし、あの小僧が土煙漂う中でどこにいるのかも分かっている。 『……言っておくが、子供相手に斬りかかるんじゃねぇぞ?』 「安心しなさい。相手が化け物ならともかく、人間ならちゃんと気絶だけで済ませるわ。ただ…」 骨の一本や二本は覚悟してもらうけどね?そう言って霊夢は、タッ…と屋根の上から飛び降りた。 狙うは勿論、今現在出鱈目に魔法を連発している少年である。 自分から働こうとした盗みを咎められたうえで逆上し、こんな事を仕出かすのなら少しお仕置きしてやる必要があった。 いくら人通りのない場所とはいえすぐ近くには通りを行き交う人々がいる、下手をすればそんな人たちにも危害が及ぶ。 そうなる前に霊夢が責任もってあの子供を黙らせることにしたのだ、一応は彼を捕まえた当人として。 飛び降りると同時に左手のルーンが光り出し、ガンダールヴの力が彼女へ戦い方を教えていく。 どのタイミングでデルフを振り下ろすべきか、瞬時にかつ明確に霊夢の頭へと情報が入ってくる。 (…まだちょっとズレがあるけど、今はそれを言う程暇じゃないわね) ワルドと戦った時と比べて然程驚きはしなかったものの、左手から頭の中へ流れ込んでくる情報に多少の違和感を覚えてしまう。 土煙の先にいるであろう敵を倒そうと集中する中で、情報は彼女を邪魔しない様に注意を払ってくれている。 あくまでもルーンは霊夢を主として扱い、彼女の行動を優先しているかのように動いていた。 しかし霊夢にとっては、そのルーンの動き自体に゙違和感゙を覚えていたのである。 焼印や首輪の様につけられた者の行動を制限する為ではなく、戦い生き残れる力を授けてくれるそのルーンに。 (まぁ今は考えても仕方がないし、それに…今は優先して片付けるべき事があるわ) 時間にしてほんの一、二秒程度であったが、その一瞬だけでも既に地上にいる少年との距離は三メイルを切っていた。 地面から舞い上がる土煙と、空間が歪んでしまう程のエア・ハンマーがあの子供の姿を上手いこと隠している。 この状態でやり直し無理という状況の中、霊夢は鞘に入ったデルフの一撃で少年を止めなくてはならない。 本当ならもしもの時に持ってきていたお札を使えれば楽だったのだろうが、あのエア・ハンマーの乱舞っぷりでは無駄遣いに終わるだろう。 ならは御幣と言う選択もあったが、ここは実験の意味も兼ねてデルフを手にしてルーンの力を試したかったのである。 そんな中、突然左手のルーンが明滅して彼女にタイミングを伝え始める。 タイミングとは勿論、ルーンが光る手にもっているデルフを少年目がけて振り下ろすタイミングの事であった。 いよいよね?霊夢が左手に力を込めた瞬間、彼女の中の時間が急にスローモーションへと変わっていく。 地上にいる他の二人をも巻き込んでいた土煙が凝固したかのように固まり、エア・ハンマーとなった歪む空気の塊がすぐ足元で動きを止めていた。 後もう少し遅ければ今頃あのエア・ハンマーで吹き飛ばされていたのだろうか?冷や汗ものの想像を頭の中から振り払いつつ、霊夢はデルフを振り上げる。 『忘れるなよ?しっかり手加減してやる事を』 綺麗になった刀身と並べられるまで整備され、綺麗になったデルフが自身を振り上げる霊夢へ警告じみた言葉を告げる。 「分かっ―――――てる、わよ…とッ!!」 そして、しつこく忠告してくる彼に若干苛立ちつつも、霊夢はそれに返事をしながら勢いよくデルフを振り下ろした。 まずは足元のエア・ハンマーへと接触したデルフは刀身を光らせて、風の魔法で造られた空気の塊を吸収していく。 その衝撃で飛んでいない状態である霊夢の体が宙へ浮いたものの、それはほんの一瞬であった。 五秒も経たずにエア・ハンマーを吸収したデルフの勢いは止まることなく、少年が隠れているであろう土煙を容赦なく叩っ斬った。 瞬間、大通りにまで響くほどの派手な音を立てて地面すらカチ割ってしまったのである。 少年に近づけずにいた魔理沙やルイズ達は何とか事なきを得たが、今度は飛んでくる地面の破片に気を付けねばならなかった。 「きゃあ…!ちょ、レイム…アンタもやりすぎよ!?」 顔や体に当たりそうな破片から避ける為またもや後ろへ下がるルイズが、派手にやらかした巫女へ愚痴を飛ばす。 助けてくれたのは良かったものの、せめてもう少し穏便に済ませて欲しかったのである。 ルイズは良く見ていなかったものの、恐らくデルフで少年を気絶させようとしたものの、それが外れて地面を攻撃したのだと理解していた。 でなければあんな硬いモノが勢いよく砕けるような音は聞こえないし、もしも少年に当たっていれば大惨事となってしまう。 しかし最悪の事態は何とか回避できたのであろう、晴れてゆく土煙越しの霊夢が悔しそうな表情を浮かべている。 見た所あの少年の姿は見当たらず、霊夢の凶暴な一撃から何とか逃げる事ができたらしい。 そして…彼女を中心に地面を罅割ったであろう、鞘に収まったままのデルフを肩に担いだ霊夢は彼に話しかける。 「デルフ…さっきのは手ごたえがなかったわよね?」 『だな。どうやら、上手いことさっきの土煙紛れて逃げたらしいな』 どうやら彼女たちも少年が逃げたのには気づいているらしい、霊夢は周囲に警戒しながらも悔しそうな表情を見せていた。 そんな彼女がド派手な着地を仕出かしてからちょうど二十秒くらいで、今度は魔理沙が口を開く。 「全く、お前さんは相変わらず周りの者に対する配慮というのがなってないぜ」 さっきまで少年のエア・ハンマーで近寄れなかった彼女も、いつもの自分を取り戻して服に付いた土埃を払っている。 それを見たルイズも、自分の服やスカートに地面から舞い上がった土が付着しているのに気が付き、払い落とし始める。 「随分と物騒な降り方じゃないか、せめて私とルイズを巻き込まない程度で済ましてくれよな?」 「ルイズはともかく、アンタの場合は多少の破片じゃあビビるまでもないでしょうに」 気を取り直し、帽子に付いた土埃を手で払いのける黒白に冷たい言葉を返しつつ、霊夢は周囲に少年がいないのを確認する。 デルフの言うとおり、やはり魔法を放ってきた時点でもう逃げる気満々だったのかもしれない。 それならそれでいいが、仮にも自分の金を盗もうとしてきたのである。お灸の一つくらい据えたいのが正直な気持であった。 だが、自分から消えてくれるのならば無理に深追いするつもりもなかった。 そこまであの犯罪者に肩入れするつもりはなかったし、何より今優先すべき事は宿探しである。 「さて、邪魔者もいなくなったし…ここから離れて宿探しを再開するとしましょう」 「う、うん…。そうよね、分かったわ…―――――って、アレ?」 いかにも涼しげな淑女といった風貌で、鞘に入った太刀を肩に担ぐ霊夢の姿はどことなく現実離れしている。 先ほどの一撃を思い出しつつそんな事を思っていたルイズは―――ふともう一つの違和感に気が付く。 それは彼女の全体から放つ違和感の中で最も小さく、しかし今の自分たちには絶対にあってはならないものであった。 「……ね、ねぇレイム。一つ聞きたい事があるんだけど」 「…?何よ、いきなり目を丸くしちゃって…」 突然そんな事を言ってきたルイズに首を傾げつつも、霊夢は彼女の次の言葉を待った。 そして、それから間を置かずに放たれた言葉は何ものにも囚われぬハクレイの巫女を驚愕させたのである。 「――――アンタがとりあえずって腰に付けてた金貨入りの袋、ものの見事に無くなってるわよ?」 「え…?それってどういう――――――エぇ…ッ!?」 『うぉお…ッ!?な、何だよイキナリ?』 目を丸くした彼女に指摘され、思わずそちらの方へと目を向けた霊夢は素っ頓狂な声を上げ、その拍子にデルフを投げ捨ててしまう。 無理もない、何せさっきまでベルトに巻き付けていた袋―――そして中に入っていた金貨が綺麗に無くなっていたからである。 慌てて足元をグルリと見回し、それでも見つからない現実が受け入れず路地のあちこちへ見てみるが、やはり見つからない。 音を立てて地面に転がったデルフには見向きもせずに袋を探す霊夢の表情に、焦燥の色が浮かび上がり始めた。 「無い、無い、無い!どういう事なのよ…ッ!」 『あちゃぁ…やったと思ってたらまんまとやられちまったっていうワケか』 始めてみるであろう霊夢の焦りを目にしたデルフは、瞬時に何が起こったのか察してしまう。 もしもここで見つからないというのなら、彼女が腰に見せびらかせていた金貨入りの袋は盗まれたというワケである。 正に彼の言葉通り、やったと思ったらやられていたのだ。あの平民の姿をしたメイジの少年に。 「う、ウソでしょ!?だってアイツの手を掴んだ時にはまだあったっていうのに…!」 「れ、レイム…」 まるで自宅の鍵を排水溝の中に落としてしまった様な絶望感に襲われた霊夢は、今にも泣き出しそうな表情で金貨入りの袋を探している。 いつもの彼女とはあまりにも違うその姿にルイズは妙な新鮮さと、その彼女から金を盗んだ少年の手際に感服していた。 何時どのタイミングで盗んだのかは分からないが、少なくとも完全に自分たちの視線を掻い潜って実行したのは事実であろう。 口に出したら間違いなく目の前で探し物をしている巫女さんに怒られるので、ルイズは心中でただただ感服していた。 「はっははは!あんだけ格好いい降り方しといて…まさかあの博麗霊夢が、お…お金を盗られるとはな…!」 先程までの格好よさはどこへやら、必死に袋を探す彼女を見て魔理沙は何が可笑しいのか笑いを堪えている。 まぁ確かに彼女の言う通りなのだが、実際にそれを口にしてしまうのはダメだろう。 「ちょとマリサ、アンタもほんの少しくらいは同情し、な……――――あぁッ!」 彼女と同じく対岸の火事を見つめている側のルイズは、笑いを堪える魔理沙を咄嗟に咎めようとした時、またもや気づいてしまう。 派手な一撃をかましてくれた霊夢と、その後の彼女の急変ぶりに気を取られていて、全く気付いていなかったのだ。 あの少年が来るまで、魔理沙が手に持っていた今一番大切な物が無くなっていることに。 「うわ!な、なんだよ…イキナリ大声何か上げてさ」 「え…!?どうしたのルイズ、私のお金が見つかったの?」 それまでずっと地面と睨みっこしていた霊夢がルイズの叫び声に顔を上げ、魔理沙も思わず驚いてしまう。 本人はまだ気づいていないのだろうか、でなければ霊夢の事など笑っていられる筈が無いであろう。 ある意味この中では一番能天気な黒白へ、ルイズは振るえる人差し指を彼女へ向けて言った。 「ま、魔理沙…!アンタがさっきまで手に持ってた金貨の入った袋…無くなってるわよ!?」 「え…?うぉおッ!?マジかよ、ヤベェ…ッ!」 どうやら本当に気づいていなかったらしい。ルイズに指摘されて初めて、彼女は手に持っていた袋が無くなっていることに気が付いた。 きっと魔理沙も霊夢の登場とその後の行動に目を奪われていたのだろう、慌てて足元に目を向けるその姿に溜め息をついてしまう。 「くっそぉ~…、何処に落としたんだ?多分、あのエアハンマーの時に落としたと思うんだが…」 「何よ?あんだけ私の事バカにしといて、アンタも同じ穴の貉だったじゃないの」 お金を探す自分の姿を、笑いを堪えて眺めていた魔理沙を見て、霊夢はキッと鋭く睨み付ける。 何せついさっきま地べた這いずりまわって探し物をしていた自分をバカにしていたのだ、睨むなという方がおかしいだろう。 「うるせぇ。…あぁもう、何処に行ったんだよ、私の三百七十五エキューよぉ~」 霊夢の鋭い言葉にそう返しながらも、普通の魔法使いもまた地べたを這いずりまわる事となった。 まだ分からないが、恐らく霊夢に続いて今度は魔理沙までもがスリの被害に遭ってしまった事に流石のルイズも冷や汗を流してしまう。 「こ、これはちょっとした一大事ね。まさかついさっきまであった二千エキュー以上が一気に無くなるなんて…」 公爵家の令嬢と言えども、思わずクラリと倒れてしまいそうな額にルイズの表情は自然と引き攣ってしまう。 幾らギャンブルで水増ししたとはいえ、流石に二千エキュー以上持ち歩くのはリスクが高過ぎたらしい。 とはいえ近くに信用できそうな貸し金庫は無く、一番安全とも言える財務庁はここから歩いても大分時間が掛かってしまう。 あの少年は自分たちが大金を持っている事を知っているワケは無い…とは思うが、彼にとってはとんでもないラッキーだったに違いない。 …だからといって、このまま大人しく金を盗らせたまま泣き寝入りするというのは納得がいかなかった。 いくら自分が被害に遭っていなくとも、一応は知り合いである二人のお金が盗られたのである。 このまま何もしないというのは、公爵家の者として教育されてきたルイズにとって許しがたい事であった。 とりあえず、まず自分たちがするべきことは通報であろう。暗い路地で金貨入りの袋を探す二人を眺めながらルイズは思った。 あの少年が盗んでいったのなら、間違いなく常習犯に違いない。それならば衛士隊が指名手配している可能性がある。 もしそうなら衛士隊はすぐに動いてくれるし、王都の地理や犯罪事情は彼らの方がずっと詳しい。 ドラゴンケーキの事はパティシエに聞け。――古来から伝わる諺を思い出しつつ、ルイズは次に宿の事を考える。 (いつまでもこんな路地にいるのも何だし、二人には悪いけど今すぐにでも泊まれる所を探さなきゃ…) 王都の治安はブルドンネ街とチクトンネ街で大きく分けられており、前者は当然夜間でも見回りが行われている。 しか後者は夜間の方が騒がしい繁華街のうえに旧市街地が隣にある分、治安はすこぶる悪い。 つい数年前には、エルフたちが住まうサハラから流れてきた中毒性の高い薬草が人々の間で出回った事もあった。 幸いその時には魔法衛士隊と衛士隊の合同摘発で根絶する事はできたものの、あの事件以来チクトンネ街の空気は悪くなってしまった。 紛争で外国から逃げて来たであろう浮浪者やストリートチルドレンが増加し、国が許可を得ていない賭博店も見つかっている。 特に、今自分たちがいる場所は二つの街の境目と言う事もあって人の行き来が激しく、深夜帯の事件も良くここで起きると聞いたことがあった。 だからいつまでもこんな路地にいたら、怪しい暴漢たちに襲われてしまう可能性だってあるのだ。 最も、自分はともかく今の霊夢と魔理沙に襲い掛かろうとする連中は、すぐさま自分たちの行いを悔いる事になるだろうが。 そんな想像をしながらも、ひとまず金貨の入ったサイドパックへと手を伸ばし始める。 可哀想だが、ここは二人に盗まれたのだと諦めてもらいすぐに衛士隊へ通報して宿探しをしなければならない。 それで納得しろとは言わないが、ここは二人にある程度お金を渡して首を縦に振ってもらう必要があった。 これからの事を考えている間も必死に路地で探し物をしている二人の会話が耳の中に入ってくる。 「魔理沙、もうちょっと照らしなさいよ。アンタのミニ八卦炉ならもっと調節できるでしょうに」 「馬鹿言え、これ以上火力上げたらレーザーになっちまうよ」 どうやら、魔理沙のあの八角形のマジックアイテムを使って地面を照らしているらしい。 ほんの少しだけ明るくなっている地面を睨みながら、それでも霊夢は彼女と言い争いを続けながら袋を探していた。 何だかその姿を見ている内に、これまで見知らぬ異世界で得意気にしてきたあの二人なのかと思わず自分を疑いたくなってしまう。 ルイズは一人ため息をつくと、その二人をここから連れ出す為にサイドパックを手に取ろうとして――――― 「ちょっと、アンタたち!いつまでもここにいた…―――…てっ、て…アレ?」 ―――スカッ…と指が空気だけに触れていった感触に、思わず彼女は目を丸くして驚いた。 本当なら、丁度腰のベルト辺りで触っている筈なのだ。――元々自分の私物であったあのサイドパックが。 まるで霧となって空気中に霧散してしまったかのように、彼女の手はそれを掴むことはなかったのである。 …まさかと思ったルイズが、意を決して腰元へと視線を向けた時、 「…え?えッ?…えぇえぇええええぇぇぇぇぇ!?」 彼女の口から無意識の絶叫が迸った。絹を裂くどころか窓ガラスすら破壊しかねない程の悲鳴を。 突然の事に彼女を放ってお金を探していた霊夢たちも慌てて耳を塞いで、ルイズの方へと視線を向けた。 「うっさいわねぇ!人が探し物してる時に…」 「わ、わわわわわわわわたしの…さささ財布…財布…私の、千八百十五エキューがががが…!」 まるで八つ当たりをするかのように鋭い言葉を浴びせてくる霊夢に、しかしルイズは怒る暇も無く何かを伝えようとしている。 しかしここに来て彼女の癖であるどもりが来てしまい、言葉が滑らかに口から出なくなってしまう。 それでも、今になって彼女の腰にあった筈の財布代わりのサイドパックが無くなっているのに気が付き、二人は頭を抱えた。 「えぇ?マジかよ、まさかルイズまで…」 「あのガキ…やってくれるじゃないの!」 思わず口を押えて唖然とする魔理沙とは対照的に、霊夢は心の底から怒りが湧き上がってくるのに気が付く。 家族の為スリだのなんだのでお涙ちょうだいの話しを聞かせてくれた挙句に、逆切れからの魔法連発。 挙句の果てに自分たちの隙をついてあっさり持っていた金貨を全額盗られてしまったのだ。 あの博麗霊夢がここまでコケにされて、怒るなと指摘する者は彼女に蹴りまわされても文句は言えないだろう。 それ程までに、今の霊夢は怒りのあまり激情的になろうとしていたのである。 (相手が妖怪なら、即刻見つけ出して三途の川まで蹴り飛ばしてやれるんだけどなぁ…!) 怒りのあまりそんな物騒な事を考えている矢先、ふと前の方から声が聞こえてきた。 「おーい!そんな路地で何の探し物してるんだよ間抜け共ォ!」 それは魔理沙でもルイズでも、当然ながら地面に転がるデルフの声ではなかった。 まるで生意気という概念を凝縮させて、人の形にして発したかのようなまだ幼さが残る少年の声。 幸いか否か、その声に聞き覚えのあった三人はハッとした表情を浮かべて前方、大通りへと続く道の方へと視線を向けた。 先ほどデルフで地面を叩いた際の音が大きかったのか、何人かの通行人達がジッと両端から覗いている小さな道。 娼婦や肉体労働者、更には下級貴族と思しき者まで顔だけを出して覗いている中に、あの少年がいた。 スリを働こうとして失敗したものの、最終的に彼女たちから大金を掠め取った、メイジの少年が。 最初にあった時と同一人物とは思えぬイヤらしい笑顔を浮かべた彼は、ニヤニヤと笑いながらルイズ達へ話しかける。 「お前らが探してるのは、この金貨の山だろ!?」 まるで誘っているかのようにワザと大声で叫ぶと、右手に持っていた大きな袋を二、三回大きく揺らして見せた。 するとどうだろう。少年の両手で抱えられるほどの大きな麻袋から、ジャラ!ジャラ!ジャラ!と派手な音が聞こえてくる。 それは三人に、あの麻袋の中に相当額の金貨が入っている…という事を教えていた。 「アンタ!それ私たちのお金…ッそこで待ってなさい!」 「喜べ!お前らが集めた金は、俺とアイツで有意義に使ってやるから、じゃあな!」 思わず袋を指さしたルイズが、それを掲げて見せている少年の元へと駆け寄ろうとする。 しかしそれを察してか、彼は捨て台詞と共に人ごみを押しのけて大通りへとその姿を消していく。 通りからルイズたちを見ていた群衆も何だ何だと逃げていく少年の背中を見つめている。 せめて捕まえようとするぐらいの事はしなさいよ。無茶振りな願望を彼らに抱きつつもルイズは大通りへと出ようとする。 わざわざ向こうから自分たちのお金を盗ったと告白してきてくれたのだ、ならばこちらは捕まえてやるのが道理であろう。 とはいえ、幾ら運動神経に自信があるルイズと言えど人ごみ多い街中であの少年を追いかけ、捕まえる自信はあまりなかった。 (あっちから姿を見せてくれたのは嬉しいけど、私に捕まえられるかしら?) だからといって見逃す気は無いのだから、当然追いかけなければならない。 選択肢が一切ない状況の中で、ルイズは走りにくい服装で必死に追いかけようとした。―――その時であった。 だがその前に、彼女の頭上を一つの黒い人影が通過していったのは。 ルイズは思わず足を止めて顔を上げた時、一人の少女が大通りへ向かって飛んでいくところであった。 その少女こそ、今のところトリスタニアでは絶対に敵に回してはいけないであろう少女――博麗霊夢である。 「待てコラガキッ!アンタの身ぐるみ全部剥いで時計塔に吊るしてやるわ!」 人を守り、魑魅魍魎と戦う巫女さんとはとても思えぬ物騒な事を叫びながら、文字通り路地から飛び出ていく。 様子を見ていた人々や、最初から興味の無かった通行人たちは路地から飛んできた彼女に驚き、足を止めてしまっている。 大通りの真ん中、通行人たちの頭上で制止した彼女も少年を見失ったのか、しきりに顔を動かしている。 そして、先ほど以上に驚嘆している人々の中に必死で逃げるあの男の子を見つけた彼女は、そちらに人差し指を向けて叫んだ。 「……見つけたわよ!待ちなさいッ!!」 「え?…うわっマジかよ、やべぇッ!」 左手の御幣を見て彼女をメイジと勘違いしたのか、少年は焦りながらすぐ横の路地裏へと逃げ込んだ。 相手を見つけた霊夢は「逃がさないわよ!」と叫びながら、結構なスピードでルイズの前から飛び去って行く。 他の人たちと同じように彼女を見上げていたルイズがハッとした表情を浮かべた頃には、時すでに遅しという状況であった。 「ちょ…ちょっとレイム!私とマリサを置いてどこ行くのよ!」 「なーに、アイツが私達を置いていったんならこっちからアイツの方へ行ってやろうぜ」 『だな。オレっち達でアイツより先に、あのガキをとっちめてやろうぜ』 両手を上げて路地で叫ぶルイズの背後から、今度は魔理沙と置き去りにされたデルフが喋りかけてくる。 その声に後ろを振り向いた先には…既に宙を浮く箒に腰かけ、デルフを背負った魔理沙がルイズに向かって右手を差し伸べてくれていた。 彼女と一本の頼もしいその言葉に、ルイズもまた小さく頷いて、差し出しているその手をギュッと握りしめる。 「勿論よ!こうなったら、あの子供を牢屋にぶち込むまで徹底的に追い詰めてやるわ!」 「そうこなくっちゃ。罪人にはそれ相応の罰を与えてやらなきゃ反省しないもんだしな」 自分に倣ってか、気合の入ったルイズの言葉に魔理沙はニヤリと笑いながら彼女を箒に腰かけさせる。 その一連の動作はまるで、お姫様を自分の白馬に乗せてあげる王子様のようであった。 それから約三十分以上が経ち、ようやっと霊夢は少年を再度見つける事が出来た。 大量の金貨が詰まった思い袋を抱えて走っていた彼の体力は既に限界であり、全力で走ることは出来ない。 その事を知ってか、御幣の先を眼下にいる少年へと突きつけている彼女は不敵でどこか黒い笑みを浮かべながら彼に話しかけた。 「さてと、いい加減観念なさい。この私を相手に逃げ切ろうだなんて、最初っからやめとけば良かったのよ」 「…くそ!舐めやがって」 袋を左脇で抱えると右手で杖を持ってみるが、今の状態ではまともな攻撃魔法は使えそうにも無い。 精々エアー・ハンマー一発分が限界であり、今詠唱しようにも隙を見せればやられてしまう。 周囲は二人のやり取りに興味を抱いた群衆で固められており、このまま逃げても背中から羽交い絞めにされて捕まるのは明白であった。 (ち――畜生!ここまでは上手い事進んでたってのに、最後の最後でこれかよ) 八方ふさがりとしか言いようの無い最悪の状況に、少年は心の中で悪態をつく。 思えば最初に盗むのに失敗しつつも、土煙に紛れてあの少女達から金を盗んだところまでは良かったと少年は思っていた。 だがしかし、霊夢が自由に空を飛べると知らなかった彼はあれから三十分間散々に逃げ回ったのである。 狭い路地裏や屋内を通過して何とか空飛ぶ黒髪女を撒こうとした少年であったのだが、彼女相手にはまるで効果が無かった。 ある程度走って姿が見えなくなり、逃げ切ったと思った次の瞬間にはまるで待っていたかのように上空から現れるのである。 どんなに走ろうとも、どこへ隠れようとも気づいた時には手遅れで、危うく捕まりそうになった事もあった。 けれども、幸運は決して長続きはしない。既に少年は自分の運を使い切ろうとしていた。 博麗霊夢という空を飛ぶ程度の能力と、絶対的な勘を持つ妖怪退治専門の巫女さんを相手にした鬼ごっこによって。 もしもハルケギニアに住んでいない彼女を知る者たちが、少年の逃走劇を見ていたのなら誰もが思うに違いない。 あの霊夢を相手に、よくもまぁ三十分も走って逃げれるものだな…と。 「さぁ、遊びは終わりよ?さっさとその袋を足元に投げ捨てて、大人しくブタ箱にでも入ってなさい」 「く、くそぉ…」 得意気な笑みを浮かべて自分を見下ろす霊夢を前にして、彼はまだ諦めてはいなかった。 いや、諦めきれない…と言うべきなのか。自分の脇に抱えている、三千エキュー以上もの金貨を。 これだけの額があれば、もうこんな盗みに手を出さなくて済む。 王都を離れて、捜査の手が届かない所にまで逃げられれば唯一残った幼い家族と平穏に暮らせる。 小さな家を買うか自分の手で建てて、小さな畑でも作る事ができればもうこんな事をせずに生きる事ができるのだ。 だから物陰で彼女たちの話を聞き、彼は決意したのである。これを最後の盗みにしようと。 今まで細々と続けていたスリから足を洗って、残った家族と共に静かな場所で人生をやり直すと。 だからこそ少年は袋と杖を捨てなかった。自分と自分の家族の今後を守る為に。 今まで見た事の無い得体の知れない金貨の持ち主の一人である少女と、退治する事を決めたのだ。 「こんなところで、今更ここまで来て捕まってたまるかよ…!」 「…まぁそう言うと思ったわ。もう面倒くさいし、ちょっと眠っててもらうわよ?」 威勢の良い言葉と共に、自分を杖を向ける少年に霊夢はため息を突きながら、左手の御幣を振り上げる。 杖を向ける少年は一字一句丁寧に呪文を詠唱し、彼と対峙する霊夢は御幣の先へと自信の霊力を流し込んでいく。 周りで見守っている群衆はこれから起こる事を察知した者が何人かいたのであろう。 上空にいる霊夢と少年の近くにいた人々は一人、二人と距離を取り始めている。 双方ともに手を止めるつもりも、妥協する気も無い状態で、正念込めた一撃が放たれ様としている最中であった―――― 「レイムー!」 「……!」 空を飛ぶ霊夢の頭上から、自分の名を呼ぶルイズの声が聞こえてきたのは。 突然の呼びかけに軽く驚き、集中をほんの少し乱された彼女は思わず声のした方へと顔を向けてしまう。 そしてそれは、地上で呪文を唱えていた少年にとって千載一隅とも言えるチャンスをもたらす事となった。 発動しようとしていた呪文のスペルを唱え終えた彼は、杖を持つ右手に力を込めて思いっきり振りかぶる。 この一撃、たった一撃で十歳の頃から続いてきた不幸の連鎖と呪縛を断ち切り、自由となる為に、 そしてその先にある新しい自由で、自分の支えとなってきた幼い家族と共に幸せな生活を築きたいが為に…。 「今までどこ飛んでたのよ、あの黒白は…」 彼女が声のした方向へ顔を向けると、そこには丁度自分を見下ろせる高度で浮遊している魔理沙とルイズの二人がいた。 ルイズは魔理沙の箒に腰かけているようで、フワフワと浮く掃除道具に動揺する事無く彼女を見下ろしている。 この三十分どこで何をしていたのかは知らないが、ルイズはともかく魔理沙の事だろうからきっと自分が追い詰めるまで観察していたのだろう。 まるで迷路に入れたハツカネズミがゴールまで行く過程を観察するかのように、さぞ面白おかしく見ていたのだろう。 自分一人だけ使い走りにされてしまった気分になった霊夢は一人呟きつつも、頭上の二人に向けて右腕を振り上げて怒鳴った。 「こらー、アンタ達!一体どこほっつき飛んでたのよ」 「いやぁ悪い悪い、何せ重量オーバーなもんだからさぁ、少し離れた所でお前さんが追いかけてるのを見てたんだよ」 霊夢の文句に魔理沙がそう答えると、彼女の後ろに引っ付いているルイズもすかさず声を上げた。 「私は追いかけてって言ったけど、マリサのヤツがアンタに任せようって言って効かなかったのよ」 ルイズがそう言った直後、今度は魔理沙が背負っていたデルフがカチャカチャと金属音を立てながら喋り出す。 『そうそう、しんどい事は全部レイムに任せて美味しいところ取りしようぜ!…ってな事も言ってたな』 「あぁ、お前ら裏切ったなぁ~!」 ここぞとばかりに黒白の悪行を紅白へ伝えるルイズとデルフに、魔理沙はお約束みたいなセリフを呟く。 明らかな棒読み臭い言葉に霊夢は呆れつつも、何か一言ぐらい言い返してやろうとした直前、背後から物凄い気配を感じた。 そして同時に思い出す、今自分の背後へと杖を無ていた少年の存在を。 「ちょッ―――わぁ!」 慌てて振り返ると同時に、眼前にまで迫ってきていた空気の塊を避ける事が出来たのは、経験が生きたからであろう。 幻想郷での弾幕ごっこに慣れた彼女だからこそ、当たる直前に察知した直後に回避する事が出来た。 汗に濡れたブラウスとスカートがエア・ハンマーに掠り、直前まで彼女がいた場所を空気の槌が通過していく。 本来当たる筈だった目標に避けられた空気の槌は、決して魔法の無駄撃ちという結果には終わらなかった。 ギリギリで避けてみせた霊夢とちょうど重なる位置にいた二人と一本へ、少年の放ったエア・ハンマーが勢いをそのまま向かってきたのである。 「げぇッ!?わわわ、わァ!」 『うひゃあ!コイツはキツイやッ』 自分たちは大丈夫だろうと高を括っていた魔理沙は目を丸くさせて、何とか避けようとは頑張っていた。 しかしルイズとデルフという積荷を乗せた箒は重たく、いつもみたいにスピードを活かした回避が思うように出来ない。 それでも何とか直撃だけは回避できたものの、エア・ハンマーが作り出す強風に煽られ、見事バランスを崩してしまったのである。 箒を操っていた魔理沙は強風で錐揉みしながら墜落していく箒にしがみついたまま、背負ったデルフと一緒にあらぬ方向へと落ちていった。 「ウソッ――――キャッ…アァ!」 「ルイズッ!」 一方のルイズは魔理沙の気づかぬ間に箒から振り落とされ、王都の上空へとその身を投げ出してしまう。 上空と言ってもほんの五、六メイルほどであるが、人間が地面に落ちれば簡単に死ねる高度である。 エア・ハンマーを避けた霊夢が咄嗟に彼女の名を呼び、思わず飛び立とうとするが間に合わない。 しかし始祖ブリミルは彼女に味方したのか、背中を下に落ちていくルイズは運よく通りの端に置かれた藁束の中へと落ちた。 ボスン!という気の抜ける音と共に藁が飛び散った後、上半身を起こした彼女はブルブルと頭を横に振って無言の無事を伝える。 魔理沙はともかく、ルイズがほぼ無傷で済んだことに安堵しつつ霊夢はキッと魔法を放った少年を睨み付ける。 しかし、先ほどまで少年がいた場所にはまるで最初から誰もいなかったのように、彼の姿は消えていた。 一体どこに…慌てて周囲に視線を向ける彼女の目が、再び人ごみの流れに逆らって走る少年の姿を捉える。 先ほどのエア・ハンマーが人に当たったおかげで人々の視線も上空へと向けられており、今ならいけると考えたのだろう。 成程。確かにその企みは上手くいったし、魔理沙にルイズという追っ手も上手い事追い払う事ができている。 自分の視線も彼女たちへ向いてるし、何より助けに行くだろうから逃げるなら今がチャンスだろうと、そう考えているのかもしれない。 「けれど、そうは問屋が卸さないってヤツよ」 必死に逃げる少年の後姿を睨みつけながら一人呟くと、霊夢はバっと少年へ向かって飛んでいく。 今の今までは此方が優位だとばかり思っていたが、どうやら相手の方が一枚上手だったらしい。 こっちが油断していたおかげで魔理沙とルイズは吹っ飛ばされ、挙句の果てにはそのまま逃げようとしている。 ここまで来るともう子供相手だからと舐めて掛かれば、命すら取られかねないだろう。 とはいえ、自分が背中を見せて逃げる少年に対して使える手札は少ないと霊夢は感じていた。 お札を使えば簡単に済むが、周りに通行人がいる以上下手に使えないし、それを考慮すれば針は尚更危険。 そしてスペルカードなど言わずもがな。ならば使える手札はたった一枚、己の手足とこの世界で手に入れた御幣一本。 「だったら、本気でぶっ叩いてやるまでよ」 御幣を握る左手に霊力を更に込めて、薄い銀板で造られた紙垂がその霊力で青白く発光する。 並の妖精ならばたった一撃で゙一回休み゙に追い込める程の霊力を込めて、彼女は逃げる少年を空から追いかける。 見つけた時は既に十メイル以上離されていた距離を、一気に五メイルまで縮めた所で速度を緩める。 何ならフルスピードで頭をぶっ叩いても良いが、そうなると流石に少年の頭をかち割りかねない。 窃盗犯を殺して自分が殺人犯になっては本末転倒である。 だからここは速度を緩めて、しかし御幣を握る手には更に力を込めて少年へと近づく。 幸い、余程疲労しているであろう彼の足はそれほど速くなく、もはや無理して走っている状況だ。 必死に走る少年と、それを悠々としかし殺意満々に飛んで追いかける自分の姿を見つめる野次馬たちからも離れられた。 今こそ絶好のチャンスであろう。ここで気絶させよう、そう思った霊夢が御幣を振りかぶった時、それは起こった。 「―――お兄ちゃん!」 「……!」 ふと少年が走っている方向から聞こえてきた少女の声に、霊夢は振り上げた手を止めてそちらの方を見遣る。 すると、前方から彼より背丈の小さい茶髪の女の子が拙い足取りで走ってくるのが見えた。 ルイズよりやや地味な白いブラウスと、これまた茶色の目立たないロングスカートと言う出で立ち。 その両手には何かを抱えており、それを落とさぬように気を付けつつ必死に走ってくる。 こんな時に一体誰なのかと霊夢が訝しむと、それを教えてくれるかのように少年が少女の名を叫んだ。 「り、リィリア…!おまっ…何でこんな所に…」 息も絶え絶えにそう言う少年の言葉から察するに、どうやらあの子がアイツの言っていた妹なのだろう。 てっきり口から出まかせかと思っていた霊夢も、思わずその気持ちを声として出してしまう。 「何?アンタ、アレって嘘じゃなかったのね」 「え?―――うぉわ!何でこんな所にまで来てんだよ…!?」 どうやら走るのに夢中で追いかける霊夢に気づいていなかったようだ、少年はすぐ後ろにまで来てる彼女を見て驚いてしまう。 何せ自分の魔法で吹き飛んで行った仲間を助けに行ったかと思いきや、それを無視して追いかけてきているのだ。驚くなという方が無理な話だろう。 「お、お前…!何で助けに行かないんだよ!?おかしいだろッ!」 「生憎様ね~。ルイズはあの後藁束に落ちて助かったし、魔理沙のヤツは何しようがアレなら殆ど無傷だから」 後デルフは剣だから大丈夫だしね。最後にそう付け加えて、霊夢は止めていた左手の御幣へと再び力を込める。 それを見ていよいよ「殺られる…!」と察したのか、彼は自分の方へと向かってくる妹に叫ぼうとした。 「リィリア!は、早く逃げ――――」 「お兄ちゃん伏せて!!!」 しかしその叫びは…いきなり自分目がけて飛びかかり、地面に押し倒してきた妹によって遮られた。 年相応とは思えぬ勢いのあり過ぎる行動に少年はおろか、霊夢でさえも思わず驚いてしまう。 「ちょっと、アンタ何を…―――ッ!」 予想外過ぎる突然の事に御幣を振り下ろしかけた霊夢が声を掛けようとした直前に、彼女は感じた。 まさかここで感じるとは思いも寄らなかった、あの刺々しく荒々しい霊力を。 そして気が付く。タルブで自分たちを手助けしてくれた、あの巫女もどきのそれと同じ霊力がすぐ傍まで来ている事に。 (気配の元はすぐ近く―――ッ!?でも、どうして…) 一体何故?こんな時に限って、彼女の霊力をここまで近づいてくるまで自分は気が付かなかったのか。 こんなに荒く、凶暴な霊力ならばある程度距離が離れていても感知できるはずであった。 まるで何処かからワープして来たかのように急に感知し、そしてすぐ目の前というべき距離にまで来ている。 唯でさえ厄介な今に限って、更に厄介なモノが近づいてくるという状況に霊夢が舌打ちしようとした―――その直前であった。 前方、先ほどリィリアという少女が走ってきた場所から刺々しい霊力を感じると共に物凄い音が通りに響き渡った。 まるで大きな金づちで思いっきり振りかぶって、レンガ造りの壁を粉砕したかのような勢いに任せた破壊の音。 その音を作り出せるであろう霊力の塊が勢いよく弾ける気配を感じた霊夢は、慌てて顔を上げる。 だが、その時既に霊夢が『飛んでくる』゙彼女゙を認識し、それを避ける事は事実上不可能であった。 理由は二つほど挙げられる。一つは飛んでくる゙彼女゙の速度が思いの外かなりあったという事。 体内から迸る霊力と何らかの手段をもってここまで『飛んできた』であろう彼女は、既に霊夢との距離を二メイルにまで縮めていた。 ここまで来るとどう体を動かしても霊夢は避ける事ができず、成す術も無く直撃するしか運命はない。 「…ッ!―――痛ゥ…ッ!」 二つ、それはタルブのアストン伯の屋敷前でも経験したあの痛み。 始めて彼女と出会った時に感じた頭痛が…再び霊夢の頭の中で生まれ、暴れはじめたのである。 まるであの時の出来事を思い出させようとするかのように頭が痛み出し、出来る限り回避しようとした彼女の邪魔をしてきたのだ。 刃物で刺されたかのような鋭い痛みが頭の中を迸り、流石の霊夢もこれには堪らずその場で動きが止まってしまう。 そしてそれが、後もう少しで大捕り物の主役になけかけた霊夢がその座から無念にも滑り落ち、 本日王都で起きたスリの中でも、最も高額かつ大胆な犯人を取り逃がす羽目となってしまった。 (――クソ…ッ――アンタ一体、本当に何なのよ!?) 痛みで軋む頭を右手で押さえながら、霊夢はすぐ目の前にまで来だ彼女゙を睨みつけながら思った。 自分よりも濃く長い黒髪。細部は違えど似たような袖の無い巫女服に、行灯袴の意匠を持つ赤いスカート。 そして自分のそれよりも更にハッキリと光っている黒みがかった赤い目を持つ彼女の姿に、霊夢の頭痛は更にに酷くなっていく。 不思議な事に時間はゆっくりと進んでおり、あと五秒ほど使って一メイルの距離を進めば゙彼女゙と激突してしまうであろう。 激しくなる頭痛で意識が刈り取られそうなのにも関わらず冷静に計算できた霊夢は、すぐ近くにまで来だ彼女゙の顔を見ながら思った。 良く見るど彼女゙も自分を見て「驚いた」と言いたげな表情をしている分、これは偶然の出会いだったのだろう。 ゙彼女゙がどのような経緯でこの街にいて、どうして自分と空中で激突せるばならないのか?その理由はまでは分からない。 (アンタの顔なんか今まで見たことないし、初対面…なのかもしれないっていう、のに…だというのに―――) ―――――何でこうも、私と姿が被っちゃってるのよ? 最後に心中で呟こうとした霊夢は、その前に勢いよく真正面から飛んできた彼女―――ハクレイと見事に激突する。 激しい頭痛と合わせて頭へ響くその強い衝撃を前にして、彼女の意識はプッツリと途絶えた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 蚊や蠅のような虫の羽音の如きか細い声で唱えるルーンは五秒ほどで終わり、詠唱を終えた老人は自らの顔に向けて杖を軽く振った。 するとどうだろう。突如老人の顔が青白く光り出して、薄暗い部屋を幻想的でありながら不気味な雰囲気が漂う場所へと変える。 しかしその終わりは早く僅か十秒程度であったが…光が消えた時、老人――否、老人゛だった゛者の姿を見てアニエスたちはアッと驚いた。 そこにいたのは先程まで物乞いをしていた老人ではなく、四十代半ばの男であった。 顔を隠すほどに生えていた白髭は消え失せ、代わりにほろ苦い渋味を漂わせる壮年男性の顔を、驚いている三人の客に見せつけている。 服は老人の時に来ていた物と同じであるのだが、逆にそのみすぼらしい身なりが「学会を追放された賢者」というイメージを作っていた。 「いやぁ、驚くのも無理はないかな?こうでもしないとあの場に溶け込めないものでね」 ゛元゛老人であった男性は驚きの渦中にいる三人に向けてそう言うと、自分の顔に向けていた杖を右側の棚へと向ける。 そして『レビテーション』の呪文を唱えて杖を振ると、棚の中から数枚の書類がサッと飛び出してきた。 書類は数秒ほど空中で静止した後、゛元゛老人の操る杖によってフワフワと浮遊しながらも゛先生゛の手元へと舞い落ちていく。 ゛先生゛はそれらを一枚も地面に落とすことなく丁寧にキャッチすると、書類に書かれている内容を流し読む。 恐らく探していた物かどうか確認しているのだろう。一通り読んだ後に軽く咳払いをしてから、目の前にいる三人を相手に喋り始めた。 「今から丁度数年前かそれよりも少し前までかのガリア王国でキメラの開発が行われていたらしい。 開発のテーマは、キメラを戦場に投入してどれだけ味方の被害を減らせるかどうか―――というものだったとか」 書類を見ながら喋り始めた゛先生゛の前にいるアニエスたちは何も言わず、ただ黙って聞いている。 ゛先生゛はそれに対してウンウンと頷きながらも、話を続ける。 「軍用キメラの開発…というより研究自体は今から五十年前に始まったが、当初は単なる生物実験としての趣が強かったそうだ。 しかし当時のゲルマニアやそれに味方する小国との戦争が激化したことによって人的被害が増え、これに対し人の手で兵器にもなれるキメラにスポットライトが当たった…」 ゛先生゛はそこまで言って一旦言葉を区切ると三人と゛元゛老人の目の前で一息ついた後、話を再開した。 「戦争が終わっても開発は細々と続いたんだが、数年前に開発していたキメラどもが暴走して研究所は崩壊。 そこにいた学者も殺されちまって別のところにいたキメラ研究の学者たちも、責任を追及されて路頭に迷った。 しかし…噂だとガリアがまたその学者たちを国に呼び戻して、以前よりもずっと安全な場所で研究を行わせてるんだとか」 そう言いながら、彼は手に持った書類の中から一枚を取出し、それを隊長たちの前に突き出した。 三人は何かと思い薄暗い部屋の中でその書類に目を通してみると、驚くべきものがそのレポートの右上に描かれているのに気が付いた。 恐らく゛先生゛の手書き思われる文字が並ぶレポートの右上に、生まれてこの方見たこともないような奇怪な姿をした生物たちが描かれている。 それは人間を素体にして、イナゴの頭部をはじめとした様々な昆虫の部位を体中に取り付けた怪物と呼ぶにふさわしい存在であった。 その横には『クワガタ人間』という名前でそのまま通じそうな怪物の絵も並んでいる。 レポートを持っていた隊長はゴクリと喉を鳴らし、ミシェルは驚きのあまり右手で口を軽く押さえていた。 アニエスもキメラの絵に目を丸くしながらも、目の前にいる゛先生゛がその顔に薄い笑みを浮かべたのを見逃しはしなかった。 彼女がその笑顔をチラリと見ていたのに気が付いてか、すぐさま表情を元に戻すと話を再開した。 「そこに描かれているのは、追い出された連中が開発していたキメラだそうだ。 対メイジ戦を想定して作られたそいつ等には見ただけではわからんが、多様な攻撃方法を持っとるという。 そいで詳しくは知らんのだが、そのキメラを特定の場所に呼び出す為の道具というものも―――あるらしい」 ゛先生゛は話を続けながらも先程のようにレポートを一枚取出し、それを隊長たちに見せる。 そして、さっきは驚いたものの声を上げなかった三人は用紙の真ん中に描かれていた゛呼び出す為の道具゛を見て、「アッ!」と驚愕の声を上げた。 花の様に綺麗ながらも鋼の様に鍛え抜かれた二人の女性と、今まで数多くの悪党と渡り合ってきた歴戦の勇士の声が、薄暗い部屋の中に響き渡る。 「隊長…こ、これは」 動揺を隠しきれていないミシェルの言葉に、隊長は確信を得たかのように頷いた。 「ウン、間違いない…色が同じだ!」 そう言って隊長は左手に持っていた破片と、レポートに描かれている゛キメラを呼び出す為の道具゛の絵を見比べた。 ご丁寧に色までつけられたそれは、手に持った破片と似たような色をした―――青色の水晶玉であった。 まるで生きた人間を誑かして地獄へ引きずり込もうとしている死者たちが集う湖の様に、何処か恐怖を感じさせる澄んだ青色の水晶玉。 今隊長が手に持っているモノは、その湖に住まう死者たちの怨念を取り入れたかのように濁った青色のガラス片。 そして水晶玉の絵の横には、殴り書きの文字でこう書かれていた。 『この゛水晶玉゛は呼び出されたキメラが破壊し、証拠隠滅の為に一部が溶解して消滅する』 たった一行だけであったが、そこに書かれていた事はアニエス達ににある確信を持たせるのに充分であった。 まるで頭上に雷が落ちてきたかのようなショックを受けた三人は、目を見開かせ口をポカンと開けたままその文章に目が釘づけとなる。 『溶解して消滅』…。それは正に、隊長が最初に見つけたあの破片の末路とあまりにもソックリであったからだ。 「はははは…どうやら、気になっていた物の正体が何なのかようやく分かったようだね」 ゛先生゛は驚愕の表情を浮かべたまま固まった三人を見て、乾いた笑い声を上げる。 明りの少ない部屋の中に響き渡るその声は、予想もしていなかった意外な真実に直面した三人の体を包み込んでいた。 回想を終えたアニエスは、開いた窓から見える人ごみと街の様子を見つめて呟く。 「ガリアの、キメラか…」 あの後、早々に退室を促された彼女らは゛元゛老人に『ここでの事は他言無用でお願いします』と釘を刺されてあの場を去った。 時間にすればほんの十分程度の話し合いであったが、とてもそんな短い時間では知る事の出来ない゛何か゛を三人は知ってしまった。 神聖アルビオン共和国の内通者を殺害した存在が人間ではなく、『何者かが用意したガリアのキメラであった』という可能性があるという事実を。 しかしそれと同時に、『何故ガリアのキメラがトリステインにいたのか』、『そもそも何故キメラを使ってまで殺したのか』という疑問も浮上してきた。 退室する前に部屋にいた゛先生゛にその事を聞いても、流石にそこまでは分からないと首を横に振るだけであったが、付け加えるかのようにこんな事を言っていた。 『案外、地上で起きた妙な事件ってのは…君たちの想像よりもずっと大きな事件なのかもね』 まるで何もかもお見通しと言わんばかりの言葉であったが、確かに彼の言う通りであった。 最初こそアニエス達は、捜査の中止を要求した連中だけがこの事件に関わっていたと思っていた。 しかしそれは単なる予想に過ぎず、実際にはもっと複雑な構造をしているのかもしれない。 「確かに隊長の言う通りだ。もう私たちではどうしようもない…」 アニエスはそう言って、自分の上司がこれ以上の詮索をしてはならないと警告してくれた時の事を思い出した。 あの部屋を訪れてから翌日、アニエスとミシェルを部屋に呼び寄せた隊長は言った。 『昨日の事は忘れろ。俺たち三人だけでは手に負えない』 常に市民を守るのは自分たち衛士隊だと豪語して自身に満ち足りた表情を浮かべていた彼の顔には、諦めの色が浮かんでいた。 その事に納得がいかなかったミシェルとアニエスはその判断に対して食い下がりたかったが結局は隊長の心情を察し、大人しくその言葉に従った。 動けるのであれば彼は動いていたであろう。内通者といえど、殺人を行った者たちが誰なのか探るために。 勿論それが雲を掴む様な行為だとしても彼は躊躇うような事は無く、例えこれまで積み重ねてきたモノが崩れようとも真実を確かめたであろう。 いくら殺した相手が国を売ろうとした者で、殺せば国益になったとしても…殺人は立派な犯罪、それに変わりは無い。 それを知っていて尚自分たちの゛正義゛を信じてやまない者たちは俗にいう゛正義の味方゛ではなく、単なる犯罪者だ。 彼ならば決して許しはしないであろう、゛正義゛という名の無秩序な暴力をトリスタニアの中で振るう様な輩を。 しかし、もしも――――もしもの話だ。 この事件の黒幕が『王宮の一部』ではなく、『王宮そのもの』だとすればどうだろうか。 そしてそこに、大国であるガリアの手も加わっているというのならば――――もはや自分たちが抗っても何の意味もない。 だから隊長は二人に教えたのだ。この世には、どうしようもない事が沢山あるという事を。 「キツイものだな…ただ黙って見過ごすというのは…」 まるで不治の病に侵された患者が呟くような言葉とは裏腹に、彼女の顔には憎しみが浮かんでいた。 彼女は許せないのだ。人の命を奪っておきながらも、それで利益を得るような奴らを。 例え相手が大貴族や国家そのものだとしても――――その様な行為を平気でする輩は滅ぶべきなのだと。 東の砂漠に住まうエルフですら思わず怯んでしまいそうな目つきで、アニエスは窓越しに空を見上げた。 彼女の今の心境など関係ないと言わんばかりに、天気は快晴であった。 時刻が午後十二時を過ぎて丁度午後の一時半になったところ。 昼の書き入れ時が終わり、働いている人々は夕方や夜まで続く午後からの仕事に戻るため急ぎ足で街中を歩く。 その為かブルドンネ街やチクトンネ街の通りは朝や昼飯時以上に混み合い、酷いときには暴力事件という名の喧嘩が起きる。 暴力事件の元となるトラブルは多種多様で。コイツが俺の足を踏んだといった愚痴から財布を盗もうとして殴られたといった自業自得なものまである。 王都トリスタニアで夜中に次いで暴力事件が多発するこの時間帯は衛士隊の市中警邏が強化され、夜中よりも若干人数が増えるのだという。 善良な人々はそんな彼らに無言の賞賛を送りつつ、自分たちが暴力事件の容疑者や加害者にならないよう注意して通りを歩く。 トリスタニアで暮らしている人たちにとって何てことは無い、休日の午後の風景であった。 そんな時間帯の中、比較的人の少ない通りにあるレストランにルイズ達が訪れていた。 新しいティーポット探しや霊夢の服選びに購入したソレを学院に届ける為の手配で想定以上の時間が掛かってしまい、今から遅めの昼食を食べるところであった。 大通りにあるような所とは違い中はそれなりに空いてはいるが、それがかえって店全体に物静かな雰囲気を醸し出している。 店内の出入り口から見て右側にある台の上にはショーケースが置かれており、中に入っている演奏者を模した小魔法人形のアルヴィー達が手に持ったミニチュアサイズの楽器で演奏をし、店内に音という名の彩りを加えている。 演奏している曲は今から二、三年前に流行った古いモノだが、静かで優しい曲調が店の雰囲気とマッチしており、ガラス一枚隔てた先から聞こえてくる街の喧騒とは対照的であった。 いらっしゃいませぇ!という女性店員の声と共に最初に入店した魔理沙は、入ってすぐ横にあるショーケースの中身に見覚えがあることに気付く。 「おっ、アルヴィーじゃないか。こんな所にも置いてあるんだな」 大の男が握り締めるだけで壊れてしまいそうな小さな体とそれよりも少し小さな楽器で演奏をこなす人形たちの姿に彼女は興味津々と言いたげな眼差しを向けている。 そんな魔理沙に続いて入ってきたルイズは、見たことの無い玩具に夢中な子供の様にアルヴィーを見つめている黒白に呆れつつもそちらの方へと足を運ぶ。 この店にあるアルヴィー達は見た目からして大分古くなってはいるが、それでもまだまだ現役だと意思表明しているかのようにキビキビと動いている。 きっと彼らの手入れをしているのだろう。店長である五十代半ばの男性がカウンター越しに、ショーケースの前で立ち止まっているルイズと魔理沙を見て微笑んでいた。 彼らの姿をショーケース越しに五秒ほど見ていると、ルイズはふとアルヴィーと同じ類の人形が学院にもある事を思い出した。 「そういえば、ウチの学院にも幾つかあるわね。アルヴィーとかガーゴイルが…」 「知ってるぜ。確か食堂の中にある人形だろ?あれって、真夜中に踊ってるよな」 「あら、知ってたのねアンタ」 意外な答えに少しだけ驚いた振りをして見せたルイズに、魔理沙は当然だぜと言わんばかりに肩をすくめる。 「この前シエスタが教えてくれてな。それでまぁ真夜中の暇な時に見に行ったんだ」 魔理沙がそう言った時、ふとルイズは聞きなれぬ言葉を耳にして首をかしげた。 「真夜中の暇な時って…そんな時間に何もすることないでしょうに?っていうか一体なにをするっていうのよ」 「何言ってるんだ、真夜中にする事っていえば寝るだけだろ?」 黒白の口から出た予想の遥か斜め下を行く答えにルイズは、何だそんな事かと小さなため息をつく。 「つまり寝付けない時に見に行ってたって事よね?」 「まぁいつもは本とか読んでるんだがな。珍しいものが見られるならそれを見に行くだけの事さ」 興味のある物の為なら夜更かしも平気だと言わんばかりの彼女に対し、ルイズは勉強熱心な奴だと感心した。 しかし、それと同時にいつかアルヴィー手を出すのではないかと内心心配もしている。 霊夢から魔理沙の普段やっている事をある程度聞かされていたルイズは、どうにも不安になってしまう。 「…念のため言っておくけど、もしも食堂のアルヴィーに何かしたら怒るわよ?アレは学院の物なんだし」 「それなら大丈夫だよな?何かをする代わりに持って帰るつもりでいるから」 警告とも取れるルイズの言葉に、魔理沙はイタズラを企てた子供が浮かべるような笑顔を見せてルイズにそう返した。 「あ、あのお客様…は、三人でよろしいですよね?」 「そうねぇ…。あぁ、でもあの二人は喋るのに夢中だから放っておいてもいいわよ」 そして最後に入ってきた巫女服姿の霊夢が、隣にいる二人を見つめつつ目の前の女性店員に三人で来たことを教えていた。 ルイズたちに声をかけて良いか迷っていた彼女は「で、ではこちらの席へどうぞ…」と言って窓際のテーブル席へと霊夢を案内する。 「やっぱり盗む気満々じゃないの!」 「盗む?相変わらず人聞きの悪いヤツだぜ。手土産として一つ二つ持って帰るだけさ」 「絶対に駄目!駄目だからね!」 二人の後ろでは、ルイズと魔理沙が物言わぬアルヴィー達の目の前で言い争いをしていた。 霊夢が一足先に席に着いてちょっとメニューを見ていたところで、ようやくルイズと魔理沙がやってきた。 それに気づいた彼女はため息をつきながら、読めない文字だらけのソレから目を離すとルイズの方へ顔を向けた。 「全く、楽しそうな話し合いも程々にしなさいよね。ここはアンタの部屋じゃないんだから」 「何処が楽しそうに見えたのよ、何処が」 「ルイズの言う通りだ。やっぱりお前は冷たい奴だぜ…っと」 嫌味が漂う紅白巫女の言葉にルイズは軽く毒づきながらも反対側の席に座り、魔理沙も続いて言いながら彼女の隣に座った。 二人の返事に霊夢はただただ肩をすくめると、全く読めなかったメニューをルイズの手元に置く。 しかし目の前に置かれたソレを取ることは無く、狭く混雑した通りを歩いてきてようやく腰を落ち着かせる事の出来たルイズは、まず最初に軽い深呼吸を行った。 店内に舞う微かな埃と厨房から漂う食欲をそそる匂いを鼻腔に通らせて、それをゆっくりと吐き出す。 そうすることで気休め程度ではあるものの何となく落ち着く事が出来たルイズは、霊夢が置いてくれたメニューを手に取る。 比較的分厚い紙で作られたそれは二、三ページしかないが、そこに書かれている品目はバランスがとれていた。 前菜代わりのスープやサラダをはじめ肉料理や魚介料理も数多く。ロマリア生まれのパスタ料理もある。 他にもバケットやサンドイッチなどのパン類も申し分なく、デザートやドリンクも豊富であった。 (クックベリーパイが無いのは贔屓目に見ても駄目だけど…まぁ初めて入った店にしてはアタリといったところね) デザートの品目を見て目を細めていたルイズは心の中で呟きながらも、何を食べようか迷ってしまう。 ルイズ自身こういう店に入るのは初めてではないが、自分でメニューを選ぶのは実のところ苦手であった。 いつも行くような所は上流貴族たちが集うような高級レストランで、今日のお勧めメニューをオーダー・テイカ―がとても優しく教えてくれるのだ。 だが、そういう所は貴族だけではなく従者にもそれなりの品位を求めてくるものである。 (どう見たって…二人を連れて行くとなれば、十年くらい掛けて再教育でもしないと無理ね) ルイズはメニューと睨めっこしつつ、厄介な異世界の住人二人をチラリと横目で見ながら物騒な事を考えていた。 何の因果か知らないが、召喚して使い魔契約までしてしまった空を飛ぶ博麗の巫女。 そして彼女の知り合いであり、おとぎ話に出てくるメイジの様に箒を使って空を飛ぶ普通の魔法使い。 先程訪れた高級雑貨店ではなんとか従者扱いしてもらったが、きっと誰の目から見てもそういう感じには見えなかっただろう。 (友人…って呼ぶにしてはどうなのかしら?二人の事は大体わかってきたけど友人としては…何というか、作法を知らないというか) メニューを選ぶはずがそんな事を考え初めたルイズが考察という名の渦に飲み込まれようとしていた時、彼女の耳に霊夢の声が入ってきた。 「とりあえず適当に冷たい飲み物を三人分持ってきてちょうだい。あぁ、料金はコイツ持ちで頼むわ」 何かと思い顔を上げると、いつの間にかウエイトレスを呼んで勝手にドリンクを頼もうとしている博麗の巫女がそこいた。 貴族であるルイズを気軽に指差して「コイツ」呼ばわりする霊夢の態度にある種の恐怖を感じているのか、ウエイトレスの体が若干震えている。 ―――ナニヲシテイルノダロウカ?コノミコハ。 流石に許しかねない無礼な巫女に対し決心したルイズは、右手に持っていたメニューを素早く振り上げ…霊夢の頭頂部目がけて勢いよく下ろした。 下手すれば相手が気絶しかねない攻撃をルイズは何も言わず、そして無表情で繰り出したのである。 「え?…うわっ!!」 トリステイン王国ヴァリエール公爵家三女の放った恐怖の一撃はしかし、直前に気づいた霊夢の手によって防がれた。 流石の博麗の巫女もテーブルを一枚挟んだ相手が突然攻撃してくる事など予想していなかったのか、その表情は驚愕に染まっている。 渾身の一撃を防がれたルイズの隣にいた魔理沙は今まで外を見ていたせいか「な、何だ…!?」と声を上げて驚き、その勢いでまだ手に持っていた箒を床に落としてしまう。 霊夢の隣にいたウエイトレスが悲鳴を上げ、それに気づいて店にいた店員や他の客達はルイズたちのいる席へとその顔を向ける。 時間にして僅か五秒程度の出来事であったが、その五秒はあまりにも衝撃的であった。 「ちょっ…ちょっと!何すんのよイキナリ!?」 突然攻撃されたことに未だ驚きを隠せない霊夢は、自分の頭を叩こうとするルイズの魔の手を何とか防いでいた。 彼女の言葉を聞いてルイズの表情が一変、怒りの感情が色濃く見えるモノへと変貌する。 「人が食べるモノ選んでる最中に、何で私の許可なく勝手に注文してるのよアンタは!?」 「アンタがモタモタしてるから先に飲み物を…―イタッ!」 爽快感と痛快感を同時に楽しめる景気の良い音が、店内に響き渡る。 ルイズの文句に対し霊夢も反論をしようとしたのだが、いつの間にか左手に持ったもう一つのメニューで見事頭を叩かれてしまったのである。 「今更言うのもなんだし言っても無駄だと思うけど…ちょっとは遠慮ってものを考えなさいよね!」 痛む頭頂部を両手で押さえている紅白巫女を指差し、ルイズは声高らかに叫んだ。 一体いつの間に持ち出したのよ…と霊夢はルイズの早業に驚きつつも、頭を押さえながら机に突っ伏した。 その様子をウエイターと並んで見ていた魔理沙は軽く咳払いした後、一連の出来事を纏めるかのように呟いた。 「…流石霊夢だぜ。何があってもその厚かましさは変わらないもんだなぁ~」 「そんな事言える暇あるなら、コイツを止めなさいよね…」 「だ・れ・が…コイツよ!誰が!!」 強力な一撃を食らってダウンしても一向に口の減らぬ紅白に向けて、ルイズはとうとう怒鳴り声を上げた。 もはや店中の人間に注目されてしまった二人を遠い目で見つつ、魔理沙は他人事のようにまたも呟く。 「まぁ、こればっかりはルイズに分があるよな」 やれやれと首を横に振りながら、黒白の魔法使いは目を逸らすかのように窓の外へと視線を移す。 窓越しに見える空模様は、店内のバカ騒ぎにピッタリ似合うくらいに晴れていた。 ◆ 『あなたの記憶は、誰のモノ?』 また声が、聞こえてくる。自分の頭の奥にまで響く程の声が。 それは決して大きくはなく、どちらかと言えば小さな声だ。 きっと自分が声の主を一度見たからだろう。あの小さな体には相応しいと思える程小さいが、ハッキリと聞こえる。 しかし、その声が聞こえてくると無性に頭が痛くなるのは、何故だろうか。 まるで自分の頭の中をキツツキが突いているかのようにコンコンと痛みが自らの存在をアピールしている。 追い払いたくても追い払えないその声を意識するたびに痛みは酷いものになり、無意識の内に頭を掻き毟ってしまう。 クシャクシャと音を立てて掻き毟る度に黒い髪が一、二本抜け落ちて地面へ向かって舞い落ちる。 『あなたのキオクは、ダレのモノ?』 それでも声は頭の中で響く。誰にも理解されない痛みに一人苦しむ自分をあざ笑うかのように。 どうして苦しまなければいけないの?どうしてこの言葉をすぐに忘れられないの? 痛みに悶えながらも、頭の中でそんな疑問がフワフワと浮かんでくる。 そしてその疑問を解決するために考えようとすると痛みが酷くなり、口から苦しみの嗚咽が漏れてしまう。 この声が一日に数回聞こえるようになってからもう一週間近くも経つが、未だに解決の方法は見つからない。 それどころか、日増しにこの痛みが強くなっているような気もした。 『アタナノ記憶ハ、誰ノモノ?』 まただ、また聞こえてきた。 どうしてそうしつこく食い下がる?私に何か恨みでもあるのか? 私はこの声に対し、次第に途方も無い゛怒り゛が込み上げてくるのを感じた。 まるで二、三メートル程の高さがある柱の上に置かれた角砂糖を狙うアリの様に、脇目も振らずに私の頭へと゛怒り゛が登ってくる。 そして最初からそれを待っていたかのように痛む頭がその゛怒り゛をすんなりと認め、頭を中心にして自分の体へ溶け込んでゆく。 森の中を走り、逃げ回ってきた私の体はボロボロであったが、その゛怒り゛を受け入れられないほど疲弊してはいなかった。 不思議なことに゛怒り゛が頭の中を駆け巡ると、ゆっくりとではあるがこの一週間自分を苦しめていた頭の痛みがどんどん和らいでいくのを感じる。 どんなことをしても治りそうになかったソレがあっさりと治ってしまったことに、私は拍子抜けしてしまう。 なんだ、こんなにも簡単に治るとは―――――と。 しかし、痛みが和らいでいくと同時にその゛怒り゛が私に教えてきた。 『お前は今から、ある場所へ行け』と。 アナタノキオクハ、ダレノモノ?―――― また声が聞こえてきたが、もう頭は痛まない。痛みはもう消えた。 どうしてあの時の言葉がずっと頭の中で響き続けていたのかは知らないが、実害が無いのなら無視すれば良い。 それよりも今は、゛怒り゛が示す場所を目指すことが先決だ。幸いにもここから見える所なのですぐにたどり着けるだろう。 何故そこへ行かなければ行けないのか、という新しい疑問が一つできてしまったが…それはすぐに解決できるかもしれない。 きっと゛怒り゛の示す場所に、その答えはある筈だから。 あなたの記憶は、誰のモノ?――――― 「それはこっちのセリフよ」 先程と比べ殆ど聞こえなくなった声に対し、私はひとり呟いて歩き出した。 午後の喧騒で大きく賑わう街へ向かって。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん