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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん ルイズが目を覚ました頃、トリスタニアの各所にある衛士隊の詰め所の内一つでは、 一人の女性隊員が一枚の書類を握りしめてこの詰め所の隊長に詰め寄っていた。 「どうしてそうなったのですか!?」 女性とは思えないほどの力で自分の机を叩いたアニエスの顔には、悔しさが滲み出ていた。 普段の彼女ならば絶対他者に見せはしないその表情に周りにいた隊員達は目を丸くする。 怒りで震えている彼女の手の中には一枚の書類が握りしめられており、指の間からとある一文が垣間見えた。 『遺体、遺留品は一時王宮に保管し、以後許可があるまで事件の捜査をしないよう』 その一文は、彼女をここまで憤慨させるのにもってこいであった。 手紙全体の内容を、簡単に言えば『今後、この事件の捜査をするな』というものであった。 勿論それには、神聖アルビオン共和国との動向が気になる今の時期に騒ぐのは不味い。という理由がある。 しかしそのような返事をよこしてきた王宮に、アニエスは納得がいかなかった。 「ノロノロとした対応しか出来ない連中に横やりを入れられることなど、我慢できません!」 気迫迫る表情で詰め寄ってくるアニエスに、隊長は困った表情で何とか彼女を落ち着かせようとした。 「落ち着けアニエス。気持ちはわかるが王宮からの命令だ。逆らえばクビになってしまうぞ?」 落ち着いた表情の隊長にそう言われても、アニエスは尚も悔しそうな顔をしている。 それは昨日の真夜中にまで時は遡る。 事件のあったホテルでの現場検証は衛士隊の方で済ませ、遺留品と内通者の遺体を詰め所に搬送した後の事であった。 遺体を臨時的に作られた死体置き場へと運び終えて皆が一段落していた時、彼らはやって来た。 「何だ何だ?我々が急いで駆けつけて来たというのに貴様ら平民は仕事をサボって休んでいたのか」 厚かましい言葉と共に詰め所へ入ってきたのは魔法衛士隊の内一つ、ヒポグリフ隊の隊長であった。 本来なら宮廷と王族の警護を司る彼らが来たという事は、恐らく王宮が派遣してきた応援であろう。 (応援にしては遅すぎるうえに何の事前連絡もないとは…) 心の中でアニエスが訝しんでいるのを余所に、衛士隊の隊長はヒポグリフ隊の隊長に敬礼をした。 「わざわざ王宮からのご足労。大変感謝致します!」 並の貴族ならばその動きだけで満足するであろう敬礼に対して、ヒポグリフ隊隊長の返事は余りにも冷たかった。 「フン、本来ならば敬礼ではなく頭を下げるべきだが…まぁ事が事ゆえ、許してやろう」 あからさまな言動に周りにいた衛士隊隊員達は怪訝な表情を浮かべたが、隊長は眉一つ動かなかった。 既にここで働き始めてから数十年年ばかり経つためか、この様な相手とのやり取りなど慣れてしまったのである。 短い話し合いの後、死体置き場の遺体と遺留品は、ヒポグリフ隊の者達によって王宮に運ばれる事となった。 本来ならばアカデミーに運ばれる筈なのだが、ひとまずはここより安全な場所で保管するというとのことらしい。 ヒポグリフ隊とのやり取りを離れたところから聞いていたミシェルは、隣にいたアニエスに怪訝な表情を浮かべて言った。 「下手に動かすより、ここに置いておけばいいんじゃないでしょうか?」 「そういうなミシェル。王宮の連中はああいう面倒事が名誉と金とワインの次に大好きなんだよ」 ミシェルの言葉に対して、アニエスは皮肉という名のスパイスをタップリ込めてそう言った。 その後、王宮から追って連絡があるとだけ言い、ヒポグリフ隊は去っていった。 遺体と遺留品を、何の印も刻まれていない黒塗りの馬車へとつぎ込んで… それから暫くして、今から一時間前―――― 詰め所の入り口でビスケットをほおばっていたアニエスがその連絡を受け取った。 伝書鳩が持ってきたそれは、今の憤慨している彼女を作りだしたのである。 「―――…クソッ、納得いかん」 結局隊長に言いくるめられて退室し、二階の廊下へと出たアニエスの第一声がそれであった。 むしゃくしゃして傍にあったイスを蹴り飛ばすと髪をくしゃくしゃと掻きむしりながら、すぐ傍にあった窓を開けた。 窓から入ってくる肌寒いトリステインの空気が熱くなっていた彼女の心を冷まし、冷静にしてくれる。 外の風に当たってある程度気持ちが落ち着いたのか、ここから見える外の景色は中々良い物だと気が付いた。 太陽がまだほんの少ししか顔を出していない所為か、トリスタニアの町並みはうっすらとしかわからない。 まるで街全体が幻であるかのように、その正体を見せてはくれないのである。 その時、ふとアニエスは思った。 この時間帯のトリスタニアは何処か…別世界に存在しているのでは無いのか、と。 ハルケギニアとは何処か別の世界、…゛異世界゛に移転してるのかもしれないのでは… 「そんなわけないか…ハハっ」 そんな風にして一人笑っている彼女の耳に、可愛いらしい鳴き声が入ってきた。 何処からか聞こえてくる小鳥のさえずりに気が付いたアニエスは、ぽつりと呟く。 「小鳥の囀りと共に…朝が訪れ、人は新しい一日を謳歌する――か」 以前立ち寄った本屋で見つけた小説の一文を、彼女は口にしていた。 小説自体は特に思い入れは無かったが、その一文だけは彼女の頭の中に刻み込まれている。 それが何故なのかは彼女にも判らないし、それを知らない他人はもっと知らない。 ただ、その一文は正に…この街の今の時間帯を示しているのかも知れないと、アニエスは思った。 しかし――そんな彼女の頭の中に記憶という名の映像がノイズ交じりに映し出された。 それは今のアニエスを作りだしたとも言える程、衝撃的な内容であった。 忘れもしない二十年前の記憶を思い出し、アニエスの顔がすぐさま険しくなっていく。 「だが…二十年前のあの日からずっと、私の心の中に朝が来てはいない」 ――そう、死ぬ前にすべきことを全てするまでは…私にとって本当の朝は訪れないのだ その瞳に穏やかとも言える静かな殺気を浮かべながら、アニエスは心の中で呟いた…。 ◆ それから時間が経ち、午前9時45分―――トリステイン魔法学院。 朝食も終わり、生徒達は自らの使い魔を連れて授業が行われる場所へと足を運んでいる時間である。 猫や犬といった普通の生物、又は幻獣の子供は主である生徒達の後をついていく。 ここだけではなく、ハルケギニアのあちこちにある魔法学校でよく見られる光景の内一つである。 誰もいない女子寮塔にあるルイズの部屋で、掃除をしている一人の少女がいる。 この学院では割と珍しい黒髪に奇抜なデザインの紅白服を着ている霊夢であった。 「ふぅ…とりあえず掃除はこれぐらいで言いわね」 テーブルを拭いた雑巾を水を張ったバケツの中に入れた霊夢は一人呟いた。 そして手元にあったタオルで手を拭くとイスに腰掛けると一息つき、部屋を見回す。 しばらくご無沙汰だった為か、掃除をする前は部屋の隅に埃がうっすらと積もっていたのだ。 まぁアルビオンへ行ったり幻想郷に戻って掃除する暇もなかったので仕方ないが。 そして掃除をしてみれば部屋の中は小綺麗になり、何処かさっぱりとしていた雰囲気も取り戻した。 たった一点を除いて…。 「さてと、あれは本人にやらせた方が良いわね…」 霊夢は怠そうな目でそう言いながら、部屋の一角に放置された本の山へと視線を向けた。 ベッドに寄り添うかのように放置された数十冊の本は全てこの世界の文字ではなく、所謂英字である。 英語だけではなく、霊夢でも読める日本語や難しいヨーロッパ系の文字の本もあった。 実はこの本の山、全て魔理沙が幻想郷から持ってきたものなのだ。 魔理沙か愛読用にと持ってきたもので、きっとアリスやパチュリーから借りてきた本も入っているだろう。 まだ彼女の家と比べればマジではあるが、数十冊の本の山というのは掃除の時には邪魔な存在だ。 少なくとも霊夢はそう思っているし、出来るのであれば窓から全部放り捨てたいという気持ちもあった。 しかし、それを実行する程魔理沙とは犬猿の仲でもないし何より全部捨てるとなると骨が折れる。 どうしようかと思って考えた結果、出された結論は…本人に任せるということに至った。 「しかし、まさかあんな作り話でうまくいくとは思ってなかったわ…」 掃除道具を片づけた霊夢は再びイスに腰掛けると、ふと昨日の事を思い出し始めた。 ☆ 霊夢の言う゛あんな作り話゛とは、昨日の昼食の際に学院長であるオスマンの話であった。 昼食の前に行われた話し合いの最後に、オスマンは魔理沙に対してここに長居できるようなんとかしてみると言っていた。 それが一体何なのか、魔理沙ですらわからぬまま時間が経ち、昼食の時間となった。 そして生徒達がいざ食べ始めんとした時、その前にオスマンの話があった。 「諸君、昼餐の前に少し紹介しておきたい人物がおる」 学院長の口から放たれたその言葉に、食堂の中がざわざわと少しだけやかましくなった。 喧騒に包まれる前にオスマンが声を大きくして「静かに」とだけ言うと、すぐさま誰も騒がなくなってしまう。 オスマンはそれを見て満足そうに頷くと、話を再開する。 「見とる者は昨日から見ておると思うが、この学院に白黒の服を着た金髪の少女がいるのを皆は知ってるかね?」 そう言いながらもあるオスマンはある一点を指さし、多くの生徒達が指さした方へと視線を向ける。 オスマンの指さした場所は食堂の出入り口付近に設けられた休憩場。 つまるところ、今食事を食べている霊夢と魔理沙に多くの視線が注がれる形となった。 「おい霊夢、なんであいつ等はあの爺さんが指さしたぐらいで私たちをジロジロ見るんだ?」 魔理沙は先程淹れてもらった紅茶を飲みつつ、隣にいる紅白巫女にそんな事を聞いてみた。 霊夢はこちらに向けられている視線に動じず、隣にいる白黒魔法使いにこう言った。 「きっと自分で考える力があまり無いんじゃないのかしら」 「お前、時々でも良いから自分の言葉に責任感を持ってみたらどうだ?」 ルイズに聞かれていたら間違いなく部屋から追い出されるであろう言葉を、霊夢は難なく言い放った。 その後、オスマンが魔理沙の名前を紹介した後、こんな事を説明し始めた。 なんとオスマンは、魔理沙がずっと以前にミス・ヴァリエールをとある窮地から救った旅人なのだと紹介した。 それを聞いてルイズは目を見開き、魔理沙は飲んでいた紅茶を吹き出しそうになった。 他の生徒や教師達もそれを聞いて驚き、魔理沙に注がれる視線が段々と強くなっていく。 霊夢だけは作り話でくるとは…と内心で呟きつつも、オスマンの話を黙って聞いていた。 そしてつい先日、ルイズは彼女と街で再会を果たし、恩を返したい。…と言ったらしい。 そこで魔理沙は…しばらくこの国に長居したいのだが、不幸にも宿に泊まる程の金が無い。…と言ったらしい。 ルイズはそれを聞き、「じゃあ魔法学院にある私の部屋にご招待致しますわ」と言ったらしい。 「じゃから、これからしばらくはミス・マリサはこの学院に滞在することになる。 末女とはいえ、彼女はヴァリエール家の客人じゃ。決して揉め事など起こさんように。以上」 オスマンの話が終わり、ようやく昼食が始まった。 一足先に食べていた魔理沙は、嬉しそうな表情を浮かべてこんな事を言った。 「嬉しいぜ。この世界だと私が良心的な人物に見えるんだな」 「私はアンタが善人になるこの世界に危機感を持つよ」 そんな魔理沙に対してさりげなく霊夢は言った。 ☆ 昨日の事を思い出し終えた霊夢は腰を上げ、部屋を見回した。 「さてと、これからどうしようかしらね…時間もあるしお茶でも飲もうかしら」 部屋の中にあるポットの方へと目をやり、とりあえずはお茶の準備を始めることにした。 そして茶葉などが入っている棚を開けると、少し大きめの瓶を手に取った。 この前アルビオンに行った際、ルイズを助けたお礼にとやけに良心的なお姫様から貰った茶葉である。 「市内では出回らない物だって聞いたけど、本当なのかしらね…」 まるで自分のことのように自慢していたアンリエッタの顔を思い出し、霊夢は呟く。 先日ルイズや魔理沙と共に街を訪れたときにこれとよく似た形の瓶を見ていた今の霊夢には彼女の言葉が今一度信用できなくなっていた。 幻想郷の人里でもそういう商法があると聞いた事があるが、この世界と比べれば可愛い方であろう。 「幻想郷には縄跳びの在りかを示した地図なんて売ってないしね」 ふとずいぶん前の事を思い出し、苦虫を踏んだかのような表情を浮かべたその瞬間――― ―――ギャァアッ…! 開きっぱなしの窓の外から、小さな悲鳴が聞こえてきたのである。 「?…今の悲鳴は何かしら」 運良くそれを耳にした霊夢は何かと思って窓の方へと近づき、とりあえずは下の様子を窺った。 窓の外から見下ろす広場はいつもと変わらず、むしろ人がいない所為か静かな雰囲気が漂っている。 何処にもおかしなところは見受けられないし、悲鳴の主すら居ない。 貴族や平民に関係なく、常人ならばこの後は首を傾げて窓を閉めてしまうところだったであろう。 しかし、霊夢は感じていた―――初めて味わうタイプの気配を。 (何かしら、凄くイヤな…というよりもえげつないくらいの不快感は?) 今まで嫌な気配を放出する存在と幾多に渡り合ってきた霊夢ですら、それは初めて感じるものであった。 空間に例えるなら、そこはジメジメとしているうえに蒸し暑く、ナメクジやヒルといった軟体生物が活発に動き回っている。 男性でも近づくのを躊躇ってしまうような場所に例えられる程の不快感に対して、霊夢は大きな溜め息をついた。 「はぁ…どうしてこう、これからって時に良く邪魔が入るのかしらね」 ウンザリしたかのように言った後、手に持っていた茶瓶をテーブルに置いた。 そして久方ぶりに持つことになった御幣を左手に持つと、窓から勢いよく外へと飛び出す。 普通ならば重力に従って地面に真っ逆さまの筈だが、霊夢はそれに縛られず大空へと飛び上がった。 ひとまず霊夢は上昇し、学院中を見回せる程の高度に到着すると気配の元を探り始める。 目を鋭く光らせて精神集中し、すぐ真下にある学院から出てくる様々な気配の中から先程の不快感のみを探し出す。 妖怪退治と異変解決の専門家とも言える博麗の巫女にとって、それは呼吸と同じほど簡単なことであった。 「…… あっちの方からだわ」 そしてすぐさま何かを感じ、学院のすぐ外れにある庭園の方へと急行した。 ◆ そこは生徒達の散歩や風景画を描かせるために作られた比較的大きな庭園であった。 庭園の中央には池と噴水が設けられており池には小魚やカエル、サンショウウオといった水生生物が多数生息している。 時々庭の整備士が来るものの、この時間帯には人っ子一人此所を訪れない。 人前には決して出てこない野ウサギやリスたちは庭を駆け回り、噴水の水を飲む。 しかし、今日に限って彼らは姿を現さず、苦しそうな男の喘ぎ声が庭園の中に響いていた。 「はぁっ…!…はぁっ…!」 痩せた体を持つ男は自分の持っている力の全てを使って走っていた。 途中何度か転びそうになりながらも、焦点の合わない目で出入り口を必死に目指している。 しかし、完全に混乱した頭では庭園の中を無茶苦茶に走りまわる事しか出来なくなっていた。 いくら走っても出入り口にたどり着けず、男は噴水の近くでへたれ込むと、なりふり構わず大声を上げた。 「だ…誰か…誰かたすけてくれぇ…!」 張り裂けんばかりの怒声で叫んでも、この時間帯には誰もその叫び声に気づきはしない。 自分の怒声のみが空しく庭園に響くだけだと知った男は、地面を思いっきり叩いた。 そして頭を抱えて嗚咽にも聞こえるような呻き声を上げてブツブツと独り言を呟き始めた。 「畜生…ちくしょう!何なんだよありゃあ…!?あんなのがいるなんて聞いてなかったぞ…?」 男はそんな事を言いながら、自分のすぐ傍で起きた猟奇的なアクシデントを思い出した。 ※ この男はアルビオン大陸からやって来た…所謂旅行者と呼ばれる者だ。 だが旅行者というのは仮初めの姿であり、現アルビオン政府から密命を受けてこの国へやってきたのだ。 その任務は至って単純明快。首都トリスタニアにいる複数の貴族達からある書類を受け取ることである。 最初、男は旅行者らしく軽くトリスタニアの観光をしつつ、書類を回収していこうと計画していた。 しかしつい一昨日にその内の一人が死んだとう事を知り、回収を早めることにした。 そして記念すべき一人目と人のいないこの庭園で出会い、金貨のつまった袋と交換に書類を手早く頂く―――筈であった。 だが、意外と広い庭園の中を彷徨ってようやくそれらしい貴族の男と出会い、いざ書類を受け取ろうとした時… 聞こえてきたのだ。異形の顎から聞こえてくる、虫のような金切り声を… ※ ギ リ ギ リ ギ リ ギ ギ ギ ギ リリ リ…―――― 「―――――…ッ!?」 疲れた表情でその時のことを思い出していた男は、突如耳に入ってきたその音に目を見開いた。 そうだ、これが聞こえてきたのだ…あの恐ろしい虫の姿をした異形の声が。 男はスクッと立ち上がると同時に腰元へと手を伸ばし、杖を手に取ろうとした。 (……!つ、杖を落とした…!?) 腰にさしている筈の杖はそこに無く、男は驚愕のあまり腰の方へと視線を向けてしまう。 「ギリ…ギリギリ…ギギ…!」 その時であった…! 隙が出来るのを待っていたかのように、ソイツは草むらから飛び出してきたのである。 思わず男はそちらの方へ顔を向けてしまい、ソイツの全身を見る羽目になってしまった。 ソイツの姿は正に゛クワガタムシと人間の合成生物(キメラ)゛と言っても過言では無いだろう。 体は人間よりもクワガタに寄りだが、両手両脚は人間のそれとよく似ている。 そして頭はクワガタそのものであり、危なっかしい大きな顎をしきりに動かしている。 だが普通のクワガタと違い、顎の表面から水っぽい灰色の液体が絶えず流れ出ていた。 「ひ…、ヒィィィィィィ!!」 男は化け物の顎と、その顎から滴り落ちる液体を見て、悲鳴を上げた。 あの顎も武器であろうが、液体の方が男に恐怖を与えている。 男は頭の中で、この化け物を倒そうとして返り討ちにあった貴族の姿を思い出した。 (あの液体…あの液体を浴びたらあの貴族のように…) そんな男の心の内を探ったのか否か、クワガタのキメラはクワッ!と顎を開こうとしたその時… 「ハァッ!」 ふと上空から少女の声が聞こえてきたのである。 男が生まれてこの方聞いたことがない程、美しい声であった。 その声が聞こえた後、ヒュッと小さい紙が上空から飛んできてキメラの背中に貼り付いた。 キメラが自分の背中に何かが貼り付いたのに気づいた瞬間、突如背中で小さな爆発が起こった。 「ギッ!?ギギィ…!」 突然の攻撃にキメラは金切り声を上げて、体を激しく震わせた。 その瞬間を見逃さなかった男は、すぐさま踵を返すと全速力で何処へと走り去っていった。 目の前にいて、もうすぐ狩れる筈だった獲物が逃げるのに気づいたキメラはしかし、痛みにもがくことしか出来なかった。 甲虫特有の硬い背中は酷く焼け爛れており、その威力がどれ程のものか物語っている。 「全く、何かいると思ったら…まさかこんな化け物がいたとはね」 痛みに震えるキメラを上空から見下ろしている少女、霊夢は意外といった感じでそう呟いた。 「やっぱり、…こいつからあの気配を感じるわね」 再度確認するかのように呟き、霊夢は目を細めた。 今、彼女はあのキメラから感じているのだ。部屋の中では決して感じることが出来なかったその気配を。 ――――それは、恐ろしい程に無機質的な゛殺気゛ 人を殺すことに対して歓喜や怒り、憎しみ、悲しみ。 それらを一切感じさせない殺気は不気味を通り越し、不快感となって霊夢に伝わっているのだ。 「どっちにしろ倒すけど。なんだか気色悪い奴ねぇ―――…っと!」 霊夢は気味悪そうに呟きつつも、右手に持っているお札をキメラに向かって勢いよく投げつけた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 「どうしたものかしらねぇ…」 カトレアは悩んでいた、半ば強引にルイズから聞いた『これまで起きた事』を聞いてしまった事に対して。 玄関に設置してある壁掛け時計の時を刻む音が鮮明に聞こえ、それが彼女の集中力を高めていく。 一方で、姉のカトレアに『これまで起きた事』を説明し終えたルイズは彼女の反応を窺っている。 すっかり温くなってしまったカップの中の紅茶を見つめつつ、時折思い出したように一口だけ啜る。 今振り確かいないこの居間の中で、妹は姉の動向をただ見守るほかなかった。 そんなルイズの心境を読み取ったのか、やや真剣な表情を浮かべて見せる。 そして彼女の前で反芻して見せる。妹が口にし、自分が今まで聞いたことの無かった数々の単語の内幾つかを。 「ゲンソウキョウという異世界にヨウカイ、ケッカイに異変…」 初めて聞いた単語を言葉にして口から出してみると、横のルイズか生唾を飲み込む音が聞こえてくる。 恐らく自分の言ったことを嘘かどうか、見極められていると思っているのだろう。 まぁそれは仕方がない事だろう。普通の人にこんな事を話したとしても本気で信じてくれる者はいないに違いない。 精々酔っ払いか薬物中毒者の戯れ言として片づけられるのが精いっぱいで、それ以上上には進まないだろう。 しかしカトレアは信じていた。愛する妹が口にした異世界の存在を。 現に彼女はその証拠であろう少女達を間近で見ているのだ、博麗霊夢と霧雨魔理沙の二人を。 彼女たちの存在感は、同じハルケギニアに住んでいる人たち…と呼ぶにはあまりにも変わっている。 それを言葉で表すのは微妙に難しいが、彼女たちは異世界の住人か否か…という質問があれば、間違いなく住人だと答えられる。 考えた末に、確かな確信を得るに至ったカトレアはルイズの方へ顔を向けると、ニッコリ微笑んで見せた。 「ち、ちぃねえさま…?」 「大丈夫よルイズ。貴女の言う事にちゃんとした証拠がある事は、ちゃんと知っているつもりよ」 「…!ちぃねえさま…」 微笑み見せるカトアレからの言葉を聞いて、ルイズの表情がパッと明るくなる。 彼女が小さい頃から見てきたが、やはり一番下のこの娘は笑顔がとっても似合う。 そんな親バカならぬ姉バカに近い事を思いつつ、カトレアは言葉を続けていく。 「それで貴女は春の使い魔召喚の儀式でレイムを召喚して、それが原因でゲンソウキョウへいく事になったのよね?」 先ほど簡潔に聞いたばかりの事を改めて聞き直すと、ルイズは「えぇ」と頷きつつその事を詳しく話していく。 幻想郷はその異世界の中にあるもう一つの世界であり、その世界とは大きな結界で隔てている事、 そしてその結界を維持するためには霊夢の力が必要であり、彼女がいなくなった事で結界に異変が生じた。 それを良しとしない幻想郷の創造主である八雲紫が霊夢を助けるついでに、自分まで連れて行ってしまい、 結果的に並大抵の人間が味わえない様な、不可思議な世界への小旅行となってしまったのである。 そこまで聞き終えた所で、ルイズはカトレアが嬉しそうな表情を浮かべている事に気が付いた。 「あらあら!聞く限りでは結構楽しい体験をしてきたのね。異世界だなんて、どんな大貴族でも行ける場所じゃないわ」 「え?え、えぇ…そりゃ、まぁ…考えたらそうなんでしょうけど…」 先ほどの真剣な表情から打って変わった素っ頓狂な事を言う姉に困惑の色を隠し切れずにいる。 まぁ確かに良く考えてみれば、ハルケギニアの歴史上異世界へ行ったという人間がいた記録は全くない。 そもそもそうして異世界自体は創作や架空の概念であり、現実にはありえない事の筈…なのである。 そう考えてみると、確かに自分は初めて異世界へと赴いたハルケギニアの人間という事になるだろう。 しかしルイズは思い出す、あの幻想郷にたった丸一日いただけでどれほど散々な目に遭ったのかを。 瀟洒なメイドには挨拶代わりにナイフを投げつけられ、あっちの世界の吸血鬼に限りなく迫られる…。 あれが向こうの世界流の歓迎…とは思わないが、流石にあんな体験をしてもう一度行きたいとは思う程ルイズは優しくない。 (一応ちぃねえさまにはそこの所は話してないけど…やっぱり心の中にしまっておいた方がいいわよね?) 流石にその時の事まで話したら心配させてしまうと思ったルイズは、再度心の中に仕舞いこんだ。 そして一息つくついでに温くなった紅茶を一口飲んだところで、カトレアが再度話しかけてくる。 「…でも、その向こうの世界で更なる問題が発生してその問題を解決する為に、あの二人が貴女の傍にいるっていう事ね?」 「あ、はい!その通りですちぃねえさま。私はその…まぁ唯一彼女たちを知っているという事で協力を…」 その言葉にルイズが頷きながらそう言うと、今度は笑顔から一転気難しい表情を浮かべたカトレアはため息を吐いた。 「それでも危険だわ。何か探し物だけをするっていうのならばともかく…あの時のタルブ村にまで行くなんて事は流石に…」 「ねえさま…」 憂いの色を覗かせる顔であの村の名前を口にしたカトレアに、ルイズは申し訳なさそうに顔を俯かせてしまう。 カトレアとしては正直、どんな形であれルイズと親しくしてくれる人が増えただけでも嬉しかった。 本来は優しいとはいえ普段は長女や母、そして父譲りの硬さと厳格さで他人に甘える事は少ない。 風の噂で聞いた限り、魔法学院では魔法が使えない事で『ゼロのルイズ』というあんまりな二つ名までつけられているらしい。 そんな彼女に理由や性別はどうあれ、付き添ってくれる人達ができた事は家族の一人としてとても嬉しかった。 しかし…だからといって彼女を…愛するルイズを戦場へ連れて行って良い理由にはならない。 例え彼女自身が望んだこととは言え、できる事ならば王宮へ残るよう説得してもらいたかった。 結果的に無事で済んだから良かったとルイズは言うが、それはあくまで結果に過ぎない。 カトレア自身戦争には疎いが、あの時のタルブ村はハルケギニア大陸の中で最も危険な地域と化していた。 ラ・ロシェールとその周辺に展開していた軍人たちは大勢死に、タルブや街の人々にも犠牲が出ているとも風の噂で耳にする。 そんな場所へ自由意思だからと妹を連れて行った霊夢達を、カトレアは許していいものかと悩んでいる。 「いくら私が心配だからとはいえ、あの時のタルブ村がどれ程危険なのか…王宮にいた貴女は知ってる筈でしょう?」 「は、はい…けれどねえさまの事が心配で…」 「貴女は私と違って未来は未知数なのよ。そんな希望溢れる子が命を賭けに出すような場所へ行ってはダメでしてよ」 厳しい表情で言い訳を述べようとするルイズの言葉を遮り、カトレアは妹を優しく叱り付ける。 これが姉のエレオノールならもっと苛烈になっていたし、母なら静かに怒りながら突風で彼女を飛ばしていたかもしれない。 父も叱るであろうが…きっと今の自分と同じように優しく叱る事しかできないだろう、父はそういう人だ。 だからカトレアもそれに倣って優しく、けれども毅然とした態度でルイズを叱り付ける。 頭ごなしに否定し、威圧するのではなく抱擁しつつもしっかりとした理屈を語るかのように。 そう意識して叱ってくるカトレアのそんな意図を、ルイズも何となくだが理解はしていた。 けれども、あの時感じた姉への心配は本物であったし、いてもたってもいられなかったというのもまた事実。 しかし常識的に考えれば悪いのは自分であり、今のカトレアは悪戯好きな生徒を諭す教師と同じ立場。 どのような理由があったとしても、今の自分は戦場へ行ってしまったことを叱られる身でしかない。 反論もせず、叱られる仔犬の様に縮こまってしまうルイズを見てカトレアはホッと安堵の一息をついた。 言いたい事はまだまだあったものの、一つ上の姉のように叱りに叱り付ける何て事は自分には到底真似できない。 それにルイズも見た感じ反省はしているようだし、これで危険な事にも手を出すことは少なくなるに違いない。 他人からして見ればやや甘いと見受けられる裁量であったが、カトレア自信はルイズが反省さえしてくれればそれで良かったのである。 「まぁでも、今回は無事に帰ってこれたようですし。私としてはこれ以上叱る理由は無いわ」 「…!ちぃねぇさま…」 ションボリしていたルイズの顔に、パッと喜色が浮かび上がり思わずカトレアの方へと視線を向けてしまう。 何歳になっても可愛い妹に一瞬だけ照れそうになった表情を引き締めつつ、姉は最後の一言を妹へと送る。 「ルイズ。もしも貴女の周りにいるあの二人が危険な事をしそうになったら、その時は貴女が止めなさい。いいわね?」 「…え!?あ、あの二人って…レイムとマリサの二人を…ですか?」 その一言を耳にして、大人しく話を聞いていたルイズはここで初めて大声を上げてしまう。 突然の事に多少驚いてしまったものの、カトレアは「えぇ」と頷きつつそのまま話を続けていく。 「あの二人だって年は貴女とそれほど差は無いのでしょう?いくら戦えるとっても、そんな年端の行かない子供が戦うだなんて…」 「いや…でも、あの二人は何と言うか…住む世界が違うから…その…そこら辺のメイジよりスゴイ強くて…」 何故か余計な心配をされている霊夢達についてはそんなモノ必要ないズは言おうとしたが、それを遮るかのように姉は言葉を続ける。 「強い弱いは関係無いのよ、ルイズ。どんな事であれ、荒事に首を突っ込むのは危険な事なの。 どんなに強い戦士やメイジでも戦いの場に出れば、たった一つの…それも本当に些細な事で命の危機に晒されてしまうのよ。 …だからね、もしもあの二人が何か危険な事をしようとしたら…貴女は絶対に彼女たちを止めなければいけないの」 「ち、ちぃねえさま…」 カトレアのしっかりとした…けれどもあの二人には間違いなく火竜の耳に説教な言葉にルイズは何も言えなくなってしまう。 姉の言っていること自体は真っ当である。真っ当であるのだが…如何せんあの二人に関しては本当に止めようがない。 一度これをやると決めたからには、坂道発進するトロッコの如く一直線に走るがのように考えを事を実行へと移す。 そして最悪なのは、アイツラが魔法学院で威張り散らしてるような上級性すら存在が霞むような圧倒的な『我』の強さを持っている事だ。 仮にあの二人にカトレアの話したことをそのまま教えても…、 ――――ふ~ん?で、それが何よ?私が自分で決めた事なんだから他人に指図される覚えはないわ ――――――成程、じゃあ私はその言葉を厳守させてもらうぜ。お前の姉さんが傍にいたらな …なんて言葉で終わってしまうのは、火を見るよりもずっと明らかだ。 姉にはすまない事なのだと思うが、それが博麗霊夢と霧雨魔理沙という人間なのである。 (すみませんちぃねえさま…流石にあの二人に諭しても無駄なんです) ニコニコと微笑むカトレアにつられて苦笑いを浮かべるルイズは心中で姉に謝る。 いずれはカトレアもあの二人の本性を知る機会があるかもしれないが、流石に無駄な事だと直接喋ることは無い。 だからルイズは口に出さず心の中で謝ったのだが、それとは別にもう一つ…姉との約束を守れそうにない事への謝罪もあった。 恐らくこれから先…もしかしてかもしれないが、タルブ以上の『危険』に自分たちは突っ込んでいく可能性が高い。 タルブで出会ったキメラ達に、それを操るシェフィールドという虚無の使い魔のルーンを持つ女の存在。 誰が主人…つまり虚無の担い手なのかまでは分からないが、もう二度と会えないという事は無いだろう。 いつか何処か…そう遠くない内に互いに顔を合わせてしまい…そのまま穏便に済む事が無いのは確実である。 そして一番の問題は、その出会いが人の大勢いる所で起きてしまった場合…、 村と街を丸ごとキメラで占領し、多くのトリステイン軍人を血祭に上げて尚涼しい顔で笑っていた女だ。 何をしでかすか分からない。恐らく真っ先に動くのは霊夢と自分…そして魔理沙であろう。 だからきっと、姉との約束は果たされないだろうという申し訳なさで胸がいっぱいになってしまう。 それが表情に出ないよう耐えつつも、自分が今の状況から逃げられない程の使命を背負っている事を改めて痛感する。 博麗の巫女を召喚した結果、幻想郷の結界に重大な生じ、その原因がここハルケギニアにあるという事、 そして霊夢を召喚できる程の凄まじい系統…『虚無』の担い手という、一人の少女には重すぎる運命。 二つの重く苦しい使命の事に関しては、絶対にカトレアには話す事は無いのだとルイズは決意する。 幻想郷での異変の事に関しては大分ソフトに話していた為、本当の事までは話していなかった。 (ねぇさまはねぇさまで大変な毎日を過ごしている…だからこの二つの事は、隠しておこう…何があっても) 改めて決意したルイズが一人頷いた、その時…中庭の方からニナの喜色に溢れた声が聞こえてくるのに気が付く。 ルイズとカトレアが思わず顔を上げた直後、間髪入れずにニナがリビングへと走りながら入ってきたのであった。 「キャハハッ!ねぇ見ておねーちゃん、四葉のクローバー見つけたよ!」 黄色い叫び声を上げながらカトレアの傍へと寄ってきた彼女は、土だらけの右手をスッとカトレアの前へと突き出してくる。 突然の事にカトレアとルイズは軽く驚いていたが、その手の中には確かに四葉のクローバーが一本握られていた。 「あら、綺麗なクローバーねぇ」 「ふふ~!でしょ?」 確かにカトレアの言うとおり、ニナの持ってきたクローバーは見事な四葉であった。 ニナが嬉しがるのも無理はないだろう、仮に自分が見つけたとしても少しだけ嬉しくなる。 ルイズはそんな事を思いながら彼女の手にあるクローバーをもっと良く見ようとした…その時であった。 ふとキッチンの方から様々な動物たちの鳴き声と共に、雑務をしていた侍女たちの叫び声が聞こえてくる。 「きゃー!お嬢様の動物たちがー!」 「あぁっ!コラ、待ちなさい!それは今日のお昼ご飯の材料…」 ドタン、バタンと騒がしい音動物たちの鳴き声が合わさりが別荘の中はたちまち大騒ぎとなる。 ここからでは直接見えないものの、侍女たちのセリフからして何が起こっているのかは容易に想像できた。 突然の騒ぎにルイズは目を丸くし、ついでクローバーを持ってきたニナが顔を真っ青にさせているのに気が付く。 そう、彼女はついさっきまで動物たちのいる中庭で遊んでおり、その中庭からクローバーを持ってきた。 余程見つけた時に感激したのだろう。是非ともカトレアに診せたいという気持ちが勝って慌てて別荘の中へと入った。 中庭と屋内を隔てる窓を開けっ放しにした事を今の今まで忘れていた…というのはその表情から察する事ができる。 クローバー片手に今は顔を青くしたニナの背後には、未だニコニコと微笑むカトレアの姿。 ルイズは何故かその表情に恐怖を感じてしまう。何といえばいいのであろうか…そう、笑っているが笑っていないのだ。 まるで笑顔のお麺の様にそれは変に固まっており、何より細めた目をニナへと全力で注いでいる。 幾ら年端のいかぬニナといえども、カトレアが心からか笑っていないという事は看破しているようだ。 とうとう冷や汗すら流しつつも、「お、おねーちゃん…?」と恐る恐るではあるが勇敢にも話しかけたのである。 返事は意外な程早かった、というよりも…ニナが口を開くのを待っていたかのように彼女は口を開く。 「あらあら、ちょっと大変な事になっちゃったわねぇ。まさか動物たちが入ってきてしまうなんて…… 今の時間は侍女さんたちがキッチンで料理の下準備をするから閉めていたというのに、おかしいわねぇ?」 わざとらしく小首を傾げながらそう言うカトレアに、ニナは「うん、うん!そ…そうだよ!」と必死に頷いている。 薄らと瞼を開けたカトレアの目は明らかに笑っておらず、ただジッと首歩を縦に振るニナを見つめているだけだ。 それを横から見ていたルイズは口出しする事など出来るワケもなく、ただジッと見守るほかない。 もはやニナに逃げる術などなく、どうしようもない袋小路に追い込まれた所で、カトレアは更に言葉を続ける。 「まぁ鍵は掛けていなかったし、中庭で遊んでいた貴女が゙うっかり開けっ放じにしたままだったら、あるいは…」 「え…へ?え、えぇ!?わ、私が…に、ニナちゃんと閉めたよぉ~?何でそんな事を―――」 いきなり確信を突かれたことに対して、咄嗟に誤魔化そうとしたニナであったが、 何も言わず、彼女の眼前まで顔を近づけたカトレアによって有無を言わさず沈黙してしまった。 この時ルイズは見ていた、カトレアの顔は常に笑っていたのを。 いつも見せる笑顔とは明らかに違う感情の籠っていない笑みに、流石のニナも狼狽えているようだ。 そんな彼女を畳み掛けるように、ニナの眼前に顔を近づけたままカトレアは質問した。 「ニナ」 「は…はい?」 「貴女よね?クローバー私に見せたいと思って、ドアを閉めずに屋内へ入ったのは?」 「……………はい」 ――――普段から怒らない人間が怒る時こそ、最も恐ろしい。 以前読んだ事のある本にそんな言葉が書かれていた事を思い出しつつ、ルイズもまた恐怖していた。 あんな感情の無い笑みを浮かべられて近づかれたら、そりゃコワイに決まっている。 始めてみるであろうかなり本気で怒っている(?)カトレアの姿を見ながら、ルイズは思った。 霊夢は思っていた。この世界の運命を司っているであろうヤツは、超が付くほどの性悪だと。 前から薄々と思っていたのだが、何故かこのタイミングで出会う事となったハクレイの姿を見てその思いをより強くしていく、 確かに彼女の事も探してはいたのだが、今は彼女よりも他に探すべきものが沢山あるという時に限って姿を現したのだ。 まるで朝飯に頼んだ目玉焼きが何時までたっても来ず、夕食の時に今更その目玉焼きが食卓に並んだ時の様な複雑な心境。 目玉焼きは欲しかったが、わざわざ夜中に食べたい料理ではないというのに…と言いたげなもどかしさ。 それは今、自分の目の前に姿を現したハクレイにも同じことが言えるだろう。 探している時には全く姿を現さなかった癖に、何故か探してもいない時には自ら姿を現してくる。 「全く、どうしてこういう時に限ってホイホイ出てくるのかしらねぇ…?」 「それを他人に面と向かって言うのって、結構勇気がいるんじゃないの?」 そんな複雑の心境の中で、更にジンジンと痛む頭に悩まされながらも霊夢はハクレイに向かって喋りかけた。 対するハクレイも、汗水垂れる額を袖で拭いつつ、売り言葉に買い言葉な返事を送る。 炎天下が続く王都の一角で、双方共に予期せぬ出会いを果たした事をあまり快く思ってないらしい。 霊夢はハクレイを見上げ、ハクレイは霊夢を見下ろす形で互いに睨み合っている。 しかし…下手すれば、街のど真ん中で戦闘が起こるのか?と言われれば、唯一の傍観者であるデルフはノーと答えただろう。 一見睨み合っている二人ではあるが、互いに敵意を抱くどころか身構えてすらいない。 霊夢もハクレイも、予期せぬ邂逅を果たしたが故に単なる睨み合いをしているだけに過ぎないのである。 そしてその最中、霊夢は改めて相手の服装をじっくりかつ入念に眺め、調べていた。 ――――こうして改めて見てみると何というか、…飾り気が無さすぎで渋すぎるわね… 自分のそれとよく似たデザインの巫女服を見つめながら、霊夢はそんな感想を抱いてしまう。 今自分が着ている巫女服を簡易的にデザインし直した感じ、良く言えばスッキリしているが、悪く言えば作り易い安直なデザインである。 余計な装飾はついておらず、戦闘の際に破損しても直しやすいだろうし追加の服も安価で発注できるだろう。 ただ、霊夢本人の感想としては「悪くは無いが、酷く単純」という余り良いとは言えない評価を勝手に下していた。 何せアンダーウェアの上から直接スカートと服を着ているだけなのである、シンプルisベストにも程がある。 (いや、妖怪退治をするっていうならそういうデザインで良いんでしょうけど…私は着たくないわね。特にアンダーウェアとかは) 下手すれば水着にも見て取れる彼女の黒いアンダーウェアをチラチラ見ながら、そんな事を考えていた。 ―――――何というか、地味に華やかね… 一方で、ハクレイもまた霊夢の服装を見てそんな感想を心の中で抱いていた。 自分とは対称的な雰囲気を放つ彼女の巫女服は、年頃の女の子が程よく好きそうな飾り気を放っている。 スカートや服の小さなフリルや黄色いタイに頭のリボンが目立つその服と比べてみれば、いかに自分の服が地味なのか思い知らされてしまう。 とはいっても別に羨ましいと感じることは無く、むしろ『良くそんな服で戦えたわねぇ…』と霊夢本人が聞いたら憤慨しそうな事を思っていた。 ただしそれは侮蔑ではなく感心であり、殴る蹴るしかできなかった自分とは全く別のスマートな戦い方をしていた事は理解している。 飛んだり飛び道具を投げたりするような戦い方であれば、あぁいう服でも戦闘に支障をきたさないのは容易に想像できる。 でも自分も着たいかと言われれば、正直あまり好みではないと言いたくなるデザインだ。 (私にフリルなんて合いそうにないのよねぇ?まぁコイツみたいに小さい子なら似合うんだろうけど…結構、涼しそうだわ) 夏場にはイヤにキツいアンダーウェアに窮屈さを覚えつつ、ハクレイは霊夢の服を見てそんな事を考えている。 もしも、ここに心を読む程度の能力の持ち主がいれば、きっと二人の心の中を読んで苦笑いを浮かべていたであろう。 こんな炎天下の中で極々自然に出くわし、そのまま互いを睨み付けつつ勝手に服の品評会を始める始末。 二人してこの暑さで頭がやられたのかと疑いたくなるようなにらみ合いは、しかし他人が見ればそうは思わないだろう。 『…あ~お二人さん、睨み合うのは良いが…せめてもうちっと涼しい場所で睨み合おうや』 その他人…というか霊夢が背負うデルフも、流石に心の内側まで読めないらしい。 馬鹿みたいに暑い通りのど真ん中でにらみ合い続ける二人に、大丈夫かと言う感じで声を掛ける。 「…ん?あぁ、そういえば…ったく!せっかく涼んだっていうのに台無しになっちゃったじゃないの…!?」 「…?なんで私の所為になるのかしら」 『そりゃそうだな。こんなに暑けりゃどんなに涼んでも外にいるなら変わらんよ』 この呼びかけが功をなしたのか、それまで黙ってハクレイをにらみ続けていた霊夢がハっと我に返る。 そしてついさっき井戸の水で涼んできた体が再び汗まみれになっているのに気が付いて、ついついハクレイに毒づいてしまう。 傍から見れば勝手に汗だくになった霊夢が同じ汗だく状態のハクレイに理不尽な怒りを巻き散らしているだけに過ぎない。 現にハクレイは一方的に怒られる理不尽に違和感を感じる他なく、流石のデルフもここは彼女の肩を持つほかなかった。 ――――結局のところ、真夏の太陽照り付ける通りで突っ立っていたのが悪い…という他ないだろう。 不意の対面とはいえ、せめて太陽の光が直接入らない通りで出会っていたのならばまた結果は違っていたであろう。 霊夢としても後々考えれば場所を変えればいいと思ったが、汗だくになってしまった後で考えても後の祭りというヤツだ。 せめて次はこうならないようにと気を付けつつ、またさっきの場所へ戻って汗を引かせるしかないであろう。 対して彼女よりも前に汗だくになっていたハクレイは、元々涼める場所を探していた最中であった。 …と、なれば。二人の足が行き着く場所は自然とさっきの井戸広場なのである。 『―――――…で、結局さっきの井戸広場へとUターンってワケかい』 霊夢に担がれて、何も言わずにあの井戸がある小さな広場へともどってきたデルフは一言だけ呟く。 その呟きには明らかに呆れの色がにじみ出ていたが、当の霊夢はそれを聞き流してまたもや地下の冷水でホッと一息ついていた。 「はぁ~…。やっぱり水が冷たいモンだから、癖になりそうだわ~」 「確かにそうよね、こんな街のど真ん中でこんな良い水が飲めるなんてね…ンッ」 そんな事をつぶやき続ける霊夢から少し離れたベンチに座っているハクレイも、同意するかのように頷いて見せる。 ついでその両手に持っていた井戸用の桶を口元へ持って行き、中に入った水を飲んで暑くなっていた体の中を冷やしていく。 地上とは温度差が大きすぎる地下水道の水はとても冷たく、ひんやりとしている。 それを口に入れて飲んでいくと、たちまちの内に火照っていた喉がその温度をさげていく。 「――…プハァッ!…ふぅ、確かに生き返るわね」 「でしょ?まさに砂漠の中のオアシスって感じよねぇ~」 ま、砂漠なんて見たことないんだけどね。すっかり上機嫌な霊夢も井戸桶で水をぐびぐびと飲んでいく。 そこら辺の酒場の大ジョッキよりも一回り大きい桶の中に入った水は、少女の小さな体の中へとどんどん入っていく。。 ハクレイはともかくとして、あの霊夢でさえ苦も無く桶いっぱいに入った水を飲み干そうとしている。 『一体あの小さな体のどこに、あれだけの量の水が入るっていうんだよ…』 彼女のそばに立てかけられたデルフはいくら暑いからと言って飲みすぎな霊夢の姿に、戦慄が走ってしまう。 そんな事を他所に、中の水を飲み干した霊夢はホッと一息ついてから桶を足元へと置いた。 暑さから来る怒りでどうにかなりそうだった霊夢は、冷静さを取り戻した状態でハクレイへと話しかける。 「そういえば…なんであんな所にアンタまでいたのよ?」 「…?別に私があそこにいても良いような気がするけど…ま、教えても別に困ることはないか」 炎天下で出会ったときとは違い大人し気な霊夢からの質問に対し、ハクレイは素直に答えることにした。 そこへすかさずデルフも『おっ、ちょっとは面白い話が聞けるかな?』という言葉を無視しつつ、あそこにいた理由を喋って行く。 少し前に、一人の女の子にカトレアから貰ったお金を盗まれてそのまま返してもらって無いという事、 カトレアは別に大丈夫と言っていたがこのままでは申し訳が立たず、何としても見つけて返してもらう為に街中を探し回っている事、 かれこれ今日に至るまで探しているが一向に見つからず、挙句の果てに朝からの炎天下で参っていた所だったらしい。 「…で、そんな時に私と鉢合わせてしまっちゃった、ということなのね?」 壁に背中を預けて聞いていた霊夢が最後に一言述べると、ハクレイはそうよとだけ返した。 最後まで話を聞いていた霊夢であったが、正直言いたいことがたくさんありすぎて頭をついつい頭を抱えてしまう。 そういえば財布を盗まれたあの晩に空中衝突してしまったが、偶然……と呼ぶにはあまりにも奇遇すぎる。 (まさか向こうも金を盗まれていたなんて、何もそこまで同じじゃなくたって良いんじゃないの?) この世界の運命を司る神を小一時間ほど問い詰めたい衝動にかられつつも、霊夢はこれが運命の悪戯なのかと実感する。 このハルケギニアという異世界で、財布を盗まれた巫女姿の女同士がこうして顔を合わせる事など天文学的確率…というものなのであろう。 流石に盗んだ相手の性別は違うものの、そんな違いなど些細な事に違いはない。 デルフもデルフでこの偶然には驚いているのか、何も言わずにただジッとしている。 頭を抱えて悩む霊夢の姿に、「どうしたの?大丈夫?」という天然気味な心配を掛けてくれるハクレイ。 そんな彼女を他所に一人顔を挙げた霊夢は大きなため息を一つついてから、心配してくれる彼女のほうへと顔を向けた 「…まぁ、アンタの苦労もなんとなく理解できたわ。ま、お互いここでお別れだけど…精々捕まえられるよう祈っておくわ」 「一応、礼を言うべきなのかしらね?…あっ、でもちょっと…待ちなさい」 巫女のくせにそんな事を言ってその場を後にしようとした所、軽く手を上げて見送ろうとしたハクレイが霊夢を止めた。 ちょうどデルフを背中に戻したところであった彼女は、何か言いたい事があるのかとハクレイのいる方へと顔を向ける。 「ん?何よ、何か言いたいことでもあるワケ?」 「怪訝な表情浮かべてるところ悪いけど、まぁあるわね。…なんでアンタは人にだけ喋らせといて自分はとっと逃げようとしてるのかしら?」 「……あっ、そうか。……っていうか、喋る必要はあるのかしら?」 「いや、普通に不公平だっての」 『まー、普通に考えればそうだよなぁ~』 ハクレイの言葉に霊夢は目を丸くしてそんなことを言い、ハクレイがそれに容赦ない突っ込みを入れる。 そんな二人のやりとりを見て、デルフは暢気に呟くしかなかった。 「……とまあ、そんなこんなで私は色々と忙しい身なのよ」 その言葉で霊夢が説明を終えたとき、井戸のある広場には決しては多くはないが何人もの人々が足を運んでいた。 専業主婦であろうか女性がその大半をしめていたが、その中に紛れ込むようにして男性の姿も見える。 ほとんどの者は水を汲みに来たのだろう、井戸のそれよりも一回り小さい桶を持ってきている者が何人かいた。 彼らは井戸の隣で話し込む霊夢たちを横目に井戸から水を汲んで、自分の家の桶に入れていく。 桶の大きさからして近所に住む人々なのだろう、何人かが見慣れない少女たちの姿を不思議そうに見つめている。 中には日の当たらぬところで子供たちが地面や壁に落書きをしたり、談笑に花を咲かせている主婦たちの姿も見えた。 それはこの一角に住む人たちにとって何の変哲もないあり触れた日常の光景で、こんな夏真っ盛りにもかかわらずそれは変わらない。 ただし、今日は霊夢たちが先にいた為か何人かの市民がチラリチラリと見やりながら談笑していた。 周囲から注がれる視線に霊夢が顔をしかめようとした時、それまで黙って聞いていたハクレイが口を開いた。 「なるほどね。アンタもアンタでいろいろ忙しそうね」 「……え?まぁね、一つ問題を解決しようとする所で放っておけない事が起きるんだから堪らないわよ」 ややワンテンポ遅れているかのようなハクレイの言葉に霊夢はため息をつきながら返す。 実際、お金を盗まれた件よりも地下に潜伏しているであろう謎の相手をどうするかが最優先事項となってしまっている。 下手すれば、劇場で死んだあの下級貴族と同じような殺され方で命を落とす人々が出てくるかもしれない。 その為にも唯一の手掛かりがあるであろう地下に潜ってできる限り情報を探り、最悪見つけ出して倒さなければいけない。 だが運命というヤツは今日の彼女にはより一層厳しいのか、一向に地下へ潜れるチャンスというものに恵まれないのである。 「なんでか知らないけど警備は厳しくなってるわ、外は暑いわで……正直イヤになりそうだわ」 『今お前さんの今日一日の運勢を占い師に見せたら、きっと最悪って言われるぜ』 前途多難にも程がある現状に頭を抱えたくなった霊夢に追い打ちをかけるかのように、デルフが刀身を震わせながら言う。 それが癪に障ったのか彼女は「ちょっと黙ってて」と言いつつデルフを無理やり鞘に納めると、それを背中に担いですっと腰を上げた。 「…と、いうことで私は地下に潜れる所を探さないといけないからここらでお別れにしましょうか」 ――いい加減、ジリジリと微かに痛むその頭痛ともおさらばしたいしね。 その一言は心の中で呟きつつその場を後にしようとした霊夢は、ハクレイの「ちょっと待ちなさい」という言葉に煩わしそうに振り返る。 「まさかと思うけど、その変にお喋りな剣だけと一緒に探すつもり?」 「……それ以外誰がいるっていうのよ。まぁ手伝ってはくれそうにないけど、丁度いい話し相手にはなるんじゃない?」 『ひでぇ。剣だから喋る事と武器になる事以外役に立たないのは事実だが……それでもひでぇ』 霊夢とハクレイの双方からボロクソに言われたデルフは、悔しさの為か鞘に収まった刀身をカタカタと震わせている。 そんな彼に対して霊夢は「動くなっての!」と怒鳴ったが、ハクレイは逆に興味がわいたのかデルフの傍へと近寄っていく。 「……それにしても、意思を持っている剣とはねぇ。アンタ、寿命とかあるのかしら」 『?……いんや、オレっちのようなインテリジェンスソードは寿命とかは無いね。だから一度生まれれば後は戦い続けるんだよ』 ――『退屈』という悪魔との戦いをな。いきなり質問してきた彼女に軽く驚きつつも、やや気取った感じでそう答える。 それに対してハクレイは「へぇ~?」と興味深げな表情を浮かべて、何の気なしにデルフへと手を伸ばしていく。 一方で霊夢は「ちょっとぉ~人の背中で何してるのよ?」と明らかに迷惑そうな表情を浮かべている。 しかし、そんな霊夢の言葉が聞こえていないかのようにハクレイはスッと撫でるようにして、優しくデルフの鞘へと触れた。 ――その直後であった。彼女とデルフの間に、霊夢でさえ予想しきれなかった事態が起こったのは。 ハクレイの人差し指が最初にデルフの鞘に触れ、そのまま中指、薬指も鞘へと触れた直後、 ――――バチンッ!…という音と共に、デルフの鞘と彼女の指の間で青い電気が走ったのである。 「――――……ッッ!?」 『ウォオッ!?』 突然の事に驚愕の声を上げつつもハクレイは咄嗟に後ろへと下がり、デルフは驚きのあまり鞘から飛び出してしまう。 まるで黒ひげ危機一髪ゲームの黒ひげのように飛び出た剣は、幸いにも地面へと突き刺さった。 対してハクレイは余程ビックリしたのか、数歩後ずさった所でそのまま尻餅をついてしまっている。 周りにいた人々は突然の音と稲妻を見て何だ何だとざわつきながら、霊夢たちの方へと一斉に視線を向けていく。 そして唯一二人と一本の中で無事であった霊夢は、状況の把握に一瞬の遅れが生じていた。 無理もない、なんせ急に刺激的な音が聞こえたかと思えば、鞘から飛び出したデルフがすぐ近くの地面に刺さっていたのだから。 「――――……っえ?…………何?何なの?」 目を丸くし、キョトンとした表情を浮かべた彼女は一人呟いてから、ハッとした表情を浮かべてデルフへと走り寄る。 ようやく状況を把握できたらしい彼女はすぐにデルフを地面に引き抜くと、何も言わない彼へと何が起こったのか聞こうとした。 「ちょっとデルフ、今の何よ……っていうか、何が起こったの?」 『……』 「デルフ?……ちょっとアンタ、こんな時に黙ってたら意味ないでしょうがッ!」 霊夢の問いかけに対して、デルフは答えない。あのデルフリンガー、がだ。 いつもなら何かあれば鞘から刀身を出して喋りまくるあのデルフが、ウンともスンとも言わなくなったのである。 まるでただの剣になってしまったかのように、彼女の呼びかけに応じないのだ。 ついさっき、何かが起こったというのにそれを知っているデルフは黙っている。 自分が知りたい事を知らせない、それが癪に障ったのか霊夢は苛立ちつつもデルフに向かって叫んでしまう。 「アンタねぇ……いっつも余計な所で喋ってるくせに、こういう肝心な時に黙ってるてのはどういう了見よ!?」 デルフの事を知らない人間が見れば、暑さで頭をやられた異国情緒漂う少女が剣に向かって叫んでいる光景はハッキリ言って異常だ。 現に周りにいた人々はその視線を霊夢へと向き直しており、何人かが自分の頭を指さしながら友人や家族と見合っている。 中には「衛士に通報した方がいいんじゃない?」とか言っていたりと、状況的にはかなり不味いことになり始めていく。 それを察したのか、はたまた本当に今の今まで気を失っていたのか……金属質なダミ声がその剣から発せられた。 『――…あー、何か…何が起きた?』 耳障りな男のダミ声が剣から聞こえてきたのに気が付いた人々は驚き、おぉっと声を上げてしまう。 何人かが「インテリジェンスソードだったのか…!」と珍しい物を見つけたかのような反応を見せている。 そしてそのデルフを持っていた霊夢はハッとした表情を浮かべると、怒った表情のままデルフへと話しかけた。 「……ッ!デルフ、この野郎!やっと目を覚ましたわね!?」 『あ~……いや、別に気絶してたワケじゃないんだが……まーとりあえず、落ち着こうな……――な?』 いつもとは違い、口代わりの金具をゆっくりと動かしながらしゃべるデルフに霊夢はホッと安堵する。 だがそれも一瞬で、デルフの言葉でようやく周囲の視線に気が付いた彼女は、軽く咳払いした後に急いで彼を鞘に戻す。 鞘に戻した後で、改めて咳ばらいをした彼女は今度は落ち着き払った様子で早速刀身を出した彼へと質問をぶつけてみる。 「一体全体、急にどうしたのよ?なんかバチンって凄い音がアンタから出て、気づいたら鞘から飛び出てたし…」 「……んぅ、オレっちにも何が起こったのかさっぱりで……それより、ハクレイのヤツは大丈夫なのか?」 質問に答えてくれたデルフの言葉に霊夢も「そういえば……」と思い出しつつ背後を振り返ってみる。 するとそこには、少なくない人に周りを囲まれているあの女性が立ち上がろうとしている所であった。。 どうやら彼女はあの音の正体を間近で見ていたのか、今だショックが抜けきってないような表情を浮かべている。 周りの人たちはそんな彼女を気遣ってか「大丈夫かい?」などと優しい心配をかけてくれていた。 対するハクレイはそれに一言のお礼を返すことなく立ち上がったところでふと感づいたのか、霊夢はスッと傍へ走り寄る。 この時デルフは彼女にも大丈夫?どうしたの?って言葉を掛けるのかと思っていたのだが…。 そんな彼の予想を真っ向から打ち破るような言葉を、霊夢は真っ先に口にしたのである。 「ちょっとアンタ、コイツに何か細工でもしようとしてたんじゃないの?」 「え?………細工、ですって?」 てっきり大丈夫か?何て一言を期待していたワケではなかったが、今のハクレイの耳にはやや棘のある言葉であった。 まぁでも、確かに持っていた本人がそう思うのも無理はないだろうと理解しつつ、どんな言葉で返せばいいのか悩んでしまう。 こういう時は咄嗟に反論するべきなのだろうが、はてさてそれでこの場が丸く収まるかどうか……。 明らかに自分に非があると疑っている霊夢を前にして、ひとまずハクレイが口を開こうとするより先に、デルフが霊夢を窘めようとする。 『まぁまぁレイム、落ち着けって。別段オレっちは何処も弄られてなんかいやしないぜ?』 「デルフ?でもアンタ、それじゃあ何で勝手に鞘から飛び出したりしたのよ」 『え?あ~……いや、その……それはオレっちにも説明しにくいというか……何が起こったのかサッパリなんだよ』 ハクレイを庇おうとするデルフは、霊夢からのカウンターと言わんばかりの質問にどう答えていいか悩んでしまう。 彼自身、今起こった事を何と答えて良いのか分からいのか珍しく言葉を濁してしまっている。 霊夢も霊夢で、そんなデルフを見てやはり「何かがある」と察したのか、ハクレイへと詰め寄っていく。 「やっばり……アンタが何かしでかしたんじゃないのかしら?ん?」 「わ、私は別に何も……っていうか、アンタの言い方って明らかに私がやってる前提で言ってるでしょ?」 「何よ、なんか文句でもあるワケ?」 「大ありよ!」 ジト目で睨みつけながら訊いてくる霊夢に顔を顰めつつも、ハクレイはひとまず自分は何もしていないということをアピールする。 それに対してすっかりハクレイが怪しいと思っている霊夢は、強硬な態度を見せる相手に対してムッとしてしまう。 ハクレイもハクレイで負けておらず、尚も自分がデルフに何かをしたのだと疑っている霊夢を睨み返している。 たったの一瞬、奇妙な出来事が起こっただけで緊迫状態に包まれた広場に緊張感が伝染していく。 正に一触即発とはこの事か。彼女たちの周りにいる人々がいつ爆発してもおかしくない睨み合いから距離を取ろうとしたその時……。 その勝気な瞳でハクレイを見上げ睨んでいた霊夢の背中から、デルフの怒号が響き渡ったのである。 『だぁーッ!待て、待て二人とも!こんな長閑な所で決闘開始五秒前の空気なんか漂わせんじゃねぇ!』 まるで夕立の落雷のように、耳に残るダミ声の怒号に霊夢やハクレイはおろか他の人々も皆一斉に驚いてしまう。 特に彼を背負っている霊夢には結構効いているのか、目を丸く見開いて驚いている。 ハクレイも先ほどまで霊夢を睨んでいた時の気配はどこへやら、目を丸くしてデルフを見つめている。 さっきまで険悪な雰囲気に包まれていた二人の警戒心が上手く吹き飛んだのを見て、デルフは内心ホッと安堵した。 (――ダメ元で叫んでみたが……どうやら、上手くいったようだな) 周囲の視線が自分に集まってしまったのは仕方がないとして、デルフは霊夢へと話しかけていく。 「まぁ落ち着けよレイム。意味が分からないのは分かるが、それはオレっちやハクレイだって同じことさ」 「んぅ~ん。何かイマイチ納得できないけど、まぁアンタがそこまで言うんなら、そうなのかもね」 まだハクレイが何かしたのだと疑っている様な表情であったが、何とか説得には成功したらしい。 先ほどまでの険悪な雰囲気を引っ込めた霊夢に、デルフは一息ついて安堵する。 ハクレイもまた喧嘩寸前の所を止めてくれたデルフに内心礼を述べていた。 その後、二人と一本は騒然とする広場を後にして表通りへと続く場所へと姿を移していた。 理由はただ一つ、互いに探しているモノを探しに行く前に、別れの挨拶を済ませる為である。 先ほどいた広場でしても良かったのだが、色々とひと騒動を起こしてしまったせいで人の目を集めすぎた。 だから変に居心地の悪くなったそこから場所を変えて、丁度表通りとつながる横道で別れる事となったのである。 「――じゃ、アンタとはここでお別れね」 デルフを背負った霊夢は背中を壁に預けた姿勢のまま、前にいるハクレイに別れを告げる。 大勢の人が行き交う表通りを見つめているハクレイもその言葉に後ろを振り向き、小さく右手を上げながら言葉を返す。 「そのようね。ま、何処かで再会しそうな気はするけど」 「……何か冗談抜きでそうなりそうだから言わないでくれる?」 「そこまで本気っぽく言われるとちょっと傷つくわねぇ」 おそらく、そう遠くないうちにそうなりそうな気がした霊夢は嫌そうな苦笑いを浮かべて肩を竦めてみせる。 彼女がルイズの姉の傍にいる内は、最悪明日にでもまた顔を合わせる事になるだろう。 『まぁまぁ良いじゃねぇか。少なくとも敵じゃねぇんだから、仲良くしとくに越したことはないぜ』 本気かどうか分からない霊夢に対し、苦笑いを浮かべるしかないハクレイを見てデルフがスッと口を開いた。 彼自身、言った後で少しお節介が過ぎたかと思ったが、同じくそれを理解していたであろう霊夢が「それは分かってるわよ」と返す。 「まぁ何やかんやで助けてくれた事もあるから一応は信用してるけど、記憶喪失や名前の事も含めてまだまだ不安材料も多いしね」 「そこを突かれるとちょっと痛くなるわねぇ。相変わらず記憶は戻らないし、しかもアンタも゛ハクレイ゛だなんてねぇ」 彼女の言う不安材料がそう一日や二日で解決できるものではない事を理解しつつ、ハクレイもまた肩を竦めて言う。 唯一今回の接触で分かった事と言えば彼女――霊夢の上の名前が自分と同じ゛ハクレイ゛であったという事だけである。 しかしそれで何かが解決するという事も無く、じゃあ私はその少女と同じ゛ハクレイ゛の巫女なのか……という確証までは得られなかった。 霊夢自身も自分より前の代の巫女のことなど知らないので、彼女が博麗の巫女なのかという謎を抱えることになってしまっている。 とはいえ、髪の色はともかく服装からして、間違いなくこことは違う世界から来た人間だという事は容易に想像できる。 (少なくともこの世界の人間じゃないだろうけど……やっぱり藍の言ってた先代の巫女……って彼女なのかしら?) 以前街中で紫の式が話してくれた先代博麗の巫女の事を思い出した霊夢は、しかしそれを否定する。 (ま、どうでもいいわよね?仮にそうだとしてもそれが何だって話だし、それに本人が記憶喪失だからすぐに分かる事じゃないから……) ――まーた厄介事が一つ増えちゃっただけなんだしね。心の内で一人ため息をつきながらも、霊夢はハクレイの方を見据えながら喋る。 「まぁアンタの事は追々調べるとして、アンタもアンタでせめて自分が博麗の巫女なのかどうか調べておきなさいよ」 「あんまりそういうのに期待して欲しくないけど……まぁ私も調べられる範囲で調べて……――――ん?」 変にプレッシャーを掛けてくる霊夢からの無茶ぶりに苦笑いを浮かべていたハクレイは、ふと背後からの違和感に怪訝な表情を浮かべる。 一体何なのかと後ろを振り向いてみると、そこには自分のスカートを指で引っ張っている少女の姿があった。 最初はどこの子なのかと思ったハクレイであったが、その容姿と顔が目に入った瞬間に゛あの時の事゛を思い出す。 今こうして霊夢と出会い、炎天下の中このだだっ広い王都を歩く羽目となり、ニナに水浸しの雑巾を顔に当てられた元凶となった、少女の姿を。 「貴女――……ッ!」 「え?何?どうしたのよ……って、あぁ!」 全てを思い出し、目を見開いたハクレイの姿に霊夢もまた少女の姿を見て声を上げる。 彼女もまた少女の姿に見覚えがあったのだ。あの時、自分に屈辱を与えた少年を兄と呼んでいた、その少女の事を。 霊夢が声を上げると同時に少女も声を張り上げて言った。今すぐ逃げ出したい衝動を抑えつつも、彼女は二人の゛ハクレイ゛に助けの声を上げたのだ。 「あの、あの……ッ!お金、盗んだお金を返すから……私の――――私のお兄ちゃんを助けてくださいッ!」 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん トリスタニアのローウェル区に、その倉庫街は存在している。 巨大な四棟の倉庫と、そこを囲うようにして建てられている古めかしい住宅街だけの寂しい場所。 住宅街には主に日雇いや工房の使い走りに、王都の清掃会社に勤めている人々等が利用している。 丁度ブルドンネ街とチクトンネ街に挟まれるよう位置にあるが、この時期に増える観光客は滅多にここを通らない。 ガイドブックなどに治安があまり良くないと書かれている事が原因であったが、主な原因は倉庫の周辺にあった。 一本道を挟み込むようにして左右に四棟ずつ建設されている倉庫は、王都の商会や大貴族などが利用している。 彼らは主に家に置ききれない財産や商売道具などをここで保管しており、当然それを警備する者たちがいる。 しかし彼らはちゃんととした教育を受けた警備員ではなく、金さえ詰めば喜んでクライアントの為に戦う傭兵たちであった。 粗末な鎧や胸当てを身を着けて、槍や剣で武装して倉庫周辺をうろつく彼らの姿はそこら辺のチンピラよりもおっかない。 トリステイン政府直属の警備員を雇う代金が高い為、少しでも倉庫の維持費を浮かせる為の措置である。 傭兵たちも相手が権力のある連中だと理解している為、倉庫から財宝をくすねよう等と考えて実行に移す者はまずいない。 クライアント側も仕事に見合うだけの給料をしっかりと渡しているため、互いに良好な関係をひとまず築けているようだ。 しかしその傭兵たちに倉庫街全体を包む程の寂れた雰囲気が、この地区を人気のない場所へと変えていた。 今では観光客はおろか、別の地区に住んでいる人々も――特に子連れの親は――ここを通らないようにしている程だ。 多くの人で賑わう華やかな王都の中では、旧市街地や地下空間に匹敵するほどの異質な空間となっていた。 そんな人気のないローウェル区の一角を、ルイズ達四人の少女が歩いていた。 「ここがローウェル通り、名前だけは知ってた分こんなに静かな場所だなんて思ってもみなかったわ」 『確かに、別の所なんかだと多少の差はあれどここまで寂れてはいなかったしな』 通りに建ち並ぶ飾り気のないアパルトメントを見上げながら、先頭を行くルイズは半ば興味深そうに足を進めていく。 その人気の無さには、デルフもそれに同意の言葉を出すほどであった。 彼女らの中では最年少であるリィリアは、今までいた場所とあまりにも違うの人気の無さを五感で体感しているのかしきりに辺りを見回している。 通りそのものはしっかり掃除されているものの、一帯に住む人々は家の中にいるのか外には殆ど人がいない。 偶に何人か見かける事はあったが大抵はここを通り慣れている別地区からの通行人で、自分たちの横を素知らぬ顔で通り過ぎていくだけ。 散歩どころか水撒きする者もいない通りは、汗が出るほど暑いというのにどこか不気味であった。 ここに来るまで、ブルドンネ街の通りから幾つかの道を曲がり、五つ以上の階段と坂を上り、三本以上の橋を渡ってきた。 たったそれだけで、つい少し前までいたブルドンネ街とは正反対に静かすぎる場所へとたどり着けてしまう。 同じ土地にある街の中だというのに、まるで異国に来てしまったかのような違和感を感じる人もいるかもしれない。 しかし看板や標識を見れば、否が応でもここがトリスタニアの一角であると分かってしまう。 明確に人の住んでいない旧市街地とは違い、家の中から出ずに姿を現さない住民たち。 もはや異国というよりも、人のいない裏世界へと迷い込んでしまったかのような静けさが通り全体を包んでいた。 「しっかし、ここって本当人気が無いわねぇ。なんでこんなに静かなのよ?」 自分の隣を歩く霊夢の呟きが自分に向けて言われた事だと気づいたルイズは、すぐさま脳内の箪笥からその知識だけを取り出して見せる。 「う~ん……確かここら辺は、街の清掃会社とか家具工房で雑用とか……所謂出稼ぎ労働者が大半だったような気がするわ」 「出稼ぎ労働者……ねぇ。私からしてみれば、わざわざこんな暑くて人だらけな街へ働きに行く事なんて考えられないわね」 「しょうがないでしょう。地方で稼げる仕事なんて、それこそ指で数える必要がないくらい少ないのよ」 出稼ぎする、もしくはせざるを得ない者達の気持ちを理解できない霊夢に対し、ルイズは苦々しい表情を浮かべて言葉を返す。 今のご時世、農業や地方の仕事で食べていける場所ならまだしもそれすらままならない地方もあるにはある。 もちろん数は少ないが、不作や自然災害などで作物の収穫が減ってしまった土地がハルケギニア全体で増えつつあるのだ。 その為に仕事が減り、仕事が減ってしまったが為に手に入る賃金も減り、その日の食事にすら困窮してしまう。 トリステインをはじめ、名のある国々はその点まだマシと言えるだろう。 一番酷いのは、ガリアやゲルマニアからある程度の独立を許された第三世界の小国などは文字通り悲惨な事になってしまう。 中途半端に独立してしまったが故にまともな援助を受けられず、ちょっとした天災で大飢饉が起こってしまう事など珍しくもない。 飢饉や大災害が起これば瞬く間に暴動が起こり、結果的にはその小国を収める一族郎党が制裁の名の元に晒し首にされてしまう。 独立を認可した大国がおっとり刀で正規軍を出す頃には、小国そのものが瓦解した後で残っているのは暴徒と化した連中のみ。 まともな人々は争いを逃れる為に家族や恋人を連れて国を逃げ出し、流浪の民として通れもしない国境周辺を彷徨うしかない。 難民を受け入れているロマリアへ行けるならまだ良い方で、大抵の難民は何処へも行けず山の中で獣や亜人の餌になってしまう。 酷い場合はゲルマニアやガリアの国境地帯に埋設された地雷で吹き飛ばされたり、遠距離狙撃仕様のボウガンの的になる事もある。 だからこそ、出稼ぎ労働で故郷に送金できるトリステインなどの名のある国々はマシなのである。 パスポートを持っていても、出国する事すらままならない様な名もなき国があるのだから。 「確か倉庫があるのは、あぁ……あっちの角を曲がった先だわ」 暫し人気のない地区を五分ほど歩いたところで、ルイズは道の角に建てられている標識を見上げて呟く。 彼女の言葉についてきていた霊夢たちも足を止めて見上げてみると、二メイル程ある細い柱の上に看板が取り付けられているのに気が付いた。 当然霊夢とハクレイの二人には何が書かれているのか分からなかったが、文字が読めない人が見ることも想定しているのか、 文字の上にしっかりと倉庫らしき建物の絵が描かれており、一目で倉庫が曲がり角の先にあると分かるようになっていた。 先に気が付いたルイズはすっと曲がり角から頭だけを出してのぞいてみると、ウンウンと一人頷きながら霊夢たちに見たものを伝える。 「確かに倉庫があるけど、正面突破は無理そうねぇ」 「え?……あぁ、確かにそうね」 納得したようなルイズの言葉に怪訝な表情を浮かべた霊夢も、ルイズと同じように曲がり角の先を見て……頷く。 標識通り、確かに曲がり角の先には砂浜に打ち上げられ鯨と見紛うばかりの倉庫が見ている。 しかしその倉庫へ近づく為の道路には大きな鉄の扉が設置され、更に武装した傭兵たち数人が屯している。 肌の色も装備も違う彼らは武器を片手に談笑しており、時折反対側の手に持った酒瓶を口につけては昼間から酒を楽しんでいる。 街で見かける衛士達と比べてだらしないところはあるものの、酒を嗜みつつも決して自分達に与えられた任務をサボってはいない。 ルイズの言う通り、彼らに軽く挨拶をしてワケを話しても通してはくれなさそうだ。 強行突破すればいけない事も無いだろうが、大きな騒ぎに発展しまう恐れがある。 「相手が人間じゃないなら、全治数か月レベルのケガさせても平気なんだけどなぁ」 「コラ、何恐い事言ってるのよ」 思わず口に出してしまった内心をルイズに咎められつつも、霊夢は「でも……」とハクレイの方へと顔を向けた。 その向けてきた顔にすぐに彼女の言いたい事を察したハクレイは、コクリと頷いてから口を開く。 「ちょうど倉庫の隣に隣接してる通りにアパルトメントがあるから、私ならそっから飛び移れるかもしれないわ」 毅然とした表情でそう言う彼女の後ろで、リィリアは怯えた表情を浮かべていた。 ひとまず一行はその場を離れ、丁度倉庫の真横にある住宅街へと足を運んだ。 そこには倉庫を囲う壁と住宅街側の道を隔てるようにして水路が造られており、魚が生きていける程度に澄んだ水が静かに流れている。 水路の幅は五メイル程あり、仮に泳いで渡ったとしても階段や梯子などは無い為にどうしようもできない。 鉤縄や『フライ』が使えれば問題ないだろうが、生憎今のルイズは鉤縄を持ってないし魔法に関してはご存知の通り。 普通の魔法が行使できるリィリアならば一人で飛んでいけるだろうが、彼女一人を壁の向こうへ行かせるのは危険すぎる。 それに万が一水路と壁を突破できたとしても、壁の向こう側の警備は相当厳重なのは容易に想像できてしまう。 今は工事中で使われていないが、外部からの侵入者を発見するための櫓まで作られているのには流石のルイズも驚いていた。 「成程、確かに防犯設備はしっかりしてるわね。櫓が工事中だったのは幸い……と言うべきかしら」 「コレって倉庫というよりかはちょっとした砦じゃないの?よくもまぁ街中にこんなモノ作って……」 呆れたと言いたげな霊夢の言葉に頷きつつも、ルイズは次にハクレイの言っていたアパルトメントへと視線を向けた。 彼女の言った通り、確かに水路傍の住宅街に四階建てのアパルトメントはあった。 しかし今は誰も住んでいないのか建物の壁には無数の蔦が張り付いており、幾つもの亀裂まで走っている。 こんな人気のない場所にあんなモノを建てても誰も住まないだろうし、家賃も平均以上だったに違いない。 大方二十年前の都市拡張工事の際に作られた建物の一つであろう、その手の建物の大半は今や街中の廃墟と化している。 今も繁栄を続ける王都の陰を見たルイズは目を細めていると、そちらに目を向けているのに気が付いたハクレイに声を掛けられた。 「どうする?私の時は単にあの上から覗いただけだったけど、こんな真昼間から入り込むの?」 「うぅ~ん、普通なら夜中に侵入するのがセオリーなんだろうけど……こういう場所だと逆に人数が増えそうなのよねぇ」 日中ならともかく、夜間は流石に侵入者を警戒して人員を増やすのは分かり切った事だ。 と、なれば……やはり日中から堂々と侵入――――というのも相当危険な感じがする。 今からか夜中か、その二つの選択肢を前にルイズは悩みそうになった所で今度は霊夢が話しかけてくる。 「どっちにしろ侵入するつもりなんだし、それなら人数が少ない時間に入った方が楽で済むんじゃないの?」 「アンタねぇ、そう簡単に言うけど入る事自体困難……なのは私達だけか」 ガサツな巫女の物言いに反論しようとした所で、ルイズは彼女が空を飛べる事を思い出す。 確かに彼女ならばハクレイはおろか並みのメイジよりも簡単に空を飛んで、水路と壁を越えられるだろう。 文字通り壁を飛び越えてあの巨大な倉庫の上に着地すれば、後は自分たちよりも簡単に倉庫を探せるに違いない。 櫓が工事中の今ならば、地上に見張りにさえ気をつけていれば見つかる可能性は限りなく低いだろう。 それに気づいたのはルイズだけではなく、その中でデルフが彼女に続いて声を上げる。 『まぁお前さんなら見つかる心配何て殆ど無いだろうしな』 「まぁね。私自身、色々と片付けなきゃいけない事もあるから手っ取り早く済ませたいし」 デルフの言葉に相槌を打ちつつ、霊夢は今から飛ぶ立つつもりなのか軽い準備運動をし始めた。 どうやら彼女の中では、既に単独潜入は決定事項らしい。これには流石のルイズも止めようとする。 「ちょ、ちょっと待ちなさいよ!別に私はアンタに「見てこい」とか「飛んで来い」なんて事言ってないんだけど?」 「そんなん分かってるわよ。さっきも言ったように、やりたい事が沢山あるから夜中まで待ってられないってだけよ」 最後にそう言った後、ルイズの制止を待たずして霊夢はその場で地面を蹴ってフワッ……と飛び上がる。 まるで彼女の周囲だけ重力が無くなったかのように空中に浮かぶ霊夢は、そのまま水路の方へと向かっていく。 止めきれなかったルイズが水路と道路を隔てる欄干で立ち尽くしている所へ、霊夢の背中で静かにしていたデルフが声を掛けてきた。 『まぁそう心配しなさんな娘っ子。レイムの奴ならオレっちも見てるし大丈夫さ。……多分ね』 「あ、ちょっと待ちなさい!アンタ今゛多分゛って口にしなかった?」 咄嗟に止めようとするルイズに背中を見せつつ、彼女はデルフはフワフワと浮いたまま水路を渡っていく。 静かに流れる水路の上を浮かびながら渡る霊夢の姿は、どこか現実離れな光景に見えてしまう。 それを住宅地側から見るしかないルイズはハッと我に返り、次いでハクレイの方へと顔を向けて言った。 「こうしちゃいられないわ。こうなったら、私たちもアイツに続く形で入るわよ!」 「え?まさか今から侵入するの?」 ルイズの急な決定に驚いたのは、ハクレイではなくその隣にいたリィリアであった。 目を丸くする少女の言葉に、ルイズは「当り前じゃないの」と当然のように言葉を返す。、 「いくら何でもアイツ一人だけ行かせるのは色々と不安なのよ。分かるでしょ?」 「え?ふ、不安ってどういう……」 言葉の意味を汲み取り切れない少女の不安な表情を見て、ルイズはそっと彼女の耳元で囁く。 「アンタのお兄さん。私とレイム相手に何したか知ってるでしょうに」 その一言で、幼いリィリアはルイズの言いたい事を何となく理解できたらしい。 あの倉庫の何処かにいるかもしれない兄の身に、霊夢という名のもう一つの危機が迫っている事を。 それをあの少年の唯一の身内が悟ったのを見て、ルイズは苦虫を噛むような表情を浮かべつつ言葉を続ける。 「まぁアンタのお兄さんにはしてやられたけど、流石にレイム一人に任せても良い程憎いってワケじゃあないしね」 自分自身彼にやられた事を忘れていない……と言いたげな事を口にした所で、スッとハクレイの方へと顔を向けた。 「じゃ、早速で悪いけど私とこの子を向こう側まで連れてってくれないかしら」 「……それは構わないけど、アイツみたいにそう簡単にひとっ飛び……ってワケにはいかないわよ」 「それは分かってるけど、それしか方法がない分どうやっても跳んでもらわなきゃ向こう側へは行けないわ」 ルイズからの頼みに対し一応は了承しつつも、ハクレイはフワフワと飛んでいく霊夢を見やりながら言った。 やり方としては霊夢のような方法がスマートかつベストなのだろうが、確かに人二人を連れてあそこまで跳ぶというのはかなり酷なものだろう、 かといってそれ以外に方法が思いつかないため、ルイズも気持ちやや押す感じでハクレイに迫っていく。 ……たとえベストでなくとも。そう言いたげな彼女の雰囲気にハクレイは渋々といった感じでため息をついた。 「まぁ物は試しってヤツよね。……とりあえず、ここじゃ無理だから場所を替える事にしましょう」 そう言ってからハクレイは霊夢に背を向け、近くにあるあの廃アパルトメントへと向けて歩き始める。 彼女の行き先を見て、これから何が始まるのか察したルイズとリィリアは互いの顔を見合ってしまう。 「……もしかして、また『跳ぶ』の?」 「アンタはお兄さんを助けたいんでしょう?やれる事が少ない以上、覚悟はしときなさい」 顔を真っ青にする少女に対し、覚悟を決めるしかないルイズも肩を竦めながらハクレイの後を追った。 その頃になってようやく倉庫と外を隔てている外壁の傍までたどり着いた霊夢に、背後のデルフが呟く。 『お、向こうも動き出したな。こりゃ近いうちに一緒になれそうだぜ』 彼の言葉にふと後ろを振り向くと、確かにルイズを先頭にハクレイとリィリアが何処へか向かって移動している所であった。 恐らくあのアパルトメントに向かっているようで、成程あの四階建ての屋上から跳んでくるつもりなのだろう。 言葉にしてみると結構トンデモであるが、リィリアを背負ったまま時計塔の頂上から無傷で降りてきたハクレイなら余裕かもしれない。 まぁ彼女たちの事は彼女たちに任せるとして、今は自分がやるべき事を優先しなければいけない。 再び外壁へと顔を向けた彼女はそのまま上へ上へとゆっくり上昇し、そっと頭だけを出して壁の向こうを見てみる。 顔を出して覗き見たそこは丁度倉庫と倉庫の間にある道だったようで、影の所為で暗い道が十メイル程伸びている。 これなら大丈夫かな?と思った時、すぐ近くにある右側倉庫の扉が開こうとしているのに気が付き、スッと頭を下げた。 扉が開く音と共に複数人の足音が聞こえ、それからすぐに男のたちの喧しい会話が聞こえてきた。 「んじゃー今から昼飯買って来るけど、お前ら何にするんだ?俺はサンドウィッチにするが」 「俺、あの総菜屋の豚肉シチューと黒パンでいいや。ホイ、これにシチュー入れてきてくれ」 「俺は海鮮炒めでいいや。ホラ、あの総菜屋の向かい側にある看板にロブスターが描かれてる店。あ、あと辛口で」 他愛ない、どうやらお昼ご飯のリクエストだったようだ。耳を澄ましていた霊夢は思わずため息をつきたくなってしまう。 この分だと聞く必要はないかな?そう思った直後、海鮮炒めをリクエストしていた男の口から興味深い単語が出てきた。 「そういや、あの盗人のガキと裏切り者の分はいいのか?ガキを捕まえてきたダグラスのヤツがとりあえず食べさせとけって言ってたが」 「あ?そういえばそうだったな……どうする?」 「適当で良くね?総菜屋の白パンとミルクぐらいでいいだろ」 それもそうだな。そんな会話の後に「じゃ、行ってくる」という言葉と共に買い物を頼まれた一人の靴音が遠くへ去っていく。 残った二人はその一人を見送った後「戻るか」の後にドアを閉める音と、次いで鍵の閉まる音が聞こえた。 男たちがその場にいなくなったのを確認したのち、壁を飛び越えた霊夢はそっと地面に降り立つ。 レンガ造りの道にローファーの靴音を静かに鳴らした後、彼女はすぐ右にある扉へと視線を向ける。 そして意味深な微笑を顔に浮かべた後、背中のデルフに「案外ツイてるわね」と言葉を漏らした。 「まさかこうも探してる場所の近くまですぐ来れるなんて。そう思わない?」 『表は傭兵だらけだと思う分、確かに楽っちゃあ楽だな。けれど、そっから先はどうする?』 ひとまずここまでは上手く進んでる事を認めつつも、デルフはこの先の事を彼女に問う。 先ほど聞こえた音からして、ドアのカギは閉まっているだろう。ドアノブを捻って確認するまでもない。 見たところ侵入者対策か倉庫の窓もほとんど閉じられており、この道から入れる場所は無い。 唯一表の道に出れば入り口はあるだろうが、恐らくあの光の先には警備の傭兵がうじゃうじゃいるに違いないだろう。 この道から入れる場所といえば、道から十メイル以上も上にある天窓ぐらいなものだろう。普通ならそこまで近づくのは容易ではない。 しかし……空を飛べる程度の能力を有する霊夢にとって、五メイル以上の高さなど大した難所ではなかった。 「まぁ天窓が全部閉じてるって事はあるかもしれないけど、この季節で倉庫を閉じ切ってるワケがあるわけないしね」 『つまりお前さん専用の入り口ってワケね。良いねぇ、ますます先行きが明るくなるな』 機嫌が良くなっていく霊夢の言葉にデルフが返事をした所で、彼女は自分の身を浮かせて飛ぼうとする。 自分がこの街でするべき事は沢山あるのだ。今回の件は手早く済ませて、そちらの方に取り掛からないと…… そんな事を考えながら、いざ倉庫の一番上へと飛び立とうとした……その直前である。 ふとすぐ背後から、何か石造りの重たいモノが地面を擦りながら動く音が聞こえてきたのだ。 彼女はそれと似た音を神社に置いてある料理用の石臼などで聞いた事があった為、そう感じたのである。 そんな異音を耳にした彼女は飛び立とうとした体を止めて、ついつい後ろを振り返ってしまう。 彼女の背後にあったのは何の事は無い、地下に続いているであろう古い石造りの蓋であった。 レンガ造りの地面とその蓋は材質が明らかに違い、恐らくここの地面を整備されるよりも前にあったのだろう。 その蓋は誰かが通ったのだろうか取り外されており、その下に続く薄暗い穴がのぞけるようになっていた。 穴が一体どこに続いているのか……諸事情で王都の地下へ行きたい霊夢にとって興味のある穴であったが、 今は先に済まさなければいけない事があるので、名残惜しいが入るのは後回しにする事にした。 『どうした?』 「ん~……何でもないわ。そこの蓋が開くような音がしたんだけど……気の所為かしら?」 デルフからの呼びかけにそう返した後、今度こそ上に向かって飛び立とうとした――その直前。 自身の背後――あの穴のある場所から何かが動く音が聞こえてきたのだ。 今度は気のせいではない。ハッキリと耳に伝わってくるその音に、霊夢は咄嗟に身構え――振り返る。 視線の先、上に被せられていた石の蓋が取り外された穴の中から――誰かがジッとこちらを見上げていた。 左右を小高い倉庫に挟まれ、昼間でも影が差す暗い道の下にある穴から、ジッと見つめる青い瞳と目が合ってしまう。 「うわッ!」 『ウォオッ!?』 先ほどまで見なかったその目に油断していた霊夢は驚きの声をあげてしまい、次いで後ずさってしまう。 しかし、それがいけなかった。後ずさった先――鍵の閉まった裏口の戸に鞘越しのデルフをぶつけてしまったのである。 結果デルフまで悲鳴をあげてしまい、喧騒とは無縁な倉庫に二人分の悲鳴が響き渡る。 ――まずい!思わず声が出てしまった事に気が付き、両手が無いデルフはともかく霊夢は思わず口を手で隠す。 一瞬の静寂の後、夏の日差しが差す表から警備の傭兵たちであろう複数人の喧騒がものすごい勢いで近づいてくるのに気が付く。 これはさすがに不味いか。油断してしまったばかりに招いてしまった失敗に、ひとまず壁の向こう側に戻ろうとしたその時、 「おい、この穴の中に入れ」 先ほど青い瞳が覗いていた穴の中から、聞きなれた女性の声と共にスッと籠手を着けた手が霊夢の靴を掴んできたのである。 「え?アンタ、その声――って、うわっ!」 その声の主が誰かなのか言う暇もなく、彼女は穴の中にいた誰かの手によってその穴へと引きずり込まれてしまう。 すぐに「ドサリ」という倒れる音が聞こえたかと思うと、すぐその後に籠手を着けた手が再び穴の中から現れ、今度は脇にどけていた石の蓋へと手を伸ばす。 蓋の下には地下側から開ける為であろう取っ手を手に持ち、明らかに女と分かる細腕にも拘わらずすぐにそれで穴を閉めてしまった。 穴を閉めて数秒後、すぐに表の方から傭兵たちの靴音がすぐそばまで近づいて止まる。 軽装の鎧を付けていると分かる金属質な音が混じっている靴音と共に、彼らの話し声が蓋越しに聞こえてきた。 「おい、今ここから悲鳴が聞こえてきたよな?」 「あぁ。確か女の子っぽい声に――変なダミ声の男……かな」 「けど何にもいないぜ?」 「気の所為かな?にしてはやけにハッキリ聞こえたが」 年齢も言葉の訛り方もそれぞれ違う傭兵たちの会話たけでも、彼らが様々な国から来たと分かってしまう。 時折聞き取りづらい訛りを耳にしつつも、先ほど霊夢を穴の中に引きずり込んだ者はすぐそばで自分を睨む彼女へと視線を移す。 暗闇越しでもある程度分かる何か言いたそうな表情を浮かべていた彼女であったが、流石に今は騒ぐべき状況ではない。 今はただ、地上にいる傭兵たちがどこかへ行ってはくれないかと思う事しかできないでいる。 しかしその思いが届いたのか否か、あっさりと傭兵たちは靴音を鳴らしながらその場を去っていった。 靴音が完全に遠のいた所で、それまで我慢していた霊夢はようやく口を開くことができた。 彼女はキッと目つきを鋭くすると、自分を穴の中に引きずり込んだものを睨みつけながら悪態をついた。 「……ッ!アンタねぇ、何でここにいるのか知らないけど。もう少しでバレるところだったじゃないの」 「それは悪かったな。……まさかお前みたいなヤツが、こんな所にいるなんて予想もしていなかったからな」 霊夢のキツく鋭い言葉に対し、その者もまた鋭い言葉でもって対応する。 両者、互いに暗い穴の中で険悪な雰囲気になりそうなところで、デルフが待ったをかけてきた。 『おいおいレイム、今は喧嘩してる場合じゃないだろ?それはアンタだって同じだろ?』 デルフの言葉に両者睨み合いつつも、何とか一触即発の空気だけは抜くことに成功したらしい。 相手に詰め寄りかけた霊夢は一旦後ろへと下がり、未だ自分を睨む人物――女性へと言葉を掛ける。 「――で、何でアンタがこんな所にいるのか聞きたいんだけど?良いかしら」 「私が話した後で、お前も目的を話してくれるのなら喜んで教えよう。お前にその気があるのならば」 人気のない地区にある巨大倉庫。その真下に造られた地下通路と地上を繋ぐ場所で、両者は見つめあう。 互いに「どうしてこんな所に?」という疑問を抱きながら、博麗の巫女と女衛士は邂逅したのである。 「はぁ、はぁ……流石に四階分一気に上るのはキツかったわ…」 その頃、壁を乗り越えた霊夢に大分遅れてルイズたちもアパルトメントの屋上に到着していた。 流石に四階分の階段を走って上るのに疲れたのか、少し息を荒くしている。 その彼女の後を追うようにしてハクレイと、彼女の背におんぶするリィリアも屋上へと出てきた。 後の二人も上ってきたのを確認してから一息つき、次いでルイズは屋上から一望できる光景を目にして「そりゃ誰も住まないわよね」と一人呟く。 「こんなところに四階建てのアパルトメントなんか建てたって、物凄い殺風景だから階層が高くても意味がないし」 一体誰が建設したのやら、と思いつつ。屋上から見下ろせる殺風景な住宅街と倉庫を見てここが廃墟になった理由を察していた。 この建物を最初に目にしたルイズの予想通り、アパルトメントには誰も住んでおらず中は荒れ放題であった。 最低限管理は行き届いてるのかドアはすべて閉まっていたが、ここに行くまで壁に幾つもの落書きをされていたし、 一階のロビーは野良猫のたまり場になっていたりと、管理されているのかいないのか良くわからない状態を晒している。 ある程度綺麗にすれば今の時代買い手はつくかもしれないが、近場に店もなく中央から離れていたりと立地が悪過ぎて話にならない。 生まれる時代を間違えたとしか思えない廃墟の屋上で彼女は一人考えていると、 リィリアを下ろして屋上の手すり越しに倉庫を見下ろしていたハクレイがルイズに話しかけてきた。 「ねぇ、さっきまで壁際にいたアイツの姿が見えないんだけど?」 「え?……あ、ホントだ」 彼女の言葉にルイズも傍へ寄り、先ほどまでいた霊夢の姿が見当たらないことに気が付く。 あの霊夢の事だ、恐らく壁を越えて倉庫の中に侵入したのだろう。 ならのんびりしてはいられない、自分たちも動かなければいけない。ルイズは軽く深呼吸する。 何のこともないただの深呼吸であったが、これから行う事を考えれば覚悟を決める意味でしなければいけない。 彼女の深呼吸を見てハクレイも察したのか、ルイズに倣うかのように軽い準備運動をしつつ話しかけてきた。 「……で、本当にするつもりなの?まぁ、するっていうならするけど」 「――本当はもうちょっとだけ猶予が欲しかったけど、そろそろ覚悟決めなきゃね」 ハクレイからの質問にそう返すと、ルイズもまた軽い準備運動で体をほぐしていく。 その場で軽くジャンプしたり、両手首を軽く振ったりしたりする動作はとても貴族の少女がやる準備運動とは思えない。 しかし、近年では魔法学院で乗馬の他に騎射の練習が頻繁に行われるようになった為、こうした軽いストレッチを行うこと機会が増えている。 一昔前の貴族が見たら「何とはしたない」や「お淑やかさがない」と言われるような行為も、今では立派な「貴族のストレッチ」として認知されていた。 暫し軽く体をほぐした所で、ハクレイはルイズとリィリアの二人に声を掛けた。 「……さて、準備運動も終わったしそろそろ向こう側へ渡るとしましょうか」 彼女の言葉にルイズは無言で頷き、顔を青くしたリィリアもおそるおそるといった様子で頷いた。 それを覚悟完了と受け取ったハクレイもまた頷き、彼女はリィリアを再び背中に担ぐ。 自分の背中にのった少女が小さな手でギュッと巫女服を握ったのを確認して、次にルイズへと視線を向ける。 暫し彼女の鳶色の瞳と目を合わせた後自身の左腕へと視線を向けると、そっと腕を上げて見せる。 その行動に何の意味があるのかと一瞬訝しんだ彼女はしかし、すぐにその真意に気が付き――次いで顔を顰めた。 「……まさか、私はアンタの腕に抱かれてろって事?」 「他に場所が無いわ」 ……まぁ確かにそうだろう。ため息をつくルイズは大人しくハクレイの右脇に抱えられる事となった。 ルイズを脇に抱え、リィリアを背負う彼女の姿はまるで子供のXLサイズのぬいぐるみを携えたサンタクロースにも見えてしまう。 しかし今は冬でもないし、何よりこの場にいる三人はサンタクロースの存在すら知らないのでリィリアを除く二人は真剣な表情を浮かべていた。 その理由は無論、これからやらかそうとしている事が無事に成功するようにと祈っているからであった。 ルイズは始祖ブリミルに、そしてハクレイは誰に祈ればいいのかイマイチ分からなかったので、この場にいないカトレアに祈っていた。 二人を抱えてから十秒ほど経った所で、ハクレイが重くなっていた口を開いた。 「……それじゃあ、いくわよ」 「いつでもいいわよ。飛んで頂戴」 彼女からの事前警告にルイズはそう返し、リィリアは目を瞑ってハクレイの肩を掴む手に力を入れる。 ルイズも彼女の右腕を掴む両腕に力を入れ、二人が準備できたと感じたハクレイは自らの霊力を足へと注いでいく。 足のつま先から太ももまでを模して作った容器に水を注いでいくかの様に、足に溜め込まれていく彼女の暴力的で荒い霊力。 ルイズとリィリアもそれを感じているのか、二人はハクレイの体から感じる微かな違和感に怪訝な表情を浮かべてしまう。 そんな二人をよそに霊力を蓄えていくハクレイは、ここから倉庫までの距離を考えて霊力を調節していく。 (多すぎてもダメ、少なすぎてもダメ……まだまだ回数はこなしてないけど、ちょっとこれは難しいかな?) 実際の所、この力を使って跳躍した回数自体はそれ程多くは無い。指を数える程度もない程に。 本当ならば初っ端からこんな危険な事をすべきではないと思うのだが、それでもハクレイはある種の確信を感じていた。 ――――今の自分でも、この距離を飛ぶ事など造作もない、と。 自身過剰にも思えるかもしれないが、それでもハクレイはその確信を信じるしかない。 既に二人は覚悟を決めているし、何よりこんな事は゛初めて゛ではないのだ。 そうこうしている内に、彼女が想定しているであろう霊力が足に溜まったらしい。 青く光り始めたブーツを見ずとも、既に準備は終わったと自らの体が告げている事にハクレイは気づいていた。 彼女は一回だけ、短い深呼吸をした後――ルイズたちを抱えたまま屋上の手すりに向かって走り出す。 まさか突っ込むつもりか?――手すりに気づいていたルイズは、慌ててハクレイに話しかける。 「ちょ、ちょっと!手すりがあるんだけど、あれどうするのよ!?」 「問題ないわ。むしろ丁度いい踏み台になってくれるわ」 ルイズの言葉に集中しているハクレイは淡々とした様子でそう返しながらも、足の速度を一切緩めない。 ブーツの底が地面を蹴る度にレンガ造り地面に罅が入り、そこから飛び散った無数の破片が宙へと舞っては落ちていく。 一歩目、二歩目、と勢いよく足を進めていき、そして六歩目――という所で、その場で軽く跳んだ。 無論、そんな勢いのないジャンプで跳躍するワケではなく、彼女が降り立とうとしている場所は手すりの上。 このアパルトメントと同じように長い間放置され、錆びだらけになった手すりの上に彼女は着地し――その勢いのまま再び跳んだ。 「――あっ」 その瞬間、自らの体に掛ってくる風圧にルイズは思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。 重力に思いっきり逆らいながらも、風に纏わりつかれながら上昇していく自らの体。 彼女は思い出してしまう。幼少時にとんでもない失敗をしてしまった時に、母から躾と称して遥か上空に吹き飛ばされた時の事を。 今と同じように、あの時も重力に思いっきり中指を立てつつ飛び上がっていく自分の体には、鬱陶しいくらいに風が纏わりついてきた。 ちぃねえさまがセットしてくれた髪型も滅茶苦茶に乱れて、着ていたドレスはバタバタとまるで別の生き物のように動いていたのは覚えている。 その時になって初めて知った事は風の音があんなにもうるさいという事と、自分の体が地上数百メイルの高さまで打ち上げられたという事であった。 何の道具も無く、ドレス姿で空高く打ち上げられた時に体験した感覚と恐怖を、彼女は思わずゾッとしてしまう。 ――――これで失敗したら、アンタに蹴りの一発でもぶちかましてやりたいわ リィリアとは違い、跳躍したハクレイの脇に抱えられたルイズは心の中で思わず叫んでしまう。 霊夢とは違い空を飛べない巫女の脇に抱えられたまま、地上数十メイル以上を跳躍されたら誰もがそう思うに違いない。 実際の所、ハクレイがビルから跳んだ時間はほんの五秒程度であったがルイズにとっては十秒近い体験であった。 遥か下に見える地面に吸い込まれそうな錯覚に怯えそうになった彼女が、思わず目を瞑った……その直後。 地面を蹴って跳び上がったハクレイの足が再び地に着き、靴が地面を擦る音が耳に聞こえてきたのである。 その地面はレンガ造りとは違う独特な音を出し、靴が擦れる音はさながら鉄板の上にいるかのような金属質的な感じがする。 その二つの音が聞こえた後、あれだけ体に纏わりついていた強い風が嘘のように大人しくなっている。 ……一体どうなったのか?瞑ったばかりの瞼を開き、鳶色の瞳でハクレイの足元を見た彼女は思わず目を丸くしてしまう。 耳で聞いた音は間違っていなかったのか、ハクレイが着地した場所はルイズが彼女に指定した場所であったからだ。 「……まさか、本当にぶっつけ本番で跳び切ったの?」 「言ったでしょう?問題ないって」 信じられないと言いたげなルイズの言葉に、ハクレイは額から落ちる冷や汗を流しながら返す。 冷製な言葉とは裏腹な様子を見せる彼女を見て、帰りは霊夢に頼もうと心に決めたルイズであった。 結局のところ、二人の少女を抱えたまま跳んだハクレイは無事に倉庫の屋根へと着地する事ができた。 ルイズは無事にここまで来れたことに関して始祖ブリミルに軽くお礼をしつつ、他の二人へと視線を向ける。 リィリアは最初から目を瞑っていたお陰か、気づいたら廃墟から倉庫の屋上に来ていた事に多少驚いている様子であった。 一方でここまで自分たちを連れてきてくれたハクレイは、思った以上に自分自身の技量を読み切れていなかったのだろう、 はたまた小柄と言えども人二人を抱えて跳べた事に自ら驚いているのか、倉庫の屋上から先ほどまで廃墟を見つめ続けている。 ルイズ自身彼女に何か一言軽い文句を言っておやろうかと考えはしたが、やめた。 それよりも今はするべき事があると思い出して、自分たちが今いる場所の状況を確認する。 倉庫の天井は光を入れる為の天窓が六つ作られており、季節の関係上六つとも開かれている。 これなら侵入は容易だろうが、うっかり窓から身を乗り出して覗こうものならすぐに気づかれてしまうに違いない。 何せ開いた天窓から光と大して涼しくもない風を取り入れているのだ、そんな所に身を乗り出せばすぐに影が地面に写ってしまう。 それを見られて誰かが屋上にいるとバレれば、絶対に厄介な事になってしまう。 それだけは避けたいルイズであったが、かといって中の様子を確かめずにぶっつけ本番で入るのは躊躇ってしまう。 リィリアの話からして、相手は複数人の可能性が高い。そんな所へ不用心に入るのは如何に魔法が仕えるとしても遠慮したい。 そういう時は側面の窓から確認すればいいだけなのだろうが、生憎そう簡単に覗ける程ここの倉庫は低くは無い。 「こういう時にレイムがいてくれれば良いんだけど……アイツ、どこに行ったのかしら?」 「あら?こいつは奇遇ね。私が来たと同時に私の名前が出てくるなんて」 聞きなれた声が背後から聞こえてきたルイズはバッと振り返り、アッと声を上げる。 案の定そこにいたのは、丁度顔を見えるところまで浮き上がってきた霊夢の姿があった。 「レイム、一体どこで油売ってたのよ?アンタが一番乗りしてたくせに」 「ちょっと色々と、ね?……それで、三人いるところを見るに本当に跳んできたワケね」 ルイズの質問にそう返しつつ、屋根へと着地した霊夢はハクレイの方へと呆れた言いたげな表情を浮かべながらそんな事を呟く。 まぁ普通に空を飛べるし、それが当り前な彼女にとって目の前にいる巫女もどきがやった事に対して「良くやるわねぇ……」と言いたい気持ちは分かる。 というか、ルイズ自身も成功した後で同じような気持ちを抱いていたので、彼女の言いたい事は何となく分かる気がした。 「……まぁ、距離感は何となく分かってたから。難しかったのは二人を抱えた状態でどれくらい力を入れたら良いか……って事くらいかしら?」 そんな彼女の気持ちを読み取れなかったのか否か、ハクレイは飛び移ってきた廃墟を見ながら言葉を返す。 半ば皮肉とも取れる自分の言葉に対して真剣に返してきた事に、流石の霊夢も肩を竦める他なかった。 まぁ何はともあれ、無事にたどり着けたという事実は変わらない。 時間を無駄に掛けたくなかった霊夢は「まぁ今は本題に取り掛かりましょう」と話の路線を元へと戻していく。 ルイズたちもその言葉に意識を切り替え、なるべく足音を立てないよう彼女の元へと近づいていく。 まず最初に口を開いたのは、浮上してきた霊夢を真っ先に見つけたルイズであった。 「それで、どうするの?倉庫の敷地内に入れたのは良いけど、さすがに一つずつ探していくのには時間が掛かるわ」 「あぁ、その事ね。それならまぁ、うん……大丈夫だと思うわよ」 ここへ入ってきた薄々感じていた不安を口にした彼女に対して、巫女は何故か自信満々な笑みを浮かべて返す。 その意味深な笑顔に訝しんだルイズが「どういう事よ?」と首を傾げた所で、霊夢はルイズと他の二人に向けて説明する。 ここへ一足先に乗り込んだ時に聞いた、この倉庫の中から出てきた男たちの会話の内容を。 霊夢から説明を聞き終えたところで、リィリアは喜びを堪えるかのような表情を浮かべて口を開く。 「それじゃあ、お兄ちゃんはここに……!」 「多分、ね。まぁこんだけ大きいなら子供の一人や二人どこかに隠しながら監禁する何て容易いだろうしね」 「成程。……けれど、盗人の子供……は分かるとして、裏切り者って誰の事かしら?」 少女の言葉に霊夢はそう返すと、今度は説明を聞いていたハクレイが質問を飛ばしてくる。 それはルイズも同じであった、もしも彼女が質問をしていなければ代わりに彼女が口を開いていたであろうくらいに。 その質問を聞いた霊夢は珍しく言葉を選ぶかのような様子を見せた後、面倒くさそうな表情を浮かべてこう言った。 「あぁ~……それね?それについては、まぁ……私の代わりに答えてくれるヤツがいるからソイツに聞いて頂戴」 「「代わり?」」 思わぬ巫女の言葉に、珍しくもルイズとハクレイの二人が同じ言葉を口にした瞬間、 黒い鋼鉄製の爪が霊夢の背後、柵の一つもない倉庫の屋根の縁を掴んだのである。 まるで猛禽類のそれを思わせるような鉄の鉤爪の下には、ロープが結ばれているのだろう、 何者かがロープ一本を頼りに上ってくるであろうと、直接下の様子を見なくても分かる事ができた。 突然の事にルイズは目を丸くし、ハクレイは怪訝な表情を浮かべつつもリィリアを自身の後ろへと隠す。 対して霊夢は軽いため息をつきつつ、極めて面倒くさい事になったと言いたげな表情を浮かべていた。 そして屋根へと上ってくる者に対してか、「ややこしい事になったわよねぇ」と一人呟き始める。 「全く、せめて来るならもう少し時間をずらして来てくれなかったものかしら?」 「……それは、お互い様だと言っておこうか」 嫌味たっぷりな彼女の言葉に対して、上ってくる者は鋭い声色で返した時にルイズはハッとした表情を浮かべた。 ルイズもまた霊夢と同じく聞き覚えがあったのである。まるで研ぎ澄まされた剣先の様に鋭い、彼女の声を。 それに気づいたと同時に上ってくる者はその右手で屋根の縁を掴み、そして姿を現した。 最初は顔、次いで片腕の勢いだけで上半身を出した所でルイズはアッと大声を上げそうになってしまう。 それは不味いと咄嗟に思い自らの口を両手で塞ぎながらも、目の前に現れた人物の姿を信じられないと言いたげな目つきで見つめる。 ハクレイは何処かで見た覚えのある顔に目を細める中、背後にいるリィリアはその人物の外見を一瞥して身を竦ませた。 今のリィリアにとって急に姿を現した者は、文字通り天敵と言っても差し支えない者たちと同じ姿をしていたのだから。 三人がそれぞれの反応を見せる中で、素早く屋根に辿り着いた相手に霊夢は肩を竦めながらも言葉を投げかける。 「ホラ見なさい、予期せぬアンタの登場でみんな驚いてるわよ」 「……だから、驚きたいのは私も同じなんだがな?」 自分たちの事を棚に上げる霊夢に対してその人物――アニエスもまた肩を竦めながら言い返した。 ――ちょっと待ちなさい、これは一体どういう事なのよ……ッ!? 両手で口を塞いだまま唖然としているルイズは、心の中で叫びながらも霊夢と対面するアニエスを凝視する。 確か彼女は王都の警邏を任されている衛士隊の一員で、これまでにも何回か顔を合わせた事があった。 衛士隊、といっても貴族で構成されている魔法衛士隊とは違い基本平民のみで構成されている警邏衛士隊。 平民とはいっても一応警察組織としての権限は一通り持っており、王都にいる犯罪者達にとっては厄介な存在である。 基本的な戦闘術と体力を厳しい訓練で体得し、馬車専用道路の交通整理から犯罪捜査までこなす法の番人たち。 その衛士隊の一員であり、前歴から「ラ・ミラン(粉挽き女)」と呼ばれ街のゴロツキ達に恐れられているのが目の前にいるアニエスである。 では、なぜそのアニエスが自分たちの目の前――しかも倉庫の屋根の上で出会ってしまうのであろうか? これが街の通りとか街角にある店の中で出会ったというのならまだ偶然と片付けられるだろう。 アニエスにしても何かしら用事――少なくとも自分たちとは関係の無い事――があってそこにいたという事は想像できる。 もしかしたら一言二言言葉を掛けられるだろうが精々あいさつ程度だけ済ませて、その場を後にしていたに違いない。 しかし、こんな明らかに雑用があって来たワケではない場所で対面したという事は――彼女もまた用事があって来たのだろう。 少なくとも、買い物とか街の警邏とは絶対にワケが違う事をしでかしに。そしてそれは、自分たちもまた同じである。 ここまで思考した所でようやく落ち着いたのか、両手を下ろしたルイズは軽く深呼吸した後アニエスへと話しかけた。 「な、なな……何でアンタがこんな所にいるのよ?」 「……それは私のセリフだが、後から来た私が説明した方が手っ取り早いか」 ルイズたちより後から来たアニエスもまたルイズたちがここにいるワケを知りたかったものの、 ここは先に話しておいた方が良いと感じたのか、その場で姿勢を低くするとルイズたちの傍へと寄っていく。 霊夢だけは先に事情を知っているのか、デルフと共にその場に残って空を眺めている。 アニエスが自分たちの傍へと来たところで、ルイズもまたその場で膝立ちになって彼女へと質問を投げかける。 「で、何で衛士のアンタがこんな所にいるのよ?まぁ何かそれなりの用事があるのは分かる気がするわ」 「そっちの目的も後で聞きたいとして……私は、そうだな。仕事の一環とでも言えば良いんだろうか?」 「こんな所に一人仕事に来る衛士なんて見た事無いわ」 ぶつけられた質問に対するアニエスからの回答に、ルイズはささやかな突っ込みを入れた。 金で雇われた傭兵たちが警備する倉庫に、たった一人の衛士が何の仕事をしに来たのであろうか。 何かしらの不正がらみで捜査に来たのなら、捜査令状と仲間たちを連れてくれば今よりもずっと簡単に倉庫の中を覗けるだろう。 そうでないとしたらそれはやはり、あまり口にはできないような事をしに来たのであろう。 ――まぁ、それは自分たちも同じことか。ルイズは一人内心で呟く中、アニエスは更に言葉を続けていく。 「まぁそうだろうな。正直、今回は半分衛士としてここに来たワケじゃあないからな」 「半分?それってどういう意味かしら」 彼女口から突如出てきた意味深な言葉に反応したのは、ルイズと同じく聞いていたハクレイであった。 以前一回だけ目にしたことのあった女性からの質問に、アニエスは「御覧の通りさ」と両手を横に広げながら言う。 「今日は午後から休みを取っててな、ここに来たのは仕事半分――そしてもう半分は私用なんだ」 「あら?確かに。良く見たら腰に差してるのってただの警棒……というかほぼ木剣ね」 そんな事を喋る彼女の姿をよく見てみると、本来持っている筈の物を持っていない事にルイズが気が付いた。 衛士隊が護身用として腰に差している剣を装備しておらず、その代わり一振りの警棒がそこに収まっている。 警棒もまた衛士隊の官給品ではあるが、剣と比べて振り回しても安全なのが取り柄の武器だ。 但しその警棒自体彼女の改造が加えられており、外見だけならば一振りのマチェーテにも見えてしまう。 自衛用としての武器なら十二分なのだろうが、私用で使うにはやや過剰な武器に違いない。 他にも腰元を見てみると、捕縛用の縄もしっかりと持ってきているのが見える。それにここまで上って来るのに使ってきた鉤爪……。 ゛私用で゛ここに来たというにはあまりにも物騒なアニエスの持ち物と姿を見て、ルイズは「成程、私用ね」と納得したように頷く。 「少なくとも私が考え得る平民ならアンタみたいに衛士の装備を着けたまま、物騒な道具を持ち歩いて――ましてやこんな所へ来ないと思うわ」 「だろうな。私だってブルドンネ街のバザールで買い物する時はもう少しラフな服装でしてるよ。こんな姿じゃあスパイス一袋も買えないからな」 ルイズの言葉に何故か納得したように頷いた後、小さなため息を一つついてから言葉を続けていく。 ここからが本題なのだろう。彼女の態度からそれを察知したルイズたちは自然と身構えてしまう。 「まぁそれ程大それた事じゃない。ここには単に、人探しに来ただけさ」 「人探し……ですって?」 わざわざこんな場所で、どんな人物を探しに来たというのだろうか? それを口に出したいルイズの気持ちを読み取ったか否か、アニエスはあぁと頷きながら話を続ける。 「面倒なことに、その探し人はこの倉庫のどこかにいると聞いてな」 「成程。だからそんな物騒な姿でやって来たっていうワケね?剣じゃなくて木剣を携えてきたのは意外な気がするけど」 「あぁ、そいつの言葉次第で殺してしまうかもしれないからな。敢えて剣は置いてきたんだ」 「へぇ~、そうなん……――はい?」 アニエスが口にした言葉を耳にして、ルイズは自分の耳がおかしくなったのかと思った。 それを確かめる為か否か、彼女はアニエスに「今何て?」と言いたげな表情を向ける 「アナタ、ついさっき物騒な事言わなかった?」 「いや、間違ってはいないさ。ここに来るまでの間、剣を取りに戻ろうかと思っていた程には殺意があるんだ」 ルイズの質問に対し、アニエスは表情一つ変えぬままあっさりと自らの殺意を口にする。 その告白にルイズは思わず息を呑み、ハクレイは何も言わぬまま鋭い目つきで彼女を睨む。 ハクレイの後ろにいるリィリアも思わず彼女の体越しに、アニエスの様子を窺っていた。 「言っとくけど、殺すんなら人目につかいな所でやんなさいよね?こっちは子供だって連れてきてるんだし」 「それは分かってるよ。…で、その子供が誰なのかちゃんと教えてくれるんだよな?」 元々緊迫していた周囲が更なる緊迫に包まれる中、先に話を聞いていた霊夢は空を眺めたまま彼女へと話しかける。 巫女の言葉に頷いたアニエスはリィリアの方へと視線を向けて、話す側から聞く側へと回った。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん トリステイン王国の中心部であるトリスタニアは規模こそ小さいながらも、かなりの人口が密集している場所だ。 大小様々な通りや路地裏といった街の中は勿論、劇場に役所などの公共施設にもうんざりするほどの人がいる。 古めかしい印象漂う旧市街地には浮浪者や貧困層の平民が今も暮らしており、未だ人の住みかとしての役目を続けていた。 街の地下を通る水道なども家を持てない連中の巣窟となっており、逆に人のいない場所を探せというのが困難だろう。 ある程度差はあるが、人という種の生物は生まれた時から他者と寄り添って暮らすものだ。 自分は一人でも大丈夫だと言い切る者も、無意識的に人のいるところへ近づいてしまう。 中には俗世を捨てた坊さんの様に一人寂しく山奥で暮らすような者たちもいるが、それはほんの少数。 人間は他の生物と比べ個々の力は弱いものの、群れるとなればその本領を発揮する。 数多の文明を作り上げてきた手足を使い、敵対する相手を打ちのめす武器を作り上げる。 相手に勝利した後はその頭脳をもって歴史を作り上げ、後世の子孫たちにそれを言い聞かせて生活圏を拡大していく。 そうやって安寧の地を作り上げてきた人々は、互いに寄り添う事は大事なのだと無意識に理解しているのだ。 しかし…。それは決して、お互いを支え合って暮らしているという事ではない。 ◆ チクトンネ街にある自然公園。 夜には昼の倍に活気づくこの街の中央から少し離れた場所に、そこはあった。 今から二十年前、街の中にもっと自然を入れようという考えから生まれたこの公園には今日も大勢の人が訪れている。 国中の庭師や建築家達を招集してて作られたここは、正に人工の森と言っても良いだろう。 散歩道に沿って植えられた木々が初夏の日差しを遮り、歩いている人々を僅かながらにも涼ませている。 規模を比べればブルドンネ街にある公園よりも小さいものの、中央には池が作られている。 そこにはカエルやメダカといった小さなものから、タニア鯉やサンショウウオといった大きな水生生物たちが暮らしていた。 池の周りには囲うようにしてベンチを設置しているほか、貴族専用の休憩小屋まで建てられている。 水のあるところには必ず人が来ると予想してか、公園の中にはアイスクリームや軽食などの屋台まである。 少なくとも街中の噴水広場より大きく開放感のある場所の為か、今日はいつにも増して公園を訪れる人が多い。 平民や貴族といった事は抜きにして家族やカップルに従者を連れた者から、一人で来ている者まで様々だ。 そんな池の周りに設置されたベンチの一つに、黒髪の少女が座っていた。シエスタである。 魔法学院で給士として奉公している彼女は、若草色のスカートに半袖のブラウスといったラフな出で立ちをしている。 溜まっていた休暇を使って午前から街へ遊びに来た彼女は、従妹と一緒にこの公園を訪れていた。 最も。シエスタが従妹と出会ったのは偶然であり、彼女の家が何をしているのかも知っていたのでその時に軽く驚いたのだが。 従妹はチクトンネ街の方で叔父と一緒に夜間営業の店を開いているので、朝と昼の時間は寝ている筈なのだ。 寝なければ夜の仕事に影響が出るであろうし、何よりも寝不足というのは女性にとって大敵そのもの。 それを知らない従妹ではなく一体どういう事かとシエスタが聞いたとき、自分も今日は休みだと彼女は教えてくれた。 「ここ最近は忙しかったからね、久しぶりにアンタと会えるなんてこっちも嬉しい所さ」 店の看板娘と誇れる綺麗な顔に微笑を浮かべて、彼女はそんな事を言ってくれた。 そんなこんなでお遅めの昼食をとった後、折角だからとこの公園に来て三十分程が経過して今に至る。 何か飲み物を買ってくると言った従妹と一時別れたシエスタは初夏の暑さを肌で感じつつ、従妹が帰ってくるのを待っていた。 燦々と大地を照らす太陽の光と熱が彼女の身体を炙り、平民にしてはやや綺麗な肌からは玉のような汗が滲み出る。 それをハンカチで拭いつつ一体いつになったら帰ってくるのかと思った時、うなじの部分から何か違和感の様なものを感じ取った。 暑い空気が漂うこの場所で、その違和感が何なのかすぐに分かったシエスタが後ろを振り向いた瞬間… 「きゃっ…冷たっ!」 冷たい結露を滲ませた瓶が頬に当たり、彼女は小さな悲鳴を上げた。 直後、その紙コップを持っていた人物がその顔の筋肉を緩ませて笑い始める。 「ハハッ、ドッキリ大成功だ!」 まるで落とし穴にはまった阿呆を笑い飛ばすかのようにシエスタの従妹、ジェシカは言った。 貴重な休暇の真っ最中である彼女の服装はシエスタと同じく、この季節に合わせて涼しげな印象がある。 白い木綿のシャツは体より少し大きめではあるが、胸が大きいせいかブカブカしてはいない。 それどころか、彼女の長所の内一つであるそれを周りにこれでもかとアピールしていた。 無論路地裏にいるような娼婦ほど下品ではなく、いつも仕事で着ている服と比べればまだまだ控えめ程度なのだが。 「もう…真昼間だからって驚かさないでよ」 「イヤァ~悪い悪い、ちょっと戻ってくる途中に魔が差しちゃってね?…っあ、はいコレ」 シエスタの苦言を軽い言葉と共に聞き流しながら、ジェシカは右手に持っていたアイスティーが入った瓶を手渡した。 全く反省の色を見せない彼女にシエスタは小さなため息を突きつつ、それを受け取る。 従姉が受け取ったのを確認してからジェシカも彼女の隣に座り、瓶の中に入っている炭酸飲料を飲み始めた。 普通の物よりやや大きい瓶の中に入っているオレンジソーダは小さく波打ちながら、ゆっくりと彼女の喉を通っていく。 一方のシエスタは彼女と違いすぐにアイスティーを飲もうとはせず、申し訳なさそうにその口を開いた。 「…ありがとうジェシカ。お昼ご飯だけじゃなくてわざわざジュースも奢ってくれるなんて」 「う…ひぃって、ひぃって!ふぇつにふぃにひなふてほ」(う…良いって、良いって!別に気にしなくても) 突然従姉からお礼を言われたことに、ジェシカは瓶を口に着けたまま言葉を返す。 しかし何を言っているのかわからないうえ行儀の悪い従妹の素行に、シエスタはついついその表情を曇らせてしまう。 シエスタの顔色を見てすぐに察したのか、ジェシカは少しだけ慌てたように口から瓶を離した。 「もう…貴女って子供の頃からそうよね」 呆れたような従姉の言葉に、ジェシカは「ヘヘへ…」と照れ隠すように笑う。 「自分はお行儀よく生きてるつもりなんだけどねぇ。…何て言うかな、育ちが違うってヤツ?」 先程と同じく反省していない様子の従妹にシエスタはまたもため息をつきつつ、ようやくアイスティーを飲み始める。 つい数分前まで氷水に浸かったおかげでキンキンに冷えた瓶の中身が、彼女の口内を刺激していく。 少し過剰とも思える程度に冷たいアイスティーの味と香りをじっくりと堪能しつつ、それを喉に通らせていく。 それから二口分ほど飲んで口から瓶を離し、シエスタはふぅ…と一息ついた。 彼女の口から出たそれは飲む直前のため息とは違い、生き返ったと言いたげな雰囲気が込められている。 「……美味しいね。冷たくて」 「でしょ?」 従姉の口から出た感想に、従妹は満面の笑みを浮かべた。 それは、二人の大事な休日の一シーン。 細かくすれば、公園の中で起こっている様々なイベントの一つ。 もっと遠くから見れば、チクトンネ街の中で起こった些細とも呼べぬ出来事。 そして空の上から見下ろせば…トリスタニアに住んでいる何万人もの平民たちの内、たった二人の会話。 誰かの目には入るかもしれないが、永遠に記憶されないであろうその会話。 しかし二人にとっては、青春時代の思い出に刻まれるであろう大切な一時なるのだ。 まるで制限時間付きの魔法を掛けられたお姫様のように、二人は残された午後の時間を楽しむだろう。 人という生物は群れる事によって強固な都市を作り、世代を重ねて平和を謳歌する。 ここにいれば安全に生きていけるし、外敵に怯える夜を過ごさなくても良い。 だから忘れてしまった。自分たちを脅かす要素が内側からも発生するであろうことに。 自然公園からもう少し北の方へ進むと、小さな林が広がっている。 かつて旧市街地の遊歩道兼小さな公園として作られたここは、今や誰も訪れぬ場所となっていた。 人の手と自然の力によって作られたここは死んだように静まり返っており、遠くの方からは街の喧騒が聞こえてくる。 まるで墓地のような雰囲気を漂わせるこの場所には、唄を囀る小鳥もいなければ野を駆ける動物たちもいない。 そこから進んだところにある樹海の入り口とここを隔てるように設置された錆びた鉄柵の所為で、外の世界から来る者がいないのだ。 風に吹かれてなびいた木々が自然の音楽を奏でてはいるが、それがかえってこの場所を不気味にしている。 碌に整備されず好き放題に伸びた雑草が荒廃した雰囲気を作り、遠くから聞こえてくる明るい喧騒が空しさを駆り立てる。 まるでここは箱庭。ただ砂の地面に木や芝生の置物だけを設置して構成された空虚な世界。 普通の神経を持った人間ならば、すぐにでもここを離れて人気のある場所へと走るだろう。 それは常識的に最も正しい答えであり、大衆が賛同する模範的解答例に違いない。 しかし――――゛少女゛は好きであった。人気のないこの小さな世界が。 誰もが忘却してしまった朽ちた箱庭のような此処が、なんとなく好きになってしまったのである。 「……………」 一見すればボロ布と勘違いされるであろう黒いローブを羽織った゛少女゛は何も言わず、ただじっと空を見上げていた。 枝と木の葉が擦れる音を耳に入れつつ、゛少女゛は雲が緩やかに流れていく光景を目に焼き付けている。 朝方と比べ幾分か冷たくなった初夏の風が特徴的な少女の黒髪と、後頭部に着けた赤いリボンをフワフワと揺らす。 まるで鱗翅目の中で中々麗しい容姿を持つ蝶のような形をした赤色のリボンは、この場所で最も目立つ色をしていた。 腰ほどまで伸びた黒い髪は陽の陽の光に当たり、艶やかに輝いている。 肌の色はハルケギニアに住む人間と比べると若干黄色が混じってはいるが、近くで見なければまずわからないだろう。 無表情ではあるが顔の方も均整がとれていて文句は無い。正に花すら恥じらうという言葉が似合う程。 ここまで言えば容姿端麗の美少女なのだが。唯一意義を唱えるべき個所が一つだけあった。 ゛目゛だ。 ゛少女゛の眼窩に嵌っている、二つの球体状のそれ。 赤みがかった黒い両目は確かに美しいものの、どこか虚ろな雰囲気があった。 まるで路地裏に暮らす孤児のように、何かを悟り諦めてしまったかのような絶望感。 生きていく希望や理由すら失い、生ごみでも食んで毎日を無作為に過ごしていくような虚無感。 まともな人生を歩んでいる人間が浮かべる事の出来ないようなそれが、その両目から惜しみなく滲み出ている。 きっと゛少女゛がその両目で睨めば多くの人間が怯み、自ずと消え失せていくであろう。 しかし、゛少女゛はそれでも良いと思っていた。他人の為に気を使うならば、ずっと一人でいる方が気楽だと。 だから好きになれたのかもしれない。自分と同じように、誰からも愛されなくなったこの場所を。 「………」 空を見上げていた゛少女゛は、ふと何かを思い出したかのように頭を下ろす。 青と白の美しい景色から一転して目に映るのは、周りを囲むように生えている雑木林。 十年近くも前から手入れされなくなったこの場所は、夏が訪れようとしているのに薄ら寒い何かが漂っている。 かつて人から名前を貰ったこの土地も、多くの人々の記憶から忘れ去られた今では死に体も同然。 撤去されたベンチの埋め合わせで生えてきた雑草は少女の膝くらいの高さにまで伸びており、お世辞にも歩き易い場所ではない。 少し厚めの靴下を履かずに歩こうものなら、無駄に成長している草たちでその足を切ってしまうだろう。 幸いにも゛少女゛が今いる場所はそれほど成長しておらず、注意して歩けば怪我をすることはない。 しかし、゛少女゛はそんな理由で頭を下げたのではなかった。 頭を下ろした゛少女゛を囲むようにしてできている小さな雑木林。 リスやトカゲといった小動物はいないものの、きっとコガネムシやバッタなど昆虫たちの住処と化しているだろう。 雑木林にその身を囲まれている゛少女゛はその場から動くことなく、ゆっくりと周囲を見回し始めた。 まるで何かを探しているかのように、頭だけを動かして見回している。 顔色一つ変えずそのような事をしている゛少女゛の姿は、何処となく不気味な何かが漂っている。 やがて十秒ほど辺りを見回した時、突如゛少女゛の動きが止まった。 まるでリードを引っ張られた犬の様にその体をビクリと止めた゛少女゛の視線の先にあるのは無論、雑木林。 常人が一見すれば何の変哲もないであろうその林…否、その林の゛向こう゛から、゛少女゛は感じ取っていた。 自分をここまで連れてきた、゛怒り゛の根源であろう゛何か゛の気配を――――― ゛少女゛は目の前をじっと見据えたまま、思い出し始める。 なぜ自分がこんな場所へとやって来たのか、その理由と経緯を。 数時間前、゛少女゛をとある苦痛から助け出した゛怒り゛の感情がこんな事を教えてきた。 『お前は今から、ある場所へ行け』と。 ゛少女゛自身の心が、゛少女゛の体にそう命令したのである。 ゛少女゛はその指示に従って森の中を歩き、途中襲いかかってきた豚頭の怪物を葬ってここへ来た。 その時近くにいた二人の人間が襲いかかってきたのだが、その人たちがどうなったのか゛少女゛は良く知らない。 襲われた張本人である゛少女゛自身が覚えていないというのはどう考えてもおかしいが、本当に何も覚えていないのだ。 ただ。二人の内一人が何かを言ってきた時、自分の意識が混濁したことだけはハッキリと覚えていた。 何を言われたのかという事も覚えてはいないが、きっとその言葉は自分にとって一番言われたくない言葉だったのだろう。 もしもそうならば、むしろ思い出す必要は無いと決めて゛少女゛は考える事をやめた。 そうして何も考えずただ゛怒り゛の指示に従って歩き、今に至ってようやく゛少女゛は理解した。 ――――――゛怒り゛は、導いてくれたのかもれない。 自分を苛んでいた痛みの根源である、゛何か゛と会わせるために… その瞬間であった。 目の前の林から二つの小さくて薄い物体が飛び出してきたのは。 少なくとも亜高速の銃弾より遅いであろうそれはしかし、並大抵の人間の目では決して捉える事はできないだろう。 それ程の速度で迫ってくる二つの物体に対し゛少女゛は頭で考えるより先に体を動かし、咄嗟に左手を前に突き出す。 突き出したと同時に二つの物体と左手が見事衝突した瞬間、不思議な事が起こった。 何とその物体は、まるで糊が塗られているかのようにピッタリと゛少女゛の左手に貼りついたのである。 「あっ…――…えっ?」 一体何なのかと軽く驚きそうになった瞬間、そこで゛少女゛は気づく。 自分に目がけて飛び出してきた物体の正体が、二枚の紙であったことに。 長方形の白いそれには、赤い墨を使って文字か記号の様なものが書かれている。 それが目に入った瞬間、今まで無表情であった゛少女゛の目がカッと見開かれた。 ゛少女゛は知っていた。この紙に書かれている文字がどういう意味を示しているのか。 そして、これの直撃を喰らう事が非常に危険だという事だと。 直後、゛少女゛の左手に貼りついた二枚の紙がパッと一斉に光り輝く。 まるで信号弾のように青白いその光は、あっという間に彼女の体を包み込み―――――爆発した。 黒色火薬や系統魔法のどれとも違うそれは、本来はこの世界に無い力に包まれている。 それ程強くもない爆発だというのにそこから生まれた風は強く、地面の雑草を吹き飛ばし雑木林を激しく揺れ動かす。 地面の土が煙となって一斉に舞い上がり、爆発の中心にいた゛少女゛ごと周囲を包み込む。 爆発自体は一瞬であったものの、その一撃はあまりにも強かった。 しかも爆弾や魔法でもない、たった二枚の紙がそれを引き起こしたのである。 もしこの事を知らない人間に事情を話しても、すぐに有り得ないの一言でバッサリ切られてしまうだろう。 「――――――成る程。…こりゃまた、とんでもないのがやって来たわね」 辺り一帯が土ぼこれに包み込まれ、爆風の余波で今も揺れ動く林の木々。 先程とは一変してやかましくなったその場所へと、一人近づこうとしている゛彼女゛がいた。 爆発に巻き込まれた゛少女゛と同じ色の髪に同じ色とデザインの赤いリボンを頭に付けた、赤みがかった黒い瞳の゛彼女゛。 紅白の服と黄色のスカーフを身に着け、服とは別になっている白い袖を腕に着けている゛彼女゛の表情は不機嫌なものとなっている。 「まぁ、ここ最近は動きが無かったから充分休ませてもらったけど…」 ゛彼女゛は黒いローファーを履いた両足でゆっくりと歩きながらも、一人何かを呟きながら歩いている。 白いフリルがついた赤のセミロングスカートをはためかせ、爆発の中心部へ向かって一歩一歩確実に近づいていく。 右手には先程の爆発を起こした原因である白い紙と同じものを三枚、しっかりと握り締めていた。 もしもあの爆発を見ていた者がいたら、きっと気づく者は気づいていたに違いない。 あの爆発を起こしたのは、もしかすると゛彼女゛かもしれないと。 生憎この場に居合わせているのは゛少女゛と゛彼女゛の二人だけであったが、それは間違っていない。 あの紙を゛少女゛に投げつけ、爆発させたのは゛彼女゛の仕業だった。 「だからって、来ただけで散々人を驚かせるなんて…ちょっと趣味にしては悪質よねぇ?」 尚も濃厚な土煙が漂う爆発の中心部の前で足を止めた゛彼女゛は、まだ呟いている。 もしもこの独り言が他人に聞かれたとしても、きっとその言葉に含まれている事実を知ることは出来ないだろう。 立ち止まった゛彼女゛はその場でジッと土煙を睨み、その中にいるであろう゛何か゛を見据えようとしている。 中心地に何がい今はどういう状況になっているのかという事も知らなかったが、゛彼女゛は感じていた。 わざわざ自分を街の中央から、こんな人気のない場所へと導いたであろう傍迷惑な゛存在゛の気配を。 「メイジとかキメラといい――――…そしてアンタといい。本当、この世界は面白くて厄介だわ」 独り言をつづけながらも、゛彼女゛はジッと睨み続けている。 初夏の風に吹かれて少しずつ薄れていく土煙の中から見える、黒い人型のシルエットを。 奇妙な事に、そのシルエットの正体が突き出したままであろう左手がボンヤリと薄く光っている。 煙越しに見ているせいかもしれないが、まるで空中に浮かぶ火の玉のようだ。 「さてと、痛い目にあわして色々と聞きたい前に一つだけ質問するけど…」 ゛彼女゛がそう言った時、段々と薄くなっていく土煙の中からゆっくりと゛少女゛が歩いてきた。 左手を突き出した姿勢のまま、突如攻撃をしてきた゛彼女゛と同じ歩調で足を前に進めて迫ってくる。 段々とその姿がハッキリと見え始めた時、゛彼女゛は静かに身構えた。 まるで飢えた猛虎と対面した獅子のように、いつでも先手を打てるよう左手を懐に伸ばす。 その直後。爆風の中からようやく出てきた゛少女゛が、目の前にいる゛彼女゛と対峙するかのようにその場で足を止めた。 爆発でその身に羽織っていたローブが破け去った今、゛少女゛の着ている服が明らかとなった。 紅白を基調とした服に黄色のスカーフ。そして服とは別々になっている白い袖。 赤いセミロングのスカートには白いフリルがついており、土煙の所為で少しばかり汚れている。 足に履いているのはローファーではなくブーツであったが、それ以外は゛彼女゛と全く同じ容姿をしていた。 そう、全く同じ容姿をしていたのだ。瓜二つや双子という言葉では例えられない程に。 顔の形や肌と目の色も全て、型を取って量産された安い置物のように二人の姿は九割方一致している。 違っている点は履いている靴とその顔に浮かべた表情、そして体から滲み出ている゛怒り゛であった。 ゛彼女゛の体からは、段々と熱くなっていくお湯の如く怒りに満ちていく気配と癇癪玉の如き不機嫌さが募った表情。 ゛少女゛の体からは、心の芯まで冷えてしまうような氷の如く冷静な怒りの気配と人形の様な無表情。 だが…それ等を別にして何より目立っていた共通項は、双方ともに光り輝く゛左手゛であった。 先制攻撃を仕掛けてきた゛彼女゛の左手にはルーンが刻まれており、それを中心にして薄く輝いている。 一方の゛少女゛の左手には何も刻まれていないものの、夜中の墓地を彷徨う幽霊の様にボンヤリと光っている。 人気失せて久しい森林公園の中。 そこに今、殆ど同じ容姿をした二人の少女が対面している。 見れば誰もが困惑するであろう。段々と現実から離れてゆくその光景に。 「アンタ、一体何なのよ?」 ゛彼女゛―――博麗霊夢の口から出た唐突な質問に、 「…それは、こっちが聞きたいくらいよ」 ゛少女゛――…博麗霊夢は手短に返した後。戦いが始まった。 方向性はそれぞれ違うものの、二人の心が゛怒り゛のそれへと染まりきった状況の中、 全く同じ姿と声を持ち、互いに左手が光っている二人の霊夢の戦いが、今まさに始まろうとしていた。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん あぁ、これは夢にしてはちょっとリアル過ぎないかしら? 物心を持った霊夢が何年かした後にそんな事を思うようになったのは、数にして役二桁程度だろうか。 例えば今食べたいモノを口にしている食感とか、賽銭箱に入った貨幣を勢いよく掴みとった時の感触等々…。 起きる直前まで夢と思えぬ程の現実感に酔いしれて、手に取れぬ幸せに浸れる時間こそ夢の醍醐味なのではと彼女は思っている。 だが、ふとした拍子に目が覚めて初めて夢だと気づいた直後…今見ていた現実がそっくりそのまま幻に置き換わったかのような虚無感がその身を襲う。 上半身だけを起こして重たい瞼を瞬かせた後に、落胆のため息と共に訪れるどうしようもない空しさ。 そんな「リアルな夢」を、彼女はこれまで幾度となく見てきた。そして、これからも睡眠の時にそういうモノを見る機会が増えるであろう。 しかし、ついさっきまで見ていた夢には悪い意味で「生々しい」迫力があった。 勢いよく振り下ろした拳が柔らかい物を殴ったかのような感触に、その拳に付着する液体の生ぬるさ。 振り払った右足の蹴りでそれなりの固さがある木の枝を折ったかのような、しっかりとした抵抗感。 そして耳の中に入ってくるのは、犬とよく似た鳴き声を持つ動物たちの唸り声と死を連想させる断末魔の叫び。 鼻腔を刺激する血の臭いが眠り続ける彼女の体を緊張させ、その体から汗を滲ませる。 何も見えない闇の中で、何者かと争っているかのようなリアルな悪夢。 手足が痛み、血の匂いで鼻が駄目になりそうだと感じてもその戦いは終わりを告げる様子が全く無い。 もしかするとこのまま目を覚ますことなく、生々しい悪夢の中に囚われてしまうのではないかという不安すら抱いてしまう。 結局のところ、その悪夢は彼女の体内時計の中では十分ほどで終わりを告げた。 目を覚まして冷や汗だらけの体をベッドの上から体を起こした後で今まで夢を見ていたのだと気づき、安堵する。 あぁ、これは夢にしてはちょっとリアル過ぎないかしら… そんな一言を内心呟きながら、彼女は胸をなで下ろしたのである。 ◆ 午前四時半という朝と夜が交差し始める時間帯。 見た目は立派だが『この建物の中』では比較的大人しい部類に入る調度の部屋。 普段は客室として使用されており、昨日からは二人の少女を客として迎え入れてその役目を果たしていた。 「……なるほど。何であんなに汗だくだったのかという理由が、ようやく分かったよ」 暗い部屋の中、共に小さなカンテラを囲む霊夢からの話を聞いていた魔理沙がウンウンと頷いた。 夏という事もあって暖炉の火はつけておらず、備え付けのカンテラをテーブルに置いている。 魔理沙の服装はいつも着ている黒白のドレスだが黒いベストは外しており、白のブラウスがやけに目立っていた。 彼女に先程見ていた夢の事を聞かせていた霊夢もいつもの紅白服で、それを見れば二人に眠る気が無いのは一目瞭然だろう。 「全く…あんなの見てたらもう眠りたくても眠れないじゃないの。まだ朝って言えるような時間でもないし」 先程見た妙にリアル過ぎた夢に愚痴を漏らしながら、博麗の巫女は肩をすくめる。 部屋の外から人の声どころか物音ひとつ聞こえてこないのが分かれば、まだ人の起きる時間ではないという事だ。 外と内部の警備をしている衛士達の姿も日を跨ぐ前の時間帯と比べ少なくなっており、起きている者たちも眠たそうな様子を見せている。 そんな中でこの二人だけは空気を読めないのか、こうして夜中に起きて暇つぶしにと適当な会話をしていた。 最も、ついさっきまで寝ていた事もあるが二人の目はちゃんと冴えており、今ベッドで横になってもすぐに眠れはしないだろう。 時間も微妙であり、後もう少しすれば太陽が顔を出してしまうので仕方なしに起きている。 だが魔理沙としては紅白の巫女が語ってくれた話が中々面白かったので、まぁこういうのも良いなという程度にしか思っていなかった。 むしろ夜更かしという行為にあまり抵抗が無い事もあってか、話を聞かせてくれている霊夢よりもずっと目が覚めていた。 「しっかしそんな気持ちの悪い夢を見るとは…お前、もしかして誰かに恨まれてるとか?」 『あぁ~、そりゃあ大いに有り得るねぇ。まぁお気の毒さまってヤツよ』 多少寝不足気味な巫女を励ましているのか良くわからない言葉を魔理沙が言うと、彼女のすぐ横から男の声が聞こえてくる。 やかましいだみ声にエコーを掛けたようなその声と同時に、カチャカチャという金属特有の音も二人の耳に入ってきた。 その音の正体はインテリジェンスソードのデルフリンガー。簡単に言えば人並みの感情と理性を持っている殺人道具だ。 喋る際に鳴り響く金属音が気に障るのか、苛ついた様子を見せる霊夢がデルフに愚痴を漏らす。 「…アンタは良いわよね。どうせ眠らなくたってイライラしたりしないんでしょう?」 赤みがかった黒目を鋭く光らせた喋ったもののデルフにはさほどの効果は無いようで、あっさりと言葉を返される。 『まぁね。だからその分夜中とクローゼットに入れられている時は辛いもんさ。何もすることが無いしな』 「というか、手も足も無いお前に何ができるんだろうな?できる事があったら聞きたいくらいだぜ」 新た強い玩具を与えられた子供の様な笑顔を浮かべて魔理沙が話に入ってくると、デルフの視線(?)も彼女の方へと向いた。 『そういやそうだな。…良しマリサ!この際だから手足の無い剣のオレっちに何かできる暇つぶしを考えてくれよ』 「良し、わかった。じゃあ今からでもちよっと考えてみるから待っててくれよ」 いつの間にか魔理沙とデルフだけの会話になり、蚊帳の外へと追い出された霊夢は一人ため息を突く。 しつこい位に自分に話しかけてくるヤツは鬱陶しいが、こうも簡単に離れられてしまうと寂しいモノを感じてしまう。 黒白と一本の様子を横目で見ながらも、ふとここへ゛来てから゛もう四日も経った事に彼女は気づいた。 (思ったよりかは、学院より割と静かで生活しやすい場所ね。王宮ってところは) そう、今彼女たちとここにはいないルイズがいる場所はトリステイン魔法学院ではない。 この国…トリステイン王国の中心地といっても過言ではない建物である王宮にいた。 ◆ どうして彼女たちがここにいるのか?今に至るまでの過程を説明しておこう。 時をちょっとだけ戻して前日の夕方頃…ルイズと霊夢、魔理沙とキュルケの四人は衛士達の詰所から王宮へ護送されてきた。 詰め所を出る前にルイズから聞かされていた話が正しいのならば、彼女たちを王宮へ呼んだのはアンリエッタ姫殿下である。 なぜ王宮の中でも一際高い地位にいる少女が自分たちを呼んだのか?その理由をルイズが教えてくれた。 彼女たちが詰所へ来る原因の一つには、旧市街地の方で霊夢とそっくりでありながら全く違う゛何か゛と戦った。 本物の霊夢がソレと戦い何とか勝利を収めたものの、結果として怪我を負った彼女はその場で気を失う事となってしまう。 どうしようかと慌てふためいていたルイズと魔理沙であったが、丁度いいタイミングで助け舟が来てくれた。 その助け舟こそ、旧市街地で物騒な爆発が起きていると通報で知り、馬に乗って駆けつけてきた衛士隊の面々である。 到着した彼らはそこにいたルイズたちから霊夢の応急手当を頼まれ、見事にそれを果たしている。 最もその場で出来たのは包帯を使っての簡単な止血だけで、ちゃんとした止血をするには詰め所に行く必要があった。 何より彼らは、霊夢とレイムの戦いで荒れてしまった旧市街地の入り口を見たおかげで、彼らが通報の原因だと察していた。 その後、安全に運ぶためにと馬車を呼んで詰所本部へと送られた霊夢を除く三人は、取り調べを受けている。 つい最近街で奇怪かつ不可解な貴族の殺害事件があったということもあって、その取り調べは徹底していた。 最も、名家の末女であるルイズと留学生のキュルケは事情聴取だけで済んだが、魔理沙だけか危うく゛尋問゛されかけたのだという。 大方いつも通りの態度で衛士たちと接したのだろうと、本人の体験談を聞いた霊夢はそんな感想を心中に抱いていた。 ルイズとキュルケは夜中の十一時に解放されたらしいが、いつもどおり過ぎた魔理沙はこってり夜中の二時半まで絞り上げられてから詰所で一夜を過ごした。 本来なら学院へ送り返すべきなのだろうが、時間が遅すぎるということで結局早馬を使って伝令を送ることとなった。 そうして朝になり、三人がとりあえずの朝食を頂いてしばらくしてから魔法科学院…ではなく王宮からの使いがやってきた。 それこそが、四人が王宮へ行くこととなったアンリエッタ王女からの使いだったのだ。 馬車に乗ったルイズは何が起こるか分からないといった表情を浮かべる霊夢に「まぁ大丈夫よ」と言い、それに対して嬉しそうな魔理沙には呆れるかのようなため息をついてみせた。 ただ詰所へと運ばれる前に起った゛ド派手な出来事゛のせいで三人の事をもっと知りたくなったキュルケは、彼女たちと同行できなかったのである。 二つ名である゛微熱゛に似合う性格に隠し事を嫌う彼女は、王宮に入ってすぐそこにいた人たちの手によって学院に送り返されていたのだ。 その人たちこそルイズとキュルケの学び舎であり、今の霊夢と魔理沙の住処である魔法学院の教師であるオールド・オスマンとミスタ・コルベールであった。 衛士達の馬車で王宮の中まで運んでもらった後、エントランスで四人を待っていたのが彼らだった。 ルイズと少し驚いた様子を見せて彼らの名を呼び、それに対して先に口を開いたのは心配そうな表情を浮かべるコルベールだった。 「あぁ!貴女たち!!話は色々と聞いておりますぞ!よくぞご無事で!」 忙しない足取りでルイズの手を取った彼の後頭部に、霊夢の隣にいた魔理沙が声を上げた。 「おぉコルベールじゃないか?何だ、アタシたちが帰ってこなかったからって迎えに来てくれたのか?」 「多分半分正解で半分外れね。…っていうか、何で学院から教師が来てるのよ?」 場違いなくらい楽しそうな雰囲気を放つ魔理沙に続いて発言したのは霊夢だった。 身体の方はまだ完全に癒えていないものの、口だけは達者になれる程度に回復していた。 「ワシ等は姫殿下直々に呼ばれてのぉ。諸君らと一緒に色々と話し合わなきゃいけない事ができたのじゃよ」 しわがれた声がコルベールの後ろから聞こえてくると同時に、彼の後ろからひょっと姿を現したのが学院長のオールド・オスマンであった。 青みがかった黒のローブを纏い大きな杖を右手に持った老人は、四人の姿を見て柔らかい笑みを浮かべた。 「ウム。ミス・ツェルプストーもミス・ヴァリエールを含めた他の三人も特に傷ついてはいないようだ」 「ここに来るついさっきまで、頭に包帯を巻いてたんですけど?」 うっかり呟いた後に飛んできた霊夢の突っ込みに、オスマンは何の問題か言わんばかりにフォフォフォ…と笑う。 反論できるくらいの元気があるなら問題は無いじゃろ。何年生きてきたのか誰も知らぬ老人の笑みは、そう言っている様にこの時のルイズは思えた。 その時までは互いに気楽な会話をしていたのだが、それはすぐに終りを告げた。 顔を合わせて一番に霊夢からの突っ込みをもらったオスマンは、笑顔を浮かべたままキュルケの方へ体を向けると、こんなことを言ってきた。 「さてと…ミス・ツェルプストー。ここまで来て悪いのだが、このままミスタ・コルベールと一緒に学院の方まで戻ってくれんかのぉ?」 「……?それは一体どういうことでしょうか、オールド・オスマン」 まるで使い古したモップのような白い髭を撫でる学院長の言葉に、キュルケはキョトンとした表情を浮かべてしまう。 無理もない。何せ今の彼女は、昨日起こった゛非現実的過ぎる出来事゛に直面した人物になっているという事を内心喜んでいたからだ。 そしてもっと面白い事が起きるかも知れないとルイズ達と一緒に王宮まで来たというのに、そこで学院へ戻れという命令は余りにも酷であった。 簡潔に例えるならば、目の前で生肉を見せつけられて涎を垂らす飢えたマンティコア。それがあの時のキュルケだった。 しかしそんな彼女の心境を知る者など当然おらず、その一人であるコルベールが説明してくれた。 昨晩の騒動を受けてトリスタニアには厳戒態勢が敷かれ、特に学院の生徒たちは一週間ほど外出禁止の命令が出たのだという。 特にその騒ぎの中心にいたのがあのヴァリエール家の令嬢という事もあって、王宮側が今朝一番に竜騎士を使いに出してまでその事を伝えに来たということも付け加えて話した。 「ウソでしょ?まさかそんな大事になってたなんて……」 コルベールからの丁寧な説明にルイズは驚きのあまり目を丸くしたのだが、一方のキュルケは「あら、そうですの」と軽い反応を見せた後にこう返した。 「ですがミスタ・コルベール。私もルイズたちと同じ場所にいて、同じ体験をしましたのよ?証人としての価値は十分にありますわ」 横にいるルイズと霊夢たちを見やりつつ、燃え盛る炎のような赤い髪を手で撫でながら開き直るような言葉を返した。 しかし、その言い訳臭い彼女の言葉を全否定するかのように、オスマンがホッホッホッと笑いながらこんな事をキュルケに教えてくれた。 「実はなぁ、ミス・ツェルプストー。…アンリエッタ姫殿下からのお言伝があってのう。 わざわざ外国から来てくれた大事な留学生のお方を危険な立場に晒したくない、 ですからすぐにでも安全な学院へ返してあげください―――とな?」 ■ (あの時のアイツの悔しそうなは…もしかして初めて見たかも) ふと何となく王宮へきた時のことを思い出した霊夢は、カンテラの火に照らされながら心の中でぼやく。 結局キュルケはコルベールと共にルイズたちと別れることとなり、名残惜しそうな表情を浮かべて学院へと引きずられていった。 帰ってきたらちゃんと私に教えなさいよねぇ!…という捨て台詞を残したキュルケと、それを見て苦笑いを浮かべるコルベールの姿は未だに忘れていない。 そんな二人を見ながら、オスマンはただふぉふぉふぉ…としわがれた笑い声を小さく上げていたのも記憶に残っている これは霊夢の考えであるが、おそらくあの言葉はオスマンの口から出た所謂゛出まかせ゛か…或いは゛国家的権力゛というモノなんだろう。 今のところ自分たちの秘密を知っているハルケギニアの人間はルイズを除いてアンリエッタにコルベール、そしてあの学院長だけだ。 実質的に第三者であり口が軽いであろうキュルケを意図的に学院へ戻したのは妥当な判断ともいえる。 (まぁ居たら居たで色々と厄介だったし。ここはあの学院長に感謝すべきよね) やけに眩しくて目に刺激を与えるカンテラの明かりから少し目を逸らした霊夢は、ふと魔理沙たちの方を見やる。 未だ太陽の出ぬ未明の闇のなかで光り輝く小さな火は、向かい側で楽しげなやり取りをするデルフと魔理沙の姿も照らしていた。 先ほどデルフから(霊夢からすればとても無茶難題な)願いを託された普通の魔法使いは、目を瞑って考え事をしている。 恐らく人間である彼女の視点から手も足もないひと振りの剣にどんな暇つぶしができるのか模索している最中であろう。 霊夢を初めてとして並大抵の人間なら未だ寝ている時間帯だというのに、人間である魔理沙はかなり目が覚めているようだ。 生々しいグロテスクな悪夢を見て目覚めた霊夢の目は冴えているが、目の前の魔法使いと比べれば日中よりも左右の脳はうまく機能していない。 魔法使いだから夜更しに慣れているのか、それともパチュリーやアリスのように人間をやめる準備を着々と進めているのか…真相は当の本人以外誰も知らない (魔女になってくれたりしたら、遠慮なく退治できるんだけどなぁ~…) 割と数の少ない知り合いに対して物騒なことを思いついたのがばれたのか、デルフと会話していた魔理沙が怪訝な表情を浮かべた。 「……おまえ、今私に対して物凄い物騒なことを考えてたな?」 「あら?随分と勘が良いわね。それぐらい良かったら私の代わりくらい勤まりそうなものよ」 普通の魔法使いにそう指摘された巫女ははぐらかすこともなく、あっさりと心の内をさらけ出す。 しかし彼女の言葉に対してデルフによる遠慮のない突っ込みが、横槍のごとく彼女の耳に入ってくる。 『いやいや。お前さんが今見せてるジト目を見たら、誰だって何か怖いこと考えてるなぁ~…って思うぜ?』 そう呟いた直後、部屋中にインテリジェンスソードを蹴飛ばす硬く甲高い音が響き渡った。 ◆ 深い深い闇の帳を誘う夜に永遠はない。地平線の彼方から上ってくる日の光がそれを払いのけるからだ。 夜明けとともに闇を好む者たちは姿を隠し、日の出とともに人々は目を覚まして起き上がる。 それは大体の人間に当てはまる当たり前のことであり、ルイズもまたその゛当たり前゛に従ってゆっくりと目を覚ました。 「ん…ムニュウ…」 少しだけ窓から鳥たちの囀りが耳に入る中上半身をのそりと起こした彼女は、自分の周囲を見回す。 ルイズが今いる場所は学院の自室ではなく王宮の中にある来客用の豪華な部屋で、大きさは二回り程も上である。 体を起こせば眩しい朝日を背中に受ける位置に、彼女よりも遥かに大きいベッドが設置されている。 部屋の中央には接客用のソファーとテーブルが置かれており、一目見ただけでもこの部屋に相応しい一級品とわかった。 未だ寝ぼけている頭でボーっとしていたルイズは大きな欠伸を一つかますと、ふと部屋の右側へと頭を動かす。 ルイズから見てベッドのすぐ右横に置かれているハンガーラックには、学院で着用しているブラウスとスカート…それにマントが掛けられていた。 そしてそのハンガーラックの丁度真ん中部分に作られている小さなテーブルには、彼女が愛用する杖がそっと置かている。 いつまでもベッドにいても仕方ないと思ったのか、もぞもぞとベッドから出てきたルイズは眠り目を擦りながらスローペースで着替え始める。 それが終わって杖を腰に差したあたりでルイズの目は充分に覚めており、今日一日頑張るぞと言わんばかりに両手を上に上げて大きく背伸びした。 ふと時計を見てみると時間はまだ朝の八時を少し過ぎたところ。朝食の時間である九時までほんの少しだけ余裕がある。 (それにしても…昨日は衛士隊の人たちが着替えを持ってきてくれて本当によかったわ) 屈伸を終え、ひとまずソファに腰かけたルイズは心の中で呟きつつも昨夜の出来事について思い出し始めた。 本来なら王宮にはないルイズの服や私物は前日の夜…すなわち王宮入りしたその日に学院から持ってこられたものだ。 アンリエッタが魔法衛士隊に命令し、その日の内に鞄に詰められた状態でこの部屋に運び込まれたのである。 ご丁寧にアルビオンで放置してきたが為に買い直したばかりの真新しい鞄に詰めてきたのは衛士隊の粋な計らいだろうとルイズは思うことにした。 無論、彼女だけではなく別の部屋にいる霊夢と魔理沙の着替えや私物も持ってきてくれたので、これにはあの二人も感謝の意を述べていた。 ――――しかし…だからといってあのインテリジェンスソードまで持ってくることは無いんじゃないかしら? 新兵であろう若い青年衛士が苦笑いを浮かべつつ霊夢の前に差し出した縄で縛られたデルフの事を思い出してしまい、ルイズの表情が渋くなる。 最初にそれを差し出された霊夢も同じような表情を浮かべつつ、どうして持ってきたのかと衛士に問い詰めていた。 まるで魔法学院を卒業したばかりのような初々しさを顔に残した彼は、少し困惑したような表情を浮かべながら説明してくれた。 何でも、衣類などを鞄に詰めている最中にクローゼットの中でジタバタと動いているのを見つけてしまったらしく、これも私物なのかと思い持ってきたのだという。 まぁ最近はそんなにうるさく喋ることもないし、何よりその衛士に学院に戻してこいと何て言えるはずもないので、渋々霊夢が預かる事となった。 ――――まったく、ただでさえ厄介なことに巻き込まれたのについでにアンタまで来るなんて災難だわ ――――――そりゃオレっちのセリフだっての…二年半くらい閉じ込められてた気分だぜ畜生…! ぶっきらぼうな表情で霊夢がそう言うと、なんとか金具の部分を自力で出したデルフは吐き捨てるように言葉を返していた。 そんな事を思い出していると、ふとドアの方からノックの音が聞こえた後に自分を呼ぶ声が聞こえてくる。 「御早う御座いますミス・ヴァリエール。朝の洗顔と髪梳きに参りました」 「あら、わざわざありがとう。それならお言葉に甘えてしてもらおうかしら」 まだ二十代もいかぬ思える瑞々しく若い声に、ルイズは反射的に左手を挙げて言葉を返す。 一時的な部屋の主に入室の許可を得た給士が水の入った小さな桶と櫛、それに数枚のタオルが乗ったお盆を手に入ってきた。 亜麻色の髪をポニーテールで綺麗に纏めており、身に着けているメイド服は魔法学院のものと比べ所々に金糸の刺繍が施されている。 これからの季節を考慮してか半袖のメイド服の給士はソファに腰かけているルイズのすぐ横にまで来ると、お盆を自身の足元に置いて一礼した。 「それではまず、洗顔の方から入らせて貰います」 王宮の給紙として充分な教育を受けた彼女はそう言うと一枚目のタオルを手に取り、それを桶に入った水にさっと浸す。 ついで水を吸ったタオルを軽く絞り、一度広げてからそれを正方形に折りたたんだ後に、失礼しますと声を掛けてからルイズの顔を拭き始めた。 魔法学院では基本自分の身だしなみは自分で整えるが、大半の貴族はこのように給士にさせる事が多い。 ルイズも幼少期の頃はよく給士や侍女にしてもらった事があった為、当たり前のようにしてもらっている。 無論それは彼女だけではなく今は魔法学院にいる生徒たちにも、そういった経験をしている者たちは少なくない。 「ありがとう、これくらいでもう良いわ」 洗顔を済まし、櫛で髪を梳いてもらったルイズは給士に身支度を終わらせるよう命令する。 それを聞き、わかりましたと給士は櫛を盆に置き一礼してから、盆を手に持って立ち上がりそのまま軽やかかつ丁寧な足取りで退室した。 ドアの閉まる音が聞こえるとルイズはほっと一息つき、ふと別の部屋で一晩寝ることとなった霊夢と魔理沙のことを思い出す。 そういえばあの二人は今頃何しているのだろうかと考え、さっきまでの自分のように給士に身支度を整えてもらってるのだろうかと想像しようとする。 魔理沙なら面白半分でさせてそうなのだが、どう思い浮かべても霊夢が人の手を借りて身支度を済ますというのは考えられなかった。 その時だった、またもやドアのノック音が耳に入ってきたのは。 今朝はやけに部屋を訪ねてくる人がいるなぁと思いつつ、ドアの向こうにいる人物が喋る前に声をかけてみる。 「はい、どなたかしら?」 ルイズの呼びかけに対し来訪者は数秒ほどの間を置いてから、言葉を返した。 この時もまた侍女が来たのだと思っていたが、その予想は良い意味で裏切られることとなった。 「おはようルイズ、昨晩はよく眠れたかしら」 「…………っ!ひ、姫さまだったんですか!?」 部屋の戸をたたいたものの正体はこの王宮に住む主でありトリステイン王国の華である、アンリエッタ王女だった。 ルイズは思わぬ人物がやってきたと驚きつつも急いで立ち上がり、出入り口まで早足で歩いてドアを開けた。 ドアを開けて顔を合わせたアンリエッタは軽く一礼すると部屋の中に入り、それを見計らってルイズがそっとドアを閉じる。 「おはようございます姫さま。わざわざこの部屋にお越しいただかなくとも私が直接姫さまのお部屋に赴きましたのに…」 「いいのよルイズ。朝一番に貴女の顔を見に来たかったのですから…ってあらあら?」 アンリエッタは先程までルイズが寝ていたベッドの上に、脱ぎ捨てられたネグリジェが放置されていることに気付いた。 そこで寝ていた本人もアンリエッタの視線がどこを向いているのか気づき、あわわわと言いたげな表情を顔に浮かべてしまう。 「ふふ、少しタイミングが狂っていたら私が貴女を起こすことになっていたかもね。ヴァリエール」 「は…はい、この部屋のベッドがあまりにも気持ちよかったもので…ついさっきまで眠っていたところでした…」 悪戯っぽい微笑みを浮かべてそう言うアンリエッタとは対照的に、ルイズは恥ずかしそうな苦笑いを浮かべて言った。 ■ 廊下で待機していたであろう侍女達を呼んでベッドを直してもらっている最中、二人はソファに腰かけて会話している。 朝早くから花も恥じらう程美しい少女二人がゆったりと腰を下ろして話し合う光景は絵画として後世に残しても良いと思えるほどだ。 ただしその二人の口から出る言葉はこの年頃の娘がとても口にするとは思えない言葉が飛び交っていた。 「つまり…枢機卿は陸軍の一個大隊と砲兵隊も動員してレコン・キスタの゛親善訪問゛に臨むと?」 「えぇ。でも私としては、後ろ手に短剣を隠す持つような真似はしないで欲しいと仰ったのですが…」 心配そうな顔で先ほど話した事を改めて確認してきたルイズに、アンリエッタはどこか陰りを見せる表情でそう返す。 その二人の会話を聞いているのかいないのかよくわからない表情で聞いている侍女は両手でシーツをつかむとバサッと大きく持ち上げた。 「グラモン元帥をはじめ陸空に魔法衛士隊など、この国の守り人たちを指揮する幹部の方々も同じように賛成しているのでとても…」 「そうなのですか…」 そういえばあのギーシュの父親は軍人だったな…と余計な事を考えつつも、ルイズは相槌を打った。 アンリエッタがルイズに話した内容とは、滅亡したアルビオン王家に変わりあの白の国を統べる事となった゛神聖アルビオン共和国゛の親善訪問に関することであった。 ルイズがアンリエッタの使いで、霊夢は故郷の書物と巡り合った事でアルビオンへと赴き、 二人一緒に一難超えて帰還した後にレコン・キスタはその名を「神聖アルビオン共和国」へと改めている。 王家を打倒し、貴族による国家を成立させ、初代神聖皇帝兼貴族議会議長であるオリヴァー・クロムウェルはトリステインとゲルマニアに特使を派遣した。 特使が持ち込んだ話は不可侵条約の締結打診であり、両国間は数日の協議を経てこれを了承する。 仮に今現在の戦力でトリステインとゲルマニアが組んだとしても、五十年前の戦争で圧倒的戦果を上げたアルビオンの空軍と艦隊に勝てる勝算はあまりにも低すぎる。 一部空軍の将校や士官が王家討伐の際に粛清されたとも聞くが所詮は雀の涙ほどの人数であり、未だ多くの優秀な軍人が向こうにいることは変わりない。 その為両国の政治を司る者たちはこれ幸いと言わんばかりに不可侵条約に飛びつき、こうして一時的な平和が約束された。 しばらくして、今度はアンリエッタとゲルマニア皇帝アルブレヒト三世の結婚式の時期が近づいてきた。 そんな時である。トリスタニアで内通者と思われる貴族が変死体で発見されたのは。 現場に残されていた機密情報の内容や殺され方等に不審な点が多々あり、現在も調査中らしい。 しかし内通者がいたという時点で軍部は確信したのである。アルビオンとの戦争が水面下で密かに始まったという事を…。 そもそも貴族至上主義を掲げて立ち上がった連中である。不可侵条約など、元からトリステインとゲルマニアに対する目くらましだったのだろう。 それに加えて魔法学院や森林地帯、そして旧市街地で連続的に発生した異常な騒動。 もはや悠長かつ暢気に親善訪問を待つ必要はないと結論付けた軍上層部は、昨晩のうちに国内の各拠点へと早馬を飛ばしたのである。 アルビオンに条約を守る意思なし。至急全部隊に動員の必要あり。…という一文を付け加えて。 「はぁ…束の間の平和が来ると思っていたのに…。またもや戦争が始まってしまうなんて…」 窓からさす朝陽に照らされた憂鬱な表情のアンリエッタを見て、ルイズもその意見に肯定するかのように軽くうなずく。 しかし頷いてから何かに気付いたのか、細めた目の視線を少しだけ左右に泳がせた後に、その口をゆっくりと開いた。 「姫さまは…アルビオンとの戦争を、今の貴族至上主義者達との戦いを本当に危惧しておられるのですか?」 ルイズからの質問に心当たりがあったアンリエッタは目を丸くさせた後、その顔を俯かせる。 そして暫しの時間を置いた後に強い思いが浮かぶ顔を上げ、彼女の質問にこう答えた。 「貴女の言いたいことはわかるわ…何せ彼らは、ウェールズ様の仇であるのですから…」 ほんの少し前の…若いころの自分が犯し、目の前の親友とその使い魔(?)に清算してくれた過ちを思い出す。 最期まで自分の事を想い続けてくれた初恋の人の仇は、今まさにこの国を滅ぼそうとする神聖アルビオン共和国そのものなのだ。 だからこそ軍部の考えに、賛成しないのですか?――ルイズその言葉を遠回しに聞いてきたのである。 「確かに私は、今もレコン・キスタを憎んでいます。 ですが…大きな争いを起こしてまで、彼の仇を取りたいとは思っておりません。 恋文の回収騒動で貴女とレイムさんを命の危機に追いやり、 あまつさえウェールズ様の命を間接的に奪ったとも言える私が… ましてや、個人的な感情だけで戦争を支持するなど… 将来一国を背負うであろう私には許されぬ行為なのよ……」 「姫さま…」 何かを決意したかのような強さの陰に悲哀が見える表情で自らの心情を吐露したアンリエッタに、ルイズは言葉を返せない。 ただ侍女たちが慌ただしく部屋を整理する物音を聞きながら、彼女の顔をジッと見つめる事しかできないでいる。 そんな時であった、朝から重苦しい雰囲気を漂わせる二人の周囲を崩すかのように侍女が声を掛けてきたのは。 「姫殿下、朝早くから申し訳ないのですが…殿下とミス・ヴァリエールに顔を合わせたいという客人が……」 おずおずと話しかけてきた侍女にルイズが「客人…?」と首を傾げ、それに対し侍女も「えぇ…」と返して頷く。 アンリエッタ自身この年になってからは色々な者たちと顔を合わせてきたが、こんな時間から来る客人など珍しい。 「一体誰なのですか…?今のトリステインが滅多にない由々しき事態の中であっても…朝から王宮を訪ねてくるなんて…」 怪訝な表情を浮かべて訪ねてきた王女に、侍女はかしこまった様子でこう答えた。 「あ、はい…確か、その方のお名前は…………」 ◆ 朝の王宮は、多くの人々が廊下を行き来し忙しなく動き回っている。 侍女たちは点呼を取った後にまずは朝の清掃を始め、警備の魔法衛士隊の隊員たちは胸を張って足を動かす。 王宮勤務の貴族たちは既に朝食を食べ終えて、書類や仕事道具を抱えてそれぞれの部署へと早足で駆けていく。 そんな人々でできた川の流れのように激しい動気を見せる廊下の端っこで、霊夢と魔理沙の二人は立ち往生していた。 まるで初めて大都会の駅に迷い込んでしまった田舎者の様に、二人してその顔に苦笑いを浮かべていた。 「迷ったわねぇ~…」 「迷ったなぁ…」 霊夢の口から出た言葉に魔理沙がそう返すと、彼女が部屋から持ち出してきたデルフがカタカタと動いて喋り出す。 『だから言ったろう?王宮みたいなバカでっかい場所を、オメーらみたいな田舎者が歩き回るとこうなんだよ』 戒めるというより、まるで嘲笑っているかのような物言いに霊夢はムッとした表情を浮かべるが、この剣の言葉にも一理ある。 そもそも、なぜルイズの関係者とはいえこの王宮では部外者に近い二人が自由に王宮を歩き回れているのか…? その理由は昨晩のとある出来事が発端とも言えた。 ● ―――それは昨日の事…学院長を交えたアンリエッタとの話が終わった後、ルイズたちは一時的に学院へ戻る事ができなくなった。 学院長の口から語られた魔法学院で起こった怪事件や、森の中でルイズたちに襲い掛かってきた怪物の話…。 それらの話を聞いたアンリエッタは何か国内で良くないことが起こりつつあると察し、学院に戻るのは今は危険だと判断したのだ。 学院長もそれには同意の意思を示し、結果としてルイズたち三人は近々行われるゲルマニア皇帝との結婚式の日まで王宮で匿われることとなった。 結婚式はゲルマニアの首都ヴィンドボナで執り行われるので、国境地帯で合流するゲルマニア陸軍の一部隊と合同しての大規模かつ厳重な護衛部隊に囲まれて移動する。 式場での詔を読む巫女としてルイズや霊夢たちも誇りあるゲストの一員でアンリエッタに同行しするので、ここにいればわざわざ学院まで迎え行く手間が省けるのだ。 こうして安全性の高さと迎えに行く手間が省けるという理由で、ルイズたちは暫し王宮で羽を休める事となったのである。 ルイズは最初そのことが決まってから多少狼狽えたものの、学院長とアンリエッタの心配という気持ちは理解していた為にやむを得ずお言葉に甘える形となってしまった。 「こいつは飛んだハプニングだぜ、まさかお前さんの偽物に襲われただけでこんな素敵な場所で寝れるなんてな」 「アンタとルイズはそれで済むけど。私は殺されかけたうえに流血沙汰にまでなってるんだけど?」 思いもよらぬ展開に魔理沙は嬉しそうに言うと、苦々しい表情を浮かべた霊夢がそう返した。 話が終わり…オスマン学院長が竜籠で学院へと戻った後に、客室へと案内してくれた際にアンリエッタからこんな言葉を頂いていた。 「今夜はもう出られないですが、明日からは王宮の中を自由に散策してもらっても構いませんよ」 その言葉に部屋へと案内された魔理沙が「えっ?それは本当か?」と嬉しそうな声で聞き返し、ルイズは「えぇっ!?」素っ頓狂な声を上げた。 「えッ…!?姫様…ちょっ…それってどういう意味ですか?」 「何って…そのまま言葉通りの意味よルイズ。私の結婚式までまだ日数があるし、部屋の中に閉じこもっていては退屈してしまうでしょう?」 霊夢以上にトラブルメーカ気質の魔理沙の事を知っているルイズの言葉に、アンリエッタは純粋な気持ちでそう返す。 「私の結婚式が行われるのは、丁度トリステイン魔法学院の夏季休暇が始まる頃…まだまだ一月分の余裕があります。 彼女たちは異世界から来たのですから、この国の素晴らしい王宮を是非見て回ってもらった方がいいと思いまして…」 そう言った後に彼女は懐に入れていたメモ帳を取り出すと、部屋のテーブルに置かれていた羽ペンで文字と自分の名を書き始める。 親友の優しすぎる行動にルイズはただただ冷や汗を流し、一方の魔理沙は思わぬチャンスの到来に満面の笑みを浮かべている。 二、三分の時間を使って三ページ分の文章を書き込んだ後に、アンリエッタは慣れた手つきでもってそれらをメモ帳から切り離した。 ピリリ…という軽快な音が三回響いた後、メモ帳から切り離されたやや硬質な紙でできたメモが三枚テーブルの上に並べられる。 その三枚に掛かれている文章と、自分の名前にミスが無いか確認した後に「よし…」と声を上げたアンリエッタは、今度は懐から小さな袋を取り出す。 袋の口を縛っていた紐を解き、中からとりだしたのは長方形の形をした木製の印章であった。 羽ペンとインク瓶の横に置かれていた朱色のスタンプパッドにその印章を押しつけると、これもまた慣れた動作でメモに押していく。 メモの右端部分に押した印章の絵柄は、ハルケギニアで聖獣と呼ばれるユニコーンと水晶の杖を組み合わせたものであった。 「これは簡易的な身分証明書です。これがあれば外に出ていて警備の者に咎められても大丈夫でしょう。 しっかりとした硬質の紙でできてますので、ポケットに入れて取り出す際に指を切らないよう気を付けてくださいね」 そういってテーブルに置かれていた一枚を手に取り、魔理沙の前に差し出した。 「おぉっ、ありがとうな姫さん…って見た目より結構しっかりしてないかコレ…?」 嬉しそうに両手で受け取った魔理沙であったが、その感触と硬さに不思議そうに首を傾げて言った。 何も知らない魔理沙を見てすかさずルイズが説明を入れてくる。 「それは切り離すと゛固定化゛の魔法が掛かるよう作られてるマジックアイテムよ。平民が使ってるようなメモ帳だと直ぐに破けて使い物にならなくなるじゃない」 彼女の説明に魔法使いは「成程なぁ~」と返しつつメモの両端を持って頭上に掲げている。 その嬉しそうな様子にアンリエッタも微笑み、次いで二枚目の証明書を手に取ってルイズの前に差し出す。 わざわざこんな事までしてくれた姫様に、ルイズは感謝を述べつつそれを受け取った。 「一応警備上の都合もありますので…夜五時以降の退室と、外出は控えてくださいね」 アンリエッタがそう言うと、証明書を大事そうに懐に入れた魔理沙がおぅ!と言葉を返した。 「わざわざご丁寧な説明ありがとな。言ってくれなかったら今夜は外に出ていたところだったぜ」 何せこんなに気分が良いからな!最後にそんな言葉を付け加えてきた魔法使いにルイズは頭を抱え、アンリエッタは「あはは…」と苦笑いを浮かべた。 「まったく…こんな事ならルイズと一緒か、別々の部屋にしてもらいたかったわね…」 そんな三人をベッドの上に腰かけながら見つめていた霊夢が、愚痴に近い言葉を一人呟く。 声が小さかったせいで魔理沙には聞こえなかったが、まぁ聞こえていても本人は気にすることすらなかっただろう ● それから夜が明けて、身支度を終えた二人は部屋の掃除等を侍女たちに任せて、ルイズの所へ行こうとしていた。 窓から漏れる朝陽で体を温めながら、軽い足取りでレッドカーペットの敷かれた廊下をスタスタと歩いていく。 部屋は昨晩のうちに教えられていたし、歩いて二、三分もすれば目的の部屋に到着できる――――…はずであった。 しかし、部屋から持ち出してきたデルフを背負い、箒を持って歩いていた魔理沙がふと途中で足を止めてこんな事を霊夢に聞いてきた。 「なぁ霊夢。そういや昨日、アンリエッタの姫さんが自由に王宮を見学しても良いって言ってたよな?」 黒白の言葉に紅白は「あ~、そういやそんな事を言ってた気もするわねぇ…」と曖昧気味な返事をよこす。 「じゃあさ、ちょっとだけ探索でもしないか?どうせ時間なんてまだまだあるんだし」 そういって横の道へと進路を変えた魔法使いに軽いため息を吐きつつも、仕方なく彼女の後をついていくことにした。 正直に言えばついて行きたくないのだが魔理沙の言うとおり、早く行き過ぎても仕方がない。 「全く…私はそういうの趣味じゃないけど、気にならないと言えばうそになるし…。…まぁアンタについて行こうかしら」 「だろ?紅魔館以上に大きな建物なんて初めて歩くからな、とりあえず図書室でも探しに行こうぜ?」 その気になってくれた友人に笑顔を向けて総いった魔理沙の背後で、デルフがカチャリと動いた。 何かと思い二人が足を止めると勝手に鞘から顔(?)の部分だけを出して喋り出す。 『おいおい、悪いことはいわねーからやめとけって。オメーら見たいな田舎者が下手に歩き回っても迷うだけだぞ』 「たかが剣如きが偉そうに言ってくれるわね。第一誰が田舎者ですって?」 魔理沙の後ろにいた霊夢はそんな事を言いながらデルフの持ち手を握り締めると、彼も負けじと『オメーらだよオメーら』と言い返す。 『この手の建物なんか無駄に曲がり角や階段が多いって相場が決まってるもんだろ?』 「そんな話聞いたことも無いわよ…っと!」 デルフの文句に霊夢はそう返しつつ、最後に思いっきりデルフを鞘に収めた。 ハッキリとした音が廊下に人気のない廊下に響き渡ったのを耳にしてから、魔理沙が再び足を動かし始める。 何やら嬉しそうに喋る彼女とは逆に、霊夢は端正な顔に憂鬱な表情を浮かべて一人呟く。 「まぁ…、迷ったら迷ったでどうにかなるでしょ?」 独り言の後に、図書室を目指そうとか言ってる魔法使いの後を彼女はゆっくりと続いていく。 そして結果は――――――デルフが考えていたとおりの事になってしまったというワケだ。 ■ それから二十分ほど経ったぐらいであろうか――――― 「あれ?確かここって…」 『間違いねぇぜ、やっとこさ戻ってこれたというワケだ』 何度曲がったかも分からない角を超えた先にあった廊下に、見覚えのあった霊夢はふと足を止め、 そんな彼女を後押しするかのように、魔理沙に背負われていたデルフがそう言った。 窓の位置と廊下の隅に置かれた観葉植物に、偉そうな顎鬚のオッサンが描かれた絵画が、霊夢達を睨み付けるように飾られている。 デルフの言うとおり、確かにここはルイズの部屋へと続く廊下だった事を彼女は思い出した。 「はぁ…全く、魔理沙の気まぐれひとつでこんなに疲れるなんて…」 一人怠そうにぼやいた霊夢は大きなため息をつきつつ、後ろに魔理沙をじろっと睨み付ける。 あの後、激しく行き来する人ごみの中を避けつつ二人と一本は何とか戻ってこれた。 途中王宮の人たちが教えてくれた曲がり角を間違えかけたり、あちこちにある階段に惑わされたりもしたが、 何とか朝食の時間までに、最初の過ちとも言えるあの廊下に辿り着くことができた。 「ルイズとの合流時間まであと五分か…。まぁちょっとしたハプニングだったな」 時間にすればほんの二十分程度王宮の中で迷ったのだが、その発端である魔理沙は妙にあっけらかんとしている。 しかも壁に掛かった時計を見て時刻を確認した後、まだ五分もあるのかと余裕満々で言ってのけていた。 一方の霊夢はというと、そんな魔法使いを見てついて行けないと言わんばかりの二度目のため息をつく。 そして妙にテンションの高い彼女の横顔をジト目で睨み付けながら、 「だからイヤだったのよ。こんな事くらいになるのなら素直にアンタと別れてルイズのところに行ってた方がよかったわね…」 思いっきり憎まれながらも魔理沙は怯むことなく、満面の笑みを浮かべつつ言葉を返す。 「まぁまぁそう言うなって。案外楽しい冒険だったじゃないか?そうだろう?」 『こいつはおでれーた。まさかここまで開き直れる人間がいたなんて初めてみたぜ…ん?』 完全に開き直りつつある黒白の魔法使いにさすがのデルフも呆れていると、後ろから足音が聞こえてきた。 赤いカーペットが敷かれた廊下をカツカツとしっかりとした音を立てて誰かが近づいてくる。 話し込んでいた二人もデルフに続いてそれに気が付き、音の聞こえてくる方角へと顔を向けた。 そして、丁度その時になって近づいてきた人物はその足を止めて一言つぶやいた。 「………貴女達、一体どこから入ってきたのかしら?」 その人物…長身にロングのブロンドという出で立ちの女性は呟いた後に、掛けているメガネを指でクイッと掛け直す。 年のころは二十代後半といったところだろうか、ダークブルーのロングスカートに白いブラウスの組み合わせからは落ち着いた雰囲気が感じられる。 そこだけを見れば特に少し良い所のお嬢様…なのだが、その女性の最も特徴的な所は顔にあった。 まるで服装の雰囲気を全て飲み込むかのようなツンとしたその顔は、どこかルイズと似ている。 そのルイズの気の強い部分を水と一緒に鍋で煮詰めて完成させたかのような、キツめの顔を持つ女性であった。 「ワケあって暫くここで居候する羽目になった哀れな巫女さんよ。大体、アンタこそ誰なのよ?」 まるで不審者を見るかのような目で見下ろしてくるのに対し、霊夢はそう返しつつ女性の名を尋ねた。 やや売り言葉に買い言葉のような言い方ではあったせいか、女性はスッとその目を細める。 そんな軽い動作一つでも、キツめの顔が更に鋭利な刃物の様に鋭くなってしまう。 「アンタこそ誰…ですって?…生憎、貴女みたいな無礼者に教える名など持ち合わせていなくってよ」 「何ですって?」 その言葉にさすがの霊夢も眼を鋭くさせ、目の前に佇む女性を静かに睨み付ける。 伊達に妖怪退治専門にしている博麗の巫女である。年相応の少女に相応しくない眼光でもって、相手を威嚇しようとする。 その様子を彼女の後ろからただただ眺めていた魔理沙は、どうしようかと頭を悩ませていた。 「やべーなデルフ…、まさに一難去ってまた一難ってヤツだぜ」 『だな。こりゃー下手に横槍入れたら余計トラブルになりそうだな。それが嫌なら、黙って様子見といた方がいいぜ』 「いやあの二人の事は別に良いんだが…このままだと朝飯抜きだな~って思って…」 『ちょっと待て、お前ら本当に友達なのか?どうも分からなくなってきたぜ』 デルフの疑問に魔理沙は軽く笑い、霊夢と謎の女性がにらみ合っている状況に包まれた、王宮の廊下。 窓から差す陽光が無駄に神々しい廊下に充満する異様な空気の中、それを切り捨てたのは一人の少女の叫びだった。 「レイムッ、マリサ…!……って、アァッ!?…え、エレオノール姉様!!」 後ろから聞こえてきた聞き覚えのある声に、一瞬身を縮ませた魔理沙は何かと思いそちらを振り向く。 彼女が思っていた通り、そこにいたのは魔法学院の制服とマントを身に着けたルイズが立ちすくんでいた。 部屋からここまで走ってきたのであろう、肩で息をしつつ驚愕に満ちた顔で霊夢と女性の方を凝視している。 「おぉルイズか、わざわざ出迎えに―――――…って、ちょっと待てよ?今何て言ったんだ?」 手を上げて挨拶しようとした魔理沙は、ルイズの最後の一言に気が付く。 それは霊夢も同じだったようで、女性の方を向けていた顔を彼女の方へと向けた。 「姉、様…ですって?」 その言葉にフンッと軽い息をついてメガネを再度掛け直してルイズの方を見やる金髪の女性。 彼女こそ、ヴァリエール家の長女であり朝から王宮に乗り込んできた訪問者、エレオノールであった。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん ―――…………………、………………? ――――…………、………… (……ん…んぅ?) どこかで誰かが、誰かと何かを喋っている。 瞼を閉じて眠りについてしまい、それから数時間が経った頃に自分はそれに気が付いた。 どこでどう睡魔に負けてしまったのか定かではないが、何となくそう理解できているのは…つまりそういう事なのだろう。 今のところ自力では開けられない程に重くなった瞼を開ける事は叶わず、唯一自由な耳でのみその会話を聞いている。 いや、正確には耳で聞いているわけではない。―――耳の『内側』…つまり頭の中からその声は聞こえてくる。 ――――……、………… ―――――…………、…………… まるで遠くで―――…大体十一、二メイル程度の距離にいる誰かが然程大きくない声で話しているのだろうか。 少なくとも自分の知っている言語で会話しているのだろうが、何を話しているのかまではうまく聞き取る事が出来ない。 それをもどかしく思いつつも、ふと自分の頭の中から聞こえてくるというのに何故ここまで自分は冷静でいられるのだろうか? そんな疑問を覚えたものの…深く考えるよりも先に、一つの結論がポンと飛び出てくる。 (夢…なのかしらね?) 安直すぎるかもしれないが、夢であるというのならば大体の事は説明がついてしまうのだ。 現実では起こり得ない様な事がいとも簡単に起き、見る者を不思議な世界へと誘う。 だとすれば、この聞こえてくる会話も全て夢の中の出来事…そう解釈すれば何てことも無くなってしまうのだから。 (夢なら…まぁ、このままでもいいかしら?) 閉じられた瞼の内側…暗闇に包まれた視界の中で自分は落ち着いた態度で夢が覚めるのを待つことにした。 少し遠くから聞こえていた会話はそれから一言二言と交えているが、相変わらず何を言っているのかまでは聞き取れない。 しかし…聞こえ始めてから一分ほど経ったくらいであろうか、声の主たちが段々と近づいてくるのに気が付いた。 それは六、五言目になるであろうか、その時の会話が聞き取れるようになってきたのである。 ――――……それ……か?……怪……お………か? ―――――それ………法……わ、……子は…里……………る (二人とも、女性…?) 言葉が聞き取れるようになってから、話している二人が女性である事に気が付く。 一人はやけに真剣な様子で、もう一人は何か胡散臭いながらも艶やか雰囲気が声色から感じ取れる。 まだ言葉の一部だけしか聞き取れない状態だが、声色からして楽しげな話をしているワケではないらしい。 少しもどかしいと思いかけた所で、次の会話ではようやく言葉の半分程度が分かるようになってきた。 ――――しかし……後はどう……?………に育てられた……女なんて……、里の者が…………… ―――――そ……見つけた内の一人………にも、勿論………力……て……貰うわよ 声の主たちが近づき、聞き取れる言葉が増えていく。……それに気づいた直後である。 ふと心の奥底…とでもいうべきなのだろうか、今は眠っているであろう体の中から一種の不安がこみ上げてきたのだ。 まるで底の見えない湖の上に浮かんでいる最中にふと視線を下へ向けて、湖底からせり上がってくる黒く大きな影を見てしまったかのような…。 そんな、自分の足元から逃げようのない恐怖に遭遇してしまった時のような急激な不安感が心の中で広がっていく。 どうして急にそういう気持ちになってしまったのか一瞬だけ分からずにいた自分は、ふと一つの結論に至る。 (まさか…あの声が、原因なんじゃ…) この不安感を覚えて以降、全く聞こえてこないあの二人の女性の話し声。 瞼を閉じて夢の中にいるのだが、現実的に考えればそれしか原因は考えられない…かもしれない。 他に原因と思えるような要因は見当たらない以上、自ずとそういう考えに至ってしまうのは仕方ない事であろう。 最も…ここが夢の中であるのならば、明確な原因など最初から存在しないという可能性も否定できないが。 本当の原因を突きとめられない今、こみ上げる不安感にどうしようかと悩もうとしたその時、またしても話し声が聞こえてきた。 ―――相変わらず………ってくれる。私がそれを……れない事を知って……癖に ――――ふふ、貴女の―――好しは今後の………において、最も重要な…… 今度はかなり近づいてきている。言葉と言葉の合間の息継ぎが、微かに聞こえてくる程に。 声が近づいてきていると理解したと同時に、自分の心の中で芽生えた不安感がより一層膨らんでいく。 身動き一つ出来ない今、その不安感にどうしようも出来ないという状況に自分は焦ってしまう。 せめて手だけでも動くのならば、自分の頬を抓って夢から覚めようと頑張れるのに。 そんな下らない事からできない今では、正体不明の不安感がただただこちらへやってくるのを見守る事しかできない。 (もしも…彼女たちの喋っている事が全部聞き取れるようになったら…一体どうなるのかしら?) もはや受け身を摂る事すらできず、受け入れるしかないという状況の中でそう思った時だ。 今度はウンと近く、それこそ自分の真横にいるかのように彼女たちの声が聞こえてきたのである。 頭の中で直接聞こえてくる二人の内、最初に口を開いたのは真剣そうに放している方であった。 ―――…たくっ、これから寺小屋も忙しい時期だというのに…次から次に厄介な事件を持ってくるなお前は? ハッキリと聞こえる様になった今、いかにも苦労人と分かるばかりの声で女性は喋っている。 そしてもう一人―――艶やかな雰囲気を漂わせる声の女性が言葉を返す。 ――――…良いじゃないの。跡継ぎがいる以上、探すという時間の掛かる工程を省けたのだから 何故かこの声を聞いた時、ふと自分の脳裏に『誰か』―――女性の後姿が一瞬だけ過った。 腰まで伸ばした金色の髪と一度見たら忘れない形をした奇妙な帽子に、これまた珍妙な形をした白色の日傘。 その後ろ姿を見ただけでその『誰か』の正体が、あの胡散臭そうな声の主なのだと無意識に理解してしまう。 どうして分かったのか自分でもイマイチよく分からず、一瞬だけだというの脳裏にあの後姿がこびりついてしまっている。 彼女は自分の何なのだろうか?どうして夢の中に現れ、良く分からぬ誰かと会話しているのだろうか? その答えを知る前に――――自分の意識は網で掬い上げられた金魚のように現実世界へと引っ張られた。 右の頬を冷やかに刺激する、冷たい『何か』を押し付けられたおかげで。 「―――――……ン、んぅ…?」 まず目に入ってきたのは、小さくも中々の意匠が施されたシャンデリアであった。 魔法で作動するよう作られているそれは、今は付ける必要なしとして消灯されている。 未だ重い寝惚け眼を手で擦りながら自分こと彼女―――ハクレイはゆっくりと上半身を上げた。 そこでふと、自身の背中を預けていたのが何なのかと気になった彼女は、スッと足元へと目をやる。 室内の灯りは消えていたが、窓越しの街灯のおかげで今まで自分がソファーの上で寝ていた事に気付く事ができた。 「…ふぅーん、ソファーねぇ?……はて、どうして?」 まだ寝ぼけているのか右手でポフポフとソファーを軽く叩いていた彼女は怪訝な表情を浮かべ、寝る前の記憶を思い出してみる。 未だ覚醒しきっていない頭の中で何とかして記憶を繋げようとして二分、ようやく寝る前にしていた出来事を思い返す事が出来た。 「確か、今日も財布を盗んだあの娘を捜して…それで夜遅くなったんだっけ…か。 昼から探し回って、夕方頃に変な気配を感じたから見に行ってて、それから後も探し回って……って、」 …そりゃー帰りが夜遅くになるのも仕方ないわよね。 中々起きる事の出来ない自分に言い聞かせるように一人呟くと、再びその背中を程よく柔らかいソファーに委ねた。 ボフン!と大きな音が出たものの、中に入ったバネの軋む音が聞こえないのは、中々に良い店から仕入れた事の証拠であろう。 流石カトレア達貴族が街中の別荘地と呼ぶだけあって、家だけではなく家具にも気を使っているらしい。 自分の体ではほんの少し狭いソファーで横になったまま、ハクレイは街灯の灯りが漏れる窓の外へと目を向ける。 窓の外から見える先には、大きな歩道を挟んで程々に大きな家が建っている。 こちらと同じく室内の灯りは全て消えていたが、街灯に照らされた庭だけを見てもすぐに立派だと分かった。 恐らくあの家の主…もしくはここ一帯の管理人を務めている老貴族の趣味であろうか、動物のトピアリーがある。 本物より大分大き目に作られた犬と猫の横には、場違い感が半端ないドラゴンのトピアリーが今にも羽ばたこうとしているポーズで飾られていた。 他にもその家で夏季休暇を過ごす子供たちに作ったであろうブランコなどがあり、今が昼間ならばさぞ賑やかな光景が見れたに違いない。 「しかし…まさか大都市の中にこんな場所があったなんてねぇ…」 ハクレイは一人呟いて、トリスタニアにある貴族向けの宿泊施設゙群゙『風竜の巣穴』の感想をポツリと漏らした。 …『風竜の巣穴』。 王都の西側、王宮を一望できる小高い丘の下にある幾つかの別荘を有するリゾート地だ。 一見すれば上流貴族向けの住宅地に見えるが、実際にはそこら辺の住宅地よりも泥棒に襲われる心配はないだろう。 何せ土地一帯を囲う強固な鉄柵と、数か所ある出入り口にはメイジの警備員達が二十四時間体制で守ってくれているのだから。 土地の中にある住宅は全て貸し出し用の別荘であり、当然ながら値段も相当張るが、その値段分の豪勢さは当然持っている。 朝昼夕の三食及びデザートも事前に申していれば手配され、何なら自前の食料を持ち込む事も一部可能らしい。 他にも所有地内にはちょっとした池つきの森林公園もあり、釣りや水泳に屋外での食事会もできるのだという。 前述の通り結構な値段が掛かるものの、王宮勤めの貴族たちには街中の避暑地として人気らしい。 何せ王都の中にあるうえ、有事の際にはすぐに宮廷へはせ参じれる事が大きな理由なのだとか。 折角のお休みだというのに一々仕事の事を気にしてしまうなど、王宮勤めの貴族とやらは随分忙しいようだ。 本来ならこの時期の予約はとっくに埋まってしまっており、カトレア達が入れる別荘などとっくに無い…のであったが、 幸い休暇として別荘を予約していた国軍の高官がキャンセルしてくれた為、偶然にもそこへ自分たちが入る事ができたのだ。 最も、カトレア本人がここの支配人である老貴族と親しい仲であった事が大きくプラスしたのは間違いないだろう。 何でも以前、ヴァリエール領へ赴いた際に道中で痛めた腰を癒してくれた事への礼だと言っていたのは覚えている。 今更ではあるが、カトレア本人の献身さは一体あの体のどこに隠れているのだろうか。 あれ程体が弱いというのに、自分やニナの様な謝礼も期待できない様な人間を助けてくれるなんて…。 まぁその献身さが無ければ、今の自分がどうなっていたかなど…想像もつきはしないのだが。 そこまで思った所でハクレイはふと真顔になった後、つい先日犯してしまった『失態』を思い出して呟いた。 「本人は気にしないでって言ったけど…、やっぱりちゃんと見つけてお金を取り戻さないと駄目よね」 以前カトレアからお小遣いとして貰った八十エキューを、街中で出会った少女に奪われて早二日…いや日付ではもう三日前だろうか。 もう少しで捕まえかけたところで前方から飛んできた『誰か』とぶつかった後、そのまま意識を失い川へと落ちてしまった事は辛うじて覚えていた。 幸い仰向けの状態であった為溺れる事無く暫し川の水に流され、川沿いで飲んでいた浮浪者達に助けて貰ったのである。 ――――おぉアンタ、大丈夫かい? ―――――え…えぇ大丈夫よ。後、有難う…ございます ――――オレら、この川で色んなモンが流れてくるのを見てきたが、アンタみたいな別嬪が流れてくるのは初めて見たよ すぐさま彼らの助けを借りて岸に上げてもらい、暫し焚火で暖をとった後で彼女は夜になっている事に気が付いた。 その時にはもう陽は暮れてしまい、ひとまずどうしようかと迷った挙句に…ひとまずはカトレアの元へ帰る事を選んだ。 水に濡れた状態で帰ってきた彼女を見て皆は驚き、一様に何があったのかと聞いてきた。 ―――…というワケで、貴女がくれたお金は全部盗られちゃったの…ごめんなさい ―――――まぁ…!そんな事があったのね… とりあえず持ってきてくれたタオルを頭から被った姿で、ハクレイはただただ頭を下げるしかなかった。 彼女から詳しく話を聞き、相手が幼い少女で…しかもメイジだったという話にカトレアは目を丸くしていた。 王都だからといって治安の保証がされているワケではないし、そこら辺の地方都市よりも窃盗が多いのは誰もが知っている事だ。 しかしまさか…彼女、ハクレイよりも年が一桁どころか二桁離れているかもしれない少女がそんな事に手を染めているとは…。 これまで生きてきて、色んな人たちから聞いたどの話よりも衝撃的な事実であったらしい。 ―――――むー!なっさけないのー!わざわざ追っかけてたのに、そんな子に逃げられるなんてー! ――――…言い訳はしない…っていうか、思いつかないわ ――――――こら、ニナ!落ち込んでる人にそんな事を言ったらいけないわよ カトレアの傍で話を聞いていたニナにもダメ出しされてしまい、余計へこんでしまったのは言うまでもない。 ひとまずその日の夜はそこでお開きとなったが、盗難届を出すかどうかについては言葉を濁されてしまった。 周りのお手伝いさんたちからは衛士の詰所に届出を出した方が良いと言っていたが、カトレアは難しい表情を浮かべるだけであった。 翌日から、ハクレイは自主的に街へ繰り出しては方々歩き回って少女の行方を追い続けている。 しかしあまりにも広い王都が相手ではあまりにも人ひとりの力は小さく、そして無力であった。 一つの通りを曲がれば更に複数の道が現れ、うっかり進む道を間違えれば下水道へと続く下り道に入ってしまう。 今日なんて曲がった先にいた野良犬たちにイチャモンをつけられ、追い回された事もあった。 誰かに聞こうとしても誰に聞けばいいか分からず、結局声を掛けられぬまま街中をうろうろ彷徨うばかり…。 まるでゴールの無い迷路を彷徨い歩いているかのような虚無感を感じ始めた時に、今日の夕方にそれは起こった。 今日もまた何の成果も得られなかったハクレイが、とぼとぼと返ろうとした最中の事であった。 ふと何処か…王都の一角から感じた事の無い『力の爆発』を察知したのである。 今まで見てきた魔法とは明らかに毛色が違う、何処か活き活きとして…危なっかしさを感じられる不可視の力。 それが一塊となって爆発したかのような…そんな他人に説明するのが難しい気配を感じたのである。 お金を盗んだ少女とは関係ないだろうと思いつつ、何故かハクレイは導かれるようにして気配が出た場所へと走った。 夜の繁華街へと向かう人波をかき分け、人気のない路地裏に入ってからは一気に建物と建物の間を『蹴って』進む。 そうして幾つかショートカットして辿り着いた場所は、数人の衛士が屯している寂れた広場であった。 必要は無かったかもしれないが、彼らに気づかれぬよう共同住宅の上から彼らの話を盗み聞きした。 ―――…何か奇妙な発光が起こった…ていうから来てみたが、驚くぐらい何にもないな ――――…いや、待て。あそこのグレーチングが外れてる…誰かが下水道へ逃げ込んだのか? ―――馬鹿言え!そんな狭い穴じゃあ子供でも途中でつっかえてママー!って泣き叫ぶほかないぜ 支給品であろう槍を手に持ち、お揃いの薄い鎧を着込んだ衛士達はそんな話を大声でしながら広場に屯していた。 どうやら話を聞くに街の人の通報で来たようだが、何が起こったのか…までは分からかった。 結局その後は戻るついでに色々と探し回ってしまい、結果的に夜遅くに帰る羽目になってしまったのである。 出り口を警備している守衛のメイジ達は、他の人々と明らかに違う彼女の姿で誰なのか分かったのだろう。 今借りている別荘の番号とマジック・アイテムを使った指紋チェックを済ませて、こうして無事に戻る事ができた。 そこまで自分の脳内で回想した所で、ハクレイは妙に寂しい自分のお腹を押さえながらため息をついた。 「それにしても、やっぱり早めに切り上げとけば良かったかしら?…そしたら夕飯も食べれただろうし…」 名残惜しそうに呟きながら、空腹で寂しくなってきたお腹を押さえながら情けない表情を浮かべてしまう。 無事に戻ってきた…とはいえ、帰ってきた時には既にカトレアの借り別荘は灯りが消えてしまっていた。 幸い鍵はあらかじめ隠し場所を教えられていた合鍵で開けたが、当然既に夕食の時間は過ぎてしまっている。 若いというのに就寝時間が早いカトレアに合わせているためか、暖かい食事はとっくの前に片付けられていた。 リビングのテーブルに置かれたバスケットに一個だけ林檎が入っていたのは、不幸中の幸い…というやつだろうか。 仕方なしにそれを食べた後でひとまずソファで横になったのだが、そのまま寝入ってしまったのは周知のとおり。 しかも変な夢を見て途中で起きてしまったせいで、再び空腹が襲い掛かってきたようだ。 「はてさて…どうしたものかしら?わざわざ私の為だけに、カトレア達を起こす…ってのは、もってのほかだし」 窓の外から暗いリビングへと視線を変えたハクレイは、この空腹をどうしようかとという悩みに直面してしまう。 当然だがカトレアや彼女の付き人を達をわざわざ起こす…という事は、絶対にしてはいけない事だろう。 遅れて帰ってきたのは自分なのであるし、それこそ腹が減ったという理由だけで起こすのは我儘に他ならない。 お金の件で相当迷惑を掛けてしまっているのだ、これ以上無礼な真似を働くワケにはいかない。 ならば台所を探し回って食べれる物を探そうか…と考えたが、暫し考えた後に首を横に振る。 ここに来てまだ日が浅いし、何より台所のどの棚に食料が入っているのか何て彼女は全然知らないのだ。 灯りがあれば話は別になるだろうが、ご丁寧にも用意されている燭台は結構な特別性であった。 平民にも使えるらしいのだが、一々作動する際に指を鳴らす必要があり消す時も同様の事をしなければならない。 そして恥ずかしい事に…ハクレイはそれができなかった。何回やっても何回やっても、指パッチンは決まらなかった。 昨日の夜にニナと試しに鳴らして点けてみようという事になり、そこで見事に恥をかいたのは今でも忘れられない。 ニナは十回鳴らして四回ほど成功し、ハクレイは三十回やって…三十回失敗した。当然ニナには笑われた。 …なので、目の前にあるテーブルの上に置かれた燭台には苦い思い出しかないのである。 灯りが無いと暗い台所は何も見えない手さぐりになるであろうし、そうなれば何が起こるか分からない。 それで下手やって食器を割ったり、それ以上の大変な事をしでかしてしまえば本末転倒である。 ならばどうしようかともう一度考えあぐねた後、彼女は朝まで我慢すればいいのでは…という結論に至った。 「朝になったら全員起きるだろうし、そしたらカトレアに頭下げて謝らないとね…」 きっと自分が返ってくるのを待っていたであろう彼女の顔を思い浮かべて、ハクレイは天井へと視線を向き直す。 玄関に置かれた柱時計から聞こえる振り子が規則正しく音を奏で、暗い部屋にリズムを漂わせている。 横になったまま動かず、その音をじっと聞き続けていると自然に瞼が重くなってくるのが何となく感じられる。 (これくらい柔らかいソファならベッドの代わりにもなるだろうし…今日はここで寝ちゃおうかしら?) 膝を置く所も柔らかいため、そこを枕代わりにしているハクレイはそのまま朝まで寝ようかと考えてしまう。 本当ならばカトレアが宛がってくれた寝室に戻って寝るのがい良いのだろうが、ニナも同じ部屋を宛がわれている。 だからこのまま部屋へ戻って、朝になったらなったで色々とちょっかいを掛けられる恐れがあった。 彼女が一足先に起きてしまえば、良くて頬を抓られるか酷くて顔に水を掛けられて起こされてしまう。 カトアレの前ではあんなに子供らしいのに、自分の前に立てば文字通りの小悪魔と化すのは何故なのだろうか? 特に一昨日の件もあるのだろうか、今日の朝なんてまだ寝ている自分の顔のうえに布を被せてようとしたのだ。 幸いその直前に目を覚ます事ができ、ニナはカトレアの怒っているのかいないのか良く分からないお叱りを受けるハメになった。 そして今は…記憶喪失の最中にある彼女にとって親代わりに等しいカトレアとの夕食をすっぽかした自分へ怒りを募らせている事だろう。 カトレアは何があっても基本的に笑顔であり、持病が一時的に悪化でもしない限りそれを崩す事は滅多に無い。 だから自分が夕食時に返ってこなかったのに対しては、仕方ないと苦笑いを浮かべた事は容易に想像できる。 けれど、そうした繕った表情の下にある感情を悟れぬ程ニナは鈍い子供ではない。むしろ子供はそういうものに敏感なはずだ。 今夜も三人で食べる夕食を楽しみにしていたカトレアの気持ちを事実上踏みにじった自分をニナは怒っているに違いない。 無論カトレアからお叱りがあるのならば最後まで耳に入れるし、ニナが自分の足を蹴ってきてもそれを受けるつもりだ。 だがしかし、寝込みの最中に襲われるという事だけは洒落にならないのである。 かくして寝室にも戻れず、腹をも満たせぬハクレイは一人リビングのソファーで夜を過ごすことにした。 彼女は金を盗んだ少女も見つけられず、夕食まで無下にしてしまった罪悪感で今にも押しつぶされそうである。 「あーぁ…何か、ここへ来てから碌な事が続かないわね…金は盗まれるわ、変な夢は見るわで…――――って、夢…?」 自分の身に続く不幸を呪いつつ目をつぶろうとしたとき――ふと彼女は何か思い出したかのようにハッとした表情を浮かべた。 彼女は知らないが、ふと眠ってしまった際に見た奇妙な夢―――二人組の女性の会話を聞くだけどというあの夢。 あれを見て目を覚ましてから既に五分が経過し、再び寝ようとしたところでハクレイはその夢の事を思い出したのである。 体が動かぬ、目を開けられないという状況の中で、頭の中から聞こえてきたあの会話…。 一体あれは何なのだったのかとそう訝しんだハクレイの頭から、睡魔という誘惑が一瞬で消し飛んでいく。 (そういえば…あの夢は何だったのかしら?…会話は会話なんでしょうけど…) 上半身を越こし、考え込み始めた彼女はあの夢の中で聞いた声の事を思い出そうとする。 最初に思い出したのは…もう一人の女性と比べて明らかに厳格な声色が特徴であった女性の声。 いかにも人格者…という雰囲気を聞き取れる彼女の声と言葉の一部を、脳内で再生し直そうとししてみる。 ―――――…次から次に厄介な事件を持ってくるな、お前は? 夢の中で聞いたのにも関わらず、内容自体はしっかりと覚えていた。 それから脳内で何回かリピートさせた後、ハクレイはその声に聞き覚えがあったかどうか思い出そうとする。 しかし…ニナと同じく記憶喪失の身である彼女の穴だらけの記憶では、思い出すことは出来なかった。 精々思い出せるのはカトレアと初めて出会った所からであり、自分の生まれ故郷すら分からないのである。 だから夢の中で喋っていた女性の声など、最初から分かるワケが無かったのだ。 「んぅ~…やっぱり、駄目ね。全然分からないわ…」 残念そうとも無念そうとも言える様な表情を浮かべて、ハクレイは自分の黒髪を右手でクシャクシャと掻き毟る。 自分の夢の中で喋っていたのだから、きっと記憶喪失に陥った自分に何かを思い出させてくれるのでは…と思っていた。 しかし実際には何も思い出すことは出来ず、結局『謎の女性A』という扱いになってしまったのである。 折角意味ありげに出てキレたというのに…博麗は胸中で謝りつつ、次にもう一人いた女性の事を思い出す。 ―――…跡継ぎがいる以上、探すという時間の掛かる工程を省けたのだから 『謎の女性A』とは違い、艶やかな大人の雰囲気がこれでもかと声色から漂い…そして妙に胡散臭い。 どこが胡散臭いのか…と言われればどう答えて良いか分からないが、あえて言えば言葉…と言えばよいのだろうか? 女性Aとは違いややゆっくりめのスピードに、何か隠し事をしているかのような低く抑えた声。 そして喋り方からでもはっきりと分かる落ち着き払ったあの態度は、まるで色んな事を知り尽くした老人のようであった。 恐らく俗にいう『人生経験が豊富な人』…というヤツなのであろうか。自分とはまるで違う性格の持ち主に違いない。 そこまで思った所で…彼女はその夢が覚める直前、脳裏に過ったあの女性の姿を思い出す。 金色の長髪にここでは見慣れないであろう白い服に白い帽子を被った、日傘を差したあの女性。 もしかすれば、その落ち着き払った声の主は…彼女なのかもしれない。 どうしてそう思ったのかは分からないが、あの言葉を聞いた直後に彼女の姿が過ったのだ。 女性と声が関係しているのならば、そう思っても別に不思議ではないだろう。 「…とはいえ、彼女は何者だったのかしら…良く分からない事が多すぎるけど…けれど…―――アイツ、」 「アイツ」のところで一旦言葉を止めた後、頭の中でその言葉が浮かび上がってくる。 ―――人間じゃない様な気がするわ そう思った直後、唐突に浮かんできたその言葉に彼女は思わず目を丸くしてしまう。 一体何を考えているのかと自分の頭を疑いつつも、呟こうとしたその一言を心の中で反芻させる。 (人間じゃない…人間じゃない…何考えてるのよ私?だってアレは…どう見ても人間…そう人間じゃない) 馬鹿な事を考えている自分を叱咤しつつも、ハクレイはもう一度頭の中で彼女の姿を思い出す。 服装などは確かにハルケギニアでは珍しいかもしれないが、それは自分にも当てはまる事だ。 何より彼女の事は後姿でしか見ていないのだ。それでどうして人間じゃないと思ってしまったのだろうか? 唐突に思ってしまった事で、バカ正直に悩もうとした直前に…ふと誰かの気配を後ろから感じた。 ハクレイはそこで考えるのを一旦止めて、何気なく後ろを振り返ったが…案の定人影は見えない。 玄関へ繋がる通路と、カトレアと自分たちの寝室がある二階へと続く階段が暗闇の中でぼんやりと見える。 それ以外には誰かの気配とも言える様な物は見えず、彼女は気のせいかと自分の勘を疑ってしまう。 「疲れてるのかしら?変な時間に目ェ覚ましちゃったし…」 一人呟き、再び視線を元に戻したハクレイがもう一眠りしようとソファーに背中を預けようとした時――― 背後から聞こえてきたのだ。確実に人の足音だと確信できる音と、 「あっ…」 という聞きなれた少女の声を。 「!」 今度こそ気のせいではないと確信した彼女は瞑ろうとした目を開けて、バッと後ろを振り返る。 そこにいたのは、廊下から少し身を乗り出し、忍び足でこちらに近づこうとて失敗したニナの姿があった。 「に…ニナ?なにしてるのよ、こんな時間に…」 「え?…えっと…その…帰ってきてたんだ…」 まさか本当にいたとは思えず、見つけた本人も多少戸惑いながらも腰を上げて彼女の傍へと近づいていく。 ニナ本人はまさかバレるとは思っていなかったのか、唖然としたまま近づいてくるハクレイを見上げている。 そして近づいたところで、こんな真夜中に自分と同じく起きていたニナが何をしようとしたのか何となく理解してしまった。 子供向けのパジャマとナイトキャップを被った彼女の右手には何故か雑巾が握られており、ご丁寧に水で濡らしている。 その雑巾を見て一瞬怪訝な表情を浮かべたハクレイであったが、ふと夢から覚める直前の事を思い出した。 (そういえば、覚める直前に何か頬に……そう、確か…冷たいモノが当たって…って、冷たいモノ?) そして…本人が思い出したのを見計らうかのようにして右の頬から冷気を感じた彼女は、そっと右手で頬に触れた。 まず最初に指が感じたのは頬を刺激する冷気に、僅かに付着していた水が付着する感触。 水のある何かに触れた指を頬から離した彼女は顔の前に右手の指を持っていき、おもむろに顔元へと近づける。 指に付着した水から漂う臭いは、紛う事なく使い古した雑巾の臭いであった。 この富裕層向けの別荘の中で平民も見知った掃除道具の一つであり、水で濡らされ様々な場所を拭かれてきた布の集まり。 何時ごろからこの別荘に置かれていたがは知らないが、きっと色々なモノを拭いてきたのであろう。 床や壁に、家具の上に溜まった埃はもちろん、窓の汚れだって綺麗にしてきたのは間違いないだろう。 ――――しかし…この指から微かに漂う匂いから察するに、それだけを拭いてきたというワケではないようだ。 それを想像して考えるのは簡単であったが、ハクレイは敢えて想像する事は控えようとする。 とはいえ鼻腔から嗅ぎ取れる臭いが否応なく頭の中にイメージ映像を作り上げ、見せようとして来るのだ。 それを振り払うように慌てて頭を横にふった所で、ニナがこちらに背中を向けているのに気が付いた。 背中を縮め、雑巾を足元に置き捨てている彼女の姿は、まるで盗みがバレて逃げようとする泥棒そのものである。 あわよくば二階へと続く階段まで一気にダッシュ!…と考えたのか、駆け出そうとした彼女の襟首をハクレイは掴んだ。 ちょっと勢いが強すぎた為か、ニナの口から小さくない悲鳴が漏れたがそれに構わず逃げようとしたニナを自分の目線まで持ち上げる。 「キャッ!ちょっ…ちょっとなにするの!?」 「それはこっちのセリフよ、人の顔に雑巾当てといて何も言わずに逃げるとはね」 雑巾の事がバレてウッと呻きそうな表情を浮かべたニナは暫し黙った後、目線を逸らしつつ弁明を述べた。 「だ…だって、夕食にまで帰ってこなかったハクレイが悪いんだよ?カトレアおねちゃん、悲しそうにしてたのに…」 ニナの言葉から奇しくも自分の想像が当たっていた事にハクレイは苦しそうな表情を浮かべた後に言った。 「だったら、今度から似た様な事をする時は綺麗な雑巾を使いなさい。良いわね?」 「あれ?やっぱり臭かったの?あの雑巾確か―――」 「そっから先は言わなくて良いッ!」 聞きたくも無い雑巾の出所を言いそうになったニナに対して大声を出してしまった事により、 二人を除いて就寝していた別荘の者たちを驚かしてしまい、結果的に起こしてしまう羽目となってしまった。 その日の朝から、ルイズは何とも気まずい一日を過ごすことになっていた。 任務用に受け取ったお金を丸ごと盗られた事を除けば、これといってヘマをやらかしたワケではない。 気まずさの原因は、自分の周囲を行き来する人々よりもずっと近くにいる霊夢の鋭いジト目であった。 子供たちの楽しい声と、陽気なトランペッタが主役の路上演奏のお蔭で自分たちが今いる通りには明るい雰囲気が漂っている。 こんな真夏日だというのに人々は日陰や木陰で足を止めて演奏に耳を傾け、その内何人かがポケットから銅貨や銀貨を取り出し始める。 少々気が早いと思うが、そんな人々の気持ちが分かる程ルイズの耳にもその演奏は心地よかった。 フルートと木琴がサブに回り、暑くとも活気に満ちた夏の街中に相応しい音色は貴族であっても満足するに違いない。 ルイズはそんな事を考えながら、自分と霊夢よりも前にいるシエスタと魔理沙の方へと視線を向けた。 二人も路上演奏を聞いているのか、日影が出来ている建物の壁に背中を預けて聞き入っている。 シエスタはともかく、あの何かしら騒がしい魔理沙でさえ大人しくなって聞いているのだ。 それだけでも、名も知らぬ演奏者たちの腕前がいかにスゴイか分かるというものである。 「…だっていうのに、アンタは今朝からずっと私を睨んでばかりね?」 「何よ?何か文句あるワケ?」 演奏に耳を傾けつつもさりげなく呟いたルイズの文句を、霊夢は聞き逃さなかった。 霊夢の言葉に対しルイズは無言で返そうとおもったが数秒置いて溜め息をつき、そこから小声で返事をする。 「いい加減、アンタもシエスタとの休日を楽しんだらどうよ?魔理沙なんかもうとっくに楽しんでるわよ?」 今朝からずっとこの調子である霊夢に呆れた言いたげなルイズの文句に、霊夢はムッとした表情を浮かべた。 流石に魔理沙と一緒くたにされたのが応えたのか、彼女は腰に手を当てながら抗議の言葉を述べていく。 「あんな能天気な黒白と一緒にしないでくれる?私はアイツと違ってちゃんと危機管理はできてるつもりよ」 『お金をちゃっかり盗まれてるのも、ちゃんと危機管理してた結果ってヤツかねぇ?』 そこへ間髪入れぬかのように、霊夢の背中で暇を持て余していたデルフが会話に乱入してくる。 流石の彼もこの路上演奏を邪魔してはいけないと思っているのか、珍しく声を抑えて喋りかけてきた。 『金盗られてあんなに取り乱してたんじゃあ、黒白と一緒にされるのも仕方ない気が―――』 最後まで言う前に、特徴的な音を周囲に響かせつつインテリジェンスソードは口を閉ざされてしまう。 どうやら聞きたくない事まで言ったせいで、後ろ手で柄を握った霊夢によって無理矢理鞘の中へと戻されてしまったようだ。 「アンタは黙ってなさい…ッ余計な事まで言うんじゃないの!」 納剣時の音か、はたまた霊夢の必死な声がどうかはしらないが、何人かが彼女たちへ視線を向けてくる。 だがそれも一瞬で、すぐにまた陽気な路上演奏を聞き入ろうと視線を戻していく。 「…んぅ…とりあえず、まだ私の上げ足を取るような事したら暫く喋れないようしてやるわよ、いいわね?」 『ハハハ、オーケーオーケー分かったよ。…ったく、一々喋るのに言葉を選ばなきゃいかんとはねぇ』 一瞬だけだが、周囲の視線を一心に受けてしまった霊夢は顔を微かに赤くしてデルフを脅しつける。 それに対してデルフは鞘越しの刀身を震わせて笑いつつ、ひとまず了承することにした。 彼女と一本のそんなやり取りを見てルイズは小さな溜め息をつきつつ、チラリとシエスタの方へ視線を向ける。 幸いかどうかは分からないが、霊夢の不機嫌さにはまだ気づいていないらしい。 丁度演奏も終わり、道端で聞いていた人たちや魔理沙に混じって笑顔で拍手している。 そして取り出した財布から銀貨を銅貨を数枚出すと、演奏者たちの足元に置かれた鍋の中へと放り込んでいく。 他の人々も同じように銅貨や銀貨が鍋の中へと投げ込まれ、その中に混じって金貨まで投げ入れられている。 一方の魔理沙はというと、何故かポケットから包み紙に入った飴玉を数個取り出して鍋の中へと放り込んでいた。 彼女の隣にいたシエスタはいちはやくそれに気づいたか、少し驚いた様な表情を浮かべている。 「え?あの、マリサさん…今投げたのって飴玉じゃあ…」 「いやー悪いね、なにぶん今は金が心許なくて…あ、シエスタも一個どうだ?」 シエスタからの言葉に対してあっさりと返した黒白は、ついで彼女にも同じものを差し出す。 目の前に差し出されたそれに一瞬戸惑いつつも、シエスタは何となくその飴玉を受け取った。 その光景を少し離れた所から見つめていたルイズは、魔理沙がいてくれて本当に良かったと実感する事が出来た。 今の霊夢や自分だけでは、下手すれば彼女の貴重な休日を丸ごと潰していた可能性があるからだ。 全ての始まりは昨夜の事、自分たちが寝泊まりしている屋根裏部屋にシエスタが入ってきてからであった。 半ば無理やりと言っていいほど夕食の席に混ざってきた彼女は、食事が始まるや否や早速誘いをかけてきたのである。 ―――あの、レイムさんとマリサさんのお二人って…ここから遠い所からやってきたんだしたよね? 色々と三人で話し合いたかった夕食に割り込んできたシエスタは、その言葉を皮切りに二人へと話しかけ始めた。 一体どれほど話したい事があったのだろうか、何処か気まずい雰囲気が流れる食卓で彼女は色んな事を喋った。 二人の故郷の事やどんな所で暮らしていたか、ここの住み心地はどうとかという他愛ない話だ。 彼女の質問に対して魔理沙は快く応じ、その時は霊夢も仕方なしと諦めたのか適度に言葉を返していた。 暫しそんな話をした後に、シエスタはいよいよ話を本筋へと移してきた。 食事を半分ほど片付けた彼女はチラリとルイズを一瞥した後で、霊夢達を誘ったのである。 ―――あの、もしお二人がよろしければ…明日、王都の面白い所を案内したいのですが…良いでしょうか? その誘いに対して、二人して別々の反応を見せることになった。 ―――おぉ何だ何だと疑っていたが、まさか遊びの誘いとな?まぁいいぜ、別に急ぐ用事なんてないしな 魔理沙は面白い物を見る様な目でシエスタを見た後、心地よい笑顔で頷いて見せた。 ――誘いは嬉しいけど、今は色々と忙しいの。悪いけど、明日は魔理沙とルイズたちを連れて言ってちょうだい たいして霊夢はというと…、魔理沙と比べて少し考えた後目を細めながら首を横に振ってそう言った。 まぁそうだろう。本人の言葉通り、今の霊夢が色々と忙しいのは魔理沙とルイズも十分周知の事であった。 お金を盗んだ窃盗犯の少年探しに加えて、その日の夕方に魔理沙が遭遇したというキメラの事も調べ慣れればいけないのだ。 少なくともルイズや魔理沙たちと比べれば、ハードワークと言っても差し支えない程の仕事が溜まっている状態だ。 本人には絶対に言えないだろうが、シエスタからの遊びの誘いに乗るのは不可能なはずである。 勿論誘っているシエスタはそんな事全く知らずして、ただ純粋な善意の元霊夢を誘おうとする。 この時期はドコソコが見どころとか、少ない平民のお金でも甘味を満喫できるケーキ屋さん等々…。 一体その頭の何処にため込んでいたと言えるほどの膨大な情報は、流石年頃の女の子といったところか。 魔理沙はともかく年が近く貴族であるルイズでさえも、シエスタの語る王都の情報に舌を巻いてしまっている。 それでも断る気持ちは揺るがない霊夢であったが、彼女の口から出る話には耳を傾けていた。 ―――アンタ、そういうのを良く知ってるのね?あのルイズも黙って聞いてるわよ ――――こう見えても学院で奉仕してる時も非番の日には王都で遊び出ていますし、 何より同僚には同年代の娘も沢山いますから。…で、どうです?レイムさんも一緒に行きましょうよ ――――私、今色々と忙しいって言ったばかりよね? 成程、異世界にいってもそういう人と人との繋がりは色々な情報を手に入れる手段の一つらしい。 ともあれそれがどうしたというワケで、さりげなく誘ってくるシエスタに対し冷たい断りをいれるしかなかった。 そう、断ったのである。しっかりと断った筈だったのであるが… 「ホント、参るわよねぇ…純粋な善意って」 魔理沙とルイズ相手に楽しそうに会話しながら通りを歩くシエスタの後ろ姿を見て、霊夢は一人呟く。 結局あの後、ややしつこさのシエスタの誘いに彼女は渋々とその誘いに乗ってしまったのである。 原因…というか、強いて敗因と言うのならば…シエスタ本人が純然たる善意でのみさそってきたからであろうか。 多少の強引さはあったものの、それもその善意が働いた結果だ。 例えば普通に誘われたり、何か考えあっての事であるならば霊夢は乗らなかっただろう。 彼女自身そういう誘いには普段はあまり乗らないし、どちらかというと一人でいる方が気楽なタイプの人間である。 しかし、シエスタのように自分たちをかなり信頼し尊敬してくれている人間からの善意というものには慣れていなかった。 まるで汚れを知らずに育った温室の花のように、対価を求めず接してくれる彼女に好意を持ってしまったというべきか…。 そんな彼女からの誘いの言葉には他意など全く見受けられず、ただただ自分たちと一緒に休日を過ごしたいという思いだけが伝わってくる。 召喚される前、幻想郷でせっせと妖怪退治をしていた時も人里の人達たちからそういう善意を受け取っていた。 時折人に冷たいと評される霊夢であっても、そういう善意を受け取ること自体は決して嫌いではなかった。 そして、そういう善意が巡り巡って物となって自分に返ってくるという事も巫女として生きていくうちにしっかりと学んでいた。 「まぁシエスタにそういうのを望んでるワケじゃないけど…無下にするのも何か酷なのよねぇ~」 『成程ねぇ。普段は冷たいレイムさんも、他人からの優しさには敵わないって事かー』 「…そういう事よ、でもアンタは黙ってなさい」 独り言のように呟く霊夢の言葉に対し、彼女の背中に担がれているデルフが鞘から刀身を微かに出して相槌を打つ。 丁度彼女の横を通り過ぎようとした平民と下級貴族が突然喋り出した剣に驚いたのか、身を軽く竦ませてしまう。 そんな事など露も知らない霊夢は急に喋ってきたデルフを鞘に戻しつつ、ルイズ達の後を追う。 一人ここに至るまでの事を思い出している内に、足が遅くなっていた事に気が付かなかったらしい。 地元の人々らしい平民たちの憩いの場となっている公園の横の通りを早足で歩き、ルイズ達の元へと寄る。 遅れている事に気が付いていたルイズが、近づいてくる霊夢に声を掛けた。 「ちょっとー、何してるのよレイム」 「別に、ただ…自分って結構甘いなーって思ってただけ」 「?」 自分独自など知らないルイズが首を傾げるのを余所に、事の張本人であるシエスタが話しかけてきた。 「どうですかレイムさん?ここの公園横の通り、ちょうど敷地内の植木が木陰になってて夏場の散歩に快適でしょう?」 「…確かに。夏季休暇中だっていうのに人通りは比較的少ないし、こっちのほうが気を楽にして歩けるわ」 平民向けの女性服に薄緑色のロングスカートに、木靴というスタイルの彼女の言葉に霊夢は周囲を見回しつつ言葉を返す。 シエスタが三人を連れて訪れている場所は勿論王都内であったが、観光客と思しき人々の姿はあまり見えない。 どちらかといえば近辺に住んでいる平民や下級貴族といった、俗に地元であろう人々の姿が目立つ。 これまで大通りや繁華街、市場での混雑っぷりを見てきた霊夢達にとっては見慣れぬ風景であった。 「それにしても、まさか市場から少し離れた所にこんな静かな通りがあるなんてね」 「やっぱり市場と大通りには人が集まりますからね、その分ここら辺は静かになっちゃうんですよ」 ルイズは昨日の混雑っぷりが嘘の様に平穏なその通りを歩きながら、シエスタとの会話を続けていく。 確かに彼女の言うとおり人の混雑が多いのは市場と大通りに、その近辺を囲うようにして人が集まっているという話はよく耳にする。 だからなのだろう。その日の買い物を終えて暇になった地元の人々が、背中を自由に伸ばして休める場所がここにできたのは。 公園の規模は小さいが子供たちが笑い声を上げて楽しそうに駆け回り、良い汗を沢山かいている。 シーソーやブランコ、小さな回転遊具にも少年少女たちが集まり、喜色に満ちた嬌声を上げて遊びまわっている。 その子供たちを見守るようにして大人たちがベンチに腰を下ろして、会話を楽しんでいたり一人静かに休んでいる。 ベンチで気ままに寝ている下級貴族もいれば、近場の店で買ったであろうパンを食べていたりする平民がいる。 既に四人が通り過ぎた公園の入り口で不審者がいなかいか見張っている衛士たちも、暢気に談笑していた。 ルイズ自身、今まで何度も王都へは足を運んだことはあったものの、この様な場所を訪れたことは無かった。 いつも足の先が向くのは賑やかだがいつも混雑しており、けれど目を引くモノが数多ある大通りや市場等々…。 だからこそ…シエスタが連れてきてくれたこの場所は酷く目新しく映り、そして新鮮味があった。 そんなルイズと同じ気持ちを抱いていたのか、あたりを見回していた魔理沙も嬉しそうな様子を見せるシエスタに話しかけてくる。 「へぇ~、こいつは意外だぜ。よもやこの騒がしい街で、こうして気楽に歩ける場所があったなんてね」 「でしょ?私も良く、用はないけど外を歩きたいって時にはいつもここへ来ちゃうんですよ」 魔理沙の反応を褒め言葉と受け取ったのか、シエスタは笑顔を浮かべて嬉しそうな様子を見せている。 まぁあの霧雨魔理沙がそういう言葉を口にするのだから、褒め言葉と受け取ってもおかしくはないだろう。 それから後も、シエスタはルイズ達を連れて一平民としての彼女がお薦めする王都のあちこちを案内してくれた。 丁度大通りの裏手にある隠れ家的なベーカリーショップに大衆食堂や、中々の年代物を扱っている骨董品の店。 マニアックな品物を取り揃えている雑貨屋など、通りから眺めるだけでも中々面白い物を見て回っていった。 きっとメイドとして魔法学院で奉仕する傍ら、非番の日に足繁くこういった場所へ自ら足を運んでいたのだろう。 通り過ぎていく人たちも彼女と気軽に挨拶をし、時には一言二言楽しそうな会話を交えて去っていく。 人々の雰囲気は皆穏やかであり、見慣れぬ者たちを警戒する素振りなど毛ほども感じられない。 最初は渋々であった霊夢も、穏やかな空気が流れる通りを歩いていくうちに態度が軟化していったのだろうか。 今では自分がやるべき事を一時頭の隅へ置いて、興味深そうに辺りを見回しながらルイズ達についていっている。 『なんでぇ、さっきまであんなに゙仕方なじって感じだったのに…今じゃすっかり楽しんじまってるじゃないか』 そして相棒の態度の変化に気が付いたのか、今まで黙っていたデルフが再び彼女へと話しかけてきた。 急に喧しい濁声で喋り出した剣に顔を顰めつつも、霊夢は後ろに目をやりながら彼と話し始める。 「デルフ?…まぁ、私としてはまだ納得いかないけど…まぁ今更抗っても仕方ない…ってヤツよ」 『ふ~ん、そういうモンかい?けれどそれが違ったとしても、オレっちはお前さんに指図はしないさ、何せ――――』 「…剣だから?」 「…………まぁ剣だから、だな」 まさか自分の言いたい事を先読みされた事に軽く驚きつつ、デルフは彼女とのやりとりを続ける。 『それにしても、世の中にはお前さんみたいなのにも好意を向けてくれる変わり者がいるものだねぇ』 「シエスタの事?別にそんなんじゃないでしょうし、アンタの言い方だと私まで馬鹿にしてるでしょ?」 ついているかどうかすら分からない目でルイズと楽しそうに前で会話している休暇中のメイドを見ているであろうデルフの言葉に、 霊夢がジト目で睨みつけながらそう言い返すと、シエスタから少し離れた魔理沙が呼んでもいないのに会話へ割り込んできた。 「そうだぜデルフ、シエスタはただ優しいだけの人間さ。…まぁ確かに、霊夢に必要以上に構うのは変わってるかもしれんがな」 『おー、言うねぇマリサ。お前さんもあのメイドの嬢ちゃんは気に入ってるクチか?』 「そりゃー学院では色々良く接してくれたし、肩を持ってやるのは当然の義理ってヤツだよ」 「ちょい待ち、アンタが私の事悪く言うのはおかしくない?」 シエスタの事を擁護しつつも、ちゃっかりと自分の悪口は言い逃さない魔理沙に霊夢が待ったを掛けていく。 さすがの霊夢であっても、自分以上に人間失格な性格をしているであろう魔理沙にとやかく言われるのは許せなかったようだ。 「全く、少し目を離したかと思えば…何やってるのよアイツらは」 「ま、まぁこの暑い中ああして元気でいられるのは、まぁ…良いと思いますよ?」 魔理沙が入ってきたせいで、ちょっとした言い争いに発展しかけてる二人と一本の会話をルイズ達は少し離れた所で見ていた。 呆れたと言いたげな表情を浮かべるルイズは人通りが少ないとはいえ、注目を集め出している彼女たちの言い争いにため息をつき、 一方のシエスタはどんな言葉を口にしたら良いかわからず、無難な言葉を口に出しつつ苦笑いする他ない。 「ホント、呆れるわねアイツラには。折角シエスタが自分の休日潰して案内してくれてるっていうのに」 「でもミス・ヴァリエール。元はと言えば私の我儘なんですし…レイムさんたちを責めるのはどうかと思いますが…」 ルイズがレイムたちに対する文句を言うと、咄嗟にシエスタは彼女たちを擁護してくる。 その態度に妙な違和感を感じたのか、ルイズは少し怪訝な表情を浮かべて彼女へ尋ねてみる。 「シエスタ…アンタ、何かアイツラの肩を持ち過ぎてないかしら?」 「え、あの…アイツラって、レイムさんたちの事ですか?」 突然そんな事を尋ねてくる彼女にシエスタがそう聞くと、ルイズは「えぇ」と頷きつつ話を続けていく。 「まぁあの二人には色々と助けられた恩はあるでしょうけど、だからと言って変に持ち上げすぎてるわよ? そりゃー助けてもらった時は輝いて見えたろうけど…控えめにいっても、普段の二人は結構酷い性格してるから」 最後の一言はシエスタの耳元で囁き、まだ言い争っている彼女たちに聞こえない様に配慮する。 自分の言葉に暫し困惑の様子を見せるシエスタに、ルイズは尚も言葉を続けていく。 「いくら親しいからって、優しさだけ振りまいても意味がないものなのよ。…特にアイツラを相手にする時はね」 「確かにそうだと思いますが、ミス・ヴァリエールは常日頃から厳しすぎるかと…」 「厳しい位で丁度良いのよ。飼っている犬や猫が粗相したら躾するでしょう?それと同じだわ」 「ぺ、ペットと同程度ですか?」 あの二人をさりげなく犬猫扱いしたルイズに驚きつつ、シエスタはハッと霊夢達の方へと視線を向ける。 幸いルイズの言葉は彼女らの耳に届いていなかったのか、まだ言い争いを続けていた。 例え聞かれていたとしてなんら自分には関係ないものの、シエスタは無意識の内に安堵のため息をついてしまう。 そんな彼女に対し全く慌て素振りを見せないルイズは、霊夢たちを指さしながら尚も話を続けていく。 「あぁいう状態になったら、こっちがよっぽどの騒ぎを起こさない限り聞こえないから大丈夫よ」 「そ、そうなんですか…?でもこの距離だと確実に聞こえてたような気もしますが…」 「大丈夫よ大丈夫!仮に聞こえてたとしても、向こうが悪いんだからこっちは胸を張ってればいいの」 「ちょっとー!アンタ達の会話は丸聞こえだったわよぉー!」 いかにも楽観視的な事をルイズが言った途端、こちらに顔を向けてきた霊夢が怒鳴ってきた。 その怒声にルイズとシエスタは思わず彼女の方へと一瞬視線を向け、そして互いの顔を見あいながら言った。 「どうやら聞こえてたみたいね。御免なさい」 「多分私は怒られないと思いますので、レイムさん達に誤った方が良いかと思います」 「えぇー?私はホントの事をちゃんと言っただけなんですけど」 「だからって、人を犬猫に例える奴がいるか!」 最初からある程度苛ついていた所為もあってか、謝る気ゼロなルイズに霊夢は突っかかっていく。 突然発生した口げんかに対し、シエスタは何も出ぎずただただ見守る事しかできない。 そうしてアワアワと驚きつつ、観戦者になるしかないシエスタの背後から魔理沙が声を掛けてきた。 「おぉシエスタか?さっきからルイズが誰かと話してるなーって思ったら…まさかお前だったとはなぁ」 「マリサさん…い、いえ!とんでもありませんよ!」 「まぁそう簡単に謙遜はしてくれるなよ。お前さんのお蔭で、アイツとの゙お喋り゙が終われたんだしな」 意図的にしたワケではないという事をシエスタは伝えたかったが、それがちゃんと出来たかどうか分からない。 魔理沙は理解したのかしてないのかただ笑顔を浮かべつつ、シエスタの横に立ってルイズと霊夢のやり取りを見つめていた。 それから少しして、数分の言い争いは…結局、両者が疲れてしまった事で幕を閉じた。 数多の人妖と顔を合わせ、一癖二癖どころか五癖もありそうな連中と話してあってきた霊夢。 それに対して、入学当初の問題から生まれた生徒達との揉め事で鍛え上げられたルイズ。 お互い別々の経験から来る言葉選びと、相手が何であれ怯まないという精神が衝突すればそれはもう引き分けになるしかないであろう。 実質霊夢を相手に怒鳴り続けたルイズは、体の中にドッと溜まってしまった疲れを取るようにため息をついた。 「はぁ~…参ったわねぇ。私自身、こんなに口喧嘩したのは初めて…かもしれないわ」 『娘っ子も中々口が悪いが、生憎ながらレイムの方はその三倍…いや四倍増しで酷かった気がするぜ』 「何で言い直す必要があるのよ。…っていうか増えてるし」 「………ふふ」 お互い本気で言い争うつもりは無かったのだろう、そのまま喧嘩に移行する事無く自然と仲が戻っていく。 デルフの余計な一言に少し疲れた様子を見せる霊夢が言葉を返したところで、ふとシエスタがクスリと笑った。 彼女の真横にいて、それにすぐさま気が付いた魔理沙は首を小さく傾げつつ彼女に話しかける。 「?…どうしたんだシエスタ?」 「いえ、貴女達三人とデルフさんのやりとりを見ていてふと…曽祖父から教えてもらった諺を思い出しまして…」 諺?魔理沙が再び首を傾げた所で彼女は「はい」と頷いてから、その諺とやらを口にする。 それはルイズ達は勿論、デルフさえも知っているありふれたものであり、彼女らにピッタリな諺であった。 「喧嘩する程仲が良い…って諺なんですけど――――ミス・ヴァリエールとレイムさん達の関係に、ピッタリと思いません」 「………あー成程な。確かに私達の関係にピッタリ嵌る諺だな?二人もそう思うだろう」 魔理沙からの問いにルイズと霊夢は互いの顔を見合った後、ほぼ同時に首を横に振りながら言った。 「いやいや、それは無いわね」 「そうよ、それだけは絶ッ対に無いわね」 「ホラ?二人して似たような答えを出してくれる辺りに、仲の良さを感じるぜ」 見事なほど息の合った首振りを見せてくれた二人を指さした魔理沙の言葉に、シエスタはつい笑ってしまう。 大通りと建物一つ隔てた場所にある静かな通りのど真ん中で、青春真っ只中な少女の笑い声が響き渡った。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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【登録タグ あき はにーぽけっと む 曲 東方幻奏響UROBOROS肆 ~dEATHtINYoVERdRIVE~ 車椅子の未来宇宙】 【注意】 現在、このページはJavaScriptの利用が一時制限されています。この表示状態ではトラック情報が正しく表示されません。 この問題は、以下のいずれかが原因となっています。 ページがAMP表示となっている ウィキ内検索からページを表示している これを解決するには、こちらをクリックし、ページを通常表示にしてください。 /** General styling **/ @font-face { font-family Noto Sans JP ; font-display swap; font-style normal; font-weight 350; src url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/10/NotoSansCJKjp-DemiLight.woff2) format( woff2 ), url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/9/NotoSansCJKjp-DemiLight.woff) format( woff ), url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/8/NotoSansCJKjp-DemiLight.ttf) format( truetype ); } @font-face { font-family Noto Sans JP ; font-display swap; font-style normal; font-weight bold; src url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/13/NotoSansCJKjp-Medium.woff2) format( woff2 ), url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/12/NotoSansCJKjp-Medium.woff) format( woff ), url(https //img.atwikiimg.com/www31.atwiki.jp/touhoukashi/attach/2972/11/NotoSansCJKjp-Medium.ttf) format( truetype ); 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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 子供の頃の彼女にとっての゛世界゛は、あの村の中にしかなかった。 トリステインの沿岸部に沿うようにして作られたあの小さな土地の中が、彼女が唯一知る゛世界゛だった。 かつてアルビオンから渡ってきた人々が長き苦労の末に開拓した歴史ある土地。 特産物は海で採れるカキぐらいしか無かったが、食卓には大小関係なく新鮮な海の幸が出てくる事が多かった。 海が荒れて漁に出れない時期も村の大人たちが作ってくれた干し肉や干し魚が、お腹を満たしてくれる。 先祖代々耕してきた土のおかげで農作物も程々に作ることができ、領主から不満が出たことも無い。 時折村の外からやってくる行商が売ってくれるお菓子は、彼女を含めた子供たちを大いに喜ばせた。 どこまでも続く青い水平線と白い砂浜に照りつける太陽。そして村を一望できる大きな山々。 まだ子供であった彼女にとって世界はあまりにも小さかったが、不満というモノを抱くことは無かった。 …しかし。そんな彼女の人生は、唐突な急転直下の道へと誘う出来事に襲われる事となった。 夕日が沈み、闇の中に消えていく水平線をぼんやりと見つめていた彼女の背後に、゛ソレ゛は姿を現したのである。 夜の帳が訪れようとしている村をその全体で照らし、そして無慈悲に焼き尽くし呑み込んでいく。 皆が皆顔見知りだった村人たちは逃げ惑い、あるいはその場で膝をついて涙を流しながら誰かに許しを乞う。 死の間際に様々な姿を見せる村の人たちも皆、平等に燃え盛る゛ソレ゛に呑まれて消し炭となっていった。 砂浜にいた彼女は゛ソレ゛に怯え、踵を返して走り出した。皆が平等に死んでいく村へと背を向けて。 死にたくない…アレに呑まれたくない…! まだ幼い頭の中で必死にその言葉を反芻させ、砂のせいで思うように動かない両足で必死に走る。 そうして四メイル程走った所で、砂に足を取られて転んだ彼女は、反射的に後ろを振り向いた。 彼女の中の唯一の世界であり、生まれ育った村が燃え盛る炎の中へと消えていく。 人も家畜も、土も農作物も…そして思い出さえも、その炎が容赦なく平等に焼き尽くしている。 そしてその炎の中で…村の皆を飲み込んだソレ゛が、新たな獲物を探して焼けた地面を這いずっている。 彼女の眼には、゛ソレ゛の姿が一匹の巨大な゛蛇゛として見えていた。 燃え盛る炎から生まれ、呑み込んだモノ全てを平等に焼き尽くしていく巨大な゛炎蛇゛。 その眼は灼熱の体からは想像もつかない程、ひどく冷めていた。 「――――ッンゥ…」 冷たい空気に頬を撫でられたアニエスが、下がっていた瞼をゆっくりと上げていく。 今まで寝ていた事と、もう少しだけ眠りたいという僅かな睡魔のおかげで重たい気がする。 それでも彼女は自力で瞼を上げてからパチリと瞬きをし、目を覚ました。 今のアニエスがいる場所は、トリスタニアの詰所にある自宅を兼ねた自室の中ではない。 もう何年も使っているオンボロベッドは無く、今の彼女が背中を預けているのは地面から生えている樹齢の分からぬ木だ。 大木というにはやや小さいそれから背中を離した彼女は、右手で目を擦りながらゆっくりと立ち上がった。 体に掛けていた薄い毛布を左手で拾い上げようとした時、少し両足の太ももや腰に微かな違和感があるのに気付く。 無理もない、何せ昨夜は体育座りに近い姿勢のまま寝てしまったのだから。 (まぁ…陽が昇る時間帯には治ってるだろ) だからといって歩くのには支障は無いため、アニエスは左腕で抱える様に毛布を持ち上げる。 そして軽い欠伸をした後、ふと先ほどの自分と同じような姿勢で寝ている゛同僚゛たちを見回した。 暗く冷たい空気が木々の間を通り、未だ鳥の囀りさえ聞こえることのない未明の森の中。 その中でアニエスを含む多数の衛士…否、トリステイン国軍の兵士たちが目を閉じて軽い眠りについていた。 見張り役の何人かが彼女よりも先に起きて早い朝食を乾燥食品で済ませているが、寝ている者達の方が遥かに目につく。 全員が街中の衛士とは違う軍用の装備を身に纏い、その頭には新しく支給されたヘルメットを被っている。 ガリア式を模したソレは従来の兜とは違い丸みがありつつも、余計な装飾が一切ないシンプルで無骨な造りをしている。 無論彼女を含めた彼らが一兵卒だからというのもあるが、その分兜と比べると遥かに軽い。 将校が被るような魔法の兜とは違って敵の矢ぐらいならば申し分なく防げる程度か、あるいは防げないのか。 実際のところこの目で確かめてみなければ分からないが、そのチャンスが来る事を祈るようなマネはしたくない。 「しかし、こんなに軽くて本当に大丈夫なのか…?」 不安のあまり思わず一人呟いてしまったアニエスであったが、それも致し方ない。 何せ今のトリステイン軍は近年先鋭化しつつあるガリア軍やゲルマニア軍、そしてロマリア軍の後を追うような形で装備の更新を行っているのだ。 それは歩兵の装備一式の近代化や砲兵隊の強化を含む、陸上戦力の強化である。 十年前、ハルケギニア各国の地方で広がりつつある゛実践教義゛の信者たちが扇動する一揆や反乱が頻発するようになった。 トリステインやアルビオンではそんなに目立ってはいないが、先に述べた三国の他諸侯国では正規軍や貴族に対しての襲撃などが起こっている。 活動拠点を地方と都市、または地方と地方の間の山間部や洞窟に作り上げて、勝てる相手と見込めば奇襲を仕掛けてくる。 そして報せを受けた王軍が駆け付けた頃には、もう敵は踵を返して姿を消しているという始末。 更には周辺に住む山賊たちと協力、または壊滅に追いやるなどして更なる戦力の拡大を図ろうとしていた。 無論ただやられているだけの正規軍でないのだが、いかんせん相手は非正規。まるで地面から顔を出すモグラの様に何処からともなく現れるのだ。 従来の空海戦力中心の空海軍や王軍では山野や洞窟に隠れる敵を発見するのが難しく、陸軍主体の国軍では戦力と士気が問題であった。 その為、これまで日陰者扱いされていた国軍を王軍とも肩を並べられる陸軍に仕立て上げる必要があったのである。 そうした防衛思想のもと、ガリアやゲルマニアの二国が先頭を走るようにして自国の陸軍を一気に先鋭化させ始めている。 代表的な例としては、傭兵で陸上戦力を賄っていた王軍を国軍と組み込んで、大規模な陸軍として再編成していることだろう。 ロマリアもまた聖堂騎士を中心に、山間部に住む集落の者たちや実践教義に反対する山賊あがりから成る山狩り専門の部隊が編成されている。 そしてトリステインも、それ等の後追いで国軍の強化をしているのだ。しているのだが… (にしたって、このボディプレートはどう考えても軽すぎるぞ?) アニエスは心の中でボヤキながら、胸と背中を覆っている青銅色のボディプレートを見やる。 身に着けているソレはヘルメットと同じで軽量化と生産性を意識したモノになっており、変に軽いのがが不安であった。 幸いにも鎧の下に着こんでいる服はトリステイン国軍で制式採用されている制服で、衛士の時に身に着けているのと比べると着心地が良い。 色もやや暗めのダークブラウンで、制服だけでも自分たちが軍隊だと認識できるようトリステイン王国の紋章の刺繍が胸に施されている。 そして自分の命を預ける相棒の剣は言わずもがな。衛士になった頃から愛用し続けている一振りである。 他にも軍から支給された槍も一本。これもトリステイン国軍で古くから使われている信頼のある槍だ。 「おぉ粉挽き屋。もう起きてたのか?」 そんな風にしてアニエスが支給された装備を確認していると、背後から声を掛けられる。 誰かと思い振り向くと、自分と同じ装備を身に着けた兵士達が二人、こちらにやって来る所だった。 そして彼らの後ろには七人もの兵士たちが付いてきている。先頭の二人の内ガタイの良い兵士が手を軽く振ってきた。 もう交代の時間か…。心の中で呟きながら、アニエスも手を軽く上げて挨拶を返してから、男たちに向けて口を開く。 「どうだ様子は?何か変わった動きとか…上からのお言葉とかはないのか?」 「いんや何も。…強いて言えばいつでも動けるようにはしとけと王軍の将軍様たちが煩く言ってたけどな」 見るからに日々の鍛錬を心掛けているといったガタイの良い男が、気さくな笑みを浮かべて彼女に言う。 ガタイの良い彼は遥々シュルピスから国軍の一員として派遣された者たちの内一人で、今はアニエスと同じ隊に振り分けられていた。 アニエスを含め、今ここで寝ている兵士たちの内何人かは同じ部隊の同僚であり、三時間毎の休憩を取っている最中だ。 彼の言葉にアニエスはそうか…。と頷いた後、ふと視線をやや下へ向けてすぐ傍でまだ眠っている一人の同僚を足で小突いた。 「おい、起きろヘンケン。…交代の時間だぞ?」 「ん…、うわっ!」 ヘンケンと呼ばれた、彼女よりまだ年下であろう青年兵士は蹴られたショックか小さな悲鳴を上げて飛び起きる。 慌ててた起きた若過ぎる兵士は眠り目を擦りながらも、急いで足元に置いていた槍を手に取るとアニエス達三人に向かってなぜか敬礼をした。 突然の敬礼に三人が思わず身を竦めると、ヘンケンは大声で喋り出した。 「な、何でありましょうか!貴族さ…ま………――――って、アレ?アニエスさん…それに先輩たちも…」 恐らく夢の中で上官である貴族にドヤされていたのだろうか? 体が動いた後にようやく覚醒した彼は、目の前にいるのが顔見知りになったばかりの仲間たちだと気づく。 アニエスたちの目から見れば相当な間抜け面を浮かべて突っ立っている新兵に、ただただ呆れるしかなかった。 「全く、国軍の精鋭化とは上も大層な事を言うもんだよなぁ?」 ガタイの良い兵士の隣にいる、いかにも古参兵と言うべき壮年の兵士がアニエスにそう言う。 それに対し彼女は何も言わずただヘルメット越しの頭を抱えて、呆れたと言いたそうなため息をつくばかりであった。 「…交代の時間だ。他の皆を起こしてくれ」 「あっ…は、ハイッ!分かりましたッ…!!」 ため息交じりのアニエスの言葉に、若い兵士は再度敬礼し直して元気の良い返事をした。 その日、トリスタニアからラ・ロシェールまでの地域は近年稀に見るほどの濃霧に包まれていた。 アルビオン大陸から流れてくる雲がトリステイン国内で雨となり、そしてこの霧を生み出している。 まるでトリステインの地図の上にミルクを垂らしてしまったかのように、ほぼ直線状の霧が立ち込めていた。 霧はラ・ロシェール郊外にある森林地帯にまで及んでおり、鬱蒼と生える木々の間を縫って湿気と冷気が流れている。 そう、今のアニエスが国軍兵士の一員として歩いているのはラ・ロシェールの郊外にある大きな森の中。 観光スポットとしての価値のない、無駄に大きな自然の集合体の中にいる人間たちの中の一人として彼女は混じっていた。 簡易の地図と非常食の干し肉と雑穀パンが入った腰のサイドパックと水の入った革袋が、歩く度に揺れて微かな重みを感じさせる。 目覚めたばかりであるが既に眠り目を擦りながら歩く者は殆どおらず、この先にある砲兵陣地へ黙々と前進する。 その数は丁度十人。先ほど三時間の休憩が終わった兵士たちである。 最前列を行くアニエスは時折背後を確認して異常が無いか確認しようとするが、霧のせいで後ろから六人目までくらいしか表情が伺えない。 目を凝らせば後の四人も見えるのだろうか?そんな事を考えている最中に、隣にいるヘンケンが声を掛けてきた。 「それにしても、この演習はいつになったら終わるんでしょうね?アニエスさん…」 先ほど間抜けな事をしでかしたヘンケンが、隣で歩く彼女にポツリとぼやく。 それを聞いていたのかいないのか、アニエスは霧に隠れて見えない未明の空を見上げて呟く。 彼女はそんな隣の新兵に対し、突き放すかのような言葉を贈ってやった。 「お前がそうやって弱音を言ってる限り続くかもしれんぞ?そんなことよりも、さっさと足を動かせ足を」 アニエスの言葉にヘンケンは多少たじろぎながらも「はっ、はい…」と返事をして歩くのに集中しようとする。 互いに同じ装備、同じ槍を担いで歩く姿は正に戦場でのポーン。遠く離れた王宮の地図の上では、数字として変換される消耗品。 しかしヘンケンの顔は実戦を知らぬ新兵の如き柔らかい表情を浮かべており、どこかノホホンとしている。 自分が戦場では消耗品として扱われている事など、きっと微塵にも思っていないのであろう。 彼と同じような表情を浮かべている者たちも後ろの列には何人かおり、明らかに新兵だと分かる様相だ。 アニエスは彼らの表情を見て、頬に一発キツイ平手を喰らわせるような檄を飛ばす。 「気を抜くなよ。いくら演習と言っても本物の武器を扱ってるんだ!」 女と言えどここ二週間でアニエスの恐怖を知った彼らは、隣にいるヘンケンを含めて勢いよく返事をする。 それに対しアニエスは軽く頷いてから、これから向かう先にある第二砲兵陣地へと急ぎ始めた。 事の始まりは丁度二週間前…いよいよ本格的な夏が迫ろうとしている時の事であった。 詰所本部を尋ねてきた王宮の使いと馬車に、ルイズたちを乗せた日から翌日… アニエスを含む何人かの衛士達宛てに、トリステイン国軍から召集令状が届いたのである。 最初は何か性質の悪い冗談の類かと思っていたのだが、令状に押されていたトリステイン王国と国軍の印がそれを本物だと裏付けていた。 彼女の令状にはこう書かれていた。 「アニエス衛士。本日ヒトヒトサンマルマデニトリスタニア国軍拠点へ出頭シ、装備一式ノ受領及ビブリーフィングヲ受ケヨ」 ワケが分からない。ミシェルや隊長たちの前で手紙を読んだ彼女は反射的に呟いてしまった。 手紙を受け取った他の仲間たちも、似たような事が書かれているようだった。 国軍拠点?装備一式の受領?ブリーフィング…?…戦争でもおっぱじめようとでも言うのか!? 口に出して叫びたかったが何とか心のうちに留めた彼女は、渋々郊外にある国軍拠点へ足を運ぶこととなった。 王宮からの正式な命令である以上従わなければいけないし、衛士如きが召集令状に抗っても上は取り合ってくれないであろう。 そんな風にして渋々拠点へと出頭して装備を受領した後、広間で聞かされたブリーフィングの内容は単なる゛大規模演習゛の事であった。 ラ・ロシェールの郊外において、国軍強化と砲兵戦の練習を兼ねた長期かつ大規模な演習が行われるとのことらしい。 「今ここに呼ばれている諸君らにはその第一陣として演習地へと赴き、準備兼後から来る国軍兵士達と演習を受けて貰う」 その様な説明を拠点に赴いた王軍の貴族将校から聞かされたアニエスを含む何人かは、安堵できる肩透かしを喰らってしまった。 その後、当日の内に出発と聞いたので一旦詰所に戻って隊長たちに事の詳細を伝えた後に軽い荷造りをした。 やれやれ、お前を含めて何人か国軍に引き抜かれちまったよ。隊長は首を竦めながらそんな事を言っていた。 そして、この演習に召集されなかったミシェルからは「アンタなら農民上がり共を、うまく統率できるさ」と自身たっぷりに言ってくれた。 この時は一体何の根拠があって言ったのかと疑問に思ったが、それは演習開始後すぐに理解することとなった。 男勝りで泣く子も黙る威圧感を持つアニエスは、たちまちの内に国軍兵士として召集されたばかりの新兵たちに恐れられ、尊敬されたのである。 ある者からは故郷にいる兄を、またある者は男勝りだった母親を思い出させてくれたと言ってくれた。前者は思わず頭を軽く叩いてしまった。 そして元々国軍にいた古参兵たちからも「衛士の癖に、胆の据わったヤツだな!」と感心されて、何故か頼られてしまっている。 トリスタニアでも何故か一部の男達から友人の様に接され、挙句の果てには酒場のウエイトレス達にも尊敬されているアニエス。 まさか演習と言えども、こんな泥臭い仮想の戦場でこんなにも頼りにされるとは彼女自身が思ってもいなかったのである。 先ほどの仮眠場から五分ほど離れた所に、第二砲兵陣地が造られていた。 木々生えていない広場の様な空き地に大きな穴を掘り、その穴の中に六つの大砲が設置されている。 その周りは穴の外にはフル装備の国軍兵士たちが慌ただしく動いており、彼らの中にはマントを着けた貴族もいた。 しかしメイジとしてはラインもしくはドットクラスの者たちが多く、トライアングルクラスは指数える程度でスクウェアクラスとなると一、二人しかいない。 彼らの家柄もお世辞にも良いとは言えず、各都市の街中で暮らしているような下級貴族たちが国軍の大半を占めている。 「おい一等兵、砲弾の移動はもう済んだのか?」 「勿論ですよブルーノ隊長、これなら急に実戦になったとしても敵を砲撃で滅茶苦茶にできます!」 「そうか、でもこれは演習だ。撃ちこむところを間違えたら…文字の通り俺の首が飛ぶんだから、気をつけろよな?」 貴族たちも地方や領地を持たぬ下級貴族からなる陸軍所属の者たちであり、同じ国軍の歩兵たちと交える会話も何処か軽い。 若い世代が多く、また幼い頃から平民たちに混じって暮らしている下級貴族たちで構成されている為でもあった。 その一方で、陣地から少し離れた場所に建てられた天幕の中から外を覗く貴族たちは、皆一様に顔を顰めている。 国軍の貴族と比べ身だしなみを整え、胸に幾つもの勲章を付けている彼らは王軍の所属だ。 天幕そのものも周囲の雰囲気からは明らかに浮いている程豪華で、良くも悪くも目立っているといった状態であった。 「全く…ラ・ラメー侯爵も酷な扱いを我らに為さる…よりにもよって、平民どもと下級貴族達国軍の監査などと…」 派手に飾った杖を腰に差した小太りの貴族将校が、そとで動き回る国軍の者たちに向けて明らかに軽蔑するような言葉を呟く。 それに続くかのように、中に置かれたベッドに腰掛けていた細身の貴族将校が、愛用している香水を体に吹きかけながら相槌を打った。 「そうですな!…それにしてもあんなに平民と親しくなろうなどと…トリステイン王国貴族としての誇りを忘れた貧乏人どもめが」 天幕の中にいる彼らは、外にいる国軍の兵士や貴族たちを小声で好き放題言っている。 今回は国軍の監査と視察の為にここを訪れているのだが、朝早くからすこぶる機嫌が悪かった。 その原因は彼らの視線の先にある、穴の中に設置された大砲と関係している。 本来は地上からの対艦攻撃に使われるソレは、これまでトリステイン軍が使ってきたものとは違いゲルマニア製の大砲だった。 新型ではないがトリステイン軍の大砲と比べて精度は格上であるこの地上兵器は、トリステイン国軍の新たな切り札として配備されている。 詳しい事情は知らされていないものの、近々行われるアンリエッタ姫殿下の結婚式の礼としてゲルマニア側が無償で提供してくれたのだという。 王軍と空海軍はこれに反対したが、純粋に戦力強化をしたい国軍にとっては喉から手が出るくらい欲しい代物であった。 長い会議の末に財務卿とマザリーニ枢機卿からのお墨付きをもらい、何とかこの演習で配備することに成功したのだ。 無論、他二軍にとってこの決定は面白くなかったためか、特に王軍は今回の演習で何か事が起こるたびに国軍に当たり散らしている。 「所詮ゲルマニアの大砲や平民の軍隊など、始祖ブリミルから授かりし魔法の前では無力でしかないというのに!」 「全く以て同意するよ。あの鳥の骨も国軍の強化などと無駄な事を提案するよりも、我々王軍や魔法衛士隊の拡張を行うべきだ!」 かつてトリステインで行われた貴族至上主義教育の被害者とも言える彼らの言葉は、当然の如く護衛を務めている魔法衛士隊隊員の耳にも届いている。 正直な所、護衛対象である将校たちの話が外で働いてくれている国軍連中の耳に入らない事を切に願っていた。 国防を盤石にする為の演習の場で、国軍と王軍。それぞれの軍が対立しあうという二対一の状況… そんな事など露知らずに、アニエスの隊は第二砲兵陣地へとたどり着いていた。 「第二砲兵大隊所属、第三班アニエス他九名!ただいまから配置に就きます!」 後ろに部隊の仲間たちを引き連れた彼女は、ここの指揮官であるアマディス伯に敬礼する。 アニエスの報告に五十代後半に差しかかろうとしている初老の辺境貴族もまた敬礼でもって応え、その口を開く。 「御苦労!では、今日も陣地周辺の哨戒に当たってくれ。期待しているぞ!」 国軍の兵士達とは付き合いの長い彼は、アニエスとその後ろにいる兵士たちへ励ましの言葉を贈った。 その口調や言葉からは王軍の貴族たちとは違い、これからまた一日働こうとする仲間たちを応援しているぞという雰囲気が出ている。 兵士たちがそれらを感じ取れたかはどうか知らないが、彼らもまた威勢の良い返事と共に敬礼でもって応えた。 その敬礼を見てアマディス伯は満足そうに頷く、アニエスの班に配置につくよう命令した。 「あっ…ちょっと待て、アニエス!お前だけは少しここに残ってくれ」 そんな時であった、背後を向けた彼女たちにアマディス伯の声が投げかけられたのは。 一体どうしたのかと思ったアニエスは後ろを振り返り、先程と同じ場所で佇んでいる彼に向き直った。 これまで苦労と共に生きてきた証拠である皺の目立つ彼の顔には、何か後ろめたい雰囲気がにじみ出ている。 先ほどまではそんなモノは感じられなかったというのに…。アニエスは内心首を傾げつつもどうしたのですか?と訊ねた。 「少し話しておきたい事があるんだ。時間は取らないし、良いか?」 「…?…わかりました。悪いが、お前たちは先に行っててくれ」 アマディス伯の話にアニエスはそう言いつつ、背後の仲間たちにも声を掛けた。 同僚たちは彼女に軽い敬礼をしてから踵を返し、配置場所へと早足で歩いていく。 それを横目で見ていたアニエスに、アマディス伯は羨ましそうな口調でこんな事を言ってきた。 「…ついこの前まではノロノロ歩いてた連中が、お前のおかげで随分と立派になったもんだな」 「いえ、アイツらなら私抜きでも上手くやれてましたよ」 惜しみない賞賛とも取れる彼の言葉に、アニエスは率直な気持ちでそう返した。 仲間たちと別れた後、アマディス伯に連れられたアニエスは国軍が設置した天幕の中にいた。 王軍のソレと比べて正方形のテントの居住性はまずまずといった所で、並みの平民ならばそれなりに快適な環境であろう。 そんなどうでもいい事を入り口の横で考えていた彼女は、先に入っていたアマディス伯に声を掛けられた。 「ホラ、立ち話も何だろう。座りなさい」 そう言って彼は天幕の右端に置かれた椅子に指さしながら席に着くようアニエスに促した。 アニエスは多少遠慮した風を装ってゆっくり座ってから、向かいの席に座った老貴族が後ろにいた給士に指示を出す。 「君、悪いが紅茶を二つ用意してくれ。……砂糖とミルクは?」 「ミルクだけで結構です」 アニエスの言葉にアマディス伯は何も言わずに給士の顔を見やると、給士は一回だけ頷いて紅茶の用意を始めた。 少なくとも、今のやりとりは王軍の天幕の中では決してお目に掛かれないだろう。 (まぁ、入れると言われても極力入りたくないのだがな) 彼女はそんな事を内心呟きながら、ふと天幕の中を軽く見回した。 国軍士官用の鎧等が天幕の左端にちゃんと整理整頓されて置かれており、天井から吊るされているカンテラで銀色に輝いている。 真ん中に設置された大きなテーブルの上には地図が置かれている。記されている場所からしてここら一帯の地図なのだろう。 丁度入り口から見て奥にベッドが置かれており、天幕に見合ったシンプルな造りのそれはあまり寝心地が良いとは思えない。 そのベッドの隣に置かれた小さな箪笥の上には、彼が故郷から持ってきたであろう小さな私物が幾つか乗っている。 老眼鏡に鈍く光る懐中時計、手袋に栞が挟まった本の隣には小さな小さな額縁があった。 アニエスはその時、本の傍に置かれた額縁立てだけが妙に気になってしまった。 それが生来の勘なのか、あるいはもっと別の何かを嗅ぎ取ったのかどうかは本人にさえ分からない。 平民である自分を天幕の中に入れて茶まで御馳走してくれる老貴族の事を、少しだけ知りたかっただけなのかもしれない。 しかし、ベッドの方へと視線を向けたまま目を細めたアニエスの顔はアマディス伯の注意を引くことになってしまった。 「…………もしかして、あの額縁が気になるのかね?」 「―――――…っ!」 額縁の方を凝視していたアニエスは、…天幕の主に声を掛けられ思わず身を竦めてしまう。 それを見てアマディス伯が軽く笑ったのを見て、彼女はコホンと軽く咳払いをしてから姿勢を正して口を開いた。 「えっ?…あ、イヤ…その…」 「ハハハ、別に誤魔化さなくてもいい。こちらも堂々と置いていたのだからね」 何か言い訳をと思ったアニエスの言葉を遮ったアマディス伯は、ゆっくりとした動作で席を立った。 そしてベッドの方へと歩いてその額縁を手に取って、また自分の席へと座り直した。 彼の大きな左手に握られている額縁の中には、彼と思われる男性と初老の女性が左右に、そして二人の間に年端のいかぬ少女が描かれている。 アマディス伯はその肖像画を愛おしそうな目で見つめながら右手の指で薄いガラス越しの肖像画を撫で始めた。 「…妻と娘だよ。五年前に娘が魔法学院を卒業した時、大枚はたいてトリスタニアで一番の絵描きに頼んで描いてもらったんだ」 彼は昔を懐かしむような口調でそう言って、ふとアニエスにその額縁を優しく差し出した。 家族との思い出であるその額縁をそっと手に取った彼女は、中に収められている肖像画を近くで見つめる。 左右に掛かれているアマディス伯とその奥さんは優しく微笑んでおり、真ん中にいる娘さんはそばかすの目立つ顔に満面の笑みを浮かべていた。 「娘はトリステインの外の国々の事を知りたくてね。卒業したらハルケギニア大陸を歩き回りたいとよく口にしていたものだ」 「そうでしたか。…じゃあ、今は故郷で貴方の帰りを待って――――――」 「妻は二年前にこの世を去ったよ、体中に黒い腫瘍が出来てね。……その一年後に、娘も後を追うように…」 自分の言葉を遮り、彼の口から出たその事実にアニエスは何も言えなくなってしまう。 顔に浮かべていた微笑すら崩すことも出来ず、彼女の時間だけが止まったようにその体が静止した。 ふいに喉から口の外へと出かかっていた言葉が詰まって、そのまま窒息死してしまえばいいのにと思ってしまう。 そんなアニエスの気まずい雰囲気に気付いたのか、アマディス伯が寂しそうな笑みを浮かべて言った。 「おいおい!別に君が私の家族を殺したワケじゃないんだ。そんなに気まずくならないでくれ」 「……す、すいませんでした」 逆に励ましの言葉をくれた老貴族に彼女が申し訳なさそうに謝った時、給士が程よく熱い紅茶を運んできてくれた。 肖像画が描かれた当時の娘より一つか二つ年上の給士はカップを二人の前に置いて一礼すると、再びアマディス伯の後ろへと戻った。 アニエスが手に持っていた額縁をアマディス伯に渡すと、彼は紅茶の入ったカップの取ってを掴んでから言った。 「さっ、紅茶が冷めぬ内に飲みたまえ。今日は一日中太陽が霧に隠れているらしいから少し冷えるぞ」 彼に促されてアニエスも渋々紅茶を一口飲む。ミルクの入ったソレが鼻孔を優しくくすぐり、気持ちを穏やかにしてくれる。 アマディス伯は自分の手元に置いた額縁を見つめながら、無糖ミルクなしのそれを優しく口の中に入れていく。 霧に包まれた森の中で、兵士たちが泥だらけの陣地であくせくと動いている中…綺麗な天幕の中で暖かい紅茶を飲む。 どこか申し訳ない贅沢な一口を飲んだところで、アニエスが思い出したかのようにアマディス伯に質問をした。 「そういえばアマディス伯。私に仰りたい事があると言っていましたが…」 「ん?…あぁ、そうだったな。…いかんいかん。私も随分、歳をとったものだ」 アニエスの質問に彼女をここに呼んだ理由を忘れかけていたアマディス伯はそう言って顔に苦笑いを浮かべる。 後ろにいる給士が口元を押さえて微笑んでいるが、その顔には彼を馬鹿にしているという意思は汲み取れない。 まぁ別に言わなくても良いだろう。アニエスがそう思った後、アマディス伯がカップをソーサーの上に置いて喋り出した。 「実は二週間前から始まった今の大規模演習だが。何事も無ければ明日で終了とのことらしい。 君も知ってのとおり、本演習は外国で過激な動きを見せつつある新教徒たちが国内に出現した際の訓練として立案された。 山野に潜む敵を包囲し、砲撃で威嚇して炙り出すという戦法を、君たちは演習でありながら見事に見せてくれた。 今後は君たちの何人かを国軍所属に移し、各地域に分かれて個別演習と山間行軍などの警戒に当たってもらう事となるだろう」 彼はそこまで話し終えると湯気の立つ紅茶をゆっくりと口に入れ、飲み込んでホッと一息つく。 アニエスはそこまで聞いてそうでしたか。と返した後に、ふと気になる箇所があったのを思い出しそれを聞いてみた。 「あの…先ほど私を含めた何人かを、国軍所属に移すと聞きましたが…」 「それはあくまで可能性の話だ。実際には演習結果の成績と、査定の評価から見て選出することになってる。 無論、君以外の衛士の中には前々から国軍へ志願したい者が何人かいるからね。演習結果と合わせてそちらを優先する事になってる。 だから君が国軍へ移る可能性は無いに等しいとは言えないにせよ、恐らくその前に志願者が枠を埋めてしまうだろう」 私としては残念極まりないが、ね?アマディス伯はアニエスに軽いウインクを飛ばしてそう言った。 先程死んだ家族の肖像画を愛おしそうに撫でていた老貴族とは思えぬ仕草を目にして、アニエスは別の意味で言葉を詰まらせてしまう。 かろうじて「え、えぇ…」とだけ返す事はできたがはたしてそれが本当に最良の言葉だったのかどうかは、分からない。 アマディス伯はアニエスの相槌を確認してからふと席を立つと、入り口から濃霧が立ち込める外の景色を見やる。 零れた練乳の様に森を包む霧をかき分けるようにして走り回っている士官の貴族や歩兵の平民たち。 部下である彼らの姿を天幕の中から一望しつつ、アマディス伯は一人呟く。 「これからの時代は正規軍同士のぶつかり合いと同時に、新教徒たちのような局地的な襲撃者の数も増えるだろう。 山賊以上正規軍未満の敵を相手にする為には、国軍の戦力強化は絶対に達成しなければならない目標だ」 彼の言葉にアニエスも「そうですね…」と軽い相槌を打って、手に持っていたカップをゆっくりと口元へ持っていく。 未だ湯気が立ち上る熱い紅色の液体を慎重に啜ろうとした時、背後にいた老貴族が彼女の名を呼んだ。 何かと思いカップを口元から離したアニエスは、席を立ってからクルリと後ろを振り返った。 相変わらず外の方へと視線をむけている彼は振り返ることもせず、ただ目の前にある陣地を見つめながら喋り出す。 その背中から漂う気配は彼と出会って二週間、初めて感じ取ったモノであった。 まるでお芝居の中の騎士が、強大な相手へと挑むかのような、決意と覚悟に満ち足りた背中…とでも言えば良いのだろうか? とにかく、先ほどとは打って変わった気配を滲みだすアマディス伯の背を前に、アニエスは口を閉ざしてしまう。 「アニエス。先ほども話したように今日が長期演習の最終日だ。 しかし…それは同時に、間に合わせの近代化を行ったに過ぎない国軍が、演習の次の段階へと移る日なのだ」 そう、次の段階にな?最後に彼がそう付け加え、アニエスの方へと顔を向けようとした時―――― 天幕の外から複数の馬の嘶きが濃霧を貫いて陣地に響き渡った。 陣地にいた者たちは貴族平民問わずそちらの方へと顔を向けた瞬間、濃霧を裂いて兵士を乗せた二頭の馬が陣地へと入ってきた。 蹄を鳴らし、口の端から涎を飛ばして走ってくる二頭の奇蹄類に、進路上にいた者たちは素早く道を譲っていく。 何人かが何事かと叫ぶ中、馬に乗った兵士たちの内一人は王軍の天幕へと、もう一人はアマディス伯のいる天幕の前で乗っていた馬を止めた。 今度は間近に聞こえてくる嘶きに流石のアニエスも怯んでしまい、天幕の主である老貴族も顔を顰めてしまう。 そんなことを気にも留めずに王軍の御旗を背中に差した兵士が馬を降りて、アマディス伯の前で膝立ちになるとその口を開いて叫んだ。 「御報告申し上げます!トリステイン空海軍旗艦『メルカトール』のラ・ラメー侯爵からの伝令!! 『アルビオン艦隊接近!至急国軍ハ、全部隊ニ対艦砲ノ準備及ビ照準合ワセヲ求ム!攻撃ハ合図ヲ待テ』との事です!」 その日のトリスタニアは、いつにも増して手で掴めそうな程の濃ゆい霧に包まれていた。 人々はいつまで経っても顔を出さぬ朝日のせいで、今が何時何分なのか時計でも見ない限り分からない天気にしかめっ面を浮かべている。 それでも市場には今日も多くの人が足を運び、屋台や定食屋で朝食を摂る者たちも少なくない。 余程大雨や嵐でも来ない限り、この王都の活気がなくなってしまうという事が無いという事実の裏付けでもある。 だからといって何も起こらないというワケではなく、濃霧が原因とする小さな事件が街中で幾つか発生していた。 霧のせいで距離感がうまく掴めずにぶつかった貴族同士のイザコザや霧の中に紛れて消える窃盗犯、そして一時的な交通網の麻痺。 前日に降った大雨の所為で街と地方を結ぶ一部の街道や山道で土砂崩れが発生しているのだ。 濃霧もあって復旧には時間が掛かるという見方があり、今のところ地方への交通手段が大きく限られてしまっている。 そしてそれが原因で、トリスタニアにある施設でちょっとした騒ぎが起こっていた。 トリスタニアから他の街へ行ける駅馬車の駅前は、その日朝から相当な騒ぎで活気にあふれていた。 街と外を隔てる壁に沿うように建てられた立派な造りのそこに貴族平民関わらず様々な人たちが集まり、腕を振りあげて何かを叫んでいる。 「おいどうなってんだよ!?濃霧のせいで馬車が出せないとかふざけてるだろ!」 「御袋が病気なんだ!二日までにこの薬を持っていかないと不味いんだって!!!」 何人かの平民が冷たく閉ざされている駅構内へと続く門を力強く叩きながら、中にいる駅員たちへ抗議している。 彼が叩いた門の丁度真ん中には大きな張り紙が貼られており、そこにはデカデカとこう書かれていた。 『大変申し訳ありませんが、本日の運行は濃霧が晴れ次第開始致します トリスタニア駅馬車運営委員会より』 記録的濃霧のせいで馬車同士の衝突や、馬が道を踏み外して事故を起こすというケースを運営者は考えたのだろう。 お客様の安全を第一に考えるのであれば、この濃霧を極力避けるという選択は随分と妥当である。 しかし、だからといって客の中には急いでいる者や予約を入れていた者もおり…当然のごとく、彼らからしてみればとんでもない事だった。 行先にもよるが比較的最新型で乗り心地の良い貴族専用馬車の予約だけでも、決して安くは無い金額を払う必要がある。 上級階級の貴族ならば予約だけを取るのは簡単かもしれないが、辺境出身の下級貴族ともなれば当日券を買うだけでも大変なのだ。 その為にそういった者たちは前々から予約を入れて、上流階級の貴族たちを出し抜く必要があった。 何より、この日に予約を入れていた貴族たちの大半は運行を休止した駅の運営者達に怒ると同時に、かつてない焦燥感を胸に抱いていた。 今から三日後に控えたアンリエッタ姫殿下とゲルマニア皇帝のアルブレヒト三世の結婚式。 ここにいる貴族たちは皆、ゲルマニアの首都ウィンドボナで盛大に行われる披露宴に参加するために集っていた。 「貴様!今日の朝から出してくれねば、我々はアンリエッタ姫殿下の結婚式におくれてしまうではないか!」 駅の入口で平民煮たちに混じって抗議している下級貴族が、杖を持った手を振り回して叫んでいる。 流石に魔法をぶっ放す程短気ではないのか、あくまで抗議の道具として用いていた。 「そうだ!折角の姫殿下の嫁入りだというのに…我々トリステイン貴族が式場に行けぬとあれば王国の恥であるぞ!」 もう一人の貴族は窓からこちらの様子を見ている駅員達を指さしながら叫ぶと、周りの貴族仲間や平民たちがそうだそうだと続く。 半ば暴徒化しつつある彼らに恐怖を感じたのか、一部の駅員たちは窓から離れて衛士隊を呼んだ方が良いのではと相談している。 今はまだ下級貴族だけであるが、上級貴族の予約客まで来て騒ぎになれば駅員全員の首が社会的かつ物理的に飛んでもおかしくはない。 使いの者を出して衛士隊に来てもらうよう頼んではいるが、彼らが出来るのはあくまで平民の鎮圧と逮捕だけだ。 貴族となるといくら彼らでも平民と同じような仕打ちをするのには二の足を踏んでしまう事は間違いない。 ならば王宮にこの事を報告して騎士隊も派遣してもらおうという事になり、至急使いを出す事となった。 そんな局所的な騒ぎが起きているトリスタニアとは別に、王宮もまたちょっとした騒ぎが起こっていた。 ここでも濃霧の影響はあり、外の警備をしている騎士たちはカンテラを手に持って辺りを照らしながら歩いている。 普段なら専用の屋外でまとめて出している洗濯物も、陽が出ていないという事で専用の個室で山の様に積まれている。 しかし一番影響を受けたのは、これからウィンドボナへと出発しようとして足止めを喰らっているアンリエッタ王女とマザリーニ枢機卿であった。 王宮の内部。自分の私室へと続く赤絨毯が敷かれた廊下を、アンリエッタは軽やかな足取りで歩いていく。 いつも身に着けているドレスと王家の紋章である白百合の刺繍が目立つ青いマントをはためかせながら、後ろにいるマザリーニ枢機卿に話しかけた。 「この濃霧だと、竜籠でも危険だというのですか?」 「はい。この記録的な濃霧だと、籠を引く竜が方向を見失って正確に飛ぶことができないようです」 四十代とはとても思えぬ程老けた枢機卿は前を歩くアンリエッタの質問にそう返し、窓の外から見える景色を一瞥する。 本来ならトリスタニアの町が一望できるこの窓から見えるのだが、霧のせいで今は街のシルエットすらボンヤリとしか見えない。 まさか出発日にこの様な霧がでるとは…。天候までは読めなかったマザリーニは、皺だらけの顔をついつい顰めてしまう。 「陸路も、土砂崩れで相当ひどい事になっていると…」 「…左様で。今は例の『大規模演習』に参加しなかった国軍の一部隊と、王都から派遣した騎士隊で復旧作業を―――――姫殿下?」 枢機卿の口から『大規模演習』という単語が出た瞬間、私室へ向かって歩き続けていたアンリエッタの足が止まった。 何かと思った枢機卿も足を止めて彼女の横顔を見ようとした時、先に彼の方へと顔を向けたアンリエッタが厳しい口調でこう言った。 「―――゛演習゛?゛待ち伏せ゛の間違いでなくて?枢機卿」 「お言葉ですが、『演習』自体はしっかりと行われております」 花も恥じらう程美しいアンリエッタからの非難がましい表情と視線を受けるマザリーニはしかし、落ち着いた様子で言葉を返した。 感情を露わにする王女に対し、枢機卿はまるで教え子を諭すような教師の表情を浮かべている。 この表情の違いだけを取ってみても、これまで踏んできた場数の差があまりにも有り過ぎている事を意味していた。 足を止めた二人以外に今は誰もいない廊下は、耳に痛い程の静寂で包まれている。 まるでこの廊下だけが空間から隔離されたような静けさの中で、マザリーニは淡々としゃべり出した。 「あくまで今回の『演習』における最後の展開は、゛軍部の日程ミスと正統的な防衛行為゛として片づけられる手筈です」 「それは我々側の詭弁です。アルビオンは、…いやレコン・キスタや他国にはどう説明をつける気なのです?」 「証拠は既に揃っております。それに、生き証人の方も先々週に魔法学院で捕えております」 「…魔法学院?…そういえば、確かにその様なご報告を頂きましたね」 アンリエッタはそう言うと、二週間前に届いた報告を思い出した。 それは今でも記憶に残っている。ルイズと霊夢、それに魔理沙の三人が中庭に集結したあの日から翌朝の事。 朝食を済ませて、食後の紅茶を嗜んでいた時に学院の警備に当たっていた騎士隊から連絡が入ってきたのだ。 聞くところによると、どうやら魔法学院の庭園で怪しい男を見つけ、捕縛したのだという。 ボロボロでやつれていた男は庭園の奥にある、既に使われていない納屋の中で縮こまっていたらしい。 発見した騎士が外へ出るよう勧告すると男はあっさりと出てきた挙句、嬉しそうに彼に抱きついて助けを求めたのだとか。 困惑しながらも騎士が素性を明かすように言うと、男は自分がレコン・キスタからの使いでここへ来たのだとあっさり喋ったらしい。 その内呼びかけに応じて他の騎士達も駆けつけると、矢継ぎ早に男へ三つの質問を投げかけた。 内通者がいるなら名を教えろ?内通者は今どこにいる?お前はどうしてこんな所に隠れていた? その質問全てに答えるようにして、男は震える声で喋った。 ――――な、内通者の貴族は…ころ、殺されたんだ…あの化け物に殺されたんだ!!だから俺は隠れてたんだ! 思い出し、喋っていた時の彼の表情には見た者を凍りつかせる程の恐怖が滲み出ていたのだという。 「男を捕縛して二日後に魔法学院を閉鎖し、現在は騎士隊を派遣して他に何かないか調査をさせております」 「生徒や教師、それにあそこで働いている平民の方々は無事に送り出しましたのよね?」 「ご安心を。騎士が何人か護衛につかせた馬車…輸送用含めて計十台で、トリスタニアまで移動させていますので」 淡々としたマザリーニの報告に、アンリエッタは安心するかのように溜め息を吐いて頷く。 学院にいた者たちをひとまず街へと送ったという報告は聞いていたものの、その詳細までは知らなかったのである。 今ではそういう詳しい報告を、マザリーニ枢機卿へと最優先するようになってしまっていた。 「そうですか…間諜だという男は今どちらへ?」 「今はチェルノボーグの一番厳重な場所におります。口封じの心配はないかと…」 自分の質問にマザリーニがそう答えたのを聞いてから、アンリエッタはその視線をカーペットの方へと俯かせた。 今のトリステインでは、政治や国の事に関する報せはまず最初に枢機卿の元へと届けられてから、ある程度内容を省略されて王女である自分へと知らされている。 本来ならば亡き父である先王と、女王にならぬと宣言した母に代わって彼女がこの国の事をまとめ上げねばならないというのに。 今はゲルマニアへの外交カードとしてお嫁に出され、果たすべき王家としての勤めを枢機卿や財務卿たち先王から仕えている家臣たちに任せきりの状態という始末。 こんな様態ではレコン・キスタが内部工作を仕掛けてこなくとも、遠からず危うい状況に陥っていただろう。 (結局のところ…全ては自分への甘えがもたらした結果、ということなのね…) 二週間前…ルイズ達と相談したあの夜以前から薄々考えていた一つの事実が、しっかりとした形を持って彼女の心の中を蝕んでいく。 母親同様、王のいないトリステイン王国でお飾りの姫として生きてきた自分にいまさら何ができるというのだろうか? こんな事ならばいさぎよくゲルマニアへと嫁いで、マザリーニ枢機卿達にこの国を託した方が良いのかもしれない。 彼女が浮かべる表情から何かを察したのだろうか、横にいたマザリーニが声を掛けてきた。 「殿下。どういたしましたか?御気分が優れぬようですが…」 「…あ、いえ。何も―――何もありませんのよ枢機卿。ただ―――――」 何もない風を装って取り繕うとしたアンリエッタは、隣に立つ枢機卿の表情を見て思わず言葉を詰まらせてしまう。 皺が深く刻み込まれているその顔に浮かぶ表情からは、王家であるのに王家でない自分への侮蔑や嘲笑は全く含まれていない。 今の自分を…これから望まぬ結婚の為に、ゲルマニアへと行こうとしている我が身をいたわってくれる枢機卿がそこにいる。 彼は知っているのだろう。自分が亡きウェールズ皇太子と恋仲にあった事や、これから起こるであろうレコン・キスタとの戦いを自分が望んでいない事を。 そして…望まぬと思っていながら心の中に残る復讐心を無理やりにでも抑え込んで、ゲルマニアへ嫁ごうとしている自分の事も。 彼の表情からそれが読み取れそうなだけに、アンリエッタの心に更なる積み荷が乗っかってしまう。 積まれていく荷物は不安定に揺れて、彼女の心という置き場から小さな荷物からポロポロと崩れ落ちていく。 それは彼女の口から発せられる言葉となって、枢機卿の耳へ届けられようとしていた。 「ただ…ただ、今のままで本当に良いのかと悩んでしまっているのです」 「今のまま…ですか?」 首を傾げたマザリーニ、対し、俯いたままのアンリエッタ小さく頷いてから喋り出す。 それは枢機卿であるマザリーニへの、懺悔に近いものがあった。 「元はと言えば、今のアルビオンとここまでこじれたのは私がウェールズ様を愛してしまったから…。 あの人と出会い、一目惚れさえしなければ恋文も出来ずレコン・キスタとの妙な確執も生まれはしなかった。 そして…今の様なイザコザも起こる事なく、不可侵条約を結んでゲルマニアとの軍事同盟も無事締結されてたかもしれない…。 もしも…もしもそうなっていたのなら。私の抱いた恋心が、このトリステインを引っ掻き回してしまったのかと思うと―…思うと…!」 そこまで喋ったところで言葉が途切れ、紫色の瞳から一筋の涙が頬を伝っていく。 思わず両目を閉じてしまうが溜まっていた涙が一気に流れ落ち、自らの両手で顔を覆ってしまう。 アンリエッタは自分を恨めしく思っていた。この期に及んで尚王族に成りきれぬ自分に、いつまでも泣く事しかできない自分を。 自分がここまで場を引っ掻き回したというのに、いつまでもルイズや枢機卿の前で涙を流す事しかできない。 その涙を堪えてこの国の為に何かをしようという気の強さを、いつまでも持てない自分を苛立たしく思っていた。 「私は…どうしたら…どうやって生きていけばいいのでしょうか…? 多くの人に迷惑を掛けてッ…、あまつさえ、この国さえ…!捨てて、他国へ嫁ごうとしている私は…!」 流れる涙を抑えることができぬアンリエッタは、泣きじゃくりながらマザリーニへと質問を投げかける。 アンリエッタからの質問に暫しの沈黙が続き…、マザリーニがその口を開こうとした。 「陛下…。陛下は―――――――ん?」 その時であった、彼らの背後から何者かが走り込んでくる音と共に叫ぶような声が聞こえてきたのは。 「報告ッ!御報告です!!」 マザリーニがそちらの方へ顔を向けると、息せき切って走ってくる竜騎士の姿が見える。 やや旧式の鎧をガシャガシャと鳴らして駆け込んできた彼は、二人の前で足を止めてその場で息を整えた。 涙を流すアンリエッタに綺麗なハンカチを手渡してから、マザリーニは何事かと聞いた。 恐らく外からここまで鎧を着たまま全速力で駆けつけたであろう騎士は、伝えるよう言われた事を慎重かつ素早く報告する。 「ご…御報告申し上げますッ!!…我が軍がッ、…アルビオンの艦隊と交戦を開始したとの事ですッッ!」 その報告を聞いてマザリーニは無表情で頷き、涙を拭いていたアンリエッタは思わず顔を上げてしまった。 ―――――それから三時間後。 霊夢と魔理沙が寝泊まりしている王宮内の一室。 「…なぁ。やけに外が騒がしくないか?」 ベッドの上で本を読んでいた魔理沙がそんな事を呟いた時、ルイズの耳に周囲の音がドッと入り込んできた。 白紙のままである『始祖の祈祷書』と睨み合っていた彼女は、朝から座りっぱなしだった腰をゆっくりと上げる。 部屋の右端に配置されたデスクから離れると、確かに黒白の言うとおり外が妙に騒がしい事に気付いた。 上からも下からも、まるで沈む船から逃げ出すネズミ達の様に喧騒が王宮中を駆け回っている。 「確かに…何なのかしらね?」 しかし朝起きて朝食を摂り、ゲルマニアへ行く為の準備を終えたルイズは霊夢と魔理沙のいる部屋にずっといた。 理由としてはゲルマニアへ行く直前に二人が何かしでかさない為だったのだが、それが却って仇となったらしい。 喧騒自体は聞こえてくるも誰が何を喋っているのか全く分からず、ルイズの心に余計な不安が募ってしまう。 「もしかしたら、もうゲルマニアへ行くのかしら?」 「だとしても外はまだ凄い霧だぜ?三時間前に聞いた時も部屋の前の騎士が竜でも飛べないって言ってたような…」 『あぁ。流石の火竜でもこの霧の中じゃあ迷子になって、とんでもない方向へ飛んじまうな』 ルイズの言葉に魔理沙が最初に返し、その後を引き継ぐようにデルフも言った。 ベッドに立てかけられたインテリジェンスソードは、ついでベッドに腰掛けたまま黙りこくっている霊夢に話しかけた。 『なぁレイムよ?お前さんも何かおかしいと思わないか―――…って、さっきから黙ったままだな?』 柔らかいシーツの上に背中を預けて読書を堪能している魔理沙とは対照的に、霊夢は俯いたまま何も言わずに地面を見つめ続けている。 その顔は特に何かを憂いているわけではなく、また目を開けたまま寝ているという器用な事もしていない。 ただ何か考え込んでいるかのような表情を浮かべ、視線は地面に向けてひたすら黙っていた。 「…霊夢のヤツ、一体どうしちゃったのかしら?」 今までこんなに無口な彼女を見なかったルイズが、首を傾げながら魔理沙に聞いてみた。 尋ねられた魔理沙も理由が分からず、ただただ肩を竦めるしかない。黒白の反応を見て、ルイズはため息をつく。 彼女の記憶が正しければ…朝食を頂いた後、身だしなみと整えて手荷物を従者に持たせて二人の部屋にやってきた頃には既にこの状態であった。 その時には魔理沙も本を読むのに夢中で、デルフはそんな彼女に独り言を垂れ流していたので霊夢に何が起こったのか誰も知らないのである。 幸い、トリスタニアで起きた騒ぎの様にガンダールヴのルーンは光っておらず独り言も呟いてはいない。 そして時折彼女の口から「む~…」とか「う~ん…」と、何か悩んでいるかのような呻き声が漏れているので何か考え事をしているのであろう。 現に何回か呼びかけた時は目だけを此方に向けた後、またすぐに視線を戻して考え事に耽っている。 魔理沙程ではないが霊夢とそれなりに同居していたルイズから見れば、今の彼女はどことなくおかしかった。 「何か悩み事でもあるのかしらね?」 思わず口から飛び出てしまった言葉に、魔理沙がコロコロと笑い出した。 「まさか!コイツが今みたいに深く悩んでた事なんて今まで一度も無かっ…――――ッイタ!?」 最後まで言い切る直前に、後頭部に襲い掛かった来た軽い衝撃に魔理沙は思わず悲鳴を上げてしまう。 突然の悲鳴にルイズは軽く驚き、ついで誰が彼女の後頭部を叩いたのかすぐに分かった。 見ると彼女の横でずっとベッドに腰掛けていた霊夢が上半身を此方に向けて、魔理沙を叩いたであろう左手を軽く右手で摩っている。 その顔には先ほどまで地面に向けていた表情とは違い、明らかな敵意を浮かばせていた。 無論、その敵意の向かう先にいたのは後頭部を押さえて呻いている魔理沙である。 「誰が能天気ですって…?」 「い、イヤ…そこまで言ってないだろ?そこまでは…イテテ…」 「まぁアンタはともかくとして…一体どうしたのよレイム?いつものアンタらしくなかったわよ」 どうやらしっかり話だけでも聞いていたであろう霊夢に対し、相変わらず侮れないヤツだと思う魔理沙であった。 そんな彼女をよそにルイズは霊夢の傍までやってくると、両手を腰に当てて聞いてみる。 ルイズからの質問に答える前に、軽く背伸びしてから霊夢はその口を開いて言った。 「ん~…。何なのかしらね?実は私にも良く分かんないのよ、コレが」 「はぁ?どういう事よソレ?私の質問に答えてるようで全然答えてないじゃないの」 曖昧すぎる返事にルイズはきつい反応を見せるが、見せられている霊夢はそれに別段腹を立てたりはしなかった。 いや、腹を立てるよりも前に先程までその正体を探ろうとした゛何か゛が気になって、仕方がないのである。 「ずっと遠い所から何かの気配を感じるんだけど…何ていうか、離れすぎてて正体が掴めないのよね」 「気配…?離れすぎてる…?」 気難しい表情を浮かべて呟いた霊夢の言葉に、ルイズもまた彼女が感じた゛何か゛に興味を引いてしまう。 普段からのんびりとしていて、それでいて何かが起こった時には平常時の暢気さを見せない動きを見せる霊夢。 そんな彼女が朝から気難しい顔をして正体を探ろうとしている゛何か゛が何なのか、ふと知りたくなってしまった。 けれども今日は…あのアンリエッタと共に結婚式の為にゲルマニアへと行く日でもある。余計な事に首を突っ込んでゴタゴタを起こしたくない。 そう思った時だ。ルイズの脳裏に一瞬だけ、嫌な考えが過ったのは。 (こいつがこんな顔をして探ってるのは気になるけど…、まさかその道中で何かが起こるんじゃないでしょうね?) 心の中でそう言った後、頭を横に振って脳に貼り付いたその考えを払いのけようとする。 まさか!…と心の中で叫んで一蹴したい気持ちはあったが、これまでの出来事を振り返ってみれば決して無いとは言い切れない。 現にこれまで…というより二年生に進級してからというモノ何か変わった事が起こる度に厄介事が降りかかってきたのである。 そこまで思ってルイズは気が付いた。霊夢を召喚してからというものの、一生分かもしれない奇妙な体験をしている事に。 それ以前はゼロという不名誉な二つ名を持った魔法を使えないメイジとして、学院で馬鹿にされてきたルイズ。 けれど魔法が使えないだけで座学や乗馬などの授業は平均点より上で、テーブルマナーに関しては流石公爵家の娘と褒められた事もある。 教師たちは魔法に関して彼女の魔法に苦言を呈し、生徒たちからは少しいじめられた事もあったが何とか自身で対処できる範囲で済んでいた。 魔法が使えないのに魔法学院の生徒だというそんな彼女の生活はこの年の春、使い魔召喚の儀で大きく変わってしまったことになる。 何せ爆発と共に現れたのは異世界で大事な役割を担った人間だったうえに、おまけと言わんばかりに始祖の使い魔であるガンダールヴときた。 (………いくら使い魔が選べないからって、なんでそんな奴を召喚しちゃったのかしら?) せめて人間を召喚してくれるならもう少し無難な相手の方が良かったと、ルイズは始祖ブリミル相手にぼやきたかった。 けれども現実は非情で、そんな事を考えても始祖は降臨してくれないし、詔は完成してないしそれどころかゲルマニアへ行けるかどうかも分からない。 更に言えば、その結婚式が終わった後も霊夢と魔理沙が来た幻想郷の異変解決の手伝いをしなくてはいけないのである。 おまけに霊夢の様子と外の騒ぎが関係あるのかは知らないが、近いうちに何か良くない事が起こりそうだという予感さえ目の前に迫ってきていた。 なまじ頭の回転が速いルイズは、山積みとなっている自分達の問題に頭を抱えたい気持ちを抑えて、物憂げなため息をついた。 『お?どうした娘っ子。やけに元気が無くなったじゃねぇかよ?』 「…えぇ?あぁ、アンタねデルフ。…ていうか、アンタぐらいじゃないの?今の私を気にしてくれるのって」 そんな時であった。ベッドに立てかけられていたデルフが今にも項垂れてしまいそうな表情を浮かべるルイズに声を掛けてきたのは。 ルイズは向こう側に置かれているデルフの方へと視線を向けて、ついで今この部屋にいる他の二人に対して軽く呆れてしまった。 魔理沙は帽子を脱いで痛む頭を押さえており、霊夢はぼんやりと濃霧しか見えない窓の外を見つめてまた゛何か゛の気配を察知しようとしている。 今は違うが、この前までは学院で二人が寝泊まりしている部屋の主であった彼女を心配する素振りは、一つも見られない。 ルイズは思った。偶には私の事をもっと大切に扱ってくれても、良いんじゃないのかと? そりゃ二人の性格がどういうものなのかこれまで一緒に暮らしてきて大体分かったし、それを無理に矯正するつもりはない。 ただ何というか…もう少し自分を、学院で住まわせてもらってるという事を自覚して接してもらいたいのだ。 「…アンタたちがそういう性格なのは知ってるけど、たまには気を使ってよね…」 そんな気持ちが無意識に喉元からせり上がり、言葉として小声で発してしまった。 呟いてしまってから気づいたルイズがハッとした表情を浮かべたと同時に、魔理沙が話しかけてきた。 「ん、何か言ったか?」 ようやく痛みが引いてきたのか、また帽子をかぶり直した魔理沙がキョトンとした顔でルイズに聞く。 ここで頷くと何か恥ずかしい…。そんな思いに駆られたルイズは冷静さを装って「う、うん?何か?」と言い返すしかなかった。 「…。――…。――…。―――…!」 そんな時であった。魔理沙とルイズのすぐ傍…ベッドに腰掛けていた霊夢が物凄い速さで立ち上がったのは。 まるで誰かに引っ張られたかのように腰を上げたせいでベッドが揺れて、魔理沙が少し驚いたような声を上げた。 「おっ…と!…何だよイキナリ?吃驚するじゃないか」 横になっていたベッドを揺らされた魔理沙の軽い抗議にしかし、霊夢は何も喋らなかった。 抗議に対する冷たくて理不尽とも言えるような言葉すら、一言も発さず彼女はただじっと窓の外を見つめている。 濃霧が垂れこめる外の景色を、まるで透視でもすると言わんばかりに睨みつけていた。 「ちょっとレイム。一体何が――――――…レイム?」 さすがに何かがおかしい感じたルイズが彼女の顔を見た瞬間、確実に゛何かが起こった゛のだと悟る。 先程までぼんやりと何かを考えている様な表情であった霊夢の目が、獲物を見つけた猛禽類の如く鋭くなっていた。 赤みがかった黒い瞳を持つ目を細めて、彼女はただじっと窓の外を見つめている。 これまで色んな霊夢の顔色を見てきたルイズにとっても、絶対に見過ごすことのできない゛何か゛があったのだと知らせてくれる。 それを表情から察して、何も言えなくなってしまったルイズを余所に、立ち上がった彼女は窓の方へと向かって歩き出した。 二人と一本のどちらかが静止するよりも前に窓の前に辿り着くと、その両手で閉じられていた窓を思いっきり開いて見せた。 「あ、ちょ…どこへ行くのよ!?」 この前トリスタニアで起こった事を思い出したルイズはそう言って霊夢の傍へと寄る。 それに対し霊夢は開けた窓から吹きすさぶ湿っぽい風をその身に受けながら、ルイズの方へと顔を向けた。 心配そうな表情を浮かべて自分の傍にいる彼女を一瞥した後、再び窓の外へと視線を向ける。 一体どうしたのだろうか?ルイズだけではなく魔理沙とデルフもそう思った直後だった。 三人と一本がいま居る部屋の下―――丁度霊夢が明けた窓の下から王宮警備の騎士と思われる男たちの声が聞こえてきた。 何を言っているのかはまだ詳しく分からないが、その喋り方と声の張り上げ方から見るにどこか慌てているのだと想像してしまう。 霊夢はそれを聞きたかったのか窓のすぐ下にいるであろう騎士たちの会話を、真剣な眼差しで見つめながら聞いているのだろうか? それを聞いて、一体何を喋っているのかと思ったルイズも霊夢の横に並び、下の様子を見て聞こうとした時である。 右の方から「大変だッ!」という叫びと共に右の方からガッシャガッシャという御と共に鎧を着こんだ騎士が走ってきたのは。 それから走ってきた騎士にどうした?という声が掛けられた後、荒い呼吸をする騎士が息も絶え絶えに言った。 「ぶっ、部隊が……ッラ・ロシェールに展開した、アルビオン艦隊への…迎撃部隊が――――か、怪物達にやられているらしいぞ…ッ!!」 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 深い霧に包まれたラ・ロシェールの街は、未だ日も出ぬ時間から多くの人たちが出入りしていた。 狭い山道を挟むようにして作られた総人口およそ三百人程度の小さな町に、立派な装備を身にまとった王軍の貴族たちが入っていく。 彼らは皆馬や使い魔であろう幻獣に跨り、その後をついていくかのように護衛の騎士達が町の入口であるアーチをくぐっていく。 『ラ・ロシェール!小さなアルビオンの玄関へようこそ!』 風雨に晒され殆ど読めなくなったアーチの看板には、そう書かれていた。 そのアーチをくぐって街の中へ入っていくトリステイン王軍の将校達とは反対に、街の中から平民達が身軽な格好で出ていこうとしている。 老若男女な彼らの大半は私服姿で何も持っておらず、中には軽い手荷物をもった者がチラホラといるだけだ。 一時間前に突如王軍が街へと入ってきて、町に住む者達全員に避難命令が出されたものの、その詳細をしる者は誰一人としていない。 ある家族は足腰の弱った祖父や祖母の肩を担ぎ、またある乳飲み子はぐずって母親を困らせている。 「一体どうなってやがるんだ?こんな朝っぱらから避難命令だなんて…」 「だな。貴族様の考える事はようわからんさ」 何人かの平民は道の真ん中を堂々と行く王軍の将校や騎士たちを横目で見ながら、小声でボソボソと愚痴を呟いている。 最も、それは町に居を構えている貴族たちも同じであり、横暴な王軍に対しての不満を口にしている。 無論王軍貴族達の耳には入っていないであろうが、今彼らの耳に聞こえてたとしても無視していたに違いない。 彼らは皆、これからラ・ロシェール上空に現れるであろう゛敵゛を待ち構えなければいけないからだ。 ラ・ロシェールから少し離れた所にある広大な、草原地帯。 普段は近隣にあるタルブ村から放牧された牛や羊たちが草を食んでいるであろう場所。 その上空には今、旧式艦の多いトリステイン軍の艦隊と神聖アルビオン共和国の精鋭艦隊が両者向かい合う形で浮遊している。 両艦隊とも距離を取るような形で待機し、トリステインがアルビオンを、アルビオンがトリステインの艦隊を監視していた。 霧のせいでラ・ロシェールからはその光景を見ることはできず、町の人々は何も知らされずに出ていこうとしている。 自分たちのすぐ傍で、今正に撃ち合いを始めるかもしれない艦隊を尻目に自国の王軍への愚痴を漏らしながら…。 ラ・ロシェールの中心部。そこに建てられている、町の中では一際グレードの高い高級ホテル。 貴族専用のその宿泊施設はつい先ほど軍が接収したばかりで、今は臨時の王軍司令部として使われようとしている。 今はシーズンオフという事もあってか宿泊していた貴族も一、二人と少なく、支配人や従業員達と共に避難している最中であった。 その元ホテルのロビーに数人の将校と共に入ってきたド・ポワチエ大佐が、地図を持ってきた騎士に声を掛けた。 「どうだ艦隊の状況は?」 「はっ!現在我がトリステイン艦隊が、アルビオン艦隊と接触したとの事です!」 騎士はテキパキとして口調でそう言うとロビーの真ん中に犯されたテーブルの上に、持っていた地図を勢いよく広げる。 タルブ村を含むラ・ロシェール周辺の細かい地図は、これから行うであろう゛戦゛を円滑に進める為のゲームボードであった。 その証拠に、別の方から小さな小箱を抱えてやってきた騎士が箱の中から艦船のミニチュアを取り出し、地図の上に置いていく。 ポワチエ大佐から見てタルブ側の方には青色、海側は赤色のミニチュアがコトリ、コトリと音を立てて配置される。 「タルブ側が我が軍の艦隊。そして海側は、レコン・キスタの゛親善訪問゛の大使を乗せた艦隊か」 同僚であり同じ大佐の階級を持つウインプフェンが、神経質な性格が見える顔で地図を睨んでいる。 ポワチエは彼の言葉に軽く頷くと、地図をテーブルに置いた騎士に「地上の゛演習部隊゛はどうなっている?」と訊ねた。 「はっ!現在ラ・ロシェール郊外で待機している゛演習部隊゛は準備完了し、艦隊からの合図を待っているとの事です!」 「そうか。…あくまでも今回の作戦はアルビオン軍艦隊の動きで状況が左右する。下手に動く事はするなと伝令を送っておけ」 その命令に騎士はハッ!と敬礼した後、ホテルの出入り口で待機している伝令を呼びつける。 伝令が駆け付ける様子をポワチエの後ろから見ていたウインプフェンがふん、と軽く鼻で笑った。 「たかが平民と魔法も録に使えぬ下級貴族だけの国軍に、重要な仕事を任せるのはいささか可哀想だと思わないか?」 「そう言うなウインプフェン。奴らとてあのゲルマニアから玩具を貰って、撃ちたくて仕方がないに違いない」 傲慢さを隠さぬ同僚の言葉にポワチエもまた、地図上の森林地帯を見てそう言った。 彼の顔にはウインプフェン同様、そこで待機している国軍に対しての軽蔑の笑みが浮かんでいる。 作戦が予定通りに進めば、国軍は先頭を切ってアルビオンの艦隊に奇襲を仕掛けて奴らの意表を突いてくれることだろう。 その後は自分たち王軍と艦隊が攻撃を受けて指揮が乱れた敵を一網打尽にすれば、全ては丸く収まる。 (無論手柄は、作戦の指揮を任された俺が優先的に受ける…よし、完璧だな) ポワチエは頭の中で今回の作戦のおおまかな流れを反芻していると、自然頬が綻んでしまう。 しかし、それが取らぬ狸の皮算用でもあると理解しているおかげで、すぐに頭を振って甘い考えを振り払った。 (…とはいえ、それは相手が動いた場合の事だ。俺が奴らなら、事を起こすような真似はしないが…) とにかく今は不可視の手柄よりも、目の前に見える作戦の指揮をどう取るのか考えるべきか。 そう判断した彼は、隣で今後の事について話し合っているウインプフェン達将校の話に加わろうとした…その時であった。 ホテルの外から突如として ドン! ドン! ドン! と凄まじい大砲の音が聞こえてきたのである。 その後に続くようにしてビリビリと建物ごと空気が揺れたかのような気配を感じたポワチエは、天井を見上げてしまう。 恐らく音の正体は、ここまで迎えに来てくれたであろうトリステイン艦隊を謝すためのアルビオン艦隊からの礼砲だろう。無論、弾は込められていない。 大砲に込められた火薬を爆発させただけの空砲であるが、音はともかく振動すら地上にいる王軍の身にも届いていた。 「今のは礼砲か?…にしてはやけに大きな音だったぞ」 ポワチエの疑問に、ずれたメガネを人差し指で直しながらウインプフェンが答えた。 「きっと敵の旗艦レキシントン号の空砲なのだろうが…確かに、聞いたことも無い程大きかったな」 彼の言葉にポワチエも思わず頷いてしまう。街から艦隊のある草原まで近いとはいえ、このホテルの中にまで大音量で響いてきたのだ。 相手のすぐ傍にいるであろうトリステイン艦隊の者たちは、さぞや船の上で後ずさったものであろう。 自軍の旗艦である『メルカトール』号に乗船しているであろう、司令長官のラ・ラメー侯爵の顔を思い出そうとした時であった。 先ほどの礼砲よりも音は小さいが、砲撃と分かる音が将校達の耳に入ってきた。 聞き覚えのある『メルカトール』号の砲撃音に、ポワチエはすぐに礼砲に対する答砲だと察した。 四発目、五発目、六発目…と答砲は続いたのだが、どうしたことか七発目で『メルカトール』号の砲撃音がピタリと止んでしまう。 「答砲が七発だけ?相手が大使を任された貴族なら十一発の筈だが…」 一人の将校が七発で終わった答砲に首を傾げると、何かを察したであろうウインプフェンが鼻で笑った。 「全く。ラ・ラメー侯爵もあのお年で良く意地を張れるものだ」 彼の言葉に他の将校達も『メルカトール』号に乗った司令官の意思を察して、軽く笑い出す。 トリステインと比べ、何もかも格上であるアルビオンの艦隊に負けるつもりはないという意思の表れなのだろう。 それを答砲でもって表明したであろう我が軍の司令長官は、なんとまぁ意地の強い男だろうか。 ポワチエもそんな彼らにつられて顔に笑みを作り、周りにいた騎士たちも心なしか笑顔になってしまう。 緊張した空気が張りつめつつあったロビーにほんのちょっと明るい雰囲気が入り込もうとした…その矢先であった。 入り口からドタドタと喧しい足音が聞こえ、その音の主であろう斥候が息せき切ってポワチエ達将校のいるロビーへと駆け込んできたのだ。 突然の事にロビーにいた全員が駆け付けた斥候へと視線を向けてしまう。 何事かと将校の誰かが言おうとする前に斥候はその場で片膝立ちとなり、ロビーに響き渡る程の大声で叫んだ。 「で、伝令!たった今、アルビオン艦隊の最後尾にいた小型艦一隻が…炎上しましたッ!」 「なんだ?どうした、事故か!?」 トリステイン軍艦隊旗艦『メルカトール』号の艦長であるフェヴィスが、信じられないという顔でアルビオン艦隊の最後尾を見つめていた。 隣にいるラ・ラメー侯爵も彼と同じ方向に視線を向け、炎上し始めた相手の小型艦を見ている。 甲板にいる水兵や士官たちもみな同様にそちらへと目を向けて、何が起こったのか理解しようとしていた。 遥か後方、アルビオン艦隊の最後尾で炎上しながら墜落する『ホバート』号。霧の中でもその甲板から立ち上る炎は見えている。 恐らく艦内に積まれていた火薬に火が回ったのだろう。甲板の火はあっという間に小さな艦艇を包み込むように燃え広がり、次の瞬間には空中爆発を起こした。 炎に包まれた『ホバート』号の残骸がゆっくりと草原へと落ちていく様は、とても現実の光景とは思えなかった。 突拍子無く炎に包まれ、そして呆気なく爆散した小型艦を見て『メルカトール』号の甲板にいた者たちは慌ててしまう。 「諸君落ち着け!我が軍の艦艇が爆散したワケではないぞ!!」 広がろうとしている動揺を抑えようと、ラ・ラメー侯爵が甲板にいる士官たちを叱咤する。 それで全員が落ち着いたワケではないが、実戦経験のある司令長官にそう言われた何人かの士官が落ち着きを取り戻した。 「手旗手はアルビオン艦隊へ状況説明を求めろ!各員はそのまま待機…手旗手、急げ!」 久しぶりに叫んだ所為か、ヒリヒリと痛み出した喉に鞭を打ちながら士官たちに指示を出した後、フェヴィス艦長が話しかけてきた。 「侯爵、今のは一体…」 「ワシにも分からん。恐らくは内部で何かトラブルが起こったとしか…」 艦長の疑問に率直な気持ちでそう返した時、望遠鏡でアルビオン艦隊を見つめていた水兵が「『レキシントン』号から手旗信号!」と叫んだ。 その水兵の口から語られたアルビオン艦隊からのメッセージは、彼らの予想を斜め上に逸れるモノであった。 「『レキシントン』号艦長ヨリ。トリステイン艦隊旗艦。『ホバート』号ヲ撃沈セシ、貴艦ノ砲撃ノ意図ヲ説明…セシ」 水兵は信じられないという目で望遠鏡を覗いてメッセージを読み終え、それを聞いていたラ・ラメー侯爵達も同じような表情を浮かべた。 撃沈?砲撃?…一体相手は何を言っている?あの船に乗っている連中は何も見ていなかったのか? 「奴らは寝ぼけているのか?どう見てもあの小型艦は勝手に燃えて、勝手に爆発したではないか…」 目を丸くしたフェヴィス艦長がそう言って『レキシントン』号へと視線を向け、ラ・ラメー侯爵は明らかに怒った口調で手旗手に命令を出す。 「手旗手!!返信しろッ!『本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニアラズ』だ、早くしろッ!」 司令長官からの命令で動揺が治っていない手旗手が慌てて言うとおりの信号を出すと、すぐさま返信が届いた。 その返信を望遠鏡で見ていた水兵は、今度はその顔を真っ青にさせながら読み上げる。 「た…タダイマノ砲撃ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦セントス」 水兵が読み終えたところで、アルビオン艦隊が一斉に動き出し始めた。 先頭にいた『レキシントン』号が右九十度の回頭を行い、右側面に取り付けられたカノン砲を突き付けようとしている。 相手がこれから何をしようとしているのか、それは平民の子供にも分かる事であった。 「…ッ!?来るぞッ!取舵一杯!急げッ!!」 フェヴィス艦長が操舵手に命令を飛ばすと、空中で止まっていた『メルカトール』号が息を吹き返したかのように動き出す。 左の方へ回頭する『メルカトール』号へ向けて、一足先に準備を終えた『レキシントン』号が一斉射撃を行った。 しかし、この時回避行動を取ったことが幸いしたのか、砲弾は『メルカトール』号には着弾どころか掠りもしなかった。 『レキシントン』号から発射された砲弾はラ・ラメー侯爵達の遥か頭上を通り過ぎ、その内一発が『メルカトール』号の後ろにいた中型艦に着弾する。 木製の甲板が耳障りな音を立てて派手に割れ、飛び散った破片が周囲にいた水兵や士官たちへ容赦なく突き刺さる。 砲弾は勢いをそのままに船体を貫通して草原へと落ちていき、大穴の空いてバランスを失った中型艦が船首を下へと向けて落ち始めた。 「あそこまで届くのか…ッ!?」 後ろにいた僚艦が着弾から沈みゆく様を見ていたフェヴィスが、『レキシントン』号から撃たれた砲弾の威力に思わず目を見張ってしまう。 この霧のおかげもあるだろうが、もしも回避行動を取っていなかったら今頃『メルカトール』号がああなっていたかもしれない。 中型艦の乗組員たちが一人でも多く脱出できる事を祈りながら、フェヴィス艦長は相手の旗艦が恐ろしい化け物艦だとここで理解する。 そんな時であった、今まで黙っていたラ・ラメー侯爵が自分が乗船している艦と反対方向へと進み始めた『レキシントン』号を見て呟いた。 「艦長…どうやら奴らは我々と不可侵条約を結ぶ気など一サントも無かったらしい」 …そりゃそうでしょうな。侯爵から投げかけられた言葉に艦長は軽くうなずきながらそう言った。 何せ相手は自分たちの国へスパイを堂々と送り込んだうえで、仲良くしましょうと不可侵条約を持ちかけてきたのである。 更に追い打ちといわんばかりに、この出迎えの時に自分たちに無実の罪をなすりつけて攻撃を仕掛けてくるときた。 「恐らくは、我々トリステイン人を小国の者だからと侮っているのでしょうな」 艦長のその言葉に、侯爵は満足げな…それでいて静かな怒りを湛えた表情で頷いた。 「成程。真っ向勝負なら我々に勝てると算段を踏んで、こんなふざけた計略まで用意してくれたという事か」 そう言うと彼は自分たちの乗る艦と反対方向へと進んでいく『レキシントン』号を見やりながら、各員に命令を出した。 「全艦隊砲撃戦用意!曹長、地上の゛演習部隊゛に合図!!手旗手は黒板で敵旗艦にメッセージを伝えろ!」 艦隊司令長官からの命令にすぐさま各員が動き始め、手旗手がメッセージはどうするかと聞いてくる。 それを聞きたかったかのような笑みを浮かべたラ・ラメー侯爵は、得意気にメッセージを教えた。 「まさか、寸でのところで不意の一発を避けられるとは…」 アルビオン艦隊旗艦『レキシントン』号の甲板から望遠鏡を覗くボーウッド艦長は、残念そうな口調でそう呟いた。 仕留め損ねた敵の旗艦はこちらとは反対方向へ進んでおり、既に大砲の射程範囲内からは逃れられてしまっている。 後方にいたトリステイン軍艦隊も迅速な動きで旗艦の後に続き、こちらに対しての敵意を露わにしていた。 望遠鏡で除く限りには甲板上の敵は多少動揺しているものの、旗艦からの命令にしたがって攻撃用意を手早く済ませている。 それに対して、王政府打倒の際に多数の士官、将校を粛清された旧『ロイヤル・ソヴリン号』―――現『レキシントン』号の甲板には動揺が広がっている。 貴族派の連中が掻き集めたであろう水兵たちは、奇襲が失敗してトリステイン軍艦隊が動きだした事に慌てふためいていた。 本来ならそれを抑えるべき士官たちの大半も、部下たちの影響を諸に受けてしまって止めようのない事態になりかけている。 旧王軍の頃からいる士官たちは何とか統制を取り戻そうとしているが、時間が掛かる事は間違いないであろう。 だがその中でも、慌てすぎて錯乱の境地に達したであろう男がボーウッド艦長の隣にいた。 「えぇぃっ!!これは一体全体どうした事なのだ!我が艦の砲術士長は居眠りでもしておったのか!?」 この艦の司令長官であるサー・ジョンストンが、頭に被っていた帽子を甲板に叩きつけながら喚いている。 彼は今回計画されていた゛親善訪問゛―――否、トリステイン侵攻軍の全般指揮も一任されている貴族だ。 元来政治家である彼はクロムウェルからの信任も厚く、そのおかげで今回の件も任されたのである。 しかしボーウッド自身はどうにも、軍人でもない癖に司令長官の椅子に座っているこの男の事が気に入らなかった。 さらに言えば、元々王党派であった彼は軍人としてはともかく、個人としてこの゛親善訪問゛を装った攻撃には不快感さえ感じている。 (クロムウェルの腰ぎんちゃくめ…、司令長官の貴様が落ち着かねば兵たちも慌てたままなのだぞ) 彼は口の中でそう呟きながら粛清から逃れた士官に命令を飛ばそうとしたが、その前にジョンストンが噛みついてきた。 「艦長!何を悠々と艦を進ませておる!『メルカトール』号がもっと離れる前に新型の砲で叩き潰さぬかッ!!」 「サー、いくら新型の大砲と言えどこの距離を移動しながら攻撃するのは、砲弾の無駄というものです」 狂った野犬の如く喚きたてる司令長官の提案に、ボーウッドは至極冷静な態度でそう返す。 この男のペースに巻き込まれていたらまともに戦えん。それが今のボーウッドが下した、ジョンストンへの対応であった。 甲板では兵たちが慌てふためき、司令長官はごらんの有様…これで一体どう戦おうというのか。 「ひとまずは敵艦隊と一定の距離をとって、しかる後こちらの新型砲の強みを生かして各個撃破という形が最善ですが…」 ボーウッドは錯乱する司令官を落ち着かせようと、頭の中で練っていた即席の作戦を話そうとする。 しかし、そんな彼の落ち着いた態度が気に入らなかったのか、ジョンストンは「知るかそんなモノ!」と一蹴してしまう。 「そんな手間暇を掛けていたらトリステイン本国に我々の事が知れ渡るぞっ!?いいか、艦長! 私は閣下から預かった大事な兵を、トリステインに下ろさねばならんのだ!もしも時間を掛けて敵艦隊と戦っていたら… 報せを受けたトリステイン軍が地上軍を派遣して、我が軍の兵たちが地上に下り次第狩られてしまうではないか!!」 ジョンストンの甲高い、それでいて長ったらしい声でのご説教に流石のボーウッドも顔を顰めてしまう。 いっその事殴って黙らせた方が良いか?そんな物騒な事を考えていた時、二人の後ろから男の声が聞こえてきた。 「ご安心を、司令長官殿。貴方が思っているほどに、トリステイン軍の対応は速くはありませんよ」 この艦の上でボーウッド以上に冷静で落ち着き払った声に、彼とジョンストンは思わず後ろを振り返る。 そこにいたのは、金糸で縫われたグリフォンの刺繍が眩しいマントを身に着けたワルド子爵であった。 彼は名ばかりの司令長官であるジョンストンに代わり、アルビオン軍が上陸した際の全般指揮をクロムウェルから委任されている。 トリステイン人であり、魔法衛士隊のグリフォン隊隊長を務めていたという経歴も手伝ったのであろう。 異国人でありながら今のアルビオンの指導者に認められた彼の顔は、相当な自信で輝いて見えた。 「いくら数と質で劣るからと、トリステイン軍艦隊は貴方が思う程甘くはありません。 けれど奇襲を紙一重で避ける事が出来たとはいえ、アルビオン軍艦隊なら赤子の手を捻るよりも簡単に叩き潰せます」 ワルドが物わかりの悪い生徒を諭す教師の様な口調でしゃべっている合間にも、時は止まってくれない。 かなり距離を取ったトリステイン軍艦隊から威嚇射撃の砲声が響き渡り、それがジョンストンの身を竦ませる。 ボーウッドとワルドの二人も敵艦隊の方を一瞥し、射程範囲外だと理解してから説明を再開させた。 「仮にトリステイン軍艦隊が伝令を出したとしても、王軍がここへ辿り着くのにはどんなに急いでも数日は掛かるでしょう。 ラ・ロシェールや近隣の村を収める領主の軍隊などは論外、アルビオンの竜騎士隊だけでも潰せる数です」 トリステイン軍に属していた事もあってか、ワルドの説明を聞いてジョンストンも徐々に納得し始める。 しかし何か気にかかっていることでもあるのだろうか、ジョンスントンはワルドの話に頷きながらも「だが、しかし…」と何か言いたそうな表情を浮かべた。 だがワルド本人はそれを聞く気は全くないのか、貴方の言いたい事は分かります…とでも言いたげに肩を叩きながら話を続けていく。 「とにかく、ボーウッド艦長の考えている通りに戦っても我々には何の支障もありません。 今日中にトリステイン軍艦隊を壊滅させて、ラ・ロシェールに地上軍を上陸させる。たった二つだけです その二つをこなすだけで貴方はクロムウェル閣下から勲章を授かり、新しい歴史の一ページにその名を残せるのですよ?」 ゛クロムウェル閣下からの勲章゛と゛歴史に名を残せる゛という言葉を聞いて、ようやくジョンストンの顔に笑みが戻ってきた。 それでも未だに引き攣っているせいでどこか不気味な笑みとなっているが、気分が晴れてくれればこの際どうでも良い。 ワルドはそんな事を思いながら、戦場で無様な姿を見せる政治家の耳に甘言を囁いたのである。 「そ、そうか…そうなのか?」 今の状況で安らぎが欲しいジョンストンとは、縋るような声で耳触りのいい言葉を喋るワルドの両手を握った。 冷や汗塗れの冷たくて不快な手に握られた感情を顔に出さず、ワルドは「えぇ、そうですとも」と答える。 「ですから、今は長官室に戻って落ち着かれてはどうでしょうか?何ならエールの一口でも飲んで―――――」 ほろ酔い気分になってみては?…そこまで言う前に、『レキシントン』号の手旗手が「『メルカトール』号からメッセージです!」と叫んだ。 ボーウッドが誰からだ!と聞くとと手旗手は「黒板での伝言!トリステイン軍艦隊司令長官のラ・ラメー侯爵からです!」と答える。 「ほう、ラ・ラメー侯爵ですか。実戦経験のあるお方で、素晴らしい人ですよ」 「その素晴らしい人の命も後僅かだがな…で、メッセージは何と書かれてある!!」 懐かしい名前を耳にしたワルドが感慨深げにそういうのを余所に、ボーウッドは手旗手に聞く。 望遠鏡を覗く手旗手は時間にして約二秒ほど時間を置いて、『メルカトール』号からのメッセージを読み上げた。 「トリステイン王国ヲ舐メルナヨ。一隻残ラズ、空ノ木屑ニシテクレルワ。コノエール中毒者共」 手旗手が双眼鏡越しにメッセージを読み終えた直後、距離を取られた『メルカトール』号の甲板から照明弾が三つ上がった。 打ち上げ花火用の筒から発射されたソレは霧の中では眩しく見え、『レキシントン』号にいる者たちの目にもハッキリと見えている。 照明弾は一定の高さまで昇ってから、緩やかな弧を描いて地上へと落ちていき、やがて光を失って消滅していった。 『レキシントン』号や他のアルビオン軍艦隊の水兵たちは、その儚い光に何か何かと目を奪われてしまっていた。 ようやく落ち着きを取り戻した士官の貴族たちは、「持ち場へ戻るんだ!」と杖を振り回しながら叫びだす。 その様子を耳で聞いているボーウッドは、唐突な照明弾に怪訝な表情を浮かべておりジョンストンも似たような顔になっている。 ただ一人、ワルドだけは先程の照明弾と手旗手から伝えられたメッセージに関係があるのではないかと察していた。 今アルビオン軍艦隊が進んでいる先の地上にはラ・ロシェール郊外の森林地帯が広がっている。 霧は出ていものの照明弾の光は思った以上に眩しかったから、地上でも視認しようと思えば出来るはずだ。 (地上に向けて落ちていった照明弾…それに先ほどのメッセージと前方に見える森林地帯―――――――…まさかッ!?) ワルドが何かに感づいた同時に、同じ事を予感したであろうボーウッドが目を見開いて叫んだ。 「各員何かに掴まれ!!敵の攻撃は下から来るぞッ!!」 ボーウッドが叫び、ワルドと共にその場で姿勢を低くした瞬間―――――― 艦隊の進む先に見える森から先程の照明弾以上に眩い光りが発生し…直後、凄まじい砲撃音が地上から響き渡った。 それと同時に森の中から計二十発近い砲弾が発射され、アルビオン軍艦隊はその砲弾と鉢合わせする事となってしまう。 地上からかなり離れているにも関わらず打ち上げられた砲弾の内一発が小型艦の船底を貫き、その先にあった風石貯蔵庫を瞬時に破壊する。 別の中型艦は火薬庫に一発直撃を喰らい、かなりのスピードを出したまま炎上し、船員たちが脱出する間もなく空中爆発を起こした。 先ほど自作自演で潰した『ホバート』号よりも派手な爆発な起こした僚艦を見て、ボーウッドは思わず冷や汗を掻いた。 彼の記憶の中では少なくともこの高度まで砲弾を飛ばせる大砲など、トリステイン軍は所有していなかった筈である。 一体どうして…ボーウッドはそこで頭に貼り付こうとした余計な疑問を振り払い、優先すべき別の疑問を思い浮かべた。 (イヤ!今はそんな事を考えている場合ではない。問題はたったの一つ…トリステイン軍は最初から我々を待ち伏せていたという事だ) 彼は苦虫を噛んでしまったかのような表情を浮かべながら腰を上げて、周囲を見回してみる。 先程の砲撃で一隻失い、更に被弾した小型艦も甲板から凄まじい炎を上げて船首を地面へ向けて落ちようとしている。 何人かの水兵や士官が耐えかねて船から飛び降りているが、いくらメイジといえどもこの高さから落ちれば『フライ』や『レビテーション』の詠唱もままならず、地面の染みと化すだろう。 良く見るとその艦の操舵手は何とか不時着させようとしているのか、煙を吸わないよう右手で口を押さえながら左手で舵を取っていた。 彼のこの先の運命を予見したボーウッドは、あの操舵手に始祖ブリミルの祝福あれと心の中で祈るほかなかった。 そうして燃え上がる小型艦が艦隊から脱落したのを見届けてから、隣にいたワルドに話しかける。 「子爵。どうやら君が思っていたほど、トリステインは甘くは無かったらしい」 地上からの砲撃が止み、事態を把握した『レキシントン』号のクルー達を見ながらポーウッドは言った。 水兵たちは地上から攻撃されたと知って再び慌てふためいている。 その様子をボーウッドの後ろから眺めていたワルドは参ったと言いたげな微笑を浮かべながら「そのようでしたな」と返した。 少なくともその口調からは、自分の予想が外れていた事に対する罪悪感は感じていないらしい。 士官や水兵たちが右へ左へ走り回るその光景を目にしながら、ワルドはポツリと呟く。 「しかし、参りましたな。敵を罠にはめたつもりが、我々がそっくりそのまま逆の立場になってしまうとは」 「あぁ、全くだ」 子爵の言葉に相槌を打ちつつ、しかし始まった以上には勝たねばならない。と付け加えた。 軍人である今のボーウッドにできることは、『レキシントン』号の艦長として空と陸に陣取ったトリステイン軍をできるだけ速やかに叩く事だけだ。 幸い敵艦隊を不意打ちで壊滅させた後、降ろすはずであった地上軍を乗せた船は未だ健在である。 先程の地上からの砲火で敵の大体の位置は分かる筈だろう。ならばそこを優先的に攻撃して制圧する必要がある。 「トリステイン軍艦隊は質と量の差で真っ向勝負は仕掛けて来ない筈。それならば、今は敵地上勢力を叩く事に専念できる。 子爵くん、早速だが君には竜騎士隊を率いて先ほど砲弾が飛んできた森林地帯を重点的に攻撃してくれないかね?」 ボーウッドからの命令に、ワルドは得意気な笑みを浮かべた。 流石根っからの軍人、対応が御早い。彼はそう思いながらもその場で敬礼をして言った。 「…分かりました、地上の掃除は私とアルビオン軍の竜騎士達にお任せを」 この船の中では数少ない物わかりの良い相手からの返事に、ボーウッドも満足そうに頷く。 そんな時であった、今まで二人の視界から消えていたジョンストンが頭を抱えて嘆き出したのは。 「あ、あぁ!あぁ!何という事だッ!よもや、トリステイン軍が地上軍を派遣していたなんて!!!」 ついさっき甲板に叩きつけた自分の帽子を両手で抱えるように持った彼は、涙を流して何事か叫んでいる。 その叫び声が騒乱に包まれた甲板の上でもハッキリ聞こえたボーウッドとワルドは、ついそちらの方へ目を向けてしまう。 まるで丸まったハムスターの様に蹲るジョンストンは、もう脇目も振らずに泣きわめき、叫び続けている。 本当なら一瞥しただけで無視してやっても良かったが、彼の口から叫びと混じって出てきたのは…ある種゛懺悔゛に近いモノであった。 「か…閣下!クロムウェル閣下!?だからっ、だから私は反対したのですよ!?トリステインへの奇襲攻撃など…!! トリステインの内通者がバレて、更にスパイの存在も知られて…なぜ奴らがそれでも条約を守りたいとお思いになられるのですか!?」 トリステインの内通者?スパイ?…一体何の話だ? ボーウッドとワルドはお飾り司令長官の口から出た単語に、思わず互いの顔を見合ってしまう。 実はトリスタニアで露見された内通者やスパイの件は、ボーウッドの様な将校や外国人であるワルドの耳には入ってきてなかったのである スパイを送り込んだ事そのものを評議会は隠蔽し、こうしてジョンストンの口から語られるまで彼ら以外の者には知らされていなかったのだ。 だがそんな二人にも、ジョンストンの叫んでいる内容そのものが、トリステイン軍が待ち伏せを行う切欠になったのだと、察する事はできた。 でなければ敵軍が地上に砲撃部隊を配置していたという事に対して、こんなに取り乱す筈はないであろう。 「私の提案の様に…奇襲を諦め、長期的なコネ作りに励んでいれば…全ては上手くいっていた!! トリステインは確実に手に入れる事ができた…というのに!だというのに…こんな事になってしまった! 閣下!こ、この責任は貴方の責任なのですよ…!!?決して、これは私のミスではありませんぞ……!!」 一人泣きながら演説の様に叫び続けるジョンストンを、二人はただ黙って見つめていた。 このまま放っておいてもいいのだが、今は一分一秒を争う状況なのだ。これ以上下手な事を叫ばれて兵たちに聞かれては不味いことになる。 自分に黙って水面下で行われていた事については確かに気にはなるが、今はそれに専念する程の余裕は無い。 ボーウッドが目だけをワルドの方へ動かすと、艦長の言いたい事を察した彼が腰に差しているレイピア型の杖をスッと抜いた。 …静かにさせますか?クロムウェルから新しく貰ったソレをジョンストンへ向けたワルドの顔が、ボーウッドにそう問いかけている。 ……殺すなよ?ボーウッドはそう言いたげな渋い表情で頷き、それを了承と受け取ったワルドが詠唱もせずに杖を振り上げようとした。 そんな時であった――― 「おやおや、随分と悲観に暮れてらっしゃるではありませんか。ジョンストン殿?」 ボーウッドとワルドの後ろから、聞き慣れぬ女の声が聞こえてきたのは。 まるで急に現れたかのように唐突で、あまりにも透き通っていて幽霊の様な不気味ささえ匂わせる声色。 そんな声が後ろから聞こえてきてから一秒。杖を手にしたワルドが風を切るような勢いで後ろを振り返る。 振り向いた先にいたのは…古代の魔術師めいたローブに身を包み、フードを頭からすっぽりと被った女だった。 顔を隠した女はマントを着けていない事から平民なのかもしれないが、その体からは異様な気配が漂っている。 声と同じでまるで幽霊のように存在感は無く、゛風゛系統の使い手であるワルドでさえも喋られるまで気づかなかった程だ。 黒いフードもまた一切の飾り気が無く、それが却って女の不気味さと冷たさを助長させている。 そんな見知らぬ不気味な女が、混乱の最中にある甲板の上に悠然と佇んでいるという光景はあまりにも異様であった。 ワルドは杖の切っ先を女へと向け、艦長であるボーウッドが誰何しようとした時…その二人を押しのけるようにしてジョンストンが女へと詰め寄ってきた。 「おぉ…シェフィールド殿!シェフィールド秘書官殿ではないか!!」 先程まで泣き叫んでいた憐れな司令長官は期待と羨望に満ちた表情で、シェフィールドを見つめている。 その名に聞き覚えのあったボーウッドは、彼女がかつて自分にニューカッスル城への奇襲を実行させた人物だと思い出す。 クロムウェルの秘書官が何故こんな所へ?いや、それよりもいつ乗船したというのか。 疑問を一つ解消し、新たな疑問が二つも出来てしまったボーウッドを余所にジョンストンが饒舌に喋り出す。 「おぉ…秘書官殿ぉ…敵が、トリステイン軍が伏兵を配しておりましたっ!このままでは、閣下から任せられた艦隊がやられてしまいますぞ…!」 「安心しなさい、この事もクロムウェル閣下の予想範囲内。次の一手を打つ準備はできているわ」 まるで始祖像に縋る狂信者の様なジョンストンを宥めながら、シェフィールドは林檎の様に紅い唇を動かしてそう答えた。 その口の動きすらまた不気味に感じたボーウッドは、気を取り直すように咳払いをしつつ二人の会話を黙って聞いている。 彼女の話から察するに少なくとも今この状況を聞く限り、打開できる程の切り札があるらしいがボーウッド自身はそれに心当たりがなかった。 艦長である自分に知らせずに兵器にしろ武器にしろ積むというのは、無理があるというものだ。 後ろにいたワルドに目を向けるも、彼もワケが分からないと言いたげな表情を浮かべて軽く頷く。 一体どういう事なのか?放っておけない謎だけが積み重なっていく中で、ジョンストンは喋り続けている。 「おぉ、お願いします!すぐにでも、すぐにでもそれをお使いください!!それで忌々しいトリステイン軍を……ッ!」 最後まで言い切ろうとした彼はしかし、自分の口の前に出されたシェフィールドの右手の人差し指によって止められてしまう。 たったの人差し指一本。それだけで今まで散々喚いていたジョンストンとが、口をつぐんでしまったのだ。 この時、ワルド達には見えなかったがジョンストンの目にはフードで隠れたシェフィールドの目がしっかりと見えていた。 唇と同じ深紅色の鋭い瞳が蛇の様な冷たさを放って、彼の顔をギロリと睨んでいたのである。 蛇に睨まれた蛙の気持ちとはこういうものか…。ジョンストンは無意識に止まってしまった自分を、ふとそんな風に例えてしまった。 「貴方に請われなくとも、既に゛投下゛の用意に移っているわ。…だからそこで大人しくしていなさい」 シェフィールドは最後にそう言うと踵を返し、体が硬直したままのジョンストンを放ってスタスタと船内へと続くドアへと歩いていく。 ボーウッドは突然現れ、そして自分たちには声も掛けずに去っていく彼女の背中をただずっと見つめている。 ワルドもまた彼の後ろから見つめているだけで、後を追うような事はしなかった。 (…投下?投下とは一体どういう意味だ…!?) 今まで自分がこの艦の艦長であり、これから指揮を取ろうとしたボーウッドは自分が知らない事実がある事に困惑していた。 これまで経験してきた戦いは単純明快であり、勝つか死ぬかの命を賭けた真剣勝負でそこに謀略というモノは殆どなかった。 それが自分の信じる軍人としての戦いだと思っていたし、これからも続く不変の概念だと信じていた。 だがそれも今日をもって、終わりを告げることになってしまうのだろう。あの女の手によって。 「艦長…あの女、クロムウェルの秘書官殿は何をするつもりなのでしょうか?」 後ろから聞こえてくるワルドの質問にも、彼はすぐに答える事が出来なかった。 ただただドアを開けて、船内へと吸い込まれるように消えていったシェフィールドの後姿を見つめながら、ポツリと呟いた。 「あの女は、一体何をするつもりだというのだ…?」 時間は丁度午後十二時を回ろうとしているところで、トリステイン王宮内の厨房では早くも昼食の準備が済んでいた。 国中から集められた腕利きのシェフたちが厨房を舞台に、平民はおろか並みの貴族ですらお目に掛かれないような豪華なランチの数々。 一つの皿に盛られたメインの肉料理だけでも、平民の四人家族が三日間遊んで暮らせる程の金が掛かっている程だ。 そんな豪華な料理を作り出し、運び出そうとしている厨房は賑やかになるのだが…今日に限っては王宮全体がやけに賑わっていた。 あちこちの廊下を武装した騎士や魔法衛士隊員が戦支度の為に走り回り、廊下の埃を舞い上がらせている。 いつもなら執務室で昼食を心待ちにしている王宮勤務の貴族たちも、顔から汗を噴き出す程忙しく走り回っていた。 平民の給士達は何が起こったのか把握している者は少なく、多くの者たちが廊下の隅や待機室で走り回る貴族たちを不安げに見つめていた。 そして事情を把握している者たちは、知らない者たちへヒッソリ囁くように何が起こったのか大雑把に伝えていく。 …曰く。ラ・ロシェールで親善訪問の為に合流しようとしたアルビオン艦隊が、トリステイン艦隊を襲ったという事。 けれどもそれを間一髪で避けたトリステイン艦隊は、゛偶然近くで訓練していた゛国軍の砲兵大隊に助けられたいう事。 そして国軍の監査をしていた王軍の将校たちが指揮を取り、騙し討ちをしようとしたアルビオン艦隊との交戦に入ったという事。 誰が最初に広めたかも知らない噂はたちどころに王宮中に伝幡し、一つの『事実』として形作られていく。 ある者は「王家を滅ぼした貴族派らしい、卑怯な手口だ!」と批判し、また別の者は「戦争が始まるのかしら…?」と不安を露わにしていた。 一方で、貴族たちの中で軍属についている者達は上層部からの出撃命令を、今か今かと心待ちにしている。 上司たちから伝えられた内容が本当ならば、今すぐにでもラ・ロシェールで戦っている友軍と合流しなければならないのだ。 竜騎士は朝からの濃霧で出撃には時間が掛かるが、その他の幻獣に乗る魔法衛士隊ならば日付を跨いで深夜中に辿り着くことができる。 けれども、各隊の隊長たちは未だ緊急に設けられた対策室から出て来ず、隊員たちはどうしたものかと皆首を傾げている。 騎士達も騎士達で出動命令を待っており、できる限り竜騎士隊を今のうちに出させたいという意思があった。 この霧の中で長距離飛行は風竜でもなければ方角を見失う可能性があり、不幸にも風竜は此度の作戦でラ・ロシェールからの伝令役に全頭駆り出されている。 風竜はブレスの威力が弱い為に飛行力はあっても戦闘力は火竜より低く、そして火竜は戦闘力あれど飛行力は風竜に大きい差があった。 一応霧の中を長距離飛行させる方法はあるのだが、如何せん方角を見失った際に地上に着地させて、方角を指示してやらなければいけないのである。 更に火竜は頭が悪いせいで何度も着地させて教え直す必要があり、今出動してもラ・ロシェールにつくのは明日の朝方になってしまう。 だから騎士達も焦ってはいたのだが、自分たちの隊長が対策室から一向に出て来ない理由だけは知っていた。 彼らは伝令役を仰せつかった騎士仲間から、ある程度現地の―――最前線の情報を知る事が出来ていた。 伝令曰く、アルビオン軍は亜人とは違う見たことも無い『怪物』を地上軍のいる森林地帯に投下したのだという。 地上に降りた彼奴らは、周囲の霧を蝕むかのようにドス黒い霧を放出して地上軍に襲い掛かった。 その時上空にいた彼は全貌を知る事はできなかったが、地上軍は一時間と経たずに森から出てきたのだとか。 『怪物』たちは無秩序な動きとドス黒い霧を伴って王軍のいるラ・ロシェールへ突撃、そして… それから後の事は、その時伝えに来た伝令は知らない。 彼は本作戦の指揮を任されたド・ポワチエ大佐から、敵が未知の『怪物』を差し向けてきたという事を伝えろと言われて、町を後にしたのである。 故にその後ラ・ロシェールがどうなったか、そして今現在の状況がどうなってるいるのかまでは知らなかった。 「クソッ…出動命令はまだなのか?一体どうなっている!」 王宮の廊下を、喧しい足音を立てて魔法衛士の隊員三人が早足で歩いきながら一人叫ぶ。 彼らのマントには幻獣ヒポグリフの刺繍が施されている事から、彼らがヒポグリフ隊の所属だと一目で分かる。 その後ろに同僚であろう二人の隊員が後へと続き、彼の独り言に相槌を打つかのように言葉を出す。 「対策室へ行っても隊長たちからは待機しろ、待機しろ…の繰り返し。このままじゃ、戦況がどうなるか分からないっていうのに」 「全くだよ!聞けば、郊外の森林地帯で陣を張った国軍が既に敗走しているらしいぞ」 後ろにいた二人の内三十代前半と思しき同僚が口にした国軍の情報に、先頭の隊員が鼻で笑ってこう言った。 「所詮平民と下級貴族の寄せ集め軍隊なぞ、そんなものだろ?」 「けれど俺の友人の騎士から聞いた話だと、亜人でもない未知の『怪物』の仕業とか…」 反論か否か、食い下がる同僚の言葉を遮るようにして、先頭の彼は言った。 「いいか?例え相手がその『怪物』だろうが、俺たち魔法衛士隊が出動すればすぐに―…イテッ!?」 そんな時であった。先頭を歩く彼の言葉を無理やり中断させるかのように、曲がり角から黒い影がぶつかって来たのは。 不意に当たった彼は、すぐに後ろにいた同僚が倒れようとした背中を押さえてくれたことでなんとか事なきを得た。 一方で曲がり角からやってきた謎の黒い影も「おわっ…トト!」と可愛らしい声を上げて、何とかその場で踏みとどまっている。 何とか倒れずに済んだ黒い影―――もとい、魔理沙は帽子が落ちてないか確認してから、ようやくぶつかった相手と目が合った。 そして相手が男三人の内先頭の者とぶつかったと察すると、やれやれと言いたげに首を横に振って呟く。 「…全く、人が曲がり角を通るって時にぶつかってくるとは危なっかしい連中だぜ」 「何だと…?」 自分がぶつかってきたという自覚が微塵もないその言い方に、先頭の隊員はムッとした表情を浮かべる。 思わず腰に差していた杖を抜くと、その切っ先を魔理沙の喉元へと躊躇なく向けた。 「貴様、このヒポグリフ隊所属の私に向かって何たる口の利き方か…」 彼の経験上。平民や下級貴族ならばこの言葉と杖を向けるだけで、相手が竦む事を知っていた。 だが魔理沙はその杖を見ても怯えるどころか、厄介なモノを見るかのような表情を浮かべて言った。 「えぇ…?おいおい、勘弁してくれないか?今はただでさえ急いでるんだよな、コレが」 事実本当に急いでいる魔理沙の言葉はしかし、彼の怒りのボルテージを更に上げてしまう事となる。 何よりもその表情――顔の前を飛び回る羽虫を鬱陶しがるような顔に、杖を持つ手に力が入り過ぎてギリギリと音がなる程怒っていた。 「黙れ、貴様の事情など知った事ではない!それよりも貴様は……」 「ちょっとマリサ!一人で勝手に突っ走るなって言ったでしょうがっ!」 何者だ!―――――そう言おうとした時、魔理沙が通ってきたであろう曲がり角の向こうから声が聞こえてきた。 目の前にいる無礼な平民(?)の少女と同年代であろう、少女の軽やかな怒鳴り声。 その声に聞き覚えのあった先頭の隊員は、魔理沙を睨んでいた顔をフッと上げて彼女の後ろを見やる。 彼が顔を上げたのとほぼ同時であっただろう。自分にぶつかってきた少女の後を追うようにして、ピンクブロンドの少女が走ってきた。 黒のプリーツスカートに白いブラウス、そして黒いマントを着けている事から少女が貴族だとすぐにわかる。 だがそれよりも遥かに目立つピンクブロンドの髪が、彼女がトリステインで最も名のある公爵家の者だと無言で周囲に伝えていた。 「み、ミス・ヴァリエール…!」 後ろにいた同僚の一人が突然現れた公爵家の者に驚き、無意識にそう叫んでいた。 だが肝心のヴァリエール家の令嬢――――ルイズはその声には反応せず、魔理沙へと怒鳴りかかる。 事情はよく知らないが、その燃えるような怒りの表情を見るに何かがあったのだろう。 「アンタねぇ!折角姫さまのいる場所を聞いたってのに、…先を行き過ぎて迷ったらどうするのよ!?」 「いや~、ワタシってばこう突っ走っちゃう性格でね、やっぱり常日頃箒で飛ばし過ぎてるせいかもな」 先程魔理沙へ杖を突きつけた隊員も驚くほどの怒声でもって、ルイズは黒白の魔法使いへと詰め寄る。 一方の魔理沙も慣れたモノなのか、頭にかぶっていた帽子を外して気軽そうに言葉を返している。 そのやり取りに思わず杖を抜いた先頭の隊員も、その切っ先を絨毯へ向けてただただ見守るほかなかった。 と、そんな時にまたもや曲がり角の向こうから、三人目となる別の少女の声が聞こえてきた。 「ちょっとアンタたち。駄弁ってる暇があるなら、前にいる奴らを道の端にでも寄せたらどうなのよ?」 先の二人と比べて何処か暢気そうで、それでいて苛立たしさを少しだけ露わにしているかのような棘のある声色。 前の奴らとは我々の事か?三人目の言葉に後ろにいた二人がついついお互いの顔を見遣ってしまう。 貴族を相手にして何たる物言いか。先頭の隊員がそんに事を想いながら顔を顰めた時、三人目がヒョッコリと姿を現した。 ハルケギニアでは珍しい黒髪に大きくて目立つ赤いリボン、そして袖と服が分離している珍妙な紅白の服。 左手には杖らしきモノを持っているがマントは着けていない所為で、貴族かどうかは判別がつかない。 そんな変わった姿の少女―――霊夢が呆れた様な表情を浮かべて、ルイズと魔理沙の前へと出てきた。 「…って、何言い争ってるのよ二人とも?」 「イヤ、喧嘩じゃないぜ。ルイズが前を行き過ぎるなと叱って、それに私が仕方ないだろうと言葉を返しただけさ」 「世間様では、それを言い争いとか口喧嘩というらしいわよ」 「ちょっと!二人して何してるのよ!?そんな事してる暇があるならねぇ――」 妙に回りくどい魔理沙の言動に、霊夢は溜め息をつきながらも言葉を返す。 そこへルイズが怒鳴りながら入ってしまうと、彼女たちの前にいる魔法衛士隊隊員達は何も言う事ができなくなってしまった。 一体これはどういう事なのか?魔法衛士隊の三人が突然で賑やかな少女達に呆然としてしまう。 そんな時に限って、厄介事というのは連続して起こるという事を彼らは知らなかった。 「……ん?おい、また誰か角を曲がって来るぞ」 ルイズたちがギャーワーと喋り合っている背後から新たな影が出てくるのを見て、隊員の一人が言った。 今度は何だ?うんざりした様子でそう思った先頭の隊員が三人の背後へと視線を移し、そして驚く。 先ほどの少女たちはそれぞれ一人ずつ数秒ほど時間を置いて出てきたが、何と今度は一気に三人も出てきたのだ。 だがそれで彼らが驚いたワケではなく、原因はその出てきた三人の『状態』にあった。 「おい、しっかりしろ!」 「う、うぅ…スマン」 「もうすぐ会議室だ、踏ん張れ!」 新しく出てきた三人は王宮の騎士隊であり、肩のエンブレムを見るに竜騎士隊の所属だと分かった。 その内二人は一人の両肩を貸しており、その一人は一目でわかる程酷い怪我を負っている。 怪我をした竜騎士は今にも倒れそうなほど頼りない足取りであり、肩を貸してもらわなければすぐにでも倒れてしまうだろう。 突然現れた負傷した騎士に驚いた衛士隊の者たちはハッと我に返り、先頭の隊員が騎士の一人に声を掛けた。 「…あっ、おい…!大丈夫か、どうしたんだその怪我は?」 「ん?あぁ魔法衛士隊のヤツか。スマンが、今は道を空けてくれ!伝令のコイツを連れて行かないと…」 怪我をした同僚の右肩を支えていた騎士が言葉を返すと、言い争っていたルイズがハッとした表情を浮かべる。 今はこんな事をしている場合じゃないと、気を取り直すかのように頭を軽く横に振ると先頭の衛士隊隊員に向かって言った。 「すいません!私達もこの騎士達と一緒にアンリエッタ姫殿下の許へ行きたいのですが、会議室はこの先で合ってるんですよね!?」 王宮の中心部にある会議室は、交戦状態となったアルビオン軍との戦いをどう進めるかの対策室に変わっていた。 三時間前に戦闘開始の伝令が届けられてから、王宮にいた大臣や軍の将校たちがこの広い部屋に集結して会議を続けている。 縦長のテーブルの左右に設けた席に彼らが腰を下ろし、テーブルの上にはラ・ロシェール周辺の地図が何枚も広げられている。 大臣や将校たちはその地図を指さしながら口論し、この戦いをどのように進めて終幕を引くべきかを議論していた。 「既にアルビオン側のスパイと、我が国の内通者が通じ合っていたという証拠は確保しているのだ。 後はこの戦いを一時的な膠着状態にして、アルビオンが非難声明を出すと同時にそれを公表すれば奴らは終わる」 「イヤ!すぐにでも国中の軍隊を動員して艦隊だけでも潰すべきだ!!正義は我らにある!」 とある将校と議論していた一人の大臣が書類を片手に提案を出すと、好戦的な反論が跳ね返ってくる。 既に国中に待機しているトリステイン国軍は出動態勢を整えており、王軍の方も今か今かと出動命令を待っているのだ。 しかし大臣側も好戦的な彼らの提案と気迫に負けぬものかと言わんばかりに、別の大臣がその将校に食って掛かる。 「だが今動員させたとしても、大軍となるのには最低でも四日は掛かりますぞ!?アルビオンは我々が集まるのを悠長に待つワケがない!」 仲間の言葉に他の大臣たちもそうだそうだ!と賛同の相槌を打ち、対策室の空気を何とか変えようとしている。 将校側も場の空気が変わりつつあるのを察してか、反論された将校の隣にいた魔法衛士ヒポグリフ隊の隊長が口を開く。 「ならばその時間を、我々魔法衛士隊と竜騎士隊を含めたトリスタニアの王軍で稼ぎましょうぞ!」 「まだ敵がどれ程の地上軍を有しているのか、分かってないのだぞ?戦うしか能のない衛士隊は黙っておれ!」 白熱した論戦のあまりついつい乱暴な口調になってしまう大臣の言葉で、ようやくこの場を落ち着かせようとする者が出てきた。 「諸君、落ち着いて下され!あまり議論に熱を掛け過ぎては、ただの喧嘩になってしまいますぞ!」 アンリエッタの座る上座の横で佇んでいたマザリーニ枢機卿が一歩前に出て、滅多に出さない程の大声で呼びかける。 幸いにも彼の大声で論戦のあまり熱暴走しつつあった対策室は、冷水を浴びせられたかのように落ち着きを取り戻した。 何とか彼らの口を閉ざすことができたマザリーニは、軽い咳払いをしてから淡々としゃべり始めた。 「とにかく…今のトリステインは大臣側の提案を実行し、アルビオン以外の他国に大義は我々にあると教えなければならん。 援軍については、今後来るであろう伝令の戦況報告に応じて調整する必要があるだろう。今は打って出るべきとは思えん」 大臣側、将校側両方を組み合わせたかのようなマザリーニの提案に、大臣側の何人かがホッと安堵の一息をつく。 しかし将校側にはまだ不安要素があるのか、魔法衛士マンティコア隊隊長のド・ゼッサールが片手を上げて枢機卿に話しかけた。 「だがマザリーニ殿、先程の伝令によると何やら前線においてアルビオン側が見たことも無い兵器を使用したと…」 そんな彼に続くようにして国軍将校である辺境伯も片手を軽く上げて、マザリーニに質問を投げかける。 「左様。敵は亜人とも違う全く未知の『怪物』の軍勢を地上に投下して国軍を敗走させ、王軍のいたラ・ロシェールにも突撃したと聞きましたが…。 それがもし本当ならば…国軍、王軍共にこれ以上の被害が拡大する前に増援部隊を派遣して、その『怪物』達に対処する必要があるのでは?」 マンティコア隊隊長と辺境伯の言葉に、将校たちはウンウンと頷きながら確かにと呟いている者もいる。 彼らは戦いを膠着状態に持っていくのは賛成しているが、増援は出来る限り迅速に送るべきだと主張していた。 無論その報告を聞いていたマザリーニもその事についてすぐに拒否することはできず、むぅ…と呻く事しかできない。 そんな彼の反応に大臣側であり友人であるデムリ財務卿と、アカデミー評議会議長のゴンドラン卿が不安そうな表情を浮かべている。 彼らも戦闘の一時膠着を望んでおり、マザリーニ自身もどちらかといえば大臣側の味方であった。 出来る事ならば最小限の戦いでアルビオンを食い止めて、奴らに不可侵条約の意思なしと公表するのがベストであろう。 (だが…我々はそう思っていても、今の殿下のお気持ちは――――) 彼はそこまで考えて自分のすぐ右、この部屋の上座に腰を下ろすアンリエッタを横目で一瞥する。 三時間前にアルビオンとの戦闘開始が伝えられ、この部屋へ来てからというもの彼女はずっとその顔を俯かせていた。 一言も喋ることなく悲しそうな、何かを思いつめているような表情を浮かべて右手の薬指に嵌めた指輪を左手の指で撫で続けている。 御気分が優れぬのかと、何度か一時退席させて休ませては見たがここに戻ってくるとまたすぐに俯いてしまう。 臣下の者たちも心配してはいるのだが、彼女の口から会議に専念して欲しいと言われてしまったのでどうしようもできない。 そんな時であった、会議室の出入り口である大きなドアが突然開かれたのは。 いきなりの事にドアのそばにいた貴族たちが何事かと見やって、ついで多数の者が怪訝な表情を浮かべてしまう。 彼らの前でノックも無しにドアを開けて入ってきたのは、憮然とした態度で会議室を見回している霊夢であった。 「ほー、ほー…成程。アンリエッタがいるという事は、ここが会議室って事かしら?」 貴族たちに誰かと問われる前に、目当ての人物を探し当てたであろう霊夢が一人呟くと、右手を上げて「ちょっとー?アンリエッタ~?」とアンリエッタに話しかける。 突然現れた霊夢の態度と敬愛するアンリエッタ王女への呼び方を耳にした貴族たちは彼女の無礼な態度に、怒りよりも先に驚愕を露わにした。 トリステインの百合であり象徴でもあるアンリエッタ王女を呼び捨てはおろか、王族相手に友だちへ声を掛けるかの如く気安さ。 例え平民や盗賊や傭兵に身をやつしたメイジでも取らないような霊夢の態度に、彼らはただただ呆然とするほかなかった。 「だ…誰ですか貴方は!ここは関係者以外今は立ち入りを禁止にしていますぞ!」 霊夢の無礼さから来る驚愕から一足先に脱したであろうデムリ卿が、目を丸くしながら言った。 「関係者なら大丈夫なの?じゃあ私はアンリエッタの関係者だから、部屋に入っても良いわよね」 「なっ…!で、殿下…それは本当で?」 しかし霊夢も負けじと言い返すと、デムリ卿は思わず上座のアンリエッタを見遣ってしまう。 アンリエッタもまた突然やってきた霊夢に驚いた様な表情を浮かべていたが、デムリ卿の言葉にスッと席を立った。 「れ、レイムさん…、どうしてここへ…?」 「いや~何、別に用って程でもないんだけど…まぁ、ルイズの付添いって感じね」 アンリエッタと霊夢のやり取りを見て、その場にいた貴族たちの何人かがざわついた。 あのアンリエッタ王女が、自身に全く敬意を払わぬ怪しい身なりをしたレイムという少女に対してさん付けで呼んでいる。 マザリーニ枢機卿など王宮に常駐して霊夢達の事を知っていた貴族以外は、一体何者なのかと疑っていた。 ただ一人、ゴンドラン卿だけは霊夢の姿をマジマジと見つめながら顔を青白くさせている。 「……失礼します!!姫さま!」 そんな時であった、ざわつき始めた会議室の中へ飛び込むかのようにルイズが急ぎ足で入室してきた。 今度の乱入者は魔法学院生徒の身なりに、ピンクブロンドのヘアーという事で部屋にいた貴族たちはすぐに彼女の事が分かった。 ルイズは霊夢のすぐ傍で足を止めると、上座の方にアンリエッタがいる事に気付いてホッと安堵の一息をつく。 「おぉ!これはこれは、ヴァリエール家の末女であるルイズ様ではございませぬか!!」 ドアのすぐ近くの席に座っていた大臣が、ルイズの顔を見てギョッと驚いた様な表情を浮かべた。 彼の言葉に他の大臣や将校達も半ば腰を上げてルイズの顔を見遣り、そして同じような反応を見せる。 「得体の知れぬ少女の次は、ヴァリエール家の末女様が来るとは…これは一体どういう事なのだ?」 「酷いこと言うわねぇ、誰が得体の知れぬ少女よ?」 「そりゃ挨拶もなしにそんな身なりで入ってきたら、誰だってそう思うだろうさ」 大臣の口から出た言葉に霊夢がすかさず突っ込みを入れた時、ルイズに続いて今度は魔理沙が入室してきた。 三人目の闖入者に更に会議室は沸いたのだが、彼女の後に続いて入ってきた者たちを見て全員が目を見開てしまう。 「し、失礼致します!ただいまラ・ロシェールからの伝令を連れてまいりました!」 魔理沙の後に続いて入ってきた魔法衛士隊隊員の一人がそう言うと、四人の騎士と隊員達に支えられた伝令が入ってきたのだ。 「これは…っ!一体どうした事か!?」 「何と酷い怪我だ…」 大臣や将校達は隊員たちに肩を支えられて入ってきた伝令の騎士を見て、彼らは様々な反応を見せる。 ある大臣は血を見ただけで顔を青白くさせ、将校や隊長達が席を立って伝令の傍へと駆け寄っていく。 「……ッ!」 「何と…」 マザリーニ枢機卿も傷だらけで入ってきた伝令に目を丸くし、アンリエッタは口元を両手で押さえて悲鳴を堪えていた。 伝令の傍へ駆け寄ってきたヒポグリフ隊の隊長が、騎士達と共にやってきた自分の隊の者に話しかける。 「おいっ、これはどういう事なのだ?」 「はっ、先程隊長殿に待機命令を受けた後に戻ろうとした際にこの者達に続いて、彼らがやってきて…」 ついさっき魔理沙とぶつかった隊員が横にルイズたちを見やりながら、やや早口で隊長に説明をしていく。 その傍らで竜騎士隊の隊長が自分の部下でもある伝令に、不慣れながらも゛癒し゛の魔法を掛け続けている。 しかし伝令の傷は外から見るよりも酷く、出血もそこそこにしている事が今になってわかった。 「お前たち、どうしてコイツが戻ってきた時点で応急処置をしなかったんだ」 「その…実は戻ってきた時は平気そうなフリをしていたのですが…我々が用事で城内へ入った際に、彼女たちが倒れていたソイツを介抱していて…」 部下のその言葉に、隊長は蚊帳の外に移動しかけたルイズたちの方へと顔を向ける。 強面の竜騎士隊隊長に睨まれた魔理沙が多少たじろいだが、そんな彼女を余所にルイズがすかさず説明を入れた。 「最初に私が倒れているのを見つけた時、医務室につれて行こうとしたのですが…どうしても姫様に伝えたい事があると言って…」 その輪の外で様子を窺っていたアンリエッタがハッとした表情を浮かべて、その騎士の許へと駆け寄っていく。 何人かの者がそれを制止しようとした素振りを見せつつも、彼女はそれを気にもせずに負傷した伝令の傍へ来ると水晶の杖を彼の方へと向けた。 軽く息を吸ってから、慣れた様子で『癒し』の呪文を詠唱し始めると、杖の先についた小さな水晶が不思議な光を放ち始める。 見ているだけでも心が落ち着くような水晶の光が騎士の体から傷を取り除き、まともに立つことすらできなかった疲労感すら消し去っていく。 それを近くで見ていた者たちはルイズを含めて『癒し』の光に皆息を呑み、魔理沙は興味津々な眼差しでアンリエッタの魔法を観察している。 霊夢は相変わらずぶっきらぼうな表情でその様子を眺めていたが、思っていた以上に献身的なお姫様に多少の感心を抱いていた。 「大丈夫ですか?」 「あぁ…姫殿下、申し訳ありません…。私如きに、貴女様が魔法を使われるなどと…」 敬愛する王女からの治療に伝令はお礼を言って立ち上がろうとしたが、アンリエッタはそれを手で制した。 「そのままで結構です…。一体、私に直接報告したい事とはなんですか?」 アンリエッタからの質問に、伝令はスッと目を細めるとゆっくりと喋り出す。 「ら……、ラ・ロシェールに派遣された王軍指揮官の…ド・ポワチエ大佐からの伝令、です…」 彼はそう言って息を整えるかのように深呼吸をしてから、それを口にした。 「『我ガ王軍、及ビ国軍ハアルビオン軍ノ謎ノ怪物ニヨリ壊滅状態ナリ。 ラ・ロシェールノ防衛ヲ放棄、タルブ村マデ後退。至急増援ヲ送リ願イマス』との…こと」 彼の言葉から出た伝令の内容に、騒然としつつあった会議室が一斉に静まり返った。 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん
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前ページ次ページルイズと無重力巫女さん 「一体何が?……あっ」 突拍子もなく音が聞こえなくなった事に僅かながら動揺した声を口から漏らした時、彼女は気が付いた。 周りの音や他人の声は聞こえないが、自分の声だけはやけにハッキリと聞こえる事に。 それに気づいた彼女は落ち着こうとするかのように軽い深呼吸をした後、赤みがかった黒い両目を鋭くさせてこの事態について考え始める。 幻想郷での妖怪退治や異変解決、そしてスペルカードを用いた戦いにおいてもまず冷静にならなければ全てはうまくいかない。 気持ちを落ち着かせれば今まで見えなかった解決策も瞬時に出てくるが、逆に焦ってしまえば相手に翻弄されて敗北を喫してしまう。 それは戦いという行為をするにあたって初歩中の初歩とも言える事だが、霊夢はその『何時いかなる状況でもすぐに落ち着ける』という事に長けていた。 自分の声意外が聞こえなくなったという異常事態におかれても、彼女は自分のペースを乱すことなく僅かな時間で落ち着くことができた。 それを良く言えば博麗の巫女として優秀な証であり、悪く言えば酷いくらいにマイペースな証であった。 (紫の仕業?…イヤ、アイツならもっとストレートにきそうだけど) 自分に話しかけてくる二人を無視しつつも霊夢は考え、一瞬あのスキマ妖怪のせいかと思ったがすぐにそれを否定する。 もしも、自分に用があるのだとしたらまずこんな回りくどい事はせずに直接顔を出してくるだろう。 確たる証拠は無いが、博麗の巫女としてあの妖怪と付き合い数多のちょっかいを掛けられてきた彼女にはそう言い切れる自信があった。 (アイツなら普通にスキマから顔を出したり、客に扮してコッチに話しかけてきそうね……―――…ん?) いつもニヤニヤしていて掴みどころのない知り合いの顔を思い浮かべた瞬間…。ふと左手の甲に違和感の様なモノを感じた。 まるでほんわりと暖かい手拭いをそっと置かれたように、妙に暖かくなってきたのである。 一体次は何なのかとそちらの方へ目を向けた瞬間、霊夢はその両目を見開いてまたも驚く羽目となった。 召喚の儀式でルイズにつけられ、此度の異変解決の為に彼女がこの世界に居ざるを得ない原因を作り出した使い魔のルーン。 この世界の神と呼ばれる始祖ブリミルの使い魔であり、ありとあらゆる武器と兵器を扱う程度の力を持ったというガンダールヴの証。 そして、今のところたった一回だけしか反応しなかった左手のそれが、突如として光り出したのである。 「なっ…!?…これって…!」 これには流石の霊夢も動揺と驚きを隠せず、目の前にいる二人もそれに気づいてか驚いた表情を浮かべている。 「………、……………?」 「…………ッ!?……、………!!!」 魔理沙は初めて見るルーンの光に興味津々な眼差しを向け、霊夢に使い魔の契約を施した張本人であるルイズは突然の事に吃驚している。 一方の霊夢もその目を見開いたまま、久しぶりに見たルーンの光を時が止まったかのようにジッと凝視していた。 左手の甲に刻まれたルーンの光はそれ程強くもなく、例えれば風前の灯火とも言えるくらいに弱弱しい光り方をしている。 しかしそれでも光っている事に変わりはなく、特にルイズと霊夢の二人は魔理沙よりも使い魔のルーンが光ったことに驚いていた。 何せアルビオンで一回見たっきり全く反応しなかったソレが思い出したかのように輝き始めたのである、驚くなという方が無理に近い。 (一体どういう事なの?今になって使い魔のルーンが光るなんて…) 未だ驚愕の渦中にいるであろうルイズたちより一足先に幾分か冷静になっていく霊夢の脳裏に、とある考えが過る。 まさか…自分以外の声が聞こえないというこの異常事態と何か繋がりがあるのではないか? 突拍子もない仮説と言って切り捨てる事ができるその考えを、しかし彼女はすぐに破棄する事ができない。 (もし違うというのなら今の段階では証明できないし、―――あぁ~…かといって今の状況とルーンが繋がってる証拠も無し、か…) 一通りの頭の中で考えた末に結論が出なかった事に対し、思わず首を傾てしまう。 霊夢にとって今の状況は充分に゛異常゛と呼べる代物ではあるが、その゛異常゛を解決するための糸口となるモノがわからないままでいた。 そして光り続けているルーンは単に光っているだけなのか、今のところは何の力も感じられない。 (参ったわねぇ~…。このまま耳が聞こえなかったら色々と不便になるじゃないの) 常人ならとっくの昔に慌てふためいている様な状況ではあるが、そこは博麗霊夢。 まるで傘を忘れて雨宿りしているような雰囲気でそう呟きつつ、ため息をつこうとする。 ――――… 「……ん?」 そんな時、彼女の耳に小さな『声』が入ってきた。 まるで地上から十メートル程掘られた井戸の底から聞こえてくるようかのように、その『声』はあまりにも小さく何を言っているのかもわからない。 普通の人間であるのならば、恐らくは空耳か幻聴だと思い込んで聞き逃してしまうだろう。 しかし、この数分間他人の声を聞くことが出来ないでいた霊夢の耳はその『声』をしっかりと捉えることができた。 彼女は何処からか聞こえてきた『声』に辺りを見回すが、それらしい人物や物は一切見当たらない。 もしかしたらとルイズたちの方へ目を向けるが、先程と同じく二人の声は全く聞こえてこない。 (何よさっきの声?…一体どこから聞こえてきたっていうの) 霊夢は心中で呟きながらも、大きなため息をつく。 こうも立て続けにおかしい事が自分の身に降りかかってくるという事に、彼女は辟易しそうであった。 しかしそんな事は後回しにしろ言わんばかりに、またもや正体不明の『声』が霊夢の耳゛にだけ゛入ってくる。 ―――――…ム (まただ、また聞こえてきた) 先程よりも少しだけ大きくなった謎の『声』に、霊夢は無意識に首をかしげてしまう。 恐らくこの『声』は彼女の耳だけにしか届いていないのだろう。ルイズと魔理沙の二人はキョトンとした表情を彼女に向けている。 もし聞こえているのなら何からのリアクションを取るだろうし、取っていなければ聞こえていないという証拠だ。 そして、霊夢がそんな事を考えている最中にも今の彼女に取り残された二人は何か話をしている。 「……?…………?」 声が聞こえないので何を言っているかはわからないが、魔理沙は腰を上げた霊夢を指差しつつルイズに何かを聞いている。 しかしその内容があまり良くなかったのか、ルイズは少し怒ったような表情を浮かべて黒白の魔法使いに詰め寄った。 「…!…………!」 「……?……………」 そんなルイズに魔理沙は両手を突き出して止めつつ、笑顔を浮かべて嗜めようとしている。 (一体何を話してるのかしら?こうも聞こえないと無性に気になってくるわねぇ) 魔理沙に指差された霊夢がそんな事を思っていた時…。 ―――――…イム またもあの『声』が、耳に入ってくる。 時間にすれば一秒にも満たないがある程度聞き取れるようになったソレを聞いて、霊夢はある事に気が付く。 そう、周りの音や声が聞こえなくなった彼女の耳に入ってくる『声』は、女性の声であった。 しかし…女性といっても今この状況で聞こえてくるであろう少女たちの声ではないし、この世界で出会ってきた人々や幻想郷の顔見知り達の声とも違う。 自分の『記憶』が正しければ、この『声』は全く聞き覚えの無いものだ。 謎の『声』に耳を澄ませていた霊夢がそう思った時、彼女はある『違和感』を感じる。 (……でも、おかしい) その『違和感』は先程左手の甲に感じた時とは違い、自身の『記憶』から感じ取ったものであった。 それはまるで、九百枚ほどのピースがあるジグソーパズルのように繊細でとても小さな違和感。 しかも額に飾られたそれは固定されていなかったのか、嵌っていたピースが何十枚か床に落ちて穴ぼこだらけのひどい状態を晒している。 彼女はピースが嵌っていた穴の中から掴みだすかのように、その『違和感』を探り当てたのだ。 周りの音が聞こえなくなり、突如光り出したルーンに続いて自分だけにしか聞こえない謎の『声』。 ついさっき思ったように、この『声』に聞き覚えは無い。 そう、無いはずなのだ。しかし… (…何でだろう?この声。何処かで聞いたことがあるような無いような…) 彼女はこの『声』に全く聞き覚えがないと、完全に肯定することができないでいた。 本当に聞き覚えが無いのか、それとも記憶にないだけで一度だけ聞いたことがあるのか? 怪訝な表情を浮かべ始めた霊夢は、周りの雑音と声が聞こえなくなった店の中で考え始める。 例えば、テーブルの上に置かれた二つある林檎の内一つだけを選んで食べろと誰かに言われたとしよう。 一見すればどちらとも状態が良く、素晴らしい艶と色を持った朱色の果実。 しかしその内の一つには毒が入っており、もしも間違って食べてしまえばあの世へ直行するだろう。 彼女は慎重かつ冷静な気持ちで左の林檎を手に取るが、すぐに齧りつくようなことはしない。 手に取った林檎とテーブルに置かれたままの林檎を見比べながら、彼女は頭を悩まし始める。 彼女が頭を悩ましている原因は、きっと脳裏をよぎった一つの考えにあるだろう。 『もしもテーブルに置かれている方が何の変哲もない普通の林檎で、手に取ったのが毒入りだったら…』 単なるif(イフ)…つまりは『もしも』として思い浮かべたそれは、秒単位で現実味を帯びていく。 外見はどちらともただの林檎で、目印になるようなものは一切見つからない。 だからこそ悩んでしまうのだ。本当に自分の選んだ林檎こそ、毒が入っていない方なのか… しかし。彼女…霊夢にとってその迷いなど文字通り一瞬でしかない。 頭に思い浮かんだ『もしも』など少し考えただけですぐに捨て去り、自分を信じて手に取った方の林檎に思いっきりかじりつくだろう。 無論それに毒が入っていたら死んでしまうが、自らの身がそうなってしまう事を全く想定してはいない。 持ち前の勘と思い切りの良さで今まで数々の異変解決と妖怪退治をこなしてきた博麗霊夢にとって、毒入りの林檎など恐れる存在ではないのだ。 (まぁ、気のせいよね。こんなにもおかしい事が続くから気でも立ったのかしら…?) 霊夢はたった数秒ほど考えて、謎の声に聞き覚えがあるか否かという事を『単なる気のせい』として片付けようとした。 突然自分以外の声が聞こえなくなったことや使い魔のルーンが発光、そして謎の『声』。 常人ならばパニックに陥っても仕方がないこの状況下で、彼女は酷いくらいに冷静であった。 むしろその様な事態に見舞われているのにも関わらず、平気な表情を浮かべている。 最初の時こそ軽く驚きはしたものの、数分ほど経った今ではこれからどうしようかと解決策を思案しているのが現状であった。 (とりあえず声より先に気になるのは…ルーンと私の耳かしらねぇ) 謎の『声』に関してはひとまず置いておく形にして、彼女は残り二つの゛異常゛をどうする考えようとする。 自分の事などそっちのけで、何事か話し合いをし始めたルイズと魔理沙をのふたりを無視して… しかし…事はそう単純ではなかった。 『単なる気のせい』として片付けられるほど落ち着いていた彼女を、゛異常゛は許さなかったのである。 ――――…レイム 「え―――――…あれ?」 新たな思考の渦に自ら身を投げようとした時。俺も仲間に入れてくれよと言わんばかりに、あの『声』が霊夢の耳に飛び込んできた。 最初に聞いたときはあまりにも小さく、誰の声で何を言っているのかもハッキリとわからなかったあの『声』。 しかしそれまでのとは違い通算四度目となるそれはハッキリと聞き取れ、何を言っているのかわかった。 同時に、この『声』に何故聞き覚えが無いと絶対に言い切れなかった原因も。 それに気づいた彼女は、思わずその目を丸くしてしまう。 何故、聞き覚えが無いと思っていたのだろうか? 何故、自分の周りから聞こえてくるのだろうか? そんな事を思ってしまうほど、彼女にとってこの声は身近なモノであった。 いや、もはや身近という言葉では言い表せないだろう。何故なら、彼女だけに聞こえているその声は―――― ―――――…レイム 博麗霊夢。つまりは自分自身の声だったのだ。 「私の――――…声?」 その事実に気づいて呟いた瞬間。彼女の視界の端を『黒い何か』が横切っていく。 まるで風に吹かれて揺らぐ笹の葉のようなそれは、美しい艶を持った黒髪であった。 霊夢がその髪を見て咄嗟に後ろを振り向いた時、目を見開いて驚愕する。 振り返った先には、一人の女性がいた。 歩いて一メイルほどもない所にある出入り口の前で背中を見せている女性は、ポツンとその場に佇んでいた。 先程霊夢が見た黒髪は腰に届くほどまでに伸ばしており、窓から入る陽の光で綺麗な光沢を放っている。 少しだけ開かれた店内の窓から入る初夏の風でサラサラと揺れ動くその髪は、一本一本が正確に見えた。 霊夢自身も黒髪ではあるが、あれ程美しい艶や光沢を放ったことは無い。 もしも今の様な状況に陥っていなければ、何と珍しい黒髪かと思っていただろう。 だが…。彼女はその事に対して驚いたのではない。 席を離れて十歩ほど足を動かせば、身体がぶつかってしまうであろう距離にいる女性の服を見て、驚いたのである。 血やトマトの色というよりも、何処かおめでたい雰囲気を感じる真紅の服とロングスカート。 霊夢と魔理沙が本来いるべき世界で起こったという古代の合戦から生まれたと言われる紅白の片割れである紅色は、否応なく目立っている。 足に履いた革茶のロングブーツは、見た目や歩きやすさだけではなく攻撃性すら要求しているようにも見受けられる。 もしもあのブーツで力の限り踏まれたり蹴り技をくらうものならば、単なる怪我で済まないのは一目瞭然だ。 だが、霊夢が驚いた原因の根本はそのどれ等でもない。 彼女が女性の服を見て驚いた最大の原因は、真紅の服と別離した―――『白い袖』にあった。 彼女が付けているそれよりも若干簡素なデザインをしつつも、常識的には珍しい白い袖。 不思議な事に、まるで真冬の朝に見る雪原のように静かでありながら何処か儚い雰囲気が漂っている。 いつの間にかその袖を食い入る様に見つめていた霊夢はその両目を力強く見開き、口を小さくポカンと開けている。 もしもルイズや魔理沙にも女性の姿が見えていれば、嘲笑よりも先に霊夢と同じように驚くのは間違いないだろう。 そう、幻想郷でもたった一人しかいない結界の巫女と同じ姿をした者がいる事に。 多少の差異はあれど、目の前にいる女性の姿は霊夢と同じく――゛博麗の巫女゛そのものであった。 「アンタ…誰なの?」 気づけば、霊夢は無意識にそんな言葉を口走っていた。 その言葉を向けた先にいるのは、彼女に背中を見せている黒髪の女性。 真紅の服と白い袖をその身に着ける、自身と似たような姿をした謎の女性。 「アンタは、何なの?」 彼女の言葉に女性は何も言わず、体を動かすことも無い。 ただ店の出入り口の前に立ち、自らの後ろ姿をこれでもかと見せつけている。 書き入れ時を過ぎたとはいえ営業妨害とも思えるその行為に、店の人間は何も言ってこない。 いや、言ってこないのではない。気づいてすらいなかったのである。 初めからいないと思っているように、霊夢以外の皆が女性の存在を無視していた。 振り返った彼女の近くにいたルイズと魔理沙も同じなのか、キョトンとした表情を浮かべて出入り口を見つめている。 その二人に気づかぬほど冷静さを失い始めていく霊夢は、またも呟いた。 自分にしか見えていないであろう女性へ向けて無意識に口から出た、疑問の言葉を。 「アンタは―――――――…私?」 言い終えた瞬間、霊夢の耳に再び『声』が入ってきた。 寸分たがわぬ彼女自身の声でたった一言だけ……こう呟いた。 ――――…霊夢 直後、出入り口の前にいた女性の体がパッと消えた。 まるで最初からいなかったかのように、その存在そのものが消失したのである。 その様子を最後まで見ていた霊夢の脳内で唐突に、ある仮説が生まれた。 もしかすると、自分の身に起きた異常事態を起こしたのは…彼女ではないのか? その時、左手のルーンがフラッシュを焚いたかのようにパッと一瞬だけ力強く輝く。 瞬間。ルーンの光と呼応するかのように霊夢の視界が白く染まり、次いで彼女の脳内で誰かが囁いてきた。 先程聞こえてきた自分自身の声とは違い酷いノイズが混じった声は、こう言ってきたのである。 『ヤツを、追え』――――と 「――――――…ッ!」 気づけば、その体は無意識に動いていた。 どうして頭より先に体が動いたのか、今の声は誰だったのか。それを理解できるほど今の彼女は落ち着いてはいなかった。 そんな彼女の心境を表しているかのように、左手の甲に刻まれた使い魔のルーンは先程よりもその輝きを増している。 まるで霊夢に何かを語り掛けているかのように、その光は強くなっている。 木造の床を蹴り飛ばすかのように足を動かして、彼女は出入り口へ向かって走り出した。 しかし、先程まで女性が佇んでいた店の出入り口となるドアへ近づいた瞬間… 「……―――ょっと、レイムッ!?」 懐かしくも、そうでないルイズの声が聞こえてきた。 それと同時に、まるで世界に音が戻って来たかのように、店内の音と声が霊夢の耳に入ってくる。 だが、いつもの冷静さをかなぐり捨ててドアを開けた彼女は、その声を聞く前に店を飛び出していた。 ルイズ達を置いて、街へと再び躍り出た彼女が何処へ行くかは誰も知らない。 ただ…。霊夢の左手に刻まれたガンダールヴのルーンは、これまでの鬱憤を解消するかのように光り輝いている。 まるで彼女を、何処かへ導くかのように。 アルベルトとフランツは思った。オーク鬼を相手に素手だけで勝てる人間はこの世にいるのかと。 ハルケギニアに住む人間ならば貴族平民問わず、誰もがその質問にこう答えるだろう。 「勝てるワケがない」と、確かな自信を持って。 無論二人はそれを知っているし、仕事柄数々の亜人と戦ってきた経験も豊富にある。 醜悪な外見とその体に見合わぬ俊敏な動き、そして人間以上の怪力を持つオーク鬼は非常に手強い。 彼らとの戦いでは、例えメイジであっても一瞬のミスが命取りになるのだ。 そんな相手を素手だけで戦おうというのは、もはや自殺行為以外の何物でもない。 そして自殺をするなら、まだ首を吊ったり高所から飛び降りた方が楽に死ねるのは火を見るより明らかだ。 だから二人は常に思っている。武器なしでは亜人に勝つどころか戦う事さえできないという事を。 だからこそ、二人は我が目とハルケギニアの常識を疑った。 目の前の『光景』は、一体何なのかと。 「あ…あ…」 フランツの後ろにいたアルベルトは口をポカンと開けて、自身の目でその『光景』を凝視していた。 彼の前にいるフランツは、信じられないと言いたげな表情を浮かべたまま目を見開いている。 そして彼らの前に現れ、突如乱入してきたオーク鬼に襲われたローブを羽織った者は…その右手で『突き破っていた』。 まるで槍か剣のように突き出したその手で突いたのは、脂肪と筋肉に包まれた分厚い皮膚で守られた額。 そのような皮膚を持っているのは、ハルケギニアに住まう者たちから恐れられる亜人の一種であるオーク鬼だけだ。 そう、ローブを羽織った者の手が突いたのは…襲いかかってきたオーク鬼の額であった。 あと少しでオーク鬼に噛み付かれそうになった瞬間。垂直に突き上げた右手がオーク鬼の額を破って脳を突き、見事その息の根を止めたのである。 しかしローブを羽織った者の後ろにいた衛士たち二人は、その瞬間を見ることができなかった。 瞬きをした瞬間には、既にオーク鬼は今の様な状態になっていたのである。 頭をやられて絶命した亜人の両腕はだらしなく地面へと下がり、ついで右手に持っていた棍棒が手から滑り落ちる。 今まで多くの人間や同族たちを屠ってきた血だらけのソレは鈍い音を立てて地面を転がり、ローブを羽織った者の足元で止まった。 肥え太った体はピクリとも動かず、力を失った両腕がフックで吊り下げられた肉のように揺れ動く。 標準的な人間の五倍ほどもある体重を支える足からも力が抜けていき、今や地面に突っ立ているだけの肉塊と化していた。 やがて頭を貫いたその手でオーク鬼が死んだことを感じ取ったのか、ローブを羽織った者は突き出していたをスッと後ろへ引き始める。 突くときは目にも止まらぬ早業で突いたのにも関わらず、引き抜くときにはとてもゆっくりとした動作でその右手を引き抜いていく。 しかしその光景は、まるで抜身の剣を鞘に納める時のようにとても滑らかで一種の美しささえ併せ持っていた。 だがそれを全てぶち壊すかのように、骸となったオーク鬼が死してなお自らの存在をアピールしている。 五秒ほどの時間をかけて右手をオーク鬼の頭から引き抜いた瞬間、亜人の体がゆっくりと右側に傾いていく。 二人の衛士たちが未だ唖然とした表情を浮かべている中、オーク鬼の骸は大きな音を立てて地面に倒れこんだ そしてそれを見計らったかのように貫かれた額から血が流れ始め、むき出しの土が見える地面を真っ赤に染めていく。 オーク鬼を殺したローブを羽織った者はその様子をじっと見つめていたが、その後ろにいる二人は別の方へと視線が向いていた。 彼らの視線の先にあるのは、ローブを羽織った者の『右手』であった。 その右手はオーク鬼の赤い血の色や黄色い脂の色でもなく、青白い光に包まれていた。 まるで夜明けの空と同じ色の光で包まれたその右手は、驚くほどに綺麗だ。 あの右手でオーク鬼の頭を貫いて仕留めたのにも関わらず、体液の様なモノは一切付着していないのである。 一体自分たちの目の前にいるのは何だ?人間ではないのか? オーク鬼が現れた時も全く騒がなかった馬の上で、フランツの脳裏に数々の疑問が過ってゆく。 どうして素手で亜人を殺せたのか。あの右手を包む光は何なのか。そもそもアレは人間なのか。 答えようのない疑問ばかりが脳内に殺到する中、彼の後ろにいたアルベルトがポツリと呟いた。 「ば…化け物…。化け物だ…」 彼の声が聞こえたのか。こちらに背中を向けていたローブを羽織った゛何か゛が、素早い動作で振り向いた。 まるで彼の言った「化け物」という言葉に反応したかのように、それは早かった。 近くにいたフランツはいきなり振り向いてきた事に驚いて馬上で体を揺らした瞬間、見た。 頭から被ったフードの合間から見える、赤く輝くその両目を――――――― 前ページ次ページルイズと無重力巫女さん